秀吉の朝鮮征伐を明の観点からの考察

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1名無しさん@お腹いっぱい。
秀吉の朝鮮征伐を明の観点から考察するするスレッド。

朝鮮征伐の各板の関連スレッド
軍事板
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1203686918/
世界史板
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204066393/
日本史板
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/
戦国時代板
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195992731/
2名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 18:18:46 ID:ZeJaAj5L0
2get!
九卿科道會議!
3名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 18:59:45 ID:+QaSJCWv0
何だか重複っぽいのもあるけど、一応、関連スレね

【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/

秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1164125822/
4名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 19:19:25 ID:f+US2DGiO
ただでさえ周辺異民族に悩まされていたのに、
まさか海の向こうからまでやってくるとはな。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 20:33:20 ID:e9oiKkQdO
考えてみりゃ明からすれば碌に朝貢もしやがらない、その癖倭寇みたいな益体もない事をしてきた島が
総出でお前ん所、征服したるぞ!と襲い掛かってきた訳だから堪らんわなー…
6名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 20:52:37 ID:PzmkDG0SO
北京まで攻め上がれば良かったのに
7名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 20:53:10 ID:1R5ziaui0
>>4-5
軍事板のスレッドでそのような意見を述べてきたら?
8名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 21:30:37 ID:lPhiy9xg0
明は皇帝も幼いし軒並み優将が死んだ後だし
「おいおい、やめてくれよ」ってかんじだったろうね
9名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 21:36:11 ID:2yCwBXZQ0
>>9
?
10名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 03:42:03 ID:HnjAsu790
明あんまり活躍してねーよ
兵もほとんどおくってねーし。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 05:06:04 ID:kTl4jPmD0
朝鮮に派遣された明軍は、最大事でも十万人を超えていないと言われているね。
江南にも攻め込んで来るという噂があったみたいで、そっちの防備も一応固めてはいる。

>>6
北京へ進むのに最大のネックは遼東の荒野じゃないかな。
補給線も延び切ってしまうし、
最低でも朝鮮を完全に領土化してからでないと難しいと思う。
北側から攻め込んだ場合、北京周辺はかなり防備が厳重だし。


12名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 06:11:54 ID:p+WSBYcY0
島津にフルボッコされた明wwwwwwwwwwwwwwwwww
13名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 06:46:35 ID:ete5RfRd0
立花宗茂の方がすごいぞ。
般丹の戦いで立花軍8百に対して高策軍は2万2千もいるのにやられてるw
14名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 12:22:05 ID:MDN+7GZr0
>>10
明軍も寡兵と厳しい補給のなかで
良くやったと思うが、水軍の勝利したって
明軍の功績に帰して当然だったはず。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 14:27:36 ID:FoFKJaHK0
寡兵とは言いがたい。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 15:42:41 ID:vilUztd50
17名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 15:48:05 ID:LZziYsJd0
とりあえず「明史」な
http://guoxue.baidu.com/page/c3f7cab7/index.html

「日本伝」は第三百二十二巻
http://guoxue.baidu.com/page/c3f7cab7/321.html
18名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 19:01:54 ID:ZneM660/0
age
19名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 00:41:46 ID:j4FZytxz0
いろいろ中国語のサイト見ても、この戦役に対する明側の関心が低いな。
本土が直接巻き込まれた訳じゃないから仕方ないけど、
一応16世紀の世界で最大級の武力衝突だったんだし。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 01:02:45 ID:9caaBRV50
当時の皇帝が、中国史上、劉禅と並ぶ迷君では盛り上がるまいよ
21名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 04:07:30 ID:UhFnG95Q0
劉禅って、明の時代に生まれれば
部下に支えられてた感もあるが普通にそこそこの君主だよな。
三国志の蜀の皇帝に生まれたばかりに、中国皇帝最低に地位になってしまった
22名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 10:02:38 ID:E0dOLwny0
23名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 12:29:45 ID:BhNaJDK80
>>21
劉禅ごときでは、中国史上最低皇帝の座は掴めない。
下には下がいるものだよw

特に明朝の場合、劉禅程度の能力があったら、
まあまあの皇帝として評価されたかも知れないw

24名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 13:24:20 ID:RzaX0oQj0
劉禅は諸葛亮の前でわがままを言っていたこともあったが、粛清はしなかった

それを実行したのは明の皇帝
崇テイ帝は諸葛亮の再来といわれた袁崇煥を凌遅刑らした。
明が滅んだ原因の中で一番致命的なことをやっている。


劉禅はそれなりに散財したが、恨まれるほどのことはしていない
それをされたのが明の皇帝
万暦帝は散財で農民の怒りをかい、李自成の乱で捉えられ国民になぶり殺しにされた

明の皇帝がせめて、劉禅だったら
25名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 14:21:27 ID:sC8A6zhe0
劉禅?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 14:55:04 ID:BhNaJDK80
>>24
李自成の乱の時には、万暦帝はとっくに死んでいるよ。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 18:48:27 ID:Rg03nKKq0
清正は?
28名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:38:15 ID:7sV3CaE20
何が清正なのか分からんけどw
とりあえず百度百科「加藤清正」
http://baike.baidu.com/view/193004.htm

明史に加藤清正って何か記述あったっけ?
29名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 01:47:11 ID:UXqiDj3/0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%9A%A6%E5%B8%9D
万暦帝

>>26

国家にとって不可欠な出費を惜しむ一方で私的な事柄には凄まじい贅沢をした。
例えば鄭貴妃の子である福王朱常洵を溺愛し、
その結婚式のために30万両という金額を使っている
(張居正が政治を執っていた十数年に国庫に積み上げた金額が400万両である)。
このことで民衆の恨みを買い、後に福王は李自成軍に捕らえられた時に残忍な殺され方をしている。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 09:03:15 ID:OIXKSd7X0
31名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:06:25 ID:1uE/CGzK0
>>29
でも親と子といえど別人は別人だから
>>万暦帝は散財で農民の怒りをかい、李自成の乱で捉えられ国民になぶり殺しにされた
この文章がおかしいのに違いは無いよ
32名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 14:48:54 ID:LvKZtR5L0
>>28
今の中国人で、加藤清正とかの日本の戦国武将を知っているのは、
歴史からではなく、
戦国無双とかのゲームからの知識だからなあw
33名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 00:22:39 ID:px9QxNh/0
それは日本人も同じこと
34名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 18:47:12 ID:evrGREnW0
35名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:50:45 ID:8oGMOqlV0
明に伝わった情報では、
平秀吉が明の征服を宣言して、朝鮮から五十万人、江南へ五十万人が攻め寄せるっていうような話だったらしいな。
それで江南の防備も固められた。

36名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:59:24 ID:zu2QWaXN0
>>35
合わせて100万か・・・実際の5倍以上w
そこまで誇張しないと援軍出してくれないような状況だったのかな?
37名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 01:44:43 ID:Jn9sQJwc0
どこから引いてきた話かな?
38名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 09:16:26 ID:hq3/avHo0
ソースは?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 11:05:29 ID:cuxyjNVr0
陳申は福建の船商であるが、たまたま琉球で日本軍の挙兵のことを聞き、この年の四月、琉球の長官とはかって、進貢使に
密報を託したのである。それによれば、
「日本の関白は下層から身を起こし、群雄を征服して既に六十六州を平らげたが、更に琉球朝鮮を席巻し、明をも平らげる計画
で、昨年三月に琉球に使者を向け、朝貢するよう迫った。聞けば関白自らこれを天授とし、来春三月を期して二百万の兵を率い
て大挙攻め入り、北京を攻める隊は朝鮮人を先導とする。福建広東浙江に入る隊は明人を先導にしようとしている。朝鮮は既に
船を造って戦いの計画を援助し、日本に入港中のシャムやカンボジアの商船に対してはも全て検束を行っている」
 というのであった。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 14:45:29 ID:r3HJ5ME70
>二百万
また話がデカクなっとるwww
41名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 23:34:38 ID:57DW1swL0
敵の数が多いほど、たくさんの予算が出そうだしねw
特に武官にしてみれば、敵の数は多く言っておいた方がいろいろと得w
42名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 21:50:37 ID:fYqNuT45O
>>24
袁崇煥は今張飛と明史に書いてあると2ちゃんで見たけど…。
崇テイ帝は遺言から察するには立派な人に思えるのにねぇ。


日本軍の兵力の水増しは李如松もやっていると直木三十五のエッセイで
読んだ。
柳成竜が文句をつけたら「お前のところのやつがそう言ったんだ」と
怒鳴り返したとか。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 22:41:13 ID:u1zuHngZ0
明自身が下層出身の洪武帝という恐怖の豪傑をw生み出してるから同じような出自の秀吉をそういう風に見てたのかも
44名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 09:27:19 ID:3WWOkFI4O
明は援軍じゃなくて当事者本軍だよな。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 18:59:02 ID:6hKik6JYO
話題もないし、明臣から功績ランキングをあーだこーだ話して決めよう。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 19:03:42 ID:6hKik6JYO
戦略功臣と戦術功臣として
総兵以上と副総兵以下にわけましょう。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:47:35 ID:KluQtrhj0
この時期の中国の武将って、
パッとしないのが多くて、興味削がれるなあ
48名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 08:20:37 ID:KEKWyWfEO
李如松じゃないの?
平壌を落としたし。その後、負けたけどな。
49劉邦:2008/04/25(金) 16:05:35 ID:yv9sgMwY0
一番迷惑な存在=豊臣 秀吉
50名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 15:10:46 ID:aotzlugo0
呉三桂のお父さんも、この戦いに参加してたんだよね。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 17:05:19 ID:C3cDnRAi0
当時の明に徐達クラスの武将がいたら日本に勝てた?
52名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 08:05:03 ID:v0bJBDV+0
>>51
そんな危険人物は皇帝に疑われて粛清されるか、
同僚の妬みを買って糾弾されて失脚するだろうなw
53名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 21:28:53 ID:QNXw4ipVO
楊コウは評価が低いけど頑張ったと思う。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 01:08:37 ID:wD6q2WCn0
>>51
すでに武勇云々で、どうにか成る時代じゃ無いと思う。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:34:42 ID:5IoCqLyc0
徐達の武勇てなに?


56名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 18:35:14 ID:a2L7ff4JO
>>49
俺は朝鮮すら征服できなかった猿より絶頂期のオスマン・トルコを破ったティム
ールの方が明にとって強敵だと思うね
57名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 14:49:21 ID:/s0rAan9O
>>51誰?
58名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 11:45:03 ID:VxKSOuYIO
どこの無名武将?
59名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 23:17:16 ID:3zF21gu4O
洪武帝の覇業に貢献した向かう所敵無しの将軍。魏国公に封ぜられ右ジョウショウになる
60名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 14:29:22 ID:SdoLbnpDO
知らんな
61名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 14:44:37 ID:V7UftoUm0
徐達は明の北伐軍を率いて、大都を占領、元を北方の漠北へ追いやっている。

明の創業&天下統一の最大の功臣だろうな。

死に方が不審なので、朱元璋に粛清されたっぽいけど。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 22:54:09 ID:KjYLI9/O0
関連スレ
【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/
63名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 14:48:43 ID:wZK+eA4yO
喉に刺さった刺。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 23:51:23 ID:LAEWo1Iv0
朝鮮半島?
65名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 19:27:28 ID:nPpXOp2A0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/978
978 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 14:15:27
はいはい
3分の1も兵力失ったけどね。現代戦では25%兵力失ったら壊滅と言うんだが
明国境までとか言ってるがそれは明軍介入前じゃないか
たかだか朝鮮半島カッポしただけで世界的に見ればそんなたいしたことないしょ
明にとってはオスマンを破って西アジアを席巻したティムールの方が百倍脅威だったろうな
66名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:00:00 ID:86b2ucb90
日本史板の朝鮮征伐スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1214026579/l50
67名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 14:39:33 ID:iZybtR9KO
みてみたら?
68名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 17:05:24 ID:uwMXxFuj0
島津義弘と戦った董一元ってのは、調べたら、
主に北辺で、蒙古族との戦いで功績を上げた武官なんだな。

文禄の役が始まる前に、総兵になっている。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 23:38:16 ID:pZ1YJpcT0
朝鮮に派遣された明軍は、基本的には蒙古、女真あたりの遊牧民騎馬軍団相手に戦ってきた連中なわけで、
半島南部の山がちな地形は戦いづらかったかも知れんね。

逆に小西行長が平壌から撤退しなければならなかったのは、
兵力の差、補給などの問題もあっただろうけど、
平野部で日本軍には不利な地勢だったということもあるだろう。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 11:39:47 ID:KgMVkgc00
【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1182128954/
より

明軍は大軍を擁して総攻撃をしたのに蔚山を落せず、少数でやってきた日本の援軍に野戦で大敗している。
なにやってんの、明?

71名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/30(水) 23:30:00 ID:TSI7iQUd0
「対馬は、遠い昔から韓国に朝貢を行ってきた韓国の領土だった。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした日本が対馬を武力で占領した
が、決死の抵抗を行った(対馬の)義兵がこれを撃退し、義兵の戦蹟
碑は対馬の至るところにある。1870年代に対馬を不法占拠した日本
は、不法に所有した領土をポツダム宣言によって返還することになっ
たのだから、韓国に返すべきだ」 

 1949年1月7日、大韓民国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)が
初の年頭記者会見で語った発言だ。


朝鮮日報
「対馬は韓国領」説に歴史的根拠あり(上)
http://www.chosunonline.com/article/20080727000010
72名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/30(水) 23:52:35 ID:fV0gLIwB0
もう、くれてやればいいじゃん
73名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/31(木) 08:30:07 ID:ShP9FYCJ0
つか、一度本気で侵略して欲しいな。
韓国が対馬に軍事侵攻したら、さすがに日本人もいろいろと目覚めるだろう。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/31(木) 23:48:55 ID:6WeJNrp80
>>72
そんなことを言ってると次は九州や沖縄が韓国領土だと、
言ってくるぞ。実際に主張しているのもいるし。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/01(金) 02:30:25 ID:crGYR1e40
いっその事全部くれてやって中から支配しよう。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/03(日) 14:08:55 ID:h7/7xB8z0
そんなことをしたら、
男は働けない病人とか怠け者は皆殺し、働けるやつは強制労働の奴隷。
女は韓国人のための性奴隷になるぞ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/03(日) 21:05:05 ID:0ZVKNazG0
>>76
全部くれてやるんだから日本人は貴族サマになるんだよ。(笑)
78名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/03(日) 21:28:34 ID:KG7rSR6F0
俺は外国に亡命するから、他はどうなっても全く問題ないな
むしろ清々するよ
79名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 03:41:58 ID:d3c+NyXS0
韓国に占領された時点で亡命なんかできないが?
日本は周りを海に囲まれてるから飛行機か船じゃないと逃げれないな。
占領されたら港も空港も使用不可だしな。
亡命も政治家や皇室や経団連かめいの会長や社長が優先され、
このスレの住人みたいな庶民はしょせんあとまわしだな。
事前に逃げようにもいつ占領されるかは不明だしな。
今すぐ亡命したらまにあうだろうがな。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 12:46:56 ID:+WX8K8uA0
占領されるんじゃないよ。くれてやるんだからちゃんと取引すんだよ。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/06(水) 10:04:05 ID:zi4a76rf0
>>80
韓国と取引できると思ってる無知の変態一人登場。
韓国側には日本なんかとの取引契約内容を
守る義理も理由もない。無知は怖いね。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/07(木) 00:30:54 ID:0Qld5HZI0
併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達

一、朝・鮮・人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを
認識させるよう心がけること。

一、朝・鮮・人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至
るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。

一、朝・鮮・人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。

一、朝・鮮・人には裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖
がある。

一、朝・鮮・人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し
返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意
せよ。

一、朝・鮮・人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証
拠を提示させること。

一、朝・鮮・人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。

一、朝・鮮・人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。

一、朝・鮮・人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。

一、朝・鮮・人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。

一、朝・鮮・人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議す
る習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。

一、朝・鮮・人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。

一、朝・鮮・人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威
称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。

一、朝・鮮・人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知
人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。

一、朝・鮮・人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せ
しめよ。

一、朝・鮮・人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半
であるので、呼出には決して応じてはならない。


83名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/21(木) 07:55:18 ID:da1eW2ed0
なるれす
84名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 16:58:58 ID:uV9rkTD90
85名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 12:02:03 ID:hvH8Gqgq0
>70
文禄の役 明軍総勢4万ちょっと 
慶長の役 明軍総勢8万ぐらい
大軍ってどこから分かってきたのか?
86名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/30(土) 10:07:44 ID:sihKKlEa0
>>85大軍じゃんw
87名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/30(土) 10:40:48 ID:VJhRbDU10
日本軍の兵数と比べて、圧倒的大軍というほどでもないんじゃない
日本側は両役とも十万人以上動員しているんだし
88名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/30(土) 10:42:13 ID:sihKKlEa0
日本軍の動員員数の半分は人足だけどなー
89名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 19:10:28 ID:ILIg9l5J0

秀吉による朝鮮征伐に関する考察
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220349972/l50
90名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 23:13:37 ID:j86FCO2I0
戦国時代の日本軍の場合、兵站要員は基本的には戦いに参加しないんだけど、
追撃戦には参加することもあって、非戦闘員と言い切ることもできないもので、
ややこしい。

91名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 21:23:30 ID:OhFeZJH70
>>89のスレッド、議論が盛り上がっているね。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 21:42:04 ID:EPBC+kjK0
93名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 23:47:28 ID:bjTzsm/G0
日本軍、明軍の兵数もあれだけど、
現地の朝鮮人も、基本は明軍の味方のはずなんだけど、
日本軍の下働きで参加していたりする者も多かったようだしな
94名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 20:29:34 ID:2X1zqS8j0
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartY
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1208168005/l50
95名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 00:43:44 ID:aL2aBONa0
文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224042272/
96名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 19:12:15 ID:mfEyuKHm0
97名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 15:28:00 ID:aTw/f7Qw0
慶長の役の明軍、李如松の部隊の構成

総兵・李如松 騎兵1500
参将・李寧 馬兵1000
副総兵・楊元 騎兵2000
副総兵・張世爵 騎兵1500
副総兵・任自強 騎兵1000
副総兵・李平胡 騎兵800
副総兵・査大受領 騎兵・歩兵3000
副総兵・王有翼領 騎兵1200
副総兵・孫守廉 騎兵1000
副総兵・王維貞 騎兵1000
参将・趙之牧 騎兵1000
参将・李芳春 騎兵1000
参将・李如梅 騎兵1000
参将・李如梧 騎兵500
参将・楊紹先 騎兵500
参将・張応仲 騎兵1500
参将・駱尚志 歩兵3000
参将・張奇功 騎兵1000
参将・陳邦哲 騎兵1000
遊撃将軍・呉惟忠 歩兵3000
遊撃将軍・宋大贇 騎兵2000
遊撃将軍・王必迪 歩兵1500
遊撃将軍・高策 騎兵1000
遊撃将軍・葉邦栄 騎兵1500
遊撃将軍・銭世禎 騎兵1000
遊撃将軍・戚金 歩兵1000
遊撃将軍・谷燧 騎兵1000
遊撃将軍・周弘謨 騎兵1000
遊撃将軍・方時輝 騎兵1000
遊撃将軍・高昇 騎兵1000
遊撃将軍・王問 騎兵1000
遊撃将軍・梁心 騎兵1000
遊撃将軍・趙文明 騎兵1000
遊撃将軍・高徹 騎兵1000
遊撃将軍・施朝郷 騎兵1000
遊撃将軍・葛逢夏 騎兵2000
98名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 20:30:28 ID:7d08WWrn0
>>97
その中で、戦死又は戦傷を負った将軍は?
99名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 19:30:51 ID:yLyMwK+z0
100tiger:2008/12/04(木) 14:59:10 ID:Hs1Lq0a20
平壤之战“斩获倭级一千五百有余,烧死六千有余,出城外落水淹死五千有余”。李如松凭此一战,威名大振,
碧蹄馆一战据日本《立花家传》、《武将列传》记载,日军阵亡将领包括:
  小野成幸 十时连久 池边永晟 安东幸贞
  小川成重 安东常久 久野重胜 横山景义
  桂五左卫门 内海鬼之丞 伽罗间弥兵卫 手岛狼之助
  汤浅新右卫门 吉田太左卫门 波罗间乡左卫门
  一昼夜交战阵亡日军将领高达十五员之多,可见当日战况之惨烈。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 15:38:21 ID:bGWGXDFK0
李如松は碧蹄館ではかなりやばい状況だったらしいな
102名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 16:43:03 ID:5iM6Qmc20
>>100
けっこう日本の被害も多いな
激戦だったんだな
103名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 02:49:37 ID:sgI/ajaq0
もし明が滅びなかったら、近代はどう変わっていたかね?

まあこんな予想なんてしづらいだろうけど、傾向としてどうなの?

たとえば俺は、近代の中国革命は盛り上がらなかったのではないかと予想する。
だって清って満州族の王朝だから、それを倒せという動機が強かったけど、
明だったらもっと民衆の支持が根強くて革命ってできにくいんじゃないのかね。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 02:53:49 ID:sgI/ajaq0
すまん「予想」ってのはおかしいな、「想像」に訂正
105名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 12:57:56 ID:1NODgmte0
日本みたいに立憲君主制になってたんじゃない?
106名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 10:55:51 ID:av1E4J2F0
易姓革命って概念は有るんだし、
明を打倒って動き自体は普通に起こり得るんじゃないかと。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 11:41:23 ID:LGmfduxN0
農民反乱で滅んだ明に民衆の根強い支持があったとはどうにも思えない
108名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 19:09:28 ID:67YBQ0840
109名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 21:43:31 ID:/PNtKCcB0
征伐
110名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 20:50:01 ID:HE7TfrIH0
?
111名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 21:01:08 ID:JmxB/xZn0
age
112名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 21:50:38 ID:0Jj/DZgtO
ヤン・ウェンリーじゃないけど(笑)
明をどうするつもりだったんだろ?
恒久的に支配するつもりか、盗賊みたいに
荒して撤退か?
しかも、補給基地が、海を挟んだ遠い日本で、
本当に最低な軍事行動だな。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 10:19:56 ID:Elf/bMSk0
>>107
何百年も続けていたら、それなりの愛着のようなものは芽生えるんじゃない

共産思想が入ってきたらやばいか

114名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 20:37:35 ID:NYfXFSnX0
115名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/01(水) 18:11:25 ID:ZNS2/srF0
age
116名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 03:36:55 ID:pLgkoset0
>>112
もともとルソンへの足がかり、スペインへの防波堤としての出兵だからなぁ
117名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 11:44:35 ID:i/M9z5mD0
2008/10/12 12:42 朝鮮: 「倭軍を撃退せよ」400年前の海戦再現 → 出火し全焼
「倭軍を撃退せよ」400年前の海戦再現 → 出火し全焼

<事故前>
李舜臣将軍が私たちの水軍の10倍が越える倭船を退けた鳴梁大勝が
当時の状況そのままに再現されました。
◇ソース:naver/SBSニュース(韓国語)"倭軍を退けなさい"…400年余り戦'鳴梁大勝'再現
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=096&aid=0000075467

↓その後・・・・・

全南道が主監した鳴梁大勝祭り開幕日に板屋船が燃えて丸焼けになる事故が発生した。

事故を起こした板屋船は、鳴梁大勝祭り開幕日である11日16時頃、
右水営港から珍島鹿津(ノクジン) まで航海した後、原因不明の火事が発生して全焼した。

燃えた板屋船は、海南右水営港〜珍島鹿津区間を二度航海した後、
右水営港に帰港する途中、機関室の方で初めて炎が発生したことが知られている。
板屋船に火事が発生すると板屋船に乗った人々は緊急待避して人命被害はなかったことが明らかになっている。

板屋船からの火事の通報で海警と消防署が出動して鎮火に出たが、炎を消すことができず、
完全に丸焼けになった。

全焼した板屋船は先月、鳴梁大勝祭りに合わせて建造され、祭り当日が初航海だった。

板屋船が燃えた姿を見守った住民たちは数千万ウォンで製作した板屋船が
あっというまに燃えてしまった、と使い捨てになった体たらくだと批判した。

◇ソース:デイリアン(韓国語)鳴梁大勝再現中板屋船に火事′丸焼け′
http://www.dailian.co.kr/news/n_view.html?kind=menu_code&keys=3&id=129510



炎上する所まで再現しましたとさ


〜〜〜〜    完    〜〜〜〜
118名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/29(水) 21:08:36 ID:dQyGSDAy0
119名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 00:17:07 ID:+L+SAyPpO
マジな話し、秀吉は当時の面積比のおかしい世界地図見て
中国小さいじゃん、いけるじゃんと、
勘違いしていたのではないかと思う
120名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 03:10:50 ID:aeJMvw9J0
>>119
実際、あんまり面積は関係ないからな。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 13:29:50 ID:jwlg0m/+O
>>119
大明国と認識していたわけですが?
122名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 09:05:42 ID:l8SXHXeAO
このスレ的に楊コウはどんな評価?
出ると負けるが、王朝の命令に忠実に戦った主戦派だな。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 18:16:08 ID:0gsGJYCi0
秀吉は講和条件の一つに明朝の皇女を後陽成天皇に嫁がせるというのを挙げていたが

なんでこんな妄想したの?普通の日本人ならこんな発想自体まずないでしょ。
明朝からしたら「和蕃公主」の先例はいくらでもあっただろうけど。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 02:06:03 ID:vnm79U2d0
人質
125名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 18:24:45 ID:wGf10l1aO
>>123
それこそ勝利の前例では?
126名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/08(金) 18:39:54 ID:zAzu9cHL0
>>123
秀吉は、天皇を大都=北京に移すって構想も漏らしていたんでしょ

朝廷を分割させて、日本、明などいくつかの国に置き、
自身はそれらを統括する東アジアの支配者のような立場になることで、
朝廷を凌駕することを狙ったのでは?
127名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 10:37:08 ID:cZBWecsZ0
明の援軍も向こうのオールスターだったの?
128名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 19:31:40 ID:nzJX0d+n0
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸び
元寇と同じ事が起こると考え、バテレン追放令を出し、
さらにスペインがルソンから明へ派兵できぬよう先手をとろうと明征伐に向かったのである。
それは文禄の役のときスペイン領フィリピン総督府あてに牽制の手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。

129名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 09:29:43 ID:nO/5ypqx0
130名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 21:23:41 ID:ad8LUOOQ0
天皇が北京に行ったところで、ただでさえ形骸化しきった明の皇帝
の後釜に座っても、清にかなうわけがない。「この変な風習引きず
ってるちんけな小男誰なの?」で終了。

公家勢力を一掃しようとした信長とはやっぱりスケールが違うな。
サルは。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 15:25:26 ID:7wGb6Weg0
何が言いたいのか全く分からん
132名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/25(月) 07:41:42 ID:CvejeGCMO
韓国と日本って穴熊と虎位の差があるやろ。もちろん虎は日本!
韓国は九州とドッコイドッコイ。
本気になれば九州だけでも勝てるさ。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 17:53:12 ID:qWD0jXG10
134名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 12:50:27 ID:gQhx3yx5O
>>132
朝鮮の正規軍は九州武士どころか、対馬の民間人に
フルボッコにされた経歴が御座います。
応永の外冦でググッてみそ。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 17:43:17 ID:KkMhFid20
THE WAY OF THE SAMURAI

http://www.youtube.com/watch?v=VmJwBV_iJRQ&feature=fvsr

三部作だけど、ヨーロッパから見た当時の日本が興味深い。
「西洋人が初めてアジア人と接触して、征服の対象としてではなく、
対等の存在として見た」 と言っている。

「どの国の文化とも異なる」とも言っている。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/22(月) 12:30:29 ID:ac+jT6gc0
>>134
朝鮮の国力は、周辺国に比べると格段に落ちるが世界的にみたら
高いほうではないか。仮にも当時世界の先進地帯の東アジアの一角だし
人口も500万以上と世界的にみてもかなり多いほう。農業や産業は
発達しなかったが、陶器や木版印刷術は世界の最先端をいっていたわけ
だし、決して後進国ではないんじゃないかな。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 10:52:20 ID:7laOKzTI0
ほんの100年前まで、韓国には染料や岩料を作る技術がなく、
染物は基本、中国から持ち込まれていた。
なので、宮廷などの一部の金持ちしか染物をされた衣服をまとうことは出来なかった。

朝鮮庶民の写真で衣服が真っ白なのはそのせい。
布すら染める技術がなかった。
ほんの100年前まで
138名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/26(金) 00:06:20 ID:YV0xl2W80
>>136
陶器っつーか磁器は、韓国人の妄想と違って、あくまで日本で明・清の技術を取り入れて
開花したもので、朝鮮陶工の技術はプリミティブなものだったらしいし、木版印刷も江戸時代の
日本のものとは比べものにならない稚拙なものだと思うが。ところで、なんで自慢の金属活字じゃなくて
木版印刷なの?
139名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/26(金) 03:07:45 ID:apyunF/b0
支那から日本と半島へ水車の作り方が伝来するが・・・

水車を何百年もかけて結局、普及出来なかった国のお話。
農業技術は中国と日本から何度も移入しているのだがいつまでたっても追いつかなかった。

1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告。
1430 世宗12年9月27日 水車を造ろうとする
1431 世宗13年5月17日 中国も日本も水車の利を得ているが我が国(朝鮮)にはそれがない。
1431 世宗13年11月18日 日本と中国の水車の研究の記述がちらほら。
1431 世宗13年12月25日 水車導入を試みる。
1451 文宗元年11月18日 どうやら水車の導入に失敗。
1488 成宗19年6月24年 水車導入の試みがあります(そして音沙汰無し・・・。)
1502 燕山君8年3月4日 水車導入の試みが書かれています(そして音沙汰無し・・・。)
1546 明宗元年2月1日 水車導入の試みが書かれています。琉球(沖縄)と中国で教わった福建式の水車の様です。
 ここから100年間水車の記述が有りません。消滅したようです。
1650 孝宗元年5月15日 水車導入の試み
 そして30年記述無し。
1679 肅宗5年3月3日 水車を造らせたと記述。 そして70年記述無し。
1740 英祖16年4月5日 水車など無くなりました。『孝宗大王嘗頒遼瀋水車之制於外方, 今無見存者』
1740 英祖16年11月20日 また水車を造らせたと記述。一向に普及する様子が有りません。
1764 1763-1764年 の朝鮮通信使の「日東壮遊歌」に(淀城の水汲み水車の感想)「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」と記述有り。
1795 正祖19年2月18日 水車之制について盛んに出てくる。普及している感じはしない。
1811 純祖11年3月30日 ここの記述でも水車なんか必要なのか?と書かれており全く普及していない事が読み取れる。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/26(金) 16:26:43 ID:F0mwNU0t0
>>138
戦国時代以前に日本人が着ていた木綿の衣服は誰が作っていました。
そう、朝・鮮・人です。日本人は朝鮮人が作る木綿なしでは生活できませんでした。
後陽成天皇の慶長勅板は、誰の技術の印刷術ですか?そう、朝・鮮・人です。
有田焼、薩摩焼は誰の技術で造られていましたか?そう、朝・鮮・人です。歴史の
勉強をしなおしましょうね。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/26(金) 16:54:25 ID:YV0xl2W80
木綿布は戦国時代には朝鮮から輸入していたものの、江戸時代には生産量も品質逆転、
日本市場では粗悪な朝鮮布は見向きもされなくなった。さらに、端船でも木綿帆の日本で
筵帆の朝鮮通信使の船は日本の庶民からも笑いもの。
木活字を自慢してみても、そもそも中国の発明だし、おまけに中国でも日本でも
結局廃れて定着せず。
磁器は有田も薩摩も、景徳鎮を手本にそれに劣らぬ色絵金襴手の豪奢なものが
作り出されたが、日本に技術を伝えたはずの朝鮮では、青花、鉄砂というごく素朴・
質素なものしか作れなくて中国や日本から磁器を輸入していたと。

ま、脳内の栄光のホルホル歴史は現実とはかなり違うよね。(笑)
142名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/27(土) 20:09:49 ID:O9KH7QI90
>>140
末端労働者としてこき使われていただけじゃん
そんなのが自慢になるのか?
143名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/27(土) 22:59:00 ID:E4HTLwZ+0
>>140

国を建ててもらって文化を教えてくれた中国人に対して、朝鮮人は感謝しないの?
144名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 18:26:49 ID:u3+PHRvl0
感謝より恨み
145名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 19:48:05 ID:t7vESZwU0
何せ中国の使いに対して土下座して迎えなくてはならなかったほどだからね。
日本も属国だったが扱いが違った。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 20:55:37 ID:3FPSDApZO
何で朝鮮の話題になるの?
中国のオマケみたいなもんでしょ朝鮮て
それより日明戦争の話を
147名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/04(土) 16:22:54 ID:Pdf1FlHBO
>>145
単に朝貢してただけで属国じゃないよ
属国ならオリジナルの元号とか使わせてくれないし
148名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/05(日) 14:19:26 ID:pT5lAjvy0
>>146
朝鮮人が自慢げに嘘書き込むからだろ
149名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/14(火) 03:07:44 ID:7pTFzrvY0
1587年秀吉が九州征伐の陣中から妻に宛てた手紙
「高麗の王に早船で『日本の内裏に出仕せよ、さもなくば来年成敗するぞ』と
申し遣わした。私の命あるうちに、唐国まで手に入れる所存だ」

1592年日本軍は釜山に上陸し、わずか二十日あまりで漢城を占領した。

国民の歴史 西尾幹二著 
150名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 21:17:04 ID:i+pcpAkT0
150
151名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 04:48:08 ID:X6CMTRaT0
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
152名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/18(火) 08:53:51 ID:GJkoP/K60
みんみん
153名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/10(木) 18:41:33 ID:1spfMkSOO
明武将の戦闘能力はどれくらい?
154名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/11(金) 02:51:46 ID:VWMu5xOS0
アベレージは低い
155名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 04:11:56 ID:gpfO/WvD0
久之,秀吉死,諸倭揚帆盡歸,朝鮮患亦平。
然自關白侵東國,前後七載,喪師數十萬糜餉數百萬,
中朝與朝鮮迄無勝算。
至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島
東南稍有安枕之日矣。
秀吉凡再傳而亡。

しばらくして秀吉が死に、倭の諸将は帆を揚げて帰還、朝鮮はまた平和になった。
しかし関が東国を侵してから七年、師の数十万、数百万の食糧が失われ、わが国と朝鮮には勝算がなかった。
関白の死に至って戦争が終わり、倭の諸将は全て島の巣に戻り
東南は安心して眠れるようになった。
秀吉の死は一般に知られるようになった。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 15:35:31 ID:yWcxHROKO
えー。大平を楽しんでいるのに戦かよー。なんとか朝鮮だけで片付けてくんないかなぁ。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/06(火) 13:55:23 ID:bC9TWL9bO
>>154
歴戦の奴も居るし、低くはないだろ?
158名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/06(火) 22:40:03 ID:SXtATrUg0
ん、当時の明将は地方軍閥の長みたいなモンだから、実戦経験の有無、あるいは多寡の問題はあっても、
朝鮮のように無能揃いってことはないだろうな。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 00:06:06 ID:PgIJBisf0
ただまあ国土が戦場になって都取られて指揮系統もクソもなくなった朝鮮と
外征軍ということである程度の指揮系統が確立してた明の違いはあったろうからな
朝鮮半島が存在せずいきなり日本軍が明の本土に襲い掛かったら初期は混乱すると思う
160名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 17:09:15 ID:dC65a9PE0
>>157
でもアベレージは低いだろ
161名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 15:39:52 ID:91BiG9sJ0
最初の援軍を率いた李如松の場合、実質李成梁軍閥では

戦国日本オールスター vs 李成梁軍閥集団



162名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 13:38:22 ID:ZjM8DptDO
牛歩戦略で時間切れ勝利。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 17:23:40 ID:RwzaUJNtO
>>160そか?
164名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 10:17:56 ID:5QXSVWn+0
<鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスは馬鹿だ>

鳥取市のテスコという工場で工員をしていた。
社長から嫌がらせを連呼されてクビ同然で辞めた。
後とで社長から「社員にしてくれなかったことを恨んでリコーに報復したのか?」
などと身に覚えのないことを尋ねられた。

どうも「僕がリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」という話をデッチ上げられ
テスコをクビになったらしい。
この3年前、僕はリコーにバイトに行っていた。
リコーのバイトをサボっていら「休みが多い!」と激怒されクビになったが、テスコでは休まずに真面目に働いたことが報復になった、という非現実的な論理だった。

テスコをクビになった直後、「これからは真面目に働いてはいけないとは言わないようにする。何もなかったことにする」とリコーから謝罪?の電話があった。

しかしその後、リコーはこの馬鹿馬鹿しい人権侵害を弁護士までつけて揉み消し。
詳しくはリコーマイクロエレクトロニクスを検索。
気分が悪いので多くのホームページを作り上位表示させている。
現時点ではヤフーもグーグルも上位30件以内に10以上乱立している。
今のところリコーマイクロエレクトロニクスは無視。
http://ee2c.yourfreehosting.net/
165名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/09(月) 18:15:59 ID:I52TWnZfO
軍板の次スレを立ててください。
お願いします。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 14:46:28 ID:SVx5rP4M0
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 19:10:38 ID:6Nh8gr7W0
またおまえか
168名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 16:26:56 ID:+gHKZmwc0
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
169名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 13:12:41 ID:QmyUdtQn0
まあキリシタンの問題には頭を痛めてたらしいしな
170■■■:2009/11/28(土) 13:15:19 ID:XpKAJ2Ub0
おう、座っちゃあかんか? 反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ 
100人でも1000人でも同じ 父親を殺していれば・・・ 世の中のやつは全部敵や 
不条理さを世の中に分からせたかった ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/
拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す 謝罪する気持ちもない 
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい 幼稚園ならもっと殺せた 
死ぬことは全くびびっていない 

ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html
宅間守資料2 事件後の宅間暴言集

いやぁ、ホント宅間守っていいこと言ってるよ。どうせ何をやっても死刑になる凶悪犯なら、
殺せるだけ殺してそれから死刑になったほうがスッキリするんじゃないかと。
皇軍だってどうせ全てが凶悪な侵略戦争として極刑になるのなら、もっともっと殺せるだけ
の中国人を殺して、自分が死刑になるのはそれからでも遅くはなかったはずだ。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:28:21 ID:GP+P3cg00
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。

ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F

歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:29:47 ID:GP+P3cg00
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。

ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。

朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人
それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな

広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。

一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。 馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので 百済≒高句麗≒渤海  ≠  三韓=朝鮮民族
173名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:31:23 ID:GP+P3cg00
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。

高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。

なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE

■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
174名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:32:54 ID:GP+P3cg00
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され
朝鮮人は混血も重ねています(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)

近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との
混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました

血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828

"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html

韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html

顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400

もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって
日本人が似ているのではないのです

朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです

国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400

韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056
175名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:33:49 ID:GP+P3cg00
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』

【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:34:38 ID:GP+P3cg00
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。

〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕

 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:35:35 ID:GP+P3cg00
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。

wiki より

上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。



百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人

渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:36:21 ID:GP+P3cg00
前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮は中国人の箕子が建国した中国人国家。
箕子朝鮮を滅ぼして前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮は中国人の衛満が建国した中国人国家。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島北部に前1世紀〜後3世紀に設置した漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)は中国植民地。
百済と高句麗はツングース系民族の夫余族の国家。渤海は夫余族と靺鞨の国家。夫余族と靺鞨は中国・満州族の母体。
秦からの亡命中国人が前2世紀〜4世紀に朝鮮半島南部に建国したのが辰韓(秦韓)で、後に12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅。
百済と高句麗を滅ぼしたのは新羅ではなく唐。唐は百済と高句麗の滅亡後に旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として半島全域を藩属国から羈縻州(中国国内扱いにした事を指す)にした。
このため一時的に朝鮮に「国」はなくなった。

朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱

「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。 
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:37:39 ID:jlgJJ8vO0
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)

1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
    長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
    国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
    反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
    しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
    しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
    泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)

「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/
韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm

180名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:38:39 ID:jlgJJ8vO0
「アイゴー!シンガポールヤフーが韓国を中国領と表記してるニダ!」

シンガポール ヤフー(sg.travel.yahoo.com)とカナダのブリティッシュコロンビア(BC)州政府サイト
(www.protocol.gov.bc.ca)が韓国関連の誤りを訂正した。
サイバー外交使節団「バンク」は「1週間前までシンガポールヤフーはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していたが、5日現在、『韓国領』に是正された」と明らかにした。(略)

http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/shakai/090106-3.html


韓国紙・中央日報が韓国人のプライドをめちゃめちゃにする事実を報道していた


『有名教科書と地図「韓国は中国領土」』

英国オックスフォード大の出版社が制作している教科書をはじめ、世界の教育機関、博物館、テレビ局、新聞社、ポータルサイト、
百科事典など総34個の世界有名機関の世界地図53個が、韓国の領土全体または一部を中国領土に表記していることが分かった。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65416


『スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」』

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213



アメリカ大使館「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
http://s04.megalodon.jp/2008-0104-0331-22/www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=9&nid=3182743
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=8434966&oldid=8280871

181名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:39:28 ID:jlgJJ8vO0
各国教科書に見る朝鮮半島
http://bansensyukai.blog23.fc2.com/blog-entry-7.html
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ オーストラリアの教科書
「朝鮮は近代に到るまで、その国内での抵抗に関わらず、中国と日本の属国だった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ インドの教科書
「朝鮮は永らく中国の属国だった」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」

韓国と北朝鮮の国内でどれだけ洗脳教育をしても勝手ですが外の世界に出れば朝鮮半島は古代から下関条約まで常に属国。
これが世界の一般的な認識ということです。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:40:31 ID:jlgJJ8vO0
統一新羅
http://www.memomsg.com/dictionary/D1096/390.html

統一新羅は、676年の朝鮮半島の統一から935年に滅亡するまでの新羅の事を差す。
この統一新羅、いわゆる新羅は、現在の韓国、朝鮮両国の共通の先祖の国家の初代といえる。
それ以前の国家は民族・言語・文化的につながりが薄い。当然、統一新羅の前身である新羅と統一新羅は連続している。
統一の過程で滅んだ、高句麗、百済は現在の韓国及び朝鮮とは連続性があまりない。
高句麗は実質的に後継国家として渤海があり、現在の中国東北部に小さく民族移動して国家を再建設している。



東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、
新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。



東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
http://www.chosunonline.com/article/20070606000006  

高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、
吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、
933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国

183名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 17:30:56 ID:rAuiLwEI0
今夜放送ですね。見る前から戦争の実態を描かないという、駄目駄目臭が漂ってきます。

ttp://tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date=20091129&stime=2200&ch=8208
2009/11/29 22:00〜23:30 の放送内容
NHK教育 .ETV特集 日本と朝鮮半島2000年(8)

日本と朝鮮半島の関係に大きな傷跡を残した文禄慶長の役(1592-1598)。中国・明も巻き込んだ東アジア国際戦争はなぜ起きたのか。悲劇の実態をみつめる。
豊臣秀吉が起こした文禄慶長の役(1592〜1598年)は朝鮮半島では「壬辰倭乱」と呼ばれ、日本の侵略の出発点として刻まれている。
この戦争は日本と朝鮮、2か国間の紛争だけではなく、中国・明を含めた「日・朝・中」東アジア社会を変動させた国際戦争でもあった。悲劇はなぜ起きたのか? 戦争の実態を描く。

出演【ゲスト】ソウル・ソガン(西江)大学校教授…チェ・ドゥフィ,九州大学大学院教授…中野等,【キャスター】三宅民夫,【リポーター】大桃美代子
184名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 18:34:11 ID:ofZTr9AXP
>>180
当然だよ。日本人が創った人工言語なんだから。
福沢諭吉もはじめはカナ漢字交じりの表記を普及させようとしたんだけれど五十音は彼らには難しすぎて教えられなかった。
そこで諭吉の弟子である井上角五郎が母子音あわせて半分以下の二十四種類で済む(そう。アルファベット26文字より少ない)ハングルを考案したんだ。
これによって世界一知能の低い朝鮮人と(むろん朝鮮人同士の間でも)言語による意思の疎通が可能になった。
もっともそれで話が通じるかどうかになるともう一段高いハードルがあるようだけど。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 16:07:36 ID:/pvu7xJS0
>>184
一応「普及できるようにまとめた」という意味では
ゆきちさん考案という言い回しも、さほどの間違いじゃないかもしれないが元ネタはもっと古いんじゃないかとおもう

原:國之語音。異乎中國。與文字不相流通。
  故愚民。有所欲言。而終不得伸其情者多矣。
  予為此憫然。新制二十八字。
  欲使人人易習。便於日用耳。

訳:朝鮮国の言葉は支那のものとは異なり、漢字漢文とは通じない。
  ゆえに愚民たちは言いたいことがあっても書き表せずに終わることが多い。
  私(世宗)はそれを哀れに思い、新たに28文字を制定した。
  人々が簡単に習い使い、日々用いるように欲する。
  
186名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 16:19:05 ID:LfNxmkBN0
>>185
コピペに訓民正音まで示してやらんでもw
187名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 13:39:02 ID:uOqME0GH0
ソグド文字→ウイグル文字→モンゴル文字→パスパ文字→満洲文字、朝鮮文字

流れとしてはこんな感じになる筈。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 14:11:20 ID:uL0Zot/Q0
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 07:52:49 ID:CaYcU4Xh0
190名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/22(月) 17:21:18 ID:8vr2rCD20
「支那人は自国の夥しい人口に自信を持っており、
スペイン人が征服する、というと嘲笑して、仮令身を守るべき武器はなくても、
死体で城壁を築き、何人も通さないように出来る、などと語っている。
尤もこの野蛮人共は、スペイン人というものを知らず、
スペインの僅かな鉄砲隊でも、
何百万人もの支那人を滅ぼすのに充分だということを知らない」

「先年僅か十三人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
二、三〇〇〇人以上の支那人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはその堅い壁に出口を作り、そこから脱出するや、
直ちに多数の支那人を殺してしまった。
支那人は彼らを一昼夜にわたり包囲しながらも攻撃を加えることが出来ず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、それに乗って逃げてしまった」
191名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/03(水) 20:35:57 ID:JIfN+kVt0
>スペインの僅かな鉄砲隊でも、
>何百万人もの支那人を滅ぼすのに充分だということを知らない

んな馬鹿な
明軍数万に勝てるとは思えんし
何百万人ものシナ人をわずかな単発銃で滅ぼすにはどんだけの銃弾と火薬と装填を繰り返さないといかん事やら
192名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/03(水) 21:53:21 ID:PH5eZgGg0
帝国陸軍は日本刀だけで南京の原住民を50万人殺して見せたがなw
193名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 04:02:21 ID:OALEQV0e0
20万人しかいなかったのに50万とは豪勢だなw

194名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 04:05:45 ID:OALEQV0e0
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、
人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、
例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、
これを聞こうとする者はいなかった。
ルイス・フロイス「日本史」
195名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/11(日) 15:54:26 ID:n0golPV60
朝鮮征伐
196名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 15:38:34 ID:8Q3oSfNs0
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 23:45:46 ID:fUmbdrxX0
またお前か
明がスペインに占領されるのを助けるためだけに出兵するほど秀吉はお人好しじゃねーよ
198名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/01(土) 19:14:08 ID:9ubOlgir0
くっだらねーチラ裏だよな
文字通り国内各地で100年戦争しながら経済発展し人口も増加していたある意味で
とんでもない国を最大でもたかが数万の兵で占領統治できるなんて当時のスペインが
考えてたら真性のバカだ
そして当時のスペインは真性のバカではなかった
それだけのこと

世界史みてみろ
3世代越す内戦状態を継続しつつ発展というのがいかに異常なことかわかるよ
199名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/08(土) 19:04:59 ID:W2kmdzLZ0
200名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/11(火) 23:58:58 ID:VzRbtnkM0
>>198
周代の中国とかいう前例がすぐお隣に!
201名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/13(木) 23:09:21 ID:NKswr1qd0
碧蹄館の戦いでの日明双方の戦死者ってどのくらいなんだろう。
中国語版wikiには「明軍2400人、日本軍8000人以上」
なんてとんでもないことが書いてあるんだが・・・
202名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/16(日) 04:24:29 ID:m7xkoCNU0
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。

ノエル・ペリン
203名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/16(日) 08:37:26 ID:IrcM9a040
今時ノエル・ペリンかよ
204名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/16(日) 13:20:48 ID:m7xkoCNU0
まあ少なくとも現場のスペイン人から見て
中央はともかくも末端の支那兵のだらしなさは明らかだったわけだな

逆に現場の宣教師たちは
本国の財布が枯渇寸前だったことを知らなかったので
スペインのほうが強くてもスペインは支那まで出張ってこられないというのを知らなかった

当然日本もこれを知らないので
秀吉も「来ようと思えば来れるもの」としてスペインを意識せざるを得なかった
205名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/18(火) 04:13:10 ID:QNjUqsyP0
パステルス・松田毅一訳『日本・スペイン交渉史』
文禄2年1594年の、マニラ総督宛ての秀吉の書状が残っている。


(前略)
予は既に日本全国及び朝鮮国を手に入れ、数多の武将がマニラの攻略許可を求めている。
これを知って原田(喜右衛門)と(長谷川)法眼は予に、
『彼我の地の間には諸船の往来があり、それによって(マニラが)敵であるとは思えない』と
言った。
この道理によって予は(マニラへ)軍勢を派遣することを思い留まったのである。
(中略)
もし彼ら(シナ人)がその言葉を守らぬならば、
彼らと戦うために予自ら出陣するであろう。
こうしてシナに到ればルソンはすぐ近く予の指下にある。
予は我ら(日本とフィリピン)が永久に友好を保つことを希望する。
これを(カスティリャ王に)書き送られよ。
遠隔の地を理由にカスティリャ国王が予の言葉を軽んずることがないようにせよ。

パステルス「日本・スペイン交渉史」
206名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/18(火) 08:50:51 ID:0cj62kx10
まともに海外の情報を調査もせずに妄想ばかり膨らませてた秀吉の言葉を出されても
207名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 02:37:24 ID:V1K/kArw0
スペインのあわてぶり

ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチ支那、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」

パステルス「日本スペイン交渉史」
208名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 02:49:19 ID:e4xV4JRT0
>>205
結局その書状に対する返答として「お断りだ」という返事を正式な使者を派遣して秀吉に伝えたけどね
そしたら不貞腐れた秀吉は唐入り開始して勝手に死んだけど
209名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/20(木) 02:59:10 ID:lb8JGmwJ0
秀吉は病死だと聞いてるがなぁ
210名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 15:40:21 ID:CPwgbutt0
日本『ちょっと明(朝鮮)攻略してくるわ』
朝鮮『ちょ、おま、なにすn、もう止めて!HPは0よ!』
日本『本拠地の漢城とったどー、もっと奥地攻めるね^^』
朝鮮『もうやめて、もういぇm 』
日本『秀吉亡くなったぉ、お家争い忙しくなるしもう帰ろうぜ』
朝鮮『え・・・何?講和条約? 』
日本『んじゃ、またほとぼり冷めたら来るわ』
朝鮮『・・・まってお!許さないお!講和なんか守らないお!半島から生きて返さないお!』
日本『うぜー!小西は何、手こずってんだよ。島津、小西拾ってこいや』
朝鮮『許さないお!(実質HP2/100)』
日本『小西生還+敵将の首もごろごろ捕ったからあいつ等も、もう懲りただろw』
朝鮮『…日本撤退させたどー!大勝利!大勝利ー!(実質HP1/100)』
211名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/22(土) 00:08:49 ID:n3NpaTyE0
楽しいのそれ?
間違っちゃいないけど馬鹿さ加減が透けて見えるよ
212名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/22(土) 03:02:53 ID:DQyBrio70
朝鮮の、ね
213名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/25(火) 17:24:19 ID:iGqFtykV0
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、
人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、
例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、
これを聞こうとする者はいなかった。
ルイス・フロイス「日本史」
214名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/26(水) 00:02:31 ID:r3veO/ny0
日本の武具は勘合貿易で十分知っていたはずだが?
日本の相場の5、6倍の金額で売れていたらしいから。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/26(水) 03:17:00 ID:Px0rSINQ0
当時はもうやめてたんじゃなかったか?
216名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/01(火) 20:59:13 ID:fsSVv0g60
217名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 16:24:02 ID:IazTm6DK0
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
ルイス・フロイス「日本史」

日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」
218& ◆YblxvAoX4w :2010/06/15(火) 12:03:41 ID:8iIxULys0
我认为,秀吉征朝鲜根本就是在做一场大梦,太不自量力了。
219& ◆YblxvAoX4w :2010/06/15(火) 12:06:32 ID:8iIxULys0
朝鲜国王逃亡时就对明朝使节提出内附大明朝,说出了“宁亡父母之邦,不亡贼寇之手”的话来。
明朝这才派遣偏师部队来对日军做战。
就算秀吉在朝鲜进展顺利,我也很想看看他面对辽东数十万明军以及数万女真铁骑的表情。
220& ◆YblxvAoX4w :2010/06/15(火) 12:11:18 ID:8iIxULys0
总之,秀吉征朝只有日本人自己才当回事。
而明朝当时主要目标是蒙古,援助朝鲜,只是处于宗主国的道义以及维护北方战略大局需要。
最后明朝也没同意朝鲜国王的内附大明请求,也是出于对蒙古辽东的战略需要。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 14:30:54 ID:R4K5ZRHJ0
不过不管怎么说,大明那场援朝战争还是很憋屈的,
我大约看过简述,丰臣一方联军大概7,8万吧,打朝鲜打得像切豆腐,搞得差点全境沦陷。
而大明所谓的威武之师,呵,真让人见识了卫所兵制的威力。
虽然也有时代背景和社会原因
——当时日本正逢战乱,乱世之军,悍勇非常,而朝鲜,竟是有史以来也没出过多少像样的将军的,
而大明,右有女真窥视,左有蒙古觊觎,加之内朝纷乱,外朝狼狈。

如果不是李舜臣的龟船,朝鲜的确是要沦丧的,
但古话说,百足之虫死而不僵,
诸君试看当初的台湾自卫战,和二战戴高乐政府,
只要民族还在,子孙血性还在,但使先祖还有一脉后嗣留下,必有星火以待燎原,
侵略必不能长久。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/16(水) 17:31:45 ID:ueBrMQ3u0
>>217
いや征服されてないが……。
コピペするなら基本的な間違いは直せよw
223名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/16(水) 21:49:15 ID:dMK2YyCZ0
>>217
「日本史」読んだが
この文章は小西行長が東萊城を攻め落としたことについての記述。
朝鮮全体が征服されたと書いているわけじゃなく
東萊城の朝鮮軍が征服されたという意味
224名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/30(水) 18:52:10 ID:B2FnwBVy0
>>97の明軍の編成って、どの文献が出典なんだろう?
慶長の明軍もこんな風に詳しい記録はあるのだろうか
225名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/08(木) 00:59:20 ID:wpDx2hNsO
明軍は定数百万といっても、湖北や四川等の遠隔地から兵を朝鮮まで送れない。
移動手段は徒歩しか無いし、道中大量の食糧を用意しなきゃならないから不可能。

なので四境で戦争が起きても近隣の兵力で対応せざるを得ない。なので当時明が用意出来る兵力は精々20万内外だった
226名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/08(木) 22:01:10 ID:9Qf+7hhN0
信長が生きていればアジアの大帝国を築けただろうと思うのは、俺の妄念かな。

しかし、もし秀吉は明を征服したら、どのような帝国をつくったのだろうかね。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/12(月) 08:30:36 ID:b96A+foH0
本能寺がなかったとしても、中国のデカさと広さに慣れるまでに信長は死ぬだろうね。
それでも、全部うまく行くならば、アジアの大帝国になりそうだが。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/17(土) 20:33:42 ID:HVEAyeir0
韓国人「これは豊臣秀吉の日本刀ニダ。悪い歴史の証拠だから早く回収汁。50億円で売ってやるニダ!」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1279364142/

まだ始まった
229名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/31(土) 18:12:22 ID:WWorGy/C0
230名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/26(木) 11:15:58 ID:yo/dAiHk0
朝鮮征伐
231名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/02(木) 01:03:28 ID:DYAAP4y+0
>>226
都を中原に移さない限り、現地の反乱は収まらんよ
あそこは見える形で権威を見せないと民衆を統治できない

その場合大和朝廷ごと移転するか、自らが皇帝となるかは知らんが
中原に移ったなら漢化からは逃れられない

主を失った日本はそのうち中華秩序に飲み込まれ朝鮮化する
232名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/02(木) 12:46:09 ID:+ZmRgCQT0
>>231
南京も北京も中原にないが?
233名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 17:57:42 ID:wYmdAB7P0
?
234名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 23:01:22 ID:pQXhn3ah0
中原にあるのは長安と洛陽だな
235名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 23:14:50 ID:7GmK6pcB0
長安も中原では無い。長安は関中。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 23:22:06 ID:lADpJtRW0
中華になったっていいじゃない。何か都合悪い?
日本史上の偉人として、孔明とか曹操が出てくることになるが。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 23:38:57 ID:7GmK6pcB0
まぁ、海挟んでるし、そんな簡単には漢化しないだろうね。
それに、大陸で動乱が起きれば自立するでしょ。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/01(水) 22:51:10 ID:fpOkQbaQ0
洛陽も中原ではないよな
ちょっと西だ
239名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/13(月) 19:32:02 ID:nB/KFnjI0
 
240名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 13:53:56 ID:7go6BFX90
倭は東夷だから、対日本戦の司令官たる将軍は征夷大将軍?

241名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 14:28:03 ID:ckS8ip4B0
未だに東夷を名乗ってホルホルしてるのは韓国人だろ。w

ウリミンジョクは東夷族とかいう、端から見たらイミフメな概念を
国民こぞって持っているようだが。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 15:51:42 ID:RmJiLF050
243名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/01(土) 17:49:33 ID:vuVbgP1c0
明側はリアルタイムで関白襲来と言って、
北京でもかなり不安が広まってたと笑府の注釈に載ってたな。
水滸後伝の日本軍のボスも関白だった。当時は相当大きい事件として
色々流言飛語が飛び交ったりしてたんだろうな。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/06(木) 09:15:53 ID:8UE/Wg8s0
第2次出兵は征伐というより、微罰戦の性格が強いな。
国内事情による中途半端な作戦目的の出兵ってとこだ。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 21:48:39 ID:hqHc/6EN0
246名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 17:02:10.64 ID:PLQMu5vu0
朝鮮征伐
247名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 21:04:34.88 ID:PrMPJbhW0
明が滅んだのは朝鮮征伐の影響がある?
248名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 23:22:47.65 ID:FO4+VlRD0
直接的にはないよ
袁崇煥が死ぬまで後金は長城の北でやられっぱなしだし
李自成に北京落とされるのも朝鮮征伐の50年近く後の話だし
朝鮮の救援で国庫がいかん事になったりと間接的にはたっぷりとあるだろうけど
249名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 23:48:35.34 ID:14XxiADu0
実は万里の長城って役にたってたんだよね
250名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 19:04:41.71 ID:eksPoioG0
征伐
251名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 19:22:03.16 ID:KaYvx9ss0
言語障害児かよw
252名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 02:11:48.03 ID:7eZ72y+0O
万暦帝の浪費や政務放棄の方が明朝にとっては痛手だったんじゃないか?
253名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 08:33:56.20 ID:eZjk/qfB0
野田総理は韓国人なの?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14785642
254名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 21:40:36.72 ID:bplhlm3q0
朝鮮征伐
255名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 19:30:56.77 ID:vWmu7J/F0
256名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/15(水) 20:53:44.68 ID:k2dp4Gvi0
当時の女真と日本を比較して、


李如梅 「倭兵30人で女真1人に敵すべからず」

ということらしい。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/15(水) 22:25:52.65 ID:JFnQ0TK10
>>256
「百万の野人(女真族)さえ、十万の倭卒(日本兵)の敵ではない。
にも関わらず、国家は南を軽んじ、北を重視する。今だにその理由が分からない。」
・・・姜「看羊録」
258名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/18(土) 23:59:44.79 ID:26AyMJQV0
女真は金と清、二回も中華を席巻してるが何でそんなに強かったんだろう?
モンゴル系やトルコ系みたいな遊牧騎馬民族が強いのは感覚的にわかるんだけど
女真はツングース系で狩猟採集民(あとちょっと農耕)みたいだし
259名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/19(日) 00:50:36.13 ID:jeROyv4t0
半農だからその分遊牧民より人口は多いし、食糧・物資の集積もできる。
要は、兵力・兵站共に継戦能力が高いってことじゃないかね。
260名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/01(木) 14:18:06.06 ID:AQV+QeXU0
単に、明が国家崩壊間近だっただけだろ
満州族を征服に行ける国力も無く、金を出して服属してる事にして貰うのが精一杯だった
そして、官僚主義の弊害で公称百万の大軍団は逐次投入されて各個撃破
明軍の体制が、とてもではないが戦える状況ではなかったというだけだ
実際、歴代の中華王朝は、体勢が万全な時代なんかは遊牧民を武力で服属させてただろ
国が崩壊するって時に攻めてるんだから、そりゃ勝つだろうよ。別に満州族が強い訳じゃない
261名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/31(土) 09:30:46.84 ID:Rpj7sTi10
明からすれば、情報戦に秀でたはずの秀吉が、情報に疎かったことは相当助かっている。
逆に、明は情報戦で秀吉を陥れている。日本は当初、破竹の勢いで進軍していたが、
名将李如松は日本に敗れ力でなく知恵で日本を陥れた。小西行長を買収し、石田三成に
工作を働きかけ、秀次事件を起こし、秀次及びその3族、重臣を皆殺しにし、秀次に親し
かった加藤清正等を悉く追い出した。死者だけで数万と言われる。

これはクリティカルヒットだった。日本は相互不信で大混乱に陥り、戦闘不能となり、その
後和睦への道のりとなった。結局破綻し、再度出兵となるが、秀次事件の影響で相互不信
に陥ったやる気のない日本は朝鮮南端を荒らし回るにとどまり、二度と力が復活すること
はなかった。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/31(土) 16:54:32.55 ID:+sPt6nr/0
>>260
明は崩壊間近でもない。万歴帝の暴走は17世紀からだし、当時は(張居正が
やったことだが)財政を立て直し、モンゴル高原を服従させ、悪い状態では
なかった。明の財政は朝鮮出兵が原因で悪化した。順序が正しくない。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/31(土) 23:57:50.42 ID:+CrV2Ny30
>>261












?(・∀・)ニヤニヤ
264名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 19:09:16.29 ID:XJXdnPz/0
265名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/05(土) 23:29:33.38 ID:scNB+/eTO
単純に大陸では兵站が日本とは勝手が違ったってことでしょ。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 11:48:28.15 ID:Ik8201vu0
>>265
大陸じゃねーし、ハントーだし。
兵站もそんなにかわらん。
日本や中国と違ったのは朝鮮の貧弱な再生産力。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/26(土) 19:07:14.75 ID:Lt/viWf/0
?
268名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 18:14:28.70 ID:WBTQHNSv0
中国では朝鮮征伐は、倭寇のイメージの延長で捉えるって本当?
269名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/24(土) 15:23:49.16 ID:CVQMFDiO0
朝鮮征伐
270名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/02(日) 08:46:37.82 ID:VmLT5O1g0
中国からしたら辺境の朝鮮で日本がちょっと暴れたぐらいの感覚だろう
271ティムール:2012/12/03(月) 16:42:18.15 ID:HmK9fhd50
日本と消耗戦して明も滅んだよー万歳!!!
272ティムール:2012/12/03(月) 16:43:10.19 ID:HmK9fhd50
俺の本懐はこと時、達成された
273ティムール:2012/12/03(月) 16:44:18.41 ID:HmK9fhd50
満州民族によって滅ぼされた明、なっさけねーな
274名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/22(土) 21:31:01.01 ID:gCecaGJf0
?
275名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/23(日) 01:34:27.96 ID:LJ5yknzq0
ウリナラは滅ぼされなかったニダ!ホルホルホル


             なんじゃね? 三跪九叩頭して歳貢させられてたけどな。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/24(月) 21:28:28.59 ID:DdG0ki4w0
>>273
明を滅ぼしたのは大順だってーの。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/25(火) 20:47:45.81 ID:lUvSEUs/0
>>273
清は明の仇を討ったというのがイデオロギー。
278名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/30(日) 16:02:59.99 ID:w01Y8dvP0
?
279名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/12(土) 20:20:06.57 ID:cNQHGvld0
清は明の仇を討ったというが、ならば明を復興したらいいだろ。

実際やったことは、明の領土を丸ごと乗っ取ってるだけだろうに。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/17(木) 22:29:12.35 ID:+cEnqDkS0
何で明は日本側の朝鮮南部の領土割譲を拒否したんだろうね?
どうすれば朝鮮南部の割譲を明に認めさせる事が出来たんだろうか?
281名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/18(金) 15:53:14.30 ID:JLr822LkO
自国領(例えば名目独立してても所詮朝鮮は明からすりゃ自領)は、寸地たりとも東海の夷国の日本なんかにゃやりたくない。
だから何を言っても条件(そもそも日本は欲しいだけだから明に譲る物なんか無い)出しても、話が通じる筈がない。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/18(金) 20:21:33.91 ID:dzL8b2iH0
>>280
秀吉が後3年ほども長生きしてりゃ、秀吉が死去した慶長三年の夏には予定どうり
再侵攻してたハズだし、南部四道の実力割譲を勝ち取るという形で手打ちになった
可能性は大きいんじゃないかね。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/18(金) 20:45:09.83 ID:21tJX4lV0
はっきり言って朝鮮半島南部なんて取っても意味ないんだけどな
何も無しじゃ秀吉の沽券に関わるってだけの戦
一回目にさっさと河北に進出できてない時点で当初の目的は挫折してるんだし
284名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/18(金) 22:29:55.58 ID:dzL8b2iH0
中学生?w
285名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/19(土) 12:25:33.00 ID:5Zi3nqmuO
ただ当時の戦争の最大の恩賞はやはり所領の加増だから、半島南部だけでも入手して参戦大名に分与しないと豊臣政権の不安定化をもたらす。
少なくとも秀吉在世中はともかく、次世代は余計な苦労を強いられる。
体調に不安を抱える秀吉としては秀頼が幼少だけに何とかしたかったんだろう。
まあ結局総てオジャンとなり家康に天下餅ウマーされてしまったが、もし秀吉在世中に半島南部だけでも分捕り諸大名に分割出来てたら
関ケ原の様相はどうなってたんだろな。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/19(土) 12:41:41.67 ID:a1ETJDzn0
>>285
九州みたいに二毛作・二期作あたりまえの土地に比べれば見劣りするにしろ、
米作可能な南朝鮮は分配原資として充分価値があるよな。禄高では豊臣より
徳川の方が上だったしね。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/20(日) 21:34:27.37 ID:b6n/PXiy0
朝鮮半島への転封で参戦できない大名が出る
誰が送られるだろうな?加藤とか小西とか子飼いが主になるのかな
288名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 01:07:12.50 ID:9++QMUDH0
むしろ徳川に朝鮮半島南部を与えたい
289名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 15:21:26.83 ID:Wg3/ZGxr0
征伐
290名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/14(日) 16:04:37.27 ID:4+mTlBlf0
朝鮮征伐
291名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/16(木) 21:35:59.61 ID:xEBE0NjA0
>>288
徳川さんとこはハワイの方を向いてたやん
292名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/16(木) 21:38:19.01 ID:xEBE0NjA0
>>266
あの時代、朝鮮では何一つ補給出来ないという致命的な誤算
293名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/21(火) 10:57:59.31 ID:ycpaTPy+0
>>291
狸爺さんの狙いはメキシコとの交易
確かに方角としてはそっちだな
ただメキシコが既にスペイン領である事は三浦按針と八重洲が誤魔化したのか
本人が勘違いしたのか把握してなかった模様
294名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:1P9bEziE0
  
  
世界史板のスレで物凄いのが沸いているなw
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1309526779/924-


  
295名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 16:17:19.33 ID:iAnXr1/20
>>256
日本軍に勝てなかった明軍の評価だから、
当たっているのか間違っているのか結局のところ不明。

明軍が関わった数万単位の合戦で、明確に明軍の勝利と
言えるのは第三次平壌攻めくらい(おまけに不意打ち)

第二次平壌の戦い(日本勝利)
第三次平壌の戦い(明軍勝利 勧告により小西が城を明け渡す)
碧蹄館の戦い(日本勝利)
稷山の戦い(日本勝利)
南原城の戦い(日本勝利)
第一次蔚山(日本勝利)
第二次蔚山(日本勝利)
泗川 (日本勝利)
順天(日本勝利)
露梁(日本勝利)

露梁について補足。
明軍、朝鮮軍、日本軍の2倍の兵力&待ち伏せの好条件ながらも
小西軍、島津軍を殲滅できずに取り逃がす。
朝鮮軍主将の李舜臣が戦死 明軍副将のケ子竜が戦死。

特に慶長役で明軍が負けた戦いは、いずれも明史、朝鮮王朝実録などで
大敗、大損害、人が溶けたと表現されるくらいの潰走っぷり。

第二次晋州城攻防戦では明軍救援に赴かず(または秀吉軍に撃退されたとも)
南原の戦いでも付近にいた陳愚衷旗下の明軍3000千は動かず、
南原が落ちると、これも付近にいた朝鮮軍1000とともに散り散りになって逃げた。

戦意も低く、日本軍を恐れているのがわかる。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 16:35:41.33 ID:NV/rPWK60
柳成竜『懲録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。


李如梅のあんちゃんも相手が強いとなると仮病を使って任から離れようとしたり
数が多いので無理ですとか過大申告しようとしたのを朝鮮人に軽蔑されてるくらいだからなあ
297名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 12:09:15.59 ID:vxjNcClI0
「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。ただし一人同志の戦いとなれば、
倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」

実は、実際に日本兵と女真兵が「一人同志の戦い」をした記録があるんだよね
「清正高麗陣覚書」によれば、加藤清正がオランカイ遠征の際に「川上の方の名城」を攻めたとき、
木田孫兵衛という武士が女真兵と組討になり負傷しながらもこれを討ち取る功名を上げたとか
298名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 23:16:41.43 ID:iMSw1w6K0
戦域を拡大させて補給をおろそかにするというのは日本の戦争の伝統芸ですかw
太平洋戦争でも同じ間違いやってたじゃん
299名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 22:30:21.92 ID:dsMJWMtm0
>>298
別に秀吉軍だけでなく、補給が切れて苦労した話は
東西関係なくあるわけで・・・そこでww2の話に飛ぶのもどうかと・・

一例として30年戦争にも、皇帝軍や諸侯軍にも
補給不足や寒気に苦しんだ事例は多くあるのだが。

で本題の、秀吉軍だが補給で苦労したのは1592年の7月-1593年の3月くらいまでで、

しかも、文禄2年3月3日の書状にも4月11日まで食料はあると記されており、
釜山にも食料があると書かれてる。 同書状には食糧輸送の遅延の原因は道が険しいことと、
人手不足のせいだとも。

【釜山海之御兵糧も、山坂に而御座候間、五日路六日路、道中届かぬ可申候哉、
川に付て船にてのほせ申儀も、今のつなきの御人数にては、難届候由申候】

文禄2年の春には船をフルに活用して、釜山やその周辺に補給が再開されて、
半島南部の秀吉軍を、一年半以上持ちこたえられるほどり物資に
溢れていると記されている。
実質、補給に苦しんだのって8-9ヶ月だよ(ブサヨとか在日はこの戦役全期間の印象操作してるけどね)

文禄の経験を活かした秀吉は、慶長の役では失敗していない。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 04:27:03.02 ID:hzumhLOxP
ナポレオンも物資の事前集積してロシア侵攻したけど
結局輸送力が不足してるね
まぁさすがにドイツあたりからモスクワまで馬車しかないに時代に輸送しろとか無理な話
301名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 03:34:37.05 ID:o+W2G9qv0
>>100
実は、その平壌戦の戦果って首級の半分は朝鮮の民で、
焼死と溺死者も朝鮮人ってのが判明して、
大問題になったんだよ。
(当時リアルタイムで記された戦果は1285首 半分朝鮮人)

平壌戦は明軍だけで3000人の損害を出していて、
日本兵一人を討ち取るのに5-6人を失ったってある。

これで計算すると明軍3000の死傷者数と大体一致するから、
日本の損害は650前後になる。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcf9hyw5e

小西軍の大半の損害は、食料がない状態で
厳寒の中を行軍した際に発生したもの。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/18(月) 12:05:01.03 ID:pNvSnvVS0
朝鮮征伐
303名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/15(月) 21:29:31.72 ID:EWiAn/230
映画「鳴梁」を刑事告訴…“歴史歪曲、浅はかな商法”とペ・ソル将軍の子孫が主張
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20140915-02003632-kstyle
304名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/03(金) 16:14:07.23 ID:iVQxQ2FQ0
秀吉が死んだおかげで日本は救われた
305名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/25(土) 18:38:15.86 ID:sf1p/Irw0
>>304
なぜ?
306名無しさん@お腹いっぱい。
モンゴルが大帝国を築けたのは、
「逆らった国には鬼のように残虐だが、早めに従った国には意外と優しい」という政策でパシリを効率良く増やしていけたから。

大陸でパシリを増やせない秀吉軍では、あの版図が精いっぱい。