>>712 有名すぎる話。
当時もいろんな意味で格差婚だったので非常に話題になった。
最も大山は再婚。先妻は吉井友実の娘だが、早世。
大山は子供達の教育のため、後妻には西洋事情に詳しい女性を探しており、
当時としては婚期を逃した山川捨松に白羽の矢が立ったらしい。
会津藩家老であった山川家は当然この縁談は迷惑に思っており、
あれやこれやと理由を付けて断ったが
最後には西郷従道まで出てきて説得され、断りきれなくなった。
もっとも大山巌と捨松の夫婦仲は実に良かったとのこと。
714 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:02:05
はじめまして、もしご存知の方おられましら教えて下さい。
島原藩家老鵜殿氏ですが自身で調べた範囲ですが「信長の野望」にも出てくる
鵜殿長照(上之郷鵜殿家)の次男の氏次の系統らしいんですがいまいち確証が
もてなくて・・氏次自身は関が原の合戦時における西軍の伏見城攻撃時に
主人の松平家忠にしたがって籠城の末、討死?自刃?したようです、この
家忠の系統が島原藩主になるので氏次の系統がそのままって考えるのが自然
な気がしましたがどうでしょうか?
ちなみに長男の氏長の系統は幕府旗本、長照の弟の長忠(柏原鵜殿家)の系統
はココにも以前出てましたが鳥取藩家老となっているようです。
715 :
日本@名無史さん:2009/08/16(日) 18:19:50
さあ?
716 :
日本@名無史さん:2009/08/18(火) 09:14:32
福岡藩は万石の家老多いのに華族になったの一家だけ?
717 :
日本@名無史さん:2009/08/18(火) 09:20:16
真木景なおってどんな家老?
朝倉氏のどの系統?
718 :
日本@名無史さん:2009/08/26(水) 10:11:49
大名家の分家を作れない小大名の一門待遇の分家ってどんな扱いなんだろう?
大名家分家の旗本って本家とどんな関係なんだろう?
ケースバイケースなんだろうけど、気になる。
719 :
日本@名無史さん:2009/08/28(金) 19:18:54
信州の小大名諏訪家(三万石)だと、幕臣になった分家が十八家あり、
五代目の忠林はその一家から本家へ迎えられてる。忠林の次の代に
起こった二の丸騒動では一門出身の家老父子が失脚し、それぞれ永牢、
切腹の処分を受けている。
720 :
日本@名無史さん:2009/08/28(金) 20:33:43
>>713 西郷・大久保の盟友だった吉井と、西郷のいとこの大山って親子ほど年齢差あったの?
>>719 松前分家の旗本は,シャクシャインの戦いに本家藩主の名代として出兵しているみたいですね。
島原の乱の32年後ですから,幕末まではこの旗本くらいかな,戦働きした旗本は。
そういや松前家でも分家旗本が本家を継いでるみたいね。
まあ本家も旗本みたいなもんだけど。
ちなみに諏訪家家老の諏訪図書・大介父子はそれぞれ1200石、
150石(家督でなく部屋住のため)。
723 :
日本@名無史さん:2009/08/29(土) 15:38:59
諸藩の家老で有名なの
原田甲斐
仙石左京
渡辺崋山
山田方谷
帆足万里
このくらいか?
726 :
日本@名無史さん:2009/08/31(月) 02:32:33
727 :
日本@名無史さん:2009/08/31(月) 23:51:47
福岡藩家老は石高の割に爵位もらえたの少ないよな
母里友信の子孫とかも万石のはずだったのに
たぶん金がなかったんだろうな。
家老の場合華族の対面を維持できるだけの収入がないと爵位もらえなかったようだから。
729 :
日本@名無史さん:2009/09/01(火) 18:46:42
福岡藩は藩ぐるみで偽札作りあって
それが明治政府の怒り買ったとも
>>724 幕初・幕末を入れると、同クラスの有名な家老・年寄・執政は何十人といるんじゃない?
パッと思いつくだけでも、
直江兼続(上杉)、安藤帯刀(紀州)、成瀬正成(尾張)、竹腰(尾張)、渡辺半蔵(尾張)、中山備前守信正(水戸)、
山野辺兵庫(水戸)、長岡佐渡(細川)、栗山大膳(黒田)、本多政重(前田)、前田土佐守(前田)、両本多(福井)、
千坂兵部(上杉)、片倉小十郎(伊達)、上田宗箇(芸州浅野)、小栗美作(高田)、松野主馬(田中)、朝倉宣正(駿河)
国司信濃(長州)、福原越後(長州)、吉田東洋(土州)、河井継之助(長岡)、調所(薩摩)、
村田清風(長州)、小松帯刀(薩摩)、恩田木工(真田)、西郷頼母(会津)
731 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:06:13
帆足万里って家老なのに脱藩したんだよな
733 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:34:53
奥州守護代になった桑折貞長について調べてみると、二つの説があるのですが、一つは天文の乱にて中野宗時と共に活躍をした桑折景長と同一人物。
もう一つはその景長の子供という説の二つなのですが、どちらが正しいのでしょうか?もし分かるかたいましたら教えてください。
>>727 福岡藩の家老は断絶や石高減らされたやつも多いから
万石クラスも徐々に減らされ最終的には数千石くらいにまで落ちてたはず
だれか南部藩詳しい人いない?
736 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 19:39:06
>>735 漏れは詳しくないが、「近世こもんじょ館」でぐぐってみると吉。
あと、南部藩士の系図なら、岩手県立図書館の電子図書館で、「参考諸家系図」を閲覧できる。
盛岡藩の家老とゆうと楢山佐渡と原敬を思い出す
宮部継潤や栗山利安の子孫も南部藩の家老だな
739 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 22:29:39
>>735 「シリーズ藩物語 盛岡藩」
出版社:現代書館
という本を購入されてはどうでしょう。
昨年、百ウン歳で大往生を遂げた父方の祖母の生家が旧盛岡藩家老家でした。
昭和40年代に祖母の生家の譜伝を纏めた本を出版したんですけど、
その時には、時の南部家ご当主からも序文を戴きました。
741 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 00:06:51
>>641 うち3番目の初代原田與清
うちのご先祖様や
641のあなたは私の遠い親戚なのですね。
742 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 02:18:31
南部藩って、この板では笑いの対象だけどね。
ドンゴリからの鎧兜姿の使者に屈服して、
勤王から一転してドンゴリのパシリになる瞬間がピーク。
あのナラっちが悪いんだよwww
743 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 22:12:52
作家の高橋源一郎が、自分の先祖は米沢藩の家老だってテレビで言ってた。
米沢藩に高橋姓の家老なんていた?
大概、先祖が云々言う人って嫁や婿の実家まで含めて言ったりするから高橋姓とは限らない
745 :
日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:13:30
そうかもしれんが、「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」姓の番組で
「うちの高橋は・・・」という話し方をしていたからなあ。
米沢藩の家老になれる家柄は分領家って言うんだけど
本庄、長尾、中条、千坂、須田、色部、毛利、竹俣、
清野、市川、芋川、島津、平林、広居、莅戸の十五家。
上級家臣の侍組にも高橋姓はいない。
上にも出ているけどこのうちの筆頭格は千坂と色部。
米沢藩で付け足し。
家格の序列は並び順、石高は寛文半知後で
分領家
本庄 1666石+鮎貝役屋将 本庄繁長
白井長尾 1000石
中条 900石 中条知資
千坂 1565石+江戸家老 千坂景親、高房(兵部)、高敦、高雅
須田 1000石 須田長義、満主
色部 1666石 色部光長、安長(又四郎)、照長、久長(長門)
毛利安田 2166石 安田能元
竹俣 1000石 竹俣当綱
市川 1066石
清野 1416石 清野長範
芋川 985石 芋川正令、延親
島津 800石
平林 1000石
竹俣西 600石 竹俣義秀、竹俣氏分家
広居 850石
莅戸 550石 莅戸善政
竹俣西、広居、莅戸は途中で昇格。
須田、芋川は鷹山の代に七家騒動で降格、200石に減知。
高家衆 ※分領家より家格は上だけど藩政に関われない
武田 500石 武田信清(信玄の六男)
畠山 250石 畠山景広(上条政繁の長男)
山本寺 250石 山本寺勝長
二本松 200石 畠山氏分家
山浦も一応高家だけど断絶したり再興したりで詳細は不明。
748 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 16:15:49
細川藩の家老格の家を知っている人がいたら教えて
749 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 20:45:35
細川たかし
750 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 21:16:53
細川茂樹
751 :
日本@名無史さん:2010/02/06(土) 01:31:36
細川は松井、米田、有吉。
あと分家の長岡とか。
猿岩石有吉は、有吉家の分家筋だという噂もあり。
ほうほう
753 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 14:46:08
>>747 米沢藩の高家衆は一門衆といった趣が強いよね。
754 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 16:40:48
毛利も知行の多い家は支藩4家、家門6家と永代家老2家で占められているけど、よくあれだけの大大名だった家が
万石クラスの家老のような家をたった2家しか抱えずにおけたものだよな。支藩は4家もあるのに。
755 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 16:48:13
ちょっと表現がおかしいな。
家門以外の家臣が須佐益田と宇部福原で精々1万石強。大大名の末という経歴からすれば、
一門に対する知行割り当てが強烈に偏っている印象。
120万石が36万石に大減封されての1万石だから、加増された大藩と事情が違って大変だっただろうね。
長府藩と吉川家は豊臣時代に大名として遇された家だから5万石前後は与えざるを得ないし、徳山藩も
輝元次男の家だからまあ妥当かと。
一門八家は元就の子の家筋とかだから、輝元的には親族関係的にあまり軽くも扱えなかったのかな?
それと一門家も永代家老のはず。
757 :
日本@名無史さん:2010/03/13(土) 04:51:05
>それと一門家も永代家老のはず。
一門六家と表現する場合は永代家老二家と続けるし、八家をまとめて扱う場合は永代家老八家じゃなくて
一門八家と呼ぶのが一般的だと思うけど。
>>757 それであってるよ。
一門といっても役職につかない例が他藩には多いから一応書いただけだから。
759 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 01:14:08
そうですのん
760 :
日本@名無史さん:2010/04/21(水) 23:15:03
すごいね
761 :
日本@名無史さん:2010/09/05(日) 11:38:20
age
762 :
日本@名無史さん:
米沢藩高家は何か仕事あったの?