片諱について

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640日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:26:19
オットセイ家斉にちなんで、子孫繁栄を願ってるんだよ
641日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:10:13
言いたいんだろうがって言ってんじゃん
一応前をおさらいしてやってんのに
礼ぐらい言ってもらいたいもんだね
642日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:22:12
1行目は同意する
しかし3行目は押し付けがまし過ぎるだろ
643日本@名無史さん:2008/12/19(金) 09:51:07
通字のスレじゃねえし
現代ネタはウザいし
644日本@名無史さん:2008/12/20(土) 08:26:58
ありがとうございました
645日本@名無史さん:2009/01/19(月) 12:43:29
うむ
646日本@名無史さん:2009/02/08(日) 19:28:41
長府毛利氏は綱元の代までは偏諱を貰ってたのに
何で貰わなくなったんだ?
647日本@名無史さん:2009/02/08(日) 20:21:52
>>646

毛利元朝が本家長州藩嗣子にならなかった、あるいは元矩が長生きしていれば、将軍家からその後も偏諱をもらっていたのかもしれませんよ。

その後は清末藩の血筋に変わってしまったからね。幕府としても毛利秀元の嫡流とは認めていなかったのでしょう。
648日本@名無史さん:2009/02/13(金) 19:28:32
>>196
>貞時・高時の「貞」「高」はどこから来たのか分からん。

北条氏の遠祖「貞盛」「高望」から取ったいう説があるらしい。
649日本@名無史さん:2009/02/16(月) 01:38:53
別に無理して理由や意味を探さなくてもいいのでは
650日本@名無史さん:2009/04/09(木) 08:45:52
最強は足利「尊」氏かね?
天皇からのへんき
651日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:16:17
うむ
652日本@名無史さん:2009/05/08(金) 22:37:30
>>594
そもそも縦の通字が一般化したのは11世紀の筈
653日本@名無史さん:2009/06/28(日) 16:34:12
今川氏真はなぜ将軍から偏諱を貰わなかった?
654日本@名無史さん:2009/06/28(日) 20:52:03
むしろ、今川家でもらっていた奴がいたっけ?
氏親や氏輝だってもらっていないぞ。
(ちなみに足利義輝が誕生した7日後に今川氏輝が死亡しているから両者の「輝」は全く無関係)
655日本@名無史さん:2009/06/29(月) 00:51:32
>654
義元が「義」をもらっている。
656日本@名無史さん:2009/07/12(日) 18:46:27
あれって偏諱なの?
657日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:27:02
今川家の通字は「範」と「氏」だし偏諱じゃないの?
658日本@名無史さん:2009/08/19(水) 13:31:17
徳川の養子将軍で
綱吉、吉宗、慶喜は元将軍から貰った諱で将軍になっているが
家宜、家斉、家茂は通字の「家」の入った名前に改名しているけど、この差は何から来るの?
659日本@名無史さん:2009/08/19(水) 20:23:39
>658

将軍世嗣として大納言に任官したか否か。
660日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:09:19
成人してから迎え入れたか
子どものうちに宗家養子になったかじゃないの
661日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:24:09
>>660
家ノブは40過ぎて綱吉の養子になったが
662日本@名無史さん:2009/08/22(土) 10:14:50
秀忠こそ改名すべきであったのでは。
663日本@名無史さん:2009/08/22(土) 12:47:51
だからそのころ公家で家忠という(ry
以下ループ
664日本@名無史さん:2009/08/22(土) 14:27:30
>663
「家」字を通字にしたのは家光からじゃないのかな。
少なくとも家康と息子の代は、「康」を通字として意識して
いたように思えるんだが。元康、信康、秀康は拝領字+
「康」のパターンだし。
665日本@名無史さん:2009/08/22(土) 19:29:07
康高とか康政にほいほいくれてるからどうなんでしょ
666日本@名無史さん:2009/08/25(火) 14:33:53
伊達宗々
鍋島茂々(モチシゲ?)
667日本@名無史さん:2009/08/25(火) 21:20:55
>666

マジレスすると、伊達家は吉宗の時代に通字を村に変えていた。
鍋島家は家茂の時代に通字を直に変えていた。
ちなみに両家とも将軍に遠慮したわけではなく、たまたまそうなってた。
668日本@名無史さん:2009/08/26(水) 00:57:47
伊達の場合は綱村以降、宗と村のコラボじゃね?
669日本@名無史さん:2009/09/14(月) 01:49:23
>>167
>信長に一字貰って長秀と名乗ったと思うので、長は与えないだろ。

長秀の丹羽家では元から「長」が多かったようです。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/niwa_k.html
それと、信長は近習や尾張時代からの近臣に偏諱を与える例が他より少ない気がする。
670日本@名無史さん:2009/11/15(日) 19:29:50
ほほー
671日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:06:24
今上天皇の偏諱を受けた事例がありました。

 今上天皇が皇太子時代にタイを訪問した際、タイの国王から相談を受けました。
 「山奥の部族の栄養状態が悪い。特にタンパク質が足りない。」

 陛下は魚類学者でもあるので、「じゃ、コレを養殖してみてはどうでしょう?」と飼育の簡単な「ティラピア」という魚を50匹タイ国王に贈りました。

 この魚をタイでは養殖しまくって、タイ国民の栄養状態改善に役立てました。
 それどころか、バングラデシュへの食料支援として50万匹ほど贈ってます。

 結果的に陛下は2国の食料事情を救ったことになります。
 もちろん、一番の功績は一生懸命魚を育てたタイの国民ですが。

 タイ人も「この魚は日本の皇太子が持ってきてくれたんだ」と感謝してくれています。

 今ではこの魚の漢字名は「仁魚」といわれています。
 この話を聞いた華僑系市民が感動して陛下のお名前(明仁)から一文字とって命名したそうです。
672日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:17:48
>671

それは陛下の公認をもらっているのでしょうか?
黙認なら単にあやかっただけかと。

(しかし「仁」の魚とは言い得て妙な名付けではある)
673日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:00:54
せめて魚に日王の名をつけて切り刻み、その肉を喰らうあるよ
674日本@名無史さん:2010/02/14(日) 02:26:08
ほー
675日本@名無史さん:2010/03/13(土) 11:58:54
なるほど
676日本@名無史さん:2010/03/22(月) 03:02:33
毛利重就のよみは「しげたか」だっけ?
鍋島重茂は「しげもち」
677日本@名無史さん:2010/05/04(火) 11:17:56
家重のヘンキ?
678日本@名無史さん:2010/05/04(火) 11:33:44
片諱をもらった名前の読み方は挙げた人と同じにするものなの?
679日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:45:42
age
680日本@名無史さん:2010/09/04(土) 00:51:33
江戸地図を見ると、島津も毛利も前田、他の大大名もおしなべて松平○×守を名乗っているけど。
徳川から嫁を貰うと松平姓になるのですか。
681日本@名無史さん:2010/09/04(土) 04:39:06
嫁ではなく姓を貰うと松平姓になるんだ
682日本@名無史さん:2010/09/05(日) 00:01:23
>>681
姓をもらうにはどうすればよいのですか?
683日本@名無史さん:2010/09/05(日) 01:10:52
豊臣羽柴姓と比べたら松平姓下賜なんか可愛い者だろう
684日本@名無史さん:2010/09/05(日) 02:37:38
>>682
徳川家の子女が嫁いだ先は松平姓の名乗りを許され(強制されるわけだけど松平姓を名乗りたいがために徳川家から嫁を貰うわけだから)屋敷門として赤門を建てるのが決まり。
685日本@名無史さん:2010/09/05(日) 04:03:18
苗字が松平になるってことか
686日本@名無史さん:2010/09/05(日) 20:55:02
諱のスレなんですが
687北畠材親:2010/09/05(日) 21:18:06
逆パターン
松平定猷→松平猷
688日本@名無史さん:2010/09/05(日) 21:39:35
将軍家定に遠慮した桑名藩主か
松平なんて定だらけだろうになあ
689日本@名無史さん
私が疑問に感じたのは、定猷を勝猷に変えるとか考えなかったかということである。
堀田正篤を堀田篤にしないし