1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:24
結局マトモな反論はひとつも無いので、以下の説は可決されました
「内裏址」「紫宸殿」という地名、字名が存在し、
「太宰府(大宰府)」という地名が存在し、
その北にある海が「玄界灘(玄海)」と呼ばれ、
隋書の?国伝に登場する「阿蘇山」という火山が存在する地域が、なんと
中国古典で畿内を意味する「九州」と呼ばれるところにある。
・・・・・・・これって「朝廷」があったから
3 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:25
日本の筑紫島に古代中国の故事を
踏まえてネーミングしたという客観的な証拠を
上げて下さい。
4 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:26
九州王朝大好きさん、ダブりました。
こっち下げてください。
どっちよ?
6 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:29
>999 名前:日本@名無史さん :03/12/24 02:10
>だから天下=畿内 だって
その根拠を何度も聞いとるわけだが。
いっこうに答えがない。
白旗ということか。
7 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:32
>3
客観的な証拠は、古代史一般にないだろう、筑紫島と呼ぶのが正しい証拠もないだろう。
つまり揚げ足取りで、相手を論破しようとしいてるわけだね?その態度が誤りだ。
いろいろなことが十分推定できる、という話をしてるのだ。
日本の畿内と古代中国の畿内は、違う意味なの?
9 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:33
>6
辞書引きは自習で
>7
九個の国があったから九州だろが。
四個の国があったから四国だろが。
11 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:35
>8
論点からそれている。辞書引きは自習で。
12 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:37
>10
四方八方の意味考えろ。数字自体に厳格な意味はない。
13 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:38
>だから天下=畿内 だって
>日本語の畿内って意味は、唐朝(北朝)以後の狭義の使用法。
とまで言うんだから、 唐朝(北朝)以前の広義の使用法があるんだろう。
その使用例を古典・史書から挙げてもらおうじゃないか。
【畿内】
帝都付近の地。中国の古制で、嘔気を中心とする
四方500里以内の特別行政区。わが国では歴代の皇居
が置かれた大和・山城・河内・和泉・摂津の5カ国、すなわち
五畿内。和泉が河内から分置される奈良時代までは
四畿内といった。
岩波書店 広辞苑
日本の機内と中国の古制は違うのだが。
>>9 辞書ひくから、天下=畿内って書いてある辞書の名前おしえて!
16 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:42
>13
本人じゃないが、ワシのいる場に古典・史書はないぞ。
挙げないと、それを根拠に相手の発言を全部否定したいんだろ。
17 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:43
>15
いやだ。自分でさがせ。
ついでに「内裏址」「紫宸殿」という地名、字名が書いてある地図の名前と出版社もおしえて!
20 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:45
アンチ九州王朝バカは
粘着でハイエナ解決かよ
21 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:46
教えて君は自習なさいね、大人になるまで。
22 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:47
>>16 >本人じゃないが、ワシのいる場に古典・史書はないぞ。
じゃ、「中国古典で畿内を意味する「九州」」というのはホントかウソか
あんたにはわからないわけだな?
23 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:48
まあ、「教えて教えて」じゃあ、何にも解決しないんだよね、教えて君。
24 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:49
>>21 おい!えらそうな口きいてるが
天下=畿内って書いてある辞書は実在するのかい?
あんたの手元の辞書にはそう書いてあるかい?
ごまかして逃げてるだけだろ?
>>23 自分の主張の根拠が言えないで、なにか解決できるとでも?
26 :
日本@名無史さん:03/12/24 02:53
>24
天下=畿内と言い出したのはおまえだろ
27 :
日本@名無史さん:03/12/24 03:00
>25
おまえは決定的なことを言っても全部否定するわけだ。
言ってることは幼稚な「根拠」の連呼だけだろ。要するに絶対認めませんてわけだ。
もう話しても「根拠」念仏しか聞こえてこない。下らんから過去レスをよく読んどいてくれ。
明日も仕事だ、もう寝るぞ。
28 :
日本@名無史さん:03/12/24 03:01
29 :
日本@名無史さん:03/12/24 03:06
>>27 >おまえは決定的なことを言っても全部否定するわけだ。
>言ってることは幼稚な「根拠」の連呼だけだろ。
根拠もなしで決定的なことが言えるわけないだろ?
そうまでして根拠を言うことを拒むってことは、ウソだってことだ。
語るに落ちてるんだよ。
<辞書ひくから、天下=畿内って書いてある辞書の名前おしえて!
∧_∧ カタカタ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(; ´∀`) ∧ ∧ < だから天下=畿内nida!
( ) <ヽ`∀´> \_______________________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (つ_つ__
 ̄ ̄ ̄日∇ ̄\|kyusyu| \
 ̄ ======== \
<ヽ`Д´>九州王朝は存在するnida!
結論でますた。
九州王朝は…
∧_∧ ((((( )))) ∧__∧ ∧_∧
( @∀@) ○(( ´∀`) (□∀□) ( ・∀・)
( ) ( ) ( ) ( )
┏━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓
┃┏━━━┓┃┏━━━┓┃┏━━━┓┃┏━━━┓┃
┃┃ 虚妄 ┃┃┃ 虚妄 ┃┃┃ 虚妄 ┃┃┃ 捏造 ┃┃
┃┗━━━┛┃┗━━━┛┃┗━━━┛┃┗━━━┛┃
┗━━━━━┻━━━━━┻━━━━━┻━━━━━┛
/ バ ー ー ー ー ー ー ー ン \
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´> < 辞書はないnida
( ) │ お前が探せばいいnida
| | | \__________
〈_フ__フ
∧∧∩゛ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,゚Д゚)ノ < 日本と中国では畿内の定義が異なるんじゃないですか?
U / \____________
| |
ノ∪∪
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<ヽ`Д´> < そんなはずはないnida!
( ) │ きっと同じnida!
| | | \__________
〈_フ__フ
漏れは、赤の他人だが、口出ししてみる。
マイクロソフトのブックシェルフでは以下のとおり。
きない【畿内】
(「畿」は、みやこの意)
T 昔中国で、王都を中心として四方五〇〇里の天子直属の地。
王城付近の地。
U 日本で、朝廷のあった主都周辺の四ないし五か国の総称。
また、その範囲内に属する地。
五か国の場合は、山城(京都府)、大和(奈良県)、
河内(大阪府)、和泉(大阪府)、摂津(大阪府と兵庫県の一部)。
うちつくに。五畿内。
Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
どっちにしろ、九州=天下 ということは間違いないな。
中国古典の教養持ってて、一地方を「九州」と名付けるほど倭国が無知なはずはない。
否定論者の言ってることはムチャクチャ。
とても学問というレベルではないな。
「無知なはずはない」
という発想はいいよ。
でも、それを証明しなくてはただの妄想。
とても学問というレベルではないな。
だから、献帝の建安十八年の詔書でわかるじゃん。
なぜ献帝は十四州を無理矢理にでも九州にしたのか?
「禹貢の九州に復す」で明らか。
そもそもここに「禹貢」とある以上、動機は「言うまでもない」というレベル。
九州=天下(畿内) の実情に合わせようとしたから。それ以外に考えようがないね。
禹貢も知らない否定論者
ってことが判明しただけでも、有意義でしたな。
漏れは、赤の他人だが、口出ししてみる。
マイクロソフトのブックシェルフでは以下のとおり。
きゅうしゅう(キウシウ)【九州】
(1) (中国のいい方にならって)日本全土をいう。
(2) =きゅうこく(九国)(1)
(3) 九州地方の通称。
(4) 中国全土。夏の禹の時代に、全域を九つに分けたことによる。
「書経‐禹貢」によれば
冀(き)、(えん)、青、徐、揚、荊、予、梁、雍の九州。
九域。九垓。九服。九土。九畿。九国。九野。
Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988
つうか、中国の史書(古典含む)をパラパラっとめくっただけで、「九州」という文字が
随所に出てくることをご存じないらしい。
大隅が分置されるまで八州だったの?
何にせよ、煽るようなコメントはやめなされ。
ビル・ゲーツ皇帝がお怒りですよ。
熊襲はどこに併合されたの?
ぐぐったらこんなのが出てきましたが・・・
九州は8世紀初頭頃は9国ではなく7国だった。熊襲の国はまだ勘定に入らなかった。
7番目の国日向から薩摩、大隅が別れ国家に編入されて行くのである。
「禹、九州を分つ」(尚書禹貢)
「凡そ九州、千七百七十三国」(礼記王制)
「天に九野有り、地に九州有り」(呂覧有如)
「禹の九州を序する、是なり」(史記騶衍伝)
「今、魏、九州に跨帯す」(蜀志十四)
これらすべて、九州=天下 ということを前提にして読まないと、
何がなんだか理解ができませんね。
「又此辺の田畠の字を内裏趾、紫宸などといふといへり、其は安徳天皇しばらく此所に
鳳駕をとどめ給ひしによりての名なりとぞ(此に内裏跡云々とあるは虚誕のみ)」
(吉田東伍『大日本地名辞書』より)
とりあえず「内裏跡」「紫宸殿」の地名がある資料を出しました。
否定論者さん、がんばって否定してね。
大宝2(702) 年,薩摩国の前進である唱更国が日向の国から分置され,
さらに,7年後の和銅2(709) 年頃,薩摩国へと名称変更。
713年、大隅国の設置=「隼人」を服属させる
種子島・屋久島・奄美大島・石垣島などが帰属
遣唐使の南島路通行のため
熊襲国の解体は何年なの?調べても出てこないよ・・・
熊襲国がなくなったのは何年?
てか、熊襲って国名なの?
日向国は、『続日本紀』大宝2(702)年7月条は「筑紫は7ケ国」とし、
はじめは九州南部一帯の呼称で熊襲、隼人の居住地をさし、
薩摩国、大隅国の地域を含んでいましたが、同2年10月条によれば薩摩(さつま)国が分離し、
さらに和銅6(713)年の隼人平定の際、肝杯(きもつき)、贈於、大隅、姶良の4郡を分けて大隅国が分離しました。
九国じゃないじゃんw
さて、否定論者がガキの論法で逃げを打った後でさらにだめ押し。
「翰苑」によると、邪馬台国の地理は「邪届伊都、傍連斯馬」ということらしい。つまり
斯麻−−伊都−−邪馬台国 と連なっているわけだ。
で、翰苑では 邪馬台国の後継=阿輩雞弥の国 といっているわけだから、
当然、阿輩雞弥のいるところは、伊都に接し、その向こうに斯麻がある、というわけだ。
これって阿輩雞弥の国=九州 だよね?
>>53 ちがうな。
「翰苑」は唐の張楚金の著作だから、その地理の主語は「邪馬台国」ではなく
「倭国」だ。ただし、唐朝では「王の中の王」という存在は大義名分上
認めていないから、その倭国、とは「阿輩雞弥の国」だ。
それが「竹斯国」なのか「秦王国」なのかは、しらんが。
662年の白村江ののち702年に薩摩が分置されたんだから
それ以前の九国を教えて下さい。
あと、熊襲国の廃止された年も教えて下さい。
>>54 阿輩雞弥は倭王だから秦王国ではないでしょう
【有阿蘇山其石無故火起接天者俗以爲異因行祷祭有如意寶珠其色青大如鷄卵夜則有光云魚眼精也】
、「阿蘇山有り。その石、故無くして火起こり、天に接する者、俗を以って異と為し、
因って祷祭を行う。意の如くなる宝珠有り、その色青く、大きさは鶏卵の如し、夜は則ち魚の眼精のごとき光あり。」
大和朝廷が九州を支配下に置いていた証拠ではないの?
聖徳太子が九州に居たと?本当で?(戸田奈津子の字幕風)
上宮法皇は居たらしいな
ウリナラには誇らしい阿蘇山があるニダ。
驚いたか。火を噴くニダ。
ってカンジなんじゃないの?聖徳太子が
奈良に居なかったってのは説得力ないし。
いや、隋書全般を通して、山河の景色などの記述は、その国の「王都」に存在するもの
しか記していない。
したがって「阿蘇山」は倭国の王都から近いところに存在する。
二つお尋ねしたい。
一つは、聖徳太子が馬鹿正直に、捏造もせずに
自国を紹介するの?ってこと。
>>61で書いたけど
「良いモンは何でも書いてみよう」的精神が発揮されなかった
保証は無いということ。
もう一つは、隋書が正確な内容で、そこに書かれている
ことは全て信用してもいいような、極上の史料なのか、ということ。
王都でない情報も王都に存在することになってる可能性は?
まぁ、揚げ足取りなんだけどなw
Λ Λ
(@゚▽゚) 今日も朝から釣り釣りっと♪
(\( っっ━━━━┓
上宮法皇って誰だよ
聖徳太子?蘇我馬子?
>>63 いや、隋書(に限らずどんな資料でも)に間違いはないか? という疑問自体を
否定するつもりはないが、それを言い出したらキリがないし、場合によっては
「学問」として古代史が崩壊しかねない。
少なくとも隋書では、山河などの風景描写は、その国の「王都」に関するものしか
記述がないのは事実。それどころか「山河の名前」じたい、王都のもの以外では
「その王都の存在位置を示す(行程文の中など)」もの以外には見られない。
聖徳太子が馬鹿正直に・・というが、隋使は倭に至り、自分の足で倭国を歴訪し
自分の目で倭国を見ているわけだから、その報告書が隋書を執筆するにあたっての
一級資料だったはず。それが「阿蘇山有り」の一文であるし、倭人を見た際の
「以爲夷州、疑不能明也」という感想でもある。
其國書曰「日出處天子至書日沒處天子無恙」
云云。帝覽之不ス,
カッコいい・・・
[ 又東至秦王國,其人同於華夏,以為夷洲,疑不能明也〕
↓ ↓
また東に至って秦王國、その人は同じ中国人(?)で、
とてもとても夷州とはシンジラレナ〜イ(分からないから適当に脳内変換)
〔自竹斯國以東,皆附庸於倭。]
↓ ↓
竹斯國より東は皆倭国に属する(脳内変換)
ってカンジ?竹斯國って筑紫?竹=チク、斯=シ???
う〜ん、全然分からねぇYO!
とりあえず、学の有る方、正確に訳してちょ
俺、一人で何やってるんだろ。
クリスマスイブなのに…
又、竹斯國に至り、又、東に秦王國に至る。其の人華夏に同じ。以って夷州と爲すも、疑うらくは明らかにする能わざる也。
又、十餘國を經て、海岸に達す。竹斯國より以東は、皆な倭に附庸す。
読み下し文でも、よく分からねぇYO!
でも、40%くらい合ってるな。やるじゃん俺。
秦王國が怪しいね。これが九州王朝なのか?
そんな短絡的じゃないだろうな…。寝るかな…ハッピークリスマス
九州王朝は温か?
ハッピー・ハヌーカ。
多利思北孤=聖徳太子を裏付けるものって何にも無いんじゃないの?
聖徳太子って役の小角と同じくらい伝説の中に居る人物で、日本史の中で
語ったり、教科書で教えたりするのに問題の有る人物像だと思うが。
>74
>>多利思北孤=聖徳太子を裏付けるものって何にも無いんじゃないの?
何も無いよね。有名人に何でも「=」付けたがるやつがいるんだね。
大黒天=大国主、卑弥呼=天照大神、ジンギスカン=源義経・・・・・楽でいいね「=」つけるだけでいい。
倭人の国の名物は、飛鳥三山でなくて阿蘇山だ。
ここで祷祭を行うそうだが、大和朝廷は阿蘇山で祷祭やってた記録はないな。
九州王国と多利思北孤や倭の五王を結びつけるのに、もう一つ検証しなければいけないのは
越の国だと思う。倭=越っていう説も有るし、継体天皇を輩出した事が記紀にも有る。
確実に万世一系と言えるのもいわゆる正史では継体からだし、その大和入りへの紆余曲折も
かなり気になる。
記紀で崇神以下の政治的中心地とされる三輪が倭の国とされてる以上に、ある種の真実を含んでると思うんだけど。
以為夷洲,疑不能明
をどなたか翻訳してくれ
>77
越文化圏は越前+越中+越後=越ではない、ということですか?
80 :
日本@名無史さん:03/12/24 19:25
>>48 >「又此辺の田畠の字を内裏趾、紫宸などといふといへり、其は安徳天皇しばらく此所に
>鳳駕をとどめ給ひしによりての名なりとぞ(此に内裏跡云々とあるは虚誕のみ)」
>(吉田東伍『大日本地名辞書』より)
>とりあえず「内裏跡」「紫宸殿」の地名がある資料を出しました。
>否定論者さん、がんばって否定してね。
がんばるもなにも、もう貴方が否定してくれました。
その1:さんざ聞いて明治大正ころ吉田東伍が「などといふといへり」と【伝聞】を記した資料が出てきただけ!!ということは、居丈高に「福岡県の地図をみよ、載っている」とか言ってた人間のデタラメぶりが明らかになったということ。
その2:しかもそれは安徳天皇生存伝説の地名起源説と結びついた話だから、「内裏跡、紫宸殿地名がある」という伝聞だけ取り上げて、九州王朝由来説とは両立しない「それが安徳帝由来だ」という伝聞を無視する資料のいいとこ取りが明らかになった。
その3:さらに聞き取り手である吉田東伍が「此に内裏跡云々とあるは虚誕のみ」(虚誕=虚妄)と書いているというオマケ付き。
著者が虚妄だと書いている情報に基づいて言ってたわけだ。
ダメダメですぅ。
安徳天皇生存説で内裏という地名があるのは別にここだけじゃないんで、そんな字の名前があるやらないやら伝聞の話は結局なんの証拠にもなりません。
82 :
日本@名無史さん:03/12/24 19:49
>80
あなたの態度はおかしいよ。みんな、あなたの奴隷じゃありませんよ。
自分は一切調べません、自分の指図で他人が調べればいいってわけですか。
今ここで自説に都合よく資料を読む方法を思いついたから、急に紳士的になったね。
吉田東伍は御所でもないのに恐れ多いと表現しただけで、現実に地名として通用していなければ
取り上げなかったのだ。そんな原典批判のイロハを言わせないでくれ。
わざわざありもしない不敬罪ネタを公表するほうがおかしいよ。
>80はダダをこねるだけの、学問に不向きな人間なのだから、否定論信仰もよく考えたほうがいい。
@吉田東伍は大宰府で「内裏趾」「紫宸殿」と呼ばれている地名・字名を見た。
Aそれに対して吉田東伍は「そんな馬鹿なことがあるものか」と憤慨した。
Bそしてそれら地名の由来について自らの考見解を述べている。
@は吉田東伍が現実に見たことを記録しているわけで、実際にそこに地名があっからこそ、
彼はA〜Bで憤慨しているのである。@が現実でなければ憤慨する理由などない。
むろん大宰府に安徳天皇伝説などなく、また全国にある安徳天皇伝説で「内裏跡」「紫宸殿」
などという地名・字名が残っている所など存在しない。
すげえ、「朱雀」という地名もあるのか。
もうこれで決まりやな。九州王朝は間違いなくあったな。
>>79 倭と呼ばれているものの中に越が入っている可能性が有るって事。
漢や魏との交通が盛んな所だし。
音はどちらも(wo)らしい。
みなさま、お子ちゃまに丁寧に手取り足取り説明して、お疲れさまです。
これで、お子ちゃまも、「九州王朝はあったか?」と新しい世界を垣間見たのではないでしょうか。
お子ちゃまが、「九州王朝大好き」になるには、まだまだだとは思います。
これからも、お子ちゃまの疑問にはゆっくり説明しようではありませんか。
90 :
日本@名無史さん:03/12/25 00:39
秦王國はどこの国なのよ
これが九州王朝とでもいうの?
あのさぁ、議論するのは大いに結構なんだけど、無意味に煽ったり
ソースがあるにも拘らずそれを提示しないどころか、文句をいってくる
相手を人格攻撃するのは議論とはいえないでしょ?
興味があってROMってるけど、無駄レスが多いと情報価値が薄れるYO
83 :日本@名無史さん :03/12/24 20:46
>80
あなたの態度はおかしいよ。みんな、あなたの奴隷じゃありませんよ。
自分は一切調べません、自分の指図で他人が調べればいいってわけですか。
畿内馬鹿は今日はたくさん勉強しましたね。
学問以前の勉学態度の注意まで、83さんに教えてもらいました。
道場破りは道場破りらしい態度をみせましょうね。
意見の違う他スレに行って、
さぁ、俺様に証明してみろ、俺様の前に証拠を提示しろ、なんて態度は世間で通用いたしません。
そんな方法が通用するならこんな楽なことはないんです。
まったく無知な人間でも道場破りが成立することになってしまいますよ。
その同じAAを貼っている名誉毀損ナリスマシ馬鹿のように。
このスレの心優しき皆様の格段のご配慮で応対してもらっていることを理解しましょうね。
反証を持って来て、さあこれはどうだ、と言う義務は、道場破りの方にあるんですよ。
まぁこれで色々勉強したことでしょう。
これが畿内馬鹿へのこのスレの住民からのクリスマスプレゼントです。
>>78 >以為夷洲,疑不能明
>をどなたか翻訳してくれ
漢文で「疑〜」とあったら「多分〜だろう」の意。英語の may でんな。
だから「それを『夷洲』だとみなしたとしても、多分(本当かどうか)明
らかに出来ないだろう」くらいの意味でしょう。
>88
なるほど、ありえることですね。私が漠然と思っていたのは、出雲が越をおさえて筆頭国になったあと、
その出雲をアマ族がおさえて根拠地を北部九州に移したが、中国から見ればどれも倭人(越・出雲・北九州諸国)
にすぎず、越は単なる古都だということ。民族名としての「倭」が「越」の国から来ている可能性はおおありで、
「秦」が中国を意味するサンスクリットのシーナや英語のチャイナになっていったわけで、妙にそっくりです。
ただし、これは何も検証・熟考していない自説ですが。
95 :
日本@名無史さん:03/12/25 01:07
>>93 サンクス。じゃあ、
又至竹斯國又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也
の箇所は、筑紫の東にある秦王国は、中国人で(中華文明バリバリだから)
『夷洲』かどうか、よう分からないわ。ケッ、やってられねえYO!
ってな感じかな?あと、
自竹斯國以東皆附庸於倭
の箇所なんだけど、筑紫国以東は倭、って筑紫は以東に含まれるの?
>>95 その「其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也」についてだけど、これが「秦王国」の人を指すのか
それとも「俀国」の人を指すのか、二説に分かれている。
隋書の夷蛮伝では「其人」という代名詞が頻繁に出てくるが、それらは例外なく表題の国の人を
指している。つまり「俀国伝」なら「俀国の人」ということ。
ただし「秦王国」の後だから「秦王国の人」、という意味だと取る学者も多い。
>>88 倭の範囲
チクシ(筑紫)・イヅモ(出雲)・ヒ(火→肥)・コシ(越→古志)・ナニハ(浪速)・オハリ(尾張)・エビス(夷)
第一次:チクシ(?→筑紫)・イヅモ(出雲)
第二次:チクシ(?→筑紫)・イヅモ(出雲)・ヒ(火→肥)
第三次:チクシ(?→筑紫)・イヅモ(出雲)・ヒ(火→肥)・コシ(越→古志)
第四次:チクシ(?→筑紫)・イヅモ(出雲)・ヒ(火→肥)・コシ(越→古志)・ナニハ(浪速)・オハリ(尾張)
第五次:チクシ(?→筑紫)・イヅモ(出雲)・ヒ(火→肥)・コシ(越→古志)・ナニハ(浪速)・オハリ(尾張)・エビス(夷)
コシは加賀、ナニハは河内、エビスはツケ(北関東)、残りは常識通りの地域です。
こんなことを思っています。
ツケの解説
ツケ→コウヅケ(上ツケ)・シモツケ(下ツケ) 北西関東
フサ→カミフサ(上フサ)・シモフサ(下フサ) 南東関東
ムサ→ムサガミ(ムサ上)・ムサシモ(ムサ下) 南西関東
ヒタ→?(ヒタ上)・?(ヒタ下) 北東関東
うむー
馬韓・辰韓・弁韓、と別れていた韓国を、ちゃんと書き分けていることを思うと、
筑紫、出雲、越など、もし別の地域を指すものならキッチリ書き分けてそうだけどなあ。
「貴倭」、という表現も出てきているわけだし。
>>95 >の箇所は、筑紫の東にある秦王国は、中国人で(中華文明バリバリだから)
>『夷洲』かどうか、よう分からないわ。ケッ、やってられねえYO!
>ってな感じかな?
うーん・・・そうじゃなくて、「以爲」は「〜とみなす」ですから、「仮に〜と
みなしても明らかに出来ないだろう」つまり英文法でいう仮定法(条件法)で、
「実際はそうでないけれども、仮にそうだと仮定したとしても、そうでないことが
明らかに出来ないであろう」という構文ではないでしょうか。つまり、この文は、
「(ここは『夷州』ではないけれど)、仮に夷州であるとみなしても、そうでない
ことが明らかに出来ない(ほど夷州にそっくりである)」という意味ではないかと
思います?
>自竹斯國以東皆附庸於倭
>の箇所なんだけど、筑紫国以東は倭、って筑紫は以東に含まれるの?
含まれると思います。なぜなら自竹斯のすぐ東の国として秦王國が挙げて
ありますよね。もし含まないなら「秦王國から東が倭に庸於してる」と書き
ゃいいんで、何もわざわざ起点となるべき地名に「含まない」国名を挙げる
必要は無いんじゃないでしょうか。
事実、実際に『隋書』の「自〜以〜」を全部調査した研究があって、それ
によると起点は含むようです。↓
(
http://home.p07.itscom.net/strmdrf/kyusyu_text2.htm の第9節)
>>96 >その「其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也」についてだけど、これが「秦王国」の人を指すのか
>それとも「俀国」の人を指すのか、二説に分かれている。
って「俀国の人」説を採ってるのは古田さんだけでしょう?
>>99で挙げたページの第8節で、その根拠がかなり強引であることが暴露されていますね。
>94の後半で申し上げたのは中国側の倭人に対する呼称=音=woの話です。
越の国を「wo」と呼んだのを、倭人の呼称として継続して7世紀まで使われたかもしれない、という意味です。
今読み返して、意味不明だったことに気づきました。
102 :
日本@名無史さん:03/12/25 02:08
九州王朝説ってほんとにいい加減だな。
なぜ畿内=天下なのかと聞いてもだんまり。
かわりに聞かれてもいない九州=天下の話ばかりしてごまかす。
内裏址とかいう地名も伝聞でしか無いとイタい指摘されたのに、またごまかし。
ウソばっかりだね。
>102
新氏君よ、現在もそう呼ばれているんだよ。君の調べた結果を聞かせてもらおうか。
104 :
日本@名無史さん:03/12/25 02:22
現在もそう呼ばれているって証拠は?
>>85は文語体がぜんぜん読めないことを暴露したな。
その程度で歴史の話をする資格なし。
>104
今日現在の地名が紫宸殿や内裏跡なのだ。
「そういう地名は存在しませんでした、嘘でした」とあなたが証明しなさい。
自分の証拠がまったく無くて、他人の証拠を徹底追及するのかい?
>105
あなたは解釈できるのか?
>102
本人が語っていない「=」を自分勝手に作成し、それを証明しろっていうわけだ。
あなたが言い出したんだから、他人が証明するのはおかしいよ。
109 :
日本@名無史さん:03/12/25 02:40
>>106 なーんだ。証拠なしか。
>>107 誰だって読めば分かるだろ。
又此辺の田畠の字を内裏趾、紫宸などと言うそうだ。
それは安徳天皇がしばらく此所に留まられたからという由来の名だということだ。
(此に内裏跡云々とあるのはただの虚妄だ)
>109
証拠は現在の大宰府政庁跡にある地名だ。過去の地名ではない。こんな確実なものがあるか?
吉田東伍が書いたとき、その地名があったのか、無かったのかどっちなんだ?
111 :
日本@名無史さん:03/12/25 02:48
>>108 >本人が語っていない「=」を自分勝手に作成し、それを証明しろっていうわけだ。
ウソつきだな。
>中国古典で畿内を意味する「九州」と呼ばれるところにある。
これ「九州」は天下じゃなくて畿内を意味すると言ってるんだろ?
>895 :日本@名無史さん :03/12/24 00:45
>あのさぁ、「畿内」ってのを日本語でいう「畿内」を基準にして考えたら
アカンよ。
>畿内=天下 そして畿内(天下)の反対は、いわゆる夷蛮など。
>こんなこと中国の古典を読んでりゃ常識。
>九州=天下(畿内)否定論者は、もっと中国の古典・史書を読め!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1051320510/895
112 :
日本@名無史さん:03/12/25 02:50
>>110 だから、そういう地名が今あるって証拠は何よ?
113 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:01
115 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:05
ウソ指摘されたから?
>111君の間違いだ。
1:私は人間だ・・・これを
2:私=人間・・・・と書くことがある>895だ
この場合、ここでは人間に分類されるという意味だ。・・2−1
人間はすべて私だという意味ではない。2−2
あなたの言っている「=」は
まったく一致したものという意味で使っている。2−2
だから見た目は「=」だが本人がまったく使っていない「=」だ。
後者の詭弁を振りかざしているに過ぎない。
>113
どちらも本当
>113
否定する証拠もなしに言うのか?君の得意技だぞ?
119 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:13
じゃ
>中国古典で畿内を意味する「九州」と呼ばれるところにある。
は何だ?
中国古典で「九州」という言葉は中国古典で畿内を意味すると言ってるんだろ?
120 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:16
>>117 「福岡県の地図をみよ、載っている」がホントなら、その地図の出版社と書名を言え。
すくなくとも国土地理院の2万5千分の一地図には載ってない。
>>118 主張する証拠もなしに言うのか?君の得意技だぞ?
ウソつきは沈黙したか。
じゃ、もう寝よう。
相手がいなくなったらまた仲間庇いあい傷なめあいで勝手なこと言うんだろうな。
>>39 :日本@名無史さん :03/12/24 05:06
>禹貢も知らない否定論者
とかデタラメ言いがかり言い放題でな。
じゃ、おやすみ。ウソつき集団九州王朝組諸君。
>119
ちゃんと読んでほしい。まったく違う。見ていなかったのか?
「中国古典で「九州」という言葉は発言者のいう意味での畿内に分類される」と言う意味だ。
>120
うそつき呼ばわりした君が証拠を出すべきだ。
だいたい、現在地名があるかないかで、争うのはバカだぞ!
いま手元に無いから、君が探してきて見てほしい。
それから、いま私がこんな場で、どうやって見せられるのだ、逆に訊きたい。
それから、ダダこねるのは、もうおしまいにしなさい。
>121おまえもだ
しかし、畿内信者君よ、次元が低いぞ。
もう相手しないから、一人でやってくれ。さあ、寝るよ。
125 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:42
>>123 >「中国古典で「九州」という言葉は発言者のいう意味での畿内に分類される」と言う意味だ。
「九州」が畿内に分類されるということは
「私」が人間に分類されるというのと同じで
すべての畿内は九州ではないが、九州はすべて畿内だということでつね?
その史料的根拠はなんでつか?
126 :
日本@名無史さん:03/12/25 03:49
>うそつき呼ばわりした君が証拠を出すべきだ。
>だいたい、現在地名があるかないかで、争うのはバカだぞ!
そういう地名があるから九州王朝は正しいと言ってる人が証拠を出さないのはおかしいと思いまつ。
>それから、いま私がこんな場で、どうやって見せられるのだ、逆に訊きたい。
誰か見せろと言ってまちたか?
>「福岡県の地図をみよ、載っている」がホントなら、その地図の出版社と書名を言え。
と質問されてまつか?
こいつは真性嵐。
相手にするだけ無駄。
というわけでまたしても否定論者はガキの論理で逃げました。
ってか、コイツ一度もまともに「九州王朝はない」ってことを論理的に説明したこと
ないんだけどね。
ただのアラシだろが。
>禹貢も知らない否定論者
これがよっぽど図星だったらしいな。
ひょっとして昨日彼は「禹貢」について必死こいて調べて理論武装してきたら、
話題がすでに別のことに移ってて、頭にきたのだろうか?
さて、昨日の論議でまた新たに九州王朝の根拠がひとつ加わりましたな。
「内裏趾」「紫宸殿」に加えて「朱雀」という地名があることが判明いたしました。
「大宰府(太宰府)」という地名が存在し
「内裏趾」「紫宸殿」という地名・字名が存在し
なんとその南側には「朱雀」という地名があり
それらの北側にある海が「玄界灘」と呼ばれている。
なぜ?
そこにかつて「朝廷」があったから。
132 :
日本@名無史さん:03/12/25 07:27
「内裏趾」や「紫宸殿」が九州王朝説の証拠になってると主張する方に新
情報です(某hoo!「九州王朝説はあったか」スレより)。
>「内裏」という地名なら千葉と長崎にあったはず。
>それから今は「大里(だいり)」になっているが嘗て内裏と呼ばれていた
地が門司近くに。ここは安徳天皇の行宮があったという伝承地。
ここにも安徳天皇が出てきましたね。その太宰府の地名とやらも、だてに
安徳天皇に結びつけているわけではないんですね。
. .: : : : : : : : :: :::: :: :: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ああ・・・ 九州王朝大好き ◆RBWf2snlzI の存在が痛い・・・
また詭弁
1:内裏跡・紫宸殿と言う地名がある
2:全国に内裏地名はここしかない
あなたが言っているのは2
全員が言っているのは1
あなたは荒しだ。出て行ってもらいたい。
嵐君、回答拒否したね。逃げたね。認めたわけだ。残念だったね。
>吉田東伍が書いたとき、その地名(内裏跡・紫宸殿)があったのか、無かったのかどっちなんだ?
>・・・・
詭弁といえば、
この話は全体性をもって価値があるのだが、
たった一箇所ほころべば、全体が崩壊するかのように語ること自体が詭弁である。
もっとも、詭弁君は論破されても論破されたとは絶対に認めないし、
一箇所も否定できなかったから、同じだが。
***全体性に価値がある話***
「内裏址」「紫宸殿」という地名、字名が存在し、
「太宰府(大宰府)」という地名が存在し、
その北にある海が「玄界灘(玄海)」と呼ばれ、
隋書の?国伝に登場する「阿蘇山」という火山が存在する地域が、なんと
中国古典で畿内を意味する「九州」と呼ばれるところにある。
・・・・・・・これって「朝廷」があったから
137 :
日本@名無史さん:03/12/25 19:24
「九州」という用語が最初に史料上に登場するのは
どの時期なんでつか?
>>130 >「大宰府(太宰府)」という地名が存在し
>「内裏趾」「紫宸殿」という地名・字名が存在し
>なんとその南側には「朱雀」という地名があり
>それらの北側にある海が「玄界灘」と呼ばれている。
まだまだ地名はあるよ。
「五条」もあるし。
現地に行ってみたら?
平城京の跡をよく勉強してからね。
平城京の原型ともいえる地名と神社仏閣跡の配置をみることも出来ます。
大宰府が平城京原型といえるほどよく似ているよ。(僕は原型だと思う)
机上論はほどほどに。
フィールドワークも大切ですよ。
お子ちゃまは机上論だけですね。
140 :
日本@名無史さん:03/12/25 21:10
>>137 >「九州」という用語が最初に史料上に登場するのは
>どの時期なんでつか?
福岡県のある島の名前で登場するのは鎌倉時代から。
>>140 福岡県のある島の名前で登場するのは鎌倉時代から。
鷽苔。
142 :
日本@名無史さん:03/12/25 22:47
>>139 >フィールドワークも大切ですよ。
なら今「内裏趾」「紫宸殿」という地名・字名は存在するの?
__
ヽ.=@〈 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,゚Д゚)<◎<
>>1に告ぐ! 無駄な抵抗はやめて自分で削除依頼を出しに逝けゴルァ!
|っ ノ \_____________________________
〜| |
し^J ⌒⌒ 完全に包囲したからな!
∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ⌒⌒
(,,゚Д゚) (,,゚Д゚) (,,゚Д゚) (,,゚Д゚) (,,゚Д゚)
⌒⌒.. | || ̄| | || ̄| | || ̄| | || ̄| | || ̄|
〜| || | | || | | || | | || | | || |
し.||_| し.||_| し.||_| し.||_| し.||_|
⌒⌒ ⌒⌒ ⌒⌒
またまた、詭弁君、粘着君、嵐君の登場か。だいぶ参ったようだね。
145 :
日本@名無史さん:03/12/25 23:19
人種的には、朝鮮人はモンゴロイドのなかでも、長身、短頭、高頭である点で
かなり特異である。顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのが
ふつう。眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に
少ない。皮膚は黄ばんだ淡かっ色で、毛髪や目の色は濃い。髪はかたく、直毛で
ある。朝鮮人は、中国人を代表する中モンゴロイドと、ツングースを代表とする
北モンゴロイドの中間的な様相を帯びる。朝鮮半島内ではかなり均一化されて
いるが、北部にいくにしたがって長身となる。日本列島を概観するとき、長身、
短頭、貧毛という点で、近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的
要素を有することは注目に値する。(国民百科事典/平凡社)
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
さあさ、今夜も詭弁君は
なぜだどうして根拠根拠と質問攻め
俺様に証明もってこい
俺様に根拠見せてみろ
俺様の知りたいことを調べて来い
AA使って荒らし放題
あっぱれあっぱれ 寝るのは今日も夜明け前
>>142 >今「内裏趾」「紫宸殿」という地名・字名は存在するの?
大宰府の現地へ行ってください。
今でもありますよ。
自分の目で確認してください。
ついでに大宰府の地名地形・神社仏閣遺跡の位置もよくメモってください。
奈良にいって、又同じことをしてください。
両者の一致性に驚くこと間違い無しです。
藤原京についても調べてみよう。
148 :
日本@名無史さん:03/12/25 23:29
「内裏趾」「紫宸殿」という地名・字名が存在しないことはよくわかったよ。
>>148 まずアンタのするべきことは
@吉田東伍『大日本地名辞書』の太宰府の項を実際に読むこと。
Aそこに今も現存する「内裏趾」「紫宸殿」という地名・字名を自分で調べること。
Bせめて九州王朝否定派学者が、上記地名についてどういう見解を示しているかは、
自分で調べて押さえておきなさい。
これを自分でやらずに、他人の持ち出す証拠を、ただ根拠なく批判するのは、
まったくのお子ちゃま論法。だから駄々っ子みたいになるのだ。
さあさ、また出た詭弁君
俺様の知りたいことを調べて来い
俺様に証明もってこい
俺様に証拠を出してみろ
毎度毎度のワンパターン
今夜も元気で九州王朝つぶしにご満悦
いくぞいくぞ、夜明けまで暴れまくって
AA嵐も大得意
闘志もりもりやったるでー
151 :
日本@名無史さん:03/12/25 23:58
吉田東伍『大日本地名辞書』には「内裏趾」「紫宸殿」という字がるそうだという聞き書きが書いてあるな。
それは地図にはのってない。
わかったことは2つ。
1「福岡県の地図をみよ、載っている」と言ったやつがウソつきだということ。
2九州王朝肯定派素人がだれも証拠を持ってないことだ。
俺の推論
詭弁君=前々スレの奴国王君
論拠
自分の論拠のよりどころとする資料を自分で提供したためしなし。
153 :
日本@名無史さん:03/12/26 00:08
福岡県の地図のどこに載ってる?
ウソついたこと早く認めろよ。
これはよくできてる。笑わしてもらいました。作者さんありがとう。
さあさ、今夜も詭弁君は
なぜだどうして根拠根拠と質問攻め
俺様に証明もってこい
俺様に根拠見せてみろ
俺様の知りたいことを調べて来い
AA使って荒らし放題
あっぱれあっぱれ 寝るのは今日も夜明け前←←←うちの家族大うけ!
155 :
日本@名無史さん:03/12/26 00:12
>>147 しつもん!
現地へ行って何を見たら「内裏趾」「紫宸殿」という地名を自分の目で確認できるの?
目に見えるもんがあるの?
答えられる?
>>153 もはやそんなことは些細なことだと思うが?
現実に「内裏趾」「紫宸殿」という地名が現存していることについて
早く自らの見解を述べよ。
>>155 現地の案内地図に書かれています。
近畿王朝派が建てた看板が当該地にあります。
158 :
日本@名無史さん:03/12/26 00:20
地名じゃないじゃん。
>>155 ワテも見たよ、現地で。
案内板みたいのがあって、矢印まであった。
「こっち行けば内裏趾、紫宸殿」とすぐわかる
>>158 >地名じゃないじゃん。
地名として書かれてあります。
貴方の家と町内にも、○○町○丁目○○番地○号と書いた看板はあるでしょう。
さあさ、元気に詭弁君
自分の基準だけ正しくて
他人の基準は誤りで
唯我独尊、天下の基準はわれにあり
162 :
日本@名無史さん:03/12/26 00:30
つまり地名地名と騒いでたのは地図ならぬ地元の案内板に書いてある文字にすぎなかったってわけか。
>162
>142をみよ
スマソ>149ね
165 :
日本@名無史さん:03/12/26 00:32
福岡県の地図に載ってると信じてた九州王朝信者君
!ガッカリしたでしょ。
今まで言いたくなかったわけがよくわかった。
後生大事にしてた「証拠」がこの程度のものと全国にバレちゃったね。
>168
自分で探してきなさい。
みんなあなたの奴隷じゃないよ
そんな地名が無いってことを自分で証明すればいい
>>168 >出版社と表題は?
こうくると思ったよ。
椀派痰ダネ。
自分で調べなさい。
明日も仕事です。
もう寝ます。
おやすみなさい。
出版社と表題が言えないと地名が無いのか?
東京が乗っている地図の出版社が言えないと東京は無いわけだ
173 :
日本@名無史さん:03/12/26 00:47
言えないってことは存在しないんだね?
だいたい地図を無断でネット上で公開するのは著作権法違反だからね。
ネット上で公開されているものだけしか、図としては引用できないのだ。
今日も元気に、詭弁君
言えなければ存在しない
太陽が昇る仕組みが言えなければ太陽は昇らない
出版社が言えなければ地名は無い
唯我独尊、天下の基準はわれにあり
ダダコネ君よ。あんたのために地図買いに行くのはまっぴらだ。
一人去り、二人去り、かくて
無職ひきこもり暇もてあましの畿内馬鹿嵐クンが
一人取り残されるのであった。
めでたし、めでたし。
みんないなくなると次は得意のAAですか?
早く大宰府政庁跡に行って来い。
みんな知ってる字地名をあんたが知らないだけだろう。
いい加減、自分でしらべて、自分で検証して来い。
180 :
日本@名無史さん:03/12/26 00:56
通古賀が国衙から転じた地域名称だとか、
朱雀の般若寺という名称とか、
その程度の話だね。
ただ、博多の御笠川(旧石堂川)のように
近代に入って改称されたものもあるから、
現在地名が全く正しいわけでもない。
福岡は右翼の本場だからかなり適当な事をやっているよ。
そこら辺の腑分けもキチンとやらないと駄目だろうな。
>178
来ますね、来ますね、AAのあらし。さあ皆さん注目です!
論理すり替え、詭弁君
今度は右翼でインチキ呼ばわり思いつく。
唯我独尊、天下の基準はわれにあり。
いや〜そのうち、吉田東伍は右翼だったとでもいうのかな。楽しいね〜!
185 :
日本@名無史さん:03/12/26 01:07
再び某hoo!の書き込みより
>千葉の内裏は内房側、君津の内裏塚古墳のある近辺にひとつ。これが大友皇子ゆかりと伝承あるやつね。
>それから外房側にも、海ちかくに内裏塚の地名。そこから4、5キロ北にも内裏って地名が有る。
要するに、「内裏」とあったからといって、そこに王朝があったという根拠にはならない、ということですな。
186 :
日本@名無史さん:03/12/26 01:07
>>182 あのね、大宰府というのは
現在の大宰府市に最初からあったんじゃなくて、
最初は那の津あたりにあって、
白村江の敗北以降大野城や水城(旧水城村)に移って
現在の政庁跡地に落ち着いたと言われているの。
だから現在の政庁跡地から九州王朝がどうというのは噴飯ものなんですよ。
かなり身びいきな郷土研究家(大宰府の)だってそこまでは言っていません。
というか、九国立博物館の宣伝はやめろ、恥ずかしい。
これで昨夜は
>中国古典で畿内を意味する「九州」と呼ばれるところにある。
がウソであることが判明し今夜は
>今も現存する「内裏趾」「紫宸殿」という地名
がアヤシゲと判明しました。
九州王朝の根拠よやらは全部つぶれそうですね。
先落ちます。おやすみ。
あっそうそう落ちる前にひとことだけ。
167:全国にバレちゃったね
このスレ地味だからそんなに観客いないよ。自意識過剰だね。嵐クン。
190 :
日本@名無史さん:03/12/26 01:47
九州王朝って今の皇室に直接繋がらない王朝って事?
大和朝廷に敗れた負け組王朝という事でつね?
まずアンタのするべきことは
@吉田東伍『大日本地名辞書』の太宰府の項を実際に読むこと。
Aそこに今も現存する「内裏趾」「紫宸殿」という地名・字名を自分で調べること。
Bせめて九州王朝否定派学者が、上記地名についてどういう見解を示しているかは、
自分で調べて押さえておきなさい。
これを自分でやらずに、他人の持ち出す証拠を、ただ根拠なく批判するのは、
まったくのお子ちゃま論法。だから駄々っ子みたいになるのだ。
193 :
日本@名無史さん:03/12/26 02:14
九州王朝にはなにひとつ証拠が持ち出されてない事実が明るみにでまつた。
これが批判の根拠でつ。
194 :
日本@名無史さん:03/12/26 02:18
>>140 これは本当ですか?
肯定派の方にお聞きしたい
曳かれ者の小唄>193
>>194 地名が「いつからそう呼ばれるようになったか?」など、わからない方が普通。
判れば「めっけもの」というだけだ。
「鎌倉時代からそう呼ばれるようになった」ということが判れば別だが、最初の登場が
鎌倉時代の書物、という程度では、それが「いつから呼ばれたか?」という事実とは
何ら関係がない。
そんなことは古代史の「イロハ」なんだけどね。
>>193 アンタに一度に3つのことを要求(というか親切に教示)した俺がわるかった。
まず
@吉田東伍『大日本地名辞書』の太宰府の項を実際に読むこと。
を実行せよ! A及びBはそれからだ。
ホンマに大宰府の地図(内裏趾、紫宸殿記入もの)が出てきたら、
「地図捏造説」をわめき出す方に100オコチャマ
200 :
日本@名無史さん:03/12/26 04:19
>>196 まぁ、そうカリカリすんなよ
史料上に初めて登場するのは何時なのかを
聞いただけじゃ
それにしても鎌倉時代に初登場じゃ遅す(ry
201 :
日本@名無史さん:03/12/26 04:21
とりあえず王朝の定義をキボンヌ
皆さんおはようございます。昨夜も荒氏がでたようですね。
186 :日本@名無史さん :03/12/26 01:07
あのね、 [はいはい、聞きましょう]
大宰府というのは [ふむふむ]
現在の大宰府市に最初からあったんじゃなくて、[はいはい]
最初は那の津あたりにあって、 [あーそうですか]
白村江の敗北以降大野城や水城(旧水城村)に移って[はい、それで]
現在の政庁跡地に落ち着いた [その当時生きてたように詳しいですな]
と言われているの。 [あちゃー根拠が、言われているの!ですか!]
だから現在の政庁跡地から九州王朝がどうというのは
噴飯ものなんですよ。 [根拠が言われている、だけで、いきなり断定]
かなり身びいきな郷土研究家(大宰府の)だって
そこまでは言っていません。 [これもソースなし。どっちにしろここと何の関係もなし]
というか、九国立博物館の宣伝はやめろ、恥ずかしい。[お前が恥ずかしいんだよ]
他人に必要以上のソースの提出を求める人間が、自分は、言われているの、だけ。
何のソースも根拠もなし。
そもそも時代によって地名の指す場所が移動したら、何がどうだと言うんでしょうか?
お前の書いているあたかも見て来たような移動の順番はもちろん信用しませんが、
移動してたら何がどうと言うんですか?近畿地方から移動してきたわけじゃあるまいし。
大宰府政庁跡近辺には「朱雀大路」というものが存在するからな。
もう決まりなや
>200
自分で探す能力がないのに大威張りだね、教えて君。
おっと、他人から聞いて、鎌倉と断定かよ、教えて君。
>193
詭弁君の「唯我独尊基準」だけが正しいのかよ→「これが批判の根拠でつ。」
ネット上で提示できない資料に載っていても、すべて現実に存在しない
現行の地名は俺様が気づかなければ、すべて現実に存在しない
よって、今この場で2chで晒せない字地名は、この世に存在しない
ウチの「字」も地図に載ってないけど住民票や登記簿に載ってるよ
あんたが知らんだけだよ
206 :
日本@名無史さん:03/12/26 15:41
>>204 まぁ、そうカリカリすんなよ
電波浴をしに来てるだけだから
調べる気が起きないんだよ
教えて君って云えば、鎌倉時代よりも
古い史料を提示出来ない駄目な自分を慰められると
思ったのかい?うん?
>206
自分の無能を認めたわけね。
>208
俺はもってないよ。自分で探せよ教えて君。
俺もバカじゃないから、持っていてもあんただけには教えない。
まぁ、そうカリカリすんなよ
「六国史」には天子の直轄統治領域を
差す用途で「九州」という用語は使われてたみたいだけどな。
「古事記」では筑紫島、
「日本書紀」では筑紫洲、
↑
「記紀は、畿内の連中の捏造ニダ」
「ウリの歴史を盗まれたニダ」
「ウリナラが起源ニダ」
「証拠?お前が自分で探すニダ」
「こんなに地名が残ってる!これは間違いないニダ」
おやおや、かの国とよく似てること。
まあ、日本語スレの空気も読めずに>194であさってな質問してくる教えて君は
母国語がどこの言語か気になるがね。話が逸れすぎだから、駄レスはこのくらいにしておこう。
まぁ、そうカリカリすんなよ
俺は、肯定派の人間に
「本当のことですか?」と聞いただけ。
肯定派頭のいいから史料は出さないよ君は、
「地名がいつからそう呼ばれたかなんて分からない」
「鎌倉時代の書物に書いてあったから鎌倉から、とは限らない」
と、ごもっともなことを言う。これは当たり前。んなこたぁ聞いてない。
それ以前にあったのか、なかったのか、を聞いてるだけだって。
筑紫島が九州と初めて呼ばれた最も古い史料はどれかのか、と聞いたら
「自分で探せ」「無能」
しかも俺は(史料を)持ってないとか言ってるし。
持ってないならでしゃばるなよ。
どうも君の結論は、いつから九州と呼ばれたか確定できないので、
九州王朝はなかった、といいたいわけね。
さらに、大宰府が移転したことがある事と都督楼跡地に紫宸殿などの地名がある事が
矛盾だと勝手なことを断定されているわけね。
君からでしゃばったのだから、暴論はお返しします。
>212
↓こんな経緯はありません。今作った創作。
「筑紫島が九州と初めて呼ばれた最も古い史料はどれかのか、と聞いたら
「自分で探せ」「無能」しかも俺は(史料を)持ってないとか言ってるし。」
正しい経緯は>208の暴言を>209で断ち切っただけ。
>186氏の論理によれば
京都の御所に紫宸殿があるが、大和朝廷は遷都したことがあるのだから
大和朝廷は存在しなかったノダ!
>>213 違いますよ。ただ、聞いてみただけだよ。
あんまりカリカリすんなや。ただ、九州島が九州と
呼ばれ始めた時期を聞いちゃっただけ。
>>214 史料は持って無いんだろ?なら出てくるな
212 名前:空気が読めない無能な教えて君[sage] 投稿日:03/12/26 17:38
まぁ、そうカリカリすんなよ
俺は、肯定派の人間に
「本当のことですか?」と聞いただけ。
肯定派頭のいいから史料は出さないよ君は、
「地名がいつからそう呼ばれたかなんて分からない」
「鎌倉時代の書物に書いてあったから鎌倉から、とは限らない」
と、ごもっともなことを言う。これは当たり前。んなこたぁ聞いてない。
それ以前にあったのか、なかったのか、を聞いてるだけだって。
筑紫島が九州と初めて呼ばれた最も古い史料はどれかのか、と聞いたら
「自分で探せ」「無能」
しかも俺は(史料を)持ってないとか言ってるし。
持ってないならでしゃばるなよ。
結局マトモな反論はひとつも無いので、以下の説は可決されました
「内裏址」「紫宸殿」「朱雀」「五条」という地名が存在し、
「太宰府(大宰府)」という地名が存在し、
その北にある海が「玄界灘(玄海)」と呼ばれ、
隋書のタイ国伝に登場する「阿蘇山」という火山が存在する地域が、
近畿王朝一元説には無縁の場所に現存する。
・・・・・・・これって「朝廷」があったから
「内裏址」「紫宸殿」「朱雀」「五条」という地名が存在し、
「太宰府(大宰府)」という地名が存在し、
その北にある海が「玄界灘(玄海)」と呼ばれ、
隋書のタイ国伝に登場する「阿蘇山」という火山が存在する地域が、
近畿王朝一元説には無縁の場所に現存する。
・・・・・・・これって「朝廷」に憧れていたから
じゃなくて、近畿王朝が憧れてマネしただけでした。
めでたしめでたし。
じゃなくて、近畿王朝に憧れてマネしただけでした。
めでたしめでたし。
>221は妄想でした。
こんな危ない人がウロウロするので皆さん注意しましょう。
>221は漢籍によって否定され、玉砕しました。お子ちゃま論理はすぐ玉砕。
はっきり言って、近畿地方は後進地域なんですね。>138をよ〜く見ましょうね。
結局なにをどう聞いても九州王朝説の証拠は出てこないということで
めでたしめでたし。
「こまったな〜、こまったな〜、どうしても言い逃れできないな〜
近畿説の証拠はもともと一個も無いからこまったな〜
このスレで一回も近畿説の証拠を出したことが無いんだけど
そんなことバレたら困るな〜」
>>218がコソーリ
>中国古典で畿内を意味する「九州」と呼ばれるところにある。
を消してルヨ。ウソであることを認めたようだ。
なんかさぁ、また罵りあいになっとらん?
ソースを提示し説明してるのは分かったから、これ以上の粘着君はスルーしましょ
いちいち構っていたらどっちが粘着(ry
前にも書いたけど、俺は情報価値のある”議論”を見たい。
2chだから、多少は諦めるけど。。。
九州に古代王朝があったという説を分かり易くいってるだけなんでしょ? >九州王朝説
「九州王朝」が古代に存在したというのなら、いつ頃から筑紫→九州は論点にもなりえるけど。
個人的には、(九州と言われだしたのは)鎌倉時代辺りからだと思っとりまつ。
ちなみに日蓮は筑紫九国とか表現。
>225
ほうほう、残念でした。全面改訂なんだよ。
別人らしいのが同じループ質問再三してるから改定ね。
過去レスよく読んで馬鹿晒さないでね。
>226
ここは「語源探索スレ」じゃないんだよ。他スレでやったほうがいい。
関係ない「語源質問」再三投げかける場所じゃあありません。
詭弁君=奴国王君(=210?)
>152氏の指摘は鋭い
230 :
日本@名無史さん:03/12/26 22:09
>>219 「朱雀」と「五条」については,
大宰府が条坊制を備えているであろうことは早くから推定されていました。
現在では,推定範囲全域にわたる完全な条坊制の施行には疑問が残るものの,
東西南北を志向した計画的な町割が存在していたことは確実になっています。
(地元教育委員会の発掘調査報告書のタイトル自体,『大宰府条坊跡』です)
したがって「朱雀」「五条」といった平城京などの都城にみられる呼称が
存在していても肯定派の根拠にはなりえません。
また,「朱雀」「玄海灘」については
そこから連想される四神の思想が認めれるのは都城に限られるわけではありませんし
ましてや必ず王権と結びつくというものでもありません。
漢代には鏡のデザインにも使用されていたくらいです。
したがって,肯定派の根拠にはなりえません。
既に指摘されていることですが,近現代における地名を古代の歴史事実の根拠にできると
考えること自体がナンセンスです。
歴史を研究する上で重要なことのひとつに時間軸の概念を見失わないことをあげることが
できますが,ここで肯定派によって展開されている地名の議論は,まさに時間軸を見失って
いるものといえます。
詳しくは知りませんが,九州王朝存在の根拠にはもっとましなものがあるのではないですか?
すくなくとも歴史学の根拠としての批判に耐えうるものを提示してください。
期待しております。
いくら聞いても頑として証拠を出さないで口先だけの言いっぱなし
福岡県の地図に載ってる(ウソ)、自分で調べろ、証拠はあるが出せないetcetc
なんか寛政原本の出てこないナントカ古文書みたいですなあ九州王朝説って。
そういう体質みたい。
>230
全体性が大事なんですよ。
個別にどうのこうのじゃありません。そこのところがあなたの説は欺瞞なんですね。
何でも反対されるなら、どうぞご自由に。
また、あなたの説は単語の初出について語っているが、初出が存在の始まりじゃありません。
そこのところもあなたの説は欺瞞なんですね。
>231
説明しても、あなたはお子ちゃま論理で逃げ切ったんですよ。恥を知りなさい。
今夜もあなたはきっと、荒らしに走るでしょう。またAAの乱発をしますか?
畿内政権一元史観の根拠がそもそも存在しないでしょう。
記紀が有るらしいよ。
>>233 普通は天智天皇の日本建国以前の記述は神話レベルとして解釈するんだけど、
記紀をそのまま事実として受け容れないと気が済まない人も存在する。
所謂、記紀原理主義者。
235 :
日本@名無史さん:03/12/26 23:18
時代が下がれば下がるほど、
大和朝廷の権威が確立すればするほど、
紫宸殿・内裏・朱雀・五条などという呼称を
僻遠の地に名づけるとは考えにくい。
むしろ古い呼称ではないか?
>>232 歴史学の研究というものは,史料事実を積み重ねていき歴史像を明らかにしていくというもの。
いわば史料事実を柱にして建物を建設していくようなもの。
全体性が問われるのは,史料事実からみちびかれた仮説が認められてから,
つまり,建物の骨組みが組みあがってからです。
個別事象の検討を放棄した時点で,建物が建つはずがありませんし,
全体性のみを重んじるということは,先に自説ありきということです。
これは歴史学的方法論ではありません。
これによって歴史を語るというのであれば,それこそ欺瞞です。
また,わたしの書き込みの中の何処に「初出」について書かれているのでしょうか?
歴史学の方法論も理解できず,日本語も読み取れない九州王朝肯定論者の方々に
少しでも期待した私が愚かでした。
せいぜい妄想と欺瞞の世界でがんばって生きてください。
>236
あなたは、阿蘇山が大和朝廷の都付近にある山だと主張されるわけですね?
>>237 隋書の何処に「阿蘇山が大和朝廷の都付近にある山だ」と書かれていますか?
原文には書かれていないことを勝手に付け加えないでいただきたい。
>>230 >「朱雀」「五条」といった平城京などの都城にみられる呼称が存在していても肯定派の根拠にはなりえません。
都城の呼称があれば、何らかの拠点であることは間違いないでしょう。
>「朱雀」「玄海灘」についてはそこから連想される四神の思想が認めれるのは都城に限られるわけではありません
何らかの拠点からの方向性は示されます。
>近現代における地名を古代の歴史事実の根拠にできると考えること自体がナンセンスです。
100%の確率で考えるからナンセンスとの結論になるのです。
>歴史を研究する上で重要なことのひとつに時間軸の概念を見失わないことをあげることが
>できますが,ここで肯定派によって展開されている地名の議論は,まさに時間軸を見失って
>いるものといえます。
あなたの思い込みです。
>九州王朝存在の根拠にはもっとましなものがあるのではないですか?
これらの根拠は、このスレでは今のところ話題になっているものだけです。
今までのスレ1〜5までにいろいろ出てきています。
これからも出てくるでしょう。
>すくなくとも歴史学の根拠としての批判に耐えうるものを提示してください。
今までのスレ1〜5に出てきた根拠には、批判なしの無視又はあたまからの否定が多いですね。
ココにはいろんな人が来るのです。あなたのような人ばかりでではありません。
>期待しております。
期待にはお応えしたいとは思うのですが、荒氏とお子ちゃまにはある程度以上は応えかねます。
>200>206>210>212>216まで暴言吐いて悪態ついて
急に紳士ぶって>230>236ですか?
>238
では無視されると?タイ国の都以外である僻遠地の詳細な描写はされていないと思うが。
>>240 天地神明に誓って別人です。
>>239 ・畿内説側であっても九州説側であっても大宰府が「拠点」あることにかわりありませんが?
反論になっておりません。
・四神が方角を象徴するのはあたりまえ。これも反論になっていません。
玄海灘の「玄」が「玄武」からきているのはと決めてかかるのもどうかと思いますし,
玄海灘と大宰府の「朱雀」が同じ基点からであると決めてかかる根拠はあるのですか?
・地名が100%とは限らないという発言は,地名は十分条件にはなりえても
「根拠」にはなりえないという私の主張と一致していますが?
・時間軸を見失っていることに気づいていないことは,
あなた様をはじめ,九州王朝肯定派の発言を読めば理解できます。
結局まとはずれな内容のレスしかないなのですが…。
>>241 無視するもなにも,隋書から読み取れることは裴世清の訪れた国の領域内に阿蘇山があったといことだけですが?
>244
荒らしたくないんですが、読み違いだと思います。都のことしか書いてありませんが。
いろいろお相手いただいている最中に大変申し訳ありませんが,今晩はここまでとさせていただきます。
といっても,明日から帰省するので年内はもう出てきません。
年明けに私が加われるような話題であればまた御邪魔するかも知れませんが,
基本的にはROMに戻ることにします。
どうも御邪魔しました。
248 :
日本@名無史さん:03/12/27 00:09
普通に都城制というのは名称や構造が共通のものなんだけどね。
これは宮崎市定のような中国史学者が指摘している事なのだが。
>247
紳士は大歓迎であります。新年のご訪問をお待ちしています。
>>230>>243 あなたは、このスレの九州王朝肯定の方々の方法論を批判しているのですね。
あなた自身は、否定でも肯定でも無い様に思えるのですが、
九州王朝をどのように見ているのですか?
「お子ちゃま荒らし」封じ中に、
低次元の噛み付きに超低空飛行するこのスレを
ちょっと覗いて、紳士がびっくりしたんでしょう。
>>230 「天子の南側に朱雀」というのは中国の思想に基づくものであるはずですよ。
近畿天皇家が九州をも支配していたとするなら、そのような誇称を容認するはずはないですよ。
もし容認したとすれば、近畿天皇家は「朱雀」の意味も知らぬイナカ者、ではないですかね?
「玄海」においても、「天子の北方に位置する海」という意味で付けられたとしたら
まことに相応しい誇称であると思いますが?
このぶんだと、「九州元号も大和朝廷が黙認」なんてはなしになりますな。
うむ、理想的な否定派さん=230氏
であることに異議なしだ。
通貨発行も自由、なんてことになったら大変だ。
文章分析の立場から言えば、
230、236、243の特徴は確かに、教えてクン=真性荒氏とは異なっているが、
「歴史学の方法論も理解できず,日本語も読み取れない九州王朝肯定論者の方々に
少しでも期待した私が愚かでした。
せいぜい妄想と欺瞞の世界でがんばって生きてください。」
これは普通、捨て台詞で、これを最後に消えないとおかしいんですが、
その30分後にまだレスしているところを見ると、よっぽどどこも相手にしてくれないらしいのは、
荒氏と大同小異。
230の
「九州王朝存在の根拠にはもっとましなものがあるのではないですか?
すくなくとも歴史学の根拠としての批判に耐えうるものを提示してください。
期待しております。」
そもそも、
荒氏が九州という言葉にこだわって、かってに書いてきているから、単に応戦しているという経緯がまったく
理解できていないし、
丁寧に書いていても、相変わらず、「提示し」ろという発想は、荒氏と同じ。
こういうのは畿内派の特徴なんですかね。
年末の忙しい時に誰がいちいちお前らのために「提示」しなきゃならないんだろ。
反証をソースを付けて持って来るのはお前なんだよ。
「詳しくは知りませんが」知らないんだったら自習しろ。
>230氏は紳士といっても捨て台詞はちょっと汚い>236
頭から九州王朝の否定を決め込んでいるのが、はっきり見えます。
「歴史学の方法論も理解できず,日本語も読み取れない九州王朝肯定論者の方々に
少しでも期待した私が愚かでした。
せいぜい妄想と欺瞞の世界でがんばって生きてください。」
おっとかぶった、>256氏に賛成!
257は私ではないが、偶然同じ考えの人がいたみたいですね。
大好きさん、相手しないほうがいいよ。
では先にやすみます。
今夜は九州王朝否定派がバトンタッチよろしく
次々と選手交代。新人さんが出てくると
なぜか急に、さっきまでのアンチが消えうせる。
どうして同時に二人が現れないのか?
ときには「でつか?」と幼稚語使い、
急に「まぁ、そうカリカリすんなよ 」と大人ぶり
>226で2者が同一人物と露呈し(「思っとりまつ」)
>230で急に紳士ぶり、
>243で「天地神明に誓って別人です」宣言の唐突さ
怪しい怪しい、怪人二十面相のお出ましか?
まぁ、そうカリカリすんなよ
九州王朝があったなら竹斯國とは別物なんですか?
他板から戻ってまいりました。
怪人二十面相でない人は、
トリップを付けてくださいね。
まともにレスできないよ。
ソースとはどういう意味で言ってるんですか?
265 :
日本@名無史さん:03/12/27 02:34
>>230氏に全面的に賛成ですね。
隋書の「阿蘇山有り」が示しているのは倭の領域に阿蘇があるということだけ。
そもそも同じ隋書の「東西五月行、南北三月行」という南北より東西の方が長いこととか、
ハイセイセイの行路記事が筑紫を通り過ぎて東へ東へ行って海岸に達して出迎えを受けて都についた
という記事とか、明らかに九州説とは矛盾する記述をどう考えているのか。
九州王朝説は自説に都合の悪い史料事実を無視しすぎていますね。
>>230氏を批判している書きこみを見ると故意に事実を捻じ曲げている悪意を感じて大いに不愉快です。
言い逃れ。山なら飛鳥三山がメインでしょ。
267 :
日本@名無史さん:03/12/27 02:45
某hoo!での書きこみより。
>「内裏」という地名なら千葉と長崎にあったはず。
>それから今は「大里(だいり)」になっているが嘗て内裏と呼ばれていた地が門司近くに。ここは安徳天皇の行宮があったという伝承地。
>ちなみに、千葉の「内裏」は大友皇子がらみの伝承地だから、「内裏」地名は流移の貴種伝説と絡む確率が高いようですな。
>千葉の内裏は内房側、君津の内裏塚古墳のある近辺にひとつ。これが大友皇子ゆかりと伝承あるやつね。
>それから外房側にも、海ちかくに内裏塚の地名。そこから4、5キロ北にも内裏って地名が有る。
>長崎県北松浦郡吉井町のHPに「直谷城跡(史跡内裏山)」について紹介してあります。やはり「安徳天皇」伝説に由来するようですね。
>
http://www.town.yoshii.nagasaki.jp/shiseki_guide.html >すると、九州に3ヶ所あるらしい「内裏」という地名ぜんぶに、安徳天皇の由来譚を伴なうというわけですな。
>門司と大宰府は実際に安徳天皇が来た場所。
>単なる付会説ではなさそうですね。
どうやら「九州王朝」とは関係無さそうですね。
>134参照
269 :
日本@名無史さん:03/12/27 02:48
>>266 メインって?
都に近いということ?
そうじゃなくて特徴のある山、特に中国に少ない活火山は珍しいから特筆した、
という可能性を考えないんですか?そもそも阿蘇山のことを書いてある近くに
如意宝珠のことが書いてある。これだって「珍しい」から記録してるんではないですか?
>>268 その
>>134自体が意味不明ですな。
そもそも
>>267は、一般論として「内裏といっても九州とは限らない」というような
レベルを超えて、「日本各地の(特に九州近辺の)内裏という地名は安徳天皇
に関係ありそうだ」という情況証拠になっているでしょう?
あなた、昨日の荒らし君でしょ。一言だけ答えてあげる。
「大和朝廷は、阿蘇山で祷祭を行ったことがありません。」
>大和朝廷は、阿蘇山で祷祭を行ったことがありません。
その根拠は?
記紀に書いてないから?
でも「九州王朝が祷祭を行った」と書いてある史料だってないですよね。
夜になってゾロゾロ繰り出す
否定論者の姑息なことよ。
詭弁君=267
推古天皇の石棺は阿蘇溶結凝灰岩製らしいですよ
都合が悪くなると相手を「荒し」よばわりするだけなんですね、九州王朝論者
ってのは。こっちが具体的に挙げている論点に何一つ答えられてないではないですか。
>>275 ええ、私も知っています。これは阿蘇山と推古の結びつきを考えさせる情報ですね。
>>277 私も結びつきを感じます。当時から偉大な火山として
認識されていたんでしょうね。そして、阿蘇山を支配下、もしくは
影響下に置き、瀬戸内海を舟で輸送したことを想像します。
中国、四国、九州に強い勢力を持っていたんでしょうか。
「内裏跡」「紫宸殿」「朱雀大路」「大宰府」など、これだけそろってるのか?
他の安徳天皇伝説には?
「内裏」だけ他の安徳伝説にあるからって、それだけで否定してもダメだな。
>>275 そうか。
推古が九州王朝の支配下にあった証拠歴然だな。
∧_∧ >>吸収王朝大好きの頭の中は
( ´∀`)
( )
| | |
(__)_)
( ゚д゚) パカ
<| ┳ |> はい、メロンパソ入れになってまーす
( ´∀`)
( )
| | |
(__)_)
283 :
日本@名無史さん:03/12/27 05:47
「朱雀大路」があるから朝廷があったというなら
横浜中華街の朱雀門もそこに関帝国があった証拠になってしまう。
そもそも「大宰府」という名前は大宰の府であって天子の御所じゃない証拠だし
「内裏」という名前も安徳天皇に関係ありそうだという情況証拠。
「紫宸殿」も安徳天皇や日本国王良懐がいた場所だから後世ついた名前かもしれない。
結局ひとつも九州王朝に結びつける根拠はないんですと。
>>283 大宰府の朱雀大路からは、遺構が発掘されてます。中華街云々は話になりませんな。
それから「大宰」がとおく都から離れていて、どうして政治に関与できますかね?
○○大将軍 というのとはワケがちがうのですよ? 太宰というのは。
少なくともこの「大宰府」は近畿天皇家とは無関係ですな。
それから現在「大宰府政庁跡」は旧太宰府町から外れています。
つまり
@伝・大宰府政庁跡=天子の宮廷
A旧太宰府町=大宰府のあった場所
ということですね。「内裏跡」も「紫宸殿」も「朱雀」も@の方にあるわけだし。
285 :
日本@名無史さん:03/12/27 08:18
>>284 >大宰府の朱雀大路からは、遺構が発掘されてます。
その遺構の時代が問題なんですよね。7世紀まで遡れるものってありましたっけ?
>○○大将軍 というのとはワケがちがうのですよ? 太宰というのは。
紀に出てくる吉備の太宰についてはどうお考えですか?
年代判定の見直しがされつつある九州の遺跡は、実際は古かったわけです。
太宰と大宰は違いますね。大宰府は後世、「太」に改竄されたようにも思えます。
288 :
日本@名無史さん:03/12/27 14:32
>年代判定の見直しがされつつある九州の遺跡は、実際は古かったわけです。
それって弥生遺跡の話でしょう?九州北部なんて、それで古くなりすぎて、3世紀にすら
とどかなくなりつつあるから、最近は邪馬台国九州説ですら下火なんでしょう?
いわんや九州王朝説をや。
「太宰府」は、太宰の府で、シナ語。輸入語。
「大宰府」は、大きい宰府で、日本語。九州王朝の造語。
290 :
^@kj7^@kj7 ◆VswWSpFPH2 :03/12/27 17:11
そもそも、『天皇』なる呼称は、近畿天皇家以外で使われた証拠があり
ますか。
『秘められた日本古代史100の謎』(青年書館:斎藤 忠)には、九州
王朝で使われた可能性があると述べられていましたが・・・・・。
>>288 下火なのは、近畿文化圏のほうが先進的だった、という誤った考えです。
>>290 証拠ではありませんが、九州王朝で使われていたと思われます。
九州王朝は「兄弟政治」でしたので、
昼を司る弟王は、現世政治を法で司り、「法皇」でしたから、
夜を司る兄王は、祭祀政治を祀で司る、「天皇」であったと類推できます。
近畿王朝は、現世政治の九州分派が近畿に進出し「天皇」を持っていないので、
王自らは、「法皇」と名乗らず、最高地位である「天皇」と名乗ったのではないでしょうか。
294 :
^@kj7^@kj7 ◆VswWSpFPH2 :03/12/27 22:16
>>293 お教え下さって、ありがとうございます。
>九州王朝は「兄弟政治」でしたので、
>昼を司る弟王は、現世政治を法で司り、「法皇」でしたから、
>夜を司る兄王は、祭祀政治を祀で司る、「天皇」であったと類推できます。
と言うことは、大和朝廷(近畿天皇家)での法皇や天皇とは、使い方
が、異なるのですね。
大和朝廷(近畿天皇家)では、法皇は、天皇が出家したときの呼称で
すよね。
>近畿王朝は、現世政治の九州分派が近畿に進出し「天皇」を持っていないので、
>王自らは、「法皇」と名乗らず、最高地位である「天皇」と名乗ったのではないでしょうか。
と言うことは、九州王朝大好き ◆RBWf2snlzI さんのお考えでは、近畿王朝
は、九州王朝と繋(つな)がりがある存在とお考えなのですね。
つまり、古代日本に複数の王朝が存在し群雄割拠している多元王朝の中の
一つとしての近畿王朝ではなく、近畿王朝は、九州王朝から派生した存在と
お考えなのですね。
>>288 >最近は邪馬台国九州説ですら下火なんでしょう?
邪馬台国「筑後山門説」をはじめとする従来の九州説のことをおっしゃってるのだと
思うが、それは比定地から3世紀の遺物が発掘されないから。
いっぽう「邪馬壹国」博多湾岸説の比定地は弥生遺跡の超A級地。
したがって
>いわんや九州王朝説をや。
というのは根拠がありませんね。
296 :
日本@名無史さん:03/12/27 23:39
まあ、海洋系の息長族が北上して畿内王朝を形成した
という事は和歌森センセあたりが昔仰ってたことだね。
ただ、4〜6世紀の遺跡は大宰府付近から発掘されていたかな?
福岡市沿岸部なら結構出ているんだけどね。
それに祭祀云々だったら宗像大社のほうが説得力あるなぁ。
あと、箱崎にも御所って地名はあるよ。
この間一家斬殺事件があった所からちょっと行った所。
しかし何故に九州王朝=大宰府なのだろうか…
大宰府が都だったのは最末期でしょう。
>>289 >「太宰府」は、太宰の府で、シナ語。輸入語。
シナ語なんていうと中国蔑視って言われますよ。
>>298 サンスクリット語でシーナといいます。
中国人はこちらに対しては文句を言いませんね。
300 :
日本@名無史さん:03/12/27 23:50
歴史的表記だからね
サンスクリット語で話してるのは誰?
>301
約2000人のインド人。
>しかし何故に九州王朝=大宰府なのだろうか…
そりゃ「大宰」という官職名が朝廷の中では「重要すぎ」だからですよ。
周公が大宰となって幼い成王を「佐治天下」して以来、大宰=佐治天下というのが
決まり文句みたいになっておるからです。
大宰は朝廷の付近に居てこそ「佐治天下」が出来るというもの。
近畿=朝廷 大宰=九州 という構図に疑問を持つのは、本来は当然なのです。
無知悲惨
孫文、魯迅、蒋介石などが日本に留学していた時「私は支那人」と自己紹介しているのだから
なにも問題はないだろう。
>>305 では何か? 最初に混同したのは南朝劉宋ってか?
この無知者め
>>307 だれも混同してません。
あなただけです。
>>308 ちがうな。周公が就任していた「大宰」と
南朝にあった「太宰」は同じものだな。
つまり 大宰=太宰 だな。
古代中国の官職は太宰であって大宰ではありません。
筑紫大宰や吉備大宰として天下を左治する宰相がいたわけではなく総督がいたのです。
313 :
日本@名無史さん:03/12/28 00:22
朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)
北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ている
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ている
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
>>303 聖徳太子(上宮聖徳法王)や中大兄皇子がいたとされているのだから
「佐治天下」の士がいた所でも構わないと思いますけどね。
半島や大陸に向かって開かれた重要拠点でしょう?
それに昔は海上交通が主流だったと言う事も考慮すれば
それ程僻陬の地だったというわけでもない。
筑紫―備前―大和といった塩の海上交通路もあったと思うんですけどね。
すみからすみまで読んだが何か?
じゃ大宰=太宰 で問題ないな
大の違いだけに大問題
>>319 本論にからめて「大の違いだけに大問題」といわなければツマラナイ。
322 :
日本@名無史さん:03/12/28 00:38
中国の太尉は三公ですが日本の太尉は一介のの武官です。
おかしいですか?
じゃ大宰と太宰は別モノということで問題ないな
『三代實録』元慶八年五月廿九日
式部少輔兼文章博士菅原朝臣道眞奏議曰(中略)謹案漢書表云、
相國掌承天子、助理萬機。丞相同之。大尉・大師・大保、皆在其下。
後漢書志云。大傅上公一人、掌以善導、無掌職。大尉・司徒・司空、並在其下。
晋書志云。丞相非常人之職。相國同之。大宰・大傅・大尉・司徒・司空、並在其下。
宋書志云。大宰所以訓導人主、以徳義也。大傅・大保、同之。
就此等文案之、相國・大傅・丞相・大宰等、位冠百寮、掌殊常職(中略)
博士善淵朝臣永貞等奏議曰。一、職掌有否事。尚書周官曰、大師・大傅・大保、茲惟三公、
(中略)唐令云。大師・大傅・大保、右三師、師範一人、儀形四海。大尉・司徒・司空、右三公、
(中略)大内記菅野朝臣惟肖奏議曰。(中略)唐開元令云。
大師・大傅・大保・大尉・司徒・司空、大保以上三師者、師範一人、儀形四海(中略)
五經異義云。周禮説、天子立三公、曰大師・大傅・大保。無官屬、與王同職。(中略)
少外記大藏善行奏議曰(中略)唐開元令云。大師・大傅・大保、右三師、師範一人、儀形四海。
大尉・司徒・司空、右三公、經邦論道(中略)此即尚書周官云。
立大師・大傅・大保。茲惟三公、論道經邦(中略)五經異義云。
周禮説、天子立三公。曰大師・大傅・大保、無官屬、與王同職(後略)
・・・近畿天皇家の認識も 太宰=大宰 のようですな
本論とやら意味不明
>>325の事実により、太宰=大宰ということに決定です。
>>314 何百キロも離れて「佐治天下」できる限界が大きすぎますね。
世界の常識からも離れると思います。
大宰府が、後世太宰府と表記されるようになった・・・・これは異論が無いでしょう
>>327 残念ながら、時代が下って9世紀くらいになると混同が出てくるという例にすぎません。
331 :
日本@名無史さん:03/12/28 00:55
日本書紀の類例からいって「宰」は地方に派遣された官。
時代も地域も異なる例の意味で読もうとするのは間違い。
332 :
日本@名無史さん:03/12/28 00:56
>>330 9世紀もおわりごろだよね。時代違いすぎ。
>>327氏のように、中国では大宰=太宰
>>330氏のように、大和朝廷下では時代が下って9世紀くらいになると混同
・・・・・ですね?
>331氏に賛成!
>>330 同一王朝内による混用、という例だな。
残念なのはそっちの方だ。
>>331 >日本書紀の類例からいって「宰」は地方に派遣された官。
その「類例」なるものを示されよ。
そもそも中国の「大宰」「太宰」の重要性を認識して「大いなる宰=大宰」などという
官職名を創作するはずがないわな。
まして「大宰府(太宰府)」においておや。
>>335 近畿天皇家がイナカ王朝だった証拠だろ。
大いなる宰=大宰
337 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:04
「類例」は提示済み。
「大宰」は「太宰」と違うので重要性など認識する必要もナシ。
でなかったらたかが從六位上の「大尉」なんてものが存在するわけがない。
まったくナンセンスな混同です。
>>336 たしかに、大和朝廷の国書は名文じゃ無いかも。
>>294 >近畿王朝は、九州王朝から派生した存在とお考えなのですね。
その様に単純に見ていません。
672年の唐の九州王朝(倭)占領支配により、
九州の一部勢力が、大和の一部勢力と尾張の勢力と組み、
大天人を担いで天武朝を始めたと見ています。
九州勢力は具体的には宗像氏を中心とした勢力を指します。(九州物部氏等)
宗像氏は、弟王であるタリシホコの所属する勢力です。
340 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:06
>>336 中国の影響がまるまるコピーにならなかったという意味では確かに「イナカ王朝」かもね、日本列島の王朝は。
>>311氏の
「筑紫大宰や吉備大宰として天下を左治する宰相がいたわけではなく総督がいたのです。」
ですが、近畿王朝下においては、そうかもしれませんね。
>>337 「管仲」という人物をご存じ?
とりあえず「管仲」の官職名を自分で調べてね。
ついでにそれら資料に出てくる「大宰」という官職名が、
「宋書」百官志(上)に出てくる「太宰」とどこが違うのか、
『自分の力』で調べてね。
筑紫君薩夜麻は夜の兄王で、天武は昼の弟王とすると、祭祀をした薩夜麻が
どうして半島へ戦争に行ったのか、役割分担が良くわかりません。
「大尉」という語は、王権にとっての尊厳を冒す語ではないから、好例ではない。
>>345 >筑紫君薩夜麻は夜の兄王で、天武は昼の弟王とすると、祭祀をした薩夜麻が
>どうして半島へ戦争に行ったのか、役割分担が良くわかりません。
現実政治を司るのが弟王ですから、
筑紫君薩夜麻もアメノタリシホコも弟王です。
倭の五王もイワイも弟王です。
兄王の名前は僕も知りません。
卑弥呼と壱与は女性ですが、兄王に当たるのではないかと思います。
天武は宗像氏や九州物部氏の支持を受けた、
弟王に成れそうにもない下位の有力者だと思われます。
九州王朝大好きさん、
どうもありがとうございます。
タリシホコが弟王? そらちがうと思うぞ。
たとえば「日十大王年 男弟王」の日十大王にあたるのがタリシホコでは
ないのか?
卑弥呼=倭王
男弟=佐治国
の用例をみるかぎり、男弟王はあくまで「佐治国=佐治天下」の方で、
天子=兄王=タリシホコだろ。
すまねー 349の2行目はヤヤコイ・・・
つまり僕は「日十大王=タリシホコ」と主張しているのではないです。
誤解されたらすんません。
僕自身は(以下想像だけど)、兄=天子 弟=男弟王 の九州王朝の政治体系を
天智−天武が「禅譲」によって引き継いだ、と見ているのだけどね。
根拠は天智の「天命開別」と、大海人の「大皇弟」という称号。
「皇太子」でもない「皇太弟」でもない、この微妙な称号・・・
兄王→天皇(天子) なら、男弟王=大皇弟 という称号に変更しても
不思議ではない、と思うからね。
あ、否定論者さん、これはあくまで私個人の「想像」だから。
いつものように「妄想」「根拠なし」などとわめかないでね。
>>349 タリシホコは隋に対し「天子」であると称しているので、兄王とも考えられます。
しかし現実の政治を司っているので、兄王ではありません。
タリシホコは又「菩薩天子」とも書いています。
もし兄王なら倭古来の神と対話するので、仏教徒であると称すことはできません。
タリシホコは、隋に理解しやすい様に「天子」を使ったのではないでしょうか。
修飾のない「天子」を使うと兄王になる為、
「菩薩天子」を使い、神に仕えない仏教徒としての立場を強調することによって、
自分が兄王でないと主張している、と理解しています。
>>349-353 >天智の「天命開別」と、大海人の「大皇弟」という称号。
興味深く着目しています。
しかし、禅譲なら、「日本書紀」に見られる九州王朝の抹殺は必要ないと思われます。
禅譲ではなく、九州王朝の政治体系の一部コピーと思います。
>>349さん
天智−天武が「禅譲」とするとある程度複雑なストーリーが必要になりますね(いっこうに構いませんが)
>>355さん
古来の神と仏教を敬うことが矛盾している印象が、私には見えてきません。
>>357 >古来の神と仏教を敬うことが矛盾している印象が、私には見えてきません。
敬うのではなく仕えるのです。
古来の神と仏に同時に仕えることが、矛盾しいることだと思いませんか?
神主と僧と司祭を同一人物がするようなものだと思いませんか?
タリシホコは仏教徒として埋葬されています。
>>358さん
初期の神社は仏教の坊さんによって運営されていたように思っておりました。
祖霊信仰と仏陀に帰依することにに対立するものがあるように感じませんでした。
はは、今のところ100%妄想だけどね。(以下同じ)
日本書紀中にある「日本旧記」ってのは中国式に「前王朝」を記録した正史では
ないかと思うのだが。
つまり朱鳥九年の年号のある「日本紀」がそれに当たると・・・。
>>358さん
あ、いけない、古来の神と祖霊は同一じゃありませんね。といっても趣旨は変わりません。
>>360さん
仮説を組むことに賛成です。
情報量が限られた古代史では、「確実なものだけの探求」より
「少ない仮説で多くのことが矛盾無く説明できる仮説の探求」のほうが
真実に近づける方法だと思います。野次が飛んでくるかもしれませんが。
うん、だから「妄想」って自分で先にいっといたw
364 :
日本@名無史さん:03/12/28 08:11
>>343 >「管仲」という人物をご存じ?
>とりあえず「管仲」の官職名を自分で調べてね。
「相」という官職がどうかしました?
>>303=
>>311=
>>364氏の
最終的に言いたいことがわからないんですが?
1:野次を飛ばしただけ
2:九州王朝を独自の観点から肯定
3:九州王朝を独自の観点から否定
367 :
日本@名無史さん:03/12/28 12:49
九州王朝を一般的観点から否定
>>367氏の
「九州王朝を一般的観点から否定」論が
>>311などから見ても
肝心な本題に言及されていないと思いますが、如何。
このぶんだと、ご自身も「伝え足りない」感をお持ちでしょう。
気が向いたら、お願いします。
>>367
本題って何?
371 :
日本@名無史さん:03/12/28 16:32
だから大宰府って地名だけでそこが都だったとかいう理由にはならないよってだけの話でしょ?
>>371 九州王朝肯定派の人で、九州王朝遷都否定派(一度も遷都したことが無いとする派)の人に
出会ったことがありません。むしろ大和朝廷一元説派の人にいそうな気がします。
373 :
日本@名無史さん:03/12/28 16:54
>>371 あ、ずれた話をしてしまいました。
ええと、そんな話じゃなかったのです。
>>296から問題提起
>>303で続き
急に話の腰が折られるわけです
↓
>305>307>311>315>317>319>322>330
>周公が大宰となって幼い成王を「佐治天下」して以来、大宰=佐治天下というのが
>決まり文句みたいになっておるからです。
周公が大宰っていうのはウソだろという声が出たが無視したわけでつね?
376 :
日本@名無史さん:03/12/28 18:55
>>375 なんで理由もなく筑紫「大宰」と古代中国の「太宰」を同一視するのかという問いには
答える意思が無いって意味だな。
意思があるかないか、相手が答えていたからあったようだが、
話しそらした、あなたは荒らしただけなわけだから、態度を考え直したほうがいい。
378 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:20
都合の悪い反論はなんでも荒らし扱いにして回答拒否なんだね。
379 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:28
「九州」という言葉が「畿内」を意味するというのは本当かという問いにもウヤムヤ。
「内裏址」という地名は今もあるというのは本当かという問いにもウヤムヤ。
それは福岡県の地図に載っているというのは本当かという問いにもウヤムヤ。
周公は「大宰」だったというのは本当かという問いにもウヤムヤ。
困った質問はみんなウヤムヤにしてごまかす。
荒らしは黙れと発言封じ。
それが九州王朝説ですか?
本人に聞いてみればいい。
私は、筑紫「大宰」と古代中国の「太宰」を同一視について思うのは
九州王朝がその字句の類似に気がつかないはずが無いが、
適切であれば、宰府や大宰府の語を使うことに、忌避するほどでもない、ということだ。
>379
ばかだね、発言者にきけよ。
九州が、天子の直轄領やそれに準ずる地の意味はあるだろう。
福岡県の地図の大宰府部に載っているからみてほしい。
周公は「大宰」という問いは、私は知らないから答えようが無い、知っている人に聞け。
でたらめなあなたが、荒らしであると認定してよろしいね?
で、九州王朝が無かったという根拠は
ひとつもなし?
383 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:42
>九州が、天子の直轄領やそれに準ずる地の意味はあるだろう。
そんな意味で九州という言葉を使った古典はないしそう書いた辞書もないんだけど
あるという出典は?
>福岡県の地図の大宰府部に載っているからみてほしい。
どの地図を見ても載ってないが、載ってるというのはどこの出版社のなんと言う題名の地図?
ちゃんと答えられなければあなたの方がでたらめなんだが?
>>382 大宰府が大宰の府だということは王都じゃないんでしょ。
王都がなければ王朝も無かったのでは?
基本的にどの立場でも言った者勝ちなのが7世紀以前の日本史の悲しい所。
>>382
386 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:47
なのに言って負けてる九州王朝
>そんな意味で九州という言葉を使った古典はないしそう書いた辞書もないんだけど
→おもしろいよ、その珍説。もっと聞かせてもらいたい。
>どの地図を見ても載ってないが
ウチは図書館じゃないから、調べてほしいと思うぞ。
389 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:55
>九州が、天子の直轄領やそれに準ずる地の意味はあるだろう。
→おもしろいよ、その珍説。もっと聞かせてもらいたい。
>388
すまん、東日本の道路地図だけしかもっていない。許せ。
391 :
日本@名無史さん:03/12/28 19:59
>>381 >福岡県の地図の大宰府部に載っているからみてほしい。
載ってるの?
あなたの持ってる地図はどこの出版社?
392 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:00
>389
ごうぞご自由に。判断は別な皆さんがしてくれるでしょう。
それより貴説=九州王朝が無かったという話が聞きたい。
393 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:00
>九州が、天子の直轄領やそれに準ずる地の意味はあるだろう。
「九州」という語句が上記のような意味を持っていたとしても、
日本国九州地方が古代において直轄領であったり、
その地に王権があったと言う事は必ずしも言えない。
ただ、これは100%の否定ではなく、
その証拠として通時的な意味での地名(朱雀とか)の変遷や
遺跡(時期)を示さなければ論が弱いというだけの事が
延々と繰り返されているだけの話。
例えば最近になって朱雀から蘇我日向が建立したと思われる
寺院跡が発掘されたわけだが、
この寺院跡の建立時期や記紀における記述との絡み、
そして磐井→物部→蘇我といった古代筑紫国における覇権争い
なんかも考察しなければならないのだよ。
そういう志向はあまり感じられないな。
だいたい、地名だけで論じていったら
中洲、青木(木意)、二神山(現・立花山)で
博多近辺が天孫降臨の地になっちゃうよ。
>>381 福岡県の地図の大宰府部に載っているからみてほしい。
>>390 すまん、東日本の道路地図だけしかもっていない。許せ。
まさか同じ人間の発言じゃないよな?
>391
すべての字地名が出ている地図ってどこだっけ。教えてくれ。
396 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:06
>>395 だから「福岡県の地図の大宰府部に載っているからみてほしい」と言った人間に聞きたい。
教えてくれ。
>394
残念だね。
ガリ版ずりの地図を持っていたが、捨ててしまって悪かったね。
>396
登記簿にあるから法務局で見て来い。
地図は根拠にならないぞ。
あなた和田さんでつか?
>393
論理をコロコロ変えるわけね。
で、九州王朝が無かったという根拠は
ひとつもなし?
402 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:11
>>397 あなたの「福岡県の地図の大宰府部」はガリ版ずりだったの?
九州王朝が無かったって誰か言ったっけ?
九州王朝は暖か
長崎や福岡じゃないね。あの辺り、結構寒いんだ。
405 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:18
「内裏址」「紫宸殿」という地名が福岡県の地図に載っているというのはウソだったということでよろしいですね?
>402
私が所有していたヤツはね。法務局に言ったほうが早いぞ。
>405
だから、登記簿に載っているってば。
インチキ地図よりそちらのほうが正しいぞ。
408 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:21
九州王朝説、結局またゴマカシか…
409 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:23
>>407 じゃ請求するから地番と公図番号おしえて。
私は九州に中国式の政権を模した権力集団が居たことに疑いを持ってはいませんが、
紫宸殿という地名に関しては10世紀からのもので、天満宮由来だと思いますよ。
否定派の詭弁=×
○地名が複合的に存在するから、王朝があった疑いが濃い
×ひとつの地名だけ否定して、王朝の全面否定
>409
大宰府の法務局窓口で一発解決!
誰か王朝の全面否定とか書いた?
肯定派の主張に何も根拠がないと言ってるだけだが。
414 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:35
某hoo!の書きこみより。
>考えてみれば、朱雀大路の北端にある朝堂建築は大極殿であって紫宸殿ではないんですよね。
>大極殿の代わりに紫宸殿で朝儀が行われるようになったのは平安時代以降、大極殿が焼失したあとです。
>ということは、大宰府に紫宸殿という地名があるのなら、その地名が付いたのは平安時代よりあとということになります。
>414
総合的に地名が残っている反論ではありませんね。
根拠は知りませんが、錯誤でしょう。実にストレートで見事です。
で、九州王朝が無かったという根拠は
ひとつもなし?
天満宮と道真の祟りの関係、平家の一時的な造営なんかが有るんで、福岡の
あの辺りに都にあるべき地名が散見されても全く不思議は無いんです。
私は九州に王朝と呼べるものが有った事自体を否定しませんけどね。
で、幽霊がいないという根拠は
ひとつもなし?
やっぱり>311=>364は>365の疑問どおり
1:野次を飛ばしただけ でしたね。
内裏址に続いて紫宸殿も否定されたようだ。
王朝があった疑いが薄くなっていく。
>417
道真は王朝の首長ですか?
>420
あなたの錯覚でした。
大宰府の名前を古代中国の太宰と結びつけることも根拠なしで決まりのようだ。
424 :
日本@名無史さん:03/12/28 20:53
無視されてるみたいなんですが、大宰府が王じゃなくて太宰の府だということは
九州王朝の都じゃないってことですよね?
九州王朝説の根拠がまた一つ消えたのでは?
大なる宰府でしょ。だから>424説はあたらない。
>424
読解力が無い人ですね。>380
>>425 ということは大宰府は中国の「太宰」とは無関係ってことでいいのね?
>427
読解力が無い人ですね。>380
道真の祟りを静める為に紫宸殿風に作られたのが今の天満宮の礎なんです。
大宰府天満宮と道真についてはそんなに詳しく説明しなくても良いですよね?
>>421
>429
OKです。
>>425 大なる宰府ということなら、畿内の使臣の役所の名前でOKなので九州王朝説の根拠から脱落
432 :
日本@名無史さん:03/12/28 21:31
◎韓国朝鮮人の過短頭 (横から見た図)
/ ̄ ̄|
/ |
|/ C|
/ > | ←ゼッペキ頭で耳から後ろがない!
~|___ |
|
頭部は短頭で、長径の短い特異な短頭が多い
頭部は短頭で、長径の短い特異な短頭が多い
頭部は短頭で、長径の短い特異な短頭が多い
頭部は短頭で、長径の短い特異な短頭が多い
433 :
日本@名無史さん:03/12/28 21:36
九州王朝説の根拠が次々と消えていきます。
, --- 、_
/ミミミヾヾヽ、_
∠ヾヾヾヾヾヾjj┴彡ニヽ
/ , -ー‐'"´´´ ヾ.三ヽ
,' / ヾ三ヽ
j | / }ミ i
| | / /ミ !
} | r、 l ゙iミ __」
|]ムヽ、_ __∠二、__,ィ|/ ィ }
|  ̄`ミl==r'´ / |lぅ lj
「!ヽ、_____j ヽ、_ -' レ'r'/
`! j ヽ j_ノ
', ヽァ_ '┘ ,i
ヽ ___'...__ i ハ__
ヽ ゙二二 ` ,' // 八
ヽ /'´ / ヽ
|ヽ、__, '´ / / \
>>吸収王朝を殺しにエージェント・スミスがあらわれました。
435 :
日本@名無史さん:03/12/28 22:56
都府楼の太宰府が地名になったのは後世の事で
元々は大宰の帥という官職名だったんだよ。
奥州藤原氏の鎮守府将軍職のようなものかな。
こういった職掌名が地名に転化しただけで、
別に王朝があった証拠にはならない。
中央と地方の関係でいうのなら
ローマの政務官と護民官との関係かな。
ま、江戸内府のように土着権力化したケースもあるけど、
太宰府の場合は後世にそれ程大きな権力を握ったという記録はない。
宗教権威でいえば菅公が「あら人神」と奉られたのはあったけど、
これが北野天神信仰と結びついて太宰府の権威を高めたのかな?
でも、あまり王朝とは関わりはないな。
436 :
日本@名無史さん:03/12/28 23:17
これで
大宰府=太宰 消滅
紫宸殿 消滅
内裏址 消滅
地図にも載ってる 消滅
九州とは畿内のこと 消滅
朱雀 消滅
九州王朝はほとんど全滅のようです。
否定論者はまず「史記」「漢書」「後漢書」などに出てくる「九州」という語句について
どう考えているのか聞きたい。
この時代の漢〜後漢の版図はおおむね十四州であり、とうてい「9の州」では収まりきらない。
つまり「九州」とは何なのか?
私はこれを「天下」と考えてはじめて意味の通った語句となる、と考えているのだが。
むろん天下の中心は天子であり、天子あっての天下である。
・・・ま、詭弁君はじめ、「自分の見解」など出したためしないのが否定派だがな。
>>432-434は否定派による荒らしですね。
今夜は何回荒らしが出るかな?姑息な否定派君!
尚書ではまぎれもなく「大宰」という文字を使っているな。
よって
大宰=太宰 これは間違いないな。
440 :
日本@名無史さん:03/12/29 00:03
>>437 「九州」が天下をあらわす言葉であることなんて常識でしょう。
いまさら何を言っているやら。
しかし「九州」が「畿内」をあらわすなんて珍説は前代未聞。
そして福岡県や鹿児島県がある島のことを九州と呼ぶようになったのは中世以降。
つまり九州という名前の島だからそこに王朝があったなんていう珍説は失笑しか買わない。
>>438 九州王朝説が圧倒的不利になったところで出たAA荒らしだからキミらのお仲間でしょ。
>>337 >「類例」は提示済み。
そういや、例の「奴国王君」もそんなこと言って「金印の三段国名」の例を
出さなかったなぁ。いや「出せなかった」ってことはわかってるんだけど。
今日、「日本書紀」を調べたけど、神功紀の注記にある「新羅の宰」という
一例しかなかったぞ?
見逃しているかも知れないから、その「類例」とやらを上げてくれ。
簡単じゃねーか、「提示済み」なら、チョイとコピペしてくれるだけでよいのだ。
>>440 なら「九州」の外にあるヤマトは「蛮夷」ということでいいですね。
「九州」という名称の特異性を知らずして、辺境の地を「九州」などと
呼ぶはずないもんなぁ・・・
・・で、否定派さんは太宰府市の市役所か教育委員会に電話して、
「紫宸殿」「内裏跡」という地名があるかないか、確認した?
確認して「ありません」という答えが返ってきたのなら、まあ、改めて
こっちも「あった」という証拠を提示するけど。
やってないのなら、
「内裏跡」「紫宸殿」は実在する。
でいいですね。
444 :
日本@名無史さん:03/12/29 00:15
九州という名は、
国郡制の筑前・筑後・肥前・肥後・豊前(ぶぜん)・
豊後(ぶんご)・日向(ひゅうが)・薩摩・大隅(おおすみ)の9国を
よんだことに由来する。
↑は、間違いなんですね。知りませんでした。
そうか!
「九州」の外にあるヤマトは「蛮夷」!!!
こりゃ決まりだな!!!
これで
大宰府=太宰 尚書により確認
紫宸殿 否定派は否定に失敗
内裏址 否定派は否定に失敗
地図にも載ってる 確認していないが、もはや載っているかどうかなど問題でない
九州とは畿内のこと 畿内かどうかは知らないが「天下」であることは確認。
朱雀 モロに載っている地図がこのスレで紹介された
ということだ。
447 :
日本@名無史さん:03/12/29 00:40
448 :
日本@名無史さん:03/12/29 00:43
>>446 尚書のどこで確認したの?
「立太師、太傅、太保」というのはあったけど。
>紫宸殿 平安時代以降の地名だろうと言うことで否定決着
>内裏址 これも安徳天皇由来らしいということで決着
>九州とは畿内のこと もちろん決着
>「天下」であることは確認 筑紫島が九州と呼ばれるのは中世以降ということで決着
>朱雀 中華街にも朱雀門があるので一笑に付された
紫宸殿
内裏址
五条
朱雀
九州
阿蘇山
否定できる決定打なし→セットで九州王朝はやっぱりありますな
えっ?玄海?
天子がいたのか!
452 :
日本@名無史さん:03/12/29 01:03
否定されて反論もできずに言い張るだけ。
九州王朝終わりっす。
>無視されてるみたいなんですが、大宰府が王じゃなくて太宰の府だということは
>九州王朝の都じゃないってことですよね?
完全黙殺のこれ、決定打っぽい。
>>447 海人之宰
到底「官職名」とは思えないんだけど?
とりあえず出典と「どの部分」かも記してくれ。
>453
>425
456 :
日本@名無史さん:03/12/29 01:14
神皇正統記では筑紫洲とされている。
日本国は八つの嶋から構成される大八洲(おほやしま)。
>>453 はぁ? それに対する反論をキミが黙殺してんじゃん。
「大宰」は朝廷の近くにいてはじめて「大宰」としての仕事が全うできるのですよ?
朝廷なくして「大宰」はありえず。
そのことがまったく理解出来ていないようですね。
もっとも、「大宰府」から遠く離れた「近畿天皇家」とは無関係ですけどね。
大宰府のあるところ=朝廷付近
というわけで、決定打ですね。
458 :
日本@名無史さん:03/12/29 01:18
ほほー
じゃ、九州王朝の朝廷は大宰府の付近にあるけど大宰府じゃないんだな。
なら、そんな遺跡ないので九州王朝説おわり。
>>457 それは大宰=太宰を前提にした反論だが、その根拠がないので不成立です。
大「宰府」だという反論は、大宰が中国の太宰と関係なくなるので九州王朝説が根拠喪失します。
九州王朝終わったようだな。では寝るぞ。さらば
今日は否定論者さんがウヨウヨ出てきていますが、
橿原一派さん達は来ていないのですか?
来ていないように思えるのですが、
まさか、橿原一派さん達が幼児化退行したのではないでしょうね。
いかにも橿原一派さんらしい批判の出現を望みます。
あなたは紫宸殿という字地名が太宰府市の地図に載っていると書きましたね。
どこの出版のなんという地図に載っているのですか?
それともガリ版刷りですか?
463 :
日本@名無史さん:03/12/29 01:38
どうせ返事なんか来ないよ。
九州王朝派はウソつき放題ごまかし放題だもの。
もう寝ようぜ。
寝ましょうかね。
465 :
日本@名無史さん:03/12/29 01:51
九州王朝おわり。って書くのがこのスレの礼儀なのか。
寝る時間まで同じだなんて、
自作自演くさー。
盛り上げるなら、他の方法考えれ。
紫宸殿・内裏址・五条・朱雀・玄海・阿蘇山・九州
まさか、こんな呼び名を僻遠の役場・地域に付けましたとな???
大和朝廷だってそこまで馬鹿じゃない
九州王朝おわり
>>466 お前の説の根拠は、いつもいつも
「そこまで馬鹿じゃない」
とか
「漢字文化圏の者がそのことを知らないはずはない」
だの
「そうに違いない」
とかだなw
思い込みだけで仮説を組み、反論には耳を傾けない
から、馬鹿にされるんだよ
469 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:06
条坊制で作られた列島第二の都市なんだから五条・朱雀あって当然。
紫宸殿・内裏址・九州は後世ついた地名。
玄海もいつからあったか不明だが都の位置とは無関係。
阿蘇山も関係なし。
いつまでもこんなこと言ってるようだから九州王朝おわりって言われる。
筑紫島が「九州」と呼ばれ始めたのは
中世以降。中世以前に筑紫島が「九州」と
呼称されていた史料が皆無であることは
最大の矛盾。
ないぞないぞ、どこにも無い
大和朝廷の記録が無い・・・・・
「阿蘇山あり。その石、故無くして火起こり天に接する者、
俗以て異と為し因って祷祭を行う」
こりゃ、決まりだな!!!
472 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:09
根拠を挙げた議論をしましょうね。
「あって当然」
「そこまで馬鹿じゃない」
これだけでは、唯の思い込みですよ。
ないぞないぞ、どこにも無い
九州王朝の記録が無い・・・・・
「阿蘇山あり。その石、故無くして火起こり天に接する者、
俗以て異と為し因って祷祭を行う」
九州王朝終わりだな!!!
474 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:14
地元のお祭りを大和朝廷がやってたわけではないのだから
大和朝廷の記録が無いのは当たり前では?
火山が珍しかった中国人の興味をひいただけ。
なーんだそうか
法隆寺の釈迦三尊像の光背銘が大和朝廷で解読できないのは
九州で作ったからか
476 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:16
九州王朝説どんどんレベルが落ちてきますね。
九州王朝の定義をもう一度した方がいいと思うのだが・・・
どうせまた何時からあったか不明のどっかの字地名もってきて
コジツケ解釈して九州王朝なら解読できるとか悦にいるんしょ。
末期症状だ。
>>477 なんでもありOKにしたい人々が定義なんてするわけないでしょ。
自分の首をしめたくないから。
なんたって自分が主張してることの証拠を出さないような連中だし。
USOがばれても平然としてるし。
480 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:22
反論もレベルが落ちてる。
自作自演くさいレスとか見ると、
これじゃ馬鹿でも出来る唯の煽り。
言説じゃなく、参加者全体のレベルが落ちたんだろうよ。
オマエモナー
482 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:24
つまりもう九州王朝がどうとか話し合ってる時代じゃないんです。
九州王朝説なんて相手にされないんです。
どこの本屋でもトンデモ本コーナーにあるでしょ?
「九州」という呼称が中世以前から存在した
ことを証明できない限り、九州王朝は成立しない。
まず、そこからだろ
これで
大宰府=太宰 尚書により確認
紫宸殿 否定派は否定に失敗
内裏址 否定派は否定に失敗
地図にも載ってる 確認していないが、もはや載っているかどうかなど問題でない
九州とは畿内のこと 畿内かどうかは知らないが「天下」であることは確認。
朱雀 モロに載っている地図がこのスレで紹介された
ということだ。
否定派のいってることは子供の論理ですね
「九州」という名称が付いた時期を見間違うと
こんなアフォが発生するのかw
『三代實録』元慶八年五月廿九日
式部少輔兼文章博士菅原朝臣道眞奏議曰(中略)謹案漢書表云、
相國掌承天子、助理萬機。丞相同之。大尉・大師・大保、皆在其下。
後漢書志云。大傅上公一人、掌以善導、無掌職。大尉・司徒・司空、並在其下。
晋書志云。丞相非常人之職。相國同之。大宰・大傅・大尉・司徒・司空、並在其下。
宋書志云。大宰所以訓導人主、以徳義也。大傅・大保、同之。
就此等文案之、相國・大傅・丞相・大宰等、位冠百寮、掌殊常職(中略)
博士善淵朝臣永貞等奏議曰。一、職掌有否事。尚書周官曰、大師・大傅・大保、茲惟三公、
(中略)唐令云。大師・大傅・大保、右三師、師範一人、儀形四海。大尉・司徒・司空、右三公、
(中略)大内記菅野朝臣惟肖奏議曰。(中略)唐開元令云。
大師・大傅・大保・大尉・司徒・司空、大保以上三師者、師範一人、儀形四海(中略)
五經異義云。周禮説、天子立三公、曰大師・大傅・大保。無官屬、與王同職。(中略)
少外記大藏善行奏議曰(中略)唐開元令云。大師・大傅・大保、右三師、師範一人、儀形四海。
大尉・司徒・司空、右三公、經邦論道(中略)此即尚書周官云。
立大師・大傅・大保。茲惟三公、論道經邦(中略)五經異義云。
周禮説、天子立三公。曰大師・大傅・大保、無官屬、與王同職(後略)
・・・近畿天皇家の認識も 太宰=大宰 のようですな
てわけで大宰府=太宰府ということに決定
488 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:35
肯定派が馬鹿だからって、
無理して同レベルに落ちなくてもいいじゃない。
ねぇ、メール欄に
肯定派か否定派か明記しない?
それと、強弱も。強・中・弱で。
俺は、否定派・弱
ってか、大宰=大いなる宰 というの、誰も論証してないな。
つまり大宰=大いなる宰の方こそ「根拠なし」だな
てなわけで「尚書」の大宰により大宰=太宰
そして大宰府=太宰府。
九州王朝はありましたね。
大宰=大いなる宰 なんて、どこに書いてあるんだよ・・・
「宰」という官職名が近畿にない以上、「大いなる宰」なんて成立不可じゃん。
肯定派は
>>485とか
>>487とかもう完全否決された内容をまたコピペしてきてあがいてる。
悲惨だ・・
(否定派・強)
493 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:43
>>490 だから尚書のどこに大宰なんて書いてあるの?
九州王朝はおわりましたね。
>>492 いいえ、否定の根拠は薄弱で成立してまへんな・・・。
同一王朝内で太宰=大宰の認識のあった証拠ですからね。
ひさんなのはそっち。
>>493 ってか大宰=大いなる宰 の根拠も示してね
496 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:45
大宰・太宰
官命は「大」地名は「太」と使い分ける
>>494 あほか、元慶八年っていつだと思ってんの!
否定派の論拠そのものを見たことないな・・・
500 :
日本@名無史さん:03/12/29 02:48
じゃ、大宰の府だけあって国王の宮はないんだ。
九州王朝がなかったことが決定的ですね。
>>498 元慶八年の天皇家と、日本書紀を編纂した天皇家は別なの?
お話しになりまへん。。。
>>500 あのね、何度も言うけど、現在「大宰府政庁跡」といわれているところは
「旧太宰府町」ではないの。
つまり
@大宰府政庁跡=天子の宮殿
A旧太宰府町=太宰府のあった場所
なの。
「内裏跡」「紫宸殿」「朱雀大路」はみな@にある。
そしてAにあるのが太宰府天満宮。
502氏のに補足しとくか。
つまり九州王朝肯定派は、「大宰府政庁跡」という名称自体に異議あり!
と言っているわけなのだ。
大宰府政庁跡→天子の宮殿跡 に変更せよ
という主張であると思う。
>497
もう決着済みで、無意味
時代が下がって混用された
>491
否定派がそう言ってますが
>491
否定派があるって言ってるから
こりゃ、九州王朝はあったとさ
否定派の証言より帰結
>496
0点 「宰府」でした
よって九州王朝は存在しました
大和朝廷の人間が
法隆寺の釈迦三尊像の光背銘に出てこないのは
九州王朝の人だからか、やっぱりね
ないぞないぞ、どこにも無い
大和朝廷の記録が無い・・・・・
「阿蘇山あり。その石、故無くして火起こり天に接する者、
俗以て異と為し因って祷祭を行う」
こりゃ、決まりだな!!!
>>504 あの遺構が「大宰府政庁跡」なのか? という論議がまったくなされないまま、
とりあえず「これは大宰府の政庁跡だろう」ということで付けられた名称だから。
遺構の発掘・研究によって「大宰府政庁跡」だということが実証・論証されたわけではない。
>>505 >時代が下がって混用された
あのさぁ、古田説以前の定説にしがみついてる人たちの癖なのかもしらんけど、
混用された、という原因・理由が「時代が下がったから」というのは、
まったく論証・検証されとらんやないの。
前々スレであったけど、中国の史書に出てくる「太傅」が日本書紀では「大傅」
として書かれてるじゃないの。
つまり大=太 なのは「時代が下がった」からでなく、天皇家の筆法ってことやん。
そうか!否定派の言うとおり
「九州」=「天下」
ってことは、九州の外にあるヤマトは「蛮夷」!!!
こりゃ決まりだな!!!
>>512 マジェ?
日本書紀で 太傅=大傅 なら、大宰=太宰 はほぼ決定ってことになる。
ちとこれはこのスレでの大宰府論に、重大な影響があると思われるので、
否定派さんはマジでやってほしい。
当方は大宰=大いなる宰 を根拠にした(というか信じて)否定派だったので。
515 :
日本@名無史さん:03/12/29 07:03
残念ながら日本書紀に出てくるのは「東宮大傅」。
「傅」1文字で養育係の意味だから太傅=大傅とはいえない。
太政官は大政官になってないねぇ
隋と文通した時には、現在の大阪に
四天王寺があったんでしょ?ちょっと苦しすぎないですか?
そういえば
Q1:大事な大事な 隋の煬帝の国書はどこやった?
→小野妹子は都に持ち帰りませんでした
Q2:どうしたんだっけ?
→紛失しちゃいました でも妹子にお咎めなし・・・まさか?!うそでしょ!
あそうか、九州王朝の天子が受け取ったのか。これで決まりだな!
>>518 これもまたコピペが大量発生するのか?アンカーで十分だからコピペはやめとけよな。
嵐ばっかりだな。
無くしたってトコに日本臭さを感じる。
つまり、隋が高圧的な態度で書状を書く。
日本は対等な立場という建前上、それを容認できない。
両国のプライドを満たし、交渉を成立させるには
小野妹子がピエロになるしかなかった。
そう、均さんのように・・・
ダダンダン
482 :日本@名無史さん :03/12/29 02:24
つまりもう九州王朝がどうとか話し合ってる時代じゃないんです。
九州王朝説なんて相手にされないんです。
九州王朝説なんて相手にされないんです。
九州王朝説なんて相手にされないんです。
九州王朝説なんて相手にされないんです。
相手にされてないもなにも、午前2時に、書いてるから、
気になって仕方ないんでしょうね。キャ、恥ずかしい。
>521
深夜2:34から否定派ゾ〜ロゾロ
>>521 >気になって仕方ないんでしょうね。
不覚にもワラタ。言行不一致のきわみ。
ほとんどストーカー状態だもんな。
473 :日本@名無史さん :03/12/29 02:11
ないぞないぞ、どこにも無い
九州王朝の記録が無い・・・・・
九州王朝終わりだな!!!
毎日毎日「終わり」宣言しても、宣言した本人がまた出てきて、
終わってないことを身をもって証明してるだけどねぇー。キャ、恥ずかしい。
よし、羞恥心のない「終わり君」にプレゼントだ。
白村江で唐に大敗した倭は、半島五都督府に次いで
×難波に難波都督府を置かれました(九州王朝否定)
○筑紫に筑紫都督府を置かれました(九州王朝肯定・天智紀)
現在、九州王朝スレ史上稀に見るミラクル・ピース状態。
肯定派も否定派も、年の瀬だからまったりしてるんだろうな。
いや、隋書(に限らずどんな資料でも)に間違いはないか? という疑問自体を
否定するつもりはないが、それを言い出したらキリがないし、場合によっては
「学問」として古代史が崩壊しかねない。
少なくとも隋書では、山河などの風景描写は、その国の「王都」に関するものしか
記述がないのは事実。それどころか「山河の名前」じたい、王都のもの以外では
「その王都の存在位置を示す(行程文の中など)」もの以外には見られない。
聖徳太子が馬鹿正直に・・というが、隋使は倭に至り、自分の足で倭国を歴訪し
自分の目で倭国を見ているわけだから、その報告書が隋書を執筆するにあたっての
一級資料だったはず。それが「阿蘇山有り」の一文であるし、倭人を見た際の
「以爲夷州、疑不能明也」という感想でもある。
528 :
日本@名無史さん:03/12/30 02:24
>少なくとも隋書では、山河などの風景描写は、その国の「王都」に関するものしか
記述がないのは事実。
そういう作り話で自説を正当化しようとするから九州王朝説は信用されないんだ。
吐谷渾では王都からは遠い砂漠の記述があるし真蝋国の田舎の地理のことも書いてある。
阿蘇山が王都の近くだという理由はまるでない。
逆に都での裴清の観察や都に行く行程の記述の中に出てこない。
これは王都と阿蘇山が遠いことを物語っているといえる。
そこは、倭人じゃなくて大秦国の華人なんだけどな・・・
「祷祭を行う」のは無視するわけだ。
大和朝廷に行くんなら、大山や白山もあるのにね。なんで阿蘇山の火口まで書くのか理由にならないね。
>>532 大和朝廷に行く途中に火山がありますか?
隋書のどこにも、裴世清が行く途中に阿蘇山を見たなんて書いてませんが何か?
隋書で、「山は火山しか書かない」ということを示さなければなりませんね。
だいいち
推古天皇の妻って誰だろう?女性に妻がいたわけね。
>>530 過去レス嫁
>>474 :日本@名無史さん :03/12/29 02:14
>地元のお祭りを大和朝廷がやってたわけではないのだから
>大和朝廷の記録が無いのは当たり前では?
>>535 隋書のどこにも倭王に妻がいるとか書いてませんが何か?
>536
駄スレで答えになっていないよね。全国津々浦々の祭り全部書くわけじゃないでしょ。
そうですよ、隋が大和朝廷と国書を交わしたなんて
どこにも書いてないことを認めるしかないね。
>>535 全国津々浦々の山を全部書くわけじゃないでしょ。
阿蘇山の特異性として、大陸では珍しい火山であることが
挙げられる。
しかも、阿蘇山のすぐ後には珍宝(多珍物)が挙げられてるだけ。
誰も阿蘇山に行ってない。日本の紹介文ってとこ。
そうそう。日本書紀が全国津々浦々の祭り全部書くわけじゃないでしょ
有阿蘇山,其石無故火起接天者,俗以為異,因
行?祭。有如意寶珠,其色青,大如?卵,夜則有光,雲魚眼精也。新羅、百濟皆
以倭為大國,多珍物,並敬仰之,恆通使往來
ハイセイセイが阿蘇に行ったというのはどこから出てきたんだ?
裴清が阿蘇山を見たと書いてないところが九州王朝の致命傷。
いまどき唐が筑紫都督府を置きましたなんて言ってるアホもおるでよー
この国の代表的な山だと認めるんだね。
近畿地方の描写はどうかな、たくさん書いてあるかな?
そりゃ九州は韓国から近いからね。
観光客も来てるんじゃない?
「大陸では珍しい火山であることが挙げられる」と史書に記載しますって、単なる想像の世界かな〜
倭の結婚のシステムの紹介・阿蘇山の紹介・如意宝珠の紹介
新羅・百済が倭を持ち上げて交易してるという紹介。
これが終了して、次は全く別のお話が始まるんだよw
お〜びっくり、すごい反響。阿蘇山ってそんなに否定派のアキレス腱なの?
新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。
>>549 肯定派のアキレス腱です。
なんたって裴世清が見てないからね。
だから夢中で反論するんだね。
結局地名どうとかも九州王朝側が完全敗退して、こんどは阿蘇山で九州王朝が否定されました。
553 :
日本@名無史さん:03/12/30 03:15
東海の果てにあるとされていた
蓬莱山に関係するのかもなw
肯定派は何故か「裴世清が如意宝珠を見てきた」とは言わない。
言えば苦しくなるのがバレバレだからw
九州王朝否定派さんは屁理屈をこねる能力があるだけ。
九州王朝否定派さんは素直に物事を見ましょうネ。
この屁理屈の捏ね方、橿原一派さんの登場ですか?
阿蘇山より道後温泉のほうが記事名なるぞ。
日本書紀にある信濃の火山噴火はどうして書かないんだろ。
富士山だって噴火してたことだし。
なんでわざわざ、僻遠の地、阿蘇山なんですか?
王室関連の行事でもない祭りを説明するはずが無いでしょう→阿蘇山の祷祭
大事な舞台に如意寶珠まであったから特筆したわけですね。
さあ、記紀に記載されてますかな?
>>557 答えは簡単。そんなところまで新羅人や百済人が頻繁に往来してなかったから。
「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
>>558 王室関連の行事でもない風習を説明するはずが無いでしょう→「庶人卜日而瘞」
…って言わないの?
また肯定派、論破されましたか。
561 :
日本@名無史さん:03/12/30 15:08
★★★今週最も電波な馬鹿登場=晒しage★★★
557 :日本@名無史さん :03/12/30 11:56
中略
なんでわざわざ、僻遠の地、阿蘇山なんですか?
これの反論がこれらしい
559 :日本@名無史さん :03/12/30 12:27
1、答えは簡単。そんなところまで新羅人や百済人が頻繁に往来してなかったから。
2、「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
みなさんこの馬鹿の日本語わかります?
一瞬戸惑うと思います。
2、は(新羅百済が)「往来」している。しかも「恒」に往来している。
もう一度、書きますよ。
往来している。と書いているのに、
1、では勝手に往来してない、しかもどういう訳か、
「そんなところまで」という勝手な解釈付けて、そんなところまで往来してない、
ことに捻じ曲げてます。
「そんなところまで往来してなかったから」←今週一の馬鹿レス
「そんなところまで往来してなかったから」←今週一の馬鹿レス
新羅百済人はどこから往来してたのでしょう?
あぁーそうかきっと成田空港を使ってたんでしょうね
だから阿蘇山は遠くで「そんなところ」だったんでしょうね?
562 :
日本@名無史さん:03/12/30 15:16
人種的には、朝鮮人はモンゴロイドのなかでも、長身、短頭、高頭である点で
かなり特異である。顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのが
ふつう。眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に
少ない。皮膚は黄ばんだ淡かっ色で、毛髪や目の色は濃い。髪はかたく、直毛で
ある。朝鮮人は、中国人を代表する中モンゴロイドと、ツングースを代表とする
北モンゴロイドの中間的な様相を帯びる。朝鮮半島内ではかなり均一化されて
いるが、北部にいくにしたがって長身となる。日本列島を概観するとき、長身、
短頭、貧毛という点で、近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的
要素を有することは注目に値する。(国民百科事典/平凡社)
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に少ない
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に少ない
ねぇ反論できなかったらここと関係ないコピペ貼ってごまかす
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 臨時ニュースです。
| 「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
| これは、往来してない、そんなところまで往来してない
| と読むことが閣議決定されました
| 以上臨時ニュースした。
\__ ________________
// ∨ || // //
,.-─‐-、 .|| //
(}∧_∧{) _[lll] //
( ・∀・)/__/
// ( つ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
565 :
日本@名無史さん:03/12/30 16:36
>>561を読むと九州王朝説の詐欺性癖よくわかりますね。
わざわざ
>>557の
>阿蘇山より道後温泉のほうが記事名なるぞ。
>日本書紀にある信濃の火山噴火はどうして書かないんだろ。
を消してコピペして
>>559の
>そんなところまで新羅人や百済人が頻繁に往来してなかったから。
という答えがおかしく見えるように細工している。
ほんとうに根性が卑しいんだから・・・
文章が長くなるから中略しただけです。ご希望でしたら、はいどうぞ。
★★★今週最も電波な馬鹿登場=晒しage★★★
557 :日本@名無史さん :03/12/30 11:56
阿蘇山より道後温泉のほうが記事名なるぞ。
日本書紀にある信濃の火山噴火はどうして書かないんだろ。
富士山だって噴火してたことだし。
なんでわざわざ、僻遠の地、阿蘇山なんですか?
これの反論がこれらしい
559 :日本@名無史さん :03/12/30 12:27
1、答えは簡単。そんなところまで新羅人や百済人が頻繁に往来してなかったから。
2、「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
みなさんこの馬鹿の日本語わかります?
一瞬戸惑うと思います。
2、は(新羅百済が)「往来」している。しかも「恒」に往来している。
もう一度、書きますよ。
往来している。と書いているのに、
1、では勝手に往来してない、しかもどういう訳か、
「そんなところまで」という勝手な解釈付けて、そんなところまで往来してない、
ことに捻じ曲げてます。
「そんなところまで往来してなかったから」←今週一の馬鹿レス
「そんなところまで往来してなかったから」←今週一の馬鹿レス
新羅百済人はどこから往来してたのでしょう?
あぁーそうかきっと成田空港を使ってたんでしょうね
だから阿蘇山は遠くで「そんなところ」だったんでしょうね?
564 :日本@名無史さん :03/12/30 16:09
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 臨時ニュースです。
| 「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
| これは、往来してない、そんなところまで往来してない
| と読むことを説明できないことが明らかとなりました
| 以上臨時ニュースした。
\__ ________________
// ∨ || // //
,.-─‐-、 .|| //
(}∧_∧{) _[lll] //
( ・∀・)/__/
// ( つ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
チクシ国を経由して裴世清はやって来たんだが…
それが新羅・百済の基本ルートだと、推測できる。
かの半島から地理的に近い九州の阿蘇山が知られていても不思議ではない。
>そんなところまで往来してない
「頻繁に」を故意に削除し、文意を捻じ曲げるのが
肯定派の得意技。とてもまともに議論できるレベルではない。
これこそ世に言う冬厨である。
厨はほっといて、まともな人とだけ議論しましょ。
571 :
日本@名無史さん:03/12/30 17:01
もともと肯定派
>>557が隋書に載る載らないの話で
>阿蘇山より道後温泉のほうが記事名なるぞ。
>日本書紀にある信濃の火山噴火はどうして書かないんだろ。
>富士山だって噴火してたことだし。
>なんでわざわざ、僻遠の地、阿蘇山なんですか?
と中国から見て長野や静岡より阿蘇を「僻遠」と書いたのがピンボケ。
肯定派どこまで堕ちていくのやら。
「大宰府」「九州」「内裏址」「紫宸殿」
これら地名が九州王朝と関係ないことははっきりしました。
「九州」に畿内という意味などないということは言うまでもありません。
ちょっと早いけど今年の総括ですね。
>日本書紀にある信濃の火山噴火はどうして書かないんだろ。
天武13年の浅間山噴火をどうして隋書が書くかというと
これこそ年末を飾る大馬鹿レスでつ。
信濃の火山灰事件は天武十四年でしょう。
踰年改元主義者?
★★マジ馬鹿晒しage★★
569 :日本@名無史さん :03/12/30 16:56
>そんなところまで往来してない
「頻繁に」を故意に削除し、文意を捻じ曲げるのが
肯定派の得意技。とてもまともに議論できるレベルではない。
これこそ世に言う冬厨である。
566 :日本@名無史さん :03/12/30 16:45
1、答えは簡単。そんなところまで新羅人や百済人が頻繁に往来してなかったから。
▲▲▲▲▲▲
この字は何の字?省略してませんが?
お前のPCには出てないの?
ガタガタ言う暇があったら、
「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
これを
往来してない、そんなところまで往来してない、あるいは、そんなところまで頻繁に往来してない
と読む根拠を出せよ。(といっても出せるわけがないが)
こいつ真性馬鹿だな。
>>557が言うには
>阿蘇山より道後温泉のほうが記事名なるぞ。
>日本書紀にある信濃の火山噴火はどうして書かないんだろ。
>富士山だって噴火してたことだし。
つまり隋書に阿蘇山が書いてあるのに富士山や浅間山が書いてないのは
おかしいではないかと間抜けにも申しておるのだな。
新羅人や百済人が倭国に往来してるなら九州の阿蘇山を知っててなんの不思議もない。
富士山や浅間山が隋書に書いてないのがおかしいというなら
それら山々が外国にも当然知られてなきゃおかしいという証拠でも持ってくるのが道理だが
逆に「そんなところまで頻繁に往来してない」証拠を出せという。
なんとも厨らしい厨だ。
ほっとけよ日本語も読めない千枝億なんて
今後の肯定派の暴走予定
新羅人・百済人が阿蘇山を知っていて富士山や浅間山を
知らなかったのは、九州王朝が存在したからだ!
訪れる人があまり居なかったのは九州王朝の存在を裏付けて
ますね。
これって九州王朝があったから・・・w
「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
これを
往来してない、
そんなところまで往来してない、
あるいは、そんなところまで頻繁に往来してない
と読む、あるいは、その証拠であるとする根拠を出せといってるだけ
誰がお前の意味で使ってるんだよ
文意を変えてるのはお前。
まさに
どろぼうが、「泥棒!」
放火魔が、「火事だ!」と叫んでる例ですな。
だれがその隋書の文章を「そんなところまで往来してない」と読んだの?
582 :
日本@名無史さん:03/12/30 18:37
>>580 お!放火魔が「火事だ火事だ!」と叫んでる
こんどは読んでない。作戦に変更か?いろいろ手を変えますなぁ。
ご苦労さん。
580「読む、あるいは、その証拠であるとする根拠を出せといってるだけ」
先回りしてちゃんと書いてるの、残念でした!
584 :
日本@名無史さん:03/12/30 18:43
そう読むのは君だけだから根拠もキミが出せ。
585 :
日本@名無史さん:03/12/30 18:49
>>557 :日本@名無史さん :03/12/30 11:56
>阿蘇山より道後温泉のほうが記事名なるぞ。
>日本書紀にある信濃の火山噴火はどうして書かないんだろ。
>富士山だって噴火してたことだし。
>なんでわざわざ、僻遠の地、阿蘇山なんですか?
の答えは
>>559 :日本@名無史さん :03/12/30 12:27
>答えは簡単。そんなところまで新羅人や百済人が頻繁に往来してなかったから。
>「新羅百済、皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之恒通使往来。」
新羅人や百済人が頻繁に往来する可能性は
九州>>長野・静岡
だから阿蘇が書いてあって富士が書いてないのは自然。
わかった?お子チャマ。
ついに認めたな。
と
すると
559は関係ない文章を貼り付けたわけだな。
お前らもたいへんだな
559が不用意に貼り付けたばっかりに、
周りが辻褄合わせしなきゃならん羽目になって、
かわいそ、かわいそ
588 :
日本@名無史さん:03/12/30 18:55
この関係がわからないほどニブいのか・・
阿蘇山が書いてあるのは裴清が見たからと言い張る九州王朝説に対して
新羅人や百済人が見たものが書かれているのだという根拠なんだが。
お子チャマの日本語能力では読み取れないようだ。
まぁ恨むなら559をうらめよ。
暇なときは馬鹿からかうのが金使わなくていいな
新羅人・百済人が阿蘇山に頻繁に来ているのに
まったく知らなかった大和朝廷は
隋から国書ももらっていない、ってことでよく理解できました。
おまえら今のうちに飯食ったり、風呂入ったり用事すませとけよ。
今日も深夜2時3時に出てくるんだろ?
お前らの体が心配なんだよ
福岡から阿蘇山って見えますか?
もし、見えるなら阿蘇山があるって書いてあっても不思議じゃないですよね。
関西から浅間山や富士山は見えますか?
もし、見えないなら浅間山や富士山があるって書いてなくても不思議じゃないですよね。
と素人ながら思うのですが、識者の皆さん(誰)いかがでしょう?
-----
法興 :02/11/20 00:48
「獲加多支鹵」を今だに「ワカタケル」と読み、雄略天皇に比定したり、
倭の五王(賛・珍・済・興・武)を応神〜雄略に当てはめて「確実」などと主張する
学者たちに、俺は到底ついていけないんだよ。
多利思北孤を、天皇でもない聖徳太子に比定するなんてアホちゃうか、と・・・。
いっておくが、俺は古田武彦マンセーじゃないんだ。
ただ、九州王朝は実在したと見なさざるを得ないんだ。
-----
全く同感。
特に五王の比定は無理があると中学の頃(授業で習った頃)から思ってました。
字を間違っただの、何番目の字だけとっただの、そんな理屈無いでしょ、って。
(最近このスレにきたので過去ログ読んでので。)
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
まったく知らなかった大和朝廷は
肯定派は創作が好きだこと。
大和朝廷は、阿蘇山の存在を全く知らなかったんですか?
驚きの珍説です。詳しく教えて下さい。
まさか、思いつき?
598 :
日本@名無史さん:03/12/30 20:27
五王の比定が不確定なこととそれが九州王朝と関係あるかどうかは全く別問題なのに
「九州王朝は実在したと見なさざるを得ない」とナっちゃうところが
病気なんですね。
あー病気ですか。確かに病気っぽいよね。
お〜びっくり、すごい反響。阿蘇山ってそんなに否定派のアキレス腱なの?
肯定派の方、阿蘇山を推す根拠は何?
まさか裴世清が阿蘇山を通過したなんて言わないよね?
古事記・日本書紀のどこにもないね。
↓
「新羅人や百済人が往来してる九州の阿蘇山」
小野妹子は隋の煬帝の国書をなくしたわけですか・・・・・・
九州王朝の天子が受け取ったから、あるわけ無いでしょう。
>>598 あー、なるほど。
五王の問題は、近畿じゃなければ九州だ!
ということにはならねい(現時点では決め手が無い)と言うことでね?
吉備とか越とか他かもしれないしってことですね。
それなら納得です。
でも、今の比定は納得しかねませんか?
ま、スレ違いなので...。
阿蘇山に往来してるんですか?
新羅人や百済人は倭国に頻繁に往来してますけど。
どこに阿蘇山に往来してる新羅人や百済人の記述があるんですか?
九州王朝は熱田か?
607 :
日本@名無史さん:03/12/30 21:01
>>605 否定派の発言のどこにも
「新羅人や百済人が往来してる九州の阿蘇山」なんて無いね。
肯定派は捏造が得意。
要するに古事記・日本書紀と、隋書の記録が合致しないのは
旧唐書にあるとおり、単に大和朝廷が別国だったからですね。
真正橿原一派が現れたようです。
いや、橿原一派予備軍か。
就職口が見つかったようですね。
そりゃ、忠誓をしなくては。
「2ちゃんで僕はがんばりました。」って。
だから、「僕を食べられるようにしてください。」と。
無駄口はいいから「紫宸殿」という地名が載っているという太宰府市の地図の出版社名を言えよ。
>>608 「日本國者倭國之別種也」
これが九州王朝が実在した理由なんですか?
どこをどう読めば九州王朝が出てくるのやらw
612 :
日本@名無史さん:03/12/30 21:29
>>608 論破され続けた事実から目を逸らして空念仏で魂の救済を願うわけですね?
>>608 そのあとに
「或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本
或云 日本舊小國 併倭國之地」
と続くんですけど…
自分に都合の良い記述だけを引用することは
良くないねぇ
>日本國者倭國之別種也
近畿朝廷は日本だ、九州王朝は倭国だ。
>或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本
九州王朝が倭から日本に改名したと聞く。
(近畿王朝なんて知らないのは唐では常識よ。*注)
>或云 日本舊小國 併倭國之地
近畿王朝が唐が占領していた九州王朝の地を併合したとうわさだ。
旧唐書は倭国九州王朝と近畿王朝は別物だと、
確認済み事実、確実な伝聞、曖昧な噂として、
九州王朝が無くなったと、
3回も繰り返しています。
*注
別倭種はうそつきで信用ならぬとも唐人は言っていましたね。
>>614 >>日本國者倭國之別種也
>近畿朝廷は日本だ、九州王朝は倭国だ。
どさくさに紛れて凄いことを言ってますね。
何で九州が出てくるのさ。
そりゃもう、2時ですから。
毎日深夜に肯定捏造派の大物基地外が来るよね。
流れ読めない奴が
橿原一派君の独演会
詭弁君の独演会
終わり君の独演会
だれでもいいから早く再開してくれよ、
君らの観察が楽しくてこのスレ来てるのに
早く始めてくれないか、動物園ごっこ
相手の意見をまともに聞かず
都合が悪くなると逃げるのはNAVARの朝鮮人と一緒だな
九州人はチョンと同類
「翰苑」でも卑弥呼の国=阿輩鶏彌の国 だとありますな。
「伊都に届き 斯麻連なる」 ところが倭都であると。つまり伊都国が隣で、
その向こうに斯麻国がある、と。
翰苑は「唐」の同時代資料だからねぇ。
阿輩鶏彌の国=九州ですな
>>619 >相手の意見をまともに聞かず
>都合が悪くなると逃げるのはNAVARの朝鮮人と一緒だな
>九州人はチョンと同類
僕は九州人じゃないのだ。
僕は奈良県橿原市なのだ。
橿原考古学研究所前の道路で橿原一派さんとよくすれ違うのだ。
倭国伝と日本伝が別伝ですな。
しかも地理も違うし・・・
倭国は中国にずーつと通じてきた国で。
日本国は倭国とは「別種」ですな
オッサンオッサン@hotmail.com
っつーか、否定派っていつも論証を避けてるけど、
大宰=大なる宰 って説を論証してよ。
出来ないのなら大宰=太宰じゃん。そっちのが素直な解釈だし。
そうすると当然、太宰府の近くに朝廷あり、ですな。
「大」という官名を拝命し、それを取り仕切る人(宰)って意味。
だから百官の長という意味であってそれ以外の意味がない。
626 :
日本@名無史さん:03/12/31 09:58
馬鹿じゃないの?
なぜ大宰=大なる宰 が論証できないと大宰=太宰になるんだ。
畿内じゃないから九州だって論法と同じ詐欺じゃん。
618 :03/12/31 03:42
訂正。
詭弁君の独演会
終わり君の独演会
そうカリカリするなよ君の独演会
教えて君の独演会
提示しろ君の独演会
九州王朝説のいうことは
倭人の使者は古来「大夫」というからロシアに行った大黒屋光太夫は朝廷の正式な使者なのだ
と言うのと同じくらい馬鹿馬鹿しいです。
629 :
日本@名無史さん:03/12/31 11:21
大宰=太宰なら大宰府に天子がいるわけないでしょ。
自己矛盾。
一応教えときますね。
■今日の私の予定■
紅白と曙対ボブサップをみる
その後、初詣の予定
深夜3時か4時ごろ出るかもしれないので、よろしく。
さすがに大晦日−新春は煽りに来ませんので宜しく。(畿)
____ オラッ!
ドッカン | | | でてこいや >>九州王朝大好き
∩∩ | | | ∩∩
| | | | | | | | | | |
..( ,,) .| | | (・x・ )
/ .つ━━ロ|ロ ドカン l |U
〜( / | | |⊂_ |〜
し'∪ | | | ∪
ガッキーン
>>629 何度も言わすなよ。
「大宰府政庁跡」と言われる遺構が本当に「大宰府政庁」だったのか?
ということはまったく論証されておらんのだ。
「論証」を軽視するのが古田以前の古代史の悪癖。
@大宰府政庁跡=天子の宮殿跡
A旧太宰府町=太宰府の所在地(太宰府天満宮のある地域)
@は旧太宰府町から外れた場所にあるのだ。そして「内裏跡」「紫宸殿」「朱雀」
という地名は@の方にある。
餌は蒔かれました
これで出てくるか出てこないかを見物しましょう
不況時代のレジャーは安近短、
毎日毎日無料で行われているショウを見ない手はない
>>625 それには近畿天皇家の配下に「宰」という官職名が存在することが必須。
しかしそれはありまへんな。
やはり
大宰=大いなる宰
は根拠がないようですな・・・
論証も出来ないようなのを論拠にしてるなんて話にならんな・・・
636 :
日本@名無史さん:04/01/01 01:30
今1時30分
まだ出ないのか?
常駐のボランティアはどうしたんだ?
>「大」という官名を拝命し、それを取り仕切る人(宰)って意味。
>だから百官の長という意味であってそれ以外の意味がない。
それを「論証」せよ、と言っているのだ。
どの資料のどこを解釈して、その一行目の解釈が成り立つのか、根拠を示せ。
それについての「証明」はまた別の問題だ。とりあえずその「論拠」となる資料と
その解釈を自分で示してくれ。
638 :
日本@名無史さん:04/01/01 01:32
あっさすが、やっぱり出てるぞ
よっ!成駒屋!!!
否定派です。あけおめ。
「大」という官名は存在するのか分からんですが
「大宰」が百官の長って意味を持ってるのは知ってます。
遠の朝廷と呼ばれたほど、権限を持たされていたので
その意味では矛盾してませんね。
上の一人は
そうカリカリするなよ君
だな
>「大宰」が百官の長って意味を持ってるのは知ってます。
いや、そういう意味だ、とする「根拠」が知りたいのだ。
でないとこっちは反論もなんもでけへんし、それ以前に「根拠もなく信じる」
ことが、否定派さんは出来るのか? と思う。
だからとりあえずそれについて「論証」をしてくれ。
643 :
日本@名無史さん:04/01/01 01:54
それにしても
日本史板史上に残る
壮大な釣りですね
釣られてるのが誰だって?
ネタばらしはもうすこし後ね
むろん「出来る人は」で結構だが。
ただし駄々っ子君=奴国王クンは論拠示せ。こいつだけは一度も「論証」を
したことないくせに、やけに態度がでかいからな。
>>642 は?根拠?於保美古止毛知乃司の別称だからでしょ。
何か問題でも?
>>645 それだけじゃわからん。簡潔でもいいが、ちゃんとした「論証」してくれ。
まず「出典」と、使用実例だ。そして次に論証。
たとえば 司=宰 はどういった論証過程を経て得られた命題なのか、とかな。
今日はちょっと強引に迫ってくるなw
エロ画像をうpしてくれたら考えてもいい。
>>647 こらw
いあ、「論証」は、なにも今でなくてもいいんだ。
ワテが「九州王朝論」について知りたいのは、互いの煽りの応酬などでなく
肯定派・否定派それぞれの「論拠」なんだ。
それについての「証明」などは二の次三の次。
今日でてる否定派は
いつもの複数で動くやつ(複数でしか出てこれない空威張り君)とはちょっと違うね
ローテーションの関係かな
オホミコト=詔命・大命・詔勅・大詔
モチ=持つ
ツカサ=長官
天皇によって任命された長官=大宰(筑紫大宰)
正月は特別料金で動いていますw
てか、GO待ちしてるだけな
正月なんだからさ〜エロ画像あげようよ〜
な〜?持ってんだろ?出しちゃえよw
これで我慢しとけ
(*`A´)<論証よろしくねぇ〜ん
(・人・)
) (
( Y )
おい馴れ合いはいかんぞ
ちゃんと対立してるとこ見せないと
つじつま合わなくなってくる
>>652 いや、もう正直、疲れたんよ・・・
いつもの駄々っ子=奴国王の煽りにね。
我々はプロじゃないのだから、激しい論戦などする必要ないのではないかと。
ただし「アマチュア」なのだから、持論の「根拠」とそれについての「論証」は
しなきゃならん、と思う。
僕自身、天武紀の「大宰」について一箇所「論証」を披露したい部分があるのだけど
「あいつ」が来て煽るのかと思うと、正直、気が重くてやりたくないんだ。
ここの人、大好きさん以外でコテハンつけないのは、あいつのせいだよなぁ・・・
まだ誰かおきてますか?
おきてたらどの立場の人でもいいから、ちょっと質問ですが
このスレ最近の伸びすごいですよね。
もう600こえてるでしょ
それで打撃を与えたとか本当に思っているんでしょうか?
逆にこのスレ人気スレになってしまってるでしょ
そこのところはどうなんでしょう?
それと○○派とか××派とかいってもここは所詮2ちゃんねるの掲示板ですよね
勝った、負けた、終わった、終わってない、といっても
所詮掲示板のうえでのことに肩怒らして夜中までやる理由がわからないんですが?
全然、エロがあがってない(怒)。
ナンデダヨ〜。うわーん。
俺様はGOが始まるまでの暇つぶし
そろそろ始まりますがな。
王朝支持派各位
吉備大宰の存在は極秘事項ですので
否定派には知られないようにして下さい。
>>648 >いあ、「論証」は、なにも今でなくてもいいんだ。
>ワテが「九州王朝論」について知りたいのは、互いの煽りの応酬などでなく
>肯定派・否定派それぞれの「論拠」なんだ。
>それについての「証明」などは二の次三の次。
>>654 >我々はプロじゃないのだから、激しい論戦などする必要ないのではないかと。
>ただし「アマチュア」なのだから、持論の「根拠」とそれについての「論証」は
>しなきゃならん、と思う。
そして、合理的な仮説の積み上げをしていきましょう。
その課程で、僕はよく物語りを作ります。
以前コノ板で、神武の河内湾海戦の様子を書きました。
幾人かの方々から、実際に見てきたようだと絶賛をいただきました。
その時は、橿原一派の方々から、「物語」だと一言。
それで良いと思います。
返事はなかったがひとつ上の
654の人が書いている
>我々はプロじゃないのだから、激しい論戦などする必要ないのではないかと。
>ただし「アマチュア」なのだから、持論の「根拠」とそれについての「論証」は
>しなきゃならん、と思う。
が私の質問の3分の1くらいの答えになってますね
それと「夜中までやる理由がわからないんですが」は
同じ人間が朝から夜中まで粘着していることを指しています
仕事の都合で夜しか出られない人を揶揄したものではありませんので、念のため
それでは初詣に行ってきます
僕は、大宰府は「大いなる宰府」で倭語だと見なしています。
タリシホコは自らを「天子」と呼ばないで「菩薩天子」としました。
7世紀の九州倭人は、シナ語に対する深い造詣があり、
自ら造語もしたのでしょう。
大宰府は「大いなる宰」でも「大宰の府」でもないと考えます。
シナ文献にしたがって考えると、
「大宰の府」では否定論者に分があると思えるのです。
661 :
日本@名無史さん:04/01/01 04:35
この予想は当たったな
> 630 :03/12/31 12:06
>■今日の私の予定■
>深夜3時か4時ごろ出るかもしれないので、よろしく。
658 :04/01/01 03:54
660 :04/01/01 04:13
662 :
日本@名無史さん:04/01/01 04:53
どれ和紙もひとつ予想しといたるで
2箇所シナ使ったから、またこんな人が登場する?
>298 :3/12/27 23:45
>シナ語なんていうと中国蔑視って言われますよ。
この場合言う主体は誰?
中国語中国人に置き換え可能とでも?
その話題はスレ違いと云われる前に消えましょう
【大宰府の成立】『日本書紀』に7世紀を通じてみられる筑紫大宰がその前身である。
大宰(おおみこともちのつかさ)の官職名は筑紫にのみあるのではなく,吉備・周防・伊予にも置かれている。
それが律令体制の整備とともに,存続さるべき性格をもっていた筑紫大宰を大宰府として残しほかを廃止した。
かくして大宰府は,白村江の敗戦(663)をへて,おそらく海岸線近くから現在の太宰府市の地へとその場所が移動するとともに,
律令体制の法の整備に従って,その古代国家のなかの位置づけも確定するのである。
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L169R100.HTM こんなのありましたが、いかがでしょう
九州王朝の都のなかで、大宰府は末期の都でありかつ、
かなり特殊な国際背景をふまえた都だっただろう。
大宰府は千年の都だったわけではないのだ。
一部否定派から、この点勘違いした論議があったと思う。
また、「府」のつかない太宰・大宰論に論点を終始させ撹乱し
肝心の本論を絶対させまいとした否定派の悪意は非難されるべきだろう。
「府」なしの大宰をいくらひっくり返しても「府」は語れないのである。
666 :
日本@名無史さん:04/01/01 07:22
>>664 また、わけわかんない「本論」「本論」がでた。
仲哀九「新羅宰」
応神三「海人之宰」
敏達六「遣大別王與小黒吉士。宰於百済国。」
こういった用例から「宰」が遠隔地の押さえに任命される官であることがわかります。
筑紫や吉備の「大宰」がこれら「宰」の大なるものであることは理性的に判断すれば明らかでしょう。
○筑紫大宰
○筑紫都督府
○大宰府
○吉備大宰
×吉備大宰府
×周防大宰府
×伊予大宰府
>665-666
↑こういうハグラカシばかりの否定派は結局負けだな。こんな手口で撹乱して面白いのか?
>667
別に「宰」は「大宰府」じゃないでしょ。
大宰府という用語を理解するにはまず「宰」の意味を捉えていかないとね。
別に「太宰は」「大宰府」じゃないでしょ。
「宰」というのは元々は料理人兼雑用係のこと。
これが家中の細々を取り仕切る執事の意味となった。
諸公の大宰は家臣の筆頭という意味になり
中央の大宰は祖先祭祀の儀式で犠牲の肉を切り分ける神祇官の意味になった。
北部九州に王朝があった痕跡と思われる地名がセットで存在している。
↓
多数の地名のうち「大宰府」の一語も王朝を連想させる
↓
だからといって「宰」「大宰」「太宰」に王朝と関係ない用法があってもかまわない
北部九州に王朝があった痕跡と思われる地名がセットで存在している。(不成立が確定)
↓
多数の地名のうち「大宰府」の一語も王朝を連想させる(誤解)
↓
だからといって「宰」「大宰」「太宰」に王朝と関係ない用法があってもかまわない(日本語になってない)
>>660 「大宰」という用語の記述は、最初、筑紫大宰や吉備大宰として登場する。
のちに大宰府という名称に変更されている。
「大宰の府」であることがこの事によって分かる。
「大宰」はオオミコトモチ(保美古止毛知)
という読み方が示すとおり、天皇から任命された存在であった。
このことから、「大いなる宰府」ではなく、
「大宰」が赴任し職務を執り行う
「大宰の府」であると主張します。
675 :
日本@名無史さん:04/01/01 19:08
けっきょく「北部九州に王朝があった痕跡と思われる地名」はひとつも無かったじゃありませんか。
>675
( ゚Д゚)ハァ?
677 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:30
11世紀に大江匡房が安楽寺(今の太宰府天満宮)が府を出て東北7、8里の場所にあると書いています。
大宰府政庁跡が大宰府ではなくて九州王朝の都城で、大宰府は天満宮のあたりだという説は成り立ちませんね。
大宰府政庁跡が大宰府である限り王宮ではない。
よって九州王朝説は成り立ちません。
ああかわいそうに。否定派は
九州王朝の都が唯一で、一度も遷都したことが無いことを前提にしていますね。
大宰府が九州王朝の都でなかったとしても(あり得ないことだが)
九州王朝実在説に何の瑕疵も生まれません。
↑
いつものパターン。論点のすり替え
大宰府をあれだけ妄想の根拠にしてたの・・・
こいつウザいな。やる気なくなった・・・
手がかりをなくして自己崩壊する否定派・・・・
ムキになって罵倒に走ったところを見ると肯定派は相当痛かったと見える。
王宮に「太宰」府という地名が残るわけないだろう。
否定派は構想が弱いんですよ。
大和朝廷があとから名づけた可能性もおさえておく必要がある(無いと思うが)。
九州王朝の天子が「大宰府」と呼称していたかどうかも検討課題でしょう。
大宰府=政治をする役所≠天子の居所(王宮) の可能性も見極める必要がある。
「大宰」を天子を補佐する佳字と判断していたとも考えられる(この有力案は出ましたね)。
九州王朝が「大宰府」という新造語を使ったとも考えられる(この案もしっかりと出ています)。
683 :
日本@名無史さん:04/01/01 22:51
それ、「大宰府」という地名があることが九州王朝の根拠だという主張を取り下げるということですね?
けっきょく九州王朝説はなにも根拠がないってことだ。
重箱の隅をつついただけで自己崩壊する否定派・・・・・
意味もなく自己崩壊なんて罵倒を繰り返すなんて、やっぱり痛手だったんだね。
687 :
日本@名無史さん:04/01/01 23:23
大宰府は「太宰」の府だからこの地名が九州王朝の根拠だという主張は
九州王朝説を自己否定しているということがはっきりしました。
688 :
日本@名無史さん:04/01/01 23:43
あるわきゃねえだろ馬鹿野郎
ないのよ九州王朝
否定派は頭が弱いんですよ。
大和朝廷が名づけた可能性もおさえておく必要がある。
九州王朝の天子が「大宰府」と呼称していたかどうか検討課題でしょう。
大宰府=政治をする役所≠天子の居所(王宮) の可能性も見極める必要がある。
大和朝廷が「大宰府」という新造語を使ったとも考えられる。
「大宰」を天子を補佐する佳字と判断していたとも考えられる(このトンデモ案は出ましたね)。
つまり九州王朝と大宰府と関係があるという可能性がケシ飛んでしまった。
それ肯定派のことじゃないか?
>>667 それら3例が近畿天皇家の官職名には見えないのだが。以下論証。まず
>仲哀九「新羅宰」
日本書紀の仲哀紀九年の項にその文はないのでおそらく神功皇后紀の即位前紀の
二行小書注文にある「新羅宰」と思うが、この二行注文には不思議な部分がある。
倭国側に殺された新羅王の妻が、「新羅宰」をだまして殺したことを「天皇」が
聞いて怒り、新羅を滅ぼそうとした、というのである。
ここは「神功紀」であるから「天皇」などいないはずである。そもそも仲哀は新羅の存在を
知らず、まして「新羅征討」も「新羅王」も知らずに死んだはずなのだ。
また日本書紀の全般を通していくつか存在する「新羅征討」をみても、「新羅王を殺す」
ほどの戦果を上げたらしきものは見あたらない。したがって他の記事がここに混入した形跡は
皆無といってよいだろう。私はここに「近畿天皇家以外の天皇の存在」を考察するが今は
それには触れない。
しかしこの部分に登場する「新羅宰」が近畿天皇家の「宰」であることには不審が残るし、
ましてや「近畿天皇家の官職名に『宰』という官が常態だった」とすることはとても出来ない。
次に
>応神三「海人之宰」
だが、この○○之宰、という形式を見ても、やはり官職名には見えない。
「因為海人之宰」という用法から見ても、「海神之宰」という官名があって、大浜宿禰を
それに任命した、という意味には受け取れないからだ。
そもそもこの記事の数行後の五年の項に、「諸国に令して海人及び山守部を定めた」という
記事があるが、そこではなんら「海人之宰」という官名は登場しない。
「海人之宰」を官職名とするのは無理だ。
>敏達六「遣大別王與小黒吉士。宰於百済国。」
二行文注をみると
「王人奉命為使三韓自称為宰。言宰於韓、蓋古之典乎。如今言使也…(以下略)」
となっている。
つまり「自称」であって、「宰」という官職名に任命されて百済に赴いた、という
文ではなさそうなりだ。
それどころか「言宰於韓、蓋古之典乎」の一文でわかるとおり、「宰」という字について
著者は困惑している。そして「古の典か」と推測する。
とても近畿天皇家の官職名とすることは出来ない。
以上、
>>667氏の上げた3例、いずれも「官職名」とすることは出来ない。
>686-691 たった一人で否定派の自作自演→論理なし
天武紀二年八月
(前略)戊申、喚賀騰極使金承元等中客以上廿七人於京。因命大宰詔耽羅使人、曰…(中略)
…則自筑紫返之。
ここでは「京」にいるはずの天皇が「大宰」に命じている。
つまり大宰は天皇(朝廷)の近くに存在しているのだ。しかも耽羅使人に「詔」を下して
いるのは「大宰」なのである。
「大宰」が近畿天皇家の配下である「大いなる宰」とすれば不審だ。外国の使節に対して
「詔」を下せるほどの絶大な権力を持っていたのか? また持たせていたのか?
しかしこれを「大宰=太宰」とすれば何ら疑問はない。佐治天下とは皇帝に代わって政務を
決裁することであり、その任務の筆頭は皇帝に代わって「詔」を下すことなのであるから。
むろん「詔」を下すのに仲介者などあろうはずがない。だから「命大宰」は佐治天下などと
同じく、天子>大宰とする大義名分上の筆法である、と解釈するしかない。
以上、天武紀二年の項に「九州王朝側の記録」らしき記事が混入していることを実例を
上げて論証した。
僕自身は「九州王朝大好き氏」とは同じ肯定派でも「大宰府」の解釈では
対立する立場にある。
だからいつかは論争すべき相手ではあると思っているけど、しかしそれでも
僕が大好き氏を好ましく思うのは、自らの持論に対し「論証」をする点だろうと思う。
決して「九州王朝肯定派」同士だからではない。
同じように否定派の人でも、根拠を上げ、その論証を展開する人は、尊敬すべき人だと
思っている。
この点、他の肯定派の人たちも同じだろうと思う。
>>664 >九州王朝の都のなかで、大宰府は末期の都でありかつ、
>かなり特殊な国際背景をふまえた都だっただろう。
そのように思います。
大宰府は620年頃から建設が始まり、
都として存続した可能性は620年〜696年と考えられます。
大宰府が都として政庁として機能したのは、
663年〜672年であることは間違いないと思われます。
大宰府が都として政庁として機能したのはいつ頃からでしょう。
640年頃の政庁(大宰府)は、まだ宇佐にあったのでは。
自説の根拠まで書くと長文になるので、それは置いて。
>>664氏の国際情勢も含めた大宰府についての見方をお伺いしたい。
不躾ですが、もしよろしければ、レスをお願い致します。
>>697 中略の箇所には何と書かれているんですか?
>>700 …因命大宰詔耽羅使人、曰、天皇新平天下、初之即位。由是唯除賀使以外不召。則汝等親所見。
亦時寒波険。久淹留之、還為汝愁。故宜疾歸。仍在国王及使者久麻藝等、肇賜爵位。
其爵者大乙上。更以錦繡潤飾之。當其国之佐平位。則自筑紫返之。
つまり
「天皇は新たに即位したので、即位を祝う使以外は召さない。そのことはアンタらが自ら見た
とおりだから、早く国に帰れな。季節も寒くなるし波も高くなるしィ」という内容の詔と、
「耽羅の国王、使者にはじめて爵位を与えた、それは大乙上であり、その冠に錦や縫いものの
飾りを付けて、その位を耽羅国の官位の「佐平」に当たることとして、筑紫から帰国させた」
ということが書かれている。
耽羅の使者は二年の閏六月の壬辰(八日)にやってきて、そのまま九月の戊申(二十五日)
まで待ちぼうけさせられていた。
・・・ふぅ、漢文も一緒に書いた。しんどかったぜよ。
>>701 うむ、大儀であった。褒めてつかわすぞ。
耽羅使人は京に居るの?彼らが筑紫に留め置かれいて
その対応策を聞くためにオーバーラップしてきた大宰に対して
天皇が対応策を言ってるわけじゃないんだよね?
「因命大宰詔耽羅使人」の箇所が難しいです・・・
>>702 むろん、耽羅使人が筑紫に留まっている状況で、
天皇(飛鳥)が決裁→使が筑紫へ→筑紫大宰が耽羅使人らへ詔を下す
という可能性を排除するつもりはないけどね。
しかしその場合、近畿天皇家は「詔」が何たるか、というのを理解していない
「ド田舎夷蛮国」ってことになる。
天皇の詔を持った勅使が筑紫へ派遣され、勅使そのものが耽羅使人らへ直接、詔を下す、
というのなら、わかるのだが。むろんその時は「大いなる宰」は勅使の下す詔を、
勅使の下座で聞かねばならない立場にある。
「大いなる宰」を仲介して詔を下すなど、ちと考えられないな。
「帯方郡」「楽浪郡」などが直接、東夷などの夷蛮国の使者に詔を下すことなど
ありえないのと同じこと。たとえ「天子の命」によったとしても、ね。
あ、「ド田舎夷蛮国」ではないな。
「ド田舎帝国」「ド田舎王朝」の方がふさわしいか。
>>702 >「因命大宰詔耽羅使人」の箇所が難しいです・・・
このあたり、たしかに文面だけでは理解しづらい部分があります。
金承元は新羅からの使者なんだけど、「耽羅使人」よりあとの十五日に来ている。
つまり「因りて」というのは、「喚賀騰極使金承元等中客以上廿七人於京」という状況について
「耽羅使人」側から不満の声が出たため、彼らを慰撫する目的で詔を下した、という
ことなのでしょうね。
詔内の「則汝等親所見」というのは「金承元らの二十七人」が天皇に謁見するために
入京したのを、「耽羅使人」たちが見たということを言っているのでしょう。
なるほど。じゃあ、やはり耽羅使人が「京」に直接赴いたんですかね?
付き添い、道案内、その他の目的で「大いなる宰」が同行したシナリオは
考えられますか?
もしくは「大いなる宰」が使者が来てから上京して
彼自身が勅使の詔を読み上げる役割を果たす、ってのは?
時間がかかったのは、筑紫と京(畿内か?)の間を往復したから、と
想像することもできるかも(あくまでも俺様の想像)。
>>706 うーん、大宰=大いなる宰→後の大宰帥のごときもの と考えるなら、やはり
直接筑紫に赴き、そして筑紫にずっといてこそ、その任務が全うできると思いますね。
耽羅使人が同行した、とするシナリオは無理だと思います。
また
「大いなる宰が使者が来てから上京して 彼自身が勅使の詔を読み上げる役割を果たす」
というのも、わざわざ「大いなる宰」が上京する理由に乏しいと思います。
それならやはり近畿天皇家が「ド田舎王朝」で、中国における「太宰」の重要性も
理解せずに「大宰」という官職名を創設し、「詔」が何たるかもよく知らず、大宰に
詔を下させるように命じた、とする方がマシですね。
たしかに近畿天皇家の資料・金石文には、漢字について理解度が未熟で、
「ド田舎王朝」と言われてもしかたのないような使用法が目立ちますから。
なるほど。この時代の「大宰」の地位はそれほど高く無かった?
少なくとも中国の「太宰」とは異なる存在であった可能性は大いに
有りそうですね。倭国の旧来の制度とごっちゃになってるのかも
しれませんね。
>>708 >少なくとも中国の「太宰」とは異なる存在であった可能性は大いに
>有りそうですね。
あい。
私自身は日本書紀に現れる大宰=太宰であって中国の史書に登場する「太宰」と
同じ如きものである、とする立場ですけどね。(つまり九州王朝肯定派)
しかし「大いなる宰」なら、ただの国司の如きものですよ。たとえ「宰の統括者」と
理解し、開府の権限があったところで、中国の太宰(や後代の日本の摂政・関白)とは
比べるべくもない。まして朝廷から遠く離れた地にいる一官人が「詔」など下せるはずが
ないし、またそんな権限を朝廷が与えるはずもない。
「奈良朝以前の近畿天皇家=漢文に未熟なド田舎王朝」という立場の人が、
>>708の論を
展開するのなら、たしかに「大いに可能性はある」でも特に異論はないですね。
日本の「九州」の「大宰」が大権を行使した記述は
あるんですかね。主に国防・警察職務と外交接待
くらいのイメージがあるだけなんですけど。
「遠の朝廷」というのが有名ですが、地方の行政機関であって
大陸・半島に対する備えっていう意味が強いんじゃないかな・・・。
陸奥鎮守府や多賀城のような出先機関と同等だと個人的には思っとります。
>>710 今度もっと調べてみます。
いちおう上記「天武紀二年」にある大宰が詔を下した例は、以前から注目していたのですが、
それ以外の用例についてはまだ詳細を調べてはいないので。
今日はこれにて。
ありがとござんした。この時期の「詔」がどのようなものであったか
も興味がありますね。では失礼。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∠ うるさいハエだなぁ。逝ってよし!
\_____________
ブーン
∴ ・〜
∧ ∧ ∴∴ ↑
( ゚Д゚) ∴∴∴ >697=692-694
∪ ⊃自
〜| │ プシュー
U U
714 :
日本@名無史さん:04/01/02 08:37
>>697 >しかしこれを「大宰=太宰」とすれば何ら疑問はない。佐治天下とは皇帝に代わって政務を
>決裁することであり、その任務の筆頭は皇帝に代わって「詔」を下すことなのであるから。
佐治天下とはあくまでも補佐するのであって皇帝に代わって政務をとるわけではないでしょう。
太宰が詔を下す権限があるという根拠は何ですか?
質問君、教えて君、カリカリするなよ君、提示しろ君、これで終わりだな君の今の状態
,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
,.-,/ /::::::::::::::::::::::!,, \
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`''| |:::::::::::::::::::::} ``ー''"
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'、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ
\_/ ヽ--く _,,,..--┴-、 ヽ
``" \>
↑これは九州王朝説の姿ですね。
太宰に皇帝に代わって詔を出す権限がないのなら九州王朝はド田舎王朝。
太宰が佐治天下するという根拠もなくなる。
6:47
711 :697=692-694 :04/01/02 06:47
今度もっと調べてみます。
今日はこれにて。
6:59
712 :日本@名無史さん :04/01/02 06:59
ありがとござんした。
では失礼。
6:47→6:59→→→713 :04/01/02 08:22
713=人がいないのを確認してAAを貼る真正嵐
AA荒らしは否定派を荒らし呼ばわりするための自作自演じゃないのか?
まともな反論はないの?
九州王朝などと大袈裟な表現にしてしまうから誤解を生むんだよ。
火、吉備、出雲、毛野、尾張、古志などと同じく普通に筑紫で
いいじゃないか?
だって大げさにしたいんだろう?
筑紫が西日本全土を支配していたとか倭の五王として中国の冊封を受けていたとか。
そのために沢山うそをつくわけだ。
古墳の様式を見ても、九州王朝の支配、ないし影響領域は広大だった。
その領域は東北地方にまで及んでいる。
九州王朝が単なる日本列島の諸国のひとつに過ぎない、という考えもアリだが、
中国と歴代国交をしてきた日本列島の王朝が、九州王朝でしたというはなしだ。
仮に、北海道のフゴッペ洞窟の陰刻画が王朝の存在証明であってもかまわない。
皆さん、九州王朝説側から何の根拠提示もない大本営発が出ました。
>>699 大宰府名称についてや、九州王朝遷都歴の見解はとても皆さんにかないません。
私は都督府について考えております。ご承知のように唐の羈縻(きび)政策の一環で
周辺諸国に置かれたのが、都護府、都督府です。
530年代から極東諸国は中国離れをおこしていましたが、九州王朝も例外ではなく
九州年号を使い始めたほどです。隋・唐を歴代中国の後継王朝だとは認めていなかった
でしょうし、九州王朝だってわが国は天子様の国だ、と強気の態度だったことでしょう。
しかしこれは、内政抗争的に見れば、530年代以降の(あの将軍号好きな)軍事政権が
行ったことであり、シビリアンコントロールが利かなくなっていた結果です。
663年の白村江敗北で軍事政権は揺らいだわけです。則天武后率いる唐としては、ここに
羈縻政策を敷き、九州に都督府を置いて「文民政治」をやらせよう、ということだったでしょう。
則天武后は中国全土から実力だけで官僚登用をはじめた人で、役人に人材が集まった。
玄奘が持ち帰った仏教関係書籍もある。唐は負けた九州王朝に対し、覇権争いの時代を
終わらせて、今の領地を安堵することや、中華文明の恩恵に浴すべきことを、説教したことでしょう。
唐の内政干渉がどの程度だったにせよ、一応は民族・部族の自治という土台は残しており、
内部的に「都督府」にどういう現地名(××みこともちなど)をつけようとそれは干渉しないでしょう。
大和朝廷が九州王朝を配下にしたとき、「都督府」の語をあまり使いたくなかったはずです。
ニニギ以来の血統を言い出すと、祖先は都督府内の人間=被征服民となり、みっともない。
あくまで「保美古止毛知」の府は朝廷の一機関でした、と偽装したいわけです。
これまた何の根拠提示もない空想。
∧_∧
( ´Д`) <大和王朝一元史観なんてこうだ
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>>723 素晴らしい!古代の一大スペクタクルを一気に書き上げた
ロマン派によるファンタジー小説ですね。続きキボンヌ。
727 :
日本@名無史さん:04/01/02 20:35
朝廷(もちろん畿内)の人々はその後も都督の名称をずっと使っています。
これは日本史の常識だと思いますが。
目標 >九州王朝!!チェーンブレードで >九州王朝をぶった斬る!!
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|_人_ ⇒\/ |:ШЩ:)___) (_ ) (_)←>九州王朝
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729 :
日本@名無史さん:04/01/02 22:44
筑紫大宰や筑紫都督府という名称が二転三転するのも
当時の日本が近代化を進めて先進国・唐の制度を模倣する試行錯誤の中でのことと
ごく自然に理解できます。
天武二年の詔の問題もそうです。
地名にしても機関名にしても九州王朝を立証する要素はなにもありません。
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1Rもたない大和王朝一元史観
>>723 ありがとうございます。
「都督府」と「大宰府」について書き始めたのですが、
論点が簡潔に絞れず、又改めて書きます。
732 :
日本@名無史さん:04/01/03 03:36
九州王朝の古田武彦氏と
東北王朝の古田武彦氏は
同一人物ですか?
>>729 筑紫大宰や筑紫都督府という名称が二転三転するのも
当時の近畿王朝が近代化を進めて先進国・九州王朝の制度を模倣する試行錯誤の中でのことと
ごく自然に理解できます。
天武二年の詔の問題もそうです。
地名にしても機関名にしても近畿王朝を立証する要素はなにもありません。
734 :
日本@名無史さん:04/01/03 06:37
この辺で一度、肯定派がどのような根拠で
どのような王朝であったと考えているのかをまとめて欲しいです。
そうとういろんな説が飛び出してるんでね。
735 :
いいかげん気付きましょうね ◆wV.lnwEKfw :04/01/03 08:13
※※まだ分からないやつが朝からピンボケな事書いてるよ。※※
教えて君、提示して君の次は、まとめて君ですか?
「どのような根拠で‥‥まとめてほしいんです」
⇒ことばが違うだけで、提示しろ、と同じ思想なんだよ。なんでこっちがまとめてお前に教えなきゃならんのだぁ?
知らなきゃ自習しろ。反論があるならお前が自分の考えをまとめて根拠をつけて書けばいいの。
「そうとういろんな説が飛び出してるんでね。」
⇒あのなぁ、ここは2ちゃんねるの掲示板なんだよ。いろんな意見、説が出るのは当たり前なの。そのために書いてるの。
⇒九州王朝派といってもここにはいろんな意見の人間がいるだよ。何か思想集団か、北朝鮮のようなところと勘違いしてるんじゃないのか?
⇒大好きさんが首領様で皆がそれに合わしているとでも思ってんの?
⇒だから同じ九州王朝派といっても各人の考えが一致することはあり得んの。
⇒「まとめる」ことは原理的に不可能なんだよ。反論があるならそのレス宛に書くしかないし、
各人と共通する部分で他の人が替わって出てくることもある。ただそれだけなんだよ。
九州王朝派の人は”東日流外三郡誌”の信奉者なのか?
737 :
日本@名無史さん:04/01/03 09:13
736
このスレでそれを評価したやつがいたか?ここの住民の俺でも記憶にないが?
Ctrl+Fしろ
736と737
お前が734か、別人かはしらないが、どっちにしろ正月休みでお前ら暇なんだろ。
時間あるんだから自分らで勉強しろ
739 :
日本@名無史さん:04/01/03 09:27
>>765 ひとつも根拠ないんだからまとめようもないよな
原理的に不可能
九州王朝説は成り立ちようもない
「
>>765←←←あせるとシクジルヨ
ひとつも根拠ないんだからまとめようもないよな」
せっかくのコテハンなんだから
あなたの説を論じてみれば?
根拠は地名ですか?
それとも隋書ですか?
これから野暮用でね。ほな、さいなら。
いいかげん気付きましょうね ◆wV.lnwEKfw は、凄い人材だw
私はチョンだと云わんばかりの逃げ足。
745 :
日本@名無史さん:04/01/03 10:22
すくなくとも地名「根拠」は全滅したよ。他になんかあるの?
いいかげん気付きましょうね ◆wV.lnwEKfw
おいお前邪魔だ。
>>733 筑紫大宰や筑紫都督府という名称が二転三転するのも
当時の近畿王朝が近代化を進めて先進国・九州王朝の制度を模倣する試行錯誤の中でのことと
ごく自然に理解できます。
大宰や都督府といった名称が九州王朝にあったという根拠が何もないのに
それは大和王朝が九州王朝を制度を模倣したのだとごく自然に理解できる資格は
発狂してること。
中国側の史書に表れる「倭」について、
現在の学会ではどのような認識(定説)なのでしょうか?
1)昔っから中国側に朝貢しているのは近畿王朝だった。
その他の地域に王朝(国家)は存在しなかった。
2)昔っから中国側に朝貢しているのは近畿王朝だった。
しかし、その他の地域にも王朝(国家)は存在した。
3)昔っから中国側に朝貢しているのは近畿王朝以外の王朝だった。
ある時点から近畿王朝に変わった。
ド素人なので教えていただけないでしょうか。
ド素人の僕は3)であってほしいと空想してます。
もう1つ。
史書では日本列島を「島」と認識しているようですが、
昔の人はどうやって「島」だと認識したのでしょう?
今は地図を見れば一目瞭然ですが、地図はあったのでしょうか?
現代中国人は新唐書も旧唐書も、内容はほぼ事実だと考えていると思います(つまり3)。
半島人の神話的族譜と歴史の混交、日本人の大和朝廷一元神話に辟易してますよ。
「島」の認識は知りませんが、古田氏の『邪馬一国への道標』に載っていたかも知れません。
751 :
日本@名無史さん:04/01/03 15:44
質問は「現在の学会ではどのような認識(定説)なのでしょうか?」
だから当然答えは1。(一部少数派の2もいる)
>>749 朝鮮半島や大陸の倭を無視することが出来ないので、どれでも間違い。
またでたよトンデモが
>729みたいな否定派は
吉備・周防・伊予の大宰が、吉備都督府・周防都督府・伊予都督府なんて
一度も呼ばれていないわけで、全然説明になっていないのが哀れだね
756 :
日本@名無史さん:04/01/03 16:24
>>750 それは間違いです。
新唐書は「日本古倭奴也」で「其王姓阿毎氏」で「徙治大和州」なんですけど。
宋史は「日本国者本倭奴国也」で「自後漢始朝貢、歴魏晉、宋隋皆来貢」で
「唐永徽、顕慶、長安、開元、天宝、上元、貞元、元和、開成中並遣使入朝」なんですけど。
757 :
日本@名無史さん:04/01/03 16:29
>>755 >吉備・周防・伊予の大宰が、吉備都督府・周防都督府・伊予都督府なんて
ぜんぜん反論になってないのが哀れですね。
もともと伊予の大宰なんてもの無いし。
>756
列島側の連中が途中から虚偽を言い始めたが、苦しい言い訳を
途中で中国側が事後承認したという考えで一貫してますがなにか?
>757
すまんが否定派の発言なんだ→伊予の大宰→そいつに言ってくれ
760 :
日本@名無史さん:04/01/03 16:51
>>758列島側の連中が途中から虚偽を言い始めたが、苦しい言い訳を途中で中国側が事後承認した
>>750現代中国人は新唐書も旧唐書も、内容はほぼ事実だと考えていると思います
自己矛盾。
761 :
日本@名無史さん:04/01/03 16:58
唐代の史料はみな倭国=日本ですから間違いないでしょう。
>>750 >>751 >>752 ありがとうございます。
結局のところ、...よくわかりませんでしたf^^;
僕が中高で日本史を習った頃は近畿王朝一元史観といってもいいようなものでした。
(「倭の五王」の比定について、そんなムチャな...と思ってました)
それから10余年経った今、どうなっているのかふと疑問に思いましてお訊ねしました。
(教科書ではどうなっているのでしょう?教科書は定説と捉えていいですよね?)
そんな歴史教育に疑問を持ちながらも興味がある僕としては、九州王朝肯定派というか、
九州王朝(他地域の王朝でもいいけど近畿王朝以外)があったらいいな派、です。
ド素人の僕は史書を自分で読みこなすことなどできませんので、
識者の方々(書籍やサイトなど。もちろんこのスレも)の解釈を
自分なりに納得できるかできないかという視点で楽しんでます。
※749がすれ違い風味だったので、無理やり持ち込んだ感はありますが...。
>760本人の脳内矛盾以外存在しない
>>762 日本国内で伝統的には
>>751だが、今3に移行しつつある。
「3)昔っから中国側に朝貢しているのは近畿王朝以外の王朝だった。ある時点から近畿王朝に変わった。」
>>750は「現代中国人は新唐書も旧唐書も、内容はほぼ事実だと考えている」という。
しかし新唐書と旧唐書は言っていることが違うので
>>750のいうことはおかしい。
しかも
>>758では「虚偽」を「中国側が事後承認した」という。
こんな矛盾だらけの主張があるだろうか。
大和朝廷一元主義の>765の脳内矛盾だけが存在してますが何か?
768 :
日本@名無史さん:04/01/03 20:17
>>764 そういうウソを平気でつけるというのは病的だと思うよ。
古代史だけじゃなくて現代の話まで偽造するなんて。
769 :
日本@名無史さん:04/01/03 20:26
∧_∧
( ´Д`) <大和朝廷一元主義なんてこうだ
/ \
| l l | ..,. ., .,
| | | _|。.:_::゜。-.;.:゜。:.:;。
ヽ \_ .。'゚/ `。:、`;゜:;.::.。:.:。
/\_ンθソ\ ::..゜:: ゚。:.:.::.。.。:.
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〈 く / / ::..゜:: ゚。:.:.:,.:.:.:。:.:,
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〉 ) ( .::.旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
(_,ノ .`ー'旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
772 :
日本@名無史さん:04/01/03 21:02
>>770 じゃ「今3に移行しつつある」と言える根拠は何なの?
脳内移行
>>714 >佐治天下とはあくまでも補佐するのであって皇帝に代わって政務をとるわけではないでしょう。
いえ、違います。佐治天下、すなわち「佐(たす)けて天下を治す」とはあくまで
天子を中心とした大義名分上の筆法であって、「実際はその人が天子に代わって統治した」
ということです。
これは武王が死んだあと、残された幼い成王が即位して天子となった時、武王の弟の周公が
大宰となって「佐治天下」したことに由来するのです。
つまり形式上は「補佐」ですが、実際には「天子に代わって統治」ということなのです。
>太宰が詔を下す権限があるという根拠は何ですか?
中国の歴史の中で「幼帝」が多く登場します。彼らが自らの意思で「詔」「勅」など
出せるはずがなかったのは確実で、当然、何者かが代わって政治を決裁し詔を下したことに
なります。それはその時代の「天子を凌ぐ実力者」とみるべきで、それらの人物については
太宰にかぎらず(相国や阿衡など)「佐治天下」という言葉が使われています。
しかし「太宰」とは本来「天子に代わって天下を統治する」という地位の官職ですので、
「佐治天下」は当然のこと、そして天子に代わって詔を下すのも、いわば太宰の任務であった
と思われます。
王莽など「宰衡」という官職を新たに造作して「佐治天下」そして「簒奪」に至ったわけで、
前漢末、幼帝であった平帝や子嬰に代わって「詔」を下していたのは確実でしょう。
(今帰省中で手元に資料がなく、実例を上げて説明できないのが残念です。)
太宰と大宰は違うのだよ。別物の古代中国の官制と比較するのは
無意味ではないだろうか。
日本書紀では同じとしか考えられない、ということを論証したわけですが?
777 :
日本@名無史さん:04/01/04 01:36
論証になっていなかったでしょう?
日本書紀に出てくるのはあくまでも「東宮大傅」であって「太傅」が「大傅」と書かれているのではない。
>彼らが自らの意思で「詔」「勅」など
出せるはずがなかったのは確実で、当然、何者かが代わって政治を決裁し詔を下したことに
なります。
しかし皇帝の名のもとに詔を出しているのであって、太宰が出しているのではない。
太宰が詔を出したとする史料的根拠はありません。
しかし天武二年の「詔」は文面からして天皇の詔ではありません。
これは中国の官僚制を模倣する試行錯誤の中で生じたミステークです。
したがって九州王朝が中国の伝統に則って太宰が詔を発する九州王朝などというのは幻想です。
>>777 その立場に立って「論証」するのなら何も文句はない。
しかしあなたは何を根拠に
>しかし皇帝の名のもとに詔を出しているのであって、太宰が出しているのではない。
>太宰が詔を出したとする史料的根拠はありません。
>しかし天武二年の「詔」は文面からして天皇の詔ではありません。
>これは中国の官僚制を模倣する試行錯誤の中で生じたミステークです。
と論じるのか。それが
>>777には示されていませんね。
まず「根拠」を示し、そして「論証」をしてください。
779 :
日本@名無史さん:04/01/04 01:51
太宰が詔を出したとする史料的根拠が存在しないからです。
皇帝以外で詔を出すのは太后だけで、摂政も詔は出しません。
実例がないのです。
伝説時代の周公など持ち出しても意味がない。
詔という言葉の意味からして先秦じゃ違うだろう。
当時の日本が何を手本に制度を作っていたか考えるべきだね。
>しかし皇帝の名のもとに詔を出しているのであって、太宰が出しているのではない。
…因命大宰詔耽羅使人、曰(以下略)
これを読むかぎり、「大宰」が出しているとしか読めない。そして他の「詔」の例で、
「天子の命令の元に詔を出している」例など一例もない。また詔を下すのに
余計な第三者を仲介する例も一例もない。
しかし似ている例は天智期に一例ある。
三年春二月己卯朔日丁亥、天皇命大皇弟宣搖キ…(以下略)
これは白村江の戦いの直後の官位の制定記事だが、この文脈は「…因命大宰詔耽羅使人…」
と同じ「A命B詔(宣)…」だ。詔でなく宣なのは天智称制の時期だからであろうか。
いずれにせよ「天智の命によって大海人が官位の制定を決裁した」という意味であることは
間違いなく、「宣」を下したのは大皇弟すなわち大海人皇子であることは間違いない。
とすれば「…因命大宰詔耽羅使人」は、やはり「実際に詔を下したのは大宰」と読むべきだ。
782 :
日本@名無史さん:04/01/04 02:17
だからこそ日本の大宰は中国の太宰とは違うのです。
>>782 では日本の「大いなる宰」は、「詔」を下せるほどの実権を持っていた、と?
>>781 おいおい。「宣」と「詔」や「勅」じゃ比較にならんだろう。
たとえば「大伴大連奉勅宣曰」(安閑元)みたいに人臣が「宣」するじゃないか。
785 :
日本@名無史さん:04/01/04 02:29
>>783 日本の「大いなる宰」の基本的性格は他の用例からも使臣であることがわかります。
もちろん前提として「詔」という言葉の使い方が違います。
「中国の官僚制を模倣する試行錯誤の中で生じたミステーク」と申し上げたと思いますが。
>>784 いえ、これはあくまで「文脈の解釈」の問題です。
詔にしろ宣にしろ、「A命B詔(宣)…」のタイプの文面でBが実際に
施行した人物、というのであれば、「因命大宰詔耽羅使人」は「大宰が詔を下した」
という理解をすべきです。
787 :
日本@名無史さん:04/01/04 02:39
それが中国の制度としてはおかしいと申し上げているわけです。
しかし唐の制度の模倣途上である大和政権の行動としてはおかしくない。
>>785 だから、その「ミステーク」であることを「論証」してほしいのだ。
「自分の理解に合わないから、これはミステークだろう」ではこっちも納得しかねる。
あなたも何か根拠があって「ミステーク」と主張されているのだろうから、その根拠を
示し、論証して欲しい。「証明」までは求めない。こっちもアマチュアなんだから。
煽り野郎などに「妄想」と罵られることを怖れないで。
地方行政官が詔を発してもいいじゃん。
「詔」を発する権限があったのかもしれないよ。
>唐の制度の模倣途上である大和政権の行動としてはおかしくない。
ということですが、倭国はすでに中国とは綿密な接触をしているはず。
少なくとも漢以来、魏・晋・宋など南朝とは国交を密にしていました。
「開府儀同三司」に任ぜられることを求め、「使持節都督倭…六国諸軍事…」
という将軍号を自称していたほどです。
「詔」という言葉や用法が唐代に始まるわけではないので、模倣途上といっても
そういう文字の使用法に不慣れとは思えないのですが。
だって、地方行政官が詔を発することができないなら大宰が
発するのはおかしいじゃんか。
793 :
日本@名無史さん:04/01/04 02:54
>>788 論証済みです。
中国の制度では人臣は詔を下しません。
用例がないのです。
あなたが持ち出す周公だって王の名の下に布告を出しています。
中国の制度を模倣しようとしている大和政権のもとで人臣が詔を下したなら
ミステークです。
>>789 私自身、その可能性は否定しませんよ。
近畿天皇家が「詔」が何たるかも知らず、「太宰」という官職名の重要性も認識せずに
「大いなる宰=大宰」という官職を創作した「ド田舎王朝」であったのなら、
その可能性はある、と。
ただし、そんな「ド田舎王朝」が「六国諸軍事安東大将軍倭国王」の国だったとは、
ちょっと考えられないと思いますけどね。
ど田舎王朝ってのは、中華から見てですよね。
王(天皇)に権力が集中してなかったのかもしれんね。
証明できないおれの妄想だけど。
796 :
日本@名無史さん:04/01/04 03:03
それは主観論でしょう。
「詔」には告げる・さとすという意味もあるし、太宰はただの儀礼の官だったり膳食の官だった時代もあります。
べつにそんなことの理解が「六国諸軍事安東大将軍倭国王」の受爵を妨げるとは思えません。
>>778 >「自分の理解に合わないから、これはミステークだろう」ではこっちも納得しかねる。
>あなたも何か根拠があって「ミステーク」と主張されているのだろうから、その根拠を
>示し、論証して欲しい。「証明」までは求めない。こっちもアマチュアなんだから。
指し挟んで失礼ですが、僕なりの見解を述べます。
倭の政治体制から考える必要があると思います。
倭は、夜を司る(祀)兄王と昼を司る(政)弟王による政治体制です。
それを、シナの天子と大宰に置き換えて模倣したのですから、
そもそも質が異なる中では、ミステークとか矛盾が発生して当然と思います。
ナウシカの皇兄と皇弟みたいだな。
全体構造として、否定派はガタガタですな。
こんな大問題を間違えようが無い。→「中国の官僚制を模倣する試行錯誤の中で生じたミステーク」
半島で大戦争をした国の内部組織の上下関係用語がズタズタだと戦争も出来ませんぞ。
うむー、ミステークかぁ…。まあいいでしょう。論証というのにはちと弱いと思うが、
それもまた論証のうちか。(近畿天皇家ならありうるかも…)
私自身は、こんな「肝心かなめ」な文字について、そうそう簡単にミステークするとは
思えないのですけどね。
つまり「実際に大宰が詔を下したから」そう書いてあるのだという解釈です。
むろん「天子の名の下に」詔を出した、ということです。
>>799 国内の定義と中国の定義が違っただけで「国の内部組織の上下関係用語がズタズタ」なんて針小棒大だ。
「間違えようが無い」という程度の主観で「否定派はガタガタ」などと評するのも針小棒大だ。
いつものことだが。
日本が古代中国とまったく同じ官制にしなければならない理由は?
日本が古代中国の文化を100%受容したと?その必要はあったのか?
そして、それは可能だったのか?
>>796 >「詔」には告げる・さとすという意味もあるし・・・
いや、そう言われてもw
「告げる・さとす、という意味で」一介の官が「詔」を下したりしたら、そりゃ
厳罰もんでしょ?
「六国諸軍事安東大将軍倭国王」は宋朝に堂々たる上表文を渡しています。
漢文の文字使用について「未熟」だったとはとても思えないのですよ。
805 :
日本@名無史さん:04/01/04 03:19
>>801 だから再三、そんなことをする太宰が中国にいるかと聞いているのです。
王命とはいえ人臣が詔を下すような「ド田舎王朝」が
「六国諸軍事安東大将軍倭国王」の国だったと考えられるのですか?
806 :
日本@名無史さん:04/01/04 03:24
>「告げる・さとす、という意味で」一介の官が「詔」を下したりしたら、そりゃ
厳罰もんでしょ?
それは「詔」の意味を厳密に理解しているという前提でしょう。
>「六国諸軍事安東大将軍倭国王」は宋朝に堂々たる上表文を渡しています。
そんなものはお雇いの外人書記に書かせればたやすいことです。
稲荷山や江田船山の銘文は倭人が書いたものではないことは詳しく考証されていますから、外人書記の存在を想定するのが合理的です。
昨年晩秋、出雲大社の古式に則る新嘗祭に参加してきました。
感想を一言。
これは政治である、夜の政治である。
倭の兄王の仕事だったのですね。
祀=政であることを実感してきました。
ふと思ったのですが、九州王朝が何故出雲王朝に勝ったのか?
出雲王朝の祀政一致と九州王朝の祀政分離も大きな要因であったとの感を持ちました。
せっかくまともそうな議論になってたのに、また妄想垂れ流しに逆戻りかよ。
現場に行くと映像が瞼の裏に浮かびます。
私はそれで歴史を考察するのだ。
大和朝廷のほうが国書が下手なのは笑える。それこそ
「そんなものはお雇いの外人書記に書かせればたやすいことです」
811 :
日本@名無史さん:04/01/04 03:32
人臣が詔を下すことがありうるのか、根拠はあるのかという問いを繰り返してきましたが
帰省中の手元に史料がないのでは致し方ないということで。
本日は寝ますが、このお答えはずっとお待ちしています。
では
>>810 下手な国書ってドレのことよ?
(何笑ってんだか・・・)
>>809 >現場に行くと映像が瞼の裏に浮かびます。
>私はそれで歴史を考察するのだ。
ソレヲ人妄想トイフ
>>813 特殊な能力で歴史の真相に挑みます。
見えるのだから仕方がない。
私自身が歴史であり、歴史もまた私なのだ。
橿原在住。
オカルト・・・カルト・・・
>805
日本と中国の大(太)宰がおなじであるという説と
中国の太宰が詔を出す実例の有無は関係が無い。
肯定派が日本と中国でまったく同一の国ではないから、2国の大(太)宰が同一といっても
まったく同一行動をとることは不可能だ。日本列島内での補佐の仕方があるわけだ。
>>811 倭国(ないしタイ国)の政治と中国の政治は違うだろう。
補佐の仕方も違っていいわけだ。詔の違いはそれに現れているわけで、
国によって政治が同一でなかった、という当たり前なこと。
「九州王朝大好き ◇RBWf2snlzI」 さん
あなたの妄想を楽しく読ませていただきました。(藁
>813
そんな考えだから、大和朝廷一元史観に固着できるわけね?
大和朝廷一元史観は自作自演の妄想世界に埋もれてしまいました。
現実の世界に、早く目覚めていただきたいものです。
>>818 いえいえ、あなたの空想にはかないません(プゲラ
823 :
日本@名無史さん:04/01/04 04:04
どうせネタスレだろ?
古田武彦だよ?もうどうにもならん。
こういう詭弁はもう飽きたよね。相手が言っていないことをまくし立て、否定する手法だ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
803 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/01/04(日) 03:15
日本が古代中国とまったく同じ官制にしなければならない理由は?
日本が古代中国の文化を100%受容したと?その必要はあったのか?
そして、それは可能だったのか?
>>817 >倭国(ないしタイ国)の政治と中国の政治は違うだろう。
>補佐の仕方も違っていいわけだ。詔の違いはそれに現れているわけで、
>国によって政治が同一でなかった、という当たり前なこと。
ゆえに
「大宰府」という地名だから中国の「太宰」みたいな大官がいたのだ
「大宰府」のちかくに王都があったのだ
etcetc
が成り立たないのは当たり前なこと。
都督府があったわけです。難波に都督府がありましたか?
阿蘇山が畿内にありましたか?
828 :
日本@名無史さん:04/01/04 04:11
阿蘇山は畿内にはありません。
で?
都督府はふつう首都には無いね。
ハイセイセイは倭国の都に行きました。
その途中でも行った先でも阿蘇山を見たとは書きませんでした。
なぜでしょう?
答え:阿蘇山は倭国の都の近くには無いし行く途中の道の近くにも無いから。
>>805 私自身は「命大宰詔…」の一文が「近畿天皇家の記録ではないのではないか?」という
問題提起が出来ればそれでよかったんですけどね。
まあ、そんなことする太宰がいた、というのは私の記憶にはないですな。
(ジックリ調べてみるが)
しかし「根拠」ならありますね。「幼帝」が自分の意思で詔や勅を出したとは考えられない
から、当時の権力者が代わって出す、ということはありうるでしょう。「佐治天下」していた
太宰が「幼帝」に代わってことを決裁し詔を出すのは、普通に考えられることだと思いますよ。
(以下仮説)
私の解釈は「A命B詔(宣)…」これはズバリいって九州王朝(かどうかは知らんが
中国の資料に出てくる倭国)の慣用句(政治用語?)だったと思っていますけどね。
タリシホコの王朝(ヒミコの王朝でも良い)が兄弟統治だったことを思えば、
A=兄(姉)
B=弟
という図式が想像できるわけです。ヒミコの弟は「佐治国」だったわけですし。
ついでに言うと
>>781で示した天智紀の例、あそこに「天皇」とあるのはおかしいわけで、
他の所では称制中はすべて「皇太子」である。なのにあそこだけ「天皇」とあるのは
「ははぁ、九州王朝の記録が紛れ込んでるな」と想像しているのです。
むろん「ミステーク」という可能性は充分考慮していますがね。
>>831 ま・問題提起としては失敗でしたな。
逆に大宰府という地名が九州王朝説の根拠に使えなくなってしまったから。
835 :
日本@名無史さん:04/01/04 04:56
697=692-694さんがおっしゃったように
大きな権限を与えられてないなら地方長官である
大宰の存在意義がなくなっちゃうんだよね。
詔を王(天皇)の代わりに出せた可能性も大いにあるし。
ますます中国の太宰から離れていくね。
九州王朝の根拠にはならないということだ。
>>831 >しかし「根拠」ならありますね。
そういうのは根拠とはいわない。
何時の世でも詔書を起草するのは尚書の役目だが詔書は御名御璽で出される。
しかし尚書が詔したとは言わない。
実際に決済するのが幼帝でなく摂政の場合であっても、詔書を出すのはあくまでも皇帝である。
697=692-694
↑
こいつ正月の深夜なのに必死だ。さびしくないのか。
人間何をするにもいつも必死でなくちゃ。きみはダラダラしてるのか?
否定派の、場当たり的な言い逃れ聞いてると、ずいぶん苦しそうだね。
万の事象を説明するのに、万の例外・偶然・ケアレスミスだとして解決だ。
肯定派の、場当たり的な言い逃れ聞いてると、ずいぶん苦しそうだね。
万の事象を説明するのに、一の例外・偶然を法則のように飾り立てて解決だ。
ところでところで、「佐治天下」するのは天子に対してですよね?(既出の周公の例から)
天子様は唯一の存在ではないでしょうか?
倭国以外の国々(周の天子を仰ぐ晋とか楚とか鄭とか)の君主に対しても
「佐治天下」する「大宰」の官職が存在する例はあるのでしょうか?
もしあるのなら倭国側に「佐治天下」する「大宰」があってもおかしくないでしょうが、
例が無いとしたら倭国側の「大宰」は正に試行錯誤中のミステイクもあり得るのかなと思います。
また、中華帝国の天子を「佐治天下」する「大宰」は1人なのですか?
もしかして遠隔地に「大宰」を置いていた可能性はないですか?
つまり倭国の「大宰」は中華帝国に任命されたということです。
そう考えると「大宰」=「倭王」の可能性もあったりして。
(↑DQNですかね...)
だいたい「佐治天下」は治天下を助けるんであって代行するってことじゃないでしょう。
たまたま周公が幼帝の摂政だったというだけで太宰がみんな摂政なわけじゃない。
周公が太宰だったのかどうかも不確かじゃないですか。
中国と日本の国の大宰(太宰)が同じだからといって
中国の社会と日本の国の社会が同じわけじゃない
だから両国の大宰(太宰)がまったく同一の機能だったとはいえないだろう
当たり前だと思うが
ゆえに
「大宰府」という地名だから中国の「太宰」みたいな大官がいたのだ
「大宰府」のちかくに王都があったのだ
etcetc
が成り立たないのは当たり前なこと。
846 :
日本@名無史さん:04/01/04 14:11
周公が「大宰」だったという史料は存在しない。
大宰が日本の相当な高い地位を指しているだろうことは認められるじゃないか。
たとえ宰に字が小役人を意味したことがあったとしてもだ。
その大宰(太宰)が大宰府にいたであろうことも、自然じゃないか。
その大宰府のあっただろう地域に紫宸殿・内裏跡・朱雀大路があり
阿蘇山で祷祭が行われ、金印が埋められていたわけだ。
なにも大宰=九州王朝の天子である必要は全然無い。
カダフィ大佐は行き過ぎにしても、天子=都督、大宰=ナンバー2でいい。
>>847 「大宰≡太宰」には若干の異論があるのですが、
天子=祀兄王、大宰=政弟王であると思います。
都督は唐から一時期に押し付けられたものですから、
都督と大宰は並列してもしくは兼任して存在したとのではと提案します。
この点僕自身はまだ詰めておれません。
高校時代(10余年前)の世界史図説を引っ張り出して眺めていて思ったことです。
倭国と関わりのある中華帝国を見てみると
1)後漢(漢民族)→
倭奴国王(?)に「漢倭奴国王」印授与
2)魏(異民族)→
邪馬台国・卑弥呼に「親魏倭王」印授与
3)南宋(漢民族)→
倭王武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王」任命
となりますよね。
ここから妄想ですw
倭奴国→邪馬台国→倭王武の国は連綿とした国家ではないのではないかと。
1)倭奴国と3)倭王武の国は漢民族帝国へ朝貢していることから同一王朝である(九州王朝?)。
2)邪馬台国は別の王朝である。
さらに飛躍して2)邪馬台国の(九州王朝大好きさんの言うところの)兄弟統治が
ゆくゆくは天智-天武(
>>352)に引き継がれていったのではないか。
邪馬台国は他所にあり(近畿?)、敵対する狗奴国が九州にあり独自の王朝を築いていった、と。
あり得ない?
850 :
日本@名無史さん:04/01/04 20:37
魏は漢民族なんだが・・・
なるほど。
漢(おとこ)民族だから、女国、女王国にあこがれたわけか・・・・
852 :
日本@名無史さん:04/01/04 21:00
「宰」には地方長官の意味があるのだから大和が派遣した西海道の長官が「大宰」で語義はぴったり。
私はただ天武紀の「…命大宰詔…」の一文について、大宰=太宰なら解釈の余地あり、
しかし「大宰=大いなる宰」なら解釈の余地なし、というのを論じただけなんだけどね。
つまり太宰に限らず、阿衡や相国など「佐治天下」するほどの権力者なら天子に代わって
「詔」を下すことも「ありうる」だろうが、一地方官の「大いなる宰」なら詔を下す可能性は
「ありえないだろう」ということ。
・・・というか、今気づいたけど、「天子に代わって」という表現がよくないのかのぅ。
私自身、実際に「詔」に書かれている名義は当然「天子」である、と思っているのだから。
つまり「天子名義の詔」を大宰の決裁によって下す、という可能性について考察して
いるんだけどね。
>>811さんが「ミステーク」と論じるのに対して私が「まあいいだろう」と言ったのは、
資料・金石文などから考えて、「当時の近畿天皇家の文字の認識力」なら、ありうるかもなぁ、
と思うからで、もともと「ミステーク」等の論は禁じ手だとして、まずその可能性を排除して
考える私とは、方法論として相容れないものがあるだけのことだ。
>>838 俺がどういった職業を持ち、夜中に起きているかアンタにはどうだっていいことだ。
自分の狭い視野・常識でもって他人様を判断するんじゃねェぞ。
観客がいるんだから
「必死だ。さびしくないのか」
別にさびしくないんじゃないか
855 :
日本@名無史さん:04/01/05 00:57
その可能性を排除するのがおかしいですね。
当時の日本に中国流の文書行政制度が完備していたというキツい仮定を立てることの等しいのだから。
>つまり太宰に限らず、阿衡や相国など「佐治天下」するほどの権力者なら天子に代わって
「詔」を下すことも「ありうる」だろうが
それはありえないと再三書きました。
ありうるというなら挙証を!
>私自身、実際に「詔」に書かれている名義は当然「天子」である、と思っているのだから。
>つまり「天子名義の詔」を大宰の決裁によって下す、という可能性について考察して
いるんだけどね。
それなら太宰が詔を下すとは言いません。
原文はあくまでも太宰が詔しているのです。しかも文面も曰く「天皇新平天下・・」と他称です。
天皇が発行する詔の事実上の決済を大宰がしたという意味には読めません。
ミステークでしか解釈不能でしょう。
それから称制中の天智を天皇と表記することがおかしいというのも当たりません。
持統称制のときと同じですから。
856 :
日本@名無史さん:04/01/05 00:59
ミステークとはミステ〜クのことですか?
857 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:07
中国流の制度への理解不足ということです。
858 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:07
「翰苑」は卑弥呼の国→阿輩鶏彌の国 と書いてるって指摘はどうよ?
どうみても倭国の首都は伊都と接している、と書いてあるぞ?
卑弥呼の国→阿輩鶏彌の国 は畿内説としては当然大歓迎。
べつにどこにも伊都と接しているとは書いてない。
まあ「翰苑」の性格上あまりあてにはならないが。
>>855 うむー、俺はけっこうとんでもなく重大な資料を前にしているのかもしれん・・・
とりあえず私は自分の立場から
>ミステークでしか解釈不能でしょう。
という考えは拒否して、真剣にこれを考えてみるわ。
「それはありえない」とアナタはいうが、現実にその一文がそこにあるのだからね。
この時代の倭国の政治体制を示す重要な一文かも知れんからな。
とても「ミステーク」のひと言で片づけるわけにはいかん。
861 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:27
支那やら日本書紀ではなく
九州王朝側の史料って全くないの?
それって・・・不思議やん?
それとも大和朝廷が全て隠滅したと?
それって・・・不可能やん?
862 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:29
>>859 邪届伊都、傍連斯馬。
伊都と接してますね
「邪届伊都」のどこが伊都と接してることになるやら
864 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:39
>>860 >「それはありえない」とアナタはいうが、現実にその一文がそこにあるのだからね。
意味不明です。
中国の制度としては 「それはありえない」。
しかし日本の史書に「現実にその一文がそこにある」。
ならば結論は、中国の制度を取り入れる際のミステークであることになります。
865 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:41
そもそも太宰が「佐治天下」するほどの権力者であるという根拠は何ですか?
>861 >九州王朝側の史料って全くないの?
>それって・・・不思議やん?
ええと、近畿側が書庫を発見して、押収してますが。
後世に伝わっていないことは確かです。
「邪届伊都、傍連斯馬」は普通に考えて邪馬台国(というか倭国の首都)と伊都、斯馬が
並んでる、と書いてあるんだろ。
「伊都に届き、斯馬に連なる」という意味だと。
868 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:46
>>866 え?そうだったんですか。九州王朝があった証拠ですね。
その記述はどこにあるんですか??
否定派に見せてやって下さい。これで決定ですね!!!
697=692-694 はコテハン付けるなら
「みすて〜く」
などはいかがだろうか。
870 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:57
>「伊都に届き、斯馬に連なる」という意味だと。
行程は斜(東南)伊都に届(至る)。(以下略)
傍国として斯馬国(以下略)が名を連ねる。
という意味でしょう。
>>864 だからアナタとは資料批判の方法・姿勢が違うんだって。
現実に「命大宰詔…」の一文がある以上、それが何を意味するのか、いろんな可能性を
最後まで考えたいのだ。中国から制度を取り入れたとしても、所詮は別の
王朝なのだから。
私はアナタの方法を批判する気はないし、方法が違うから気を悪くしたら
申し訳ないが、「ミステーク」という断定は安易だと思うのだ。
アナタは「安易」だとは思っていないだろう。それについて私はとやかく言うことは
しないが、しかし「ミステークは安易」だとする私の姿勢にもとやかく言わんでくれ。
仮にも漢字文化圏にある王朝が、そんな重大な部分でミステークする、とはちょっと
思えないからな。(思いたくないだけかも知れんが)
ミステークをひねってミスタースネークってのはいかが?
873 :
日本@名無史さん:04/01/05 02:08
>中国から制度を取り入れたとしても、所詮は別の王朝なのだから。
中国の制度と違うことを認めるのですね?
「命大宰詔…」を
「天子名義の詔」を大宰の決裁によって下す
と読むのは
安易じゃないのか?
詔i
>>873 というか、いわゆる古田説の「多元的王朝」ということを視野に入れてるから、
中国の制度と違う、というのは最初から想定していることだけどね。
その肝心の中国でさえ、時代が違えば制度も違うのだから。
では、何故「大宰=太宰」などという説が出るんだか…。
878 :
日本@名無史さん:04/01/05 02:21
ならば、太宰は「佐治天下」する重要なポストだから大宰府は王城の近くにある
という主張が根拠を持たないことを認めますね?
都合のいいとこだけ同じで都合の悪いとこは違うのだから。
>>874 そりゃ意味が違うがなw
「ミステーク」と断定すると、考察がそこで止まって、後に続かない、ということ。
本当にミステークなら、それはそれでしかたないんたけどね。
ってか、なんか
>>873氏は立場は違うが、けっこう好きだな。
「翰苑」に「邪届伊都、傍連斯馬」と書いてあると指摘すると、
「まあ「翰苑」の性格上あまりあてにはならないが。」と逃げる。
之、近畿王朝一元論者常套手段。
大和王朝天武朝の「乞食」も「日本書奇」もあてにならないね。
近畿王朝一元派には大和王朝存在には何も根拠なしってこと。
根拠になるのは、京都王朝桓武朝「日本紀」からです。
近畿王朝は8世紀までは存在の根拠がなかったのだ。
近畿王朝の存在は8世紀末からですね。
それでは、8世紀以前の近畿はどの様だったのですかね。
882 :
日本@名無史さん:04/01/05 02:32
ミステークで語弊があるなら、制度の不完全な導入とか不完全移植でも結構。
近代でも和魂洋才とか言いながら我流をやりますしね。
今晩はそろそろ失礼。
九州王朝の存在は20世紀末からですね。
九州王朝は20世紀までは存在の根拠がなかったのだ。
>>878 それはちがうぞ。
制度が違うとはいえ、あくまで「中国の用法に準じる」もののはずだ。
いわゆる「模倣」だ。
あまりかけ離れた使用法では、模倣する意味がないではないの。
>884
江戸時代にも盛んに九州逸元号が話題になっていますが。
鶴峰ひとりじゃん
>>885 >中国でさえ、時代が違えば制度も違うのだから。
太宰は「佐治天下」するとも大宰府は王宮の近くとも言えないじゃん
>>887 なんでヤネン。「大宰」でも「司馬」でも良いが、中国の制度とかけ離れた
使用法では、その官職名を模倣する意味がないやん。
それこそ大司でも大評でも、官名を造作すればいいわけで。
892 :
日本@名無史さん:04/01/05 02:57
>>888 つまり九州王朝は19世紀までは存在の根拠がなかったのだと?
>>891 じゃ司馬達等は邦政を掌し六師を統じたのか?
>>891 ある時代の中国の制度とかけ離れてても、
違う時代の中国の制度とかけ離れてなきゃ可。
>>891 臣下が詔を出しちゃうのは中国の制度とかけ離れた使用法じゃないんずかぁ?
外国の使節を饗応する官が太宰(掌膳食之官)で不自然はありませんね。
おれは思う、697が否定派工作員じゃないかと。
>892
江戸期は民間人も刊本手に入れて論議が盛んな時代。
著作年代はずっと前からのものも含まれる。
九州年号関係書籍は何冊もあるだろう。
そんなことより
>>868の回答を貰ってないのだが…。
近畿側が書庫を発見して押収してるんなら、九州王朝確定でしょ?
何で回答がないの?
中国の用法で大宰(太宰)を使ったが、日本とは同一社会じゃないから
どうしても違うところが出てくるのは当然でしょう。
ウィスキーを「酒」と訳しても、日本酒と同一の使い方をするとは限らない。
>899>何で回答がないの?
今すぐ日本書紀の710〜20ごろを見てくれ。
手元に無いから引用できない。
902 :
日本@名無史さん:04/01/05 03:56
>>896 不自然すぎ。
太宰ってのはただの官職ではないのだから。
皇帝が「簒奪」をビビるほどの実力がないと太宰にはなれんよ。
>899
すまん、訂正。探しとく。
>>901 漏れも手元にねえYO
でも、本当なんですね!九州王朝はあったんですね!!
905 :
日本@名無史さん:04/01/05 04:03
日本書紀なら持ってるが・・・
どこのあたり? 天武紀の何年条だろ・・・
天孫コウリ━━━━(゚∀゚)━━━━ン!!
907 :
日本@名無史さん:04/01/05 04:07
日本書紀の710〜20ごろ
たのむから天武何年かいってくれ 西暦はしらんのだ
無能な男だが710なら和銅3年だぞ。
720なら養老4年。無能ですまん。
天武元年は672?673?
911 :
日本@名無史さん:04/01/05 04:12
和銅? 養老4?
・・・そりゃ日本書紀やのうて続日本紀や・・ 持ってないぽ
913 :
日本@名無史さん:04/01/05 05:56
【 『翰苑』蕃夷部(倭國条) 】
憑山負海、鎮馬臺以建都。
職命官、統女王而列部。
卑彌妖惑翻叶群情、臺與幼齒、方諧衆望、
文身點面、猶稱太伯之苗。
阿輩雞弥、自表天兒之稱。
因禮義而標祑、即智信以命官。
邪届伊都、傍連斯馬。
中元之際、紫綬之榮。
景初之辰、恭文錦之獻。
あかん、翰苑はそのまま読んだら九州王朝成立してまうわ・・・
詔を出すことは問題ないだろう。帥は事実上、皇族の名誉職化していた
のだし。臣下だと権帥だし。
翰苑をどう読んだら九州王朝が成立するやら・
>>902 >太宰ってのはただの官職ではないのだから。
なんで?
697=692-694は意味不明の基地害
九州王朝のパターン
1,大和と併存していたが、大和の拡大によって併合された。
2,大和を支配していたが、大和が下克上で逆に支配者になった。
3,大和と併存していたが、大和を併合し新大和政権になった。
3-1,崇神天皇
3-2,応神天皇
3-2-1,応神天皇の子孫である現在の天皇家は九州の血を引く
3-2-2,応神天皇の子孫は継体天皇に滅ぼされ現在の天皇は無関係
みなさんの主張しているのはどれ。
>918
2+3の変形かな?
朝臣や真人は九州王朝の肩書きのように思える
ヤマト政権は九州王朝の配下にある一政権だった
九州王朝の危機に伴い、ヤマトで九州王朝系と畿内系勢力の争い=壬申の乱
壬申の乱以後、優勢九州系少数派+劣勢畿内系多数派による新ヤマト政権
新ヤマト政権は優勢派により、神武の皇統+ニニギの血統を継承していると自称する
唐は当初このタテマエに懐疑的だったが、政治的決着=公認してやった(武葦の禍がらみで流す)
九州は幕末から明治にかけてオイシイ思いしたんだから
もういいじゃん。な、そろそろ東北王朝について真面目に考えようよ。
古田武彦つながりで。
>>918 >>919 919さんとほぼ同じ見方です。
九州王朝支持の他の方は、どの様な見方ですか?
間違ってたらすまんが
842 :あったらいいな派 :04/01/04 13:06
918 :日本@名無史さん :04/01/05 13:41
同一人物ですか?違うのなら謝っとくよ
それと842の内容はともかくとしても、
>>849 :あったらいいな派 :04/01/04 19:54
のすごい内容に
>>850が書いてるから、これを書いた人(842,849)は反応しておいたほうがいいんじゃないか
妄想です、とエクスキューズの予防線を張ってるレスはどうも相手しずらい
したがって850はわたしじゃない他のひとだが‥‥
918は近畿=分家で答えは出てるんでは‥‥
前のほうで誰かがコテがないと言ってたからやっただけです
他意はありません
>>919 なるほど、納得です。
>九州王朝の危機に伴い、
白村江でしょうかね?
敗戦国となった倭国の混乱に乗じて打って出た新ヤマト政権
という話は考えられないですか?
>>923 >918 :日本@名無史さん :04/01/05 13:41
これは僕ではありません。
>それと842の内容はともかくとしても、
>>>849 :あったらいいな派 :04/01/04 19:54
>のすごい内容に
>>>850が書いてるから、これを書いた人(842,849)は反応しておいたほうがいいんじゃないか
そうでした。すみません。
北魏と間違ってました。
850さん、ありがとうございました。
>妄想です、とエクスキューズの予防線を張ってるレスはどうも相手しずらい
>したがって850はわたしじゃない他のひとだが‥‥
正直、ド素人の僕が発言したいと思っても何言われるかわからないので予防線張ってました。
ここには識者の方々が多いので、
僕が僕なりに思いついたことはどうなのか、ちょっとでも可能性あるのか、
やっぱ全くお話にならないレベルのDQNなのか知りたかったのです。
この場(スレ)はブレインストーミングだと思ってました。
お邪魔でしたら、おとなしくROMさせていただきます。
まぁそうナーバスにならすとも
ちょといいすぎでしたら謝っとくよ
ROMだけじゃなく、いろいろ書いてください
風呂沸いたのでこれにて
トリップつけるの忘れたが鯛はありません
>>926 ありがとうございます。
別にナーバスになってはいないです。
ここって言いたいことをキチッと書かないと何言われるかわからないので、
ちょっとキツイ語調になったかもしれません。
今後ともよろしくです。
けっきょく何も根拠はなしか。
>>923 >>918は近畿=分家で答えは出てるんでは‥‥
そのような単純化できるものではないと思います。
九州王朝も、7世紀まで連綿とは続いていなかったように。
866 日本@名無史さん sage 04/01/05 01:41
>861 >九州王朝側の史料って全くないの?
>それって・・・不思議やん?
ええと、近畿側が書庫を発見して、押収してますが。
後世に伝わっていないことは確かです
901 日本@名無史さん sage 04/01/05 03:56
>899>何で回答がないの?
今すぐ日本書紀の710〜20ごろを見てくれ。
手元に無いから引用できない。
・・・これは放置ですか?
>>930 喧嘩を売らないでくれ。探している最中だ。
>>932 途中経過だが、肝心の記録が見つからない。誰か教えてほしい。
『続日本紀』708年=元明2=和銅元の正月11日の詔の大赦のくだりで、
「山沢に亡命して、禁書を挟蔵して、百日首せずんば、罪に復すること初の如くす」
があった(孫引きで、原文を知らないが)。
このあとの和銅5〜養老4(=712〜20)年に、つまり古事記⇔日本書紀間に
九州側の記録が発見され、押収された記述を見た記憶があるのだが、
ちょっと思い出せない。
934 :
日本@名無史さん:04/01/06 19:46
こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
つまり「九州側の記録が発見され、押収された」というのは妄想だということだな。
>935
なぜ?
どこにも「九州側の記録が発見され」たとも「押収された」とも書かれてないから。
どこにも書かれてない証拠があるのかね?
939 :
日本@名無史さん:04/01/07 01:32
続日本紀がありますが何か?
いま、探してるっぽいから、もうちょっと
>>931を信じよう。
ん?なんてことだ。我々は重大なことを見落としてた。
>>931・・・そうだよ、奴は前イラク共和国大統領フセインの次男クサイだったんだよ。
_人人人人人人人人人人人人人人_
> な・・・・なんだってー!! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
_,,.-‐-..,,_ _,,..--v--..,_
/ `''.v'ν Σ´ `、_,.-'""`´""ヽ
i' / ̄""''--i 7 | ,.イi,i,i,、 、,、 Σ ヽ
. !ヘ /‐- 、u. |' |ノ-、 ' ` `,_` | /i'i^iヘ、 ,、、 |
|'' !゙ i.oニ'ー'〈ュニ! iiヽ~oj.`'<_o.7 !'.__ ' ' ``_,,....、 .|
. ,`| u ..ゝ! ‖ .j (} 'o〉 `''o'ヽ |',`i
_,,..-<:::::\ (二> / ! _`-っ / | 7  ̄ u |i'/
. |、 \:::::\ '' / \ '' /〃.ヽ `''⊃ , 'v>、
!、\ \. , ̄ γ/| ̄ 〃 \二-‐' //
,. -─- 、._
,. ‐'´ `‐、
/ ヽ、_/)ノ
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ
i. /  ̄l 7
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/
. |〃、!ミ: -─ゝ、 __ .l
!_ヒ; L(.:)_ `ー'"〈:)_,` / だ、だけどよ、クサイは米軍との銃撃戦で死亡したんじゃなかったのか?
/`゙i u ´ ヽ !
_/:::::::! ,,..ゝ!
_,,. -‐ヘ::::::::::::::ヽ、 r'´~`''‐、 /
! \::::::::::::::ヽ `ー─ ' /
i、 \:::::::::::::::..、 ~" /
.! \ `‐、. `ー;--'´
ヽ \ \ /
ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ
,.‐'´ `''‐- 、._ヽ /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、
[ |、! /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | }
゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''  ̄ ̄ |l !ニ! !⌒ //
i.! l .::::: ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ' ゞ)ノ./
` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ i/‐'/
i .:::ト、  ̄ ´ l、_/::|
! |: |
ヽ ー‐==:ニニニ⊃ !:: ト、
甘いな、情報操作なんてのは簡単に出来るんだよ。
そして、俺は、ようやくイラクと九州王朝を結ぶある1本の線をあぶり出す事に
成功したんだ!!
、__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__人__,
_) (_
_) ナ ゝ ナ ゝ / ナ_`` -─;ァ l7 l7 (_
_) ⊂ナヽ °°°° ⊂ナヽ /'^し / 、_ つ (__  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ o o (_
) (
⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒
/ , ,ィ ハ i、 、 ! /''⌒ヽ-─‐- 、 、ー'´ \ .イ , ,ィ ハ i 、 . |
/イ ,ィ/l/ |/ リuヽlヽト、 | ゝ ,、.___, \ > , ! | ,ィ/l/ l/ uハlヽトiヽ. |
イ /r >r;ヘj=:r‐=r;<ヽ│ 「 ./ u \ | ≧ , ,ィ/ハヽ\ | |/゙>r;ヘ '-‐ァr;j<`K
r、H ┴'rj h ‘┴ }'|ト、 |./ ヽ | 1 イ/./ ! lvヾ,.ゞ、 ! .ry ┴ 〉 └'‐ :|rリ
!t||u`ー-‐ベ!` ` ー-‐' ルリ r|´゙>n-、ヽ-rj='^vヽ _レ「゙f.:jヽ ーT'f.:j'7`h |t|. ヾi丶 u レ'
ヾl. fニニニヽ u/‐' :|r| ー "j `ー ′ h゙リ {t|!v ̄" } ` ̄ !リ ヾl u iニニニヽ /|
ト、 ヽ. ノ u,イl. ヾ! v ヾ__ v イ‐' ヾl ヾ_ v ./' ト、 、__丿u ,イ ト、
,.| : \ `ニ´ / ; ト、 ト.、u L_ フ , ' |. ト、u ヾー `> /.|. ,| ::\ / ; / \
-‐''7 {' :: ` ー ' ,; ゝ:l`ー- ⊥:`ヽ. __ / ,' | | :\  ̄ /,' ト、_ /〈 :: ` ー ' ,'/ 「
/ \ :: , '/ :| `'''ー- 、 , ' '>-,、.._ノ :: `ー ' /,.イ \:: / |
/ \ / | | ヽ-‐'´ _,.ヘ< _:: _,. イ/ | ,.へ、 /´\ |
このスレ末期だな
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, ‐''´~ `´ ̄`‐、
ヽ‐'´ `‐、
≦ ヽ
≦ , ,ヘ 、 i
l イ/l/|/ヽlヘト、 │
|/ | ! | | ヾ ヾヘト、 l
! ‐;-、 、__,._-─‐ヽ. ,.-'、 そ、それは一体、どのようなものなんですか?
} ' (:)〉 ´(.:)`i |//ニ ! お、教えて下さい
゙! 7  ̄ | トy'/
! `ヽ" u ;-‐i´
ヽ ` ̄二) /ヽト、
ヽ、 ー / ゝ
\ __, ‐' / / \
 ̄ i::::: / /
,ィ, (fー--─‐- 、、
. ,イ/〃 ヾ= 、
N { \
ト.l ヽ l
、ゝ丶 ,..ィ从 |
\`.、_ _,. _彡'ノリ__,.ゝ、 |
`ゞf‐>n;ハ二r^ァnj< y=レヽ やだ。
. |fjl、 ` ̄リj^ヾ)  ̄´ ノ レ リ
ヾl.`ー- べl,- ` ー-‐' ,ン
l r─‐-、 /:|
ト、 `二¨´ ,.イ |
_亅::ヽ、 ./ i :ト、
-‐''「 F′:: `:ー '´ ,.' フ >ー、
ト、ヾ;、..__ , '_,./ /l
ヽl \\‐二ニ二三/ / /
,. -─v─- 、 、
__, ‐'´ `ヽ
..≦ `i,
..≦ i、
1 イ/l/|ヘ ヽヘ i
l,_|/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、,l`ヘ .,|
.レ二ヽ、 、__∠´_"` ! /
riヽ_(:)_i '_(:)_/ |i)' ・・・・・・本当は何も分かっちゃいなんだな?
!{ ,! ` μ!
゙! ヽ ' u ,i!
!、 ‐=ニ⊃ ,,ハ
ヽ ‐- / "ト、
ヽ.___,._/ // \
//イ;;::::: //〃 ヽ、
/ /i:::::. // ヽ
ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ
,.‐' ヽ:::::::/ ゝ‐;----// ヾ.、
[ }二 |.r-'‐┬‐l l⌒ | }
゙l リ ̄ヽ |l:::::::::::!ニ! !⌒ //
. i ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ':::::::::::::::::ゞ)ノ./
` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ :::::::::::::::::i/‐'/
i::::::::::::: .:::ト、  ̄ ´ ::::::::∪::::::l、_/::|
!:::::::::::: :::::::::::::::::::::|:::::::::::|
ヽ::::::::::: --───-- :::::::::::::::::: !::::::::::::ト、
公表してしまったら・・・・・日本がひっくり返ってしまう・・・・・
ならフセインしとけ。
やべ、他に誤爆しちまったw
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > 酔っ払ってるんだよ!
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
l. |:.:.l./';';';';';';'! /:.:.| i´|.ー‐' | / | |. ! l
. l. |:.:.:.!';';';';';';';'| /:.:.:.:!.|"'|. l' │-==:|. ! ==l ,. -‐;
l |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l | l. | | / //
l |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l l、 :| | } _|,.{:: 7 ))
l |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7
. l |:.:.:.:.:.:.l;';';'/:.:.:.:.:.:.:.:.:.|. \:::::\::::: ヽ ::::::!′ :::| .:/
. l |:.:.:.:.:.:.:∨:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.! /ヽ::: `::: :::: ...
ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ
,.‐' ヽ:::::::/ ゝ‐;----// ヾ.、
[ }二 |.r-'‐┬‐l l⌒ | }
゙l リ ̄ヽ |l:::::::::::!ニ! !⌒ //
. i ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ':::::::::::::::::ゞ)ノ./
` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ :::::::::::::::::i/‐'/
i::::::::::::: .:::ト、  ̄ ´ ::::::::∪::::::l、_/::|
!:::::::::::: :::::::::::::::::::::|:::::::::::|
ヽ::::::::::: --───-- :::::::::::::::::: !::::::::::::ト、
>>931=クサイと、昼はウダイ、夜はクサイで行ったろと思ったけど
頭が働かなかったんだよ・・・・・スマソ
去年の年末は同じAAの羅列だったが
ちょとは進歩のあとがうかがえるな
>>939 AAがあまり面白くないぞ。続日本紀がどうかしたの?
955 :
日本@名無史さん:04/01/07 20:21
>古代朝鮮人の中でも特に優秀で海を渡る気概のあった人
>+南洋の海洋性民族の中でも特に運が良かった人=現代日本人の祖先
>古代朝鮮人の残り滓=現代朝鮮人の祖先
↑これ、実は在日特有の日本人洗脳表現
日本人は朝鮮系なんだから、在日が住んでも、同化しても良いじゃないか、
という下心らしい。全部嘘だが。
あたかも大量の半島人が古代の日本に渡ってきて日本人の祖先に
なっていったかのようなレトリックだが、事実は逆で、
半島人など、古墳期に関西へほんの数千人しか来ていない。
大量に海を越えていったのは縄文期や古墳期の日本人の方。
日本人種と満州人種の混血人種が朝鮮人。
古代日本人こそが朝鮮人の祖である。
956 :
日本@名無史さん:04/01/07 23:19
【 『翰苑』蕃夷部(倭國条) 】
憑山負海、鎮馬臺以建都。
職命官、統女王而列部。
卑彌妖惑翻叶群情、臺與幼齒、方諧衆望、
文身點面、猶稱太伯之苗。
阿輩雞弥、自表天兒之稱。
因禮義而標祑、即智信以命官。
邪届伊都、傍連斯馬。
中元之際、紫綬之榮。
景初之辰、恭文錦之獻。
つまり卑弥呼→臺與→阿輩雞弥
「伊都に届いて斯馬に連なる」
つまり国は伊都−斯馬と連なってる、と書かれている。
ええと、翰苑の著者って、いつの時代の誰??
でたらめ読んでないで漢和字典くらい引けば?
958 :
日本@名無史さん:04/01/07 23:50
でたらめ?
じゃアンタの解釈は?
居直る前に「邪」と「傍」を読み飛ばしてる事実を見つめろバカ
「翰苑」が話題に出てから荒れ出してきましたね。
でも、「翰苑」は国宝でしょう。
961 :
日本@名無史さん:04/01/07 23:57
>>960 ははは、まったくですな。バカだってさ。。。
邪(ななめ)伊都に届き、傍ら斯馬に連なる。
…意味かわんないじゃん。。。
「九州側の記録が発見された」「近畿側が書庫を発見して、押収してますが」の情報の出所を聞かれてからじゃないの?
963 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:00
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > クサイは生きてるんだよ!
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
l. |:.:.l./';';';';';';'! /:.:.| i´|.ー‐' | / | |. ! l
. l. |:.:.:.!';';';';';';';'| /:.:.:.:!.|"'|. l' │-==:|. ! ==l ,. -‐;
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l |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l l、 :| | } _|,.{:: 7 ))
l |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7
. l |:.:.:.:.:.:.l;';';'/:.:.:.:.:.:.:.:.:.|. \:::::\::::: ヽ ::::::!′ :::| .:/
. l |:.:.:.:.:.:.:∨:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.! /ヽ::: `::: :::: ...
ホラ荒れた
近畿一元説がグラつくたびにAA荒らしか・・・・・・・・・・・・・・・・定番ですな
966 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:13
またごまかしかい?
AA荒らしは必ず 九州王朝側の史料は近畿側が書庫を発見して、押収してます
ってやつの理由を聞かれた直後に出てる。
しかし「翰苑」の話題との関連性はとくに見えない。
これは刷れを見れば一目瞭然なのに、逆に畿内説誹謗の材料に使うたあ極悪非道だな。
事実捏造は九州王朝説の定番ですな。
968 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:15
しかし「翰苑」の読みについて、特に反論らしいものはないですな・・・
969 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:18
反論出てますね。
>>870の
>行程は斜(東南)伊都に届(至る)。(以下略)
>傍国として斯馬国(以下略)が名を連ねる。
が正解でしょう。
970 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:19
伊都−斯馬って何処?
九州王朝側の史料は「近畿側が書庫を発見して、押収してますが」ってガゼネタはその後どうしたの?
972 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:23
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > クサイが情報を隠蔽してるんだよ!
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
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近畿一元説がグラつくたびにAA荒らしか・・・・・・・・・・・・・・・・定番ですな
974 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:26
翰苑の地理についての文章は魏志の記事を省略しながら気取った美文で書いただけで新しい情報はないようだね。
大和朝廷一元説の証拠が、ついにひとつも出てこないのが寂しいですな。
>>973 選挙宣伝カーみたいに誹謗連呼だね。
AA荒らしが必ず九州王朝側の史料の話の次に入る事実を是が非でも歪曲したいようだな。
やっぱり畿内は九州王朝の配下だったとおもうよ
978 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:33
これだけ明白な証拠を平然と無視できるのは九州王朝説の捏造体質でしょうね。
結局地名説は全滅。
あとはガゼネタたれ流しでつか
そう、>980の脳内全滅
九州王朝側の史料は「近畿側が書庫を発見して、押収してますが」ってガゼネタはその後どうしたの?
<<<ホラ!ココニAAイレタイダロ!>>>
<<<ガマンシテルノカ? ワラワラ>>>
985 :
日本@名無史さん:04/01/08 00:43
冗談はともかく
>九州側の記録が発見され、押収された記述を見た記憶があるのだが、
>ちょっと思い出せない。
とまで書いてそのまま放置というのは無責任じゃないか?(毎度か・・・)
しかも、どこにも書かれてないというと
>どこにも書かれてない証拠があるのかね?
なんて反論がくるんだから困ったものだ。
紫宸殿という地名が福岡県の地図に載ってると強弁したときのパタンと同じね!
誰か、次の新スレ建ててくださいな。
ドロンゲームか・・・
992 :
日本@名無史さん:04/01/08 01:18
でも紫宸殿も内裏跡も実際にある地名やん
詭弁君がダダコネしただけの、お笑いドタバタ劇でしたなぁ
994 :
日本@名無史さん:04/01/08 01:21
詭弁君=奴国王クン と指摘したら消えたな・・・
【※九州王朝はあったか?※7】
を、誰か建ててくださいな。
【※九州王朝はあったか?※7】
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【※九州王朝はあったか?※7】
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1001 :
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。