薩摩島津氏について 其の3

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1日本@名無史さん
鎌倉時代からしぶとく生き延びてきたこいつらについて語りましょう

※維新志士メインのネタは近代史板か、専用スレでお願いします
※戦国時代ネタは戦国時代板の関連スレもご利用下さい(特に○○最強説や仮想戦記物など)
※たまに島津家=秦の始皇帝の末裔説やローマ帝国末裔説などを力説される
 電 波 な方がご来訪されますが、華麗にスルーしてあげてください
 構うとその方の病状が悪化し、周囲にも悪影響を及ぼしますw

前スレ
薩摩島津家について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1108452781
薩摩島津氏について2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201079663/l50
2日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:37:35
hage
3日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:49:03
弓月氏⇒秦氏⇒惟宗氏⇒島津氏



【首都】島津幕府【鹿児島?】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1173101058/
4日本@名無史さん:2008/07/12(土) 05:05:51
5日本@名無史さん:2008/07/12(土) 11:07:11
>>1
≫※たまに島津家=秦の始皇帝の末裔説やローマ帝国末裔説などを力説される
 電 波 な方がご来訪されますが、華麗にスルーしてあげてください
 構うとその方の病状が悪化し、周囲にも悪影響を及ぼしますw



「※たまに、島津=頼朝のご落胤説を力説される
お話畑全開な方が
ご来訪されますが
みなで、生暖かく見守ってさし上げてください
下手に追い詰めると『タイムマシーンが出来るまではわからないヽ(`Д´メ)ノ プンスカ!』等と学問板にはあるまじき詭弁を弄しはじめるので、周囲に悪影響を及ぼしますw」

は入れないでいいの?
(・∀・)ニヤニヤ
6日本@名無史さん:2008/07/12(土) 11:22:59
つーか、島津源氏説は最近まで常識視されていたことだし、
鎌倉時代末期から最近まで、これを前提に扱われてきた歴史があるので、書くこと自体は誤りではない。
7日本@名無史さん:2008/07/12(土) 12:13:38
>>6
はぁ?
8日本@名無史さん:2008/07/12(土) 12:56:56
>>6
最近ていつまで?
根拠は?

鎌倉御家人の惟宗氏(島津氏)
これあたり前に常識よ???
薩摩の歴史書でも普通の常識。
9日本@名無史さん:2008/07/12(土) 14:03:43
タッ、タッ、タイムマ…







(ポクッ)
10日本@名無史さん:2008/07/13(日) 01:53:39
島津氏源氏説を島津氏がどう利用しようとしたか→このスレでもOKの話題
島津氏は源頼朝の末裔!!!11→デムパはお花畑板かアンサイクロペディアにでも(ry
11日本@名無史さん:2008/07/13(日) 02:38:03
【剣術の流派】
柳剛流
北辰一刀流:坂本龍馬
甲源一刀流:?
天然理心流:土方歳三


薩摩に伝わる流派


東郷家 :示現流
薬丸家 に伝わる:ジゲン流 の二つある。
12日本@名無史さん:2008/07/13(日) 03:55:21
秦氏⇒惟宗氏⇒島津氏
13日本@名無史さん:2008/07/13(日) 08:00:46
忠久の母が丹後内侍なのは史実でOK?
14日本@名無史さん:2008/07/13(日) 11:57:55
島津の出自については新スレ立ててやった方がいいと思うぜ
ループしまくりだもん
15日本@名無史さん:2008/07/13(日) 21:37:12
>>11 薬丸家のは自顕流って表記します。読みは示現流と同じですが区別するために薬丸自顕流とか野太刀自顕流とか言う場合があります。
16日本@名無史さん:2008/07/13(日) 23:32:09
>>13
どうなんでしょうねぇ
全く島津と縁のない史料(「吉見系図」、源範頼関係の系図らしい)にそういう記述があるので
「島津忠久の母は丹後内侍」というのは信用度が高いと言うことらしいが。
17日本@名無史さん:2008/07/16(水) 08:01:19
島津は日本一外道で恥知らずで罪深い一族
18日本@名無史さん:2008/07/17(木) 15:58:26
No.1【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)


(佐渡・能登・越中・加賀・越前)=比企朝宗


(信濃・上野)=比企能員

(越後)=佐々木盛綱

(下野)=小山朝政


(常陸)=八田知家


(下総)=千葉常胤


(武蔵)=平賀義信


(相模)=三浦義澄


(伊豆・駿河)=北条時政


(遠江)=安田義定
19日本@名無史さん:2008/07/17(木) 16:00:21
No.2【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)


(三河)=安達盛長


(尾張)=小野成綱


(美濃)=大内惟義


(伊勢)=山内首藤経俊


(近江)=佐々木定綱

(若狭)=津々見忠季(島津)


(和泉)=佐原義連


(播磨)=梶原景時


(淡路)=横山時広?
20日本@名無史さん:2008/07/17(木) 16:00:42
No.3【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)


(但馬)=小野時広


(讃岐)=後藤基清


(土佐)=佐々木経高

(出雲)=安達親長


(安芸)=宗考親


(石見・長門・隠岐)=佐々木定綱


(対馬)=河内義長


(筑前・肥前)=武藤資頼


(日向・大隅・薩摩)=島津忠久
21日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:02:42
>>18-20
だから前にもいっただろう 
改行をどうにか汁!と
22日本@名無史さん:2008/07/17(木) 19:22:21
秦氏 豪族 ⇒ 惟宗氏 ⇒ 島津氏 や 長曽我部氏


豪族や守護官職 渡来経由ばかりです。
23日本@名無史さん:2008/07/17(木) 21:36:47
もとをたどれば、全ての日本人が
渡来系じゃねーか。
平安期なのかvs縄文・弥生期なのか
ぐらいの差だろ。

24日本@名無史さん:2008/07/17(木) 21:58:41
>>23
鎌倉時代から戦国武将と言われる武将とか守護とか名家出身者は渡来系氏族ばかりだよ。

農民から武将関白になれたのは 豊巨秀吉ぐらい。


後は官位がない豪族、極少数派に武将になった者もいるけど


家柄や血筋をたどれば有名な武家の殆どが渡来系です。


戦は派閥の乱れや頭同士の衝突。天皇家や朝廷内部や公卿内部も派閥があるからね。


内部分裂です。
25日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:40:46
源氏や平原

所謂、源平合戦 最初に奇襲攻撃で戦したのが 源義経 です。


それまでの戦は出自血筋や苗字を全て言いた後に戦うスタイル


根本てきに変えたのが義経。


後、織田信長
26日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:47:17
>>25
×平原
〇平家
(笑)
27日本@名無史さん:2008/07/17(木) 23:45:48
改行の入れ方も変だし
内容もスレ違いだし なのにageて書くし
なにより
肝心の知識がデムパだしまくり間違えまくりだしw
28日本@名無史さん:2008/07/18(金) 01:26:12
>>23

前スレリターンズw
29日本@名無史さん:2008/07/19(土) 06:57:36
久光は鹿児島では好かれてますか?
嫌われてますか?
30日本@名無史さん:2008/07/19(土) 08:48:47
県民は、どちらかと言うと感情以前に近寄りません。
現在の島津宗家の直系の親にあたる人なのですから。

西郷隆盛を敬愛する郷土史家の人は、明らかな嫌悪感を表明することがあります。
31日本@名無史さん:2008/07/19(土) 10:54:47
なるほど
では斉彬は好かれてますか?
私は斉彬が写した三人の娘の写真を見ると切なくなります
32日本@名無史さん:2008/07/19(土) 12:28:24
>>30
西郷さん絡みでは事実だけど、
>現在の島津宗家の直系の親
となんの関係が?
島津家と県民は150年前に終わってるだろw

>>31
斉彬は日本の近代化に貢献した人として
人気があるよ。
鹿児島に残した文化遺産が違うのが理由。
(人は功績で判断されるのよ)

斉興も父親としての悪名はあれど、桟橋事業など
功績は高く評価されてるし、斉彬の先見性は斉興
の影響を強く受けている。

久光さんは西郷どんの言葉通り、器が無かった
ってことでしょう。
33日本@名無史さん:2008/07/19(土) 12:43:25
照国神社の年間参拝者数みれば分かる
34日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:24:15
西郷ってただの戦好きでしょ。
幕府に謀反を企て、忠臣たちを殺戮し、他国に無謀な喧嘩を売ろうとし、
とうとう朝廷にまで牙を剥いた。
日本史上でもこれほど奸悪な輩は珍しい。

日本3悪人
足利尊氏・松永弾正・西郷虎之助
35日本@名無史さん:2008/07/19(土) 21:43:12
斉興は別に評価されてないと思う。天保改革なんて全部調所にやらせただけ。つか調所の採用も、元々は重豪。
36日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:01:13
>>34
プギャ 




という学術板にあるまじき記述が・・・
最低最悪でもwikiぐらい調べましょう
それともあなたは熊本県民?
37日本@名無史さん:2008/07/20(日) 23:47:06
俺島津の分家
38日本@名無史さん:2008/07/21(月) 01:03:08
|∀・) ニヤニヤ ・・・


以下、>>37の家系自慢が始まります______________________
39日本@名無史さん:2008/07/21(月) 08:12:36
源頼朝の落胤が先祖のはずなのに、藤原の嫡流近衛家にべったり
の節操の無さ
40日本@名無史さん:2008/07/21(月) 12:18:58
41日本@名無史さん:2008/07/21(月) 15:17:15
無駄に行間空けるやつは押し並べて学がない
42日本@名無史さん:2008/07/22(火) 14:34:46
出水生まれのものだが、島津が源氏の出身だとは聞いてないな
島津家発祥の地とかあるけど実際どうなんだっけ・・・出水島津家って分家が別にあったのは知ってるが
地元に赤穂浪士の墓とかあるから胡散臭いんだよな
43日本@名無史さん:2008/07/22(火) 15:26:42
>出水島津家って分家が別にあったのは知ってるが
初耳
情報щ(゚Д゚щ)  カモーン
44日本@名無史さん:2008/07/22(火) 17:04:34
>>43
42氏が仰せの出水島津家とは、あの天璋院様に所縁の御家筋のようです。w
ttp://www.minc.ne.jp/cocco/special/atuhimepage.htm
45日本@名無史さん:2008/07/22(火) 18:52:00
なーんだ「今和泉」かよorz

※多少の誤字は笑ってorネタにされて許してもらえる2chですが、誤変換には気をつけましょう
 鹿児島には「出水」という地名がありますので、誤解の元ですw
46日本@名無史さん:2008/07/22(火) 20:06:05
>>45
出水地域を治めた島津忠氏(出水島津家祖)の系統が出水氏(出水家・和泉家)となるも後に廃絶。
約320年後に和泉家が〔今和泉〕家として再興されたということですからあながち誤変換にはあらず。w
47日本@名無史さん:2008/07/22(火) 21:56:46
>>46
先を越されました、見事なレスです。

>>35
斉興は好き嫌いから、過少に評価されますが、
近代的な橋脚建築などは、当時の最高水準で
他に類を見ない鹿児島の遺産的誇りです。
篤姫大河のオープニングは、斉興あってこそでは
ないでしょうか。

調所の活用も藩主なら当然のこと、有能な人を
どの様に働かせ、成果を上げさせるかが裁量。
汚い事かもしれないが、裏金公金作りも、
藩の財政立直しに相当な役割を果たした。

戦国より武将は諜略、騙し討ちを駆使してでも
領土や領民を守り、自分の首を繫いだ訳で、
それが武士の倣いだと考えれば、藩主として
斉興はOKと言える。

ただし、人間性は俺も別段好きじゃないwww
48日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:25:38
>>46-47
しつこくて申し訳ないのだが、島津氏スレなのでちょっと追求してみる

今和泉島津氏は当然なのだが
和泉島津氏ですら「出水○○」と名乗ったという例を知らないのだが・・・
49日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:54:39
>>48

島津氏の初代は『出水』が発祥、その前は惟宗氏を称し
『都城』を拠点としていた。

http://www.boreas.dti.ne.jp/~masahumi/simadu-tousyu/framepage1.htm
50日本@名無史さん:2008/07/22(火) 23:37:54
>>49は既知。
そうじゃなくて、
和泉島津氏が「出水島津氏」とか「出水氏」とか
あるいは出水島津氏出身の人物を「出水○○」とか
明言されている史料があったら知りたい。
51日本@名無史さん:2008/07/23(水) 02:15:32
久光は人気ないみたいだけど、薩摩の民のためになるような事はあまりしなかったの?
52日本@名無史さん:2008/07/23(水) 08:40:25
寺田屋事件と生麦事件起こして薩英戦争やりました。
53日本@名無史さん:2008/07/23(水) 09:20:06
無位無官の国父三郎は引っ込んでろ
54日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:44:15
>>50
42だが、出水市野田町にある石碑のところにそう書いてあった。
出水市教育委員会が立てた立て札だったと思う。つーわけであくまで後世の呼称だと思う
55日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:51:35
http://www.city.izumi.kagoshima.jp/izumi04/05bunkazai_16.asp
これだ・・・あれ、出水島津って書いてあったのはこれだったとおもうんだがなぁ
普通に記憶違いだったらスマソ
56日本@名無史さん:2008/07/23(水) 17:58:35
>>54-55
コメントサンクス
リンク先なかなか興味深い史跡もあっておもしろかった
5746:2008/07/25(金) 03:00:57
>>48氏、50氏
検索で史料が見つかると助かるのですがなかなか見い出せません。(苦笑)
しつこく探したところ、島津忠氏について「出水左衛門」と記された個人サイトがありました。
引用史料名がはっきりするとありがたいのですが・・・w
  ttp://www.geocities.jp/kawabemasatake/simadu.html
  ※要ページ内検索w

※そのほか、島津忠氏についてのこんな資料もありましたのでご参考まで。
  島津家大系図正統 島津忠氏
  ttp://wwwdl.lib.kagoshima-u.ac.jp/contents/prch/0101570002/00000074.jpg
  ttp://wwwdl.lib.kagoshima-u.ac.jp/cgi-bin/z3950/prec_img_disp.cgi?ts_id=0101570002&start_pos=71&lang_mode=J
  ttp://ado.lib.kagoshima-u.ac.jp/handle/10232/252

レスが前後しますが>>47氏、恐縮です。
58日本@名無史さん:2008/07/25(金) 12:22:39
出水出身の桐野先生に聞いてみるとか
59日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:06:15
お忙しい方を巻き込んじゃ駄目だぞw
60日本@名無史さん:2008/07/28(月) 06:13:14
関ヶ原で島津軍の敗走を助け豊久を弔ったのが美濃の三輪(大神)氏。
そして義弘を匿った奈良の三輪山の平等寺は大神神社の神宮寺。
大神(おおみわ)一族は大神(おおが)氏として豊後周辺に広がっている。
島津と大神の関係を知りたいのですが・・
61日本@名無史さん:2008/07/28(月) 06:49:05
別に関係ない。
62日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:01:59
んなこたあない
63日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:51:08
>>61が正解 単なる偶然
第一豊後は鎌倉時代から島津氏じゃなくて大友氏の勢力範囲
64日本@名無史さん:2008/07/28(月) 14:13:00
宇佐八幡宮
65日本@名無史さん:2008/07/28(月) 18:13:52
豊後大神氏の中には大友氏に従った者もいれば歯向かった
一派もいたわけで島津寄りの者がいても不思議じゃない
島津軍の中に大神の血筋の人間がいた可能性はある
66日本@名無史さん:2008/07/28(月) 19:04:49
>>65
戦国時代の島津家の武将の血筋(自称ではあるがw)は『本藩人物志』等で
他家に比べると比較的はっきりしているので、豊後大神氏系という武将がいたら教えてくれ

ところで三輪氏と豊後大神氏は関係あるの?
三輪氏は古代以来の豪族だけど、宇佐神宮関係者はバリバリ半島系渡来人だと思うのだが。
67日本@名無史さん:2008/07/28(月) 20:12:32
>関ヶ原で島津軍の敗走を助け豊久を弔ったのが美濃の三輪(大神)氏。

そうなの?つーか、ただの三輪という名字の土民じゃね?
6860:2008/07/29(火) 07:12:01
60です。僕の疑問にあれこれレスして頂いてありがとうございます。

>>67
大神神社が分祀された古来からの由緒正しき三輪地区です。
持統天皇が度々訪れ、正親町天皇の時代に大神社家に下賜されました。
現代まで続く数軒の旧家は入郷した社家の子孫です。
島津家は参勤交代の際には度々三輪家に使者を送っています。
69日本@名無史さん:2008/07/29(火) 10:26:29
島津の家臣で大神系なのは三田井。他にもいるかも。
70日本@名無史さん:2008/07/29(火) 11:48:19
本藩人物志と旧記雑録は基本中の基本
71日本@名無史さん:2008/07/29(火) 14:55:28
>>68
持統天皇は美濃に行幸した記録はないよ 壬申の乱がらみで通過した可能性はあるが。
これ以上は島津氏とはかけ離れて脱線するから深く言及しないが、
>>60の住んでいる地区と三輪神社の関係が気になるなら島津氏ではなく壬申の乱の辺りを調べた方がいい。

また、義弘が関ヶ原から敗走して大坂の薩摩屋敷まで逃亡する際、大神神社の神宮寺・平等寺を頼ったのは
修験道の絡みだと思われ。島津氏が山伏をスパイとして使っていたことはルイス・フロイス「日本史」にも記録がある。
72日本@名無史さん:2008/07/30(水) 15:16:25
暇だから感応寺行ってきた
なんで境内のソテツが天然記念物なんだろう
73日本@名無史さん:2008/07/30(水) 16:05:24
74日本@名無史さん:2008/07/31(木) 00:24:48
>>73
サンクス
ぐぐったら感応寺のHPが普通にあることに驚き
75日本@名無史さん:2008/07/31(木) 00:41:29
>>74
おおいい情報こちらこそサンクス
鹿児島の寺は小さい+歴史が浅いところが多いから、ちょっと前までは泰平寺ぐらいしかHP無かったような気がする
76日本@名無史さん:2008/07/31(木) 11:12:10
まあほぼ全てぶっ壊したからな
お陰で文化財散逸。もったいねえことしたな先人は
77日本@名無史さん:2008/07/31(木) 23:46:10
>>66
ところで三輪氏と豊後大神氏は関係あるの?


伝承によるとあるみたい。


>三輪氏は古代以来の豪族だけど、宇佐神宮関係者はバリバリ半島系渡来人だと思うのだが

宇佐神宮の祭祀者は一度交代していて確か一系統ではない筈。
大神一族の前は秦氏系だったんじゃないかな?
78日本@名無史さん:2008/08/01(金) 00:57:30
宇佐神宮三輪氏は渡来系という話しもあるようね
http://kamnavi.jp/toyo/usa8man.htm


以下島津氏の話しに戻る
79日本@名無史さん:2008/08/01(金) 02:03:24
豊後大神(おおが)一族は大友氏によって、ほぼきれいに粛清されてしまう。
その大友氏、元は相模波多野氏の一族(といっても冷飯組)。
その相模波多野氏だが、元々は佐伯姓。
この相模佐伯氏の一族に武蔵比企氏がいる(佐伯系図による)
さて、比企氏といえば比企尼、丹後内侍。

はい、島津の話に戻りましたw
80日本@名無史さん:2008/08/01(金) 06:22:56
頼家実朝亡き後、島津が源氏嫡流だったって、本当?
81日本@名無史さん:2008/08/01(金) 06:38:01
「本当?」も何も誰がそんなこと言ってんだよw
82日本@名無史さん:2008/08/01(金) 11:21:42
なんか手を変え品を変え
毎度似たような荒唐無稽の珍質問でageるバカがいるな
同一人物だろ。無視無視
83日本@名無史さん:2008/08/01(金) 21:10:29
atuhimw
84日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:44:58
幕府との関係がいい時期に木曽三川治水工事を命じられた理由はなんですか?
綱吉の養女竹姫を藩主の後室に迎え、将軍の御台所を送り出したのに。
85日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:31:24
宝暦治水工事は茂姫(広大院)を送り出す前ですな。

この事情は実はよく分かっていなくて
山本博文氏に至っては「実は嫌がらせじゃないという説まで唱えている。(『徳川将軍家の結婚』)

ただ、島津重年の兄・島津宗信に尾張藩の息女が嫁ぐ話があったが宗信死亡などで流れてしまい、
その後藩主になった重年(ちなみに藩主就任時は島津重豪の母だった先妻は死去して独り身)にも
尾張藩から働きかけがあったが、断って島津一門の女性を正室に迎えている。
このいきさつから見て、どうも尾張藩辺りから幕府に働きかけがあって嫌がらせに至ったんじゃないかな。
後に重豪が藩主になったときにも、またまた尾張藩から息女を正室にとの働きかけがあったが
継豊と竹姫の話し合いで「尾張藩とのつきあいは何かと経費がかさむから」という理由で一橋家の息女を
先に正室に迎えたし、その可能性は高いと思う。
86日本@名無史さん:2008/08/03(日) 20:14:26
>>84みたいなまともな話題になるとレスが減るんだね。
おいらも真相を知りたい。
87日本@名無史さん:2008/08/15(金) 22:31:25
ジーオーグループ大神源太は大神家の子孫。
88日本@名無史さん:2008/08/24(日) 18:56:42
島津本家自体が、藤原氏のネームバリューを利用したいときは惟宗氏を名乗り、
頼朝公以来の隠れ無き名家といいたいときに落胤説を利用した結果、後世に惟
宗原理主義者と頼朝落胤説マンセー君が出現するという(かなりどうでも
良い)弊害が出るとは思いも寄らなかっただろうなぁ。
ある意味、三国志でいう正史厨VS演義厨に近いものを感じるどうでも良さ。
89日本@名無史さん:2008/08/25(月) 07:10:20
そのへんの話題蒸し返すとまたループするぞい
誰か新スレ立てないかな
90日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:16:22
>>85
御用学者、DQN山本のご高説(というか奴は史実に感情論を持ち込むどアフォ)
を持ち出さなくてもあなた本人の説のほうが面白いので、自信を持ってください。
91日本@名無史さん:2008/09/01(月) 14:45:34
ヒラコー吹いたw
確かに戦国島津を大河でやったら特アがやかましいわな
92日本@名無史さん:2008/09/01(月) 15:39:39
|∀・) チラッ → >>91

|彡サッ
93日本@名無史さん:2008/09/01(月) 16:54:05
丸に十字の家紋は室町後期説(16世紀末期)と江戸初期説あるがどちらがホント?
94日本@名無史さん:2008/09/01(月) 17:16:30
十字の家紋自体は鎌倉時代から使っているのはご存じのご様子 >>93

これに○が付いてくる時期となるとどっちなんでしょう?
島津家は意外にこの手の物品の保管率が悪いし、
家宝「時雨軍旗」は島津義久所用の物が幸運に残っているようだが、それは家紋入りだっけ?
絵画類でも余りいい史料はなかったはず。
大阪歴史博物館所蔵の「関ヶ原合戦図」は割と時代を経ない内に書かれた物と聞いたことがあるが、
こちらに書かれている島津軍の旗の家紋はどうなってるんでしょう?
95日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:32:21
関ヶ原の時は○なし
96日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:49:06
義久の軍旗だか旗印だか丸に十字だったかな。
97日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:37:03
スルーなし
惟宗氏 確定です。
98日本@名無史さん:2008/09/03(水) 00:15:04
所職補任
島津初代当首


島津忠久
99日本@名無史さん:2008/09/07(日) 21:55:45
663 :名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 18:56:24 ID:Dw+jsiIZ0
『 天璋院篤姫 展がきょう開幕・・・黎明館 』

http://www.373news.com/_photo/2008/09/20080906N00-02.jpg

◎6日から始まる「天璋院篤姫展」の特別内覧会に招かれた
徳川、島津、近衛家の現宗家主。
右から徳川恒孝氏、島津修久氏、近衛忠W氏=5日午後3時20分、黎明館にて撮影。

◇「天璋院篤姫展」(鹿児島県、南日本新聞社など主催)が6日、10月17日までの日程で、
鹿児島市の県歴史資料センター黎明館で開幕する。
開会式と内覧会が5日あり、篤姫(天璋院)ゆかりの品々が報道機関などに公開された。
計215点あり、篤姫の一生を薩摩、大奥、明治など6の時代に分けて紹介。
篤姫が手元に置いたといわれる薩摩切子の名品「藍色栓付酒瓶(あいいろせんつきさかびん)」や、
豪華な調度、着物なども飾られている。
篤姫の直筆書状などの古文書には口語訳がつけられ、内容を分かりやすく紹介している。

開会式は篤姫ゆかりの島津家、近衛家、徳川家の宗主らも顔を揃え、鹿児島での開会を祝った。

ソース南日本新聞社


100日本@名無史さん:2008/09/07(日) 22:49:09
一番奥の細川前総理じゃねぇかと思ったら弟のほうか。
実は一つ手前の島津家現当主とは従兄弟。

ついでに一番手前の徳川家当主と島津家現当主も血縁関係。
101日本@名無史さん:2008/09/08(月) 07:35:51
近衛家当主?
102日本@名無史さん:2008/09/08(月) 07:37:05
って書いてあるわな。俺の記憶違いかとオモタw>弟
103日本@名無史さん:2008/09/08(月) 08:38:21
近衛家も徳川宗家も弟が継いでる
実家を継いだ兄の方が格下ってヘンな感じ
104日本@名無史さん:2008/09/13(土) 17:07:07
世が世なら公爵が三人顔を並べた訳だ。
105日本@名無史さん:2008/09/13(土) 17:27:54
>>103
天皇家そのものが、閑院宮の分家みたいなモンだろ。
光格天皇:閑院宮典仁親王の第6子。
106日本@名無史さん:2008/09/13(土) 21:40:13
鹿児島の人しか分からんだろうが三人のバックに立ってる人達の中に篤姫関係その他の末裔けっこういたぞ。
107日本@名無史さん:2008/09/13(土) 22:18:45
島津家の血縁はいっぱいありすぎて、誰が誰だか。
108日本@名無史さん:2008/09/13(土) 22:31:23
忠敬に子供が出来なかったのって、久光にセックス禁止されたから?
109日本@名無史さん:2008/09/14(日) 00:03:59
>>106
ええーい!ええーい!控えおろー!控えおろー!控えおろぉぉぉ!
その方ども頭がたかあーい!
かな?見間違えでなければ…
110日本@名無史さん:2008/09/27(土) 18:02:19
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E8%A3%95
誰だよまだ当主になってないのに記事立ち上げたバカは。
しかも間違ってるところがあるし。
111日本@名無史さん:2008/10/09(木) 21:37:49
ウチのご先祖さんはその昔、戦で手柄を立てて島津の殿様に苗字を貰ったらっすい

ただどの殿様かは分からないらっすいw
112日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:59:07
わかると思うけど。
113日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:36:53
出水兵児!
114日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:47:25
薩長のカスどもが憎い。
公武合体で進めれば良かったのに。
タイムマシンがあったら幕末に行って薩長の蛮族を倒したい。
115日本@名無史さん:2008/10/16(木) 21:21:08
>>114
何処の人よ?
116日本@名無史さん:2008/10/16(木) 23:12:56
会津だろ。
117日本@名無史さん:2008/10/18(土) 02:56:11
最近もまた会津の捏造が明らかになっちゃったからファビョってるんだろ。
118日本@名無史さん:2008/10/18(土) 08:31:43
精忠組が悪い。島津家自体は公武合体路線。
119日本@名無史さん:2008/10/19(日) 00:45:44
島津の血筋が中国系なのは間違いない
島津は中国人である
120日本@名無史さん:2008/10/19(日) 03:12:42
韓国人だろ。
121日本@名無史さん:2008/10/19(日) 04:07:06
渡来系
秦氏⇒惟宗氏⇒朝廷への申し出により宮崎に行き
島津と名乗った。鎌倉時代〜幕末まで藩主が代わらなかった薩摩藩島津は全国でも珍しい藩の一ツです。
それが武家の島津氏です。
122日本@名無史さん:2008/10/19(日) 04:24:20
>>119
>>120

友好都市に対して無礼だろうが、貴様こそ日本人の屑だ。
123日本@名無史さん:2008/10/20(月) 09:23:32
肉棒
124日本@名無史さん:2008/10/20(月) 13:23:29
aiueo
125日本@名無史さん:2008/10/24(金) 03:41:11
シ四川の戦いで8千の兵で20万と戦い、10万以上(明の記録では8万)を討ち取った手腕はもっと評価されても良いと思う。まさに一方的屠殺劇。
まあ侵略戦争だけに、公に誉められる事はないが。
126日本@名無史さん:2008/10/24(金) 08:28:39
>>125
そんなに殺せるわけねーだろjk
127日本@名無史さん:2008/10/24(金) 12:16:50
記録はまぁ色々言われてるけど
仮に明側の死亡者数が8千〜1万2千人前後だとしても
相当な数だよな。雑兵にしても多すぎだろ
128日本@名無史さん:2008/10/24(金) 17:28:32
>>126そう思うのが普通かもしれんが、実際に明の記録で八万死んでるからこそ評価されるべきだと言ってるんだろう
対する島津の死者は二百未満らしい
129日本@名無史さん:2008/10/25(土) 00:20:02
明・朝鮮 
参加200,000→死者80,000
島津
参加8,000→死者200

どういう近代兵器を使ったんだろう?
130日本@名無史さん:2008/10/25(土) 00:42:25
>>129
>どういう近代兵器を使ったんだろう?

明軍の陣中にあった火薬庫の爆破。
131日本@名無史さん:2008/10/25(土) 06:39:18
簡単、簡単。
島津のこの戦闘での死者は二名。明の損害は3万7千。
20万は明が脅しに使った“号”の数。実数は不明だが半分にしても10万そこそこ。
実際に戦闘に参加したのは島津は八千全員。明は先鋒の五万くらい。
で、残りの後詰めは先鋒の敗走に釣られて大陸の伝統的壊走をしただけの話し。
実数同士の戦いは八千対数万ってところで、あとは集団ヒステリー。大軍が混乱すれば味方に押し潰された人もかなり多いはず。
ちなみに島津は打撃力が高い包囲戦が日本軍の中で最も優れている為、会戦での敵の死傷率が他の大名より高い。
132日本@名無史さん:2008/10/25(土) 16:46:08
三万七千は所詮島津の記録だろ
攻撃側の推定なんてアバウト過ぎてアテになるかよ
いずれにしても明の報告書にある「戦死八万」を下回る事はねーよ
この時代負け戦の指揮官は打ち首や重い刑罰を課されるのが常識だから、これでも鯖読んでて実数は十万以上って事も考えられるがな
133日本@名無史さん:2008/10/28(火) 12:43:49
項羽の頃から10万20万簡単に殺して埋めてるからな、あいつらw
しかし陣中の火薬に次々と誘爆したって言うけどどういうこったよ。
そんな簡単にボンバーマンみたいに連鎖すんのか?w

シ四川新城の出城の1つで島津軍は150人くらい死んだんだっけ?
134日本@名無史さん:2008/11/07(金) 20:05:36
来年は島津斉彬誕生200年祭で今年は没後150年祭だったそうだ。南方新社で出た薩摩の殿っつう本には関係者の子孫が色々出てて奄美には申し訳なかったみたいなこと言ってるが、結局奄美への慰霊祭やるわけでなく自分達の先祖を祀るだけか。
135日本@名無史さん:2008/11/07(金) 20:08:44
まあ迫害された方にも言い分があるからだろ。
迫害した側の慰霊祭なんて汚らわしくて嫌という人も大勢いる。
ユダヤ関係とか朝鮮・韓国関係見てたら分かるでしょ。
賠償は欲しいが(以下ry
136日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:19:53
島津斉彬が武士のあり方・心得について言った言葉が残っているそうですが
ググっても探し出せなくて…わかる方いらっしゃいませんか?
137日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:38:22
斉彬が名君というのは単なるイメージで、ガキの頃、曾祖父の重豪に西洋の文化に接する機会をもらって、そういう機会を持った子供なら普通に大人になって考えるコト言って、斉興が苦労して貯めたカネ湯水のごとく使っただけ。久光が真の名君。
138日本@名無史さん:2008/11/09(日) 07:53:31
久光って家臣にはめられて領地没収されて、ぶちぎれて花火あげたバカ殿?
139日本@名無史さん:2008/11/09(日) 08:20:33
斉彬も久光も殿様としては当時の水準以上。
140日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:49:50
斉彬は開明的な思想を旧態依然とした薩藩に広げた功績はある。斉彬、久光が西郷や大久保といった下級武士達を側に起用できたのは重豪、斉興が下級武士出身の調所広郷を家老にまでした前例があったからこそであるとの最近の研究がある。
141日本@名無史さん:2008/11/09(日) 23:16:18
斉彬は名君だろ。
しばりょうの本を読めばよくわかるよ
142日本@名無史さん:2008/11/10(月) 01:19:29
>>141
島津斉彬は名君だ!


蘭癖と馬鹿にされてたけど 家臣達


に蘭学勉強させたり 近代的な商業に力入れてたり。

当時、最先端技術であった銀板写真を家臣達に習わせ

るなど、斉彬本人自ら写る写真もあるぐらい。
143日本@名無史さん:2008/11/10(月) 02:25:14
島津家は床に座わらないで下さいって注意ステッカー貼ってある電車に乗ってるぜ
144日本@名無史さん:2008/11/10(月) 10:38:00
一昨年鹿大の、ある研究会で出た話は斉彬に名君的側面あるのは事実だが精神面。湯水の如く船や大砲製作に使った金は重豪や斉興が調所に稼がせたもので密貿易の件幕府にちくって調所自害に追い込んだあと、金かせげなくなって領民に対する税金上げた事実はダメと。
145日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:02:54
ただ調所が失脚してくたばってなかったら薩摩が溜め込んだ資金を竜馬の亀山社中に出してやることもなかったし、倒幕つか明治維新自体なかっただろ。
146日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:05:28
携帯の人は少しは改行考えようよ
147日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:38:28
逆に一人が必死になってるのが分かりやすいからこのままほっとくのも一興かもw
148日本@名無史さん:2008/11/12(水) 15:28:12
北白川肇子さん(島津忠広夫人)のお子さん島津忠美さんの事御存じですか。
149日本@名無史さん:2008/11/19(水) 11:28:31
18代島津家久が叔父と同名にしたのはなぜ?
150日本@名無史さん:2008/11/19(水) 11:33:47
前スレに同じ質問があったと思うが、落ちて探すも難しいと思うのでもう一度書いておく
理由は「徳川家康の偏諱”家”を拝領したから」
「家」の下に島津家伝統の通字「久」をつけたので”家久”となった。
151日本@名無史さん:2008/11/19(水) 14:37:59
久と忠の通字だけど使い分けあるんだっけ?使い方も時代に由るのかな
名の頭に付けるか尾に付けるかのルールって確立してるんだろうか

江戸期の嫡男・世子は初名は勿論通字が付けられるけど
後々藩主になって将軍の偏諱を拝領するとお家の通字は外れるのよね
152日本@名無史さん:2008/11/19(水) 14:38:18
同名にならんよう家忠とかにしてもよかったのにな。あと重豪とか斉彬とか忠や久つけてないのもあるし。
153日本@名無史さん:2008/11/19(水) 14:48:32
島津家の通名「忠」「久」は当スレにカキコする人はご存じの話と思われるが
初代当主「島津忠久」から取られている。
なので初代に敬意を表して「忠」が諱の下のほうにくることは絶対ない。
「家忠」とか超あり得ない。そういえば松平家忠は島津家久(忠恒)とは同時代人だっけ?

>>152
江戸時代でも初期のころは「家久」「光久」「綱久」と拝領字+「久」というパターンを護っていたのだが
綱久が光久より先に死んでしまって、
綱久の子が跡を嗣ぎ、またまた家綱から拝領してもらって父親と同名になるのを避けて「綱貴」になって
あとはgdgd
154日本@名無史さん:2008/11/20(木) 10:50:10
家康から「家」の字をもらった外様大名は島津だけだよね。
関ヶ原の後も諸事情あって減封されてないし、将軍の正室を2人も出してるし、
恨みがあるとすれば木曽三川工事くらいなものでしょ。
幕末に長州みたいな劣等藩と組んだのはなぜだろう?
155日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:00:46
自分たちがもり立ててやった(と一方的に思っていた)
一橋慶喜が「裏切って」薩摩藩を政権から追い出しにかかったからでしょ。

慶喜は将軍後見職に就いたのは本意じゃなかったし
斉彬はともかく、母親の出自があやしく田舎者だった久光を嫌っていたからね。
156日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:56:17
1 ★ディダン
   (チェスト チェスト チェスト)
   ディダン
   (チェスト チェスト チェスト)

  たたかえ われらのシマズマン
  強いぞ 山もぶっとばす
  悪魔の帝国 エドバクフ
  ショーグン ケイキを
  打ち倒せ オー
  チェスト! チェスト!
  シマズマン シマズマン

2 ★くりかえし

  たたかえ われらのサツママン
  強いぞ 鉄もぶちやぶる
  恐怖の帝国 エドバクフ
  オーオク アツヒメ
  ぶちのめせ オー
  チェスト! チェスト!
  サツママン サツママン

3 ★くりかえし

  たたかえ われらのサイゴードン
  速いぞ 地球もひとまたぎ
  怪奇の帝国 エドバクフ
  世界の敵を ぶっとばせ オー
  チェスト! チェスト!
  サイゴードン サイゴードン
157日本@名無史さん:2008/11/22(土) 11:28:30
いつになったら島津と調所は奄美に謝るんだ。
158日本@名無史さん:2008/11/22(土) 12:47:26
また奄美土人か
159日本@名無史さん:2008/11/23(日) 07:00:45
植村はなんで家の字を世襲できたの?
160日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:41:52
>>159
島津家中に「植村」という家臣は居なかったような・・・
とかいろいろ考えて訳がわかんなかったよw

こっちの方が詳しい人が多いよ
片諱について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1183245434/l50
161日本@名無史さん:2008/12/06(土) 09:18:00
鹿児島に観光に行った際に、歴史を学んでいると
ちょこちょこ出てくる「肝属」「伊集院」「隼人」
という地名を目にしました。

ここにまつわるエピソードとかありましたら教えていただけませんか?
162日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:59:17
島津age
163日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:02:52
ユスの木がたくさんあった院だからユス院→伊集院。あと知らん。
164日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:22:30
島津義弘に関係があるのか解らないんですが、観光した
際に地元のタクシーおっちゃんから貰ったパンフに書か
れていた歌です。


1明くれど閉ざす 雲暗 く
薄(すすき)かるかや そよがせて
嵐はさっと 吹き渡り
万馬(ばんば)いななく 声高し


銃雷(つついかずち)ととどろけば
太刀稲妻と きらめきつ
天下分けの たたかひは
今や開けぬ 関ヶ原


石田しきりに 促せど更に動かぬ 
島津勢 占むる小池の 陣営に
鉄甲堅く よろうなり


名だたる敵の 井伊本多
霧にまぎれて 寄せ来るや
我が昌巌(しょうがん)ら 
待ち伏せて 縦横無尽に 
かけ散らす
165日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:30:52

東軍威望(いぼう)の 恃みあり
西軍恩義に よりて立つ
二十万余の 総勢の
勝敗何れに(いずれに) 決せんや


戦ひ今や たけなはの折りしも醜(しこ)の 小早川(こはやがわ)
松尾山をかけくだり刃(やいば)
返すぞ 恨めしき


前に後に 支へかね
大勢すでに 崩るれど
精鋭一千 われひとり
猛虎負嵎(もうこふぐう)の 
威を振ふ(ふるふ)


  蹶(け)立てて 駒の行(ゆ)
くところ踏みしだかれぬ 草もなく
西軍ために きほひ来てなびくや敵の 旗の色
166日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:36:36

家康いたく あらだちて
自ら雌雄を 決せんと
関東勢を 打ちこぞり
雲霞(うんか)の如く 攻めかかる

かかれ進めと 維新公(いしんこう)
耳をつんざく 雄叫び(おたけび)に
勇む隼人の
 切先(きっさき)の水もたまらぬ 
鋭さよ
十一
払えば又も よせ来たり
寄すれば又も 切りまくり
剛は鬼神(きじん)も 挫けども
我の寡勢(かぜい)を 如何にせん
十二
運命何れ 生か死か
ここを先途と 鞭ふるひ
奮迅敵の 中堅に
活路を求めて かけ込ます
十三
譜代恩顧(ふだいおんこ)の 将卒ら
国家(くに)の存亡 この時と
鎬(しのぎ)をけづる 鬨(とき)の声
天にとどろき 地にふるふ
十四
篠(しの)を 束(つか)ねて 
降る雨に横たふ屍(かばね) 
湧く血 風なまぐさく 吹き巻きて
修羅の巷の それなれや
167日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:40:45
十五
薙(な)げど仆(たお)せど 敵兵の
重なり来(きた)る 烏頭坂
(うとうざか) たばしる矢玉 音凄く
危機は刻々 迫るなり

一六
骸(むくろ)も染みて 
猩々緋(しょうじょうひ)
御楯(みたて)となりし 
豊久(とよひさ)を
見るや敵兵 且(か)つ勇み
群り寄する 足速し


後半が意味が解らないでいます。
訳せる方がいらっしゃったらお願い
します。
168日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:13:08
全部関ヶ原の戦い。時系列になっとる。

一〜八 略

九家康がぶち切れて大軍率いて攻めかかってきた
十義弘もむっちゃ反撃した
十一激戦を繰り広げたが兵が足りん。困った。
十二どうにもならんので一か八か敵中に突撃した
十三家来達むっちゃ奮戦した
十四戦場修羅場
十五倒しても倒しても敵が湧いてくる。やば杉
十六ステガマリになった豊久を見つけて大喜びで敵が群がってきた。豊久オワタorz
169日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:51:01
>>60
亀レスだが、島津家の老中上井覚兼が諏訪から来た大神氏みたいだぞ。
170日本@名無史さん:2008/12/10(水) 10:21:11
じゃあ大神源太の親戚じゃん。
171日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:32:37
島津久光で大河ドラマやって欲しいな。
172日本@名無史さん:2008/12/13(土) 11:24:01
左遷しても首にしても、数ヶ月から数年で側近ナンバー1に戻っている上に
こちらの言うことを聞かない、名望は向こうがはるかに高い、という部下を持った上司役。
173日本@名無史さん:2008/12/13(土) 11:46:46
そんなやつは沖永良部か近現代史板のどっちかに遠島じゃ
174日本@名無史さん:2008/12/15(月) 11:38:54
>>153
じゃあ忠家はだめなの?
175日本@名無史さん:2008/12/15(月) 20:15:44
>>174
yes
管見で「島津忠家」は一人も知らない。

でももしかしたら一つぐらいは例があるかも知れないので
知っているかたがいたらカキコキボンヌw
176日本@名無史さん:2008/12/15(月) 23:32:13
徳川からの偏諱を受けてという話の流れなら絶対にありえない
177日本@名無史さん:2008/12/16(火) 12:59:39
少し考えれば分かるこったな。
全く関係ないが宇喜多忠家は名将の部類
178日本@名無史さん:2008/12/25(木) 17:58:26
足利義昭の次男義在が永山氏に婿入りしてたなんて初めて知った
どういう伝手で薩摩まで下ってきたんだろ
179日本@名無史さん:2008/12/25(木) 20:24:08
足利義昭の子供については長男・義尋(高山)を除いてはいまいち存在がはっきりしないからね・・・

でももし義在の話が本当だとすれば
島津家は守護大名の数少ない末裔なので
将軍末裔が寄寓するには結構よろしいポジションだったんじゃないかと思われ
180日本@名無史さん:2009/01/30(金) 14:08:10
>>178
姓氏家系大辞典では、島津が関ヶ原に来た際(ここのところちょっとうろ覚え)、高山の息子が1000石で
召抱えられ、薩摩に下って永山休兵衛を名のったと書いてあった。
181日本@名無史さん:2009/02/01(日) 04:05:09
あげ
182日本@名無史さん:2009/02/01(日) 04:28:14
>>80
源氏嫡流は足利家じゃないの?
183日本@名無史さん:2009/02/01(日) 04:43:39
島津氏はもともと惟宗氏。頼朝の落胤だったらの話じゃないの?

関東の源氏であれば、本来なら一つ引両の新田氏かも? 
但し、北条に苛められた結果、二引き両の足利の方がのし上がったんでしょ。
184日本@名無史さん:2009/02/01(日) 04:50:29
>>183
バカ?
185光源氏:2009/02/01(日) 08:51:09
何かようかな?
186日本@名無史さん:2009/02/05(木) 21:53:16
やはり『薩摩の殿』は必読でしょう
187日本@名無史さん:2009/04/01(水) 23:28:26
age
188日本@名無史さん:2009/04/08(水) 03:44:43
チェスト!
189日本@名無史さん:2009/04/08(水) 03:47:37
薩摩age
190日本@名無史さん:2009/04/19(日) 13:42:00
>>154
最上家親
191日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:01:51
ん?
192日本@名無史さん:2009/05/26(火) 12:51:13
さっぱり話題がないな
193日本@名無史さん:2009/05/26(火) 19:43:59
NHKの東海ニュースで平田靭負や治水工事で亡くなった人達の
慰霊祭が取り上げられていたぞ

個人的にこの件については良く判らない面もあるんだけど
美濃の人らが今でも忘れずにいるというのは事実として残っているんだな
194日本@名無史さん:2009/05/26(火) 19:57:29
以前四日市の会津ファンが、足蹴にした、と言って高笑いカキコをしていたが。
195日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:48:47
>>193
じゃあそのよく判らない面について語ろうや。
196日本@名無史さん:2009/06/03(水) 14:11:59
ヤフー知恵袋とかで薩摩・島津に関するめちゃ詳細な
質問の答えが載ってるんだがもしかしてこのスレの住人なのか?
197日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:04:51
この人か?→biyakusian8972
以前何かの質問で「地元の大学の教授と一緒に本の編集もした」とか云々書いてたような。
おそらく鹿大の原口元教授にはファンクラブがあるらしいからその関係者ではないか。
198日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:09:27
>おそらく鹿大の原口元教授にはファンクラブがあるらしいからその関係者ではないか。

だとすると、「かごしま探検の会」↓のだれかだな。
http://www.tankennokai.com/staff.htm
199日本@名無史さん:2009/06/05(金) 16:46:33
原口泉先生に学んでる方ですか
そりゃ納得ですな
200日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:58:14
だがしかし原口氏は去年監修した大河の成功のためか劣化が禿s(ry
201日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:33:36
薩摩も完全に朝鮮カルトに支配されたのでそのうち西郷の史跡とか全部壊されてなくなりそうだ
202日本@名無史さん:2009/07/23(木) 14:21:28
[司馬遼太郎「街道をゆく」陸奥のみち、肥薩のみち]より

私にとって、先生とか教官とか、隊長とかいった人に、奇妙なほど鹿児島出身といった人が多かった。
やや長じて、別にそれまで文学青年でもなんでも無かった私に、にわかに小説を書く勇気を与えて下さった人、海音寺潮五郎氏もそうである。
私にとって、いつも履歴の曲がり角に薩摩人が立っているという具合だった。
これらの人々は、人に対する時は、必ず微笑をするという共通の表情を持っている。
昔の薩摩では「三年に片頬」と言われた。武士はげらげら笑ってはいけない。三年に一度だけ、それも片方だけで笑えと言うものだが、
歯を見せて笑わないにせよ、薩摩人は人に対する時は絶えず微笑していた様に見える。西郷と言う人もそうであったらしい。
元来、薩摩の士族言葉と言うものは実に優美なもので、音韻的にも母音が多く軟らかであり、抑揚も音楽的で、人に対する優しさのみを表現しようとして出来上がったものでは無いかとさえ思う。
203日本@名無史さん:2009/07/23(木) 14:23:42
幕末、薩摩藩が主動力となって、日本を植民地化されるという危機から救ったことは、どのような主観に立っていても、こればかりは否定できない。
その、幕末における薩摩藩の倒幕行動は、その都度その都度の政治の力学でもって、自分の位置を見定め、
観念よりも現実で以て行動を決するという男性的論理性という点では、終始スジが通っていた。
彼らは決して、政治的ヒステリーを起こさなかった。その理由の一つとして、薩摩藩には「拗ね意識」というものが、歴史上存在しなかったという事にも因る。
また、拗ね意識だけでは無く、薩摩の人々は劣等感や僻地意識を古来より持たなかった。
その理由を根源的に言えば、日本の水稲文化が九州から発して、次第に東へ東へと進んだという事実が、まず考えられる。
古事記、日本書紀では、これを事実として語らず、神話として語った。天孫降臨や神武東征神話は神話の形式を採っているが為に、返って強い心情を培い、
南九州こそ日本国発祥の地であるという自信を強めた。そして、薩摩人が歴史に優越感を抱き続けた背景には、隼人の存在がある。
隼人は、反乱を繰り返すその一方で、朝廷の守護をするなど、中央政権に欠かせない存在でもあった。その背景には、隼人が持つ独自の呪術性が挙げられる。
その隼人の呪術を中央の朝廷が利用したのだ。服従した隼人は朝廷の命令で畿内に強制移住をさせられた。同じく蛮人とされた、北に住む蝦夷は都の近くには居住すらさせなかったのである。
204日本@名無史さん:2009/07/23(木) 14:25:31
このように、異風の隼人が自らを僻地居住人であるとして卑下しなかったのは、上代から、時に中央に対して大反乱は起こしたりしても、常態としては中央の糾問の護衛者として不可欠の存在だったことが大きいであろう。
京都に都が移ってからも、天皇の即位の時には、隼人たちが上って来てその儀式に参加した。
遥かに下って幕末になっても、この儀式の形式は変わらず、即位には隼人が出た。但し、本当の隼人ではなく、その役の者が隼人の仕草をやっただけのものではあるが。しかし、幕末では隼人は既に異族の徒では無かった。堂々たる薩摩藩と言う組織を以て京都に駐留部隊を置き、
山内容堂の言う「兵つよく馬騰がる」という武威を持って江戸の幕府と対抗する様になるのである。
205日本@名無史さん:2009/07/23(木) 14:27:53
薩摩人にとって長い間受け継がれてきた薩摩隼人の伝統は、明治10年の西南戦争で薩摩士族が徹底的に壊滅してから絶えたのかも知れないのだ。
私は兵隊の一時期、九州七県の出身者ばかりの連隊に居た。その中で最も個性的なのが熊本県人で、容貌にも強い共通点があった。
また、北九州の連中、特に博多や若松辺りの出身者になると、行動の歯切れが良くて、言わば小気味の好い連中が多かった。
そういう七県の中で、最も無個性でどちらかと言えば、フニャっとした感じの、強いて特徴を言えば大阪のボンボンの様な感じの連中の多いのが鹿児島県出身者で、
凡そ世に言われる処の薩摩隼人のイメージから遠い青年が多かった。なぜ、こう言う具合なのだろうと。何せ、生死を共にしなければならない環境の中だけに、ちょっと深刻に考え込んだことがある程である。
206日本@名無史さん:2009/07/23(木) 14:33:56
45tr
207日本@名無史さん:2009/07/27(月) 23:02:55
薩摩隼人とは、伝説であり神話です。
優秀な薩摩隼人は明治期に西南戦争で死んだか、東京に出てポリ公になりました。
208日本@名無史さん:2009/07/28(火) 08:50:27
司馬さんは豊かな感受性、深い思考体系、
権威的考えを払いのけられる崇高な精神力をお持ちで
博学を併せ持つ稀有な歴史家だけど、まだ状況思考の呪縛から抜けきれない。
まぁ日本を代表する歴史考察者として、尊敬できる人物だけどね。



209日本@名無史さん:2009/07/28(火) 10:27:15
司馬さんの洞察力は徳川家康に通じる
210日本@名無史さん:2009/07/29(水) 01:51:10
司馬さんは小説としては面白いけど、所詮小説だよねw
そこを理解して娯楽として読んでいるなら良し。
洗脳されちゃって本気に信じ込んでしまう人(とくに若手)が結構多いので、罪作りな人でもある。
211日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:23:13
司馬遼太郎、沈寿官、NHK合議の詐術
欺瞞満艦飾の「故郷忘じがたく候」

 当代切っての名士・司馬の吹き込んだ嘘で膨らんだ沈寿官(薩摩焼陶工)、
 マスコミは今や巨(虚)大広告飛行船となって遊泳している。

 「司馬史観」で文化功労者に選出
 十月二五日、平成三年度の文化勲章受章者と文化功労者が発表されたが、
 そのなかには、「龍馬が行く」「坂の上の雲」「空海の風景」など独特な歴史小説で
 人気をはくしている司馬遼太郎も選出されている。

 司馬遼太郎は筆名。司馬遷に及ぼずの意味の筆名とか。
 司馬遷は、言うまでもなく「史記」を著した歴史家。
 司馬自身も、目標としている司馬遷には及ぼずとはいえども、現在では
 「独自に資料や文献にあたり、歴史や人物を展開する手法は『司馬史観』と称される」
 (朝日新聞、十月二五日タ刊)ほど、小説家としてだけでなく、
 歴史家としても一目も二目も置かれた存在となっている。

 しかし、これほどの人物の著作物の中だが、歴史家としての名声に疑問をもたされるものがある。
 「故郷忘じがたく侯」(文芸春秋社、昭和四三年刊)がそれである。
 同書は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本に強制連行された(私はこの説に異議ありだが)
 陶工家たちが、故国の事が忘れられないまま鹿児島・苗代川(現・美山)に住みつき、
 日本人の差別に耐えて、薩摩焼を陶芸品として定着させたという歴史もの。
 日・韓の「する」「される」歴史の側面を、沈寿官という陶工を通して描いた秀作というのが
 一股的な評価となっている。 この書を読んで感激しわざわざ苗代川を訪れる者もあるようだ。

 この司馬作で脚光を浴びたのが、この書のモデルとなった「薩摩焼宗家十四代沈寿官」。
 それまでは無名であった者が、この書の出現でこの書が作りあげた虚像のままに生きることになる。
 そのお手伝いはマス・メディア。
 問題は司馬のこの書の大半が嘘で固められていることである。
 先ず十四代・沈寿官(以下十四代と記す)の経歴に詐称がある。
 その点から「司馬史観」の実態の一端を検証してみたい。
212日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:28:58
 十四代は韓国人?日本人?
 「鹿児島県旧士族沈寿官家はその韓国ふうの姓名が世襲であり、戸籍名であり、
 むろんいまの第十四代の当主もその名なのである」(同書八ぺージ)
 「薩摩に連れて来られて以来、江戸時代からこんにちにいたるまで
 ついにその姓名をかえようとしていない」(同書九ぺージ)とあるがこれが全くの嘘なのである。

 十四代の戸籍名は大迫(吉本)恵吉。大正十五年十二月三日に誕生すると、
 既に日本姓を名乗っていた吉本祐康、その妻テイの実子として届けられる。テイは十三代の実妹。
 そのあと、昭和三一年二月二二日に大迫エダ(実母・ハマノの母)と養子縁組をする。

 この十四代が沈姓になったことがある。それは実父十三代の死(昭和三九年三月三一日)の前日、
 妻と共に実父・実母の養子となるが、それから半年も経たないうちに大迫姓に戻っている。
 従って、旧制二中入学時は吉本恵吉。ところが、司馬の書では本名は伏せられ、沈姓で終始する。
 そこから次のような捏造がまかり通る。

 入学早々、教室にすぐ上級の者が数人はいってきて、「このクラスに朝鮮人が居っとじゃろ。
 手をあげい」と わめいた。(同書四十ぺージ)。
 上級生たちは「新人生名簿によって韓姓の少年がいることを知っただけであるし(同書四一ぺージ)。
 その後、上級生たちは「沈少年が名乗らなかったということで、少年たちは激昂した。
 精神を注入してやる、と吼え、沈少年を教室のそとへ出し、屋上へつれてゆき、
 十人ほどが寄ってたかって殴った」(同書四二ぺージ)となる。

 この暴行の場面は朝鮮人迫害の恰好の例として、在日朝鮮人作家・金達寿、金一勉が
 それぞれの著作で踏襲する。秋山ちえ子も「哀しい町」で同行同曲のことを書く。
 そして、NHKで増幅される。

 十四代は昭和四一年に、韓国民を震え上がらせていたKCIA(韓国情報局)の招きで渡韓し、
 朴大統領に会い、ソウル大学で講演している。その時十四代はどういう肩書で渡韓しているのか。
 司馬の筆によると「ソウル、釜山、高麗の三大学の美術史関係の研究者にまねかれて渡韓した。」
 (同書五九ぺージ)とある。ここでは陶工家の肩書は出てこない。
 薩摩焼きの第一人者でもないのだ。
213日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:33:12
 それはそのはずである。
 十四代が東京から帰鹿したのは昭和三五年以降のはずである。
 昭和三一年出生の長女の届けは東京都。長男のそれは昭和三四年、横浜で届け出。
 次女の出生(昭和三六年三月三一日)の届げ出が初めて鹿児島でなされている。
 この間の十四代の経歴はどうなっていたのか。

 昭和二〇年十四代は旧制中学を卒業すると鹿児島医専(現鹿大医学部)に入学、中退。
 その後、早稲田大学政経学部卒のあと、鹿児島選出の自民党代議士床次の秘書となっている。
 その秘書稼業をやめ、帰鹿し窯場の苗代川に落ち着いても十四代が作陶に精出している姿を
 地元の陶工家で見た者はない。十四代は政治向きのことで奔走しているのだ。

 昭和四六年、四七年には大迫恵吉の名で鹿児島県PTA連合会会長となっている。
 そういう下地を作ったあと十四代は参議院選挙に打って出る準備もしている。
 こういう経歴の持ち主が、昭和四三年刊行の司馬の書では早くも名工扱いになっている。
 ここでも司馬の筆が踊る。十四代は十三代に「少年のころから作陶の技術を教わった。」と。
 これなど全くのインチキである。

 十四代はNHKの放映でもそのように喋っているのだが、十三代は京都帝大法科を卒業したあと
 朝鮮総督府の役人をやり、戦後は郷里で村会議員をしていたのだ。
 十四代が名工などということが飛んでもないことは別の面からも証明出来る。

 鹿児島県では最大の評価を得ている鹿児島陶芸展がある。
 昭和四八年から始まり、審査員は東京芸大の人間国宝の藤本能道らである。
 この陶芸展には十四代と同じ運命を辿ってきた鮫島佐太郎、荒木幹二郎の名は頻繁に出てくるが、
 十四代の名は受賞者欄にも、賛助出品者欄にも一度も出てこない。
214日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:38:43
 これが司馬の筆にかかると手品のように名工となる。
 「黒薩摩は民間需要に、白薩摩は島津家御用のみ、と規定されてきたが、
 ただ黒にも、例外があり、 御前黒という、肌質に、黄金の梨地が沈んだような玄妙な黒ものだけは
 かたく御用とされ、その秘法も一子相伝の口伝とされてきた。
 十二代は十三代に口伝をあたえることなしに死んだためにこの技法は絶えた」(同書四八ぺージ)が、
 十四代は御前黒に適した釉薬を家伝書から推測し、見事、御前黒を再現したと、司馬は記す。

 ここにもまた幾重にもウソがある。十三代が焼き物など出来なかったことと併せて、
 この記述は苗代川焼きの伝統、歴史を無視している。
 明治になるまで苗代川の陶工家たちは島津藩の指示のもと、共同で雑器類を焼いていたのである。
 従って宗家などというものがあったわけがない。
 御前黒などという呼称も、鹿児島の人間が降る雨を島津雨などという類のものである。
 また「御前黒」なる代物など他の窯でも焼けるし、焼いているものである。

 十四代は昭和五二年に東京で個展を開き、販売し、売れ残りは朝鮮系のパチンコ屋さんが
 買い上げたようだが、その個展にまたも司馬が駆けつけ、作品の一つに井光黒(いかりぐろ)と命名してやり、
 十四代を「五〇歳を迎えた今、新しい自分の領域を広めて世に向かうことになった」と絶賛する。
 当代切っての名土が後楯となれぽ怖いものなしである。黙っていてもマスコミが太鼓を叩いてくれる。

 その頂点に立つのがNHKである。
 NHKはこの十月十日、BSカルチャースペシャル「沈寿官の世界」を八時間にわたり放映するに至る。
 すっかり十四代に乗せられたとは言え、あまりにもひどいインチキものなのである。
 同放送でも、十四代を「韓国姓を名乗る唯一の陶士」と紹介しているが、
 番組構成は司馬の書の著作権が心配になるほど類似したものとなっている。
 NHKも、十四代の経歴、陶工家としての力量、韓国との関係など
 すべてを司馬の描いた虚像に基づいた制作をやらかしているのだ。
215日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:42:20
 不思議なのは司馬のありかたである。単に十四代の虚像を作りあげただけではない。
 十四代の孫の命名も司馬であったと放映していたが、司馬は自分が作り上げた虚像と現実的に
 付き合いを続けてきており、嘘の膨らましに加担し、なんら臆するところはないようである。

 嘘も百回つくと本物となるというが、嘘も知名士がついた嘘となると、これほど他愛なく知識集団である
 マスコミ人が追随するものなのであろうか。滑稽で空恐ろLくなる話しである。
 多少の良識があったら、少なくとも日・朝間の関係は豊臣秀吉以後、明治までは友好的であったことは
 是非書き込んでおくべきではなかったのか。

 ところが司馬は沈寿官の口を通じて、渡来後の三百七十年間日本人の迫害を受け続けてきたと喋らせている。
 苗代川の住民は明治になるまで島津藩の保護を受け、曲がりなりにも士分格の扱いを受けていたのである。

 その点、明治になっても苛酷な扱いを受げた奄美の島民よりは優遇されている。
 また苗代川出身者は明治になり、日本名に変えたあと、政界、教育界、軍関係で人材を多く輩出している。
 その頂点に立っのが、戦時中の東郷茂徳外相である。彼の父・朴の作陶品が美山に残されている。

 その点、出自が分かると、就職、結婚などで希望を打ち砕かれてきた被差別部落出身者ほどの
 酷い差別を苗代川の者は受けていないのだ。
 明治になり朝鮮差別が酷くなった理由として、心理学者の岸田秀が「ものぐさ精神分析」の中で
 次のように書いている。「欧米諸国に屈従する外的自己は、その存在を否認しなけれぼならない。
 それは、いやが上にも純化された内的自已の自尊心に突き刺さった棟である。
 外的自己は非自已化され、投影される。その投影の対象に選ぼれた不運な国が朝鮮であった。」

 分かり易く言えぼ、外圧に屈した分だけ、捌け口を朝鮮に向けたという事であろうか。
 更に、韓国人である呉善花が「スカートの風」で、韓国の陶器伝統が駄目になったのは、
 韓国人は豊臣秀吉が韓国から陶工家をごっそり日本に連行したからだと、反日的なことを言っているが、
 実際は韓国人が技術を軽視するところにあったと言っている。
216日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:52:13
 NHKの「沈寿官の世界」はひたすらに十四代のインチキな誇大言辞を唯々諾々と流し、
 十四代の個人的宣伝に終始するものであったが、相当莫大な公共料金をこういう
 馬鹿げたものに使う無神経さには恐れいる他はない。

 司馬は文化功労者に選出されたおり、「日本人とは何かという問いかけによって歴史に目を向けた」と
 語っていたようだが、日本人とは何かを問う前に、自分自身の良識はどうなっているかを
 問わねぼならないのではないか。

 十四代にしても同様である。十四代はNHKに出た際、在日韓国人と誤報されたことがあったが一、
 抜群の演出力、宣伝力を発揮すればするほど、彼は一体韓国人なのか、日本人なのか、
 その進退が問われねばならないところにきている事に気付いているのだろうか。

 私が恐れるのは、「やっぱり朝鮮人は嘘がうまい」という、隠徴で不健康な陰の声が強まっている事である。
 十四代は韓国名誉総領事代理を勤めているが、韓国の名誉の為にも嘘はいい加減にして欲しい
 という事である。司馬も同様である。


酒井学(種子島・佐倉)
 鹿児鳥大学を卒業後、県内で高校の英語教師をしていたが、八八年、妻の死. 亡で定年を待たずに退職。
 全国紙系の記者をしている息子とともに千葉県佐倉市に居を移した。
 社会に対する批判精神はおう盛で、沈寿官氏をモデルとした故司馬遼太郎の小説
 「故郷忘じがたく候」にも問題点を見つけ、冊子にまとめたほか月刊誌でも論を張った。
 佐倉市では私立高校の非常勤講師もしていたが、このほど、息子のアメリカ異動に伴い、
 一家とともに酒井も同行」新たな生活に好奇心を燃やしている。
217日本@名無史さん:2009/07/29(水) 13:45:33
司馬けしからんな。
あの持って回った言い回しやレトリックは、「なに権威ぶってんだよ」って感じで最初からあまり好きではなかったが。
218日本@名無史さん:2009/07/29(水) 15:16:55
司馬遼太郎は著書の中で最も朝鮮と血が繋がってるのは長州人であるとか
乃木があたかも無能の様に書いてる。
燃えよ剣の土方についても妄想や誇張だらけ。
特に函館戦争二股口の戦闘では、土方率いる旧幕府軍が一日で35000発余りの弾を消費して
官軍10数名しか殺せなかったのに、あたかも圧勝したかの様な内容。
アホな歴史厨を生み出す小説家で有ることは間違い無い。
219日本@名無史さん:2009/07/30(木) 01:19:55
「燃えよ剣」を書きながらも「跳ぶが如く」を書き、
どちらの地元でも人気を博しているという世渡りの上手さ。
もっとも片方は敗者の歴史への現実逃避の自慰行為援助、
もう片方は勝者の歴史の必然性を理由をこね回して後付けしたに近いが。。
日本人よ、司馬に騙されるな!もっと賢く、自分の頭で考え、逞しく生きてゆけ!
220日本@名無史さん:2009/07/30(木) 09:57:59
>>218
大鳥圭介も無能に書き過ぎだよな。
城下や奥羽街道を通らず、神出鬼没に現れることで官軍を苦しめたのは事実。
上野・小山で官軍に圧勝してるし。
221日本@名無史さん:2009/07/30(木) 12:16:22
この十四代沈寿官と司馬遼の捏造秘話は
もっと有名になっていいと思う
222日本@名無史さん:2009/07/30(木) 13:53:33
司馬の代表的な嘘は坂本竜馬だろ。脱藩浪士が薩長同盟イニシアチブとれるわけないだろう。前年に島津と毛利の両当主の書簡で既に方向性は確認されてる。尚古集成館と防府毛利博物館に聞いてみろ。
223日本@名無史さん:2009/07/30(木) 13:56:47
そんな司馬遼のことを、薩摩人の海音寺潮五郎は激賞しているよな。
二人の対談本の後書きで
「自分は気の合わない人間と対談すると、その後は何日も不機嫌な気分が尾を引く質なのだが、その逆に司馬氏と対談したあとは爽快感に包まれて、その愉快な感覚がしばらく続くのだ」みたいなこと言ってる。
俺は海音寺氏の本は割りと好きなんだが、氏の司馬評に関してだけは(゚Д゚)ハァ?だったな
224日本@名無史さん:2009/07/31(金) 02:59:28
海音寺潮五郎は誠実な作家だが、人物を見る目も優しすぎたな。
司馬にとっては頭の上がらない存在だろうよ。
あの世で詫びるろや!
225日本@名無史さん:2009/07/31(金) 11:52:24
>>222
高杉が福岡の野村望東尼に匿われた時に福岡藩士月形洗蔵から薩長同盟提案されたのが事実だよね。
226日本@名無史さん:2009/08/01(土) 15:25:37
>>193 俺は鹿児島でやる平田靫負の慰霊祭にほぼ毎年でてるぞ。島津家の当主とか出てるが挨拶する関係者の話が似た話ばかり長々するんで挨拶はせめて二人にしてくれ。
227日本@名無史さん:2009/08/01(土) 16:17:05
追伸 その挨拶って七、八人が一時間以上平田靫負バンザイの同じ話ばっか毎年するんだよ。
228日本@名無史さん:2009/08/02(日) 01:27:50
>>226
ははは、鹿児島の人は純朴でいいじゃないかw
恨み話だとちと笑えないが、バンザイ話なら退屈だけど微笑ましい。
229日本@名無史さん:2009/08/02(日) 09:58:16
岐阜の市長代理とか青年団だかなんかのやつも同じ話長々とやるんだよな。しかも毎年。島津家の当主と岐阜関係代表との二人で充分。
230日本@名無史さん:2009/08/10(月) 02:10:04

うーん、いやNHKの沈寿官えらく持ち上げているなあ

と思ったらヤッパリネ。

司馬遼太郎先生胡散臭く感じていたらヤッパリ

そういうカラクリカア

オイラの感けっこう役に立つな
231日本@名無史さん:2009/08/10(月) 05:13:32

オイラの感を役立てる前に、批判してる郷土史家もどきや、2ちゃんねるにも疑いの目をむけろよw
どっちもどっちだよ
純粋理性批判ではないw
司馬を頭から信じるのもどうかと思うが、2ちゃんの司馬批判は木を見て森を見ずの、非常に視野が狭いもの。
名づけて「悪臭のする批判」とでもいおうかw
232日本@名無史さん:2009/08/10(月) 16:50:59
羨ましい推測力身に着けたい(笑)
233日本@名無史さん:2009/08/11(火) 15:35:59
文芸評論家の磯貝某が司馬さんに竜馬のこと聞いたら、自分が書いてるのはノンフィクションではなく小説だ、と答えたそうだ。真に受ける方が悪いんだろう。
234隊員Q:2009/08/11(火) 15:40:40
たしか沖田畷の戦いで龍造寺隆信を殺した一族か
235日本@名無史さん:2009/08/12(水) 09:16:35
先日お由良の兄の子孫が岡田姓で鹿児島にいると聞いたが、そうなんですか?
236日本@名無史さん:2009/08/12(水) 11:50:18
原口虎雄『幕末の薩摩』(中公新書、絶版)にその辺りの話が出てくる
本の出版年から見て昭和の頃までは鹿児島在住だったのは確かだと思うが、現在は不明

寵愛した側室の親族を士分に取り立てて国元に引っ越させることはしょっちゅうあったようです。
237日本@名無史さん:2009/08/12(水) 12:49:39
岡田小藤次の子孫はお由羅騒動のあおりで鹿児島ではかなりいじめられたんで、現在は子孫であることを隠して暮らしてるそうです。若い子孫はそのこと自体知らないみたいです。 

238日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:48:40
今の島津家は本家も主な分家も当主は皆久光・お由良の血筋だが何故斉彬ばかり奉るかと言えばある種の申し訳なさがあるのだろう。
239日本@名無史さん:2009/08/16(日) 12:57:47
>>231
だよな
批判は大事だが、結局、どう判断するかは自分自身だろ。

ちなみに沈壽官の資料館はとてもよかったし、あそこに売ってるものも品があって自分は好きだよ
薩摩焼はもっと評価されるべき
240日本@名無史さん:2009/08/16(日) 14:40:06
まあ、>>231の書くことは尤もだと思う。
でも「2chの司馬批判を信じるのもどうか」と、その2chの書き込みに対して
書いてるのも、冷静に考えてみるとちょっと変な話ではあるな
241日本@名無史さん:2009/08/18(火) 01:35:06
自演乙
242日本@名無史さん:2009/08/18(火) 11:19:41
>>241
自演乙
243日本@名無史さん:2009/08/18(火) 13:40:48
沈寿官とか島津氏にあまり関係ないことカキコするなよ。
244日本@名無史さん:2009/08/19(水) 10:04:07
関係無いの?
245日本@名無史さん:2009/08/19(水) 13:39:59
少年時代の12代沈寿官を弘化年間に主取(ぬしどり)扱いしたり苗代川(現日置市美山地区)の薩摩焼を保護育成したのは島津家の家老調所広郷(通称笑左衛門)だから少し関係ある。
246調所広郷:2009/09/15(火) 20:34:20
借金は250年分割払いとする。証文もこのとおりだ。

文句があるなら、わたしを殺すなりなんなりせよ。
247日本@名無史さん:2009/09/15(火) 20:56:26
>>246
お前もう死んでんじゃん
248日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:29:34
結局、小説だろ。事実じゃない。
それを事実と違うって難癖つける方がおかしい。
249日本@名無史さん:2009/09/16(水) 01:19:04
島津の話にもどすと、島津斉彬ってホントに名君なのか?今年は奄美侵攻四百年で色々なシンポあったが奄美も薩摩大隅なども、領内の収奪は調所時代より斉彬時代の方がひどくなってるぞ。斉興時代に蓄えた金を斉彬は大切に使ったと言えるのか?


250日本@名無史さん:2009/09/16(水) 02:34:35
日本の歴史に果たした役割で言えば、これ以上の開明君主はなし。
薩摩一国ではなく、日本と列強との関係で見なければ理解できまい。
251日本@名無史さん:2009/09/16(水) 10:09:09
斉彬が開明的で藩士達に新時代への動きを夢と共に与えたのは事実だが日記や手紙でネチネチと斉興や調所、お由良の悪口ばかり小さな字で書いてて調所を自殺に追い込んだのは良いとして、その息子や孫まで屋敷取り上げ家格落とすとかやりすぎ。
252日本@名無史さん:2009/09/16(水) 11:17:39
まあ江戸時代はそれが普通ですしねぇ
田沼とか
島津重豪も同じことしてる

斉興の駄目だったのは貯め込んだお金の使い道がなってなかったこと
先祖の建てた寺社仏閣の建て直しとか高野山の墓の建て直しとかお前いつの豊臣秀頼かと(ry
50年早く産まれてたら上杉鷹山みたいに節約名君といわれたかも知れませんけど いやそれはないかw
253日本@名無史さん:2009/09/16(水) 13:47:26
斉彬も亡くなる前あたりの日記では、調所も半分いい所あったみたいなこと書いてるから少し反省したんでしょ。調所の財政改革・農政改革・軍制改革というホップ・ステップがなければ斉彬のジャンプがなかったことは原口先生も安藤先生(鹿大名誉教授)も認めてるし。
254日本@名無史さん:2009/09/16(水) 16:19:18
奄美での鹿児島人の犯罪的収奪が無ければ調所も斉彬もなかったという言い方はしないのか?
鹿大の先生方は。
255日本@名無史さん:2009/09/16(水) 16:28:52
まあ農民からの搾取は封建社会では一般的に行われていたものだし、犯罪とは言わないな。
奄美で蓄えた財と、斉彬が育てた人材が土台となって明治維新の原動力になったと解釈されている。
256日本@名無史さん:2009/09/16(水) 17:32:44
しかし斉彬みたいに大砲や船など自前で作らずに、輸入した方がコストは十分の一くらいですんだ。調所が三島方を作って奄美、徳之島、喜界島の搾取で終わってたのに、道楽で金を使い過ぎた斉彬は沖永良部まで搾取した。しかも税率も上げた。・・と某先生のオフレコ発言
257日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:01:29
まあ、近代化のための出費と思うしかないだろうな。。
数年後に薩摩藩が飛躍する時にノウハウとして生かされているのだから、無駄ではなかろう。
258日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:18:21
>>256
鹿児島ではそういうことをオフレコじゃなくて堂々と言える雰囲気じゃないの?

島からの収奪の歴史を無かったことにしようとしたり、
征韓論は遣韓論だったとかの世迷いごとを展開したり、
不思議な土地だね。
鹿児島人以外は鹿児島の歴史なんて気にしてないのに、
誰に向けてそういう歴史観を捏造しようとしてるのか分からんわw
259日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:37:15
・・・酷い自作自演を見た
260日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:54:14
東北あたりのヒガミだろうw
261日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:37:48
>>256
こういう奴が、そういう目先だけの理屈で科学技術の発展の邪魔するんだな。
斉彬公の高い志を100年以上経っても理解できないなんて、情けない奴らだ。
262日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:46:23
>>261
おまえも科学技術のことなんて何一つ知らないんだろうw
263日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:11:09
鹿児島では斉彬が名君と盲目的に刷り込まされてるからね。仕方ないよ。
264日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:59:08
東北のヒガミはついに鹿児島に及んだか・・・
斉彬を名君と認めないのは余程の変人だろう。
君の地元に名君はいたのかい?
265日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:25:30
つうか鹿児島人は確実に釣れるわなw
どんな過疎スレでも、煽った瞬間すぐに3〜4人の鹿児島人が湧いてくるから驚くw
266日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:33:35
気の毒だから釣られてやったよ東北人w
267日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:45:32
東北ではなく、今年は島津斉彬生誕二百年と言って騒いでる鹿児島を奄美では白けた目でみてる人々がいるということさ。しかし過疎ってたスレが斉彬・調所でこんなになるとは驚き!
268日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:52:44
俺の親父は喜界島出身だが、お前ほどネチこい奴は奄美にいないよw
269日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:01:06
>>268
ああ、奄美にはいないね。
おれは鹿児島人批判したけど、267でもないし奄美人でも東北人でもない、れっきとした鹿児島人だよ。
270日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:08:35
そっか、同士討ちが鹿児島人の悪い癖だな。
気をつけよっと
271日本@名無史さん:2009/09/17(木) 02:08:38
鹿児島人なら島津家久さんの凄さ語れるよな?
272日本@名無史さん:2009/09/17(木) 02:10:56
長船長光で平田増宗斬ったんだっけ?伊集院コウカンだっけ?
273日本@名無史さん:2009/09/17(木) 12:05:08
しかし昨日は夜を徹してワンマンショーだったのか
274日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:26:19
>>262
くやしいからって、当てずっぽうの中傷やめろよ。情けない。
恥の上塗りをするだけだ。
275日本@名無史さん:2009/09/18(金) 15:48:30
当て推量は自作自演という判断。斉彬批判と擁護はだぶりなし。
276日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:17:21
薩摩は関西の出だよね。
277日本@名無史さん:2009/09/18(金) 19:30:01
薩摩は九州だよ
278日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:07:40
>>275
日本語書けよ。まぬけ。
279日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:09:18
薩摩は正確に言うと鎌倉武士集団
280日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:24:36
ここは鹿児島県人の巣になってるみたいだな。
しかしおまえら、140年前のバブル的成功体験の記憶にいつまでしがみついてるつもりなんだ?
斉彬を賞賛しているわりには、候の「未来的」な思考からは何も学べてないじゃんw
281日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:18:07
言うよね〜w
まあ、その通りなんだが。今も昔も田舎だった事に変わりはない。
鹿児島はもともと超保守的な土地柄だよ。
282日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:35:24
俺にとって KA・GO・SHIMAは いつも〜 泣いてた♪
ひ弱で 不親切で 邪険な〜 街だった♪
親父とお袋は 泥にまみれ〜 銭をうら〜やみ♪
そのど真ん中で 俺は いつもうち震えていた♪

俺の人生は〜 どこから始まり〜♪
いったいどこで 終わるのだろう〜♪
突き動かされた〜 あの時のように♪
そう いつかの少年 みたいに〜♪

(間奏)
283日本@名無史さん:2009/09/19(土) 06:16:26
まずは奄美への謝罪だな。
奄美からの収奪は、日本人が歴史上行った最も非人間的な所業の一つだろ。
普通の部落差別だって肉や革の独占という”飴”を与えていたが、
奄美の収奪・差別は鞭が10で飴がゼロだろ。
そこまでの苛烈な収奪って日本で他にあった?
しかも長期間のあいだ薩摩という一国を挙げて人が人を食いものにするという。


敬天愛人てなんのことですか?
284日本@名無史さん:2009/09/19(土) 06:23:44
キチガイの戯言には華麗にスルーw
285日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:21:38
>>277
近衛の家司だったってことを言ってるんじゃないか?
286日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:36:02
奄美では樺山とか伊地知とか碇山とか薩摩の士族の苗字の者がかなりいる。これは黒糖搾取にやってきた薩摩藩の代官などに島の人間が自分の娘を積極的に妾として差出し子供を生ませ、男子なら苗字をもらって誇りにしたのだ。今でも末裔達は士族の子孫といばってる。
287日本@名無史さん:2009/09/19(土) 10:58:15
>>285
越前、若狭にも島津は居た
288日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:13:15
>>286
あなたの書き込みを読んで、
自分は鹿児島人に生まれなくて良かったと心底思いました。
289日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:35:21
鹿児島て今でも地元民が知事さん以下役人、地方議員ななるとき元士族様ばかりだろ。
290日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:49:03
西郷は明治になってから奄美会社という黒糖搾取の商社を作り自由販売の陳情でやってきた島の人間達を牢屋にぶちこみ西南之役に無理やり従軍させるまで出さなかった。それが今では奄美の人達もセゴドンと共に戦ったと美談にされて、喜んでるおめでたい島民もいる。
291日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:55:28
>>287
いやだから>>276は、
薩摩(島津氏)の遠祖惟宗氏は近衛氏の家司だったわけだから元は関西人なんじゃねーの?
と言いたいんじゃないか?と言っているわけなんだが。
越前島津氏だろうが若狭島津氏だろうが同族である以上、上の理屈に当て嵌めれば同じことだろ?
292日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:59:30
>>290 正式名は大島商社
293日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:17:43
>>279
薩摩の島津は鎌倉武士集団 ですが、大阪の出で南北朝時代の手柄により
鹿児島を領土として手に入れ、多くの家来を引き連れて下ったとどこかで読んだ。
薩摩の支配者層は、鹿児島の土着民とは違う他所から来た人々ですよね。
尾張の山内一豊が家康から四国を与えられて、彼の地の領主になったように。

他所から支配者層が来て支配されたので、鹿児島でも言葉が通じるようになった。
でも鹿児島なまりは消えずに残っている。

294日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:20:44
島津は秦氏だからな
295日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:25:38
だから奄美を土人扱いしたんだね。
296日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:32:13
>>293
薩摩大隅の他の地頭はどうだったか知らんが
島津に関してはその認識は間違っているだろう
297日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:44:12
>>291
>>276ですが、その通りです。
島津家は、元は関西人で、そのような身分の人は他所から由緒ある家柄の嫁を迎えるので
現地と血のつながりは薄いのではないかと思ってます。
島津家は貴族顔ですもんね。

>>294
それは真っ赤なウソ。
298日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:26:08
奄美にはコンプレックス裏返しの貴族崇拝みたいなのがあって、それが一揆も起こらず島津支配をおおらかに受け入れてしまった可能性がある。
299日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:16:15
>>298
まずは、おおらかに受け入れていたというソースを出せw
一揆は何度も起こってるぞw
大嘘つきの鹿児島人がっ。

薩摩は奄美人の中から島役人を選び
そいつらにある程度の特権や郷士格を与え
薩摩命の漢奸に仕立て上げた。
島民を分断し、島民に島民を支配させ収奪させたわけだ。
島民に島民を殴らせ、島民に島民を処刑させた。
薩摩人は鞭をふるうことなく、莫大な利益のみを収奪した。
300日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:56:22
奄美には今だに島津の士族の苗字を誇りにしたり、昔、諸鈍(しょどん)の家人(やんちゅ)部落出身の老人と話した時、某豪商の家人であったことを自慢気に話す人がいたり、島津に対する反発・被害はマスコミが誇張したと確信した。
301日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:12:30
>>300
>>299ではないが、こんなんでソースになるんだろうか?
ネラーが納得するだろうか?

I wonnder!
302日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:18:16
搾取がなかったと言ってるわけでなく、封建制度で通常見られる程度の搾取はあったし、口ではきれいごと言ってた斉彬も西郷も、その延長線上にいたことは否定してない。
303日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:28:48
>>298
>>300
>>302

「島津に対する反発・被害はマスコミが誇張したと確信した」と言いきれるぐらいだから
実際にはどの程度の搾取だったのか、正確に説明できるはずだよな。
「封建制度で通常見られる程度の搾取」みたいなざっくりとした言い訳じゃなくて。

今すぐ説明してくれ。
304301:2009/09/19(土) 16:04:46
スペル間違えた。恥ずかしい。
nがひとつ多かった。

I wonder ! が正しい。

305日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:20:24
おらは死んじまっただ〜、おらは死んじまっただ〜。 By 調所広郷、島津斉彬、西郷隆盛
306日本@名無史さん:2009/09/19(土) 17:14:38
【薩摩大隅】鹿児島県スレ1【種子屋久奄美】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1168698688/l50
スレタイから脱線してきたので誘導
307日本@名無史さん:2009/09/19(土) 17:21:05
>>303
302ではないが、現代の鹿児島人に奄美搾取の責任を追及しても仕方がないだろうに。
ネチっこく追及する君の態度の方に異常に感じるよ。
308307:2009/09/19(土) 17:26:59
あ”
×君の態度の方に異常に感じるよ。
○君の態度の方に異常さを感じるよ。
309日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:07:53
>>298
>>300
>>302
>>307
思い込みで書いて申し訳なかったぐらい言えないのかねw
自演で人を異常者扱いして逃げるってサイテーだよお前w
310307:2009/09/19(土) 18:34:38
だ〜か〜ら、298や300、302じゃね〜から!
勝手に自演認定するなボケ!
311日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:47:08
2ちゃんは便所の落書きだ。
熱くさせるのは股関だけにしろ。
312日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:17:30
わしは、お由良の前でしか股間熱くしなかったぞよ。フォフォフオ。       By 島津斉興
313307:2009/09/19(土) 19:18:31
くだらね
314日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:43:29
お由良と斉興の子供は久光だけだったっけ?
315日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:58:05
成人できたのは久光だけ
316日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:59:17
縁故で就職して、一生、まわりに媚びへつらって生きていく人生って楽しいの?
317日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:14:00
原口泉が鹿児島をダメにしている。
あれは学者ではなく芸者。
鹿児島県人にとって心地良い歴史解釈、という「芸」で食ってる男芸者。
昔で言えば島津家の御伽衆か。
こいつのせいで鹿児島人の思考回路は140年前から進歩しない。
318日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:21:30
島津家じゃなくてNHKの御伽衆>原口

しかし今度のマスゴミに揉み手状態の総務大臣といい、原口という苗字にろくな人間はおらんのか・・・
でも泉氏の父は論文を読んだだけでもすごいと思わせるご立派な学者でしたけどね・・・
319日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:03:56
二十年くらい前のNHKドラマ「風の隼人」で、お由良と調所がデキテタ、みたいなストーリー展開あったが実際あり得るのかね。
320日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:11:13
>>319
石田三成と淀ができてて、秀頼の父は三成だった…みたいな話だね。
321日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:46:51
>>297
島津←惟宗←秦
は「真っ赤なウソ」でもなんでもね〜よ!
322日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:31:44
まぁ天皇はもちろん奈良平安時代の貴族・支配階級は大陸出身だからな。
323日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:51:48
久光以降の島津氏が鹿児島で不人気なのは、
セゴドンが久光を嫌ったこともあるが、
お由羅という江戸町娘の血統でもある点が
鹿児島人にはおもしろくないということだと
見てるんだがどうよ?
江戸でも武家の血なら違ったろうが。
お由羅って頭が良くて、薩摩流とか一切斟酌せず、
薩摩藩の高官を顎で使ってたイメージだもんな。
324日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:57:34
生母が町人なんて徳川とか他の大名家でもザラだが、斉興・斉彬の路線対立が御家騒動につながり、後の世で直木三十五の「南国太平記」が大ヒットした影響がでかいかと。
325日本@名無史さん:2009/09/20(日) 16:55:47
西南戦争では官軍にぶった斬られた薩賊軍
326日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:58:27
>>323
鹿児島人が好きなのは西郷に繋がる系統だよ。
お由羅は西郷の師である斉彬派と敵対した一派なのだから、嫌って当然だろう。
江戸の町娘出身だからとかは、小説やドラマで精忠組の志士あたりが言ってる内容だよな?
さも自分の意見のように言っているが、かなり有名な話だよw
大河ドラマの「跳ぶが如く」や「篤姫」でもその辺の話出てるもんな。
327日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:31:17
>>326
有名な話だから現代の鹿児島人も影響されてんじぇねえのか?って話しだよ、のろま。
328326:2009/09/21(月) 09:07:37
>>327
ほんと読解力の足りない野郎だな。
町娘出身だからとか、そんな小説やドラマの時代がかった理由に影響されるわけね〜だろ?って言いたいんだよ、間抜け。
329日本@名無史さん:2009/09/21(月) 09:34:42
>>321
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%AE%B6
wikiでも読んでみな。
秦の始皇帝の末裔と称する、とあるだろう。
自称していただけなの。自分をえらく見せるためにね。
よくあること。
330日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:25:34
>>329
いや、そういうことじゃないから。
331日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:38:25
>>329
このスレも終わりだな。
奄美厨が出てくると、なぜだか程度の低い鹿児島大好き野郎も出て来て、
ちょっとでも鹿児島に対してネガティブなことを書くと、血相変えて否定してくるw
332日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:04:36
>ネガティブなこと

というよりも
あまり触れられたくない事実(史実)
といった方がより正確。
333日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:08:43
それだけ奄美は鹿児島にとってトラウマになってるんだろう。今年は奄美侵攻四百年、島津斉彬誕生二百年、昨年の篤姫で調所広郷が出てきたものの奄美には触れずに終わったし、今年キチンと総括すべき。多少その動きもあるが来週の原口泉先生らのシンポが見もの。
334日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:14:30
原口さんが出るなら土下座と「謝罪と賠償」で終了でしょ
あの人はその場のムードに合わせる人

>篤姫
去年の大河は篤姫を脚本家とオーバーラップさせてマンセーするだけの番組でしたからw
歴史的にトラウマになってるとか関係ありません。脚本家がスイーツ(笑)なだけ。
335日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:11:37
調所、斉彬、西郷、大久保、このあたりの歴史を転換させたような鹿児島人て、
ことごとく非鹿児島的な人たちだったという事実を鹿児島人はどう思っているのか?
かつての鹿児島は自らを否定するほどの大胆な人たちを生み出していたのに、
今の鹿児島人ときたら先人からは肝心なことを何も学ばず、
意味不明の自尊心を守るために一切外を見ようとしない連中ばかりだ。
336日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:50:52
>>335
お前、そんなに鹿児島人を煽って楽しいのかよ?
その理屈で言ったら現代の日本人全てに同じことが言えるだろうが。
337日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:35:05
お?しばらくスレ留守にしてたらくだらねー話でだいぶ進んでるじゃまいか
なになに。何揉めてんの?俺は誰を煽ればいい?奄美土人?
叩きや人格否定なら結構得意だぞ、任せろw
338日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:42:55
そういや前スレにもいたよな↓またコイツが騒いでんの?

862 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/02(月) 11:17:38
昔の自慢話ばっかする暇あったら島津家と調所家は奄美にアヤマレ!

863 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/02(月) 11:34:08
294 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/02/27(水) 15:55:21
幕末明治維新に於ける薩摩の活躍は調所が奄美に強いた犠牲のおかげだ。島津家も調所家も、その金を湯水のごとく使った西郷・大久保家の四家は奄美に謝罪と感謝の儀式をキチンとやれ!

301 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/02/28(木) 10:22:39
半島出身でも奄美出身でもない私だが少なくとも島津家・調所家は何らかのけじめ的儀式はするべきかなと。特に最近の島津家は先祖の顕彰ばかりしてるようだが昔は犠牲になった敵方の供養もしていたはず。

374 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/18(火) 23:14:38
島津プラス調所=しまづしょ・始末書 やっぱこの二家は奄美にアヤマレ。

868 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/03(火) 11:24:18
>>862って奄美の土人か何かか?

869 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/06/03(火) 11:41:59
うるさい、うるさい、うるさーい!土人とはなんじゃ〜!余は将軍家定じゃー!我が徳川を倒しおった島津の32代・修久と調所の7代・一郎は先祖が余計なことしてすいませんとあやまれ〜い!

870 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/03(火) 12:00:30
>>869
メロンパンやるから落ち着け

871 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/03(火) 12:37:12
なんだ、本当に奄美人だったのか

黒砂糖でも舐めて糖分取っとけ

872 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/03(火) 12:47:51
うん、昔むりやりサトウキビ畑たくさん開墾させられたおかげで今、黒糖焼酎とか売りにして、うるおってますから、むしろ今の人は感謝してますです、はい。
339日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:20:53
>>336-338
ゆっくり深呼吸して、涙を拭けよw
340日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:24:31
島津義久の初婚は、スルーかな?
341336:2009/09/21(月) 19:23:45
>>339
おいおい、337-338は知らないよ。
一緒にすんな。
342日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:28:30
奄美って薩摩から見ると南西、つまり裏鬼門の方角だね。
343日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:32:04
また奄美ネタかよ?好きだね〜w
344日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:41:34
かんべしてくれよ。会津ネタよりヤバイからよ。
時代背景的にも島津マンセーしてりゃ良いよ。
345日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:14:06
奄美大島でのエピソード

奄美大島の人々は、当時換金作物のサトウキビや甘藷の植え付けを強制されていた。
収穫した作物は全て信じられないほどの安値で薩摩藩に買い取られていった。
サトウキビを島民が食すると罰せられるので、自分たちが作っているサトウキビの味を知らなかったと言われている。
幼い子供たちが隠れてサトウキビを少しでもかじったのが役人に見つかると、厳しく処罰されたくらいであった。
ある年、サトウキビが不作であったため、生産量を達成できなかった農民達がいた。
島の役人たちはそのことが自分の手落ちになることを恐れ、この農民たちに厳しい拷問を加えた。
このような拷問が行われていることを聞き、西郷隆盛は在番役人の相良角兵衛に面会を求め、農民たちを解放するように頼んだ。
しかし、普段から島民に対し威張りきって傲慢になっていた相良は、西郷の意見を完全に無視した。
この相良の態度に怒った西郷は、「方針を改めないのなら、私が直接藩主公に対し、建言書を書きます、
あなたの日頃の態度も併せて上申するつもりですから、覚悟しておきなさい」と言い放ち、席を立った。
驚いた相良は大いに後悔し、態度を豹変させ、西郷に対し平謝りし、農民を解放することを約束した。


↑↑
こういうエピソードって史実なの?
それとも鹿児島人得意の美談捏造?
346合図人:2009/09/21(月) 21:24:43
同情するなら金をくれ!
347日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:29:58
西郷は二面性あってよく分からん。農民搾取のひどさに文句言ったのは事実らしいが自分が出世してからは大島商社とか西南戦争などで搾取側の姿勢になった。
348日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:36:43
スレ違い自演ショー会場
349宮崎人:2009/09/21(月) 22:40:16
西郷札はただの紙切れになってしまった〜〜!
350日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:59:21
>>345
史実ならファビョった敬天愛人バカがすぐにソース出してくる。

それが無いってことは・・・言うまでも無いわなw
351日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:02:33
またもや痛い自演を見てしまった・・・
352日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:09:56
347だが勝手に自演認定すんなよ。勘違いウザ。
353日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:09:05
>>352
あ〜気にするなw 345と350に言ってるんだ。
別に俺は鹿児島県人でもないし西郷信者でもないんでな。
354日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:17:46
>>353
都合が悪くなると人を自演厨呼ばわり。

いつもの手だね、鹿児島出身者さんw
355日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:19:56
ぷっw俺は鹿児島出身者じゃないよw
356日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:59:04
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。

西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
357日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:00:57
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。

そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
358日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:02:54
西郷という人物は薩摩城下士族(私学校党)の
行く末しか案じていなかったようで、
その支配下にあった藩内の土民(農民)、
さらに下層のリキジン(奄美、琉球人)から
いかにして収奪して自己保身するかに専心していたのである。
彼の諸政策にうかがわれる基本的な理念は、
「征韓論」や後の「大東亜共栄圏」などにも通じており、
弱者を無視し切り捨てる右翼国家主義そのものである。

今や富国が現実となった日本国で再び軍神・西郷が
神格化・正当化されようとしているキナ臭い背景をこそ、
私たちはそれぞれの地域で問いただすべきではなかろうか。
それは負の遺産であるから。
359日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:04:38
↑↑
長文コピペですまんがこんなことを書いてる人もいる。
いったいどっちが本当なんだ?
360日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:18:17
356〜358 は事実さ。斉彬も陰の部分あるが、まぁ狂信的なヤツの反論疲れるからやめとく。
361日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:19:25
>>356-359
それも西郷の一面なのかもな。
西郷ほど謎に包まれた人もいないので、実像は誰にも答えられないだろう。
悩むまでもなく、西郷なんてその程度の人物だと思えば済む話だろ?
362日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:36:26
おい、お前らそんなに急いで基地外メリケン、中共に燃料給油する理由でもあんのかよw
良いから偉大な島津、西郷を語れよ。
363日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:59:17
>>362
これだけ有名な人物を、今さら語る必要もないだろうw
西郷なんか誰でも知っている。お前も日本人なら知っているだろう?
364日本@名無史さん:2009/09/22(火) 02:07:19
手紙の「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」には引いたよw
365日本@名無史さん:2009/09/22(火) 02:09:19
>>364
だから何だっつーのw
366日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:44:13
奄美人のレゲエ傾倒は意味が分からない
だらしないカッコしたDQNにしか見えない
367日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:46:19
西郷が誉められるのは、鹿児島県人の郷土自慢に過ぎない。
つまり、西郷隆盛が偉い⇒西郷と同郷の自分らも偉い

という愚劣な自慢話である。

もし、西郷が真に偉いのなら、
薩長の横暴・専横を明治政府から追放したであろう。
しかし、しなかった。
大量の薩摩人を官職に押し込んだあげく、
征韓論を主張しそれが通らないと、薩摩に隠れただけである。


もし、江戸幕府末期のように西郷が権謀術策を尽くして、
明治新政府を粛清していたら、太平洋戦争に連なる日本にはならなかった。

この点で西郷は無能であり、国賊であった。
368日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:49:23
斉彬も似たようなもん。
369日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:50:34
奄美ヲタは簡略にまとめるとかまとめてレスすると言うことが出来ないようだな
370日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:14:33
>>369
涙を拭けってw
371日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:41:10
スレ違いのネタをageで続ける
奄美人を偽装したアイヅマソの見苦しいことwwwww
372日本@名無史さん:2009/09/22(火) 14:38:49
373日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:27:43
西郷隆盛の征韓論は正しかったか?
http://research.news.livedoor.com/r/27909
374日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:08:20
>>373
想定内の割合つうか、みんな結構冷静に判定してると思た。
しかし「遣韓論」などというありもしない歴史が回答選択肢に入ってる時点で、
鹿児島人が噛んでるのがバレバレだけどなw
12.6%つうのも、脊髄反射した鹿児島人の組織票だろ。
普通の人は「遣韓論」なんていう捏造史は知らない。
375日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:11:45
普通の人は、征韓論が捏造であることくらい知っている。
征韓論は土佐の後藤象二郎と板垣退助の持論であり、西郷は違ったのだから。

捏造史を振りかざすのは、現在では会津シンパだけ。
376日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:05:37
速やかに以下のスレor板に移動お願いします
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1156441365/
http://academy6.2ch.net/history2/
377日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:50:08
西郷が竜馬と同じように後の作家やら同郷の人々に偶像化され捏造人格が広まったことはよく分かった。ところで斉彬も同じで実務面では久光の方が歴史に貢献したんでないかね。
378日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:56:35
それは志を遂げようという段階で斉彬は病没したため。
その後、政変による数年の混乱とブランクを経て兄の志を実行したのが久光。
すなわち江戸に軍団を持って押しかけ政治改革を迫り、成功している。
379日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:33:02
斉彬があの時期にやろうとしたのは時期尚早で失敗していただろう。久光が意図していたわけではないが生麦事件・薩英戦争を起こし結果的には薩英同盟により先進的な武器を購入できたことの方が切子や使われなかった鉄製大砲に浪費したのよりマシ。
380日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:50:19
斉彬が失敗していたかどうかは、現実に起きていないので何ともいえまい。
たしかに井伊大老が顕在では障害は大きいとは思うが。

話を戻して幕政改革後の久光の話にもどるが、生麦事件を途中で起こしつつも京に戻ると、
長州派に政治を牛耳られてしまっているし、公武合体路線に執着するあまり全国から集まった志士の人望を失っていた。
寺田屋事件も家臣の久光への離反から引き起こされたものだし、尊攘浪士による京の治安の悪化も元は久光が呼び寄せたもの。
また、8月政変後の公武合体政権でもすぐに徳川慶喜・松平容保とは行き詰まりを見せており、
久光自身が遠ざけておきながら、西郷を島から呼び寄せて早々に鹿児島に帰郷する無責任さを晒している始末。
381日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:59:32
要するに久光が幕末を血生臭く混乱させた一因だと言いたい。
382日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:13:42
いや、結果的には久光がいたおかげで運良く薩摩が明治維新の主役になれたのさ。
383日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:20:12
いやいや、久光だけなら結局主役から転がり落ちていた。
薩摩藩の流れを立て直したのは、やはり西郷のおかげさ。
384日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:56:19
>>375
おいおい、でたらめもたいがいにしろよ。

鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。

参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。

西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。

西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。

また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。

西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
385日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:47:51
ホントそうだよ。武力による強制開国だから遣韓と言い換えるのは退却を転進と言い換えた帝国陸軍の欺瞞に通じる。
386日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:06:15
南日本新聞もアホな尻馬に乗って遣韓論キャンペーンやってたな。斉彬についても集成館事業による鉄製大砲が薩英戦争で活躍したとかウソ書いてたし。実際に使えたのはしょぼい銅製の方の大砲だったのにな。
387日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:26:43
>>384
無礼な朝鮮など多少成敗したところで、問題ないではないか?
西郷自身は先を見て戦争になった場合を想定した作戦計画に加担していただろうが、
やり口としては朝鮮王朝を問いただす使者となるために天皇へ渡朝を懇願していたのだろう?
その時点で武力による征韓と決めつけるのは、いくらなんでも早とちりだろう。
たしかに西郷が征韓派の巨頭なのは間違いないが、遺韓論者が主張しているのは方法論の話だと読みとりたまえ。
388日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:46:50
島津斉彬が存在してこその西郷隆盛なんだよ。やっぱり

斉彬公☆生誕200年記念イベント『響彩時空』が
仙巌園で昨日、庭園を2000個の灯籠で幻想的に照らしたりと盛大にあったな

389日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:57:33
>>387
何が言いたいのかよく分からないんで、こちらから質問するけど、
西郷は戦争計画に加担していた征韓派の巨頭なのは間違いないんでしょ?w

方法論の話し(攻める前に遣韓して、大義名分を得ておく?)と言われても、
そういう話をすることで、鹿児島人の面目を保つ以外の意味があるのか?w
390日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:10:50
>>389
目的として侵略にあったわけではなかったという意見に賛同していると言っている。
征韓派として同士と見られる板垣などとは区別するべきだろう。
巨頭であったのは一番知名度があり人望があったために周囲から押し上げられたためで、
それを持って西郷の持論とは言えないってこと。
391日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:46:28
>>390
え? 遣韓の目的は征韓にあらずってこと?

ではなんで西郷は板垣らに軍事作戦の提案をしてるの?w
なんで有馬に占領後の処置まで内示してるの?w
392日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:07:09
まぁまぁ、斉彬・西郷バンザイの鹿児島人に何言ってもムダ。二人とも同じ日本人の奄美人を土人扱いしてるのに人格者とか神様とか。洗脳されてるんだよ。
393日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:44:10
まあ、薩摩藩が主流となって明治維新を起こしたのは揺るがぬ事実だがなw
394日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:34:25
>>393
うん、そして維新で活躍した人はさっさと鹿児島を去ったがなw
おまえの先祖は私学校のバカ生徒に土下座させられてた土百姓なんだろw
395日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:52:46
>>394
この程度の事実を云っただけで、先祖の話を出すのか・・・
よっぽどの負けず嫌いなのだなw
396日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:03:43
幕末・維新の薩摩の光と陰は全て調所が種をまき育て、その果実を斉彬・西郷・久光・大久保が食した気がする。財政改革と西洋式の高島砲術採用などの軍制改革、奄美の黒糖搾取機関の三島方設置などの農政改革、反射炉内部や石橋のアーチ建築の岩永三五郎採用など調所が最初。
397日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:18:48
それはそうなんだけど、鹿児島人は調所を認めたがらないね。
維新の燃料は資金じゃなくて、「気概」だと思いたいようだ。
398日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:22:19
>>397
うんうん、それでそれで?
399日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:22:54
斉彬も調所を自殺に追いやったあと広郷の又従兄弟である竹下清右衛門(広郷の生母竹下某の甥の息子)を反射炉絡みで重んじたのは罪滅ぼしのつもりだったかも。まぁ清右衛門が優秀だったのは確かだろうが。
400日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:42:24
>>392
鹿児島の現地事情は知らないんだが、
斉彬ってそんなにマンセーされてるの?
江戸育ちで江戸の武士言葉を話し、
性格も薩摩人とは違うイメージなんだが。
401日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:51:51
>>400
薩摩の島津家には変わらないからね
402日本@名無史さん:2009/09/24(木) 03:27:21
畏敬の度合いは照国神社と他の参拝客数を比すれば簡単に判る
403日本@名無史さん:2009/09/24(木) 17:13:41
>>400
元々は関西の出自。
支配者階級なので薩摩はおのれの領地。薩摩人はおのれの奴隷。
被支配者層の薩摩人のみ、「薩摩の島津家には変らないからね」と自慢している。
笑ってやってください。
404日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:36:34
島津も鎌倉から江戸時代の中で肝付氏や祁答院氏など土着の氏の女性が生母となっているから同化している。
405日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:28:54
江戸時代の被支配者層は薩摩人としての誇りとか郷土愛とか持ってなかっただろうね。
明治以後の洗脳教育で刷り込まれた。
406日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:16:04
薩摩にたいする妬みだな。
407日本@名無史さん:2009/09/25(金) 02:20:13
西郷スレがあったからそっちでやれよ、と思ったがスレ全部埋まったからこっち来たのか。迷惑な話だ
408日本@名無史さん:2009/09/25(金) 13:06:48
西郷スレ日本近代史板にはいくつもあるんだよねぇ・・・
誘導もあるのにそれを無視して居着いてると言うのは厨が分かってて荒らしてるということだろ
409日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:52:51
★「鹿児島県民御用達」「鹿児島のプロパガンダ新聞」こと、南日本新聞について
この板の他スレで読んだが、あの新聞こそが、県外資本をブロックする存在だったりするらしい。
県内に進出する場合、社長に「ご挨拶」せねばならないそうだ。まるで田舎ヤクザのシマウチだよ。

★潜在的な異常者とか多いのではないのでしょうか?
実は、鹿児島が、日本一の精神病院過密地帯であることは、意外と知られていない。
別に「基地害が多い」のではなくて、「商売になる」から建てまくったらしい。
推察するに、他県ではシャバで暮らしている患者まで、入れてしまっているのではないか?

鹿児島にはなんつーか、『言論の自由』がないw。
不言実行を示す「議を言うな!」がいつのまにか言論の不自由のシンボルになっている。
鹿児島県民御用達の南日本新聞もサヨクがかった記事が多いわりに、
土建癒着的県政や鹿児島人の閉鎖性に触れることはない。
その代わりにどこか遠い「日本(東京)」というところの政治家に異常な関心を示し、やたら大上段からの発言をする。
しかし、万年野党なので身内はかわいいらしく、今まで鹿児島行政当局への真摯な批判を聞いたことがない。

その閉鎖性ゆえに西郷南州や大久保のように、県政を改善し中央を改善しようという意気込みのある人もでないのでは?
彼らはまず薩摩藩内の藩政を改革してこそ維新を成就したというのに・・・。

不満を解消し、鹿児島をもっと魅力のある「地方」にするには
まずは庶民が変わらないといかんと思うが、そのための教育機関がない。
まず、文科系のものと体育系の比重が明らかにアンバランスである。
つーか、運動場ばっか多すぎ。文化施設はどこにあるのか知らん、牧園の山の中に音楽堂なんか作っても利用しにくい。
中央の猿真似ではなくもっとローカルな視点で行ってくれと小一時間ほど(以下略

将来鹿児島を支える人材についても、閉塞感を感じた優秀者は県外へ行くし、比較的愚鈍な黒牛の方が残りやすい。
そして第一に職がない!道路工事しかない!
410日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:30:33
それでも鹿児島は他県の地方と、
冷静に詳細比較すると発展してるほうだけどな。

411日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:41:58
>>409
薩摩と色々と差がつきはじめて、アセッテるんだろうけど
ライバル心持たれるは、はなはだ迷惑。眼中にない存在なんだから(笑)
412日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:44:58
荒らし相手にするほどの元気はない。無駄な労力
413日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:07:42
薩摩人による内部批判じゃないか。
ある意味健全なこと。
414日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:47:40
鹿児島の街を歩くと至るところに江戸期の島津家の家臣、忠臣たちの銅像が建てられ、
彼らが成し遂げた偉業に自然と触れ合えるような街づくりになっている。

もちろん私も幕末明治維新の歴史のダイナミズムは大好きだ。

平田靱負ら薩摩義士の歴史を知り、関ヶ原での島津義弘公の敵中突破を知り、
高校時代には妙円寺詣りもした。

島津武士の武断的で力強い側面は男の子には刺激的だ。

今でもそういう感動は残っていないのかと聞かれれば、きっとあると答える。

成長期に感じたそれらの精神的な刺激は一朝一夕に消滅するものではない。

しかし、鹿児島の人間はいい加減島津武士の幕末ダイナミズムへの
自己陶酔、島津信仰を止めたらどうだろうか。内面的にも外面的にも。

薩摩の国の民も大隅の国の民も、もちろん奄美などは異民族として輪をかけて
島津の軍事大国を支えるためにさんざん利用された訳です。

明治初頭に廃藩置県が断行され、薩摩の君主であった島津家は
その地位を国民国家として誕生した明治政府に禅譲したかのように歴史には
記されているが果たして鹿児島の地では本当にそうなってますか。
415日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:49:46
鹿児島は島津教の土地であり、島津原理主義が深く精神に巣食っている。

大東亜戦争敗戦後、日本屈指の保守王国と呼ばれつつ
政治的には一人の総理大臣も生み出せず、経済的には
地元経済を牛耳る少数の企業が幅をきかせ有望なベンチャー企業が
誕生する期待も薄い硬直化した“鹿児島”となっている原因は、
後生大事に幕末維新に自己陶酔し礼賛し島津武士を
成仏させることのできない精神性が原因ではないだろうか。

鹿児島では南国的気候も桜島の雄姿などの自然さえも
愛でるだけではなく島津武士のイメージと結びつけられる。

また、鹿児島本土で奄美の歴史をまったく感じさせる要素がないばかりか、
奄美にまで薩摩の流人の歴史をしのばせる史跡の存在で島津の亡霊が彷徨ってくる。

強大な武士団を養うために酷使された民の姿はまったく感じられない。

私は鹿児島本土の人たちは南国的な気質は多分に持っていると思う。

平民の生活の歴史も光をあててみれば享楽的でもあり、
穏やかでもあり、この土地を存分に楽しんで生活していた姿が
浮かび上がってくるのかもしれない。

しかし、今の鹿児島の現実は全て島津原理主義に根ざした
島津礼賛史観ありきで、そのまなざしが既に硬直化している。
目ん玉を変えらんばいかんとですよ。
416日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:20:56
おれは東京人なんだけど両親が鹿児島出身で、
親類なんかはおれのことを鹿児島人と見るわけよ。
東京生まれの東京育ちと分かってるはずなのに。
愕然としたのは子供のころ鹿児島に行ったとき、
東京言葉をしゃべるおれに
標準語しゃべるなんて気持ち悪いガキだみたいなことを
言ってくる鹿児島人の親類がいたことだな。
417日本@名無史さん:2009/09/27(日) 03:36:57
>>414
分かったようなことを書いているけど
実際の鹿児島は島津崇拝みたいなことはないけどね。

東北人にしてはよく出来た煽りだとは思うがなw
418日本@名無史さん:2009/09/27(日) 04:10:33
薩摩人も以外と嫌らしい書き方するやつもいるんだな。
ただし本当に薩摩人ならだけど。
419日本@名無史さん:2009/09/27(日) 04:27:27
関西人じゃないの
420日本@名無史さん:2009/09/27(日) 04:38:40
それかネット工作員が多いと言われるナゴヤンとか?
421日本@名無史さん:2009/09/27(日) 05:30:57
名古屋工作員って実は一妄想が広まったネット都市伝説らしい。
地域対立でトラブる→第三者のフリをして煽る奴のせいだ→名古屋工作員出現! みたいな(笑
でも誰も存在の否定を証明出来ないという悪魔の証明。
422日本@名無史さん:2009/09/27(日) 07:02:22
>>417
一般市民レベルじゃ現在の当主の名前さえ知らないのが普通だもんな
照国神社は知ってるけど祭神は何なのか知らない人多いんでないかなw
423日本@名無史さん:2009/09/27(日) 08:21:23
金沢疑惑浮上w
424日本@名無史さん:2009/09/27(日) 08:31:49
鹿児島って地元九州でわりと厭われてるって聞くことがあるけど。
俺は他地域なので区別が全然付かない。
425日本@名無史さん:2009/09/27(日) 10:30:34
>>239
『薩摩焼展』が現在、ロシア・エルミタージュ美術館で
同館が所蔵する18〜20世紀初めの薩摩焼コレクション、
70点以上の作品が披露される、展示会が開催されてます。

一昨年はパリ・国立陶磁器美術館(セーブル美術館)で
『薩摩焼パリ伝統美展』が開かれて盛況だったようです。
426日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:14:22

どう読んでも薩摩人が書き手なのに・・・・


島津原理主義は島津’家’原理主義ではなくて
島津’武士文化’原理主義ってことだろ

まあ反論能力が無いんで、わざと読み違えて逃げようってハラか
427日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:13:04
相手にされてないだけじゃ・・・
428日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:39:37
斉彬のようにできもしないで歯の浮いたような人道主義的お題目を唱えたりするより内部統制をストレートに前面に出した久光の方が封建制領主として相応しい。正式に藩主にならなかったのは残念。
429日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:21:13
携帯君はまず改行を覚えましょう
430日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:25:52
>>416
悲しい奴だな
431日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:38:55
俺も気の毒な奴だと思ったw
432日本@名無史さん:2009/09/28(月) 07:20:26
まあ未だに奄美が如何こう言ってる時点でチョンや会津と同レベルの基地外だから無視に限る。
433日本@名無史さん:2009/09/28(月) 11:26:43
奄美はしゃれにならんから、解っててやってる確信工作員だろ。
434日本@名無史さん:2009/09/28(月) 20:57:32
しゃれにならんから鹿児島の学校は真実を教えないんですね。
435日本@名無史さん:2009/09/28(月) 23:55:37
>>434
教えないんじゃなくて学校の教員も真実を知らないんだよw
洗脳されてるからw
知っていても言えないけどね。
真実を語れば、「ぎをゆな」っち苛められるw
「やっせんぼ」「おなごんくっされ」「よかぶいごろ」
鹿児島では真実を語ることが、女の腐った奴のすることにされてしまう。
436日本@名無史さん:2009/09/29(火) 04:07:11
自己紹介乙
437日本@名無史さん:2009/09/29(火) 23:31:33
>>432
私は奄美出身者だけど、同じことを奄美に来て奄美の人の前で言えるのか?
いまだに奄美のことを言っているのではなく、
近年になってようやく旧藩時代の奄美が語られるようになったのではないのか?

奄美はおろか薩摩のこともでたらめにしか分かってないくせに。
438日本@名無史さん:2009/09/30(水) 00:01:05
確かにそうなんだが奄美にも甘えがあっただろう。
士族姓ほしさに娘を妾に差し出したり。
だいたい今のサトウキビ産業の繁栄は島津支配
のおかげ。
439日本@名無史さん:2009/09/30(水) 00:55:02
>>438
そんなでたらめな欺瞞をおおまじめで書いているとしたら、
本当に残念だ。
440日本@名無史さん:2009/09/30(水) 02:57:03
なんか、松前藩とアイヌとの関係を彷彿とさせるスレ展開になっているな。
まあ、確かにアイヌがマキリなどの金属製品を扱えるようになったのは我々和人のお蔭なんだから、寧ろ和人に感謝しなさい等とは言えんと思うが。
441日本@名無史さん:2009/09/30(水) 07:57:42
>>437
オーストラリアの囚人と似たようなもんだろ
どうでもいいよ
442日本@名無史さん:2009/09/30(水) 12:10:46
郷中の教え、男の順序、敬天愛人、
こういった教義で洗脳されてる鹿児島人にとって
奄美の暗黒史を真実として認めてしまったら
鹿児島人としての自我が崩壊するわけよ。

奄美の暗黒史は薩摩の教え、鹿児島人の誇りが
ただの虚構・ウソでしかないことを決定的に証拠づけてるわけだから。

「弱い者をいじめるな」w
日本史上もっとも酷いイジメをしていたのが実は鹿児島人で、
敬天愛人が売りのはずの西郷さんも実は一緒に奄美人をイジメていたw

それが決定的な事実です。


男の順序
1.何かに挑戦し、成功した者
2.何かに挑戦し、失敗した者
3.自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
4.何もしなかった者
5.何もせず批判だけしている者

438みたいな鹿児島人のために6番目を作ってあげるよ。

6.何もせずウソだけ付いている者


443日本@名無史さん:2009/09/30(水) 12:33:33
奄美は日清戦争後に朝鮮人の入植が積極的に進んだ結果、
琉球のように学習能力のない馬鹿ばかり蔓延る有様になった
中でも一文字の苗字を持つ家系は朝鮮人の血が濃く無駄にプライドが高いw
朝鮮人気質そっくりww
444日本@名無史さん:2009/09/30(水) 13:08:16
>>437

奄美の収奪なんて遥か昔から言われてたけどな。
未だに文句言い続けてるからチョン、会津レベルの基地外なんだよ。
445日本@名無史さん:2009/09/30(水) 13:26:58
>>443
詳しい説明サンクス
これなら奄美人が謝罪と賠償を垂れ流し続けるのも分かる気がする
446日本@名無史さん:2009/09/30(水) 14:32:09
>>438
>だいたい今のサトウキビ産業の繁栄は島津支配
>のおかげ


なんていうのも十分チョン臭い言い草だな。

今のイルボンの発展があるのはウリのおかげニダー
感謝汁! <丶`Д´>
447日本@名無史さん:2009/09/30(水) 14:58:38
>>438=443=444=445

自分に「詳しい説明サンクス」だってよw
悲惨すぎるぞお前w
震えてるぞ、マウス持つ手がw

はい、もう一発来いよ
「勝手に自演にするなよ、チョン奄美の基地外」 だろwww
448日本@名無史さん:2009/09/30(水) 17:45:40
このスレの全てが汚い
449日本@名無史さん:2009/09/30(水) 18:10:51
大河ドラマなどで描かれる薩摩や士族は虚像なの?
450日本@名無史さん:2009/10/01(木) 00:08:33
>>447
445のコピペ改変なら東亜板で定番のホロン部ネタだよ。エンコリ発祥
443の苗字云々とか直ぐに判る嘘ネタで煽る気満々
451日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:18:12
明日、鹿児島市内で奄美が島津を糾弾するシンポジウムが開催されるそうだ。
452日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:44:33
糾弾されて当然
453日本@名無史さん:2009/10/02(金) 13:10:07
開催時間開催場所も書かずに伝聞情報ですか
というかガセネタかも知れないけどw
454日本@名無史さん:2009/10/02(金) 13:25:47
明日の午後2時半から始まるみたいだね
455日本@名無史さん:2009/10/02(金) 17:17:55
場所書けないと言うことは後ろめたいイベントなんだろうなw
もしくは主催者が後ろめたい人?www
456日本@名無史さん:2009/10/02(金) 18:28:12
国旗切り裂き系か?
解りやすい時代になったなおいw東シナ海にトドメ刺そうってか。
457日本@名無史さん:2009/10/02(金) 18:28:34
後ろめたいのは薩摩
458日本@名無史さん:2009/10/02(金) 21:00:27
郷中の教え、男の順序、敬天愛人、
こういった教義で洗脳されてる鹿児島人にとって
奄美の暗黒史を真実として認めてしまったら
鹿児島人としての自我が崩壊するわけよ。

奄美の暗黒史は薩摩の教え、鹿児島人の誇りが
ただの虚構・ウソでしかないことを決定的に証拠づけてるわけだから。

「弱い者をいじめるな」w
日本史上もっとも酷いイジメをしていたのが実は鹿児島人で、
敬天愛人が売りのはずの西郷さんも実は一緒に奄美人をイジメていたw

それが決定的な事実です。
459日本@名無史さん:2009/10/02(金) 22:32:37
徳川瀑布にもグダグダ岩内で文句を言えよ

460日本@名無史さん:2009/10/02(金) 22:57:43
土方歳三 : 永遠の不良
桐野利秋 : 永遠の不良品
461日本@名無史さん:2009/10/03(土) 00:21:00
都合の悪い歴史は隠すということか・・・
462日本@名無史さん:2009/10/03(土) 01:22:48
IDが出ない板だから自演し放題なんだよな
過疎ってるのに見て貰いたいが為ageるヤツとか
463日本@名無史さん:2009/10/03(土) 01:50:50
>>460
不良と不良品の違いを教えてください。
464日本@名無史さん:2009/10/03(土) 07:49:57
鹿児島市内中央公園前教育会館 
西郷銅像の斜め前あたりの建物
夜は公園で祭りやるみたい
465日本@名無史さん:2009/10/03(土) 07:58:32
>>463
例えるならば

不良:おまえ自身
不良品:おまえのチ○ポ
466日本@名無史さん:2009/10/03(土) 12:23:56
政治家や政治については本当に駄目な所だよね、鹿児島って・・・。
でもさ、やっぱり田舎は田舎なのかも・・・。

この街を真剣に良くしたいなら、
まず南○本新聞あたりの鹿児島礼賛の論説を疑って、
郷土の稚拙さを知り、
喧々囂々の議論する風潮を大事にせねばならない。

それにしても「議を言うな」的な言動が多すぎる。
無知な鹿児島偏愛は醜いぞ。もっと勉強しろ。

汚職や裏取引は、残念ながら全国津々浦々ある。
そのなかで鹿児島は情報開示度は平均的だと思う。
ただ市民の民力・活力がないから、それを改革に結びつけられない。
結果、あんな馬鹿な庁舎が建ち、無能職員が跋扈してる。

俺が言いたいのは鹿児島県民の意識格差。
知る者と知らざる者の意識格差。
ナイーヴな世間知らずヤンキーが
mihimaruGTかけながら、ローダウンDQNカーをトロトロ運転させてるのは
もう黙殺するだけの境地に達した。そんな議論はもういい。
ただ、郷土偏愛主義者の醜悪ぶりには虫唾が走る。
則ち、あまりに無知な田舎者。
467日本@名無史さん:2009/10/03(土) 13:27:39
で、今日の奄美会は日教組が主催だかバックだっけ?島津家、及び現在の行政を批判し決議声明を出すらしい。
468日本@名無史さん:2009/10/03(土) 15:29:21
>>465
あ〜?なんなんだこの生意気なクソガキはw
469日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:54:15
今日の奄美会のシンポジウムは島津家・樺山久高・
調所広郷を糾弾する感じで終わったけど、次にどう
つなげていくかという視点に欠けていた。
470日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:57:13
なんだ騒いでたの奄美会の関係者か
471日本@名無史さん:2009/10/04(日) 16:59:52
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」
472日本@名無史さん:2009/10/04(日) 20:53:53
↑こーゆーこと書き残した西郷を南日本新聞は今日も南風録でヨイショしてたな。
473日本@名無史さん:2009/10/14(水) 20:59:05
474日本@名無史さん:2009/10/15(木) 10:35:24
江戸時代に島津家中に生まれた者が主君の為、武士階級の為
に他を犠牲にしても頑張るのは正義であって、それを現代の
価値観で糾弾しても仕方ない。というかバカだろ。
475日本@名無史さん:2009/10/15(木) 13:50:45
さらに島津・樺山・調所の子孫らに謝罪を要求した者までいるが
筋違いではなかろうか。
476日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:37:38
>>474
それは暴論だろ。
俺の先祖は島津家中だが、当時の価値観でも
奄美とか正義でも何でもなかったと思うぞ。
地理的に島津家がもっと中央に近いところに所領があって
周りの目もあれば、奄美のようなことはやってなかったはずだ。
477日本@名無史さん:2009/10/16(金) 10:33:06
正義というか大義があったという訳でしょう。特に調所の場合は。抜け荷は
死罪と脅したものの実際に死罪になったものはいないそうです。奄美の歴史
家も認めてます。ただし樺山が名刀自慢に奄美の罪なき農民達を十数名惨殺
した記録はあります。
478日本@名無史さん:2009/10/16(金) 16:44:35
そんなんじゃ平田とか肝付とか伊集院とかその他諸々にも
噛み付かなきゃならんな。乱捕り働いた下級武士にも。難儀なこった
479日本@名無史さん:2009/10/16(金) 16:50:41
島津の圧政もどうかと思うが
今更言ってもな…
480日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:34:30
はいはい、いつもの逃げ口上。
弱いもんイジメやってたのは島津だけじゃない、薩摩だけじゃない。

しかしこのスレは薩摩島津氏のスレだ。
史上最悪の圧政してた話題が出てきても悪いことはあるまい。
今更って言うほど語られてないでしょ、この話題。
481日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:33:12
それはどうかな
>>480の情報源がNHK大河ドラマしかないというなら話は別だがwww
482日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:45:05
確かに。藩政時代、一揆も大規模な、両者に死者が出るほどの大きなものは起きてないし、圧政が過大に強調されてるよな。明治以降の大島商社はひどかったが、あれは島津ではなく西郷らだからな。
483日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:01:53
西郷マンセーで圧政ほとんど無視されてるよな
484日本@名無史さん:2009/10/17(土) 09:10:04
江戸時代初期の薩摩側資料では奄美の人々を男女の区別のつかない毛むくじゃ
らの土人扱いしてる。むかし人間とチンパンジーのあいのこか?とか言われた
オリバー君とかいたけど、そんな感じで見てたんだろう。
485日本@名無史さん:2009/10/17(土) 09:16:39
島津氏や西郷のスレは
かならず鹿児島人と思われるやつが出鱈目書いてくる。
24時間ほとんど即レスで。
しかもそのあと必ずすぐに自演の同調レスを付ける。
486日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:17:44
三七(みな)の会という奄美の人々の集まりがあって島津側の古い資料に奄美人
を毛深くて男女の区別つかない、と書いてあることが話題になったことがある
からでたらめではない。また同調する人を、すぐ自演扱いするのも間違い。
鹿児島人が複数人カキコしてるだけ。
487日本@名無史さん:2009/10/17(土) 11:07:27
別にそんなモン普通だろ。今でも土人なんだから
ファビョった書き込み見れば良く分かる
488日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:52:05
どうして鹿児島人てそんなにムキになるんだろう?

洗脳されてるから?

上京した時などに志士のつもりで気張ってたのが
誰にも相手にされず田舎モンあつかいされたのがトラウマになって
偏狭な郷土愛に拍車がかかったんだろうか。
489日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:02:04
まぁまぁ、今は島津の治世でなく奄美人も鹿児島人と同化してるんだから対立煽るなよ。
薩摩の奄美侵攻四百年、斉彬誕生二百年で南海日々新聞と南日本新聞が
江戸初期の島津軍の蛮行や江戸後期の黒糖の話を特集してるからって。
490日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:30:33
>>488
何か滑稽なレスしてるけどあんたは誰と戦ってんの?w
491日本@名無史さん:2009/10/17(土) 20:51:39
まだやってんのかよw

奄美ネタはやめろや。島津様は陛下ともお血の繋がる大和民族そのもだ。
492日本@名無史さん:2009/10/17(土) 22:24:32
「まだ」、というか、「また」。
最近このスレ奄美からまないと過疎ってる。
それだけ島津にはトラウマになってるのだろう。
493日本@名無史さん:2009/10/17(土) 22:54:17
蛮族ゴワス
494日本@名無史さん:2009/10/17(土) 23:10:07
「議をいうな」がデフォの鹿児島には
過去を検証し、間違いや捏造を正すという文化がないから、
奄美のことや西郷の非敬天愛人的実像のことを証拠付きで突っ込まれても、
卑怯なごまかしでしか対応できないw
495日本@名無史さん:2009/10/17(土) 23:18:32
斉彬だって奄美や鹿児島のまともな学者の間では殿様芸しかしてないアホぼんさ。
まったく名君じゃねえぞ。口先で夢だけ語って搾取の度合を藩政期で一番上げた。
道楽に金使い過ぎたからな。
496日本@名無史さん:2009/10/18(日) 11:58:54
いいから土人は黙ってろ!
497日本@名無史さん:2009/10/18(日) 12:06:23
加世田一揆には秘密があると聞かされているが
本当のところどうなんだろう
もともとは百姓が藩を道連れにと計画した他藩への討ち入り計画だったとか
498日本@名無史さん:2009/10/18(日) 13:34:24
加世田一揆は調所の死後、斉彬がさらに一向宗の取締りと年貢取り立てを厳しくしたことに
対し安政五年に起きた。ちょうどその年、斉彬は死んだが、原因は斉彬の圧政。
499日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:32:20
悪の藩主ということだ
500日本@名無史さん:2009/10/18(日) 19:50:44
まさにその通り。むかし風の隼人という、
益満を主人公にしたドラマがあったが
直木三十五の南国太平記を原作にしてるわりに
斉彬の陰湿さも表していた。
501日本@名無史さん:2009/10/19(月) 18:54:37
江戸時代の薩摩藩政は重税だったつーのは周知の話だからな
やっと借金なんとかなったのに軍事強化すると必然そーなる
502日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:32:10
なんで西郷が維新三傑なん?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1136983647/

こっちが盛り上がってるねw
503日本@名無史さん:2009/10/20(火) 12:37:52
斉彬も圧政藩主なのに名君のイメージ残し西郷も差別主義者なのに敬天愛人さ
今も昔も実質的な偉業よりイメージ戦略に長けたやつが歴史に名を残すのさ
504日本@名無史さん:2009/10/20(火) 13:12:18
>>250辺りから必死にこのスレに粘着してる人
2ちゃんごときで持論を発表して何がうれしいんだろ
世間に認められるわけでもなく
所詮ニートヒキヲタと揶揄されるのが落ちなのに
505日本@名無史さん:2009/10/20(火) 13:29:43
安藤先生も原口先生も内輪では斉彬や西郷の陰の部分を述べるが、活字には天文館歩けなくなるから書かない。
506日本@名無史さん:2009/10/20(火) 14:22:09
斉彬がやったとされる興業を
本当にはじめていた山口氏もいい迷惑だよな
この山口氏ってのは半士半商の富豪一族で
戦後くらいまでは鹿児島の三賢人として
その末裔が褒め称えられてた一族
おそらく斉彬の名君像はほぼ全てが他人の成果を横取りしたものに過ぎないと思われる
507日本@名無史さん:2009/10/20(火) 22:10:38
まぁ一応、思邪無(おもいよこしまなし)、とか民のために、とか書き残してるけど封建領主のお題目でみんな言ってる。
508日本@名無史さん:2009/10/22(木) 06:55:51
粘着土人は夜中にwikipediaコソコソ弄ってそうなイメージある。会津厨が如く
509日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:10:54
糞芋土百姓は朝から2ちゃんで憂さ晴らしかいw
510日本@名無史さん:2009/10/22(木) 22:16:38
>>504
>所詮ニートヒキヲタと揶揄されるのが落ちなのに

オマエモナー





つ レス時間
511日本@名無史さん:2009/10/22(木) 23:07:34
>>503 斉彬より重豪のほう過大評価
借金作りまくった馬鹿殿が名君扱いは納得できない

逆に斉宣・斉興(お家騒動起したとはいえ)が二人に比べて過小評価されてると思う
512日本@名無史さん:2009/10/22(木) 23:31:59
だがなあ
重豪時代の途方もない濫費が
江戸期の島津家を、他藩が仰ぎ見る存在に変えたんだよ

幕末の島津家は、将軍家に比肩する重豪の作り上げた権威に寄りかかって、維新を起こした
その意味で、重豪がなければ、明治維新はなかった

まあ、調所が借金を各方面に迷惑をかけながら葬り去らなければ、
単に潰れていただろうがな
513日本@名無史さん:2009/10/23(金) 00:31:11
ある歴史学講座で出た話だが、重豪が下級武士の調所を引き立て斉興の代で、家老にまで
なった判例があったからこそ、斉彬が下級武士の西郷や大久保をそばに使えたそうだ。
つまり重豪が全ての始め。
514日本@名無史さん:2009/10/23(金) 01:03:46
土台をつくったからといって城をたてたとはいわん
礎となったっていう評価がせいぜいだ
515日本@名無史さん:2009/11/04(水) 06:13:29
「島津に暗君なし」というやつも自演で
ひろめたんでしょ。
八公二民とか奄美の収奪とか暗君以前の問題だわ。
516日本@名無史さん:2009/11/04(水) 13:11:09
徳川さんディスってんのかコラ
517日本@名無史さん:2009/11/08(日) 00:11:24
戦国最強ってのも自作自演っぽい。

これといった実力大名のいなかった九州で
これを席巻したといわれてもなあ。
当時の九州武士って秀吉が来たら全員即日秀吉に寝返ったというヘタレな印象しかないし。

関ヶ原の敵中突破もそう。
戦も終わりかけて、さあひと休みするかという人たち相手に
これを突破したと言われてもなあ。
そもそも逃げてるんでしょ?
敵前逃亡と言うのが正確じゃないの?

朝鮮で唐の大軍相手の大勝利というやつもそう。
7千の島津兵で20万の唐軍を壊滅させたというやつ。
実際は唐軍は3万程度で、しかも無理やり遠路連れて来られた、やる気ゼロの人たち。

戦国じゃないけど幕末の倒幕戦もそうだよね。
やる気の無い相手をさらに偽錦旗で士気を無くさせての大勝利。

とにかくやる気の無い相手にはめっぽう強いが、
秀吉、家康といった実力者相手には戦をせずに
土下座外交できりぬけてきたというのが薩摩島津氏だね。
518日本@名無史さん:2009/11/08(日) 09:30:45
北九州国人は少弐→大内→大友→毛利→島津→豊臣→徳川と節操が無さ過ぎてキモい。
519日本@名無史さん:2009/11/10(火) 07:39:48
しかし島津氏についてはもっと研究すべきだと思うね。

あれだけ民を搾取し、兵に血を流させて
さんざん利用したのに恨まれるどころか、
領民たちは選民思想すら持ってるって
どんな洗脳ノウハウだよって思う。
どんな統治ノウハウだよって。
520日本@名無史さん:2009/11/10(火) 10:51:59
ノウハウもってウハウハ
521日本@名無史さん:2009/11/10(火) 11:02:05
殿様は夢を語り綺麗ごとを述べ、汚れ役は家来にやらせるのがノウハウ。
江戸初期の琉球奄美侵攻は家老の樺山久高、中期の木曽川工事も家老の平田靫負、
後期の財政改革も家老の調所広郷。
522日本@名無史さん:2009/11/10(火) 12:49:07
>>521
つまらん書き込みするなよ。
洗脳されてるってこういうことなんだろうな。
523日本@名無史さん:2009/11/10(火) 13:33:04
↑という具合に洗脳されてる例。
524日本@名無史さん:2009/11/10(火) 14:48:26
天皇批判はやめろ
525日本@名無史さん:2009/11/10(火) 15:03:56
>>さんざん利用したのに恨まれるどころか、
>>領民たちは選民思想すら持ってるって
>>どんな洗脳ノウハウだよって思う。

近代政治思想を確立したマキャヴェッリの見解が正しければ
「そこに(君主に対する)尊敬があるから」 ということになる。

逆に現行日本政府のように内心、軽蔑されていると
どんなに金を撒いて撫育政策をとっても
民は尊敬しないし感謝もしない。

島津は怖い為政者だったが、反面、戦争が強く
有能だったので、領民は畏敬し、敬慕した。
明治政府など、海外からも賞賛され尊敬されている。
526日本@名無史さん:2009/11/10(火) 15:40:47
>>525
うーん、そういう鹿児島人まるだし(これも洗脳?)の見解を聞きたいんじゃなくて
ほんとうに科学的、組織論的な見解を聞きたいんだよ。
527日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:16:50
そんなものないと思うよ

住民が畏怖、などと書けば聞こえはいいが
実際には暴力に蹂躙されており逆らえなかった、というのが正解
528日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:19:03
樺山も平田も調所も活躍できる場を与えられて喜んだはす。
ちなみに樺山久高家は後に調所の前の前の家老樺山主税(久言)を出した。
近思録崩れで自害。平田も調所も自害。家老は主君の為、喜んで死ぬもの。
529日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:37:38
家老の話しじゃなくて、百姓レベルまで洗脳されてるという話しなんだが。
527の言うように暴力もあったろうが、
現在の鹿児島人まで何の疑いもなくマンセーしてるって
どんだけ精巧な洗脳システムなんだろうかということです。
被害者が加害者をマンセーしてるわけでしょ。
530日本@名無史さん:2009/11/10(火) 22:42:22
もしかしてwikiや戦国板であばれてるsub氏か?
531日本@名無史さん:2009/11/11(水) 10:39:52
議を言うなら!
532日本@名無史さん:2009/11/11(水) 12:15:16
毎年5月25日に鹿児島でやる平田靫負の慰霊祭では武士の末裔も百姓町人の末裔も
島津の武家文化・郷中教育の賜物、という位置付けで盛り上がるんだが。
533日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:44:07
維新以前の薩摩と以後の鹿児島県では
似て非なるものだな。
劣化コピーというか、コスプレに近い。
534日本@名無史さん:2009/11/15(日) 15:25:15
それを言ったら勝久以前と貴久以後の薩摩島津氏だって「似て非なるもの」だろ。
勝久までで、三州守護としての栄えある島津本宗家は途絶えてしまう。
いわゆる薩摩士魂とかいうのは、そのあと庶流である貴久が嗣いで以降の島津の士風。
535日本@名無史さん:2009/11/15(日) 15:47:31
薩摩士魂もいいけど、まずは奄美に土下座だな。
能書きはそのあとで言え。
536日本@名無史さん:2009/11/17(火) 02:06:19
>>535
沖縄&会津も追加ヨロ!
537日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:38:11
このスレは奄美会(土人の集まり)に監視されております
538日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:12:01
だからよ、奄美にかまうなよアメリカ、中共の動きを早め終わりを早める。

大和言葉喋れとは言わんが勝者の歴史語るなら貴賓よくやれや今更ではあるがな。
539日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:23:01
>>537
上町地区(鹿児島市で最も「上から目線」な地区)原住民乙www
540日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:18:42
116:名無しさん@十周年[]
2009/11/19(木) 09:46:50 ID:/Vl1IQvV0
じっさい、鹿児島の本土の人間による、奄美への差別は、目を覆わんばかりのひどさがある。
もし、自称愛国者が、ほんとうに日本人であるならば、朝鮮人によるでっちあげの糾弾と、薩摩の暴虐を同列に考えないでほしい。
541日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:01:18
381:名無しさん@十周年[sage]
2009/11/19(木) 10:28:33 ID:Y8Oq7XpfP
>>356
たとえばだ。奄美には一字姓というものがある。元ちとせなんか有名だな
この1字姓は薩摩藩が大和人(薩摩人)ではなく奄美人だとすぐにわかるように
識別票として奄美人に強いてつけたものだ。差別のためにな

今日においては改姓して2字にしたり増やしている家も増えているが
まだまだ一字姓が多かったりもする。もっともそのことを恨みに思っているかは知らんがな
でもそういう歴史もあったりするわけだ
542日本@名無史さん:2009/11/19(木) 12:10:27
619:名無しさん@十周年[]
2009/11/19(木) 11:16:38 ID:A5PrSoUm0
>>591
鹿児島が焚き付けてるんだろ。
あいつら、奄美から搾り取ったことには全く触れずに
西南雄藩スゲー、西郷さん素晴らしい、
木曽川治水酷いみたいなことしか言わないじゃん。
公私共に。全てが奄美の受けた搾取と関連してくる
事項だから、そりゃ腹も立つだろうよ。

沖縄の郷土史教育でも、宮古八重山の人頭税を
ガン無視したりはしないぞ。さすがに。
543日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:17:44
956:名無しさん@十周年[]
2009/11/19(木) 13:21:34 ID:CUg25XiWO
東京の福島県女性も結婚はいいが 鹿児島に住むの
だけは いや っていう人がいた

薩摩vs会津 の遺恨は現在も継続中
544日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:19:14
966:名無しさん@十周年[sage]
2009/11/19(木) 13:26:50 ID:Fwx64NsP0
昔は奄美の人の薩摩嫌いは凄かった。
島に行けば何かと拒絶されていたと聞いた。
それに本土(薩摩)の人の離島差別もあったからね。
545日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:40:47
鹿児島ってある種、教育に熱心なんでDQNは少ない。
ほかの地域と比べると間違いなく少ない。

が、鹿児島人全般に言えるんだが、想像力が乏しくて、
乏しいゆえに無神経な人が多いのも事実。

たとえば、好きでサブカル的なことをやってる人に対して、
才能無かったんですねみたいなことを言外に言ったりとか。
サブカル的価値観と言うのは普通の鹿児島人にはまったく想像できないみたい。

鹿児島人にとってのカルチャーというのは自分で創造したり表現したりするもんではなく
なんというか習い事みたいな感じ。絵とか。
見本になる絵があって、それ風の絵を描くのがカルチャーになってる。
違う方法(自分の表現)で絵を描いている人がいるという想像ができないので、
自分に想像力が無いというコンプレックスすら持ってない。

スレ違いもいいとこでしたが鹿児島人理解の参考になれば。
546日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:15:06
確かに。思考が単線で複眼的にものを見れない。
体制派は西郷えらい!島津えらい!ばっかり。
奄美は搾取された!差別された!ばっかり。
自慢話は明治維新と関ケ原敵中突破ばっかり。
明治からな〜んも変わらん。文化に深みがない。
547日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:18:17
>>545
確かに。
鹿児島の小学校で子供の絵や作文を先生が直していたのを見てビックリしたことがあります。
結構普通のことみたいですね。
548日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:33:20
>>541
あ〜、それウソだよ
琉球支配時代に奄美文化を琉球文化で塗り潰すために、琉球王国が与えて名乗らせたのがスタート
一文字姓はその時点では名家に与えられたので、その証としてそのまま姓を捨てなかった
もちろん薩摩藩から士分に取り立てられた者の中には、希望して二文字姓を拝領したケースもあるが
そもそも鹿児島本土にだって昔から一文字姓があるのだから、区別するためなんて無意味だわ
549日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:25:06
〜@十周年ってこたぁ、板はニュース速報+か
+民かよ、ますますキメえな奄美会
あんなとこでウヨサヨ云々やってるなんて想像するとリアルできもい
550日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:45:45
>>549
やってるのは根っからの奄美人じゃなくて、島外からの移住者だろうなぁ。
奄美の人間はこういう過去の遺恨はあまり気にしない。
つらい過去や遺恨は、飲んで唄って笑って洗い流そうってのが奄美の気風。
551日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:25:52
そうかなぁ。与論島クオリアとか「あまみ庵」とかのブログ見てると文句ばっか言ってるけど。
552日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:42:59
>>551
奄美は徳之島以西で別物だと考えた方がいい
沖永良部から沖縄側は奄美といえども、心情的にも文化的にも琉球圏だよ
一方、奄美群島・喜界島・徳之島は琉球王国の奄美侵攻以前は、長く『あまんゆ』と呼ばれる
独立独歩の時代があり、琉球による侵略にも激しく抵抗した歴史がある
あまりにも奄美の文化や気風を見くびりすぎ
やるべき事は奄美を被害者認定して謝罪する事ではなく、彼らの血と汗を流して生産した黒糖が
やがて日本を明治維新へと動かしたという事実を認め、讃える事だと思うが
黒糖という財源が無ければ薩摩は動けなかった
薩摩の偉人と同列に奄美の民を賞賛することこそ正しい奄美への評価だと思う
彼らは被害者意識と遺恨の沼に堕ちる事なんか望んでいない、もっと自分達と島に誇りを持ってるよ
553日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:18:03
>>552
西郷厨工作乙
554日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:27:26
>>553

こういう時は『会津恨厨乙』と返すべきなのかな?

どうしても奄美の人間を、被害者意識と恨精神の沼に沈めたいんだね
彼らはもっと自分達の島や文化に誇りを持っている人達だよ
自分と同じだと思わない方がいい
555日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:47:41
俺は当然地元がお膝元なので官軍支持者で
会津は自業自得だと思ってるが、
西郷の鹿児島での絶賛には首をかしげる。
無知だなあと思ってるよ
556日本@名無史さん:2009/11/20(金) 18:57:13
>>555
>525が一言も西郷などと言ってもいないのに、すぐに西郷の名を出したがる恨民族乙。
そんなんだから他人を恨一族の仲間に引き込みたくなっちまうのさ。
557日本@名無史さん:2009/11/21(土) 00:11:00
鹿児島人もすぱっと認めて奄美に謝罪すればいいのにね。
現状鹿児島が没落していて、人気面でも沖縄や奄美に大差付けられて、
精神的に認める余裕が無いのかな?
ま、薩摩藩や西郷を否定してしまったら何も残らないから土地だろうからな。
意地でも認められないか。
558日本@名無史さん:2009/11/21(土) 09:40:56
>>557
俺は父親が龍郷の秋名出身で、小学までは俺も奄美にいた奄美人なんだが?
お前は奄美を何か勘違いしてないか?
559日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:49:03
??
560日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:56:00
「与論島クオリア」ブログ見てると、与論島や沖永良部あたりは鹿児島意識を持つ人も多い奄美・喜界島・徳之島を、
なんとか琉球側にひっぱるためにも昔の薩摩被害を強調してる感じですね。
561日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:35:17
> 鹿児島意識

奄美の人も洗脳されてるの?
562日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:38:19
緑健児も“薩摩隼人”?
563日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:59:47
モノホンの奄美はえ人だろ?
564日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:42:01
>>561
そりゃ琉球による支配はわずか40年弱、それ以降は薩摩→鹿児島だもの
しかも距離的にも文化的にも奄美は沖縄と鹿児島の中間点
どちらに帰属意識を持っているかは明白だわな

まぁ、それ以前に『奄美は奄美』だろうがね
なんせ期間が一番長かったのは奄美独立時代だからな

どのみち奄美の人ってのは被害者意識に凝り固まる人達じゃないし、自分達の文化や島に誇りを持ってるよ
565日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:55:37
そ、ブログで文句言ってんのは一部の精神〇患者。
566日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:18:27
鹿児島人としてはそう思いたいところw
567日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:37:34
島津家伝来の黒漆太刀はすばらしいな!
568日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:15:56
なんで、「奄美の人は鹿児島の人間を恨んでるはずだ」と思い込みたいんだ?
両親や親戚からも島津に対する恨み言なんか聞いた事も無い
昔は昔、あっけらかんとしてるよ
普通に西郷さんも尊敬しとるしな
569日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:46:12
だとすると一昨日、南日本新聞で奄美を舞台に鹿児島と沖縄とかの交流宣言に
過去の搾取・差別を語ってないから中止要求とかしてる奄美会は、ごく一部なんか?
570日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:25:35
>>569
徳之島の仙田さんね
学校勤めの人で左よりかなぁ
はっきり言って大多数の人はドン引きしてると思うよ
そもそも奄美の歴史をアピールしようって小団体の集まりだったんだが・・・

まぁ琉球侵攻のもう一方の当事者である奄美をスルーされたら気分悪いわな
そこんとこ煽られたかねぇ
571日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:01:38
奄美人はあまり根に持ってない と言うか
知らないし〜w


こういう所はサスガだね
572日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:48:26
島津なんてただの蛮民一族だろ

敵前逃亡に大量虐殺、差別など普通は恥でしかないことを美学化してしまうアホの集まりだろ
573日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:06:00
奄美の大部分の人がもはや恨んでないというのが事実だとしても
収奪の史実を葬って無かったことにしてしまうのはどうなのかな?
薩摩のいい部分のみ見て育っても、どこか歪んだ人間になりそうだが。
574日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:41:22

つうかすでに歪んでるかも。

前も書いたが、鹿児島人というのは想像力が乏しいから
自分たちがかつてこんな酷いことしていたというのも
想像できないのかもしれない。
それプラス「議を言うな」精神の悪用。
都合の悪いことには「議を言うな」で対応する以外の発想が無い。
それか黙殺。

「奄美の人ももはや根に持ってない」とか、
だから「議を言うな」ということでしょ。

「昔のことを言ってもお互いプラスにならないよ
 未来志向でいきましょう」 ということでは決してないと思う。
575日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:53:30
>>567
あれは現存する鎌倉時代の太刀で一番状態が良いな
石突や責め金に施された十字紋様も素敵だ
576日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:27:09
1609年に樺山が奄美人ぶった切った太刀かも。
577日本@名無史さん:2009/11/22(日) 07:49:25
こういうのが恨民族ってのかあ

確かに在日とよく似てるわ
578日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:02:31
300年間もの長きに渡って徳川に恨みを抱き続けたどこぞの南方蛮民種族藩のことですね

→恨民族

確かにすぐ上の某半島国家とよく似てるわw
579日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:13:36
ていうか、島津の先祖は惟宗氏=秦氏で渡来系だもんな。
580日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:30:57
みんな調べるといいけど島津氏は江戸時代でも「八公二民」の年貢だよ。
苛烈だねぇ。
581日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:47:06
勝てば官軍。島津の蛮民っぷりが現れてる言葉ですね。自分達の都合の良いように事実を書き換えて来たから今の鹿児島県人はアホばっか。
582日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:51:52
>>581
あんた相当キモいよ
583日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:52:08

薩摩のおかげで日本語話せるようになった土人
584日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:01:44
早く北に帰れ
585日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:33:30
九州男児って自らの非は潔くみとめるイメージだったんだが・・・

おなごの腐ったやつとは、自分たちのことじゃん。
586>>580 ◆2rOnIWGJyR5k :2009/11/22(日) 11:16:45
俺は会津厨ではない中道だけどさ、
島津が「八公二民」で年貢を苛烈に取り立てたから
維新起こした西郷が大英雄になって、島津は
「ああ、昔殿様だった人か」という程度の地位に成り下がったんだと思う。
587日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:10:26
>>586
それは違うだろ。
維新当時の西郷はあくまで鹿児島士族の旗頭で、
普通の農奴は蚊帳の外。
島津藩にかわり士族の私学校にあいかわらず搾取されていたと思われる。

西郷が英雄化、神格化されたのは西南戦争後でしょ。
なんせ鹿児島は士族の数が多いから
西南の敗戦後も元士族による県の利権支配は続いた。
そして元士族が自分らを正当化するために
郷中的な洗脳教育を元農奴層まで拡げたと思われる。
その過程で西郷を御本尊化させていったと思われる。

西郷は偉い

ゆえに維新、西南で西郷に付き従った士族は偉い


それが今はちよっと拡大変形して

西郷は偉い

同郷の自分たち鹿児島人も偉い
588日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:57:29
>>587
そのとおり。自分達がやったことは偉いとこじつけて疑わない薩摩のアホはスゴいですね。蛮行だらけなのにね。だから鹿児島県人はカスしかいないんだよな
589日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:13:24
八公二民から救ったのは大久保ら政府側だからなw
なのに救ってもらった一般鹿児島人までが大久保を裏切り者扱いw
大久保のお母さんは石を投げられたりの残忍なイジメに遭い、
鹿児島にいられなくなって東京の大久保のもとに身を寄せたと聞いた。
とことん洗脳民族だよ。
590日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:30:50
特攻隊もあったしな
591日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:49:16
やったこと北朝鮮と一緒だしな。薩摩誅は国に帰れ。
592日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:10:51
在日と会津厨が大増殖してんな
まさに恨民族ホイホイなスレ
593日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:17:01
>>592
在日と会津の話なんか出てないのにw
さすが洗脳蛮民一族w
594>>580 ◆rVpF4EE8kN6G :2009/11/22(日) 16:39:04
確かに薩摩や会津を見てると百姓や町人であっても
僅かのパーセンテージしかいない士族の意向に無理矢理沿うようにするよね。
薩摩では過重年貢・黒糖収奪など色々されて、会津なんて畳み持って矢雨の中
人柱にされたのにな。身分コンプと偉い人にあやかろうとする根性なんだろうな。
595日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:53:52
鹿児島銀行てどうなん?
行員は鹿児島ではえらいエリートあつかいなんでしょ。
今でも元士族以外は採用しないとかあるのかな?
南日本新聞、あと地元のテレビ局も。

公務員やJR、NTTなどもエリートでなくても以前は元士族でないとなれなかっんでしょ?
596日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:59:22
県民の4割が元士族で、明治以降も高い教育を受ける機会が多かったのは士族だったから、
どの組織でも士族の占める割合は高かった。
597日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:10:26
4割ってことはないと思う。
2.5割ぐらいかと思う。
598日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:17:03
明治の調査で確か26パーセントが士族。ただその多くが東京に移住したので戦後は2割以下。
599日本@名無史さん:2009/11/22(日) 20:39:00
4割とか信者が必死すぎるw
600日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:34:40
四人に一人が武士だった、と、よく言われてますから。四という数を勘違いしたんでしょ。
601日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:56:32
四人に一人が武士って、よく考えたらすごいな。
40人学級だったら、同じクラスに10人も武士の子孫がいるってことだぞ。
602日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:07:27
だから今は2割以下だってば。まぁ女系入れて母の母の母の母の父が武士だったとか
入れれば4割かもな。
603日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:18:54
武士つうか士族な。
幕末の薩摩の人口が35万人。
26%だと9.1万が士族。
これは女子を含めた数だろうから、
実際の藩士に相当するのは半分の約4.5万人。
たしかにこんなもんでしょ。
薩摩の場合は、普通の藩では士族にカウントしない足軽や朝鮮人陶工といった
グレーゾーンな人たちも目いっぱい士族にカウントしてそうだがな。

戦後2割以下に減ったということは(何の戦後か分からんが)、
家族含めて少なくとも1.5万人ぐらいの士族が東京などに移住したのだろうか。
単身赴任もいるだろうから1万人ぐらいの男の元藩士が出てったんだろうな。
元藩士の4人に1人が東京などで軍や警察、官職についたことになるな。
西南戦争では士族軍6千人が死んで減っているのと合わせれば
だいたいこんな数字じゃないか?
604日本@名無史さん:2009/11/24(火) 12:04:03
鹿児島では元士族の地位は今でも高いんじゃないか?

知人(父方が鹿児島出身で士族)が、20年くらい前に家族で鹿児島の元郷里を訪れたら、
道でバッタリ会った古老の方々が、その場でいきなりひれ伏して、とにかく驚いたそうだ。

銀行、逓信省(今のNTT)は、特にそれなりの元士族でないと採用されなかったと聞いた事がある。
多分、安全、機密の観点からかな。あと、皇宮警察とか。
一般的な元士族は、普通の公務員(市役所とか県庁)とかなんじゃね?
605日本@名無史さん:2009/11/24(火) 14:28:39
>>604
俺んとこ元士族だけど別に。家格の問題もあるけど
現代じゃ庶民と横一線ですよ。
606日本@名無史さん:2009/11/24(火) 21:43:41
家も父方は百姓、母方は士族だけど今時そんな事気にするような奴はいないよ。
奄美差別とかも同様。
607日本@名無史さん:2009/11/25(水) 11:29:15
鹿児島では士族は城下士(人口の1割)以外の郷士も明治に士族扱いになったんですか?
608日本@名無史さん:2009/11/25(水) 12:37:15
鹿児島は士族が多いけど、家格がものを言うよ。
昭和20年代頃までは、士族&家格で>>604のような感じだったそうだ。
この場合、郷士じゃなくて城下士があてはまるだろうな。
領地没収で先祖からの領地を失った士族(家格が高い)も多いけど、
戦前を知ってる世代なんかだと、やっぱり敬意を感じたりしてるみたい。

あー、それと鹿児島の家格の高かった士族の家って、けっこう神道の家が多いな。
そういうものなんだろうか。
609日本@名無史さん:2009/11/25(水) 14:10:02
尚古集成館でも以前出してた薩陽武鑑には百あまりの武家が出てる。
本当の意味での士族はこれだろ。島津はもちろん新納(にいろ)、樺山、北郷(ほんごう)、川上などの異姓分家と
伊集院、種子島、菱刈、調所、平田など家老家が載ってる。
610日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:57:19
調所はちょっと違う気がする。

少なくとも大戦後くらいまで、ある程度の格の家だったところをザックリいくと
町田、小松、伊作、今給黎、弟子丸、原田、長野、肝付、大隈あたり?
611日本@名無史さん:2009/11/25(水) 16:26:58
調所は、お由良騒動とか小説「南国太平記」の影響で墓イタズラされたりしたそうだからな。
弟子丸は下級武士だろ。薩陽武鑑に出てないぞ。
612日本@名無史さん:2009/11/25(水) 16:44:18
俺が以前住んでたとこ(東京葛飾区)の近くには樺山料理学園というのがあって、経営者は結構地元の名士ぽかった印象があるけど、薩摩藩士族の樺山氏なのかな?

ちなみに何の因果か今俺が住んでるところは、
↑で挙げたのと旧姓がおなじなご存知、故・正子さんちの近く(東京多摩地区)。

最近、やたら混んでんだ、あの辺w
613日本@名無史さん:2009/11/25(水) 17:00:30
白洲正子の樺山大将家は本家・樺山家老家(樺山久高・樺山主税)から見たら分家。
まあ幕末に活躍して爵位もらった家はもとの家から見たらほとんど分家だが。
614日本@名無史さん:2009/11/25(水) 17:11:08
薩陽武鑑ってみたことないから、見てみたいなぁ・・・。

>>609さん、ちなみに>>610さんが挙げてる弟子丸以外は載ってるんですか?
薩摩の歴史とか、名家って、幕末あたりでまぜっかえしみたいになってて、
本当の由緒ある家と、名前的に有名って家があるから、実際の由緒ある家がどんなのだか知りたい。

爵位もらってなくても、そうそうたるお家柄って山ほどあるだろうし。
615日本@名無史さん:2009/11/25(水) 22:52:53
幕末は家格が低い士族が大いに活躍したから、
家老格だった家々は埋もれちゃった感があるねorz
自分も薩陽武鑑見てみたい。
まだ入手可能かな?
616日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:00:24
薩摩の島津四家とか家老格だった家は、
藩主が変わると、新藩主が近親者を養子に押し込んで乗っ取るという、
そういう利権のイメージしかないな。
617日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:10:37
その乗っ取りの一手かもしれないんだけど、家老格とかその次くらいの家格の家って、
結局、島津家の血がなんらかの形で入ってると聞いた事がある。
正式な養子はもちろんだが、藩主の娘ら(母親の身分が低いなど)がかなりの数嫁ぐ形で
血縁関係ができてるんだと。
よく考えれば、確かにそうだよな。
50人以上子どもがいたりするわけだから。

そういや昔婆ちゃんが言ってたが、磯御殿の上のほうは、家老格の別邸(山荘?)があった所で、
磯御殿の警備の意味も含んでたそうだ。
上って言ってたから、吉野とかかな。
618日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:00:07
磯御殿の上は花倉(けくら)と言って天保期に調所が総奉行となって屋敷を作った。偽金製造の噂もあり
人を近付けなかった。その調所も嫡男嫡孫は島津分家から嫁もらって(押しつけられて?)血縁支配完了。
619日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:18:08
>>617の婆様がおっしゃてた磯御殿の上っつうのは、磯御殿の中の川を上流に上ったあたりで
つまり吉野の中別府(?今もこの地名あるんかね?)とかあたりのことジャマイカ?
あの磯御殿は背後の断崖が守りになってるが、唯一あの川だけが弱点ということで、
古参の家臣達の山荘を上流に配置したと聞いた事があるが。

花倉は上っつうより並び?にならんかね?
もしその吉野の上のほうだったら、もう随分前だが史跡かなんかがあって
オリエンテーションのチェックポイントだったような微かな記憶。
620日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:41:22
中別府の更に上が花倉なんだよ。
中別府あたりは昔は鷹狩とかの御狩場で、家老たちも山荘というか狩のための小屋持ってたと聞いたことあるけど・・・。

621日本@名無史さん:2009/11/26(木) 01:11:01
上でも並びでもなく磯御殿の中の端にある秋成荘という平屋の建物の背後。
そこの裏山に通じる朽ちかけた石段が秋成荘の脇にあって俺はそこから登った。竹やぶの中に石作りの
廃墟と弘化四年調所笑左衛門と掘ってある石灯籠がいくつか転がってた。
622日本@名無史さん:2009/11/26(木) 01:18:26
ちょい訂正。秋成荘の背後の裏山の上というべきかな。
天保改革成功で一番金かけた屋敷だったそうだから復元したらおもしろい。
ただ転がってる石灯籠がスゲー不気味なオーラ出してたよ。
623日本@名無史さん:2009/11/26(木) 01:27:22
へぇー、そうなんだ!
面白そうだな。調所が絡むと雰囲気増すw
かなり不気味そうだな。

>>620
中別府とか伊敷とかは、島津家及び古参の家臣の領地で鷹狩りの舞台だな。
市役所か県庁かに資料あると思う。
624日本@名無史さん:2009/11/26(木) 01:43:27
少なくともハイキングするくらいの格好してないと行けない。
台風で倒れた木々とかそのままだし草ぼうぼうだし蜘蛛の巣とか蛇とかね。
625日本@名無史さん:2009/11/26(木) 01:55:36
石灯籠が転がってるくらいだったら、調査研究されてないのかな?
島津家関係は、細かいところが明らかになればなるほど面白い。

そういや↑の武家で名前が挙がってた長野家。
バブルの頃だったが、京都の堀川あたりに長野家ってあって、
そこの人が「ご先祖は鹿児島らしい」とか言ってたな。
堀川って島津家関係多かっただろうから、↑の関係かもな。
島津家のスケールがゆえだろうが、ホント全国あっちこっちとどっかで繋がってるな。
626日本@名無史さん:2009/11/26(木) 11:51:56
島津は秦氏。ルーツはユダヤです。
627日本@名無史さん:2009/11/26(木) 11:59:59
そもそも花倉屋敷は薩英戦争の時、高台で目立ったんで標的になってしまったそうだ。
是非、復元して欲しい。
628日本@名無史さん:2009/11/26(木) 12:29:31
>>608
小松帯刀の葬儀は神道蔡だったんだよな。

>>625
長野家ってのは、そこそこ由緒あるんじゃなかったか?

昭和一桁世代の爺さんたちの名前で、鹿児島出身で
「忠」「親」「家」「実」「久」なんかが名前についてると、
たいていは、元士族(家格高い)なんじゃ?

「隆」とか「盛」は西郷どんへの思慕だろうがw
629日本@名無史さん:2009/11/26(木) 12:36:49
今給黎はやっぱりあの・・・???
630日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:02:57
薩陽武鑑掲載姓・島津、新納、樺山、北郷、桂、喜入、町田、大野、吉利、伊集院、種子島、えい、ねじめ、入来院、比志島、肝属、菱刈、諏訪、川田、畠山、鎌田、伊勢、市田、義岡、山岡、末川、川上、郷原、山田、平田、高橋、仁礼、二階堂、名越、小林、北條、本田、
631日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:11:00
つづき 相良、堀、小笠原、市来、河野、赤松、渋谷、宮之原、関山、岩下、上野、猪飼、調所、三崎、倉山、村橋、谷川、西、亀山、土持、迫水、高崎、大島、若松、寺山、大田、てとこ。  西郷、大久保、今きいれ、長野は無い。
632日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:15:55
>>630>>631
ありがd。

長野は確か畠山だったな。
寺島宗則の実家も長野だったか。
633日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:26:09
小松も「ねじめ」で出てる。
634日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:37:48
明治になって苗字つける時、村の西に住んでるから西とか、川の上流の方だから川上
とつけたのもいるから全てが士族とは限らないけどな。
635日本@名無史さん:2009/11/26(木) 13:55:12
だな。>>634
肝心なのは姓氏の流れがあるかどうか。そこがそれなりの士族かどうがの分かれ目。

今、ふと妄想wしたんだが、
畠山系列の長野だった場合、長寿院盛淳からドンドコ行って
長野業正まで行ったりすると面白いんだけどなw
畠山だったら、長野重清から畠山重忠って路線のほうがアリかもしれんがw
島津で侮れんのは、なんてことなさそうな家が実はあっと驚きの繋がり持ってたりするってところだから、
ちょっと妄想してみたw
636日本@名無史さん:2009/11/26(木) 14:12:23
島津の血脈支配は本当なんだと実感したことがありますよ。
知人(女性)が島津家家臣の末裔なんですが、気の毒なくらい篤姫にそっくりです・・・。
島津家の血が入ってる人たちは、どこか通じる特徴がありますね。顔立ちに。
637日本@名無史さん:2009/11/26(木) 15:21:42
篤姫と調所で思い出したが三十年前にNHKでやったドラマ「風の隼人」は篤姫なんかよりよっぽど名作。
斉彬も単なる名君でなく調所も単なる悪家老でなく、それぞれ光と陰を織り交ぜ
不気味さも加味したもの。
638日本@名無史さん:2009/11/26(木) 17:31:12
>>635
畠山&本田コンビは島津家家臣の長野家のルーツだったよね?
吾妻鏡にまで出て来ることを考えれば、スゴイっちゃスゴイですね。
義経と共に後白河法皇に名乗りをあげるなんて、戦国武将多しといえどもなかなかいないね。
639日本@名無史さん:2009/11/26(木) 18:01:05
鎌田もけっこう凄い。
640日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:10:49
島津家初期のころの武将なんて、ほとんど関東からだからな。
残念なのは、相当の由緒があった家々なんて、勢力争いで力を失ってしまって、
結局、そこそこのところがじわーっと残ってるんだな。
641日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:39:06
>>637
風の隼人・・・・30年前?
記憶が無い。鹿児島関係はかなり欠かさず見てきたんだが。
役者は誰がでてたか覚えてる?
642日本@名無史さん:2009/11/27(金) 01:01:01
Wikipedia見てね!
643641:2009/11/27(金) 01:06:46
あ、ゴメン。つい尋ねちゃって。
見たよ。
夏目雅子に南田洋子・・・。
なぜだかすっぽり抜けてたなぁ。
また再放送あるといいな。
ありがとう。
644日本@名無史さん:2009/11/27(金) 01:32:17
「風の隼人」はサスガ市川森一の脚本と思わせる素晴らしい作品。鹿児島でだけでもKTSあたりでなんとか
再放映して欲しいな。ものすごく感動して鹿児島人である自分の立ち位置をマジで考え込んでしまった。
645日本@名無史さん:2009/11/29(日) 19:46:07
「風の隼人」は去年時代劇専門チャンネルで再放送してた
DVD化はされてないから再放送リクエストする方が早いかも
646日本@名無史さん:2009/11/30(月) 15:28:31
本田とか酒匂とか猿渡とか鮫島とか
647日本@名無史さん:2009/12/18(金) 17:30:36
今日の南日本新聞によると鹿児島の小中学生の体力が全国平均を下回ってるそうだ。
学力も年収も平均を下回ってるわけで、これでは島津やら西郷やら昔の自慢話ばかりなのもうなずける。
648日本@名無史さん:2009/12/19(土) 00:41:38
たしかに鹿児島って江戸期より何もかもがしょぽくなってる感じ。
こんな地域、鹿児島だけじゃねえか?
必死の薩摩自慢も他地域の人間から見ると
薩摩と今の鹿児島がまったく結びついて認識されてねえんだわ。
残念ながら。
649日本@名無史さん:2009/12/19(土) 13:12:25
>>648
明治になって実力者は
皆 東京行ったり、西南戦争で亡くなったうえに
西南戦争後 しばらく朝敵だったんだから。
650日本@名無史さん:2009/12/19(土) 17:00:35
鹿児島が没落してるのは薩摩時代の精神性を精算せずに引きずってるからだろうな。
薩摩内の革新勢力は新政府に行っちゃって、
保守的な精神性だけが批判にさらされることなく残存しちゃったのが今の鹿児島かな。
651日本@名無史さん:2009/12/19(土) 18:46:01
知ったか乙
652日本@名無史さん:2009/12/20(日) 02:12:28
現実見ようよ。過去には生きられないよ。
653日本@名無史さん:2009/12/29(火) 21:54:43
今日放送分のなんでも鑑定団に島津家の末裔(の嫁)という方が出演していたが
・義父は先祖からの資産で大金持ち(でも爵位餅ではないっぽい)
・義兄が趣味の陶芸に走ったためその資産を全部パーにしてしまう
・夫が友人の連帯保証人になってしまったために更に2000万円の借金を背負う
・夫の名前は「島津忠誠」(もしかしたら義兄の名前だったかも)

うーん、どの系統になるんだろ?
画像では島津斉彬の銅像がどどーんと出ていたため斉彬の子孫と勘違いしてしまう人が多そうだが
斉彬の末裔じゃないっぽい もっと前に別れた分家なんではなかろうか
654日本@名無史さん:2009/12/30(水) 00:25:08
実体は、限りなく無関係に近いのではなかろうか
655日本@名無史さん:2009/12/30(水) 00:47:11
末裔で庶民生活って多いからな
656日本@名無史さん:2009/12/30(水) 00:58:52
金払って島津姓を拝領したとか
657日本@名無史さん:2009/12/30(水) 02:20:02
関西には、江戸時代に貧乏な島津家にお金を貸して、
お金の代わりに要りもしない苗字帯刀を貰って頭を抱えた商家が、いくつかあるんですよ。
658日本@名無史さん:2009/12/30(水) 04:40:54
>>654-655
旧華族ですら、庶民と生活かわらないんだから
分家の家だったら、こんなもんじゃないの?
659日本@名無史さん:2009/12/31(木) 19:13:33
頼朝の長庶子w
信じる者は救われますってか
660日本@名無史さん:2010/01/01(金) 08:08:59
ということは、信じないものは救われないわけだな。
661日本@名無史さん:2010/01/01(金) 11:55:00
鹿児島って、起源の盗用、起源のでっちあげが多すぎまず

沖縄泡盛→焼酎の起源は芋焼酎
甘藷→サツマイモ
沖縄かまぼこ→さつま揚げ
屋久杉→薩摩杉と称し江戸に献上
英国ボーイスカウト→英国人が郷中教育をパクッた。
英語のsoysource(醤油)→soyは薩摩弁のソイ(醤油)が語源

韓国人並みの泥棒民族鹿児島人
662日本@名無史さん:2010/01/01(金) 22:31:27
天下一の悪人親子義弘

義弘は義久を追い落とそうと秀吉政権と結んだ。
義久は母が違う邪魔な弟の家久を暗殺する
義久は関ヶ原不介入の方針だったのに義弘が秀吉政権を救う為に西軍へ、挙げ句の果てに母が違う家久の子を見殺しにし大敗走し宗茂に救われる。
朝鮮出兵で義弘の子家久は自軍兵士までが朝鮮軍に逃げ込み李瞬臣に機密をチクるむほどに悪逆を尽くした。
義弘の子の家久は義久の娘を蛆虫以下の扱いにして家督を継ぎ、義久が死ぬとラッキーとばかり生活費すら援助せず飢え死にでもしろやと笑っていた。
実際に死んだら「可哀想…なんて思うわけねーだろwww」と言うほど基地害ぶり。
663日本@名無史さん:2010/01/01(金) 22:40:16
>>660
篤姫様なら日本丸ごと救って下さいます
664日本@名無史さん:2010/01/02(土) 00:15:08
>>662
マルチウザイ
665日本@名無史さん:2010/01/05(火) 11:56:37
正月で親戚筋からいろいろ話聞いたんだが・・・。
西南の役は、鹿児島に少なからず影を落としてるな。
あの時は、一族の中でも敵味方に分かれることが少なくなくて、
戦場で従兄弟同士が斬り合ったケースも多々あったらしく、
以来絶縁して、今でも親戚付き合いしてない家がたくさんあるそうだ。
666日本@名無史さん:2010/01/05(火) 19:20:58
うおーい誰ぞ小田原の役で、島津久保が小田原城のどの辺りで戦ってたか知ってる奴おらんかー?
667日本@名無史さん:2010/01/05(火) 20:08:52
>>666
巨済島だろ。
李舜臣将軍の猛攻を支えきれずに降伏するも、許されず処刑された。
668日本@名無史さん:2010/01/06(水) 15:45:37
>>662
忠恒DQN杉
ちょっと引いた・・・
669日本@名無史さん:2010/01/07(木) 02:08:31
0oooop
670日本@名無史さん:2010/01/07(木) 15:34:40
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
そして自分は贅沢三昧
671日本@名無史さん:2010/01/07(木) 15:45:20
関ヶ原で裏切って戦いもせずに

逃げ回ったのは死まずだよね
672日本@名無史さん:2010/01/07(木) 15:52:40
673日本@名無史さん:2010/01/07(木) 16:58:24
徳川慶喜曰く長州は敵対してたから許せるが薩摩の裏切りは
許さない!絶対ニダ!
674日本@名無史さん:2010/01/07(木) 17:56:24
薩摩弁のイントネーションって、よく聞くと朝鮮語にそっくりだって知ってた?
675日本@名無史さん:2010/01/07(木) 22:34:56
>>671
的中突破て逃げ出しただけなのに過大評価されすぎだよね
676日本@名無史さん:2010/01/07(木) 23:58:49
敵前逃亡な。
677日本@名無史さん:2010/01/08(金) 02:08:09
今からでも遅くない。
奄美を鹿児島県から切り離して、奄美県をつくってあげよう。
もしくは東京都に編入。
奄美が鹿児島県に付属してるのは、対馬が韓国領になってるようなものだ。
678日本@名無史さん:2010/01/08(金) 11:43:05
>東京都に編入。
これはいやだ
ミズホが早速米軍基地の移転先を奄美にするって言い出すに違いない
679日本@名無史さん:2010/01/09(土) 22:01:31
戦国時代に台頭した大名って、たいてい太い収入源を持ってるよね。
織田は堺の豪商たちを利用したし、上杉、武田、毛利あたりは鉱山から巨額の富を得ていた。
強兵=富裕とも言える。
幕末だって薩摩軍、長州軍を支えたのは関ヶ原の恨みではなく、富裕な財政であった。

ところで戦国島津氏を支えた収入源って何があるのかな?
薩摩は土地が痩せていて貧しかったとも言うが、
九州各地を転戦するのにも莫大な費用が要るわけで、
単純に貧しかったとは思えない。
当時は奄美の収奪はまだやってなかったろうし、
薩摩・大隅にはこれといって金のなる木は無いが。
詳しい人、教えてください。
680日本@名無史さん:2010/01/09(土) 23:19:46
>>679
当時はどこの大名も農本主義。
農業があれば戦えるんだよ。
日本の歴史見てみ?平安末から武士どもは、
農業以外ろくな産業がないのにもかかわらず日本全国暴れまわってるから。
681日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:01:19
>>679
島津貴久の時代には琉球貿易があったから、その資金じゃない?
682日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:25:30
681の貿易は有名だけど、
鹿児島は金の埋蔵量日本一らしいから、
昔もある程度金山あったんじゃない?
戦国時代の強国はたいてい金山銀山持ってるからね。
農業があれば戦えるというのは幻想。
683日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:47:05
>>682
領内で金山をハッケーソしたのは記録に寄れば江戸時代(寛文年間?)だったかな
それ以前は>>681の比重が大きいと思われ
684日本@名無史さん:2010/01/10(日) 07:58:23
戦国時代の金山銀山なんかたいしたことない。
黒川とか石見とかの極端に有名なのがクローズアップされてるだけだ。
その他のマイナーな金山銀山持ってたところで生産量はたかが知れてる。
685日本@名無史さん:2010/01/10(日) 10:12:47
??
上杉は越後の金山(佐渡ではなくて)の収入が莫大だったし、
佐竹や伊達も優良金山を数多く持ってました。
長宗我部も四国のいたるところで開発してました。
戦国時代は金山銀山の分捕り合いの側面もありました。
686日本@名無史さん:2010/01/10(日) 11:24:24
そういえば、大規模な鉱山ってそれほどないね。
戦国期だと甲斐・駿河・但馬・石見くらいか?
小規模なのは各地にある程度あったのかもしれないけど、
カネを生むのは別に鉱山に限ったことじゃないしね。
越後なんかは青苧で大儲けてたし。
それはともかく、武士の経済というのは米が基本。
米=人口=兵力。米=金。
江戸時代の終わりまで日本は米国家であった。
687日本@名無史さん:2010/01/10(日) 15:08:07
こりゃまた頭の悪そうな人だねw
「米=人口=兵力。米=金」
そんな眠たいこと言ってる大名はみんな織田豊臣に食われてますよw
島津だって農業収入だけで九州を席巻したとは考えにくいから、
ほかに良い資金源があったのではないか?という話しなんだが。
688日本@名無史さん:2010/01/10(日) 18:34:58
こりゃまた頭の悪いレスだことw
現実を見失ってたいして産出量もない金山にこだわってると、
肝心な田畑を取られちゃいますよw
誰も農業収入「だけ」で九州席巻したとか言っていないし。

もっとも農業収入さえあれば九州はおろか唐天竺だって征服できちゃう訳だがw
689日本@名無史さん:2010/01/10(日) 19:50:12
>>687
既出だが島津は琉球を介した対明貿易でそうとう儲けていたようだ。
薩摩の唐人町は博多と並ぶほど栄えていたらしい!
690日本@名無史さん:2010/01/10(日) 20:43:44
>>688
米は貨幣の代替品として日本全国で通用してたからな。
物を買うときに、金銀銭ではなく米を支払うことが珍しくなかった。
691日本@名無史さん:2010/01/10(日) 21:50:00
米の価値を低く見るつもりはないけど、
戦国期の大名が米以外の収入に大きく依存し、それを原資に他国を侵略していったのは明らかで、
その点を抜きにして、米さえあればみたいな牧歌的なことを言っても意味が無いと思うがな。
もしくは農本主義のスレでも立てて、そっちでやれば?
692日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:25:04
米以外の収入はあった。
一部の大名は米以外にも馬鹿にならない収入を得ていた。
が、

>戦国期の大名が米以外の収入に大きく依存し、それを原資に他国を侵略していったのは明らかで

これは珍説。
693日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:57:20
織田なんか典型じゃん。
豪商ゆすって金出させて兵を雇い、鉄砲を揃える。
上杉や武田は金山収入が年貢収入より多かったと思われ。

珍説でもなんでもないよ。
694日本@名無史さん:2010/01/10(日) 23:38:04
織田は肥沃な濃尾平野を押さえたのが大きい。
桶狭間の7年後には6万の兵を率いて上洛してるくらいだしな。
その後平定した近江伊勢山城・・・いずれも農業生産性の高い国ばかりだ。
695日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:05:21
当時の尾張と美濃合わせて100万石とする。
当時の標準的な動員力である「1万石あたり250人」という計算にあてはめると
織田の動員力は25000人。なのに6万の兵で上洛。
つまり35000人が金の力で動員されたということだよ。
696日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:20:51
かたくなに米にこだわってる馬鹿は米農家のせがれかなんかか?
697日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:34:10
>>695
ものすごい馬鹿発言w
オダは3万5000を金の力で動員したw
カネが切れたら職にあぶれた3万5000の浪人衆が暴れだすわけかw
2万5000しか自前の兵がいないのに3万5000の浪人衆ってw
オダ家滅亡w
698日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:49:45
戦国時代だと、禄も貫高だったりしないか?
699日本@名無史さん:2010/01/11(月) 07:58:16
小田原征伐のときの北条に隣接してた大名の軍役が6人役だったというから、1万石換算で600人。
文禄慶長の九州の大名の軍役が5人役だったというから、1万石換算で500人。
織田の上洛軍6万というのはフロイスの記録だけど、実数じゃなくて公称の数字だろう。
といっても織田軍には北伊勢や浅井徳川の援軍も含まれてるから、実数も相当な数になっていただろう。
700日本@名無史さん:2010/01/11(月) 08:17:21
島津が九州各地に進攻したら奴隷を掻き集めたって話
701日本@名無史さん:2010/01/11(月) 11:00:44
日本は南蛮人に奴隷を売ってたらしいな。
野蛮だ・・・
702日本@名無史さん:2010/01/11(月) 11:23:05
秀吉や徳川は、島津氏をかつての大内氏のような貿易大名と見ていたらしいよ。
703日本@名無史さん:2010/01/11(月) 11:26:10
>>702
大内に比べると、野蛮な・・・いいや失礼、未開な・・・おおと失礼、武張った家風ですね。
704日本@名無史さん:2010/01/11(月) 11:38:27
かつての薩摩は海の玄関口だし、島津一族も大河ドラマで描かれるようなぼっけもんではなかったと思うぞ。
薩摩が僻地になったのは明治以後でしょ。
鹿児島県と呼ばれるようになってから誰にも相手にされなくなった。
705日本@名無史さん:2010/01/11(月) 12:06:00
僻地は僻地だよ。
僻地だからこそ島津のようなものでも生き残れたんだ。
そして僻地だったからこそ古の雅な文化も生き残っていた。
近衛家とのお付き合いが続いていたことも大きいけどね。
706日本@名無史さん:2010/01/11(月) 12:21:19
大河で戦国島津がよく描けてるというと「琉球の風」かな。
経済ヤクザな感じがリアルだったわ。
経済ヤクザが武闘派ヤクザを従えてる感じ。
707日本@名無史さん:2010/01/11(月) 12:38:22
中世は、地方も中央も絶対的な差は無かったのかもな。
奥州や九州もそれなりの文化・経済を持って外国と直接かかわりを持っていた。
708日本@名無史さん:2010/01/11(月) 13:08:21
>「琉球の風」
義弘が死んだことになってる時点で駄目ドラマだったな
709日本@名無史さん:2010/01/11(月) 20:15:12
あのー、金に話に戻っちゃうけど、
長野金山は鎌倉時代あたりから掘られてたらしいってことで、
しかも金の産出量国内最大級だったんではないかね????
710日本@名無史さん:2010/01/11(月) 21:51:31
>>709
江戸初期に発見、幕府に献上。
ただし運営は薩摩藩が担った。
711日本@名無史さん:2010/01/11(月) 22:30:51
山ヶ野金山のことでしょ。
wikiによると鎌倉時代のもとの推定される坑道跡があり、
古くから採掘されていたと考えられているが当時の記録は残されていない、とある。

このスレの一部の人は、島津はじめ戦国武将はあくまで米をエネルギーにしてのしあがったのであり
金の力は二の次だと、どうしても思いたいようだ。
理由はまったく不明だがw
712日本@名無史さん:2010/01/11(月) 22:46:10
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E3%83%B6%E9%87%8E%E9%87%91%E5%B1%B1

これか?
どう見ても鎌倉時代の忘れ去られてた鉱山が江戸時代に再発見されただけだな。
はい残念でした。やりなおし。
713日本@名無史さん:2010/01/11(月) 23:00:20
>>712
ずっと米にこだわってる人でしょ?w
戦国大名を支えた収入が米以外にいろいろあったんではないか
という話しをしているだけなんだからさ。
なぜ粘着されないといけないのか意味不明だよw
鹿児島人ではないことを祈るだけ。
714日本@名無史さん:2010/01/11(月) 23:16:29
珍説となえて粘着してる側がなぜか被害者ヅラしてる点。
715日本@名無史さん:2010/01/11(月) 23:31:31
北条が有名だが、織田家にしても知行を米の単位である「石」でなく
銭の単位である「貫」で与えているね。
716日本@名無史さん:2010/01/11(月) 23:46:36
毛利があれだけの版図を築けたのは石見銀山のおかげという話しをNHKでやってたな。
関ヶ原で負けて、徳川に取り上げられたが、石見で貯め込んだ金が今の価値で数兆円分あり、
苦しい時にもその金には手を付けず、幕末まで残り、それが倒幕資金になったという話し。
数度にわたる戦争で湯水のごとく金を使ったはずだが、使いきれず、
毛利の殿様は新政府に資産を寄付までしている。
高杉晋作の防長割拠論? あれも妄言ではなく、それだけの経済的自信があったということだな。
717日本@名無史さん:2010/01/12(火) 00:11:00
>>715
戦国時代は「貫」が標準だったけど、
太閤検地で「石」になった。
重商主義的な秀吉が「石」とは意外だが
通貨が足りなくなったのと、普通の農民は通貨で納税するより
現物で納税する方が楽だったかららしい。
徳川幕府もそれを踏襲した。
718日本@名無史さん:2010/01/12(火) 00:28:50
秀吉が重商主義的だというのがそもそもの間違いで、
秀吉はむしろ、武家の伝統である田畑支配を強力に推し進めたんだけどね。
719日本@名無史さん:2010/01/12(火) 01:18:44
また粘着っすか?
そこまですると逆に痛々しいですよ。
720日本@名無史さん:2010/01/12(火) 01:44:57
当たり前のことを当たり前に言ってる方がなぜか粘着呼ばわりされてるが・・・。
721日本@名無史さん:2010/01/12(火) 01:51:54
豊臣家の主な収入源は、全国各地の鉱山から上納される金銀で、
ある年は金3万3970両、銀79万4150両。
荒っぽい計算をすると、一年に日本全国で取れる米(1851万石)を、
まるごと買い取れる金額とイメージすれば、わかりやすいかもしれない。
ちなみに豊臣家の直轄領は約230万石です。
それ以外にも豪商から莫大な運上金が上納されていたと思われる。
722日本@名無史さん:2010/01/12(火) 02:57:42
1両=1石?
723日本@名無史さん:2010/01/12(火) 09:15:58
一石一両で計算すると随分少ないな。
とてもじゃないけど1851万石の米を買える額にはならない。
724日本@名無史さん:2010/01/12(火) 09:24:49
普通に考えて、米だけじゃなく、金、上納金等いろんな要素があると思うんだが。
725日本@名無史さん:2010/01/12(火) 10:10:44
>>724
誰もそのいろんな要素を否定していないのに、なぜか米という文字を見ると発狂する人がいるんだよね。
726日本@名無史さん:2010/01/12(火) 12:03:10
>>725
どうしてそんなに過剰な反応するの?
727日本@名無史さん:2010/01/12(火) 12:24:36
>>726
よほど米が嫌いなんじゃね?
728日本@名無史さん:2010/01/12(火) 15:39:26
>>679
つ略奪と奴隷
729日本@名無史さん:2010/01/12(火) 16:54:38
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1143465054/374

sub乙
wikipediaからは閉め出され
戦国時代板ではフルボッコにされて
遂にこの板に逃げてきたのかw
730日本@名無史さん:2010/01/12(火) 17:27:21
1両=1石って幕末のレートじゃねえの?
戦国時代は米が格安だし、
秀吉に納入される金銀は純金純銀だろうから、流通する通貨とはわけが違うんじゃねーか?

いくら2ちゃんとはいえ、コメ廚の粘着、イビツすぎて引くわ。
731日本@名無史さん:2010/01/12(火) 18:36:21
>>730
逆だ。戦国江戸の大体の米価格が1両=1石。
幕末は米価が暴騰してレートがはね上がる。
流通する通貨が純金純銀じゃないっつたって混ざり物などたかが知れてるし。

上からざっと読んでみたが、なんつうか、アンチ米厨のほうが
火病を発症して粘着してるだけじゃねーか。
キチガイか?
732日本@名無史さん:2010/01/12(火) 20:47:52
へえ、そうなんだ。
なんか言いくるめられてる気もするが、
できれば中立的な識者の意見も聞いてみたいところだわ。
733日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:10:59
>>732
まだ粘着を続けるのか?
734732:2010/01/12(火) 22:36:21
自分で調べたよ

’室町時代から戦国時代にかけては全国的に米価は低廉で
一石=500−600文で推移していたことが様々な古文書から判明している。’
ソース http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E4%BE%A1

1両は4000文だから、1石=600文としても

1両=6.6石

さよならコメ厨。あとは勝手にやってくれ。
735日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:41:17
もう各自判断で良くね?
どっちが合ってるかなんて、だいたい想像つくだろ。
736日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:10:37
え?1両=1貫=1000文だろう?
=4000文というのはビタ銭だ。
ビタ銭基準で計算してどうすんだよw
737日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:31:02
島津久光の七男・忠済の元服の時期を知りたい

あと大久保利通に一蔵の名を与えたのは久光?忠義?時期は?
松原致遠の証言集で殿様から貰ったってあるんだがどっちか分からん
738日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:53:42
>>736
こういう計算か。
1両=1貫=永1000文=4000文(鐚銭)

室町〜戦国
1石=0.5〜0.6両(永500−600文)
1両≒2石

安土桃山〜江戸
1石=1両

739日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:29:24
結局>>721は間違ってたわけね。
終了
740日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:51:47
> 米=人口=兵力。米=金。
ってぶちあげた>>686は早めに逃亡しちゃって後は

>>724
> 普通に考えて、米だけじゃなく、金、上納金等いろんな要素があると思うんだが。
>>725
> 誰もそのいろんな要素を否定していないのに、

みたいな人しか残ってなかったんだから、>>686を案山子にした
煽りを続けても議論にならないのは当然
741日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:20:29
>>686って言ってることあってんじゃん。
武士は米が基本って、まさかこれに異論があるやつはいないだろうけど、
あくまで基本って言ってるだけですべてだとは言ってないしねえ。
こんなのに粘着してるやつはいったい何なの?
742日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:43:36
つまり

> 米=人口=兵力。米=金。

は言葉の綾だったんですね
743日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:51:17
みんなほんとは同意見なのに言葉の綾と煽りだけでここまで…
744日本@名無史さん:2010/01/13(水) 07:48:17
ひどい自演
745日本@名無史さん:2010/01/13(水) 08:05:57
>>743=>>741ってこと?
746日本@名無史さん:2010/01/13(水) 09:30:02
>>686って米が基本としながらも、ちゃんと金山や青苧の収入のこと認めてるんだよね。
こんなのに粘着してるアホはどういう思想なのか。マジで米が嫌いなだけの基地外じゃないの?
747日本@名無史さん:2010/01/13(水) 09:48:44
そりゃ「米=人口=兵力。米=金。」みたいな勇み足を
勇み足と認める勇気がなくて煽りに逃げたからでしょ
748日本@名無史さん:2010/01/13(水) 11:04:55
勇み足?どこが?武家社会の厳然たる事実だろ。

一方は当たり前のことを当たり前に言った。
もう一方は煽り粘着してまともな反論もできなかった。

優劣はあきらかw
749日本@名無史さん:2010/01/13(水) 14:07:26
なぜか粘着されている>>686
(´・ω・`)カワイソス
750日本@名無史さん:2010/01/13(水) 16:23:40
どうでもいいよ。
751日本@名無史さん:2010/01/13(水) 19:55:10
仕事とか学校とか無いの?
752日本@名無史さん:2010/01/13(水) 20:28:01
米=人口=兵力 って厳然たる事実か?

大阪の陣では、石高60万石まで減っていた落ち目の豊臣が、
金の力で10万の兵力を大阪城に集めたのを知らないのか?

兵力なんてその大名の成り立ちや懐具合でもぜんぜん違うわけで、
>>686みたいな硬直的なこと言って胸張ってたら馬鹿だと思われても仕方がないと思うぞ。

実際馬鹿なんだろうけど。

っとまあ、こういう書き込みも基地外の粘着にされるのかな?w
ま、せいぜい言い訳して楽しませて下さいな。
753日本@名無史さん:2010/01/13(水) 21:33:37
すげえ馬鹿発言。
元天下人の豊臣を例に持ち出してくる愚かさに気づかないとは・・・。
ほんと恥の上塗りだわ。
754日本@名無史さん:2010/01/13(水) 22:39:11
なんで軍役は石高に対して課されたの?
755日本@名無史さん:2010/01/13(水) 23:09:52
>>754
元々は貫高に対して課されていたんだけど?
756日本@名無史さん:2010/01/13(水) 23:20:15
あたりまえのこと言ったら「硬直的」といわれちゃった>>868
そして戦国武将より柔軟な>>752

あまりに柔軟すぎる>>752にはこの言葉を贈りたい。

「腹が減っては戦ができぬ」
757日本@名無史さん:2010/01/13(水) 23:34:37
>>754
石高とはすなわち領地の収入をあらわすから、主君がその収入に対して税金(軍役)をかけるということ。
758日本@名無史さん:2010/01/13(水) 23:40:57
>>757
まあ「御恩と奉公」からきた軍役に「税金」という言葉を置き換えるのはいかがかとは思うけどね。
759日本@名無史さん:2010/01/14(木) 07:31:25
米厨 名言集

「当時はどこの大名も農本主義
 農業があれば戦えるんだよ」

「戦国時代の金山銀山なんかたいしたことない」

「農業収入さえあれば九州はおろか唐天竺だって征服できちゃう訳だがw」

「優劣はあきらかw」

「腹が減っては戦ができぬ」
760日本@名無史さん:2010/01/14(木) 08:24:10
> 「腹が減っては戦ができぬ」

ことわざじゃないがこんな言葉を贈りたいね

「米だけ食ってたら死ぬよ」
761日本@名無史さん:2010/01/14(木) 11:27:21
>>759
どれひとつとっても全くそのとおり。
名言と言ってよいだろうな。

またもやアンチ米厨自爆。
本当にご苦労さま。
762日本@名無史さん:2010/01/14(木) 12:52:38
これは自演に入りますか?
763日本@名無史さん:2010/01/14(木) 13:20:53
薩摩人もおちたもんだ
764日本@名無史さん:2010/01/14(木) 14:01:46
だな島津家も西南戦争で西郷と滅びるべきだった
765日本@名無史さん:2010/01/14(木) 14:38:17
島津は戦国時代に滅びたよ。
766日本@名無史さん:2010/01/14(木) 17:22:56
アンチ米厨は挑戦人だろ
767日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:07:13
誰か>>737に答えてね〜
768日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:50:43
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
そして自分は贅沢三昧
769日本@名無史さん:2010/01/15(金) 13:23:33
米厨は、否定しないところ見ると、鹿児島人か。

そもそも島津ほどやっきになって金儲けに奔った大名家もあるまい。
贋金作りまでやってやがった。
770日本@名無史さん:2010/01/15(金) 17:16:52

粘着かまって君
771日本@名無史さん:2010/01/16(土) 11:17:06
>>769
系図の捏造も
772日本@名無史さん:2010/01/16(土) 12:45:45
系図の捏造はやってない大名家探す方が大変じゃんw
773日本@名無史さん:2010/01/16(土) 21:27:09
戦国時代なんてふつうに 金>>米 じゃん
だから良くも悪くも世が乱れた

徳川は農本主義と言われるが、これは諸藩に押し付けただけ
余計な力を付けて幕府に逆らわないように

米こそ武士とか言ってる奴は、徳川にとっては都合がいいだけの馬鹿じゃんw
774日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:29:08
突然ですみませんが鹿児島県人として、この頃もんもんと思ってることをぐちります。
加世田に縄文時代の遺跡もあるので、ネイティブな日本人だと思うのですけど、
大昔になぜか九州は熊祖として大和朝廷に成敗されてしまっています。
その事にも納得いかなかったけど、このごろではアンチ小泉元首相がしつこく朝鮮人認定してくるのです。
部落差別のない鹿児島の風土で育ったことが誇りでしたが、在日認定したがる人たちの白い目が気になるこの頃です。
もう、だれか助けてよという気分です。
775日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:41:19
まず、旧薩摩藩領に朝鮮集落は一つしかない。美山(旧称苗代側)の陶工一族である。
彼らは連れてこられてから武士として取り立てられたので、別に悪い身分でもない。

加世田に朝鮮集落は無いし、そもそもどこにも無い。
ハングル板・鬼女板常駐の新撰組サークルを率いている一派が、一連の嘘コピペを作り配布してきたが、
そのなかに、そういった嘘情報が含まれている。
全くの嘘なので、無視してよい。

近年彼らは小沢一郎叩きに奔走しているようだが、
彼らは嘘しかつかないので、朝鮮関連を嫌う気持ちがあっても、彼らハングル板の讒言を信じるべきではない。
776日本@名無史さん:2010/01/17(日) 01:13:29
>>775
ありがとうございます。何処の誰が嘘のコピペを拡散しているのかが解ったら天誅を下したい気分です。
本当のことを解ってくれる人が増えるように頑張りたいです。
777日本@名無史さん:2010/01/17(日) 14:56:14
最近ageで自演するのが流行ってるのかしら
778日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:18:44
嘘を並べてハングル板を占拠しているような人間には、自演に見えるのでしょう。
779日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:41:12
俺はハングル板の住人じゃねぇけど信じるべきではないのは
お前の方だろうが朝鮮人
巡回して回る前に日本語勉強してこいよ
780日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:51:17
>>779
会津が正しいだの、嘘をついて正当化を図っては、
せっかくの君の意見の全ての正当性を疑うことになりますよ、嫌韓厨さん。
781日本@名無史さん:2010/01/17(日) 16:01:02
島津は秦氏です。ルーツはユダヤです。
782日本@名無史さん:2010/01/17(日) 16:49:25
会津を筆頭に、賊軍系の国の出身者は国際政治に弱いからな。
第二次大戦中に軍部や国政を牛耳ってたやつは東条英機を筆頭に東日本出身の
連中が多い。
日清や日露とは対照的。
東国人は内輪の政治には強いが国際政治には素人を発揮している。
783日本@名無史さん:2010/01/17(日) 17:33:47
小沢一郎や渡部恒三は東北の連中だが、
今回の一件については、東京地検の手法とマスコミ誘導に、
いつも会津武士道だか清貧だかをひけらかしている
文春・読売・産経系の地域差別主義者の気配を感じるので、
今回、地検を支持する気になれない。

むしろ、日本を変えたいのなら、多少の不正を殊更に煽り立て、
政治の流れを変えるべきではないだろう。

今回は小沢一郎を支持する。
784日本@名無史さん:2010/01/17(日) 18:31:01
>>782
薩摩も賊軍系だけどな
785日本@名無史さん:2010/01/17(日) 19:08:45
吉外発見→>>783
786日本@名無史さん:2010/01/18(月) 03:49:59
>>782
たしかに昭和の軍人は東国出身者が多い気がする。まあイメージだが。

が、新渡戸稲造や福沢諭吉のような識者を出してるのもまた東国。
787日本@名無史さん:2010/01/18(月) 05:48:15
福沢諭吉って、九州だったような
788日本@名無史さん:2010/01/18(月) 05:51:57
薩摩以東は全部東国とか言いたいのかなあ
789日本@名無史さん:2010/01/18(月) 13:15:24
薩摩の島津氏はじめ支配者層は関東武士団だよ。
被支配者層はもともと隼人と呼ばれていた人々。

隼人は古代、大和民族や南西諸島民族とは習俗を異にし、
九州南端に独自の政権を持っていた。

では隼人とはいったいどこから来たのか?
最新の研究では、朝鮮半島からの難民であったという説が支持されている。

桜島の火山灰が堆積し農耕地としての魅力が無く、
大和の中央政権が管掌していなかった九州南端部に、
朝鮮半島から何らかの理由で大量の人口が移動、
土着したのが隼人の始まりであったと推定されている。

なお現在鹿児島県はこの学説を完全に黙殺しており、
隼人のルーツを科学的に求めること自体がタブーとなっている。
790日本@名無史さん:2010/01/18(月) 14:46:56
日本全国何処にでも、大陸から船でやって来るのは可能な距離だったんじゃないのかな、大昔でも。
日本の八百万の神々も大陸からやって来た人だと思ってる人もいるし。
大昔に海を渡って来られた人の数についてはたかだか知れている。
遭難して死ぬことの方がずっと多かったんだから。
日本に元から住んでいて、増えていった人たちより遙かに少ないと考えるのが自然だ。
791日本@名無史さん:2010/01/20(水) 01:33:58
>>178
永山で検索かけてたら2chのこの板にきたのでレスします。
うちは永山って苗字で先祖の明治初期の人が休兵衛って名前で(明治の戸籍謄本で確認)で、
家紋は足利の家紋。(丸に二引き(?))
女紋ってのもあって、確か十六紋菊だと思った。ばあちゃん、かあちゃんの着物に入れるんだと。

男の名前には「義」と入れるように!言われてて、爺ちゃんより前の人たちはずっと「義」が入ってる。
ちなみに俺も義が入ってる。俺も家の事なんで子供に義を入れようと思う。

・・とまぁ、とりあえず参考になると思ってレスしてみた。
792日本@名無史さん:2010/01/20(水) 08:38:40
>>791
特定しますた
793日本@名無史さん:2010/01/20(水) 10:02:43
>>789
薩摩の独自の示現流剣法とか大いに疑問だったんだよ。
あれってつまり、相手が戦闘準備を整える前に不意討ちするってことでしょ。
そりゃ実戦では大いに効果があったろうが、威張れる戦術ではないわな。

「ズルさ」を嫌う日本武士の精神性からは出て来にくい戦術なわけで、
「やったもん勝ち」という大陸的、半島的な匂いを感じていたよ。
やっぱりなあという感じ。
794日本@名無史さん:2010/01/20(水) 16:10:35
>>793
そりゃあ、始めの号令があった後妙な儀式をしていれば、
その間に攻撃を受けるのが当然。様式美を追求して儀式をやるのがおかしい。

その手の張りぼて剣法が、江戸の朱子学といっしょに広まっては日本を汚していった。
795日本@名無史さん:2010/01/20(水) 19:23:42
>>794
では薩摩は何学だったの?
796日本@名無史さん:2010/01/20(水) 19:53:31
幕末の志士といえば、陽明学ですなあ
朱子学ではない
797日本@名無史さん:2010/01/20(水) 20:03:56
室町時代から京は戦乱にあり、
山口等、地方に文化人は移住する傾向があった。

薩摩の場合は薩南学派と言い、室町時代の儒学の一大流派の拠点をなしていた。
朱子学は日本への伝来は遅かった。体系付けた教育は江戸時代からではないだろうか。
798日本@名無史さん:2010/01/20(水) 20:18:03
薩摩も基本朱子学だよ。薩南学派が朱子学だろ。

中立的に言えば、薩摩の示現流は精神論を完全に排し、
実戦で勝てばいいという剣術だからね。
一種のサバイバル術に近いかも。
だから非実戦の試合で示現流的戦術で勝っても意味がないし、
普通の剣術が張りぼてだという話しでもない。
799日本@名無史さん:2010/01/20(水) 20:22:32
つまり、実戦で>>793のようなことを主張した人間は大馬鹿者
800日本@名無史さん:2010/01/20(水) 20:36:00
>>799
中立的に言えば、あなたも十分馬鹿っぽい。
801日本@名無史さん:2010/01/20(水) 20:51:16

実戦で役立たない剣法をありがたがるのは江戸時代の太平が続いた頃から。
戦争の実感が無くなり観念的なってしまって武士も堕落してしまった。
戦場では槍や薙刀の方が刀より実践的だが、日本刀を象徴的にありがたがってしまった点は、薩摩も同じだが。

802日本@名無史さん:2010/01/20(水) 21:06:27
それはべつに堕落じゃないだろう。
幕末、多くの志士が、実戦では役に立たない剣術道場から出ていることを忘れてはいけない。
803日本@名無史さん:2010/01/20(水) 21:40:16
江戸幕府の礼法主義は、結局は世の役に立たない人間を量産してしまった。
804日本@名無史さん:2010/01/20(水) 22:11:57
はいはいw 学問の無い薩摩隼人(=リアル朝鮮人末裔w)の言い訳wwww
805日本@名無史さん:2010/01/20(水) 23:09:29
いつもの会津礼賛馬鹿か
806日本@名無史さん:2010/01/24(日) 00:12:19
鹿児島人で鹿児島で生活しながらも、何かのきっかけで洗脳が解ける人も
いると思うんだが、そういう場合、その後はどうやって生きていくの?
マジレスを希望します。
807日本@名無史さん:2010/01/24(日) 13:23:25
主語がない質問は質問として成立しない
808日本@名無史さん:2010/01/25(月) 02:10:53
>>806
まずは自問してみることをおすすめする
809日本@名無史さん:2010/01/25(月) 11:45:35
>>806
えっ 何かに洗脳されてるの?
810日本@名無史さん:2010/01/25(月) 13:58:05
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
そして自分は贅沢三昧
811日本@名無史さん:2010/01/25(月) 15:17:51
>>810
なんだ、そんなこと一般の鹿児島県民は興味も持ってないよ。どんな洗脳なんだろうとワクワクしたじゃないか〜。
812日本@名無史さん:2010/01/25(月) 15:35:02
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
そして自分は贅沢三昧
813日本@名無史さん:2010/01/25(月) 16:21:00
島津の殿様といってもいろんな人が居るんだから、下の名前も特定してくれないと困るな。
814日本@名無史さん:2010/01/27(水) 19:44:07
鎌倉時代からの守護代だからね。
815日本@名無史さん:2010/01/27(水) 19:47:32
守護だろ。
816日本@名無史さん:2010/01/27(水) 20:15:17
島津に暗君なし!
817日本@名無史さん:2010/01/31(日) 11:24:49
比較的そうですね。当主ではないけど久光もなかなかですね。
818日本@名無史さん:2010/01/31(日) 13:09:44
八公二民、奄美の拷問搾取、その時点で島津は暗君のみwww
819日本@名無史さん:2010/01/31(日) 13:11:50
西郷が明治維新を起こして精算した。
820日本@名無史さん:2010/01/31(日) 13:18:10
西郷の子孫が久光の子孫の夜伽を勤めているといううわさ
821日本@名無史さん:2010/01/31(日) 13:29:46
>>819
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。

旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。

そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
822日本@名無史さん:2010/01/31(日) 15:24:49
薩摩age
823日本@名無史さん:2010/01/31(日) 16:04:18
和楽2010年2月号
殿様が受け継ぐ、天下の茶道具 
<連載>水戸藩開藩400年記念企画 第二回  水戸徳川斎正・眞木画像

「新田」(にった)画像あります
「新田」…茶入「初花」「楢柴」と共に天下の三名物とされ、千利休が天下一と賞した

徳川眞木
「たとえちり紙の欠片のようなものだったとしても、わが家にとっては家康公がご自身で
その瞬間、実際に懐に入れていた紙のほうが大事ということ。それが価値観のすべてなんです」

徳川斎正
「だから展覧会図録の挨拶文にはいつも、ものの美しさより先に、このものを愛でてきた、
使ってきた人たちの思いや行動を想像してみてください、と必ず書くようにしています。
そうでないと、ただの、ものの展覧会になってしまいますから。…」
Download now→50秒後にClick here to start your download
○ http://www.zshare.net/download/71917271be73c258/
○ http://www.zshare.net/download/7191687716a05356/

【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 10
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1263368465/
幸の祖父について疑問。
100年前、屋号、土地、蔵がある家の人間は日本を離れない。
あの時代移民として海外に行くのは、残念ながら水のみ百姓の人達。
http://s04.megalodon.jp/2009-1027-1252-51/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/89-90
後半部分に屋号の話がでてきます (週刊文春2009年10月8日号)
http://s01.megalodon.jp/2009-1027-1249-36/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/37-53

戦前戦後の歴史に詳しい方、ぜひ鳩山幸スレに書き込んでください
824日本@名無史さん:2010/01/31(日) 18:49:36
鹿児島は奄美のことをいまだに清算しとらん。
頭下げたら負けだと思ってるみたい。
誰に負けるのか知らんけど。
825日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:25:28
明治の西郷による奄美商社でのひどい搾取や高度成長期までの結婚や就職で確かに差別はあった。
しかし江戸時代は実はそうでもなかったそうだ。実際に死罪になった人もいないし本土の農民と同じ
程度の搾取。
826日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:45:13
つまり江戸時代は斉興様、斉彬様、久光様が統治されてましたからね。
言われてるほどの搾取はなかったのですよ。
827日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:55:32
>>820
両人とも70代の今はさすがに・・・
828日本@名無史さん:2010/01/31(日) 23:04:11
島津久光の七男・忠済の元服の時期を知りたい

あと大久保利通に一蔵の名を与えたのは久光?忠義?時期は?
松原致遠の証言集で殿様から貰ったってあるんだがどっちか分からん
829日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:56:54
>>825
島民が自分たちで作ったサトウキビを舐めたら死罪だったらしいぞ。
薩摩は奄美人の中から島役人を選び
そいつらにある程度の特権や郷士格を与え
薩摩命の漢奸に仕立て上げた。
島民を分断し、島民に島民を支配させ収奪させたわけだ。
島民に島民を殴らせ、島民に島民を処刑させた。
薩摩人は鞭をふるうことなく、莫大な利益のみを収奪した。
830日本@名無史さん:2010/02/01(月) 02:19:39
舐めただけで死罪という脅しはあったが実際に死罪はいない。資料によると手枷足枷(てかせあしかせ)
はめられたり家人(やんちゅ)という奴隷身分に落とされた人はいる。
実情は同じ島民の島役人がいばって島民を余計に搾取した。
831日本@名無史さん:2010/02/01(月) 03:08:11
>>830
どうして威張るような島役人が横行したんだろうね?
疑問に思わない?
832日本@名無史さん:2010/02/01(月) 07:50:09
どうでもいいけど
奄美島民を「漢奸」にすることは不可能だろう
833日本@名無史さん:2010/02/01(月) 19:05:54
>>816
つ天下一の悪人親子義弘

義弘は義久を追い落とそうと秀吉政権と結んだ。
義久は母が違う邪魔な弟の家久を暗殺する
義久は関ヶ原不介入の方針だったのに義弘が秀吉政権を救う為に西軍へ、挙げ句の果てに母が違う家久の子を見殺しにし大敗走し宗茂に救われる。
朝鮮出兵で義弘の子家久は自軍兵士までが朝鮮軍に逃げ込み李瞬臣に機密をチクるむほどに悪逆を尽くした。
義弘の子の家久は義久の娘を蛆虫以下の扱いにして家督を継ぎ、義久が死ぬとラッキーとばかり生活費すら援助せず飢え死にでもしろやと笑っていた。
実際に死んだら「可哀想…なんて思うわけねーだろwww」と言うほど基地害ぶり。
834日本@名無史さん:2010/02/01(月) 20:13:08
今更sabのコピペかよ
835日本@名無史さん:2010/02/02(火) 13:59:17
奄美会のバカどもはその憤りを抱えたまま死んでいくといいよw
836日本@名無史さん:2010/02/02(火) 16:25:25
事実だからってファビョるな島津信者w
837日本@名無史さん:2010/02/02(火) 16:43:39
>>835
だね。
キチガイ島津家もろとも死ぬべきだね。
838日本@名無史さん:2010/02/02(火) 21:55:48
鹿児島の信者が郷土誇りすればするほど
薩摩藩時代の栄光も安っぽくなるなあ
839日本@名無史さん:2010/02/04(木) 06:37:54

秦の始皇帝と薩摩藩の島津氏とは関係があった

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/38/263.html

その関係は島津十字の家紋に表わされていた。
840日本@名無史さん:2010/02/05(金) 00:23:54
奄美の人間は絶対にこんなこと言わぬのだから島津ファンも不用意に陽動に乗るべきではない。
近年、戦国最強論争に島津の名が出てくるようになってから宿命的にこういう悪辣な方法で挑発する輩もいる。
他の島津スレを覗いて比較すればこいいったことをする者に共通性が見出せるはず。
論争は良いが、罵詈雑言になるようでは互いに良い影響は無い。双方のうちどちらかが引くしかないよ。


841日本@名無史さん:2010/02/05(金) 00:35:51
奄美の人間のほうではなく、アホ信者が挑発してんだろボケッ
842日本@名無史さん:2010/02/08(月) 00:46:13
>>821みたいな資料が出てきてるにもかかわらず
今だに西郷マンセーしてる奴ってなんなの?
843日本@名無史さん:2010/02/08(月) 00:56:31
エライ人
「百姓と胡麻の油は絞れば絞るほど・・・」
「百姓は死なぬよう生きぬよう・・・」

百姓ですらこんな扱いなんだから奄美土人は生き血まで絞られて当然。
西郷は生ぬるすぎ。そんなだから惨めに敗死するはめになるんだよ。
844日本@名無史さん:2010/02/08(月) 15:56:00
奄美の人間=奄美会じゃないからなw
沖縄で扇動活動してるバカサヨと同じ
845日本@名無史さん:2010/02/08(月) 16:55:51
まあ、東シナ海に油まくなよな特に陛下とお血のちながる高貴なお方。

今、トヨタがおちょくられてるがな。
846日本@名無史さん:2010/02/11(木) 16:42:33
薩摩藩は称えられるべき
847日本@名無史さん:2010/02/15(月) 22:25:34
その通り
848日本@名無史さん:2010/02/16(火) 07:57:41
情弱ばっか
849日本@名無史さん:2010/02/20(土) 20:31:05
>>839
光源氏
知る人は多言せず
850日本@名無史さん:2010/02/21(日) 00:15:59
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
そして自分は贅沢三昧
851日本@名無史さん:2010/02/21(日) 03:29:16
>>850
殿様の典型じゃねーか。どこも似たようなもん。
852日本@名無史さん:2010/02/23(火) 17:25:20
>>842
西郷万歳だろ。朝鮮人は西郷に対しては恨みしか持ってないからマンセーなんて思ってないよ。
西郷の地元も薩摩焼の陶工以外の朝鮮人のことは歓迎したくないと思ってる。
853日本@名無史さん:2010/02/23(火) 17:44:51
八公二民の重税は薩摩だけ。薩摩の誇り
854日本@名無史さん:2010/02/23(火) 17:49:45
薩摩にはサツマイモがあったから年貢がおもくても生きることが出来たんだよ。
855日本@名無史さん:2010/03/04(木) 14:15:57
島津の若様のところには、娘しかいないみたいだね。
ここも男系断絶か。
856日本@名無史さん:2010/03/04(木) 19:23:17
男系子孫ウジャウジャいるから、それ婿養子にして解決。
857日本@名無史さん:2010/03/04(木) 21:23:33

大石兵六が一番
858日本@名無史さん:2010/03/04(木) 21:52:23
63 : 泡立て器(鹿児島県):2010/03/04(木) 19:53:33.93 ID:smsGX5FN
先日、鹿児島市に第19代徳川宗家の家広氏が私的に来てたよ
で鹿児島の魅力は゛都会の楽しみと温泉が同時に味わえる゛らしい

日本史的にも「薩摩の懐の深さ」に感銘してたな
やっぱり島津氏の縁戚に当たる人だし、
さすが徳川家康直系の血を引く人だとオモタ
また家広氏は薩摩焼にも関心があって
わびさびの対極にあるような白薩摩の絵付けが、お気に入りらしいよ。

859日本@名無史さん:2010/03/04(木) 23:43:25
都会の楽しみって???
860日本@名無史さん:2010/03/04(木) 23:46:59
 
関ヶ原の戦い「島津の退き口」

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

島津義弘は、徳川家康の陰謀を見破っていた。
861日本@名無史さん:2010/03/05(金) 00:10:30
>>860
義弘は最初、徳川家康との関が原の合戦前の約束もあり
徳川軍に付く手はずだったのに、部下の鳥居元忠の手違いから
激怒してしまい時の成り行きで嫌々、石田三成方に付いただけみたいだね。
だから東軍と西軍の戦闘中、まったく戦闘行為には参加しなかったんだよ


862日本@名無史さん:2010/03/05(金) 00:16:21
島津って近親婚随分多いな
863日本@名無史さん:2010/03/05(金) 01:01:14
家広さんて島津の血入ってるけど家康そっくりだな。
864日本@名無史さん:2010/03/05(金) 03:28:26
いやキツネ(島津)より野ブタ(鍋島)の血が濃いと思ふ
865日本@名無史さん:2010/03/06(土) 00:38:35
鍋島は化け猫でイメージ悪い
866日本@名無史さん:2010/03/06(土) 03:24:21
西郷隆盛って何で幕末であそこまで人望があったか解説できる人いますか?
もしよろしかったら解説してください。どうしても分からないんですよ。
867日本@名無史さん:2010/03/06(土) 09:18:04
「西郷さんの人望買い」と失笑されるほど、薩摩出身者に官職を斡旋して
恩を売っていたようだ。

また、新政府高官の金のだらしなさを嘆いていたと言われるが、
山県のように自分に頼ってくる奴は可愛かったらしく、あっさり許してる。

ただ、「あそこまで人望があった」と言うほどのものでは無かったと思う。
木戸、大村、大隈あたりは西郷をまったく評価していない。

薩摩人でも、覚めた目で西郷を見ていた者は大勢いたようだし。
実弟らが反西郷隆盛だった事実からも想像できよう。

巨大な人望家西郷隆盛、というイメージは後世の人たちが創り上げた偶像という面が多分にある。
868日本@名無史さん:2010/03/06(土) 09:51:49
薩摩藩士で西郷とも付き合いのあった重野安繹のような深い人は西郷を、一見大人物に見えるが
人の好き嫌いが激しく移り気で大したことない、と書いてる。確かに奄美に対するブレでそれが分かる。
同情したかと思えば奄美商社で搾取したり牢に入れたり。
869日本@名無史さん:2010/03/06(土) 14:05:23
2ちゃんが回復したと思ったらまたスレ違い野郎の書き込みが
近代史板も復活してるからそっち逝け
870日本@名無史さん:2010/03/07(日) 11:05:55
斉彬が名君つのもウソ。苦労知らずで湯水の如くカネ使い、奄美等に対する税率と適用範囲は斉彬の時が
一番高く広く、斉興時代以上。そのくせ口先では民の為とかほざいてる。
871日本@名無史さん:2010/03/19(金) 10:03:13
そうそう。調所ら反斉彬勢力が大勢いたのも
たんなる権力闘争ではなく、斉彬という苦労知らずの人間に
欺瞞性を感じていたからだろう。

旧藩時代は西郷に反発する勢力もたくさんいたし、
今の鹿児島みたいにネコも杓子も西郷マンセー、隼人マンセーみたいな風土じゃなかったと思われる。
そんな風土から革命家は出てこない。

言論とかそういう点で、江戸時代より後退してるという珍しい土地だよ
鹿児島は。
872日本@名無史さん:2010/03/19(金) 12:47:23
>>871
それだけ、ヤバイものが在るっつう事だよ。
日本が軍事力持ってれば別だが。
873日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:16:29
なんだよヤバイものって。
874日本@名無史さん:2010/03/31(水) 10:29:18
薩摩の島津氏はじめ支配者層は関東武士団だよ。
被支配者層はもともと隼人と呼ばれていた人々。

隼人は古代、大和民族や南西諸島民族とは習俗を異にし、
九州南端に独自の政権を持っていた。

では隼人とはいったいどこから来たのか?
最新の研究では、朝鮮半島からの難民であったという説が支持されている。

桜島の火山灰が堆積し農耕地としての魅力が無く、
大和の中央政権が管掌していなかった九州南端部に、
朝鮮半島から何らかの理由で一団の部族が移動、
土着したのが隼人の始まりであったと推定されている。

なお現在鹿児島県はこの学説を完全に黙殺しており、
隼人のルーツを科学的に求めること自体がタブーとなっている。
875日本@名無史さん:2010/03/31(水) 12:57:55
>>871
それで阿久根市長みたいなのが出てくると
876日本@名無史さん:2010/04/14(水) 08:04:39
>>870
明治政府も地租で民衆を絞ったり、秩禄処分で士族を切り捨てたりしながら元手を作り
殖産興業したから日本は富国強兵出来たし、最終的には多少は民も豊かになっただろう

何事も元手がかかるだろ、斉彬の事業も民の為になる筈だった
もっとも集成館事業は薩英戦争ですぐ灰になって全然元が取れてないけどな
877日本@名無史さん:2010/04/14(水) 10:40:19
>>876
はいはい、出ました。
カゴンマが不利になると必ず出る、「他の地域も同じ」論。

他所も税金取ってるんだから、カゴンマの八公二民や奄美の奴隷労働も
べつにいいだろうという発想は画期的ですw

また、斉彬の事業が民の為になる筈だったなんて、何の裏付けも無い願望論で目からウロコが落ちましたw

こんなゴミ理屈がまかり通ってるカゴンマには嫉妬すら覚えますw
878日本@名無史さん:2010/04/14(水) 12:31:26
産業革命が起これば一般人の生活水準も上がる
こんな自明の理も分からないのですか?
879日本@名無史さん:2010/04/14(水) 13:11:00
薩摩に産業革命は起こらなかったし、
斉彬が一般人のために事業を始めたと言うのも大嘘です。
当時の鹿児島に「一般人」などという概念があったとでも?
その時点でその理屈はおかしいし、
斉彬がそんなに立派な人なら、奄美の凄惨な収奪をまずは止めさせているでしょう。
しかし実際の斉彬がやったことは、奄美の収奪の強化でしたw

後付けのゴミ理屈を「自明の理」などと言って通用するほど世の中甘くないですよ。
鹿児島では通用するのかも知りませんが。
880日本@名無史さん:2010/04/14(水) 15:55:43
最近の論争に欠けてるのは歴史人物に光と影の両方ある点。数字上は斉彬の調所以上の収奪は事実。
ただ斉彬が下級武士の登用や開明思想の流布により新時代の動きを先取りしたのも事実。下級武士の登用
は重豪・斉興の調所登用が前例になったのは皮肉だが。
881日本@名無史さん:2010/04/14(水) 16:05:32
追記。影の部分を調所に押し付け、破産状態から大変な思いで築き上げた財産を使ってばらまいた
光の部分を斉彬・西郷が独占してる歴史教育が問題。人材登用や集金システム構築、軍制改革は全て
調所が始めて幕末に花開いたもの。まぁ、いわゆる正史なんてそんなもんだが。
882日本@名無史さん:2010/04/14(水) 19:31:00
ふむ。
今の鹿児島に必要なのは重野安繹のごとき人だろうな。
俗説やら美談やら誘導やらを排して、真実の歴史を白日のもとに明らかにすること。
それで失われるような文化や風土ならとっとと捨てたほうがいい。
ま、重野のような人がいたとしても、さっさと鹿児島から逃げ出してそうだが。
883日本@名無史さん:2010/04/24(土) 22:22:01
曾爺ちゃんが生まれるよりずっと昔のことなんかどうでもいいや。
今や西郷さんも朝鮮人にマンセーされてるような時代だし。
884日本@名無史さん:2010/04/25(日) 02:58:28
>>883
歴史を忘れれば、歴史に滅ぼされる。
885日本@名無史さん:2010/04/25(日) 07:31:34 BE:723099762-2BP(0)

 
「島津の退き口」前代未聞の脱出劇

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

戦国時代、強い武将には、三種類の特徴があった。

 人情と信頼関係で、強い軍隊を維持する者。

 巧みな戦術と、技術力で戦争を勝ち進む者。

 敵だけでなく身内をも裏切る権謀・術策で支配を広げる者。

不幸なことに、日本での勝者は、最後の者だった。
886日本@名無史さん:2010/04/25(日) 10:51:11
西郷さんが朝鮮人からまんせーせれてるって何?
887日本@名無史さん:2010/04/25(日) 13:30:46
>>886
>>842がマンセーと書き込んでるよ。
888日本@名無史さん:2010/04/28(水) 08:26:40
不細工チョン島津家
889日本@名無史さん:2010/05/08(土) 14:50:55
九州がすでにチョンの地域であるかのように世論を作り、さらに九州と他の日本全国との対立構造を作ったら、
中国は今あからさまに狙ってる尖閣諸島の他に沖縄から九州までを手に入れやすくなり、朝鮮半島から台湾までも手に入れやすくなる。
とくに奄美や徳之島など多くの島を有する鹿児島は狙い目だ。ここを手に入れると戦略的に米国よりも優位に立てる。
近畿地方の方がチョンは多いが、ここは日本の真ん中の島だから占領するのは難しいだろう。
890日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:42:07
>>889
アメリカと中共が警戒してんのよ。徳之島に拘る民主党を
コイツラ日本人政党か?w
891日本@名無史さん:2010/06/06(日) 01:56:34
菅も脱小沢の演出うまくやってるつもりかもしれんが見え見え。
892日本@名無史さん:2010/06/06(日) 02:14:33
薩摩は八公二民、支配の琉球も九公一民の重税
また懐が深く不正をごまかす才能があり、暴君の島津忠恒の蛮行や
無高郷士の徹底差別は権力の力でもみ消したのである
893日本@名無史さん:2010/06/06(日) 10:39:32
菱刈久は明治5年生まれ
894日本@名無史さん:2010/06/17(木) 11:12:14
鹿児島は郷土の歴史教育が歪曲されてるんで、
鹿児島人が島津氏のこといちばん分かってなかったりする。
895日本@名無史さん:2010/06/17(木) 12:22:29
島津は秦氏。ユダヤ人キリスト教徒。家紋の十字がその証拠。
896日本@名無史さん:2010/06/17(木) 14:34:55
伊作(いざく)家島津氏。イザクに丸十字!
897日本@名無史さん:2010/06/20(日) 10:29:24
黒田長成→正室腹?
池田詮政→正室腹?
松平直亮→側室腹
山階宮菊麿→側室腹
徳川達孝→側室腹
久松定謨→正室腹
久邇宮邦彦→側室腹
徳川家正→正室腹
徳大寺伊楚子→側室腹

戸田愛子→正室腹
岩倉季子→正室腹?
島津随子→正室腹
島津秀子→正室腹
高倉久子→正室腹
島津粛子→正室腹
徳川頼貞→正室腹
898日本@名無史さん:2010/06/21(月) 01:50:42
 
島津十文字から丸の十の字へ

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/38/263.html

島津に暗君なし。だが、島津はいつしか、徳川になっていた。
899日本@名無史さん:2010/06/21(月) 16:28:52
島津は西洋だった
900日本@名無史さん:2010/06/22(火) 02:45:19
薩摩、大隈、日向の一部で77万石もあるのか??
901日本@名無史さん:2010/06/22(火) 22:57:06
大隈 ×
大隅 ○
902日本@名無史さん:2010/06/23(水) 11:59:51
IMEでは「おおすみ」と入力すると「大隈」になるらしい
って本当か
903日本@名無史さん:2010/06/23(水) 22:28:59
島津は西洋人だったみたい
904日本@名無史さん:2010/06/26(土) 22:12:33
母方が長野姓で鹿児島出身
で元士族とのことなんだが家紋は鶴みたいなのだな
親戚に種子島もがいるが、そこの爺さんによると
種子島家の先祖は平家だと言ってた
905日本@名無史さん:2010/06/26(土) 22:26:13
うちも母方が鹿児島出身で、元士族(郷士)だと言っていたが、
よく調べたら本家が郷士で、自分ちは分家で百姓だったみたいで、
鹿児島(および出身者)にはこういう自称士族が大量にいると思われる。
906日本@名無史さん:2010/06/27(日) 00:04:06
江戸中期くらいまで遡れば何百人も先祖と呼べる人がいるんだが
その内一人でも足軽ふぜいがいたくらいで士族って言うオッサンいる感じ。
907日本@名無史さん:2010/06/27(日) 04:08:52
戸籍制度が始まったのも明治から
江戸まで遡るのは直系か系図でもしっかりしてないと無理だな
特に薩摩は西南の役時のニワカ武士が多い
土豪に近いんだろうけど
長州も似たようなものだがな
908日本@名無史さん:2010/06/27(日) 18:23:05
末端の大家族農民の五男六男は未墾の地を開拓すれば士族に取り立てるという話に飛びついたようだ。
909日本@名無史さん:2010/06/28(月) 22:51:33
竹原阿久根市長キバレ!頑張れ!
910日本@名無史さん:2010/06/28(月) 22:54:41
竹原は地元の恥
そんなに彼が好きなら、君の地元で引き取ってくれ
911日本@名無史さん:2010/06/28(月) 23:01:30
住民票はかごんま市内ですがよ〜。城西にへんなエコPRの箱モノ作ったり、ムダ遣い多いから
竹原希望!
912日本@名無史さん:2010/06/28(月) 23:04:50
なら会津若松に引っ越してくれ
913日本@名無史さん:2010/06/29(火) 09:19:57
>>904
鹿児島で長野姓なら、けっこう由緒あるんじゃないのか?
幕末の有名どころとは違うが、かなりの家である可能性も捨てきれない。

島津忠久室は鎌倉武士の鑑といわれた畠山重忠の娘
畠山重忠の弟の長野三郎重清が、島津忠久に伴い薩摩入国が始まりである長野家もある。
その長野家は種子島、本田などと縁戚関係。

また外務卿の寺島宗則の生家は長野家。
長寿院盛淳も元は長野家。
全部つながってるわけではないと思うが、士族で長野家といえば
いわゆる名跡の一つだと思うが。
914日本@名無史さん:2010/06/29(火) 20:38:42
薩摩は日本の英雄
915日本@名無史さん:2010/06/29(火) 21:50:18
畠山重忠といえば、義経と共に後白河法皇に御簾越しに名乗りを上げた武将・・・・
大友興廃記によると「忠久十三歳の時に元服。畠山重忠、その冠を加え、島津又三郎忠久と号す。頼朝公の命により重忠の女婿となる」

その子孫となると・・・思いっきり名家。
長野家って・・・一体・・・
916日本@名無史さん:2010/06/30(水) 06:24:14
何を興奮してんのかさっぱり分からんが、畠山なんか田舎の土豪で全然大したことない家だ。
しかもその傍系なんて・・・
917日本@名無史さん:2010/06/30(水) 08:50:05
>>916いくらなんでもそりゃ無知すぎだろ。
畠山重忠は、戦国大名とは格が違う。
その人徳たるやその辺の大名は足元にも及ばない。
平家物語、吾妻鏡とか読んだ事あるか?
918日本@名無史さん:2010/06/30(水) 10:43:02
君たちは世界が狭いねえ
田舎武士の家柄がどうだとか
市内か市外かみたいな話しも大好きだよねえ
919日本@名無史さん:2010/06/30(水) 16:54:35
>>918
でもココ、2ちゃんだしねw
そんなことを、どーだこーだ言うのが面白いわけで。

でもさ、島津の始祖に畠山が大きく関わってるわけで、
傍流であってもその子孫らしき>>904の家も、
ただの百姓というわけでもなさそうじゃないか。
種子島と縁戚なら尚更。
いろいろつながってるらしいことが解明されていくのが日本史板の面白いところ。
920日本@名無史さん:2010/06/30(水) 19:49:07
>>916
まあ、そう嫉妬するな。
まずググれ。田舎土豪とか言ってたら、恥かくぞw
921日本@名無史さん:2010/06/30(水) 23:03:56
>>909
大室天皇や人間豚と戦う気違いが好きな奴がいるとはね。
大室天皇なんて名前を、ここのネタスレ以外で目にするとは
思わなかったよ。
しかも、そいつを二度も市長に選ぶんだから、正直言って阿
久根市は愚民であふれかえっていると判断せざるを得ないね。
922日本@名無史さん:2010/07/01(木) 00:05:19
お前こそ分かってない。本庁は少しはましだが支所なんか勤務時間中にパソコンでゲームして、暇そうなくせに
こちらの簡単な問い合わせにはダラダラか他へ回すかでろくに仕事しない小役人が高い給料でのさばってるから
ショック療法が必要だったんだよ。
923日本@名無史さん:2010/07/01(木) 00:30:15
見てきたようなうそをつく
それが竹原信者

法治主義に従わない市長は糾弾されて当然
924日本@名無史さん:2010/07/01(木) 00:35:21
おいおい、ココは日本史板だ。
政治の話はヨソでやってくれ。

とりあえず>>904のルーツ、面白そうじゃん。
メジャーどころじゃないけど、由緒ありそな長野家について
もっと詳しい人いないの?
925日本@名無史さん:2010/07/01(木) 08:25:45
薩陽武鑑に出てないから少なくとも薩摩藩・島津家では大して重用・評価されてなかったんだろう。
たとえ畠山重忠がすごくても庶流で苗字も変わってしまってればキリがない。
天皇の庶子の末裔だってザラにいて大した扱い受けてないの普通にいるし。
926日本@名無史さん:2010/07/01(木) 09:53:04
コピペで悪いが、こういうのもあった。

432 :人間七七四年:2009/09/09(水) 18:26:21 ID:wH6YrT4W
>>430
中原姓長野氏は系図紛失。
島津元久上洛時には大寺家老に並ぶ勢力があった。
指宿家中・長野宮内左衛門が嫡家で他は庶流。
譜代の家と見え、伊地知氏、本田氏に立ち並び杜役などを勤める。

平姓長野氏は畠山重忠の庶子筋。
重良の二男・長野三郎重清が島津忠久の供として入国した。

以上、『「さつま」歴史人名集』(高城書房)より

残りは>>431の書き込みを参考にされるが宜しかろう。

434 :人間七七四年:2009/09/10(木) 00:21:51 ID:QMhOSshE
かなり曖昧な記憶で申し訳ないのだが、島津家家臣で長野家といえば戦前は姶良あたりに広大な領地があったのでは?
30年近く前に、「丸に五葉木瓜」(織田木瓜?)の長野家の墓石を見たことがある。(場所失念)
鹿児島市の史跡の一つに長野家関連があったような記憶もあるが曖昧。

鹿大図書館にも文書収蔵されてるみたいだから、ある程度の家だろうね。
薩陽武鑑に出てなくても、所謂名跡という家はあるよ。名家という感じかな。

この場合、確かに傍流だが、入国の経緯、重忠と忠久の関係(室、加冠等)を考えても
島津家にとっては特別な家だろうな。
そもそも重忠の忠の字を通字にするほどなんだから。
927日本@名無史さん:2010/07/01(木) 11:35:30
畠山がすごいとかワロタw
下級武士ぞろいの頼朝の郎党の中でも下から数えた方が早いくらいの下賎の出じゃんw
928日本@名無史さん:2010/07/01(木) 12:16:08
はいはいw 嫉妬はもういいからw>>927
929日本@名無史さん:2010/07/01(木) 12:19:13
畠山はそこそこすごいけど、長野は普通の名家。
930日本@名無史さん:2010/07/01(木) 12:49:06
そうだな。>>929

鹿大の文書目録みたら、長野家の中に「種子島」とかしっかり入ってるから
>>904の爺さんの言うのは結構リアルだと思うよ。
鹿児島は元士族は多いけど、長野家は名家だよ。

鹿児島は廃仏希釈の関係で、寺の過去帳がない家が多いから、
爺さんたちの話が貴重な手がかりなんだよね。

931日本@名無史さん:2010/07/01(木) 16:33:52
旧家と名家は違うかな。
932日本@名無史さん:2010/07/01(木) 18:56:16
長野が名家ならこの世は名家だらけだと思う。
933日本@名無史さん:2010/07/01(木) 21:44:09
名家だからといって、メジャーじゃなければならないというわけじゃない。

特に薩摩のように士族だらけの土地柄の中で、それなりの由緒があるんだから名家の類に入るだろうよ。
>>905とか>>908みたいなのは名家とは言わないが、畠山傍流で忠久の供で入国なら名門だろうよ。
長野三郎重清は一の谷でも戦ってる武将だしな。重忠だけじゃなくて、重清本人も平家物語とか吾妻鏡に出てきてるらしいじゃないか。
薩摩の士族で、そんな武将は何人もいるわけじゃない。
934日本@名無史さん:2010/07/01(木) 23:08:37
家も母方の祖母の実家は川上家だけど垂水島津家の家老やってた所の分家だしなあ。
鹿児島県人は数代遡ればそこそこの旧家と繋がり有る人は多いと思うよ。
935日本@名無史さん:2010/07/02(金) 01:00:08
畠山直系クラスならば(武家としては)名門といえるかもしれないが、
畠山傍系ではねえ。しかも重忠の血統じゃないんだろ?
936日本@名無史さん:2010/07/02(金) 01:28:56
〇〇家が名家がどうか知らんが、薩摩の歴史上に名を残した武士や思想家の家系を名家としたら、その
嫡流は名家かもしれんが庶流は立場によるだろな。島津分家の川上家は嫡流と一部分家で家老の家あるが
現在は増えて、その他数百以上の家庭あって皆が名家なんて言えないし。
937日本@名無史さん:2010/07/02(金) 01:34:54
しかも、どこが嫡流か分からない家たくさんあって、以前、黎明館で関わった人によると〇〇の嫡流
かどうかは、その初代とかの〇〇の墓・祭祀を継承してることを役所の書類や寺の檀家証明など公的に
証明できる家・家系としてるそうです。
938日本@名無史さん:2010/07/02(金) 03:28:22
畠山は重忠1人が出て虚名が上がっただけで、
本来は平氏末流の武蔵の一開発領主に過ぎないぞ。
そして重忠の滅亡で元に戻った。
しかも長野がその分家。
こんなのよりは薩摩あたりではいくらでもいる島津分家のほうがよほど名門だろう。
939日本@名無史さん:2010/07/02(金) 07:51:53
いやいや、傍系とはいえ入国の経緯を考えると、薩摩の他の士族とは同列には語れないな。
忠久室の叔父であり、本人も義経との絡みもある。
750年の流れの中で、その分家ができるのは当たり前だが、
もともとの家の由緒は、他の普通の士族とは一線を画すだろう。
分家だから嫡流だから云々というより、名門一族ということだろうな。

薩摩の支配層は関東武士団なんだから、別に名門は長野家だけじゃないわけだし、
そんなに必死になって長野家名門を否定する必要もないと思うが。
名門が多いのが薩摩なんだよ。
940日本@名無史さん:2010/07/02(金) 09:25:01
>>935
この場合、かえって傍流であるほうが別の価値を持つと思われ。

このスレの諸氏なら、既にご存知と思うが、
畠山重忠嫡流は重忠の乱で滅亡。
その後は未亡人が継いだがその時点で平姓→源姓。
源姓畠山氏は、言わずと知れた名門中の名門だが、
乱の時に信濃国(畠山所領地)にいた長野三郎重清は難を逃れ平姓は残った。

武士の鑑と言われた重忠の弟であり、数々の戦を共に戦い
平姓畠山氏であり、島津初代忠久室の叔父で共に入国。
その子孫が鹿児島に残っているだけでもすごいことだと思う。

薩摩は数々の偉人を出し、名門の多い土壌だが
その根幹部分に関わる重要人物だろう。
941日本@名無史さん:2010/07/02(金) 09:41:32
そーすっと、今、はなまるマーケットに出てる薬丸クンも両親が鹿児島出身と言ってたが、大友旅人の
末裔の肝付家の分家が薬丸家だから、かなりの名家ちゅうことになりもすな。
942日本@名無史さん:2010/07/02(金) 09:56:24
まあ、長野家といっても寺島宗則の生家のほうはまた別なんだろうし、
全てが平姓畠山につながってると言ってるわけじゃないだろう。

寺島宗則を出してる時点ですごいとは思うがw

>>904のほうは、多分平姓畠山の流れだろうな。
943日本@名無史さん:2010/07/02(金) 10:05:27
鹿児島は元士族だらけだし、名が知れてる家は国人上がりだったり、権力争いで成り上がったりしてるところが殆ど。

そんな中で、平安〜鎌倉初期からつながって、頼朝からの信任厚く島津初代を補佐した家というのは稀有な存在だから、ちょっと悔しく感じちゃう元士族の末裔がいるのは仕方ないさ。
鹿児島の元士族で、平家物語に書かれてる士族は殆どいないのが現状だし・・・
944日本@名無史さん:2010/07/02(金) 10:15:31
なんだ長野家の人が自分でネタ出ししたのか。
945日本@名無史さん:2010/07/02(金) 10:25:54
何言ってんだよw>>944

>>904の種子島と縁戚の長野家ってことをベースに語ってるだけのことじゃないかw
歴史メジャーじゃなくても、コソっと由緒あるなんて面白いじゃん。
ていうか、血脈支配ドロドロ前の部分がキチンと整理されていくともっと面白いんだけどな。
946日本@名無史さん:2010/07/02(金) 10:39:56
なんで長野がそんなに有難がられてるのかよく分からんねえ。
ただの地方豪族の分家末流じゃん?
島津一門やらそのほか古い家系がわんさとある島津領内では、むしろ
長野というと格が下がる感じだね。
まあその嫡流っていうんならわからないでもないけどねえ。
どうせ分家末流の自称長野なんでしょ?

長野子孫がご先祖を殊更に称揚してるのか?w
947日本@名無史さん:2010/07/02(金) 10:41:48
>>944
そりゃ君、薬丸@はなまるを引き合いに出してきた時点で、やっかみと思われても仕方ない罠。
鹿児島の元士族なんて、成り立ちは千差万別なんだから。
初代に関わる由緒ある家もあれば、西南の役のニワカ武士の家もある。
自分としちゃ、重忠の弟が薩摩にきてくれただけでも有難い。

有名どころ好きの人もいるだろうが、歴史の細々がツボっていう人もいるわけだ。
948日本@名無史さん:2010/07/02(金) 11:38:21
重忠本人ならともかくその弟では
949日本@名無史さん:2010/07/02(金) 12:38:04
歴史好きは負けず嫌いが多いからねえ>やっかみ

楽しく語る人を子孫認定してたんじゃ、埒があかないw
んなこと言ってたら、自分なんて織田の子孫認定されちゃうww

重忠娘が忠久室で、重忠弟が忠久の供で入国なら、薩摩にとっては軽々しい家ではないな。
少なくともどうでも良い家なら、鹿大図書館に文書はないだろ。
↑でも言われてたが、薩摩の元士族で、先祖(重忠も重清も)が平家物語登場ってのは、なかなかいないわけだしねえ。

で、>>904は何処いったんだ??ww
家紋が鶴とあるが、どんな鶴?
せっかくだから、いろいろ記憶を辿ってくれ。
950日本@名無史さん:2010/07/02(金) 12:48:28
915は子孫っぽいが、長野が名家なのは確かとして、現在の当主は誰かな。
951日本@名無史さん:2010/07/02(金) 13:25:34
どの長野家かによるだろうね>子孫、当主。

ググってみると、寺島宗則生家もあれば、宮崎に重要文化財になってる長野家もあるな。
かつての名家であっても、今は絶えてる家もあるから、どの流れが残っているかってところだろう。

種子島とか本田と縁戚なら、結局はそっちに流れが移ってるということもありうるな。
>>904は「母方」って言ってるから>>904当人は当主ではないだろうw
別に本流がどーんと残ってなくてもいいから、その末端の家でも流れがつかめてくると面白いんだが。

中原姓長野家の系図紛失ってのが惜しいな。
豊前あたりとつながる可能性があったのに。
952日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:14:55
畠山重忠は庶孫が伊地知姓もらって伊地知家の嫡流になり、一時期、秩父姓を名乗ったが秩父崩れ(近思録崩れ)で
伊地知に戻した。その後、この次男家が島津貞久から島津姓賜って、こちらが栄えた。嫡流は川上から養子が入り
この次男家が畠山伊地知の嫡流扱いになった。
953日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:21:11
ちなみに畠山伊地知の十六代当主季平(すえひら)が嫡流の意識からか幕末に「秩父家帳」を編纂し
次男正治は精忠組の剣士として活躍、明治になって伯爵になった。
954日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:31:22
やっぱ・・・すごいじゃん・・・・。
955日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:44:28
さらに伊地知季平の孫娘・伊地知マスは自顕流の当主、薬丸兼文の妻で曾孫娘・伊地知ナカは家老の
調所家四代当主調所彦丸の妻。共に子宝に恵まれ現在の薬丸・調所家も畠山重忠の子孫。
956日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:47:49
名門中の名門じゃん・・・
957日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:49:48
うわ・・・
イタイスレになったな・・・
958日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:58:08
面白い流れじゃん。>>957
畠山重忠のことを田舎の土豪といってた奴は涙目だろうけどさ・・・

959日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:05:28
畠山重忠の乱は、所謂だまし討ちに遭ったようはものだから、
傍流書流がしっかり残ったわけだね。
これが本当に一族あげての謀反だったら、完全滅亡してるところだろうけど。

精忠組とか伯爵とか、全然知らなかった。
960日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:06:40
田舎の土豪であることに間違いはないぞ。
その弟の子孫なんてのはそれよりはるか格下。

ご先祖を貶されて涙目になってるやつが必死になってるようだけどw
961日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:08:45
訂正。秩父崩れの伊地知(秩父)季保自身が川上家からの養子で島津重豪から切腹に追い詰められたあと
嫡流扱いが廃され、次男家の島津姓賜ってた伊地知家が嫡流扱いになったのでした。
962日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:14:41
だから畠山伊地知は重忠の弟の長野でなく重忠の子供重季の庶子・季時(すえとき)の嫡流なんですよ。
通字で分かるだろうけど。
963日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:36:35
うんうん。そりゃそうだろう。>>962

でも畠山氏子孫がこれほど薩摩で活躍だったとは嬉しいことだな。
長野三郎重清にしたって、初代忠久室の叔父なんだし、しかもその縁組は頼朝の命で、
供入国って立場も立派なもんだよ。
種子島とつながる長野家というと、どういう家なのかはわかんないが
それ相当の家なんだろうよ。

>>960
どうしてそんなに必死になるんだ?
別に先祖じゃなくても、解明することくらい普通にあるだろうに。
>>904にしたら母方先祖かもしれないが、鹿児島にはそんなに長野姓ってないだろ?

自分としたら、重忠の庶孫つながりより、一の谷で戦った重清本人が薩摩入国ってのがちょっと感動物。

964日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:52:18
長野家が意外に凄かったから、元ニワカ武士にとっては口惜しかったんだろう。

田舎の土豪なんて言ってるところを見ると、もしかしたら畠山重忠のことも初めて知ったのかも。
965日本@名無史さん:2010/07/02(金) 16:06:11
島津家がわざわざ弟の長野重清以外に重忠本人の血筋を招き、畠山氏の本姓秩父を名乗らせたのは
それだけ畠山重忠に敬意を払っていたのだろう。しかし秩父崩れを起こしたり、お由良騒動(高崎崩れ)
関係の家に嫁いだり、家系図から歴史を見るとおもしろい。
966日本@名無史さん:2010/07/02(金) 16:25:47
長野三郎重清は、信濃に城持ってたし、
兄が非業の死を遂げた後、その娘を支える役目&島津家杜役。
本人の血筋が残ってるんだったら、それを継承させるのが役目みたいなものだろうし。
戦でも兄を支え続けてたらしいし。
あの猜疑心の塊の頼朝の信頼を得てた重忠は、そりゃまた別格だろう。
忠久を匿ったのは重忠だという説もあるわけだから。
967日本@名無史さん:2010/07/02(金) 17:13:27
畠山ってあっさり滅ぼされたよね?
残った財産もなんかよく分からない理由で足利のものになっちゃってるし。
968日本@名無史さん:2010/07/02(金) 18:42:38
>>967
そう。ただし、本家のほうははるかに格上の足利に継承されて室町幕府の管領にまで成り上がる。
いわゆる源姓畠山氏。
庶家の一つの成れの果てが今話題の長野。
969日本@名無史さん:2010/07/02(金) 20:19:07
長野厨のなにが哀れだって、長野じゃなくって兄貴の重忠を持ち出さなきゃならんとこだな。
その重忠つーのも虚名の人であるが。
970日本@名無史さん:2010/07/02(金) 22:32:09
日中の怒涛のようなカキコは一体なんだったんだw
971日本@名無史さん:2010/07/02(金) 22:54:45

いやいや、何がみっともないって、ただ長野家のルーツを掘り下げてるだけなのに、必死になって落とそうと連投してるやつだろうw

いくら薩摩がニワカ武士が多いからって、ココまでやっかみが多いとは驚いた。
平家物語に載るなんて、それこそ土豪やニワカ武士にはないことだから、嫉妬もやむなしだろうが品がない罠w

重忠は「すわ、鎌倉!」そのまんまだし、教養も高かったし、人望があった分、薩摩の田舎武士達にとっては口惜しいんだろうな。
家格が高い家の人達は、別にうらやんだりしないだろうが、元士族というだけで無名の末裔ともなればそういうものなんだろう。

972日本@名無史さん:2010/07/02(金) 22:59:08
>>970
ちょっと珍しい家の話して盛り上がってたら、妬みをかってしまっただけ。
多分、長野という響にトラウマでもあるんじゃないか?
苦手な上司がいるとか、フラれたことがあるとか。成績で勝てなかったとか。
973日本@名無史さん:2010/07/02(金) 23:07:43
横からすまん。上がってたもんで面白そうで覗いてみた。畠山の話で驚いた。

>>969
鹿児島大学図書館に文書収蔵されてるだけでも、少なくとも君の家よりは凄いんじゃないかと。

>>965
畠山は関東武士団だから、気に障るのはわからなくもないが、武士の鑑として今尚語り継がれてる英雄だよ。
滅亡したが、その滅亡の潔さがまた武士の誉れなんだよ。
神奈川あたりだと、畠山の評価はかなり高い。埼玉でも。
ちょっと鹿児島から出て、見聞を広めてみてはどうだろうか。
そうすると、あまり恥ずかしいレスをせずに済む。
974日本@名無史さん:2010/07/03(土) 00:06:51
965は畠山を評価してるレスじゃね?
975日本@名無史さん:2010/07/03(土) 01:26:02
多分、旅の御仁がうっかりレス番違いしてるんだろうww

レス内容からして(滅亡とか)>>967あたりを狙ってたはずww

976日本@名無史さん:2010/07/03(土) 08:59:27
マジでわかりやすいな。
自称畠山にやっかみとか発想が自由すぎて
某所で笑いものになってるよw
977日本@名無史さん:2010/07/03(土) 09:15:19
しかし奄美ネタ以外で、こんなにスレ進むとは、久し振り。
978日本@名無史さん:2010/07/03(土) 11:48:41
つか長野が名門とか言ってるやつ、
ほんとは畠山が名門じゃないことわかってるだろ。
だからやたらと重忠の名に頼るんだよ。
979日本@名無史さん:2010/07/03(土) 13:30:47
鹿児島の名門 = 中央の雑魚
980日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:33:23
まだ粘着してるのか?畠山叩きの奴はw

いくら関東武士団へのコンプがあるからって、かえってみっともない状態になってるから
もし鹿児島人なら、恥ずかしいからいい加減にしてくれ。無知を晒して恥ずかしい。

どう考えても、全くの無名のニワカ武士より、キチンと平家物語に登場して
京のしきたりに精通している畠山のほうが、格上だろうよw

薩摩は歴史が長いんだから、今になってわかることなんて普通にあるんだから
いちいちうろたえたり、必死にならずに知識を増やせばいいじゃないかw
なんか言ってることが田舎臭プンプンだぞw
981日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:50:10
奄美ネタで堂々めぐりより、よっぽど面白い罠w>>977
実際のところ、長野家以外にも思いがけない由緒がある家はあるだろうし、
いつも出てくるメジャー家ばかりじゃない家を掘り下げてみたいもんだ。

でもやっぱちょっと裏山。
自分の爺さんちなんて、半農半武の郷士だったみたいだから、
島津の殿様になんて会ったこともないだろう。
初代の正室の叔父だったりして、初代の供での入国が記録に残ってるんだから。
>>926によると、やっぱり名家だよな。
982日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:52:01

そもそも畠山たたきじゃなくて畠山末流の長野(w
を異常にありがたがってるやつがバカにされてるだけなんだけどね。
まあダ薩摩の下民にとってはそんなのもありがたくて仕方のない存在なんだろうけどw

もちろん畠山はただの田舎武者で名門などではありえないがw
こちらは本題ではないw
983日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:53:22
>>982>>980
984日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:58:30
>>982
お前のそういうところがズレてるんだよ。
長野三郎重清は畠山重忠の弟で、しかも一の谷、奥州攻めも戦ってんだから。
どうでもいい田舎武士なら、頼朝の命を受けるわけないし、そもそも姪が忠久の正室になることもない。

・・・・とまあ、何度も言ってもわかんない奴だから、とうとう、ただの嫉妬粘着って言われ始めたんじゃないか?
985日本@名無史さん:2010/07/03(土) 16:16:34
>>984
お前の言ってることが頓珍漢なんだよ。
長野は畠山の分家に過ぎないし、一の谷や奥州征伐に参加した武士など腐るほどいる。
頼朝の命を受けた武士たちのほとんどは大した家柄もない田舎武士たち。
考えても見ろよ。当時は頼朝自身がただの中級貴族(流刑中)だったんだから。
主君の忠久にしたって大した家柄でもない。姪が忠久の正室になったっていっても、
畠山重忠の娘が正室になったのであって、長野某の姪だったから正室になれたのではない。

こんな単純なことも理解できないで暴れてるからバカにされてるんだよ。
986日本@名無史さん:2010/07/03(土) 16:31:46
あの〜、そもそも名家の定義が違うから噛み合わないような。
島津家は一般的に名家だから、その初代との関わりあった畠山(つまり伊地知嫡流)や長野は
そこそこ名家でいいような気がするんだけど。
まぁ島津、西郷、大久保と家老の家以外は名家じゃない!とか言う人もいていいけどさ。
987日本@名無史さん:2010/07/03(土) 16:43:11
あはは!お前、とりあえず年表でも見直してみろよwwww>>985

無知通り越して、間違った覚え方してないか?社会科は何点もらってた?
時系列むちゃくちゃじゃんwwww もう腹イテ〜ww

一の谷、奥州に参加した武将は山ほどいるに決まってるじゃん。何万騎とかの単位で。
でもきちんと平家物語、吾妻鏡に列記された主要武将で、なおかつ薩摩入国してる奴は少ないって話だろ。
いくら妬ましいからって、トンチンカン過ぎ。みっともねえ。
988日本@名無史さん:2010/07/03(土) 16:57:18
畠山所領地である信濃国の長野家といえば、それはそれで名門中の名門・・・という件。
989日本@名無史さん:2010/07/03(土) 17:13:43
びっくり歴史認識が現れた!
長野は頼朝傘下の主要武将だった!!

田舎土豪の分家が没落して薩摩に流れていきました。
ちゃんちゃん。
ただそれだけのこと。
990日本@名無史さん:2010/07/03(土) 17:22:02
信濃国の長野三郎重清でググってみたか?
畠山三郎重清なんだよ。元は。重忠の右腕。
理解できないと言うより、認めたくないんだろうが、現実。
郷士とは全く違う家格。
991日本@名無史さん:2010/07/03(土) 18:32:09
畠山・・・家格なし
長野・・・その分家(家格なし以下)

長野・・・orz
992日本@名無史さん:2010/07/03(土) 18:46:13
993日本@名無史さん:2010/07/03(土) 19:24:16
>>991 ずっと読んでたが、君が無知で粘着質だということだけがヒシヒシ伝わってくる。

>>986同意。名家というのは地味でも名家だよな。
994日本@名無史さん:2010/07/03(土) 19:48:33
名家じゃないのは派手でも名家じゃないけどな
派手でもないならなおさら
995日本@名無史さん:2010/07/03(土) 20:23:48
鹿児島は御一門家以外にも、由緒ある家が多いよ。
長野家も、いろんな長野家の流れがあると思うけど、
その殆どがそれなりの由緒がある。
高岡の長野家は目付、槍指南役。
谷山の長野家は元の伊集院家だった。
それと今話題の畠山氏系。こちらは本田、伊地知、種子島と縁戚。>>926参照。
阿久根の長野家は郷士だが、それなりの役目があったらしくて、既出だが寺島宗則生家。
鹿大図書館の文書は貴重文書の類だと思うが、
目録だけみても、それなりの重役だったことが伺える。
日本全国どこでもそうだが、戦後の農地解放で影が薄くなった家は多い。
特に生粋の武家で誰も農業に関わってなかった家ほど、全部持ってかれる。
うちの母の実家がまさにそう。
別の県だが、家老格だったが雑木林以外は全て小作してた領民の物になった。
有名じゃないから名家じゃないとかは可笑しな話。

逆に西郷、大久保の家あたりは、名門とは言わないな。
>>986の意見に概ね同意。
由緒って結構大事なファクターだな。
996日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:41:03
渋谷氏の子孫(入来院)だけど、畠山は名門だろ?

997日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:55:41
小西行長 、加藤清正 、島津義弘 で誰が一番最強?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1140631671/
998日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:56:30
【薩摩】大久保利通暗殺事件【金沢】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1248229377/
999日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:57:17
999
1000日本@名無史さん:2010/07/03(土) 21:58:43
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