952 :
日本@名無史さん:2009/11/01(日) 19:42:34
妻の疼き
953 :
日本@名無史さん:2009/11/02(月) 21:48:05
まあ津山なんて一般には三十人殺しくらいしかイメージないからな。
斉民だって光圀や吉宗、慶永のようなメジャーでもないし、
さりとて宗春や重倫のようなメジャーな暴君(?)もいない。
だから越前嫡流とかでしかアイデンティティを保てないんだ
言わせておいてやろうよ。
954 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 00:38:06
唯一家斉
955 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 09:45:37
その家斉からして傍流なんだ。
だけど先代の家長である家治が定めたから嫡統になった
吉宗、家宣、綱吉、家光、秀忠
みなそうさ。
つまり
>>1の家斉云々は矛盾してるわけ。
家斉を嫡統とするなら同じ理屈で今の恒孝さんも嫡統となる。
男系血統云々をいうなら尾張義直の男系子孫永井家となる。
どちらにしても津山が徳川嫡流なんて理屈にはならない。
自分に都合いいように仮定と結論を捩曲げてるんだ。
中学生になったらわかるよ。
956 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 09:48:41
綱吉、吉宗は先代の定めじゃない、てのはなしな。
形式上彼らも先代または先々代の定めた後継者なんだから。
江戸時代だったら
恒孝さんは会津の旗本か何かで終わっていたんだろ?
958 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 01:01:28
伊勢神宮
959 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 01:08:10
コレは「江戸時代なら」の話じゃないだろ。
それに江戸時代なら津山に養子に行った血統が嫡流になることはないだろ。
斉民が将軍継嗣候補だったてのは嘘だよ。
>>957 旗本というのは万石未満の将軍直臣。会津藩に旗本はいない。
江戸時代だったら恒孝さんは会津の一門衆だ。
間違っても平の藩士ではないな。
>>960 なるほど。よく分かりました。
少なくともどこかの当主を名乗る身分ではないみたいですね。
>>961 > 少なくともどこかの当主を名乗る身分ではないみたいですね。
全然わかってない。
会津松平は津山より家格が上。その一門だ。津山に比べ遜色はない。
それに江戸時代の大名家でも家正→恒孝のような相続は皆無ではない。
斉民系が当主になることが可能であるケースを考えるなら
水戸系のケースも同じように考えなければならないよ。
つか当事者が決めた事を君は何が不満で下らぬことをグチグチ繰り返すんだ?
自分が宗家当主になりたいの?
>>962 会津松平は秀忠の庶子の嫡子孫の系統。津山松平は秀忠と同じ家康の庶子の嫡子孫の直系。
家康の嫡子は信康のみ。秀忠の庶子孫とその兄の嫡子孫の系統のどちらが上かはおのずから
あきらか。
君がどう思おうと自由だが江戸時代の家格では会津が津山より一段も二段も上だ。
僕は歴史的事実を述べているに過ぎない。
そして江戸時代なら家正の娘豊子は会津ではなく三家三卿か皇族、摂関家に嫁いだろうね。
綱吉が綱教を後継者に考えてたように家正が豊子の長男に家督を譲るのは
津山くんだりまで後継者を探すよりはるかに可能性が高い。
君がいくらあがこうと津山を徳川嫡流と考えるのは世間では通用しないよ。
いいじゃん。自分がそう思ってるなら。賛同者いなくても。信じ抜けば。
ただ現存している家なんだから失礼ないように気をつけてね。
965 :
日本@名無史さん:2009/11/04(水) 21:56:58
昔々のことじゃ
966 :
日本@名無史さん:2009/11/05(木) 08:34:46
津山松平と福井松平がどうのって新田と足利に似てるね。
実力(石高)も官位もショボイのに兄の家系だから嫡流と主張するが
世間はさめたもので、完全に支流扱い。
だからいよいよむきになって嫡流を主張、の悪循環。
それが今回はとち狂って徳川嫡流とは…
なんでもウリナラNo.1を叫ぶ人々と同じ精神構造。
負のエネルギーとはすさまじいな。
人間こうはなりたくないよな。
>>962 その一門衆の藩士が
会津藩主や御三家、御三卿を飛び越えて
いきなり将軍職になるのは不可能なんでしょ?
>>967 だからさ
>>964で
江戸時代なら母親が将軍家の姫だから江戸時代なら会津の一藩士じゃなく、三家の当主クラスだと言っている。
間違いなく将軍継嗣の有力候補だね。
百歩譲って会津のままだと仮定しても、一藩士じゃないよ。藩主になるね。
>>960>>962は訂正。
斉民の曾孫か玄孫より身分は上だよ。
もう譲りに譲って一藩士のままだとしよう。それでも母親が母親だから、「間違ったら将軍」というケースは考えられる。
似たケースで松平清武が八代将軍候補リストに挙げられた。
だから
>>960で「間違っても〜ない」は全然わかってないと指摘したんだ。
他家の相続に文句をつけるなら、過去の事例をも少し調べなきゃ。
ところで恒孝氏の正統性に異義を挟んでも(これはものすごく失礼だといい加減気付くべきだが)
津山の徳川嫡流に少しも繋がらないのだがね。
それから
>>955で指摘した矛盾はどう考えてるの?
970 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 08:22:22
横から失礼
実は斉民系が将軍継嗣候補として残る機会はあった。
>>967氏達がなぜそれを指摘しないか不思議だ。
ほんとに歴史を調べてから書き込みして欲しいよ。
971 :
日本@名無史さん:2009/11/06(金) 21:35:56
いや普通は知らんだろ
系図ヲタでない限りはな
>>963 ことごとく論破されてるとこ悪い。
他の人はスルーしてるけど言ってること無茶苦茶だぜ。
>家康の嫡子は信康のみ。
つまり正室腹でなければ嫡子でないと定義付けしながら
>津山松平は秀忠と同じ家康の庶子の嫡子孫の直系。
ええと秀康にはあなたの定義する嫡子はいませんが? 秀忠にはいるけど。嫡子がいないのに嫡子孫はいるの?
975
う
>>968 母親が将軍家の娘だったら将軍候補という理屈がよく分からないんだけど。
母親が将軍家の娘だったら藩士からでも将軍になれるってことなんですね。
>>977 あのさ本当に
>>968読んでわからない?
「間違っても〜ない」ことはないと言っている。
可能性はかなり低いがゼロじゃないってこと。
実際松平清武が似たようなパターンで大名になり、八代将軍候補リストの端っこに挙げられてると説明してるでしょ。
大名家だけど上杉綱憲や治憲は実際に母親由来で相続している。
江戸時代でも恒孝氏のような相続は決してありえないことはないってこと。
越前松平家にだって母親由来で将軍継嗣候補に挙げられた人物がいたんだよ? 知らない?
それに僕は母親が将軍家の姫だから江戸時代なら一藩士なんて考えられないとも言ったつもりだが。
譲りに譲って、と書いている。
常識で考えてみてよ。
駆け落ちでもして勘当されてない限り、生まれた子供はかなりの身分が保証されてるはずでしょ?
つか恒孝さんの相続に異義を挟む事と、津山松平とどう関係してくるのかわからない。
僕はかなり君の疑問に対応したんだから君も僕の疑問に答えてくれてもいいんじゃないかな。
>>978 将軍選びが母親の身分や血筋を基準にして選ばれるという考え方は疑問なんですね。
松平清武は将軍の弟だから
将軍候補に挙げられるのは別に不思議なことじゃない気がします。
それと上杉は将軍家とは何の関係もないし、元から養子が入りまくっているようだから
参考にはならないかと。
津山松平がどうこうよりも、少なくとも恒孝さんが宗家を名乗ることには
どうしても違和感を感じてしまうということですね。
985
986
987
988
>>984 僕の書きようが悪くて誤解しているみたいだね。
清武の例は血筋によって一藩士から大名になったケースとしてあげた。
「似たパターン」であって「同じパターン」とは書いてないでしょ。
上杉が元から養子入りまくってる、というのは間違い。
米沢藩上杉家は景勝、定勝、綱勝とずっと嫡男が相続してますよ。三代目の綱勝
が嗣子ないまま没したので武家諸法度により無嗣断絶となるところを綱勝の岳父
保科正之のはたらきで定勝の外孫綱憲に半知相続させた。
名家断絶という緊急事態に対する措置だね。
君は将軍家に関係ないと言っているけれど、これら大名をはじめとした武家相続
を定めた武家諸法度は将軍家が定めたものであり、当然将軍家も武家の棟梁とし
て範をたれるべき。
もちろんほかにふさわしい男子がいればそちらが継ぐけどね。
「母親の身分や血筋で選ばれるのは疑問」というが、江戸時代ではあたりまえだよ。
母の身分によって三男が長男にされたりしている。
母親由来で将軍継嗣候補になった人物としては尾張三代綱誠がいる。
家綱が死んだときに綱吉をよしとしない幕閣が綱吉ではなくその子徳松または
甲府綱豊(家宣)、または尾張綱誠を将軍にすべきとする動きがあった。
この綱誠は家光の長女千代姫の子。
将軍家の娘なら御三家に嫁ぐと僕がいったのを覚えているかい?
幕府が安定した三代家光以降はこの千代姫が尾張光友に
綱吉の娘鶴姫が紀伊綱教に嫁し
家治の娘万寿姫が尾張治休(9代宗睦世子)と婚約している。
子沢山の家斉はいうに及ばずだが、子供の少ない彼らが尾紀に娘をやっている
のは偶然じゃない。勢力の強い一門大名をつなぎとめるためだね。
そして綱吉が生まれてくる孫をあてこんで綱教に将軍を譲ろうとしたのも有名な話。
さて家正氏には家英、豊子以外に敏子、順子そして
>>549氏が指摘している養子忠永
がいたけど、諸事情があって女子しか残らなかった。
江戸時代なら彼女らは三家や諸大名家に嫁していたわけだね。その中で徳川松平一門
に嫁した豊子の子供に相続させたのだから、ある程度は納得しなきゃ。
恒孝サンは江戸時代なら尾張綱誠に相当するんだから。
江戸時代は基本的に男系だけど、婚姻や女系も決して無視できないということが
白根孝胤氏らの研究によってあきらかにされている。
まあ違和感を感じるってならしょうがないけどね。
好きなようにすれば
ええんちゃう?
995
ume
うめ
uma
会津の足軽が宗家
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