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名無しさん@ピンキー:
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名無しさん@ピンキー:2005/10/06(木) 21:06:38 ID:Ww//wLIc
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前スレ440:2005/10/06(木) 22:02:53 ID:/9gge0Je
前スレの予告どおり、投下させてもらいます。
1480年のイタリアを舞台にした、オリジナルストーリーです。
まだまだ書き手としては未熟ですが、まあ気長に見守ってください。
最初はなかなか話が進まないと思いますがご勘弁を。
第二回は出来るだけ早いうちに。
少年が、泣いていた。
その足元には、取り落とした木剣が転がっている。
目の前には、少年よりわずかに背の高い少女が、同じような木剣を手に立っていた。
『……いいかげんに、泣き止みなさい』
少女は、その幼い風貌はからは想像できないような威厳に満ちた声で、少年に言う。
その声に驚いたのか、涙を拭っていた手の隙間から、ちらり、と少女を見た。
燃えるような瞳で、自分を睨みつける少女。
そのあまりの形相に、少年はまた泣き出してしまう。
『もうっ、それでも男?』
苛立ちを含んだ少女の声が、城の中庭に響き渡る。
少年のひたいには、たった今少女がつけた傷がはっきりと残っていた。
薄い皮膚が破れ、じわじわと血がにじんでいる。
『……こんな怪我、戦場じゃかすり傷だって、お父さまもおっしゃってたわ。
アルフレド、さあ、もう一度剣をとって!』
そう言うと、少女は少年の足元に転がった剣をひろい、強引に少年に持たせようとする。
だが、アルフレドと呼ばれた少年は、そんな言葉も耳に入らないようだった。
『無駄だ、むだ』
後ろから、からかうような声がして、少女ははっと振り向いた。
数人の男が、嘲りを顔に浮かべて、二人に近づいてくる。
『所詮、大公陛下のご子息といっても妾の子よ。下賎な血が混じって使い物にならん。
お前の母は洗濯女だったが……。
息子はせいぜい、修道院の写字室で小銭を稼ぐのがお似合いだな』
一番前の男がそういうと、他の男もそれに同調したように笑う。
言われた少女は、きっと目を吊り上げ男たちを睨む。まるで我が事のように。
『毎日写字生に混じって、嬉しそうに本を書き写しているそうじゃないか。
騎士の息子に生まれたというのに、愚かなことよ。まあ、せいぜい坊主どもに媚を売っておくのだな。
貴様のようなカスに、忠誠を誓われる主君こそ哀れというものだ』
『いざとなればその尻を修道院長に貸してやるがいい!』
『お后さまを差し置いて、陛下の寝所に潜り込んだ泥棒猫の息子にはふさわしかろうよ!』
泣き止まぬアルフレドに向かい、男たちは次々と下卑た言葉を投げかける。
その正確な意味は分からなかったが、それがこの上ない侮辱である事は、少女にも分かった。
男たちはさもおかしげに笑いながら去っていく。
少女の口が、何かを言おうとしてむなしく開き――また閉じた。
まだ八つにもならぬ子供に、大人の言葉に反論することなど、望んでも出来る事ではないのだ。
『しょせん、お前など――』
去っていく男たちの最後の言葉を、少年の泣き声がかき消した。
少女は、振り返りながら少年に歩み寄る。
何を言われても泣く事しか出来ない少年。もどかしさが、少女の体を突き動かした。
『うるさいっ、黙れ!』
少女は叫ぶと、少年の頬に力いっぱい平手打ちを食らわせていた。
少年は、思わずよろける。
『馬鹿! あんたはそうやって死ぬまで馬鹿にされてればいいのよっ!』
少女は唾でも吐きかけるように、少年に叫んだ。
あまりのことに、少年は泣くのをやめ、少女の顔を呆然と見つめている。
『――でも、ぼく、ボク……』
騎士になんて、なりたくない。大公の息子に、生まれたかったわけじゃない。
そんな思いを言葉にするすべを、少年はまだ知らない。
『あんたなんか、生まれてこなければ良かったのに! あんたなんか、あんたなんか……』
少女の声がかすれ、消えた。
『騎士になれないあんたなんて、生まれてくることなかったのよ……!』
静かに少年に背を向ける。その肩が震えているのは、怒りのせいか、あるいは悲しみのせいか。
『ヒルダ……』
『アルのバカッ』
少年がすがるような視線を向けても、少女は決して振り返らなかった。
手に持った木剣を投げ捨て、一目散に走り出す少女。
少年は、それを黙って見送るしかなかった。
かけがえのない友人。
大好きないとこ。唯一心を許せる幼馴染み。
そして、ただ一人、自分が命を捨ててでも守るべき姫。
『……ヒルダ、わかった』
少年は、もう泣いてはいなかった。
涙をひとつ、ぐいっと手で拭うと、木剣を再び拾う。
『……ぼくは、僕は…………』
神と母の名において、誓う。
ヒルダ、君を守る騎士になると。
1.
身を切るような風が、枯れはてた平原を横切っていく。
太陽は雲に隠れ、弱々しい光を放っているに過ぎない。
全ての生き物が活動を止めたかのような、そんな冬の平原である。
ただ動くものといえば、風に舞う枯れ葉と、馬に乗った二人の男だけだった。
街道――というより、人が踏み固めて出来たにすぎない獣道――をとぼとぼと進んでいる。
前を行くのはみすぼらしいなりの男で、痩せた馬に大きな荷物を載せ、申し訳なさそうにまたがっている。
それにひきかえ、後ろを行く男の姿はどうだろう。
銀の毛並みの堂々たる軍馬にまたがり、白地に金と紺色の糸で刺繍された、立派な上衣を羽織っている。
上衣の袖からは、鈍く光る籠手が覗き、ときどき拍車をかける足も、すっぽりと脚甲で覆われている。
腰には長剣を佩いているが、その鞘ですら、異国の文字のような文様が鮮やかに描かれていた。
ただ、頭に兜は被らず、分厚いフードの中にその顔は隠れている。
この、一見して戦士と分かる男も、前を行く男も、さきほどから一言も口を聞かない。
ときおり、風にマントがあおられると、小さく呪詛の言葉を吐きながら、ぴったりとそれを身にまといなおすだけだった。
やがて、街道はわずかに膨らんだ丘の上を超えていく。
丘を越えたとたん、二人の目の前にぱっと海が広がった。
アドリア海だ。サファイアのような、深い青色をたたえている。
だが、このような冷え切った荒野にあっては、海の青さですら冷たい、暗いものにしか見えない。
少なくとも二人は海になんの感慨も持っていないようであった。
ただひたすら、馬を進める。
馬ですら、鳴くことを忘れたかのように、黙々と足を動かしている。
と、その時だった。
前を行く男がふと顔を上げ、はっと息を呑んだ。
「アルフレドさま」
突然命を吹き込まれたかのように、男は笑みをたたえて後ろに振り返る。
アルフレドと呼ばれた戦士も、フードの端に手をかけ、それを脱いだ。
「……やっと、着いた」
その顔は、まだ幼さの残る少年のものだ。ほんのりと赤みの差す頬と、桃色の唇は少女と言っても良い。
刺繍糸のような金髪が、風をはらんで踊った。
二人の視線のはるか向こうに、小さな町が見える。
海岸にしがみつくようにして、無数の家が並んでいる。
そして、町のひときわ高いところに、五つの塔を持つ城が家々を見下ろすようにして建っていた。
何より二人を活気づけたのは、方々から上がる細い煙だ。
かまどのたてるものであろうか、あるいは暖炉であろうか。なんであれ、それは人の息吹を感じさせてくれる。
「あれが……」
「そうだ、カステル・チンクエディタ(五指城)だ」
「ご立派なもんでございますな」
前を行く男が、アルフレドの機嫌をとるように言った。
「お前は、城を見るのは初めてか」
へぇ、と男は卑屈にうなづき返す。領主の出仕に同行するのも、生まれて初めてである。
「アルフレドさまは、あのお城のお生まれだそうですな」
「……ああ」
そう言われたとたん、アルフレドはむっつりと黙り込んでしまった。
みすぼらしい男――アルフレドが治める村の名主――は、何か失言したかと、主君の顔を覗き込む。
「あの、あっしゃ何か失礼なことでも」
「……急ごう。早く陛下にお会いして、御報告しなければ」
名主の言葉を無視して、アルフレドは自分の馬に一つ拍車を入れた。
近づくにつれ、二人の耳に町の喧騒がはっきりと聞こえてきた。
城壁におさまりきらなかった庶民の家が、街道にそって並んでいるのだ。
アルフレドと名主は、城門へとまっすぐ続く、大通りを進んでいた。
そろそろ夕刻を向かえ、早く仕事を片付けようと、町の人々は小走りに道を急いでいる。
宿屋の前にはすでに数頭の馬が並び、中から旅人のにぎやかな話し声がする。
その隣に軒を並べた鍛冶屋は、今到着した旅人の注文に応えているため一心に蹄鉄を打っている。
魚屋は今日獲れたばかりのボラを高々と掲げ、おかみさんたちと値段の交渉をしている。
豚を森へと連れて行く農民も、大きな荷物を背負った行商人もそれぞれに忙しそうだ。
名主は、そんな町のにぎやかさに目を奪われていた。まるで祭じゃないか。
不意に、名主は、町の人々と不思議と目が合うことに気づいた。
なぜ俺をそんなにじろじろと見るのか? 自分がみすぼらしいからか、と思わず自分の姿を見る。
だが、すぐに自分の間違いに気づいた。人々は、自分ではなく我が主君を見ているのだ。
よく見れば、大通りには騎乗の者も大勢いたが、アルフレドほど見事な姿をしたものは一人もいない。
主君に向けられる尊敬と羨望の眼差しを、名主は誇らしく思った。
その時だった。
突然、二人の前に小さな子供が飛び出してきた。
一人は男の子、もう一人は女の子。
「きしさまだぁ。きしさまー、きしさまー!」
「だめだよ、おこられるよ」
男の子の手に、小さな木剣が握られている。女の子は、その手を取って、必死に引き止めていた。
男の子は、女の子の手を振り払うようにして、アルフレドの馬に駆け寄る。
アルフレドは慌てて手綱を引く。彼の馬が大きないななきを上げた。
驚いて立ちすくむその子のもとに、転がるように母親が飛び出してきた。
「も、申し訳ありませんっ、お城の騎士さまの道をふさぐなど…………
分別のない子供のしたことです、ど、どうかお許しを……」
母親は男の子をしっかりと抱き、道に頭を擦り付けるようにしてうずくまる。
女の子も、不安そうに母親の袖を握っていた。
男の子だけが、自分の母親とアルフレドを不思議そうに見比べている。
アルフレドが黙って馬を降りた。
この様子を見ていた周りの人々に、一瞬どよめきが走った。
もちろん、この場で子供や母を罰する権利を、アルフレドは持たない。
この子供も、母も、この町の統治者――すなわち大公の庇護下にある。
だが、それならば下馬する必要などない。罵声を浴びせ、去ればよいだけだ。
では一体何をする気なのか。
人々が固唾を呑んで見守る中、アルフレドは黙って母親の肩をつかんだ。
鎖帷子と籠手が、重々しい音を立てる。母親は、はっと身を硬くしたようだった。
「……軍馬は、目の前に出てきたものはなんであれ、蹴り殺すよう訓練されている。
決して馬の前に飛び出さぬよう、坊やにはよく言って聞かせるんだ」
アルフレドは母の耳元でそうささやくと、今度は少年の頭にそっと手を置いた。
「お母さんの言うことをよく聞きなさい」
それだけ言うと、アルフレドは再び馬にまたがった。
言われた当の母親は、アルフレドの背中を目を丸くして見送っている。
「それに」
馬上のアルはぽつり呟く。
「僕は騎士じゃない」
2.
「古のスウェビの掟と、主従の誓いに基づき、アルフレド・オプレント、大公陛下の円卓に集うべく参上いたしました」
城の大広間に、大公とアルフレド、そして家臣たちの姿があった。
アルフレドは大公の前で片膝をつき、軽く頭を下げている。玉座に座る大公は、鷹揚にそれを見下ろしていた。
「……ジャンカルロ伯は、到着が遅れるとの事だが」
「我が主は、急な病で出立が遅れました。
しかし『大評議会』の開催日までには必ず到着すると、陛下にお伝えせよとのことでございます」
アルフレドは頭を上げようとしない。
それというのも、大公が頭を上げるよう言わないからだ。
「では、トゥルネアメント(馬上槍試合)にも参加するのだな」
「はい。陛下に忠誠を示すまたとない機会、必ずや目覚ましい武勇をご覧に入れると」
大評議会は、この国の最高意思決定機関であり、大公とそれに連なる七人の伯、その他直参の貴族によって構成される。
いまや形骸化したとはいえ、もし大評議会に出席しなければ、伯の身分を失いかねない。
また、大評議会に伴って開催される馬上槍試合は、家臣が常に軍役奉仕に備えている事を証明する大事な機会である。
軍役奉仕と宮廷出仕は、どちらも封建関係における臣下の義務であった。
「……その方は、試合には出ないのか」
ここで、大公は思いがけない事を口にした。
周囲の家臣たちに、驚きと忍び笑いが広がる。アルフレドは、ぐっと唇をかむと、やがて声を出した。
「いまだ騎士に叙任されない身でございます。誉れ高き騎士の方々のお相手など、どうして出来ましょうか」
アルフレドの拳に力がこもる。声は震えていたが、大広間の反響が、それをかき消してくれた。
だが、静かに立ち上る殺気だけは隠しようが無い。
スクディエーレ――騎士見習いの従士が試合に出れないことなど、ここにいる誰もが知っている。
「ご苦労だった。今日はゆっくり休め」
そう言うと大公は、静かに立ち上がると、大広間を出て行った。
家臣たちもある者は大公に付き従い、ある者は思い思いに去っていく。
アルフレドは大公が退出したのを確かめ、ゆっくりと立ち上がった。
「……父上、あなたは私にどうしろとおっしゃるのです?」
大公が消えた扉に向かって、静かに呟く。
古くからの作法によれば、騎士に叙任するのは父親の役目なのである。
アルフレドは黙って広間を出た。
城の中庭に続く階段を下り、厩の並ぶ角へと足を向ける。
見知った顔もいない城では、愛馬マレッツォのみが友と言えた。
「アル? アルフレドなのでしょう?」
凛とした声に、アルフレドのみでなく、中庭にいた他の者たちもつられて振り返る。
居館の窓から、ほっそりとした少女が階下を見下ろしていた。
「今、そちらにいくわ」
少女はいったん姿を消し、やがて居館に連なる大階段から姿を現した。
アルフレドは息を呑んだ。
一瞬、花の精かと思った。
だが、それは確かに人である。
豊かな金髪が肩から腰にかけて、光を弾きながら緩やかに波打っている。
静かに進める一足ひとあしが、まるで水面をすべる花びらのようだ。
くすんだ冬の、冷たい石の建物の中で、彼女だけが色を持ったようだった。
大きなアーモンド形の目が、まっすぐアルフレドを見つめている。
やわらかい笑みをたたえたその顔からは、気高く何者にも屈しない芯の強さが伺われた。
埃っぽい、石の城の中だというのに、細やかな刺繍を施された緑の服は塵一つない。
まるで全ての汚れたものが、彼女の美しさに道をゆずっているようであった。
「ヒルデガルトさま」
アルフレドは膝をついて頭を下げる。視界の隅に、ヒルダの尖った靴が見えた。
「……七年ぶり、いえ、八年ぶりかしら」
間近で聞いた声に、アルフレドの胸は高鳴る。
幼い少女は、今は美しい一人の女性へと生まれ変わった。
だが、その声だけは、小さい頃自分の名を呼んでくれた声そのもののように思えた。
「立ちなさい」
ヒルダに促され、アルフレドはゆっくりと立ち上がる。
顔に親しみをこめた笑顔を浮かべながら。
しかし、それを迎えたのは、冷たい、何の感情も感じられない視線だった。
「陛下に伺ったわ。槍試合には出ないのですってね」
「……はっ」
とげを含んだ声に、アルフレドは思わず目を伏せる。
だが、それでもヒルダの顔から完全に目を背ける事は出来なかった。
会いたかった。話がしたかった。
騎士の修行のため、ジャンカルロ伯に預けられたのが八歳のとき。
それ以来、アルフレドは一日とてヒルダの事を考えなかった日はない。
ただ一人、自分を守ってくれた少女。
父すら声をかけてくれなかったとき、手を差し伸べてくれた肉親。
だが、その少女は今はいない。
「あなた、幾つになるのでしたっけ」
「今年十六になりました」
知らぬわけがない。ヒルダはたった一つしか歳が違わないのだから。
「……あら、まだ十歳になったばかりかと思ったわ」
冷たく言い放った言葉が、アルフレドの胸に突き刺さる。
十六にもなって、騎士見習いなどいい恥さらしである、そういう含みが言外に込められていた。
「相変わらず、図書館通いは止めていないのでしょうね」
そう言って、ヒルダは露骨に軽蔑した笑いを浮かべた。
ヒルダに隠せる事など、何もない。小さい頃からの習慣は、そうそう変わるものではないからだ。
アルフレドは、本が好きだった。
剣より、弓より、馬術より、何より先に読み書きを覚えてしまったほどだ。
大人用の椅子に大きな箱を載せ、夢中で本を読む姿は、図書室を管理する司祭の笑みを誘ったものだ。
だが、アルフレドの父――大公は彼から読書を奪った。
そして、何も与えなかった。愛情も、親としての教えも、ちょっとした挨拶すら。
そして、今。
アルフレドはただ一人心を許した相手すら、奪われてしまった事を知った。
「どうして騎士になれないのか、あなたには分かっているの?」
騎士になれないのはなぜか。
アルフレドには分かっている。才能がない、それ以上に、自分は生まれるべきではなかったのだ。
大公には長らく子供がなかった。妻は子の出来ない苦悩から伏せがちになり、大公はぬくもりを求めた。
そのとき、ふとした弾みに城の下女とねんごろになり、生まれたのがアルフレドである。
正妻は自分の地位が脅かされる恐怖に半狂乱となり、アルの母を苛め抜いた挙句狂死した。
そもそも大公は養子である。
この国の正統な支配者の血筋は正妻の一門であり、大公はこの国の筆頭貴族であったにすぎない。
大公の動きは素早かった。正妻の妹夫婦の娘の後見人となり、彼女を養女としたのだ。
それがヒルデガルトだった。いま、この国の支配者の血を引くのは彼女だけだ。
おそらく、ヒルダに婿を取らせ、その男を陰で操るのだろう、それが周囲の一致した意見だった。
残されたアルフレドは、大公の醜聞の証として放置された。
殺されなかったのは奇跡と言ってよかった。
「あなた……」
ヒルダはアルフレドの目の前まで近づく。
手と手が触れそうな距離まで歩み寄り、じっと目を見つめあった。
ゆるゆるとヒルダの手が持ち上がり、アルフレドの頬をそっと撫でる。
いとことは言え、美しい少女に見つめられ、アルフレドは赤面する。
もちろん、彼は女を知らない。
「震えてるわ」
妖艶な笑みを浮かべるヒルダに、アルフレドが何か言おうとした、そのとたん。
それは電光石火の技だった。
ヒルダの体はアルフレドの脇をすべるように潜り抜け、彼の背後に廻りこんでいた。
見失ったアルフレドが、首を左右に振ってヒルダの姿を探す。
次の瞬間、膝の裏に重たい一撃が叩き込まれた。
激痛によろけ、崩れ落ちるアルフレド。
背後から、鋭い一閃が加えられた。
頬が切れ、細い傷から血が流れる。
ヒルダが、片手に長剣を、もう一方に短刀を持ち、アルフレドの首に刃を当てていた。
アルフレドは慌てて腰を探る。
ない。
自分の長剣と、短刀が鞘だけ残して姿を消していた。
ヒルダの早業だった。
アルフレドの脇を潜り抜ける瞬間、剣を二本とも奪い、長剣の腹でアルフレドを打ったのだ。
「……うかつね」
ヒルダは短刀をアルフレドの首筋から離し、投げ捨てた。
「それに、愚かだわ」
長剣も、音を立てて地面に転がった。
「うかつで、愚かで、のろまで、甘い。確かに、あなたは騎士になれない」
ヒルダは判決を言い渡す判事のように、アルフレドにそう告げた。
痛みをこらえながらゆっくりと立ち上がる。
ヒルダの方に向き直る気にすらならなかった。
「……すみません」
小さく呟いても、ヒルダは何も言わなかった。
厩から馬のいななきだけが聞こえてきた。
「馬も立派なようだけど、果たしてちゃんと乗れるのかしら?」
「それは……」
「口ではなんとでも言えるわね……言い訳は結構よ。
試してやろうかと思ったけれど、止めておきましょう。
ジャンカルロ伯の従士に恥をかかせたと知れたら、陛下に怒られます」
剣を拾い上げるアルフレドのそばを、そよ風のように通り抜ける。
ヒルダは振り返りもしなかった。
3.
「……なんで、アルがここにいるの?」
次の日の朝、森へ遠乗りに出かけたヒルダは、同じく馬にまたがったアルフレドを見つけ、憮然とした表情を見せた。
「姫さまこそ、お一人でこんなところまで?」
ヒルダは供もつれず、簡素なドレスを身にまとっている以外は何も身につけていなかった。
一方のアルフレドは、甲冑は身につけていないにしろ、腰に長剣、背には狩猟用の短弓、手には長めの槍を持っている。
森は危険である。
大公の狩猟場で、森役人が見回っているとはいえ、時折狼たちは迷い込むし、熊もいる。
猪やノロジカですら、気が立っていれば大人をも突き殺す。
そこに、ナイフ一つ持たず、供一人連れず行こうとするヒルダはうかつといえばうかつである。
「子供の頃から一人で来ているし、このブルネッロがいれば、狼の群れだって振り切る事が出来るもの」
そう言ってヒルダはまたがる愛馬の首筋を撫でてやった。
「そういうあなたは?」
狩りの季節は終わっているし、そもそも大公の狩猟場で勝手に狩りをすれば、貴族とて処罰される。
それに、狩りに必要な勢子も犬もいなかった。
ヒルダの質問に、アルフレドは口ごもる。
実は、ここでヒルダに会えるかもしれないと思ってきたのだった。
ヒルダがアルの事を知っているように、アルフレドもヒルダの事をよく知っている。
裁縫や刺繍仕事より、乗馬や木登りが好きだったヒルダ。
そして、昨日の「馬にはちゃんと乗れるの?」という言葉。
それは、この森で待っているという謎かけではないか、とアルフレドは思ったのだった。
「まあ、いいわ。護衛を努めてくれるなら、一緒に来てもいいわよ」
もとよりそのつもりだ。そうでなければ、獣を追い散らすための槍など持ってこない。
薄々自分の考えに気づいているのではないか、とアルフレドは思った。
でも、ヒルダはそれ以上何も言わなかったので、アルフレドは黙ってヒルダの後ろに馬をつけた。
朝の森は、霧が立ち込めている。
しかしヒルダにとっては通いなれた森。迷うことなく森の奥を目指す。
ときおり鳥の鳴き声が聞こえるほかは、馬のひづめの音だけが単調に響いていた。
ヒルダは森の木々のひとつひとつを愛しそうに見回しながら、ゆったりとブルネッロを進ませている。
そんなヒルダを後ろから静かに見守りつつ、アルフレドも澄んだ森の空気を楽しんでいた。
しばらく行くと、森の静寂にざぁざぁと水の流れる音が混じり始めた。
二人が森に入って既に小一時間は経っていようか。すでに森の真ん中と言ってよい。
音に気づいたのか、ヒルダはやや馬足を早め、さらに奥を目指す。
突然、ぱっと視界が開け、木々の枝に隠れていた太陽が差し込んだ。
小川だ。
さらに森の奥にいったところに泉があり、そこから湧き出した水が作った川なのだ。
川幅はそれほど広くない。人が腰まで浸かれば、歩いて渡れなくもない。
ヒルダはほっと一息ついたようだった。
馬から軽々と飛び降りると、川岸まで連れて行く。
そして、馬具を外してやると、水を飲む愛馬の首筋を優しく撫でてやった。
アルフレドもそれに習う。
二頭の馬が十分に水を飲み終わるまで、二人は一言も口を聞かなかった。
「ねえ、アル」
馬の手綱を木の枝にくくりつけていると、後ろからヒルダが声をかけてきた。
「はい」
アルフレドは出来る限り馴れ馴れしくならないよう、努めて平静な声で答えた。
「……昨日の事、怒ってるんでしょう?」
「いえ、騎士に任じられないのは、ひとえに私の腕が未熟なせいですから」
それだけ言うと、アルフレドは水を飲もうと川岸へと引き返した。
後ろから、ヒルダが小走りに追いかけてくる。
「そんな、他人行儀な口振りはお止めなさ……じゃなくて、止めてよ、アル」
ヒルダの声は、毅然とした姫君のものではなく、普通の村娘のようだった。
変化に戸惑いながら、アルフレドはヒルダに振り向く。
「……本当は、アルに会えて嬉しかった。でも、城ではああするしかないの。分かって」
「姫さ……いや、ヒルダ」
ヒルダの目が、幼い頃アルフレドを見つめる優しさを取り戻していた。
それは、温かくて、喜びに満ちていて、そして悲しい。
「アルのこと、心よく思わない人は、五指城にはたくさんいるわ。
今はあなたが冷遇されていても、いつか陛下の跡継ぎに返り咲くのではないかと心配する人が」
「……まさか」
家族と血筋が、いまよりも強く人を縛っていた時代。嫡子といっても実子、周囲の考えは当然のものである。
大公は養子だが、アルフレドがその後を継げば、大公の一族が実質上この国の支配者になるのだ。
ミラノ大公のヴィスコンティ家が、傭兵であったスフォルツァ家に国を乗っ取られた話は、遠くこの国にまで及んでいる。
「今のままで、あなたが陛下の跡を継ぐとは誰も思っていないでしょう。でも、例えばもしアルと私が……」
そう言ってから、ヒルダは頬を染めた。
場違いではあったが、それが政治の思惑のためであれ、愛のためであれ、結婚とは女にとって一生の夢である。
それでいて、まだ十七になったばかりの娘は、男女の契りの話はどこか現実離れした、何か気恥ずかしいものとしか捉えていない。
「僕とヒルダが……まさか、そんなこと」
彼らは実のいとこ、そして現在は義理とはいえ姉と弟なのだ。
親族間の婚姻は、領地や財産の散逸を防ぐためしばしば行われたとはいえ、やはり珍しいことではあった。
だがヒルダは小さくかぶりを振った。
「アルがそう思わなくても、そう思う人もいる……疑いの心に捕らわれた人は、全てを疑うものよ。
だから、決して城で親しげに口を聞いたり、二人でいるところを見られたりしてはいけないの。
そうでないと、アルの身に何か……」
ヒルダは口にするのも忌まわしい、というように首を振った。
そう。事が後継者問題に属する以上、アルフレドが「急病」や「突然の事故」で死ぬことはありえる。
その後には、ヒルダをめぐって陰惨な宮廷劇が繰り広げられるのだろう。
国を真っ二つにして、内乱が起こらないとも限らない。
「ヒルダ、ありがとう」
アルフレドはそう言って心から笑った。
少なくとも、たった一人でも自分の身を案じてくれる人がいる。
それだけで、人は生きていけるものだ。
言われた方のヒルダは、とたんに顔を真っ赤にした。
「……か、勘違いしないで。私は、ただ国の事を思って心配しているだけで、別に……」
突き放すように、ヒルダは軽くアルフレドの体を押した。
慌てて数歩後ろに飛びのき、もじもじとアルフレドを見ている。
当惑した顔でアルフレドが見つめ返すと、さらに顔を赤くしてうつむく。
「ヒルダ? 君いったい……」
「わ、私もう帰る。あんまり遅くなると皆心配するだろうし、こんなところ誰かに見られたら……
アルフレドは、もうしばらくここに居なさい。いっしょに帰ったら、どんな噂されるか分からないもの」
急に少女は、大公の娘としての顔を取り戻したようだった。
だが、アルフレドにはそれがどうしてだかさっぱり分からない。
アルフレドが一歩近づくと、ヒルダはそれに合せて二歩は確実に後ずさった。
「分かった?」
「あの、ヒルダ、僕は」
「いいから! 分かったの、分かってないのっ!」
まるで駄々っ子のようにアルフレドの言葉を遮り、ヒルダは叫んだ。
「……分かった」
「よ、よろしい」
つんとすましたような顔で言っても、頬が赤く染まっていてはまるで締まりがない。
口を尖らせた様子は、まるで子供だ。
アルフレドは小さいころ意地っ張りだったヒルダを思い出していた。
「それじゃ、後でねっ」
アルの答えに満足したのか、ヒルダは馬に飛び乗ると、さっそうと城へ戻っていった。
しばらくそれを見送ってから、アルフレドはのんびりと愛馬マレッツォの手綱を解く作業に取り掛かった。
そのときだった。
森の方からヒルダの甲高い悲鳴が聞こえてきたのは。
「ヒルダ!?」
アルフレドは慌てて鞍にまたがり、声のした方へと急ぐ。
木々の間を抜けて、出来る限りの速さでマレッツォを走らせる。
しかし、ヒルダの姿は一向に見えてこなかった。
「ヒルダーッ! どこにいるんだ、ヒルダっ!」
周囲を見回しながら叫ぶ。
だが、答えはない。
「ヒルダ、ヒルダーっ!!」
必死に声を張り上げるアルフレドの耳に、聞きなれない声が届いた。
地鳴りのような、低く腹に響く声。
アルフレドは手綱を引き、馬の足を止めると、耳を済ませた。
――聞こえる、これは……。
「こっちだ!」
アルフレドは声のした方へ、ヒルダのところへと無我夢中に急いだ。
「ヒルダーっ!」
ヒルダの姿を見つけたとき、アルフレドは安堵の息を吐いていた。
「あ、アル? アル、来ちゃ駄目ぇーっ!」
馬から放り出されたのか、木の陰にうずくまるヒルダは近づいてくるアルにそう叫び返した。
その声で、気づいた。
ヒルダのすぐ目と鼻の先に、大きく黒い影がいることを。
アルフレドはその存在を予想はしていたが、その巨大さに思わず馬を止めた。
「大きい……」
その巨体は、灰色熊だ。アルフレドが見た事もないような巨体の持ち主だった。
開いた口は血のように真っ赤で、だらだらとよだれをたらしている。
思わず、ヒルダの身に既に何か、と見間違うほどだ。
目は小さく、鈍い輝きを放つだけだったが、そのさらに奥には狂ったような怒りがうかがえた。
「くそっ……手負い、か」
アルフレドから見て反対側の目に、細い矢が刺さっている。
冬篭りを前に、食べ物を求めて山から下りてきたところを、狩人か森役人に追い払われたのだろう。
そもそも熊は臆病な生き物だ。人の気配がすれば先に逃げる。
だが、飢えて傷を負った熊は、怒りに我を忘れている。
「ヒルダっ! 逃げろ、逃げるんだ!」
アルフレドが叫んでも、ヒルダは木の根元にうずくまったまま首を振るだけだ。
足かすくんだのか。いや、そうではなかった。
目の前には熊、背後は木、左右に走れば、おそらく熊は猛然とヒルダへと突進するだろう。
馬に乗っているならともかく、少女の足で逃げ切られるものではない。
ヒルダがわずかにでも体を動かせば、それに合せて熊は牙をむき出しにして、うなる。
じり、じり。
一歩一歩、しかし着実にヒルダに死が迫っていた。
「ヒルダっ……」
助けるには一時的にでも、熊をひるませるか、動けなくするしかない。
アルフレドは、身につけている得物を確かめた。
真っ先に剣は考えから外した。間合いに踏み込めば、やられるのはアルフレドだ。
弓も、使えない。
戦用の長弓なら熊を射殺せるかもしれないが、狩猟用短弓ではさらに怒りに火を注ぐだけだろう。
残るは、槍。
アルフレドは何度か主君のジャンカルロ伯の狩りについていったことがある。熊にあったことも幾度かあった。
そのとき、慣れた狩人は決して熊を倒そうとはしなかった。
大きな音を立てて追い払うか、逃げるか。
戦わなくてはならないときは、猟犬をけしかけ、遠くから弓と槍で突いた。
それでも時間稼ぎにしかならない。しょせん、人間のかなう相手ではない。
「……これしかないな」
妙に冷静な自分が少しおかしかった。
背負った弓と矢筒を捨て、不要な荷物を全てはずし、身軽になる。
「ヒルダ。じっとしているんだ!」
「……うんっ」
少女を安心させるように、腹の底から大きな声を出す。
ヒルダはすがるような目をアルフレドに向けた。アルはうなづいて見せる。
槍を小脇に抱え、ゆっくりと熊の方へと馬首を巡らす。
目測で、ほぼ二十馬身。少し距離が足りない。
「マレッツォ、頼むよ」
アルフレドは愛馬に優しく声をかけ、熊に背中を向ける。
「……アルっ……」
アルフレドが離れていくのを見て、ヒルダは震える声で叫んだ。
だが、アルは顔だけ振り向きながら、ヒルダに笑顔を見せた。
それだけで、二人の間には通じるものがある。ヒルダはおずおずとうなづいた。
熊は、アルフレドにあまり注意を払っていない。それが唯一の好条件である。
十分距離をとると、アルフレドは一つ息を吐いた。
訓練どおりやるだけさ。
自分にそう言い聞かせると、アルフレドは大きくマレッツォに拍車を入れた。
猛然と突きかかる。
重騎兵の突撃に、二撃目はない。
人馬一体の槍の一撃は、まともに喰らえば鎖帷子も軽く突き破る。
受け止めるのに失敗すれば落馬して雑兵の餌食となる。
突くのに成功したとしても、もう一度敵と距離をとって体勢を立て直す機会がないのが普通だ。
ましてや、今度の相手は熊。突くのに失敗すれば確実に反撃され、死ぬ。
だが、アルフレドの心は穏やかだった。
相打ちになればいい。自分が殺されたとしても、何らかの手傷を追わせる事は出来る。
そうすればヒルダが逃げる時間を稼ぐ事は出来るはずだった。
マレッツォの勇壮ないななきとひづめの響きに、ついに熊が反応した。
ヒルダを睨んでいた頭をもたげ、アルフレドの方に向き直る。
――気づくのが、早い……。
突く寸前まで気づかれなければ、あるいはアルフレドも生き残れるかもしれなかった。
だが、真正面から立ちふさがれれば、確実に反撃される。つまり、死ぬ。
(構うものか)
今自分が命を捨てなければ、ヒルダは死ぬ。ヒルダがいなくなれば生きていても仕方ない。
答えは簡単だった。
ふと読みかけの歴史書の事を思い出し、せめてあれだけ読み終えてから死にたかった、と思う。
ヒルダは、こんな僕を呆れるだろうな。
死へ向かって突進しながら、アルは苦笑した。
それとも、ヒルダは泣いてくれるのだろうか。だとすると、すまないような気もした。
勝負は、一瞬だった。
熊の脇をすり抜けるようにしながら、槍を熊の巨体に叩きつける。
だが、熊の皮膚は鎖帷子よりも頑丈で、しかも弾力に富んでいた。
皮膚に突き刺さってたわんだ槍の柄は、次の瞬間ばねのように撥ね、アルフレドの体を弾いた。
突っ込んだ衝撃をまともに喰らい、アルは馬から振り落とされる。
弾き飛ばされ、地面にたたきつけられた痛みに気が遠くなる。
それでも体は止まらず、ごろごろと転がってヒルダの目の前に倒れた。
「アルッ!」
恐怖で動かなかったはずのヒルダの体が、このときは自然に動いていた。
駆け寄り、アルフレドの体を起こす。
アルフレドは気を失っていた。
血の気を失った体を、ヒルダはしっかりと抱きしめた。
そこへ、熊のうなり声が響く。
槍が半分体に突き刺さっても、熊はまだ絶命していなかった。
アルの槍は正確に心臓を貫いている。
あと、ほんのわずかな時間で、熊は死ぬに違いない。
だが、そのわずかな時間は、アルとヒルダを殺すのには十分だった。
ヒルダは、とっさにアルフレドの腰から剣を抜いていた。
手に力がこもらない。
大の男と互角に打ち合ったこともあったが、そんな自信など真の恐怖の前には何の役にもたたなかった。
「……こないで」
ヒルダの歯がカタカタと鳴った。
だが、熊はゆっくりと、しかし確実に二人の方へと近づいてくる。
「……こ、こないでっ」
剣を突き出すようにして熊に向ける。だが、それは相手をひるませる助けにもならなかった。
ぱっと、熊が両脚で立ち上がる。
振り上げられた爪が、太陽を弾いて光った。
太い前脚が風を切る音がして、ヒルダは思わず剣を取り落とす。
「ああっ……!!」
最後の瞬間、ヒルダはアルフレドの体をきつく抱いていた。
4.
「アル、アル。しっかりして」
頬に冷たいものが当たり、アルフレドは目を開ける。
泣き顔のヒルダが、自分を見下ろしている。ベッドに寝かされていると気づくのに、しばらくかかった。
「……ここは」
「城よ。五指城の中」
アルフレドは周りを見渡す。狭い部屋だが、小奇麗に片付けられている。
小さなベッドと椅子、蝋燭の光以外は何も無かった。
「なんで、僕たちは……」
生きているんだ。アルフレドはそう言いながら、ふと思う。
もしかして二人とも既に殺され、ここは死後の世界ではないのか、と。
だが、ここは悔悛と終油の秘蹟を受けられなかった者が送られるという、煉獄には思えなかった。
「ヒルダ、君は……無事?」
ようやく言えたのは、それだけだった。ヒルダは涙を拭いながらうなづく。
「マレッツォの、おかげよ」
そう言ってから、ヒルダはこれまで起こった事をぽつりぽつりと話し始めた。
熊の爪が、二人の体を引き裂こうとした、まさにその瞬間。
熊と二人の間にマレッツォが飛び込んできた。
そして、二人の盾となりながら、その蹄で熊の額を叩き割ったのだった。
だが、熊の一撃をまともに浴びて、マレッツォは死んだ。
「マレッツォが、死んだ」
アルフレドがそう呟いたので、ヒルダは弱々しく笑った。
「立派な馬でした……きっと、アルの事、本当に好きだったのね」
そう言うと、ヒルダはアルの手にちぎれた手綱を握らせた。
アルは一目でそれがマレッツォのものだと分かった。
「いや。たぶん……」
言いかけて、止めた。
マレッツォの行動が、アルへの愛情から来たのか、軍馬としての習性から来たのか、それは誰にも分からない。
(ありがとう)
アルフレドは手綱を胸に抱き、愛馬の魂が――教会は否定していたが――主の傍へ登った事を願った。
「アル」
ヒルダの声に、アルフレドは我に帰った。
「ありがとう」
アルフレドは最初ヒルダの言っている意味が分からず、彫像のように固まっていた。
「あなたがいてくれて、本当に良かった」
「あ、あのヒルダ……」
ヒルダはアルの頭をそっと抱き寄せながら、呟いた。
ほんのりと香る女性の匂いと、柔らかな胸の感触に、アルは戸惑ったような声を出す。
声というより、息も絶え絶えの悲鳴に近い。
それでも、ヒルダは止めない。目をつぶり、しっかりとアルフレドを抱きしめている。
さっき感じたのと同じ、冷たいものがまたアルの顔に当たった。
初めて、アルはそれがヒルダの涙だと気づいた。
「怖かったの、とっても……とっても……怖かったの……」
何度も何度も、うわごとのようにヒルダは呟いた。
マレッツォに助けられ、自分たちが無事と分かった瞬間も、考えたのはアルを一刻も早く医者に見せる事だけだった。
そして、今になってやっと、ヒルダの心に恐怖が蘇ったのだ。
涙をぽろぽろとこぼすヒルダに抱かれながら、アルはやっとそんなヒルダの気持ちに気づいた。
そっとヒルダの体を抱きしめる。
それが、今二人に許された行為の中で、何より二人が求めたものだった。
「アルフレド・オプレント」
ヒルダの声に、アルは目を上げた。
手を緩め、アルをまっすぐ見つめている。
「あなたは、騎士です。誰が認めなくても、私が、ヒルデガルト・モンテヴェルデが認めます」
ヒルダはそう言って、アルに手を差し出した。
その中指に、モンテヴェルデ家の家紋が刻まれた指輪がはめられている。
「これからも、私を守ってください……私もあなたを守りましょう」
ヒルダの声は、厳かで、重々しく、そして慈悲深い響きに満ちていた。
アルフレドはそっとその手を取り、指輪に唇をつけた。
時に、主の年1480年、1月。
中部イタリア、教会国家の一角を占めるモンテヴェルデ公国は平和であった。
東方の嵐は、未だこの国に届いていない。
(続く)
歴史物キター! GJ!
乙です。
しかし、中世イタリアというと権謀術数の坩堝みたいな先入観があるので、この先2人がどうなるのか心配…
歴史物は普段読まないんですが、面白く読ませて頂きやした
続きが楽しみです、GJ!
22 :
前スレ440:2005/10/08(土) 22:48:22 ID:qyCjYMLD
感想有難うございます。GJと言って頂きほっとしました。
歴史物はどうしても読む人が限られる上に、あまり日本ではなじみのない時代
(塩野七生さんの初期〜中期はこの時代をよく舞台にしていましたが)なので、
出来るだけわかりやすく、気軽に読める作品にしていきたいと思います。
とはいえ、やはりある程度当時の歴史的背景を説明せざるを得ない場合もありますので、
そこは諦めてください、すいません。
また、出来るだけそういうことは無いようにしていますが、歴史的事実と反する記述があった場合、
それは完全に私の責任です。
では、DAT落ち防止のため、第二話は明日の昼ごろ投下します。
1.
エーゲ海のおだやかな波の上を、四隻の船が滑るように進んでいた。
前を行くガレー船の船尾にはためくのは白地に赤い十字の旗。
小アジア(現在のトルコ)近く、ロードス島に本拠を構える、聖ヨハネ騎士団の軍船である。
後ろを行く船は、金の獅子の旗をなびかせたカラック(帆船)。ヴェネツィア共和国の商船隊だった。
船団は、ペロポネソス半島(ギリシア)の南を、西へ西へと急いでいる。
今は1月。すでに航海の季節は終わっている。
大西洋に比べれば、四季を通じておだやかな地中海とはいえ、冬の航海は危険だった。
このヴェネツィアの商船隊は事故で船を損傷し、ロードス島に一ヶ月以上拘束されたため、帰国が遅れたのだ。
騎士団長は船団長に航海の延期を勧めたが、ヴェネツィア人は強情だった。
無謀な彼らに護衛をつけてやるのは納得のいかないことであったが、仕方が無かった。
彼ら聖ヨハネ騎士団は、もともと聖地巡礼者の保護のため設立された組織である。
いまではエルサレムを追われ、ロードス島に本拠を移したとはいえ、その任務は変わっていない。
事実、彼らはすでに百年以上、ヨーロッパの商船団をトルコ海軍から守るために戦い続けている。
その一方、トルコの船に対しては「聖戦」――実態は海賊行為――を繰り返していた。
傲慢なヴェネツィア船とはいえ、守らねばならないことに変わりはない。
「皮肉なものだな、船長」
船楼の上に立って、甲冑姿の騎士は隣の船長に話しかけた。
「ヴェネツィア人は法王猊下の禁則をいいように解釈しては、トルコ人と商売をしている。
そのヴェネツィア人たちを、我らが守ってやっている」
船長は何も言わなかった。
ヴェネツィア人が東方貿易に興味を失い、船団がトルコへ向かわなくなれば、騎士団も困るのだ。
もしそうなればロードス島は孤立し、早晩トルコに攻め滅ばされるだろう。
実際、多くのヴェネツィア人たちは、投資先を貿易からイタリア本土の農業へと移しつつあった。
今、東方貿易は盛時の勢いを失っている。
大きな原因は1453年、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブル)がトルコに占領された事だった。
貿易の一大拠点となっていたこの都市の喪失は、ヴェネツィアにとって立ち直る事の出来ない打撃だった。
東方貿易の危険性を少しでも引き下げることが、ひいては騎士団自身の利益になる。
船長はそれを思ったのである。
「もうそろそろ、ロードスに引き返しても良いのではないかな」
騎士はそう言って後方のヴェネツィア船の方に振り返った。
あと一日ほどでアドリア海の入り口に到達する。その海域はヴェネツィア海軍が守っている。
「トルコ艦隊が遊弋中という噂もあることだし、ヴェネツィア海軍に引き継ぐまでは……」
船長は答える。
騎士はドイツ人である。故郷を離れ、騎士団に加わってすでに二十年、海上での戦闘にも慣れた。
とはいえ、やはり海は騎士のいる場所ではない。
はやくしっかりとした地面に足をつけたいと思うのが人情だった。
一方の船長は同じ海の男であるヴェネツィア人に同情的だった。
二人の温度差はそこから来ていた。
騎士は、この船に乗り組んだ三十人の石弓兵と、八人の騎士を束ねている。
だが、船の事は船長に全面的に依存していた。少なくとも、名目的には船長の指揮下にある。
「では、あと一日だけ」
騎士はそう言うと、船楼を降りて自室に帰ろうとした。
その時だった。
「……左舷に船っ!」
主マストの頂上から、見張り員が大声を上げた。
騎士は降りかけた船楼に戻る。
「どこの船だっ! 数はっ!」
「……船尾に半月旗……トルコ船ですっ……数は一隻!」
船長は望遠鏡で見張り員の指差した方を覗く。間違いない、トルコのガレー船だった。
隣に立った騎士に、望遠鏡を貸してやる。騎士はそれを覗いてから、うむ、と小さく呟いた。
「どうします」
「あの位置では、我らは振り切れるが、ヴェネツィア船は捕まるかもしれん。
少し時間を稼いでやるしかあるまい」
騎士は戦闘に関しては自信があった。
軽装のトルコ兵に比べ、甲冑をまとった騎士と、貫通力に優れた石弓は優位にある。
こちらはガレーのこぎ手もあてに出来るが、こぎ手を奴隷に依存するトルコ船は純粋に戦闘員だけが戦力だ。
質と数で勝っているなら、しかけて負ける事はあるまい。
「ヴェネツィア船に伝えろ。こちらがしかける間に全速力で逃げろ、と」
「分かりました」
騎士の決断は早く、船長もまたそれに匹敵するぐらい早かった。
てきぱきと船員に指示を伝え、船はトルコ船と相対して加速する。
甲板上には石弓手たちが姿を現し、船縁に盾を並べ、戦闘体勢を整えていた。
「引けッ」
騎士の号令に、いっせいに石弓を巻き上げる音が響いた。
少しでも遠方から攻撃し、相手をひるませるのが定石だ。だが。
「後方に船! ……トルコ船ですっ!」
見張り員が叫ぶ。
船長が慌てて望遠鏡を船尾方向に向ける。
ヴェネツィア船のはるか後方、水平線の向こうから、五隻のガレー船が、こちらへ向かっている。
「くそっ、おとりか!」
騎士が歯噛みする。
おそらく後方のトルコ船団はずっと自分たちを追尾していたに違いない。
そして、一隻をおとりにして、護衛のガレー船を船団から切り離しにかかったのだ。
ヴェネツィア船は必死に逃げようとする。
しかし、船体が細く、帆にくわえて櫂の力で進むガレー船は、カラックに比べ圧倒的に速い。
すでに騎士団の船は引き返せないところまで来ていた。おとりのトルコ船はもう目の前だ。
ヴェネツィア船には、自分で身を守ってもらうしかない。
「……放てぇぇぇっ!」
騎士の号令に、一斉に矢が風を切った。
2.
「……それでは、次の議題だが」
モンテヴェルデ公国の大公マッシミリアーノは、重々しく手を挙げた。
後ろに控えていた小姓が、その手に小さく折りたたまれた紙片を手渡す。
マッシミリアーノは、円卓に座った諸侯が自分に注目する十分な時間をとってから、それを読み始めた。
「『令名高きマッシミリアーノ公へ、ヴェネツィア共和国統領ならびに元老院より心よりの挨拶を送る。
さて、我らは主の年1454年に結ばれた同盟に基づき、二十五年の期限で定められた条約がさらに延長される事を望む。
すなわち、貴国の港および港湾施設に、ヴェネツィアの艦船が自由に立ち寄ること。
さらに、もろもろの税を免除された額で水、食料、その他船の修理に必要な資材を購入し、
必要とあれば水夫および石弓手を徴用する権利が、我々に与えられんことを。
我々はアドリア海の防衛を担当し、海賊、異教徒その他から、貴国の商船および物品を防衛する事を約する。
もし、貴国の商船および物品がオートラント(南イタリアの都市)より北の海域において、
神の御業による原因(註、自然災害)以外で何らかの損害をこうむった場合は、
公証人が作成したる取引書類に基づき、それに記載された価格と同額を貴国に弁済する……』」
そこまで読んだところで、マッシミリアーノは言葉を切った。後は儀礼的な言葉が並んでいるだけである。
「諸侯はどう思われるか」
「妥当なものでしょう」
最初に口を開いたのはジャンカルロ伯、列席した貴族の中では、大公に次ぐ権勢を誇る人物だ。
それゆえ、次の大公になるのは彼という見方も強い。
マッシミリアーノの統治の正当性は、養女ヒルデガルトの後見人であるというその一点にかかっている。
ゆえに、マッシミリアーノがもし亡くなれば、大公位は誰の懐に転がり込むか分からない。
「しかし……果たしてその約束、守られましょうか」
末席の貴族がそう言った。彼は俗に「モンテヴェルデの七大伯」と呼ばれる領主の一人である。
「すでにアルメニア王国もトルコの手に落ち、ヴェネツィアはダルマチア(アドリア海の東岸地域)に圧迫されております。
トルコのスルタン、メフメト二世は大艦隊を築きあげており、アドリア海に乗り込んでくるといううわさも……」
「その時、ヴェネツィアが勝ってくれればよいが、物資や人手を取られた挙句、負けたとあっては自力で国を守る事すら出来ません」
もう一人の伯がそう付け加えた。ヴェネツィアが求めているのは、簡単に言えば戦時における物資と人員の供給である。
モンテヴェルデ公国は中部イタリアを治める教会国家と、南イタリアを治めるナポリ王国の境にある。
ヴェネツィアからは船で数日の距離にあり、普段はヴェネツィア船が立ち寄ることもない。その必要がないからだ。
しかし、戦時となればその距離が逆に重要になる。
西欧一の造船能力を持つヴェネツィア国営造船所で作られた軍船に、近隣諸国から徴用した水夫を乗せれば短期間に戦力化できる。
ヴェネツィアは、人口の少なさから、戦のたびに水夫と兵士をそろえるのに苦労してきた歴史がある。
モンテヴェルデの小さな人口ですら、彼らにとっては喉から手が出るほど欲しい人的資源なのだ。
しかし、この小さな国がヴェネツィアの求めに応じれば、この国の壮丁の三分の一はいなくなるだろう。
二人の伯はそれを案じているのだった。
「しかし、トルコの異教徒が攻めてくるとすれば海からだ。我らにその備えはない。船も、要塞もない。
もし貴公がヴェネツィア以上に強大な海軍を持つ国を御存知というなら、教えていただきたい」
ジャンカルロにそう言われては、他の貴族たちは黙るしかない。
そのとき、家臣たちの会話を聞いていた大公が静かにもう一枚の紙片を取り出した。
「……ちなみに、フィレンツェの友人、ロレンツォ殿からはこのような手紙をもらっておる。
『親愛なるマッシミリアーノ公へ、トスカーナの友人より。
法王猊下、数多の領主閣下、ナポリ王、ミラノ公、ヴェネツィア共和国そしてフィレンツェ共和国。
我らは皆兄弟であり、主の年1454年に互いの権利を尊重する事を約しあった。
今、不幸にしてフィレンツェとナポリは刃を交えている。
しかし、これが友人にはよくある、ちょっとした行き違いによるものであると私は思う。
この不幸な状態も、長くは続かないだろう。
願わくば、我らの友情が陸にあっても海にあっても、いつまでも変わりませんように』
……分かるか? 『陸にあっても、海にあっても』だ。
まったく、あの僭主殿はどこでヴェネツィアの手紙を盗み見たのやら」
面白そうに含み笑いをしながら、大公はフィレンツェの王冠なき王、メディチ家当主ロレンツォの手紙を円卓の上に投げた。
彼が求めているのは、公国とヴェネツィアの条約が何の変更も無く更新されることである事は明らかだった。
1480年のイタリアは、フィレンツェ共和国の実質的支配者、ロレンツォ・ディ・メディチによって差配されていた。
イタリアには、俗にポテンターティ(列強)と呼ばれる五つの国がある。
北のロンバルディアを治めるミラノ公国。地中海の女王ヴェネツィア共和国。
法王が治める教会国家。アラゴン家の支配する南イタリアのナポリ王国。
そして毛織物と金融で栄えるフィレンツェ共和国である。
彼らは常にその権益を巡り、時に戦争、時に陰謀と、様々な形で争ってきた。
しかし、1453年トルコのメフメト二世がコンスタンティノープルを陥落させると、状況は一変した。
強大な外敵を前に、五大国の間に一種の協調関係が生まれたのである。
それが、二通の手紙でたびたび言及されている1454年の和約、いわゆる『ローディの和』である。
これは一種の勢力均衡策で、五大国はそれぞれの権益を侵さないことを互いに保証しあった。
そして、その実質的調停者が、フィレンツェの大商人、ロレンツォ・ディ・メディチである。
メディチ家はこの頃、すでにフィレンツェの共和制を骨抜きにし、実質的な支配者・僭主となっていた。
そして、その莫大な富と血縁関係を駆使し、常に不協和音を発するイタリアの安定を保とうとしてきた。
それは正しい選択であった。
15世紀はまさに「ルネサンス」の盛期であり、ギベルティやブルネレスキがフィレンツェで活躍したのもこの時期である。
そして、フィレンツェや「列強」のみでなく、他の国も多かれ少なかれこの安定と繁栄を謳歌していた。
ゆえに、ロレンツォはイタリアのまさに中心人物であり、人々は彼を『ロレンツォ・イル・マニフィコ(偉大なるロレンツォ)』と呼んだ。
「フィレンツェはナポリ軍にかかりきりだ。これ以上厄介ごとを増やしてくれるな、と言いたいのであろう」
一人の貴族がそう言った。二年前からフィレンツェとナポリの戦争状態が続いている。
ナポリには教皇が支持を与え、フィレンツェにはミラノ公国がついていた。
「だが、講和が近いという噂もある。何でもミラノ公のご息女イッポリタ・マリア様が仲介に入られるとか」
イッポリタの嫁ぎ先は、ナポリ王の息子アルフォンソである。仲介役としてはふさわしい。
「ありうる話だ。ロレンツォの手紙も、和解が近いことを匂わせているように思える」
ジャンカルロ伯がそう呟くと、座は静まった。
戦が終わるなら、フィレンツェから引き出せるものは何もないだろう。全てが1454年の状態に戻るのだ。
「では、条約は延長されるべきであろう。ヴェネツィアもフィレンツェも、我らの頼もしい友邦なのだから」
大公はそう言ってこの話に決着をつけた。
諸侯たちは黙ってうなづく。
つまり、大公の腹は最初から決まっていたのだろう。
大評議会の円卓――それはここに最初に国を築いたノルマン人の部族長会議に起源を持つ。
だが、国が生まれて500年以上、この伝統ある集いもいまや形だけのものだった。
3.
五指城の中庭に、鋭い剣の音が響く。
アルフレドが、一人の戦士と剣術の稽古に励んでいた。
互いに鎧は着けず、簡単な革の上着を着ているだけだが、使っているのは真剣だ。
二人の額から、滝のような汗が吹き出る。冬の冷たい風など、二人の熱気を冷ますのに何の役にも立たなかった。
周りでは、同じような姿の男たちが、二人の打ちあう様子を見物している。
アルフレドの対戦相手が、先に動いた。
勢いよく間合いに踏み込み、右、左と連続して打ち込む。
しかし、アルはそれを軽く受け流し、相手の剣を弾いた勢いで、素早い一撃を相手の身中に繰り出した。
それを後ろ跳びに避けようとして、相手は尻餅をつく。勝負ありだった。
「いや、いや、参ったまいった」
剣を投げ捨て、男は頭を振って立ち上がる。周りからは冷やかすような笑いがどっとおこった。
「さすがは『熊殺し』。いい腕だ」
アルが姫君の危機を救ったという話は、緘口令が引かれたものの既に城中に広がっていた。
衆人環視の中、ヒルダが血相を変えてアルを城に連れて帰ったから、それも仕方のないことではあったが。
「君の場合、相手の腕より足に注意を払う癖がある。バシネットを被ると、相手の上半身は見にくいからかも」
バシネットとは、目から上を覆う、皿型の兜のことだ。騎士ではなく、歩兵たちが愛用している。
そう。対戦相手も、周りにいる男たちも全て身分の低い兵卒だった。
全員、この大評議会の開催に合わせて君主に同行した者たちである。
アルフレドは、同じ貴族身分より、彼らの中にいる方が心休まる事に気づいていた。
城の騎士や貴族は、アルフレドを蔑むか、先日の殊勲を嫉妬するか、とにかく対等に付き合おうとはしなかった。
その点、兵卒たちは若い騎士見習いに過ぎないアルに、気後れも遠慮もしなかった。
彼が大公の息子である事は全く知られていない。ただ、騎士になれない貧乏貴族だと思っている。
「さすが、きちんと剣術を習ったお方は違う。俺たちゃ盲滅法振り回してるだけだからな!」
そう言うと、周りの兵士たちはまた笑った。めったに褒められない剣術を誉めそやされ、アルは頭をかいた。
そんな様子も、兵卒たちには身分を鼻にかけない謙虚さと映っているようだった。
彼らと、アルの境遇はある意味似ている。
彼らは戦士だが、身分は農民である。領主の命令で、食い詰めた農家の次男や三男が奉公しているに過ぎない。
故郷に帰っても、相続すべき田畑はなく、これ以上出世することもない。
戦争になれば一財産築く機会もあるかもしれないが、平和なこの国ではそれも難しかった。
年老いる前に傭兵に転じて流浪の人生を送るか、老年まで奉公して、痩せ馬一頭とわずかな金を渡され暇を出されるか。
どちらにしても未来はない。アルが一生騎士見習いで、一村の領主に終わるように。
アルフレドも彼らも、自分たちがここで腐っていくことを半ば諦めとともに受け入れていた。
戦になれば、田畑や町が焼かれ、女や子供が殺され、犯される。
そうなるくらいなら、わずかな数の兵士が不遇を囲っている方が、いいではないか?
だが、頭で分かっていても、自分たちが何の希望もない一生を送る事を皆納得しているわけではなかった。
「しかし、姫様のお命を救ったんだ。せめて、大公様からご褒美でももらえないのかね」
「馬鹿。熊一頭殺したぐらいで恩賞がもらえるなら、猟犬はみんな『領主さま』だろうぜ!」
「違いねえ」
アルの武勇伝を聞いても、兵卒たちはそう言って笑い話にして黙り込んでしまう。
求められているのはその人間が「何をしたか」ではなく「何者であるか」なのだ。
アルは兵卒たちの冗談を、ただ黙って聞いていた。
それは自虐と不満と、諦念が奇妙に入り混じった、悲しい笑いに聞こえた。
「それより、明日はトゥルネアメント(馬上槍試合)だ。今晩は城下町はお祭騒ぎだな」
一人の兵卒が舌なめずりをして、そう言った。
大評議会は1月6日、公現の祝日に始まり、三日続く。その後馬上槍試合が二日開催され、大宴会で幕を下ろす。
モンテヴェルデの一年を決める大事な行事、ということになっているが、評議会が形式化した今ではその後の槍試合と宴会が主である。
城の浮かれた雰囲気に合わせたように、城下町もちょっとした祭の賑わいを見せるのだった。
「やはり、俺は『金拍車』亭だな。あそこのエールと豚の串焼きは絶品だから」
「食い気もいいが、女だ。てめえのかかあなんざこの際忘れて、町のいい女を抱こうや」
「城壁の外にある淫売屋に、たいそう上物のスラヴ娘がいるって聞いたぞ」
「たまには違った味も試してみんとな。かかあに搾り取られるだけじゃ、たまらねえ」
夜の賑わいを前に、兵卒たちは下品な笑いを立てる。
だが、貧しい彼らが年に一度少し羽目を外したからといって、それを咎めることが出来ようか。
アルフレドはそんな様子を、兵卒の輪の外から黙って見守っていた。
「……へへ、ところで、アルフレドさまは、どちらがお好みで?」
調子のいい若い兵卒が、てもみしながらアルフレドに振り返った。
まさか自分に話が及ぶとは思っていなかったので、とっさには何の言葉も出てこない。
「そりゃあ、アルフレドさまはまだ若いんだから、食い気だろう」
「いやいや、若いうちは木の股を見ても、こう、むくむくと来るもんだ」
「どうです。良ければ俺たちと一緒に」
「あ――いや、僕は」
アルフレドは困ったように笑みを浮かべている。
正直、女に興味がないわけではない。だが、気恥ずかしさが先に立ってしまうのもまた率直な気持ちだった。
「……まさかアルフレドさま、まだ女を御存知ない?」
勘のいい男が、にやにやと笑いながら言った。
一斉に意地の悪い、しかし興味深そうな目がアルフレドに向けられた。
「それはいかん。これは是非とも我らがアルフレドさまをこの世の天国にお連れせねば」
「うむ。ぜひ噂のスラヴ娘をいの一番に試していただきたい」
「俺なら手馴れた年増を勧めるが。おぼこ娘はうるさくていかん。とくにローマ生まれは駄目だ」
その言葉が、男たちに生気を吹き込んだようだった。
「女ならやはりヴェネト産だろう」「ナポリ女は熱っぽくてお勧めですぞ」「いやいや初めてなら……」
一斉に、アルフレドの最初の相手はどこの女が良いか、という相談が始まったものだから、アルはうろたえた。
「あの、僕は別に……」
だが、アルフレドの言葉など既に誰も聞いていない。勝手に女の寸評を繰り広げ、自分の経験を語り合う。
「アルフレド!」
中庭に鋭い一喝が響いた。兵卒たちは慌てて口をふさぐ。
その声は皆聞き覚えがあった。
「ヒルデガルトさま」
大階段の一番頂上に、ヒルダの姿があった。慌てて兵卒たちは頭を下げる。
アルフレドは、一番に頭を下げていた。
「用があります。剣の稽古が終わったのなら、こちらに来るように」
「はい」
「大公陛下のお城にふさわしい話というものがあります。貴族とあろうものが、範を示さないでどうするのです」
「……はっ」
兵卒たちが声高に繰り広げていた話は、ヒルダに聞こえていたに違いない。
男たちは少し気まずそうに、肘で互いをつつきあう。
アルは、死刑を言い渡された罪人か何かのように怯えた目で、ゆっくりと階段を登っていった。
ヒルダが黙って居館の中に消えたので、アルも後を追う。
そこは、謁見室の控えの間だった。ふだんはあまり使われる事も無く、人も通らない。
ちなみに、この頃の貴族の館には一般に「廊下」がなく、部屋と部屋は直接つながっていた。
「……申し訳ありません、ヒルデガルトさま。お城の中で下賎な話をお耳に入れまして」
「仮にも大評議会が開かれているというのに、困ります」
背を向けたままのヒルダは、冷たく言い放った。
何か弁解をしようかとアルフレドは思ったが、やはり黙っておいた。
ヒルダに兵卒の、いや男の気持ちを分かれという方が無茶だし、ヒルダの言うことは正しい。
「……それで」
「それで、とは」
振り向いたヒルダは、頬をぷぅっと膨らませて、すごい形相でアルフレドを睨んでいる。
アルは思わずたじろぐ。
「アルは、スラヴの娘がお気に入りなの? それとも、ヴェネトの赤毛がお好みなのかしら」
「あ、あの……ヒルデガルトさま?」
アルが返事に困っていると、ヒルダはまたつんとそっぽを向いた。
「兵卒たちと出かけるんでしょう? 殿方は故国の女たちより他国人の方を喜ぶなんて、知りませんでしたっ」
「ヒルデガルトさま、僕は別に彼らと一緒に出かける気は……」
ヒルダの前に回り込もうとしても、彼女はアルの顔を避ける。
「それにしては、鼻の下を長くして、話に聞き入ってたみたいだけど?」
横目で冷たく睨むヒルダに、ひやりと心が冷える。
「だ、だからそれはヒルダの誤解だってっ」
「うそ」
「嘘じゃないです」
「嘘ですっ」
こうなると子供の喧嘩だ。アルフレドもヒルダもいつの間にか敬語を使うことを忘れている。
天を向くように睨んでくるヒルダに、アルもムキになってにらみ返す。
「珍しく剣の稽古をしていると聞いて行ってみれば、女性の話に花を咲かせてるなんて!」
「だ、だからそれは兵卒たちが勝手に始めたことで、僕は興味はなかったんだってば」
「そうやって下々のせいにするなんて……アルがそんな人だなんて思わなかった!」
ヒルダの怒りはおさまりそうもない。
あたふたと言葉を重ねるアルの様子が、さらに怒りに火を注いでいるようだった。
ヒルダは、アルフレドが剣術や馬術を本心では嫌っている事など、小さいときからよく知っている。
そんな彼を軽蔑した事もあった。思えば幼い子供の軽率な判断だったと思う。
でも、アルフレドはいつしか歯を食いしばり、砂を噛むように騎士の修行に励むようになっていった。
そういう、真面目すぎるほど生真面目なアルをヒルダは誇りに思い――ほのかな思いを寄せていた。
だと言うのに、稽古の途中にあんな――あんな話をしているなんて!
「ふ不潔ですっ……それに、卑怯だわ!」
「じゃ、じゃあ僕が認めれば満足なのかい? ああ、もう。一体どう言ったら信じてくれるんだよっ」
頭をかきむしり、ヒルダをじっと見つめる。
真面目な顔をして見つめるアルの目線に、ヒルダはかあっと顔が火照るのを感じた。
「もう……知らないっ」
ヒルダは隣の部屋に逃げていった。
自分の心に宿ったものが、軽い嫉妬であることすら気づかない。
男の女の機微についていえば、それほどまでヒルダは「うぶ」だった。
もちろんそんな事はアルにも分からない。だが放っておくわけにもいかず、彼女を追いかける。
ヒルダに追いついたのは、円卓の間の隣の部屋だった。
「ヒルダ、僕は嘘なんかついてない……」
声をかけようとしたその時、隣室の扉が開いたので、アルフレドは慌てて口をつぐんだ。
ヒルダと親しげに口を聞いているところを人に見られたら、大変だ。
出てきたのは、ジャンカルロ公を先頭にした、モンテヴェルデの諸侯たちである。
「ジャンカルロさま」
自らの主君の姿を見て、アルフレドはさっと頭を下げる。
豪華な衣装に身を包み、他を圧倒する堂々たる態度で出てきたジャンカルロは、アルの姿を見て微笑した。
「アルフレドか、どうした」
「いえ、別に」
口ごもるアルに、ジャンカルロは特別な注意を払わなかった。
しかし部屋を見渡し、ヒルダの姿を見つけると、その態度は一変した。
「おお、これは姫様。ごきげん麗しゅう」
ゆったりとした態度で一礼する。
ヒルダはさっきまでの取り乱した態度をつくろうように、背筋を伸ばし、ジャンカルロを見下ろしていた。
「伯爵もごきげんよう。大評議会は終わりましたの?」
「ええ、今年もつつがなく」
笑みを浮かべる伯爵に、ヒルダの表情は変わらない。
だが、冷たくされても、男盛りを迎えたこの大領主は丁寧な態度を崩さなかった。
「……そう言えば、先日は危ないところでしたな」
「ええ、伯爵の御家中の方に助けていただき、九死に一生を得ましたわ」
「これからは、少し遠乗りを控えられる方がよろしいでしょうな。幼馴染みも常にそばにいるとは限りますまい」
ヒルダは努めて客観的に言ったつもりだったが、伯爵には通用しなかった。
伯爵は、アルフレドが大公の後継者になることを警戒する筆頭の人物なのだ。
彼の言葉は、はっきりとアルとヒルダの関係を疑うものだった。
「アルフレドも、よくやったぞ。さきほど、陛下からじきじきにお褒めの言葉をいただいた」
ジャンカルロはそう言って大笑した。もちろん、アルには何の音沙汰もない。
「それは……光栄の至り」
アルフレドが深く頭を下げると、ジャンカルロはその話題は終わった、とばかりに歩き始めた。
「そういえば、ヴェネツィアとの条約の件、どうなりました」
ヒルダはジャンカルロ伯の後ろを歩きながらそう切り出した。
「……これまでどおり、ということで。ロレンツォ・ディ・メディチの後押しもありましたが」
伯爵は、ロレンツォを呼び捨てにした。
彼のような典型的封建貴族にとって、王侯のように振舞う商人など、片腹痛い存在だった。
「それは良かった」
安堵の笑みを浮かべるヒルダに、伯爵はいぶかしげな顔をする。
女でも土地の相続権はあり、女君主というべき存在もいるにはいたが、やはり政治は男の仕事と考えられている。
「今度のヴェネツィアの定期便に、私と召使いたちの服に使う絹が積んでありますの。
……きっと、無事に届きますわね」
慌ててヒルダが言いつくろうと、ジャンカルロはまた声を出して笑った。
「全く、ご婦人方はのんきなものですな!」
もちろん、ヒルダはヴェネツィアの海軍力がこれまでどおり味方になったことを喜んだのである。
4.
「騎士殿、お名前は」
聖ヨハネ騎士団のドイツ騎士は、流暢なラテン語で話しかけられ、驚いた。
ここは、トルコの軍船の上。
自分が乗っていたガレー船は黒煙を上げていた。
ヴェネツィア船も二隻が拿捕され、今は半月旗をその船尾に掲げている。
逃れた一隻が何とか味方に連絡してくれる事を騎士は願った。
戦闘は、一方的だった。
おとりの船に切り込んだ瞬間、さらに二隻の別のトルコ船が戦闘に加入し、勝敗は決した。
騎士団員は自分を除いて殺され、石弓手たちもほとんど死んだ。
船長も行方不明。船員はみな奴隷にされていた。
それでも、騎士としての誇りを失ってはならない。せめて、最期まで堂々としていよう。
「……ザクセンのウィルヘルム。聖ヨハネ騎士修道会の修道士である」
「あっぱれな戦いぶりでありました」
話しかけてきたトルコ人は、目の細かい鎖帷子に、金の飾りが施された手甲、脚半をつけ、白いマントをつけている。
顔は血に汚れているが、ウィルヘルムを見つめる視線は柔らかい。一見して身分の高い武人と分かった。
「冥土の土産に、尊公のお名前をうかがいたい」
そう言われたトルコ人は、大きな声で笑った。騎士ウィルヘルムは憮然とした表情を見せた。
「何がおかしい」
「いや、失礼」
そう言ってからも、トルコ人はしばらく笑っていた。
「勇敢に戦った戦士を軽々しく殺したりはせぬ」
「どうかな」
トルコ人の残虐さは良く知っている、とばかりにウィルヘルムは皮肉っぽい視線を相手に向けた。
もちろん、自分たちがトルコ人にどのような残虐な振る舞いをしてきたかは都合よく忘れていた。
「ふん……確かに、情けをかけておいた方がいいかも知れぬ。ここらはヴェネツィアの軍船の通り道だ。
このような小艦隊でぐずぐずしておれば、今度はそちらが虜になりますぞ」
ウィルヘルムは精一杯の強がりを言ってみせた。
その根拠があれほど嫌っていたヴェネツィア海軍頼みというのが情けなかったが。
「気にせぬ」
しかし、言われたトルコ人は平然と答えた。
「ウィルヘルム殿。これからはアドリア海も、我々のものとなろう」
それは、虚勢ではなかった。確実な未来を見据えているかのような声だった。
「……私の名は、アクメト・ジェイディク」
トルコ人の名を聞いて、ウィルヘルムは息を呑んだ。
その男は、エーゲ海にその名を轟かせる、トルコ艦隊の司令官であった。
(続く)
19世紀的海戦しか知らないので、15世紀の海戦場面は興味深く読ませていただきました。
しかし、マスト上で視認した直後に船楼から視認するというのはちと問題では?視認可能距離がかなり違うと思うんですが。
いや、些事で申し訳ありませんが、話が面白い分そういう細かな点が目に付いてしまいまして。
33 :
前スレ440:2005/10/10(月) 21:45:08 ID:uiAywKkB
すいません、見直したらノンブル間違えてますね
>>31 それはそれとして
>>32 えー、それは俺の描写力不足が最大の原因でして、
マスト上の見張りが発見→船長言われたほうを望遠鏡でのぞく→(しばらく探す)
→トルコ船発見。
の()内の描写を省いてしまったために32さんにそのような印象を与えてしまったわけです。
すいません。
最初に書いたようにまだまだ修行中の身ですんで、まあ細かい矛盾は目をつぶってください。
というか、矛盾点が目につかない作品、疑問には作品で答えられる作品、になるよう努力いたします。
今後ともよろしくお願いします。
ロリ物もここでいいの?
>34
エロが主体じゃないのならば、此処に投下する事をお勧めする。
昨日の夜に書き込んであった萌え発言から即興SSをまた。
朝からネタが頭の中を回って危うく仕事ミスるとこだった…反省。
では、どうぞ。
37 :
萌恋:2005/10/20(木) 20:14:26 ID:Ztu2mgB6
私の名前は藤村香織。
ある国立大学に通う至って普通の大学2年生だった。
そう、昨日までは…。
私は自分の生活費を稼ぐため週に4回家庭教師のアルバイトをしている。
そのうち1回は塾の生徒の自宅に伺って勉強を教えていたりする。
その子は美保ちゃんっていう中学1年生の女の子で、成績は悪くないんだけどあまり勉強に興味がないのか
いつもゲームばかりしていたから困った母親が家庭教師を呼んだ事から私との関係が始まったのだ。
昨日もいつもの様に彼女の家に行ったのだが、まだ彼女が帰ってきていなかった為私は暫くの間待つことになった。
美保ちゃんは今時の女の子にしては珍しくあまりおしゃれとかに無頓着で、部屋の中も専らゲーム関係の本やソフトが
きれいに並んでいた。
私もあまりそういう事をした事が無かったので却って新鮮な雰囲気を味わう事が出来たのだが。
15分ほど待っただろうか。
美保ちゃんの声と、階段の上がる音から彼女が学校から戻ってきた事が分かった。
そして彼女の姿を見た時、何故か私の心臓の鼓動が大きくなった。
いつもは私服姿で私と一緒に勉強する彼女。
ところが今回の姿は学校の制服を着ている彼女だった。
長い黒髪が背中まで伸びており、着ている紺のブレザーと合っている。
同じく紺のスカート、白いブラウスに赤いリボンを留めてブレザーの胸ポケットには彼女の名札が付いていた。
その姿に私は一瞬言葉を失った。
すごく可愛くて愛しい、そう思ってしまったのだ。
勉強が始まって暫くして、彼女が部屋のカーテンを閉めて一瞬部屋の中が真っ暗になった時、私はその身体を
押し倒して抱きしめたい、襲いたい。
そんな気持ちが心の中を支配していたのだ。
そう、私はこの年になって恋をしてしまったのだ。
「香織〜。どうしたの、ぼーっとしちゃって」
大学の食堂で私は友人の頼子と昼食を取っていた。
「…え?ああ、ごめんごめん」
「まぁあんたのぼーっとする癖は今に始まった事じゃないけどね」
彼女の言葉に私は慌てて自分の箸を動かす。
「そういえば、あたしも最近何かと物入りでお金なくて…。そうだ、確かあんた家庭教師のバイトやってたわよね?
やっぱ時給いいの?」
私の顔に至近距離まで身体ごと乗り出す頼子。
「んー、そこそこよ。でも頑張れば結構な稼げるバイトかも」
「なるほど〜。家庭教師って言うからには相手はやっぱ中学生?それとも高校生?」
次から次へと矢継ぎ早に質問を浴びせてくる彼女。
「私の教えてる子はみんな中学生で、殆どの生徒は個別指導塾で教えて、1人だけ自宅まで伺って教えてる」
自分の言葉に不意に美保ちゃんの姿を想像する私。
また心臓の音がひとつ早くなる。
「中学生か〜…。格好いい男の子とかいないの?『お姉さん、僕にいけない授業を教えてください』とか…!」
「頼子…そんな事したら犯罪じゃない…」
私はため息をついて彼女に話しかける。
そう、いくら可愛くても、抱きしめたいほど愛くるしい姿をしていても。
そんな事をすれば間違いなく大問題になる。
私のため息にはそんな思いが混ざっていたのかもしれない。
「まぁそんなよこしまな事考えてるようじゃ駄目ね、ごちそう様」
私はそう言って自分の食器をそそくさと片付け始める。
「ちぇー…」
不満たっぷりの彼女を尻目に私はそのまま足を進めるのであった。
38 :
萌恋(続き):2005/10/20(木) 20:15:04 ID:Ztu2mgB6
実はあの後、美保ちゃんに「母親から叱られたから来週からはもっと遅く来てください」と言われてしまった。
ああ、もう彼女の制服姿は見れないのか…。
そう思いつつも彼女の家に向かう私。
「今晩はー」
いつもの様に彼女の家の玄関に上がり込み、そのまま2階の部屋に入る。
「先生、こんばんは」
私はその姿を見て驚いた。
何とこの前の制服姿で椅子に座っていたのだ。
「あ、あれ?美保ちゃん、今日も制服のままなんだ」
「うん、さっき帰って来たばかりだったから」
その姿に私の心が再び暴れ出す。
(ああ神様、ありがとう…!)
別に信者でもないけれど今回ばかりは神様にお祈りしたい気分だった。
「取りあえず、この前のテストがあんまり良くなかったみたいだからそれの復習と少し先に進むね」
教科書を広げ、私は彼女にいろいろとポイントを指摘したりする。
それでも私の視線は彼女の方ばかり向いていた。
たまに彼女が見せる自分の髪の毛をいじる癖とか、ちょっと考えている時につくため息とか。
この前まで何も気にしていなかった事が今は私の心をくすぐる。
そして休憩時間。
「先生、お茶いれますね」
彼女がティーポットを持ってカップにお茶を注ごうとするのを私が制する。
「あぁ、いいから。私が入れるわよ」
その時に私はさりげなく彼女の手に触れた。
その瞬間私の身体がかぁっ、と熱くなる。
やばい。顔が赤くなっているのに気づかれる…!
慌てて私はカップの紅茶を一気に飲み干そうとした。
そこで気づいた、私は猫舌だったという事に。
「あち、あちちっ!」
私は熱さのあまり驚いてしまい、思わずカップを放す。
カップは私の膝の上に中身を撒き散らし足元に落ちた。
幸い床は絨毯だった為割れずには済んだのだが。
「先生、大丈夫!?」
美保ちゃんはそう言うと立ち上がってブレザーのポケットからハンカチを取り出し、私の膝の上にこぼれた紅茶を拭き取っていく。
「やけどしてないですか?」
私のスカートの汚れを拭きながら私の顔をじっと心配そうに見つめる美保ちゃん。
「だ、大丈夫…。ごめんね、ありがとう」
彼女の小さい手が私の上で動いている。
布越しから彼女の体温が伝わり、その度に身体に電流が走るような感覚に襲われる。
彼女の息遣いが私の耳の中に入ってくる度に、このまま押し倒して制服ごと彼女を犯してしまいたい衝動が湧き起こる。
「…スカート、染みになってないといいですけど」
彼女の言葉ではっと意識が戻る。
「あ、ああ…気にしなくていいよ、帰ってから洗濯するし」
私はその衝動を抑えるので精一杯だった。
家に帰って私は久しぶりに自分を慰めた。
中学生に、それも自分の教え子に対してこんな気持ちになるのはある意味罪悪感を感じてしまう。
それでも私の指は秘所を愛撫するのを止めようとはしない。
そして私は今日の彼女の仕草のひとつひとつを思い浮かべながら切なさと心の葛藤を感じながら絶頂を迎えてしまったのだ。
頬を私の瞳から湧き出る涙で濡らしながら…。
なかなか人の心理は難しい…。
ちなみに私の脳内妄想から勢いだけで書いたものなので結構ツッコミどころ満載です。
その辺は勘弁をば。
ではでは。
続編を期待してもよかですか?GJですぞー!
本人が見に来ましたよ!!
うっほあ!GJ!
またあのブレザー着ててくれないかなー…
水曜日が家庭教師の日。彼女の部活が休みだから。
そのコは美術部。いかにもな雰囲気なんだよね…
対する自分はバリバリの運動部。剣道部。
ヒント:スカートは穿かない女
んでも、なんか背徳に襲われながら読んでてゾクゾクした。
ありがとう、続きを期待していたり…おk?
うはーきてる
GJGJ!
いやーなんですかな。脳内で自分の言葉遣いに変換すると来週がこうなるんジャマイカと悶々
44 :
萌恋書いた人:2005/10/21(金) 01:09:49 ID:iJ5bHehq
みんなありがd、オナニストしてて良かったです。
改めて見直したら相当文体やばいけど。
やばい、またネタが発動…明日早いのにorz
という訳で続きを書いてみましたのでドゾー
それからしばらくの間はまともに美保ちゃんの顔を見れなかった。
直視したら多分私の顔が真っ赤になっているのがばれてしまうからだ。
それでも成績を下げる事は無かったし、取りあえず家庭教師としては及第点な働きはしていると自分自身で思う。
あれから数ヶ月が過ぎ、冬もそろそろ終わりに近づく時期になった。
まだまだ彼女の家庭教師は続けている。
美保ちゃんの服は大抵は私服だったけれど、学校から帰宅する時間によっては制服姿の彼女も見ることが出来た。
いつもの彼女もどきどきするけれどもブレザー姿の時は特に興奮してしまう。
彼女はもともと無口な方で最初の頃はあまり会話もしなかったのだが、最近ではよく話すようになった。
休憩時間中には新作のゲームの話や学校の行事の話など、主に彼女の話題が多い。
ところが今日は珍しく彼女が私の事を尋ねてきた。
「先生の行ってる大学って、どんなところ?」
「私?…そうね、ここからだと駅2つ位離れたところにあって…」
私の言葉を興味津々な表情で聞く彼女。
彼女はさらに質問を投げかけてくる。
「えっと…。先生は彼氏とかいるの?」
「へ?」
珍しい、まだ色気より食い気の彼女がそんな質問をしてくるなんて。
それと同時に私の心がまた震えてしまいそうになる。
「…いないよ、まだ恋人募集中」
「へぇー。先生きれいなのに…。もうそういう人がいるかと思った」
彼女の言葉に私の心臓の音が早くなっていく。
「珍しいねー、いつもはゲームとかの話をするのに」
心の動揺を抑え彼女に話しかける。
その言葉に何故か彼女の表情は固くなり、そして何かを思いつめたように一言、ぽつりと漏らす。
「…この前、クラスの男子に告白されたんです」
「!」
いきなりの言葉に衝撃を覚え、私は驚きの表情を隠せなかった。
「でも、断りました。だって、そういうのよく分からないから」
「…美保ちゃんはその男の子の事は好き、なの?」
微かに震える声で私は彼女に問いかける。
彼女は首をゆっくり横に振る。
「実は、あんまり。いつも仲のいい友達に相談したんだけどその子たちは『どうして付き合わなかったの』って言うばかりで…」
そして彼女は俯きながら言葉を続ける。
「だから聞いてみたんです、みんなは告白された事ってある?って」
「どうだったの?」
あえて『相談相手の先生』役を演じる私。
でも心の中はその告白をした男子生徒に嫉妬を抱いていた。
「ある子もいました。その子が言うには『すごく心臓がどきどきして、胸がきゅうんとする感じだった』って」
「そうね、私も経験あるけどそんな感じになるわね」
私の言葉に何かを考えたのだろうか、私の顔を見る。
「先生、私にそういう経験を教えてくれませんか?」
「え!?」
何を突然この子は言うんだろう。
「み、美保ちゃん?」
「先生は女の人だから私に対してはそういう感じにはならないと思うけど…。どういうものか興味が出てきたんです」
言葉のひとつひとつが私の心にまるでハンマーを打つように感じられた。
心臓の鼓動は自分でも分かるくらい音を立て、口の中が乾いていく。
それでも私はあくまで『家庭教師』を演じながら彼女に教えていかなければならなかった。
「しょうがないなぁ…。まぁ私に対してそういう感じになったら駄目だけど、雰囲気はこんな感じっていうのを教えてあげるわ」
そして私は椅子から立ち上がり、彼女にも立つように勧める。
彼女の制服姿にくらくらしてしまいそうな自分がいる。
衝動的に力強く抱きしめたい気持ちを抑えて、お互いが向かい合う。
「まぁよくあるパターンとしてはドラマとかであるように告白されてどきどきするパターンね」
そう言って俗に言う「好きです、付き合ってください」的な動きをする私。
「こんな場合は言われた当人も好きじゃないと美保ちゃんみたいに断られるのがオチね。これは逆でも言えるよ」
そして今度は彼女の後ろに移動する私。
次に私がする行動に自分自身の心が破裂しそうになる。
「もうひとつは結構大胆なんだけれども」
私の腕が、彼女の身体に絡まる。
「…!」
後ろからの私の行為に少し驚いたのか、身体を震わせる彼女。
「ごめんね?まぁこういう風にいきなり後ろから優しく抱きついて告白するパターンがあるわね」
そう言いながら私は彼女の身体をそっと抱きしめる。
もちろん不自然にならないように声のトーンはいつものようにしているが。
「この場合は驚きもあるけれど、相手の体温を直に感じ取れるから結構どきどきしやすくなるのよ。ただ雰囲気に流されちゃう
恐れがあるからこういう時ほど相手の事が本当に好きかそうでないか、冷静になる必要があるんだけどね」
彼女の髪の毛からほのかに漂うシャンプーの匂い。
最初は少し震えていたが今はこの状況を確かめるかのようにじっとしている彼女。
もう私の頭の中ではこの状態から彼女を強く抱きしめて彼女の全てを愛してしまいたい、そんな考えがうごめいていた。
「そうですね、ちょっと心臓がどきどきしています」
そのまま身体をひねらせ、彼女の顔が私に近寄る。
お願い、これ以上私を壊さないで…。
自分が望んでいた事なのに残っていた理性がそれを拒絶する。
彼女の顔と私の顔はもう拳ひとつ分の空間しかなかった。
何とか誘惑を断ち切り、慌てて私はその身体から離れる。
「こ、こんな感じかしら?ちょっとでもそういう雰囲気を味わう事ができたかしら?」
私はそそくさと椅子に座り、お盆の上に乗っている冷めた紅茶を口に運ぶ。
彼女も同じように紅茶を飲み、私にその感想を話す。
「何となく、ですけど先生に後ろから抱きしめられた時にちょっと心が温かくなった、というか何というか、そんな感じがしました」
私は少し落ち着いた心で彼女に向かって説明をする。
「それがクラスの子も言ってる『胸がきゅんとなる』って感じかしら?もちろん本当に好きな男の子が出来たらもっと心臓が
どきどきするものだけれど」
そういう事を言ってる私の心臓がもうどきどきしっぱなしである。
「取りあえずこういう感じ、っていう事がちょっとでも分かったからいいんじゃない?」
私はそこまで言うと何事かも無かったようにまた勉強を始めた。
彼女も納得した表情をしているのが私の目からでも分かる。
「…ここはこの数字にxを代入して…」
表面上は何とも無かったように見える私だが、実は結構濡れていた。
抱きしめている時なんかちょっと自分の恥ずかしい液体が噴いていたのが感じる位だったのだ。
指導を終えて、ふと自分の下半身を見ると微かにジーンズの色が少し濃くなっていたからその状態は推して知るべし。
帰り道に今日の出来事を思い出す度、私の恥ずかしいところがまた濡れていく。
美保ちゃんの制服姿、シャンプーの香り、そして私がその身体をそっと抱きしめた事。
そんな事が頭の中を巡っていき、限界が訪れたのか一人暮らしをしているアパートの玄関で私は達してしまい、そこで失禁してしまった。
それでも自分のしでかした水溜りの上で彼女の事を想いながらジーンズの中に手を入れひとり慰める私がいた。
決して彼女には、私のこの想いを伝えることは無いだろう。
でも私は、それでも彼女の事が…。
以上です。
流石にこれ以上いくと押し倒してエチーに発展してしまうのでどうするかは考え中。
もしいいのがあれば(あと時間があれば)書いていきます。
ではではノシ
おっおっ乙!!GJ!
そういう展開に来ましたか…これは…!!
彼女は理科2分野の「道管と師管」と維管束が分からないようなので
来週は色つき紙粘土を100均で買ってって、2人でコネコネして模型を作る予定。
いや、さすがに変なとこコネたりゃあしませんが!!
ドモーでした!!(エチーしてもいいかと(SS内では
49 :
前スレ440:2005/10/21(金) 15:13:44 ID:53E1Tkpg
書き手スレから見てました。
実話(?)を元にしたというのも面白いですね。
個人的な趣味で言えば、本番なしでエロく狂って欲しいです。はい。
それから、今日の深夜ぐらいに「火と鉄…」第三話を投下したいと思います。
1.
雨が降っている。
冬の雨は冷たく、重い。こんな日は、あらゆるものが活動を止める。
そんな中、アルフレドは五指城の図書室にいた。
窓際に並んだ書見台に腰掛け、黙って本の頁をめくっている。
アルの隣には、ほぼ同じ年頃の若者が同じように座っていた。
その若者は、本に熱中するアルの横顔にちょっと目をやってから、小さくため息をついた。
ラテン語どころか、俗語の読み書きすら出来ない彼に、図書室はただの埃っぽいゴミ箱に過ぎない。
「アル、それ面白いのか」
聞いても無駄だが、それでも若者は聞かずにはいられない。
アルは若者を横目で見て、わずかにうなづく。
呆れたように肩をすくめ、若者は目の前に置かれた分厚い写本を無造作にめくった。
絵が目に入る。聖人、聖女、聖職者、異教徒、悪魔。そして、キリストとマリア。
挿絵からしてどうやら聖書に関係する本らしいが、理解できないことに変わりはない。
さらに頁をめくると、裸の女性の絵が出てきた。
男を誘惑するように手を伸ばした、全裸の女。その背後には黒い悪魔が同じ姿で男を誘っている。
七つの大罪の一つ、<肉欲>の図だ。
だが、若者はこの挿絵を見てにやりと笑う。
「アル、アル」
しつこく呼びかける若者に、アルはうんざりした声で答えた。
「……あのさ。退屈なのは分かるけれど、それなら僕のそばにいることはないだろう」
「いや、本も面白いもんだな、これ見ろよ」
そう言って若者が指し示したのは、先ほどの<肉欲>の図だ。
「ええと、『喜びは愛よりいずるものなり。すなわち異性への愛は、喜びなり。
しかれども、愛より出でし喜びは神への愛に劣るがゆえに<肉欲>となり……』」
挿絵に添えられた文を読むアルフレドに、若者はにやりと笑う。
「いや、文章じゃなくて、絵の方だ。なかなかいいおっぱいだと思わないか、この女」
やれやれ、とアルは頭を振った。
「ルカ、それは聖イシドルスの『語源録』の注解だぞ。<肉欲>の語源についての精緻な議論を……」
「アルフレド、あんまり堅物なのもどうかと思うぜ」
ルカと呼ばれた若者は、声を殺して笑った。
さきほど大きな声で馬鹿話をして、アルと図書館長に怒られたばかりなのだ。
ルカは大公に仕える兵卒の一人である。農村ではなくモンテヴェルデの城下町出身らしい。
町育ちだからか、他の兵卒より目端が利き、物言いも直接的で、飾ることがない。
アルが咎めないからとは言え、まるで対等の相手にするように話すのも、そういった出自ゆえだった。
兵卒たちと剣の稽古をした日以来、なぜかアルフレドに付きまとっている。
「ところで、なんで昨日の晩、俺たちと来なかったんだよ」
再び自分の本に目を移したアルに、ルカは声をかける。
「噂のスラヴ娘、なかなかかわいかったぜ? なあ、何でだよ」
「そりゃあ、もちろん……」
しばらく考えてから、アルはぎこちなく付け足した。
「……城で用事があってさ」
「嘘つけ。おおかた姫様にこっぴどく怒られて、出てくる隙がなかったんだろ? 騎士見習いも大変だね」
ルカはそう言ってアルの肩を叩いた。
からかい混じりの声に、アルは困り顔だった。
ルカたちは、昨日の晩しっかりと町の女と上等の酒を楽しんでいた。
アルが行かなかったのは、もちろんヒルダの目があったからというのもある。
昨日は床に就くまで、わざわざ彼女の目に留まるところで過ごしたぐらいだ。
後で「こっそり城を抜け出したのでしょう?」などと言われないように。
そこまで気を使っても、ヒルダは相変わらず今日も機嫌が悪い。
だがそれとは別に、アルの胸にわだかまる言いようのない恐れも理由の一つだった。
ヒルダと自分を繋いでいるのは、密かな献身と貞節以外は何もない。
それを破ったとき、アルフレドはただの自堕落な騎士見習いに過ぎなくなる。
それが、恐ろしい。
もし女を知ってしまったら、自分は堕ちてしまうのではないか。その代償に一体何を失ってしまうのだろうか。
『異性への愛は、喜びなり。しかれども、愛より出でし喜びは神への愛に劣るがゆえに……』
「――<肉欲>か」
そっと先ほどの文言を繰り返す。
ヒルダへの想い。
それさえあれば、アルフレドは満たされる。彼女にわが身を捧げるのは<喜び>に他ならない。
だが、もしイシドルスの注解が正しければ、その行き着く先は……。
恐ろしい考えが浮かぶ。
アルは頭を振って、その想像を追い払おうとした。机に立ててあった蝋燭の火が、かすかに揺れる。
結局、アルは諦めたふりをしながら、騎士への夢を捨てられないのかもしれない。
「騎士は『貞節』でなくてはならないんだよ」
「ふぅむ……昨日サンフランチェスコのニコロ卿は淫売屋でお楽しみだったそうだけど?」
「……彼は確か昨日は不寝番だ。朝まで城にいたはずだぞ」
そうは言っても、アルもニコロ卿の噂は知っている。「ちょくちょく平民の女をつまみ食いしている」と。
ニコロは成年に達するや、たちまち騎士になった。もし彼の父親が伯爵の一人でなければ、こうはいかなかっただろう。
一方、アルフレドがどれだけ騎士の徳を守ろうとも、決して彼のようにはいかない。
「酔っ払って淫売屋の階段から転げ落ちたってさ。明日の槍試合どうするんだろうねえ」
ルカはそう言って楽しそうに笑った。
馬上槍試合は、臣下が主君に日ごろの鍛錬の成果を見せる場である。
だが一方で臣下の義務「軍役奉仕」の備えに怠りがないことを示すという意味もあった。
それに出られないということは、すなわち主君への裏切りにあたる。
いくら伯爵の息子でも、酔っ払って怪我をしたあげく出場しないとなれば、大変なことになる。
ルカのような一兵卒ですら噂している以上、大公や貴族たちの耳にも届いているだろう。
ニコロが適当な理由をつけて欠場すれば、噂を自分から認めているようなものだ。
意地でも試合には出て見せなければならない。
(どうせ替え玉でも立てるんだろうな)
アルは忌々しげに口の端をゆがめる。
馬上槍試合に出られるのは騎士だけと決まっている。しかし、実際の戦争は騎士だけで出来るものではない。
そもそも純粋な騎士だけで数えれば、公国が集められる重騎兵の数は百騎に満たない。
軍勢の大半は押し着せの武具を与えられた平民や従卒で埋め合わせることになっている。
もちろん法と掟で定められた陣立てには反するが、それは公然の秘密だった。
ニコロ卿も武芸に秀でた平民や従卒を大勢連れている。それを替え玉にすればいい。
彼ら高級貴族にはいくらでも抜け道がある。
不寝番をさぼって女を買おうが、軍役奉仕の義務を怠ろうが、なんとでもなる。
やり場のない怒りに、アルは読書の続きも忘れ、じっと宙を睨んでいた。
――その時、入り口の扉が軋みを上げて開いた。
薄暗い図書室に、灯りを提げた小さな人影が入ってくる。
その顔にアルは見覚えがあった。確かあれはヒルダの侍女の一人のはず……。
そう思った次の瞬間、当のヒルダが図書室に入ってきた。
葡萄酒のような深い紅のドレスを身にまとっている。
図書室の翳りの中で、その髪は金色に輝き、大理石のような肌は柔らかな白い光を帯びているように見えた。
侍女の持つランプの灯りに、赤みのさした顔が浮かび上がる。
流れるような足取りで部屋の中央へ。そのしぐさはすでに女王の風格を漂わせている。
「これは、姫様」
図書室の管理人、城付きの司祭が深々と頭を下げながら迎えに出る。
ヒルダはわずかに微笑みながら、司祭の挨拶を受ける。
「何か本をお探しで?」
「ええ」
ヒルダはうなづく。わずかに波打つ金髪が、光を弾いた。
「この雨でしょう? 槍試合も延期になったし刺繍でも、と思ったのですけれど、いい図案が浮かびません。
ですから、何か参考になる絵図を教えていただければ、と思いまして」
司祭は少し考えるようにあごひげをしごく。「それで、どのような?」
「出来れば、匹夫の勇を戒めるような騎士の寓意図にしたいと思います」
「ふむ……ならば、シチリア王国の神学叢書をご覧になるべきでしょう。どうぞこちらへ」
司祭に案内され、ヒルダは図書室の奥の方へと向かう。
ヒルダが机の傍を通るとき、アルは一瞬視線を向けたが、ヒルダはおおげさに顔をそむけて見せた。
どうやらまだ彼女は怒っているようだ。
図書室には、アルフレドとルカ、侍女が残された。
侍女をルカは絡みつくような視線で、眺めまわす。
まだ少女とでもいうべき年頃だが、ふっくらと肉付きのよい体つきをしていた。
侍女が不愉快そうににらみ返す。だが視線があったところで、ルカはさっと片目をつぶって見せた。
たちまち少女の顔が曇り、つんと顔を背ける。
それでもルカの視線が気になるのか、横目でちらちらとルカの方を見ている。
すこし頬が赤らんでいるのは、年頃の娘ゆえのことだろうか。
アルはそんな二人の対決をよそに、読書を続けた。
「……有難うございました。参考にさせていただきますわ」
「このようなことでよければいつでも」
しばらくして、司祭とヒルダが奥の書架から戻ってきた。
ヒルダの胸には、大きな革表紙の本が抱えられている。
それを見た侍女が慌てて本を受け取りに行き、ルカと侍女の対決はおしまいになった。
「ステラ、行きましょう。他の方の読書の邪魔をしてはいけませんから」
侍女にそう声をかけながら、ヒルダは図書室を出て行く。アルが目で追っているのもまるで気にしない様子で。
再び扉が鈍い音を立てて閉まり、図書室に静けさが戻った。
ただ少女たちが焚き染めた爽やかな香の匂いだけがいつまでも二人の名残を止めていた。
不意にルカが口を開く。
「……かわいいなァ……」
頬杖をつきながら、ため息まじりに言う。
アルフレドが無視していると、ルカはわざとアルに聞かせるように言葉を続けた。
「髪はまるで御伽噺のニンフ(妖精)だ。手もお顔も真っ白で、ほんと、雪かアーモンドの花みたいだし。
ほっそりとして、背が高くて……まるで歌うみたいにお話になる……そう思わないかアル」
「そうだね」
それだけ答えて、また頁に視線を落とす。
アルが会話に乗ってこないので、ルカはさらに少し声を大きくした。
「ま、俺には姫様の侍女でも高嶺の花だけどな。あの子はもうちょっと胸の肉付きが良くなれば……」
そこまで言ってルカはまた声を出して笑う。アルはそれをたしなめるように一つ咳払いをした。
この新しい友人は、もう少し場の雰囲気をわきまえるべきだと思う。
――正直なところ、アルはそういう女性の品定めはよく分からない。
確かに、八年ぶりにヒルダに会って、こんなに美しい女性がいるのかと思った。
ただ、ヒルダは綺麗だと思うが、それが他の女性と比べてどうかといったことには関心がない。
初めて彼女を知ったときから、つまり物心がついたときから、アルにとってはヒルダは唯一の女性だったのだ。
唯一つの存在を、何かと比べることが出来ようか。
「……ところで、アル」
さっきから読書の邪魔ばかりされている。
アルは精一杯の反抗として、少しルカを睨んだ。もちろんルカには痛くも痒くもないのだが。
「さっきの話なんだけどさ」
「さっきの話って」
アルはとうとう読書を諦めた。続きはルカがいないときに読むことにしよう。
「……ニコロ卿さ。どうやらこっそりジャンカルロ伯に泣きついたらしい」
「へぇ」
ニコロの父は周囲からジャンカルロ伯の友人、というか彼の手下と見られていた。
息子の危難に、親分に助けを頼んだというわけだろう。
「そこでだ、アルフレド。お前、出てみないか」
「……は?」
ルカはそこまで言って、まだ分からないのかという顔をした。
薄々アルフレドにも話は見えている。だが、まさか。
「そのまさかだ。お前がニコロ卿の替え玉になるんだよ。どうだ?」
ルカはいい話だろう、とでも言いたげだ。しかし、アルにはどうにも不可解な点があった。
「なんで君がそんな話するんだ? 僕はジャンカルロ閣下からは何も言われなかったぞ?」
「そりゃあ、お前」
ルカは呆れた声を出した。
「令名高き伯爵閣下が、自分の盾持ちに国法を破れとは言えないだろうさ。
だから伯爵とニコロ卿は、こっそり俺に口利きを頼んだってわけ……ま、よくあることなんだ。
こう見えても俺は、ずっと前から色々と貴族様のために働いてるんだぜ?」
それを聞いてアルは納得していた。なぜルカがこうまでアルにはすっぱな口を聞くのか、を。
つまり、この若者は貴族の本当の姿を知っている。
金と女に汚く、そのくせ体面を気にして平民に尻拭いをさせる奴ら。
それがルカにとっての「貴族」なのだ。
「ジャンカルロ伯もニコロ卿も、『熊殺しの腕を見込んで是非アルフレドに』と仰ってる。
それにニコロ卿のお父上が、この仕事を引き受けてくれたらアルに騎士の称号を与えてもいいとさ」
「……僕を、騎士に……?」
アルの心が揺れた。
まさか、とは思う。
しかし、ニコロ卿とその父に貸しを作れば、今すぐでなくても、あるいは。
もう一年か二年騎士見習いを勤めた後、適当な口実をつけて騎士にしてくれるかもしれない。
大公がアルフレドに騎士の身分を授けない以上、何か裏口を使わなければ騎士にはなれない。
これは――好機なのではないか。
ヒルダの顔が浮かぶ。
正式に騎士に認められ、大勢の貴族の前で、彼女に忠誠の誓いを立てる自分の姿も。
「……どうする?」
ルカの問いに、アルフレドはぎゅっと拳を握り締めた。
2.
腹の底に響くような、馬の蹄の音。
空高く広がっていく、人々の歓声。風をはらむ軍旗。
そして、色とりどりの上衣を羽織った騎士たち。
モンテヴェルデの町外れに作られた競技会場では、今まさにトゥルネアメント(馬上槍試合)が始まろうとしていた。
柵で楕円形に仕切られた野原に、階段状の観客席が設えられ、廷臣や婦人たちが席を埋める。
その中央、すこし高いところに大公マッシミリアーノの姿がある。その隣にはヒルダもいた。
大公は一見無関心に、目の前で準備を整える家臣たちを見つめている。
一方のヒルダは、隣に座った誰かの奥方となにやら話し込んでいた。
今年の勝者は誰か、どの騎士に自分のヴェールを与えるのか、そんなことを話しているのだろう。
ある婦人に忠誠を捧げた騎士が、馬上槍試合に望むにあたり、彼女が身につけているもの――
たとえばハンカチーフやヴェールなどを忠誠の代償としてもらうのは、古式ゆかしい騎士の風習である。
また試合の勝者に、臨席した婦人から改めてそういった物が「寵愛」の証として与えられることもある。
モンテヴェルデ公国は、どちらかと言えば尚武の国、しかも古いノルマン人の掟を重んじる国だ。
誰が勝者になるのか、誰がどの貴婦人から証を与えられるのか。誰もが関心を持っている。
それは貴族であろうと、平民であろうと変わりない。
その証拠に、試合を一目見ようと、柵の外側には黒山の人だかりが出来ていた。
観客席に入れない平民たちだ。
全て、この年最も優れた騎士は誰なのかを見届けたい一心からである。
そして貴族平民を問わず、その振る舞いが最も注目されているのはヒルデガルトだった。
ヒルダ姫が誰を勇者と認めるのかは、誰にとっても気になる事柄だ。
そして、それは単に名誉の問題ではなく、大いに政治的な関心を含んでいた。
大公の息女であり、この国の正当な後継者の血を引く唯一の人間。
彼女の「寵愛」の行方が、政治的な問題になるのは自然な成り行きだった。
ファンファーレが鳴り響き、試合の開始が近いことを告げる。
馬上槍試合のルールは簡単だ。
二人の騎士が一対一で、直線状の馬場の両端から向かい合って馬を走らせ、槍で突き合う。
槍に突かれて落馬すれば敗者。相手を落馬させるまで馬上にいれば勝者である。
試合に勝った騎士は、さらに別の試合の勝者と対戦する。こうして最後の一人が勝ち残るまで試合は続く。
この試合形式から、馬上槍試合――トゥルネアメント――は「トーナメント」の語源となった。
試合とはいえ、それは限りなく実戦に近い。
先端を丸くした槍を使い、詰め物を入れた盾を使っても、怪我は茶飯事だし、死者がでることもある。
しかし、馬上槍試合とはそういうもので、それが騎士の生き方であると誰も疑うことはない。
教会は野蛮だと非難していたが、貴族たちは試合に勝つことこそ最高の名誉と信じている。
他の騎士に混じって出番を待つアルは、大公とヒルダの後ろにジャンカルロ伯がいるのに気づいた。
伯爵は二日目からの試合に出るので、今日は観客席にいる。
その彼の目が、一瞬アルフレドに向けられたような気がした。
おかげで、アルは今日の自分の役目を思い出すことが出来た。
アルフレドにとって、他の騎士のように勝ち残ることは許されない。
もし勝ち残れば、当然皆の注目を浴びることになり、偽者であることがばれる可能性が出てくる。
ニコロ卿の名誉を傷つけない程度に勝ち、適当なところで負ける、それがアルフレドの役目である。
誰かに命じられたわけではないが、アルはそれをきちんと理解していた。
突然、喇叭手が高らかに出陣の調べを吹き鳴らした。
それを聞いて、最初の試合に出る騎士が馬にまたがり、触れ役が二人の姓名と身分を読み上げる。
ひときわ歓声が高くなった。双方の親族や家臣たちの声援だ。
向かい合った二騎は、静かに槍を構える。
次の瞬間、突撃喇叭に合わせて二人の騎士は猛然と突きかかっていく。
こうして、馬上槍試合は始まった。
身分の低い騎士から試合を始めたので、アルの出番まではかなりの時間があった。
小さく見えるヒルダの姿に、もう一度覚悟を決める。
――法を破ったとしても、騎士になる。
いや、誰にも気づかれなければ法を破ったことにはならない、アルはそう思い込むことにした。
貴族たちは大なり小なり、こっそり法や掟に背いている。自分ひとりがしていることではない、と。
どんな手段であれ、騎士になればヒルダも喜ぶ。
そうすれば、他人の前で彼女に堂々と忠誠を誓うことが出来る。
それを考えると、自然と体の奥から力が沸きあがってくるのだった。
「次なるは名高き城代、サンフランチェスコのニコロ殿! サンフランチェスコのニコロ殿!」
触れ役の声に、アルは我に返った。自分の出番だ。
対戦者の騎士は、既に馬場の反対側に詰めている。
アルは兜の面頬を下ろすと、ニコロ卿の従卒から槍を受け取った。
個々人の体格に合せて作られる甲冑以外、家紋入りの上衣、盾、馬、槍は全てニコロ卿のものである。
もちろん、従卒は「ニコロ卿」が本物で無いことを知っている。
そしておそらく周囲の騎士の何人かはニコロ卿が別人であることに気づいているに違いない。
鎧が違うのだから、近くで見れば一目で分かるはずだが、騒ぎ立てる者は誰もいなかった。
たとえライバルや敵であれ、お互い面目を公然と潰すようなことはしない。
それが貴族社会だった。
ゆっくりと馬場の端に馬を進める。
ここからでは観客席は遠く、大公が、ジャンカルロ伯が、そしてヒルダがどんな様子なのかはよく分からない。
それゆえ好都合ともいえる。そんな距離で甲冑の違いに気づく人間はいないだろう。
余計な考えは捨てて、アルは槍を小脇に挟む。
盾をしっかりと支え、手綱を握り締めた。
とにかく、最初の試合ぐらいは勝たねばならない。
相手もそこそこ名の知れた騎士。もともと文弱なアルは、死に物狂いで行かねば勝てない。
ヒルダを守ったときのような力が、果たして出るのだろうか。
(もし、負けたら)
アルの背中を恐怖が走る。だが、すぐにそれは吹き飛ばされた。
突撃喇叭が鳴ったのだ。
相手の騎士が、鬨の声をあげ、こちらに向かって突っ込んでくる。
(神よ、守りたまえ――)
アルも雄たけびをあげながら、思い切り馬の腹に拍車を入れた。
二騎が馬場の中央で交差する。
――盾を突かれたとき、アルは跳ね飛ばされるような衝撃にのけぞったが、落ちる寸前のところでこらえることが出来た。
同時に、自分の槍が相手の盾をかわし、胴鎧の真ん中に命中するのが見えた。
まさに幸運だった。
体勢を立て直しながら、すれ違いざまに振り向く。
相手の騎士が落馬する光景が、アルの後ろに流れ去っていく。
(勝った――)
ニコロ卿の体面は守れた。アルはその安堵から、全身の力が抜けるのを感じていた。
だが、二人目は強敵だった。
最初の突撃で、アルはかろうじて相手の攻撃を盾で受け止めることに成功した。
しかし相手もまた、アルの一突きを軽く盾を動かしただけで捌いた。
(すごい……)
激しく揺れる馬上での、無駄の無い滑らかな動き。的確な槍使い。
対戦者ヌヴォローゾのロベルトは、名の通った武芸者だった。
二人の槍は衝突の勢いで真っ二つに折れたので、二人とも新しい槍を従卒から受け取った。
とにかく、どちらかが落馬するまで試合は終わらない。
槍を構え、アルとロベルトは馬場に入る。
再び、馬を駆る。百メートルほどの距離を、鋼鉄の塊が疾駆する。
地面がゆれ、雷のような蹄の轟きが草原に響き渡った。
アルは全神経を集中して、相手の体の中心を突こうとする。
だが、ロベルトはそれを見越したように盾を構え、アルの攻撃を綺麗に防ぎきった。
一方アルは、相手の一突きを何とか盾で受け止めるのがやっとだった。
衝撃を支えきれず、ロベルトの槍がアルフレドの盾を押しのける。
それた槍先は、アルの肩口を強打していた。
苦痛にアルの顔がゆがむ。
二人はすれ違い、それぞれ馬場の反対側まで馬を走らせる。
どちらの槍も、真ん中から綺麗に砕けていた。
頑丈なとねりこの木で出来た槍が折れるほどの衝撃だ。打撲とはいえ、アルの受けた傷は深い。
しかもアルは相手を突くことを完全に失敗していた。
ロベルトは悠々と新しい槍を構えている。
(次は、無理だな……)
痛みの中で冷静に判断する。おそらく盾を素早く動かし、相手の突きを受けることは出来ないだろう。
だが、すでに二度突きあい、互いに槍を折っている。
観客に「いい勝負だった」と印象付けるには十分戦ったはずだ。
(よし、負けよう)
アルは従卒から新しい槍を受け取りつつ、致命傷にならない落馬の仕方をすでに考え始めていた。
その後、従卒に肩の傷を手当てをさせながら、アルは残りの試合を見物し続けた。
今勝ち残っている騎士は八人。その中にはアルを打ち負かしたロベルトもいた。
アルを倒してから、彼は苦戦することもなく勝ち進み、おそらく最後まで勝ち残るのではないかと思われた。
朝から始まった試合はまだ終わらない。だが、日は傾きつつあった。
夕暮れが迫ると、急に風は冷たさを増し、平原も薄暗い闇に包まれていく。
観客たちも、試合より肌寒さと暗さに気をとられているようだった。
観客席に座った何人かは、大公が早く試合の中断を言い出さないかと、彼の顔ばかり伺っている。
やがて、上衣に描かれた騎士たちの紋章さえ見極められなくなったとき、ついに大公が片手を挙げた。
それを見た喇叭手が、「突撃待て」の調べを吹き鳴らす。
試合中断だ。
その調べに、用意を整えていた騎士たちさえも、ほっと力を抜くのが見えた。
観客たちもすでに試合ではなく、大公のいる観客席の方に注目している。
全員の注目を浴びながら、大公は黙って立ち上がった。
会場が静まるのをしばらく待ってから、大公は初めて口を開いた。
「騎士たちよ、高貴なる方々よ。今日はもう日も落ち、このままでは武勇を見届けるのは難しいと思う。
したがって、勇士たちには明日に備えていただき、今日は散会するが良いと思うが、いかがか」
もちろん異を唱える者はいない。試合中断を告げる決まりきった文句だ。
大公の言葉に従うように、人々は一斉にに頭を下げ、立っていた者は跪いた。
「それでは、この続きは明日にするとしよう……。
だが、ご婦人方が勇士を称えたいと思われるなら、この場にて申し出られよ」
これもまた、毎年繰り返される口上だった。
大公の言葉に従い、勝ち残っていた騎士たちは下馬し、静かに観客席の前に並ぶ。
観客席のあちらこちらから、数人の貴婦人が立ち上がり、席の前の列へと進み出る。
そして、跪く騎士たちに自分のハンカチーフやレースを与えていく。
名のある婦人が前に進み出るたび、観客からため息とも歓声ともつかない声が漏れた。
やがて、一通り婦人たちがその「証」を与え終わると、観客の目は自然とヒルデガルトへと向かった。
その好奇心で一杯の目を平然と受け止めつつ、ヒルダは立ち上がる。
やがて、静かに懐からハンカチーフを取り出し、騎士ロベルトへと差し出した。
再び観客席が静かにざわめく。
それは当然の結果に満足した声にも聞こえた。
その時だった。
観客席の後ろの方にいたジャンカルロが、ヒルダにそっと近づいた。
そして、ヒルダの耳元に何事かささやく。ジャンカルロの言葉に、ヒルダは何度かうなづいている。
会場中が何事かと息を呑む中、突然ジャンカルロが朗々とした声で告げた。
「このたび、大公御息女ヒルデガルト様はヌヴォローゾのロベルトを勇者と認められた。
だが、そのロベルトと互角に渡り合い、二度も槍を折らせた勇士にもまた、その証は与えられるべきであろう。
すなわち――サンフランチェスコのニコロに!」
ジャンカルロの言葉に、観客の目は一斉にニコロ卿……つまりアルフレドに向けられた。
アルは最初その意味が理解できなかった。
だが、全ての目が自分に向けられていることに気づき、愕然とする。
「サンフランチェスコのニコロ、前へ!」
観客はまだ、ニコロが替え玉であることに気づいていない。
会場は既に薄暗く、くわえて遠目からでは騎士一人一人の顔を見分けることなど出来ないからだ。
しかし、観客席にヒルダの「証」を受け取りに行けば……。
「どうなされた、ニコロ殿! さ、早く前へ!」
ジャンカルロがさらに大声で呼ぶ。
(どういうことです、閣下――――)
次の瞬間、アルフレドは自分にかけられた罠に気づいた。
自分は、高名な騎士が負傷したのをいいことに、身分違いの槍試合に出た「掟破り」にされたのだ、と。
だが逃げることは出来ない。満場の視線を浴びた今、逃げることなど不可能だ。
アルはのろのろと立ち上がる。まるで脚は鉛を埋め込まれたように重い。
それを着たまま逆立ちすら出来るというのに、甲冑はずっしりと体にのしかかるようだった。
ヒルダの顔がしだいにはっきり見えてくる。
彼女はまだ気づいていない。
自分が証を与えようとしている相手が自分の幼馴染みの若者だということに。
彼の破滅が近づいているということに。
顔を隠すように、観客席の前に跪く。
顔を挙げればヒルダに、大公に、そして前列に席を占めた大勢の貴族たちに自分の顔をさらすことになるだろう。
すでに何人かは、かすかな違和感を覚えたのか、ざわめいている。
(どうか、このまま――頭を垂れたまま「証」が授けられますように……)
だが、アルの祈りは無意味だった。
「さ、面を上げられよ、サンフランチェスコのニコロ殿!」
ジャンカルロの言葉は死刑宣告と同じだった。
アルがゆっくりと顔を挙げ、ヒルダの顔を真正面からしっかりと見る。
その美しい顔が、驚きに凍りつく様子が、アルの心をえぐった。
3.
ヒルダは気丈にも、何事も無かったかのようにアルに自分のヴェールを授けた。
だが、それは忠勇に対する褒賞ではなく、非法への報いだった。
アルもうやうやしく受け取る。
他の貴族も、おおっぴらに騒ぎ立てはしなかった。
栄えある馬上槍試合を汚すわけにはいかないと、誰もが考えたからである。
だが会場の外に出た途端、アルは衛兵たちに取り押さえられた。
城に着くや、武具甲冑はもとより、上着やズボンすら剥ぎ取られる。もちろんヒルダのヴェールも。
アルは裸同然の格好で、城の地下牢へ放り込まれた。
地下牢は、まさにこの世の果てを思わせる場所だった。
身を切るような寒さ。じめじめとした土がむき出しの床。
湿気と息が詰まりそうなほどよどんだ空気。部屋の隅に積みあがった排泄物と鼠の死骸。
日に二回与えられる水とパンの食事以外、時を告げるものは何も無い暗闇。
一体何日、そこに閉じ込められていたのか。
アルは今が何日なのか、昼なのか夜なのかすら分からなくなっていった。
だから、突然牢から連れ出されたとき、それまでの時間が一瞬のようにも、あるいは十年たったようにも思われた。
粗末な下着姿のままで、アルは城の大広間へと引きずり出され、強引に跪かされる。
真正面の玉座に大公マッシミリアーノとヒルダが座っている。両側にはジャンカルロや家臣たちの姿も見えた。
懐かしいヒルダの顔を見た瞬間、アルフレドの目から涙がこぼれ出た。
だが不思議なことに、頬に流れる涙が感じられない。
その時初めて、アルは自分の顔が一面不精髭に覆われていることに気づいた。
「アルフレド・オプラント」
重々しい声に、アルはのろのろと頭を上げる。話しているのは大公の家令の一人だった。
「お前は、いまだ馬上槍試合に出ることを許されぬ見習いの身でありながら、無断で騎士の方々と槍を交わした。
――間違いないな?」
「それは……」
弁明しようとして、アルは黙る。
ニコロ卿に依頼された? ジャンカルロ伯が認めた? そんなことを言って何になろう。証拠はどこにもない。
唯一ルカだけが証人だ……だが彼はこの場にいないし、平民の言葉など一顧だにされないだろう。
アルは敗北を悟り、頭を床にこすり付けた。
「…………間違いありません」
アルが罪を認めたとき、誰も何も言わなかった。
大公も、家臣たちも――――ヒルダさえも。
「では、お前は父祖が定めた、スウェビの法に背いたことになる。その代償は知っているな」
「……はい」
感情を失ったアルの声が大広間に響く。
アルフレドの言葉を書き留める書記の、ペンのすべる音だけが淡々と流れている。
「アルフレド・オプラント。全ての名誉と領地を剥奪し、公国から追放する。
そして、二度と公国の城、都市、館、荘園に足を踏み入れてはならぬ。
ただいまより、明日の日没までにこの町から退去すること。
だが神の慈悲によって、お前には腕一抱えの財産が与えられよう。以上」
側近が告げ終わると同時に、大公は立ち上がり、大広間から出て行った。
それに家臣たちも続く。
足音が遠ざかったところで、ぱたり、と書類挟みが閉じる音がした。
書記が全てを書類に記載し終わったのだ。大公の印が押されればそれは決して覆ることはない。
そして、静寂が戻った。
がらんとした大広間には、二人の衛兵とアルフレドだけが残された。
衛兵は乱暴にアルフレドを立たせる。
二人の屈強な男に引きずられながら、アルはもう一度だけ振り返った。
ヒルダの面影を求めて。
だが、そこには空っぽの玉座があるだけだった。
次の日の朝。
アルは城門の前に一人で立っていた。
ぼさぼさに伸びた髪が、強い風に煽られる。
無精髭にまみれた顔に、くっきりとしたしわが刻みつけられていた。
牢に閉じ込められていた一月という時間が、アルから少年らしい風貌を奪ったのだ。
背中には小さな麻袋を背負っている。
法に定められた「慈悲」により、そこには生きていくのに最低限の道具と食料が入っていた。
それがアルの全財産である。
アルは一度だけ振り向き、五指城を目に焼き付けようとした。
幼い頃、遊び場だった中庭。
愛馬マレッツォと初めて会った厩。
頂から町の様子を眺めた五つの塔。
夢中で本を読んだ図書室。
そして、ヒルダがいる居館――もう二度と目にすることはないだろう。
アルフレドは向き直り、城門をくぐった。町へ下る大通りをゆっくりと歩く。
この町にも、もう足を踏み入れることは出来ない。アルは寄る辺無き「さすらいびと」となったのだ。
だが、彼を待ち構えている人物がいた。
しかも、二人。
「ルカ……」
兵卒のそれではなく、私服に身を包んだルカが城門脇に立っていた。
アルを見つけ、ためらいがちに近寄る。
「……やあ」
「…………やあ」
だが、先に声をかけたのはアルの方だった。
ルカはアルと目を合わそうともしない。一方のアルは、落ち着いた目でルカを見つめていた。
不思議と、アルの胸中に彼を恨む気持ちは沸いてこなかった。
それどころか、見送ってくれることを心から喜んでいた。
すると、不意にルカの手が動いた。
アルの手をとり、小さな皮袋を手のひらに握らせる。
じゃらり、と固い音がする。袋の外からでも分かる、銀貨の感触。
「……使ってくれ。少しでもあった方がいい」
「すまない」
家財道具と食料を除けば一文無しだ。見栄を張って突き返すほどアルは馬鹿ではなかった。
アルは黙って、皮袋を懐にしまった。
「アルフレド。信じて……いや、信じてくれとは言わん。だけど俺は……」
「分かってる」
ルカが全てを言い終わる前にアルは首を振った。
もはや、どうでもいいことだ。
ルカがジャンカルロの企みの手先であろうが無かろうが、この結末を選んだのは自分なのだから。
「それよりもルカ、君も逃げた方がいい。真相を知っている以上、殺されるかもしれない」
アルフレドに言われるまでもなく、ルカは逃げるつもりだった。
名を変え、モンテヴェルデの城下町から出てしまえば、ジャンカルロの刺客をまくことは簡単だ。
すでにその準備は整っている。アルを見送れば、自分も故郷を捨てる。
「気をつけろ。君がなぜジャンカルロに嵌められたのかは知らないが、あいつは蛇のように狡猾だぞ」
「分かっている。誰も僕のことを知らない土地に行くつもりさ」
ルカは初めてアルの顔を見た。
泣きそうな顔は、はしっこい町の若者というより、母親に叱られた子供のようだ。
しかしもう二人は何も言う必要はなかった。
軽く握手をして、アルは背を向ける。
去り際、互いに呟いた別れの言葉は、海風にかき消され、どちらの耳にも届くことはなかった。
もう一人の待ち人は建物の影に隠れて立っていた。
アルの領地の、いや「元」領地だった村の名主だ。
「……アルフレド様」
アルフレドの姿を認め、丁寧に頭を下げる。
「止めろ、僕はもう君たちの領主じゃない」
駆け寄る名主を手で押し止め、アルは立ち去ろうとする。
だが、アルの目の前に、名主が立ちはだかった。
その手には見慣れたものが握られている。見事な意匠の鞘に納まった、アルの長剣だった。
それは、村の鍛冶屋がアルのために鍛えてくれたものである。
「お持ちください」
そう言うと、名主は深々と頭を下げた。
「受けとれない。それに、受け取れば君まで罪人にしてしまう」
名主が差し出す剣を、片手で押し戻す。
この剣の正当な持ち主は、次の領主になる男であり、さすらいびとの自分ではない。
だが名主は強情だった。
無言で剣をアルの目の前に掲げて見せる。
本来ならば禁じられた行為と知りながら、名主はアルに剣を渡しに来ていた。
「慈悲」を除けば、アルは貴族として得た財産を一つたりとも持って行けない。
だが、名主はあえて法を破った。
名主は意を決してその理由をアルに告げた。
「……あるご婦人から、これをアルフレド様に渡すよう頼まれました」
本当は、黙って渡せと言われていたのだ。
だが、名主にはそれが出来なかった……あの少女の涙を見てしまったから。
「僭越ながら、私もこれはアルフレド様が持つべきものだと思います……あのご婦人のために」
「……ヒルダ」
アルは息を呑んだ。
言葉に詰まり、無言で差し出される剣をじっと見つめる。
静かに、アルの手が鞘を掴んだ。
アルが受け取ったのを確かめ、名主はもう一度頭を下げる。
「……ありがとう。皆によろしく伝えてくれ」
差し出された剣を腰に佩き、アルフレドは歩き出した。
未来無き未来へと。
「よろしかったのですか」
窓際のジャンカルロに向かって、ニコロ卿が言った。
「何が、かね」
ジャンカルロは城の一室から、アルフレドが出て行くのをかすかな哀れみと共に見守っていた。
だから、名主が法を破って剣を渡したのも、ヒルダが武器庫から剣を盗み出したことも見逃すことにした。
「わざわざ、ご尊名を傷つけてまで追い出す相手だったのでしょうか、アルフレドは」
ニコロ卿は足に巻いた添え木によろめくようにして、ジャンカルロの傍に近づく。
アルを追放するために彼は怪我のふりをせねばならず、馬上槍試合に出られなかった。
ジャンカルロ伯も、自分の盾持ちの監督不行き届きを大公から咎められた。
もちろん「ニコロが淫売屋で怪我をした」というのはルカにだけ吹き込んだ嘘である。
表向き、ニコロは不寝番中に足を挫いたことになっているが、やはり試合に出られなかったのは痛い。
わずかとはいえ汚名を着た上で、手に入れたのは「一人の騎士見習いの追放」である。
それが大公の血を引く男とはいえ、それだけの価値があったのか。ニコロが聞きたいのはその点だった。
「……あんな男のためにここまで策を弄さずともよかったのでは」
ニコロの言葉にジャンカルロはかすかに笑った。
「では、ヒルデガルトの寵愛があの男に向けられているとしたら、どうする。
もし大公が突然亡くなったとして、ヒルデガルトがあの男を夫とすると言ったら、誰がそれを止める?」
「まさか、そんな馬鹿なこと……」
ジャンカルロは軽く首を振った。想像力の足りない若者への諦め。
だが伯爵は、そんな話し相手にも機嫌を損ねることは無かった。
「全ては可能性の問題だ。あるいは、アルフレドが大公の寵愛を取り戻すかもしれん。
年をとればわが子が可愛くなるものだからな」
「では密かに手にかけて……」
「殺してしまえば良かったのかもしれないが、あの小僧はなかなか用心深くてな。
それに、この一件で大公は二度と息子のことを口に出来なくなったし――何しろ罪人なのだからな――
少なからず大公一派に揺さぶりをかけることも出来た。その方が殺すより効果的とは思わんかね?
……とにかく、何よりあってはならんのは、マッシミリアーノの血が続けて大公位に収まることだ。
だから、アルフレドには消えてもらうしかなかったのだよ。彼に恨みはないがね」
ジャンカルロは無表情のままだった。
ニコロにはその複雑な胸中をおもんばかるほどの頭はなかった。
追従笑いを浮かべながら、大げさな口調で言う。
「確かに。あのような簒奪者をいつまでも大公位に置くわけにはいきませんからなぁ。
ましてやその一族が後継者になるなど、あってはならないことです」
「……簒奪者マッシミリアーノの後を継ぐのは、私という簒奪者だが?」
ジャンカルロの軽口に、ニコロは顔を引きつらせる。それは笑うわけにはいかない種類の冗談だ。
困り顔のニコロにわずかな微笑みを残して、ジャンカルロは再び窓の外を見る。
もうアルフレドの姿は見えない。
どこまでも低く垂れ込めた、灰色の雲が遠くまで広がっている。
「……かわいそうなアルフレド。大公の息子になど生まれなければ良かったのにな」
(続く)
64 :
名無しさん@ピンキー:2005/10/22(土) 09:01:22 ID:3t668QXy
キタ━(゚∀゚)━!!!!
キタ-('v')-!
66 :
名無しさん@ピンキー:2005/10/22(土) 16:01:31 ID:iXCWUXuk
キター!
「火と鉄と〜」カッコいい!
「あの子と私と〜」、萌え死にますた!
どちらもイイヨイイヨー、GJ!
[あの子と私と恋心]
こっ、こんなところで続きがひっそり展開されていたのかあああっ。
めちゃめちゃどきどきしながら読みましたー。
美保ちゃん、君は罪作りな子だ…。家庭教師のお姉さんの気持ちがとてもよくわかるー。
GJGJ!制服は、いいっ。
重厚な文章や物語の溢れるこのスレに一陣の軽やかな風が!
いや、決して重厚なのが嫌なわけじゃないんだ。ただ、そのプロ級の方々の作品に気押しされてるのか、
新規に投下してくれる職人さんが少なくて……
これをきに、短編でもサクサク投下してくれる職人さんが増えるといいな
「火と鉄とアドリア海の風」
もう何と言うか…素晴らしすぎます。
ここの掲示板で歴史物を読むのは初めてなのですが、面白い!
アルフレドがこの先どうなっていくのか楽しみです。
これからも期待します。
あと拙作に温かい感想ありがとうございます。
そろそろ作の主旨と離れそうになるのをぐっと堪えて書いてます。
改めて「萌え」の難しさに四苦八苦しています…。
また続きを書かせていただきました。
まったりと見ていただければ幸いです。
家庭教師のバイトを休んで今日で2週間になる。
別に辞めさせられたとかバイト先が潰れたとかではなく、ただ学期末の試験のためお休みを貰ったのだ。
もちろんこの時期単位が取れるか取れないかで、来年の学科の選択やそろそろ始めなきゃいけない就職活動の準備等ががらりと変わってしまう。
という訳で今回は気合を入れまくって勉強している。
しかし勉強の合間に思ってしまうのは彼女の事。
まさか自分がこの年になって、しかも相手は6つも年下の女の子に恋愛感情を持ってしまうとは思いにもよらなかった。
高城美保、中学1年生。
近くの公立中学校に通う女の子で、私が一目惚れしてしまった子である。
肩までストレートに伸びた黒髪、まだまだ幼さを残す顔。
性格はやや暗め、どちらかというと活発なタイプじゃなくインドア派な感じがする女の子。
しかし彼女の制服姿は何というか…すごく可愛らしいのである。
私自身中学・高校と私服の学校に通っていたせいもあるのだが、そういう制服にはある程度の憧れはあった。
でも別に着れなくてもいいや、位のものだったから本当に自分の心境には驚いている。
彼女の制服姿、その時の仕草を思い出すと心臓がどきどきして身体が本当に熱くなる。
それでも自分の置かれている立場を考えて何とか自身を慰める事は堪えているが。
「香織〜、試験どうだった?」
期末試験の最終日、学校から帰る私を見つけたのか聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
「そうね、試験自体はまぁまぁかな。頼子は?」
気の無い返答をする私に厳しい様子で首を振る彼女。
「全然駄目〜!参ったなぁ、またレポート書かなくちゃ…」
「まぁあんたの受けてる授業の殆どはレポート出したら単位はくれそうだし、大変だけど頑張って」
「鬼〜…」
これ以上相手にするとレポートの手伝いまでされかねない。
彼女には悪いけれど、私は自分の一番望んでいる事をする為に、まだ文句を言っている彼女をそのままにしてその場を立ち去ったのだった。
その足でバイト先に向かう。
取りあえずまた今まで通りに家庭教師をする為に手続きやら何やらをして、早速明日に美保ちゃんの家に指導をしに行く事になった。
日程が決まった瞬間に私の心は暴走しそうになる。
家に帰るなり食事もそこそこにさっさと電気を消して就寝する私。
早く明日になって欲しい、美保ちゃんに会いたい。
頭の中でそう願いながら無理矢理に眠りにつくのであった。
そして翌日。
大学の講義が終わるとその足で美保ちゃんの家に向かう。
「こんにちはー、今日からまた復帰することになりましたー」
インターホンを鳴らし、彼女の母親に出迎えられ玄関の中に入ろうとした時だった。
勢い良く背中越しのドアが開かれる。
「お母さん、ただいま〜!先生もう来たの…って、ちょうど来たんですね」
流石に自分の行為を恥ずかしく感じたのか荒い息を抑えながら照れ笑いを浮かべる彼女。
やばい、ものすごく可愛い。
私は心の中で鐘を打ち鳴らしながら、それでも至って冷静に話しかける。
「美保ちゃん、こんにちは。どう?勉強のほうははかどってる?」
「あはは…。まぁまぁです」
他愛もない話をしながらよっぽど急いで来たのだろう、まだ肩で息をしている彼女と一緒に部屋の中に入る。
「美保ちゃん、お母さん今から町内会の用事で出かけるからー!」
「はーい!」
下から聞こえてくる彼女の母親とのやり取りをする美保ちゃん。
そして顔を赤くしながら私の方を見る。
「何とか間に合いました。遅くなったらまたお母さんに叱られちゃうもん」
そう言って彼女はほっとため息をつきながら鞄から教科書やノートを取り出す。
その仕草を見ながら私は心の底から幸せを噛みしめていた。
(ああ、いつもの美保ちゃん、そして制服姿…!)
心が蕩けてしまうのを必死に堪えながらも指導を始めていく私。
まだ息を整えていないのか、たまに出る荒い息遣いやその赤い顔が私をさらに情欲の虜にさせていく。
この年齢では性の何たるかすら知らない彼女。
でもそんな彼女の仕草のひとつひとつがすごくエロティックで。
それを見るたびに私の身体は熱くなっていく。
暫くの間自分を慰めていないのと美保ちゃんを久しぶりに見た事が重なって、私の身体の中からはすでに熱いものが溢れていた。
それでも彼女に悟られないように心の内側にわざと鍵をかけて必死に我慢する私。
もちろんその反動で私自身が壊れていくのを期待しているのだが。
心の中に秘めている淫らな情欲が私の中から噴き出しそうになった時、タイミングよく休憩時間に入ることが出来た。
「そろそろ休憩にしよっか」
私は自分の腕時計を見ながら彼女に話しかける。
「分かりました。…そう言えばお母さん今日は出かけてていないんだった。先生、今からお茶入れてきます」
そう言って立ち上がる彼女。
「あ、私も手伝うよ。一緒に行こうか?」
「いいんですか?…じゃあ、お願いしてもいいですか?」
笑顔を浮かべて私の顔を見る美保ちゃんにもう心臓が止まってしまうんじゃないか、と思うほど鼓動が早くなっていく。
そして私が立ち上がろうとした時、事故は起こった。
よっぽど舞い上がっていたのだろう、あろうことか私の足が椅子の足に引っ掛ってしまったのだ。
バランスを崩して、彼女の方向によろめく私。
「うきゃっ!」
私は驚きのあまり思わず声を上げてしまう。
「先生?」
彼女が振り返った瞬間である。
気づいたときには、彼女の顔が目の前にあった。
「――!」
唇と唇が触れ合う。
そしてそのまま、ベッドの上にお互いの身が重なりあう様に倒れ込んだ。
彼女の汗と石鹸の甘い匂い、制服の生地の感触。
さらに私と彼女の唇の間にはさえぎるものが無く彼女の柔らかい唇の感触が私の身体を駆け巡る。
私…美保ちゃんとキスしてる…。
もう限界一歩手前だった。
でも流石にこの状態から手を出したら大変な事になる。
それでも1秒でも長くキスできるように、あえてびっくりした状態で動かなくなった状況を作っていく私。
やがてゆっくり身体を離して、2人ともベッドの上に腰掛けるような体勢になる。
私は半分本気で、そしてもう半分は演じるように彼女の方を向いて申し訳なさそうに謝る。
「ご、ごめん!美保ちゃん、大丈夫!?」
彼女もびっくりした様子だったが、すぐに心配そうな表情に戻る。
「先生こそ、大丈夫ですか?」
「う、うん…。そ、そのー…ごめんね?唇に当たっちゃって…」
私の想いが悟られないように、言葉を選びながら話しかける。
もちろん、まだそんな感覚をあまり有していない美保ちゃんは全く意に介していない様子だった。
「ちょっとびっくりしましたけど大丈夫ですよ?それよりも先生、早くお茶とお菓子の用意をしないと…」
そこまで言ってすっくと立ち上がり、何事かも無かったように階段を下り始める。
良かった、そんなに気にしてないみたいね…。
ほっとしたのと、ひょっとして彼女が私にも同じ想いを抱いてくれるかもしれないという期待が外れて残念に思う気持ちが半分と
入り混じった感情を抱きながら私も階段を下りた。
でも私は事故とはいえ彼女の身体を抱き、そしてキスをした…。
自分の身体が震えそうになる。
私の下半身はとろとろで、黒のパンツには明らかに私の出したものでさらに生地が黒くなっているのが分かった。
それから後のことはあまり覚えていない。
もう美保ちゃんの顔を見る度に私の恥ずかしい所から熱いものが溢れていく。
顔色は変わらないように教えてたけれども、それも限界に達していた。
とうとう我慢が出来なくなって私はお手洗いを借りた。
私がこんな状態になっていても美保ちゃんはいつもの美保ちゃんで、私の背中を見送っていく。
お手洗いに入り、便座にしゃがみ込むと同時に軽く達してしまい、太ももの内側まで生地の染みが広がった。
それでも我慢できなくて、私は2階にいる彼女に聞こえないように声を抑えつつ自身を慰めてしまったのだ。
私はある意味彼女に壊されてしまったのかもしれない。
それでもいい、私は美保ちゃんの事が好き…。
家路に着いてからも私は服を脱ぐ事すら忘れてその情欲に塗れた身体を慰める。
そして私は身体の内側から溢れる液体を全て解き放ってしまい、彼女の姿を思いながら意識を手放したのだった…。
以上です。
私は家庭教師をしたことが無いのでバイトの詳細がよく分からず…すいません。
そろそろエロくなってきたなぁ…何とかせねば。
ではでは。
74 :
名無しさん@ピンキー:2005/10/24(月) 19:41:45 ID:hyp/wngy
かてきょキター(・∀・)!
ウヒョー(・∀・)!
明日、家庭教師の日ですよ…これ読んで行くと、なんだか後ろめたいと同時に
背徳のゾクゾク感が…!
たまらん…。何かあったら報告しますよ…えぇ、あってはいけない報告を…
76 :
名無しさん@ピンキー:2005/10/26(水) 00:12:46 ID:QIBINEXg
ぜひぜひ報告を。
しかし書き手さんも言ってたけどこれ以上エロくなったらどうするんだろ。
俺としてはエロくてもおkなんだが、スレタイが…。
・萌え主体でエロシーンが無い
・エロシーンはあるけどそれは本題じゃ無い
ですから、まあ女性→女性の背徳感ありの恋愛小説
ということでスレ的にもOKでは、と個人的には思います。
続き楽しみに待ってます。
事前報告:来週はもっと遅く、といわれたが期待して少しだけ早めに行ってみる
宿題頑張りたまえの意味をこめて、肩をポンと叩いてみる
行ってきました。何もありませんでした…制服着てなかった…
もう、見られないんだろうなぁ。なんか今日は恥ずかしかった。
けど彼女は方程式が気に入ってくれたらしく、ちょっと嬉しそうだったから、いいか。
>>79 お疲れー。
SSのような背徳感を感じつつ、いい先生と生徒の関係を築いてくれ。
やっぱ制服、イイ!
>>79 バイトお疲れさまっす。進展あったらコワイなw
「私にとって初めての…」
ああ、美保ちゃんにまた会えたw
そして香織先生のパンツは黒だったのかー。大人な趣味だw
>>79 バイト、お疲れ様です。
このSSでは私の趣味も半分以上混ざってるのですが、すこしでもまったりしていただければ幸いです。
>>81 …すいません、パンツって下着の方じゃないんです(下着は…各々の想像でw)。
また妄想SSをば…。
今度はちょっとフェチ属性高いです。
では、どうぞ。
「明日は全国的に大雪となるでしょう…」
私はテレビの天気予報を見ながらひとつ、ため息をつく。
「こんな時期に雪降るなんてありえないよー…。明日美保ちゃん家に教えに行く日なのにー」
そして自分のベッドの上で頬を膨らませながらチャンネルを替える。
もともと寒いのは苦手という事もあるのだが、何より心配なのは家庭教師のバイトがキャンセルになる事だ。
もはや美保ちゃんを教えるのは最近の楽しみのひとつになりつつあるのに。
「お願いだから雪が降るのはもう少し遅くなりますように…」
そんな願いをしつつ私は布団に丸まり眠りについた。
翌朝。
空はやや曇りがかり、いつもより肌寒さが厳しい感じがする。
朝イチの授業は寒いので自主休講にして(まぁレポート出せば単位をくれる講義だからもともと行く気はしないけど)、
十分温まったところでいつもより多めに服を着て学校に向かう。
途中、親友の頼子から「今日寒くて外出たくないから代返しといて!」と携帯に電話が入った時は本気で殺意を覚えたのだが。
「うー、寒ぃ…」
肩を震わせながら教室に向かい、暖房の近くに席を取って私と彼女の分のノートを取る。
ふと外を見ると雲行きはますます怪しくなり、本格的な降雪が始まろうとしていた。
「こんにちはー」
いつもと同じように美保ちゃんの家のインターホンを鳴らす私。
「あらあら、こんにちは藤村さん。大雪が近づいているからどうしようと思ってたんですけど…」
「いえいえ、もし雪がひどくなりそうだったら少し早めにお暇しますから」
母親の言葉に笑顔で返事をする私。
「そうそう。私、今から親戚の家に用事で出かけないといけないのですが、娘の事宜しくお願いしますね」
そして私は彼女の部屋の扉を開けて上がり込む。
「こんにちは、美保ちゃん」
「こんにちはー」
いつもの彼女の声、そして愛くるしい顔。
ただ残念ながら今日は私服姿である。
もちろんそれはそれで可愛らしいんだけれども。
「今日は何か雪が降りそうだから少し早めに切り上げようか」
そうしていつもの様に教科書を広げ、指導を始める。
しかし私たちが予想していたより自然の力は偉大だったのである…。
「それじゃー、ここまでを来週までにやっておいてね」
「はい、分かりました」
「じゃあ、先生そろそろ帰るね」
そこまで言って窓の外を見るとあまりの光景に一瞬目を見開いてしまった。
「ちょ、ちょっと…何この大雪」
「すごいですね…」
外は空から降ってくる雪の色で白く染まり、1メートルも先が見えなくなっていた。
ふと私は気になったことがあり、美保ちゃんに向かって話しかける。
「ちょっとテレビつけてもいい?」
了解を貰い、その画面に釘付けになる私。
「…ただ今大雪警報が発令しており…」
「…JRは全線不通となっております…」
アナウンサーの言葉に私は呆然としてしまう。
「先生…ひょっとして、電車止まった?」
美保ちゃんの言葉に私はうな垂れながら頷く。
その時階下から電話が鳴った。
彼女はすぐに階段を下り受話器を取る。
「あ、お母さん?うん…お母さんも?そう、今から帰るところだったんだけど…うん、分かった。先生にそう言っておく」
そして階段を上がり私にその内容を伝える。
「お母さんがもし宜しければ今日泊まって下さい、って言ってました。お父さんもお母さんも今日帰れないみたい」
成る程、中学生の娘をひとり家に居させるより身近な大人が居た方が安心という事だろう。
私にとって美保ちゃんと二人っきりになれる状況を作ってくれた母親には感謝の言葉を心の中で叫んでいた。
…もちろん母親と私の意図する事はかなり違うのであろうが。
「そんな、悪いわよ…。時間掛ければ帰れない距離じゃないから…」
それでも私はあえて固辞しようとする。
「駄目ですよ、今帰ったら途中で遭難しちゃいます。私は別に構わないから泊まっていってください」
遭難なんてありえない事なのだが、何故かそこまで心配する彼女を見て私の顔がだんだん緩んできてしまう。
「分かったわ、それではありがたく泊まらせていただきます」
そして一晩の二人っきりのお泊り会が始まったのだ。
「先生、すごい料理上手ですねー!」
満面の笑みを浮かべながら美保ちゃんはテーブルの上に並べられた料理をぱく付く。
自慢じゃないが私は料理の腕はそんじょそこらの三流レストラン以上の腕を持っていると自負している。
これも食堂を営んでいる実家で幼い時から叩き込まれた事と、貧乏一人暮らしで培ってきた自炊能力のおかげである。
「そんな…お母さんの材料の目利きが良かったからよ。冷蔵庫の中の材料、すごくいい物ばかりだったから」
彼女の言葉に照れながら頭を掻く。
どの料理も美味しい美味しいを連発しながらご飯をどんどんお代わりする彼女。
好きな人に自分が腕を振るった料理を美味しそうに食べてくれる。
私は今、ものすごい幸福感を感じていた。
(ああ、新婚さんっていうのもこんな感じなのかな…)
自然と顔がにへら、と蕩けてしまう。
「先生、どうしたんですか?」
そんな私の顔に彼女はきょとん、とした表情で見つめている。
「な、何でもないよー。さて、私も食べますか」
自分の料理より彼女のその顔だけでご飯三杯いける、そう思いながら私は箸を持つのであった。
食事を終えて私と美保ちゃんは一緒にお風呂に入った。
お風呂では彼女の裸が見れて興奮のあまりのぼせそうになってしまったが。
思春期の到来にはもうちょっとかかるのだろう、胸もやや平らでまだ女性の身体つきには遠かったのだが。
それでも私はその白い肌、長い黒髪、そしてスラっとした身体にもう鼻血が出そうだった。
こんな幸せにもう私の心は蕩けまくっていたのだ。
「先生、これで10敗目ですよー?」
「さっきのはキック出してれば勝ってたわよ!もう一回、もう一回だけ!」
お風呂上りの後、私と美保ちゃんは彼女の部屋で今はやりの格闘ゲームで対決していた。
もちろん彼女はゲーム好きだからやり込んでいる。
それに対して私は初めての体験だからもう結果は目に見るより明らかだ。
「はい、先生11回目の負けー」
「うぐぐ…」
私は悔しさのあまりうめき声を上げてしまう。
やっぱり年下の子に勝負に負けるのは精神衛生上よろしくないみたいだ。
そこで私は自分を奮い立たせる為ある事を提案するのであった。
「み、美保ちゃん!次の勝負は勝った方が負けた方の言う事を聞く、っていうのはどう?」
その言葉に彼女は不敵な笑みを浮かべ答える。
「ええ、いいですよ。でも先生が勝つ事はありえないと思うんですけどねー」
しかしその言葉は数分後に変わる事となる。
私は剣道部に所属しており、一応インターハイにも出場して優勝もした事がある。
同じ部の仲間に言わせると私は「物事に対する集中力が人一倍優れている」という事なのだ。
相手の動きを読み、それに合わせて対処できる。
私自身よく分からないんだけど、特に追い詰められれば追い詰められるほどその力が発揮するらしい。
このゲームでも同じ事だった。
美保ちゃんの動きを読み、次にどういう攻撃が来るかを待ち構える。
いつもなら当たっていた攻撃が急に当たらなくなり、彼女に少し焦りが見え始める。
だが、流石ゲームをやり込んでいるだけあって僅かな隙を狙って当ててくる。
その攻撃に少しずつだが私のキャラの体力が減っていく。
私もカウンターを何度も当てていたのだが、それでも彼女の方が有利だった。
しかし私に気まぐれな幸運の女神が舞い降りたのだ。
偶然だったのだろう、適当に押したボタンがどうやら必殺技らしく、それが見事彼女のキャラに命中して倒してしまったのだ。
「よっしゃー!私の勝ちー!」
「えー!何で、嘘ぉ…」
私のガッツポーズに美保ちゃんは呆然とした表情で私を見る。
「先生、実はこのゲームやった事があるんじゃないですかー…ってそんな訳無いですよね。だったら11回も負けたりしないもん」
ため息をつきながら私に向かってもう一言。
「じゃあ先生。何でもいいですよ、好きな事言ってください」
この瞬間がまさか訪れようとは!
もう心の中は天使が大名行列並みにわんさかと私を祝福しているような気分である。
本当は「じゃあ、美保ちゃんを私のものにしちゃおうかな?」とか言いたいのだが流石にそれはまずい。
よってもうひとつ決めていたことを言う。
「えっと…美保ちゃんの制服、着ちゃだめかな?」
私は心臓をどきどきさせながらその言葉を振り絞る。
はたから見ればすごく恥ずかしい、ひょっとしたら変に思われる希望なのだが。
「いや、私っ!えっと、あの、今まで制服の無い学校だったからそういうのに興味が湧いてきて…何言ってるんだろう私、忘れて忘れて」
もうしどろもどろで説明している私。
でも美保ちゃんはそんな私を見て軽く笑うと、
「いいですよ。じゃあ早速持ってきますね」
そう言ってハンガーに掛かってあった紺のブレザーとプリーツスカート、タンスの引き出しからブラウスとリボン、学校指定の白の
ハイソックスを取り出しそれぞれを私に渡す。
それを手に渡された時はもう天にも登りそうな気分だった。
早速廊下で着替える。
そのひとつひとつを羽織る度、彼女の香りが私の心をくすぐり、身体はぶるぶる震えそのまま達しそうな気持ちになってしまう。
スカートを穿き、リボンを留め、ブレザーを羽織る。
サイズも丁度ぴったりで自分でもまだ高校生くらいなら通用するんじゃないかなー、と思ってしまう。
そして彼女の部屋に戻った。
「先生、すごく似合うー!そのまま学校に行ってもばれないよ、多分」
「そ、そうかな…?」
美保ちゃんの声に私は何故かポーズを取ったりして見せてしまう。
「うん、見てて一緒に登校しても何も違和感なさそうだもん」
そう言うと彼女もタンスから予備の制服だろうか、取り出してそれに着替え始めた。
「美保ちゃん?」
私はその状況をただ見ているだけだった。
着替え終わった彼女は私の横に立ち、そばにあった立ち鏡を私たちの目の前に置く。
鏡に映る私と美保ちゃん。
彼女の姿はすごく綺麗で。
まるで中学校の先輩後輩のような感じに見える。
私は制服姿の彼女を見て心がどうかなってしまいそうだった。
襲いたい、キスしたい、彼女をむちゃくちゃにしたい…。
自分の心の欲望がにじみ出そうになる。
「ほらほら、先生ー。もっとそばに寄って」
駄目、これ以上されたら私、おかしくなっちゃう…。
それを防ごうと口にしたのはこれまたとんでもない事であった。
「美保ちゃん…これ、借りてもいいかな…?」
自分でも何でそんな事を言ったのか分からない。
でも美保ちゃんはしれっとした顔で私に言う。
「先生、そんなに気に入ったんですか?…いいですよ、私は予備の制服がありますし」
多分私の欲望には全く気づいていないのだろう、いつもの表情を浮かべたままの彼女。
「あ、ありがとう。もちろんクリーニングして返すから」
「やだなぁ、いいですよー。あ、でもそれ着て本当に中学校行っちゃ駄目ですよ」
その言葉に私は何故か笑みが出てしまい、それは笑いに変わっていく。
「あははっ!大丈夫よー、行かないって。でもこっそり行って美保ちゃんの代わりに授業受けちゃおうかなー?」
「それはお願いですからやめて下さいっ!ばれたら私が大変な事になりますから!」
彼女の言葉に再び笑いが止まらない私だった。
翌朝、雪は止み少々歩きにくかったが私は美保ちゃんに見送られて家を後にした。
もちろんこの大雪である、彼女も私も学校は休校となっていた。
私はかろうじて動く電車に乗り、自分のアパートに戻る。
そして私は紙袋から彼女の着ていたブレザーとスカート、リボンとブラウスをそれぞれ取り出す。
「もう…我慢できない」
私はそう呟くと自分の着ていた服を全て脱ぎ、下着も外す。
さらにその制服一式を素肌の上から着込み、帰りに買った白のハイソックスを履いてもう一度自分の部屋にある大きな鏡でその姿を見る。
本当はそんな事はないのだが、ブレザーとスカートから彼女の匂いが醸し出されそうな感じになる。
心臓はものすごく早く動き、足はがくがく震えている。
「駄目…私、制服汚しちゃう…」
もう私の内側は限界だった。
その言葉とともに私の中から檸檬色をした液体が溢れ、スカートを濡らす。
じょろじょろという音が私の部屋を支配し、白のソックスを黄色く染め、フローリングの床に広がっていく。
私は全身の力が抜けたかの様にその中にへたり込む。
温かい液体が紺のプリーツスカートに染み込み、さらに濃紺色に染まってしまう。
私は前かがみになり、ブレザーの腕の部分にも染み込ませた。
もう私は壊れていた。
その水溜りの中で身体を絡め、ブレザーも徐々にその液体を吸い込んでいく。
白のブラウスもところどころ檸檬の色が見え、その姿に私は残っていた液体を今度は自らの意思で溢れさせる。
スカートがさらに濡れ、何度もその中からまた違う液体を放出させる。
そしてどろどろに蕩けまくっていた恥ずかしい部分をスカートの上から愛撫し、そこから溢れるものをブレザーの裾に擦り付ける。
さらにそれを胸の部分にも付け、何度も恥ずかしい部分を弄くる度にそこから熱い液体が噴き出す。
淫靡な声を上げて私は数え切れないほどの絶頂に達し、それでもその行為をやめようとしない。
私の身体、美保ちゃんの制服に犯されてるの…。
私はぐしゃぐしゃに濡れた制服を身に纏いながらも、さらに恥ずかしい部分から出てくるものによって汚されていく。
もう生まれて初めての快感でした。
身も心も溶けながら、私は制服をさらに汚していくのでした…。
以上です。
マニアックになりすぎてすいません、私の趣味入りすぎましたorz
取り合えず背徳感を出すのは難しいです、反省。
それではまたノシ
GJ!
確かにマニアックだけど、キましたよw
いやー次訪問する時どうしよ…
なんかこれ思い出して家庭教師中に一人赤面&悶々&にやけたらどうしよぉぉぉぉ!
で彼女に「変な先生…」
って鼻で笑われるような予感するGJ!!
91 :
名無しさん@ピンキー:2005/10/27(木) 19:47:56 ID:RNfC/5Z7
「お泊り会と制服」
うっはー、萌エスっ!
フェチっぽくてもイイヨイイヨー、GJ!
「お泊り会と制服」
きゃーwww
げらげら笑い、そしてどきどきしましたw美保ちゃんもかわいいんだけど、先生もすごいかわいいよー。
マニアな趣味、普段なら抵抗あるんだけど、これはなかったです。
とりあえず、大自然の力は偉大でした、ときれいにまとめようw
93 :
弱虫ゴンザレス:2005/10/31(月) 00:22:02 ID:4XO+39QS
外伝続き、投下させていただきます
ぞっとするような音だった。この森に住み慣れているはずのトレスまでもが息をつめ、森の闇
の向こうから轟いたおぞましい絶叫の長い尾を睨んでいる。ふ、と細い糸が溶けて無くなるよう
に声が途切れてしばらくしても、リョウを含めた三人は凍りついたまま動けなかった。
森に沈黙が戻る。この森に住む全ての生物が、恐怖なのか嫌悪なのか判別しがたい感情でその
場に縛り付けられているようだった。
「トレス、やばい感じだ」
呟かれたシリクの声に、緊張の色が混ざっていた。
自らの口から発せられた呟きに、トレスが無言で同意する。ごくりと喉が鳴る音が、リョウの
耳にまで届いてきた。
「ど、どうしたの? 今の、なに?」
得体の知れない不安と恐怖に、リョウが耐え切れずに問いかけた。
悲鳴のようだったと思う。それはこの世の全ての嘆きがこもっていたのではないかと疑うほど
に荒々しく、ひどく押し付けがましい悲哀を帯びた断末魔のように思われた。
リョウの声に答えるように、ぎゃぁ、と鳥のしわがれた声がした。一羽が枝を蹴って空に舞い、続いて二羽、三羽、十羽、百羽。色鮮やかな鳥達が警告を発するように声を上げながら一斉に舞
いあがり、闇色に染まりながら空を覆い尽くしていく。
「なに、なに、何なの!? 何が起こったの何が起こるの!?」
「説明したいのは山々だけど、話してる暇はなさそうだ――リョウちゃん!」
「は、はぃ!?」
血まみれのまま木の幹にめり込んでいた腕を力任せに引き抜いて、シリクはリョウに無事な方
の手を差し伸べた。
「おいで、急いで家に入るんだ!」
「え……あ、でも……」
「速く!」
再び、甲高い絶叫が森全体を震わせた。
これが、きっと前にシリクが言っていた恐ろしいモンスターの声なのだろう。差し出された手
を取ろうとしたリョウの手が反射的に耳元まで引き戻され、両耳を塞ぐ寸前、ドサリと鈍い音が
した。
未だ絶叫の響くこの森で、何故かかき消されることも無く、がさがさと葉を鳴らし、何かが地
面に叩きつけられる音がそこいらじゅうで起こっていた。
ざざ、ざ、どさり。木を揺らして木の実を落とす時のように、ひっきりなしに音がする。
ぞっとした表情で、リョウは黒い空を見た。
「まさか……これ……」
闇を逃げ惑う鳥達が、もがくように羽をばたつかせて暗い森へと落ちていく。その中の一羽が
リョウのすぐ横に鈍い音を立てて落ち、首の骨を折って即死した。
鮮やかな色の羽が泥で汚れ、死してなお筋肉の収縮を繰り返す体がビクビクと跳ねている。
「――シレーヌの声」
94 :
弱虫ゴンザレス:2005/10/31(月) 00:23:27 ID:4XO+39QS
不自然に絶叫が途切れた。途切れたというよりは、無音という音にかき消されたという方が近
いだろうか。
火に巻かれたような森の喧騒の中で、絶叫だけが不自然に掻き消えたのだ。
声に持っていかれていた意識をいちはやく取り戻し、動いたのはトレスだった。
「何を呆けている! 来い、人間!」
焦れたように短く怒鳴り、トレスは片腕でリョウ襟首をひっつかむと乱暴にその体を抱え上げ
た。リョウが驚いて悲鳴を漏らし、慌ててトレスの服にしがみ付く。
「うわ、ちょ、ちょ、ちょ! 待って、危ない! 危ないって!」
遠くで樹木がなぎ倒される音がする。瞬間、途切れたはずの叫び声が再び鼓膜を揺るがした。
「愚かな……仕掛けた輩がいる」
トレスの呟きがどういう意味か、考えている余裕はリョウには無かった。
まるで森全体が鳴いているかのようだった。森の遥か遠くから、いくつかの木々をくぐったす
ぐそこから、あるいは空から降ってきているようにも感じられるその声は、近づいてきているの
か、遠ざかっているのかの検討をつける事さえできそうもない。
トレスはリョウを抱えたまま、軽々と地を蹴った。家の窓から煌々と明かりが漏れて、哀れな
インクルタが慌てふためいているのが伺える。
半開きのまま放置されていた家のドアを蹴り開けて中に飛び込み、トレスは邪魔な荷物を放る
ようにリョウを床に放り出した。
「ちょ――ぅわ!」
顔面から落ちるのを恐れて無理に体制を変えたのが悪かったか、代わりに怪我をしている膝を
床に打ち付ける事になってしまい、リョウは声も上げられずにのたうった。絨毯の上に落下した
ため衝撃が低かった事だけが不幸中の幸いといえよう。トレスがそれを見越していたかは定かで
はないのだが――
「リョウちゃん! 薬品棚の下から二段目にある黒い瓶!」
「ふえ?」
「取って来いと言っている――! 阿呆面を晒している暇があったら走れ愚図!」
叩きつけるようにドアを閉め、背を向けたまま言われた言葉にリョウは慌てて立ち上がった。
状況が状況で無かったなら、グズ扱いされた事に猛烈に反発していただろうが、今はそれどこ
ろではない。
棚には色も形も様々な瓶が大量に並べてあり、その中から特定の物を探し出すのは困難なよう
に思われた。だが、リョウの瞳ははじめから知っていたかのように、一つの瓶に吸い寄せられた。
周りの瓶とはやや距離を保って置かれている、明らかに異質な黒い瓶。
間違いないと感じた理由が何なのかは分からなかったが、リョウは迷わずその瓶に手を伸ばした。
「投げて!」
指示通りの瓶を掴むと背後から声が飛んで、リョウは振り向きざまに声の方へと瓶を放り投げた。
力が足りずに床に落下しそうになった瓶を随分と低い位置で取り、シリクは血液で濡れて腕
に纏いつくローブを乱暴に肩までたくし上げると瓶の中身を血まみれの腕にぶちまけた。
95 :
弱虫ゴンザレス:2005/10/31(月) 00:24:51 ID:4XO+39QS
どす黒い液体が赤い血液と絡み合い、しかし決して混ざり合わずにねっとりと腕に絡みつく。
一、二秒考えるような間を置いて、シリクは考えをまとめるようにぶつぶつと呟きながら、扉に
ひたりと指先を突きつけた。ゆっくりと滑らせて、徐々に速度を上げていく。
「水、風、土を囲う禁忌の陣。中心に音の印――」
乱雑でいて、大雑把でいて、しかし恐るべき正確さをもって、シリクは猛烈な勢いでウィザー
ドが用いる魔方陣にも似た紋様を、自らの血液を混ぜた赤黒い液体で描き上げた。
四度目の絶叫。それは窓を、壁を、土を、風を、あらゆる物を伝わって頭の奥を掻き乱し、森
に息づく全ての生物の神経を蝕もうとしているようだった。
轟音が突き抜ける。リョウはその場に崩れ落ちた。
「施・鎖・錠・音・絶!」
耳をつんざく絶叫の中で不思議と紛れぬ言葉と共に、腕を振りぬいて滴り落ちる血を払い、陣
の中央に輪を描く形で五指の先を突きつけた。
「以上五指五言の言霊によりて結界形成をここに宣す!」
じゅ、と水が焼けるような音がして、扉に描いた紋様が霧散した。鋭い刃物で切り裂かれたか
のように、ぶつん、と不自然に悲鳴が切れる。
数秒――。激しく瞬いていたインクルタが再び穏やかにただよいはじめ、一瞬を境に、この場
には穏やかな静寂が訪れていた。暖炉の薪がはじけて、深く、長く息を吐く。
「凌いだか……」
トレスの声が、安堵を含んで呟いた。
「あぁ……」
応じて、シリクが呻くような声を出す。腕をついて扉に頭を預けてしまったシリクの後姿を呆
然と眺めていたリョウは、はっと我に返ると何度も目を瞬いた。
「すごい……」
思わず、感嘆の声が上がる。
振り返った瞳は穏やかな若葉色。リョウはぺたりと床にへたり込んだまま、憧れを含んだ瞳の
色で真っ直ぐにその瞳を見返した。
「結界における指定要素の限定排除! びっくりした! 本当にできるんだ! 物凄く複雑だ
から、まともに組める人なんて殆どいないって聞いてたのに!」
一般的に結界と呼ばれるものは、物理的な干渉を遮断、拒絶するための物が主だった。それを、
遮断したい要因を選び、それのみに対して有効な結界を組むのは並大抵の事ではない。
先ほど描き上げた紋様は、恐らくわざと未完成のまま置かれた結界を発動させるための最終要
素だったのだろう。
昔、本で結界成形の段取りを流し読んだ事がある。子供向けの簡単な本ではあったが、確か簡
単な結界を組んで遊んだ事があったはずだ。結界の要になる部分をわざと描かず、何重にも異な
る結界を描いておけば、鍵となる紋様を書き込むだけで状況に応じた結界があっというまに組み
あがる。
96 :
弱虫ゴンザレス:2005/10/31(月) 00:25:47 ID:4XO+39QS
「家がそういう所でね。子供の頃からやってたんだ」
戸に背を預け、疲れたように笑ったのがシリクだと言う事を、リョウは容易に想像できた。
肩を竦める仕草が、らしいというか、ひょっとしたら癖なのだろう。
「結界師って言ってね、ウィザードの使う魔方陣とは少し違う陣を組んで、結界を張るんだ。僕
は才能は無かったけど、それでも一応、基本の結界の組み方は叩き込まれた」
それがもの凄い頑固親父でね、と、笑う。おかげで、と言葉を繋いで、シリクはぼんやりと遠
くへ視線を投げた。
「僕らはこんな森にだって住んでられる」
こんな森、と揶揄したシリクの声に、苛立ちや忌々しさの色は浮かんでいなかった。それどこ
ろか、むしろ“こんな森”を気に入っているのだとさえ言っているようだった。
確かに、この森は美しいと思う。対応から察するに、シレーヌの声もそう頻繁に――少なくと
も毎夜起こるような物ではないのだろう。だが、それでもリョウには分からなかった。
何故、こんな森に――たった一人と言えば語弊があるかも知れないが、それでも孤独に暮らし
ているのだろう?
聞きたいと思ったが、リョウは口をつぐんでシリクから自分の膝へと視線を移した。
明日、ここを出て彼らと別れる自分には、質問する事は愚か詮索する権利さえ無い。“彼”で
はなく、“彼ら”だという事を知ってしまった時点で、既に知りすぎているというのに。
「ね……今の声、何だったの?」
あえて特定の話題を避けようとする時によく見られる、明らかな空気の変化がさっと部屋に染
み渡った。シリクが再び、リョウに顔を向ける。
「あれ、シレーヌの声でしょ? 鳥さんは神経麻痺起こしてたみたいだけど、僕は別になんとも
ないみたいだし――」
「答える義務は無い」
「歎だよ」
にべもなく答えたトレスに変わり、シリクが短くそう言った。
「な……げき?」
聞き覚えがあるような、しかし全く知らないようにも受け取れる表情で、リョウは僅かに首を
かしげた。
「知らないかな? ほら、魚から獣が産まれたり、人間から爬虫類が生まれたりする……」
「モンスターでさえない存在……万物における畸形種……」
説明しようとするシリクの声を遮って、リョウはぽつりと呟いた。
歎と言う存在は知っていたが、実際に感じたのは初めてだ。ベロアは確か、そんなに悪い物で
もないのだと言っていた気がする。ただ、凄く悲しい生物だと。
そうか、あれが――。
97 :
弱虫ゴンザレス:2005/10/31(月) 00:28:54 ID:4XO+39QS
「万物における畸形種……?」
シリクに難しげに聞き返され、リョウは包帯の奥で細められている若葉色の瞳をはたと見た。
「よ……っく知ってるね。そんな難しい言葉」
「あ、いや。友達に物知り博士がいるんだ。アイズレスでさ、だから。親を知らず、愛を知らず、
満たされる事を知らず、嘆くことさえ知らない生物。歎を知らぬが故に哀れ。故に彼らを歎と呼
ぼう、彼らこそが我らの歎きの象徴であるのだから――だったっけ?」
半ば呆れに近い驚愕を込めて言われた言葉に、自慢げに笑ってみせる。シリクは物知り博士ねぇ、
とオウム返しに呟くと、トレスが口を挟まないのを確認して話を続けた。
「さっき、怖いモンスターが出るって話をしたのを覚えてるかな? あの時はモンスターって言
ったけど、実際にインクルタたちが恐れてるのはあの歎だ。もう随分前から――そうだな、僕た
ちがこの家に来るよりも前からこの森に住んでる奴で、日がな一日寝て過ごすけど、時々起きて
はあんな風に酷く泣くんだ」
悪夢でも見て飛び起きる子供みたいにね、とシリクは冗談めかして笑って見せた。
悲鳴の様な絶叫。あの声に対してリョウが受けた印象は、今でも変わっていなかった。ひどく
押し付けがましい悲哀。それは、あまりにも恐ろしくて、自分ではどうする事もできなくて、す
がる腕を探して泣き喚く子供の姿を連想させた。
「……さて」
沈黙を好機と見て、シリクは大儀そうに呟いた。
「いい加減に血を止めないと、貧血どころか失血死だ。リョウちゃん、手伝ってもらっていいか
な?」
未だに血液を滴らせ続ける腕を視線の位置まで上げてみて、シリクはリョウに微笑みかけた。
リョウが思わず表情を引きつらせて硬直する。
「無駄だ」
小さく、だがきっぱりと言い放ったのはトレスだった。
鋭い視線でリョウの足に一瞥をくれ、すぐに存在を忘れたように薬棚へと足を向ける。リョウ
はその言葉に面食らい、目を瞬いてトレスを見た。
「何が?」
聞いたのはシリクである。
「シレーヌの声による神経異常――見た所腿半ばから下だろう。気付いていない所から麻痺とは
違う。感じる事はできても動かせないといった所か。足に対する命令系統が完全に切られている」
典型例だな、と呟いたきり、トレスは再び口を閉ざした。
ここまで言えば、何が無駄なのか分かるだろうとでも言うように。
弾かれたように立ち上がろうと試みて、リョウは無駄に床に着いただけで動けなかった。
「……動かない」
引きつった笑みを浮かべて見せて、リョウは絶望的に呟いた。
98 :
弱虫ゴンザレス:2005/10/31(月) 00:30:51 ID:4XO+39QS
切らせていただきます。
所で皆さん。
Trick or treat
間に合いませんでしたけど、朝目が覚めるまではハロウィンか……?
>ゴンザ氏
久々の投下、感謝感激雨霰。リョウの足はどうなるものやら、楽しみであります。
しかし唯一の問題が。
小官の記憶によるとハロウィンは10月31日、すなわち今日であると思うのですが、如何なりや?
>>99 恐るべき遅筆でどうも申し訳ありません。楽しみと言っていただけて恐縮でございます。
ハロウィンなのですが、確かに11月1日の前夜である31日が正しくはあるのですが、
時差を考慮すると日本だと30日になるので30日までにと……
しかし、考えてみれば無理に向こうにあわせる必要は無かった気がしてまいりました。
なにやら色々申し訳ありませんでした
101 :
名無しさん@ピンキー:2005/11/01(火) 05:00:15 ID:H6xfl+RQ
ちとこれは
水曜日って、美保ちゃんの家庭教師の日だよな…?
SS投下されないかな、ワクワク
今週は家庭教師は休みでした。
あ〜ブレザー姿見てぇー
>>100 正直、面白い所がどこにも無い。
萌えも無ければ燃えもない。遅筆云々以前にもっと推敲しろ。
出来ないなら来るな。容量の無駄。
結界張るシーンは燃えだと思ったが。
そしてリョウたんは萌える。
シリクとトレスの一人(?)どつき漫才コンビも萌える。純正ファンタジー燃え。
108 :
48:2005/11/04(金) 11:45:21 ID:Ge2vgKMM
こちら48です。やや論議が盛んなようですが、少々の事務的連絡をお許しください。
複数の理由により、長編は大幅に遅滞しています。
理由のひとつは、私が仕事上の理由でたいへんに多忙であるということです。
しかし、最大の理由は、どのように書けばよいかがいまいち見えないということです。
例えて言うなら、肩越しにバスケットボールのゴールにボールを入れようとしているようなものでしょうか。
ゴールの位置は見えているのですが、ボールを入れる自信がない、というわけです。
なお、最も早くとも投下時期は3ヶ月後になると思いますが、そのときにこのスレッドが使用不能であった場合、
「ゴッタ煮」スレッド乃至「スレの無い作品」スレッド、その他適当と判断した場所で投下を継続します。
議論の渦中にある皆様に、自重を強く懇請します。意見の衝突は、ある程度の段階以上ではそれ自体の推進力を持つことを
お忘れなく。年寄りの取り越し苦労かもしれませんが、現在極めて危険な情勢であると私は考えます。
重ねて懇請します。くれぐれも自重してください。全ては諸賢諸姉の理性にかかっていますからね。
とにかく各SSの続きをキボンしておく。
これで心配ない
投下していただいている作品は、もれなく美味しくいただいてますよ。
もぐもぐ。
>>1の2chエロパロ板SS保管庫 一気読みもオススメです。
そんな私は、ゴンザレスさんの自虐レスと48さんの近況レス萌え。
1.
雨音の向こうから聞こえる教会の鐘が、九時課(午後二時)が始まったことを告げる。
ヒルデガルトは城の一室から、ぼんやりと海を見ていた。
アドリア海はいつも澄んだ青さを見せている。しかし二月の空気の中では、それは一枚の氷を思わせた。
薄暗い自室の窓際が、最近のヒルダのお気に入りだ。
ベンチに腰掛け、一日海を眺める。
そうしているとふと、これまでの出来事は全て夢であるかのような錯覚に陥ることがあった。
アルフレドが、モンテヴェルデの掟と法を破り、身分違いの馬上槍試合に出たこと。
ヒルダはジャンカルロ伯の勧めに従い、アルフレドに自らのヴェールを与え、結果として彼を追放へと追いやったこと。
何もかも窓際でまどろんだ一瞬に見た悪夢。本当はアルはまだ城にいて、相変わらず図書室で本を読んでいるのではないか。
そう、剣の稽古もせずアリストテレスやオウィディウス、ヴェルギリウスに夢中になっているのではないか、と思う。
――でも、アルフレドはもういない。
アルはなぜあんなことをしたのだろう。
勝手に国法を破るような人間ではないことは、ヒルダが一番良く知っている。
おそらく、誰かにそそのかされたに違いない。
思えば、ニコロ卿へヴェールを与えるよう耳打ちしてきたとき、ジャンカルロ伯は不自然なほど熱心だった。
伯爵が影で何らかの糸を引いていたのは間違いない。彼はアルフレドを疎ましがっていたから。
でも、なぜアルは企みを見抜けなかったのか?
用心深くなければ、彼は子供のうちに殺されていたかもしれない。
そんな生い立ちが、アルに年齢には不釣り合いな用心深さと落ち着きを与えていた。
いつもなら、ジャンカルロ伯の考えの裏の裏まで読んでいるはずなのに。
それとも、避けられないほど周到な罠だったのだろうか、あるいは罠と知って――
扉が軋み音をたて、ヒルダを思考の迷宮から救い上げてくれた。
振り向くと、侍女のステラが入ってくるところだった。
三つ年下の彼女を、ヒルダは妹のようにかわいがっている。知らずに頬が緩む。
だが、ヒルダの微笑みにもかかわらず、ステラの顔は暗かった。
「ヴェネツィア大使閣下がいらっしゃいました。姫さまもご挨拶するようにと、大公陛下がおっしゃっています」
「ええ、すぐ行くわ」
頭を下げるステラに、軽やかに答える。
ヒルダはヴェネツィア大使からの「個人的な贈り物」の礼をまだ言っていなかった。
一月前、モンテヴェルデへの荷物を積んだヴェネツィア船がトルコ海軍に拿捕される事件があった。
聖ヨハネ騎士団に護衛されていた、あの船団だ。
その荷物の中にはヒルダやステラのための絹や香が含まれていたことが、問題をややこしくしていた。
モンテヴェルデとヴェネツィア間の条約に従えば、ヴェネツィアに弁済義務が発生するのはアドリア海で起こった損害だけ。
だが大公息女の個人的な荷物が被害にあっており、また条約が更新されたばかりであるという事情から、ヴェネツィアは例外的に弁済を決めた。
だが一方で、下手に弁済すればモンテヴェルデに条約の拡大解釈の口実を与えることも懸念された。
これらの理由により、ヒルダの受け取るはずの荷物は、大使からの贈り物という形で償われたのだった。
「……召し上がらなかったのですか」
机の上にほとんどそのまま残った昼食を見て、ステラが眉をひそめる。
潰したばかりの豚肉で作ったシチュー、揚げた魚のすり身、チーズ、リンゴの砂糖煮、そして赤ブドウ酒。
どれもヒルダの好物である。だが、どれもほとんど手をつけていない。
「ごめんね。今日は食欲がなくて」
ステラに心配をかけまいと、はっきりと笑顔を作ってみせる。だが、ステラは黙って首を振るだけだった。
「『今日は』じゃないでしょう。ここのところ、ずっとです。せめて食事だけでもきちんと取ってください」
まるで母親のように、困った顔を見せる少女に、ヒルダはまた少し笑った。
「大丈夫よ、だって……夜中こっそり夜食を作って食べてるから」
そう言ってふざけてみても、ステラは怖い顔で睨んでいる。
その視線におされて、ヒルダはうつむいた。
「……ごめんなさい」
「姫さま」
ステラは片付けの手を休め、ヒルダのすぐ傍に立った。
「御自分を責めてらっしゃるのですか。ジャンカルロさまの言葉に従わなければ良かったと」
「……違うわよ」
それは嘘だった。もしあの時、ジャンカルロの言葉に従っていなければ……そう思わないわけがない。
嘘をついたところで、ステラに自分の気持ちが見抜かれていることを、ヒルダも分かっていた。
不意にステラの手がヒルダの顔に触れた。
ときどき、この「妹」が見せる年上風のしぐさを、ヒルダは愛しいと思っている。
「御自分を責めてはいけません姫さま。姫さまは何も悪くありませんから……だって」
「だって、何? 私は何も知らなかったから? それじゃ、蛇の甘言に乗ったエヴァに罪はないの? 彼女は何も知らなかったのよ」
「あの、姫さま、私は……」
ステラは慌てて手を引く。
ヒルダはそんな当惑した侍女の顔を、まっすぐに見つめていた。
だが、その視線はすぐに優しく緩んだ。
窓際から立ち上がると、ヒルダはステラを抱きしめる。小柄なステラが、すっぽりと腕の中に収まった。
「ごめんなさい、あなたをやり込めるつもりはないのよ……ありがとうステラ」
ヒルダのぬくもりに、ステラも甘えるような仕草を見せた。
そのまま、ヒルダの手がステラの髪を何度か撫でた。くるくると指に髪を巻きつけ、遊ぶ。
ステラは少し笑い声をあげて、ヒルダの手から逃れようとした。本当の姉妹のようだった。
「姫さま、くすぐったいです」
「いいじゃない、もう少しだけ」
ステラが逃げようとすると、ヒルダは腕に力を込めた。
少女二人分の笑い声が、ヒルダの部屋にしばらく響いた。
そうやってじゃれあった後、不意にヒルダが真剣な声で呟いた。
「……あなたは私が自分を責めていると言うけれど、自分を責めているのはステラ、あなたの方でしょう」
「わたしが?」
ステラが不思議そうな声をあげても、ヒルダは全て分かっている、といった様子だ。
侍女がヒルダの気持ちをよく知るように、ヒルダも少女の考えていることは手に取るように分かるのだった。
「ジャンカルロ伯がなさったことに、ステラが責任を感じる事も無いのよ。
アルフレドがジャンカルロ伯の人質だったように、あなたは大公陛下と私の人質なのだから。
本当は恨んでいい――私のことも大公陛下のことも……望むならジャンカルロ伯のこともね。
でもあなたは優しい子だから、わたしのことも伯爵のことも嫌いになれないのでしょう?」
ステラは、ジャンカルロの姪である。
両親を早くに亡くしたため、伯父のジャンカルロが彼女の後見人となった。
だがそれだけに留まらず、ステラが継ぐはずの領地と収入も、今はジャンカルロの管理に置かれている。
それは彼の全収入の八分の一にも当たるが、もしステラがいなくなれば、管理権は後見人の手を離れる。
そうなれば大公がステラの領地の相続権を主張することもありえたし、実際相続する可能性は高かった。
大公がステラをヒルデガルトの侍女に選んだのは、明らかに伯爵への牽制と考えられていた。
アルフレドがこれまで謀殺されなかったのも、あるいはステラの存在があったせいかもしれない。
だから、ジャンカルロの策謀に衝撃を受けたのは、ステラも同じだった。
あの日以来、とくにヒルダの身を案じて一層世話を焼くようになったのを、ヒルダは感じていた。
「姫さま、私は……」
「いいのよ」
戸惑いの言葉を吐くより先に、ステラを抱くヒルダの腕の力が一層強くなった。
ヒルダは無言でステラを抱く。その力強さが、ヒルダの思いの強さをも表していた。
「今は我慢して頂戴。私……もっと強くなるから。大公にも、伯爵にも負けないようになるから」
「姫さま」
ステラが何か言おうとするより先に、ヒルダはさっと彼女の体を放し、扉の方へと歩き始めた。
あっけにとられているステラに、振り向きながら微笑む。
さきほどの言葉などすっかり忘れたように。
「遅くなると、大公陛下に怒られるわ。さ、行きましょう。これが終わったら、何かお菓子でも作らない?」
「…………はい、そうしましょう姫さま」
2.
激しい雨が、外套を叩く。
ぬかるみに足を取られながら、アルフレドは黙々と歩いていた。
追放されて以来、ただひたすらモンテヴェルデから海沿いを走る街道を北上し続けている。
だがアルには目的地もなければ、落ち着く先のあてもない。
ただし北には教皇領マチェラータ市が、さらに北にはアドリア海側における教皇領最大の港町アンコーナがあった。
どちらも交通の要所で、モンテヴェルデの町よりも遥かに栄えている。
そこまで行けば、なんらかの仕事にありつくことも出来るだろうし、次の目的地も決まるかもしれない。
モンテヴェルデの領地にとどまっても、追放されたアルでは仕事や住居を手に入れられない。
他国に身を寄せる以外、選択肢はなかった。
街道とはいえ道は悪く、天候にも恵まれなかった。
イタリアの冬は雨の季節だ。雨とみぞれが獣道に毛が生えた程度の道を泥沼に変えて行く。
一足しかないブーツは、泥がこびりつき石のように重い。粗末な外套は水を吸ってアルの体にのしかかる。
一歩一歩が苦行のような旅だった。
泥の中を半日歩けば、つま先の感覚は失われ、指は動かなくなる。
さらに、じわじわと足元から昇ってくる湿気と冷気が両脚の筋肉を棒のように固くしていた。
それでも足を引きずるようにして進む。アルには進むしかない。
夕闇が迫っていた。
夜は獣と盗賊、そして悪霊の闊歩する「魔の刻」である。
アルは安全に眠れる場所を探して足を早めた。もちろん、アルが思った十分の一も足は動かなかったが。
しかし、必死に歩き続けるうちに、彼方に小さな光がいくつか見えてきた。
さらに進むと、ぼんやりとした家の形が雨の向こうに浮かび上がった。薄く立ち上る煙は、その建物が「生きている」ことを示している。
街道沿いに一軒だけぽつりと建っているならば、民家や倉庫ではなく宿屋だろう。旅人にとってはかけがえの無い避難所だ。
しかし、アルの顔には安堵も喜びも見えない。ただ無表情に歩いて行く。
やがて宿屋の前に立つと、一つ息を吐き、建物を観察した。
それは遠くから見たより遥かに大きく、二階建てだった。
一階には珍しくガラスの窓がはまっていて、暖炉の炎が優しく揺れているのが見えた。
二階はおそらく寝室なのだろう。人の気配はなく、物音もしない。
わらぶき屋根を伝って雨が滝のように流れ落ちていた。
馬の小さないななきは、隣り合って立つ厩からのものか。雨に濡れずに眠れることを馬も喜んでいるようだった。
意を決して戸口に手をかける。
木製の分厚い扉の向こうから、にぎやかな話し声、音楽、さらに耳をすませば、暖炉の火がはぜる音が聞こえてきた。
ああ、暖炉の火! もう三日というもの、体が乾いたことはない。
アルはとにかく火が恋しかった。
ためらいがちに扉を押す。まるで盗人のように音も立てずに。
だが入ってすぐのところに小太りの男が待ち構えていて、全ての出入りを見張っていた。
丸椅子に座り、手にしたエールに顔を赤くしているが、眼光は鋭い。
値踏みするようにアルの頭のてっぺんからつま先までをしげしげと見る。
「……泊まりかね?」
男はこの宿屋の主人だった。アルはフードをとり、うなづく。
「ああ、一晩の宿を頼みたい」
「巡礼かね。それなら巡礼証明書、教区の印章の入った奴を。そうじゃなければ旅行許可証を見せてくれ」
「いや……どちらも持ってない」
「商人なら組合が発行した登録証だ…………とにかく証明書がなけりゃ、泊められないね」
そう言い捨てると、男は席を立って奥の方へと去っていった。
馬も連れず、大荷物も背負っていない少年が、行商人であるはずもない。
長年の経験から、主人はすでにアルが「普通」でないことを見抜いているようだった。
アルに気づいた客の何人かが、胡散臭げな目で睨む。アルは無言で背を向け、外に出た。
扉が閉まると同時に話し声と音楽は消え、雨が大地を叩く音が戻ってきた。
アルはしっかりと外套を体に巻きつけると、再び歩き始めた。
大半の人間が生まれた土地を一歩も出ることなく人生を終えた時代。
旅人とは、「旅をしている」というだけで、別の社会・文化に属する生き物と考えられていた。
それゆえ、定住者と旅行者、二つの異なる社会を繋ぐ「宿屋」は、特に注意の目が注がれる場所だった。
とりわけ犯罪者や浮浪者の侵入を嫌がる領主たちは、身元の確かでない客を泊めることを法で禁じていた。
もし、アルのような身元の不確かな人物――しかも罪人――を泊めたと分かれば、彼らは縛り首だ。
アルは旅に出て以来、屋根の下で寝たことがない。あらゆる宿で、宿泊を断られていた。
モンテヴェルデの町を出てから既に一週間、アルフレドは多くのことを学んだ。
旅人たちの世界について、そして定住者たちの世界について――その隠された姿を。
領主には豊かで人情味溢れた世界に見えた農村は、放浪者にとっては敵の砦のように危険だということも。
農民からよそ者に向けられるあからさまな不快感と敵意。冷たい拒絶と罵り声。
アルがどれだけ懇願したとしても、食料の購入も宿泊も、いや村に入ることすら拒絶された。
村はずれの廃屋で寝ていたところ、鎌や棍棒を持った農民たちに襲われたことすらあった。
やがてその敵意が、自分の腰にぶら下がっている剣に向けられていることをアルは知った。
農民にとって、武器を持った人間は全て敵なのだ。
税を搾り取り、労役に駆り立てる貴族たち。まるで狼のようにさすらう盗賊や追いはぎ。
そして、農民たちが最も恐れ嫌悪している傭兵の一団。
戦になれば作戦の一環と称して村を略奪し、戦が終わればただ食事と女を求めて村を襲う彼ら。
傭兵は乞食と変わらないような者も多いが、商売道具の武器だけは貴族にも劣らないものだ。
粗末な身なりに伸び放題の髪と髭。それにも関わらず、手入れが行き届いた剣を帯びた少年。
そんなアルフレドが傭兵の一味とみなされても、おかしくはない。
背の小さな袋を担ぎなおす。小さなフライパンと鉄製のランプがぶつかり会う音がした。
追放されたときに渡された食料はまだわずかに残っている。
パンチェッタ(豚バラの塩漬)が一片。豚の背脂が小さな壺に半分ほど。それにわずかな固焼きパン。
それはあと一食分ほどに過ぎない。
一日も早くアンコーナかマチェラータ――少なくともよそ者にも食物を売ってくれるような町にたどり着かなければ、アルは動けなくなる。
歩くしかない。
もう呪詛の言葉を口にする気力も無かった。
土混じりの雨が吹きつけ、アルの顔をだらだらと冷たい水が流れ落ちる。
ねっとりと絡みつく泥濘から、力を振り絞り足を持ち上げ、無心に歩いた。
足が動かなくなるのが先か、町にたどり着くのが先か。
「まるで渡り鳥だな……」
ある種の渡り鳥は地中海を渡り、はるかアフリカの果てまで飛ぶ。その旅は毎年繰り返され、迷うことはない。
自然魔術によれば、北の夜空に輝く「船乗りの星」から放出される遠隔力が鳥たちに道を示すという。
磁石が北を指すのもその「遠隔力」の作用とされていた。聞くところによると、ある学者は鳥の腹から磁石を取り出そうとした……
アルフレドは不意にそんな話を思い出していた。図書館で読んだ本の記述の一節だ。
「……まだ、僕は大丈夫だ」
そうひとりごち、歩く。そんなことを思い出す余裕があるなら、あと三日でも四日でも歩けそうだった。
やがて少年の姿は、夜の闇に消えていった。
3.
「マッシミリアーノ陛下に、ヴェネツィア市民と元老院を代表してご挨拶いたします」
謁見を行う大広間で、ヴェネツィア大使は優雅に頭を下げて見せた。
正面には大公とヒルダが座り、部屋の両側には家臣たちがまばらに並んでいる。ジャンカルロ伯の姿もあった。
多くの家臣たちは、評議会と馬上槍試合の終了とともに、それぞれの領地に帰っていた。
だがその中で筆頭家臣のジャンカルロだけが未だにモンテヴェルデの町に腰を落ち着けていた。
「ヒルデガルトさまもご機嫌麗しゅう」
「大使閣下もお元気そうで何よりです。先日は高価な品を頂き、ありがとうございました」
「気に入っていただければ、至上の喜びです」
少女は慇懃に微笑む。大使もそれに応えた。会見は、こうして和やかに始まった。
儀礼的な言葉の応酬が終わると、ヴェネツィア大使は少し口ごもった。
大公は、その言葉の切れ目を縫って話し出した。
「……今日はまた格別の用が御ありだと伺ったが、どのような御用件なのだろうか?」
「さよう、今日お伺いしたのは……」
大使は少し逡巡して見せた。
大公はとぼけているが、今日話しあうべき内容については部下から大まかに聞いて知っている。
だからこそ大使にとっては言い出しにくいのだった。
「ご存知の通り、トルコ海軍は近頃新たな艦隊をヴァローナ(アルバニアの港・トルコ領)に派遣しました。
その際、我々の輸送船と聖ヨハネ騎士団の軍船が襲われたのはご存知の通りですが……」
「痛ましいことであった」
大公の言葉には、あまり感情がこもっていないようだった。
なにしろ、船はヴェネツィアのものでも、積み荷のほとんどはモンテヴェルデのものである。
しかし、弁済されたのはヒルダのための品々だけであり、その他の弁済をヴェネツィアは拒否していた。
だが、大使はその点については無視した。寛大さはあまり大盤振る舞いするものではない。
「このトルコの策謀に対抗すべく、我らは新たな艦隊を編成しており、多くの水夫を必要としております」
「つい先日、条約に従って百人の水夫と同数の兵士をわが国からお送りしたはずだが?」
大公の顔が少し翳った。まるで義務を果たしていないかのような大使の言葉が気に触ったのである。
「……もっと必要なのです陛下。もっと多くの水夫と兵士が」
大使の声がひときわ大きく広間に響き渡った。
二百人というのはガレー軍船三隻分にも満たない数であったが、モンテヴェルデにとっては重い負担だった。
モンテヴェルデの城下町の人口は、周囲の農村を含めても三千人ほど。そのうち艦隊勤務に適した健康な若い男に限ると、二百人を下回る。
もちろん、二百人全てを城下町から集めたわけではないが、公国にとってこれがいかに困難かはわかるだろう。
「モンテヴェルデ公国の援軍には心より感謝いたします。しかし、さらに水夫と兵士がいなければ、アドリア海を守ることは難しいのです」
大使は決して傲慢ではない。大国の大使にありがちな、本国の力を露骨にちらつかせることも普段はしない。
しかしだからと言って、一国の大公を恐喝することにためらいはしなかった。
「もし、アドリア海をスルタンの浴槽にしてもよいとおっしゃるなら……」
「ではお国の元老院は、どれだけの人手が必要だと考えておられるのか? 我々はどれだけの協力をすればいいのか?」
海の守りを人質にされている以上、断るという選択肢はモンテヴェルデにはない。
だが、少しでも割り当ての人数を値切らなくては、この国は女子供と老人だけになってしまう。
「少なくとも、あと四百人」
その言葉に大公は絶句した。
驚きというより、半ば呆れたように頭を振り、玉座に深く身を預ける。
だが、大使は頭を抱えている大公に、冷厳に言い放った。
「これは他言無用に願いますが、全体で軍船八十隻と輸送船三十隻の新造を計画しております。
すなわち水夫、兵士、こぎ手を含めて二万人が必要なのです」
今度は家臣たちに動揺が広がる。それはモンテヴェルデ公国の人口の半分にすら匹敵する数だった。
これでは三度目の徴用も覚悟せねばならないだろうが、その時どれだけの人間を要求されるか、予想もつかない。
大公はもう一度頭を振る。
「四百人など到底不可能だ。村々に残る男は老人と子供だけになってしまうだろう。
あと一ヶ月もすれば種まきだというのに、それを行う人間がいなくなればこの秋我々に何を食べろというのか」
「しかし、アドリア海の防衛にはそれだけの人員が要るのです。
確かに多くの若者が何ヶ月も故郷を離れなければならない。農村の窮状も分かります。
だがその一方でアドリア海の安全もまた、モンテヴェルデの方々の望むものではないのですか?」
噛んで含めるように大使が言う。その声に甘い響きが混じるのを、誰もが聞き逃さなかった。
「……アドリア海の防衛と安全というが」
話を聞いていた家臣の一人がたまりかねたように口を挟んだ。
「先日編成された艦隊がどこに向かったか、我らが知らないとでも思っておられるのか?
クレタ島ではないか……我々の兵士が守るのはアドリア海ではなく、ヴェネツィアの土地であろう!」
クレタ島は地中海におけるヴェネツィアの一大拠点である。
東方貿易の中継地点として、コンスタンティノープルが失陥した今、計り知れない価値を持っている。
家臣の反論に大使はひるむこともなく、傲然と睨み返した。
目つきが鋭い。二人の間に火花が散った。
「トルコ本国からの増援を防ぐには、クレタに派遣した方がよいと考えたのです。海の戦いについては我らに一日の長がある。
少しは我々の判断を信じていただきたいものですな!」
ヴェネツィア人の船乗りとしての名声は、ヨーロッパ中、いやアジアにすら及んでいる。
海に浮かんだ町に住み、海上交易で生きてきた国民ゆえのことである。
一方モンテヴェルデ人は海とは馴染みのない者が多い。大使の言うことにも一理あった。
だが、自尊心を傷つけあうというのは、交渉の方法としては最悪だった。
大使に言い返された家臣が、さらに口を開こうとするのを、大公は手で制した。
「それでは、こういう案はいかがだろう。四百人全ては保証しかねるが、我々は出来る限り努力しよう。
だからヴェネツィア共和国も歩み寄っていただきたい。例えば――我々モンテヴェルデ人の乗った船はアドリア海の防衛にのみ使用するとか」
大公にとっては最大限の妥協だった。自分たちの利益になると目に見えて分かれば、家臣たちも納得する。
四百人という人間は、大公のみが負担するわけではなく、家臣の協力なしでは集められないものなのだ。
だが、大使はきっぱりと答えた。
「作戦についてあらかじめ制約を受けるようなお約束は、どんな種類のものであれいたしかねますな」
大使の言葉に、広間には諦めと怒りに満ちた空気が流れた。
妥協の余地のない交渉を、どうまとめろと言うのだ? 誰もが何かを言おうとし、何も言えなかった。
「陛下」
沈黙を破ったのは、驚いたことにヒルダだった。
その場にいた誰もが、不意に口を開いた少女の顔を見た。
「我々はヴェネツィアの方々と約束をしたはずです。我々が人を、ヴェネツィアが船を提供する、と。
守るのはヴェネツィアの利益でも、モンテヴェルデの利益でもなく、我々の利益、我々の海でしょう。
それに異教徒と戦うのは、何もアドリア海でしか出来ないわけではないのではありませんか?」
小さな声だったが、静かな部屋の中でははっきりと聞き取ることが出来た。
クレタ海域でトルコに圧力をかければ、アドリア海のトルコ海軍にも少なからぬ影響を与えられる。敵の後方を断つのは兵理の基本である。
ヒルダが言いたいのはそういうことだ。
だが、家臣たちは苦々しげだ。ヒルダの理屈が分かる者も分からない者も、まずヴェネツィアへの反感が先に立っている。
肝心の大公は、ヒルダをちらりと横目で見ただけで、その言葉を吟味する様子もない。
身内からの冷たい目線にもひるむことなく、ヒルダは堂々としていた。
「……大使閣下。我々が言えることは、条約を守っていただきたい、ということだけだ。
我々は水夫を提供する。それ以外のことは我々の義務ではなくあなた方の義務だ。
アドリア海が安全でなくなれば、ヴェネツィアが約束を違えたのであって、我々ではない」
大公の言葉に、ヒルダは落胆の表情を見せ、家臣たちは一様に満足そうな顔をした。
ヴェネツィア大使はそれでも必死に喰らいつこうとした。
「そのために、水夫と兵士の提供をお願いしているのです。我々に義務を果たせとおっしゃるなら……」
大公は分かっている、とでも言うように何度もうなづいた。
「四百人はどうあっても不可能だ。だから、我々がどれだけの協力が出来るか、まず調べよう。
土地台帳をめくり、村々町々にどれだけの若者がいるか調べるのだ。そのためには時間がいただきたい」
「どれだけ待てばよろしいでしょうか」
露骨な時間稼ぎの提案に、大使の言葉尻が険しくなる。
だが、大公は眉一つ動かさなかった。
「出来るだけすぐにお答えしよう。しかしまず主だった諸侯を集めて評議会を開かねばなるまい。よって……」
「よく分かりました」
大公が全てを言い終わる前に、大使がそれを遮った。
「待ちましょう、互いの友情を信じて。出来るだけ早いお返事をお待ちしております。それでは」
大使はほんの少し頭を下げただけで、大公の挨拶も聞かず退出した。
あまりの非礼に、家臣たちが騒然となる。大公はまた打ちひしがれたように首を振った。
大公は確かに公国の支配者だ。だが、家臣もまたそれぞれの領地の支配者であり、公も口出しできない。
確かに、ヴェネツィアに海の防衛を任せるのは利点が大きい。
海軍力とは高くつくものだ。わずかな人員の提供で、キリスト教世界最強の海軍が味方に加わるのはよりよい選択と言える。
だが、それが今回のように、それぞれの家臣の権益を侵すことになれば、たちまち反対の声が挙がるのだ。
いまや大広間は、ヴェネツィアへの不満と不審の声に溢れていた。
――だが、そのざわめきの中、ジャンカルロ伯だけが何も言わず、にやにやと薄気味悪い笑みを浮かべていた。
4.
「……なくなってる、まさか」
アルフレドの心臓がどきり、と鳴った。
もう一度シャツの下に手をやる。そこには、ルカからもらった金袋があるはずだった。
それが、ない。
いや、袋はあるし、中身も入っている。だが、その感触は明らかに銀貨のものではない。
慌てて首から下げた金袋を取り出す。そして恐る恐る開ける。
そこには、銀貨と同じくらいの大きさの石ころが、いくつか入っているだけだった。
「くそ……あの親父……」
アルは、その前の日、珍しく屋根の下で眠ることが出来た。
親切な農民の一家が、納屋を寝床として貸してくれたのだ。さらにわずかながら食料も売ってくれた。
もちろん対価として法外な金額を要求されたが、それでも雨に濡れ、盗賊や獣に怯えて眠るよりはましだった。
久しぶりに服を乾かし、干し草の香りに包まれて眠るという誘惑に、アルは勝てなかった。
一家は親切で、子供たちは旅の話をせがみ、その間に母親は外套のほころびを繕ってくれた。
思えば、そういう人並みの優しさすら、しばらく触れることがなかった。
――その晩、繕われた外套に身をくるみながらアルは人知れず泣いた。
最初に金袋を懐から出したとき、父親の目つきが変わったことをもっと良く考えるべきだったのだ。
とにかく、金袋の中身は消え、ご丁寧にも同じぐらいの重さの石とすりかえられていた。
引き返そうにも、もう丸一日近く歩いてしまっている。往復する余裕はない。
慌てて背負い袋の中身を確かめた。
フライパン、鉄製のランプ、木靴が一足、木匙、ナイフ、火打ち石。
……あの一家はまだ良心的だったのかもしれない。彼らから買ったパンとチーズも全て残っていた。
だが、金はもう銅貨一枚すら残っていない。明白な事実を突きつけられ、アルは愕然とする。
膝が地についた。
だが、力を失ったのは一瞬だった。再び気力を奮い起こして立ち上がり、歩き出す。
ひたすら、北へ、北へ。
――さらに数日経った。
アルは雨に打たれながら、街道脇に生えた大きな木の陰に身を横たえていた。
あの「泥棒一家」の家を出てから体の調子がおかしい。体が熱っぽく、頭がふらふらする。
裏切られたという衝撃とそれまでの疲労が、アルの体を本人が考えるより弱らせていた。
体調の異変に気づいたアルは、近道をしようとアンコーナではなく、より南の町マチェラータを目指した。
それが間違いだった。
ほぼ半日歩き続けたが、町どころか廃屋にすら行き当たらなかった。どこかで道を間違えたようだった。
アンコーナは港町だから、アドリア海を右手に見ながら北上し続ければ必ず辿り着く。しかし内陸の町は違う。
病に冒された頭は、時として致命的な過ちを犯す。近道より、確実さを取るべきだったのだ。
そもそも地図も案内人も無しに、一度も行ったことのない他国の町に行こうというのが無茶なのだが、もう手遅れだった。
それでもアルフレドは歩いた。生き残るためには進むしかなかった。
しかし最後には熱のせいで足が腫れ上がり、歩くことすら出来なくなった。
それでも這いずるようにして進み、この木の根元に身を横たえたと同時に、アルの進退は窮まった。
いまやアルはただ身を木の幹に預け、雨に濡れたまま身動き一つしていなかった。
もう一日以上眠っていない。熱のせいもあるが、体中が気が狂いそうなほど痒く、眠れない。
原因は、アルの体中にはびこった蚤と虱だった。
騎士見習いだったころは、旅に出ても誰かが替えの下着を用意してくれたし、洗濯もしてくれた。
それを怠れば、当然のように服は寄生虫の巣窟になる。アルはそんなことも知らなかった。
(……ずいぶんと、恵まれてたんだな、僕は)
朦朧とする意識の中、アルはそう思った。
屋根、乾いた床、そして火。清潔な下着と、散髪。
当たり前のように思っていたことが、全て王侯貴族の贅沢のように感じられた。
(ヒルダにいつか教えてあげよう、屋根と床があることが、どんなに幸せなことかって)
アルは笑っていた。
まるで世界の真理を見出した哲学者が知らず知らず浮かべるような微笑。
しかしアルは自分が何故笑っているのか分からなかったし、そもそも笑っていることにも気づいていなかった。
鉛のような腕を動かし、背負い袋からパンの塊を取り出す。
雨にぬれ、ドロドロに溶けかかったそれを、ゆっくりと口に持っていく。
つん、と酸っぱい匂いがアルの鼻を突き刺す。だが、もはやそんなことは気にならなかった。
一口かじり、飲み込む。
次の瞬間、猛烈な臭気が込み上げ、アルは咳き込みながらパンと一緒に胃の中身を吐き出した。
吐瀉物が泥水と混じりあい、足元に広がっていく。
そこにはもうどんな食べ物の欠片も見当たらなかった。
咳き込んだ拍子に、アルは体を折り曲げるように倒れた。
顔が水たまりに突っ込んだ。もがくうちに、口一杯に泥水を含む。
それでも必死で空気を求め、最後の力を振り絞って仰向けに寝転がった。
体全体に雨を浴びる。
乳白色の雲がアルの目に映った。
(ある種の渡り鳥は――――)
雨粒が妙にはっきりと見える。落ちてくる一粒一粒さえ見分けられそうだった。
その中に一つだけ、違う何かがある。
(地中海を越えて、遥かアフリカの果てまで――――)
小さな十字架のように見えるそれは、アルフレドの真上をゆっくりと旋回している。
薄れゆく意識の中で、アルはそれが遥か南へ向かうのを確かに見た。モンテヴェルデの方へ。
鳥か、それとも幻か。なぜか、それがヒルダに自分が死んだことを伝えてくれる、そんな気がした。
(続く)
122 :
前スレ440:2005/11/07(月) 21:43:11 ID:GmiMRy2A
今回は以上です。話の都合上じみーな展開になってしまいすいません。
次回以降はもっと派手になると思います。
ではまた。
キタ━(゚∀゚)━!!!!
アルがどうなっちゃうのか気になる…
というか歴史や文化の設定が組み込まれていて凄すぎ、GJ!
今日の家庭教師…生徒はとても不機嫌そうでした。嫌われたのかもな。
前スレ440氏、すごくレベル高くてイイ!
続きが気になります!
>>124 ただ単に学校で嫌な事があっただけかもね。
あまり気にするなー、そしてかてきょSSプリーズ!
かてきょSSはほかの職人さんが書いてくれてるんだ。
自分は報告のみかな
でも、休憩後にムスッと機嫌悪くなったんだ。
嫌いな英語を強引に押し進めたからだろうか。
スレ違いになるからここら辺で止めとく
>>火と鉄と〜
いつもドキドキしながらじっくり読んでおります
どうなるんだアル…
アル死んじゃうのかよ…
>>火と鉄と〜
アル、死ぬなー!
どうなるんだろうか、次回は!?
続き、期待しております。
えー、SSを投下させていただきます。
>>124さんの出来事を元に書いたので、お気を悪くされたらすいません、思いっきりスルーして下さい。
あと、最後の1レスのみマニアックな表現(WAMというものですね)が入っているのでこれも苦手な方は
最後の方をスルーの方向でお願いします。
それでは、どうぞ。
「ねぇ、香織〜、もう飲みすぎじゃないの?」
「まらまらぁ!よりこ、次いくよ〜」
この日、私はものすごく荒れていた。
友人の頼子を誘って飲みに行ったのだが、元々お酒があまり強くない上に甘いお酒しか飲めないという状態にも関わらず
今日は日本酒・ビール・ワインと無茶苦茶に飲みまくって現在の状況になっている。
「香織、あんたそんなにお酒強くないのに何でそんなに飲むのよ〜。何かあったの?」
彼女の言葉に私は一瞬動きがピタリと止まる。
が、すぐに酔った顔を彼女に向け言い放つ。
「何にもないわよ〜!そう、なーんにも…」
そう言って私はグラスに入ってる琥珀色の液体をぐっと飲み干したのであった…。
何故私がこんな事になったかというと、数日前ちょっとした出来事があったからだ。
私はいつもの様に美保ちゃんの所で家庭教師をしていた時である。
ここ最近、彼女の英語の試験の成績が落ち気味という事もあって親御さんからも英語の成績を上げてくださいとお願いを
されてしまったのだ。
もちろん私も気になっていたし、何とか成績を上げようと分かりやすいようにいろいろ準備をして(お芝居型の教材を用意したり、
ちょっとしたゲームのような物をこしらえたり)美保ちゃんに教えようとした。
ところがいざ教えようとしたら彼女の口からは不満の声がたらたらと出てきたのだ。
もともと英語の授業も好きではなく、苦手な事と相まって全教科の中で一番嫌いな教科になっているという事らしい。
いつも彼女は英語の指導の時は機嫌が良くなかったのだが、今回は母親に注意されていたのだろう、もう教える前から
全くやる気なしモードに突入していた。
「いいじゃないですか、自分で勉強しますから英語はまた今度にして下さい」
「駄目よ、この前の試験もあまり点数良くなかったでしょ?今回は楽しく勉強出来るようにほら、いろいろ準備してきたのよ」
私は机の上に前日に準備した教材を用意する。
しかし彼女の顔はまだ不満の色が濃く、私をにらみ付ける。
「楽しくって言ったって英語でするんでしょ?先生、別の教科にして下さいよ〜」
「駄目!今度期末試験あるんでしょ?点数悪いとまたお母さんに怒られるわよ」
「やだ!」
もう、何て強情なんだ。
私も半分苛立ちが入っていた。
この教材も前日に夜遅くまで作ったものなのだ。
流石に美保ちゃんの事が好きでも勉強の事になれば話は別、私は心を鬼にする事に決めた。
「我がまま言わない。ほら、始めるわよ」
彼女の文句をさえぎって私は無理矢理に教材を広げる。
「ぶー…。先生なんか、嫌いです」
頬を膨らませ、それでもしぶしぶノートを広げる彼女。
その言葉に私の心がちくり、と痛む。
「嫌いでもいいわよ、それで成績が上がるのならいい事だし」
それでもそんな事はおくびにも出さず、早速指導を始める私。
結局指導を終えるまで彼女は終始不機嫌のままであった。
帰る時になっても美保ちゃんはそっけない挨拶だけをしてさっさと自分の部屋に戻っていったし。
まぁ、嫌な勉強をされていい気分ではないとは思うがやっぱり面と向かって「嫌い」と言われると心の衝撃が大きい。
次第に私は帰りの電車の中でだんだんとネガティブな気持ちになっていく。
次の指導の時も嫌われていたらどうしよう。
もし、口も利いてくれなかったら…。
そのうち私の事が嫌になって指導員を変えられる事になったら…。
だんだん私の頭の中が嫌な気持ちでいっぱいになってきた。
好きな人に面と向かって嫌いと言われた事に対して、何故か心がずきずき痛んで。
何故だろう、目頭がとても熱い。
座席に腰掛けていた私の膝の上に置いてあった手に水滴が落ちる。
ああ、私泣いてるんだ…。
口から嗚咽の声が漏れていく。
私は電車の中で、人目もはばからず泣いた。
そして寂しさと憂さを晴らすために頼子を連れて私は飲みに行き、冒頭の状態に戻る。
「よ〜り〜こ〜?好きな人に「嫌い」って言われた気持ち、分かる〜?」
へべれけになりながら私は頼子の肩をばしばし叩く。
「痛っ…!もう、香織は飲んだらこんなに人格変わるとは思わなかったわよ…」
「何か言った〜?だって、前からずーっと好きだった人に嫌われたらもう…もう…」
電車の中で泣いたように再び私は泣き出す。
「は〜…。何であたしが恋愛の愚痴を聞かなきゃならないの?あたしが彼氏欲しいわよ!」
そんな姿に頼子はため息をつきながらそれでも私の身体をよしよし、と慰めるのであった。
目が覚めると、真っ白な天井がぼんやりと見えた。
どうやら私はそのまま酔いつぶれて自分のアパートまで帰ってきたみたいだ。
そして襲い掛かってくる割れるような頭の痛さ。
視界はぐるぐると回っているような感じ、胃の奥は全てを吐き出したいほどの不快感。
「あー…私、昨日頼子とお酒飲みに行って…覚えてない。…頭痛い」
まるで鉛のような身体を何とか起こして、ふらつきながら台所の水道の蛇口をひねり、水をコップに入れそれを飲む。
ひりひりと痛む喉に優しく包み込む水分で少し落ち着く。
ふと机の上を見ると小さなお鍋に入った味噌汁が置いてあった。
それと何か書いてあるメモ。
私はそれを手に取って読んでみる。
「香織へ
具合はどう?
あんたがあんなに飲むなんて、よっぽどの事なのね。
味噌汁作ったからじっくり味わって飲んでね。
あと、うわごとで『美保ちゃん』って言ってたけど…聞かなかった事にしといてあげる。
早く仲直りしなよ。
頼子」
「う〜、頼子の奴…。まぁここまで運んでくれて、味噌汁作ってくれたから感謝しなきゃね」
そうひとりごちると私は早速彼女の手製の味噌汁を味わった。
心地よいお味噌の風味が口の中に広がる。
同時に胃の中の不快感も少しずつだが、消えていく気分がした。
「そういえば来週から美保ちゃんの期末試験か…いい結果出るといいけど」
壁に掛けてあるカレンダーを見ながら私は重いため息をつくのであった。
日は流れて期末試験も終わり、そろそろ答案が返却されるだろう頃。
私は試験終了後、初めての指導をする為に美保ちゃん家に足を運ぶ。
試験前の指導の時は終始不機嫌で口も聞いてくれなかった事を思い出し、その足が何度も止まりかける。
(お願いですから、いい点取ってますように…)
この時ばかりは神様に真摯にお祈りをする私。
「ごめんなさいね〜、まだ帰ってきてないのよ」
家に入るなり母親にお茶を出され、申し訳なさそうに謝られる。
「いえいえ、お気になさらないで下さい。きっと学校の行事で遅くなっているんでしょう」
母親の言葉に丁寧に答える私に、さらにもう一言。
「実は…。この前先生が帰られた後、あの娘泣いてましてね」
「美保ちゃんが?」
まさか…私の所為!?
動揺する心を必死に抑え、目の前のカップに口をつける。
「あ、先生が何かしたって訳ではなくて。あの娘が『先生にひどい事言っちゃった』って私に泣きながら話しかけて来たんです」
「どうしてですか?」
私の所為じゃない?なら何故だろう?
今度は疑問が頭の中に湧き出し、その答えを求める為に母親に質問する。
「それが…『先生が私の為に一生懸命教えてくれているのに、私が我がままを言ってさらに先生なんか嫌いって言っちゃった』って。
何かちょっとは成長しているんだなぁと感心しちゃって。本当にあの娘は先生の事が好きなんですね」
その言葉に今度は心臓がどきどきし始める。
「あ、私はたいした事してませんから…。殆ど美保ちゃん自身の頑張りですよ」
母親に私の心の内を見られる訳には行かず、慌てて紅茶を一口飲み干す。
「そんな、謙遜しないで。これからも美保の事宜しくお願いしますね、藤村先生」
真摯な表情になって私を見つめる彼女。
「こ、こちらこそっ!」
何ひっくり返った声を出してるんだ、私。
やばい、美保ちゃんの顔が浮かんで自分の顔が赤くなってしまう。
取りあえずこの状況を打破せねば。
カップの中身が無くなってしまった事に気づいた私は今度はお手洗いを借りようとする。
その時である。
「ただいまっ!お母さ〜ん、もう先生来た!?」
ばたばたという足音とともに居間の扉を開けて制服姿の美保ちゃんの姿が現れた。
「あ、先生…」
「美保、遅かったじゃない。先生もう来て待っておられるのよ?」
母親の言葉に頭を軽く掻いて舌をぺろりと出して謝る彼女。
「ごめんなさい…部活が長引いちゃって」
「い、いいのよいいのよ!多分そうじゃないかなー、と思ってたし。こっちこそお母さんに迷惑かけちゃって…。早速指導始めるね?」
私はそう言うとそそくさと彼女を連れて二階に上がっていった。
美保ちゃんの部屋に入った私たちは椅子に座り、向かい合わせになる。
ああ、久しぶりの美保ちゃんの制服姿…!
紺のブレザーとプリーツスカートの取り合わせがすごく似合っていて私の心を惑わせる。
それでも何とか私はその感情を抑え、一番聞きたかった事を彼女に言う。
「さて、そろそろ試験の結果が分かる頃だと思うけど…どうだった?」
私の言葉に彼女は鞄の中から問題用紙と答案用紙を何枚か出し、私に見せた。
「ふむふむ…」
それらを見ながら点数と各問題の正否について確認をする私。
美保ちゃんは緊張した表情で私を見つめる。
そして私は厳しい表情を緩め、彼女に笑みを向けた。
「なかなかいいじゃない。特に苦手だった英語が前の中間試験より20点もアップしてるし。平均点を見比べても相当いい点よ」
私の言葉に彼女は嬉しさと安堵の表情が混ざった顔をする。
「本当ですか?良かったぁ〜、これで点数悪かったら先生に申し訳ないもん」
そこまで言うと彼女は立ち上がり、いきなり私に一礼をする。
「先生、この前はごめんなさい。私のために一生懸命教えようとしているのに私、先生に嫌いって言っちゃったりして…」
俯きながら私に向かって話す彼女。
よく見ると肩が僅かに震えている。
「先生に勉強を教わってからテストの点数もちょっとずつだけど上がってきたし、これからも先生の授業を教わりたい」
そのうち言葉は嗚咽と変わっていって。
「私、もっと頑張ります。だから先生、私の事を嫌いにならないで下さい…」
そして手で顔を押さえすすり泣く彼女。
私はそんな彼女の両肩を軽く押さえ、その泣き顔をじっと見つめる。
「先生…?」
私の為に泣いてくれているんだ…!
ええ、嫌いになんかなるものですか、もう身も心も私のものにしてしまいたい!
頭の中では天使と悪魔が最終戦争を起こしている位に私の心はぐちゃぐちゃになりそうだった。
しかしどうやら理性がほんのちょっとだけ勝ったらしい。
私はにっこり笑って彼女に接する。
「そんな、泣かないの。私は別に気にしていないし、美保ちゃんがもっと頑張ってくれるならいろんな事教えれるし」
そして指で彼女の涙を拭う。
「ほら、笑って。そんな顔だと可愛い顔が台無しよ」
「先生…」
潤んだ目で私を見つめる彼女。
実はもう半分ほど私自身が壊れていた。
だってこんな可愛い姿を見せ付けられたら。
しかも私の為に!
それでも何とか椅子に座らせ、いつもの様に勉強を指導し始める。
心のどこかで私自身が警鐘を鳴らしていたのかもしれない。
でもそれでもいい、私は彼女の笑顔やその制服姿を見れるだけで幸せ。
例え最後の一線を越えなくても、だからこそ見つかる幸せもある。
そう思いながら私は彼女を教えていくのであった。
しかし身体はそうもいかないらしい。
指導を終え、自分のアパートに戻ると私はクローゼットを開け、ある衣装を取り出す。
それは美保ちゃんと同じ学校の制服。
実は先月にこっそりと学用品販売店で購入したのだ。
店員のおばちゃんに聞かれ、「末の妹の制服を購入しに来たんです」と交わした時には冷や汗ものだったけれど。
自分の服と下着を脱ぎ、何も着ていない生まれたままの格好になる。
そして学校指定の白ソックス、ブラウス、紺のプリーツスカート、赤のリボン、紺ブレザーと順に着ていく。
これまた指定のローファーを履き、鏡の前に立つ私。
もうすでに私のいやらしい部分からは熱いものが垂れ、床にぽたりぽたりと落ちていく。
「私…美保ちゃんと同じ格好になってる…」
そのまま私は風呂場に向かう。
そしてお風呂用マットを引き、壁に背をもたれてスカートの生地の上からそっと触る。
「ああ…すごく濡れてる」
スカートにはすでに濃紺の染みが出来、それでも淫靡な音を立てながら弄くる。
「美保ちゃん、美保ちゃんっ!」
絶頂に達するのは早かった。
ぷしゃあ、という音が聞こえ温かい液体が穿いていたスカートの中で暴れ、あっという間に下半身がびしょびしょに汚れる。
もともと自慰をすると粗相をしてしまう癖があるため、極力自分自身で慰めるのは避けていた。
しかし今は違う、この着ている制服を汚したい。
そう、美保ちゃんの代わりに彼女の着ているこの制服を。
スカートは私の尿と蜜で変わり果てた姿になる。
でもそれだけでは足りない。
今度はこれまた予め購入し、洗面器に入れて準備しておいた泥パックの液体を手ですくい、ブレザーとスカート、そして中の
ブラウスにも塗りつける。
まるで泥の中で私は美保ちゃんを犯し、犯されている気分になってしまう。
自分の姿をもう一度見る。
茶色く変色したブレザーとスカート。白のブラウスももはやその面影は無い。
「美保ちゃんの制服、こんなにどろどろになってるの…」
あまりの快感にもう一度、温かいものを自分自身で出していく。
蒸れた匂いが再びスカートの中から溢れ、私はさらに泥を擦り付け、洗面器の中身ごと私の身体に掛ける。
そして一度右手を綺麗にして、その中の恥ずかしい部分を何度も何度も触り、弄くる。
「美保ちゃん、美保ちゃんっ!」
私は茶色く汚れたその姿を見ながら、そして美保ちゃんの姿を思い浮かべながら。
全てを放ってその意識を彼方に飛ばしていったのであった。
以上です。
秘め事編、マニアックすぎてごめんなさい。
あと
>>124さん、本当にごめんなさい。
ではでは。
グッドジョブ!!
…なのだが、このスレでこのマニアックな面白さを楽しめる人がどれだけいるかは正直疑問。
専門のそれ系のスレに移って続けたほうが良いのではないかと。
ただ今「やっちまった!」と反省中…orz
スレとの意向に外れた投稿、本当にすいませんでした。
取りあえず今後は今回のようなエロさが先に出てしまわないように、またストーリー上エロさが
出てしまうような作品は上記のどれかのスレに移動して投下致します。
今度はこんな暴走は控えなければ…。
百合カプでエチーもいいんじゃないのか?
個人的に楽しみでもある
スレの雰囲気だと、ここはみんないい感じの人が多いからなぁ。
他スレが悪いとかじゃなく、投下しやすい雰囲気がここにはある。
だから俺はこのスレが好きなのだが。
でも全ては投下する職人さんの気持ち次第だ!
俺は見守りを続ける。
1.
――次に意識を取り戻したとき、今度こそ間違いなく煉獄に落ちたのだと思った。
以前にそう思ったときは、傍にヒルダがいて、そこが煉獄ではないことを教えてくれた。
今はヒルダもいない。
思えばダンテ・アリギエーリの詩でも、彼は旅をするうちに冥界へと迷い込んでいた。
ならばアルフレドがそうならない理由があろうか?
だが、ゆっくりと頭を巡らしたとき、自分の想像が全く間違っていることにアルは気づいた。
ここはどこか部屋の中だ。木造の建物で、床一面に藁が敷き詰めてある。
厩のようだったが、自分が寝かされているのは明らかに人間用の寝台だ。
粗末な毛布は、何度も洗濯されて擦り切れてはいたが、清潔だった。
改めて自分の体を観察する。着ているのは自分の服ではなくリネンの下着だ。これにも洗濯の跡があった。
枕元には小さな台があり、蝋燭と欠けた水差しが載っていた。
全てのものが、生活臭を匂わせている。だからここはまだ人間界なのだろう。
耳を済ませても、もう雨音は聞こえない。静けさの中でゆっくりと体を起こす。
額に手を当てる。熱はもう下がっていた。
「ああ、そろそろ目が覚めると思ってたよ」
その声にアルはあわてて頭を巡らす。
それまで気づかなかったが、部屋の隅に小さな入り口があって、そこから一人の女性が顔を出していた。
自然と、アルは体を引いた。それを見て女性が小さく笑う。
「怯えることはないよ。何も取って食おうってんじゃないんだから……ちょっと待ってな」
そう言うと女性はいったん姿を消し、手に大きな陶器のジョッキを持って再び現れた。
年の頃は三十手前か少し過ぎたころだろう。腰の強い黒髪を、後ろで束ねて結い上げている。
体は少しふっくらとしているが、顔は少しやつれて見えた。あるいは光の加減かもしれなかったが。
一見して、市民階級の母親のような女だった。
アルのそばに来ると、彼女はそのまま寝台に腰掛け、片手をアルの額に当てた。
「熱は下がったね。じゃ、これをお飲み」
熱くして、蜂蜜と胡椒を入れたぶどう酒だ。アルが戸惑っていると、女性はそれを強引に手渡す。
仕方なく、ちびちびとそれを口にする。
久しぶりに味わう温かさと甘み。そして胡椒のわずかな刺激が、アルの体を奮いたたせてくれた。
「もうすぐ食事が出来るからね。あとで持ってきてあげるよ」
「あ……はい」
無邪気さを漂わせる女性の微笑みに、アルは赤面しながらうなづく。
「……さて、それじゃまず名前を聞こうか」
アルが一息ついた拍子に、女性はそう尋ねた。
その目は敵意や冷たさはなく、どちらかと言えば好奇心――アルが何者であるか、純粋に知りたいという欲求が感じられた。
アルはそのおかげで落ち着いて答えることが出来た。
「僕の名前はアル。アルフレド・オプ……あ、いや……アルフレドです」
オプレントの名は追放のときに剥奪されていた。今はただの「アルフレド」だ。
そんな風にアルが言いよどむのを聞いても、女性は詮索すらしなかった。
「私の名前は、<ニンナ・ナンナ>。みんなはニンナとか、ニーナとか呼んでる」
「<子守唄>……?」
ニンナもナンナも、幼児に使う言葉で『おねんね』という意味だ。二つ重ねると『子守唄』という意味にもなる。
明らかに偽名である。だが、アルの疑問にも女性は涼しい顔をしている。
「その辺は詮索しないのが私たちの決まり。いいかいアルフレド?」
ニーナが優しく微笑むので、アルはうなづいた。まるで子供に言い聞かせる母親のようだ、とアルは思った。
そういう点からすれば、<子守唄>とは彼女にぴったりの名前と言えた。
「で、あんたは一体何者なんだい、アルフレド? なんであんなところで行き倒れてた?」
「僕は……」
そう言いかけて、アルフレドはまた口ごもる。果たして何もかも話してしまって良いのだろうか。
不意に、例の「泥棒一家」に騙された記憶が蘇る。
「……詮索しないのは、あなたたちの決まりじゃないんですか?」
その言葉にニーナは目を丸くした。一瞬あっけに取られてから、ぷっと吹き出す。
「うまい切り返しをするじゃないか、坊や」
女性がさもおかしそうに笑うので、つられてアルも少し笑った。
「それについては、今回は例外だ。とりあえず何者か答えてもらおう」
そのとき、もう一人が部屋に入ってきた。アルとニーナは同時に振り返る。
入ってきたのは、こざっぱりした格好の体格のいい男だった。アルより一回りは年上、おそらくニーナと同い年ぐらいだろう。
着ているものは普通の厚手の上着にズボンだったが、その袖口から鎖帷子が覗いているのをアルは見逃さなかった。
「……これは、お前の物か?」
その男が差し出したのは、アルフレドの長剣だった。泥にまみれていたはずの鞘は綺麗に汚れが落とされている。
アルは手を伸ばして剣を取ろうとしたが、いち早く男は一歩後ろに下がり、アルの手を逃れた。
「返してください」
はっきりとした口調で言う。そして、男に向かってさらに手を伸ばした。
男はアルの目をじっと見つめていたが、やがてすらり、と長剣を鞘から引き抜いた。
その仕草だけで、男が戦慣れしていることが伺えた。この男は戦士だ。
「振ってみろ」
そう言って男は剣の柄を差し出した。
しばらく見つめ合い、ためらった後で、アルは自分の剣を手に取った。
久しぶりに握る愛剣は想像していた以上に重かった。おそらく体が相当に衰えているのだろう。
そういえば一体どれだけの間眠っていたのだろう? 一日? それとも一週間?
心に浮かんだ疑問をとりあえず脇に押しやり、アルは寝台から上半身を起こしたままで剣を構える。
すぐ傍で、ニーナが不安そうに男とアルを見比べていた。
アルはニーナにちょっと微笑みかけてから、両手で柄を握り、真上に振りかぶる。
何度か振って見せる。さらに右から左、左から右へと薙ぐ。
基本中の基本の動きを繰り返し、さらに別の構えを見せようとしたとき、男が口を開いた。
「もういい。分かった」
そう言うと男はアルの剣を奪い取った。それは有無を言わせぬ手つきだった。
「……どうやら、追いはぎや墓荒らしの類ではなさそうだな。かと言って傭兵でもあるまい」
男の言葉に、アルはずっと思っていたことを口にした。
「ところで、あなたは誰です? ここは一体どこです? どうして僕を助けたんですか?」
矢継ぎ早にはなった質問に、男は苦笑する。
だが、その目には先ほどまであった警戒の色はもはや無かった。
「俺の名前はコンスタンティノ。ここはトレンティーノの町……最後の質問は、お前の答え次第といったところだ。
しかしお前、いったいどこに行くつもりだったんだ」
アルがマチェラータかアンコーナに行くつもりだったと答えると、コンスタンティノは驚いたようだった。
彼の話によると、アルが倒れていたのはマチェラータからさらに内陸に入った街道沿いだったという。
アルは目的地を遥かに通り過ぎ、アペニン山脈の方へと入り込んでいたのだ。
ちなみに、彼らが今いるトレンティーノはマチェラータより内陸の小都市である。
「冬にアペニンを越えようなんてのはどうしても必要がある奴か、よっぽどの馬鹿だけだ。俺たちが通りかからなければ、確実に死んでたな」
「じゃあ、なぜあなたたちはこんな時期に山越えを?」
「……質問には、お前が先に答えろ。そうすれば俺たちも答えてやらないこともない」
コンスタンティノの言葉にアルはまたためらう。しかし、結局答える以外に方法はないと悟るのにそれほど時間はかからなかった。
そもそもいまさら隠すこともない。武器も荷物も取り上げられて、失うものなどないのだし。
「僕は…………騎士見習いでした。でも、追放されたんです」
「どこの国に仕えていた」
「モンテヴェルデ公国」
アルの答えに、コンスタンティノは眉をぴくり、と動かした。そのまま何か思案しているのを、アルはしばらく黙って見守る。
だが、いつまでたってもコンスタンティノが黙っているので、我慢しきれず口を開いた。
「それで、あなたたちは何者なんです? 何故僕を助けたんですか?」
コンスタンティノははっと我に返ったようにアルの方を見た。どうやらアルのことを失念していたらしい。
「俺たちは、傭兵団<オルディネ・インデモニアート>……俺はそのカピターノ(隊長)だ」
<オルディネ・インデモニアート>とは『狂暴騎士団』あるいは『悪魔崇拝修道会』という意味。
傭兵団はその名を喧伝するため、ことさら背徳的な名前や、恐ろしげな名前を自らにつけることが多かった。
「助けた理由は……あえて言えばきまぐれからだが、看病してやったのは動くに動けなかったからだ。
実は仲間が何人か病気でな。アペニン越え出来るか様子を見なきゃならなかったんだ」
「そういえば、みんなの様子は?」
不意に思い出したかのようにニーナが尋ねた。
だが、コンスタンティノは首を振った。無数の人の死を見てきた人間が見せる達観の表情。
「さっきロレンツォが逝っちまったよ。声一つ挙げずに……あいつが最後だった」
「……そう。二日も目を開けなかったしね」
ニーナが胸の前で小さく十字を切る。彼女はまだコンスタンティノの境地には達していないようだった。
アルも見知らぬロレンツォのために祈った。
だがコンスタンティノはもうその話は終わったとばかりにアルフレドの方に向き直った。
「ところでお前、馬には乗れるな」
「もちろん」
アルはその先が容易に予想できた。
「ここでぐずぐずもしてられない。俺たちは先を急ぐ。お前の看病はここまでだ。
だが馬と装備が余ってる。何しろたくさん死んだからな……もしお前がそうしたいなら、そいつをお前に託そう」
つまりそれは傭兵になることを意味していた。
傭兵。金のために命を売り買いする男たち。狂暴で、強欲で、神を侮り、罪にまみれた者。
確かにアルは既に故国では罪人である。
だが、一度罪を犯したのだからあと何度犯しても構わないというのでは、心の底から罪人になってしまう。
そもそも、騎士になりたい、そのためには法を破ってもよい、と考えたからこそ自分は追放されてしまったのではないか。
ならば、二度と騎士の掟を破ることなく生きること、同じ過ちを繰り返さないことこそ、真の道ではないのか?
――しかし、死の恐怖は掟よりも強かった。
あの寒さ、空腹、病そして孤独。
ここで彼らと別れたら、アルはまた一人で死に怯えつつ旅をしなければならない。
コンスタンティノは口の端をゆがめて笑う。率いる傭兵団の名にふさわしい。誘惑する悪魔の笑みだった。
アルはためらいがちに首を縦に振った。その答えにコンスタンティノは満足したようだ。
あるいは、これを予見して自分を救ったのではないか、アルはそう思った。
「冬の終わりとはいえ、アペニン超えはきついぞ」
「はい」
「病み上がりでも容赦はしないからな」
「……はい」
それだけ聞くと、コンスタンティノは二人に背を向けた。
「出発は明後日だ。それまでに仲間を紹介しておく。装備は自分でまとめろ。いいな」
コンスタンティノは長剣を鞘ごとアルへと放った。宙で受け取るアル。
部屋を出る瞬間、コンスタンティノはほんの一瞬立ち止まった。
「よろしくな、アルフレド・オプレント」
「え? あなた何故……」
だが、アルが問い直すより先にコンスタンティノの姿は消えていた。
2.
コンスタンティノの言葉どおり、冬のアペニン越えは過酷だった。
一団は、イタリア半島を南北に走るアペニン山脈を、東から西へまっすぐ横切ろうとしている。
降り積もった雪に足を取られ、ときおり吹雪に苦しめられる旅だ。
天に向かって続くような急な山道を登り、吸い込まれそうなほど切り立った谷を恐る恐る下る。
足は岩に切り裂かれ、肺は氷のような空気に痛めつけられる。
誰もが外套や毛皮を何枚も重ね着して、のそのそと進んでいく。それでも寒さは体の芯まで染みこんで来た。
ロレンツォの馬がなければ、病み上がりのアルは最初の一日すら着いていけなかったに違いない。
「ところで、目的地はどこです」
コンスタンティノに馬を並べながら、アルは尋ねた。
ほぼ先頭を行くコンスタンティノは、甲冑の上に外套を羽織った姿で、迷うことなく皆を導いているように見えた。
「……まずはペルージャだ。それから進路を北西に取り、トスカーナへ向かう。最終目的地はポッジボンシだ」
トスカーナ地方は、ローマの北、イタリアの西岸地域である。起伏に富んだ地形と、農産物の豊かさで知られている。
その大部分がフィレンツェ共和国の領土であり、ポッジボンシもフィレンツェ領の町のひとつだった。
「……ということは、あなたたちはフィレンツェとナポリの戦争に参加しているんですね?」
「そうだ、俺たちはナポリ側だ……正確に言えばナポリの同盟者、ウルビーノ公国フェデリーコ公に雇われている」
ウルビーノ公国は、モンテヴェルデ同様、教皇が統治する教会国家の一角を形成している。
ナポリは教会国家と、フィレンツェはミラノ公国と同盟したため、この戦争はイタリアを二分して、もう二年近く続いていた。
アルフレドは周りを見渡す。隊列は細く、長い。隊列の前後左右は騎兵が守っている。
中央には、歩兵たち。革鎧に鉄兜はアルにも見慣れた姿だが、手にしている武器は見た事がないものだった。
石弓のようにも見えるが、弓の部分がなく、その代わりに木製の台尻の上には鉄の筒が取り付けられている。
「コンスタンティノ、彼らが持っているのは……」
「ああ、<スコピエット>だ。知らないわけじゃないだろう?」
「あー……話には聞いていましたが、実物を見るのは初めてです」
アルの言葉にコンスタンティノは声に出して笑った。自分の無知を笑われ、アルは少し不機嫌な顔を見せる。
スコピエットとは、いわゆる火縄銃のことである。
当時、小火器にはようやくバネ仕掛けの引き金装置が取り付けられるようになった。
それまでは、銃身に開いた穴に、手で直接火縄を突っ込んで撃っていたのである。
この改良により、スコピエットはより扱いやすい兵器となり、急速に普及しつつあった。
だが一方で騎士には「臆病者の武器」として軽蔑されており、とくに尚武の国モンテヴェルデにはほとんど入っていなかったのだ。
火縄銃隊の後ろには、武器を積んだした馬車、さらに生活用品を満載した馬車やロバが続く。
天幕、鍋や釜といった調理道具、大工道具、ワインやパンなどの食料、飼い葉や、家禽を入れた檻まで。
隊列の最後には途中で食料にするための牛や羊の長い列と牧童がいた。
そして家畜のように荷物を背負わされた老人や女たち、さらに女たちに手を引かれた子供が見える。
その数は兵士たちより遥かに多い。
傭兵の家族や、雇われた人夫も含まれているが、そのほとんどは「娼婦」だった。
彼女たちは重い荷物を運び、家事から薪割りなどの力仕事までこなし、看護婦の代わりを務め、兵士の性欲を処理する。
その一団を率いるのはニーナだった。彼女も娼婦なのだ。
コンスタンティノ率いる部隊は総勢百人。
重騎兵が三十、弓や投げ槍で武装した軽騎兵が十数騎、長槍を持った歩兵が二十人強。さらに火縄銃兵が四十人。
それに従卒、人夫や娼婦を含めて三百人近い集団だ。
白い山肌をのろのろと進む黒く長い行列に、アルは思わずため息をついた。
「……これ、全てあなたの部下なんですよね」
「そうだ」
コンスタンティノはさらりと言ってのけた。
モンテヴェルデなら、これほどの軍勢を一人で集められるのは大公かジャンカルロ伯ぐらいだろう。
「これで全部じゃないがな。すでにポッジボンシを囲んでる奴らがいる。
俺の<狂暴騎士団>は……ちゃんと数えたことはないが、騎兵が二百前後、歩兵が四百といったところだ」
「……まさか」
アルが絶句したのも無理はない。たかが傭兵隊長一人が、公国全体の倍の兵力を率いているなど!
言葉を失った理由を、コンスタンティノはすぐに察したようだった。
「……田舎騎士よ、お前の国が安寧をむさぼっている間に世の中は変わったんだ。
少数の勇士が国を代表して剣を交える……戦がそんな『騎士の遊び』だったのは昔のことさ。
俺ですら、ウルビーノ公の配下では中堅といったところだよ。何しろ公はこのたびの戦で騎兵二千、歩兵一万を率いている」
アルフレドは完全に打ちのめされた。総兵力一万二千! モンテヴェルデの全ての男が武器を取ったようなものじゃないか!
呆然とするアルフレドの顔を、コンスタンティノはしばらく面白そうに眺めていた。
「さ、無駄話は終わりだ……日が暮れる前に宿営地を決めなければな」
そう言って、懐から地図を取り出す。アンコーナからペルージャの道が一直線に記された、長い巻物だ。
「……もう八ミリオ(約十五キロ)もいけば、小さな村に着くようだな」
コンスタンティノの言葉に、すぐ傍にいた道案内の男がうなづく。
ふむ、とひとりごち、あごひげをしごいてから、コンスタンティノは隊列の方に振り返った。
「あと二時間も行けば今日は休めるぞ! 歩け、蛆虫ども!」
「Che Cazzo(何てこった)!」「Merda(糞ったれ)!!」
兵士たちは罵り声で、しかし嬉しそうに答える。それを聞いてコンスタンティノは悠然と笑った。
3.
「諸侯に集まっていただいたのは、他でもない」
モンテヴェルデ、五指城の一室。
そこにはモンテヴェルデ公国の主だった諸侯が顔を合わせていた。いわゆる「評議会」の面々だ。
だが、この集いを開いたのは大公マッシミリアーノではない。
テーブルの一番端、全員の顔が見渡せる場所に席を占めたのは、ジャンカルロ伯である。
「……この度の大公陛下の決定について、諸侯の御意見を伺いたいからだ」
その言葉に、その場にいた全員が短くうなり声をあげた。
彼らはヴェネツィア共和国への人員の提供について議論するため、領地から呼び出されたのだ。
だが、慌てて集まったところに聞かされたのは、大公の一方的な命令だった。水夫の徴用が、評議会に諮ることなく決定されたのである。
「……大公陛下の心痛も察するべきであろう。
ヴェネツィア人め、『これ以上引き伸ばすなら、許可を待たず勝手に水夫を集める』とぬかしおったらしい」
その言葉に満場の諸侯たちから別の不満の声が挙がる。小国とはいえ、そこまで侮辱されて黙っているなど、名誉に関わる。
当然、大公の決定に同意する声もまた少ない。そこまでされてなお言いなりになることに、怒りを抱く者の方が多かった。
弁護の声は、水夫徴集の割り当てを逃れた数少ない幸運な者から発せられたに過ぎなかった。
「……しかし、大公陛下も思い切ったことをなさる。『モンテヴェルデ海軍』とはな」
別の貴族の言葉に、その場にいた全員が大公の決定を思い出していた。
大公の決断は確かに思い切ったものだった。自前の艦隊を作り、それをヴェネツィアに提供しようというのだ。
規模はガレー軍船三隻、輸送船一隻。四百人の徴用された男たちがこれに乗り組む。
実質的にヴェネツィア海軍の指揮下に入るとはいえ、この小艦隊の指揮官はモンテヴェルデ人が務める。
これならば立場上同盟国として対等であり、アドリア海以外の海域への派遣を断ることもできる。
条約を守った上で、「指揮権があること」を盾に家臣たちの不満を押さえ込もうという意図だった。
ただし、この決定によって家臣団の不満がなくなったわけではなかった。
まず第一に、結局水夫は家臣たちの負担になったこと。もう一つはモンテヴェルデ艦隊の提督の人選だった。
モンテヴェルデはこれまで常設の艦隊を持っていなかった。
唯一大公が、中型ガレー船『聖ペテロ』号と小型ガレー船『隼』号を一隻ずつ持っている。
任務はアドリア沿岸諸国との交流。つまり、大使や伝書使の派遣のために使われていて、軍船ではない。
そこで、新たな船の建造をヴェネツィアに依頼することになった。何しろこの国は小型漁船程度の建造能力しかないのである。
しかし、自国の艦隊の拡充で手一杯なヴェネツィア造船所はモンテヴェルデの要求をすげなく断った。
仕方なく、何とか戦闘に使えそうな『聖ペテロ』号と、ヴェネツィアから購入した廃船寸前の中古船でどうにか艦隊の形を整えたのだった。
船は揃ったが、熟練の船乗りは少ない。自然と、これまで『聖ペテロ』号の船長だった大公直参の騎士が提督に任命された。
だが、これでは実質的に大公の私有艦隊である。
水夫の徴用と同じく、提督の人選についても何の相談もなかったことが、家臣たちの怒りに油を注いでいた。
「大公陛下は、わが国をいかがなさるつもりなのか……」
諸侯が口々に漏らす不満に耳を傾けていたジャンカルロが、ぽつりと呟いた。
それは、苦悩からつい漏らしてしまった言葉のようであったが、他の人間に聞かせることを十分考慮していた。
「……言うまでもない、ヴェネツィア人に譲り渡されるのだろうさ!」
血気盛んな若い領主が、満座を圧する声で言った。それが場の流れを決めた。全員薄々そう感じていたのだ。
「何しろヴェネツィア人だ。こちらが一ソルド払えば、今度からは十ソルド要求するだろう!」
「そもそも、艦隊を作り上げるなら、最初から条約に頼らず、我らで我らを守ればよいのだ!」
口々にヴェネツィアと、それに迎合的な態度を取る大公への不満の言葉が叫ばれ、部屋は怒りに満ちた。
「……そもそも、正統な統治者の血筋でもないくせに!」
「黙れ!」
その言葉を待っていたかのように、ジャンカルロが腹の底から響くような声で叫んだ。
その声に、大公の血筋について口にした者も、そうでない他の諸侯たちも驚き、部屋に静寂が戻った。
自分に全員の視線が集中するのを確かめてから、ジャンカルロはゆっくりと頭を下げる。
「……失礼いたした。しかし、大公陛下を侮辱されてはなりませんぞ」
そう言われた貴族は、恥ずかしそうに顔を伏せる。
「そもそも、皆の意見を聞き、時に大公をお諌めするのは七大伯筆頭の私の役目。それが今日のような事態に至り、大変申し訳なく思う」
そう呟くジャンカルロに、頭を挙げられよ、尊公の責任ではない、といった声がかかる。
「……この場で誓おう。これからは大公陛下が誤った道を歩まれると思えば、必ずお諌めすると。
我らは古のスウェビの掟に従い、大公家に臣従した者。大公家のために時としてその命に反することもしなければならぬ」
あえてジャンカルロは「マッシミリアーノ」とも「大公」とも言わず「大公家」という言葉を使った。
「大公家」とは、この国の正統な支配者の家系のこと。諸侯の頭に浮かぶのは「ヒルデガルト」であり「マッシミリアーノ」ではない。
それを計算した上での言葉だった。
「……そのときは、この私を助けてくれるだろうか?」
ジャンカルロが座を見渡す。諸侯は、黙って彼の目を見つめ返してくる。
それは暗黙の了解を示している。それこそ、ジャンカルロが今日手に入れたかったものだった。
4.
「アル、アルフレド、起きろ」
納屋の隅に藁を敷き詰め寝ていたアルフレドを、誰かが足で蹴った。
寝ぼけた頭で体を起こす。完全武装のコンスタンティノが傍に立っていた。
「……どうしたんですか?」
「敵だ。準備しろ」
その言葉にアルの頭が完全に醒める。勢いよく立ち上がり、傍らの愛剣を手にする。
「どういうことです、ここはまだ教皇領でしょう。こんなところまでフィレンツェ軍が?」
アルフレドたちは、ペルージャまでほぼ一日程度の距離まで来ていた。
途中脱落した者も少なく、もうすぐ大都市に着くということで、全員に安堵の空気が流れていたところだった。
しかも、昨日の晩は野宿ではなく、廃村に宿営地を定めることすら出来た。何もかも順調と言っていい。
そこに、敵とは。
「……相手はフィレンツェ軍じゃない。どうやらこの辺の小領主らしい」
「どういうことです」
コンスタンティノに説明を求めながらも、アルは近くに脱いでおいた鎖帷子を素早く身に付けていく。
騎士としての訓練を伊達に積んだわけではないのだ。
「領地を荒らされる前に俺たちを潰そうってつもりらしいな。昨日軽騎兵を先行させておいたのが、気に障ったようだ」
コンスタンティノはほぼ丸一日分の距離を、軽騎兵に偵察させるのを常としていた。
食料を手に入れられる村、井戸や水源の状態、先にある橋の状態、そういったことを知るためだ。
だがそのことが、コンスタンティノ隊の進路上に位置する領主を刺激する結果になったのだ。
鎖帷子と鉄の籠手、脚甲を装着したアルは、片手に兜を持ってコンスタンティノに続いた。
村は朝霧に包まれている。五十歩も離れれば人の顔すら見分けられない。
その中で、兵士たちが静かに戦闘準備を整える音が響いていた。
数人の長槍兵が、村の入り口のほうへ走っていく。火縄銃兵たちは、自分の銃の点検に余念がない。
コンスタンティノは村の中央の広場に向かい、配下の行動を黙って見守っている。
そこへ、火縄銃隊と騎兵隊の隊長、それにニーナが近寄ってきた。
「偵察に行った二騎、戻りました。旗印からすると、おそらく相手はフォリーニョ市民軍かと」
「兵力は?」
「騎兵が二十二騎、矛槍と長槍が合計四十五、弓と石弓が四十、火器は無いようです」
「約百人か……数は互角だな。今ここからどれくらいの距離にいる?」
「ここから北に一ミリオ(一・八キロ)ほどの所で、一端停止したそうです」
「分かった……重騎兵の半分は下馬させておけ。北西の守りにつけ、長槍兵が足らん」
騎兵隊長は頭を下げ、部下のところに帰っていった。
「ところで、スコピエットは使えそうか?」
「霧のことですか? 火縄や火薬には問題ありません。ただし視界が悪いので遠距離狙撃は……」
「かまわん。どうせ最初の斉射で片がつく。隊を分割し、一隊は後詰めに、一隊は北西へ送れ」
「了解」
火縄銃隊長も小走りに去っていく。怯えた様子もない。皆戦慣れしているのがアルにもよく分かった。
「……コンスタンティノ」
最後に声をかけたのは、ニーナだった。不安げな顔に、コンスタンティノがにやりと笑う。
「ガキと女たちは一箇所にまとめろ。従卒を護衛にやる……心配すんな、いつも通りだ」
コンスタンティノの言葉にも、ニーナは答えない。じっと胸に手をあて、二人を見比べている。
だが、コンスタンティノの方はもうニーナに何の注意も払っていなかった。アルだけ、ちょっと目配せをした。
さらに数人の部下がコンスタンティノに支持を求めに来たので、アルも自然と注意をそちらに向ける。
次に振り返ったときには、ニーナは霧の中に消えていった。
しばらくして、改めて各隊長が集まってきた。
広場の真ん中で、コンスタンティノを中心に素早く作戦会議が行われる。
コンスタンティノは剣の切っ先で地面に村の地図を描いた。
「いいか、村の入り口は二箇所、北西と東だ。馬車は北西に固めて止めてある。これを防壁に使う。
馬車の間に盾をおき、鎖を張れ。敵の騎兵は一騎も入れてはならん。
下馬した重騎兵と火縄銃で守る。敵兵が防塞に迫ったら、一斉射撃の後突撃で片をつける」
ここは俺が指揮を執る、と言ってから、次にコンスタンティノは東側の入り口を剣の切っ先で示す。
「おそらく敵はこちらからも突入してくる。突入してきたら、長槍兵は槍ぶすまを作れ。敵の足を止めればいい。
スコピエットの一隊と残りの騎兵は広場で待機だ。北西と東、状況を判断して応援に回れ」
長槍隊長と、騎兵隊長がうなづく。説明し終わったあとで、コンスタンティノは部下たちを見回した。
誰も何も言わない。自信満々に笑っている者すらいる。コンスタンティノも満足そうだ。
「敵弓兵は気にするな。この霧だ、納屋の壁だってまともに狙うことは出来ないさ……。
敵は現在の位置からしてまず北から来る。こいつを追っ払えば残るは東側だ。油断するな」
「敵が仕掛けてこなければどうします」
隊長の一人が尋ねた。今までの作戦は、敵が攻めてくることを前提としている。
だがコンスタンティノはその場合のことも考えてあるようだった。
「その時は後詰めの騎兵でこちらから仕掛ける。
霧の中では敵の槍兵もすばやく防御隊形を取れんだろうし、飛び道具も狙いはつけ辛い。
……そして敵もそう考えてる、仕掛けた方が有利だってな。だから仕掛けてくるさ。
だが、こっちは準備万端待ち受けてるってわけだ」
その言葉に隊長たちは笑った。場が和んだところで、コンスタンティノが発破をかけた。
「<インデモニアート>の名は伊達じゃないってところを見せてやろう……地獄に送ってやれ」
馬車の防壁の後ろに隠れながら、アルは敵襲を待っていた。
馬車同士は鉄の鎖でつなぎ、ところどころには厚い木の板で出来た盾を地面に立ててある。
それはちょっとした城壁だった。
「……毎日馬車を一箇所にまとめて、荷物を全部下ろさせてたのは、このためだったんですね」
隣にいるコンスタンティノに声をかける。
目をつぶっていたコンスタンティノは、片目を開けて見せた。
「ま、雨や雪から荷物を守るのもあるが……用心はどれだけしてもし足りないことはないからな」
「それにしても敵が近づいていること、よく分かりましたね」
「斥候を送るのは昼だけだと思ってたのか? 夜ってのはな、悪魔が戦の準備をする時間なのさ」
つまり夜ごと宿営地の周辺に斥候を送り、不穏な動きがないか見張らせていたらしい。
アルはコンスタンティノを改めて尊敬の眼差しで見た。
やがて、ドロドロと地鳴りに似た不気味な音が響いてくる。
耳をすませば、金属同士がぶつかり合う音もかすかに混じっている。
押し殺したような、短く命令を発する声が聞こえる。だが、濃い霧に遮られ、姿は全く見えない。
「……来たな」
コンスタンティノは小さく呟くと、腕を一つ振る。
馬車の陰に隠れていた兵士たちが動き出す。火縄銃兵は静かに銃を構え、火蓋を切る。
下馬した重騎兵たちは、黙ってそれぞれの得物を構えた。アルも剣を抜き放ち、盾を構えた。
アルの目に、隣にいる兵士の頬を一筋の汗が伝うのが見えた。
気がつけば自分も汗をびっしょりかいている。震えが来るほど寒いはずなのに、アルは全くそれを感じない。
――これは本物の戦争だ。
その事実に、アルは愕然とする。
僕は、こんなところで殺し合いをしようとしている。恨みも何もない人たちと。なんてことだ。
だが、その感慨は突然巻き起こった鬨の声に吹き飛ばされた。
襲撃は、弓矢による援護射撃もなく始まった。
おそらく、完全な奇襲に自信があったのだろう。だが、その自信は村に突入する直前に打ち砕かれた。
フォリーニョ市民軍の騎兵が見たものは、目の前を完全に塞ぐ馬車の列。
しかも、霧のためにそれを視認したときには既にそれを回避する余裕はなかった。
勢いのつきすぎた数騎は、そのまま馬車の列に突っ込み、馬は足を取られて転がった。
地面に投げ出された騎兵を、コンスタンティノの兵士がすぐさま駆け寄って殺す。白い雪の上に鮮血の花が咲いた。
幸運な者たちは、馬車の列の手前で何とか踏みとどまることが出来た。
だが、それこそコンスタンティノが待っていた一瞬でもあった。
「放てっ!!」
二十丁の火縄銃による一斉射撃は、棒立ちになった騎兵に驚くほどの精度で当たった。
当時の火縄銃の有効射程は百メートル未満。それ以遠ではまぐれ当たり以上のことは期待できない。
だが、今回はそんな性能でも十分な距離まで敵をひきつけることが出来たのだ。
たちまち数騎が弾丸を浴びて倒れる。弾に当たらなかった者、落馬してもなお動ける者は慌てて引き返そうとする。
だが、そこに後続の槍兵たちが突っ込んできたことが、市民軍側に混乱を引き起こした。
霧のせいで、騎兵隊に何が起こったのか気づかなかった歩兵が、そのまま突撃を続行したのだ。
引き返そうとする騎士が歩兵の隊列を乱し、突撃の勢いを殺す。歩兵の列は騎士にとって二つ目の馬防柵になった。
固まって右往左往する市民軍に、スコピエット隊の第二斉射が浴びせられた。
さらに不運な十人ほどが倒れる。騎士ほど重装甲ではない槍兵は、特に酷い傷を負って死んだ。
火縄銃の轟音と、飛び散った仲間の肉片が、急速に兵士の戦意を萎えさせる。
そのせいで、歩兵たちは馬車の列を乗り越えるべき決定的な機会を逃してしまった。
果敢に馬車の列に突撃していれば、十に一つは勝機があったかもしれない。だが彼らはしなかった。
――さらに三度目の斉射が加えられたとき、遂に市民軍の隊列が崩壊した。
「突っ込めぇぇぇっ!!」
コンスタンティノは叫ぶと同時に、馬車の影から飛び出した。
傭兵たちが猛然と市民軍の隊列に襲い掛かる。火縄銃兵も銃を置き、護身用の剣を抜いて突撃した。
何人かの勇気ある市民軍兵士はそれでもコンスタンティノたちを迎え撃とうとする。
だが、混乱に陥った味方が邪魔で、槍をしごくことも、剣を振るうことも出来ない。
逃げ散る敵の背中めがけ、傭兵たちは剣を振り下ろし、落馬した騎士を踏み潰して前進する。
もはや市民軍に出来るのは、前から順番に殺されていくことだけだった。
一方、村の東側では、残りの市民軍が完全に罠にはまっていた。
霧に乗じて村内に突入しようとしたところを、突然建物の影から現れた長槍兵に包囲されたのだ。
彼らは引くことも進むことも出来ず、槍ぶすまにかかって次々と倒れていく。
それでも市民軍の兵は生きのびるため必死に戦っていたが、後詰めの騎兵と火縄銃兵が駆けつけ、彼らの運命は決まった。
――戦闘は一時間もかからずに終結した。
市民軍弓兵は異変に気づいたが、霧のせいでどこに敵がいるのかも分からず、戦闘に何の貢献も出来なかった。
騎兵と歩兵が逃亡してしまっては、弓兵も撤退するしかなかった。
コンスタンティノが警戒した二度目の攻撃も杞憂に終わったのだ。
「アル、アルフレド! 生きてるか!?」
無数の死体が転がる戦場に、コンスタンティノの声が響く。
他の兵士たちは、短くも凄惨な戦闘に力尽き、その場に座り込んでいる。その只中を隊長が新入りの少年を探し回る姿は何か滑稽なものだった。
やがてコンスタンティノは、一人の敵の騎士が倒れている下に見覚えのある姿を見つけた。
「……どうしたアルフレド。そいつ、抱きたくなるほどいい女には見えないが?」
アルに上から圧し掛かるようにして、市民軍の騎士が絶命していた。
腹から背中にかけて、アルの長剣が貫いている。
「……た、た…け…」
「ん? どうした。聞こえんぞ」
「た、たすけ……た、助けて下さい……」
アルの体は震えていた。組み付かれた相手を刺し殺したまま、動こうにも体が言うことを聞かない。
コンスタンティノは呆れたように、アルに圧し掛かった死体を足で蹴っ飛ばした。
剣と一緒に、死体が仰向けに転がる。
それでも、アルはまだ体を震わせていた。手から剣がすっぽ抜けたのにも気づいていない。
――初めて人を殺した。
目をかっと見開いたまま、眼前で絶命した男の顔が脳裏に焼きついている。
だが、アルフレドの感傷は傭兵たちには無縁だった。
「……おい、お前。そうやって今までずっと寝転がってたのか。俺たちが必死で戦ってたってのに」
コンスタンティノの声は、戦闘後の静かな空気の中よく響いた。他の兵士も集まってくる。
アルはみんなに見下ろされながら、ようやくうなづき返した。
「ははっ、こりゃいいや」
一人の兵士が大声で笑った。つられるように他の兵士たちも笑い出す。
不釣り合いなほど朗らかな笑いの中、アルだけが泣き顔のまま強張った笑みを浮かべていた。
(続く)
155 :
前スレ440:2005/11/13(日) 21:21:32 ID:+tzmOyMd
いつも感想有難うございます。おおむね好評で、ほっとしています。
さすがに今アルフレドに死なれては困りますけれど、あんまり甘やかすつもりはないです。
>>萌恋とか描いた人
いつも楽しみに読んでいます。ここで投下されることに私は賛成です。
もし別スレに移られるなら、次の投下先を教えてくださいね。
156 :
名無しさん@ピンキー:2005/11/13(日) 23:06:59 ID:WoOL0y2U
☆はさっさと死ね
☆って一体……?
何のこと言ってんのか分からんけど、SS投下後にそういう発言はよくないね。
折角投下された職人さんが気を悪くするだろうに。
俺ぁ気にせず次の投下待ってます!
今日の家庭教師は全く萌えられませんでした
ヴァー…
>明日はきっと晴れ
…萌えた。ラストの秘め事はそんな趣味なかったのにますます萌えた、GJ!
このエロがメインじゃないと思いますので気にしないでほすい。
続きを期待してます。
>火と鉄とアドリア海の風
戦場の雰囲気がすごくハラハラした、GJ!
これも続き、期待してます!
>>159 SS読んで元気出せ(肩ポン)。
そして嫌な事は気にせず忘れて寝ましょう。
>>160 d…ブレザー姿見てぇぇぇえええ!!!
どうして遅い時間帯がいいんだ!疲れてるからか!?
ブレザー姿が反則的に可愛い
普段はエロさの一片もない暗い彼女だけど…もうこっちの都合で時間早めにしようか
スレ違いなので遮断する…ヴァーヴァーヴァー('A`)
>>161 女子中学生のブレザー姿…萌えーっ!
頑張って作戦立ててくれ。
ただ襲っちゃ駄目だよ、それは本当にやばいから。
SS読んで萌えてくれ。
…マジで悶えちまったよ。ああ、美保ちゃん萌え、そして制服姿のどろどろ&漏れ漏れ香織先生萌えー!
俺ももう寝たほうがいいな、ごめん。
ブレザーに興奮して襲ったとしても、突っ込む器官を持ってないからね…
くそー…欲求が満たされねぇ…!!
うごおおおおおお!!!!
こんなアホな自分、見せられへんわ。SS読んではよぉ寝よ
164 :
名無しさん@ピンキー:2005/11/16(水) 23:59:54 ID:qIiRJ+jK
ここのSSは読みごたえがあって面白い。期待待ち
>>165 同意。
ファンタジーあり、歴史モノあり、萌えものありで面白い。
職人さんも忙しいと思うけど頑張ってほしい。
マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
カテキョ報告
残念なことに、私は身体を壊したのでこれから休学して治療に専念することになった。
そのため、家庭教師も解雇ではないけど一時休暇になりました。
もうあのブレザー姿は見れないのかもしれん…
変わりに他の先生がつくそうです。
さよなら、私のブレザー萌え( ´Д⊂ヽ
>>169 SSのように頑張って探して自分で購入して着てみる…のはどうだろう?
スレ違いゴメソ。
とにかく身体を治してくれい、お大事に。
>>170 ・゚・(つД`)・゚・あのコが着るから萌えるんですよ…
普段は暗い印象の不思議ちゃんですが、ブレザー着ると…゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜!!!
可愛いんですよ。そっけない態度も、なんだか…
彼女をもう持つことはできるか分かりませんが、いい想い出です。
スレ違いになるからとりあえずここで!早く治すぞー!入院だー!!
カテキョ報告・別れ編
こ、これだけは言わせてくれっ!
さきほど生徒の家から私にちょっと会いたいということで、会いました。五分くらいだくど。
生徒の母様と生徒と会いましたがとりあえず、今までありがとうございました、ということだった。
私は手作りの英語プリントを渡し、頑張るんだよと激励。
母様から「使ってください」と包みが渡されました。
開けるとなんと剣道の時頭に巻く手拭いです。
うああああ…!覚えていてくれたのか…
ちなみに彼女と握手するの忘れてた…
彼女はブレザーではないけどジャケット姿でそれもまたいい萌えでした。
スレ違いスマソ。
173 :
名無しさん@ピンキー:2005/11/23(水) 14:56:58 ID:PK7X0XM2
。・゚・(ノД`)・゚・。 涙age
1.
暦が三月に変わった頃、アルフレドはようやくフィレンツェ領ポッジボンシ近郊に落ち着いてた。
アルの現在の生活の場は、『狂暴騎士団』の本陣。ポッジボンシから馬で北へ半日ほどの所にある名もない村である。
そこでアルフレドは細々とした書類の仕事や雑用を任されていた。
そもそも傭兵にとって死活問題となる「契約書」はラテン語で書かれることを基本としている。
『騎士団』にラテン語が出来る人間は三人しかいなかった。コンスタンティノと隊付きの公証人、そしてアルだ。
自然と、アルはコンスタンティノの秘書のような立場になっている。
おかげでアルは戦場で命を危険にさらすこともなく、病み上がりの体をゆっくり癒すことが出来た。
村といっても、本来の住人はほとんどいない。皆、戦火を避けて逃げだしてしまっている。
現在の住人は、『狂暴騎士団』の一個コンパニアと、それに従う娼婦たちだった。
<コンパニア>とは「仲間」を意味し、そこから発展して「傭兵の一隊」を指す言葉となった。
『狂暴騎士団』にはコンスタンティノの下に三人の隊長がいて、それぞれ一つのコンパニアを率いていた。
アルが起居を共にしているのはコンパニア<フルミーネ(雷)>で、約百騎の騎兵から成る。
それとほぼ同数の従卒に、女たちも合せて二百五十人ほど。これがアルの今の家族だった。
現在『狂暴騎士団』はウルビーノ公に雇われた他の傭兵団と共同して、ポッジボンシを包囲している。
だが、先に述べたように包囲陣は本人のある村から馬で半日かかるほど離れている。
それはなぜか?
そもそも「包囲」と言っても、町ひとつをぐるりと取り囲む包囲網はこの時代ではありえない。
小さな町でも周囲数キロに渡って城壁を巡らせているのが普通だ。
もしそれを隙間なく包囲しようと思えば、数万の兵士を動員し、さらに継続して補給を送らなくてはならない。
だがこの時代の国家にそれだけの経済力はない。
ポッジボンシはフィレンツェ市とシエナ市(これもナポリの同盟国)を繋ぐ街道の中間地点にある。
つまり戦略的に大変重要なのだが、ここに投入されたウルビーノ公軍の数は僅かに九百だった。
これでは町の主な城門の前に急増陣地を作って見張っておくのが精一杯だ。
つまり包囲網は穴だらけなのだ。それがこの頃の戦争では一般的なことだった。
そこで、包囲網のさらに外側で待ち伏せし、援軍や物資を送り込もうとするフィレンツェ軍を妨害する。
それが<雷>隊に与えられた任務だった。
もし失敗すれば、実質的に包囲は破られたのと同じことだから、<雷>隊の責任は重大だった。
これが、コンスタンティノが包囲部隊を部下にまかせ、<雷>隊に本陣を置いている第一の理由だ。
さらに、コンスタンティノは配下の補給について、全て自前で用意しなければならないという事情もあった。
雇用主のウルビーノ公は、給料は払ってくれても食料や衣服、燃料、武器などは一切面倒を見てくれない。
これは、公爵が冷淡なのではなく、そもそも「補給」という発想がこの時代の軍人にはないのである。
だから、コンスタンティノは後方に控えて、毎日のように部下六百人の衣食を手配してやらなければならない。
ならば、戦場から少し離れた、自由に動ける場所にいる方が何かと都合がいいというわけだ。
ちなみに主な補給手段は「購入」より「徴発」「略奪」だった。村の住人が逃亡するのも無理はない。
とはいえ何をするにも大量の書類が要るから、アルは重宝――言葉を変えれば特別扱いされていた。
そんなわけで、結果的にアルは隊長コンスタンティノの生活を間近で観察することが出来た。
コンスタンティノは、「傭兵」という言葉から想像される生き様とは懸け離れた生き方をしていた。
朝、鶏が鳴くよりも早くに起き出し、朝日を浴びながら軽く剣の稽古をする。
その後、桶に張った湯で体を清め、パンとオリーブ程度の軽い朝食を済ませる。
日のある間はほとんど本陣にいて、書類を口述筆記させたり、明細書に間違いが無いか点検したりする。
肉類中心のしっかりした昼食を終えると、十騎ほどの部下を率いて、近隣の村や街道を見回りにいく。
偵察隊は当然毎日派遣されている。それでもコンスタンティノは「自分の目で見る」ことを怠りはしなかった。
夕暮れが近づくと、馬防柵や不寝番の状態など、村の防備を視察する。これも一日も欠かさない。
やがて夜の帳が下りると、簡単な夕食を取りながら部下から今日一日の報告を聞く。
全ての報告を聞き終えると、それからようやく彼は眠りに就くのだった。
勤勉で、規則正しく、他人にも自らにも厳しい。それがコンスタンティノの生き方だ。
他の傭兵が、任務や稽古を除けば暇なし酒を飲んだり、娼婦を抱いたりしているのとは対照的だった。
なぜそのような生き方をするのか? アルフレドは一度だけ彼に聞いた事があった。
コンスタンティノは笑いながら、
「それが隊長稼業――人を雇うってことだ。銀行家や商人が毎日早起きして夜遅くまで働くのと同じことさ」
と答えた。確かに、コンスタンティノの生き方は傭兵というより商人だ。
いや、彼ならメディチ家に代わって銀行を経営しても、貴族として領地を経営してもうまくやってのけるだろう。
そんな人間が、何故傭兵などになったのか? そもそも彼は何者なのか?
しかしそれを聞くことは憚られた。「他人の詮索はしない」。それが『狂暴騎士団』唯一の掟だったから。
アルフレドに分からないことは、もう一つあった。それはコンスタンティノとニンナ・ナンナのことだった。
コンスタンティノとニーナの関係は、単なる「傭兵隊長とそれに従う娼婦の元締め」とは全く違っていた。
例えば、部下たちから隊の運営方針などで不満が上がる。
するとコンスタンティノは必ず自分の対応策をさりげなくニーナに話して聞かせ、彼女に意見を求める。
逆にニーナから助言や忠告を与えることもあったが、コンスタンティノも決してそれを邪険には扱わなかった。
また、傭兵たちの衣食住を本当の意味で切り盛りしているのも彼女だ。
コンスタンティノに向かって「塩が足りない」「薪が足りない」などと文句を言えるのはニーナだけなのだ。
さらにアルが見たところ、ニーナもコンスタンティノと同じように勤勉だった。
いつも気ぜわしげに走り回りながら、女たちと共に働き、指示を出し、娼婦の子供たちの面倒を見ている。
それゆえ、傭兵たちも女たちもニーナには頭が上がらないし、ニーナは誰に対しても遠慮なく物を言っていた。
つまり、彼女は『狂暴騎士団』の事実上の副団長であり、母親だったのだ。
コンスタンティノは隊の運営だけでなく、身の回りの世話についてもおかしなほどニーナに頼りきっていた。
彼に毎朝湯を沸かすのも、炊事洗濯をするのも全てニーナであり、従卒も他の娼婦も決して口出ししない。
だが、ニーナはコンスタンティノの妻ではなく、それどころか情婦ですらなかった。
確かにコンスタンティノは時折ニーナを抱いた。だが、彼が同衾を許す女はニーナだけではなかった。
また、ニーナが他の男に「買われ」ても、コンスタンティノは何も言わなかったしニーナも平然としていた。
ある日アルフレドはニーナに思い切って聞いてみた。
「コンスタンティノをどう思うか」と。
村はずれにある物干し場で洗濯物を紐につりながら、ニーナはそっけなく言った。
「飯のタネ」
あまりにそっけない答えにアルが次の言葉に困っていると、ニーナは笑った。
「まさか、『愛している』と言うとでも思ったのかい?」
「……えっと、その…………ちょっとだけ」
顔を赤くしてうつむくアルに、彼女はさらに大きな笑い声をたてた。
持っていた洗濯物を籠に放り込み、アルの鼻の頭を指でちょん、と叩く。
「アル、あんたは私がコンスタンティノ以外の男と寝てるのが不思議なんだろう?
あんただっていい年なんだから、いつまでもそんなウブなことじゃ娘っこに笑われるよ」
そう言われても、これまで純潔と貞節の誓いを信じ、騎士として生きてきたアルには理解しがたいことだった。
ニーナが朝、別の男の寝台から身を起こし、甲斐甲斐しくコンスタンティノの身支度を手伝う姿は。
「あいつと私とは、持ちつ持たれつやってる仲なのさ。
あいつがいなけりゃ、私はのたれ死ぬしかないし、私が面倒見てやらなきゃ、あいつは仕事が出来ない。
私が面倒見てるからあいつは死なないし、あいつが死なないから私も死なないのさ。分かったかい?」
「……でも、それなら何故結婚しないんですか。そうやって支えあってるなら、夫婦同然じゃないですか」
ニーナの顔が少し皮肉っぽくゆがんだ。
やれやれ、と言わんばかりに頭を振ってから、投げ出した洗濯物を再び手に取る。
「夫婦と変わらないなら、わざわざ坊さんの説教を聞いて、誓いを立てて夫婦になることもないだろ?
あいつも私もお互い都合がいいときは一緒にいて、都合が悪いときは離れればいい、そう思ってる。
神さまの前で誓いを立てたら一生ものだからね……面倒くさくっていけないよ」
「でも……」
「それにねアル」
何か言おうとするアルに、突然ニーナは真剣な目を向けた。
「私は娼婦なんだよ」
ニーナは洗濯干しの作業に戻り、それっきり二人は口を聞かなかった。
それでこの話はおしまいだった。
「そう言えば、アル」
洗濯物を籠から取り出しながら、ニーナが不意に声をかけた。
その顔はいつもの陽気で人懐っこいニーナのそれに戻っている。
「……あんた、まだ女を知らないんだろう?」
「――――な、何を突然……?」
慌てふためくアルフレドの姿に、ニーナはいたずらっぽい笑みを浮かべて近づいた。
ほのかな女の匂いがアルの鼻をくすぐる。
それはヒルダのようなすがすがしい香の匂いではなく、もっと本能的で、動物的だった。
だが、アルにはそれは淫靡なものには思えなかった。あえて言えば、生活臭だろうか。
幼いころ母を亡くしたアルにとって、その匂いは初めて嗅ぐ類のものだった。
頬の丸みに沿って、ニーナの指がアルの顔を撫でる。
「……初陣の前に、私が男にしてあげようか……知らずに死ぬのはあんまり寂しすぎるだろ?」
「い、…………い、いいっ! 遠慮しておく!」
慌てて後ずさりするアルに、ニーナは快活な笑い声を上げた。
どうやらからかわれたらしいと分かり、頬を膨らせながらニーナを睨みつける。
でも、そんな視線は『狂暴騎士団』の母には通用しない。アルにだってそれくらいは分かる。
「なんだい、故郷に『いい人』でも残してきたのかい?」
そう言われた瞬間、アルの脳裏に浮かんだのは、たった一人、あの少女だった。
「ち、違うよ、そんな人っ」
「……ほほう、その様子からすると、惚れちゃいけない相手に惚れたって感じだね。
相手は身分の高い御婦人かい? 逆に、取るに足らない農民の娘……あるいはまさか修道女かね?
ま、いいさ。『いい人』がいるってんなら、おばさんは身を引くだけだ」
一人納得するニーナに、アルは黙り込むしかない。
たとえこの身は遠く離れても、一瞬足りとも彼女を思わないときはない。
だが、身を焦がすのは愛ではなく、自分のふがいなさだ。
自分の愚かさゆえ、誓いを果たせなかったことへの良心の呵責。ここでただ日々を過ごすことへの不安。
「ニーナ、教えてくれないか」
「なんだい」
洗濯物を干す作業に戻りながら、ニーナは答えた。
「……僕は、女性に愛を捧げる資格があるだろうか」
アルの言葉に、ニーナは眉をしかめる。
「どういうことだい」
「例えば……例えば、だよ。守るって誓った女性がいるとする、命に代えても守るって。
それなのに、僕は……僕はこんなところにいる。今もその女性が苦しんでいるかもしれないのに。
今じゃ日々のパンを得るためだけに働いて、温かい寝床があることに満足してる。
だから、怖いんだ。いつのまにか騎士の掟も破るようになって、誓いなんて屁とも思わなくなって――
そんなヤツになったらどうしようって。それでも……それでも、資格はあるだろうか?」
アルは告悔を済ませた平信徒のように頭を下げ、ニーナの言葉を待つ。
だが、彼女は黙っている。
沈黙に耐え切れず目を上げると、ニーナがじっと見つめていた、いや睨んでいると言ってよかった。
それは、先ほどとは全く正反対の、冷え切った目つきだった。
「なら、ここで必死に働きな。働いて、戦って、パンと毛布を手に入れるんだ、どんな手を使ってでも。
そして今から……いいかい、今からだ、『誓い』や『掟』なんて、腹の足しにならないものは忘れるんだ」
「――なんで」
反問するアルに、ニーナは言い聞かせるように、ゆっくりと一言一言語りかけた。
「あんたは甘いんだよ。貴族根性が抜けてないのさ。毎日食べる物があるのが当たり前だと思ってる。
まさかあんたはパンも寝床もなく死んでいく、大勢の農民や流浪民のことを知らないのかい。
……いや、たとえ知らなくたって、分かるはずだ。あんただって『行き倒れ』だったんだからね。
あんたは幸せなんだよ、毎日腹もすかさず安心して寝れるんだから。
でもね。傭兵稼業はそんな甘いもんじゃない。役立たずはいらないんだ。あんたはまだ役立たずさ。
私から言わせりゃ、今日のパンだってお情けでもらってる身分だよ。隊のみんなもそう思ってる。
だからせめて、今日のパンだけじゃなく、明日のパンを受け取る価値があるってところを見せな。
そしたら、やっと『誓い』だの『掟』だのを考える資格が与えられる――分かったかい?」
アルフレドの顔が歪む。
忘れていたわけではない、そういくら心の中で言い訳しても、アルはそれが自己欺瞞だと分かっている。
故郷を出てからニーナたちに助けられるまでの、あの苦しかった日々を、確かに彼は忘れかけていた。
パンと火と寝床があることの幸せを知ったとき、アルはそれまでの恵まれすぎた人生を初めて省みた。
誰もが毎日のパンのため必死で生きている。そして自分もこれからはそうして生きねばならないのだ、と。
だから、せめて自分の食い扶持の分だけでも傭兵団のために働くことで、恩返ししようと思ったのだ。
しかしニーナはまだ足りないという。
彼のこれまで生きてきた全てを、いや、彼の最も大事な物を捨てろというのだ。
では、ここにいるアルフレドは何者なのだ?
国を追われた犯罪者、浮浪者、傭兵、騎士崩れ――そして、誓いを捨てた男?
アルは黙って被りを振った。
「僕は…………僕はそんなの、嫌だ」
「じゃあ、誓いとやらのために死ぬかい…………ま、それもいいさ、あんたの命だ。好きにおし」
ニーナは空っぽの洗濯籠を拾い上げ、村の方へと歩き出した。
「泥水すすっても生き延びて、その子にもう一度会うか――おっと、例えばの話だったね――
それともその頭の中にしかない物のために死ぬか。どっちがいいか、よく考えるんだね」
その時だった。ニーナが立ち止まる気配に、アルフレドも村の方を振り返る。
広場の辺りが騒がしい。
喧騒の中で、偵察に出ていた軽騎兵たちが息せき切って本陣の建物へ向かうのが見えた。
2.
新造のモンテヴェルデ艦隊もまた、三月の初めようやく戦闘態勢を整え、ヴェネツィア艦隊と合流していた。
基地はヴェネツィア領スパラート。ダルマチア(バルカン半島のアドリア海側地域)にある港町である。
ここには、トルコの西進に合せて急遽編成された約八十隻のヴェネツィア艦隊が駐留していた。
これまで、モンテヴェルデ艦隊提督・騎士ルドヴィーコは憤懣やるかたない日々を過ごしていた。
南に二百五十ミリオ(約四百五十キロ)、船で僅か一日半の距離にトルコ艦隊の根拠地ヴァローナがある。
それなのに、ヴェネツィア艦隊はまともな偵察すら行おうとせず、港に引きこもったままなのだ。
ヴェネツィアの提督にそのことを抗議しても、言を左右するばかりでさっぱり要領を得ない。
業を煮やしたルドヴィーコは、配下の船を交代で偵察や哨戒に出すことにした。
さらにはヴァローナ周辺、あるいはアドリア海の外まで足を伸ばしてトルコ船を襲うよう指示していた。
もちろんまともにトルコ艦隊と戦う力はないから、独行の輸送船を狙った海賊行為である。
それについて、ヴェネツィア側は同盟の足並みを乱すと文句を言ってきたが、ルドヴィーコは気にしなかった。
とにかく、トルコ艦隊を少しでも弱らせるか、刺激して決戦に引きずり出したい、そう考えていたのだ。
もちろん、決戦を挑むのはヴェネツィアの仕事であって、自分たちの腹は痛まない、そういう計算がある。
だから、ついにヴェネツィア艦隊が全力出撃すると聞いたときは、まさに天にも昇らんばかりに喜んだ。
わずかな守備隊を残しただけの、総勢七十隻、兵員一万の大艦隊である。
ところが、今回の目的は艦隊決戦ではなかった。なんと、捕虜の身請けが目的だと言う。
一月の小競り合いで聖ヨハネ騎士団の騎士・ザクセンのウィルヘルムがトルコに捕まっていた。
その彼の親がトルコの身代金要求に応じ、息子の身柄保護をヴェネツィアに依頼してきたのだ。
ルドヴィーコは全く腐っていた。
大艦隊に参加しているという高揚感は全くない。
今回の全力出撃は、あくまでトルコに「交渉で侮られない」ための、こけおどしに過ぎなかった。
憮然とした表情のルドヴィーコに、ヴェネツィア艦隊の提督ダンドロは声をかけた。
「まあ、機嫌を直してくれ。何しろ本国からは『あまり火急に決戦を挑むな』と言われているのだ。
せっかく仕立てた大艦隊、あっさりすりつぶすわけにも行かんからなぁ」
彼はヴェネツィア統領を幾人も輩出した名門家系の傍流だが、口調は気安く、陽気な男だった。
彼らは今ヴェネツィア艦隊旗艦『金の獅子』号に乗っている。
三百人乗りの大型船で、戦闘員は通常の倍。さらに<ファルコーネ>と呼ばれる火砲を八門搭載した新鋭艦である。
「そう言われる割には、たかが交渉に軍船全てを投じる……正直、理解に苦しむ」
「こちら艦隊の威容を見て、トルコがおとなしくなってくれればそれでもいいのだ。
何も本当に勝ちを得るだけが戦のやり方ではない。いや、より安全な戦というものだろう」
ルドヴィーコのぶしつけな言葉にも、ダンドロは知らぬ顔だ。
「威容……確かにな」
『金の獅子』号の後方、他のヴェネツィア船の影に、よろよろと付き従うモンテヴェルデ艦隊の姿が見えた。
頼りなげな自分の艦隊を見て、ルドヴィーコはため息をつく。
まるで豪奢な上衣に縫い付けられた小汚い当て布。モンテヴェルデの船はまさにそんな様子だった。
「……前方に船! トルコ艦隊です!」
『金の獅子』のマスト上にいた見張り員が、大声を上げる。その声にダンドロは振り向いた。
「どんな様子だ!」
「…………数は、ガレー六十、カラック十、中央のガレー船に信号旗、あり! 白の三角旗です!」
「ふむ。取り決めどおり、だな」
あらかじめ会合地点、双方の船の数、さらに「交渉に応じる意思」を示す旗印も定めてあった。
それが白の三角旗である。当然『金の獅子』のマスト上にもそれが翻っている。
「他の艦に伝えろ。『戦闘態勢のまま待機、我はこのまま前進する』」
「了解!」
ダンドロの指示通り、ヴェネツィア艦隊は帆を畳み、その場で停止する。
『金の獅子』号だけがさらに速力を上げ、トルコ艦隊へと接近していった。トルコ側も同様だ。
それまで座っていたルドヴィーコは、急に落ち着かない気持ちになり、立ち上がった。
「落ち着かれよ、ルドヴィーコ殿」
見透かしたようにダンドロに言われ、また腰を下ろす。だがやはり気が逸るのを抑えられない。
「よく落ち着いていられるな。相手は異教徒だぞ。嘘つきで、傲慢。それに野蛮な……」
その言葉にダンドロは小さく笑った。ルドヴィーコの顔は苛立ちを隠せないようだった。
「戦場でのトルコ人は、さよう、確かにそのとおり。しかし商売人としては……なかなか信頼できるぞ?」
楽しそうに笑っているダンドロを、ルドヴィーコは軽蔑の目で見た。
――やはり名門といっても商人だ。信仰より金の方を信頼している。
砕けた態度といい、どうもルドヴィーコはこのヴェネツィア人を好きになれなかった。
やがて、ヴェネツィアとトルコ、双方の船が海上で並んだ。
石を投げても届きそうな距離で停船しているが、合戦準備はしていない。水兵たちものんびりとしたものだ。
ルドヴィーコだけが緊張の面持ちで見ている中を、トルコ船の方から小さなボートがこちらへ向かってきた。
その上には十人ほどの人間が見える。
しばらくすると、『金の獅子』から降ろされた梯子を伝って、トルコ人たちが上がってきた。
一団の先頭にいるのは、白い外套に、同じく白いターバンを巻いた男。武装もせず、くつろいだ服を着ている。
その後ろに、髭をぼうぼうに伸ばし、疲れた顔の西洋人の姿が見えた。
ダンドロは笑顔を浮かべながら、その全身を白でまとった男に近づく。
「ヴェネツィア貴族、ジュリアーノ・ダンドロ。ヴェネツィア元老院の代表としてご挨拶申し上げます」
「太守アクメト・ジェィディク。スルタン・メフメト二世陛下の海軍長官です。丁寧な御挨拶痛み入ります」
ルドヴィーコはトルコ人が通訳も介さず、ラテン語を巧みに操るのに驚いた。
そのアクメトの視線が自分に向いているのに気づき、慌てて昔習ったラテン語を記憶の隅から引っ張り出す。
「……モンテヴェルデ公国のルドヴィーコ。マッシミリアーノ大公の騎士である」
アクメトはそれを聞いて丁寧に頭を下げた。ルドヴィーコも彼に倣う。
「それでは、ザクセンのウィルヘルム殿をこちらに」
ダンドロの言葉に、アクメトは片手をちょっと持ち上げた。
それを合図に、後ろに控えていたトルコ兵が、縄で繋いでいたウィルヘルムを解き放つ。
疲れ果てた様子の彼は、よろよろとダンドロたちの方へと歩み寄り、ダンドロの従卒に優しく抱きとめられた。
「では、アクメト殿の寛大さへの感謝として、贈り物を差し上げたい」
贈り物と言葉を濁しているが、その実態は身代金である。
捕虜解放の身代金は戦に勝った貴族の大事な収入源であり、ヨーロッパでは戦のたびに大金が飛び交う。
トルコもその習慣を知っていて、高位のヨーロッパ人は殺さず、身代金を要求してくる。
これについては西洋人もトルコ人も当然と感じていたし、そういった金の要求を卑しいとも思っていなかった。
「お約束の五百ドゥカートです」
「……では、確かに」
ずっしりとした金袋を受け取りながら、アクメトは厳かな表情でうなづく。
「わざわざこの程度の金額のためにここまでお越しいただいたということは……。
以前書面にてお伝えした条件については、メフメト二世陛下も御納得いただいた。そう思ってよろしいかな?」
ダンドロは微笑みながらアクメトにそう声をかけた。
アクメトは表情一つ変えず、部下に二枚の書類を持ってこさせる。それにはヴェネツィア統領の書名があった。
それを厳かに読み上げる。
――ヴェネツィア共和国は、トルコ帝国に対し、アドリア海および東地中海における休戦を提案する。
すなわち、第一に双方の商行為について、互いに一切妨害せぬこと。
トルコはイタリア外のヴェネツィア領、およびヴェネツィア本土になんらの野心も持たないことを約する。
ヴェネツィアはその他地域でのトルコの軍事行動を黙認し、トルコの敵対者に直接の援軍は行わない。
財政的援助は、一年で一万二千ドゥカート、一月2千ドゥカートを超えて行わないことを約する――
「……メフメト二世陛下の署名があります、ご確認を」
「では、ヴェネツィア統領に代わり私が確認いたします。あとで証人立会の下、副署を作成いたしましょう」
「……待て! どういうことだ?」
ルドヴィーコの顔は、二人のやり取りを聞いて青ざめている。
休戦? ヴェネツィアがトルコの軍事行動を黙認だと?
「すでにヴェネツィア共和国は二十年もの間、トルコと戦火を交えている。これでは我々の身が持たない」
「……我らも、ヴェネツィアの強大な海軍に対抗し続けるのには疲れた。ここで一度矛を収めようというわけだ」
ダンドロとアクメトは、当然のように答える。
だが、ルドヴィーコはその言葉が信じられない。トルコと戦うために艦隊を編制したのではなかったのか?
「……つまり、交渉のための『艦隊』というわけか!」
天啓のように全てを悟ったルドヴィーコに、ダンドロは静かにうなづいた。
「……それでは、我らはどうなるのだ? ま、……まさか、モンテヴェルデを……」
ヴェネツィアという盾がなくなれば、モンテヴェルデはアドリア海を挟んでトルコと直接向かいあうことになる。
あの、コンスタンティノープルを攻め落とし、セルビア王国を滅ぼした強大な国家と。
「ルドヴィーコ殿、このような言葉をご存知だろうか。『剣か、貢ぎ物か、コーランか』。
我らムスリムは寛大だ。好きな物を選ばれよ」
アクメトは真面目くさった顔で言い渡した。
ダンドロも、それはよい提案だ、とでも言わんばかりにうなづいている。
瞬間、ルドヴィーコは激昂した。
「う、裏切ったな、ヴェネツィア人め! このキリストの敵め、背教者め! 地獄に落ちろ! 悪魔……がッ!」
ルドヴィーコは短い悲鳴をあげた。背後から、ヴェネツィアの騎士が短刀でルドヴィーコを刺したのだ。
彼の体から、急速に力が抜けていく。
「あ、あく、悪魔がお前たちを……む、か、え……」
ダンドロが部下に向かって大きく手を振り上げている。それがルドヴィーコが最後に見たものだった。
――そして、彼は倒れた。
『金の獅子』号のマストの最上部に、ヴェネツィアの国旗、「聖マルコの獅子」が翻る。
後方に控えていたヴェネツィア艦隊は、それを見て一斉に動き始めた。
打ち合わせどおり、モンテヴェルデの船を攻撃するために。
突然のことで、モンテヴェルデ艦隊の乗組員には何が始まったのかすら分からなかった。
たとえ分かったとしても、何も出来なかっただろう。すでに彼らは何重にも包囲されていたのだから。
モンテヴェルデの船一隻に、数隻のヴェネツィア船が一斉に突っ込む。
その舳先から轟音と共に煙が上がり、火柱が吹き出した。艦載砲が砲撃を開始したのだ。
不意を突かれた上、ぐるりと取り囲まれたモンテヴェルデ艦隊に、それを避けることなど到底不可能だった。
砲弾は船材をへし折り、致死的な破片を撒き散らす。最初の砲撃で、漕ぎ手の半分が櫂を持ったまま死んだ。
動くすべを失い、ルドヴィーコという指揮官をも失ったモンテヴェルデ艦隊は、ただの的に過ぎなかった。
マストがへし折られ、甲板上はたちまち船の破片と死体で埋まっていく。
船員の幾人かは泳いで逃げようとしたが、全て溺れ死ぬか、ヴェネツィア兵の石弓で射殺された。
止めとばかりに、ヴェネツィア船は速度を上げてモンテヴェルデ船の側面にその衝角を突き刺す。
あとは、一方的な殺戮だった。
「……何ということだ、ヴェネツィアはトルコのために同じキリスト教徒を殺すのか!?」
なすすべもなく屠られていくモンテヴェルデ艦隊を見ながら、ザクセンのウィルヘルムは叫んだ。
だが、目の前で繰り広げられる虐殺劇に、ダンドロは全く心を動かされていないようだった。
「くそっ、呪われろ商人め! 貴様らに助けられたなど騎士の恥だっ、今すぐに殺された方がましだ!!」
「心配するな」
ダンドロとアクメトは、感情のこもらぬ目でウィルヘルムを見ている。
その人間とは思えない視線に気づき、ウィルヘルムの額を冷たい汗が流れた。
「モンテヴェルデ艦隊は勝手にトルコに戦を仕掛けて自滅した。そういうことになっている。
そして、我らヴェネツィア人とトルコ人以外に目撃者はいない……貴公は運が無かったな」
二人の背後で、ヴェネツィアとトルコの兵士が火縄銃を構えるのが見えた。
3.
ニーナを帰し、アルは本陣の方へと走る。
村の広場の中央では、コンスタンティノが部下をまとめているところだった。
コンスタンティノの従者がすばやく彼に甲冑を着けていく。別の従者は馬を引いていた。
その周りでは、他の傭兵たちが自分の武具を身につけ、馬方は次々と厩から馬を引き立てて来る。
アルフレドが駆け寄ると、コンスタンティノが振り返った。
「フィレンツェの輜重隊が近づいてる。スイス傭兵の増援部隊も一緒らしい。お前も来い」
アルが返事をするより先に、コンスタンティノの盾持ちがアルの甲冑と武器を持ってきてくれた。
とりあえず、それを身につけ始めると、コンスタンティノがかいつまんで状況を説明し始めた。
「すぐそこまで来てる。時間に余裕がない。午後の偵察隊を送り出したばかりで手が足らんのだ」
「午前組の偵察隊が見落とした……?」
「違う」
コンスタンティノはあっさりと否定した。その言葉と同時に武装を完了し、馬にまたがる。
アルも少し遅れて馬にまたがった。
とはいえ籠手と脚甲をつける時間の余裕はなかった。差し出された大盾を受け取り、コンスタンティノに並ぶ。
「どうやら、『北の森の抜け道』を使ったらしい。あまり知られてない道だ、どこか村の奴らが手引きしたようだな」
コンスタンティノは半ば買収、半ば威圧によってポッジボンシ近郊の村々の協力を取り付けていた。
その「協力」には、フィレンツェ軍の接近を知らせるという約束も含まれている。
だが、どこかの村が裏切り、フィレンツェ軍の道案内を買って出たらしかった。
「どうするんです」
「とりあえず輜重隊を襲う。スイス兵は出来れば相手はしたくないが……裏切り者のことは、その後だ」
スイス兵は大変すぐれた長槍の使い手だ。騎兵部隊の天敵は、この長槍による槍ぶすまだった。
これに阻まれては、騎兵の突撃も自殺と変わらない。普段なら、なんらかの策略を使って直接対決は避けるところだ。
コンスタンティノが渋い顔なのは、作戦を練る時間的余裕がなく、この天敵と真正面から戦わなくてはならないからだった。
「アル、お前弓の腕前はどうだ」
不意にコンスタンティノが聞いた。
「……一応、一通りのことは出来ます。これでも弓の訓練は受けてますから」
理由を尋ねるのは愚かだということを、アルはここ最近の経験で理解していた。
コンスタンティノは必要があれば聞かずとも教えてくれる。言わないのは、必要が無いと彼が判断したからだ。
「では、こいつを持って騎馬弓兵の列に加われ」
コンスタンティノはそう言って自分の鞍に縛り付けてある弓と矢筒をアルに渡した。
アルは黙って受け取り、騎馬弓兵隊の最後尾についた。
「……出発!」
コンスタンティノの号令一下、<雷>隊の騎兵七十騎が一斉に動き始めた。
――平原に無数の死体が転がっている。
多くは長槍を持ったスイス歩兵だが、甲冑姿の騎兵たち、そして彼らの乗馬の死骸も目立つ。
死に満ちた平原を主を失った一頭の馬がさまよっている。それは誰の胸にも一抹の物悲しさを覚えさせる光景だった。
「やられたのはマルコ、ヴィンチェンツォ、ウーゴ、トンマーゾ、ニコラ・ダ・トリノ、ニコラ・ダ・パリージ……」
部下がゆっくりと名前を挙げていく。戦死者の報告は長いものになりそうだった。
「ニコラ・ダ・プラート、フランチェスコ・ダ・アクイラ、フランチェスコ・ネーロ、ルイージ、アレッサンドロ……」
「もういい。後でゆっくり聞く……何人だ、全部で何人死んだ」
「二十二人です」
コンスタンティノの大きなため息が響く。
重騎兵で生き残ったのは、彼を含めてたったの九人。出撃したときはその三倍はいたのに。
しかも重騎兵で怪我のないものはいない。コンスタンティノ自身、落馬した際に負傷し、手当てを受けている。
アルフレドは今回も生き延びた。突撃の列に加わらなかったことが、彼の命を永らえさせたに違いない。
これで作戦がうまく行かなかったら、と思うとアルは背筋の凍る思いだった。
コンスタンティノは約四十騎の騎馬弓兵に、スイス兵の隊列を弓矢でかき乱すよう命じた。しかも騎乗したまま。
馬を降りての射撃では、スイス兵に接近戦に持ち込まれて敗北すると考えたのだ。
騎射戦など前代未聞だったが、一時的であれ敵の隊列を乱したのだから、コンスタンティノの策略は成功と言えた。
アルもまた、狩りで覚えた騎射の技術を可能な限りふるって、一人でも多くの敵を倒そうとした。
だがやはり、射撃に引き続いて行われた重騎兵の突撃は血なまぐさく、余りに悲惨な結果に終わった。
スイス兵がポッジボンシへの合流を優先して撤退しなければ、重騎兵は全滅していたかもしれない。
ただ、フィレンツェ軍の輜重隊は、戦いが始まるや否や、馬車も荷物も捨てて身一つで逃亡していた。
ポッジボンシへの物資の搬入を阻止できたこと、これにより、かろうじてこの戦いは「勝ち」と言えた。
「捕虜の話によると、道案内を買って出たのはポッツォ村の連中だそうです」
部下からの報告を聞き、コンスタンティノは憮然とした顔で黙り込んだ。
生き残った傭兵たちが、周りに集まっている。彼らの目には、怒りと貪欲さが浮かんでいた。
何かを期待し、暗黙のうちにコンスタンティノにそれを訴える。
アルはそれを悟り、先ほど感じた「戦闘後の恐怖」とは別の、得体の知れない感覚に体を震わせた。
「……二十二人の償いはそいつらにしてもらおう。行くぞ」
コンスタンティノは静かに言い渡す。
傭兵たちは大きな歓声で答えた。
(続く)
すげえええ!
俺のこの感想の語彙の少なさ…
それよりニーナの言葉が重かった。
アルはこれからどうなるのか…アルになんだか感情移入してしまった。GJ!
>440氏
乙です。
しかし『狂暴騎士団』、戦死3割って現代軍隊だと全滅判定なのだが大丈夫か?
まあ原始的軍隊組織で指揮系統が必ずしも明確ではない分だけ柔軟に対応できる面もあるんだろうけど。
ところで「コンパニア」というのは現代軍隊の中隊(カンパニー)に相当する戦術単位と考えていいんですか?
読みごたえのあるこのスレよ!!
期待して待ってるぜ、カモン!!
火と鉄、萌恋さん続き期待待ち
189 :
リリィ:2005/11/30(水) 04:31:58 ID:KvxjjT02
コツ、コツ、コツ、
廊下の奥から足音が聞こえてくる。
(こんな夜中にここに人が来るのはめずらしいな、誰だ?)
そんな事を考えていると足音は俺が入っている檻の前で止まった。
「なんだお前か、お前もこんな所に来るんだな」「明日死ぬあなたの顔を見にきたのよ」
そう言ったこの女の名前は、リリィ=シュバルツこの国で『法務人』という仕事をしている。この法務人は国の法的機関で数人しかおらず、最も重要な役割を担っている。つまり、こいつがこの国で起きた犯罪を裁き、犯罪人を殺すか殺さないかを決めている。
「なんでだよ。どうせ明日処刑場にくるんだろ?その時に顔なんていくらでも見れんだろ」
今俺が居るのは城の地下にある牢屋で、俺は明日処刑されるのがすでに決まっていた。そう、俺は犯罪人だ。
「あなたには関係ない」「へっ、そうかよ。それなら別に良いけどよ」
俺はそう言ってしばらく黙った。あいつも何も話しかけてこなかった。
「…」
「…」
しばらくして、
「どうして…」
ようやく聞こえるような小さな声であいつが話しかけてきた。
「ん?」
思わず俺は聞き返していた。
「どうして人を殺したのよ!あなたはそんな事するような人じゃなかったのに!」
190 :
リリィ:2005/11/30(水) 04:35:31 ID:KvxjjT02
突然、怒鳴るような大きな声で俺に向かって言ってきた。
「…お前には関係ない」今度は俺が、聞こえるか分からないような声で返事をした。
「あるわよ!だって私あなたが…、あなたの事があの頃からずっと…」
「それ以上言うな!!」俺はあいつがしゃべっているのを自分の声を被せて遮った。
「どうしてよ!」
「俺は明日死ぬんだ、それなのにそんな事を聞いても俺にはどうする事もできない」
この国では、一人の人間を殺しても普通は何十年か牢屋に入れられるだけで処刑にはならない。
しかし、俺が昨日殺したのはこの国で『貴族』と呼ばれるお偉いさんだった。そのため、俺がそいつを殺した時にその場ですぐに捕まり、次の日には、つまり今日には処刑が決まっていた。
「私が、あなたは悪くないと言えばまだなんとかなるかもしれない。だから…」
目に少し涙を浮かべながらこいつは言った。
法務人という仕事をしていても今回の様な時にはこいつ一人の力ではどうにもならない事は俺にもわかっていた。
「いいんだ。俺が人を殺した事に変わりはないんだから」
俺はそう言って、目の前にいる彼女を見た。
191 :
リリィ:2005/11/30(水) 04:40:33 ID:KvxjjT02
するとこいつの頬に涙が流れ、その場に座りこんでしまった。
「だけど私イヤだよ…。どうして好きな人を自分の手で殺さないといけないの?わかんないよ…」法務人は罪人の処罰を決めるだけでなく、実際に自分の手で罪人を殺す。それが『法務人』という仕事だった。
その事は全部俺も知っていた。そして、今の言葉で俺を殺すのはこいつだというのが今初めてわかった。
「違う。俺を殺すんじゃない、法で裁くんだ。そして、それに選ばれたのが偶然お前だったんだ。ただそれだけのことだ」俺は檻に近寄りながら子供に聞かせる様に静かに話しかけた。
「だけど…」
「それに…、俺は選ばれたのがお前で良かったと思う」
「なんでよ?」
少し怒ったような声で言った。
俺はこいつの、リリィの頬を流れる涙を指で拭いながら、
「……好きな奴になら俺は殺されても良い」
俺は言ってしまった。
このまま何も言わずに、何も伝えずに死のう、
そう決めていたはずなのにこいつの泣いている顔を見ていたら自然に言葉が溢れてきてしまった。彼女は少し驚いた顔で、「…本当に?私の事好きなの?」
「ああ」
「でも、本当にそれで良いの?私に殺されて死んじゃうだよ?」
192 :
リリィ:2005/11/30(水) 04:44:52 ID:KvxjjT02
彼女は何度も聞いてくる「良いって言ってんだろしつこいな。…でも、そうゆう所は変わんないんだな、お前」
「え?」
俺は笑いながら言ってやる。
「しつこいのは子供の頃と変わってないと思ってさ」
「ごめん…」
そう言うと彼女はようやく泣きやんでくれた。
彼女は下を向きながら顔を赤くした。そして、
「…ちょっと目閉じてくれない?」
恥ずかしそうに言った。「何でだよ」
「いいから!」
俺は少し嫌がりながら目を閉じた。
その時、口に何かが当たった。何か軟らかい。
俺は不思議に思い、目を開けてみた。
「ん!!!」
すると、彼女の顔が目の前にあって、俺の口と彼女の口が檻を挟んで重なっていた。
「……ん」
俺はそれが初めてのキスだった。
(こいつも初めてなのかなぁ)
などとくだらないことを考えていた。
それは実際には何秒かだけだったかもしれない。でも、お互いの口を重ねている時は、とてつもない長い時間が流れているような気がした。
「好きな人と一生キスも出来ないままなんていやだから」
彼女は口を離してからそう言った。
「ちなみに、これ私のファーストキスだからね」
193 :
リリィ:2005/11/30(水) 04:46:38 ID:KvxjjT02
などと、俺の考えていた事がわかっている様に笑いながら付け足した。
そして、そのまま笑いながら彼女は、
「それじゃあね…」
「…おう」
「さようなら」
彼女は走って帰った。
一度も振り返らず。
家に着くまで。
そして、家で泣いた。
今まで出した事の無いような量の涙を流した。
一番好きな人を、
明日自分が殺す人を、
想いながら。
194 :
リリィ:2005/11/30(水) 04:51:35 ID:KvxjjT02
書いてみました。
全体的にグダグダですがいろいろダメ出し、感想など頂けたら嬉しいです
乙です。
地の文の三人称「俺」で書かれてたり、誰を視点に置いて話を進めてるかが曖昧なキガス
197 :
前スレ440:2005/12/02(金) 17:58:16 ID:sBF4QCtu
>>194さんの投下直後ですが、失礼して続きを投下させていただきます。
「火と鉄」第7話です。
>>185さん
コンパニア=中隊でOKです。
他の疑問点については、今回の投下で。
専門用語が多く、登場人物も多く、あまり読み手さんに優しくないSSですが、今後ともよろしくお付き合いください。
1.
アルフレドは歩いていた。
燃えさかる村の中を歩いていた。
人々の悲鳴の中を歩いていた。
血溜まりでぬかるんだ道を、無辜の人々の亡骸の間を、歩いていた。
コンスタンティノと傭兵たちの復讐は「残虐」の一言だった。
フィレンツェ軍に協力した村に着くと、まず村長一家が村の広場に引き立てられた。
兵士たちは、各家の家長を集めて周る。
コンスタンティノが、村が裏切りの罪を犯したこと、罪は罰せられねばならないことを宣言する。
「武器で脅され、仕方なくやった」という村長の釈明を、彼は一顧だにしなかった。
それから無造作に、村長の娘たちを陵辱せよという命令が兵士に与えられた。
泣き叫ぶ娘の声と、村人の嘆きが重なる中、傭兵たちは両親の首に縄をかけていった。
広場の木に吊るされた村長一家の「足場を蹴る」役は村人から選ばれた。
剣で脅された「処刑役」は、涙を流し、赦しを請いながら村長を、そして家族の命を奪った。
娘も犯されながら泣き、慈悲を請うた。最後に彼女も吊るされてしまうまで。
その後に待っていたのは、止める者なき破壊と略奪だった。
必死で逃げる人々を、傭兵たちはまるで兎狩りのように追い詰め、射殺し、首を刎ねていった。
女たちは老若の区別なく、兵士の毒牙にかかった。
夫や息子や父の前で、服を剥がれ、犯され、そして殺された。
子供たちの運命はさらに悲惨だった。
まるで泥人形のように馬に踏み潰され、その亡骸は「人の形」すら留めていなかったのだ。
絶望は人を悪魔に変える。
もはや苦痛を逃れることも、尊厳ある死を望むことも出来ないと悟った村人たちは、自ら命を絶っていった。
母は赤子を壁に叩きつけたあと、手にした包丁で自分の首をかき切った。
夫は妻を、妻は夫を絞め殺し、兄は弟の頭を金槌で砕き、姉と妹が手を取り合って火中に身を投げた。
アルフレドはなすすべもなく見守るしかなかった。
目からはとめどなく涙を流し、まるで幽鬼のように家々の間をさまよった。
瞳に映る全てが、この世のものとは思えぬ光景だった。
全ての軒先に吊るされた死体がぶら下がり、飛び出したうつろな目がアルを見つめていた。
納屋の壁に狩りの獲物のように貼り付けられた子供の死体。
斧で真っ二つに裂かれた老婆。恐ろしさのあまり、狂ったように笑い続ける娘。
いつしかアルも声を出して泣いていた。
泣きながら神に救いを請う文句を唱えた。全ての死んだ者と生きている者に慈悲を垂れたまえ、と。
両手を胸の前で固く組み、祈りながら歩き続けた。
――それでも、神は応えなかった。
アルフレドは、力尽き、一軒の納屋の壁にもたれかかった。
頭を抱え、その場に座り込む。
何もかもが恨めしかった。傭兵たちが、戦争が、この世の全てが憎いと思った。
なぜこのようなことが許されているのか。
ニーナはこのようなことをしても生きろというのか。
ならば『狂暴騎士団』を抜け、再び孤独な旅に戻りたい――逃げ出したい。
空腹を抱え、病にうなされても、構わない。
そうして異国の路傍で誰にも知られず死んだとしても、それは「甘美な死」のように思われた。
「……ごめん、ヒルデガルト」
アルはうずくまりながら呟く。
いつか国に帰る日を夢見て、ヒルダに会えると信じて生きてきた。
だが、希望を捨てずにいる自信すら、もうない。このような汚辱の前では全てが空しく思える。
「……ヒルダ、すまない……僕は、僕はもう…………」
その時だった。
背後の建物の中から、か細い声が聞こえた。それは、拙いラテン語の響きだ。
一瞬、アルは自らの祈りが聞き届けられたのかと思った。それほど、その声は澄みきっていた。
だが違う。それは神の声でも、聖処女の声でもなかった。紛れもない人の声だ。
「かみ……さま。か、かみさま……おじひ……おじ、ひ、を……」
小さな女の呟き。そして、それを黙らせようとする野太い男の怒声。
殴打の音がして、祈りは途絶えた。
アルは我に帰る。
そして、這うようにして納屋の入り口へと向かった。
少女が、いた。
金の髪を持った、白い肌の少女だった。
薄暗い納屋の中でも肌がはっきりと見えたのは、服は既に切り裂かれていたからだ。
少女一人ではなかった。その周りには、二人の男がいた。
一人は、裸身の少女を抱きすくめ、むき出しになった自分の下半身を少女に重ねている。
もう一人はその様子をすぐ傍で楽しそうに見守っていた。
覗き込んだアルフレドと、少女の視線が交差した。
可憐な青い目から、それと同じぐらい青い涙――それは確かに青かった――が零れた。
きっと何度も殴られ、痛めつけられたのだろう。
口の端から血を流しながら、少女はアルの方をじっと見ている。
その口が、かすかに動いた。
それは残った力を全て振り絞った、少女の最後の抵抗のようにも見えた。
アルは目をそらし、もう一度納屋の壁にもたれかかる。
頭の中に、三人の女の声が響き渡った。
――なら、ここで必死に働きな。働いて、戦って、パンと毛布を手に入れるんだ、どんな手を使ってでも――
それはニーナの声。母のように優しく、厳しい言葉だ。
――そして今から……いいかい、今からだ、『誓い』や『掟』なんて、腹の足しにならないものは忘れるんだ――
そうしなければ、生きていけない。さもなくば、死ぬのは自分なのだ。
――生き延びて、その子にもう一度会うか、それともその頭の中にしかない物のために死ぬか……。
どっちがいいか、よく考えるんだね――
ああ、会えるのならば一目だけでも会いたい、あの金髪の乙女に。
――アルフレド・オプレント――
ヒルダの声が蘇る。あの日、誓いをたてた日の声が。
――あなたは、騎士です。誰が認めなくても、私が、ヒルデガルト・モンテヴェルデが認めます――
差し出された指輪は古ぼけていた。
しかし、それは代々大公家に伝わり、数多の騎士が忠誠の口づけを捧げた物だった。
騎士は敵には勇気を示し、弱き者を守り、神を信じ、真実のみを口にする者。それが、掟だ。
――これからも、私を守ってください……私もあなたを守りましょう――
たとえ肉体は遠く離れようと、アルフレドの魂は彼女を守る。それが、誓いだ。
――かみ……さま。か、かみさま……おじひ……おじ、ひ、を――
少女の姿が瞼の裏に浮かぶ。
それがヒルデガルトの面影と重なる。
少女は最後の力を振り絞ってアルフレドに言ったのだ。
「たすけて」と。
2.
次の瞬間、アルフレドの体が縛めを解かれたように動いた。
「うおおおっ!」
腹の底から声を振り絞りながら、アルは剣を振り上げ突進する。
声を出さなければ、くじけそうな自分の勇気を奮い立たせて。
体中に怒りを漲らせ、少女の傍にいる男めがけ、剣を振り下ろす。
長剣は、やすやすと男の体を斬り裂いた。
斬られた男は、突然のことに苦痛の表情すら浮かべることなく、呆然としたまま絶命する。
二つに千切れた体から、噴水のように血が吹き出した。
その血は、アルの全身を一瞬で真っ赤に染める。
「なっ!?」
戦友を真っ二つに叩き切られた男は、驚きその場から飛び退く。
突然襲い掛かってきた男が、敵でも村人でもなく、仲間であるということに気づくには暫くかかった。
それほどまでに、アルフレドの怒りの形相はすさまじかった。
振り向くアルフレドを見て、傭兵は顔をゆがめる。
「お前……騎士崩れの小僧じゃねえか」
そう言いながら、壁に立てかけておいた自分の剣を抜き放つ。
彼の表情が驚きから、怒りに変わるのに、そう時間はかからなかった。
「……何のつもりだ。坊主」
向かい合いながら、アルは静かに言う。
「彼女を放せ」
そう言われた傭兵は、少女の方に顔を向ける。
少女は、突然の惨劇に声を失っていた。ぼろぼろになった服を体に巻きつけ、納屋の隅に後ずさる。
その仕草は、アルの突然の乱入に混乱しているようにも見えた。
「……女が欲しいのか?」
「違う。彼女を自由にする。そして、お前には彼女を汚した罪を償ってもらう」
「いまさら騎士の真似事か。隊長に可愛がられてるからって、調子に乗るんじゃねえぞ」
アルの言葉は、傭兵の嘲笑を誘った。
だが、笑われてもアルの表情は変わらない。首を横に振って、男の言葉を否定する。
「違う」
「何が違う」
剣をまっすぐに構え、その男にはっきりと告げる。
「真似事じゃない。僕はモンテヴェルデの騎士アルフレド……善きキリスト者にして、弱き者の庇護者」
男はにやり、と笑った。
あごひげを軽くしごき、剣を構えなおす。
「なるほどね……いいだろう。立ち合ってやろう、騎士殿」
その台詞がきっかけとなった。
二つの影が動く――そして、激しく剣のぶつかる音が響き渡った。
やがて、納屋からアルフレドが出てきた。
片手に二人分の血を吸った剣を、もう一方に少女の手を握って。
少女はまだ泣いている。
だが、アルが握りしめているその手には力が蘇っていた。
少女の手のぬくもりと柔らかさを感じながら、アルは幸せだった。
迷いはなかった。そして、自分がもう引き返せないことも分かっていた。
それでも、幸せだった。
アルが立ち止まり、少女もそれに従う。
「……ひっ」
顔を上げた瞬間、少女はアルの後ろに隠れた。
いつの間にか納屋は、傭兵たちに囲まれていた。
無数の石弓が、二人をまっすぐ狙っている。彼らの中心には、コンスタンティノがいた。
「説明しろ」
コンスタンティノはアルの方にためらうことなく歩いてくる。
アルの手には、まだ剣が握られているというのに、彼の剣は鞘に納まったままだ。
だがアルは、コンスタンティノを斬ろう、などとは微塵も思わなかった。
彼もまた、アルフレドのそんな考えを見抜いているようだった。
ほんの数歩の距離をおいて、二人は向かい合う。
「二人の野蛮人が、この少女を襲っていた。だから騎士として助けた。それだけだ」
この少年らしくない、傲慢とも聞こえる言葉にも、歴戦の傭兵隊長は心を乱されなかった。
それどころか、二人部下を斬られたというのに、その顔には何の感情も見えない。
「今、騎士と言ったな? お前は騎士見習いだったはずだが」
「違う。僕は騎士だ。大公息女ヒルデガルト・モンテヴェルデ様に認められた、れっきとした騎士だ」
「ヒルデガルト……ふん、あの大公家の娘か」
コンスタンティノの言葉には、嘲りもあったし、何故か懐かしさを感じているような響きもあった。
だが、そんな感情にいつまでも浸ることなく、コンスタンティノは言葉を続けた。
「……つまり、その女を助けたいから、仲間を殺した。そういうわけか」
「そうだ。それが騎士の務めだ」
「なるほどな」
そう言うと、コンスタンティノは無造作に背を向けた。
アルフレドに背中を見せることなど、赤子にそうするのと変わらない、といった様子で。
コンスタンティノは、弓を構える兵士たちを見る。
仲間を殺された怒りが目に見えるようだ。
流浪の傭兵が、相互に助け合うため自然発生的に生みだしたのが<コンパニア(仲間)>である。
だからこそ、それは軍の一部隊という概念を超え、相互扶助組織、共同生活集団として成立している。
それゆえ、「契約関係」に過ぎない上下のつながりに比べて、横のつながりは遥かに強い。
仲間同士の殺人は<コンパニア=仲間>の原理を失墜させる重大事なのだ。
しかし、コンスタンティノの表情は落ち着いていた。
いや、それどころか威厳さえ漂わせていた。
兄弟喧嘩を諌める父にも似て、彼の裁きは「絶対」と思わせる。
彼が三人の隊長をまとめ、六百人の部下を率いているのも、その威厳あってのことだった。
「アルフレド」
静かな声だが、それは誰の耳にもはっきりと聞こえた。
「……跪け」
その穏やかな指示に、アルフレドは粛々と従う。
両膝をつき、剣を地面に置いた。それから鎖帷子のフードをとり、頭を下げて首をさらす。
そこで初めて、コンスタンティノが自分の剣を抜いた。
その淡々とした二人の振る舞いに、傭兵たちの間に困惑が広がる。
――これは仲間殺しに対する処刑のはずだ、なのに何故このように穏やかなのだ、と。
コンスタンティノの命令に逆らえる者など、『狂暴騎士団』にいるはずもない。
だが、死の宣告すら甘受する男を、彼らは見たことがなかった。
アルの横に立ち、コンスタンティノはその首筋に刃を当てた。
「何か、言っておきたいことは?」
「……あの子には、手出ししないで欲しい」
コンスタンティノがちらり、と振り返る。
再び目の前で繰り返される惨劇を予想したのか、少女は命乞いをするかの如く手を組み合わせている。
しかし、コンスタンティノはそれを冷たく無視した。
「自分の命乞いはしないのか」
「何も悔いはないから。それに、あなたも分かっていたでしょう、いつかこうなるってこと」
少し顔を上げ、微笑む。
その顔はすがすがしさを通り越して恐ろしかった、とその場にいた誰もが回顧したほどの笑みだ。
ただ一人コンスタンティノだけが、剣を持ったまま同じ眼差しを返す。
処刑人と咎人が、処刑の瞬間に交わす表情にしては、あまりに異様だった。
「よかろう」
それは何に対しての言葉だったのか。
「悔いはない」というアルの言葉への感慨なのか、少女に手出ししないという同意なのか。
アルは後者だと信じた。
コンスタンティノの剣が振り下ろされ、血しぶきが上がった。
3.
「馬鹿だよ、あんたって子は」
そう言いながらニーナは暖炉の火でナイフをあぶっている。
その傍に座り、アルフレドは傷の手当てを受けていた。
娼婦の一人が、アルの頭に巻かれた包帯を解いていく。
傷に張り付いたものを無理やりはがされ、アルは顔をしかめた。
アルの頭が露になる。そこには、あるべき「左耳」がなかった。
顔の皮と一緒に削ぎ落とされたのか、醜い傷がアルの顔の左側全体に広がっている。
血は止まっていたが、まだじくじくと染み出す粘液が、火に照らされて光った。
「私の言うことを聞かないからさ。綺麗な顔も台無しだ」
「ニーナ、それはもう十四回聞いたよ」
苦笑するアルを、ニーナは睨みつける。アルはおどけたように肩をすくめてみせた。
「耳削ぎと、鞭打ちで済んで幸運だったんだよ。あんたも吊るされたかったのかい」
「……それも、もう十七回聞いた」
ニーナは舌打ちしながら、真っ赤に焼けたナイフを持ってアルの傍にしゃがみこんだ。
まず傷を洗うべく、壺に入ったワインを傷口にそそぐ。
「……っ、痛、痛、いたたたたっ!」
「当たり前だよ。傷はまだふさがっちゃいないんだから。なんだい、情けない声出して。
耳を削がれたときは、うめき声ひとつ上げなかったそうじゃないか」
ニーナが呆れたように言う。
そう。アルフレドはコンスタンティノが剣で耳を削いだ時、悲鳴すら上げなかった。
血を滴らせながら立ち上がり、自分の左耳を拾って懐にしまうことすらした。
それから、着衣を裂いて作った包帯を巻きつけただけで、夕方まで他の傭兵と行動を共にしたのだ。
村に帰還して、改めて鞭打ち刑が言い渡されても、アルはやはり無言でそれを受けた。
全てが終わった後、それでもアルに何か言おうとする者はもはや誰もいなかった。
「猿ぐつわ」
ニーナに言われて、別の娼婦がアルの口にぼろきれを押し込む。
焼けたナイフがアルの頭に押し付けられる。押し殺した絶叫が上がり、途絶えた。
傷を塞ぎ終えたとき、アルはぐったりと床に倒れていた。
ニーナは一見無関心に、血止めした傷口に豚脂を塗りこみ、包帯を巻き直す。
「終わったよ」
肩を一つ叩かれ、アルフレドは息を吹き返した。
手伝った娼婦は去り、二人は暖炉のそばに座り直し、部屋に静寂が戻った。
夜。本陣に帰還した<雷>隊は、疲れからか、たちまち眠りの底に沈んでいった。
アルフレドの鞭打ちも、兵士たちの心を打ちのめしたのかもしれない。
今日は女を抱こうとする者もいなかった。あるいは昼間十分に堪能したからかもしれないが。
ただ、コンスタンティノは例外だった。彼は今も一人で書類仕事を片付けている。
今日は大勢死んだ。
コンパニア<雷>隊は約五十個の<ランチャ(槍)>から成り立っている。
<ランチャ>は正規の騎兵一名を中核とした、最小の戦闘単位である。
イタリアでは、騎兵一名、騎兵に準ずる武装の盾持ち一名、従卒、馬方、代え馬六頭で一ランチャだ。
今日の戦闘で八つのランチャが全滅し、同数のランチャが主か盾持ちを失っていた。
残された従卒や馬方は、死んだ傭兵と個人的に契約を結んだ者たちだ。
コンスタンティノですら、勝手に彼らを他の部隊に配属し直す権利はない。
だから、改めて主を失った者一人一人に、今後の身の振り方を確認しなければならなかった。
結局、大半は歩兵か人足としてコンスタンティノと契約した。
彼らも、もはや『狂暴騎士団』を離れては生きていけないのだ。
ニーナにアルフレドの傷の手当てを言い渡してからというもの、彼は本陣の建物から出てこない。
二人とも、今日は彼を手伝おうという気分にはなれなかった。
「……ところでアル、分かってるだろうけど」
「ああ、コンスタンティノには感謝してる。僕を見逃してくれたんだから。
ニ十人以上死んで、これ以上兵隊を失うわけにはいかなかった。僕みたいな奴でもね」
「……たぶんね」
あるいは、片耳ずつ削ぎ落とし、鼻を落とし目をくりぬき、じわじわとなぶり殺すつもりだったのかも。
ニーナは一瞬そう思ったが、あえて黙っておいた。その時の気持ちは、あの男にしか分からない。
(それに)
と、ニーナは傍らの少年の顔を見つめる。
炎に照らされた顔は、赤く柔らかな輝きに包まれていた。
(その証明の仕方はなんであれ、あんたの腕も捨てたもんじゃないって思ったのかもね)
だが、この少年が殺人の腕を称えられるのを好まないのは知っていたから、やはり口はつぐんだままだった。
「……あの」
黙り込む二人の背後で、人の気配がした。
同時に振り向く。
そこにいたのは、例の少女だった。
「ああ、あんた。いいのかい? もう起き上がって」
こくり。少女は黙ってうなづく。
昼間、血の気を失っていた顔には、ほのかに赤みが戻っていた。
余りの古着を着せられ、髪も綺麗に整えられた姿は、男たちに辱められたようには見えない。
だが、やはりその目には、隠しきれない怯えの色が浮かんでいた。
「……じゃあ、まず、あんたの名前を聞こうか」
アルはちょっとだけ笑ってしまった。全く、いつものニーナだ。
だが、少女はうつむいたまま答えない。
しばらくその顔を覗き込んでから、ニーナは息を吐いた。
「いいさ。詮索しないのが私たち『狂暴騎士団』の流儀だ。でも名無しじゃ話がし辛い。
あんたのことは……そうだね、<ラコニカ>って呼ぼう。それでいいかい?」
「ラ、コ……?」
聞きなれない言葉に首を傾げる少女に、ニーナは得意げな笑みを見せた。
「『ラコニア人の女』ってことさ。ラコニアってのは、ギリシャに昔々あった国の名でね。
その国のやつらは揃いも揃って、おしゃべりが大嫌いだったのさ」
その説明を聞いて、少女は初めて笑った。
アルはその時気づいた。
彼女が金髪ではないこと。肌も白くないこと。そして、碧眼の持ち主でないことに。
確かに、初めて見たとき、彼女の髪はまるでヒルダのように黄金の輝きを放っていた。
暗闇で見た肌は、雪のように白く透き通っていたはずだ。
零れる涙は、その瞳と同じく、宝玉のような青い輝きを持っていた。
だが、目の前にいる少女は黒味がかった栗毛の持ち主だ。
瞳も同じように黒い。そして、肌は畑仕事のせいだろう、浅黒く日に焼けていた。
丸みを帯びた顔は、彼女を歳より幼く見せたが、アルフレドより年下ということはあるまい。
唇は冷たい風に切られてささくれだっている。鼻のあたりには無数のそばかすがあった。
両目は少し離れ気味で、表情に一層まるい印象を与えていたし、太い眉はたくましさすら感じさせた。
ヒルデガルトとは似てもにつかない姿。だが、あの時は確かに……。
そこまで思ったところで、アルフレドは頭を振って考えるのを止めた。
きっと、この少女の祈りに神が応えたのだろう。
「……お願いがあります」
ラコニカが不意にそう切り出したので、アルは驚いた。
何しろ、村で助けた時から、一言以上口を聞いたことが無かったのだ。
だが、ニーナは少女が言うことを予想していたのか、眉一つ動かさなかった。
「私を、ここで働かせてください」
「な、何を言って……」
アルは思わず立ち上がった。
明日にでも彼女を親類か知り合いのいる所まで送って行こうと思っていたのだ。
だが、アルの動揺を無視してニーナは言った。
「言ってる意味は分かってるんだろうね」
「はい」
「炊事洗濯、水汲み、薪割り、死体の片づけだってある。夜は男に……」
「分かってます」
ラコニカの声は凛とした、決意を秘めたものだった。
「私、もう行くところがありませんから」
二人の女は、つかの間黙って見つめあった。
暖炉で燃えていた薪が、大きな音を立てて崩れる。先に折れたのはニーナだった。
「そうかい。そんなら仕事は明日から教える。今日はもう寝な」
「はい。ありがとうございます」
ラコニカはそう言って頭を下げ、立ち去っていった。
アルには僅かな会釈だけ残して。
「……世の中、こういったもんさ」
ラコニカが去り、アルフレドとニーナが暖炉に向き直ったところで、ぽつりと彼女が言った。
アルは、その横顔を見る。快活な彼女が時折見せる、疲れきった諦念の表情。
「戦争が男を兵士に、女を娼婦にする。そして、娼婦が産んだ子供がまた……。
ほんと、世の中よく出来てるよ」
「ニーナ」
アルフレドが何か声をかけようとしたとき、突然ニーナが向き直った。
飛び出しかかった言葉を飲み込む。
「あんたは、あの子を助けた。でもね、結局のところ、あの子を娼婦にしただけさ。
村で死んじまうのと、こうやって生きるのと、どっちがあの子の幸せだと思う?」
「……そうだね」
アルは自虐的な笑みを浮かべて、じっと足元を見つめた。
結局、変えようとあがいてみても、「世の中」という大きな枠を変えることなんて無理なのだろう。
騎士だろうが傭兵だろうが、アルフレドには弱き者を救えなかった。
そして、一つの苦しみから別の苦しみへとラコニカを誘った。残った事実はそれだけだ。
所詮、絶望のあまり甘き死を望む自分のような者に、誰かを救うことなど出来はしない。アルは思った。
ふと目の前がかげり、目を上げるとニーナがいた。
「さ、坊やはお休み。悩んでる暇はないんだ。明日からまた仕事だよ」
そう言って目を細めるニーナに、大きくうなづき返す。
立ち上がり、寝床へと向かう。
それを、ニーナの手が引き止めた。
アルの肩を軽く掴んで、そっと振り向かせる。
そのまま、アルの頭を胸に抱き寄せた。
「お休み、馬鹿な坊や……愛してるよ」
柔らかな唇が、アルの傷跡にそっと触れた。
(続く)
いいねぇ
新作キター、GJです!
>リリィ
…切ないですね。
檻越しのキスのシーンがその切なさを助長させてくれます。
いいお話でした。
>火と鉄とアドリア海の風
アルフレドのとった行動は果たして少女にとって幸せな方法だったのか…重いテーマですね。
彼自身の苦悩がにじみ出てる様子がよく分かります。
続きがむちゃくちゃ気になります、次回作も楽しみです。
私もSS投下させて頂きます。
>>169さんが体調の関係で家庭教師を一時離れるそうで。
もう身体を治されてる最中だとは思いますがお大事になさって下さい。
ちなみに萌恋シリーズもこれが最終回です。
では、どうぞ。
あれから1年半の月日が過ぎた。
私は大学4年生になり、就職活動と学業と部活、そして家庭教師の4足のわらじを履く生活を送っている。
美保ちゃんも中学3年になり、性格はいつも通りだけど、思春期の到来が訪れたのか体つきは徐々に女性っぽくなっていった。
休憩時間中にも下着がきつくなったとか友達が彼氏と付き合ってエッチな事をしたとか、今時の中学生にしては早熟な事を
話してたりしている。
もちろん彼女は未だお付き合いなし、私としては心の底からホッとしている。
私はというと美保ちゃんにはばれないように彼女を見てどきどきしたり、こっそり彼女の事を思いながら慰めたりしているのを
除けば至って健全な家庭教師と生徒の関係を築いてる。
私生活においても最後のインターハイで全国大会に出場して準決勝まで進んだ事や、ゼミの論文が何故か上の先生連中の
目に留まり学部の論文発表会で教壇に上がる羽目になってしまったりしていた。
剣道の大会の時は美保ちゃんも応援に来てくれて、準決勝で負けた時は思わず彼女の前で泣いてしまった事もあったなぁ。
美保ちゃんも受験生という事で私も今までより厳しく教えたりした。
志望する高校のレベルは彼女の学力より少し上のランクで今までより勉強の量を増やさなければならなかったのだが、
彼女は嫌な顔ひとつせず苦手な教科も頑張ってくれたっけ。
そして私と美保ちゃんの頑張りが実ったのか、彼女は第1志望の高校に見事受かったのだ。
丁度同じくらいの時期に私も地元の企業に就職が決まった。
そう、やがて訪れる別れの時…。
最後の講義を終えて、私は居間でお茶をご馳走になっていた。
「先生、ありがとうございます!」
母親が私に向かって深々とお礼の言葉を言う。
「いや、本当に美保ちゃんは頑張ってくれました。私も心の底から嬉しく思います」
掛け値なし、本当の思いをそのまま口に出す。
美保ちゃんも嬉しそうな顔で私を見ている。
「そういえば先生も就職をお決めになられたとか…」
「ええ、地元のIT関連の会社の経理の方で働く事になりました」
そう言って私は出された紅茶を一口。
「そっか…先生、実家に帰っちゃうんだね…」
少し寂しそうな口調でぽそりと呟く美保ちゃん。
「先生にはこの娘が高校に行ってもこのまま教えて欲しかったのですけれども…」
母親も残念そうな表情で私の顔をもう一度見る。
ついにこの日が来たのね…。
私の心の中は妙に冷静だった。
大好きな人と離れ離れになるのに。
二度と会えないかもしれないのに。
多分その悲しさがあまりにも大きすぎて感覚が麻痺しているのかもしれない。
私は相槌を打つばかりで本当に冷静に、彼女達の話を聞いていた。
そして私がアパートを引き払う2日前。
荷物の殆どは業者が実家に持っていき、部屋には布団と簡単な生活用品と着替え、そして私の秘密の思い出である
制服を残すのみとなった。
これらは当日、車に積み込んで持っていくものである。
私は綺麗に片付けられた部屋を見ながら、ふと今日が美保ちゃんの学校の卒業式という事に気づく。
「ああ、美保ちゃんも今日で行ってる学校ともお別れなんだなー」
もう二度と見れない彼女の制服姿。
窓の外の青空を見ながら私は小さくため息をついた。
ピンポーン。
不意に鳴ったチャイムの音にはっと我に返り、玄関に歩いていく私。
「誰かな…?」
ドアをゆっくり開けるとそこには一番会いたかった人の顔。
「こんにちは…。えへへ、来ちゃった…」
「美保ちゃん!?」
目の前には悪戯っぽく舌をぺろりと出す美保ちゃんの姿があった。
「卒業式が終わって、もう一度先生に会いたくて。お母さんに住所を聞いて来ちゃいました」
「うふふ、ありがとう。あっ、ここで立ち話もなんだから部屋の中に入ってよ。もうあらかた片付いたから何も無いんだけどね」
そして彼女を私の部屋に上がり込ませる。
コートを脱ぐ彼女の服装はブレザー姿のままだった。
多分卒業式を終えて用意もそこそこにこっちに向かってきたのだろう。
ああ、美保ちゃんの制服姿を拝めるなんて…!
いつもと変わらない可愛らしい彼女の制服姿。
用意した座布団の上でちょこんと座るその様子で私の心は万歳三唱ものである。
もちろん、最後になるであろうその姿をじっくりと目に焼き付けておく。
「先生、実は…もしお邪魔じゃなかったらお泊りしたいと思ってるんです…」
何!?
私の心臓がいきなり高鳴る。
「お母さんに言ったら『先生もお忙しいのにそんな我がまま言ったら駄目よ』って怒られちゃったんですけど、
もう会えなくなるのが嫌だから…」
俯きながらスカートの端をきゅっ、と握る。
私は爆発しそうになる心を何とか保ちつつ笑顔で彼女に話しかける。
「そんなに私に会いたかったんだ?」
その言葉にこくりと頷く彼女。
「…分かった。先生からお母さんにちゃんと言っておくから今日は泊まってもいいわよ」
私の言葉に彼女の顔が明るくなり、先ほどの暗い表情から一転、まるで太陽のような笑顔になる。
「良かったー!『駄目』って言われたらどうしようと思ってたんです」
その可愛らしい顔を見て、私の心は少し壊れてしまった。
食事を済ませ、一緒に入浴をして布団の中で横になる私達。
時計の針は11時を指していた。
聞こえてくるのは時計の針の音とお互いの息遣いの音のみ。
「先生…。今まで本当にありがとうございました」
真っ暗な部屋の中の沈黙が耐え切れなくなったのだろうか、美保ちゃんが突然ぽそりと呟く。
「先生がいなければ私もこんな風にならなかっただろうし、本当に感謝してもしきれないです」
多分泣きそうなのだろう、言葉が震えている。
「私、高校に行っても先生の事は絶対に忘れません」
嗚咽交じりの声が私の耳元に聞こえてくる。
そして身体を横にして私に抱きついてきた。
すすり泣く声と私の胸の中に感じる温かい体温。
私は黙って彼女が泣き止むまで背中を撫でていた。
もうこんなに心は弾けそうなのに、まだ最後の一線を越えることを許さない私がいる。
…私も彼女のような素直な心が欲しい。
そう思った私は、震える心をそのままに、美保ちゃんがようやく落ち着いた時を見計らって言葉をつむぎ出す。
カラカラに乾いた口、言葉にする前から私の心臓はものすごい速さで動いている。
「み、美保ちゃん…」
「ぐすっ…どうしたんですか?」
少し鼻をすすりながら答える彼女。
「先生もね…美保ちゃんの事は決して忘れない」
一旦言葉を区切って、口を湿らせもう一度言葉を繋ぐ。
「先生は…ううん、私も美保ちゃんがいなければ今の私は無かったし。そう、あなたは私の…」
頑張れ、私。
心の中で自分を励ましながらその言葉を吐き出す。
「先生?」
「私の…大切な人だから」
言ってしまった。
自分の顔が真っ赤になっていくのが暗闇でも分かる。
「先生、それって…」
言葉の真意を理解したのだろうか、彼女がこっちを見る。
やっぱり言うんじゃなかった!
私の頭の中に後悔の念がうんかの如く湧き上がっていく。
「あー、ごめん。そういうのじゃなくって、その…」
半ば混乱しているのか、言葉が出てこない。
やばい、変に思われたかもしれない。
最後の最後で、私の馬鹿っ…!
しかし美保ちゃんはそんな私を優しく抱きしめていた。
「先生、私の事が好きなんですか?」
そんな、ダイレクトに聞かないで下さい。
今更否定する事も出来ず、私はおそるおそる頷く。
ところが彼女の口から出た言葉は私の予想をはるかに上回っていたものであった。
「…嬉しい。私も先生みたいな人に憧れてたんです。先生みたいな人になりたい、って」
そしてその腕の力が一段と強くなる。
「私も、先生の事が好きです」
この言葉を聞いた瞬間、私の心は蕩けた。
例え憧れとしての対象であっても。
私の事を好きって言ってくれた。
それでもやっぱり脳裏には一抹の不安があるのか、その言葉を彼女に投げかける。
「わ、私は女だよ?変に思わないの?」
彼女は首を横に振って、
「思わないです。うちのクラスの男子なんかよりずっと格好良いし、先生みたいな人とならキスも出来そうです」
大胆な彼女の言葉に私の思考回路はショート寸前だった。
いや、もうショートしていたのかもしれない。
私は起き上がって電気をつけ、彼女の顔をじっと見つめながら次々と今までの想いをぶつけていた。
彼女の制服姿が可愛かった事。
それを思いながら自分でもちょっとエッチな行為をした事。
こっそり学校の制服を買った事。
それを着てエッチな事をしたなど、心の支えが取れたかのように今までの事を話していた。
こんなある意味変態チックな話にも彼女は変な顔ひとつせずじっくり聞いてくれた。
そして私が言葉を終えて、笑顔を私に向ける。
「そうだったんですか…。そう言えば先生、制服姿の私を見る目が今から思うとちょっと違ってたような気がします」
「もー、美保ちゃんったら」
お互い軽く笑いながらも、その距離は少しずつ近寄っていた。
「先生、私の制服姿見たいですか?」
彼女の言葉に私の顔がまた真っ赤になる。
心の中が読まれているのだろうか。
でも私は正直に頷き、そして一言。
「うん。美保ちゃんの…ブレザー姿が見たい」
彼女はにっこりと笑って言葉を返す。
「いいですよ。…その代わり、先生も一緒に着てくださいね?」
当然私の返事はイエスだった。
「先生、すごく似合いますよ」
「美保ちゃんも…。本当に可愛いわよ」
お互い寝間着から学校の制服に着替えて布団の上に座り込む。
紺のブレザーとプリーツスカート、赤のリボン、白のブラウスそして同じく白のソックス。
こうして見てると仲の良い先輩後輩みたいな感じがする。
でもひとつ違うのはお互いの心が許しあっていること。
私も、多分美保ちゃんもだろう。心臓の鼓動がどきどきしているのが分かる。
最初はお互いの手が触れ合う。
「先生…」
美保ちゃんが少し熱っぽい口調で私に語りかける。
その手は私の身体に。
触れられるたびに私の身体は小さく震える。
「美保ちゃん、いいかな…?」
私がこれからしようとする事に対して彼女は小さく頷く。
そしてお互いの顔の距離がだんだん近くなっていく。
以前、同じような事があったけれどもその時とは違い、今度は自らの意思でしようとしている。
「美保ちゃん、好き…」
「私もです、先生…」
私と美保ちゃんの唇と唇が、ひとつに重なった。
そう、この夜の出来事は私にとって一生忘れる事はないだろう…。
出発当日。
荷物をトランクに積み、車のエンジンをかける。
最後に忘れ物が無いか部屋を確認する。
何も残っていない部屋。
でも一昨日はここで最高の思い出を作る事が出来た。
後片付けも大変だったけど、それもいい思い出。
朝、別れる前に美保ちゃんは私に剣道の時に巻く手ぬぐいをプレゼントしてくれた。
その時は嬉しくて思わず抱きしめてしまうほどであった。
私が見送る時も彼女はすごく泣きたいのを堪えながら、それでも笑顔で手を振りながら走っていく。
そんな後ろ姿を見ながら、私は声を上げてその場で大泣きをしてしまった。
車は4年間住んだ街を離れ、次第に遠ざかっていく。
それでも美保ちゃんとの思い出を胸に抱きながら、私は車を飛ばすのであった。
決して忘れないからね、私の一番大好きな人…。
春が、また訪れる。
以上です。
何かごり押しっぽくて、反省。
後、どうしてもエロいのが書きたくなってしまってイトナミのシーンも書いてしまいましたorz
別スレに載せましたので興味のある方はそちらもどうぞ(ヒント:メル欄)。
今まで有難うございました、また書く事があるかもしれませんがその時はまったりと見てやって下さいノシ
GJ!
感動した。
是非また書いてくだされ。
。・゚・(ノД`)・゚・。
ここまで書いてくれてありがとう。
まさかあの発言からここまで進展するなんて思わなかったよGJ!エロはあとで読みます、うは〜やべぇw
ほんとこのスレは恵まれてる!読みごたえがある…
GJGJ!
218 :
名無しさん@ピンキー:2005/12/09(金) 07:55:05 ID:dP/5eAHG
感動の作品だな。
遠くにいても忘れようのない二人の愛か…
GJ!
先生、美保ちゃんと両想いになれて、良かったねー、と思った。
とにかくじーんと来ましたです。最後の一行がなんか好きだ。
GJGJ!また何か書いて欲しいですー。
何となく、個人的に萌えなシチュだけ浮かんだんで、書き殴ってみた。↓
反省は特にないつもりだ。
「やっぱりこの季節にここで食事って、失敗だったかなぁ」
あたしは上を向いて、息を吐く。
もわもわもわ、と、白くなった息が昇っていく。
なかなか消えないところを見ると、相当気温が低いんだと思う。
「日が出てれば、少しは違うのに」
今にも雪が降りそうな空なんだから、気温は低くて当たり前なのかな。
首を降ろして目の前にある袋を空ける。中にはうっすら白く湯気を上げる肉まんが2つと、暖かいボトルのそば茶。
昼の1時半。あたしのささやかなランチ。ランチでそば茶っていうのも変だけど。
時折サラリーマンが横切る以外は、船の音と電車の音しか聞こえない。
まぁ、当然かな?
海芝浦の駅前公園でランチを楽しむなんて、鉄道オタクと、ここにいる物好きな小学生くらいしか思い付かないだろうから。
大学生は、ホームから海を見ていた。
ひょろっとした身体に飾り気のない服をまとい、黒いバックを抱えて、そのバックの中から、イヤホンを引っ張って聞いている。
企業の工場内にあるこの駅は、一般客が外に出ることは出来ない。そう言う構造になっている。
しかし、その不思議さ故に、マニアックな趣味を持つ人間のたまり場ともなっていたりする。
この大学生も、そう言った感じである。
電車は出てしまった。帰りの電車が来るまで、しばしの休憩。そのために、構内にある公園に行く。
公園の入り口すぐのところで、男は足下にある小銭入れの存在に気が付いた。
茶色のがま口。それも大きめ。
(凄いな、これ。東急ハ○ズで売ってたのは見たけど…)
実際に使う人がいるとは、想像つかなかった。
まぁ、需要があるから供給がある訳だが。
それを拾う。辺りを見渡すが、人は公園の中に1人いるだけ。
(まさかそりゃないだろう…)
その1人は、これを使うような人じゃない、と判断できた。
しかし、聞かない訳にもいかなかった。
歩み寄って声を掛ける。
「ねぇ、これって君の?」
その少女は、白いイヤホンを外し、手の中の財布を見る。
「え…、あ、これ。ありがとうございます。あたしのです。落ちてたんですか?」
(うそ…)「うん、入り口あたりに」
まさかとは思っていたが、動揺を隠し切れてない大学生。
「…凄いのつかってるのな。正直驚いた」
とりあえず正直な感想を述べる。
「あ、えと、あたし、いろいろ物好きな人なので…」
少女はと言うと、少し恥ずかしがりながら答える。
「あー、そら物好きじゃなきゃ、こんなところには来ないわな」
「…うーん、そう、でしょうね」
大学生は、少し好奇心が湧いた。
おもむろにバックから袋を取り出す。
コンビニ袋。店は違うものの、中身はどうやら同じもののようだ。
「となり、いい?」
「良いですよ」
大学生は、少女の右に座った。
「しかし、なんでまたこんなところで肉まんを食おうと思ったのさ」
よく見れば少女は、どこか分からないが私立小学校の制服を着ていた。
それに、いわゆる「私立校カバン」と、そこから伸びる白いHDオーディオプレーヤーのイヤホンが、どうにも年不相応に見える。
「ここの雰囲気って、なんか良いと思いません?誰もいないし、なんかいろいろと違うところに来た気分で」
「まぁ、そりゃ同感だけど…。でも、学校じゃなかったの?こんな時間だけど」
見ても、いわゆる不良娘という雰囲気はなく、むしろ優等生といった感じ。
「サボタージュです」
さらっという少女に、大学生は呆れた表情をする。
「…サボりかよ。小学校だと、そこら辺うるさいんじゃないの?」
「そう言うところの縛りは緩い学校なんですよ。もう公立の中高みたいに」
「随分怠慢な…」
「まぁ、他にも理由があったりもしますけど。で、今日は6年を送る会とか何とかで。そう言う集まりは苦手なので、サボりました」
サボった割に笑顔の少女。それを何とも言い難いといった表情で見る大学生。
「その年からそんなことしてると、いざ送られる側に立ったときに、いろいろ後悔するぞ?」
キョトンとして、少し考える少女。
そしておずおずとこう聞いた。
「…いま、送られる側、って言いましたよね」
「おう」
「…すいません、何年生だと思ってます?」
じっと見られる大学生。当然という顔で、自信満々に答える。
「うん、3年だろ?」
なおもじっと見つめる少女。
「やっぱりそう見えます?」
「え?ちがうの?4年…?5年じゃないし」
そう言われて、少し肩を落とした。
「…あたしはその「送られる側」なんですけど」
大学生は、少し驚いた。
「え!?うそだぁ、まぁ誤差はあるにしても、ちょっと、その、…」
さて言葉が見あたらない、思考を巡らせていると、横から少女が言った。
「小さい、って言いたいんでしょ?」
「…そのとおりです」
言える言葉がない、と、大学生も素直に頷くしかなかった。
「はぁ…、身長134aじゃ、そうも見えますよねぇ…」
と、ため息つく少女。
「いや、中高で誰だって伸びるって」
「男じゃないんですから。6年で25aも伸びたら、いろいろからかわれますよ…」
「言いたいことは分かるけど、…いや、無理に160手前の平均に乗らなくても」
「だって、そうじゃなきゃ「チビ」は「チビ」のままになっちゃいますから」
「あー、なるほどね」
腐るのもよく分かる、気がする。要は誰にでもある負けん気か。
「納得するのが早すぎます…」
結局拗ねた少女。
仕方なし、と、大学生はコンビニ袋をまさぐった。
目的の品を見つけると、袋の中で器用に底の紙を剥がし、取り出すと、少女の鼻先に突き出す。
「あ…」
「まぁ、でかくなりたきゃ、とりあえず喰っとけ」
差し出されたのは、中華まん。
「え、良いんですか?これ」
「4つ買ったからな。あんまんを混ぜたんだけど、なんか甘いもんを食う気がしないからさ」
華奢な見かけによらず、2個では足りなかった少女は、既に手を伸ばしていた。
「ありがたく頂きます!」
何となく大学生は、その無邪気にパクつく少女の顔を見ていた。
見ながら思う。
(わかんねぇ。何でまたサボったり…。優等生っぽい顔して、こんだけ無邪気なのに…)
何か裏があったりするのだろうか、と、漠然と気になった。
大学生は、すでにあんまんを完食し、ペットボトルを傾ける少女に聞いた。
「なぁ」
「んく…、こぅ…、ん、なんぇすか?」
返事は、少し舌足らずになった。
「なぁ、なんかあったのか?君は」
「へ?」
「いや、こんな時間にこんなところに、君みたいな子が1人でいるって、ちょっとあり得ないしさ、それで…」
キョトンとした少女に、大学生は問いかける。
しかし、少女は微笑んでこう言った。
「あー、えと、そんなんじゃないです。別に。ちょっと逃避気味になる自分が好きだったりして」
「と…、逃避…ねぇ」
「えぇ、盗んだバイクで走り出したくなるのと、同じ感覚です。耳年増な娘の、ちょっと早めな思春期とでも思ってください」
「お…、尾崎豊…?」
逆にキョトンとせざるをえなくなった大学生。それに目を合わせず、少女は声を少し小さくして、言った。
「でも、その気遣いは嬉しいです。ご心配ありがとうございます」
「あー、うん。まぁいいや」
反応しずらそうにギクシャクと返す大学生。
そんな感じで、1時間弱という電車待ちの間のお茶会は、あっという間に過ぎていった。
少女が何かに気付いた。
「あれ?…あ、電車、あと3分くらいで出ますね」
少女は携帯電話で時間を見ながら言った。
丸1時間、ここで話していたことになる。
既にホームには、電車が入っていた。
「あ、じゃぁ、行く?」
「そうですね。お開きです」
立ち上がった時だ。
ガシャ、と、軽めの落下音。
大学生が足下を見ると、そこには開きっぱなしで落っこちたPHS。
「あちゃ、手が滑っちゃった…」
フルブラウザ搭載のビジネス向けPHSは、小学6年にはやはり年不相応に思える。
(おー、小学生で京○ンか…、いろいろ凄いな…)
そう思いながら、大学生はPHSを拾い上げ、少女に渡そうとした。
携帯を表に向け、画面とボタン部分をはたき、そこで待ち受け画面が目に入った。
そのまま5秒固まる。
「あのぉ…、どうかしました?」
「空ち…」
「空知?北海道?」
少女は頭に?を浮かべる。
「いや、待ち受け待ち受け」
ちょっと突っ込み口調な大学生に、少女は手を叩く。
「あ、はいはい。…って、分かるんですか?」
待ち受け画面のエロゲキャラを、さも当然のように「知ってるのか」と問う少女に、大学生は目眩を覚える。
「六○星きらり…、の空だよな。ってか、こっちの台詞だ。何でこれ知ってるんだ?」
「知ってるも何も、やりましたし…」
さも当然といった感じに、淡々と話を進める少女。
「いやいやいや!待て!小6で今の発言は問題だろうが。そもそも成人向けだし、その、そう言う表現も入ってるし!」
大学生は動揺気味につっこみまくる。
「むぅぅ!子供扱いしないでください!あたしは話を読みたくてやってるんですよ?」
「まぁ俺もこれ好きだけどもさ!ってか、どこで手に入れたんよ!?」
「いやぁ、こう、ね、………共有してもらったりして」
「…手段までそんなんなんだ」
そうやって論点がずれてきてる感が否めないやりとりを交わしていると、大学生が気付いた。
「って、やばいよ、電車でるよ!」
「あー!」
乗り遅れればその場にまた1時間取り残される。
それはさすがに勘弁して欲しかった2人は、とりあえず電車に駆け込んだ。
「あぶねー…」
「あぶなかった〜…」
2人の声がハモる。
ちょっと気まずい雰囲気。
話しかけづらい雰囲気。
打破したのは大学生の方だった。
「いや、さ。俺も待ち受け、こんなんなんよ。ク○ハ」
と、携帯を開けて少女に渡す。
「あー、莉織姐さんだ」
「ね…、姐さん…」
とりあえず、知ってても、もう何も言わないことにした。
「結構共通点ありますねぇ。好みに」
ぬけぬけとそんなこと言われても、もう動揺はしない。
「…言われてみれば」
キャラの性格的に言えば、そこそこ似通ったところがある。軽めのツンデレ気質か。
「あ、そうだ。ついでに、アドレスもらって良いですか?」
そう言って、手は返事を待たずに、メニュー0番を押そうとしていた。
「ん。いいよ〜。あ、じゃあ登録打ったら、こっちにも送ってよ」
「あ〜い」
「おわりました〜」
しばらくして、携帯が手元に戻る。
既にプロフィールを貼ったメールが、届いていた。
開けて確認する。
「へぇ…。『赤塚 鈴(あかつか すず)』って名前なのか」
「はい。『成増 央兎(なります ひろと)』さん」
初めて氏名で呼び合った2人。ふと、ある事実に気が付く。
「そう言えば、自己紹介なんて物もやっちゃいなかったな…」
「あ、言われてみれば…」
そう言って、2人は向き直る。
「では改めて、はじめまして。赤塚鈴です」
「あい。成増央兎です」
つくづく奇妙な挨拶になった。
「成増さんですね」
「あー、さん付けとか、敬語になったりとか、しなくて良いからさ」
央兎が言うと、すぐに修正した。
「あ、うんわかった。成増君」
「順応早っ」
「こんなん?」
「あー、うん。そんなんでいいや」
なんてノリが良いんだ…、と、感心しきりになる。
「まぁ、そう言う訳で。仲良くなったついでだ。今まで喰っててなんだが、どっか店入るか。赤塚は、コーヒーとか平気?」
「うん、のめるよ?」
鈴が軽く頷くのを確認すると、しばらく考える。
「えーっと…、あれ?鶴見の駅前ってスタバとかあったっけ?」
「え?うぅ。あの辺分かんない…。どうせなら、横浜まで出ちゃわない?」
鈴の提案に央兎が答えた。
「そうするか」
「うん」
鈴は嬉しそうに頷いた。
これが、この2人の奇妙な出会いだった。
「そう言えば、あたしたちって、お隣どうしだね」
「へ?何が?」
「名前。和光市、成増、赤塚、平和台、氷川台、小竹向原…、てね」
「…あ、有楽町線か。って、よくそんなん気付くな」
「だって、ねぇ。あんなところで昼ご飯を食べるような人だもの。それくらいの鉄知識はあるって」
「さいですか」
ここから先、もし良い展開が思い浮かんだら投下する。いつになるかはわからないけど。
唐突に投下しても、特に反省はしていない。
どう見ても趣味が偏ってます。本当にありがとうございました。
なんだか、妙に先が気になるSSだ…
鈴ちゃんも可愛いし。しかし、エロゲでチビの小学六年生と仲良くなるとは、ウラヤマスィ
続きキボンいたします!
なんか気になるに同意だー。
随所で笑った。エロゲー、「何故君がそれを知っているっ!?」みたいなところが。
134センチ、は…かなーりちっこいね。中華まんに食いつく鈴ちゃんが可愛いです。
優等生な制服少女と大学生。…もしや?とか思う。
続き希望しますー!
初投下。
オリジナルです。
ベッドに押し倒されるように仰向けになった。
彼の右手が背中にまわる。
私は抱きつく素振りで、体を預けた。
寝そべった布団から彼の匂いがする。
彼はブラジャーに手をかけながら、もう片方の手で私の髪を撫でた。
優しい彼がずっと大好で、私から告白して恋人同士になった。
――だから本当に、うれしいの。
あれから、5分は経っただろうか。
背中に回された彼の右手がずーっとモゾモゾと動いている。
私は迷った。彼はブラが外せないんだ。
こういう時、手を出していいものだろうか。
もし手伝ったりすれば、彼の自尊心を傷つけてしまうのではないか。
それに自分からブラを外すなんて、飢えてると思われるかもしれない。
そんなの……恥ずかしい。
初めてなんだし、彼にすべて任せておけばいいんだ。
だけど、彼も初めてのエッチに違いない。
困っている彼に何も言わないのもズルイ気がする。
髪の毛に触れていた左手は、ブラに意識がいっているのかピタリと動きが止まっている。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「あ、あの……」
私は勇気を振り絞って彼に話しかけた。
「なっ、何だよ?」
すごく気まずい雰囲気に包まれている。
がんばれ、私。
「あ、あのね……実は……このブラのホック、フロントなの……」
233 :
名無しさん@ピンキー:2005/12/24(土) 20:18:02 ID:qARoJQaB
保守
>232
ワラタ。2人の初体験の戸惑いが文面から匂ってくるような感じですね。
クリスマスに間に合わなかった……それでもクリスマス外伝、投下させていただきます
年に一度のこの日だけ、街は秩序と理性をかなぐり捨てて、酒に溺れ浮かれ騒ぐ歓楽の
権化と化した。
噴水の水は葡萄酒にかわり、木々にはキャンディが吊り下げられ、騎士団が奇妙な仮装
をし、家々は飾り立てられ音楽があふれ出す。
子供には甘い菓子が行き渡り、芸人達が跳ね回り、女達は飛び切り美しく着飾った。
今日は国王の聖誕祭。それは国王の誕生と言うよりも、人々が一年を生きて過ごせた喜
びを祝う日であると言っていい。
そしてこの国の国民は、この日この時まで生きていてくれて心から嬉しいと思う者に褒
美という形でプレゼントを贈る習慣を持っていた。
親が子に。子が親に。愛しい誰かに。親友に。
そして、国から国民に。
この国で生まれ育ったリョウもまた、その習慣化日常の一部であり、この日のために酒
場や量販店で日雇いで働かせてもらい、大切な従僕――否、家族達のために悩みぬいてこ
っそりとプレゼントを買っていた。
夜には道化師の仮面を。
ハーラにはキラキラの飴がたくさん詰まったガラスのキャンディーボックスを。
トレスとシリクには指先が切ってある薬師用の手袋を。
ベロアには細身のシルバーの指輪を。
「これが一番高かったのだよね」
テーブルの上に鎮座している愛らしい小箱を指先で軽く弾き、リョウはベロアが照れた
り驚いたりする姿を想像して我知らず微笑んだ。
いつもベロアは何かしら珍しい物や凝ったものを贈ってくれるが、リョウが贈る物とい
ったら、手作りのお菓子やら街で見かけた木彫りの彫刻やら、子供じみた物ばかり。それ
が嫌だと思い始めたのはもう随分と前の事だが、リョウは今年こそはと決意して、散歩と
偽って一人で宿を抜け出してはせっせと仕事に励んで金をため、何件も店をはしごして、
本当にあげたいと思うものをようやく見つけ出したのだ。
今夜、宿の酒場でちょっとしたパーティーが開かれる。その騒ぎに乗じて何気なくプレ
ゼントを渡すつもりなのだが、ちゃんと自然に渡せるだろうか?
リョウはぱっと椅子から立ち上がると、スプリングの軋むベッドに走りよって軽々と飛
び乗った。
枕の下に手を突っ込み、真新しい服を引っ張り出す。
眼前に掲げてためつすがめつしてみてから、リョウはその服をシーツの上に広げて難し
げな表情で呟いた。
「……やっぱ、これ着るのはやめとこうかな」
赤いキャミソールに、揃いの赤いハーフパンツ。裾や肩紐は全て白いファーで飾ってあ
り、襟元には白いポンポンが揺れている。肘まである赤い手袋も可愛いかと思ってパーティー
用に買ったのだが、今こうして見てみてると、なんとなく破廉恥な気がしてくる。
「でもせっかく買ったしなぁ」
せっかくのパーティーに、いつもどおりの服では面白みがない気がする。ハーラとベロ
アは普段からして派手だから問題ないだろうが、少年と間違われる事があるほど華やかさ
に欠ける格好と言うのは問題といえるかもしれない。
「あ、でもトレスはあの格好で行くのか」
「生憎私はそういった催しには興味がございません」
「わぁあぁぁ!」
突如背後から飛んだ声に文字通り飛び上がり、リョウはベッドの頭板にへばりついた。
「と、と、トレス! トレス!? 何で君いきなり……いや、ノック! まずノック!」
「致しましたが……御主人がお気づきにならなかったのではございませんか? なにやら
ご自身の世界にお入りになっていたように見えましたが……」
ちらりと、トレスの目がベッドの上の服に行く。
リョウは顔を真っ赤に染めて、慌ててその服を自分の背後に押し込んだ。
「お隠しになる事もありますまい。男を誘うにはもってこいの――」
「ち……違う! そんなつもりで買ったんじゃ……」
「では男の劣情を煽るには最適な――」
「だから違うって!」
「御主人がどういうおつもりであっても事実は揺るぎますまい」
「シリクぅ! トレスがぁ!」
「シリクは少し前に意識の奥に沈みました――朝までは眠ったままでしょう」
言外に、シリクにすがるな小娘がという叱責を含ませて、トレスはリョウを睨みすえた。
従僕が主を睨む道理がどこにあると叫びたくもあるが、叫んだ所でろくな事にならない
だろうという事をリョウはよく分かっていた。
諦めを含んだ溜息を一つ大きく吐き出して、リョウは赤い衣装を丸るめると再び枕の下
に押し込んだ。
「も、いいよ……どうせ、着ようかどうか悩んでたし。着ない事にするよ。着なけりゃい
いんだろ、着なけりゃ」
「そう申し上げた覚えはございませんが」
「だって男を誘うとか言ったじゃんか!」
「私ならば押し倒すだろうという話です」
「お、おし、押したお……!」
一瞬、赤い服を着た自分がトレスに襲われる場面が頭に浮かび、リョウは全身がかぁっ
と熱くなるのを感じて全身で身構えた。
「なんて事言うんだ君は! な、な、なんて事を! いやらしい! ケダモノ!」
「私にケダモノになる事をお望みでしたらいつでも牙を向いて差し上げましょう」
「わぁぁ! バカ、違う、脱ぐな! もぅ、何しに来たんだよ! 何しに来てんだよ!」
最早半泣きで叫んだリョウの言葉にローブにかけていた指を止め、トレスはつまらなそ
うに舌打ちした。
「何だその舌打ち!」
「何と申されましても」
「くっそぉお……せっかく君にもプレゼント買ったのに……頑張って買ったのに! なん
て仕打ちだ! あんまりだ!」
「なるほど、いい手袋だ」
「勝手に出すなぁあ! ってか、何でそれが君のだって分かったんだよ!」
大体、荷物の中にしまっておいたはずのトレスのプレゼントが、何故今奴の手に収まって
いるのか分からない。第一、まだ渡されてもいないプレゼントを勝手に取るとは、いつも
言っている礼儀云々は一体どこへ行ったのだ。
怒鳴りつかれてぜぇぜぇと息を吐き、リョウはうつぶせにベッドに倒れこんだ。
「トレスなんか嫌いだぁ。なんだよもぉ、出てけバカぁ。僕をいじめに来たのかよぉ」
シーツに顔をうずめてめそめそと恨み言を言いながら、リョウはふと、頭のどこかに無
礼講と言う言葉が浮かぶのを意識した。
対等の立場に立つと、この男はこんなにも横暴になるのだろうか? いや、そういえば
初めて会った時はもっと酷かった気がしないでもない。
それとも、いつもはあまり意識していないだけど、普段からこういう性格だっただろう
か? とにかく、リョウをおちょくりに来たのはどうやら間違いないようだった。
ぱたん、とドアが閉まる音がして、リョウはシーツに顔を埋めたまま、しばしの間固まった。
「……え?」
顔を上げて、思わず部屋を見回してしまう。
「ちょっ……ちょっとちょっと。え? うそ。え?」
トレスがいない。本当に出て行ってしまったのである。
からかうだけからかって、しかもプレゼントまで持って出て行くとは、いつもの礼儀正
しすぎるトレスの所業とはとてもじゃないが思えない。
「な、何だよぉ! 怒るなよぉ! 僕なんも悪い事してないじゃんか!」
出て行けと言ったのが気に障ったのか、それとも元々機嫌が悪かったのか、リョウは情
けない表情で虚空に訴えかけながら、滲んできた涙を慌てて拭いさった。
情けないというか、やるせないというか、こんなに惨めな気分も久々だ。リョウは苦労
してふくれっつらを作ると、ベッドから乱暴に飛び降りた。
「後でシリクに言いつけてやる……なんだよ、一生懸命考えたんだぞ。何が一番喜ぶかな
って、一生懸命考えたのに……」
荒々しく椅子に腰を下ろして、リョウはふと、テーブルにさっきまでは無かった箱が増
えている事に気がついた。
訝りながら手にとって、耳元で軽く振ってみる。そっと添えてあったメッセージカード
がひらひらと落ちていくのを手にとって、リョウは箱をひっくり返したりしながら片手で
二つ折りのカードを開けてみた。
「……でぃあ、まいますたー」
上品な白いカードに、ぞっとする達筆でそう綴ってある。
はっとドアの方を振り返り、リョウは困ったような、嬉しいような、なんとなく複雑な
表情で微笑んだ。
「なんだ……素直にプレゼント渡しに来たって言えばいいのに。……照れ屋め」
あの性格では、確かにプレゼントを貰うにも渡すにも抵抗があるだろう。ましてや、あ
の男は人間とは交わらないタイプの種族なのだ。
ひょっとしたら、聖誕祭を知っていた事すら奇跡的なことなのかもしれない。
「しかし……」
一体何をくれたのだろう?
楽しみなようで、少し不安でもある。嫌がらせのように媚薬でも入っていたらどうしよ
う。ベロアにはそんな物全く不必要だというのに。
色んな意味でドキドキしながら包装紙を丁寧にはがし、リョウは手作りと思しきつやつ
やの木箱をそっと開いて一瞬呆然とその中身を凝視した。
「うわ……うわ、うわ、うわぁ」
可愛らしいガラスの小瓶に、不思議な淡いピンク色をした液体が入っていた。
とろりとしたピンクの中に、キラキラと七色に光る細かい粒が踊っている。
「何これ、何これ! 凄い! 爪に塗るんだ! はけが付いてる! うわ、うわ、うわぁ!
か、か、かわいい!」
マニキュールだった。それは、大人の女が爪を飾る化粧品。こんな物を贈られるのは初
めてで、まるで大人の女性だと言われている気がして、リョウは胸を高鳴らせた。
今のこの気分なら、あるいはトレスに迫られたら大人しく従ってしまうかもしれない。それほどに、リョウはこの愛らしいプレゼントを気に入った。
思わず我慢できなくて、いそいそと椅子に座って片手にだけ塗ってみる。すっと指に馴
染んで乾いていくそれは、まるであつらえたようにリョウの指によく合った。
ひょっとしたら、本当にトレスが調合した物なのかもしれない。そういえばこの前、綺
麗な石を砕いて粉末にしている姿を見た覚えがある気がする。
「えへへ……塗っちゃった。さすがに義手には濡れないけど、十分だもんね。えへへへへ」
ひとしきりにやにやと自己満足に世界に浸ってから、ちらりと、脱ぎ捨てた手袋に視線
を投げる。
手袋をはめてしまったら、淡いピンク色に染まった爪を自慢できなくなってしまう。し
かし、義手をしている右手の手袋を外して出歩くわけにもいかないし、ましてや片手だけ
出袋と言うのもおかしいだろう。
「……うん、まぁ。二人きりになった時にね」
どうせ、ベロアとは相部屋なのだ。二人っきりになった時に綺麗な爪を自慢して、少し
嫉妬を煽ってやればいいだろう。
リョウは再び手袋に腕を通し、手袋越しに爪を見てにっこりと微笑んだ。
あとテーブルに残っているのはハーラとベロアのプレゼントのみ。夜の仮面は今朝のう
ちに影の中に放り込んだら、喜んでくるくる回していたので問題はないだろう。
ふと、もう一人の従僕の顔が頭の端を掠めていって、リョウは眉間に皺を刻んで黙り込
んだ。
「……ハミットは……なぁ……」
困り果てたというように、腕を組んでうーんと唸る。
今日ここに至るまでにも、何度も何度も悩んだのだが、ハミットに何をやったらいいの
かなど想像も付かなかった。
まさかそこらで人間を捕まえてきて、さぁどうぞ好きに食べて下さいと言うわけにもい
かないだろう。やはり、本気で忘れたふりをしてしまった方がいいだろうか?
それとも、お前にやる物なんか無いと突き放せば、逆にあの男は喜んでくれるかもしれ
ない。エルは若干自虐的と言うか、マゾ気質な所があるような気がしないでもない。
第一、ハミット種に聖誕祭の概念など皆無ではないか。何もやらなかった所で文句も上
がらないだろう。
だが、そういう問題ではない気もする。事実、エル以外の全ての従僕には、きちんとプ
レゼントを用意してあるのだ。
エルにだけ何もやらないのは、差別と言うか、疎外というか……
「うぬぅ……」
リョウは古臭い唸り声を上げ、脳に筋肉でもつくのではないかと思うほど苦悩した。
聖誕祭当日になってまで頭を悩ませるエルの特異性が憎い。
「あいつが欲しがりそうな物……欲しがりそうな物……」
腕をくんだまま体ごと首を傾けて、ふと、壁に掛かっている鏡に目が行った。
ピン、と名案が頭に浮かぶ。
「あー僕か! あっはっは。そうねー、あいつ僕の事好きだもんねー」
何の事はない。体にリボンでもまいてエルの部屋で座っていれば、それで全て解決して
しまうではないか。
しばし空っぽな笑いを虚しく部屋に響かせて、リョウは笑うのを止めると同時に思い切
りテーブルに額を打ち付けた。
「落ち着け僕! 早まるな! プレゼントはわ・た・しなんて、今時漫画でもやらないぞ
破廉恥な! 考えろ! もっと深く考えるんだリョウ!」
「僕はプレゼントが君でも一向に構わないけどね」
「うわぁあぁあ!」
この状況に軽い既視を覚えつつ盛大に飛び上がり、リョウは悲鳴と共にべったりとテー
ブルにへばり付いた。
勢いあまって椅子がひっくり返っている。
「ベ、ベ、ベロア!?」
「ぼ、ぼ、僕だけど?」
「な、なんでここに!」
「僕が僕の部屋に戻ってくるのがそんなにおかしい?」
怪訝そうに問われ、慌てて首を横に振る。
我ながら馬鹿な事を聞いたと思いながら手の甲で冷や汗を拭い、リョウはふと、ベロア
の視線が自分の背後に移るのを意識してはっとした。
「あれ、もう誰かからプレゼント貰ったんだ」
「え?」
「それ……貰ったんでしょ?」
「あ、これ? うん。そう、さっき。ベロアと入れ替わりで」
折角秘密にしてきたプレゼントの存在がばれてしまったかと一瞬ひやりとしたが、どう
やら心配には及ばなかったようだった。
プレゼントの存在に気付いていたとしても、中身が例年とは一味違う事まではさすがの
ベロアにも想像は付かないだろう。
リョウはなんとなくベロアに話を合わせてこくこくと首を振り、嘘を言わなくて済んで
だ事についてトレスに激しく感謝した。
「何を貰ったんだい?」
聞かれて、リョウは例の愛らしいマニキュールを思い出してなんとなく赤面した。
あの時は舞い上がっていて、ベロアに自慢しようと思っていたが、本人を前にしてしま
うとどう思われるか不安でなんとなく気恥ずかしい。
さりげなく、左手を自分の背に隠し、リョウはもごもごと口ごもった。
「左手、何かあるの?」
「ぅあ、いや、その……なんといいますか、と、トレスが……」
「トレスが?」
「その……」
「見た方が早いのかな」
言うが早いか、随分放れた所にいたはずのベロアが突如眼前に現れて、リョウはあっけ
なく左腕を奪われた。
「わぁあ! だめだめだめだめ! ダメだベロア! だめだって……!」
「手袋の下か」
主であるはずのリョウの制止になど聞く耳持たず、嫌がる腕を拘束して手袋をするりと
脱がす。その五指が淡いピンク色で彩られているのを目ざとく見つけ、ベロアは恥じ入っ
てしまっているリョウの指をまじまじと注視した。
「へぇ……マニキュールか。ピンク色に乳白色。五色の宝石の粉末が入ってる――トレス
のやつ、やるなぁ」
「その……が、我慢できなくて……つい……」
「うん?」
「似合わない……かなぁ?」
視線を床に這わせたまま不安げに呟いたリョウの横顔をしばらくみつめ、ベロアはふと、
悪戯心を覚えてリョウの指を口元に導いた。
「甘い練乳で飾ったみたいだ」
「ぇあ?」
「おいしそう」
「ちょ……ベロア!? 何す……!」
制止の言葉を叫ぶより早く、ベロアがリョウの指先を咥え込んでやんわりと歯を立てた。
慌てて手を引こうとするリョウの腕をしっかりと拘束し、舌を絡めて軽く吸う。
「だ、だめ、だめだよベロア……だ、め……やッ……」
逃げようにも、背後にはテーブルがあってそれ以上は下がれない。生ぬるい体温を持っ
た舌が指に絡み付いてやわやわと刺激する感触に息がつまり、リョウは苦しげに喘いでテ
ーブルの縁を握りこんだ。
ぐっと奥歯を噛み締めて声がこぼれそうになるのを押さえ、指先からじんと広がってく
る甘い痺れに小刻みに肩を震わせる。
足に力が入らなくなってきた頃にようやくベロアの舌から開放されて、リョウはその場
にへなへなとへたり込んだ。
その腰をベロアが抱きとめ、起こした椅子にきちんと座らせる。
「ひどい……よ。こんなんなしだぁ」
「あんまり可愛かったんでつい……よく似合ってるよ、ごちそうさま」
目じりに涙を浮かべて不平を漏らしたリョウに悪びれもせず笑って見せて、ついでとば
かりに額に軽く唇を押し当てる。
先程までとはうって変わった親愛を表すキスにそれ以上文句が言えなくなって、リョウ
はもごもごと口ごもった。
「おっと、いけない。危うく忘れる所だった。パーティーが始まるからロウを呼びに来た
んだったけ」
「え? だって、まだ一時間くらい間があるはずじゃ……」
「早く始めないと待ちきれない人達が暴徒と化しそうだから、時間早めたんだってさ」
「あー……なるほど」
まだ若く初々しいウェイトレスが酔っ払いに迫られて右往左往している姿が手に取るよ
うに想像できて、リョウはやや苦笑いを浮かべて納得した。
パーティーの始まりを知らせるように、階下から軽快な音楽が流れ出した。
近所の楽団の有志らしいが、アップテンポのリズムが心を誘う。
「おいで、ハーラが下で待って――」
「この変態一つ目エロガッパがぁあ!」
バァン、と硬い物が衝突し合う凶暴な音が部屋に弾け、リョウとベロアは同時に全身を
強張らせた。
突然の侵入者に飛び上がるのは、今日でもう三度目である。
蝶番が哀れに感じるほど限界まで開かれたドアの前に、髪を振り乱し、怒りに目を吊り
上げた愛らしい歌姫が肩をそびやかして立っていた。頬は赤く上気していて、全力でこの
部屋まで駆け上がってきたのが伺える
ドアをぶち抜きそうな勢いで飛び込んで来るなり飛んできた凄まじい暴言に、ベロアが
あからさまに嫌そうに表情を引きつらせた。
「え、エロガッパ……!? ハーラ、君まさかまた盗み聞きを――」
「ハーラ!」
ベロアの声を遮って愛しい親友の名を叫び、リョウは目を輝かせると、ぱっと椅子から
飛び降りてハーラの元に駆け寄った。
「マスター!」
ハーラも嬉しそうに叫び、リョウの首にしがみ付く。お互い固く抱き合う姿はさながら
再会を果たした姉妹だが、吐き出しかけた言葉を持て余して立ち尽くすベロアがなんとな
く哀れを誘う。
「マスター平気? 大丈夫? ベロアに酷い事されなかった?」
「うん。やだっていうのに凄くやらしい事された」
「なんて事! 悪だわ! 悪の権化だわ! 大丈夫よマスター。あたしがちゃんと守って
あげるわ」
「美しい友情だか背徳的な愛だかよくわからないごっこ遊びはどうでもいいけど、示し合
わせたように僕を悪の親玉に仕立て上げるのは止めてくれないかな……」
「黙りなさい! この、肉欲でしか愛を体現できないふしだらな野獣め! あたしが天に
代わって成敗してくれるわ!」
美しい表現だが、飾りを全て取り払えばただのケダモノ扱いである。
リョウをしっかりと抱きしめたまま、ハーラは主を守る忠実な従僕のポーズを崩さずに
キッとベロアを睨み付けた。
「わー、ハーラかっこいー!」
リョウが嬉しそうにハーラの首にしがみ付く。
こうなったらもう、ベロアはどこまで行っても悪の親玉であり、二人の仲を引き裂く悪
の化身にしかなれない。
がっくりと肩を落として目頭を押さえ、ベロアは悲劇のヒロインと正義のヒーローにな
りきって壁伝いをジリジリ歩く少女二人に嘆息した。
「わかったわかった。悪の親玉は退散すればいいんだろう? わかったよ、あーはいはい
わかりましたよ。僕は邪魔ですかそーですか」
一瞬、リョウがやりすぎたかと不安そうな顔をしたのをしっかりと視線の端に捕らえつ
つ、ベロアは気付かないふりをしてそのまま部屋を後にした。
ぱたん、と寂しげにドアが閉まる音がして、ハーラとリョウがふと顔を見合わせる。
「拗ねちゃったね」
「そうでも無いみたいよ。部屋を出た途端凄い勢いであたしに恨み言言ってるし」
蝙蝠羽を畳んで嫌そうに顔を顰めるハーラに、そんな物だろうかとも思ってみる。
「あ、そうだマスター。これ、マスターに」
いうなり、ハーラはどこに隠し持ってたのやら、きちんとラッピングされた四角い箱を
リョウの前に差し出した。
「これ……ぼ、僕に?」
どこかで見た事がある包装紙で、きらきら光るリボンが箱を十字に飾っている。受け取
ると思いのほか重量があり、リョウは危うく取り落としかけて何とかそれを抱えなおした。
「プレゼント。ね?」
悪戯っぽく片目をつむってみせて、ハーラはリョウに開けてみてとせっついた。
促されるままに包装紙を取り去って、淡いピンク色をした紙の箱を外気に晒す。
どきどきしながらその箱を開けてみて、リョウは一瞬、中に奇跡でも見たように絶句し
て、それから思わず吹き出した。
「な、なに、なになに? なんで笑うの? ひどいわよマスター!」
「あぁ、ち、違う違う! ごめんハーラ! 別に悪い意味で笑ったわけじゃないんだ!」
憤慨するハーラに弁解するように首を振り、リョウは箱の中に入っていた物を見てもう
一度微笑んだ。
「じゃあなによぉ。この前ショーウィンドーで見かけた時、マスターがすっごく欲しがっ
てたから買ったのにぃ」
「口で言うよりこっちのが早い。ハーラ、こっちきてこっち!」
ぶぅぶぅと文句をいうハーラの細い手首を取って、リョウはテーブルの前までハーラの
ひっぱっていくと、ハーラのために用意したプレゼントを差し出した。
「これ、僕から君に」
愛らしい包装紙に、きらきら光る十字のリボン。形も重さも、ちょうどハーラがリョウ
に渡したのと同じくらいのものである。
「……これって、まさか」
ハーラも状況が理解できたのか、リョウと顔を見合わせて、信じられないとでも言うよ
うに唇に笑みを刻む。
もどかしそうに包装紙をはがして箱を開き、リョウとハーラはもう一度顔を見合わせ顔
中で微笑んだ。
「キャンディーボックス!」
お互いに指差しあってそう叫び、二人は大声で笑い出した。
キラキラのキャンディーが詰まったガラスのキャンディーボックスが、笑い声を上げる
二人の腕にしっかりと抱えられている。
笑いながらお互いが贈りあったキャンディーボックスの中身を口の中に放り込み、二人
はしばらくくすくすと笑いあった。
こんな事ってあるのだろうか、ベロアに自慢せずにはいられない。
リョウはベロアの分のプレゼントをポケットに押し込むと、ハーラと共にパーティーに
沸き立つ一階の酒場へと大急ぎで駆け下て行った。
酒の入った宴の席で喧嘩が勃発しないというのは、国王の聖誕祭ならではの奇跡のよう
なものだった。奇跡と言っても、それは酒場に必ず何名かの騎士団が常駐している事によ
る必然でしかないのだが、それでも広い街のどこに行っても喧嘩に出くわす事が無いとい
うのはやはり奇跡と呼べる驚異だった。
歌と踊りと酒と肉の飛び交うパーティーは月が昇りきってもまだ続き、楽団が休憩して
いる間は何人もの自称喉自慢が舞台に上がり、酷いだみ声やキンキンと甲高い声で意味の
分からない歌をがなりたて続けていた。
「狂気の沙汰だ……もうだめだ、ついていけない……」
酒の臭いと人の熱気に当てられてめまいを起こし、リョウはベロアに連れられて自室に
戻るとベッドにぐったりと寝転がった。
耳の奥でがんがんと音楽が鳴り響き、未だ鼻の奥に感じる酒の臭いに吐き気がする。
ベロアも疲れたようにベッドの縁に腰掛けて、苦しげにうんうん唸っているリョウの背
中を優しくさすりながら、めまいを吹き飛ばそうとするように何度か軽く頭を振った。
「時々人間が恐ろしいよ。どういう構造してるんだ一体。僕にとっては酒がのめるだけで
異常だって言うのに」
「そのわりに、お酒の臭いは平気なんだね」
「君が見てない所で三回吐いた」
「うそ……平気そうだよ」
「君の前だからね」
力なくくすくすと笑いあい、ベロアもリョウの横に倒れこむ。
音楽は未だ鳴り止まず、ハーラも下ではしゃぎ歌い踊っているのだろう。ふと、リョウ
はポケットの中に違和感を覚え、ごそごそと中身をまさぐった。
「なに?」
「ん……なんか入ってる……」
横になったまま難儀そうに引っ張り出す。
それを眼前まで持ってきて、リョウはあぁ、と楽しげに呟いた。
タイミングを逸してしまい、未だに渡す事ができていないベロアへのプレゼントである。
「これ、君のだ」
くすくすと笑って、ベロアの胸に小さな箱を押し付ける。するとベロアは驚いたように
沈黙し、大切そうにその小箱を受け取った。
「今年は、僕だけ無いのかと思ってた」
嬉しそうに言って起き上がり、丁寧に包装紙をはがす。ビロード張りの青い箱を手にと
って、ベロアはその中で光を反射する銀色のリングを凝視した。
「ロウ、これ……」
「へっへぇ〜。似合うと思ってさ。高かったんだぞ」
にこにこと笑うリョウの顔に、純粋なプレゼント以上の意志を汲み取る事はできなかっ
たが、ベロアはそれでも奇妙な感動を覚えてそのリングをリョウに差し出した。
「……なに?」
「はめて欲しいんだ。君に」
「なんだ。いいよ、どの指?」
リョウは笑って、銀の指輪を受け取ると、差し出されたベロアの左手を取った。
「薬指がいいな」
「これ、入らなかったらショックだなぁ……でも、ベロアって割と指細いよねぇ」
言いながらベロアの薬指にするりと指輪を奥まで通す。
「へへ、ぴったり――」
やんわりと腕を引かれ、唇が重なった。
驚いて抵抗する事を忘れているリョウの舌に自らの舌を絡ませて、唇を甘噛みする。
一瞬だけ小さく肩を震わせて、リョウは甘えるようにベロアの首にしがみ付いた。
唇を離すと唾液が細く糸を引いて、リョウが恥ずかしそうに視線をそらす。
「ロウ、愛してる」
「……は、恥ずかしいよ、こういうのは」
「君は僕を指輪で繋いでくれただろう?」
「え……?」
「知らない? 愛の誓い。指輪やピアス、なんでもいい。リングを相手に贈る事で、相手
を自分に縛るんだ」
知らなかったと呟いて、リョウは嬉しそうに頬を染めると指先でかりかりと頬をかいた。
再び、どちらからとも無く唇が重なって、くぐもった音楽に水音が混ざり合う。
ベロアの手がリョウの腰を抱き寄せて、服の中に滑り込んだその瞬間、心臓がすくみ上
がるような音を立てて荒々しくドアが開け放たれ、リョウは反射的に思い切りベロアを突
き飛ばした。
「ちょっとベロア! 一体いつまでこんな所に引っ込んでるつもり!? 宴よ宴!
パーティよ! 隠れたって無駄だからね」
「ハーラ……今ほど君に殺意が芽生えた事はない……」
ベッドの下に突っ伏して低く呻き、ベロアはよろよろと立ち上がった。
リョウは顔を真っ赤に染めて、どうしていいかわからずにおろおろしている。
「強制連行よ……連れておいき!」
パチン、とハーラが白くほっそりとした指を軽やかに鳴らすなり、後ろに控えていた巨
漢が三人、部屋に押し入ってベロアの体を抱え上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくれハーラ! 一体どういう……ロウ! 助けて! 僕はもうあ
そこには戻りたくない! 嫌だ、放せ! アルコールは嫌だぁあぁ!」
「あぁ、ベロア! ベロアー!」
ロミオとジュリエットさながらに、二人の愛は歌姫の宣言とたった一枚の扉によって引
き裂かれた。
ハーラがこの後の展開を予想して押し入って来たとは思えないが、タイミング的に言え
ば最悪であり、最高でもあっただろう。もし後数分遅れて現れていたらと思うと、ぞっと
せずにはいられない。
「でも……なんで、ベロアだけ?」
誰が答えてくれるわけでもないが、呟かずに入られない。
何はともあれ、一人ぼっちにされてしまった。リョウはベッドの上でしばしの間呆然と
し、小さく溜息をついてベッドから這い降りた。
ふと、テーブルの上に目が行った。無意識に覚えた違和感の理由を、無意識に探した結
果だったのだろうと思う。
赤い、燃えるような羽が乗っていた。
元からそこにあったかのように無造作に乗っているが、街を飛び回る鳥の羽とは明らか
に違う雰囲気を纏っている。
近づいて手にとって見るとそれはほんのりと暖かく、七色に光る羽軸の先は丁寧に鋭く
削ってあった。
「ブローチ……みたい」
まさかと思い、リョウは胸が高鳴るのを感じてドアを見た。
「ハミット……?」
ありえない。リョウは慌てて首を振り、しかしもう一度赤い、美しい羽を見た。
本当に、ありえない事だろか?
ハミット種の耳はいい。もし、今日の人々の会話を聞いていたのなら。あるいは今日に
至るまで、あらゆる人々の口に乗った聖誕祭という行事を耳にしていたとしたら、ありえ
ないことではないではないか。
そうでなくても、ハーラやシリク、入れ知恵をする者ならばいくらでも思いつく。
リョウは落ち着かない気持ちでじっとその差出人不明のプレゼントを睨み、真紅の羽を
手にしたままベッドの上によじ登った。
さっきのハーラの調子ならば、ベロアはしばらく戻ってくる事はないだろう。その間暇
を持て余しているのもどうかと思うし、今日のトレスにはあまり近づきたいとは思わない。
照れ隠しに思い切り冷たく当たられるのは、火を見るより明らかである。
「……ハミット、聞こえる?」
ひっそりと、例えその場にいたとしても聞き取れないのではないかと思うほどの声量で、
リョウはひっそりと呟いた。
「聞こえてたら、部屋に来て」
階下からは相変わらず、喧しい音楽が聞こえていた。それ以外、別段なんの変化も無い。
落胆したような、安堵したような溜息をついて乱暴にベッドに身を沈めると、突然、部
屋にノックの音が広がった。
一瞬、心臓が止まるかと思うほど驚いた。
今日は随分と驚かされ続けているが、その中でも一番静かに、ひっそりとした驚愕が胸
の奥をぎゅっと掴む。
緊張で喉が渇いたが、リョウは一度ベッドに沈めた体をゆっくりと起き上がらせた。
「入れ」
常人なら聞き取れないような、かすれた声でそう呟く。
しかしその許しに答えるようにドアが開き、その向こうで、エルが深く一礼した。
「お呼びですか? 我が主」
「うん、まぁ、呼んだっちゃ呼んだけど……あー、とにかく入って、ドア閉めて」
エルは従い、後ろ手にドアを閉めるなり、リョウが指で弄んでいる真紅の羽を目に留め
て沈黙した。その視線に気がついて、羽をエルに示して見せる。
「これ……君から?」
「結界師に、そういう日だと聞きました」
やはり、シリクの入れ知恵か。
リョウは深く溜息を吐いてぽりぽりと頭をかき、困ったようにエルを見上げてもう一度
溜息をついた。
「これさ、意味、分かってるんだよね?」
「大切に思う方に贈るのでは?」
「うんまぁ、そうなんだけど……」
「私は、何か間違いを?」
「いや、間違ってない。大丈夫。君は正しい」
やはり、何でもいいから無理やりにでも贈り物を用意しておくべきだったと、今更後悔
してももう遅い。
何の感情も伺えないエルの顔を伺い見て、リョウは無言のままエルを近くに手招いた。
手招きに応じてベッドサイドまで歩み寄り、手を伸ばさずとも触れられる位置に立っているエルの顔をちらりと見上げ、意を決したように一つ深呼吸をする。
リョウはくいくいと人差し指を折り曲げて、平静を装って命令した。
「ちょい、かがめ」
言われるままに、エルが長身を折り曲げる。
その首を乱暴に引き寄せて、リョウはエルの唇の端に触れるだけのキスをした。
唇が触れた所に、エルが呆然と指をやる。
「……我が主、今のは……」
「プレゼントだよ、僕からの。君は、物よりこっちのがいいだろうから……」
わざとぶっきらぼうにそういって、リョウはぷい、とそっぽを向いた。
相変わらず、エルの表情は動かない。
リョウは何も言わないエルの態度がなんとなく落ち着かなくて、俯き、頬を染め、何事
か言おうとしては諦めるを繰り返してから、エルの胸を乱暴に突き飛ばした。
「勘違いすんなよ! 従僕にはみんなあげてるから、君にだけあげないのは可哀想だから
あげただけだから! あと、お礼! 別に君が大切とかそういうんじゃないからね!」
「全員にキスを?」
「違う! キスは君だけ……」
言いかけて、はっと口を押さえて沈黙する。
「私だけに?」
リョウはエルのいつもどおりの無表情に気まずそうに床に視線をさ迷わせると、困り果
てたように額に手を当てた。
「だから、君には物……選べなかったから、他に考え付かなかったんだよ……聖誕祭、知
ってるかどうかもわかんなかったし……別に、特別な意味じゃ……」
沈黙の合間に、階下からの音楽が滑り込む。
エルは沈黙してしまった主を同じように黙って見つめ、リョウはそれが耐え切れないと
でも言うようにエルからのプレゼントを弄んだ。
「何か、言えよ」
「話術は得意ではありません」
「……なんも、しないの?」
言ってしまってから、リョウは頭の中で思い切り自分を罵った。
これではまるで、エルが何かするのを期待しているみたいではないか。リョウは自分で
も分かるほどに顔を真っ赤に染めて、なるべくエルの目を見ないように俯いた。
「何か、してもよろしいのですか?」
ぞっとするほど甘い声が、ぞくりと背中を撫で上げる。
思わず顔を上げると、自分の姿が写りこむ程近い所にエルの赤い瞳があった。
「ぁ……ぃや、そーゆ、わけじゃ……」
言い訳がましく言ってみても、最早なんの意味もない。
氷細工にでも触れるような慎重さで、エルの指がリョウの首筋に絡みついた。
「待って、ハミット、ハミッ……」
ひどくゆっくりとした動きで、奪うように唇が重なり合う。熱い舌が口腔に滑り込み、
リョウはきつく目を閉じてエルの肩にしがみ付いた。
怖いような気がした。なんとなく、食べられてしまうような、獲物じみた恐怖感。だが
その恐怖を悟られるのが嫌で、リョウは必死にエルに答えようと自ら舌を絡ませた。
「ん……ふぁ、ん、ぅ……んん」
獲物を嬲るような執拗さに全身が総毛立つ。獣のような臭いに頭の芯がくらくらして、
リョウは暖かい体温を求めるように、唇を合わせているエルの頬に恐る恐る指を這わせた。
舌を伝って注ぎ込まれる唾液を飲み下しきれなくて、口の端からだらしなく喉元に垂れ
ていく。
眠たいような間延びした時間の中、どちらからともなく唇が離れ、二人はしばし無言の
まま見つめあった。
「今日は、ここまで」
悪戯っぽく笑い、リョウが指の腹でエルの唇の唾液を拭う。
エルはその言葉に静かに一礼し、一歩リョウから距離をとった。
「続き、欲しかったらさ、今度はプレゼント、ちゃんと手渡しする事。いーい?」
言い聞かせるように、言う。
その主の言葉に笑顔のような表情を浮かべ、エルはもう一度一礼すると、非常識にもそ
の場から掻き消えた。
「あと、ベロアには内緒ね」
ひっそりと呟いて、白みかけた空に視線を投げる。
聖誕祭の終わりににっこりと微笑んで、リョウはハーラに連れ去られたベロアを追って、
階下の酒場へと駆け下りて行った。
おわり
気がつくとエルがリョウを押し倒してて目くるめく官能の世界に浸っていた。
夜のハイテンションなら何でもできると思っていた。
今では反省している。
クリスマス外伝乙。今年はクリスマス祭りなしかと思ってたのでなおさらGJ!!
おお!とってもよかったです。面白かったーGJGJ(゚∀゚)
252 :
名無しさん@ピンキー:2005/12/28(水) 18:22:36 ID:T4Uh4i9W
ageとけ
三が日も明けまして、そろそろ良い頃合いではないかと思いますので、投下させていただきます。
まだまだ未熟ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。
「爆撃航程」 (原作:「あなたに似た人」 ロアルド・ダール著)
その男は既に酔っていた。つまり、彼女の存在を不思議にも思わないほどに。
疲れもあったのかも知れない、――実際、彼は疲れていた、とても疲れていた。
彼はカウンターを挟んで彼女と向かい合いながら、やや前屈みになって顔を伏せ、よく冷えたグラスに指で線を
引いていた。そのことに熱中しているように装っていたが、何か言いたいことがあるのにそれをどう切り出した
ものか迷っているように見えた。彼女は黙ってナッツをつまみ、いささか無頓着すぎるほどに音を立てて噛んだ。
彼はグラスをなぞり続けながら顔も上げずに、ゆっくりと物静かに言った。
「やれやれ、俺は給仕か娼婦にでもなりたかったよ」
彼はグラスを持ち上げ、ふた口で飲みほした。
「もう一本飲もうか」と彼女は言った。
「ああ。ウィスキーにしよう」
「よしきた。ウィスキーね」
彼女はカウンターの下からダブルのスコッチと炭酸水を取り出し、ウィスキーに炭酸水を注いだ。
彼はグラスを取ってひと口飲み、いったん置いたが、また持ち上げてちびりとやった。
二度目に置くと、出し抜けに身を乗り出して話しはじめた。
「なあ、俺はいつも考えるんだよ、目標の上空に差し掛かって、まさに投弾しようというとき、ほんの僅か機首の
向きを変えて一ミリほど片側に寄れば、俺の爆弾は誰か別の人間に命中することになるんだ、とね。
誰に爆弾を落としてやろうか、今夜は誰を殺してやろうか、と俺は考える。全ては俺の胸一つだ。
俺が足をぴくりとでもさせたのかどうか、誰にも分からない。爆撃手にも、航法手にも、誰にもだ」
彼は小さなナッツをつまみ上げ、指でそれを粉々に砕きながら話していた。
そんな話を切り出した自分に当惑していたらしく、殊更に目を伏せて手元をじっと見つめていた。
彼はひどくゆっくり話していた。
「方向舵を親指の付け根でほんの少し押す。自分でもそれと気付かないくらいの僅かな力だけれど、それだけで
爆弾は別の家や別の人間の上に落ちていく。俺は出撃のたびに、誰を殺すか決めなきゃいけない。
方向舵のペダルに乗せた爪先にわずかな重さをかけるだけで、そいつは決まっちまう。自分でも気付かないうちに
もう終わってる。坐る位置を変えるためにちょっと体を傾けるだけだ。たったそれだけで、別の人間がたくさん
死ぬことになるんだ」
もうグラスの水滴は乾いていたが、彼は相変わらず、なめらかな表面を上下になぞっていた。
「俺は海軍の連中を羨ましく思うことがある」と彼は言った。
「奴らは黒い小箱に任せることができるからな。ミサイルを運んでいって、それを放り出して終わりだ。
ミサイルがほんの少しずれたって誰に分かる? 奴らはそんなこと考えもしないだろう。
俺たちはそうはいかない。全部自分たちで決めなきゃいけない。誰を殺して、誰を助けるかをな。
まったくひどい酒だ」
「ほんとね」
「こいつを飲んだらもう一杯貰わなきゃな」
彼女はまたウィスキーを注いだ。彼はひと口飲んで
「そうなんだ、」と言った。
「こいつは難しい問題だ。取り止めがなさすぎる。だけど、爆撃の最中はそいつが頭に憑いて離れないんだ。
出撃のたびに俺は自問するんだ、こいつらにしようか、あいつらにしようか。いちばん悪い奴らはどっちだって。
左にちょっとずらせば、子供を爆弾で吹っ飛ばす卑怯なスパイどもを殺すことになるかもしれない。あるいは
そのせいでスパイを助けて、防空壕の年寄りを殺すことになるかもしれない。
所詮俺には分かりっこない。俺に限らず、誰にも分かりっこないのさ」
彼はからっぽのグラスを中央に押し出した。
「だから俺は方向を変えないことにしている」と彼は付け加えた。「少なくとも滅多にやらない」
「ひどいウィスキーね」
「ひどいなんてもんじゃない。最悪だ。もう一杯飲もう」
「ええ」
彼女はまたウィスキーを注いだ。
「あんたは綺麗だな」と、唐突に彼は言った。
「あら、そう?」
「特に目が綺麗だ。金属みたいに冷たく青灰色に澄んでいて、奥深くて神秘的な感じがする。でも、」
と付け加えた。「俺はきっと、あんたと同じくらい綺麗な女をたくさん殺してきたんだぜ」
「ノルウェーにも、私みたいな人がいるかしら?」
「そりゃ、いるだろうさ。いるに決まってる。俺の尻の下にな。まったくひどい酒だ」
「ええ、もう一杯飲みましょう」
彼女はまたウィスキーを注いだ。
彼らは飲みつづけた。陸軍の連中が店に入ってきて、それぞれに談笑しはじめていた。
彼は椅子にもたれて、片手をぐるりとまわした。
「この店の客を見ろよ」
「ええ」
「もしも、この店にいる連中がみんないきなり死んじまったら、どうなると思う?」
「給仕連中が示し合わせて毒でも入れたら?」
「そうさ」
「そりゃ、大変ね。大騒ぎよ」
「そうだろうな」と彼は言った。
「だけど俺はそれと同じことを何度もやってきた。この店にいるよりたくさんの人間を何百回も殺してきた」
「でも、それとこれとは話が違うんじゃない?」
「同じ人間だよ。男に女。みんな酒場で飲んでいた」
「違うわよ」
「違やしないよ。ここでそれと同じことが起きたらひどい騒ぎになるだろうな」
「どえらい騒ぎになるわね」と彼女も同意した。
「ところがそれを俺はやってきた。何度もだ」
「何百回もね」と彼女は言った。「この店なんてどうってことないわ」
「嫌な店だ」
「ええ、嫌な店ね。河岸を変えましょう」
「ああ、こいつを飲んだらな」
彼女はまたウィスキーを注いだ。
ソロキン大尉が彼女の背後に現れた。
「パーカー大尉、そろそろ戻って頂かないと困ります」
「分かったわ」
カウンターにうつ伏せた男に向かって炎すら凍らせかねない一瞥を最後に投げて、国王陛下の空軍士官は立ち上がった。
「パーカー大尉」
「なに?」
「先週の金曜日にあなたと飲んでいた男ですがね。
あの翌日、死んだそうですよ。離陸のときに、ブラインダー爆撃機が横転して。ひとりも助からなかったそうです」
彼女の姿は蔭に深く沈み、左目だけが薄明かりに蒼く光っていた。
その口もとにちらとでも満足の色が走ったか否か、窺うことはできなかった。
「そう」と言い、彼女は踵を返した。
<爆撃航程・了>
というわけで、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」二次創作でした。ダールといえば昨年映画化された
『チョコレート工場の秘密』が有名ですが、実は元々この人は戦闘機パイロットでありまして、重傷を負って退役
した後にフォレスター(ホーンブロワーの作者)に発掘されて物書きに転じたという人なのですね。
原作である「あなたに似た人」は、ダールの処女作と言える『飛行士たちの話』に収録されている短編です。
その後ダールは「奇妙な味を持つ短編」の名手となるわけですが、「ダールになる前のダール」と言えるこの短編
集もなかなか面白いので、未読の方には一読をお勧めします。ちなみに今度のお話は、特に中盤など原作そのまま
なのですが、肝心のところをすりかえていますから、原作未読の方が読んでも問題はないと思います。
しかし、ダール独特の残酷なユーモアというのは到底模倣できるものではありませんね!
それでは皆様、春にまたお会いしましょう。48でした。
>>253 シブイ!!原作知らないのですが、引き込まれました。文章と雰囲気がなんとも好きですな。
名前だけ聞いたことあるよ「あなたに似た人」。「奇妙な味を持つ短編」は好みなので、今度読んでみたいと思いました。
是非また書いて下さいー。
256 :
名無しさん@ピンキー:2006/01/05(木) 14:12:03 ID:Bk+nByDM
>>253 味が濃くていいですね。
昨今では内容の詰まっていない、殻だけの書き物が少なくないように思うのですが、中々に満足です。
もっともこのスレにはそんな低俗な作品はあまり見受けられませんが。
ダールさんのお力を借りてようやく「中々に満足」なお話が書けるレベルに達している私としては、
私独力ではこんな素晴らしいお話は書けっこないのだ、ということを強調せずにはいられませんな。
今回のお話はけっこう実験的な要素が濃いので、次のお話からはまた違った風になると思いますから、
ちゃんとその旨言い訳しておかねばと思い、出てきた次第です。
何しろ次の長編は『闇の奥』の二次創作という代物ですからね、ダールを原作にしたお話とそっくりならそのほうが困ります。
それに薄味のお話だって、肩に力を入れずに読める分だけまた別の楽しさがあると思いますよ、私はね。
ところで、255氏にひとつ忠告をば。
実は、ダールには短編「あなたに似た人」と短編集『あなたに似た人』があり、
しかも短編集『あなたに〜』には短編「あなたに〜」が収録されておらず、実質両者の間に関係はほとんどないのです。
この辺は注意が必要でしょうね。知名度としては、MWA賞をもらっている短編集『あなたに似た人』のほうが遥かに上です。
258 :
前スレ440:2006/01/10(火) 20:37:18 ID:7gn2hy2h
あけましておめでとうございます。
>>198 からの続き。火と鉄…の第8話です。
年が改まったので、今後の予定だけ簡単に。
現在ストーリー上は1480年3月中旬ですが、この話は1480年の9月末〜10月上旬に終了します。
その頃起こったある歴史的事件に基づいて書いていますので、それだけは間違いありません。
つまり、長期的なストーリーの目処は立っています。
が、短期的にはちょっと悩みどころもあるので、一定のペースで書くことは難しいかもしれません。
当初の目処よりかなり分量が増えてしまっているので、ここから加速していきたいと思っています。
(一体いつになったら終わるんだ!? と思われている方へ。1480年1月から3月まで書くのに八回投下ですから…)
えー、本年もよろしくお付き合いください。
1.
神を称える殿堂とは、如何にあるべきものなのか。
それは慈愛に満ちた場であるべきなのか、それとも厳粛な空気をかもし出す場であるべきなのか。
――それとも、ひたすら神の絶大な権威を示す場であるべきなのか。
ローマ・カトリックの大聖堂に限って言えば、それは全て当てはまる。
それは薔薇窓から降り注ぐ七色の光と無数の灯明が神の愛を、静かな祈りと冷たい大理石が厳粛な空気を。
そして頭上に広がる巨大な空間と、それを隙間なく埋めた聖像と無数の絵画が神の絶大な力を表している。
モンテヴェルデのドゥオーモ(大聖堂)、サント・ステファノ・デントロ・ディ・ムーラもまさにそんな建物だった。
無数の聴衆で埋まったドゥオーモでは、いままさにミサが終わりを迎えようとしているところだった。
説教壇では、モンテヴェルデの司教が粛々と鎮魂の祈りを捧げている。
聴衆の最前列は大公とヒルデガルト、さらにローマから訪れた枢機卿の一行が席を占めている。
その後ろにはジャンカルロ伯を筆頭とする正装の家臣団。さらに富裕層の市民たちが続いていた。
さらに聖堂のいたるところに、席に納まりきらなかった市民、農民、女や子供がぎっしりと詰め掛けていた。
「……神よ。異教徒と戦い、信仰のために死んだ者たちの魂に永遠の安らぎを与えたまえ。アーメン」
「アーメン」
司教の最後の言葉に、無数の会衆が一斉に口をそろえた。
皆が深く垂れていた頭を上げるのを待って、モンテヴェルデの司教はその場を枢機卿に譲った。
デッラ・ロヴェーレ家の、ジュリアーノ枢機卿(後の教皇ユリウスニ世)である。
「モンテヴェルデの人々よ。私は先の海戦で多くの勇敢な戦士たちの命が失われたことを悲しく思う。
しかし同時に『悲しみを分かつのはあなた方のみではない』と伝える役目を任され、僅かなりとも心癒されるのだ」
すでにモンテヴェルデには、ルドヴィーコ率いる虎の子の海軍が全滅したことは伝わっていた。
もちろん、その真相は明らかにはなっておらず、大半の者がヴェネツィアをまだ友邦だと信じている。
太り気味のジュリアーノ枢機卿は、眼光鋭く続ける。
「……私は教皇シクストゥス四世猊下より、特別の赦免をあなた方に伝えるため遣わされた。
父を、夫を、息子を、兄弟を亡くした方々よ。あなたの隣人の魂は神の御許へと昇った。
なぜなら、猊下は先の戦いを『聖戦』と認め、亡くなった兵士たちを十字軍戦士と定められたからだ。
すなわち、彼らは現世での罪を赦され、そして亡くなったのだ」
そこまで言って、ジュリアーノ枢機卿は一息ついた。
彼の朗々とたくましい声が、建物一杯に響き、聴衆の胸に染み渡っていくのを確かめているようだった。
方々からすすり泣く声がする。この戦いで肉親を亡くした者たちの声だ。
それはその魂が救われたことに一抹の慰めを見出している声でもあった。
臨終にあたり、終油と告悔の秘蹟を受けられなかった魂は「煉獄」へ落とされる。
そして、そこで長い苦役を経て魂の浄化を済ませなければ天国へは昇れない、そう信じられていた。
しかし十字軍の戦士は、戦いに参加するだけで現世の罪を償うことが出来る。
もし志し半ばで死んでも、魂は煉獄に落ちることも地獄にも落ちることもない。天に召されると決まっている。
もちろん、十字軍開始を宣言できるのはこの世で唯一人、教皇のみだ。
「モンテヴェルデの人々よ。教会の忠実なる僕たちよ。シクストゥス四世猊下は仰られた。
『トルコ人たちに今こそ筆誅を加えるときである』と。
それゆえ、猊下はイタリア半島のポテンターティ(列強)に和平と団結を呼びかけられた。
ヴェネツィアとミラノに友情を蘇らせ、フィレンツェとナポリを再び兄弟の絆で結ぶべきである、と。
そして、共に神の敵と戦うのだ――僕たちよ、今こそ神の力を示すときである!
神よ、あなたの忠勇なる尖兵、モンテヴェルデの人々に祝福を与えたまえ。アーメン」
「アーメン」
再び一同は声をそろえた。
その声は静かで、低い呟きの集まりであったけれど、その内にこもる熱気は隠せなかった。
神の戦士、十字軍。その響きが、多くの人の復讐心に火を点していた。
これまで無数の人間がこの言葉に煽られ、無為に命を散らしたことなど、彼らは知るはずもない。
――ヒルダが大聖堂を出ると、ミサの終わりを待ちかねたように大勢の貧者が集まっていた。
大聖堂前の広場に繋いだ愛馬に跨り、無数の臣民に見守られつつ城への道を戻る。
前後を騎乗した兵士が守っているが、そのせいで余計人目を引き、道は貧者で溢れた。
何しろ行列の主は大公息女。「施し」も期待できるというものだ。
貧者への施し――それは教会が富者に「天国への道」として熱心に説いていることだった。
曰く、「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」。
ヒルダの馬に近づこうとする人々を護衛が遮る。
それでもひるむことなく無数の手が伸びるのを見て、ヒルダはステラにちょっとうなづいた。
ステラはそれだけで女主人の意思を悟る。
腰から財布を外し、伸びる汚れた手に銅貨を握らせていく。
受け取った人々の反応はそれほど多様ではない。
その場ですばやく襤褸の中に金を隠し、足早に去る者。
感謝の気持ちを伝えるためか、ヒルダに十字を切り、大地に身を投げ出してみせる者。
すでに金を受け取っているのに、さらに手を伸ばす者。
やがて、乞食同士の喧嘩が始まった。
自分の金を取ったの取らないのという、ありがちなものだ。
そういった諍いは富者には関係ない。重要なのは「施しをした」という行為であり結果ではない。
ステラも個々の感謝や不正には、ほとんど関心を払わないことにしていた。
ヒルデガルトが市中に出かけるたびにこういった騒ぎが繰り返されるから、珍しくもない。
――貧者もまた、農民や騎士と同じく神が定めた身分。
中には分をわきまえない強欲な者や「偽の貧者」もいるだろうが、それは神がまた改めて罰するだろう――
貴族たちの考えは大抵そのようなものだった。
しかし、ヒルデガルトは違った。
一枚の貨幣を巡って口汚く罵りあう自分の民を、馬上から悲しそうに見つめるのが常だった。
その視線の意味もまた、ステラにはよく分かっている。
だから彼女は、何も言われなくとも護衛兵に争いの仲裁を頼むのだった。
こんな有様だから、一人だけ他と違う動きをする男にステラはすぐ気づいた。
黙って行列に従い、汚れたフードの奥から鋭い視線を投げかけてくる。
周りの人間たちが金を受け取ろうと必死に手を差し伸べるのに、この男はそれすらしなかった。
ちらちらと目を向けるが、貧者の癖にまるで物怖じしたところがない。
初めてステラは、自分から動いた。
一枚銅貨を握ると、男に向かい拳を突きつけた。
だが、やはり受け取ろうとしない。
少し苛立ち、ステラは彼の方に少し近づく。金を握った手をもう一度男に向ける。
その時、彼が初めてステラの手を握り、自分へと引き寄せた。
不意をつかれ、よろける。
「……姫様にお伝えを。『追放された騎士見習いから伝言がある、聖ニィロ教会を尋ねよ』と」
「何ですって?」
だが、ステラが聞き返したときには、もう男は人ごみの中に消えていた。
2.
二日後、ヒルデガルトはステラと僅かな護衛だけをつれて、聖ニィロ教会へと向かっていた。
それは、城下町から内陸へ少し入った、小高い丘の上に建つ小さな教会である。
モンテヴェルデで最も古い教会で、大公家の人々は全てここに眠っている。
もちろん、ヒルダの実の父母の墓もある。
それゆえ、ヒルデガルトがほとんど供も連れずここを訪れるのは、さほど不自然ではなかった。
今日も、表向きは海戦の犠牲者の冥福を祈るための訪問ということになっていた。
代々、大公家の人々は何か重大な事件があると、この教会で密やかに祈りを捧げてきた。
ヒルダもたびたび訪れている。
幼い頃死別し、もはや顔も定かでない父母だが、その言葉は忘れたことはない。
――強くあれ。常に家臣の規範たれ。
墓の前に跪くたび、蘇る両親の言葉。久しぶりの墓参は、ヒルダの心を慰めてくれるだろうか?
馬で二時間ほどの道をゆっくりと進む。
三月も半ばに入り、農村は冬から春へ、少しずつ活気を取り戻しているようだった。
道の両側には貴族の荘園が広がり、小作農が土起こしに精を出している。
だが、その中に男――とくに若者や働き盛りの父親の姿が少ないことに、ヒルダは気づいていた。
「これほどとは……」
誰に言うともなく、呟く。
貴族たちは無関心だが、今年を乗り切れない農民も多いだろう。
税を納めれば、食い扶持どころか、来年蒔く種すら残らないのではないか。
飢え死にしたくなければ、村を捨て流民になるしかないだろう。
一家の大黒柱や息子を失った家庭の行く末を考え、ヒルダは言葉を失った。
それは、城の会議で交わされる言葉や数字からは決して感じることの出来ない現実だった。
いま、大公の立場は明らかに悪い。
民を戦の犠牲にし、乏しい国庫から金を搾り出すようにして作り上げた艦隊は鎧袖一触で蹴散らされた。
先のミサでわざわざローマから枢機卿を招いたのも、その威光で不満を押さえ込もうという意図があった。
しかし、ローマ教皇庁の権威を借りたことが、大公にさらに難しい選択を迫る結果となっていた。
ジュリアーノ枢機卿は、教皇シクストゥス四世の弟である。彼はいわば教皇の代弁者だ。
その彼から、モンテヴェルデ公国の戦いは十字軍とみなす言葉を得た。
そして、シクストゥス四世はさらなる聖戦を呼びかけている。
それはつまり、否応無しに公国が異教徒トルコ人との戦争の矢面に立つことを意味した。
先の海戦は、戦いの終わりではない。始まりなのだ。
だが、宗教で腹は膨れない。
家臣は貴重な労働力を奪われたことを不満に思い、市民は家族を失った悲しみを大公への怒りに変えていた。
その全てをオスマントルコへの憎しみと十字軍への熱意に転化することは到底出来ないだろう。
民衆の不満と不安を裏付けるように、近頃モンテヴェルデ城下に異様な集団が姿を現すようになっていた。
襤褸をまとい街路をさまよい、自らを鞭打ちながら祈りの文句を唱える人々。
「悔い改めよ」と叫ぶ彼らは、「鞭打ち教団」と呼ばれている。
約百年前、黒死病によって欧州が人口の三分の一を失った頃、各地に出現した集団である。
現世の苦しみを神の怒りと捉え、財産と故郷を捨て、苦行と祈りの生活を送ることを旨としていた。
平和であれば彼らの主張に耳を貸す者も少ない。
事実、黒死病の猛威が衰えると、盛時は数万を数えた彼らもいつしか姿を消していった。
だが、平和と戦乱が頻繁に入れ替わる時代、彼ら「鞭打ち教団」は何度廃れても不死鳥のように蘇った。
不安と絶望こそ、彼らの糧であった。
かすかに温かみを帯びてきた風を受けながら、ヒルダたちはゆっくりと丘を登っていく。
やがて森の向こうに灰色の石の塊が見えてきた。
枯れ草色の中に小さな聖ニィロ教会がぽつんと建っている。
周囲には一軒の民家もなく、振り返ってもすでに働く農民たちの姿も見えない。
まさに俗世からは切り離された場所だ。だが、魂が永遠の安息を得るにはふさわしいかもしれない。
馬を教会のそばに止め、ヒルダとステラは建物の中に入る。
小さな教会ではあったが、それでも大公家の墓所ゆえ、内部は豪奢だった。
色とりどりのガラスをちりばめた薔薇窓は大聖堂にも劣らぬものだ。
聖人たちを描いたモザイクには金や高価な色石がふんだんに使われている。
内部を照らす燭台すら銀で作られており、所々に宝玉が嵌めこまれていた。
代々大公家が寄進してきた土地のおかげである。
迎えにたった司祭との会話もそこそこに、ヒルダは礼拝堂に向かう。
教会の壁龕に設えられた、モンテヴェルデ家の私的な所有物だ。
ステラは扉の外に待たせ、一人で中に入る。
正面には祭壇があり、黄金の十字架と、大理石で作られたキリスト像が飾られている。
左右の壁には大きな宗教画が掛けられている。聖ゲオルギウスの竜退治と、十戒を受けるモーゼ。
どちらもヴェネツィアから招いた画家に描かせたものだ。
上部に設けられた小さな窓は、これらをぼんやりと照らし出している。
祭壇の蝋燭は部屋全体を照らすには不足だったが、それがかえって厳粛な空気を作り出していた。
3.
突然、暗闇の中から誰かが飛びかかってきた。
反射的にヒルデガルトはそちらに手を伸ばし、相手の衣を掴むと、力いっぱい引き付ける。
倒れこむ相手を、沈み込むように体を曲げて背中に乗せる。
そして腕を軸にしてそれを床に叩きつけた。
全てが一瞬だった。
次の瞬間には、ヒルダは抜いた短剣を曲者の首筋に突きつけていた。
「お、お見事……!」
ヒルダに締め上げられ、苦しそうに息をする。その声は男のものだった。
改めてヒルダは組み伏せた男を観察する。
農奴のようだったが、首には木製の小さなロザリオをかけている。あるいは寺男かもしれない。
「失礼しました。しかし、お許しください。私の命を狙う刺客の可能性があったものですから」
男の顔を覆うフードを、ヒルダは荒っぽく剥ぎ取る。
現れたのは、まだ少年と言っていいほどの顔だった。僅かな無精髭が、若い印象を逆に強める。
「私の名は――」
「お前の顔、見覚えがあります」
ヒルダの力が緩んだ。手を放し、ゆっくりと立ち上がる。だが、短剣はまだ男の方を向いたままだ。
「城の衛兵だった者でしょう。確か名前は……ルカ。エンリーコの息子のルカ」
「さすが、姫さま」
ルカは締め付けられた首筋を撫でながら立ち上がった。
それはアルフレドに法を破って馬上槍試合に出る話を持ちかけた、あの少年だった。
「重ねてお詫びいたします。まさか姫さまお一人で入ってこられるとは思いませんでしたから」
「それはもう結構。ところで、先日のミサの折、私の侍女に話しかけたのはお前ですね?」
ヒルダは頭を下げるルカに歩み寄る。短剣は既に鞘に戻っていた。
「はい。どうしてもヒルダさまに言伝をすると約束いたしましたので」
「……追放された騎士見習いと、ですか」
ルカはもう一度うなづいた。
ヒルデガルトが後ずさる。気持ちを落ち着かせるように一つ大きく息をした。
その動揺は、この薄暗がりの中ですら、ルカにもはっきりと分かった。
小さく祈りの言葉を呟き、十字を切る姫の姿に、ルカはあえて目をつぶった。
あの騎士見習いと姫の間に何があるのか、彼はまだ知らない。
「彼からの伝言です。『誓いを守れなくてすまない』と」
「…………それだけ?」
「はい」
ヒルデガルトはうつむいた。
少女の落胆は、痛々しいほどだった。
おそらく、彼女は知りたかったのだろう。少なくとも彼がどこかで生きているということを。
もちろん、ルカもそう信じている。
だが、嘘をついてまでヒルダを慰めることもまたアルへの裏切りのように思えた。
「残念ながら、いま彼がどこでどうしているのか、それは私にも分かりません。
彼とは追放の日に会ったきりですし、私自身、身を隠さねばなりませんでしたから」
「どういうこと? 先ほどからお前は、自分の命が狙われることばかり心配している」
凛とした声が戻り、少女は再び背を伸ばした。
先ほどまでの、打ちひしがれた様子は微塵も感じさせない。
ルカの脳裏に、兵士として城に仕えていた頃の思い出がよみがえる。
練兵場で整列し、公国への忠誠を誓ったときのことを。
高慢と思えるほど無表情に、兵士たちを見下ろす姫を見たとき、ルカは「弱い女だ」と思った。
彼女は自分がどれほど弱いか知っている。だからこそ、まるで鋼のように強い自分を演じているのだ。
だが、鋼は力を入れすぎればあっけなく折れる。
今目の前にいる少女も、必死で折られまいと突っ張る鋼のように見えた。
「姫さま。ジャンカルロ伯にはお気をつけを」
ヒルダの問いかけには直接答えず、ルカは彼女の耳元に口を近づけた。
「アルフレドを追放したのは伯爵の企みです。私もその先棒を担いだ。彼に槍試合に出るよう勧めたのです」
そう言うと、ルカはさっと後ろに下がり、頭を垂れた。ヒルダの怒りを予想しながら。
だが、案に相違して、ヒルダの声は穏やかだった。
「……今は……今はあなたに恨み言は言いません」
「姫さま」
ぎゅっと手を握るヒルダは、必死に涙をせき止めているようにも見えた。
だが、それを見届けるのは忍びなく、ルカは目をそらす。
「ジャンカルロの目的はアルフレドではなく……その先にあるのは姫さま、あなたです」
答えはなかった。
涙声になるのを、必死に隠そうとしているのか、ヒルダが何度も鼻をすする音がした。
咳払いのあと、搾り出すような声がした。
「……ジャンカルロの企みの先にあるのは『私』……。やはり、彼の望みはこの国……?」
「たぶん」
ジャンカルロは、明らかに今の大公マッシミリアーノにいい感情を持っていない。
もともとマッシミリアーノは「公国の八大伯」筆頭であった。
大公家の男児が絶えたため、大公家長女と結婚していた彼が、暫定的に大公位についたに過ぎない。
つまり、マッシミリアーノとジャンカルロは、本来同格だった。
ヒルダはずっと、伯爵はマッシミリアーノの一族による大公位の継承を妨げたいだけだと思っていた。
それならば、彼がアルフレドを追放したとしても不思議ではない。
――だが、彼の本当の野心が大公位そのものにあるとしたら、正統の血を引くヒルダはどうなってしまうのか。
いや、現大公と家臣筆頭の後継争いとなれば、それは内乱ではないか。
「戦になるでしょう」
ルカはふと遠い目をした。
最下級とは言え、彼も兵士だった。今回の海戦、そして十字軍宣言が何を意味しているのかは分かっている。
その預言者のような呟きに、ヒルダは何か言い知れない不気味さを感じた。
「異教徒との戦、そして――大公陛下と伯爵閣下の戦になるのでしょうね」
ヒルダはその予言を引き継いだ。
あまりに暗い未来図だ。
はたして今、この国の貴族たちが一致団結し、トルコとの困難な戦を戦うことが出来るだろうか?
いや、この機会に自らの勢力を拡大せんと、謀議を繰り返し、他国と結ぶ……そんな者ばかりではないか。
ヒルダはこの「ゲーム」で、一つの駒として使われてしまうのだろう。
それは全くおぞましいことだった。
はるか昔、ローマの豪族までさかのぼれる一族の末裔として、ヒルダにはこの国を守る義務がある。
それは彼女にとって、義務というより生来の権利とすら思える事柄だった。
だがルカの未来図は、ヒルダの想像を超えていた。
「いまや評議会も大公陛下に刃向かい、ジャンカルロ伯の言いなりと聞きます。
ならば伯爵は国の守りを裸にすることも、トルコとの戦のさなかに背後から匕首で刺すことも出来ましょう。
あなたを殺し、自ら大公に推戴されることだって出来る――姫さま、あなたを」
「まさか……まさか、そんなこと!」
「驚くようなことではないでしょう。王位を欲する家臣がすることと言えば、君主の謀殺、それ以外なにがあります?」
ルカは無学な職人の子だ。
ローマ帝国を滅ぼした傭兵オドアケルのことも、近年ミラノ公国が僭主に乗っ取られたことも知らない。
それでも、貴族の陰謀の狭間で糊口をしのいできた彼にとって、それは容易に想像できることだった。
だからこそ、生粋の「青い血」の持ち主であるこの少女には、信じられない。
血の正当性が暴力で否定されることなど、考えたこともないのだ。
「私を殺せば、この国を治める権威は……この国を引き継ぐ正当性は……なくなるのですよ?」
「そんなもの、どうとでもなります。あなたが死んでも土地は、民は残る。
民草は噂していますよ。『ヒルダさまはただの人形、次の大公はジャンカルロさまになるのだろう』とね」
「ぶ、無礼な! たかが……たかが兵卒崩れのくせに!」
必死で否定しようと、ヒルダはさらに声を荒げる。
ヒルダの不遜な発言にも、ルカは冷静だった。貴族に嘲笑されるのは慣れている。
それに、今のヒルダは普段の彼女ではないことは分かっていた。アルという支えを失ったばかりなのだ。
「兵卒だから、分かるんです。国なんて単なる入れ物。大公家なんて、帽子の飾りみたいなもんです」
ルカの言葉は静かだった。必死で否定するヒルダの言葉を、一刀両断に斬って捨てる。
そして、彼女の顔にずいっと自分の顔を近づけた。
視線が交わる。
「姫さま、あなたはモンテヴェルデという国が、まるで大地みたいに絶対壊れないものだと思っておられる。
でも、違うんです。永遠にそびえているようなあの城も、町も、みんな俺たちが作ったものだ。
平民どもはそんなこと百も承知なんですよ。大公家だって、いつかは死に絶えるってね。
あなたもアルフレドも、あの城の城壁の中で、何も見ずに生きてきた。
あの石の中にいては分からないこともたくさんあるんですよ、世の中には。
きっとアルは今頃それを思い知らされているでしょう……生きていれば、ですが」
「黙りなさい!」
ヒルダの平手打ちが、ルカの言葉を遮った。
礼拝堂に、沈黙が戻る。
「下がれ! 下がりなさい……!」
取り乱すヒルダを、ルカはじっと見つめている。頬の痛みも気にならないかのように。
絶え絶えの息の間から、ヒルダのか細い声がした。
「下がりなさい…………お願い、下がって」
そこで初めてルカはすっと体を引いた。それは城の忠実な兵士の動きだった。
目をそむけるヒルダに、ルカは深く体を折り曲げて見せる。
「私は、この教会で寺男をしております。もし御用があれば、いつでもどうぞ」
そう告げると、彼の姿は礼拝堂から消えた。
入れ替わるように、ステラが入ってくる。
「姫さま……?」
部屋の真ん中にうずくまるヒルデガルトに、ステラは慌てて駆け寄る。
そっと手を当てた、その背中は震えていた。
「アルフレド……」
途切れ途切れの嗚咽が漏れた。
「ばか……アルの……」
ステラにも聞きとがめられないように、小さな声で呟く。
優しい侍女の手のぬくもりすら、いまのヒルダにはあまりに遠い。
もし彼がここにいてくれれば、それだけでヒルダは強くなれるというのに。
初めてヒルダは恐怖を感じた。
それは、国を失うとか、そういったものではない。
生死に関わる、本能的な恐怖。
ただ、アルフレドに傍にいて欲しかった。
(ステラに弱い顔は見せてはいけない。立ち上がったときは、いつもの私じゃないといけない)
それは貴族としての、統治者としての誇りだった。
たとえ臣民から人形と嘲られようと、その決意を失うわけにはいかなかった。
それを失えば、ヒルデガルトという少女は本当に人形になってしまうのだから。
(強くあれ。常に家臣の規範たれ)
ヒルダは、それを何ども口の中で繰り返していた。
(続く)
>>259-265 乙&GJです!
いつもながら読みやすい文章で感服です。
冒頭にあった、大聖堂の美しさの表現がすばらしく、情景が目に浮かびました。
そしてルカに強がってみせるヒルダ姫にこっそりと萌え。
書き忘れ。
次回の投下も楽しみにしております。
神降臨
いや、再臨か
古代中国もの投下します。
270 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 19:58:58 ID:f522tJLJ
伍子胥は楚の人である。名は員。生年ははっきりしない。
時は紀元前五百年ころ。中国は春秋時代にあたり、
諸国が大小に分かれて覇を競っていたころであった。
ちょうどこのころ、中原の魯国では孔子が活躍している。
伍子胥の祖先は伍挙という。楚の王に仕え、直言を以って知られた人である。
因って楚の名族であった。
父の名を伍奢といい、兄の名を伍尚といった。
伍奢楚の平王の太子建の太傅をしていた。
伍子胥は気の強い男であった。若いころから活発で、
武芸を好み、山野を駆け巡っていた。
同じ兄の尚は大人しい気質で、よく伍子胥は父を悩ませていたくらいだ。
青年となった伍子胥は中肉中背で、目は鋭く輝き、
眉は吊り上り、意思の強そうな面構えをしていた。
親友に申包胥という男がある。
忠義の心の強い青年でよく伍子胥と交わりを結んだ。
さて、平王の太子は名を建といったが、彼に仕える少傅(副侍従)を費無忌といった。
この男は人物が小さく、欲深で、しかも狡猾であった。
ある時、費無忌は嫁探しの使者として秦の国を訪れた。
そこで秦王の娘を太子の后に連れて帰るが、公女は絶世の美女であった。
そこで費無忌は奸智を働かせ、平王に復命した。
「秦女は美女です。陛下がこれをおとりくだされ。太子には別の女子をあてればよろしいでしょう」
平王が見ると、果たして公女は美女であった。
彼は公女を娶り、これをはなはだ寵愛するようになった。
その功績で費無忌は平王に取り入り、出世するようになった。
271 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 19:59:59 ID:f522tJLJ
こうなれば恐ろしいのは太子の建である。
いずれ平王は死ぬ。そうなれば王となった太子が自分を殺すのは目に見えていた。
そこで費無忌は事あるごとに建の悪口を吹き込んだ。
「太子は暗愚です。とても国を継ぐに値しません」
王は次第に太子を疎んずるようになった。建の母は小国・蔡の女である。
平王は元々この女を寵愛していなかった。
ついに王は太子を辺境の城父の地に左遷した。
伍奢一家もお供をして城父に赴いた。
費無忌はさらに讒言した。
「太子は兵を集め、諸国と交わり、陰謀をたくらんでいます。今の内に手を打たねば厄介です」
平王は激怒し、伍奢を呼び寄せた。そして厳しく尋問した。
「貴様は太子が謀反をたくらんでおるのに、なぜ報告しなかった。貴様も賊臣か!!」
伍奢は悲しそうにいった。
「陛下はなぜ奸佞の小人物の言葉に惑わされて、大切なお身内を疑うのですか」
「へ、陛下!こやつも謀反に加担しているに違いありませんぞ!!」
平王は伍奢の言うことに耳をかさなかった。
司馬(軍司令官)の奮揚に命じて建を殺しに行かせた。
奮揚は途中で建に急を告げた。建は宋国に亡命した。
平王は秦女の産んだ軫を代わりに太子に立てた。昭王である。
これで邪魔者を葬った費無忌であったが、こうなると気になるのは伍一家であった。
「陛下、伍奢の息子は二人とも聡明で、生かしておけば後々災いとなります。
伍奢を人質におびき寄せて、まとめて殺してしまいましょう」
果たして、使者が城父に飛んだ。
「何ゆえでございますか、兄上!!」
伍子胥は悲痛な声で叫んだ。
「王は我々父子を生かしておくつもりなどありませぬ。行かば父子ともに殺されるだけです!」
伍尚は静かに口を開いた。
「員よ、それは俺も分かっている。だが考えてみろ。
ここで逃げて父上を死なせては、我々は不孝者として天下の笑い者になるだけではないか。
員よ、お前は才能がある。逃げて我々の仇を討ってくれ。
俺は郢に行き、死ぬ。お前は生きるんだ」
兄も泣いていた。
伍子胥は剣と弓を手に立ち去った。
「まて、逆賊!!」
そこへ平王の手先が襲ってくる。
伍子胥は弓を構えた。
「この奸臣の手先め、死ね!!」
兵は散々に逃げ出した。
伍尚は楚の首都に出頭した。平王は即刻伍奢と伍尚を処刑した。
272 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 20:01:31 ID:f522tJLJ
伍子胥は初め建の後を追い、宋国に向かった。
だが、宋では内乱が起こり、どさくさの内に建は殺されてしまった。
伍子胥は一人、呉の国を目指した。
呉は今の浙江省にある新興国である。
呉の祖先は周王室につながる太伯であり、姫を姓といしていた。
元は野蛮国であったがようやく力を顕わし、しばしば楚の国境を犯していた。
伍子胥は呉の国を利用し、楚に復讐するつもりであったのだ。
だが、旅は困難を極めた。途中で何度も行き倒れになりかかり、
疫病で寝込んだ事もあった。そんなとき、伍子胥は申包胥のことを思い出した。
伍子胥が楚から遁れるとき、ばったり申包胥と出くわした。
申包胥は悲しそうな顔をしていた。
「行くのか、子胥よ」
「ああ、 包胥、俺は行く。そして必ず平王を殺してみせる」
申包胥は決然とした面持ちで言った。
「子胥よ、ならば俺は必ず楚を守ってみせる!」
ある城市で伍子胥は役人に捕まりそうになった。
「待て!!」
髭をはやした兵隊が伍子胥をつかまえる。
「貴様は手配書にある伍子胥だな。逮捕する!」
平王は伍子胥の首に多額の懸賞金をかけていたのだ。
「やってみるがいいさ」
伍子胥は不敵に笑った。
「俺がなぜ追われているか知っているか?俺は高価な宝石を王から盗み出したのだ。
俺が捕まれば、みなに『この男が宝石を飲み込んでしまいました』と告げるぞ。
王はお前の腹をどうするかな」
「あわわ……」
伍子胥は逃げ出すことに成功した。
伍子胥は昭関までたどりついた。
追っ手はあとからついてくる。
長江の河岸につくと、一人の漁夫が釣りをしていた。純朴そうな男である。
伍子胥は彼に舟を渡してもらった。
果たして長江を渡り切ることができた。
伍子胥は漁夫をかえりみると、腰の剣をはずしていった。
「この剣は百金の値打ちがある。君が取れ」
漁夫はわずかな微笑を浮かべるばかりだ。
「知っていますか?楚ではお尋ね者の伍子胥を捕らえたものには、
粟五万石をたまわり、執珪(貴族)の位を与えるという御触れです。
百金の剣なんて、いまさら要らないんですよ」
伍子胥はただ深くこうべを垂れた。
273 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 20:02:45 ID:f522tJLJ
伍子胥は公子光を頼って、呉王僚に目通りを願いでた。呉王僚五年(紀元前552年)のことだ。
「陛下、平王は無道であり、国は乱れております。楚を打ち破ることは可能です。
どうか公子殿下に楚を伐つようお命じください」
だが、公子光は首を横に振った。
後々いう。
「伍子胥は父と兄を殺されて、楚を憎んでおります。口車に乗せられて兵を動かしてはなりません」
そういいながら、公子光は伍子胥を厚遇した。伍子胥は不思議に思った。
あるとき、公子光は伍子胥を連れて園遊にでかけた。そこでぽつりと漏らした。
「この国の王位、おかしいと思わぬか?」
そもそも、呉の始祖は周の太王古公亶父の長男太伯である。
次弟を仲擁、末弟を季歴といった。
太王は季歴の息子の昌に聖王の資質を見出し、王位を
継がせたいと思ったが、兄二人を差し置いて末子の季歴に
王位を継がせるわけにはいかなかった。
父の意中を察した長男太伯と次弟を仲擁は季歴に王位を継がせるために
南方の地へ旅立ち、刑蛮の地に呉の基を築いた。
太伯から十九代目が寿夢である。
寿夢には四人の息子があり、末子の季札が最も人望があり、
寿夢は季札に国政を代行させようとしたが、季札は受けなかった。
寿夢が亡くなり、長子の諸樊は先王の望みに従って、
季札に王位を継がせようとしたが、季札は固辞し、野に下って農耕に勤しんだ。
そこで諸樊は王位を順に弟に継がせて、季札に回そうとした。
諸樊が十三年、次弟が十七年、三弟夷昧が四年で、
季札の番が回ってきたが、季札はまたも固辞したので、先王夷昧の息子の僚が呉王を継いだ。
公子光は、王僚のいとこであり、季札に継がせるために、あえて太子を立てなかった王諸樊の息子であった。
(そうか。この人は王位につけなかったことに不満があるのだな。
自分が呉王になろうという大きな野心があり、そこで国外のことに目が向いていないのだな)
そう悟った伍子胥は深く考え、策をめぐらした。
そして楚の街を広く渉猟した。そこで専諸という男を見つけ出した。
専諸は貧しい家に老母を抱えた男だったが、義理堅く、勇気があった。
伍子胥は専諸と深く交わりを結んだ。そして彼を公子光に推薦した。
公子光はにっこりと笑って専諸を舎人に任じた。
それから五年間、伍子胥は野に下り、田を耕して暮らした。
(続く)
274 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 21:08:49 ID:f522tJLJ
伍子胥は歯がゆかった。一刻も早く、呉兵を率い、楚を荒らしまわり、平王の首級を挙げたかった。
そんなとき、楚から知らせが届いた。平王が崩御したというのである。
「そ、そんな……」
伍子胥の手から鍬が落ちる。
伍子胥は父と兄が死んでから、ただ平王を殺すことだけを考えて今日まで生きてきた。
そのためだけに生きてきた。生き恥をさらしていた。
それなのに父と兄の仇も討てず、楚王に死なれたのでは、自分は天下の笑い者ではないか。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
伍子胥は天を衝いて号泣した。ひたすら泣き続けた。
「父上、兄上、お許しください。員は父上と兄上の仇も討てず、
平王を死なせてしまいました。もう生きている価値もありません。後をお追いします」
伍子胥は剣を手に取った。そのとき伍子胥の脳裏にあることが閃いた。
(――生きている)
(まだあの男の息子は生きている)
(殺してやる――)
「俺は楚を滅ぼすまで死なぬぞ!必ず仇を討ってみせる!!」
275 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 21:09:22 ID:f522tJLJ
呉王僚十三年(紀元前514年)、楚の平王は没し、呉王僚は楚の喪につけ込んで、公子の燭庸と
蓋余に楚を攻めさせた。楚は兵を発して呉軍の退路を断ち、呉軍は帰国出来なくなった。
呉の国内が空になったのを利用して、公子光はついに野心を実現に移そうとしたのだ。
「陛下、外征がうまくいかず御気分がすぐれぬご様子。臣の屋敷で宴会を開きますので、
どうかお越しください」
公子光はこううまく王に奏上すると、王も宴会に出向くことになった。
勿論、その席上で王を暗殺するつもりなのである。
だが、王も用心深かった。宮殿から光の屋敷までびっしりと兵を並べ、
装甲を着込み、自分の左右には腕利きの剣士を配した。
さて、宴もたけなわの折り、光は「足が痛い」と詐って地下室に向かった。
地下室には武装兵が待機している。中には専諸の姿があった。
「専諸。やってくれるか」
「お任せください。殿下。今こそ御恩に報いるときです」
専諸は魚料理を王の面前にまで運んだ。魚の中には魚腸という特別鋭い匕首が忍ばせてある。
専諸は魚腸を抜き出し、王を刺した。
「あっ!!」
匕首が王の腹に刺さるのと、両脇の剣士が専諸に斬撃を繰り出すのは同時であった。
専諸は致命傷を負い、絶命した。だが、王も息絶えた。
光は武装兵を繰り出すと、王の側近を次々と虐殺した。
そして宮廷に乗り込み、王位を宣した。呉王闔廬である。
呉王となった闔廬は伍子胥を行人(賓客を司り、諸侯国へ使いする官)として、ともに国事を謀った。
そのころ、兵法家として有名な孫武が来客し、闔廬に仕える事となった。
彼は後に世に知られた兵法書「孫子」を著すことになる。
楚では大臣の伯州犂が誅殺され、孫の伯ヒが呉へ亡命してきた。呉王闔廬は伯ヒも大夫とした。
276 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 21:13:17 ID:f522tJLJ
呉王闔廬三年(紀元前512年)、呉王闔廬は、伍子胥・孫武・伯ヒと共に楚を攻め、舒を奪った。
四年、また楚を伐って、六とセンという地を取り、六年には、攻めてきた楚の公子嚢瓦の軍を伍子胥が迎撃し、
逆に大勝利を収め、楚の居巣を占領した。
呉王闔廬九年。
闔廬は伍子胥と孫武に諮問した。
「先に楚を破ったとき、わしが郢を急襲してはどうかと聞いたが、
そなたたちは時期尚早だといったな。今はどうじゃ」
「はい、陛下。今は天の時も熟しています。今こそ楚を奪うときです」と伍子胥。
「陛下、楚の公子嚢瓦は貪欲ものにして、唐と蔡の二国は彼を憎んでいます。
この二国を味方につければ勝利は疑いありません」と孫武。
「うむ、いよいよ楚を滅ぼすときじゃ」
闔廬は立ち上がった。
伍子胥はふと自分の人生を思い起こす。
(俺も老いた――)
気がつくと自分はもう壮年といっていい年を過ぎた。
いつの間にか息子もできた。呉の女を娶ったのだ。
(だが、まだだ。楚を滅ぼさぬうちに、俺は老いさらばえない)
闔廬は呉国の全軍を動かした。唐と蔡の二国も呉に味方した。
呉軍と楚軍は漢水を挟んで対峙し、決戦の結果、呉は大いに楚を打ち破った。
呉軍は五度合戦し、五度楚を破った。
そしていよいよ楚の首都郢に迫り、ついにこれを攻略した。呉王闔廬九年(紀元前506年)、
十一月のことである。
昭王は雲夢の沼沢地に逃げ込んだ。
277 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 21:14:23 ID:f522tJLJ
(どこだ、どこだ――?)
伍子胥は兵を率い、郢の市街を探し回った。
あちこちの家屋に侵入し、昭王がどこかに隠れてはいないかと探しつくす。
だが、どうしても昭王をみつけることができない。
(あと一歩だ、あと一歩だというのに――)
伍子胥は歯噛みした。
兵士が報じた。
「申し上げます。閣下、平王の墳墓を発見しました」
「何――?」
兵士はここに昭王がいないかと、平王の墳墓を探索したのだ。
「残念ながら楚王は発見できませんでしたが――」
「どけ!!」
伍子胥は猛進した。
「これが、あの昏君の墓か……」
平王の墳墓を前にする伍子胥。
「あの、閣下、どうなさるおつもりですか?」
「あばけ!」
伍子胥は命じた。
「平王の墓をあばき、中から平王の棺をひっぱりだしてこい!!」
やがて目の前に平王の棺がかつぎこまれる。
兵士たちは困惑している。
「あの、閣下、これをどうしようというので……」
「棺をあけよ」
「え、そんな……」
「いいからあけよ!!」
「ひっ!!」
伍子胥は怒号した。
棺が開けられる。中から白骨化した遺体があらわになった。
(平王――!!)
当惑する兵士たちをよそに伍子胥は鞭をもってこさせるように命じる。
鞭を手に取ると、なんと、伍子胥は平王の遺体に鞭を振り下ろした。
「どうだ!!平王!!父上と兄上の仇だあああっ!!苦しめええええええっ!!」
伍子胥は凄まじい勢いで鞭を振りかざす。たちまち白骨が砕け散っていく。
「ひえええ……」
伍子胥のあまりの剣幕に兵士たちは腰を抜かすが、伍子胥はかまわず鞭を振りつづける。
やがて三百発も鞭打った。平王の遺体はばらばらに砕けて無残きわまりない。
「はあ、はあ……」
伍子胥は息をついた。
(父上、兄上、員はいま仇を討てました……)
伍子胥は涙を流した。
(続く)
278 :
伍子胥烈記:2006/01/15(日) 22:37:14 ID:f522tJLJ
この報を聞いた男がいる。例の伍子胥の親友――申包胥だ。
申包胥は深く憤った。
「子胥の気持ちも分かる。だが、あまりにも酷すぎないか。
いくら仇とて一度は仕えた王にこのような仕打ちを加えるとは無道がすぎるではないか」
そう思い、使者をつかわして伍子胥を難詰した。
伍子胥はこういった。
「包胥に伝えてやれ。――日暮れて途遠し。倒行して逆施するのみ」
(もう時間がないのだ。だから常識を破る行いをやった)
申包胥は亡国の危機に深く感じるところがあり、ひとり秦まで馳せ参じた。
秦公に救援を求めるつもりなのだ。
だが、秦の哀公はつめたかった。
「楚は無道の国。この度のこともその結末よ。無道の国を助けては、
寡人が笑われる。使者には援軍はだせぬと伝えよ」
申包胥は泣いた。宮廷の庭で泣き続けた。
なんと、その長さ、七日七晩も泣き続けたのである。
「陛下。あの使者は泣き叫びつづけてもう七日七晩になります。
食事もとらず、眠りもせず、もう死ぬのではないですか」
「ふうむ。あのような忠臣がおるとはのう。天がまだ楚を見捨てぬ証拠か」
果たして秦公は兵車五百乗の援兵をだした。
「陛下、大変でございます!!」
呉王闔廬の幕舎に急使が入った。
「なに、越が侵略してきたじゃと!!」
知らせとは隣国の越が留守を衝いて侵入してきたというのである。
越は呉の南方にある国である。今の浙江省の紹興市あたりにあった。
越の祖は夏の帝少康の庶子で、会稽に封ぜられ、南方の夷狄の風習に従って文身をし、
髪を切り、荒地を開拓して村落をつくった――これが越の始まりとされる。
史記の記述は、「二十余世たって允常にいたった」とある。
南方の野蛮国であり死をも恐れぬ勇敢な戦士を抱える部族国家である。
仕方なく、呉は兵力の半分を割いて本国の救援に向かわせた。
そのとき秦の援軍が到着した。
呉軍は稷の地で秦軍に一敗地にまみれた。
悪い事はたてつづけに起こるものである。
呉王の弟・夫概はこの隙をついて帰国し、呉王を名乗った。
闔廬は遠征を中止せざるを得なくなった。
「すまぬ、伍子胥よ。そなたには仇の昭王を討たせてやりたかったのじゃが。こらえてくれ」
「陛下、私の気持ちはもう十分はれました。今は急いで謀反人を討ちましょう」
こうして呉軍は楚から撤退した。夫概は破れ、楚に奔った。
戦いは終わったのである。
(続く)
この後は呉越争覇の予定です。伍子胥の活躍に期待してください。
280 :
221:2006/01/18(水) 09:41:53 ID:hy1VAght
何となく続き書いてみた。
『やべーさみー。雪ちらついてるし…。
槍が降っても止まらない京急沿線の学校でよかったと痛感する今日この頃。
赤い電車って色からして暖かい!
そして普通電車で帰宅の途。』
訳のわからぬメールを、何となく送ってみる。
俺の友人は、ノリの良い奴が多い。こんなメールにも、すぐノってくれる。
誰に送ろうかと思案していると、同じ沿線の学校に通う奴を一人見つけた。
送信。
そうして車両の先頭で、ホットカルピスをすすりながら、運転士の小気味よいドライブテクを堪能する。
加減速の仕方を見ているだけでおもしろい。
程なくメールが返ってきた。
『!?
もしやニアミス?中央15:02発の普通車だよ。』
うぉ、と声を上げそうになる。
全くその通り。俺と同じ電車だった。
立ち上がって、車内を見渡す。
本を読む主婦、携帯電話を弄る高校生、ボトルのお茶をすする老人、イヤホン耳に軽くヘッドバンクする白人、タブロイドを読む小学生。
…?
タブロイド?
もう一度その小学生を見る。
椅子から、かろうじて足が届くかどうか。
ワンピースの制服の上に黒のダッフルコートで、服の上を白いイヤホンがぶらつく。
「オレンジ色のニクい奴」を、開かず畳んで読む。ポケットからはとある「ねこみみモード」のストラップと、ボトルのそば茶。
(…わかり易っ!)
とか思いつつ、そいつに近づいてみる。
「おっさん臭せーやっちゃなぁ」
そいつは顔を上げて、俺の存在に気がついた。たぶん口さえ開かなければ、いわゆる清楚系で、結構レベル高めなんだと思う。
「あ、ども」
タブロイドを閉じる。中から出てきた体の小ささに、さほど違和感は感じない。
やばいな。俺。こいつの行動に慣れてきたみたいだ。
メールでも実際の会話でも、年の差を感じさせない。でもこいつは、れっきとした小学生。
幼さの中にどこか知性を感じる、なんていっても、背丈のせいで説得力が微塵もない。でもこいつは、俺と対等に話せる。
そしてこいつは、俺の親友。
赤塚鈴という名前を、出会って1時間後に知った。
「偶然だね〜。なに?いつも普通車通学?」
「帰りだけな。行きはもういつもギリギリだから、快特に駆け込むけど」
「でも遅刻でしょ?」
「文系大学生の特権であります」
確かにいくらでも潰しがきく。理系の友人には申し訳ないと思いつつ、反省はしていないようだ。
「ボンクラ大学生め」
「赤塚。おまえに言われたくないわ」
鈴は、持っていたタブロイドを畳んだ。
「株と芸能?読んでたのは」
央兎は当ててみた。
「…紙のはみ出具合で、そこまで当てられる位に読んでる成増君こそ、おっさん臭いよ」
当たっていたようだ。
「バイト柄、どうしても目に入るんだよ。読んでるうちにコツを編み出した」
「コンビニ店員って、そんなに暇なの?」
鈴があきれながら聞く。
「夜勤ですから」
「あー。へたれ具合がなんか役得だわ」
「ほっとけ」
央兎に辛辣な言葉をぶつける鈴に、遠慮がない。
「まぁ、その読んでる新聞が、青いのじゃなくて良かった」
タブロイドを読む場面には、何回か当たっていた。
だから、東スポを読んでないだけ良しとしようと、央兎の中で訳のわからぬ納得をしようとした。
「え?たまに読むけど?東スポ」
打ち砕かれた。
「まぁ、これもそうだけど、たまに売ってくれない店もあるけどね」
夕刊片手で苦笑いの鈴に、央兎はつっこむ。
「当たり前だろ。見てくれ小3の女なら、ためらいも感じるわ」
「いや、小6に売るのも問題じゃない?」
「あ、まぁ、そうか」
華麗な返しに、央兎は為す術も無かった。
「成増君ならどうする?」
「あん?」
「売る?あたしに」
鈴はそんな疑問をぶつけた。
「うーん、…売っちゃうかな?」
「結局売るんだ。まぁいいや」
別にこれといって返事を期待していなかったため、そのまま流した。
初めて会って以来、央兎と鈴は何回も顔を合わせていた。
年は離れているはずなのに、妙に馬が合う二人。
メールでやり取りするうち、ことあるごとに一緒に行動している。
なぜこんなにも気が合うのだろうか。
年不相応に様々な知識が豊富な鈴に、ずぼらでオタクでさえない央兎。
鈴の方が年齢の割に落ち着いている故、精神的には年が近い友人と認識できるのかもしれない。
趣味が合うというのも、あるのかもしれない。
そうして、二人は今日も、行動をともにする。
「ところで、成増君はこれから何かあるの?」
尋ねたのは、鈴の方だった。
「いや、ねぇけど」
「あたしも暇なんだ。どっか行こ」
今に始まった事じゃない。今まで、央兎からも鈴からも、同じような切り出し方で、遊びに行ったりしている。
「すまんが秋葉原は却下な。散財できるほどない」
秋葉原という単語が真っ先に出てくるのも、この二人ならでは。
「そんなに行きたいの?アキバ」
「いや、本当に。やばい」
苦笑いしながら言う鈴に、央兎は至ってまじめに答える。
「うーん、何処が良いかなぁ…」
しばらく考える。
「あー、そういえば、初詣行ってねぇや」
そう思い返したのは央兎。
ちなみに日付は1月12日だったりする。
「なら、ちょうどいいよ。あたしも行ってないから、行こ?」
「おうよ」
目標決定。あとは何処へ行くか…。
「すっとここから行きやすいのは…、大師…?」
「だね。特急に乗り換えちゃえば早いよ」
早速と行き先を決めた二人は、川崎大師へと向かうことになった。
「12日でも、そこそこの人出があるもんなんだね」
そう見つめる鈴の先には、大鳥居と参道。両脇には飴屋とだるまや。
鈴は体の割に、タフネスだ。結構人がいるにもかかわらず、助けなしで人をかき分け、173aやせ形の央兎にくっついてきているのだから。
「関東の三大師ってんだから、そりゃ人もいるだろう」
央兎は冷静に分析しているつもりでも、それくらいは誰でも察しがつきそうだ。
「しかしなんだ。よくついてこれたな」
タフさに感心する央兎に、鈴は一言。
「ひとえに努力です」
「赤塚?そこで努力ってんなら、『はうはう〜』とか言いつつ流されて萌えポイントを作る位のことをしろよ」
鈴は苦笑い。
「それは、ちよちゃんかベッキーじゃないと萌えないと思うけど」
「いや、ちよちゃんだったら、こうすいすいかき分け…、ん?んあ、やば、『よつばと』混ざった」
「あたしはそんなに幼くねー!」
173aの体に134aの蹴りが入るとどうなるか。
角度から言って、足首上10aくらいに入るのが確実であり、そこにクリティカルヒットをした場合、央兎は…。
人混みにひとりうずくまる影があった。
「でも、凄いね。飴ばっかり」
鈴は歩きながら周りを見渡す。
「おろ?初めて?ここくるの」
央兎は、ポケットに手を突っ込んで歩く。
「記憶の片隅にね。小さいときに一回だけ。だから覚えてないよ」
「ふーん」
と、いろいろ目を取られながら、見て回る。
「ちょっと見てみよ」
鈴は一軒の飴屋に近づく。
央兎もそれに続く。
「いらっしゃいお嬢ちゃん、いいねぇ。兄妹で初詣かい?」
いきなり右ストレートを食らった。
とはいえ、この取り合わせはそういわれても仕方ないのかもしれない。
「いやぁ、兄妹ではないんですけどね。近所同士で」
とっさに央兎は、そんなことを口走る。
「あらあら、それはまた仲の良いこと。一個食べてみな。のどにやさしい飴ね」
二つ差し出される飴。
「えへへ、ども。あい、ひろにぃも一個」
「え?あ、おうありがと、あk、鈴」
打ち合わせもしてないところで、呼び方まで変えてくる鈴に、全く物怖じする気配はない。
「あー、これ結構おいひいですね」
「そーだろう、これはねぇ…」
「ほぅ、そういうものなんですか…」
「これとこれは、やっぱり…」
少し置いてかれてる央兎を放って、店のおばちゃんと話す鈴。
央兎は一応ついていってはいるが、それよりも鈴の恐ろしいほどの順応性、おばちゃんと話す会話の中での敬語の正確さとかに、少し驚いていた。
(俺も一応、秘書検受けるつもりでかじってはいるが、教科書みたいだな…)
人懐っこい、頭の良さそうな子。この状態の鈴は、たぶんそう表現できるのだろうか。
しばらくすると、なんだか横から少し違う雰囲気。
ちらっと見ると、興味深げに品物を見る白人が数人。
おばちゃんは、鈴との話をしつつその外人に向かい、こう話しかけた。
「ジス・イズ・ジャパニーズキャンデー」
それ以上は言わなかった。仲間と顔を見合わせたり、時々おばちゃんの顔も伺ったりして、白人はなおもその場でいろいろ見ている。
「お兄さん、英語はダメかい?あたしにゃあれくらいしかできないんだよ」
央兎に振られた。
「いやぁ、実は英語は苦手でして…」
申し訳なさそうに苦笑いする央兎。
『これは日本のキャンディーです。日本語では「飴」というんです』
おもむろに鈴が英語で話しかけた。
(はぁ!?)
央兎は思わず声を上げそうになった。
その発音は結構きれいで、下手な高校の英語教師よりもうまかった。
相手も少し驚いたが、気にせず話す。
『でもこれ、奇妙な色をしてるね…』
『日本では、のどを保護するための薬の代わりにもなっているんです。でも、結構甘くなってますよ…』
『ほぉ、おもしろいね。一袋買おうかな…』
気づけば、鈴のおかげで、全員が二袋ずつ買っていくという結果になった。
「お嬢ちゃん凄いねぇ…。ぺらぺらじゃないの」
おばちゃんもあっけにとられ、やっと立ち直った。
「えへへ、それほどでも」
「おばちゃんびっくりしちゃったよ。ありがとね」
「いえいえそんな。あ。すいません。これ一個ください」
そうして鈴は、自分も飴を買う。
「あ、僕これで」
央兎も買う物を決めて、差し出す。
「まいどあり。お嬢ちゃん、これ、お兄さんも、おまけだよ。ありがとうね」
そういっておばちゃんは、一袋づつ飴を差し出す。
「わぁ、ありがとうございます」
「あー、どうも、ありがとうございます」
二人は、笑顔でそれを受け取った。
「では失礼します。ひろにぃ、いこ」
そうして二人は、さらにくず餅を買ったり、おみくじを引いたりと、初詣をすませた。
電車の中で、央兎が尋ねる。
「なぁ、赤塚。さっきの英語なんだけどさ」
「うん?」
「凄いうまかったんだけど、海外とかにいたりしたの?」
鈴は、買った飴をなめている。
「うぅん、違うよ。うちの学校、英語の授業があるからね」
鈴は、制服のえりを持って、言った。
「いやでも、それにしてはずいぶんとうまいんじゃないか?」
「それはねぇ…」
少し苦笑いをしつつ、鈴は説明する。
「あたしね?資格オタクなの」
「なに?いろいろ資格を取りそろえる、あれ?」
「うん。でも、この年だと、取れる資格ってそんなに無いから、じゃあ、身近な資格を取ろうって事で」
「なに?じゃぁ、英検でも持ってるんだ?」
「うん。英検受けるのに練習しまくったら、ね」
「それで、何級持ってるの?」
「準1級」
「…俺4級なんだけどなぁ」
「国連英検はD級」
「やべ、次元が違う」
一言目からあり得ない単語が飛び出したので、まさかとは思った。
でも、あれだけ物怖じせずに話せるのだから、おかしくはない。
どこか普通の小学生とは違うと思っていたが、こういう事だった。
央兎はそれよりも、自分がどうにも惨めに思えてきた。
それでも、人の好奇心とは不思議な物で、もっと惨めになると思いつつも、それについて聞いてしまうのだった。
「じゃぁさ、他にも検定持ってるの?」
「え?う、うん。まぁね。漢検と数検が準2で、地検と歴検と理検は3級で、あとは情報処理とか…」
(…こいつすげー!)
単なる怠惰な大学生である央兎は、ぽんぽん出される数字に、惨めにならず素直に感心することにした。
「時刻表検定とか、おもしろかったよ?」
こういうところに趣味がでるのもご愛敬。
「ああいうのって、取れたときの達成感がたまらないの」
「…おまえ凄いわ。なんて言うか、凄いわ」
央兎には、もうそれしか言えなかった。
「さて、赤塚、これからどうする?」
央兎が尋ねた。場所は横浜駅の改札。
「あー、せっかくだし、ちょっと寄りたいところが」
鈴はそういって改札の外を指さす。
「どこ?」
「とらのあな」
「結局そうなるのね。了解」
二人で同人ショップに行くのも、もう慣れた。
「そうだ。忘れないうちに。はいこれ」
央兎はマンガ本を差し出す。
「あー、はいはい。あたしも今持ってるんだった」
鈴もマンガを差し出す。
「あれ?赤塚?一冊多くない?」
「うん。布教です。読みなさい」
マンガの貸し借りも、慣れた物になった。
そうして二人は、すでに暗くなった街に出た。
趣味も合う。気が合う。
鈴も央兎も、すでにお互いを、気の置けない相棒だと認識した頃の話。
「それよりも、成増君、さっきの演技、褒めてほしかったな」
「え?」
「これでも結構危なかったんだからね?ひろにぃ」
「あー、あれか。ひろにぃってのがまた…」
「なに?兄チャマとでも言ってほしかった?兄君」
「古いよ、それ」
288 :
221:2006/01/18(水) 09:50:26 ID:hy1VAght
季節柄、ね。
そんな感じです。
この先の予定:未定
いいな。こういう友達俺も欲しい。
たぶんあって三回目ぐらいでいたずらして通報されそうだけど。
>>221 クリティカルヒットに笑った。
鈴ちゃんは不思議小学生だなーと思った。
圧縮が迫っているので保守
295 :
名無しさん@ピンキー:2006/01/26(木) 10:31:52 ID:FbJcDOCM
あげとくか。
このスレどれもレベル高い…
>火と鉄とアドリア
鈍足亀レスですが、まとめて読んで「マジ、スゲー」と思いました。
七話目の虐殺風景で息呑まれました。すげー、としか。
「僕は騎士だ」と言い切るアルがまぶしいです。
「アルはこの先どうなるんだーっ!!」ってものすごく気になるので…続きをのんびり待ちます。
八話目。
大聖堂が荘厳。
気丈に振舞うヒルダにぐっときつつも、「…ルカ、カコいい」などと呟きましたw
ところで絵板が消えちゃってるね。絵板を維持するにはこのスレは侘び寂びしすぎてるようで。
いくつか神絵も来てたんだけどね。
キャラじゃなくてストーリーが面白い作品が多いからなぁ・・・
1.
どんな城にも「秘密の通路」というものがある。
モンテヴェルデの五指城も例外ではない。城の創建以来、いざというときに備え無数の抜け穴が設けられてきた。
そのいくつかは使われないまま忘れ去られ、逆にいくつかは今も別の用途で使われ続けている。
例えば五指城の海に面した城壁には隠し扉があり、かつてはそこから小さな船着き場へと下ることが出来た。
城が陥落したときの脱出用に作られたものだが、それも長く戦乱から遠ざかるうちに使われなくなっていた。
逆に城下町に面した側の城壁にも通路が隠されている。
調理場から外へと通じていたのだが、設けた場所が悪かったのか、今では残飯を捨てるのに使われていた。
ステラは顔をハンカチーフでおさえ、悪臭を堪えながらそのゴミ出し通路、かつての抜け道を歩く。
野菜クズや魚の皮、動物の骨などが積もった足元は、ひどく滑りやすい。
転ばないように壁に手をつけば、苔とネズミの糞が手にじわりとこびりつく。
まったく酷い道だった。
それでもステラはヒルデガルトの言いつけによって、ここを通るしかない。
何しろ一日一度清掃人が使う以外は誰も通らないので、人目を避けるには都合が良い。
やがて、ステラは城壁の外に出た。
五指城は少し高くなった丘の上に建っているので、城下町はかなり下の方に見える。
ステラが麓に目をやると、城から捨てられた残飯がうずたかく積みあがっているのが分かった。
何人かの乞食と野良犬が、そこから食べ物を漁っている。
目をそむけると、別の人間が丘を登ってくるのが目に入った。
時間通りだった。
「ご苦労さま」
そう言い放つステラに向かって、その男――ルカは一つ鼻を鳴らした。
ルカにしてみれば、モンテヴェルデの町はどこにジャンカルロ伯の目があるか分からない場所だ。
そして、彼は伯爵のお目こぼしを期待するほど楽観的ではない。アルフレド追放の真相を知っているのだから。
ヒルダのたっての頼みでなければ、彼は聖ニィロ教会から出てきたりはしなかっただろう。
ましてや、ステラに目下扱いされる覚えはない、と思っている。
「重大事なのでしょうね。わざわざ『蛇の巣』に跳び込んで来いとおっしゃるのだから」
「そのとおり、大事な仕事があるのです。姫さま直々の……」
そう言いかけたステラを、ルカは手で遮った。
機先を制され、少女は眉をひそめる。
「勘違いしてもらっちゃ困るんだが。俺はもう城の衛兵でも、大公の家来でも何でもないんだ。
確かに『御用があるときはいつでも』とは言った。だからって、ヒルダさまに顎で使われる義理はないんだよ」
「……その言葉だけで、今すぐにでもジャンカルロ伯に突き出してやりたいところね。
しかし姫さまの言いつけを破るわけにはいきません。今日のところはその暴言、見逃してあげます」
脅迫に屈した様子もなく、ルカは無表情を貫いている。
それどころか、一層ステラに馬鹿にしたような目を向けた。
ステラとしては「平民風情」に侮られるのは我慢ならない。侍女とはいえ、その体には青い血が流れている。
だが、今はこの男と言い争うわけにはいかないのだった。
「実は、この手紙を届けて欲しいのです」
「ふーん。つまり、俺に使いっ走りをやれと?」
ステラがうなづく。
だが、差し出された分厚い手紙の束を、ルカは受け取ろうともしない。
「……これは、僅かですが謝礼です。無事に届けてくれれば、さらに同じだけ支払いましょう」
ステラが取り出した皮袋は、「僅か」という言葉とは裏腹にぎっしりと金が詰まっている。
だがやはりルカは手を出さない。
「金なんてどうでもいいよ。それより一体なんで俺を使いに立てようなんて思ったのか、その手紙は何なのか、教えてくれ」
「それは……」
一番尋ねられたくないことを聞かれ、口ごもる。
理由を告げれば、ルカは断るかもしれない。そうすれば、ヒルダの目論見は崩れる。
しかし口先で相手を丸め込むには、彼女はまだ幼すぎた。
「……この手紙は、外国の事情を諸々の識者に尋ねる手紙です。
今イタリアで何が起こっているのか、我が国に何が起ころうとしているのか……。
親しい貴族の方々や、聖職にある方々にあてた、ヒルデガルトさま直々のお手紙なんです」
そう。これは姫さまの必死の思いが詰まった手紙――
そう思うと、急に手紙の束が重くなったような気がした。
『この石の中にいては、分からないことがある――ルカの言う通りだわ。
だからステラ。私は『知ること』、まずそれから始めるようと思うの』
ルカに諌められたその晩、ヒルダはステラにその決意を告げた。
知らず知らず、城の中に籠もっていた自分。物知らずの姫君に安心していた自分。
それを、変える。
そのために、出来ることから始めるという宣言だった。もちろん、ジャンカルロ伯に対抗するためだ。
こうしてヒルダの静かな戦いが始まった。手紙のやり取りによる情報収集という戦いが。
回りくどい方法ではあったが、幾度かの手紙の往復の後、ヒルダの手元には有益な情報が集まり始めた。
たとえばトルコ海軍の動向、各国の軍隊の配置や練度。今回の『聖戦』を巡る教皇庁内での策謀。
さらにモンテヴェルデ艦隊を全滅させたのはヴェネツィア海軍だ、という「噂」まで。
伯爵への抵抗の第一歩は順調に踏み出されたかに見えた。
だがそれも長くは続かなかった。
「――つい先日のことです。姫さまの手紙を運んでいた伝書使が死体で見つかりました。
持っていたはずの手紙は、なくなっていました」
ステラは初めてその知らせを聞いたときの恐怖を思い出していた。
見せしめのように、死体は町の広場にぶら下げられていたという。
明らかにジャンカルロ伯からの無言の脅迫だった。
「つまり、次は俺が使い捨てにされるってことかい。冗談じゃない、断る」
「ちっ、違います!」
去ろうとするルカを、慌ててステラは引き止める。
「何が違う。あんたらにとっちゃ、使いの一人や二人死のうが知ったこっちゃないのかもしれないが――」
「その男、金貨を握って死んでたんです……!」
死後硬直を起こした手を強引に開いた医者は、真新しいドゥカート金貨に目を丸くした。
一介の伝書使には、明らかに大きすぎる額だ。
初めてルカの顔から笑いが消えた。
「ジャンカルロに内通してたわけか」
「少なくとも……姫さまはそうお考えです。報酬を受け取った直後、殺されたのではないか、と」
そう推理したときの、ヒルダの悲痛な顔をステラは忘れられない。
その伝書使はヒルダの私信を長く扱ってきた男だった。
ステラもその人となりをよく知っていた。「忠義者」と言っていい人間だった。
「長年仕えた男でした。姫さまが生まれたときから城に仕えていた……それなのに。
仕事熱心で、気のいい、優しい男だったというのに。それなのに……!」
ジャンカルロの手は、ヒルダやステラが思うより長い。
手紙を盗み取れるのならば、その寝首をかくことだって出来よう。
「もう、分からないんです……」
知らず知らず、目から涙が零れた。
もう、ルカを説得するなどという考えはどこかに行ってしまっていた。
ただ、自分の主人の身を案じるだけで、胸がふさがり、言葉にならない。
「だから……もう誰が味方で、誰が敵なのか……誰を信頼していいのか、分からないんです……!」
ルカはそんな少女の嗚咽を黙って聞いていた。
『――ルカに頼みましょう』
そうヒルダが言い出したとき、ステラは最初反対した。
もともと、ジャンカルロの手下だった男、アルフレドを追放する陰謀に関わった男など、信頼できない。
だが、そう忠告してもヒルダの気持ちは変わらなかった。
『私はルカを信じる。彼はたった一言、アルフレドの伝言を伝えるために危険を冒してくれたから。
もちろん、自分の助命と引き換えに私の手紙をジャンカルロ伯に渡すかもしれない。
その可能性を考えないわけじゃないけれど……でも、信じてみたいの。
彼がアルフレドとの約束を守った心を、もう一度』
そう言われてなお、彼女の気持ちを踏みにじることはステラには出来なかった。
「分かった。引き受けてやる」
ステラははっと顔を上げた。信じられないといった表情だった。
彼女は涙を拭うことすら忘れていた。
ルカはそんな少女から、むっつりと視線をそらした。
「貴族なんてのは、みんな糞野郎ばっかりだ。
ジャンカルロはとびっきりの糞だったが、大公も、あんたの姫さまも、所詮は……
でもな。信頼してくれるんなら、それに応えるのが筋ってもんだ……アルフレドには借りが残ってるしな」
「あ…………あ、ありがとう……」
思わず呟いた言葉に、ステラは慌てて口を抑える。
この男に、心を許しすぎてはいけない。こちらを信頼させる罠かもしれないのだから。
「……では、これを」
ステラが手紙と皮袋を差し出すと、ルカは手紙だけを懐にしまった。
皮袋を開けると、中の銀貨を数枚取り、残りはステラに投げて返す。
「旅費だけ貰っておく。金で動くと思われても迷惑だ」
「そ、そんな風に思ってなど……」
内心を見透かすような一言に、口ごもる。
だが、ステラの動揺を楽しむかのように、ルカは言葉を続けた。
「報酬は金じゃない方がいいな。例えば姫さまに一晩お付き合い頂くとか、な」
「な、そ、それって……げ、下劣な……!」
顔を赤くして叫ぶ。
怒りのあまり、からかわれていることすらステラは気づいていない。
「そうかな? ま、姫さまは無理としても……俺としては君でもいいんだぜ?」
「ひっ、あ、やっ、さ、触らないでっ」
いつの間にか自分の腰に伸びた手を振り払い、ステラは後ずさる。
両手で自分の胸を守るように抱き、威嚇代わりにルカを睨みつけている。
「まだまだ甘いなぁ……ジャンカルロならコルティジャーナ(高級娼婦)ぐらい抱かせてくれそうなもんだが」
「あ、あの人だってそんなことはしません!」
「ふん。あんた、あいつのこと何も知らないんだな」
むきになって言い返すステラを、ルカは一笑に付した。
「俺がまだ城にいた頃なんか、よく自分の子飼いの女に貴族たちの秘密を探らせてたぜ?
なにせ男って奴は、寝床じゃ何でもぺらぺらしゃべるからね。ああ、もちろん男色家には通用しないがね。
だからジャンカルロは売れ筋の男娼も何人か……」
「う、うるさいっっ!」
「だからあんたも姫さまも甘ちゃんなんだ。奇麗事があの手の男に通じると思ってるのか?
ああいう男は、自分の親族だって手にかけられる……」
「うるさいうるさいうるさいっ!!」
ステラの絶叫に、ようやくルカの軽口が止まった。
拳を握り締め歯を食いしばったまま、燃えるような瞳でルカを睨む。
「彼を……伯父さまをこれ以上侮辱するなら、許さない」
「ふぅん。伯父さま、ね」
ステラの怒りを受け流し、ルカは背を向ける。
背後で、ステラが駆け出す足音がした。
「おおーい、報酬のこと、よく考えとけよ!」
振り向きざま、わざと挑発的に叫ぶ。だが、ステラはもう振り返らなかった。
やがてその姿が隠し通路に消えるのを確かめ、ルカは呟いた。
「肉親の絆より主君への忠誠、か」
2.
今朝もアルフレドは厩の隅で目を覚ます。
外はまだ暗い。戸口から差し込む弱々しい朝日に、眠る傭兵たちの姿が照らし出される。
自分ももう少し眠っていたいという気持ちが湧き上がる。
しかし奥の方から聞こえる、馬の鳴き声に誘惑を何とか振り切った。
寝具代わりのマントを畳み、まだ疲れの残る体を引きずるようにして、愛馬の元に向かう。
「おはよう、マローネ」
そう言いながら、鼻面を強く撫でてやる。
とっくに目を覚ましていた愛馬マローネは、元気よくアルに顔を擦り付けてきた。
「分かった分かった。すぐ朝ごはんにするよ」
弱弱しく笑いながら、納屋の隅に転がった桶を掴む。
まずは川へ水汲みだ。
厩舎から村の近くを流れる小川まではかなりの距離があった。
馬に水をやるために村の井戸を使うことは、コンスタンティノの命令で禁止されている。
馬が一日に飲む水の量は人間とは比較にならないからだ。
もし村にいる二百五十頭の軍馬全てに水をやれば、村の井戸などたちまち枯れてしまうだろう。
重い水桶を二つ持って、アルは長い道のりを五往復した。
既に腕も背中も悲鳴を上げているが、休んでいる暇はない。次は秣だ。
今度は二股の熊手を手に取ると、手押し車を引いて納屋の裏へと向かう。
そこには大量の干し草が積み上げてあり、すでに何人かの馬方が働いていた。
「おはよう」
アルが声をかけると、困惑したような沈黙が返って来た。
わざとらしく視線をそらしながら、馬方たちは自分の手押し車に秣を積み上げて行く。
そんな対応にも慣れ切っているのか、アルは黙々と自分の仕事に取り掛かる。
秣はアルたちが自らの手で刈ったものだ。
二百五十頭分の飼料となると、屋根より高く積み上げた干し草の山も数日でなくなってしまう。
最初は藁やカラス麦、豆などを近場の村から徴発していたが、それも底を尽いていた。
今では一週ごとに部隊総出の草刈りが必要で、しかもその度に草を求めて遠出する羽目に陥っていた。
ただし、傭兵たちはそれに参加しない。草刈りをする傭兵はアルだけだ。
他の傭兵たちは従卒や馬方を個人的に雇っている。だから、戦闘以外は全て彼らに任せきりだ。
しかし、アルフレドには一人の部下もいない。
あの村の虐殺以来、アルはコンスタンティノの個人的な秘書という、特権的な立場から外されていた。
それはこれ以上の特別扱いが、他の傭兵の不満を募らせるという理由からだった。
ただの兵士になったアルだったが、その程度で一度出来た傭兵たちとの溝が無くなるわけがなかった。
「堅物」「仲間殺し」などと評判が立ってしまった男に仕えようという人間がいるはずもない。
アルは略奪を嫌ったのが致命的だった。略奪もまた兵士の正当な権利とみなされていた時代だ。
自然と彼は孤立していった。
マローネの飼い葉桶を干し草で一杯にすると、今度は掃除だった。
汚れた敷き藁や馬糞を熊手でかき集め、車一杯になるとそれを堆肥置場まで運ぶ。
それを数度繰り返せば、アルの体は汗だくになった。
そしてそれは朝の寒気にさらされ、白い湯気に変わっていく。
その頃ようやく他の傭兵たちが目を覚まし、一人働くアルの側を冷ややかに通り過ぎる。
掃除が終わったときには、もう誰も残っていなかった。
やっと、アルの朝食の時間だ。
自分の鞄から木挽きの皿と匙を取り出し、村の広場へと向かう。
そこでは、数人の商人や娼婦が、大きな料理鍋をかき混ぜていた。
仕事を終えた馬方や、傭兵たちは思い思いにパンを齧ったりワインを飲んだりしている。
それはこれから始まる過酷な一日に向けての重要な時間だった。
「ああ、アルフレド。食べておいき」
めったに声をかけられることもない生活のせいで、最初アルはその声を無視しかけた。
二度三度と呼び止められ、ようやくそれがニンナ・ナンナと気づく。
「もうあっちの鍋にはろくなものが残ってないよ。私の余りでよければ、こっちをお上がり」
そう言ってニーナは鍋の蓋を持ち上げてみせる。
レンズ豆とライ麦を煮込んだスープだった。食欲をそそる香りが、アルの胃を刺激した。
「ほら、ここに座りな」
ニーナの傍らに腰を下ろし、無言で皿を渡す。
そこにニーナは、大匙でたっぷり二杯もスープを注いだ。
「……幾ら?」
手渡された熱々の皿を持ったまま、アルはためらいがちに尋ねる。
今月の給料はもうほとんど残っていない。大半が、甲冑や馬を買った借金の返済で消えていた。
「言っただろ。これは『私の余り』だって。今日はいいよ」
「……ありがとう」
小さく感謝の言葉を吐いてから、アルは食事を始めた。
スープはまだ熱く、具はたっぷりと入っていた。近頃口にしていないご馳走だった。
「赤ワインもある。いるかい?」
夢中でスープをかき込むアルは、言葉に無言でうなづく。
そんな子供っぽい仕草に、ニーナは柔らかな微笑みを浮かべた。
はるか古代ローマ以来、兵士の食事は自弁が原則だ。
それは千年を経て、軍隊の主力が騎士、さらには傭兵になっても変化しなかった。
だが、自分の領地を持たない傭兵たちは、結局食料を従軍商人から買うことになる。
ここのところ食事の質が落ちたのは、貪欲な商人たちですら、ろくな材料を仕入れられなくなったからだった。
ポッジボンシの周辺はすでに略奪され尽くしている。畑はまだ種まきも終わっていない。
これでは、コンスタンティノが如何に手を尽くそうと、安価な食料の確保は不可能だった。
食べ物の値段は高騰し、商人は売り惜しみを始めた。
酢になったワイン、おが屑の混じったパン、塩水のようなスープですらとんでもない値段がついた。
ポッジボンシを包囲する『狂暴騎士団』も、篭城するフィレンツェ軍も、等しく飢えに苦しんでいる。
「そういや、ラコニカのことだけどさ」
その名前を聞いて、アルの手が止まった。
アルの動揺を悟ったのか、ニーナは呆れたようなため息をついた。
じっと自分を見つめるニーナの視線を前に、アルは射すくめられたように動けない。
「……彼女、元気?」
「まあ、元気っちゃ元気さ。お互い明日死ぬかも分からない身の上で、その挨拶もどうかと思うけどね」
アルは時々陣内でラコニカを見かけていた。だが、声はかけたことがない。
『村で死ぬのと、娼婦として生きるのとどちらが幸せだと思うか』という言葉が今も彼の心を揺さぶっている。
ニーナは答えを教えてくれなかった。アルにも分からない。
しかし、ラコニカは違った。
そのあだ名の通り、彼女は寡黙に、精一杯働いていた。
笑みを絶やさず、片時も手を休めない少女を娼婦たちは愛している。
考えようによっては、ラコニカはアルフレドなどよりよほど『狂暴騎士団』に馴染んでいた。
だが、アルにはその笑みの奥にあるものを想像し、心が冷えるのだった。
もう二度とその目に、心の底から湧き上がるような歓喜が宿ることはないのだろう、と。
「私らの間じゃ評判は上々さ。言うことはよく聞くし、無駄口は叩かないし、何より働き者だ。
あんたは信じられないかもしれないけど、私らにだってあんな小娘の時代はあったんだしね」
誰もなりたくて体を売る商売に身を落としたわけではない。
だからこそ、ほんの一月前までただの村娘だったラコニカに、娼婦たちは言い様のない共感を感じているのだった。
「……でも、男どもには受けが悪くてね」
「……そう……なの?」
ニーナの言葉の意味するところは、アルにもすぐ分かった。
ここにいる男たちが女に求めるものなど、一つしかない。
「『まるで死体でも抱いてるみたい』だとさ。このままじゃ、そのうち誰も相手してくれなくなる」
黙って皿を置く。食欲はもう無かった。
ニーナに見えないよう、アルは顔を背ける。
だが、アルの口から安堵の息を漏れたのを、ニーナは聞き逃さなかった。
「アル。あんた今、『このまま男に相手されなくなったら、ラコニカは体を売らなくてもよくなる』って思っただろ」
振り向くと、ニーナの怒りを含んだ目がじっとアルを見据えていた。
もう、彼女は呆れてなどいない。それははっきりと、アルの無知を責めていた。
「……子守りや薪集めだけで食っていけると思うかい。そんなことできる人間は腐るほどいるんだ。
抱けない娼婦なんて、足を折った馬みたいなもんさ。男がつかない女は悲惨だよ」
大抵の娼婦には馴染みの男がいる。
そして、その男の傭兵隊での地位や力が、そのまま娼婦の立場をも決める。
男が裕福なら、娼婦はいい物を食べ、いい服を着て、汚れ仕事をしなくても済む。
もし誰も馴染みの男がいなければ……。実力で娼婦たちの頭を務めるニーナは例外的存在なのだ。
「あんたのせいだよ、アル」
思いがけない言葉だった。
アルがラコニカに何をしたというのか。
確かに命を助けたのは自分だ。だが、それが臥所のことにどう関係があるのか。
「何でラコニカがそんな風だと思う? 愛されたことがないからさ。
『男に抱かれて嬉しい』『気持ちいい』って一度も思ったことがないんだ、あの子は。
そんな女が、男を満足させる演技なんか出来るわけない。笑ったことがない人間は、笑うふりもできないのさ」
「そんなの、ぼ、僕に関係ないじゃないか!」
だが、ニーナは首を振った。
「あの子が知ってるのは、殴られたり、傷つけられたりすることだけ。あれが『悦び』だってことを知らない。
でもね、あんたがあの子を抱いてやれば片がつくことだよ。だって、あの子はあんたを……」
「そんなこと知らない! 知るもんか!」
アルは勢いよく立ち上がった。ニーナを睨みつけ、そして黙る。
周りの傭兵たちは、そんな二人のやり取りにも無関心だった。
食事を終えた者から、三々五々仕事に戻っていく。
「アル――」
なおも何かを言おうとするニーナを振り切るようにして、駆け出す。
アルはもう何も背負いたくなかった。何もかもが、彼の肩には重過ぎる。
ヒルダとの約束すら、背負いきれなかった。それなのに、ラコニカまで――
忘れようと、頭を何度も振る。それでもニーナの言葉だけは、いつまでも頭の中に響いていた。
やがて、出撃の時間が来た。
一人で武具を身につけたアルフレドは、馬を引いて集合場所へ向かう。
定時の偵察行は、日ごとに危険になっている。毎日、歯の抜けるように兵士が死んでいく。
フィレンツェ軍も死に物狂いで包囲網を破ろうとしているのだ。
アルが到着したとき、他の傭兵たちはもうほとんど集まっていた。
ある者は黙々と自分の装備を点検し、ある者は手持ち無沙汰に酒をあおっていた。
だが、ほとんどの兵士は、甲冑姿のまま女たちと最後の別れを交わしている。
妻であったり、馴染みの娼婦だったり、行きずりの女だったりと、その相手は様々だ。
ただ共通していたのは、男は自分が死んだとき、一瞬でもそれを悼んでくれる相手を求めている、ということだ。
それがたとえ行きずりの女であっても、自分が確かに生きていたことを憶えていてくれる人が欲しい。
だから、妻と夫も、一晩の恋人同士も、同じ熱っぽさで唇を重ね、抱き合う。
アルには、そんな人間はいない。
出撃の号令がかかるまで、馬上でただ待っている。
今日死んだとしても、それは無名の死なのだろう。それをアルは心地よく感じている。
だがアルは気づいていた。
人ごみから離れたところに、黙ってたたずむ少女がいることを。
いや、もうずっと前から彼女はそこにいた。アルが出撃するたびに、黙って彼を見送っていたのだ。
(――だから、僕はこうして――)
そんなアルフレドの思考は、コンスタンティノの号令で断ち切られた。
出撃だ。
3.
「……つまり、諸兄はこの計画に反対、というわけですな」
威厳を込めた大公の言葉を、列席した貴族たちは様々に受け止めた。
傲然と睨み返す者、気まずそうに目をそらす者、にやにや笑いでごまかす者……
だが、ジャンカルロ伯だけは全く平然としていた。
「計画に反対、というが、これはそもそも計画だろうか」
「どういう意味だね?」
挑発するような響きに、大公は僅かに眉を動かす。
会議は実質、この二人の対決の場になっていた。
「……我が国の都市十二箇所の要塞化、と仰られるが、どこから金が出るのか、どこから資材を得るのか。
それが知りたいと言っておるのです。艦隊のためにどれだけの金を借り入れたとお思いで?
まだ銀行に利息も払い終わっていないのに、艦隊は全滅。さらにその上に要塞ですと?
それだけではありません。ファリンドラの石切り場は、二年前採算が合わないと閉鎖したはず。
そこに人と資材を送って、再び石材を採掘するのにどれだけの時間と資金が要るか、検討もつかない」
「それは分かっている。だがな……船でほんの三日のところにトルコ海軍がいるのだ!
このまま手をこまねいて見ていろというのか? いい考えがあるというなら、はっきりと言って頂こうか!」
突然の大公の激昂に、会議室の空気すら揺らいだようだった。
「……相手はコンスタンティノープルの城壁を打ち破ったトルコ軍です。俄仕立ての城壁など、何の役に立ちましょう。
わざわざ打ち壊されるために大金を注ぎ込んで要塞を建てるなど、無駄の局地でしょう」
ジャンカルロの言葉にも一理あった。
ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルは高さ十二メートルの三重壁で防衛され、難攻不落とされていた。
だが1453年、トルコのメフメト二世はハンガリーの技師に作らせた世界最大の巨砲でこれを打ち破った。
それに比べれば、モンテヴェルデの城壁など紙のようなものだ。
「もしトルコが攻め寄せたならば、いったん上陸させた上で我が騎兵をもって会戦を挑むべきだ。
トルコの騎兵は弱い。馬を船で運ぶのも難しい。僅かなトルコ騎兵を蹴散らせば、残る歩兵など踏み殺すのみ」
ジャンカルロの提案に、貴族たちもうなづく。
トルコよりモンテヴェルデが勝っている点があるとすれば、それは重騎兵の質だけだ。
確かに数万のトルコ陸軍と真正面から戦うことは難しい。だが海を渡ってきた僅かな水兵だけならば勝算はある。
とはいえ、貴族たちは勝ち目があるから「決戦」を望んでいるのではなかった。
「……長年我らが培った武芸、いまこそ使わなくてどうするのです。
それに、これならばもう無駄な金を使う必要もない。すでにそこに『ある』のですから。
大公陛下の艦隊のために、ここにおられる方々は多くの犠牲を払った。
領民を差し出し、重い負担に耐えた……もうこれ以上一スクードたりと無駄な金は払えませんな」
ジャンカルロの熱弁に、大公を除く全員がうなづいた。
つまり、貴族たちはもう自分の懐を痛めたくないのだ。
騎兵なら、すでに投資は済んでいる。余計な出費は必要ない、というわけだ。
「……諸兄のお気持ちはよく分かった。では、要塞の建築はいったん……っ」
そう言いかけて、大公は急に胸を押さえた。
体を折り曲げ、咳き込む。慌てて、小姓が水の入った杯を差し出す。
水を含むと、大公は背もたれに体を預け、ゆっくりと息を整えた。
「……失礼した。とりあえず、要塞の計画は延期としよう。
代わりに、ヴェネツィア海軍に一層の警戒を要請し、海の守りはこれを柱とする。よろしいか」
大公の裁定に、列席した一同が賛意を示した。
すでに、評議会の舵取りは大公の手を離れている。
それは誰もが――大公ですら――はっきりと悟っていた。
「では、今日の会議はここまで……この戦争はただの戦いではない。法王猊下によって『聖戦』と定められたのだ。
それを胸にしかと刻み、力を合せて乗り切ろうではないか」
大公の言葉も虚しかった。
何しろ、モンテヴェルデ以外に『聖戦』参加を表明した国は、まだ一つも無いのだから。
「大公も、追い詰められていますな」
評議会の後、ジャンカルロはサンフランチェスコのニコラ卿と、個室で酒を酌み交わしていた。
窓の外には穏やかなアドリア海が広がっている。
その彼方に敵の大軍がいるなど、信じられないほどの穏やかさだ。
「……まあ、仕方あるまい。平民どもを黙らせるために教皇庁の権威を借りたからな。
トルコに挑戦状を送るより他になかったのだろうよ」
大公マッシミリアーノは教皇庁の要請を受け、トルコのスルタン・メフメト二世に挑戦状を叩きつけていた。
だが、法王の呼びかけにも関わらず、ほとんどの国が言を左右して、聖戦参加を先送りしていた。
「ミラノは、ルドヴィーコ公の病気を理由に返事を渋っているそうですぞ。事実上の拒否でしょうな。
こうなると、五大国で回答していないのはヴェネツィアだけですが……」
「……ヴェネツィアは決して動かんよ。トルコとの密約があるからな」
すでにジャンカルロはヴェネツィアとトルコの密約も、自分たちの艦隊が裏切られたことも知っていた。
もちろんこの話は、大公には伏せたままだ。
この情報により、主な貴族は大公を見限っていた。それは即ち、ジャンカルロ側についたということだった。
これで、大公を追い落とす準備は整った。
あと一つ二つ失策が重なれば、評議会の全会一致でマッシミリアーノを玉座から引きずり降ろせる。
「しかし、大丈夫でしょうか」
ニコラ卿の不安げな顔が、ジャンカルロに向けられた。
自分の胸に湧き起こった疑念を晴らすように、一気に杯の酒をあおる。
「何が、だね?」
「もし本当にトルコが攻めてきたとしたら……我々は滅ぼされてしまうのでは?」
「確かに。まともに戦えば、我々の首はこの胴体と永遠の別れを告げねばならんだろうな」
首に手を当てながら、ジャンカルロは皮肉な笑みを浮かべた。
評議会で強気な発言を展開したとはいっても、彼もトルコ相手に勝てるなどとは思っていない。
せいぜい小競り合いで、僅かに相手を痛めつけるのが限界だと考えている。
「ま、攻めてきたとして、負け戦の責任をとるのはマッシミリアーノだ。
それにムスリムの教えというのは面白くてな。税さえ払えば、改宗する必要もなく領地も保たれるのだよ。
事実、コンスタンティノープルの攻め手には無数のキリスト教徒の領主がいたくらいだ」
「で、では異教徒の家臣になると?」
驚くニコラの顔を、ジャンカルロは面白そうに見つめ返す。
「そのとおり」
自分の杯を満たし、それを掲げてみせる。
「何か困ることがあるかね? 今はマッシミリアーノがいる。そこにスルタンが名目上取って代わるだけだ。
スルタンに忠誠を誓う、モンテヴェルデ大公ジャンカルロ陛下の誕生だよ。
――まあ、和平の材料としてマッシミリアーノの首は、スルタンに差し出すことになるだろうがね」
いたずらっぽく含み笑いをしながら、ジャンカルロは言葉を続ける。
「あるいはヒルデガルトをハーレムに差し出すかな。あの美貌だ、さぞいい貢ぎ物になるだろう」
「そ、そんなことをすれば法王猊下が黙っておられないでしょう!? 下手をすれば破門……」
思わず立ち上がるニコラに、ジャンカルロは首を傾げる。
平然と笑いながら、怯える男に尋ねた。
「彼がそんなに恐ろしいか? 法王が一体幾つの<コンパニア>を持っているというのだね」
4.
ステラがヒルデガルトの部屋に帰ったときには、もう日は傾きつつあった。
窓から差し込む光に、白い衣をまとったヒルダが浮かび上がるのを、ステラは見た。
乳白色の肌が夕日色に染まっている。
長いまつげの奥に潜む青い瞳は、そっと窓の外を見つめていた。
その彫像のような姿が、動いた。
「お帰りなさい。ご苦労さま」
微笑む姿は、女であるステラですら、かすかな欲望を掻き立てられずにはいられない。
そんな淫らな気持ちを隠して、静かに彼女に近づく。
「……ルカは、引き受けてくれました」
「そう。よかった」
そう言うと、一見無関心にヒルダは視線を窓の外に戻した。
隣に並んだステラも、同じ方向に目を向ける。
モンテヴェルデの城下町が広がっていた。
「見て、ステラ」
ヒルダがそっと指差す方を見る。
五指城の門から町へと下ったところにある、小さな広場に黒々とした行列が出来ていた。
先頭にいく黒ずくめの男は、長い竿の先に縛り付けた十字架を高々と掲げている。
その後ろに続くのは、この世のありとあらゆる種類の人々だった。
太った中年の男、まだ幼い少女、枯れ木のような老婆。五体満足な者も、足や腕を失った者もいる。
病人も健康な者も、男も女も混じった一団。
『悔い改めよ! 神の裁きは近い! 海の向こうから黙示録の獣が来るぞ! 悔い改めよ!』
その言葉だけを繰り返しながら、ゆっくりと町を行進していく。
自ら打ちつける鞭のせいで、誰の衣服もざっくりと背中が裂けており、そこから血が流れていた。
「鞭打ち教団よ。先頭にいる修道士は、フェラーラのジロラモというのだって」
ヒルダの言い方からは何の感情も読み取れなかった。
けれど、決して好意的ではない。そうステラは直感していた。
すれ違う町の人々の態度は二つに区別できた。
胡散臭げに見送るか、あるいは行列にひれ伏し、そこに加わるか。
そうやって行列は時を経るごとに長く、長くなっていく。
『悔い改めよ! 海の向こうから黙示録の獣が来るぞ!』
次第に遠ざかっていく教団の行列を見送ってから、ヒルダはそっとよろい戸を下ろした。
「あの人たちをどう思う?」
「どう、と言われても……」
ステラが答えに困っていると、彼女の顔にヒルダはそっと手を添えた。
目と目が合う。
「あの人たちは、絶望しているの。だんだん悪くなっていくこの世の中にね。
それを救うのは聖職者の役目、と神さまは仰っているけれど……本当にそうなのかしら。
私たちが成すべきことを成し遂げれば、神さまのお手を煩わすことなんて、ないのじゃないかしら」
沈痛な告白に、ステラは答えられなかった。
ただ、主人の手にそっと自分の手を重ねるのが精一杯だった。
飢え、疫病、重税、そして戦争。貴族がもたらすものは、庇護ではなく苦しみだけ。
失政を救うために神はいるのだろうか?
「……今、騎士ベルトランドがいてくれたら、どんなに良いでしょうね」
ステラの無垢な願いは、ヒルダの荒んだ心を癒した。
けれど、ヒルダはもう無垢ではいられない。
「そうね……でも時代が違うわ」
騎士ベルトランドは、モンテヴェルデ建国の英雄の一人である。
初代の王に仕えたベルトランドは、生まれたばかりのこの国を勇敢に守った。
しかしある時、その成功を妬む敵対者によって無実の罪を着せられ、国外に追放されてしまう。
彼が追放されて十年、初代の王が死ぬと国は乱れ、さらに領土を狙って侵略者が国境に迫った。
そのとき、ベルトランドが帰ってきた。
彼の下には、彼の徳に惹かれた百人の勇士も集っていた。
たちまち戦乱を鎮めたベルトランドだったが、王になって欲しいという人々の求めには応えなかった。
「私は国の裁きに逆らい、ここに戻った。それは罪だ。罪を犯した者は王にはなれない」と言って。
裏切られても決して祖国を見捨てず、最後まで法に従った彼は、モンテヴェルデ一の英雄である。
国を愛する心と国法の正しさを訴えるとき、必ず上がる名前でもある。
――アルフレドなら、戻ってくるかしら。
ヒルダは伝説の騎士の名を口にするたび、自分の従弟ならば、と思う。
彼なら帰ってきてくれるだろうか。裏切られた祖国のために。
――私のために。
そんな想像を追い払うようにヒルダは首を振る。
――駄目ね。私はまだ誰かに頼ろうとしている……。
「建国の父たちは、私たちのとる道を指し示してはくれるけれど、すがってはいけない。
私たちに出来るのは、彼らのように立派に生きようと努めることだけ。そのときは彼らも応えてくれるでしょう。
とにかく、まずはルカに託した手紙の返事を待ちましょう……」
そう言ってから、ヒルダはまたため息をついた。
何というもどかしさだろう。
ベルトランドは放浪のうちに培った知識によって、敵を散々に打ち破ったという。
ところが今の自分たちはどうだ。自分の国のことすら、他国人に手紙で尋ねる有様だ。
不甲斐なさに、ヒルダは知らず知らず唇を噛み締めていた。
「きっと、この国自体が牢獄なんだわ。この城がそうであるように」
自分に言い聞かせるようにヒルダは呟く。
「掟とか伝説とか、そんなものばかり有り難がって。国の外で起こっていることなど、今では気にも留めない。
嫌なものを見まいとして、自分で目を潰してしまった愚かな盲人……」
「……でも、盲人は耳と手で多くを知ることが出来るし、杖を使って目明きのように歩くことも出来ます」
そのとき、ヒルダはステラの悲しそうな瞳に気がついた。
また、愚痴をこぼしてしまった。
(お父さま、お母さま、ごめんなさい)
亡き父母に詫びつつ、ステラを励ますよう精一杯の笑みを浮かべる。
だが、仮初めの笑顔を向けてもステラは笑わなかった。
ためらいがちに口を開き、再び閉じる。所在無げに手を組んでは開く。そんなことを繰り返している。
様子がおかしいことにヒルダもようやく気づいた。
「姫さま。実は先ほど、早馬で知らせが届きました」
重々しい響き。
「……トルコ軍が、上陸したそうです」
(続く)
311 :
前スレ440:2006/02/04(土) 03:10:29 ID:q/3DjghG
感想を下さった方、有難うございます。めちゃくちゃ励みになってます。
これからもよろしく……
GJ!!
>> 火と鉄とアドリア海…
GJ!
ルカが実に男前ですなあ。ひねくれているように見えて一本筋の通ったところがある。
そのルカにからかわれて顔を赤くするステラ萌え。
ジャンカルロとヒルダの間に立って苦悩するステラが健気でした。
アルに対するニーナのさり気ない心遣いがいいですね。読んでて自分もほっとしました。
レンズ豆とライ麦のスープって美味しそうだなあ。
ラコニカとアルがどうなってしまうのか、敵軍に迫られたモンテヴェルデの行く末はどうなるのか、
いろいろと想像しつつ楽しみに続きをお待ちしてます。
> 「彼がそんなに恐ろしいか? 法王が一体幾つの<コンパニア>を持っているというのだね」
とは、ジャンカルロ公もスターリンみたいなこと言っちゃって。
>> 火と鉄とアドリア海
GJ!!
資料の下調べが半端じゃないだろうなーと、よく思います。中世のヨーロッパの空気がすごく伝わるというか。
地道な暮らしの部分を丁寧に書いてるのが地に足着いている物語、と思う。
鞭打ち教団の場面が不気味でこわくてゾッとして、とても好きでした。
ルカは男前に同意w堂々としたセクハラっぷりにニヤニヤしました。
ラコニカはアルに惚れてるんじゃないかなー、と密かに期待してたので
「だって、あの子はあんたを……」の台詞で「よっしゃああああっっ!!」って気分でした。
ラコニカぷっしゅ。アルの童貞を食うのは誰だっ、と下品な事をつい。
いろいろと妄想しつつ続きを楽しみにお待ちしてます2号。
番外続編 投下させていただきます
雨が降りそうだった。
少し前まで輝いていた筈の星々はいつの間にか暗い雲に姿を隠し、今は月さえ望めない。
空気はひんやりと湿り気を帯び、呼吸するたび、肺に水が溜まっていくようだった。
空は低く、そして黒い。
「憂鬱になるわね」
今にも溢れて落ちてきそうな空の黒を鬱々たる気持ちで見上げ、ハーラは独り言のよう
に呟いた。
優に数百年は生きているだろう巨木が地に突き立てている太い根にゆったりと腰を下
ろし、その幹に背を預けたまま、薄緑色をした丸い果実にかじりつく。
ほっそりとした白い足をぶらぶらと遊ばせて、もう片方の足を緩やかにまげて木の根に
置いた姿は正に森の歌姫だが、軽装で森を駆け回った代償である細かな傷や痣が、幻想的
な姿を現実の物へと変えていた。
「憂鬱になるねぇ」
壁のような木の根を背にして地面にべったりと腰を下ろし、ハーラと同じ果物をかじり
ながらオウム返しに呟いたのはベロアである。
こちらも、派手なコートは泥で汚れ、やや右肩を庇っている。頬にぱっくりと開いた傷
があるが、血は完全に乾いて出血はしていない。
闘争を好まない、頭脳労働タイプのアイズレスとしては、あまりふさわしい姿とは言え
なかった。
「雨、降るかしら」
ハーラの疲れたような呟きに、ベロアもうんざりと呟き返す。
「一晩中降るだろうねぇ」
「一晩中……?」
「一晩中」
ぼんやりと虚空に視線をさ迷わせながら、二人そろって深く溜息をつく。
ハーラは木の幹に預けた背を滑らせて、木の根に半ば寝転がった。
あれから、一時間も経っただろうか。
まだ二人で森を歩き回り、リョウを探し回っていた時の事である。例のごとく二人で回
りくどい悪口雑言の応酬戦をしながら歩いていたら、潅木の向こうに巨大な化物が長々と
横たわっていた。
一瞬、何かに幻覚を見せられているのだと思った程唐突な遭遇だった。歌姫とアイズレ
スが揃って歩き、最も出会いたくない生物と対面してしまう確立など奇跡に近い。
あのベロアが、思わず絶句した程である。
前足から頭にかけては羽毛に覆われた紛れもない鳥であったが、下半身は鱗に覆われた
爬虫類。尾は長く空中にゆらゆらと揺れ、月光に照らされて眠る姿は文句無く美しかった。
そう、眠ってさえいれば美しいその生物が、突如苦しげにもがきだし、割れ響くような
絶叫と共に飛び起きたのである。
そしてその声に最初に異変を示したのはテリグリスだった。
ハーラに従うようにのそのそと這い歩き、大人しいを絵に描いたようだったテリグリス
が突如奇声を上げて暴れだし、あろう事かベロアに渾身の力を込めて頭から突っ込んだのだ。
一瞬の間を置いて、ハーラは化物の鳴き声がシレーヌの声だと気がついた。そしてテリ
グリスが、声に狂って錯乱しているのだということに。
無意識的に発せられるシレーヌの声を抑えるくらい、歌姫には造作も無い事だった。
何を考える事もなく、歌えばただそれで済む。
しかし当然のように、声を押さえ込まれた化物は激怒した。硬い鱗に覆われた長い尾を
振り回し、更にけたたましい悲鳴を上げて。
「……あれ、なんなのかしら」
喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げて、癇癪を起こした子供のように暴れ狂う化物の姿
をぼんやりと思い出しながら、ハーラが答えを期待せずに呟いた。
「歎だろ。この森に閉じ込められた」
分かりきった事だというようにそう答え、甘い汁を零す果肉にかじりつく。
ハーラは予想外に答えがあった事に片眉を吊り上げて半身を起こし、根の上からベロア
を見下ろした。
「なにそれ。どういう意味?」
「歌姫ってアイズレスの言語わからなかったっけ?」
「あんたあたしとまともに会話できないの?」
「古い結界が張ってあったのを見つけたんだよ」
どこで、という質問が一瞬口まで出かけたが、ハーラは少し考えてその言葉を飲み込ん
だ。話の途中で質問を繰り返すと、知らぬ間に話題があらぬ方向へずれていく。
「たぶんウィザードが組んだ奴だろうけど、驚くほど精度が悪い。確かにあの歎の声と体
を森に閉じ込める事は出来たみたいだけど、逆もやろうとした痕跡があったよ」
「逆って?」
「進入の禁忌――つまり、歎を完全に隔離しようとしたんだろうね。だけど記号の形があ
やふやで、たぶん呪文も発音が間違ってたりしたんじゃないかな。閉じ込める事は出来た
けど、人が迷い込む事までは止められなかったと……ど素人め」
ひっそりと毒づいて、再び果肉に歯を立てる。
ふぅん、とだけ呟いて、ハーラは再び仰向けに寝転がった。
半永久的に効力を発揮し続ける事を前提としておかれた結界は、大概の場合その存在を
神経質なほどに隠される。
想定されるのは、よからぬ事を考えて結界を破壊しようとする者の存在から、子供の些
細な悪戯まで。
それが森を歩き回っている最中にちらりと見つけてしまえるとは、それだけでもアイズ
レスの観察眼の凄まじさと、そのウィザードの程度が伺える。
「……ねぇ」
「うん?」
「雨が降ったらどうするの?」
「木の根を屋根にして雨を凌げばいい」
「一晩中降るんでしょう?」
「一晩中眠ればいい」
再び、ふぅん、とハーラが呟いた。
木の根の上でかったるそうに寝返りを打ち、柔らかな花の上に転がり落ちる。
黒い花畑が、巨大な老木を中心に広がっていた。囁き草と呼ばれる、人間の親指の先程
度の、小さな袋状の花弁を持った花である。
囁き草とはその名の通り、風にゆらゆら揺れながらひっそりと囁いた。この花は遠く離
れた場所に咲くもう一輪の花と対になっており、お互いに聞いた音を対になった花が囁く
という事を枯れるまで繰り返す。
そしてこの囁き草は、群生していると歌姫の方向感覚を狂わせた。
その花が土を覆い、他の木々に蔓を伸ばして絡みついている様子を見れば、ハーラの聴
覚異常の理由など火を見るより明らかだった。
この群生を見た限り、この森には他にも多く囁き草が根差しているのだろう。音が反射
せずにでたらめな場所に吐き出されるこの森は、歌姫であるハーラにとっては恐ろしい迷
路に他ならない。
当然と言えば当然だが、ハーラに限らず歌姫は、この花の生息している森に近づくのを
嫌がった。
だが、今回ばかりはこの花に感謝せずにはいられないだろう。
なにせこの花畑の向こうでは、未だにシレーヌの声がけたたましく鳴り響いているに違
いないのだから。
「あんたってさぁ……」
「うん?」
「頭いいわよね」
果物にかじりつき掛けて、ベロアは愕然とハーラを見た。世界の終わりでも宣言された
ような態度だが、あるいはそれよりも遥かに驚愕していたかもしれない。
「木の根から高低差のある地面に転がって落ちたりするから頭を打つんだ。ほら、診てあ
げるからこっちに……」
「失礼ね! そんなんじゃないわよ!」
「じゃあ突然恐ろしい事言わないでくれよ。見てくれ、この鳥肌」
あからさまに身震いしてみせるベロアに盛大に顔を顰め、しかしすぐに諦めたように嘆
息し、ハーラはベロアと並んで木の根にとん、と背を預けた。
頭がいい、というのとは、少し違ったかもしれない。ハーラは自分が口にした表現が適
切でなかった気がして、なんとなくむっとした。
遭遇してしまった恐ろしい化物から戦略的撤退なる物をするにあたって、ベロアは最初
から決めていたかのようにこの場所に駆け込んだ。そしてこの花畑の中心――つまりはこ
の大木の周りに立った途端、収まるどころか悪化するばかりだったシレーヌの声がふっつ
りと途切れたのである。
聞けば、森を歩いている途中にこの場に出くわしたので、道を覚えておいたのだという。
説明しながら木の周りをぐるりと巡っていくつかの花を摘み取って、ベロアは結界一つ使
わず音の遮断をやってのけた。
時折風の隙間を塗ってシレーヌの声がひっそりと囁く事がありはするが、後は森の喧騒
を一手に引き受けている狂った鳥の鳴き声さえ、この場所には届かなかった。
一体、あの不気味な一つ目はどんな世界を見ているのだろうか。
一目で全ての囁き草を把握して、一瞬で引き抜くべき物を見つけ出す。ハーラにとって
は無音が無音で無いように、アイズレスにとって何も無い空間など存在していないのかも
しれない。
「でたらめ……」
「うん?」
「前言撤回。あんたは頭がいいんじゃなくて、でたらめなんだわ」
「といいますと?」
「知識が豊富で知恵もある。機知に富んでて何があろうとなかろうと、絶対絶命ぎりぎり
の土壇場で魔法みたいに打開策を見つけちゃう。皆が必死になって生きるすべを探してる
のに、まるで元々そろえてあった答えの中から片手でカードを選ぶみたい」
どう引っ掻き回しても死の選択肢しか見つからないような状況で、最小の犠牲を払って
最良の結果を導き出す。
ドラゴンと対峙してさえ無傷で生還できるのではないかと言われる程に、アイズレスの
知の力はずば抜けて高かった。故に、大国同士の戦争の殆どは両国が抱えるアイズレスに
よる戦略合戦と言えるだろう。
彼らは机上で何万人もの人間を殺す。魔法も使わず、兵器も用いず、彼らはその気にな
ればいくらでも国を潰す事ができるのだ。
「そう言われるとまぁ……でたらめな気もするかな……にしても、随分と褒めるんだね」
「まぁね……癪だけど、あんたがいなかったらさすがのあたしも死んでたもの」
ゲームで連敗してるんだとでも言う様に、ハーラは空を仰いで溜息をついた。
ベロアがきょとんとした表情でハーラを見つめ、ついで、面白そうに唇に笑みを乗せる。
「なぁるほど。命を救ってくれた事への感謝の表現がそれなわけだ。僕の事見直した?」
「まぁ……感心はしたわよ。ちょっとだけ」
からかうように言うベロアに不満げな顔をしながらも、それを否定する事はない。
振り上げられた長い尾、それが眼前に迫った瞬間、ハーラは漠然と死を意識した。だが
一瞬の後にハーラが耳にした音は、自らの首が圧し折られる音ではなくて、硬い鱗に覆わ
れた尾が柔らかい肉を浅く裂き、空をないで木々の幹を粉砕する音だった。
ベロアがハーラを抱きかかえ、密生した潅木の中に飛び込んだのである。ベロアはこの
時に肩を痛めて頬を切り、そしてハーラは全身を枝に裂かれて痛々しい痣を作ったが、首
を圧し折るどころか頭を粉々に粉砕される所だったと思えば、まさにかすり傷である。
数本の巨木を一度になぎ倒す程の力が、頬すれすれを通って髪をかすった時の事を思い
出すと、ハーラはそれだけで何度でも失神する事ができる気がした。
「ちょっとね、ちょっと……まぁ、それでも僕を嫌っている生物に褒められるっていうの
は、なかなか気分がいいもんだね」
「率先して嫌われようとしてた男の台詞としては不適切極まりないわね」
「僕に惚れるんだったらロウの許可を取ってからにしてくれよ?」
「話の流れに沿わずに突拍子もない妄想ぶちまけるのはやめて頂戴」
冗談にしても性質が悪いと、ハーラが恐怖に震えるような表情でベロアを睨む。半ば本
気の嫌がらせであるその態度に全く動じた風もなく、ベロアは傷ついたふりをして軽く肩
を竦めて見せた。
「まぁ、でたらめ云々かんぬんで言うんだったら、僕は君の方がでたらめだと思うけどな」
果肉から手に垂れた汁を舌先で舐めながら、ベロアが器用に呟いた。先程のベロアと同
じように、ハーラがきょとんとしてベロアを見つめ返す。
「あたし? 何がよ」
「化物だろうと動物だろうと、声で意志を伝える生物なら全ての言語を理解して、おまけ
に使役とは別種の懐柔ができる。聴力は雑踏の中で羽が落ちる音を聞き拾い、歌姫と名が
付くくらい美しいシレーヌの声を操れる」
ほうら、物凄くでたらめだ、と軽く肩を竦めて見せて、ベロアはその上君は、と言葉を
繋いだ。
「歌っただろう? あの状況で」
「あの状況?」
「テリグリスが暴走した時」
「……あたりまえでしょ? だって、歌わないと暴走止まらないじゃない」
なにを当然の事を、と片眉を吊り上げたハーラから視線を外し、ベロアは木々の奥に広
がる漆黒の闇を見つめながら手に持った食べかけの果実を弄んだ。
「そうだねぇ……でも、普通逃げるんじゃないかな。周りの事なんか気にしないで。君の
言葉を借りればだけど、君は元から一つしか選択肢が存在して無いみたいに、留まって歌
う事を選んだんだ。そして君はシレーヌの声に狂ったテリグリスと、声に意識を根こそぎ
持ってかれた僕を一瞬で立ち直らせた。糸の切れてない君でさえそんな事ができるんだ。
僕から言わせれば、そっちの方が信じがたい」
そういうものかしら、とぽつりと呟いて、ハーラが残りの果実を丸ごと腹の口に放り込
む。そういうものさ、と呟き返し、ベロアも最後の一口にかじりついた。
「……ひょっとして褒めてる?」
隣にぐるりと首をめぐらせて、ハーラは意外そうにベロアを見た。
「事実の羅列に過ぎないけどそうなるかな……なに、その顔?」
「不気味だわ」
「前々から言おうと思ってたけど、君も大概失礼だよ……?」
呆れたように瞳の色を変色させて、ベロアが口元を引きつらせた。
「お互いさまよ。……にしても、あんたにも影響出てたのねぇ。気付かなかったわ」
「でなきゃテリグリスの突進なんか避けてるよ」
言いながら、木から少しはなれた所で平らになって眠っているテリグリスをダークブル
ーの瞳で睨み付けると、ベロアは花畑に沈む角ばった巨体めがけて芯だけになった果物を
投げつけた。
硬い芯が直撃したテリグリスはぎょっとして飛び起きて、何が起こったのかとその場で
ぐるぐると回り始だす。
「ちょっとなんてことすんのよ! 可哀想じゃない!」
「あの巨体に突進された僕の事は可哀想と思わないのかい?」
「思わない。あの子だって好きでやったわけじゃないんだから、許してあげなさいよ大人
気ない」
「好きで肋骨にヒビを入れられたらたまらないよ」
あっけなく切り捨てられ、鼻を鳴らしてそっぽを向いたベロアの側を、白い線が横切った。
硬い幹にぶつかって、弾けて四方にしずくをたらす。
続いてぽつり、ぽつりと、そこいら中で音がした。
「雨……」
ハーラが呟くとベロアも黒い空を見上げ、びくりと肩を竦ませて首筋に手を当てる。
「降ってきたか……」
慌てて這いよってきたテリグリスを大きくせり出して屋根を作っている根の下に押し
込んで、二人もそこにもぐりこんだ。
雨が降り始めて一分とたっていないだろう。あたりは突然気温が下がり、ハーラは自分
の体を抱き寄せた。
「マスター、平気かしら?」
「うん?」
ぼんやりと呟いたハーラの声に、ベロアが眠たげに聞き返した。
その声にはハーラと違い、寒がっている様子はない。
あぁ、アイズレスは体温が低いのか、とぼんやりと思いながら、ハーラはなんとなく重
たい瞼をこすってひっそりと息を吐いた。
「マスターよ……まさか心配してないの? こんな暗くてこんなに寒い森の中で、たった
一人で迷ってる……モンスターだっているだろうし、おまけにシレーヌの声が響いてて雨
まで降り出す始末だわ」
きっと、どこかの木の洞に身を潜め、声を殺して泣いている。
しかしハーラは自分の声に、いつものような覇気がない事に気付いていた。雨が降った
途端に水と草の臭いが辺りを包み、それに折り重なるように眠気がハーラを包んでいた。
「もちろんしてるさ」
そう言ったベロアの声もどことなく眠たげで、ハーラはすぐ隣にいるベロアに視線を投
げた。
予想していた一つ目は、既に髪の奥にしまわれていて伺う事は出来なかった。
ベロアも自分と同じように眠いのだろうか? 雨によって何かが空気中に撒き散らさ
れて、その何かが生物の眠りを誘っているのかもしれない。
「君は、あの歎をどう思う?」
唐突に、ベロアが静かに質問を差し出した。
どう思う、というのは、アイズレスにしてはひどく曖昧な聞き方だった。それは、質問
の意図さえもハーラに任せる聞き方だったが、そう聞けばハーラがどういう答えを返すか
予想をしていたからかもしれない。
ハーラはぼんやりとした意識の中で、ふと浮かんできたイメージをそのままの形で呟い
た。
「寂しがりやの男の子……」
なんの抵抗もなく浮かんだイメージは、暗がりの中で座り込み、声も出ない程の恐怖に
おびえる少年の姿だった。
悪夢に起きて、ママを探して、縋る相手が見つからなくて寂しさと恐怖に立ち竦む。
「……あれは、あの子の恐怖じゃなかったわ。あれは、傷つけられた恐怖……それ以上に、
傷つける事への恐怖……」
あの悲鳴は、縋る物を求めながら孤独を渇望している声だった。
ハーラが独り言を呟くように答えると、ベロアは満足そうに、確信めいた表情を浮かべ
て頷いた。
「もしかしたらって、思うんだ……あの歎は、ひょっとしたら他人の恐怖を夢に見るのか
もしれない。感受性の強い子供みたいに、近しい者の憎悪や怒りを敏感に感じ取り、それ
を夢に見続けているのかもしれない」
だとしたら、と言葉を繋ぎ、ベロアは雰囲気だけで心持微笑んだ。
「少しだけど、安心しない?」
「安心……?」
「頭の悪いモンスターだけならまだしも、この森には綺麗に大木を切り倒す頭のいい何か
がいる……あの状況から見て、リョウはきっとその何かの所にいるんだろう」
「そしてその何かは、ボロボロに傷ついた、優しすぎる男の子……?」
何かと言うのがモンスターの事なのか、異種族の事なのか、それとも人間の事なのかハ
ーラには想像できなかったが、不思議と、ハーラはリョウが楽しげに笑っている姿を想像
して微笑んだ。
あぁ、あの人ならば、きっとどんな生物でも“手懐け”られる。それが例え恐ろしいド
ラゴンだろうと、彼女の前にかしずかずにはいられない。
「そして僕らは、その何かに侵入を拒まれた……結界――たぶん、さっき言った進入の禁
忌。僕らは迷うか結界の切れ目を見つけ出すかしない事には、決して先には進めない」
それじゃあ、一体どうするのよと言う声は、溜息となって腹の口から抜けていった。
声にならなかったその質問に答えるように、ベロアが再び口を開く。
「明日、道を探すよ……いくら精巧な結界でも、そこに住む何かがいるからには必ず通路
が必要だ。少し時間がかかるかもしれないけど……ハーラ、寒いならこっちにおいで」
言いながら、ベロアはコートの前を開け、ハーラの体を包み込んで引き寄せた。
低い気温の中にいれば、アイズレスの体温もぬるい程度に暖かい。
さぁあ、さぁぁと音がする。雨が森の葉に当たり、葉から土へと落ちていく。ハーラは
蝙蝠羽を小さくたたみ、ひっそりと目を閉じた。
続
>火と鉄
サトケンのイタリア板?
ゴンザレス氏キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
乙&GJ!
読んでいて毎回のように世界観へ引き込まれます。
ベロアとハーラの掛け合い漫才が面白かった。
>火鉄
相変わらず面白すぎるクオリティ高すぎる。超GJ。
続きも激しく楽しみにしてます。
>ゴンザレス氏
久々にちょっと本編読み返してからまたこの外伝読んだら
まだベロアとハーラが仲悪いことに改めてなんか萌えた。
ハーラいいよハーラ。今後親友になる過程が非常に待ち遠しいです。
しばしば言われていることなのだがどの作品も実にレベル高い。
職人様方頑張ってくだされ。
ここの良さの秘訣は、書き手も読み手も、住人全般として気が長いということじゃないか、と思った。
2週間前のSSにレスをつけるのが普通なスレってあまりないし。
一ヶ月くらい間が開いても、誰も「続きマダー」とかしないしね。
ちゃっかりエロかったりするが、スレタイのおかげかお子様も来ないし。
なにはともあれ職人さんGJ!
327 :
前スレ440:2006/02/18(土) 23:56:11 ID:LICjUBFK
>>300からの続き。「火と鉄…」の第十話です。今回は衒学趣味に走ってます。
えと、前回のジャンカルロの言葉は、まさにスターリンの有名な台詞のまんまです。
現実主義者の言葉として使わせてもらいました。
それから、佐藤賢一氏の本は「王妃の離婚」「双頭の鷲」が好きですね。
けれど、彼のイタリア版なんて大それたことは考えてないっす。
1.
その朝、アルフレドはいつものように仕事を片付け、麦粥を啜っていた。
(最期の食事がこれじゃ、やり切れないな)
そんなことを思い、歯に当たる麦の殻を吐き出しながら黙々と朝食を片付けていく。
すると、近づいてくる軽快な足音が聞こえた。
コンスタンティノだった。
彼が傭兵たちの朝食の場に現れるのは珍しい。
「アル。今日、午後から付き合え」
挨拶も何もなしに、彼はそう切り出した。食事の手を止め、アルは顔を上げる。
「……何事です?」
「あるお偉いさんを昼食に招待したんだ。だから、ある程度作法を知っていて、話が分かる奴が欲しい」
「ああ……なるほど。でも、僕、行儀作法とかそういうのは得意じゃ……」
コンスタンティノは笑って首を振る。細かいことはどうでもいいらしい。
「単なる俺のお供だ、難しく考えるな。それにしても……汚いな、お前。後で俺の宿舎に来い。
とりあえず風呂に入れ。それから小ましな服を貸してやる」
アルは申し訳なさそうに頭をかく。
金がないので、服を新調するどころか、風呂にもなかなか入れない。
アルの様子に微笑むと、コンスタンティノはくるりと背を向ける。
思い出したように、アルが声をかけた。
「あの、ところで『お偉いさん』って、誰です?」
立ち止まったコンスタンティノは、振り返って叫ぶ。
「俺たちの雇い主さ。ウルビーノ公フェデリーコと、ナポリ皇太子アルフォンソ公だ!」
思わずアルは皿を取り落としそうになった。
どちらも、イタリアを代表する大貴族である。
そんなやりとりがあった、午後。
アルフレドは軽く緊張しながら、二人の賓客を迎えていた。
村はずれの広場に長いテーブルが並べられ、その上には皿や杯が並んでいる。
一つにつき、十人が楽に食事できる卓が十脚以上。全ての席が人で埋まっている。
だがその中で『狂暴騎士団』に属するのはアルとコンスタンティノだけ。
残りは全て、ウルビーノとナポリの宮廷に属する人々だった。
全員を見渡せる場所に置かれたテーブルに、二人の賓客とコンスタンティノ、アルが着席する。
皆の注目を浴びる人物こそ、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ。
そしてナポリ皇太子にしてカラブリア大公、アルフォンソ・ダラゴーナだった。
「さて諸君!」
杯を片手に、フェデリーコは立ち上がった。
すでに老年といっていい人物だが、その体はがっしりとしており、しかもその仕草は機敏だった。
家臣たちの目を集めたところで、彼は周囲を見渡し、それから言った。
「Eccoci,in pace! (ご覧、のどかだ!)」
一斉に家臣たちが笑う。
確かに、平原のあちらこちらには早咲きの花が見え、風は穏やかだ。
だが、何故皆が笑ったのか分からず、アルはきょとんとしている。
フェデリーコが続ける。
「諸君。まずは無数の言葉より、一杯の酒を干そうではないか。
共に労苦を分かち合ったカラブリア人と、我らマルケ人の変わらぬ友情を願って。
そしてとりわけ、友情を育む機会を作ってくださった……法王猊下に!」
『法王猊下に!』
一段と大きな笑いとともに、一斉に杯が飲み干された。
いたるところで、異なる紋章をつけた男たちが、互いに労をねぎらい肩を叩き合っている。
そのとき、初めてアルには先ほどの言葉の意味が判った。
“In pace”とは「平和だ」という意味もある。
「……コンスタンティノ、もしかして」
杯に口をつけることも忘れ、アルは隣の上官に声をかける。
コンスタンティノは、酒を飲み干してから意外そうな顔をした。
「知らなかったのか? 戦争は終わったんだ」
そう言って、小姓にもう一杯のワインを頼む。
如才なくフェデリーコに愛想笑いを浮かべるコンスタンティノ。
その傍らで、アルは言葉を失ったまま自分の杯を見つめていた。
「……言葉が過ぎますよ、フェデリーコ陛下」
笑わなかったのはアルフレドだけではなかった。
皆が着席すると、眉をひそめたカラブリア公アルフォンソが、そう言ってフェデリーコを咎めた。
だが、その礼儀正しい抗議にも、フェデリーコはちょっと片目をつぶって見せるだけだった。
そのとき初めて、アルはフェデリーコが隻眼――右の目を失っていることに気づいた。
「なに、ちょっと皆の意見を代弁してみせただけだよ。何しろよく分からぬまま戦に駆り出され……
こちらには一言もなく、今度は今まで刃を交えた奴らとともにトルコと戦え、と来てはなァ」
そう言うとフェデリーコは肩を揺すって笑った。
隻眼、鷲鼻、がっしりとした額と顎を持った彼が笑うと、それは人というより獣のようだった。
「それについては、ロレンツォ・ディ・メディチの手腕を称えるべきでしょう。侮れぬ奴です」
対照的に、アルフォンソは穏やかな笑みを浮かべた。
立派な口ひげをちょっと指でしごき、同意を求めるように首を傾ける。
「ロレンツォが、殿下のお父上と直接膝を交えて話し合ったと聞きましたが?」
コンスタンティノの言葉に、アルフォンソとフェデリーコは同時にうなづいた。
和平にいたる道は、一編の冒険譚の如きものだった。
なんと、フィレンツェのロレンツォは敵であるナポリ王の宮廷に単身赴き、和平交渉を行ったというのだ。
アルフォンソの父、ナポリ王フェッランテは気難しく、冷酷な性格で知られている。
二年にも渡って戦い続け、フィレンツェを破滅寸前まで追い込んだのも、彼の戦意が堅固だったが故だ。
ロレンツォが一つ対応を間違えれば、命は無かっただろう。
だが、ロレンツォの豪胆さに度肝を抜かれた王は、和平交渉の席に着くことに同意したのだった。
もちろん、ロレンツォの決死の試みだけが、この和平をもたらしたわけではない。
ロレンツォは銀行業でたくわえた莫大な富と、その外交手腕を惜しみなく生存のために使った。
まず、唯一の同盟国であるミラノ公国に和平の仲介を求めた。
こうしてミラノ公ルドヴィーコの娘、イッポリタ・マリアがナポリとフィレンツェの仲介を買って出た。
何しろ彼女は皇太子アルフォンソの妻で――しかもアルフォンソは恐妻家だった。
ロレンツォはそんな夫婦関係まで考慮して、彼女に白羽の矢を立てたのだ。
また、大金がフィレンツェからフランス王の宮廷へと流れたという噂が立った。
噂を裏付けるように、二月前、突如フランス王はマルセイユにあった国王艦隊をイタリアに向け出発させた。
ナポリに軍事的圧力をかけるのが目的なのは明らかだった。
そして同じことが、トルコのスルタンにもなされたという。
「いまやアドリア海には、アクメト・ジェイディクの艦隊が遊弋しています。
しかも我がナポリ領オートラントからわずか三十ミリア(約五十五キロ)のところにですよ!」
頭を振りながら、アルフォンソは大げさに嘆いて見せた。
二つの大国に東西から圧力をかけられ、皇太子の妻からの口添えがあっては、ナポリ王も折れるしかない。
こうして、ついに二年にも及ぶ教皇・ナポリ同盟とフィレンツェの戦争は終わった。
約一ヶ月前、三月十三日のことだった。
2.
「それで……トルコ軍はどうなりましたか?」
胸の前で手を組みながら、ステラはためらいがちに聞いた。
「トレミティ諸島を押さえたあとは、偵察船を出す程度で、これ以上攻めて来る気配はないって。
数も軍船十隻、千人程だというから、おそらくこちらの様子を探るのが目的なのでしょうけど……」
トルコ軍の動きが活発でないと聞いて、ステラは胸を撫で下ろす。
だが、ヒルデガルトの顔は暗い。
「……市長を含め、二百人の市民が殺されたそうよ」
そういって、彼女は手に持っていた書簡を机の上に伏せた。今朝届いたばかりのものだ。
陥落した町に降りかかる運命はいつも同じ。それがトルコの手によるものでも、教皇軍のものでも違いはない。
しかし、頭で分かっていても、納得出来るものではない。
「それで……大公陛下はどのように?」
気持ちを切り替えるように、はきはきとした声でステラは言った。
それでもヒルダの沈んだ様子は変わらない。
「直参の兵に出陣の準備をするよう命じられたわ。早晩、諸侯の軍も招集されるでしょう。
それに、ほとんどの商船は軍が借り上げるとか。ヴェネツィア行きの船も、ターラント行きの船も、全て」
「……では、ルカに一日も早く発つよう、明日にでも伝えます」
聡明なステラに、初めてヒルダの表情が緩む。
「ありがとう。では、彼にこれを渡して」
その手にあるのは、彼女のサインが入った渡航許可証。
公国の伝令が他国に赴くときに支給されるもので、大公の伝令船に乗船することが出来る。
ジャンカルロに察知される可能性もあったが、背に腹は変えられない。
民間の船は当分無いし、時間のかかる陸路など最初から問題外だった。
トルコが攻撃したのは、アドリア海に浮かぶトレミティ諸島。
本土からたった二十キロしか離れていない、小さな島々だった。
サン・ドミノ、サン・ニコラ、カプラーラの三つの島から成り、人口は千五百人ほど。
大公の直轄地ではなく、住民のほとんどは漁師という、経済的にも戦略的にもほとんど価値の無い所だ。
だが封建領主の務めとして、大公は家臣の領地を守る義務がある。
だからこそ、トレミティの領主が大公の出陣を求めたとき、彼は断るすべを持っていなかったのだ。
窓から中庭を見下ろせば、城の兵士たちは黙々と戦の準備を整えている。
馬に新しい蹄鉄を履かせる者、鍛冶場で武器を研ぎ直す者。弓の張りを確かめる者。
だが誰もが思いつめたような顔をしている。
「姫さま……平気ですよね? まさか異教徒がこの町に襲ってくるなんてこと、ありませんよね?」
ステラの問いかけにヒルダは答えを持たなかった。
少なくとも、イタリアのどこを見渡しても、モンテヴェルデと肩を並べ、トルコと戦おうという国はいない。
フィレンツェやミラノは動かず、ナポリは自国の防衛だけを考え――ヴェネツィアは裏切った。
一つだけ確かなことがあるとすれば、この国は余りに価値が無いということだ。
イタリア諸国にとって守る価値もなければ、トルコにとって襲う価値もない。多分。
「大丈夫よ、きっと」
自分に言い聞かせるようにヒルダは呟く。
そして、彼女を残して自室を後にした。この後に大事な謁見が控えているのだ。
最後まで、ステラと目を合わせることは出来なかった。
――謁見の間には、冷たい空気が流れていた。
その人物を迎えるときはいつものことだったが、今日は特別だった。
何より、普段は柔和なヒルデガルト自身が冷ややかな視線でその人物を見据えていた。
その人物とは、ヴェネツィア共和国の大使だった。
「つまり、ヴェネツィアは今回の出兵には協力できない、と?」
ヒルダの隣に座ったマッシミリアーノは、苛立た口調で尋ねた。
懸案は、トレミティ諸島への出兵に対し、ヴェネツィアが兵の輸送その他で協力するか否かである。
大使はいかにも辛そうに顔をゆがめて見せた。
「残念ながら、トルコ艦隊の主力は未だヴァローナにあり、その数は九十隻以上です。
それゆえ、我らの艦隊もスパラート港に待機せざるを得ず……」
そう言って頭を下げるが、それが真実でないことをこの場にいる多くの人間が知っていた。
「たった数隻の護衛も出せない。それがお答えならば、私たちの友情はどこにいってしまったのでしょう」
ヒルダが問い詰めても、大使は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
丸腰の輸送船団を敵地に送り込むのはいかにも危険が多い。
わずかであれ護衛の軍船がいれば、その危険は大幅に減るのだ。
だが、ヴェネツィア大使はいつもと同じく、強硬だった。
「お言葉ですが、そもそもモンテヴェルデの軍船がトルコを攻撃しなければ……」
そう言いかけた大使は、怒りを含んだマッシミリアーノの目を見て口をつぐんだ。
公にはモンテヴェルデ艦隊が勝手にトルコ艦隊を攻撃し、結果として彼らを挑発したことになっている。
頭から信じる者はもうほとんどいないが、建前は建前として厳然とそこにあった。
「話を変えよう。先日立ち消えになった融資の話だが……」
言いかけて、大公は一つ咳をした。
失礼、と呟いて、ヴェネツィア大使の方に向き直る。
「……どうして急に?」
言い終わると、マッシミリアーノはため息を漏らした。
謁見の間にいる全てのモンテヴェルデ人が、一斉に釈明を求めて目を向けた。
「政府の方で、一つ一つの融資について把握いるわけではありませんが……
現在戦争に備え、外国への融資は抑制するよう元老院の通達が出ておりますから、そのせいではないかと」
「しかし、我が国は先日の艦隊購入費についても、一日の遅れもなく返済しています。
我々が融資の対象から漏れる理由はないはずです」
そう答えるヒルダに、家臣たちは苛立ちを込めて見つめる。
どうも、最近この小娘は口を挟みすぎる、と。
だがヒルダを咎めることができる人間はいなかった。
いるとすれば大公マッシミリアーノだが、彼は黙ったままだ。
「融資の判断は、現在の状態はもとより、将来の支払いの可能性についても考慮します。御存知でしょうが」
大使といっても、彼もまた商人の国ヴェネツィアの人間だ。
つけ焼き刃のヒルダの抗弁など、児戯に等しかった。
「モンテヴェルデの国庫収支は、今後も悪化する可能性があります」
「つまり、ヴェネツィアの方々は我々への融資を危険と判断しているわけですね?」
「申し上げにくいことではありますが……」
大使に向けられるヒルデガルトの眼差しが敵意に満ちたものに変わった。
つまり、ヴェネツィアはモンテヴェルデが戦争に負けると考えているわけだ。
――だが、それは、一重に彼らが援軍も資金も寄越さないからではないか!
「今後の戦局次第でしょう、遺憾ながら――」
そう言って大使は列席した貴族たちを見回した。
「陸に上がった敵について、ヴェネツィアはいかなる義務も負っておりませんゆえ」
トレミティ諸島に上がった敵を自力で撃退して見せろ、そうでない限り何もしない。
大使の言いたいことは明らかだった。
実際は、トルコとの密約によりいかなる援助も約束してはならない、と本国から指示されていたのだが。
「では、ヴェネツィアの方々にご覧入れましょう」
玉座から立ち上がりながら、ヒルダは言い放つ。
薄絹のレースが光を弾いて、幾重もの輪を描いた。
「モンテヴェルデ騎士の勇敢さを。我が旗の下に弱卒なし、と……」
優雅な笑みを浮かべながら、ヒルダはマッシミリアーノに振り向く。
そこで、彼女は大公の異変に気づいた。
両手は力なく垂れ下がり、頭を傾げたまま、人形のように固まっている。
「……陛下?」
ヒルダの声が広間に響く。
動揺の波が広がり、家臣が騒ぎ出す。
ヒルダは大公の肩を掴み、力一杯揺さぶった。小姓たちが玉座に駆け寄ってくる。
「陛下? 陛下っ……!」
3.
「……つまり問題は、シクストゥス四世の日和見だ」
何杯目かのワインを飲み干し、ウルビーノ公フェデリーコは呻いた。
「ジョヴァンニにも奴を止めるよう言っておるのだがな。あの成り上がりは一族のためなら恥も忘れる」
ジョヴァンニとは教皇シクストゥス四世の甥で、フェデリーコの娘婿。
教皇庁ローマ長官と、ウルビーノ領セニガッリアの領主の肩書きを持つ人物だ。
「それがローマです」
コンスタンティノは曖昧に同意した。
今の教皇は貧しい漁師の家の生まれだった。
フランチェスコ会修道士から修道会のイタリア管区長、総長、そして枢機卿を経て教皇に選ばれた。
陰謀と裏切り、暗殺が蔓延した教皇庁にあって、こういう人物が信頼するのは身内だけだ。
その結果、教皇庁の要職の多くを、シクストゥス四世の一族デッラ・ロヴェーレ家が占めている。
「だからこそ、フィレンツェで政変が起こると、喜んで戦争を吹っかけた。メディチ家を追い落とせると思ったんだろう。
そして、負けそうになると今度はトルコと戦えと言い出す。そんな奴だ、あいつは」
ひとしきり愚痴ったあと、フェデリーコは席に深く腰掛けた。
ウルビーノ公国は形式上教皇に臣従している。教皇庁に振り回されるのも一度や二度ではない。
「『聖戦の参加』については、どう答えたのです」
皇太子アルフォンソの目がわずかに光ったようだった。
その言葉に、フェデリーコもにやりと口をゆがめて見せる。
「いくら酒に酔っても、そんな重大な外交上の秘密は漏らせんよ……いや、冗談だ。
とりあえず今は余裕が無いと答えておいた。まずはスルタンと交渉すべきだ、ともな。
まったく、あの男にこの言葉を聞かせてやりたいよ。
『これまで刃を交えあった宗教の間にも、ある実現可能な妥協点は見出し得る』」
「クザーヌスですか」
「わずか半世紀前の言葉だぞ……『人間は退化している』という教父たちの言葉は正しいのだろう」
「おい、クザーヌスってなんだ」
コンスタンティノは、隣のアルフレドを肘で突いた。
「え、は、な、なんですかっ!?」
不意をつかれ、アルは思わず大声を上げる。食卓の視線が、一気に彼に集まった。
二人の大公は驚きで目を丸くし、コンスタンティノは額を抑えている。
アルは、目の前の食事に集中し切って、全く話を聞いていなかったのだ。
それは今日の食事が豪勢だということには余り関係が無い。
確かに、新鮮な子羊肉のローストに、猪のハムを沿えた主菜はもう何ヶ月も拝んでいないご馳走だ。
しかしそれよりもアルは、「フォーク」の扱いにかかりきりだったのだ。
イタリアの北部では、この道具が食事に使われるということは、アルフレドも知っていた。
しかしモンテヴェルデの貴族たちはそれを「気取った、馬鹿らしい習慣」を軽蔑していた。
食事とは手で食べるものだ、と。
だから、コンスタンティノに今日は「フォーク」を使うよう言われたときは、絶望的な気分になった。
悪戦苦闘しながらでは、料理の味すらよく分からない。ましてや食卓の会話に混じるなど不可能だった。
あちこちにソースを飛ばし、ひどい惨状を示しているアルの皿を見て、大公たちは全てを理解したようだった。
アルフォンソが静かに立ち上がり、アルフレドの後ろに立った。
そして、そっとアルの手に自分の手を添えると、「フォーク」の使い方を教え始めた。
「……そう、力は込めず上から……はい左手にはナイフを持って。1、2、1、2」
簡単だろう、とでも言うようにアルフォンソは目を細める。
未来のナポリ王直々に食事の作法を習い、アルは顔から火が出そうだった。
「……で、何の話だったかな」
アルフォンソが席に戻ったところで、声を立てずに笑っていたフェデリーコは、ようやく笑顔を引っ込めた。
「法王猊下の聖戦思想とニコラス・クザーヌスの思想について、ですよ」
アルフォンソの言葉に、フェデリーコはそうだった、とうなづく。
フェデリーコは高名な傭兵隊長であり、名将として知られる君主だ。
だがその一方で知識を愛し、無数の賢者を宮廷に集めている。自身も一流の学者であった。
「彼が『De pace fidei(信仰の平和)』を書き上げたのは、東方教会との交渉の帰途であったという。
さらに欧州がオスマン・トルコの軍事的脅威にさらされた時代……まさに今と同じ状況だというのになァ」
「クザーヌスってのは、偉いのか」
コンスタンティノが再び小声で尋ねる。こういう時のためにアルを同席させたのだった。
アルも今度は大声をたてなかった。
「ニコラス・クザーヌス、『教皇のヘラクレス』と呼ばれた人物です。
歴代の教皇に仕え、東西教会の合同に力を尽くしました。『信仰の平和』は彼の書いた本の一冊です」
分かったのか、分からなかったのか、コンスタンティノはその説明に曖昧にうなづいている。
そのやり取りをフェデリーコは見逃さなかった。
「クザーヌスを読んだことがあるのかね?」
質問の相手が自分だと気づいて、アルははっと居住まいを正した。
いかめしい顔が、こちらをじっと見ている。
「……いくつか拾い読みした程度です。城の図書室は、あまり豊かではありませんでしたから」
「アルフレド、モンテヴェルデの出身だったな? 城の騎士だったのか?」
「いえ、騎士見習いでした」
騎士見習いで本を読むとは珍しい、とフェデリーコは笑った。
文武両道のフェデリーコが変わっているのであって、多くの騎士は文盲に近い。
「ではモンテヴェルデには、あれはあるかね。レオン・バッティスタ・アルベルティの……」
陛下、とアルフォンソが諌めるより、アルフレドが答える方が早かった。
「……『De re aedificatoria(建築について)』ですか」
先回りされ、フェデリーコはぱっと目を輝かす。
「あるのか!?」
腰を浮かせて尋ねるフェデリーコに、アルは申し訳なさそうに首を振った。
「残念ながら、噂で聞いたのみです。陛下の図書館に無いものが、どうして我が国にありましょう」
「うーむ……そうか。いや、何年も前からフェラーラ公に筆写を頼んでいるのだがな。なかなか返事がない」
活版印刷は既に発明されているものの、未だに本の大部分は筆写によって複製されていた。
それゆえ、大貴族であってもなかなか望みの本を手に入れることは出来ない。
今、フェデリーコが夢中で探しているのが、アルベルティの『建築について』だった。
ちなみにウルビーノの宮殿にある図書室は欧州一との評判が高い。
「今度、我が宮殿の図書室をウィトルウィウスの図版で飾らせようと思うのだ」
フェデリーコは、そう言って相貌を崩した。
「ウィトルウィウスが図版を残していたとは初耳です。そんな貴重な写本をどこで……」
アルが尋ねると、ウルビーノ公は同好の士を見つけた、とばかりに歯を見せて笑った。
「シエナから来た二人の建築家が、彼の書物の記述から素描に起こしたのだ」
「なるほど、彼の『De Architectura(建築論)』には一点の図版も残されていませんからね。
しかも、ザンクト・ガレン修道院のものが正本とされていますが、写本によって記述が違ったりする」
「そうだ。異なるシュムメトリア(比率)が記載されている。ゆえに古代の知恵を完全に再現することはできない。
その点、アルベルティは異なる手段で古代の建築理論を再構成したと聞くが」
「現存するいくつかのローマ人の遺構を調査し、ウィトルウィウスと比較することで、新たな比率を確定したそうです。
さらに、建築は人体の比例に基づくべきだとも。それにより、理想の建築は五つの配置に整理出来る……」
「ミクロコスモス(小宇宙)論か。我が親友、ピエロ・デッラ・フランチェスカが喜びそうだなァ。
何にしろ、ますます読みたくなった。古代人に匹敵する著作を、現代イタリア人が著すとはな!
それにしても、本当はお前、アルベルティを読んだことがあるのではないか?」
フェデリーコは意地悪そうに言った。
そこで初めて、アルフレドは会話に夢中になっていたことに気がつき、そっと頭を掻いた。
「建築には、詳しいのかな?」
そのとき、今まで二人の会話を見守っていたアルフォンソが口を挟んできた。
突然の質問に、アルは戸惑う。
「いえ……先ほども申し上げたように、城の図書室はあまり豊かではなく……
建築についても、旅の学僧から一晩講義を受けた以外は、ほとんど独学です」
「他にはどのような本を?」
アルはちょっと首をひねって、今まで読んだ本を思い出そうとする。
そのとき、ずいぶん長い間文字から遠ざかっていたことに気づき、僅かに寂しさを感じた。
「……まずルッジェーロ・バコーネ(ロジャー・ベーコン)の経験論を彼の神学と共に学びました。
それから、ペトロス・ペレグリヌスの『De Magnete(磁石について)』。
古代の賢人ではヴェゲティウス。近年の著作では、リーミニのヴァルトゥリオやフォンターナ……」
アルがいくつかの名前を挙げたところで、アルフォンソは少し考え込むような様子を見せた。
アルとコンスタンティノはそんな彼を見守り、フェデリーコは何かを悟ったような顔をしていた。
「アルフレド、私の国に来い」
突然の申し出に、アルはうろたえる。
「な、何故です?」
一瞬真剣な目をしたアルフォンソは、すぐに彼らしい柔和な顔に戻って言った。
「ナポリは、今多くの建築や工学の専門家を求めている。何しろトルコとフランスの脅威が迫っているからね。
要塞、砦、塔に城門……早急になすべき仕事は多く、人材は余りに足りない。だから――」
「ま、待ってください」
ナポリ皇太子に反論するなど、普段のアルには出来ないことだったが、今は違った。
何か、とんでもない重荷が自分に背負わされようとしているのを、感じたのだ。
「僕は建築の専門家でも何でもありません!」
「そうかな?」
必死の抗弁も、アルフォンソに軽くあしらわれた。
「我がウルビーノの宮廷からも、何人かの建築家や工学者を派遣している。だが何しろナポリは広い」
フェデリーコが初めて口を挟んだ。
「その通り。君には失礼だが、『素人よりはまし』でも喉から手が出るほど欲しいのだ。
何しろ石工が図面どおり壁をこしらえたか、それすら分からない人間ばかりだからな。我が家臣たちは」
アルフォンソが、周囲の家臣に聞こえないようにささやき、素早く片目をつぶって見せた。
「……頼む」
アルフォンソが頭を下げ――ついにアルフレドは折れた。
かつて貴族の末席に並んでいた記憶が、これ以上の無礼を許さなかったのだ。
「あの、殿下。申し上げますが、アルフレドはまだ我が部下で……」
借金もあります、コンスタンティノがそう言いかけたとき、アルフォンソは分かっている、とうなづいた。
「さて、そこでだ。『狂暴騎士団』を我が国で雇おうじゃないか。アルフレドのみを雇ったのでは筋が通らない。
それに、要塞だけ建てて、守るべき兵がいなくては話にならないからな」
「で、殿下!」
その瞬間、コンスタンティノは跳び上がらんばかりに喜んだ。
そして、深々と頭を下げる。
「何を白々しいことを。今日食事に招いたのがなんのためか、我々が気づいてないとでも思っているのか?」
フェデリーコの言葉に、アルフレドは初めて今日の会食の意味に気づいた。
戦争が終われば解雇されるのが傭兵の常。つまり新たな売り込みの場だったのだ。
「ま、どちらにしろ今日はお互い得るべきものが多かった! そうじゃないかね、諸君?」
フェデリーコは大笑し、三人もそれに倣った。
同席者の反応に満足そうにうなづくと、彼は小姓に新しい酒を持ってくるよう命じた。
――午後の会食が終わり、村に静けさが戻った。
今後の予定を打ち合わせ、大まかな契約内容を決め、二人の大公を見送ると、既に日は沈んでいた。
『予想外だったが、お前に助けられたな』
そんなコンスタンティノの言葉を噛み締めながら、アルは自分の寝床である厩に帰る。
ようやく『狂暴騎士団』の役にたてたのだろうか。明日のパンを稼ぐことが出来たのだろうか。
(いや……単なる偶然だ。今日は幸運の女神の前髪を掴めただけだ)
アルはそう自分に言い聞かせる。
厩の前まで来たとき、アルは建物の前に小さな人影がたたずんでいるのに気がついた。
ラコニカだった。
冷たい夜風に吹かれながら、身動き一つせず立っている。
黙ったまま、アルは近づく。
「……どこに、行ってたんですか」
泣き出しそうな声でアルを責める。
思いがけない態度に、アルは胸が詰まった。
「馬は繋いだままだし、他の人に聞いても今日は見てないって言うし……」
確かに、今日アルが会食に出たことを知っているのはコンスタンティノだけだった。
もちろん、大公たちがいる場に売春婦が顔を出せるわけもない。
だが、アルフレドは返事をしなかった。
その代わりに、そばを通り過ぎざま、一つの言葉を口にする。
「戦争、終わったそうだよ」
「え?」
ラコニカは息を呑んだ。
ゆっくりと噛み締めるように々言葉を自分の口で繰り返し、アルの顔を見る。
「終わった……」
アルは黙ってうなづく。
その瞬間、言いようのない怒りが彼の体を貫いた。
和平が結ばれたのは、一ヶ月も前。それは、ラコニカの村が襲われる前のことだ。
つまり、あの村は焼かれる必要など無かったのだ。もちろん、ラコニカが汚されることも――
いまさら終わったと言われても、喜ぶことなど出来ない。
「……じゃあ」
ラコニカの言葉に、アルは目をつぶる。
戦争が終わったとしても、もはや彼女は村に帰ることも、傭兵団を離れることも出来ない。
ならばせめて、ラコニカの怒りを受け止めることが自分の役目ではないか。
どんなに理不尽でもいい。どんなに侮辱されてもいい。
少しでも気が晴れるなら、彼女のどんな振る舞いも許そう。
アルフレドはそう決心する。
「じゃあ……もう、いいんですね」
震えるラコニカの声に、ぐっと歯を噛み締め、待つ。
「もう……」
顔を上げることが出来ない。今ラコニカの顔を見て、逃げ出さない自信が無かった。
「もう……アルフレドさん、戦わなくていいんですね……?」
「…………えっ」
思いがけない言葉にアルフレドは身を翻した。
ラコニカの笑顔が、飛び込んできた。
「戦わなくていいんですね? もう、死んじゃったりしないんですね?
もう……もう私、心配しなくていいんですね? アルフレドさんが死んじゃう……死んじゃうじゃないかって……
そんな風に思いながら、待ってなくて、い、いいんです……ね?」
笑顔が崩れた。
溢れる涙が丸い頬を伝って、ぽつりぽつりと地面に落ちる。
堪えきれなくなったように、ラコニカはアルフレドに抱きついた。
アルの胸に顔を埋め、背中をぎゅっと両腕で抱きしめる。
「ラコニカ……」
「わ、私……わたし…………わたしっ……!」
そこから後は言葉にならなかった。
大粒の涙は、アルの服を濡らし、温かい染みを作っていく。
いつの間にか、アルフレドも両腕をラコニカに絡めていた。
応えるように、ラコニカはその腕にさらに力を込める。
――そして、いつまでも二人の影は一つに寄り添っていた。
(続く)
シ―クレット・至急扱いで処理して欲しいんだけど、おそくても31日
できれば、29日朝までに■前スレ440さん宛てに3000万円を振り込むよう手配して
ください(前回、振り込んだ口座と同じでOK)。
乙です
神降臨
いつもいつもhigh qualityな読み物をアリガトウ!
GJ!
本当に質が高いわ、ここの作品。
そして
>>340は堀○メール(笑)?
>>316-321 ゴンザレス氏 亀レスですが。
囁き草とかがおもろいなー、と思いました。夜の森の風景が幻想的でなんともきれい。
お互いに褒められると感想が「鳥肌」「不気味」ってーのが吹き出しました。なんて仲の悪いやつらだw
>>328-339 火と鉄
アルはコンスタンティノの便利ななんでも知恵袋だなー、と思いました。でもあんまり気が利かないw
せっかくご馳走食べてるのに味わうどころでないアルに同情しつつ、でも笑っちゃった。
モンテヴェルデどーなるんだ、いったい。アルとラコニカはどーなっちゃうんだ、いったい。等等、続きを大変楽しみにしています。
ラコニカ、すごくいい娘だ…。アルが突き放さずに揺れてくれてるのが、もんのすごくウレシイ。
ところで現在492kb. まだレス300番台なのに。…はやっ。
344 :
テンプレ案:2006/02/21(火) 22:21:50 ID:WzCGJJ+n
作品と作品の間が著しく広いこのスレで果たしてそれが可能なのか……
しかし、このスレも伸びたなぁ
今進行中なのは、
ゴンザレス氏と火と鉄、あと269氏の中国物、あとはある?萌恋シリーズはとりあえず店じまいなのかな?
戦争物の大御所を忘れていないか。
それとも氏は単品投下に移行したんだっけ?
忙しくて長編を落とす時間がとれないとか言ってた。春には再開すると言ってるが、気の長い氏のことだから、
正確にいつ再開されるかは分からない。
何年も前の作品で悪いんだけど、NOIRのパロを製作中。
どうもNOIRっていうとヒロイン同士の百合なイメージが
あるけど、少し気分を変えて男女の正当(?)な恋愛を描いて
みようかと思って。
「NOIRにそれは似合わないんじゃ・・・」という人が居れば
投稿止めとくけど
いや、是非投下してくれ…っ
(出来れば新スレに)
352 :
350:2006/02/24(金) 15:22:01 ID:PVGj2I6N
>>(出来れば新スレに)
あい、そうっすね。しかし、改めてここを読み直してみたら本当に
レベル高い作品ばかりで、今更アニメのパロを書く俺って空気に
合ってないような
>>345 それと、完成までもう少しかかりそうなんで、新スレは
他の人にたてていてもらいたい。
他力本願で申し訳ないが…(;´д`)