1 :
日本@名無史さん:
ものすごく荒れていますので、次スレッドを立てます。
荒れないためのローカルルールを作っておきます。
・城壁の議論や城壁以外の議論を妨害・規制することを禁止
両者とも双方敬意を表して尊重し共存してマターリ進行すること。
・城壁スレッド、中世の城スレッドなどの専門スレッドへレスするか
当城総合スレッドに書き込むかは各人それぞれの自由な選択に基づき任意である。
・専門スレッドへの強引な勧誘、誘導は差し控えレスする当人の自由な選択を
スレッドの住人間相互に尊重すること。
以上のローカルルールを立てておきます。
城総合スレッドですので城壁の議論だろうがそれ以外の議論だろうが、
規制する行為は荒らし行為と見なし、両者相互に尊重してマターリ共存していきましょう。
前スレッド
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126699342/
あぼーん
前スレの現状を鑑みるとこのスレがマターリ進行できるか不安に感じる。
何せスレを立てたのが水口城壁厨だからな。
早速荒らし(=
>>5)に居座られてしまっているな。
7 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:53:02
城壁話、水口城話、それ以外の話に関する規制は無しの方向で。
マターリして行こう。
>>8 それでも度々煽りレスとかに悩まされているな。
ここよりかは少しはマシだが。
IDがあってもドラマ板などのように
常に荒れているスレがあるから
要はスレ住人の妥協的路線が肝心なのかな。
かつてはココ以外の違う板の同系統スレにも1、2行レスで問題提起を振りかけてきたからなぁ・・・
ヒステリックに反応して叩くヤツもいないから、みんなスルー。
そしてまたしばらくたって1、2行レス→スルー。
17 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 23:12:39
城=天守閣であり城主の住居です。織田信長も安土城天守閣に住んでいたそうです
18 :
くさった大阪の城の現状:2005/11/27(日) 23:15:12
大阪城。コンクリ天守の解体、木造での徳川天守再興計画など考えたことなし。
櫓や門、塀に至るまで一切再興せず。金が無いは所詮逃げ口上。無駄遣いで6兆も借金してるくせに。
文化財にはお金をださない。
岸和田城も同じ。
千早城(ほったらかし)上、下赤坂城(遺構無し、ほったらかし)烏帽子形城(ほったらかし)
高屋城本丸(安閑天皇陵で入れず。本丸以外遺構無し)芥川城(ほったらかし)
飯盛山城(ほったらかし)野崎城(ほったらかし)私部城(畑と林と駐車場)
三箇城(遺構無し)若江城(遺構無し)榎並城(遺構無し)森口城(遺構無し)
野田城(遺構無し)福島城(遺構無し)柴島城(遺構無し)三宅城(遺構無し)
中島城(遺構無し)中島堀城(遺構無し)池田城(遺構無し。変な公園になってる)
高槻城(遺構無し)茨木城(遺構無し)石川城(遺構無し)誉田城(遺構無し)
大塚城(遺構無し)千石堀城(遺構無し)淡輪城(遺構無し)能勢城(遺構無し)
石山本願寺(当たり前だが遺構無し)
豊臣大坂城(当たり前だが遺構無し)
難波宮(妙な公園になってる。大極殿の石積みはニセモノ)
元摂津国
尼崎城(遺構無し)伊丹城(有岡城。遺構無し、変な公園になってる)
越水城(遺構無し)滝山城(遺構無し)
日本の城は用済みになってぶち壊された。荒れ果てているのが本来の姿、荒城の月。
このスレも運命共同体として荒れ果ててくれ、荒んでくれ、そこに一抹のセンチシズムを感じることができるなら。
ああコンクリ天守を建てた阿呆のような自治厨逝ってよし。
21 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 07:46:25
もう次スレへ行ったのか、
水口城の話題はもう少しで完結になるな。
前スレの
>>962にもう一踏ん張り願いたい。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>23みたいな前スレからの荒らしはどうにかならんのか。
>>15 粘着キチガイ荒らしは他の板のスレまで出向いて、
城壁の話題を妨害していたからなあ。
荒らしのレスを皆スルーして
城壁の話題が進められていたのを見ると、
ここよりレベルが高いというのを見せ付けられた感じがしたよ。
。
わかりやすい、実にわかりやすい。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
32 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 22:37:45
二条城の本丸庭園はどうですか?
よくあるお寺の庭園より落ち着いた風情がある。
あぼーん
あぼーん
35 :
高国:2005/11/29(火) 01:13:17
瓜生山北白川将軍地蔵山城遂に落ちず
あぼーん
あぼーん
あぼーん
相手するな
あぼーん
異文化コミュニケーション
あぼーん
あぼーん
隔離スレはまともなのに本スレがえらい事になってる。
あぼーん
47 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 21:31:25
掛川城に行ってきました、御殿も見てきたが五万石だとあんな物なのか。
殿様の生活スペースが狭すぎだった、殿様の住まいは別にあったのかな。
どんなものなら満足なのだろう?
49 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 21:59:43
五万石で天守閣あるならいいだろ。
五万石以上でも天守閣なかった藩もあることだし。
50 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 22:07:57
御殿のなかで公邸部分は三間しかないってどうよ。
下屋敷やらいろいろあったんじゃね?
あぼーん
知るかそんなこと
そこまで書くならちゃんと教え
久しぶりに来てみたらずいぶん荒れてるなあ。。。
城郭ファン同士がここまで衝突する理由がわからん。
中華水口城vs一般人
そして皆は中華(
>>1)を放置してるとこ
56 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 02:42:50
城のなかで寝てみたい。
姫路城だか犬山城の中層で寝たことがある.
埃っぽくて喉が痛くなった.
松本城の月見櫓でも寝たことがある.夏だったが,風通しが良すぎて
風邪ひいた.
58 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 10:31:07
59 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 10:39:20
僕も姫路城天守の中で寝た(といっても大の字になって寝転んでだ)ことあります
仕事が不定期平日休みなのでその日は周りに誰もいなかったんで。
ああオレいま木造のこんな高楼のなかに浮かんでんだなぁ・・って感じが結構いい気分だった
高知城天守は「昼寝禁止」の張り紙がしてあったな。
62 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 23:14:54
一夜を明かしたつわものはさすがにいないか。
63 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 23:38:00
それは犯罪
↑ほんっっっと懲りないねお前。
あぼーん
67 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 21:35:40
徳川綱豊が城主だった頃の甲府城の屋根瓦や釘隠しなどには葵の紋が
ついていたのですか? 柳沢吉保が城主になると葵の紋は全部取っ払
ったのですか?
あぼーん
69 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 22:07:44
彦根城の櫓の漆喰が剥落>NHKニュース
あぼーん
71 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 21:04:01
>>67 それで思い出したけど、姫路城に瓦が展示してあった。
歴代城主の様々な紋が付いた瓦、二十種類くらい有ったかな?
瓦なんて城主が変わってもすぐさま取り替える物じゃないよね
あぼーん
73 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 00:11:58
雪で城郭を再現出来そうな。
。。
゚●゜
。。
゚●゜
。。
゚●゜
。。
゚●゜
>>72 超和風な弘前城を見ると、なにか手がかりが得られるかも。
冬の弘前城は最高だよ。一番なんだ。一番。他の城なんて糞。
76 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:48:46
age
城壁厨自作自演スレ
みんな知ってます。
城壁厨の本拠も埋めの猛攻で落城したなw
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌─┴┴─┐
. / つ 終了 │
〜′ /´ └─┬┬─┘
∪ ∪ ││ _ε3
81 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 21:51:47
age
82 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 19:43:09
あぼーん
>>83 落城している。
まぁ何の知識もなく、勉強もせず、質問のみでは…。
このスレも一ヶ月振り位に見たけど、過疎が進んだな。
>>84 ×・・・過疎が進んだ
○・・・元々住人が少なかった
×・・・元々住人が少なかった
○・・・ただでさえ少ない住人が逃げた
大勢の仲間たちもいたはずなのに。
ショボーン
それ以上書くとまたこっちで騒ぎ出すからやめれ
このスレは落とした上で、新規に作ろう
>>1 お前に人望がない。お前は嫌われていた。ただそれだけ。
以降レスなし。
名無しに人望が無いって
ギャグにしても相当面白くないな
あぼーん
93 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:49:38
94 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 17:23:55
保守
95 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 17:54:07
にほんなんか一回潰れろ
遂に誰もいなくなったんだな。
これが望みだったのだろうか?
まず自分なりに調べて質問しないと話にならない。
97 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 13:37:42
今日の読売新聞の天声人語みたいな欄に江戸城天守閣木造復元希望みたいな
ことがノーテンキに書いてある。木材がないことくらいは調べろ、と言いた
い。
↑スレ違い
>97
木材が無いのなら、育てればいいじゃない。
何年掛かるんだろう?
100 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 08:37:54
何百年ね。
死ねよ自作自演
>>97 早く落ちることを皆が望んでるスレに書き込むなボケ
空気嫁
友人に、殿様がいる部屋が天守閣でその建物自体のことを本丸というなんて言われたんですけどそうなんですか?
建物自体を天守閣って言うものだと思ってたんですが。
そういった名称なんかを図入りで説明しているようなページってないでしょうか?
建物が天守閣、天守閣がある部分一帯が大体は本丸。
少し間違えた。
追記:基本的に軍事用(物見、武器庫)なので天守閣に殿様は住まない。
殿様が住んでいるのは御殿。
天守=城、城主は天守に住んでると勘違いしてる奴は多そうだな
108 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 17:17:13
109 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 17:42:16
ぶっちゃけ女の子の趣味は、真司が可愛いって言ってくれてるからいいや(笑)
110 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 17:48:37
ぶっちゃけ女の子の趣味は、
真司が可愛いって言ってくれ
てるからいいや(笑)
城壁は中華
放置しててもなかなか落ちないから埋めるか・・・
・・・先がえらく長いなあ。
放置してると浪人者をわらわら引き入れたりして不穏な空気が充ちてきますからな。
まず一戦交えた後に和議に応じ、講和の条件として外堀から埋めるがよろしかろうと。
さすればやがて熟した柿が落ちるがごとく落ちましょうぞ。
埋めてもまた立てるだろ。
いらん事せず放置しよう。
あす、静岡の山中城跡にいってこようと思ってるんだけど、
どっかに縄張り図もしくは復元図みたいなの無いでしょうか?
駐車場近くのお店で縄張り図もらえるんらしいけど
それだけもらうわけにも逝かないだろうし。
よろしくお願いいたします。
116 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 15:57:04
>>115 別にそれだけ貰ってきてもいいと思うがな。
117 :
115:2006/01/28(土) 16:04:14
>>116 いいのかな?
まあ、一番安いの買ってもらってくるにするか。
118 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 16:46:33
>>115 駅前の観光案内所に簡単な縄張り図が載っているパンフレットが置いてあるよ
119 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 20:00:18
>>115 図書館で書籍をコピーすればいい。
個人HPに掲載された「看板写真」をプリントアウトすればよい。
ここ数年発行されている月刊誌で該当号を購入すればよい。
120 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:41:38
愚か者!!真の城好きなら、内部情報を知らない武者よろしく特攻あるのみ。
>>120 武者が城に行く目的は観光だったのか、知らなかった。
122 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 16:25:21
>>121 特攻だっつってんだろ、このチンカス!!
>>115−121
スレの事情も知らずに書き込む奴がチンカス
124 :
↑:2006/01/31(火) 17:02:00
と黄ばんだチンカスが申しております。
125 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 17:42:54
ところで喪前等、今日発売の
「よみがえる真説安土城」
買ったか?。
こちららは田舎だからまだ配本がない!。
買ったヤシいる?
こっちも売ってなかったよ。
127 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 20:34:29
買っちゃいないが見た。
佐藤大規説でのCGどした。
129 :
125:2006/01/31(火) 22:29:20
>>128 ネット上の書籍の紹介では三浦正幸氏。広島大学のセンセ。
佐藤という人はその教え子。
研究室のHP掲示板でこの説に批判してたヤシにこの佐藤さん、
「ネット上の議論は不毛。学術誌での批判には答える」
なんていいつつ、自分も自説を学術誌には載せてないようだ。
(ネット上で見たが建築学会で数分の報告はしているらしい)
なんだかねぇ。その後そのコメント消してるし。
それ見て漂うアカ臭にあまりいい気がしない。
で、127の人、いいな〜。
131 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 08:40:17
>>130 いいじゃない。
喪前に指示されるいわれなんぞなし。
どんどん書き込んでほしい。
132 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:14:04
>>125 岡山城を参考に復元しておきながら共通点があるだの伝承も信じられるだの
なんのこっちゃ。
134 :
125:2006/02/01(水) 17:23:58
>>133 決めつけるなよ。
城壁など漏れも関係なし。
>>132 そうですよねえ。この状況に誰も鈴を
付けられないのか、最早。
建築史学は実証性がなくても学問なのかと
激しく思う次第。もはやファンタジーかな。
135 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 17:43:58
宮上茂隆もなんだかなぁって思うところがあったけど、宮上亡きあとは
三浦一派の言いたい放題だね。
城壁厨必死だな
137 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 19:12:24
ムックは佐藤案を「真説」にしたいのに、同書自体の
天主復元研究史は歯切れ悪杉。するならここでも佐藤説を
「真説」として位置づけしてみれ>編集者。
学研と教授必死杉でワロタw。
「よみがえる真説安土城」 買ってきた。
見開きでCGドバーンもいいんだけど
肝心な所が中央の綴じてる所にきちゃってる。
もうちょっと考えて作画したらどうかと。
トーチカはコンクリで作られた
それも中華式
日本各地に新しい城としてトーチカをあちこちに作ろう
これからは宇宙の時代だから宇宙船を作るのが一番だけどね
古代守のださい海防艦みたいのでいいから
それは中華式?当然だよね!!
トーチカ万歳冥王星にトーチカを築くべきだと思う
2月12日、寒気を衝いて大阪城に出陣、内郭(つまり外堀の内側)を軽〜く攻めましてん。んで、
一つ疑問が湧きましたんや。
何故、本丸南側の内堀だけ空壕なんやろ?と。
玉造口内側の北、一段低ぅなった梅林から眺めよったら、水濠(東内堀)と空壕の境目は石垣で
護岸になってる様子でしてん。しかも内堀の中では堀幅が狭い。徳川氏築城時から空壕やったと
すると、何で防御上の弱点を作ったんやろか?と。濠の内外で高低差が最も小さい南外堀じゃ、
あ〜んなに広く掘り通しとるんに、「南内堀だけは工事上の難点があったさかい、空壕にせな
ならんかった」では説明にならしまへん。
なんでやねん!?
>>147 攻めて欲しい場所を攻めやすいように空堀にすると聞いたことがある。
149 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 13:21:32
>>147 攻城側の侵攻路を南側に限定するためだろう。
事実、堀の橋は北側は木製だが、
南側の堀の橋は攻城側に焼き払われないように土製。
あと虎口や馬出しも北側の城門にはなく、南側の城門にある。
それに加えて南側の城壁は、地山の高さを超えて、
わざわざ土塁を形成してさらに石垣でそれを外面保護している。
空堀でも高低差がかなりあれば、飛び降りられないから
必ずしも防御力が劣るわけでもないんじゃ?
まぁ飛び降りても反対側に上がるのが困難だ。
152 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 00:25:46
日本の城って地味なの結構多いよね
153 :
147:2006/02/14(火) 03:21:44
>>149 >攻城側の侵攻路を・・・限定するため
侵攻路を限定する=侵攻方向を規制しよーと図るってなぁ、大坂の陣以前の築城には度々見ら
れるのだが、これは一寸っと違うんじゃねぇか?
大坂城は上町台地の北端に築かれており、寄手(攻城側)は台地の南側から攻め上る事を定石に
した(大坂冬/夏の陣、布陣図を参照せられたい)。で、徳川氏大坂城じゃ、まず南外堀で上町
台地の連続性を断ち(山城に於ける堀切に似てる)、大手口は南側よりも少し低くなった西側に
向いて開口し、玉造口は南側に開口してるものの、そのアプローチは一番櫓が建つ側の濠と台地
東側の低地に挟まれた鞍部を成してる。
つまり徳川氏大坂城の内郭防衛プランでは、基本的には台地南側からの攻略を嫌い、それを玉造
口に誘導、そこに至る鞍部〜橋台に於いて一番−二番櫓(二之丸東南隅)の側の城壁から側射を
加えつつ、機を見て玉造口から逆襲して犠牲を強いるつぅ作戦のよーだ。他方、大手口は市街が
広がる西側に開口、西方からの脅威を対処すると共に市街との交通性を確保。北西を向いた京橋
口は、京橋を介して北方の脅威に対処。北東を向いた青屋口により、内郭と猫間川や平野川が
2重に外郭線を成す一画とが連絡してると。
んで虎口ってなぁ、交通性を確保すると共に逆襲に出るために在る。となりゃ桜門が南向きに
開口してるなぁ、当然ではある。しかし、南内堀が空壕でなきゃならんかった理由の説明にゃ
ならんだろ。
>馬出しも・・・南側の城門にある
徳川氏大坂城に『馬出』って有ったっけ?
まぁ二之丸内の太鼓櫓があった中仕切門と玉造口西側の中仕切門とで区切られた一画は、桜門の
馬出曲輪を形成してるよーにも見えるんだが。
>地山の高さを超えて、わざわざ土塁を形成
んー徳川氏大坂城じゃあ、全ての塁線で武者走りを郭内の平面よりも高くしてなかったっけか?
も一つついでに。
大阪城大手口と玉造口の枡形は、左回り。
右回りにしよーと思えば出来なくもなさそーなのに、何でやねん!?と(w。南内堀が空壕なのと
関係あるのか無いのか?は判らんが。
なんかの本に実際には空堀の方が寄せにくく、攻めに苦労した旨が書いてあった
>>147-156 スレ違いです。
ここは遺棄するスレッドです。
半万年ROMって、過去ログ読んでから書き込めボケ
氏ねよボケ。
過去ログ過去レスと空気嫁。
>>155 >空堀でも高低差がかなりあれば
>>150つぅ指摘があるけど、要するに壕底と高低差が大きく取れれば、
空壕でイイってこたぁ云えるだろな。もし高低差が取れなきゃ、水濠にでもするっきゃねぇかと。
つまり濠の水ってなぁ、敵兵の接近を遅滞させる人工的な地形障碍なんであって、それだけで接近を
阻止できる訳じゃあない。濠は最深部じゃ人の背丈より深いだろし、水面下には乱杭も打ってあるだろ。
塁線の真下まで舟で渡ってこれないよーに、濠の中に低い柵を植えてある場合もあるだろ(柵が高いと
仮設架橋の橋桁にされそーだ)。それでも、城壁から適宜射撃して妨害しなけりゃ、結局は塁線に取り
付かれてしまう。また空壕でも、障子堀にするとか虎落[モガリ]を設えるとか強化する方法はあった。
で寄せ手にすりゃあ、堀にノコノコ入ってくなんてやってらんねぇから、城下-城内の建築物を破却し、
その瓦礫を埋め草にして堀を埋め立て、仕寄道(突入路)を造る作戦を採ることになると。そのよーな
攻防の場合、重要なのは堀の断面積つまり必要な埋め草の容積だもんだから、堀底との高低差が一番
大事になると。空壕か水濠か?は、その次の話では。
>>158の続き。
ただし本丸は最期の抵抗線なんだけど、本丸に押し込められちゃったら、ほとんど陥されたに等しい
状態だろ。後詰め-後巻きの軍勢がすぐにも駆けつけてくれる状況じゃなきゃ、降参するか揃って討死
するか?を選ばなきゃならんよーな(w
その観点で徳川氏大坂城の本丸を見れば、極楽橋を焼き落とせば桜門の橋台だけが残る。橋台だって
何ヶ所か堀り切れば多少は障碍になるから、逆襲を諦めて立て籠もる造りになってる鴨わからんね。
>>158 >>159 半万年ROMって、過去ログ読んでから書き込めボケ
過去ログ過去レスと空気嫁。
空堀の底に盛り土して掘内を区切った畝堀とか堀障子とか障害としてはかなり優れてるよな。
空堀に興味がある人は
佐倉 山中 諏訪原 岩国
あたりを見てくるとよい。
>>161 >>162 半万年ROMって、過去ログ読んでから書き込めボケ
過去ログ過去レスと空気嫁。
165 :
161:2006/02/14(火) 18:07:52
>>163-164 レスされたから答えとくが、荒らす意図は無い。
中華式城壁うんぬんでその話題に固執するキチガイと、
そいつを過剰に叩きまくってそいつのキチガイ度を高めさせている思慮の浅い人間がいることも知っている。
空気が読めないのはどうやら別の人のことらしい。
5000年もROMる気などこれっぽっちも無いし、もっと前のスレから読んでいたので必要ない。
このスレを遺棄させたいようだが、その理由と日本の城全般に関する話ができる日本史板での代替スレのURLを張ってもらおう。
中世の城スレと近世の城スレの存在は知ってるし良いスレだと思うが、それぞれの時代に限定したスレなので該当しない。
7スレも続いてきたスレをわざわざ終わらす意味がわからん。
納得のいく理由を示すんだったら何も言わんし、他のスレ行くぞ。
166 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 18:17:08
>>153 >南内堀が空壕でなきゃならんかった理由の説明にゃ
ならんだろ。
逆に言えば水掘りにする必要性は?
>>165 真性キチガイに反応するな。
堀障子ハァハァ
>>166 >逆に言えば水掘りにする必要性は?
それなんだが
>>158に述べた通り、桜門が面する二之丸南区画は上町台地の線上だもんだから堀底
まで高低差が取れるので、空壕で構わない事にはなる。だが南内壕は、内堀の中で最も幅が狭い
区画でもあるんだよな。
どんなんですやろ?、よー判りまへんわ。
と云いますんはですなー、築城工事は内側から着工して外側に拡がってくのが当たり前でしてな、
所期の計画を変更-修正するんやったら、内郭より外郭の方が多いには違いおへん。んでも問題に
なってはるんは南内堀でっしゃろ、正真正銘、内郭おへんやおまへんか?。そないやったら
例えば城内に置く施設の敷地が不足したから、南内堀の幅を狭めて帳尻合わせましてんて、仮説は
成り立たしまへんわな。
いやホンマ、難しいとこでっせ。
>>168 >南内壕は、内堀の中で最も幅が狭い
区画でもあるんだよな。
だから敵の侵攻方面をそこに限定するためだろう。
玉造口も南方面と考えればそれほどおかしくない。
170 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 21:28:24
>>153 >全ての塁線で武者走りを郭内の平面よりも高くしてなかったっけか?
少なくとも今の大坂城を見た限り、
南面しか武者走りを土塁に形成していないような。
仕切りバカ消えろ
>>165 仕切りバカ消えろ
お前のせいでまた沸いただろうがボケ。
マジで氏ね。回線切って首吊って氏ね。
>>172 なんだ?それが答えか。
氏ねだの首釣れだの笑っちまうわ。
汚い言葉が使いたくてたまらないお年頃なのかい。
怖い怖い。もう逃げちゃうよ俺。
>>175 >>176 頼むからやめてくれ・・・
お前の自己満足はよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くわかったから。
本当に、本当に勘弁してください。
もう二度と来ないでください。
お城の話がしたくてうずうずしてる奴がいっぱいいるんです。
でも、みんなが城壁厨を追討するために、我慢してるんです。
中には口の悪い奴もいるでしょう。
ただし、君ほど空気読めない自己中はいない。
>>177 ホンモノのバカ発見。
なぜここに書き込まないと城壁厨を追討?できるんだね?
どんな論理だか説明してくれる。
>>175 影があるからと言って
土塁だとは限らないだろう。
単なる台くらいかもしれないし。
>>179 徳川氏大坂城ゆうのんは、ホンマ到れり尽くせりの近世城郭でっせ。城主を置かんと譜代に城番勤め
させる城やったからか?、外郭-総構は造らへんかったけど。
そこでですな、↓のCG見てみなはれ。
ttp://www.3kids-cg.com/i-osaka-all-4.html ここのサイトのCG、不正確なとこも少しおますけど(郭内平面の高低関係とか)、建物の様子は、まぁ
こないなもんでっしゃろ。本丸の外周、あらかた渡櫓で囲んでまっしゃろ。
この渡櫓の跡は、流石に『武者走り』ではおかしゅうおすな(w。
>>180前段を補足してきますわ。
>>169-170 大坂城は立地の関係上、放っといても敵は南から攻めてきますねん。城内外の高低差が一番小さい
よって、南側が一番攻めやすいからですな。そないなってんのに、わざわざ南側に弱点つくります
やろか?、しっくりきぃしまへんなあ。
>>180 実際に何度も行ったことあるが、
南側のところしか土塁の石垣はない。
他のところは確かに石垣で少し高くしてはいるが、
人の高さを超えて見上げるくらいの充分な高さの土塁の石垣は無い。
つかなにこのニセ関西弁。
城壁厨、お前アホだろwwwwwwwwwwwww
関西弁つこうて自作自演してるだけですがな。そないなんでお前らはそれぐらいわかりゃしまへんのやろ?
簡単に言うたら中華式城壁の話がしたいだけなんですわ。
まぁ過疎スレなんやさかい、好きにしてええやろ?
大坂城は中華の影響を色濃く受けとる。まぁそういうこってすわ。
185 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 14:29:35
普通の書き言葉で書いてくれれば十分に楽しめる内容なのに。
また一人来ましたわ。いやぁ大漁でっせ。
これやから中華式は最強なんですわ。
187 :
さすがだ:2006/02/15(水) 16:32:00
>南側のところしか土塁の石垣はない。
>土塁の石垣はない。
>土塁の石垣
それが中華式やっちゅうねん
これやから初心者は困るちゅうねん
189 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 17:11:01
>南側のところしか土塁の石垣はない。
>土塁の石垣はない。
>土塁の石垣
石垣ということは日本式の城壁ですが?
191 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 17:12:02
てめーらちんちんじゃぶらせろ
たまなめなめさせろ
まぁユーモアのある釣りだこと。
193 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 17:24:23
>南側のところしか土塁の石垣はない。
>土塁の石垣はない。
>土塁の石垣
関西弁つこうて自作自演してるだけですがな。そないなんでお前らはそれぐらいわかりゃしまへんのやろ?
簡単に言うたら中華式城壁の話がしたいだけなんですわ。
まぁ過疎スレなんやさかい、好きにしてええやろ?
大坂城は中華の影響を色濃く受けとる。まぁそういうこってすわ。
自演や何やと五月蝿そおますな。
中華式て何ですねや?、定義もよーでけんのにエエ加減に言葉使こてるシトの書き込みなんぞ、端から
眼中におまへんで。
>>182 >南側のところしか土塁の石垣はない。
このシトも困ったもんでんな(w
まず、そない言ぅんやったら、大阪城内のどちらの南側なんでっか?ゆぅて欲しい。
それとやな、石垣は石垣、土塁は土塁もしくは土居、その2つが複合したもんは鉢巻石垣と。言葉は
キチンと使こわんと、議論になりまへんで。
まぁコレラはどーでもよろし。
どないだっか?、
>>180に書かせてもろた「水戸違い見付けたんと、南内壕は元は水濠やったんないか!?」説は。
いつまでたっても日本語に不自由している○○厨
197 :
反韓流:2006/02/15(水) 20:41:01
大阪はチョソの侵食を深く受けとる。まぁそういうこってすわ。
>>196 それ言わはるなら、関西弁フェチでっしゃろ(w
せやけど、京都,奈良,大阪,神戸・・・正統なんは皆〜んな微妙に違ぅてますのや。
どこそこの方言ゆぅても、地域ごってに違ごうてましてな。そこに住んでる者やったら、どこの
地域の人が判りますんやで。せやもんやさかい、TVドラマ観てても「あ、この言葉おかしい」と
思うことよぉけありまっせ(w
多分結局の所城壁厨やらなんやら今喚いてるのも乗っかる対象辺りは
いたかもしれないがほぼ1人で、ハナから荒らすのが目的だったんだろなあ
「2ちゃんには稀に本物の狂人がいる」って一文が前にあった
糞みたいなコピペにあったがそれだけはけだし名言だな
なんとかならんもんかね
>>199 計画的に荒らせるほど賢いようには感じなかったけど。
ヤツは必死だった。
まさに「2ちゃんには稀に本物の狂人がいる」
・日本語かおかしい
・知識が小学生レベル
それが城壁厨を見分けるポイント
(例・
>>198-200)
はあセバストポリ要塞こそ最強だろ?
それかトーチカ
関西弁つこうて自作自演してるだけですがな。そないなんでお前らはそれぐらいわかりゃしまへんのやろ?
簡単に言うたら中華式城壁の話がしたいだけなんですわ。
まぁ過疎スレなんやさかい、好きにしてええやろ?
大坂城は中華の影響を色濃く受けとる。まぁそういうこってすわ。
アジア最強の城は203高地だろうが
いや毎朝見られる俺のテントだぜ
あぼーん
隔離スレはどこいったんだ?
>南側のところしか土塁の石垣はない。
>土塁の石垣はない。
>土塁の石垣
210 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 13:18:25
>簡単に言うたら中華式城壁の話がしたいだけなんですわ。
>簡単に言うたら中華式城壁の話がしたいだけなんですわ。
>簡単に言うたら中華式城壁の話がしたいだけなんですわ。
私は荒らしです、とバカが白状してます。
あぼーん
相手にしている奴も荒らし
つまり空堀最強ってことか
セバストポリ要塞が最強だって言ってんだろ!
城壁厨が必死になって考えた作戦を展開中です。
メルキドバカです。
>>215 結果を見ると成功したわけで,彼にしては考えたと思う.
いや、トーチカに籠もってれば10万の徳川軍が来ようと一瞬で壊滅だ!!
で、土塁の石垣の咄はどーなった?
大阪城の一体どこが中華風なのか?
素朴な疑問に答えてくれんか。
>>217 主語とか述語って知ってる?
お前の日本語は全く進歩がない。
>>219 大阪城のど真ん中に203高地を建てれば一瞬で中華風の大要塞に早変わり
222 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 22:23:04
埋め立てるか?
私の内堀埋めてください(>_<)
城壁厨の穴を掘ってください。
最強なのはディズニーランドの城壁だろうが!
日頃からそのレベルの会話が中心なの?
センスもユーモアも含蓄もない。
周りのひとは大変だね。
>>226
>>227 周りに人がいるか、甚だ疑問なわけだが。
日本アルプスにトーチカを作りまくれば難攻不落じゃん!
今日、宇喜多直家縁の「砥石城」登ってきました。
あぼーん
>>230 今でも遺構が見てすぐ分かるくらい残っていますか?
連投中
234 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:26:25
三浦一派がいるのに、よく宮上と内藤載せられたな。
235 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 22:25:33
つうか、どんなに頑張っても安土城の復元なんて無理でしょ。
あぼーん
>>236 いやいや、
演習にインスタント麺を持ち込み、食堂の献立にもラーメンが頻繁に登場する我がJ隊は、
築城術にとどまらず組織自体が中華式と称しても過言でなかろう。
結局、どこがどーだから中華風なんか遂に分からんのだが。
水濠を周らし、石垣や土塁を努めて高く嵩上げした平城は、ざっと思い付くだけでも山形城,米沢
城,高田城,福井城,小浜城,松本城,岐阜加納城,赤穂城,津城,小倉城,久留米城,柳川城,中津城
と。一見平城だが実は丘陵を利用してるとか、山城〜平山城だが山麓部がコレだとかつぅのを含め
れば、もっともっと数が増えるだろ。だもんで、コレを以て中華風に分類するのもナニだなぁ(w
総構にしても、その起源は惣村の環濠にあり、だもんで古くは“惣構”と表記した。羅城なんて、
まともに模倣されもしなけりゃ、平安京造営を最後に絶えて久しい。
>>238 すごく中華式ですね!
過去ログ読んで死ねよボケ。
>過去ログ読んで死ねよボケ
つまり、それを簡潔に説明することもできねぇつぅ訳だ。
定義づけもできんよーな概念を振り回すのは、余り利口そーには見えんな(w
↑中華式に泣きながらカキコ
つか室町〜桃山時代の部将が支那で戦ったり、日本に侵入した支那の軍隊が築いた城を攻めたりつぅ
経験が無いのに、どやって支那の城が日本の築城に影響を及ぼせるのか?と。
土塁と堀なら、古墳時代の環濠集落にもアイヌのチャシにも見られるし、欧州に固有の『モットと
バイユ』つぅ形式にも見られるし、まぁ人類共通の発想と云える。つまり「土塁と堀」だからつって、
それを中華風とこじつけるのは屁理屈にも成らんと。
243 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 15:27:14
質問です。
日本の城に興味を持ち、調べ始めたばかりの初心者です。
本拠地、いわゆる天守閣の周辺は、鉄砲や弓矢を撃つ穴があったり、迷路状に入り組んでいたりと、防御のことを考えた設計になっています。
しかし、いざ天守閣の中に入ると、いたって普通のつくりです。
階段もストレートに上まで上がれたりとスキだらけです。
なぜ、天守閣内部は防御のことを考えていないのでしょうか。
また、天守閣内部の情報、画像などの多いサイトなどがあれば紹介してほしいのです。
よろしくお願い致します。
天守閣内部にまで攻め込まれるようじゃ、最早
お終いだからでは。
それに階段がストレートで・・・とは言っても、狭く
急で、甲冑をつけた武者が登るにはえらく苦労する
作りだと思います。
>>243 申し訳ありませんが、ここは投棄されたスレを使った釣堀です。
初心者質問スレッド等に御移動下さい。
>>242 >>244 過去ログ嫁
過去ログ読めないガキか確信犯か、メール欄に書き込んでから書き込め
申し訳ない、脊椎反射でレスしてしまった。
とっととトーチカ最強だと認めろ!
>>243 天守閣は基本的に単なる物見櫓です。
近世の城では象徴的に豪華で立派にしますが。
そもそも天守閣まで攻められれば、
兵糧攻めもするまでもなく力攻めでも守城側は力尽きます。
どんなに堅牢にしてても。
249 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 19:58:26
>>247 ああ、最強だよ。
だからもういいだろ、城壁厨くん。
251 :
230:2006/02/21(火) 22:15:03
>>232 出丸の方までは行ってはいないのですが
本丸付近はあんまし遺構は残っていなかったかと。
西側に石垣がありますがあまりにもきれいに並んでいるので
当時のものなのかどうか。。。
瓦の破片が沢山落ちていましたが(本瓦っぽい)あれなんだろ???
>>251 そうですか。
あまり遺構が残ってないと、
実際に城跡行ってみて
がっかりする場合が多いですよね。
253 :
230:2006/02/21(火) 22:32:14
>>252 遅レスですまん。
そういや曲輪っぽいところがあったような。
出丸は地元の犬の散歩に来た人に聞いてみますと
堀切とかあるそうなので、また出丸トライしようと思ってます。
天神山城も行ってみましたが
難度S級の神社から登るルート行ってみましたが
見張り所から引き返してきました。
坂が急過ぎ・・・
254 :
230:2006/02/21(火) 22:33:59
皆、すまん!
ageてしまった。。。orz
>>230 上げて書き込んだらスレッド潰し荒らしののキチガイが出てきてしまうよ。
>>255 重ねて申し訳ないことやってしまった。。。
良い住民の方々に陳謝・・・orz
やっぱシンデレラ城こそが日本の誇る名城だよね
259 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:10:31
243
ありがとうございます
260 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 03:17:31
東鶏冠山第三堡塁最強
バターン半島とコレヒドール要塞最強
東京湾第二海上堡塁最強
由良要塞最強
落城経験無しの河内国高屋城最強
第四師団司令部・西部軍管区司令部・陸軍大阪造兵廠(大阪砲兵工廠)、つまりコンクリ大阪城さいてー
お台場は難攻不落!堀江さえ陥とせなかった
どんなに工夫しても内側から火を点けられたらお手上げだから。
263 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 13:48:22
今年の大河は、どの、安土城だろう?
徳川家康は内藤だったと思う。
マニアックに、西ヶ谷案だったり。
まあ、無難に内藤案でしょう。
あとは、NHKスペシャルで作った復元CGがベースなんじゃないかと。
あぼーん
>>263 というか、安土城は今ではどの説が有力なのだろう?
あぼーん
269 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 06:17:09
淀城。荒れ野にすごく粗雑な残され方がいいね。
270 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 06:49:34
>>263 〉マニアックに、西ヶ谷案だったり。
西ヶ谷は香具師だよ。
あぼーん
273 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 22:04:23
城じゃないけど、東京にあった茨城県の県営宿泊施設が旧旗本宅そのままだったんだよな。
よくぞ戦災で焼け残ったと感動したよ
茨城県はアレを手放したそうだけど建物はどうなったんだろう?
274 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 22:07:43
あぼーん
276 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 23:00:39
>>273 城とセットで武家屋敷とか残っていると良いよな。
あまりそういうところがない。
あぼーん
あぼーん
へ、中華風?
ラードで炒めて、オイスターソースで味付けして、片栗粉でとろみをつけて、
仕上げに胡麻油で香りづけすれば、何でも中華風になるって知ってた?
あぼーん
に肉体
>>273 それってどの辺にあるんですか?
検索してもわからない…
>>279 大根おろし添えればなんでも和風になるぞ。
ま、何だ。
275の中華風は一種のカマ掘ってクソなんだろ、つまり構ってやるだけ無駄。
こーゆー手合は、「中華式」をNGワードにしてスルーしときゃ医院だい。
城の話しる!
>>286 ああ惜しい、座布団1枚損したね。
「城の話シロ」
289 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 03:47:52
糞スレ晒しage
292 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 15:10:20
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
297 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 18:31:54
しかし城とは違うが鎌倉は「天下の要害」というが
一旦切り通しを破られて攻め込まれたらひとたまりもないという
重大な欠点があるな
>>297 海上からの補給路が確保されていたら大丈夫なのでは?
>>297 そんな事態が起きるくらいなら防ぐ意味無いし。
旗揚げさせる気勢を削げればいいんでしょうな。
301 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 14:26:39
千早城や赤坂城に立てこもったら最強だろうな。
>>297-301 自作自演、乙です。
このスレッドは放置→dat落としするんだと何度言ったらry
セバストポリ要塞にこもったほうが無敵
304 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:37:44
日本史スレは簡単に落ちない。
使いきった方が早い。
305 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:55:39
たけし城最強。
築地場外市場もなかなか。
306 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 21:04:59
読むだけでdat落ちしづらくなるんだったような・・・
定期的にチェックしてる人が居るだけでも、
このマイナー板ではなかなか落ちないだしょ。
でも、そもそも気に入らないスレは見ないという選択肢も有るような気もするな・・・
落ちた所で、次スレ・新スレが建てば一緒だし。
307 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 21:22:41
最近、築城されたのはシンデレラ城
千葉県浦安市にある
あぼーん
1551年頃の清洲城ってしょぼかったの?
まあ城みたいに町の建物の中で市庁舎が一番立派という自治体は終わってる
過去ログ読んでないお前が一番終わってる。
城は見かけは質素でも、
堀・土塁などで堅固であればよい。
トーチカとメガ粒子砲とバリアが付いてればなお最強
313 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 08:13:13
>>城壁厨
314 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 19:20:05
平城京の城壁は極めて小規模だったと判明したようですね、
どうですか、城壁厨君。
>>314 そもそも武者走りがないだろ。
だからそもそも城壁じゃないと思うが。
>>315 城壁厨のレベルに合わせたつもりだったんですが...
317 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 21:11:06
近世城郭の天守こそ、日本における中国式城壁の究極の形態
究極の変態がやってきた
>>314 確かに小規模だったけどパトリオットでガチガチに空からの脅威に備えていたから問題なし
320 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 10:03:13
321 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 10:24:50
2chネラーなんてドンキホーテの集まりだろって常々思ってたが
こいつぁすげえわ、ハリボテの風車どころじゃねえや、見えない戦車と戦ってやがる
ホークやナイキといった対空ミサイルに
155mm自走砲を備え付けておけば城壁は無敵じゃん
>>320 馬鹿はお前だろ
薬子の乱の時、薬子は空海の放ったスティンガーで
死んだって事実をいい加減認めろよ
平城京の壁は結局北条政子がレーザー水爆落とすまで健在だったわけだし
324 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 13:15:29
>>324 それだと、切岸に石垣を施したものが説明がつかないな。
石垣のほとんどは堀の護岸か切岸に石垣を施したものなのに。
326 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 16:28:19
縄張りで言ったら熊本城より最強の城はないのかね?
あぼーん
あぼーん
330 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 19:13:00
一時期に複数いるから「○○代 横綱 〓〓〓〓」という言い方はおかしいというのに近い言いがかりw
あぼーん
332 :
小県:2006/03/16(木) 08:09:44
>>324 石垣の『垣』の字には『壁』といった意味合いもあります。
『石の壁』=『石垣』という捉え方であれば納得していただけるかと。
戦国中期まで城塞の主要防備機能であったものとして『土塀(土材の壁)』が挙げられますが、これに対し戦国後期以降登場した『石材を利用した防御機構』が、土の壁の反語として石の壁、転じて『石垣』という呼ばれ方に定着していったものと思われます。
>>326 上田城は?
333 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 08:30:00
>>332 日本の城の場合、石垣などは
塀というか、 切岸が基になっているのでは?
あぼーん
あぼーん
小天守はよかったね
住宅の二倍のサイズはあってとっても住みやすい
日本で最も最古で一番最初に建った城って何城?
中華城
340 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 12:38:59
萩城って低い場所に天守があって、背後に高い山がある。そこが本丸。
井戸もなく水は運び上げなければならない、全く実戦的ではない城。
毛利だからやっぱり歴代城主はバカなのか?
加藤清正が知ったら呆れ果てるだろう。
342 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 21:49:57
>>340 立地条件になぜ気付かぬ。
阿武川・橋本川は天然の堀、城内に組み込まれた港が急時に備える。
あぼーん
344 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:35:23
山にも井戸はあるぞ。大田金山城とかみたいに。
>>340 萩城の本丸井戸ってけっこう有名だと思ってたけど、そうでもないんだね。
あぼーん
348 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 11:21:29
城壁厨w
349 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 11:31:48
>>340 詰丸+水軍付き根小屋形式の米子城を築城した吉川広家が縄張りを
考えたらしいが、詰丸に天守を置かなかったのは、落雷や季節風や
幕府への配慮であろう。
では天守の役割とはなんでしょう?
権威の象徴であるだけでなく、高い場所から遠くを見て監視するための
建物ではないのかいな?
あぼーん
太平の世では、完全に権威の象徴。
353 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 07:08:37
萩城の天守は、徳島城天守・太鼓櫓や西尾城二の丸天守と
発想が近いものがあるんじゃないかな。
あぼーん
355 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 11:54:01
青森県にある福島城について詳しい人いませんか?
>>352 権威の象徴だとしても高い場所に建てた方が意味があるじゃないか。
庶民からもよく見える。
あぼーん
長崎県にある国指定の史跡、日野江城を北島原町が破壊した模様
それに文化庁が激怒し刑事告発した模様
359 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 18:22:59
志波城の全体の形は、分かってるのかな?
北有馬町長は死刑でいいよ。
361 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:13:34
雷とかで天守が燃えても、そのまま放置してたの多いんだね
だって建て直すと高いんだもん。
城って言えばやっぱりカペリートの家だよね
独り者の家くせして広くてうらやましい
江戸城が1657年(明暦3年)の「明暦の大火」以降大天守を再建しなかったからな、
再建費用を捻出できたとしても幕府に天守再建願いなんて畏れ多くて出来ません。
366 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 02:15:59
伊予松山城の天守って新しくなかったか?
江戸時代初期のものではない。
自演厨、乙!
ここは投棄された釣り堀スレッドです
書き込む奴は荒らしの共犯
あぼーん
370 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 17:55:03
372 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:37:27
文化庁が刑事告発かぁ。やるねぇ。
国指定史跡を破壊したらどうなるか後世に知らしめるためにも盛大にやって欲しいね。
意図的かそうでないかに差はあれども
やってる行為はバーミヤンを破壊したアルカイダと同じ事だからね。
373 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 02:30:20
桜が一番見事なのは弘前城ですか?
行ったことないけど
374 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 03:38:11
桜といえばやっぱり日野江城
375 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 04:34:39
櫓などが復元された中世城郭が関東近辺にあったと思うんですが、
あれは何処でしたっけ?
376 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 06:39:32
茨城県の逆井城(推定復元は西ヶ谷氏)かな?
今の文化庁の方針だとああいう想像が多く含まれたものは
もう建てられないだろうね。
逆井城って写真なんかだとけっこう広そうだけど、実際には意外とこじんまり
してるんだよね。なにより交通の便が悪いことこの上なし。
マイカーじゃないとね。
片道2時間必死にチャリ漕いで行ったなぁ〜
378 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 11:05:41
379 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 11:06:11
>>378 >電車でバスで行きたいと思ってたのになぁ
バスとの接続待ちを覚悟していけばいいんじゃないかな。
ただし現地の周りは住宅と畑だけだからね。
>>380 バス路線が繋がってるなら行けそうだな
情報サンクス
>>381 古河駅から、近く(といっても結構離れている)病院までのバスはあるけど、
病院からはタクシーか歩き(30分程度)になる。
管理事務所兼蕎麦屋の人がそういってた。
数年前のことだから、路線が変わっているかもしれない。
管理事務所に電話して聞くと親切に教えてくれるはず。
自分は古河駅からタクシーで往復なんて贅沢なことをした。
往復1万弱だったかな。
運転手が現地でメーター止めて待っててくれたので、呼びなおすともっと高くなるはず。
自演厨、乙!
ここは投棄された釣り堀スレッドです
書き込む奴は荒らしの共犯
384 :
↑:2006/04/02(日) 21:48:57
相手にされなくなった城壁厨が必死です
385 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:11:52
>>372 教育委員会関係者が全く刑事告発されなかったのは意図的なのか?裏事情でもあるのか?
まあ放置スレッドにあえて書き込む奴は、荒らし認定されても仕方ないがな
誰も放置スレなんて決めてないけどな。
だれの権限だ? どこでだれが同意した?
自分勝手な城壁厨坊や。
平城京の城壁にパトリオット付ければ難攻不落
同意合意議決はされてないが、
>>1で皆が納得したwwwwwww
粘着荒らし=城壁厨の自作自演
392 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 21:07:06
>>385 町長が率先して破壊したからでは?
具体的にいえば町長自ら重機を操作してたっていう町長のコメントが新聞にあったと思う。
江戸城の成分解析結果 :
江戸城の75%は純金で出来ています。
江戸城の9%はハッタリで出来ています。
江戸城の7%は知識で出来ています。
江戸城の5%は蛇の抜け殻で出来ています。
江戸城の3%は野望で出来ています。
江戸城の1%は砂糖で出来ています。
大坂城の成分解析結果 :
大坂城の78%は欲望で出来ています。
大坂城の15%は保存料で出来ています。
大坂城の6%は覚悟で出来ています。
大坂城の1%は株で出来ています。
安土城の成分解析結果 :
安土城の99%は華麗さで出来ています。
安土城の1%は電力で出来ています。
名古屋城の成分解析結果 :
名古屋城の44%は野望で出来ています。
名古屋城の21%は波動で出来ています。
名古屋城の20%は砂糖で出来ています。
名古屋城の14%はむなしさで出来ています。
名古屋城の1%は優雅さで出来ています。
熊本城の成分解析結果 :
熊本城の92%は鉄の意志で出来ています。
熊本城の3%は白い何かで出来ています。
熊本城の3%は怨念で出来ています。
熊本城の1%は魂の炎で出来ています。
熊本城の1%は下心で出来ています。
姫路城の成分解析結果 :
姫路城の90%はかわいさで出来ています。
姫路城の6%は運で出来ています。
姫路城の2%は言葉で出来ています。
姫路城の2%は波動で出来ています。
城壁厨が、新しい遊びを覚えました。
その流行、去年のうちに終わってるっつーのwwwwwwwww
>>391が城壁厨自身じゃん。
ここまで阿呆とは。
397 :
コピペ:2006/04/04(火) 13:49:03
城壁厨
城総合スレで「中華式」「城壁」の話をしたくてしょうがないバカ
妨害されると「またお前か!」と妄想の中の”彼”を非難する
城壁厨は、「城壁の話を妨害する奴=”城壁厨”」と信じている。
自分のことを言われているとは気がついていない。
そして、城壁厨は木製の城壁を一切認めない。
城壁厨は自分専用のスレを持っていた。
日本語が不自由なので但し書きとは何かを理解できない。
あぼーん
あぼーん
城下町によくある「大工町」「鍛冶町」「呉服町」は想像つくけど
「紺屋町」ってなにがあった町なの?
染め物屋
404 :
日本@名無史さん:2006/04/04(火) 21:20:21
鉄砲町は?
釣りじゃなくて。いろんな城下町にあるような気がする。
鉄砲鍛冶 または 鉄砲足軽の居住区
あぼーん
長岡京の城壁にパトリオットを装備しておけば中華式
あぼーん
409 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:35:28
城の維持管理は難しい。
あぼーん
大阪の城めぐりツアー
伊丹空港→伊丹城(土塁の一部)→池田城(遺構無し)→三宅城(遺構無し)→柴島城(遺構無し)→
茨木城(遺構無し)→高槻城(遺構無し)→芥川城(石垣有り)→私部城(土塁)→飯盛山城(石垣有り)→
三箇城(遺構無し)→榎並城(遺構無し)→大阪城(コンクリ。全然ダメ)→野田城(遺構無し)→
福島城(遺構無し)→高屋城(安閑天皇陵で入れず)→岸和田城(たいしたこと無かった)→関空
>>350 泰平の世ともなれば、“権威の象徴”を通り越して“城の装飾”に過ぎなくなり、物見櫓つぅより
単なる不要品の倉庫に化してしまうと。
だもんで、遠見の景観だけを重視するよーになった故、外観はシンプルつか単調になって行き、
火事で焼失しても「無駄な出費だから」つぅ理由で再建されないケースが増えてくると。
>>324-325 櫓の土台は『櫓台』だな、石垣か?叩き土居か?は別にして。
で、『石垣』つぅからには[ 面石→割栗石→砂利→砂→土 ]とゆー構造になってないとなぁ。
単に石を小高く積んだだけじゃあ『石塁』だろ、低けりゃ『石積』だし。
あぼーん
あぼーん
長い文章はボロが出るので回避している城壁厨。
哀れ。
417 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 13:12:21
中華式の定義をしてくれ。
但し書き無しで。
日本橋川の川岸をすべて石垣に汁
あぼーん
但し書き
421 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:52:08
長○○子
ところで、
>[ 面石→割栗石→砂利→砂→土 ]とゆー構造
>>413は、欧羅巴や支那朝鮮でも共通なんだっけ?
荒川を外堀にした雄大な城があったら面白いなと思いつつ
ガキの野球に眺めた。
424 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 16:45:41
あぼーん
皇居って何も無いね
皇居は入れないだろ。
428 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:13:46
江戸城は天守閣はイラナイから、本丸と二の丸の門と櫓と土塀と堀を全部復元してくれないかなー。
で、余計な建物は全部撤去。
幕末状態。
幕末状態なら、破れ塀とか再現しないと・・・
江戸城外濠掘り返せwww
431 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:46:21
平城京の大極殿の復元よりは価値あると思わないか?
とりあえず東御苑のアスファルト全部剥がしてくれ
あぼーん
434 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:39:51
城壁厨が恥をさらすスレはここですか?
435 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 13:20:29
恥という日本語はまだ習得していません。
母国にない概念なもので理解できません。
中国語だと「辱【yuk】」という言葉はある。
437 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 04:14:49
城内で一泊ツアーとかないのかな〜?
438 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 10:00:08
城ていたら中世城郭ニダ
439 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 10:01:40
440 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 10:43:03
441 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 10:44:31
かぶった
八王子は中華式だからあるよ
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
俺の近所にある福岡城なら連泊できるよ。縄張りあるのか知らんけど。
453 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 22:11:02
あぼーん
455 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 21:27:25
今回は宮上安土城だったのか?
NHKはあくまで内藤派。
457 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 13:24:19
中野区民です。
中野区の城山(現谷戸運動公園)に行ってきました。
ここには昔お城があったとのことです。
将来的に天守閣が建てられるという話はないのでしょうか?
せっかくのお城で、幸いにも公園として土地がありますので、
立派な建物を建てれば観光の目玉になると思うのですが。
458 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 13:58:44
>>457 全く面白くないネタですね。
役所に電話すれば?
459 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 14:04:03
>457沼袋城趾は行ったのか?住宅地だが。
豊島一族 VS 太田道灌 の激戦地
あぼーん
城の復元も大概にして欲しいな。
既に跡形も無い城を復元しても金の無駄。
既存の城の整備にでも回してくれ。
>>461 博物館や道路などの整備が批判の的だから、新しい箱物として
文化財が隠れ蓑に使われているよなあ。
高取城の大手門より外側とか、崩落が酷いのに・・・
模型でいいよ模型で
その方が俯瞰できるし、雰囲気もつかめるだろ
全く否定するわけではないがな
>>463 だなあ。
佐伯城へ行くと模型が見れるが、あのほうが想像力をかきたてられる。
近世山城;村上城はオススメ、本丸からは日本海も望める。
お花見に登る、お年寄りが散歩に登る、子供が遊びで登る、中高生がデートで登る、
村上市民にとって無くてはならない場所のようだ。
しかし、石垣が土圧で膨らんでる部分が所々あったっけ。大丈夫か?
因みに、土地の人らしくない人物が、本丸から海の見え具合を調べていたという噂が・・・
あぼーん
467 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 17:37:28
岡山城 大納戸櫓と表書院だけでも復元してほしい
468 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 09:55:09
あと 名古屋城の本丸御殿も
469 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 09:56:37
それより大阪城の紀州御殿を
470 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:14:58
館林城に天守があった可能性があるとNHKニュースが報じてるね。
471 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:41:28
仙台城本丸大広間や名古屋城本丸御殿などは
残っている障壁画だけでも美しい
御殿の障壁画の資料など残っていれば救いなんだが
>>471 そんな蛮族の城と同列で語られたら名古屋城に対して失礼だぞ。
473 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 22:52:54
掃除した管理側の奴へ
じゃあ
>>1をそもそも掃除しなきゃいけないはずですけど。
なんで掃除しないの?
あえて言う。
問題を簡単に捉えるなよボケ。
476 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 12:00:53
>>1って、自演バレバレの伝説の城壁厨か。
満足な日本語も身につけることもなく、知識がないの必死に抵抗するも、
片っ端から論破されていたオメデタ野郎だったな。この国では相手にされ
ずに、母国に帰国したんだろう。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
485 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:51:53
486 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 22:13:24
削除依頼は自分で出すもの
代行に頼るヘタレは死ぬべき
仙台城跡地ほとんど何ものこってないな
護国神社はともかく、二の丸跡地に居座る東北大学
利府町あたりに移転しねーかな
488 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 10:28:30
>>486 なんでお前が威張ってるんだよ?
お前が逝け
>>486ぐらいで”威張ってる”と感じるお前は病んでいる
490 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 05:48:53
代行宜しくお願いします。
依頼先アドレス:
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1116682470/ 掲示板アドレス:
http://academy4.2ch.net/history/ 削除対象区分:[レス削除]
削除対象アドレス:
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1133093678/ 5 55 64 66 68 70 72 74 77-80 83 89 91-92 101 111-114 123 130 133 136 140-145
157 160 163-164 177 183-184 186-189 193-194 198-206 209 215-218 221-229 239
241 245-247 249-250 287-289 302 313 316-323 339 348 368 383 386 388-391 395-397
407 417 434 442 474 477-484
削除理由:
4.投稿目的による削除対象
レス・発言
議論を妨げる煽り、不必要に差別の意図をもった発言、第三者を不快にする暴言や排他的馴れ合い、
同一の内容を複数行書いたもの、過度な性的妄想・下品である、等は削除対象とします。
5. 掲示板・スレッドの趣旨とは違う投稿
レス・発言
スレッドの趣旨から外れすぎ、議論または会話が成立しないほどの状態になった場合は削除対象になります。
故意にスレッドの運営・成長を妨害していると判断した場合も同様です。
6. 連続投稿・重複
連続投稿・コピー&ペースト
スレッドの開始当初から悪質なスレッド潰しの荒らしに粘着されております。
また、荒らしレスの削除後も再発し荒らし行為が静まる様子がありません。
なにつまり、城壁厨が削除依頼してんの?
んで、それに削除人が引っかかってるの?
だめじゃん。
493 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 20:40:13
江戸城の外堀の外周の長さってどんくらいなんだろ
494 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:37:38
495 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 06:20:39
age
496 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 05:46:30
城
498 :
日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:46:41
頼むから駿府城復元してくれ
499 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 19:00:57
大阪城は大阪の陣で天守に確かに鶴、虎などが描かれていたのが確認出来る
秀吉は信長を真似て描かせたんだろ?安土城天主の外壁のどの辺に何が描かれてたのか気になる
500 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 21:26:39
日本語で頼む
501 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 16:10:27
>>499 解読した上でマジレスするとだな
安土城を真似たといっても、豪華さや派手さで安土城を上回る天守を作ろうとしたという事であって、意匠まで真似た訳ではない。
つまり、安土城の外壁に絵が描かれていたというわけでは無いって事やね。
そもそも大阪の陣の屏風絵は、江戸時代に描かれたものであって、大坂城のデザイン自体が正確には分かっていない。
502 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 00:59:51
マジレスでその程度じゃ仕方ない罠w
キリシタンが書いたのなかったか?
鳥瞰図だから天主の詳細は描いてない
505 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 17:32:02
うろ覚えだが、堺の商人だか茶人が安土へ行った際の日記を残してたよな
天主の六重か七重の外壁に絵が描かれてたとか。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
首都移転したら江戸城再建よろしく
508 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 12:28:57
google earthいいな
大都市の城なら鮮明に見える
509 :
あげ:2006/08/02(水) 12:54:28
東京国立博物館の城郭展示、見に行かれたかたいらっしゃいますか?
地方人には東京はキツイな。行くだけで半日つぶれる。
512 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 08:30:51
北九州の小倉城は悲惨な状態になってる。
天守閣の真ん前に赤や黄色の原色のどでかいビルが立って目隠し状態・・・
513 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 12:05:39
昔は新幹線の窓から天守閣が見えてたんだよな。
でも、数年前にデッカイ横長の黄色いビルがJRと天守閣の間にできて、見えなくなった。
その際、ビルをつくるために職人口門跡の巨石とか旧区役所周辺の石垣を撤去してる。
史跡や文化財に指定されてないから、やりたい放題だよ。
反対側から見ても天守閣の後ろに悪趣味な黄色いビルが金屏風よろしく立ってて萎えるだけ。
この町が歴史や文化を軽視してることがよくわかる。
514 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 12:10:19
ついでに言うと、天守閣の南側には戦後堀を埋め立てて梅園をつくってたんだが、
十数年前、それをつぶして松本清張記念館を作ってる。
その際、もとの堀の石垣とか出てきたのに、おかまいなしに破壊して記念館を建設。
城なんて天守閣さえあれば、あとはどうでもいいって感じだ。
しかもあの不恰好な天守閣w
516 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 13:42:09
破風なんてなかったのに捏造してるからなw
コンクリ造りだから取り外すこともできないし、そもそも外す気もないだろうし。
517 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 15:07:03
小倉城なんかより北九州にはあの地域の象徴的な『城』があるし
518 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 22:00:26
519 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 11:12:28
そういえばTBSの安住アナは城ヲタなんだよな。
案外、この板ものぞいてたりしてw
「ぴったんこカンカン」で名古屋城に行ったとき、長々とウンチクを垂れてたな。
城オタで鉄オタで軍オタでもある、もしかして2チャンネラー?
521 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 11:40:56
名古屋城の本丸御殿再建計画はどうなってるの?
523 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 18:29:46
この土日、城に行った人の報告よろしく。
龍岡城に行ってきた。平城で堀が狭すぎて防御能力低そう。
幕末に完成しただけあって城下町の雰囲気は全くなし。
525 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 23:09:18
江戸城が皇居じゃなかったら…今は江戸城址?
526 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 16:39:42
いまでも江戸城址じゃないかな。
将軍の居城としての機能は失われてるし、建築物もあらから失われてるし。
戦後の皇居って、城じゃなくて江戸城址にある皇室関係の施設って感じでしょ。
527 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 19:52:33
江戸城のお局門は江戸城の面影を残す・
528 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 17:42:56
小倉城には、例の黄色いビルの真裏に車道をはさんで「北の丸」がある。
ここには現在、八坂神社が鎮座しているが、そのこと自体はいい。
問題なのは、神社が社務所か宮司の自宅に使うため、史実に関係ない多聞櫓風の建築を
石垣の上に建てているということ。
こういう無茶も城址が史跡でないからできるのだ。
529 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:35:34
埼玉三名城
川越城
岩槻城
忍城
530 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:53:33
531 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 00:58:36
お城巡りが大好きなランカシャースタイルの彼と言えば?
そうです。ドラゴン藤波です。
ドラゴンロケット、ドラゴンスープレクス、ドラゴンスクリュー、
ドラゴンスリーパー、ドラゴンストンピング、ドラゴンクロー、
ドラゴンドロップキック、ドラゴン目潰し、ドラゴン噛み付き
まだ続けますか?
533 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 14:44:22
あんまりドラゴン、ドラゴン言ってたら、中国式城壁の話しちゃうぞ。
534 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/08/12(土) 14:52:48
>>533 ち、中国式城壁 .. あ、あの話し?! ドキドキドキドキ ..
淀城の場所の「都合」に関する考察や、水口城についても話してくだ
さい。但し書きは理解できないので平易な日本語でおながいしまつ。
536 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 11:07:42
537 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 21:37:55
昭和30年代のコンクリート復興天守もそろそろ耐用年数がきれる頃だしな。
538 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 22:15:36
掛川城は小さいけれど実に良かった
出来立てホヤホヤの時に行ったら、木の香りがしたよ
539 :
:2006/08/14(月) 06:42:22
以前、名古屋城へ行ってガッカリでした。
あんな天守閣ならないほうがマシだと思うのですが。
地元に南北朝時代の山城跡・・・といっても、ほとんど何もないのですが、
ふもとの平野を一望できて、当時の戦に思いを馳せることができてよほどマシです。
お城マニアの方はやっぱ昭和に作られた天守閣も大好きなのですか?
一言で言えば有るだけマシってとこじゃないかな、古写真やCG、模型だけでは
当時を偲ぶことは出来ないし。上で述べられているように、天主閣さえあれば他は
どうでもいい→転じて偽者でも天主閣が無ければ城の存在そのものが消滅。なんていう
沖ノ鳥島状態の城も多いみたいだし。
541 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 01:10:05
>>538 御殿の方はどうでした?
現存する数少ない御殿だそうですが。
542 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 20:58:31
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543 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 04:16:35
小倉城南側の中央図書館から天守閣を望むと、真後ろに奇抜な色のビルが立ってて、
かなりシュールな光景です。
日本人の美的センスのなさと歴史や文化に対する関心の薄さを痛感させられます。
いくら荒れ果てていてもその風景その物が歴史だという感覚が致命的に欠けてるんでしょうね。
私の場合、熊本城に行ったときの幻滅は二度と忘れられないでしょう。あの歴史そのものと言って
いいぐらいの風景に会いたくて3年前二度目に行きましたら、ただのゼネコンのお金儲けの対象に
堕していました。もう二度と行きません。
546 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 02:12:41
>>545 熊本城は見たこと無いけど
宇土櫓を見るためだけでも行きたい。
現存するいくつかの天守よりも立派そう。
もちろん立派ですよ。
でも、城の値打ちは古びたところだから・・・。
まあ昔と今と写真で見比べてください。ひどいです。
548 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 07:55:18
江戸時代でも、藩財政に余裕があれば城の補修くらいするから、
古びてたりボロボロってのは藩財政が窮乏した幕末期のイメージなんだが。
復元の価値は忠実かどうかだろ
てか古びた城が見たい→熊本城をチョイスの方がおかしい
>>549 宇土櫓は十分古びてると思うが?
ひょっとして古びている=ボロボロだといっているのか?
551 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 18:36:06
大名が住んでいた頃の現役の城なら、財政窮乏でもない限り、ある程度手を入れるから、
外壁とか用材もところどころ取り替えて、そんなに古びてたとは思えない。
>>550 再現作業中の城に行って古びた云々を期待するのが馬鹿だし、
宇土櫓を見たい人が変わってない宇土櫓を見て幻滅した、ひどい、とか言うのも馬鹿だと思う
>>552 馬鹿に馬鹿と言われてもな。
再現作業そのものがどれだけの文化的議論とコンセンサスに裏打ちされているか
ということが問題であって、熊本城にそんなもんがあると思ってるの?
554 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 19:53:15
熊本城なんて小倉城に比べれば、はるかにマシな部類だろ。
>>553 熊本城再現工事のどこが文化的議論とコンセンサスが不足してるの?
っていうか、熊本城って遺構がかなり残った城なんですけど。
まさか天守だけ見て「ウッキ〜!!再建天守じゃん!!失望した!!」
とか言ってるじゃないだろうな?
>>553 >再現作業そのものがどれだけの文化的議論とコンセンサスに裏打ちされているか
>ということが問題で
話変わってるけど?
557 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:47:28
熊本城ネタはもういい。
もっとマシな話題はないのか。
558 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:51:13
↑
ならあんたがネタふれよ。
上田城もちょっとがっかりだった
以前は荒れ城の雰囲気がよかったんだが
560 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 08:28:01
もしかして熊本城には復元に必要な古写真って多数残ってるのかな?残ってない?
>>560 多数かどうかはしらんが、数枚は見たことがある。(7〜8枚?)
要するに建物はイランってことだな。
全部燃やしちゃえ。
563 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 18:27:53
城の本来の姿を考えれば、荒れ城の状態は決して望ましくないのだが。
ヨーロッパの宮殿や城は戦争で破壊されても、元の姿に復元されているし、
パリのルーブル美術館なんて、中世の城が時代とともに増改築をくり返し、
いまなお現役の建物として利用されている。
564 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 19:15:23
それらは実際に生きていた場合がほとんど。石造建築物だし。
木造だと何も残らないからなあ。
565 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 21:55:18
彦根のピカピカ天守も違和感あるなあ。
想像力で補正しろ
567 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:27:12
ていうか、藩政時代が続いてたら、よっぽど財政難でない限り定期的に補修するから、
ピカピカになっててもおかしくないんだが。
568 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 22:01:13
そうとは限らない。城のある藩はその城が出来た頃の石高ではなく
むしろ下がっているため、維持が出来なくなっている事がある。
たとえば山形城二の丸三階櫓は江戸中期には無くなっている。
569 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 22:21:06
城があるのに城外の屋敷に住んだのが細川家。実用がないのだから加藤氏時代の熊本城の不要な建造物は相当取り壊したようだ。山城は不便だから山麓に藩庁を移した例も多い。必要なければ経費も割けずに荒れ果てて行くのだろう。
570 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 22:30:00
幕府直営の大阪城、二条城も幕末には荒れ放題だったが黒船騒動で大阪城が大修築。将軍上洛で二条城も整備された。最後まで手が回らなかったのが駿府城。維新後の静岡藩が成立しても使用に耐えず、藩主は城代屋敷に住んだ。
571 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 20:55:39
甲府城も
天主(天守)に居住性というかアメニティを盛り込んだのは信長だけなん?
シンボルタワー的な天守閣を備えた城は安土城が最初ときいたことがあるけど
だとしたら最初で最後の試みだったんかな?
かもしれん。
姫路城なんて江戸時代ずっと封印されてたが、仮に変な怪異伝説が無くても
住もうと思えるような場所じゃないし。外観は立派なのにね。
吹き抜け構造で吊り能舞台とかあったんだよね?安土城
「時空の旅人」で天主の中で現代からタイムスリップした娘が森蘭丸と一緒にオルガン弾いてるのを
空中廊下から信長が見てるシーンがあったけど、ああいうの可能だったのかな…
安土城の天主台ってかなり小さいよね
で、御殿の上に望楼が乗っかってるような天主復元図を城趾の天主台のスケールで脳内再現してみたが
居住性もヘチマもない、すげーチマチマしたミニチュア天主になってしまったw
まあ安土城ってのは政庁と官庁と官舎と覇王の住居をひとまとめにしたという点で画期的だったろうね。
575 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 03:11:03
女で城好きっていないな
過去、松本城、松山城、姫路城、彦根城連れて行ったけど
まるで興味なしだった。
576 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 06:39:50
そんなことない。嫁は旅行行くたびに城行くから難儀するよ。
子供小さいのにorz
577 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 21:54:53
>>576 それはいいね。
神社好きは居るけど、城好きは周りにはいない。
遺跡好きはいる。
578 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 23:13:43
>>575 趣向が合わなかっただけかもしれんぞ
次は中世城郭に連れていったれ
>>578 中世城郭でテンションあがる女は嫌だ…
やれ枡形がどーの、横矢がどーの…
580 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 05:05:52
シンデレラ城なら喜ぶぞ。きっと。
581 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 06:02:08
話は変わるが、本州最後の天守がある新規築城の遠州相良城の実像が知りたい。田沼意次の居城で失脚と同時に完全破却された。天守は三層三階だったようだ。城跡行った方いますか?
582 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 07:04:42
>>579 丹波(但馬?)の武田城行った?あれなら流石に感動すると思うよ。
頂上行くまで大変だけどw
>>581 行ったことあるけど、碑があるだけで役所と学校になっている。
公民館?の1階がちょっとした博物館になっている。
584 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 22:34:45
>>581 私、地元なので若干説明できます。
松平定信の時に、石垣まで解体された。
田沼氏が東北から戻ってきたときは、城主格ではなかったので旧二の丸
あたりを陣屋にして、本丸部は使用されていない。
現在、本丸:牧ノ原市相良出張所、相良中学校運動場
二の丸:相良小学校、三の丸:住宅地、相良高校となっている。
30年ぐらい前に相良城再建の動きもあったが、鉄道も無くなった
町なので頓挫しているようだ。
585 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 22:49:17
581です。早速のご返答ありがとうございます。相良城の遺構って通称仙台岸と言う整形された石垣しか残存してないようですが、江戸後半の築城で興味あります。現存すれば観光用に捏造去れたょうな綺麗なお城であったと思います。
586 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 22:56:59
581の追伸です。三階櫓と言う限られた建築要件で意表を突くような意匠だったのか徳川造営の諸櫓のように踏襲された意匠だったのか興味があります。
587 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 18:11:00
>>585 聞いた話では五万石でありながら、名古屋城に匹敵するほどの
ものだったという記述があるそうです。
ただ、江戸城富士見櫓が基本形というのは他の城と変わらないと
考えています。
相良城は御殿が移築現存している。
589 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 21:21:04
1万石でも城主になったりする一方で御三家の連枝でも陣屋だったりと分ける
基準は何だったのでしょう?
590 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 23:03:50
関東の大蛇、東方の巨人北条氏の精鋭 玉縄衆の居城であった玉縄城について語ろうよ
591 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 23:14:17
堅城であったことを今に伝える逸話は数知れないにも関わらず城の話題になるとその無名さから必ずと言ってもいいほど話題にのぼらない幻の名城
今もある意味難攻不落の要塞として鎌倉の地を見下ろしている
592 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 00:03:33
>>591 女子校の敷地になちゃったんだろう。
そりゃ無名だわ。
593 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 06:42:05
>今もある意味難攻不落の要塞として
誰か突撃する勇気のある剛の者はいないか?
その者には関八州を切り取り次第与える
>>593 君の自宅が関八州の内にあるんならば突撃するのもやぶさかではないが。
595 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 08:58:25
突入を試みたことはあるが番犬と警備員の追跡にあい撤退を余儀無くされた
596 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 09:09:47
しかも門が二段構え
597 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 13:26:51
玉縄城って本多正信の居城だったんでほ。
2万石くらい。
598 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 13:38:29
革手城も女子高になってたな
599 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 17:32:03
最近木造復元とか再建運動が盛んだけど逆に頓挫した例が面白い。駿府城の天守再建の会みたいのが解散。米子城の大小天守再建運動が地元の大反対で停滞中らしい。地域でいろいろ事情があるんだろうね。
600 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:23:49
601 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:58:08
602 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 13:49:06
>599
まじめに復元しようとすると際限無く金がかかるもん。
603 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 20:27:08
ほよ
「戦国時代村」ではなかったのか・・・?
604 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 21:42:32
城なんて今で言う県庁みたいなもんでしょ?なに必死になってるの?
605 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 21:44:08
ヨーロッパの宮殿とか城はちゃんと復元されてるぞ。
606 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 22:15:38
>>605 ふ〜ん。ヨーロッパ人は素晴らしいねぇ。
で、ヨーロッパに一体いくつ城や宮殿があって、そのうちのいくつがどれくらいちゃんと復元されたわけよ?
ちゃんと説明しろよ。
607 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 22:43:40
日本の城ってスケール小さいし汚いよね。
608 :
日本@名無史さん:2006/09/10(日) 03:27:26
犬山城には行ったことないけど紅葉の時期がいいのかな。
609 :
日本@名無史さん:2006/09/10(日) 07:26:20
武田信玄を相手に一歩も引かずに戦った長野氏の居城だった箕輪城も思い出してやってください…
610 :
日本@名無史さん:2006/09/11(月) 07:41:44
>>605 ヨーロッパの城は、美術館にしたり、古城ホテルにしたりして、再利用を兼ねて復元するらしいよ。
日本もふるさと創生で(味気ない)コンクリートの美術館を新たに作るより、古城を再建して古美術館にするなどしてほしいね。
出張なんでも鑑定団や、フリーマーケットなど、地元の人が触れ合う場所にする。そこに観光客もやって来ると。
古民家再生ならぬ古城再生イイ!
>>601 内藤案はネタにすぎないし、西ヶ谷案は希望的観測にすぎない(肝心の間取りなし)。
よって漏れも宮上案が一番自然で実物に近いと思う。
612 :
:2006/09/12(火) 08:17:13
>>610 ホテルだと天守最上階と1層の格差デカ
格差社会にふさわしいね
>>610 ヨーロッパでゎ建築基準法なんかはどうやって通すのだろう?
スプリンクラー付けるのかな。
>>612 信長は安土城天主1階に住んでいたそうどす。
614 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 20:34:23
ドイツのライン川あたり古城は多い
整備されて綺麗なのもあれば荒れ果てた砦もあるけど
朽ち果てたのも妙に風情はある。
615 :
↑:2006/09/13(水) 11:25:57
スレタイ読めない粘着バカ
617 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 18:49:14
金沢城河北門って江戸初期に焼失廃止になってるんじゃないの?他の石川門、菱櫓とか最近再建された二の丸の三重櫓とかと並んだら存在していた年代がチグハグになるよ。
ゼネコン市長だからやるきっと
619 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 19:14:54
今の日本にかつての城を復元できる築城技術てあるのかな?
620 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 20:11:31
大洲城
621 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 20:19:36
617です。金沢城の河北門は宝暦の大火後再建されております。間違いでした。訂正させていただきます。焼失廃止されたのは大手門にあたる尾坂門でした。
622 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 21:49:20
623 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 06:28:33
617さん、金沢城の本丸櫓群も再建するらしいよ。河北門再建した頃には本丸に櫓は残っていなかったのにね。とにかく時代はバラバラ、これは木造テーマパークじゃん!
626 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 10:17:44
落雷で消失した天主も再建したらどう?
金沢城の本丸は「三階櫓続三十間長屋」などが文化の
大火の後再建されているから、これらの建物なら○。
628 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 09:44:37
掛川城天守って復元の根拠はどの程度の信憑性あるの?まさか模擬木造じゃないだろうな?
629 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 10:28:49
一豊つながりで高知城がモデル
630 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 17:19:48
津山城の本丸櫓木造再建したみたいね。天守も再建計画あるのかしら?
津山城は…デザイン的には退屈な天守だよねえ
逓減率の低いドッシリ型の層塔で破風とかの意匠もなかったような。
天守台の回りを武者走りのバリケードが囲んでるのが面白いけど。
でもやっぱ地元のひとにとっては失われた城郭(殊に天守)は
出来ることなら再建したい気持ちってあるかもなあ
ウチの街の城(福山城)は鉄コン史実無視のなんちゃって天守だけど
やっぱあれでも無かったら無かったで寂しいかも。
でも福山城天守に変なベランダなんか付けるな!天守北面に鉄板貼れよタコスケがぁ!
津山城は再建にあたってちゃんと史料を集めて、それを図録として刊行しているので好感が持てる。
633 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 00:48:37
津山城って凄いよね。大手門は江戸城よりデカイでしょ。でも復元模型の窓枠は白亜だけど古写真では黒いから銅包みとかでしょ。福山城が復元で同じ誤りをさているから正確に復元して欲しいよね。
復元なんてイラネ
城下周辺まで含めて模型作った方が有益ではないか
今更天守復元したからって地元振興にもならんだろうに
636 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 09:43:37
良いかどうか、解らんが
今、箱物で作れるのは、城とかしかないそうだ。
637 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 15:10:05
最近復元した今治城の櫓は良いが模擬天守がひど過ぎる取り壊してもらいたい。
638 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:26:31
>>637 元々は2階の櫓の有ったところだから仕方がない。
(本当に有ったと思われるのは神社の所だろう)
639 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:34:37
ほ、ほ、ほ、包茎ちゃうわっ!
641 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 10:51:35
安土城天主復元案を大まかにまとめると、
安土城天主台の形(=安土山占地の理由)と天主閣との関連を
@重視(変形天主)・・・内藤案・加藤案
A無視(方形天主)・・・宮上案・西ヶ谷案
@天主台内部の礎石群は正確に東西南北に並んでるのに(←ここ重要!)、なぜか天主台の東西軸は僅かに東に傾き南北軸は西に傾く。
この両軸の傾きこそ安土城天主の存在意義であり、その交点に漏れが住むべしっ!と考えて信長は安土山を選んだ。
建物の設計が終わってから土台を作ることを考えると、天主台の東西・南北両軸のわずかな傾きは
地形による偶然や石工の技術の低さのせいではなく、信長の明確な意図をもってなされたはずだとする。
秀吉の大坂城の天守北、山里曲輪の菱櫓こそ、亡き主君、信長を偲ぶための安土城天主の名残りであるとする説もある。
A宮上氏は現存変形天主台の上に、岡部又衛門の他の作品群から類推して方形天主を想定し、
なんと変形天主台の上に、架空の方形天主台を捏造!!西ヶ谷氏は宮元案の細部を修正した。
因みに、
天主閣=天の主(神)が住む楼閣(岐阜城と安土城のみ)
天守閣=天の守(番人)が住む楼閣(例:三河守、筑前守、天守)
包茎ちゃうって!ズルムケやっ!
名古屋城に行ったら天守の遺構が何もなくなっていた。
泣いた。
>>641 @の加藤氏は佐藤氏の間違いでゎないでしょうか?
漏れは、@とAの中間説。すなわち安土城天主は菱形だった!説を取ります。
地下室の形がほぼ菱形ですから、これに合わせて菱形だったのです。
(裏)鬼門対策にもなりますし、菱形だと天主から南西に広がっていた安土城下町がよく見渡せます。
また、炎上した安土城天主が東北に倒壊した(焦げた瓦や柱が大量出土)のがそれを裏付けてます。
@の天主台目一杯に建てた変形天主は足場の関係で無理があるし、何より屋根が複雑かつイビツ過ぎて様式美が
出せず、信長の美意識にも沿わないと思います。
Aの四角四面の豆腐のような建物では当たり前過ぎて、信長という型破りな人物の器としての天主閣としては型に嵌り過ぎてます。
そこで、天主台地下室の形に沿って建つ菱形天主ですよ!
>>643 味噌人どもにはそんなものどうだっていいんですよ
安土城の復元図モノって、実際に城趾に行ってみたときのスケールの小ささ考えると
どうにも腑に落ちないんだよなあ
二の丸跡も狭いし、あの天主台の横に本丸御殿なんか建てられんの?て感じ
変形瓦が多数出土してるところを見ると、
やはり変形天主だったと考えるのが自然だろうね。
648 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:06:52
やはり内藤案が妥当。他案は竜宮城のように奇想天外過ぎる。内藤天守は美しい。
649 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:12:13
宮上氏は、変形瓦が多数出土したのを受け、急遽、真四角だった自身復元の北東の付櫓を変形瓦に変更したw
最新の地質調査で天主穴倉の床に、叩き漆喰は使われていないことが判明した。よって地下の台所説は消えたw
また玄関扉の直前に入り口階段が迫っているので、雨の日は怪我人続出だったろうw
宝塔と吹き抜けは無かったと思うが、少なくとも外観については内藤案が最も実物に近かったはず。
650 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:05:19
早くバチカンに贈られた安土城の屏風絵の発見が待たれる。
三浦・石井説は?
652 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 13:42:59
653 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 17:40:09
内藤天主を以下の変更を加える。
−最上階の屋根瓦を紅色に
−最上階の窓の形を火灯窓に、欄干手すりを赤色に
−吹き抜け&宝塔の代わりに、高さ八間(×七尺=約17m)の通し柱を三本(「信長公記」による)挿入
↑これで、みんな納得?
−最上階の屋根の棟側に唐破風をつける。
655 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:26:00
>>648-649>>653-654 漏れはずっと宮上派だったけど、やっぱりあの天主台に四角い天主閣はムリがあると思ってた。
天主指図もボツになった案だと考えれば問題ないし、最上階の緑の四角い窓と吹き抜けさえなんとかなれば、
内藤案を受け入れられることにビックリ。
岡山城は五角形の下層部と十字形の層を経て上の二層のみが方形なんよね
あれ見ると下の方が方形である必要なんてないなあ、と思う。
で、下層部が方形でないのがよくわかる後楽園側から見た姿が最も美しいわけで。
岡山城天守って安土城へのオマージュを込めたデザインだと聞いたけど、どうなん?
下層部の大屋根のおおらかな曲線と小振りな上層部のバランスが美しい天守だと思います。
建築技術的に望楼型だった安土城天主って、岡山城を小顔で派手にした感じなんじゃないかと
アルベルト・スーギ氏へのオマージュ
658 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 09:41:45
内藤天守にはヨーロッパの教会堂のイメージもある。やはり内藤案が一番信長的である。
659 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:06:12
二条城の本丸御殿見てきたよ
660 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:14:11
二の丸じゃないのか?
で、見てきたからなんだ?
661 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 07:19:23
二条城の本丸御殿を外部に移築、大正天皇即位礼の大饗のために新設した二の丸南門の破却せよ。全て維新前の姿に戻せ。
662 :
↑:2006/09/20(水) 10:05:15
日本語でお願いしまつ
663 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 17:14:52
661の言いたい事は明治時代に改変された部分を徳川時代に戻せと言う意味だろうと推察される。
664 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:25:49
二条城の現本丸御殿は皇族の桂宮邸を明治期に本丸跡に移築したもの。幕末に存在した本丸仮御殿はその前に破却された。南門は大正初期に新設されたもので模擬門と言えるだろう。
665 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:54:59
いーんだよ、二条城はあのでかい大手門さえあれば。
・・・・・と京都国際ホテルが申しております。
666 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:18:12
>>663 物理的に戻るわけないじゃん。
って書いてみる。
667 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 01:08:29
その本丸御殿は今の時期だけ公開してるから見に行っただけ
668 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 05:29:13
天守内部を豪華な御殿風の内装にしたのは安土と指月伏見、二条城だけだ。特に二条城天守は行幸御殿から二の丸御殿を通じて連結されており、一歩も外に出ずに登る事が出来た。
岐阜城は?
グーグルアース、面白いよ。
>670
どの辺がいい?
地形、建物3Dにして、名古屋城あたりから岐阜城まで飛行モードで地表を舐めるように飛ぶのがええ。
673 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:50:15
ひろし
674 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 00:50:18
藻前ら、安土山屏風が見付かったぞ!!
押入れにあったよ、ミニ屏風
675 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 08:11:16
二条城の本丸御殿と二の丸御殿を繋いでいた橋廊下の材木が
実はまだ残存しているという話を聞いたのだが本当かね?
676 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:22:31
二条城の本丸廊下門の部材は城内に保存されています。学研の「二条城」に写真と解説が出ています。江戸城西の丸下の和田倉門も関東大震災の大破後に解体され皇居内に部材は保存されています。
677 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 14:04:15
再建キボンヌ!
678 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 15:07:36
二条城の本丸廊下門を再建しても先は行き止まりでしよ。本丸を徹底的に復元しなくては意味がない。天皇が二の丸御殿から室内を移動しながら天守に登るための仕掛けだもんね。幕末は慶喜の本丸仮御殿と二の丸を連結してたんでしよ。
679 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 18:35:20
折角なら旧二条城の石垣も再利用してやってくれよ
信長公もきっと喜ぶ力瘤
680 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 20:45:37
来年早々、江戸東京博物館の企画展は江戸城みたいだね。
でも期待はずれになりそうな予感。
681 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 20:59:12 BE:226804782-2BP(0)
安土山屏風探しは進展してるのだろうか?
もし見つかったら、日本史上燦然と輝く快挙となると思うけどね
快挙だろうけど天守の姿は大坂城の屏風類などと同様
正しいのか間違ってるのかわからないだろうね。
内藤案ほど華麗な姿がだったとは思えないし
見つからないままの方がいいのかも。
683 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 07:44:42
記録では信長は安土山屏風を細部まで正確に描かせて間違いは直させたとある。早く見つけて欲しいものだ。
絵に対する感覚が現代人の感覚とは違うからどうだろうね。
城郭全体の建物配置なんかは正確に描けても
建物は屏風絵的なデフォルメがされるから限界があると思うよ。
天守が複雑な多角形だとしたらそれを描く技法がないよね。
685 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 16:01:17
信長が天皇に贈っておいてくれたらな。
686 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 19:14:42 BE:595363267-2BP(0)
>>684 それでも内藤の妄想よりは遙かにましでしょうが
687 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:19:18
>>686 マシというか屏風絵が真実に近いのは間違いないだろうけど
内藤案みたいな派手なイメージが浸透しちゃった後では
一般的にはがっかりするような姿だと思うよ。
復元案の中では大雑把な形状としては佐藤案が一番近いんじゃないかな。
バランスが悪かったり変な所も多いけど。
先月、福山駅前で出土した福山城の石垣。
また破壊する方向で話が進んでいるみたいだな。
690 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 07:45:15
内藤氏の暴走は「天主指図」を鵜呑みにしたこと
宮上氏の暴走は「信長公記」を切り捨てたこと
後者は論外だが、前者は暴走した部分を取り除けば、それなりに辻褄が合う。
この時代であっても、設計図は施主が気に入るまで何枚も描くのが普通。
ボツになった設計図を信長が記念半分余興半分で「岡部大工にできなかった天主の指図じゃ。そちにできるものなら建ててみよw」
と他の大工に持ち出しを許可した可能性が高い(城の設計図は軍事機密)。
それに仮に宝塔を収めるための吹き抜けがあったら、安土城天守内部を見た誰もが「地階に金灯篭あり」ではなく、
「地階中央に○○を収めし宝塔あり。その先端は4階天井に達す」と書くはず。
問題なのは、フロイスが「外壁は白く、(木造でながら)石造りに見えた」と(日本人が理解できない)ポルトガル語で証言していること。
内藤、宮上両者とも、軒天と外壁の上部が白漆喰塗り籠めだったので、天主を真下から見上げた時、
黒い下見板が軒天に隠され、規則的な造形美を見せた軒天がフロイスにはそう見えたのだろうとご都合主義に解釈しているが、
冷静な第三者なら両者の復元天主を見れば、「外壁は黒い板張りだった」と書くし、「白く、石造りに見えた」とは書かないだろう。
つまり、安土城天主の外壁は、腰に黒漆の下見板を張らず、白漆喰塗り籠めだった可能性が高い。
また、「各階は5色に塗り分けられていた」との記述から、最上階の「赤」瓦と「金」壁、それ以外の「黒」瓦と「白」壁、八角堂の高欄基部の「青」い羽目板。
「青い羽目板に金で龍と鯱が描いてあった」とあることから、八角堂は宮上案のように高欄付きであった可能性が高く、
「窓は櫛型だった」とあることから、窓については内藤案のようであった可能性が高い。
因みに内藤案を改善した佐藤案の八角堂は、漆喰壁が露出しすぎて雨仕舞いが悪く、雨漏りが絶えなかっただろう。
よって八角堂(窓は華灯型)については宮上案、それ以下は(黒漆羽目板と吹き抜けを除いた)内藤案のようであったろう。
691 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 07:51:16
【追加】
(城の設計図は軍事機密。無段持ち出しが発覚すれば斬首刑。また思い出して描けるほど単純ではない)
692 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 07:59:26
【追加】
因みに内藤案を改善した佐藤案の八角堂は、漆喰壁が露出しすぎて雨仕舞いが悪く、1年を経ずして天主内部では雨漏りが絶えなかっただろう(風圧による振動で細かい亀裂が各指口で分散吸収できないため)。
もちろん棟梁岡部又右衛門以言は名誉の切腹もしくは何らかの咎めを受けたはずだが、そうはなっていない(岡部又右衛門以言・以俊は本能寺で信長と共に横死)。
>>690 >よって八角堂(窓は華灯型)については宮上案、それ以下は(黒漆羽目板と吹き抜けを除いた)内藤案のようであったろう。
ピッカピカッやないか!!!
>>690 でも、白漆喰の塗り込め壁だと真下の階の屋根付近が雨の飛沫で汚れるから、
10cm〜30pくらいの最小限の黒漆下見板は張っていたと思うよ。
フロイスの木造なのに白く石造りに見えたという記述には矛盾しない程度の。
塗込でも伊勢の模擬天守みたいな総塗込じゃなくて真壁造だろうね。
復元案に下見板張りが多いのはどうしてだろう?
あと、ほとんどの復元案に採用されてる千鳥破風は無かったと思う。
696 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:45:15
真壁造りにしろ耐水耐風性に優れた塗込技法が確立したのが聚楽、伏見城以降とされているから安土城は下見板張りではないか?
先日、近江八幡城に行ってきたんだが、行ってみて驚いた。
算木積みがちゃんとなってなかった。はっきり言って雑な積み方だった。
安土城の方が綺麗な積み方だった。
八幡山の主郭部。それは単なる詰めの城であった。本当のメインは麓にある秀次屋敷だったのだ。
一乗谷城と朝倉館の関係と同じである。
本丸の内枡形は見事だったが曲輪自体は非情に小さかった。大阪城の山里曲輪の半分もなかった。
>>696 聚楽第で確立したのは総塗込であって真壁造りならありえるんじゃないかと思う。
フロイスの記述をを100%鵜呑みにするのも問題だけど
さすがに下見板張りの城の壁を白とは表現しないんじゃないかな。
岡山城や松本城の一般的な印象は黒だしね。
699 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 23:56:28
>優れた塗込技法が確立したのが聚楽、伏見城以降とされている
これは単に聚楽第屏風等からの推定。
古い天守は下見板張りというのも一般論で、絶対的なものではない。
安土城が総塗込だったのならば、塗込技術の確立年次が数年遡るだけの話。
安土が総塗込ってのは無理っぽい
701 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 05:50:29
奈良の大仏殿の壁って白いから塗込めかと思ったら木の板壁に直接塗ってあって板と板の隙間も見えて塗込めてないんですが、これは何と言う様式、技法なんですか?城郭では例があるのでしょうか?
>>690-701 やっぱり、安土城は秀吉の大坂城(徳川のは真っ白)や烏城岡山城、
家光江戸城(家康と秀忠の江戸城は真っ白)とのしがらみがありますので、
黒漆下見板を腰壁に貼った、真っ黒な安土城であって欲しいです。
しかし、実際に安土城天守閣(1579年5月10日-1582年6月14日)を見ていたヨーロッパ人宣教師たちの記録、
【耶蘇会士 日本通信】1580年9月1日付
「外壁は、金色と青色を塗った最上階以外は、ことごとく白く、太陽に燦然と反射して信長の宮殿の中心部全体に驚くべき輝きを投影していた」
【イエズス会日本年報】1582年2月15日付
「外部は各階異なった色で塗り分け、ある階は白色で日本風に黒漆を塗った窓を備え、ある階では赤や青く、最上階は金色で塗ってある。
建物は総て木造であるにもかかわらず、石および石灰で作ったもののように見える」
【日本の歴史】の中でルイスフロイスも
「下部の外壁は白壁で、日本で一般的に用いられてる漆塗り、すなわち黒漆を塗った窓を配している」
については、どう考えればいいのかいつも悩みまつ!
703 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 08:35:29
外壁は白漆喰+白い板張り、屋根は黒瓦だった、でどうよ?
704 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 10:19:30
下見板張りに朱漆仕上げはどうですか?
705 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 11:00:03
706 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 22:40:37
701ですが東大寺の写真集とかネット上の大仏殿を見てください。白く見える軒下の壁は羽目板で板張りの間に隙間が開いています。漆喰塗り込めではなくて板に漆喰が直接塗塗されているのです。
707 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 07:12:12
伊勢安土桃山文化村じゃん。
下見板張りの方が全体が落ち着くのは間違いないね。
上層部は派手なのに下層で装飾が一気に減るのも変じゃない?
だから総漆喰はさすがに違うと思うんだよね。
窓枠だけ黒漆というのは変だし真壁造が自然だと思うよ。
>>697 一見雑に見えても、排水性などを考えると
野良積みのほうがいい場合もある。
そもそも穴生に近いのだから、それぐらいは考えられていると思われる。
>>707 漏れがフロイスなら、
「山の頂きには尾根伝いに信長の宮殿があり、その中心には石垣の土台上に、
上に行くにしたがって小さくなる5階建てのカラフルな塔が建っている。
壁の色は1階から3階までは白壁で、黒漆を塗った日本風の華頭窓が配置され。
4階は赤と青(金色の龍が描いてある)、窓は華頭窓。最上階は金箔で貼ってある。
全ての階に屋根が葺かれ、瓦は黒だが、最上階の瓦だけは赤である。全て瓦の先端には金箔が光っている。
屋根のところどころには、同じく金箔が貼られた鬼瓦や飾り破風が配置されている。
3階の棟には大きな破風があり、大がかりな金細工が施してある。
天気がいい日、この白い塔に日光が燦然と反射して城下町からもよく見え、塔の下に広がる信長の宮殿全体は光に包まれる。
木造ではあったが、私たちヨーロッパ風の石や石灰造りのように見える」おおっ!!
711 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 15:23:27
712 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 16:22:32
俺は岩殿山城(岩殿城)が好きだw
713 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 18:01:58
秀吉の木幡山伏見城が好きだ。誰か精密に復元して欲しい。
秀吉の伏見城を復元できる資料ってあるの?
洛中洛外図に描かれてるのは全て徳川期のものなのかな?
715 :
:2006/09/29(金) 23:27:03
時代に即して名護屋城リアル復元だろ
チョンがファビョる姿が見える
城とエヴァンゲリオンって似てるね
>>714 現存する洛中洛外図は100点以上あるが
全部観た訳じゃなけど洛中洛外で伏見城が描かれた物は
見た事ありません。一体どの作品に描かれてるの??
因みに、最古と言われてる作品は室町期の歴博甲本。
舟木本は時代が詳細で1614から15年(慶長19年〜元和元年)を
描いた作品と言われ、二条城天守や破却された方広寺大仏殿が
観れるけど、洛外の伏見城までは描かれてない、残念。
718 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 10:45:17
洛中=京都市の旧市街。
洛とは中国の都、洛陽が語源。洛中は洛外に対する概念で、「洛中洛外」という表現がある。
通常、東西は東大路(もしくは鴨川)〜西大路、南北は北大路(欣也=真光)〜九条通り、に囲まれた範囲。
平安京の左京(東半分)を洛陽、右京(西半分)を長安ということがある。
洛陽(東都)中国河南省北部の都市。周、漢、後漢、魏、西晋、北魏の首都。
長安(西都)中国西安市の古い名称。漢以来、唐までの多くの王朝の首都。
>>707>>710 安土城本丸から赤瓦が出土している以上、やっぱ赤瓦は天守最上階に使われていたと考えるしかないのかな?
風呂椅子も最上階だけは赤瓦と書いてくれればよかったのに・・・
720 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 12:31:37
秀吉の伏見城は中井大和守の作事。その後は徳川の旗本。同家には方向寺の大仏殿の資料も残っているから徳川への忠誠を示すために豊臣時代の指図を全て破棄したわけではないょうだ。中井家に豊臣伏見城の何かが眠っているかもしれない。
内藤天主が一番まともな作りだけど、日本建築を基準に再現してるので
最上部が赤いと違和感を覚えて、外観が台無しになってしまう気がする。
実際、瓦は朝鮮人に葺かせたらしいし、信長公記に中国風に作る様
命が下されたとあるので、もっと中華風の天主なら違和感無いかもね。
因みに、駿府城の最上部も赤瓦か銅が葺かれてたらしい。
722 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 12:44:04
赤瓦に白壁の安土城だとすると遠くからでも目立ったろうな…
723 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 14:45:32
城とエヴァンゲリオンとドラゴンって似てるね
>>702 >家光江戸城(家康と秀忠の江戸城は真っ白)
建築技術的には逆行してるのでは?
>>717 堺市博物館蔵のもの。
模擬天守もそれを参考にしているらしい。
それ以外にもあるようだがわからん。
727 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 19:33:30
どの復元図を見ても、リアル安土城天主台のサイズに当てはめたら
最上階は三畳くらいしかないんじゃないか、などと思ってしまう。
下層三階がめっちゃ層塔形式なのも当時の建築技術的にどうなん?
入母屋を90度まわしながら重ねる形式じゃなかったのかな…
729 :
日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:05:27
730 :
日本@名無史さん:2006/10/01(日) 18:11:05
安土城のディテールは大凡内藤案が信頼性在るけど、シルエットは可也違ったと思います。
宣教師曰く、“一種の塔”と表現している辺り、既存の城を単に壮大にした感じではなく
信長の思想を表す為に宗教色の強い雰囲気を醸し出してたのじゃないかな
余りにも異様な信長ワールドの安土城は本能寺の変の後、焼かれたのだと思う。
732 :
日本@名無史さん:2006/10/01(日) 19:53:55
その宗教色だけど最上層の屋根が入母屋造りでなくて金閣寺の様な方形の屋根だと言う説もあるな。そうすると仏教建築の延長の様なイメージになる。
>>729 中華風天主だな。ラーメン食べたくなってきた。
>>732 >>金閣寺の様な方形の屋根だと言う説もあるな。
桜井説ね。
六重目は中華風に屋根が反り上がった夢殿チックに
七重目が金閣、若しくは平泉の金色堂風だったのかも
736 :
日本@名無史さん:2006/10/01(日) 22:37:49
故桜井成広氏は天主指図も発見されていない当時からよくあそこまで模型化したものだ先駆者としての偉業に頭が下がる。
桜井氏の模型はたまになんでこの縮尺なのかわからないものが存在する。
1300分の1は2間を1分に縮小となんだろうが、380分の1がいまだに理解できない。
宣教師の証言
「最上階には鬼瓦がいくつか載っていた。そのほかにもいたるところに奇人面の鬼瓦が使われていた」
カータリーの木版画では入母屋で描かれているから
宝形造の可能性はほぼ無いだろうね。
740 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 09:21:51
>>721 出土した赤瓦は本当に天主の最上階に使われていたの?
月見櫓や天主の飾りの千鳥破風や唐破風に使われていた可能性は?
741 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 11:19:40
バチカンに贈られた屏風の模写とされる木版画の内で天主と見られる方は入母屋、華燈窓に表現されているが最上階なのか?それとも下層のいずれかを抜き出して描いたものなのか?
カルターリの木版画で最上階は切妻屋根になってるよ。
≡≡≡が3間四方であることを表してるらしい。
華燈窓は八角堂のものらしい。
>725 江戸城の黒いのは耐火、防弾の為に銅版を加工した銅版を貼ったものだから
逆行じゃないよ。
744 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 16:02:35
彦根城みたい。
安土城の隣の彦根城は、安土城を参考にしたのかも。
746 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 16:36:12
そう言えば安土城の最上層を切妻造りの屋根にした復元予想図見たことある。外国の木版画の影響かな。
400年以上前の屏風絵が残っているかな?
屏風絵って傷みやすいよ。カビが生えたり、金箔が剥がれたり…etc
日本なら専門家がいるけど、ヴァチカンに日本の絵を修復する専門家がいるとは思えないし。
見つかったとしてもボロボロで見つかる可能性高し。見つかって欲しいけど。
748 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 18:51:25
伏見城が一番好き
なぜなら文化的な面も実戦向きな面も備えている城だから
749 :
:2006/10/02(月) 20:46:39
内藤安土城の屋根が素人目には不自然なんだが・・・。
修正を加えるという作業はやっているのだろうか?
暦博のCGや安土町の復元模型で固まっちゃったのか?
>>740 天主最上部が赤瓦と言う確たる証拠は無いので宣教師の報告と一級資料に偏見ですが
担当した瓦奉行らは、唐から来た一観と言う人物の指導を受けたのは確かなので
紫禁城などの高い位の建築に用いた赤黄瓦の黄色に近い色ではないかと推測します。
それと宣教師の記述に、瓦は青く見えると言う印象の殆どが碧瓦(青灰色)で葺かれ
最上部が全て金色だったと言う点から、金色に近い色の特別な赤黄瓦が七重目に
葺かれたのではないかというだけで、絶対的な信憑性がある訳ではないと思います。
>>747 今まで何度かバチカンに屏風探しを頼んでいるけど本気さ感じられないね。
ベネディクト16世も不用意な発言で屏風探しどころじゃないと言う感じだし
実際、欧州の気候に和紙や金箔、色彩などは非常に厳しいらしいです。
金箔は剥離し、紙は虫に喰われたり、屏風と和紙の接着も剥がれてしまい
何のメンテナンスもされずに未だ何処かに眠っているのだとすれば痛みも激しく
もし見付ったとして、安土城の外観を確認する事は難しいかもしれない。
753 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:44:23
安土城の赤瓦だけど火災の影響で赤くなったものばっかで
最初から赤く見せる目的で焼いたものとか大陸性のものは見つかってないって話を聞いたことがある。
でも資料にはそれっぽいものがあったような事が出てくるんだよね。
謎が多いな・・・・
出土瓦の3分の1は赤瓦で、火災で変色していない綺麗な赤瓦も出ていると何か、城の本で呼んだことがあります
また宣教師も赤瓦について言及している節があります
「瓦は、大きさポルトガルの瓦に等しきが、製作巧みにして、外よりこれを見れば、薔薇又は花に、金を塗りたるが如し。」
安土城天主が宗教色の強い塔状の建築だとしたら南蛮寺との構造状の共通点はないのでしょうか?
白い壁に黒い窓というのは秀吉の大坂城(ねずみ色の漆喰)、聚楽第、名護屋城との関連性はないのでしょうか?
また、安土城と共に天皇行幸を考えていた永徳筆の聚楽第の天守の入り口は【付櫓】と【二階から御殿へ続く廊下】の
二ヶ所がみられますが、天守指図にある【地階の入口】と【東の御いえろうかのみち】に共通点がみられるような気がします
安土城天主の外観についての宣教師たちの証言
>>702>>738>>754 【耶蘇会士 日本通信】1580年9月1日付
「外壁は、金色と青色を塗った最上階以外は、ことごとく白く、太陽に燦然と反射して信長の宮殿の中心部全体に驚くべき輝きを投げている」
【イエズス会日本年報】1582年2月15日付
「外部は各階異なった色で塗り分けられ、ある階は白色で日本風に黒漆を塗った窓を備え、ある階は赤と青、最上階は金色で塗ってある。
総て木造であるにもかかわらず、石および石灰で作ったもののように見える」
【日本の歴史】ルイスフロイス
「外壁は白壁で、日本で一般的に用いられてる漆塗り、すなわち黒漆を塗った窓を配している。
屋根瓦については、大きさはポルトガルの瓦と同じだが、作りが精巧で薔薇又は花に金を塗ったように見える」
「最上階には鬼瓦がいくつか載っていた。そのほかにもいたるところに奇人面の鬼瓦が使われていた」
757 :
日本@名無史さん:2006/10/03(火) 17:49:51
>>757-758 うゎ〜、カラフルで素敵!!
モノトーンで地味な江戸時代とは偉い違いだね。
760 :
日本@名無史さん:2006/10/03(火) 22:59:36
真壁の方がやっぱり違和感ないね。木版画も真壁っぽく描かれているしね。
ついでに言えば軒下も塗込ではないだろうな。
>>754 大坂城が鼠漆喰というのは夏の陣図屏風を元にした宮上案の解釈?
鼠漆喰って比較的新しい印象があるけどこの時代からあったんだろうか。
そうそう銀箔って何かの本で読んでそれは無いだろうと思ったよ。
金箔瓦に銀箔の壁っていくらなんでも・・・
これも夏の陣図屏風からの推測かな?他に何か根拠があったんだろうか。
というか、わざわざ銀箔にする意味がわからない、それなら金箔でいいじゃんね。
>>763 当時の技術では銀箔を使用した場合は汚い鼠色になってしまうと聞いたことがあります。
今の技術ならキレイな銀色になると思いますが。
そこから夏の陣図屏風に描かれている鼠色の大坂城天守の漆喰には銀ぱくが貼られていたと解釈したのではなのでしょうか?
しかし宣教師の報告には天守の壁は紺色とあります。黒い下見板が太陽の光を反射して紺色に見えたのかもしれませんが。
765 :
日本@名無史さん:2006/10/04(水) 18:50:26
銀食器を見よ、酸化で黒ずんてくる。漆喰に箔は押せないから板張りの上だろう。美観とはならないから鼠色の漆喰だと愚考する。但し駿府城天守の壁面は錫等の金属板張りに黒漆等で塗装していたと推察する。
天候にもよるけど松本城天守なんかも紺色がかって見えるし
壁が紺色というのは黒漆塗りの下見板を指すと考えていいんじゃないかな。
駿府城は装飾に銀が使われていたとされるけど、実際はどうなんだろう?
安土城もそうだけど文献や絵画における誇張表現や誤った解釈を
言葉そのままに採用して復元案に盛り込むのは疑問だよね。
どこまでが誇張かを見極めるのが難しいとは思うけど。
建築物に銀はありえないよ、酸化するから不向き。
銀閣寺なんかは創建当初は銀箔も使用したらしけど、今じゃ質素な佇まい…
足利義政ひんがしやま殿がいかにアレだったのかが伺える。
銀閣こと慈照寺は最初から銀箔貼ってないよ。
金閣に対してそう呼ばれているが。
実際に行って見てみれば分かると思うが、禅宗文化の香り漂う侘びさびの世界だよ。
その酸化した銀の鈍い光を愛でたものですが
>>767 金閣・・・予定通り「金閣」。内部は神秘空間
銀閣・・・金閣と対比して「銀閣」と呼ばれていただけ
>>768-770ご指摘忝い。
以前慈照寺の住職が、もしかすると創建当初には
一部に銀を使っていたのかもしれない様な事を耳にし
それをうろ覚えに、思い込んでいたのかもしれません。
もしかしたら聞き間違えたのかも(*ノ∀ノ)
772 :
日本@名無史さん:2006/10/05(木) 22:10:09
あの、金閣寺の金箔には表面の保護に漆を塗っている。銀箔も同じ加工すれば酸化はしにくいと思う。銀閣には銀箔を貼る予定だったが資金不足で果せなかったと聞いた気がするが真相は?
773 :
日本@名無史さん:2006/10/05(木) 22:41:00
そもそも銀閣ってどっかから移築してきたものだって聞いたことあるが
北山鹿苑寺は金を使い金閣寺と称した分けでしょ
東山慈照寺は何故銀閣と言われる様になったのか
銀を使ってないのに、その辺に疑問を感じる…
銀閣ってさあ、何かデザイン的に妙に不安定で変だよね
いぶし銀
むかし分厚い歴史の図鑑で宮上氏復元の銀閣、金閣イラストを見たことがある
何故、今の姿に改築されたかまでは読まなかったが東福寺開山堂みたいな安定感のある姿をしていた
宮上氏の安土城や大坂城に色々な問題点があるのは認めるが
最近の学研の出版物から徐々に宮上氏の復元案が消えていくのは見ていて寂しい
まだ城に興味が無かった当時、たまたま草思社の大坂城の絵本で宮上氏の
黒と鼠色の中に浮び上がる金飾を施された美しい大坂城天守を始めて見た時の衝撃はいまだに忘れられない
今改めて見ると疑問点が多いからね、
故人だから修正も出来ないし消えて行くのは仕方がないかも。
大坂城天守の宮上案は圧倒的にかっこいいよね、
自分も子供の頃にあの復元イラストを見てから城に興味を持ったよ。
三浦氏の復元案(夏の陣図屏風を元にした方)を見た時はガッカリした。
美しさを競うものでもないけどね、、
実際は大坂城は三浦氏の冬の陣図を元にした案が真実に近いだろうね。
779 :
日本@名無史さん:2006/10/06(金) 01:59:31
伏見城どう思う?
銀は使用してないって根拠も何処にも無いのに鵜呑みし過ぎなんだよな
住職さんが使った可能性は否定できないと言っている以上何とも言んだろ
見た聞いたと言うだけじゃなく自ら文献探したり絵画資料を確認しなきゃ
因みに宮上氏の復元案は根本から間違い、金閣も安土城も酷すぎて排除だろ
金閣は上杉本洛中洛外図を観れば一目瞭然なのに妄想で変なモノ作った辺りその
いい加減さが伺えるよ
城郭建築を無視した妙な安土城など不快感さえ覚えるし一体何考えてあんなモン
が生まれてくるか不思議でならないよ。
>>779 伏見城天守は福山城伏見櫓や屏風絵などから推定すると
徳川期の壁は真壁かあるいは塗籠で柱型を出していたと思う。
豊臣期も聚楽第や名護屋城が塗籠と思われる事から下見板張りではないだろうし
徳川再建後に塗籠だった建築群を古式の真壁に戻すとは思えないから
豊臣期も同様に真壁(あるいは柱型を出した塗籠)だったんじゃないだろうか。
城郭全体も大坂城のように完全な再構築ではないしね。
まあ想像の域を出ないし、それ以上はわかりません。
>>780 上杉本の金閣は創建当時の姿じゃないのでは?
金閣(北山殿)復元案が正しいかどうかは別として。
>>780 中井家の大坂城本丸図の一間は発掘調査の結果、六尺五寸と判明。
秀吉関係の本で中井家の大坂城本丸図の一間が六尺五寸であると三浦氏自身もそれを説明。
更に三浦氏は天下人の居城の柱間の一間が七尺である事を様々な本で解説している。
だとした場合一間六尺五寸で十二間と十一間の天守台に
一間が七尺で十二間と十一間の天守を建てる事は物理的に不可能。
しかし三浦研究室の大坂城天守の復元図は夏の陣バージョン、冬の陣バージョン共に十二間と十一間。
張出してたんじゃね
張出してたんじゃね(嘘)
と書こうと思ったら途中で押しちゃった w
天下人の居城の柱間の一間は基本的に七尺だとしても
大坂城は例外的に六尺五寸という解釈でいいんじゃない?
三浦研究室がどういう意図かしらんけど。
夏の陣バージョンはデタラメというか強引すぎるよね。
785 :
日本@名無史さん:2006/10/06(金) 06:38:11
備後福山城の天守って徳川伏見城か駿府城天守を模して建立したのではないかて考えてみました。
786 :
日本@名無史さん:2006/10/06(金) 23:39:54
城オタ同士の会話って妄想合戦って感じで面白い!
787 :
日本@名無史さん:2006/10/06(金) 23:51:58
こんなのを面白がる役立たずな低能もいるんだな。
豊臣の大坂城天守は宣教師の報告「日本西教史」だと1596年の大地震で倒壊したそうです。
もしかしたら冬の陣屏風の天守、夏の陣屏風の両方とも真実の大坂城を描いてるのかもしれません。
倒壊する前の天守は聚楽第、岡山城、広島城に似ている初期望楼型で、
再建後は福井城や姫路城に似ていたスマートで華麗な後期望楼型の天守だったのではないでしょうか?
789 :
日本@名無史さん:2006/10/07(土) 00:37:18
790 :
日本@名無史さん:2006/10/07(土) 00:43:49
そんなこと、どーでもいじゃん。あほらし。
791 :
日本@名無史さん:2006/10/07(土) 01:00:22
すべてプラズマです(教授談
まあアレだ、人それぞれな分けで
アホから生まれるモノがあるかも知れない
そんな可能性も否定出来ないジャマイカ
>>788 その再建説知ってる、冬の陣図が古いスケッチを元に描いた事を前提にしてるんだよね
でも、冬の陣図は極楽橋の形態から慶長5年(1600年)以降の姿を描いてると思うよ。
慶長5年以前の姿を描いた大坂城図屏風の天守と夏の陣図屏風の天守は印象が似ているし、
大坂城図屏風と冬の陣図の天守も酷似してるから全て同じ天守を描いてるんじゃないかな。
おそらく倒壊後もほぼ同じ姿で再建されたと思う。
同じ地震で伏見城も倒壊してるからそれを勘違いした可能性もあるね。
794 :
日本@名無史さん:2006/10/07(土) 03:01:19
城って、昔の技術でどのくらいの年月で完成するものなんですか?
今の技術だと、どのくらいですか?
レベルの低い質問、すいません。
時代にもよるし、規模にもよるし、掛けられる人、お金にもよるし、
秀吉なんて一晩で建てたぞ
秀吉の一夜城はデタラメです。
797 :
日本@名無史さん:2006/10/07(土) 20:06:56 BE:396909247-2BP(0)
日本史板で一夜城なんか信じてる馬鹿がいるとは
メンヘル板でも行けや
798 :
日本@名無史さん:2006/10/08(日) 09:01:09
名古屋城が最強だろ。最新の大筒の射程・破壊力に耐えうる抗堪性を持つの
は、ここと五稜郭だけ。
>>798 お前のクソネタは飽きた。
誰もそんな比較してねえよ。
>>798 今治城とかけっこういけてると思うよ。
ところで最新の大筒ってのは、いまの最新だからクラスター爆弾とか?
誰か、金閣の内部写真、持ってない?
各層の。
外見は派手な、櫓建築に似てるけど、
内部は恐ろしいほど美しいんだよ。
あれは「瞑想状態の展示場」、「美の完成系のひとつ」だと思う。
802 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 19:07:12
803 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 19:28:03
金閣イコール天下人の象徴。信長岐阜城山麓天守、家康駿府城天守は下層は金閣に似た構成だな。聚楽第天守の下層も書院造りだったかもね。
>>802 まぁ、オマイら喧嘩はやめて仲良くやろうぜ。
>>787は周囲から役立たずの低脳呼ばわりされてるからカチンと来たにすぎないんだ。
>>787 普段から言われてないと出ない台詞だなw
金閣は書院造じゃないんだけどな。
>>803 そうそう。
安土や大坂、駿府といった天守閣が
金閣の影響をものすごく受けてると思うわけですよ。
内部構造だってもしかしたら、と
TVで見たことある
ものすごく美しかった。
>>803 信長の岐阜城の山麓と山頂に天主、天守はあったのでしょうか?
山頂にあったのは上の権現という建物で、山麓の御殿は狭い割平地に数段に別れて建っていたと思うのですが。
特に山麓の御殿の一階には座敷が20程あり、安土城天主よりもり遥かに数が多いですよね
また、それぞれの階には前廊があったそうで、これは前廊という表現から城下に面した部分にあった廊下で廻縁とは違う感じがします。
瓦の出土状況から信忠の時代の山頂には金箔瓦の天守が有ったとされていますが。
信長の時代の清洲城に北櫓と南櫓、小牧城にも二層の櫓(偽書と言われてる武功夜話)が有ったそうなのでなんともいえませんが…
811 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 23:24:33
信長の岐阜城時代の天守(山頂の方)は一階建てだったという見方があるって聞いたんですが
どうなんでしょう?
>>812 暗い室内に
・天井は極彩色の絵画
・床はどこまでも平面の、ぴかぴかの黒漆→永遠に広がっていくような空間
・その他調度も漆
・その中心に、シンプル構成の、極彩色の仏像群
・仏の顔方向の面の窓(空間)を全開に開け放ては、そこは東山の緑
TVではこんな感じだった。
814 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 01:27:59
岐阜城で天守が確認できるのは池田輝政が天守を上げたという話が古く、
それ以前の信長の時代ともなるとなんら史料がありません。
もちろん、信長や信忠の時代に天守が存在した可能性はあるかもしれませんが。
815 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 07:25:48
じゃ、宮上氏の、山頂山麓二つの天守説は…?
816 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 08:53:42
城に天守を置くのは常套手段なので、稲葉山に天守は当然の如く存在した筈
土岐、斎藤、織田で天守閣の形の変化はあっただろうが、天守を2つ置く
ナンセンスな宮上案は悉く却下されて当然。小丸を天守と思い込んだのかな故人はw
?
819 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:08:29
誰か!日本史のいい勉強法教えてください。
820 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:09:40
821 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:11:27
明後日からテストなんで↓↓↓
朝から勉強してるけどなかなかすすまなくて
822 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:38:01
一昔前なら、教科書を暗唱するぐらい読めと勧めたけど
教科書は欺瞞に満ちてるて分かってからは、もう勧める気ないわ
テスト目的なら欺瞞とか関係ないし暗唱するぐらい読むしかないんじゃね。
日本史はマンガのやつ読むと全体の流れをイメージで掴みやすいと思う。
岐阜城の時点ではまだ天守という定義自体が曖昧だったんじゃないかな。
岐阜城に天守が2つあったと言われると違和感があるけど、
天守建築の原型になる2種の建物があったと考えれば無理はないんじゃない?
山麓のは金閣や江戸城静勝軒の流れを汲むような楼閣(御殿)建築だっただろうし
それとは別に山上に櫓建築があるのは不思議ではないよね、重層かどうかは別として。
その2つを融合して安土で天守建築が明確に確立されたと考えたら違和感ないかも。
安土以前は発展途上の段階で多聞山城の四階櫓などのように様々な形態があって混沌としていたと思う。
後の聚楽第でも絵画資料を見ると大型の楼閣建築と天守建築が両立してたようにも思えるし
岐阜も天守が2つあったというより2つの象徴的な建物があったと考えれば自然だろうね。
824 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 13:14:22
823も宮上案も可能性はあるが確証のない話。
可能性は823の方が高そうという印象。
825 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:02:35
>江戸城静勝軒
これ、どんな姿だか分る史料ってるの?
(天孫降臨から説き起こす歴史教科書がいいとは思えん。〕
静勝軒についてはいくつか史料が残ってたと思うけど
それらから推測すると楼閣建築だったらしい、詳しくは忘れた。
あと、明治まで残っていた佐倉城の銅櫓は静勝軒を移築・改造したものだったとか。
櫓としては異例の宝形造だった事から考えるとあながち否定はできないね。
移築ではなかったとしても、そういった移築伝承が生まれたのは
当時、静勝軒が宝形造の楼閣建築として認識されていたからかもしれない。
移築伝承がいつからあったのかはわからないけど。
827 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:21:44
あくまで伝承だからー
可能性は低いだろうね。
まして移築ともなるとねー
828 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 07:21:45
銅櫓の所以は屋根が銅版葺にある。太田道灌の時代に銅板葺はありえたのか?資料には見当たらない。
移築だと家庭すれば銅版葺にしたのは移築後の改造だと思うよ
いずれにしろ想像の域はでないけど現存してない以上否定も肯定も難しいんだよね。
そもそも家康入城時点まで静勝軒が残ってたかどうか疑問だし
移しではなくて外観の写しだったのかもしれない。
銅櫓がなぜ宝形造・銅版葺にしたのかの理由がわかればいいんだけど。
その理由が静勝軒に由来するものなのかどうか。
とりあえず銅櫓は静勝軒をイメージする参考にはなるとは思うよ。
まあ、それ以上にはならないけどね。
830 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 15:34:38
佐倉市の歴・民館に佐倉城の復元模型があるけど本丸土塁に銅櫓がる。銅葺きの屋根は銅櫓だけ。下見板張の壁面と緑青はミスマッチだが味わいもある。
831 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 00:56:10
道灌の時代と家康の時代とでは櫓の規格サイズ(間取りのサイズとか)が違うでしょ。
そのまま持ってきたよって話には無理があるね。
さすがにそのままではないと思うよ。
城郭建築で移築とされている建造物の多くは改造されてるしね。
その後の修理の際に改築を重ねてたら本来の姿には直結しないだろうけど
一部の意匠を引き継いでる可能性はあるからその点は検証する価値があると思う
銅櫓の場合は移築だとしても楼閣から櫓へと大幅に変更されてるはずだし
重要なのは宝形造だった事くらいかもね。
833 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 09:51:45
将軍家の拝領品は寸分たりとも改変していないと思う。備後福山城の伏見櫓も全く改変していなようだ。銅櫓が銅葺なのも徳川の嗜好だ。道灌時代の楼閣建築を櫓風改変したのは将軍家だと思う。
834 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:08:44
まあ、銅櫓が改造されたかどうか立証できないと思うけど、明暦の大火で林大学頭羅山がとった行動が面白い。将軍から賜った銅書庫。江戸城内から移築したものから大火が迫るので書物を疎開させたいが書庫の安全性を疑う事になるからできないと言う話。
835 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:16:25
834の続編 結局大火で銅書庫は全焼して羅山が生涯をかけて収集した稀少本は失われた。ショックで羅山は死去したが林家の忠義は認められ幕府滅亡まで家格を保った。拝領品は絶対だと推量する。
東京駅から丸の内まっすぐ歩いていると、
松ノ木取っ払って、富士見櫓もっと見せろと思う。
838 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 03:12:00
おれもそう思う
オーストリアで見つかった大坂城の絵が結構保存状態
が良いから安土城も期待したい。
840 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 10:24:35
841 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 12:17:08
今日の朝日新聞の朝刊に出ている。過去に見いだされた豊臣大阪城の絵画では最悪の出来だ。天守は白亜総塗込、五階のみ黒く描かれているが写実性はゼロ。想像絵巻だ。
え、、じゃあ復興天守みたいな感じ??
843 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 13:27:02
ぱっと見は洛中洛外図の家康二条城の天守風。入母屋を交互に重ねて最上階に欄干を巡らしている。大阪落城後に伝承を元に想像して描いたのだろう。
大阪城と大坂城くらい使い分けろよ。
846 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 16:48:18
847 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:18:21
い
848 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 20:40:26
明治の西南戦争の後、武士の反乱に手を焼いた明治政府が大坂の坂の字が士が反すると忌み嫌い阪の字に改称した。
林家の屏風絵のバリエーションじゃないの?
850 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 10:07:09
安土屏風は信長が写実性に拘って何度も書き直させたから大坂城屏風の様に省略やパターン化されたものではないだろう。
安土山屏風が未だヴァチカンに保存されてたとて
何らメンテナンスを受けてなくば保存状態は最悪かと
見付らないならグレゴリウス13世の棺開けてみそ〜
852 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 15:26:12
本州+九州+四国+佐渡島+淡路島+隠岐諸島+壱岐+五島列島+男女群島+天草諸島
+甑島列島+伊豆諸島(八丈島まで)=大本州 地続きになれ
本州+九州+四国+佐渡島+淡路島+隠岐諸島+壱岐+五島列島+男女群島+天草諸島
+甑島列島+伊豆諸島(八丈島まで)=大本州 地続きになれ
↑
むしろ全部沈んでしまえ
↑バンチョッパリ乙w
857 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 10:26:20
市民による城の再建運動とか最近流行っているけど唯一再建反対の運動が盛んな地域がある。米子城の天守再建についてだ。
858 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:54:37
どうして?
模擬天守作るくらいなら作らないほうがいい
一応は考証があるんでしょ? それとも3裏グループが気に入らないとか?
地元じゃ、復元図描いただけで、いろいろ吝つける人いるらしいが。
861 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 04:17:56
再建が遺蹟と環境の破壊と言う考えがある。米子の預かり城主の荒尾氏は苛政に務めたため地元では不人気で城に対する愛着がわかないらしい。
862 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 10:51:48
そりゃそうだ、本社しか目が向いていない
支店長みたいなものだ。
863 :
日本@名無史さん:2006/10/25(水) 09:27:10
例の掛川城の天守もかなり無理して建てたらしいな。再建ではなく木造新築だそうだ。
再建された掛川城天守の、外観はともかく、天守台の形が古絵図と微妙に違うが、
あれは地震後に補強された物なのだろうか?
今の天守台の形は発掘によって確められた結果なのだろうか?
宮上茂隆氏案の掛川城天守は高知城天守を参考にしてるそうだけど、
現存の高知城天守は江戸時代の再建のなので、だとすればその外観は(以下省略
865 :
日本@名無史さん:2006/10/25(水) 17:23:46
>>865 天守曲輪の斜面を覆うコンクリート石垣の事ではなくて、天守曲輪の上に乗る天守台の形が、天守台とほぼ同じ大きさの宮上氏案と
天守より天守台が大きい松岡敏郎氏案、遠江国掛川城地震之節損所之覚図と違っていたので…
故宮上氏は強引に再建をけしかけたので、辟易している研究者は多いらしい。
大洲の再建にGOサイン出したのも故宮上氏でしたな。
868 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 05:33:48
掛川城の再建は資料も少ないのに自称創建時にしたのは危険過ぎる。これは想像新築だ。資料の整っている幕末の最終状態で復元すべきだった。
869 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 06:12:09
市の担当者から聞いたんだけど、市長が大変な権威主義者で異論や反論を
受け付けなかったなしいね。
870 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 08:22:13
せめて忍び返しの槍の穂とか最上階の欄干とか高知城の安易なコピーはやめて欲しかった。根拠は、すべて掛川の如しの一豊の一言。すべて高知の如しでは復元とは言えない。
たしかに掛川城はもったいないね。
幕末期の外観の方が具体的にわかるのにわざわざ高知城のレプリカにしちゃって。
というか、高知が掛川を模したという割には高知城天守の方が古式に見えるし。
創建時というより正保城絵図に似せてるように思える。。
正保城絵図のは再建後の改変された姿だと思うんだけど。
幕末期の掛川城天守の外観は一層目が土台と柱の型出しで、二層目は下見板貼りで復元天守より古式な外観なんですよね…
張出し部分の屋根も入り母屋ではなく、構造が簡単な切り妻なのも気になります
三層は米子城天守のように後に高欄を板で覆った姿が三間×四間なので母屋の寸法は復元天守の三間四方ではなくて二間と三間になるかと思います
正保城絵図の掛川城は櫓は板貼りで天守は大壁なので、
幕末期の掛川城天守の外観は財政が疲弊した状況下で補修を繰返していた結果の姿なのかもしれませんが
873 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 23:00:53
雪害で床板が痛みやすい米子や松江は高欄を覆ったのは解りますが
温暖な掛川で高覧を覆う形にしたのか、興味あるところですね。
874 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 23:26:36
雨だよ。
875 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 07:37:50
でも結局欄干は取り込んでしまった。
下見板張りが復活したのも漆喰が火に強くても水に弱いため。
いっぱい写真が載ってるお薦めな本はありますか?
878 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:17:58
下見板張りって焼けても内部に及ばない作りになっているらしいよ。
っていうか、下見板張りって何の意味があるの?
土壁の保護
881 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:13:49
日本のモンサン・ミシェル、名古屋城について語ろう!
ウンコ食え 下痢食え 肥溜めに頭から突っ込め
(・@・) (・@・)
884 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:31:38
日本のマチュピチュ、竹田城について語ろう!
石原氏の安土城天主の復元案の詳細をご存知の方はおられますか?
ぐぐっても出て来ません
石原守 安土御天主図象之記 平成12年 私家版
みなさん。
日出城の鬼門櫓を知っていますか?
今は民家の土蔵になっていますが、壁は朽ち、瓦は落ち、と散々な状況です。
日出の役所にどうにかするようにみんなで頼みましょう。
城下かれい
888 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 14:31:27
>>886 民家(私有地)なのか。町並み保存とかやってないと、けっこう難しいかも。
889 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 14:39:42
地元自治体も保存には消極的らしい。ただ飯食いが!
国の出番じゃ
891 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:19:02
宇都宮城がもうすぐ完成しそうですな
模擬土塁w
893 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 09:40:51
土塁の高さ位置は正確なの?櫓の寸法、意匠も正確な資料あったの?餃子の町の市民グループさん。
土塁ですらないよね、コンクリ塁。
コンクリ天守と同じで何十年後に批判の対象になるんだろうね。
コンクリ天守はNGでコンクリ塁はOKって変な話。
895 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:05:38
ほんで清明櫓とか木造なの?中入れんの?
897 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:25:48
898 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 23:56:54
佐藤氏復元案の安土城天主のミニチュアが製品化されるお。
写真を見たが出来はいまいちだお。
安土城は好きなので、店で見かけたら買うつもりだお。
899 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 00:19:33
佐藤氏復元案は下層部に対し極端に望楼部が小さく、正直言って不恰好だよ。
不確かな伝承から岡山城に似せすぎ。
>>898 製品化って何?プラモデル?
どこで売ってるの??
901 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:26:23
>>900 Quantoとかいうおもちゃの雑誌で見たお。
メーカーとか詳しい事はわからないお。
他に江戸城天守、大坂城天守もあたお。
値段は確か500円くらいだお。
902 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:31:42
>>900 プラモデルじゃなくて100円ショップで売ってるミニチュアような何かの樹脂の塊みたいな感じだった
金髪碧眼の姫君がわんさか居たら日本の城もエロゲでバンバン登場できたろうに。
ええい、口惜しや。
>>901,902
じゃあ食玩みたいなやつだ、、期待できなそうだね。
大坂城が豊臣天守なら買ってみたい気もする。
○○氏説天主とか、縄張り内の各櫓とか、軍艦みたいに15xx年改修後バージョンとか
色々あったりしたら神(資料なさ過ぎで余計な議論を呼びそうだが)
いいねえ、おもちゃなら多少デタラメでも許せるから
米子城大小天守・高山城・大津城とかあれば欲しくなるね。
まあ普通に姫路城や松本城とかなんだろうけど
佐藤氏復元案入れてるのはちょっとマニアックな気もする。
907 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 21:45:36
本物の大阪城はもっと大きかったらしいけどね。
東大寺の両脇に100メートル級の七重塔を再建すれば。
外国人もびっくり
日本が本気になれば核兵器を造ることぐらい楽勝だろ。
最高性能の核兵器を何百発造るくらい日本にとって簡単すぎて屁でもない。
あえてそれが当たり前。
910 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 22:17:12
>>899 奈良の大仏と同じで、下から見上げた時のバランス重視じゃないかと思った
・・・・・・くらい、正面はアンバランスですね。
内藤説は、下層部の屋根のつき方が不自然で佐藤説はその矛盾を解消したと唄っているが・・・。
911 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 22:19:07
それじゃ、911の脳内論理を教えてくれ
あの手のアンバランスは福山城伏見櫓、岡山城大納戸櫓、津山城備中櫓、聚楽第天守とかにも見られる
あえて変な形にするのが歌舞伎者の好みだったんじゃなかろうか?
>>907 ゲ、徳川大坂城なんだ・・・いらねえ。
なんでそんなパッとしないのを選んだんだろう。
915 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 00:06:55
第1段じゃなくて第一弾だった・・・(///
916 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 01:33:29
>>914 大体確実な資料が載っているから、かな?
豊臣は宮上・三浦で2説あるでしょ。
917 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 01:46:49
>>916 豊臣大坂城天守の復元案は桜井成広氏、大竹正芳氏、最近だと本山一城氏のもある
918 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 08:06:18
名古屋城は出るんですか?
>>909はスレ違いも甚だしいし、日本語の習得も足りない。
それを擁護する
>>912 バカって気楽だねw
920 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 09:38:28
日本の核ミサイルは広島の原爆ドームの中に格納され、有事の際に発射されるのだ。
921 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 09:48:45
しかも核ミサイルの格納庫は近江穴生衆による切石積。ミサイル表面は真壁造りだ。最頂部には欄干を巡らし華灯窓を備える。ミサイルの運用金には奥州棚倉十万石を充てるのだ。
922 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 18:05:48
明治の岐阜城模擬天守は面白い作りですね
プレハブ、トタン屋根みたいなのがツボです
>>917 本山一城氏案ってどんな感じ?
どこかで見れる?
925 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 20:36:31
>>924 ありがとー、
14間が?な感じもするけど読んだら納得できるかな w
気軽に読んでみるよ。
>>925 久しぶりだな城壁厨w
まだ低脳なままなのか?
熊本城あたりの過剰防備を、使われざる最終兵器という意味で
「核」に譬えていたのは、三浦教授だったね。
929 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 01:18:02
早漏どもこっちを先っぽ使え
本山 一城って漫画家だろ。
信用できるのか?
信長の安土城・秀吉の大阪城を破壊したのは悲しい事に同じ日本人なんだな。
紫禁城やタージマハルが残っていると言うのに、
信長・秀吉・家康と言う日本史三大英傑の城が残ってないのは真に悲しいものだ。
東大寺を消失させたり日本人と言うのは外国人より文化財に対する保護意識がないな。
932 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 04:10:27
名古屋、広島、岡山、福山は爆撃で壊しただろ
933 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 20:22:41
政治の舞台てなった建造物は政権が衰退すれば焼かれるか取り壊されるか朽ちるかの何れかでしょ。
934 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 22:31:29
935 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 22:59:28
近世の城下町の中の寺町って、
一種の砦の性格を帯びているよな。
937 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 08:36:28
938 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 11:20:06
京都御所は里内裏の延長で天皇の個人的な施設です。かっての大内裏の一部にしか過ぎません。大極殿など公式な政治的な建築物は消滅してしまいました。
939 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 14:26:07
平安神宮は、「外観復元」または「外観復興」?
平城宮跡は、「木造復元」(文化庁公認の)?
940 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 16:37:05
>>938 里内裏はもともと貴族の邸宅に
天皇が住まいした仮内裏なのだが。
天皇の個人的な施設というのはおかしい。
>>934 日頃から正確が悪いって言われてるだろw
943 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 18:56:49
>>942 坊主の袈裟がたまらないのじゃよ。ふぉっふぉっふぉっ
944 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 19:33:26
945 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 20:12:44
>>942 邪魔だから一つにまとめただけ。
たまに戦時に砦として使うことを考えているケースもあるにはあるが、
これはあくまで例外。
常識的に考えれば分かるが、寺がたくさん集まってたところで、
守る側としても壁やら建物やらがゴチャゴチャしすぎて守りにくい。
ほんとに砦として活用したければ、むしろ分散させて要所に配置するであろう。
ということで、
>>944はどっかで拾ってきた知識を自慢げに披露して赤っ恥を曝した馬鹿。
947 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 20:38:41
>>945の電波ぶりには非常に笑えるw
寺町にある寺院は高い塀で囲まれているのが常。
またそのような寺院が建てられても
難癖をつけられにくい。
高い塀で囲まれているので、兵員を
その中に隠すことができ、敵は容易に
早くには進攻できない。
また寺院には広場や庭園があるので、
ごちゃごちゃしている場合も少ない。
そのような建物を建てるには、
寺院が難癖をつけられにくい。
>>945は電波w
948 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 21:03:37
ほんと電波がユンユンしてる板だな。
まだ袈裟が好きという方がいいな。
950 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 21:45:59
950!
ウンコ 下痢 チンチン 小便 尻の穴 クソ 下痢 金玉 肛門
太閤秀吉軍 40万人
んで、その寺町って戊辰戦争とか西南の役の時とかやっぱり役に立ったの?
954 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 01:26:23
中世城郭・寺院は中世の戦争は想定していたとして、幕末は考えてないでしょうから、
中世の戦いの中で調べるべきでしょ。
幕末で調べたいのであれば五稜郭のような幕末に新造された城郭の寺町を調べるといいんだろうね。
中世で調べてみて、寺町があったから守りきれたとか効果を表す話は知らない。
しかし、城下を焼き討ちしたとかそういう話はよく聞くわけで、
城下の存在というのは寄せ手にとって排除すべき邪魔な存在であったと推測できるよね。
>>947 電波乙
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
>>955 電波乙
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。
寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としては極めて適格。
>>956 電波乙
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
弘前の寺町は明らかに軍事的な意味合いを持っている。
出丸みたいなものだろう?
弘前の寺町は、当初は寺院統制のために
城の近くにつくられた(元寺町)が、
火災と城下の発展にともなって、
城から離れた場所に移された(新寺町)。
そもそも「寺町」は、
大抵の場合は、江戸時代に入って、
一国一城令によって一つしか城をもてなくなったから、
「寺」という名目で、幕府から文句をつけられない形で、
要塞として構築したものだからな。
代表的なのは、米子の寺町だろう。
>>957 電波乙
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。
寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
>>961 電波乙
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格。
>>957 電波乙wwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。
寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。
寺の鐘楼は、砦の櫓として扱えるからな。
965 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 17:04:31
え?寺の鐘楼が櫓として使えるって?
意味がわからん・・・。
屋根によじ登って鉄砲でも撃つのか?
いい的になるだけだが。
>>965 プププw
池沼だからそんな想像なんだねw
967 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 17:42:54
>>966 池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。
>>967 池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。
>>963 電波乙wwwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格。
>>957 電波乙wwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも合致している。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。
寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を構成する。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。
971 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 18:35:29
>>968 池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。
>>971 池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。
973 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 18:59:59
>>972 池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。
>>673 池沼な君の想像力の貧困さには脱毛だよ。
975 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:25:16
こうやって、またスレが荒廃していく
976 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:31:05
977 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:33:00
>>976 赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのw
昔、近江八幡に行ったとき山麓の居館の前方の城下に出城たいな寺が何件かあった
通りに面した所に櫓みたいな鐘楼があった
近世の寺かもしれんけど
>>977=945
赤っ恥をかかされた池沼が悔し紛れに荒らしてやんのw
980 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:36:07
>>977 キチガイだと自己紹介せんでいいだろうにw
981 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:37:27
>>970 電波乙wwwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格。
>>982 電波乙wwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
当然のことながら、居住区かどうか関係がなく
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも合致している。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。
寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を構成する。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。
985 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:43:37
986 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:43:51
>>984 電波乙wwwwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格
988 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:45:04
990 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:47:15
>>987 電波乙wwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれている。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物などはないし、あっても幕府に眼をつけられる。
寺であることが望ましい。寺ならば幕府としても目をつけられない。
それまでつけられたら、一向一揆の二の舞になってしまうw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に適格。
当然のことながら、居住区かどうか関係がなく
塀の内側に木組みの武者走りを設置するのは、本格的な城でもあること。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも合致している。
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるが、
それは本格的な城の郭でも見られることであり、
また日本での防御思想では兵員移動は問題なく、
むしろ少数の兵力で効率的に防御でき、
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
土塗りの堂宇が簡単に延焼しないためにに、中にこもって戦うのは有益。
寺町の寺が大寺院で構成されているかどうかは関係が無く、
通常は小規模な寺の集合体でも、寺町は防衛施設としても極めて適格。
篭城の本来の目的である増援の到着までの時間稼ぎなどに極めて適格。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになることはありえない。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を構成する。
兵を効率的に扱うのは籠城側にとっては基本となる。
つまり、寺町は砦としては極めて適格。
993 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:48:19
995
996 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:49:49
?
>>991 電波乙wwwwwww
寺町の寺だからといって特別に高い塀で囲まれているわけではない。
寺の塀でなくても兵員を隠すのに十分な高さの建物など腐るほどある。
むしろ当時の平均身長(160弱)に満たない高さの建物を探すのは困難。
それらにまで幕府に目をつけられるとすれば、人間は地面に穴掘って住まなきゃいけなくなるw
寺町に配置される寺の多くは小規模な寺であり、狭い敷地を塀で仕切り、
さらに建物、場合によっては池などもあるために、効率的な防衛に不適。
当然のことながら、居住区ならいざ知らず、
まともな城郭の最前線には、このような非常識な曲輪などない。
効率的な兵員活用を追求する万国共通の防衛思想からも逸脱している。
また規模の小さい寺は、塀の外からの火矢による攻撃で、
堂宇が簡単に延焼するために、中にこもって戦うのは自殺行為。
寺町の寺が大寺院で構成されているのならともかく、
通常は小規模な寺の集合体であるために、寺院間の適切な兵員移動ができず、
寺町は防衛施設としてはあまりに不適。
というよりも、ほとんど抵抗できないまま蒸し焼き各個撃破されて、
悲惨なことになるのは目に見えている。
無駄に兵を損なうのは籠城側にとっては自殺行為となる。
効率的な兵員活用を考える大名は、防衛施設としての寺町を忌避する。
つまり、寺町は砦としては極めて不適格
997
1001 :
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