2ちゃん武道板仮設神殿  

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247名無しさん@お腹いっぱい。
>>246
>武士が鍛錬としての武芸として低く見ていた近世以降の相撲

あれ?武士が鍛錬として行っていたことも
武芸として認知されていたことも認めちゃったみたいですね。

では、参考までに

建長 6年(1254)閏 5月 1日、執権北条時頼が『近年、相撲などの武芸が廃れ』ていると慨歎し、武士を引っ張り出して相撲大会を催した
248名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 15:40
ちなみに源平盛衰記には『相撲四十八手』の言葉が
既に出ているようです。
いま私達の知っている相撲とかつての相撲がまったく
別のものでなくなんらかのつながりを持っている
たしかな証拠ですね。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 19:12
これだ!


源平盛衰記巻廿一小坪の戦の条

ここに武蔵国住人、綴党の大将に太郎、次郎とて二人あり。
ともに大力なりけるが、太郎は八十人が力あり、東国
無双の相撲の上手、四十八手の取手に暗からずと聞こゆ
250名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 19:20
247〜249 貴方はエライ!
251名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/24(火) 20:21

       ∧ ∧
       ( ゚Д゚)
            ||
 .       ┃
    q∧ ∧. ┃
    ("゚∀゚) ┃ウチトッタリ!
    .(っ||y||ρ
   ,ソノヽゞ,ヽ、
252名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 00:45
>>247

× >武士が鍛錬としての武芸として低く見ていた近世以降の相撲
○  武士が自身で行う鍛錬としての武芸より低く見ていた近世以降の相撲(という見るスポーツ)

ですね。私が一貫した主張をしていた上に>>192のリンクまで張っていておきながらコレでは
文脈から変だと思われたでしょう(w
指摘ありがとうございます。

もちろん神道さんは近代と中世の違いは説明するまでもないのでしょうけど
江戸時代からが近世ですね。
鎌倉時代はもちろん中世です。
よって、

鎌倉時代に「相撲」と呼ばれたものは、
土俵も仕切りもなく、のちにあらゆる組討武術(柔・柔術、拳法など)へと名を変えたものも含む
「格闘というジャンル全てを総称するもの」を指す、

という私の主張は変わりません。
現代に伝わる相撲との技術的なつながりはあったとしても、
ルール整備をされた別のものであることには違いありません。
ルールが違えばスタイルや技術が変わることも理解されていますよね?
253名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 00:45
>>248-249
おお、すごい。
お見事です。
と、誉めてあげたいのですけど、残念ながら、本当に残念です。

この相撲四十八手という言葉が歴史上、最初に現れるのは
たしかに源平盛衰記です。
この内容が現在の四十八手と同じものかどうか、ということは残念ながらわかりません。

具体的に四十八手にどのような技があるのかがハッキリしたのは
江戸時代になってからです。
これは江戸時代に興行として成熟した相撲が、観客を意識し、
「寄りきりで○○山の勝ち!」
と解説をするために後から作られたといわれる四十八手ですね。
しかし、実際には当時から相撲の決まり手は48種類以上あります。
現在でも相撲協会が認めている決まり手は70種。
それに勇み足と腰砕けを加えて72種としています。
ここまでくるのに、一説には150とも300以上とも言われた似たような技を統廃合し
現在のようにまとめたのです。
奈良時代の元祖行司・志賀清林が四十八手の基礎を創案した、とも言われていますが
これも例の吉田故実なので、全くと言っていいほど信頼性がありません。

つまり、奈良時代から鎌倉時代、近世以降の、全ての「相撲」と呼ばれたものにおいて、
実際に決まり手が四十八手だったとする証拠は一つもないということですね。

さて、ここで本題。
日本におけるこの48という数字は、
基本的には阿弥陀の四十八願から出ているものといわれています。
これに合わせて「いろは48文字」が定まったとされています。
つまりこの48という数字は「数が多い」という意味であり、
>>249の「相撲四十八手」というのは
>太郎は八十人が力あり、東国無双の相撲の上手、
という大げさに力持ちであることを訴えている文脈から読み取ると、
>四十八手の取手に暗からずと聞こゆ
は、「多彩な技に通じている」というていど解釈するの正しいでしょう。

結論しては、まず「四十八手」と言う言葉が先にあり、
後から(江戸時代になってから)代表的な技を48個数え上げたと考えるのが
現在の常識的な判断です。

ちなみに四十八手は解説が載っている本によって多少の差異があり、
また、協会認定の72手もマニアに言わせると87あるそうです。

それから、もう一つ。
私が中世以前の相撲と近世以降の相撲に断絶がある、
と主張する主な理由は、
近世の吉田故実体制支配以降から「神道的装飾」に彩られた現在の大相撲と、
相撲節の関係の薄さを指摘するためであり
(まあ、そもそも七夕以外で相撲が行われるようになった時点で神道との関係は薄くなったと言えますね)、
技法的にどう繋がりがあったのか、といった事に関しては
それほど執着していません。
というのは、現実にこればかりは確かめようがないからなんですね。
また、もちろん私自身は技法的な繋がりはあると思いますし、柔術と相互にフィードバックしあっていた
であろうということは認めますが、
だからといって、近世以降の武士が他の武芸十八般と同等に扱っていた、という立場はとりません。

>>250-251
ごめんね(w
254名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 00:59
>>247 は?
255名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 01:03
>>254

>>252に書いたとおり
256書き忘れ:2001/07/25(水) 01:07
252
253
255
は19=24でした。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/25(水) 01:28
言葉遊びですね
25819=24:2001/07/25(水) 01:44
ちょっと思ったんですけど、神道さんはあまり私のレスを読んでくれてないのでしょうか?
同じことを何度も繰り返し書くのはシンドイですよ。

相撲の歴史について何か異論がありそうなのはわかるのですが
何かご自分の一貫した主張を訴える、というより、
ただ私に対して反発して、
私の主張のどこかに矛盾や誤りがないか探そうとしているだけでは?という印象が拭えません。
愚かなフリをして何度も同じことを訊くのは刑事の尋問テクニックを真似ているのでしょうか?
それともレスをちゃんと読んでいないだけなのでしょうか?

何かの文献らしきものを拾ってきて、それを根拠に「どうだ!」
とやるのは
よく言えば「大胆な仮説」悪く言えば「迂闊な愚問」。
源平盛衰記を見つけたのは正直「おお、がんばったなあ」と思いましたが、
もう少し慎重に調べて考えてから扱った方が、
もっと良かったと思いますよ。
それとも私が答えられるか試しているのですか?(w