2ちゃん武道板仮設神殿  

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195名無しさん@お腹いっぱい。
念流の祖鎌倉寿福寺の僧慈音は、日向の鵜戸明神の岩窟に篭もり刀術の妙を得る

鹿島香取神宮に祈願して天真正自顕流を開いた十瀬与三衛門、

鎌倉鶴が丘八幡宮に参篭して天流を開いた斎藤伝鬼房勝秀、

上州白雲山波古曾神に祈願して東軍流を開いた川崎鑰之助、

山形楯岡林崎明神に祈願し神夢想流林崎流居合いを開いた林崎甚助重信、

羽州横手郡真弓山神に祈願、槍術無辺流 を開いた大内無辺、

三河奥山明神に参篭祈願し、奥山流を開いた奥山休賀斎公重、

信州飯縄権現に参篭し神道夢想流を開いた福井兵右衛門嘉平、

吉田八幡宮に参篭し弓術吉田流を開いた吉田上野介重賢、

京愛宕神社に祈願し居合の伯耆流を開いた片山伯耆守久安、無外流の辻月丹資成、

安芸の厳島神社に参篭し剣、柔術の貫心流を開いた宍戸司箭家俊、

太宰府天満宮に参篭し柔術楊心流を開いた秋山四郎兵衛義時、

宝満神社に祈願参篭して神道無想流杖術を開いた夢想権之助勝吉

等々、 ここに上げたものはごく一部のよく知られた例だけであるが、一流を開いた流祖達は、殆ど例外なく神社仏閣に篭もり祈願達成を行なったのである。

 各流祖は、何れも幼少の頃から武芸を好み、数々の実戦に参じ、更に優れた師について術技を研鑽し、神仏を尊崇してその行法を勤行する事により、感応を受けて能力を開発し、あたかも泉水が噴出するように、滔々と妙技が流出したのだと思われる
196名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:38
源頼朝の命により小笠原長清は、父加賀美二郎遠光と共に流鏑馬、奉射、鶴が岡八幡参拝の次第等、故実を基に新しい武家儀式を制定した。以来小笠原流は、弓術、弓馬術とその基本動作をまとめた作法により、武家社会の日常生活から儀式に到るまでの、礼法の規範ともなり、今日まで伝えられている。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:40
○、飯篠長威斎家直

 天真正伝香取神道流流祖、武道中興、刀槍の術の始祖(本朝武芸小伝)といわれる。同流の書(師範、大竹利典著)(注1)によると、家直公は、元中四年(1387)下総の国飯篠村の郷士の家に生まれ、幼少の頃より刀槍の術に秀でていた。主家の千葉家において、武勇の誉れが高かったが、千葉家滅亡後、一族郎党の者を解雇し、香取神宮奥の宮に程近い梅木山に隠棲する。六十余歳にして、香取神宮に千日千夜の大願を起て、斎戒沐浴粉骨砕身修行の後神示を得たという。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:41
○松本備前守政信

 鹿島神宮の祝部で、常陸の大椽鹿島氏の四家老の一人であるという。飯篠長威斎について兵法を学び、鹿島神宮に祈願してこの道を極めた。その流名は鹿島流又は鹿島神流といわれる。備前守は戦場往来の勇士として知られたが、大永四年(一五二四)鹿島野の戦いで討ち死にしている。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:42
○塚原卜伝高幹

 延徳元年(1498)鹿島神宮の座主卜部家に生まれ、塚原新左衛門の養子となる。卜部家は鹿島の太刀を伝えており、養家の祖父土佐守安幹は飯篠長威斎の高弟であり、養父も神道流の伝を受けている。生れ乍らにして剣の家に育った卜伝は、子供の頃より剣の道に並はずれた情熱を注ぎ、鹿島神宮に一千日参篭して祈願を込め霊感を得て開眼し、流名を新当流と称した。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/20(金) 13:42
○愛州移香斎久忠

 陰流の祖。享徳元年(1452)伊勢に生まれ、若い頃には遠く明国にまで渡航した事があるという。日向(宮崎県南那珂郡)の鵜戸神宮に参篭し神示を受けこの道の奥義を悟り、一流を創始する。移香斎は天文七年(1538)八十七歳で世を去り嫡子小七郎宗通が嗣ぐ。この門から新陰流、柳生流と多くの流儀が生まれている