1 :
無名草子さん:
2 :
無名草子さん:2013/02/02(土) 23:22:43.94
3 :
無名草子さん:2013/02/02(土) 23:27:30.94
4 :
無名草子さん:2013/02/02(土) 23:35:30.75
孫市は昭和38年7月から翌年7月にかけて週刊読売に連載だったかな。
このスレでは久々の小説だね。俺は読んでいるだけなんだけど、皆さん頑張ってね。
5 :
無名草子さん:2013/02/02(土) 23:38:11.70
孫市ってドスケベだよな
6 :
無名草子さん:2013/02/02(土) 23:42:12.87
7 :
無名草子さん:2013/02/03(日) 00:00:51.54
>>4 この時期の作品は間違いがたくさんあって、おまいらとしては美味しい作品だろうw
8 :
無名草子さん:2013/02/03(日) 00:09:20.68
>>7 一所懸命文献に当たって数ヶ所間違っただけの作家が、
ネット検索でチョロッと調べただけのおまいらにいたぶられるレスが延々と続くのか。
9 :
無名草子さん:2013/02/03(日) 00:16:16.34
>>8 間違いは糺さないといけないよ。
歴史は国民の共有財産であると司馬さんもおっしゃっている。
「和田惟政は高山右近の実兄」なんてのを覚えたら恥をかくからな。
織田信広は、信長に滅ぼされた清洲織田家の当主じゃないし。
この小説の寧々の容姿の描写を読むと、
大河ドラマ「国盗り物語」の太地喜和子はドンピシャはまっているな。
中村錦之助が孫市をやった映画があるんだが、
諸君らの記憶に残っているのは、大河の林隆三かね?
>>5 司馬作品では“好色”は卑しい性格とはされていない。
『関ヶ原』の島左近のように軽い好色は、むしろ魅力であるとされる。
だが、孫市の場合、少し好色シーンが多すぎるな。
竜馬も途中までエロエロだったし
読者サービスの面もあるだろう
>>10 和田惟政が岐阜の町奉行のような職にあるんだが、
これなどは厳密さを要求しても作品がより面白くなるわけではないから、
あれでいいと思う。
ルイス・フロイスの手記に登場した和田惟政を流用するほうが、却ってわかりやすい。
この作品の和田惟政は重要な役じゃないしね。
しかし、重要な役であろうとなかろうと血縁関係はきちんと書かないとね。
>>16 和田惟政が高山右近の父親の実兄だという学説があって、
当時かなり有力だった。
>>17 だったら(高山右近の伯父)と書けばええんとちゃうww
>>12 映画の梓英子のほうがタイプだなあ。
脇役が多かったから、ガキの頃は美人と思っていなかったけど、
改めて見ると綺麗な女優だ。
脇役って地味メイクじゃない。
映画以外で見るとヒロイン以上の美人というケースがけっこうある。
感想のやりとりなら、読んでいて大いに楽しいが、
重箱の隅をほじくるような史実指摘は、もういゝです。
それよりも、差別語刈りをしてあるのをなぜ取り上げないのですか。
『全集』は、徹底的に変えてある。
文春もヒドイことをしてくれたものです。
今重版や改版されてる文庫も大抵変えてある。
初版の単行本に比べると、文章の勢いが違ってしまっている。
重箱の隅に残ったおかずの汁のしみこんだ飯粒は美味だよ。
『短篇全集』は、一段組だし、値段も手頃ゆえ買っても良いんだが、
差別語の修正なんてしてあるんならイヤだな。
司馬さんも八方美人的だな、そんなこと応じなければよいのに。
司馬さん自身が手を入れて書き換えに時間をとっているが、
仕向けたのはあくまで文春。
訂正は事実だが、
今や、訂正後のものが司馬文学なわけで…。
やっぱり、『短篇全集』買うわ!
史実と違うなんて…。
根本的な面で事実を取り違えていたり、
基本的なとらえ方が誤っていない限り、どうでもいい。
大きな間違いがあれば、連載後書き直されてもいるし。
第1章 赤羽織
元亀元年(1570)2月。信長の居城・岐阜城下に雑賀孫市現る。
御伽衆・範のうから孫市の噂を聞きつけた信長は…。
一行目から間違えているな。
永禄から元亀に改元されたのは、1570年の4月23日なので、
2月であれば永禄13年だな。
>>17 高山飛騨守ダリオの実兄が和田惟政だという見解は、ミハエル・シュタイシェンの『キリシタン大名』に書かれている。
戦前の高山右近研究の碩学・片岡弥吉氏によって広められた。
孫市あるいは孫一は、松平家の竹千代と同様に世襲名なので、石山合戦で有名な雑賀孫一が
どの孫一なのかは、実はよくわかっていない。
この小説をはじめ通説は、鈴木佐大夫重意の次男・重秀としている。
長男の重兼も孫一であるが、病弱だったというところから、次男説が通説である。
「見えたぞ、見えたぞ」
と、楽しげにのぞいては、すぎてゆく。
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率直にいって、前半のドスケベな孫市と同一化できる読者は少ないだろう。
ほとんどの読者が孫市を騙す役割の藤吉郎と同一化していると思う。
司馬さんの秀吉は、これまでも『梟の城』など多くの作品に登場していたが、
いわゆる“司馬秀吉”のキャラクターが確立した最初の作品が、この『尻啖え孫市』である。
第2章 お寧々
岐阜にやってきた孫市の真意を探るべく、孫市に接近する寧々。
前章で孫市と喧嘩をして城下を騒がせた織田家の足軽大将の名前が
蒔田三左衛門であることが明らかにされる。
この人物は「国盗り物語」にも端役で登場するから、実在した人物なのだろう。
藤吉郎が寧々の口を吸っていますが、戦国時代にもキスをしていたんですか?
>>49 秀吉が淀殿に宛てた手紙に口吸いのことが書いてある。
最も古い文献は、平安時代の紀貫之の「土佐日記」。
歯磨き粉のない時代にも、人類はキスをしていた。
第3章 女の軍略
しかし、どうしたわけか、孫市が寧々の腹の下にさし入れている手を、寧々は制止することができない。
秀吉の長屋のある町を井ノ口とされているが、
一般には井ノ口一帯を信長が岐阜と改名したと言われている。
信長が朝倉攻めの準備をしていると述べられていますが、どの朝倉攻めですか?
>>56 ネタバレになるけど金ヶ崎の戦い。
お市の方が両端を紐で結んだ小豆袋を信長に送り、長政の裏切りを知らせたという逸話のある戦。
第4章 女房担ぎ
孫市の雑賀衆を味方に引き入れるための藤吉郎の謀略が始まります。
謀略とはいうものの藤吉郎が孫市に振り回されているところが面白い。
60 :
無名草子さん:2013/02/03(日) 18:08:28.56
>>31 永禄13年2月は、元亀元年2月が正しい。
年始に遡って新元号で称すると決めていた時代。
その時代によってマチマチだが、当時は、そう。
近くは、明治元年の例がある。
>>11 そこは間違いではないです。信広は信長の庶兄で清洲織田家の人ではありませんが、
ここに出てくるのは広信ですから正しいです。広信=信友で清洲織田家の最後の当主
で間違いありません。
>>60 明治元年は1月1日に遡る旨の詔書が出たからじゃないの。
年始説と改元日説の対立は平安時代からあって、いまだ決着をみない。
近代になってからも、大正6年に戸籍事務に関して実務現場から質問があり、
内閣法制局が改元日説によるべきことを回答したのに対し、
司法省はこれに従わず、年始説で戸籍の記載をしている。
まあ、戸籍事務のことを考えると司法省のいうように年始説が便宜であるが、
先帝の治世を新帝によって上書きするというのは問題がある。
内閣法制局のいうように改元日説だ妥当ではあるまいか。
また、即位と改元が同時に行われない場合も、吉凶を動機として改元される場合が多いので、
改元をした当時の人々の気持ちを尊重して改元日説によるべきであると思う。
>>57 小豆袋の端の紐が切れていたんじゃなかったっけ?
64 :
無名草子さん:2013/02/03(日) 18:41:36.34
司馬遼太郎を貶める書き込み
首都や、三菱 三井 住友などが大阪へ移転か ★32
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1359263524/ より
410 名前:地震雷火事名無し(内モンゴル自治区) :2013/02/03(日) 15:50:53.89 ID:FO6EgTdb0
良い大阪人は死んだ大阪人
生きてる大阪人は悪い大阪人
by司馬遼太郎
司馬遼太郎を日本の歴史についての偉大な学者ではなく、大阪人だけを憎む矮小な人物として
まるで司馬氏がそう言ったかの様に書き込みがされています
奇妙丸と婚約していた武田の姫って誰ですか?
>>62 本日放送のNHK大河ドラマ『八重の桜』では、
桜田門外の変を万延元年3月3日ではなく、
安政7年3月3日にしていましたね。
改元日説に立脚しています。
>>50 俺らがガキの頃の日本映画ではディープ・キスは厳禁だったので、
俺は日本人のキスというのはベロを入れないものだと思っていた。
「パピヨン」という映画でスティーブ・マックィーンとアリ・マックグローがベロを入れてキスしているのを見て、
「ウェ、きったねえ。ベロ入れてキスすんのか?外人は変態か」と思った。
この映画の撮影の後、二人は結婚した。
以上、余談である。
70 :
無名草子さん:2013/02/03(日) 23:24:59.88
>>69 二人の共演は、『パピヨン』じゃなくて『ゲッタウェイ』じゃないか?
>>67 織田信忠の婚約者は、武田信玄の五女・松姫。
織田が武田を滅ぼした後も婚約が破棄されたわけではなく、八王子に落ち延びていた松姫を
信忠は正室に迎えようとする。ところが、松姫が信忠に会いに行く道中で本能寺の変が勃発。
信忠が死んだために婚約を果たせなかった。
松姫はTBSの「おんな風林火山」(昭和61年)で鈴木保奈美がやったな。
大河で見た記憶はない。
松姫の同母妹が菊姫(六女)で上杉景勝の正室。
こちらは「天地人」で比嘉愛未がやった。
遠山勘太郎[直廉]の娘で信長養女として武田勝頼に嫁いだ女性は、遠山夫人と呼ばれている。
永禄10年(1567)に信勝を産むが、難産のため死去している。
松平信康の正室は、徳姫。
第5章 出陣
加乃を奪うため物部明神へ走る孫市。
そのころ信長は朝倉討伐の兵を京へ向かわせる。
物部明神の神官・織田掃部は、尾張日置城主の織田掃部忠寛とは別人の架空の人物であろう。
なお史実の織田掃部忠寛には、
>>73で述べた信長の養女・遠山夫人と
信玄の嗣子・武田勝頼との婚姻の交渉をまとめた実績があり、この小説の掃部を彷彿させる。
信長の皇居造営の奉行が、朝山日乗と島田弥右衛門尉[秀満]とされているが、
朝山日乗と村井貞勝の間違いではあるまいか。
第6章 鉄砲衆来着
岐阜を発った織田軍は、安土に近い常楽寺村に滞留して、北国の雪どけを待ちます。
信州追分から越後高田までの街道も北国街道(北国脇往還ないし善光寺街道)と呼ばれるため、たいへん紛らわしいです。
この小説をはじめ戦国時代の小説によく出てくる関ヶ原からの北国街道は、東近江路と呼ぶようにしませんか?
【車返坂の名の由来】
南北朝時代、京の公家・二条良基が、不破関屋が荒れはて板庇から漏れる月の光が風流と聞いて、
牛車の乗ってやってきた。ところがこの坂道を登る途中、屋根を直したと聞いて引き返してしまった
という伝説からこの名で呼ばれるようになった。牛車で登れないような急な坂道という意味ではない。
司馬さんは坂道の描写で、「馬の息もあやしくなっていた」と書かれているが、ちょっと違う。
信長が長期滞在して相撲興行などを行った常楽寺村は、現在の近江八幡市にある。
東海道本線の安土駅あたりである。
滋賀県湖南市西寺に常楽寺というお寺があって、こちらがヒットすることが多いので、
注意してください。
第7章 火術
常楽寺村です。
雑賀衆が信長に鉄砲の技を披露しました。
藤吉郎が宿営していた須田村
信長の宿陣から1里しかはなれていないが、東近江市になる。
大河ドラマ「国盗り物語」の孫市のシーンに、こういうのがあったよね。
日本一! /⌒\ 日本一!
\●/∧__∧ /⌒\
∧_∧ ∩ (・∀・ )\●/ ∧_∧
( ・∀・)/ヽ Y  ̄ ||y||  ̄`''φ 日本一 ( ・∀・)/ヽ
ノ つつ ● ) 日本一!Lノ /ニ|| ! ソ > ノ つつ ● ) 日本一!
⊂、 ノ \ノ 乂/ノ ハ ヽー´ ⊂、 ノ \ノ
し' `ー-、__| し'
第8章 風雲動く
徳川殿参着。
4月20日、朝倉攻めのため北国街道を北上。出陣であります。
また出てきました猿投頭巾。読みも「さるなげ」であったり「さなげ」であったり一定しない。
形もわからない。
>>97 西本願寺さん、誤植です。
×送られた
○贈られた
茶人の名前が四名ほど連ねられているが、津田宗達は宗及の父です。
永禄9年(1566)に没しています。
壺狩りについては、司馬短篇全集2に「壺狩」という小説が収められています。
その次の「戦国の壺―日本名器伝来抄」というのも、そっくりな作品です。
第9章 敦賀攻め
金ヶ崎の戦いが始まりました。
孫市の雑賀衆は、手筒山城の攻撃で大活躍します。
金ヶ崎城の守将が、朝倉宗滴とその子(養子)の朝倉景紀になっているが、誤り。
まず、朝倉宗滴は天文24年(1555)に死んでおり、この世にいない。
孫市が宗滴から接待を受けた話もフィクションである。
宗滴の養子の朝倉景紀は、金ヶ崎の戦いの2年後に死ぬ。
本当の金ヶ崎城守将は、朝倉景紀の子の朝倉景恒であるが、なぜかこの小説に登場しない。
>>104 『国盗り物語』でもこの場面で宗滴が生存してなかったか?
そういう文献が当時は通説と信じられていたんじゃないのか?
>>5 司馬さんが本文で書いているが、雑賀党の子孫で作る雑賀会の会員から、
「孫市をああまで好色に書いてもらっては困る」という苦情の投書が殺到したらしいな。
>>108 『風神の門』でも才蔵の恋人が次々に登場して辟易したが、
まだ恋人ひとりひとりに名前が与えられていたから我慢できた。
孫市の場合、各章ごとに違う名無しのセフレが出てきて、
何人出てきたか人数すら覚えられない。
いい加減にしてくれ。
とか言いつつ下はこんなことになっています aa略
第10章 金ヶ崎退却
いわゆる“金ヶ崎退口(のきぐち)”が、ここから始まります。
第11章 鉄砲芸
金ヶ崎退口の続きです。 「尻でも尻啖え!」
【織田軍を追撃した朝倉軍の諸将】
朝倉景鏡[式部大輔](かげあきら)
…義景の従弟。天正元年(1573)の一乗谷の戦いで織田に降伏。織田家の家臣となる。
翌年、越前一向一揆において戦死。
溝江長逸[大炊助]
…朝倉景鏡と同じパターンで天正2年(1574)に戦死。
黒坂備中守[与七]
…上の二人と同じパターン。
朝倉景綱[兵庫助]
…上の三人と同じパターンだが、越前一向一揆では戦死せず逃亡した。その後、不明。
【織田軍を追撃した朝倉軍の諸将】
桜井新左衛門[景道]
…金ヶ崎の戦いでは、杉津口の守備。一乗谷の戦いでは、織田に降伏せず、義景に随う。
三国湊城主。
http://fuitabi.atukan.com/itai/siro/01-00.jpg 鰐淵将監[吉広]
…天正元年(1573)の戦いでは織田に降伏せず、疋田城の攻防戦で戦死。
朝倉景盛
…
>>118の諸将と同じパターン。ただし、越前一向一揆で戦死したという確証はない。
三段崎権頭
…朝倉家庶流である。詳細は不明。
印牧孫六左衛門
…鉢伏城を築城。その他の詳細は不明。
第12章 闇鉄砲
金ヶ崎退口の続きです。本章と次章が、佐柿国吉城の戦い。
郷土史家の武田久二氏は、「ふるさとの歴史と民俗−美浜文化叢書3」の共著者です。
第13章 京へ
金ヶ崎退口の続きです。
佐柿国吉城を脱出した藤吉郎と孫市は、やっとの思いで京へたどり着きました。
ずいぶんページがはかどったように思うが、いまは元亀元年(1570)5月、
この物語が始まって、まだ3ヶ月である。
火縄銃が使われなくなって、かなりの年数が経過したが、
いまでも「火蓋を切る」の言葉が使われる。たいしたものだと思う。
ときに「火蓋が切って落とされる」というふうに言う人、書く人がいる。
「火蓋を切る」とは火蓋の安全装置を外して火縄銃を撃てる状態にすることである。
「火蓋を落とす」と新しい火蓋を買い求めなくてはならなくなるので、決して落としてはならない。
∧-─-、
/ ─ \
/ (●) ゙i
< | (、_,.)''ー 、 |
゙i(●) ) /`) ) / 火蓋を切って落とすと、火縄銃が壊れちゃうよ。
\ ヽ `ニ´ノ/ よい子のみんなは、絶対に真似しちゃダメだよ。
`''ーr -一''゙i
(⌒`:::: ⌒ヽ
ヽ:::: ~~⌒γ⌒)
ヽー―'^ー-'
〉 │
>>124 武田久二氏がお住まいになられていた(もしくは“いる”)美浜町久々子は、
川渡甚太夫の生まれ故郷の港町だな。
川渡甚太夫については、『菜の花の沖』第2巻の《あとがき》に詳しい。
131 :
無名草子さん:2013/02/05(火) 17:13:41.85
>>131 北前船の船頭。「川渡甚太夫一代記―北前船頭の幕末自叙伝」(東洋文庫)の著者。
京都の大原に到着したとたんに、孫市は「女、女、女」とやかましくなる。
なんというドスケベ。
>>135 京都大原三千院には、恋に疲れた女がひとりいるだけなんだけどな。
第14章 姫御料人
金ヶ崎の戦いのために棚上げされていた孫市と加乃の恋愛話の続きです。
半井驢庵邸で二人はお見合いをします。
どうして孫市は見ず知らずの通りすがりの女性の名前を加乃と思い込んでいるのだろうな?
>>140 孫市の雇った間者が間抜けだったんじゃないの?
織田信長の妹の名前だったら、簡単に調べられると思うがな。
孫市が勘違いして覚えた名前の女性の贋物というのも、変な感じだな。
この女の本名は、小えんというんだけど、そっちの方はみんな忘れてるだろ。
これからエッチする直前で「つづく」になるよな。
むかしの昼メロってたいていそうだった。
ドスケベが来週も週刊読売を買うんだろうなw
>>142 加乃の視点の箇所も、自分のことを「お加乃」と言ってんのな。
「お加乃は、内心、クスリと嗤った」みたいに。
視点のところは本名の小えんでゆくべきだと思うがな。
>>147 なりすましの自作自演をやるときは、なりすました自分が本当の自分だと思わなきゃ失敗するよ。
>>144 「棒立てあそび」って素敵なタイトルですね。
この手のポスターがいっぱい貼られている街角を、
僕たち小学生は毎日通学していました。
それでもみんな真ともに育ちました。
>>149 棒立てあそびに篠田三郎が出てんだよな。
どういう役なのか、興味津々だわ。
田中星児がポルノ映画に出演してビューティフル・サンデーを歌い出したら、
ショックで泣き出す人がいるかもしれんな。
>>141 はじめのほうを読み返してみたが、
「加乃が、供多勢をつれて清水に物詣したとき」
「この娘は、近江の浅井長政に嫁いだ姉のお市御料人よりもさらに美しいというから」
と孫市の視点で書いている。
孫市は、自分の見た娘が信長の妹で、かつその名が加乃であると信じて疑わない。
やっぱ孫市って馬鹿だろう。
>>153 孫市が悪いのではない。
作者が加乃という信長の妹を本気で創作しようと思っていたが、
後で考え直したのかもしれない。
大野治長の妹(姪)はこの前後にも創作している。
しかし、信長のような著名人の肉親を創作することに抵抗を感じたのかもしれない。
見知らぬ男が突然自宅を訪ねてきて、
存在しない自分の妹と「結婚させてくれ」と自宅に居座ったら、気持ち悪いよな。
世間一般はそこまで深く考えない。
和歌山の人々なんか、孫市を有名にしてくれてラッキーとしか思ってないよ。
そうして雑賀鉢でもない普通の兜でお祭りをやって、
「町おこしで観光客集められてラッキー」と思う。
こういう意識の低さ乃至卑しさというのは、たまらなく嫌だ。
詐欺師に騙されたような不快感がある。
孫市祭りなのに、なんで雑賀鉢をかぶらないんだ?
むかし国内にあるベトナム料理店と称する店に行った。
出てきたのは中華料理+スペアリブ。
こんなのベトナム料理じゃないよ。取り締まろうよ。和歌山の偽雑賀祭りや、偽ベトナム料理店は。
「固いこと言わなくていいじゃない」で見逃しすぎなんだよ。
このアジア的いい加減さからは脱亜すべきだよ。
中国人と同じようなつまらん民族にはなりたくない。
>>156 偽ベトナム料理店は中国人経営なんで、中華料理しかててこないアル。
ホーチミン市のショロン地区には華僑がたくさんいて美味しい中華料理が食べられると、
司馬さんは『人間の集団について』に書いている。
中華料理をベトナム料理と称して客に食わせても、詐欺にはならない。
>>158 そういうアジア的鷹揚さを美徳と考えるのはやめないかと言っている。
アジア的鷹揚さが、平気で公害を撒き散らす。
「細かいことガタガタ言うことないんじゃないの」の集積が公害だ。
北京の大気を見てみろよ。あれが空気かよ?
>>160 しかしドイツ人のように細かいことガタガタ言って脱原発して電気代が高くなって超節電生活を送るのも嫌だな。
第15章 すばる星
孫市は加乃に夜這いをかけます。
すばる星を漢字で書くと「夜這星」になる。孫市がこの章の最後に歌っている詩に、そう書いてある。
すばるとは流れ星の意味であるが、夜這の字を当てたのは、恋しい恋しいと思い続けた男性の魂が抜け出して、
夜、好きな女性の許へ流れ落ちて行く姿に例えられたのである。
>>165 諸星あたるは、流星あたるにすればよかったのにな。
孫市は、加乃の笛に合わせて、“わが娘は十余になりぬらん 巫女してこそ歩くなれ”という歌もうたっている。
司馬さんは、これを「京ではやりの流行歌(今様)」と述べているが、ウソである。
この今様は、後白河法皇の編纂した「梁塵秘抄」に収められた平安時代の今様である。
>>167 いや、ピンク・フロイドの『狂気』を超えるロングセラーと考えることもできるぞ。
半井驢庵の子孫の半井布文氏(元NHK大阪)が、執筆中の司馬宅を訪ねるシーンが出てくる。
この半井布文氏、昭和貳拾七年に堺市熊野町元大通庵墓地から南宗寺に堺半井ト養家墓碑を移している。
孫市はお加乃の秘所をしげしげと眺め、
「お加乃。不憫じゃが、孫市とはこれだけの縁じゃったとあきらめてくれい」
と突き放している。現代であれば、おそらく慰謝料請求の訴えを提起される。
第16章 雑賀へ
加乃が清水寺で見初めた女と別人であることを知った孫市は、
京を去って紀州雑賀へ帰ったばかりか、反信長勢力を結集して信長を打倒することを心に誓う。
信じられないような単純さだよね。騙されたというだけで…。
「民主党の性根、わかった。わしはおなごをうんぬんとは申しておらぬ。
民主党はわしをだました。そのことをいっている。おれのような有権者を
だますようでは、民主党は、所詮、天下は取れまい」
孫市の離反に驚いた藤吉郎は、“信長の館”に向かったというが、
京に“信長の館”がなかったことは司馬氏が繰り返し述べている。
「信長の宿陣」とすべきである。
種子島に伝来した鉄砲の普及に大きな役割を果たした人物は、根来寺の津田監物算長と、
ここに出てくる堺の商人「橘屋」である。橘屋又三郎という。
なお、津田監物は、この小説の時期の3年前に死去している。
堺の鉄砲鍛冶・芝辻清右衛門は、津田監物の依頼を受けて種子島時尭にもたっら種子島を複製した人物である。
根来衆も雑賀衆とともに石山合戦で織田軍と戦ったとする者がおるが、
新義真言宗の根来寺が一向宗を助けるものだろうか。疑問だ。
この小説のいうように、織田軍に味方する方が妥当なように思えるが、
この先変化があるかもしれないので、注意深く見守っていよう。
181 :
無名草子さん:2013/02/06(水) 16:12:38.63
>>180 猫たちは、雪の中で倒れているツグミを食べたいと思っているんだろうがw
孫市の手下の雑賀衆は、「蛍、小雀、下針、鶴首、発中、但中、無二」などの名前が出てきたが、
発中と但中の二名が幹部であることが明らかになる。
映画はマイナーな役柄が元々出ていないか、出ていても俳優名がわからない場合が多いな。
大河の『国盗り物語』は「尻啖え孫市」も原作になっていて、マイナーな役も出てくる。
第17章 雑賀城
孫市さん待望の足首の君が、いよいよ登場するみたいです。
紀州山脈とは、紀伊山地のことだ。大阪と和歌山の県境にあるのは和泉山脈なので勘違いするな。
和歌山県は県域全体が山みたいなものなので、紀伊山地だ。
熊野連山は、紀伊山地の中の熊野あたりの山だろう。
いずれにしても和歌山平野を除くと、どこもかしこも山なんで、どうでもいいっちゅえばどうでもいい。
とにかく県域全部が山だ。
紀伊国には出雲族がいたそうだ。短篇の『八咫烏』には、出雲の植民地だと書いてあった。
それが天孫族(わだつみ族)のイワレ彦(神武天皇)に征服されたのだ。
八咫烏は、わだつみ族と出雲族の混血であることにコンプレックスをもっている人間だ。
カラスではない。イワレ彦の征服事業に協力して、みょうにネトウヨっぽくなってゆく。
出雲族の五十猛命は、素戔嗚尊(スサノオ)の子である。
読者諸氏は、少年マガジンに連載された永井豪の『凄ノ王伝説』を読まれたであろうか?
後に小説化された際、蛇足的に宇宙戦争の物語が付け加えられた。
その部分がすごくドスケベであることを付け加えておく。
以上、余談である。
孫市と萩姫が初めて会った性応寺は、現在は和歌山にない。
鹿児島の加治木に移築されたようだ。
どうしてそんなに遠くに移築されたのか疑問に思う読者もおられると思うが、
今日は時間がないので、明日調べることにする。
和歌山の性応寺の本堂は、現在の和歌浦小学校の地にあった。
豪朗(ゴーロワズリ)は、好色譚という意味らしい。
gauloiserieは、Gaule(ゴール、ガリア)に由来する言葉らしく、
「文明化」される以前のゴール(ガリア)時代の人のような、
現代フランス人の基準からすると野蛮で洗練されていない態度という意味らしい。
孫市が織田家の姫・加乃だと思い込んでいた女性が、
実は自分の父親の知り合いである萩姫だった。
なんという灯台もと暗し。
>>197 『孫市』は中心となるストーリーは実にバカバカしいのだが、飽きのこない魅力的な小説だよな。
全体に漂う明朗なトーンが読む者を惹きつける。
>>198 文章の隅々に配慮が行き届いていてディテールの素晴らしさに舌を巻く。
中心になるストーリーのバカバカしさに気づく間もなく一気に読ませてしまう巧さがあるな。
>>199 書き手と読み手の波長が合うかどうかなんだよ。
ストーリーのバカバカしさだけが鼻について、
ディテールの面白さに全く興味を持てない読者はアンチになるだろう。
読者がたくさんいたということは、同時代に波長の合う読者に恵まれたということだし、
作者が多くの読者が求めるモノに敏感だったということだ。
没後は新刊が出ないし、映画化・ドラマ化による宣伝が激減するから、
いつまで読み継がれるのだろうな。
激減という程じゃない。
吉川も司馬も死後に映画化・ドラマ化されたものがかなりある。
時代劇そのものの新作が少ないということはある。
第18章 和歌浦騒動
物々しいサブタイトルであるが、史実ではない。
孫市が性応寺で信徒の漁師らしき若者と喧嘩をしたというせこい話。
信長による本願寺に対する石山立ち退き要求は、
この物語の年−永禄13年(1570)正月−のことである。
第19章 法専坊
萩姫は、紀伊国造・紀大納言家の姫でした。
この章は、紀家についての解説と、石山合戦に備えて孫市を本願寺の侍大将にしようと
画策する佐大夫と信照のお話です。
小田原出身の新聞記者H氏は誰だかわかりません。
昭和38年の執筆ですから、おそらくサンケイ新聞の記者でしょう。
「街道をゆく」の“編集者H”=橋本申一ではないと思います。
“谷”=ヤト(yatu)がアイヌ語であることを発見したのは、言語学者の山田秀三教授です。
出雲族についての詳細は、司馬遼太郎『歴史の中の日本』という随筆集に収められた
「生きている出雲王朝」という作品をお読みください。
出雲大社宮司の千家と北島家は、出雲国造家が二つに分裂した両家です。
南北朝時代に分裂したようです。
この作品に登場する紀家の当主・紀俊嗣氏は、昭和26年に創立された日前幼稚園の前理事長である。
同氏の語った武内宿禰の母親は、山下影日売(ヤマトカゲヒメ)で、紀伊国造ウチマロの娘である。
戦国時代の紀家は戦国大名化しているよな。
この小説には萩姫の父親の名前はいまのところ出てきていないが、
時期的には紀忠雄のはずだな。
秋月城以下八つの城の名前が羅列されているが、紀忠雄が築城したものだ。
作男に“あらしこ”のルビが振られている。
江戸時代の中間・小者も“あらしこ”と呼ぶようであるが、
俺が覚えているのは、農家の使用人の“あらしこ”だ。
昭和40年代までは普通に使っていた日本語である。
ただし、使用人を使うような豪農は農地改革後は存在しなかったため、
小学生の孫が家業を手伝っていると、近所の大人が「ええ、あらしこじゃのう」と
ひやかす程度の使われ方だった。
本願寺家老の下間が登場するが人物の特定はできない。
本願寺家老の下間は、掃いて捨てるほどいる。
221 :
無名草子さん:2013/02/07(木) 15:47:47.75
>>214 紀大納言の名前であとから出てきます。
戦国大名というより、お公家さんみたいな感じの人でした。
“猟”に「かりくら」のルビが振られている。
「かりくら」には狩倉・狩座などの漢字を当て、元来は狩りをする場所を意味した。
そこから転じて、狩りそのものをも意味するようになったんだろうな。
第20章 鷹ノ巣岬
海中で鱶と格闘し、脇差一本で鱶を殺してしまった孫市殿。すごい。
,....、,
/:::::::::`ー-、
/./゙''ー 、、::ヽ、
il" `'-、::゙' 、 食っちゃいますよ
.l゙ ゙''- \
l .,..-''''"^゙''ー ..,,. ゙' .\
.! /゙ _-ー - .. 、 \. ヽi⌒;
! l /ヘ / ヘ /゙i 、, .\ ヾ'::ヘ.
.!! |`l 丶 '!'´ | ''、 ヽ. ヽ::::::.:.,
│.!ゝ !'  ̄/ヘ `. ヘ.::::::::,,
.! !」 :::::::/_. ! ! ヽ::::::.,
.l |丿 ::::::::::::::::::::::/ヘ .! l.:::::::.l
l |⊥ ::::::::::::::::::::::::::::/ヽ "::::::..l
l`l│:::::::::::::::::::::::::::::::::`::::/、! !::::::::.l
.| !´::::::::::::::;:;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; .ゝ l:::::::::::i
,,.! 、:::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; } .!::::::::::.l
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|`.ー ..`' ーl/ ヘ./\∧_/\/ / :::::::::::::..、
! `゙゙ ' ' ――--――-‐'" ヘ::::::::::::.
ヽ、 l::::::::::::l
第21章 片男波
孫市殿、萩姫にフラれてしまいます。
フラれたくせに石山本願寺の侍大将は引き受けさせられてしまいます。
ク ク || プ //
ス ク ス | | │ //
/ ス | | ッ // ク ク ||. プ //
/ // ス ク ス _ | | │ //
/ ̄ ̄\ / ス ─ | | ッ //
/ _ノ .\ / //
| ( >)(<) ____
. | ⌒(__人__) ./ ⌒ ⌒\
| ` Y⌒l / (>) (<)\
. | . 人__ ヽ / ::::::⌒(__人__)⌒ \
ヽ }| | | ` Y⌒ l__ | ま、ま、孫市…
ヽ ノ、| | \ 人_ ヽ / ひょっとして、ふられたんとちゃうかww
. /^l / / ,─l ヽ \
233 :
無名草子さん:2013/02/07(木) 17:44:44.64
>>232 相撲の片男波部屋があるから、みんな知っているよ。
喝食は禅寺にしかいないものだと思っていたら、浄土真宗の寺にもいるんだな。
第22章 堺へ
鉄砲買付のために堺へ赴いた孫市は、今井宗久の屋敷で藤吉郎と再会しました。
>>238 火野正平のほうが孫市に向いている気がするが…
今井宗久の家紋の“鳥居に泊鳩”というのが見つかりませんでした。
>>225 魚の産地にまでこだわるこのスレの態度は素晴らしいと思います。
>>37 > この小説をはじめ通説は、鈴木佐大夫重意の次男・重秀としている。
通説はそうだけど、この小説は重秀になっていないよ。
後ろのほうの余談で「鈴木重幸」と書かれている。
>>228 次章を読むと、孫市にはふられた自覚がないよ。まだ望みを繋いでいる。
もちろん芸妓と戯れながら、そんなことを考えているw
>>243 【鈴木重幸】 (架空の軍師)
石山軍記などによって創作された架空の人物であるらしい。
話を面白くするための創作が、やがて史実のように扱われていったという。
飛騨守を名乗る知勇兼備の名将で、本願寺顕如に乞われ軍師として活躍した。
石山合戦で大いに功があった。
天正六年、信長暗殺のため京都に潜むが、下僕によって返り討ちにあう。
>>240 孫市が馬をあずけた大名小路通というのもないな。
第23章 鉄砲鍛冶
ヒロイン小みちの登場です。
叡山焼打の話が出てくるが、この物語の時点では、まだ行われていない。
翌年、元亀2年(1571)9月12日に行われた。
この小説では、芝村仙斎の作業場兼自宅は、湊村にあったことにされている。
現在の堺市堺区東湊町、西湊町、出島町あたりである。
しかし、織田家の兵器製造を受け持った今井宗久は、永禄13年(1570)2月17日に
湊村惣中に対し、同村内の吹屋を我孫子五箇荘へ移住させるよう命じている。
その後は五箇荘(現在の大阪市住吉区我孫子)が堺の兵器製造の中心になる。
>>252 この物語の年の2月に今井宗久の命令が届くんだよな。
しかし、湊村惣中は、織田と今井の命令に、すぐに応じたわけじゃないよ。
それに、この物語では、芝村仙斎は堺が信長の兵器廠になることに反発しているから、
湊町に居残っていたのかもしれない。
>>253 ネタバレになるけど、芝村仙斎は本願寺信徒という設定だからな。
それに、芝村仙斎役の佐々木孝丸は、俳優を兼業しているが、プロレタリア作家だ。
第24章 鉄砲仙斎
萩姫は萩姫として、わしはきっとこの娘をものにして見せる >孫市
___
/ノ^, ^ヽ\
/ (・)) (・)) ヽ
/ ⌒(__人__)⌒::: l
⊂ ̄ヽ_| |r┬-| | まだ懲りてねーよ。孫市のバーカ。
<_ノ_ \ `ー'´ /
ヽ  ̄V ̄ ̄ ⌒,
/____,、ノ /
/ (__/
( ( (
ヽ__,\_,ヽ
(_/(_/
>>251 原作ではどういう設定なのか知らないが、映画では小みちは信照の妹だね。
前章から名前の出てくる武野新五郎は、武野紹鴎の子と書かれているが、
実は父親の紹鴎の名も新五郎である。出家して紹鴎と名乗った。
子は武野宗瓦の名で知られている。
>>258 紹鴎の子も、新五郎で正しいよ。親子ともに新五郎。
>>259 武野新五郎は、門徒で間違いないよ。
宗久に対する訴訟に加え、本願寺門徒であったことから、信長・秀吉に迫害された。
しかし、後日、徳川家康の取り持ちで、秀吉とは和解したけどね。
>>257 映画化するときは、萩姫はカットされるだろうね。
原作では幻の“素足の君”加乃が重要であって、その本物はまったく無意味な存在だ。
一応本物の加乃=萩姫も孫市を本願寺側に引き入れることに成功するのであるが、
孫市の本願寺入場を決定的にするのは、加乃とは無関係の小みちなんだよな。
小みちとの仲が深くなるに従い、前半孫市の脳裏を独占していた加乃=萩姫はすっかり忘れられてゆく。
>>262 萩姫を紀家の姫にしてしまうと、孫市と結び付けるのは難しいな。
単に紀家を紹介するためにだけ登場した結果になった。
無理して結び付けようとすると、ロミオとジュリエットになってしまい、物語の方向がズレてしまう。
敵対関係にある雑賀佐大夫と萩姫が一向宗を通じて知り合いだったという設定にも無理があった。
萩姫は親の反対を押し切って門徒になったということだが、
歴史ある日前宮宮司家の娘が門徒になるわけがない。
中納言家だからな。
イメージとしては、元皇族が共産党員になるのに近い。
尾張物部神社の加乃は贋者で、紀州日前宮の加乃が本物と書かれれば、
物部神社としては気分悪いわな。
第25章 その当時
すべて余談である。雑賀一族と雑賀会のこと、諸国の一向一揆のことで埋め尽くされている。
雑賀会発起人の雑賀伊一郎氏が、雑賀衆のことをくわしく教えてほしいと、
司馬遼太郎さんのところにお願いに来た話は、
『司馬遼太郎歴史のなかの邂逅〈1〉空海〜斎藤道三』に収録されている。
越中の雑賀安芸守は、天正年間(1573〜92年)に越中の遊部城もしくは川合田館の城主であったと伝えられている。
山口県の雑賀氏とは、毛利氏の前の大内氏に仕えた雑賀隆利のことである。
水戸藩に仕えた「孫市の子」の雑賀孫一郎とあるが、
孫市の弟の平井孫一(『七郡地士名寄』)のことであろう。
>>273 水戸市湊町の浄光寺に、その孫一郎の墓があると書いてあるけれど、
現在の浄光寺は、ひたちなか市館山に移転している。
本文で述べられている徳川頼房の五男・雑賀重義の墓はあると、
浄光寺のHPには書いてある。
>>273 それは佐大夫の子(つまり孫市の弟)説の根拠。
司馬さんのいうように、孫市の子説もある。
しかし、いくら孫市がドスケベといっても、9歳で子を産ますはずがないから、
佐大夫の子説が正しいと思う。
重朝…孫三郎(孫市の弟)
↓
重次…重朝の実子…司馬は重次をとばしている
↓
重義…養子。これが徳川頼房の十一男…司馬は五男としているが誤り
司馬さんは、この小説の主人公の孫市を鈴木重幸としているが、
>>37にあるとおり、重秀。
鈴木重幸については、
>>245を参照せよ。
>>276 >しかし、いくら孫市がドスケベといっても、9歳で子を産ますはずがないから、
俺は小2のときに勃起していた。
一向一揆について叙述については、加賀と伊勢長島は他でも出てくると思うので、
江州(近江)と安芸だけ説明しておく。
まず、近江。
元亀元年(1570)に始まる石山合戦では、大坂本願寺の宗主顕如の檄文に呼応するように、
金森・三宅(守山市)を中心として一向一揆勢が蜂起します。
本願寺からは坊官の川那辺秀政が送り込まれ、各地の門徒・武士たちが金森・三宅の両城に集まりました。
元亀2年、織田信長軍の攻撃が開始されると一揆勢は籠城して戦いますが、同年9月遂に人質を出して降伏します。
しかし翌元亀3年正月再び一向一揆勢が蜂起します。
これに対し、信長は湖南周辺の村々から一揆に参加しない旨の起請文を取り、懐柔を図ります。
元亀の起請文と呼ばれるこの起請文の徴集によって一向一揆は解体し、
同年9月には金森宛の楽市楽座の織田信長朱印状が出されます。
金森は織田政権下の都市として再生することになるのです。
安芸門徒は数は多いが、領主の毛利家に対して一揆を起こしていない。
毛利家と協力して本願寺を援助している。
下間蓮宗は蓮崇とも表記される。蓮如時代に権勢を誇った。
享禄2年(1529)に細川晴元を淡路に追っ払った下間頼秀は、
その10年後の天文8年(1539)、近江で証如の刺客に暗殺された。
>>282 戦国左翼の一向宗にふさわしい内ゲバ粛清だな。
284 :
無名草子さん:2013/02/09(土) 17:03:05.82
花神はいつからやりますか?
第26章 鉄砲守護神
小みち出生の秘密が明かされます。
小みちの出生の秘密が明かされても、話ができすぎていて、驚くよりもシラーッとした。
_________
/ \
/ ⌒ ⌒\
/ ( ⌒) (⌒)\
i ::::::⌒ (__人__) ⌒:: i
ヽ、 `ー ' / 時堯の姪ときたか
/ ┌─┐
i 丶 ヽ{ .茶 }ヽ
r ヽ、__)一(_丿
ヽ、___ ヽ ヽ
と_____ノ_ノ
しかし、種子島時堯に弟はいない。しかも、種子島時次は時堯の長子で、種子島家の15代当主だ。
____
/ \
/ ─ ─\
/ (●) (●) \
| (__人__) | もう、こんな話は於芳
\ ` ⌒´ /
,,.....イ.ヽヽ、___ ーーノ゙-、.
: | '; \_____ ノ.| ヽ i
| \/゙(__)\,| i |
> ヽ. ハ | ||
>>286 作品の冒頭から大騒ぎしていた“加乃”=紀中納言家の娘を捨てて、小みちに乗りかえるんだ。
これぐらいの仕掛けが必要だと思ったんだろうな。
しかし、サブタイトルwww
293 :
無名草子さん:2013/02/09(土) 17:52:26.36
国盗り物語はいつからやりますか?
第27章 古祠の森
小みちと信太の里でいっぱつやれるとウキウキしていた孫市ですが、
藤吉郎が「刺客が放たれている」ことを知らせます。
上がり框はガマチと読むが、框だけだとカマチと読む。
大阪では、これもガマチなのか?
【ゆとり用】
むかしは寺院・武家以外の庶民の家には、式台を付けることが許されていなかった。
そこで、式台がわりに目立たないような上がり框を付けた。
松井友閑が堺奉行に任ぜられたのは、この物語の元亀元年(1970)である。新任ほやほや。
もっとも当初の呼称は、堺政所といった。
永禄11年(1568)10月…足利義昭、将軍宣下
元亀元年(1570)4月…・姉川の戦い
>>301 >元亀元年(1570)4月…・姉川の戦い
ゆとりはおまいだ。姉川合戦は6月。
4月は金ヶ崎退口で、この小説でも織田軍は、5月は京で休養していたろう。
このスレっていつもひとつの作品に限定して重箱の隅をつつく様なことばっかりだが、
ずっとなのか?
>>303 重箱持ってんのか。すごいなあ。
塗りは、輪島?根来?
セックスとうんこを同時にやりたくなってどちらも我慢できないとき、
孫市ならセックスを優先しますか?僕ならうんこです。
>>305 オシッコしたくて我慢できないときにオナニーすると、オシッコに優先してザーメンが出てくるだろう。
孫市の場合、セックスを優先すると思うな。
307 :
305:2013/02/09(土) 22:44:06.52
よくわかりました。
>>276 「その後この雑賀家に後嗣がなくて家名が断絶しようとしたとき」とあって、
重次を見落としたのではなく、省略しただけだよ。
「小みちどの、私は好色な男だ」
豪志は照れながらいった。
「存じております。路上でも人目をはばからずキスをなさる」
チラ、と小みちは微笑した。
>>262 孫市は加乃(萩姫)の顔も知らず、その素足に惚れたと言ってもいいのだが、
小みちの素足を見ると(萩姫など、及びもつかぬ)と思うようになる。
だったら最初から小みちを加乃にしておけば良かったのにな。
>>310 問屋の武野新五郎を通じての取引とはいえ、雑賀家は長年芝村仙斎の鉄砲を購入していたんだろう。
ドスケベの孫市が風の噂にも小みちの美貌を耳にしなかったというのが不思議だな。
孫市の台詞に「日本中のどの町よりも堺が好きだ」というのもあった。
何度も堺を訪ねていながら、名人仙斎とは面識がなかったんだろうか?
孫市と小みちが初対面であることの不自然さを消すために、堺の鉄砲取引は問屋が一手に取りまとめ、
鉄砲鍛冶との直取引はないことにしたんだろうな。実際にもそうだろうし。
しかし、年中女漁りをしている孫市の触覚に小みちがひっかからなかったのは不思議だな。
小みちが美人かどうかは不明だろう。足の甲と足首は美しいらしいが。
孫市は足フェチなんで、その他の部分の美醜は余人には伺いしれぬ。
“加乃”という孫市の理想の女性に象徴的意義を見いだそうと必死になるのだけはやめておけよ。
単に孫市を岐阜へ行かせ織田家と結び付けるための装置にすぎないからな。
必要がなくなれば、即捨てる。
小みち>>>>越えられない壁>>>>加乃にしてしまう。
娯楽小説ってそんなもんだからな。
少し後の話になるが、小みちも萩姫と同じように、孫市を本願寺に引き入れる説得をする。
それによって孫市は石山に入城するから、ここで萩姫の説得が影の薄いものになってしまう。
読者としては、前半の加乃騒ぎはいったい何だったんだろうと首を傾げる瞬間です。
第28章 信太の里
大鳥明神における闘いの続きです。
法専坊信照の登場で事態は意外な結末に…。
第29章 愛山護法
足くびが、音をたてるような小気味よさでひきしまっている。
(萩姫など、及びもつかぬ)
と思うのだ。孫市がこの地上で見たはじめての女人かもしれぬ。
(この者こそ、三十三観音の首座であろう)
>>318 葛葉狐と野村萬斎のキツネ顔の関係については、けっこうたくさんの人が気づいている。
「陰陽師」について、その手の感想を述べたブログがかなりある。
>>319 エロスを感じるのは、せいぜい脹ら脛までじゃないか。足首ってww
ちなみに、チキンの足首って骨皮だけで食うところないよ。
風呂に入ったとき足首を指で擦ると、垢がたくさん捩れるよ。
足首にエロスを感じるのは無理。
JKとJDの違いというと、足首のくびれが目について、大人っぽくなったなと思うことはある。
しかし、足首そのものにエロスを感じるというのとは、少しニュアンスが違う。
足首は、あくまで全身のスタイルの中の一要素にすぎない。
おまいら孫市の足首フェチに引っ張られすぎ。
>>323 JKの足首が太く見えるのは白いソックスのせい。
JDの足首が締まって見えることがあるのは、黒・濃紺系のストッキングをはいたときだろう。
膨張色か否かの違い。
>>188 > 紀州山脈とは、紀伊山地のことだ。大阪と和歌山の県境にあるのは和泉山脈なので勘違いするな。
「入城」の章の叙述を読むと、俺らが勘違いする以前に司馬さんが勘違いしている。
雑賀衆は和泉山脈ではなく紀伊山脈を越えて大阪平野へ入っている。
>>188 紀州山脈=和泉山脈
熊野連山=紀伊山地
という意味だろうな。
孫市は好色の道は菩薩行だと言っていますが、意味がわかりませーん(´Д`)/
サブタイトルの愛山護法は、仙斎の造った鉄砲の名前だが、
浄土真宗の講話では、むかしはこの言葉がよく使われていたらしい。
第30章 阿弥陀如来
渉るなり、小みちを押し倒した。すばやく手を、小みちの裾の中にさし入れた。
濡れている。
阿弥陀如来がどうの、菩薩行がこうの、坊さんがセックスするときでも、こんなことは言わんだろ。
さっさとやれや。2章も費やして、まだ指を入れただけ。
好色というものをずいぶん称揚している小説だな。
固い話ばかりして猥談ひとつしない仲間の中にいると「猥談ぐらいしろよ」と思う。
反対に、猥談ばかりして真ともな話をひとつもしない仲間の中にいると、
固い話しかしない仲間が懐かしくなる。それだけのことだ。
下ネタはどうでもいいから、戦しろよ。
第31章 入城
元亀元年(1570)9月。お待たせしました。石山合戦の始まりです。
野田城・福島城に籠もった三好党とは、いわゆる三好三人衆。
三好長慶の死後に三好政権を支えて畿内で活動した三好長逸・三好政康・岩成友通の三人のこと。
法専坊信照に邪魔されて、結局、指を入れただけに終った孫市。
吹田川…不明…おそらく消滅
江口川…不明
吹田も江口も神崎川にあった港なので、神崎川と淀川を結ぶ川(ないし運河)を
そのように呼んだのかもしれないな。あてずっぽうの勘だよ。
下間法眼は、下間法眼正秀という人物が史料の元亀3年の項に出てくる。
同一人物かもしれない。
>>340 次章では、下間刑部法眼となっているから、違うよ。
下間刑部頼廉のことだな。
第32章 合戦
石山合戦は11年にも及ぶ長い戦いである。
この章から「信長敗走」までの4章は、第一次石山合戦ともいうべき戦いで、
元亀元年(1570)の8月26日から9月23日にかけて行われた。
野田城・福島城の戦いと呼ばれることもある。
孫市が参戦したのは9月12日の戦いである。
>>338 >中津川…消滅
中津川は拡幅されて新淀川になっているよ。
ただ中津川は蛇行する河川であったので、まっすぐ流すために一部が埋め立てられた。
だから消滅というのは間違いだよ。
ついでに言っておくと、この章に出てくる堂島川が旧淀川。
織田軍の武将の名前が記されていないが、このとき参陣したのは、
三好義継、松永久秀、和田惟政である。
なお、この小説で雑賀孫市が本願寺側で戦ったというのは史実どおりであるが、
実は織田軍にも、雑賀衆・根来衆の2万兵が援軍として参加している。
これは足利義昭の要請に応じた畠山昭高がおくりだした援軍である。
翌9月13日に、顕如軍が、織田軍がせき止めていた防堤を打ち破って
織田方が攻撃に難渋したというのも史実である。
この日の夜には、顕如自ら鎧を着て織田軍の本陣に襲いかかったと『信長公記』は記している。
第33章 天満の本陣
次章「滓上江の合戦」に向けて準備を進める孫市です。
この戦いも、元亀元年(1570)9月に行われました。
もっとも信長は、9月12日13日の敗戦後に天満の森に本陣を移したのではなく、
野田・福島の戦いが始まる前の9月9日に、天王寺から天満に陣を進めている。
楠木正儀の家臣の和田と橋本とは、和田正武と橋本正督である。
雑賀の武将・島本与四郎とは、誰だかよくわからん。
島本左衛門大夫の縁者か本人かもしれない。
しかし、俺にはわからん。
>>355 雑賀党の地侍だと史料に名前が羅列されているだけだから、
調べても大して面白い事実は出てこないよ。
>>347 三好三人衆の傭兵みたいな感じだに。
本作品と違って孫市は野田城・福島城に籠城して闘っているだに。
孫市は戦後民主主義が産み落とした典型的キャラクターだな。
国家主義から個人主義への価値観の大転換が行われた。
個々人の考える自由が何よりも価値が高いとされたので、猥褻・好色・無作法…
すべてが自由で最高の価値であると真剣に考えられた。
自由を抑圧するものは排除すれば結構であるが、
猥褻や無作法までが自由として称揚される社会というのは異様という他ない。
それが、この小説における門徒衆のようなイデオロギーの虜になった反権力の輩を中心に行われてきたために、
常に外国を利する売国行為になってしまった。
戦後左翼が強力に推進したのが、国家と道徳の分離。
国家が道徳に触れただけで、国民の自由が奪われるという神経質な態度であった。
この神経質な態度は、軍事や改憲に関する話を口にするだけで平和が崩壊すると信じている左翼の奇妙な思考と共通する。
戦争を反省するとは、なぜ負けたのかを考えることである。
戦争の時代を全面否定することではない。
存在しないものを存在すると皆で信じ込もうとした物語が「裸の王様」である。
存在する外国軍隊を存在しないものと皆で信じ込もうという物語が「憲法9条」である。
その熱心な読者が、皆様よくご存知の馬鹿サヨクである。
無作法=自由とすることぐらい下層民にとって有り難いことはなかった。
作法を身につけるには、カネと教養が必要であった。
カネと教養のない下層民が平等を実感するためには、
無作法もまた自由であることが必要だったのである。
>>358 イデオロギー汚染されるのを極端に嫌うところは好感がもてるな。
イデオロギーは左右問わずだから。
第34章 滓上江の合戦
日付については、9月14日とするものと、9月20日とするものがあった。
本文には日付が書かれていないが、話の流れからすると、
前の野田城・福島城の戦い(9月12日)から、ある程度の時間が経っているような気がする。
>>362 二つの史料に、戦場を異にして、二つの戦いがあるようなんだが、本書では
その双方を収めているので、日付が重なるのかもしれんね。
野田城・福島城の戦いは「信長公記」。
滓上江の合戦の概要は次のとおり。これは「信長公記」ではない。
9月12日…信長は、義昭とともに、海老江に本陣を構える。
9月14日…本願寺の一向一揆勢は、天満方面に展開している織田軍の部隊を襲撃する。
先鋒は佐々成政であったが、壊滅。成政も負傷。
二番手に前田利家。
右翼に中野又兵衛、
左翼に野村越中守、毛利秀頼、金松又四郎らが布陣。
本文にあるように、野村越中守は戦死。
野村越中守は信長の家臣ではなく、足利家の幕臣。
同じ箇所に名前の出てくる林光時は、林通勝(秀貞)の子。
信長の愛馬の名前が鬼鹿毛になっているが、武田信虎の愛馬の間違い。
『甲陽軍鑑』によれば武田信玄が13歳のときにこれを所望すると、
信虎は元服時に御旗や楯無の鎧などと一緒に譲ると語ったという。
>>366 NHK大河ドラマ「風林火山」では、信虎は晴信が鬼鹿毛を所望するのはは傲慢と言っておったな。
しかし、本心は、『せめて…せめてこの無骨な父から『馬を習いたい』と、そう申して欲しかったのじゃ。
……――さすれば、わしも見たいものだった……
わしの鬼鹿毛に乗り、初陣するせがれの姿を……。』
余談が長くなったが、信長の愛馬の名前は、鬼鹿毛ではなく鬼芦毛である。
“不惜身命”の文字を見ると、伝達式の貴乃花の口上を思い出すな。
>>364 雑賀の槍隊(鉄砲隊ではない)が、滓上江(かすがえ)堤の合戦で信長を苦しめたという話は、
『真鍋真入斎書付』に載っている。
第35章 信長敗走
第一次石山合戦の最終章。織田軍は敗走します。
「本願寺方の根来隊」という叙述が出てきます。
根来衆に関しては、ここにしか名前が出てこないので、
根来衆すべてが本願寺側に味方したと勘違いされる読者もおられるかもしれません。
しかし、
>>347でも述べたように、織田軍にも根来衆は味方していました。
むしろ数としては、織田方についた雑賀衆・根来衆のほうが多数だったかもしれません。
雑賀衆・根来衆は一枚岩の強固な団結により織田信長と戦ったと思われがちですが、
実際はそうではなく、実に複雑な行動をとっています。
>>372 カネで雇われる傭兵だよね。この小説では、孫市のことを雑賀7万石を束ねる
若大夫みたいなポジションに置いているから、あえて織田方の雑賀衆には触れてないけど。
前田利家が殿軍で奮戦したのは史実どおり。
>>364にあるように、佐々成政に続く二番隊だった。
大津の馬場・松本に放火した浅井・朝倉軍は、その後、叡山に籠城する。
そこでも、織田軍と戦っている(元亀元年9月16日〜12月17日)。志賀の陣という。
>>315 戦が終われば、孫市は紀州雑賀城に帰る。性応寺に行くこともあろう。
萩姫は門徒で性応寺の常連のような感じだった。小みちを連れて帰って大丈夫かね。
>>377 大丈夫。小みちには指を入れただけ。萩姫には指も入れていない。
>>377 萩姫と小みちは、門徒という共通項もあるから、キャラが重なるよな。
萩姫は物語の冒頭から孫市がこだわり続けた加乃の本物なのに、
どうして小みちを登場させたんだろうな?
それだけじゃなくて孫市を本願寺の侍大将にするための勧誘をするという役割も同じだろう。
意味がないよな。
>>380 萩姫は架空の人物だけど、彼女の家系は実在するからな。
この小説の取材で紀家の当主・紀俊嗣氏にも面会していて、そのお宅を訪問している。
その先祖の裾を割って指を入れるのは、はばかられるだろう。
小みちは必要のないキャラなんだけど、
萩姫と孫市の濡れ場の描写を遠慮するために、小みちを登場させたんだよ。
ついでに『風神の門』の小若は何のために登場したのか、考えてみてくれ。
小若の登場理由はわかるんだが、他の三人の恋人と違って、消え方があっけなかった。
いちばん危険な目に遭っているのに、才蔵と作者に冷たくされるんだよ。
あれは納得いかん。
第36章 京の雨
京の孫市は、半井驢庵(二代瑞策)の屋敷を訪ねる。
信長に和睦方法を示唆するためであった。
贋物の加乃=小えんは、ついに「織田氏の支流の娘」と呼ばれるようになったな。
>>387 孫市は、小えんの名前は知らないからな。
本物の加乃=萩姫が登場した以上、“加乃”と呼ぶわけにもいくまい。
しかし、没落したとはいえ、物部神社の宮司の娘で、尾張守護代の支流の娘の名前が、
“小えん”というのはひどいな。まるで庶民。
半井驢庵がかつて斉藤道三の家臣で「墨股の戦い」で戦ったというのは史実。
そのとき矢で片目を射抜かれているが、そのことには触れられていない。
この「墨股の戦い」というのがよくわからない。
秀吉の一夜城で有名な「墨股の戦い」であるならば、道三はすでに死んでいるはず。
>>389 戦略上の重要拠点は、源平のむかしから変わらないからな。
道三生存時にも墨股で合戦があったのかもしれない。
治承5年(1181)4月、平重衡軍と源行家軍が墨俣川で戦っている。
第37章 墨染の鉄砲譚
半井驢庵屋敷を辞し本願寺への帰路、信長の兵が竹田街道の墨染で孫市を襲います。
鉄砲足軽の組頭・野沢新助は、おそらく架空の人物。
第一次石山合戦は、多方面に戦いを抱えていた織田側が朝廷に働きかけて勅書を出してもらい講和となった。
なお、本願寺の戦闘指令が「北国までとどいている」と書かれているが、石山本願寺とともに決起したのは、
伊勢長島の一揆である。
>>118にある越前一向一揆は、天正2年(1574)からです。
講和をうけて紀州に帰ることになった孫市を、信照は貝塚の願泉寺まで見送ります。
願泉寺も門徒寺で、“ぼっかんさん”の愛称で知られています。
記憶のよい読者は、『城塞』で住職の卜半が大坂方の先鋒塙団右衛門らの後詰となるべき
大野主馬を大将とする本隊を、ここ願泉寺にて足止めした話を覚えておられるだろう。
>>377 どうやら小みちを連れて帰るみたいだね。萩姫と会うのかね?
小みちと萩姫は、ご同朋・ご同行でしょう。顔見知りかもね。
第38章 族長たち
孫市は、小みちをなんと雑賀衆の盟主にしてしまった(°д°)
雑賀門徒衆の統率をとる年寄衆として、宮本平大夫・松田源三大夫・島本左衛門大夫と
藤井太郎右衛門大夫の名前が挙がっているが、最後の藤井太郎右衛門大夫は門徒
には違いないが、毛利水軍の大将として活躍していた藤井太郎右衛門ではないかと思う。
四人の年寄衆がいたのは確かだが、もう一人は岡了順で、この岡が年寄衆筆頭である。
「わが鞍へ乗られよ」
と、孫市は小みちを馬上へ抱き上げた。
「かようなことをなされて。――はずかしゅうございます」
と、粉雪のなかで、小みちは顔を伏せた。
「孫市め、殺してやる」
「姫さま、滅多なことを申してはなりませぬ」
雑賀衆の凱旋を見守る群衆のなかで、侍女は萩姫の袖をそっと引いてたしなめた。
「あの者は、わたくしをわが妻に申し受けたいとまで申したのじゃ。その足で堺へゆき、
半年ぶりに雑賀へ舞い戻ってきたかと思えば、このザマじゃ。許さぬ。殺す」
萩姫は、懐中の短刀の鯉口を切った。
後半は伊勢長島の一向一揆である。この章では、元亀元年(1570)11月の尾張小木江城の戦いと、
第一次長島侵攻と呼ばれる元亀2年(1571)5月の織田軍の願証寺攻撃の模様が描かれている。
ともに織田軍の敗戦である。
ついでに整理しておくと、
第二次長島侵攻…天正元年(1573)9月〜10月
第三次長島侵攻…天正2年(1574)7月〜8月
>>399 長かった元亀元年がやっと明けたな。
ここから先は、時間の流れが速いからな。
氏家ト全 戦死
_____
/ノ ヽ \
/ /・\ /・\ \ ご冥福をお祈りします
|  ̄ ̄  ̄ ̄ |
| (_人_)、 |
| \ | |
\ \_| /
織田軍の敗けるところに孫市が必ず顔を出す趣向なのかな。
孫市伝説って事実がフィクションかわからないところが多いが、
伊勢長島の一向一揆には、雑賀孫一率いる雑賀衆や
服部友貞率いる服部党が味方していたとするものもある。
孫市が伊賀に立ち寄ったのも、その関連からだろうか。
第一次長島攻撃には信長も出陣していたの?
この作品では来ていないみたいだけど。
>>405 信長が藤吉郎らを救援にむかわせたとあるから、岐阜から命令を下しているようにも読めるな。
しかし、長島近辺に出てきているよ。
それから、藤吉郎の救出部隊についてはよく知らない。
この戦いで殿軍を務めたのは、氏家卜全ではなかったか?
しんがりで戦死したんだと思った。
>>400 速いというか、二、三の出来事を記すと、
一気に天正5年まで飛ぶんだよ。
>>398 作者によって消されたのは、萩姫のほうだったね。
孫市は萩姫を本気で妻にするつもりだったし、
萩姫の歓心をかうために堺へ鉄砲500丁を買い付けに行ったんだよな。
それから僅か半年後だ。
週刊誌で読む連載小説ならこれでも不自然ではないのだが、
単行本で一気に読むと異様だな。
物語の冒頭に書かれている主人公の気持ちは、物語全体を支配する。
孫市の加乃へのこだわり、偽物に振り回された後にやっと巡り会えた加乃なのに、
3日と経たない内に忘れるというのは、娯楽小説でなければ精神異常だな。
萩姫を信照の許婚にしておけば、話がまとまったのにな。
週刊誌の連載小説って、病院の待合室で時間つぶしのために読むものだからな。
>>409 好色を否定するものではないが、孫市の好色は度が過ぎている。
小説内の人物なので俺は孫市を許容しているが、
女の話ばかりで司馬作品とは思えなかったという感想の読者もいるね。
リアル世界に孫市が存在するとすれば、柔道の内柴だな。
>>410 萩姫が信照を好いている旨の叙述はあったが、それだけだったからな。
信照と萩姫が結婚すれば、話の辻褄があった。
第39章 ぽるとがる様
小みちが雑賀衆統合の象徴になってしまいました。
性応寺の萩姫の様子
外陣の右側に、あらかじめこの娘のために用意されていたらしく、女性が三人すわれるだけの
畳があけられていた。
本願寺鷺森別院の小みちの様子
小みちは、本堂の外陣の一角の枡形に区切られた座で、だまって聴聞している
…相変わらず酷似しています。
「宗教」や「絶対」について分かりやすく解説されている。
それに溶け込めない孫市の気分もよくわかる。
大多数の日本人の気分でもある。
落語の高座の由来が、よくわかりました。
第40章 信長狙撃
元亀2年(1571)5月の第一次長島攻撃のところで時間が止まっていました。
この章は「年が暮れ、年が明けた」の文章で始まりますが、
年が明けたら天正2年(1574)になっていますので注意してください。
この章で語られるのは、前半が天正2年(1574)7月の第三次長島侵攻。
後半が、天正3年(1575)4月の高屋城・新堀城の戦いです。
天正3年(1575)4月の高屋城・新堀城の戦いは、大きなくくりでいうと、
第二次石山合戦です。主たる戦場は本願寺ではなかったですが。
本願寺側の主要人物の三好康長は、三好笑巌入道の名前のほうが有名ですね。
本文にも述べられていますが、遠里小野は日本で初めて菜種油を生産したことで知られています。
古代はハシバミ油の生産で知られており、朝廷が神事で用いる灯明は、すべて遠里小野で生産された油でした。
その後、「国盗り物語」で有名な山崎が荏胡麻油の生産で遠里小野の油を凌駕しました。
菜種油の生産開始により、再度、遠里小野が山崎を凌駕したのです。
リベンジ成功の安倍首相みたいです。
十河市左衛門は、おそらくオリジナル・キャラです。
その兄と書かれている新堀城主・十河因幡守は、十河一行で実在した人物です。
>>425 住吉大社に献納する燈油は、古代からのハシバミ油を使っていたのでしょうね。
第41章 織田軍退却
遠里小野における信長狙撃の話の続きから、天正4年の安土城における紀州征伐の決定、
天正5年正月の紀州征伐の開始へと、物語は一気に佳境に入ります。
>>421 三好笑巌は天正13年(1585)あたりまで史料に名前が出てくるが、
十河因幡守一行は、新堀城の戦いで戦死しているな。
孫市が石山本願寺で与えられた屋敷は、この章では「二ノ丸の雑賀屋敷」となっているが、
32章の「合戦」では「西丸館」ということになっている。
430 :
無名草子さん:2013/02/14(木) 18:46:33.81
で、萩姫はその後どうなったの?
>信長は、築城早々の近江の安土城にいる。
安土城の築城開始は天正4年(1576)正月で間違いないが、
信長が安土城へ移転したのは、3年後の天正7年(1579)5月である。
理由は、建築中の城には住めないからである。
>紀州雑賀党の同盟軍である同国根来衆五千を織田方に寝返らせ
根来衆は元々織田方である。このことは本書の第16章「雑賀へ」に書かれている。
天正4年(1576)5月頃から織田方の切り崩し工作が始まっているが、切り崩しの対象は、
雑賀衆であった。翌天正5年2月までに、雑賀五組のうち
社家郷(宮郷)・中郷・南郷のいわゆる雑賀三組が寝返っている。
>>432 “ぽるとがる様”の統率力が疑わしいですね>萩姫
根来衆の大将の杉之坊とは、津田監物の次男の杉之坊照算のことである。
くどいようだが、元々織田方である。
北畠信雄(織田信雄)、織田上野守(織田信包)、神戸三七(織田信孝)が大将のように書いているが、
彼ら三名は伊勢の軍勢の大将である。
近江兵を率いる信長、美濃・尾張の兵を率いる嫡男・織田信忠も参戦していることをお忘れなく。
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( 'A) ・・・。 〃∩ ∧_∧ <⌒/ヽ___
/(ヘ)ヘ ⊂⌒( ・ω・) ・・・。 <_/____/ zzzz・・・
`ヽ_っ⌒/⌒c
(どうも暗いのう)
善住坊は、鉄砲を肩からおろした。
のそのそと前進した。
「善住坊殿。狙うのは孫市じゃ。お間違えなきよう」
「なにを申されまするか、萩姫様。仏敵信長を倒すことこそ、弥陀の本願。おたわむれを申されてはなりませぬぞ」
善住坊は、ふたたび銃を構えた。
「戯れではない。孫市を殺したら、紀州にとって返し、鷺森の小みち殿を殺していただきます」
「なんと……」
>>430 最後のほうまでページをパラパラとめくってみたけど、
もう萩姫のハの字も出てこない。
第42章 雑賀海賊
信長の紀州征伐に織田の鉄張船が来るか来ないかを、孫市と松田与六が議論しています。
孫市は「鉄張船は来ない」と言っています。
来るわけがありません。鉄張船が登場した第二次木津川口の海戦は、
この物語の翌年、天正6年だからです。
この章を時系列で整理しておく
第一次木津川口の海戦…天正4年7月13日
物語…天正5年正月
第二次木津川口の海戦…天正6年(1578)6月26日
なお、本文で述べられている堺で公卿に鉄張船を見せびらかした話は、
第二次海戦と第三次海戦の間の話である。
第三次木津川口の海戦…天正6年(1578)11月6日
>>443 同じ天正6年に行われた第二次海戦と第三次海戦は、第二次海戦として一くくりにする
分類法が一般的である。
>>446 本郷功次郎さんといえば、『堂島』だな。米相場の話だったな。
第二次木津川口の戦い(天正6年6月)では、毛利水軍が帰路についていたため、
“紀州”淡輪の海賊とともに戦ったとあるが、“泉州”淡輪ではあるまいか?
第43章 百雷
天正5年(1577)2月。紀州雑賀征伐は開戦間近です。
前半は堺で藤吉郎と再会した孫市、後半は京都妙覚寺の信長と根来衆です。
(嫉いてくれているのか)
小みちの小さな変化といっていい。
孫市は、ぱちん、と小みちのほおを指ではじき、
「そなたにかぎってそのような妬心はないと思うていた」
と虫のいいことをいった。
ところがここに、人目もはばからず昼間からいちゃつく孫市と小みちの姿を、物蔭から盗み見ていた者がある。
萩姫である。
「飛び加藤。そなたの吹き矢で、あの憎くっき両名を仕留めてたもれ」
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{ ! _,, -ェェュ、 |
ィ彡三ミヽ `ヽ ,ィハミミミミミミミミミヽ、|
彡'⌒ヾミヽ `ー /ililハilミilミliliミliliミliliミ|
ヾ、 /iiiiイ!ヾヾミ、ミニ=ー-ミ|
_ `ー―' i!ハ:.:.\\_::::::::::::::/:.| 『尻啖え孫市』は
彡三ミミヽ i! ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠|
彡' ヾ、 _ノ i!::: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,| 萩姫に
`ー ' {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"|
,ィ彡三ニミヽ __ノ ヽヘ`" 彡' 〈 | 監視されて
彡' ` ̄ `\ ー-=ェっ |
_ __ ノ {ミ;ヽ、 ⌒ | います
,ィ彡'  ̄ ヾミミミミト-- ' |
ミ三彡' /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|
ィニニ=- ' / i `ー-(二つ
,ィ彡' { ミi (二⊃
// / l ミii ト、二)
彡' __,ノ | ミソ :..`ト-'
/ | ミ{ :.:.:..:|
ノ / ヾ\i、 :.:.:.:.:|
ィニ=-- '" / ヾヾiiヽ、 :.:.:.:.::::|
/ / `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|
ノ _/ / / |:. :.:.:.:.:.:.:|
津田監物算長と、その子・杉之坊照算については、
>>435で述べた。
岩室坊清祐は、ずっと本願寺のために闘っていたよな。裏切ったの?
出原右京の名前は、天正13年(1585)の羽柴秀吉の根来攻めの際に出てくる。
貝塚市橋本にあった積善寺城に、出原右京を大将として9500名の根来衆が立て籠ったといわれており、
秀吉方の攻撃にも落城せず、最後はト半斎了珍(
>>394の“ぼっかんさん”)の仲介により和談開城した。
サンスター・スパイメモの“水に溶ける紙”は、
スパイ(忍者)がどういう状況に置かれたときに使うものなんですか?
司馬ファンなら知っていると思ってここで質問しました。
>>459 おそらくスパイ大作戦の「このテープは自動的に消滅する」に影響された玩具だと思う。
仲間のスパイどうしの連絡は、その痕跡を残してはならないという考えが基礎にある。
>>460 追跡シールは仲間どうしの連絡に使うシールであるが、
水に溶けないので、君の考えは間違いだと思う。
>>459 よくできた商品だし、よくできたCMだ。
子供が何に憧れるかをしっかり捉えている。
急坂を滑り降りるアクションは、子供が大好きだよな。
洗濯する母親は怒るけど。
いまのマスコミは視聴者の気持ちを掴むのが下手だよね。
463 :
無名草子さん:2013/02/16(土) 19:25:20.41
紀州征伐は次回ぐらいから始まるのかな?
>>459 女子用の姉妹商品が“ないしょメモ”だ。
敵に知られてはならない秘密のメモを残さないため、
メモの内容を頭に入れたら、プロスパイはメモを水に溶かしたのだ。
水に溶ける紙は10枚なかったような気がする。5〜6枚だったかなあ。
水に溶かしてばかりいると、すぐになくなってまた150円(定価)が必要になる。
スパイは経費がかかるよな。
第44章 形勢
上杉謙信上洛計画を中心とした、本願寺・毛利氏による織田包囲網の話です。
上杉謙信は、毘沙門天だけでなく摩利支天にも祈っていたのか?
上杉軍と織田軍の加賀における戦いは、手取川の戦いである。
「上杉家の伝説」と書かれている部分は、すべて手取川の戦いに関する話で、
天正5年の紀州征伐よりも後の同年9月の話である。
鬼小島弥太郎の“鬼”は愛称。本名は、小島弥太郎である。
上杉氏の軍役帳や名簿に記載されておらず、実在したかどうかは疑わしい。
司馬さんの書き方だと、信長が謙信に狩野永徳の「洛中洛外図」を贈ったのは、
手取川の戦いの前の外交交渉の経緯の中でのことのように読める。
そうではなく、天正2年に贈ったという説が有力である。
播州の別所氏については、『播磨灘物語』に詳しい。
>>468 摩利支天に祈っていたのは、山本勘助だろう。ふつー。
何年もいる荒らしうぜー
写真はってるのと聞いても居ない解説するおめーだ
>>474 紀州征伐では別所長治は織田方として雑賀衆と闘っているんだが、
この小説では、織田包囲網の一翼をなしているな。
第45章 大寄せ
天正5年2月の時点で足踏みしている『尻啖え孫市』。いつになったら紀州征伐が始まることやら。
弥勒山寺山は、41章「「織田軍退却」では弥勒寺山になっていた。
弥勒山寺山という呼び方は珍しいが、その真偽は筆者にはわからない。
>>437 織田信忠の名前は、45章の「大寄せ」に出てくるよ。
第三隊の別所小三郎とは別所長治のこと。
別所孫右衛門とは、叔父の別所重棟(重宗)のこと。
『播磨灘物語』では、そのようになっている。
“鼻毛をのばして”は「鼻の下を伸ばす」の間違いかと思っていたら、
女に甘く、でれでれしている様を、そのように呼ぶらしい。
初めて聞いたががウソではない。
島本右衛門大夫の本拠である名草郡狐島は、現在は和歌山市内で、
狐島という地名はそのまま残っている。狐島に覚円寺もある。
雑賀孫一郎[豊若丸]を産んだションベン娘と、「見えるぞよ、見えるぞよ」は、もう飽きたな。
第46章 鉄砲合戦
天正5年(1577)2月。紀州攻め開戦です。
雑賀河畔(和歌川)の地名・小雑賀は、現在も和歌山市内に町名として残っている。
紀見峠といえば、『風神の門』で、才蔵とお国と耳次が紀見峠を越えて真田幸村に会いにゆくシーンを思い出すな。
>>488 おまえだけだよ。そんなん、名場面でも何でもないだろう。
九度山への行程に紀見峠があったというだけのことだ。
>>432 第46章で孫市に撃ち殺される杉之坊陽俊などは、この年の2月2日に雑賀の三緘衆(雑賀三組)
とともに織田方に寝返った根来衆だよ。
>>490 どっちでもいいだろう。この小説に裏切り者と書いてないのらな、
杉之坊陽俊は裏切り者ではないと思って読めばいいだろう。
492 :
無名草子さん:2013/02/23(土) 18:45:01.43
最近は一日おきにやるんだな。
493 :
無名草子さん:2013/02/23(土) 21:22:09.84
数ヶ月ぶりに来てみれば、
スレを自分の日記に使ってる馬鹿がまだいるんだ・・・
作品に登場する地名の地図や写真は大いに役立つ。
本を片手にこのスレを覗いていると、物語の世界が拡大されるよ。
>>494 スレタイが「あれこれ語る」なのに一つの作品を集中して語るのはスレタイ違反じゃないか?
別スレ立てたほうがいいんじゃないのか?
497 :
無名草子さん:2013/02/24(日) 20:33:29.07
よければ俺が立てようか?
スレタイは「司馬遼太郎 Part1」でおk?
498 :
無名草子さん:2013/02/24(日) 21:07:54.16
どちらがどちらになるんや?
>>497 とりあえず『孫位置』はこのスレで終わらせたい。あと数章なので。
500 :
無名草子さん:2013/02/24(日) 21:54:26.02
新スレは ◆dlXpfTmI/Y 専用のスレでいいの?
ちゃんと移ってくれるんだろうね?
>>500 移るけど、月末多忙なので、孫市が終了するまでに一週間以上かかるからまだいいよ。孫市が終わってからで。
502 :
無名草子さん:2013/02/24(日) 22:11:11.54
あいよ、じゃあそれが終わってから「司馬遼太郎 Part1」を立てます
尻臭い孫市
寧々がでていた頃が懐かしい。
司馬遼太郎さんゆかり 小阪・八戸ノ里で食べ歩き
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130219-OYT8T00117.htm 東大阪市小阪、八戸ノ里周辺の飲食店48店が3月3日、同地区で初となる食のイベント「バル」を開く。
普段はライバル同士の商店主が、地元ゆかりの作家・司馬遼太郎さんの愛した花にちなみ、「なのはなバル」と名付け、力を合わせる。
関係者は「成功させて、年1回の恒例行事にしたい」と意気込んでいる。
「バル」はスペイン語で、気軽に飲食を楽しめる居酒屋やカフェを指す言葉。
昨年12月、20〜40歳代の若手、2代目店主ら6人が、全国各地のバルの盛況を見て、「東大阪でも」と企画した。
イベントで地元飲食店を住民にアピールする一方、店同士の横のつながりも深めるのが狙い。
カフェや洋食屋、居酒屋など48店で実行委をつくり、菜の花の咲くこの時期に、町を活性化させる行事にする考えだ。
5枚つづりのチケット(前売り3000円、当日3500円)を買い、店でチケット1枚を出すと、ドリンクやおすすめ料理など通常よりお得なセットメニューが楽しめる。
当日にチケットが余っても、3月29日まで一部を除く協力店で、金券(1枚500円)として使える。
呼びかけ人の一人で、実行委代表の池田佳奈さん(30)は「今回知り合った店主らを中心に、まちを盛り上げるイベントを、さらに打ち出したい」と話している。
チケットは1000冊限定。前売りが完売すると当日券は発売されない。各店の実施時間やメニューなどは、ホームページ(http://www.nanohanabar.jp/)で確認できる。
問い合わせは、実行委事務局(090・6064・8709)へ。
(2013年2月19日 読売新聞)
尻啖え孫市はずっと止まっているね。いつ再開するの?
453 名前:名無しさんの主張 :2012/05/27(日) 02:15:54.03 ID:MadrQNPW
▼吉田定房(公卿、14世紀)曰く
『赤ん坊級に弱い関西人が一騎当千の鎌倉武士に勝つなんて無理ゲー』
▼人国記(戦国時代の地誌、16世紀)曰く
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』
▼武田信玄(戦国最強の将、16世紀)曰く
『関西人は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯もする』
▼甲陽軍鑑(甲斐武田の軍学書、17世紀)曰く
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』
▼雑兵物語(江戸時代の兵法書、17世紀)曰く
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』
▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)曰く
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼薩摩兵(西南戦争の頃、19世紀)曰く
『またも負けたか八連隊(=大阪兵)、それでは勲章くれんたい(=京都兵)、それでは陣屋もとれんたい(=姫路兵)』
▼向江松雄さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』
▼古瀬正行さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼坂本芳次さん(自動車第34連隊)
『うちの部隊にも何名か大阪人がいましたよ。もうこんな「ぜえろく」っていってみんなから蹴飛ばされてたけどね』
▼田辺聖子(大阪府出身・作家)
『浪速の男どもはみな争いごと好まず、膂力(腕力)にも乏しい』
▼司馬遼太郎(大阪府出身・作家)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』
▼樋口清之(奈良県出身・考古学者)
『平安末期の関西人は、本当に男でも女のような体質ですね。肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』
▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』
▼戸田恵梨香(兵庫県出身・女優)
『神戸って大阪と一緒にされるの凄い嫌なんですよね〜大阪は下品!汚い!』
510 :
尻啖え孫市 ◆dlXpfTmI/Y :2013/03/06(水) 18:31:08.63
第47章 渡河戦
第一次紀州征伐、いわゆる“雑賀川の戦い”の始まりです。
雑賀衆が勝った\(^o^)/
512 :
無名草子さん:2013/03/06(水) 19:35:51.38
電子書籍まだかなー?
513 :
無名草子さん:2013/03/06(水) 19:53:42.08
割れてようが割れていまいが、どっちでもいいんだけど。
すみません、質問なんですが、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」はどっちを先に読んだらいいんでしょうか?
>>515 どちらを先に読んでも支障はありません。
連載期間も重なっています。
517 :
無名草子さん:2013/03/07(木) 13:10:22.69
竜馬がゆくは長いので、先に燃えよ剣をおすすめします
第48章 露草
雑賀川の戦いは、孫市の圧勝に終わりました。
佐久間、木下、堀らの織田軍は退却しました。
519 :
無名草子さん:2013/03/07(木) 14:46:57.41
最近、画像が少ないなw
あれ
講読止まってるね
中心人物がアク禁?
>>523 >しかし、発中と但中は、どうなったんだ?
パートさんです。
第49章 踊り
雑賀踊りの由来について述べられている。
秀吉の黄母衣衆・一柳市助は、一柳直末のこと。
天正18年(1590)の小田原征伐の緒戦で戦死している。
伊予西条藩の初代藩主・一柳直盛は、市助の弟。
第50章 頼み参らせ候
雑賀川の戦いから3年。天正8年(1580)3月1日、信長と石山本願寺は和議。
顕如は紀州鷺森御坊に退転します。
信長は、天正10年(1582)6月2日、本能寺で没しました。
孫市が教如を匿った鷹ノ巣の洞窟は、
>>226に画像がある。
531 :
無名草子さん:2013/03/09(土) 18:04:21.44
>>530 孫市と信照が釣りをした挿話のところで出てきたね。
石山本願寺との講和の際、信長が顕如に贈った一文字茶碗の画像は、
>>97にある。
新門光昭とは、西本願寺の開祖・准如のことである。
第51章 風吹峠
最終章です。本能寺の変から3年後の天正13年(1585)3月、秀吉の紀州征伐のとき、
孫市は紀州粉河寺において謀殺されました。
>>535 この小説では、熊野に逃れて生きていたということになっているがな。
本能寺の変が雑賀城に伝わったとき、孫市は朝餉をとろうとしていたことになっている。
念のために言っておくと、朝餉とは、天皇の日常の食事のこと。
天正10年から天正13年までの織田家の後継争いについて若干補足しておく。
柴田勝家を滅ぼした後に、引き続き佐々成政を降伏させたように書かれているが、
順序としては、天正12年の小牧・長久手の戦いが先で、秀吉が越中富山城を
囲んだのは、翌天正13年のことである。
また、滝川一益が居城長島城を包囲されて降伏したのも賤ヶ岳の戦いの後である。
所領を没収された一益は、丹羽長秀を頼り、越前国で隠居した。
死没したのは天正14年である。
秀吉の紀州征伐や孫市については、実にアッサリしているな。
孫市が負ける場面は、スルー。
541 :
無名草子さん:2013/03/10(日) 17:19:37.39
◆dlXpfTmI/Yの独演会は、終わったのか?
もう来るなよ
544 :
502:2013/03/11(月) 13:00:59.34
ん?やっと馬鹿が隔離されたの?!
マジで何年居座ってやがったんだあの馬鹿は!!まじ歓喜!!!!!
546 :
502:2013/03/15(金) 07:35:02.92
惰性で週刊司馬遼太郎を買い続けてるけど、いつ終るんだこれ
司馬遼太郎の言葉
「人物の写真は載せない」(確か最後の将軍関係での発言?)
「地図も載せない」(確か関が原関係での発言?)
「求めていない説明はいらない」(街道がゆく 山形あたり?)
独演会ヤローは薄っぺらい歴史オタクで司馬遼太郎のことはなんもわかってなかったな
よく追い出したなぁ。俺も何回も文句言ったもんだが全然ききめなかったわ
548 :
無名草子さん:2013/03/15(金) 21:15:00.87
写真を載せたらそれはもう小説じゃないだろうね
小説家が視覚に頼るようになっちゃおしまいよ
すまそ、ageてもたorz
著作の9割くらい読んでしまったんだが全部読んでしまったら次何読もうか迷う
2周目にいくべきだろ
新たな発見をしたり、知識が増えたぶん1周目よりも深く理解できるので読んでて楽しい
俺も2週目、3週目行ってる(お気に入りだけ突出して読み返してるけど)
あとエッセイなんかで触れられた別の本読んだりしてる
大衆小説で司馬遼太郎を超える作家は当分でまい。
554 :
無名草子さん:2013/04/05(金) 21:58:34.62
部数では竜馬より鬼平が勝ってる
一般大衆でも読める平易で明晰な文章
それでいて人間の荘厳さを感じさせる芸術性
この2点が備わっている作家はざらにはいない
>>555 だから賢しら顔したい人間には受けるんだよ
>>554 文庫で8冊と24冊、これだけの差があれば当然だろ
558 :
無名草子さん:2013/04/06(土) 19:28:10.22
部数で言ったら吉川英治の圧勝
他の小説家のエピソード話がおもしろい
海音寺潮五郎の軍隊での話、池波正太郎のブチ切れ
吉川英治は著作権が切れたし、これ以上は伸びそうになくね?
司馬は著作権が切れるまでのあと三十数年でどこまで伸ばせるか
561 :
無名草子さん:2013/04/12(金) 21:09:53.33
電子書籍出ないかな
池波も藤沢もたくさん出てるのになあ
胡蝶の夢、なぜか何回も読んでしまう
伊之助という人間の機微の描写が妙にリアリティを感じるし、
アスペっぷりが若干自分に似てて泣ける。まわりの人とズレを感じるんだよね
でも俺は記憶力いいとかは無いけど
563 :
無名草子さん:2013/04/18(木) 23:09:16.63
>>562 あの描写は本当に見事
作者もそのけがあるんだろうな
今日の新聞に司馬と池波の文通のことが記事になってた
記事では司馬を池波の親友と書いてたが、そんなに交流があったの?
>>565 新聞のってたね。
エッセイでは親友だったけど仕事が忙しくなってからは疎遠になったって書いてたなぁ
正ちゃん、って呼んでた。どのエッセイだったか軽く探したけどしんどい・・・
こういうとき電子書籍だったら一発で検索できるのかな。
567 :
無名草子さん:2013/04/20(土) 21:47:07.99
ラブレターって案外マジかも
二人ともバイセクシャルだったとか
海音寺は三角関係で池波の直木賞邪魔したとか
すまん、妄想し過ぎた
568 :
無名草子さん:2013/04/21(日) 02:47:48.78
『翔ぶが如く』
前半の権力闘争場面よりも、後半の戦闘描写の方が好評な作品らしい。
でも、明治初期政府の政治動静を描いた前半の方が、自分には面白い。
『翔ぶが如く』 は唯一未読の長編
西郷の評価が揺れててそれが全体に影響与えていてまとまりがない
西郷が隠棲したところまで読んで挫折
このスレの人は「風の武士」ってどう思う?
1時間で文庫本の半分くらい読み進められるから、そこはさすがだと思ったけど、
なんかすごく弛緩した話運びで、エンタメを書き疲れた流行作家の
「やっちゃった」系の臭いしかしないw 初期長編なのにな……
別に後の司馬遼太郎を求めているわけではなくて、気楽に読もうとは思っているんだが
続きを読むのがどうも億劫です。後半は面白くなるんだろうか
実はユダヤ人が日本に隠れ住んでたみたいな話だっけ
後半は結構面白かった記憶がある
俺的にはラスト以外はかなり面白かった
そこまではかなりワクワクしながら読んでいたのに、案外あっさりした結末で残念だった記憶があるな
574 :
無名草子さん:2013/04/21(日) 20:30:45.10
>>570 ちょっと辛気くさいチャンバラで他の作家でも書けそうな感じ
575 :
570:2013/04/21(日) 21:10:53.70
頑張って読んで、読み終わったよ
いやーひどかったw
直木賞受賞直後の週刊誌連載で、ほかに何本も連載を抱えていたわけではないのに、
どうしてあんないきあたりばったりな小説を書いたのか不思議でならない
伝奇小説や時代小説を読んだことのない人なら楽しめるかもしれない
それにしても生娘のくだりは腹抱えて笑ったわ 処女厨かおまいわ、と思ったw
なんか敵方の親玉?が意外と良い奴で緒方洪庵の弟子だったよね
577 :
無名草子さん:2013/05/01(水) 22:13:49.32
司馬さんってアカデミズムコンプレックスが強いよな
なんか文章にそういう意識が滲み出てる気がする
本人は無意識かもしれないけど
>>577 そう思っている自分が学歴コンプあるってパターンじゃないの?
>>577 読者本人にそういう意識があるからそう感じるんだろうねw
本人は無意識かもしれないけど
いや、作家としてはアカデミズムに対する関心が深いのは事実だろう
京大担当の記者もやっていたし
『坂の上の雲』など当時学界で隆盛だった左翼史観に対する挑戦と言ってもいい
司馬遼太郎が記者やってたころの京大阪は左翼全盛だったからなあ
「青春の司馬遼太郎」だと小松左京が共産党細胞で暗躍してたな
「司馬遼太郎が考えたこと」っていうエッセイ集のようなものを読んでるんだけど
若い頃のエッセイもかなり面白いねぇ。トガってる感じがする。
直木賞の選評とか、芸術に対する考え方とか、後年のエッセイとは違った鋭い刃物を思わせるような切れ味。
それがまた面白い。こんなに面白いなら名言随筆サラリーマンも読んでみたいなぁ
↑ちょっと追記すると下手すると人から恨まれそうな感じの批判的な文なんだよね
国民的作家にならなければ案外谷沢永一や高島俊男みたいな毒舌博学おじさんになったかも
腹部大動脈瘤で亡くなったらしいけど
実際のところハラワタが煮えくりかえって死んでしまったんじゃないかと
風塵抄を読んでて思った。平静に、ユーモアをまじえて警句を書いてたけど
また社会がおかしくなってきて腹が立ってたんじゃないかなぁとね。
古本屋で買った街道を行く「本所・深川」を読んでたら、メモの切れ端で「深川は小生の生まれたところです」と
書かれたものが出てきた。古本屋に売る時に次の読者に伝えたかったのか、それとも最初に本を買った人が
誰かに譲るときメッセージとして添えたのか、いろいろ想像できて面白い。
あと、たまに古本で傍線を引いてあったり前の持ち主が考えた要点の走り書きがあったりするが、お前
それ全然ちゃうやろとつっこみを入れたくなったり、潔癖症で古本は手に取れないと言う人も世の中いるが
古本はこういう事もあるからたまにはいいと思う。
おっとすれ違いってかw、これくらい許せよ。
学術本で最初のほうは熱心に傍線が引かれてたけど
途中からパッタリなくなって、挫折したんだろうなと思った経験なら数度ある
かくいう俺も挫折して適当読みをすることが多い。
司馬遼太郎くらいの読みやすさじゃないと神経がいらいらしてくるようになってしまった
588 :
無名草子さん:2013/06/07(金) 01:30:27.54
読破したら精根尽き果てる。『翔ぶが如く』
最近Kinde買ったんで竜馬がゆく読んでみようかなと思うわ
20年位前に司馬ちゃんにはまって200冊くらい読んだんだけどね
最高傑作は黒田神部江のやつ
タイトル忘れた
播磨灘物語、だね
個人的には荒木村重に牢屋に押し込められた話が好き
あれは余談好きには傑作
やっと電子書籍に司馬遼太郎の本が出始めたのか?
竜馬がいく。1巻を読破した。がんばったから、もういいよね。
電子書籍に解説はつくのかな
595 :
無名草子さん:2013/06/12(水) 23:26:24.60
池波や藤沢同様解説はつかないんだろうな
でも司馬遼太郎が本棚を圧迫せずに揃えられるのはたまらん
Kindleはアプリのビューワーが糞なのでkinoppyで集めたい
記者時代の本読んだけどこの頃から凄みを感じさせる文章だな
大学の日本史の教授が言っていたエピソード
自治体が発行する「○○市史」ってのに箔をつけるために有名人に推薦文を書いてもらおうってことになった
有名な歴史作家なら司馬遼さんだろってことになって、自宅にまで押しかけて無理やり頼み込んだ
もちろんだれの紹介もないし、その教授と司馬遼さんは初対面である
司馬遼さんは最初は渋っていたが、しばらく雑談するうちにまあいいでしょうってことになって、書斎にこもって30分ほどで原稿用紙数枚の推薦文を書き上げた
そして「私は長年この『○○市史』の完成を待ち望んでいた。あれはそう××年ほど前のことであっただろうか……」
と言うものを見せられた
司馬遼さんはこの「○○市史」の内容なんてまったく知らず、しかも自治体の発行する本なのでノーギャラであるにもかかわらずだ
その話を聞いてどっちもどっちだなと思った
本当の話なら伏字にしないで書いてみてくれよ
599 :
無名草子さん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
電子書籍化遅いよ
各出版社はよ
忍者もんで一番面白いと思うの何よ
忍者ものといえば梟の城は妖怪が出る寺で執筆されたらしいな
エッセイで見てワクワクしたわ。
602 :
無名草子さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN
「司馬遼太郎が考えたこと」の電子化早く頼む
あれはバイブル
新しいファンの開拓という視点では電子化は良さそうだな
読者も老化していくし、活字の大きさを変えられる電子書籍なら買い直さないでいいから良いね
4巻くらいでもう竜馬飽きてきた。
長州絡みが面倒臭くてうざい。
一番わかりにくい藩だな。
ゴッチャゴッチャうざい。
あんたには難しい話は無理だね。
タクチーキのみを知ってストラトギーを知らざる者は、ついに国家をあやまつ
かっこよすぎる
このスレを見てる人で将棋にも詳しい人いるかな?胡蝶の夢の伊之助の他人とのずれは丸山九段に少し似てると思った。
司馬遼太郎記念館に行ってきた。
あの邸宅はすげーーーーーーな。自分で買ったのかな。
庭の木をみながら執筆なんて、さっすが司馬遼太郎!
司馬遼太郎記念館で思ったこと。
明治の日清戦争と日露戦争に勝てたのは国内で実戦を知っていた元の武士階級が指揮官だったから。
昭和の太平洋戦争に負けたのは、戦争を知らない官僚化したサラリーマン軍人ばかりが将軍・士官になったから、
自分の出世のために自分の組織の権益だけ追求したから。国民や日本を危地においやった。
つまり大企業病だよ。
明治時代がうまく行ったのは、明治維新でそれまでの旧体制が打ち壊され、
若い人たちがその長所を伸ばしながら独創的に仕事をしたこと。
昭和初期の終戦までの期間、日本が劣化したのは官僚社会の中で
現場を知らない口先だけの人間が増えたこと。
司馬遼太郎記念館、いいよなぁ。
司馬遼太郎と身近になったような気分になれるんだよね。
自分は圧倒されて泣きそうになってた。。もはや信者と言ってもいいだろうな
官僚といっても先祖が小作人のような連中だし
明治の官僚とは別物だわな
>>610 明治から終戦までほぼ断続的に戦やっているんですが
大きなものだけでも10年ごとくらいに
明治の官僚も、下級武士出身者ばかりじゃね?
竜馬読んでると、小作人と変わらないような下級武士がみんな(のち子爵)
って説明されてる。
維新後に人材のポテンシャルがなぜ落ちたのか?
というのはかなり面白いテーマだな。
今まで説明しえた人はいないのでは?
朝鮮併合したからじゃね?
あいつらの意地汚さが日本人の底辺を引き下げた。
司馬遼太郎記念館のグッズで、懐中時計買った人いる?
セイコー製だそうだけど、2万4800円は高いよね。
でもほしーーーーいとチラと思った。思っただけで買わなかったけど。
買わなくて正解でしょ。実用性に乏しいし
しかしなんで懐中時計がグッズにあるんだ?って思う。なにかゆかりがあったっけか
置き時計で十分だよなあ。
旅行でNYの国連本部に行った時、売店で30ドルで置き時計売ってた。
やっぱり土産なんぞ3000円くらいまでだよ。
司馬小説読むと蘭学を勉強したくなるが参考書が無い
司馬は、長州びいきの作り話ばかりな印象だな。
史実とは違う小説だから、そのまま受け入れると武田鉄亜みたいな勘違いのトンデモ大馬鹿になるぞ。
ほかの歴史書と合わせて読まないと危険。
>>622 つ大槻玄沢『蘭学階梯』
蘭和辞典『ハルマ和解』
司馬さんは南京大虐殺について言及していますか?
言及していたら読んでみたいので作品を教えて下さい。
してない気がするが、どうだろうね。対談とかエッセイは隅から隅まで
全部読んだわけじゃないしなぁ。
富士正晴との対談で中国人の家畜とかをシメて迷惑かけたなぁとか
言ってたのは確実に覚えてるけど
家畜をシメたとか言ってたのは富士正晴だっけかな
司馬遼太郎は善悪はっきり付けられるものしか掛けなかったんだよ。
意見や評価が分かれるような歴史的事件は書けない。。。。
それが司馬の長所でもあり弱点でもある。
堀田、宮崎、司馬の対談本が面白かった。
>>623 長州はあまり好きでなかったと思うよ
旧陸軍の体質を生んだ源流と捉えてるから
竜馬でも燃えよ、でも長州の扱いはズッコケルぐらいの贔屓の引き回しだったけどな。
あれは、酷すぎだろw
坂で、東郷が非の打ち所がない優秀な人物で、
乃木が救いようのない奴に描かれてるのは、旧陸軍嫌いだったからかwww
司馬は性根が歪み過ぎだな
自分のことは棚に上げ・・・って皆、そうか
いや救いようが無いのは乃木じゃなくて伊地知だろう
なんで勉強・留学しといて要塞攻略法しらねぇんだカスって扱い。
乃木はまだステッセルとの会見とか見せ所がある
司馬は乃木を軽んじているとかは全くない。
馬鹿にしていたら「殉死」なんていう小説を書いたりはできない。
司馬は第二次世界大戦で無能な上官が散々威張ってて嫌な思いをしたから、
伊地知といった無能カスが嫌いでテキトーな扱いになる。
乃木は軍人としては無能だったが、律義で義理がたい人だったというのが、
司馬が乃木に対してもっていた印象だろ。
乃木は戦前神格化されていた人物であることを踏まえると司馬の乃木評は相当に辛辣だよ
偶像破壊のレベル
「真説宮本武蔵」に通じる評価
どのへんが辛辣なの?
軍人としても行政官としても低い評価
人格も理解しても共感しない
乃木が軍人としては無能だったというのは本当の話しで、
辛辣でもなんでもないじゃん。
しょうじき「殉死」読んだ印象でも、時代遅れな武士道とかの思想に取り憑かれたあげくに
いやがる奥さんを無理矢理心中させたクズって感じだった。
>>623 対談で本人がはっきりと長州嫌いと言っているよ。
君、嘘を言ってはいかん。
正確にいうと陸軍の空理空論的体質に影響を与えた部分の長州が嫌いってこと
陸軍が嫌いなんだね
>>640 当時としてはあの戦い方は普通。
南北戦争でも第一次大戦でもマシンガンの構える中に
ひたすら行進してなぎ倒されたりとか、銃剣突撃で玉砕とかいくらでもある。
要は当時として正統的な用兵をしたってだけ。
それを戦史に無知な司馬が太平洋戦争の精神突撃みたいに叩いたわけ。
旅順要塞はコンクリートの半永久的な要塞だ。
歩兵の突撃なんぞはびくともしないし、陸軍の野砲でも蚊がとまったようなものでなんともない。
この戦闘では世界で初めて大量に、そして組織的に機関銃が使われている。
コンクリートに銃眼が切ってあって、それが縦横に配備されている。
そこに日本兵が突撃する。
すると、その部隊はたちまち全滅する。
そういう突撃を繰り返す乃木は指揮官として能力がなかったんだよ。
乃木の話題は何度も出るけど、みな毎回同じことを言ってるなぁ・・・
>>646 なんかもう完全に司馬の乃木評価の受け売りだな…
乃木が指揮官として能力がないかどうかより、当時の戦争や
要塞戦が一般的にどんなものだったか広く見てみないと、一概に
乃木が良いか悪いかなんて言えない。
所詮、結果から見た後知恵で乃木評価をしても意味がない。
司馬にしてはめずらしくまともな評価してるな。
>>646は事実だからな。
一番ピカレスクロマンしてる作品はどれですか?やっぱ国盗り物語ですか?
>>649 単純に教えて欲しいんだけど、
>>649が
>>646を事実と認定したソースって何かありますか?
小説やエッセイ、ムック本とかでなくて、例えば専門家の書いた専門書とかで。
>> ないよ
2ちゃんでソースを求めるのは馬鹿のすること
事実って言えばもう事実なんだよ
司馬の小説をいくつか読んだけど
結局、男が立身出世を目指してがんばって死ぬまでの話って気がした
主人公の生き方が違うから話は違うんだけどね
まあ言ってしまえば、司馬の小説がワンパターンで、
更にその司馬の小説を読んで歴史のお勉強をした気分に
なってるヤツが多いってのは事実しな
何だかんだで濡れ場が多い。
>>645 第一次世界大戦の戦いぶりはむしろ日露戦争が影響を与えたらしい
肉弾特攻で大要塞を落としたとされて
第一次大戦の戦い方は今から見るとかなり精神主義的
日露戦争のときに肉弾特攻で大要塞を落としたことがあるって?
初耳だわ。
>>658 しっ!
もう少し異次元世界の歴史を聞きたいので。
日露戦争の前にヨーロッパのどっかで要塞戦があったはず
それを勉強していればとりあえず歩兵突撃が愚策中の愚策なのはすぐわかるはず
伊地知はドイツ留学したくせになんでそれを知らんの?ってことだろ
乃木も伊地知もドイツ留学してるくせにそろって無能やな。
>>654 立身出世は違和感あるな。要は既成社会での名声を得るってことだからな、立身出世は。
高杉晋作が立身出世を考えたか?河合継之助が立身出世を?
立身出世って言うと一気に泥くさくなって涼やかさが打ち消される。
>>658 とされて、って書いてあるでしょ
読解力ないなあ
枝葉末節
>陸軍の野砲でも蚊がとまったようなもので
そうとも言えない。あれも大本営が徹甲弾送ってたら
陥落してたとか言われてるし、実際後の坑道戦の効果見ても分かるだろ。
乃木はいきなり銃剣突撃じゃなくて十万発以上砲撃かましてからだし、
やりようによっては正しかったわけだ。
旅順は乃木将軍のために落ちたのではない。
いつまで経っても落ちなかったし、犠牲があまりに大きかったから、
総司令部は指揮官を更迭し、乃木に代えるに児玉源太郎を以てした。
要塞が落ちたのは、それからである。
しかし陸軍はそのことをかくして、乃木を表にたて、開城の儀式を行った。
念の入った事に、文部省は御用歌人佐佐木信綱をよんで「水師営の会見」の唱歌を作らせ、
国定教科書に載せるということまでした。
指揮権交代なんかされたら乃木のことだから腹切って死んだだろうね。
児玉は乃木より上役だから行って説教たれた、が正解ではなかろうか。
乃木夫妻が自宅の二階で自殺したのは、1912年9月13日の午後8時頃だ。
それを最初に発見したのは、乃木家の女中と偶然近所を通りかかった巡査で、 検死を行ったのは、
巡査の報せをうけ、午後9時頃に現場に到着した警視庁医務科の岩田凡平医員だ。
岩田医員は、屍体と現場の状況を詳細に較べて「乃木将軍及同夫人死体検索始末」という報告書を作った。
この報告書は、9月13日夜乃木家で起こった事の、唯一の直接で客観的でしかも詳細な証言であり、資料である。
しかし時の政府は、その資料を公開しなかったばかりでなく、1年後に岩田医員みずから報告書の写しおよそ 60部を
知人に配ろうとしたときにも、それを押収した。
岩田報告書が世間に知られたのは、事件の後20年以上も経ってからである。
現場には10カ条からなる遺書があった。
遺書は、その最初に殉死の趣旨をあきらかにし、すすんで伯爵乃木家の廃絶と邸宅の東京市への寄付をもとめていた。
政府はその遺書さえもそのまま発表しようとせず、公式発表には、家の廃絶と邸宅の寄付の2項目を削った。
発表とは別に遺書の内容を知った新聞が前文を掲載したので、政府発表とのくいちがいはあきらかになったが、
政府側は、その責任をとるどころか、3年後に、乃木の旧藩主の弟を据えて伯爵家を再興したのである。
権力による世論操作のこれほど見事な例は少い。
乃木希典は、もと長州藩の武士になろうとして、帝国陸軍の軍人となり、軍人として失敗したので、
武士道の精神主義に徹し、精神主義に徹したのでいよいよ指揮官として失敗した人物である。
そういう乃木を、権力はその中心から遠ざけると同時に、陸軍の象徴としてカミにすることに成功した。
カミの個人としての意志は無視される。
たとえ生涯に一度、遺書に述べた意志でさえも。
なぜならば、カミが人を作ったのではなく、人がカミを、いや、もっと正確にいえば、
日本帝国の権力機構がカミを作ったのにほかならないからである。
な〜るほどね〜。
戦死者が靖国に祀られるというのも、権力機構により作られたシステムなんだろうね。
670 :
無名草子さん:2013/10/05(土) 20:51:27.80
>第一次世界大戦の戦いぶりはむしろ日露戦争が影響を与えたらしい
これが本当とするとむしろ乃木は良将ってことになる。
ヨーロッパの軍人は既に機関銃の威力も知悉して、日露戦争などからも
戦訓を得られる有利な立場にあり、眼前の戦争からも学べるものがあった。
にも関わらず科学的に有効な戦術態度を発案することができず、ひたすら日露戦争の
戦術の猿真似を行った。
アホな精神主義のそのまた猿真似で大量の死者を出したのであり、真正に自分の頭で考えず、
科学的精神にも欠如したのがヨーロッパ軍人であると。
乃木は未知の要素があったにもかかわらず数万。
後発で参考に出来る有利な立場の欧州白人は要塞戦で双方に三十万を超える犠牲者だ。
671 :
無名草子さん:2013/10/05(土) 21:23:19.57
突撃が武士道精神とかで、バンザイ突撃を繰り返していた第二次大戦の日本軍も
乃木の頃から進歩がないな。
どのみち乃木の戦術はあの時代では
世界的に普通で特殊でもないってことだな。
特殊な精神主義みたいに言ってる奴は司馬と同じで戦史に無知なだけ。
673 :
無名草子さん:2013/10/05(土) 22:25:59.99
>>666 つまり乃木が無能で児玉が有能だったということだな。
674 :
無名草子さん:2013/10/05(土) 23:51:32.79
>>673 無能かどうかは不明
事前の十分な攻撃して大本営の兵站のやり方の如何では大きく変わってかもしれないし、
戦術も後の戦史見れば普通だし、劣ってるとも言えない。
被害数見ればむしろ良将と言える可能性もある。
確実に言えるのはその辺すっとばしてる
「司馬は戦史に無知」ということ。
受け売りしてる奴も同様。
674さんマジかっけーっす!!!
パネェっす!!!!!
676 :
無名草子さん:2013/10/06(日) 00:12:25.81
乃木は日本軍に一方的な犠牲を強いるだけでいつまでたっても攻略できない。
これは乃木が無能であるよい証左だ。
児玉源太郎が指揮官になってからは、要塞どころか、
港の太平洋艦隊まで沈めたからな。
それでロシア軍は降伏したんだから、乃木が無能で児玉が有能なのは明らかだ。
別に乃木の肩をもつわけじゃないが、
乃木と第三軍に関しては、司馬遼太郎は
史実や史料に残ってることとは全く違う、
乃木に都合の悪く、児玉側に都合のいい創作をかなり入れてるよ。
まあ、司馬遼太郎はあくまでも小説家に過ぎないんだから
嘘を書こうが創作しようが構わないんだがw
司馬遼太郎に近い情報筋からなんですが、実は司馬遼太郎は、
ケツの穴に指を突っ込みクンクンするのが異常に好きなホモだそうですよ。
情報筋が2chで、自分で書き込んだ情報を流用したって、
このぐらいの事は言えるだろ。
朝日がよくやる自作自演の手法だが・・・・
小説だろうが2chだろうが、実名使って適当な事を書いちゃマズイだろ。
今でも日本人は乃木の呪いから逃れられないのがよくわかった
今でも日本人は司馬の呪いから逃れられないのがよくわかった
何言ってんだこいつ
司馬遼太郎の創作や司馬が書いてあること全部を
まるで史実か通説であるかのように思い込んで
司馬のうけうりをして歴史を勉強したつもりになっている人が多いってこと?
歴史の人物を登場させているだけで後は全部創作だってことは
みんな知ってるに決まってるだろ。
極論すれば、無双も腐女子向けの漫画やゲームも、司馬遼太郎の
小説も、歴史に題材をとっただけの創作物だって点ではみんな同じ。
こんなこと書くと、一部の狂信的な司馬信者は怒るだろうが…
>>677 >史実や史料に残ってることとは全く違う、
それ具体的に言ってみてよ
司馬本人が自分が書いたものは小説だと
何度も何度も言ってるんだよな
国民作家となれば、読者の大多数は馬鹿だから
史実と勘違いされて、作家も迷惑したことだろう
基本史実を土台に書いてるだろ
吉川英治など従来の歴史ものに比べてフィクションを排して書いたところが司馬の人気だったはずだ
外国では歴史家が一般向けに書くタイプの本だよ、司馬の小説は
外国の歴史小説は架空の人物が出たりもっとフィクション性が強い
「司馬の小説は史実じゃない!」と得意満面に言う奴にも辟易させられる
”小説”なんだから当然だろ
>>682 こういう書き込みはたまに見るけど
具体的に例を示して説明したレスは見たことないんだよなw
まあ、旅順要塞への第一次総攻撃の大失敗で軍の指導層がうけたショックは
計りしれんものがあったからな。
その後、参謀本部で乃木更迭の声があからさまにではじめたという当時の記録もあるしな。
最強の防御力を誇るところへまともに白兵突撃する馬鹿があるかってな。
だから、乃木無能論は司馬が最初に言い出したことでも、ましてや創作でもないんだよ。
なぜ軍部がショックを受けたかというと、
日清戦争頃の頭で居たから。
長い戦史から見れば、本格的な近代戦争であれぐらいの犠牲者は普通で
旅順戦は少ないぐらいだが、当時はまだ経験したことが無かったから
司令官の質が問題とか誤解した。
具体例なんてわざわざ挙げるまでもなく、このスレにいくらでもいるだろw
ここは戦史に詳しい人がいるみたいだから聞きたいんだけど、
WIKIの児玉の項目にも書いてあるけど、
旅順戦での児玉の働きは実際には
どの程度のものかわからない、少なくとも
児玉が来たから全部解決しましたと言える程の単純なものではなかったんでしょ?
満州軍総司令部参謀井口省吾
「防備が手薄とみられる西方正面、203高地を占領したほうがいい。」
伊地知軍参謀長
「203高地は孤立した要塞で、そこを攻略しても敵の死命を制したことにはならない。」
井口省吾司令部参謀
「われわれの提案を陸大の答案にしかすぎんといわれる。
実際の戦いには役立たんといわれる。しかし、われわれは簡単に一蹴できるほど敵は弱いとはかならずしも考えていない。
前哨戦であった鳳凰城、千丈山を占領するだけだって、現に何千人かの損害を受けている・・・・」
伊地知軍参謀長
「第三軍の司令部を侮辱するんじゃない。わが軍はいままでにも、最小限の時日でそれら前衛基地を叩き潰してきた。
それはキチンと覚えておいてもらいたい。
それに作戦の最後は、現地参謀長が決定することになっている。
しかも総司令部からも許可がきている。それにもとづいて大本営にも報告済みだ。
余計なことはいまさらいわんでもらいたい。」
乃木軍司令官
「貴官にも意見はあろう。しかし、伊地知君も種々検討した結果、こう決めたのじゃ。
どうか、今度は伊地知君の案でやらせてほしい」
井口参謀に、伊地知軍参謀長が「これあるのみ。もはや動かしようがない」と豪語した7月29日に策定した計画案の大要。
一、強襲法を採用すること。
旅順要塞が堅固であるかどうかは問うべきではない。
わが攻撃用の弾薬数は少ないし、今日までえた情報では、要塞の防備や守備兵の状態からしても、
強襲法で目的は達せられるはずである。
二、攻撃正面を二龍山から東鶏冠山北堡塁の間に選ぶ。
(イ)略
(ロ)203高地を含む松樹山以西の地区は、本防禦に達する前に多くの前進陣地を奪る必要がある。
地形上、特に鉄道との関係上、攻城砲の展開に多くの時日が必要であり、従って総攻撃の開始を遅らさざるをえず。(略)
(ハ)選定した東北方面は、攻城砲の配置が最も敏速に、その全威力を集中し、攻囲陣地より直ちに本防禦に迫ることが出来、
本防禦奪取後は、すぐ要塞内に進入し、かつ敵の本防禦戦を中断し、一挙に要塞の死命を制する巨利がある。
(二)略
三、従って、堅固なる正面を攻撃し、多大の損害を払うことは、覚悟しなければならない。
伊地知軍参謀長の作戦で開始された旅順要塞への総攻撃は8月19日から6日間に及んだ。
24日午後4時に乃木軍司令官が下した決断。
一、未だ全滅ヲ賭シテ決戦ヲ為スノ期ニ非ズ。
二、多少新鋭ナル兵力ヲ加ヘテ攻撃ヲ継続スルモ、尚奏功ノ望ミナキモノト認ム。
三、故ニ断然強襲ヲ中止シテ戦闘力ヲ回復シ、速ニ他ノ適当ナル方法ニ著手スルヲ至当トス。
旅順要塞への第一次総攻撃は、ここに大失敗をもって終わった。
第3軍戦闘総員50700人。
悲惨をきわめた人員の損害は、戦死5039人、戦傷10823人。
ロシア軍の死傷は約1500人。
697 :
無名草子さん:2013/10/07(月) 07:14:13.36
この伊地知が、結局はおそるべき無能と頑固の人物であったことが乃木を不幸にした。
この第三軍そのものに必要以上の大流血を強いることになり、
旅順要塞そのものが、日本人の血を吸い上げる吸血ポンプのようなものになった。
「坂の上の雲」4巻24ページ
無能者が権力の座についていることの災害が、古来これほど大きかったことはないであろう。
(203高地攻略をせず、相変わらず正面突破突撃を繰返し命令してきた結果)
同国民を無意味に死地へ追いやり続けている。
「坂の上の雲」4巻308ページ
なるほど、やはり乃木と伊地知は無能だったんだね。
もう司馬スレと関係なくなってるから、一般書籍板じゃなくて日本史板でやろうな
司馬が無知で無能とよく分かる記述だな。
>>686 >吉川英治など従来の歴史ものに比べてフィクションを排して書いたところが司馬の人気だったはずだ
ちゃんと一つ一つの典拠を司馬が書いているわけでもないのに、一体何を理由に司馬の小説が
「従来の歴史ものに比べてフィクションを排して書いた」と言ってるの?
司馬は創作したフィクションを、余談やらの方法で小説ぽくない形にしてフィクションではないと
読者に思わせているだけかもわからないよ、実はw
>外国では歴史家が一般向けに書くタイプの本だよ、司馬の小説は
そんなわけないだろ。一般向けに書いているものでも、ちゃんとした歴史家が
書いたものなら、ちゃんと何を基にそう判断したか書いてある。そこが小説との違い。
>外国の歴史小説は架空の人物が出たりもっとフィクション性が強い
司馬の小説も架空人物を出しまくってますよ。それどころか架空の人物を主人公
にしたのもあるだろ。
司馬の小説に、歴史家の本と同じだの、他の著者と比べてフィクションが少ない
だの言って、何で司馬の小説にアカデミック的な付加価値をつけたがるんだ…
そもそも最近の史実認定の基準ってエビデンスがあるかどうかが大きいんだよな
殷王朝なんか良い例。遺跡が出るまでは架空の存在って説が優勢だった。
んでエビデンスの無い部分をどれだけ巧く書けるかが小説家の腕の見せ所であって
史実と小説を比べてどうこう言うのは的外れだと思うんだ
>古来これほど大きかったことはないだろう
この辺にも無知というか頭の悪さというか・・
ヴェルダンの要塞戦とかアメリカ軍の銃剣突撃の
被害知ったら卒倒するんじゃないか。
705 :
無名草子さん:2013/10/07(月) 21:30:53.63
まあ、児玉も無能だけどな。
司馬の記述にツッコんでいる奴ら
後出しジャンケンしてて楽しい?
福田 定一 は単なる作家です、
面白可笑しく書かなくては作家として生活が成り立ちません。
面白可笑しく無ければ新聞週刊誌月刊誌の連載小説は成り立ちません。
>>706 すでに司馬自身が後出しジャンケンで
歴史上の人物にツッコみまくっているじゃないかw
>>697 司馬も乃木を無能扱いしていたのか。
よく調べて小説を書いていると見える。
感心感心。
結論は司馬が一番無知で阿呆だったでファイナルアンサー?
うん、そうだよ
よく知ってるじゃないか、君すごいねー
楽しんだ方が勝ち
713 :
無名草子さん:2013/10/09(水) 22:27:42.30
たしかに「坂の上の雲」は乃木の無能ぶりがよく書かれていて楽しめた。
テスト
面白いね、此処の人達は、良くもまあ故人を貶し倒してますね、人間として・・・
福田定一(司馬遼太郎)氏以上の作品を書く事が出来るんですね、キット
この分だと時代小説作家続々登場と言う事ですね、楽しみにしてますよ。
吠えてるのはキチガイだから何言っても通じないだろ
なんで本名(筆名)表記する必要があるんだ?
小さい鳥には大きい鳥の言っていることがわからんのだ
本を書くのはとてもしんどい
本を読むのとても楽しい
批判をするととても無駄なことをしてる気分になる
>>716 なぜ
>福田定一(司馬遼太郎)氏以上の作品を書く事が出来るんですね
になるのか分からないんだけど?
例えば料理のうまいまずいもその料理人よりも腕がないと言ってはいけないの?
あと
福田定一(司馬遼太郎)なんて書いちゃうあたり相当あれだな
ネチネチとよく絡む奴だなあ
いくら司馬を叩いても、乃木の無能は変わらず。
724 :
無名草子さん:2013/10/10(木) 22:42:37.21
乃木無能なんて言ってると自分が有能みたいな勘違いしちゃうから
たいがいにしなさいよ。
乃木といえどもあんたより有能だから。
725 :
無名草子さん:2013/10/10(木) 23:20:18.66
げらげらげらげらげらげら
煽り?
「坂の上の雲」に一貫しているのは事実の尊重ということだな。
資料を離れての空想、空想にもとづく粉飾がない。
資料的価値は文学的価値ではない。
ある人物の生涯の多数の事実を羅列することだけからは、
その人物の顔の輪郭が鮮やかに浮かんではこないだろう。
「坂の上の雲」は事実を通して人間を描きだしている。
登場人物の人格が複雑な厚みにおいて直接に読者に迫る。
資料の読みの深さ、個別的な事実から人物の全体へ向かう洞察力の鋭さが、
「坂の上の雲」を面白くさせているに違いない。
いい加減にしないと日本史板に坂の上の雲スレを建てちゃうぞ
ペンネームなんて司馬遷みたいに成りたいから司馬遼太郎と付けたんだろう!
福田定一で良いじゃない、池波正太郎も柴田錬三郎も本名だそうだよ。
730 :
無名草子さん:2013/10/11(金) 12:31:36.44
大阪人うそつき偏見悪徳小説屋
小説家だもん有った事を無かった様に、無かった事を有った様に、書くのは当たり前ですよ。
そんな事も分から無いで小説を読むなんて何か変。
【何もかもが】司馬遼太郎アンチスレ【嫌い】 の人達が騒いでるのね。
故人のスレだし、新しい話題がないからねぇ
どうしてもおっさん臭のするスレに
735 :
無名草子さん:2013/10/11(金) 21:41:00.01
>>727 >「坂の上の雲」に一貫しているのは事実の尊重ということだな。
>資料を離れての空想、空想にもとづく粉飾がない。
WIKIにでも載っていることだからWIKIからの引用だけど、
>旅順要塞攻略における児玉源太郎の第三軍への指揮権介入の件については、
>その事実を証明する一次資料は存在せず、司馬作品以前に同様のエピソードが取り上げられていない)、
>司馬の創作ではないかとの意見が強い。
事実の尊重どころか、乃木大嫌い、児玉大好きが高じて
資料を離れての空想、空想にもとづく粉飾をしてるぞ…
それに資料の読みの深さなんて言うけど、司馬が依拠してるというか
ほとんどネタ元にしてる「機密日露戦史」なんて坂の上の雲以前から
一方的な記述で問題ありだとされてるもので、他の資料と突き合わせたり
編纂者の立場なんかも考慮しないといけないのに司馬はしてないからな。
自分のアンチ乃木、児玉マンセーの都合のいいものを切り貼りしてるだけ。
まあ、司馬は歴史家でも学者もなく、大衆小説家なんだからそれでも別に
いいんだけど、でも「フィクションは取り入れてない」とか「事実を尊重」とか
言うんなら、最低限それくらいはしないと
737 :
無名草子さん:2013/10/12(土) 06:49:12.84
wikiから引用w
乃木は無能だ。
司馬の作品を読むまでもなく、旅順での戦いぶりを調べりゃわかることだ。
乃木は要塞の堅固な正面を攻撃し、自軍に多大の損害を与えた奴だ。
こんなのは無能がやる戦術だ。
休職中将が軍司令官になれたのも、長州閥ゆえの引きによるものだしな。
派閥人事で無能者が軍司令官になって味方に無駄に多大な犠牲を強いた不幸な戦い。
それが乃木の旅順攻略だ。
Wikiからの引用とか、「2ちゃんからの引用です」並に恥ずかしいぞ
Wikiからの引用とか、「司馬遼太郎の小説を読んだ程度で歴史を語ってる」並に恥ずかしいぞ
741 :
無名草子さん:2013/10/12(土) 22:36:38.41
司馬遼太郎は作家であって、歴史家でも歴史学者でもない。
彼の作品は単なる小説であって、専門書ではない。
そんなのは当たり前のことだ。
だから、司馬の小説が間違ってる、事実と違うなんて指摘や、
司馬がこう言っているから、歴史の史実もそうだって追従するのはどっちもお門違い。
司馬の歴史小説は、あくまでも登場人物の名前だけが歴史の史実と一致する
空想歴史小説、架空戦記小説に過ぎないのだから。
別に司馬に限ったことではない、この世のあらゆる歴史小説がそう
すべてフィクションだし、史実だとか誰も気にしてない
司馬だけをタゲにする奴はキモいし哀れ
>>742 >すべてフィクションだし、史実だとか誰も気にしてない
司馬ファンだけはそうではないんだって…。
司馬ファンの思い込みの激しさはこのスレ見りゃすぐにわかるだろ。
>>743 具体的に指摘してみるか
それともここが嫌ならさっさと出て行けよ アンチのほうがよっぽどうざいわ
歴史の教科書が面白いか?小説のほうが面白いだろ。
三国志だって脚色されたから今に残っているんだぞ。
お前らの人生なんか、脚色しても何も残らないじゃないかい。
この間、歴史が好きだと言ってる奴がいてよく聞いてみると司馬さんが好きだということだった。
ちょっと違うんじゃないかと思ったが、それで歴史に興味を持ったんなら大いにいい事だと思うよ。
いやいや、史実を捻じ曲げてはいないんだよ
一般教養としては十分だろ これは海音寺潮五郎さんが直々に言ってるんだが
おまえは覆せるのかよ
>>744 >具体的に指摘してみるか
とりあえず簡単な所で言えば、乃木でこのスレ検索かければ
出てくる乃木批判なんて全部司馬のうけうりかそのコピペじゃないかw
何をいまさら。
>>747 >史実を捻じ曲げてはいないんだよ
だから捻じ曲げてないなんて何を元にそう言い切れるんだよ。
良くも悪くも司馬はフィクションをノンフィクションのようにして書いたり
読者にノンフィクションだと思わせることに非常に長けている。
てか、海音寺潮五郎も小説家であって専門家や研究者じゃないんだから、
司馬の小説のどこが史実でどこが違うかなんてわからんだろ。
ビョーキだな、もう・・・
頑張って生きてください
乃木は無能だから更迭すべしという意見は旅順攻略時の参謀本部にもあったわけで、
べつに司馬が言い出したわけじゃない。
したがって乃木無能が司馬のコピペとか受け売りとかいう主張は成立しない。
司馬作品を読まなくても、旅順攻略を調べれば乃木が無能なのは明らかだ。
何時までやってるんだか?
乃木スレでも作ってやれば
小説なんて何処まで行っても小説だよ。
歴史の検証がこのスレの目的ですか?
何時までもみっとも無いよ。
なら君が立ててくれ
そっちに誘導しようぜ
>>748 だから具体的に言ってみれば?簡単ならなおさらだよ。
具体的なことも言わずにアンチ活動してるからうざがられるんだよ?
読売新聞「読書週間世論調査」2013年版発表!
【好きな作家・著者】
1位:東野圭吾
2位:司馬遼太郎
3位:村上春樹
4位:松本清張
5位:宮部みゆき
:五木寛之
7位:池波正太郎
8位:西村京太郎
9位:百田尚樹
:藤沢周平
11位:池井戸潤
:瀬戸内寂聴
13位:渡辺淳一
14位:林真理子
15位:赤川次郎
:太宰治
17位:伊坂幸太郎
:夏目漱石
19位:有川浩
:浅田次郎
>>754 司馬はともかく松本清張の人気は凄いな
死んだら消えると思ってたけど全然そんなことなかった
司馬遼太郎、希少本以外おそらく全部読んで何回も読んだから
陳瞬臣読んでる。やっぱ中国の歴史は面白いわ
司馬遼太郎ももっと中国の歴史書いてほしかった。項羽と劉邦は一番繰り返し読んだかも
乃木が無能とかの痴馬史観広めた三流作家
>>754 松本清張がいるのに
江戸川乱歩と横溝正史がいない
その2人はかなり古いからでは
「好きな」だから、単にその二人は好きな人が少なかっただけ
燃えよ剣と太閤記を読んだおれにおすすめ教えて
俺のおすすめ
結果としては敗者になったが見所のある人物を見たい場合
峠 関ヶ原 国盗物語
剣の達人の話を見たい場合
北斗の人
底辺層出身で歴史に残ることをした人物を見たい場合
項羽と劉邦 菜の花の沖
燃えよ剣の後なら新選組血風録と幕末がオススメ、いずれも短篇集なので読みやすい
短編といえば稲富氏のやつは何に収録されてるっけ?
765 :
無名草子さん.:2013/11/08(金) 21:35:45.07
急に歴史ものが読みたくなった。
司馬遼太郎、初めて読んでみようと思うんだが、何がいい?
花神と世に棲む日日と十一番目の志士と峠を読んだあとニコニコにうpされてる大河の総集編観ると面白いぞ
767 :
無名草子さん:2013/11/10(日) 18:36:13.72
燃えよ剣。
司馬作品では、「草原の記」が一番好きだ。
登場人物は2人。
1人の主人公は、ツェベクマさんと呼ばれる。
現代の無名の女性であった。
彼女は第二次大戦の前後を通じて、旧満州からシベリアの一部、そしてモンゴル本国へ広がる、
かつての遊牧民族が長躯した世界を放浪しながら生き延びた。
つぎつぎに政権が代わり、国境が変わるなかで、彼女は歴史に翻弄されながらも、
どこか歴史と無関係に生きているという強い印象を与える。
3ヶ国語を自由に話す知的能力の高さにもかかわらず、
彼女は転々と変わる国家やイデオロギーを黙殺し、自分に加えられる非道すら無視して淡々と生きている。
あるのはただ、娘を育てて自分の血筋を残すというほとんど生物学的な欲求だけで、
国境にも制度にも大儀にも関心のない生き方を貫いている。
透明なモンゴルの風さながらの無常感が張りつめているが、それがまた心にしみる作品だ。
まったく無名の人が主人公になっているところも面白い。
俺は司馬先生が好きなんだけど
この人の小説は日本人にしか分かりにくい独特の感性があるよね
台湾や中国では読まれてるらしいけど外国人にはちょっと理解しづらいような感覚
だいたいが日本の歴史だしなぁ 読みづらそうだ
年をとると小説を読むのが辛い
最近は「街道をゆく」にハマってます
若い頃は全く興味ないシリーズだったけど、今は楽しく読める
功名が辻を読んだ。悪口を書くわけじゃないけど、戦国武将って所詮人殺しなんだなって思ったね。
盗賊の首領と何が違うんだっていう。
歴史上の英雄なんて極端な話、どいつもこいつも大量虐殺者だしな
「英雄とは災厄である」、みたいな格言があったなあ
>>773 短編での河合継之助はそんなかんじで描かれていた気がする
でも、
「鈴木孝一は入社以来、無遅刻無欠勤で地道に勤め上げ、管理職になってからは出る杭を確実に打つ人事で
退職まで安定した地位を確保した」みたいな人間には憧れないけど、たとえ世間で災厄と言われても
坂本龍馬や河合継之助や土方歳三には憧れてしまうよな。
776 :
無名草子さん:2013/11/27(水) 23:05:10.82
なんで電子書籍は竜馬しかでないの?
まぁ荒々しい意味での英雄は日本にはあんまりいなかったって
対談か何かで言ってたな
織田信長だって戦国時代は悪魔のように言われてたんだぞ。知ってるか?
あんまりいなかったって言ったやん
>>777 司馬は英雄の定義として「多くの人を喰わせられる人」「天下レベルまで自我を肥大させる人」みたいなこと言ってて
「そういう意味では日本には英雄はいない」と
>>775 趙高か、もう少し害がないだろうが国を滅ぼしもしなかった宦官みたいなもんだぞそれ
司馬が書くつもりがあったノモンハンの小説読みたかったな
やる気がないから
>>775 1回も読み違いをせずきっちりライフサイクルを管理してるわけだから、物凄いあこがれるけど
786 :
無名草子さん:2013/12/10(火) 23:41:24.67
ノモンハン書いたら悶死すると言うほど悪い情報だらけで小説にはならなかった。
ならば、歴史研究とか、精神分析にバトンタッチすれば良さそうだけど、
そっちで研究者の個人的な民族意識が関わると純粋でなくなって、ややこしくなりそうな分野。
晩年に徳川家康をもう一度書いてほしかった
『覇王の家』は家康嫌い、というより江戸時代嫌いが滲み出ているけど晩年には江戸時代の評価を改めつつあったから
もう一回書いたら違った家康像が出てきたかも
「徳川慶喜」は傑作だと思う。
小説が出るまでは、世間では慶喜公はただの負け犬と思われていた。
789 :
無名草子さん:2013/12/15(日) 20:15:37.89
司馬遼太郎記念館のサンドイッチ美味かった
21世紀に生きる君たちへの
緒方洪庵先生に泣いた
790 :
無名草子さん:2013/12/16(月) 15:51:04.06
竜馬以外の電子書籍はなんで出ないの?
会津について、「翔ぶが如く」では会津の兵が薩摩に対して、戊辰の恨みが強いように模写してる。
けど、「歴史を紀行する」では会津は薩摩を恨んでいない。薩摩は戊辰においても寛大で、長州のみが酷かった。って書かれてる。
どっちやねんですか。
792 :
無名草子さん:2013/12/27(金) 23:16:00.73
晩年の方が正解
793 :
無名草子さん:2014/01/10(金) 16:59:22.30
歳月読み終わったけど微妙だった
江藤新平もあまり好きになれなかった
そして俺は大久保嫌いになった
俺も大久保見方変わったわ
歳月は大好きな大村益次郎が少しだけど登場してうれしかった
それ以外は…
796 :
無名草子さん:2014/01/12(日) 18:35:18.94
だいぶ前に買って放置しておいた関ヶ原をちょっと読んでみたが
これは石田三成が主人公なのか
これだけもう読む気が失せた
大久保と江藤はお互いを激しく憎んだが、
終始クールな大久保にそこまで憎まれて殺された江藤は大した器量だとおもた
江藤が小粒で取るに足らない存在なら憎むこともなかっただろうし
争いは同じレベルのもの同士でしか起こらないってAA通り
大久保と江藤はかなり近いレベルにあったのかもしれん
『翔ぶが如く』では大久保は江藤の事を
「江藤とは江に東と書きましたかな?」と惚けて
相手にしていないポーズをとっていたが切腹より惨めな刑を断行した
東京の西郷会でも大久保を憎悪する会員は多い
西郷さんの銅像はボランティアできれいにする人多いが
大久保の銅像は人気ないらしい ソースは2ch
大久保と江藤は、似たもの同士で同属嫌悪しあってたんだな
関が原の全体の状況とかいろんな武将のこと書いてあるんだよな
でも光成のエピソードを読んだらけっこう光成好きになったわ
島左近を部下にするエピソードとか、らい病の友人とのエピソードが好き
城塞も上巻はつまらんが後から面白くなってくるよね
戦国四部作という括りがあったの初めて知ったわ
>>804 真田幸村!真田丸!
痛快過ぎて読んでて射精した
家康ざまぁ!
>>805 国盗り物語、新史太閤記、関ヶ原、城塞かね
なんだか急に秀吉に興味が出てきたぞ
太閤記読もうかな
>>808 官兵衛が主役の「播磨灘物語」でも秀吉はいい味出してるよ。
歳月読んだからアームストロング砲にも手を出してみた
一番面白かったのは沖田総司の短編だった
>>809 そうなのか。サンクス。読んでみようかな。今は官兵衛が旬だし。
太閤記読もうにも国盗り物語未読だから…
今まさに太閤記を読んでるんだけど面白いな
次なに読もうか思案中
「太閤記」の次なら「豊臣家の人々」
なるほど
早速買ってこよう
815 :
無名草子さん:2014/01/20(月) 20:32:32.57
「豊臣家の人々」いいよねぇ
司馬さんの豊臣好きがよく出てる
とりあえず読破したけどなんか悲しくなってきたわ
だいたい、ロクな目に遭ってないように見える
太閤記は秀吉が壊れる前のいい所で終わってる
(というか終わらせてる)もんね
で、残りの酷い迷惑人生を豊臣家の人々で書いたと
思い出せない。
司馬遼太郎が恋愛の定義を一言で言ってたのがどの本か思い出せない
誰か知らないかな
燃えよ剣では、山南と沖田は仲が良いとされてた
一方で新選組血風録では、沖田は山南を嫌っているとされてた
山南に対する認識の変化でも起きたのかな
認識というより、そういう設定で書きたかっただけのような気がするけど
小説なんだから
>>801 似たものどころか小物の大久保が
偉人の江藤を妬むって構図だろ。
大久保は発展中の官僚によくいる国家統治レベルの観点程度しか
なく藩閥レベルの枠に留まる狭隘な人物。そこそこ当地には有能だがあの程度なら
他にもいるし薩摩閥のおかげ。江藤の処刑の陰湿なやり口といい。
江藤は藩閥やただの国家統治のレベルを超えて、人民の権利とか
普遍的な「理念」にまで考えが至っていた間違いなく歴史に残る大人物。
能力的にも司馬遼が浪花節的な感覚で贔屓する西郷より上。
2月2日(日) 22:00-22:54 BS朝日
昭和偉人伝「司馬遼太郎」
妖怪読んだけど面白かった。
女性描写が下手だと言われる司馬だけどこの作品の日野富子は良かったと思う。
司馬って戦国以前の室町時代を扱った作品少ないね、あんま興味ないのかな?
室町時代は利欲ばっかの時代で小説は書き難いってどこかで書いていたような気がする
826 :
無名草子さん:2014/02/02(日) 22:44:52.06
佐賀は藩閥的な薩長と違って崇高な「理念」を追求した行動や
世間の狭い枠を超えたスケールの大きな人材結構出してるよな。
江藤新平……四民平等、娼妓解放から三権分立の構想や民権確立などの普遍的な理念の確立にも努力した世界クラスの大物。
普遍的な民権や司法理念に考えが及び藩閥にも囚われず腐敗を斥け、汚職を追求。
狭隘・藩閥的で権威主義的な統治を図り改革と明治国家を矮小化した大久保ら守旧官吏の陰湿な策略の犠牲に。
佐野常民……赤十字の理念に共鳴し、敵味方の枠を超えた救援活動を行い日本赤十字を確立。
副島種臣……マリ・アルス号をめぐる清国人奴隷船問題でまだ不利だった日本の主権を守り、同時に人道的で国際的合法な解決をつける。
紛糾していた中国皇帝への謁見問題で第三者として数回の最敬礼という欧米にも受け入れられる国際儀礼を確立して中国と外の世界をつなぐ。
山口剛憲……「食管法違反で検事として人を裁きながら食べるわけにはいかない」と闇米を一切拒否。
栄養失調になりながら未決被告を放っておけないと職務に打ち込みで遂に病死。
梟の城面白かった〜
心理的な描写がうまい作者は自分にあってるなぁ
山本周五郎、藤沢周平しかり。
良かったから、今はやりらしい、黒田官兵衛の物語「播磨灘物語」買ってきた〜
楽しみだ〜
土佐勤王党を書いた本ってないのかな?
佐賀って維新から急に出てくる感じなんだけど
幕末はぱっとしないよね
830 :
無名草子さん:2014/02/08(土) 21:32:06.60
何十年ぶりかに『幕末』読んだけど
昔は感じなかった読者サービスが鼻についたな
それだけ君の(無駄な)知識が増えた証拠だな
>>824 戯曲の「花の館」がズバリ「妖怪」と同時代だね
後、「箱根の坂」の序盤は室町にかぶってるね
南北朝避けてるのは、天皇に触れることは出来る限り避けてるとかあったりして
南北朝は一見面白く見えるけど実は土地をめぐる争いに過ぎないって述べてたね
南朝か北朝のどちらが正当かなどという愚劣な議論は
身震いするほど嫌いなのに、地元の郷土史家の人が
延々とその話をするので、泣きたいほど閉口した
と、街道をゆくのどれかに書いてた覚えがある
我欲に満ちてるけど題材としては面白いんだけどなあ<南北朝
『仁義なき戦い』シリーズみたいで
南北朝は戦前までは太平記で国民には広く知られていたけど戦後は凋落しちゃったからね
太平記最大のスター楠木正成が皇国史観で持ち上げられた反動で嫌われたのが大きい
司馬さんは宮城谷昌光氏の「孟嘗君」を読んで
孟嘗君みたいなつまらない人間でこんな面白い小説を
書いたんだから、あなたは才能があると感想を書き送ったらしい
何か司馬さんの中に判断基準があるんだろうなぁ
>>836 嫌われたっちゅうか忘れ去られた感じ
司馬は足利尊氏も楠正成も「いいやつ」という評価だったと思う
後醍醐についてはかなり批判してたような
宋学イデオロギーを持ち込んで日本を大分裂状態に陥らせたと
やはり無知無能のウリナラファンタジー作家司馬だけありますなw
乗っ取り極悪政権北条が気性に合ってるのでしょうwww
燃えよ剣しか読んでない新参だが司馬遼太郎の作品で燃えよ剣以外でおすすめの剣客ものってある?
北斗の剣かなぁ
北斗の人だった
某マンガとごっちゃになった
844 :
無名草子さん:2014/02/23(日) 13:43:14.81
竜馬は前半は剣客物
北斗の人は父親や師匠の俗物ぶりが面白い
短篇集「新説宮本武蔵」は全て剣客もの
短編だからサクッと読めてしかも面白い
司馬は、剽窃作家でしょ。「竜馬がゆく」なんて、明治時代の高知県の新聞連載を
改変しただけです。
848 :
無名草子さん:2014/02/26(水) 21:42:14.56
『アメリカ素描』は感心したな
播磨灘物語読んだ。
面白くなかった!
俺は面白かったな。特に3巻で荒木村重に閉じ込められたところ。
あの絶望感と、植物の描写がいい。あと、救出された場面で虫の死骸みたい、ってたとえに笑った
官兵衛あんまり魅力なかったな…
好きな人には悪いけど。
戦国四部作てのを初めて知ったから
とりあえず国盗り物語の前編読んでみた
俺は知らないまま城塞を最初に読んでしまった…
俺は太閤記から読んじまった
司馬遼太郎って信玄・謙信が主役(有力な脇役でもいい)の小説書いてたっけ
燃えよ剣でいつもニコニコしてる総司くん
アームストロング砲の短編で漬け物皿にたくさん盛っておくんなえって言う総司くん
かわいい^^これから新撰組血風録読む
土方はイケメン
総司は不細工
あ?喧嘩売ってんのかテメェ!
860 :
無名草子さん:2014/02/28(金) 13:40:26.17
若い頃のエッセイを読んでも、すでに見識が完成されてる感じがする
すごすぎ
861 :
風が吹けば名無し:2014/02/28(金) 19:41:19.63
厨2っす。今司馬遼太郎にはまってて12冊くらい本読んだ。
やっぱ、燃えよ剣と坂の上の雲と竜馬が行くは傑作だと思うよ。
あと、新撰組血風録もすき。
それって12冊超えてるだろw
萌えよ剣とかいうゲームは罪だよな
俺が友達に燃えよ剣読んでるって言ったら勝手に勘違いして
きめーって言われたわ
戦国武将って、結局、私利私欲の人殺しだよね。
覇王の家ってどこからどこまで?
夏の陣までいく?
>>865 関ヶ原と大阪冬・夏の陣はすっ飛ばして死ぬ
国盗り物語→新史太閤記→覇王の家→豊臣家の人々→関ヶ原→城塞と読んでいけば、
戦国時代のメインストリームはだいたい把握できる
サンクス
国盗り物語の後編を読み始めたんだけど
いつのまにか光秀が主役になっとった
前篇は斎藤道三、後篇は信長と光秀が主人公だったね
まぁ光秀も信長の国を盗ろうとした男なので
新史太閤記の信長から寧々への手紙のくだりで
寧々が岐阜城を訪れたって書いてあるけどググったら安土城だった
>>22 昔学校の図書館で、黄ばんでボロボロの「燃えよ剣」を読んだとき
一番印象に残ったのが、歳三の命運が決したときの長い独白なんだけど
数年前買った新品の本にはどこにも見当たらなくて、「あれ?」って思ったのは気のせいじゃなかったんだな・・・
>>22 >>872 おいおいマジかよ・・・中古本狩りしようかな
確かに俺も新品の本より中古で買ったボロボロの本のほうが勢いを感じてた気がしてきたぞ
そこまで違うもんかい?
国盗り物語読み終えた
光秀とは一体何だったのか
「竜馬がゆく」で「ちょうりんぼう」(部落民の差別語)という言葉が使われていたのを
差別語と指摘されて訂正したことは新聞で報道されて知ってたが、それ以外に色々
改変がありそうだな
研究家はこの辺探ってほしいね
>>875 最近思ったんだが
光秀の歴史はいろいろ改変されて隠された事実があるような気がする
なんで謀反するの?失敗するに決まってるじゃん
敗者だし、勝者によって歴史が改ざんされてるのかもしれん
北朝鮮の歴史が改ざんされているように
昔は、「信長が何も言わないで単騎でとびだす」というのも信じてたのにw
別に信長なんて光秀に限らず謀反されまくりだろ
当時は謀反、寝返りはどこでも日常茶飯事
謀反されない信長なんて信長じゃない
謀反されてこそ一流の大名の証
光秀は勝算あっての謀反だからまだいい
荒木村重みたいのだって謀反しちゃんだから
883 :
無名草子さん:2014/04/05(土) 11:49:40.15
知らないうちにこんなに過疎るようになったんだね
国盗り物語読み始めたけどすげーエッチだな
ヤリチン庄九朗
ホモォ
花神読んだら三兵タクチーキ読みたくなった
888 :
無名草子さん:2014/04/13(日) 07:07:04.41
「日本の夜明けが近いぜよ」
って竜馬がゆくが元ネタなんですかね?
竜馬がゆくを読んでる。
もう十回くらい読んでるけど何度読んでも面白い。
筋や台詞はほぼ覚えてるからスイスイ読み進めることができるのもいい。
それより何より、感じることが毎回少しずつ変わってくるのが大きな楽しみだ。
司馬遼太郎は繰り返し読んでも面白いな
疲れてるときでも読みやすい、ためになる、精神が活性化する、で
パフォーマスが異常に高い もはや信者だ俺
司馬さんと地球外生命体の対談を見たかった。
意思の疎通ができれば案外意気投合しそう。
こうなんか勉強頑張ろうと思う本ないですかね
司馬さんの本でいうと花神や峠、世に棲む日々とか学問を頑張ってる姿みると
昔の人の学ぶ姿勢ってのはすごいなぁと関心するんですが
他の著者さんだと子母澤さんの勝海舟とか好きなんですけども
峠の河井さんが好きな王陽明全集とか
論語の方が短いから手にとりやすいか
昔は誘惑が少なかったから勉強に専念できたんだろうねえ
本もろくに買えず、TVもラジオもなく、娯楽は房事と囲碁将棋しか無いんじゃ、そりゃ勉強するよね
司馬の竜馬は現実とはかけ離れたファンタジーの世界
小説なんだからあたりまえ
現実と思い込む人や、現実とかけはなれてるプンプン!な人がファンタジー
龍馬は小説じゃなければ原稿用紙10枚くらいで全生涯を伝えられるよね
天兵が舞い降りたか
ってフレーズ好きだよね司馬さん
>>883 > 知らないうちにこんなに過疎るようになったんだね
多分あのトリップ付きの備忘録風に数行書き込む人のせいではないかと思う。かく言う俺もあの人が連投するから去ったくち。
幸いスレ分けてくれたみたいだからまたこちらが賑わう事を望む。
歴史を捏造した司馬の罪は重い
とっくに故人の作家だし、新しい話題がないせいでもある
世界に文芸は星の数ほどあるけれど
「竜馬がゆく」で時折見える俯瞰の視点の高さは他に類を見ない。
いつか「竜馬がゆく」を読んだ人が地球人という言葉を
ごく一般的な単語にする日が来るのではないか。
>>892 > こうなんか勉強頑張ろうと思う本ないですかね
> 司馬さんの本でいうと花神や峠、世に棲む日々とか学問を頑張ってる姿みると
> 昔の人の学ぶ姿勢ってのはすごいなぁと関心するんですが
司馬さんの本では小説よりエッセイ類にモチベーションを上げられるいくつかの挿話があるような気がする(少なくても俺にはそうだった)。
例えば街道をゆく台湾編では終戦で日本から引き上げる船の中の騒動にも動ぜず端座して本を読む李登輝元総統とか、
どの本だったか忘れたが吉田松陰の幼少時のスパルタ教育(学問はおおやけのものだと言う理由で本読みの時顔に止まった
蝿だか蚊を追い払ったら教育係の叔父に田んぼに蹴落とされたエピソード)とか。
竜馬がゆくを読んでいるけど読みにくいね。
「嫌だ」
とは言わなかった。
(おれもぼやぼやしてはいられない)
とは思わなかった。
とかいうフェインをかけてくる。
「フェイン」
とは言わなかった
(もしかしてフェイントのことでは)
とは思わなかった。
俺も竜馬みたいな大仕事してみたいな。
907 :
無名草子さん:2014/05/11(日) 20:55:53.61
ところで
「坂の上の雲」
ってちゃんと明快なテーマがあるじゃない。日本の近代化
みたいな。タイトルもそれにそってるし。
他の作品はそういうのあるのかな?花神はあるよね。
「項羽と劉邦」・・・・リーダーは人民にメシを喰わせる事が重要である
豊臣家の人々・・・子供の育て方
峠・・・自分の死体の始末法
ひとつはかいたけど別の人だよ
十一番目の志士ってなんであんな中途半端に突然終わるの?
読み終わってからこれ中巻だっけ?って確認してしまったわ
914 :
無名草子さん:2014/05/13(火) 09:16:18.79
『花神』のイントネーションて
写真、ミシン、おしん(NHK朝ドラ)
どれになるの?
魔神
916 :
無名草子さん:2014/05/13(火) 21:03:43.06
花神ってつまり
大村は花さかじいさんだった。って事だよね?
大村が文明という花を開花させたっていうタイトル?
じゃないかな?
918 :
無名草子さん:2014/05/13(火) 23:11:21.74
11番目の志士
はなんでなんだろうな。なんで11番目なの?
10人1チームなのか?そこからはみ出た存在なの?
タイトルネタといえば「峠」ってどこの峠です?って質問されて
作者ががっかりしたって話をどっかで見た気がする
日本の歴史の峠・・・かな・・・?
継之助が雪の中越えて江戸にゆく峠が印象的ですね
921 :
無名草子さん:2014/05/15(木) 09:47:08.84
タイトルがしっくり来るのが実は少ないんだよね。
坂の上の雲だけじゃない?
飛ぶが如く
もさあ。名前の颯爽な感じとは間逆。西郷は何考えてるか解らないし。
半次郎もなんかこんなはずじゃなかった感がしまくってたような。
「英雄児」→「峠」
「鬼謀の人」→「花神」
みたいに短編書いた後改めて長編書いた人物って他にいる?
923 :
無名草子さん:2014/05/15(木) 12:51:01.30
>>922 「城塞」も短編があったと思うが。読んでないが。
八十里
こし抜け武士の
越す峠
宮本武蔵も短編と長編があったような
ここで良いのでしょうか、記憶のある方、ご教示下さい。
「新選組血風録」「燃えよ剣」「龍馬が行く」のいずれかの作品だったと思うのですが、
次のような意味の語(一節と云うか)がありましたが、その肝心な語が思い出せず、また
その元記載が見当たらず、モヤモヤしています。
-----
幕府側についた侍(新選組だったか?)が、通常ならありえない好待遇で取り立てられる。
もともとあまり身分が高くなかったため、本人はその好待遇で舞い上がってしまい、幕府
に対してさらに忠誠心が高まる。 しかし、この好待遇というのは、落ち目の政権がよく
使う○○という手で、その侍は幕府に取り込まれてしまっている。
-----
上記の○○が思い出せない訳です。
どなたか、ご存知の方、ご教示下さい。
>>927様
うおぉぉぉぉ、超ありがとうございます! すっげぇ、スッキリしたッ!
本当にありがとうござんす。
さらに甘えて申し訳ありませんが、どの作品の、どのあたりで出てきたか、
お判りでしょうか。
>>928 記憶になかったので「燃えよ剣」「新撰組血風録」ざっと見たけどなかった(近藤勇が舞い上がってるような記述はあったけど)
「竜馬がゆく」は長いからパス
位打ちは「義経」で源義経が朝廷から受けたのが印象に残っている
930 :
無名草子さん:2014/05/18(日) 09:38:16.53
司馬って映像化にはあんま恵まれてないね。
映画で梟の城とかあったけど微妙だったし。
地の文章が魅力だから会話主体の映像化には向かないな
大河でも視聴率は低目
NHKの坂の上の雲の子規はよかった
映画の梟の城は最悪だったな
そもそも日本の映像作品自体不作だしなぁ
黒沢と寅さん、あとはなんだろな
新撰組の位打ちの件は俺もどっかで見た気がするが
いかんせん新撰組ってけっこうな作品で出てくるし長編が多いから
探す気を起こすエンジンがかかりにくい
こういうとき電子書籍になってりゃ一発で検索できそうなんだけどな
935 :
無名草子さん:2014/05/18(日) 23:38:19.37
11番目の志士とかはチャンバラ映画として結構作れそうだけどな。
後レンタル屋で古い日本映画が置いてあったんだが。
「城取り」ってのが原作司馬遼太郎「城を取る話」みたいだね。
石原裕次郎主演の映画だけど。
ていうか司馬っていつから売れっ子だったの?龍馬がゆく
は書いた当時から大ヒット作なの?
石原裕次郎が時代劇?
その『城取り』、脚本が後の隆慶一郎さんだったりするのよな。
938 :
926:2014/05/20(火) 02:09:29.27
おぉ、「城取り」のビデオがあるなんて! 見てみたいものです。
主役:車藤三(くるま・とうざ)のモデルは、前田慶次郎ですね。劇中で「紅さま(べにさま)」と呼ばれる
伊達男で、隆さんが司馬さんに前田慶次郎の資料を提供したのだそうです。
世に棲む日日読んだ
聞多の癇癪ぶりが楽しかったけど他の長州を書いた本でもこんな感じ?
幕末の聞多は世に棲む日々以外はかなり出番が少なかった気がする
所郁太郎の短編で少し、歳月では明治以後の聞多、、後なんだろうな
竜馬にも少し出たっけかな?
伊藤、聞多、高杉のトリオが最高だな、世に棲む日々
あと保守派と進歩派のどんでん返しが面白い
>>939 花神読んだ?
花神の解説にこれと世に棲む日日は同時に読んだほうがいいって書いてあったよ
ところで今日国盗り物語読んだ。なかなか面白かった。次は太閤記だな
太閤記は自分が初めて読んだ司馬作品
出だしが素晴らしい
俺の初めては功名が辻だったなあ
>>943 同じく
こいつらこんな若い嫁さん貰えて羨ましいって思って読んでたな
国盗り→太閤記ときて今は覇王の家読んでる
官兵衛の牢獄に花が咲くのって史実だったのかよ!
司馬って三河の事ボロクソに書いてるけど
当時の三河人はあれを読んでどう思ったんだろう
司馬の影響で蔑まれた三河人とかいたんじゃないかな
そこまで影響力のある本じゃない
大河ドラマになった龍馬はともかく、過大評価しすぎ
ボロクソってほどでもないんじゃない
国盗り物語読み終わったんだが、次は何を読んだらいいかな
個人的に関ヶ原が気になってるんだが、戦国時代の知識があまり深くないなら、時代を追って読んでいくほうがいい?
俺も最近国盗り読みおわって今は太閤記読んでるよ
一度でいいから吉村昭を読んでみろ
953 :
無名草子さん:2014/06/01(日) 16:43:35.64
954 :
無名草子さん:2014/06/01(日) 16:47:22.27
>>876 「城塞」の中巻だか下巻たったかで、冬の陣で大坂城を囲んだ上杉景勝のもとに家康だか秀忠だかから伝令が来るシーンも書き改められていた
「上杉弾正大弼どのぉ」
「………」
「上様からの伝令にござる!畏まれよ!」
「………」
「なんと!唖(おし)に候やぁ!」
「……」
「おぼえていよ!」
で、「唖に候やぁ!」が「耳が聞こえぬかぁ!」に書き改められていた。
他にもまだまだありそうだが、原作を殺さないでほしい…
>>952 吉村昭の方が主観を抑えて事実を綿密に書き込むけど、司馬遼太郎はエンターテインメントだから
史実が知りたくて読んでいる人は少ないでしょう
>>952 評判高い「生麦事件」を読んだけど、途中で挫折したよ・・・
吉村昭は創作の才能が無いから、史伝寄りの作風になってしまったんだろうね
それなら調べた事実を書くだけでいいし
司馬遼太郎の才覚で歴史を創作してしまうのも考えものだが
>>951 やっぱ太閤記先に読んだほうがいいかね
明日買ってくるかな
両方読むけど司馬の方が好きだな
吉村は史実重視と言ってもそこはそれ、主観も創作も入ってるから
司馬の想像力を交えて真実に迫る作風の方が好きだ
この辺はむしろ小説家の特権
史実に拘束される歴史家より真実に迫るメリットがある
まあ日本の歴史家はちょっと慎重すぎるんだけどね
司馬遼てかなり突っ走ってるでしょ。
読み物としてはともかく、吉村みたいにきちんとした作品じゃないよ。
つーか重大なことを捻じ曲げたりしてないからな
よく2chで「司馬遼太郎ファンは司馬遼太郎が作ったフィクションを史実と信じている」
って見るけど、具体的に何?ってとあるスレで聞いたら
沖田宗司がイケメンだってこととか、とか言われたんだがw
司馬は社会科の話が面白い先生の脱線空想話だからな
陳舜臣が至高
竜馬過大評価については武田鉄矢のほうが悪い
965 :
無名草子さん:2014/06/01(日) 22:10:01.58
吉村昭は「幕府軍艦回天」だけは読んだことある
それでもこの一冊で作者のスタンスなんかが窺がえていい一冊だった
>>966 井上靖も空想なんだけど、文章力に助けられてたな
969 :
堀田備中:2014/06/02(月) 21:36:09.83
吉村昭って吉川弘文堂(だっけ?)から伝記とかも出している人?
会話とかかなり司馬の思惑が入ってるだろ
関ヶ原とか酷いなあ
あれ読んで事実と思う方が少ない思うが
会話ってw
関が原は具体的に何がひどいの?
974 :
無名草子さん:2014/06/03(火) 07:25:26.26
おまえらのやり取り全然噛み合ってなくてワロタwww
ここは各自の空想を垂れ流すスレです
分かったら空想して寝ろ
司馬史観を見ればわかる
空想の人
>>961 具体的に何というより
司馬遼太郎の小説に書かれてる事以外は何一つ知らない
というのが正確なんじゃないかな
それでも、小説に書かれてることさえ知らない
よりはだいぶましなんだが
それも空想じゃないか、あなたが勝手にこうだと妄想してるだけ
それを言ったら、どんな意見もその人の空想だw
今後、「これは俺の空想だが・・・」と前置きしてから書こうぜ
何の根拠もなしに決め付ける奴多すぎ
空想=俺のとは違う意見
司馬遼太郎って時事問題には触れない傾向だし
ましてや他国のネガティブなことには触らなかった印象だな
他国はとにかく美点をほめまくる 悪い部分も上方風にやんわり言う
生きてた人や団体を実名でディスってたのって角栄、創価学会くらいじゃないか?
>>984 ただしあれほど大東亜戦争の負の側面を強く批判している歴史家はいない
しかも日露戦争は賞賛している
この落差は何?となる
勝てば官軍負ければ賊軍だが、止むにやまれぬ情況であったのに
>>983 司馬「北京の政府はあの広い版図に対してよくやってると思いますが、過去に市民社会や法治国家を経験してこなかった。
だから天安門事件が起こる。台湾は俺のものだという。これは十九世紀以前の、領土と版図、あるいは雑居地の区別
もなかった頃の東洋的なセンスですね。」
〜「街道をゆく」台湾紀行の李登輝との対談より。
この対談で司馬は中国から反中人士とみなされるようになった。
>>985 日露戦争は賞賛なんてしてないんじゃないかな
辛勝であること、国民に真実を知らせなかったこと、その後増長したこと…
負け戦につながった要因が描かれている
司馬遼太郎はSF作家だったんですね
してないよね
「明治時代は明るかった」とは言ってるが、日露戦争は「これは奇跡の勝利だから驕るな」と後世の人を戒めるような書きぶりだった
>>986 こんなこと言ってたんだね
いかにも司馬遼太郎らしい言い方だ
奇跡のような勝利ってのがもう翼賛だろう
実際は痛み分け程度
武将をやたら善玉悪玉でさばくし
翼賛?辞書を引いてみなよ
993 :
無名草子さん:2014/06/05(木) 20:28:31.58
翼賛と賞賛の区別がつかないあほうが暴れているスレはここか
>>989 明治礼賛て、あれはあれで、先の大戦とは違ったカオスだと思うが
とりあえず覇王の家読んでみたけど
なんとも言えない複雑な心境です
「明治という国家」を読めばいい
司馬の小説は読んでても、随筆を読んでる人は少ないんじゃないか
あっちは小説よりさらに駄目だ
>>986 対談の内容がどうでも、李登輝と対談したというだけでチャイナ共産党は反中人士とみなすでしょ
>>985 歴史家wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
本当の歴史家が見ると憤死しそうだ
1000 :
長州藩:2014/06/07(土) 00:59:32.51
時間かかんね
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。