太平記について熱く語るスレ

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1日本@名無史さん
吉川英治の私本太平記はあんなに面白いのに
なぜか平家物語ほど語られない俺的には太平記のが面白い。
ちなみに太平記の中で好きな人物は日野俊基でも後醍醐はクソ
2日本@名無史さん:03/07/31 19:12
1で後醍醐はクソ といってるので語る気にならんな・・・
3日本@名無史さん:03/07/31 19:19
後醍醐はなんか時代錯誤して平安時代に戻そうとするし
楠木正成は殺させちゃうしどこが魅力あんの?
4日本@名無史さん:03/07/31 19:29
>>3
いやそれ小説のなかの話だろ・・・
5日本@名無史さん:03/07/31 19:32
小説した読んでないから解らないが史実後醍醐は小説より
まともな香具師だったのか?
6日本@名無史さん:03/07/31 19:56
>>5
ん?
>小説よりまともな香具師だったのか?
ってことは小説を読んでないと出てこない言葉だと思うが・・・
7日本@名無史さん:03/07/31 20:19
スマソ誤字でした
小説しかが(正)
8日本@名無史さん:03/07/31 20:19
史実の後醍醐は単純に平安時代に戻そうとしたわけじゃないけど、
自己中のろくでなし野郎なのは確かだな。
9日本@名無史さん:03/07/31 20:24
後醍醐天皇が自己中ってのはそのとおりだろうけど、
時の権力者なんてみんなそんなもんでは?

天皇のもと公家も武士もない平等な国を作ろうとしたわけだろ。
実際失敗したが・・・
10日本@名無史さん:03/07/31 20:29
史実後醍醐って結局どんな人物か良く解ってないんでは
11日本@名無史さん:03/07/31 21:26
北畠親房が批判しとる
12日本@名無史さん:03/07/31 21:27
>>11
神皇正統記で?
13日本@名無史さん:03/07/31 21:27
太平記でも批判されているといっていいのでは?
14日本@名無史さん:03/07/31 21:32
国学って南朝を正統だっつてんでしょ
15日本@名無史さん:03/07/31 21:33
>>13
太平記はどっちよりかわからないんだよな。
16日本@名無史さん:03/07/31 21:33
後醍醐に一番迷惑してたのは、公家。
家格も年中行事も無視した自分の息子を次の天皇につけることしか
頭にない、中国朱子学かぶれの皇帝気取り。
だから、多くのまともな公家は北朝を支持していた。
17日本@名無史さん:03/07/31 21:34
>>16
梅松論にも神皇正統記にもそんなこと書いてないと思ったけど。
ソースはなに?
18日本@名無史さん:03/07/31 21:36
大覚寺党でも分家なんだから、どうでもいいとされて幾星霜。
ただ今の天皇までかず数えるのに、少なくとも大正以降はそうだったので
入れ替えるのも面倒くさいですね。
19日本@名無史さん:03/08/01 00:35
後醍醐は平安の復古をやろうとしたんじゃなくって、
公武勢力の結集を図ったんだろう?
私の行う新議は先例となるだろう、って言ってるんだからさぁ。
結局、中途半端なところが両者から反発食らったわけだがな……
20日本@名無史さん:03/08/01 01:42
中途半端でなく、おぶざ珍、ばいざちん、フォウザ賃な国を目刺したんでしょ。
21:03/08/01 01:43
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22日本@名無史さん:03/08/01 01:56
太平記って言葉どう言う意味なの?
23日本@名無史さん:03/08/01 02:01
太平の世の中を作る為に戦った人たちの記録。
24日本@名無史さん:03/08/01 02:01
一般論としては乱世は、名宰相細川君の出現により終わり、太平洋になったと。もしくは、逆説としてみるか、 と聞きました。
25日本@名無史さん:03/08/01 02:15
23はほんと?
26日本@名無史さん:03/08/01 02:16
>>25
虚偽です。
27日本@名無史さん:03/08/01 02:19
宗学は理屈っぽい。理屈好きな人にはお勧めだが。
まあ理屈抜きにして、足利尊氏をどう捉えるかだろうな。
個人的には好きだ。あのしぶとさは武士の鑑。
佐々木道誉もいいキャラだねえ。
バサラはいいよ。乱世ならではの男の迫力がにじみ出ている。
それに比べりゃ義貞や直義は迫力不足。
秀吉や西郷にしてもそうだが、乱世を統一するのは
男の器であり、理屈ではない。
器の小さい男が理屈をこねても、いつかは退場するしかない。
28日本@名無史さん:03/08/01 02:22
>>27
なんの小説読んだ?
29日本@名無史さん:03/08/01 02:27
>>28
原本
30日本@名無史さん:03/08/01 02:32
>>29
太平記?

基本的に太平記ってどっちよりで書いてあるの?
31日本@名無史さん:03/08/01 06:54
それが謎なので複数著者説があったりする。 後半は怨霊ものだもんね。
32日本@名無史さん:03/08/01 15:10
原本では、楠公だけはベタぼめしている。
後醍醐帝に対しては、やや批判的。
軍記物の最高傑作と言われるだけあって、
北南双方に対して批判的だよ。
でもどっちかというと南朝よりかな。。。
33日本@名無史さん:03/08/01 19:43
新田義貞とかどうよ?
34日本@名無史さん:03/08/01 20:29
>>33
 足利コンプレックスを人生かけて克服しようとして失敗した人
35日本@名無史さん:03/08/01 23:03
>>34
新田が足利コンプレックスっていうより新田と足利はお互い
競い合ってたんだろ?
36日本@名無史さん:03/08/01 23:31
家的には新田のほうが正統なんだろ。
37日本@名無史さん:03/08/02 00:29
太平記って、本筋と直接関係ない故事やらが延々と書かれていたり、突然、終わっ
てしまったり、で小説としてはめちゃくちゃな構成が散見されるんだけど。
あれで傑作なの?

という俺は、なぜか面白くて原文で最後まで読みきってしまったのだが(笑
38日本@名無史さん:03/08/02 00:51
>本筋と直接関係ない故事

当時書かれたモノとしては、そんなのは当たり前。現在小説と比べてどーする。
源氏物語だって、読んでて構成はおかしいと思うよ。でも日本文学の最高峰。
源氏も太平記もストーリーが面白いし、太平記は作者に筆力がある。
漏れも太平記は最後まで一気に読んだ。源氏は読み切るのに時間掛かった。
平家は途中で止めた。
39山崎 渉:03/08/02 01:01
(^^)
40日本@名無史さん:03/08/02 01:08
太平記は楠さんの怨霊とか天狗の集会でめげたわ。
41山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/08/02 01:09
>>40
私は逆にそれ中心で読みましたね。
42_:03/08/02 01:17
43日本@名無史さん:03/08/02 01:20
高師直いいんでねぇかい。乱世の武士らしくて。
なんで仮名手本で悪役にされたのかな。
44山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/08/02 22:25
>>43
好色とされていたからでしょう。
45日本@名無史さん:03/08/03 00:12
高さんの人柄が江戸時代に合わなかっただけでは。
46山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/08/03 12:40
性格がはっきりしている方が使いやすかったのでしょう。悪役には魅力が必要
ですから。善玉の方が描写がワンパターンなものです。
47日本@名無史さん:03/08/05 20:23
>>46
善玉が楠さんくらいしか見当たらないのが太平記のおもろいところで、
その楠さんがまた、その人格よりも「諸葛さんばりの手練手管で大活躍!」
の方面で人気があったのもいいですね。
忠臣としてブレイクしたのは、水戸さん以降なのでは?
48鄙武者:03/08/05 22:44
楠正成って後醍醐に「正成一人生きていると聞けば帝の御運は必ず最後には開ける」とか言ってたくせに死なずにすんだであろう時にわざわざ死ににいったのは、もう後醍醐は駄目だと思って諦めたから。と言っている人がいたけどどう思いますか?
49日本@名無史さん:03/08/06 00:29
>>48
武士だからなあ。
もうダメポ・・・と思っても、戦うしかない場合はあるだろう。
        ,,,--─===─ヽ/へ
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53日本@名無史さん:03/08/08 12:28
楠一族は本当にみんな最後まで戦ったのか?
54日本@名無史さん:03/08/08 12:31
>>48
新田を逃がす為に戦死したと漏れは考えていますが。
55山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/08/08 17:39
>>47
近世には詳しくないのですが、おそらくそうなのでしょうね。戦前までは楠公
さんといえばヒーローで、逆に尊氏らの立場が悪かった。
56日本@名無史さん:03/08/08 18:17
正行死後から南北統一までが詳しく知りたいんだけど、詳しい本とかないかな。
正儀が北につく経緯とか和田氏の動向、あと直義死後の直義派と尊氏派の勢力関係とか。
57日本@名無史さん:03/08/08 22:58
親房みたいなのが畳の上で死ぬんだもんなー。
人を犠牲にした奴ほどのほほんとした死に様な気がするyo
58日本@名無史さん:03/08/12 22:37
太平記の時代って水戸の勤王主義の学者に無理矢理
中国の南北朝時代にあてはめられて善悪をつけられたんだろ?
59日本@名無史さん:03/08/12 22:46
>>48
>楠正成って後醍醐に「正成一人生きていると聞けば帝の御運は必ず最後には
>開ける」とか言ってたくせに死なずにすんだであろう時にわざわざ死にに
>いったのは、もう後醍醐は駄目だと思って諦めたから。と言っている人が
>いたけどどう思いますか?
違う。史実では新田義貞を撤退させるための時間稼ぎとして玉砕した。
ただ、新田義貞がだめぽゆえ後付けで評価すると無駄死になっただけ。
60日本@名無史さん:03/08/12 22:50
>>59
>史実では新田義貞を撤退させるための時間稼ぎとして玉砕した。

ソースは?
61山崎 渉:03/08/15 12:52
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
62日本@名無史さん:03/08/16 02:17
63日本@名無史さん :03/08/16 02:24
新田義貞って結局強かったのかね?
鎌倉とか落としたのは凄いと思うけどそれ以降は
どうも尊氏にやられっぱでしょ
64日本@名無史さん:03/08/21 16:55
木曽義仲とかぶるね、新田義貞
65日本@名無史さん:03/08/21 17:14
>>64
義仲には華があるね。
女を見れば、本人の器量が分かるって感じがしない?
66日本@名無史さん:03/08/21 17:24
足利直冬萌え。
67日本@名無史さん:03/08/21 18:54
正成が義貞を逃がすために、玉砕したという同時代史料はナシ。
正成が湊川で死んだ時、義貞は2キロしか離れていない生田の森に布陣していた。
正成死後、両軍は総力を上げて戦うが少数の新田軍が敗北。
義貞は味方が京都へ撤退する時間を稼ぐため、求塚に敵を引き付けて奮戦する。
源氏伝来の鬼切、鬼丸という太刀を持って孤軍奮闘した。
周囲を敵に囲まれて危機に陥るが、小山田高家なる武士が身替りになり虎口を逃れた。
以上、太平記十六巻「新田殿湊川合戦の事」
味方を逃がすために奮戦したのは、正成よりもむしろ義貞の方。
ただ、正成を絶対視する史観ではこのエピソードは邪魔らしく、大抵の場合は無視されている。
新田義貞は鎌倉攻めまでは自分個人の意思で戦えたものの、建武政権に入ってからは天皇、公家
に足を引っ張られて自由に戦えなかった。それを考慮に入れるなら、義貞もそれなりの働きはし
ていると思う。
68日本@名無史さん:03/08/30 01:32
69日本@名無史さん:03/08/30 01:58
じゃあ、NHK大河、湊川合戦での武田鉄也正成の
「愚かな!足利の策略に引っ掛かりおって!」
というセリフはどうなるのか?
70日本@名無史さん:03/08/30 03:15
ドラマですがなにか?
71日本@名無史さん:03/08/30 07:15
>>69

武田は正成役を受けるかどうかで最初迷っていた。
「カッコイイラストなら出てもいいよ」なんて裏取引があったとしても不思議じゃない。
72日本@名無史さん:03/08/30 09:43
むしろ新田は勝ちにおごったんじゃないか?
九州まで追撃してれば源平合戦のように勝てたような・・・
73日本@名無史さん:03/08/30 11:28
>>72
赤松円心の城にてこづってたんだから九州まで追撃できない
74日本@名無史さん:03/09/01 21:14
あの山城攻めには、イライラしただろうな
75日本@名無史さん:03/09/06 19:25
76日本@名無史さん:03/09/17 22:09
77日本@名無史さん:03/09/25 22:18
78日本@名無史さん:03/09/27 08:40
>>66
萌えるねぇ
義父の無念を晴らすために実父に刃を向ける
もっと評価してあげてほしいよ
79日本@名無史さん:03/10/02 20:46
>>67
それってやっぱり水戸学の影響?黄門様も先祖が新田氏だと名乗ってるんだから、もう少し先祖の勲功に目を向ければいいのに。
まぁそれにしても、南朝の総大将という立場はあまりに貧乏籤だった。
足利尊氏が監督もGMも兼ねていたとすれば、新田義貞は単なる雇われ監督みたいなもの。
戦略立てる権限は無いし、与えられた現場で指揮するだけ。
そのわりには、よく戦ったんじゃないかと俺も思う。
80日本@名無史さん:03/10/03 01:31
太平記って、足利直義の検閲に引っ掛かってんだよね。
でも、護良親王はじめ親王を3人も弑逆しているシーンは健在だし、一体どこを直させたのか?
罪の意識が無かったのか、それとも、もっとひどい内容だったのか‥‥
81求道心:03/10/04 17:28
>>53
私が知っている限りでは、楠正儀の孫にあたる橋本正高が
畠山か細川かどちらか忘れたが泉州貝塚の土丸城で攻防。
確か吉野拾遺やったと思う。
応仁の乱の時も楠某の名があったと思う。
82日本@名無史さん:03/10/05 23:50
院に狼藉を働いた武士が厳しく処罰されて、そのショックで
公家側も武家側も一時期ショボ-ンとしてたというエピソードが大好き。
83日本@名無史さん:03/10/06 00:38
ふと思ったんだが楠正成ってやっぱり評価高すぎないか?
幾ら幕府の大軍を退けたとはいえ鉄砲が存在しなかった当時
飛び道具は弓だけだろ、物理的に考えて弓は高いところから
打った方が有利なわけだし・・・実際赤松円心なんかも籠城戦を
成功させてるんだから当時籠城戦は圧倒的に城方有利だったの
ではないかと漏れは思ってるんだがどうだ?
84日本@名無史さん:03/10/06 01:54
>>83
戦術的な評価でいえば、確かに高すぎるように思うよね。
千早城のような籠城戦術は、三国志の時代でもすでに見受けられるものだし、何も正成のオリジナルってわけでもない。
誰も宮方に味方していない頃から率先して挙兵し、ついには籠城戦を成功させたというのは事実だし、どう考えてもそれは凄いことだけど、
でも、それを以て「神算鬼謀の神の如き知将」とまで持ち上げるのは無理がある。
例えば、兵庫の合戦の後で敗走する足利軍をムザムザ船で西国に逃してしまっているのは、
摂津守護でもあった正成の怠慢つーか、むしろ失態ではないのか?と思えるんだがどうよ。
守護の権限をいち早く生かし、兵庫の港を先に制圧しておくとか出来なかったものかね?と思えてならんのだが。
とにかく、確かにゲリラ戦は上手だったんだろうけど、だからといって、他の全ての戦術まで凄い、としてしまうのはおかしいわな。
85日本@名無史さん:03/10/06 05:32
>>84
う〜ん、摂津の戦いをそんな風に見たことは無かったなぁ。
俺も楠木正成は好きだが、正直、美化し杉ってのはあると思う。
太平記読んでても、建武の新政から湊川の合戦前までの正成ってそんなに
目立ってないし、似せ首とか泣き男の計略は正成のものだとか太平記には
あるけれど、ほんとにそんなことで勝てたの?とか思っちゃうし、
肝心の実戦ではまるでキャラは立っていないしで、ほんとに活躍してたのか?とも思えてしまふ。
むしろ、この間圧倒的な存在感を見せているのは新田義貞。
でも>>67も言っていたように、正成を絶対視する人たちの間では意図的にか無意識にかわからんけど、
こうした事実は無視されがちなんだよな。なんでだろう?…
86日本@名無史さん:03/10/06 15:40
>>85
車引きの頃から尊氏と仲良しだったからな。文句言うな。
87日本@名無史さん:03/10/08 02:24
>>86
車引きって何?
88日本@名無史さん:03/10/08 18:55
>>85
死に際の違いだろ。
楠の死に方は日本人の情緒に一番アピールするものがあったのに対し、新田は流れ矢で討ち死。
この差が、劇的な死をとげた楠の人気が高まり、後づけでどんどん美化されていくことにつながった。
そして作戦がうまくいったのは何もかもが楠の謀略だったという話になり、
うまくいかなかったのは、ひとえに楠の案を用いなかったからだ、という話になっていく。
赤穂義士が死後にその人格まで美化されていったのとちょっと似ているね。
89日本@名無史さん:03/10/09 04:55
真田幸村とかもこのパターンだな
90日本@名無史さん:03/10/09 05:18
>>88
日本人に限った話でもなさそうだよ。
蜀のショカツリョウなんかもそのタイプ。
赤壁の戦の殊勲者は実際は周瑜だったのに
演義では、まるでショカツリョウが作戦を教えてやったみたいに書いてある。
91日本@名無史さん:03/10/09 05:35
家の近所に和田氏の子孫が住んでるよ。
武家らしく変わった名前で代々つづいてる。
92日本@名無史さん:03/10/09 22:23
足利兄弟はどっちのが優秀だったと思いますか?
93日本@名無史さん:03/10/10 00:50
おっとりした兄と頑張り屋で神経質な弟。
よくある組み合わせ。

子供の頃は要領がいい弟が目立つが、
成長するに従い、器の大きい兄貴が地力を発揮する。
94日本@名無史さん:03/10/10 01:16
>>92
万事において直義の方が優れている。
が、日本という国は、上に神輿のような存在がいた方が組織がよくまとまる、という民族性があるので
尊氏のような存在があってこそ直義も辣腕をふるえたともいえるので、不即不離の関係だろう。
でもまぁ‥‥上は尊氏でなくとも良かった気はするな。
>>93
要領がいいのはむしろ尊氏だろう。汚れ役はいつも直義や師直にさせている。
95日本@名無史さん:03/10/10 19:55
尊氏って決断力があるのか優柔不断なのかよくわからんとこあるよな。
リーダーシップのある人物なら、弟と側近のケンカぐらいすぐとめろって。
96日本@名無史さん:03/10/10 23:58
直義は結構人気ありますね。
97日本@名無史さん:03/10/11 00:46
俺も直義みたいな弟が欲しいよ
98日本@名無史さん:03/10/11 01:10
尊氏は劉邦のように部下達が「俺がいないとこの人はダメだ」と思わせる
ような人徳があったのだろう。直義は有能な実務家だな。
実務家はえてして部下から人気がない。
99日本@名無史さん:03/10/11 02:46
>>98
司馬遼太郎みたいな意見だな
まあそれはともかくとして、もし尊氏に劉邦のような人徳があったなら
あれほど次々と家臣や弟や子供(庶子)に叛かれないと思うが
100日本@名無史さん:03/10/11 07:14
>99
そうだね。あれは神輿としていいように利用されていただけ。
尊氏もそれがよくわかっているから、時々鬱になって遁世願望抱いたりしてる。

101日本@名無史さん:03/10/11 09:39
>>99
つうか、最初は尊氏と敵対している意識はないよその連中。
尊氏自身もそんな意識がなかったと言う説もある
102日本@名無史さん:03/10/11 09:43
>>98-99
人徳でどうにかなるというレベルの話ではないと思われ。
103日本@名無史さん:03/10/11 10:11
>>95
尊氏にはギリギリまで追い込まれないと何もしないところがある。
先を読んで、禍いの根を未然に摘むのが真のリーダー。
尊氏はそれができる立場にあったのに、面倒臭かったのか、お人よしだからか、
問題が深刻化してから、やっと重い腰を上げるタイプ。
どう見ても強靱なリーダーシップがあるとは言えない。
104日本@名無史さん:03/10/11 10:15
>どう見ても強靱なリーダーシップがあるとは言えない。

そういう政体が理想だった訳で。
105日本@名無史さん:03/10/11 10:21
>>102
まぁ確かにそうだな。人徳云々というよりは、やっぱり政治的手腕の違いというべきか。
性格も、劉邦と尊氏とではだいぶ違う。だいたい、育ちからして全然違う。
劉邦には強い意志とかアクの強さがあるけど、尊氏の方は万事人任せでおぼっちゃん的。
弟と執事がやり手だからうまくいっていたが、その二人が喧嘩始めたんで、どうしようもなくなった。

106日本@名無史さん:03/10/11 10:32
戦争だけは強い。
107日本@名無史さん:03/10/11 18:46
>>106
尊氏って戦争強いかなぁ?
しょっちゅう惨敗してるし、それも相手より圧倒的に大軍率いてるのに負けたりするし、あまり強いってイメージ無いんだけど。
まあ最後の最後では勝ってるから、結果だけ見れば強いってことになるのかもしれんが。
このスレではなぜかよく劉邦と比較されているようだが、その点は確かに似ているかもね。
劉邦も戦争強いってイメージ無いのに、最後は強い項羽に勝ってしまったからな。
108日本@名無史さん:03/10/11 18:55
>なぜかよく劉邦と比較されている

全く似たエピソードが太平記にある。
東寺に本陣を構えた尊氏に義貞が門の外から矢を射込んで一騎討ちを挑むって話だけど、
これはそのまんま劉邦と項羽に当てはまる。
109日本@名無史さん:03/10/11 18:59
>>107
つまり、戦闘では
義貞(項羽)>>>尊氏(劉邦)
だが、戦争では
尊氏(劉邦)>>>義貞(項羽)
ってことか。
110めぐみ:03/10/11 19:18
111日本@名無史さん:03/10/11 20:58
北畠顕家って公家クセに戦本当に強かったのかよ?
112日本@名無史さん:03/10/11 21:48
>>111
少なくとも原典太平記には顕家個人の武勇の描写はほとんど無し
奥州軍そのものは精鋭だったと思うけど
その中で一番強そうに描かれている武将は結城宗広
実際そうだったんじゃない?
113日本@名無史さん:03/10/12 04:19
工房の時に読んだ太平記は、本筋からそれたような蘊蓄話が多すぎてウンザリしたが
今読むと、その余計な蘊蓄話がとてもおもしろい
114日本@名無史さん:03/10/12 20:25
>>113
園城寺の頼豪が比叡山を呪詛して鼠になった、って話は太平記以外にもソースあるのかな?
115山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/12 23:02
『平家物語』には鼠云々はありませんね。『愚管抄』には郁芳門院がとり殺
されたとある。『水左記』には敦文親王が、『中右記』には郁芳門院がそれ
ぞれ祟り殺されたとありますが前者は祇園や貴布禰、後者は「邪気」が原因
であったといいます。『讃岐典侍日記』によれば堀河院の死の直前に頼豪の
怨霊が出現したとか。
ああ、延慶本『平家物語』や『源平盛衰記』にも鼠の話がありました。
116日本@名無史さん:03/10/13 07:16
>>115
京極夏彦「鉄鼠の檻」にも出てきますた>頼豪と鼠
117日本@名無史さん:03/10/13 13:07
北畠顕家・・・

ゴクミは声が野太いから、衣装つければそのまま男役だった。
118114:03/10/13 21:57
>>115
>『讃岐典侍日記』によれば堀河院の死の直前に頼豪の怨霊が出現したとか。

なるほどねぇ。堀河院は、三井寺の祈祷を取り止めて比叡山の方の祈祷によって誕生した帝だから(太平記によれば)。
いわば頼豪が憤死する直接の原因ともなった人。
祈祷の力も呪詛の力も、もの凄いパワーだと信じられていた時代ならではのエピソードだね。
この帝は28才で崩御するまで、生涯頼豪の呪いに怯えていたんだろうな。気の毒に‥‥
119山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/13 23:37
「りう僧正」(隆明)の霊も一緒に出て来たそうです。こちらも(説話上で
は)法力はあるが妄念の人とされていた人物。もっとも頼豪も『沙石集』な
どではまともに活躍していますが。
120山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/13 23:50
ただ怨霊らが「一とせの行幸の後また見まゐらせばやと、ゆかしく思ひ参ら
するに、そのとくなければ驚かしまゐらするぞ。」と言い院もそれに答えた
とある部分は史書にはありません。なお増誉らの祈祷も「何のしるしもなく
て」崩御されたそうです。
121日本@名無史さん:03/10/14 18:58
>>112>その中で一番強そうに描かれている武将は結城宗広

その結城だけど、太平記によると死後に地獄に堕ちたことにされちゃってる
おいおい、何でそんなことがわかるんだよw
太平記の作者は結城に何か個人的な恨みでもあったんかね?
122日本@名無史さん:03/10/15 11:36
>>121
まぁ、それは当時の仏教観の顕れだから(ry
123日本@名無史さん:03/10/15 21:20
>>122
そうは言うが、他にも地獄に落ちた奴について書いてあるならともかく
なんで結城だけわざわざそんな章まで設けられたのか
それを考えると、やっぱりちょっと普通じゃないでしょ
どうせ地獄に落とすなら師直の方がよほど相応しいと思うんだが
124日本@名無史さん:03/10/16 21:13
高師直って太平記で虚飾され過ぎだよな。
足利家の家宰を努めてた程の人間が
恋文の代筆を頼むぐらい無教養な訳がないと思うんだが。
125日本@名無史さん:03/10/16 21:20
>>124
北条高時も脚色されすぎ。
代々優秀な執権・得宗を継いで、日本を治めていた人物が、
遊んでばかりいる訳が無い。
ちょっとは闘犬や田楽法師の踊りを楽しむことはあっただろうが。
126日本@名無史さん:03/10/16 21:27
北条高時もそうだよな。
2百数十人程が殉死って
暗愚な人間にそこまでついてかないと思うし。

田楽が好きだったってのは
日本各地からの田楽法師から情報収集をしていたとかでは。
127山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/16 22:54
単なる田楽好きが悪く言われることもないでしょうね。東寺百合文書などの研究
から最近ではかなり教養のある人物だったのではないかと言われています。
128日本@名無史さん:03/10/16 23:54
漏れも高時は可哀想だと思うぞ、高時は日本の暗愚な権力者の
代表のように思われてるのが非常に悲しい。こうゆうのは
戦前の南朝マンセーの状態から新田と戦って敗れた高時を
悪の権化のようにしたのではないかと思うんだがどうだろ?
129日本@名無史さん:03/10/17 00:33
高時は暗愚というより病弱だった。
そこをつけこんだ長崎一族や、泰家を執権にしようともくろむ実母がいた。
そんなエピソードから、いつしか暗愚伝説が立ち上がって一人歩きした。
130日本@名無史さん:03/10/17 02:21
>>125
暗愚ではないだろうが、だからといってさしたる根拠もなく賞賛するのもどうかと思う。
武家の上に立つ存在にしては物足りないのは事実。
つーか、歴史上暗愚って言われるタイプはみんなこういう感じだな。
朝倉義景とか今川氏真なんかもそう。
まぁ、暗愚であれ利口であれ、武士なら最後くらい自ら太刀をとって華々しく戦って欲しかった。

131日本@名無史さん:03/10/17 21:12
高時が新田に敗れたのは鎌倉の防御力の問題ではなかったのでは?
当時が三方を山に囲まれ一方が海と言う防戦に向く地形とされていたが
実際、弓矢などの装備が少なかった(吉川太平記情報)新田軍に
攻略されてるし、またその後も何度も攻略されていて防戦において
敵を追い払った例がなく、そののち戦国時代になっても拠点として
使用されなかった所を見ると何か防御上大きな欠陥があったとしか思えない。
高時がどうのこうのと言うより鎌倉の防御力に問題があるのでは無いかと
思うがどうだろうか?
132日本@名無史さん:03/10/17 22:36
高時どうのこうの防御拠点どうのこうのよりも
時勢が完全に公家方に靡いてて兵力の差があり過ぎたんじゃ・・・
133日本@名無史さん:03/10/18 03:16
>>131
どんなに難攻不落の名城だって、
1その城を守るにたる充分な軍勢、及び兵糧の確保
2包囲軍に拮抗するだけの兵力を備えた来援軍の存在
の2つが無い限り、いつかは落ちるものだよ。
結果として落ちたからって防御力に問題があった、なんて話にはならん。
水軍や鉄砲戦術が発達するまでは鎌倉が要害であったのは事実。
134日本@名無史さん:03/10/18 16:44
うん。
戦国時代に小田原城が陥ちたのと同じことだと思う。
135山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/18 18:19
周・秦 コウ間に宅り その宅 同じからざるに非ず
と言いますからね。だからといって必要以上に弁護する事もありませんが。
一個人の器量でどうにか出来るようなら歴史は変わっていなかったかと。
136日本@名無史さん:03/10/19 20:59
>>133
もし新田軍が鎌倉陥落に手間取るようなら、後に中先代の乱があったように、
各地の親北条勢力が結集して鎌倉に援軍として駆け付けたかもしれない。
だから義貞としては何が何でも短期で鎌倉を落とさなければならなかった。
結果として、僅か5日で攻め落としたのが成功だったと(挙兵からは約2週間)。
137日本@名無史さん:03/10/26 06:02
恒良親王は実際に践祚したんでしょうか?
138求道心:03/10/26 13:23
江戸時代 太平記読みという職業があり、人が集まらなくなると、
「次回楠出づ」とのぼりをたてて人をあつめたんやて。
楠公は江戸時代でも一般的に人気があったと窺えるエピソードやったと思う。
平家物語と並んで人気の読み物やったんやろな。
吉川元春も全巻書写したみたいやし。
>>91
和田さんは「わだ」「みきた」どっちの読み方?
堺市の美木多には確か和田氏の直系子孫が住んでいると聞いたことがあるが
139日本@名無史さん:03/10/26 14:24
南朝系の子孫名乗る奴で、本物と確実なのはいない。98%が自己満足DQN。
本当に子孫だとしても、ちゃんとした文書とか
保持してきてないかぎり、当時の祖先のこと知ってる訳じゃないから、
一般人と変わらん。それなのに南朝子孫名乗る奴は語りが偉そうで萎える。
140日本@名無史さん:03/10/27 20:47
>>138
そうです。
楠人気は明治政府の国家主義がまつりあげた産物、とか言ってる奴は間違い無く電波サヨク。
141日本@名無史さん:03/10/29 04:29
>>124
虚飾され杉ってこともないだろう。
師直が公卿の娘とか人妻を拉致同然にさらったりしたのは史実。
権力にモノを言わせて他人の土地を横領し、文句を言った相手をその場で叩っ殺したのも史実。
要するに人々に嫌われて当然なことをイパーイしていたんだよ。
太平記は確かに史書ではなく物語ではあるけど、
だからって何から何まで虚飾だと片付けるのも乱暴。
悪人なら悪人として描かれるだけの根拠なり理由があるってことだね。
142日本@名無史さん:03/10/29 12:54
>>141
あの時代は「悪」と言う定義が不明確でどちらかというと
強いとか猛々しいといったイメージが強かったと聞いたことがある。
師直がやったことは確かに悪であるが盗賊やら野党やら
が蔓延ってた当時にしてみれば別に悪とは言い切れないの
ではないだろうか?
結構他のヤシも似たような悪事はやってたんでないの?
143日本@名無史さん:03/10/29 14:41
執権の最大の仕事は民事裁判の判事。
つまり御家人の土地争いの判定と調停。
高時はこの大切な仕事をいい加減にやっていたから、
御家人の信用がなくなった。

無気力で、部下を叱ったりしない男だったのだろう。
身内人の中では評判良かった。
144日本@名無史さん:03/10/29 21:34
>>142
‥‥‥‥。
145日本@名無史さん:03/10/30 02:18
>139
南朝方の子孫でいいなら、直系も結構残っていると思うんですけど。
具体的に云うと、北畠家の家臣連中の家は伊勢の田舎の名家として、
一部残存してますが。
具体的に親戚に、北畠家の家臣だった、一族がいますよ。
郷土史家のような人がいて、調べた結果間違いないとか。
146日本@名無史さん:03/10/30 12:26
長崎円喜は、長崎頼綱の子孫なの?
147日本@名無史さん:03/10/30 17:23
北条高時を何もかも無理矢理擁護礼賛したとすると

田楽好き→諸国の情報を大和・伊賀の田楽法師(=乱破)ネットワークから収集していた。
闘犬好き→御家人に代わる新たな軍事力として軍事犬部隊を作ろうとしていた。
       (人間じゃないから恩賞として土地を与えなくても良い)

無気力→元々病弱で温厚な人柄だった。
      温厚であるが故に、ともすれば>>143のような
      訴訟調停のような毅然とした態度が求められる場においては
      両者を上手く丸く収めたいという優柔不断な姿勢として見られることもあった。

うーん・・・。
148147:03/10/30 17:28
それでこういう諸々の客観的事実が、共に鎌倉幕府に対しての勝者の視点
(南朝→太平記、足利家→梅松論)
の中で不当に脚色されていった、という風な感じで。

149日本@名無史さん:03/10/30 18:49
そもそも歴史は善悪を裁くものではないからね。
システムに矛盾が生じた時、戦争という破壊行為でリセットするのは
古今東西のお約束。大きな変革期を前に、個人の資質など無力。

高時は、源実朝、足利義政らと一緒で、文化的なものに逃避するだけの
資質があったんだと思うよ。
150日本@名無史さん:03/10/30 20:51
>>146
平頼綱は長崎を名乗っていなかったと思う
平盛綱−盛時−頼綱

      |
      −(長崎)光綱−高綱−高資(円喜)

盛時が抜ける説もあるがこれが有力説
151150:03/10/30 20:54
ごめんズレた
頼綱の弟から長崎氏が始まる
152日本@名無史さん:03/10/30 23:44
>>147
>田楽好き→諸国の情報を大和・伊賀の田楽法師(=乱破)ネットワークから収集していた。

仮にそうだとしてもその情報、どこにも生かされなかったみたいね…

>闘犬好き→御家人に代わる新たな軍事力として軍事犬部隊を作ろうとしていた。

まぁネタだとは思うけどw新田義貞に攻められた時に使われた形跡は無いね。
木曾義仲の火牛の計の方がずっと強力だ罠

>温厚であるが故に、訴訟調停のような毅然とした態度が求められる場においては両者を上手く丸く収めたいという優柔不断な姿勢として見られることもあった。

村山富市みたいなもんか?やっぱり無能としか言い様がないような…
つーかそういう人間が政治家になるのはそもそも迷惑。
153日本@名無史さん:03/10/30 23:52
>>149
>大きな変革期を前に、個人の資質など無力。

それはそうだが、ここで論じられているのは高時という人物についてでは?
巨大な変革のエネルギーの前に無力だからといって、与えられた状況の中で最善を尽くしたか否かはまた別の話。
幕末の会津藩とか小栗とか新撰組がなぜ今でもうったえてくるものがあるかを考えれば答えはおのずと出る。
高時は執権としても、一人の武士としても、その資質に欠けていたと言うほかない。
かといって、実朝、義政のように文化的に優れた業績があったわけでもないし…
高時を、わざわざ貶すことはないが、かといって礼讃するのは非常に難しい。
154149:03/10/31 01:16
>>153
だからあのシチュエーションなら「しょうがない」って思うのよ。
だれが執権でも結果は同じだった筈。で、高時の評価は
良くも悪くも「あの程度」というのが俺の意見。

策は尽くしたと思うよ、高時本人によるものじゃないけど。
後醍醐帝は廃したし、南朝勢力が小規模の段階で
高氏を出兵させる。身内だけど人質も取ってる。

但、その後に関しては「しょうがない」よね。
高氏がワーっと来て義貞がダーだもん。
155日本@名無史さん:03/10/31 05:50
>>154
>高氏がワーっと来て義貞がダーだもん。
ワロタ
156146:03/10/31 15:46
>150
ありがとうございます。
では頼綱は何と言う苗字を名のっていたのでしょうか。
平は姓ですし、鎌倉時代もこの頃は姓ではなく苗字を使用していたと思うのです。
それとも頼綱には苗字が無く、姓を苗字代わりにしていたのでしょうか。
頼綱の子は、長崎とか飯沼という苗字を名のっていますが。
157日本@名無史さん:03/10/31 15:52
平盛綱−長崎盛時−○○頼綱─長崎
       │
        ─長崎光綱
158日本@名無史さん:03/10/31 19:26
伊勢宗瑞が北条早雲と呼ばれる意味では、
「平新左衛門尉」頼綱を長崎頼綱と呼んでも問題ない。
159日本@名無史さん:03/10/31 21:11
平頼綱は苗字不詳ということでよいのですか?
160日本@名無史さん:03/11/01 01:52
>>156
>では頼綱は何と言う苗字を名のっていたのでしょうか

名字らしい記述をみたことがないし平禅門、平入道と呼ばれていたことから
公然と平氏を名乗っていたんじゃないかな
資盛の3代(系図によっては4代)の末裔を名乗ってるんだし
この頃の得宗被官の筆頭として尾藤、関、平氏と併記されるし

資盛−関国盛−関実忠
         −盛綱−頼綱

関氏は実忠の後が続かないので関を名乗ったかも
もしくは関氏を押しのけるために嫡流を主張して殊更に平氏を名乗ったとも
研究論文は結構ある

ちなみに長崎氏は北条家の肥後代官職から派生したと言われる

>頼綱の子は、長崎とか飯沼という苗字を名のっていますが。
長男、平宗綱、次男飯沼助宗(長崎は名乗ってなかったはず)
助宗が嫡流を継いでいる。
161日本@名無史さん:03/11/04 05:42
長崎為基が鎌倉を脱出して九州まで逃げ、その地名が「長崎」になったという話は本当ですか?
162日本@名無史さん:03/11/04 08:59
長崎一族二人のバケモノ=為基、高重
北条高時はヘタレだったが、この二人が鎌倉幕府の終幕を飾った
163日本@名無史さん:03/11/04 20:14
足利直冬が哀れでならん…。
すべてあのクソ親父のせいで。
164日本@名無史さん:03/11/04 21:07
>>163
妾腹の子だもの、仕方ないじゃん?
165日本@名無史さん:03/11/05 10:16
>>163
鎌倉公方なんていう余計な火種を作ったしなぁ
あれで子孫がどれだけ苦労したか。
166日本@名無史さん:03/11/12 21:03
>163
庶子なんて誰だって同じ立場だろ。
それとも、直冬に限らず歴史上の全ての庶子に同情してるとか?
>165
そもそも鎌倉(関東)を治めるために必要だから設置したわけだが。
マイナス面しか見ないんだね。
167日本@名無史さん:03/11/13 02:24
結局直冬の最期は?
168日本@名無史さん:03/11/14 19:01
>>166
でも、当時の嫡子と庶子の全てが仲が悪かったわけではなくて、
仲の良い兄弟とかもいたわけでしょ? その辺の違いってどこら辺にあるのかねえ。

>>167
「野垂れ死に」に一票。
169日本@名無史さん:03/11/16 04:23
太平記では、新田義貞の北陸落ちに際して、皇太子だった恒良親王に皇位継承の儀式を行なった、とありますが
だとすれば、恒良親王は「天皇」になったわけだよね?
でも、その後もずーっと恒良親王という名称のまま登場している。
しかも、その後で後醍醐天皇(上皇?)は持明院に偽の神器を渡したと主張し、吉野で再び「天皇」を称するんだけど、
だとすると、比叡山での皇位継承の儀式というのは何だったんだろうか、と。
儀式についての詳しい描写も無かったし、これは単なる口約束だったってことかな?
それとも太平記作者の完全な思い込み?
でも、こんな重大なことを思い込みで書くだろうか、という疑問もあるし、
誰か詳しい人、解説おながいします。
170日本@名無史さん:03/11/16 09:33
>>169
おれは別に詳しくはないけれど、一応憶測を書くと‥‥

まず、単なる口約束なんてことは無いと思う。
実際、恒良は皇太子なわけだし、その御身を義貞に託したってことは、
いわば次のミカドを預けたってことだから充分意義はあるでしょう。
まぁ、三種の神器もまだ後醍醐が持っていたようだし
後醍醐自身は正式に譲位したつもりは無かったのかもね。
或いは、自分がもし足利に拘禁され続けた場合の保険の意味での譲位って可能性もある。
こんな言葉は無いけれど、「仮譲位」みたいな。
あるいは「譲位(内定)」とかw
171日本@名無史さん:03/11/16 10:05
>>169
後醍醐は新田は捨てざるをえなかった。
恒良を義貞に同行させたのは、後醍醐の心苦しさから。
この時点で恒良も捨てられた。

....と見る方が自然だと思うんだが如何に?
172日本@名無史さん:03/11/16 13:06
>170
ただ、恒良親王は「白鹿」だか「白禄」だかいう元号を使用していたって説もあるんですよね。
その説がどれほど有力なのかは知らないけど、もし真実なら内定どころか明らかに一度は即位してたってことになる。
>171
自然かどうかはともかく、可能性は否定できないですね。
何せ後醍醐天皇の場合、実子で倒幕の功績大の護良親王でも足利に渡したという前科があるし、
やりかねないという気も‥‥(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
173日本@名無史さん:03/11/16 16:31
>>165
鎌倉公方も、九州探題なんかと同じような組織にしておけば、良かったのではないかと言う気もする。
しかし、南北朝期においては、あれは必要なものだったはず。
初期の室町幕府は、清和源氏の嫡流・足利家という権威(ブランド)で全国の武士を従わせていた面が多分にあるので、足利家の一族のものを地方官にすることに意味があった。
尊氏が足利一門の守護を増産した理由もこれ。
174日本@名無史さん:03/11/16 16:56
室町時代は駿河辺りで経済圏が東西に分かれていた。
だからどうしても東に強力な親戚を送り込んでおく必要があった。
それが鎌倉公方。
鎌倉期の六波羅みたいなもんだな。
175日本@名無史さん:03/11/16 20:28
>>174
経済だけでなく、軍事や政治諸々、大袈裟に言えば
西国と東国という連邦制だったんじゃないかなぁ。

鎌倉期の京都は文人政府だったから六波羅探題で済んだが、
南北争乱以降は武人による統治が必要だったワケで、
それが鎌倉に幕府を開けなかった理由。

本来、武家政治の本拠地が鎌倉だったワケで、
それを九州や奥州と同等に扱う事は無理があるよ。
176日本@名無史さん:03/11/17 16:54
>>172
でも何だかんだ言っても後醍醐天皇って人は凄いよな。
人生の中で厳重な警戒の網を2度まで破って脱走を成功させている王族なんて、
世界の歴史でもそうはいないだろう。
足利政権が弱体であったのも、あそこで後醍醐に逃げられたというのがものすごく大きかったと思う。

177日本@名無史さん:03/11/17 20:32
>>176
卑怯だけどな(ワラ
178日本@名無史さん:03/11/22 06:14
>177
う〜ん、卑怯ではないとか勇気があるとかいうのは武士(もののふ)の美徳だからなぁ。
北条高時とか島津四郎なんかがそれで批判されるのはわかるが、天皇の場合は何か違う気もする。
日本国の一天万乗の大君の持つべき徳、いわゆる帝徳というのはそういうものではないという‥‥
まぁでも、太平記では堀口貞満に「帝徳に欠ける」とも非難されているシーンがあるが(ワラ
179日本@名無史さん:03/12/02 01:00
新田義貞が越前国府を陥落させた直後、「国中の城73カ所が戦わずして降伏した」という話は本当なのだろうか?
180日本@名無史さん:03/12/02 01:29
南北朝の他にさらに、新田義貞が擁立する恒良親王、九州の南朝方が擁立する懐良親王の4つに皇統が分裂する可能性もあったわけで・・・。
181日本@名無史さん:03/12/02 01:42
http://homepage1.nifty.com/sira/index.html
梅松論と難太平記の現代語訳

182日本@名無史さん:03/12/02 21:35
どうして高師直の一族には、師春、師夏、師秋、師冬、と春夏秋冬が揃っているのですか?
183日本@名無史さん:03/12/02 21:42
>182 親の趣味 うちの町内にも 春子 夏子 秋子 冬子姉妹がいる。
冬子と同級生だったが姉3人は普通の名前なのに・・・とすねていた。
184日本@名無史さん:03/12/02 22:55
「冬」なんて、名前に使う字としてはマイナスイメージだと思うのだけどな。
185日本@名無史さん:03/12/03 01:31
歴史上の人物の諱だと、出現頻度的には、春>冬>秋>夏の順かな?
「夏」の字がつく人物はあまり見かけない。
186日本@名無史さん:03/12/03 07:02
地方で『高師直コンサート』とかいって、行ってみると
『高鰤直(ぶりなお)』だったとかいう経験のある人はいませんか?
187日本@名無史さん:03/12/03 21:04
春彦、夏彦、秋彦、冬彦
188求道心:03/12/03 21:27
津守師夏
189日本@名無史さん:03/12/03 22:58
赤橋登子の名前の読み方ってなんなの?
大河の太平記では「とうこ」と読ませていたけど、本当は訓読みがあるんでしょ?
190日本@名無史さん:03/12/03 23:03
>>185

平安初期に藤原冬嗣が権勢を握り、
兄の真夏の家系は傍流(日野家)に回った。
この時から諱名に使う文字として「冬」のステイタスが上昇した。
191日本@名無史さん:03/12/03 23:13
「真夏」の読みは「さねなつ」でいいの?
192日本@名無史さん:03/12/03 23:13
あかはしとうし
193日本@名無史さん:03/12/03 23:13
そして直冬から下降した。
194日本@名無史さん:03/12/03 23:30
>>191

「まなつ」
195日本@名無史さん:03/12/03 23:36
>>183
てろてろ家族?
196日本@名無史さん:03/12/03 23:47
天 勾践を虚しゅうすることなかれ
ときに范蠡 無きにしもあらず
197日本@名無史さん:03/12/04 02:53
>>194
普通は平仮名4文字じゃないの?
198日本@名無史さん:03/12/04 04:44
高糸冬
199日本@名無史さん:03/12/04 05:19
>>197

それはもっと後代の話。
200日本@名無史さん:03/12/04 05:30
>>198

それももっと後代の話。
201日本@名無史さん:03/12/04 23:53
>>199
後代っていつよ?
202日本@名無史さん:03/12/07 09:44
age
203日本@名無史さん:03/12/07 10:22
五代後天皇 なんつって
204日本@名無史さん:03/12/09 22:57
>>189>>192
登子=なりこ
205日本@名無史さん:03/12/12 08:00
>>204
「たかこ」じゃないの?
206日本@名無史さん:03/12/13 00:53
「登」って「たか」なんて読む?
207栃木在住:03/12/14 01:31
紀清両党って、何でそんなに評価高いの?
208日本@名無史さん:03/12/14 19:13
足利
209日本@名無史さん:03/12/16 00:19
>>207
白兵戦が強いから。
結城一族とか上野の新田軍団などもそうだが、北関東の武士団は鎌倉初期の坂東武者の伝統を忠実に受け継いでいて、勇猛かつ精強な兵士が多かった。
210日本@名無史さん:03/12/16 18:55
佐々木道誉「鎌倉殿の命でな、足利殿に備えておった。身内だけでは乱を鎮められず、外様の足利を使うとは北条もぶざま・・・」
足利尊氏「その北条にまだ未練を持っている御辺もなかなかのぶざまじゃ」
佐々木道誉「そのぶざまな田舎大名に助けを借りねば鎌倉を攻められぬ源氏の大将もおるでな!」
足利尊氏「鎌倉を攻めるつもりはない」
・・・・・
足利尊氏「わしは京の都・六波羅を攻める!」
佐々木道誉「京を?」
足利尊氏「今、北条殿の大方の軍は鎌倉を離れ、この京周辺に集まっておる。千早の楠木攻めにその大半が、残りが播磨に進出の赤松勢に向かっておる。これを背後から討つ。やってみねばわからぬが、勝ち目はある。
・・・北条殿もおろかじゃ。京に手も足もすべて送り込んでしもうた。六波羅を落とせば、鎌倉はもはや頭だけで死んだも同然じゃ。京の北条勢を征せば、鎌倉に残った兵は、もはやものの数ではない。
・・・判官殿、わしは御辺に兵を貸せとは申さぬ。ただ黙ってここを通してくれればよい。京を攻めるとき、わしの背中に矢を射ぬように願いたい。それで、天下が動く。
・・・これからのまつりごとは、京で行わねば駄目じゃ。朝廷もある。商人もいる。楠木殿のような武士もいる。西国の豊かな物資が市場に溢れておる。鎌倉にいて東国だけ見ていては、もはや天下は治まらぬ。それゆえ、まず京を攻める!」
佐々木道誉「面白い!ふっははは、面白いのう!兵が足りぬだの、鎌倉は攻めにくいだの、そのような話ならその首を刎ねて鎌倉に寝返ろうと思うておったが・・・面白いのう!
・・・ただ、一つ気に入らぬ。わしにただ見ておれというのが気に入らぬ。わしも京へ連れて行かれよ。わしにも、二、三千の兵はある!」
足利尊氏「まあ、それもよかろう。苦しかるまい?」
佐々木道誉「ふっははは!」
足利尊氏「ははは!」
211日本@名無史さん:03/12/16 21:40
>>210
足利尊氏「前はそれ程キツくは無いが、全体に締め付ける。」
佐々木道誉「ほう・・」
足利尊氏「しかし後ろはキツいのは入口のみ! それ以外はユルい。」
佐々木道誉「面白い!ふっははは、面白いのう!兵が足りぬだの、鎌倉は攻めにくいだの、そのような話ならその首を刎ねて鎌倉に寝返ろうと思うておったが・・・面白いのう! 」
足利尊氏「分かっておるのか? マンコとアナルの話だ。」
佐々木道誉「ふっははは!」
足利尊氏「ははは!」
212日本@名無史さん:03/12/17 06:44
>>210
当主が執権の妹を妻にしているのに「外様の足利?」
歴代当主が北条氏と婚姻関係を結び、代々北条氏の血をひいているくせに「外様の足利」?
歴代当主は北条氏から偏諱を賜り、北条ベッタリで保身してきたのに「外様の足利」?

‥‥あのなー、足利氏は北条一門なんだよ。
げんに西国に上った鎌倉勢の大将軍はみんな北条一族の者で占められてる。
尊氏と共に西上した名越高家なんかもそうだ。
室町幕府は北条高時の33回忌も盛大に営んでいるよ。
213日本@名無史さん:03/12/17 09:01
それを言えば、佐々木(京極)道誉だって、彼の曾祖父・氏信の母親は北条泰時の娘だから、北条の一族か?
どっちにしても、北条と足利は幾重にも婚姻関係を結んでいるにもかかわらず、足利は北条から離反する際に一門から一人も脱落者を出さなかった。
また、北条側もほとんど寝返り者を出さずに一門がもろとも滅亡している。
こういうところに中世武家の美しさを感じてしまうのは私だけですか?
214日本@名無史さん:03/12/17 22:51
>>212
阿呆か?
煽りか?
215日本@名無史さん:03/12/18 01:55
>>213
一門とまでいってしまうのはいい杉だが、
当時の足利が北条と非常に近しい親戚と見なされていたのは事実。
それをドラマとはいえ「外様」という言い方をするのは変だろう。
佐々木?血の濃度が全然違う。比較にならん。
216日本@名無史さん:03/12/18 03:14
江戸時代だと将軍の子が養子に入っても外様は外様。
217日本@名無史さん:03/12/18 03:15
足利と名越って組み合わせがなあ・・・。
218日本@名無史さん:03/12/18 05:18
江戸時代の外様っていうのは関ヶ原以降に徳川に臣従した家って感じに定義されてるもんだろ?
それなら将軍と血縁結ぼうが何しようが永遠に外様のままだ罠。
一方、鎌倉時代の「外様」っていうのはどういう定義になるのか?って話から始めないと
議論が堂々回りになるんじゃね?(そもそもそんな言葉が当時あったのか?という疑問はさておくとしても)

219日本@名無史さん:03/12/18 09:05
さておくなよ。
220日本@名無史さん:03/12/18 17:26
おれも「足利は北条の身内」っていう風に世間は受け取っていたと思う口だな。
北条と足利だって表向きはそうだったはず。内心でどう思っていたかは知らんけどね。
でなけりゃ代々婚姻を重ねる意味が無い。
221日本@名無史さん:03/12/18 18:43
質問。
阿新丸って仇討った後成人してどうなったの?
222日本@名無史さん:03/12/18 18:49
南朝に仕えて邦光と名乗ったそうだ
中納言まで昇進したらしい
223日本@名無史さん:03/12/18 21:09
>>221
誰それ?
224日本@名無史さん:03/12/18 21:19
新田小太郎「良いか!この北条の天下がいつまでも続くと思うな!我らは源氏、北条は平氏。ゆめゆめ平氏の犬に成り下がるでないぞ!」
足利又太郎「あれは誰だ?」
高師泰「新田の小太郎です。新田・・・義貞・・・」
225日本@名無史さん:03/12/18 21:33
大河ドラマの太平記って、不思議だよな。
通称の又太郎が幼名の尊氏(そういう説もあるけど)。
元服前なのに諱を名乗っている直義。
同じく子供なのに諱の義貞…。
226山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/18 23:20
そもそも諱で呼びまくっている時点でおかしい。
227日本@名無史さん:03/12/19 05:11
>226
そのくらい許してやれよ。
諱でないと誰が誰やら現代人にはわかりにくくてしょうがないだろ。
そんなこと言い出した日には、「中世の日本語で喋ってない。現代語で喋るなんておかしい」
なんて話にもなりかねないぞ。
228日本@名無史さん:03/12/19 07:45
>>223
日野資朝の子
229日本@名無史さん:03/12/19 09:24
>>225
ついでにいえば、直義の初名は高国。
230日本@名無史さん:03/12/19 12:25
吉川さんの私本太平記面白い
231日本@名無史さん:03/12/19 12:57
故横山まさみち氏の漫画も結構面白いよ
232日本@名無史さん:03/12/19 17:25
>>230
山岡荘八「新太平記」の方が俺は好き
233日本@名無史さん:03/12/19 18:56
* 戦争の誘発要因のひとつとなった左翼
 当局の弾圧により転向した沢山の左翼が、近衛新内閣のイデオローグである昭和研究会に参加した。
 昭和研究会の主張は、「反自由主義経済」、「反資本主義」、「統制経済と挙国一致による高度国防国家の建設」、
「英米本位の世界秩序を打破し、大東亜共栄圏を建設する」などである。
つまり、ナチスばりの完全な国家社会主義なのだ。
 近衛新内閣に入り込んだ左翼は、左翼の言う英米など帝国主義国同士の戦争へと巧みに誘導する。
当時の朝日新聞などは、国連脱退を称賛しきっている。

 こういった左翼の誘導もあり、やがて日本は戦争へと突入する。
234日本@名無史さん:03/12/19 20:01
>>226
確かにそうなんですけどね。
当時の呼び方だと、非常に長い期間を取り扱う
大河ドラマだと、出てくるたびに呼び名が違う、
って事にもなりかねないじゃないですか。
小説なら、いちいち断りいれておけば良いんでしょうが、
ドラマだと視聴者が混乱しかねませんよね。

>>229
『公卿補任』には初名忠義ともあるよね。
235日本@名無史さん:03/12/23 03:14
>>231
同意。下手な小説(北方けんぞー、森村誠一など)なんかよりよっぽど面白い。
ところで、横山まさみちって氏んだの?
236日本@名無史さん:03/12/23 11:56
237日本@名無史さん:03/12/24 03:32
>>236
乙。
知らなかった。こんなに最近だったとは‥‥
謹んでお悔やみ申し上げます。
238日本@名無史さん:03/12/25 23:31
日野家って結局北朝に付くよね。
239日本@名無史さん:03/12/28 02:39
南朝方についた日野もいる。
洞院家なんかも父子で北朝と南朝に分かれているし
そうやって一族で保険をかけていたんじゃないの?
240日本@名無史さん:03/12/28 02:54
保険かけたのに滅亡した洞院家って一体・・・。
241日本@名無史さん:04/01/05 20:09
尊卑分脈が残ったんだし。
242日本@名無史さん:04/01/06 01:32
正平一統で三種の神器を南朝に奪われたときに、
「剣は将軍(足利尊氏)で代用し、鏡は関白(二条良基)で代用すれば良い」
って言ったのは誰だっけ?
あと、この台詞で、勾玉は誰になったんだっけ?
243日本@名無史さん:04/01/06 04:28
勾玉は天皇自身?
244日本@名無史さん:04/01/06 23:08
太平記は平家よりずっとおもしろい
文学史の「芸術性云々」の評価は絶対おかしい
245日本@名無史さん:04/01/07 01:10
>>244
芸術性云々って何よ?
246日本@名無史さん:04/01/07 01:46
げいじつ抜きで考えなきゃね。
正当性じゃ平家に対抗できないし。
「パクリとお化け」やぱこれにつきるっしょ。

梶原末裔が梅の枝を挿して死んでたに泣いた漏れがいたらしい
247日本@名無史さん:04/01/08 23:06
太平記の文章ってどうですか?読みやすさは?名文度は?
今原文で読もうと思ってるのですが素人なのでわかりません?
248日本@名無史さん:04/01/09 04:12
>>247
平家物語に比べると名文とはいえないと言われているらしいね。
>>244はそのことを指しているんだろう。>245
249日本@名無史さん:04/01/10 04:02
史料としての価値は、太平記>平家物語らしいけどね。
まあ、軍記物の史料価値を論じること自体、あまり意味はないが。
250日本@名無史さん:04/01/10 11:37
同時代ライブラリの古典を読む、「太平記」と、「太平記の構想」を読み終わった
肝心の原典が手に入らず、解説や研究書ばっか読む虚しい人生
251日本@名無史さん:04/01/23 16:24
楠公かこいい
252日本@名無史さん:04/01/26 20:12
既出だったら申し訳ない。

司馬遼太郎がエッセイで、
「太平記を書くと作家は消耗して作家生命を終える」
といったような事を書いていたけど、
このあたりで一家言ある人はいませんか?
253日本@名無史さん:04/01/26 21:32
んなこたぁーない
254日本@名無史さん:04/01/27 00:49
>>249
でもあの時代の空気というものを最もリアルに伝えてくれるのは
そういった物語の類であって無味乾燥な古文書ではない。
古文書だけでは到底わからんことも多いし。
255日本@名無史さん:04/01/27 01:50
太平記は、比較的同時代に近い時期に書かれていること、作者が南北朝内乱にある程度関与している当事者の可能性が高いことから、軍記物ではあるが史料的価値が認められている。
さらに、難太平記の記述などから、室町幕府が太平記を幕府公式の史書に準ずる扱いをしていた可能性も推測されている。
256日本@名無史さん:04/01/31 20:01
>>248
太平記だって名文だよ。
ただ平家とは質が違うけど。太平記の方が硬い感じ。
あと平家の場合は諸行無常とか盛者必衰とか普遍的なテーマが一貫して流れているのに対し、
太平記にはそういった明確なテーマ性が乏しいのが両者の評価の差になっていると思われる。
257日本@名無史さん:04/02/01 00:54
>>256
いいこと言った。
258日本@名無史さん:04/02/01 22:01
>>256
太平記には教養とか蘊蓄を延々とひけらかすようなところがあるな。
それを面白いと思えるか鬱陶しいと思うのかが好みの別れるところだろう。
俺は平家物語も太平記もどっちも好きだが
平家の方が格調があるというか、やっぱり美しい。
一方太平記にはB級カルト的な面白さがある。
「芸術性」云々というのはそのあたりを指して言われているんだろう。
259日本@名無史さん:04/02/04 20:12
太平記って太平洋が舞台なですか?
260日本@名無史さん:04/02/04 20:19
違う、大平正芳元総理大臣の伝記、国会が舞台で権謀術数が展開される
261日本@名無史さん:04/02/04 22:21
太平みつよ
高経配下の細川出羽守って管領細川家の分家なんだろうけど、どこから分かれてるんだろーね。
ある書物にはその実名を義続と伝え、完草(鹿草)氏とも伝える。
斯波軍自体が丹州挙兵の寄り合い所帯的な性質を持っていたにせよ、
畏くも足利一門の筆頭、なのにその副将軍たる者が素性不明とは、何とも。。。
263日本@名無史さん:04/02/04 22:50
>260
昭和54年・第35回総選挙の自民党敗北を受けて勃発した『40日戦争』。
この結果、自民党は党を二分して首相指名投票に挑む事になる。
首相に指名されるのは大平正芳か?福田赳夫か?野党はこの間隙を縫って政権を奪取できるのか?

ネタばれになるが、最終場面の昭和55年・第36回総選挙、第12回参議院選挙(同日選挙)。
40日戦争の後を受け、非主流派の造反による内閣不信任案の成立。自民党は分裂選挙に挑む事になる。
しかし、選挙戦の最中、大平首相は病に倒れ急死する。首相の死を前に「弔い合戦だ!」と団結する自民党。
自らの死をもって党を圧勝に導いた首相の姿に、自民党支持者ならずとも涙する事であろう。

と、スレ違いな事を書いてみました。(なんとなく太平記っぽい?)
264日本@名無史さん:04/02/04 22:52
日野邦光は結局どうなったの?
265日本@名無史さん:04/02/04 23:11
あ〜〜う〜〜〜
266日本@名無史さん:04/02/05 06:07
>>262
細川出羽守って「太平記」では鹿草某ってのといつも連名で登場している記憶があるぞ。
ひょっとして二人は同一人物だったのか?
確かに新田義貞を討ち取るという大殊勲を挙げているわりには
来歴といいその後の経歴といい未詳過ぎる人物だな。
もしかしたらその功績によって出羽守になったとか。
ついでに足利一門である細川氏を名乗ることを許されたとか。
そんな妄想も膨らむなぁ。
新田って足利より系図では本家に近いのに
戦場に駆けつけるのを足利に先を越されたから
家格が足利より降格されたんだよね?
268日本@名無史さん:04/02/05 16:47
>>267
新田は足利から独立した分家。
新田の方が本家に近い、の意味がわからん。
269日本@名無史さん:04/02/06 00:17
新田が兄。
270日本@名無史さん:04/02/06 00:57
だから何?
271日本@名無史さん:04/02/06 01:04
兄が本家、弟が分家、これ定説!
272日本@名無史さん:04/02/06 04:04
>>271
同じ妄想でも>>266の妄想の方が格が上
273日本@名無史さん:04/02/06 08:43
私のあしかがおじさん
274日本@名無史さん:04/02/06 17:59
太平記には、三国志みたいな面白さがある。
275日本@名無史さん:04/02/06 18:09
「今度は播磨一国を下さったわ。
いったい誰なのかしら、私のあしかがおじさん....」
276日本@名無史さん:04/02/06 18:13
>>269
その論理で行くと、
南朝(大覚寺統=亀山天皇系)よりも、
北朝(持明院統=後深草天皇系)の方が
正統になるんですけど。

実際は亀山の系統で決まりかけていたのを、
後深草が幕府を動かして両統迭立となったわけだが。
277日本@名無史さん:04/02/07 03:33
>>273
ほりのぶゆきか。
278日本@名無史さん:04/02/07 23:02
あらためて読み返すと、楠木正成の七生報国のくだりよりも子供の正行の四条畷の戦いの方が描写も詳細で躍動感がある。
なぜ七生報国の場面ばかりがこんなにも有名になったのか逆に不思議。
279山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 23:25
芝居になるからでしょう。
280日本@名無史さん:04/02/07 23:28
七生報国じゃなくって、七生滅敵。
国に報いるなんて考え方が、南北朝時代にあったのか?
281日本@名無史さん:04/02/08 03:25
すくなくとも国という概念は、今の県境レベルだったろうな。
282日本@名無史さん:04/02/08 10:56
カタカナをなんとかしてくれ。
小学館の全集はひらがなだって情報を聞いたが。
レポート作成以外でカタカナ史料読むのは眼がちかちかしてならん
283日本@名無史さん:04/02/09 03:25
>>281
元冦に際して亀山上皇はじめ朝廷が「敵国降伏」の祈願を盛んにやってますが、
そこでの「国」という概念は今の県境レベルだったんでしょうか?
また、同様に鎌倉幕府が設置した「異国警護番役」での「国」もそうですか?
284日本@名無史さん:04/02/09 10:05
>>283
両方とも敵"国"だな〜
285日本@名無史さん:04/02/09 18:39
>>283
「国」という漢字には、国家という意味の広義の「国」と、一地方を意味する狭義の「国」の両方の意味がもともとある。
英語の“state”も同じ。
もっとも、大和言葉の「くに」の語源は、古代に「郡」の中国古代音が転じたものとも言われるが。
286日本@名無史さん:04/02/10 04:54
>>278
四条畷は感動するよなぁ。
特に和田賢秀カコイイ!!
287日本@名無史さん:04/02/12 09:48
楠公万歳!
288日本@名無史さん:04/02/13 12:03
楠公ってウンコするの?
289日本@名無史さん:04/02/13 12:26
もうしないだろ。死んでるし。
290日本@名無史さん:04/02/13 18:23
便器から溢れるぐらいのウンコをするよ。
291日本@名無史さん:04/02/13 19:00
そりゃそうだろう、楠公だもの。
292日本@名無史さん:04/02/13 20:14
原典はどこのものがお勧めですか?
293日本@名無史さん:04/02/13 20:20
>>292
角川文庫版。
但し、2巻までしか出てない上に
絶版だけど。
294日本@名無史さん:04/02/13 20:34
great peace story
295日本@名無史さん:04/02/13 21:01
>>293
だめじゃないですか
296%83i%83K%83X%83l%83q%83R:04/02/13 21:10

>>258
%太平記には教養とか蘊蓄を延々とひけらかすようなところがあるな。%

語り物文学では,よくあることでせう.
聴衆は,無学だが教養に飢ゑてゐた武士や庶民たち.
現代のわれわれがウンザリする三朝(震旦・天竺・本朝)の故事延々も,当時の聴衆には
喜ばれたのだ.

>>123
%そうは言うが、他にも地獄に落ちた奴について書いてあるならともかく%
%なんで結城だけわざわざそんな章まで設けられたのか%

本筋から逸脱した挿話ではあるが,延喜帝(醍醐天皇)が地獄におちて鬼たちにいぢめられる話も,数章にわたって延々と・・・
いやー,太平記ってほんとうに楽しいですね.
悪事をなせば,俗世では天皇だった人でも仏罰(or天罰・神罰)により地獄におちる.
中世のひとびとにとっては,これは道理だったし,教養に属することだったわけだな.

因果応報のやうな近代教養からこぼれおちてしまった知識を,つまらぬ荒唐無稽なことと
断ずるべきではない.あの時代の社会的分脈では,悪事が因果応報で裁かれるといふ思想は
ひとびとにとって合点のいく,むしろ理にかなった知識だったのだ.
298日本@名無史さん:04/02/14 04:18
>>296
醍醐天皇が拷問されている下りは当時の菅公信仰の厚さが偲ばれる逸話だね。
聖王とまでたたえられた帝が、たった1つ、菅原道真を太宰府へ追いやったあやまちで、とんでもない責め苦を受けているって話だった。
京都の北野天満宮は、この醍醐天皇を地獄での苦しみから救い出すために建てた、という解説付き。
299日本@名無史さん:04/02/17 20:15
>>292
岩波の古典文学体系版なら古本屋行けばかなり安く手に入る。
俺は3册500円で買った。
但し内容のよしあしまではわからんな。
いかんせん古いから最新の研究成果は期待出来ないだろうし。
300日本@名無史さん:04/02/17 22:56
小学館の新編日本古典文学全集は?
301日本@名無史さん:04/02/18 01:21
新潮でも出てるよね
302日本@名無史さん:04/02/25 19:02
太平記って何でどこの出版社もあんなに高いんですかね。
平家や源氏は文庫で買えるのになぁ
303日本@名無史さん:04/02/28 18:33
age
304日本@名無史さん:04/02/29 19:44
>>302
枕草子とか伊勢物語とか徒然草まで文庫になっているのに、
それよりはるかに面白い太平記が文庫化されていないのは確かに謎。
売れそうもないってことなのか?
まぁ軍記ものって概して文学的評価は低いんだよな(平家は例外)
305日本@名無史さん:04/03/04 01:26
日本人の軍事アレルギーだろ(ワラ
平家物語でも教科書なんかに載る場合はたいてい合戦シーンではない場面(俊寛とかね)
306日本@名無史さん:04/03/04 01:28
新スレ建ちました
新田と足利 その3
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1078331105/l50
307日本@名無史さん:04/03/07 00:59
>>305
うん?普通「那須与一の「扇の的」とかじゃないの?。
308日本@名無史さん:04/03/11 23:00
age
309日本@名無史さん:04/03/13 00:30
>>305
俊寛のシーンが載ってる教科書があるんだ〜。
310日本@名無史さん:04/03/26 05:56
師直兄弟の最期って相当見苦しいね。
311(∵)<もののけ君:04/03/26 09:40
「太平記」は古本だと気の毒な位に安く買える。
大正時代の早稲田大学刊「通俗日本史」シリーズ上下巻が一冊千円くらい。
下巻には何と義満以後の南北朝動乱後半戦から後南朝、応仁の乱までを扱
った「後太平記・上」まで載っている。まだ持っていないキミはすぐに花押!
312日本@名無史さん:04/03/26 19:30
正行死後から南北統一までが詳しく知りたいんだけど、詳しい本とかないかな。
正儀が北につく経緯とか和田氏の動向、あと直義死後の直義派と尊氏派の勢力関係とか。
313日本@名無史さん:04/03/27 06:50
>>312
下手な解説本読むくらいなら「太平記」読んどいた方がいいと思うけど。
314日本@名無史さん:04/03/29 17:56
>>312
今谷明の著作か、足利義満の一生の本読んだほうがいいよ。
315日本@名無史さん:04/03/30 01:18
>>314
いや、それらも太平記をいちおう踏まえた上で読む方がいい。
316日本@名無史さん:04/03/30 09:25
片岡仁左衛門=後醍醐天皇
317日本@名無史さん:04/03/30 12:10
太平記って文庫本に換算すると何冊くらいかな?
318日本@名無史さん:04/04/10 15:23
図書館で借りれば宜しい
319日本@名無史さん:04/04/11 21:45
>>316
あの当時は片岡孝夫。
320日本@名無史さん:04/04/16 12:19
太平記の原典を忠実にドラマ化してくんないかなあ。
すっごく面白いと思うんだけどなあ。
321日本@名無史さん:04/04/17 20:32
史実通りのドラマなんか作っても誰も見ないだろうけどな
322日本@名無史さん:04/04/18 00:22
太平記が史実とな!
323日本@名無史さん:04/04/18 02:13
>>320
「陰陽師」みたいな映像になりそうだな
324日本@名無史さん:04/04/28 21:23
太平記って史実が少ないんじゃないの?
325日本@名無史さん:04/04/29 01:11
>>324
軍記物の中では比較的価値は高いらしい。
その時代の当事者が書いている分だけ。
それでも所詮は軍記物と言われてしまえばそれまでではあるが。
326日本@名無史さん:04/04/29 14:32
太平記はやおい要素が満載
腐女子が喜びそうなキャラばかりだな
327日本@名無史さん:04/04/29 20:21
太平洋
328日本@名無史さん:04/05/07 16:05
>>324>>325
「太平記」に限らんけど、軍記ものって俗な言い方をすれば当時の週刊誌的情報がてんこ盛りって感じじゃない?
だけど少なくとも当時の人間が、伝聞ではあってもそれなりに事実を伝えようとして書いたものでもあるわけだから、
史実が「少ない」ってもんでもないと思う。まぁ、そこを検証するのが歴史学なわけだ。
329日本@名無史さん:04/05/07 19:43
活字になってる文書史料との照らし合わせくらいでも、
判断できる部分は多いと思うけど。
330日本@名無史さん:04/05/08 09:14
>>326
腐女子に人気があるといえば北条仲時。
孤立無援の状態で最後まで戦い抜く様子が
母性本能に訴えるのだろうか。
331日本:04/05/08 09:40
真田広之が、柄本明を扇子でぶったおれるほど
打ち付けたシーンが印象的であったな。
柄本の言いなりといわれた真田だが、
やるときはやるんだな。
最後、真田は、柄本を殺した高島弟を殺すことになる。
332日本@名無史さん:04/05/08 13:58
太平記でヤオるなよ。
333日本@名無史さん:04/05/08 21:39
>>330 少女漫画で美形に描かれたやつがあるからだと思う。
同じ事蹟でも不細工に描かれていたら人気はでていない。
334日本@名無史さん:04/05/08 21:58
北条仲時でも少女漫画で美形に描けば人気は出ても
さいとうたかをが描いたみたいなジャガイモのあばた顔のおっさんではなー。

どっちもどっちだとは思うが50歳ぐらいに見える仲時もひどいと思う。
335日本@名無史さん:04/05/08 22:18
俺の考える「太平記」キャスティング

足利尊氏・・・葉加瀬太郎
新田義貞・・・管直人
楠木正成・・・ゴン中山
後醍醐天皇・・小泉純一郎
336日本@名無史さん:04/05/09 00:02
>>334
仲時は、尊氏より1歳年下(1306年生)だから、近江の番場宿で自害したときは、数えで28歳だと思う。
337日本@名無史さん:04/05/09 03:01
>>333
なんていうマンガでしょうか。読んでみたい。
さいとうたかをのは読んだけど。
338日本@名無史さん:04/05/09 11:54
北条高時ってホモっぽいよな
339日本@名無史さん:04/05/09 14:41
>>337
『風の墓標』湯口聖子
とかだったと思う(うろ覚え
教えてあげるかわりに、もし君が女子なら
腐女子視点で萌えないと約束してくれ。
腐女子萌えはマジで勘弁だよ…ハァ
340日本@名無史さん:04/05/09 19:53
           ●
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   |:::::::::::::::::   \___/    |
   ヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ
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        i     \ ::::/ キュム
        \     |::/
          |\_//
          \_/

341日本@名無史さん:04/05/09 20:11
なんかこのスレ会話のレベルが落ちてないか?それとも日本史板自体がレベル低下してるのか?
342日本@名無史さん:04/05/09 20:25
>>341
お前のレベルはどのくらいなのかと小(ry
343337:04/05/09 23:09
>>339
サンクス。ちなみに男です。
344日本@名無史さん:04/05/13 03:24
>>335
赤橋登子は?
345日本@名無史さん:04/05/13 10:49
赤橋登子はやっぱ、高田万由子かな。
義詮は見栄晴、義満はつまみ枝豆。
346日本@名無史さん:04/05/18 23:53
北条時行の子供(時満、行氏、高持)はどうなったの?
あとなんで南朝に加わったの?尊氏への恨み?
父親は北朝(持妙院統)を支持して、自身も反乱を起こしているのに……
347日本@名無史さん:04/05/19 07:16
持「明」院だろ。
348345:04/05/19 12:48
>>345
義満は枝豆じゃなくて、井手らっきょの間違い
どうでもいいけど....orz
349日本@名無史さん:04/05/19 18:31
 ,,.....,,
ξ _、,_ミ
δ ッJヾ
てノДソ <つまらん!お前の話はつまらん!
350日本@名無史さん:04/05/19 20:17
なんかこのスレ会話のレベルが落ちてないか?それとも日本史板自体がレベル低下してるのか?
351日本@名無史さん:04/05/19 20:47
>>350
お前のレベルはどのくらいなのかと小(ry
352日本@名無史さん:04/05/19 23:20
>>350
日本史板のレベルは昔もひどかった
353日本@名無史さん:04/05/24 19:00
今もひどいよん〜
354日本@名無史さん:04/05/24 20:08
「昔もひどかった」には「今もひどい」が含まれているのだが。
日本語すらまともに理解できないレベルだったとは・・・
355日本@名無史さん:04/05/25 03:41
>>354
君の意味不明な言葉(人間が喋る言語とはとても思えない)を理解できないのは当然。
356日本@名無史さん:04/05/25 04:02
>>354
何を言っているのかさっぱり分からない。
「昔もひどかった」という言葉に「今もひどい」という意味が含まれているなどとはとても思えない。
人間の喋る言語としてそんな意味は誰も理解できないと思うが?
357日本@名無史さん:04/05/25 04:05
こうしてますます低レベルな会話は続いていくのであった。ワラ。
358日本@名無史さん:04/05/25 04:40
わけわからん。
「昔もひどかった」に「今もひどいよん〜 」
てどう考えたって変だろ。
359日本@名無史さん:04/05/25 04:48
>>358
意味不明。人間ならもっと意味の言語を喋ってほしい。
360日本@名無史さん:04/05/25 05:25
この流れからして、日本史板はともかく>>355が本物のバカなのは確かなようだ。。。
361日本@名無史さん:04/05/26 04:48
>>354=>>360は間違いなさそうだね。
362日本@名無史さん:04/05/26 07:03
いい加減にしろよボケどもが。
おまえら鎌倉北条スレで「ぱっとしない」論争やってた奴らだろ?
363日本@名無史さん:04/05/26 17:49
しばらく来ないウチに糞スレ化してるな・・・このままでは悪化の一途なので
話題を振ってみるテスト。

赤松円心ってどうよ?
364日本@名無史さん:04/05/26 18:27
>>363
力はあるな・・・『円心力』
365日本@名無史さん:04/05/26 22:55
>>362
このスレ荒らしてるのもあいつらだったのか。
なんか中世史って荒らしが入り込みやすい環境にあるのかな?
366日本@名無史さん:04/05/26 23:31
>>ALL
悪いのは全部>>350ってことでOK?
367日本@名無史さん:04/05/31 21:43
この板ってやっぱり三戦板より馬鹿だな( ´,_ゝ`)プッ
368日本@名無史さん:04/06/01 19:44
親馬鹿って言うじゃん
369はなわ@さいたま県:04/06/06 09:57
ヴァカだから。ヴァカだから。ヴァカだから。。。。。
370日本@名無史さん:04/06/06 14:09
日野資朝と日野富子とは親戚ですか?
371日本@名無史さん:04/06/06 18:48
>>370
尊氏が南朝から賊軍とされている頃、北朝の上皇側から大義名分をもらうときに
使者として来たのが日野一族の人間で、それが縁で足利家と縁談を行うようになった
日野富子はその一人

となんかに書いてあった
372日本@名無史さん:04/06/06 18:51
資朝の弟の資名の子孫なのでは?
373日本@名無史さん:04/06/11 03:34
>>371
>使者として来たのが日野一族の人間

日本史板なら三宝院賢俊くらい書いてほすい。
>367のように言われないためにも‥‥ってことであげときます。
374日本@名無史さん:04/06/11 11:26
ところで佐渡で父親の敵を果たした日野某はどうなったの?
375日本@名無史さん:04/06/13 11:14
>374
確か吉野朝に仕えて権中納言まで進んだような?
376日本@名無史さん:04/06/15 15:19
これは長崎円喜にあらず。北条得宗の名代ぞ!ひかえよー!
377日本@名無史さん:04/06/18 21:12
>376
‥‥もう、大河ドラマはいいから。
原書を読んでください。おながいします。
378日本@名無史さん:04/06/19 15:36
名和長年「何から何かまで帝のなさしめたる快挙にて候えば・・・」
後醍醐帝「それだけではあるまい。足利が起たねば、こうも早う六波羅は落ちまい」
阿野廉子「噂通りの源氏の大将でございましたな」
後醍醐帝「朕は都へ帰るぞ!」
379日本@名無史さん:04/06/21 17:05
足利家はなぜ「太平記」を検閲しているにも関わらず、
直義の大塔宮殺しのシーンや、尊氏の直義殺しの場面なんかを削除させなかったんだろう?
あと成良・恒良両親王を毒殺するところも。
これらのエピソードこそ後世にまで足利が逆賊と呼ばれる原因となっているのに。
380日本@名無史さん:04/06/21 21:20
直義に関しては問題ないんじゃない?
両親王毒殺はよく分からんけど。
381日本@名無史さん:04/06/30 05:52
>>379
幕府内部の政権抗争で忙しくなったから検閲どころじゃなくなったんだろ
382日本@名無史さん:04/07/02 02:03
成良親王は本当に毒殺されたの?
383日本@名無史さん:04/07/02 05:54
>>382
毒殺というのはたいがい「疑惑」の域を出ないわけで、本当かどうかはぶっちゃけわからん。
確かなことは、「太平記」にある話はあくまで創作だが、
恒良親王が足利に捕らわれてまもなく薨去したのは事実であり
弟の成良親王はなお暫く生きたものの、これも若くして薨去していることに変わりはない。
これらのことから当時の人々は毒殺の疑いをもった、というのが歴史的な事実といえる。
同様に、直義毒殺もあくまで「疑惑」。
384日本@名無史さん:04/07/02 21:31
>>379
もしかしたら検閲の結果そうなったのかもしれんぞ。
だって太平記では、三親王の毒殺はみんな直義の仕業ということになってる。
後醍醐への謀反にしても、直義や師直が嘘をついて尊氏をそそのかした、
尊氏本人は尊王の気持が強かったのに、なんて話しになっているし、
かなり尊氏にとって都合のいい内容に改竄された感じ。
385日本@名無史さん:04/07/02 21:54
>>370
そういえばフルネームわかっている日本史上の女性ってめったにいないね。
386日本@名無史さん:04/07/02 22:09
>>385
黒柳徹子ぐらいだ
387日本@名無史さん:04/07/02 22:12
北条政子 与謝野晶子 樋口一葉 

小野妹子
388日本@名無史さん:04/07/03 00:14
>>384
でも、今川了俊の難太平記に言わせれば、太平記を検閲しているのって、そもそも直義なんだよね。
389日本@名無史さん:04/07/03 02:28
検閲の結果、自分が罪を被った、と好意的に解釈してみる。
390日本@名無史さん:04/07/03 03:57
>>385
菅井きん。
391日本@名無史さん:04/07/03 03:59
>>305
俺が使ってた古典の教科書は熊谷次郎が敦盛の首を取るとこだったから決まってはいないのでは
392日本@名無史さん:04/07/03 10:35
俺の古典の教科書には、壇ノ浦で能登守教経が奮戦する場面が載っていた記憶がある。
393日本@名無史さん:04/07/03 20:42
新田義貞が鎌倉の海に投げた太刀って現存してるんだってね
394日本@名無史さん:04/07/04 00:14
>393
マジで?
395日本@名無史さん:04/07/04 02:58
>394
竜神が拾ってわざわざ届けてくれた。
396日本@名無史さん:04/07/04 10:49
>395
良いヤシだな竜神って。
397日本@名無史さん:04/07/04 14:06
単に浜に打ち上げられただけとかでは?
398帰ってきた24歳無職:04/07/04 23:21
干潮のとき偶然居合わせただけじゃなかったっけか?w
399日本@名無史さん:04/07/05 21:45
>>393
それって御物・浦島のこと?
あれは岡山だか兵庫だかに住んでいた自称浦島太郎の子孫が、浦島が龍宮城に行った時に乙姫さまから貰った太刀として代々家に伝わっていたのを
明治になって皇室に献上したものらしいが。
太刀の柄部分だか鞘だかになぜか新田氏の大中黒の紋が刻印されていたことから、
義貞の鎌倉攻めでの太刀ではないかとも言われたそうだ(だから当然確証はない)
400日本@名無史さん:04/07/07 17:34
400
401日本@名無史さん:04/07/07 17:52
やっぱり太平記は司馬遼が書いてないからな。なんだかんだ言って司馬遼が書いてたらもうちょっと人気が出たと思う。
俺も太平記の事知りたいんだけどイイ小説が無い。吉川英治のヤツはやたら長いから初心者は急に入って行けない。
津本陽あたりが4巻セットぐらいで書いてくれないかな。

402日本@名無史さん:04/07/07 18:46
だからいいんだよ。知ったかできるし。

大体、あの吉川英治の小説が読めないなんてどこの猿人だよ
文庫サイズなら会社に行く途中の電車にでも乗りながらでも見れるだろ。
403日本@名無史さん:04/07/07 19:09
いや長さがさぁ。
全8巻じゃない。
全4巻ぐらいだったらファンも増えると思うのよ。
山田風太郎の「婆沙羅」なんて200ページ弱ですぜ。
太平記を唯一読める私本太平記が長いからファンが増えない事を嘆いてる訳で。
404日本@名無史さん:04/07/07 19:12
吉川英治の太平記がいちばん読みやすいと思うけどね。娯楽性もあるし。
司馬遼って中小企業のサラリーマンのバイブルみたいに捉えられていてなんかいや。
405日本@名無史さん:04/07/07 19:27
娯楽性は満点だけど
私本太平記は水戸史観に頼っている事は否めない。
確かに水戸史観を使わないと美化できない時代ではあると思う。
太平記を書かない作家が大多数なのは、作家にとって美化しづらい時代であるからだと思う。
あの吉川英治でさえ水戸史観を使わないと美化出来なかった。その為に疲労で吉川英治は死んだとも言われている。
406日本@名無史さん:04/07/07 21:36
湯川聖子から始めるが吉。
407日本@名無史さん:04/07/07 21:42
>>405
水戸学は皇国の正当な歴史学だ
明治大帝もお認めになっているし
今学校で教えている歴史も強い影響を受けている。
天皇家の系図などを良く見てみよ
408日本@名無史さん:04/07/07 22:10
あくまでも理性で書きたいのに
プリミチブなもんにすがってしまったのが辛かったと理解したのだが。
南朝正当論自体は原始的ではないと思うが
それを元にするお国自慢観ね>プリミチブ。
409日本@名無史さん:04/07/07 22:44
吉川太平記は単純に面白かったよ、平家物語なんかより自由に書けてる感じで良かった。
しかし他の小説家で太平記を書いたヤシは居ないの?あんまり本屋とかでも見かけないんだけど
良いのあったら教えてくれ。
410日本@名無史さん:04/07/08 00:03
吉川すら読めない香具師は太平記に手を出すのはやめておいたほうがいい。
あれ以上、簡単で面白い太平記本はないなきっと。
一応注釈も入っているし
411日本@名無史さん:04/07/08 02:12
>401>403
司馬ヲタってほんとレベル低いんだなw
412日本@名無史さん:04/07/08 12:18
やっぱり司馬は文化勲章持ちの吉川に敵わないって事だな
413日本@名無史さん:04/07/08 15:27
あづまかがみ がそうであるように、太平記には重要な事実が、書かれていると同時に書かれていない。

とはいえ、仏革命以降のような、意図的に歪んだ国家意識のもとでの、全面的な御用歴史書とは違う。

だから、検閲とかいってもスターリン小史や皇国史観みたくのごとき徹底的かつ卑劣な改竄には、至らなかったと思う。
414日本@名無史さん:04/07/09 05:45
>413
検閲したくても、
・その暇が無かった
・検閲を徹底できるほど強力な政権では無かった
415日本@名無史さん:04/07/09 08:36
今川貞世なんかは、太平記の内容は、今川家の扱いが疎略であることを除けば、大筋で事実だと言っているよね。
たぶん、これが当時の幕府に近い人たちの認識だったんじゃない?
もし、検閲の暇がないとか、政権が弱体でそんなことをできる状態じゃなかったというのなら、南北朝内乱がおさまり、政権基盤がしっかりした義満の時代くらいに、改めて検閲すればいいだけ。
416日本@名無史さん:04/07/09 19:00
>>404
漏れは山岡荘八の新太平記が好きだがな。
吉川はあまり好かんのじゃ
417日本@名無史さん:04/07/09 23:42
>416
同意。吉川英治のヒューマニズム全開と違って勇壮な武士の物語になっているところがイイ。
それに新太平記なら文庫で全5巻。テンポもいいから一気に読めるはず。
418日本@名無史さん:04/07/11 06:26
>403
長さが気になるんだったら、新田次郎「新田義貞」が文庫2册、桜田晋也「足利尊氏」なら文庫1册で読める。
南北朝モノなら俺はこの2つが一番好きだな。
あと北方謙三「楠木正成」ってのもあるが、これは禿げしく論外。
文章は下手糞だし出てくる人間がみんな作者を投影しているのか下品で矮小。
忍者みたいなキャラが大活躍するのも嫌だ。
山田風太郎とか柴田錬三郎みたいな「時代小説」ならいいが、「歴史小説」でそれをやられるのは凄く白ける。
杉本苑子「風の群像」もそんなに長くないよ。
あと永井路子「太平記」は約が平易で分かりやすいと思う。
420名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 14:09
所詮小説だろ。
ちゃんと研究論文読めよ。
421日本@名無史さん:04/07/12 07:52
>>420
所詮研究論文だろ
まぁ小説でも読めよ。
422日本@名無史さん:04/07/13 03:48
>>420の頭の中
論文・・・人間の書いたものの中で最も価値がある。帝京大学生の卒論とか。
小説・・・「所詮小説」としか言いようがない。読んでる奴はバカ。夏目漱石とか。
大河ドラマ・・・つーかテレビ自体見てる奴はバカ。太平記とか。

2ch日本史板・・・とてつもない価値を持つ書き込みの宝庫。>>420とか。
423日本@名無史さん:04/07/14 01:59
せめて修論か博論を嫁
424日本@名無史さん:04/07/14 02:02
歴史語るのに小説読んで分かった振りはマズいだろ。
結局はフィクションなんだから。
425日本@名無史さん:04/07/14 02:09
軍記物は原文でも所詮2次史料。
まして、現代語で書かれた小説なんて。藁
426日本@名無史さん:04/07/14 04:32
>425
その程度の小っぽけな度量では、どうせろくな論文は書けまいw
427日本@名無史さん:04/07/14 17:06
一次資料に対する妄信が、
たとえば一次資料に乏しい平安時代において
貴族たちが歌を作ってその日を自堕落に暮らしていた時代

なんていう失笑ものの教育がつい最近まで行われていたわけだが
太平記には関係ないけど、中高生でも大鏡くらいは教えろよ
428日本@名無史さん:04/07/14 19:27
まぁこれを言うと歴史自体を否定することになるが、突き詰めて言えば小説にしろ
論文にしろ過去の事だから我々に解る訳じゃ無いわけだし。
それにこのスレ読んでると太平記の原文自体事実かどうか怪しい部分もあるワケだし
まぁ何が言いたいのかと言えばみんな仲良くやろうやと言いたいだけなんだがw
429日本@名無史さん:04/07/15 00:02
>>426
まあそれでも実証的要素皆無の妄想だけで書いてるDQNよりはマシだろうよ。藁
430日本@名無史さん:04/07/15 00:05
ところで、ここは太平記スレだから聞くけど、太平記が義詮の名前に「よしのり」という読み仮名を振っているのは、何か他に根拠があるの?
431日本@名無史さん:04/07/15 00:42
いまどき藁を使う優れた感性
432日本@名無史さん:04/07/15 01:22
>429
こんなところでストレスを発散している時点で
自分から史学科劣等生だと告白しているようなもの。藁(←431が絶賛しているんであやからせて貰った。藁)
433日本@名無史さん:04/07/15 23:56
>>431
誉めてくれて有難う藁
434日本@名無史さん:04/07/16 06:41
ここは今から藁について熱く語るスレになりますた
435日本@名無史さん:04/07/16 12:37
中世の皇室領荘園って、長講堂領が持明院統、八条院領が大覚寺統に継承されたんですよね。
これって、南北朝合一以後は、結局どうなったのでしょうか?
南北朝合一時の取り決めだと、長講堂領が北朝、各国の国衙領が南朝となっていますが、八条院領がどうなったのかがわかりません。
あと、南北朝合一時の段階で、国衙領ってどの程度実態があったのでしょうか?
以上、どなたか教えて下さい。
436日本@名無史さん:04/07/17 00:09
そもそも、両統佚立に戻すにしても、後亀山(後醍醐の系統)って、大覚寺統の本流ではないよね?
大覚寺統の本流(後二条→邦良親王の系統)は、どうなったの?
437日本@名無史さん:04/07/17 06:37
>436
長男=本流と思ってる時点で間違ってる
438日本@名無史さん:04/07/17 12:35
>>437
後醍醐即位の時点で、父親の後宇多法皇も朝廷も幕府も、後醍醐を中継ぎと認識していたことは事実だろ。
母親の身分も低いし。
439日本@名無史さん:04/07/17 20:31
>>438
だから、即位直後はそうでもその後は後醍醐流が大覚寺統の本流になったわけだろ。
なんで南北朝合一時に大覚寺統の本流は後二条流なんて話しが出てくるんだよ?
440日本@名無史さん:04/07/18 18:57
藁がたりねーぞ 小説厨どもが 藁
441日本@名無史さん:04/07/19 02:40
>>439
>即位直後はそうでもその後は後醍醐流が大覚寺統の本流

小説ばっか読んでるからそういう理解になるんだよ アホか 
たまには論文でも嫁 藁
442日本@名無史さん:04/07/19 03:24
まぁ
必要以上に小説を貶そうとする人は多いよね
443日本@名無史さん:04/07/23 00:01
>>430
足利直義は「ただよし」or「なおよし」?
足利義詮は「よしのり」or「よしあきら」?
岩松直国は「ただくに」or「なおくに」?
楠木正成は「まさしげ」or「まさなり」?
高師直は「もろなお」or「もろただ」?
少弐頼尚は「よりなお」or「よりひさ」?
桃井直常は「なおつね」or「ただつね」?
444日本@名無史さん:04/07/23 08:56
さして行く笠置の山を出しより天が下には隠れ家もなし
445日本@名無史さん:04/07/23 16:16
>443
桃井直常の桃井の読み方は?
446日本@名無史さん:04/07/23 20:14
>>445
もものいなおつね

直義派の強行派であった彼だがいつから足利家に来たの?
桃井ってもともと新田系でしょ?
同じ新田系の山名が足利党にきた時期は分かるんだが、誰か教えてくだされ
447日本@名無史さん:04/07/23 21:35
>>446
いつからも何も、
最初から足利系。
足利義兼の二男義助の子孫が桃井氏。
448日本@名無史さん:04/07/23 23:23
>>447
正確には、義助が承久の乱で戦死したため、その遺児である義胤が祖父義兼の養子となって上野国桃井を分封されて成立したのが桃井氏。

>>446
近年では「ただつね」説のほうが有力。
直義が「ただよし」なのは間違いない(「忠義」などと誤記された同時代史料がある)ため、この時期の足利一族の「直」は全て「ただ」と読んだほうが自然なのだとか。
そうすると、高師直の名前も「もろただ」の可能性が出てくるが。
449日本@名無史さん:04/07/23 23:55
高師直を「もろただ」との可能性があるというが
きりが無いだろう。
護良親王を「もりなが」、「もりよし」何れなのか?
ところが、同じ兄弟の成良親王は「なりなが」という伝聞。
一人がそのように読むから他の全てがそう読むとも言えまい。
450日本@名無史さん:04/07/24 02:07
>>449
普通は、兄弟や同時期の一族で同じ字を使いながら読み方が違うということは考えにくいと思う。
「成良」を「なりなが」と読む史料的根拠があるの?
確か「護良」や「懐良」の場合は、「もりよし」「かねよし」と読んでいる史料的根拠がある(同時代史料に同訓異字での誤記がある)ので、一応正しいとされている。
まあ、後醍醐の皇子の「良」の字については、俺の師匠が根拠となる史料の信頼性自体を問題にして追究しているみたいだから、まだ何とも言えない部分もあるが。
451日本@名無史さん:04/07/24 05:42
>>447
新田方についた桃井もいなかったか?
452日本@名無史さん:04/07/24 09:18
桃井は新田系だぞ
453日本@名無史さん:04/07/25 01:09
>>450
義良親王はどう読むんだろ。
のりよし?のりなが?
よしよし?よしなが?
454日本@名無史さん:04/07/25 01:24
>>453
昔は「のりなが」とされていたが、最近では後醍醐の他の皇子の例に従って「のりよし」が有力になっている。
とりあえず、「良」の読みが「よし」か「なが」かの議論はあるけど、「義良」の「義」は昔から「のり」だとされてきたはず。
455日本@名無史さん:04/07/25 01:45
高師直が吉田兼好に恋文を代筆させたという有名な話があるけど、まんざら
作り話ではないらしいね。
面白すぎる話だからかなり脚色はされてるでしょうけど。
この時代ではやはり高師直なんかは面白い人物だろうな。太平記でも悪口を
書きながらも魅力的に描いているとか。
実際は相当学問もあったらしいし、和歌も詠めたんでしょ。
腕力と知力の両方を兼ね備えたワルだったとすると相当始末の悪い人物だった
ろうな。
456日本@名無史さん:04/07/25 01:50
妄想もほどほどに
457日本@名無史さん:04/07/25 06:31
>>455ほどとりとめのない文章を書くことはないだろう。
458日本@名無史さん:04/07/25 09:43
脚色つうか高師直が恋文を代筆させたのが、吉田のなんとかって人で、
それが吉田兼好ではないかっていう話じゃなかったっけ?
459日本@名無史さん:04/07/25 10:10

「兼好法師」だったスマソ。で師直から役立たずって言われるんだよね。
460日本@名無史さん:04/07/26 05:19
>>455
死に際の醜悪さで評価大幅ダウン>師直
同じ悪人でも松永弾正みたいに潔く死んでほしかった
461日本@名無史さん:04/07/26 21:13
>>460

全く賛成ですね。あの最後は頂けない。
それまでがワルなりに格好良かっただけに残念だなあ。
462日本@名無史さん:04/07/27 00:52
>>455
守護クラスの有力武家で、和歌も詠めないような無教養な奴をさがすほうが困難。
463日本@名無史さん:04/07/28 05:28
>>460-461
高師直が長年に亘って日本人の間で不人気だった最大の理由は最後の卑怯未練な態度だろうな。
忠臣蔵で吉良にされたせいも少しはあると思うが、
そもそもああいうキャラでなければ吉良にも仮定されないわけで。
464日本@名無史さん:04/08/05 12:01
最後まで卑怯未練という悪役も
それはそれで悪役の王道でいいと思うのだが
465日本@名無史さん:04/08/06 04:30
>464
それをいいと思うのは君の自由
だが伝統的な日本人の感性からいって最も嫌われるタイプなのも事実
466日本@名無史さん:04/08/06 16:37
小林よしのりが太平記を漫画にしたらどうなるかな?
467日本@名無史さん:04/08/06 16:57
>>465
むしろそういうキャラがいてこそ善玉が映えるんだよな。
468日本@名無史さん:04/08/06 17:10
>>466
原作があるだけに普通の太平記になると思うけど
戦後っていうのは歴史が確定できないからこそあそこまで遊べるのであって
曲がりなりにも屋台骨が確定してる南北朝時代をいじって遊べんよ
第一あの人は昔の天皇云々には興味ないだろ
469日本@名無史さん:04/08/06 20:37
小林なんて左翼漫画家だからな。
太平記やっても面白くないだろ。
470日本@名無史さん:04/08/06 21:20
小林が左翼!?
お前アホだろw
471日本@名無史さん:04/08/07 05:41
太平記のエンターテイメントとしての人気の低さって何が原因だろう?
足利尊氏の戦の下手さが一番の原因か・・・・
浮動層的な武家の獲得競争で、足利方がふくらんだり、宮方(後醍醐・新田)がふくらんだり
っつーぐあいで、合戦ものとしては、複雑すぎて、メリハリがないところだろうね。
合戦もの的にヒーローっていうと楠木正成、新田義貞ぐらいだし。
戦国ファンからこっちに流れてくる人って少ないよな。
でも、南北朝ぐらい天皇の問題が面白い時代はないね。
今日、天皇家特集の歴史読本買った。
472日本@名無史さん:04/08/07 05:50
反米=サヨ、という思考回路しか持たないヤシもいるから無理からぬ話。→470
473日本@名無史さん:04/08/07 06:00
薬害エイズの頃から普通に左翼漫画家と呼ばれてた覚えがあるが。
正直奴は天皇に興味なんてないだろうし。
474日本@名無史さん:04/08/07 06:08
薬害エイズを弾劾して左翼なら桜井よし子も左翼という理屈になる。
475日本@名無史さん:04/08/07 06:15
いやいや世間からそう呼ばれてたんだってば。
おぼえてないか?
476日本@名無史さん:04/08/07 06:18
・・・・・・・・・・・。
477日本@名無史さん:04/08/07 06:20
憶えてるぞ。
小林よしのりの漫画がまだ面白かった頃の話な。
確かに小林の根本は権威大嫌いの左派だろうな。
478日本@名無史さん:04/08/07 06:22
こまわりクン?
479日本@名無史さん:04/08/07 06:36
権威が嫌いだからといって左翼とは言わん。戦前の右翼は天皇は別にして
重臣、元老(親英米の)、財閥、政党など保守派とみられる権威を嫌っていた。
戦後のウヨは保守政党、大金持ち、米国大好きの変形ウヨになってもうたが。
480日本@名無史さん:04/08/07 06:40
まあお前がどう言おうと普通に左派漫画家と呼ばれていたのは事実。
481日本@名無史さん:04/08/07 06:41
戦前の話されてモナー
482日本@名無史さん:04/08/07 06:54
オマイら太平記語れ
以下禁止
483471:04/08/07 07:32
岡崎久彦とのサンプロでの対論でもそうだったけど、小林らはロマン主義なんだよ。
対米政策をめぐって姜尚中と結論が一致するのは、ごく自然な結果。
今やぷちナショも新左翼も発想の同じ円環に含まれる。
とりあえず対米が試金石かな。

・・・・・・・ってそうじゃなくて(;´Д`)

太平記、南北朝ね。こっちの方がはるかに難解で価値ある研究課題。
漏れの書き込み無視しやがって、寂しいぞ!
484日本@名無史さん:04/08/07 12:58
お前らコヴァ板池!
485日本@名無史さん:04/08/07 14:53
ロマン主義(プ
今時こんなこと言うひといたんだね。


丸出し。
486日本@名無史さん:04/08/07 21:01
なんだか後醍醐天皇はろくな人間だとは思えません。
部下は簡単に見捨てるし、息子すらも切り捨てる。
朱子学に染まりすぎて現実の政情を見極めない。
それでいてバイタリティがあるのだから迷惑です。
案外、彼みたいな人物がいなかったら鎌倉幕府もまだまだ持ちこたえたのじゃないかと思います。
487日本@名無史さん:04/08/07 21:52
太平記の描き方次第では信長のようなキャラになれたのでは
488日本@名無史さん:04/08/07 22:04
浪合記について教えてエロイ人。
江戸時代辺りまではまともな歴史書扱いで、いつの間にやら偽書扱い。
どの辺が嘘で、どこまで信用できるか?
ではよろしくどーぞ。
489日本@名無史さん:04/08/08 11:06
>>487
天皇に対する姿勢は尊氏の方がはっきりしてると思うけど、
桶狭間の奇襲、長篠で戦術革命、水軍に鉄甲船で、次々強敵を
圧伏して、占領統治もしっかりやって国盗り物語していくという
”わかりやすさ”がないから難しいと思う。
490日本@名無史さん:04/08/08 11:37
後醍醐の話じゃないの?
491日本@名無史さん:04/08/08 14:41
>>486
鎌倉幕府はもう得宗家が無理に係累を地頭職にねじこんだり
不満かってたからどっちみち長くはなかったと思うよ。
あと天皇ってそんなに自分の子供に会う機会ってないから
後醍醐以外もあまり現代人みたいな愛情は子供に対して沸かなかったと思う。
492日本@名無史さん:04/08/09 06:54
>>488
このスレの住人は「浪合記?何それ?」な香具師ばかりだろw
493日本@名無史さん:04/08/09 19:10
尊氏は戦がうまい。高師直もうまい。
494日本@名無史さん:04/08/09 19:38
>>492
ろうごうき?何それ?
495日本@名無史さん:04/08/09 21:21
>>494
「らうがふき」とよみます。
496衣笠宮:04/08/09 23:33
>>436 :そもそも、両統佚立に戻すにしても、後亀山(後醍醐の系統)って、大覚寺統の本流ではないよね?
大覚寺統の本流(後二条→邦良親王の系統)は、どうなったの?

後亀山は、一旦、後宇多(後二条、後醍醐兄弟の父)に譲るが、
後二条の御世に生まれた自分の末っ子の恒明親王を跡取りとして遺詔して世を去る。
息子の後宇多はそれを無視して後二条の後に後醍醐をたてた。その後は後二条の系統に
系統に戻すことを遺詔して....。
ところが、後醍醐は自分の系統に固執し、兄の系統に皇位を戻さなかった。
後宇多・後醍醐の親子は、二代続けて親の遺詔を無視して自分の系統に皇統を継がした、
とんでもない親子です。だから南朝の正統は恒明親王の系統であって、後醍醐系は正統ではない。
結果的ではあるが、北朝に戻って良かったんです。
497日本@名無史さん:04/08/09 23:36
新田義貞43代子孫ホームページ
ttp://www.b-city.net/~nittajun/
498日本@名無史さん:04/08/09 23:40
499日本@名無史さん:04/08/11 10:12
>>497-498
死ねバカ
500日本@名無史さん:04/08/12 03:16
501日本@名無史さん:04/08/12 07:57
>>498変なサイトリンク貼るな
502日本@名無史さん:04/08/13 04:30
>>496
遺詔なんて曖昧なものは正当性の根拠にはなりえません。
争いの種にはなるけどね。
503日本@名無史さん:04/08/13 17:13
>496
豊臣秀吉の遺言を無視したからといって、徳川家康の天下に正当性が無いとは誰も言わない。
唯一それを言い続けた豊臣秀頼は滅ぼされた。
世の中はそういうもの。
むしろ一権力者の遺言が絶対視されることの方が問題。
504日本@名無史さん:04/08/13 17:31
age
505日本@名無史さん:04/08/13 17:50
るなやボケ

しねよ
506日本@名無史さん:04/08/14 19:22
sage
507日本@名無史さん:04/08/15 01:39
おめえらよく太平記でそんな熱く語れるな。
せめて神皇正統記にしとけよ。
508日本@名無史さん:04/08/20 16:00
>>503
傍からだけど、それは単純比較できないよ。
豊臣も徳川も武家でしょ。実権者。
ところが日本の武将はなぜか朝廷に頭があがらない。
家康も幕府を開くにあたって源氏長者という官位を得るのに朝廷工作
を必死にやった。そりゃ正当性を得るためだよ。
戦乱は武力で収まるけど、天下万民を「納得」させることできない。
そういう二重構造は日本の権力を考えるうえでは基本。
509日本@名無史さん:04/08/21 01:38
>>508
正当性についての考え方はイデオロギー的なものと実力(現実)重視的なものとに分かれる。
天皇家とて例外ではない。
そして、天下万民(というか多数派)が納得するのは得てして前者ではなく後者である。
もちろん多数派の判断が常に正しいとは限らないので、
歴史の経過と共に逆にイデオロギー的な正当性の方に振り子が揺れる場合がある。
510日本@名無史さん:04/08/21 16:07
>>509
はっきり言って論外。
繰り返し言うが、日本の権力を考えるうえでの二重構造ということ
がわかってないんじゃまともな議論が成り立たない。
そんな風にシミュレーションRPG的な権力闘争の一般論で
判断するしかないのは、単に勉強不足だから。
つか、行きがかり上ムキになってるのかとも同情してみるが。
天下万民の納得を、単なる抽象的な多数派に擬するのも幼稚
すぎる。
まあ、つまり、天皇の問題を切実に考えた経験そのものがないんだな。
511日本@名無史さん:04/08/21 16:14
今の天皇の制度がなくなったとしても政府が崩壊するとは思えないのだが…。
江戸幕府も天皇制がなくなっても崩壊しなかっただろうと思うのと同様にね。

王制の崩壊は世界中あったことだし、これは原因でなく変革の結果であると思う。
512日本@名無史さん:04/08/21 16:39
取りあえず日本は大日本帝国時代に世界の帝政・王制の内、直接的又は間接的に3つは滅ぼしている。

それにより、近年まで共産化してるところもまだある。
513日本@名無史さん:04/08/22 00:24
どうでもいいけど、高師直って架空の人物じゃなかったの?
塩谷判官とか高武蔵守師直とかの。

あ、ひょっとしてモデル?
ちなみに史実の高師直の最後ってどんなん?
514日本@名無史さん:04/08/22 00:27
>>513
塩谷判官の元妻の上で腹上死した
515日本@名無史さん:04/08/22 02:16
>>510
おいおい、人を幼稚呼ばわりするくらいならもっときちんとしたレス返せよ。
ならたずねるが、おまえのいう「天下万民」とは何を指すのか、
そしてその「天下万民が納得」しているとはどういうことなのか具体的に説明してみろ。
あと天皇家における「正当性」がどのように決定するのかについてもな。
それが出来ないようじゃ単なる煽り決定。
516日本@名無史さん:04/08/22 02:23
>>514
史実では、塩冶高貞夫妻は、高師直によって追い落とされたあと、出雲で自害したはず。
517日本@名無史さん:04/08/22 08:49
そおか、塩谷にも元があるんだ
518日本@名無史さん:04/08/23 11:56
お塩谷判官
519515:04/08/23 21:16
>>510
レスまだなの?早くしてね、どうせ夏休みでしょ?

>天下万民の納得を、単なる抽象的な多数派に擬するのも幼稚
すぎる。

「抽象的な多数派」って何?おまえの言葉や解釈の方がよっぽど抽象的だと思うけどねぇ。
俺は「その時代の世論、もしくは主流的な意見」として「多数派」と書いた。
それが違うとか抽象的とかいうなら、じゃあおまえのいう「天下万民の納得」とは何なのか、「具体的に」説明してみろって言ってんの。
煽るだけなら馬鹿でもできる。素晴らしい解説を期待してるよ。
520日本@名無史さん:04/08/23 23:01
もうやめて〜〜〜〜〜〜〜〜〜  

by 横山弁護士
521日本@名無史さん:04/08/26 00:03
>520
こりゃまた懐かしいギャグをw
522日本@名無史さん:04/08/29 00:34
結局>510は逃亡かよ?
あれだけえらそうな口調でカキコしておいて何なんだろうね?
くだらねえ奴。ペッ。
523日本@名無史さん:04/08/30 02:14
>>510>>522も大差ないな。
馬鹿と粘着。
524日本@名無史さん:04/08/30 02:19
網野史観は馬鹿
525日本@名無史さん:04/08/30 20:18
>>517

出雲の地名に「塩冶」というのがあって、
鎌倉時代後半に出雲の守護を世襲していた佐々木氏支流が
屋敷の所在地(?)の地名から「塩冶」という苗字を持ったんでしょう。

佐々木氏の支流は、太平記の時点ですでにいくつもあったので、
調べてみるとおもしろいでしょう。
526日本@名無史さん:04/09/05 08:58
鎌倉時代の山陰方面守護は佐々木だらけだな・・・
527日本@名無史さん:04/09/17 00:35:20
528日本@名無史さん:04/09/17 05:44:18
>>526
鎌倉初期に、西日本で守護の候補者に事欠いたからか、
10国近くを佐々木氏に兼任させた。
よほど功績があったんでしょ。

その後、それぞれの守護ごとに分家したり、
承久の乱でいくつもの分家が凋落したり、
そうして最終的に、莫大な分家筋を作って、
太平記時代に突入するのです。

出雲や隠岐はずっと守護だったし、
所領の荘園も多かったようで、分家が多数。
この付近の分家は、途中からは、後醍醐天皇支持に回ったようです。
佐々木本家は幕府方だったため、室町時代には勢力が削減されたのかな。
529日本@名無史さん:04/09/21 20:41:34
塩冶高貞は滅びたが、一族は戦国時代まで生き残っていたよな。
六角氏被官で出雲だか石見だかの守護代。尼子経久に滅ぼされた。
530日本@名無史さん:04/09/21 20:59:43
今さらながら「護良親王」と「明治天皇」をならべると
「もりながしんのう」と読むほうが正しいと思えたりしますw
531日本@名無史さん:04/09/21 21:20:28
>>529
かつては同族結合的な協力関係を持っていた佐々木氏も、
室町時代にはいると急速に、主導権争いを含めた
族内対立が激しくなった模様。

特にその焦点には、佐々木導誉=京極高氏伸す型が見える。
(ような気がする)

塩冶氏滅亡後に出雲を手中に収めた導誉、
ひょっとすると、この件で何か策動してたかも?(邪推95%)

近江守護をめぐる、本家との争い。
結局、佐々木本家(六角)が南半分、京極(導誉)が北半分で決着。

尼子経久は導誉の子孫だし。
532日本@名無史さん:04/10/05 04:10:18
このスレも500を超えたわけだが、ここの住人で太平記をちゃんと読んだ香具師はどのくらいいるんだ?
533日本@名無史さん:04/10/05 10:35:00
普通太平記くらいだれでも読んでるだろw
534日本@名無史さん:04/10/05 18:11:38
>>532
最近は、「ちゃんとした太平記」を入手するのも大変。

河出文庫版は絶版だし、角川ソフィア文庫は前半の途中止まり。

文庫以外で買うと値段高いし。

頑張ってweb上で良いところを探して読むぐらいか。

書籍と違って注がないところが多いのが難点かな。
535日本@名無史さん:04/10/06 01:43:44
>533
そうかな?とてもそうは思えないようなレスが、ここには多いんだが。
536日本@名無史さん:04/10/06 02:12:52
吉川太平記でも補足がついてるからいいよ。
537日本@名無史さん:04/10/11 01:18:15

ほら、こういう香具師がいるしw
538日本@名無史さん:04/10/14 10:23:31
尼子は高氏の直系の子孫だっけ?
539日本@名無史さん:04/10/19 00:07:58
尼子氏は道誉の孫からだけど、直系はその兄の方になるのでは。

足利直義や直冬は将軍になろうとかは思わなかったのかな。
足利氏ってなんか人にのせられて動いてる感じで、やる気があるようであまりみえない。
540日本@名無史さん:04/11/06 23:07:48
は?
541日本@名無史さん:04/11/13 00:36:05
昼間神保町で岩波古典文学大系の太平記全三巻を買いました!6000円でしたが…。頑張って読みます!楽しみ!
542日本@名無史さん:04/11/16 06:13:21
>>541
た、高ぇ!!俺は三軒茶屋の古本屋で1500円で買ったぞ。
でもまぁ、そういう俺もまだ読んでいないしw
しっかり読めば元は取れるんだから、頑張れ。
543日本@名無史さん:04/11/16 18:34:20
義興は竹沢に差し出された女が殺された時に不審に思わなかったのかな?
544日本@名無史さん:04/11/24 04:14:18
>543
殺されたことじたい知らなかったんでは?
545日本@名無史さん:04/11/24 06:35:43
ここが太平洋を語るスレですか?
546日本@名無史さん:04/11/24 08:30:35
ここが太平洋クラブライオンズを語るスレですか?
547日本@名無史さん:04/11/26 09:06:31
くまわかage
548日本@名無史さん:04/11/26 23:52:19
落花の雪にふみまどう かたのの春の桜狩
549日本@名無史さん:04/12/10 09:37:54
著者は誰なんだろうね?
550日本@名無史さん:04/12/28 21:24:44
>>529
塩冶高貞の子供が越前南条に匿われ、その後出雲の羽衣石城に復帰。
南条氏を名乗る。尼子→毛利→織田と渡り歩き、
その子か孫の時点で関が原までは存在。
でも西軍でした。


551日本@名無史さん:05/01/08 16:01:33
●私●本●太●平●記● 真の英雄は誰?
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1011/10112/1011218817.html
552日本@名無史さん:05/01/18 23:14:41
太平記読み現代に復活しないかなぁ
553日本@名無史さん:05/01/26 17:58:24
>>551
厨房ばっかりの糞スレだな‥‥
554日本@名無史さん:05/01/26 21:17:29
優秀な武将は戦場では自分は目立たず家臣に功を取らせる。
尊氏はそれができた人だと思う。
555日本@名無史さん:05/01/28 18:27:29
>554
そりゃその人間の地位とか立場にもよるから一概に言えんだろ。
頼朝や尊氏みたいに周囲がさっさとお膳立てしてくれるのと、
そうでないのとでは違う。
556日本@名無史さん:05/02/07 00:56:59
著者は児嶋高徳か、その一族じゃないかな>太平記
557日本@名無史さん:05/02/08 22:24:34
小嶋麻由美かな。だとしたら怖いな。
558日本@名無史さん:05/02/15 00:33:54
>>554
>尊氏はそれができた人だと思う。
ていうか、それ「しか」できなかった人だと思う。
尊氏が武芸に優れていたって話は聞いたことがない。
頼朝ですら騎射に巧みであった、という記述が残っているのに。
559日本@名無史さん:05/02/22 16:54:06
>>558
戦場ではどんなピンチの時でもヘラヘラ笑っていたそうだけどな>尊氏
今でいうとドラゴンズの落合監督みたいなタイプか?w
560日本@名無史さん:05/02/23 19:44:08
今日2/23 NHK「その時歴史が動いた」
我が運命は民と共に
〜悲劇の英雄 楠木正成の実像〜
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html

興味のある方はどうぞ
561日本@名無史さん:05/02/27 08:46:08
>>560
神戸在住だから一応見たけど、そんなに目新しい話は無かった気がする。
そもそも、NHKの「その時」はその時になっていない事が多いと思う。
童門さんも困ってなかったか?

それはそれとして、足利家に伝わっていたと言われる「置き文」の信憑性はどのくらいあるの?
足利家時の切腹により、足利家は幕府から睨まれたという話もあったが、
その辺の事情などに詳しい人がいたらぜひ意見を聞かせて下さい。
562日本@名無史さん:05/03/06 01:02:59
>>561

> それはそれとして、足利家に伝わっていたと言われる「置き文」の信憑性はどのくらいあるの?
> 足利家時の切腹により、足利家は幕府から睨まれたという話もあったが、

「置文」だけについていうと、これは今川了俊(貞世)の『難太平記』に言及がある。了俊自身は
「この眼で見た」と書いてるんだがどこまで信用できるか…
『難太平記』は群書類従に翻刻がある(中京大の長谷川端先生らによるとかなり問題のある
本文らしいが)が、置文については『難太平記』以上の議論はできていないんじゃないかと。
吉川氏の『私本太平記』も「置文」の件では『難太平記』以上の依拠史料はないようだし。
現代語訳としては、河出書房新社の現代語訳日本の古典の『太平記』のなかに、長谷川氏の
訳で収められている。ハードカバーから文庫と何回か形を変えて再販されているので、書誌情報は
別途検索を請う。

なお、もちろん古文書としては「置文」なるもの自体は現在まで所在を確認されてはいない。これの
歴史的評価についてはやはりあの佐藤進一先生の名著『南北朝の動乱』(中央公論社版『日本の
歴史』)の評価が妥当なものだと思う。
563日本@名無史さん:05/03/08 21:47:08
>562
「この眼で見た」のは、文書の中身まで見たのか、
それとも置文とやらが入っている函か何かを見て
「これが例の置文だよ」と言われただけなのか‥‥。
まぁ、了俊が嘘をついていないにせよ、了俊その人がだまされていた可能性もあるな。
564日本@名無史さん:05/03/08 22:20:55
同じものかどうか分からないが、
直義は家時の置文なるものを見てるわけだが。
565日本@名無史さん:2005/03/25(金) 18:17:06
>562-564
置文と称して、箱の中身は木切れですよ、たぶん
566日本@名無史さん:2005/03/29(火) 22:59:57
>やはりあの佐藤進一先生の名著『南北朝の動乱』(中央公論社版『日本の
歴史』)の評価が妥当

その本はまだ開いてない。その前に自説を開陳してしまうぞ。

伝えによると
1.源義家が残した文書で「我の後七代で天下をとる」と書いてあった
2.七代目、足利時家が自殺、「自らの命を縮めて3代後に天下をとらせ給え」
といったとか
3.直義はみたらしい
4.了俊もみたらしい

1は信じがたい。義家の時代、武家が天下を取るという発想は難しい。
もし発想するとしたら、将門・純友のような反乱を起こすことになりかねない。

2.七代待つまでもなく、四代目の頼朝が天下を制しているから、すでにこの予言は
無用になっているが、世は北条執権家が支配している。
その口惜しさから偽作されたのかもしれない。あるいは家時が末期に同様のことを
記したのかもしれないが、ヤバすぎる代物だ。
幕府は弱体化しつつ、反動的に得宗の専制が強まっている危険な時期、即刻処分されただろう。
モノは失われたが、秘密を抱えているという意識がかえって足利家に伝えさせたのかもしれない。

3.南北朝の戦いは武家方の優位に収まったが、賊名を受けた過去は消えはしない。
そこで直義は、足利の天下は現世の争いの結果ではなく、遠い過去から決められていた
超自然的な定めによるものとしようとして偽作したのではなかろうか。

4.了俊は上記のものを見たのではないか。
567日本@名無史さん:2005/03/29(火) 23:13:23
>>566
直義が家時置文を見た、という話のソースを知ってる?
知ってたら「偽作」という発想にはならないはずだけど…。
568567:2005/03/29(火) 23:49:56
直義が偽作したことはありえない、ということね。
569ふくろう:2005/03/30(水) 00:03:30
前レスを読まないで、マズは先入観なしで語ります。

楠木正成が500の軍で10万の鎌倉幕府軍に対し半年間粘ったこと。
微動だにしなかった六波羅探題の陥落。
要塞都市、鎌倉の壊滅。

見所が多いのに語られない理由としては
@天皇が咬んでいる。
A悲惨すぎる幕府の最期。
B信長>義経>尊氏&正成。つまり純粋にストーリー性が落ちる。
ということだろうか
570ふくろう:2005/03/30(水) 00:07:00
室町幕府は後醍醐天皇の政治へのアンチテーゼではじまった。
つまり武士階級の優遇である。
その寛容さが、幕府が舐められる、戦国時代への突入の原因になった。
寛容さが裏切られるのは世の皮肉である。
571日本@名無史さん:2005/03/30(水) 00:27:04
院宣をもらっても逆賊という意識は当時でもあったの?
後醍醐天皇側からみればそうだろうけど。
572日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:02:58
>>566-567
知りまへん

>>571
矢作川の戦いから九州落ちまでの間、院宣はないですから。
573日本@名無史さん:2005/03/30(水) 01:25:55
血から言えば、新田が正当な義家直系。足利は隆盛だったが、傍系。
574日本@名無史さん:2005/04/05(火) 04:44:35
どーでもいいけど三好長慶の配下に楠正成の子孫の楠正虎ってのいるよね。正虎は長慶に頼んで天皇に正成の逆臣という汚名を取り消しさせたっていうのは本当ですか?
575日本@名無史さん:2005/04/05(火) 05:09:20
本当らしいです。
手元の本には「松永久秀を通じて」とあるけどたいした違いはないですね。
当時の皇室・朝廷は極貧だったので多少の金品で工作できたのではないでしょうか。
ちなみに正虎は信長・秀吉の祐筆になってますな。
よほど学があったのか、世渡り上手だったのか。
576日本@名無史さん:2005/04/05(火) 09:33:30
長慶天皇、とか言ってみる
577日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:51:47
楠氏は一応明治まで続いてるの?
578日本@名無史さん:2005/04/07(木) 04:55:43
>575
祐筆は現代流にいえば秘書みたいなもんでしょ?
単に世渡りだけじゃ駄目じゃないかなぁ。
やっぱり学があるのと、信用されるに足るだけの何かがあったんでは?
579日本@名無史さん:2005/04/16(土) 08:29:11
>>566
>義家の時代、武家が天下を取るという発想は難しい。
>七代待つまでもなく、四代目の頼朝が天下を制しているから、すでにこの予言は
無用になっている

この2つだけでも置文が偽物だというのは決まったようなものだなw
580日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:50:06
うちの母方の家系は、楠木正成公とともに戦った和田正遠の直系の子孫です。
神戸の湊川神社の資料館に行くとご先祖様の位牌が沢山あり、胸が熱くなります。
581日本@名無史さん:2005/04/17(日) 07:01:10
あぁあ平家方で負けるし、宮方では負けるし、
直義方では負けるし、いつも負け組みだよなぁ。




582日本@名無史さん:2005/04/18(月) 03:41:20
>>581
まぁ敗北にも色々ある罠。
師直みたいに欲望むき出しの負け組は死後も糞味噌だが、
節を曲げずに義に殉じて敗れ去った者は、哀惜され、尊敬もされる。
その意味では楠や新田、菊池、名和、北畠の一族は敗れても
その名を輝かせたから勝ち組に等しい。
583日本@名無史さん:2005/04/18(月) 04:13:52
いま582がいいこと言った。
584日本@名無史さん:2005/04/25(月) 00:55:19
>583
>582みたいなのは日本民族にとっては普遍的な価値観(だった)。
ただ、敗戦後にはそれが崩れつつある。
高師直ファンなんか今では結構いるし(特に戦国厨に多い)。
585日本@名無史さん:2005/05/01(日) 07:18:47
結局太平記は誰が書いたのか?
586日本@名無史さん:2005/05/08(日) 17:15:59
太平記って、大衆の好みにあうように面白おかしく脚色されていたり、
怪奇現象が多く登場したり、
伝聞や下世話な想像だけでさももっともらしく書いてみたり、
史料的にいえば現代の夕刊フジとか週刊ポストと大差ないだろう。
内容は必ずしも史実ではないが、リアルタイムで
時代の雰囲気をよく伝えている、という点で。
587日本@名無史さん:2005/05/08(日) 20:28:36
自分でGODIEGO名乗ってたけど北朝からなんとか院とか
院号おしつけられなかったの?
588日本@名無史さん:2005/05/14(土) 14:59:30
age
589日本@名無史さん:2005/05/14(土) 15:01:45
高師直の先祖って在原業平らしいね。

女性問題が遺伝したみたいだな。
590日本@名無史さん:2005/05/19(木) 15:20:53
590
591日本@名無史さん:2005/05/29(日) 10:37:35
丙ー丙ー
592日本@名無史さん:2005/06/04(土) 03:23:33
>>569
A悲惨すぎる幕府の最期

鎌倉幕府に対する後醍醐天皇方の蜂起は本当に薄氷の感があるよね。
日本史の中でも革命の名にふさわしい事件の一つだったと思う。
幕府の軍事力が圧倒的であったことを考慮すると、
足利高氏の反逆でさえ少しでもタイミングを間違えると
潰された可能性が高いのではないだろうか。

鎌倉幕府は、北条高時の能力の問題はあったであろうし
制度疲労を起こしていた感は否めないが、
歴代に優秀な執権が多かったせいか一族にまだまだ優秀な人間も
沢山残っていたのでは無いだろうか。
大宰府、六波羅、鎌倉と内紛や裏切りも無く一族の大半が消滅して
しまった事が悲惨さを際立たせている気がする。
593日本@名無史さん:2005/06/04(土) 03:26:06
あ、日本語変だった・・・。
下から3行上
「沢山残っていたのでは無いだろうかと思ってしまう。」です
594日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:49:09
「薄氷の感」ってのもヘン
595日本@名無史さん:2005/06/22(水) 21:23:19
吉川元春が愛読していたってホントか?
596日本@名無史さん:2005/06/22(水) 21:40:48
吉川元春筆写の太平記は国指定の重要文化財だよ。
597日本@名無史さん:2005/06/23(木) 02:35:16
備前・備後の豪族・兒嶋三郎高徳公の子孫です。
広綱って人の系譜らしい。戦国時代には尼子家に仕えてたらしくって、本家には古い木の皮みたいな位牌が数十枚あるそう。
598日本@名無史さん:2005/06/23(木) 04:07:55
>>595-596
吉川元春が大友氏との戦いで見事な戦いぶりを見せた際、親父の毛利元就が激賞し、
「矢矧川の新田義貞のように見事である」とか言って褒めたそうだから
親子で太平記ファンだったんじゃないか?
599日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:05:28
>>584
とか、アホか?
敗戦後に崩れつつあるとか、わざわざ書いて恥ずかしくないか?

高師直ファンが戦国厨に多いとか、
そんなもん変り者のヲタが多いってだけの話じゃねーか。
ヲタは元々人と同じ物が好きだと恥ずかしいと思う変人が多いからな。

普通の人間だったら高師直の名前も知らねーよ。
600日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:22:47
>>599
最後の一行に目一杯同意。
601日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:58:22
おいおい、ここ日本史板だろ?
師直知らない香具師なんているのかよw
602日本@名無史さん:2005/06/26(日) 03:05:28
日本人の平均的な日本史に関する知識が日本史板に常駐している人間相当あるかどうか考えてみれ。
603日本@名無史さん:2005/06/26(日) 04:10:09
>>601
日本史板には初めて来ました。
太平記という本では信長や秀吉はどのような扱いなのでしょうか?
あと、話題にのぼってる高師ナオっていう子はこの板では人気あるんですか?
やっぱり萌えキャラというか美少女だったのでしょうか?
604日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:53:53
>>603
高師ナオはツンデレ
605日本@名無史さん:2005/06/26(日) 14:17:20
>>599
おまえのいう「普通の人間」って、学校のクラスメイトレベルだろ?
俺の祖父母なんか歴史ヲタじゃないが、師直の名前くらい知ってるぞ。
足利直冬とか細川清氏とかならまだしも、高師直は日本史全体ではかなり有名な部類だろうよ。
606日本@名無史さん:2005/06/26(日) 16:39:56
そりゃ太平記は戦前の教科書レベルだったからな。

家康と幸村どっちが好きって聞いたら、
幸村のほうが好きな人間多いだろ、そういうことだよ。
607日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:19:49
意味わかんね。何がそういうことなの?
608日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:24:31
昔の常識と、今の常識は違うって事だろ。
昔の人間の楠木正成・高師直は現代じゃ家康・信長クラスだって事だ。
609日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:21:29
今の教育じゃ太平記どころか、授業でやるのは後醍醐天皇と足利尊氏くらいだろ。
楠木正成も教えられてないのに、高師直しっとけって言うほうが無理だ。

そんな中で高師直知ってるのはそれなりに日本史に興味があるやつだろ?
そんな偏った少数で日本民族が・・・とか言っても意味がないって事だよ。


そんな無駄なことするなら、
その辺の一般人に、(これはなんでもいいんだけど、まぁ)司馬遼太郎の『城塞』でも読ませて、
東軍と西軍のどっちが好きか聞いてみろ。

まず間違いなく西軍が好きって答えるから。
610日本@名無史さん:2005/06/28(火) 00:26:57
教科書に「楠木正成は千早赤阪城に篭城し後醍醐政権に貢献しましたよ〜」みたいな事が書いてあったような記憶が有るが・・・
611日本@名無史さん:2005/06/28(火) 04:01:29
>>609
あんたが何に対してそんなにキレているのか、いまいちよくわからないんですが?
612日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:09:24
>>609は学力低下世代
613584:2005/06/28(火) 18:38:22
>>599
伸びていると思ったら、俺のレス叩いている香具師がいるからかよw
そもそも俺が>>584で言わんとしたことは、敗戦後に価値観が転倒し、
歴史上の人物の人気や評価までがひっくり返った、
ひいては日本人の伝統的な美意識や価値観が崩れていって、
それまで不人気だった奴も、現代流の価値観からやたら賞賛されるようになったってことであって、
高師直の一般における知名度がどの程度かなんてことを言っているわけじゃないんだが。
師直はあくまでそういう風潮の1つの例として挙げたに過ぎんよ。
まともな国語力があればそのくらい普通に分かると思うんだが、敢えて意図的に論点をズラしているのか、それともその程度の理解力しか無いのか?
もし後者なら、読む人間のレベルの範囲内でしか文意は解釈されない、それどころか自分流に勝手な曲解までしてしまう、という典型のようなレスだな。
いちいち相手するのも疲れるが、まあ乗りかかった船だから続けよう。
614584:2005/06/28(火) 18:39:30
>>609
>そんな無駄なことするなら、 その辺の一般人に、(これはなんでもいいんだけど、まぁ)司馬遼太郎の『城塞』でも読ませて、 東軍と西軍のどっちが好きか聞いてみろ。

人を無意味だの無駄だの呼ばわっているご当人が、こりゃまたえらく無意味で無駄な提案をするもんだね(呆
おまえが本心からそれが意味のある行為だと信じているなら、おまえ自身でやって来いや。
別に止めはせんから。
615584:2005/06/28(火) 18:40:45
>>609
まあ俺はおまえと違って親切だから、おまえの言葉の足りないところを想像で補って、
何とか真意を読解してやるとしよう。
要するにおまえは、「日本民族の本質は、別に敗戦後も崩れてはいない。いつの時代も、その時代の流行や教育によって影響されているに過ぎない」と、こう言いたいんだろ?

それなら1つの意見としてありだとは思う。
しかし、だったら最初からそう言えばいいんで、どこかピントのずれたレス(師直の一般の知名度だの、真田が家康より人気あるだのetc)で
意図をかえってわかりにくくしているのは何とかしてほしいね。
人のレスをアホだのと煽る前に、もっと自分の意図を正しく伝える術でも磨いてくれや。
616584:2005/06/28(火) 18:44:43
>615で
>それなら1つの意見としてありだと思う。
とは言ったが、それにしたって俺はやっぱり賛同はできないけどね。
まず、おまえも触れている「歴史教育」。
これ自体が、敗戦以来、アメリカと自国の売国奴たちによってガタガタにされて今に至っているのを知らんわけじゃないだろ?
分かりやすい例を挙げれば、おまえ自身も書いているように、楠正成についてすらろくすっぽ知らない香具師が増えたこと1つとっても、
いかに戦前と戦後が分断されているかの証明だ。
また、歴史作家、歴史家、すなわちおまえのいう「歴史ヲタ」についても同じ。
この連中は、確かに日本人全体の割合から見れば多くは無いかもしれないが、そんなことは問題じゃない。
マスコミの影響力が、マスコミが社会全体に占める人数とは何ら関係無いように、この手の連中の影響力は大きいからね。
おまえが例に挙げた司馬もその一人。
敗戦によって、価値観を転倒させた歴史家や歴史作家は、日本民族伝統の価値観ではなく、
自分自身の価値観や思想で歴史を解釈するようになり、
その作品や教育によって、おまえのいう「一般人」にも大きな影響を及ぼす存在となっているんだよ。

もう1度いうが、師直を「一般人」が知っているかどうかなんてことは、さしたる問題ではない。
師直的な人間、師直的な価値観、思想が、たとえ一部であっても(俺は一部とは思わんけどね。かつて無いほど増えていると感じているから)
もてはやされているというのは、戦前までの日本ではまず無かったことよ。
これを崩れていると言わずして何と言うのか?
…とまぁ、その辺は人それぞれ感じ方はあるとは思うけどさ、俺はそう感じる、ということだよ。
それを「恥ずかしくいないか?」とまで言われる覚えは無いね。
むしろ、いい年してそういうことへの問題意識の無い方が、恥ずかしいことだと俺は思ってるし。

まぁ、そろそろ疲れたし、いい加減スレ違いなのでこの辺にしとくわ。
617日本@名無史さん:2005/06/28(火) 21:52:58
↑誰か分かりやすく要約してくれ。
618日本@名無史さん:2005/06/29(水) 03:22:30
>>617
長文だが、高校生程度の読解力を持ってる奴が読めば、何を言っているかは普通に分かるけど?
619日本@名無史さん:2005/06/29(水) 09:32:59
>>617
「スレ違い」
620584:2005/06/29(水) 19:59:45
>>617
なんだおまえ?
シンプルに書くと勝手な解釈かますくせに、
懇切丁寧に書いてやると、今度は長文受け付けないってか。
おまえの読解力は一体どういうレベルなんだよ?
これ以上はもう付き合えん。国語力付けて出直して来い。

‥‥と言いたいところだが、まぁこれが最後だ。
思いっきり端折って言ってやろう。

「日本人の伝統的な価値観や美意識は、敗戦を契機に分断され、
今なおその崩壊が進んでいる。
一例を挙げれば、高師直を好きだと公言するような日本人など昔はまずいなかったが、
今ではかなり存在することが象徴的である」。

‥‥ま、これだとまた揚げ足取って、ガタガタぬかすんだろうけどな。
>>618-619
長々とスマんかった。
再び「太平記」について語ってくれ。
621日本@名無史さん:2005/06/29(水) 20:25:29
2ちゃんでここまで長い長文は久しぶりに見たよ。
622599:2005/06/29(水) 20:34:11
え、俺に言ってるのか?
それとも>>609に言ってるのか?

>>599は俺が書いたけど、それ以外は俺じゃねーぞ。
勘違いしてくれるなよ。
623日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:25:22
>>619
dクス
624日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:37:10
>>622
もう、いいからw
625日本@名無史さん:2005/07/13(水) 02:05:39
よくねえよ
626日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:03:58
チミ達、静かにし給え。
627日本@名無史さん:2005/08/12(金) 00:46:13
いやや
628日本@名無史さん:2005/08/12(金) 02:04:36
山岡荘八氏の新太平記読んでから、鎌倉へ行った。
護良親王の史跡等を中心に回ったけど、場面場面が浮かんでジーンと来た。
又、読み直して、鎌倉に行きたいと思ったよ。京都の花の御所跡とかも行ってみたいけど

好きな人物は北畠顕家卿。出ていない活躍等を入れると今川了舜と佐々木道誉も好き
629日本@名無史さん:2005/08/12(金) 11:06:27
>>628
京都は東山・嵯峨方面の観光名所は情緒あるけど
北山方面に行くと「俺が求めているのはこれじゃないっ」ってなるからやめとき。
630日本@名無史さん:2005/08/17(水) 19:08:40
NHKで大河ドラマとして太平記をやると聞いた時、當然主人公は大楠公(楠木正成)と思い、全巻をビデオに撮ろうと張り切っ
ていたが、逆賊足利高氏が主人公と聞いて愕然とした。原作(吉川英治、私本太平記)がそのようになっているそうであるが、「梅
松論」ならいざ知らず「太平記」と名付ける以上は、大楠公を無視したり足利高氏を賞揚したりすることは許されないのではなかろ
うか。足利高氏の肩を持って書かれている「梅松論」ですら、大楠公に對しては稱贊を惜しまないとのことであるのに、NHKドラ
マの楠木正成は足利高氏に阿諛追從する道化役にされている。役者も重みのある人を起用するならまだしも(演技は上手なのかも知
れないが)輕佻浮薄な役者を起用して意識的に「河内の田舎武士」を演じさせている。役者自身も、大楠公を演じている自覺がまるで
ないようであり、チャンネルを變えると馬鹿面を晒して「ラーメン」や「冷藏庫」の宣傳を行っているから始末が惡い。心ある日本人の
崇敬を一身に集めた大楠公を演ずる以上は、己も大楠公に成り切り、少なくとも放映期間中は輕佻浮薄なコマーシャルの出演を斷る
位の見識を示して欲しかった。昨年の西郷南洲(隆盛)役に續き、NHKは我々の崇敬する人物を意識的に侮蔑しようとするのか!
631日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:57:41
足利尊氏は人類が幸福の道を悟るべき機会を奪い取り、永久に不幸の泥沼から這い上がることができないように網をかけてしまった。
632日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:08:44
逆賊高氏は存在自体が大罪!!
633日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:31:56
高氏なし
634日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:59:23
俺は逆賊高氏の子孫です
おかげで学校でいじめられるし、職にも就けないし最悪です
逆賊高氏を一生恨みます
635日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:00:59
しかも俺の顔は逆賊高氏に似ている
あの眉も目もたれたいかにも情けない顔だ
早く金をためて整形したい
636日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:02:49
しかも俺は躁うつ病なのだ
逆賊高氏の要らないところばかりが遺伝してしまった
もう鬱だ この世は夢のようだ。
早く出家して氏にたい。
637日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:10:58
足利氏の子孫というと限られるのだが。
638日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:29:28
>>634-635
尊氏に朝鮮人の子孫はいないはずだが。
639水戸光圀:2005/08/18(木) 01:44:15
とうというじではなく、たかいうじとよばなければなりません
なぜならかれはぎゃくぞくだからです。
640日本@名無史さん:2005/08/18(木) 02:14:03
歴史上の人物を(時代によって価値も役割も違う)天皇との距離でしか評価
できないってのは、歴史観が極めて近視眼的になるわけで、歴史を語る上で
は百害あって一利無しだな。
641日本@名無史さん:2005/08/18(木) 03:50:26
>>640
一見もっともらしい意見なんだけどさ、
じゃあ「近視眼的でない歴史観」いいかえれば「あなたにとっての理想的な歴史観」とはどのようなものか?と聞かれて、あなたどう答えます?
一応言っておくけど、俺は逆賊厨じゃないよ。
642武田:2005/08/18(木) 03:50:46
>>630
右翼が怖くて赤いきつねが食えるか〜っ!
643日本@名無史さん:2005/08/18(木) 10:38:27
>>641
出来るだけ複数の視座を持つこと
644日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:10:38
千種頭中将
645日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:28:18
光厳法皇と後村上天皇との対談は史実なの?
646日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:28:12
そのNHKですら如何んともし難い場面が有った。さして問題にされなかった方も有ろうが、大方の人は高氏の惡逆ぶりに呆れら
れたことであろう。言わずとも御解り戴けると思うが、高氏と北畠親房卿とが密かに會った場面で、「幕府を認めて貰えるならば、
(南朝の)帝に御還り戴く。」と暗に自らが擁立した「 持明院統の天皇様」を廢し奉ることをも辭さない言動が有ったことである。朝
敵の汚名を着ないために、自己の都合で擁立したのは明らかであるが、「兩統迭立の經緯に對する見解」や「御兄君の御系統たる
持明院統の御方が皇位に就かれるのが正しい」とかの彼等なりの大義名分が有った筈なのに、その大義名分さえ捨て去って單なる
取引の爲に「今迄奉戴していた 天皇様」を弊履の如くに廢し奉るとは、 皇統に對する崇敬の氣持が全く無いとしか考えられない。
 上皇様の輿に矢を射かけた配下が出たことをも考え併せると「高氏は北朝にとっては忠臣であった・・・」等の論が的外れであっ
たことを如實に示して居ると思う。この場面はフィクションであると異を稱える人も居ようが、頑なにまで高氏を辯護しているNH
Kですら、このように描かざるを得なかった程に「高氏の惡業」が著しかったと考える方が妥當であろう。高氏贔屓の者は「今迄強
烈に辯護してしてくれたNHKが何て言うことをして呉れたのだ・・・」と慨嘆するに違いない。我々にとっては、「あの程度の描
写では、高氏の惡業は言い盡されていない」と言う氣持ではあるが、あの一言でも「史上類の無い逆賊」と斷言し得るものと思う。
我々の高氏攻撃に對して「NHKでは、そのようには描いていない」と言う者に對して、この場面の話をすれば十分であろう。尤も
皇統の何たるかを知らない人間にとっては、何の意味も無い場面かも知れないが、時々出くわす「高氏は北朝にとっては忠臣」とか
「楠木正成は、新田義貞を討ってでも足利高氏の意向を尊重すべきと考えていた・・・」等の論に對して痛撃を加えることになるで
あろう。
647日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:32:09
>>我々の高氏攻撃

おまえ一人しかいませんが?
648日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:03:42
逆賊高氏躁鬱病説は、高氏の悪事を正当化するためのイイワケ
649日本@名無史さん:2005/08/18(木) 18:05:40
そーうつ病患者ってマジで迷惑
まとめてどっか逝ってくれ
650日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:06:24
 兎も角「梅松論よりも高氏贔屓な太平記」も終り、神經を逆撫されるような思いをしなくて濟むようになったが、現在にも「高氏的
人間は多く存在する」ことを肝に銘じる必要がある。また彼等と戰うに際して、坊門清忠的人間の妨害も無視することは出來ないが、
如何なる障害が有ろうとも「黙って湊川に赴く」覺悟は持ち續けたいものである。
651日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:13:52
高氏 高氏 高氏 高氏 高氏 高氏 高氏 高氏 高氏 高氏
652日本@名無史さん:2005/08/19(金) 01:08:22
黙って湊川に逝け。
653日本@名無史さん:2005/08/19(金) 02:12:12
>>608-609
楠木正成も高師直も教科書に載っているレベルの人名。
少なくとも、高校で日本史をやっていれば知っているはず。
654日本@名無史さん:2005/08/19(金) 02:50:31
>>653
今更蒸し返さないヨロシ。バカがまた現れる。
655日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:38:38
尊氏がすぐれた人物だと聞いて興味をもって読んでみたんだが、
高貴な血筋をかさに着た傲慢なプライドの塊にしかみえなかったな
そのくせ小心者だし
夢想礎石は人を見る目がないな…
656日本@名無史さん:2005/08/19(金) 23:38:45
>>655
おまえが読んだのは太平記じゃないだろw なに読んだ?言ってみ。
657日本@名無史さん:2005/08/20(土) 02:13:17
逆賊高氏=ただのええかっこしい
658日本@名無史さん:2005/08/20(土) 11:16:53
>>655
夢想礎石なら人を見る目がないだろう。
夢窓疎石と違うものな。
659日本@名無史さん:2005/08/20(土) 15:49:03
爆笑問題にまで酷評される逆賊足利高氏
660日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:27:51
爆笑問題=ブサヨクなので高氏を酷評するはずがない
661日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:46:32
逆賊厨のおかげで南朝のイメージが悪くなった。
662日本@名無史さん:2005/08/20(土) 21:23:42
尊氏を逆賊とする論者は、後醍醐天皇と対立後、天皇から尊の字を
取り上げられたとして、一貫して高氏と呼ぶことが多い。
しかし実際には、南朝方はその後も尊氏と呼び続けていることが
古文書から分かっている。
大義名分論が実際の歴史を無視した一例といえよう。
663日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:01:41
後醍醐帝と尊氏って、政治的には最後は決別したけど、個人的な関係はそんなに
悪くなかったらしい。
664日本@名無史さん:2005/08/21(日) 17:04:59
温柔の叡旨、猶耳底に留る、攣慕の愁腸、心端に尽し難し、恩恵窮無し、報謝何ぞ疎ならんや
665日本@名無史さん:2005/09/02(金) 01:30:01
なんすかそれ?
666日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:09:41
太平記のクライマックスは義貞による鎌倉陥落
三国志は赤壁の戦い。

平家物語は最後付近の壇の浦まで盛り上がって
いくからじゃない?

おれは太平記も三国志も好きだけど。
667日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:30:57
個人的に三国志・義経関係は同意だが、太平記は楠木万歳な為か、湊川決戦がそれっぽいけどなぁ。
668日本@名無史さん:2005/09/07(水) 06:15:19
>667
原文だと湊川よりも四条畷の方が熱いと思ったけどな。

俺が太平記で一番面白いと感じるのは、楠木挙兵から義貞の鎌倉攻略まで。
その意味では>>666の「鎌倉攻めがクライマックス」に同意。
669日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:12:42
20歳前後の者だが
私が初めて見た大河が太平記だった。
小学校低学年あたりだったと思うが
ものずごく熱中して本放送と土曜の再放送を両方見ていた。
それから歴史好きになった。
最初は学校でこんなドラマ見ているのは
自分くらいだろうと思っていたが
少なくとも友達2名が見ていることが判明した。
小学生でもけっこう大河ドラマ見るやつは見るよな。

670名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:49:34
俺が最初に見たのが「草燃える」

671日本@名無史さん:2005/09/12(月) 13:18:38
逆●足利●氏の悪事を描いたドラマ
672日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:00:50
ここはNHK大河ドラマ「太平記」ではなく
古典太平記のスレ。
そんなことも分からない哀れな逆賊厨w
673日本@名無史さん:2005/09/18(日) 03:05:06
青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に駒とめて 
世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か

正成涙を打ち払い 我子正行呼び寄せて 父は兵庫へ赴かん
彼方の浦にて討死せん いましはここまで来れども とくとく帰れ故郷へ

父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人 いかで帰らん帰られん
この正行は年こそは 未だ若けれ諸共に 御供仕えん死出の旅

いましをここより帰さんは わが私の為ならず 己れ討死為さんには
世は尊氏の儘ならん 早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為め
674日本@名無史さん:2005/09/19(月) 18:27:52

    直 今 後 今 た 猶 後 尊 こ
    義 生 生 生 う と 生  氏 の
建  あ の た の 心 く た  に 世
武  ん く  す く  た と す  た は
三  を わ け わ ば く け  う 夢
年  ん ほ さ ほ せ と を  心 の
八  に う  せ う 給 ん は  た  こ
月  ま を 給 に 候 せ し  は と
十  も は 候 か へ い ま せ  く
七  ら 直 へ へ  く し  し 給  に
日  せ 義 く  て 候 た 候 候 候
    給 に 候      く  へ て
    候 た        候  く
尊  へ は           候
氏   く せ
    候 給
      候
      て
       ∨

    / ̄ ̄ ̄ ̄\   
   (  人_____,,)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) )    カタカタカタ
   | ∴ ノ  3 .ノ  ______
    ヽ、,,     __,ノ   |  | ̄ ̄\ \
   /       \.____|  |    | ̄ ̄|
  /  \___      |  |    |__|
  | \      |つ    |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
676日本@名無史さん:2005/09/28(水) 02:55:20
日本國存立と安定の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。いかなる醜い政治権力闘争が行なわれていても、日本国が崩壊せず統一と
安定が保たれているのは、皇室の御存在があるからである。 日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が
冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。近代の歴史を顧みても、西欧列強の
わが国に対する侵略の危機をはねのけた明治維新の大変革は、天皇・皇室を君主と仰ぐ日本國體の明徴化という原理によって
断行された。大東亜戦争敗北という亡国の危機も、先帝昭和天皇の無私の大御心によって打開することができ、戦後復興が成し遂げられた。
わが国は建国以来、天照大御神の生みの御子・現御神日本天皇を、祭祀主・君主として仰いできた。これが万邦無比のわが日本國體である。
国民が、天皇及び皇室を限りなく尊崇し奉ることが、わが國の平和と安定の基礎である。 しかし、天皇国日本の國體を破壊あるいは
隠蔽せんとする勢力が存在してきたこともまた事実である。天皇・皇室の敵対する者すなわち朝敵・国賊は昔から存在したけれども
最終的には悉く天皇・皇室の御稜威に服し、平定された。 大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行われたいわゆる「民主化」
そしてその後続けられた左翼革命勢力、反皇室・反國體勢力による執拗な國家破壊策謀は、日本國を亡國への道を歩ましめる
危険があった。しかしそれでも建国以来三千年の國體は破壊されることはなかった。常に世界の平和・国家の安泰・五穀の
豊饒・國民の幸福を神に祈られる天皇・皇室に対する国民の尊崇の心は継承され続けてきた。今日、あからさまに『天皇制打倒』
などと叫んでも誰も相手にしない。
677日本@名無史さん:2005/09/28(水) 10:33:19
それ、どこのコピペ?

皇統なんて、あと80〜90年もすれば自然に断絶しますから。
天皇が無くなっても日本は存続しますから。そう必死にならずとも心配御無用。
678日本@名無史さん:2005/09/29(木) 12:32:38
熊谷天皇の子孫が南朝再興しますんで無問題
679日本@名無史さん :2005/09/29(木) 13:08:05
熊谷天皇?
熊谷直実の子孫か何かですか?
680日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:06:03
   尊氏 尊氏 尊氏尊氏尊氏 足利尊氏
   尊氏 尊氏 尊氏尊氏尊氏 足利尊氏
   日本の尊氏 世界の尊氏 地球の尊氏 逆賊高氏
   尊氏 尊氏

   光を放ち 今立ち上がる 若きエースに帰依しよう
   僕らの日本を守るために 尊氏の力が必要だ
   尊氏 尊氏 足利尊氏

   尊氏 尊氏 尊氏尊氏尊氏 足利尊氏
   尊氏 尊氏 尊氏尊氏尊氏 足利尊氏
   過去の仏陀 現在の仏陀 未来の仏陀
   尊氏 尊氏
   光を放ち 今立ち上がる 十方諸仏の変化身
   僕らの心を守るために 尊氏の力が必要だ
   尊氏 尊氏 足利尊氏

   尊氏 尊氏 尊氏尊氏尊氏 足利尊氏
   尊氏 尊氏 尊氏尊氏尊氏 足利尊氏
   過去生の如来 現世の如来 死後の如来
   尊氏 尊氏
   慈愛を放ち 今立ち上がる マイトレーヤの変化身
   僕らの魂を守るために 尊氏の力が必要だ
   尊氏 尊氏 足利尊氏
681日本@名無史さん:2005/10/03(月) 13:53:35
682日本@名無史さん:2005/10/07(金) 22:04:13
 数年前の事である。京都の等持院へ見物に行き、女學生の修學旅行團と一所になつた。
教師に率ゐられた娘たちが、足利氏十三代の木像の前に來た時、口々に喧々囂々としやべり始めた。
「これが尊氏よ。」「こいつが義満だわ。」「逆賊!」「惡人!」
「こんな者。皆叩き壊してやると好いわ。」「馬鹿ツ!」「馬鹿ツ!」
 そして口々に唾を吐きかける眞似をした。僕は女學生諸君の烈々たる忠君精神に驚いたが、
一方ではまた、こんな教育をして好いものかと言ふことに疑問を抱いた。引率の教師は
おそらく後でこんな訓話を生徒たちにするのであらう。「皆さんもこの尊氏等のやうに、
死して惡名を千古に殘し、死後にも人から辱められるようなことをしてはなりません。」
しかし僕は考へるのである。惡名を千古に殘したのは尊氏でなく、今日の學校教育の方針が、
無理にそれを殘させたのであると。なぜなら尊氏その人は、決してしかく腹黒の惡人ではなく、
また眞の憎むべき大叛逆人でもなかつたからだ。直木三十五氏は、尊氏を評して「性交した
西郷隆盛」だと言つた。維新の元勲であった西郷隆盛が、後に謀反を起して朝敵となつたのは、
彼自身の意思によつたのではなく、失職した不平士族や郷黨にかつぎあげられ、半ばそれの
犠牲的傀儡となつたのである。足利尊氏の場合が、これとまったく事情を等しくして居る。
尊氏がもし立たなかつたら、當時の失職した武士階級者は、必ず他の首領を見付けて
亂を起したにちがひないのだ。
 學校教育に於て、何よりも子供に教へなければならないことは、すべての日本人が生れ乍ら
忠君思想に深いこと。日本に於ては、決して支那西洋に於ける如き、眞の謀反人や逆賊が
居なかつたと言ふことである。この點の教育資料として、尊氏は最も好い題目を提供する。
なぜなら足利尊氏は、西郷隆盛と同じく、最後までその朝敵となる運命を悲しんで居たからである。
683日本@名無史さん:2005/10/07(金) 22:04:58
義貞の軍が錦旗をひるがへして攻めて來た時、彼は剃髪しようとして臣下にさへぎられた。
かつて後醍醐天皇から受けた御寵恩は、尊氏の心に命じて生涯忘れないところであつた。
彼が北朝を擁立した後に於て、吉野朝廷の如きは全く武力なき一片の葦にすぎなかつた。
北朝の大軍隊を以て迫れば、これをただ一夕にして亡ぼすことができるのである。これがもし
北條義時や北條高時だつたら、即座に遠島に流し奉ったにちがひないのだ。しかも尊氏があへて
北條氏の轍を踏まず、北朝と竝んで南朝を竝立させたのは、心に深く皇室を崇敬し、畏れ
かしこんで居たからである。そのため彼は子孫三代の長きに渡つて、南北兩朝間に反轉の紛議を
殘し、容易に天下を統一することができなかつた。
 後醍醐天皇が崩御された時、尊氏は聲をあげて慟哭し、大寺院を建立して盛大な法事を營み、
天皇の御冥福を祈り奉った。當時大義名分の観念が殆んどなく、武士が朝廷を重んじない時代に
於て、これが人心收攬の政略でなく、尊氏の赤心であつたことは明らかである。しかも尚尊氏は、
事故の背恩の罪を深く悲しみ、夢窓國師に懺悔して日夜説教を聞いたと言はれる。仇敵楠正成が
死んだ時さへ、暗涙を浮べて悲嘆したと言はれる彼である。舊恩厚き天皇の崩御に際して、如何に
耐へがたく悲しみ傷んだかは察するにあまりある。だがそれ位なら、始めから何故謀反など
したのだといふ疑問が起るが、西郷隆盛の場合と同じく、そこには時代の避けがたい潮流が
あつたのである。彼は心に涙を流しながら、手に弓矢を取つて敵に向つた。尊氏の一生は、
日本歴史に於けるもっとも深酷な悲劇であつた。そして歴史教育の先生等は、そこを最もよく
生徒に教へなければならないのだ。即ち言へば、日本に決して謀叛人や逆賊が居ないと言ふこと。
すべての反亂は他の事情であり、そしてすべての日本人等は、生れながらの忠君主義者で、
嬰兒の如く天皇を慕ひ奉つてることを教へるのである。
684日本@名無史さん:2005/10/14(金) 10:24:15
尊氏を評して「性交した西郷隆盛」だと言つた。
685日本@名無史さん:2005/10/14(金) 12:10:56
私は日本の歴史に興味あります。
686日本@名無史さん:2005/11/04(金) 02:27:30
太平記を実写で映画化希望。
今更、合理的かつ科学的な「解釈」は不要。
不条理を承知で、あくまで原文をそのまま映像化すべし。
きっと帝都物語とか陰陽師以上に面白い筈だ。
687日本@名無史さん:2005/11/04(金) 13:20:22
激しく見たいが、怨霊になった天皇なんて映像化出来んのか? 
688日本@名無史さん:2005/11/06(日) 00:05:38
逆賊足利高氏を礼賛する方は、これらを読むことをお勧めします。

http://www.meiseisha.com/katarogu/kenmutyuukou/kenmutobira.htm
http://www.kogakkan-u.ac.jp/syupanbu/owner/i1book023.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/takauji.html
ttp://www5.ocn.ne.jp/~iyasaka/taiheik.htm
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4773351446/249-3150499-2862734
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896340523/250-4335673-3758623

ひとつでも読めば、あなたの高氏観は180度変わること請け合いです。
他の暗愚な歴史家や小説化がいくら高氏善人論を振りかざそうと、惑わされることはなくなるでしょう。
689日本@名無史さん:2005/11/06(日) 02:25:59
>>688は「足利と新田」スレで周りの空気を読めずに
腐臭を放っていた醜悪な人物、◆EDaOawDEWIだな。
誰からも相手にされずにすごすご退場したと思ったら、
ここに生息していたか。

黴の生えた皇国史観や、幼稚な善悪二元論で歴史を論じた本なんて
今更読んでも時間の無駄でしかないし、
「天皇が宇宙の中心」とかのたまうトンデモ本も挙げられておる。
小生、皇室に敬意を惜しまぬ者だが、宇宙の中心とまでは思わんぞ。
「鎌倉幕府最後の将軍北条高時」とか書いてあるのもあるな。
まぁ◆EDaOawDEWIが薦める本などその程度ということだ。

大体、尊氏が後醍醐と訣別したのは、民意(敢えてそう言う)が後醍醐から離反したからではないのか。
開幕は尊氏だけでできたのではない。
尊氏を支持する声がその時代の声だったということだと思うが。

◆EDaOawDEWIは後醍醐の政治=公家一統が良いと思ってるんだろか。
公家一統の世が今も続いていたら、◆EDaOawDEWIみたいな地下人に発言権など無いはずだが。
小生は、今の民主国家に生まれて良かったと思うし(最善とは言わないが)、
尊氏の同時代人である武家衆は、武家政権が再興して良かったと思ったであろう。
まぁ南朝派の面々は逆のことを思ったであろうが。
◆EDaOawDEWIも、自分と違う考えが存在し、それが寧ろ多数派という事実を直視できれば、
一回り大人になれるのではないかな。


あ、単なる独り言だから、
◆EDaOawDEWIは返事書かなくて宜しい。
690日本@名無史さん:2005/11/06(日) 12:50:28
↑必死だなw
691日本@名無史さん:2005/11/06(日) 14:40:02
>>689
コピペ荒らしすんなBOKE
692日本@名無史さん:2005/11/06(日) 20:54:04
師直「ス…超副将軍てのは…うっ…ゴホッ」
直義「それいじょうしゃべるな!死を早めるだけだぞ!」
師直「よ…よ…よくきけ直義……
   俺たちがお…襲われて死んだのは………上杉たちが勝手に…襲ったせいなんかじゃ
   な…なかったんだ……ぎゃ…逆賊高氏が裏切りやがったんだ……!
   お…俺たち忠臣はあいつの手となり足となり忠義のために戦ったってのに…
逆賊高氏「心臓を貫いたのにしぶといね。話はまだ続くわけ?」
師直「た…たのむ…逆賊高氏を…逆賊高氏をたおしてくれ………た…のむ。副将軍の…手……で………」
逆賊高氏「やっとくたばったか…じゃあ恐怖のショーを再開しようか。」
直義「おめえが泣くなんて…おめえがオラにたのむなんて…
   よっぽどくやしかったんだな………わかってるぜ…忠臣の自分たちが殺されたのが
   くやしいんじゃねえんだろ…?
   あいつにいいように利用されてたのがてたのがくやしくてしょうがねえんだろ…?
   おめえのことは大キライだったけど、逆賊高氏への誠意は持っていた…
   オラにもすこし分けてもらうぞ その誠意を…
   おめえに殺された忠臣のためにも そしてここで死んだ師直のためにも
   おめえをぶったおす!」
693日本@名無史さん:2005/11/06(日) 21:18:43
後醍醐天皇「ス…超天皇てのは…うっ…ゴホッ」
義良親王「それいじょうしゃべりますな!死を早めるだけでござりますぞ!」
師直「よ…よ…よくきけ義良……
   建武の中興がと…頓挫したのは………朕のが政治に…問題があったせいなどでは
   な…なかったのじゃ………
   ぎゃ…逆賊高氏が裏切りやがったのじゃ……!
   ち…朕忠臣はあやつの実力を高くかって参議にまで就けというのに…
逆賊高氏「心臓を貫いたのにしぶといね。話はまだ続くわけ?」
後醍醐天皇「た…たのむ…逆賊高氏を…逆賊高氏をたおしてくれ………た…のむ。南帝の…手……で………」
逆賊高氏「やっとくたばったか…じゃあ恐怖のショーを再開しようか。」
直義「父上が泣かれるなんて…父上が私にたのまれるなんて…
   よっぽどおくやしかったのでしょう………わかってますぞ…建武の中興が失敗に終わったのが
   おくやしいのではございませぬのでしょう…?
   逆賊高氏にいいように利用されなさったのがくやしくて仕方がないのでございましょう…?
   父上の政治は頓挫してしまったけれど、民への熱い思いは持っていた…
   私にもすこし分けていただきますぞ その思いを…
   おめえに追われた父上のためにも そしておめえに殺された尊き血潮のためにも
   おめえをぶったおす!」
694日本@名無史さん:2005/11/06(日) 21:43:15
↑ つまんない。名前も間違ってるし。
695日本@名無史さん:2005/11/21(月) 01:04:30
太平記は不当に低評価されている!
三国志の数万倍深いから、ガキには理解出来ないのだろう。
696山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/22(火) 16:09:53
長いからじゃありませんか。それと、全編通した漫画が出ていない。
横山光輝先生以降、三国志は何度も漫画化されていますが、演義すら読了に
至った・・・それどころか、吉川版すら読んでいない人が大半でしょう。
内容が一貫していないとも言われ(少なくとも分りにくい)、義経の三度の合
戦の様なパッと思い付くだけの名場面にも欠けると。
楠木正成系は光彩を放っていますが、彼関係で称揚されて来た「美徳」も、戦
後は逆に忌避されて来ましたからね。尊皇云々での反発もある。
長さは現代語訳や注釈付きで四冊以上。原文だけなら戦前に一冊か二冊に全文
を入れたものが何度か出ていますが、今は読めない学生が増えました。
そこまでして読まなくても、娯楽はいくらでもある時代になりましたし。
歴史教育の面でも(政治関係は)信用出来ないとは、戦前から言われている。
角川文庫が最後まで出ていれば、まだ知名度はあったかもしれませんが。
697日本@名無史さん:2005/12/07(水) 02:15:58
漫画かあ。
698日本@名無史さん:2005/12/07(水) 02:30:47
>>688
(尊氏に限らず)善人でも逆賊でもどちらでもないの。
おまいのようなステレオタイプな脳味噌には一生理解できんだろうが。
699従五位下兼行左近衛将監鷲尾隆冬 ◆salbrHQCi. :2005/12/07(水) 02:50:48
>>695
だって途中で冗長な中国・天竺の故事が入ったりして纏まりがないんだもん。
そういうわけで平家より文学性が落ちると言われる。
>>686
実写化賛成!
是非、武装した後村上天皇と法性寺康長が2騎で東条に落ち延びるシーンが見たい!
しかし康長って、当時の公家の中では一番武術に優れてたんじゃねーのかな?
700日本@名無史さん:2005/12/07(水) 03:45:52
さいとう・たかをの太平記はこのスレ的にはどうなん?
701従五位下兼行左近衛将監鷲尾隆冬 ◆salbrHQCi. :2005/12/07(水) 23:41:19
>>700
尊氏が死んでる時点で終わってるのがねえ…どうせなら、最後まで描いてほしかった。
あと細かい所で史実の間違いがある。

1、楠木正行が後村上天皇と謁見するシーンがあって、マンガでは天皇が泣いている。
でも実際に正行に感動して泣いたのは、伝奏の四条隆資。
2、高師直が吉野を焼くシーンがあり、マンガでは逃げ惑う公家や女性が
描かれているが、この時天皇以下が避難済みの吉野は無人で、こんな状況はあり得ない。
702日本@名無史さん:2005/12/12(月) 21:19:12
北畠親房って、太平記では現実離れしている馬鹿っていうイメージしかない気がする

親房が子孫の有馬範顕を見たら何思うかな?
朝廷に歯向かった逆賊って思うかな?
それとも新田(徳川)と結んで、北朝(新政府)に対抗した忠臣って思うかな?

ちなみに俺が好きなのは北条時行、足利義詮、楠木正儀
703日本@名無史さん:2005/12/13(火) 01:06:05
太平記って平家みたく〜版てのがある訳ですか?
自分が読んだのはJ-TEXTの国民文庫本のヤツですが
704日本@名無史さん:2005/12/13(火) 02:44:24
>>702
はぁ、かの北畠親房卿を指して「馬鹿」ですか‥‥
まぁ盲蛇に怖じずとはいえ、下品というか幼稚というか、その両方というか。
ゲンロンノジユウとかミンシュシュギとやらいうやつは、
こういう手合いを果てしなく増殖せしめましたなぁ。
嘆かわしいことじゃて‥‥
705日本@名無史さん:2005/12/13(火) 03:53:44
>>704は、何か鋭いことを言おうとして失敗した好例。
706702:2005/12/13(火) 07:39:04
>>704
すみません。あくまで太平記を読んだ時のイメージです
実際は馬鹿ではないと思います
子孫は戦国時代まで生き残っており、江戸時代も公家として存続しているので、それなりの一族だとは思います
707日本@名無史さん:2005/12/13(火) 07:50:39
>>706
大丈夫、>>704氏以外はわかってますから。
708日本@名無史さん:2005/12/16(金) 03:35:32
>707
馴れ合いキモい
709日本@名無史さん:2005/12/16(金) 04:34:31
と、涙ながらに語る>>704であった。
710山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/20(火) 22:28:21
>>703
>国民文庫本
これの底本は、元和の片仮名本ですね。
著名なのは、神田本や梵舜本でしょう。
711日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:20:51
太平記は史学に益なし
712日本@名無史さん:2006/01/11(水) 21:16:25
喜田先生の台詞だけ抜き出しても空しい。
713日本@名無史さん:2006/01/18(水) 14:39:22
748 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2006/01/18(水) 13:45:05
太平記厨房に質問だけど、どうやったら北畠顕家みたいなレベル低い時代の馬鹿が
日本で一番戦が強いって考えることができるの?
しかもそいつ自身戦死してるじゃん。


http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1059646052/
714日本@名無史さん:2006/01/18(水) 15:31:24
清和天皇―貞純親王―源経基―満仲―頼信―頼義―義家―義国―(足利)義康―義兼―義氏―泰氏―頼氏―家時―貞氏―尊氏―基氏―氏満―満兼―
持氏―成氏―政氏―高基―晴氏―義氏―(喜連川)氏姫―義親―尊信―昭氏=氏春―茂氏―氏連=恵氏―彭氏―煕氏=宜氏=(足利)縄氏―於菟丸
715日本@名無史さん:2006/01/20(金) 17:40:24
新田義貞が五大院宗繁が悪者みたいに扱われているけど
鎌倉幕府御家人の癖に幕府を裏切った新田に言われたくないよって感じじゃないの?
準北条一門の癖に裏切って、後醍醐みたいな奴に取り入った足利なんて論外
716日本@名無史さん:2006/01/20(金) 20:22:28
宗繁は北条家の奴隷。義貞は外部の委託社員。
立場が違う。
717日本@名無史さん :2006/02/23(木) 01:29:23
南朝北朝二分論を排す

足利時代を南朝と北朝とに二分し、それによって逆賊尊治の大逆の罪を相対化し、
挙句の果てに逆賊尊治も日本にとっては天皇だった、などという論があるが之は全くの誤りである。
又、光厳院が大覚寺統を不当に否定した、だから持明院統は間違っていたという論があるが之も全くの誤りである。
そもそも皇統の分裂というのは政治的混乱の過程に於ける京都側の自業自得であり、はじめから瑣末なものであった。
皇族の愚昧ぶりと其の政治の悪を見越した文保の和談の義挙ほど我々を感動させるものはない。
普通であれば鎌倉幕府滅亡後、世間知らずで、傲慢な院に振り回されるところだ。
にもかかわらず等持殿(尊氏公)があれほどの強い意志でもって皇道を示し悪逆の尊治に立ち向かった事は後世の我々を感動させてやまない。
もっとも之は不思議なことではない。
思い返せば、日本の歴史のなかでは、右大将軍(頼朝)の肇国の大業、鹿苑院の御統一、東照大権現の治世、何れも人臣の考えの及ばない、
まことに不可思議な力の働いた、言葉を以って説明することの難しい偉大なる意志があった。
等持殿の義挙もその文脈で語られるべき聖業である。
此の御意志こそが総ての心有る日本人が『常識』として他の何にもまして尊重してきたものであった。
等持殿の大御心を誰よりも深く受け止めた日本開闢以来最大の忠臣が其の人、高師直公であった。
こうして発せられた大御心の下、木像同然の吉野は滅び不当なる両統迭立は拝され皇道が打ち立てられることとなったのである。
だから等持殿が大覚寺統を不当に否定したというのは誤りである。
718日本@名無史さん:2006/02/23(木) 10:28:30
>>713
最期戦死=能無しとすると、大半の奴が能無しになってしまいますね。
719日本@名無史さん:2006/02/24(金) 23:09:50
なんだなんだ、

「高氏=逆賊」と遠吠えを続ける逆賊厨、
こんどはここに引っ越しかよ。

後醍醐天皇なんて、
「もう在位十年になったんだから、早く引退させてください」って要望が
朝廷内から吹き上がるという惨状の中、

引退させられたくないがために無理矢理に兵乱を引き起こして、
日本中をかき混ぜた自己中の人じゃないか。

朝廷からの強い要望に、やっと重い腰を上げた鎌倉幕府が、
後醍醐天皇に代わって即位させた後光厳天皇の時にも、
ちゃんと大覚寺統の皇太子を用意して、
後醍醐抜きの「両党鉄立」を、きちんと続けてたというのに、

後醍醐天皇が逆恨みで持明院統を滅ぼそうと画策したから、
朝廷内から激しい反発が吹き上がって、
それに便乗する武士が足利尊氏を擁立して幕府をたてたんだろ。

後醍醐天皇が追放されたのは自業自得。

そんなことだから、子孫断絶するんだよ。
720北畠スレより:2006/02/25(土) 07:00:12
徳川=新田=足利の敵=南朝=忠臣
明治天皇=北朝
薩長=北朝の味方=逆賊
721日本@名無史さん:2006/03/01(水) 07:15:10
南朝の正統は常磐井宮(後宇多帝の弟)だと思うな。
そもそも大覚寺殿=亀山帝は先帝の遺詔(これには若干疑問もあるがともかく理念的には)
を正統性の根拠にしているのだから、
後宇多帝が長嫡を理由に正統性を主張するのはおかしい。
長嫡が正統性の根拠になるなら、持明院統=北朝が正統であって大覚寺統の自己否定につながる。

北朝は、尊氏が擁立したのは後光厳天皇にはじまる北朝傍流で、
光厳天皇はべつに足利に立ててもらったわけじゃない。後醍醐帝が吉野に去って
いなくなったから両統迭立に従って正統に即位したはず。

従って南北朝時代は前半は北朝が正統、後半の正平の御一統からは南朝が正統じゃないか?
96後醍醐→97光厳→後醍醐→98光明→99崇光→100後村上→101長慶→102後亀山→103後小松
光厳・光明・崇光・後亀山の四帝在位中の後醍醐・後村上・後小松は閏統。
722日本@名無史さん:2006/03/01(水) 10:43:16
「北朝vs南朝」と単純に考えるのは誤り。
大覚寺統は
後醍醐流(吉野南朝)、亀山流(常磐井宮)、後二条流(木寺宮)・後二条流(花町宮)
持明院統は
崇光流(伏見宮)、後光厳流(後期北朝)
に分裂して抗争していた。

(後宇多流(五辻宮)・光厳流(萩原宮)・順徳流(四辻宮)・順徳流(岩倉宮)
なんてのもいたが南北朝の頃には皇位争いには参加してない)
723日本@名無史さん:2006/03/02(木) 09:26:21
太平記では三木一草のうち、千種忠顕だけがボロクソいわれてるが、実際もああだったのか?
724日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:22:25
直仁親王の本当の父親は花園院じゃなくて光厳院?
725日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:46:46
未来記ってのは何なんですか?
726日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:49:30
>>722
バーカ。しったかぶりすんな
727日本@名無史さん:2006/03/23(木) 01:21:50
遅レスだが>>714
いわゆる清和源氏は実は「陽成源氏」。
728日本@名無史さん:2006/03/23(木) 03:41:16
>>727
そういう説があるが真相は不明。
729日本@名無史さん:2006/03/25(土) 12:49:24
物知りの>>726様、講釈を垂れてください。どうぞ。
730日本@名無史さん:2006/03/26(日) 12:24:06
長崎円喜(高綱)・高資親子は悪役として描かれることが多いですが
安達時顕・高景親子はどうなんでしょうか?
731日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:27:36
南北朝の本質は
本当は天皇派対武家棟梁派だったはず
それを南北の朝廷の争いにおきかえた
高氏のずる賢さはたしかにすごい
732日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:28:36
>>731
んなこたぁない
733日本@名無史さん:2006/03/31(金) 02:19:35
いつまでたっても順番が回ってこないので
しびれを切らしていた持明院統が、

後醍醐天皇の討幕運動失敗に乗じて皇位獲得するも、

逆襲にあって皇位剥奪され、機をうかがっていた。

そんななかで、尊氏が後醍醐天皇と争い始めたため、
持明院統関係者は、喜んで接触を取ろうとし、
ついに共同戦線を張ることに成功、皇位を確保した。

が、尊氏の失策により後醍醐(元)天皇が脱出し、
南北朝の状態を作られてしまった。

というのが正しい流れだろ。

>731は尊氏の実力を過大評価している。
また、持明院統の力を過小評価している。
734日本@名無史さん:2006/04/02(日) 06:15:52
尊氏がいようがいまいが、いずれ戦国時代には突入しただろうな
735日本@名無史さん:2006/04/02(日) 06:43:50
太平記に「是非の思案にも及ばず」とあった
是非に及ばず、は手抜き表現だな
736日本@名無史さん:2006/04/02(日) 12:20:20
新田って北条の血少しぐらい引いてないの?
737日本@名無史さん:2006/04/02(日) 15:10:01
北条時政−時子−足利義氏−女子−新田政氏−基氏−朝氏−義貞
738日本@名無史さん:2006/04/06(木) 16:59:55
「持明院vs大覚寺」というのも単純化しすぎ。
持明院統も大覚寺統も割れていたろ。
739日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:14:43
持明院統は、別に分裂してないだろ。
少なくとも、南北朝期なかばまでは。

それに対し、大覚寺統は、
鎌倉末期までに三分割、
三つどもえの争乱を引き起こしていたな。

光厳天皇が即位したときの皇太子だって、大覚寺統の皇子だし。
740日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:19:09
それよりな。

あの時代って、
「謙譲の美徳」と無縁の人が多いな。
(↑鬱陶しい「美徳」で、嫌いだ。)

最右翼、自己顕示の頂点は、文観かな。
「文殊の知恵と観音の慈悲を併せ持つ」って、大言壮語すぎ。
文観という名称と別に、殊音上人って名前も使った事実が、
この大言壮語を裏付けている。
741日本@名無史さん:2006/04/09(日) 03:02:28
南北朝のころが一番おもしろい。
742日本@名無史さん:2006/04/09(日) 10:02:25
>>737
基氏母も一応北条氏(平左近太夫秀時とかいう人物)らしい
743日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:07:06
秀時ってどういう人物?
744日本@名無史さん:2006/04/11(火) 10:54:37
持明院系は伏見宮(光明院流)と萩原宮と後光厳流に三分。
745日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:20:42
伏見宮は崇光流だろ。
746日本@名無史さん:2006/04/22(土) 20:52:08
荻原宮は直仁親王で絶えて、後光厳流は後小松の子称光に子がなかったので、
後小松が崇光流の伏見宮から後花園を猶子に迎えたから、なんとなく
分裂していないように見えるのではないでしょうか。
とはいえ称光は伏見宮から猶子を迎えるのに反対していたとかで、後花園
は称光の崩御の直後に東宮を経ずに後小松の猶子となって践祚したとか。
実は結構、内部抗争があったのでは。
747日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:28:59
直仁親王の本当の父親って光厳なんでしょ?
748日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:13:32
本朝皇胤紹運録では「光厳院の猶子として崇光天皇の皇太子に立坊」とある。
しかし直仁親王が花園法皇の皇子なら、なぜ同腹の兄2人を差し置いて東宮になれたのか
は奇妙だ。しかも年齢は崇光より1才年少。
鎌倉と同様に南北朝になっても後宮は紊乱だったってことだろうか。
749日本@名無史さん:2006/04/26(水) 11:40:18
光厳が花園に引け目を感じてたのと
花園のことを好きだったから。

でも後で考え直したと思う。
750日本@名無史さん:2006/04/26(水) 15:33:56
そう。考え直した結果、伏見宮家ができた。
751日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:12:34
その後の紆余曲折を経て伏見宮家から皇位を継いだのが後花園天皇。
実は意味深長な諡号なのかな。
で、その皇統が現代に至って絶えそうになって、臣籍降下していた伏見宮家
の子孫が皇族復帰されようとしている。
伏見宮とはおそるべき因縁をもった家系だな。
752日本@名無史さん:2006/04/30(日) 06:37:53
「太平記」って本屋で売ってる?
753日本@名無史さん:2006/04/30(日) 19:28:06
光厳以下北朝天皇って、岡宮・春日宮・崇道など
追尊天皇と同じ扱いなんだな。
実際に皇位にあったのにあんまりだ。
明治に南朝を正統と決めたことの見直しはできないものか。
仮にも現皇室の先祖なのに。
754日本@名無史さん:2006/05/01(月) 20:13:46
光厳・光明・崇光の三天皇は正統でも問題ないような気がするね。
それ認めても後醍醐や村上の在位期間がなくなるわけでもないし。
正中の御一統から南北朝合一までの期間の
後光厳と後小松(の前半)はこれまで通り南朝正統でいいけど。
755日本@名無史さん:2006/05/01(月) 20:34:35
現代の小説で文庫で読めるものとしては
森村誠一・吉川英治・山岡荘八のがあるけれども
人物造型がいちばん史実と近いのがどれでしょうか?
756日本@名無史さん:2006/05/02(火) 11:55:22
いや、
南朝の天皇で皇位に即いたと認定可能なのは
後醍醐・後村上だけだろ

後亀山は合一後すぐに「不登極帝」と認定されたし、
長慶天皇は明治初期までは実在性さえ疑われたほどの人物。

この二人を皇統譜に載せるのは北朝系である現天皇家への逆意じゃないか?
757日本@名無史さん:2006/05/02(火) 11:59:18
>>752

河出文庫の太平記は絶版になった(たぶん)し、
角川ソフィア文庫の太平記は途中で止まってる。

まともなモノを本屋で探すとなると、
古典〜〜体系とか古典〜〜全集、叢書なんて感じのシリーズから探すしかない。
値段も高いだろう。

ネットで探すと、本文だけでも一通りそろったヤツが、いくつか公開されてるはず。
解説・注が無いので読みにくいかも知れんけど。
758日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:56:56
>>756
そんなことはない。現皇室は伏見宮流(崇光流)であって、
後光厳流(後光厳・後小松・称光)の子孫ではない。
それに後亀山と長慶が除かれたのは誤りとしてすでに訂正されている。

後醍醐→光厳→光明→崇光→後醍醐→村上→長慶→後亀山→後小松→称光→後花園

が正統の流れ。
759758:2006/05/02(火) 15:58:59
おっと訂正

×後醍醐→光厳→光明→崇光→後醍醐→村上

○後醍醐→光厳→後醍醐→光明→崇光→村上
760日本@名無史さん :2006/05/02(火) 20:51:40
後光厳と後円融を除くその心は?
まさか神器じゃねーだろーな?
761日本@名無史さん:2006/05/02(火) 21:21:22
後光厳(+後円融)の即位には正統性がないから。
762日本@名無史さん :2006/05/02(火) 22:14:05
正統性って、あーた、誰が決めるのさ。
貴族(と武家)が必要だから即位したのに。
つーか、それ以上の天皇の存在意義なんてあるのか?
763日本@名無史さん:2006/05/02(火) 22:57:00
>>760

後村上まではまあいいけど、
後小松は後亀山からではなく後光厳・後円融から皇位を引き継いでる

譲国の儀を、いつどのように執り行ったかをよく調べてみろ。

そういう経緯ゆえ、後亀山=偽帝と、合一時に即時認定したんだよ。

少なくとも北朝の公式認定では、
南朝が持っていた(後亀山が持ち込んだ)神器は偽物ということになってるし。
764日本@名無史さん:2006/05/03(水) 11:53:54
>>757
そんなことはわかってるけど、それが誤りだったっていうことで
後に訂正されたわけだから。
765日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:03:22
後光厳の即位は継体の前例を持ち出して群臣による推戴ってことにしたんだっけ?
766日本@名無史さん:2006/05/08(月) 22:42:36
>>765
継体の前例というのは、位を譲るべき先帝がいないという意味ではなかったか?
そんでもって皇族でもない西園寺家出身の広義門院を治天の君に擬したとか
いう話だったように思うが。
767日本@名無史さん:2006/05/08(月) 22:57:52
>>763
だとすると、現在ある三種の神器は後亀山天皇から分捕った物
ではないと言うこと?
768日本@名無史さん:2006/05/09(火) 06:54:45
763の最後の二行はまちがい。
769日本@名無史さん:2006/05/15(月) 22:51:24
>>768
正平の一統の時に南朝によって持ち去られた三種の神器が南北朝合一の際に
後亀山から返還されたということですか?
770日本@名無史さん:2006/05/16(火) 16:26:30
三種之神器は一時、光厳天皇のもとにあったけど
建武新政から以後は南朝にあったでしょ。
771日本@名無史さん:2006/05/16(火) 22:49:42
>>770後醍醐天皇が吉野に持ち去ったのが本物ということですか?
でも>>769が書いているように、正平の一統で南朝が京を取り返した時、
北朝がもっている神器は偽器だが北朝で神器として取り扱われてきたものだから
没収するって、わけのわからないことを言って三上皇とともに吉野に持ち去っている。
その没収された神器が本物なら、769の言うようなことにならないか。
772日本@名無史さん:2006/05/16(火) 22:52:29
きたばたけあきいえ
773日本@名無史さん:2006/05/18(木) 04:29:47
>>771
なんでそうなるよ?
正平の御一統ってのは南朝の天下になったわけだから
それまで敵側にあった偽神器を没収するのは当たり前だと思うが?
本物の神器の所在とは別の問題でしょ。
774日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:10:28
>>773
つまりは後醍醐天皇が本物を吉野に持ち去ったってこと?
775日本@名無史さん:2006/05/21(日) 01:00:45
>>774
普通は一般的にそう考えられてるでしょう。
776日本@名無史さん:2006/05/21(日) 03:23:49
本物は恒良親王と一緒に北国へ行った可能性もあり。
777日本@名無史さん:2006/05/21(日) 19:11:29
>>775
普通はそう考えるのか。
ってことは、足利のおかげで皇統を取り返せたにもかかわらず、
持明院統の光厳院とか廷臣は贋物をつかまされたわけで、よっぽど間抜けなんだ。
後醍醐にありがちなハッタリかと思ってた。
778日本@名無史さん:2006/05/22(月) 01:01:30
後醍醐が花山院に幽閉されたときに光明天皇に渡したものが実は本物だったって
可能性も否定はできないよ。
まあ、それ以前に恒良に偽神器を渡して北陸へ行かせているから、複数の偽物を
用意していた可能性もあるが。
779日本@名無史さん:2006/05/22(月) 09:31:41
大森彦七って武将は実在するの?
780日本@名無史さん:2006/05/22(月) 22:22:53
後醍醐帝、護良親王、新田義貞、楠木正成、平忠正、源義経、平教経の怨霊を
倒した香具師か・・・。映画化したら、「陰陽師」みたいで意外と面白いかも。
781日本@名無史さん:2006/05/22(月) 22:59:15
だから居るの?居ないの?
なんか家の家系図の祖先がそいつになってるwwwww
実在しない人物が俺の祖先wwww
782日本@名無史さん:2006/05/23(火) 01:14:15
>>777
そうじゃない。>>773で書いたのはあくまで南朝側の立場(見解)。
本当に偽物だったのかどうかは不明。北朝の立場ではそりゃ本物でしょ。
ただ回収した時点(正平の御一統)では偽物も本物も南朝側のものになったわけだから、
その後は合一まで北朝には神器なしってことだと思うが。
783日本@名無史さん:2006/05/24(水) 18:46:58
神器なしでの弥仁王即位は、洞院公賢などが難色を示したようだが、
勧修寺経顕・佐々木道誉・三宝院賢俊といった当時の公家・武家・寺社の
実力者が強行した。
まあ、道誉だったら「神器ィ?そんなのイラネーヨ」とでもいいそうだが。
784日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:53:32
洞院公賢は『園太暦』の記主だから有名だけど、正直公賢って発言力あったの?
てか後光厳の即位は、摂関(二条良基)と将軍(足利尊氏)が支持している以上、公賢ごときが何を言おうと大勢に影響ないだろうが。
785日本@名無史さん:2006/05/26(金) 18:04:36
洞院公賢は南朝からも北朝からも重用されて、最後は太政大臣になってるんだから
実際に有能だったんじゃない?二条良基は公賢より30歳も年下だろ。政治抗争の
修羅場をくぐってきた公賢の方が、発言力はあると思われ。
786日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:42:58
いくら年齢が上だろうが、関白より発言力があるなんてあり得ないよ。
787日本@名無史さん:2006/05/31(水) 01:38:01
洞院公賢って、実泰の子だよね。
実泰の継母は赤橋久時の娘。
尊氏の妻登子の姉。
実泰の弟正親町実明は、
この登子の姉に、息子としての礼をつくしていたようだ。
登子の姉は偉そうにしてたんだろう。
実泰もその継子なんだから、
公賢は一応孫ってことで、
将軍の御台所の姉の孫だから、
他の公家も遠慮してたということは
ありえないことだろうか?
788日本@名無史さん:2006/06/04(日) 08:01:36
763だが...

後醍醐天皇の時点では、
本当に神器を持ち出すことは困難だっただろう。
あとから「あれはニセ器だ」と強弁しただけで、
手元には持ってなかったと思う。
それに、同じ事を何度も(2回か3回かな)やってるのもおかしい。

実質的には769の通りだろうが、
それを正式に公認したりはしてないだろ。その時代には。

あとあと、江戸時代に南朝正当論が流行してから、
いつしか書き換えられてしまっただけだと思う。
789日本@名無史さん:2006/06/04(日) 20:52:05
>>788
>それを正式に公認したりはしてないだろ。その時代には。
>あとあと、江戸時代に南朝正当論が流行してから、
>いつしか書き換えられてしまっただけだと思う。

馬鹿いっちゃいかんよ。
それなら神器の譲り渡しに北朝側がこだわるわけなかろ。
790日本@名無史さん:2006/06/05(月) 05:07:33
>>763
>そういう経緯ゆえ、後亀山=偽帝と、合一時に即時認定したんだよ。
>少なくとも北朝の公式認定では、 南朝が持っていた(後亀山が持ち込んだ)神器は偽物ということになってるし。

この話のソースを教えてください
791日本@名無史さん:2006/06/05(月) 05:14:52
>>783
>まあ、道誉だったら「神器ィ?そんなのイラネーヨ」とでもいいそうだが。
言うわけないでしょ。
昭和平成の小説家の妄想の入った道誉像を鵜呑みにしないほうがいいよ。
792日本@名無史さん:2006/06/09(金) 04:46:57
尊氏は幾多の豪傑を従えて劉備に似てるな
793日本@名無史さん:2006/06/09(金) 06:05:42
どっちかっていうと孫権じゃね?
794日本@名無史さん:2006/06/09(金) 09:33:29
>>793
孫権のような定位置にどっしりしてるより
いろいろ移動してるから
795日本@名無史さん:2006/06/09(金) 19:43:35
>>792-794
本人の性格は優柔不断であまり遠大なビジョンはない
けど人気があって回りから担がれるタイプ、割りになりゆき
まかせの人だから劉備っぽいと思う。(孫権は直義か?)

でも足利幕府は豪族連合で構造的には呉に似てる。

正統にこだわるところは「劉備=吉野南朝」。
796日本@名無史さん:2006/06/09(金) 20:59:52
強引に結びつけてみると・・・こんな所か

足利尊氏=劉備
足利直義=孔明
高師直 =ホウ統
佐々木道誉=関羽
土岐頼遠=張飛
797日本@名無史さん :2006/06/09(金) 21:40:50
そろそろ三戦板でやってくれないか?
798日本@名無史さん:2006/06/09(金) 21:59:21
三戦板には太平記マニアの居場所がないんだよ・・・
799日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:02:06
>>796
うまくできてるけど

尊氏一派と直義一派は別の勢力とみて
「南朝vs尊氏vs直義」の三国志と考えては?
800日本@名無史さん:2006/06/11(日) 08:19:00
>>796
性格は劉備かもしらんが、物語の立ち位置的には尊氏は曹操ジャマイカ?
一度は後漢朝のために立ち上がるが、
後にはその王朝を滅ぼす側にまわるあたりが特に。
ま、決断力といいカリスマ性といい、キャラもまるで似てないけどw

とりあえず太平記序盤を強引に三国志序盤に見立てると、
董卓=北条高時
曹操=足利尊氏
劉備=楠木正成
孫堅or袁紹=新田義貞
漢の皇帝=後醍醐天皇
801日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:48:22
三国志に見立てるなら、劉禅=義詮だろう。

幼い頃から苦労してるわりには凡庸。関東のいち豪族の跡取りとしてなら
平穏な一生を送れたかもしれないが、武家の棟梁としては残念ながら落第。
802日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:25:12
後醍醐帝=劉備
楠木正成=孔明
北畠親房=関羽
新田義貞=張飛

後漢皇帝=北朝の天皇
足利尊氏=曹操(性格は劉備)

足利直義=孫権
803日本@名無史さん:2006/06/12(月) 13:04:47
義詮はそこそこ優秀じゃないか?

足利尊氏=劉備      
赤松円心=孔明
高師直 =ホウ統
佐々木道誉=関羽
土岐頼遠=張飛
804日本@名無史さん:2006/06/14(水) 01:50:12
尊氏=曹操
はちょっとピンと来ないが、
尊氏+直義=曹操
なら、かなりイメージは近い。
尊氏と直義は二人あわせると1+1=2以上のものが出る。
逆に、単独だと南北朝時代の他の英雄には劣る感じ。
あと、孔明はどう考えても楠木正成以外いないだろう。
名利を超越して忠義を尽くす智謀の士、というキャラは
尊氏(北朝)方にはいないしな。
805日本@名無史さん:2006/06/15(木) 20:45:53
尊氏は総受け
806日本@名無史さん:2006/06/19(月) 14:00:52
実は高師直・師泰兄弟は高一族では傍流で、嫡流は師氏→師行→師秋の系統らしい。
足利家時の置文が代々、この系統に伝来しているのがその根拠だとか。
807日本@名無史さん:2006/06/20(火) 03:21:04
高一族で直義方についた人はいないんですか?
808日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:27:00
高師秋が直義派。他は尊氏派。大高重成なんかは、当初は直義派だったけど
寝返った。師詮(師直の子)・師秀(師泰の子)は、生き残って父親の死後も
義詮のもとで活動したけど、かつての勢力を取り戻すことはできなかった。
高一族の繁栄は、師直・師泰兄弟の能力に負うところが大きかったんだろうな。
809日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:44:13
尊氏が直義に降伏してからの京都の二人はどんな関係だったんだろう?
尊氏は頭が上がらなかったのかな
810日本@名無史さん:2006/06/23(金) 01:00:57
大河ドラマでは全然降伏に見えない降伏してたな。
敗軍の将なのにわれこそは大将軍と言ってはばからない態度。
尊氏はかなりの躁鬱気質だったみたいだし、躁状態でそんな感じだったのかもしれない。
811日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:42:12
>>810
俺は逆に外交の上手さを感じたけどね
負けたけど尊大に振舞う
誰かの入れ知恵かもしれんが交渉を有利に進めようとしたんじゃないか?
812日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:36:02
あれは降伏ではなくてあくまでも和議。
この戦いは直義と師直の争いであって尊氏は調停者という
スタンスだからな。
813日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:58:34
調停というよりも、両派の間でフラフラしている印象。
そうこうしているうちに、事態は最悪の方向へ・・・。
直義を関東に派遣して、基氏を補佐させる。直冬は奥州探題にする。
京都は、尊氏・義詮・師直で一本化する。そうすれば、丸く収まったのに。
814日本@名無史さん:2006/06/28(水) 23:43:15
尊氏は基本的に日頃から何も考えてないタイプ。
つか長期的な展望で物を考えられず
誰かの意見をきくとすぐ「そうか!」と思い込む。

行き当たりばったりでふらふらしてるように見えるけど
本人はそのつもりはなくて、その時その時で決断してるつもりなんだろう。
815日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:33:45
歴代の武家政権のトップの中で、尊氏ほど中央集権的な統一政権を目指した人も
いないよね。
816日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:47:19
>>813
尊氏は、おそらく鎌倉時代のような京都と鎌倉の二重支配体制を
克服したかったのだと思う。
そのためにあえて朝廷のある京都に幕府を置き、支配体制の一元化を目指した。
だけど、結局それではどうにもならないということで方針転換したのが次の
義詮の時代。
その結果、鎌倉府と九州探題の管轄地域を直接統治から除外する形で室町幕府は
安定した。
おそらくこのような義満以降の室町幕府の体制は、尊氏が当初意図していた
ものとは大きく違ってしまったと思われる。
但し幕府の中枢が京都に置かれたことによって、武家政権による朝廷の機能の
接収については、鎌倉時代に比べて大きく前進するが。

>>810
訪ねてきた細川顕氏を追い返したってのは『園太暦』が出典だっけ?
817日本@名無史さん:2006/07/02(日) 01:05:13
>>813
直冬は出家させて門跡寺院に入れるのが最善の方法だったと思うよ。
818日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:35:39
直義を鎌倉へとか直冬を出家させるとか、それで納得する
2人でないから尊氏も身内との争いを強いられたわけで。
特に直冬は直義の養子になる前は寺にいたのだから今更
寺に戻るはずがないよ。
819日本@名無史さん:2006/07/03(月) 19:11:27
細川顕氏と畠山国清が奔走して、尊氏・直義の和議も一時はまとまりかけて
いたんだけどね。桃井直常が強硬に反対して、ブチ壊してしまったが。
820日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:16:43
>>818
直冬は最初から直義の養子なんかにせずに寺に入れたまま、成年に達したら出家させればよかったんだよ。
821日本@名無史さん:2006/07/19(水) 05:37:32
義満以降の足利将軍家が嫡子以外は寺に入れるようになるのも直冬の影響?
822日本@名無史さん:2006/07/21(金) 19:31:36
おまいら熱いぜ
熱すぎるぜ
もう少し涼しくなってからやってくれぜ
823日本@名無史さん :2006/07/24(月) 16:30:23
>>820
もとはといえば一夜の遊び(?)で直冬をつくっちゃった尊氏にこそ責任が…
824日本@名無史さん:2006/07/24(月) 19:10:30
>>816
タカウジにそんな深謀はねえよ。
ただ時代が京都を中心にしてたから
そこを離れられなかっただけ
825日本@名無史さん:2006/08/09(水) 06:15:16
太平記で50万とか20万の兵は10分の1と考えればいい?
826日本@名無史さん:2006/08/09(水) 18:16:47
「保元の乱」では、平清盛が300、源義朝が200、足利義康が100。

「富士川の戦い」の平家軍が4000。足利義満の奉公衆が3000。

戦国以前の動員兵力が、万単位というのはかなり眉唾。

827日本@名無史さん:2006/08/09(水) 20:02:10
平家は全盛期のときは2万ぐらいはいたんじゃない?
828日本@名無史さん:2006/08/11(金) 11:06:44
どこからが兵士として数えられるかの問題もあるな。
それから太平記の時代は元寇襲来で日本の武士が集団戦法を知ったあとだから義満の奉公衆はともかく文字通りの弓馬の道が武士の戦法だった平安末期と比較するのは間違いでは?
829日本@名無史さん:2006/08/11(金) 23:01:36
正安4(1302)年、金沢貞顕が六波羅探題として上洛した時の軍勢は「千余騎」(実躬卿記)。

「正中の変」の直後、金沢貞将が六波羅探題になり、率いた軍勢は「五千騎」(花園天皇宸記)。

通常の京都の守備は1000、緊急時は5000ということでいいのかな。
830日本@名無史さん:2006/09/17(日) 00:37:27
>>783 >>791
むしろ嬉々として派手派手しい新神器を作りそうな
831日本@名無史さん:2006/09/18(月) 00:00:51
それから太平記をじっくり読んでないので恐縮なんですが
太平記での義貞最期への評価は「犬死」なんですか?
それとも家来が主君(義貞)を守ることなく「犬死」なんですか?
832日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:23:26
脇屋義助を応援してます。
833日本@名無史さん:2006/10/11(水) 16:12:41
>>831
太平記では確か犬死に扱いしてたような気がするが
単純に戦術が下手糞で死んだよっていう程度の意味で
人生観とか何かの深い意味でいってるわけじゃないと思った。
834日本@名無史さん:2006/10/21(土) 18:08:28


875 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2006/10/20(金) 18:55:27 0
「太平記は史学に益なし」と言い、文学と史学に区別をつけることを宣言し
た久米邦武は、千早城攻防戦で長柄の柄杓から煮え湯や糞尿を注ぎかけたと
いう記述を疑い、「元々たいした量を浴びせかけることが出来る訳ではない
し、空中で散布してどれだけ相手にダメージを与えられるか疑問。長柄に入
れたのであれば恐る恐る運んでいた筈で、時間をかければ冷えてしまう」な
どと言い、「これで本当に威力があったというのであれば、オーバーテクノ
ロジーであるから、軍で研究すべきである」と皮肉っています。
大鍋で直接浴びせでもしない限り、あまり期待出来ないでしょうね。

本朝では戦国期に撤退する際、井戸に糞を投げ込んだという話があります。
835日本@名無史さん:2006/10/21(土) 19:45:39
久米邦武w
836日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:19:57
>>835
何か反論あるなら具体的にどうぞ
837日本@名無史さん:2006/10/22(日) 19:31:33
この時代だけ中国の豪傑に近いイメージがある
838日本@名無史さん:2006/10/29(日) 03:28:34
>>823
直冬が生まれた段階では、尊氏は鎌倉幕府の一御家人にすぎない足利氏の惣領貞氏の跡取り息子というだけの立場だからな。
将来征夷大将軍となって幕府を運営する立場になろうとは想像もできないだろう。
839日本@名無史さん:2006/10/29(日) 03:36:30
>>824
直義をはじめ諸将が揃って鎌倉を幕府の本拠地に推すなかで、それでもなお
京都に決まったのには、尊氏自身の強い意志がなければあり得ない。
京都でなければならない必然性はなかったが、尊氏には彼なりのビジョンが
あって敢えて京都にしたかった。
・・・というのが中世史を研究していれば誰もが知っているはずの有名な
大先生の説だね。
840日本@名無史さん:2006/10/29(日) 03:38:00
>>804
細川頼之はどうよ?
841日本@名無史さん :2006/10/29(日) 19:10:57
>>839
H郷?
そんなの妄想だろ?
842日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:33:00
オリジナルはS藤S一先生じゃない?
843日本@名無史さん:2006/11/09(木) 14:26:42
>>836
山野乙
844日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:49:46
903 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2006/10/27(金) 23:12:36 0
太平記=史実と思っているなんておめでたい方です。
兵数や戦術からしてまともな軍記ではないと私のようなプロの方は分かりますが、
素人の方はコロっと騙されても仕方がないでしょう。
矢追純一のUFO著書を小学生が読めばガクガクブルブルなのと同じ理屈です。

845日本@名無史さん:2006/11/10(金) 11:32:31
>844
軍を率いた当事者以外は、正確な兵数なんて誰もわからんよ。
846日本@名無史さん:2006/11/11(土) 08:35:22
>>845
この時代の戦争の場合、軍を率いている当事者も、正確な兵の数なんて
把握できてない可能性が高そう。
最初は少人数だったのに、いつの間にか数万単位の数に膨れ上がったなんて例が
結構あるし。
元弘3年の新田義貞しかり、建武2年の北条時行しかり、建武3年の北畠顕家しかり。
847日本@名無史さん:2006/11/25(土) 15:01:13
義貞は生品神社での挙兵、稲村ヶ崎越え、燈明寺畷での最期、
どうも参謀の意見を聞かずにひとりで突っ走る人に書かれているように思う。

元が小身だから、自分の武勇が頼みで、それをみて郎党が追っかける、
平安時代の武人のようなイメージだね。あくまでイメージ。
848日本@名無史さん:2006/11/26(日) 04:38:08
>>846
この時代って、「お味方します」って軍勢率いてやって来て、
総大将の元で着到状をつけるよね?
そうしないと後で手柄を申請出来なくなるみたいだし。
だったら幾ら何でも総大将は把握してるんじゃないの?
ただ、そうやって集まってきた大軍も、
劣勢になるとあっという間にいなくなるのが「太平記」の特徴だけど。
849日本@名無史さん:2006/11/26(日) 07:20:44
100人率いてきた豪族が正直に申告するとは思えない、
少しでも自分を大物に見せるために150人とか言うだろう
850日本@名無史さん:2006/11/26(日) 08:58:32
わらわら増えた軍勢の兵糧は誰の負担?
851日本@名無史さん:2006/11/27(月) 01:41:44
>847
平安時代の武人(兵:ツワモノ)は、もっと賢いぞ。
猪突猛進は馬鹿とか、計略(謀:ハカリゴト)は、基礎的な素養だとか言ってるぞ。
いわゆる「武士道」ってヤツとは正反対のイメージ。
>850
基本的に、集まってきた武士(領主)らの負担。
ただし、戦地で「現地調達」することも多く、かなり傍迷惑
義仲の部下たちが京都でやって顰蹙を買ったのは有名。
852日本@名無史さん:2006/11/27(月) 17:16:37
>>849
なるほど、そうやって一豪族あたり5割も水増ししているもんだから
全体を合計してみるととんでもない兵数になるわけだw
853日本@名無史さん:2006/11/27(月) 17:32:41
>>847
>元が小身だから、自分の武勇が頼みで、それをみて郎党が追っかける、
太平記を読む前はそんなイメージが俺にもあったけど
実際に読むと逆だったな。
義貞は、あくまで尊氏と拮抗する、武家の棟梁の資格を持った大きな存在として描かれている。
>851
太平記の義貞は計略もかなり用いているよ。
猪突猛進的な場面もあるけど、それは軍記物語に登場する武将なんだから当たり前。
>849
水増しがそんな具合に当時の習性にまでなっていたのなら、
ある程度そのことも考慮して総大将も指揮をとったんじゃない?
854日本@名無史さん:2006/11/28(火) 04:35:35
でも、太平記はだいぶ南朝寄りだからなあ。
義貞の武家の棟梁の資格って家柄的なところが大きいんだろうけど、
鎌倉末期の新田は没落していて北条に反して挙兵するまでは足利と比べてかなり小勢力だったらしいし。
855日本@名無史さん:2006/11/29(水) 21:34:30
>>854
>鎌倉末期の新田は没落していて北条に反して挙兵するまでは足利と比べてかなり小勢力だったらしいし。

没落してしまい分家(岩松)にすら借金を重ね領地まで取られたこともある新田氏を
鎌倉ナンバー2だった足利氏のライバルにまで上り詰めたのは素直に義貞のおかげだろ

>>852
>全体を合計してみるととんでもない兵数になるわけだw
兵数水増しは負けたイイワケにも勝った側の自慢にもなるから水増しが横行する

負けた側:「相手が多すぎたので負けた(同じ兵数なら負けない)」
勝った側:「敵はこっちより多い兵数だったが我々は勝った」
856日本@名無史さん:2006/11/30(木) 02:32:22
鎌倉を落としたのは義貞の手柄といってもいいかもしれんが、それ以外はなあ。
その鎌倉攻略にしても足利や反北条の諸勢力の協力あってのものだし。
それ以降はお上りさんで後醍醐政権下で貴族たちに振り回されたり、アホな戦いして楠正成を戦死に追いやったり散々じゃないか。
武家で南朝側に残った中では義貞が一番の名門だから南朝寄りの太平記では持ち上げてるだけ。
857日本@名無史さん:2006/11/30(木) 03:56:39
義貞は一つの一門の頭領としては立派だけど兄弟で力を合わせた足利と並ぶ器じゃないよなあ。
その足利も新興の勢力と旧来の御家人層で割れて尊氏と直義が悲惨な争いをする羽目になるんだが。
858日本@名無史さん:2006/12/01(金) 07:02:11
>856
>その鎌倉攻略にしても足利や反北条の諸勢力の協力あってのものだし。
意味不明。それだと何か価値が下がるわけ?
足利尊氏の勝利にしたって反宮方諸勢力の協力あってのものだし。
>アホな戦いして楠正成を戦死に追いやったり
言いがかりとしか思えない。
じゃあどういう戦いをしていれば正成は戦死せずに済んだのか教えてほしい。
>武家で南朝側に残った中では義貞が一番の名門だから南朝寄りの太平記では持ち上げてるだけ。
北朝方の今川了俊は「太平記は今川家の功績が少ないことを除けばおおむね史実だ」
なんてこと言ってるけどね。
859日本@名無史さん:2006/12/01(金) 16:27:07
いずれはどこかで正成は死んだだろうけど、正成が討ち死にした湊川の戦いでの義貞の指揮がまずかったのは間違いない。
ろくに戦いもしないうちから小勢の正成に足利方との戦を投げつけて逃走した惰弱な総大将が義貞。
尊氏も武家の長にしては情けないところが多いけど義貞も義貞で大きな男と賞賛されるほどの器じゃない。
860日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:03:02
>859
>いずれはどこかで正成は死んだだろうけど、正成が討ち死にした湊川の戦いでの義貞の指揮がまずかったのは間違いない。
「間違いない」って、あんた小学生か?w
自分の思い込みを主張しているだけで何の論拠も示してないぞ。
どこがどうまずかったのか、
どうすれば正成が死なずに済んだのかを説明してくれって言ってんだけど?
861日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:37:26
義貞好きな人も義貞は大物って自分の大前提に反することは全部無視してない?
湊川で正成たちを置いて逃げて死なせたのはどうなのかって言われてるじゃない。

そんなことより北条一門の話でもしようや。
862日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:40:08
>>858
昔、太平記が大河ドラマになったときに出た便乗本では
「新田義貞は、鎌倉攻めの総大将ではなく、足利家の家臣ぐらいにしか思われていなかった。
 周辺の御家人は、足利家の嫡子である千寿王(義詮)を総大将、義貞を名代と思って集まってきた。
 鎌倉攻めの後、義貞に従うものはなかった」
というのを読んだ気がする。
863日本@名無史さん:2006/12/01(金) 20:11:17
>856と>859みたいなのは大河の太平記か北方謙三を読んだ程度でこの時代を全部わかった気でいるんだろうな。最近よくいるタイプ。
ただ、このは一応「太平記」スレなんだが、原典も読まずによく書き込める気になるもんだと、ある意味感心する。
864日本@名無史さん:2006/12/01(金) 20:29:53
>>859
>尊氏も武家の長にしては情けないところが多いけど義貞も義貞で大きな男と賞賛されるほどの器じゃない。

きみが義貞や尊氏について何を言おうとそりゃ自由だけど、
太平記ではそうは書いてないので。
少なくともきみの根拠不明のただの感想文よりかは
同時代感覚で書かれてる太平記の主張のほうがずっと信頼性が勝るってだけの話。
>>861
>湊川で正成たちを置いて逃げて死なせたのはどうなのかって言われてるじゃない。

だから、「誰かがそう言ってるから」じゃなくて、きみの意見をきいてるんだけど。

>そんなことより北条一門の話でもしようや。

普通は何か話題変える前に、まずはきかれていることに答えるもんだけどな。
まぁ本気でそう思うんだったら何か実のある話題を自分から出せばいい。
865日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:15:16
>>864
俺は>859と>860を読んで思ったことを言っただけなんが。
それで不毛な流れを感じたから別のことでも話そうやって言っただけなんだが。
自分の気に食わない意見の人間はみんな同一人物扱いして噛み付きって流行ってんの?
866日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:51:39

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867日本@名無史さん:2006/12/01(金) 23:06:36
>865
はぁ、別人ですか。そいつは失敬。
しかし別人がいきなり割り込んできて、それまでの話題を勝手に打ち切ろうとするのは何故?
別人なのに>859の意見をききたくないってのも妙だな。

>義貞好きな人も義貞は大物って自分の大前提に反することは全部無視してない?

>>859こそ義貞=小物って大前提でしかものを言っていないわけだが。
それに「義貞=大物」は俺が言ってるんじゃなくて、
太平記がそう書いてるんだって、何度言えば分るの?

確認だけど、ここって太平記について語るスレだよな?
868日本@名無史さん:2006/12/01(金) 23:44:04
話題が不毛なんじゃなくてそれに触れてる人たちが不毛だから別の話になんないかなあって思われてるんじゃないの。
太平記は義貞や湊川だけでできてるんじゃないから861がそれに関する859の考えには興味ないと思ってても不思議じゃないし。
後醍醐帝に北条、佐々木道誉に高師直。話題になる人物、事件はいくらでもある。
そこも太平記のいいところだね。
869日本@名無史さん:2006/12/02(土) 00:10:04
武士を軽視して王政復古する帝を筆頭に、やる気をなくしてる得宗やら立場と行動が噛み合ってない人物が多い時代だよな。
870日本@名無史さん:2006/12/02(土) 00:33:35
やる気なくしたというか徳政令のせいで逆に金貸してもらえなくなって分割相続とあわせて貧乏になった御家人の不満なんか
やる気のある執権がいたところでそうそううまく解決できるものではない
そこに後醍醐の出現で太平記のはじまりはじまり
871日本@名無史さん:2006/12/02(土) 03:45:59
と、流れを変えようとジエンで必死な>>859であった。
872日本@名無史さん:2006/12/02(土) 04:00:48
>>869
武士なんていない時代だよ。
873日本@名無史さん:2006/12/02(土) 10:43:56
若いうちは自力で戦えた新田、その後いろんな重荷を付けさせられ自由に動けず沈んでいった新田
俺は好きだ
874日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:24:11
>>868
人のレスを不毛だ不毛だ言ってるわりには、あんたも「何を今更」ってなことしか言ってないな。
始まってまもない頃ならまだしも、このスレもうすぐ900だぞ。

>太平記は義貞や湊川だけでできてるんじゃない

そんなことは誰でも知ってるよ。
でも「太平記」の重要人物、重要場面であるのも確かだろ?
その話題がたまたま出ているのに、わざわざ打ち切ろうとする必要がどこにあるのかと。

>後醍醐帝に北条、佐々木道誉に高師直。話題になる人物、事件はいくらでもある。

だから、そこまで言うんなら面白そうな話題出してリードしてくれよと何度言えばry
875日本@名無史さん:2006/12/03(日) 04:52:14
あんたやあいつが乗ってくるのは嫌だとでも思われてるんじゃねえの。
誰だってその調子で絡んでくる人と席を同じくしたくはないでしょうよ。
こんなレスする俺が言えたもんじゃないが、レスの内容じゃなくて内容や語調から透けて見えるあんたらの人格が不毛だって言われてんだよ。
特定の誰かと一緒は嫌だから反対側につく、なんてこの手の混沌とした時代には結構あったんじゃないかねえ。
876日本@名無史さん:2006/12/04(月) 00:41:48
>>875
はぁ、そりゃまぁ、スレの雰囲気を悪くしたのは認めますよ。
別に絡むつもりは無かったんだがな、
すぐにきかれたことに答えてくれていたなら。
まぁこのスレだけに限ったことじゃないけど、
なんか高所から「アホな戦」だの、「正成を見捨てて死なせた」とかね、
そこまで言うんだったら。
じゃぁ自分ならもっとこうした、とか、このように戦った、くらいは
言って貰いたいもんだ、と思っっちゃうんだよね。
それさえ出来ない人間が
>尊氏も武家の長にしては情けないところが多いけど義貞も義貞で大きな男と賞賛されるほどの器じゃない。
なんてえらそうなことを言ってもいいもんかな?
少なくともそれは「人格者」のやることじゃないでしょうよ、ってことよ。
877日本@名無史さん:2006/12/04(月) 14:24:32
2chで人格が問題にされる日が来ようとは‥‥こりゃ世も末だなw
878日本@名無史さん:2006/12/04(月) 20:33:54
鏡とか人の振り見て(ryとかお前が(ryとか
879日本@名無史さん:2006/12/05(火) 00:45:50
太平記も読まずに義貞への評価を下すアホがいるスレはここですか?


太平記には時代遅れの東国田舎武士風としつつも
優柔不断な尊氏とは対照的に勇猛果敢な義貞と描かれているのになw
880日本@名無史さん:2006/12/05(火) 01:38:03
つーか>>859がアホなだけ。太平記をまるで読んでいないことがみえみえ。
おおかた北方謙三あたりをまに受けた厨房だろ。はじめから相手にする価値なし。
881日本@名無史さん:2006/12/05(火) 01:45:44
>>879
太平記どころか、足利方の史書の梅松論ですら義貞を「名将」とはっきり書いているわけで‥‥
882日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:38:29
>859はいい加減な糞餓鬼。
餓鬼にいつまでもお説教し続けて、周りのやつにまで食らいかかるage長文のやつは駄目な大人。
883日本@名無史さん:2006/12/05(火) 19:33:05
>882
これが自称人格者の正体だな。さすが2chだw
884日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:53:09
自称人格者はいちいち引用が鬱陶しいレスの人の方じゃね?

どっちでもいいけど所詮2chなんて自演と同一人物認定あふれる匿名掲示板だよ。
885日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:33:45
太平記を読んでてもいまいちこの時代の坊主の動きがわからん
南都北嶺の古い寺社の数々は持明院統と大覚寺統もとい北朝と南朝に別れて争ってたみたいだし禅僧も使者になったりしてたんだろうが
886日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:04:26
>>879
>太平記には時代遅れの東国田舎武士風としつつも
平家物語の木曾義仲みたいならともかく、
太平記での義貞ってそんなに田舎臭かったか?
勾当内侍に和歌を贈ったり、
尊氏の悪逆を何か条もとうとうと並べ立てたり、
金ヶ崎ではなんか楽器奏でていたり、
結構学もあり、雅も解る武将という印象を俺は持ったんだが。
887日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:36:40
>>884
いやいや、どう見ても、反論できなくなると相手の人格論に話をすり替えた人の方じゃね?w
とりあえず、あの程度の引用を「いちいち」だの「鬱陶しい」だの言ってる時点で
あんたがこのスレの誰なのか容易に想像がつく。
それで人の人格が不毛だの、よくえらそうに言えるもんだと、
ある意味感心しているよ。あんた、かなり幸せな人だわw

>>886
まぁ都のえらい人たちから見れば、やっぱり東夷の田舎者だろうね。
それと、今はたいていの人は大河とか小説なり漫画なりをまず読んでから原典に入るから、
義貞=田舎武将という先入観がすでに植え付けられてから読むことになる。
俺の場合もそうだったから、原文を読んだら余計に意外な感じがして
世間で言われている義貞のイメージって一体何が元なんだ?と結構考えさせられた。
888日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:57:53
太平記序盤で楠正成の好敵手として登場する宇都宮治部大輔公綱っているけど
この人結局最後どうなったの?
「関東一の弓取り」なんてことまで書かれていたのに、その後はすっかり尻すぼみ。
889日本@名無史さん:2006/12/08(金) 08:52:02
ageと引用をやめればいいってもんじゃないのがわかってねえ…
まずは自分のレスの人を批判してる部分から十回ほど読んでみようか。
890日本@名無史さん:2006/12/08(金) 09:09:56
義貞は田舎者や武芸一辺倒かどうかはおいといて
社会的、経済的に保守的な面が強かったんじゃないかな
悪党の正成やバサラ者の道誉あたりの新興階級や名門出でも過激な行動を取る人間と比べると
やっぱり義貞は行動が伝統的な御家人、古きよき時代の武士らしい武士なんだと思う
それが義貞に田舎者や猪武者のイメージをも与えたんじゃないかと
891日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:47:26
ああ、田舎臭いんじゃなくて古いんだな。
その古さが新田義貞の強みでもあり、後世の人間の感覚では時代遅れに感じられる点でもある。
892日本@名無史さん:2006/12/11(月) 04:33:00
高氏への一騎打ちの提案とかな

893日本@名無史さん:2006/12/13(水) 06:49:00
時代遅れといえばそうなのかもしれないけど、
一騎打ちの場面があそこまでサマになる武将もそうはいない。
894日本@名無史さん:2006/12/16(土) 06:30:41
>>890
でも道誉の婆娑羅ぶりが目立ち出すのってかなり後年なんだよね。
太平記登場の頃だと、後醍醐天皇の前で威厳に打たれて固まったり、
北畠具行だったかが斬られる時には同情して泣いてみせたり、
かなり純情というのか、まぁ普通に中世的な武士。
太平記自体が義貞が死んだ後くらいから加速度的に節操のない無茶苦茶な話になっていくわけで、
婆娑羅が目立ちだすのもその頃からじゃないかな?
もっとも婆娑羅といえば実は後醍醐天皇こそ1番の先駆者か‥‥或いは北条高時も。
895日本@名無史さん:2006/12/17(日) 06:46:21
>>888
宇都宮公綱なぁ。
確かに最初はすげえかっこ良く登場したんだけど、それ以降はすっかり見せ場も無くなってフェードアウト。
実際には宮方についたり足利についたり、反復常なき有り様だったらしいな。
896日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:11:36
宇都宮だと泰藤ってのが出てくるな、南朝方で。
北朝方では高貞、貞綱なんてのもいた。
この時代の常として同族間で南北朝に分立していたんだろうな。
897日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:25:18
>>887
確かに護良親王の鎌倉幕府追討の令旨なんて、北条高時のことを普通に
「東夷」って言っているくらいだからな。
898日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:22:48
おう
899日本@名無史さん:2007/01/11(木) 02:52:39
>>252
既レスだけど一言言わせてくれ。

佐々木道誉の小説を読んだが、敵味方がそのつど代わりすぎて混乱する。
(戦国時代によくあった中小豪族の変わり身じゃなく、大大名の変わり身や、
勢力の旗頭の変わり身とか)
これを物語にしたら、書いていて混乱して消耗するのもさもありなんかと。
900日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:47:22
偉そうなこというのなら、小説だけじゃなくて人物叢書も読めよ。
901日本@名無史さん:2007/02/18(日) 21:21:15
なんか人気薄いよね。ドラマにもなったのに。
902日本@名無史さん:2007/03/02(金) 23:13:06
やっぱ尊氏が幕府を開いてからも、長々と戦ってるのが原因かな。
頼朝や家康に比べると安穏とした前半生を送ったはずだから、
後半にツケが回ってきたんだな。
903日本@名無史さん:2007/03/09(金) 04:25:16
>>902
頼朝や家康に比べると安穏とした前半生を送ったはずだから、
後半にツケが回ってきたんだな。

そういう・・・ものなのか・・・???
904日本@名無史さん:2007/03/09(金) 04:40:59
「蹴鞠が上手なだけの人」笑ろた
905日本@名無史さん:2007/03/09(金) 17:17:46
>903
それが正負の法則なのよ
by 美輪明宏
906日本@名無史さん:2007/03/09(金) 23:13:16
>>902

高氏の前半生が安穏だったとは思わんぞ。
幼少から天下取りのプレッシャーでガチガチだったと想像されるが。
907日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:21:55
尊氏(高氏)は、
高義という異母兄(母は金沢顕時の娘、母方の祖母は安達泰盛の娘)が
早世するまでは嫡子ではなかったから、幼少の頃からプレッシャーでガチガチと
いうことはなかっただろう。
908日本@名無史さん:2007/03/10(土) 04:04:32
>906
天下取りのプレッシャー?何それ?
もしかして置文の伝説なんてものを信じてる人?
909日本@名無史さん:2007/03/10(土) 17:23:36
家時は謀反がばれて自害したんだっけ?
910日本@名無史さん:2007/03/10(土) 23:08:33
>>909
実際には安達泰盛の霜月騒動に関連したものだった可能性が高いんじゃなかった?
もっとも家時自身がどこまで関わっていたのかは不明だけど、霜月騒動の際の
武力衝突で討たれた者の中に当時越前守護だった足利(吉良)満氏って人物の
名前があるから、足利一族の中に安達泰盛への与同者がいた可能性はかなり高い。
911日本@名無史さん:2007/03/11(日) 00:29:43
佐介時国の方が原因じゃね
912日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:23:23
>>911
家時の父の頼氏の正室が佐介時国の娘だっけ?
あと確か、上記の吉良満氏も妻が佐介の縁者だったはず。
913日本@名無史さん:2007/03/12(月) 00:39:10
>>908
高氏様はな〜、源氏再興の宿命を背負って生まれてきた男なんだよ!

置文の伝説なんて、信じていたよ。何か文句あっか!
914日本@名無史さん:2007/03/12(月) 04:48:42
戦争ばかりなのに「太平」記とはこれいかに?

※めんどくさいのでぐぐってません
915日本@名無史さん:2007/03/13(火) 00:25:14
>>914
戦争ばっかだから、太平の世を願って「太平記」にしたんだろ。

そのわりには戦争奨励してそうだけど。
916日本@名無史さん:2007/04/07(土) 03:32:35
>913
八幡太郎義家の置文なら、
すでに子孫の頼朝が願いを達成しているわけだが‥‥
917日本@名無史さん:2007/04/07(土) 08:34:01
ああっ、言おうと思ったのに・・・
それに、宗家でなく分家のほうに伝わるってのも何だか・・・
918日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:09:45
>917
足利義兼は源為朝の落胤説もあるから、
いっそ為朝の置文にしておけば良かったんだなw
919日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:51:17
河内源氏の嫡流を名乗るためには、為朝では根拠として弱い。
やはり河内源氏の故地壷井八幡宮周辺に墓がある頼信・頼義・義家のいずれかに
繋げないと。
920日本@名無史さん:2007/04/25(水) 02:20:27
『太平記』関連スレ総合リンク

古文・漢文板「太平記スレッド」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/990801597/l50
日本史板「太平記について熱く語るスレ」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1059646052/l50
歴史ゲーム板「何故、「太平記」がゲーム化されないのだろうか?2」
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1119195231/l50
時代劇板「【語り尽くせ】太平記 その6【最高傑作】」
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/kin/1136345698/l50
日本史板「もしも太平記の時代に2ちゃんねるがあったら」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1171452092/l50
大河ドラマ板「大河ドラマ「太平記」について語るスレ」
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1174803725/l50
921日本@名無史さん:2007/04/25(水) 17:46:35
古文の「太平記」は、始終、後醍醐天皇を主君と仰いで描いていて一貫性がある。
それに対して、足利尊氏を主人公とする「私本太平記」は、
主人公尊氏に感情移入しづらい。
吉川英治自体は、天皇に思い入れがあるのか、
後醍醐天皇の行動はすべて最上の敬語を使い、
尊氏が後醍醐天皇に傾倒する、理想を求める、辺りまではよいのだが、
不用意に祖父の天下をとれ、という遺言が伏線として置かれ、
結局なにがやりたいのかがわからない。
大河ドラマの「太平記」も、尊氏の人生は始終殺し合い、
見ているうちにどんどん登場人物が減っていって、殺伐としていた。
922日本@名無史さん:2007/04/26(木) 06:34:39
殺伐としてるからいいんじゃまいか

のほほんとした太平記なんて見たくないべさ
923日本@名無史さん:2007/04/26(木) 18:15:17
のほほん太平記
924日本@名無史さん:2007/04/26(木) 19:55:35
>>921
>古文の「太平記」は、始終、後醍醐天皇を主君と仰いで描いていて一貫性がある。

一貫性なんて無いと思うが‥‥
倒幕前は聖帝扱いだったかもしれんが、倒幕後には手厳しい批判も
している。
崩御後にはおぞましい怨霊の姿までさらしてしまうし。
925日本@名無史さん:2007/04/26(木) 23:53:17
>>924
後醍醐統を官軍としていた点だけは一貫していたと思う

後醍醐自身は太平記の最後の方で第六天魔王になって数々の悪霊引き連れてたりとか、
酷いか書かれ方されてるね、自業自得だとは思うが
そういえばなぜか楠だけは後醍醐の悪霊から解放されたのを思い出した
926日本@名無史さん:2007/04/27(金) 01:01:46
>>925
>後醍醐統を官軍としていた点だけは一貫していたと思う

そうだっけ?
南朝贔屓なのは確かだろうけど、南朝は宮方、足利は将軍(武家)方
とかいう書き方で、官軍賊軍という言い方はあんまりしていなかった
ような印象があるけど。
927日本@名無史さん:2007/04/28(土) 10:11:18
私本太平記って面白い?買おうか迷ってる
928日本@名無史さん:2007/04/28(土) 16:28:52
>>926
古文の「太平記」が南朝に同情的なのは事実であると思う。
南朝=宮方と書くのもその現れ。
現実には、足利方も北朝の天皇をいただいていたのだから、
北朝を宮方を書いてもいいはずだが、あえてそう書かず、
北朝があたかも足利氏の傀儡政権のような書き方をしている。
929日本@名無史さん:2007/05/20(日) 05:24:30
「宮方」の語は、「武家方」の対義語のようにも使われるので、どっちが官軍か
というよりも、単に武家政権否定派という意味で使っているだけかも知れないぞ。
930日本@名無史さん:2007/05/21(月) 02:16:12
>929
太平記はさておき、足利贔屓の梅松論でさえ南朝方を「宮方」とか「官軍」って書いていることからすると、同情しているから「宮方」と書くわけではないことがわかるし、必ずしも「官軍=正義」と思っているわけではないこともわかる。
おそらく「宮方」も「官軍」も、南北朝の頃は、単に武家(足利)政権否定派という程度の意味で使われていたのかもしれない。
931日本@名無史さん:2007/07/28(土) 13:24:34
ほほー
932日本@名無史さん:2007/07/30(月) 23:07:46
>>682
直木三十五氏は、尊氏を評して「性交した 西郷隆盛」だと言つた。
                     ~~~~
933日本@名無史さん:2007/07/31(火) 00:22:54
NHKで大河ドラマとして太平記をやると聞いた時、當然主人公は大楠公(楠木正成)と思い、全巻をビデオに撮ろうと張り切っ
ていたが、逆賊足利高氏が主人公と聞いて愕然とした。原作(吉川英治、私本太平記)がそのようになっているそうであるが、「梅
松論」ならいざ知らず「太平記」と名付ける以上は、大楠公を無視したり足利高氏を賞揚したりすることは許されないのではなかろ
うか。足利高氏の肩を持って書かれている「梅松論」ですら、大楠公に對しては稱贊を惜しまないとのことであるのに、NHKドラ
マの楠木正成は足利高氏に阿諛追從する道化役にされている。役者も重みのある人を起用するならまだしも(演技は上手なのかも知
れないが)輕佻浮薄な役者を起用して意識的に「河内の田舎武士」を演じさせている。役者自身も、大楠公を演じている自覺がまるで
ないようであり、チャンネルを變えると馬鹿面を晒して「ラーメン」や「冷藏庫」の宣傳を行っているから始末が惡い。心ある日本人の
崇敬を一身に集めた大楠公を演ずる以上は、己も大楠公に成り切り、少なくとも放映期間中は輕佻浮薄なコマーシャルの出演を斷る
位の見識を示して欲しかった。昨年の西郷南洲(隆盛)役に續き、NHKは我々の崇敬する人物を意識的に侮蔑しようとするのか!

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934日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:05:42
935日本@名無史さん:2007/10/21(日) 01:01:33
いきなりですいませんが、
ひとつ質問です。

足利義詮なんですが、
中先代の乱から尊氏九州落ちの頃って
どこで何してたんでしょうか?
正確には、北畠顕家の西上以降ですね。
関東のどっかに隠れてたんでしょうか?
父についていったんでしょうか?
顕家が通り過ぎたあとの関東の情勢が
もうひとつよくわからないので・・・。

(赤橋)登子についても、お願いしたいです。
936日本@名無史さん:2007/10/22(月) 03:18:32
太平記三傑は
正成 新田 足利でいいのか?
信長 秀吉 家康とか西郷 大久保 木戸 みたく
937日本@名無史さん:2007/10/22(月) 04:39:53
>>935
貞和5年に上洛するまで基本的に関東にいるはずです。
938日本@名無史さん:2007/10/22(月) 10:47:41
>>936
太平記はお涙頂戴の軍記物だしな
その3人は原本ではかならずしも持ち上げられていない
「戦の上手い人3人」という格づけならそうだと思う
太平記は敗者を描く事に丁寧で、尊良親王、護良親王、楠木正行ら、
悲劇の英雄たちのほうが同情的に描かれる
939日本@名無史さん:2007/10/22(月) 19:01:17
>>938
作家の永井路子は、太平記の本質は冷徹なまでの時代評、人物評にこそ真髄があり、お涙頂戴にしようとしてもそちらのほうはイマイチ成功していない、というようなことを書いていたな。
確かに「平家物語」のように流麗ではないし、仏教思想・無常観ともほど遠い感は否めないが。
940日本@名無史さん:2007/10/31(水) 11:34:12
太平記は儒教の方なんだろ?もっとも第3部はゲゲゲの鬼太郎みたくなるが。
941日本@名無史さん:2007/11/04(日) 22:48:38
しかし今川了俊はだいたい史実通りだとのたまっている。
942日本@名無史さん:2007/11/05(月) 20:14:03
つまり、…天狗の集会は事実だったんだよ!(AA略
943日本@名無史さん:2007/11/14(水) 11:10:57
土岐頼員てどなったの
944日本@名無史さん:2007/11/18(日) 15:38:28
了俊が念頭においている「太平記」が現在伝わっているものと、全て完全に
イコールである保証もないけどな。
945日本@名無史さん:2007/11/18(日) 15:41:28
光厳法皇と後村上天皇の御会見は史実なの?

太平記で好きな場面の一つなんだけど。
946日本@名無史さん:2007/11/18(日) 22:14:30
読みやすい太平記って言えば、やっぱり吉川英治の私本太平記ですか?

NHKのドラマの再放送を見て、小説読んでみようと思ったんですが。
原本はちょっと難しそうなので。
947日本@名無史さん:2007/11/19(月) 04:49:51
「太平記」くらいは原典で読んでおけよ。
語彙的にも文法的にも難しいことは何もないから、平安文学なんかを原文で
読むのと比べたら遙かに楽だぞ。
個人的には、軍記や文学作品って、南北朝以降になると格段に読みやすくなると
思う。
948日本@名無史さん:2007/11/22(木) 09:18:25
age
949日本@名無史さん:2007/12/26(水) 18:50:08
珍しい苗字の友人検索してたらここに辿り着いた
太平記ってよく知らないんだが実際にあった話ではないのか
950日本@名無史さん:2007/12/27(木) 13:10:22
>946
吉川英治の私本太平記と原本の太平記は全く別物だよ
吉川本は完全な小説で、主人公は足利尊氏。
いきなり結婚を控えた鎌倉時代の尊氏から始まる。
原本の太平記はあくまでも朝廷が舞台。
どちらかといえば南朝より。
951日本@名無史さん:2007/12/27(木) 20:29:52
コミック乱TWINSの岡村賢治版の私本太平記が面白いです
作中の佐々木道誉が、いいですね
952日本@名無史さん:2007/12/27(木) 20:50:48
北朝《幕府方》ですら南朝に肩入れしている様ですが、この原因として
幕府内の内乱が原因と聞いたのですが、どうでしょう?
953日本@名無史さん:2007/12/27(木) 21:44:42
鎌倉幕府を裏切って後醍醐についたり、後の観応の擾乱時にも尊氏、直義双方が南朝と手を結んだりしてるから
足利氏としても南朝を単なる敵として非難するわけにはいかなかっただろうな
954日本@名無史さん:2007/12/29(土) 09:15:03
楠正成や新田義貞、名前はよく知ってるがどんな人かはあまり分らずなじみがない。
ドラマなどほとんどなってないからなぁ。天皇がからんでてやりにくいだろう。
「ばさら大名」なんて登場して乱れた、いい時代とは言えないだろう。
955日本@名無史さん:2007/12/29(土) 10:18:00
>>954
いい時代だよ。おまえ身分変動の萌芽が、この時代から起こったの知らないんだろw
956日本@名無史さん:2007/12/29(土) 11:20:39
>>952
幕府の方も内心は「あっちがホンモノ」と思ってたから(井沢元彦氏談)。
957日本@名無史さん:2007/12/29(土) 16:58:24
井沢元彦w
958日本@名無史さん:2007/12/29(土) 17:35:49
ちなみに「太平記」の成立論で一番納得できたのは井沢氏の説だな。
もっとも「源氏」の成立論の方は穴ありまくり。なんだこの差。
959日本@名無史さん:2007/12/29(土) 19:05:14
>>958
井沢氏は太平記については怨霊史観以前から興味あったってだけじゃねえ?
逆説シリーズ以前に尊氏関連で本を出していた記憶がある。
960日本@名無史さん:2008/01/03(木) 18:30:01
>>958
穴をいうなら井沢の説なんてほぼ全部穴だらけだよ。
ただ視点が少々斬新だから大衆を惹き付けるというだけ。
いうなれば素人の強みだな。
961日本@名無史さん:2008/01/14(月) 10:39:39
井沢氏はさ、史学の領域に踏み込まなければ、そんなに悪くないのに。
962山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/01/17(木) 21:35:19
斬新というか、どこかで誰かが言っていたような話の焼き直しという気もしますが。
963日本@名無史さん:2008/01/19(土) 16:19:05
プロからすればそうかも知れないが、一般人からすれば「歴史ガイド」としてはうってつけ。
注意は鵜呑みにしない事。
例えば「何で藤原氏のライバルの源氏が主人公か?」だが、先行の「落窪物語」の主人公だって源氏だ。
何も怨霊持ち出さなくても、主人公が王族の血を引くのは平安物語のお約束だったらしい。

これに対し「何で無名の児島高徳がカッコイイ役で出てくるか?」は、作者の特別出演てのが一番もっともらしい。
史料が無いから確定出来ない代わり、否定も出来ない。
964日本@名無史さん:2008/02/06(水) 21:20:36
NHKで大河ドラマとして太平記をやると聞いた時、當然主人公は大楠公(楠木正成)と思い、全巻をビデオに撮ろうと張り切っ
ていたが、逆賊足利高氏が主人公と聞いて愕然とした。原作(吉川英治、私本太平記)がそのようになっているそうであるが、「梅
松論」ならいざ知らず「太平記」と名付ける以上は、大楠公を無視したり足利高氏を賞揚したりすることは許されないのではなかろ
うか。足利高氏の肩を持って書かれている「梅松論」ですら、大楠公に對しては稱贊を惜しまないとのことであるのに、NHKドラ
マの楠木正成は足利高氏に阿諛追從する道化役にされている。役者も重みのある人を起用するならまだしも(演技は上手なのかも知
れないが)輕佻浮薄な役者を起用して意識的に「河内の田舎武士」を演じさせている。役者自身も、大楠公を演じている自覺がまるで
ないようであり、チャンネルを變えると馬鹿面を晒して「ラーメン」や「冷藏庫」の宣傳を行っているから始末が惡い。心ある日本人の
崇敬を一身に集めた大楠公を演ずる以上は、己も大楠公に成り切り、少なくとも放映期間中は輕佻浮薄なコマーシャルの出演を斷る
位の見識を示して欲しかった。昨年の西郷南洲(隆盛)役に續き、NHKは我々の崇敬する人物を意識的に侮蔑しようとするのか!

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965日本@名無史さん:2008/02/07(木) 18:50:49
>>963
> これに対し「何で無名の児島高徳がカッコイイ役で出てくるか?」は、作者の特別出演てのが一番もっともらしい。

小島法師=児島高徳説?
966日本@名無史さん:2008/04/03(木) 00:53:52
>>949
実際にあった話を基にして作られたフィクション。
今の大河ドラマみたいな感じではないだろうか?

>>955
戦後に没落した家に生まれ、
今の格差社会で負け組みになってしまったような人なら、
太平記の時代はいい時代とはいえないと実感するだろうな。
967日本@名無史さん:2008/04/03(木) 23:40:01
あなたが私にくれたもの 夜討ち 強盗 偽綸旨
あなたが私にくれたもの 召人 早馬 嘘騒動

あなたが私にくれたもの 生首 還俗 自由出家
あなたが私にくれたもの にわか大名 迷い者

 大好きだったけど 彼女がいたなんて
 大好きだったけど 最後のプレゼント
 bye bye my sweet ゴダイゴ'
 さよならしてあげるわ
968日本@名無史さん:2008/04/04(金) 01:04:45
>>967
ワロタwwwww
969武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/04(金) 01:15:51
>>966
相対的に見たらいいかな。
民衆の力が顕在してくる兆しもあるし。
まあここには太平記全部精読した奴はいないだろうな、私も重要なとこだけだ。
おやすみなさい
970日本@名無史さん:2008/05/14(水) 20:44:35
>>952
歴代将軍とその父(前将軍)との仲が決して良好でなかったことが一つの原因なんだと思う。
反前将軍が、親南朝だったり親直義だったりするのではないかと。

太平記は検閲のせいか否か、ある時期までは直義に託すところが大きかったんではないかと
思うんだ、自分は。
971日本@名無史さん:2008/05/22(木) 09:41:34
観応の擾乱のグダグダっぷりは応仁の乱にそっくり。
972日本@名無史さん:2008/05/22(木) 11:13:35
足利義政が弟か嫁を粛正できるほどの政治家なら戦国時代はなかったかも
973日本@名無史さん:2008/05/23(金) 06:21:04
妄想無用
974日本@名無史さん:2008/05/23(金) 09:19:23
尊氏が義教並に果断だったら観応の擾乱もなかった
975日本@名無史さん:2008/05/23(金) 12:51:41
佐々木道誉の諱は高氏で足利高氏と同名
976日本@名無史さん:2008/05/23(金) 13:57:42
足利家時の生没年は1283〜1317とあるが、これだと子の貞氏より年下になってしまう
977日本@名無史さん:2008/05/23(金) 15:51:13
家時の生没年が1260〜1284としても貞氏は家時が13歳の時の子供になるのでこれも違和感がある
978日本@名無史さん:2008/05/23(金) 16:22:14
>>972
義教の二の舞になるのがオチ
979日本@名無史さん:2008/05/23(金) 16:48:25
>>952
応仁の乱もそうだが敵味方がコロコロ変わりすぎて、
当事者達もわけがわからなかっただろうな。
980日本@名無史さん:2008/05/23(金) 17:18:52
二条河原落書に下克上という言葉が出てくるが、戦国時代以前から下克上の風潮が合ったらしい
981日本@名無史さん
>>943
消息不明。おそらく天寿を全うしたのだろう。