【Literary】文学理論2【Teory】

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1吾輩は名無しである
文学理論について意見や近年の動向やら文献の情報を交換するスレ

↓基本的な入門書
『文学とは何か―現代批評理論への招待』 テリー・イーグルトン
『文芸批評を学ぶ人のために』 田辺保〔ほか〕編
『文学理論』 ジョナサン・カラー
2吾輩は名無しである:05/03/20 04:10:07
ジョナサンカラーの読んだけど、文学理論なんて身に付いたようには感じ
ない。
3吾輩は名無しである:05/03/20 06:02:03
たしかに、カラーの『文学理論』は文学理論の概観が知りたくて読むと肩透かし感が強い。
前半はいいとして、後半のパフォーマティブな言語とかになると入門でやることじゃねえだろ、という気がする。
4吾輩は名無しである:05/03/20 10:43:18
スレタイで英語間違う時点で糞スレ決定。
5吾輩は名無しである:05/03/20 10:50:11
前スレでこれも出ていましたので、ねんのため。

ラマーン・セルデン『ガイドブック現代文学理論』

>>4
日本語で論じられる文学理論だから、綴りにより「差異」を表現
してみたんだと思う。日本の英語文化も考慮した秀逸なスレタイだなw。

6吾輩は名無しである:05/03/20 16:37:01
「詩は翻訳によって失われる」という言葉にいうように、理論も輸入されることによって変容は免れない。
スレタイはtheoryの正しい綴りから「h」を抜かしている、おそらくここで「h」はヘゲモニー(hegemony)・覇権を意味している。
hを抜かすことによって、英語帝国主義および西洋中心主義から距離をとろうとしている。
75:05/03/20 18:14:16
>>6
ううむ、そんなに深かったのかw
不明を深く恥じる...
81:05/03/20 19:12:19
すいません。
スレ立て人ですが、寝る前のうつろな頭でスレ立てちゃったんでスペル間違えちゃいました。m(._.)m
9吾輩は名無しである:05/03/21 01:48:35
>>8
ナ ナンダッテー!!
 Ω ΩΩ

しかし、作者の意図がどうであれ、スペルが違うことによってテクストが>>5-6のような読みに対して開かれてしまっていることに対して、理論を学んだ我々は敏感でなくてはならない。
精神分析理論によると、無意識は言い間違いの形をとって現れることもあるらしいし、油断できない。
10吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 00:49:35
age
11吾輩は名無しである:2005/03/23(水) 01:52:25
12吾輩は名無しである:2005/03/25(金) 22:50:20
筒井さんの唯野教授、ネタはイーグルトンとかって話しか出てこないんだけど、
文学理論家からはどう見られているんだろう?
13吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 09:48:56
イーグルトンの本は入門書の割には値段が高く、読むのにもけっこう時間がかかるので、『文学部唯野教授』はそこまで文学理論入門に金も時間もかけたくない人には安くて読みやすくていいと思ってた。
が、昨日本屋で中公新書の『批評理論入門』というのを見つけた。
今月出たようだが、軽く立ち読みしたところ、安くて文学理論の入門書の中ではコストパフォーマンス的にはトップ。
14吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 11:13:47
批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義����中公新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121017900/
15吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 17:08:02
宣伝乙
16吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 22:15:14
>>13
著者広野さんは女性ですって書くとヤローの売れ行きは上がるかも^^;

名高いポール・ド・マンの「美学イデオロギー」平凡社¥4800
目次を参考に書いておきます。

編者序論ー指示作用のアレゴリー(アンジェイ・ウオーミンスキー)
メタファーの認識論
パスカルの説得のアレゴリー
カントにおける現象性と物質性
ヘーゲルの「美学」における記号と象徴
ヘーゲルの崇高論
カントの唯物論
カントとシラー
アイロニーの概念
レイモンド・ゴイスに答える
17吾輩は名無しである:皇紀2665/04/02(土) 02:12:41
>>13-14
前半読んだ限りでは、誤解、こじつけが多く、
あまり勧められない。
18吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 07:59:25
>>17
もっと詳しく
19吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 22:42:33
>>18
例えば、「3.語り手」では単純な用語の間違い。
×物語世界内的(intradigetic)→○等質物語世界的(homodiegetic)
×物語世界外的(extradigetic)→○異質物語世界的(heterodiegetic)
「4.焦点化」では既にジュネットによって明快に否定されている
「焦点人物(focalizer)」というバールの用語を使用し、
さらに「多元内的焦点化」を誤用。
「13.間テクスト性」では作家が受けた影響を中心に解説し、
本来の意味を伝え損なっている。
「14.メタフィクション」は『フランケンシュタイン』に適用するには無理がある。
(もちろん上手く説明しているセクションもあるが…)

後半の「批評理論篇」の方がむしろそつがない。
元々このひとの専門は前半の「小説技法篇」だったような気がするが。
20吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:09:42
>>19
>後半の「批評理論篇」の方がむしろそつがない。

そつがないけど、どこかで見たような教科書本の再要約
という感じで何の新しさも感じなかったけれどね。

批評理論の紹介本は英語圏では腐るほど出てるから
手際よく纏める力があれば誰でもできるような希ガス
21吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:36:58
>>19
フランケンシュタインそのものがどう料理されているか、
興味はありますけどね。
>>20
入門書的な性格ですね。意図としては合ってるわけですね。

お二人、ありがとうございました。
22吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 19:04:55
相変わらずフランケンシュタイン大人気だな
23吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 22:02:16
アレゴリーやシンボルについて知りたい時は何かいい本はありますか?
24吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 23:41:34
ド・マンいきなり読めば?
25吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 00:24:58
26吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 00:26:22
27吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 00:53:48
アレゴリーとシンボル。
ベンヤミン、ガダマー経由でド・マンかな。
28吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 01:04:33
カタカナ知識比べ。
29吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 01:16:22
シンボルはカッシーラー
アレゴリーはアンガス・フレッチャーも追加で。
30吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 15:59:18
で,結局タバスコはどこへいったんだ?
英語を話せぬ奴が英語を語らい,そうしてもしくは,
イギリスへ行ったことのないやつが,英語と吐かしてる
そんな感じであるな。
すなわち,理論の受け売り連中の巣窟であり,「論理」も展開できない奴が,
理論などと吐かしている。
ここは本屋の入門書こーなーのアジテーションか?

下らんスレは上げてその姿を拝見してもらい,その後,「ああ,やはり,ここは,馬鹿スレ」
だ,と文板君に判断を下してもらい,そうしてそのご,本当に落ちればよい。
よって,age.
31吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 16:03:14
タバスコは氏ねばいいと思うよ
ていうか30がタバスコだろ
32吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 16:19:34
いやいや違うからな!
そもそも俺とタバスコのセンテンスの違いは判然としている。

タバスコは東大の院に落第したと自分では語っているが,何故それと文学に於いての理論と,
因果関係があるのかがとても不可解な訳であり,そやつと,俺を混同させるな。忠告・・
33吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 19:32:48
理論?
ふざけろ?
文学に理論が存在するならばノーベル文学賞など体をなさない。

これにおいては,筒井が馬鹿な本を書くからそれに追随する馬鹿もいる。
筒井も日本に嫌気があるなら,くだらん作法で文句をつけずに外国へでもいけばよい。
それで,決着。簡単である。筒井,よく読んでおけよ!
34吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 06:54:49
廣野由美子「批評理論入門」

すばらしい
35吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 08:12:12
このスレで宣伝すんなっつってんだろが、ボケが、ぶち殺すぞ
素晴らしいなら何がどう素晴らしいのかぐらい書けどアホ
36吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 08:43:27
ネットヤクザ、怖い
37吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 14:40:42
>>36
>35は>34に対する異化効果を狙ったものだと推察する。
38吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 09:46:54
さて、話題もないようなので、このスレを学術的な研究本のなかで各自気に入った一節を引用する場にしたいと思います。
なぜなら、私の経験から言って、電子掲示板という場では複雑なことを議論するのはだいたいにおいて不毛なことにしかならないと思うからです。
他のスレのように舌足らずに自分の意見を戦わすよりは、「何々についてはこの本を参照せよ」などの紹介や引用の方がずっとためになると考えます…っテカ。

それでは、私は最近ポストモダン批判に興味があるので
『アゲインスト・ポストモダニズム マルクス主義からの批判』アレックス・カリニコス(こぶし書房)2001より

「したがってポストモダニズムとは、或る新しい時代の理論というのではなく、
むしろ、1968-76年にかけて革命への希望が失われていった、
その大きな時代的激動と挫折の経験を反映すると考えたとき、最もよく理解できるものなのである。」


39吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 10:23:18
マルクス主義者って革命が本当に好きなんだな
40吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 10:46:13
このスレは「Teory」なんていう阿呆な誤植を含んだ
厨なスレタイなので、伸びないでしょうね。

前スレはよかったな・・・。
41吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 12:52:17
まあ、Seoriyよりはいいんじゃない
42吾輩は名無しである:2005/04/23(土) 09:01:11
>>39
それは違うだろう。
マルクス主義を追随しているのはむしろ自分に自信を併合させているだけで
それよりも反マルクスがその主義を否定もしくは新しいものを発見しているだけでは?
43吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 11:10:43
>>33

お前頭悪いな。
44吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 12:10:13
>>43
33だがな,確かに俺は頭は悪い。ごめんな!
でもな,ここの住人もトテツモナク頭悪くないのでは?
少なくても,この>>43までロムれば,それは判然とするのだな。

そうしてな,人に対して反問・反論をする場合は,それなりの根拠を示すのが一般通念であるな。
それができないおまえさんは,どこぞの教育を受けたのか,こちらは,とても不可解である。
45吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 12:42:37
若島正(京大教授)は語る
「数学から文学にかわって驚いたのは、回りの人間の頭の悪さだった。
数学をやっていたときはみんなが天才に見えたし、事実本当にすごいやつも
いた。でも、文学研究ではついぞそういうやつにお目にかからない。」

日本一頭のいい文学者の名言ですby乱視読者の新冒険

46吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 12:45:59
若島の論文って、文学研究としては平凡な部類だけどな
こいつは評論が冴えている。
はっきりいって一流のライター。
だからファンはわかりやすい天才幻想に浸れる。
もちろん貴重な存在ですよ。
柴田よりは好きだし。
47吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 15:25:27
>46

馬鹿乙
48吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 15:47:16
そもそも、数学者と文学研究者を比べることは正当なことなのかね。
49吾輩は名無しである:2005/04/25(月) 16:11:59
とりあえず数学の頭いい人は、なんの役にたってんの?
その若島って人は、数学界の権威かなんかか?どんな凄いことした人なんよ。

50吾輩は名無しである:2005/04/26(火) 17:10:09
とりあえず若島の発言は元数学者のものとは思えん
51吾輩は名無しである:2005/04/26(火) 19:29:05
だから。

湯川でも朝永でも一流の科学者は科学しながらおされなエセイも物しているわけ。

新しい分野に入ってきて、ここは馬鹿ばっかり、なんてデリカシのないことを平気で
活字にしてしまうヤシに価値を認めろってほうが?文学は算数の延長じゃないんだからね

書泉算数の落ちこぼれ。
52吾輩は名無しである:2005/04/26(火) 20:17:58
若島正(京大教授)は語る
「数学から文学にかわって驚いたのは、回りの人間の頭の悪さだった。
数学をやっていたときはみんなが天才に見えたし、事実本当にすごいやつも
いた。でも、文学研究ではついぞそういうやつにお目にかからない。」

日本一頭のいい文学者の名言ですby乱視読者の新冒険
53吾輩は名無しである:2005/04/26(火) 20:51:41
だから数学時代の実績は凄いのか?

そりゃ、アインシュタインとかに文学は馬鹿のやるもんですとか言われたら
ちょっと凹むけど。
54吾輩は名無しである:2005/04/26(火) 21:44:06
若島は元アマ将棋日本一
チェスプロブレム日本一
看寿賞最多7回受賞
「乱視読者の帰還」で本格ミステリー大賞
「乱視読者の英米短編講義」で読売文学賞
55吾輩は名無しである:2005/04/26(火) 23:56:12
>>54
数学の落ちこぼれっていってるだろ(藁

税金で遊んでたってことだな。
広中平祐の爪の垢でも煎じて飲むんだな。

56吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 01:15:56
>>44
>でもな,ここの住人もトテツモナク頭悪くないのでは?

さすが自ら「頭が悪い」と告白するだけあって、日本語の体をなしていない。
もうすこしお勉強頑張ろうね。

それから、君の>>33の書き込みは「理論→実作」を前提としている時点で既に
陥穽に落ち込んでいるよ。
57吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 08:17:30
>>56
皮肉って書いてるものに「語尾」の個所だけをあげつらい,まじれすしているとは,センスのない奴だ。
>陥穽←難儀な漢語を書けると頭が良いとでも感違いしているようだな。

そんなことは学説的の論文にでも使う言葉であり,いやしくも2チャンで使うとは,理解に苦死見ます。

「理論→実作」これはなんだ!理論があり始めて実作があると言うことか?
「実作→理論」論理学で言うなら,これも有りになるな。笑えたよ!
58吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 09:58:13
>>57

本当に頭悪いんだなw
59吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 14:17:35
2001年12月10日 TrackBack
昔の雑誌を読み返していたら、懐かしい話題を見つけた。
若い部員は知らないと思うので紹介する。
将棋世界昭和63年4月号の付録に「タイムトライアル112」というのがあった。
プロ棋士達がどれだけの時間で解けたかが載っていた。
初級編(3手・5手詰)40題で、谷川4分21秒 森内4分26秒 村山4分39秒 
羽生4分40秒 佐藤4分59秒 田中5分28秒 浦野5分48秒 清水女流7分55秒 
塚田8分35秒 沼15分20秒 山田女流22分52秒という結果だそうである。
これを見た岡田敏氏(あぶり出しで有名な詰将棋作家で全日本詰将棋連盟会長)
が挑戦したところ8分34秒だったという。ところが、
とてつも無く凄い人が居た。そう、あの若島正氏(詰将棋の神様のような人)
である。何と!2分29秒!!1問あたり約3.7秒である。頁をめくる時間を考えたら
3秒くらいで解いている計算になる。ちなみに今の若島氏は詰チェスに転向し、
日本人初のインターナショナルマスターとなっている。
「詰将棋でやりたい事が無くなった」のが転向の理由とか
60吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 15:12:41
>>59
おじいさんのランプを思い出した。
所詮機械には勝てない人間機械だな。
61吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 19:05:56
>>57

どうでもいいツッコミだが、

> 「理論→実作」これはなんだ!理論があり始めて実作があると言うことか?
> 「実作→理論」論理学で言うなら,これも有りになるな。笑えたよ!

「有りにな」らない。それは逆であって対偶じゃないだろ。
「理論→実作」だとして、「論理学で言」って「有りになる」のは「¬実作→¬理論」だぞ。

君の気持ちはよく伝わった。いい小説が読みたいという思いはみんな一緒だ。
だが君は、「理論の存在は「実作」に役立たないどころか、「実作」の邪魔をしている」
と思ってやしないか? だから理論を毛嫌いしてるんじゃないのか?

だが、それは思い込みというものだ。理論が「実作」の現状を貧しくしてるという
ことはない。むしろ理論を意識しないで「実作」をしてる人のほうが多数派だ。

だから君は理論の害を蒙っていない。したがって叩く必要はない。
62吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 19:21:31
>>61
判りました。ごめんね!
63吾輩は名無しである:2005/04/27(水) 20:59:57
>>62
( ´,_ゝ`)プッ
64吾輩は名無しである:2005/04/28(木) 01:18:45
>>61
>「有りにな」らない。それは逆であって対偶じゃないだろ。
>「理論→実作」だとして、「論理学で言」って「有りになる」のは「¬実作→¬理論」だぞ。
→によって結ばれるものは命題。理論や実作は名辞。
「¬実作→¬理論」って意味不明すぎる。

まあ「理論→実作」の→は因果の→だからそもそも論理学の→とは次元が違うわけだが。
65吾輩は名無しである:2005/04/28(木) 01:19:46
まあ>>61はそれくらいわかってそうだが
66吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 18:38:07
若島は元アマ将棋日本一
チェスプロブレム日本一
看寿賞最多7回受賞
「乱視読者の帰還」で本格ミステリー大賞
「乱視読者の英米短編講義」で読売文学賞



85 :吾輩は名無しである :2005/04/27(水) 01:05:30
まさに天才。


86 :吾輩は名無しである :2005/04/27(水) 14:21:28
2001年12月10日 TrackBack
昔の雑誌を読み返していたら、懐かしい話題を見つけた。
若い部員は知らないと思うので紹介する。
将棋世界昭和63年4月号の付録に「タイムトライアル112」というのがあった。
プロ棋士達がどれだけの時間で解けたかが載っていた。
初級編(3手・5手詰)40題で、谷川4分21秒 森内4分26秒 村山4分39秒 
羽生4分40秒 佐藤4分59秒 田中5分28秒 浦野5分48秒 清水女流7分55秒 
塚田8分35秒 沼15分20秒 山田女流22分52秒という結果だそうである。
これを見た岡田敏氏(あぶり出しで有名な詰将棋作家で全日本詰将棋連盟会長)
が挑戦したところ8分34秒だったという。ところが、
とてつも無く凄い人が居た。そう、あの若島正氏(詰将棋の神様のような人)
である。何と!2分29秒!!1問あたり約3.7秒である。頁をめくる時間を考えたら
3秒くらいで解いている計算になる。ちなみに今の若島氏は詰チェスに転向し、
日本人初のインターナショナルマスターとなっている。
「詰将棋でやりたい事が無くなった」のが転向の理由とか

67吾輩は名無しである:2005/05/05(木) 19:57:17
ワラタW
68吾輩は名無しである:2005/05/06(金) 00:38:54
>>55
>広中平祐の爪の垢でも煎じて飲むんだな
当然あの「広中の電話帳」読んだんだよな?
すげー!
69吾輩は名無しである:2005/07/10(日) 23:42:16
age
70吾輩は名無しである:2005/07/19(火) 01:17:08
【絶版】フレドリック・ジェイムソン『政治的無意識』平凡社
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g36376105
71吾輩は名無しである:2005/07/19(火) 01:42:03
>>61
貴様公務員板の住民だな!
72吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 13:55:50
何か面白い本はないのかね
73吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 16:18:19
文学批評理論の歴史を概括した、なにかいい本ありますか。
74吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 17:52:36
レントリッキアの一連の本がおすすめ。

ニュー・クリティシズム以後の批評理論 ポイエーシス叢書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4624932161/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/462493217X/

現代批評理論―22の基本概念
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582733913/

続:現代批評理論―+6の基本概念
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582733948/
75吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 18:17:34
いや、でもレントリッキアは偏見キツイと思うよ。
伝統的な文学観を「非政治的」として切り捨てるやり方が幼稚。
特にド・マンなどを「美学主義」と断じているのは誤読もいいところだ。
7673:2005/07/24(日) 19:08:25
>>74
レス、サンクスです。
とりあえず図書館行って、読んでみます。
77吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 12:51:19
>>70
6000円で落札ですか。かなりのお値打ちものですね。
78吾輩は名無しである:2005/08/29(月) 02:21:59
79吾輩は名無しである:2005/08/30(火) 23:19:45
>>75
>いや、でもレントリッキアは偏見キツイと思うよ。
ってか、最近の文化左翼どもはみな偏見きつい。
古いマルクス主義的な教條主義・公式主義の再來でせう。
80吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 03:02:41
ド・マンこそ真性左翼だと思うんだがな
例の問題も含めて。
81吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 13:25:21
とは? 詳しく。>>80
82吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 15:15:40
ナチズム
83吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 15:27:51
>>81
ド・マンの『美学イデオロギー』を読むと、
イーグルトンのような安易な美学批判じゃなくて、
精密なテクスト分析に基づくイデオロギー批判を構想していたと思う。
若い頃の反ユダヤ言動への反省は明らかでしょう。
84吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 17:34:41
いや、「真性左翼」てのはイデオロギッシュで偏見がきつく、
自らの信奉する主義のイデオロギーには無自覚無批判なままの連中だろ?
85吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 17:39:44
イーグルトンとド・マンだったら勝負は明らか。
86吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 17:43:41
でも、その批評家としての優劣と、ド・マンが「真性左翼」かどうかは別でしょ? >>85
87吾輩は名無しである:2005/09/01(木) 00:54:08
2ちゃんで「左翼」は罵倒語だからな。
「真性左翼」なんて言うと、>>84のように理解されるのがオチ
88吾輩は名無しである:2005/09/01(木) 13:59:38
2ちゃんねるでなくたって、左翼なんて駄目でしょ。右翼はもっとあかんが。
89吾輩は名無しである:2005/09/01(木) 15:34:46
構造主義・ポスト構造主義以降、
マルクス主義なんて大きな物語にはご破算願ったところで
新たに思想・理論は始められた筈では無かったのか。
カルスタ・ポスコロ連中はその記憶を喪失した健忘症で、正にマルクスの亡霊どもだよ。
悪霊退散!
90吾輩は名無しである:2005/09/22(木) 01:14:00
1から9までは面白いね。
91文学理論を認知科学と統合しよう!:2005/09/25(日) 02:01:23
やっぱ時代は科学っすよ!
科学かっこいいじゃないっすか!
神経生理学と認知科学知らなきゃマズイっすよ!

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788507242/
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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047914304/

どうです?科学って素晴らしいと思いませんか?科学の時代に生まれたことを感謝しましょう!!
92吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 02:14:12
そんなの十九世紀以来ずっとある発想だよ
93吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 02:26:37
>>91
『認知哲学』はマジ愛読書ス。’98の2刷り。
『ダーウィンの〜〜』も。
『関連性理論』は初版だけど、2版改訂か、必要かナ?

あとは未読なんで、買うか…ちと高いが。
94吾輩は名無しである:2005/09/25(日) 02:31:19
>>91
意外な素スな、いやなかなか。
95吾輩は名無しである:2005/09/29(木) 22:10:42
議論する気がないのか?能力がないのか?文型は馬鹿なのか?
96吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 13:22:14
>>95
馬鹿は相手にしないので。
9795:2005/09/30(金) 14:13:04
>>96
そんな、...
いくら馬鹿だからって、ひどい!あんまりだわ!
98吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 14:32:30
なんでネカマになるんだよ
99吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 23:17:10
95は俺なんだけど。>>97うんこ。
100吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 01:49:23
批評理論、と言った方がいいな。もう所謂文学だけに跼蹐してないのだから。
101吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 02:02:37
>>100 さん
そういう難しい漢字を使うと平野(啓一郎)と間違えられて叩かれますよ
この板では(笑
跼蹐(きょくせき)はびびって居場所がない、ってな意味ですよね。
102吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 02:07:19
     「正月」           −詩経・小雅篇ー
   天を蓋し高しと謂えども、
   あえて跼らずんばあらず。
   地を蓋し厚しと謂えども、
   敢て蹐せずんばあらず。
   維れ斯の言を号ばう、
   倫あり脊あり。
   哀しむらくは今の人、
   なんすれぞキ蜴なる。
 
         大空は高いけど、
         背をかがめ行くべかり。
         大地はも厚けれど、
         ぬきあしし行くべかり。
         いまここにかく言うは、
         ことわけのあればこそ。
         哀しきは今人の、
         むしのごと毒もてる。
103吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 02:28:18
夏目漱石の文学論は意味がわからなかった
104吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 02:54:57
>跼蹐(きょくせき)はびびって居場所がない、ってな意味ですよね。
なんか誤解してるな。
高山宏にも「フーコー、跼蹐せず」ってフーコー論があったよな。
世間に気兼ねして狭い領域に留まってない、の意に解すべし。
105吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 02:57:02
跼蹐する=ちぢこまる、かな。
106101:2005/10/03(月) 12:48:46
>>104-105
跼蹐=びびって居場所がない、∴ちぢこまる
、              ̄ 
た〜だちぢこまるんは、腎虚爺ィのイチモツ。
>バカ共を啓蒙中の奇特な蛍光服の御仁、
闇世を歩く装備なら虫防服、蚊に刺されんように
107吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 23:25:16
「びびって居場所がない」と「ちぢこまる」は意味が異なるぞ。
言葉のニュアンスがわからん奴に、文学が論じられるのかね。
108吾輩は名無しである:2005/10/05(水) 12:57:44

104≠107
109吾輩は名無しである:2005/10/08(土) 23:27:57
すいません
「エクチュ−ル」
ってなんですか?
110吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 00:48:50
というかTeoryもなんだろな?
111吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 03:47:10
>>108 ハヅレ。 何でそんな否定をしたんだ?
112吾輩は名無しである:2005/10/16(日) 02:46:43
ツヴェタン・トドロフ ”幻想文学序説”を読んでます。
初めて読んだ文学理論書(あ、唯野教授は読んだけど)なので
なかなか早くは読めないけど、おもしろい。ラブクラフトとか
M.R.ジェイムスなどなじみの名前も出てくるし。
この本、今の評価はどうなんだろう。
113112:2005/10/16(日) 02:52:38
補足すると、ラブクラフトやジェイムスは小説が批評されて
いるのではなく彼らの恐怖小説論が引用されている。
114吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 00:52:46
文学がすんなりわかる理論があるなら知りたいよ。
115吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 01:42:20
>>114
俺も俺も
116吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 11:11:45
最近出た本の中で必読なのは、ジュネットのフィクション論かな。
これは蓮実重彦なども近著でネタにしてたりする。
文学理論はこうでなくちゃならん。

フィクションとディクション
ジャンル・物語論・文体 叢書 記号学的実践
ジェラール ジュネット

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4891765372/
117吾輩は名無しである:2005/10/22(土) 00:49:59
テリー・イーグルトン 「文学とは何か」
本棚の奥から出てきたので、少し読んで見たが強烈な左翼臭に
辟易。さまざまな現代批評理論がたしかに紹介されているのだが、
最終的には社会や歴史に対する配慮がないということで、すべて
切り捨てられる。これが標準的入門書とは信じられないが、出版
された八十年代前半にはこういう雰囲気が普通だったのかな?
118吾輩は名無しである:2005/10/22(土) 01:06:30
>>117
イーグル?ォの本は筒井康隆が「唯野教授」で使ったりしてたから、
間接的に読まれたんだと思う。イーグル?ォは大橋洋一なんかも
宣伝しまくってたし。左翼臭よりも知のパノラマ的な要素が
有り難がられた時代だったんだろうな。
119吾輩は名無しである:2005/10/22(土) 01:32:32
うむ。
大橋洋一『新・文学入門』は、カルスタどもの先祖帰りした左巻き風潮に棹さしながら、
脱臭されて読まれてきたイーグルトンに、再びイデオロギー臭気を芬々とさせる試みだな。
120マルクス主義マンセー:2005/10/24(月) 19:07:46
マルクス主義マンセー
121吾輩は名無しである:2005/10/25(火) 01:25:51
クセー
122吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 20:49:44
age
123吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 21:35:12
カルスタとポスモダはどっちがうんこですか?
124吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 22:29:34
突っ込めるって点ではカルスタのがまんこだと思われ
125吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 00:51:30
なるほど。
126吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 01:52:48
クセーって意味ではカルスタだな。
127吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 12:53:23
中村三春ってなぜか読む気がしない。文学理論は好きなのに、なぜかな?
128吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 15:35:17
イーグルトンって結構おもしれーよねえ
英国風のコジャレも利いてて読みやすい
129吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 05:57:30
イーグルトンはわかりやすい解説だけが取り柄。
130吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 10:09:27
あと、本人が作品作っているのも本国では強い。
日本では映画ヴィトゲンシュタインのシナリオあたりが有名。
でもそれ以外は年々電波化しつつある。
131吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 14:05:10
蓮實重彦のフィクション論「赤の誘惑」(『考える人』連載)は、まだ本にならないの?
132吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 16:24:16
1332006:2006/01/22(日) 21:54:53
今年はこのスレにも少し書き込むことにしたいなあ。
なにせ理論にこれまで疎かったから。
134吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 01:39:44
文学理論ではなく、哲学や社会学の理論を借り物にして使ってるだけだね、大抵。
135吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 09:34:55
と何も知らない知ったかが申しており松
136吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 17:40:36
岩波講座 文学〈別巻〉文学理論は良書?
137吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 23:51:33
イーグルトンはマルクス主義者ですから。
あっ、みんなの好きな浅田彰もね(笑)
138吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 23:55:04
浅田は違うよ柄谷はそうだが
139吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 23:55:45
ブントにいたってだけだろう
140吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 00:12:14

ttp://www.bund.ne.jp/  「電脳ブント」より

ブントを名乗る政治集団や政治グループは今でもありますが、一般的な意味でのプントは
1958年に安保闘争を指導した安保ブント(第一次ブント)、1970年前後の闘争を指導した
第二次ブントを意味しているでしょう。そのどちらも、
一般には、消滅したとみなされていますが、しかし、ブントはなくなっても
それに愛着を持っている人は多いし、集まりなどもあります。なぜなのでしょうか。それは、
ブントが人々の記憶として鮮明に存在しており、大きな意味を持っているからで、
歴史として我々の存在を形成するものとなっているからであろうと考えられます。

だが、考えてみれば、
わたくしたちがブンドに籍を置いた時間、あるいはそれと
何らかの形で関わった時間というものは、今となっては、それぞれのひとの人生にとっては、
極めて短いものでしかありませんでした。それにもかかわらず、その一瞬の記憶が各人にとって
永く大きく感じられてしまうのはなぜでしょうか。
“若気のいたり”とか“青春の一こま”といった言葉で片付けてしまいにくいのでは
ないでしょうか。ひょっとしたら、あそこにその人の人生が凝縮されていたなどと
感じてしまう人もいるかもしれません。
時は、決して均質には流れていないように思われます。
141吾輩は名無しである:2006/04/03(月) 22:47:33
いつのまにか大橋洋一が批評理論入門の本をだしていた
『現代批評理論のすべて』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4403250874/qid=1144071465/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/503-9961246-0894300
142吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 02:29:29
玉石混交だね
143吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 09:47:01
大橋洋一は石。
144吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 01:30:42
いやいや玉でしょう
145吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 01:37:55
ニュー・ヒストリシズムに理解が無いのは、
シェイクスピア学者としても駄目だよ。>>144
146吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 01:39:03
浅田はマルクス主義者なんですが
147吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 00:41:30
誰か教えてくれませんか?

イーグルトンとセルデンの本を読んだのですが、いわゆる現代文学理論
以前のものをロマン主義批評とまとめていますよね。イーグルトンによれば
現代理論はポストロマン派なんだそうです。

このロマン主義批評(つまり現代文学理論いぜんの批評)を研究した本
でおすすめのものってありますか? 概説書でも入門書でもあるいは
構いません。それともロマン主義自体を研究したほうがいいですか?
148吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 01:39:10
それ位は基礎だから、巻末の参考文献を見ればわからない? >>147

R.ウェレック,A.ウォーレン『文学の理論』〈筑摩叢書〉
M.H.エイブラムズ『鏡とランプ ロマン主義理論と批評の伝統』研究社出版
『講座英米文学史12 批評・評論1』大修館書店

とか。
ドイツ、フランスはまた別にあるし。
149吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 03:19:51
ドイツならロマン主義者の書き物を直に読んだ方がいい
フランスだとアルベール・ベガンがいるが、
ちょっと古くさいんじゃないか?
150吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 01:31:49
>>148
>>149

サンクス。参考になりました。
151吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 01:35:46
ロマン主義ってシュルレアリストのことでOK?
152吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 01:36:20
>>150
あと付け加えると、
イーグルトンは軽視する傾向にあるが、
アメリカの脱構築批評は、
ほとんどがロマン主義詩人の読み直しで名を上げた。
その代表はポール・ド・マン。
ただし彼の『ロマン主義のレトリック』和訳は、
英米文学に関わる以外の部分、特に理論関係がひどい。
ルソーとの関係が重要なのに。
1970年代のアメリカ比較文学研究の成果を示すとともに、
日本の専門馬鹿を晒した典型です。
153吾輩は名無しである:2006/04/21(金) 14:56:20
>>152

サンクス!
154吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 02:53:09
>>151
まったく違うんだぜとマジレス
155吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 04:50:49
たしかに同じじゃないけど、シュルレアリストがロマン主義を大いに
持ち上げたよね。ロマン主義マンセー!みたいな感じで。当時のパリでは
ロマン主義系の劇場やカフェで夜毎、彼らシュルレアリストと反対派閥との
殴り合いの大喧嘩みたいな逸話はよく聞く。
156吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 09:44:56
フランスのロマン主義は、古典主義への反抗という文脈が大きい。
ユーゴーの演劇とか、スタンダールのシェークスピア読み直しとか。
シュールはその精神を継いだところはあるが、
美学原理は別物だよ。
特に、ロマン主義の中世礼賛(フランスならシャトーブリアン)が、
ときに懐古的な教会秩序の肯定(フランスでは王党派として現れもする)に至るのに対して、
シュルレアリスムは、プリミティヴィズムを背景にした、
人類史的な展望に近づいていくところが大きな違いだ。

それに日本でロマン主義というと、ドイツロマン主義だろう。
パリにおけるフランスロマン主義の扱いとはまったく別物ですよ。
157吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 11:35:19
 野口武彦「ドイツ・ロマン派と国学」によれば「フランス・ロマン主義は
存在しても、フランス・ロマン派というものはありえない」(『日本思想史
入門』〈ちくまライブラリー〉1993.5)。この言を承けて山田広昭は、その
意味でのフランス・ロマン主義(いや、ロマン派)は、「ふつうそう見なさ
れている十九世紀の前半においてではなく、十九世紀の後半に」、即ち「フ
ランス・サンボリスム(象徴主義)」に見出されるとして、フランスにおけ
る「遅れ」を、指摘した(「三点確保 ロマン主義の理解と批判のために」
『三点確保 ロマン主義とナショナリズム』新曜社・2001.12、111頁〜)。
158吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 11:39:58
そもそも「ロマンティック」という形容詞がいいかげんに使われているからね。
言葉というのはそれでかまわないのだが。
「シュール」ってのも同じ運命を辿った言葉だ。
厳密に考えれば、それらが生まれた場所、時代を超えた適用は不可能になる。
159吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 20:45:46
なるほど。勉強になったよ。
そうなってくると「ロマン主義」っていう日本語ってかなりあやふやなんだな。
う〜ん、市井の人々のために、もう少し巧いいいかたで区分できないものなんかねえ。
ロマンチックなる言葉が大手を振って歩いているだけに、ますますタチが悪いよ。
160吾輩は名無しである:2006/04/27(木) 23:27:51
日本語ではなく、そもそも原語のromanticismが多義的なんだけどね。
昔アメリカ人研究者がいかにもアメリカ人らしく、何十通りかの用法を列挙してた。
161吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 17:28:01

なんかさ、イーグルトンもセルデンも、あと他のガイドブックも
読んでみたけど、結局文学理論って意味あるの?
なんか化学分析しているだけで、意味があるとは思えず。
やっぱり何だかんだで印象批評って大切じゃないの?
率直な意見キボンヌ。
162吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 18:33:09
だったらニュークリティシズムをもう一度見直してみれば?
歴史的な経緯からイーグルトンが軽視しすぎているだけで、
作品分析の基礎作業としては役立つよ。
そこで終わったら駄目、ってだけで。

理論が作品から離れていくことを懸念しているんだろうけど、
印象批評だって、作品をちゃんと見れていないことがほとんどだ。
もっぱら印象を抱く奴自身の偏見に左右されるから。
163吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 21:41:42
>>162

うーんなんていうかね、すごく期待して文学理論を学び始めたのだが……
ナラトロジーとか、これが何の意味があるんだと。これは文学の科学分析
であって鑑賞と何も関係ないじゃん??? って感じになってしまったのよ。
文学ってこういうものだっけ、て。フォルマリズムはまだ納得できたけど、
それ以降のには辟易してしまった。作者の死とか、そういうのも納得でき
なかった。極端に科学的、合理的になり過ぎている気がして、もう嫌気が
さしちゃったよ。さらにイーグルトンの古臭いマルクス主義といったら、
馬鹿馬鹿しくて読む気もなくした。おれ大学生なんだけど、いまだに近代
文学の教授とかが、得々としてテクスト、とか作者の死、とか語っている
のに、もう嫌になってしまった。文学の本来から離れまくっているよと。
そういう感想を持ったのです。

164吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 22:01:51
現代は諸学の科学化が進んでおります
165吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 22:16:08
そりゃあんた、理論に期待をかけすぎだ。
あくまで理論は解釈の枠組みであって絶対的
なものじゃない。
前田愛の論文とか読んでみたら?
166吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 22:17:19
何でも分かりやすくしたところで何の意味もありません。
167吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 22:29:44
じゃ、どうすれば意味が見出せるというんだ?
それを具体的に提示しなければ何も始まらないじゃないか。
168吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 23:04:40
あくまで一回こっきりでしかない、自分の人生との関わりにおいてしか、
人はなんであれ、意味なんて見出せないのかもね。

…中間を全部すっとばしてオチだけいうと、腹くくれってこった。
それが自分に対してどう機能したかなんて、それこそ本人にしか判らないこと。
169吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 23:16:51
分かりやすさを求めるのはバカ
170吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 23:27:35
こんなネタで話が弾むのは文学版とおでんの屋台だけ。
捩じり鉢巻きのオヤジはポータブルラジオのNHK歌謡ショー
に気を取られているし。
171吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 23:50:34
>>163
キミは脱構築批評をやるといいかもしれん
172吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 02:09:27
>>163
学問としての文学に門外漢の俺に、文学の本来ってのを
教えてくれない?
173吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 02:21:06
ド・マンはニュークリとデコンのバランスがよいと思う。
文人っぽさと学者っぽさの両方あるのもおすすめ。
174吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 12:39:58
>>172

文学を芸術として鑑賞すること
175吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 12:43:57
誰か俺に、文学理論をやる「意味」を教えてください。
いや、マジデ……
176吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 12:44:54
学問研究と鑑賞とを一緒くたにしてくれるなよ。
177吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 12:46:37
>>175
文学読者(自分)が意識せず前提としてる「理論」を明確にするため。
178吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 12:53:27
>>175
文学板で長文レスができる
179吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 13:01:14
>>175
意味ないです。
学問に見せかけてるだけ。
180吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 13:11:28
作品解釈の方法や
創作の方法なだけです
181吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 15:45:18
>>177
激しく同意。
182吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 15:59:20
理論なんかシラネ、作品だけを純粋に読む、
って奴ほど、その時代に支配的な理論に無意識に囚われているものだ。
183吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 16:57:15
>>175
理論書って実践してから読むとすごく分かったりするから、
一回創作したり、評論文を書いてみる、というのも一つの道かも。
本末転倒のようではあるが。
184吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 17:04:54
>>182
その代表格がおまえだ。
185吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 17:08:05
>>180>>183 創作無用。
186吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 17:08:22
>>184
負け惜しみかね?
187吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 17:38:19
>>184
横レスだけど、実際、理論ばかってのはいるわけで。
「その時代に支配的な理論に無意識に囚われている」人間を
軽蔑するあまり、時代性や風俗性が明らかな場合もそれを
読まないようなやつね(実は読めないだけだったり)。
どっちにしろ極端は良くないかと。
188吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 17:39:50
アンカーミス。187は>>186。スマン。
189175:2006/05/05(金) 21:18:35

いや、みんなありがとう。マジレス多くて参考になったよ。
だいたいみんなの意識が分かった。雰囲気というか、がつかめたよ。
ありがとね。
190吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 21:19:47
>>187
> 「その時代に支配的な理論に無意識に囚われている」人間を
> 軽蔑するあまり、
これと
> 時代性や風俗性が明らかな場合もそれを
> 読まないようなやつね(実は読めないだけだったり)。
これの結び付きが分からんのだけど、俺の頭が悪い?
独立した事象じゃない??
191吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 22:48:05
>>190
憂慮しているのと違う意味で頭が悪いかもしれない。
結びつかないものを結び付けてしまう極端な理論バカがいる、
といっているんだから、結びつきが分からなくていいんだろ。
説明が難しいな。
192吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 22:50:47

「人の為」と書いて「偽り」と読むのは なぜかしら?
「人の夢」と書いて「儚い」と読むのは なぜかしら?
「愛」という字には「心がちゃんと真ん中」に あるというのに
「恋」という字には「心が下」にあるのは 下心のせい? 
「女が喜ぶ」と書いて「嬉しい」と読むのは なぜ?
「忙しい」という字は「心が亡びる」ことなのね
「心がイキイキ」すると書いて「性」と読むのは なぜ?
「心が非力」なことを「悲しい」と いうのね

http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a037850
以上のサイトで、無料で「漢字のうた・人の為と人の夢」がきけます
きくには「リアルプレイヤー」が必要で、それも無料でダウンロードできます
「REAL」ボタンをクリックしていただければ、きくことができます
「MP3」ボタンをクリックしていただければ、無料でダウンロードもできます
皆さまの、ご意見、ご感想など、おきかせくだいませ
http://www.muzie.co.jp/qa.html
曲のききかた、無料ダウンロードのしかたは、以上のサイトにくわしく記されてます
漢字のうた、どうでしょうか?
http://japan.real.com/player/?lang=jp&loc=jp&src=ext
上のサイトで「リアルプレイヤー」が無料ダウンロードできます
その時だけファイアウォールをはずしていただければ、スムーズにできます
193吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 23:07:01
>>163
あなたが正しい。
そのままの姿勢で、いろいろな本を読んでください。
194吾輩は名無しである:2006/05/06(土) 00:00:53
理由を書けよ
195吾輩は名無しである:2006/05/06(土) 00:23:24
>>194
ばっか
生きた作品を心で感じるんだよ
196吾輩は名無しである:2006/05/06(土) 00:35:55
オイオイ田中実だって、もちっとマシなことを言ってるぜ。
197吾輩は名無しである:2006/05/06(土) 15:24:40
エンプソンが岩波文庫に入ったみたいだから、
まず読んでみるのをすすめる。
『曖昧の七つの型』
198吾輩は名無しである:2006/05/06(土) 18:31:55
>>197
それ、気になってたのですが
どのくらいお勧めできるレベルですか。

文学理論を学ぶために、他には、
『文学とは何か』、『文学部唯野教授』
あと、岩波書店の一冊でわかるシリーズの文学理論を
考えているですけども。

こういう類のは何冊も買いたくないので、
一冊で必要十分な骨太いものを探しているのですが。
199吾輩は名無しである:2006/05/06(土) 19:06:12
>>198
それだったら>>74に挙がっている本がいいよ。
200198:2006/05/06(土) 20:10:07
>>199
随分と中身がありそうですね。
こういったものを探していました。
レス、ありがとうございます。
201吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 00:46:55
レントリッキアはあまりよくない。
202吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 01:42:10
イーグルトンよりはマシだろう
203吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 03:52:06
石原千秋・小森陽一ほか編著『読むための理論 文学・思想・批評』(世織書房1991)
で済ませとけ。
204吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 04:25:36
>>203
おこちゃま向けだな
205吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 05:16:43
レントリッキアやイーグルトンのだって啓蒙書だ。
まだ日本文学への適用を考慮してるだけ『読むための理論』がマシ。
206我輩は名無しである:2006/05/07(日) 15:47:24
読むための理論も駄作では?
207吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 16:38:07
どの辺が駄目なの?
208吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 00:31:01
小森陽一だいっきらい
209吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 00:55:40
なんだ、主観的な好き嫌いか。
210吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 01:17:06
貶すときはオススメを書いてくれたりするとわかりやすい
211吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 01:21:09
小森陽一って、スガ秀実に盗作指摘されて逃げ回ってたヘタレだろ?
212吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 02:45:15
レントリッキアもイーグルトンも、
ニュークリを敵視しすぎている。
たしかに「古き良き英米文学研究」における保守派の牙城だったが、
作品分析の基礎として無視してはいけないと思う。
その点エンプソンはニュークリ異端として、
色々面白いですよ
213吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 04:29:54
だからこそ、他説の引用と要約はうまい。概論書向き。>>211
214吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 12:20:02
引用じゃなくて剽窃。
剽窃しなきゃならなくなるのは引用が下手だから。
215吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 13:29:15
文学理論なんて暇人の屁理屈だろ
216吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 13:32:48
アリストテレス以来の伝統があるけどな
217吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:03:34
理論なんかくだらない、というスタンスで読む
人間は往々にして古臭い理論にしがみ
ついてるんだよな。
218吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:10:54
具体的に言うと、小中高の国語教育が基づいている理論な。
美術教育でも、水彩画とかはかなり古臭い理論が健在らしい。
一度理屈を通した後で自分の読みを確立したほうが早い。
219吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:14:34
国語教育ってのは、
識字率を上げることが第一目的だから、
子供が萎縮しないように「思ったままを素直に表すように」ってのが至上命題。
その際、
日本では欧米に比べて、特に情感の表出が好まれる傾向がある。
伝統的な季節感や感受性が養われるという利点もあるが、
ある種の主観主義(Pathetic fallacy)の温存にもつながっている。
220吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:20:17
文学で主観主義が温存されたところで誰が困るのか。
221吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:25:12
文学鑑賞と文学研究は別物として存在するからね
222吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:28:09
この区別が重要なのは、何も学者だけの話ではない。
主観主義が全面化すると、
キャラクターが道徳的に許せるかどうか、といった議論が突出する。
これは明治以来の文壇でも何度も繰り返されてきた話題だ。
223吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:31:04
各時代毎に、当時の人々に「感動」を与えていた作品が名作かと言えば、
たいていは疑問が挙げられる。
その際、情感以外の基準が数多くあった方がいいのは明白。
224吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:32:44
一般人が鑑賞するレベルでは、道徳的に許せるかどうかも大切なこと。
そういう議論を下らないこととして封じてしまったら、文学を愛好する一般人はいなくなってしまう。
225吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:36:01
理論など召使に任せておきなさい
226吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:44:17
>>225
かつてリラダンは言った。

「『生きる』などということは召使いにまかせておけばよろしい」
227吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:44:25
文学鑑賞は文学者、
文学研究は心理学者や論理学者や歴史学者などがすればいい。
228吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:45:32
一般人はただ読めばいいだけ。ちゃんとした鑑賞や研究は専門家に任せろ
229吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:47:05
むしろ一般人は読むな。
大衆は大衆らしく、
分をわきまえて
大衆小説だけを読めばいい。
230吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 16:57:50
>>224
くだらないなんて言ってないよ。
往々にして、逆の主張(研究者などいらない)の方が目立つし。
231吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:05:11
文学者にはあほが多いからね。
ややこしいことは他の分野の学者に任せて、
読書感想文だけ書かせておけよ。
232吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:15:20
日本の国語教育は、行間を読む能力を重視しています。
日常生活に置き換えると、空気を読む能力です。
その事を、論理的に自分の意見を述べる能力より優先しています。
233吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:18:19
だから日本の作家はDQNが多いのか。なるほど。
あ、作家に限らないね。あほばっかり
234吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:23:17
それと西洋の心の概念を
日本に輸入したとたん理性(reason)ではなく感情に置き換えてしまった感がつよい。

大学入試やセンター試験の文章題を見ているとそう感じる
もちろんすべての問題がそうであるわけではない
235吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:27:49
確かに「空気読めよ」はよくきく言葉だな。自分の意見より周りを重視する。
同調を促す。空気を濁さず同化することを強要する。これじゃあ、まともな奴でも、
周りがあほだったらあほになっちまうようなちんけな土壌だね日本は。
236吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:30:15
理論スレがこれか...
237吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:35:26
むしろ一般人は読むな。
大衆は大衆らしく、
分をわきまえて
大衆小説だけを読めばいい。
238吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:39:42
文学理論なんて大層なモンじゃねえよww
239吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:41:43
文学者って、読書感想文に毛がはたようなことしか書かないよね。
240吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:44:53
お前らも国語教育受けたんだったら空気読めよw
241吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:49:45
お前も国語教育を受けたのであったら、せめて句点くらいは覚えろよ。
いったい「w」って何だよ。
242吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:52:24
く〜だらね〜とー、つ〜ぶやいて〜
243吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 17:58:53
日本語の文法構造と、理論とはべつのもの。かんちがいしないでね
244吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:02:07
とりあえず、これ以上日本に馬鹿を増やさないためにも、
少なくとも純文学にもっと権威を与え、一般人に容易に立ち入らせない
ように策を練る必要がある。純文学は文学者だけが読め。
そのための文学の理論化であり、他に理由はない。
245吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:04:06
文法構造は言語学者がやればいいし、
理論は文学者の適当な権威付けでいいと思う。
246吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:04:27
なんで釣り師ばっかなの?
247吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:05:24
日本語の文法構造と、理論とはべつのもの。かんちがいしないでね
248吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:05:28
ほんとのこと言われてあせってんの?
249吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:06:04
文学の理論化などできるはずねえよ
250吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:07:51
>>246
>>211を読んだ小森の信者が発狂して荒らしているに一票。

251吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:09:20
ちがうって。だれ小森って
252吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:18:08
おい、そこまで巧妙に自演して一体誰を陥れようと?
253吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:19:19
つまんねー
254吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 18:47:25
インテリ文学者が少ないんだよな
ベケットみたいなほとんど哲学者みたいなタイプ
論理と文学性が一体になっているような感じの人
安部公房はちょっと弱いし
255吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 19:35:58
後藤明生はどうよ?
256吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 19:44:25
後藤はメタ文学の人だから、
歴史性はしっかりしているけど、特に論理性が魅力ではない。
かといって現役哲学研究者の三浦は、
分析哲学の駄目な部分を受け継いだような糞小説家だし…
あれなら筒井の方がよっぽどロジカルだ。

でも後藤明生とか大岡昇平あたりは、
文学理論の力を知った上で実作に取り組んだ作家と言えると思う。
そのへん大江はどう位置付けたものか。
257吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 22:29:33
ベケット、ムージル、ジョイス、ユンガー・・・・。
日本では誰がいるだろう
258吾輩は名無しである:2006/05/08(月) 22:55:29
別にいなくていいんじゃない。
259吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 02:25:19
理論イラネ派が多いのは、真に理知的な作家が少ないからでもある。
260吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 22:44:00
すくないし、そもそも文学理論なんてまるっきり知らない作家が多い。
261吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 23:33:10
日本人作家はバカでいいってことじゃね?
愚民政策の国じゃん
262吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 00:05:45
バカでも賢くてもいいけど面白ければ。
263吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 07:09:15
でも娯楽小説って数年で色あせるからねぇ
264吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 10:18:20
反論するつもりではなく単純に疑問なのだが、262は
何をもって「娯楽小説」といっているのか?
何十年も生き残っている娯楽小説って、たくさんないか?
生き残った時点で娯楽小説ではなくなるってこと?
だとしたら「数年で色あせる」は娯楽小説に関する事実じゃなく
262の定義だってことになる(それはそれで正しい)。
265吾輩は名無しである:2006/06/21(水) 15:41:36
sage
266吾輩は名無しである:2006/06/22(木) 00:21:28
ここ最近骨のある理論書がねーなー
267吾輩は名無しである:2006/06/22(木) 03:54:28
骨のある理論って一体どんなんや。昔の例を出してみ。
268吾輩は名無しである:2006/07/17(月) 02:15:00
最近批評系の本を読み始めたばかりで、質問なんですが…
やっぱり最近の流行は、社会性とか政治性っぽいとこにあるんでしょうか?
私はもっと、物語を読むってことの原理っぽいことに興味があるんですが、
もうそれは終わっちゃったテーマなんでしょうか?
曖昧かつ初心者な質問ですみません
269吾輩は名無しである:2006/07/17(月) 02:26:52
「社会性とか政治性っぽいこと」は、原理的には、80年代に終っちゃった筈のテーマです。
270吾輩は名無しである:2006/07/17(月) 02:37:37
「物語批判序説」とか?
271吾輩は名無しである:2006/07/17(月) 02:40:53
>>268

そういうのは実作者にしかわからないから、敢えて社会性などのトンチンカンな方向へ話を逸らして誤魔化しているだけ。
伊藤整の最近出た岩波文庫の評論をおすすめします
272吾輩は名無しである:2006/07/17(月) 13:13:24
ポール・ド・マンでいいじゃん
273吾輩は名無しである:2006/07/18(火) 18:17:32
文学理論の取っ掛かり、引き込まれるような本はないですか..?
ジョナサン・カラーの『文学理論』を読んでもピンとこなくて。。
村上春樹の著作とかもっと理解したいんで、よかったら教えてください!
274吾輩は名無しである:2006/07/18(火) 20:32:30
村上春樹では、猫に小判。
鷄を割くに牛刀を以てす。
275吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 20:07:13
白水社クセジュの『物語論』はどうだろう?
276吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 14:54:46
ありがとうございます!すぐ読んでみます◎

あと、文学理論に精通している人にとって
どういう評価を得てるのかを知りたいので、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』についての
皆さんの意見を聞かせてください!
277吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 15:01:52
理論と関係ないが、あれはつまらなかった。
278tef:2006/07/20(木) 16:44:18
テクスト論については俺に聞け。
279吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 16:46:39
>>278
先生!早速で悪いけど、テクスト論てなぁに?
わかりやすく説明して!
280吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 14:54:35
保守
281吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 15:48:59
大橋っていいよなぁ
282吾輩は名無しである:2006/08/26(土) 22:12:23
イーグルトン『文学とは何か』(LITERARY THEORY An Introduction)の
「続編」らしい翻訳としては今年出た『文化とは何か』はどう?
283吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 03:11:16
hο∫hμ..._〆(゚▽゚*)
284吾輩は名無しである:2006/08/30(水) 04:13:23
285吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 00:32:45
カルチュラル・ターン
フレドリック・ジェイムスン著
合庭 惇訳 / 河野 真太郎訳 / 秦 邦生訳
税込価格 : ¥2,940 (本体 : ¥2,800)
出版 : 作品社
サイズ : 四六判 / 295p
ISBN : 4-86182-092-8
発行年月 : 2006.9
286吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 15:02:34
>>285
情報乙!
できたら、感想もひとこと<(_ _)>
287吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 15:13:54
>>285
「ジェイムソン」じゃなくて、「ジェイムスン」なのな。
「ジェイムソン」でもうかなり定着してるんだから、
こういう細かい変更は止めてほしいよ。
検索しにくくなるだけだ。
288吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 16:25:25
これって論文集だっけ?
289吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 17:25:03
>>287
どうやら、訳者が『弁証法的批評の冒険』の方を採ったみたいだな。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861820928/250-6941771-8163422

まぁ、外国語(人名)をカタカナに無理やり置き換えるんだから、しかたないけど。
「ギヨオテとは俺のことかとゲーテいい」ってこったな。
当該書を検索するだけなら、書名で済む話だけど。

>>288
もうちとしたら、Amazon.co.jp↑に目次が出ると思う。
290吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 20:49:25
291吾輩は名無しである:2006/09/06(水) 01:06:19
アマゾンにも目次出たけど
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4861820928/ref=dp_toc/250-6941771-8163422?ie=UTF8&n=465392
いまひとつ分からん。
やっぱり、現物見てみないと。
292吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 04:24:03
つうか俺原書で持ってたよw
あれか。
どうせなら大著『ポストモダニズム』を先に出せばいいのに
タイミング失ったような気がする
293snowbird:2006/09/13(水) 01:39:36
>>292
その大著って、
"Postmodanism , or The Cultural Logic of Late Capitalism"(1991)
とは別物?
294snowbird:2006/09/13(水) 16:04:27
>>292>>293
どうやら、それみたいやね。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0860915379/ref=cm_lm_fullview_prod_19/250-6941771-8163422?ie=UTF8

「主著」という人もいてるから、全訳が望まれるけど、
『現代思想』に部分訳は出てるやんね? ほんまの部分やけど...。
295吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 03:34:56
>>294
「現代思想」のいつの号ですか?
296吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 11:27:58
ジェイムソンのポストモダン論いまからでいいから
早く訳して出してほしい。あれがでないせいで
日本でのジェイムソンの受容は遅れているし、
日本ではポストモダン論もソーカル厨に馬鹿にされた
だけになっているんじゃないか。
297snowbird:2006/09/14(木) 14:38:27
>>295
1993年4月号[特集=仮構としての経済]
ただし、訳されているのは、特集名からも判ると思うけど、
「ポストモダニズムと市場」という〈文学理論〉は出て来ない章のみ。

>>296
末尾に、
「本章を含む"Postmodanism , or The Cultural Logic of Late Capitalism"は
論創社より刊行予定です」
とあるので、論創社に言うべきだろうな。
訳者はもうジェイムソンには興味なさそうだし、『サルトル』の時みたいに
下請けに訳させることもしなさそうだから...。
298吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 19:12:23
住まいが近ければ、原著の読書会とか開けるんだがなぁ...。
299吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 20:18:43
ポストモダン論の訳本が出なかったのは表三郎の怠慢
300吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 05:44:26
ポストモダン=右派ってイメージを、
左翼まで持ってたのが日本の愚かさ。
仲正のような人が今頃持ち出すのもジェイムソン翻訳が遅れたせいですね
301吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 13:44:22
『文学=イメージの変容』(2000年翻訳刊行)
『近代(モダン)という不思議―現在の存在論についての試論』(2005年翻訳刊行)
『カルチュラル・ターン』(今年翻訳刊行)

は、どう見ます?
302吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 15:47:37
「ソーカル厨」って、アラン・ソーカルね
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/deman.htm
303吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 16:50:20
>>300
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4915252620/sr=1-32/qid=1158651801/ref=sr_1_32/250-6941771-8163422?ie=UTF8&s=books
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4792720753


仲正昌樹『ポスト・モダンの左旋回』(情況出版 /2002/04→世界書院/2004/10再刊)か。
304吾輩は名無しである:2006/09/21(木) 02:35:12
>>300
> ポストモダン=右派ってイメージを、
> 左翼まで持ってたのが日本の愚かさ。

日本には、かつて「近代の超克」ってのがあったからなぁ
305吾輩は名無しである:2006/09/21(木) 13:37:52
>>304
アルチュセールにたいするアレルギーが強すぎたとみる
その癖廣松が近代の超克そのものだったのが
ポストモダンじゃないつもりでいた左翼の悲喜劇でしょう
306snowbird:2006/09/21(木) 14:59:24
『カルチュラル・ターン』やっと、買った。
"Postmodanism , or The Cultural Logic of Late Capitalism"などにおける
「ポストモダニズム」に対するジェイムソン自らの立場がどうなのか、
知りたいところだけど、
>>301
読む時間が採れそうにない...。

>>288
> これって論文集だっけ?

帯に「待望のポストモダン論集!」って書いてあるし、
目次と序の間の「謝辞」に、初出も明記してある。
307吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 16:26:06
理論を使ってまで文学を批評して楽しいのかね
308吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 17:17:32
・・・・・・え?
309吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 17:19:05
307さんもそういう理論を採用しているんですよ
屁理屈じゃなくて。
310吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 17:40:56
読みのあり方を吟味しないと、たやすく同時代の偏見に落ち込むんですよ
311吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 18:18:52
>>307
ドグマに陥らないために理論を学ぶんですよ。
解釈フレームの絶対化への危機意識は常に必要です。
312吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 19:38:57
文学理論初心者です。
初心者におすすめの入門書があったら教えてください。
前田愛の『文学テクスト入門』は面白かったです。
313吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 20:25:47
一昔前なら読むための理論なんだろうな…
バフチン『小説の言葉』はどう?
前田愛からなら入りやすそう
314吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 20:39:23
>312
>1
315吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 20:48:06
>>314
いや、その次の段階でもいいんじゃないの?
入門書ばかり読んでても仕方ないし
一時俺はその手の本ばかり読んでて、回り道しすぎた記憶がある
316吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 21:22:19
云わんとすることは分かるよ。
私自身、入門書というものは宿命的に失敗作だと思ってるし。
でも、その「入門」一冊が門の役を果たさなかったとしても、
その著者は門になり得るということはあるんじゃないかな?
317吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 23:16:12
小説における時間を考えるのに持って来いの理論はありますか?
318吾輩は名無しである:2006/10/04(水) 23:19:07
ヴァインリヒ『時制論』かな
あとジュネットの『物語のディスクール』
こっちはもっぱらプルーストが素材だけど
319吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 01:04:44
>>318
日本文学をターゲットにしたものはないのでしょうか?
320吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 01:20:36
>>319
日本語の場合、動詞の時制をそのまま分析には転用しにくいんですよね
ご存じだと思いますが、完了-未完了相は強く意識されても、
過去、現在、未来の明確な分化は稀薄ですし

よって直接時間について考えるよりは
いわゆる「物語論」を一通り学ぶと良いのではないでしょうか。

日本文学研究では、理論を前に出すのを嫌う人も多いです。
あえて言うなら「語り」を主題にした論文を色々読むと良いかもしれません。
万人におすすめの決定的にすぐれた研究は思いつかないです。
321吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 01:52:47
>>320
いわゆる「筋のない小説」について考えるのに、ロラン・バルトの『物語の構造分析』は役に立つでしょうか?
「時間は流れる」という固定観念を批判したいと思っているのですが。
322吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 02:13:41
大森荘蔵の二番煎じっぽいね。
323吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 03:18:38
小説家の何割が理論勉強して書いてるでしょうね?
324吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 08:17:56
>>322
大森荘蔵の『時間と自我』は読みました。
他には真木悠介の『時間の比較社会学』と木村敏の『時間と自己』を読みました。
これらの本に共通しているのは、直線的な時間に対する異議申し立てです。
しかしそれは状況分析には役に立ちましたが、作品分析には役に立ちません。
そこで文学理論の出番となったわけです。

>>323
一流は読んでいるのではないでしょうか?
理論と実践は不可分の関係にあると思います。
だから評論家も理論のための理論ではなく、実践のための理論を目指すべきなのです。
325吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 09:42:52
>>324
芥川だったらなおさら西洋文学の議論で良いと思いますね
とりわけ、
長編、中編、短編といった区別や、
20世紀小説がやろうとしたことを追っていけば、
直線的時間記述に対する批判はいくらでもでてきます。
326吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 09:43:47
323みたいなファンを失うから、
理論読んでても隠す作家は多いよ
327吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 10:04:14
>>325
物語論は何を読めばいいのでしょうか?
328吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 10:12:00
>>327
西洋文学で具体的に読んだ数が多いものを題材にしているのが良いと思う
あなたも言ってるように、実戦批評的じゃないと無意味なので。
文学理論の好みは、言語圏によって少しずつ違ってきます。
329吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 10:17:17
サーヴェイ本だし訳が生硬だけど、
白水社文庫クセジュの『物語論』は目配りがよいと思った。
これを文献表にして色々読み進めていくとか。
330吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 13:32:06
実践批評でしたね…
331吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 15:11:11
実践とやらを振り回す前に、
書くための理論か読むための理論か、
どちらの実践なのか、ようく考へてみたまへ。
言っておきますが、読むのと書くのは不可分です、なんてのは通りませんぜ。
332吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 15:39:53
331はオチを先に言え
それに文学史を舐めきった発言だと思うが
333吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 15:40:31
まあどうせ理論なんかいらねー
って結論だろうけどな
334吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 19:55:13
何故通らないのか説明がほしいな。説明できるなら、だが。
335吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 22:20:18
だって、読むだけで書かないただの読者の方が圧倒的多数だわな。
読む実践を書く実践に短絡したがるのは、
理論的には、読者論を旧来の作家論に回収しようとする反動でしかないのである。
336吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 22:26:04
またこの話題か…
文学理論≒批評理論なんだよ。
337吾輩は名無しである:2006/10/05(木) 23:37:50
読者論とか作家論とか作品論とか、
そういう国文学ジャルゴンは、
外国文学やってる者から見ると意味不明かつキモイ
338吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 02:08:05
外国文学でもあるのに知らないんだね。
339吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 02:16:15
いや、国文の場合それらが実体化してる
338はこういう不自然な区分を空気のように感じているだけだ
340吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 02:23:49
>>336 批評だから何なの? そこを言ってくれなきゃ無意味。
>>339 不自然とする説明がほしいな。説明できるなら、だが。
341吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 05:53:19
あんたが住みつくとこのスレ寂れるよ
どうせ文学理論イラネだろ?
結論出てるんだから煽らないで帰ってくれ
以上だ
342吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 09:15:07
趣味で文学理論の本でも読もうかと思っているのですが、
難しくなくて網羅的で安価で良い本はありますか?
343吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 12:04:56
>342
>1
344吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 12:40:37
小説の「文体」について論じた本を教えてください。
345吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 13:19:33
文体論で検索
346吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 13:28:46
>>345
いっぱいありすぎて迷っちゃう。
オススメを教えてください。
347吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 14:41:24
>>341 誰かと間違ってない? 理論は要るが、あんたみたいな説明ぬきの愚論は要らん。
348吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 16:17:40
>>346
フォスラー『文体美学』
古いし堅いけど
349吾輩は名無しである:2006/10/06(金) 21:09:56
age
350吾輩は名無しである:2006/10/07(土) 20:02:00
探偵小説論のオススメを教えてください。
351吾輩は名無しである:2006/10/09(月) 02:25:24
サブジャンルとしてのミステリ論じゃないものということなら、
古典として、シクロフスキー『散文の理論』の探偵小説論
あとは、
D.A.ミラー『小説と警察』
J.デュボア『探偵小説あるいはモデルニテ』
あたり
352吾輩は名無しである:2006/10/31(火) 01:48:35
10月31日発売
定価3990円(本体3800円+税)四六判
ヴォルフガング・イーザー著/伊藤 誓 訳
《叢書・ウニベルシタス795》
解釈の射程〈空白〉のダイナミクス
ISBN4-588-00857-9 C1390
『行為としての読書』で文学研究にパラダイム変換をもたらした著者に
よる解釈論。テクストの〈空白〉がもつ創造的なダイナミクスを、循環、
ループ運動、差異化作用という作業仮説のもとに解明し、「解釈のブラッ
ク・ボックス」に果敢に挑戦する。文学作品の「解釈」を、テクストの
構造と読者による観念化との相互作用として捉えなおし、文学を〈可能
なるもののパノラマ〉として位置づける。
〔文学理論〕
353吾輩は名無しである:2006/11/05(日) 14:51:46
語り手と視点人物ってどう違うのですか?
ググったけどいまいち不明です。
有名作品とか例にして教えてください。
354吾輩は名無しである:2006/11/05(日) 15:29:23
>>353
ジュネット読め。
355吾輩は名無しである:2006/11/05(日) 16:19:28
>>354
ジュネットの『フィクションとディクション』は買いですか?
356吾輩は名無しである:2006/11/05(日) 16:47:16
>>355 そんなのは君の関心が何なのかによるがな。で、何なの?
357吾輩は名無しである:2006/11/05(日) 17:00:04
>>356
小説における時間です。
358吾輩は名無しである:2006/11/05(日) 18:13:03
>>357
まず『物語のディスクール』でしょう
やる気次第でヴァインリヒの『時制論』
359吾輩は名無しである:2006/11/05(日) 18:26:35
>>358
がんばります!
360吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 07:21:28
>>357 金子明雄とか。本には纏まってないが。
361吾輩は名無しである:2007/01/01(月) 22:37:31
nuke a whale for jesus

362吾輩は名無しである:2007/01/05(金) 14:51:40
レス読んでると、
「文学理論」といっても色々あるんですね。
もう少し細分化して分類するとどうなるんでしょうか?
「文学理論」の一括りではよくわかりません。。。
363吾輩は名無しである:2007/01/10(水) 21:20:30
主流はいまだに印象批評
364吾輩は名無しである:2007/01/12(金) 00:27:55
おもすれえ
365吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 02:08:26
カラチュラル・スタディーズってほんとに最先端??
366吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 06:36:10
釣りなのかしらんがそれは文学理論ですらない
367吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 14:59:16
レイモンド・ウィリアムズが始祖なんだから、
一応文学科からの派生だろうに
蔑視のあまり史実を歪めるのはよせ
368吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 21:18:34
好き嫌いが基準とは
369吾輩は名無しである:2007/01/19(金) 01:22:18
だから主流は
370吾輩は名無しである:2007/01/24(水) 01:07:02
文学に理論というものが存在しうるのか
371吾輩は名無しである:2007/01/24(水) 01:15:13
アリストテレス詩学からやり直してください
372吾輩は名無しである:2007/01/25(木) 17:00:43
杉田俊介は現代最高の文学理論の構築者。
彼に匹敵するのはクルティウスくらい。
373吾輩は名無しである:2007/01/26(金) 11:45:57
科学的な理論なら常に現代の理論が最高と言えるけれど、
文学理論ってのは単なる批評史だからね。

最高ってのも単なる主観。

374吾輩は名無しである:2007/01/26(金) 12:26:14
>>373
文学理論を歴史と思っているだけでなく、
文学理論を単なる主観と思っている馬鹿。

あーここまで馬鹿だと手におえない。
375吾輩は名無しである:2007/01/26(金) 18:45:41
科学=自然科学って捉えるような脳の人が増えた
アメリカが反人文的なインテリの温床だからな
実際はインテリのくせに
376吾輩は名無しである:2007/01/26(金) 22:07:49
>>374
理論だと思っている馬鹿ってのも手に負えんね。(笑
>>375
そう総括するのはどうかな。第一人文科学ってのは科学ではない、という見解も昔からあるわけだ。
アメリカ人でも君よりもはるかに源氏を理解していると思える人がいることを
存在していることが示せれば、科学的には君の論拠は崩れるわけだけどね。
サイデンステッカ、ドナルド・キーン、…
自国の作品に対して理論構築すら考えもしないわが国の文学研究家と思っている人々の
怠慢、これは死してもあまりある罪。
なに?現代と古代では分けるのが当たり前?方法論が違う?何と狭量な学者?であることよ。
黄禍論なんぞは無用の心配だったね。
などと俺の立場で言うのもなんなんだが。
377吾輩は名無しである:2007/01/26(金) 22:35:46
>>376
馬鹿?
アメリカ人全員に喧嘩など売ってない
彼らの反ヨーロッパインテリ志向について述べているだけ。
実際には文学理論=左翼とみなした敵意が多いんだけどな。
あんたのような門外漢でも知っている
サイデンステッカやキーンなんか、
完璧に極東統治の一環としての「地域研究」に組み込まれている。
良心派だということは言うまでもないが。
378吾輩は名無しである:2007/01/26(金) 22:44:06
さも知っているような書きぶりだね。
379吾輩は名無しである:2007/01/27(土) 05:15:01
そういえば、漱石って学者時代に文学理論の構築に挑んで未完に終わってたね。
もし完成させてたらそのまま英文学者やってたのかな、やっぱり作家になったの
かな。
380吾輩は名無しである:2007/01/27(土) 13:19:20
むしろ一流作家ならば文学理論を持つべき
漱石はオーソドクシーそのものです
381吾輩は名無しである:2007/01/28(日) 01:10:19
こういうモンきりしか言えない人間が育つってのは弊害以外の何者でもないな
俺は漱石が好きだが、あの定式化に何の意味が有るのかね。
オーソドクシーねえ…(笑

382吾輩は名無しである:2007/01/28(日) 02:37:25
理論なんかくだらねーって理論だね
383吾輩は名無しである:2007/04/28(土) 12:40:42
良スレっぽい
ageさせてもらう
384吾輩は名無しである:2007/06/21(木) 09:44:18
ところで概説書にでてくる有名な本って80年代ぐらいまでのだけど、90年代と2000年代で一番影響力のあった文学研究書ってなんなんだい?
90年代は『知の欺瞞』でいいかね。
385吾輩は名無しである:2007/06/21(木) 13:57:06
良くない
それどこが文学研究なんだよと。
むしろ科学寄りの分析哲学者が喜んだ本だろ
386吾輩は名無しである:2007/06/21(木) 19:02:43
文学理論というのは
(1)文学を対象とした理論
(2)文学に内在する理論、または理論性
という見方があると思うけれど、
理論というとどうしても「科学的な理論」というものに慣れ親しんでいるせいか、
曖昧模糊とした印象を持ってしまう。
理論と言う言葉を別の何かで置き換えるべきじゃないのかな?
387吾輩は名無しである:2007/06/21(木) 23:09:02
それが間違い。
人文学が馬鹿にされる風土だから仕方ないけど
388吾輩は名無しである:2007/06/22(金) 12:06:42
>>387
命題A⇒>387「そりゃ間違い」⇒お前さんの意見は?
389吾輩は名無しである:2007/06/22(金) 19:57:22
>>388
文学理論という名称に何の問題もないと思いますよ
理系的基準だけが明晰ってのはおかしな話
390吾輩は名無しである:2007/06/23(土) 00:38:07
>>389
文学理論に明晰さが必要か?また、今の文学理論は理系的に明晰か?
391吾輩は名無しである:2007/06/23(土) 11:19:16
>>390
ニュークリティシズムや構造主義って、
まさに文系的な明晰さだと思うけどね
タイトルや主題こそAmbiguityとかIndeterminancyだったりするけど
392吾輩は名無しである:2007/06/23(土) 12:03:01
それらについては総論賛成各論反対、というレベルにとどまっていると思うけどね。
物語分析ってのが科学的な分析と比肩できるとでも?
石原あたりがやってる分類が分析とか言うんなら、理系的分析、文系的分析
って分けないと。

しかし、文学的明晰ってのは単なるレトリックでは?(笑 文学は理系的に明晰でない、
と言っているわけだけれど。

文学理論=文学史、みたいに感じるほどに理論は存在していない、と断言したいな。
393吾輩は名無しである:2007/06/23(土) 12:57:14
エンプソンぐらい読みなよ
人文プギャーって言いたいだけなんだろうけどさ
394吾輩は名無しである:2007/06/23(土) 22:26:34
>>393
自分の入る場所を比較できるモノがないと、
独善的になるってことを言いたいだけ。

芥川じゃないけど、テンソル解析とはいわんけど、集合論初歩くらいは
勉強しておかないと、若島みたいなオチこぼれにまで馬鹿にされるよ。
395吾輩は名無しである:2007/06/24(日) 00:43:36
>>394
文学という対象そのものを馬鹿にしてどうするよ
あんた自身が科学的な分析やってみればいい
若島はそういう点ではかなりショボいよ
いわゆる文脈読みの典型でしかない
396吾輩は名無しである:2007/06/24(日) 12:24:54
>>395
なんかかみ合ってないな(笑

397吾輩は名無しである:2007/06/24(日) 15:35:50
(笑
を連発しているようだとな
あんたの方が偉いんじゃね?
398吾輩は名無しである:2007/07/06(金) 02:18:19
>>396
の人は典型的なアレだな。>>395の一行目に同意。
保存しておきたい対話。
399吾輩は名無しである:2007/07/06(金) 05:00:58
京大理系で頭の悪い奴って印象
400吾輩は名無しである:2007/07/06(金) 20:22:09
文学理論は伊藤整。
401吾輩は名無しである:2007/07/08(日) 14:50:08
エンプソン、アーノルド、フライあたりも読んでない輩があまりにも多い。
イーグルトンしか読んでない奴は清水の舞台から突き落とされるがいい。
バフチンの本が1冊も家にない奴は豆腐の角に頭をぶっつけろ。
402吾輩は名無しである:2007/07/08(日) 23:57:45
もっと批評家の文庫をちくま学芸あたりが出してくれるといいんだけどなあ
403吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 03:36:14
文学理論なんてくだらないけどな。
傑作を書く当の作家が文学理論なんて気にしてないんだからさ。
文学作品を書いたり読んだりすることとは別のところで行なわれるタグ貼り作業だろう。
そういうのが好きだってのならそれでもいいが、ちと変態はいってるな。
404吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 03:51:00
おまえじゃ話にならん
405吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 04:05:27
>>404
そうか?
例えば、この薬品とこの薬品をこうやって混合させれば、こういう物質が出来ます
ってのが科学理論だろ?
言い換えると、その理論に従って必ずそれが出来るという厳密性をもってはじめて
それは理論たり得るわけだ。
しかし文学理論の研究者とやらが、おのれの理論を使って素晴らしい作品を作れるのか?
文学作品はプルトニウムなんかなくても紙とペンだけで作れるわけだから、
自らの理論を証明するためにも、いますぐ作って見せればいい。
つーか、それが「理論」ならば、作れなければおかしいわけだが?
406吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 04:09:46
>>405
きみ文学と科学を一緒にしてる時点で終ってるよ。
407吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 04:50:29
>>406
いや、文学理論という言葉が文学と科学を一緒にしていることを笑っているのだよ。
408吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 05:00:12
「のだよ」って語尾を使う奴は大体アホ。
これ経験から得たmy文学板理論。
409吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 05:09:53
アホで悪かったなw
そのアホに馬鹿にされてる文学理論ってのはいったいなんなんだぜ?
410吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 05:29:06
なんなんだぜって、そこまで語尾に緊張せずとも。
ちなみにどんなブスでも松嶋ななこをバカにすることはできます。
411吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 07:36:27
ちなみに、なんなんだぜっ、てのは・・・
ま、いいか
412吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 11:01:54
文学理論は文学を書くための理論ではない。
文学理論は文学を批評するための理論だ。
413吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 13:33:15
じゃ、そのまま批評でいいじゃんw
414吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 13:53:55
半端に偏差値が高い理系の馬鹿が粘着しているのか
このスレの初期はレベル高かったよ
415吾輩は名無しである:2007/07/09(月) 22:43:30
>>413
だから文学理論=批評理論ということなんだよ。
416吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 00:50:17
くそみたいな小説家や詩人が千人いるよりは、
優れた批評家が一人いたほうがはるかに有意義である。

批評にしろ文学理論にしろ、その役目を知ることのできない人、
あるいは、あえて知ろうとしない素人(韻を踏みつつ)、そして、
「批評や理論は創作に寄生してる」という、
博物館に所蔵されるべき化石のような固定概念を、
未だに疑うことなく保ち続けている輩に、
たとえばフライの「クリティカル・パス」を読んだのか、
と問いかけてみることほど無駄なこともないのであって、
その書名をイーグルトンの「批評の機能」に換えようとも、
あるいはトドロフの「批評の批評」に置き換えてみようとも、
あるいはまたジュネットの「フィギュール」と差し換えてみても、
答えはまったく変わらないのであるからには。南無参。
417吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 00:54:07
なんとも罪作りだねw
418吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 01:40:59
>>416
こういうふうにしか書けないからry
419吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 02:22:57
へたくそな蓮實文体みたいだw
420吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 02:37:39
書物の名前だけ並べて悦に入ってるよーなレスばっかり書くから馬鹿にされるんだよ
421吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 08:03:01
馬鹿にしている方が品性低いけどな
422吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 10:46:54
っていっちゃうと終わりだな。特に批評は。
簡単に馬鹿にされるような文を書くなよ。
423吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 20:02:06
文芸批評ってのは結局のところ取り纏め作業だから、最後は政治的言説になっちゃうんだよな。
誰に投票するの?ってことを言っちゃう。そういうのが好きな人もいるだろうけどね。
424吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 20:58:33
批評は創作
425吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 21:24:53
批評が創作ってのはわかるんだけどね、政治的な創作物ってかんじ。
たとえばバルトが、ある読み方による各々の読者の創造的なスタンスを提唱したとしても
結局のところ、そのように読むべき、という一つの政治的言説に取り込まれちゃうんだよ。
そういうのが好きな人もいるだろうけどね。
426吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 21:46:46
んなこと言いだしたら人間のあらゆる行動が政治だってことになって、それ以上思考できなくなるだろ
427吾輩は名無しである:2007/07/10(火) 22:08:17
解説と批評は全然別物だしな。
428吾輩は名無しである:2007/07/11(水) 01:13:04
政治であること自体は全然悪いことじゃない。
文学自体政治だとも言える。現実の政治に使われたり、使ったりするのがダメなだけ。
429吾輩は名無しである:2007/07/11(水) 20:18:57
要するに文学理論ってのは政治みたいなあやふやなもんってことだよ。
例えば、ビックバン理論ってもんがあって、他方、それが間違ってるって理論もある。
しかし、いずれビックバン理論の正誤は公的かつ厳密に証明されてしまうことだろう。
(少なくともそれが期待できる)
文芸批評なるものにはそのような潔さはない。いつまでも各批評が政治的に
ごちゃごちゃやってるだけの話。
「文学理論」なんて言ってるけど、言うなれば、科学ごっこみたいなもんで
せいぜいそれは各批評を支える「理屈」に過ぎんだろう。
つまり批評程度のものの下部組織に属するものに過ぎん。
滑稽な言葉遊びはやめたほうがイイと思う。電通じゃないんだからさw
430吾輩は名無しである:2007/07/12(木) 00:08:43
科学もあやふやだと思うよ。
431吾輩は名無しである:2007/07/12(木) 02:07:43
429の文章が最もあやふやw
432吾輩は名無しである:2007/07/12(木) 04:52:11
理論がサイエンスだなんて言ってる奴は少ない
勝手に勘違いして叩くレスでスレが埋まるのはなんというか2ちゃんっぽい
433吾輩は名無しである:2007/07/12(木) 06:15:03
文学理論スレなのに文学理論がちっとも語られないせいもあるだろw
434吾輩は名無しである:2007/07/13(金) 00:57:42
文芸批評をほとんど読んだことのない勘違い君が
「文芸批評を批評する」という「滑稽な言葉遊び」の暴挙に出てるのは
いやはや微笑むべきか哀れむべきかどうしたものかw
435吾輩は名無しである:2007/07/13(金) 01:00:17
最終的に有効な文芸批評はマルクス主義的な批評じゃないかな。
イーグルトンやジェイムソンのような批評家は足腰が強い。
436吾輩は名無しである:2007/07/13(金) 02:19:25
>>434
なんでもいいが、お前も本自体あんまり読んだことがないだろ?
文章でわかる。
437吾輩は名無しである:2007/07/13(金) 02:23:23
あんま批評って詳しくないんだが、バルトとかリカルドゥーみたいな
テクスト路線みたいのって今はどうなの?
438吾輩は名無しである:2007/07/13(金) 04:07:24
>>436
多分、自分の文章を批判的に見たことがないだけだろう。
本を大量に読む人に逆に多い。いわゆる「読まれちゃう」状態の人の文。
439吾輩は名無しである:2007/07/14(土) 01:46:41
>>437
学者じゃない読まれ方をしているから、
消えないと思うよ
440吾輩は名無しである:2007/07/14(土) 02:41:55
>>437
一般教養としてはいまだにそこらへんが良識的と言える範疇でしょう。
それ以上はもうヲタの世界ですよ。ヲタ同士でぐちゃぐちゃやってるだけ。
441吾輩は名無しである:2007/07/14(土) 10:20:41
>>440
「それ以上」ってたとえば?
442吾輩は名無しである:2007/07/14(土) 16:34:52
馬鹿ばっか
443吾輩は名無しである:2007/07/14(土) 20:06:17
だじゃれ?
444吾輩は名無しである:2007/07/14(土) 21:08:38
すげえ釣り堀だ。
445吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 03:51:07

結局のところ>>405>>416の言うことで全て終わっている。
大体芸術に科学的な理論を持ち込もうなんて言う発想からして無能
なんだよな。イーグルトン読んでみたけど、あまりのばからしさに
笑ってしまったよ。これが大学で扱われる理論? プ

ここのやつらが一生懸命、>>416に食い下がろうとしているけど、
結局自分が勉強したことを否定されるのが恐ろしいからなんだな。
まあガキは理論をやってなさいってこった。
446吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 04:09:56
なぜ文系理系って分類があるかってことを考えれば、んなのはあたりまえだろう。
異なった分野の手法なり考え方を援用するのは、別に悪いことでもなんでもない。
いまではあまり気にもとめないけれど、物理と数学もそういう試行錯誤を経て現在に
至っているわけだ。
俺も、文学の理論が、科学的な理論とイコールだとは思っていないが、
で、現行の文学理論は、文学史、つまり、一回性の事象を理論として見ている
んじゃないかと疑ったりはしているのだけれど、それでもなおかつ、
事象から理論を抽出しようとする試みはなされるべきだと思う。
その理論というラベルが正しいかどうかだが、これは定義をきちんとすれば、
理系的には、いいだけだし。
447吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 04:19:30
文系理系で分ける必要あるが文学に理論があるのはそれに比べれば断然疑わしい。
知識の無い人間にとったらそうだ。
448吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 04:42:05
日本語でおk
449吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 04:54:17
>>448
文学理論のスレなのに……誰か早く語れよ
450445:2007/07/16(月) 19:03:35
>>446
寝ぼけ眼だったので、乱暴に言ってゴメンね。
っていうか俺も最初は文学理論ってかっこいいし、好きだったのよ。
だけどやっているうちに、これは意味があるのかという疑いがでてきて……
高度な理論をつかっていると、小説とか詩というものからどんどん遠ざか
っているような疑念が起こってきた。それで結局、普通に鑑賞したほうが
ましのように感じてきた。そもそも文学に客観とか科学性なんてあるの
だろうか。あるとしても、それって意味があるんだろうか。
などと少し苦悩しているのです。
ぜひ、皆々様の意見を聞かせてください。
451吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 22:46:04
文法ってのは理論の一種だね。
書いて見て推敲するってのは、仮説と実験という穴路地もできるかも。

科学の論文でも文芸作品でも、論理をベースにしていることに変わりはない。
科学で論理を否定するのは難しいけれど、文学ではそれも手の内の駒。
まあ、ちがいはゆるやかにその程度、としておいたほうがノイローゼにならないだろう。
452吾輩は名無しである:2007/07/17(火) 01:50:03
文学理論…社会を改善してきた力なのに…
453吾輩は名無しである:2007/07/17(火) 02:06:08
それは幻想かも…
改善というのはどうかな
454吾輩は名無しである:2007/07/17(火) 03:52:54
ちがうな。
社会の改善あるいは変革に追随する形で文学理論が形成されてきたと考えるべき。
したがって上で誰かが言っているようにそれが政治的というのはある意味正しい。
変革、改善のスポークスマンとしての文学を支えるものとしての文学理論。
つまりそれは政治的なものであってはじめて存在価値を持つ、または、
まともな理論ならば政治性を帯びたものでなければならない、みたいな考え方はどう?
455吾輩は名無しである:2007/07/17(火) 03:56:00
ちがうな。
社会の改善あるいは変革に追随する形で文学理論が形成されてきたと考えるべき。
したがって上で誰かが言っているようにそれが政治的というのはある意味正しい。
変革、改善のスポークスマンとしての文学を支えるものとしての文学理論。
つまりそれは政治的なものであってはじめて存在価値を持つ、または、
まともな理論ならば政治性を帯びたものでなければならない、みたいな考え方はどう?
456吾輩は名無しである:2007/07/17(火) 03:56:58
すまん!
二重カキコしちまった・・・orz
457吾輩は名無しである:2007/07/17(火) 08:56:56
理論が科学でなければならない、
ってのは誤謬だろう。
その前提に立った上で文学理論を貶すのは、
なんというか、屋上屋を架すふるまい。
458吾輩は名無しである:2007/07/19(木) 22:41:00
>>457
唖然とするほど無意味な言説だな。
459吾輩は名無しである:2007/07/19(木) 22:42:56
ThoryとScienceは全然別物だろうに
460吾輩は名無しである:2007/07/19(木) 22:54:15
Theoryね
すぐツッコミ入れるんだろうし
461吾輩は名無しである:2007/07/19(木) 23:00:42
さあ、何を言ってあげればよいものか…
462吾輩は名無しである:2007/07/19(木) 23:22:47
2人とも黙っちゃえばいいんじゃね?
463吾輩は名無しである:2007/07/20(金) 00:54:26
>>462
余計物は黙ってろや
464吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 01:29:51
445も書いてたけど>>416に誰も食い下がれないね
465吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 01:42:20
>>464
食い下がる、の言葉の意味、勘違いしてないか?
食い下がる、ってのは対抗するとかって意味だぞ?
>>416のレスは書物名だけ並べるなとか、文章力が無いとか、からかわれた程度で
スルーされてるレスに過ぎないように見えるが??
>>445も食い下がる、って言葉を使ってて違和感があった。
もしかして同一人物? ともかく、よりにもよってなんで>>416なんだろうw
466吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 02:33:35
>>454も言ってるけどさ、ガリレオの理論はその理論自体の力で
地球を「回っている」ことにしてしまった。つまり理論で世の中を変えてしまった。
もちろん文学理論にそのような力はない。
文学理論はむしろ「地球は回っていた」という認識の後からずらずらと出てくるものでしょうな。
例えばの話、アラン・ロブ・グリエって人の描写が世の中の何かを変えたわけじゃない。
作家の感性が世の中の何かが変わったこと、あるいは新発見なりを必然的に感知し、その感知を
言いあらわすために思考された結果、創出されたのが、その文体だってこと。
416とかがいう批評なり理論なりの役目なるものがあるとすれば、この文学行為のための
アリバイ作りとしての役目だろう。
でも、それでいいとおもうよ。文学理論ってのはいわばコミュニケーションに属するものだから。
コミュニケーション。これはこれで人類にとって非常に大切なモノ。
しかるに、よりよきコミュニケーションの方策については、今後も研究され続けるべきでしょう。
467吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 08:34:58
ルーマン読者か?
468吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 10:47:00
>>465
スルーしかできないから食い下がれないっていわれてんじゃねーの?
だから、誰も対抗できないわけっしょ。
悔しがらないで食い下がってみたらいいのにw
469吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 13:02:13
ジュディス・バトラーのフェミニズム論はその理論自体の力で、
男女というものは「生まれつきのものではない」ことにしてしまった。つまり理論で世の中を変えてしまった。
470吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 13:55:31
>>468
ニヤニヤ
471吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 14:30:31
バトラーみたいのって論ではあるけど、あーゆーのも文学理論なのか?
俺の文学理論ってもんのイメージは、ある思想を文学っていう一芸術形態のうえに
具現させるうえでの具体的な技術論なんだが…
バトラーみたいのは、よりスケールの大きな思想家って感じ?
そういう意味じゃフーコーとかドゥルーズとかも。
472吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 14:45:14
ポール・ド・マン以後、
アメリカには文学理論プロパーっぽい大物がいなくなった印象がある。
473吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 15:23:50
>>471
そういうのを「理論」と呼ぶのはヘンリー・ジェイムズで終わったよ。
474吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 15:25:52
せめてフォスターまでは認めてやれよ
475吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 00:21:47
くだらんレス重ねても意味ねえしw
骨のある香具師はいねえのかよ
476吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 00:35:28
丶丶丶丶丶丶温幽籬櫑櫑櫑櫑櫑幽厶雌櫑幽岱垉厶丶丶丶丶丶丶 >>475
丶丶丶当櫑欟欟櫑欟欟欟欟欟欟欟櫑欟櫑櫑翻麗謝叱丶丶丶丶丶 呼んだか?
丶丶丶覇竃櫑櫑欟欟欟欟欟欟欟櫑欟櫑欟欟欟層櫑艶旨丶丶丶丶
丶丶丶層櫑欟欟欟欟欟欟欟欟欟嬲竃嬲竃竃欟櫑竃覇覇丶丶丶丶
丶丶丶灑嬲欟欟嬲嬲嬲嬲嬲鬻辧卻眉贈幗層欟欟櫑竃櫑廴丶丶丶
丶勹僧層櫑欟鬱綴綴局悦局局拇狐綴綴鋼幗幗竃欟竃櫑廬丶丶丶
丶湘嬲嬲櫑欟辧綴仰災欠災沼卻局綴綴掴綱幗櫑嬲幗櫑廳丶丶丶
丶勺覇欟櫑鬱即卻仰災災沿己卻凹句郊塀獅幗櫑櫑欟櫑勳丶丶丶
丶丶濁幗欟圓扼卻仰災災沱災可沼笳鏑櫑雌彌幗櫑欟櫑欟眦丶丶
丶丶層櫑櫑鬱狐猖旛幽迫己旧卻獅嬲嬲幗幗幗幗櫑欟櫑覇眇丶丶
丶丶櫑欟欟鬱掴嚴憫笥局仰可局綮当踏審綱燒幗層欟櫑欟廴丶丶
丶丶層覇櫑欟即尚旛籬籬枢叫猖鬱幣憫牒憫椹禰幗欟欟欟杉丶丶
丶丶層欟櫑欟抓儕凹沼珱卻旧塀簡紹笳綴僻綴掴幗欟欟鬱丶丶丶
丶丶丶層櫑欟仰卻旧突句己沒笵綴囹卻仰加仰塀禰層欟欟企丶丶
丶丶丶瀰欟欟仰旧句災沼卻卻卻獅雌扼卻卻狐綴綱層欟欟歡丶丶
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丶丶丶丶丶丶丶句沒卻笳僻把洞雄櫺櫑顧綴鋼囃讃幗嚶丶丶丶丶
丶丶丶丶丶丶丶勺句卻譲嬲霸嫻嬲幗難掴獅幗幗幗嬲艶二丶丶丶
丶丶丶丶丶丶丶丶句旧卻卻綴掴燒辧辧讃幗幗幗幗杉欟欟幽丶丶
丶丶丶丶丶丶丶丶丶刈皿狐卻仰瀉囃雌幗幗幗覇歉勺欟欟欟櫑幽
丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶勺牋綴燒雌幗幗幗幗幗鬱三儲欟欟欟櫑櫑
丶丶丶丶丶丶丶丶二旛櫑封贈簡幗難幗幗櫑鬱災三灑欟欟欟櫑欟
丶丶丶丶丶丶澁櫑櫑櫑櫑歡兆卻塀綱幗幗黙冖三消欟欟欟欟欟覇
丶丶丶澁籬櫑櫑櫑櫑櫑櫑置丶筍綴綴諜冖丶丶三瀰欟欟欟欟欟覇
丶誕櫑櫑櫑櫑櫑櫑櫑欟櫑置丶勺朔薪丶丶丶丶勺欟欟欟欟欟櫑櫑
灑櫑櫑櫑櫑櫑櫑櫑櫑欟欟置丶俎幗雛止丶丶丶儲欟欟欟欟欟櫑櫑
欟櫑櫑櫑櫑櫑櫑櫑櫑櫑欟置丶欟攜層櫑幽丶丶灑欟欟欟欟欟櫑櫑
477吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 00:44:28
>>476
ニヤニヤ
478吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 01:22:27
>>471
ジュディス・バトラーに比べてフーコーやドゥルーズが
スケールの大きな思想家であるのはいいとして、
彼らの中に
>ある思想を文学っていう一芸術形態のうえに
>具現させるうえでの具体的な技術論
が果たしてあるのだろうか?

もしあるといえるのなら、こういう表現のほうがよくね?
思想の具現のための土台として
文学という芸術形態を部分的に借りた、と。
479吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 02:21:13
フーコーやドゥルーズは技術論を論じているよ
480吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 02:33:15
修辞学―反修辞学って意味も含めて―を語ってこその文学理論だと思う
481吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 02:44:08
>>479
どんなふうに?
482吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 03:22:13
>>481
レーモン・ルーセルの手法分析とか
483吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 12:02:49
>>478

>思想の具現のための土台として
>文学という芸術形態を部分的に借りた、と。

これでいいと思うが。
映画や絵画、小説といったものに頼っている割合はかなり大きい。
しかし、このスレでいう「文学理論」というものではなく、あくまで自らの
思想に肉付けするための媒体に選んだだけだろう。
この辺も>>478に異論はない。

>>1の中で挙げるならジョナサン・カラーの『文学理論』のみが文学を作るに当たっての技術的な
言及を含む著作だろう。実際にキャラクターの視点などに触れて、「こういう書き方があるよ」というのを
紹介している本だった。今こういう本って安物の、How to本だったらあるんだろうが、
キャノンと呼べるものはないだろうな。


484吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 13:50:40
ミメーシスは?
485吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 14:13:11
フーコー『レーモン・ルーセル』は確かに手法に焦点があてられているけど
ジョナサン・カラー『文学理論』での取り上げ方とはかなり方向性が違う。
スキルならばロッジの『小説の技巧』なんかのほうが為になるだろうし。
修辞学も含め、技法や手法をどの視点から取り上げるかで、
それが文学理論といえるのかどうか左右されるんじゃね?
486吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 16:15:06
科学理論は自然界そのものではないよ。
局所化され理想化もされているのは文学作品同様。
だから対比するなら、
文学作品――科学
文学理論――科哲
とならなきゃおかしい。
487吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 18:22:04
自然科学とのアナロジーしか頼りに出来ないってどれだけ
488吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 22:15:46
学問てのは類型から始まるもんだからね。
489吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 01:38:27
類型といえばノースロップ・フライ
490吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 02:45:52
>>487>>488
そこが西欧の限界。
ちなみに東洋思想にアナロジーは存在しない。
その様態が東洋思想の無限性であると同時に空虚さでもある。
491吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 02:56:26
またずいぶんと類型的な東洋観だね
492吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 03:05:58
東洋思想はとっちらかりすぎで理解しにくい
インドなんてもっと悲惨
493吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 04:23:25
理解しやすさを望めば類型化する これは宿命です
494吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 05:37:10
類型を比較することは差異を際立たせると同時に同一性を際立たせるという二つの役割があるよね
同じものを同じグループにまとめる(グループがあるということは別のグループとの差異)という、分類だ。

そうすると時間・空間の概念が西洋と東洋で違うことが問題になる。
スタティックにある様態を切り取って分析するとアナロジーは非常に有効。
時間を直線的な軸と捉え、ユークリッド幾何学的空間に現象を配置するといういわゆる近代的なものの見方。

西洋のアナロジーでもうひとつ問題となるのはAとBを比較するときに
「A」「B」おのおのにA、Bという一対一の対応付けをするから
その、何を「A」とくくり、一つと数えるか、というときにすでに選別が働いていること。

歴史的にはよそものと同民族の線引きを始しなければならない地理的な必然性が類型的思考を迫った、というような推論をしてみた
495吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 09:05:40
ふと思ったんだが、ベルクソンっていまどれくらい読まれているんだろう?
ヨーロッパでは(日本でも)どこかいまひとつ真面目に
読まれていないような気がする
496吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 10:43:36
地理的決定論ということではモンテスキュー男爵も思い出される。
この手の百科全書的議論も類型化の一種には違いないのだろうけど、なかなかブレイクスルーに至らないね、文学理論に似て。
497吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 10:59:12
>>491
まさに「オリエンタリズム」だな。
498吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 11:24:58
モンテスキューは日本でたいして読まれないだけ
499吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 15:38:56
サイードさんまた帝国が押し付けをしています!
500吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 23:30:18
これまであまり出てませんでしたが、
新歴史主義って具体的にどんな批評か
誰か教えてください。
501吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 00:38:51
文章の出だしが年号・日付で始まる文学批評。
(冗談のようだけどけっこう本当です)
502吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 01:18:51
もっと具体的に
503吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 01:23:57
日本だと富山多佳夫あたりを読めばいいんじゃないの?
やや劣るけど丹治愛あたりもそれっぽい。
仏文なら小倉孝誠とか。
504吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 02:37:55
494でも類型の話が出てたけれど、
ノースロップ・フライの『批評の解剖』に感じられる魅力は
そこで明快に提示された「類型」にあるというわけじゃなく
というのが言い過ぎなら、少なくともそれだけじゃなくて
その「類型」の余白、あるいは目地にあたる部分に注がれる
柔軟な博識とエスプリにあると思うんだな。
そしてそれが説得力につながる。
諸々の類型がどれだけ有効性を持つかというのは
立場と視点次第でいくらでも変化するからね。
505吾輩は名無しである:2007/07/24(火) 10:17:17
教養人の書いた本は楽しい、ってことに尽きるのでは。
アウエルバッハの『ミメーシス』も似たような印象。
文学理論としては、ケネス・バークの方が面白かったけどね。
506吾輩は名無しである:2007/07/25(水) 00:42:23
ケネス・バークの面白さってのはどういうとこ?
507吾輩は名無しである:2007/07/25(水) 01:45:55
哲学書なども含めているところかな
テクスト論とは別方向から、「文学」という対象を拡大したこと
508吾輩は名無しである:2007/07/26(木) 00:30:50
>507
ふむふむ、なるほど。

ジャンルを自在に横断してみせるって点では
ジョージ・スタイナーなんかどうなんだろ。
509吾輩は名無しである:2007/07/26(木) 02:28:29
大江健三郎の小説論もすごい
510吾輩は名無しである:2007/07/26(木) 03:00:07
あれをすごいと思ってるのはどうかしてるよ。散々批判されたのに知らないの。
511吾輩は名無しである:2007/07/26(木) 03:10:04
スタイナーはあまり理論的じゃないと思う
調べて書く思想史家といったところ
512吾輩は名無しである:2007/07/27(金) 01:09:04
アーノルド、リチャーズ、トリリングあたりは
日本であまり読まれていない感じだな。
ヴァレリーやエリオットはそこそこだけど。
513吾輩は名無しである:2007/07/27(金) 01:41:47
岡崎乾二郎は? 板違い?
514吾輩は名無しである:2007/07/27(金) 02:15:31
岡崎はカテゴリーキラーだ
戦略的な板違いは歓迎でしょー

岡崎は作品でも長いタイトルを冠したりして、冠=indexと絵画=本文との関係を問い直して
絵画を読む、文学を読む、という運動の連動・非連動の余白にダイナミズムを産み出している
515吾輩は名無しである:2007/07/27(金) 04:15:43
アーノルドの文化論は、
カルスタが枕として引用して批判し続けているから今も読まれている
516吾輩は名無しである:2007/07/28(土) 00:23:12
岡崎乾二郎は粟津則雄系列の美術畑なんじゃないの?
517名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 00:51:21
小林康夫もその系列
518吾輩は名無しである:2007/08/01(水) 07:10:59
ド・マン「美学イデオロギー」を読んで面白くて
いままで読んだことがなかったデリダを読みたくなったんだけど
なんせ著書が多すぎて・・・どれから読むのがお薦めですか?(翻訳で)
519吾輩は名無しである:2007/08/01(水) 13:54:12
声と現象がいいんじゃないの
安いし基本だし
エクリチュールと差異は訳がひどいので後回しおすすめ
520吾輩は名無しである:2007/08/01(水) 22:31:48
>>519
ありがとう、読んでみます。
デリダが文庫になっているとは・・・
521吾輩は名無しである:2007/08/01(水) 22:36:10
岡崎乾二郎は柄谷とも絡んでますよね。

『絵画の準備を』なんて面白かったけどね。

と、ここで引用してみる。

「どれほど写実的な絵画を描く画家であっても、描く対象を見えるとおり、ありのまま
に描くといっても、厳密にいえば対象を見ながらは描いていない。(中略) 見えるものを
そのまま描くのではなくて、小さな記憶という不可視の領域を描いている」
522吾輩は名無しである:2007/08/01(水) 22:39:18
あるいは、

「あえて社会的な発言も意志表示もしない、表現の意志も欲望も持たない、まったく
自己完結した生を生きるモデルを設定して、むしろ芸術家はそうした言葉を持たず、
あえて表現しようとする欲もない人々を代弁=代表する役割を位置づけられる。
芸術の代理性を最後に吸収してくれる場所として、表現する術も欲もない
ブラックボックスのような存在、純粋受苦性みたいな他者が設定されている」

とか読むとなんかざわざわしてくるのは俺だけか? いや、そうではあるまい。
523吾輩は名無しである:2007/08/01(水) 23:52:00
『声と現象』は、現象学についての知識が無いと、読んでて泣きたくなってくるよ。
524吾輩は名無しである:2007/08/01(水) 23:52:44
理論スレで、ざわざわしてくる、という表現がどう受け取られるか、考えているのか?
525吾輩は名無しである:2007/08/02(木) 00:27:53
>524
どう受け取られると思ってるわけ?
おそらくは詩的言語だと受け取られるんじゃないの。
ロシア・フォルマリズムのいう異化効果のある言葉として。
526吾輩は名無しである:2007/08/02(木) 05:06:51
>>525
言語感覚の貧しい人間が理論を語ると不毛の発言になる、と受け取られるわけ(笑
527吾輩は名無しである:2007/08/02(木) 11:01:04
>>521-522
すでにゴンブリッチやランボーを知っていればそれほどざわざわしないと思う。
528吾輩は名無しである:2007/08/02(木) 11:41:04
「ざわざわ」ってのは、嫌いって事?
529吾輩は名無しである:2007/08/02(木) 19:56:11
>ざわざわ
えっちなビデオをカウンターに持っていく時の心境
530吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 01:08:34
サトウキビ畑の葉ずれの音。
531吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 01:34:50
それはざわわざわわざわわ
532吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 06:02:33
        (ヽ、00  ∩
      ⊂ニ、ニ⊃ ⊂ ⊃
       ,, -‐- \   | |/⌒ヽ  〇  〇
      ( ⊂ニニ   / /⌒) )
       `ー――'′ し∪  (ノ

                     (ヽ、00  ∩
                   ⊂ニ、ニ⊃ ⊂ ⊃
                    ,, -‐- \   | |/⌒ヽ  〇  〇
                   ( ⊂ニニ   / /⌒) )
                    `ー――'′ し∪  (ノ
533吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 19:23:43
表象代理性とかなんとか政治的なっつーか大文字を取り扱う的なっつーか
そういうものいいに伴う言わされてる感つーか
そんなものとちがうの?
534吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 19:57:28
そもそも文学なんてもんは権力の下にあるもんだ。
反権力的なものが成立つという前提には権力の存在が不可欠という意味でもな。
伝統的な比喩表現(=歴史的な権力性)などを巧みに扱うことで
大衆に快楽をあたえるその効果を模索するのが文学者の職人性というものだ。
人間なんてのは権力が大好きで、権力を打倒しようとするときには単に
新たな権力に魅入られてるにすぎん。「権力」からは絶対に逃れられない。
俺に言わせればヌーヴォー・ロマンやイェール学派も文学としてのおのれを
買い被りすぎた中二病にしか見えんw
脱構築などはこの宿命性に対する逃げ道として発明された方便(あるいは商売?)にすぎんよ。
535吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 20:36:01
>>534
なんか見切ったようなこと書いてるけどさ、
じゃあ、権力の「下」にないものって、なんだ?

百歩譲ったとしても、君のいう「宿命性」とやらにいかに対抗しようか
という姿勢が芸術(文学でも)の姿勢であって、その姿勢がただの
方便や商売にしか見えないようじゃあ、どうなんだろうね。

むしろ、文学=言葉が権力を作るといったほうが正しいのではないかね。

文学とはそもそも権力的なものであるのに反権力、ないしは非権力ぶっているのは
おかしいってこと? だったらそれは逆だね。権力的であるからこそ、
反権力ないしは非権力的でなければならないんだよ。君の好きな大衆文学とやらでは
どうかしらんけどさw
536吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 20:49:41
>>535
そもそも「大衆文学とやら」といった物言いにすでにある種の権威志向が
あらわになっているわけだが・・・?
537吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 21:17:36
そもそも筆の滑りで>>534は「大衆文学」などとは書いていないのであった。
あはははは。許してたもれ。
「大衆に快楽をあたえるその効果を云々」のくだりからそう発想してしまった
ことであるよなあ。「大衆文学とは大衆に快楽をあたえる効果の高い
文学のこという」と書いてみてもそう間違いではない。むしろその「大衆の快楽」
とは何か?ってことを考えたほうが面白いかもしれない。大衆の快楽大衆の快楽と
簡単にいうが大衆の快楽とはどのようなメカニズムで生まれるものであるのか?
他人の学説を引用せずに百字以内で答えよ、みたいな。

>>536 こういうところではどう書いても権威志向になっちまうような気がするなあ。権威志向に
ならないためには宮沢賢治のいうところのデクノボーとかオッベルの象みたいに
なるしかないかもしれないですね。

538吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 21:45:45
ラノベや携帯小説=大衆文学とする意味での大衆とか
松本清張やアガサ・クリスティー=大衆文学とする意味での大衆とか
プルーストや漱石=大衆文学とする意味での大衆とか
まあ、いろいろあるわな。
539吾輩は名無しである:2007/08/03(金) 22:14:30
大衆文学と純文学という対立軸をうんうんするのもいいが、両方とも
「○○のため」の文学であるというフレームは同じだよね。大衆文学は
「大衆のための」文学であり、純文学は「文学のための」文学であったり、たとえば
の言い方として。大衆にせよ、文学にせよ、社会的なフレームでしかない。
だからそこに権力云々の話に直結してしまいがちというか、そういう
横槍をふせぐ方法がなかなか見当たらない。すぽっと回収されてしまう。
このあたりのメカニズムと上で誰かが言っていた「表象代理性」とを
つなげると何が浮かんでくるかに興味があるけど。このへんって、デリダとかの
話?
540吾輩は名無しである:2007/08/04(土) 01:13:39
>>522に引用されてる
「芸術の代理性を最後に吸収してくれる場所として、表現する術も欲もない
ブラックボックスのような存在、純粋受苦性みたいな他者が設定されている」
というのを
「権力的であるからこそ、反権力ないしは非権力的でなければならない」
というレスや「表象代理性」につなげるとどうなるのかな?
541吾輩は名無しである:2007/08/04(土) 17:05:56
「純粋受苦性」みたいな存在は権力とも無縁なのかもしれない。
純粋受苦性みたいな存在は表現する術も欲もないということはすなわち、
権力的足り得ないということか。
そのような存在を文学が表象を代行すること。もちろん、どのような文脈に
その存在を置くかによって表象される内容は変わってくるけど。

デクノボー、かといって、山下清ではない。

542吾輩は名無しである:2007/08/04(土) 21:08:03
つまり、権力者っていうのはあらかじめ(以下略
543吾輩は名無しである:2007/08/05(日) 22:46:04
文学にはアプリケーションがないからなー
544吾輩は名無しである:2007/08/07(火) 20:17:17
545吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 00:52:25
権力などの政治的タームでしか文学を語れないのは阿呆である。
芸術や科学を抜きで文学を語ろうとするのも阿呆である。
サイファーみたいな批評家は日本にいるだろうか。
546吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 12:20:57
サイファーまで読んでる奴はこの板にはいない
547吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 16:44:56
サイファーはむしろ常識の類だろ
548吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 19:20:18
547はサイファーの何を読んだ?
549吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 20:11:32
「自我の喪失―現代文学と美術における」
なんてのはオサレ文学の成り立ちの必然性を当たり障りなく穏当に説明していて
一昔前の前衛気取りの物書きたちに安心感を与えるといった効能があったんじゃまいか?
550吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 20:20:38
「文学とテクノロジー」はどうよ?
551549:2007/08/08(水) 20:34:43
「文学とテクノロジー」は読んでない。どんな感じ?
552吾輩は名無しである:2007/08/09(木) 00:33:37
文学がいかに各時代の科学技術から大きな影響を受けているか、
それを鮮やかな手捌きと博覧強記の知性で論じた名著。
553吾輩は名無しである:2007/08/09(木) 00:42:06
受け売り天国なスレだな
554547:2007/08/09(木) 02:04:19
邦訳ある奴はだいたい読んだよ
何よりもまずルネサンス様式の四段階を読むべき
555吾輩は名無しである:2007/08/09(木) 10:25:27
サイファーはなんつーか、ハイパーリンクみたいに横にどんどんつながっていくんだけど、
個々の作品についてはちょとツッコミ不足というか、案外あっさりしてるよね?
この作品をこんなふうに読むのか!というような発見はあんまなくね?
556吾輩は名無しである:2007/08/09(木) 11:43:52
ていうかスタンダードな見解を幅広く持っているって印象
まさに入門書だろう
557吾輩は名無しである:2007/08/09(木) 16:13:12
初心者に強烈な評論読ませると異常なシンパになったりするしね
558吾輩は名無しである:2007/08/10(金) 00:26:43
556が読んでないってことだけはわかったw
559吾輩は名無しである:2007/08/10(金) 00:45:07
サイファーを読んでるとすれば、おそらくホッケや、
バルトルシャイティスあたりも押さえてるはずと思うけど、どう?
560吾輩は名無しである:2007/08/10(金) 04:15:19
こういうスレのひとたちって
作品(小説)をより読むために、理論や批評を読んでるの?
それとも、理論や批評を読むためにそこで取り扱われる(作品)小説を読んでるの?
モチベーションとしては、どっちに振れてる?

べつに煽りとかそういうのじゃなくて、純粋に興味ある。
561吾輩は名無しである:2007/08/10(金) 08:56:10
ケースbyケースでしょ
562吾輩は名無しである:2007/08/10(金) 13:19:38
>>558
読んでるって
サイファーは基本的に、標準的なモダニストだろう
科学などの異分野と分断しないように気を配っているのが偉いところ
563吾輩は名無しである:2007/08/10(金) 13:24:45
>>560
後者だったらバカにするってスタンスだね
564吾輩は名無しである:2007/08/11(土) 01:04:39
>>555
サイファー、ホッケ、 バルトルシャイティス、あたりは、
作品については個別に深入りしないわけよ。
もっと横断的に時代の「層」を深く探っていくわけだから。
フーコーのアルケオロジーもそうだけど。
565吾輩は名無しである:2007/08/11(土) 08:52:02
おもしろい本ない?
566吾輩は名無しである:2007/08/11(土) 10:55:50
そもそもサイファーは文学理論じゃないだろ

そういうのが好きな奴は高山宏でもよんどれや
567吾輩は名無しである:2007/08/11(土) 11:48:52
高山宏が嫌いだからと言って、
彼が紹介する人たちまで貶すのはちっとも理論的でない
568吾輩は名無しである:2007/08/11(土) 23:15:55
高山宏、四方田らの由良門下生は優秀だよ。
下手な堅物批評家よりよっぽど刺激がある。
569吾輩は名無しである:2007/08/11(土) 23:20:15
566があまり本を読んでないということだけはわかったw
570吾輩は名無しである:2007/08/11(土) 23:23:00
高山宏の自画自賛にはついて行けない
571吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 00:53:52
>>567
サイファーが理論的ではないと言っただけで
貶したわけではない。

高山宏に至っては理論の欠片もない。
572吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 03:53:22
571の理論観を知りたい
このスレでは狭義の批評理論よりもっと広く見るべきだと思うよ
573吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 13:32:02
>>571
そういう個人的な空疎な感想はいいからw
それこそ理論の欠片もないただの印象でしかないし。
理論的なのは誰か、具体的に書かないならね。
574571:2007/08/12(日) 13:53:14
私の文学理論のお手本は、ジェラール・ジュネット。
あと記号論やってたときのバルト。

英米系だとジョナサン・カラーあたりか。
もちろんバトラーやスピヴァクなんかも理論的だけどね。

サイファー、ホッケ、 バルトルシャイティスなんかは
理論家じゃなくて歴史家って印象。
575吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 15:14:44
それじゃフーコーも歴史家になっちまうな。
よくあるごく一般的な浅い理解だけど。
576吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 18:31:43
フーコーは歴史家だよ、自称してるし。
『知の考古学』だって、歴史理論だ。
577吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 18:39:03
だめだこりゃw
578吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 20:34:41
やっぱりカラー仕込みか
ユング的原型を時折無自覚に採用しているとはいえ、
アウエルバッハだって十分理論家なんだぜ?
579吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 20:36:44
クルツィウスの間違いだった……
580吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 21:34:41
少なくともフーコーは文学理論ではない。
581吾輩は名無しである:2007/08/12(日) 23:26:10
無知乙
582吾輩は名無しである:2007/08/13(月) 00:02:36
文学ばかりに拘泥してると、フーコーなんかは読み誤るぞ。
「作者とは何か?」だって、作者一般(文学的作者はその一部に過ぎない)の機能を検討したんだし。
583吾輩は名無しである:2007/08/13(月) 00:49:06
571=574の意見では、
フーコーは理論家じゃなくて歴史家、
バルトは歴史家じゃなくて理論家だってことになるが、
どっちが理論的かといえばフーコーだろう。
ジャンルを文芸批評に限ったとしても、
バルトのほうが理論的だとはいえない。
584571:2007/08/13(月) 01:10:29
初期フーコーは文学批評の形式を理論的に提示したものとして
十分読むことができるので、理論家と言えます(例えばルーセル論)。
もちろんフーコーは歴史家でもありますが。

バルトが理論家だと言えるのは、初期の記号論をやっていたときの
バルトでしょうね。繰り返しですが。
585吾輩は名無しである:2007/08/13(月) 01:38:16
フーコー『レーモン・ルーセル』やバルト『S/Z』のように
個別の作家や作品を論じている場合は「理論家」で、
大きな文脈の中に文芸批評を取り込んだら「歴史家」ってことかな?
それだとフーコー的な考古学を歴史学に回収することになるし、
そこでの差異は、微視的か巨視的かというパースペクティヴの違いだろう。

ホッケでもプラーツでもクルツィウスでも何でもいいけど、
マニエリスムならマニエリスムという文化的な潮流において
文学の諸相を見るっていうのも充分理論的でありうるわけで、
理論的か歴史的かという区分自体がそこでは有効なものじゃない。

もしも、ジュネットや初期バルトの記号論が理論的で
ホッケやサイファーの批評が理論的でないとするのならば、
パースペクティヴの違いではなくて手法に求めるべきだろう。
586571:2007/08/13(月) 02:09:53
フーコーの考古学は断固として理論的かつ歴史的ですよ。

他方、クルティウスはあまり理論的だとは思えない。
もちろん言説を構成する以上、理論要素ゼロとは言わないが、
構造主義以降の文学理論を一度知った者からすれば、
かなり緩やかな「理論」で、むしろクルティウスやアウエルバッハ
ような文学分析は、歴史的な文献博捜が主眼にある類いの研究でしょう。
そういう研究に対してジュネット張りの精緻な文学理論を見いだそう
とするのは、かなり無理があるだろうね。当人が理論たることを
そもそも積極的に求めていないわけだし。

まあ何が理論的で歴史的かなんて区別は最終的には相対的で便宜的な
区別にすぎませんが、一般的には、そういう違いは言えるだろう、
程度の話です。突き詰めれば全く理論的でない文学論も、全く歴史的
でない文学論も存在しないわけですから。
587吾輩は名無しである:2007/08/13(月) 02:11:19
区別のための区別って感じだな
千野帽子の中の人とかそういうの得意そう
588吾輩は名無しである:2007/08/13(月) 03:52:21
リカルドゥーなんて下世話なまでに文芸に特化して理論的だな。
589吾輩は名無しである:2007/08/14(火) 00:58:27
文芸に特化しすぎてると、高山宏から馬鹿にされちゃうぜw
590吾輩は名無しである:2007/08/14(火) 10:47:41
それはいやだなw
591吾輩は名無しである:2007/08/14(火) 11:11:17
そしたら江戸の「視」とか適当に言ってればおk
592吾輩は名無しである:2007/08/14(火) 11:58:03
高山宏って、最初は都立大改組に反対していたが、
いまや首都大学東京=石原慎太郎のケツ舐めてる奴のこと?
593吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 00:47:53
高山宏が従来の文芸に特化しすぎたシィクスピア研究に対して
そんなやり方じゃ「その時代のシェイクスピア」は捉えられないよ、
と難じ、英文学ではなく超英文学を掲げたのも頷ける。
まあ彼の性格は好きになれそうもないけど。
594吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 01:46:42
>>593
それは高山宏よりずっと前にニューヒストリシズムの連中が始めてる。
595吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 02:54:32
高山宏はもっと前のヤン・コットあたりから引っ張ってるよ
596吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 08:36:49
大橋洋一は、シェイクスピア研究が専門でもある癖に、
『新文学入門』で各種文学理論を取り上げたうち、
なぜかニュー・ヒストリシズムだけは一切言及してなかった。
この偏向は何によるか?
597吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 10:23:13
富山多佳夫と揉めたんじゃね?
英文業界も狭いし
598吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 22:29:37
イーザー『解釈の射程』買ってきた。
邦訳が『行為としての読書』とこれだけってのは
何故だろう。重要な人だと思うんだけどなぁ。
599吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 23:34:06
現象学前提ってのがめんどくさいからだと思う
600吾輩は名無しである:2007/08/15(水) 23:50:33
日本の独文学者が低能だから
601吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 00:49:10
>>600
イーザーは英文学者で著作も英語だぞ。
602吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 01:12:50
>>601
英語の著作もあるけど、殆どの重要な著作はドイツ語で書かれてる。
ヤウスなどと同様、受容理論の文学論者として著名。
日本の英文学者でドイツ語に堪能な者がいないのは仕方ないが、
日本のドイツ文学者がダメで、あまり受容理論や解釈学に取り組んで
来なかったので、ヤウスもイーザーも日本での紹介は遅れている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Iser
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Robert_Jauss
603吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 01:45:40
別に翻訳してなくてもいいんじゃないの?
しかし、遲れているって既成概念のかたまりの意見だね。
604吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 01:50:38
日本のドイツ文学者で川村二郎以降は人材がいないのかな?
605吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 09:12:37
池内は?
606吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 09:49:24
日本の独文学者は理論ができない
607吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 11:59:21
そのせいでドイツロマン主義という鉱脈が、相も変わらず放置されている
608吾輩は名無しである:2007/08/16(木) 21:32:21
ベンヤミンみたいなダラダラ感のある人が日本にはいないな。
キース・リチャーズみたいなヘタレなギターを弾いて
なおかつそれがめちゃカッコイイって美質を持った人がいない。
609吾輩は名無しである:2007/08/17(金) 14:46:03
英文も同じじゃないの
610吾輩は名無しである:2007/08/17(金) 16:12:33
英仏独露では独文が一番情けないんじゃないの
611吾輩は名無しである:2007/08/17(金) 17:07:28
川村痔郎訳の『ドイツ悲劇の根源』はスゴイ。
しかも、それをネタの『アレゴリーの織物』なるトンデモ本まで出しているぞ。
612ekken:2007/08/17(金) 18:27:16
集英社&goo「蝶々騒動」一番の悪者は誰?

http://blog.blogmura.com/board/vot/voting32_19802_0.html

アンケート内容 【騒動の概要】

集英社の廃刊女性誌で元副編集長の藤井真也(50才位)。
現在は映画雑誌編集長。

彼が担当した女性誌のツアーで知り合った作家になる前の蝶々こと山崎早智子とキョウコ。
藤井真也を含む3人は香港と韓国に行く程の仲になった。

その後作家になった蝶々が著書にキョウコをSMの女王様
マゾの藤井はキョウコ女王様の犬だと捏造する。

全て捏造だった上に蝶々のgooオフィシャルブログで写真を無断掲載された事に怒るキョウコ。

一年以上も弁護士が交渉したが謝罪しない蝶々にキレてキョウコが暴露ブログを立ち上げる。

集英社の女性誌やサイトでデビュー当時から蝶々の公私混同取材を続けていた藤井真也は蝶々の虚言と公私混同の仕事が集英社にばれるのを恐れてキョウコとSM関係があったと週刊誌記者に偽証。
これを藤井をよく思わぬ集英社漫画担当社員らが掲示板群サイト2ちゃんねるでたきつける。

破壊的なルックスとやってないSMをでっちあげたキャラが書籍板の蝶々スレで話題に。
613吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 00:39:44
独語を学ぶ人間の多くは哲学のほうに行くから
日本では独文はイマイチなんだろう。
哲学じゃなければ美学という道もあるし。
偉大な哲学者と芸術家を輩出した国だしなあ。
逆に英語圏のほうは文学がメインストリームになる。
614吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 11:40:27
ドイツ系批評家はあちこちの国にいってるし
615吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 11:45:48
>>614
どゆこと?
616吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 15:21:04
言葉尻つかまえるの好きだなお前ら
さすが文学板
617吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 15:32:14
とにかく尻は好きです
618吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 15:42:24
キットラーとか、めぼしい奴はアメリカで教えるって事じゃないの
619吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 15:58:06
そゆことだろうな
それに優秀な米の批評家はユダヤだし
620吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 16:25:13
哲学や芸術を踏まえて文学を批評するってのが
ホッケやアウエルバッハってことになるんかな
621吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 17:21:13
アリストテレス以来そうだろ
622吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 21:57:12
哲学をおさえてない批評はだめだよな
623吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 22:07:54
夏目漱石はやってるのに、
大半の漱石研究者は駄目だよな
624吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 22:10:52
>>622
最悪は、哲学をおさえてるってことしか分からないやつだ。
625吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 22:16:58
>>624
具体例を一つ頼む
626吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 22:54:50
>>624
意味が不明瞭だな。というより文が変だな。
627吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 00:12:18
てつがくおさえてれば文が変でもかまわないぜ!
628吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 00:31:51
どうも哲学にコンプレックスを抱えてるらしいことだけはわかったw
629吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 00:37:55
自分のコンプレックスを相手に投射する病。
630吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 00:43:48
自己言及する癖があることもわかったw
631吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 00:46:47
自己言及性の文学理論となればデコンストラクション派かな
632吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 01:00:05
負けず嫌いな人の集まり
633吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 01:10:43
特殊性を一般性に拡大しがちな性癖
634吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 01:16:45
つーか小谷野敦スレ見てんのは誰だw
635吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 01:49:04
小谷野だ!
636吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 03:46:27
俺ですよ。
637吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 03:52:11
俺だよ俺
638吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 04:41:47
本物の俺がまた来ましたよ。
639吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 12:30:16
小谷野敦くんはまともな批評書きなさい
640吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 14:20:58
比文は理論を抑圧しているから無理
641吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 14:37:02
という理論にもとづいてるのでとても理論的
642吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 00:23:55
独は現象学や解釈学をベースにしなきゃならないのに
英米にはバックボーンとなるべき哲学が育たなかった。
643吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 00:48:31
英米はプラグマティズムか言語学だし
644吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 00:51:36
批評理論というものがあってですね……
645吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 03:52:42
哲学科で扱うのは専ら分析哲学だしな>英米
646吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 11:51:16
英米はいびつなんだよ
哲学科が特殊なテクニカルな分野になってるから、
「大陸系」に関心持ったら(この用語自体がかなり傲慢)、
文学科に行くしかない。
647吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 23:29:53
やはりバランスがいいのはフランスか
648吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 23:36:24
日本で優秀な文学者は
フランス文学に多いしね。
649吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 00:10:16
フランス哲学もかなり歪だと思うが。
650吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 00:38:59
フランスは、
デリダやドゥルーズ世代を無理矢理払拭するために、
「政治的に」分析哲学を導入した国。
651吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 02:27:09
オレとしてはこれから恐ろしいのは、これから東浩紀なんか経由で文学理論とか批評を知ってそれをベースにしちゃってる世代が増えてくるであろうことである。
652吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 03:03:41
別にいいやん。そんなの。
653吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 12:07:45
確かに東とかはどうでもいいが、もっと恐ろしいのは
構造主義とか記号論とか受容理論とか脱構築批評とか、
20世紀文学理論のハードコアを、文学研究してる誰一人
知らなくなる時代がくるかもしれないということだな。
654吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 12:32:03
一時その種の理論よりも草稿研究が熱いとか言ってたけど、
それって基礎的な文献学そのものだったしね
文学研究には文献学しかいらないと考える人はけっこう多い
655吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 23:23:06
そもそも文学研究なり文学理論なりって何のためにあるのか?
まさか文学のため、とかいうんじゃないだろうな。
656吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 23:39:41
そういう自己撞着は確実にある
正直 社会科学のような厳密さはないと思う
657吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 23:42:23
文献学は全集編纂のために必要だろ
当然文学のために理論や研究はある
どんなに素朴な読者のつもりでいても、
何らかの理論的な前提や先入観を作品に持ち込んでるし。
それは悪いどころか当然の話だけど、
読書過程を掘り下げる意義もあるだろう
658吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 23:45:44
>>655
<解釈>のため。
659吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 23:53:13
>>656
そういう自己撞着ってナルシシズムだよな。
文学批評そのものが精神分析を受けたほうがいい。
660吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 23:54:22
>>658
その<解釈>とやらは一体何のためにあるんだ?
661吾輩は名無しである:2007/08/21(火) 23:56:22
お前さんみたいな馬○にならないため。
662吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 00:25:13
>>661
「馬並」になりたくねえのか?
663吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 00:31:59
『職業としての学問』(ウェーバー)
664吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 19:29:49
文学批評は文学のためにあるという自己撞着の中で
批評が文学に対して「文学は何のためにあるか」と
問えるはずもない
665吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 19:49:21
お前さんこそ自己撞着
読みもせずイメージで物を言ってるだけだ
666吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 20:26:18
>>665
おっと、イメージに頼らずに具体的に頼むぜ。
それからもっとクールになw
667吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 20:39:35
自家撞着
668吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 20:54:42
禿わろす。
669吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 21:02:07
>>664に対して応答できる人間はいないのか?
670吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 21:15:35
批評は文学に問うたりしない。
671吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 21:28:31
>>670
批評が文学に対して問わないなら
当然自らの批評に対しても自問できないわけだな。
そういうのをまだ「批評」と呼べるのかね?
672吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 21:40:40
>>671
その方法を突き詰めたらテクストしか残らない。
批評は存在の足場を失うであろう。
これすなはち自家撞着w
673吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 23:18:24
>>672
その言葉の使用法は間違ってるよ。
自己批評なき批評ってのは2ちゃんねる的であってねw

まあそれはともかく、
自己批評の必要性を説いたエリオットの言葉くらい
しっかり頭においてから書き込んだほうがいい。
674吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 00:06:31
匿名掲示板でよかった、と胸をなでおろす672であった。
675673:2007/08/23(木) 00:47:14
しかしながら、やわな精神しか持たぬ者は、
自己批評はやめたほうがいいというのは確かだ。
そういう輩は他人のあら捜しばかりに一生を費やしたほうが
安楽な人生を送れるだろうから。
強靭な精神を持つ者だけが自己批評という危険を冒し得る。
676吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 00:50:07
批評家に嫌なこと言われた人なんでしょうか。
677673:2007/08/23(木) 00:54:32
たぶんエリオットの言葉を誰も知らないだろうから引用しよう。
エリオットは「批評家を批評する」の中でこう語っている。

 「文学批評にはどんな効用があり、どんな用途があるのか、
 という問いは、たとえ満足のいく解答が得られないにしても、
 繰り返し繰り返し問うてみる価値がある」

一応ことわっておくが、私はこれまで誰からも論破されたことがない。
まあレスを入れるときは注意しておくことだw
678吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 00:56:57
論破とか言い出すのやめようぜ
泥沼
679673:2007/08/23(木) 01:03:11
もうひとつ肉付けしておくならば、
自己批評性のあるテクストとして
デリダの脱構築をあげることもできるし、
エリオットの提言に沿うものとしては
トドロフの「批評の批評」を挙げることもできる。
批評における自己批評の重要性について
まだ反論したい人がいるならばどうぞ。
680吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 01:03:52
>>677
親から言葉を習いはじめてからずっと、と解釈していいわけですね、
その威張りようからすると。

681673:2007/08/23(木) 01:05:18
>>680
もちろんだw
682吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 01:26:15
自己批評を欠落を>>681のレスで自ら露呈しているね。
哀れ。
683吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 01:29:39
>>681
コンテント・アナリシスを醫學に生かそうと考えている神經内科の醫者なんですが、
あなたは認知症の氣がありますね。

そういうふうに考えるようになったのはいつごろからですか。
684682:2007/08/23(木) 01:55:41
>>682
×自己批評を
○自己批評の
685吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 02:50:29
文学板的にはやはりド・マンだろ?
バルト、リシャールあたりを軽々と否定、デリダを高く評価(読みのヘタさに批判を加えつつも)し、
ブランショよりも高く置いた理由なんかをみれば、脱構築を文芸に当てはめた場合の
厳密さにおいて、いまだ極限じゃね?
少なくとも、脱構築理論そのものが批判されない限りは・・・
686吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 02:53:11
バカかとぞ思う
687672:2007/08/23(木) 06:04:24
そう、批評も脱構築の対象になり得る。
テクストはどこまでも開いている。
と、脱構築家は言う。
なら脱構築理論もまた脱構築の対象になり得るというわけだ。

ああバカバカしい。
688吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 11:19:51
ド・マンはエンプソンの末裔なんだよな
エンプソン岩波文庫の解説はそのへん適当すぎ
689吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 21:06:22
>>687
それは宇宙の果てってどこなの?みたいな議論ですよね。
つまり「理論」て言葉がそもそもパラドキシカルなんだな。
文学理論など存在しない、ってことになるのかもね。
人間がテレパシーみたいなもので交流できるよーになったら、そのときには
形をとらずにある種の感覚で直感できるようになるものなのかも?
その点、東洋思想は西洋形而上学より深いのかもしれませんね。
690吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 21:15:44
つまりガンダムは素晴らしいと?
691吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 21:46:11
ええ。
ニュータイプの概念はまことにもって秀逸ですね。
692673:2007/08/23(木) 23:30:39
>>682 >>684
私が最も「哀れ」に思う瞬間というのは、
30字にも満たない短文の中で、
「の」を「を」にしてしまう過ちを犯したことではなく、
それをわざわざ約30分後に訂正して取り繕うという
いじましい行為を目撃してしまったときである。

>>683
「神經内科の醫者」の道はあきらめて
もっとラカンなりジジェクなりでも読んだらどうかな。
693673:2007/08/23(木) 23:38:09
>>685
>文学板的にはやはりド・マンだろ?
ド・マンはアメリカ人らしからぬ、つまりユダヤ人らしい、
聡明な知性を感じるんだが、
主著が翻訳されていないこの日本のていたらくにはあきれる。

>>687
>脱構築理論もまた脱構築の対象になり得るというわけだ。
初心者によくありがちな、言葉に翻弄されている好例だな。
694673:2007/08/23(木) 23:42:00
>>689
>東洋思想は西洋形而上学より深いのかもしれませんね。
どう「深い」のか具体的に言明できないのも
東洋思想的深さかな?――日本人にありがちな。
695吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 23:42:46
>>693
>聡明な知性

ププッ
テメェのクリトリス掻いた方が気持ち好いぞ。
696吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 23:44:23
>>693
>脱構築理論もまた脱構築の対象になり得るというわけだ。
>初心者によくありがちな、言葉に翻弄されている好例だな。

テメェで振ってテメェで答えてんだから仕様がねぇ。
この板にありがちだが。
適当にやってくれ。
誰も読んでないよ。
697吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 00:27:02
680 :吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 01:03:52
>>677
親から言葉を習いはじめてからずっと、と解釈していいわけですね、
その威張りようからすると。
681 :673:2007/08/23(木) 01:05:18
>>680
もちろんだw

>>693氏は上記のような痛々しい流れを隠蔽しようとする卑し
い精神を恥じることから生活を見直してはどうだろうか。
「w」を使って誤魔化そうとしているが、そうしたせせ
こましさが実に見るに堪えない。不快である。
また、氏は日本のポール・ド・マンの受容について

>主著が翻訳されていないこの日本のていたらくにはあきれる。

とのやや上から目線の書き込みをしているが、>>693氏のいう
「自己批評」に照らして鑑みるならは、>>680-681に見て取れ
る己の「ていたらく」ぶりこそ噴飯ものであることに気付く
であろう。
これ以上の恥を晒すまえに「他者の言葉」についてバフチー
ンでも読んでから書き込みすることをおすすめする。
698673:2007/08/24(金) 01:12:44
>>695-696
もうひとつ私が「哀れ」に感じるのは、
自分の貧しい読解力と知性を何とか補おうとして
「テメェ」という言葉を思わず選択してしまい
かえってレトリックの貧しさをさらに露呈してしまうことであり、
自分の「誤読」(by ド・マン)を他者に転嫁してしまうという、
2ちゃんねるによくありがちな投影の性向である。
699673:2007/08/24(金) 01:13:16
>>697
そしてさらにまた私が「哀れ」に思うのは
私のレトリックをなぞるようにして私を批判したつもりが、
自分の不快感の原因を劣等感に求める素直な姿勢をとれず、
私のエクリチュールのせいにしようとする、
これまた上に記した「他者への転嫁」の性向であり、
そうした人間が
>「他者の言葉」についてバフチーンでも読んでから
などとバフチンを持ち出すことの場違いはさておき、
バフチンがドストエフスキーやラブレーに見出したところの
ポリフォニックなカーニバル性すらも理解していないことが
文章から滲み出てきてしまっていることなのである。
700673:2007/08/24(金) 01:14:39
まあ私の文章をどうしても模倣したいのであれば
アウエルバッハの「ミメーシス」でも読んでからにしていただきたいw
701吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 01:23:29
ああ。こいつ、吉田健一スレを荒してた基地外かw
702吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 01:27:55
この基地外を誰かやっつけてくれ
703672:2007/08/24(金) 01:36:48
なんだ、ただの読んだ自慢スレじゃねーか。
今気付いたわw

>誰も読んでないよ。
読むとこなんか元からどこにもねーよw
704吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 03:55:39
批評とは「ひとつの美学、すなわち私自身の感受性についての
あるひとつの理論を築くための個人的症例研究」にすぎない
705悪い太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/08/24(金) 03:56:02
>>699
>私のレトリック

桜田淳子の新曲みたいだな。
706吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 06:08:49
ほんとにお前は感覚が悪いな。「私の」がかぶってるだけで
全然テイストの違うものを「みたい」とは。
こんな曲を歌うのは早瀬優香子。
707悪い太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/08/24(金) 09:00:35
>>706
>早瀬優香子

それがオマエらの悪い癖だ。
意外なところから摘んでくるにはそのセンスが問われるワケだが、“一般”にとって「早瀬優香子」は判らないのだ。
笑いを獲得する為の前段のワン・クッションが致命傷になることを学んでほしいね。
ピンポイントでしか作用しない早瀬優香子と違い、俺の桜田淳子は、二十代後半から七十代全域をカヴァーできる
レンジの広さを持っている。メジャーでもなく、かつマイナーでもない。さらに「桜田淳子」の持つベタっぽい響きもイイ。
708吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 09:32:34
あほか。「レトリック」自体が普通のアイドル歌手の、まして桜田淳子の歌詞にはならない語彙。
早瀬優香子あたりが歌わせられてるような語彙なんだよ。
「メジャーでもなくマイナーでもない桜田淳子のベタさをいいと言う俺」を
主張したいからといって、そういう語彙の意味を無視できるから感覚が悪いといってるの。
709悪い太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/08/24(金) 10:32:14
>>708
>早瀬優香子あたりが歌わせられてるような語彙なんだよ。

それじゃまるっきりそのまんまじゃねぇーか。
だから読者を限定してしまうのだ、オマエみたいな奴は。
どう考えたって「桜田のレトリック」はない。その惚け方が面白いんじゃないか。
710吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 17:49:18
俺的には朝丘雪路あたりかな
711吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 18:10:32
一気に団塊臭漂うスレに
712吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 18:24:03
ざまーみろ
713吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 18:34:34
結局キミ達、知識ばかりあって実作に向いてなかったんでしょ?
714吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 19:08:10
知識もない、というのが偽らざるところ
715吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 19:30:40
レトリックってなに?
716吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 19:34:09
>>711
天地真理を女神の如く奉ってたやつらだ。
可哀相だからそっとしとこう。
717吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 19:37:21
こんなときは堀川早苗の歌を聴こうじゃないか。
718吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 20:35:56
加齢臭がひどいな
719吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 20:50:57
やっぱ美空ひばりでしょ
720吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 22:24:18
あいつくるかな
721火曜日のあいつ:2007/08/24(金) 22:30:35
722吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 22:40:36
>>717
不思議少女ナイルなトトメス!
日本最初で最後の脱構築ドラマ
あきらかにデリダ言説を取り込んだ展開w
723673:2007/08/24(金) 22:52:50
>>701-722
なんだ、この茶番劇はw
失笑さえもかえない場末の雰囲気だな。
724吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 22:55:17
>>721
>火曜日のあいつ

脚本 阿井文瓶!
725吾輩は名無しである:2007/08/24(金) 23:04:53
>>724
>脚本 阿井文瓶!

http://www.youtube.com/watch?v=2dfox7BFzGc

いまコレを読んでるちびっ子諸君。
男の友情の美しさを見たか。
ちなみに、オマンコちゃんのために解説しておくと、
レオはウルトラ兄弟の一員ではない。
セブンはレオの師匠だ。
アストラはレオの弟だ。
え? そう。女の出る幕なんか無いんだよ。
弟よ。兄に逆らうな。
兄よ。弟をいじめるな。

ジュアァ!
726吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 00:15:45
>>709
つーか自分で「面白いんじゃないか」って解説すんなよ。
アメリカ人か。
727673:2007/08/25(土) 00:23:46
愚劣な人間にも多少は役割がある。
高邁な知性を引き立たせるという役割が。
728673:2007/08/25(土) 00:28:49
>>701
吉田スレで手玉に取られた人間かなw
まあ私はいろいろなスレッドに書き込んでいるから、
どこかで痛い目にあってもおかしくはないだろうが、
どうも何か勘違いしているようだな。
荒らすというのはきみの主観的な迷妄による感触でしかない。
そもそもよく耕された土地しか荒らすことはできない。
もともと何もない痩せた土地など荒らすことなどできないのだよ。
むしろ私の書き込みは砂漠を耕すことにも似た英雄的行為だろう。
729673 ◆ySh2j8IPDg :2007/08/25(土) 00:39:04
本題に入る前に整理させてもらおう。

そもそも文学研究なり文学理論なりって何のためにあるのか?
まさか文学のため、とかいうんじゃないだろうな。
文学批評は文学のためにあるという自己撞着の中で安んじているなら
批評が文学に対して「文学は何のためにあるか」と問えるはずもない
という書いだわけだが、それに対し、

670 :吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 21:15:35
批評は文学に問うたりしない。

という馬鹿なレスを返した奴がいた。

それで、
批評が文学に対してその存在理由を問わないなら
当然自らの批評に対しても自問できないわけだな。
そういうのをまだ「批評」と呼べるのかね?
と聞いたわけだ。

もちろんまともなレスはないわけだがw
730673 ◆ySh2j8IPDg :2007/08/25(土) 00:44:38
 「文学批評にはどんな効用があり、どんな用途があるのか、
 という問いは、たとえ満足のいく解答が得られないにしても、
 繰り返し繰り返し問うてみる価値がある」

私はさらに教育者的精神にうながされて、
上記のエリオットの「批評家を批評する」の中の言葉を引用してやった。
批評における自己批評の必要性の例としてね。

また、自己批評性のあるストラテジーやテクストとして
デリダの脱構築やトドロフの「批評の批評」を挙げてもやったわけだ。
何というおおらかな教育者的精神であることか。
731吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 00:50:18
732673 ◆ySh2j8IPDg :2007/08/25(土) 00:55:55
おそらくデリダという名前に反応して
下記のような愚かな書き込みがあった。

 687 :672:2007/08/23(木) 06:04:24
 そう、批評も脱構築の対象になり得る。
 テクストはどこまでも開いている。
 と、脱構築家は言う。
 なら脱構築理論もまた脱構築の対象になり得るというわけだ。
 ああバカバカしい。

これは愚かな書き込みではあるが、100%間違っているわけではない。
50%は正しいと言ってもいいだろう。
そしてまた、この愚かさは頻繁に目にするものでもある。
脱構築的批評というものを形式や方法としてしか認識しない迷妄は、
あちらこちらで散見されるありがちな誤読だからだ。
脱構築的批評は脱構築の対象になり得るだけではなく、
脱構築的批評は脱構築を実践し得るのである。
おそらくこの「脱構築を実践する」という言葉を、
理解できない人間は多いことだろう。
733吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 01:13:17
>>730
自己批評性のあるテクストとして、そこにイーザーのものも加えることが出来るな。
「空所」「テクストのストラテジー」「テクストのレパートリィ」「否定」……。
これらのタームに沿って(オースティンのスピーチアクトにも触れつつ)「読書行為」を
論じた『行為としての読書』は紛れもない名著。
私はいま『解釈の射程』を読みつつあるが、先の仕事をさらに発展させた
論考は非常に刺激的だ。上にも書いたが、イーザーの邦訳が二冊しかない
というのは全くもって解せない。
(まぁ、ヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』すら出ていないのだから
驚くにはあたらないが…)
734吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 01:22:12
それより『読むことのアレゴリー』出すべき
735吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 01:57:32
脱構築なんてことを実践してたら友達いなくなっちゃいますよ。
736吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 02:25:40
会社で脱構築を実践してたらクビになっちゃいますよ
737吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 02:31:52
チンコ痒い、まで読んだ
738吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 02:44:38
>>732
>脱構築的批評は脱構築の対象になり得るだけではなく、
>脱構築的批評は脱構築を実践し得るのである。

あらゆるテクストは自らを脱構築するというのが脱構築理論の肝なんだが…
739672:2007/08/25(土) 07:50:03
すべての人間が排泄物を食えば食料問題は永久に葬り去ることができると言うに等しいトンデモだな。
試しにその糞食ってみろ。
740吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 12:38:43
672はド・マンぐらい読めよ
741673:2007/08/25(土) 23:05:44
イーザーとド・マンの名前が出ると
ガダマーとデリダの論争が思い起こされるな。
イーザーのいう空白とド・マンのブラインドネスを
関係づけることができるかどうか。
742673:2007/08/26(日) 00:12:06
>>733
そのイーザーの理論のどこに自己批評性があるんだ?
ぜんぜん説得力がないんだが。
743673:2007/08/26(日) 00:25:12
>>734
そのまえに「死角と明察」だろうに。

>>735
あほか。
脱構築を実践できないと友愛は生まれないんだよ。

>>736
あほか。
余剰資本を生み出せるのは脱構築的な亡霊なんだぜ。

>>737
あほか。
あいかわらずファロゴサントリズムに陥ってるぞ。
ファロス=ロゴス中心主義のことな。
744673:2007/08/26(日) 00:27:34
>>738
脱構築を実践することと脱構築の動きが内包されてるのとは違う。

>>739
貧しいスカトロジックな比喩しか思い浮かばないんだな。
まあ自分の文章を眺めてるからレトリックが貧しくなる。
試しに自分の文章=糞を読んでみるがいい。
いいか、お前は自分の書いた文章を自分で読むだろ。
書くことは排泄(アウトプット)だ。
読むことは摂取(インプット)だ。

>>740
無茶な課題を与えるなよ。
745吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 01:15:33
各レスに逐一レスするのって不毛だしつまらねーよなって、
2ちゃん全般で思うんだが。思わない? あそう。
746吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 01:20:38
>>673
あんた吉健スレで一時期がんばってた人?
律儀にレスを返すところなんかは、なかなか見所がある。
シモンスレにでも来てくれよ。
747吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 01:29:55
脱構築ってバカっぽいですね
748673:2007/08/26(日) 02:01:09
>>745
徹夜で仕事してる合間のほんのひまつぶしに
こうして逐一レスを返してるだけだよw
それより自分のQに自分でAするほうが
よっぽどくだらねえと思わないか?

>>746
クロードについて書くとなるとひまつぶしにってわけにはいかないな。
リカルドゥー、プーレ、ルッセ、リシャールあたりならまだしも。

>>747
いいか、よく読むんだぞ。
何を対象に選んでも自分が投影されてしまうんだよ。
749吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 02:02:25
>>744
>脱構築を実践することと脱構築の動きが内包されてるのとは違う。
テクストが自らを脱構築していることを記述してみせるのが脱構築批評だということ?
どうも「脱構築を実践すること」という表現がしっくりこないんだが。
ド・マンならそんなことを言っていたかもしれないが、デリダは違うな。
750673:2007/08/26(日) 02:07:44
まあイーザーを念頭において書くならば、
私のレスは2ちゃんねるという読者を想定して、
あらかじめレベルを下げているわけだが、
想定より低い読者がいるのは困ったものだ。

ド・マンを読んでる読者ならわかると思うが、
私の書き込みをシンボルとして読んではいけない。
アレゴリーとして受け取る読み方ができるかどうかだ。

とりあえずこのスレはイーザーとド・マンを読んでる人間がいる。
それがせめてものなぐさみだ。
751673:2007/08/26(日) 02:10:10
>>749
そのレスに対しては後日書き込むことにしよう。
さて、仕事だ。
752吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 03:04:26
と、つかの間支配者気分を味わう673であった。
753吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 03:13:46
脱構築って莫迦っぽいですね。
754吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 05:58:30
ある種の東洋思想は奥深い。
西欧における脱構築理論が問題としたこと、つまり、言明の不可能性または誤読の不可避性の問題とは
十世紀以上遡って格闘している。したがって東洋思想>越えられない壁>西欧哲学、
などと二極対立構造を招きよせながら言明などしないところが深いのだ、
といった言明さえしない。
755吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 08:34:09
その通り 
黙って座ればピタリと当たる
犬も歩けば棒にあたって頓悟するんだ。
756吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 14:58:31
Blindness and insightは普通に翻訳進行中。
Allegories of readingは未だに富山が握りつぶしてやがる。
富山は、
翻訳と原書の落差で生き延びる連中を叩いていただけに、
より罪が大きい。
757673:2007/08/26(日) 18:36:00
>>752
と、つかの間の被支配者的気分を味わった752であった。

>>754
まず「西欧における脱構築理論が問題としたこと」の理解が浅いため、
それに対する「ある種の東洋思想」の奥深さをいくら述べたところで、
まるでビニールプールで水深を競ってるようなもんだな。
「二極対立構造を招きよせながら言明などしないところ」なんかは
ビニールプールで遊ぶ幼稚園児も同様であり、
そうした言明さえしない、と言明してしまうところは、
はからずも自身の言説の矛盾を露呈してしまってるわけでね。

>>756
「普通に翻訳進行中」って原著刊行から37年経ってんだぞ?
どこが「普通」なんだよ。
758673:2007/08/26(日) 18:50:54
>>749
脱構築には2種類以上あるわけだ。
まず、デリダのデコンストリュクシオン。
そして、ド・マンのディコンストラクション。
そして日本語の「脱構築」の場合は
その両者の最良の部分のアマルガムとすべきだ。
決してブルーム、ハートマン、マシュレーを援用すべきじゃないし、
カラーなどの解説書的定義を中心に盛り込んでもいけない。

脱構築的批評というのは、テクストの暗黙の前提をあばき、
テクストが言明していることをテクスト自体が裏切っていること、
つまり隠されたテクストのほころびを見出すだけではなく、
そのテクストの前提、基盤、ロゴスを逸脱している部分を浮き彫りにし、
ロゴス中心主義に収まらない脱構築的な線(トレ)をトレースしていく。
脱構築における実践とは、自らが暗黙に持っている前提や基盤を、
たえず壊しながら、ロゴス中心主義から逸脱することだ。
759吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 20:07:22
脱構築って頭割るそうですね
760吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 21:26:32
>>757
あんたがBlindnessを先に訳すべきと言ったから、
そこを受けたまでの話。
進行中の仕事は心配するまでもないから「普通に」と書いた。
761吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 22:27:24
>>758
>前段
「日本語の『脱構築』」ってなんじゃそりゃw

>後段
前5行はわかるが、後ろ2行が不明瞭。
壊す、逸脱する主体は何?
脱構築を実践する「批評家」なのか、脱構築批評の「テクスト」なのか、
またはそのどちらでもないのか。
主語を省略するのが「日本語の『脱構築』」というわけでもあるまい。
762吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 23:24:44
673はいわゆる「馬鹿に刃物」
763673:2007/08/26(日) 23:45:51
>>759
ある種に人間が脱構築を理解しようとすると
頭が割れそうになる症例が見られるようだな。

>>760
サグラダ・ファミリアのように常に「進行中」のものもあるしな。

>>761
「脱構築」と日本語で書かれた時点で、
デコンストリュクシオンともディコンストラクションとも、
差異を孕んでしまうブラインドネスを教育者的精神により
あえて強調してあげたのだよ。
お前さんの目は節穴か? よく読みなさいな。
脱構築における実践」が主語になっているだろうが。

>>762
オッカムの剃刀以上の切れ味鋭いナイフのようだってか。
764761:2007/08/27(月) 00:05:51
>>763
「教育的精神」ってw
それは「翻訳すると意味が変わっちゃうんですよー」というレベルの話だろ。

で、「脱構築における実践」が主語?
前は「脱構築を実践すること」と書いていたよな。
では「実践」の主体は何だ?
それを明らかにしない限り、理解しているとはとうてい思えない。
765673:2007/08/27(月) 00:58:09
>>764
さらに教育者的精神を発揮させて欲しいわけだな。
まあいいだろう。まずそういうレベル認識だから
いつまでたってもブラインドネスが見えてこないわけだ。
アレゴリーが読めずシンボルしか読めないのだな。

「脱構築における実践」も「脱構築を実践すること」も同じだ。
それさえも理解できない人間が、脱構築に関して、
「理解しているとはとうてい思えない」のだがw
まあそれもいい。で、脱構築的批評の主体を知りたいのか。
それは簡単だ。批評家に決まっている。
もっと高度な質問はないのかね?
766吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 00:59:28
「ないのかね」……
767673:2007/08/27(月) 01:02:40
期待の地平のレベルが低すぎてお話にならないな。
ガダマーに発するヤウスやイーザーの受容理論には反するだろうが、
読者が構成する「期待の地平」において出来事が到来することはない。
出来事とは常に不意を衝いて到来するものであり、期待不可能なものだ。
到来するものは、絶対的に他なるものでなければならない。
768吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 01:14:56
いっそニーチェに帰ればいいんだ
769吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 01:17:49
673て、ボコノン?
770761:2007/08/27(月) 01:20:44
>>765
>それは簡単だ。批評家に決まっている。

はい、もうおしまいね。
仮に脱構築に「実践」なんてものがあるとすれば、その主体はテクストしかあり得ない。
バルトかクリステヴァの初期からやり直したら?

ひょっとしたら少しは理解しているのかも思ったのが間違いだった。
771吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 01:21:40
以前に吉田健一スレに書き込んでた香具師らしい
772吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 01:28:27
ド・マンは再検討の余地があるとは思うけどな
例のスキャンダルとは関係なく
773吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 01:41:10
ド・マンは死んでないよ
ぜんぜん
774吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 01:58:54
ここ最近盛り上がってるじゃん
775673:2007/08/27(月) 17:14:45
まあね。
776吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 17:29:29
小谷野さん、なんか面白いこと書いてよ
777673:2007/08/27(月) 17:54:34
脱構築なんか学問じゃないね。
778吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 19:29:24
テクストは決断しない。したがって倫理もない。
779吾輩は名無しである:2007/08/27(月) 19:40:27
デリダ一冊読めば済む議論だな
780673:2007/08/27(月) 21:40:46
>>769


>>770
もうトンデモの上塗りはやめにしたほうがいいぞ。
脱構築の参照先にバルトやクリステヴァを持ってくるとはw
しっかりしてくれよ。

>>775 >>777
それほど俺になりすましたいのか?
781673:2007/08/28(火) 01:07:38
君を脱構築したまでさ。
782吾輩は名無しである:2007/08/28(火) 19:33:47
申し訳ないが誰かアレゴリーとシンボルの違いを教えてくれないか
783吾輩は名無しである:2007/08/28(火) 21:14:34
ゲーテ以来の理解では、
アレゴリーの方がお約束過ぎて貧困
シンボルは豊かな個性を持つ
とされていた。
ゲーテの原植物とか「永遠に女性的なるもの」とか。

それを反転させた
ベンヤミンのバロック哀悼劇論以来の再評価が背景にある

むしろシンボルの方が中心性が強すぎるのであって、
アレゴリーの見かけ上の空疎さに可能性をみる

そうすると「時」とか「美」が大仰に出てくる
ボードレールの詩が新たな魅力で甦ってくる
784吾輩は名無しである:2007/08/28(火) 22:20:18
シンボルは詩的で、アレゴリーは散文的。

シンボルは求心的で、アレゴリーは遠心的。

シンボルは直観的で、アレゴリーは理性的。

シンボルとアレゴリーの違いは、
メタファーとメトニミーの違いと照応する、
とも思う。

ベンヤミンの歴史哲学に引きつければ、
シンボルはオリジナルで、アレゴリーはコピーになるのでは。

そしてコピー(瓦礫の山)の中にベンヤミンは救済の可能性を見ようとしていた。
785吾輩は名無しである:2007/08/28(火) 23:29:36
正確にはシュレーゲル兄弟とかヘルダーリンだろうけどな
786吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 00:33:04
>>782
寓話(アレゴリー)と象徴(シンボル)じゃいけないの? 
787吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 01:04:27
寓話はFable
アレゴリーは寓意
788吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 01:09:38
法政大学出版局 『虚構と想像力 文学の人間学』 
ヴォルフガング・イーザー/日中鎮朗訳 8/31 ¥6,615
789吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 01:44:34
>>787
「寓話」もありだと思うが。
790吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 02:36:30
>>789
いや、なし。
まあ慣用だから、
あなたが定訳を変える勢いで頑張ればいいかも。
791吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 10:49:14
アレゴリーってべつに「話」に限らないからね。
「寓話」は不正確な訳だね。
792吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 10:51:03
アレゴリーはアレゴリーでいい。
特に文学理論や修辞学が問題になる文脈では訳す必要はない。
793吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 13:24:46
>>788
情報ありがとう。ついに邦訳3冊めか。
794吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 14:02:43
イーザーって今年一月に亡くなってたのか。
知らなかったよ。。。orz
795吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 14:31:44
そりゃ亡くなるだろ常考

そもそも今世紀になって文学理論の動きがにぶすぎる
796吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 15:21:44
イーグルトンなんて反動化する一方だしな
797吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 15:24:18
出だしはジェイムソンより人気あったのにな
798吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 17:07:21
イーザーは伊藤誓に訳して貰いたいなぁ。
799吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 17:35:33
伊藤はドイツ語ができないのでダメだろ
800吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 18:08:21
英文の連中は哲学を舐めすぎているから難しい
歴史研究っぽいのは向いてるけど
801吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 18:11:36
>>799
伊藤さん、ドイツ語できないのか。
『解釈の射程』の訳と訳者解釈が良かったので、
俺はてっきり出来るもんだと思ってたよ。
802吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 19:24:41
New German Critique界隈のレベルが高いから、
ドイツ語出来なくてもある程度はカバーできる
803吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 19:29:53
解釈の射程は例外的に英語の本だから
英文学者でも対応できただけだな
804吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 19:50:57
記号論理学も分からず、哲学をなめてかかる英米文学者(笑)
805吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 20:04:49
それマジでシャレにならない
806吾輩は名無しである:2007/08/29(水) 20:05:26
ド・マンのまともな訳者が社会思想史ということから推して知るべし
807吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 01:17:29
>>796
今は大御所はジェイムソンだけが頑張ってるようにも見える。
808吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 21:15:50
ちなみにこのスレの人はどんな小説が好きなの?
809吾輩は名無しである:2007/08/30(木) 21:48:40
面白い小説が好きです。
でも、象さんのほうがもっとすきです。
810吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 00:43:09
ジェイムソンは柄谷と交流あるんだっけ?
811吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 01:28:36
パワーズが面白い
812吾輩は名無しである:2007/08/31(金) 02:46:43
ル・クレジオ
カフカ
リリーフランキー
813吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 00:18:53
20世紀の偉大な批評家を5人選ぶとすれば
ヴァレリー、ウィルソン、ベンヤミンの3人に
ルカーチ、ブランショを加えたところだろう。
814吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 00:30:07
>>813
>ウィルソン

これ誰?
815吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 01:07:00
>>814
ウィリアム
816吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 01:14:50
コリン・ウィルソン
ゆうこりんじゃないぞ
817吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 01:19:39
>>813
>コリン・ウィルソン

それなりに偉大だとは思うが
ヴァレリー、ウィルソン、ベンヤミン、ルカーチ、ブランショ
たちと同列に扱うことはできないだろ
818吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 01:22:08
そうだな
819817:2007/09/01(土) 01:36:30
>>817
>ヴァレリー、ベンヤミン、ルカーチ、ブランショ

に訂正
820吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 01:50:04
ド・マンは入れとけよ
在野批評が総アカデミアしいく二十世紀に、
前者の視点を失わなかった貴重な存在
821吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 01:50:36
×しいく
○していく
822吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 02:01:10
ルカーチは哲学者って印象だな

ルカーチの代わりにド・マンかな

バルトって選択肢もあるな
823吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 16:35:44
ポール・アザール
824吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 16:41:34
二十世紀だぞ?
825吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 16:59:56
ヴァレリーが許されるならアザールも許されるっしょ
826吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 17:03:40
野沢協かよ
827吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 17:05:58
アザールは野沢協にあらず
828吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 17:17:54
ルカーチとかアザールとかはないだろう
ヴァレリーもかろうじて再評価可能
829吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 17:26:56
ベニシュは?
830吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 17:28:16
「偉大な」って、誰にとって、どういう点で?
831吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 18:12:21
830のような人は、
最終的に「俺」が納得できないだけだろ
832吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 21:08:38
無意味だな
833吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 00:08:04
エドマンド・ウィルソンだべ
834吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 00:45:34
誰それ?
835813:2007/09/02(日) 01:03:02
どうも書き込みを見てるとレベルの差がありすぎるな。
エドマンド・ウィルソンも知らないとは、やれやれ。
836813=673:2007/09/02(日) 01:15:12
このスレをのぞく人なら「アクセルの城」くらいは
当然読んでるだろうと思ったのが間違いかな。

アザールとヴァレリーを同列に並べたり、
ウィルソンといえばコリン☆を想起したり
脱構築と記号論をごたまぜにしたり、
ほんとオッパッピ〜♪な奴が紛れ込んでる。
837吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 03:20:02
とはいえそれほどすごくはないよ
838吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 03:39:04
>>835
>エドマンド・ウィルソン

完全に米文学ローカルの批評家で
ヴァレリー、ベンヤミン、ルカーチ、ブランショ
と同列ではありえないな。
839吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 11:54:31
アンガス・ウィルソンなら読んだことある
840吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 13:44:27
こちらで。
 【硬骨】エドマンド・ウィルソン【批評】
 http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1161856867/l50
841673:2007/09/02(日) 13:52:07
俺、この前脱構築されて
実存的不安に陥ってびくびく怯えてたんだけど
ようやく構造主義的に立ち直ったんだ。
でもまた脱構築されちゃったみたい。
俺、書けなくてイライラしてる。
この間人に「浅田彰は書かない人だけど
君は言わば書けない浅田彰だね」と言われて
泣きたくなった。でも泣かない。
842吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 14:39:37
↑なんだこいつ?
843吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 14:43:12
>>673は大学院の受験勉強をしている学部生かなんか?w
変な入門書をたくさん読んでいるようだが。
844吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 15:14:00
673は院試に通らないで2年目の浪人中
845813=673:2007/09/02(日) 17:32:58
どうも俺は人から注目されたり模倣されたりする
因果な星の下に生まれたらしいなw

おまえら「アクセルの城」ぐらい読んどけよ。
読まないから俺が仕掛けたアレゴリーが読めないんだよ。
いつまでたっても。
もちろんベンヤミンやド・マンが読めるはずもないな。
846813=673:2007/09/02(日) 17:37:35
いいか、オッパッピ〜♪な輩ども、
ヴァレリーと並べるなら
当然アザールではなくエリオットであるべきだろうし、
ルカーチがアウエルバッハなんかとともに
F・ジェイムソンに大きな影響力を与えたことぐらい
頭に入れといたほうがいいぞ。
847吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 18:52:12
本当だ……
学部生から修士っぽいな
848吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 19:07:05
>>673
そんなことだからお前は
文学理論の引用ばかりからなる卒論書いて
「ところで君自身の解釈は如何?」と言われて
院試に合格できねえんだよ
849813=673:2007/09/02(日) 21:11:26
>>847
根拠のない印象批評以前の感想はやめたほうがいいぞ。

>>848
ラカン派の精神分析批評を援用するまでもないだろうが、
優れた知性を前にしたとき、その相手に投影してしまうのは、
自分の惨めな像なんだということを知っておいたほうがいい。
850吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 21:26:15
このスレでは根拠のない感想もアリだろう
なんでもいいが自己語りはやめろ
851吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 21:26:50
それに投影的同一化はクライン派だろ?
852吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 21:27:07
援用するまでもないんなら援用するなよ
マッチ棒君
853吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 21:35:02
>>852
アホ発見
854吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 21:40:43
>>841
大正解です!!
やっぱり今回も瞬殺でしたね。
もしかしてポストモダンの方ですか?
855吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 21:44:23
673は作家や詩人では誰が好きなの?
856吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 22:01:55
唐突ですが、本の紹介。

小説の解釈戦略:川口喬一 (福武書店)
250ページにも満たないけどオモシイよ。あと、嵐が丘は先に読んでおいたほうがイイ。
最近、新薬じゃない新訳もでたことだしね。
857813=673:2007/09/02(日) 22:57:11
川口喬一はF・ジェイムソン『言語の牢獄』の翻訳者か。
ベケット論は読んだがたいしたことなかったな。
858813=673:2007/09/02(日) 22:58:28
>>850
まあ根拠のない感想とわかってるならそれもいいだろう。
俺についてはオパピちゃんたちのほうがより多く語ってるわけでね。

>>851
ラカンの鏡像段階を参照しといてくれ。
まあ>>841なんかも俺をパパだと思ったのかもなあ。

>>855
やけにストレートで野暮な質問だな。
いろいろいるから選ぶのに時間がかかる。
859吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 23:14:55

まあそう言わずに教えておくれよ旦那
思い当たり次第列挙していって頂戴な
860吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 23:53:40
>>856
それ面白いけどもう絶版じゃないかな?
861吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 19:17:38
>>860
おしゃるとおりでした、福武は絶版。で、みすず書房から出ている模様。
862吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 20:41:25
673はここでも吉田スレの二の舞をふむのかw
どーせまた書物名を列挙しながら思わせぶりな物言いをひとしきり続けたあげく
何も言わずにドロンのパターンだろw
863813=673:2007/09/03(月) 22:32:36
>>859
やけに粘るねえ。どうも好きな作家を5人選ぶとか、
偉大な批評家を5人選ぶとかってのは野暮だと思うな。
好きな食い物を5品選ぶようなもんだろ?
食い物の好みは朝と晩、季節、気分によって変わる。
そういう意味で、文学も食い物とさして変わらない。
今この時で選ぶならば、
ドーマル、シェーアバルト、ランドルフィ、ヴィトカッツィ。
864813=673:2007/09/03(月) 22:41:15
>>862
ハハン! 吉田健一スレでの俺の書き込みによって
よっぽど強烈にインスパイアされたくちかなw
まああの吉田作品のいわば超脱構築的読解は
おそらく文学において初めて目にするところの
間テクスト性スペクタルだったろうしなあ。
865吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 23:05:57
>>863

813 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2007/09/01(土) 00:18:53
20世紀の偉大な批評家を5人選ぶとすれば
ヴァレリー、ウィルソン、ベンヤミンの3人に
ルカーチ、ブランショを加えたところだろう。

うんうん、野暮だなw
866813=673:2007/09/03(月) 23:25:40
>>865
早速ものの見事にかかっちゃってるなw
頼むからちったあ頭を使ってくれよ。
813を書いた俺がなぜ>>863でわざわざ
「偉大な批評家を5人選ぶとかってのは野暮」
だと不必要なことをあえて書いたのかを。
さあわかるかな? やっぱ無理かw
867吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 23:55:05
さあわかるかな、って。
868吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 00:12:09
>>866
お前が3歩歩いたら忘れるからじゃねえの?
869吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 00:12:26
なぜって馬鹿だからに決まってるジャン。
8705:2007/09/04(火) 00:53:42
香ばしいな、最近。
まあ、いいことなんだろうな。
871吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 01:09:55
>>857
>川口喬一はF・ジェイムソン『言語の牢獄』の翻訳者

これ誤訳が多くて読みにくかった。
872吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 01:11:52
673は早く卒論書いて法政卒業しろよ
873吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 02:21:27
673は自ら脱構築を実践してみせてると言いたいのか
はたまた超人のアクロバットか
874吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 04:29:52
定義上673は自分が「テクスト」と言いたいのか
875吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 05:12:22
つーか、こいつのいつもの戯言には飽きたよ
876吾輩は名無しである :2007/09/04(火) 07:38:17
>>863
>>ヴァレリー
少なくとも、ヴァレリーは文学理論は残してイナイと思ふ。
「カイエ」から再構成するなら、話しは別だが。
877吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 11:35:42
コレージュ・ド・フランスで講義した『詩学序説』があるだろ。
878吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 12:28:40
でもヴァレリーを文学理論家として
論じた二次文献は見たことないなあ。
879吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 12:53:41
君の見る範囲が狭かったんだなあ。
ジェラール・ジュネットその他が文学理論を「詩学」と称してたのは、
ヴァレリー以外の誰を範としたってんだい? 
880吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 12:55:21
>>879
アリストテレスに決まってるじゃない?
なぜそこでヴァレリーなんだよ
881吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:02:17
あのな、アリストテレス以来の所謂詩学はもう古びてしまってたの。
それをポイエチックの語源である作る意味にまで遡りつつ
詩だけでなく散文も含む文学の一般理論の意味に拡張したのは、
ヴァレリーの詩学講義からなんだよ。
それをフランスのトドロフやジュネットが受け継いだわけ。
文学史の常識です。
882吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:06:20
文学史じゃなくて文学理論史だろう
トリビアはいいが、どんな作品分析やってるの?
883吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:09:55
文学理論史は文学史に含まれないってのかい?
一般理論だと言ってるのになぜ個別の作品分析を気にするのかね?
ヴァレリーの作家論・作品論だったら『覚書と余談』『ヴァリエテ』などに見られるし。
884吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:26:20
>>881
>ヴァレリーの詩学講義からなんだよ。
>それをフランスのトドロフやジュネットが受け継いだわけ。

お前ホントにジュネット読んだことあんの?
ジュネットなんかはむしろアリストテレスの詩学を読み直すことから
文学理論やってる。ヴァレリーなんかと対立するんだよ。
古びたなんて適当なこと抜かしてんじゃねー。
885吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:32:44
吾輩は673である
ジュネットはまだ読んでない
886吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:42:17
>>884
既に古典であるジュネット「構造主義と文学批評」や
特に「それそのものとしての文学」(菅野昭正の訳題では「文学ありのまま」)における
ヴァレリーへの言及を見ること。『フィギュールI』ほか所収。
887吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:54:40
柄谷行人なんかもヴァレリー好きで、
注意して読むとヴァレリーを批評理論としてところどころで援用しとるわな。
小林秀雄の世代と違って、構造主義以降のヴァレリー受容があるわけ。
解りやすいところで、『ワードマップ 現代言語論』の山田広昭なんかいい例でないの。
888吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 13:59:58
>>886
あれを読んでジュネットがヴァレリーの詩学を受け継いでいる
なんて言うのは、浅薄な理解というほかはない。
ジュネットは構造主義の成果を拒否するヴァレリーに対して
ヴァレリー本人は気づいてないヴァレリーの可能性を
構造主義の思考がむしろ展開しているだよ、と突き返してみせたわけ。
まずは構造主義を分水嶺としてヴァレリーとジュネットは対立すると
みるのが普通だろう。
もちろんジュネットは、構造主義的な理論的洗練を経て
ヴァレリーの詩学の可能性の中心を読み取ったとも言えるが、
それは単純な影響関係や継承関係ではないね。
批判的な読み換えというべき。
他方、ジュネットの文学理論はやはりアリストテレスの詩学が出発点。
邦訳出ているものでは『アルシテクスト序説』を読むといい。

889吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:06:24
>構造主義の成果を拒否するヴァレリー
はて。構造主義を知らぬうちに死んだヴァレリーがどう拒否したってのか。

ジュネットがヴァレリーを批判した点があるなら具体的に挙げてみせて頂戴。
890吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:17:30
ジュネットのアリストテレス再読だって、理論的にはヴァレリー経由だよ。
ヴァレリーも詩学を刷新し拡張したのであって、ことさらアリストテレスと対立するわけではない。

ex.
「ジュネットのいう詩学すなわち文学理論は(彼の念頭にはヴァレリー、
さらには後にふれるアリストテレスがある)」……
大浦康介「文学理論」大浦編『文学をいかに語るか 方法論とトポス』p.19
891吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:17:45
ヴァレリー好きががんばってるのはわかった
彼は政治的目利きだからあらゆる事柄に言及しているが、
それゆえの盲目性が個人的には苦手だ
892吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:19:23
ポエティックを作ることに遡り云々ってのも、
ロマンティークがすでにさんざんやってたじゃん
ヴァレリーはドイツ哲学との対抗関係で読まないと面白くない
フランスの後続世代がドイツ受容を真面目にやってることも加味すべき
893吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:25:01
>>892
ドイツ・ロマン派のフランスにおける対応物については
正にヴァレリーの名を出しながら山田広昭『三点確保』(新曜社)が論じてるね。
894吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:26:16
>>889
>>構造主義の成果を拒否するヴァレリー
>はて。構造主義を知らぬうちに死んだヴァレリーがどう拒否したってのか。

あ、これは書き方が拙かった。
ジュネットが構造主義の成果とみるものを
ヴァレリーは結局拒否したってことね。
つまりヴァレリーは、文学言語の数学化(と簡単に言っておくけど)
と呼べるようなものを目指しながら、晩年それを拒絶したわけでね。

>ジュネットがヴァレリーを批判した点がある
ヴァレリーを論争相手として批判したのではなく、
批判的な読解によって、
ヴァレリーの限界と可能性を見定めようとしたってこと。
ジュネットはヴァレリーを単純に非難したり攻撃したわけではないからね。
895吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:32:27
>>894
晩年の拒絶なんて数学化を目指したのに比べたら知られてないし、
ジュネットもそんな拒絶については全く言及してない。
むしろ、数学化だの非難を浴びた点に、
レヴィ=ストロースとヴァレリーとの共通性があると述べとったわけだ。

結局ジュネットがヴァレリーの「限界」としたのはどんな点なの? そこを指摘してくれなきゃ始まらない。
896895:2007/09/04(火) 14:33:41
訂正 数学化だの →数学化だとの
897吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:35:12
十九世紀末の普遍数学への関心ってやつですか
クーチュラやラッセルのライプニッツ論あたり?
898吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:38:23
そ。アルス・コンビナトリア(組合せ法)ね。>>897
そこがヴァレリーを、ボルヘスやロシア・フォルマリスムや構造主義に接近させるってのが
ジュネットのヴァレリー論の主旨。
899吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 14:46:03
>>895
>ジュネットもそんな拒絶については全く言及してない。

ヴァレリー論のなかにそういう箇所があったと思うけどな。
手元にテクストがないので記憶で述べるだけだが。

「限界」って話は、突き詰めると難しいけど、
ジュネットにしても、ヴァレリーが構造主義者とまでは言わないわけで、
最終的にはそういう時代的な限界に行き着くのかな。

要するに俺が言いたいのは、
ジュネットにとってヴァレリーの詩学は、
文学理論の重要な一源泉ではあっても、
>>879で君が言ってたような範となるべき理論そのものではなかった
ってことだよ。
900吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 21:36:42
頼りない記憶で断言されても困るなあ。>>899
まあ重要な源泉だったってのを認めるならそれでいいが、
それでも「詩学」って名乗りそのものはヴァレリーから取ったのは明らか。
ジュネット以前のヤコブソンやトドロフ経由だとしても、どのみち
フランスの文学的教養においては嫌でもヴァレリーを想起させられる呼称だよ。
901813=673=416:2007/09/04(火) 22:39:18
>>868-869
だから自己投影はやめろって何度も言ってるだろw

>>872
法政? 外れだw
そんなちんけな「読み」では文学作品が読めるはずもない。

>>885
これも外れだw >>416でトドロフと並べて
既にジュネットに言及しているんだがなw

>>871
F・ジェイムソンの翻訳には腰が引けてる訳者が多いかもしれない。

>>873-874
これまでの中では一番近い「読み」だ。なかなか勘が鋭い。
まあ答えは明日にでも書くことにしよう。
今はジュネットのヴァレリー論の流れらしいから。
902813=673=416:2007/09/04(火) 22:40:49
>>876
このレスをきっかけにレスが続いているようだが、
レスアンカーは俺のほうに向けられてたのかw

ヴァレリーに理論性を認めがたいとするならば、
ベンヤミンについてもそういえるのではないかい?
903吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 22:52:58
>>900
独文の素養がないことを誇られても困る
904吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 22:54:13
>>901-902 君がまた出てくると折角まともになりかかった論議の場がだいなしだ。
905吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 22:58:33
>>903
なぜ独文が関係するんだい? >>892に対しては>>893で応答済みだし。
ジュネットと構造主義についてなら取り敢ずフランスの文脈で判断してよいこったろ。
906吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 23:07:47
ところでみなさんは
原書で読んでらっしゃるので??
907吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 23:10:27
邦訳名で挙げてるのに原書で読んでるわけないよ。で、それが何か?
908813=673=416:2007/09/04(火) 23:55:04
>>903
トンデモレスはやめたほうがいい。>>905の言うとおりだな。

>>904
そう思うならスルーしたらどうなんだw
909813=673=416:2007/09/04(火) 23:56:16
ヴァレリーに文学理論あるいは科学性があるかどうかということは
まあさしあたって俺にはどうでもいいと思われる。
というのも、ヴァレリーには両義性があるからだ。
公理系を求めていたにもかかわらず、あるいはそれゆえに
厳密な文学の不可能性と、その探求の不毛性を身に帯びたからだ。

また先に挙げた名前でいうならば、
ベンヤミンにもブランショにも理論性あるいは科学性はない。
E・ウィルソンにおいてもそうだろう。

ではバルトはどうか?
たしかに初期バルトには科学性はあるが、
ロマネスクのほうに向かい、断章形式で綴った後期バルトには、
やはり理論性あるいは科学性はない。
910813=673=416:2007/09/05(水) 00:01:48
それではジュネットはヴァレリーをどう読んでいたか。
これは既に>>886などで書かれているように、
ジュネットはヴァレリーを高く評価している。
>>888の「ヴァレリーとジュネットは対立する」という
レスはトンデモの見本といえるだろう。
911813=673=416:2007/09/05(水) 00:10:18
一例として、ヴァレリーを評価するジュネット自身の言葉を引用しよう。
ジュネットはブランショの言葉を引用した後でこう書いている。

「健康回復のためのこの価値の削減、というか平価切り下げこそは、
ヴァレリーが不断に意図したことであって、現代における文学の
自己意識と実践が、この縮小の努力にどれだけ多くのものを負うかは、
なかなか測りきれない。」(平岡訳)

平岡は「文学としての文学」と簡単明瞭に訳しているけどね。>>886
912吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 00:29:49
すっげーまともなレスやん!
913吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 00:37:56
>>912 
いや、>>911は、わざわざそこを引用する意味が無いよ。議論の流れから逸れてる。
どうせ引くなら以下だ。
――――
周知のとおり次のように書くことによってヴァレリーは、自分の構造主義的な立場を
皮肉まじりに明らかにしてみせた。「かつては見えていた時期があった。私は事物を
ではなく、事物のあいだの関係の形象〔=文彩(フィギュール)〕を見ていた。……
914吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 00:42:33
当のフランスでこの流れが低調なのが泣けるよな
915吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 01:48:25
今の流れって? 生成論(草稿研究)か?
916吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 01:58:01
ヴァレリー厨がふぁびょってる
917吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 02:04:16
あれを読んだか
これを読んだかと
さんざん無学にされてしまった揚句
ぼくはその人にいった
しかしヴァレリーさんでも
ぼくのなんぞ
読んでないはずだ

――山之口獏「博学と無学」
918吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 02:23:44
しかしこの夏の盛り上がりは奴のおかげだな
919吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 02:33:37
愚にもつかぬ内容でも、盛り上がればいいのか。ヴァレリーが泣くよ。
920吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 02:37:51
2005に出来た過疎スレがここ2ヶ月ぐらいで500レス超えてるし
921吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 02:44:45
最初期の方がレベル高い
922673:2007/09/05(水) 03:15:57
俺は脱構築のやりすぎによって遂に脱肛してしもうた
俺はテクストの肛門からひょっこり顔を出したイボ痔であった
この事実は精神分析するまでもないリアリズムであった
フーコー、フーコー、糞コ、糞コ、フーコー、
ミィッシェル、フーコー・・・・・・俺は歌った
説明するのではなく、ディオニュソスと共に踊ったのである

923吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 05:14:26
フーコー脱構築嫌いじゃん
924吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 13:19:30
>>881
>あのな、アリストテレス以来の所謂詩学はもう古びてしまってたの。
>それをポイエチックの語源である作る意味にまで遡りつつ
>詩だけでなく散文も含む文学の一般理論の意味に拡張したのは、
>ヴァレリーの詩学講義からなんだよ。
>それをフランスのトドロフやジュネットが受け継いだわけ。
>文学史の常識です。

>890
>ジュネットのアリストテレス再読だって、理論的にはヴァレリー経由だよ。
>ヴァレリーも詩学を刷新し拡張したのであって、ことさらアリストテレスと対立するわけではない。

これは、トンデモな間違い。
理由は単に、ジュネットがヴァレリーを介してアリストテレスを
読んだ形跡はないから。違うと言うなら、証拠を示してみてよ。
君は、引証好きのようだから。

「詩学」ということではジュネットは、ヴァレリーを意識していた
可能性はあるが、ただそれだけで、ジュネットがアリストテレスを
ヴァレリー経由で読んだなんて、嘘もはなはだしい。
だいたいヴァレリーにまともなアリストテレス読解はないだろう。
ジュネットはヴァレリーなしでアリストテレスを読んだし、
(古代の古典や修辞学の学識ではジュネットのほうがはるかに上)
ジュネットの詩学もアリストテレスが主源泉。その点では、構造主義を
隔てて、ヴァレリーの詩学に対する対抗意識があったとさえいえる
かもしれないし、そこにヴァレリーとジュネットの対立をみることは
できなくはないだろう。

ヴァレリー厨の輩は、なんでもヴァレリーを起源にしたがる口吻が
非常に痛々しいね。
925吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 13:32:53
ドイツロマン主義問題も三点突破で済ませているし、
基本的に日本人翻訳者の解説本を膨大に読んだ人。
前世紀後半の英米も軽視。

でも、ジュネットも言うほど偉いようには見えないんだよね
ポスト構造主義の後、
フランスで分析哲学が流行った動向までフォローしてるのは立派だと思うけど。
926吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 13:44:58
>>925
ジュネットは良くも悪くもアカデミシャンなんですね。
大学教師の枠は出ないけれど、最高の先生という感じ。
ラクー=ラバルトなんかもジュネットからは相当影響を受けたようです。
現代の文学理論をまともな科学として通用させることができた点でも
ジュネットの功績は大きいと思います。

ただ、なかなかそれ以上のものがない。
新たな問題設定や領域を切り開いてパラダイムを一変させるとか
そういう突破力や鋭さがあまりない気がしますね。
本来、批評とはそういう力をもつべきであるはずなのに。

まぁそうはいっても、ジュネットは、このスレの趣旨に照らせば
最高峰の一人でしょう。
927吾輩は名無しである:2007/09/05(水) 14:08:21
良い教師タイプなら、
スタロバンスキーとかの方が、
批評の突破力に敏感な気もするよ
思うにジュネットは、
アメリカの批評理論に対して防衛的なのでは?
928813=673=416:2007/09/06(木) 00:42:48
>>913
そこんところは「皮肉まじりに」というジュネットの形容のおかげで
ニュアンスは微妙だろうにw

>>922
俺になろうと憧れる気持ちはわからないではないが、無理だw
929813=673=416:2007/09/06(木) 00:44:11
>>924
横レスだが、おまえさんの姑息な精神が気にいらねえな。
特にこの最後の2行
>ヴァレリー厨の輩は、なんでもヴァレリーを起源にしたがる口吻が
>非常に痛々しいね。
こんな台詞を吐く人間こそ「痛々しい」な。
なんか余裕がないっていうかねw

それにおまえさんの表現は腰砕けになってきてるぞ。
>>884では
>ヴァレリーなんかと対立するんだよ。
>>888では
>ヴァレリーとジュネットは対立するとみるのが普通だろう。
そして今回は
>対抗意識があったとさえいえるかもしれないし、
>ヴァレリーとジュネットの対立をみることはできなくはないだろう。
ときたわけだ。

まあもっとクールで大きい人間になれ。
930吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 00:48:59
>>927
そうですね。スタロバンスキーも模範的な学者ですね。
スタロバンスキーのルソー研究がなければ、デリダの
『グラマトロジーについて』のルソー読解もなかったでしょうし。

ただジュネットが理論指向なのに対してスタロの方は
豊富な文献資料を駆使する歴史家という印象がありますね。
どちらが良い悪いの話ではないですが。

ジュネットが英米の批評理論に対して「防衛的」というのは
あまり感じたことがなかったです。
単純に、英米の非歴史的な土壌にも通用する文学理論を
フランス発信で確立できたことの方が大きいと思っています。

それよりジュネットは精神分析に対して防衛的かもしれません。
精神分析に対しては見事なまでの迂回があるように感じます。

>>929
>こんな台詞を吐く人間こそ「痛々しい」な。
>なんか余裕がないっていうかねw

まぁヴァレリー厨に絡まれて、平静さを失ってたのは確かですね。
売り言葉に買い言葉ってやつですね。どうでもいいんですけどね。
931吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 00:52:13
千野帽子の中の人はこっち方面の仕事しろと言いたい
932吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 01:19:40
ボヌフォアは?
933吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 02:33:20
誠実だと思うけど、仏文の範囲を超える人ではないと思う
934吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 02:36:09
>>673
さすがにこのスレが多少本気を出すと、書物名の列挙やこけおどしだけでは全く歯が立たないのう・・・
吉田スレあたりに帰って修行しなおすのも一興かと。
935吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 02:59:08
まさにvanishing mediatorってやつですよ
活性化されてよかった
936吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 10:11:16
vanishing mediatorって誰の概念だったっけ?
937吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 17:09:15
太宰か、あるいは村上春樹あたりじゃなかったかな?
938吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 17:11:48
クロカンだろう
939吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 17:15:22
アホか
940吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 17:27:24
シミタケか
941吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 19:04:41
だれそれ?
942吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 19:17:54
知らないか・・・
943吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 19:39:40
>>924 『フィギュールIII』は、見たの?
944吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 19:45:54
>>943
それがどうかしたの?
945とっとこハメ太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/09/06(木) 19:58:09
アンタ等を見てると文学とは実学でないことがよく分かるよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=bNklhy1uedQ
946吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 20:01:03
実学じゃないなんて当たり前じゃないか
困った奴だ
947とっとこハメ太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/09/06(木) 20:10:54
じゃあどうして文学賞の審査員はエラソーなんだ?
テメェ、やるかぁ? コラ。
http://jp.youtube.com/watch?v=5oiu3iGglL0
948吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 20:31:11
>>945
そんなコテだと自殺したくなりませんか?
949とっとこハメ太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/09/06(木) 20:40:27
950813=673=416:2007/09/06(木) 22:28:43
>>934
その「多少本気」とやらが窺われるレスをまず書いてから、
そういう御託を並べないと説得力を持てないんじゃないかなw
それから俺を話題にするなら文学理論・文学批評に絡めてくれよ。
その意味で、>>935は短いレスだが、鋭い。

ジェイムソンなりラカンなりジジェクなりを参照して
俺を「消滅する媒介者」と呼んでも差し支えない。

ジラールなり、あるいは今村でも何でもいいが、
排除される第三項、スケープゴートとしても構わない。

あるいはバフチンなり山口なりに言及しながら
周縁からやってきた道化、トリックスターと見てもいい。
951とっとこハメ太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/09/06(木) 22:42:31
>>950
>「消滅する媒介者」

なんか、本能で解っちゃってるよ、俺。
てか、凄いのか、それ。
当たり前じゃん。
952とっとこハメ太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/09/06(木) 22:43:50
なんかオマエら、大した事ないよね。
953813=673=416:2007/09/06(木) 22:44:10
それから20世紀で注目すべき批評家を5人挙げるとすれば、
以前誰かが書いていたようにバルトでもド・マンでもいいが、
バフチンも外せない存在じゃないかな。
>>813で書いた5人を選んだのは篠田一士だが、
いわば引用のテクスチュアリティを強めたレスだったわけだ。
954とっとこハメ太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/09/06(木) 22:46:13
ペダンチックなスノビズム、それもひとつの芸として認めないわけではない。
955吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 22:49:31
>>953
>>>813で書いた5人を選んだのは篠田一士だが、
>いわば引用のテクスチュアリティを強めたレスだったわけだ。

おいおい、それって引用でなくて単なるコピペだろ
956吾輩は名無しである:2007/09/06(木) 23:26:46
>>954
無能乙
957とっとこハメ太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/09/06(木) 23:33:29
小説とは脳内イメージの表象だ。
その意味において高橋源一郎の売れないことが初めて正しい。
958吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 00:14:13
初めて正しい?
959新スレ立てました(^.^):2007/09/07(金) 00:22:53
【Literary】文学理論・文学批評V【Theory】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1189092029/l50
960吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 00:45:00
>>959
乙! 今度はまともなスレタイで嬉しい!
961吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 10:16:26
文学批評なあ…

ちょっと内容と違和感あるんじゃ

スレ的にはteoryだろ、ここ
962吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 11:02:26
批評理論にして欲しかったが
963吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 11:03:38
>>961
>teory

なんですかこれは?
964吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 12:55:22
ここのスレタイがそうだから、からかったんでしょ

スレ的にはteoryだろ、ここ
965吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 13:06:21
小林秀雄みたいな、
新潮文庫で手に入る「文芸」イメージだよね
嫌な言い方かも知れないけど、
バフチン以前のイメージでドストエフスキー勧めたりするような人
966吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 13:13:22
>>964
なんちゃってtheoryってことね
967吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 13:20:09
小林秀雄はなあ。構造主義以前のイメージでヴァレリーを奨めたり、ね? >>965
968吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 13:57:58
前から思ってたんだけど、
文学そのものの鑑賞はともかくとして、
理論というのは精緻なものであればあるほど
原典にあたらずしてものをいうのはあまりにナイーヴなんじゃないかと。
翻訳のニュアンスってそんなに信用していいのかなあ。他人の解釈だよ。
誤訳の有無って話じゃなくてさ。
969吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 14:10:44
あたってる人とあたってない人両方いるよ
970吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 14:11:34
ただ、原語が乱れ飛ぶと嫌味な雰囲気が出てくるから、
2ちゃんでは日本語をベースに話すべきでしょう。
971吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 14:12:52
小 林 秀 雄 ば ん ざ ー い
972吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 14:39:46
じゃあラカンとド・マンをちゃんとフランス語と英語で読んでる人が
ここにいるんだね。すごいなあ。
ジジェクの本ってもとは何語?知ってる人がいたら教えてほしい。
まさかスロベニア語じゃないよね・・・翻訳いっぱい出てるもんね。
973吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 14:56:41
ジジェク(笑)
974吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 15:01:52
多分コンゴかトーゴだろ?
975吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 15:35:34
>>972
読むだろ
煽りとして稚拙すぐる
976吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 15:57:46
何のために煽る必要が?至極まじめだよ。そんなくだらないことしないよ。
上のほうで、「翻訳に決まってるだろ、それが何か?」みたいな
人がいたから、みんなそうなのかと思ってきいてみただけで。
ところで戦略的に考えれば、スロベニア語なわけないよね。
wikiででてるのはみんな英語だから、実は英語なのかな。
実際にジジェクを翻訳じゃなくて読んだ人のカキコ
お待ちしてます。
977吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 16:09:54
その文脈での「すごいなあ」はかなりの高率でアイロニーだからさ
もし文学理論そのものに興味あるなら、
外国語2つ以上は基本だと思うよ
978吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 16:11:11
で、原文で読むとどう違うかって感想が聞きたいの?
翻訳のレベルの話に終始すると思うけど……
長原豊は糞、みたいなデフォルト話とか
979吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 16:13:27
あと、上のように書いたけれども、
二昔前までは日本文学の人が理論やると批判されがちで、
それはあまり良くないと思った印象があるから、
翻訳だけで理論を語る人がいてもいいと思う。
980吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 16:14:19
つまり、「理論そのもの」ではなく、
理論を分析に生かす場合ね。
じゃないと二次文献の山に埋もれて終わる。
981吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 16:40:07
理論より文学作品そのものの方が、よっぽど原語での読解を必要とする筈だがね。
理論はもうちょっと言語の枠を超えて普遍的であるよ。
982吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 16:59:21
もちろん、それは言うまでもない前提ですよ
983吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 17:03:49
でも>>968は「文学そのものの鑑賞はともかくとして」なんて言ってるし、わかってない感じ。
984吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 17:07:41
私は968に反論?しているだけなのでそこは知りませんよ
985吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 19:41:41
>>969
理論スレでそういうこと言っていいのかな?
986吾輩は名無しである:2007/09/07(金) 23:59:20
>>985
なんで?事実だろう
987950=813=673=416=401:2007/09/08(土) 00:37:02
>>955
いや、記憶に頼ったから、コピー&ヴェーストじゃない。
そして、もし篠田一士が書いた文と俺が書いた文とが、
まったく一字一句違わなかったとしても、
ボルヘスのあの驚くべき短篇「ピエール・メナール」にあるように
異なる時空というコンテクストに置かれたならば、
それは別の意味作用を働かせてしまうのだよ。
だから、幅広い意味での「引用の織物」となるわけだ。
たしかこういうタイトルの本を書いた批評家もいたな。
988吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 00:55:11
落 ち 目 の 表 象 文 化 論 に つ い て
989950=813=673=416=401:2007/09/08(土) 01:04:44
>>968
小説、詩、戯曲、批評。
これらのジャンルの中で最も原典参照が必要のなのは詩だろう。
もちろん小説の中でもフィネガンズ・ウェイクのような特別な作品もあるが。

もし外国語に精通していなければ、ナイーヴさを甘受するしかない。
ただし文学的なセンスがなければ、たとえ語学が堪能であっても、
翻訳書以上にその作品を読めるわけじゃない。
翻訳書を読むときに大切なのは、余白における原典への想像力だ。
990950=813=673=416=401:2007/09/08(土) 01:25:27
>>976
ジジェクには詳しくないが、一体何ヶ国語に通じてるんだろうな。
初期のものにはスロヴェニア語の作品もきっとあるんじゃないか。
フランス語の作品があってもおかしくないだろうし。

しかしもう新スレが立つとはね。予想以上に進行が速いな。
991吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 01:29:54
井上真央は?
992吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 02:05:15
>>988
表象文化論て文学理論に関係あるの?
993吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 03:03:15
良スレになってきた(~o~)
994吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 09:40:15
表象文化論は東大色が強すぎたために普遍性をもてない
995吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 11:40:09
ところが表象文化論という名称の授業は増えた
色々な大学のシラバスを見るとわかる
996吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 15:42:51
だから東大の権威に右ならえのアカデミズム内でしか浸透しない
997吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 15:48:26
英米の視覚文化論の代わりの名称だよ
998吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 17:14:13
視覚だけではないから表象なんだが
999吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 17:16:34
999
1000吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 17:16:42
999でやんす
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