1 :
日本@名無史さん:
私の先祖は総代名主(大庄屋・十村)です。
そこいらのヘボ中流士族の子孫よりも、家格・財産・教養・品位
の全てにおいて勝っているのです。
2 :
日本@名無史さん:03/07/28 22:32
2
3 :
日本@名無史さん:03/07/28 22:34
4 :
日本@名無史さん :03/07/29 00:54
田舎の方だと昔の名主さんってそのまま現在の市長とか市会議員とかになってるよね。
5 :
日本@名無史さん:03/07/29 00:56
近世の農村の話でもやってみれば。。。
6 :
日本@名無史さん:03/07/29 01:17
田舎だけじゃないよ。うちの親戚、23区内の旧名主の子孫で
区議会議員。
(^^)
8 :
日本@名無史さん:03/08/03 21:26
私の家も庄屋じゃったけど四代前の先祖が財産を切り売りしてなまけてたから今は、まるっきり貧乏です。う〜ん残念。
上手くやらないと3代続けば相続税で土地はなくなる。
また23区内では、銀行に相続対策のためとそそのかされて、
ビルやマンソンを建てまくったあげく、バブル崩壊の直撃をくらって、
巨額の負債を抱え、首を吊った元庄屋がけっこういる。
ただの金持ちだろ。なんの芸もねーやつ。それが庄屋。
その子孫じゃ自慢にならんよ。まして分家じゃ特に意味がない。
今の世の中三代で財が潰れる仕組みなんだから本家も意味ねーがさ。
12 :
日本@名無史さん:03/08/06 06:38
ただの芸無し
近藤や土方が武士になろうと躍起になったのも分る
13 :
日本@名無史さん:03/08/06 06:54
>>12 近藤は郷士だろ。養子に入ったろ八王子千人同心の近藤家に!生家は名主だっけ?
14 :
日本@名無史さん:03/08/06 08:48
1はアホ。財産でまさる例は多々あるが家格は抜かせない。1のように教養もなかった奴も多いと思うよ。
1の書きっぷりを見て品性があると感じる人もいないだろう。
15 :
GET! DVD:03/08/06 09:16
16 :
日本@名無史さん:03/08/06 09:40
>>14 いや、下級武士のほうが身分は上だが庄屋のほうが格式は上、庄屋には門構えは許されているが下士身分には、門、塀は許されていない
門構え、塀は上士にしか許されていない。門構えはその家の格式を示す。
今度はこっちかよ。
史ね。
18 :
日本@名無史さん:03/08/06 10:12
19 :
日本史博士@:03/08/06 12:27
俺のご先祖様は恐れ多くも沼田藩3万5千石
土岐氏!祖父は東京帝国大学法学部卒の、鹿
児島県山川町長(日本最南端の駅西大山で鉄
ヲタには著名。長崎鼻もあり、となりには開
聞岳もある観光の町)母方の先祖は同じく鹿
児島の宮之城町長。(竹の町で有名)親戚は
厚生労働省官僚。
20 :
日本@名無史さん:03/08/06 12:43
本物だったら身元バレが恐くてそんな事書けないよね。
さらし者にされたいマゾなのかな?
漏れの母方のひいじいさんは炭鉱で一山あてたが
全部自分で使っちまって後には何にも残ってねー
父方のひいじいさんは女遊びで家つぶしちまった
なんちゅう浪費家系だ
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
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iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ● ● ) .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii|
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25 :
日本@名無史さん:03/08/06 22:44
俺んちも元庄屋だけどよ・・・
>>1よ、だから何なんだ?
いまさらクソの役にも立たん自慢すなボケ。
>総代名主(大庄屋・十村)
何これ。
それぞれ別の制度じゃん。
27 :
日本@名無史さん:03/08/06 23:59
>>26 世襲の場合、旧国人領主層から出たのが総代名主。
28 :
日本@名無史さん:03/08/09 02:33
30 :
日本@名無史さん:03/08/12 05:43
バンドでもいたな
ヘッポコ女組
31 :
日本@名無史さん:03/08/12 12:05
本間様には及びもせぬがせめてなりたや殿様に
よって本間ゴルフ最強
32 :
日本@名無史さん:03/08/12 13:49
本間ゴルフってかなり危ない経営状態だよ。
>>27 総代名主と、惣庄屋は、どう違うのですか。
惣庄屋は、単なる大庄屋か。
俺の先祖、惣庄屋です。
>>33 地域での名称の違いでしょ。惣庄屋は肥後藩細川家での名称では?
35 :
日本@名無史さん:03/08/12 16:07
>本間様には及びもせぬがせめてなりたや殿様に
その本間家は今なにやってんの?
なんか家は有料公開とかしてるらしいが・・・
36 :
日本@名無史さん:03/08/12 16:27
だから本間ゴルフの経営でしょ。
38 :
日本@名無史さん:03/08/12 16:46
39 :
日本@名無史さん:03/08/12 17:29
本家は?
酒でもつくってるの?
ちょっと前にNHK金曜時代劇でやってた
新潟の造り酒屋も金持ちぽ。
あれのモデルは誰?
40 :
日本@名無史さん:03/08/12 17:49
みのもんたもそうだっけ?
41 :
日本@名無史さん:03/08/13 04:28
実り皮は開き田の家老
42 :
日本@名無史さん:03/08/13 04:54
秋田には御法川なんていう家老の家はないけど…
見野は、アンタッチャブルと思われているのでは。
44 :
日本@名無史さん:03/08/13 05:14
名主は、大名に上昇できなかった者ではないか。
45 :
日本@名無史さん:03/08/13 06:25
>>42 みのもんたの先祖は秋田の家老であってるよ
46 :
日本@名無史さん:03/08/13 08:46
御法川家からは現職の衆議院議員も出てるよね。
47 :
日本@名無史さん:03/08/13 12:01
もんたも将来は立派な過労に・・・・
涙ぐましい!!
48 :
日本@名無史さん:03/08/13 12:03
まったく門地の良さを感じさせない男だね、みのって。
49 :
日本@名無史さん:03/08/13 12:27
50 :
日本@名無史さん:03/08/13 12:39
みの家老説のソースは?
秋田藩の家老に御法川家って、本当にあったのか?
それを検証してからじゃないと、単なる憶測と妄想ではないか。
51 :
日本@名無史さん:03/08/13 12:47
本名を「御法川法男(みのりかわ・のりお)」という。江戸時代は
秋田佐竹藩の家老職だったという家柄だ。「今も秋田ではすごい家
みたいで議員なんかも出てたりするけど。育ちがいい? バカ言っ
ちゃいけないよ。ウチは分家の水道屋っ。お殿様の時代じゃあるま
いし、育ちなんか全然良くないよ(笑い)」。
が、「お金はありますよね」と聞くと、ひと呼吸置いて「あるっ!」
と爆笑した。庶民感覚を失わない理由を聞くと「今のワイドショー
で司会してる人たちを見ると専門家の風情だけど、僕は一介のラジ
オ出身のアナウンサーだもん」。
52 :
日本@名無史さん:03/08/13 13:03
いい加減なソースだな。
佐竹の家臣は系譜がまとめられているから割とすぐわかるよ。
家老の御法川家はないよ。
佐竹は家臣の系図をしっかり蒐集している藩だったね、そういえば。
中老とかなのかな?
まったくのウソということもないのでは?
54 :
日本@名無史さん:03/08/13 13:34
ウチも母方が庄屋の出です。旗本領でしたが、母が聞いたところ「殿さま」と呼ばれてたらしい。
55 :
日本@名無史さん:03/08/13 13:41
本当だとしたら
お母さんの思い込みだよ
すくなくとも江戸時代そんな呼び方してたらお咎めあるよ
56 :
日本@名無史さん:03/08/13 13:50
江戸時代、「殿さま」と呼ばれたのは大名と旗本のみ。
御家人は「旦那さま」だった。
だから百姓身分の庄屋が「殿さま」って呼ばれることはありえない。
維新後に身分的規制がなくなってから長屋門を作る元庄屋もいたので、
ひょっとしたらその頃に奉公人や小作人にそう呼ばせたのかもね。
57 :
日本@名無史さん:03/08/13 14:35
庄屋や名主は、大名への上昇の途を絶たれたものです。
よって、下級武士とは、経過が異なる。
58 :
日本@名無史さん:03/08/13 14:36
>>57 そのこと詳しく知りたい!詳しく説明して!
59 :
日本@名無史さん:03/08/13 15:17
武士といっても、兵農分離以前は農村居住の地侍だったわけで、
そういう地侍層の中から武将や大名に上昇したものもいれば、
そのまま農村に土着して豪農とか庄屋になった者もいたということでしょ。
60 :
日本@名無史さん:03/08/13 20:31
徒士とか足軽なんて連中は、若い頃の秀吉みたいな卑賤の出自なんだろうから、
庄屋の方が由緒正しいってわけだな。
61 :
日本@名無史さん:03/08/13 20:52
秀吉も貧農ではなく庄屋階級の出だという説もあるよね。
その頃、庄屋階級なんてねーだろ。
63 :
日本@名無史さん:03/08/13 23:07
庄屋は士分や郷士の身分を与えられた者から、純粋な農民身分の者まで
様々だね。
64 :
日本@名無史さん:03/08/13 23:36
まあ、いまでも地域活性化に貢献しようとするのは大したものだと思うよ。
旧士族とはそこが違うかな。
65 :
日本@名無史さん:03/08/14 01:12
旗本領は数百石単位で分割、配置換え多く支配力弱いので有力者は
旗本から〜殿と呼ばれた家もあるみたいだが、いわゆる「殿」とは違うだろ。
66 :
日本@名無史さん:03/08/14 02:03
なぬし=名主は、荘園の、みょうしゅ=名主層からの変化なのでしょう。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
68 :
日本@名無史さん:03/08/15 20:18
b
69 :
日本@名無史さん:03/08/17 20:47
症やが殿様?も〜アホかと・・バカかと・・・
>>66 名主(みょうしゅ)から、大名になる者が出てくるのでしょう。
71 :
日本@名無史さん:03/08/18 06:01
72 :
日本@名無史さん:03/08/19 03:16
あげ
73 :
日本@名無史さん:03/08/19 13:50
道頓堀も大和川の付け替えも庄屋がやった
昨日の読売新聞には大和川を付け替えた庄屋を「一介の農民」と書いていたが
「村長」くらい書けんか?
74 :
日本@名無史さん:03/08/19 18:20
うちの母方の先祖は、近所の別の農家と交代で
庄屋やってたって聞いたんだけど、こういうことってありえるの?
75 :
日本@名無史さん:03/08/19 18:21
世襲制と交代制があるから有り得るよ。
77 :
日本@名無史さん:03/08/19 19:10
>>1 んで今何町or何反ぐらい土地持っているの?
78 :
日本@名無史さん:03/08/20 22:57
「庄屋のお宝は本物だ」by石坂浩二
79 :
日本@名無史さん:03/08/20 23:29
庄屋だった家の名簿って売ってる?
80 :
日本@名無史さん :03/08/22 01:13
江戸時代の家格や財産で庄屋ベスト10をあげるとしたら
どんな家があるんですか?
81 :
日本@名無史さん :03/08/22 01:32
全国の由緒ある庄屋をあつめた本があるなら読んでみたい
82 :
日本@名無史さん:03/08/22 01:32
ベスト1 本間家(山形県酒田市)
83 :
日本@名無史さん:03/08/22 01:33
本間家って庄屋か?
84 :
日本@名無史さん:03/08/22 01:44
しょうや
大庄屋
86 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:10
お前ら何宗?
俺の先祖は小作だが、うちは武家ばかりで著名な臨済宗。
87 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:16
曹洞宗の檀家総代でした。
89 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:29
まあ農家で臨済宗は、郷士か庄屋くらいだけどな。
90 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:32
>89
ソースは?
因みに俺も、武家の多い禅宗の仲間だが……庄屋だな、はぁ〜
>90
臨済宗は曹洞宗と違って、
権力者・高貴な香具師しか相手にしなかった宗派だからな。
92 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:41
>86
何県の何寺?
93 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:42
720 :日本@名無史さん :03/08/24 17:14
庄屋は国人領主から発展したのとか、
郷士もたまにいるからな……臨済宗でも別に変では無い。
悲しい事に下級・中級武士より庄屋のほうが、よっぽど権力者だしなだしな。
94 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:47
戦国時代の負組大名が苗字を捨てて庄屋に転じた例も。
95 :
日本@名無史さん:03/08/24 17:59
>>91 じゃ必然的に臨済宗の寺は少ないわけだね。
96 :
日本@名無史さん:03/08/24 18:00
>94
ソースは?
97 :
日本@名無史さん:03/08/24 19:45
考えて見ろ 軍隊の中下級将校・市役所の職員と町村長・町村議員・会社社長
とどちらが社会的ステイタスがあるのか
98 :
日本@名無史さん:03/08/24 19:52
>94
加藤清正の子孫なんてそうだな。
99 :
日本@名無史さん:03/08/24 20:05
>>97 難しくねいか?戦前なら間違いなく軍隊の中下級将校だろうが、今自衛隊の将校に社会的ステータスがあるようには思えんが・・・。
やっぱ会社社長かな?
100 :
日本@名無史さん:03/08/24 22:45
百姓はどこまでいっても百姓。
101 :
日本@名無史さん:03/08/24 23:27
でも元武家の行き着く先はホームレス
102 :
日本@名無史さん:03/08/24 23:31
7人の侍を見て百姓は強えーなと思った。
弱そうに見えて、百姓はしたたかで死ぶとい雑草。
侍は誇りを奪われたら簡単に死を選ぶもんな。
どちらが強いか一目瞭然じゃ。
俺はあの映画観て百姓にイライラした。
104 :
日本@名無史さん:03/08/25 00:08
車夫>武家の行き着く先
105 :
日本@名無史さん:03/08/25 00:44
>>104 そんなにコンプ持たんでええやん。
でもその気持ちわかる。
おれも、武家の末裔だってわかるまではコンプもってた。
墓参りに行くとき、
なんで、じいちゃんが殿様の墓の前で手をあわせるのか不思議でならなかった。
106 :
日本@名無史さん:03/08/25 00:55
>>104 うち武家だが明治以降は官僚ですた。
士族は官僚か軍人か北海道開拓かのいずれかでしょうね。
車夫?100人に1人もいないでしょう。
わずかな例を挙げて煽るのはやはり武家に対するコンプレックスでつか?
107 :
日本@名無史さん:03/08/25 01:02
>>105 >>106 雑魚相手にムキになってるおまいらこそコンプの固まり
下層武士にまで武家ずらされては俺たち上層が迷惑する
108 :
日本@名無史さん :03/08/25 03:03
戦国時代の武将はほとんど、江戸時代でいう庄屋です。
最終的に権力を握った人達は、武家として土地を捨て都市に住んでいますが
ほとんどの地域では長男が地主として庄屋となり土地を持たない次男以下が
武士として仕えている。
109 :
日本@名無史さん:03/08/25 03:07
でも江戸時代には、、、可哀相に
110 :
日本@名無史さん :03/08/25 03:20
大きな庄屋は郡役人として名字帯刀を許されている家も多数ありました。
下級武士の俸禄と比較しても収入は格段に多いです。
ちなみに明治時代には士族です。
郡役所や村の幹部組織はそのまま明治後の議会に移行しました。
現在でも地元の有力者はその子孫が多いです。
111 :
日本@名無史さん:03/08/25 03:55
>>110 >>ちなみに明治時代には士族です
それはないでしょう。郷士などに取り立てられない限り平民。
112 :
日本@名無史さん:03/08/25 04:57
庄屋は百姓すなわち平民
小学生でも分かるぞ>110
113 :
日本@名無史さん:03/08/25 05:51
本間様は士族になったの?日本一の大庄屋だけど藩の役職も何かやってたのかな?
114 :
日本@名無史さん:03/08/25 05:55
本間すら平民
俺も大庄屋の子孫です
でもね、回り持ちだったのです。
当家として続けていたのは、某有名寺院の年貢の取立て、
寺侍の代わりをしていたらしいです。
>>108 長男が武士で、次男が庄屋という例が多いようです。さらに領主権は長男のほうに
あった。しかし、武士の常として領地の変更などが相次ぎ、いつのまにか庄屋が所有
者のような顔をして・・。
117 :
日本@名無史さん:03/08/25 11:06
徳川幕府の組織も庄屋の組織も名称に至るまで同じなんでしょうなぁ
大老-年寄(老中)-若年寄-○○役・・・という感じで
118 :
日本@名無史さん:03/08/25 20:41
>116
地頭が領主化したのも似たようなもんだ
119 :
日本@名無史さん:03/08/25 20:53
俺が知ってるかぎりでは、むしろ長男の家が伝来の田畑を継いで
庄屋になって次男以降の家が武士となったというケースが多い。
戦国〜江戸草創期は決して武士>豪農ではなかったからね。
120 :
日本@名無史さん:03/08/25 21:07
また電波合戦だよ
121 :
日本@名無史さん:03/08/25 21:16
歴史はデムパが揺り動かす
122 :
日本@名無史さん:03/08/25 21:35
>>121 小物やガラクタじゃどうしようもないな。
123 :
日本@名無史さん:03/08/25 21:43
庄屋?百姓じゃん 自慢にならんよ
下級武士の方がマシ。
庄屋なんて金だけあって、何も取り柄ないからね。
今のパチンコ屋と同レベル。
124 :
日本@名無史さん:03/08/25 21:45
言い得て妙。
金だけあっても尊敬はされないもんな。
125 :
日本@名無史さん:03/08/25 21:59
>>123-124 田舎行くとすごいよ庄屋の家系は尊敬と羨望の眼差しで見られる。田舎の身分制(表現が的確ではないかも知れんが)は農地改革
まで残っていたから、今でも名残がある。
126 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:07
そいいう変に次元の低い田舎って最悪。絶対、俺には住めない。>125
127 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:10
>>126 横溝正史読んでみろよ金田一シリーズ結構田舎の身分制に触れていて面白いよ。怖いけど。
128 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:13
世襲の庄屋って昔の武将などが帰農したものだから、その地域の殿様なんだよね!この辺が分かってないから百姓呼ばわりするんだ。
129 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:17
百姓身分に誇りを持てない庄屋はほぼ間違いなく打ち壊しに合ってる。
百姓になる武将なんて所詮負け組だろ。
百姓と呼ばれて当然。
131 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:23
つーか、庄屋の分際で殿様意識なんぞをちらつかせたら、
磔獄門が関の山でしょ。
132 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:27
>>129 江戸初期は戦国期同様農民と庄屋は一体だったので百姓一揆などでは一緒に代官所などを襲ってた・・・・が末期になると
幕府の懐柔策などで庄屋は苗字帯刀を許されるなど体制側に組み込まれ百姓一揆などでは庄屋が襲われるようになった。
>>130 負け組みだが足軽程度から武士になったような奴に家柄で負けてる気は一切ない。
133 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:32
百姓からは憎まれる、侍からは馬鹿にされる。
行き場のないどっちつかず。それが128=132の言葉によく表れている。
134 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:34
>>133 そうらしいね!庄屋が代官所に詰めるときなんかは見た目は武士だけど武士から見れば農民・・・辛い立場だったんだろうね!
135 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:37
まあ、庄屋のほうが似非士族よりはよっぽどいいわな!なあ自称士族どもよ、あんたらの先祖は庄屋に頭も上がらんかったんじゃないの本当は。
136 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:38
137 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:41
>135
おそらく一介の浪人の前ですらそんな態度を庄屋がとったら、
切り捨てられても文句は言えまい。
金銭的に上位に立っても、それを表立って出すとばっさりやられるのが身分制。
理不尽ではあるが身分とはそういうもの。
138 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:44
>>137 浪人って斬捨御免許されてたの?浪人って身分的には農民や町人だよね。苗字帯刀は許されてても!だいたい刀は竹光じゃねいの?
139 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:53
10人の浪人を馬鹿にすれば1人くらいは真剣を佩いてる椰子もいるよ。
9人大丈夫でも10人目は間違いなく抜く。浪人といえども武士のはしくれ、
馬鹿にされて刀を使わなかったらそいつは武士ではないな。
140 :
日本@名無史さん:03/08/25 22:56
辻斬りされてたのって大抵コ生意気な庶民だよな。
今でいう2ちゃんねらーみたいな。
141 :
日本@名無史さん:03/08/25 23:00
>>139 でもさ!浪人って言っても江戸初期と後期じゃ全然違うじゃん!初期は武士だろうね庄屋と同じく負け組みの。でも後期になりゃ
豪農の次男・三男が武家奉公して首になった奴だろうほとんどは!雑用ばかりしてたのが武士の端くれとは思えんが。
142 :
日本@名無史さん:03/08/25 23:07
>141
豪農の次男・三男の武家奉公って、中間か奴だよ。
そういうのが失業しても、他のお屋敷に奉公に行くだけだろ。
最悪でも田舎に帰って水呑か、今更帰れないだろうから渡世人家業でしょ。
浪人するのは代々武家で侍以外に生きるすべを知らない椰子。
143 :
日本@名無史さん:03/08/25 23:14
中間は武士とは言わないし。
武士が正社員なら中間はアルバイト。
144 :
日本@名無史さん:03/08/25 23:15
>>142 >>浪人するのは代々武家で侍以外に生きるすべを知らない椰子。
そうでもないらしい。ほとんどは大都市に吸収されていった。ただリストラで浪人は恒常的に出ただろうから・・・どうなったんだろうね?
ただ幕末の浪人は豪農の次男とかが多かったという話だ。
145 :
日本@名無史さん:03/08/26 01:26
>>137 >おそらく一介の浪人の前ですらそんな態度を庄屋がとったら、
切り捨てられても文句は言えまい。
金銭的に上位に立っても、それを表立って出すとばっさりやられるのが身分制。
理不尽ではあるが身分とはそういうもの。
そしてその浪人は、斬り捨てた庄屋の次男(御家人株を買って与力になった)
に切り捨て御免で切り捨てられ、妻子は連罪で非人に身分が落とされるわけ
ですな。w
146 :
日本@名無史さん:03/08/26 03:00
ヴァーカ
斬り捨てご免なんて簡単にできないし
浪人にその資格はない。
それに武家奉公にもいろいろあるんだよ。
百姓だって旗本になれる世の中だった。
147 :
日本@名無史さん:03/08/26 03:56
でも庄屋が浪人殺したら、うまく隠蔽もしくは虚偽の届け出で難を逃れそうだな!
148 :
日本@名無史さん:03/08/26 04:18
庄屋の次男・三男が郷士株や御家人株買って武士になったり、
私塾に通わしてもらって医師・儒学者になるなんてこと、
当たり前にあったしな。
大阪の商家の後家さんのヒモが、長崎奉行になった話も
あるくらいだからな・・・・。
>>147 大庄屋クラスだと、藩主・家老・奉行の外戚だったりする。
とうぜんお咎めなしでしょ。
浪人の嫁さん・娘を犯ってもノープロブレムだと思われ。
149 :
日本@名無史さん:03/08/26 04:33
>>148 そんなことも事実あったけど、「当たり前」とは違いますよ。
150 :
日本@名無史さん:03/08/26 07:00
おはよう
>>148 漏れの家の場合、隣国の6万石藩主(譜代)の親戚にあたる、64ヶ村
を束ねる大庄屋(400石)でした。
家紋ももち同じ。奉行・家老といった上士から「○△殿」と呼ばれていまつた。
明治になって、明治大帝の諸国行幸際に、天皇の御息所として当家の屋敷が
使われました。
151 :
日本@名無史さん:03/08/26 08:42
>>150 そうでつか。ご家老もけっこう複雑な心境だったと思います。
そして明治以後、あなたの家は、やはり、華族になりましたか?
152 :
日本@名無史さん:03/08/26 09:55
庄屋どんもお代官様の味方じゃあ!!!
それっ、一揆じゃあ、一揆じゃあ〜
と俺の先祖はやってたんだろうな。
153 :
日本@名無史さん:03/08/26 13:01
>>150 「64ケ村を束ねる」とは凄いですねえ。
我が先祖は、8ケ村を束ねていましたが、
それでも、かなりの広域ですよ。
64ケ村とは、どれぐらいの広さなのですか??
想像が出来ないので、何らかの方法で明示出来ませんか。
例えば、何々県の南半分とか。
154 :
日本@名無史さん:03/08/26 21:01
こんばんわ
>>151 >ご家老もけっこう複雑な心境だったと思います。
どうでしょうかね〜(^^)
家の爺さんがその家老職を務めた家から婿養子にきたぐらいので、そんなに
気にもとめてなかったのではないでしょうか?
なんでしたら親戚に直接聞きに行くのもいいかもしれませんね。
華族?そんな〜平民ですよ。w
本家筋は子爵になられましたが。ちなみに今でも親戚付き合いはありますよ。
法事の時とかは、当然本家は上座に座られますが。w
>>153 戦国〜安土桃山期まで各大名から土豪の領地争いが絶えないとこでしたので、
村村の規模は小さい分、多くの村がありました。(市内だけでも267村)
ですから少なくても中規模都市ぐらいの面積だったとおもわれます。
155 :
ども、151です:03/08/26 22:10
>>154 いいな〜。
なんかエレガントな雰囲気が、文体から、にじみでてるもんな〜。
156 :
日本@名無史さん:03/08/26 22:22
庄屋の子孫ってのもなんか辛いな。
「戦前はここら辺一帯我が家〜〜〜」などを聞かされそう。
157 :
日本@名無史さん:03/08/26 22:30
158 :
日本@名無史さん:03/08/26 22:40
当たり前なのかよ!w
漏れは聞いたこと無い、ってか曾祖母が庄屋の娘で漏れの母親の祖母だったんだが、父親によれば
漏れの母親の実家に行くたびに
>>156のフレーズを聞かされたらしい。んでその話を「もうその話はしねぇでい〜て!せつねぇて」と
漏れの母方の祖母が止めていたらしい・・・。
159 :
日本@名無史さん:03/08/26 22:54
>>158 確かに虚しいな。ウチも「隣町までウチの土地だった」「よその土地を通らなくても学校に通えた」て今更聞いても・・・
160 :
日本@名無史さん:03/08/26 23:49
>156
うちは侍だが同じようなこと親が言ってた。
祖父が遊び人で身上潰したが親の代はまだ人並み以上に裕福だったが、
今や人並み。
161 :
日本@名無史さん:03/08/27 00:32
数町歩あれば学校まで駅まで等の伝説は普通に可能。
よほどの僻地じゃなければ。
今は廃校、廃駅で、かなり広くなってるが。
>160
旧市街で数町歩。
田畑とは訳が違う。
>161
間違えた。失敬。
164 :
日本@名無史さん:03/08/27 00:52
大庄屋だと明治時代は郡長や郡会議長?町長って事はないよね?もしかして貴族院議員ぐらいか?
165 :
日本@名無史さん:03/08/27 01:00
戸長、区長くらいが普通だろ。
貴族院議員は基本50町歩以上の地主から選ばれるが
各都道府県に一人くらい。
太宰治の実家、津島家なんかがそうか?
167 :
日本@名無史さん:03/08/27 07:08
>>165 ただの庄屋が戸長でしょ!とすると区長ぐらいか!郡会議員はどの程度の庄屋?やっぱ大庄屋じゃないの?
>>154 俺の先祖の八カ村を束ねていた領域は、
某超有名歴史大都市の五分の一くらいです。
「市内だけでも267村」「64ケ村を束ねる」、この「村」を、「戸」に
置き換えれば、すっきり理解できますが・・・・・
「267村」なんて、今の東京都以外考えられませんが。
169 :
日本@名無史さん:03/08/27 08:29
うちの先祖が持っていた土地は何か村かはわからないけど、いまでは3つの町になっています。でもただの庄屋ですけど・・・大庄屋とかそういう
類のものではないです。
6万石から子爵というのが、芳しくネタ臭を発しているんだが。
171 :
日本@名無史さん:03/08/27 22:12
6万石で子爵になったのは 青山 忠誠 (丹波篠山) 石川 成徳 (伊勢亀山 ) 小笠原 長生 (肥前唐津) 相馬 誠胤 (陸奥中村)
秋元 興朝 (上野館林 ) 井上 正英 (上総鶴舞) 加藤 泰秋 (伊予大洲) 戸沢 正実 (出羽新庄)
戸田 康泰 (信濃松本) 本多 康穰 (近江膳所 ) 松平 乗承 (三河西尾) 松平 定教 (伊勢桑名)
松平 武修 (美作鶴田 )・・・・61000石 間違ってても突っ込まないでね!こん中にいます?
172 :
日本@名無史さん:03/08/28 01:14
ここは庄屋様スレでつ
173 :
日本@名無史さん:03/08/28 02:58
負け犬が互いの傷を舐め合うスレですか?
コンプレックスが生んだ妄想と嘘とネタとの集合体ですね。
昔の光いまいずこ、ご愁傷さま。
疑わしい過去の栄光と共に生き続け、このスレを伸ばし続け、我々を冷笑させ続けて下さいね。
応援してます。
174 :
日本@名無史さん:03/08/28 03:17
>>173 今もそこそこだよ!庄屋層は戦前豊かで教育を重視した家が多いから、一応キャリア官僚に納まってるよ親は・・・・・俺は・・・鬱ーーー!
家柄も庄屋だった家は良いとされてるから名門同士で姻戚関係を結んでるから元士族の血もたくさん入ってるし・・・。コンプレックスは無いよ!
175 :
日本@名無史さん:03/08/28 03:24
ムキになって即反応
やっぱり楽しませてくれますね
口では何とでも言えますが何はともあれ長文御苦労!
はい、次の方どうぞ!!
もっとおもろいトンデモネタ持ってる人希望
176 :
日本@名無史さん:03/08/28 08:47
今の時代 武士って言えば公務員。
百姓って言えば、田舎を除けば土地持ちの資産家。
家しか資産のない公務員と土地を貸して地代を得てる地主様じゃ
論じるまでもありませんな。
177 :
日本@名無史さん:03/08/28 17:09
>>168 東京都ではありません。地方・地名を書きますと身元が確実にわれますので
その点はご容赦ください。
>>171 ええ、ありますよ。w
6万石で子爵に叙勲されたのですから、本家としても十分満足だったのでは
ないでしょうか。悲惨なのは仕えていた家臣の方々ですよね。
178 :
日本@名無史さん:03/08/28 18:40
自己申告スレで能書きたれるの見苦しいよ
身元バレが困るなら最初から書くなよ
もしバレても迷惑するのはあんたじゃないでしょ、あんたはパクリ妄想ちゃんなんだから
179 :
日本@名無史さん:03/08/28 18:50
(≧∇≦)ブハハ
180 :
日本@名無史さん:03/08/28 20:22
>>177 今現在の家の資産ってどれぐらいあるんですか?
何十億?
美術品とかはどうされてるんですか?
相続税とか半端じゃないですよね?
先祖は幕末期に苗字帯刀を許された長州の庄屋でしたが
やたら武士(もちろん下級も)を崇拝してました。
>>177 同じ大庄屋をやっていた家系でも、俺の家の運命と雲泥の差がある。
この世は運なんですねえ。悪い事が少し重なれば、惨めなものですよ。
183 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:31
>>181 長州の場合庄屋はだいたい関が原以後減封されて武士をリストラされた人達でしょ!愛着があるんじゃないの。
184 :
日本@名無史さん:03/08/29 01:22
庄屋に様付けは見苦しい
百姓の視点ならわかるがな
庄屋ってほんとピンキリだね
まぁ武士もだけど
187 :
日本@名無史さん:03/08/31 04:37
>>185 そりゃそうだろ!上は本間様、これは並みの大名を超えてるし下は惨憺たるものだろうね!
うちは
中 の 下
一応戦後10後くらいまでは人並み以上の暮らしをしていたらしいが
今じゃ(鬱
189 :
日本@名無史さん:03/08/31 13:11
>>158辺りから
【昔は】漏れの先祖は庄屋様!子孫嘆きのスレ【良かった】
に変わってきているような気がする
190 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:01
>>167 戸長は県官(県等外官)なので初期は県によって違い庄屋は
副戸長だった所もある。
191 :
日本@名無史さん:03/09/01 01:13
192 :
日本@名無史さん:03/09/01 16:25
193 :
日本@名無史さん:03/09/01 16:33
郡会議員ってのは元庄屋じゃないの?
194 :
日本@名無史さん:03/09/01 17:52
今の地方弱小議員なんて一般家庭の高卒でも充分成れる
195 :
日本@名無史さん:03/09/01 17:55
>>194 今はね!昔はなれない。選挙権のある人間が少ないし・・・・。
197 :
日本@名無史さん:03/09/02 04:36
よく言われている
特定郵便局は?
198 :
日本@名無史さん:03/09/02 05:01
廃止
200 :
日本@名無史さん:03/09/03 21:06
漏れの先祖は明治2年名主、明治6年小区副区長(18ヶ村)、
明治8年小区副区長及び隣小区副区長兼務(42ヶ村)明治1
1年郡書記 その後、没落。
201 :
日本@名無史さん:03/09/04 01:59
議員=馬鹿。
馬鹿じゃないと議員に立候補しない。
先生と言われるほどの馬鹿でなし。
川柳ではないが、昔の人はよく言ったものだ。
202 :
日本@名無史さん:03/09/04 02:01
県により内容に差異あるが明治四年に大小区制が始まる。
大区に区長、小区に戸長(副区長)、町村に副戸長・用掛・組総代。
203 :
日本@名無史さん:03/09/04 11:14
>>197 地方の素封家で信用が有り、財力の有る人。
もっと言えば、郵便貯金をかき集める能力の有る人。
204 :
日本@名無史さん:03/09/10 03:31
庄屋って言ったら門でしょ。長屋門・薬医門などなど。自分の好みで立てたのかな?門のない庄屋っていたのかな?
205 :
日本@名無史さん:03/09/10 03:34
>204
また門の話かよ。
だれも興味ないからやめたら。
206 :
日本@名無史さん:03/09/10 04:00
207 :
日本@名無史さん:03/09/10 04:54
たかが200レス、自分で探せよぉ
208 :
日本@名無史さん:03/09/10 05:42
>>207 16しかないんだが・・・それも内容が違うような・・・。
209 :
日本@名無史さん:03/09/10 05:49
門ってどんなの?家の周囲を雑木?(綺麗にカットされた木の並び?)になってて、入り口がアーチ上になってるのは見たことある。
普通に木造の塀なのかな?
それにしても、旧農家の家ってでかいよね〜。都市部に住んでると羨ましい限り。
210 :
日本@名無史さん:03/09/10 06:12
211 :
日本@名無史さん:03/09/10 06:31
>>210 あ〜らら、随分りっぱな門構え・・・。武家屋敷とか神社みたい。
212 :
日本@名無史さん:03/09/10 06:46
>>211 ちゃんと全部読め!下の方に「民家で使用しているのは、長屋門・薬医門・冠木門の三種であり、地方によっては薬医門を四脚門と呼んでいる」
213 :
日本@名無史さん:03/09/10 07:01
え〜、読めって言われても・・・。文字が重なって読みづらいし
214 :
日本@名無史さん:03/09/10 12:24
つーか門の話はもうやめろ。
ただの知りたがりだからつまらん。
もしかして・・・17=205=214 他スレで嫌な目にでもあったのか?
216 :
日本@名無史さん:03/09/10 21:45
>>204 当時は家格で門の大きさや様式がきっちり決まっていたんだよ。
自分の家格より低い門だと世間から笑い者になる。
217 :
日本@名無史さん:03/09/10 22:10
>>216 そうは言うけどさ!分かりにくいじゃん!長屋門同士なら大きさで格式の違いがわかるけど、薬医門と長屋門じゃ、全然長屋門の方
が大きいわけで・・・・とすると長屋門の方が格式が高いのかい?・・・・・門の話はって言うけど庄屋って言ったら門という感じじゃない?
218 :
日本@名無史さん:03/09/10 23:09
デカけりゃイイというモノじゃないのはチンコと同じ。大きさだけじゃなくて太さや堅さ、持続力も関係する。
219 :
日本@名無史さん:03/09/11 00:12
門がらみで多少目先を変えて。
長屋門は字面の通り門の横に居住空間がありここに住む従属百姓が門。
多少の違い有るが離れに住んでたりする譜代等と同じ幹部従属百姓。
門前に住んでるのが、前、前地。大まかに言えばその他は名子。
非従属百姓が水呑み等の日雇い季節雇いのフリーター。
220 :
日本@名無史さん:03/09/11 00:34
>>219 農家の長屋門は多くは馬小屋か倉庫。おそらく人は住んでないと思われる。
ただ、殿様などが尋ねてくることがある庄屋などは、殿様が百姓屋に出入りするのはよろしくないということで
武家門を立てさせることがあり、これはその限りではないと思われ。ただ地域差が大きいだろうから一般論では語れない。
専門家の降臨望む。
221 :
日本@名無史さん:03/09/11 01:04
222 :
日本@名無史さん:03/09/11 10:30
>>221 だからそういう聞きたがりに終始するからやめてくれというんだ。
223 :
日本@名無史さん:03/09/11 11:59
>>222 17=205=214=222よ、やっと言ってる意味が分かったよ。今度は調べて書き込むことにするよ。
224 :
日本@名無史さん:03/09/11 12:31
うちは庄屋の分家ですが、ちょっと複雑。
長男だったが、家の名前を持って分家したらしい。
どんな理由だったんだろうなぁ・・・
ちなみに、本家は農協勤め。
うちの親父も農協だったが、やめてサラリーマンに転身。
226 :
日本@名無史さん:03/09/11 18:59
227 :
日本@名無史さん:03/09/11 20:55
>>225 ウチの爺様も長男でいったん家を継いだが、病気で転地療養している間に継母と腹違いの弟に土地などの名義を書き換えられて追い出された。
昔の役場はかなりいい加減だったらしい。
228 :
日本@名無史さん:03/09/11 21:30
庄屋(名主)の初代には帰農した武将が多いってよく聞くね。
ちなみに漏れの母方の家は、お家取り潰しになった房総里見家
の遺臣。
父方は幕臣(御家人だが)くづれなので、元々はどっかの馬
の骨なんだろう。
家柄は母親の方が良いね。
旗本>庄屋>御家人で決まりですな。
229 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:07
>>227 時々聞くねそういう話は、東京で勉学中に親が死にその間おじに任せていたら・・・。
230 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:16
231 :
日本@名無史さん:03/09/11 23:24
>>229 夏目漱石の「三四郎」の主人公の境遇がまさにそれ
232 :
日本@名無史さん:03/09/11 23:31
>>231 三四郎だっけ?それからとかじゃなかったか?
233 :
日本@名無史さん:03/09/11 23:33
>>229 小説になるぐらいだから、当時はよくあったのかも。
234 :
日本@名無史さん:03/09/11 23:46
>>232 「三四郎」・「それから」・「門」は漱石作品の中でも
三部作と言われているね。
「三四郎」の続編が「それから」→「門」と考えていい。
235 :
日本@名無史さん:03/09/12 00:06
>>234 なるほどね!三四郎読んだときは面白かったが、それから以降は鬱になる。門なんて・・・・。
>>225 長男が家を出ることが、特別な事ではなかったらしい。
その背景を語れる人、語ってくれ。
237 :
日本@名無史さん:03/09/13 11:54
>>236 そんなん遺言とか遺産分割の時に「長男には遺産を半分やるが、家は次男が継ぐことにする」とかになったら、
長男でも家を出ることになると思うが・・・。
庄屋どん!
239 :
日本@名無史さん:03/09/13 13:09
>>237 戦前に遺産分割なんてあったのか?ないとはいえないが、家督相続で全て相続するんじゃないの。
240 :
日本@名無史さん:03/09/13 14:30
解らんけど、「お前は廃嫡じゃ!」とか家長の怒りにふれてしまったとか、結構単純な理由ではないかと。
或いは「家の仕事は嫌じゃ!」とかいって自ら出て行ったとか。その当時の民衆の慣習は地域によっていろいろでわからなそう。
やっぱ生前の遺言とか親族会議でもした結果、そうなってしまったんだと思うけど・・・。実際どうなのかな?
242 :
日本@名無史さん:03/09/17 02:34
庄屋さんか
243 :
日本@名無史さん:03/09/17 03:01
しょうや
244 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:17
庄屋も石高で表すことは可能ですかいの?
245 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:30
年貢を免除された直接支配地を持っていなければ石高には表れない。
>>1 何代前の先祖がそんなに偉い庄屋だったんだろうか・・
247 :
日本@名無史さん:03/10/01 21:02
庄屋って結局何のために存在したのかな?
248 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:57
249 :
日本@名無史さん:03/10/10 03:15
>247
年貢徴収など武家の在郷支配のため
一応、第二次大戦直後まではだいたい人並み以上だったよな?>庄屋
251 :
日本@名無史さん:03/10/20 19:28
戦前派貧富の差が激しいから!旧庄屋層の多くは極めて裕福でしょ。車乗り回したりetc
252 :
日本@名無史さん:03/10/20 21:24
>>251 そうだな。漏れの親父の従兄弟は名門庄屋の血統上の長男だったんだが(わけあり)、
国宝を有する大寺院の部屋住み(居候)で県立一中に通っていた。
253 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:54
254 :
日本@名無史さん:03/11/18 22:53
漏れの曾爺さんは、隠居後に廃刀令が出てからも脇差を腰から下ろさなかった。
漏れの爺さんが小学生のとき、教員を張り倒したら怒られるどころか教員が辞めた。
漏れの親父が本家に行っても絶対に呼び捨てにされなかった。
爺さんも親父も年を喰ってからの子だったので、2世代くらい廻りのものと違う。
255 :
日本@名無史さん:03/12/12 22:19
256 :
日本@名無史さん:03/12/13 01:12
>>251 うちでは戦時中は徴用された車の代わりに馬車(御者付ね)
を使っていたみたい。
写真で見さしてもらったんだけど、屋敷の正門の前に二頭
立ての馬車と、御者の兄ちゃんそれに小学生だったうちの爺さん
が仲良く一緒に写っているやつだった。
それにしてもうちの爺さん、なんか小生意気な金持ちのガキって
感じがプンプンしてたな・・・・。
あれは友達できなさそうな顔だな。
実際高校入るまで友達いなかったらしいが・・・・。
>>256 田舎は身分制(制度上でなく格式)が最近まで残ってたから友達といっても同格式か
成績優秀で将来を嘱望されている人だけ!なんだよね・・・親父が体現者。その割りに歴史上
の有名人の子孫に弱く仲良くしたがる!最悪だね!
258 :
日本@名無史さん:03/12/13 23:09
>>257 >成績優秀で将来を嘱望されている人だけ!
言えてるな、それ。
水呑み百姓の倅でも、頭がキレれば地主に目をかけられ
旧制中学進学→大学卒業と同時に養子入りなんてあたり
前だったらしいしな。
っていうか、俺の父方の曽祖父の人生がまさにそれ(w)
>その割りに歴史上の有名人の子孫に弱く仲良くしたがる
そんなひい爺さんも「血筋」にはなみなみならぬ関心を
いだいていたという。
嫁(ひい婆さんね)を士族から貰い、息子の嫁には実業家
の娘を貰い、俺のお袋は元市長を務めた元豪農の出・・・・。
何考えてるんだろうな
259 :
日本@名無史さん:03/12/21 14:46
庄屋って田舎だとすごいよね!
子供の頃、母方の祖母の実家に行った事がありますが、
壁に陣笠と槍が飾って在りました。
江戸時代には庄屋だったそうです。
母の従兄は近衛兵でしたが満州で戦死致しました。
聞く話では近衛兵に成るには家柄と成績優秀な人材から選ばれた
そうです。
261 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:14
262 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:45
>>260 家柄関係ないよ。丁稚奉公に来ていた貧農のこせがれ3人近衛兵に
なってたし。体格は良かったみたい。体格とか見栄えで決まるん
じゃないの。
263 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:46
>>260 家柄関係ないよ。丁稚奉公に来ていた貧農のこせがれ3人近衛兵に
なってたし。体格は良かったみたい。体格とか見栄えで決まるん
じゃないの。
264 :
日本@名無史さん:04/01/17 11:50
age
265 :
日本@名無史さん:04/01/26 14:54
伊能忠敬
>1
中流士族と書いてあるのがいいねえ
上級武士には勝てない自覚があるようでよろし
267 :
日本@名無史さん:04/01/26 16:31
ウチの母方は、肥後八代大庄屋。士分を離れて庄屋になり、のち大庄屋。
武士のときの官職名?は左衛門尉。戒名は最後に大居士とあった。信憑性あるんかな?
268 :
日本@名無史さん:04/01/29 04:11
ないな
269 :
日本@名無史さん:04/02/08 15:51
270 :
日本@名無史さん:04/02/28 07:20
庄屋様
271 :
日本@名無史さん:04/03/19 00:21
>>9は親戚だろうか
うちは5代前だったかが女バクチで破産して土地捨てた、まあそうは言ってもじいさん3男だから
関係ないが…。名字も江戸からあった。
その県にいくと随分その名字が多くてびっくりする。
まあ家系の性格からいくとあんまりいい庄屋ではなかったろうな…。
うちは質屋。
274 :
日本@名無史さん:04/04/12 10:18
っ最近盛り上がんないね!
275 :
日本@名無史さん:04/05/03 00:45
276 :
日本@名無史さん:04/05/21 02:33
277 :
日本@名無史さん:04/05/21 03:43
>>227 ひょっとして親戚ですか?(笑)
229さんの仰有るとおり、よくある話なんでしょうねー。
278 :
日本@名無史さん:04/05/30 22:14
279 :
日本@名無史さん:04/06/19 14:02
280 :
日本@名無史さん:04/07/08 13:56
281 :
日本@名無史さん:04/07/12 08:37
282 :
日本@名無史さん:04/08/09 12:56
283 :
日本@名無史さん:04/08/09 16:25
うちは江戸の庄屋で名字帯刀してたと聞きましたが、あんますごくない?
284 :
日本@名無史さん:04/08/09 20:44
衛門成りという言葉がありますが、意味が不明です。
農家などで、比較的有力者が××衛門とか名乗ったと聞いたことがありますが、
どうなんでしょう。
母方は相当な有力者だったようで 代々名乗っていたようですが、
父方、たいしたことないはずなのに、名乗っていたのが最近わかりました。
もっとも、こちらは父と子で交代交代だったようです。
祖父=×衛門、父=なんとか、子=×衛門、孫=なんとか。
285 :
日本@名無史さん:04/08/09 20:46
よく豪農や豪商で、士分扱いというの、聞きますが。
これは他藩に行っても(仕事や私用で)、士分扱いなんですか。
よく系図を作って藩庁に収め、それを幕府が集めたようなこと聞いたことあるんですが、
そこに入らないと、他藩では通用しないのかなという気がします。
286 :
日本@名無史さん:04/08/09 23:24
小作人かどうか見分ける方法ってないの?
あんまり土地を持ってない農家って小作人の可能性あり?
287 :
日本@名無史さん:04/08/10 03:14
つまり、まとめると
庄屋などの地主>>>自作農>自小作農>小作農
で、農地改革の時は、庄屋などの地主の土地→自作農・自小作農・小作農 に売られていったと。
288 :
日本@名無史さん:04/08/10 14:35
農地解放で没落って言ってるが、土地は取られても金は残ったんじゃないか?
小作人からせしめて、相当貯まってただろ。
289 :
日本@名無史さん:04/08/10 14:45
庄屋さんって室町時代の地侍が多いんでしょ。今では特定郵便局長さん
がその末裔。郵政民営化で大変だね。
290 :
日本@名無史さん:04/08/10 15:33
うちの先祖も一応庄屋だったらしい。
とは言っても、家計ずでは15代前までしかさかのぼれず、
それ以前はわからんらしいが・・・
で、現在はと言うと、御多分に漏れず遺産相続の度に物納
物納を繰り返しては土地が削れて行き、今じゃ道楽程度に
やってる田畑とアパートマンション経営の傍ら、普通に会社
で働いている。
士かも、親の代にあたる現当主の代には兄弟が8人いたんだが、
私の代には男は私一人、後は姉が一人で本家筋の滅亡が目に見
えてきたw
まぁ、私は今更山奥に引っ込む気も無いから、分家筋から誰ぞ
本家に養子としてはいる物好きが入れば大丈夫だと思うが。
それにしても、やはり「昔うちは凄かったんだぞ」的な発言は
たまにあるから、それなりにプライドがあるんだろうな。
291 :
日本@名無史さん:04/08/10 15:33
↑うるせー、平民が。
292 :
日本@名無史さん:04/08/10 16:43
鎌倉・室町以来の環濠屋敷(射場や馬場まであった)に住んでいた
元名門武士の庄屋なんかは、立場的にどうだったのだろう。
奈良の中家なんか2重の堀があるし、徳川将軍家から拝領した鎧兜
なんかもあるらしい。
293 :
日本@名無史さん:04/08/10 22:58
>>286 従属百姓は地方では今でも「門ん家」「前ん家」等呼ばれてたりする。
これらは従属百姓の格だが、だだの名子は残ってないから判らない。
門・前より扱いが下な家がそうなんだろうけど。
294 :
日本@名無史さん:04/08/14 01:53
>>293 その話、もう少し詳しく、素人にもわかるようおながいします!
295 :
日本@名無史さん:04/08/14 02:44
>>148 江戸大名って百姓の娘とか八百屋の娘とか大工の娘とか
を平気で側室にしてるもんね。
296 :
日本@名無史さん:04/08/15 00:22
>>294 従属百姓、一般的には譜代・門・前・名子の階級に分かれる。
譜代は母屋の一角に部屋を与えられた番頭格。
門は建前は長屋門に居住だが農家の場合門横は農耕牛馬用で離れに住んでる事多い。
前は門前に居住。名子は従属してるだけで特に無い。
今でも従属農民の名残あり農業従事者として労働法規等の適用除外として存在する。
乱暴に言えば江戸時代に多い村高四百石で人口二百数十の村は5,6の本百姓以上の
農家とそれに付随する従属農民、その他の水呑百姓で構成されてる。
後に産業化される中で幹部従属農民以外は労働者になった。
現在何やってようが、人の流入たいして無い様な地方では大体予想出来る。
297 :
日本@名無史さん:04/08/15 01:37
298 :
日本@名無史さん:04/08/15 20:03
明治になり、
苗字帯刀の庄屋や豪商って、士族になったのであろうか。
苗字帯刀ということは、どっかの藩士の扱いだと思うんだが。
ご教示いただきたく。
また、公家侍とかは、いかが。
299 :
日本@名無史さん:04/08/15 20:11
284 :日本@名無史さん :04/08/09 20:44
「衛門成り」という言葉がありますが、意味が不明です。
××衛門(左ェ衛門、右衛門)とか××兵衛とか、よく聞きますね。
侍にもいますねぇ。
当初の始まりは、
衛門府、兵衛府へ行って仕えたことがある、という箔みたいなもんか、
と考えていましたが。
300 :
日本@名無史さん:04/08/18 06:59
田舎に行ったら大き目の庄屋と庄屋とに区別されてますが・・・何か違うの?
301 :
日本@名無史さん:04/08/18 14:57
>>300 違う。庄屋にも三種類あって、大庄屋、中庄屋、庄屋といる。
へえ〜、中庄屋もいるんだ。
支配地域の規模の差?
それとも庄屋間の上下関係?
303 :
名無的発言者:04/09/03 03:00
漏れの先祖も岐阜県のとある村の庄屋様!
304 :
土屋氏523:04/09/03 05:11
おれの名前は土屋様!
305 :
日本@名無史さん:04/09/13 20:34:58
庄屋というのは全人口の何パーセントぐらいだったのだろうか?
306 :
日本@名無史さん:04/09/13 20:50:56
おれの先祖は河原に住んでたんだ!
というか湿地帯みたいなところ。
307 :
日本@名無史さん:04/09/13 21:09:36
本家まで遡れば庄屋かも
308 :
日本@名無史さん:04/09/14 01:31:31
309 :
日本@名無史さん:04/09/14 01:35:46
うちはたぶん本百姓
310 :
日本@名無史さん:04/09/14 06:37:08
うちは、親父までが本家の親族。
漏れからは他人だな(w
>>301 それ書いてる書籍てある?中庄屋なんて全然一般的じゃないでしょ?
庄屋(名主・肝煎)=村役人。一村の単位でいる。
大庄屋=数村から数十村を統括する。基本的には庄屋の上位。
幕領の惣代庄屋なんかは庄屋と対等関係にある。
藩領の大庄屋は基本的には庄屋と対等ではない。
>>305 近世の村の数と人口調べれば大体出てくるけどマンドクセ
>>298 管見の限りでは士族にはなってない。
はじめ卒というのになって,後に平民へ。
苗字帯刀も庄屋を勤めてる時だけ一時的に許されている程度。
ただし献金によって浪人格の身分を得てたりして苗字帯刀御免となっていることも多い。
その場合も基本的には平民。
313 :
日本@名無史さん:04/09/16 19:16:36
sage
314 :
日本@名無史さん:04/09/18 23:37:04
φ(.. )メモメモ
315 :
日本@名無史さん:04/10/04 01:34:25
316 :
日本@名無史さん:04/10/07 02:29:17
age
317 :
日本@名無史さん:04/10/24 23:11:46
明治中ごろの文献が蔵から出てきたんだけど反別帳みたいなものに
うちと他に三軒ほどが反別30000(歩?単位わからん)
元肝煎の家が10000くらいしかない。
分家しいる分含めても20000くらいしかない。
こういうケースって多いのかな?
318 :
日本@名無史さん:04/10/26 01:24:33
>>317 名跡のほうが金よりも尊重されることがある。
そんなに裕福でなくとも、国人領主の子孫など、室町期くらいまで
由緒がたどれる家は、特別な扱いを受けていることがある。
それから、維新から明治中期までのゴタゴタで身を持ち崩したということもありうる。
319 :
日本@名無史さん:04/10/27 12:51:06
>>311 >>幕領の惣代庄屋なんかは庄屋と対等関係にある。
惣代庄屋は苗字帯刀許されてたと思うが許されていない庄屋と対等という事があるの?
>>312 >>はじめ卒というのになって
最初から平民では?
>>319 惣代庄屋は庄屋から年番制とか投票で選ばれてたから,対等に近い。
321 :
日本@名無史さん:04/11/18 00:11:16
そんなの地方によって様々でしょう?
322 :
日本@名無史さん:04/11/18 00:33:44
卒族はすぐに消えたからね。
譜代は士族に、一代抱えは平民に編入された。
城下の武士で代々仕えていても
一代抱えを繰り返している場合は平民になった。
323 :
日本@名無史さん:04/11/18 05:50:08
庄屋って偉いの?
私の母方の家も庄屋です。田舎ですが。歴史に疎い方なので詳しくは分かりませんが、家は約300年続いてるらしいです。
身分は農民に入るんですよね。でも蔵に刀と裃があったらしいので武士の出だったのかな。
326 :
日本@名無史さん:04/11/21 11:25:03
>>325 300年くらいなら、江戸中期初頭なので、取り立てか元々の名主の分家でしょう。
田舎の小藩なら、名主を武家扱いにして参勤交代などに同行した藩もあるらしい。
>>326 そうなんですか。
いやぁ自分の事なのに無知すぎでした。
ちょっと調べてみようと思います。
中岡スレからこんにちは
庄屋ってどこも苗字帯刀を許されてるのかと思ってたよ。
329 :
日本@名無史さん:04/12/02 21:13:07
そうではない。
330 :
日本@名無史さん:04/12/02 21:41:05
漏れの先祖は領主
331 :
日本@名無史さん:04/12/02 22:22:34
>>328 藩にもよるでしょ。どこそこの小藩では庄屋には名字帯刀許してたみたいだし。土佐や薩摩(?)は庄屋は郷士がやるもんだから
当然名字帯刀だし・・・これは郷士だからだろうが。。。ただ庄屋ってもピンキリだよね。
>>331ピンキリだねぇ、中岡の生家(復元)も大庄屋だって云うから
どんなデカイ家かと思ったら結構小さい家だった。山村の庄屋だからか??
333 :
日本@名無史さん:04/12/03 22:13:25
名跡が物を言ったんだろうな。
由緒のある家ならそういうことはあり得る。
10万石未満の五位大名よりも、
万石未満の高家の方が格式が上なのと同じ。
334 :
日本@名無史さん:04/12/03 22:16:58
豊かではない地域の大庄屋なんて豊かな地域の本百姓にも勝てないよ。地域差だよ完全に・・・ただ格式は豊かさでは計れないけどね。
ここは徳川家康スレですか?
336 :
日本@名無史さん:04/12/18 02:30:37
漏れんちの本家も名前が物を言った家。
そんなに大して裕福なわけじゃないが、
婚姻関係は旧国人領主層や大寺院の僧侶の家ばかり
分家筋の漏れんちは明治以降、他県の者と通婚したが、
やはり士族や国人領主の系譜を引く名主層ばかり。
数年前初めて先祖の居城(城主ではないが)跡に立った時は
なんとも言えない感慨深いものがあったのを覚えている。
今の時代、士農工商がどうのこうのとは馬鹿げているが
5代くらいしか遡れない家と通婚したのは漏れが初めて。
でも嫁もその親も漏れは大事にしてるぞ。
337 :
先祖:04/12/18 18:32:10
338 :
日本@名無史さん:04/12/19 01:53:12
>>336 うちなんか戦後は成金から貰ってるが・・・金には困らなくていいし顔もいいが。
339 :
日本@名無史さん:04/12/20 10:35:02
>>338 しかし、婚約前後に嫁の伯父から漏れんちの「家柄云々・・・」のときは、マジギレした。
たった5代位しか遡れない家に「家柄が」と言われたときは、マジ殺してやろうと思った。
めったに口には出さんが、血族で県知事(国人領主層)を出し、姻族では国宝持ちの大寺院の管長がいる。
本家も旧官幣大社(延喜式内名神大社)の筆頭総代で、筆頭檀家の寺も国指定の重文を7〜8件持っている。
人より身分が高いの低いのとは思わないが、先祖の誇りを抱くのは悪いことではあるまい。
しかし、自分で勝ち得た地位を傘に着るならいいが、先祖のお陰で得た伝統的地位がどうのこうのとすぐ口に出す椰子は、
国人領主や大庄屋程度の子孫なら、華族や大名家の子孫の前では何も言えまい。
340 :
日本@名無史さん:04/12/20 10:43:54
↑たった5代位って言ったのは、馬鹿にしてるんじゃなくって、
その伯父に腹をたてて言ってるだけなんだから勘違いしないでくれ。
341 :
日本@名無史さん:04/12/22 23:56:34
>>331 江戸時代の庄屋や名主は苗字帯刀の許しがなくても村の自治の
ために太刀、脇差を持ってたらしいよ。
苗字も公に名乗らないだけでほとんどの本百姓がもっていた。
うちの墓や過去帳にも苗字が入っている。
342 :
りほ ◆RIHOsbuJ9U :04/12/24 16:38:00
セブンから来てみりゃとんだ過疎板、スレだなww
記念真紀子&age
343 :
日本@名無史さん:04/12/24 17:25:41
>>341 基本的に本百姓は郷士・地侍ですから・・・
この板は煽りもないのか。
>>343 聞いたこと無いよ。
江戸時代の郷士・地侍って武士身分じゃないの?
地域によって違うのか
自分は中部ですが百姓は百姓身分です
>土佐藩などには、郷士と呼ばれる武士か農民か曖昧な階級が存在していた。
>江戸時代、かつての地侍から名主(庄屋)が選出され、ある程度の特権が付与された。
↑らしいです
347 :
日本@名無史さん:04/12/24 20:58:49
>>345 なんというか・・・体制が武士身分と認めるか認めないかだけ。基本的性質は変わらない。
348 :
日本@名無史さん:04/12/24 23:59:57
だから性質はどうであれ身分区分は百姓ってことでしょ?
349 :
日本@名無史さん:04/12/25 07:33:43
うちの実家も元庄屋だけど、戦後の農地改革で田畑を失って
爺さんはぐちばかりこぼして、昔の栄光にすがって生きていたよ。
幸いもう死んだけど。
352 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:58:31
>>346 はずれではないが、地方によって事情が違うので、一概には言えない。
353 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:22:12
うちの先祖は両班です
親戚で風俗店のチェーン店を経営している大金持ちがいますが
親族一同、彼のことをバカにしていて
彼が墓参りした後の供物は「汚い」といって全部捨てます
354 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:34:54
>>345 郷士・地侍は鎌倉〜戦国期のものです。江戸期の郷士は前時代の残滓みたいなもの。
355 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:48:11
本藩名主>浅葱者
356 :
日本@名無史さん:04/12/25 23:52:22
ウチも庄屋だったみたいだけど、とある本に田地十五町歩を持っていたと書かれてるんです。これってどれくらい?
教えてください。
357 :
日本@名無史さん:04/12/26 00:29:17
1町歩=3000坪ぐらいだから・・・3000*15=45000坪ぐらい。
358 :
日本@名無史さん:04/12/26 00:59:58
357さんレスありがとうございます。
思った以上に広いんですが庄屋の中では小さい方なんでしょうか?
質問ばかりですみません。
359 :
日本@名無史さん:04/12/26 09:41:12
漏れは357さんじゃないけど、
どのような地域で庄屋だったのかで随分違うと思いますよ。
山間部や小領主がたくさんいたようなところでは、そんなに多く土地は持っていないです。
藩主などの領主から、特産品の専売権なんかの株を許されていたら、田んぼなんかなくても
お大尽様です。良い木の採れる山を持っている場合もそう。
田んぼだけが裕福さの物差しではないですよ。
戦後の農地改革では、個人持ちの田畑が没収された家が殆どで、
山持ちや商売で成功した庄屋は打撃を受けていない。
360 :
日本@名無史さん:04/12/26 10:25:24
俺の祖父は床屋だ
361 :
日本@名無史さん:04/12/26 10:41:46
>>356 農地改革当時の話になりますが、内地では5町歩以上の地主は多くなくで、
埼玉や千葉では5町歩以上の地主はほとんどいなかったようです。
362 :
日本@名無史さん:04/12/26 11:52:26
359・361ありがとうございます。
地元は長野です。明治30年頃官有地を借り受けて開墾や牧畜をしていたという書類がありました。
今は大分没落しているので親類もこういう事にあまり興味がなく最近自分なりに調べています。
363 :
日本@名無史さん:04/12/26 12:26:37
>>358 359さんが書いてるように、こういうことは一概に言えないのですが平均的にはおそらく庄屋の場合は10〜20町歩
はあったんではないか。ただ、地域によって収穫量に差があるのですが・・・
>>362 自分は信州佐久の庄屋の子孫ですが・・・近くですかね?
土地によって収量は随分違うけど、仮に1反=1俵(4斗)として
1町=10俵=4石
江戸周辺だと、農間渡世(農間余業=兼業農家)が多くて、
呉服・太物商、造酒業なんかやってたり、
商品作物の栽培なんかで儲けてたケースが結構あったと思う。
帳簿では無田なのに、女中を抱えている例もある。
関東では、旧家の跡地を掘ったら小判や二朱金なんかが出てきたケースが数件あったらしい。
恐らく幕末の世直し一揆あたりに埋めたんだろうな。
明治維新直後は全国的に開墾が盛んだった時期なので、是非調べてください。
365 :
日本@名無史さん:05/01/03 00:23:33
>>366 こんなところまで出張か?
残念だがそのレスは俺のものではない。
>>367 なんだと!?
くそっ!やっちまった。
>>362さん、大変申し訳ない。
最近はいろんなところに進出してるよ。
この板は低脳な私にとっては下手なレスするとただの恥さらしになってしまうから煽りしかしない。
んじゃ。くひひwwwwwwwwwwwwwwwww
369 :
りほ ◆RIHOsbuJ9U :05/01/12 19:07:51
期待age
>>369 また出張でありますか!?
思惑通り書き込んじゃったし…orz
371 :
りほ ◆RIHOsbuJ9U :05/01/12 23:10:39
>>370 ( ´,_ゝ`)プッ
いろんな板に出没していますよ。神出鬼没。
またまた保守age
つーかこの板人いなさ杉
それからメール欄→o sage
↑
o?(゚д゚)ハァ?( ´,_ゝ`)プッ
某記録では3町ちょっとで25石くらいとれてたかな。
373 :
りほ ◆RIHOsbuJ9U :05/01/24 17:39:08
急浮上
苗字帯刀を許された庄屋(山口県)の子孫が、「先祖は武士だ」と
言ってました。これは間違いなんですか?
375 :
日本@名無史さん:05/01/25 19:32:17
>>374 苗字帯刀を許されていても庄屋なら身分は百姓だろ。
まぁ、苗字帯刀を許されるくらいなら家柄や財産は
下級武士の比でない。
>>375 レスありがとうございます。
その子孫には「お前の先祖は百姓だ」とだけ伝えておきます。
377 :
日本@名無史さん:05/01/26 10:36:08
>>376 彼が言いたかったのは戦国時代は武士だったじゃ内の?
378 :
375:05/01/26 17:55:41
>>377 そうゆうのも良くある。
それだったら全く間違いって訳じゃないね…、
379 :
日本@名無史さん:05/01/26 18:03:04
>>374 >>庄屋(山口県)
長州藩の場合は関が原の後,減封になり家臣団が自主的に帰農してますから、おそらくはこのことではないかと思われます。
中には毛利家の家紋を許されたとか云々という家もあるそうです。この感覚が幕末の奇兵隊を生んだという学者もいるようです。
>>377、378、379
なるほど。大変参考になりました。
その人、先祖代々毛利支藩の城主と菩提寺を同じく
しているそうです。・・・あまり関係ないかもしれませんが。
381 :
日本@名無史さん:05/01/31 01:05:24
概出かもしれんが地主の定義とはなんでろう?
田畑6町歩以上を領したとか。
まぁ山とか他の財産もあるから一区切りにするのは
不可能なわけだが、
1反でも1畝でも土地もってりゃ地主に変わりないよ。
まあ、381さんのいう「地主」は、土地持ち=所有地で楽に食っていけるだけの資産家の意味かな。
土地も、上々田もあれば、下々田もあるから定義しようがない。
でもね、ある藩では、持高50石以上の百姓を頭百姓と位置付け、臨時の賦課をかけている例があるよ。
383 :
りほ@ケータイ ◆RIHOsbuJ9U :05/02/03 16:24:09
おめでたい板ですね(プッ
384 :
日本@名無史さん:05/02/03 16:30:17
>>1 下級郷士>>>>>>>>>>>>>>>庄屋
385 :
日本@名無史さん:05/02/04 02:21:09
336の書き込みを見て興味を持ったんですが、
家柄を使って成金と結婚することは現実的な手段として考えられるでしょうか?
つまり、実際に可能なのかどうかだということです。
自分の家は古い家なのですが、没落してしまっています。
残っているのといえば、ご大層な家系図と位牌くらいです。
自分は今20歳で、ある分家の一人息子です。
情けない話ですが、しがないサラリーマンになるくらいなら、
どこぞの資産家の婿養子にでも行こうかなと思っています。
その旨父に話しましたら、それなら将来は、本家や他県に縁のある家々に見合いの
手はずを整えてもらおうかということになりました。
ただ、お願いする所がお願いする所ですので、話の行くのは家柄だけの没落貴族の所ばかりなのではないか?
という疑念があるんです。
父も、「資産がある家だったらどこでもいいから紹介してやってくれ、
なんてことはよう言えないよ。変な人に思われるから、それだけは勘弁してくれ。」、と言っています。
父と話しをしていると、その場合は仕方ないから諦めるしかない、ということのようです。
自分の予想では、そうなるのではないか?という思いがすごくあります。
なにせ、戦後は没落した家々がほとんどだと思っていますから。
繋がりのある家は多々あるようですが、その殆どが昔からの家なので、いわゆる成金はいないと思います。
そうした場合、自分が望む結婚ができる可能性は、極めて低いものだと思うんです。
この数十年で財を成した家だと、いくらでもあるはずなので、簡単そうなのですが…。
ただ、そういった家には見合いの話はいかないのかも知れないなと、不安に思っています。
386 :
日本@名無史さん:05/02/04 03:54:33
>>385 ま、まて、そしたらあんたの家の跡継ぎがいなくなるんじゃ?
なんかお父さんの態度が涙を誘う。
俺の旧家には塀と堀があるよ。
昔は下級武家だったみたいだけど、
江戸時代は武家を捨てて商売やってたみたい。
どうして??
388 :
日本@名無史さん:05/02/04 16:11:41
庄屋の家系って田舎行くとすごくない?父が庄屋の家系で近辺に2万石程度の小藩があってその子供とかと
中学高校一緒らしいですが、家老の子供より庄屋の子供のほうが幅利かせてるらしいです。どうしてでしょうか?
おそらく大藩になれば武家の子供と庄屋の子供では武家の方が幅利かせてると思うのですが・・・。
>>386 話を聞いて下さり、ありがとうございます。
跡継ぎのことですが、私の家に関して言えば守るべきものは血筋ぐらいのものだと思っています。
3代前の先祖が金貸しで資産を無くし、次いで農地改革があり、
祖父の代になると、借家住まいの生活をしていました。
幼い頃はよくそこに行ったのですが、本当に、暗く狭い見る影も無いような家でした。
父はそこの次男で、家を出て今の我が家を0から作り上げてくれました。
(わけあって、分家当主の座は父が引き継ぐことになりました)。
今の家は社会的に恥ずかしくない家だと思いますが、由緒を感じさせる物は「「位牌を除き何一つ」」ありません。
先祖のさんさんたる没落ぶりに対するやるせなさ、現代の社会情勢などなど、
色々と考えることがあり、自分の希望を捨ててまで家を守る価値を見出せません。
こういう風に考えてしまうのは、間違っているでしょうか?
父からは、実は私が高校生ぐらいまでは、
私が然るべき相手を嫁にもらい家を継ぐことが絶対だということを聞かされて育ちましたが、
つい最近別の家に行く可能性について父に相談しましたら、反対はされませんでした。
理由を聞いたところ、ここ1〜2年で考えが変わってきたようで、それによると、
家のことは私の好きなようにしてくれたら良い、というものでした。
父にも色々考えることがあったらしく、最終的にそういう結論を出したそうです。
家には何も残っていませんから、それが原因なのかも知れません。
余談ですが、
両親共に苦労してきたのですが、とりわけ母は、家事に子育てに仕事と、並々ならぬ苦労をしてきました。
母は父と見合い結婚しており、父の家が何も残っていないということを、結婚してから知りました。
母は引手あまたで見合い話があったそうですが、それなのに、わざわざ苦労する人生を選んだのだと、今になって思います。
その事に関して、母に対して慰めと感謝の言葉をかけると、母は何とも言えないような顔をして、
「苦労してきたけど、好きにやってきたら納得できる」、と言います。
そんな母ですから、尊敬していますし、その気持ちを尊重してあげたいと思います。
ですが、それでも息子として、母の苦労に対しては、いくら納得していると言われても言葉通りに受け止められず、
悲しみの感情がまず先に立ちます。
こういった家庭環境のことも、私の今の考えに繋がっているのかも知れません。
家柄は、お金では買えないモノと母に言われて、育ちました。
昔は、なぜ母がそのようなことを言うのか理解できませんでしたが、最近になってようやく理解できるようになったと思います。
確かに、家柄はお金では買えない、価値のあるものだと感じられます。
ですが…だからと言って、それで苦労することまでが正当化出来るものではないと思います。
このことに関してだけは、昔から考えは変わっていません。
391 :
日本@名無史さん:05/02/04 21:19:06
>>389 家を継ぐも継がないも勝手ですが落ちぶれたからと言って家を継がないというのは少し…。
家系=財産で無く家系=精神ではないでしょうか?
漏れの家は庄屋だったのですが明治時代に田畑、山
はては屋敷の半分に家宝の品までも売りに出したそうです。
昭和に入ると火事にあい古文書や仏壇を失い祖父は
大変な苦労をしたそうです。
でも漏れは落ちぶれたとは言っても先祖のことを尊敬してるし
家を継げることを幸せに思っています。
祖父は「先祖の事や家のことは他人に自慢するためのものでは無く
自分を戒め、誇りにするものだ」と常々言っていました。
継ぐ者がいなくては家は風化して本当になにも残りません
>>387 >俺の旧家には塀と堀があるよ。
堀の内側が一町(3000坪)以上あれば有望<中世土豪の出自かも
393 :
日本@名無史さん:05/02/04 23:22:02
家柄だけでは、金持ちとの親戚付き合いは無理でしょうな。
ご両親がかわいそうです。
394 :
日本@名無史さん:05/02/04 23:40:21
>>385 家柄で成金と結婚することは、家柄の程度によっては可能でしょう。
成金というか、ブルジョワは金と地位は自力で手に入れられても、
家柄や名誉は自力で手に入れにくいものです。
でも、名誉は資材を投げ打っての社会貢献や慈善事業で手に入れられます。
結局、自力でどうしようもないものは家柄です。
欧州のブルジョワは、貴族の家と婚姻関係を持って家柄を手に入れる
ところが少なくないようです。
395 :
386:05/02/05 00:26:15
>>389 実は、俺もそんな感じで真剣に悩んだことがあった(家柄とかと全く別のことだけど)。だから、あなたの気持ちというかやりきれなさとか不甲斐なさ(?)といったものはチョットはわかるところがある。
マジレスすると、人生っていうのは、最終的には自分が全責任を持って決断して歩んでいかなければならないものだ、っていうことを俺は
そのとき強く感じた。俺なんかは勿論、あなたの父母も含めてあなた以外の人は、あなたに助言はできるけど、誰もどうイ`とか命令
はできないと思う。だってあなたの人生、あなた以外に誰も責任を負う人はいないのですから。だから、自分の納得するようにしたらいい。悩んで悩みぬいて、後悔しないようにあなたが決めればイイ。
ただ家柄についてなんだけど、どの程度の家柄なのかは知らないけど、今はゼロでもあなたが盛り返せる程度だったら、家を継ぐことを考えてみては?家柄をエサ(スマソ)に近隣の有力者の娘をもらい、
影に陽に助けてもらうっていう手もある。それでも、家柄に伴う負担とかあまりに重過ぎる、一生血を吐くような苦労しなきゃならないんなら、継がなくてもいいと思う。お母さんの血縁辺りから養子をとればいい話だし。周りのいろんなひとに
もっと相談してみたら?
ところであなたの家って大庄屋ー大地主で、戦前に村長・・・的な感じかな?勝手にそんな感じだと思ってたんだけど、もしかして元華族とかじゃないよね??
396 :
日本@名無史さん:05/02/05 02:08:42
資産が家一軒程度では、家柄は意味がないのでは?
婿養子になるにしても、一度は社会に出て信頼と信用を得てからの方が良いと思う。
やりたい仕事は無いのかな?
江戸時代なら、系図1本持参だけでも養子というケースはあったかも知れない
(没落した武家→商家、名主など)
現代において、買い手(養子のもらい手)があろうとは思えない。あればよほど
変わった思想の持ち主であろう
また家柄がよいと言えば、一般的には旧皇族(旧宮家)・旧華族(旧大名・旧公家)
あたり
398 :
日本@名無史さん:05/02/05 12:28:20
旧華族ならともかく、庄屋の分家の家柄ってだけじゃ
資産家の婿養子になるのは難しくないか?
高学歴なら別だけど。
成金の家と結婚できるかどうか、ということを話しています。
結婚を考える際、容姿、学歴、年齢、職業。
これらの事項について制限することは、私からはありません。
問題は、資産家であるかどうか、ただそれだけです。
制限しないのは、こうでもしないと話がないと思っているからです。
重要なことであるようなので、家柄に関して述べさしてもらいたいと思います。
まずは父方。
祖先は、藤原秀郷を祖とする、相当の名族です。具体的な名は伏せたいと思います。ご了承下さい。
先祖は代々名主の家系で、分家の私の家も、一代目から金貸しで没落するまでの数百年、名主をしていました。
婚姻関係に関して言えば、名主層とのものばかりです。
また、天皇の侍従武官長をしていたある家に、私の家の方が嫁いでいます。
本家に関して言えば、私の家の何倍もの規模を持つ名主であり、相当の家々と婚姻関係を持っています。
江戸後期には、酒井家の方も嫁入りにきています。
本家は、明治以降は政治家、そして事業家として、県内でも指折りの有力者でありました。
廃藩置県後すぐに郡代表として県会議員になり、県会議員を長年に渡り勤めました。
私財を投げ打って県政に尽くしたという記録が残っています。
また、本家は銀行を創立しています。その銀行は別の家が創立したもう一つの銀行と合併し、
現在も続いている、県内ではトップの地銀となっています。
つぎは母方。
村上源氏を祖とする大庄屋であり、明治以降は村長をしておりました。
先祖は播磨の守護赤松氏の一族であり、「三木の干殺し」の攻城戦で、別所氏とは血縁関係にあったので、この攻城戦に参加しました。
この戦には負けましたが、秀吉からの情けで安堵状をもらい、今の土地に苗字を変えて住み着きました。
このことに関しては、家に伝わる古文書、郷土資料などで確認されています。
私に対して書き込みして下さった方々、感謝いたします。
私情でネットをする時間が限られておりますが、返信はできるだけ早くしたいと思います。
ありがとうございます。
>>391 確かに家には先祖の長い歴史がありますので、今の家が没落していると言っても、
私自身、また将来の子孫が家の再興を果たしてくれるかもしれないという可能性が残っている以上、
現在の家の状態は悲観にくれるものではないとも思っています。
数十年後になるのか、100年後になるのか、200年後になるのか分かりませんが、
先祖代々続いてきた歴史から見れば、そう大した問題でもないのでしょう。
私自身としましては、このような人生を選択することも、「それでも構わないかな。」、と思うことがあります。
家系=精神、という考えはよく分かりますから。
ただ、仮に別の家に行くとしても、私がしっかりしてさえいれば家の歴史を守っていくことはできると思います。
401 :
日本@名無史さん:05/02/06 00:17:56
>>399 うちは維新後の姻戚関係は本陣や士族だな!名主層はいない・・・本陣は兼帯かな?
402 :
日本@名無史さん:05/02/06 01:14:13
農地開放云々言ってる奴は本当に庄屋・名主階層?
明治以降の成金土地持か余程極悪な家だろ。
昭和まで持った庄屋・名主の地縁に決定的打撃は無い。
財閥が復活する様に。
しかし農業が儲からなくなったから落ちぶれ感は絶大。
戦後の分家だが余裕で本百姓くらいの土地ある。
403 :
日本@名無史さん:05/02/06 01:39:41
村には、え寺もあったし、被差別部落には、当然村役人として、庄屋もあったのでしょう。
いわゆる部落民の庄屋さんです。
404 :
日本@名無史さん:05/02/06 01:52:59
>>402昭和大恐慌で明治後活発に事業展開したとこはほぼ全滅
405 :
日本@名無史さん:05/02/06 02:18:13
政治家には、ぶらく庄屋が多いとか。
406 :
日本@名無史さん:05/02/06 06:21:45
>>399 余計なことかもしれないけど、赤松が村上源氏かについては偽称ではないのかという疑問が呈されています。
407 :
日本@名無史さん:05/02/06 07:24:20
藤原氏は、藤波になっているのですね。
408 :
日本@名無史さん:05/02/06 15:27:15
庄屋はボスなので、今の政治家とピッタリですね。
>>394 私は、相手がそこまでの成金でなくても良いと思っています。
財閥とか、大きな会社の創始者のところでなくてもいいんです。
そこそこの金持ちであればよいです。
例えば、マンションを経営をしているようなところでしょうか。
不動産持ちなんかが、理想です。
>>395 私のような者に親身になっていただき、ありがとうございます。
どの言葉を見ても、本当にありがたく思います。
私は家を出るというようなことを書いていますが、
この人生に対する提案は、今の私にとってかなりの関心事であるのは間違いありませんが、
あくまで、「今の私」の考えであります。
加え、この関心事は、人生設計に関しての30%ぐらいの意識の占められかたです。そこまで、決定的なものではありません。
今まで生きてきた中で、成金結婚の問題についての意識は一番大きな占められかたをしているという実感がありますが、
これでもまだ、この考えを将来の生きる道として決定するという所までにはいっていません。
学業、趣味、友人、夢、生活、家のこと、etc。
色々なものが私という人間を構成しています。
その構成、それぞれが干渉し、これから先の私の人生を形作っていくのでしょう。
そういう実感もありますし、何より、実際に結婚するのはまだ何年も先の話であります。
将来の考えがどうなっているかなど、全く予想ができません。
ですが、これだけは確かです。
仰られたように、「自分で納得するようにしたらいい」、というのは私にとっての確信です。
自分で責任を持って、選択していきたいと思っています。
>>396 資産は持ち家の他にも、色々とあります。
ですが、資産家の方から見れば大したことのないものでしょうね。
社会に出て働くということは、婿養子に行くかどうかという問題を抜きにして、経験するつもりでいます。
仕事に関しては、理系の勉強をしているので、それを活かせる職業に就けたらなと思っています。
>>397 私のように、養子に行っても良いと考えている人は少ないのではないですか?
苗字を変えることも、覚悟の上です。
家柄に関しては、書き込みを見てもらえば分かってもらえるかと思いますが、そこまでのものではありません。
>>398 学歴ですが、上位の国立大学に在籍しており、高学歴とされています。
ただ、大学院に進学する場合はより上の大学、東大や京大、または阪大などを目指すことも残されています。
そうすれば、より有利になるかもしれません。このことは今から考えています。
ただ、実際にそこまで必要なのかどうかについては、自分でも疑問を感じることがあります。
院に進むと2年多く年を取りますし、働ける年齢も遅くなります。
それに、今の学歴でも十分な気がしていますし、今以上の大学の院卒になりますと、
専門技術を身につけた学生として、仕事は間違いなく一流メーカーの開発職となるでしょう。
院卒で私が養子に行く場合、私が学んだことは相手の家では意味のないものになる可能性が高いです。
資産家でさえあれば相手の家の職業は、不動産でも、造り酒屋でも、農家でも良いと思っているくらいですから。
412 :
日本@名無史さん:05/02/06 18:34:02
婿養子募集中の家は、かなり多いと思います。
結婚相談所等に話だけでも聞いてみたらどうでしょうか?
(まだ若いので、入会はしないように!)
あまりにも馬鹿馬鹿しい書き込みで一気に盛り下がりましたな。www
次ぎの話題に行きましょう!
じゃあ、どこの藩が肝煎、名主、庄屋のどの名称を用いていたかについて。
同じ地方でも藩毎に異なり、更に藩の中でも肝煎→庄屋と公式に変更したりしてるところもあるらしい
>>414 なんか加賀なんかも呼称が変わっていたな。漏れのところは天領なので
名主だけ。ただ、並の名主と触頭的な名主がいた模様
416 :
日本@名無史さん:05/02/08 07:14:45
417 :
日本@名無史さん:05/02/12 03:11:29
武士とか、云々という切り口で身分制度を語るより
収入体系でみたほうが解りやすいと思う。
中世 近世
@領主階級(地頭) 武士階級 → 石取武士
-----------------------------------------------------------------
A有産階級で軍役有り 地侍階級 → 表取武士
B有産階級で軍役無し 地主階級 → 村役人階層or本百姓
-----------------------------------------------------------------
C無産階級の武家奉公人 足軽・中間 → 金額換算の扶持取(3両1人扶持等)
D無産階級の一般 隷属農民 → 小作農民
江戸時代の庄屋は、元々Aの有産階層で軍役有り層だったものが、主家が滅び軍役の必要性がなかった為に
Bになったと考えるのが良いと思う。衛門・兵衛・大夫といった世襲名はA時代の軍役の遺制。
衛門だから兵糧どれだけ、軍役○人まとめるとかいう感じ。大夫は、祭式の大夫役云々だっけ?このあたりは、歴史より民俗学の領域みたい。
兵農分離でAの階層は侍帳に、Bのは農村に戸籍を置く。
ちなみに浪人というのは、侍帳に戸籍があるが、仕官していない状態。
兵農分離が甘い地域では、田舎で地主をしながら浪人してたりする。
418 :
日本@名無史さん:05/02/12 03:22:39
AとBの階級移動は比較的多い。
破産した名主が、江戸に出て徒歩侍したり(高山彦九郎の親戚とか)
名主の次男が藩に仕官して徒歩侍したり
兵農分離であたかも、士農工商といった身分が格式になったと現代人は勘違いしてしまうけど
格式の基準は 殿様=領主階層 旦那様=有産階級 無産階級
だから、俵取武士と名主の呼び方は両方「旦那様」
419 :
日本@名無史さん:05/02/12 13:17:41
で、苗字帯刀というのは、Bの身分(戸籍は農村)のままで、苗字と帯刀を許された者。
藩が財政難になると良く売り出される。領地内の苗字帯刀で10両位。領地外も可の場合は15両位。
ちなみに、八王子千人同心株も15両位。
420 :
日本@名無史さん:05/02/12 14:16:57
421 :
日本@名無史さん:05/02/12 14:20:03
>>417 家は庄屋で江戸初期は○○衛門だが中期以降は○兵衛だぞ!意味はなんかあるの?
>領地内の苗字帯刀で10両位。領地外も可の場合は15両位
要は家中だけの内々の名誉侍の取り扱いと、対外的に○○家の家臣と認める
こととの差が5両と言うことですか?
つまり領外でなにかやらかした場合、前者は単なる百姓、後者は○○家御
家中として処理されると言うことでしょうか?
423 :
日本@名無史さん:05/02/13 02:59:36
420>天領の史料は当方見たことないので解りません。前述の15両は厩橋藩の例。
ちなみに、幕末の農兵系の史料では、農兵の軍役に応じた場合、名主格が馬廻格、村役人格が中小姓格
本百姓層が徒歩格・足軽格で扱われている事もある。真岡か岩鼻の史料かよく覚えていないけど
馬廻り格になって調子づいた名主が、郎党雇って、横浜で洋式装備を購入して農兵に参加して
他の名主に馬鹿にされたとかがあった。
その時期の墓石見ると、格式が代わった為に世襲名と違ったりする場合もある。
424 :
日本@名無史さん:05/02/13 03:17:07
>>421 >家は庄屋で江戸初期は○○衛門だが中期以降は○兵衛だぞ!意味はなんかあるの?
じつは家もそう。江戸初期は衛門で、中期に兵衛、末期は士籍に入ったから別の名前
僕は株の問題なのかなと推測している。
百姓も実は株。株が無いと五人組等の農業組合に入れない。ちなみに、五人組ってブルジョワ階級組織。
今で言う農業委員とか村議会議員みたいなの。
なんらかの形で、その株がシフトしたのではとか考えている。
当家は、土地を取得して移転した時に世襲名が変わっている。
(仮説)
土地の売買が形式的には禁止されていた当時
土地の所有権と株と屋号(世襲名)がセットになっていたのでは無いかと思う。
土地の売買では無くて、株の売買といった形で土地の所有権が移転してたのではないか。。。
推論ですみません。この辺りは民俗学系の人の方が私より詳しいと思う。
425 :
日本@名無史さん:05/02/13 03:32:18
422>>
苗字帯刀は武士ではない。
非武士階層が苗字帯刀する権利に過ぎない。故に百姓として処理される。
ちなみに、郷士≠苗字帯刀なんだよ。
郷士というのは、農村に住んでいても戸籍が侍帳にあるんだ。
名主と郷士の両役というのは制度上難しかった。
大体は、息子に名主の家を譲って、自分が郷士の家に入るといったパターン。
426 :
日本@名無史さん:05/02/15 06:48:06
庄屋の家の墓とか位牌とかってどんなの?
427 :
日本@名無史さん:05/02/15 09:50:28
>>426 ごくごく普通。ただ現代で言う普通だから当時としては立派だったと思う。
428 :
日本@名無史さん:05/02/15 16:25:44
>>426 居士・大居士が殆ど。旦那層には居士・大居士が多い。
429 :
日本@名無史さん:05/02/15 17:23:19
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
居士・大居士が殆どだど〜だすごいだろー。旦那層には居士・大居士が多いんだぞ恐れ入ったか!
430 :
日本@名無史さん:05/02/15 19:28:38
>>428-429 江戸時代大居士は普通の人は使えない、身分の高い人のみ。
建前上居士は武士のみだが戦国時代武士だった庄屋や金を積んで貰った人もかなりいたようです。
庄屋や武士で信士は戦国期農民だったとか言う俗説もありますが・・・
431 :
日本@名無史さん:05/02/15 22:42:28
429>>・430>>
江戸時代も中期以降になると戒名・位階も金次第になってくる。
差別戒名ですら大居士があった位なんだから。
そうでもしなけりゃあ、農村地帯の寺院なんて戒名で商売できないじゃないか。
無論、宗派・寺院によっては一線をきちんと線引きしている所もある。
432 :
日本@名無史さん:05/02/16 01:23:10
この流れに乗って質問だが、
墓に梵字の戒名(?)が刻まれているんだけど
戒名に梵字なんて使ったの?
ちなみに寛文年間のものでつ。
形原松平家について
http://www1.odn.ne.jp/~cag38460/public_html/ ここのサイトに
>徳川政権初期に於いて藩の処替えが頻繁に有った。藩士も其れに従った。
>しかし、其の都度藩士全員が共に移動するわけではないようだ。
>約半分から三分の二は残り、新しい藩主に仕えるのだそうだ。
と書いてありますが、これが事実ならば、当時、明確に「武士」と
いう階級(身分)があって(=「株」というものがあって)、それは
戸籍のようなもので公的に証明されていたのでしょうか?
434 :
日本@名無史さん:05/02/16 13:00:28
433>>
そうだよ。侍の戸籍(侍帳とか言われるやつ)に載っているやつ。
その昔、秀吉が足軽になる時には、空きの有った藤吉郎っていう株で足軽になったじゃあないですか。
武士という階級はあった筈。それは平安後期からそう。武装農民という条件だけでは武士では無い。
>>434 恥ずかしながら知りませんでした(大恥ですなこれは)
しかし、10万石の藩主が転封になって後任に1万石の藩主がやってきても
採用は難しいわけで(残りの9万石は天領に組込とかで)、そうなると、
武士の株を持ちながら庄屋だの百姓だの漁師だのをやる者も出てくるん
でしょうかね しかしながら、庄屋も百姓も漁師も「株」である以上、
そう簡単にはなれんわけで、このあたりどうなったのか興味ありますが
436 :
日本@名無史さん:05/02/16 21:13:37
435>>庄屋も百姓も漁師も「株」である以上、
そう簡単にはなれんわけで、このあたりどうなったのか興味ありますが
面白そうですね。当方もそこまで詳しくないのでどのような史料があるのか興味深いですね。
減封で石高が減って士籍が減った場合はどうなるんだろう・・・
逆に増えた場合は、士籍をどういう基準で増やすのだろうか・・・
437 :
日本@名無史さん:05/02/16 21:15:27
それに、帰農しようにも土地が無ければどうにもこうにも。。。
傘張浪人になるのかなぁ・・・
438 :
日本@名無史さん:05/02/16 21:21:02
あと、献金で賜った給人格や中小姓格というのは士籍に入るのか??
等、疑問ですね。
ちなみに、士籍というのは、国衙輪番の遺制なんでしょうね。
当方のイメージでは、国衙輪番の家柄=武門といったイメージがあります。
だから、松平氏も世良田氏の系図を購入したのかなと思う。
439 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:08:39
たしか榎本武揚も庄屋のせがれだったけど榎本の旗本株を千両で買った
らしいね。
440 :
日本@名無史さん:05/02/19 04:41:22
庄屋だった家の方、出自ってはっきりしてます?
我が家は江戸時代以前はわかりません。
ちなみにどの時代からその地域(村)にいました?
441 :
日本@名無史さん:05/02/19 05:05:06
「部落」にも、当然、庄屋があった。
442 :
日本@名無史さん:05/02/19 08:51:10
>>440 漏れの家は四国の水軍の落人で
430年前から今の土地に住んでいるようです。
江戸時代は村方役人として財をなしたらしいけど
明治に入って没落、土地のほとんど売ってしまいました…orz
明治時代に没落した家って多いのかな?
443 :
日本@名無史さん:05/02/19 09:03:00
>>442 どうなんだろうね!家は昭和の大恐慌で土地を大部分失いそれ以後農地改革〜何やらで父の代に没落
土地の切れ端やら墓しか残っていない。庄屋層で没落してないのは酒造家ぐらいでは?
444 :
日本@名無史さん:05/02/19 13:00:23
440>>
由良氏の家臣→小田原の役後浪人→旗本松葉家の在地代官→違う村の名主株を購入し土着
館林藩馬廻格(藩へ金貸した勲功)→新田勤皇党参加→明治維新→地主→農地解放→戦後の食糧難でひと儲け
→漏れ(NEET)
445 :
日本@名無史さん:05/02/19 13:07:27
442>>
漏れの地域では、養蚕・生糸の生産地域だったから、明治時代で一財産築いた人が多い。
昭和恐慌〜戦時中の当主はNEETやってたよ。戦後、農地解放でかなりやられたけど
東京から電車一本の地域だったから、終戦の食料難で一儲け。もう一棟屋敷も建てた。
戦後は、相続争いが激化。三男が屋敷に放火。全てが灰と塵に帰った。
446 :
日本@名無史さん:05/02/20 03:10:41
平氏→南朝→土着。江戸時代は庄屋。農地解放で徐々に没落。
447 :
日本@名無史さん:05/02/20 04:13:15
俺の先祖は、足利尊氏の菩提寺への年貢を、
八カ村から集めていた庄屋です。
大庄屋、惣庄屋です。
源氏系統の武士でもあった。
448 :
日本@名無史さん:05/02/20 04:24:06
野球の巨人の真田の先祖は幸村なんですか?
後織田無道の先祖は信長なんですか?(?_?)
449 :
日本@名無史さん:05/02/20 08:11:01
え寺とか、庄屋も、被差別部落にも、備わっていたことを知らない人がいる。
近世の村として、備わっていたのに、被差別の立場に置かれていたのですね。
450 :
日本@名無史さん:05/02/20 08:43:05
>448
織田無道は芸名だよ。正統な子孫は他にいるから。
本家も分家も織田無道の存在自体全否定しているよ。
451 :
日本@名無史さん:05/02/20 09:09:20
さすが大庄屋ですな。江戸時代だと帰農してから時間が経過してるけど、
ホンケ・ホンヤで維持されてきたのでしょうね。
農地解放でずいぶんやられたんじゃなかろうか。
452 :
日本@名無史さん:05/02/20 09:13:16
442>>
三男最悪。田舎って火事が出ると家がでかくて消せないしカヤブキで燃え広がって
集落全滅も昔はあるんだよな。
453 :
日本@名無史さん:05/02/20 14:19:34
おお、こんなスレがあったとはしらなかった。俺の先祖も庄屋。
ただし、俺の家はすでに祖父が次男坊で本家とはほとんど関わりなくなってるけどな。
出自と関係あるかもしれないが、庄屋に多い姓ってのはあるのかな?
454 :
日本@名無史さん:05/02/20 18:04:09
>>452 漏れの家も50年前に隣の火事に巻き込まれて全焼…、
古い仏像や先祖の位牌、古文書、美術品全部焼けた…orz
父方が土佐の庄屋。名字と家紋は金で買ったと聞かされてるので、ようするに成り上がり。御先祖に成り金がいたらしい。何やって当てたんだか…
曾祖父までは政治家のスポンサーしたりして羽振りよかったけど、二次大戦中インドネシアでの石油採掘に財産を突っ込んで一文無しになったそうな。
土佐っぽらしいと言えばらしい。
残念なのは、曾祖父時代に高知市内に移り住んだ時色々持って来た家財古文書の類いが水害ですっかり流されてしまったこと。見たかった…なんで川の近くに平家つくるかな。
456 :
日本@名無史さん:05/02/20 19:08:54
457 :
日本@名無史さん:05/02/20 22:01:35
>え寺とか、庄屋も、被差別部落にも、備わっていたことを知らない人がいる。
>近世の村として、備わっていたのに、被差別の立場に置かれていたのですね。
被差別部落の名主ってどういう立場だったのかね。
部落=職能民と考えると由緒とか非常に気になる。非農業民の名主(漁業で言う網本みたいな)性格なのか。
寺は時宗、神社は白山といったイメージがあるが・・・
白山といったら平泉氏か。。。。
458 :
日本@名無史さん:05/02/21 09:48:02
>>426 庄屋でしたが、江戸時代はずっと居士や院居士です。女性は大姉
墓は五輪塔もあるな。
459 :
日本@名無史さん:05/02/21 12:28:38
うちは江戸初期中期は居士、で幕末になると軒居士明治で院居士、地方じゃかなりの名門と言われてるんだがな・・・。
>>459 明治の初めまで一応、百姓は院号禁止だったからねぇ。
所詮、庄屋は百姓…orz
461 :
日本@名無史さん:05/02/22 02:02:52
庄屋は古い家が多くあるし財力があるため墓が立派なものになっていった。
戒名も立派なものになっていた。これはマズイということで規制しているよね。
むしろ庄屋は管轄する百姓がそういう事をしないように指導する立場。
462 :
日本@名無史さん:05/02/22 02:59:29
既出だろうが、旧庄屋といっても農地改革でGHQに土地を召し上げられて、大半はあぼーんでは?
463 :
日本@名無史さん:05/02/22 06:12:30
>>462うん、あぼーんだが山林地主と酒造家はしぶとく生き残ってる
>>GHQに土地を召し上げられて
違う。強奪されたんだ。
464 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:35:58
農地解放より、高度経済成長による家族制度の変化と、労働者の賃金上昇が原因でないの?
農地解放後も食糧難による闇市場での農作物高騰で一儲けしたんだよ。
だから、昭和20〜30年頃、その儲けで、農家の次男、三男の大学進学が増加したはず。
その階層が、公務員やホワイトカラー層に転換し農村の生産体系を離脱していった。
これにより、家父長的な生産体系は消滅していった。又、作男等の労働力も、
工業化による雇用の変化によって確保が難しくなったというのが現実でしょう。
465 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:39:52
>>山林地主と酒造家はしぶとく生き残ってる
山林地主も、雑木林では固定資産税ばかりで没落してるよ。杉とか伐採できればいいけどね。
酒造家も、戦後結構没落して減少してるはず。無論、昨今のブームで成金している輩も多いが・・・
466 :
日本@名無史さん:05/02/22 23:43:50
あと、戦後の復員者への国有地売却と、それの大規模開墾開墾があったから
解放後の三町歩では、相対的に見劣りしてしまうというのも落ちぶれ気分の要因なんだろうね。
うちの方では江戸時代から太平洋戦争くらいまでに地主が入れ替わってるんだけど、地租改正も大きいんじゃないの?
468 :
日本@名無史さん:05/02/23 07:01:39
>>464 その影響は大きいでしょう。
時代が進むと庄屋名主家は政治に参加するなど、外の世界を見るようになります。
また庄屋名主家の子供は大学へ進学するようになります。
このように庄屋名主制度が明治で廃止になると、学がある者は農村を離れて
外に出るようになります。
469 :
日本@名無史さん:05/02/23 07:20:47
>>468 それはある。本家であるうちは東京に出てきていて。墓のみ田舎にあるが・・・田舎にいる分家がうちが本家と名乗って一騒動中。
470 :
日本@名無史さん:05/02/23 10:55:23
464>>
戦後、中堅地主階層(旧名主・村役人層)の政治参加が顕著になるね。
本間のような大規模な寄生地主や不在地主が没落して、中堅ブルジョワの活躍の場ができた事が要因でしょう。
旧名主・村役人層の農地所有は元々3〜5町程度というのが多かったから農地解放の影響は言う程大きくない。
祖父方が庄屋、見合いで嫁に来た祖母の方は学者筋のかなりいい家柄だったらしいが跡継ぎになる男子がおらず絶えた。
祖父方もなかなか男子の産まれない育たない家で、婿養子もらったりしてなんとか繋いできたらしい。
だから私に2人目の弟ができた時、祖母は「初めて分家できる」と喜んだらしいけど…あいにくどっちもヘタレで未婚。
かく言う私も小梨バツイチ、これで終りと思うと、財産はないけど歴史があるからちょっと切ない。マル高だけど今付き合ってる男に婿に来てもらって子供作っちゃおうかなあとか、勝手なことをたまに考える。
>>468 曾祖父がそれ。本人は政治家ではないけど政治家の有力支持者だった。
父が物心ついた頃は、常によその人が大勢上がり込んでる家だったらしい。
なにしろ田舎の政治、食わせろ飲ませろで、それを全部賄ってたんだからかなり裕福だったんだろうなー。父も戦争中でも白米食べてたって言うし。今じゃ想像もつかん。
それで政治家にコネが効いたらしい。父の大学進学の時、当時の文部大臣が地元の人で「早稲田だったら紹介で入れる」と言われたそうだ。行かなかったけど。
473 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:14:38
庄屋の家は郡会議員、大庄屋など特に格式・財力・権力などがある家は
明治以降に県議会議員になり、やがて貴族院などになり国政に出て行った。
そのときの政治家はそうした名家の輩が政治を行った。
474 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:37:06
471>>
揚げ足をとるわけではないが分家については時代が進むにつれてあまりよろ
こばれていないはず。むしろ分家させずに独立させて財産を守るようになった。
分家が独立とおなじように使われるがこの2つは大きく違う。分家は本来、
土地財産を分けることを言い、結果財産を減らしてしまう。
かつての分家は農作業などを互いに助け合うことで補完関係をつくったが、
やがて農村は補完関係が薄れ、分家は単に財産を減らすものとなった。
本来の分家というよりも、一族の繁栄を純粋に喜んだようですね。
475 :
日本@名無史さん:05/02/24 02:21:29
>>741 分家による土地の分散、その結果が潰れ百姓に繋がるのですね。
結局、富の再生産による耕地拡大か、商品作物があるかしないと分家は難しいですね。
現在では、分家を作るというのは一族繁栄のスティタスみたいなものに変化しているんでしょうね。
また、同じ分家にしても、東北型の地主経営の分家と、養蚕型の分家ではイメージが違いますし。
>>小梨バツイチ
実家に代々のゆとりが有ると、家庭がおおらかですよね。居場所があって宜しいですね。
476 :
日本@名無史さん:05/02/24 02:34:07
ちなみに、東北型というのが、いわゆる土豪的な大地主の経営形態。大庄屋が配下の差配・名主なんかを使って農奴みたいな小作を使った経営。
まさに、本間様の世界。耕地も100町1000町なんていう世界。代々、大農園主として君臨する。
養蚕型というのは、養蚕や手工業で現金収入がメインになった経営形態。先祖代々の田を潰して年貢の安い桑畑にして現金収入強化。
江戸のヒーターランドに多い。これは、3〜5町の耕地がメインで、その代わり人は手工業に使う。
渋沢栄一の家がこれ。東北型と異なり身軽だから農業捨てて商人や、武士や志士になったりする例も多い。
上州屋の屋号が広まったのもこれが要因。
関東では、この2タイプなのかな。
>>474 >>475 もうね、うちは分ける土地とかなんにもないんですよ。私も弟たちも今は自分の稼ぎだけで食べてますから。
戦争終ったところでまともな田畑ほとんど取り上げられちゃったし、伯母が結婚する時に宅地も半分あげちゃったし、山は農家やってる親戚にまかせてしまったし。
だから祖母は純粋に、一族の繁栄を喜んだ。だからよけい悪いなあと思う。
祖母もバツイチなのでw
最初の結婚相手は、祖母のお父さんの教え子で、京大の学生。恋愛学生結婚。
あの時代の大学生だから、そっちもかなりのおぼっちゃんだったはずだけど、京大行ったらアカに染まっちゃった。
それで祖母の実家が怒って、祖母を無理矢理帰らせたという話です。
そのあとアカ狩り時代が始まり、戦争があったわけですから、そのままだったら祖母もどうなってたか。
なにより祖母が離婚してくれなかったら今の私もないわけで、とりあえず曾祖父母GJ。
478 :
日本@名無史さん:05/02/25 11:58:38
墓の名義が江戸時代の人だわ・・・相続はどうなるの?子孫多すぎ。
479 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:07:38
墓の相続は特に法的なものはないから、この人がやると決めた人が
やればいいだけでしょう。
ところで庄屋の墓地って大きいの?
480 :
日本@名無史さん:05/02/26 05:17:03
>>479 うん、でかい!・・・一族みんな入るからね。1200坪くらい。
>>墓の相続は特に法的なものはないから
これが困るんだよね。本家であるうちは東京にいて、分家の人が面倒を見てるのだが・・・盗られちゃうのかな?
481 :
日本@名無史さん:05/02/26 08:04:51
分家も時がたてば他人だから気をつけたほうがいい。
古い墓地は区割りがしっかりしていないからどんどん食い込まれるぞ。
分家に面倒をみてもらうと危ないかもしれないな。気を付けろっ!!
482 :
日本@名無史さん:05/02/26 08:42:25
>>481 もうかなり危ないみたいなんだが・・・勝手に墓立ててるし。どかすわけにはいかんしな。
483 :
日本@名無史さん:05/02/26 17:57:42
一族専用の分寺・墓地がある。
484 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:29:56
うちの墓地には50人以上眠っている。昔は土葬だったから広い。
485 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:31:50
庄屋家のみんな、自分の家の神社とか、氏神祀ってるよな?
486 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:36:54
うちの辺りでは別家とかの血縁一族を「屋敷」って呼んでる。
今12軒あるかな?
>>483 「屋敷」で管理してる寺があるよ。
本尊は天正14年の銘が入ってて代々堂守が住んでた。
>>485 昔はあったらしいけどかなり前に壊したらしい…
487 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:28:23
>>485 氏神は墓の横にある。墓は古墳の横にある。
古墳の埋葬と関係あるのかなぁ。
>>485 本家が持ってるよ。
○○観音と○○神社。○○の部分は、苗字が特定されるので内緒。
もともと大きな寺だったが、廃仏毀釈で寺がなくなって観音様だけが残った。
神社も今は、元官幣大社の中の摂社として祭られているが、
正月の餅は本家が奉納している。
489 :
日本@名無史さん:05/02/27 20:04:06
稲荷神社がある。
490 :
日本@名無史さん:05/02/27 20:28:27
諸國一宮、二宮、三宮
の某宮で代々宮司・・・とは表向きで、
実際は北朝の侵攻に備えた砦を確保していた。
一族の墓地も、あれは事実上の砦だ。
周囲の山々も所有し、いつでも要塞化できる備えだった。
南北朝時代終焉後も最近まで延々と、
役を務めあげた御先祖。敬服だ。
492 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:06:44
居士ってそんなに付けてもらえなかったんですね。
うちは江戸時代の墓に全部居士って書いてあるよ。
神社もあったなぁ。
493 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:19:55
>>492 地方差があってね!田舎だと勝手に付けちゃ足りしてるから・・・その地方のほかの家と比べてみなければなんともいえない。
494 :
日本@名無史さん:05/03/02 11:58:05
495 :
日本@名無史さん:05/03/02 21:26:05
>>493 禿同。
うちの辺りはみんな居士大姉だよ
496 :
日本@名無史さん:05/03/02 21:29:41
庄屋は格式高いからね。
いいね。
うちはじぃさんまでが網元。デカイお屋敷ありました。
相続税って過酷らしい。
497 :
日本@名無史さん:05/03/02 22:42:15
>>496 そうなんだよね。庄屋って言うのは身分の割には格式が以上に高くって門・玄関・床の間が許されていて上級武士並み
なんだよね・・・格式は。
498 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:15:33
>>497 格式だけでなく、庄屋クラスだと旗本家に嫁出したり出来たしな。
500石取りの長谷川家は巣鴨の庄屋から本妻取ったりしてる。
499 :
日本@名無史さん:05/03/16 01:40:56
すまん、
おまえら本当に庄屋の子孫なのか?
バッタモンが多いと思うぞ。
庄屋なんてそう珍しくないよ。むろん治めてる(?)村は
でっかいのからちっこいのまで様々だろうけど。
世襲制ばかりでもないし。交代(順番)制、入札制などもよくある。
そういえばうちも1年交代制をとってたところの庄屋ではある。
あ、こおゆうのをバッタモンていうのかな。でも、ご安心を。
俺、庄屋の子孫だなんて言わないし。ここにカキコするのもこれが最初で最後。
501 :
499:05/03/16 03:19:15
>>500 悪いがその庄屋をやっていた
年代、何藩、石高を教えてくれ。
ちなみにうちは庄屋だった。
3代苗字帯刀を許された。
502 :
日本@名無史さん:05/03/16 03:34:15
うちは年番制の天領名字帯刀名主の子孫だが郡内で1,2位の名門と呼ばれてるが・・・あんま交代制・世襲制は関係
ないのでは?いわゆる庄屋格って奴でしょ。
うーん、全部はご勘弁。
村ではなく町方。江戸初期から記録が断続的に残る。
50軒程から成り立っており、1年交替で2,3人ずつ(時期によって違う)。
2,3人のうち一人が代表ではあるが、対外的なものであって
対内的には他の1,2人とも、更にいえば庄屋以外の者達とも
実質的に差はない。農村のいわゆる庄屋とはかなり性質が違うと思われ。
50軒のうち、10軒ほどに記録が断続的に残存。当然、庄屋に当たって
いた時期は記録の残りがよい。
全員苗字を持っていたが公的には名乗っていない。但し、
治政(?)の優れていたものには苗字が免され、特に幕末に
なるとそういった数軒の家が、年を空けず庄屋になることが多くなり
そのまま維新へ。維新で全軒とも苗字を名乗るように。
うちはもちろん維新になってから名乗るようになった家。
501さん(いわゆる村の大きな庄屋さんと推察)なんかとは
かなり性格の違う、いわばバッタモン。
504 :
499:05/03/16 03:45:07
かなり昔のログに遡ってマジレス
>>39 市嶋徳次郎家。
越後1000町歩地主として超有名。
http://www.ichishima.jp/ >>80 江戸時代に庄屋はピンキリであっただろうけど、
俗に言う殿様に匹敵する1000町歩庄屋は越後がほとんど。
越後の庄屋番付(「えちごぢまん」)なら現存する。
越後でいうなら渡辺三左エ門家、市嶋徳次郎家、白勢家、田巻家が有名。
ちなみにうちは渡辺家と関係があり、「えちごぢまん」では前頭にいる。もちろん苗字付で。
>>502 庄屋と一口にいっても、藩や地域によって名前や形態が違う。
うちの場合、束ねていたのは米沢藩預かりの天領で15村位。
もちろん15村それぞれに庄屋と小さい村には百姓代がいて、
その上に我が家が大庄屋として君臨してたよ。
505 :
499:05/03/16 03:55:05
>>503 我が家の場合、近所に分家を出し(5軒現存)、かなり羽振りがよかった。
蔵も5つあって(写真!がある)、いまも1個残っている。
弘前船とかにも手を出して、金貸しもやっていた。
でも、幕末のペリー来航やら戊辰戦争やらで金をかなり徴収され、
維新によって貧困村への金貸しが全てパァ。
挙句に明治になってすぐ当主と当主の息子が早死に。
明治になって没落した…。
506 :
日本@名無史さん:05/03/16 21:49:42
庄屋の中の庄屋は旧国人領主層。
507 :
日本@名無史さん:05/03/17 01:41:53
世襲かどうかは私の地方では大きく違いがあります。
世襲は江戸以前から続くその土地の長、土地の開拓者などが
勤めましたが、年番は時代が進んで制度上役割をあたえられて
います。
私の家は天領で代々名主を世襲しておりましたが、分家が進むと
集落も増えて江戸後期には治めている土地を細分化して年番名主制
になりました。
そのとき世襲名主は古文書に名主○○と書かれておりますが、
年番名主は年番である事がわかるように、名主も区別して書かれて
います。
この地域の名主といえば、世襲の名主家を意味し、年番名主は制度上
のものとして名主家とは数えられていないのが現状です。
508 :
日本@名無史さん:05/03/17 03:34:47
>>506信憑性ってのはどうなのかね?地生えで初期からやってりゃそれなりの家だと思うけどね!
>>508 うちの場合、過去帳上は俺で21代目。
その前は南北朝時代に新田方→敗走→土着したことが分かっている。
我が家は曹洞宗なんだけど、
過去帳では当主とその妻は全て居士&大姉で、院号がつく代と付かない代がある。
幕末以降は全員院号。
510 :
日本@名無史さん:05/03/18 06:49:39
511 :
日本@名無史さん:05/03/18 17:56:07
うちの先祖は、初代が豊臣の時代で戒名は高徳院日成宗元大居士。
その子、末っ子が大庄屋になり、○○○○大居士。総高17,400石。
>>511 >高徳院日成宗元大居士
その日成宗元は何者?
院号が付いても、そうそう大居士にはならないよ。
>総高17,400石。
それが本当なら、田圃だけで200町歩はある計算だね。
うちは最盛期には山林を除いて300町歩だったけど。
513 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 18:23:20
昔のまま住んでる人いるけど敷地がそのままの人っているかな?
514 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:51:53
GHQのタコ!
なにをやってくれたんじゃあ!
日本の農業の惨状はどうだ。
田分けは国を滅ぼす。
515 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:40:01
凄い庄屋名主層が登場してるな。
貴族院議員、勲功華族クラスの。
普通の庄屋名主は戸長・副戸長が妥当。
父方のほうは戦国時代に大友と戦って(麻生太郎の一族と一緒に)負けて、
江戸時代に黒田がきて帰農、図書館の古文書ではうちは大庄屋で苗字はあった。
長州も大内氏の家臣団が毛利に従ったり帰農したのと同じような感じだと思う。
母方のほうも帰農大庄屋の出で、ある小さな町の3分の1くらいを持ってた。
勿論父方、母方も寺を建立した。父方の方の墓は戦国以前のものもあるようだ。
上のほうにもあるが群長?郡戸長?を明治期してたし、県議会議員もいた。
父方の方は石炭が出るが使えない石炭だったのである程度没落。
それでも、高度経済成長期までは財閥系炭鉱会社の役員を輩出。
母方のほうは農地改革と戦後のどさくさで、小作が自分の土地だと法務省?かなんかに
申し出てかなりの土地取られてしまった。建立した寺は結構というか小学校の校庭くらい。
母方の実家は戦後事業に失敗、山じゃなくて最後に残った広い林を売却、今は細々と駐車場経営。
祖父の弟はは戦犯(内務官僚で県知事から本省へ戻ったりで)から逃れ自由党から出馬しようとしたけど、
騙されてお金取られて死んだ。官僚時代の先輩の地盤を受け継ぐはずだったのに。
35年前位前にも総合病院を創った分家筋が自民党から出馬予定だったのに急死。
それでも7回忌とかじゃなくて、300回忌とか未だにやってる。
うちの親は見合い結婚。大庄屋の末裔同士の結婚はうちの一族では当たり前の
ようだった。母の甥(年の離れた従兄弟)の嫁さんは父方の一族。先ごろ倒産した百貨店の創業家、
×中●家も親戚筋。父方のほうは2万石くらいの大名?小名?の末裔を娶ってたりしてた。
父方、母方は戦後直後までまあまあ裕福だったようだ。女中もいたし。
昭和初期に帝大からうちの戦国以前から続く文庫を研究目的で持っていかれて、
いつかそれを読みたいと思ってる。
帰農せず、黒田に仕官していたら結構な士族身分だったんだろうなぁ。まあ大庄屋も変わらんか。
血縁を重視する田舎の我が家は没らくしまくり、そんな俺は30過ぎのメンヘル無職ちゃん。
戦国時代に勇敢に戦ったご先祖様になんと言っていいかわからない。
家柄と学歴しかなんの取り柄もない自分が惨めだ。。読みづらい長文で愚痴ってすまん。
517 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 11:11:02
>>504 下越か。高畠(屋代郷)じゃないよな?
天領の大庄屋ってことは塩野町あたりか?
ってことは18世紀に米沢藩領になるまでは領主の変更もあったわけで、そういうことから隆盛があって院号の有無があるのかな。
519 :
499:2005/03/30(水) 03:09:43
>>517 おお!かなり詳しい方のようだけどどちらにお住まいの方で?
厳密には米沢藩領にはなってない。
それから米沢藩預かりの天領になったのは、1760〜70年くらい。
はっきりした年代は歴史資料上でも分からない。(個人的に調べた)
自分なりに我が家の歴史を調べて思ったことだけど、
過去帳上の”初代”が14世紀半ばに寺を建立したことから、
当時からこの地方ではある程度の隆盛を誇っていたと思われる。
その後、多少下降気味になり、
ちょうど天領になった時期に当たる14代目が院号になっていることから、
再び隆盛したんだろうと思われる。ちなみにこの14代目が”中興の祖”
中興の祖のひ孫(17代目)が、渡辺三左エ門家から嫁を貰った。
この17代目が急死し、明治維新となり没落したわけだが。
520 :
517:2005/03/30(水) 23:27:56
>>519 早速の返事dクス
俺が調べた本では、宝暦三(1753)年に村上付近の天領が米沢藩預かりになって、天明八(1778)年に塩野町に御役屋が設置さ
れた、となってた。
>>517で米沢藩領と書いたのは誤りでしたね、スマソ 俺は米沢藩の家中の末席に連なる者の子孫です。いずれにしても、『上
杉家御年譜』(でっかい図書館には大抵あるんじゃないかな)を詳しく調べれば年代とかは分かりそうですね。っていうかあなたのご先祖も出てきてるかもね
>>518 高畠は山形県東置賜郡高畠町(米沢市の北方)。塩野町というのは今の新潟県岩船郡朝日村の、R7沿いの集落(村上市の北方)。
米沢市も村上市も人口減少で没落中・・・
521 :
517:2005/03/30(水) 23:33:48
書き忘れ。
>>519 その14代目の方が米沢藩にお金を貸したか(18世紀中頃、米沢藩財政破綻寸前)、商品作物の専売権を米沢藩から得て
いた(18世紀後半以降、鷹山以降の時代)か、どちらかでは?
522 :
499:2005/03/31(木) 00:26:39
>>520 同じ米沢藩繋がりで詳しい人なのでかなり嬉しいです。
>天明八(1778)年に塩野町に御役屋が設置された、となってた
実は分家に置かれていた。
ttp://www6.ocn.ne.jp/~green21/asahi/23sionomati.htm 一部の資料では、米沢預所役所がどこにあったのか不明。と書かれているのもあるけど、
単に分家が資料を提供してないことと、
1804年と1805年の2度、この近辺が大火に見舞われ多くの歴史資料が失われたことが原因かと。
ちなみに旧幕時代は欠代(かんだい)と呼ばれ、今ではそれが屋号に使われている。
>米沢藩にお金を貸したか(18世紀中頃、米沢藩財政破綻寸前)、商品作物の専売権を米沢藩から得て
>いた(18世紀後半以降、鷹山以降の時代)か、どちらかでは?
そういったことがあって、同じく米沢藩に大量の融資をしていた渡辺家とも繋がりを持ち、
嫁を貰ったんだろうと思うんだけど、
前述のように大火で1804年以前の資料が禿しく少なく調べようがないのがホンネだったり…。
なんかマジモンのすごい人がいるんですけど
524 :
517:2005/03/31(木) 20:42:08
>実は分家に置かれていた。
ttp://www6.ocn.ne.jp/~green21/asahi/23sionomati.htm すげー
実は、藩の勤書のうちの先祖の欄に、弘化元年(1844)に、羽州大山村騒動に付き越後預所塩野町へ差し向けられ、百二十日余り滞在、
という記録があって、それで塩野町のことを少し調べていたので、塩野町のことを少し知っていたのです。この騒動(庄内
の当時は天領のの大山村)自体は結構有名なものなのですが、『上杉家御年譜』にも米沢藩が特に警戒態勢をとった旨の記述はな
いので、予防措置的に差し向けられたに過ぎないのでしょうが、百五十年以上前にあなたのご先祖様ともしかしたら
お会いしてるかも知れないとしたら、それはそれでなんだか奇遇な話ですな。
うちも大正八年の米沢大火で全焼し、今はたまたまそのとき蔵の中にあったものが残っているくらいです。1804年以降
とはいえ、相当な資料が残っていそうで羨ましいです。大切にされるとよいと思います。あと、上杉藩の文書は、明治以降
上杉家が東京で暮らしていたこともあって火事を免れ、大量に残っているようです。現在公刊されているだけでも相当な分量
があるので、藩側の資料からも色々わかるかもしれませんね
525 :
499:慶長410/04/01(金) 02:56:14
>>524 米沢預所役所があった分家の本当の屋号は、「定右衛門」。
明治になり役所の場所は移ったけど、旧幕時代はずっと分家にあった。
だから間違いなく先祖同士で会っていると思う。
会っているとすると、15代目or16代目のどちらか。
ちなみに16代目は江戸に行き、剣術の免状を貰った人だった(免状2つが現存)。
米沢預所役所らしき文書なら、何故か我が家にも少し残っている。
私自身、古文書は全く読めないけど、
死んだ祖父(19代目)が新潟大学の某教授に古文書の解読依頼をしたことがあって、
その教授が便箋に訳を書いてくれた。
全部目を通したわけじゃないけど、概ね
・○○から年貢がないため娘の××を奉公に出す
・△△村への融資を○○両 などなど。
それらは村にも提供したので、朝日村史にも載っている。
もし、興味があるなら、是非我が家に遊びに来て下さい。
我が家は、大火後の1805年に建て直し、
現在、外装はリフォームしましたが、内装はほぼ1805年当時のままです。
ただし残念ながら、米沢預所役所があった分家は現在空き家になっていて見れません。
526 :
517:慶長410年,2005/04/02(土) 18:53:53
>>525 おお!子孫同士が2ちゃんで再会ってなんか感動的な話だ・・・あるんですねこんなことが。
古文書(「上杉文書」というマイクロフィルムがある)は私も解読に苦労しました。しかし、米沢城は明治初年に破却され、
米沢市街地の武家屋敷などは大正六年と八年の大火で絨毯爆撃されたみたいに燃え尽き、領内の小国などの御役屋ももう
場所しかわからなくなってしまってるのに、塩野町の御役屋は19世紀のままで文書まで残っているとはビックリです
是非機会を見つけて伺いたいものです。新潟県に行くときも、大抵は村上から笹川流れあたりで、塩野町はまだ行ったことがありません。
527 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 16:13:36
庄屋というからには、何か村のため小作人の為に何かやった?
528 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 16:49:10
>>527それぞれ、家は善政を布いたらしく田舎に行くと敬われているが友人の家はかなりあくどかったらしく結婚のとき調査員に
変なことばっかしゃべられたらしい。
529 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 01:26:46
あぁ。
530 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:11:01
うちは大和盆地だったため、農業水利権交渉の代表として
近隣地区との駆け引きをしていた。
いわゆる水文書が本家の蔵には相当残されている。
○○市史に○○家文書として記載されている。
父親が次男を溺愛、財産の3分の2を次男へ。一応本家は長男のほうだけど江戸末期にこんなことが許されたなんて
532 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 02:53:52
これを隠居分家という
533 :
日本史小太郎:2005/04/20(水) 20:52:43
実は私のところは天領のところの地主だったんだけど、なんか村人に金を貸していたらしい。
さらに何故か小栗上野介と親交か仕事上の取引があったらしくどうも日本で第1号の造船所ドックに出資したそうな。
日本の各地域ごとに業務はまちまちだったと思うけど、共通的には、年貢管理や代官所(天領以外は村方役人かな?)との交渉・命令伝達なんかやっていたんじゃないかな?
特殊な仕事としては、一揆を未然に防止するとか、犯罪者の受け取りかな?
家の古文書には税金納付書があったくらいだから。
534 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 05:02:47
当家を含めて
農地改革で庄屋・名主が
総没落してしまった訳だが
よほどの恨み・怨念の因果に
襲われたといえなくもない。
おれもおれもと出るけど本当っぽいのは新潟の奴だけだな
536 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 10:21:46
>>534うちの田舎では酒造やってたとこは今でも1町屋敷に住んでる。かわいそうなのは旧本陣、哀れだ。
537 :
日本史小太郎:2005/04/21(木) 11:36:38
533だけど、地主→名主に訂正します。面目次第もござらん。
もう一つ忘れてた。どうも明治初期までこの村役人制度は残っていたようで、
五ぼうの掲示の高札も全て残っています。
538 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 17:56:30
>>535 そう?いっぱい本当っぽいのいるけど。だって庄屋とかってそれほど
珍しいものではないし。
539 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 18:53:30
>>537高札あるけど墨が消えてきて唯の汚い板になりつつある。
540 :
日本史小太郎:2005/04/21(木) 19:03:12
533&537だけど、しっかり全文残っている。判読可能だけど木が虫食いだらけなのは残念。
541 :
日本史小太郎:2005/04/21(木) 19:04:35
533&537だけど、しっかり全文残っているし判読できる。でも土台の木が虫食いだらけなのは残念
542 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 21:17:01
うちも庄屋でしたが、証文なんてとらずに金なんてどんどん出したよ。
落人で開拓農民だから、村全て自分の土地だったし。
それがいつのまにか、登記されていて、取られました。
543 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 21:21:19
>>535 各村に庄屋がいたのだから、その子孫は沢山いるでしょうに。
545 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 23:48:03
あ
庄屋さんの集まるスレですか。うちの先祖も庄屋でした。大庄屋ね。
まあ例のごとく戦後没落したわけですが。
でも両親が頑張って労働したからうちは富裕層になりました。30年ぐらいかけて苦労して。
俺は息子なわけですが両親が築いてくれた財産を土台にして、家をもっと豊かにしたいと思っています。
財産ができたと言っても、10億20億持ってると思われる、戦後の土地成金どもにはまだまだ敵わないレベルですし。
>>544 人口
多い 少ない
農民>>>町民>>>武士>>>庄屋>>>大庄屋>>>殿様
身分
低い 高い
農民>>>町民>>>庄屋>>>大庄屋=一般的武士>>>殿様
財産
少ない 多い
農民>>>町民>>>一般的武士>>>庄屋>>>大庄屋>>>殿様
548 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 02:55:56
家の古さで言えば大庄屋や庄屋が一番になる場合もありますね。
549 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 15:02:40
>>547殿様は金もって無いだろ。庄屋の家に遊びに行っておこずかい貰ってるぐらいだから・・・
>>549 >
>>547殿様は金もって無いだろ。庄屋の家に遊びに行っておこずかい貰ってるぐらいだから・・・
ソース出してみろ
つーか中小の殿様なんか藩が廃止されたら収入無しでしょ。
庄屋ほど多くの土地持ってないんだから。
俺は549じゃないが、庄屋からおこずかい貰うってのはあったかも知れんなw
1万〜3万石ぐらいのちっこい藩だと財政も厳しいとこが多かったんじゃないか。
554 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 21:50:28
>>547 身分で大庄屋=一般的武士とあるけど
大庄屋は下級武士ができないお目見えとかもできたの?
555 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 22:13:43
>>552ソースは無い。言い伝えだ。。。庄屋だった家に行くと殿様から下賜された品がある。踏み倒した金の代わりとおこずかいの
お礼でしょ。今でも・・・さる身分の高い方はあちらこちらで、ただ食いただ呑みですよ。
たぶん家重くらいの頃に一揆の責任とらされて大庄屋の役儀と
帯刀の権利を取り上げられました。子孫のわたしはニートやってます
557 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 00:25:15
土地かなり有っても農振地だったりしてマンドクセーね・・・
>>555 「言い伝え」だの「伝承」だの資料もないのにいうのはスレ違い。
ここは学問的に日本史を語る板だ。
559 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 01:47:32
>>547 人口で農民のうち庄屋と大庄屋はそれぞれどのくらいの割合なんですか?
560 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 02:31:40
>>558当たり前すぎることは資料にならんってのは歴史学の基本だろ!箸の使い方詳しく論じた資料が云々と言うのは有名な話だぞ。
>>559 普通、1村に1庄屋。
地域によってそれぞれ異なるけど、1村=農民100人以上が妥当な線。
これも地域によって異なるけど(農民50人未満ほどの)小さい村なら庄屋ではなく、
違った呼び方をする。呼び方地域によってそれぞれ(”庄屋”地域によってそれぞれ
なわけだが)大庄屋は複数の庄屋の中から選ばれる家。
農民がヒラ社員、庄屋が係長、大庄屋が部長って思えばよい。
>>560 殿様が大庄屋に小遣いを貰うのが当たり前なのかwww
箸の使い方と比べるなんざ片腹痛しwwww
しかも、箸の使い方ならウェブ上で探せるがwwww
とりあえず殿様が大庄屋からお小遣いを貰ったというソース出してみろ。
話はそれからだ。
562 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 11:15:32
庄屋がそんなに財産持っていたとは思えません。
やっぱり殿様は別にしたほうが。
一般武士よりは遥かに裕福だったと思いますが。
米屋ってのは庄屋とは違うのですか?
(こんな質問ですんませんが。)
>>562 意味不明。。。
レスの内容をまとめると
庄屋=財産持っていない
庄屋>>>裕福>>>一般武士
殿様=別格
なにをいいたいのか
565 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:35:19
しかし、ここで庄屋やしょぼい家柄を自慢してるヤシの
ところに嫁に来る女がいるか疑問・・・
今は、田舎の長男と結婚する奇特な若い女は皆無だと思う。
566 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 16:15:17
>>565前にも書いたけど庄屋の直系って昔お金があったから東京に教育に出して、戦後は東京で一流企業に就職
して東京暮らしが多いよ。田舎に残ってるのは分家筋だと思う。基本的に田舎から東京に出てくるには二つのパターン
があって教育のために出したのと食えなくて金の卵といわれ上京してきたのだと思う。
567 :
庄屋:2005/05/02(月) 16:37:42
>>566 俺の地元で当主やってる人も昔は東京に出てたけど、
10年ぐらい前に会社退職して実家に戻ってきたみたい。
その人の子供達はまだ東京に住んでるらしいけど。
ちなみにその人で25代目。
>>565 田舎の長男だとか都会の次男だとかが
結婚を決める要因と考える女とは死んでも結婚したくないな(w
570 :
568:2005/05/02(月) 17:09:09
>>565 そこらの嫁なんかいらん。
旧家は旧家同士で婚姻結ぶ。
それができなきゃ成金の嫁をもらう。
見合い上等。
以上。
571 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 06:34:38
572 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 06:35:42
>>565 かんだから修正。
ショボくない家柄となるとどのくらい? 教えて
ショボくないっていうんなら、今の財産どうのこうのじゃなくって
地元の寺や神社の歴代の筆頭総代を輩出したり、永代総代とかになってる。
そういうものっていうのは、たとえ今貧乏でも急に変えられないもの。
そして遡れるのが最低江戸中期以前(新田開発が盛んになる以前)くらいではどうなの?
574 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:01:53
ここにいる人からは旧家の気品もクソも感じられないと言ってみるテスツ
575 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:58:29
>>573庄屋ってだいたい檀家総代だぞよ、大丈夫か?
そもそも、ここにいる人達は見たかんじ家柄自慢なんかしてないですよ。
家柄自慢っぽいスレは他にあるんですし。
例えば「私は旧武家の末裔です」スレに書き込みしてる人なんか多いんじゃないですか。
でも庄屋としてのそういった話も面白いかもしれません。
実際俺んとこは庄屋やってたのが600年ぐらいなんで、ネタになることは結構あります。
他の人も似たようなもんでしょう。でもここはそういったことを書き込む雰囲気のスレではないですね。
>>574 それは俺の書き込みのせいですわ。
自分でも見直してみるとほんとに品の無い書き込みしてる。
すいません。
それはそうと、実際に現実の世界で旧家の人と会うとオーラ感じますよね。
ネットでそんなことを感じたことはありませんが。
>俺んとこは庄屋やってたのが600年ぐらい
出自とか詳しく教えて下さい
578 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 00:30:21
戦国期に庄屋ってあるの?
庄屋っていうのは江戸時代以降に成立した身分制度上の区分の一つ
江戸時代以前にも庄屋は存在したけどまだ身分制度が明確に確立して
いなかったため江戸時代以前の庄屋の定義が曖昧なだけの話
>>576の600年というのも間違いではないけどネタ臭い
>>575 小さい寺ではね。
ある程度大きな寺ではどうだか?
庄屋600年ってのはありえない。江戸以前は必ず地侍以上のはず。
576ですけど、うちの遠い先祖は1100年頃に近江で地頭やってました。
俺らのとこは、そこの者が1400年中頃に今の地に土着してできた家です。
つーか、576でした書き込みは言葉が間違ってると俺は分かってますよ。
分かりやすく言い直します。地方で旧家やってる元地主とw
>>580 日本にあった庄屋は必ず地侍以上をやってたんですか?w
全てそうだと断定していいんですか?
まあうちの場合、昔は近所からは武芸者と呼ばれていたそうですが。
地頭は1185年以降。1100年頃にはまだない。
戦国末期のの兵農分離もあったが、江戸期になって農村が武装解除される前は
農村は自衛武力は持っているのが常識。非武装なんてありえない。
武芸者?分限者(大身の旦那)ならわからんこともないが。
あー、地頭は1200年だとつっこむ人いそう。
ついでに訂正しておくと、地頭じゃなくて地侍ですわ。
すいません、また言葉間違った。地侍って中世の土豪的武士の意味なんすね。
それより以前に地侍って、多分おかしいですね。
まあ武士やってたのは確かなんですが。それを何と呼べば適確なのか俺は知りません。
>>583 ちょっと勉強してきたんで仰ってることはよく分かりました。
あと武芸者が間違っているのなら、分限者なんでしょう。
うちの御爺様は東京での生活がほとんどで、地元で生活している方が少ないんです。
幼い頃にブンゲイシャと呼ばれていたのを、
地元に帰ってきてあれは武芸者と呼ばれていたんだと勘違いしてるのかも知れません。
>>582 とりあえず石高とか何町歩持ってたとか具体的に言わないと
ここではネタ扱いだよ
どうせネタなんだろうけど
竜○○城の一角
竜宮城の一角
そもそもネタだと思ったらスルーしてて下さいよ。どうせ大した話してないんだし。
以降もう俺にレスしないで下さいね。ほんと下らんわ。
>>587 いやいや、別に信じてもらいたくて書き込みしてるわけじゃないですよ?
俺がどんな理由で書き込みしてると思います?
暇潰しで面白そうなスレを見つけから、それだけですよ。
信じてもらいたいから書き込みはじめたんじゃないんですよ。
ネタだろうとか煽ってくる人に信じてもらわんでも、何の問題もないわけ。
だって真実はちゃんと存在してるんですもん。ネットで証明する必要なんかどこにもないわけ。
そしてねぇ、これが一番大きいんだが俺自身は大まかに家のことを知ってるだけで、詳細はほとんど知らないんですよ。
詳細を知ってるのは爺様ぐらいです。親父は家の出目には詳しいですが、家の詳細は爺様ほど知らんでしょう。
だからってここに爺様や親父を読んで書き込みお願いできます?バカな話ですわ。
あと土地の量ですけど具体的な量は聞いてないですね。相当やられた、としか聞いてないです。
ご忠告ありがとうございますね。いつになるかわかりませんが、今度会えた時に聞いときますわw
あと武芸者と分限者ですけど、爺様からその話を聞いた時、そもそも俺が間違ってたんでしょう。
俺、分限者なんて言葉があると知りませんでしたもん。それを勘違いして武芸者と呼ばれていたと思っていたんでしょう。
ただ爺様は昔、周囲から分限者と呼ばれていたことを単なる金持ちの意味だと思っていたと伝えてくれましたが、
後になってどうやらそれだけの意味じゃなかったみたいなことを言ってましたね。家柄で生活できていたとかどうとか。
庄屋格で苗字帯刀ってあまり聞かないよ
ちなみに何藩だったの?
福山藩
庄屋さまの方々は現在どのような屋敷に御住まいなんでしょうか?
何坪ぐらいなんですか?
本流の分家。
150坪の土地に54坪の平屋。
ただし自前で建設。
本家は九間長屋門。
597 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 20:59:05
うちと、だいたい長屋門の大きさが同じだなぁ。
598 :
596:2005/05/16(月) 23:39:42
風致地区に指定されているので、しばらくは長屋門がなくなることはなさそう。
本家の長屋門は、目測ではだいたい30坪足らず。
599 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 01:29:45
うちは300坪の土地に50坪の母屋
>>595 25坪の離れ、18坪の蔵、
築62年で60坪の倉庫兼車庫。
明治の初めまではこの4〜5倍の宅地と
長屋門造りの蔵があったが全部売った…
600 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 01:30:30
ミスった!
>>595 うちは300坪の土地に50坪の母屋
25坪の離れ、18坪の蔵、
築62年で60坪の倉庫兼車庫。
明治の初めまではこの4〜5倍の宅地と
長屋門造りの蔵があったが全部売った…
601 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 02:36:13
基本的に庄屋屋敷は1000から3000坪、1町屋敷ってのは3000坪。うちの地元は長屋門はほとんど無い。
江戸近郊だが、昔名主だったらしく近所の寺の檀家総代やってます
でも今は猫の額ほどの土地で自営業。
お布施とかもしてないのに、住職が律儀なのね
肩身狭いです。
>>595 3000坪の敷地に併せて500坪の母屋
蔵は3つ
一町屋敷ですか?すごいでつね。
漏れの近所で一町屋敷といったら、鴻池新田会所くらいしか見たことない。
農地改革の話が全然でないですね。
確か、3000坪を超えた土地は全て他人の物になったはず。
地主から土地を借りていた大家や店子。
こいつら、良い場所で土地を借りていたんなら、後に億万長者になるんですよ。
うちの地元でも、明らかに土地で大金持ちになったと思われる連中が住んでいる地区があります。
こいつら、本当に殺したい。
607 :
606:2005/05/18(水) 12:31:30
ちなみに、そこにはバカデカイ創価学会の会館がありますね。
608 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 16:34:21
「田分け」は、国を滅ぼし家を崩壊させる。
もうどうでもよくなったよ。
100町歩あった土地も、数町しかないし。
分家を5つ出したら耕地も無くなったし。
権力も無くなったし。
610 :
日本@名無史さん:2005/06/01(水) 18:07:33
分家5つ?
ここが噂の、先祖を誇ることしかできないダメ子孫の溜まり場ですか?
>609
がんばって取り返したまえ。
君がまた権力を握れる日がくることを心から祈っているよ、バカ息子さん。
名のある名主の直系なら、隠然たる勢力は持っているはずだが?
華族とまでは行かなくとも、親族関係も明らかに格が違うはず。
↑
勲功華族を輩出した鹿児島・山口は華族が親戚という人も多いかも知らん
ただ勲功華族って、基本的に一族の子孫にすら
さしたる影響力を残していないからなあ。
それはそれである意味すごいことなのだが。
615 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:23:28
名のある庄屋はあんま残ってないみたいね。親父に聞いた話だと酒造家ぐらいしか残ってないそうだ後は消えていってしまったらしい。
616 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:39:11
うちも庄屋だったらしいが、財産も糞も何も残ってないぞ。
大正くらいにデカイ屋敷があったらしいが、
これも火災防止か何かのために建て替えたかで残ってない。
うちにあるのは武家だった頃の刀のみ(庄屋に関係ねー)。
数十年前に発見されたきり誰もその姿を見てない。
じーちゃん、「天気のいい日に探す」「春になって暖かくなったら探す」
とか先延ばしにしてないでさっさと探してください。
没落したけど、精神は受け継がれてるな。
ほんとその地域がよくなって欲しい。
おいら頑張るよ。みんな頑張ろう。
618 :
9代目:2005/06/26(日) 23:42:00
みなさん悲惨ですね。自分は希少な存在でしょう。
庄屋の子孫です。分家ですけどね。
本家の方は県でも大きな庄屋さんでした。もう過去の話ですが。
悲しいことです。世の中のためにとお金を沢山出したのに、それも過去のことです。
結局、他人のために何かやってやるなんて、馬鹿げたことなんですよ。
ここにいる方は、結構年を取った方ばかりなのではないでしょうか?
日本も変わりましたよ。
皆さん、取り残されちゃったらだめですよ?
せめて意識だけでも、現代の状況に触れていてもらいたいものですね。
今や日本で生きていく上で、家柄は全く関係ありません。
どのような出であれ、大部分は企業の歯車として生きていくしかありません。
例えそれが殿様の子孫であってもです。
皆さんは、今の日本がどれだけ働きにくい社会になっているかご存知ですか?
昔の身分は関係なく、奴隷労働者として何十年と働いていかなければなりません。
資産を持っているかどうか、今の社会で重要となってくることは、ここだけです。
資産を持っていなければ、家柄はほんの小さなオプションにしかならないでしょう。
ですが自分は違います。
自分には十分な家柄があり、学歴もあり、両親の育ちも十分なものです。
そして何より、資産家です。
父は財産無しの状態から何十年と我慢を重ね、10年前に会社を起こして成功させました。
自分がこれからしなければならないことは、父の会社を継ぎ、
そして、より金持ちの家から嫁をもらうことです。
これが現代社会において、家を繁栄させていく道だと思っています。
そして、自分にはそれができる、十分な環境が整っています。
619 :
9代目:2005/06/26(日) 23:44:53
精神論を持ち出すのも結構なことですが、
現代の裕福な暮らしの世界に生きてきた自分としては、
裕福に暮らすことこそが人間として生きる上で何よりの幸福なのだという思いが強いです。
そしてそれは、現在の日本社会にいきる人間達にとって、真実でしょう。
ほとんどの場合において、お金が全てです。
お金がなければ、ほとんどの場合において苦労する人生を歩むしかありません。
そして苦労する人生とは、今日本でよく聞かれるようになった、負け組の人生です。
お金が全てなどと暴言だと反論する方がいるかもしれませんが、
それは昔も今も変わらないことじゃないでしょうか。
元に今、没落した方々が家柄を拠り所に幸せを感じているなどとは、自分には見えません。
これでも反論がある方には、
物質的に豊かであれば精神的にも豊かになることは容易なのだと、釘を刺しておきます。
そして、現代社会において、物質的に豊かでなければ、精神的に豊かになることは困難です。
貧乏な百姓は浄土宗で、昔の裕福な武家出身者は臨在宗であった、というのもそれを表しているんじゃないでしょうか。
生きていくためのお金を稼ぐためだけに(百姓)、会社のため株主のため(支配層)、一生を労働に捧げなければならないのですから。
皆さんも、何が一番大事なことなのか、よく理解して下さい。
気持ちは分かりますが、旧来以前とした考えのままじゃ、
よりいっそう社会から取り残されていきますよ。
>>618-619 縦読みかい?w
質問を一つ
このスレは庄屋ネタのスレであって、おまいの思想を落書きするところじゃないのは理解してるよな?
で、庄屋ネタに戻るがおまいのその自称大きな庄屋である本家の名をだしてみろや
たった9代しか続いてないのか?
622 :
9代目:2005/06/27(月) 14:33:22
やれやれ、いきなり煽られるとは、卑屈な人がいるようで。
こういう人はよっぽど没落したことに対する怨みが強いんでしょうね。
私には全く関係のない世界ですが、あまり妬まないで下さい。
さて、他の方もよかったらレスして下さい。
ここでの書き込みは他の板と違って楽しそうですし。
>>620 極めてマジな書き込みですよ。何か問題があります?
あと、あなたがこのスレの方向性を決める権利はないでしょう。
そもそも、私の書き込みが何か問題のあるように思えませんし。
あるとしたら、あなた個人が不快に感じて問題だと思ってるだけでしょう?
あと、苗字を出せなどとそんな釣りには引っかかりません。
苗字検索で5500〜6000に載っているどれかだと言っておきます。
>>621 下らないことに価値を置いているようで。
そんなことしか言えないから、時代に取り残されたままなんですよ。
そもそも9代で十分でしょう。これ以上必要ありません。
現代において重要になってくることは、より資産家になれるかどうか、それだけです。
そして、私にはそうなれる条件が全て揃っています。価値のあることは、それだけです。
ちなみに本家の方は20代以上続いていますね。
庄屋として、これが長いのか短いのかは判断しかねますが。
623 :
9代目:2005/06/27(月) 14:33:37
やれやれ、いきなり煽られるとは、卑屈な人がいるようで。
こういう人はよっぽど没落したことに対する怨みが強いんでしょうね。
私には全く関係のない世界ですが、あまり妬まないで下さい。
さて、他の方もよかったらレスして下さい。
ここでの書き込みは他の板と違って楽しそうですし。
>>620 極めてマジな書き込みですよ。何か問題があります?
あと、あなたがこのスレの方向性を決める権利はないでしょう。
そもそも、私の書き込みが何か問題のあるように思えませんし。
あるとしたら、あなた個人が不快に感じて問題だと思ってるだけでしょう?
あと、苗字を出せなどとそんな釣りには引っかかりません。
苗字検索で5500〜6000に載っているどれかだと言っておきます。
>>621 下らないことに価値を置いているようで。
そんなことしか言えないから、時代に取り残されたままなんですよ。
そもそも9代で十分でしょう。これ以上必要ありません。
現代において重要になってくることは、より資産家になれるかどうか、それだけです。
そして、私にはそうなれる条件が全て揃っています。価値のあることは、それだけです。
ちなみに本家の方は20代以上続いていますね。
庄屋として、これが長いのか短いのかは判断しかねますが。
連貼りが一番見苦しい。
>ちなみに本家の方は20代以上続いていますね。
20代ねぇ。安土桃山〜江戸初期だな。
応仁の乱くらいまでいったれや。
欧米のブルジョアが最後に求めるものは何だと思う?
最後は家柄に走るんだよね。結局。
本家でたった二十代…うちの半分にも満たない。
627 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 00:10:13
>>626信憑性が無いでしょ。うちは庄屋だけど確認が出来るのは江戸初期から自分までで16代目それ以前については
墓も古文書もあるが墓は記述なし古文書も世襲名で何人いるかまったく分からない。これでも郡下1,2を争う旧家だぞ。
>>625 欧米コンプレックスなのw
僕ちゃんwww
>>627 626ですが。
郡下では1,2を争う旧家か…、お話になりませんね。
630 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 00:17:34
>>629まあ、関東なんでね!関西ですか?近畿あたりは旧家が多いと聞きますが。。。
幕末に庄屋・名主なら明治以降、最低でも○外○○の正副○○の証書有るよな。
632 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 19:15:58
9代だの20代だのと言っているが家柄は長さじゃない…
第一、2ちゃんで自慢されてるなんて御先祖様が可哀想やぁ…
633 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 20:51:12
>>630 おいおい、弱気になるなよ!それに関西より関東のほうが旧家は多いぞ
小田原北条の遺臣が各地に大勢帰農してんだから
秩父とかは旧家多いぞ。その分、隷属農民もたくさんいたが・・・
>>632 たしかに。子孫がニートの2ちゃんねらでは、立派な御先祖様もうかばれまい
635 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:07:32
636 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:33:25
>>635逸見とか言う苗字だったりしてw
確かに武田遺臣の旧家もあるね
武田家臣→北条家臣→帰農、こんなのもある
637 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:20:32
>>636逸見じゃないです。うちの周りの旧家はほとんど(全部?)武田遺臣ですよ。うちは有名な方ではないですが武田24将の
子孫の方もいらっしゃいます。江戸初期はみな移ってきた藩の仕事をしていたようですが武士にはならずに庄屋ですね。
この辺の事情はどうなってるのでしょうか?
どうやら自称が多くて何とでも大法螺を吹ける連中ばかりだな
信憑性のある本物の庄屋子孫はここでは見当たらないな
639 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:19:14
>>638 えっ!?ここはネタスレだよ・・・
知らなかったの?
>>638 あちゃちゃちゃ〜〜
ここのレスを今まで真面目に読んでたのかよ ( ´Д⊂ヽ
641 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 02:18:54
俺の一族は橘家なんだが?
642 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 02:27:36
円蔵かい?
643 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 02:31:13
おそらく祖先は橘諸兄の末裔
いや、姓氏は結構朝廷から与えられるもの。
続日本紀読んでみ?俘囚に物部氏を結構与えている。
そのような状態で、橘姓も与えられている可能性はある。
645 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:42:20
庄屋マンセー
646 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 09:36:15
>>647 のお嬢さんはテレビ東京の「日本の旧家のお嬢様」で特集されていたらしい。
没落していない庄屋もあるんだねぇ。
運がよいな。やっぱり地域によって差がかなりあるんだろう。
650 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:22:25
かなり田舎なんじゃないか?うちの近辺なんて中途半端に東京に近い(長野県)から庄屋連中はみな東京に行ってしまった。
若者も・・・残るは年寄りと庄屋の分家(又、たちが悪いんだよね。プライドだけ高くて本家面)
651 :
9代目:2005/07/12(火) 17:31:11
僅かに残った土地さえも、田舎ゆえにその価値が無一文なのは痛すぎるw
そもそも可笑しな話で、不動産価値云々の話にさえなっていないんじゃないか。
田舎故に需要と供給の概念がないから、土地に価値そのものがついていない。
つまり、売る人も買う人もいない。
大土地が残っていれば、現代であれば大規模農業ができたんだろうけど。
戦前は高額納税者に大地主が名を連ねていたみたいだね。
そういえば以前見たNHKの特集で、北海道の農家で小麦の定期生産に成功して、
経済的にかなり成功している家庭を取材していた。
2代かけて基盤を作ったってね。見るからに下賎の出だった。
保有してた土地はたった20ヘクタール…。
653 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:00:22
うちには江戸時代は名主と務めていたんだけど
百姓家にも関わらず古い銭箱がある。
祖父の話では現金で納められた年貢の管理に使ったらしいのだが…
年貢って普通は米で納めるんじゃないの?
この話しはどうも嘘くさいけど銭箱を何に使ってたんだろう…
654 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:06:12
昔の庄屋は飢饉に備えて、多いところでは数千両くらい
蓄えていたところもあるよ 壁に塗りこんで隠していたところもある
655 :
653:2005/07/20(水) 22:54:33
お家騒動で丸ごとあぼーんさせられて、落ち延びた先で庄屋になった家の子孫の漏れが着ましたよ
元は家老職だったらしいが、落ち延びた先では代書人か何かやって蓄財したらしい
まあ、漏れの前三代で没落して、漏れに残ったのは由来と家伝ぐらいだけどね
唯一残った持ち山に高速が通る!って騒いだら、実はとなりの山だったり(;´Д`)
あの山継ぐ事になるのかなあ・・・何にもないど田舎の山
あ、後漏れが生まれる前になくなったばーちゃんの石碑があるか・・・台風で傾いて修理費約100万と言う(;´Д`)
でもばーちゃんの偉業は親・親戚からさんざ聞いてるから、あれだけは大事にしたい、子孫として(`・ω・´)
(´;ω;`)ウッ
658 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 01:45:54
ウチの曽祖父は家系図作って生計立ててたらしい本職は掛軸とか茶碗とか売ってた。
で全国の郷農とか成金相手にボリまくっていたと婆ちゃんから聞いた
蔵に胡散臭いものあったらウチのひい爺が売ったものかもしれない…
ひい爺ちゃんに代わって謝るよ
;゜д゜)<「騙されたアンタが悪いんだよ」
>>656 >お家騒動で丸ごとあぼーんさせられ
何藩?
>>658 御約束のように臨済宗、戒名は今度調べとく
>>660 それ言うとどこか分かっちまうんで
まあ、もうもとの土地には縁者ぐらいしかいないけどね
662 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 08:06:34
>>戒名のことなら俺に聞け!
少しはわかる・・
臨済宗だけだとあれなので調べたら妙心寺派だった
でもどの派だからどうだってのはあるんだろうか?
と、スレチガイ気味でスマソ
664 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 17:37:59
はじめましてです。
うちの先祖は名古屋の庄屋で、代々続いた造り酒屋だったけど、
婿養子に入ったひいひいじいちゃんが仕事もせず飲んだくれて破産。
お約束のように北海道へ移住しました。
酒好きの血だけは子孫へ受け継がれているようです。
>664
一族子々孫々に名古屋弁は残ってるかな?
加えて、
正月の雑煮や、お味噌汁はどうかな?
>>663 このスレには意味ない変な横槍入れたりする人がいて、
俺はそういう人は相応しくない人間だと感じてここを見てる。
で、あんたの書き込み、俺的にはぜーんぜんスレ違いじゃないよ。
面白いことがあれば、また書き込みして。
俺も気が向いたらまたするから。
668 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 23:38:24
>665 666
祖父だけ名古屋弁だったような。
名古屋弁をの〜んびり、ゆ〜っくりしたかんじ。
天国のおじいちゃ〜ん、孫は元気だよ〜!(おっと、脱線しかけた)
味噌は白味噌、お雑煮は関東風かと。
669 :
662:2005/07/29(金) 00:09:50
宗派が臨済宗だから武士だとか、そういうのはあんまり関係ない
村人は宗派に関係なく村にある寺の檀家とされたから、村役人も水呑も同じ寺の檀家に
なってたからね。
戒名は明治以降には院号なんかは乱発されたから、明治のは参考にならない
>>661 墓石は残ってる?墓石にも流行みたいなのがあったから。
角柱型だと江戸中期には遡れないよ。
>祖父だけ名古屋弁だった
へえ!おもしろいし、興味深い。
八雲町というところは愛知の開拓民の子孫の町で
今でも名古屋弁残っているというが、真偽のほどは知らない。
>白味噌・関東風
そうか・・・ご先祖の方言は歴史となり、
八丁味噌は白味噌、雑煮には里芋・かまぼこ・椎茸・鶏肉等、となっていくのか。
北海道に馴染んでゆくんだね・・・これもとてもおもしろい。ありがとう。
昔NHKでやってた4代で方言が消えたって番組は事実だったんだ。
671 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:54:37
>670
こちらこそ興味を持って頂けてありがたいです。
ネットも歴史も初心者ですが、今後ともよろしくお願いします。
>>669 うちは江戸時代から
○○○院○○○○居士
だったよ。
他にも「〜院殿〜神儀」とか「〜院〜大居士」っていうのが大昔にある。
戒名って誰でも平等じゃないの?
>>672 >うちは江戸時代から
>○○○院○○○○居士
>だったよ。
庄屋でもなかなか院号にはならんよ
苗字帯刀御免レベルでようやく院号、並の庄屋で居士、並以下で5文字+信士
で、おまいの先祖がホントウに庄屋ならソースよろ
って思ったら
>他にも「〜院殿〜神儀」とか「〜院〜大居士」っていうのが大昔にある。
ネタにしてはイマイチ
新平民や水呑百姓の子孫はもういいから
674 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 13:21:18
>>673>>苗字帯刀御免レベルでようやく院号、並の庄屋で居士、並以下で5文字+信士
苗字帯刀の大庄屋でも院号は厳しいよ。。。地方によるけど・・・うちの近くだと有名な戦国武将の子孫は村役人やってなかったけど
院居士ですね。。。ただの農民に院居士とは恐れ入りますけどね。これが血統というものなのでしょうね。
戒名ネタ面白いね。続けてくれい。
>>674 あ、ちょっと気付いたのがあっから反応する。
その戦国武将の子孫は帰農するまで院居士付けてたのでは、
江戸時代には農民に院号、居士、付けるのは禁止されたけど、
それまでに付けていたのであれば問題なかったらしい。
677 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 18:46:28
で、
>>672のはネタなの。神儀は居士、信士とかの位号とは違うよ。
ってか、ほんとにそんなの付いてるの?
武士の場合でも江戸初期には院号は少ないよ。大名でも院号なしがあるからね。
それで後世に院号を付け足すんだよ。
戦国武将の戒名が院殿、大居士とか立派なのはまさにこれ!
戦国大名クラスでも○○○○居士とかは普通だと思う。忍城の成田氏とかはそうだった。
豪農クラス(庄屋とか)でも先祖の戒名に子孫が立派なものを付け足すのは珍しくない。
だから過去帳の戒名じゃなくて墓石の戒名の方が重要!
まあ、その墓石も供養塔だったりするから墓石の形態をよく見た方が良い。
678 :
662:2005/07/29(金) 19:02:23
↑677書いたのは662ね
あと戒名は地域、宗派とかで違ってくるよ。
○○禅定門が昭和になっても残ってる所もあるし。
江戸初期だと庄屋クラスでも○○禅定門が普通だった。これに子孫が居士とかを
付け足して○○○○居士とかにしたのは多い。墓石をみれば供養塔かどうかわかるけどね
普通の庶民(一般農民)が墓石を建てるようになるのは、豪農クラスより当然遅い時代になる
庶民が墓を建てるようになる時期は、これも地域によって差があるけど1680年とか1700年頃かな?
もうすぐお盆だけど、墓参りに行く人は墓石の形態とか見るといいと思うよ。旧家なら特にね!
679 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 22:44:34
>>676そこの戦国武将は院殿居士ですね、その武将の息子はあんまり有名じゃないので院居士その子供(3男)が帰農し代々院居士他の兄弟は旗本になったりしてる。寺に行くと大きな金属の位牌がたくさん飾ってあるけど禅宗のせいか居士が多い。
680 :
662:2005/07/29(金) 22:50:42
三連投
歴代の戒名を刻んである薄い板状の石⇒どこの家の墓にもあるよね。
戒名碑とか墓碑(変な言い方だが・・)とか言われてるやつ
あれに刻んである戒名と、実際に古い墓石に刻まれてる戒名とが違ってることは結構ある。
以前に金で戒名を買ったりしてるから。
○○院殿○○○○大居士(大名、大身旗本が使ってた。女は大姉、大大姉はない)
○○院殿○○○○居士(千石以下の旗本なんかはこれが多いかな)
○○院○○○○居士(江戸期の豪農クラスでも使ってる場合がある)
○○○○居士(豪農クラスで使う例が多い。女は大姉)
○○○○信士(居士より格下の位号。豪農クラスから一般農民まで多く用いる)
○○○○禅定門(一般的に信士よりも格下の位号。江戸後期には少なくなる。女は禅定尼)
○○信士(道号が付かない。○○禅定門と共に、1700年代前半までの主流のひとつだと思う)
○○禅定門(道号が付かない。1600年代後半まではこれが多い。豪農も江戸初期はこれが多い)
旗本の戒名でも時代と共に長くなってくる。院(殿)号は江戸初期には少ない。
江戸時代の場合、豪農でもずっと信士を使ってる地域があったり、また他の地域では
院号を多く使ってる家があったりといろいろだと思う。
庄屋(名主)でも成り上がってる家は、墓石が江戸後期になって急に立派になったりとかあるw
由緒ある旧家が少ない地域だと、どの家も墓石が平均的だったりする。
逆に少数の家に多くの墓石が並び、多数の家は幕末か明治頃まで墓石すら
ないような地域もあるな。
681 :
662:2005/07/29(金) 23:04:05
三連投じゃなかったw
>>679 その戒名は後世になって院号を付け足したりしてるんじゃないかな?
位牌に戒名も本来のものより立派になったりしてるの多いから。
大身旗本でも江戸初期は○○○○大居士が多いよ。院号は付かない。
で、672さんは679さんなの?
俺がレスしたのは662・669・677・678・680だけど
>>662 色々と書き込みさんくす。興味深いよ。
戒名をただ信じるだけじゃなく、
ちゃんと墓石の様子も見た方がいいってことだね。
この夏、ちゃんと観察してくるよ。
ところで678で気になったことがあったから、聞かせて欲しい。
子孫が居士とかを付け足して○○○○居士とかにしたのは多いとあるけど、
それは院居士でも考えられるかな?
あと、そういう付け足し行為は宗派によって制限があったりする?
格式が高い宗派と低いのでは違うのかなと思ったんだけど。
683 :
682:2005/07/29(金) 23:40:43
こうやって考えるとまた疑問が出てきました。
662さんはかなり詳しそうなので、もし何か知っていたら教えて下さい。
庄屋による院号位号の位牌への書き換えは、過去の全ての戒名に許されたんでしょうか?
あと、680の戒名のランク付けは、宗派は臨済宗を元に考えてるんでしょうか?
俺のこれまでの知識だと、臨済宗は3つしか戒名を評価するパターンがなくて、
最高位が院殿居士、だと思ってたんですけど。
684 :
662:2005/07/30(土) 00:19:55
>>682 院号でもあるよ。
明治以降に先祖の戒名を飾る場合なんかは院号多いんじゃない?
宗派で付け足しの違いは?それはわかんねぇやw。ほら662で少しは・・ってあるでしょw
ただ、真言宗と曹洞宗に属する寺の墓石はみたけど両方にみられたよ(信士⇒居士)。
つーか、付近の寺は真言宗ばっかだよw
あと、寺によっては戒名をいじらせない寺もあったな。
この寺は大きな寺で由緒ある古刹だな。宗派はなんだっけか?曹洞宗だったかな?
>>683 例えば…先祖A(小領主クラスの有力武士)⇒先祖B(帰農した農民)⇒⇒⇒現在の子孫
この場合先祖Aは江戸時代から院号居士付きの戒名があっても不思議じゃないな
一応は武士だからね。
ただこの場合も先祖Aの本来の戒名は○○禅定門だったかもしれない。
上の戒名のランク付けは大体、真言宗が元になってる。
臨済宗でも基本は変わらないと思うんだけど・・
685 :
662:2005/07/30(土) 00:48:06
>>682 墓石の形と刻まれてる戒名を両方調べてみ。
江戸時代の墓石には舟形、角柱、自然石とか色々とあるから
旧家だと宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるかもね。五輪塔の場合もあるね。
地域によっては自然石ばっかりの所もあるよ。旧家のは大きな自然石だったり・・
1700年前後の古い墓石は舟形が主流だよ。板碑に似せたのとか、仏像を彫ってあるのとか
色々有るね。1700年代後半には造られなくなって、主流は角柱型に移っていく。
角柱型は現在の墓石に似てるやつね。1700年代中頃以降に多くなる。
これはあまり古い時代には遡れないから、この墓石に元禄○年没、○○○○居士
とかあったら供養塔だね。
江戸後期になると、富裕な家に多いのが笠付角柱型。この墓石には居士とか多いんじゃない?
686 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 01:13:43
農地改革万歳!
どうもw
>>684 おお、返信サンクスです。
あなたの書き込みがきっかけで、
今戒名についてネットで少し調べてみたんだけど、大分理解が進みました。
サンクス。
ところで、松山藩初代藩主は院殿大居士(臨済宗)となってました。
江戸初期だから、法則によると付け足しってことですかな。
最後に、俺があなたから得た認識が合っているかどうか、少しだけ確認したいです。
680の戒名は、江戸初期の戒名ランクと現在の戒名のが混じってます?(だから俺は分かりにくかったのだろうか)
次。結局、位牌への戒名の付け足しは、
それ相応の家格あるいは基盤がないと駄目だったってことでしょうか?
>あと、寺によっては戒名をいじらせない寺もあったな。
>この寺は大きな寺で由緒ある古刹だな。宗派はなんだっけか?曹洞宗だったかな?
>上の戒名のランク付けは大体、真言宗が元になってる。
>臨済宗でも基本は変わらないと思うんだけど・・
うちは臨済宗(※大徳寺派)なんで、ここらの部分かなり知りたい所です。
位牌の戒名は全部院居士なんで、書き換えでしょうか。
ただ、うちは9代目でそこまで歴史があるわけではないので、
時代で考えれば1代目の時は院居士が普通だった可能性も否定できないですけど。
江戸時代において、寺から与えられる戒名がどういう風に変化していったか知らないので、何とも言えないですね。
まあ、お盆の墓参りを楽しみにします。ちなみに、墓参りでこんな気持ちになるなんて初めてですw
例えるなら、初めての海外旅行する時みたいな気分。
日本史は大っ嫌いな科目でしたけど、歴史は結構面白いかもしれんですな。
>>685 ほとんど全て、何が書いてあるのか分かりませんw
ただ4行目に関しては、俺は見せてもらっていませんが、
父が言うには本家の方の墓石はかなりデカイと聞いています。
聞いた話から分析すると、岩みたいなんじゃないかと予想します。
688 :
687:2005/07/30(土) 02:26:09
689 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 04:31:13
690 :
9代目:2005/07/30(土) 12:24:08
つーかいてもたってもいられなかったので、父に電話して聞いてみました。
家の墓石ですが、全てに院居士・院大姉がついているそうです。
本家の菩提寺には、横幅1m高さは背丈以上の、何やら色々と文字が書かれた岩石が置いてあるそうです。
俺はそれが墓石なのか?とさっきまで思っていましたが、どうやら違うようで、その岩石の横に墓石が並べられてるようです
で、墓石に院号位号は、江戸時代に入ってすぐ付いたようです。
父の話では、それ以前に俺達の祖先は寺に貢献をしたそうですが、
それまでは院号とかを付けるのは一般的ではなかったようで、つくのは江戸時代に入ってからだそうです。
ちなみに、うちの墓石は本家の菩提寺には今ありません。
俺、かなり無知でしたわ。今の今まで、こういうこと全然知りませんでした。
父は元々仕事人間で、こちらからピンポイントで詳しく聞いてやらない限り、核となる情報を言わない傾向があります。
今回の件だって、父は昔から凄いんだぞ凄いんだぞと言うだけで、どう凄いのか説明をしっかりと言ってくれませんでしたから。
こうやって俺が詳しく聞き出そうとして、初めて教えてもらいました。まあ父はそういう性格なんです
結局、俺が父に家のことを詳しく聞いたのも、戒名というものがあるんだと知るようになったのも、全部ネットのお陰です。
今回の機会がなかったらどうなってたんだろう…。無知とは恐ろしいもんです。素で。
まあこの夏、色々と楽しみが増えました。色々と話を聞いてたり見てきたりします。
691 :
662:2005/07/30(土) 13:36:04
689さんのレスで思い出した。法号の上に「清」を入れて上位の戒名とするのがある。
ただこれは男女問わず用いたもので、例えば「○○清信士」とかね。これは結構用いられてるな。
あと、禅定門(尼)の上位に大禅定門(尼)があるけど、大姉の上はない。大姉は大師とする事もあるけど
細かすぎるかw
>>687 もちろん戦国時代でも院号は使われてたよ。ただ使用頻度はそれほど多くないだろうな。
大居士も少ないな。小土豪クラスだと○○禅門(尼)、あるいは○○禅定門とかだな。
この小土豪クラスが帰農して庄屋(名主)とかになる階層。それと、この時代に信士(女)は少ない。
江戸初期の大名の場合は、院号が付くか、付かないかは色々だと思う。
ただ家臣や子供なんかが、院号を追贈してもらったりするのはある。院号付きの墓石があっても
供養塔の場合があるな。○○○○大居士⇒○○院殿○○○○大居士、みたいに。
戒名の付け足し⇒もちろん先祖の戒名に居士などの上位のものを付けるには家柄や財力は必要だよね
明治以降(特に戦後)は関係なくなってくるけど。
680の戒名例⇒江戸時代の大まかな目安だと思ってくれ。現代のは参考にしてない、関係ないよ。
もちろん、戒名は時代が下がるにつれて長くなったり、位号のランクがアップしてくる。
ひとつ勘違いしてると思うんだけど、各家の宗派と家柄とかは全く関係ないよ。669のレス読んだ?
江戸時代には宗派というのは選べなかったんだよ。強制的にその土地の寺の檀家とされたからね。
村鎮守の神主(苗字帯刀。各村々に居たわけではない)でも寺の檀家にされてたんだよ。基本的には。
臨済宗の戒名の付け方⇒
>>680のと同じと思って良いと思うけど、図書館で本を見た方が良いかもね。
位牌の戒名の書き換え?⇒まずは墓石を見る事!それと比べて来てみ。墓石の形態もよく観察すること!
墓石の形態の事だけど、ネットで調べるのは限界が有るな…。石屋のHPにも、ろくなのしかないしw
図書館で郷土史なんかを見てみ。どこの町のでも良いから、石仏を調査してのが刊行してあったら形とかは
よくわかると思う。江戸期の墓石について調査してるのは少ないけど、石造物の形態は石仏も墓石も同じような
ものだから。
692 :
662:2005/07/30(土) 14:40:44
檀家制度スレで見つけたが、ここに勝るHPはないかもしれない
http://chiba.cool.ne.jp/douhyouoyazi/tyouseimura/hakaisi.html 長生村の石造物
これを見れば墓石の形態とかはある程度はわかると思う。
側面の写真がないので、その点ではわかりずらいが…
光背型刻像塔と板碑型は舟形の墓石のはずだ。舟形と言うのは、船を真ん中から
半分に切ったような形で、上部が尖ってて下部が膨らんでいる。
舟形は大名の建てた巨大な墓石から、一般庶民の小さなものまで幅広く造られた。
これは寺墓地や共同墓地、個人墓地に限らずよくある墓石だね。
ただ、自然石の墓石が多い地域では少なめだと思う。地域差はあるな。
>>690 庄屋で「全てに院居士・院大姉がついている」ことはほぼありえん
それにおまいは分家なんだろw
分家ならなおさらありえん
>>691 おまいはまず文章を推敲することからはじめれや
縦読みから思ったぞ
694 :
9代目:2005/07/30(土) 18:42:41
ここに大きな前提を置きます。
父はその立場より、歴史に触れる機会から離れている人間でしたが、まさかここまでとは思いませんでした。
父が本家の菩提寺に行き、墓石を見たのは、父が大学生の時が最後です。
そして、父は現在、60歳を越えています。
その前提の上で、話を進めます。
どちらにせよこの夏の墓参り等により、全て判明することですが、書き込むのは面白いことですから進めます。
今日一日で、大まかなことがほぼ全て理解できました。
疑問が出る度、父に聞きましたから。
理解できたことは、戒名と宗派、そして檀家制度の成り立ち。
まず第一に、私達の祖先が土着した地には、すでに寺がそこにはありました。
そして、どうやらその一代目が、その寺を建て替えたそうです。
墓石にある戒名は、私達の戒名より相当立派なもので、10文字以上あったようです。
ちなみに何度も書きますが、私達分家の菩提寺は臨済宗(大徳寺派→妙法寺派)ですが、変わっています。
695 :
9代目:2005/07/30(土) 18:44:57
>>691 色々と糸口を示してくれてありがとう。非常に助かります。
あと、できればsageでスレを上げないようにして下さいませんか?
自分は何も語らないのに、横槍しか入れることのできない人が湧きますんで。
>もちろん戦国時代でも院号は使われてたよ
正確には、戦国時代以前にも使われていたようですね。
>院号付きの墓石があっても、供養塔の場合があるな
うちの墓の特徴を挙げるなら、古い石版のようなものがあるということです。
そこにずらっと戒名が書いてあります。
他に2つほど墓石があったような気がしますが、石版も含めどのような形態か見てきます。
>ひとつ勘違いしてると思うんだけど、各家の宗派と家柄とかは全く関係ないよ。669のレス読んだ?
家柄と宗派の関係が無いというのは、父の話を聞いて理解できました。
つまりは、誰でも好きな宗派を選べたのですね。
私は百姓が浄土真宗ばかりなのは、百姓が下賎な者だからと思っていましたが、この認識は全然違ってました。
要は、武士や百姓の経済状況や権力の違いにより、選ぶ傾向の宗派が違ったということだけで。
696 :
9代目:2005/07/30(土) 18:45:40
>江戸時代には宗派というのは選べなかったんだよ。強制的にその土地の寺の檀家とされたからね。
>村鎮守の神主(苗字帯刀。各村々に居たわけではない)でも寺の檀家にされてたんだよ。基本的には。
つまり、檀家制度が成立した時に周りの住んでいた人は皆、
本家一代目が建て直した寺の檀家になったということでしょうか?
ちなみに、檀家制度が成立するまでは、寺の檀家となるのは任意でしたよね。
ですから、本家の他にもその寺の檀家となっていた家があるはずです。
これは俺の想像なのですが、いくら強制だからと言って、
来るもの拒まずで寺が民衆を受け入れたとは思わないのですが。
宗派の中では、臨済宗が最も高い格式ですよね?
それに、宗派ごとの特色もあります。
南無阿弥陀仏を唱えていれば極楽浄土にいける浄土真宗。
かたや、精神世界の鍛錬を通して仏を感じることを目的とする臨済宗。
それに、本家の地域には他にも寺があります。
ですので、多くはそっちに行ったと思いますけど。
>>まずは墓石を見る事!それと比べて来てみ。墓石の形態もよく観察すること!
了解!!
このアドバイスは本当に参考になりました。
父と母んとこ全部調べてきます。
697 :
9代目:2005/07/30(土) 19:02:35
すいません、認識間違いです。
妙法寺→妙心寺
です。
それにしても、間違った認識で打った文字なのにまさか変換できたなんて…。
698 :
672:2005/07/30(土) 19:06:57
うは!かなり人いるね!
実はうちの先祖は戦国大名らしい。
ここの板に一応スレも立ってますW
ソースとして画像をアップしようと思っているのだけれど
どっかいいアップローダない?
699 :
9代目:2005/07/30(土) 19:32:31
うーん。
694の書き込み、ちょっと分かりずらいですね。
要点を纏めると、690での、
本家の墓石に院号位号が付いたのが江戸に入ってすぐいうのは、
父のまったくの出鱈目、勘違いです。
まあ、俺がそういう風な認識で父に話を聞かせろと迫ったので、
歴史から離れていた父はそのように答えてしまったのかも知れません。
俺が再度時間を置き、父に電話した時に父が訂正を入れてきました。
つまり、本家一代目の墓石には、すでに立派な戒名が付いていたということです。
父は院大居士だったかも知れないと言っていますが、
こればかりは再度見にいかないと判断できませんね。
>>698 http://www1.chironoworks.com/love_storm/link/
700 :
672:2005/07/30(土) 19:56:06
701 :
9代目:2005/07/30(土) 20:20:50
>>700 うぉぉ…
(・∀・)イイ!! 展開。
火事かぁ、うちの本家は屋敷ごと江戸時代中期に全焼したって話ですね。
2番目のなんか殿〜神儀ってすげぇですな。
大和尚とかあるけど、もしかして何かの寺関係でしょうか。
ところで、位牌のupは流石に無理ですか?
702 :
672:2005/07/30(土) 21:01:49
>>701 2番目の人は生前に寺を建立して出家したらしいからその関係ではないかな?
本当は「〜院〜大居士」みたいに立派なのがあるんだけど
字が読み取れないとこが多々…
位牌は火事で仏壇と共に完全焼失…orz
墓石にはしっかり彫ってあるから大体の先祖の戒名は分かるよ!
蔵に入っていた古い物は助かったけど家系に関するものは過去帳くらいしかない
703 :
日本@名無史さん:2005/07/30(土) 21:48:43
672さんの過去帳で、2番目の人は初代だそうだけど亡くなった年代はわかる?
神儀というのは戒名ではなく、位号の下に付けるもので霊位より遥かに上位のものだね。
でも過去帳だから、なんともいえないかな。
○○寺殿は院殿と同じ様なものだと見ていいと思う。大和尚は修験者にも付けられる。
寺の住職の戒名(法名)だと、「権大僧都○○法印和尚」みたいなかんじ。
3番目の戒名に「釈号」があるから浄土真宗なんだね。
9代目さん、檀那寺は誰でも好きな宗派を選べたんじゃなくて、選ぶ事は出来なかった。
あと帰農した有力農民が、江戸初期に寺を創建した例はかなり多いらしい。
それで、後に一般農民がその寺の檀家にされたりもあったよ。
俺の近所の寺で一般的な農民の戒名の推移はこんなかんじだね(真言宗)。
1680年頃・二字禅定門⇒1700年頃・二字信士も多い⇒1750年頃・道号が入り四字信士も多くなる。
または二字清信士なども。禅定門は少ない⇒1800年以降・四字信士が定着。幕末まで変わらず…
近くに臨済宗の寺はないな・・
704 :
9代目:2005/07/30(土) 22:49:03
さっき、さらに父から話を聞き出しました。
それを元に書いていきます。
ここで一つ。
分家というのは江戸時代に入ってからの習慣のようですね。
それまでは、他の人達は寺に入り僧となるのが一般的だったそうな。
私は9代目でありますが、私の家が初めの分家だそうです。
2つ。
うちの祖先は、元々臨済宗大徳寺派でした。
今の地にも、臨済宗大徳寺派の寺がありました。
ですが、そこは庵のようなところだったそうです。
そこを寺にしたのが、本家一代目です。
>>702 火事で焼失とは…。それは本当にお気の毒なことです。
うちの本家の屋敷も元禄時代に焼失しましたが、位牌は無事なようでした。
ただ、一番大事な家系図が燃えてしまったそうです。
しかし、幸い再び復元することができたそうです。
>703
好きな宗派を選ぶことが出来なかったとは、
つまり各々の宗派の特色にどうしても合わなかった人がいたため、
各々が望めば自由に選ぶことはできたけど、
現実にはその宗派を選んでも意味がないから、選ばなかったということでしょうか?
705 :
662:2005/07/31(日) 01:31:42
幕府は檀家制度によってキリシタンを取り締まった。これで菩提寺と檀家の関係が出来たけど、
信仰の問題じゃなくて、強制的に近くの寺の檀家にされた。今まで説明が足りなかったね。
だから、臨済宗でも色々な階層の人が檀家という事になる。
704のは、まさに江戸初期に有力者が建てた寺って事なんだろうね。703は俺が書いた。
9代目くん
だらだら長い文章を書き、
自分の先祖自慢をするのは知識があればバカにでもできる
信頼度1%未満
黙って672の
>>700みたくうpしろ
話 は そ れ か ら だ
707 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 18:33:02
>>700 ウチの本家の(一族墓地)墓地には、寛永期の自然石・万治期の宝篋印塔とか江戸初期の墓石が
有るけど、過去帳には江戸中期に没した人物からしか記載されてない。
で、よく見てみると江戸後期にまとめて戒名が書かれてるのがわかったな。
今、俺が住んでる場所は本家からは離れてる。祖父の時に東京へ分家(昭和)したから。
それで、一族の墓を調べるのに約3ヶ月毎週末通って、約7割方を一気に調べたんだけど、
墓を調べんのって結構大変だよw
墓石には供養塔(後世の造立)もあるから、墓石に刻まれた戒名が本当にその故人の戒名なのか
確認しないとね。それは墓石の形態でわかる事が多いな。
708 :
672:2005/07/31(日) 19:22:15
>>703 2番目の戒名は永正年間だったかな〜?
まぁ、あとから格を上げたものだと思うけどね。
うちは昔は曹洞宗だったけど戦に負けて帰農するときに浄土真宗に改宗したそうっす!
>>707 墓石の調査は少しづつだけどやってるよ
寛文年間の墓石には梵字で何か書いてあるけど意味不明。
宝永年間の五輪塔のにはしっかり戒名も彫られてる!
新しい墓石から読んでるからまだ奥のほうの古いのは見てないけど
一番古いのは元和年間の仏像(?)が彫ってあるやつらしい。
709 :
9代目:2005/07/31(日) 20:45:44
ところで、皆さんはどれぐらい系図を遡ることが証明できるでしょうか?
うちはどうやら、遡りまくれるようです。
以前父から家系図を見せてもらったのですが、俺はこれをパチモノだと思っていました。
ネタかと思うほど名前が書いてありましたし、父もこれは嘘じゃないから信じろ、としか説明してくれませんでしたから。
ですが今回、再度父から話を聞き出し、この家系図は本物だし、確かに我が家の物だということが分かりました。
ちなみにこれは私の一族だけでなく総合的に考慮されており、他の一族が持っている系図と全て合致するようになっています。
もちろんこの系図は、私達が盲目的に本物だと信じる類のものではありません。
これはちょっとやばい事実です。ここからどう成り行きが進むのか想像できません。とりあえず、某寺に申し入れをしてみよう。
>>705 色々と教えて下さり、ありがとうございます。
>幕府は檀家制度によってキリシタンを取り締まった。これで菩提寺と檀家の関係が出来たけど、
>信仰の問題じゃなくて、強制的に近くの寺の檀家にされた。
近くの寺ですか…。こういった場合はどうだったのでしょうか?
例えば、歩いて5分のところに臨済宗の寺があり、歩いて半日のところに別の宗派の寺があるとします。
こういった場合、昔の感覚で言えば、歩いても問題ないですよね。
そういった場合は、村人は別の寺に行ったのではないでしょうか?
あともう一つの予想は、檀家制度が施行された時、臨済宗の寺にはすでに檀家が一定数いたと思われます。
その檀家達は、他に寺がなければ受け入れるが、あれば拒否し、他に行けと言ったのではないでしょうか?
>704のは、まさに江戸初期に有力者が建てた寺って事なんだろうね。
本家は20代以上続いています。
710 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:10:11
707また名前を入れ忘れた。墓を調べるのにモタモタしてたのは、不慣れなのと他姓の墓地も見てたから。
その後、ペースを落として大体は調べ終えたけどね。古い墓石は読み取れないのもある。
>>708 仏像が彫ってある墓石というのは舟形かい?692のHPにあるような。
舟形は横から見ると、上部が細くなってる石塔ね。1700年代前半まで主流の墓石。
五輪塔は旧家の石塔で普通の家にはないな。墓地の中に自然石の墓石ってある?
>9代目さん
檀家制度によって全国の寺院の数は急増した。檀家制度が確立されて、一般庶民も近くの寺の檀家になり、
死後には戒名が付けられ、更に墓石を建てるようになった。その年代は元禄(1688〜1703)前後ね。
寺墓地にある各家の墓石を見たらわかるよ。その頃の銘が一番古いかも。地域差はもちろんあるけども。
かつては一族の者だけの菩提寺に、他の村人も寺檀関係を結んでいく…臨済宗も例外ではないよ。
寺がない場合は新しく開創した。だから檀家制度によって生まれた寺は多い。
俺が今住んでる土地は、旧名主(庄屋と同意)Y家でも古い墓の年代は他家と変わらないな(1680年頃)。
戒名の付け方も
>>703のと大体同じ。この土地(旧村)には有力な百姓はいなかった。
Y家も江戸後期は名主職を世襲してたけど、かつては平均的な本百姓だったろうな。そういう土地柄。
各家の江戸期の墓石には、苗字が入ってる墓石がある。全部の家で確認(約60戸)!平均的で平和でしょw
711 :
662:2005/07/31(日) 23:21:25
>>710 名前入れ忘れたと言いながら、また忘れてた。。。
俺の住んでる所は天領だった(かつては旗本領)。周りには旗本領が多かったけど。
本家のある所は山村だから身分階層の激しい場所!!
幕末か明治の墓石が一番古い家も結構ある。
江戸後期には潰れ百姓になる家もかなりあった・・
>>709 だらだら長い妄想は他でやれや
ソースだせ
話 は そ れ か ら だ
713 :
9代目:2005/08/01(月) 00:43:29
>>711 こんばんわ。
なるほど、大体理解が進みました。つまりは、そういうことなのですね。
あと、本家の方に帰ったら、他の寺にも行って、土地柄を調べてきてみます。
この数日の調査により、もうほとんど疑問点は無くなりました。
あとは細々とした歴史を調べるのと、大事なことを自分の目で確かめにいくだけですね。
このきっかけを作ってくれたのは貴方のおかげです。ありがとうございました。
>>712 (・ー・)
よろしい。
まずトリップを付けて書き込みをしなさい。
ただ中傷するだけの無責任さなら、これからずっと無視し続けます。
トリップを付けて現れてくれたら、必ず対応します。
ただし、それ相応の覚悟をして下さい。
714 :
9代目:2005/08/01(月) 20:37:57
再度父と話をしました。
頂を見たような気がします。この気持ち、理解してもらえるでしょうか。
よほどのことでない限り、もう何かに捕らわれたりはしません。完全に一皮剥けました。
私の先祖に、自分の身を投げ出し、周りのために尽くした方がいますが、
この方の気持ちが今は分かるような気がします。
家柄とは何であるかを初めて感じた気がします。
私はこれまで家柄とは、
主として過去にどれほどの財産があり、
どれほど煌びやかであるかが重要であると考えてきました。
ですがそれは違ったようです。
私の一族を特徴ずけるもの。それは名門であるということです。
永代院号を与えられたのもそのためでしょう。
毎日暑いからね〜、お大事に。
716 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 00:17:01
9代目さんは結婚してるのかな?
717 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 11:51:50
俺の先祖は平田靭負って言う人らしい。
よう分からんが、何か殿様かなんかだって言ってけど知ってる人いる?
その人の先祖って誰だろ?
718 :
9代目:2005/08/02(火) 15:44:26
>>716 もう40近いですがまだ独身ですよ(^^;)
>>717 それぐらいググってきたらどうですか?
719 :
662:2005/08/02(火) 19:22:56
ここまで読んだけど
本物っぽいのは499さんと672さん
あとはソースもなく自称が多いwww
721 :
晒しage:2005/08/03(水) 00:54:34
9代目ってのが非常に痛いなwww
最初は
>>618-619こんなこと言ってたんだけどなwww
今度は
>>690 >家の墓石ですが、全てに院居士・院大姉がついている
→たかが庄屋ごときで全てに院居士・院大姉はつかんよwwwモロバレwww
>>694 >墓石にある戒名は、私達の戒名より相当立派なもので、10文字以上あったようです。
→大名クラスでも10文字はなかなかないぞwwwバレバレwwww
>>695 >誰でも好きな宗派を選べた
→バカかコイツはwww
仮に近所に浄土宗の寺があったとしてどうやって浄土真宗の檀家になるんだよwww
>>709 >(家系図)うちはどうやら、遡りまくれるようです。
→出ました子孫厨wwwどこにでも湧くんだなwww
あ〜コイツホント面白いなw
722 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:59:09
>>720 俺も含んでんのw
ソースというより実際に調べた体験から、俺はレスしてんだが…
それとも、先祖のこと?
それなら何も語ってないから、俺関係ないやw
多少の知識があればなんとでもいえるからな
724 :
662・722:2005/08/03(水) 01:12:10
あっ、また名前はいってねぇ!悪りぃ・・
>>723 好き勝手に言ってるわけではないんだが、
まあ、いいやw
井の中の蛙が一匹
毎日暑いからね〜、お大事に。
>>721 俺も9代目のレス読み返してワロタw
初代は10文字以上だとか全て院居士大姉だとかかなり痛いな
728 :
672:2005/08/03(水) 13:44:18
>>710 仏像が彫ってあるのは舟形だと思う。
そんなに大きくないし彫ってあるものも簡単な感じかな?
自然石の墓石はいくつもあるけどどれも寛政年間から
幕末にかけてのものばかりっす。
あと1600年代には無縫塔がほとんどで五輪塔や
舟形はそんなにないなぁ
無縫塔って僧侶の墓に多いって聞いたけど何でうちにあるの?
>>727 じゃあ聞くけれど、
もし仮に万が一本当に、全部に院居士院大姉がついていて、
江戸時代以前に本当に永代院号をもらっていたとするのなら、
それは一体どんな家なの?
そのような家が絶対に無いとは言えない筈。
どのような家だと予想するか、ぜひ意見を聞かせてほしい。
>>729 >もし仮に万が一本当に、全部に院居士院大姉
何度言えばわかるw
たかだか庄屋レベルでは全員に院号居士大姉は付かんw
それに栄枯盛衰があるのになぜ江戸260年間全てに付かなきゃならんのだwww
庄屋レベルで”全員に院号居士大姉が付いている家”は全国でも稀w
いまごろ国定文化財とかに指定されて公開されているだろうなwww
>江戸時代以前に本当に永代院号をもらっていた
永代院号www
リアルでバカですねwww
もうちょっと勉強したほうがいいぞwww
似たようなものに永代苗字帯刀ってのがあるのをご存知か?www
庄屋の子孫を自称するならそれぐらい知っているだろwww
これも名ばかりなんだがなwww
731 :
662:2005/08/03(水) 18:54:31
井の中の蛙?これまで一言も、詳しいとか言った事ないんだが・・?
>>728 もしかたら、708の元和年間の舟形墓石(仏像)は供養塔かもしれないね。
この時代(戦国末〜慶長・元和・寛永など)は、武家でも墓石は少ないと思う(築城ラッシュと関係ありか)。
672さんは山に近い場所の人?無縫塔は修験者の墓にも用いられるから、関係があるのかな????
個人的には無縫塔の墓石に興味がある。戒名はどんな感じですか?
山村の旧家で、無縫塔に「権大僧都○○○○信士」とかはあるね。
今俺が住んでる場所は東京近郊だけど、無縫塔はないなぁ。名主クラスでも由緒のある家は、ほとんど無いし
672さん家みたいな旧家はないね。地主連中はかなり裕福だが…家柄は…w
今、全て理解できた。
ここって、前提とする家柄のレベルがそもそも低いみたいだ。
>>733 だからその家柄のレベルが低いと言っている
そうだとしてもおまえの家柄よりははるかに良いことだけは分かってるなW
736 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:31:55
マッカーサー万歳!!
本家が旧国人領主で、九間出格子両袖長屋門なんだが、その程度ではダメか?
父方の祖母の家は真壁氏(佐竹の家老ではないので本流ではない)。
母方の祖先が伊勢国人領主の大内山但馬守(桓武平氏北条氏流)。
738 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 00:27:18
戒名の最後が釈士、法師っていうのはどういう意味があるのでしょうか?
ちなみに釈士のほうは無縫搭です。
>>737 その本家の方がどのような血筋を引いておられる方かは分かりませんが、
少なくとも旧国人領主というだけで相当立派な家柄だと思います。
旧家なのでしょう。家柄の無い華族よりも立派なのではないでしょうか。
大名>>>家老クラス>>>大庄屋>>>庄屋>>>一般武士>>>農民・町人・商人
741 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 02:46:23
>>740家柄と金で言えばね・・・・豪商ってのも上位に入るぜ。
例外もあるだろうが大体の目安
大 名 ⇒ 院殿大居士 院大居士 院居士 院信士
家 老 ⇒ 院殿大居士 院大居士 院居士 院信士 居士
大庄屋 ⇒ 院大居士 院居士 院信士 居士
豪 商 ⇒ 院大居士 院居士 院信士 居士 信士
庄 屋 ⇒ 院居士 院信士 居士 信士
武 士 ⇒ 院居士 院信士 居士 信士
農 民 ⇒ 居士 信士
町 人 ⇒ 居士 信士
商 人 ⇒ 居士 信士
部落民 ⇒ 豚・馬など醜い戒名か居士、信士すらない場合もある
743 :
737:2005/08/04(木) 18:41:25
745 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 20:05:30
基本的に出格子は武家にしか許されていないので・・・明治以後建設か改修と思われる。wいわれを教えて!
>>745 あ、そうか。
豪華だから良いという物でもないんだね。
749 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 02:38:44
>>747>>津領地士
というのは郷士でしょ。郷士と武家に準ずるは違うけど、小藩ならなんらかの理由で出格子が許されるのはあったようですが。
750 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 03:50:20
普通の町人や百姓が居士つけれるわけないだろ。
幕府は百姓や町人が院居士号つけることを一応禁止してるしな。
まあ金次第で買えるかもしれないけど。普通の町人や百姓じゃ多分無理。
あと差別戒名に馬や豚なんて漢字使わない。
751 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 03:54:38
750のアンカーは>742
752 :
742:2005/08/05(金) 04:18:47
>>750 >幕府は百姓や町人が院居士号つけることを一応禁止
ソースは?
>あと差別戒名に馬や豚なんて漢字使わない。
生前の生業にちなんだものを付けることが多い。
753 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 05:33:01
そんなことより大ボラ吹きの9代目が心配だwww
首でも吊ってなきゃいいがwww
756 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 15:32:58
大庄屋は広域支配,庄屋は原則1村支配
大庄屋は「役・組」系統,庄屋は「年貢・村」系統(志村洋が言ってる)。
幕領惣代庄屋はちょっと違うけど,藩領の大庄屋はだいたい↑に当てはまるはず。
757 :
662:2005/08/05(金) 19:01:40
名主=庄屋、割元名主=大庄屋。こんな感じ?
同じ名主(庄屋)でも地域によって、名家が多い地域と少ない地域は当然ある。
関東は他の地方よりも、由緒のある家は多いと思うが、地域差はかなりあるな。
>>738 法師という戒名は家の近所(平地)でも稀にあるかな(○○法師みたいな)。山村にも当然みられる。
釈士は全くわからない・・・
758 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:10:35
>752
差別戒名で馬とか豚なんて聞いたことないぞ。
革、僕、玄田とかなら知ってるが。
>>757 >>756と被るが庄屋があってその上に大庄屋が基本。
呼び名はその地域や藩によって異なるけどだいたいこんな感じ。
大庄屋
│
┌────────┬────┴───┬─────┐
庄 庄 庄 百
屋 屋 屋 姓
│ │ │ 代
┌──┼──┐ ┌──┼──┐ ┌──┼──┐ |
百 百 百 百 百 百 百 百 百 |
姓 姓 姓 姓 姓 姓 姓 姓 姓 |
代 代 代 代 代 代 代 代 代 |
┌┼┐┌┼┐┌┼┐┌┼┐┌┼┐┌┼┐┌┼┐┌┼┐┌┼┐┌┼┐
農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農農
民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民民
760 :
759:2005/08/06(土) 00:50:29
>>759の書き忘れ&続き
・小さい村だと庄屋はなく百姓代(百姓総代)が置かれる。
・一般的な村だと1村に1家の庄屋が置かれる。
・大庄屋はその村々の集合体に1家置かれる。
簡単にいうと、
百姓代は町内会長、庄屋は市町村長、大庄屋は都道府県知事。
庄屋と大庄屋を兼任することはない。
大庄屋がある村の庄屋はほとんどの場合、大庄屋の分家が庄屋となる。
また大庄屋は苗字帯刀が基本的に許される。
761 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:21:51
>>760天領に大庄屋は無い+庄屋と大庄屋に苗字帯刀以外の格式の違いは無いようです。婚姻関係などは平等のようです。
762 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 03:28:20
村方三役の残る一つ「年寄」ってのは?
763 :
759:2005/08/06(土) 03:48:02
>>761 >天領に大庄屋は無い
ある⇒
>>499氏
>庄屋と大庄屋に苗字帯刀以外の格式の違いは無いようです
ある
764 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 04:02:06
765 :
759:2005/08/06(土) 04:20:54
>>764 ちょっとは自分で調べたら?
>天領に大庄屋は無い
ある⇒
>>499氏の
>>504がいい例。
あとは"時国家"でググれ。
>庄屋と大庄屋に苗字帯刀以外の格式の違いは無いようです
ある⇒苗字帯刀がどれほどの意味を持つか分かるだろ
それを考えれば「格式の違いは無い」なんて言えないってばw
江戸時代の初めに、小さな山城の城主から大名主に落ちぶれた者の
子孫ですが、苗字帯刀でした。
家は戊辰戦争で全焼してしました。
>>766 家も○○から××へ落ちぶれましたが庄屋でした
藩名はちょっといえません(^^;
な〜んてのはちょっとの知識があれば誰にでも言える。
信用されたかったらソースをどうぞ^^
>>767 宇都宮氏族塩谷流ですとしかいえません。
これ以上書くと個人名がわかってしまうので出来ないのが悲しいです。
宇都宮氏スレにいます。よろしく。
>>768 清和源氏摂津流ですとしかいえません。
これ以上書くと俺も個人名が(ry
・・・と誰でも言える。
何でそんなに噛み付くのか、わからないね。
気に食わないならスルーすれば。
771 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 07:39:07
>>765天領は江戸初期に大庄屋があったが後に廃止。総代庄屋etc
格式についてはそれぞれとしかいえない。庄屋が交代で大庄屋やる事もあるわけだし寒村の大庄屋と豊かな地域での庄屋では財力も格式も違う。
772 :
662:2005/08/06(土) 09:08:17
>>762 名主(庄屋)⇒組頭(年寄・長百姓)、この下に監視役として百姓代が置かれた。
豊かな土地の豪農は、土地を集積して大地主に成り上がっていった例も多い。
山村の険しい土地には、中世以来の土豪が多く帰農したが、こういう土地は身分階層が激しい。
旗本領にも割元名主は居た。旗本領の名主だと、名字帯刀を与えられてた家は多い。
ただこの場合、(苗字帯刀の)権限を行使出来るのは限られた範囲内だけだった。
帯刀出来るのは、知行地と村との道中とかに限られてた。領主と会う時なんかはもっての外!
甲子園開会式か・・
773 :
662:2005/08/06(土) 10:41:28
>772 訂正(帯刀):江戸と知行地(村)との道中とかに限られてた。
墓を調べるのは晩秋が一番いいな・・。暑さと蜂には注意!! おいおい宇南・・・
774 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 11:24:52
>>773蜂はすごいね。熊蜂がぶんぶんいっててかなり怖い。。。
某スレ削除してくださった方、ありがとうございます。
ところで
>>742みたいなのが普通なの?
9代目とかいう人は全員が院号居士大姉とかいってたけど?
>>776 多分からのはネタだな
ソースを要求したら来なくなったしW
778 :
”削除”依頼板転載人@星猫:2005/08/08(月) 02:15:05
>>776 庄屋レベルでは院号なしで居士っていうのが普通。
一般武士ですら院号なしの居士が普通、ヘタすると信士っていうのもある。
だから全員院号居士大姉っていうのはありえない。
しかも、
>>618で
「庄屋の子孫です。分家ですけどね。」と言っていることから、
全員院号居士大姉っていうのはハッタリ。
>>778 なにが藤原秀郷の末裔だw
そんな奴が昼間っから2chとは笑わせるw
しかも連カキ上等で改行も句読点もヘタな読み辛い長文w
早世した伯父が自衛官で殉職したときに
大○院○○○空居士 だったし、
祖母が ○法○○大姉(霊位)だった。
名主の系譜は引いているが、寺は本貫地ではないし
純粋に国家への貢献度(殉職)と祖母の信心から
この名をもらっている。金積んで買った名前じゃない。
だから寺にもよるんじゃないの?
>>781 明治以降の院号にははっきりいって価値がないが
明治〜戦前の院号と戦後〜現在の院号はちょっと違う
価値高い 価値低い
明治以前>>>明治〜戦前>>>戦後〜現在
明治〜戦前には「家柄」などが重視された
この点は明治以前と変わりはない
夫が院号なら妻も院号、夫が居士なら妻は大姉が普通
ただ家柄に関係なく戦死者には院号を授与するのが一般的なので、
戦死した夫=院号居士、戦死した夫の妻=信女なんてことも珍しくない
783 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 12:29:13
>>772 年寄ってのは宮座関係じゃなかったけ?
近世初期は宮座の長=村の長みたいな感じだったけど,庄屋が設置されて以降は
政治=庄屋,祭祀=宮座に分化していったみたいな論文を読んだことが。
あいまいで論文名も忘れたしその論文も結構古かったけど。
784 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 12:35:16
あと,総代庄屋は庄屋兼任していると思う。
年番とか札入で組合村庄屋のうちから「総代」を決めるんだ。
だからこそ久留島浩はその自主性と総代性に注目したんだし。
ただし,大庄屋は756で言ったように庄屋とは支配系統が違うから,必ずしも兼任するとはいえない。
とはいっても庄屋の行政能力とか経験なんかで兼任する例は多いだろうし,藩によっては庄屋の上
という位置づけのもあると思う。
大庄屋は夫役徴発機能,庄屋は年貢徴集機能
大庄屋は広域支配機能j,庄屋は一村支配機能
ま,総代庄屋と大庄屋は似て非なるところいっぱいある。
>>700は身分はなんだったんだ?
士族なら院居士もわかるけど百姓身分でそこまでつくのか?
786 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 14:42:13
大きな神社の組織が複数の藩・天領に分割された場合でも、
伝統のある組織なら、藩などを跨いで宮座の支配が残る。
その上、農業水利権などが絡んでいたら、重層的な支配構造になって
非常に理解しづらいことがある。なので、一般論で片付けるのはかなり辛いのでは?
788 :
9代目:2005/08/09(火) 03:58:00
おさわがせしてすいませんでした。
俺はたんなる水呑百姓の末裔です。
すいませんでした。
789 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 04:00:41
うちは苗字帯刀庄屋だけど江戸時代は○○軒○○○○居士ですよ。幕末からは親戚は院号だが、うちは死んでない。。。明治になりばたばた倒れた(明治以後は院居士)。
>○○軒○○○○居士
○○軒?
聞いたことないなぁ
791 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 10:44:40
792 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 20:57:03
俺のなくなった祖父曰く、
庄屋をやっていた時期もあったって、言っていたが、
それは交代制の庄屋だったのかなぁ。
なんかよくわからん。w
有力な庄屋のランク付けって土地の総面積とかで決まるのかな?
田畑100町歩と山林100町歩とではワケがちがうだろうけど
庄屋庄屋いうが
たった1町歩の田畑山林持ちの庄屋もいれば
50町歩の田畑山林持ちの庄屋もいる
さすがに田畑100町歩の庄屋っていうのは
大名の数より少ないだろうけど
うちは山野田畑合わせて20町歩、大目に見ても23町歩くらいかな
詳しくはよくわからんが…
797 :
796:2005/08/11(木) 23:05:34
寛政年間のころの話だけど…
今は2町歩くらいしか…orz
そろそろお盆なので実家に帰省します
実家の本家はもう30代くらい続く庄屋で
墓参りに行くとビックリなのが墓の数です
五輪塔とかいっぱいあって25墓くらいあるんです
母方
戦国大名の三男が祖、大庄屋
本家現在14代
戒名、当主とその妻全て院号居士大姉、他兄弟概ね居士大姉
分家現在8代
戒名、院号はあまり無し、概ね全て居士大姉
江戸時代近隣の小大名が参勤交代の時、
屋敷の前を通る時に持ち物を下げたとの口伝えあり。
安永9年、当主周囲の反対を押し切り、30町歩に杉の木を植え、一族100年の計に備える。
明治に入り、県議会議員、村長歴任。
後に本家、自衛隊の駐留地候補として大土地を借金して購入、
しかし結局無駄になり財産の多くを失う。
で、お前さんは分家筋なのか?
本家が絶えそうになったときに跡目を継ぐ分家筋としての
体面を保ったのかそうでないのか明らかにするがよろし。
本家は女ばかりだけど、
家についての意識はしっかり持っておるようなので、
俺の代で考えることはなさそう。
でもなんかあったら、もちろん力になる。
>>799 小大名がたかが大庄屋(農民w)ごときの家の前を通るときに
なんで持ち物を下げる必要があるのかと小一時間
>>802 俺はそのように聞いた。
詳しく知りたければ、郷土史の方を訪ねてね。
>>803 本家はどちらにあるんですか?
院号居士大姉だなんて非常に興味があります
加西郡周辺ですね。
郷土史を調べれば、本家の名前が出てくると思いますが。
806 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:23:52
郷土史で苗字が勿論ついている大庄屋でした。
戦国時代では、とても名のある武将と戦った記録も残っています。
そして、戦前に帝国大学が我が家の文庫を学術調査しています。
その文庫は本家(本当は本家じゃないが養子としてきて、
すぐその後祖父が生まれています)が移住して連絡を取ってないので
行方しれずです。旧帝大の図書館に残っていても、難しい文章と推測されますので、
読み解くことが出来ません。資料は全て移住したほうが持っていても、
連絡する気にもなりません。伯父さんは明治後没落した小大名の末裔と結婚しています。
しかし、私の家も県庁所在地に移ったため、郷土史だけではよくわからないので、
現在郷土歴史家に我が家がどれくらいの権勢を誇っていたのか、帯刀していたのか、
外様大名が鞍替えしてきたので、帰農させられたのか、第二次大戦でとても有名な軍神に
なった方と我が家は関係があるのかを問い合わせています。連絡はFAXです。
お墓参りしても、門も残っていません。ただとても大きな昔の家があるのみです。
戒名の話題ですが、お墓にはお地蔵さんみたいなお墓もあります。形が変なのもあります。
ここ数百年のお墓は戒名があるようですが、皆さんのように詳しくないのでわかりません(古ぼけているので)
郷土歴史家からいつ連絡がくるかわかりませんが、連絡がきたらまた書き込みます。
私の質問は的を射ていないかもしれませんので、どのような質問が適当でしょうか?
聞いて欲しいことがありましたら、そのことも郷土歴史家に聞こうと思います。
戦国〜江戸初期の動乱で、主筋や本家・親類筋が武家でなくなってることも少なからずある。
それに近い特殊事例としては、
うちの近所では、新田開発で招聘した豪農(200町歩地主)が藩主の乳母を出していたり、
分家筋が武家に取り立てられたりしている。藩主が遊びに来た時の仮屋(今はない)もあったし、
藩主から客分の待遇を許されていたので、藩主一族でなければ、家老にさえ頭を下げる必要がなかったといわれている。
姓は伏せるが、出自は、豪農といいながら徳川一門(御家門)の藩の重臣で、さらにその本家は外様大名。
その他、豪商(材木商)で藩主の娘を嫁に取った本陣の家も特別な待遇だったようだ。
みんなが知ってる大大名を泊めるときの札には「○○□□守様(殿)宿」ではなく、「○○□□守宿」と記されている。
庄屋の中の庄屋は旧国人領主層
別格、別格
だけど
>>803は所詮分家なんだろ?
おまいが大きな顔して本家の自慢するなよ ( ´,_ゝ`)プッ
それこそ2ちゃんで晒されてる本家の先祖がかわいそうだろ!
>>809 禿同
武士がなんで農民ごときの家の前を通るときに(ry
しかも本家ではなくて分家・・・
その本家も自称戦国大名の3男が祖なのに現在でたった14代・・・
30町歩に杉を植えたとかいうけど山林の30町歩なんて田畑の1町歩の価値も(ry
30町歩という数字を出すけど所有していた田畑面積は出さない・・・
もう少し真実味のあることを言って欲しい
>>809 いや、俺は母方の家とはもう関係ない。
母はこっちに嫁いで名前変わった。その批判は母の家に対して言うべき。
それに本家の屋敷には今別の人らが住んでいて、分家の家(妻)が当主面してる。
>>810 この話を詳しく知りたかったら、加西郡の郷土史研究家を訪ねたらいい。
母の実家がどれなのか、時間を掛ければ分かるはず。そんで調べたら良い。
俺は盆に帰って1〜2時間しか話聞いてないから、残念ながらこれ以上のことは言えない。
ちなみに俺はこれで一切の書き込みを止める。
最後に一つ。
ありえないと思うことや疑問に思うことがあるのなら、
実際に自分で詳しく研究してる人に会って話を聞くなり、
郷土の本などから知識を得るなりした方が良いよ。
どうも歴史というものは一概に括れないもので、
調べないと見えてこない部分がある世界のようだから。
813 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 02:13:56
>>812 >>806は自分で調べようと努力して郷土歴史家と接触し、アドバイスを求めているが
あなたはなにももアドバイスしないね。
>>806 太平洋戦争の軍神と大庄屋に関係があるのですか?
名のある軍人と血縁だとしたら、まぁ嬉しいだろうけど。
>>811 大名が家の前を(ry…なら
当然酒田の本間や越後の渡辺くらい凄いんだろうと思ったんだが、
"加西郡" "庄屋" でググっても全く引っ掛からないんだが?
ググれば何でも発見できると思ってる厨房の池沼ハッケソ
相手は「加西郡」ってちゃんと名乗ってるんだから加西の郷土地誌当って来いアフォ
あ、当ったんならちゃんと原出典明記しろよ(プ
>>806 どうやら、数代に渡って家の歴史と関連する事柄と離れちゃってるみたいだね。
そういう場合は調べるのは骨の折れる作業だと思う。
あなたの家だけでなく、本家も移住しちゃってるのが大きい。
あなたの父や祖父は、家の歴史について調べてはいなかったの?
もし過去に詳しく調べた人がいるのなら、その人の結果を元に、
子のあなたも色々な事を調べることが容易になる。
少ない経験しかないので恐縮だが、言えることがある。
郷土史と言っても、数種類の本にあなたの家のことが書いてある可能性がある。
ある本には少ししか書いていないのに、別の本にはかなり詳しく書いてある場合がある。
その地域の歴史だけでなく、人物の欄にも目を通したら良いと思う。
戒名は、具体的なことが分かるまで気にする必要はない。
本家の人は行方知らずということだが、連絡を取ることが可能ならそうした方が良い。
あなたの家が有力な家であったのなら、必ず詳しいことは分かる。
見た感じそのようなので、あまり心配する必要はないと思う。
知識がないと不安なのは良く分かるが、自分で行動している内にちゃんと付いてくる。
あまり焦らず先祖のことを調べたらいい。
>>815 なんだこのガキっぽい噛み付き方は…?
大名が「大名が家の前を(ry」ほどの家なら
・公開されている
・公開されてなくても有名な大庄屋なのでググればHITする
と思うんだが?
庄屋の子孫を名乗る香具師はとりあえず写真うpしる!
過去帳とか門構えならなおグッド!
>>818 写真をうpしたところで誰が検証するのさ。
いくらでも偽造できるんじゃないか。
820 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:48:57
@庄屋さんなど、たいていは苗字帯刀なんでしょうか。
それと、
Aこの苗字帯刀という意味ですけども、そこの殿様(藩庁など支配者)が、
苗字を公式に名乗ることを認めた、、、という意味と理解しているのですが、合っていますでしょうか。
Bこの苗字ですけども、藩の外でも通用したんでしょうか。旅行の手形とか、宿場に止まった場合の扱いとか
どうなんでしょうか。
C藩で士分の扱いになるケースがありますね。
豪農や豪商が、いろいろな理由で(献金も含む)。
☆これは、藩領の外ではどうだったんでしょう。
丸丸藩では、苗字帯刀かつ士分でも、
正式に藩士として、幕府に届けていないんではないでしょうか。
☆すると、帯刀できないような気が、、、、
☆明治になって士族か平民かの扱いはどうなったんでしょうか。
821 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:52:54
くれくれクンでは悪いので、私も少し、、、
戒名(法名)は、宗派によって、たいそうな名を呉れるやすい派、そうではない派がある。
もちろん、地域差もある。
元来、「戦死」は武士だけであったろうが、明治になり農民でも戦死という事態が発生した。
特に、藩ではなく、国家のために死んだのだからというわけで戒名のインフレが起きたらしい。
どこで発生したというわけでもなく、全国的のようだ(このへんはよくわからんが)。
>818
寺が火事になって過去帳あぼーんという家も多いんじゃないか?
>>820 @大庄屋は苗字帯刀に当確、庄屋は苗字帯刀に落選
詳しくは
>>742>>759見れ
Aそゆこと
B民間(?)の場合、庄屋格で非苗字帯刀なのに苗字を名乗り、諸書に明記することがある。
公式には非苗字帯刀なのでダメ。
C士分扱いになる場合、何かしらの役職を得る。
なので非公式で士分扱いにはならない。
>☆明治になって士族か平民かの扱いはどうなったんでしょうか。
これがけっこう微妙みたい。
江戸末期に乱発された苗字帯刀の家=平民になったケースを知っている。
>>821 >戒名のインフレが起きた
インフレが起きたのは戦中戦後ね。
明治期〜戦前はないよ。
たとえそれが日清・日露戦争で戦士した人でもね。
詳しくは
>>782 >>822 寺にその家々の過去帳があるが、
旧家ではその過去帳の写しを家の仏壇に置くのが一般的なんだが?
寺が火事になっても、家が火事になっても、
寺と家とが同時に火事にでもならない限り、消失することはない。
明治政府は急激な中央集権うまくいかず、「庄屋・名主」を戸長・副戸長として登用。
これらが名望家と成ってゆく。天皇行幸の休憩所等の大半が名望家の家。
本物の庄屋・名主は江戸まで遡る事無く自慢話たくさん有る・・・
827 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 01:38:53
>>823@そうは言い切れない。庄屋で苗字帯刀はかなり多い。もうひとつは現代からさかのぼっているので正式なものしか分からないが黙認というのは今では分からんが結構あったと思われる。とくに戦国期武士だった家など。
Cは分からんが基本的に苗字帯刀は庶民に与えられるものだから平民なはずだが小藩で時々分けわかめのことがあるらしい(ソースが確かではないが)
>>827 庄屋で苗字帯刀というのは聞かない。
たいてい士分のなにかしらポストがあるから名乗れるのであって、
公に名乗るには単なる庄屋では無理というか、名乗れない。
>苗字帯刀は庶民に与えられるもの
帰農⇒名主⇒苗字帯刀というケースの場合、
スタートはあくまでも農民、そして士分に出世。
>>823はあくまでも例外として挙げたものだし、
基本的に身分は士族でしょ。
>>828 士族になったのは藩士達でしょう。
明治維新の改革を円滑に進めるために、
政府はそのような政策を取ったんだよね。
基本的にはほとんどの百姓が苗字を持っていたし
裕福な家なら刀や槍を所有していることも多い。
ただ公に「苗字帯刀」を許されるのが珍しいってだけ。
831 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 11:57:55
>>831 >ぐぐれ!
ググる気にもならん。
庄屋が苗字帯刀だなんてありえないから。
DQNが紀行みたく論じているのではない、真っ当なソースだしてミソ。
833 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:42:48
うちは苗字帯刀を許された庄屋なわけだが・・・うちの存在はどうなる?
悪いがうちの近所の旧家も庄屋で苗字帯刀許されてる。
大庄屋はうちの藩には数軒しかない。
うちの一族からは大大名が生まれた。国主だ。
836 :
662:2005/08/21(日) 21:19:45
旗本領だと、苗字帯刀を許された家は結構あるよ(
>>772-773)。
それも普通の庄屋(名主)がね。
そういう家がうちの近くにもある。江戸後期に成り上がってる家だけどね。
特に先祖に由緒がある家ではない。つーか、近所にそんな家はないんだがw
大名領で、代々苗字だけを許されていた世襲名主の例を知ってる。この家は割元名主(大庄屋)ではなかった。
同じく大名領で、名字帯刀御免の世襲名主も知ってる。これも割元名主ではなかったよ。
838 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 06:04:43
三河の徳川(松平)一族なんて武士になって家康に従って関東に行ったのは
ごく少数で、九割方は三河在住の農家だろう(知らんけど) 本家の太郎左
衛門家も旗本待遇だが現地では実質庄屋みたいなもんだろ
839 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 06:06:27
大名も武士であるのはごく一部で、一族の大半は農家だろう
大名家と言っても、大半は戦国期に成り上がった家ばかりだ。
名のある大名で由緒あるのは、細川、島津、伊達ぐらい?
841 :
662:2005/08/23(火) 17:05:18
>>840 江戸大名の名流といったら、佐竹氏が飛び抜けてるな。
関東には佐竹の他にも、戦国までは各地に名門が多かったけど、殆んどが滅びちゃった。。。
関東で大名として幕末まで生き残れたのは、那須旧臣の大関・大田原氏(武蔵七党丹党)だけだし・・
だから、関東には土着帰農した名族が多いと思う(地域差はあるが)。
>>837 大名領で、代々苗字だけを許されていた世襲名主の例を知ってる。この家は割元名主(大庄屋)ではなかった。
同じく大名領で、名字帯刀御免の世襲名主も知ってる。これも割元名主ではなかったよ。
↑これらの家は、『新編武蔵風土記稿』に載ってる旧家だよ。
842 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 19:25:17
662氏は紳士
>>841 知っているとか聞いたとかじゃなくて、
”大庄屋”ではなく”庄屋”で「苗字帯刀御免」のソースおながい。(3回目)
844 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:53:21
ソースソースと、
馬鹿の一つ覚えみたいだな。
そんじゃ、藻舞の醤油を晒せ。
846 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 03:01:06
>>816 まだ郷土歴史家からは連絡がないです。気長に待ちます。また自分でも調べたいと思います。
詳しくどうもありがとうございます。残念ながら本当だったら当主の祖父も伯父も
他界しております。本家(偽本家)は東京へ行ったようだ。と生前伯父から聞かされました。
よって、(偽)本家がどこに住んでいるのかわかりません。東京ですと、蔵もないでしょうし、
価値がないと思って捨てているかもしれません。
私の家は某県の大庄屋同士の見合い結婚が多く、私と20歳離れた母方従兄弟のお嫁さんが
うちの家系だったということが最近にわかったそうです。父母も同じく見合い結婚(母の家は母方従兄弟の家と近い)
母方従兄弟の家は明治維新後、教科書には出てきませんが明治以降に詳しい方なら
知っている頭山満や杉山茂丸と親交があった某団体二代目社長の子孫です。
母方従兄弟の父も当然二代目社長の子孫ですが、亡くなった時、親しい人がその話題を話したら、
従兄弟は不快そうな顔をしていました。従兄弟と私の母方祖父は官僚でしたがその団体と親しかったようです。
続きます。
847 :
806:2005/08/24(水) 03:04:48
帝国大学が学術調査した○○○(我が家の名前が入ります)文庫で検索すると、
第二次大戦で軍神になった方とその文庫のことが出てきます。
同じく検索すると、戦国時代に戦国大大名と戦った記録も出てきます。
どこにも所属していない共同体のような地侍大将だったのでしょう。戦国武将のサイトを
沢山見ても、我が家の名前はありませんでした。数十キロ離れた土地に同じ名前の武将はいましたが関係ないでしょう。
先日、父が義理の祖母から女性用の反物を借りてきて、女用の紋が入った反物を
妹に見せていました。父は祖母(母)と早く死に別れしていますので、我が家のことより、
本当の祖母(これも母方従兄弟家の隣大庄屋)のことを酔ったら話します。郷土史によりますと、
うちは初代○○郡戸長でした。その後暫く戸長副戸長をやっていますが、没落したのか突然戸長をしなくなっています。
私が自分の家を知りたいと思ったのは、検索すると父が昔言っていたように、本当に戦国時代に
戦っていたことをネットで知ったからです。偽本家と連絡が取れない、歴史に詳しい母方従兄弟の父(伯父)が他界したため、
地元の郷土歴史家に聞くしかないと思った次第です。県立図書館に行ったり、自分で調べたり
焦らず、ライフワークにします。どうもアドバイスありがとうございました。長文失礼します。
うちも庄屋だったけど家紋は清和源氏新田と同じ○に━なんだよな
849 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 18:03:43
>>846-847 久しぶりの本物っぽいな。時間はかかるだろうが頑張って調べてみてくれ!
>父が義理の祖母から女性用の反物を借りてきて、女用の紋が入った反物
男用と女用なんてあんの?
>>849 家紋には、表紋と裏紋がある。男紋と女紋を使い分ける家もある。
大庄屋よりも頭山満と親交がある社長の本物子孫ならそっちの従兄弟のほうが凄い。
右翼の大物じゃん。あまり詮索すると個人特定できるが箱田六輔の子孫みたいだな…
自演乙
機を失った
なんだなんだ?
大庄屋でダンマリなのか、皆さん。
すまん。訂正。
皆さん=このスレでいきってた一部の連中
俺の時の態度とは全然違うな。
憎たらしいよ。
857 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 01:17:45
とりあえず
漏れの先祖は庄屋様!って人は
・田畑の最大面積、最大面積
・国名
・由来
この3つぐらい名乗るべきかと
858 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 01:54:37
非常に下らない。
806がそれを述べることは不可能だ。
全く笑ってしまう。なんだこの黙り様は。
例の卑屈な者達が一人も現れないではないか。
まさか俺が、大庄屋のレベルで黙り込むような輩に罵倒されていたとは。
860 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:55:36
とりあえず今後レスをする
”漏れの先祖は庄屋様!”って人は
・田畑の最大面積、最大面積
・国名
・由来
この3つぐらいはプロフィールとして名乗ってね
861 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 22:36:16
>>860面積は分からんが江戸初期の検地で年貢200石を納めた記録あり。信濃の国。武田遺臣。苗字帯刀という説もあるが詳細不明。
墓は江戸初期から何故か大名墓型(いわゆる家紋入りの笠あり)戒名は○○○○居士。1550年ぐらいから辛うじて記録あるがやはり詳細は不明。
862 :
662:2005/08/26(金) 23:45:05
出自の由緒の良さから、苗字帯刀を許されていた家が大庄屋とは限らないだろう。
>841のこの部分⇒「代々苗字だけを許されていた世襲名主」…は、山村のある名家だが
この地域の大庄屋は他村(町)にいた。この家の名は明かさないが、武蔵七党のある党の子孫。
初期の名族が土地の豪農として、その土地で勢力を保つ場合も当然あるが、
その逆に、初期の名家が没落してる場合もかなりあるな。平野部ではこういうケースは多い。
土地を集積しながら、大庄屋(割元名主、寄場名主など)クラスに成長した家もあるだろうね。
出自はともかく、大庄屋だから苗字帯刀も当然許されて・・・
あっ!ウチの近所はスケールが小さいから、成り上がりの地味な名主ばっかりだなw
旗本領だと苗字帯刀御免もあるが、刀差せるのは江戸への道中だけだからね。
苗字も公式の文書には使えないし・・
関ヶ原〜大坂之陣の間に、領主と敵対した関係にあったかどうかも重要でしょ?
漏れんちは大坂方だったんだが、立藩した領主が外様大名だったので断絶は免れた。
これが譜代大名、ましてや御家門や親藩だったら家名断絶は間違いなかったでしょう。
江戸初期は、徳川に弓引いた大罪人という扱いを受けていたはず。
いきなり盛り上がりましたな。
レベルの高い人が書き込みをしているようで、いいことだ。
ところで聞きたいんですが、
御大庄屋っていう呼称は存在するんですか?
なんか、うちの親戚が寺の史料にはそのように書いてあると言ってたんですけど。
でも探してもそのような呼称は見当たらない。
865 :
玄洋社:2005/08/27(土) 03:34:42
>>846-847 初心者ですが、失礼致します。
私は、高場治の子孫と祖母より聞かされております。あなたのレスを見て、私も自分の家系のことについて調べてみようと思いました。最近、祖父の死による財産問題で、親戚と疎遠になったことも要因ではありますが…。
何代か前にあなたの家の方と親交があったかもしれないですね。
866 :
662 :2005/08/27(土) 10:25:53
>>864 普通に敬称では?「御庄屋」、「御名主」とかあるし
檀那寺の住職も村内での力は強かった。でも僧侶には苗字が無い(名乗る必要ない)から、
文書で苗字か記載できるのは、苗字を許された特別な豪農の他は、裁許状を受けた神主だけだね。
ただ、公儀公認の神主自体が少ないから、大抵の村文書は皆苗字無しだったりする。
>>861 笠付角柱型の墓石は角柱型(約1700年代中期頃)よりも早い段階で造られ始めているけど、
それでも江戸初期(1600年代中期まで)の段階では見られない墓標ですね。
ウチの近所(ってか、東京北部・埼玉南部の辺り)の寺墓地一、共同墓地二を調べた時に
笠付き角柱(1800年頃)は一つしかなかった。ただこの家は幕末頃に断絶したらしい・・・
867 :
玄洋社:2005/08/27(土) 11:43:29
>>866 庄屋なのに苗字帯刀だったというソースを早く出したらどうですか?
しかも貴方は庄屋の子孫じゃないわけでしょ?( ´,_ゝ`)プッ
>>玄洋社
お前、自分の家系のことも知らない人間だったのか。
ある意味すごいわ。どうせどこの馬の骨かも分からん出だろうが。
ちなみに、お前が誰かは分かるぞ。
雑魚だったんだな。
870 :
662:2005/08/27(土) 21:23:08
>>867 だから、『新編武蔵風土記稿』に載ってるって言ったよ(>841)
こんな感じに記載されてる(
>>862で出した家)↓
□□□村
旧家・○三郎。△△氏なり、古く名主役を勤む、古の水帳(検地帳)を所持す、
○三郎が養父○右衛門奇特の事ありて其身一代苗字・帯刀御免、苗字は永く名乗るべき旨、
時の御代官△△○○兵衛より下知あり、…(略)…
『新編武蔵風土記稿』には新撰組との関係で有名な日野本郷の寄場名主(大庄屋と同意)佐藤家も記載されてる
旧家・百姓彦右衛門。佐藤氏なり、古より今に至り名主役を勤む、…(略)…
それと、自分の家の事を言う気も無かったけど、苗字は代々称してたよ。
村に住む百姓以外の身分…社家だったから。
江戸期の姻戚関係は名主クラスかな。明治以降は当然ながら、困窮した時期もあったようだ。
871 :
806:2005/08/28(日) 00:29:30
私は自作自演をしていません。
>>851 私ではなく、親戚を晒すのはやめて下さい。
>>860 ・田畑の最大面積
郷土史に大庄屋と書かれ、その郡ではとても大きかったようですが、面積までは存じません。
現在それを調べています。また帯刀していたのかも。郷土史で大庄屋はうちだけではありません。
・国名 筑前
・由来 苗字の由来でしょうか? だとしたら名前がばれます。大友と戦った記録があります。
戦国以前から土着の九州人です。立花山の戦に参戦したと父は言っていますが、
立花は大友系なので、もし参戦していたら宗像側だったのかもしれません。これも郷土史家
に尋ねているところです。
>>865 高場乱は名前だけ知っています。それが確かならば伯父の代か大叔父くらいまでは
何か親交があったかもしれません。私は玄洋社社長の子孫ではありませんが
>>846参照、
祖父は進藤一馬と縁がありました。官僚時代に緒方竹虎と懇意だったとも
聞いていますが、これは眉唾だと思っています。また祖父は当時の参院副議長から出馬
したらどうかと言われ、その頃同じ省庁の大先輩の選挙を手伝っております。結局祖父は
出馬しませんでしたけれど。この話は母方のほうです。当家とは直接関係ありません。
ネットで晒されると嫌ですが、
ttp://ww71.tiki.ne.jp/~buci/inunen1.html が一応名前がばれなそうなソースです。
872 :
806:2005/08/28(日) 00:34:33
上のURLで天文11年辺りから見て下さい。
873 :
806:2005/08/28(日) 01:37:06
明治10年のところに
>田畑の70%は20%の農家が占有(大地主生まれる町誌258四郎丸)
とあります。当時の鞍手郡は直方市なども含んでいたので、今の面積とは違いますし、
20%の農家でも、大庄屋が独占していたと思われます。連続書き込みすみません。
874 :
806:2005/08/28(日) 01:50:15
自作自演とか、
>>858以降の文章がどうも頭に引っかかり、怒りが納まりません。
もう名前ばれていいですから、九州文化史研究所所蔵古文書目録も検索してみて下さい。
おそらく苗字がこれでわかると思います。
私の苗字文書でも、苗字文庫でも同じものです。
疑念があるなら、両方検索してみて下さい。
因みに父方、母方の祖父は明治30年〜40年代生まれです。
従兄弟に迷惑をかけるのは嫌ですが、伯父は大正生まれ、学徒出陣海軍中尉です。
当家とかかわりがありそうな軍神は、九軍神の1人です。
当家からは、戦後三井鉱山副会長や地場産業を排出しており、
母方では高等文官の祖父、元国立大学教授2人、元学長の伯父様もいます。
もっと範囲を広げるなら、大正産まれの伯父のところへ嫁いだ家は前述しましたが、
従兄弟は有名なため、素性は明かせません。農地改革と戦後のどさくさで土地が総合病院と
家だけになってしまいました。
従姉妹は開業医、財務官僚、東大博士から付属研究所勤務、JAL幹部候補等に嫁いでいます。
他の従兄弟では地場産業を経営、海外公演をしている芸術家がいます。
私は彼らのように成功した者ではなく、名もない何もできない無名の人間です。
縁者を情けないと思いながら自慢するくらいしか出来ないし、先祖を調べ自分のルーツを知りたいだけです。
私の夢などはここでは関係ないので詳しく書きませんが、
アメリカで100年前に起きた社会的運動を日本でも日本でもやることです。左翼運動ではありませせん。
876 :
玄洋社:2005/08/28(日) 08:17:20
連書きウザイ
テメーはニートのくせに親戚自慢はウザイ
夢なんて聞いてないっつーのwwww
>>806 おまいは本当に立派な家系であるという事はわかった。
ここは偽者が多い中久々の本物かもしれない。
しかしここで本気になっても
>>876みたいな叩き厨に色々言われるだけだ…
2chではあまりマジにならない方が良し!
878 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:22:33
つーか長くて下手な文読む気せん
>>875 そういうところに生まれると、プレッシャー感じそうだな。夢があることは羨ましい。嫌な奴いるが気にするな。懐がでかくないと、ビッグになれないぞ。
880 :
816:2005/08/28(日) 16:41:25
>>806 すまない。
858以降の文章が頭に引っかかり、怒りが収まらないと書いてあるが、
あなたは自作自演されたと思っているのか?
該当する文章はおそらく、859、868、869だと思うが、 これを書いたのは俺だ。
勘違いしないで欲しいが、俺はそのような意図で書いたわけではない。
俺はこのスレで書き込みをしてきたが、それでさんざん罵倒と中傷を受けてきた。
このスレの中には卑屈な連中がいる。
家柄について書き込みした者がいると、卑屈な者は相手を馬鹿にし、侮辱しようとする。
ところが、あなたのように信憑性の高い人物が表れると、途端に書き込みが止まった。
あるいは、手の平を返す。
>>849 それを見て、あのような書き込みをしたわけだ。
あなたが感じている、その怒りは分かる。俺も過去そのような気持ちを味わってきた。
不本意にも同じような気持ちにさせてしまい、申し訳なかった。
881 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 19:25:08
よし!みんな仲直りしたしな!
882 :
玄洋社:2005/08/29(月) 01:24:07
883 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 02:31:45
大友と戦った&戦前大学から調査されたのは本当みたいだ。真珠湾の軍人も同じ名前。
玄洋社との関係も嘘でここまでは書かないだろう。ただ806は説明が長くかつ下手で損してる。
ボンボンは脇が甘いのかね。名家に違いないが名前や色々ばらして大丈夫なの?
ここは2ちゃんってことを忘れないように。
〉〉882
ハズレ。
そろそろ庄屋様の話といきま庄屋!
885 :
玄洋社:2005/08/30(火) 03:28:52
漏れの先祖は庄屋様!って人は
・田畑の最大面積、最大面積
・国名
・由来
この3つぐらい名乗って下さいねw
886 :
662さまへ:2005/08/30(火) 13:57:40
序列は
こんなふうですか。
A 士分扱い(当然、苗字帯刀)
B 苗字帯刀
C 苗字のみ
887 :
ちょっと質問です:2005/08/30(火) 14:08:09
>> [ A 士分扱い(当然、苗字帯刀) B 苗字帯刀 C 苗字のみ }
郷士っていうのは、どういう風になるんでしょうか。侍で通用し
ますよね。
薩摩の城下士以外?
土佐の岩崎弥太郎も郷士とか。岩崎って苗字かなぁ。
清川八郎も郷士ですよね(出羽の清川村出身)。清川は通称で苗字ではないのかな。
木村何某も郷士(水戸は芹沢村の郷士、芹沢鴨)。苗字は木村かな。
888 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 14:18:01
郷士は藩で違うからね・・・薩摩なんかは武士だがほとんどの藩ではただの農民に毛が生えたようなもの。
A名字帯刀・長屋門・裃着用(旗本並の待遇だが農民は農民)
B名字帯刀
Cその他
890 :
玄洋社:2005/08/31(水) 00:54:40
士分と庄屋は身分は士分が上でもビンボー
891 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 01:14:14
漏れの先祖は中津藩の武士
>>890 そうとは限らん。藩によって制度が違うので一概には言えない。
豪農の分家が士分に取り立てられてるのはどう解釈するんだ?
本家の方が身分が低くなるなんてことは有り得ない。
豪農が地域の士分を含めた目付になっている藩もあるんだよ。
不始末を犯して城下追放になった武士の監視役を豪農が請け負う
なんていうのもある。
↑ 監視役って書いたけど、横目みたいなんじゃなくって、支配。命令権を持つ。
894 :
662:2005/09/01(木) 20:25:20
>>886 ご丁寧にどうも。でも詳しくないからw
旗本領の苗字帯刀は格が落ちるのでは?数が多いからね。
地方によっては戦国旧家の多くが仕官した所、逆に帰農した所など色々あるから
苗字帯刀御免の家でも、一括りに較べることも出来ないな・・
急成長して大豪農に成り上がった家もある・・・有名な酒田の本間家なんかもそうだな。
>>887 郷士ってなんだろね?逆に聞きたい!基本的には身分は百姓って事になるか。
俺が思い浮かぶのは、八王子千人同心や藤岡上日野の小柏氏、秩父日野沢の阿佐美氏あたりかな。
でも「ウチは郷士だったんだ」、みたいな話はよく聞くんだよなwなんか怪しいなぁ、、
895 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 03:24:05
郷士の大部分(?)は平民だから戦国期武士だった家などが自称してるんだと思う。
896 :
662:2005/09/02(金) 23:02:43
日野沢は皆野(秩父郡)だったか・・・間違った。
阿佐美氏は児玉党の出自で、戦国期は城主だった。藤岡の小柏氏は有名だな。
こういう山村の豪農は>885のような「田畑の最大面積、最大面積」は関係ない。
八王子千人同心は、『新編武蔵風土記稿』にも載ってる家がある。
この場合、「旧家○兵衛、△△氏なり」ではなく、「旧家△△○兵衛」と
他の旧家百姓(
>>870)と区別されて書かれてる。
897 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 01:02:34
関東の郷士といえば馬庭念流、樋口家。
898 :
世界@名無史さん:2005/09/03(土) 03:01:20
うちはよく分かりませんが、多分郷士の一種(ということになっている。)。
明治時代に子爵に成り上がりましたが、子孫は2ちゃんに書き込んでます…。
土佐藩の郷士みたいに比較的豊かで身分も比較的高いのもあれば、無足人と呼ばれた貧乏な在郷足軽もあった。 また、旧慣郷士もあれば、18世紀半ばから激増した他譲郷士(豪農などが郷士株を買ったり、藩に献金して郷士に)もあり。
900 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 17:02:45
スマンwww誤爆してしまった…
902 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:2005/09/03(土) 17:07:55
ちなみに土佐藩では大庄屋も庄屋も藩士。
903 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 19:09:01
>903 藩士というのは何も家中(郭中)だけではないよ。
家老/中老/馬廻/小姓組/留守居組(他藩の中小姓組に相当。留守居役とは別)/白札/郷士御用人/郷士/用人/徒士/足軽/組外/大庄屋/庄屋/地下浪人。
906 :
郷士ってよくわからん:2005/09/03(土) 19:35:26
藩士というのは、何を満たすと藩士といえるのかな。
天領以外、公家侍寺社侍を別としてみれば、
「侍集団の中で藩士の補集合」を考えると郷士なのかなと。
907 :
郷士ってよくわからん:2005/09/03(土) 19:36:46
ごめん、違うね。薩摩の郷士って、藩士の一部ですものね。
908 :
郷士ってよくわからん:2005/09/03(土) 19:39:39
886、889どの
郷士は、士分ですか。
苗字帯刀ですよね。
909 :
工事三又:2005/09/03(土) 20:03:09
土佐守さま
@905は土佐藩のアレですか。
A中岡や坂本は「郷士」ですか。
B地下浪人も、「山内家中」に入るんですね。
土佐の守さま
Cところで、主君を持たない浪人というのは(もちろん 山内家中にはならないが)、土佐藩領内にはいたんでしょうか。
910 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 20:57:59
>>904-907まあ、そうだろうけど。最近の分類(?)では土佐藩士、土佐郷士、薩摩藩士、薩摩郷士でしょ。
>>908微妙。藩によりけりだが基本的には士分ではないと思う。明治維新のときに活躍した人が多かったので
士族編入した家があり士分という考えもあると思うが・・・詳しい人頼みます。時々郷士という身分ながら苗字帯刀
を許されたという表現があるのだが・・・許されていない郷士もいたのかな?
ここ読んだら俺も自分の先祖が何だか気になったので親父に聞いてみた
渡辺綱とか返って来たんだが・・・
農家かと思ったらとんでもないのが出てきた(;´д`)
うちの田舎が鹿児島で郷士の家系。両親の代までは結婚は大体郷士の家同士で行ってたみたいです。
勿論、遠い親戚まで一応士族の流れになっています。
しかし、鹿児島って半分近くが士分だったてのは知ってるんですが、今現在純粋な農民(平民)の
家系ってあまり出会わない。時間が流れて少しでも士族の血が入っていたら、うちは
士族だってことになってるのかな?(どっかの国みたいに)
数少ない平民系の集落(地元では部落)もあることはあるんだけど、いまでも士族系の年配の人からは
差別的な目で見られている。(他の土地では考えられないかもしれないが)
平民だった人達は、明治維新以降、特に戦後になってから全国に散って行ったのだろうか?
意味不明
名主だったり、葵の御紋の刀を下賜されてたり、
苗字が2パターンあったりしたら、苗字帯刀?
ヴァカ
散々書かれているものも読まないのは???
単純に領主から苗字と帯刀を許されていれば、みんな苗字帯刀。
近所の家は普通の百姓だったけど長州征伐に出兵して
苗字帯刀を許されたらしいよ。
918 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 12:03:27
名字帯刀庄屋って近世後期以降は結構いるよ。
庄屋文書とか県史とか見たらすぐわかる。
919 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:2005/09/06(火) 16:39:50
>908 土佐藩の藩士身分序列です。 中岡慎太郎は大庄屋の息子で大庄屋見習い、坂本は郷士御用人の次男です(坂本家は先祖が郷士株を買った他譲郷士でした)。
920 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:2005/09/06(火) 16:43:47
>908 浪人なる名称なのに奇異ですが、地下浪人は藩士の端くれでした。 そのほとんどは郷士株を売ってしまった人とその五代後ぐらいまでの子孫です(岩崎弥太郎は地下浪人の息子で、吉田東洋に仕え、先祖の身分=郷士に復帰)。
922 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:17:01
完全にスレ違いだが・・・
藩士は幕府の旗本と御家人(足軽)と同じで足軽より上(旗本)が藩士。
廃藩置県の段階で士族(与力・同心含まず)っての多い。
ウチは一揆を密告して苗字を許されたらしい…
924 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 16:17:04
>922
御家人は徒(=徒歩=徒士)も含むよ。
旧幕臣は複雑(?)でようわからんけど、
譜代の足軽は卒族廃止後、士族に編入されましたね。
旧土佐藩の大庄屋や庄屋は平民に編入されたのかな?
なんか、いっきにスレが下らなくなったね。
ノブレス・オブリージェの精神で没落してしまった。
俺の代に至り、同じ過ちは二度と繰り返させない。
下賤なる弱者、救う必要など無し。
929 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:32:23
>>905=926
>旧土佐藩の大庄屋や庄屋は平民に編入されたのかな?
たしかに、どうなんでしょうか。
藩の制度によって、明治政府での族が変わるのは不平等にも思いますが。
930 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 19:33:43
>>905
それから、チョウソカベ侍はどこいらへんに分布していたんでしょうか。
>929 私も彼らが平民に編入されたのだとしたら不公平な気がします。 ただ、譜代の足軽とは限らない組外の下に位置した身分ですので、組外から下は平民にされた可能性大。
長宗我部遺臣末裔は上士にもいましたが、一般に「長宗我部侍」とか「長宗我部者」と言う場合のことですね。 郷士ならば高知城下を含め土佐全郡に、郷士以外の下士の長宗我部遺臣末裔は高知城下にいました(本藩の家来は)。
933 :
1:2005/09/17(土) 20:06:49
あと、下士も一領具足ら長宗我部遺臣の末裔ばかりじゃないですよ。 それこそ掛川以来やそれ以前(姫路や長浜)から山内家に仕えた足軽や徒の末裔の大半も下士です。
934 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:04:17
高知藩の藩士について詳しく教えていただきありがとうごじあます。
上士、下士、郷士という区分けでしょうか。
ちなみに、下記の区分とはどういう風に対応するんでしょうか。
家老/中老/馬廻/小姓組/留守居組(他藩の中小姓組に相当。留守居役とは別)
/白札/郷士御用人/郷士/用人/徒士/足軽/組外/
大庄屋/庄屋/地下浪人
935 :
日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:10:23
能登の時国家は、庄屋だったんでしょうか。
並の庄屋ではないですよね。
明治期は、やっぱり、平民なのでしょうか。
(喜連川氏は、石高なら士族なのに、華族になっていますよね。)
いえいえ。 郷士は下士の一部です。 白札(旧慣郷士・郷士御用人・用人からの昇格者と留守居組からの降格者)が準上士身分の下士最高位で、郷士御用人はその次ぎに位置しました。 郷士と郷士御用人がどう違うのかは知りません。
937 :
1:2005/09/17(土) 23:32:42
留守居組は他藩の中小姓組に相当し、上士最下位で、切米15石〜20石でした(←貧しかった!)。 「留守居役」は役職であって留守居組とは全く別物で、武市半平太を除けば馬廻以上が「留守居役」就きました。
私の母方の祖母方の曾祖父方の高祖母は時国家の娘でした。 豪農だったらしいですが、庄屋や大庄屋だったかは知りません。
939 :
662:2005/09/17(土) 23:51:39
各藩には江戸後期に、新田開発や献金とかで郷士に取り立てられた者も多いんじゃない?
同じく、献金とかで苗字帯刀御免も多いな。
>>935 喜連川は五千石だけど四位、十万石格。古河公方足利義氏の跡を受け継いだ名流。
スレ違いだけど、旗本岩松氏(新田氏の本流)は男爵になってる。
1>935
マジ?凄いねw
940 :
玄洋社:2005/09/18(日) 01:43:38
私の母方の父方の祖母方の実家は摂津源氏でした。
私の父方の母方の祖父方の祖母方の家の嫁の実家は村上源氏でした。
941 :
662:2005/10/06(木) 21:27:08
とりあえずage
先祖の墓石とかを調べてる人は蜂に気をつけてね。
冬ならいいんだろうけど、寒いし雪が積もったりで、冬も大変なんだよな。
942 :
662:2005/10/06(木) 21:40:15
間違った!
ネタもないけど、せっかくだから・・・戒名が時代と共に長くなる例なら『大悲願寺過去帳』
(福生市史史料)を見るとわかる。
村内有力者の先祖の2字戒名に、享保頃、道号が追贈されてたりする。
ついでの戒名ネタでした・・・。
ウチは家系図400年ぐらい前から。両替商兼大地主だった。つまり商人。だけど初代の頃から苗字・帯刀あり、今も刀がある。これって先祖は武士?
944 :
662:2005/10/08(土) 01:26:49
>>243 戦国時代の酒田の商人(豪商)たちで言えば、酒田三十六人衆と知られ、また地侍でもあった。
でも、徳川期酒井氏の支配下で武士としての特権(帯刀、飼馬)は奪われた。
有名な本間家は、酒田で新たに台頭してきた新興の商人。
父方が鹿島鍋島藩士。
戦中、金属類強制徴収の際に土間を掘って鎧刀を隠した非国民w
母方が三代前に本家から分家させられた貧乏農家。
本家は豪農で戦前、息子らを海外遊学させるほど。奥州藤原氏の流れ。
遠縁には米沢藩家老がいる。
946 :
玄洋社:2005/10/12(水) 01:57:34
>>943 「初代の頃から苗字・帯刀あり」というソースは何から?
947 :
日本@名無史さん:2005/10/12(水) 02:11:57
ウチの先祖は名主だったが、江戸後期から苗字帯刀を
許されるようになった。
農民とはいえ、藩行政の一端を担っていたわけだから、
名主は、武士からも一目置かれていたとも考えられるね。
今は無いけど、刀を相当所有してたらしい。
948 :
玄洋社:2005/10/12(水) 02:58:34
>>947 おまいら勘違いしてないか?
苗字を有し刀を所有している≠苗字帯刀
苗字を公文書などで名乗ることが出来、刀を差すことが出来る=苗字帯刀
>名主は、武士からも一目置かれていたとも考えられるね
激しく笑える。所詮は「一端」に、どうして敬意を払えるよ。お前の意識は江戸時代のご先祖そのままだな。利用されていたとも知らずに、おめでたい奴。
950 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 00:55:34
>>948は良い事言った。
苗字有してる農民自体、本百姓・長百姓等以上の階層。
現在子孫一番居るであろう従属百姓は譜代・門クラスの幹部はその家の姓を名乗るが他は明治新姓。
百姓の話なんかどうでもいい。
952 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:45:16
そもそも庄屋の先祖は、ほとんど武士だろ?
武士が養子になったケースだってあるだろうし。
武士から落っこちた人の話なんかどうでもいい。
庄屋スレなのに?
955 :
玄洋社:2005/10/13(木) 02:08:05
>>952 一般的に寄生地主→庄屋が多い
あとは武士→帰農のパターン
秀吉みたく成り上がったのはごく僅か
956 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 03:28:24
大庄屋・庄屋だった豪農は明治以降
寄生地主と化し、小作のことはもちろん、中小自作農のことも
水利などで苦しめた。
自分が立てた土佐関連スレと勘違いして、1にしてしまった。
私は1じゃないです。 スマソ。
958 :
936:2005/10/13(木) 03:59:06
ついこないだ知ったが、土佐の郷士御用人は無役の郷士より
一ランク上だった。
理由は、藩の役人として仕事をし、郷士としての知行とは別に
用人としての禄を貰っていた。
微禄だったけど。
郷士御用人は郷士から白札や留守居組になり損ねた家も、
大半が旧慣郷士だったから(坂本龍馬の家は他譲郷士でも郷士御用人だったようだが)、
18世紀以降に豪農らが株を取得して大量発生した他譲郷士とは違う。
959 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 04:34:00
超僻地である高知の話なんか聞きたくないよ
藩主である山内も賎民出身だし
>>956 戦後の豪農はGHQの農地改革でかつての財力はないよ
どこも半分以上、小作人にとられちゃったんじゃない?
半分以上?
何をいっとるかいな。
半分ですむわけがない。
耕作地は一定面積までに制限されたんだから。
ただ、平地じゃない山などは改革対象外だったから、全部残ったはず。
うちは半分以上って聞いてるもんで
庄内の米どころ
誰か知らんが
あっそ
965 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 17:46:59
米どころといえば新潟だな。
新潟の大地主がすごかったのはそれだからなのか。
この間TVを観ていたら、掛川市で菖蒲園などを経営されている加茂さんという方が紹介されていました。
御覧になった方おいでかしら。
昔ながらのお宅なんですが、一般公開されている母屋の2階を現代的に改装してお住まいになり、孫をお持ちの歳ながらピアノを爪弾き、亡き奥様の御趣味は絵画。
ちょっと現代英国の貴族にありそうなライフスタイルだと思いました。
967 :
玄洋社:2005/10/14(金) 02:31:38
>>956 江戸時代の大庄屋・庄屋は地租改正後に没落したケースが多い。
地租改正後に土地集積で財を成した人、君臨し続けた大庄屋・庄屋も
戦後の農地解放で没落した。
968 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 02:57:21
ただ、農地改革、財産税で財産をむしり取られてしまった庄屋でも、自ら自作農を宣言したり場合は、農地など、結構手元に残った者は多い。
また、宅地を多く持っている庄屋の場合は、宅地は農地改革の対象外とされた地域が多く、今でも富裕な者もいる。
969 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 03:21:25
ほうほう。
都市部だとそういうのはありそうだな。
970 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 05:36:52
不在地主の土地は全部小作人に分配されちゃったけど
那須の鍋掛農場なんか主人が疎開したまま居ついちゃったもんで
在村地主ってことでかなりの面積を接収から免れた
随分小作人には恨まれたらしいよ
日本の馬産を支配する社台ファームは千葉社台牧場が母体
成田空港用地に引っ掛かって高値で売ったのが飛躍の始まりだ
もともとは社台牧場千葉分場で北海道に住む長男の名義だったが
これが病気で事実上千葉にいた三男が経営してるってことにして
農業委員会で大揉めに揉めた末に在村地主ということになった
>>960 農地改革で地主は2町5反以上の田を持てなかったんじゃないっけ?
>>967 うちの地方でも江戸時代に庄屋だった家の多くが明治になってから没落してる。
長屋門がわびしく残っている家はまだしも、夜逃げのようにどこかへ引っ越して行った家もあったようだよ。
ところで次スレは?
スレの名前からして存在意義がないからこれで終わりでいいよ。
できるとは思わんが、学術的に語りたいんだったら続ければ。
>>972 2ちゃんって言う時点で学術的も何もないと思うがなwwwwwww
974 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 09:37:53
それがいい。
そっちに含んでしまえばマシな話で進むだろう。
庄屋で苗字帯刀が許されなかったのなんているの?
977 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 17:41:32
あるんじゃないの?
なんて中途半端なことを言う不勉強な奴でも書き込めるから
糞スレになるんだけどな
978 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 18:32:20
>>977まあ、そういうなって!漠然とした興味のある大多数と少数の専門家で成り立ってるカルチャースクールみたいなもんだから。
「少数の専門家」じゃなくて「少数の専門家ぶってる奴」だろ☆
なぁ〜、
>>977!
980 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:07:41
どっちの案も採用
とりあえず自称でいいから庄屋の子孫現れろや
つまんねーぞおまえら
981 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:14:06
網元の子孫なら。
ちなみに、網元としてエスタブリッシュトする前は海賊だったらしいのですが。orz
982 :
日本@名無史さん:
>>981いいじゃん!山賊より海賊の方がかっこいい。。。