文政4年(1821)、幕府は松前藩に蝦夷地を返還する。
そのときの藩主は松前章広である。
なお、
>>347を参照のこと。
嘉兵衛の死の年、かれが登城して拝謁した徳島藩主は、蜂須賀斉昌である。
955 :
無名草子さん:2012/08/31(金) 16:19:27.64
結局、菜の花は、最初と最後に出てきただけだったね。
《あとがき集》
菜の花の沖は単行本では全6巻ですが、各巻にあとがきが付せられています。
岩屋漁師の話が出てくるが、現在でも阪神地方には「岩屋漁師直送」を売り物にする
魚屋・居酒屋がある。
959 :
無名草子さん:2012/08/31(金) 17:03:33.99
あとがきまでやるのか。熱心だなwww
《あとがき二》
明石浦漁業協同組合のよしさんの弟子が手涕をかんだ。
手涕というのは、片方の鼻の穴を指でふさいで、鼻汁(はんだら)を地面に勢いよく飛ばすものだと思っていた。
うちの地方では、みんなそのようにしていた。
調べてみると、掌を鼻紙の代わりにして、掌にはんだらを出すものであることがわかった。
汚ねーよ、ばか。やめろよ。
『川渡甚太夫一代記―北前船頭の幕末自叙伝』は、現在は東洋文庫で読めるようである。
川渡甚太夫の故郷である若狭国三方郡久々子村は、現在は、福井県三方郡美浜町久々子。
三方五湖は、レインボーライン山頂公園から眺める景色がよい。
964 :
無名草子さん:2012/08/31(金) 18:16:57.74
>>951 嘉兵衛が夢にうなされて「オリーカ」と叫ぶシーンは何だったんだろうな。
何か怪しいな。
966 :
無名草子さん:2012/08/31(金) 18:31:38.47
>>960 片方ずつ鼻汁を地面に飛ばす清潔手洟にも問題点はある。
適度な粘り気のある青洟は勢いよく地面に落ちるが、
失敗しやすいのが、透明鼻汁。
失敗すると上着の袖に透明鼻汁がダラリと流れてしまう。
>>965 カムチャツカの風景はくそつまらんかったが、日本の風景はええのう。
《あとがき三》
本編の第10章「春の海」から第11章「出船」にかけて、樽廻船が品川まで競争する
という話がありましたが、その元ネタ披露です。
西宮の戎川というのは、現在の洗戎川のことだろうか?
灘の酒造に使う宮水は、お湯にすると美味しくないと、この後書きで酒造メーカーの方がおっしゃっていましたが、
そうすると炊飯に六甲のおいしい水を使うのはまずいですかね?
石原都知事は、船だまりと云われました。
張燕は、歌唱、美貌、スタイル、妖艶さ、
どれをとっても文句のつけようがないんだが、
名前が三国志なんだわな。
>>970 六甲と灘五郷が地理的に近いというだけで、両者はまったく別物。
宮水は硬水だけど、六甲のおいしい水は軟水。
《あとがき四》
八戸と安藤昌益と昆布だしのお話。
京料理に欠かせないのが利尻昆布。
大阪のうどんは羅臼昆布。
幕の内弁当に入っている昆布巻は苦手だった。
昆布がやわらかくて歯ごたえがないし、甘露の甘さが気に入らなかった。
ちなみに、筆者は小学1年のころ、「幕の内弁当」を熊の肉弁当と読んでいた。マジで。
理由は不明だったが、いまやっとわかった。
幕(まく)・・・さかさまに読むとクマ。
内・・・肉の漢字と似ている。
カタン糸がcottonの訛ったものであるとは知らなかった。
むかしのミシンは足踏み式でカタン、カタンと音をたてたから、
ミシン糸のことをカタン糸というものだと思っていた。
ネタだけど。
《あとがき五》
福井藩の三国湊と小廻り廻船について
毛野川は江戸時代より前は銚子に河口があったように読めるのであるが、そうではない。
なお、毛野川は、現在の鬼怒川。
982 :
無名草子さん:2012/09/01(土) 15:56:40.64
>>981 》「じつは、能登で、古い設計図(設計図)がみつかったんです」
何度読んでも、( )の中に書いてある文字が、その上に書いてある文字と同じにみえるんですが。
文中に出てくる“ふるい知人の橋本篤慶氏”は、読売新聞の社員。
「播磨灘物語」の担当者だったような気がする。
>>972 スレ違いなんですが、張燕の「月亮女兒」です。誰か空耳日本語ヴァージョンを作らないかな。
曲中、ちんこ、ちんこを連発しているんですが。
985 :
984:2012/09/01(土) 16:12:40.55
敦賀湊は北前船の寄港地として栄えたと言われているし、この小説でも、嘉兵衛は
毎回、敦賀でニシンやホシカを詰める俵を買っていたよな。
刀禰勇太郎氏は、沖乗りが始まって敦賀はとばされるようになったというが、ウ〜ム。
《あとがき六》
嘉兵衛がリコルドと交渉するにあたり浄瑠璃の影響がどうのこうのという話が本編で出てきたが、
若干わかりにくいと思われた読者もいるのではなかろうか。
あの場面で出した浄瑠璃の例が「曽根崎心中」だったので、わからなかった読者が多いと思う。
そこで、よりわかりやすい「頼光跡目論」を出して補足しているのが、このあとがき。
上方武士道の百済ノ門兵衛は、渡辺綱の子孫という設定ではなかったか?
源頼親は頼光の実子とされているけど、異母弟じゃないの?
―――― 菜の花の沖 完 ――――
で、次は何をやるつもりなのよ。
994 :
次回予告:2012/09/01(土) 17:10:23.78
『燃えよ剣』
『新撰組血風録』
『幕末』
『項羽と劉邦』
だいたいこのような予定であります。
司馬さんは、新撰組じゃなくて新選組なんだよな。
そろそろ涼しくなるだろうから、いいかもしれない。
嘉兵衛は帰国後おふさとやったの?
1000いただき
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。