1 :
吾輩は名無しである :
02/10/13 00:08 ニュークリティシズム以降の文学理論全般について。 理論に対する理解を深め、読解の視点を増やして行きましょう。
2 :
吾輩は名無しである :02/10/13 00:14
で?
まず入門書の紹介から T.イーグルトン『文学とは何か』 ラマーン・セルデン『ガイドブック現代文学理論』 田辺保・三野博司・荒木映子 編『文芸批評を学ぶ人のために』
おもしろそうなスレですね。 活発な議論を期待します。
文学理論って大学でどれくらい教えられているんですか? 今でも文学教育の主流というわけではなさそうですが。
>>4 どうも、是非参加お願いします。
>>5 遅くなってすみません。
用事をしながら考えていたのですが、
3で挙げたラマーン・セルデンの『ガイドブック現代文学理論』を
一定のペースで読み、話し合ったり質問し合ったりするというのはどうでしょう?
>>6 僕がいた大学では選択の授業であったぐらいですね。
しまった、上記の本は調べたらアマゾン.コムでも4週間以上かかるようです。 上のは1週間くらいだと思って書いてしまいました。 ちょっと余裕を見て5週間取ると11月18日辺りから 始める事になりますね。 この本は6章に分かれているので二週間で1章ずつで約4ヶ月。 議論しながらだと読むのに調度良い期間だと思います。 少し気の長い話ですが、皆さんどうでしょう?
あの…、一通り読んでしまっているので、 各自で軽く読んでおいた上での議論がしたいのですが。
>>9 なるほど、では大体の時代順に議論して行く
という形式で良いんでしょうか。
そうなると伝統的批評の確認から始めた方が良さそうですね。
伝統的批評というと、どの辺りになるんですか? 伝記的批評とか印象批評などでしょうか。
>>11 はい、代表的なのは正にその2つでしょうね。
現代では常識と化した理論を改めて学ぶのは有益だと思います。
では、まあ気楽にやっていきましょう。
次からは名無しで書きます。
伝記的批評や印象批評の代表的な批評家というと誰に当たるんでしょうね。 ロラン・バルトと論争したというピカールなんかも含まれるんでしょうか?
14 :
吾輩は名無しである :02/10/16 20:22
age
文学部唯野教授よりもまともな議論をしてくれよ、1とかをる(藁
かをるは新刊情報だけの自動スクリプト
…『ガイドブック現代文学理論』がまだ手に入りません(泣)。 私がスレに参加するには、もう少し時間が必要かも。 あと、基本的にsage進行で行きませんか? 荒れないように、私も次から名無しで書きます。
教えて君ではプライドが許さないかをるはちくまスレに帰れ 自分の書き込みが荒れる原因だとわかっているなら最初から名無しになれ マジキモイ
18=印象批評派
18=小林秀雄
さるスレは落ちちゃったの?
18 :かをる@半可通 :02/06/25 18:54 人権板…自分の常駐板だったりして(笑)。
24 :
3分の理論 byキューピー :02/11/03 12:52
シクロフスキー上げ
25 :
吾輩は名無しである :02/11/21 04:33
なぞなぞ
「文学の科学」というものがあった。 バルトの『物語の構造分析』などがその発端だったんだけど、結局ジュネットあたりの興隆で語られなくなった。 でも、文学研究が瀕死になっている現在、ここに生きる道の一つがあると思うんだけど。
>>26 流行の「カルスタ」についてどう思いますか?
あれって”文学研究”と言えるのかいな…。
>>27 なんか僕が出てると荒らしがくることがあるので、Sageでこっそり回答します。
カルスタは、人文科学の主流にならなければならないと思いますよ。
でもそうなると、現在の「文学研究」自体、崩壊します。
現在の文学研究は、「作家研究」とか「作品研究」がありますが、「事実」の調査(例えば作家の生涯)は、
歴史学(文化史)で代替可能です。むしろ合併したほうが、費用が減って望ましいかもしれません。
事実の調査以外に、文学研究には批評的(感想的)なところがあります。
これははっきり言って、研究ではないです。
人文科学にとってはほとんど有害です。
というのも、感想に対しては、開かれた議論ができないからです。
今までの文学研究は、三好氏のパラダイムが生きていて、その中の内輪の議論に終始しているだけでした。
実際のところ、北大のカルスタで有名な中山氏は、自分の専攻を近代文学とは言わずに「文化史」と言っています。
これは慧眼だと思いますよ。
(ちょっと、舌足らずで申し訳ない。また聞きたいことがあったら書き込んでおいてください)
29 :
吾輩は名無しである :02/11/29 03:07
ageで書こうぜ、面白くなれるスレだ。
>事実の調査以外に、文学研究には批評的(感想的)なところがあります。 >これははっきり言って、研究ではないです。 >人文科学にとってはほとんど有害です。 あんた滅茶苦茶言ってるね。「批評」を「感想」で置き換えるなんて。 批評は、れっきとした文学ジャンルの一つです。 F・シュレーゲルとか読んだことないの? あんたが言っているバルトやジュネットは作家研究(伝記の問題)が 文学作品を読むうえでいかに不十分なのかを言うために 作品の構造や形式の分析がいかに重要であるかを述べたわけでしょ。 これは非常にまっとうな文学理論や文学研究だと思うし、 科学としての正当性もある。とるにたりない印象や感想文を一掃するために、 文学作品は可能な限り構造化すべきだとも思う。
31 :
吾輩は名無しである :02/11/29 12:49
>>28 研究論文と批評を単純に同一視してるなら大間違いだが、
文学研究に感想的なところがあってそれが有害だというのはまあわかる。
大学の紀要に掲載されてる論文あたりになると、とても読んでられないのがあるからね。
「これはお前の主観だろうが」って突っ込みいれたくなるのが。
32 :
吾輩は名無しである :02/11/29 14:27
しかしぃ、感想を取り除いて客観的にしゃべれる部分だけ残していくと 結局文学ではなくなってしまうんだな。少なくともそうなりがち。 突き詰めたら突き詰めた分だけ他所の学問の論文みたいになってくる。 学際的ななんかの論文みたいな感じで。 でもってそれを説明するのに文学という言葉は必要なくなっちゃう。 結果、学史だけ残ると。
33 :
吾輩は名無しである :02/11/29 19:11
でも感想をまぜないと文学を研究できないとしたら、最悪ではないかな。 そういうことやってるかぎり、理系や社会科学のテクノクラートみたいな 連中が出てきて、だから文学なんて学問じゃないんだ、さっさと大学の 学科を廃止してしまえ、というようなことを言わせてしまうことになる。 文学がテクストの決定不可能なものとして最終的には語り得ないなにものか として残るとしても、それをまさに問うためにこそ形式的に突き詰める という作業が第一に重要になってくる。少なくとも内在的な構造分析と 十分な文学史、文学理論の知識を身につければ、文学をそのものとして 研究する余地はいくらでもあると思う。個人的にはジュネットやヤウス、 イェール学派などの仕事があまり読まれなくなっているのはちと淋しい。 ポスコロやカルスタの「文化史」的アプローチなど、まさに文学と遭遇 することを回避するためのイデオロギー装置になっているのではないか。
34 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/11/29 20:13
>>30-33 書き込みありがとう。掲示板ではあまり詳しくかけないので、どうも困ってしまう。
まず、「研究」と「批評」はまったく別のものだと考えています。
研究は、理性を使用すれば誰でも同じ結果を導くことのできるものであると思います。すなわち(人文)「科学」です。
逆に批評は、その批評者個人だけに根拠を置くもので、誰でも同じ結果を導くことはできない。
31も言っているけど、紀要には本当に読むに耐えないものが多い。これは上で言った「有害」の一例です。
科学として誰でも共有できる形態を備えていれば、有用です。
しかし、表向きは「研究」(=科学)とは称しているものの、ところどころに「批評」(=感想)が出てくるものが多い。
要するに、「研究者」(=科学者)なのにもかかわらず「批評家」(=芸術家)のようなものに憧れているのでしょう。
そんなに批評を盛り込みたかったら、サラリーマンである研究者などやめて、孤高な批評家になれ、と言いたい。
これは巷に溢れている文学研究者(大学教授など)の大部分に当てはまります。
筆一本の批評家として生きていく自信も能力もないため、サラリーマン(=大学教授)として糊口をしのぎつつ、紀要に批評めいた文章を載せる・・・。
情けないの一言ですね。
こういう連中のために、紀要には人文「科学」に徹しきれない感想文が幅を利かし、ほとんど役に立たないものにしているのです。
文学など「役に立たなくていい」と考える研究者・研究者志望者に一言。
紀要などに研究もどきとして文を掲載するのではなく、文芸批評として出せ。
その勇気がなければ、科学者として、サラリーマンとして、まっとうな研究人生を歩め。
糸圭秀美と山城むつみにも一言。
お前らは大学に就職した時点でサラリーマンなのだから、これ以後「批評家」を気取らないこと。
(ちょっとアルコールが入っていて申し訳ない)
作家がテキトーに書いたものから構造を取り出して、分析してみたところで、何か不毛な印象は免れない。 ま、「学問」として成立させるためにはやむを得ないけど。 そういうわけで、個人的には文学理論から離れて久しいわけですが、経済学が物理学のモデルを取り入れて「科学」として認知させようと躍起になったように、文学にも同じコンプ?を持つ人がいるというところか。 決して、意図的な煽りではないので、誤解なきよう。
36 :
吾輩は名無しである :02/11/29 20:26
タバスコ・・・そんな思考の持ち主とはガッカリだよ。
大学院生なのか? 違うよな。基本的な現代思想をぜんぜん知らないみたいだもんね。
少なくともポスト構造主義以降の批評は「感想」なんかとは無縁だよ。
誰のどういう批評を念頭に言ってるの? マジで知りたい。
>紀要には本当に読むに耐えないものが多い。
禿しく胴衣。「時間の無駄」というか、オレは最悪板みたいなもんだと思っている。
>>35 >作家がテキトーに書いたものから構造を取り出して、分析してみたところで、何か不毛な印象は免れない。
たとえばハスミの「小説から遠く離れて」は日本の「作家が家がテキトーに書いたものから構造を取り出して」
優れた日本的物語論=天皇論になっている。不毛かどうかはそれこそ批評によると思われ。
37 :
吾輩は名無しである :02/11/29 20:31
ハスミの一連の著作が学問・研究だとでも思ってんの?
このスレROMってると、名無しは卑怯だと感じるな
>>37 その一部は「批評」です。いや、きみらが批判したい「感想を交ぜてる研究」
ってのはどういうモノ? たとえば?
>>38 なぜ?
40 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/11/29 20:40
>>36 批評と一言で書いたけど、念頭にあるのは「近代批評」です。
あと、大学院は行くのをやめた。(「研究」が嫌なので)
>>36 、37
蓮見さんは批評家だと思う。少なくとも批評文に「元・東京大学学長」のはやめてほしい。
他の大学教授をかねている批評家も同じ。批評文を書くとき(出版するとき)は「教授・助教授」を入れないでほしい。
教授という社会的な地位を利用して、批評(ここでは近代批評)を売るのは卑劣の一言に尽きる。
社会的肩書きではなく、自分個人の責任で売れ、といいたい。
>>39 「感想を交ぜてる研究」とは、大学紀要に腐るほど載っている「研究」のかなりの部分です。
それらは個別の名前を持っているようには思えないので、名前は挙げられません。
それれは一本、二本、と数えるのではなく、10g、20gと量ったほうがいいでしょう。
42 :
吾輩は名無しである :02/11/29 20:44
批評でメシなんて食えないよ。 よく分からんが、大学院逝ってないのに「紀要は読むに堪えない」とはいかなる意味でしょうか?
>>40 ちょっと言葉が滑ったかもしれない。基本的には30の驚きを共有して
しまったということ。タバスコの真意は読めた。アルコールを楽しんでくれ。
「批評」の意味するところに誤解があっただけだな。びっくりしたよ。
しかし、たとえば奥野健男あたりの駄目さ加減は強烈だしね。
かといってカルスタが面白そうには見えないがな・・・これは好みか。
44 :
吾輩は名無しである :02/11/29 20:52
紀要や学会誌以外に発表しようがないものだっていっぱいあると思うが。
45 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/11/29 20:53
>>42 学部の卒論でも、紀要なんてガンガン読むでしょ。
それから「大学院逝ってないのに」は、「大学院いっていない奴は紀要について語る資格はない」ということですね。
君は言論を、それ自体の正しさではなく、言論とは関係ない「資格」を持ち出して評価したいようだが、
それは要するに、君が僕の言論の中身に一切反論できないからだろう?
君のような小物はサラリーマンである研究者が相応しいです。
批評でメシが食えないのは当然。
メシのタネは他で探すこと。
だが、文学研究と兼ねては絶対にいけない。
うん。「紀要が読むに堪えない」というのを反駁するのは かなりの冒険だと思われ。
いや、単純に、紀要は研究者志望しか関心はないでしょう?(研究者はすでに関心がない)。
48 :
吾輩は名無しである :02/11/29 20:58
名無しだと都合がイイネ。
>>43 カルスタは確かに面白いようには思えない。
だけど、文学を「研究」(=科学)するなら、これ以外に方法はないんじゃないかな。
ちなみに僕は、(研究の場での)小森陽一氏、中山昭彦氏、金子明雄氏、紅野謙介氏あたりを評価しているよ。
文学研究が三好行雄の呪縛を一刻も早く逃れて、科学になってくれることを祈るのみ。
そして、研究と批評はまったく違うものだと認識されるようになってほしい。
50 :
吾輩は名無しである :02/11/29 21:04
確かに、紀要はその研究者集団に属しているという「資格」が重要な媒体ですね。 別に紀要を擁護するつもりもないが(w
>>49 作品も研究も批評も、文学の地盤沈下ははなはだしいからね。
(小森陽一しか読んだことないから、詳細はよくしらないが。)
個人的にはショシャナ・フェルマンというラカン派の
「狂気と文学的事象」というのはメチャメチャ面白かった。
精神分析が文学を扱う、なんていうと研究者は厭な顔するね、きっと。
読書としてはオススメ。
52 :
吾輩は名無しである :02/11/29 21:07
>>40 >社会的肩書きではなく、自分個人の責任で売れ、といいたい。
というかセンチメント入ってないか?
責任の所在を表明してるだけと取れなくもない。
それに著作ブツはやつらにとって「業績」なんでしょ?
立派にサラリーマン的だよ。
松浦寿輝の立場が・・・小説まで書いてるし・・・
>>52 「やつら」とは批評家のことを言ってるのかな?
だとしたら、それら自称「批評家」はサラリーマン的であります。
サラリーマン的な批評家は、批評家の名に値しません。
それから、業績を重ねて、その業績で次の本を売ろうとする「批評家」もクズでしょう。
業績などといった社会的な評価ではなく、その場その場で発する言葉で売れ、と言いたい。
55 :
吾輩は名無しである :02/11/29 21:19
それは不可能なんだよ。 文筆活動も一つの社会的なシステムの中にあるんだからさ。 ハスミにしても一高の教師だからあんなふうにやれたんではないの。
「やつら」というのは大学からお給金頂戴してるやつらのことです。 >その場その場で発する言葉で売れ 日本でちまちまやっててもダメじゃないかな? あと、批評家ってのはコマーシャリズムの産物と割り切ってるから 居ても居なくてもどっちでもいいや。
状況論ですねこれは。 やれやれ・・・
58 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/11/29 21:29
>>55 今は文芸批評だけで食っていく人間がいなくて残念だ。(実際はいるだろうが、僕はあまり知らない。これも残念)
上でも書いたけど、スガも山城も大学に就職してがっかりしています。
蓮見氏も学長になどならず、逆に大学から撤退していたら、僕は(批評家として)崇拝したかもしれない。
>>56 >批評家ってのはコマーシャリズムの産物と割り切ってるから
今はコマーシャリズムの自称・批評家しかいないからでしょう。
>>57 そうだね。でもしょうがないよね。
正直、学者先生は翻訳だけやっててくれたらいいよ。
まだ、そんな状況じゃね?
でもさ。かつてですら批評で食った人いるの? 小林秀雄とか、吉本隆明くらい? そんな「状況」で大学で食ってることを非難しても・・・ 何か大学に対してのルサンチマンを感じてしまう。
61 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/11/29 21:41
>>60 >かつてですら批評で食った人いるの?
あまりいないでしょうな。
でも、食えないからと言って、研究と兼務すると今みたいな酷い状況になります。
(酷い状況:研究と称し紀要へ感想交じりの「研究文」を載せる、文学系大学院を出て路頭に迷う奴が増える、など)
さっきも書いたけど、生活の糧は別で得て、批評はそれ自体としてやるのがいいと思う。
>>61 60の言うように、タバスコのレスは大学の既得権益を持っている人たちへの
ルサンチマンを感じさせるよ。独立法人化されたら、無意味な業績を重ねるだけの
研究者は淘汰されていくんじゃない?
研究が酷いとしても「批評」にとっては関係ないとも言えますね。 あなたの考えでは、批評はそれ自体、自立的(自律的)なんだろうから。 大学人でないと共感できませんね。
江戸時代まで戻っても幕府講談所とか昌平坂学問所とかの官立学校か 民間の趣味人の個人研究かで、いまとそう変わらないでしょう。 なんか国の境を越えられないよね。 この際、日本人の読者の存在は無いものとして、最初から英語で書くとか しないとユニバーサリティは生まれてこないし、ユニバーサリティのない学問 なんて価値ないでしょ。国文・国学は別としても。
>>62 まあ、正直言って、ルサンチマンはあるかもしらん。
実は昔、東大の院を落ちてるので。(しかも二次の面接で)
>>63 僕は大学人ではないですよ。大学院にも行っていないから。
文学(と近代批評)を愛する者です。
それこそ紀要には英語やフランス語のアホな論文がわんさか載ってるわけだけどね。
>>66 ああそうか。
そういうのはコロンビア大とかパリ大とかの図書館に配布されてないの?
されてないならすればいいよ。
そういうことには税金使っても構わないから。
68 :
吾輩は名無しである :02/11/29 22:21
文学のエッセンスって言うのは理論とは別の所にあるものに 含まれてるんじゃないのかなぁ 作品を離れて文学なんか論じられないのは、一切の音を介さずに 音楽を論じられないのと同じでしょ。 文章とか物語についての理論が文学なんじゃないもの。 最終形が作品なんだから個別の作品を一切排除して論文書くのっておかしい。 科学的って言うのは作品の個体性なんか持ち込まなくても説明できるって ことだから根本的に文学そのものにはなり得ないんじゃないのかな でね、だから文学理論ていうのは文学研究ってことにはなっているけど 実際のところ「文学」の外側にあって文学を分類する必要?からやってるわけで 文学そのものの研究じゃない。むしろ文学を直接対象として扱っているのは 批評なわけよ。 批評こそ文学部でやるべきじゃないかと思う。 批評はもう別作品だって言うけど、扱ってるものが個体性を持ったもので それを捉える行為自体が個別的であることを認められてるなんだから、 その研究が作品と別のものになったってぜんぜん構わないはずだと思うの。 肝心なのはそうやって科学的でないことを受け入れることじゃないのかなぁ 芸術なんだから。それが人文「科学」なんだよ。 ここでこう在るべしって言われてるような理論てのはむしろ 補助的なものとして学部の中にあるべき。
69 :
吾輩は名無しである :02/11/29 22:31
>>68 理想としては分かるけど、そうなると、批評以前に感想文を書く
勘違い野郎をますますのさばらせてしまうことになるのでは……
批評の学問性とは何か、ということはすごく難しい問題だけれど、
そんなものないと言う前に、もっとよく考えてみる必要があると思う。
それをちゃんとやってる文学研究者は、日本の大学の文学部にはぜんぜん
いないみたいだけれど。
70 :
吾輩は名無しである :02/11/29 22:36
そうか俺の言ってるのは批評じゃなくて感想文か。
71 :
吾輩は名無しである :02/11/29 22:36
>>69 それをちゃんとやってる文学研究者は、日本の大学の文学部にはぜんぜん
いないみたいだけれどと断言する根拠はどこにあるのだろう。
大学人が皆、批評以前の感想文を書いているとは思わないのだけれど。
>>68 極めて興味深い意見です。
恐らく、君と僕はある程度の前提を共有していて、話はスムーズに進みそうです。
まずこれ、「批評こそ文学部でやるべきじゃないかと思う。」
批評・文芸創作(Creative Writing)・ライティングの授業は、「文学」の主要な教育にしなければならないと思う。
今では早稲田・日大(芸術学部)など少数の大学で開かれているだけだけど、これを増やしてほしい。
大学卒でさえ、日本人の文章はめちゃくちゃです。(w
従来の「研究」は解体して、歴史学(文化史)や社会学(カルスタ)に取り込めばいいです。
つまり、ライティング中心の創作(芸術)と、科学的調査中心の科学(研究)ははっきり分別して、別の組織にしてほしい。
現に、美術の場合だと、創作と研究はまったく別物です。(研究の中に批評が混じるという欠点は同じだが)
あと、スレ違いだという人間がいるかも知れないので、あらかじめ説明。
文学理論のカルスタの話題→カルスタは研究の中心→研究と批評の違い、という流れなので、ご容赦を。
>>71 ごめんなさい。とくに根拠はないんですが。私が無知なだけかもしれない。
そういう研究で、注目すべき日本人の研究者がいたら、むしろ
教えていただきたい。
75 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/11/29 22:44
>>69 「批評の学問性」について私見(上で書いたことの繰り返しになっちゃうけど)
批評に学問性があってはいけません。
「批評」(近代批評)は「個人」が中心の営為です。
「学問」は研究と同じで、「社会」の中で初めて意味を持つものです。
この二つをごっちゃにしたものが、今の紀要にあるような醜悪な「研究論文」です。
76 :
吾輩は名無しである :02/11/29 22:46
どこの学問でも文系はみんな、研究してるようでいて実は学問体系という 様式の中で論文という作品を書いているだけなわけで、 文学のばやいは批評的な文章がその学問体系として機能してるんじゃないかと。 いわゆる理論というのは理系がやってる科学で これもどの文系学問でも内部で研究分野という扱いに化けてる。 どう?こういうの。
77 :
吾輩は名無しである :02/11/29 22:53
73, 75 でタバスコの言っていることは矛盾している。 批評・文芸創作に学問性がなければ、そもそも大学で教育することなど できない。少なくとも教育は、ある種の手順や方法や体系的枠組みを前提 としている。それをしっかり説明できなければ文科省の官僚や大学内での コンセンサスを得てお金を取ってくることはできないでしょう。
78 :
吾輩は名無しである :02/11/29 22:54
>>76 もう少し詳しい説明希望。とくに最後の三行は言っていることが
分からない。
>>77 「創作」は学問ではないです。
大学で教育しても、カルチャーセンターで教育しても同じです。
>批評・文芸創作に学問性がなければ、そもそも大学で教育することなどできない。
逆に聞くが、「学問性がなければできない」という根拠は何?
創作なんて昔からカルチャーセンター・専門学校などで教えられてきたけど、大学的学問は不要でしょう。
批評に付随する知識を大学で得ることはあるかもしれないけど、「批評を書くこと」自体に学問は関係ないと思う。
>ある種の手順や方法や体系的枠組み
上でも書いたように、美術を教える(絵を描くことを教える)ことと大して違わないと思うが。
>>78 俺もちょっと文章変だなと思った。
文系科目の実情というものの中には文系的な作業と理系的な作業があって、
その中で科学的な事をやってる理系的な作業というのは一分野という扱いで
学問体系の中に埋もれてしまってると。
で文系的な作業というのはどこの分野でも批評みたいなものになってて
文学は特に例外という訳ではないんじゃないかなオモタ
「『文学』における理論と批評の関係の、他分野での実際」
>>80 なるほど。いい解説だ!
僕も何を言ってるのかよくわからなかったので、仕方なくワインをゴクリと飲んだわけです。
82 :
アンチ☆ニヒリスト ◆a9ChINOVJ2 :02/11/29 23:51
>>33 さん他、このスレッドのみなさまへ
柄谷行人が、昔、漱石を引っ張り出してきて、文芸を科学することの必要性と不可能性を
語ってましてよね。
結局、「科学」の定義が曖昧なままで議論をしても、生産的な議論は行えないと思うのですが。
どうでしょう?
>逆に聞くが、「学問性がなければできない」という根拠は何? 素朴な質問になるけど、タバスコは、文学作品や批評や芸術の創作物の 善し悪しは何で決まると考えているの? 学問性が必要なのは、少なくとも 感想文やたんなるお喋りの類を退けることができるからだし、そうでなければ なにやってもいいってことになるからでしょう? そういう混沌のなかでは教育は意味をもたない。なぜなら、教育は、客観的に 学ぶべきものがあるときにこそ可能になるのだから。 美術を教える(絵を描くことを教える)をずいぶん簡単に考えているよう だけれど、絵を一つ描くのでも、美術の歴史や理論から、実際に書くだんでの 高度な職人的技術にいたるまで、学問性や科学性といった客観的な基準や方法を 必要としないものなどなに一つない。 素人にはいくら同じようなデタラメの絵に見えたとしても、ピカソの抽象画と 素人の思いつきの絵とでは、ぜんぜん違うということの理由は、 そういう学問性が背景にあるからでしょう。 カルチャーセンターで有閑マダムが暇つぶしの自己満足で創作している次元と、 専門家が学問的客観性を意識しながら「何が最高の芸術か」を 真剣に考えている次元とでは根本的に異なるのでないですか。
門外漢なんで、よく分からないんですけど、美術の価値ってのはアカデミックな基準があって、その基準に到達したかどうかで決まるんですか? あたかも、体操やシンクロで審査員が点をつけるように。 10点、10点、9点、9点、10点みたいな・・・ ピカソもそういう意味で、「客観的に」すぐれているの?
>>82 アンニヒは自称秀才なんだから議論にうまく合流しなさい。
「科学」について定義はされてないけど、語るに足る文脈はいくつもあったよ。
その文脈に乗るか反るかして、自説を書いてくれ。
>生産的な議論は行えないと思うのですが。
いま交わしている議論を「生産的でない」かのように示唆するのはやめてくれ。
きみ個人の思う「生産的」議論を得たいなら、対話的な相応のレスをつけて
そっちへ引っぱっていくのが良いかと。
「何が最高の芸術か」なんて、誰がわかるんだよ。 そんな粗雑な言葉使いをするところが 如何にも雑な印象を受けるなぁ。
87 :
吾輩は名無しである :02/11/30 00:28
「何が最高の芸術か」なんて、誰がわかるんだよ。
>専門家が学問的客観性を意識しながら「何が最高の芸術か」を >真剣に考えている次元とでは根本的に異なるのでないですか。 よくこんな文章書けるよな・・・
書き込み失敗。失礼。
>>86 >「何が最高の芸術か」なんて、誰がわかるんだよ。
83 の要点は「より良い芸術」を考えようとする意識のないところには
なにも生まれないということでしょ。括弧つきで書かれてある点に注意。
90 :
吾輩は名無しである :02/11/30 00:37
批評や研究というのは、芸術作品の優劣を決めることではありません。
君の言う「学問性」とは要するに、ある制度・集団に属する者が持つ共通の知識、であると理解した。 「客観的に学ぶべきもの」ということからや、「そういう学問性が背景にあるからでしょう」もそれを裏付けると思われる。 (実際には「客観」などないのだから、「擬似客観」(=間主観性)なのだが・・・。ここではおいておく) そういう「学問性」は「パラダイム」と呼ばれている。 パラダイムは知識を制限することもあるが、パラダイムのおかげで生産性があがるとも言える。 上の研究状況の議論との関係で言うと、今は三好行雄のパラダイムからカルスタのパラダイムへ移動していると思う。 ちょっと君の文が長くてどこに答えていいかわからないので、最初の部分の質問に答えておきます。 文学は一応、二種類に分けます。 「純文学」の価値(良し悪し)は、どれだけこれまでの文学あるいは世間と離れたものが書けるか、にあると思います。 「大衆文学(エンターテイメント)」の価値は、どれだけ既存の価値観を美しく見せることができるか、だと思います。 要するに、エンターテイメントは楽しめればよく(価値が高く)、純文学は逆に既存の価値への挑戦に価値があります。 「芸術」とは、純文学的なものをいうと考えております。
芸術だからまず自分が評価しなけりゃならない。 それからその次に他人に評価させたい。 でも評価の基準は違うわけじゃない? 違うけど共有しなけりゃいけないから 学問としてハッキリしなくなりますね。 だから学問としては共通の評価の場を構築するっていう仕事が 科学的な視点で取り組むときのその実体になるんジャネーノ? その上にお絵かき教室としての機能を実現させるんだよ。
94 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/11/30 00:46
>>84 91でも書いたけど、客観的な基準なんてないです。
勝手に(恣意的に)決めるものなんです。
たいていは「権力」が決めます。
「文学史」などを制定し、何がよいものかを勝手に決める研究者の集まり(=大学)はまさにその権力です。
それがいかにも「客観的」であると思わされるのは、恐ろしいことですよ。
客観などなく、間主観だけがあるというのは、そういうことです。
ゴッホがなぜ生前に評価されず死後評価されたかと言うと、生前はそういう擬似客観(パラダイム)がなかったからです。
研究のパラダイムが変わったからこそ、評価も変わるのです。
だからピカソが「客観的に」優れているとは言えないですよ。
>>90 じゃあ何をしているのか。新しい作品が出てきたときに、善し悪しを
含む評価を下すことが批評ではないのか?
セザンヌの絵よりモネの絵の方がいい、というような議論はバカげているし、
美術の研究がたとえ古典の吟味にあるとしても、
その背景には死屍累々たる無数の凡作を退けてきた批評の歴史への追認が
前提とされているはず。
>要するに、エンターテイメントは楽しめればよく(価値が高く)、純文学は逆に既存の価値への挑戦に価値があります。 >「芸術」とは、純文学的なものをいうと考えております。 これも一つの価値観だからさぁ・・・ 既存の価値に朝鮮ってあたりにむしろ手垢がついた紋切り型を感じるのは自分だけだろうか? 朝鮮してないものは切り捨てられるわけだ・・・
>>95 価値の判定といっても優劣とは限らないでしょ
俺は批評の様式に作品を変換してるんだと理解してる。
>>96 僕に来た質問なので、当然僕の「価値観」が書いてある。
手垢がついていることは知っているが、自分でいろいろ考えてたどり着いた結論なので、別に構わない。
そこらの評論家の言ったことをオウム返しにしているわけではない。
挑戦していないものでも、エンターテイメントならOKと上で書いてあるが・・・
でも、タバスコは批評と研究を厳格に分類することで、むしろ「権力」を擁護しているように見えるね。 批評は芸術だから、アカデミズムにとらわれなくてよい。研究は研究として、厳密にアカデミックにやるべきだ(感想を排除して)、みたいな。 結局、カルスタだろうが、なんだろうが、「権力争い」に過ぎないのでは?
>>97 いちゃもんをつけるつもりはないけれど、優劣を含まない価値の判定が
あるとしたら、どういうものになるの? どれほど無味乾燥な作品の分析
も作品のどこかに着目して強調するきっかけ(+評価であれ−評価であれ)
がないと批評にならないと思うんだけど……。
すでにエンタメとの「価値の序列」が前提としてあるし。
デリダも西欧文学のビッグネームしか取り上げない、なんて批判されていたしね。
むしろ「権力」に立ち向かうためにこそ、アカデミックな知(科学性でも 学問性でも間主観性でもパラダイムでもなんと呼んでもいいけど)を身に つけなければならないんじゃないの? 客観性が「権力」だと言い張ったところで、 「客観性」をまとったアカデミックな知の効力が なくなるわけじゃないでしょ。
>>99 君はなかなか鋭い。
確かに、ある主張をすれば(さらにそれに同調者が出てしまえば)、それは言説となり「権力」(フーコーの言う)を帯びてしまう。
しかし、今の文学部文学科の状況を見れば、厳密なアカデミック(科学)を持ち込んだほうが有益だと思う。
(有益とは、現実的な利益のことで、税金の無駄遣いを防ぐなどです)
>結局、カルスタだろうが、なんだろうが、「権力争い」に過ぎないのでは?
ここで言っている「権力」は、ただの派閥争いだと思う。フーコーの「権力」とは違うでしょう。
上でも書いたように、「パラダイム」間の闘争になるかと思います。
派閥争いと、「権力」闘争は厳密には区別できないと思う。 それは、あなたが引用するフランスの状況を見ても明らか。
106 :
吾輩は名無しである :02/11/30 01:17
知の欺瞞で爆撃されたのっていつだっけ。
厳密なアカデミック(科学)とやらが、かつて成立したことがあったかどうかをまず問うてみることの方が、むしろ。「批評」的だな。
作品の価値の決定が、つまるところ権力闘争であるとしたら、 われわれには何ができるのでしょうか。 やみくもに作品をつくってたまたま権力者に認めてもらったやつ が運がよい、というだけのことなのでしょうか。 文学など権力者の道具にすぎないことになる。 そのとき、作品そのものに抵抗の可能性などどこにも見いだせないと思う。
抵抗の可能性を見いだせるかどうかはともかく、つまるところは権力闘争に過ぎないと思う。 もちろんそういう言葉は使わないにせよ。
>>108 文学に限って言えば、権力は「後追い」的に文学を丸め込んできたような気がする。
例えば、太宰なんて昔は不良が読むものだったけど、今じゃ教科書に載っている。(尾崎豊もそう)
権力側は、「堕落」を疑似体験させることで、実際の堕落を禁止させようとしているのかな?
決して丸め込まれない「ヤプー」なんてすごいと思うけどね・・・。
(今日はもう寝ます。なかなか楽しい時間でした。おやすみ)
ちょっとレス
>>109 そうそう、「文学」なんて、権力の産物です。
(おやすみ)
私には「つまるところは権力闘争に過ぎない」という言い方は 思考の放棄にしか聞こえません。 次に出てくるのは、 作家はつねに権力者(同時代であれ死後であれ)の意向(資本主義社会 ではクライアントとか消費者であったりするんだろうけれど)を気にしながら モノをつくったほうがトクだ、というような日和見主義的な発想だと思う。
後追いである以上、つねに「隙間」があるわけで、そこで、抵抗の可能性に賭けるしかないでしょう。 しかしそれはほとんど困難な夢にしか過ぎないとも言い得るわけで・・・
抵抗の根拠を社会科学に求める文学。 あープロレタリア文学は現実を前に敗北したわけですが。
115 :
吾輩は名無しである :02/11/30 02:08
文学の価値が「権力闘争」に依存しているということは、文学そのものに自律 的な意味はないし、ましてや文学そのものを研究することなど、権力者の手先 に奉仕するようなもんだ、ということになる。 やっぱり大学の文学部はさっさと廃止して、人間科学や国際文化などに改称して語学の 下位分岐に組み込んだ方がいいということになってしまう。 しかし権力が「後追い」だとしたらその先にくる「文学」って何ですか。 いろいろと矛盾があるようで理解できないが、そこに文学そのものの価値(おおかれ すくなかれ普遍的であるべき価値)があるのでは? 漏れは文学の自律性というものを信じたい。 文学理論はそれを学問的に追究すべきなのでは?
権力っていうのは、学界の権威とか歴史を正しいとしている権威とか ある芸術を価値があるとしている権威とかそういうものが持っている力のことだと思うよ。 単なる鑑賞者であっても自分が何を美しいと考えているかを主張することで 自分に係る権力に抵抗しているとも言える。 捉え方として権力を持ち出すのはありじゃないのかな。 ただその権力が閉じたものになってしまうと学問は意味が無くなる。 だから科学的にやれというような話がスレの最初の方で出た。 でもそれは不可能というようなことも出た。 で、どうする。
抵抗の文学なんて社会科学、自然科学の知識が無ければ大予言と同じようなモノ? プロレタリア文学は労働者の権利向上の意味はあったのかな? 木村の「文学」が経済政策に取り込まれて文学部卒業者が路頭に迷う現実。 やはり可能性なんて大予言と一緒だな。
118 :
吾輩は名無しである :02/11/30 23:21
流れを無視して申し訳ないが、作品の価値や優劣を論じるのが、批評で あり、研究であるという趣旨の書き込みが多いので、あえて言う。 それは、批評でも研究でもない。 批評とは、作品に隠された意味や意図、文体やリズム、作品の構造 などなどを解きあかすことであり、それは「優劣」や「価値判断」 には直接、結びつかない。 書評は価値を云々する部分もある。 ただ、書評と批評は違うものだしねえ。
ここまで無駄レスの少ないスレも珍しい。 体脂肪のほとんどない筋肉質な肉体のようだ・・・ はっ これが 無駄レス・・・
>>118 このスレの議論は、言葉の定義が個々人でブレまくっている。
最初からよく読めば、なんだ、当たり前じゃん。と納得することしきりの
リーダブルな主張だったりする。
>作品の価値や優劣を論じるのが、批評であり、研究であるという趣旨の書き込み
これは現在の大学内で流通している「だらしない近代批評」を指しているのでは?
このスレ住人はその「だらしない近代批評」を否定したがっているわけだから、
118と立っている場所はほぼ同じと思う。
121 :
吾輩は名無しである :02/11/30 23:39
>>120 「だらしない近代批評」vs.「優劣を論じる批評」なのだとしたら、
私は前者をとるね。
近代批評がもしだらしないとしたら、それは方法論が間違っている
のではなく、研究者がだらしないだけではないの。
それに、現存する批評家・研究者が全て「だらしない」とは私には
思えないのだが・・・
122 :
吾輩は名無しである :02/12/01 00:21
例えばA、Bという二作品の優劣を論じるとしても 評者の内部で特定の基準が確立されており、 その事による価値判断が社会的に妥当であると認定されなければならない。 また、こういった価値判断が作品A、Bに適用される事の妥当性も問題になる。
ちょっと問題の措定が間違っていると思う。 >「だらしない近代批評」vs.「優劣を論じる批評」 このスレ文脈では、両者はイコールです。 だらしない主観的感想や批評を含む近代批評 に対して、対抗馬は、 ポスト構造主義以降の文学研究、と、 文化史的なアプローチのカルスタ、があがっているようだ。 っていうか過去ログ読んでくれ。
124 :
吾輩は名無しである :02/12/01 00:51
近代批評=プロレタリア文芸批評 主観批評=印象批評 とすると必ずしもイコールとは言えないよ。
>>122 ああ、そうか。わかりました。
120は、「近代批評」=「優劣を論じる批評」と言っているわけか。
なるほど。
でもねえ、そもそも「優劣を論じる」なんてどこからでてくるの?
そういう批評家がいるとすれば、たしかにアホだし、「だらしない」
と言われて当然。
ただ、そういう批評家が圧倒的に多いとは、とても私には思えないの
だけどね。
126 :
吾輩は名無しである :02/12/01 15:30
優劣を論じることが批評の最低条件であって、 くだらない作品を罵倒(勿論それによって批評家 自体の優劣も判断されるわけだが)することで、一般 読者を啓蒙していくことに存在意義があるのではない のか?でなければ、批評自体が唯の文学研究(作品、 作家の客観的な分類あるいは位置付け)に過ぎなくなるのでは?
作品の優劣を論じる文芸時評は特殊なもので 明治期には政治結社の機関紙でもあった文芸誌の特殊性に由来する。 どちらかといえば文学研究の方が本流。
128 :
吾輩は名無しである :02/12/01 16:30
優劣というより一定の尺度で比べるために別な言語に翻訳するのが批評なんだよ。 でも一定の尺度なんか無いからそれを万人共通であるべく維持するのが研究だし 勉強だな。批評家はただ自分が培ってきた尺度に作品を当てはめるだけ。それが 出来るように普段から勉強してる。 で、たまに既存の尺度で測れない作品が出てくるから尺度そのものを書き換えなきゃ いけない。それをやらせる作品はすごいと言われる作品だし、尺度を書き換えた 批評家なり文学者はそれを業績として認められる。新しい作品が無くてもより良く 書き換えをやれるようだと良い批評家と言ってもらえるんじゃないかな。 でも今の腐れ批評家は批評のために批評をやるから作品なんか読んでない。 つーか読めない。文学作品に接しながら「批評を語る」様でないと意味なし的。 日本文学の衰退はやつらが原因。全員逝ってよし 常に作品を正面に置きながら批評はやるべき。
↑>日本文学の衰退はやつらが原因。全員逝ってよし そうか? もしそうだとしたら、騙される奴が悪いんじゃないの?
130 :
吾輩は名無しである :02/12/01 17:08
優劣を論じるのはいかんの? 個人的には、辻仁成が如何にくだらないか、ということを証明する理論を ぜひ定式化してほしいと思うんだが。
131 :
吾輩は名無しである :02/12/01 17:20
>>130 辻仁成がなぜくだらないとされるのか、
だったらある程度考察できると思う
132 :
吾輩は名無しである :02/12/01 17:23
133 :
吾輩は名無しである :02/12/01 19:04
そんなにくだらないか?
134 :
アンニヒ ◆a9ChINOVJ2 :02/12/01 20:08
>>85 ボクの書き方が悪かったです。
>>30 さんが既に科学を定義されてますね。
ボクが言いたかったのは、科学の定義の共有のされ方が曖昧、というか不徹底では、
議論をしていてもわけがわからないモノに終始してしまうだろう、ということ。
議論の対象になっている言葉が指し示すモノが、人によって食い違っていては困るので、
レス30さんの定義をみなさま共有しましょう。
これで議論にうまく合流できたかな?
135 :
吾輩は名無しである :02/12/01 21:00
「科学」っていうとすぐ物理学や化学などの自然科学や数理科学と 結び付けてしまうひとがいるからね。文学理論や文学研究などの 人文科学も十分に「科学」なわけで。91 のように安易にパラダイム なんて言い換えるのも問題ある(あれももともとは自然科学の科学論 での用語だからね)けれど、 まあ、話をややこしくしないために、とりあえずは、 「大学や学術制度によって歴史的に認知され確立した基準・尺度をなす 認識の枠組み」 ぐらいに思っておけばいいと思います。
136 :
吾輩は名無しである :02/12/01 23:29
「科学」というためにはある程度の客観性・論理性をもっていなければ ならない。 しかし、作品の「価値」や「優劣」は極めて主観的なものにすぎない。 客観性・論理性を有するものが、批評であり、研究。 それをもたないものは「科学」の名には値しない。
137 :
吾輩は名無しである :02/12/01 23:51
「文学」と「科学」を結び付ける、ってまったく突飛な考えだね! けんきゅうしゃ以外、世の中の誰がそんなものを必要としているのだろう?? それに「文学」を「文学的」に語る、っていうのも何か語義矛盾を 犯しているような・・・ 「文学的」な言語なんて確固たる土台なんて持っている(持ち得る)のか?
>けんきゅうしゃ以外、世の中の誰がそんなものを必要としているのだろう?? 誰もしてないよ >「文学的」な言語なんて確固たる土台なんて持っている(持ち得る)のか? 持ち得ないよ 文学は「芸術」だからね と他スレでも俺・・・
139 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :02/12/02 00:05
>>137-138 「科学」というのは、物理や生物をすぐ思い浮かべて、例えば数式を文学に当てはめる、と思っているかもしれないけど、
ここで言う「科学」とはそういう自然科学を指すのではないです。
科学とは、「合理性」を根拠にしてある物事を判断する基準のことです。(文学では「作品の読み」など)
その「合理性」は人間には誰にも備わっている(と仮定されている)ので、合理性を基にすれば、
「客観的」(これも実は擬似客観だが)な議論ができるのです。
文学がおもしろいとかつまらないとかいうのは、「主観的」な判断、つまり感想なので、誰かと共有することは困難です。
それに対して、科学は「客観的」(繰り返すが擬似客観である)なので、誰かと共有することができるのです。
上の繰り返しになるけど、客観を根拠にするのが「研究」で、主観を根拠にするのが「批評」だと考えています。
140 :
吾輩は名無しである :02/12/02 01:16
マルクス主義の文脈で語られる事が多いが 普通に人文科学、社会科学というジャンルがある。 カルスタなんかに限らず文学作品を社会意識(階級意識)の反映と看做し 計量可能なモノ(あるいはテクスト)として考察する思考は 昔からあったわけだ。 こういった基底還元論的手法に異議を唱えたのが 小林秀雄だったりチボーデといった保守派論客で その根拠として個人の内面の絶対性が主張された。
>>140 で、そうした個人の内面や主観の自律性を芸術のよりどころにするのが
ロマン主義から連綿と続く、「批評」の根拠だったんだけれど、
構造主義やフォーマリズムが暴露したのは、そうした意味の源泉である
ような内面が作品や物語の形式の効果として生ずる神話にすぎないって
ことだった。バルトにせよジュネットにせよリファテールにせよ
ここから文学研究は科学化の様相を帯びてくる(1960年代以降)。
おおざっぱに構造主義の文学批評ね。
で、それを補完するように、テクストの表層に徹底してこだわる
テーマ批評(リシャールなど)も流行るわけだけれど、構造分析にせよ
テーマ分析にせよ、これらは後に高度に理論的な洗練を経てあまりに
複雑になったもんだから(ディコンストラクショニズムが典型)、
後出のおおかたの文学研究者たちは付いてゆけず、
他方で構造主義的分析は歴史を否認しているというような批判も強まり、
だんだん歴史主義的アプローチが盛んになってくる
(ニューヒストリシズムね)。
で、PCやらサブカルチャーやらの外的要因が
「古典」や「正典」の分析に終始する文学研究に対する反省
と結び付いて、いよいよ文学を「社会」や「歴史」や「政治」の諸要素
へと還元し解体しようとする動きとして出てきたのが、近年のポスコロ
やカルスタの流行になる、というわけ。
まあ、文学研究は、反動の一途をたどっているといってよいでしょう。
どうかな。 構造主義的な分析手法もある意味マルクス主義的な露骨な還元手法に対する「反動」だったといってもいいんじゃないかな。 「科学」の名において自律性を擁護しようとしたとも言える。 学説の整理もある意味その人のよって立つ地盤を明らかにするね。
>「科学」の名において自律性を擁護しようとしたとも言える。 構造主義の作品分析が擁護しようとしたのは、テクストの自律性であって 内面や個人や作者の自律性ではない。その意味で「マルクス主義的還元手法」 にも(小林秀雄やチボーテになどの)ロマン主義的な主観批評にも対立する。
ロシアフォルマリズムは「ブルジョワ的」だということで弾圧もされてるんだよな。
構造主義はマルクス主義の歴史主義にも対立します。 まあ、マルクス主義的構造主義というものもあるので この場合のマルクス主義とはロシアマルクス主義や ルカーチ主義といった方が適切でしょう。
決定論対非決定論とも言える。 構造主義にせよ、マルクス主義にせよ、決定論でしょう? 小林秀雄らはいずれにも対立するでしょうな。 決定論者からすると「反動」ということになる。
>>146 何の何に対する決定のことなのでしょうか。
記述が省略されすぎていて、それだけで比較するのは
無意味だと思います。
>>147 はげどー!!!
あわれ146はどうでるのか・・・つづく。
いや、哲学的には構造主義もマルクス主義も「決定論」という意味では大差ないでしょう? 「主体」は何程でもないという感じがある。 一方、小林秀雄は自意識と存在の対決を軸とする近代批評を創始したと言われていますが、個人の内面の絶対性を放棄していないことは確かです。 それは、決定論者からみるとあまりにロマンティック(反動的に)思えるかもしれない。
>149 だからあなたの言う「決定論」って何ですか? 構造主義は、文学作品の構造や形式そのものを文学の自律性と考えるという 意味では、何か外的な別のものが「文学の価値」を決定するという「決定論」には なっていない。 むしろ決定論になっているのは「文学の価値」が「個人の内面の絶対性」 ないしは個人の自意識や意思に依存する考えるような小林秀雄流の 主観主義批評の方だと思います。なぜなら「内面の絶対性」が批評の根拠を を決定できると考えているからです。
>>150 初期の構造主義者たちは決定論的に操作できると一刻は確信したでしょう。
それはどのようにしてなったかというと普遍性に頼ったからでしょう。
科学だと例えば、電子と陽子と中性子という普遍的な物体の組み合わせで
金になったり鉄になったりしますね。だから「普遍」を突き止めれば科学からの
アナロジーで科学的に説明が出来ると踏んだわけです。
あまねく在るものに依拠している限り決定論的であるといえるでしょう。
ところが、あまねく在るものを叙述するのは不可能だし、あまねく在るものが不変で
あるとは限らないということになってきて決定論的構造主義は挫折したのでしょう。
また構造と形式は違うでしょう。「形式」をよく用いたのはデリダだと思いますが、
彼がポスト構造主義者として数えられるのは以上の理由からでしょう。
>>151 仰りたいことはおおよそ了解しました。
とはいえ、ひとくちに構造主義といっても
レヴィ=ストロースのもっともリジッドとされる構造概念でさえ、
可変性をあらかじめ考慮した定式化をしていますので、単純に「決定論的」
と要約することはできないでしょう。
(つまり「浮遊するシニフィアン」の機能です。)
よく言われることですが、構造主義とポスト構造主義との区別は
ジャーナリスティックな符標でしかなく、理論的には「ポスト構造主義」
であった人などだれもいません。実際、デリダはサルトルを批判したようには
構造主義をけっして攻撃してはいません。
ともかく、
>>149 あたりの発言から確認しておきたいのは、構造主義の
画した理論的功績がもはや否定しえぬものである以上、個人の内面の絶対性
というような19世紀的語り口は、徹底して放棄されるべきだということです。
(大学の紀要に感想文や印象批評のたぐいがいつまでも無くならないでいるのは
まさにそうした悪影響の残滓だと思います)。
なぜなら、もし非決定論的なアプローチがあるとしたら
「内面の絶対性」における主意的な自由などにではなく、
テクストの内的形式の決定不可能性においてこそ見出されるべきであり、
それこそが、構造主義以降の、構造主義の限界として、
いまもまだ十分には突き詰められてはいない問いの所在だからです。
153 :
吾輩は名無しである :02/12/13 04:52
誰か議論続けてやってくれ
154 :
吾輩は名無しである :02/12/15 20:27
タバスコは消えたの?
>>154 いや、いるけど、ちょっと興味とは外れているので静かにしているだけです。
156 :
通りすがり :02/12/16 23:07
荒らしかもしれないけど、カキコしちゃうぞ。ウッキャキャッ まぁ、嫌だと言われてもするけどね。 面倒臭いから、最初からは読んでないよ。メンゴメンゴ! 議題が煮詰まってきてるようだけど、やっぱり、創作者と読者の価値・理論はわけて考えた方がいいんじゃないかなぁ。。 人それぞれだけど、実際には、創作者は絶対的な価値で、読者は相対的な価値、って感じじゃない。 創作者からすれば、創作する楽しさ・価値。要するに、本能的欲求の充足。って感じでさー。 読者からすれば、テクストの価値っていうのも含めてね。 批評は、例えば美術だとレンブラントの偽物を見分ける為に生まれた。とか聞いたような・・。 その批評家が、値段を付け、経済効果を生み、作品の価値を決める。 でも読者からすれば、そんなのどうでもいい話で、美学生でもないから無視無視。ってここはそういうスレなのかな? 出版するしない、批評に関係なく、物語や文章を書く奴はいるだろうしね。(オナニーとして) フロイトも、自由な性活動が不可能な人間社会において、性行動を昇華するために芸術が生まれた・・・と言ってるしさー。 としたら、芸術とはセックスの代償であり、オナニーとも言えるでしょ?まぁ、フロイトなんてどうでもいいか。 だから、芸術は「個人の内面の絶対性?」ってのからは抜け出せないんじゃない。 哲学も現代では結局、世界を自己のもとに回収したいという欲望。単なる自己追求的な昇華手段のようなもの。にすぎないんじゃない。 >>タバスコ 文学がおもしろいとかつまらないとかいうのは、「主観的」な判断、つまり感想なので、誰かと共有することは困難です。 そのリアル感の共感への試しみが、現代芸術でもあるんじゃない? たぶん外れてたり、上の人とカブってたりすると思うけど、構わず続けてくださいよ。
158 :
吾輩は名無しである :03/01/06 02:12
AGE
159 :
吾輩は名無しである :03/01/06 06:45
スベテ ノ シュッパンブツ ニ メ ヲ トオス コト ハ フカノウ ダ ト ダレ ガ イッタ ?
160 :
吾輩は名無しである :03/01/08 07:07
タバスコ カムバック!!
161 :
吾輩は名無しである :03/01/08 07:55
特殊化の果てにあるのは緩やかな死
久しぶりに来たけど、とまってるね。 つーか、漏れの勝ちやん。プッ八ッハハハ!
163 :
吾輩は名無しである :03/01/09 00:42
優劣判断は絶対条件だと思うけどなぁ。 制作行為に於いては必ず「優れた物を作ろう」とする意識が働く。 また、作品受容に於いても同じ。 優劣判断を停止することは創作行為そのものの否定に他ならないと思う。 優劣判断を主観的であるとして否定し、客観的な批評を求めるというが、 そもそも創作行為はその思想であれ、表現手段であれ、その選択は 常に主観的なものにすぎないだろう? 何故に客観的でなければならないのだろう? 文学研究に客観性を求めることなどナンセンスだと思うね。 批評行為とはそれ自体が文学的、創作的、価値創造の行為であって、 それは作家の創作と同じく根っこは主観性に由来しているんじゃないかな?
今はちょっと忙しいのだが、ここ数日のうちに理論を使って書いた小論文(リポート)を掲載します。 3,4年前、学生のころに書いたやつです。 議論活性化のために、一石を投じるつもりです。
165 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :03/01/11 23:21
議論を活性化させるために、文学理論を応用した小論を掲載しました。
みんな知ってる村上龍の『限りなく透明に近いブルー』論です。
学生のときレポートとして書いたものでちょっと古いし甘いところもあるけど、
文学理論を如何に使うかということで読んでください。
今では文学を論じるのはやはり批評しかないのではないかと考えているので、
こういう小論自体が世に出ることに意味があるとも思えないが、
まあ、世間に文学部が存在し文学理論を学んでいる人がいる現状を見て、
ちょっとだけ公表してみようという気になりました。
(文学理論に対する基本的な考え方はこのスレの上のほうにあります)
http://members.goo.ne.jp/home/tabasco-bungaku/main (このサイトの「文集」に小論があります。)
166 :
吾輩は名無しである :03/01/11 23:47
>165 どのあたりに文学理論が応用されているのでしょう? 応用というのは、基本を習得した上で、一段上のこなれた 使い方ということですよね?締め切りに追われた学生の やっつけレポートとは根本的に異なるでしょ?
168 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :03/01/11 23:56
>>166 「応用」とは「Apply」のことで、「基本の上位」という意味ではない。
理論に対する応用、ということです。
例えば、ヤコブソンみたいなのを理論言語学で扱い、第二外国語習得論みたいなのは応用言語学で扱う。
理論を現実に適用してみるという意味です。
「どのあたりに」ということだけど、全体がそうじゃないか・・・。
「はじめに」をちゃんと読んでるのか、と突っ込みたくなってしまうよ。
レヴィ=ストロースを知らない人はちょっと分からないかもしれないけど。
(文学理論を学習する人は、レヴィ=ストロースは基礎です)
ちょっとやっつけ気味の部分もあるけど、まあ多少は時間をかけて書いた。
169 :
吾輩は名無しである :03/01/12 00:07
ですから、理論の習得ままならぬ者に応用はありえないと 今あなたは口にしているわけですね? ですから、私はあなたを文学理論の習得者として 「とりあえず」受け入れたわけです。 しかし、私のその好意的対応を大きく裏切る 駄文を見せつけられた日には、読むのにかかった 2分を返せとも言いたくなるというものです。 大体、言ってるそばから文学理論の基礎にレヴィ=ストロースを 置くというのは一体いかなる了見でしょう? 基礎というからには、レヴィ=ストロースは文学に ついて何らかの定義づけをなし、体系的な著作を ものしていないといけないはずですが、そのような事実を 私は寡聞にして知りません。あなたの知っているひどく パーソナルな基礎をパブリックなものに広げられては 皆が迷惑というものです。2分返してくださいよ、ほんと。
170 :
吾輩は名無しである :03/01/12 00:14
>169 まぁ、そう言うな。きっと中学生のときに書いた 文なんだからさ。中学生にしてはよく書けてるん じゃないの?
171 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :03/01/12 00:23
タバスコが必死でググっているともっぱらの噂のスレは ここでしか?
俺の素朴な疑問いいかね? タバスコって人が実際に知識があるのかどうかは、知らないけど、 二項対立って別にほかの人の名前持ち出すまでもなく、普通に 同じ意味で流通しているわけでしょ?で、えらそうに前置きした あとに出てくる結論が、子供と大人の間で誰もが感じる葛藤の 物語ってことだったら、別に理論なんかいらねーじゃんって思っ ちゃうんだよね。
昨日、タバスコがSEXにしてもなんにしても すぐ制度制度と言うから、 それが制度になっているよ、と指摘した者だけど・・・ このレポートじゃ、 このスレが立った頃にした議論が、全部台無しだね。 あんた、レヴィ=ストロースすら、まともに読めてないよ。 これを公開して、みんなが感服するとでも思ったのかな・・・? あんたという人間がわからなくなってきたよ・・・ ちょっと工藤くんに似てる。
>>173 きみが指摘するとおり、タバスコには権威主義的な傾向があるよ。
これじゃ、美香とはうまくいかないね。
176 :
吾輩は名無しである :03/01/12 00:43
レヴィ=ストロースの固有性って一体何なんでしょうねえ? この「宿題」の中の「レヴィ=ストロース」を「奥野健男」に 入れ替えてもなーんにも問題なし。 奥野武男は太宰論の中で上昇と下降という二項対立を 用い〜 ね?いっしょいっしょ。
177 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :03/01/12 00:43
>>172 上で挙げたサイトの管理者・西田谷さんはかなり優れた研究者だ。
知らない人のほうが多いけど、認知科学を文学理論に取り込もうとしている。
ヨーロッパの理論を輸入販売するだけが仕事の「研究者」の数段上を行く。
ただこの人は東洋大学→金沢大学大学院と学歴的には傍流のためか、学閥社会では評価されていないのかも知れない。
これから文学理論を研究しようと思う学生は、この人に注目しておいたほうがいいです。
>>173 その通り。「誰でも感じる」なら理論はいらない。
でも、「誰でも感じる」ことはどうやったら確証を得られるんだい?
そういう「感じ」は個々人に差があって一定していない。
だから、誰もが共通して使えるものさし(=理論)が必要なわけだよ。
近代以降、誰にも「理性」があり、その理性を使えば誰もが同じ結論に達する(と信じられてきた)。
理性を基礎にしたものが科学(人文科学も含む)で、そこで理論が生まれる。
だから理性を基礎にした理論は、誰もが同じ結論を得られるということになっているんだ。
これはスレの上で議論した文学研究(=科学)と批評(=感覚・感想)と関係しているので、そこも読んでください。
>以上のような雨、赤ん坊、海中都市、プール、パイナップル、トマトといったものが「水中」に属している。 >では「水中」とは一体何を表わしているのだろうか? >それは、リュウやリリーがこれまで生きてきた世界、堅く守られた自分たちだけの満たされた世界である。 どうしてこう確言できるわけ? 自分で書いてておかしいと思わないの? 信じられない。
>>175 身かも権威主義者だけどな。
香具師がアフォだから気づかないだけで。
180 :
吾輩は名無しである :03/01/12 00:48
理性じゃなくて単なる統計な。
>177 は?いくら俺があほでも、その程度のことは自明で、 誰も理論全般の否定なんかしてないじゃん。 君が書いたレポートごときもののために理論が 必要なら、そんなものいらねーよっていうあてこすりを 言ったわけだ。理論はひとまずいいからさ、その程度の キャッチボールができる賢さを身に付けてくれよ。 このスレの流れ、君、猛省すべきところだよ? だーれも理論そのものの無効性なんて言ってないの。 君のレポートの出来のことを問題にしているわけだ。
182 :
吾輩は名無しである :03/01/12 00:50
にしてもタバスコマンは半端な権威主義者だ。
タバスコは思春期真っ只中なんだょ。
もう眠いから、質問だけしておくね。 1.どうしてブルーをレヴィ=ストロースを用いて読まねばならないのか? 2.レヴィ=ストロースの神話をめぐる論考は、二項対立の有効性を示したものなのか? 3.よしんばタバスコ流二項対立が、小論上のように区分けできたとして、 それがブルーというテクストの固有のあり方に、どう迫っているのか?
185 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :03/01/12 01:02
>>178 >>181 >学生のときレポートとして書いたものでちょっと古いし甘いところもあるけど、
>文学理論を如何に使うかということで読んでください。
ちゃんと読め。
このレポートが優れていると思ったから公表したわけではない。
文学理論の応用について話題を提供しただけだ。
上でも書いたが、文学研究するなら理論は必須、だが、そもそも文学研究自体無用だと考えている。
それは文化史として歴史学の一部になるか、カルスタとして社会学の一部になるかのどちらかだ。(両方でもいい)
それから「権威主義」ということだが、どこからその結論が出るのか分からないなあ。
僕は「権威」を崩壊させるために、敵の理論を勉強したようなものだ。
全く逆なのだよ。
独善とか言われたら理解できるが、権威とは全く縁がない。
(僕には投稿規制があるようなので、頻繁にはレスできなくて申し訳ない。それから、今日はもう寝る)
186 :
吾輩は名無しである :03/01/12 01:07
ハイハイ、退散と。 文学理論の応用について話題を提供するなら、 ちゃんと応用したものを提供しろと。 それだけのことなのに、どうしてこうもごちゃごちゃと 言葉が返ってくるのかなあ?ま、いいや、君には 興味がないよ。
187 :
吾輩は名無しである :03/01/12 01:44
文学研究っていうのは歴史研究と通じるところがあるよね。
せっかくタバスコが書き込んだのにろくなレスがつかなかったな。。。 名無しの好戦的態度は他板でも有名で、これが文学板の人口減の原因だと思うが。 気に入らなきゃ無視してレスつけなきゃいいんだけどね。 タバスコの提案が悪かったのか、名無しがただの煽りだったのか、どっちでもいいがもっと建設的にいこうよ。
>>188 あなたはタバスコの宿題を読んだ?
レスの応答がひどいんじゃなくて、あの小論が噴飯物なのよ。
タバスコは
>>184 に「建設的に」答えてよね。
>>189 読んだ。宿題にしては出来がいいんじゃないかい?
俺はブルーの論文は何本も読んでるけど大抵小説内の風俗とか村上自身と関連させたものが多い。
論文のアイデア自体は独特なものだと思う。
確かにあのままで学会誌に載せると言ったらボツになるレベルだろうが。。。
宿題にそこまで要求してはいかんだろう。
タバスコは「無知」とか気に障る言葉を使っているので反感を持つ人間が多いだろうが、論の内容自体は別に噴飯という程のものではないと思うが。
感情的なレスをするとスレが荒れるだけなのでつまらなかったら無視してくれ。
191 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :03/01/12 14:08
>>184 回答:
1. レヴィ=ストロースである必要性は全くない。その理論自体が合理的に批判でき、理性を使って他人と共有できる形式ならば、何でも構わない。
例えば横山やすしの理論を使ってもいいが、寡聞にして横山が理論を発表したことは知らない。
だから一般的に流通しているレヴィ=ストロースの理論のほうが、多くの人と共有しやすいわけだ。
2. これも1と同じなのだが、有効かどうかはどっちでもいい。それが誰でも理解できる開かれた形式であることが重要なのだ。
3. ブルーに固有のあり方など、最初に存在しない。読者が何らかの視点からテクストを読んだとき、初めて何かが現れる。
これはテクスト論の基礎かと思うが、視点がなければテクストも存在しない。
その視点はなんでもよく、今回はたまたまレヴィ=ストロースを選んだだけだ。
>>176 が「奥野健男」でも同じと言っている。全くそのとおりで、視点なんて何でも構わない。ただ、結論が同じになることはない。
それから184は質問ばかりしてないで、何か「建設的」な意見を述べて場を盛り上げなさい。
現時点ではダサスコが優勢
193 :
吾輩は名無しである :03/01/12 14:23
まあ普通にタバスコが勝つでしょう(w
>>191 >レヴィ=ストロースである必要性は全くない。
だったら何故あなたはレヴィ=ストロースから論を始めているのか?
「誰でも理解できる開かれた形式だから」とか言うんだろうけど、
既に多くの人が言ってるように、「誰でも理解できる開かれた形式」、と
あなたが言うところの二項対立を説明するのにレヴィ=ストロースを
持ってくるのは必然性がない。
あなたは単に自分の論に箔を付けているだけにしか見えないよ。
195 :
吾輩は名無しである :03/01/12 14:48
ふふふ。笑ってしまふ。 まず一つ。タバスコは決定的にレヴィ=ストロースを読めていない。 レヴィ=ストロースの仕事は、民話を構造的に分析すると、二項対立のコードに還元でき しかもそのコードが衣食住などの人間の基本的な文化を教唆する力があることを 証明したところに、価値があるわけ。 二項対立は、たまたま民話を当たったら出てきた様態の一つでしかないのよ。 それを理論と取り違えている時点で、残念ながらDQN決定。 しかもレヴィ=ストロースはその二項対立を使って、民話の機能を解き明かしたわけだけど、 タバスコは分析が何ら結実していない。 あんたのは、レヴィ=ストロースみたいにケーキを半分に切りました。 ほら二つになったでしょ、と言っているのと同じ。ばかばかしい。何も出てこない。 そもそも民話を分析した手法を、なぜそのまま龍のブルーに適用できると盲信しているの? 現代思想だろうが、何だろうが、「これを使えば読める」理論なんて存在するわけないじゃない! ラカン信者ですら、そんな妄言を吐かないよ。デリダぐらい知ってるでしょ。 3.の問いは餌だからね。釣れますた。 「ブルーに固有のあり方など、最初に存在しない」 そんなことは自明、常識。 ただ、そう言いきると、テクストについて批評するテクストの優劣なんてことを 全く言及できなくなる。すると、タバスコがこのスレで繰り広げてきた 「オレはこんなにも文学理論を知ってるから、オマエラより優れたことを言っているんだ」という身振りが まるで無効になっちゃう、という仕掛け。あらあら。 それにね、テクスト論って微妙に古いよ(w
196 :
タバスコ ◆aWFfCao0Sk :03/01/12 15:32
以前、論争に敗れたときの名無しの反応として、以下をあげた。
1. 反応なしに逃亡する。(40%)
反論できる能力のないものは、とりあえず逃げとけ、名無しだからわからない、と考えて逃げる。
2. 思考停止に陥り、悪態をつく。(35%)
これも名無しにありがちな行為である。「うるせー、ばーか」が多い。
3. 正々堂々と言論で反論する。(20%)
たまには骨のある奴がいて、「では言おう」と自分の意見を述べる。
4. 予測不可能な事態が起こる。(5%)
上記以外で予測しなかった事態が発生し、僕が困惑してしまう。
ちなみにスレ内で1,2が頻発する場合、過疎スレ・荒れスレに堕する。 3が頻発する場合、建設的な良スレに発展する。 4が発生した場合、スレ四次元空間へと漂流する。
195を見ていて勉強になったのは、もう二つ付け加えねばならないということですね。
5. 読めていない、読んでいないとはぐらかす。(「日本語読めんのか?」も同類)
内容自体に反論できないため、その周辺であらを探す。
6. 「釣れた釣れた」と自己を正当化する。
これは2に近いのでそこに含めてもいい。
自分の負けを認めるのが悔しいため、「そんなの知ってたさ」と強がる。
釣りならメール欄に「sage」の代わりに「turi」と書いて予言しておけばよかったが、ただの強がりなので無論そんな工作はない。
195の悔しがりに満ちた反応を見ると、まあ、これ以上つっつくのはやめておこう。
結局この人から「建設的な」意見は聞けなかったな。まあ、質問君には期待できないか。
>>194 繰り返しになっちゃうけど、レヴィ=ストロースである必然性はありません。それが有名な「恣意」というものです。
議論に箔を、とあるけど、そのとおりです(w
使う理論は別に何でも構わないけど、どうせならかっこいいのを、ということで「Levi=Strauss」というジーンズ会社の理論を使いました。
197 :
吾輩は名無しである :03/01/12 15:41
195はルーズな書き方だけど、当たっているところはあると思うぞ。 >内容自体に反論できないため、その周辺であらを探す。 これをやっているのはタバスコじゃないのか? ジーンズだかなんだか知らんが、龍をレヴィ=ストロースで読もうというのは いくらなんでも無謀だろ。
>釣りならメール欄に「sage」の代わりに「turi」と書いて予言しておけばよかったが、 >ただの強がりなので無論そんな工作はない。 どうでもいいが、そんなことしたら釣れん罠
199 :
田口ランディ :03/01/12 16:04
turi いや、ドラゴンはなしだろ?
レヴィ・ストロースというと二項対立ばかり言われるけど、俺はその辺あんまり 重要視してないんだな。 要素と要素の関係からなる体系間に構造があるんだろ。 二項対立=構造ではない。 「水中」体系に属する要素と、「空中」体系に属する要素にもう少し目を配ったら? しかし「水中」と「空中」は十分に一般化されてないな。
いんしょうひはんすると、 たばそこは びっくねーむだして、るじてんでまけ。
202 :
田口ランディ :03/01/12 16:13
ブルーって結局、「輸入物」なんだし、構造を云々するならその輸入先について やったほうがいいんじゃない?
203 :
おさむ ◆2LEFd5iAoc :03/01/12 16:33
>202 何のゆにゅうなの?
204 :
吾輩は名無しである :03/01/12 20:55
2chで自分の文章を晒して、スレを盛り上げようとする心意気は大したものだ。 文学理論書学者の僕としては、勉強にもなるし見てて楽しいよ。
>>196 やれやれ。勝手に自分で自分に勝利認定して、逃げるとは思わなかった(w
どう見ても男らしくないね。
>5. 読めていない、読んでいないとはぐらかす。
読めていない、と言い捨てるんじゃなくて、どう読めていないかまで
きちんと言及しているので、明らかに「はぐらかし」ではなく、建設的な批判です。
>>197 さんも言うとおり「内容自体に反論できないため、その周辺であら探し」を
しているのはタバスコの方。
わかってないみたいだから、もう一回わかりやすく言っておくね。
<タバスコの失敗、その1>
レヴィ=ストロースの仕事を二項対立の理論だと勘違いした。
→あれは、ブラジルの民話に構造主義的アプローチをかけた結果、テクストが各所で二項対立で
構造化されていることが判明し、しかもそれが人間の基本的な衣食住の文化を教唆する機能を持っていることを
証し立てたもの。二項対立は理論ではなく、結果ですらなく、単なるプロセスの一つにすぎない。
<タバスコの失敗、その2>
文化人類学のレヴィ=ストロースの仕事を、曲解した上に、なぜか龍のブルーに適用した。
→ブラジルの口承の民話で言えることが、同じようにブルーにも言えるという論拠はどこにあるの?
206 :
吾輩は名無しである :03/01/12 21:07
<タバスコの失敗、その3>
ありがちな「開かれたテクスト」のテクスト論的幻想にはまり、自己矛盾に陥ったこと。
→「ブルーの固有のあり方に迫っていない」と問いかけたのは、本当に最初からの釣り文句だよ。
タバスコが自分の足元を見ずに否定してくるのは目に見えてたからね。
いい、テクストの多様性を無批判に認める発言をすると、テクストについての発言(というテクスト)をも
その多様性の反映として甘受しなければならなくなる。つまりこのスレで並べられているゴタクを
多元決定的に受け入れなければならなくなるわけ。
ところがタバスコは「普段は無知にはレスしない」だとか「文学理論も知らずに発言するな」的な
排他的レスを繰り出して「自分固有のあり方」の優位を主張してやまないよね。あらら、何という明白な自己矛盾。
ちなみにこれは「何に対しても制度制度と言い募るタバスコの発想自体が制度化している」という私の以前の指摘と
同じ論法だよ。それくらい気付きなよ元批評家志望。
<タバスコの失敗、その4>
>レヴィ=ストロースである必然性はありません。それが有名な「恣意」というものです。
→恣意というのはシニフィアンとシニフィエの結びつきについてソシュールが言ったコンテクストにおいて
価値を持つテクニカルタームだと思うけれど。テクストと読みの関係が恣意的であっていいはずないでしょうが。
しかしあんたは「有名な」言葉にすがるのが大好きだね(w
<タバスコの失敗、その5>
>議論に箔を、とあるけど、そのとおりです
→あれあれ?
>>185 では「権威主義者じゃない」と突っぱねておきながら、
>>194 ではあっさり権威主義者であることを自認するんだね。またもや自己矛盾。だらしない男。
<最後に>
>どうせならかっこいいのを、ということで「Levi=Strauss」というジーンズ会社の理論を使いました。
悪いけどさ、一時は批評家になりたかったとかうそぶきながら、「2ちゃんの紳士」wなどと
自分で名乗ったホームページつくって、大学一回生みたいなとんちんかんな批評文を公開するのって・・・
・・・ふつうに、かっこわるいよ(w
207 :
吾輩は名無しである :03/01/12 21:09
ずいぶん手厳しいな・・・
>>207 手厳しいというか正直
>>205 はキモイですよ
私のゼミにもそういう奴がいて「これって、こうだよね」と言うとすぐに「出典は?」とか「根拠は?」とかつぶさに聞いてくる
あまり知らないと答えると「それくらい知らなきゃ」とか言ってニヤニヤしながら「これには5つあります。第一点は・・・」なんて言って粘着説明してくる
もうキモくてキモくてそういう人は嫌なのです
(スレ汚しすみません)
>>208 しょうがないよ、論争なんだから。
しかし、言ってることが正しくても
つきあいたくないタイプの女ではあるな。
タバスコは知識が浅いくせに威張るから、こういう長文の論争を招くんだよ
>>210 >>205-6 のが正しそうぢゃないか! やっぱり浅いのか! なんか騙された気分だ
>>208 漏れもその気持ちわかる。知識がある奴が威張ってくるのは耐えられん。
要威張るな! 要はタバスコも205も負けということだ。
悪いが、漏れの一人勝ちと言うことでwww
212 :
吾輩は名無しである :03/01/12 22:03
>>208 そういう人間関係の煩わしさが匿名掲示板では薄れるからこそ、
このような真剣な議論ができるというのも、一方ではあるんでしょうね。
>>205 繰り返しになりますが、最初に書いておいたこれを読んでください。
>学生のときレポートとして書いたものでちょっと古いし甘いところもあるけど、
>文学理論を如何に使うかということで読んでください。
あの小論は優れていると思ったから載せたのではなく、理論を実際の作品に当てたらどうなるか、という一例で書いたものです。
今現在では全く違う意見を持っていると知っておいてもらいたい。
それから読んでいて、君とは知識の前提を共有していないようなので、今後生産的な議論はできないだろう。
前提を共有する努力をしてもいいが、どうも時間がかかりすぎるし、面倒なんで止める。
それから「建設的な」というのは、僕の小論を読んで「いや、俺ならこうやる」とか「こっちのほうがいいんじゃないの?」という議論を期待していた。
レヴィ=ストロースの読みについて論じるつもりなど最初からないのですよ。
でも君は、僕自身甘いと認めている小論のあらを探すことに必死になっていただけだし、個人の人格攻撃(「だらしない男」「かっこわるい」など)に汲々としていたようなので、そういう展開にはならなかったようだ。
まあ要するに、理性を使って共有する前提が、まだ共有できていなかったということだね。
残念ながら、これ以上議論を進めるのは無理だろう。
(上のほうで厳しい言葉を使ったことは謝っておきます。君個人に恨みはないので)
>>211 勝者だったら、次の議論のネタを提供してくれ(w
>>213 「2ちゃんの紳士」の面目躍如だね。
自レスを読み返すと、怒ってるね私。ちょっと冷静じゃなかったかも(w
無名だけど、文学板ではタバスコの女王様に次いでキレやすい女だと自負してます(するなw
今さら意見を建てておくと、あのレポートは
>>176 の人も言ってるように
文化人類学者の固有名詞を削除すれば、かなり良くなる。
それと、作品全体から定量分析的に水と空の要素を抽出するのではなく、
作品の進行の中でその両要素の絡みがどう変化していくのかに軸足を置くと
もっと質が上がると思う。つまり今のスタティックな分析を、ダィナミックにする
とよいのではと。
>>208 論争する女って大抵キモイもんです。実はリアルではいつもぐっとこらえてる(w
涼しい顔が似合うように。
>>211 あんたには負けたよ。あとよろしく。
215 :
吾輩は名無しである :03/01/12 23:03
216 :
吾輩は名無しである :03/01/12 23:06
>>214 コテハン名乗ればいいのに。人気でそうだ。
217 :
吾輩は名無しである :03/01/12 23:10
>>208 キモイですよねー。私も論争好きな女はキモイから嫌いです。
>>215 漏れにそんな濃緑はない!
漏れは勝つことしかできない。
今回は漏れが勝ったから、偉そうに言わしてもらう。
215よ、おまへがネタフリして論争してみろよ!
外野でキモイキモイと連発してる奴が、
タバスコや205よりどれほど爽やかで優れた知性を有しているのか、証明した前!
220 :
吾輩は名無しである :03/01/12 23:14
新しい雑談スレはここですか?
221 :
吾輩は名無しである :03/01/12 23:21
馬鹿だなー。
>>217 がタバスコに絡んだ粘着論争好き女だよ。
今回はこいつがあらゆる点で勝っちゃったんだな。
触らぬ神にたたりなしだわ(w
222 :
吾輩は名無しである :03/01/12 23:23
20 名前:吾輩は名無しである :03/01/12 23:17 この板で生き残るコツ 食い物をHNにするw 21 名前:吾輩は名無しである :03/01/12 23:18 あっ、タバスコはダメだよ、すっぱすぎるから・・・
>>214 小論にご指摘ありがとう。
上の方でも書いたけど、僕は今の文学研究は他の分野(歴史学、社会学)に取り込まれなければならないと思っているんだけど、どう思いますか?
僕は取り巻く社会的な環境から言って、もう現状通りは駄目だと思う。
それで文学研究を止めたという経緯があるんですけどね。(だから恐らく、指摘されたところを改めて出すことはないと思う)
見たところアカデミック関係の人らしいので、意見を聞きたいんだけど。
それからコテにしたほうがいいという人がいたけど、そのほうがいいですよ。
周りから識別しやすければ、さらに議論が活発になります。
>>223 いえいえ。
実はタバスコとは各所で50レスくらい話している(笑)
女がコテにするのは大変だなと思うことがよくあります。
名無しにいじめられるんですよね。
美香さんも世紀の女生徒さんもそれなりに苦労しているし。
目立つと
>>221 みたいに、たちまち誤解される。
(粘着呼ばわりは甘受するけど、
>>214 と同じレスを直後に反復したりはしないよ)
まあ、どこかでまた話しましょう。
タバスコは東大の院試まで受けているらしいね。
私は研究者や批評家志望じゃないけど、東大に行かないと生き残れない世界だというのはよく耳にする。
結構勉強したのに、社会では何の役にも立たないと思うと、ひとり、ほろり。
文学研究がだらしないとか紀要がつまらないというのは
私も痛感するところ。タバスコの言うようにカルスタしか残らないかも知れない。
ただタバスコが(ルサンチマンではないにしても)
その手の「制度的な」文学研究の職に未練を残しているのが、痛々しいなと思う。
大学も文学部もどんどん淘汰されるのは間違いないし、消えればいい、消えてもいい。
タバスコは、今たぶん過渡的な仕事に就いているんでしょう?
次のステップはたぶん大学体制側には残ってないし、タバスコは別の道を切り開いて行かなくちゃね@余計なお世話
私もそれに似た、ちょっと重い気分を抱えながら、たまにここで憂さ晴らしをしている(w
私はあと数ヶ月かな。ここにいられるうちは、お互い楽しくやりましょう。
タバスコの事情を勝手に妄想して御免。はずれてたら笑って^^
このキレやすい女って ランディスレ住民じゃないのかな。粘着なところとかそっくり。 正直、隔離スレから出てこないでほしい。
226 :
吾輩は名無しである :03/01/13 00:36
>225 ランディースレの住人はこんなに頭のキレるヤシではないだろう でもこの女は箸の使い方とかにうるさそう 「夕食時の失敗その3」とか叱ってきそうで嫌だ
>>224 別スレでも書いたんだけど、永井均という人がこう書いています。
「ウィトゲンシュタインは、思想の値段は勇気の量で決まると言った。」
これを見たとき、永井氏の引用だけど感激しました。
思想とはつまり、個人の内面のみを根拠にする(近代)批評と同じで、
その内面とは知識の多寡などではなく、その人だけが持つ絶対性を勇気を出して開放する、ということだと思います。
反対に文学研究という科学は、こういう内面は相対的であるとし、理性という共通のものさしをあてがいます。(現状の文学研究はこの点が甘いけど)
これは他人との対話を可能にする素晴らしい方法だけど、何かしっくりこないのは、(純)文学が相対的な個人の内面を扱っているからでしょう。
僕が小林秀雄の初期作品から受け取ったのは、こういう「内面の絶対性vs科学」という図式で、無論小林は内面の側に立って戦っていたのです。
こういう単独者ともいうべき姿には感銘を受けるだけです。
僕は研究者には未練はないけど、こういう単独者を装った研究者に怒りを感じているんですね。
なんだお前たちは、大学などという制度(またまた出てきて申し訳ないw)に守られているサラリーマンくせに、格好つけて単独者の振りをするな。
そんなところに安閑としていないで勇気を持って自分の内面出せ。勇気がないなら単独者の振りをするな。とこう言いたいんですよ。
(これをルサンチマンという人がいるけど、院に落ちたことを逆恨みしているわけではないので、そうも言えないでしょう)
そうは言っても、僕自身職業として批評家になる気はあまりない(それだけで生計を立てるのは難しい)ので、自分の立場を持て余しているんです。
職業としてではなければ、批評文は書いてみたいけど。
今はコンピュータ関係の仕事をしているけど、自分で起業してみようかとも思っていますが。
あるいは、昔から考えていたように、さっさとこの世から退場するという選択肢も残しています。
これが僕の今の事情ですね。
228 :
吾輩は名無しである :03/01/13 00:47
タバスコさん、自殺するのですか?
>>228 いや、そういう選択肢もあるというだけで、今すぐ死ぬつもりはありません。
あ、レスがついてる。起きててよかった。 体制と単独者か・・・。 タバスコは純粋というか、偽善に潔癖なところがあるよね。 それはすごくわかるんだけど、大学にしろ文学にしろ本にしろ、守られていなければ その多くが消えてしまうよ。安穏と「単独者」面しているのは腹立たしいけれど 私は、守られている者に目クジラを立てるより、無力な自分がまず一人で立ち、何を守れるか、何を守りつづけていけるか、ということを考えたい。 それは単に子供とか家族とかいうだけでなく、自分の信じる価値のようなもの。交換不可能なかけがえのないもの。 タバスコはタバスコの信じる価値を守りつづけて欲しい。 職業にはならなくても、タバスコが批評に価値を見出すなら、ホムペで書きつづけるべきだよ。脇目もふらず。 「退場」は駄目。私はある場所で死にたくないのに死んでしまう人たちを何人も見たよ。本当に苦しそうだった。 何であれ、死ぬ気で取り組んでみなよ。前に進める。(こういう台詞は、半分自分にも言い聞かせてるんだけどね。) ちょっと支離滅裂だね(笑) 書くべきなのは、こんなレスじゃなかったかな。 「内面の絶対性vs科学」という図式は、まだ生きているの? 私のイメージでは、ずたずたの自分の断片が外面=世界に散らばっていて、 ある場所、ある角度から自分にきらりと反射を返してくる。そういった瞬間の連続として 「自分」があるのだと思う。ちょっと文学的にすぎる表現だけど。 私の場合は、その断片が言葉でできている気がする。だから本を読み続けている。 断続的自分語りごめん。またキモイ女って言われるんだろうな(w おやすみ。
231 :
吾輩は名無しである :03/01/13 09:42
>>227 そのウィトの言葉と同じことを
鎌田哲哉は群像新人賞の受賞の言葉でいってるよ。
タバスコよ起業したら俺を雇ってくれ・・・
233 :
吾輩は名無しである :03/01/13 10:00
ホムベになんか書かずにどっかに投稿すればいいのに。
今夜のお別れ会は、興味深く拝見させてもらったよ。
私は原則として雑談スレには書きこまない主義だから、
ここでお別れさせてもらうね。
どこまで伝え聞いてるのか知らないけど、私は文学板デビューが最悪だったんだよね。
相手の不興を買って、後で謝っても許してもらえなくてね。
その人と水面下でやり合っているうちに、双方に憎しみが蓄積してニッチもサッチも
行かなくなったわけ。
だから
>>230 でマジレスしても、タバスコはいずれ私が誰なのかを伝え聞いて
敵としてしか認識しなくなるのはわかってた。書きながら寂しかったよ。
今年に入ってから、心を入れ替えて煽りとかそういうのはほぼ一切やらないように
したんだけど、2ちゃんというのはおかしな場所でね。私が昔煽ったのとそっくりな
文句で、あんたたちを煽る名無しがいるわけ。
(いやー、今日はハムレットスレで煽りを止めようとしたら、私が豚って罵られちゃったw)
タバスコはタバスコで疑心暗鬼になって、私じゃない名無しに誤爆しまくってたし(笑)
(周五郎スレのバンザイとか「このスケベが!」など。それと私は雑談スレでは、
ユダヤ陰謀説に一回突っ込んだだけだからね。)ま、誤爆された人が可哀相だから、
しっかり「反論」しておきました(笑)
茶川はタイミング悪かったよね。あれは駄文だけど、私が初めてうpした自作で
褒めてくれる人がいて、子供みたいに喜んでいるときだった。文学板のためと思って
黙ってたことをかなり喋っちゃったねw キレるって怖い。。。
とにかくここは状況が明らかに特殊だから、タバスコが傷つく必要は何もないよ。
タバスコなら他板へ行っても、別コテ蘇生してもやっていけると思う。
タバスコにかけたい言葉は全部
>>230 のマジレスで言っておいた。ガンガレ!
(想定)うむ、そうだったのか。それにしたって、きみはひどいよ。 人を追いつめ過ぎるところがあるから、ここではシノギを削って生き残れたとしても 実社会ではそうは行かないよ。きみには「人間」が足りない。
236 :
224 ◆qZz40Alpu. :03/01/17 23:45
そうだね。私は身から出た錆で、コテを名乗ることさえ難しいもんね。 ちゃんと相手のことを考えてレスしていれば、みんなと仲良くなれたかも知れないのにね。 いけない。あんまり感傷的になると、ウジウジタンってからかわれる(w タバスコには、そんな風に叱られると思っていたよ(笑) 今まで、きつく当たってごめん。またね。元気でね。(^^)/~~~
237 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :03/01/17 23:49
タバスコ大人気。嫉妬。
238 :
吾輩は名無しである :03/01/17 23:54
がはは。美香の知らないところで心をつかみつつあるタバスコなのだった。 どこに行っても嫌われるお前とはエライ違い。(w
239 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :03/01/17 23:56
>>238 だよね。タバスコはいいキャラだったのに。
なぜわたしなんかの奴隷になったのか・・・・
240 :
224 ◆qZz40Alpu. :03/01/17 23:57
241 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :03/01/17 23:59
242 :
224 ◆qZz40Alpu. :03/01/17 23:59
>>241 そういう問題じゃないだろ。
224の方が議論として正しかった。
244 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:00
粘着女同士が喧嘩してまつ
新しい涎スレはここですか?
246 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:01
じさくじえんたいかいですね
247 :
224 ◆qZz40Alpu. :03/01/18 00:02
>>244 だからタバスコには粘着してないって!
工藤くんには粘着したことあるけど。可愛かったから。
248 :
224 ◆qZz40Alpu. :03/01/18 00:02
ではまた!
251 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:03
工藤をいじめたな。224はサディストだ!!!
>>242 あはは、ばれた? もう、べろんべろん(w
>>251 工藤クンは叱っただけ。あのままじゃ工藤クンが可哀相じゃん。
254 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:04
やってないとしたらねっとのちからをかりて。 そうだねかれがいったようにんげんみにかけるということだね
でも女上司に泣いて説教されたけど、僕はふぬけのままで会社を首になりました。 っていう書き込みで決定的に萎えたw
>>257 最近そう言われても、気にならなくなったw
ヤヴァイね
224は絶対同人女
224は絶対ランディスレ住民
224、どこがきもいか自覚ないのか ちゃんと仕事逝ってるのか?
265 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :03/01/18 00:11
わくわくage! 224はコテハンになるべし。ブレイクすべし。 「タバスコの失敗」シリーズは笑った。タバスコの反論も(w
なんか、自演して叩かない限り、私とは話したくないみたいね(w ま、いいよ。棲み分けで。
豚プロ固定はもういいよ
268 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:12
コテハンでも雑談スレに行かなけりゃ叩かれんよ?>224 身を潜めているようで目立つからきもいっていわれるんだから、 開き直って晒したらいいじゃん。
269 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:13
268がいいことをいった!
>>265 あんたを信じていいの?
遺恨がないではないけど。
261-262は美香じゃないよ。 というか、図星だろ
>>271 ごめんごめん。文学系のサークルには在籍してるよ。
でも好きじゃない。ランディースレには一度絡みにいって、
自演宣伝カキコを責めたことがある。けっこうヤラれた。
273 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:18
224は鰯ごはん
274 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:18
224はコテハンになるべきだよ。 頭がいいから嫌われないというか、ありゃあ言われた方も脱帽するひとつの芸みたいなもの。 今は亡きタバスコに変わって仕切ってください。
275 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:19
タバスコみたいなバカの後釜はいやだなW
ちょっとこの論争好きキャラはイメージが悪すぎるから、 また別のコテで蘇生を試みるよ。 とりあえず、もう邪魔(煽り)はしないようにするから それだけ覚えておいてくれると嬉しい。
277 :
吾輩は名無しである :03/01/18 00:20
いや、タバスコより上だから。
鰯ごはん・・・ワロタ 224はHN、みそしるに汁!
279 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :03/01/18 00:21
あのさ、みんなすっかり忘れてるけど、タバスコは今も必死にこのスレを ROMってると思うよ(w
>>279 あいつは短命だと思うw
できれば昔使ってた奴で。
鰯・ごはん・みそしる、ウマー
分裂病のコテなんかいたかー?
>>281 俺は君を知っている。元気そうで何よりだ。
>>283 ほとんどステハンだよ。誰も覚えてない、みたいな感じ。
レスの90%は名無しかな。
>>285 本当? こういうのが一番照れる。。。と同時に恥ずかしい。
今日は落ちるけど、近々徐々に復活するよ。以後ヨロシクです。
>>286 お仲間だねーw
俺はいくつかHN持ってるけど。
コテの時はほとんどまじれすしませんw
コテはネタっすよ。
>>290 どーぷは鬱病だよね、分裂じゃないよね?
うつだよ
224はどーぷなの?
違う違う。今は頭が弱ってるからあれは出来ない芸当。
>>295 おだいじに。
2ちゃんやりすぎで状悪化しないか、まじで心配だよ。
馴れ合いウザイ 雑談スレでやれ。
落ちてるときは見ないし。 PCは見続けてられないから、2chもそんなにできないよ。 それでは寝ます。
(^^)
300 :
吾輩は名無しである :03/01/24 14:26
さらしage
301 :
吾輩は名無しである :03/02/04 05:13
文学理論を文化論として再構築しようとする視点に賛成。 ただこれには、人は文化のみにて生くるものにはあらず、 という批判がある。
302 :
おさむ ◆2LEFd5iAoc :03/02/04 05:34
224って、レイナみたいな名前の椰子ぢゃないの?
限りなく遅レスだが、
>>254 はもれじゃない。
303 :
吾輩は名無しである :03/02/20 20:01
304 :
吾輩は名無しである :03/03/13 19:56
まともに理論できる人ってなかなかいないんだね
理論不要論
306 :
吾輩は名無しである :03/03/13 21:39
>>304 まず、チミが理論してみな
何から始める?
307 :
吾輩は名無しである :03/04/07 04:12
文学理論不要論も理論のうち ショボイ理論だけど
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
309 :
吾輩は名無しである :03/05/01 13:22
ほす
そういやかをるっていたな・・・。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
保守
313 :
吾輩は名無しである :03/05/29 20:44
『アリアドネの糸:物語の線』 J.ヒリス・ミラー著 吉田幸子(よしだ・さちこ)監訳 室町小百合(むろまち・さゆり)監訳 太田純ほか訳 英宝社 本体4600円 22cm 473p 4-269-82004-7 / 2003.05
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ほしゅ
進展ありませんね
(^^)
イーグルトン読みはじめた。
320 :
吾輩は名無しである :03/08/13 23:34
>>318 ぎゃはは! まだいやがったのかよ! お前の好きな人権板に帰れよ!
新刊情報しか書き込むことねえくせによ!
しかもマスターの口ぐせパクりやがって!
こんな沈んでいたスレをチェックしているとは・・・ まだまだ文芸文庫浮かれ馬鹿四人衆は文学板にいるんだな。キモ。
322 :
吾輩は名無しである :03/08/14 01:47
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
324 :
吾輩は名無しである :03/08/30 17:45
325 :
吾輩は名無しである :03/09/11 21:57
ブンガク リロン 文学理論 文学一般・ルポルタージュ ジョナサン・カラー著 荒木映子(あらき・えいこ)訳 富山太佳夫(とみやま・たかお)訳 岩波書店 本体1400円 19cm 206 12p (1冊でわかる ) 分類:901 件名:文学 03045856 4-00-026866-X / 2003.09 対象:一般
326 :
吾輩は名無しである :03/10/08 20:21
テクスト論について教えてください
327 :
吾輩は名無しである :03/12/02 22:06
>>325 ジョナサン・カラーの入門書、売れているみたいね。
実際に良書。
>>326 まず325の本を読んでみられよ。
328 :
吾輩は名無しである :03/12/02 22:17
>>327 訳はメタクソだけどな
原書でよんだほうがわかりやすいぞ
つーか、あの訳ではよんだことにならんぞ
amazonいっとく?
330 :
吾輩は名無しである :03/12/02 22:36
>>328 そう? 一見悪くない訳だと思うのだけれど。
「訳はメタクソ」って、どういう点で?
訳書の方はもう買っちまったんで、注意点をちょっと教えてくんなまし。
自分も買ってしまった……。カラーの『文学理論』。 これでもいいんだけど、こんな感じの入門書で、良いのって他にあります? 授業で輪読するのに適していそうな。 ちなみに受講者はたぶんデリダやフーコーはおろか、バフチン、バルト、クリステヴァ、 あたりも読んでいなさそうな初心者ばかりです……。 (しかも恐ろしいことに学部ではなく大学院です。)
332 :
吾輩は名無しである :03/12/02 22:46
>>331 原書よめば、訳のメタクソぶりがわかるよ!
織れは三年前に原書でよんで感動したんだが、こんどの訳ではその半分も伝わらんな
いまはちょっと手元にないが、いずれ具体的にクソ訳の箇所を指摘するかも
だがそれよりまず、原書よんでみて!
333 :
328=332 :03/12/02 22:50
>>331 原書じたいはすごくいい本だと思いますよ。
そっちを使われたらどうでしょうか、英語の勉強もかねて。
訳がヤバイということ。
つーか先生!いつもこんなとこ来てるの?
334 :
吾輩は名無しである :03/12/02 23:11
>>331 一昔前までは、イーグルトンの『文学とは何か』岩波書店
だったんですけれどもね。
訳があるのがいいのでしたら、
『現代批評理論』
フランク・レントリッキア, トマス・マクローリン編、平凡社
というので、
「22の基本概念」「+6の基本概念」という二分冊になっているのがあります。
これを面白そうな項目から拾い読みしていくのも一興かもしれません。
先生じゃないですよ……。 先生が「何にしようかな」と言ってたので、探してただけなんです。 ご親切にありがとうございます。
>>334 ありがとうございます。
提案してみます。
337 :
吾輩は名無しである :03/12/03 00:00
>>331 どこの大学院か教えてよ。
せめて学部だけでも。
339 :
吾輩は名無しである :03/12/03 00:18
>>328 =332=333
ろくな根拠も示さないうちに悪訳呼ばわりするなよ。
そういうのってしまいに自分に跳ね返ってくるぞ。
じゃあ、おまえは訳せるのか、と。
>>340 私もあの訳では、読んだことにはならないと思います。
たたそれは、あれが特に「クソ訳」ということではありません。
カラーの英文自体が、訳すには難しいからです。
カラーの説明自体は鮮やかなのですが、その分、
どのことばも、その使われる文脈や、全体の議論の中で、
かなり重層的、あるいは特定的な意味を担わされているので、
そういうものを汲まないで訳すと、いちおう「正しく」ても、どういうことだかわからなくなるのです。
(まあこれは、カラーだけでなく、理論的な書物の翻訳には、多かれ少なかれ言えることですが)
その意味で、今回のこの本の場合、やや慎重さと誠実さが足りない気がしました。
訳者の頭が良すぎたために、わかったつもりで突っ走ってしまったのかもしれません。
そういう態度は、外国語のテクストを扱う際には、マイナスになるのだと思います。
>>328 の人はともかく、少なくとも私には訳せません。
でもこれをこなせる人は必ずいると思います。原書はいい本なので、改めてきちんとした訳がでるのを待ちたいです。
ひとつポイントと思われるのは、この本は、なんとか主義とかではなく、テーマや問題領域ごとに章が立ててあるので、
そうした連関と、基本的な知識をクロスさせるような、フォローアップがをなんらかの形で入れられるといいと思うのですが。
あとこれは、特にこの本についてということではなく、一般的に理論は、 日本語よりは、英語で読んだほうが、わかりやすいし、時間も少なくて済むと思います。 訳書は、日本語としてやたら難解になるのですが、原書では多くの場合、英語として特に難解な表現がなされているわけではないからです。 日本語の理論書が難しいのは、理論自体ではなく、翻訳の困難による部分が多いのではないかと思います。 入門書としては他に、 Ann Jefferson and David Robey. Modern Literary Theory: A Comparative Introduction. Second Edition.(イタのやり方わからない) London: B.T.Batsford Ltd.1986. 理論の発達の流れとか、基本的な発想の仕組みを理解するには、素晴らしい本だと思います。 理論とは、何かを「身につけ」て終わりというものでなく、際限のない問い直しのプロセス自体なのだ というカラーの言葉には勇気付けられました。あと理論は、何かを難しくややこしくするためのものではなく、 本質的な意味ではむしろ、問題をより鮮明にするためのものなのだなあと、最近は感じています。
とはいっても、まあどのみち大変だよなあ。ふう。 それにしても、カラーの英語は凄いなあ、うらやましいなあ…と思うこの頃。 長くなりました。余計なことを言ったかもしれません。
>>341-4 乙。真摯な回答、お考えがよく伝わり、有益でした。
ただ一般論として、英語で読んだほうがいい、という意見はどうかと。
英語でスラスラ読めるなら最初から訳なんてする必要がなくなるわけですから。
でなければ、理論は外国語でやるべきだということになりますが、もちろん
そうではなく、日本語でも文学理論は説明できるし、説明可能であるべきです。
もし今回のカラーの邦訳が単純な誤訳だらけではないとして、それでも相対的に
良くない訳だと感じるとするなら、たぶん普段は英語で理論書を読んでおり
日本語の理論書を読み慣れていない人がそう感じているだけではないか
という疑念を私は持っています。
他方「フォローアップ」が必要とはいっても、この種の入門書に訳注やらグロッサリー
やらゴチャゴチャつけてしまうとかえって入門書の価値を損なうかもしれません。
もちろんこれで十分ということではなく、つねに「より良い」訳を目指すべきだという
前提は忘れてはなりませんが。
日本語でも文学理論は説明できるし、説明可能であるべきです」というのはその通りだと思いますが やはりそこには、さまざまな「距離」があり、バックグラウンドの違いもあるということを踏まえた方が、 言いかえると、理論を外国語で、いわば「他者」として受け止めた方が、その鮮やかさ、面白さをよく感じられるようにも思います。 ただそれだけでいいということではなくて、日本語との往復が必要で、そこがすごく難しい… ある意味、ちゃんと日本語にできて、初めて「理解した」といえるわけですから、仰る通り、訳書の必要は大きいと思います。 今回の訳もむしろ「相対的」にはいいのかもしれません。ただ生産的な意味でのこの「距離感」というのは、 なかなか大きなものだなあと感じただけです。特に「悪訳」「クソ訳」とは思いません。 昔、僕は理論というのは、訳書で読んでて難しく、頭がこんがらがってた時に、 たまたま、同じくカラーのStructuralist Poeticsを英語で読んで、なんだ理論はこんな鮮やかな世界なのか!と思い、 そこから手当たりしだい英語で読んでって、面白さを感じるようになったという経験があるんですけど、 しかし、その先にはまた、外国語の難しさというものに、あらゆる場面で直面するわけで… まあ、いちがいには言えないですね。ではひとまずこれで。
347 :
吾輩は名無しである :03/12/09 23:12
クイア理論って、日本では現在、どの程度浸透してるのでしょうか? 海外ならともかく、日本ではあまりそういう論文を見かけない気がしますが。 で、今後、流行るんでしょうか。 岩波の「思考をひらく」シリーズにも「クイア・スタディーズ」という巻があり、 もうすぐ刊行されるようですが……。
348 :
吾輩は名無しである :03/12/10 04:23
>>347 流行るかどうかは誰にもわからんでしょう。
>クイア理論って、日本では現在、どの程度浸透してるのでしょうか?
「ジェンダー」研究の隆盛に対して「セクシャリティー」研究じたいが
ほとんど浸透していないように思われます。
>海外ならともかく、日本ではあまりそういう論文を見かけない気がしますが。
「海外ならともかく」、日本ではゲイ=右翼というイメージが強すぎるみたいで
(「ユリイカ」のクィア・スタディーズ特集かなんかで読んだ)
まずそのへんの単純といえば単純なイメージ(三島とか折口とかの)を崩さないと、
なかなか受け入れられないんじゃないかと思います。
同じ欠落感を感じてました。空気が全然ちがう。 まあ向こうでやってるから、とりあえず流行る…みたいなのには あまり意味はないと思うけど、 日本の場合、ポジティブな意味で"Get used to it !"という以前に、 まず「異性愛中心主義」批判が、きちんとなされる必要があると思う。 いわゆる「進歩的」な知識人、特に女性知識人に、 (異)性愛に対するナイーブな幻想を抱いてる人が多すぎる! そういう「(異)性愛」言説が、どれだけ抑圧的に機能するか、認識してほしいと思う。
350 :
【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :03/12/10 04:52
>「ジェンダー」研究の隆盛に対して「セクシャリティー」研究じたいが ほとんど浸透していないように思われます そうですね。思うにそれも、 何かこう「セクシャリティー」は自然なものであり、 研究を要する、人為的な構築物ではないという感覚が、 あるからかもしれない……と思いました。
351 :
吾輩は名無しである :03/12/10 19:20
日本なんてゲイといっても、普通はおかまとかニューハーフぐらいにしか思われない 後進国だからね。順序としては単純に人権とか公的な認知とか市民運動を地道にやってく 方が先だと思う。セクシャリティ研究だけやっても空回りする感じがする。
352 :
吾輩は名無しである :03/12/10 19:22
ゲイとホモって何が違うんですか。 マッチョな肉弾戦はどっちですか。
一般読者でも結構気軽に読めるところで、ちょい古めながら カルージュ「独身者の機械」とか ソンタグ「反解釈」とか コリン・ウィルソン「アウトサイダー」とか なかなかイキがいいと思うんだけど
初心者の私めへ、丁寧にレスをしていただきまして、ありがとうございます。
実は私も、上に出ているジョナサン・カラーの『文学理論』を読みまして、
当然のように「クイア理論」が登場してくるので、あれ?と思ったわけです……
>>348 ゲイは右翼だと思われてるんですか。逆かと思ってました……
セクシュアリティー研究も、赤川学とか、そのあたりしか知りません。
【矢部】さんや351の方のおっしゃることも、もっともだという気がします。
355 :
吾輩は名無しである :03/12/30 12:41
age
クイア理論は、7,8年前のユリイカで特集されていたような。 時代の小粒な徒花っぽかったけど。
357 :
吾輩は名無しである :03/12/30 18:06
とりあえず、セジウィックのBetween Men『男同士の絆』(青土社)のホモソーシャル理論は、 考え方として興味深いと思います。 基本的なところは分かりよいのだけれど、ホモフォビアの形成あたりから分かりづらくなるのが難点です。
358 :
吾輩は名無しである :03/12/31 01:09
岩波「思考のフロンティア」の『クイア・スタディーズ』を買ってみたよ。 特に前半の、変遷をたどった部分は便利使いできそうな気がする。 手際よくまとめてある感じ。 後半は分かる人の評価求む……
359 :
吾輩は名無しである :03/12/31 03:39
思考のフロンティア『クイア・スタディーズ』後半、
『ハッシュ!』の分析はイマイチだったわ。
映画をほとんどなぞっただけに見えないこともないような・・・
それに、勝裕のことが好きな、足に障害のある女の子についての言及が
ほとんどないんだもの。
ゲイの人権についての章は、
>>351 で言われてるようなことについて、
けっこう重要な指摘があったように思えるけどね。
>>352 >マッチョな肉弾戦はどっちですか。
人によりけり、ね。
中村光夫でもよめ
(ゲイは女の心を持ちながら、男が好きな人々のこと。・・・ホモは男の心を持ちながら、男が好きな人々のこと。・・・)
362 :
吾輩は名無しである :03/12/31 18:28
>>361 と、いうような固定観念というか、妄想と闘って行くいくのがクイア理論かしら?
女性/男性の二項対立の解消をめざすんでしょ?
そう考えてみると、たいへんね。
>>362 >と、いうような固定観念というか、妄想と闘って行くいくのがクイア理論かしら?
という語調も立派な妄想では?
New York Timesにテリ・イーグルトンについての記事 出てるね。
>>363 私は本物のヲカマよ!!同性愛板から来たの。
>>365 そうね。ゲイなら誰もがオネエ言葉、みたいなのは「立派な妄想」だけど、
オルタナティブとしてのオネエ言葉は「立派な妄想」なんかじゃないわよね!
>>365 ,366
匿名掲示板は既にジェンダーフリーなんじゃないの?
オルタナティブとしても落第だね。
368 :
吾輩は名無しである :04/01/21 12:36
ノースロップ・フライなんかはどういう評価なのでしょうか?
369 :
吾輩は名無しである :04/01/21 13:04
>>368 うまいこと腑分けしてみせた人。
評価は高いよ。
370 :
吾輩は名無しである :04/01/26 00:36
本職は牧師だっけ?
371 :
吾輩は名無しである :04/01/26 18:05
369さんどうもです。 ラマーン・セルデン『現代の文学批評』によると 1ニュー・クリティシズム 2ロシア・フォルマリズム 3構造主義 4ポスト構造主義 5読者反応理論 6マルクス主義批評とフェミニズム批評 *ポスト・コロニアリズム T・イーグルトン『文学とは何か』では 1英文学批評の誕生 2現象学、解釈学、受容理論 3構造主義と記号論 4ポスト構造主義 5精神分析批評 *政治的批評 これらの中でフライはどこかに分類されますか?
372 :
吾輩は名無しである :04/01/28 16:36
フライは構造主義でしょ。
373 :
吾輩は名無しである :04/01/28 17:48
なんだか全般的に物凄く自演臭いんですけど・・・・・
かをる@半可通がいるからな。
375 :
吾輩は名無しである :04/01/29 13:37
丹治愛「批評論理」とか、加藤典洋「テクストから遠く離れて」なんかはどうなの?
376 :
吾輩は名無しである :04/02/11 20:56
流れと違ってごめん。誰かこんなスレ立ててください。 【基本】ナラトロジーを学ぼう!【初歩】 いまだ国文ではジュネット・レベルでそれも未消化、 ミーケ・バルの『ナラトロジー』すら翻訳されてない日本。 韓国や中国では翻訳されてるのに。 ますます方法の貧困に拍車がかかる。 ナラトロジーの英文基本文献について情報交換しない?
377 :
吾輩は名無しである :04/02/11 20:58
フライの晩年の〈宗教と文学〉関連の読んだ人います?
あぼーん
>>376 っていうか、今時ジュネットとか言ってても笑われるだけなんだもん。
生産性ないし。
380 :
吾輩は名無しである :04/02/12 05:42
フライは『批評の解剖』を入手しました。今から読みます。 その次にハッチオンの『ポストモダニズムの政治学』に取り掛かる予定です。
382 :
吾輩は名無しである :04/02/13 15:03
誰かこんなスレ立ててください。 ・ポストコロニアルの文学 ・クイア理論の現在 ・カノン形成の理論と歴史 ・エコ・クリティシズムとは ・ラカン派精神分析と文学 あとフライとかトドロフとか個人スレたてて何レスで落ちるかあてない?
>>382 単独スレを立てても過疎になるのは間違いないような。
とりあえず、ここで始めてみれば?
そうですね。過疎っていうかすぐdat落ちすると思う。 僕としてはトドロフは、『不完全な庭』とか『はかない幸福』とか(日本語はこれでいいのかな? 僕はフランス語が読めず英語で読みましたが、日本語訳はあるかどうか知りません)のヒューマニズム論が、 最近、気になってるんですが・・・ なんか日本ではなんでも、妙に「先端」な部分しか入ってこない気がします。 先鋭的な理論は、西洋形而上学の伝統が強烈なところでは意味があるけれども、 もともとそういう縛りがない日本では、ある意味、あたり前の話になっちゃって 西洋の文脈でもったような批評性は、消えるってことが言われることがあります。 そこで思うのは、ではどうしたらいいのかってことなんですけど、 日本からの目線で見れば、むこうの「最先端」よりも、むしろヒューマニズムとか いかにもな「西洋形而上学」に浸ったものの方を、きちんと咀嚼しておくほうが、 異文化としての「西洋」に向き合う上では、必要なんじゃないか?とか感じてしまいます。 そうしてみるとトドロフのあの辺りは、なんか気になるなと・・・・ まあたいしたことではありません。余計なこと書きました。スルーでお願いします。
385 :
吾輩は名無しである :04/02/14 01:59
>>376 バルはジュネットにいちゃもんをつけて用語を混乱させただけだし、
今となっては読む必要もないような。
ナラトロジーは基本的にジュネットだけで良いと思われ。
敢えて他を挙げれば、F.K.シュタンツェル、シロミス・リモン=キーナン、
シーモア・チャトマン、ドリット・コーン、それにジェラルド・プリンスの辞典ぐらいか。
シュタンツェルとプリンスは日本語訳あり。
386 :
吾輩は名無しである :04/02/15 09:31
>>384 確かにそういう面はあると思いますね。
ただ、そういうベーシックな批評は本格的に理論をやる人には有益でも
私なんかの門外漢にとってはやはり興味がなかなか沸きません。
トドロフにしてもヒューマニズム論よりも幻想文学論や『批評の批評』、
あるいは[他者]論には興味がありますが・・・(個人的な感想ですいません)。
387 :
吾輩は名無しである :04/02/16 20:21
バッカじゃねえの?
389 :
吾輩は名無しである :04/03/08 23:19
保守
390 :
吾輩は名無しである :04/03/18 05:53
保守
391 :
吾輩は名無しである :04/03/19 03:27
ポストコロニアル批評の政治的正しさってなんすか?
392 :
吾輩は名無しである :04/03/19 03:29
列強の帝国主義批判じゃないの?
帝国主義批判っていうか、文化面での宗主国の影響を脱構築して独自の文化を取り出すこと。 西洋マンセー>>>>>>>>>アフリカ・南米・アジアカスの思想がどのようにして構築されたかを文学作品などを通して理論的な拙さを指摘しまくる。 んで、抑圧されてきたものとしてこれからの可能性の中心たらんとする。しかし安易な西洋批判から歴史のなかのサバルタンマンセーな輩も多い。 カルスタ、ポスコロはアホ臭い。(まともなのもいるけど) 結局プロレタリアというものを西洋以外にも拡張適用したのがサバルタン。 そのサバルタンすらもグラムシの概念だし、結局マルクス主義的なものに依拠しているのに過ぎない。 マルクス主義が全部ダメだとは言わないけれども、結局カルスタ、ポスコロはマルクス主義的なものの焼き直し。
394 :
吾輩は名無しである :04/03/20 08:53
んじゃ今現在、有効性を保っている理論はなによ?
395 :
吾輩は名無しである :04/03/20 23:18
テクスト論も物語論も もう古いっしょ 言語論的転回はもう見切られたんだよ これからは認知科学の哲学っしょ 文学の脳生理学的解釈 これだね
じゃあ、これからの文学研究者の座右の書は『バカの壁』ということでファイナルアンサー?
と言うか、実際に認知科学的物語研究はあるぞ。 …それほど複雑なことをやってるわけじゃないらしいけど。
398 :
吾輩は名無しである :04/03/21 03:16
認知科学による物語論の研究って 最近の科学哲学やコネクショニズムの流行と共存できるのか? 認知科学の内部で否定されていきそう・・・ 大体、言語論的転回が否定されようってときに物語論自体が成立するのかも わからんのに
認知科学にした時点でもう物語研究じゃなくなってるような気がしないでもない。
400 :
吾輩は名無しである :04/03/21 13:00
どうせ20年くらいの期間でまた主流の理論がとっかえひっかえされるだろうな。
401 :
吾輩は名無しである :04/03/21 15:11
俺は昔からシェストフ一本だ。
403 :
吾輩は名無しである :04/03/21 16:20
エンプソンは今でも面白い。
404 :
吾輩は名無しである :04/03/21 16:33
>>402 いや、21世紀こそシェストフの時代だよ。
405 :
吾輩は名無しである :04/03/21 16:53
上に出てるジョナサンカラーの入門書って 「literary theory」のことでいいんですよね?
406 :
吾輩は名無しである :04/03/21 17:00
上って何番?
407 :
吾輩は名無しである :04/03/21 17:06
325から333くらいのとこで言及されてる奴です
409 :
吾輩は名無しである :04/03/22 00:39
410 :
吾輩は名無しである :04/03/22 12:17
なんかおもしろい人いない?
411 :
吾輩は名無しである :04/03/22 21:47
トニー・タナーなんて結構あななんだけどなあ。
トニー谷がどうしたって?←小ボケ
413 :
吾輩は名無しである :04/03/23 00:11
414 :
吾輩は名無しである :04/03/23 12:32
ディコンストラクションって揚げ足取りのことだろ
416 :
吾輩は名無しである :04/03/23 12:57
入門書読むとそうみえるかもな けどド・マン以上に見識がある香具師はそんなにいまい
横レス。
>>416 ド・マンはともかく、揚げ足取りしかしていない後追いが多いのは確か。
「ディコンストラクション」のカノンを作るのは変だろ。
けっきょくディコンストラクション(デリダやド・マンに対する)批判 ではなくて、ディコンストラクションのカノン化の批判に行き着く ということですかね。
419 :
吾輩は名無しである :04/03/23 14:11
デリダとかド・マンのことは、 嫌ったり細部にツッコミ入れるのは簡単でも、 あのクラスの批評をするのは困難だろうな。 そういう意味ではケネス・バークとか ウィリアム・エンプソンとかも、 読み直すと今でも十分面白い。
文学なんて分解して批評してどうするんですか?
421 :
吾輩は名無しである :04/03/23 15:26
>>420 古典的な例ですが、
シェークスピア批評は実際の劇の上演に影響を及ぼしています。
分析した後で再構築するわけです。
単なる自己満足とまともな批評は全然別物。
古典になればなるほど批評校訂作業が必須ですよ。
文学研究=誰でもできる
というのは大きな誤解。
422 :
吾輩は名無しである :04/03/23 15:32
>>419 ほう。
じゃ俺もリーヴィスとかバフチンとか古典を読んでみようかな。
>>422 面白いよ。おすすめ。
最新理論って、あくまでも博士課程の学生が気にすればいいような気がする。
あるいは過去の面白い文学理論をもう一度最新理論に突き合わせるとか。
>>421 はあ・・・で批評してどうなるの?意味あるの?
425 :
ファロスマン ◆FTa/HQEoL2 :04/03/23 17:26
移転サバイバル支援?あげ
>>424 だから良く嫁。
昔の作品を上演するときとかに、
批評などの研究を参考にするんだよ。
言語学の資料にも文学作品はよく使われる。
あんたが興味ないだけなんじゃね?
F1レースとそのへんの車の関係が、
文学作品と日常の言語の関係みたいなものだと考えろ。
F1は無駄なようだが車の技術の粋。
一流の文学作品も言語技術の粋。
それを解析することは日常言語を考えるときにも意味があるんだよ。
遠回りだがな。
文学理論と文献学または文学研究一般がごっちゃになってないか?
文学研究=文献学+文学理論+語学 って感じ?
>>427 素人の煽りがそもそも幼稚だからあんな説明でもいいんじゃね?
430 :
吾輩は名無しである :04/03/24 01:12
日本の文学理論、折口や柳田や本居を読んでから話しをしろ。
でも日本の古典をやっている香具師は欧米理論を知らない。 なんせ「からごころ」だからな。 このディバイドは解消されないだろうな。
432 :
吾輩は名無しである :04/03/24 04:56
>>431 そうですか?それって一部じゃなくて?
私ははるか昔、大学の学部の時にバフチンやらバルトやらジュネットやらを学びましたが、
その講義を担当してた先生は源氏の研究者ですよ。
そういう先生のほうが「一部」なのか……。
>>432 筑波だな。
欧米理論を使うだけで誰か丸わかりなのが国文学のキモイところだ。
欧米理論の後追いだと馬鹿にされ、欧米理論を知らないと馬鹿にされ。
>>434 >欧米理論の後追いだと馬鹿にされ、欧米理論を知らないと馬鹿にされ。
大概の分野はそうだと思うが。
437 :
吾輩は名無しである :04/03/25 14:03
>>426 はあはあ!なるほど。それは言えますねえ。
私の関わる分野も同じことが言えます。
勉強になりました〜。素人の質問にありがとうございました。
>>437 いきなり恥さらしだな
ここではマジレスが正解のようだぞ
脱構築最高!!
441 :
吾輩は名無しである :04/03/27 13:19
今Literary theory読んでるけど、どうにかこうにか読んでる。 これはおもしろいね。
442 :
吾輩は名無しである :04/03/27 19:22
サラ・コフマンって意外にも面白いな。
>>433 残念でした。筑波?!まったく違います。
都内の大学です。
444 :
吾輩は名無しである :04/03/30 19:09
三谷さんだろ。
それも違います。 簡単に名指しできそうなほど少ないものなんですか? 実はそうでもないのかも知れませんよ。
岩波講座・文学
別巻『文学理論』
まえがき 沼野充義
●フォルマリズムからの脱出
1 ロシア・フォルマリズムとバフチン 桑野 隆
2 フランス構造主義 大浦康介
3 読むことの個別性と社会性―ブース,フィッシュ,イーザーの読者反応論をめぐって 鍛治哲郎
4 文学という謎―ジャック・デリダ 増田一夫
5 ディコンストラクション ジェラルド・グラーフ
●無意識の理論
6 フロイトからラカンへ 鈴木瑞実
7 ユングとエリアーデ―神話の観点 河合俊雄
●ニューヒストリシズム
8 構造と交錯―社会文化史的アプローチとしての「文学研究」についてのノート 水林 章
●フェミニズムと文学
9 書くこととフェミニズムの接触性 飯田祐子
10 ポストフェミニストな読みの可能性 竹村和子
●ポストコロニアリズム
11 黒人思想家の可能性 富山太佳夫
12 先住民性とポスト植民地理論―中米グアテマラ・マヤ系先住民の詩から学ぶこと 太田好信
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/011201+/top3.html#14
物語論 プロップからエーコまで ジャン=ミシェル・アダン著 末松寿(すえまつ・ひさし)訳 佐藤正年(さとう・まさとし)訳 白水社 本体951円 18cm 170 8p (文庫クセジュ873 ) 4-560-05873-3 / 2004.04
448 :
吾輩は名無しである :04/04/05 12:34
物語を脱構築するという言い方がありますが、 これはどういったことなんでしょうか?
文学理論は物語論に限定されないし、物語論の対象も文学に限定されないけどな。
ド・マンによる「テクスト」の条件。 蓮實重彦なら「小説」の条件と言うかもしれない。 例えば『ドン・キホーテ』は、 騎士道物語の枠組みを使いつつも、 単なるそのヴァリエーションではなく ジャンルに対する批評性を含み、かつ面白い小説になっているわけです。 この場合「物語」とは、 神話でもいいですが、共同体で伝承されるイメージ群を含みます。 単に物語とその面白さに甘んじている限り、 大衆文芸の域を脱しないという了解がここにはあるわけです。
451 :
吾輩は名無しである :04/04/05 15:00
452 :
吾輩は名無しである :04/04/05 21:44
比喩の構造連鎖 彼女の頬は林檎(1)のように赤かった。 そのとき、ウェイトレスが林檎(2)のパイをテーブルに置いた。 1で、比喩として使われた林檎が、2で実体をもった存在として姿をあらわす。
453 :
吾輩は名無しである :04/04/05 21:46
なんで文学って実験的なものが「ヒット」しないんだろう。 海外ドラマの「24」みたいに。 なぜ、ありきたりなものが売れるのか?
「24」は少しも実験的ではないだろ。 がちがちのエンタメ路線。
455 :
吾輩は名無しである :04/04/05 22:00
じゃあ筒井康隆の「虚人たち」もガチガチのエンタメか? 全然売れなかったね。 ゲラプ
>>451 それも違います。
だから海外の理論くらい、古典の研究者だっておさえてる人は多いって。
どこに書いていいかわからないのでここの人たちに読んでもらおう(ぼs 最近の小説、映画、ドラマなどを見終わったあと、結末を思い出せません。 面白かったことだけ覚えてるんですが、最後だけ抜け落ちるんです。 少し古い小説、映画、ドラマをレンタルなんかで見ると結末を覚えていられます。 最近の物語の作り方と関係あるのでしょうか。
脱構築だな。
りろんといいながら 完全に作者の職人性に依存した評価(しかも商業主義にさらに依存) 実証性のない筋書き 信念を持たない、あるいはもてない研究(?)者 学理を芸評にかえるべきだろう
460 :
吾輩は名無しである :04/04/23 21:45
ナコト写本とネクロノミコンを読みたいのですが、 和訳版あります?
463 :
吾輩は名無しである :04/04/29 22:04
464 :
吾輩は名無しである :04/04/30 23:17
465 :
吾輩は名無しである :04/05/01 01:55
だからぁ〜 言語論的転回は否定されたんだって それで脱構築なんて成り立つの? 脱構築自体が脱構築されたんじゃないの? 文学理論は哲学の流行から取り残されてるんじゃないの
>>465 言語論的転回は否定されていない。
なぜなら(フーコーの言うように)歴史的事実だから。
「否定された」というのはどのような意味でいっているのか。理由は?
そもそも脱構築と言語論的転回の関係は?
以上の問いに答えたら、相手してやるよ。
歴史的事実って何なのさ? 別人ですまんが
>>467 フーコーが『言葉と物』で分析した意味での「歴史的事実」。
近代以降、表象空間に言語の厚みがせり出してきて
物と意味表象との透明な関係が失われてしまった。
言語論的転回というのは、一般には、認識にとっての
言語分節の優位が生ずる転換のことを言うから。
フーコーはその変動(言語が優位になる変動)がおこる
歴史的空間を提示した。
括弧付きの「事実」ね それなら納得します。
だが、永遠に書き換えられない「正史」はないよ。
今後の理論的反省の結果、言語への関心が薄くなる可能性だって
誰にも否定できないと思うのだが。
ifの話だから、神のみぞ知る事柄だろうけどね。
もっともそれと脱構築がどう関わるかは、俺は知らん。
>>465 に聞いてくれ
邪魔して悪かった。議論を続けてください。
デリダはさんざん言語学に留保をつけているよ 予め言語論的転回→脱構築という通念に釘をさすというか。
471 :
吾輩は名無しである :04/05/06 22:41
触発する言葉 ―― 言語・権力・行為体 ―― ジュディス・バトラー 竹村 和子 訳 ■体裁=四六判・上製・カバー・320頁 ■定価 3,675円(本体 3,500円 + 税5%)(未刊) ■2004年4月27日 ■ISBN4-00-023392-0 C0010 権力の言葉,差別の言葉.そうした言葉によって 支えられる既存の社会システム. それを攪乱し,新しい方向をこじあける力を持つ のもまた言葉である. なぜ言葉は人を傷つけられるのか. いかにして言葉は社会を変えるのか. 現代思想の最先端で「触発する言葉」を放ちつづ ける理論家が, 言語の政治性を縦横無尽に論じた注目の書.
472 :
吾輩は名無しである :04/05/07 10:51
age
473 :
吾輩は名無しである :04/05/29 09:33
ある学問の死 惑星思考の比較文学へ G・C・スピヴァク 上村忠男・鈴木聡 訳 四六判・224頁 定価2730円(本体2600円) ISBN4-622-07093-6 C1010 2004.05.25 DEATH OF A DISCIPLINE by Gayatri Chakravorty Spivak
「比較文学と地域研究は、協働することによって、地球上の南の諸国
民文学を育むだけでなく、地図が作成されたあかつきには消滅するべ
くプログラムされている、世界各地に無数に存在する土地固有の言語
による著述を促進することもできる。… わたしたちは一致協力する
ことによって、それらの言語に境界の連帯性を提供することができる。
それらの境界は、たやすく、幾度となく繰り返し横断することができ
るのである。これこそは、来たるべき比較文学が恒常的に仕掛ける、
底辺からの中断作用にほかならない。グローバリゼーションのアイロ
ニーである」
第二次大戦下の亡命知識人を中心にアメリカに生まれ、ヨーロッパ諸
国民の言語に基礎を置いた「比較文学」と、冷戦構造のもとに誕生し
た「地域研究」。グローバリズムが席巻するいま、この二つの分野の
伝統的なあり方からの脱却は、どのような方向にむけられるべきなのか。両者の連携および「ヨーロッパの他者」たちの視線のもとでみず
からを「他者化」することは、いかにして可能なのか。著者は、グロ
ーバリズムに対峙する惑星的思考のなかで、新たな比較文学を志向す
る。
『サバルタンは語ることができるか』で知られるスピヴァクが、今の
大学教育、文化や文学研究のあり方を批判しつつ描いた、来たるべき
学問論。日本でも大学教育をめぐって再編が進んでいる現在、著者の
透徹した議論に耳を傾けたい。
http://www.msz.co.jp/titles/7093.html
475 :
吾輩は名無しである :04/06/15 03:14
深夜にキチガイぬるぽあげ
おっぱい
477 :
吾輩は名無しである :04/06/25 19:14
やらないか
478 :
吾輩は名無しである :04/06/28 16:07
サミュエルメッセが少し悪いな。この演出はのせるのがうまいなはのせるのがうまいなはのせるのがうまいなはのせるのがうまいなはのせるのがうまいなはのせるのがうまいなはのせるのがうまいな
479 :
吾輩は名無しである :04/07/01 15:18
俺はね、なんと言われようとこのスレを死守るよ
女なんていないと想像してごらん ジョアン・コプチェク著/村山敏勝訳 河出書房新社・07月14日・3,675円・ISBN:4309243215 ラカンの悪名高き命題「女は存在しない」は何故衝撃的か。 精神分析から倫理へのアプローチの可能性を追求、挑発的な書。
481 :
吾輩は名無しである :04/07/07 11:59
あげるよ
482 :
吾輩は名無しである :04/07/07 12:30
いらない
483 :
吾輩は名無しである :04/07/08 09:41
最高
484 :
吾輩は名無しである :04/07/08 15:25
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1088683706/231 それはそうと昨日の夜は戦争と平和を読みましたよ
戦争と平和
ヘミングウェイの自伝のような小説
徹夜して2回どおり読んだけどやっぱヘミングウェイは老人と海に限るなとおもいました
つかヘミングウェイの世代のアメリカ作家はいい作家おおいねフィッツジェラルドもフォークナーもそのころだったはず
ただ戦争と平和が最高の戦争小説と言われるらしいがそうは思えない
戦争についてと恋愛について2分されていて両者が深くかかわらない幹事がするのでテーマが分裂していまいちな感じもする
ヘミングウェイの作風なのかもしれないけど主人公の存在が希薄なんだよね
何も考えてないっていうか主体性がないって言うのか内面の描写がもう少しあったら面白いかもしれない
487 :
吾輩は名無しである :04/07/09 16:50
おまんこ爆あげ
488 :
吾輩は名無しである :04/07/09 17:20
489 :
吾輩は名無しである :04/07/10 13:02
まんこ
490 :
吾輩は名無しである :04/07/10 22:50
↑ "まんこ"ってのも魅力的だが、たまには丁寧に「クッソたれ」くらい奉れ よ、488に。 それに、「謙虚にしてろ」ってご忠告も添えてな。 どう見限っても、486は自分に言い聞かせてるカキコだわな。
491 :
吾輩は名無しである :04/07/11 01:48
謙虚にすんのはおまえら。 ものの本読んだだけでえらそうに語るなよな。 ばればれだぞ。
憧れの叔母との初体験は忘れない
高校3年の時、お願いしてやらしてもらった。 その前に脱衣所の叔母のパンツこっそりクンクン嗅いでる所見つかったんだよ。 で、「なにしてるの!」って怒られた時、正直に告白して懇願して初体験できた。 受験期のもんもんとした時期。下半身は野獣のようだったよな。
494 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 17:09
キモイよ
495 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 18:19
490さん、"はればれ"としてるよ。 491は"ばかばか"でちゅが。よりにもよって"ものの本"とは、うっふっふ。 程度が痴れましたー、ってか。
496 :
吾輩は名無しである :04/07/15 07:25
アマレスリングの男達に尻の穴をガンガン突いてもらいたい
497 :
吾輩は名無しである :04/07/15 12:36
すみません。最新流行の文学理論ってなんですか?
屁、でちゅー。
499 :
吾輩は名無しである :04/07/18 14:55
4ljkfljda;jf;ajg;a
500 :
吾輩は名無しである :04/07/18 14:56
我こそは500
501 :
吾輩は名無しである :04/07/22 18:47
テリーの本を読み始めた
502 :
吾輩は名無しである :04/07/26 03:55
史上最強の保守
503 :
吾輩は名無しである :04/07/26 06:34
文学理論に拘った作家はまず売れない
文学理論を勉強した学生ほど、つまらない。
505 :
吾輩は名無しである :04/07/29 04:10
そんなことはない。
文学理論を勉強した学生ほど、つまらないのは事実。でも、文学理論を勉強する意欲さえない学生は論外。
文学理論を勉強する意欲なんてある学生は論外。
509 :
吾輩は名無しである :04/07/29 16:00
日本人は「理論を学ぶとアホになる」を信じすぎ。 そのせいで怠惰な香具師が多い。 作家ならまだしも、研究者がそれでいいのか。
>>509 「理論を学ぶとアホになる」は大嘘。
「アホが理論を学ぶと余計アホになる」が正解。
然り。 日本の駄目なところは、 理論=小賢しいという通念が強すぎることだ。 事実、小賢しい香具師も多いが、 実際には理論を知りもせず軽蔑する輩の方が、 半端な「無知の知」を実践したつもりでいて、たちが悪い。 一番いいのは学部でざっと概観しておくことだな。 あとは各自が考えればよい。
512 :
吾輩は名無しである :04/07/30 00:37
そうそう、やっぱり基本的な所(何が基本かは問題やが)で、 合意が無いと、会話がなりたたんもんな。
ということは、会話が成り立っている限り 基本的なところでは合意があるってことか。
514 :
吾輩は名無しである :04/07/30 00:45
そう言えば、そう言えますなぁ。 だから、何らかの基盤は確保されてんだよ。 えらい。
基盤ということで言うと今必要とされる文学理論の知識の最低ラインて どれぐらいになるのかな。 イーグルトン『文学とは何か』 ジョナサン・カラー『文学理論』(どちらも岩波書店) で扱われているトピックや内容はすべて押さえておく、 というぐらいか。 研究者目指すなら、そのなかの領域、ふたつ分ぐらいは 専門的にとりくんで、上の二冊を批判的にコメントできるぐらいの 知識は最低必要になるだろうね。
516 :
吾輩は名無しである :04/07/30 01:36
>>515 文学的な世評にはうといんですが、
イーグルトン『文学とは何か』 の評価ってのは、
どうなんですか。
正直、読んでて、いまいちパッとせんような気がしたんですが。
やっぱり、イギリス(アイルランドでしたけ)で文学を概観って事になると、
ああいう感じて、時系列っぽく並べるのが、一般的なんでしょうか。
>>516 イギリスというより英語圏の文学理論の展開全般を
視野に入れているから、啓蒙的には一通り押さえている。
概説書だけれども、イーグルトンだけあってさすがに
読ませる工夫はある。文学理論が苦手と思っている人は、
最低ラインとして、とにかく通過儀礼として読んどけ、
という感じ。で、個々に勉強していくなかで
そのなかの記述の荒さを軽く批判できるようになれば、
卒業すればいい。
518 :
吾輩は名無しである :04/07/30 01:41
>>515 何かもそっと、上手く言えないんですが、
フォルマリズムっぽいと言いますか、
例えばバルトのS/Zっぽくて、いま風のお勧めって、
ご存知でしょうか。ぜひ、教えてください。
ニュー・クリティシズム以前の批評ってどんなんでしょう? 具体的な文芸批評書で翻訳とかあります?
520 :
吾輩は名無しである :04/07/30 01:55
いまさら、御免なさい。 恥ずかしげも無く、 「ニュークリティシズム」って、ちょっぴり教えて。
521 :
吾輩は名無しである :04/08/10 03:29
何はなくとも保守
522 :
吾輩は名無しである :04/08/10 03:50
ニュークリティシズムは ヘッケル博士が提唱した理論です。 1988年におこったポスト構造主義が源流となっています。 日本の研究者としては林義弘氏が有名ですが、主に精神分析学を抽象 し文学理論の発達に寄与すると期待されています。 現在この理論を応用して活発な評論活動をしているのが、 石井慶介氏です。 一言で言えば、この理論は構造主義的懐疑を
523 :
吾輩は名無しである :04/08/10 04:11
ワロタヨ
524 :
吾輩は名無しである :04/08/10 06:59
野村章恒のポー研究とかでよく出てくる病蹟学とか文学研究の上ではどう 評価されてるの?トンデモ扱い? 私が学生のときは医学部のない単科大だったので 現場レベルでの自然科学的アプローチの情報が皆無で 普通の作品論しか教授認めてくれませんでした。 (知識としてのバルト以降の流れは教えられたけど)
ワロッテくれた? ククク。。。 おれ、なんも知らん。 それらしき言葉で説明ぶってみただけ。 クククク。。。 ちょーうける。
比喩表現のデータベースとかシソーラスみたいなのを作ってある詩人の作品世界の変遷を調べるためにパソコンを使いたいんだけど、何かそういうののマニュアルとかってあるの?
527 :
吾輩は名無しである :04/08/12 07:17
ニュークリティシズムは ヘッケル博士が提唱した理論です。 1988年におこったポスト構造主義が源流となっています。 日本の研究者としては林義弘氏が有名ですが、主に精神分析学を抽象 し文学理論の発達に寄与すると期待されています。 現在この理論を応用して活発な評論活動をしているのが、 石井慶介氏です。 一言で言えば、この理論は構造主義的懐疑を一言の元に断罪し、 一律30%の課税を課すという暴挙による律動です。
保守
529 :
吾輩は名無しである :04/08/21 12:55
エクセレント
文学理論なんて理論でも何でもないだろ。 文学者、文学評論家なんてこの世でももっとも馬鹿馬鹿しい職の一つだ。
>>530 この種のバカって定期的に湧いて出てくるよな
532 :
吾輩は名無しである :04/08/22 15:58
蓮實さんってあらゆる体系化を 拒むよね・・・。
533 :
吾輩は名無しである :04/08/22 16:09
他人様の思考なんかを分析して芸の肥やしにしてるようなインテリオナニストだもんな。 死んでくれ。
534 :
どぐまちいる200mg ◆cO1.rmDGbM :04/08/22 23:15
文学理論はどうですか?
535 :
どぐまちいる200mg ◆cO1.rmDGbM :04/08/22 23:23
おいらも肩書きは「物語理論研究」なんだけど 仲間がいなくて寂しいですTT
536 :
どぐまちいる200mg ◆cO1.rmDGbM :04/08/22 23:35
「物語理論研究」ってだけできっと ばれかねないくらい 仲間がいないです。
537 :
どぐまちいる200mg ◆cO1.rmDGbM :04/08/22 23:54
演劇だろうと小説だろうと、 ハリウッド映画にしても、探偵小説にしても 西洋のフィクションの背後には アリストテレスの『詩学』がある。 理論を読まないとアクセスできない部分は いっぱいあるし、文学史を包括的にとらえるなら 理論を読むのが近道でもあると思います。 「理論」って日本語でいうと小ざかしい感じだけど Theoriaのtheoはtheos、神様からきてる。 作品論、作家論、テクスト分析とかが、テクストの後の 研究だとしたら、理論研究って言うのは テクストができるまでのプロセスに目を向けるものだと思う。 理屈とか公式集とかってわけぢゃないよ、 ぼくの中では。
538 :
どぐまちいる200mg ◆cO1.rmDGbM :04/08/22 23:58
カルスタとか、ああいう最近の ニューレフト系のものはまた違うけどね
そういえば、どうしてカルスタって略するんだろう? 文化研究じゃだめなのか?
略している香具師は、煽り混じり。 半ば蔑称。
>>537 タルコフスキーの映画とか、ずいぶん赴きは違うが、ヴォネガットの
小説とか、時系列に則った起承転結を意図的に拒否する、というのは?
542 :
吾輩は名無しである :04/08/27 01:18
時系列に則って起承転結を拒否する問題についてですが、 ニュークリティシズムの起源の問題とも一致します。 この問題を男子一生の問題として解決に向かっているのが 慶応大学の琴似教授です。 学際領域での接点もうんぬんされている学会の近況の中で あらゆる次点での接触を脱ぎ去り、おっぱい星人との対話を通して アカデミズムをろ過する過程に過ぎないと一般的には言われていますが、 この論点を発展させたのが新木場の夢の島トイレであり、 ここで盛んな同性愛的議論が繰り返されているのは20世紀初頭の ポストモダニズムの発展場として寄与される意向を表明したものとして 一定の評価を勝ち得ています。 以上、簡単ながら解説させていただきました。 東京大学教養学部教授 酒井敏非子
543 :
吾輩は名無しである :04/08/28 06:53
>>539 カルスタの略用につきましては、さきほど酒井教授に明快なご解説を
いただきましたわけでございますが、私から2,3補足的説明を付加
させていただきたいと存じます。
カルスタと申しますのは、先の大戦における日本軍と
米軍の総力戦において、蓋然的認識の相違に基づく違和感
が根本的原因を構成しております。
この点を文化研究の範疇から研究されていらっしゃいますのが、
京大の佐々木信一郎教授です。佐々木教授の論文「文化国家としての
覇権」によりますと、文化の起源は第一次縄文後記にさかのぼることが
でき、また、当時の社会状況からいわゆる律令制度の崩壊と蘇生に
よって新たなる女性社会が実現する萌芽が見られたのです。
ここにいたって、真に純粋培養されたドグマとしての哲学理論が
教授され、慕われ、愛慕されるにいたるのであります。
以上、簡単ながら解説させていただきました。
東京大学文学部教授 矢田木津尾
>>543 11行目から12行目がつながってないぞ
>544 一行でもつながってるところがあるか?
546 :
吾輩は名無しである :04/08/30 01:23
>>544 つながりに欠けるとのご指摘、ありがとうございます。
この点に関しまして、些少の誤解が生じたようです。
改めてご説明申し上げます。
まず、酒井先生の明快なご回答を賜りました後、当方が考えたことは、
いかにこれを的確に補足説明をいたすか、のこの1点のみでございます。
学究生活38年、一切の誤謬性を廃した論文で一躍寵児的歓迎を受けた文学理論
研究ではございますが、アカデミズムの観点から申しますに、
多少のねたみそねみも確かに存続いたします。
したがいまして、かような議論におきましては、意図的解釈に基づくよりも、
恣意的理論に則って、あたかも四則演算のみで推論されていく数理論理の世界
を歩むが如く、進むべきではないか、ということ。
これこそ私が博士論文で指摘したテーゼにほかなりません。
以上、簡単ながら誤謬性の回避につき、ご解答申し上げます。
東京大学文学部教授 矢田木津尾
うるせーばか
548 :
吾輩は名無しである :04/09/04 02:07
>>547 コーラ、わが心のともしび、わが肉のほむら、わが罪、わが魂。コ、ー、ラ。舌の上を
はぜるように口蓋をふるわせ、三秒後に軽く歯に沁みる。コ。ー。ラ。
朝、ソックスを片方だけはきかけて立って飲む350ccの彼はコだ。ただのコだ。ゲップを
はくとコーだ。アメリカではコークだ。正式にはコカ・コーラ。しかし、私の胃をもたれ
させるときの彼は、いつもコーラだ。
彼はなにかの麻薬なんじゃないだろうか?そう、たしかにそうだ。じっさい、ある夏、私
があの最初の炭酸飲料を愛さなかったら、コーラは、まったく存在しなかったかもしれない。
海辺の、ある公園でのことだ。あれはいつのことだろう?そう、あのときから、コーラが生
まれるまでに、ほぼあの夏の私の体重分だけ肥満した計算になる。デブというものは、かな
らずこのようなひねった文体をこねまわすものと思っていいだろう。
消費者のみなさん、販促物件第一号はかの暗黒液体が_あやまり伝えられているかの安価で
謎めいた製法をもった暗黒液体が、かねてうみだしたものである。このかなりつきでたお腹を
見ていただきたい.
東京大学文学部教授 矢田木津尾
晒し保守
550 :
吾輩は名無しである :04/09/05 22:01
>>548 矢田木津尾というよりは、ハンバーグ・ハンバーグと改名した方が良いのでは…。
>>548 センスがあるのかないのかわからん。。。
552 :
吾輩は名無しである :04/09/06 01:14
誰かそろそろ大橋洋一スレを立てるべきでしょw 授業出たことあるけど色々と面白いよあの人プゲラ
553 :
吾輩は名無しである :04/09/06 09:14
文学理論って、学問というより趣味の領域だろ。 単なる言葉遊び。自己満。 そして理論など知らずに普通に読書しているひとたちより 損してる。つまり人生損してる。
┐(゚〜゚)┌ヤレヤレ
555 :
吾輩は名無しである :04/09/06 12:16
まー、他人のふんどしで相撲を取って飯を食えているわけで。
もうちょっとマシな反論しろよ
ディスクール分析について語ろう
.  ̄ ̄〃  ̄ ̄/ /  ̄/ /  ̄/ ̄ _/ / ./ ―― / / / / /\ _/ _/ /_/ /\___/ヽ /'''''' '''''':::::::\ . |(●), 、(●)、.:| + | ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::| . | `-=ニ=- ' .:::::::| + \ `ニニ´ .:::::/ + ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、. : | '; \_____ ノ.| ヽ i | \/゙(__)\,| i | > ヽ. ハ | ||
559 :
吾輩は名無しである :04/09/10 18:35:46
イメージ論的批評とか分析批評とか伝記批評とか いろいろあると思いますが語っていきましょう。
反人文厨は一度作品分析をやってみるといいよ
文学なんてやってても意味がない 小説を読んでもモテやしない もはやすべては書き尽くされている 意味なんてどこにもないさ♪ 文学理論が小説をつまらなくしているのだと思います。 囲いの中で叫んでいるけものです。私のココロを温かくする小説がある。 それを最高に感じるんです。
>561 五行めまでと六行めに深い断絶が見える。
563 :
保守マン :04/09/15 13:22:14
保守
1〜4行目は各々が別個の言い草。 5〜7行目はこれで1つの言い草。 計5つの言い草。
565 :
セブン☆スター :04/09/16 01:19:34
ニュー・クリティシズムの代表作である、ウィリアム・エンプソンの『曖昧の七つの型』は星野徹・他訳(思潮社、1972年)と岩崎宗治訳(研究社、1974年)の2種類の翻訳が出てます。 エンプソンは第2次大戦前に日本にいて、東大と東京文理大で教えていたそうです。
566 :
吾輩は名無しである :04/09/16 01:53:26
ジャン=イヴ・タディエ『二十世紀の文学批評』(西永良成ほか訳、大修館書店、1993) 総論/紹介としては、これがベストじゃないかな。
567 :
吾輩は名無しである :04/09/20 07:52:35
朗らかに保守
568 :
吾輩は名無しである :04/09/20 10:10:19
jonasan cullerの入門を読みました。 次はマシュー・アーノルドやペイターから歴史を追って読んでいけば 今の難しいのもわかるようになりますか?
実を言うと、今の理論よりペーターの方が難物。
570 :
吾輩は名無しである :04/09/20 11:35:03
まじですか????以前フーコーの本を読んでみたのですが ちんぷんかんぷんでショックを受けまして。イーグルトンの批評はなんとかわかりました。
571 :
吾輩は名無しである :04/09/24 14:44:57
保守
572 :
俺 ◆xYOzz1Clm2 :04/09/24 14:51:01
q
573 :
吾輩は名無しである :04/10/01 17:40:20
ケイティー・ウェールズ『英語文体論辞典』、豊田昌倫・他訳、三省堂、2000年発行。 英語圏の学生向けにヤコブソン、バフチン、ジュネット等について800項目以上にわたって解説したハンドブック。 国文科の学生にも便利で役に立つ。
574 :
吾輩は名無しである :04/10/01 20:25:10
「英語のたくらみ、フランス語のたわむれ」斎藤兆冶・野崎歓、著
575 :
吾輩は名無しである :04/10/09 00:24:44
保守
576 :
吾輩は名無しである :04/10/09 12:57:21
矢田木津男先生の光臨を願う。
577 :
吾輩は名無しである :04/10/09 13:45:42
まぁ、文学理論・批評理論っていうとね、そんな風に堅苦しく読んでも面白くないってね、 そういうようなことを仰るかたがいますが、 大抵の人がね、意識せずに、何らかの批評の方法をとって本を読んでらっしゃいますよね。 印象批評とかね、意味論的な批評とか。 それで、その読み方が正しいと、全てだと思ってらっしゃる。 僕はね、そういう、なんていうんですか、独善的といいますか、盲目的といいますか、 そうなってしまうことが、なんとも怖い。だから、文芸批評の方法を学ぼうと思ったのであります。
そういう文体を使うおまえがキモい、
うはwwwwwwwwwwww
580 :
吾輩は名無しである :04/10/11 15:43:01
そういう文体を使う方は気持ちが悪い、とのご指摘でございますが、 この点に関しまして、ささやかなハーモニーを奏でたいと存知ます。 つつみ隠さず申し上げますと、コタビの戦は、アカデミズム上の観点から申しますに、 あややとぱややの接点におけるポスト構造主義的違和感がその根底を構成いたしております。 従いまして、ハンバート・ハンバート市における言語主義的理想論も、 はたまた、精神主義的観念論も、いささかなりとも誤差を生じない、 いわゆる空想的科学主義を標榜する一群となって、雪崩のごとき幸せが あなたにやってきます、という言葉における斎藤一人氏の言質ではないでしょうか。 このような観点から、いささか恐縮なものいいになってしまいますが、 東京大学的アカデミズムの頂点から申しますと、俯瞰的熟慮のコミュニケーション学部 が構成されます。 また、下部構造が丈夫降像を規定するというマルクス主義的主張の中に、 人間的誠意が見られるというご指摘も重々承知のすけ。 以上、ささやかなハーモニーを奏でさせていただkimasita 東京大学教養学部教授 矢田木津尾
582 :
吾輩は名無しである :04/10/11 19:57:33
誰か「モジュラス論」の説明してくれ。 文芸批評の先端理論なんだろ? ちがうかな。
583 :
吾輩は名無しである :04/10/18 13:46:44
大変返信が遅くなり、失礼いたしました。 オックスフォード、オスロの両大学にて、国際学会に出席しておりましたため、 恐縮ですが、ただいま返信させていただきます。 拙著「デリダ入門」をご参照いただければお分かりいただけると存じますが、 換言いたしますれば、デリダってでりだ? というわけでごさいます。 この一言にて説明できる、という事柄ではございませんが、 pervert であり、 poet-poet である Mr. Humbert 肝いりであることをご了解いただいて、 この点から権語同断歩行者横断であること、ご理解を賜りたく、存じ上げます。 また、モジュラス論につきましては、ただいま資料が手元にございませんので、 精確を期すため、帰国後の詳述とさえていただきたいこと、つとにご理解賜りますよう お願い申し上げたい次第でございます。 しかし、歯科助手の女の子のおっぱいが頭にふれて、 どきどきでございました。 いやはや、老体に鞭打って、セックスに励んでおります。 ブリティッシュコロンビア大学の丘にて 東京大学文学部教授 矢田木津尾
584 :
吾輩は名無しである :04/10/22 00:36:13
矢田先生のご論文を拝見いたしましたが、さすがですね。 難しいことを、ことさら難しく表現なさるあたり、 漢学の素養と教養が感じられました。 まことにもって先達あらまほしきことなり。 東京大学大学院文学理論研究生 親健二
拙著「デリカフェ入門」をご参照いただければお分かりいただけると存じます
586 :
吾輩は名無しである :04/10/23 02:47:00
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587 :
吾輩は名無しである :04/10/24 20:38:19
590 :
吾輩は名無しである :04/11/02 06:33:03
ポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコ
591 :
吾輩は名無しである :04/11/03 21:40:58
はああぁ すからかちゃかポコちゃかポコちゃかポコ
カルスタポスコロってなんで他分野の連中に嫌われてるの?
593 :
吾輩は名無しである :04/11/09 13:59:21
論壇学者として書店で勝利しているから
>>592 新しぶる割に、古臭い歴史社会学派の左翼イデオロギーを(無自覚に)復活させるばかりだから。
べつにいいじゃん 放置すればいいのに。 そういうのに反論するのにイデオロギーで対抗するのが駄目だろ 「左翼はいやだ」イデオロギーもけっこうウザいんだよね 学者なら正面から論破汁
いや、誰もイデオロギーで対抗などしてないぞ? それだとどっちにしろ主義者になる。 それにもう、国文学における歴史社会学派はとっくに破綻した歴史があるんだけど。 その歴史(研究史)を無かったことにする無知と忘却とには、勉強が足りんの一言で沢山。
国文科かよ お前ら自分がバカだからって理論を軽視しすぎだ 実態は「外国語読めない」のに 「やっぱからごころ駄目だよな」と逆ギレするタイプが多すぎだろ。 欧米の研究者に比べて駄目すぎな理由を知れよ 奴らには予め理論的に牽制かけろっつうの だからポスコロカルスタにおいしいところ持ってかれるんだよ
ちなみにわかってると思うが 俺は別にカルスタポスコロファンじゃねーからな。 俺は自分のフィールドでは、 彼らの主張の取るべきは取り、 くだらんイデオロギーは叩くようにしている。
>>597 文学で歴史社会学派って言ったら、国文学が主でした、だから挙げた迄。
その経緯を知らなかったのなら、君も新奇な理論を輸入する前に研究史を振り返った方がいい。
いや、俺国文じゃねーし。 「新奇な理論の輸入」としか捉えられない貴様の構えも硬直化しているだろ? 「地道な俺」演出になるからそういう認識捨てろよ
カルスタ・ポスコロはすぐ国民国家論をすぐ云々するが、 いつもベネディクト・アンダーソンを引いて済ませてばかり。 政治学で国民国家論と言ったら福田歓一などが70年代から言ってることで、 批判するにせよこれを参照しないのは不勉強だ。これまた研究史の無視。
>>600 国文でなかったら、日本における歴史社会学派について知らなくてもよい、と?
学問分野の繩張りに縛られて硬直した思考ですね。
私は国文科でなくてもこれ位は知ってましたし、そんなの自慢にもならんと思ってましたが。
>>602 ちげーよ。
お前「理論はイデオロギー気味、実証こそ王道」
という学会本流なんだろ?
それだと理論野郎とは棲み分けにならねーのか?と言いたいんだよ。
それに歴史社会学派がどう駄目だったのか、一言も言ってねーじゃん。
全く知らないわけないだろ
お前が何を想定しているかもわからずに
適当な事言うつもりはないだけだ。
ラカンとアルチュセールを押さえりゃ、 あいつらの理論のコアが叩けるんだよ。 一種の「主体論」だから。 そして日本の既存学派に対応物がなかったからこそ、 彼らの主張が跋扈した。 貴様はどうせ「主体論についての研究史」 を持ち出すんだろうが、 構造主義以後の連中は、 正否はともかくそこで一度白紙還元を行ったんだから、 「相変わらず古い議論だ」と一蹴するんじゃなくて、 ポスコロカルスタ連中の諸前提一つ一つつぶせっていうんだよ。 俺はそれぐらいの労苦は払うぜ?
>>603 >全く知らないわけないだろ
では
>>600 の「いや、俺国文じゃねーし」はどんな意味だったのか?
国文科でないから知らないや、って意味でないのだとしたら?
>>604 構造主義〜ポスト構造主義が「一度白紙還元を行った」筈なのに、
構造主義以前のマルクス主義イデオロギーに後戻りしてるからこそ問題なのだが。
構造主義以前の「歴史」を知らない人にはそれもわからないのかなあ。
>>605 議論の細部を知らないって事だよ。
特に人事関係の問題。
どうせ基本的には旧共産党・社会党関係のトラブルなんじゃねーの?
法社会学とかマル経とか、
そういうお決まりの批判のヴァリアントだろ?
社情研が文科省に睨まれて潰れたとか、
そういうくだらん「日本学士院」話だったらくだらないと言っているのだ。
あんたの書き込み方は、
いかにも学会のうわさ話風だから、
わからんのだよ。
もう少し詳しく書けよ。
そうじゃなくて、
本当に歴史社会学派が破綻した認識に基づいていたなら、
その論拠の一端を紹介汁
「アンダーソンに依拠イクナイ」ってのも、
もはやステレオタイプだぜ
>>606 お前の言う「歴史」って畢竟「研究史」じゃん。
どうせ理論屋全般にあいまいな敵意を持っているだけだろ?
俺もお前と同様の疑いを持っているよ。
でも「マルクス主義イデオロギー」と相手を名指せば勝利とは思わん。
>>603 >お前が何を想定しているかもわからずに
>適当な事言うつもりはないだけだ。
その割に、当てずっぽうの決めつけが多いんだよね。
>>597 >国文科かよ
>>603 >お前「理論はイデオロギー気味、実証こそ王道」
>という学会本流なんだろ?
>>608 >どうせ理論屋全般にあいまいな敵意を持っているだけだろ?
で、国文科なんて関係ないとツッコミ入ると、話をそらすし。
>>607 構造主義による理論的切断(って歴史)を重視する者を、どうして理論輕視と見るのかね?
>>607 >いかにも学会のうわさ話風だから、
どこが? そんな噂話は
>>607 しかしてませんが。
そもそも「研究史」を理論抜きの「人事関係の問題」に還元するのが、
いかにもゴシップ好きならではの誤謬って感じ。自分の姿を他者に投映したのかな。
>>609 聞きたい「想定内容」は、歴史社会学派の「破綻」についてだ。
話そらしてなんかいねーよ。
どうせ貴様も漏れもアカデミシャンなんだろう?
漏れのスタイルに突っ込むんじゃなくて
具体的に切り込んでくれ
じゃねーと「ポスコロカルスタ連中って駄目だよなプゲラ」
と何の変わりもない事になる。
>>610 貴様の「マルクス主義イデオロギー」忌避の仕方が、
そう疑わせただけの事。
もっと踏み込めよ
人事連中に嫌悪感が共有されているのは自明だし、
あんたの書き込みだけからは、
理論が問題なのかどうか、違いがわからないだろうが。
ようするに、 カルスタポスコロ批判は今やデフォだから、新味ないんだよ。 糞ウヨだってそれぐらいの事は言える。 ここであえて「研究史」持ち出すなら、それなりに実質的な書き込みしてくれ。 敵は俺じゃないだろうが。誤認するなよ
>>612-613 本当に「アカデミシャン」なら、他人にばかり求めず、自分でやれば?
さしあたり日本文学協会の歴史を調べな。『日本文学』を通読してみ。
それから『社会文学』7号(1993)で同派の側からの総括もあったな。
小森陽一「「歴史社会学派」に関する、歴史社会学的覚え書」
布野栄一「歴史社会学派の生成と戦後の展開」
日文協でない方面からは
紅野謙介「〈公開シンポジウム〉−歴史と文学歴史社会学派の方法」『文芸と批評』6巻1号(1984)
もある。
論文検索で探せばまだ出てくるぞ(笑)。
>>604 >ラカンとアルチュセールを押さえりゃ、
>あいつらの理論のコアが叩けるんだよ。
ぷ。この程度の認識では、碌な批判はできまいよ。
フロイトとマルクスの尻尾を残してるしね。
>>615 フロイトとマルクス叩けばおk?
そう簡単かよ
フロイトとマルクスって19世紀的思考の息の根を止めるのが難しいんです。 だからラカンやアルチュセールでは駄目。むしろ延命になりかねない(なってる)。
息の根止めたいのか。 なら歴史研究じゃだめだろ。
はあ? 誰が歴史研究だって? 研究史なんて基礎に過ぎぬし、理論の受容史を知った上で批判するのは当り前だろ。
>>619 いやいや、それならあんた自身が理論を提出しないとだめだろ
俺は19世紀の遺産すべてが糞とは思わない
ニーチェ・フロイト・マルクスは、
もはやこの種の理論では古典だろ
無謬のわけないし、いくらでも批判すべきだがな
621 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:20:48
体制批判の理論って、どっちみち消えないよ 何に苛ついてるのかしらんけどさ
80年代のマルクス葬送派とか、無かったことになってるのかね、若い奴らの間では。
マルクス(主義)に批判的だと体制批判を否定してることになるの?
>>621
624 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:30:18
やっぱジジイか。 「マルクス葬送派」とか、 次々にジャルゴン出せばいいってもんじゃないだろ それぞれの内実を説明汁っつうに。 日本の論壇の記憶って、15年前後でリセットされるんだよ 体裁だけちゃんとした学会は多いが、 師匠叩くと支障が出るから端的に過去の問題系が放棄される。 原因は雑誌の類じゃないの? それと、再定式化の努力の欠如。 つまり暗黙のコンテクストを明示化する労を払う人間が少ない。 すると「若い奴ら」は過去の不毛な論争について知り得ない。 嘆くなら良い論文書いてみてくださいな。 そういうの大歓迎だから。
625 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:31:12
>>623 どう批判的か示してくれよ
2ちゃんだとただの煽りとまともな内在批判の区別がつかんから。
>>624 無知を開き直られてもな。調べればすぐわかることを。
627 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:35:14
>>626 だから「俺が」じゃねーだろ
状況分析だっつうの。
若い知り合いいないんだろ?
>>625 君はどう批判的かもわからない癖に、区別もつけず体制批判の全否定と見做したわけね。
慌て者め(笑)
629 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:37:11
ここでラベル貼って、「調べろ」で済む議論もあるけど、 あんたの憤りはこのままだとただのボヤキだろう。 とにかくここで再定式化汁 簡単に示せるだろうが。 じゃないと「若い馬鹿は困るねプゲラッチョ」だろ
630 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:38:01
>>628 お前がまともな内在批判者には見えんよ
別に俺も左翼じゃないけどな
631 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:38:49
ていうかジジイも俺に絡むんじゃなくて 具体的にマルクスの害毒とやらを指摘してみろよ
>>627 はて。知ってるならなぜ聞くの? 知ってるなら自分で説明もできるよね。
633 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:41:14
「暗黙のコンテクストを明示化する労を払う人間が少ない」 のは、一般に先行世代の怠惰が原因だから。 もし若い馬鹿に辟易しているなら、 なおさら問題系の継承を図るべきだろうて。
若い奴は知らないし、年寄りは忘れる。
だから自分で調べただけ。それもやらないで研究者なのか?
あと、絡んできたのは
>>595 の方からだからね。
635 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:46:42
>>632 「第三世界革命論の破綻によるマルクスそのものへの失望」
とかそんな説明?
違うだろう。
お前自身が、葬送派のインパクトが決定的だったと考えているのかどうか、
ここで提示しないと駄目だな。
あんた理論家なの?
それならがんばってよ。
おれ別に争うつもりはないから。
くり返すが、そもそも意見の相違なんかあるのか?
お前が一線の研究者なら、
現状のふがいなさの一部分を構成していると気付け。
半端な高みからカルスタポスコロ叩いてどうすんのよ?
↑半端な高みからカルスタポスコロ叩いてどうすんのよ?
>>635
637 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:49:02
>>634 お前が今ここで繰り出すネタをすべて調べていないから、
研究者失格とは!すばらしい。
あんたも理論構築についての俺の質問をかわす一方だけど、
理論に疑問があるなら代替理論のアウトラインぐらい示せよ
それでないと研究者とは言えない。
ただの懐疑論ならそう白状しろ
638 :
吾輩は名無しである :04/11/09 17:51:04
>>636 煽り返しという幼稚なデバイス使うのはやめなよ
たしかに俺も煽り入れているが、
あんたは基本的に
過去の議論を持ち出して「これ知ってるか?」
の繰り返しだ。
>>638 だって、知らないんでしょ? 知らなきゃ話は始まらない。理論はそのあと。
>>639 逃げだな。
ていうか太田龍とかマジで重要か?
ざっと読んだけど理論的射程なんかないじゃん。
しょせん状況論だし。
>>639 あんたが話を始めないための口実ですね。
無謬主義じゃん。ある意味マルキスト以下。
>>640 オイオイなんで太田龍が? あれは竹中労と誰かとで三馬鹿大将を自称してた奴だろ。
>>642 だってそういう馬鹿以外に真摯な議論やってた香具師なんか、
本当にいるのか疑わしいし。
もしかしてあんたの論文がその種のものかもしれんがな。
単に「マルクス葬送派」というラベル貼っただけじゃ、
笠井の新左翼批判と勘違いだってされかねないだろうが。
基本的にあんたが想定しているアーカイヴの一端を明示しないで、
相手( 例えば俺)の相対的無知を笑うんじゃ、
釣りだろ?
せめて論集とか主要雑誌とか挙げろよ
だいたいどの分野におけ議論かすら言ってないじゃん。
国文じゃないならなおさらだ。
>>642 「三馬鹿ゲバリスタ」は竹中労・太田竜と平岡正明。
ふつうマルクス葬送派って言ったら
フランスのアンドレ・グリュックスマン等に反応した連中で、
笠井潔とか小阪修平とかのグループだべさ。現代思想の「通俗化」に功があった。
戸田徹『マルクス葬送』が1983年刊。
>>637 「代替理論」を出すためにも、みな過去を学んでるんでないかい。
結果を出せる人は一部でもね。代替までいかなくて批判止まりが大半。
どのみち知識は何をするにも前提。あんたのは単なる不勉強な無知の居直りに見える。
むろん、あんたが立派な代替理論を見せてくれたら、この評価は撤回するよ。
646 :
吾輩は名無しである :04/11/09 18:57:20
このスレ笑える
ヌーボーフィロゾフかよ 俺はドゥルーズの批判で十分だと思うね 別にマルキストでもドゥルーズみたいに面白い香具師もいるからいいと思うけどな 監視社会批判ってドゥルーズ発だろ?
>>647 また
>>627 みたいに、知らない癖に知ったふりをする奴か?
ドゥルーズをマルキシスト(マルキストではない)とは呼べないだろ、少なくとも普通の意味では。
>>648 なんでもいいから文学理論の話をしてよ。
政治屋は正直ウザイです。
>>648 (sans accent)
Signes particuliers: voyage peu, n'a jamais adhere´ au parti communiste, n'a jamais e´te´ phe´nome´nologue ni heideggerien, n’a pas renonce´ a` Marx, n’a pas re´pudie´ Mai 68.?
(version corrigee) Signes particuliers: voyage peu, n'a jamais adhere au parti communiste, n'a jamais ete phenomenologue ni heideggerien, n'a pas renonce a Marx, n'a pas repudie Mai 68.
大橋洋一の『新文学入門』なんかもやけにフェミニズムなど政治的批評に肩入れしてるな。 なんでシェイクスピアやってるのに、ニュー・ヒストリシズムを評価しないんだ?
大橋の本は、イーグルトンの劣化コピーだから。
文学理論の政治って、さっきまでいた人たちのような、 濃いオヤジっぽさが稀薄なんだと思う。 総括とかそういうのは一度チャラにしている。 で、それを許せない旧世代が憤っているんじゃないのか。
吉見俊哉の態度が典型的ですね。 その意味では、 富山多佳夫が652のような疑問に答えているのでは。 この人『メタヒストリー』と『読むことのアレゴリー』の 翻訳をストップさせてるけど。
>>654 「さっき」っていつだよ……。「総括」とかわけわからんこと言ってんなよ。
つまりイーグルトンや大橋とか、デリダは使ってもフーコーを理解できない人が多いんだろ。
>>654 稀薄どころか。フーコー権力論流のミクロ・ポリティクスを論ずるふりして
実は旧来の大文字の政治を語ってるにすぎないサイードみたいなのが大半だよ。
フーコーって最後は文学嫌ったんだろう?
そ。いつまでも文学に跼蹐してないで、文化研究か歴史研究に展開しなさい。
>>662 実は
>>185 に既出だったりする。
>上でも書いたが、文学研究するなら理論は必須、だが、そもそも文学研究自体無用だと考えている。
>それは文化史として歴史学の一部になるか、カルスタとして社会学の一部になるかのどちらかだ。(両方でもいい)
>>663 だから煽りまくるわけね。
しょうもない香具師だ。
ていうかあんた学者じゃないだろ?
つうかタバスコかよ。 延々相手して損した。お前書き込むならコテ付けろよ。
フランス語もできないくせに勝手にフランスの理論状況を云々しているわけね。
>>664 学者であるかないかは発言内容の真理値に関係ないはず。
>>665 参照や引用をした場合も、その引用元の発言者と見なされるのか。
>>666 ここは日本語圏です。日本での受容史を考慮もしないで云々してはなりませぬ。
651を適当に訳すと、 特記:ほとんど旅はせず、共産党に決して固着せず、現象学徒でもハイデゲリアンでもなく、マルクスを放棄せず、68年五月を非難せず て感じですね。 たぶんドゥルーズのモットーかなんかでしょう。 墓碑かな?
>>650 「マルクスを放棄せず」を「マルクス主義者」と見なすのは強引すぎるわな。
そうか?タバスコは葬送派なんだろ? じゃあドゥルーズとは正反対じゃん。 68年を死ぬまで擁護だぜ?
ドゥルーズはインタビューで、自分がマルクス主義者だと言っていますよ。
レヴィ=ストロースもそんなこと言ってましたね。 社会科学の一つの規範なのでしょう。 文学理論でマルクスにこだわっている人には、 フレデリック・ジェイムソンがいますが、 この人はどうなんでしょうか?
>>648 も言ったが、「普通の意味では」マルキシストではないでしょ。本人が何と言っても。
仮にドゥルーズがマルクス主義者だとしたところで、ではどんな意味でのマルクス主義なのか?
>>673 フランスやイタリアや日本やと違って、「党」が無かったからねえ……。
だからアメリカのマルクス主義って、ちと独特かも。
もちついてくださいな。 あなたはどういう人を普通のマルクス主義者とお考えですか? 共産党の人? ならドゥルーズは違いますよね。 小森陽一さんもマルクス主義者になるのでしょうか?
アメリカ共産党、あったじゃないですか。 ハメットとか有名ですよ。ノワールの源流の一つです。
68年って実はそんなにマルクス主義ではないよね。 むしろマルクス主義批判を用意した面がある。
かつて吉本隆明は、ドゥルーズはマルクス主義だから駄目、 フーコーはOKと言ったようですが、 661さんもそういう考えなんですか? つまり吉本派?
>>678 相当硬直した人たちのみをマルクス主義者と捉えるならそうでしょうね。
しかし冷戦も終わったのですから、
もはや広い意味で捉えてもかまわないのではありませんか?
打倒の対象ではないと思います。
>>677 そんな昔でなくてさ。
第二次大戦中の抵抗不転向神話を後光とする無謬の指導性、
それがスターリニズム批判やプラハ事件で動揺し、……
といった経緯がないでしょ。アメリカにはマッカーシズムもあったし。
682 :
吾輩は名無しである :04/11/10 17:17:45
問題摩り替えてないか? 誰がやった?出て来い。
>>680 漠然と広い意味での社会科学的な体制批判なら
特にマルクス主義と呼ぶ意味も無いわけで。
それを敢て呼びたがる人はかつての栄光や憧憬への未練にすぎないんだよね、大抵。
ちなみに文学研究は自律した研究分野として必要だと思いますよ。
685 :
吾輩は名無しである :04/11/12 22:25:59
686 :
吾輩は名無しである :04/11/12 22:44:32
ゲーデル不完全性定理が、学問の客観性を保証するの ではない。そりゃ、フッサールの夢だよ。 主観性は相互で、相互主観性というわけにはゆかない ところで、いかに、批評が可能であるかってことでは ない。 文学がいまや政治でしかないということを危惧すべき だ。むろん、こういう発言じたいが、政治的文脈に還元 されるわけだけどね。 自己言及問題というのは、主客問題ではないのだし、 批評家よりも小説を書く者向きだ。批評家に従属せずに 書いていかないと、批評家なんて「語り方」とその場の 政治性だけで喋るから、彼らの言うことを聞いてたら 開くものも開かない。自分の才能は、他人から評価され るためにあるのではないし、作品は才能の誇示の場では ない。まぁ誇示しようとして、無能というのは分かり やすいが。 だが、批評が政治性を飛び越えて、客観性を獲得という ことは決してありえないというのはあたっている。
687 :
吾輩は名無しである :04/11/13 03:52:06
東大の矢田木津尾先生!明快なる結論をお願いいたします!
688 :
吾輩は名無しである :04/11/13 18:45:22
おさらいだが、 文学研究が歴史や哲学や政治を語るためのえさにされないように、 学問として自立できるように試みたのがフォルマリズム。 「異化」と「手法」に拠りかかりすぎていた初期シクロフスキーではなく、 「機能」や「文学的人格」をめぐって19世紀前半と20世紀前半の文学史を掘り下げた、 1920年代のトゥイニャーノフは実際にかなりの成果を出した。 具体的な研究ではないけど、最終的な研究の見通しは1929年にヤコブソンと発表したテーゼに示されている。 ソヴィエト構造主義・記号論(ロトマン・イワーノフ・ウスペンスキー)のやったことは、基本的にはフォルマリズムの続きだ。 でも、この三人の中で文学史研究にきちんと貢献したのはロトマンだけ。 フォルマリズムの後継者はほかにも何人かいるけど、作家・作品・文学史研究に腰を据えたので(それが利口だ田思う)、 日本では翻訳されていない。 もちろんフォルマリズムマンセーというわけにはいかず、 アヴァンギャルドと同時代に生まれたフォルマリズムは、 近代文学しか扱えないという意見はおおむね正しく、 古代や中世も視野に入れた学派はあるけど、そっちは逆に近代文学研究にやや弱い。 構造主義後に現れたいくつかの新理論は、あまり作品と作家を論じておらず、 けっこう面白いものもあるけど、文学(史)研究としてはフォルマリズム以前に逆戻りしてると思う。
ここでスガ秀美の出番ですよ。
690 :
吾輩は名無しである :04/11/21 15:17:09
政治から離れた言葉はないのに どうやって言葉について話せばいいんだ 結局政治なんだよ
精密に政治について語ればいいじゃん 狭義の政治学と文学は違うし、 そういうごたまぜはイクナイ
そうだそうだ なんでも政治に還元すんのは正直どーかと思うよ
フーコー風のミクロ・ポリティクスを装って、その実、旧来の大文字の政治を蒸し返してるだけなんだよね。
それはサイードが原因だ ただのサルトル好きだったから
それ以上に、サイードを無批判に摂取したカルスタ・ポスコロの連中の問題だろ。
「政治」の「横断」的性格----丸山眞男「春曙帖」1961年の記述より
政治的なるものの位置づけ。
政治は経済、学問、芸術のような固有の「事柄」をもたない。その意味で
政治に固有な領土はなく、むしろ、人間営為のあらゆる領域を横断している。
その横断面と接触する限り、経済も学問も芸術も政治的性格を帯びる。政治
的なるものの位置づけには二つの危険が伴っている。一つは、政治が特殊の
領土に閉じこもることである。そのとき政治は「政界」における権力の遊戯
と化する。もう一つの危険は、政治があらゆる人間営為を横断する面にとど
まらずに、上下に厚みをもって膨張することである。そのとき、まさに政治
があらゆる領域に関係するがゆえに、経済も文化も政治に蚕食され、これに呑みこまれる。いわゆる全体主義化である。
(『自己内対話』73頁)
http://court.law.okayama-u.ac.jp/~odagawa/tl_20j/tlj_1961.html#1961 ↑領域侵犯する「政治」の帝国主義を、政治学者らしく巧妙に擁護した感がある。
697 :
吾輩は名無しである :04/11/26 03:21:25
文学者は理論という言葉をもう一度考え直した上で 出直してきなさい
>>697 その偉そうなキャラ、釣りか?
お前に何の権限があるんだ
699 :
吾輩は名無しである :04/11/26 03:34:58
出直す必要なし
701 :
吾輩は名無しである :04/11/26 22:04:37
誰にも権限が無いので 文学者は理論という言葉をもう一度考え直した上で 出直してきたほうがいい気もするし、しないでもいい気もする が結論となりました。
703 :
吾輩は名無しである :04/11/27 10:59:55
文学研究・批評の目的は何ですか?
704 :
202 :04/11/27 11:55:29
>>703 文学の目的は何ですか?
そもそもこういうものに、「目的」があり得るのですか?
705 :
吾輩は名無しである :04/11/27 11:58:24
目的はなくても理由はあるんだろうな。暇つぶしとか。
教養がなぜ必要とされるかがわからないと理解できないのでは。 いわゆるハイソは ただの成金じゃ駄目だし、 政治経済や自然科学の知識だけでも不十分。 服装や家に気をつかうだけでなく、 芸術的教養が必要。 そこにリアリティーを感じることができるかどうか。 文人ってやつです。
ヨーロッパはそういう価値観を保存している。 日本はヨーロッパの影響も強いが、 同時に反教養主義のアメリカの影響も強くなっている。 アメリカだとインテリじゃないふりをしないと足を引っ張られる。
「勝ち組/負け組」みたいなのが幅を利かせてるみたいだし、教養主義は どっちかというと日本では弱いんじゃないかね。不況だししょうがないだろう とは思うけど。
709 :
吾輩は名無しである :04/11/28 19:30:37
ハイソ=プチブル
日本のハイソは薄っぺらいぞ
ふむ
712 :
吾輩は名無しである :04/12/02 03:28:51
批評が有効かどうかは被批評者が決めること。 何で文学理論で作品を書いたわけでもない人があれこれ言うんですか? 不毛ですよ、こんなことは。
713 :
吾輩は名無しである :04/12/02 03:30:25
>>712 の僕の考えを教授に言っても理解してくれないんですよ。
作者に聞くしか文学を理解することは不可能なんだから、生きてる作家だけにインタビュー重ねることが
文学理論だと思います!
716 :
吾輩は名無しである :04/12/02 18:37:29
717 :
吾輩は名無しである :04/12/02 20:55:44
小説の死だろ。
718 :
吾輩は名無しである :04/12/11 02:59:05
フェルディナン・ド・保守ール
>>712-713 作者が生きてない場合は、語るなってか?
源氏物語は?シェークスピアは?読むなってか?
被批評者が批評の有効性を決めるなら 紫式部の霊でも呼び出してもらわないとな。。。
作者が作品の価値を決められるんだったら 誰もが適当な小説書いて「これはこれまでの日本文学を根底から覆す画期的な作品だ」と言えば それをぜんぶ認めるべきだってことになるが。 第三者の批評、評価を経ているからこそ、作家の地位もあるんだから 作家が批評を拒否するのは、自殺行為だと思うが。 「君の今の地位があるのも、君を評価する批評があったおかげだろ」 ということだよ。
新人賞もぜんいん当選にしないといけないよな? 作者が当選に値する作品だと思って送ってきてるわけだから それを他人が否定するのはおかしいってことになる。
んで、「作品書いてるときの作者」と「現在の作者」は時間の経過が 作用している以上「二人」は別人とみなさざるを得ず、結局「作者」 の意見もあてにならんわけだ。
>719-723 チャットじゃないんだから発言は一つにまとめてくれっ と同一人物であると見なしてレス
725 :
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!! :04/12/15 18:05:42
726 :
もう一丁キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!! :04/12/15 18:07:07
727 :
吾輩は名無しである :04/12/21 23:49:43
哲板が狼板住人どもの植民地とされようとしている! 今こそ万国のポストコロニアリストたちよ、集結せよ!!
729 :
吾輩は名無しである :04/12/29 05:45:24
ひきこもりがオナニーして保守
文学理論どうこういう前に、もう文学自体取り返しつかなくなりそうだ。 朝日かなんかに出てたが、某出版関係者によると、 これからは200万や300万部のベストセラーも珍しくはなくなるという。 ネット等で話題づくり(というか本の紹介のつもりなのか)に励むらしい。 どうせ一極集中するんだろうが、作家の収入は増えるかもしれん。 しかし、これは危機だ。作品の質はどうなるのか。 売れればいい、興味の対象だからといって、絡み激増の少女漫画の例もある。 これからの作家の在り方も含めて、今一度問うてみたい。
>>731 社会学と哲学には関わりたくない。笑い
外からヲチしてゲラゲラ笑う分にはこれほどおもしろいものもないのだが。
734 :
吾輩は名無しである :05/01/01 01:08:29
あけおめことよろ
735 :
吾輩は名無しである :05/01/10 18:19:15
ちんぽちんぽ
736 :
吾輩は名無しである :05/01/11 15:43:49
やはり文学などにはとっとと見切りをつけて漫画家を目指すべきなのか
738 :
吾輩は名無しである :05/01/13 03:31:45
あと少しで入試本番を迎える高校3年女子です。 私は希望の大学に入るために、いま苦手な数学も一生懸命勉強しています。 だけど最近お兄ちゃんに教えてもらった本を読んでみて、怒りが忽然とこみ上げてきました。 もちろん知の欺瞞という本です。 なんで私は大学に入るために苦手で嫌いな数学や理科を必死の思いで勉強しているのに 大学の先生たちがあんな簡単なミスを犯すのでしょうか? お兄ちゃんに聞いたら、あの本に書いてあることの中には大学1、2年生で習うことも結構あるそうです。 受験生には難しい入試を課すくせに、自分たちは何にも勉強しないなんて許せないです。 どう考えても間違ってると思います。 だから私は、無事に希望校に合格できたら、絶対学生自治会に入って、学生に授業を教える資格が あるかどうか、先生たちに試験を受けさせるように運動するつもりです。 じゃないとおかしいじゃない! 私が英語を勉強するのになんで数学の入試を受けなきゃいけないのかも わかんないのに、その上先生たちがそういうことまったくわかってないって絶対おかしい! だから私は入学したら絶対自治会に入って運動します。もう決めました。とめてもムダです。 絶対、絶対、絶対だからね!
その前にC・P・スノウでも読めや。
斬首の光景 ジュリア・クリステヴァ 星埜守之・塚本昌則訳 A5判 定価4410円 (本体4200円)
文学に科学的な手法・解析方法を導入する必要があるか? 文学は科学できるか? 文学の中で学たりうるものは、本当に文学史だけか? 日本独自の文学理論はありうるか?
743 :
吾輩は名無しである :05/01/18 00:23:43
文学を学たらしめることの愚かしさよ!
744 :
吾輩は名無しである :05/01/18 00:38:28
表現芸術の一つである文学は、 もちろんそれ自身が、 自立的で体系的な学問分野ではない。、 だから文学だけに通用する理論なんてものもない。 文学を研究するときは、 いつも周辺学問から理論を借りてこなければならない。 ある時は哲学だったり、ある時は美学だったり、 ある時は歴史だったり(これが文学史)、 ある時は文化人類学だったり、 そしてある時は言語学だったりと。 LITERATURE を「文学」と訳したのが間違いだったんだな。 みんな「学」の字に騙されている。 音楽のように文楽としたら良かったけど、 これでは古典芸能の「文楽」と同じになってしまう。 その意味では「文芸」と呼ぶ方がまだましだな。
文学部じゃなくて経済だけど、考えさせられるところもあります。 全部読んでないけど。 サラリーマンとしての研究者になりきる覚悟の無さ・・・ 開きなおるべきか・・・どっちつかず、カッコ悪い。 科学、技術、art、道(仏門、武道)、タレント・・・どれなんだか。 職のため、ペルソナ、アイデンティティーやらスクールの為に一生を不毛な論争に費やすのも醜い。 その醜さから眼を背けてるヤツラが気に食わないです。 職業倫理なんてものじゃないけど、経済にいて形声在民やら労働を思ったり、文学部にいて哲学やらをヤルなら 眼を背けてはいけないことののように思います。 産業革命は職工を労働者に、そして研究者ってのも技師に<IT革命ってそういう労働の側面も含めて革命とよぶべきなのかな? 全部読んだらまた寄らして貰います。
>>744 学問や理論とはなにかを規定していないけど、
たとえば、数学、物理学、生物学、化学を見ると自立しているかな?
プトレマイオス、ニュートン、アインシュタインの系譜を見ると、また
素朴集合論から不完全性定理の流れをみると、
絶対体系は確立しているかな?
747 :
吾輩は名無しである :05/01/18 20:02:22
文学の迷走加減を見てると十分自立してるようにも思えるが。
>>744 が言ってるのは、『文学』が学問だという固定観念にとらわれ
すぎで、批評やら研究するのになんやかや「他」学問の理論を持ち出
されるのは文学が最初っから体系化に向いてないからだ、ってことじ
ゃないのか。だとしたら、その悪あがきが批評ってわけだ。
>>746 は、絶対体系の確立を否定して文学に何が残るかを意見すべきだ。
初期からのロラン・バルト読み直せよ
749 :
吾輩は名無しである :05/01/18 21:02:22
新しい文学理論が登場するとしたら、人工知能研究や機械翻訳の 研究を応用したものだろうね。 そのうちコンピュータを使って夏目漱石の作品を解析し 漱石そっくりの文体で全く新しい小説を生み出すプログラムが開発されるよ
>>749 まあ、コンピュータで使い物になってるのはDB。
翻訳:使い物にならない。
人口知能:所詮はプログラム。
未だに言われたことしかできません。
創造なんてとても無理。
漱石の当て字を模倣するなんて、夢のまた夢。
チェスに勝てるのはプログラムできるから。
希望を持つって美しい(はあと
>747 「批評」という言葉を使ってるのがだめなんだよ。 バカじゃね? とりあえずバルトを嫁だな
>>750 人間だって言われた事しかできんと思うが。まあ今のままじゃ絶対
機械が文学を作るのは無理ですが。
753 :
吾輩は名無しである :05/01/18 22:59:15
どなたか『マラルメの想像的宇宙』を読んだ方はいますか?
754 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:00:33
読みました。それで? それで、女をいかせられるの?
755 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:03:11
>>751 「ホニャララを嫁」というのは卑怯だな。
お前の言葉で反論しろよ!
756 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:05:35
さすが、東大生スレ。知力はあっても感性が貧困ですね。 受け売りですか。
たぶん「バルトを読め」っていうのは
>>751 さんの言葉だと思うよ。
758 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:10:11
究極のマニュアル型人間。それが東大生だ。東大出身作家は消えてほしい。 早く。できる限り早く。
759 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:10:33
東大生は感性が貧困という発想こそ、受け売りの貧困な感性だな。 ていうか、差別だぞそれ。
学歴コンプはほっとけ。
761 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:11:53
差別と区別は違うんだぞ。
東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。 東大生を差別し虐げる756=758を断固糾弾する。
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765 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:15:17
いやあ、推理力もあるみたいだな僕は。 このスレが発想力の貧困な東大生で成り立っているのを見事に判別したんですよ。
766 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:15:45
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767 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:16:17
ほら、知力しかないから、複製しかできないでしょ。香川県仲多度郡多度津町。 あ、764ね。
とりあえず通報しといたから、人権侵害で。
769 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:18:35
770 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:18:42
東大生一般が、「人格」とは、いやはやオカルティズムですか。
弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。 弱い者を差別することでしか優越感を満たせない756こそ発想力の貧困な人間のクズ。
773 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:21:20
なんかたった一人が頑張っているな。
774 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:22:32
お前が自分でやってんだろ。哀しいな。
775 :
767、770 :05/01/18 23:23:12
荒らしを巻き込むとは予想もしなかった。だめだこりゃ、おいーっす。
776 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:24:18
文学板も意外に熱いよな
たまには煽りやら荒らしやらがないと、2chぽくないしな。
778 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:26:34
感情のコントロールが出来ない奴が多いのも文学板。
779 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:26:52
東大生一般を「人格」扱いして、感性が貧困とか言う奴はバカだな 東大生の感性もいろいろなのにな
780 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:28:18
>>775 なかなか斬新な自演荒らしだった。さすが感性豊かだな。
最近はガリ勉しなくても東大入れるしねえ。
782 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:31:54
てかこのスレの程度の文章なら、四年制大学の文学部には 普通に書ける奴いると思うが。。。 それをすぐ「東大」と思っちゃうって、中卒ですか? ちなみにおれはここの常連だけど偏差値40大学だよ。
>>752 言われたことってのはプログラムのことだよ。
言われなくても2chに書き込むなんぞ、マシンにはできないよってことだ。
>>783 考えるモデルによるけど、そう単純には言えない。
ていうか、「自立した思考」っていう曖昧なコンセプトが
AIの発展を妨げていた部分もあるしね。
785 :
吾輩は名無しである :05/01/18 23:54:36
>>783 そのぐらいはプログラムで出来るだろ
ランダムな時間にランダムな文章を書き込め
ぐらいは俺でも組めそうなスクリプトだぞ
組めねえけどな、俺は。
バベルのコンピュータ/猿タイプライター ですね。
>776 熱すぎだなぁw
区別は差別に含まれますよ?
>>788 逆じゃない?
差別が区別に含まれるんじゃないのか?
なんでもいいけど「これは差別じゃなくて区別です。」というのは 経験上99%言い逃れだな。
791 :
吾輩は名無しである :05/01/19 00:07:08
>>790 そうかな?
自分の能力不足を差別のせいにしてる奴も結構いると思うけどな
そういうシチュエーションで 「これは差別じゃないですか?」 「いや、君。これは区別だよ。」 っていうやりとりは聞かれないだろ。
>>784 これは単純な問題だ。コンピュータを前提としたモデルすべてにあてはまるよ。
AIについてどんな幻想を抱いているかしらんが、ELIZAの域を
未だに脱していないわけ。実用化されているのはノイマン型のみ。
>>785 だから、プログラムを書くということがいまのところコンピュータには
必要なわけ。そのプログラムの範疇を超えないようにハードとOSは作られている。
OSもプログラムなのは知ってるよな。
>>751 構造主義グループの多義性?哲学に流れそうな気がするけど
東大生じゃないですう^^;
>>794 おいおい。何十年前の計算機理論だよ。ノイマン型/非ノイマン型
ってそんなレベルの話だったのか?
>>795 ちなみにチェスに勝ったマシンも当然ノイマン型ヨ
体系的な見方をしないとズレるんですよ。優劣つけてどーするんだよ・・
>>798 で、体系化の欲求は文学としてはあるか、またできるか、というところなんだが
バルトを読めではわかんないんじゃ?
800 :
785 :05/01/19 00:27:42
>>794 全然答えになってないよ
コンピュータは言われたことしか出来ない=命令すれば出来るってことだろ?
誰もコンピュータ自身がプログラムを書けなんていってないだろ
ノイマン型でも、「物理シミュレーション」で脳を含む人間の体を シミュレートすれば、途方もない計算量が必要とはいえ、人工知能を 作り出す事ができる。だから、問題はノイマン型か非ノイマン型か というところには存在しない。
じゃ、そこまでの構造主義の流れを読んで来い・・でいい?
ああ、そうか・・間違えたw
>>800 命令するってことを実際のDOで書き下ろして見ると
(1)機能の把握
(2)デザインの決定
(3)言語選択
(4)ソースコード記述
(5)コンパイル(スクリプトならいらんけどね。Cなんかだといるよね)
(6)実行可能なプログラムをLOAD&RUN
みたいな手順を踏むわけだ。
たとえば(2)あたりで、君のところから2chのサーバにどうつなぐか。
人間が決めなければならないわけ。ランダムに接続するか、きめうちで
接続しにいくか。
こういう解析自体もさせるかどうかは人間が決めるわけ。
東大だと坂村さんあたりの教科書読めば分かると思うよ。
>>801 できていないことだからSFの話になってるし...
>>805 まあ、もともと人工知能が現段階ではSFですからね。でも、
「ノイマン型だからだめ」とか「言われた事しかできないから無理」とか
そんな単純に割り切れるほど発展してないわけでもないので。
807 :
785 :05/01/19 00:46:50
808 :
785 :05/01/19 00:52:39
>>807 てゆうかさ、
あなたはそうやって論理を言語化してるわけでしょ
言語化できればコンピュータで論理化できるんだよ
つまりあなたが書いたことは全てコンピュータ上で可能ってことにならない?
809 :
吾輩は名無しである :05/01/19 00:54:22
語りえぬものについては沈黙せねばならない、てことでしょ?
>>806 発展を具体的に聞いて見たいところだけどね。
>>807 コンピュータは自発的にそういうことができないと言ってるわけ。
ELIZAで探すとテストプログラムがどっかにあったと思う。コンピュータが
見かけ上チャットで答えを返してくれるみたいなやつだ。AIの話をするとき
よく出てくる。けど、コードは結構短い。LISP,FORTRAN,PASCALなんかで
書かれていた。古いはなしだけど、本質的にはあまり進歩していないと思うけどね。
で、ロラン・バルトはどうなったんだろう?
>>808 鯛の味、論理化してみてくれる?
谷崎から借用
現在ドゥルーズが一番しっくり来るんだよね・・ 自由な変化・・ただ、それじゃあ、権力は野放しなんだよな・・
最近のコンピューター理論は知らないが、人間が自発的に動いてるかというとそうでもないのでは? 人間だって、幼い頃からいろいろ勉強してきているわけだし、それはある意味では"プログラムされている" とも言えるのでは?むしろ、学習量みたいなのが本質的に効いてるのかもしれないよね。人間と コンピューターを第一に区別するものは本当に自発性なんだろうか。専門家に聞かないと分からないと 思うけれど。
815 :
785 :05/01/19 01:10:05
で、三好先生のお弟子さんがいるんなら >742 をお聞きしたいんですが。
817 :
785 :05/01/19 01:18:45
いや待てよ 鯛の味を言語化出来ても論理化は出来ないな 俺が主張してるのは論理→言語=言語→論理だからな 鯛の味を言語化するというのは「鯛」という単語の属性を増やすだけだな
818 :
吾輩は名無しである :05/01/19 01:29:47
どうでもいいけどこのスレで中途半端なコンピュータ話はやめた方が良いと思う 単なるノイズでしかないから
>>814 コンピュータはただの機械です。
いまのところ、人間ほどのシステムはだれがどうさかだちしても
できません。坂村先生(TRONの創始者)でもね。
>>815 >812は言語化してるでしょ。
>>818 はいはい分かりました
じゃ、メロディをお願いします
>>818 そうなんだけどね^^;
あんまり音痴でもこまるよ。
構造主義の系列にはブルバキも入ってるよね。
ロラン・バルトが帰ってこないもんで。
ブルバキなんて誰も読んでないだろ。数学者でも読んでないぞ。 困ったとき読むと、全部証明つきで書いてあって便利だが。
>>819 人間だってただの機械です。とかミンスキー風のことを言ってみる。
>>あなたはそうやって論理を言語化してるわけでしょ >>言語化できればコンピュータで論理化できるんだよ そのプログラムがネックなんだよね。 というのもAIに限らず、自然現象そのものを自然言語(別にコンピュータ言語に限ったことじゃなくって) に置き換えることは量的な制約から、また、言語そのものの不完全さから不可能なんだと思うよ。 ロラン・バルトは鏡の国のアリスについて、最期に平面的な、つまりテクストに帰結した 世界に帰って行くと書いているけれども、この二次元のシンボルはあまりに雑然としていて、 抽象的だから、自然現象をそのまま表現することができないんだよね。 ……ん? 同じ事二度書いてるね(w そして、「鯛の味そのもの」は理論化できる。それには自然言語じゃ無理だから、 新しい発明をしなくちゃいけない。味の素の組成式みたいな。 「味を理解する人間の感覚」は自然言語を使っているが故に 永遠に未分化の理解しか不可能なんだとおいらは思いマスタ。 はい。正直なにがなにやらよくわかりません。
文学は言語で書かれている「芸術」作品です。 構造主義からコンピュータ話に横滑りすると、 言語の本質の話になっていくから、 文学の芸術面の考察にならないような気が。 バルトみたいな根っからの批評家は、 構造主義もうまいこと文学の芸術性の定義に使ったんだと思うけどね。
>>822 数学者が読んでいないのは内容を完全に消化しているんじゃ?
哲学者で読んでいる人を知っています。
>>823 機械は遺伝子を持たない、と言って見る。^^;
まあ、そのへんはどう定義するかってとこだからね。
>>825 文学理論としてはふさわしい気もするけど。
身近な道具の話だし。
でもメロディに戻ろうか。
829 :
吾輩は名無しである :05/01/19 19:28:56
当方プログラマだが、AIについて勉強するのと子作りするのとで どっちが文学的ですか?
>>826 >>数学者が読んでいないのは内容を完全に消化しているんじゃ?
数学原論ってのは「辞書」みたいなものなので、必ずしも全部理解
する必要は無い。自分の専門のところならともかく、全部きちんと
内容把握してたらすごい。ヴェイユとかはしてたかもしれんが。
>>829 AIに性的いたずらをしたばっかりに、仕事も家庭も失い、おちぶれていく
男になるとかなり文学的になるかも。しかもAIについて勉強もできる。
>>830 まだ改訂中かな。
彼はメンバじゃなかったかな?
AIなんかで多額のコストを使うよりは
安上がりでいいクローンができるのにね。
今の数学について「原論」書いたらすごいことになるだろうな。 EGAみたいなのがばんばん出る。
834 :
吾輩は名無しである :05/01/20 00:32:50
誰か科学的かつ斬新な文学解釈の方法を知ってるひといる?
うんこスタディーズ うんこがこれ読んだらどう思う的なアプローチ
836 :
吾輩は名無しである :05/01/20 21:34:59
>835 それはReader-Response Criticismの一種か(笑)?
837 :
吾輩は名無しである :05/01/20 21:59:15
構造主義はブルバキうんぬん とか安易に言い出すやつは単なる受け売りで 大して読んでもない、に賭けてもいいと思う。
そもそもブルバキよりカテゴリーセオリーのほうが構造主義っぽいしな。
言語学では数理モデルを導入してるし(モーリス・グロスあたり)、 チューリングマシンの話も出ているようだけど、 文学理論へつなげるのはどうかね。
>>828 谷沢さんは、三好行雄さんはなぜダメポといってるんでしょうか?
842 :
吾輩は名無しである :05/01/25 23:48:31
文学理論に意味が無ければ、文学部の存在価値は無いと思う。 だって、工学部で沢山本を読んでいる人にどう差をつけられる? 相手は技術持ってて、谷崎から笙野まで何でも読んでる。 スレの流れと関係なくて申し訳ないですが、 ここの方々ならどんな答えをお持ちでしょうか、と思いまして。
文献学に基づく全集編纂能力。 これは理系じゃだめだろう
844 :
吾輩は名無しである :05/01/25 23:53:43
>>843 なるほど。勉強になります。
それにしても文学部の専門性って難しいですね。語学を究めるとか・・・
頭が理系だと、校訂作業に意味を見いだせなくなりがち。 やっぱり人文学の意義は大きいと思う。 文学理論も重要だが、 基本は文献学でしょう。
>>841 「論証」が無いから。これは文献学的な「実証」とは別よ。
まあ谷沢の批判を読んでみな。日本近代文学専攻なら一度は見るべきものだ。
谷沢なんてDQNもいいところじゃん。 そんな本薦めるなよ
イーグルd♪ なんかかわええ
849 :
吾輩は名無しである :05/01/26 00:28:45
「文学とは現実を一歩でも越えようとするロジックの付与」 だと何かの本で読んだなぁ。
>>842 文学書とマニュアルは違うんじゃ....
行間を読むなんて必要ないものね、理系の本。
同一線上で比較ができると思うのはちょっとね。
だって、という言葉の使い方もよくわからん。テクニックとセオリ、違うでしょ?
>>846 広辞苑の嘘だっけ?あれは面白かったけれどねえ。「論証」と「実証」ねえ。
実証は三好さんにあるといっているのかな?
読んで見るよ、ありがとう。
>>847 文学書の中身そのものでなくて、構造とか位置付けみたいなものの
専門家ってわけじゃないのかな?三好さん、気に入ってるんだけど
批判も聞いてみると勉強になるかもしれないからな。
いや三好行雄には、文献学的な「実証」すらなかったんだけどね。
853 :
吾輩は名無しである :05/01/26 00:41:11
>>850 書き方がまずかったですね。
工学部でたくさん文学を読んでるって言う意味です。
理系の本をたくさん読むことではなくて、です。
>>852 学界ボスの吉田精一が東大閥の後継者を誉めたって、身贔屓でしょ。
少なくとも谷沢永一との文献学論争では三好行雄は全然いいとこなかったし、
その後の作品論批判にもロクに有効な反駁を返せないまま死んでしまった。
だからって谷沢が優れてるってことではないよ。総じて近代文学研究者がひどすぎるんだね。
>>854 吉田さんが身びいきってはじめて聞いたな。
平野謙『わが戦後文学史』の中に吉田精一の序文商売を皮肉った箇所があったね。
>>856 江藤さんや平野さんとよく対談されてましたからねえ。
平野さんのうがった表現が好きだったようでしたよ。
平野謙が批判したその後に出た記事。 ……吉田精一に少しは反省の色が見えるかと期待したが、逆に弊害は露骨に なる一方、大阪教育大学助教授・角田敏郎の新著『高村光太郎研究』(有精 堂)巻頭の吉田精一の「序」は、著者と夫人のなれそめから、自分が媒酌を したいきさつ、「敏郎君はきわめて温良で誠実」、「夫人もまた心のこまかく はたらく良妻」、「子宝にもめぐまれ、円満な家庭の一典型」うんぬんという 調子。この本は一体、学術研究者なのか、結婚記念日の配り本なのか。 さらに吉田精一は、「大阪教育大学が大学院設置を企画し、教官組織の充実に ついて私のもとに相談があったのを機に、君は同大学に転じ」た、と書いてい る。序文にかこつけて自分が学界人事を握るボスであるぞと天下に広告するよ うなものではないか。 ――「序文の節度」『讀賣新聞(大阪版)』1972年5月4日
たしかにキモイな吉田精一
>>858 の訂正。
なる一方、 → なる一方。
学術研究者なのか → 学術研究書なのか
学界人事を → 学界人事権を
>>858 平野さんは吉田さんの研究成果は高く評価されていたと思いますけど。
吉田さん、うまく立ち回れる人では無かったからね。
こういうのは飲み屋のネタとしていじめられたでしょうし...
同業他社のジャブってことで。
「うまく立ち回」って序文商売に精を出し、学界人事を左右したんだろが。 知合らしいが、いくら擁護しようとしても無理があるね。
>>862 とても擁護できる立場ではないけれど、
吉田先生の仕事を知っていたらそんなことはいえないね。
人事はどちらかというと下手なボスだったってのは認めるけれど、
序文商売ねえ。金になるのかな?頼まれたこと、ある?
>>863 こんな場所でまで「先生」付けるのはそれだけで駄目だろう。
吉田精一の仕事、ねえ。 頼まれ仕事にやっつけ仕事が多く、本業の研究がおろそかになった感じだわな。 力を注いだ自然主義研究や評論史研究も、中立を保つと言ったら聞こえがいいが、 凡庸で平板でつっこみが浅く発見が無い。結局、教科書屋なんだよな。
そういう凡庸さが、近代文学屋に求められているから、 今も「先生」付けするような連中が絶えないのだろう。 凡庸さが学問性を保証するという、誤った中立性の定義だ。 文学理論からこれほど遠い認識もあるまい。
>>864 吉田さんか吉田先生、おかしいかな?
>>865 吉田先生をしのぐ成果を残されているような口ぶりですねえ。
辞典や教科書、お書きになっているのかな?
>>867 はそんなに批判を棚上げにしたいのか。
観客の目から映画を批判することは認めない、映画監督になれってか。
調理技術は無くたって、食べれば美味い不味いはわかるわな。
>>867 ようするに「学恩」感じてるんだろ?
そういう閉塞を一度理論で吹き飛ばした方が良いな
>>866 天皇にご進講の経験があり、川端康成も評価していた、
海外の評価も高い故人にたいして
凡庸ということばを使う無神経さが理解できないですねえ。
えらそうですけど恥ずかしくありませんか?
>>868 アナロジはアナロジでしかありませんよ。
>>869 恩というのも重要な文学のテーマですよ。
理論の対象は作品でしょう?
>>870 権威主義。なるほど、序文を貰って有り難がるわけだ。
>>871 アナロジーや比喩は重要な文学のテーマですよ、てか(笑)。
>>872 すると悪も重要な文学のテーマだから、悪を実践するのかね。メタレベルを区別しろって。
874 :
これ全文晒しに値するな :05/01/26 03:03:36
870 名前:吾輩は名無しである メェル:sage 投稿日:05/01/26 02:55:23
>>866 天皇にご進講の経験があり、川端康成も評価していた、
海外の評価も高い故人にたいして
凡庸ということばを使う無神経さが理解できないですねえ。
えらそうですけど恥ずかしくありませんか?
>>873 >
>>870 権威主義。なるほど、序文を貰って有り難がるわけだ。
吉田先生は出すほうだけどねえ。権威があるのはしょうがないな。
>
>>871 アナロジーや比喩は重要な文学のテーマですよ、てか(笑)。
そうだけど、で?
>
>>872 すると悪も重要な文学のテーマだから、悪を実践するのかね。メタレベルを区別しろって。
吉田先生の序文書きや人事の権力が悪なんですね。
嫉妬かなにかですかねえ。
先人の業績も勉強して正しく評価しないと駄目だねえ。
876 :
吾輩は名無しである :05/01/26 03:11:51
院生か? ここまで内面化しているのはキモイ
だって吉田精一なんて1984年に死んでるぜ。どうせ昔の学生だろ。
>>876 立場でなく、内容でしょう?
まず、自分の立場を明らかにするんだね。マナーもしらないし。
異常なけなしのほうが「キモイ」と思うけれど。
俺は研究者だが、 いわゆる師匠を含めて、敬称を内面化するようなキモサは持ち合わせていない。 国文じゃないからな。
>>879 じゃ師匠を超えて大成はできないねえ。
なんでもマニアになるくらいじゃないとものにならんよ。
>>878 吉田精一の仕事内容に即してその駄目さ加減を指摘した
>>858 や
>>865 に対して、
あんたは川端とか天皇とかの外部の権威を持ってきて形式的に擁護しただけで
批判された内容はちっとも救ってないよな。
882 :
吾輩は名無しである :05/01/26 03:30:15
>>880 なんで敬称つけて「大成」しなきゃいけないんだ?
あらゆる学問が国文流だと思っているのか?
883 :
吾輩は名無しである :05/01/26 03:30:46
>>880 それとお前も「マナー」守って身分晒せよ
884 :
吾輩は名無しである :05/01/26 03:31:50
吉田に序文書いてもらった香具師の息子とかじゃないの? プリンスって奴。
>>882 別に国文だからって、いまどき
>>855 の阿呆みたいに師匠ベッタリではないぞ。
昔の人だから、悪しき旧習から脱け切れてないんだろ。
>>881 まあ、指摘していないでしょ。本質的な問題じゃないので。
平野さんもどうでもいいから書いたんじゃないかな。
>>882 言っとくけど>880の言葉は森毅のものだよ。算数の先生ね。
>>883 どうとでもいえるわけだし、研究者?俺もそうだ。
>>886 マニアになることと、
天皇ご進講とやらを言祝ぐことは何の関係もない。
>>885 国文でも分野によってはそういう悪習が残っていると聞くよ。
日本美術史はもっとひどい。
概して東洋系の礼節を重視する学問分野では、
虚礼が美風と取り違えられてかなり残っていると思うけどね。
>>885 師匠を超えたいと思うのに、勉強しないでできるのかねえ。
まずはべったりでしょう。よほど...な方でもない限り。
>>888 ちっと勉強すれば、吉田精一のいい加減さはすぐわかるんだが。
>>887 ご進講が気に入らないのね。
そりゃ権威の一つだからねえ。
客観的な評価の指標としては不足かな?
>>890 まあ、>890がいい理論を確立できるんなら、
吉田先生もけなされてもいいと思われるかもねえ。
吉田精一は理論以前に、実証的にダメ。引用は間違ってるし、見てない資料は多いし。
池沼かよ こいつもしかすると、女だな
>>893 マルクス・アウレリウスの箴言に本質をみろ、というのがある。
人間だから当然間違いあり、見ていない資料もあるかもしれない。
しかし、吉田精一が日本の文学研究に大きく貢献したことは事実として
認識されていると思うよ。何人このあたりにいるかわからないけれど、
その人たち以外は。
仕事も終わったのでそろそろ失礼するよ。
あまり視野狭窄にならず、人の業績は素直に認めてほしいものだね。
おっと、残念ながら俺は♂だ。 池沼はお互いだろう?じゃな。
貢献したからって、それで誤りが帳消しになるわけでもないし 批判に眼を瞑ってよいわけでもないし。貢献した以上に害悪もあった人だね。
ウンベルト・A子♪
「池沼」って何ですか。
スタンリー魚が住んでるところだよ
かをる半可通のこと。
>>896 >マルクス・アウレリウスの箴言に本質をみろ、というのがある。
その程度のこと主張するのにわざわざアウレリウス引くかよ。抜き難い権威主義だな。
天皇といい、いちいち池沼ぶりを発揮しているよな。 しかしもしあいつが半端に優秀だと、災厄だな ぜひ無能であってほしいものだ。
だから、「池沼」って何ですか。隠語はわからない。
知的能力の行使に何らかの 障害を持つ人 の こ と だ よ
独り言w
トンクス
909 :
吾輩は名無しである :05/01/26 15:01:45
確かに聞き届けたぜッw
で、「本質が大事」って一言するためだけにそんな引用に頼る必要あんのか?
>>911 ただのレトリックだけど、飾りがそんなに気になるのかね?
おまえは誰だ?どこの学校だと、建物指向はどちらかね?
>>913 >913の権威はGOOGLEということが判明したわけだね。
>>914 残念!どっちもグーグルではありませんでした!
とことん馬鹿なんだねえ。吉田精一も草葉の蔭で泣いてるな。
国文学ってこんなのばっかりなの?
すみません、こんなのばっかです。
920 :
吾輩は名無しである :05/01/27 17:30:32
師弟関係が厳しいから、仕方ない面があるんです
921 :
吾輩は名無しである :05/01/27 18:21:07
タバスコは論外として、なぜ文学が理論とならなければならないのか? 文学を確立したらそれはすなわち文学とは成立しない訳だ。 まあ、大学のありかたが矛盾を派生させているといえる。
芸術性と構造が現在の文学理論の骨組みだと思う。 大学のありかた? タバスコ?<2ch用語か?
タバスコは、糞コテハンですよ
今日は何も予定がなかったので、ふと見つけたこのスレを最初から読んでみた。 久しぶりに言いたい。 ここはひどいインターネットですね。
926 :
吾輩は名無しである :05/01/27 20:48:56
みんな分かってることを書くと文学的じゃなくなるよ
>>925 言葉に無関心な人柄だね。
インターネットというのはインターネットワーク。つまり複数のネットワーク同士が
つながったもの全体を言うわけだ。
言葉の意味を考えずに使ってしまう>925にとって、ここが場違いであるのは
否めない事実であるな。
正しくは
(1)専用のブラウザを使っているなら「ここは全くひどい板だ。どうしようもない。」
(2)IEのようなブラウザを使っているなら、「糞のウェッブサイトだね。」などが
正しい用例。ただし、前項(2)はそのサイト全体をさすので、2chに万が一(けっして
そんなものは存在しないと信じているが)優良有益な頁が一枚でも存在した場合、
その表現は部分を見て全体を推し量る誤りを犯しているため不可。さらに、ホームページ
という言葉があるが、これは元来ウェブサイトの一ページ目を指す言葉だったのを、
日本流の誤解によりウェブサイトと同義で使う場合があり、
(3)「タコのホームページだな。」なども誤った慣用として解されるべきであろう。
従って>925は逝ってよし。
928 :
吾輩は名無しである :05/01/27 21:32:49
近代日本文学専攻なら、吉田精一批判なんて当然の前提だろ。 勉強もしてない奴を「国文」と一括するなよ。
吉田系列の学生にとっては違うかもしれないじゃないですか。
ここは2chのお約束を許容できないインターネットですね。
相撲の「恩返し」ってのと一緒で、師匠を批判して乘り超えてこそ学問だぁな。 本居宣長すら「かならずわが説にななづみそ」と言ったのに、吉田精一門下はそれ以下か?
927はひどい2ちゃんねるですね
>>931 誤りを謙虚に認めるかどうかって研究者として重要な資質だよな。
>>932 流れからいくと森先生のマニア論には賛成していないわけだ。
ソシュールスレで論語を引いていたけれど、同じようなもんだな。
>>933 それをいうなら「ひどい2チャンネラ」とでも言うべきだね。
一口に誤りといってもレベルがあって、君のは中学生レベル。
精力的な釣師が出現したな。 ここは精力的なインターネットですね。
937 :
吾輩は名無しである :05/01/28 12:37:35
938 :
吾輩は名無しである :05/01/28 12:40:39
11 :名無しさん@社会人:05/01/26 23:59:51
カルスタポスコロで社会正義が実現されるとは思えない
所詮は世間から隔離され純粋培養された文学部内部でしか通用しない話。
それになぜ気づかない?
一回くらい社会人経験してみなよ
マルクスなんて誰も相手にしてないってわかるからw
12 :名無しさん@社会人:05/01/27 00:23:15
あの人たちの善意や使命感は分かるけれど、
世間知らずで純粋主義なんですよね。言っちゃ悪いけど精神年齢3歳みたいな。
あるいは知的には社会問題というものを意識しはじめた十代半ばのガキみたいな。
たとえば4であげた人がやってるサイトをひとつあげましょうか。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugita/ ↑ なんだかもう、日常生活感覚がなくて、極端に観念的。
どこか被害者ぶっていて、他人への思いやりがないことに気づくでしょう。
939 :
吾輩は名無しである :05/01/28 12:41:22
>>940 ごめ。分からなくなってしまった。
学びて思はざれば...
とかを言っていたんだが...
ジャック・ラカンの凝り固まった乳首ほぐしたいよー
944 :
吾輩は名無しである :05/02/09 13:08:58
サバ
あれだな、やっぱこれからのポスコロにはドゥルーズだな
946 :
吾輩は名無しである :05/02/12 19:20:14
ミハエル・バフチンのポリフォニー理論というのは判ったが。 では、「語り手」=神ではなくなった時代には、どのような語り手が可能になったのだ? 「僕小説」ばっかりだと気分悪いし。 メタ小説っぽいのは、もうゲップが出る。 そのあたり、文学理論的にはどうなっているんざんしょ?
>>946 ミハイル、だよ。
バフチンの称揚するのはドストエフスキーみたいな語り手。
あと、小説なんぞに未来は無い。そもそも理論は実践(実作)を産むためのものではない。
>>947 ドストエフスキーの詩学読了。ポリフォニー小説、カーニバルっていうのは、
演劇のような作品/観客という関係抜きに成立する、作品=観客という場と
いうか、そういう作品という理解でおk?
949 :
吾輩は名無しである :05/02/14 21:46:39
21世紀になったのに新しい文学理論も哲学もないんか?
ないよ。そんなの最初からなかったんだよ。
スピヴァグの『デリダ論』読んでやり直すが吉
952 :
吾輩は名無しである :05/02/21 00:14:05
21世紀の文学理論テーマは「人情」!
皆なんで理論の中身を言わないんだよ。 ところで、語り手と作者は違うはずだよな?
>>952 『人生劇場』ですか。青成瓢吉、燃え〜とか。
>>947 > 理論は実践(実作)を産むためのものではない。
それはそうだが、理論と実作が影響しあうというか、反目でもいいけど、
そういう関係にあこがれたりしないか?
ジャンルは違うけど、戦後アメリカのミニマリズム美術とマイケル・
フリードの「芸術と客体性」(アキラックス編集の「モダニズムのハード・
コア」所収)とか。
その時代が幸福だっただけとか、そういう関係を持てたんだという
認識自体が幻想だっていわれたらそれまでだけど。
あこがれない。そんなロマン主義は止しにして欲しいな。
>>955
では煽りではなく、喪前の考える理論と実践の関係を聞かせてほしい。 漏れは最近理論と実践についてもっぱら考えているので、その参考に したい。 漏れは理論というより理論的な批評の事を念頭においてるのだが(先の ミニマリズムとか。日本の文芸批評では適切な例が思いつかん)、批評は 多くの場合単純に時間的には実践の後追いなわけだけど、美術史のジャンル では、戦後アメリカの美術批評にグリンバーグという批評家が現れて、 「絵画はその形態からして平面的であり、マネ以降より平面的であること を目指してきたし、今後も目指すべきだ」と唱えた。ここで言う「平面的」 とは、遠近法的でない、奥行きのないキュビスムとかフォーヴィスムを 指すと考えてもらっていいが、グリンバーグ以降現れたミニマリズム (文学のミニマリズムとは少し違う)の芸術家はこれに基づいて、人とか動物 とか、何かを象った彫刻じゃなくて、ワイヤフレームのような作品を作り出 した。絵画が平面を目指すべきであるなら、彫刻は、それが立体的である ことを、奥行きを感じさせさえすれば、より彫刻らしい彫刻になるのだと。 グリンバーグはその理論的影響力によってアメリカ美術界の覇権を握った 後、その立場を利用して作品の展示の仕方を指示したりした。理論的な 影響の外で社会的権力をふるったということに関しては彼の罪を責める 向きもあるけど、ミニマリズムの作品自体は美術史の成果として認められ てる。
これは理論的批評と実践が実り多い関係を持ちえた稀有な例とは言えない かな。日本の文学史にそれがありえたかとか、ましてそれを漏れが実現 できるとかではなくて。漏れが言いたいのは、単に批評家がこういう 作品を作るべきだと言ったら作家がそれに従った、あるいはそれに反対 したとかいう話じゃなくて、グリンバーグ無しにはおそらくミニマリズムは ありえなかったし、多分ミニマリズム無しにはグリンバーグがそれほど 偉大な批評家として認められることもありえなかったのではないか、という 共犯関係なんだけど。 グリンバーグの「正しさ」を証明するかのようにミニマリストが作品を 制作したという歴史は、批評家と作家が理論的なレベルでお互いを高め あったという例としてうらやましいと思う。それが漏れのおつむでは 可能ではないけれども。 なんか遅れてきたタバスコになってるみたいでいやだけど…。
>日本の文芸批評では適切な例が思いつかん それは文学史を知らないから。 自然主義時代の島村抱月・長谷川天溪らの批評と花袋らの実作、 プロレタリア文学全盛期の青野季吉・蔵原惟人らの理論と実践活動、等々。 でも、特に後者は無残な結果を生んだだけ。
955はミスリーディングだから正確を期すと、 グリンバーグ本人はミニマリズムを嫌っていた。 ここで興味深いのはむしろ、 一批評家の思惑を超えた形で、 理論が実践に対して生産的に働いたという事。
理論は、理論的実践でなければならない、 ――と、アルチュセールなら言ったはず。
理論もまたそれ自身で実践である、ってことね。
理論が理論的実践でなければならない、の理由は?
964 :
吾輩は名無しである :05/02/25 19:30:43
口ばかり達者でも革命が起きないから。
単純に言ってしまうと、現在一般に言う文学理論というのは、 要するに批評のための理論なわけ。 そうすると理論に対応する実践は、 個々の作品の分析や解釈ということになる。 かつては小説理論と呼ばれるものもあったけどね。
なるほど。 オマイの理論書はオマイの理論と乖離してるな、とか 突っ込まれたりすることがあるのかな。 でも、理論と実践は別物ってことでいいような気がするな。 理論の場合、実践の場合における作品に相当するものを 設定できないこともありそうだし。
>>959 現代でもその試みは失敗に終わるだろうか?
失敗した原因が除去できれば、小説作法が昇華された
文学理論(小説理論でもいいけれど)が確立できるんじゃないかな?
「理論」に則って創作すべきものではない以上、無駄無駄ァ。
>>967
>>968 「則る」必要はないが、既存の理論による解読に耐えうる作品
でなくてはならない。つまり、理論を先回りしてだしぬくためには
理論を知っている必要がある。
星を動かす事ができないからといって、天体力学が不要というわけでもないしね。
まあちゃんとした理論ならいくらあっても無駄にはならないよね
カルスタ最高!
973 :
吾輩は名無しである :05/03/06 02:51:32
スガ先生ーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
カルスタなんてベンヤミ(ry
975 :
吾輩は名無しである :05/03/07 05:04:03
梅
976 :
吾輩は名無しである :05/03/07 05:04:32
餌
977 :
吾輩は名無しである :05/03/07 05:05:09
ぐらい
978 :
吾輩は名無しである :05/03/07 05:05:37
てめえら
979 :
吾輩は名無しである :05/03/07 05:06:06
辻は糞
980 :
吾輩は名無しである :05/03/07 06:30:18
盗む
981 :
吾輩は名無しである :05/03/07 06:38:04
エンプソンのちんぽ
982 :
吾輩は名無しである :05/03/07 06:40:35
ちんぽ
983 :
吾輩は名無しである :05/03/07 06:43:03
一生を終える
984 :
吾輩は名無しである :05/03/07 06:44:01
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この名スレももうすぐdat落ちします。 log保存したい人はいまのうちにどうぞ。
>>3 日本人の手になる、日本人のための文学理論の入門書はありませんか?
>>986 TEのような感じのもので、というのを忘れていました。
988 :
吾輩は名無しである :05/03/07 20:05:50
>>986 森本浩一さんとかは?
めずらしく分析哲学系の理論家
日本人のための、ってところが不明。 日本文学研究用? それより次スレはどこ?
このスタイルで、 万葉集、源氏物語、枕草子、・・・、漱石、鴎外、・・・、谷崎、三島、川端、大江、・・・ のような系譜を連続的に解説したものが読んでみたいのです。
991 :
吾輩は名無しである :05/03/07 20:10:47
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993 :
吾輩は名無しである :05/03/07 20:11:28
中村光夫なんてどうでしょう?
994 :
吾輩は名無しである :05/03/07 20:12:15
♪ ♪ \\ ♪ 僕ら〜はみんな〜 生〜きている〜 ♪.// ♪ ♪
♪ \\ ♪ 生き〜ているけど
>>1 は氏ね〜 ♪// ♪
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ちょっと古いけど『読むための理論』
997 :
吾輩は名無しである :05/03/07 20:19:18
理論ならば国や言葉を越えて援用できるのが普通じゃないの? わざわざ日本の、ってつける必要があるの?
998 :
吾輩は名無しである :05/03/07 20:19:59
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>>1000 は氏ね〜 ♪// ♪
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1000 :
吾輩は名無しである :05/03/07 20:21:37
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