マローネの飼い葉桶を干し草で一杯にすると、今度は掃除だった。
汚れた敷き藁や馬糞を熊手でかき集め、車一杯になるとそれを堆肥置場まで運ぶ。
それを数度繰り返せば、アルの体は汗だくになった。
そしてそれは朝の寒気にさらされ、白い湯気に変わっていく。
その頃ようやく他の傭兵たちが目を覚まし、一人働くアルの側を冷ややかに通り過ぎる。
掃除が終わったときには、もう誰も残っていなかった。
やっと、アルの朝食の時間だ。
自分の鞄から木挽きの皿と匙を取り出し、村の広場へと向かう。
そこでは、数人の商人や娼婦が、大きな料理鍋をかき混ぜていた。
仕事を終えた馬方や、傭兵たちは思い思いにパンを齧ったりワインを飲んだりしている。
それはこれから始まる過酷な一日に向けての重要な時間だった。
「ああ、アルフレド。食べておいき」
めったに声をかけられることもない生活のせいで、最初アルはその声を無視しかけた。
二度三度と呼び止められ、ようやくそれがニンナ・ナンナと気づく。
「もうあっちの鍋にはろくなものが残ってないよ。私の余りでよければ、こっちをお上がり」
そう言ってニーナは鍋の蓋を持ち上げてみせる。
レンズ豆とライ麦を煮込んだスープだった。食欲をそそる香りが、アルの胃を刺激した。
「ほら、ここに座りな」
ニーナの傍らに腰を下ろし、無言で皿を渡す。
そこにニーナは、大匙でたっぷり二杯もスープを注いだ。
「……幾ら?」
手渡された熱々の皿を持ったまま、アルはためらいがちに尋ねる。
今月の給料はもうほとんど残っていない。大半が、甲冑や馬を買った借金の返済で消えていた。
「言っただろ。これは『私の余り』だって。今日はいいよ」
「……ありがとう」
小さく感謝の言葉を吐いてから、アルは食事を始めた。
スープはまだ熱く、具はたっぷりと入っていた。近頃口にしていないご馳走だった。
「赤ワインもある。いるかい?」
夢中でスープをかき込むアルは、言葉に無言でうなづく。
そんな子供っぽい仕草に、ニーナは柔らかな微笑みを浮かべた。
はるか古代ローマ以来、兵士の食事は自弁が原則だ。
それは千年を経て、軍隊の主力が騎士、さらには傭兵になっても変化しなかった。
だが、自分の領地を持たない傭兵たちは、結局食料を従軍商人から買うことになる。
ここのところ食事の質が落ちたのは、貪欲な商人たちですら、ろくな材料を仕入れられなくなったからだった。
ポッジボンシの周辺はすでに略奪され尽くしている。畑はまだ種まきも終わっていない。
これでは、コンスタンティノが如何に手を尽くそうと、安価な食料の確保は不可能だった。
食べ物の値段は高騰し、商人は売り惜しみを始めた。
酢になったワイン、おが屑の混じったパン、塩水のようなスープですらとんでもない値段がついた。
ポッジボンシを包囲する『狂暴騎士団』も、篭城するフィレンツェ軍も、等しく飢えに苦しんでいる。
「そういや、ラコニカのことだけどさ」
その名前を聞いて、アルの手が止まった。
アルの動揺を悟ったのか、ニーナは呆れたようなため息をついた。
じっと自分を見つめるニーナの視線を前に、アルは射すくめられたように動けない。
「……彼女、元気?」
「まあ、元気っちゃ元気さ。お互い明日死ぬかも分からない身の上で、その挨拶もどうかと思うけどね」
アルは時々陣内でラコニカを見かけていた。だが、声はかけたことがない。
『村で死ぬのと、娼婦として生きるのとどちらが幸せだと思うか』という言葉が今も彼の心を揺さぶっている。
ニーナは答えを教えてくれなかった。アルにも分からない。
しかし、ラコニカは違った。
そのあだ名の通り、彼女は寡黙に、精一杯働いていた。
笑みを絶やさず、片時も手を休めない少女を娼婦たちは愛している。
考えようによっては、ラコニカはアルフレドなどよりよほど『狂暴騎士団』に馴染んでいた。
だが、アルにはその笑みの奥にあるものを想像し、心が冷えるのだった。
もう二度とその目に、心の底から湧き上がるような歓喜が宿ることはないのだろう、と。
「私らの間じゃ評判は上々さ。言うことはよく聞くし、無駄口は叩かないし、何より働き者だ。
あんたは信じられないかもしれないけど、私らにだってあんな小娘の時代はあったんだしね」
誰もなりたくて体を売る商売に身を落としたわけではない。
だからこそ、ほんの一月前までただの村娘だったラコニカに、娼婦たちは言い様のない共感を感じているのだった。
「……でも、男どもには受けが悪くてね」
「……そう……なの?」
ニーナの言葉の意味するところは、アルにもすぐ分かった。
ここにいる男たちが女に求めるものなど、一つしかない。
「『まるで死体でも抱いてるみたい』だとさ。このままじゃ、そのうち誰も相手してくれなくなる」
黙って皿を置く。食欲はもう無かった。
ニーナに見えないよう、アルは顔を背ける。
だが、アルの口から安堵の息を漏れたのを、ニーナは聞き逃さなかった。
「アル。あんた今、『このまま男に相手されなくなったら、ラコニカは体を売らなくてもよくなる』って思っただろ」
振り向くと、ニーナの怒りを含んだ目がじっとアルを見据えていた。
もう、彼女は呆れてなどいない。それははっきりと、アルの無知を責めていた。
「……子守りや薪集めだけで食っていけると思うかい。そんなことできる人間は腐るほどいるんだ。
抱けない娼婦なんて、足を折った馬みたいなもんさ。男がつかない女は悲惨だよ」
大抵の娼婦には馴染みの男がいる。
そして、その男の傭兵隊での地位や力が、そのまま娼婦の立場をも決める。
男が裕福なら、娼婦はいい物を食べ、いい服を着て、汚れ仕事をしなくても済む。
もし誰も馴染みの男がいなければ……。実力で娼婦たちの頭を務めるニーナは例外的存在なのだ。
「あんたのせいだよ、アル」
思いがけない言葉だった。
アルがラコニカに何をしたというのか。
確かに命を助けたのは自分だ。だが、それが臥所のことにどう関係があるのか。
「何でラコニカがそんな風だと思う? 愛されたことがないからさ。
『男に抱かれて嬉しい』『気持ちいい』って一度も思ったことがないんだ、あの子は。
そんな女が、男を満足させる演技なんか出来るわけない。笑ったことがない人間は、笑うふりもできないのさ」
「そんなの、ぼ、僕に関係ないじゃないか!」
だが、ニーナは首を振った。
「あの子が知ってるのは、殴られたり、傷つけられたりすることだけ。あれが『悦び』だってことを知らない。
でもね、あんたがあの子を抱いてやれば片がつくことだよ。だって、あの子はあんたを……」
「そんなこと知らない! 知るもんか!」
アルは勢いよく立ち上がった。ニーナを睨みつけ、そして黙る。
周りの傭兵たちは、そんな二人のやり取りにも無関心だった。
食事を終えた者から、三々五々仕事に戻っていく。
「アル――」
なおも何かを言おうとするニーナを振り切るようにして、駆け出す。
アルはもう何も背負いたくなかった。何もかもが、彼の肩には重過ぎる。
ヒルダとの約束すら、背負いきれなかった。それなのに、ラコニカまで――
忘れようと、頭を何度も振る。それでもニーナの言葉だけは、いつまでも頭の中に響いていた。
やがて、出撃の時間が来た。
一人で武具を身につけたアルフレドは、馬を引いて集合場所へ向かう。
定時の偵察行は、日ごとに危険になっている。毎日、歯の抜けるように兵士が死んでいく。
フィレンツェ軍も死に物狂いで包囲網を破ろうとしているのだ。
アルが到着したとき、他の傭兵たちはもうほとんど集まっていた。
ある者は黙々と自分の装備を点検し、ある者は手持ち無沙汰に酒をあおっていた。
だが、ほとんどの兵士は、甲冑姿のまま女たちと最後の別れを交わしている。
妻であったり、馴染みの娼婦だったり、行きずりの女だったりと、その相手は様々だ。
ただ共通していたのは、男は自分が死んだとき、一瞬でもそれを悼んでくれる相手を求めている、ということだ。
それがたとえ行きずりの女であっても、自分が確かに生きていたことを憶えていてくれる人が欲しい。
だから、妻と夫も、一晩の恋人同士も、同じ熱っぽさで唇を重ね、抱き合う。
アルには、そんな人間はいない。
出撃の号令がかかるまで、馬上でただ待っている。
今日死んだとしても、それは無名の死なのだろう。それをアルは心地よく感じている。
だがアルは気づいていた。
人ごみから離れたところに、黙ってたたずむ少女がいることを。
いや、もうずっと前から彼女はそこにいた。アルが出撃するたびに、黙って彼を見送っていたのだ。
(――だから、僕はこうして――)
そんなアルフレドの思考は、コンスタンティノの号令で断ち切られた。
出撃だ。
3.
「……つまり、諸兄はこの計画に反対、というわけですな」
威厳を込めた大公の言葉を、列席した貴族たちは様々に受け止めた。
傲然と睨み返す者、気まずそうに目をそらす者、にやにや笑いでごまかす者……
だが、ジャンカルロ伯だけは全く平然としていた。
「計画に反対、というが、これはそもそも計画だろうか」
「どういう意味だね?」
挑発するような響きに、大公は僅かに眉を動かす。
会議は実質、この二人の対決の場になっていた。
「……我が国の都市十二箇所の要塞化、と仰られるが、どこから金が出るのか、どこから資材を得るのか。
それが知りたいと言っておるのです。艦隊のためにどれだけの金を借り入れたとお思いで?
まだ銀行に利息も払い終わっていないのに、艦隊は全滅。さらにその上に要塞ですと?
それだけではありません。ファリンドラの石切り場は、二年前採算が合わないと閉鎖したはず。
そこに人と資材を送って、再び石材を採掘するのにどれだけの時間と資金が要るか、検討もつかない」
「それは分かっている。だがな……船でほんの三日のところにトルコ海軍がいるのだ!
このまま手をこまねいて見ていろというのか? いい考えがあるというなら、はっきりと言って頂こうか!」
突然の大公の激昂に、会議室の空気すら揺らいだようだった。
「……相手はコンスタンティノープルの城壁を打ち破ったトルコ軍です。俄仕立ての城壁など、何の役に立ちましょう。
わざわざ打ち壊されるために大金を注ぎ込んで要塞を建てるなど、無駄の局地でしょう」
ジャンカルロの言葉にも一理あった。
ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルは高さ十二メートルの三重壁で防衛され、難攻不落とされていた。
だが1453年、トルコのメフメト二世はハンガリーの技師に作らせた世界最大の巨砲でこれを打ち破った。
それに比べれば、モンテヴェルデの城壁など紙のようなものだ。
「もしトルコが攻め寄せたならば、いったん上陸させた上で我が騎兵をもって会戦を挑むべきだ。
トルコの騎兵は弱い。馬を船で運ぶのも難しい。僅かなトルコ騎兵を蹴散らせば、残る歩兵など踏み殺すのみ」
ジャンカルロの提案に、貴族たちもうなづく。
トルコよりモンテヴェルデが勝っている点があるとすれば、それは重騎兵の質だけだ。
確かに数万のトルコ陸軍と真正面から戦うことは難しい。だが海を渡ってきた僅かな水兵だけならば勝算はある。
とはいえ、貴族たちは勝ち目があるから「決戦」を望んでいるのではなかった。
「……長年我らが培った武芸、いまこそ使わなくてどうするのです。
それに、これならばもう無駄な金を使う必要もない。すでにそこに『ある』のですから。
大公陛下の艦隊のために、ここにおられる方々は多くの犠牲を払った。
領民を差し出し、重い負担に耐えた……もうこれ以上一スクードたりと無駄な金は払えませんな」
ジャンカルロの熱弁に、大公を除く全員がうなづいた。
つまり、貴族たちはもう自分の懐を痛めたくないのだ。
騎兵なら、すでに投資は済んでいる。余計な出費は必要ない、というわけだ。
「……諸兄のお気持ちはよく分かった。では、要塞の建築はいったん……っ」
そう言いかけて、大公は急に胸を押さえた。
体を折り曲げ、咳き込む。慌てて、小姓が水の入った杯を差し出す。
水を含むと、大公は背もたれに体を預け、ゆっくりと息を整えた。
「……失礼した。とりあえず、要塞の計画は延期としよう。
代わりに、ヴェネツィア海軍に一層の警戒を要請し、海の守りはこれを柱とする。よろしいか」
大公の裁定に、列席した一同が賛意を示した。
すでに、評議会の舵取りは大公の手を離れている。
それは誰もが――大公ですら――はっきりと悟っていた。
「では、今日の会議はここまで……この戦争はただの戦いではない。法王猊下によって『聖戦』と定められたのだ。
それを胸にしかと刻み、力を合せて乗り切ろうではないか」
大公の言葉も虚しかった。
何しろ、モンテヴェルデ以外に『聖戦』参加を表明した国は、まだ一つも無いのだから。
「大公も、追い詰められていますな」
評議会の後、ジャンカルロはサンフランチェスコのニコラ卿と、個室で酒を酌み交わしていた。
窓の外には穏やかなアドリア海が広がっている。
その彼方に敵の大軍がいるなど、信じられないほどの穏やかさだ。
「……まあ、仕方あるまい。平民どもを黙らせるために教皇庁の権威を借りたからな。
トルコに挑戦状を送るより他になかったのだろうよ」
大公マッシミリアーノは教皇庁の要請を受け、トルコのスルタン・メフメト二世に挑戦状を叩きつけていた。
だが、法王の呼びかけにも関わらず、ほとんどの国が言を左右して、聖戦参加を先送りしていた。
「ミラノは、ルドヴィーコ公の病気を理由に返事を渋っているそうですぞ。事実上の拒否でしょうな。
こうなると、五大国で回答していないのはヴェネツィアだけですが……」
「……ヴェネツィアは決して動かんよ。トルコとの密約があるからな」
すでにジャンカルロはヴェネツィアとトルコの密約も、自分たちの艦隊が裏切られたことも知っていた。
もちろんこの話は、大公には伏せたままだ。
この情報により、主な貴族は大公を見限っていた。それは即ち、ジャンカルロ側についたということだった。
これで、大公を追い落とす準備は整った。
あと一つ二つ失策が重なれば、評議会の全会一致でマッシミリアーノを玉座から引きずり降ろせる。
「しかし、大丈夫でしょうか」
ニコラ卿の不安げな顔が、ジャンカルロに向けられた。
自分の胸に湧き起こった疑念を晴らすように、一気に杯の酒をあおる。
「何が、だね?」
「もし本当にトルコが攻めてきたとしたら……我々は滅ぼされてしまうのでは?」
「確かに。まともに戦えば、我々の首はこの胴体と永遠の別れを告げねばならんだろうな」
首に手を当てながら、ジャンカルロは皮肉な笑みを浮かべた。
評議会で強気な発言を展開したとはいっても、彼もトルコ相手に勝てるなどとは思っていない。
せいぜい小競り合いで、僅かに相手を痛めつけるのが限界だと考えている。
「ま、攻めてきたとして、負け戦の責任をとるのはマッシミリアーノだ。
それにムスリムの教えというのは面白くてな。税さえ払えば、改宗する必要もなく領地も保たれるのだよ。
事実、コンスタンティノープルの攻め手には無数のキリスト教徒の領主がいたくらいだ」
「で、では異教徒の家臣になると?」
驚くニコラの顔を、ジャンカルロは面白そうに見つめ返す。
「そのとおり」
自分の杯を満たし、それを掲げてみせる。
「何か困ることがあるかね? 今はマッシミリアーノがいる。そこにスルタンが名目上取って代わるだけだ。
スルタンに忠誠を誓う、モンテヴェルデ大公ジャンカルロ陛下の誕生だよ。
――まあ、和平の材料としてマッシミリアーノの首は、スルタンに差し出すことになるだろうがね」
いたずらっぽく含み笑いをしながら、ジャンカルロは言葉を続ける。
「あるいはヒルデガルトをハーレムに差し出すかな。あの美貌だ、さぞいい貢ぎ物になるだろう」
「そ、そんなことをすれば法王猊下が黙っておられないでしょう!? 下手をすれば破門……」
思わず立ち上がるニコラに、ジャンカルロは首を傾げる。
平然と笑いながら、怯える男に尋ねた。
「彼がそんなに恐ろしいか? 法王が一体幾つの<コンパニア>を持っているというのだね」
4.
ステラがヒルデガルトの部屋に帰ったときには、もう日は傾きつつあった。
窓から差し込む光に、白い衣をまとったヒルダが浮かび上がるのを、ステラは見た。
乳白色の肌が夕日色に染まっている。
長いまつげの奥に潜む青い瞳は、そっと窓の外を見つめていた。
その彫像のような姿が、動いた。
「お帰りなさい。ご苦労さま」
微笑む姿は、女であるステラですら、かすかな欲望を掻き立てられずにはいられない。
そんな淫らな気持ちを隠して、静かに彼女に近づく。
「……ルカは、引き受けてくれました」
「そう。よかった」
そう言うと、一見無関心にヒルダは視線を窓の外に戻した。
隣に並んだステラも、同じ方向に目を向ける。
モンテヴェルデの城下町が広がっていた。
「見て、ステラ」
ヒルダがそっと指差す方を見る。
五指城の門から町へと下ったところにある、小さな広場に黒々とした行列が出来ていた。
先頭にいく黒ずくめの男は、長い竿の先に縛り付けた十字架を高々と掲げている。
その後ろに続くのは、この世のありとあらゆる種類の人々だった。
太った中年の男、まだ幼い少女、枯れ木のような老婆。五体満足な者も、足や腕を失った者もいる。
病人も健康な者も、男も女も混じった一団。
『悔い改めよ! 神の裁きは近い! 海の向こうから黙示録の獣が来るぞ! 悔い改めよ!』
その言葉だけを繰り返しながら、ゆっくりと町を行進していく。
自ら打ちつける鞭のせいで、誰の衣服もざっくりと背中が裂けており、そこから血が流れていた。
「鞭打ち教団よ。先頭にいる修道士は、フェラーラのジロラモというのだって」
ヒルダの言い方からは何の感情も読み取れなかった。
けれど、決して好意的ではない。そうステラは直感していた。
すれ違う町の人々の態度は二つに区別できた。
胡散臭げに見送るか、あるいは行列にひれ伏し、そこに加わるか。
そうやって行列は時を経るごとに長く、長くなっていく。
『悔い改めよ! 海の向こうから黙示録の獣が来るぞ!』
次第に遠ざかっていく教団の行列を見送ってから、ヒルダはそっとよろい戸を下ろした。
「あの人たちをどう思う?」
「どう、と言われても……」
ステラが答えに困っていると、彼女の顔にヒルダはそっと手を添えた。
目と目が合う。
「あの人たちは、絶望しているの。だんだん悪くなっていくこの世の中にね。
それを救うのは聖職者の役目、と神さまは仰っているけれど……本当にそうなのかしら。
私たちが成すべきことを成し遂げれば、神さまのお手を煩わすことなんて、ないのじゃないかしら」
沈痛な告白に、ステラは答えられなかった。
ただ、主人の手にそっと自分の手を重ねるのが精一杯だった。
飢え、疫病、重税、そして戦争。貴族がもたらすものは、庇護ではなく苦しみだけ。
失政を救うために神はいるのだろうか?
「……今、騎士ベルトランドがいてくれたら、どんなに良いでしょうね」
ステラの無垢な願いは、ヒルダの荒んだ心を癒した。
けれど、ヒルダはもう無垢ではいられない。
「そうね……でも時代が違うわ」
騎士ベルトランドは、モンテヴェルデ建国の英雄の一人である。
初代の王に仕えたベルトランドは、生まれたばかりのこの国を勇敢に守った。
しかしある時、その成功を妬む敵対者によって無実の罪を着せられ、国外に追放されてしまう。
彼が追放されて十年、初代の王が死ぬと国は乱れ、さらに領土を狙って侵略者が国境に迫った。
そのとき、ベルトランドが帰ってきた。
彼の下には、彼の徳に惹かれた百人の勇士も集っていた。
たちまち戦乱を鎮めたベルトランドだったが、王になって欲しいという人々の求めには応えなかった。
「私は国の裁きに逆らい、ここに戻った。それは罪だ。罪を犯した者は王にはなれない」と言って。
裏切られても決して祖国を見捨てず、最後まで法に従った彼は、モンテヴェルデ一の英雄である。
国を愛する心と国法の正しさを訴えるとき、必ず上がる名前でもある。
――アルフレドなら、戻ってくるかしら。
ヒルダは伝説の騎士の名を口にするたび、自分の従弟ならば、と思う。
彼なら帰ってきてくれるだろうか。裏切られた祖国のために。
――私のために。
そんな想像を追い払うようにヒルダは首を振る。
――駄目ね。私はまだ誰かに頼ろうとしている……。
「建国の父たちは、私たちのとる道を指し示してはくれるけれど、すがってはいけない。
私たちに出来るのは、彼らのように立派に生きようと努めることだけ。そのときは彼らも応えてくれるでしょう。
とにかく、まずはルカに託した手紙の返事を待ちましょう……」
そう言ってから、ヒルダはまたため息をついた。
何というもどかしさだろう。
ベルトランドは放浪のうちに培った知識によって、敵を散々に打ち破ったという。
ところが今の自分たちはどうだ。自分の国のことすら、他国人に手紙で尋ねる有様だ。
不甲斐なさに、ヒルダは知らず知らず唇を噛み締めていた。
「きっと、この国自体が牢獄なんだわ。この城がそうであるように」
自分に言い聞かせるようにヒルダは呟く。
「掟とか伝説とか、そんなものばかり有り難がって。国の外で起こっていることなど、今では気にも留めない。
嫌なものを見まいとして、自分で目を潰してしまった愚かな盲人……」
「……でも、盲人は耳と手で多くを知ることが出来るし、杖を使って目明きのように歩くことも出来ます」
そのとき、ヒルダはステラの悲しそうな瞳に気がついた。
また、愚痴をこぼしてしまった。
(お父さま、お母さま、ごめんなさい)
亡き父母に詫びつつ、ステラを励ますよう精一杯の笑みを浮かべる。
だが、仮初めの笑顔を向けてもステラは笑わなかった。
ためらいがちに口を開き、再び閉じる。所在無げに手を組んでは開く。そんなことを繰り返している。
様子がおかしいことにヒルダもようやく気づいた。
「姫さま。実は先ほど、早馬で知らせが届きました」
重々しい響き。
「……トルコ軍が、上陸したそうです」
(続く)
311 :
前スレ440:2006/02/04(土) 03:10:29 ID:q/3DjghG
感想を下さった方、有難うございます。めちゃくちゃ励みになってます。
これからもよろしく……
GJ!!
>> 火と鉄とアドリア海…
GJ!
ルカが実に男前ですなあ。ひねくれているように見えて一本筋の通ったところがある。
そのルカにからかわれて顔を赤くするステラ萌え。
ジャンカルロとヒルダの間に立って苦悩するステラが健気でした。
アルに対するニーナのさり気ない心遣いがいいですね。読んでて自分もほっとしました。
レンズ豆とライ麦のスープって美味しそうだなあ。
ラコニカとアルがどうなってしまうのか、敵軍に迫られたモンテヴェルデの行く末はどうなるのか、
いろいろと想像しつつ楽しみに続きをお待ちしてます。
> 「彼がそんなに恐ろしいか? 法王が一体幾つの<コンパニア>を持っているというのだね」
とは、ジャンカルロ公もスターリンみたいなこと言っちゃって。
>> 火と鉄とアドリア海
GJ!!
資料の下調べが半端じゃないだろうなーと、よく思います。中世のヨーロッパの空気がすごく伝わるというか。
地道な暮らしの部分を丁寧に書いてるのが地に足着いている物語、と思う。
鞭打ち教団の場面が不気味でこわくてゾッとして、とても好きでした。
ルカは男前に同意w堂々としたセクハラっぷりにニヤニヤしました。
ラコニカはアルに惚れてるんじゃないかなー、と密かに期待してたので
「だって、あの子はあんたを……」の台詞で「よっしゃああああっっ!!」って気分でした。
ラコニカぷっしゅ。アルの童貞を食うのは誰だっ、と下品な事をつい。
いろいろと妄想しつつ続きを楽しみにお待ちしてます2号。
番外続編 投下させていただきます
雨が降りそうだった。
少し前まで輝いていた筈の星々はいつの間にか暗い雲に姿を隠し、今は月さえ望めない。
空気はひんやりと湿り気を帯び、呼吸するたび、肺に水が溜まっていくようだった。
空は低く、そして黒い。
「憂鬱になるわね」
今にも溢れて落ちてきそうな空の黒を鬱々たる気持ちで見上げ、ハーラは独り言のよう
に呟いた。
優に数百年は生きているだろう巨木が地に突き立てている太い根にゆったりと腰を下
ろし、その幹に背を預けたまま、薄緑色をした丸い果実にかじりつく。
ほっそりとした白い足をぶらぶらと遊ばせて、もう片方の足を緩やかにまげて木の根に
置いた姿は正に森の歌姫だが、軽装で森を駆け回った代償である細かな傷や痣が、幻想的
な姿を現実の物へと変えていた。
「憂鬱になるねぇ」
壁のような木の根を背にして地面にべったりと腰を下ろし、ハーラと同じ果物をかじり
ながらオウム返しに呟いたのはベロアである。
こちらも、派手なコートは泥で汚れ、やや右肩を庇っている。頬にぱっくりと開いた傷
があるが、血は完全に乾いて出血はしていない。
闘争を好まない、頭脳労働タイプのアイズレスとしては、あまりふさわしい姿とは言え
なかった。
「雨、降るかしら」
ハーラの疲れたような呟きに、ベロアもうんざりと呟き返す。
「一晩中降るだろうねぇ」
「一晩中……?」
「一晩中」
ぼんやりと虚空に視線をさ迷わせながら、二人そろって深く溜息をつく。
ハーラは木の幹に預けた背を滑らせて、木の根に半ば寝転がった。
あれから、一時間も経っただろうか。
まだ二人で森を歩き回り、リョウを探し回っていた時の事である。例のごとく二人で回
りくどい悪口雑言の応酬戦をしながら歩いていたら、潅木の向こうに巨大な化物が長々と
横たわっていた。
一瞬、何かに幻覚を見せられているのだと思った程唐突な遭遇だった。歌姫とアイズレ
スが揃って歩き、最も出会いたくない生物と対面してしまう確立など奇跡に近い。
あのベロアが、思わず絶句した程である。
前足から頭にかけては羽毛に覆われた紛れもない鳥であったが、下半身は鱗に覆われた
爬虫類。尾は長く空中にゆらゆらと揺れ、月光に照らされて眠る姿は文句無く美しかった。
そう、眠ってさえいれば美しいその生物が、突如苦しげにもがきだし、割れ響くような
絶叫と共に飛び起きたのである。
そしてその声に最初に異変を示したのはテリグリスだった。
ハーラに従うようにのそのそと這い歩き、大人しいを絵に描いたようだったテリグリス
が突如奇声を上げて暴れだし、あろう事かベロアに渾身の力を込めて頭から突っ込んだのだ。
一瞬の間を置いて、ハーラは化物の鳴き声がシレーヌの声だと気がついた。そしてテリ
グリスが、声に狂って錯乱しているのだということに。
無意識的に発せられるシレーヌの声を抑えるくらい、歌姫には造作も無い事だった。
何を考える事もなく、歌えばただそれで済む。
しかし当然のように、声を押さえ込まれた化物は激怒した。硬い鱗に覆われた長い尾を
振り回し、更にけたたましい悲鳴を上げて。
「……あれ、なんなのかしら」
喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げて、癇癪を起こした子供のように暴れ狂う化物の姿
をぼんやりと思い出しながら、ハーラが答えを期待せずに呟いた。
「歎だろ。この森に閉じ込められた」
分かりきった事だというようにそう答え、甘い汁を零す果肉にかじりつく。
ハーラは予想外に答えがあった事に片眉を吊り上げて半身を起こし、根の上からベロア
を見下ろした。
「なにそれ。どういう意味?」
「歌姫ってアイズレスの言語わからなかったっけ?」
「あんたあたしとまともに会話できないの?」
「古い結界が張ってあったのを見つけたんだよ」
どこで、という質問が一瞬口まで出かけたが、ハーラは少し考えてその言葉を飲み込ん
だ。話の途中で質問を繰り返すと、知らぬ間に話題があらぬ方向へずれていく。
「たぶんウィザードが組んだ奴だろうけど、驚くほど精度が悪い。確かにあの歎の声と体
を森に閉じ込める事は出来たみたいだけど、逆もやろうとした痕跡があったよ」
「逆って?」
「進入の禁忌――つまり、歎を完全に隔離しようとしたんだろうね。だけど記号の形があ
やふやで、たぶん呪文も発音が間違ってたりしたんじゃないかな。閉じ込める事は出来た
けど、人が迷い込む事までは止められなかったと……ど素人め」
ひっそりと毒づいて、再び果肉に歯を立てる。
ふぅん、とだけ呟いて、ハーラは再び仰向けに寝転がった。
半永久的に効力を発揮し続ける事を前提としておかれた結界は、大概の場合その存在を
神経質なほどに隠される。
想定されるのは、よからぬ事を考えて結界を破壊しようとする者の存在から、子供の些
細な悪戯まで。
それが森を歩き回っている最中にちらりと見つけてしまえるとは、それだけでもアイズ
レスの観察眼の凄まじさと、そのウィザードの程度が伺える。
「……ねぇ」
「うん?」
「雨が降ったらどうするの?」
「木の根を屋根にして雨を凌げばいい」
「一晩中降るんでしょう?」
「一晩中眠ればいい」
再び、ふぅん、とハーラが呟いた。
木の根の上でかったるそうに寝返りを打ち、柔らかな花の上に転がり落ちる。
黒い花畑が、巨大な老木を中心に広がっていた。囁き草と呼ばれる、人間の親指の先程
度の、小さな袋状の花弁を持った花である。
囁き草とはその名の通り、風にゆらゆら揺れながらひっそりと囁いた。この花は遠く離
れた場所に咲くもう一輪の花と対になっており、お互いに聞いた音を対になった花が囁く
という事を枯れるまで繰り返す。
そしてこの囁き草は、群生していると歌姫の方向感覚を狂わせた。
その花が土を覆い、他の木々に蔓を伸ばして絡みついている様子を見れば、ハーラの聴
覚異常の理由など火を見るより明らかだった。
この群生を見た限り、この森には他にも多く囁き草が根差しているのだろう。音が反射
せずにでたらめな場所に吐き出されるこの森は、歌姫であるハーラにとっては恐ろしい迷
路に他ならない。
当然と言えば当然だが、ハーラに限らず歌姫は、この花の生息している森に近づくのを
嫌がった。
だが、今回ばかりはこの花に感謝せずにはいられないだろう。
なにせこの花畑の向こうでは、未だにシレーヌの声がけたたましく鳴り響いているに違
いないのだから。
「あんたってさぁ……」
「うん?」
「頭いいわよね」
果物にかじりつき掛けて、ベロアは愕然とハーラを見た。世界の終わりでも宣言された
ような態度だが、あるいはそれよりも遥かに驚愕していたかもしれない。
「木の根から高低差のある地面に転がって落ちたりするから頭を打つんだ。ほら、診てあ
げるからこっちに……」
「失礼ね! そんなんじゃないわよ!」
「じゃあ突然恐ろしい事言わないでくれよ。見てくれ、この鳥肌」
あからさまに身震いしてみせるベロアに盛大に顔を顰め、しかしすぐに諦めたように嘆
息し、ハーラはベロアと並んで木の根にとん、と背を預けた。
頭がいい、というのとは、少し違ったかもしれない。ハーラは自分が口にした表現が適
切でなかった気がして、なんとなくむっとした。
遭遇してしまった恐ろしい化物から戦略的撤退なる物をするにあたって、ベロアは最初
から決めていたかのようにこの場所に駆け込んだ。そしてこの花畑の中心――つまりはこ
の大木の周りに立った途端、収まるどころか悪化するばかりだったシレーヌの声がふっつ
りと途切れたのである。
聞けば、森を歩いている途中にこの場に出くわしたので、道を覚えておいたのだという。
説明しながら木の周りをぐるりと巡っていくつかの花を摘み取って、ベロアは結界一つ使
わず音の遮断をやってのけた。
時折風の隙間を塗ってシレーヌの声がひっそりと囁く事がありはするが、後は森の喧騒
を一手に引き受けている狂った鳥の鳴き声さえ、この場所には届かなかった。
一体、あの不気味な一つ目はどんな世界を見ているのだろうか。
一目で全ての囁き草を把握して、一瞬で引き抜くべき物を見つけ出す。ハーラにとって
は無音が無音で無いように、アイズレスにとって何も無い空間など存在していないのかも
しれない。
「でたらめ……」
「うん?」
「前言撤回。あんたは頭がいいんじゃなくて、でたらめなんだわ」
「といいますと?」
「知識が豊富で知恵もある。機知に富んでて何があろうとなかろうと、絶対絶命ぎりぎり
の土壇場で魔法みたいに打開策を見つけちゃう。皆が必死になって生きるすべを探してる
のに、まるで元々そろえてあった答えの中から片手でカードを選ぶみたい」
どう引っ掻き回しても死の選択肢しか見つからないような状況で、最小の犠牲を払って
最良の結果を導き出す。
ドラゴンと対峙してさえ無傷で生還できるのではないかと言われる程に、アイズレスの
知の力はずば抜けて高かった。故に、大国同士の戦争の殆どは両国が抱えるアイズレスに
よる戦略合戦と言えるだろう。
彼らは机上で何万人もの人間を殺す。魔法も使わず、兵器も用いず、彼らはその気にな
ればいくらでも国を潰す事ができるのだ。
「そう言われるとまぁ……でたらめな気もするかな……にしても、随分と褒めるんだね」
「まぁね……癪だけど、あんたがいなかったらさすがのあたしも死んでたもの」
ゲームで連敗してるんだとでも言う様に、ハーラは空を仰いで溜息をついた。
ベロアがきょとんとした表情でハーラを見つめ、ついで、面白そうに唇に笑みを乗せる。
「なぁるほど。命を救ってくれた事への感謝の表現がそれなわけだ。僕の事見直した?」
「まぁ……感心はしたわよ。ちょっとだけ」
からかうように言うベロアに不満げな顔をしながらも、それを否定する事はない。
振り上げられた長い尾、それが眼前に迫った瞬間、ハーラは漠然と死を意識した。だが
一瞬の後にハーラが耳にした音は、自らの首が圧し折られる音ではなくて、硬い鱗に覆わ
れた尾が柔らかい肉を浅く裂き、空をないで木々の幹を粉砕する音だった。
ベロアがハーラを抱きかかえ、密生した潅木の中に飛び込んだのである。ベロアはこの
時に肩を痛めて頬を切り、そしてハーラは全身を枝に裂かれて痛々しい痣を作ったが、首
を圧し折るどころか頭を粉々に粉砕される所だったと思えば、まさにかすり傷である。
数本の巨木を一度になぎ倒す程の力が、頬すれすれを通って髪をかすった時の事を思い
出すと、ハーラはそれだけで何度でも失神する事ができる気がした。
「ちょっとね、ちょっと……まぁ、それでも僕を嫌っている生物に褒められるっていうの
は、なかなか気分がいいもんだね」
「率先して嫌われようとしてた男の台詞としては不適切極まりないわね」
「僕に惚れるんだったらロウの許可を取ってからにしてくれよ?」
「話の流れに沿わずに突拍子もない妄想ぶちまけるのはやめて頂戴」
冗談にしても性質が悪いと、ハーラが恐怖に震えるような表情でベロアを睨む。半ば本
気の嫌がらせであるその態度に全く動じた風もなく、ベロアは傷ついたふりをして軽く肩
を竦めて見せた。
「まぁ、でたらめ云々かんぬんで言うんだったら、僕は君の方がでたらめだと思うけどな」
果肉から手に垂れた汁を舌先で舐めながら、ベロアが器用に呟いた。先程のベロアと同
じように、ハーラがきょとんとしてベロアを見つめ返す。
「あたし? 何がよ」
「化物だろうと動物だろうと、声で意志を伝える生物なら全ての言語を理解して、おまけ
に使役とは別種の懐柔ができる。聴力は雑踏の中で羽が落ちる音を聞き拾い、歌姫と名が
付くくらい美しいシレーヌの声を操れる」
ほうら、物凄くでたらめだ、と軽く肩を竦めて見せて、ベロアはその上君は、と言葉を
繋いだ。
「歌っただろう? あの状況で」
「あの状況?」
「テリグリスが暴走した時」
「……あたりまえでしょ? だって、歌わないと暴走止まらないじゃない」
なにを当然の事を、と片眉を吊り上げたハーラから視線を外し、ベロアは木々の奥に広
がる漆黒の闇を見つめながら手に持った食べかけの果実を弄んだ。
「そうだねぇ……でも、普通逃げるんじゃないかな。周りの事なんか気にしないで。君の
言葉を借りればだけど、君は元から一つしか選択肢が存在して無いみたいに、留まって歌
う事を選んだんだ。そして君はシレーヌの声に狂ったテリグリスと、声に意識を根こそぎ
持ってかれた僕を一瞬で立ち直らせた。糸の切れてない君でさえそんな事ができるんだ。
僕から言わせれば、そっちの方が信じがたい」
そういうものかしら、とぽつりと呟いて、ハーラが残りの果実を丸ごと腹の口に放り込
む。そういうものさ、と呟き返し、ベロアも最後の一口にかじりついた。
「……ひょっとして褒めてる?」
隣にぐるりと首をめぐらせて、ハーラは意外そうにベロアを見た。
「事実の羅列に過ぎないけどそうなるかな……なに、その顔?」
「不気味だわ」
「前々から言おうと思ってたけど、君も大概失礼だよ……?」
呆れたように瞳の色を変色させて、ベロアが口元を引きつらせた。
「お互いさまよ。……にしても、あんたにも影響出てたのねぇ。気付かなかったわ」
「でなきゃテリグリスの突進なんか避けてるよ」
言いながら、木から少しはなれた所で平らになって眠っているテリグリスをダークブル
ーの瞳で睨み付けると、ベロアは花畑に沈む角ばった巨体めがけて芯だけになった果物を
投げつけた。
硬い芯が直撃したテリグリスはぎょっとして飛び起きて、何が起こったのかとその場で
ぐるぐると回り始だす。
「ちょっとなんてことすんのよ! 可哀想じゃない!」
「あの巨体に突進された僕の事は可哀想と思わないのかい?」
「思わない。あの子だって好きでやったわけじゃないんだから、許してあげなさいよ大人
気ない」
「好きで肋骨にヒビを入れられたらたまらないよ」
あっけなく切り捨てられ、鼻を鳴らしてそっぽを向いたベロアの側を、白い線が横切った。
硬い幹にぶつかって、弾けて四方にしずくをたらす。
続いてぽつり、ぽつりと、そこいら中で音がした。
「雨……」
ハーラが呟くとベロアも黒い空を見上げ、びくりと肩を竦ませて首筋に手を当てる。
「降ってきたか……」
慌てて這いよってきたテリグリスを大きくせり出して屋根を作っている根の下に押し
込んで、二人もそこにもぐりこんだ。
雨が降り始めて一分とたっていないだろう。あたりは突然気温が下がり、ハーラは自分
の体を抱き寄せた。
「マスター、平気かしら?」
「うん?」
ぼんやりと呟いたハーラの声に、ベロアが眠たげに聞き返した。
その声にはハーラと違い、寒がっている様子はない。
あぁ、アイズレスは体温が低いのか、とぼんやりと思いながら、ハーラはなんとなく重
たい瞼をこすってひっそりと息を吐いた。
「マスターよ……まさか心配してないの? こんな暗くてこんなに寒い森の中で、たった
一人で迷ってる……モンスターだっているだろうし、おまけにシレーヌの声が響いてて雨
まで降り出す始末だわ」
きっと、どこかの木の洞に身を潜め、声を殺して泣いている。
しかしハーラは自分の声に、いつものような覇気がない事に気付いていた。雨が降った
途端に水と草の臭いが辺りを包み、それに折り重なるように眠気がハーラを包んでいた。
「もちろんしてるさ」
そう言ったベロアの声もどことなく眠たげで、ハーラはすぐ隣にいるベロアに視線を投
げた。
予想していた一つ目は、既に髪の奥にしまわれていて伺う事は出来なかった。
ベロアも自分と同じように眠いのだろうか? 雨によって何かが空気中に撒き散らさ
れて、その何かが生物の眠りを誘っているのかもしれない。
「君は、あの歎をどう思う?」
唐突に、ベロアが静かに質問を差し出した。
どう思う、というのは、アイズレスにしてはひどく曖昧な聞き方だった。それは、質問
の意図さえもハーラに任せる聞き方だったが、そう聞けばハーラがどういう答えを返すか
予想をしていたからかもしれない。
ハーラはぼんやりとした意識の中で、ふと浮かんできたイメージをそのままの形で呟い
た。
「寂しがりやの男の子……」
なんの抵抗もなく浮かんだイメージは、暗がりの中で座り込み、声も出ない程の恐怖に
おびえる少年の姿だった。
悪夢に起きて、ママを探して、縋る相手が見つからなくて寂しさと恐怖に立ち竦む。
「……あれは、あの子の恐怖じゃなかったわ。あれは、傷つけられた恐怖……それ以上に、
傷つける事への恐怖……」
あの悲鳴は、縋る物を求めながら孤独を渇望している声だった。
ハーラが独り言を呟くように答えると、ベロアは満足そうに、確信めいた表情を浮かべ
て頷いた。
「もしかしたらって、思うんだ……あの歎は、ひょっとしたら他人の恐怖を夢に見るのか
もしれない。感受性の強い子供みたいに、近しい者の憎悪や怒りを敏感に感じ取り、それ
を夢に見続けているのかもしれない」
だとしたら、と言葉を繋ぎ、ベロアは雰囲気だけで心持微笑んだ。
「少しだけど、安心しない?」
「安心……?」
「頭の悪いモンスターだけならまだしも、この森には綺麗に大木を切り倒す頭のいい何か
がいる……あの状況から見て、リョウはきっとその何かの所にいるんだろう」
「そしてその何かは、ボロボロに傷ついた、優しすぎる男の子……?」
何かと言うのがモンスターの事なのか、異種族の事なのか、それとも人間の事なのかハ
ーラには想像できなかったが、不思議と、ハーラはリョウが楽しげに笑っている姿を想像
して微笑んだ。
あぁ、あの人ならば、きっとどんな生物でも“手懐け”られる。それが例え恐ろしいド
ラゴンだろうと、彼女の前にかしずかずにはいられない。
「そして僕らは、その何かに侵入を拒まれた……結界――たぶん、さっき言った進入の禁
忌。僕らは迷うか結界の切れ目を見つけ出すかしない事には、決して先には進めない」
それじゃあ、一体どうするのよと言う声は、溜息となって腹の口から抜けていった。
声にならなかったその質問に答えるように、ベロアが再び口を開く。
「明日、道を探すよ……いくら精巧な結界でも、そこに住む何かがいるからには必ず通路
が必要だ。少し時間がかかるかもしれないけど……ハーラ、寒いならこっちにおいで」
言いながら、ベロアはコートの前を開け、ハーラの体を包み込んで引き寄せた。
低い気温の中にいれば、アイズレスの体温もぬるい程度に暖かい。
さぁあ、さぁぁと音がする。雨が森の葉に当たり、葉から土へと落ちていく。ハーラは
蝙蝠羽を小さくたたみ、ひっそりと目を閉じた。
続
>火と鉄
サトケンのイタリア板?
ゴンザレス氏キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
乙&GJ!
読んでいて毎回のように世界観へ引き込まれます。
ベロアとハーラの掛け合い漫才が面白かった。
>火鉄
相変わらず面白すぎるクオリティ高すぎる。超GJ。
続きも激しく楽しみにしてます。
>ゴンザレス氏
久々にちょっと本編読み返してからまたこの外伝読んだら
まだベロアとハーラが仲悪いことに改めてなんか萌えた。
ハーラいいよハーラ。今後親友になる過程が非常に待ち遠しいです。
しばしば言われていることなのだがどの作品も実にレベル高い。
職人様方頑張ってくだされ。
ここの良さの秘訣は、書き手も読み手も、住人全般として気が長いということじゃないか、と思った。
2週間前のSSにレスをつけるのが普通なスレってあまりないし。
一ヶ月くらい間が開いても、誰も「続きマダー」とかしないしね。
ちゃっかりエロかったりするが、スレタイのおかげかお子様も来ないし。
なにはともあれ職人さんGJ!
327 :
前スレ440:2006/02/18(土) 23:56:11 ID:LICjUBFK
>>300からの続き。「火と鉄…」の第十話です。今回は衒学趣味に走ってます。
えと、前回のジャンカルロの言葉は、まさにスターリンの有名な台詞のまんまです。
現実主義者の言葉として使わせてもらいました。
それから、佐藤賢一氏の本は「王妃の離婚」「双頭の鷲」が好きですね。
けれど、彼のイタリア版なんて大それたことは考えてないっす。
1.
その朝、アルフレドはいつものように仕事を片付け、麦粥を啜っていた。
(最期の食事がこれじゃ、やり切れないな)
そんなことを思い、歯に当たる麦の殻を吐き出しながら黙々と朝食を片付けていく。
すると、近づいてくる軽快な足音が聞こえた。
コンスタンティノだった。
彼が傭兵たちの朝食の場に現れるのは珍しい。
「アル。今日、午後から付き合え」
挨拶も何もなしに、彼はそう切り出した。食事の手を止め、アルは顔を上げる。
「……何事です?」
「あるお偉いさんを昼食に招待したんだ。だから、ある程度作法を知っていて、話が分かる奴が欲しい」
「ああ……なるほど。でも、僕、行儀作法とかそういうのは得意じゃ……」
コンスタンティノは笑って首を振る。細かいことはどうでもいいらしい。
「単なる俺のお供だ、難しく考えるな。それにしても……汚いな、お前。後で俺の宿舎に来い。
とりあえず風呂に入れ。それから小ましな服を貸してやる」
アルは申し訳なさそうに頭をかく。
金がないので、服を新調するどころか、風呂にもなかなか入れない。
アルの様子に微笑むと、コンスタンティノはくるりと背を向ける。
思い出したように、アルが声をかけた。
「あの、ところで『お偉いさん』って、誰です?」
立ち止まったコンスタンティノは、振り返って叫ぶ。
「俺たちの雇い主さ。ウルビーノ公フェデリーコと、ナポリ皇太子アルフォンソ公だ!」
思わずアルは皿を取り落としそうになった。
どちらも、イタリアを代表する大貴族である。
そんなやりとりがあった、午後。
アルフレドは軽く緊張しながら、二人の賓客を迎えていた。
村はずれの広場に長いテーブルが並べられ、その上には皿や杯が並んでいる。
一つにつき、十人が楽に食事できる卓が十脚以上。全ての席が人で埋まっている。
だがその中で『狂暴騎士団』に属するのはアルとコンスタンティノだけ。
残りは全て、ウルビーノとナポリの宮廷に属する人々だった。
全員を見渡せる場所に置かれたテーブルに、二人の賓客とコンスタンティノ、アルが着席する。
皆の注目を浴びる人物こそ、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ。
そしてナポリ皇太子にしてカラブリア大公、アルフォンソ・ダラゴーナだった。
「さて諸君!」
杯を片手に、フェデリーコは立ち上がった。
すでに老年といっていい人物だが、その体はがっしりとしており、しかもその仕草は機敏だった。
家臣たちの目を集めたところで、彼は周囲を見渡し、それから言った。
「Eccoci,in pace! (ご覧、のどかだ!)」
一斉に家臣たちが笑う。
確かに、平原のあちらこちらには早咲きの花が見え、風は穏やかだ。
だが、何故皆が笑ったのか分からず、アルはきょとんとしている。
フェデリーコが続ける。
「諸君。まずは無数の言葉より、一杯の酒を干そうではないか。
共に労苦を分かち合ったカラブリア人と、我らマルケ人の変わらぬ友情を願って。
そしてとりわけ、友情を育む機会を作ってくださった……法王猊下に!」
『法王猊下に!』
一段と大きな笑いとともに、一斉に杯が飲み干された。
いたるところで、異なる紋章をつけた男たちが、互いに労をねぎらい肩を叩き合っている。
そのとき、初めてアルには先ほどの言葉の意味が判った。
“In pace”とは「平和だ」という意味もある。
「……コンスタンティノ、もしかして」
杯に口をつけることも忘れ、アルは隣の上官に声をかける。
コンスタンティノは、酒を飲み干してから意外そうな顔をした。
「知らなかったのか? 戦争は終わったんだ」
そう言って、小姓にもう一杯のワインを頼む。
如才なくフェデリーコに愛想笑いを浮かべるコンスタンティノ。
その傍らで、アルは言葉を失ったまま自分の杯を見つめていた。
「……言葉が過ぎますよ、フェデリーコ陛下」
笑わなかったのはアルフレドだけではなかった。
皆が着席すると、眉をひそめたカラブリア公アルフォンソが、そう言ってフェデリーコを咎めた。
だが、その礼儀正しい抗議にも、フェデリーコはちょっと片目をつぶって見せるだけだった。
そのとき初めて、アルはフェデリーコが隻眼――右の目を失っていることに気づいた。
「なに、ちょっと皆の意見を代弁してみせただけだよ。何しろよく分からぬまま戦に駆り出され……
こちらには一言もなく、今度は今まで刃を交えた奴らとともにトルコと戦え、と来てはなァ」
そう言うとフェデリーコは肩を揺すって笑った。
隻眼、鷲鼻、がっしりとした額と顎を持った彼が笑うと、それは人というより獣のようだった。
「それについては、ロレンツォ・ディ・メディチの手腕を称えるべきでしょう。侮れぬ奴です」
対照的に、アルフォンソは穏やかな笑みを浮かべた。
立派な口ひげをちょっと指でしごき、同意を求めるように首を傾ける。
「ロレンツォが、殿下のお父上と直接膝を交えて話し合ったと聞きましたが?」
コンスタンティノの言葉に、アルフォンソとフェデリーコは同時にうなづいた。
和平にいたる道は、一編の冒険譚の如きものだった。
なんと、フィレンツェのロレンツォは敵であるナポリ王の宮廷に単身赴き、和平交渉を行ったというのだ。
アルフォンソの父、ナポリ王フェッランテは気難しく、冷酷な性格で知られている。
二年にも渡って戦い続け、フィレンツェを破滅寸前まで追い込んだのも、彼の戦意が堅固だったが故だ。
ロレンツォが一つ対応を間違えれば、命は無かっただろう。
だが、ロレンツォの豪胆さに度肝を抜かれた王は、和平交渉の席に着くことに同意したのだった。
もちろん、ロレンツォの決死の試みだけが、この和平をもたらしたわけではない。
ロレンツォは銀行業でたくわえた莫大な富と、その外交手腕を惜しみなく生存のために使った。
まず、唯一の同盟国であるミラノ公国に和平の仲介を求めた。
こうしてミラノ公ルドヴィーコの娘、イッポリタ・マリアがナポリとフィレンツェの仲介を買って出た。
何しろ彼女は皇太子アルフォンソの妻で――しかもアルフォンソは恐妻家だった。
ロレンツォはそんな夫婦関係まで考慮して、彼女に白羽の矢を立てたのだ。
また、大金がフィレンツェからフランス王の宮廷へと流れたという噂が立った。
噂を裏付けるように、二月前、突如フランス王はマルセイユにあった国王艦隊をイタリアに向け出発させた。
ナポリに軍事的圧力をかけるのが目的なのは明らかだった。
そして同じことが、トルコのスルタンにもなされたという。
「いまやアドリア海には、アクメト・ジェイディクの艦隊が遊弋しています。
しかも我がナポリ領オートラントからわずか三十ミリア(約五十五キロ)のところにですよ!」
頭を振りながら、アルフォンソは大げさに嘆いて見せた。
二つの大国に東西から圧力をかけられ、皇太子の妻からの口添えがあっては、ナポリ王も折れるしかない。
こうして、ついに二年にも及ぶ教皇・ナポリ同盟とフィレンツェの戦争は終わった。
約一ヶ月前、三月十三日のことだった。
2.
「それで……トルコ軍はどうなりましたか?」
胸の前で手を組みながら、ステラはためらいがちに聞いた。
「トレミティ諸島を押さえたあとは、偵察船を出す程度で、これ以上攻めて来る気配はないって。
数も軍船十隻、千人程だというから、おそらくこちらの様子を探るのが目的なのでしょうけど……」
トルコ軍の動きが活発でないと聞いて、ステラは胸を撫で下ろす。
だが、ヒルデガルトの顔は暗い。
「……市長を含め、二百人の市民が殺されたそうよ」
そういって、彼女は手に持っていた書簡を机の上に伏せた。今朝届いたばかりのものだ。
陥落した町に降りかかる運命はいつも同じ。それがトルコの手によるものでも、教皇軍のものでも違いはない。
しかし、頭で分かっていても、納得出来るものではない。
「それで……大公陛下はどのように?」
気持ちを切り替えるように、はきはきとした声でステラは言った。
それでもヒルダの沈んだ様子は変わらない。
「直参の兵に出陣の準備をするよう命じられたわ。早晩、諸侯の軍も招集されるでしょう。
それに、ほとんどの商船は軍が借り上げるとか。ヴェネツィア行きの船も、ターラント行きの船も、全て」
「……では、ルカに一日も早く発つよう、明日にでも伝えます」
聡明なステラに、初めてヒルダの表情が緩む。
「ありがとう。では、彼にこれを渡して」
その手にあるのは、彼女のサインが入った渡航許可証。
公国の伝令が他国に赴くときに支給されるもので、大公の伝令船に乗船することが出来る。
ジャンカルロに察知される可能性もあったが、背に腹は変えられない。
民間の船は当分無いし、時間のかかる陸路など最初から問題外だった。
トルコが攻撃したのは、アドリア海に浮かぶトレミティ諸島。
本土からたった二十キロしか離れていない、小さな島々だった。
サン・ドミノ、サン・ニコラ、カプラーラの三つの島から成り、人口は千五百人ほど。
大公の直轄地ではなく、住民のほとんどは漁師という、経済的にも戦略的にもほとんど価値の無い所だ。
だが封建領主の務めとして、大公は家臣の領地を守る義務がある。
だからこそ、トレミティの領主が大公の出陣を求めたとき、彼は断るすべを持っていなかったのだ。
窓から中庭を見下ろせば、城の兵士たちは黙々と戦の準備を整えている。
馬に新しい蹄鉄を履かせる者、鍛冶場で武器を研ぎ直す者。弓の張りを確かめる者。
だが誰もが思いつめたような顔をしている。
「姫さま……平気ですよね? まさか異教徒がこの町に襲ってくるなんてこと、ありませんよね?」
ステラの問いかけにヒルダは答えを持たなかった。
少なくとも、イタリアのどこを見渡しても、モンテヴェルデと肩を並べ、トルコと戦おうという国はいない。
フィレンツェやミラノは動かず、ナポリは自国の防衛だけを考え――ヴェネツィアは裏切った。
一つだけ確かなことがあるとすれば、この国は余りに価値が無いということだ。
イタリア諸国にとって守る価値もなければ、トルコにとって襲う価値もない。多分。
「大丈夫よ、きっと」
自分に言い聞かせるようにヒルダは呟く。
そして、彼女を残して自室を後にした。この後に大事な謁見が控えているのだ。
最後まで、ステラと目を合わせることは出来なかった。
――謁見の間には、冷たい空気が流れていた。
その人物を迎えるときはいつものことだったが、今日は特別だった。
何より、普段は柔和なヒルデガルト自身が冷ややかな視線でその人物を見据えていた。
その人物とは、ヴェネツィア共和国の大使だった。
「つまり、ヴェネツィアは今回の出兵には協力できない、と?」
ヒルダの隣に座ったマッシミリアーノは、苛立た口調で尋ねた。
懸案は、トレミティ諸島への出兵に対し、ヴェネツィアが兵の輸送その他で協力するか否かである。
大使はいかにも辛そうに顔をゆがめて見せた。
「残念ながら、トルコ艦隊の主力は未だヴァローナにあり、その数は九十隻以上です。
それゆえ、我らの艦隊もスパラート港に待機せざるを得ず……」
そう言って頭を下げるが、それが真実でないことをこの場にいる多くの人間が知っていた。
「たった数隻の護衛も出せない。それがお答えならば、私たちの友情はどこにいってしまったのでしょう」
ヒルダが問い詰めても、大使は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
丸腰の輸送船団を敵地に送り込むのはいかにも危険が多い。
わずかであれ護衛の軍船がいれば、その危険は大幅に減るのだ。
だが、ヴェネツィア大使はいつもと同じく、強硬だった。
「お言葉ですが、そもそもモンテヴェルデの軍船がトルコを攻撃しなければ……」
そう言いかけた大使は、怒りを含んだマッシミリアーノの目を見て口をつぐんだ。
公にはモンテヴェルデ艦隊が勝手にトルコ艦隊を攻撃し、結果として彼らを挑発したことになっている。
頭から信じる者はもうほとんどいないが、建前は建前として厳然とそこにあった。
「話を変えよう。先日立ち消えになった融資の話だが……」
言いかけて、大公は一つ咳をした。
失礼、と呟いて、ヴェネツィア大使の方に向き直る。
「……どうして急に?」
言い終わると、マッシミリアーノはため息を漏らした。
謁見の間にいる全てのモンテヴェルデ人が、一斉に釈明を求めて目を向けた。
「政府の方で、一つ一つの融資について把握いるわけではありませんが……
現在戦争に備え、外国への融資は抑制するよう元老院の通達が出ておりますから、そのせいではないかと」
「しかし、我が国は先日の艦隊購入費についても、一日の遅れもなく返済しています。
我々が融資の対象から漏れる理由はないはずです」
そう答えるヒルダに、家臣たちは苛立ちを込めて見つめる。
どうも、最近この小娘は口を挟みすぎる、と。
だがヒルダを咎めることができる人間はいなかった。
いるとすれば大公マッシミリアーノだが、彼は黙ったままだ。
「融資の判断は、現在の状態はもとより、将来の支払いの可能性についても考慮します。御存知でしょうが」
大使といっても、彼もまた商人の国ヴェネツィアの人間だ。
つけ焼き刃のヒルダの抗弁など、児戯に等しかった。
「モンテヴェルデの国庫収支は、今後も悪化する可能性があります」
「つまり、ヴェネツィアの方々は我々への融資を危険と判断しているわけですね?」
「申し上げにくいことではありますが……」
大使に向けられるヒルデガルトの眼差しが敵意に満ちたものに変わった。
つまり、ヴェネツィアはモンテヴェルデが戦争に負けると考えているわけだ。
――だが、それは、一重に彼らが援軍も資金も寄越さないからではないか!
「今後の戦局次第でしょう、遺憾ながら――」
そう言って大使は列席した貴族たちを見回した。
「陸に上がった敵について、ヴェネツィアはいかなる義務も負っておりませんゆえ」
トレミティ諸島に上がった敵を自力で撃退して見せろ、そうでない限り何もしない。
大使の言いたいことは明らかだった。
実際は、トルコとの密約によりいかなる援助も約束してはならない、と本国から指示されていたのだが。
「では、ヴェネツィアの方々にご覧入れましょう」
玉座から立ち上がりながら、ヒルダは言い放つ。
薄絹のレースが光を弾いて、幾重もの輪を描いた。
「モンテヴェルデ騎士の勇敢さを。我が旗の下に弱卒なし、と……」
優雅な笑みを浮かべながら、ヒルダはマッシミリアーノに振り向く。
そこで、彼女は大公の異変に気づいた。
両手は力なく垂れ下がり、頭を傾げたまま、人形のように固まっている。
「……陛下?」
ヒルダの声が広間に響く。
動揺の波が広がり、家臣が騒ぎ出す。
ヒルダは大公の肩を掴み、力一杯揺さぶった。小姓たちが玉座に駆け寄ってくる。
「陛下? 陛下っ……!」
3.
「……つまり問題は、シクストゥス四世の日和見だ」
何杯目かのワインを飲み干し、ウルビーノ公フェデリーコは呻いた。
「ジョヴァンニにも奴を止めるよう言っておるのだがな。あの成り上がりは一族のためなら恥も忘れる」
ジョヴァンニとは教皇シクストゥス四世の甥で、フェデリーコの娘婿。
教皇庁ローマ長官と、ウルビーノ領セニガッリアの領主の肩書きを持つ人物だ。
「それがローマです」
コンスタンティノは曖昧に同意した。
今の教皇は貧しい漁師の家の生まれだった。
フランチェスコ会修道士から修道会のイタリア管区長、総長、そして枢機卿を経て教皇に選ばれた。
陰謀と裏切り、暗殺が蔓延した教皇庁にあって、こういう人物が信頼するのは身内だけだ。
その結果、教皇庁の要職の多くを、シクストゥス四世の一族デッラ・ロヴェーレ家が占めている。
「だからこそ、フィレンツェで政変が起こると、喜んで戦争を吹っかけた。メディチ家を追い落とせると思ったんだろう。
そして、負けそうになると今度はトルコと戦えと言い出す。そんな奴だ、あいつは」
ひとしきり愚痴ったあと、フェデリーコは席に深く腰掛けた。
ウルビーノ公国は形式上教皇に臣従している。教皇庁に振り回されるのも一度や二度ではない。
「『聖戦の参加』については、どう答えたのです」
皇太子アルフォンソの目がわずかに光ったようだった。
その言葉に、フェデリーコもにやりと口をゆがめて見せる。
「いくら酒に酔っても、そんな重大な外交上の秘密は漏らせんよ……いや、冗談だ。
とりあえず今は余裕が無いと答えておいた。まずはスルタンと交渉すべきだ、ともな。
まったく、あの男にこの言葉を聞かせてやりたいよ。
『これまで刃を交えあった宗教の間にも、ある実現可能な妥協点は見出し得る』」
「クザーヌスですか」
「わずか半世紀前の言葉だぞ……『人間は退化している』という教父たちの言葉は正しいのだろう」
「おい、クザーヌスってなんだ」
コンスタンティノは、隣のアルフレドを肘で突いた。
「え、は、な、なんですかっ!?」
不意をつかれ、アルは思わず大声を上げる。食卓の視線が、一気に彼に集まった。
二人の大公は驚きで目を丸くし、コンスタンティノは額を抑えている。
アルは、目の前の食事に集中し切って、全く話を聞いていなかったのだ。
それは今日の食事が豪勢だということには余り関係が無い。
確かに、新鮮な子羊肉のローストに、猪のハムを沿えた主菜はもう何ヶ月も拝んでいないご馳走だ。
しかしそれよりもアルは、「フォーク」の扱いにかかりきりだったのだ。
イタリアの北部では、この道具が食事に使われるということは、アルフレドも知っていた。
しかしモンテヴェルデの貴族たちはそれを「気取った、馬鹿らしい習慣」を軽蔑していた。
食事とは手で食べるものだ、と。
だから、コンスタンティノに今日は「フォーク」を使うよう言われたときは、絶望的な気分になった。
悪戦苦闘しながらでは、料理の味すらよく分からない。ましてや食卓の会話に混じるなど不可能だった。
あちこちにソースを飛ばし、ひどい惨状を示しているアルの皿を見て、大公たちは全てを理解したようだった。
アルフォンソが静かに立ち上がり、アルフレドの後ろに立った。
そして、そっとアルの手に自分の手を添えると、「フォーク」の使い方を教え始めた。
「……そう、力は込めず上から……はい左手にはナイフを持って。1、2、1、2」
簡単だろう、とでも言うようにアルフォンソは目を細める。
未来のナポリ王直々に食事の作法を習い、アルは顔から火が出そうだった。
「……で、何の話だったかな」
アルフォンソが席に戻ったところで、声を立てずに笑っていたフェデリーコは、ようやく笑顔を引っ込めた。
「法王猊下の聖戦思想とニコラス・クザーヌスの思想について、ですよ」
アルフォンソの言葉に、フェデリーコはそうだった、とうなづく。
フェデリーコは高名な傭兵隊長であり、名将として知られる君主だ。
だがその一方で知識を愛し、無数の賢者を宮廷に集めている。自身も一流の学者であった。
「彼が『De pace fidei(信仰の平和)』を書き上げたのは、東方教会との交渉の帰途であったという。
さらに欧州がオスマン・トルコの軍事的脅威にさらされた時代……まさに今と同じ状況だというのになァ」
「クザーヌスってのは、偉いのか」
コンスタンティノが再び小声で尋ねる。こういう時のためにアルを同席させたのだった。
アルも今度は大声をたてなかった。
「ニコラス・クザーヌス、『教皇のヘラクレス』と呼ばれた人物です。
歴代の教皇に仕え、東西教会の合同に力を尽くしました。『信仰の平和』は彼の書いた本の一冊です」
分かったのか、分からなかったのか、コンスタンティノはその説明に曖昧にうなづいている。
そのやり取りをフェデリーコは見逃さなかった。
「クザーヌスを読んだことがあるのかね?」
質問の相手が自分だと気づいて、アルははっと居住まいを正した。
いかめしい顔が、こちらをじっと見ている。
「……いくつか拾い読みした程度です。城の図書室は、あまり豊かではありませんでしたから」
「アルフレド、モンテヴェルデの出身だったな? 城の騎士だったのか?」
「いえ、騎士見習いでした」
騎士見習いで本を読むとは珍しい、とフェデリーコは笑った。
文武両道のフェデリーコが変わっているのであって、多くの騎士は文盲に近い。
「ではモンテヴェルデには、あれはあるかね。レオン・バッティスタ・アルベルティの……」
陛下、とアルフォンソが諌めるより、アルフレドが答える方が早かった。
「……『De re aedificatoria(建築について)』ですか」
先回りされ、フェデリーコはぱっと目を輝かす。
「あるのか!?」
腰を浮かせて尋ねるフェデリーコに、アルは申し訳なさそうに首を振った。
「残念ながら、噂で聞いたのみです。陛下の図書館に無いものが、どうして我が国にありましょう」
「うーむ……そうか。いや、何年も前からフェラーラ公に筆写を頼んでいるのだがな。なかなか返事がない」
活版印刷は既に発明されているものの、未だに本の大部分は筆写によって複製されていた。
それゆえ、大貴族であってもなかなか望みの本を手に入れることは出来ない。
今、フェデリーコが夢中で探しているのが、アルベルティの『建築について』だった。
ちなみにウルビーノの宮殿にある図書室は欧州一との評判が高い。
「今度、我が宮殿の図書室をウィトルウィウスの図版で飾らせようと思うのだ」
フェデリーコは、そう言って相貌を崩した。
「ウィトルウィウスが図版を残していたとは初耳です。そんな貴重な写本をどこで……」
アルが尋ねると、ウルビーノ公は同好の士を見つけた、とばかりに歯を見せて笑った。
「シエナから来た二人の建築家が、彼の書物の記述から素描に起こしたのだ」
「なるほど、彼の『De Architectura(建築論)』には一点の図版も残されていませんからね。
しかも、ザンクト・ガレン修道院のものが正本とされていますが、写本によって記述が違ったりする」
「そうだ。異なるシュムメトリア(比率)が記載されている。ゆえに古代の知恵を完全に再現することはできない。
その点、アルベルティは異なる手段で古代の建築理論を再構成したと聞くが」
「現存するいくつかのローマ人の遺構を調査し、ウィトルウィウスと比較することで、新たな比率を確定したそうです。
さらに、建築は人体の比例に基づくべきだとも。それにより、理想の建築は五つの配置に整理出来る……」
「ミクロコスモス(小宇宙)論か。我が親友、ピエロ・デッラ・フランチェスカが喜びそうだなァ。
何にしろ、ますます読みたくなった。古代人に匹敵する著作を、現代イタリア人が著すとはな!
それにしても、本当はお前、アルベルティを読んだことがあるのではないか?」
フェデリーコは意地悪そうに言った。
そこで初めて、アルフレドは会話に夢中になっていたことに気がつき、そっと頭を掻いた。
「建築には、詳しいのかな?」
そのとき、今まで二人の会話を見守っていたアルフォンソが口を挟んできた。
突然の質問に、アルは戸惑う。
「いえ……先ほども申し上げたように、城の図書室はあまり豊かではなく……
建築についても、旅の学僧から一晩講義を受けた以外は、ほとんど独学です」
「他にはどのような本を?」
アルはちょっと首をひねって、今まで読んだ本を思い出そうとする。
そのとき、ずいぶん長い間文字から遠ざかっていたことに気づき、僅かに寂しさを感じた。
「……まずルッジェーロ・バコーネ(ロジャー・ベーコン)の経験論を彼の神学と共に学びました。
それから、ペトロス・ペレグリヌスの『De Magnete(磁石について)』。
古代の賢人ではヴェゲティウス。近年の著作では、リーミニのヴァルトゥリオやフォンターナ……」
アルがいくつかの名前を挙げたところで、アルフォンソは少し考え込むような様子を見せた。
アルとコンスタンティノはそんな彼を見守り、フェデリーコは何かを悟ったような顔をしていた。
「アルフレド、私の国に来い」
突然の申し出に、アルはうろたえる。
「な、何故です?」
一瞬真剣な目をしたアルフォンソは、すぐに彼らしい柔和な顔に戻って言った。
「ナポリは、今多くの建築や工学の専門家を求めている。何しろトルコとフランスの脅威が迫っているからね。
要塞、砦、塔に城門……早急になすべき仕事は多く、人材は余りに足りない。だから――」
「ま、待ってください」
ナポリ皇太子に反論するなど、普段のアルには出来ないことだったが、今は違った。
何か、とんでもない重荷が自分に背負わされようとしているのを、感じたのだ。
「僕は建築の専門家でも何でもありません!」
「そうかな?」
必死の抗弁も、アルフォンソに軽くあしらわれた。
「我がウルビーノの宮廷からも、何人かの建築家や工学者を派遣している。だが何しろナポリは広い」
フェデリーコが初めて口を挟んだ。
「その通り。君には失礼だが、『素人よりはまし』でも喉から手が出るほど欲しいのだ。
何しろ石工が図面どおり壁をこしらえたか、それすら分からない人間ばかりだからな。我が家臣たちは」
アルフォンソが、周囲の家臣に聞こえないようにささやき、素早く片目をつぶって見せた。
「……頼む」
アルフォンソが頭を下げ――ついにアルフレドは折れた。
かつて貴族の末席に並んでいた記憶が、これ以上の無礼を許さなかったのだ。
「あの、殿下。申し上げますが、アルフレドはまだ我が部下で……」
借金もあります、コンスタンティノがそう言いかけたとき、アルフォンソは分かっている、とうなづいた。
「さて、そこでだ。『狂暴騎士団』を我が国で雇おうじゃないか。アルフレドのみを雇ったのでは筋が通らない。
それに、要塞だけ建てて、守るべき兵がいなくては話にならないからな」
「で、殿下!」
その瞬間、コンスタンティノは跳び上がらんばかりに喜んだ。
そして、深々と頭を下げる。
「何を白々しいことを。今日食事に招いたのがなんのためか、我々が気づいてないとでも思っているのか?」
フェデリーコの言葉に、アルフレドは初めて今日の会食の意味に気づいた。
戦争が終われば解雇されるのが傭兵の常。つまり新たな売り込みの場だったのだ。
「ま、どちらにしろ今日はお互い得るべきものが多かった! そうじゃないかね、諸君?」
フェデリーコは大笑し、三人もそれに倣った。
同席者の反応に満足そうにうなづくと、彼は小姓に新しい酒を持ってくるよう命じた。
――午後の会食が終わり、村に静けさが戻った。
今後の予定を打ち合わせ、大まかな契約内容を決め、二人の大公を見送ると、既に日は沈んでいた。
『予想外だったが、お前に助けられたな』
そんなコンスタンティノの言葉を噛み締めながら、アルは自分の寝床である厩に帰る。
ようやく『狂暴騎士団』の役にたてたのだろうか。明日のパンを稼ぐことが出来たのだろうか。
(いや……単なる偶然だ。今日は幸運の女神の前髪を掴めただけだ)
アルはそう自分に言い聞かせる。
厩の前まで来たとき、アルは建物の前に小さな人影がたたずんでいるのに気がついた。
ラコニカだった。
冷たい夜風に吹かれながら、身動き一つせず立っている。
黙ったまま、アルは近づく。
「……どこに、行ってたんですか」
泣き出しそうな声でアルを責める。
思いがけない態度に、アルは胸が詰まった。
「馬は繋いだままだし、他の人に聞いても今日は見てないって言うし……」
確かに、今日アルが会食に出たことを知っているのはコンスタンティノだけだった。
もちろん、大公たちがいる場に売春婦が顔を出せるわけもない。
だが、アルフレドは返事をしなかった。
その代わりに、そばを通り過ぎざま、一つの言葉を口にする。
「戦争、終わったそうだよ」
「え?」
ラコニカは息を呑んだ。
ゆっくりと噛み締めるように々言葉を自分の口で繰り返し、アルの顔を見る。
「終わった……」
アルは黙ってうなづく。
その瞬間、言いようのない怒りが彼の体を貫いた。
和平が結ばれたのは、一ヶ月も前。それは、ラコニカの村が襲われる前のことだ。
つまり、あの村は焼かれる必要など無かったのだ。もちろん、ラコニカが汚されることも――
いまさら終わったと言われても、喜ぶことなど出来ない。
「……じゃあ」
ラコニカの言葉に、アルは目をつぶる。
戦争が終わったとしても、もはや彼女は村に帰ることも、傭兵団を離れることも出来ない。
ならばせめて、ラコニカの怒りを受け止めることが自分の役目ではないか。
どんなに理不尽でもいい。どんなに侮辱されてもいい。
少しでも気が晴れるなら、彼女のどんな振る舞いも許そう。
アルフレドはそう決心する。
「じゃあ……もう、いいんですね」
震えるラコニカの声に、ぐっと歯を噛み締め、待つ。
「もう……」
顔を上げることが出来ない。今ラコニカの顔を見て、逃げ出さない自信が無かった。
「もう……アルフレドさん、戦わなくていいんですね……?」
「…………えっ」
思いがけない言葉にアルフレドは身を翻した。
ラコニカの笑顔が、飛び込んできた。
「戦わなくていいんですね? もう、死んじゃったりしないんですね?
もう……もう私、心配しなくていいんですね? アルフレドさんが死んじゃう……死んじゃうじゃないかって……
そんな風に思いながら、待ってなくて、い、いいんです……ね?」
笑顔が崩れた。
溢れる涙が丸い頬を伝って、ぽつりぽつりと地面に落ちる。
堪えきれなくなったように、ラコニカはアルフレドに抱きついた。
アルの胸に顔を埋め、背中をぎゅっと両腕で抱きしめる。
「ラコニカ……」
「わ、私……わたし…………わたしっ……!」
そこから後は言葉にならなかった。
大粒の涙は、アルの服を濡らし、温かい染みを作っていく。
いつの間にか、アルフレドも両腕をラコニカに絡めていた。
応えるように、ラコニカはその腕にさらに力を込める。
――そして、いつまでも二人の影は一つに寄り添っていた。
(続く)
シ―クレット・至急扱いで処理して欲しいんだけど、おそくても31日
できれば、29日朝までに■前スレ440さん宛てに3000万円を振り込むよう手配して
ください(前回、振り込んだ口座と同じでOK)。
乙です
神降臨
いつもいつもhigh qualityな読み物をアリガトウ!
GJ!
本当に質が高いわ、ここの作品。
そして
>>340は堀○メール(笑)?
>>316-321 ゴンザレス氏 亀レスですが。
囁き草とかがおもろいなー、と思いました。夜の森の風景が幻想的でなんともきれい。
お互いに褒められると感想が「鳥肌」「不気味」ってーのが吹き出しました。なんて仲の悪いやつらだw
>>328-339 火と鉄
アルはコンスタンティノの便利ななんでも知恵袋だなー、と思いました。でもあんまり気が利かないw
せっかくご馳走食べてるのに味わうどころでないアルに同情しつつ、でも笑っちゃった。
モンテヴェルデどーなるんだ、いったい。アルとラコニカはどーなっちゃうんだ、いったい。等等、続きを大変楽しみにしています。
ラコニカ、すごくいい娘だ…。アルが突き放さずに揺れてくれてるのが、もんのすごくウレシイ。
ところで現在492kb. まだレス300番台なのに。…はやっ。
344 :
テンプレ案:2006/02/21(火) 22:21:50 ID:WzCGJJ+n
作品と作品の間が著しく広いこのスレで果たしてそれが可能なのか……
しかし、このスレも伸びたなぁ
今進行中なのは、
ゴンザレス氏と火と鉄、あと269氏の中国物、あとはある?萌恋シリーズはとりあえず店じまいなのかな?
戦争物の大御所を忘れていないか。
それとも氏は単品投下に移行したんだっけ?
忙しくて長編を落とす時間がとれないとか言ってた。春には再開すると言ってるが、気の長い氏のことだから、
正確にいつ再開されるかは分からない。
何年も前の作品で悪いんだけど、NOIRのパロを製作中。
どうもNOIRっていうとヒロイン同士の百合なイメージが
あるけど、少し気分を変えて男女の正当(?)な恋愛を描いて
みようかと思って。
「NOIRにそれは似合わないんじゃ・・・」という人が居れば
投稿止めとくけど
いや、是非投下してくれ…っ
(出来れば新スレに)
352 :
350:2006/02/24(金) 15:22:01 ID:PVGj2I6N
>>(出来れば新スレに)
あい、そうっすね。しかし、改めてここを読み直してみたら本当に
レベル高い作品ばかりで、今更アニメのパロを書く俺って空気に
合ってないような
>>345 それと、完成までもう少しかかりそうなんで、新スレは
他の人にたてていてもらいたい。
他力本願で申し訳ないが…(;´д`)