2ちゃん武道板仮設神殿  

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205名無しさん@お腹いっぱい。
柳生新陰流が沢庵和尚に近づいたあたりが「武道」という概念の始まりだと聞きましたが?
206名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 05:51
>行為すること」と「禅(をしている状態)」の接点に関してですが、 (1)例えば沢庵禅師の「不動智神妙録」で語られているような「私」の在り方は、自分の感じた「私」に近いと思います。「行為するときに、行為する最中に もっとも直截的に感じられる「私」の感じ(前に「身体の感じ」とも書きましたが)ですが、個人的にはこれがミニマムの「私」であるように思えてならないのですが如何でしょう。



前に書いたが、思考プロセスは、次々と子プロセスとしての思考をforkしていき、最終的に何らかの行為という返り値を持って終了する。しかし、坐禅は一切の思考に坐禅という行為の返り値を返し終了させるのである。坐禅は動きのない行為である。


坐禅のとき何も考えないのかというとそうではない。たえず姿勢に気をつけていなくてはならない。これこそ坐禅が行為である証拠である。しかし、動きがないのでミニマムな行為といえる。


人が行為に理由をつけるとき、ニーチェのいうようにそれは真の理由ではないことが多い。それゆえ、武道などでは迷いの原因ともなる。昔の武道家の中には生死の境で催眠術的能力をもっていたりするものもいたりした。このようなとき、己の心にある思考にひっかかっているとアッと言う間に術中に落ちる。思考と行為の断絶、不適切な結び付きは脳のバグである。武道家はこれを除くことを願ったのではないか?
207名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:11
 「武士道」ということをいろいろ考えていて、それを含んだ「道」ということに思い至りました。日本には「武道」というのがありますよね。そして、最近それに変わるというか無理に変えさせられようとしているようにも見える「スポーツ」というのがあります。僕も詳しいことはわからないのですが、日本にはたぶん「スポーツ」という概念はなかったような気がするのです。この「武道」と「スポーツ」、似ているようで、その根本的な発想がまったく違っているのではないでしょうか。

 これについては、以前からばくぜんと考えてはいたのですが、シュタイナーの「教育の基礎としての一般人間学」というのを読んでいて、はたと気づいたことがありました。

 引用です。

 「現代の人間が体操をすら、次第に意味のない、すなわち単に肉体に従属する活動にしてしまったのは、物質万能時代に付随する現象でありました。今日の人間がさらにこれを競技スポーツという形にまで押し進めようとしているのは、意味のない動きや肉体の側からのみ得られた無意味な運動に、私たちの身をゆだねさせるばかりでなく、その上にさらに、不条理、反道理を加えることを意味し、物質的な志向をするにとどまらず動物的な感じ方をする存在にまで人間を引き下そうという企てに呼応しているのであります。」(人智学出版社刊)

 シュタイナーは、肉体的な運動というのをもっと有意味的なものにするために、スポーツとは根本的な発想がまったく違うオイリュトミーというのを創りだしました。考えてみれば、これは「武道」の発想とかなり似ているのではないか、と思えます。ちなみに、シュタイナーは、肉体的な側面だけではなく、精神的なことにも、こうしたことを言及しています。

 引用です。

 「意味ある外的行為と無意味な外的行為との間に相違があるのと同様に、機械的に進行しているに過ぎない内的な思索・観照作業と、絶えず感情作用を伴った内的な思索・観照作業との間にも相違があるのです。」(同上)

 要するに、現代の単なる詰め込み教育のもつ危険性ということなのです。このことから考えると、詰め込み教育にスポーツという組合せの馬鹿馬鹿しさに気づかずにはいられないはずです。

 例の黒澤の「姿三四郎」を思いだしてしまうのですが、やはり「武道」というのは、決してスポーツのような、悪くすれば動物的になってしまうようなベクトルとしてのものではなく、もっと「精神」の「道」としての「行」ではないかと思うんです。姿三四郎でも、ボクシングのシーンがでてきますが、あのボクシングと柔道を比べてみたときに、その精神の違いは明かです。もちろん、あの映画でも、「柔術」として描かれていたのは、「道」ではなく、かなり動物的なベクトルをもった退行的なものでしたが。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:29
http://ww3.tiki.ne.jp/~noririn/daily/enedit21.html

これも武道の解説としては分かりやすい
209名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:37
武道についてですが、高度な精神性が求められるようになったのはやはり「禅」の影響ではないでしょうか。ただ、多くの場合は武道は武術に過ぎませんし、茶道は「茶の湯」にしか過ぎません。禅にみられるような本来の自由の境地にたどりついたものだけが「道」と呼ばれるのにふさわしいように思えます。

 ただ、武術を武道とし、茶の湯を茶道としていくような高度な精神的営為というのは確かにあって、こうした理想の境地に僕は注目してみたいなと思っているわけです。

 この「道」ということについては、以前からずっと注目していて一度はちゃんとそのコンセプトを整理してみたいとは思っているのですが、なにしろ、老子も「道の道(い)うべきは常なる道にあらず」というように言葉で説明できるような道は本当の道ではないというのは真実だというのもあって方便の方便とでもいうべき程のものでもなかなかまとめることもままなりません。

 今は少しずつこの「道」の考え方について、たとえば、寺田通さんの「道の思想」(創文社)などに沿って考えているところです。その中でこの日本の「道」の寄ってきたるところについて簡単に概略を示しているところがありますので、紹介しておくことにしましょう。

 「まずはじめには、ごく自然に口から出、筆端に流れ出たはっきり意味の限定されていない『道(みち)』という言葉があった。それよりかならずしもあとではないが、明瞭な意味内容を持つ分類名称として『道(だう)』の語があった。今昔物語のいう『明法道(ミャウボウダウ)』や『兵ノ道(ツハモノノダウ)』がそれで、これらに抹香臭さはないが、これが仏教にいう六道を通過界域でなく到達界域と静止的固定的に、日本的に考えたときその『道』と重なりあうことは疑いえない。ついで『道(だう)』とみずから名告げることはしなかったが、そう呼ぶのにふさわしい修行の純一の要請される、ひたすら向上をのぞむ中世の『道』が来た。これはその必至の帰結であるかのように師弟関係を招きよせ、この関係によって強化され、従って外形化され、中世末から近世中葉にかけて目立つところの『道』となって、地歩お固める。

 こういう経過を通じて、多岐多端な『道』ではあるが、その名が無理なくあてはめられる技藝を何かと言えば、それは個人が、その身体を、素材とし手段として、すなわち、はたらかせて全的に参与する技藝だと確信できそうに思われる。

 とはいっても大切なのは要約ではない。実例の中で自己の鋭便と自由を獲得することである。」
210名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:39
武道というテーマを考えながら、本屋さんをのぞいていたら、かの有名なヘリゲルの「日本の弓術」(岩波文庫)が目に止まりました。分量も少ないのですぐ読んでしまったのですが、やはり名著(というより、名述か)だけあって、なかなか含蓄の深いものでした。この「日本の弓術「というのは、ヘリゲルが来日した際、阿波研三氏について5年間学び、故国ドイツに帰り、行なった講演で、エックハルトに代表されるドイツ神秘主義と日本の禅などとの関連を示唆しながら、弓道の本質に迫ろうとしている著者の精神が伝わってくるようです。

 この本を読んで昔のことを思いだしていたのですが、実は僕の兄は高校生のころ、弓道部に入っていて、そういえば、弓道というのは、的に矢を当てるのが目的ではない。的に当てようとする心が道を妨げる・・・なんて、兄が聞きかじったことを得意げに話していたことを思い出しました。そのわりには、兄は単純理系的科学主義的思考に染まっているようですが(^^;)。

 それはともかく、この講演録の要と思われる部分を引用します。

 「弓を引く前には、まず初めの儀式が行なわれる。それはきまった歩数だけ進んで、射手が次第に的と相対する位置に来るのであるが、途中で立ち止まっては深く呼吸をする。それから射手が弓を引く構えをすれば、その時すでに、完全な沈思に成功する程度まで精神が統一されている。一旦弓を引き絞れば、沈思の状態は決定的となり、引き絞っていればいるほど沈思は深められ、その後の一切は意識の彼方で行なわれる。射手は、矢が放たれた瞬間に初めて、ふたたび、しかも漸次にではなく不意に、我に復る。忽然として、見なれた周囲が、世界が、ふたたびそこに在る。自分が抜け出していた世界へ、ふたたび投げ返された自分を見る。自分のからだを貫き、飛んで行く矢の中に移ってはたらきつづけるある力によって、投げ返されたのである。このようにして射手にとっては、無と有とは、内面的にはどんなに異なっていても、きわめて緊密に結びつけられるのみならず、両者はたがいに頼りあっている。有から無に入る道は、かならず有に復って来る。それは射手が復ろうとするからではなく、投げ返されるからである。」

 弓術(この講演録では、弓道ではなくそういう表現がされてるが、意味はスポーツとしての弓ではなく、「道」としての弓です)というのは、この講演録の他の場所でも述べられているように、禅僧が行なっている「神秘的な沈思法」と同一の境地を目ざしでいるようです。

 「実際に、無と有との間には、あるいは理解をいっそう容易にするため構わず言ってしまうならば、神性と現世の生活との間には、完全な忘我と明瞭な自己意識との間と同一の、断ちがたい関係がある。非有の中の有の経験が自己の経験となるのは、無我の境に移された者が自己存在の中へ、死者が生成の中へ幾度でも投げ返され、そのようにして、自己の存在の軌道を越えたはるか彼方にまで意義を有するものを、自己自身について経験する、ということによるしかない。」
211名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:40

 「非有の有」という神秘的な境地というか経験としての弓術というのが述べられているわけですが、こうした弓術の精神を明かにしようとした試みは、「神秘説のもっとも内面的な本質を射中でようとする一つの試み」でもあって、シュタイナーの思想へとつながっていくマイスター・エックハルトなどのドイツ神秘主義などについて禅などとの関連でよりよく理解するためにも、こうした武道についての認識を深めることは、かなり意味深いことのような気がします。

 ドイツ神秘主義といえば、ちょうど岩波文庫でエックハルトの遺産を受け継いだ、ドイツ・バロック時代を代表する神秘主義的宗教詩人のシレジウスの「シレジウス瞑想詩集」(上・下)が刊行されたところです。

 このシレジウスをはじめ、エックハルトやベーメ、パラケルススなどについてのシュタイナーの著作、「神秘主義と現代の世界観」(白馬書房)があります。それから、エックハルトについても、これも岩波文庫で、「エックハルト説教集」というのがでてますので、興味のある方はぜひどうぞ。

 さてさて、話を戻して、ヘリゲルですが、この講演の中で、日本の武士道精神について述べたところがありますので、最後にその箇所を引用しておきます。「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」につながる見解をみせていて、なかなか興味深いところです。

 「仏教ならびにすべて真の術の錬磨が要求する沈思とは、単純に言うならば、現世及び自己から決別ができ、無に帰し、しかもそのためかえって無限に充されることを意味する。これが幾度も修練され、実際に経験されるならば、そして決定的に理解された思想としてではなく、意識的持ち出された決意としてでもなく、意識的に持ち出された決意としてでもなく、非有の中の現実の有として生きられるならば、これは死をも、これは死をも、また意識しながら死んで行くことをも、沈思そのものに対するように少しも恐れないあの自若とした落ち着きを生み出す。じじつ、人間の生存がただ数瞬にして取り消されるものにせよ、あるいは持続するものにせよ、いずれにしてもそれは、非有の中の有の実現に移されることに変わりはない。

 同時に、ここにかの武士道精神の根本がある。日本人がこの精神を己にもっとも特有なものとするのは当然と言ってもいい。そのもっとも純粋な象徴はS朝日の中に散る桜の花びらである。このように寂然として内心揺らぎもせずに生から己を解き放つことができるというそのことこそ、終わりが初めに流れ入る生存の、唯一ではないが究極の意義を示し、かつ開示する。」

 武士道、禅、ドイツ神秘主義、シュタイナーを貫いて流れる共通した「精神」について理解を深めていきたいものです。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:40
「禅」と「ヨーロッパ神秘主義」との比較に関連したことについては、以前、オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」若干紹介したことがありますが、同著者による「禅の道」(講談社学術文庫)という著書があって、そのなかでかなり興味深いことが述べられていますのでそれを紹介してみたいと思います。

 実は、ここ数カ月、ある地方誌にビジネスマン向けの精神性をテーマにした小文を連載していまして、来月のテーマが「禅」ということでもありますので、それにかこつけた「お勉強」なわけであります。いつか書き込みする余裕がないときにでも、余興のひとつとしてこの会議室にでもUPできればと考えています。ちなみに、その今までのテーマは「仏教」「孔子」「武士道」「神道」でした。

 さてさて、肝心のヘリゲルの「禅の道」。ここには、ヨーロッパ神秘主義と対比された禅の独自性についての興味深いヴィジョンが提示されています。

禅においては、ヨーロッパ神秘主義の場合とは異なり、<人間>が中心的な位置を占めることは断じてない。それに反して、ヨーロッパの神秘主義においては、恍惚とした至福をもたらす<神秘的合一>(unio mystica)は、人間に約束された特典と見なされている。あらゆる存在者の中でも、人間が、人間のみが、その資格を有しているのだ。神秘的合一を達成することによって、人間は、世界内存在という境位を脱却するのである。そのように脱却すること、自己を忘じ、ついでその自己を再発見すること、死してのち再生することが、<脱−自>(Ex-tasis)と呼ばれる。その時、人間が再発見するのは、根本的に譲ることのできない自己(Selbst)という自らの本来的な中心である。つまり自己は、<合一>(unio)において止揚されるにもかかわらず、やはり依然として保持されているのである。神(Gott)において、もしくは<合一>を触発するものや触発する場をヨーロッパ神秘主義が名づけて呼んだ神性(Gottheit)においては自己は、究極的には滅却されることなく、救済され、恩寵に与り、証されるのである。二元では合一はもたらされないが故に、単に一時的に脱自が求められるにすぎない。すなわち神は、自らの独立独行の能力を究極至極の犠牲として捧げ、もはや抵抗しない魂の中にのみ生まれ給うからである。神の誕生が成就されたあかつきには、魂は、神によって全権を賦与された中心として、あたかも自転する車のごとく、自立自存の生活をおくるのである。

 それに反して、<禅>においては----自覚的か否かは別にして----人間存在そのものが脱自的(ekstatisch)、離心的(exzentrisch)である。人間が、自らを自己(Selbst)として感得し、自己を高めて、実際には決して到達できないにもかかわらず、可能な限り完全に近づけようと努めれば努めるほど、<存在>(Sein)の中心は−−−−もはや----人間自体の中心ではなくなり、人間は決定的に、その中心から踏み出してしまい、ますます掛け離れて行くのである。(中略)禅においては、<合一>(unio)は、帰郷を、今は失われている根源的状態の回復を、意味する。そのため、人間が、動植物や他の一切の存在者と同じように存在の中心を拠り所として生きていけるようになるためには、自らの離心的(exzentrisch)なものを一切否認する道を取らなければならない。

  こうした比較を安易にその他のあり方に比較することは慎まなければならないとしても、こうした両者の比較というのはさまざまなことを考えさせられるのに十分です。

 シュタイナーの方法論は、あくまでも「思考」ということが核にあります。もちろん、その「思考」はアストラル的なものに引きずられた類のものではなくあくまでも「純粋経験」としての「思考」であって、自分ということを離れた高次の認識形態なわけですが、その「思考」によって獲得される高次の認識のプロセスはどこまでも「人間的」なあり方をとどめるものです。そして、その認識獲得の人間的なプロセスに意味を見いだしているようです。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:41

 シュタイナーはアトランティス後の時代を、いくつかの文化期にわけて、現代までのそれぞれを蟹座、双子座、牡牛座、牡羊座、魚座の時代とし、さらに今後水瓶座に時代が到来することになるといいます。

 「蟹座の時代の人間は、世界を幻と見た。双子座の時代の人間は世界を実在するものとして見たが、世界は人間に対峙するものだった。牡羊座の時代の人間は、世界の中に神的な法則を見いだした。牡羊座の時代の人間は、自然界に人間精神の刻印を押した。そして、魚座の時代の人間は、自然の法則を物質に刻印している。つまり、自然界の法則を研究し、その法則を利用して、物質に手を加えているのである。(中略)魚座の時代の文化の特徴は、人間個人の精神を尊重するものであり、そこでは、自然の関係に基づいた愛ではなく、魂と魂の関係が大切なものになってくる。(中略)

今日では、人間の精神力が物質的な欲求を満足させるために使用されている。そのようなあり方を克服して、東方の霊性と西方の知性並びに個体主義とを結合することによって、つぎの時代が準備されていく。」(西川隆範:シュタイナーの宇宙進化論/P133〜134)

 シュタイナーは基本的には西洋的な知性及び個体主義をベースにした認識を高めながら、ヨーロッパ的な神秘主義を克服しようとしていましたが、晩年には、東方的な霊性としてのイントゥイション認識やそうした認識と深く関係する日本精神というか日本的霊性に注目していたようです。ですから、西洋的な「自我」をベースとしながらも、それによる認識を高めながらしかも東方的な霊性ともクロスできるような認識のあり方というのはますます大切なものとなっていくような気がします。

 日本的霊性であるとそのままいうことはできませんが、先の「禅の道」では禅仏教者の認識のあり方についてこう表現されています。「思弁によって目を曇らされることのない禅仏教者にとっては、神秘主義本来のものは、数多、相対、差別を超越しているばかりでなく、単一性と数多性、同一と差異、絶対と相対という対立項すら超越しているのだ。」(P185)

 こうした、西洋的な「知」のあり方のプロセスを通らずそのまま高次の認識を体得しているようなあり方に、近代的な「自我」のプロセスを経て到達するという、人間から神へと向かう秘儀に、僕は限りない魅力を感じています。もちろん、どちらのあり方も、「正しい認識」をめざすという意味では同じであるといえばいえますが、これはそれぞれの魂の傾向性が指向するものなのかもしれませんね。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/21(土) 06:53
国時代が終わり、江戸期に入ると世の中は一変した。

戦国期には切磋琢磨して殺しの技術に磨きをかけてきた日本武術であったが、

平和な世の中になると、強いだけでは存在理由にならない。

各流派は自派の技術に対する理論的裏付けと学問的権威を求めるようになった。

徳川幕府も武断政治から文治政治へと方針転換し、

学問を奨励し、朱子学等様々な学問が中国から輸入されるようになった。

明からは黄檗宗という極めて中国趣味な禅宗派も渡来した。

このような中で、いち早く対応したのが、徳川将軍家指南役の座を得た

柳生新陰流であり、剣理に禅思想を取り入れ 「剣禅一如」を唱え、

その後の武道理論家としての権威を確立した。

一方、同じく将軍家指南役の座にあった小野派一刀流の方は

昔ながらの剛直な剣術一筋に固持したため、実力では新陰流より上といわれながら、

人気の点で新陰流に差をつけられその後 衰退してしまった。

日本武術は 武道へと指向、変貌してゆくのである。