2ちゃん武道板仮設神殿  

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1一武道家

             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
               宮



一武道家として、ロゴあるいは道場訓のあたりに正式に御神名が記されることを希望いたします。賛同されるかたはスレを立てるさいに上記の御神名をコピペしてください。
2一武道家:2001/07/08(日) 19:56
またもやずれた。
なぜだ!?
3ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 19:58

             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                  宮
4キャスバル兄い:2001/07/08(日) 19:58
ぼうやだからさ。
5ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 19:59
             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                   宮
6ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 19:59
これでいいの?
7名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:01

             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
               宮
http://duffus.ops.uunet.co.za/~nic/gallery/170.html
先輩 賛同します
8ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 20:01
あっ、真ん中に合わせるのか。
             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                宮
9名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:03
>>8
おお、遂に完成か
10名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:05
>ユニバーサル殿

すまぬが完成したもので再びスレをたてていただけないだろうか?
11ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 20:06
>>10
やだよ。下げてるのは駄スレと判断してるから。
自己責任でやってよ。コピペしていいからさ。
12一武道家:2001/07/08(日) 20:06
武道場に神棚がないとはあまりにもおかしい
13名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:07
やめとけ
14一武道家:2001/07/08(日) 20:08
>>11
ふっ、みこみ違いだったようだな。
この板には真の武道家はおらんのか
15一武道家:2001/07/08(日) 20:09
キリスト教原理主義者の雑誌ではことある毎に柔道や空手を背景に異教があると糾弾する。逆に、キリスト教やモスリムと格闘技深い関係を持つ格闘技はない。なぜ、格闘技というのは、(キリスト教やモスリム以外の)宗教と深く結びついているのだろう。このことが格闘技の原型と深くかかわり合うのは必然のように思われる。

ギリシャのパンクラチオンはローマに移植されて格闘技としての技術を失い、殺人ショーに堕したと言われる。宗教との結びつきを奪われた格闘技はどうなるのだろう?
16名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:10
似非ウヨ偽愛国者は少しは自覚して自重しろ。
17一武道家:2001/07/08(日) 20:12
これは政治の問題ではない。
精神の問題である。
政治の問題として見るものはそのものの精神が
既に曇っているからである。
18一武道家:2001/07/08(日) 20:13
神道精神を理解せずして日本武道を語ることなかれ
19名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:14
スポーツや武道を取り巻く視点には
ギリシャ的視点とローマ的視点というものがあり、
ギリシャ的とは「やる側の視点」で
参加する人至上のオリンピック的思想(近代オリンピックはコレと異なる)が背景にある。
対して、ローマ的とは「見る側の視点」で
剣闘士などを戦わせて観る、ショーとしての捉え方。

キリスト教というのは、スポーツ武道に対しては
常にこのローマ的視点にあり、
「やる側の視点」を欠いている宗教なのだ。少なくともバチカンは。
よって「やる側の視点」の精神的な支えになる思想・宗教とは相容れない。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:17
>>19
じつに鋭い洞察ですな。
即ち、個人の心身の鍛練に重きをおく「武道」においては
その精神性を支える宗教を無視して語ることはできないと
いうことですね
21ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 20:18
オレ自分で宗教作っちゃったから関係ないや。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:20
2ちゃんねるでは既に「日本的」なるものが
出されるとすぐに「ウヨ」などのレッテルを
貼るものがいるが、なんでもかんでも一律に
政治的に論ずるのはどうであろう。
実際、日本武道の精神性を支えているのは神道のみ
ならず特に禅が強い影響を与えているのは事実です。
これらのことを抜きにして武道のなんたるかを語る
ことはできないでしょう。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:22
>>21
ちゃんとした師につかずにひとりで修行をするものが
陥りやすい罠にはまったようですな。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:25
神道と武道が結びついたのは明治維新以降。
それまでは武道とは「動禅」の手段であり
そもそも「道」とは禅を指すものだった。
神道精神とは耳珍しいが、
本来の武道とは禅宗の精神そのものである。

幕末まで神社や神主というものはなく、土地神も含め寺と一体になった
日本独特の宗教が存在していた。
近代国家日本が天皇制確立のために
にわかに寺と神社を分離し、「神道」なる新しい宗教を
かつてからあったかのように喧伝したのである。

その流れから、軍部と結びついた各武道流派が神道を取り入れ
富国強兵の手段としての武道奨励に勤めた。

よって神道と結びついた武道は、本来的な武道精神を失い
軍部に擦り寄った単なる戦争道具としての洗脳装置と成り下がったのである。
25ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 20:25
>>23
今のところうまく行ってるんだけどやっぱり挫折するのかな?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:26
スレじたいにあまり賛成ではないが、
上げた神じたいにも問題がある。
天照、八幡はいちおう依存ないが、春日は藤原氏の氏神で
政治家の暗躍を司る神です。

武道の神として上げるのであば、鹿島大明神が標準です。
それに八幡だけ菩薩にするのは、仏教的な名称でアンバランス。
八幡大明神でちゃんとした名称になるよ。
27ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 20:27
>>24
オレも禅の方が好み。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:31
>>24
極論にすぎますな。
明治になって神道が変質したのは間違いないが、
それまでのものとまったく別の新宗教ということで
あれば、どこかのスレで誰かが主張していたように、
日本伝統の柔術の流れをくみながらも新しく改良して
できた柔道などの日本の近代武道も新しくできた武道と
いうことになってしまう。

禅の影響が大きいことは事実であるが、神道が明治以後に
結びついたというのはあまりにも歴史をしらな過ぎる。
鹿島神宮などに伝わる武道も明治以後ということですか?
2919=24:2001/07/08(日) 20:34
禅は宗教というより
思想・哲学としての側面が強く
「やる側」の持つべき考え方としては
ニュートラルなもので、
国境人種を超え、宗教的な限界・超人観を克服できるものだと思います。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:35
>>26
春日明神は藤原氏のほかに大和の地侍にも崇敬されており、
それで武神の中に入っているわけです。
たしかに鹿島明神のがふさわしいかもしれません。

八幡神はやはり菩薩号のがふさわしいのでは?
八幡神自体も仏教好きな神ですし。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:39
禅の素晴らしさについては賛同する。
しかし、神道をことさら敵視して排除する姿勢は疑問。
貴殿らは道場に通っておらぬのか?
3219=24:2001/07/08(日) 20:41
>28

>明治になって神道が変質したのは間違いないが、
変質ではなく、新しく作られたのです。
寺の住職だった者がそれまでなかった「神主」という新たな役職を与えられたのですよ?

>神道が明治以後に
>結びついたというのはあまりにも歴史をしらな過ぎる。

これはあなたが知らなかった、というだけですね。

>鹿島神宮などに伝わる武道も明治以後ということですか?
鹿島神宮は確かに武術の神様を祭っていますが、
武術の神様と「道」の精神は基本的に関連がありません。
鹿島神宮と「本来的な武道精神」の根本は結びつきません。

そもそもあなたのおっしゃる神道精神と武道精神が
どうリンクするのか疑問です。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:46
>>30
八幡は菩薩号でいいのですが、いちおうお約束として、菩薩号の時は
頭を剃ったお地蔵さんのような姿であらわされることになってます。
平家物語では菩薩で出てきますけどね。
他の神が文句言わなければ別にどっちでもいいのですが、
今度あったら聞いとくね。

・・・すいません、余計な口出しちゃいましたが、仕事で仏教書を
扱いますもので。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:47
神道精神ってなんだ?
そりゃただの宗教だろ。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:47
・・・なんか、このスレで議論になり始めると
凄そうですな。引きます。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:51
ようするに思想とか哲学の方が宗教より強いってことだ。
確かに「神がかり」より
「自分で納得」できるまで考えた人間の方が強いよな。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:57
>>32
>変質ではなく、新しく作られたのです。
>寺の住職だった者がそれまでなかった「神主」という新たな役職を与えられたのですよ?

そういうとこもあったが、そういう一例をもってそれが全ての
ようなことを言いなさるな。
神祇伯白川家や吉田家傘下が免状を出していた神主達はなんだ?

>>神道が明治以後に
>>結びついたというのはあまりにも歴史をしらな過ぎる。

>これはあなたが知らなかった、というだけですね

古流の江戸期にかかれた免状や目録を見てから言っていただきたい。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:59
>>33
軍記物とか見ても武士達も「八幡大菩薩」として
信仰してるんで、菩薩号でいいんではないでしょうか?
39ユニバーサルオタ:2001/07/08(日) 21:01
>>37
居合神社なんてのもあったね。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:01
>>34
たしかに「神道精神」などと言ったのは、不適切だったかも
しれません。武道で神棚を祭っているのはこの国の国土と
先祖に敬意を表しているという程度の純粋な気持ちだと思います。
あえて言うなら、それこそが神道精神でしょうね。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:05
>この国の国土と
>先祖に敬意を表しているという程度の純粋な気持ちだと思います。
>あえて言うなら、それこそが神道精神でしょうね。

じゃあ、これは哲学である武道精神とは関係無いですね。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:06
ちなみに日本の武芸の大本である大相撲に神道的要素が多くあることは有名ですよね。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:07
結論、
「宗教」は「思想・哲学」たる武道に絶対に必要なものではない。

以上。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:09
まあ、ようは武道家としての礼儀ですね。
神前に頭を下げるのは。
4519=24:2001/07/08(日) 21:11
相撲と神道の結びつきも
コレまた政治的な背景が色濃いのですよ。
実は相撲節と室町時代以降の相撲の結びつきは希薄でして、
江戸時代に相撲興行利権独占を企む者が
権威付けのために幕府に行ったプロモーションがソレです。
そもそも吉田司家の陰謀というのがありまして…。
えーと、興味ありますか、みなさん?(w
46名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:12
武道家にとって神前に頭を下げるのはごく普通の
自然な行為で、とりたてて騒ぎ立てるものではないでしょう。
むしろ、やっきになって否定しようとする人のほうのが
変ですよね。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:15
>45
吉田司家の陰謀?
相撲節と相撲が別物?

詳しく聞きたいですね
4819=24:2001/07/08(日) 21:16
>>40
>>41
そうですね。
これを武道精神と結びつけてナショナリズムとリンクさせようという
動きこそが不純だと思います。
私が言いたいのはそれだけです。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 21:20
>>48
了解

相撲の歴史のほうもよろしく
5019=24:2001/07/08(日) 23:18
相撲節は八世紀に始まり九世紀に平安朝廷の年中行事として定着したもので
農耕儀礼と服属儀礼の二つの側面があったもので、七夕の神事に結びつける意図があったとされる。

これは日本各地で行われていた土地神関連の農耕儀礼としての相撲が
大規模な国家レベルの年占として行われた相撲節と結びついたものだった。
もう一つの服属儀礼は、諸国の相撲(原義としてはルールのない格闘そのものを指す)
を統合し、諸国の強者の持つ力を集中して天皇に奉仕させることがその根幹をなす構造になっている。

この基本構造におよそ9世紀末ごろから大きな転換が生じる。
まず、七夕の行事でなくなり神事としての性格が希薄化する。
また、それまで相撲節の運営者であった公卿たちが天皇と並んで
観覧者の立場にたつようになった。
これは公卿以下が天皇に奉仕服属を表現するという国家体制確認の意義を伴った
国家儀礼から、天皇以下諸臣王の観覧に供される技芸催事へと性格を転換させたことになる。

十二世紀に入ると、相撲節は途絶えがちになり、1174年を最後に廃絶する。
朝廷の弱体化にともない行えなくなったためだ。
しかし、相撲はそれとは別に生き残っていた。
平安末期には、相撲人と呼ばれる相撲を生業とする相撲の家の者が
貴族が私邸で催す相撲に召されてつとめたり
京周辺の寺社の祭礼に奉納される相撲をつとめるのが常になった。
これらの相撲はいずれも神事とは切り離された武芸大会化された性格のものだった。
つまり、この頃はすでに相撲節とは関連付けられない娯楽技芸だったのだ。

相撲節廃絶後、相撲人たちは二つのコースを選んだとされる。
一つは鎌倉幕府の御家人に従い、武士としてのアイデンティティを確立してゆくコース。
相撲人の多くは地方領主層であり、鎌倉幕府成立後はその御家人として組織されていったものが少ないくない。

もう一つは相撲人として専門的な職能をもって寺社と結びつくコース。
芸能の一分野としてその生業を勧進興行に発展させていった職能集団である。
勧進とは本来寺社や橋などの健立修理のための資金調達を目的とする
社会事業のための募金活動のこと。
そうした勧進の実施主体となったのは勧進聖と呼ばれた僧である(神道ではない!)。
この勧進興行は一般的な大衆を射程にしたマーケットであり
相撲人の芸能者としての専業化と安定に大きく寄与する。

こうした勧進興行は十三世紀末ごろから京を中心に始まり、
中世以降は、相撲は専門的な職人による芸能としての見られ方が強まり、
武士および武家の棟梁達にとっては、相撲は自ら取るものというより
観て楽しむものになっていく。
それによって、中世末期から相撲人の相撲を見ることが大名や武士の娯楽として
人気が出る一方、武士の技としての武芸一般に対して相撲を一段低くみる見方が強まる。

もう、この時期の相撲は
すでに神事であった相撲節の流れからは完全に断絶し、
その儀式的な面は消えていた。
5119=24:2001/07/08(日) 23:19
近世に入り、大名たちの間で相撲人を召抱えることが流行しだす。
そうした中で、1648年、幕府は武士抱えでない勧進相撲や辻相撲を禁じる。
また、1661年には武士抱えの勧進相撲でも町中での開催を禁じられる。
この時期幕府は武家屋敷の外での相撲を禁じる方針をとっていたのだ。
このころ土俵という重要な発明がされ、ルール、技術に大きな変化と発展があった。
大名抱えの力士は大名同士の対抗意識から他家の相撲取りに勝つため技術に磨きをかけた。
また、大名に召抱えられた行司は相撲故実を講じ、相撲場方式や作法といったものを
相撲取りに指導していった。
(後述するが、この相撲故実が実は曲者!)

元禄に入るころ、幕府は勧進相撲一律禁止から、条件をつけての許可統制へ方針を変える。
勧進興行相撲の復活である。このときの大きな変化としては、勧進主体が、
寺社などではなく、相撲興行集団そのものであるということだった。
また、その相撲興行集団に年寄りという、相撲取りの取締役が現れたこともあげられる。
1791年には江戸城吹上苑において家斉の上覧相撲が行われた。
この際、幕府は相撲取りを抱える諸大名ではなく、
勧進相撲興行を取り締まる相撲年寄りたちに命令を下した。
これは、勧進相撲興行集団を相撲の統括組織として認知したということにほかならない。
この時期の勧進相撲興行集団は、自分たちの社会的位置付けの確立に躍起になっていた。
その一環として、各相撲流派の行司に伝えられた「相撲故実」による
由緒格式の荘厳へと向けた努力がはらわれ、
「故実」を備えない素人相撲を排除していこうという動きがあった。

さて、この「故実」であるが、実はこれの出所がかなり怪しいのは現在の相撲史では常識である。
まず、横綱免許を創作したとされる吉田司家の吉田追風であるが、
この「横綱」こそ相撲の司として故実伝承の本家であるという
吉田司家の「故実」の中核をなし、永年にわたって相撲界を呪縛してきた「故実」体系の中核であった。

家伝によれば、吉田家の祖は越前の武士で木曽義仲の家来であり
相撲故実の祖たる志賀清林の伝を得て故実作法を伝え、
後鳥羽院が相撲節を再興した際に召し出され行司をつとめ、追風の号をたまわったという。
十五世追風のとき、1658年以降細川家に仕え、代々諸国の行司力士へ相撲故実の免許を出している…。
現在、これを、そのまま受け入れる専門家はいない。
5219=24:2001/07/08(日) 23:19
中世末から近世初期にかけては数多くの相撲流派が
相撲節を元にしたとされる「相撲故実」を伝える行司の家としてそれぞれの由緒を競い合っていた。
吉田家はそうした行司の家の一つとして出発し、他の流派をしのぎ従えて
「本朝相撲司家」への道をひらくべく戦略を展開していったのである。

1749年、江戸相撲の木村庄之助と式守五太夫の2人が故実門人として
吉田家十六世追風に入門した。木村も式守も江戸相撲集団の中核を担う立場にあり、
この2人の入門は江戸相撲集団が吉田家の門下に連なることを意味している。
19世追風は谷風・小野川に横綱免許を与え、上覧相撲を取り仕切り、自ら行司をつとめて
その権威を誇示した。
この上覧相撲から、相撲の「正当な故実の担い手」としての吉田司家の存在は、
幕府によるお墨付きを得て天下に認められるのである。
また、現在の大相撲に見られる装飾の多くは、この上覧相撲の時に創作されたのである(!)。
吉田司家はこうして行司中の第一人者から、一段上位の権威をおびた存在へと変貌していった。
吉田司家の故実体制に組み込まれることは相撲集団側にも大きなメリットがあった。
それまで木村・式守というローカルな行司家に伝えられた故実にもとづいて興行を行っていた江戸相撲集団が、
より洗練され高い由緒を認められた故実のもとに統合された。
この後、江戸が相撲興行の中心を占めていくにしたがい、
吉田司家の保持する故実が相撲故実の正統としての地位を占めていった。
これはつまり江戸相撲集団にとっては、自らの興行する相撲の正当性を語る有効な言説体系の成立を意味した。

その効果はすぐに現れる。
1772年。越後で興行を行っていた江戸力士たちと近くの村で相撲興行を行っていた村の衆の間で
喧嘩が起こり訴訟ざたになった。
その結果、正規の相撲集団でない素人が相撲興行を行うことを禁じる触れが出された。
また、金銭を払って土俵免状を得ればこの限りでない、との但し書きつきで。
これは完全に相撲故実体制による興行権の独占支配である。
これにより地方巡業の拠点と、マイナーリーグのシステムが完成し、
故実伝授を通して中央と地方を貫いて形成された相撲社会の体制と師弟関係のネットワークができあがった。
そして、その故実体制の頂点に立つ吉田司家は相撲社会全体に君臨したのである。

上覧相撲での吉田追風のパフォーマンスや、
故実体制の崩壊、ナショナリズムの勃興にのった相撲武道論、
スポーツ観念の影響、第二次大戦後まで続いた吉田司家の権力については各自興味があればお調べください。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 06:28
>>50-52
なんかすごいじゃん。
読み応えあったよ。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 09:27
>神道と武道が結びついたのは明治維新以降

ってのは間違いだってことだな
55名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 14:04
すげえオタ臭がする
56名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 14:40
きちんと調べて物を言う人をオタと呼ぶか、武道板は。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 14:53
オタの定義は?

よって55は正しい
58名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 15:30
神前であるぞ。
無益な争いはやめい。
59>55:2001/07/09(月) 15:36
ちゃんとした知識をわざわざレスを入れた人に対す非礼だな。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 15:39
武道家として礼は忘れてはなりません
6119=24:2001/07/09(月) 15:48
おいおい、リクエストに答えて
自分の卒論引っ張り出してきて二時間がかりで一部抜粋要約したものに対して
オタ呼ばわりかよ。
やってられんな。

>54
ちゃんと読めばわかるけど
神道と関わりがあった相撲節(それにしても現在の神道とは異質だ)が断絶してから
江戸時代の上覧相撲の権威付けにでっち上げた神道装飾まで
500年以上の時間があるんだぜ?
中世以降の大相撲の系譜と相撲節の関連は希薄なんだよ。
しかも、この相撲故実と装飾は神道という宗教と何の関係もないってことなんだよ。
だいたい江戸時代の神仏と土地神が混合された宗教観と、
明治維新以降の天皇制確立と列強へ対抗するための「国」という概念の中核になる
日本人のアイデンテティの確立のための神道なんて
まったくかけ離れた性質のものだ。

それとも、まさか相撲興行利権独占のためにでっち上げこじつけた
大相撲と神道の関係を純粋な武道精神とか言い出すのか?
大相撲が武道だって言われだしたのは間違いなく軍部に擦り寄った明治以降の言説。
それまでは相撲節成立崩壊以来ずーっと芸能あつかい。
国技って名称だって国技館建立のとき命名の際ドサクサにまぎれて決め付け
「相撲は国技」って演説しちゃってからなんだぜ。
ともかく相撲は成立からして「プロスポーツ」の要素が中核をなしているもの。
どちらにしても武道と神道の結びつきの引き合いに出されるものではありません。

神道と武道が結びついたのは明治維新以降という主張となんら矛盾はない。

言い添えるけど、俺は相撲ファンだし、相撲の格闘技術の有効性を認める者だ。
62おちゃら:2001/07/09(月) 16:09
皆さん春日よりも鹿島が良いとおっしゃてますが、春日大社とは
鹿島、(大雷神タケミカズチ)香取(フツ主)の両武神と天ノコヤネ(藤原の先祖)という祭事を取り仕切る神
の3柱を祭っています。

春日の奈良公園の鹿は鹿島神宮から祭神の分御霊を鹿島の鹿の背に乗せて奈良に連れて行ったことから、当時の鹿島の鹿の子孫なのです。
よって、春日=鹿島+香取+天ノコヤネなのです。(問題ないと思いますが)

それよりも八幡大菩薩(応神天皇)よりも日本最高の武神スサノオ(八坂)、ニギハヤヒ(石上)のほうがいいと思いますが。

道場の神棚のお札見て神道調べてみました。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 16:15
>61
>大相撲が武道だって言われだしたのは間違いなく軍部に擦り寄った明治以降の言説

江戸時代には武芸として扱われていました。
各藩が強豪力士を抱えていたのはそのため。
もちろん芸能扱いされていた事実も否定するものではありません。
しかし、その一方で武芸として扱われていたのも事実なのです。

たしかに、明治以前の渾然とした土着の神道と明治以後の
神道では大きな変質が感じられます。
しかし、だからと言って武道に見られる日本の伝統的な
宗教観を否定するのは間違いでしょう。
その証拠にいま例にあげられている相撲の宗教的色彩は
陰陽道の影響が非常に濃い神道の形で、このような
形態の神道のあり方こそ明治期に否定されたもののはずです。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 16:20
>>62
ああ、それでよく春日大明神が出てくるんですね。
勉強になりました。

ところで、たしかに神話上の武神としてはスサノオ命やニギハヤ命が
出てきてもおかしくはないと思うんですが、実際には八幡神とかの
ほうがよく出てきますよね。
どうしてなんでしょうね?
65名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 16:20
>63
>江戸時代には武芸として扱われていました。
>各藩が強豪力士を抱えていたのはそのため。

>>50にこう書いてあるけど?

>中世以降は、相撲は専門的な職人による芸能としての見られ方が強まり、
>武士および武家の棟梁達にとっては、相撲は自ら取るものというより
>観て楽しむものになっていく。
>それによって、中世末期から相撲人の相撲を見ることが大名や武士の娯楽として
>人気が出る一方、武士の技としての武芸一般に対して相撲を一段低くみる見方が強まる。
6619=24:2001/07/09(月) 16:29
>>63
>相撲の宗教的色彩は
>陰陽道の影響が非常に濃い神道の形で、

これは単に権威付けのハッタリであり、
真摯な宗教様式というより
歌舞伎の様式美と同じだと考えられています。
第一小野川・谷風以前の横綱の捏造から考えても
罰当たりではありませんか?

また、65さんの指摘の通り、
大相撲が武道扱いされたのは、国技という名称成立後であることは間違いありません。

相撲が武芸扱いされていた、というあなたの根拠は存知ませんが、
土俵のなかった時代の相撲や武士の組討は
現在の神道的な装飾をまとった相撲とはまったく異なったものだった
と言われています。
「相撲」という語の指す原義は「格闘」そのものであり、
「相撲」すなわち「大相撲」というのは誤りです。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 16:33
>>65
たしか太平記あたりからの引用です。


この戦いに参加していた播磨国(はりまこく:兵庫県西部)住人の妻鹿孫三郎(めがまごさぶろう)という人は、薩摩氏長(さつまうじなが:注7)の子孫であり、力は人に勝れ、器量は世を越えていた。

(柳田注7)古代の相撲の名人。

12歳の春の頃から好んで相撲を取り始め、ついには日本60余国の誰を相手に、たとえ片手で相撲をとったとしても決して負けないようなレベルにまで達してしまった。

人間は似た者同士が自然と寄り集まるものである、彼といっしょにこの戦場にやってきた一族17人も全員、その力は尋常の人間のレベルをはるかに越える者ばかりであった。ゆえに彼らは、他家の者たちを交えずに最前線を突進し、六条坊門大宮(ろくじょうぼうもんおおみや:注8)付近まで進出した。しかし、東寺(とうじ:南区)、竹田(たけだ:伏見区)付近から帰還途上の六波羅軍3000余に包囲されてしまい、一族17人すべて討ち取られてしまった。今や生き残っているのは妻鹿孫三郎たった一人だけ。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 16:34
これは良いスレだ
6963、67:2001/07/09(月) 16:47
>>66
>これは単に権威付けのハッタリであり、
>真摯な宗教様式というより
>歌舞伎の様式美と同じだと考えられています

様式美だとしても神道的陰陽道的色彩によって彩られているのは事実ですね。
そして、そもそも思想らしい思想をもたない神道はその様式こそが特徴でしょう。

>大相撲が武道扱いされたのは、国技という名称成立後であることは間違いありません

いえいえ、武芸のひとつとして見られていたのは事実ですよ。
そうでなければ、なぜ各藩がお抱え力士を抱えこんで藩の名誉を
かけてまで戦っていたか説明がつきません。
それに、なぜ女性の見物が禁止されていたのでしょう?
それが、武芸であるという理由でないなら、それこそ宗教的な理由でしょうね。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 16:50
>>67

これに対しては再び

土俵のなかった時代の相撲や武士の組討は
現在の神道的な装飾をまとった相撲とはまったく異なったものだった
と言われています。
「相撲」という語の指す原義は「格闘」そのものであり、
「相撲」すなわち「大相撲」というのは誤りです。

と書くほかありませんね。
もう一つ言えば67の引用には「相撲は武芸」の文字がないのが残念です。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 16:52
実は土俵には仏教的曼荼羅の要素も含まれているだよね。
ほんと、いいかげん。
その意味では66が正解
7263、67:2001/07/09(月) 16:52
ちなみに大相撲も初期はもっぱら八幡(富岡)境内で
行われていたそうですが、ここにも武神としての八幡神と
武芸としての相撲の結びつきを感じますね。
7363、67:2001/07/09(月) 16:59
>>70
つまり、相撲節において行われていたものと
大相撲のものも別物であると。

>中世以降は、相撲は専門的な職人による芸能としての見られ方が強まり、
>武士および武家の棟梁達にとっては、相撲は自ら取るものというより
>観て楽しむものになっていく
というのは
>また、それまで相撲節の運営者であった公卿たちが天皇と並んで
>観覧者の立場にたつようになった
と同じような現象なんでしょうね。
当然、そんなに身分の高くない一般の武士達や農民の間では
行われていたと考えていいのでしょうか?
74おちゃら:2001/07/09(月) 17:01
八幡が武神とされているのは、武士の棟梁である源氏の氏神だったからではなかろうか。
なぜ源氏は氏神を八幡神にしたかは分からないけど。
素人意見でごめんなさい。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 17:09
>>74
八幡は朝鮮半島の秦氏の氏神です。
それが、武器、鉄器の鋳造技術と一緒に渡ってきて、
武器と一緒に、武神として定着したものと思われます。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 17:10
>74
そうですよねえ。
なんで源氏は八幡神を信仰してたんでしょうね。
なんかどっかで当時は実際に現在したと思われている
天皇の初代が応神天皇(八幡神)で、源氏は元皇族の
出だからそれで信仰していたみたいなのを聞いたことがあります。
ほんとかどうか知りませんが。
7719=24:2001/07/09(月) 17:11
>>69
神道と大相撲の結びつきへのこだわりかたがズレてきてませんか?

どちらにしても、相撲節との繋がりが希薄な中世以降の大相撲が、
神道的装飾を取り入れようとした背景は
幕府の後ろ盾を得た利権独占の理由となる権威付けにすぎません。
これが、例え大相撲が武道であろうと、
利権のために神道を利用しただけである事実に変りはありません。
そういう神道観が相撲の武道精神とどのようにリンクするのか
もう一度考え直していかがでしょうか?

また
>なぜ各藩がお抱え力士を抱えこんで藩の名誉を
>かけてまで戦っていたか説明がつきません。
これは、単に大名同士の対抗意識で説明がつくものです。
自分の家来である武士に相撲を取らせるのであれば
あなたの主張はわかりますが、
全て専門の相撲取りに取組ませているのは
当時の相撲を、闘鶏や闘犬と同じような趣味と捉えるべきではないでしょうか?
現に、1711年、町人が相撲取りを召抱えるのはけしからん、と幕府が禁じたのは
相撲取りを召し抱えて戦わせるのは贅沢な遊びだったからでしょう。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 17:19
まあ、ともかくその理由はともかくとして
相撲にかぎらず武芸と神道の関係は明治以前にさかのぼることが
できるということでいいではないですか。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 17:21
まあ、よく考えれば武士達が信仰してた神々が神道なんだから
武芸と神道が結びつくのは当然ですよね。
8019=24:2001/07/09(月) 17:32
>>72
それは大相撲と括るより
勧進相撲の話ですね。
勧進相撲は寺社で行われるもので鶴岡八幡宮に限られたものではありません
ただ、歴史的に武家の主催する大きなイベントで
勧進相撲が行われた縁が
現在にも伝わっているというだけのことですね。
>もっぱら鶴岡八幡宮
というのは誤りです。

>>73
>当然、そんなに身分の高くない一般の武士達や農民の間では
>行われていたと考えていいのでしょうか?

考えてはいけません(w
辻相撲は幕府に禁じられ、(もちろん破られることは多かったが)
全面禁止から許可制に方針転換してからは
大相撲の故実体制から土俵免許をもらったものでなければ
相撲はできませんでした。
身分の低い武士、というのがどんなものを指すのかわかりませんが
江戸時代の大相撲はもっぱら
故実体制に組み入れられた「実の相撲取り」(幕府の触れ、実の相撲取りにあらざる者の相撲を禁ず、より)
が取るものであり、
剣術や槍、弓とくらべて真面目な武芸として取組まれてはいませんでした。
8119=24:2001/07/09(月) 17:38
>>78
>>79
詭弁です。
ただ単に、日本人の信仰が神仏土地神混合の崇拝であった
というだけの話で、
それと武道の精神・思想・哲学である「禅」をゴッチャにして
しまうのは誤りでしょう。

もしあくまで神道にこだわるなら
「武道家なら神前に礼」
ではなく
「日本人なら神前に礼」
と主張するべきだと思います。

民族的な信仰と、武道精神はリンクしません。
8219=24:2001/07/09(月) 17:47
ああ、武道って書くのやめて
武芸って書くようにしたんですね。

まあ、どちらにしろ、
81の通りです。
83哲学:2001/07/09(月) 17:53
信仰から哲学へ。
武芸を武道にした禅の道。
それを忘れ、
信仰へ引き戻した明治以降の武道は武道精神を失い、
陸軍的ノリを引き継いだ体育会的ノリを武道精神と呼ぶ。
禅の思想はどこに?
84名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 18:55
なんでもかんでも軍国主義がどうのこうのとかって
いうのはどうかな?
禅寺に行ったことはある?
けっこう体育会的ノリだよ。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 18:59
>>80
のちの大相撲につながるもののことだよ。
それに鶴ケ岡八幡じゃなくて、富岡八幡だよ。
鶴ケ岡は江戸じゃないでしょ。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:05
承安4年7月
(1174) ■高倉天皇相撲天覧
この後、400年におよんだ相撲節会の典儀はまったく廃絶する。
安元2年12月
(1176) ■河津三郎と俣野五郎の相撲
元亀元年3月
(1570) ■織田信長上覧相撲
近江国常楽寺において相撲上覧。勝者宮居眼右衛門に与えた弓が弓取りの始まりと伝えられる。
正保2年6月
(1645) ■公許勧進相撲
京都糺森(ただすのもり)において、公許勧進相撲(京都勧進相撲)。
宝暦7年10月
(1757) ■江戸相撲独特の縦番付発行
寛政元年11月
 (1789) ■谷風梶之助・小野川喜三郎横綱土俵入り免許
寛政3年6月
(1791) ■十一代将軍・徳川家斉上覧相撲
以降、たびたび家斉、家慶相撲を上覧する。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:12
>>81
いやいや、武道が日本の歴史と神道とともに
歩んできた事実がある限り、武道と神道は
まったく無関係ではありえません。
神道も陰陽道も禅も全てが武道の形成に関わってきた
のであって、その中の好きなものだけをとりだして、
気にいらないものを排除するというのでは、正しく
武道を理解しているとは言えないでしょう。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:34
どこかの柔術の目録に相撲がはいっていたと思うんだけどなあ
89名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:41
武家には出陣前に「潔斎」の習慣があったようですね。
これなんかはあきらかに神道であると言えるのでは
ないでしょうか?
90名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 19:50
>>62
実際、古代では軍神として
スサノオノミコト、タケミカヅチノカミ、ヤマトタケルノミコト、
神功皇后、坂上田村麻呂の5柱が中心に祭られていたようですね。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:00
>>87
というか、日本人が何に対しても神道を持ち込んでいた、というのと、
武道の思想・精神(これは禅そのもの)を
神道と結びつけるのはおかしいってことでしょ。

道(どう・みち)というのは禅があって初めて起こった思想であり
民俗の信仰や武家の信仰と、その信仰とかかわりのあった技術である武芸
これら信仰を超越し、悟りにいたるものが「武道の精神」であり、
神道信仰と思想は相容れない、ということがなぜ理解できないのでしょうか?
9219=24:2001/07/09(月) 20:04
茶道や華道も禅の一種で、
武道というのはこれらの思想とリンクして成立したもの。
武道が完成すれば
精神的、思想的にその道の中に
神道が入り込む余地はないはず。

個人的な信仰は違うよ。

どうも武道家個人の信仰と武道精神としての思想を
混同している人がいるみたいだね。
道場に神棚があるのは道場主の信仰(民族的な)であり、
武道本来の精神とは関係がない。
9319=24:2001/07/09(月) 20:09
道場に神棚があるのは
古来からの日本の習慣であり、別に道場に限ったことじゃない。
家に台所があるのと同じ。

武道に神棚が必要かと言えば、それは必要ではない。
なぜなら禅には神棚が必要ではないから。
94関係無いけど:2001/07/09(月) 20:26
日本人てなんでもごっちゃにするからね。
禅と神道混ぜちゃったんじゃないの?
ナショナリズムの勃興以降。
で、混乱して
ここで神道と武道の関係を一生懸命訴える人が出てきたと。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:37
禅も神道も武道の重要な要素ってこと
96名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:49
くどい
97名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:52
皆さんの道場ではどんな神様が祭られていますか?
98名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 20:58
うちは天照大御神でした。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:09
テンテルダイギョシン?
100名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:20
うちの道場は神農黄帝
101名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:34
うちの道場の外の壁には小泉が・・
102名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 21:51
キリスト様です
103名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:03
そういえばウチの道場の神棚には何が…

げ!
旧支配者と深き者どもが祭ってあった!
104名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:04
宗教スレにより下げ
105おちゃら:2001/07/09(月) 22:23
>90
うーん、国津神(出雲神)は古事記や日本書紀が出来てから無視されつつあるよう泣きがしますね。
なぜニギハヤヒはシゴウが、天照国照なんてついてるんでしょうかねえ。
天照より立派じゃないですか。
権力者である朝廷(天皇)の歴史の改竄がありそうですねえ。

何だか日本史板みたいになってきたなあ。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 22:27
結論。
昔の日本人の生活に神道は関係しているが、
本来動禅である武道は神道から脱却した思想。
動禅としての武道を忘れた武道家が神道を崇拝するようになったため
本来の武道精神は忘れられた。

以上。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:09
まだ言ってるよ。この人が一番思想に毒されてるね。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:21
なんの思想?
神道?
109名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:31
>95
神道の要素が武道に対してどう重要に作用しているのかね?
110名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 23:32
もういいから下げろよ
糞な宗教スレだよ
111神道無想無念流:2001/07/09(月) 23:59
『神道のこと測り難し』
112名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 00:12
むむ、「言挙げせず」ですな。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 10:10
>>105
ニギハヤヒ命は天皇家に先行する前天孫族ですからね。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/10(火) 23:30
ちなみに江戸初期に成立した良移心頭流、関口流、制剛流、小栗流には
すべて相撲の影響が見られるそうです。
115おちゃら:2001/07/11(水) 00:16
>113
前天孫族?
いわゆる皇孫族とは元々違う部族なのでしょうか。

神棚のお札で「鹿島、これって何」とか思い、それからいろいろ調べてますが、各神社によってタブーがあるようですね。
鹿島で「フツの御霊の剣」のことを踏み込んで聞いたら色々な伝説があるから・・と言って口をつぐまれてしまいました。
あちこちで聞いてますが、有名神社の宮司さんクラスになると本当に物知りですね。
日本神道は宗教というよりも古史って感じですね。
各地域の神社を調べると本当に各地域の古代の歴史がわかるので面白いです。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 02:09
>おちゃらさん
神道はタブーが多いのであまりタブーに触れた質問すると嫌がられますよ。
伝説は自分に都合のよいものを第一としたいものです。
事実は別としてね。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 02:36
>>114

>土俵のなかった時代の相撲や武士の組討は
>現在の神道的な装飾をまとった相撲とはまったく異なったものだった
>と言われています。
>「相撲」という語の指す原義は「格闘」そのものであり、
>「相撲」すなわち「大相撲」というのは誤りです。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 12:58
>>115
おそらく天孫族と同じく大陸から来た人達でしょうね。
もともと部族も一緒だった可能性は高いと思います。
神武天皇も「天神の子は多くいる」と天孫族が自分達だけで
ないことは認めているし、ニギハヤヒの弓矢を見て「いつわりではない」
と言っていますからね。

鹿島ですか。
関東でも最古級の神社ですよね。
ちなみに鹿島「神宮」ということですが、
この名称はこの神社が皇室と非常に縁深い神社
であることを示しています。

ところで、おちゃらさんのやっている武道って剣道ですか?
119名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 13:03
ところで、幕府によって禁止されていたいたのは興行としての
相撲ですね。
やはり、民間では江戸時代から神社と結びついた相撲が行われていますよ。

県指定文化財  無形民俗文化財
 のぶかたすもう
延方相撲
         指定年月日 昭和39年7月31日
所在地 潮来市延方乙1885
管理者 鹿島吉田神社


    江戸時代初期潮来町徳島一帯では漁場をめぐる紛争や,また農耕地の利権論争,耕作権の問題など紛争が絶えなかったが,寛文12年(1672年)7月27日この紛争に対して江戸幕府より御評定があり「この地は水戸南領に属す」という裁決があった。
 村人はこれを喜びあい1673年(寛文13)相撲祭を延方村鎮守鹿島吉田神社に奉納して感謝したことにはじまり,江戸勧進相撲の格式をもって今日に伝えられている。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 13:11
井上神社の大祭に行われる氏子による地区内の無病息災を祈る相撲です。由緒は定かではないが江戸時代には行われていたそうです。現在は井上地区の若者が西谷・根古屋の東西2地区に分かれて相撲を取ります。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 13:11
9月23日、さわやかな秋晴れとなった秋分の日に、「琴平相撲」と言われる布川・琴平神社の奉納相撲(主催=琴平相撲保存会/後援小貝川リバーサイド委員会)が執り行われました。
 この奉納相撲は、寛政7年(1795年)が始まりと伝えられており、当初、江戸から両大関(当時は大関が最高位)をはじめ大勢の花形力士を招き、木戸銭なしで見物できたことから、土俵が人垣で見えないほど賑わったといいます。当時の模様について、当町にゆかりの深い小林一茶は、享和3年(1803年)に布川を訪れた際、「べったりと人のなる木や宮角力」などの句を詠んでいます。
 
122名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 13:14
大國魂神社

天正18年(1590)8月1日 徳川家康の江戸入城を賀し、この日を記念して
天下泰平・五穀豊穣を祈る奉納相撲として始まったものであり、領民の体育奨励の
目的を以て、幕府より水引幕を献納せられた由緒ある祭である
123名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 13:26
まあ、他にもたくさん神社と相撲の結びつきを明治時代以前に
さかのぼることができる例はたくさんありました。
近代化の過程で起きた変質をなんでもかんでも悪意をもって
語るのはやめてね。それこそ歴史捏造だよ(w


>神道と武道が結びついたのは明治維新以降

>その流れから、軍部と結びついた各武道流派が神道を取り入れ
> 富国強兵の手段としての武道奨励に勤めた

>相撲節との繋がりが希薄な中世以降の大相撲が、
>神道的装飾を取り入れようとした背景は
>幕府の後ろ盾を得た利権独占の理由となる権威付けにすぎません

>>当然、そんなに身分の高くない一般の武士達や農民の間では
>>行われていたと考えていいのでしょうか?
>考えてはいけません(w
124名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 13:30
それから江戸時代に相撲が武芸のひとつとして
見られていた証拠として私があげた女性の見物の禁止
にも回答を出していませんね。
相撲が武芸のひとつとして見られていたのは事実なのです
からそうムキになって否定するのはやめてください。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 16:36

      ∧_∧     ∧_∧
     _( ´∀`)    (´∀` )
  三(⌒),    ノ⊃    ( サヨ )  日本武道を
     ̄/ /)  )      | |  |
    . 〈_)\_)      (__(___)

         ∧_∧  .∧_∧
         (  ´∀) (´∀` )
       ≡≡三 三ニ⌒)   サヨ.)  なめるな
        /  /)  )  ̄.| |  |
        〈__)__)  (__(___)

           ∧_∧  ,__ ∧_∧
          (    ´)ノ ):;:;)∀`)よ!
          /    ̄,ノ''    )
         C   /~ / /   /
         /   / 〉 (__(__./
         \__)\)
                     ヽ l //
            ∧_∧(⌒) ―― ★ ―――
            (    ) /|l  // | ヽ
           (/     ノl|ll/ / |  ヽ サヨがぁ!
            (O  ノ 彡''   /  .|
            /  ./ 〉
            \__)_)
126名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 16:41
まあ、茶を一服
                   ∧_∧
       ∧_∧     <´∀` ; >
       (;    )   目⊂  ⊂)
       (     つ目   (_(_つ 凸
       (_○___)    
12719=24:2001/07/11(水) 19:10
色々お調べになって得意げになっているところ申し訳ありませんが、
どの奉納相撲の歴史を引っ張り出しても、
奉納相撲(田楽などの芸能と同じ催し。引き分けなどで収めることが多い)と、
武芸の相撲(格闘そのもの)の関連を証明したことにはなりません。

また、どうもまだ相撲(原義としての格闘そのもの・武芸)=大相撲(芸能)と思われている節がありますね。
今に伝えられている奉納相撲や大相撲はすべて
人に見せることを前提とした芸能として成り立ったものであり、
中世以前の格闘技としての相撲とは流れが別のものと見るべきなのです。
言ってみれば当時は「相撲」という言葉は、今で言う「格闘技」というジャンルを総称した言葉で
そのルールや制度などを限定した競技を指すものではありません。

私は、
民衆、民族の信仰と武道の精神的な支えとなる思想が同義ではない
と主張しているだけなのに、
執拗に相撲と神道との関連を主張するのはなぜなのでしょうか?
そのていどの神道との関わりであれば、武道・武芸に関係なく
その時代からあった芸能や祭りに関わるもののほとんどがそうです。
八百万の神というとおり、どんなものでも神道と関わりがあったことになります。
その信仰を真摯に捉えるなら、パソコンにも神がいることになります。
武道を特別に神道と結びつけようという意図がよくわかりません。
神道とは何にでも結びつくものなのです。

特に今現在「神道」と呼ばれるもの自体、明治以降に成立したものであり
神仏・土地神が混合に信仰されていた時代のものとの結びつきを混同されるのも
どうかと思います。

どちらにしても、神道が武道の精神(悟りを開く手段)に対してどのような支えになる
思想を持っているのか、を説明していただけなければ、
神道は、ただ、武道をしている人がたまたま個人的に信仰している宗教、ということにすぎないと思います。

>それから江戸時代に相撲が武芸のひとつとして
>見られていた証拠として私があげた女性の見物の禁止
>にも回答を出していませんね。

江戸の風俗については今、裏を取っています。
もう少し回答をお待ちを。
しかし、これも「証拠」というにはあまり
〜だから〜である、というには弱い話だと思います。
そもそもそれが本当だったとして、
いったいいつからそれが解禁になったんでしょうかね?
128琴音:2001/07/11(水) 19:25
最近思うのだが、雑誌で書いてる人より、ネットで
書き込んでる人の方がすごい勉強してるよね。↑の人とか。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 07:28
>武士の技としての武芸一般に対して相撲を一段低くみる見方が強まる。

これって刀を差していた時代の武芸というもののリアリティから言えば当然だろうね。
素手の格闘技術が一段低く見られるのは当たり前と言えば当たり前。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 10:25
>>127
なぜでしょうかって

>神道と武道が結びついたのは明治維新以降

>その流れから、軍部と結びついた各武道流派が神道を取り入れ
> 富国強兵の手段としての武道奨励に勤めた

>相撲節との繋がりが希薄な中世以降の大相撲が、
>神道的装飾を取り入れようとした背景は
>幕府の後ろ盾を得た利権独占の理由となる権威付けにすぎません

なんて言われて黙ってられるか。一武道家として。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 11:05
>>118
自分は極真空手です。
剣道は2時間の稽古を8回ほどやらされたことがありますがさっぱり駄目でした。

いろんな資料を持ってあちこちの古社飛び回ってます。
各神社によっていろんな伝説があって面白いですね。
ニギハヤヒ関係でどうしても深く知りたくて、「石上」に行きました。
で、フルは「ニギハヤヒ」フツシ命はスサノオ命だと書いてあり、更にフツはフツシの父親だと何かに書かれてました。
そこで一計を案じ「フツ神はフツシ神の父親だとかかれてますが、フツシはスサノオ命なんですよね。ということはフツは「いざなぎ尊」なのですか?」と聞いたら石上の方が難しい顔をして固まってました。
その後ちょっと来なさいと言われて応接室に上げていただき1時間も色々と伝説について教えていただきました。
おかげでかなり倭について理解できました。

もうしません、ごめんなさい。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 11:12
>>131
それはすごいですね。
私も興味深々です。
よかったらどんな話しだったか教えてください。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 14:35
>>130
>一武道家として。

「一神道信仰者」の間違いじゃねーの?
おまえの中では武道家=神道信仰者なの?
ハタから見てて変だよおまえ。
おまえが神道を熱烈に信仰するのはかまわねーけど、
神前に礼をするのは武道家だけがすることなのか?
「武道家だから」みたいに言うなヨ。
別にそれは特別なことじゃねーよ。
>>127
>そのていどの神道との関わりであれば、武道・武芸に関係なく
>その時代からあった芸能や祭りに関わるもののほとんどがそうです。
>八百万の神というとおり、どんなものでも神道と関わりがあったことになります。
>その信仰を真摯に捉えるなら、パソコンにも神がいることになります。
>武道を特別に神道と結びつけようという意図がよくわかりません。
>神道とは何にでも結びつくものなのです。
って19=24も書いているけど、
道場に神棚があったり、祭りがあったり、武術の神社があったからって
ことさら武道との結びつきを強調するものでもないだろ。
男根まつっているところとかマンコ祭っている神社だってあるぜ。
セックスすることは神道と関係あんのか?
むしろ、信仰を突き抜けたところに武道精神が宿るという考えのほうが
俺としては納得できるよ。
その点はおれも19=24と同意見。
武道の精神を養うことと神道がどうかかわるのか、
ってヤツを説明してくれや。
昔の人に信仰があったのは当然としても、
それが武道をやるものに必ず必要なものなのかね?
134131:2001/07/12(木) 17:25
>132
神職の人に対しタブーを語ってもらうためにわざと煽った質問をして教えていただいたことなので、きっと石上の方も普段は当り障りのないことをおっしゃっていると思います。
それなのでここでそのお話をするのは申し訳ありませんが控えさせてくださいね。(ごめんなさい)
ごめんなさい。
その後もあちこちで煽りまくっていろいろ聞きましたが、皆困った顔をしながら話すのでもうやめました。
今後は産土神「天穂日」について調べてみようかと思います。
出来れば出雲大社のほうまで行きたいけど遠いしなあ。
京都の天穂日神社行ったけど誰もいなかったし。
なにか良い本とか神社とかないでしょうかねえ。(もう煽り質問しません)
135名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 17:31
実社会でも「煽り」やってんですか?
とんでもないツワモノですね。
136134:2001/07/12(木) 17:35
本当に煽ってるわけじゃないですよ。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 09:42
柔術は愛宕神社と縁が深いとこが多いらしいよ。
竹内流の影響らしい。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 16:32
やはり、日本の神々に敬意を表するというのは
武道家として当然の行動だな。
それはこの世のありとあらゆる生あるもの。
(たとえそれが敵であろうとも)に対する敬意でもある。
別スレで武道の試合で相手に非があるからと言って
ブーイングをしたことを肯定するような発言が
あったが、この出来事はまさしくこの精神が失われて
いることを示している。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 16:34
神道と仏教、この二つを除いて武道精神は語れない
140おちゃら:2001/07/13(金) 22:16
神道に教義があるとすれば「感謝の心」ですからねえ。全てに敬意を持つということですねえ。
対戦相手に感謝、指導員に感謝、先輩に感謝、後輩に感謝、道場を貸してくださってる方に感謝、親に感謝、友達に感謝。
これぞ武道の心だと思います。
自分は少年部に「自分の周りの全てに感謝」という心を教育できれば良いと心がけてます。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 22:55
いやさかー(藁
14219=24:2001/07/14(土) 00:40
もういいかげん、ぶっちゃけたことを書いてもいいかと思います。

人殺しの技術であるところの武術と
神道、修験道、仏教、禅が結びついたのは、
実践者のスピリチュアリティーを支える権威づけに過ぎない。
その武術の開祖やその流れ(流派・系統)を引き継ぐ者たちが
自身の行いに対する権威付けとして
「俺はこの神(あるいは仏、禅)のスピリチュアリティーを背負っている」
ということで自己肯定、あるいは自流派の出自を明らかにする
(と言っても、既成の権威を借りる、あるいは創作の伝説や歴史の捏造などの手段のこと。
近代以降でも往々にしてあることなのは皆さんご存知のこと)
ことで結びつけたことがそもそもの動機。

源義経の武術は天狗から授かり、
林崎夢想流は夢から技を得た(うろ覚え)。
武士でいえば、上杉謙信は毘沙門天。
源氏は八幡宮。
豊臣秀吉や徳川家康は死んでから神になり、かつ仏にもなった。

「武術」の中で神道と結びついているとされる流派も、
当然そういった権威付けのための借り物のスピリチュアリティーでしか本来はない。

また、相撲の神道のスピリュチュアリティーは、前述したように、
吉田故実体制を固めるため、また興行利権を独占するための権威付けで
ありもしなかった相撲故実を捏造して、朝廷の権威である神道にすりよって作った
ニセの神道様式である。
土俵がなかった相撲節を起源としておきながら、
土俵を中心とした神道様式を相撲節から伝えている、という吉田故実そのものが
そのなによりの証拠。
単なる神道「的」装飾にすぎないというのはこのため。
この場合は武術の権威というより、芸能の権威。
武術や武士、芸能の世界に限らず、伝統的に日本人の性質はこういう権威に弱い。

しかしそういった「武術」の中で
特に禅と結びついたものが「武道」であることは間違いない。
武を動禅の手段とし、武の道(みち)としたその精神は禅そのものである。
よって、本来なら「武道」を名乗る流派は
神道のスピリチュアリティーではなく、禅のスピリチュアリティーを持つべきである。
14319=24:2001/07/14(土) 00:41

>>130
国家神道の成立と神仏分離によって、
それまでの日本の歴史の中で複雑に絡み合った神道と仏教その他の信仰の関わりを切断し、
神道を寺から独立させて歴史を改鋳した事実は、
まともに神道の勉強をしたことがある人には常識です。
例えば、浅草の三社の神様は、本来は観音様の家来でしたが
(つまり神道の神様が仏教の観音様の下で使われている)
これを切り離してしまいます。
神道が仏教の下にあるというのは国家神道には都合が悪いわけです。
それまでの武道・武術において権威があったスピリチュアリティーより
この新天皇制の庇護にある国家神道という新たなスピリチュアリティーや
軍部に擦り寄ることで国家神道崇拝・富国強兵教育の一環として生き残る実をとれば、
自然、それは神道へとシフトしていったという事実も理解できます。
もともと自己肯定と権威付けのためのスピリチュアリティーなのですから。
「やはり、日本の神々に敬意を表するというのは(武道家)として当然の行動だな。」
などというのは、非常に如何わしいと思います。
( )内に入るのは別に「武道家」という言葉に限らないし、
神々に敬意を表するのは「武道家だから」というのは論理的思考に欠けています。
少しはご自分でも的を得た調べ事をされてはいかがですか?

>>128
すみません、実は私、雑誌に書いている人です。この板とはまったく別ジャンルですが。
しかし、相撲と武道、武術については大学にいたころ散々レポートやら論文で書いていたので
たまたま調べ物のストックがあるだけです。
14419=24:2001/07/14(土) 00:41

>>124
えーと、ちょっと調べ物をしても当たらないのですが、
わかりません。そういった事実があったということが確認できませんでした。
その「相撲見物女人禁制」という話の
そもそもの出典はなんなのでしょうか?
また、いつ頃から始まり、いつ頃解禁されたのでしょうか?
そのことがはっきりすれば、おのずと理由もわかるかと思います。
あなたがご自分でハッキリとその理由を書かないのは、
あなた自身がよく知らないこと、あるいは曖昧な資料しかないのに
それを反証として持ち出しているためでしょう?

私の感想としては、それがたとえ事実であったとして、
「相撲見物が女人禁制」すなわち「相撲は武芸」あるいは「宗教的理由」
とはいうのは論理的でない、ということにつきます。
武士が歌舞伎見物をしなかった理由は「女子供の見る物」だったことをご存知でしょうか?
あるいは、現代においてファッションヘルスに女性が行かない(入店しても断られる)
からといってファッションヘルスが武芸だったり宗教的理由で拒んでいる、
ということにはならないでしょう。
男便所女便所のような風俗(フーゾクに非ず)の問題かと推測できます(事実であれば)。


>>140
>自分は少年部に「自分の周りの全てに感謝」という心を教育できれば良いと心がけてます。
非常に立派なお考えだと思います。賛同します。
ただ、これは武道でない場でも教えて然るべきことだと思います。
むしろこれを教える手段が武道を通さなくても教えることができれば
日本も捨てたものではありません。
もちろん、こういった豊かな心を教育する手段は、武道の心に限らないと
私は考えています。
14519=24:2001/07/14(土) 00:46
あと、付けたしですが、
日本の武芸十八般に「相撲」は含まれていませんでした。
つまんないことですみません。
146武道家@神道:2001/07/14(土) 10:18
>>142
権威づけのためってのはわかりますが、それだけが理由と考えるのは
あまりにも一面的な見方ですね。

あらゆるものに敬意を表するという神道のこの姿勢が武道を殺人術でなく
武道たらしめているとは考えられないんですかね?
武道の開祖達と神仏のつながりすらも単なる権威づけのためとは・・
あなたは自分という枠の中にとらわれすぎです。
それこそ、本当に禅をするものならもう少し広い見解をされるでしょう。
多くの悩める人々が神仏にすがるのも権威を求めてためなのでしょうか?
武道と禅の結びつきは否定しませんが、
>武を同禅の手段とした
っていうのは本末顛倒では?
その書き方ではまるで動禅のために武道が作られたと言っているようですね。
歴史的事実に反しています。
武士の側が禅を取り入れていった結果、武道と禅が結びついたんですよね。
なぜ武士が禅を取り入れたのでしょうか?
まさか権威づけのためではありますまい。
147武道家@神道:2001/07/14(土) 10:26
>>143
神道の明治期における変質は私も最初から認めています。
私はただあなたの

>神道と武道が結びついたのは明治維新以降

>その流れから、軍部と結びついた各武道流派が神道を取り入れ
> 富国強兵の手段としての武道奨励に勤めた

という発言が間違っていると指摘したいだけです。
江戸期に武道と神道が結びついていたことはあなたも
これまでの発言で認めていますね。
148武道家@神道:2001/07/14(土) 10:33
>>143
>「やはり、日本の神々に敬意を表するというのは(武道家)として当然の行動だな。」
>などというのは、非常に如何わしいと思います。
>( )内に入るのは別に「武道家」という言葉に限らないし、
>神々に敬意を表するのは「武道家だから」というのは論理的思考に欠けています。

まあ、論理的ではないでしょうな。
ある意味「男として○○はできない」だとか
「人として○○はゆるせん」と言っているのと
同じですからね。
149武道家@神道:2001/07/14(土) 10:49
>>144
出典は「大江戸 ものしり図鑑」ってやつです。
そこの大相撲の項に
「武芸の一つであり勧進相撲でもあるから、女の見物は許されず
観客は男だけ」
って書いてあったのを信じたわけです。
まあ、私は学者でも物書きでもないんでこれ以上の検証はしようが
ありません。
ただ、言われてみればそこに乗ってる浮世絵の見物客も皆男しか
描かれていません。

ヘルスは基本的に女が男をサービスするとこと認知されているし、
便所は容器も男女用にわかれているし、同じ場所で用を足すのを
避けるためにわかれているのです。
女人禁制なのはちゃんとした理由があります。
そんなもんと並べられてもなんにも説得力がありません。
150武道家@神道:2001/07/14(土) 10:57
>>140
武道はじつに素晴らしい教育手段ですよね。
そもそも「威」を失ったものにまっとうな教育が
できるとは思えません。
今の学校教育の崩壊を見れば一目瞭然ですね。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 17:11
>>146
>権威づけのためってのはわかりますが、それだけが理由と考えるのは
>あまりにも一面的な見方ですね。
>なぜ武士が禅を取り入れたのでしょうか?
>まさか権威づけのためではありますまい。

もう少し以下の辺を汲み取っていただきたいですね。

>自身の行いに対する権威付けとして
>「俺はこの神(あるいは仏、禅)のスピリチュアリティーを背負っている」
>ということで自己肯定(※)、あるいは自流派の出自を明らかにする

武士の場合はこの自己肯定の意味合いが強いでしょう。
宗教も崇拝や哲学をする動機はそこに自己肯定と救いを求め
そのスピリチュアリティーを背負うことで解決しようとします。
また権威というのはそのスピリチュアリティーを支える原理の裏付けのことも言います。
例えば、「八百万の神」を背景とするか、不動明王を背景とするか、毘沙門天を背景とするか、
どれを使っても何かを教えることを出来るが、どれが効果的なのかは時代背景によって違います。

>>武を動禅の手段とした
>っていうのは本末顛倒では?
>その書き方ではまるで動禅のために武道が作られたと言っているようですね。
>歴史的事実に反しています。

どのようなものを歴史的事実と仰っているのか知りませんが、
武術に禅が結びついたものが武道です。
武を修行する理由としてそれを動禅としたのが
本来の「武道」です。そこに武術と武道の差異があります。
そもそも「道場」とは何のことでしょう?
これは「武道場」の略ではありません。
釈迦が成道した菩提樹の下のことであり、仏教用語です。
道場とは仏法の修行の場なのです。
道場という言葉が武道の場で使われたのは
本来の武道では、武が仏法の修行だと認識されていたからです。
こういった禅のスピリチュアリティーが現在の武道で
失われているのはなぜなのか?
これは武道から国家神道への擦寄りに他なりません。
武道が国家神道に擦り寄ったという事実としては、
特に相撲武道論が挙げられます(相撲は武道という装飾をまとったにすぎず、本質は芸能スポーツです)。
これは昭和10年代の国策によるもので
「相撲は武道である」「力士はすなわち武士」
という含意の言説が世間一般に喧伝され、それらの主張は
重要なのは試合の勝敗よりも試合に対する修行の過程であり、
試合での勝利に対する禁欲と謙譲を要求するものでした。
これらは「相撲道」と称され(ここで既に「道」の意味が禅とはずれていることが分かる)、
天皇に奉仕する優秀な武士=兵士たるべき国民の修行の道(これもズレている)として掲げられたのです。
これは相撲以外の武道もまったく同じで、
国策の一環により、本来の禅の「道」から、国家神道寄りのアナザーな「道」へと転換されました。
例えば戦前の相撲協会が、会長や理事に軍人をいただくならいだったことも
これと関係しています。
国力の限界をはるかにこえた戦争への道をたどりつつあった日本は
戦争遂行の原動力をこうしたスピリチュアリティーに求めていたという事実は
揺るぎようもない事実です。

このあたりの時代の国策の言説が、
みなさんの「相撲は武芸・武道」
「武道家なら神道」
という認識の大元ですね。
152151も19=24:2001/07/14(土) 17:12

>>147
>江戸期に武道と神道が結びついていたことはあなたも
>これまでの発言で認めていますね。

神仏混合であった明治以前に
どのような文化にも神道の影響があったことは認めます。
しかし前にも出した浅草の三社様のように、その成立そのものが根本的に観音様との関連にあったにもかかわらず
まったく独立したものとして扱われるようになったことでわかるように
新天皇制のバックボーンであり薩長新政府のプロパガンダである国家神道の権威は
明治以降もっとも効果的なスピリチュアリティーとなり、
この神道の変質で、あらゆる文化において、
神道のスピリチュアリティーが人為的に強められたことは間違いありません。

文明開化にともない、明治初期、武士の文化、武術・武道は古いものとして
廃れかけます。
大相撲も同様です。
次第に国家主義を求める民衆の熱が沸き、それに応えるように
武術・武道、そして相撲は国家神道へ擦り寄ったのです。
そして国家神道が武術・武道のもっとも効果的な
スピリチュアリティーとなったわけです。
これに対する反証があればどうぞ提示してください。

>>148
>ある意味「男として○○はできない」だとか
>「人として○○はゆるせん」と言っているのと
>同じですからね。

全然違いますね。
「○○として痴漢はゆるせない」
の○○には何でも該当するということです。
つまり、
「○○なら日本の神々に敬意を表するのは当然」
○○に「武道家」が入る必然はない、ということです。
少なくとも神仏分離以前の日本人の感覚に
「○○なら日本の神々に敬意を表するのは当然」
というものはなかったでしょう。
日本の神も仏も釈迦も天狗も稲荷もゴッチャです。
その中でわざわざ「日本の神」と別に分けて考える必然もなかったはずです。
そんなことをわざわざ言い出したのは明治政府が
新たな権威を強化しようとしたために他なりません。

ちなみに稲荷信仰を持ち出すと、国家神道はかなり困ってしまうようですね。
15319=24:2001/07/14(土) 17:13
>>149
ですから
女人禁制なのは単に文化風習風俗美意識モラルの問題であるなら
宗教的か武芸である、という結論には直結しないのではないか?
と申し上げているのです。
私が例に並べたものと、あなたの推測は同レベルだということはお分かりいただけましたか?
あなたの読んだ本は存じませんが
豆知識本はあまりアテになりませんよ。孫引きのまた引きなんてザラですから。
原典を当たりましょう。

>>150
>そもそも「威」を失ったものにまっとうな教育が
>できるとは思えません
「威」とは何を指すものでしょうか?
「ホラ、悪いことをすると(オジサンに叱られるでしょ)」
( )には(神様がバチを当てる)だったり(お巡りさんにつかまる)だったり、
(ヒトサライに連れてかれる)だったり(ご先祖様に申し訳ない)などが入る。
と他者の権威を借りることならそれは間違っていると思います。
親そのものの責任を果たさず学校教育に頼る考えも嫌いです。
学校教育は躾の場ではないと思いませんか?
154>151:2001/07/14(土) 17:23
>これは相撲以外の武道もまったく同じで、
>国策の一環により、本来の禅の「道」から、国家神道寄りのアナザーな「道」へと転換されました。

武道と武士道の混同もこの辺にあると思われ。
155>149:2001/07/14(土) 17:29
>勧進相撲でもあるから、女の見物は許されず
>観客は男だけ

これも変な理屈だね。
そもそも勧進ってのは老若男女・善男善女が集う催しなんだけど。
ちゃんと調べてみれば?
いつ解禁になったの?
156>153:2001/07/14(土) 17:30
>他者の権威を借りることならそれは間違っていると思います。
>親そのものの責任を果たさず学校教育に頼る考えも嫌いです。
>学校教育は躾の場ではないと思いませんか?

激しく同意。
「先生、ちゃんとしつけてください」
てめえでしつけろ!って感じ。
157231(=287):2001/07/14(土) 17:49
武道の神前といやー、香取・鹿嶋大明神でしょ?
アマテラスなんて私は嫌いだけどな。
あ、竹内流は愛宕神らしいな。でも、竹内流って仏教も
浄土宗だか何か信仰するんだろ?
ま、こういう神仏混交的なムチャクチャな宗教観が
そもそも、日本人的だけどさ。
158千葉真一:2001/07/14(土) 17:53
明治天皇と昭和天皇が相撲好きだったってのが
けっこう関係あるかもね。
大正天皇は…。
えーと、今上はどうなんですかね?
159名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 18:48
>>149
女相撲とかってどうなるのかな。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 18:53
>>153
>親そのものの責任を果たさず学校教育に頼る考えも嫌いです。
学校教育は躾の場ではないと思いませんか?

そうですね。まず親が威と愛を持って接しなければ駄目でしょう。
日本人は学校に期待しすぎ。
あんなに大人数のクラスで教える先生は大変です。
昔は親がしっかりしていたから学校に権威もあったけど
今は親からして学校を舐めているし変な責任だけ押し付ける。
バカ親死ね!
161良スレage:2001/07/14(土) 23:15
いま武道板で、一番まともな議論がなされているスレかもしれない。
アホの入り込む余地なし!とゆーわけで私は逝きます。。。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 02:53

  ∧_∧     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミ,,`Д´,ミ  <  挨拶に参った。以後よろしゅう!
G[  У  ]つ   \________________
 /~ノ∞\~ゝ
 |_|__\
163暑くて起きた:2001/07/15(日) 03:21
>>144 >>153
相撲の女人禁制については他の本にも書いてあった。
岡本綺堂の随筆「江戸の春」に
「女が相撲を見るようになったのは明治になってから」
とあるとよ。
相撲の歴史に詳しいようでいて案外たいしたことないな。
自分にとって都合のいい歴史しか調べてないからそうなるんじゃないのか?
それとわかりやすい自作自演はやめてくれんか。
164暑くて起きた:2001/07/15(日) 03:36
吉原、歌舞伎に行くのは軟派者。男の中の男は断然大相撲だと。
単なる芸能娯楽でなく、硬派なスポーツ(?)として
捉えられていたのは事実のようですな。
相撲=武芸論が当時からあったとしても不思議ではありますまい。
165154−156:2001/07/15(日) 03:38
>>163
>岡本綺堂の随筆「江戸の春」に
>「女が相撲を見るようになったのは明治になってから」
>とあるとよ。

ふーん。
で、その禁止していた理由と解禁した理由は?
「勧進だから」っていうのはなんか納得できないんだけど。
あと159も言ってるけど女相撲はどうなんの?
女が相撲するのはかまわないの?
見るのは駄目なのに?
166暑くて起きた:2001/07/15(日) 03:46
>165
そんなことまで知るか。
俺は学者でも物書きでもねえよ。
167154−156:2001/07/15(日) 03:46
>>163
あそう。
でもやっぱり武芸としては扱われていないみたいね。
http://www.tamahito.com/risinryu.htm
http://gunkan.dreamers.com/html/gunkan_dic_trad/vocabulario_artes_marciales_paco_barberan.html
相撲は武士にとって、武芸というより見る専門のスポーツってとこが妥当なんじゃない?
だって自分たちでやってないじゃん。
168154−156:2001/07/15(日) 03:50
>>166
そこまでわかんないなら
それを取り上げた意味がないじゃん。
この事実があんたの主張の証拠にはならないってことじゃないのか?
19=24には調べさせて「案外たいしたことないな」
なんていうあんたの言い草がそれかい。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 03:59
>>163-164
中途半端な調べ物して偉そうなこというなよ(w
170暑くて起きた:2001/07/15(日) 04:04
>>168
いやいや

>少しはご自分でも的を得た調べ事をされてはいかがですか?

>すみません、実は私、雑誌に書いている人です。この板とはまったく別ジャンルですが。
>しかし、相撲と武道、武術については大学にいたころ散々レポートやら論文で書いていたので

なんて発言があったんでね。つい。
まあ、これについては無益な水掛論になりそうなので、お互い水に流しましょう。
171暑くて起きた:2001/07/15(日) 04:12
>>167
武芸十八般に含まれていないことは知っています。
しかし、相撲が当時もっぱら見るもので、まったく
民間で行われていなかったとは信じ難い。
実際、平安末ごろの武士は鍛錬のために行っていたそうだ。
(対象としてる話しの時代とはずれるが)
まあ、あまり決定的とは言えないが
若い頃の明治帝が好んで相撲をとっていて家臣にいさめられた
というような話しが残っているが、もっぱら見るものとして
認知されていたというなら、こんなことは起きないのでは?
172154−156:2001/07/15(日) 04:17
さてな。俺はこのスレの19=24の書きこみからしか
相撲の歴史は知らないので
そのへんのことは19=24にまかせるけど、

ただ、
>若い頃の明治帝が好んで相撲をとっていて家臣にいさめられた
>というような話しが残っているが、

というのなら、

>もっぱら見るものとして
>認知されていたというなら、こんなことは起きないのでは?

の「こんなこと」が「家臣にいさめられたこと」であるなら
逆に、

>もっぱら見るものとして
>認知されていた

という裏づけにならないか?
173154−156:2001/07/15(日) 04:19
明治天皇がかなりの相撲好きだったということは知っている。
マニアなら自分で真似したくなるものじゃないの?
歌舞伎好きが役者の真似して素人芝居やるのと同じ
っていう発想は自然じゃないかい?
174暑くて起きた:2001/07/15(日) 04:25
>>173
じゃ、マニアな民間の連中はやっぱやっていたと
認めるわけだ。当時の相撲人気からして相当マニア
いただろな(w
175暑くて起きた:2001/07/15(日) 04:26
>>172
違う違う。
そういうもんは天子のやるべきことではないんだと。
江戸時代には剣術の稽古してて家臣に諌められた天皇もいる。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 04:33
>>174
認めるって、俺が?
さあね。俺が認めたからってどうなるもんでもないと思うけど(w
で、仮に俺が認めたとして、それが相撲=武芸とどう関係あるの?
むしろ、真似しちゃいけないものであることをあんたが認めるのなら
これは武士にとって武芸ではないし、低く見られていた芸能(プロスポーツ)だということを
あんたが認めたことになる。
177暑くて起きた:2001/07/15(日) 04:44
>>176
は?意味わからん。俺の頭が悪いのか?
178名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 04:49
暑いからじゃないですか?
179名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 11:08
ったく暑いな。
アメリカは京都議定書に協力しろや。
これ以上暑くなったらかなわんぞ。

さて、女相撲だが、これは完全な見世物。
江戸中期、明和期に盛んに行われたらしい。
座頭8人と娘一人をとらしたりと完全に
エロイ見世物となっている。
こんな見世物とくらべても参考にならんだろ。

詳しくは「女相撲史研究」雄松比良彦(私家版・1993)
を参照しろや。
って、なんで俺が相撲の歴史調べてるんだ・・
180名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 22:44
相撲の起こりは神話伝説から始まっているらしく「日本書紀」にも、紀元前23年7月7日に野見宿禰と当床蹶速(のみのくすね、たいまのけはや)が天覧のもと「力くらべ」をして、宿禰が蹶速の脇腹を蹴折って勝利したと記されている。当時の「力くらべ」は殴ったり、蹴ったりもゆるされており、近年における総合格闘技に近いものであったようだ。


  その後に、聖武天皇が726年の七夕祭に相撲を天覧したのがきっかけに、奈良時代末期から平安時代にかけて節会相撲(せちえずもう)が行われたという。


  七夕は盆前の先祖祭りの一つであり、特に全半期(1月〜6月)の畑作物の収穫を祝い、後半期の豊作を期待する時期でもあった。  そのなかで、天皇の見ている前において相撲が行われた。  こうした神前で行う競技は、洋の東西を問わず身も心も清めて神に見てもらおうと、裸で行うのが慣例であった。  紀元前8世紀にギリシアで始まった古代オリンピア競技では、ゼウスの神前で一糸まとわぬ全裸で槍投げや、レスリングを競った。  格闘技には衣服を付けず裸体で行われるものと、衣服を付けて行われるものとが存在するが、着衣格闘技には相手の殺傷を目的にした武術、裸体格闘技には神に無病息災や五穀豊穣を祈ることを目的としたものが多い。


 
18119=24:2001/07/16(月) 18:51
>>163
綺堂の随筆にありましたか。
今手元に全集がないので、確認できませんが、近々引っ張り出して見ます。
>>176さんが
>芸能(プロスポーツ)
と書かれていたのには同意します。
相撲を「観るスポーツ=プロスポーツ」と捉えるのは正しいでしょう。
プロスポーツが「スポーツの装飾をされた芸能である」というのは私の持論でもあります。
当時の大相撲が非常にプロレス的であったことはご存知でしょう。
地方巡業は今日もなお日頃テレビでお馴染みになっている人気力士たちの
顔見せ体見せにすぎません。誰があそこで真剣勝負を期待しているでしょうか?
スポーツ観念が西洋から輸入されて、
番付け編成や取り組み編成など、リーグ戦風の興行体系になった近代以降の大相撲と違い、
当時の相撲は、今よりもっと曖昧で、ほとんどが人気や力士を抱える大名の力関係で番付けを決めていました。
生月鯨太左衛門などの巨漢力士を始め、
当時の相撲には番付け外に張り出されて勝負には加わらない一群の力士がつねにいました。
2m27cmと言われた大空武左衛門は相撲はからきし下手で、
土俵入りだけが仕事でした。それでも好奇心に満ちた江戸っ子は怒るどころか
たいそう贔屓にして錦絵に刷ったり、手形を欲しがりました。
大童山文五郎という少年力士は身長は1m15cmしかなく、体重は169キロで、
碁盤を片手に持ち団扇のように扇いでろうそくの火を消すという力持ちでした。
子供なので勝負には加わらず、これも土俵入りだけが仕事。
しかし、当時全盛の谷風、雷電にまさる人気だったそうです。
写楽、春英、春山、一九らの絵師が肖像を競作するほどといえばその人気もわかるでしょう。
もともと土俵の発明も、それ以前のモンゴル相撲のように長時間かかる相撲を
江戸っ子が「まどろっこしくて見てられねえ」と退屈がったことなどがあり、
興行としとの観点からゲームの面白みを追求して成立したルールと言われています(土俵の神道的意味付けはこじつけです)。
相撲は観客なしには成立しないものなのです。

>>171
>実際、平安末ごろの武士は鍛錬のために行っていたそうだ。
>(対象としてる話しの時代とはずれるが)
>>180
以前にも書きましたが
これは>>70>>50-52の相撲(原義・格闘)と相撲節と大相撲(神道的装飾をまとった芸能)の歴史的断絶を
もう一度お読みください。中世以前の相撲とは「格闘技」というジャンル名に相当する言葉です。

>>179
女相撲も同じく、大相撲の「神道的装飾をまとった見世物」、という範囲から外れるものではありません。
その本をお読みになられたら、おそらく、女相撲にも五穀豊穣の儀式的意味合いとの結びつきが
書かれていたと思いますが? あなたの感想は違うようですね。
18219=24:2001/07/16(月) 18:51

こうした、やる者が必ず観る者を意識しなければならない見世物の相撲を、
武士が自ら鍛錬として行うかといえば、疑問です。
前述の通り、近世以降の大相撲は中世以前の相撲とは質の違うもので
ショーアップされた相撲に対して
>>129さんの指摘のような意識がなかったとは言えないでしょうか。
これはなかなか鋭い意見だと思います。

>>164
江戸っ子の美意識に合った勧進相撲の様式を完成させたのは寛政年間の谷風梶之助だと言われています。
谷風は江戸の三百諸侯の留守居役と結びついていました。
留守居役の実態は一種の外交官で、
幕府上層部の方針の探りいれ、他藩との利害調整連絡、平素からの良好関係を維持する
裏取引の専門家です。
彼らは寄り合いと称して月に四、五回も贅沢な料理茶屋に集まり情報交換する。
今日にまで生きる接待政治の原型ですね。
主君の位階昇進、公辺での出世のためなら露骨に金品を贈答することも躊躇しません。
この留守居たちは江戸の消費文化を支える隠れたスポンサーでした。
あらゆる遊芸はかれらの庇護を受けて花開きます。
家老より席次は下でも機密費を湯水のごとく使い、
茶の湯、俳諧、三味線と言った具合に両刀を手挟みながら通人の日常を送っていました。
とはいえ会合の場所が毎回茶屋では世間の評判も憚れる。
歌舞伎は婦女子の慰みものと目されていたので芝居小屋へおおっぴらに出かけることは
ままならない。
それらと比べると「武芸鍛錬という大義名分」が立つだけ
(もちろん自分たちでとるわけではない)
相撲場が交際の舞台として利用されやすかったのは間違いありません。
谷風の背後には、御三家譜代ではなく幕閣に参与することのできない体制の不満をいだく、
外様大藩の政治力が結集していました。
その中核をなしていたのが、東北の伊達と九州の細川。
有力力士の召抱えに熱中した大名は、東北の津軽、南部、丸亀の京極、徳島の蜂須賀、薩摩の島津
といった僻地の大名が多い。
老中にも若年寄にもなれない鬱屈を相撲で晴らそうとしていたと見て取れます。
力士たちは各藩の召抱えであり(といってもたかが20石30石ていど)
代理として面子を相撲で争っていました。
これが、相撲が武芸であり、力士が武芸者であるのならこの面子はかなり直接的な
生々しい大名同士の争いに発展しかねません。
武芸から一段低く見て、芸能(プロスポーツのゲーム)であると納得することで
これを回避していました。ですから近世の武士が真面目に相撲の鍛錬をするなどということは
考えられないと言えるでしょう。(酒席や、ふざけてゲームとしてならあるかもしれません)

以上のことから相撲=観るスポーツであっても、
>>164
>「相撲=武芸論が当時からあったとしても不思議ではありますまい。
とは言えないというのが私の意見です。
18319=24:2001/07/16(月) 18:52

また、>>171
>民間で行われていなかったとは信じ難い
とのことですが、以前にも書きましたが、

>1648年、幕府は武士抱えでない勧進相撲や辻相撲を禁じる。
>また、1661年には武士抱えの勧進相撲でも町中での開催を禁じられる。
>この時期幕府は武家屋敷の外での相撲を禁じる方針をとっていたのだ。

>勧進相撲興行集団は、自分たちの社会的位置付けの確立に躍起になっていた。
>その一環として、各相撲流派の行司に伝えられた「相撲故実」による
>由緒格式の荘厳へと向けた努力がはらわれ、
>「故実」を備えない素人相撲を排除していこうという動きがあった。

>1772年。越後で興行を行っていた江戸力士たちと近くの村で相撲興行を行っていた村の衆の間で
>喧嘩が起こり訴訟ざたになった。
>その結果、正規の相撲集団でない素人が相撲興行を行うことを禁じる触れが出された。
>また、金銭を払って土俵免状を得ればこの限りでない、との但し書きつきで。
>これは完全に相撲故実体制による興行権の独占支配である。
>これにより地方巡業の拠点と、マイナーリーグのシステムが完成し、
>故実伝授を通して中央と地方を貫いて形成された相撲社会の体制と師弟関係のネットワークができあがった。

あくまで許可統制なので、故実体制のネットワーク内であれば行われると思いますよ。
それ以外ではあくまでも罰せられます。
>>174でおっしゃるように、マニアはお金を納めて故実体制の内に入るでしょう。
当時の相撲=吉田故実体制ですから
例えるなら勝手に相撲を取るということは
極真空手の門人でない者が極真空手の道場を開くようなものです。
つまり、相撲を取るもの=吉田司家の門人弟子になるということです。
武士がその傘下に入りたがるでしょうか?

>>171
>若い頃の明治帝が好んで相撲をとっていて家臣にいさめられた
>というような話しが残っているが、もっぱら見るものとして
>認知されていたというなら、こんなことは起きないのでは?

これもご自分でおっしゃっているように、
反証としてはなんの意味もないですね。
近世以降の大相撲では、一応、公には相撲節を源流としています。
天皇は相撲を見る側の者。
天子さまへの服属儀礼である相撲を、その天子さま本人が真似してはおかしなことになる。
そういう以上の意味はないでしょう。
ましてや「相撲を諌められた。剣術の稽古も諌められた。だから相撲は武芸である」
というのは乱暴な三段論法ですね。
大前提に「天皇が行ってはいけないことは全て武芸である」
というのであれば別ですが。ないでしょ?
184名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 21:52
さすがに詳しいな。
しかし、明治帝が相撲を諌められたという話しから
推測ははずれだ。
明治帝が山岡鉄舟に相撲を諌められたのは
天子たるものが臣下と軽軽しく力比べをし、ケガを
するようなことがあってはならないという理由のため。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 21:59
まあ、ようは「大相撲」っていうのが創られたものだって
言いたいんだろ。
で、相撲が太古から形を変えながらも民衆の間で伝えられて
来たことは認めるっていうことでいいのか?
186名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 11:53
>>21初心者なんだよ
187名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 11:55
>>89しょうがねーだろ
188名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 23:26
age
189名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 00:42
見つけて読みました。>>163
大正11年・贅六堂刊「風俗江戸物語」岡本綺堂
の中の随筆「江戸の春」の「大相撲」の項ですね。
(綺堂は江戸の武家で幕末に生まれた人で、小説家、劇作家です。
江戸風俗について父から聞かされ、研究し、
シャーロックホームズをヒントに
日本発の本格ミステリー「半七捕り物帳」をかきました)

これによれば、確かに
「自分の藩のお抱えの力士が出るとなると、若い武士たちは殺気だって応援に行った。
当時は(注・当時がいつを指すのかは書かれていない)
女が相撲見物をすることは許されず(注・この理由も書かれていない)、
女が相撲をみるようになったのは明治になってからのこと。
高砂浦五郎が古い習慣を破って、これを解禁し、相撲の隆盛を図ったことは広く知られることである」
と書かれている。(注は私のもの)
ここでは、女が相撲見物を許されなかったことは
「古い習慣」
とだけ書かれています。

この本は昭和61年に河出文庫から復刻され、私の手元にあるのはそちらです。
実は、この「風俗江戸物語」は誤りの多いことで有名な本で、
復刻の際、全編、今井金吾氏の注釈付で編まれました。

注によれば、
「女の相撲見物が許されたのは、明治5年11月、回向院場所の2日目から。
高砂浦五郎は当時東方前頭筆頭であり、興行に対する発言力はなかったので
コレは誤り。
また、それ以前は、晴天十日のうち(注・相撲興行は屋外で行われるため晴天の日の十日間がその期間となる)、
千秋楽(興行最後の日、十日目)以外は女の見物することは許されなかった。
千秋楽は幕下以下の力士の取り組みが行われ、おさんどん相撲と呼ばれた」
とあります。

ここでも女の相撲見物が許されなかった理由は明確にされませんでしたが、
少なくとも、千秋楽だけは女の見物は許されていたことが明らかになりました。

コレは私の推測ですが、
相撲人気が絶頂だった頃は幕下以下の取り組み(言わば前座の試合)にしか入場が許されず
相撲人気が陰った明治初期に女の全日の相撲見物が解禁された、
というのは、単に性差別による入場者制限だったのではないでしょうか?
入場者があまりにも減ったので女にも関取の相撲を見せて客を確保しよう
ということだと思います。
それまでは見たがる客はいくらでもいたので(テレビのない時代ですし)、
「じゃあ女は駄目ね。そのかわり入場者の少ないフンドシ担ぎの相撲なら入ってもいいよ」
という態度から、客が減って興行収入が苦しくなったので
「どうぞ女性の方も見ていってください」
という態度に変化したのだと思います。
おさんどん相撲というのは、女中なんかが見に来る相撲だからでしょうね。
190189も19=24:2001/07/18(水) 00:47
>189
したがって、この「古い習慣」の根拠とは
興行の都合、商売上の問題(客の優先順位など)
ということではないでしょうか?
191 :2001/07/18(水) 00:54
ロイター自作自演!!         みなさんも一緒に♪♪
     \\  ロイター逝った  !!   //
 +   + \\  ロイターさよならさ〜よなら!!  /+   そーれ! 真顔で!
                +
.   +   ∧__∧   ∧__∧_ ∧___ ∧  +  さよならさよなら!
 ●=  (゚∀゚  ∩ (゚∀゚ ∩)( ゚Д゚ )
 +  (( (つ   ノ(つ  丿 (つ  つ ))  + ミ●
       ヽ  ( ノ ( ヽノ   ) ) )
       (_)し' し(_)  (_)_)
19219=24:2001/07/18(水) 01:04
>>185
>で、相撲が太古から形を変えながらも民衆の間で伝えられて
>来たことは認めるっていうことでいいのか?

これをどういう意味で捉えるかで微妙ですね。
民衆の間で伝えられてきた相撲は
近世以降の「大相撲」の影響が大きすぎるため、
「相撲」=「大相撲」となってしまいました。
原義である「格闘そのもの」である相撲の中世以前の相撲と
近世以降の大相撲の関係と同じで
相撲故実体制に取り込まれて古来の相撲は、絶滅したと言っていいでしょう。
あるのはそれを洗練させたルールのある競技です。
ゆいつ通じているのは、武道・武術と異なって
観客の目を初めから意識した見世物(プロスポーツ)である
ということだけです。
その意味では太古から形を変え、伝えられてきたと言えるでしょう。
(あえて「民衆に」とは書きません。
これは現在残る相撲と呼ばれるものが、数ある相撲と呼ばれるもの中から
専門の職能家集団によって伝えられてきたものだけが残ったからです。)
193武道家@神道:2001/07/18(水) 09:51
>>189
おお、原典見つけてくるとわすごい。
でも、武士も見に行ってるやん(w
まあ、じつは女の相撲見学が禁止というかひかえられて
いたのは、当時の相撲見物が相当荒ぽかったというのが
あるようですな。
たとえば、戦後昭和40年代あたりまで学生野球というのは
観客、応援団同士の喧嘩が日常茶飯事だったようです。
プロ野球でもたまにありますね。
それと同じように当時の相撲もひいき力士の違う観客同士の喧嘩が絶えなかった
ようです。
それから、屋外での行事ですから、夏の暑い日なんぞは
観客に上からざばーと水を浴びせて涼をとっていたようです。
まあ、そんな荒っぽいところですから、女性には行けなかった
というのもあるようです。
客がそんな雰囲気なのですから、力士ものんびりと見世物用の
相撲をとっているはずもなく、白熱した取り組みが行われ
時には死人すら出ています。
なにしろ、当時の力士は土俵の外でもしょっちゅう喧嘩をしてる
くらいですから、土俵のうえでおとなしく芸能演技なんて
やってるはずもありません。
まあ、このような気風でしたからこれを武芸と見なす人がいたと
してもおかしくはなかったでしょうな。
少なくとも硬派な娯楽と見られていたのはたしかです。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 00:28
武芸を自分たちで行う鍛錬とすれば
相撲は観る専門の娯楽=プロレスって位置付けじゃないの?
195名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:35
念流の祖鎌倉寿福寺の僧慈音は、日向の鵜戸明神の岩窟に篭もり刀術の妙を得る

鹿島香取神宮に祈願して天真正自顕流を開いた十瀬与三衛門、

鎌倉鶴が丘八幡宮に参篭して天流を開いた斎藤伝鬼房勝秀、

上州白雲山波古曾神に祈願して東軍流を開いた川崎鑰之助、

山形楯岡林崎明神に祈願し神夢想流林崎流居合いを開いた林崎甚助重信、

羽州横手郡真弓山神に祈願、槍術無辺流 を開いた大内無辺、

三河奥山明神に参篭祈願し、奥山流を開いた奥山休賀斎公重、

信州飯縄権現に参篭し神道夢想流を開いた福井兵右衛門嘉平、

吉田八幡宮に参篭し弓術吉田流を開いた吉田上野介重賢、

京愛宕神社に祈願し居合の伯耆流を開いた片山伯耆守久安、無外流の辻月丹資成、

安芸の厳島神社に参篭し剣、柔術の貫心流を開いた宍戸司箭家俊、

太宰府天満宮に参篭し柔術楊心流を開いた秋山四郎兵衛義時、

宝満神社に祈願参篭して神道無想流杖術を開いた夢想権之助勝吉

等々、 ここに上げたものはごく一部のよく知られた例だけであるが、一流を開いた流祖達は、殆ど例外なく神社仏閣に篭もり祈願達成を行なったのである。

 各流祖は、何れも幼少の頃から武芸を好み、数々の実戦に参じ、更に優れた師について術技を研鑽し、神仏を尊崇してその行法を勤行する事により、感応を受けて能力を開発し、あたかも泉水が噴出するように、滔々と妙技が流出したのだと思われる
196名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:38
源頼朝の命により小笠原長清は、父加賀美二郎遠光と共に流鏑馬、奉射、鶴が岡八幡参拝の次第等、故実を基に新しい武家儀式を制定した。以来小笠原流は、弓術、弓馬術とその基本動作をまとめた作法により、武家社会の日常生活から儀式に到るまでの、礼法の規範ともなり、今日まで伝えられている。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:40
○、飯篠長威斎家直

 天真正伝香取神道流流祖、武道中興、刀槍の術の始祖(本朝武芸小伝)といわれる。同流の書(師範、大竹利典著)(注1)によると、家直公は、元中四年(1387)下総の国飯篠村の郷士の家に生まれ、幼少の頃より刀槍の術に秀でていた。主家の千葉家において、武勇の誉れが高かったが、千葉家滅亡後、一族郎党の者を解雇し、香取神宮奥の宮に程近い梅木山に隠棲する。六十余歳にして、香取神宮に千日千夜の大願を起て、斎戒沐浴粉骨砕身修行の後神示を得たという。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:41
○松本備前守政信

 鹿島神宮の祝部で、常陸の大椽鹿島氏の四家老の一人であるという。飯篠長威斎について兵法を学び、鹿島神宮に祈願してこの道を極めた。その流名は鹿島流又は鹿島神流といわれる。備前守は戦場往来の勇士として知られたが、大永四年(一五二四)鹿島野の戦いで討ち死にしている。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:42
○塚原卜伝高幹

 延徳元年(1498)鹿島神宮の座主卜部家に生まれ、塚原新左衛門の養子となる。卜部家は鹿島の太刀を伝えており、養家の祖父土佐守安幹は飯篠長威斎の高弟であり、養父も神道流の伝を受けている。生れ乍らにして剣の家に育った卜伝は、子供の頃より剣の道に並はずれた情熱を注ぎ、鹿島神宮に一千日参篭して祈願を込め霊感を得て開眼し、流名を新当流と称した。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:42
○愛州移香斎久忠

 陰流の祖。享徳元年(1452)伊勢に生まれ、若い頃には遠く明国にまで渡航した事があるという。日向(宮崎県南那珂郡)の鵜戸神宮に参篭し神示を受けこの道の奥義を悟り、一流を創始する。移香斎は天文七年(1538)八十七歳で世を去り嫡子小七郎宗通が嗣ぐ。この門から新陰流、柳生流と多くの流儀が生まれている
201名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 16:57
>>195-200

繰り返しだね。

故実とか神示とか霊感ていうのは
>>142
に書いてあるとおりだよ。

武術の話はともかく
「武道」なら禅のスピリチュアリティーを持つはずであり
近代以降、国策によって「道」の意味をすりかえられたということは
>>151
でも述べています。
このスレの趣旨に沿って
議論するならば、
神道と武道の関係についてですね。
「一武道家」であるなら
武術と武道の差異とは何か? 「道」の意味をもう一度考え直してください。
それは決して神道のスピリチュアリティーではありません。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 22:42
また、拾った

大東流合気柔術中興の祖といわれる武田惣角翁は万延元年(1860)、福島県会津坂下町に生まれた。武術の盛んな環境に育った惣角翁は、幼少の頃から小野派一刀流剣術、『角力(すもう)』、槍術、棒術などを学び、明治6年(13歳)には直心影流の名剣士・榊原健吉の道場に内弟子として入門している。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 22:46
>>201
まあ、あなたの権威づけうんぬんはわからんでも
ないが、実際に武道をするものとして
そういう言い伝えをおろそかに考えることはできないのです。
たとえ科学的でなくても。
それが、流儀の精神を受け継ぐということなのです。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 23:24
>>203
神仏に頼っていては、宮本武蔵にはなれないぞ。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 05:31
柳生新陰流が沢庵和尚に近づいたあたりが「武道」という概念の始まりだと聞きましたが?
206名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 05:51
>行為すること」と「禅(をしている状態)」の接点に関してですが、 (1)例えば沢庵禅師の「不動智神妙録」で語られているような「私」の在り方は、自分の感じた「私」に近いと思います。「行為するときに、行為する最中に もっとも直截的に感じられる「私」の感じ(前に「身体の感じ」とも書きましたが)ですが、個人的にはこれがミニマムの「私」であるように思えてならないのですが如何でしょう。



前に書いたが、思考プロセスは、次々と子プロセスとしての思考をforkしていき、最終的に何らかの行為という返り値を持って終了する。しかし、坐禅は一切の思考に坐禅という行為の返り値を返し終了させるのである。坐禅は動きのない行為である。


坐禅のとき何も考えないのかというとそうではない。たえず姿勢に気をつけていなくてはならない。これこそ坐禅が行為である証拠である。しかし、動きがないのでミニマムな行為といえる。


人が行為に理由をつけるとき、ニーチェのいうようにそれは真の理由ではないことが多い。それゆえ、武道などでは迷いの原因ともなる。昔の武道家の中には生死の境で催眠術的能力をもっていたりするものもいたりした。このようなとき、己の心にある思考にひっかかっているとアッと言う間に術中に落ちる。思考と行為の断絶、不適切な結び付きは脳のバグである。武道家はこれを除くことを願ったのではないか?
207名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:11
 「武士道」ということをいろいろ考えていて、それを含んだ「道」ということに思い至りました。日本には「武道」というのがありますよね。そして、最近それに変わるというか無理に変えさせられようとしているようにも見える「スポーツ」というのがあります。僕も詳しいことはわからないのですが、日本にはたぶん「スポーツ」という概念はなかったような気がするのです。この「武道」と「スポーツ」、似ているようで、その根本的な発想がまったく違っているのではないでしょうか。

 これについては、以前からばくぜんと考えてはいたのですが、シュタイナーの「教育の基礎としての一般人間学」というのを読んでいて、はたと気づいたことがありました。

 引用です。

 「現代の人間が体操をすら、次第に意味のない、すなわち単に肉体に従属する活動にしてしまったのは、物質万能時代に付随する現象でありました。今日の人間がさらにこれを競技スポーツという形にまで押し進めようとしているのは、意味のない動きや肉体の側からのみ得られた無意味な運動に、私たちの身をゆだねさせるばかりでなく、その上にさらに、不条理、反道理を加えることを意味し、物質的な志向をするにとどまらず動物的な感じ方をする存在にまで人間を引き下そうという企てに呼応しているのであります。」(人智学出版社刊)

 シュタイナーは、肉体的な運動というのをもっと有意味的なものにするために、スポーツとは根本的な発想がまったく違うオイリュトミーというのを創りだしました。考えてみれば、これは「武道」の発想とかなり似ているのではないか、と思えます。ちなみに、シュタイナーは、肉体的な側面だけではなく、精神的なことにも、こうしたことを言及しています。

 引用です。

 「意味ある外的行為と無意味な外的行為との間に相違があるのと同様に、機械的に進行しているに過ぎない内的な思索・観照作業と、絶えず感情作用を伴った内的な思索・観照作業との間にも相違があるのです。」(同上)

 要するに、現代の単なる詰め込み教育のもつ危険性ということなのです。このことから考えると、詰め込み教育にスポーツという組合せの馬鹿馬鹿しさに気づかずにはいられないはずです。

 例の黒澤の「姿三四郎」を思いだしてしまうのですが、やはり「武道」というのは、決してスポーツのような、悪くすれば動物的になってしまうようなベクトルとしてのものではなく、もっと「精神」の「道」としての「行」ではないかと思うんです。姿三四郎でも、ボクシングのシーンがでてきますが、あのボクシングと柔道を比べてみたときに、その精神の違いは明かです。もちろん、あの映画でも、「柔術」として描かれていたのは、「道」ではなく、かなり動物的なベクトルをもった退行的なものでしたが。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:29
http://ww3.tiki.ne.jp/~noririn/daily/enedit21.html

これも武道の解説としては分かりやすい
209名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:37
武道についてですが、高度な精神性が求められるようになったのはやはり「禅」の影響ではないでしょうか。ただ、多くの場合は武道は武術に過ぎませんし、茶道は「茶の湯」にしか過ぎません。禅にみられるような本来の自由の境地にたどりついたものだけが「道」と呼ばれるのにふさわしいように思えます。

 ただ、武術を武道とし、茶の湯を茶道としていくような高度な精神的営為というのは確かにあって、こうした理想の境地に僕は注目してみたいなと思っているわけです。

 この「道」ということについては、以前からずっと注目していて一度はちゃんとそのコンセプトを整理してみたいとは思っているのですが、なにしろ、老子も「道の道(い)うべきは常なる道にあらず」というように言葉で説明できるような道は本当の道ではないというのは真実だというのもあって方便の方便とでもいうべき程のものでもなかなかまとめることもままなりません。

 今は少しずつこの「道」の考え方について、たとえば、寺田通さんの「道の思想」(創文社)などに沿って考えているところです。その中でこの日本の「道」の寄ってきたるところについて簡単に概略を示しているところがありますので、紹介しておくことにしましょう。

 「まずはじめには、ごく自然に口から出、筆端に流れ出たはっきり意味の限定されていない『道(みち)』という言葉があった。それよりかならずしもあとではないが、明瞭な意味内容を持つ分類名称として『道(だう)』の語があった。今昔物語のいう『明法道(ミャウボウダウ)』や『兵ノ道(ツハモノノダウ)』がそれで、これらに抹香臭さはないが、これが仏教にいう六道を通過界域でなく到達界域と静止的固定的に、日本的に考えたときその『道』と重なりあうことは疑いえない。ついで『道(だう)』とみずから名告げることはしなかったが、そう呼ぶのにふさわしい修行の純一の要請される、ひたすら向上をのぞむ中世の『道』が来た。これはその必至の帰結であるかのように師弟関係を招きよせ、この関係によって強化され、従って外形化され、中世末から近世中葉にかけて目立つところの『道』となって、地歩お固める。

 こういう経過を通じて、多岐多端な『道』ではあるが、その名が無理なくあてはめられる技藝を何かと言えば、それは個人が、その身体を、素材とし手段として、すなわち、はたらかせて全的に参与する技藝だと確信できそうに思われる。

 とはいっても大切なのは要約ではない。実例の中で自己の鋭便と自由を獲得することである。」
210名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:39
武道というテーマを考えながら、本屋さんをのぞいていたら、かの有名なヘリゲルの「日本の弓術」(岩波文庫)が目に止まりました。分量も少ないのですぐ読んでしまったのですが、やはり名著(というより、名述か)だけあって、なかなか含蓄の深いものでした。この「日本の弓術「というのは、ヘリゲルが来日した際、阿波研三氏について5年間学び、故国ドイツに帰り、行なった講演で、エックハルトに代表されるドイツ神秘主義と日本の禅などとの関連を示唆しながら、弓道の本質に迫ろうとしている著者の精神が伝わってくるようです。

 この本を読んで昔のことを思いだしていたのですが、実は僕の兄は高校生のころ、弓道部に入っていて、そういえば、弓道というのは、的に矢を当てるのが目的ではない。的に当てようとする心が道を妨げる・・・なんて、兄が聞きかじったことを得意げに話していたことを思い出しました。そのわりには、兄は単純理系的科学主義的思考に染まっているようですが(^^;)。

 それはともかく、この講演録の要と思われる部分を引用します。

 「弓を引く前には、まず初めの儀式が行なわれる。それはきまった歩数だけ進んで、射手が次第に的と相対する位置に来るのであるが、途中で立ち止まっては深く呼吸をする。それから射手が弓を引く構えをすれば、その時すでに、完全な沈思に成功する程度まで精神が統一されている。一旦弓を引き絞れば、沈思の状態は決定的となり、引き絞っていればいるほど沈思は深められ、その後の一切は意識の彼方で行なわれる。射手は、矢が放たれた瞬間に初めて、ふたたび、しかも漸次にではなく不意に、我に復る。忽然として、見なれた周囲が、世界が、ふたたびそこに在る。自分が抜け出していた世界へ、ふたたび投げ返された自分を見る。自分のからだを貫き、飛んで行く矢の中に移ってはたらきつづけるある力によって、投げ返されたのである。このようにして射手にとっては、無と有とは、内面的にはどんなに異なっていても、きわめて緊密に結びつけられるのみならず、両者はたがいに頼りあっている。有から無に入る道は、かならず有に復って来る。それは射手が復ろうとするからではなく、投げ返されるからである。」

 弓術(この講演録では、弓道ではなくそういう表現がされてるが、意味はスポーツとしての弓ではなく、「道」としての弓です)というのは、この講演録の他の場所でも述べられているように、禅僧が行なっている「神秘的な沈思法」と同一の境地を目ざしでいるようです。

 「実際に、無と有との間には、あるいは理解をいっそう容易にするため構わず言ってしまうならば、神性と現世の生活との間には、完全な忘我と明瞭な自己意識との間と同一の、断ちがたい関係がある。非有の中の有の経験が自己の経験となるのは、無我の境に移された者が自己存在の中へ、死者が生成の中へ幾度でも投げ返され、そのようにして、自己の存在の軌道を越えたはるか彼方にまで意義を有するものを、自己自身について経験する、ということによるしかない。」
211名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:40

 「非有の有」という神秘的な境地というか経験としての弓術というのが述べられているわけですが、こうした弓術の精神を明かにしようとした試みは、「神秘説のもっとも内面的な本質を射中でようとする一つの試み」でもあって、シュタイナーの思想へとつながっていくマイスター・エックハルトなどのドイツ神秘主義などについて禅などとの関連でよりよく理解するためにも、こうした武道についての認識を深めることは、かなり意味深いことのような気がします。

 ドイツ神秘主義といえば、ちょうど岩波文庫でエックハルトの遺産を受け継いだ、ドイツ・バロック時代を代表する神秘主義的宗教詩人のシレジウスの「シレジウス瞑想詩集」(上・下)が刊行されたところです。

 このシレジウスをはじめ、エックハルトやベーメ、パラケルススなどについてのシュタイナーの著作、「神秘主義と現代の世界観」(白馬書房)があります。それから、エックハルトについても、これも岩波文庫で、「エックハルト説教集」というのがでてますので、興味のある方はぜひどうぞ。

 さてさて、話を戻して、ヘリゲルですが、この講演の中で、日本の武士道精神について述べたところがありますので、最後にその箇所を引用しておきます。「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」につながる見解をみせていて、なかなか興味深いところです。

 「仏教ならびにすべて真の術の錬磨が要求する沈思とは、単純に言うならば、現世及び自己から決別ができ、無に帰し、しかもそのためかえって無限に充されることを意味する。これが幾度も修練され、実際に経験されるならば、そして決定的に理解された思想としてではなく、意識的持ち出された決意としてでもなく、意識的に持ち出された決意としてでもなく、非有の中の現実の有として生きられるならば、これは死をも、これは死をも、また意識しながら死んで行くことをも、沈思そのものに対するように少しも恐れないあの自若とした落ち着きを生み出す。じじつ、人間の生存がただ数瞬にして取り消されるものにせよ、あるいは持続するものにせよ、いずれにしてもそれは、非有の中の有の実現に移されることに変わりはない。

 同時に、ここにかの武士道精神の根本がある。日本人がこの精神を己にもっとも特有なものとするのは当然と言ってもいい。そのもっとも純粋な象徴はS朝日の中に散る桜の花びらである。このように寂然として内心揺らぎもせずに生から己を解き放つことができるというそのことこそ、終わりが初めに流れ入る生存の、唯一ではないが究極の意義を示し、かつ開示する。」

 武士道、禅、ドイツ神秘主義、シュタイナーを貫いて流れる共通した「精神」について理解を深めていきたいものです。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:40
「禅」と「ヨーロッパ神秘主義」との比較に関連したことについては、以前、オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」若干紹介したことがありますが、同著者による「禅の道」(講談社学術文庫)という著書があって、そのなかでかなり興味深いことが述べられていますのでそれを紹介してみたいと思います。

 実は、ここ数カ月、ある地方誌にビジネスマン向けの精神性をテーマにした小文を連載していまして、来月のテーマが「禅」ということでもありますので、それにかこつけた「お勉強」なわけであります。いつか書き込みする余裕がないときにでも、余興のひとつとしてこの会議室にでもUPできればと考えています。ちなみに、その今までのテーマは「仏教」「孔子」「武士道」「神道」でした。

 さてさて、肝心のヘリゲルの「禅の道」。ここには、ヨーロッパ神秘主義と対比された禅の独自性についての興味深いヴィジョンが提示されています。

禅においては、ヨーロッパ神秘主義の場合とは異なり、<人間>が中心的な位置を占めることは断じてない。それに反して、ヨーロッパの神秘主義においては、恍惚とした至福をもたらす<神秘的合一>(unio mystica)は、人間に約束された特典と見なされている。あらゆる存在者の中でも、人間が、人間のみが、その資格を有しているのだ。神秘的合一を達成することによって、人間は、世界内存在という境位を脱却するのである。そのように脱却すること、自己を忘じ、ついでその自己を再発見すること、死してのち再生することが、<脱−自>(Ex-tasis)と呼ばれる。その時、人間が再発見するのは、根本的に譲ることのできない自己(Selbst)という自らの本来的な中心である。つまり自己は、<合一>(unio)において止揚されるにもかかわらず、やはり依然として保持されているのである。神(Gott)において、もしくは<合一>を触発するものや触発する場をヨーロッパ神秘主義が名づけて呼んだ神性(Gottheit)においては自己は、究極的には滅却されることなく、救済され、恩寵に与り、証されるのである。二元では合一はもたらされないが故に、単に一時的に脱自が求められるにすぎない。すなわち神は、自らの独立独行の能力を究極至極の犠牲として捧げ、もはや抵抗しない魂の中にのみ生まれ給うからである。神の誕生が成就されたあかつきには、魂は、神によって全権を賦与された中心として、あたかも自転する車のごとく、自立自存の生活をおくるのである。

 それに反して、<禅>においては----自覚的か否かは別にして----人間存在そのものが脱自的(ekstatisch)、離心的(exzentrisch)である。人間が、自らを自己(Selbst)として感得し、自己を高めて、実際には決して到達できないにもかかわらず、可能な限り完全に近づけようと努めれば努めるほど、<存在>(Sein)の中心は−−−−もはや----人間自体の中心ではなくなり、人間は決定的に、その中心から踏み出してしまい、ますます掛け離れて行くのである。(中略)禅においては、<合一>(unio)は、帰郷を、今は失われている根源的状態の回復を、意味する。そのため、人間が、動植物や他の一切の存在者と同じように存在の中心を拠り所として生きていけるようになるためには、自らの離心的(exzentrisch)なものを一切否認する道を取らなければならない。

  こうした比較を安易にその他のあり方に比較することは慎まなければならないとしても、こうした両者の比較というのはさまざまなことを考えさせられるのに十分です。

 シュタイナーの方法論は、あくまでも「思考」ということが核にあります。もちろん、その「思考」はアストラル的なものに引きずられた類のものではなくあくまでも「純粋経験」としての「思考」であって、自分ということを離れた高次の認識形態なわけですが、その「思考」によって獲得される高次の認識のプロセスはどこまでも「人間的」なあり方をとどめるものです。そして、その認識獲得の人間的なプロセスに意味を見いだしているようです。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:41

 シュタイナーはアトランティス後の時代を、いくつかの文化期にわけて、現代までのそれぞれを蟹座、双子座、牡牛座、牡羊座、魚座の時代とし、さらに今後水瓶座に時代が到来することになるといいます。

 「蟹座の時代の人間は、世界を幻と見た。双子座の時代の人間は世界を実在するものとして見たが、世界は人間に対峙するものだった。牡羊座の時代の人間は、世界の中に神的な法則を見いだした。牡羊座の時代の人間は、自然界に人間精神の刻印を押した。そして、魚座の時代の人間は、自然の法則を物質に刻印している。つまり、自然界の法則を研究し、その法則を利用して、物質に手を加えているのである。(中略)魚座の時代の文化の特徴は、人間個人の精神を尊重するものであり、そこでは、自然の関係に基づいた愛ではなく、魂と魂の関係が大切なものになってくる。(中略)

今日では、人間の精神力が物質的な欲求を満足させるために使用されている。そのようなあり方を克服して、東方の霊性と西方の知性並びに個体主義とを結合することによって、つぎの時代が準備されていく。」(西川隆範:シュタイナーの宇宙進化論/P133〜134)

 シュタイナーは基本的には西洋的な知性及び個体主義をベースにした認識を高めながら、ヨーロッパ的な神秘主義を克服しようとしていましたが、晩年には、東方的な霊性としてのイントゥイション認識やそうした認識と深く関係する日本精神というか日本的霊性に注目していたようです。ですから、西洋的な「自我」をベースとしながらも、それによる認識を高めながらしかも東方的な霊性ともクロスできるような認識のあり方というのはますます大切なものとなっていくような気がします。

 日本的霊性であるとそのままいうことはできませんが、先の「禅の道」では禅仏教者の認識のあり方についてこう表現されています。「思弁によって目を曇らされることのない禅仏教者にとっては、神秘主義本来のものは、数多、相対、差別を超越しているばかりでなく、単一性と数多性、同一と差異、絶対と相対という対立項すら超越しているのだ。」(P185)

 こうした、西洋的な「知」のあり方のプロセスを通らずそのまま高次の認識を体得しているようなあり方に、近代的な「自我」のプロセスを経て到達するという、人間から神へと向かう秘儀に、僕は限りない魅力を感じています。もちろん、どちらのあり方も、「正しい認識」をめざすという意味では同じであるといえばいえますが、これはそれぞれの魂の傾向性が指向するものなのかもしれませんね。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:53
国時代が終わり、江戸期に入ると世の中は一変した。

戦国期には切磋琢磨して殺しの技術に磨きをかけてきた日本武術であったが、

平和な世の中になると、強いだけでは存在理由にならない。

各流派は自派の技術に対する理論的裏付けと学問的権威を求めるようになった。

徳川幕府も武断政治から文治政治へと方針転換し、

学問を奨励し、朱子学等様々な学問が中国から輸入されるようになった。

明からは黄檗宗という極めて中国趣味な禅宗派も渡来した。

このような中で、いち早く対応したのが、徳川将軍家指南役の座を得た

柳生新陰流であり、剣理に禅思想を取り入れ 「剣禅一如」を唱え、

その後の武道理論家としての権威を確立した。

一方、同じく将軍家指南役の座にあった小野派一刀流の方は

昔ながらの剛直な剣術一筋に固持したため、実力では新陰流より上といわれながら、

人気の点で新陰流に差をつけられその後 衰退してしまった。

日本武術は 武道へと指向、変貌してゆくのである。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:53
ここは長文コピペで荒らすスレか?
216名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 07:01
>>195-200
http://www.asahi-net.or.jp/~yp7h-td/nihonbudoshiichiryukaiso.htm
ネットでしか調べられないのかい?
217名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 10:25
>>216
別になんだっていいだろ。
それより>>202 は読んだのかよ。
力士でもないのに相撲やってんじゃん。
あんたの論文嘘八だったってことか?
218216:2001/07/21(土) 19:56
>217
俺はお前の論争相手じゃねえよ(藁
ネットの検索だけで裏も取ってないコピペ貼り付けて
いい気になってんなってことだよ。
モノ書きでも学者でもないから限界だってか?
219名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 20:15
>>218
同意。217はこのスレの1と思われるが、どこで拾ってきたのかも分からない文章をコピーして
その内容も確かめずに、それ一つだけを根拠として取り上げて、
>あんたの論文嘘八だったってことか?
と言い切り、ツッコまれれば
>そんなことまで知るか。
>俺は学者でも物書きでもねえよ。
と開き直るその態度は、一武道家としてはふさわしくない態度かと思われ。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 22:54
なんじゃそりゃ。
こういうのもあるで、って紹介してるだけだろ。
人を罵倒するよりかは、よっぽど有益なことだと思うが。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 22:57
┌───────────────
│おぬし、頭に血がのぼっているぞ。
│禅でも組んで気を静められい
└──v────────────

    ∧ ∧
    ( ゚Д゚)  ξ
    <  y 7っ-
    ( /つ)[o]
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                
222名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 04:43
>220=1
なんか基礎力のないオタが
ちゃんと調べ物している人に対して「こういうの知ってますかー?」
つって議論してる気になっているように見える。
借り物の意見と出所不明の資料は無益だよ。オマエ自身の責任で反論しろよ。
無意味な資料を紹介してどうしようってんだ?
223名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 05:15
だったら黙ってろ。
いちいちおまえに聞いてるわけじゃねえよ。
224ザビエル:2001/07/22(日) 05:17
オコッチャイケナイ オコッチャイケナイ
ココロハイツデモ ピンアンショダン
225223:2001/07/22(日) 05:47
俺は怒ってねえよ。
頭に血がのぼってるのは物書きさんのほう。
ま、もっとも苦心の論文を否定される気持ちもわからんでもないが、
間違いは指摘しとかないとね。
226名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 06:36
相撲は民間でも行われていました。

 一、明治帝が相撲をとっていた
 一、江戸期から伝わる村の奉納相撲が各地にある
★一、辻相撲の禁止はたびたび出されている。→ようするに、守られていないってこと。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 07:19
えらい人気ですな

1703(元禄16)年07月--日:辻相撲、辻踊りを禁止する旨の達示あり
1707(宝永04)年07月--日:辻相撲、踊りなど禁止する旨の達示あり
1719(享保04)年07月28日:町中での相撲(辻相撲)や踊りの禁を犯す者多く、厳罰に処する旨の布令あり。
1720(享保05)年06月01日:辻相撲、踊りを再び禁止するという達示あり
1807(文化04)年09月15日:神田明神祭礼、御雇祭も三河町より子供相撲をだす
1863(文久03)年-夏---日:子供相撲が盛んになる
1866(慶応02)年02月--日:江戸、日本橋茅場町薬師境内で花相撲あり、人気を博す
22819=24:2001/07/22(日) 08:11
なんだか色々とコピペされてますね(w
これはどこから拾ってきたのですか?面白いです。
前後の文脈もこみで読んでみたいものがいくつかあります。

>>225
あのー、私は、別に頭に血がのぼっていませんけど。
別の人とカン違いしてますね?
>>202についてですが
ソースはなんでしょうか?
この「角力」とは=大相撲スタイルの競技ということなのでしょうか?
幼少から学んだ、と書かれていますが、
これは師匠がいるということでしょうか?
それは誰なのか、吉田故実体制の傘下の土俵免許の内なのか、外なのか、
会津藩独自のスタイルの角力、あるいは武芸の角力なのかどうか、非常に興味深いです。
これらがハッキリするまで私の論文が否定された、と私が受け取ることはできません。
反証はしっかした裏づけがなければナンセンスであり、反証となり得ません。
あなたもどこかで見つけてきた文章を紹介しただけで、私の論文を否定したつもりではないのですよね?

それから>>226についてですが、
もう一度私の書きこみを読み返していただきたいと思います。
まず、大相撲と同じスタイルを取った奉納相撲は故実体制傘下の土俵免許を得た相撲で、
大相撲のマイナーリーグであり、実質これを民間のものとは認められません。
また、大相撲と違ったスタイルの近世以降の奉納相撲は、格闘技としての性質を持っていません。
これは神道さん(便宜上こう呼ばせていただきます)が相撲=武芸という主張の根拠には結びつきませんね。
あと、辻相撲が全面禁止されていたのは幕府の方針が許可統制になる前の話ですね。
以降は、吉田故実体制の傘下、土俵免許を買うことで合法的に相撲を取るようになり
基本的には守られていたということになります。
こういうのも民間で行われていた、というのであれば、民間と認めてもいいですが、
なんだか言葉遊びですね。
この点にこだわるのは>>73に始まることだと思うのですが、
要するに日常の鍛錬・武芸として相撲が行われていたのか、
それとも祭りのイベントとしてゲームとして行われていたのか、
この点につきると思います。
私は後者であると考えています。理由は散々述べてきましたが
加えて>>129さんの指摘を支持します。
明治天皇の相撲についてはご自分で決定的ではないとおっしゃっていたのでは?

再び>>202ですが、
仮にもし、中世以前の土俵のない角力のスタイルが武芸として近代まで残っていたのなら、
それはここで述べつづけた私の、大相撲=芸能とは別の次元の話です。
それは私がここで相撲と呼んでいるものとは別のものです。
大きく格闘技というジャンルを相撲(角力)と呼んでいた時代のものが
民間に伝えられていたという発見になります。
ただし、それが神道が関係していたかどうかはまた別の証拠が必要ですけどね。

さて、相撲=武芸にまだこだわる神道さんですが
それを立証したとして、では相撲が武道なのか?という疑問は残ります。
ひいては
>>201でも述べたように、
武道と武術の差異、それが禅のスピリチュアリティーであるという指摘、
武道精神とは禅であるという私の主張に対する
あなたの意見をお聞かせください。
>>205さん>>214さんの言うように
武道の概念は禅ありきです。
あなたが、「武道」の概念を捻じ曲げた近代以降の言説を支持する立場だということは
これまでのレスでわかりますが、いいかげん認めてもいいのではないでしょうか?
22919=24:2001/07/22(日) 08:15
>1703(元禄16)年07月--日:辻相撲、辻踊りを禁止する旨の達示あり
>1707(宝永04)年07月--日:辻相撲、踊りなど禁止する旨の達示あり
>1719(享保04)年07月28日:町中での相撲(辻相撲)や踊りの禁を犯す者多く、厳罰に処する旨の布令あり。
>1720(享保05)年06月01日:辻相撲、踊りを再び禁止するという達示あり

禁止時代。

>1807(文化04)年09月15日:神田明神祭礼、御雇祭も三河町より子供相撲をだす
>1863(文久03)年-夏---日:子供相撲が盛んになる
>1866(慶応02)年02月--日:江戸、日本橋茅場町薬師境内で花相撲あり、人気を博す

許可統制時代。すべて吉田故実体制傘下。土俵免許を得た合法の相撲。
>>50-52参考のこと。
23019=24:2001/07/22(日) 08:38
>>208
面白い。こういう視点であるならば
相撲=プロレス=禅=武道
と繋げることができますね(w
うがった見方をすれば
国策による相撲=武道論の本質を笑うかのような視点として評価できます。
231名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 08:51
>>229
とにかく民間で行われていますね。
23219=24:2001/07/22(日) 08:53
>>231
言葉遊びですね。
そこからどのように議論がつながるのでしょうか?
233名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 08:54
>>228

>あのー、私は、別に頭に血がのぼっていませんけど。
>別の人とカン違いしてますね?

そうであることを祈ります
234名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 08:56
>>232
いえ、ただ単に民間においても盛んに相撲が
行われていたという事実を指摘しただけです。
それ以上の意図はありません。
23519=24:2001/07/22(日) 08:57
私は相撲が「武芸として行われていたかどうか」という点でしか論じていないので
民間云々に関しては>>80で述べているような意味合いで確認をしていたつもりですが
このことは何か重要なのでしょうか?
特に間違ったことは何も書いていませんが?
私の述べた個所で誤りがあれば具体的に指摘してください。できれば引用で。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 09:05
>>228
>ひいては
>>201でも述べたように、
>武道と武術の差異、それが禅のスピリチュアリティーであるという指摘、
>武道精神とは禅であるという私の主張に対する
>あなたの意見をお聞かせください。
>>205さん>>214さんの言うように
>武道の概念は禅ありきです。
>あなたが、「武道」の概念を捻じ曲げた近代以降の言説を支持する立場だということは
>これまでのレスでわかりますが、いいかげん認めてもいいのではないでしょうか?

何度も言っていますが、私は禅が武道の重要な形成要素であることを
まったく否定していません。
ただ、あなたが武道と神道は明治時代に意図的に結び付けられたという
ので、いや、そうではなく武道と神道の関係は明治以前にもありますよ
と事実を指摘しているだけです。
23719=24:2001/07/22(日) 09:05
神道さん。
たまには私の>>228のような指摘や疑問、確認にもレスをくださいよ。
23819=24:2001/07/22(日) 09:06
>>236

武道と神道の関係
ではなく
武芸(あるいは武術)と神道の関係
の間違いですよね?
23919=24:2001/07/22(日) 09:08
相撲=武道はどうなんですか?
相撲に禅の要素が見られますか?
240名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 09:11
>>238
まあ、つっこまれるかと思ったが面倒だったので。
いや、その通りです。
24119=24:2001/07/22(日) 09:11
禅のスピリチュアリティーと
神道のスピリチュアリティーは同居できるのもんでしょうか?
これが一番の疑問です。
あなたの答がイエスであるなら、もう何も言うことはありません。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 09:18
>>239
実際、相撲=武道の確たる証明は難しいですね。
ただ、>>193にも書いたように相当荒っぽい(武)芸事
だったのは事実のようです。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 09:20
>>241

イエスです。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/22(日) 09:36
また、原典を出せとか言われると困るのですが、
気にいらんかったら聞き逃してくださいや。

元禄期の力士鏡山右沖衛門は関口流柔術を学び
関口流にあった四の取口と「小よく大を制す」
の手を加え、独特の相撲を創生した。
これが紀州流相撲で現今の相撲の原形にも
なっている。
相撲の武芸的要素の原形のひとつでもある。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/23(月) 14:52
吾妻鏡からです。

−−−
 建久二年
   三月小
三日、辛亥、鶴丘宮の法会、童舞十人箱根の垂髪、有り、又臨時祭、馬長(あげうま)十騎、流鏑馬十六騎、相撲十六番、幕下御参宮…(巻十一)
 建永元年
   六月小
二十一日、辛未、御所の南庭に於て相撲を覧る、相州、大官令等候せらる、南面の御簾を上ぐ、其後各庭の中央に進みて、勝負を決す、朝光之を奉行す、向後相撲の事を奉行す可き由と云々
 一番  三浦高井太郎   三毛大蔵三郎鎮西の住人
 二番  持波多野五郎義景   大野藤八
 三番  広瀬四郎助広相州の侍   石井次郎義盛の近臣の侍、
禄物有り、兼ねて廊根の妻戸の間に置かる、羽、色革、砂金等之を積む、事終りて後、左右に之を賜はる、勝負を論ぜず、悉く以て之を下さる、負方逐電すと雖も、之を召し返さると云々、(巻十八)


この頃は武芸である流鏑馬などと一緒に行われたり、
武士自身が相撲をとっているのがわかりますね。
24619=24:2001/07/23(月) 19:55
相撲のことで分かることならば
できるだけ答えましょう。

>>245
これを持ち出していまさら確認することもないと思いますが
すでに>>192で述べているのが私の立場です。
吾妻鏡で相撲と記されているのは、
>原義である「格闘そのもの」である相撲の中世以前の相撲
であり、武士が鍛錬としての武芸として低く見ていた近世以降の相撲とは
別のものを指しています。

また、>>244の鏡山右沖衛門ですが、この人物は現在まで伝えられている
両手を下ろす仕切りのルールを発明したと言われています。
それまでの相撲の立ち合いは、立ったままで試合を開始していたため
「立ち合い」と言われ、鏡山右沖衛門以降のものは「うずくまり合い」と呼ぶほうがふさわしいとも言えます。
この仕切りは、普通ならローカルな流儀として終わるところ、
鏡山右沖衛門を抱えていた紀州藩の徳川吉宗が八代将軍になったのをきっかけに
この紀州流が江戸に移りさらに全国に広がったものです。
このルールの導入により、はたき込み、けた繰り、肩透かしなどの変化技が有効となり、
自分も相手も持てる力をまだ十分に発揮しないうちに済んでしまう勝負が現れました(ある意味では武術的ですね)。
しかし、観るスポーツとしてはこれほど感興をそぐ技はなく、大成を将来に期す力士の取るべき手ではない、
という価値観が生まれました。強い力士ならこれをせずに勝って見せろ、というところでしょう。
>関口流にあった四の取口と「小よく大を制す」
>の手を加え、独特の相撲を創生した。
関口流の四の取り口というのが何なのかは私は知りませんが
この仕切りに関連した技法であることは想像に難くありません。
先に述べた変化技がそれではないでしょうか。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 11:10
>>246
>武士が鍛錬としての武芸として低く見ていた近世以降の相撲

あれ?武士が鍛錬として行っていたことも
武芸として認知されていたことも認めちゃったみたいですね。

では、参考までに

建長 6年(1254)閏 5月 1日、執権北条時頼が『近年、相撲などの武芸が廃れ』ていると慨歎し、武士を引っ張り出して相撲大会を催した
248名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 15:40
ちなみに源平盛衰記には『相撲四十八手』の言葉が
既に出ているようです。
いま私達の知っている相撲とかつての相撲がまったく
別のものでなくなんらかのつながりを持っている
たしかな証拠ですね。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 19:12
これだ!


源平盛衰記巻廿一小坪の戦の条

ここに武蔵国住人、綴党の大将に太郎、次郎とて二人あり。
ともに大力なりけるが、太郎は八十人が力あり、東国
無双の相撲の上手、四十八手の取手に暗からずと聞こゆ
250名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 19:20
247〜249 貴方はエライ!
251名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 20:21

       ∧ ∧
       ( ゚Д゚)
            ||
 .       ┃
    q∧ ∧. ┃
    ("゚∀゚) ┃ウチトッタリ!
    .(っ||y||ρ
   ,ソノヽゞ,ヽ、
252名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 00:45
>>247

× >武士が鍛錬としての武芸として低く見ていた近世以降の相撲
○  武士が自身で行う鍛錬としての武芸より低く見ていた近世以降の相撲(という見るスポーツ)

ですね。私が一貫した主張をしていた上に>>192のリンクまで張っていておきながらコレでは
文脈から変だと思われたでしょう(w
指摘ありがとうございます。

もちろん神道さんは近代と中世の違いは説明するまでもないのでしょうけど
江戸時代からが近世ですね。
鎌倉時代はもちろん中世です。
よって、

鎌倉時代に「相撲」と呼ばれたものは、
土俵も仕切りもなく、のちにあらゆる組討武術(柔・柔術、拳法など)へと名を変えたものも含む
「格闘というジャンル全てを総称するもの」を指す、

という私の主張は変わりません。
現代に伝わる相撲との技術的なつながりはあったとしても、
ルール整備をされた別のものであることには違いありません。
ルールが違えばスタイルや技術が変わることも理解されていますよね?
253名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 00:45
>>248-249
おお、すごい。
お見事です。
と、誉めてあげたいのですけど、残念ながら、本当に残念です。

この相撲四十八手という言葉が歴史上、最初に現れるのは
たしかに源平盛衰記です。
この内容が現在の四十八手と同じものかどうか、ということは残念ながらわかりません。

具体的に四十八手にどのような技があるのかがハッキリしたのは
江戸時代になってからです。
これは江戸時代に興行として成熟した相撲が、観客を意識し、
「寄りきりで○○山の勝ち!」
と解説をするために後から作られたといわれる四十八手ですね。
しかし、実際には当時から相撲の決まり手は48種類以上あります。
現在でも相撲協会が認めている決まり手は70種。
それに勇み足と腰砕けを加えて72種としています。
ここまでくるのに、一説には150とも300以上とも言われた似たような技を統廃合し
現在のようにまとめたのです。
奈良時代の元祖行司・志賀清林が四十八手の基礎を創案した、とも言われていますが
これも例の吉田故実なので、全くと言っていいほど信頼性がありません。

つまり、奈良時代から鎌倉時代、近世以降の、全ての「相撲」と呼ばれたものにおいて、
実際に決まり手が四十八手だったとする証拠は一つもないということですね。

さて、ここで本題。
日本におけるこの48という数字は、
基本的には阿弥陀の四十八願から出ているものといわれています。
これに合わせて「いろは48文字」が定まったとされています。
つまりこの48という数字は「数が多い」という意味であり、
>>249の「相撲四十八手」というのは
>太郎は八十人が力あり、東国無双の相撲の上手、
という大げさに力持ちであることを訴えている文脈から読み取ると、
>四十八手の取手に暗からずと聞こゆ
は、「多彩な技に通じている」というていど解釈するの正しいでしょう。

結論しては、まず「四十八手」と言う言葉が先にあり、
後から(江戸時代になってから)代表的な技を48個数え上げたと考えるのが
現在の常識的な判断です。

ちなみに四十八手は解説が載っている本によって多少の差異があり、
また、協会認定の72手もマニアに言わせると87あるそうです。

それから、もう一つ。
私が中世以前の相撲と近世以降の相撲に断絶がある、
と主張する主な理由は、
近世の吉田故実体制支配以降から「神道的装飾」に彩られた現在の大相撲と、
相撲節の関係の薄さを指摘するためであり
(まあ、そもそも七夕以外で相撲が行われるようになった時点で神道との関係は薄くなったと言えますね)、
技法的にどう繋がりがあったのか、といった事に関しては
それほど執着していません。
というのは、現実にこればかりは確かめようがないからなんですね。
また、もちろん私自身は技法的な繋がりはあると思いますし、柔術と相互にフィードバックしあっていた
であろうということは認めますが、
だからといって、近世以降の武士が他の武芸十八般と同等に扱っていた、という立場はとりません。

>>250-251
ごめんね(w
254名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 00:59
>>247 は?
255名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 01:03
>>254

>>252に書いたとおり
256書き忘れ:2001/07/25(水) 01:07
252
253
255
は19=24でした。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 01:28
言葉遊びですね
25819=24:2001/07/25(水) 01:44
ちょっと思ったんですけど、神道さんはあまり私のレスを読んでくれてないのでしょうか?
同じことを何度も繰り返し書くのはシンドイですよ。

相撲の歴史について何か異論がありそうなのはわかるのですが
何かご自分の一貫した主張を訴える、というより、
ただ私に対して反発して、
私の主張のどこかに矛盾や誤りがないか探そうとしているだけでは?という印象が拭えません。
愚かなフリをして何度も同じことを訊くのは刑事の尋問テクニックを真似ているのでしょうか?
それともレスをちゃんと読んでいないだけなのでしょうか?

何かの文献らしきものを拾ってきて、それを根拠に「どうだ!」
とやるのは
よく言えば「大胆な仮説」悪く言えば「迂闊な愚問」。
源平盛衰記を見つけたのは正直「おお、がんばったなあ」と思いましたが、
もう少し慎重に調べて考えてから扱った方が、
もっと良かったと思いますよ。
それとも私が答えられるか試しているのですか?(w
259名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 02:47
藁た
260名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 03:11
大藁い
晒しage

>>247-258
261名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 03:29
>>251
三日天下ってこのことか・・・。物悲しい・・・。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 10:14
大得意で勝ったつもりだったのに
悲惨な結果だな。
>>247-251
晒しage
263名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 10:34
>258
>愚かなフリをして何度も同じことを訊くのは刑事の尋問テクニックを真似ているのでしょうか?

ワラタ
264刑事さん:2001/07/25(水) 11:16
正直に話したらカツ丼食わしてやるよ
265名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 12:51
>>263
コロンボかよ(藁

にしても、19=24が横綱相撲で1の一武道家をあしらって完全に軍配が上がっているな。
ぶつかり稽古よろしく「もういっちょう!」ってな感じで何度でもガムシャラに立ち向かう姿は
涙を誘う(笑い涙
しかもちっとも上達しないのな。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 12:54
また自画自賛してるよ。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 12:57
>>262
>>265
勇み足だ(ワラ
268名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 12:58
>>266
そうだね。>>250-251
しかみっともない。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 20:13
本当に、こういうのを勇み足っつーんだな(笑
一武道家くんは少し勉強しなさい。
神前に礼するだけが武道家じゃないよ。文武両道と言ってね(以下説教
270名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/26(木) 12:09
誰だくだらん煽りをしてるのは。
ひょっとして19=22?
271名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/28(土) 01:56
そういうゲスの勘ぐりをするのは
自分で自作自演やりすぎて他人もそうだと思い込んでいる一武道家か?
272名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/31(火) 07:59
大相撲でしたね。
読みご堪えありました。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 14:34
西洋スポーツの概念に毒されたものには
武道の本質は永遠にわからないことを
よく表しているスレだね。
274名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 14:34
現在伝承されている居合術は、今から四百三十余年前、乱世の時代に興った武術である。居合諸流派の多くは、林埼甚助重信をその始祖としている。林埼系以外に重信が学んだといわれている天真正伝香取神道流、鹿島新当流、また、立身三京を開祖とし江戸時代下総佐倉の堀田藩に伝承された立身流などがある。これらはいずれも剣術・槍術などの総合武術の中の一門として伝承されている。


林埼甚助重信は、出羽山形の楯岡に天文十年(1542年)に生まれたといわれている。父の仇討ちを祈願して現在の林埼居合神社(林埼明神)に参籠し、満願の日に神託をえて、後年林埼居合を完成したと伝えられている
275名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 14:39
日本では生活に密着する形で神社・仏閣があり、剣の道は侍の儒教や神道に培われた道義です。武道成就を神仏に祈るという行為があります。「常陸国鹿島・香取の社人共、明神の伝へとして流々をたて」、経津主命(フツヌシノミコト)と武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は神道の武神で香取、鹿島神宮の祭神です。
 約1450年「チョイサイ・イエナオ」という剣客が1000日間香取神道神社に祈願参籠し、神の指導のもとに形を作り、天真正伝香取神道流を創始しました。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 14:40
塚原卜伝という室町時代末期に傑出した剣客が、この香取神道流を学び、日本中に武者修をしました。鹿島地方の武術体系を立て、鹿島神社の武甕槌命(タケミカズチノミコト)という祭神から天啓をもらい、鹿島新當流を創始しました
277名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 14:41
夢想権之助はこの天真正伝香取神道流・鹿島神流を修め、初期江戸時代の宮本武蔵という剣客との試合がありました。夢想は棒で戦ったが、木刀よりこれが重苦しすぎたから、負けました。武蔵を負かせるようになるために武者修をし、宝満山と言う山にある竈門神社の太宰府の天満宮に37日間祈願参籠し、御神託を授け、棒より短い杖と杖術を編み出しました。
 神道夢想流秘伝によると
”天地開闢(かいびゃく)のとき、イザナギ、イザナミの尊が「天の矛」をもって大海原をかきまぜ、この大八卅(おおやしま)(日本国)を創られた。この「天の矛」こそが棒(杖)であり神国日本の武を代表するものである。”
278名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 14:42
[天真正伝香取神道流」は日本武道の源流とも言える。室町時代の武将、
飯篠長威斉家直を流祖として下総の国、香取に伝承する武道である。家直は
六十才にして香取大神に千日の大願をたて齋戒沐浴、兵法に励み百錬千鍛を
重ね粉骨の修業の後、香取大神より神書一巻を授けられたと伝へられている。
その後神道流の門人は香取の地に連綿として続き、昭和時代に講道館の嘉納
治五郎師範も講道館の中に古武道研究会を設立し、講道館の門人たちに神道
流の稽古をさせた。
  六百年の間、新陰流の上泉伊勢守、鹿島の塚原土佐守及び卜伝、そして
松本備前守、諸岡一羽斉など幾多の俊傑を輩出した。今千葉県と神奈川県に
伝承しているし、また海外にも門人がいる。
27919=24:2001/08/04(土) 15:10
問題は、「武道」という言葉を「武術」と同義に考えている人が多いってことじゃないんですか?
>>274-278は、武術と書くべきところをほとんど武道と書いてあるし。

私は「武道」と「武術」の差異がどこにあるか、ということを言ってたんだけど理解してもらえなかったのかな?
「武術」の起源と神道の関係はともかく、そういうものと「差別化」を図ったものが「武道精神」であり、
それが「武を禅の手段(道)とする」ということです。
武道の本質は禅と結びついたことにあり、武道の本質は禅。
時代が下ってどの武術も武道を名乗り始めたけど(例えば柔道・合気道)、それらが「武道の本質」を曲解し、
武道=武士道=陛下にお仕えする兵隊の道、という近代以降のナショナリズムとも結びつき、国策の武道論が喧伝され(>>151参照)、
その結果、一武道家さんのような、武道と武士道と国策の武道論を全部ごっちゃにした考えが
昔からあったように思い込んでいる人が出たんじゃないですか?

それと現在はスポーツマンシップともゴッチャになっていますね。
本当の意味で武道(禅の手段)としての精神を残しているのは弓道くらいじゃないでしょうか?
280名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 15:21
>>273それはつまり1=一武道家のことだな?
28119=24:2001/08/04(土) 15:23
>>280
煽るのはやめてください。
また自作自演呼ばわりされますから。
282280:2001/08/04(土) 15:37
あ、そういうことをいいたんじゃなかったのか。
読み間違えた。煽っているつもりじゃなかったです。
つーか、274から278はどこからのコピペなのかな。
なんか懲りてないよね。無意味な引用。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/04(土) 16:13
>>273 オマエガナ。
>>274-278 ダカラナンダ?の一言に尽きる。学習しないヤツだな。もう一丁ってか?
>>279 横綱、もうこのバカに胸貸すことないですよ!(藁
284一武道家:2001/08/04(土) 22:58
なんだ?まわりにとりまきがいるように見せないと
何も発言できないのか?
それとも本当に妙な煽り小僧が腰巾着のように
ぶらさがってるだけなのか?
いずれにしろ、そのジャイアンにとりいって弱い者
いじめをするスネオのようなやつはうざいね。

まあ、それはともかく、現在のあんたの主張に
ケチつけるつもりはないよ。
それはそれで正しいと思う。
あんたもかつてのような妄言を吐くこともなくなったしね。
その妄言を訂正してくれただけでも俺がからかわれながらも
主張を続けた意味があったというものだ。

(かつての妄言)
>神道と武道が結びついたのは明治維新以降。
>幕末まで神社や神主というものはなく、
>近代国家日本が天皇制確立のために
>にわかに寺と神社を分離し、「神道」なる新しい宗教を
>かつてからあったかのように喧伝したのである。

>その流れから、軍部と結びついた各武道流派が神道を取り入れ
>富国強兵の手段としての武道奨励に勤めた。

>よって神道と結びついた武道は、本来的な武道精神を失い
>軍部に擦り寄った単なる戦争道具としての洗脳装置と成り下がったのである。
28519=24:2001/08/05(日) 00:11
>>284
妄言じゃありませんよ。
あなたがそれに対して
「武道」と神道の関わりではなく
「武術」と神道との関わりを示すものばかり提示しても
それは反証にならないじゃないですか。
私はあくまでも
近代以降「武道」の本質が、国家神道との擦寄りによって曲解されている
ということを主張しているわけであり(>>151参照)
それは、「武道」と「武術」を混同しているあなたが
ようやく>>240で認めたのではないのですか?
そして、まだあなたが、本来の「武道」と「武術」の差異が分からないのなら
言うことはないと申しあげました。
あなたこそ武道の本質を曲解し、理解した気になっているだけの似非武道家ではないでしょうか?(言っちゃった)
286横山横彦:2001/08/05(日) 02:53
いっちゃいましたな(藁
287名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 03:11
それにしても一武道家くんは負けず嫌いですね(稿
遠吠えはコッケイだよーん。
288>一エセ武道家:2001/08/05(日) 03:29
>神道と武道が結びついたのは明治維新以降。
>幕末まで神社や神主というものはなく、

>????????????????????????????

>近代国家日本が天皇制確立のために
>にわかに寺と神社を分離し、「神道」なる新しい宗教を
>かつてからあったかのように喧伝したのである。

どうしてオマエの引用っていつも変なの?
ちょっと気になってログ読んだら、???のところに何か抜けてないか?
こうやって文章を切り刻んで引用したら(しかも中略とか入ってないし)
引用の意味がないんじゃねーか。それとも何か意図あってカットしたわけ?
姑息だねー。
妄言はオマエだっての。オマエ、まともな主張一つもしてないじゃねーか。
それからな、自分の敵が支持受けているという事実を受け入れるのが怖いからって
見苦しい発言すんなよ(藁
289名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 03:58
大変な努力家ですね一武道家さん。(努力・熱意ともに空回りだけど)
290名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 03:59
age
291名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:07
>>285
逝っちゃいましたねえ。いやあ、きっと怒るよお(w
292名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:11
俺としては怒り狂って
またみっともないことを言って欲しい。
一武道家としてね(藁
293名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:14
>292
楽しみだね、お互い(w
294名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:16
けっこうロムってる人いるなあ。
でも288みたいに煽り尻馬に乗るのは19=24氏にとって迷惑なんじゃないの?
295名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:17
そういうあんたは煽っていないの?(W
296名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:20
つーか、一武道家ってホントにレスをちゃんと読んでないな。
アレ、わざとじゃないとしたら本当のバカだよな。
普通だったら、グウのネも出ないくらいのレス内容だから絡みようがなくて黙っちゃうから
スレが沈んじゃうのに、懲りずに絡むってのは読解力がないってことなんじゃないの?
297名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:21
煽ってるよ(笑
298名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:22
バカなんだと思う>296
299名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:25
同意
300288:2001/08/05(日) 04:33
>>294
俺はこいつの姑息な引用のしかたとか無意味なコピペがムカツクんだよね。
ちょっと言ってやりたいことがあっただけ。
だってなんかムカつかない?
301名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:36
>300
むかつく(w
302288:2001/08/05(日) 04:41
>>296
はげしく同意。19=24さん何度も同じこと書いてんのに意味がわかんないのかな。
刑事の尋問かよってのにはワラタよ。
一武道家って工房くらいか?すげえ幼いもん。
303名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 04:45
歳ばっかりはわからんけど、バカなのは確かだろ。>一武道家
304一武道家:2001/08/05(日) 10:35
なーんじゃ、こりゃ?
えらい情熱家なのはあんただな。
ラテン系の情熱だね(w

>「武道」と神道の関わりではなく
>「武術」と神道との関わりを示すものばかり提示しても
>それは反証にならないじゃないですか

なんて逃げうたれてもなあ。
武術ないし武芸が武道になったんだから関係性は否定できないだろ。
それとも何?
武道ってのは武術だとか武芸とはまったく別に独自の進化をしてきたもの
なのか?
305一武道家:2001/08/05(日) 10:36
姑息なのはどっちだろな(藁
306214:2001/08/05(日) 14:09
また、バカがなんか言ってるし。
俺の書き込みも読んでくれや。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 14:34
>>279
>>285
>>304
武道と武術の違いか。
難しい問題かもしれないけどそれに気がつかない一武道家さんは
一武道家を名乗るのに問題ありなんじゃないんですか。
いまだに武術を名乗っているところもあるし、じゃあ、そこがなぜ武道を名乗っていないのか?から考えたらどうですか?
それから相手を自作自演と決め付けるあなたの態度は問題おおありです。
308307:2001/08/05(日) 14:43
>>306
読みましたよ>>214
なるほど。「剣禅一如」が武道の始まりということですか。
武道と武術の差異というのはやっぱり禅ということでしょう。
そういう意味ではやはり現在武道と呼べるものはないような気もします。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 15:14
>304
ぷぷ。また吠えてるよ。
味方が一人もいないとかわいそうだねーん。
武道と武術の違いがわかんないんだって?
310307:2001/08/05(日) 15:15
>19=24さん
>>279で言われているように、弓道以外が武道の本質を失っているとのことですが
もしそうだとすると、今現在、それ以外の武道と呼ばれているのものはなんなのでしょうか?
スポーツ武術とでも言えばいいのでしょうか?
柔道など、柔術という純然たる武術(殺人術)から突如明治期になって講道館柔道という流派を生み出しましたが、
しかし、それは武道の本質である禅の手段というより、西洋から流入したスポーツマンシップの思想の導入であったと思います。
合気道や剣道もそうでしょう。柔道の普及に触発され、術を道と単純に言い換えることが武術界で流行したためだと何かで読んだことがあります。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 15:20
素朴な疑問だけど
一武道家はなんの武道を何年くらいやっているの?
312名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 17:01
>>304
またバカが足掻いてるよ。
こういうふうに曲げてしかものを見られないだけなんだな。
武道ってのは武術から思想的に進化したものだろが、あほ。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 17:19
>>310

なんか鋭いこと言ってますね。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 20:37
>>310
じゃあ柔道って本当の意味で武道じゃないってこと?
315名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 20:40
>>309さん武道と武術の区別と連関を各々の本質から説明して戴けませんか。
自明のことのようですので。それと禅とはどのようなものとお考えですか?
わかったつもりにならないよう細野真弘のようにご説明お願い致します。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 20:45
>>273さんにも武道の本質を説明して戴きたいですね。
スポーツ観念に毒されている人は多いようですから。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 20:48
>細野真弘のようにご説明お願い致します。

だれ?
318名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 20:57
>>315
そういう書きようからするとアンタの方が分かっていそうじゃないの?
相手が間違っていると思ったら、人を試すようなことをするより、自分で間違いを正したり説明したら?
自分の感想もなしにわけのわからんコピペしたりするんじゃなくてね。
もし答えがわからないなら、試しても相手の答えが正しいがどうか分からないし、
聞くだけ無駄じゃないかね?
本当に分からないのなら「教えてください、お願いします」って言うべきではないかい?
319名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:00
>315
つか、ログ読みなおしたら?
320名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:03
>>318
「教えてください、お願いします」っ!!!
321名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:03
>>315-316
ログ読めって。
サツの尋問かよ。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:04
サツの尋問といえば
最後は大滝秀治が淡々と情に訴えるのが切り札だよね。
323名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:07
>>320

>武術に禅が結びついたものが武道です。
>武を修行する理由としてそれを動禅としたのが
>本来の「武道」です。そこに武術と武道の差異があります。
>そもそも「道場」とは何のことでしょう?
>これは「武道場」の略ではありません。
>釈迦が成道した菩提樹の下のことであり、仏教用語です。
>道場とは仏法の修行の場なのです。
>道場という言葉が武道の場で使われたのは
>本来の武道では、武が仏法の修行だと認識されていたからです。

だってさ。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:09
>>320

>>205-214

だってさ(w
325名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:14
>>323サンクス
>本来の武道では、武が仏法の修行だと認識されていたからです。
武とは何か、仏法とは何か、その関係とは、をもっと聞きたかったのよ
326名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:24
ところで、細野真弘って誰?
327名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/05(日) 21:37
気鋭の中国武術家か合気道家か?
328一武道家:2001/08/06(月) 00:34
あー?なんじゃこりゃ?
とりあえず自作自演でないとして
今回は19=24氏は登場してないようだな。
他の雑魚は相手にしねえよ。
さっさと逝ね。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 01:36
>>328
雑魚はオマエ。
武道と武術は別だっちゅーの。このエセ武道家。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 03:40
武道と武術はどっちが強いんですか?
331>一エセ武道家:2001/08/06(月) 03:51
>>328
痛いところつかれて反論のしようがなくて脂汗流して全身から湯気を立ち上らせて
ブハアブハア言いながら悔しがってるくせに冷静を
装いつつもやっぱり頭が悪いから全然意味不明で的はずれの文章しか書けない君は
さらに嘲笑されて悔しさのあまりトンカチでバスの乗客に襲いかかる前に
職場のベルトコンベアに巻き込まれて汚い汁と脂をまき散らしつつ同僚の冷たい視線を
浴びながら他界すればあ?
332名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 04:02
↑コピペバカ発見!(わ
333名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 04:12
みんなー、死者に鞭打つような真似は止めようよ。
えっ!まだ氏んでない?さっさと逝けよヴァカ!!
334名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 05:21
>>304
一武道家よ、
では問うが、
武道と武術の違いはなんだ?
違いがないとでも言うのか?
335310:2001/08/06(月) 13:33
>>314
そうですね。
柔道は思想的には柔術・武術(技術)から本来的な意味での武道(禅思想)のへと到る前に
スポーツの概念を取り入れたものですから、本当の意味で武道とは違うと思います。
武術に日本風にアレンジしたスポーツマンシップを取り入れたのが、柔道を始めとした武道でしょう。
今、我々が言葉として武道と呼んでいるものは、根本から疑ってみる必要があるんじゃないかと私は考えます。
仮に、こういう禅思想の関連が見られないながらも「武道」と呼ばれているものを「新武道」とでも呼びましょうか。
この「新武道」に、武士道との混同や、ナショナリズムの武道論、国家神道の精神性が結びついた
という19=24氏の主張は面白いと思います。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/06(月) 18:34
興味深い展開ですな。
337314:2001/08/06(月) 23:12
>335
そうすると、
いわゆる武道家といわれている人の精神性ですが、
その人に禅思想がないとすれば
それは本来の意味では「武道家」と言えない、
ということでしょうか?
この場合「新武道家」?ですか?
338名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:30
なに論点ずらしてんだ?
あげくのはては神道を「国家神道」
におきかえたな。
そりゃ、国家神道との関係なら明治以降だわな(w
339名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:34
新武道?
んなもん勝手に創るな。
なめてんのか?こら。
340名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:36
もういいからキミわ黙ってなさい>一武道家
341名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:38
一武道家は何の武道やってんの?
342名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:44
そーゆうおまえらこそ何やってんだ?

俺は某古流柔術だ。昔少し少林寺拳法を
やっていたこともあるが、拳禅一如の19=24
のいう真の武道の少林寺よりも、神前の前で
厳粛に行われる古流のが断然、真の武道らしいぞ。
というより、おまえら少林寺のまわしものだろ。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:51
>>342
ガハハハハハハハハハ
つか、それじゃオマエは武道家じゃなくて武術家じゃねーか
アホかよ
344名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:55
なんでもいいだろ。
俺はようはおまえらの左翼がかった歴史捏造のことを指摘したいだけなんだよ。
で、おまえらは何やってんだよ?
345名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 00:56
一武道家は武道家じゃなかった!

最高のオチです(藁藁
346:2001/08/07(火) 01:01
なんもやってない煽り厨房どもの
煽りにのってしまったようだな。
未熟であった。
347名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:01
>344
なんでもよくねえよ。
散々「一武道家」を名乗っていたアンタが
武道家を騙っていた武術家で、
自分で勝手に想像した「武道精神」「神道精神」とやらを
武道家全体に押し付けようとした事実が発覚したんだからな。
ごまかすなよ、

この卑怯もの!
348名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:06
>>342
>拳禅一如の19=24
>のいう真の武道の少林寺よりも、神前の前で
>厳粛に行われる古流のが断然、真の武道らしいぞ。
>というより、おまえら少林寺のまわしものだろ。

どういう妄想か知らんけど
これまでこの板で少林寺拳法の話題なんか出てないけど?
「剣禅一如」というのは柳生新陰流であって
「拳禅一如」じゃないよ?
なんかキミ被害妄…、病気なの?
349:2001/08/07(火) 01:08
はっはっは!
卑怯ものはどっちだよ。
歴史捏造でいたいけな青少年達を
惑わしているのは誰だ?
350名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:09
>>344
そもそものあなたの武道論が変だよ。
禅的な要素が無い。

>神前の前で
>厳粛に行われる古流のが断然、真の武道らしいぞ。

この雰囲気に酔っているだけなんじゃないの?
中身が無いですよ。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:10
>一武道家
あ〜とりあえず帰れよ。
もう2ちゃんにはアホは足りてるから。
352:2001/08/07(火) 01:10
>>348
少林寺は禅との関係を強調してるんだよ。
それで「拳禅一如」って言ってるんだよ。
少林寺では。
誰かさんの発言にひじょーに近い気がしたから
出してみたけど違うかったみたいだの。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:12
>>349
わかったわかった。
じゃあ、いいよ、キミんトコの「武術」は神道と昔から深い関係だった。
ね、その歴史を認めようじゃないか。

そのかわり、キミは自分が「武道家」を騙っていたことを認めなさい。
そして「武道」と「武術」の違いが分からなかったということを認めなさい。
男らしくね。
日本人だろ?
354名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:13
>>350
同意(w
なんかナルシズムな武道論だったよな。
「感謝の気持ち」とか。
そんなの武道じゃなくても当たり前ジャン。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:17
>>352
弓道のことなら何度か出てるけど
そっちは疑わなかったんだ?
どうかしてないか?
356名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:21
弓道?
おまえのとこの弓道場には神棚ないのか?
357名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:22
>神前の前で
>厳粛に行われる古流のが断然、真の武道らしいぞ。

19=24さんの言い方を借りると、キミのところは
「神道のスピリチュアリティーを持った武術」ってことじゃないのか?
それはそれで武術としてはいいんじゃないの?
ただ、本来的な意味で武道じゃないってことはハッキリしたわけだ。
この辺で手打ちじゃないの?
歴史捏造云々はキミがちゃんとした調べ物をして証拠を並べるしか挽回の手段はないよ。
キミが憧れる「武道」の歴史はね。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:24
俺んちには神棚あるよ。
八百屋だけど(w
359名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:26
つーか武術家が武道家を騙っていたというオチはワラタ
360名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 01:41
>>356
寺の便所にだって神様がいるぜ。
神棚あれば神道優位だとでも言うのかよ(藁
ウチは神棚を仏壇もあるけど、武道の道場でもなんでもねえよ。
そもそも神棚があるのは建物の所有者や出入りする人間の信仰の問題であって
武道かどうかってこととは関係ない。
神道っていうのはそういうものなんだよ。勉強しなおして来い。

どうせアンタの家には神棚がないんだろ?
だから神棚があるかどうかってことが重要なことだと思い込んでるんだよ。
日本人の習慣とか風俗に慣れてねえってことだ。
どうせ小林ヨシノリ読んで初めて物を考えて知恵熱出したニワカ愛国者だろ。
漫画ばっかじゃなく、もう少し活字も読めよ。
あと自分の足で調べ物しろよ。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 02:43
なんか面白いオチだったみたいだな。
本当の厨房だったとは・・・(わ
362名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 02:52
>神前の前で
>厳粛に行われる古流のが断然、真の武道らしいぞ。

厳粛だから武道
っていう理屈が子供っぽいね。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 02:57
>歴史捏造でいたいけな青少年達を
>惑わしているのは誰だ?

何を言ってんですかね、この人?
いたいけな青少年って自分のこと?
誰だ?
って言われてもなあ。誰なの?
364名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 03:05
>363
オレンジタイチ老師がいだくような類の妄想じゃないんですか?
365名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 03:10
その名前を出すな、
荒れるから。
366:2001/08/07(火) 03:43
>またもやずれた。
>なぜだ!?
>ぼうやだからさ。
をやりたいだけでこのスレ立てた1は
それ以降の神道相撲歴史議論を
ちゃんと読んでるかな
367名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 03:52
>366
それが一武道家改め一武術家じゃん。
さっきまでこのスレにいたよ。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 04:14
まったくもって1はボロボロだね。
チョトカワイソーかね?
369名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 05:09
一武道家へ

今度稽古に行ったとき先生に訊いてごらん。
「うちは武術ですか?武道ですか?先生は武道家ですか?」
「武道と武術は違うんですか?」
「武道ってなんですか?」
「先生はなんで修行をするんですか?」
「先生の禅に対する考え方をお聞かせください」

な?
そしたらここで報告しようじゃないか。
370:2001/08/07(火) 11:36
随分とヒートアップしてるな。
ま、机の上だけで能書きを垂れている
連中の限界だろうな。
思うに、このスレは実践者と非実践者の違いを
よく表しているスレだと思うよ。
どんだけ理屈ならべたって武道というものは
やってみないと決して理解できないものなのだよ。

ところであなたがいう武道に該当するものを具体的に
教えてください。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 14:32
またトンチンカンなレスだな。
もう帰れ>370
372名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/07(火) 18:16
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=budou&key=996245924&ls=50

>16 名前:一武道家 投稿日:2001/07/29(日) 17:18
>俺のたてたスレがなかったら、この板は「武道」板とすら
>呼べない状態だろう。
>実際、俺が来る前は格闘漫画ヲタの巣窟と化しており、
>武道板らしい高尚なスレはひとつもなく、ノリと受け狙い
>のみが横行していた。

オマエの言う「武道」って要するにカンチガイってことだ(w
373310:2001/08/08(水) 00:14
>>337
>「新武道家」
色々と反発を受けそうですが、そうですね。
つまり我々が一般的に「武道」だと思っているものは、
平和な江戸時代に、その存在意義を突き詰めて理論と学問的権威なしには生き残れなかった「武術」の中でも
(その旗手となったのはやはり柳生新陰流などの禅をその柱として「武道」を主張したもの)
特に禅の影響を受けていなかった武術(講道館柔道の母体となった柔術や剣道の中心を占めた剣術など)が、
明治以降にスポーツマンシップというものの影響をうけ、その精神性を「武道」と名づけたものであるわけです。
この時点で、武道精神(なぜ武を修行するのか=それは悟りを開く哲学の手段である)は、
競技志向による競技人口増と、その振興の支え・名目となるスポーツマンシップより分かり難いぶん、本筋として受け継がれませんでした。
ただ、推測ですか、江戸時代から本来の「武道」の精神というのは形骸化していて、名ばかりの「武道」である武術が横行していたと思います。
その中で、本来の武道精神は、駆逐されていったのではないでしょうか。
なぜなら、武術は勝つための手段であり、武道はその手段の目的とする思想です。
「武道」という思想は、ただ強さを求める手段の心の支えではなく、その手段・修行によって見えてくることを目指す目的なのです。
しょせん人殺しの技を修行することに精神性を添えたのが武道=禅である以上、
術を掲げ道を理解しない者が強く、道を理解していても弱ければ、道は否定されます。
これはこの武道板の状況にも近いかもしれません。
つまり、武術の修行の目的を明確にした哲人がいても、力で勝る者がそれを実力で否定すれば、廃れます。
私は、この日本で、本来的な意味の「武道」の思想が一般的な修行者にまで浸透して盛んになったということは
武道成立以来、なかったのではないかと思います。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 01:29
問題提起age
375:2001/08/08(水) 01:38
>>373
>特に禅の影響を受けていなかった武術(講道館柔道の母体となった柔術や剣道の中心を占めた剣術

あいたた。
起倒流の流祖が沢庵禅師から教えを受けていることを
ご存知ないようですな。
376名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 01:41
>373
要するに
「神武不殺」なんてのは武術の手段の一つにすぎないってことですね?

なぜ「神武不殺」を目指すのか?
「神武不殺」の先に何があるのか?
本当に「神武不殺」に正当性があるのか?
「神武不殺」以上の至高はないのか?

その姿勢が武道ということでしょうか?
それを追求もせずに、お題目のように唱えるのは本来的な「武道」の精神ではない、
ということだと解釈しました。



別スレのネタを例にしてみました。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=budou&key=995087010&ls=50
377名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 01:49
>>375
そうなんですか?
じゃあ起倒流は流派として禅の影響を受けているんですか?
沢庵とはどのような接点で教えを受けたんですか?
378:2001/08/08(水) 01:52
武道=禅なんてのは極論だろ。
武道のための手段として禅がとりいれられた
ってのが本当だろ。
勝手に話し作るな。
379名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 01:55
いや、そもそも達磨から来てるから極論ともいえん。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 01:56
つか実際、講道館柔道の時代までに禅思想があったかどうかってこが問題じゃねえか?
流祖が禅やってても
流派としてその精神が受け継がれてなければ同じじゃん。
加納治五郎が「柔道」・「武道」を名乗ったときには
心身修養の目的ってことで、スポーツマンシップの概念の和訳として「武道」を当てたんだろ?
381名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 01:59

               /"'、ー/ー、::ヽ::``'ー、::::i      ./
              /:::-‐、/'ヽ:::::::ヽ:::ヽ;;;;ヽ;ヽ:      .i
              /:::::_、‐i:::'ヽ:::'、::::::::'、::::'、:::ヽ:ヽ ヽ   /
           /":/:/  i:i:::::、ヽ'、::;;;'、'、:ヽ:ヽ::'、:',   `、 i
          .//:/:/_,'、 i:;::::、'、`:i :::::'、:::::::'、::'、::::',、,,_ i /
        `''/":/// `'、'.:i`'___ヽ:i::i、:、::::'、:::::',::',:',:::'、`'''i/
         "ノ///.i   . ` 、ー;`'i;i;i:::'、::::ヽ、:',::',:::',:'、/`'
         _、-i:/‐.i  '、    `"´ `i'、::::'、:'、:::ヽ、::',:',::'、
   、ー--、,、-‐'""i/ ''i ヽ、_      ノ:;::;:'、::ヽ、'、ー、';、'、':、ヽ、
    `ー''""`´   '   '、,_ .`  _,,、-'ノ;;i::'、i::'、::::`、ヽ、ヽ、`、`'、`、
                ~_,i""-‐''"__ノ;;;:、;::'、::'、'、::`'ヽ、`ヽ
              /~、-、,,,,,、-"ノ''/'、ヽ`ヽ'ー、`'、ヽ `
            /~-'''''''ー--、ー‐''""/` `  /'"/.'ヽ
           //~^'ー‐---、,,,,,,,、-" |;'   /;;;;;/'`'ノヽ
         //'"            /:i,   ./;;;;/;:'/、,,,'、
          /"       ...     ./;::;:i,  /;;;/''/ ー'i`"',
         /       ::::    ::::i:; ~'.iノi;`''ヽ/i-‐'‐ヽ".i
       /      ::::::::    ::::::::i::i'、;;iヽi:、i:`、ヽ;;、/   /
      /      _、‐、"´、,,,,,,、--‐''i,;::',;;;;;i、i'、i‐i`、i;;:::::/:/
     /ヽ、      /;;~`'''ー‐---‐''''"/:::;;',;;;i:::;'ヽ ::::::i;;、/'/
   ./ヽ  `ー、  / 'i:;;;'`'`ーi''ー-、'''ノ::i::: :::;;;;i::::i;,::''i、.::i_,、‐'
  /_、-‐''ー、::::'/   )''iー-、,,,,,,______,,,,i;,:: ::;;;i´::ノ::: ::::/"
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382:2001/08/08(水) 02:00
>380
>つか実際、講道館柔道の時代までに禅思想があったかどうかってこが問題じゃねえか?
>流祖が禅やってても
>流派としてその精神が受け継がれてなければ同じじゃん

よく調べてからものを言うべきですな。
単なる恥の上塗りであるばかりか、いらぬ妄言を吐く
ことは仏教でも諌められているところでしょう。
383:2001/08/08(水) 02:01
いつも論点をずらして逃げているが
たまには己の非を認めたらどうですかな?
384名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 02:01
>>377
>武道のための手段として禅がとりいれられた
>ってのが本当だろ。
>勝手に話し作るな。

違うだろ。
「武術」を禅の手段としたのが「武道」という概念なんだよ。
あべこべだ。

とにかくキミは「武道」と「武術」を混同しすぎ。
わざと?
「自分は武道家だ」という拠りどころが「武道」=「武術」だから
そこにこだわるの?
385:2001/08/08(水) 02:03
>>384
いやいや、それでははじめに禅があって
武術はあとからとってつけたことになってしまう。
それは、あきらかに歴史的事実と異なる。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 02:04
>よく調べてからものを言うべきですな。

スゲー笑った。
このスレで空振りする調べものと恥の上塗りを繰り返しているオマエが
そんなことを言うとは!
387:2001/08/08(水) 02:04
>>379
どこの国の話しをされておるのかな?
388名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 02:10
>>385

心底バカなの?
もー、そんじゃあこう言い換えたら分かってもらえるかねえ?

武術が禅を取り入れて、その精神性をバックボーンに
武術家が自分たちで行う「人殺し技術である武の修行」を「禅」に高めたのが「武道」

つまり、「武術家」は禅の修行者であることではじめて「武道家」になれたってことだよ。

禅なくして「武道」という思想は成り立たなかったんだよ。

歴史的事実ってのがなんだか知れねえけど、
漫画以外の活字も読めよ。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 02:13
>いつも論点をずらして逃げているが
>たまには己の非を認めたらどうですかな?

本当笑わすな。
そんじゃ、このスレの最大の争点
「武道」の本質とは何か?
についておまえが答えてみろよ。
それで決着だろ。

「思いやり」とか「感謝の心」とか眠たいこと言うなよ?(藁
390名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 02:17
>武
このハンドルさ、
一武道家から変えたのは、やっぱり自分が武道家じゃないって自覚したから?(ワラ
391名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 02:21
>>382
>よく調べてからものを言うべきですな。
>単なる恥の上塗りであるばかりか、

これって自分へのツッコミ?面白いよ、君(わ
調べ物に自信があるなら>>377の質問に答えてやれよ。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 02:58
>391
どーせまた
「知るか!俺はモノカキでも学者でもねえ!」って逃げるに決まってるよ(藁
393名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/08(水) 03:38
よく調べてからものを言うべきですな。
単なる恥の上塗りであるばかりか、いらぬ妄言を吐く

それは>>260のことかな?
394名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/09(木) 14:36
武道とは…
395名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/09(木) 20:48
少なくとも武道者とは人の発言のあとにこそこそと
罵詈雑言を浴びせるものではありえません。
>>388 の発言ならよくわかりますが、いままでの
言い方と肝心な部分が入れ替わっているのが国語力
がある方ならおわかりになると思います。

そして、起倒流柔術の問題にいったってはなにも
調べずもせずに一方的に罵倒を繰り返していますね。
たとえネットでもちゃんと調べてから反論していた
私のことを果たして批判する資格があると言えるのでしょうか?
396名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 00:14
>>395
>いままでの
>言い方と肝心な部分が入れ替わっているのが国語力
>がある方ならおわかりになると思います。

じゃあ、その肝心な部分が入れ替わっているという点を引用して指摘してくれよ。
単に今までキミが何かの先入観で勘違いして読み間違えていたんじゃないか?
もう一度読み直したらどうだい。
国語力がある人なら分かると思うけど(藁


>起倒流柔術の問題にいったってはなにも
>調べずもせずに一方的に罵倒を繰り返していますね。

なんでその問題が相手にされないのか分かる?
それは、キミの提示した問題が何にも根拠が示されていないから調べるまでもなく切り捨てられてるんだよ。
キミの態度は、質問をして自分の代わりに人に調べ物をさせようという態度だ。
既に何かを調べていて証拠のようなものを握っているのならストレートにここに提示したらどうだね?
人を試すようなことをしているんだろうけど、
答あわせをしてみたら、また曖昧で無根拠でトンチンカンな資料しかキミが持っていないってオチなんだろ?
疲れるからもう発言しないでくれ。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 00:22
>396

同意。
一武道家の中途半端な調べ物は反論する価値なし。
だってなんの証拠にもなってないんだもん。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 00:31
>>395
>人の発言のあとにこそこそと
>罵詈雑言を浴びせる

これって、自分が書き込んでいる時間帯じゃないときにレスをつけること?
オマエ掲示板を何だと思ってるの?
時間帯が合わないのはしょうがねえだろが。
オマエが言ってることは、

オマエはオレが書き込みするときにいないじゃんかよ。
いてもいつも自分勝手に逃げるし。

ってことと同じだっちゅーの。
書き込む時間帯はオマエがいるときにしろってのか?
バカも休み休み言え。

それにオマエsageてるし(藁
コソコソしてんのはオマエだよ(藁
399名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 00:59
>>396
なんか、
フテくされた中学生に対して
呆れ気味にお説教しているみたいで笑った。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 01:57
>>395 結局、武道=禅ってことは認めるのか認めないのか。そろそろ争点の核心で決着つけたら?アンタが>>389に答えれば終わりだ。自分の無学を素直に認めればいいんだよ。グダグダぬかしやがって。言い訳がましいんだよ。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 02:26
>400
まあまあ。
相手は子供ですから。
ゴネているのは認めているってことですよ。
負けず嫌いなコなんで勘弁してあげてください。
ほら、レスに涙がにじんだ跡があるでしょ?
402:2001/08/10(金) 10:39
どうやら無意味な罵倒合戦になっているだけなので
ここらで身をひきます。
神前に礼をすることを拒む人間の思いあがった言動
を身にしみて思いしらされました。
あらためて武道に残る武士道精神の重要さを感じた
次第です。
それでは、

          神前に礼!
          己の敵に礼!
          第三者に礼!
403名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 15:09
>武道に残る武士道精神

最後までカンチGUY!
バイバイ。勉強しろよー。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 15:34
>>402
>神前に礼をすることを拒む人間の思いあがった言動
>を身にしみて思いしらされました。

思いあがっているのはお前だよ。
このニワカ愛国者。
405物言い:2001/08/10(金) 16:44
物書きと言っていた人は、もういないのかな?
あなたの話の進め方には棘があって、どうも好きになれない。
史実は史実として参考にすべきだろうけれど、
現代日本の武道の在り方に、そうした史実から推論した一個人の考えを
当てはめていくこと自体がナンセンスに思える。
それと、言葉自体が時間の流れとともに
その意味が変容していくことを無視しているようにも見える。
物書きだと言うから、わかりやすい例を出すけど、
ら抜き言葉だって、普及しても不都合があまり生じないという理由で
多くの言語学者の反対を退けて認められるようになったわけでしょ。
だから、史実=正論ではないと思うよ。
武道の本質にしたって、時代とともに変化していくのが当然じゃないのかな?
テーマに関わらず、そもそも何かの本質を語る権利を持つ人は、
開祖なり教祖なり、その思考や哲学を編み出した人だけだと思う。
途中までは、あなたも史実を元に推論という立場を崩さないようにしていたみたいだけど、
だんだんあなた自身が本質を知る者になっていったように見えた。
たぶん、それがオレには棘に感じたんだな。

これが、具体例を出すことでしか反証にしかならないというあなたの考えに対する、
オレなりの反証ね。史実は詳しくないから出せないけれど、
ログ自体が、このスレでは一種の史実として存在しているわけだから問題ないよね。

で、オレの考え。
神道なり、土着信仰なり、禅なり、何でもいいんだけど、宗教や思想、哲学などは、
本来、日々の生活や修行を通じて個人の心の中で積み上げられるものであって、
一個人が他人に押しつけるものではないと思う。
理解を求めるために、相手を尊重した態度で説得するのならば別だけどね。

だいたい、ひとつの考え方について賛同することも大事だけれども、
鵜呑みにしないで疑問を持つことも大事でしょ。
そうした紆余曲折を経て、武道の精神性も成立していくのではないかな?
仮に、間違った武道精神を抱くことがあったとしても、それに気付けば良いわけだし、
もしかしたら先々正しいと認められることになるかも知れない。
言い回しが理解しにくいかも知れないけれど、
結局はさ、現代の一般的な武道実践者に対しては、
いわゆる武道精神は曖昧なままでいいと思うんだ。

あなたが、多くの史実を資料として提供したことには敬服するけれど、
それを理由に、人の考えを否定するのはいかがなものかと感じたってことだ。
でも、勘違いだったら申し訳ないんだけど、あなたが考えてることと、
オレが考えていることは、それほど大差がないようにも思う。
ただ、人に物を申すときには、もう少し謙虚になってもらわないと、
相手だって素直に受け入れられないんじゃないかな?
一武道って人も、同じだと思うよ。
真剣に論じ合おうという姿勢は評価してもいいんじゃないの?
たまたま、あなたの方が知識をもっていただけの気がする。
2人が一度会って、面と向かって話す機会とかがあれば、
意外と仲良しになっちゃう気がするのはオレだけか?

長レスですまぬ。以上
406名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 16:47
逆もまた真なり。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 16:54
>>405
じつに客観的かつ冷静な意見ですね。
もの書きさんにもぜひ反論してもらいたいものです。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 17:26
374 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/08/10(金) 15:21
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=budou&key=997340790&ls=50

武道の魂とは実戦性ではありません。
修行を続ける目的を悟りを目指すことです。
武道と武術の混同、スポーツと武道の混同。
多いですね。混同している人は武道を語る資格がありません。
まだ悟りに程遠い。


375 名前:364 投稿日:2001/08/10(金) 15:39
>>374
じゃ、武術にしておいて下さい。



378 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/08/10(金) 16:49

_((≡|≡))_ 面


379 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/08/10(金) 17:03
>>374
なにが悟りだよ。
剣豪の話し読みすぎじゃないの?


380 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/08/10(金) 17:07

>>374
2ちゃんねらーのくせに・・・


381 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/08/10(金) 17:09
>>374
のびたのくせに生意気だ!


382 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/08/10(金) 17:20
悟りを目指すために武道はじめた
やつなんているのかよ。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 17:34
反論って何に?
>あなたの話の進め方には棘があって
みたいな横やりに本人がいちいち反論してたら、話なんて進まないよ。
もう結論は出てるんだから、どっちにしろこれ以上進まんとは思うが。
410名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/10(金) 18:06
>テーマに関わらず、そもそも何かの本質を語る権利を持つ人は、
>開祖なり教祖なり、その思考や哲学を編み出した人だけだと思う。

そんなこと言ってたら哲学なんてできないんじゃなーい?
411物言い:2001/08/11(土) 02:55
>みたいな横やりに本人がいちいち反論してたら、話なんて進まないよ。
横やりに見えた? そのつもりはなかった。すまん。
勉強になる良いスレだったのに、途中から
人を締め出すような展開になったのを残念に感じたからレス入れただけだ。

>もう結論は出てるんだから、どっちにしろこれ以上進まんとは思うが
結論、出てるの? これも、すまん。もう一度読み直すわ。


>そんなこと言ってたら哲学なんてできないんじゃなーい?
本質を論じることは誰がやってもいいけれど、
最初に本質を設定したのは、その流派を起こした人なんだから、
「オレが本質を知ってる」かのような言い回しに疑問を感じたってこと。
それとも、このスレってディベートのノリだったのかな?
412物言い:2001/08/11(土) 02:56
sage入れ忘れた。すまん。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/11(土) 03:04
なんで下げんの?
414名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/11(土) 03:14
>最初に本質を設定したのは、その流派を起こした人なんだから、
>「オレが本質を知ってる」かのような言い回しに疑問を感じたってこと。

武道の定義は成立時に明確だったわけだから
その明確な定義を
知らない人や曲解して伝えられた人(一武道家)に教えるのは別にいいんじゃなーい?

武道成立時にされた明確な定義の分かりやすい解説
http://ww3.tiki.ne.jp/~noririn/daily/enedit21.html
415名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/11(土) 03:25
物言いと言っていた人は、もういないのかな?
あなたの話の進め方には棘があって、どうも好きになれない。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/11(土) 03:29
今、なにげに過去ログ読み返してたら
1=一武道家の主張に対してオレが感じていたことは
すでに>>83がキッチリ言ってたわ。

それと>415
お前は黙ってろ。
417416:2001/08/11(土) 03:51
>>405
>一武道って人も、同じだと思うよ。
>真剣に論じ合おうという姿勢は評価してもいいんじゃないの?

オレにはなんかムキになっているだけで
自分の恥ずかしい主張の引っ込みがつかなくなってるだけな気がする。
だって、読めば分かるけど、こいつって小林よしのり読んで鵜呑みにしているタイプなわけじゃん。自分こそが正しい歴史を知っている、みたいに。
そもそも、最初にこのスレを立てて、
現代日本の武道の在り方に、一個人の考えを当てはめようとしたのは
1=一武道家であって
まさしく
一個人が他人に押しつけるものではない、
という反発をくらったわけでしょ?
それを認めないで最後まで>>370みたいな思い上がりをぬかすから
馬鹿にされるのはしょうがないと思うけど。

武道=武術やそれをベースとしたスポーツが禅の精神を持ったもの

が結論だと思うよ。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/11(土) 10:18
物言いさんの発言は第三者の立場にたったきわめて冷静な意見だと思います。
19=24さんの発言も多くの知識に裏付けられた的を得た意見だと思います。
でも、人をけなすような態度ははたから見ていてもあまりいいものを感じないですね。
一武道家さんの言ってることにも一理あるとは思いました。
419お盆特別カキコ:2001/08/14(火) 11:50
お盆だ。
誰かさんが言うように神道がまったく明治以後に
作られたものだとしたら、この行事や信仰は一体何なのだろう?
420名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 12:31
19=24は確かによく調べているが
>おお、すごい。
>お見事です。
>と、誉めてあげたいのですけど、残念ながら、本当に残念です。
この発言読むとほんと人の神経逆なでするいやな奴だと思うぞ。
421名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 13:13
ま、インテリにはよくいるイヤミなタイプですよ。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 13:24
神棚とか道場に置いて、神前に礼しますよね。
あれって無意味な気がします。
神なんて現実には存在しないわけだし、意味無いんじゃないでしょうか。
神祭ったってケガが無くなるわけでもないし、強くなれるわけでもないし。
423霊剣:2001/08/14(火) 13:44
神は死んでますぜ
424名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 13:47
悲しいのお科学信仰者の現代人どもは。
425霊剣:2001/08/14(火) 14:00
人間は神を創造した。その逆はまだ証明されてない。

セルジュ・ギャンズブール

まあ、俺は何でも神のせいにしたがる奴は大嫌いです。
無論神に対して敬意はありますが
426名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 14:14
日本の神と西洋の神をごっちゃにするのは困りますな。
日本の神は自然に対する謙虚と畏敬の念そのものなのです。
427霊剣:2001/08/14(火) 14:22
>>426
分かっとります。シャーマニズムとかは好きです
428名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 15:30
それってアニミズムのことじゃなーい?
429名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 15:38
>>419
へー、お盆って神道の行事なんだ。
知らなかった世。
物知りだねー。
430名無しさん@お腹いっぱい。:2001/08/14(火) 15:52
>>419
>>429
盆は神道じゃないよ。
日本古来の信仰ではあっても神道とは別のもの。
神道だけが日本古来の信仰じゃないし。
431霊剣:2001/08/14(火) 15:54
いちおう「とか」とつけといたんですが。まあ俺も詳しくない
うえになんも考えずに書いたから消えます。
432名無しさん@お腹いっぱい。
>>431
消えないでもいいですよ。
てゆうかいてください。