1 :
3ch :
2001/06/22(金) 08:09 第2次大戦のハイライト、人類史上最大・最悪の戦場なのに最近の研究やソ連側の情報公開により こんなに酷い状態にあったサムイ(映画スターリングラードの銃殺部隊など)ソ連に勝てなかったドイツってかなりイタくない? 今まではドイツ軍の超人的な活躍が強調されていたけどドイツ神話を煽ってたホビージャパンも今やアニオタ誌。 ほんとのところどうだったのかマターリしたドキュンな情報求む。 最近の説(学研の歴史群像)ではソ連軍が先に先制攻撃しようと準備中のところドイツの先制攻撃で奇襲効果となってソ連軍に大損害が出たらしい。
2 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 08:50
フューラーが イギリス上陸 無理だからって 今日攻め入る 独ソ記念日
3 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 09:22
「今いちばん行きたいところを言ってごらん」行きたいところはモスクワだゴラア!
4 :
名無しさん :2001/06/22(金) 10:03
人口で3倍 戦車の生産量で5倍 野砲の生産量で3倍 戦闘機の生産量で2倍 の国を相手に勝てるわけ無いだろう。ドイツの軍需生産なんて せっぱ詰まった43年までは戦争経済には程遠い中小規模の軍需 生産だった。ドイツはヨーロッパ中の戦線に兵力を割り当てな ければならないだろう。映画スターリングラードで政治将校が あんなことしているが、その後方では100万のフル装備の部隊が 編成中だった。
5 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 10:10
>ソ連に勝てなかったドイツってかなりイタくない? いやロシアは昔から軍事力・軍事技術大国だから。 日本だってノモンハン事変で痛かったでしょ。
6 :
はるだあ :2001/06/22(金) 10:49
ソ連に侵攻したヒトラーの判断は愚かに思われがちだが、 ソ連軍が先制攻撃しようと準備中であったのなら、ドイツにとって どのみち回避できない戦いだったと見るべきか。
7 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 11:00
それにアメリカの支援もある
8 :
3ch :2001/06/22(金) 11:56
なんかマジレス多いな。
>>4 ソ連3倍の戦死者700万対2000万、もっとも対ドイツばかりでないだろう
ロシアの生産物は不良品多くない?それを割り引いても凄いけど.
更にその後方では収容所の警備で50万待機。「収容所群島」
>>5 自分の年代って檜山良昭氏(漢字忘れた)が日本が参戦したらモスクワ陥落なんて仮想戦記が出た時代だったので皮肉
>>6 スターリンは戦後になってもドイツとカタい世界秩序を作ったほうが西側とのチャラけた世界より良かったと思っていたそうだ.
ドイツの劣等民族政策が無ければ結構共産主義とナチズムって似てるから(ヒトラーユーゲントってピオネールを参考にしたらしい)西側を倒すまで同盟の可能性はあったかもしれない.
ソ連もロシア民族以外は強制移住させたりしてるし.
>>7 アメリカの支援はモスクワ以後だから決定的でないんじゃない?それに負けそうな方に支援して共倒れを狙う事も出来たから。支援決定した時はソ連が負けそうだった.
9 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 12:32
>>8 >なんかマジレス多いな。
ソ連にはスターリングラードがあったが、
ドイツにはヒトラーブルグは無かった。
ソ連はスターリン戦車を造ったが、
ドイツはヒトラー戦車は造らなかった。
これでは勝てない・・・
10 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 12:35
電撃作戦という戦法そのものが 北の大地では無理かと思われ
11 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 12:38
うまいこと外交して英仏(ポーランド?)を後回しにして、 ソ連のみとコトを構えるという線は無かったのだろうか。
12 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 12:39
東欧諸国へ進出した時点で仏を敵に回してます。
13 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 12:54
ソ連軍には多くの女性兵士がいたらしい。 それも、看護兵とかだけじゃなく、狙撃兵とか、戦闘機パイロット までいたらしい。 膨大なソ連兵士の捕虜にも多数含まれていただろう。 捕虜のソ連兵士の扱いは随分悪かったらしいが、 女性なら凌辱されまくりだったのではないだろうか。
14 :
一等自営業 :2001/06/22(金) 13:46
高射砲部隊は女性でしょう、戦車乗員が不足すると女性が 不足分を埋めたり、通信兵や交通管制に衛生兵も女性だし・・・・ 部隊指揮官は現地妻連れていたっていうし、いいよね。 今度の戦争はロシア軍に就職キボ〜〜ン!かな・・・ 今までのこと考えると銃殺間違いなしだから、やめとこ。
15 :
3ch :2001/06/22(金) 13:54
>>13 ソ連捕虜(殆ど男性兵士)は400万が100万しか生き残れない上に断種手術
されたりソ連国内に帰ってきてもそのまま裏切り者としてソ連の収容所
に送られたり酷かった事はかなり権威のある文献に書かれているけど
女性?最近のJ-wingsなどパイロットがいたりとか強調されてるけど
基本的に後方勤務が多くてそんなに捕虜になってないんじゃない?
尤も占領地で吊るされたり餓死させられたりの写真は良く見るけど強姦
は人種の確立のためか殆ど見ない.
でも映画「戦争のはらわた」みたいなことが無かったとは言いきれない.
>>14 ロシア軍は止めた方が、新人いじめも凄いし潜水艦みたいに事故も多いし
16 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 17:13
ソ・フィン戦争をネタに英仏と和睦して英仏独連合軍でソ連に攻め入る
17 :
名無し :2001/06/22(金) 20:43
でもその前にポーランドを元に戻さないと英仏と講和できないから無理じゃない? ソ連国際連盟から追放されたけど.
自営業先生が突如「ウラーー!」とか突撃する漫画ばかり 書き出したら、アヤシイですな。
19 :
3ch :2001/06/22(金) 21:19
今回のマンガも退却を許さないNKVD部隊が大活躍
20 :
名無し伍長 :2001/06/22(金) 21:31
>>8 独ソ戦のソ連側の死傷者は、エリツィン時代になって増えた。
戦闘員の死者が1600万、非戦闘員が1400万、合計で3000万人が死んだって事になってる。
対するドイツは、ドイツ側の調べで戦闘員の死者が400万、
民間人が280万、合計680万。
双方とも「少なくとも」ってなってるので実数はこれより
多いと思うがそれにしても凄まじい死者の数・・・。
21 :
名無しさん :2001/06/22(金) 21:36
ソ連と軍事同盟を結んでソ連から義勇軍を出して貰って 独ソVS米英仏となったらどっちが勝ったろう?
22 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 21:39
>>13 少なくとも、ソ連兵によるドイツ人女性へのレイプ件数は、
ドイツ降伏後のベルリンだけで20万件らしいですな。
23 :
3ch :2001/06/22(金) 22:08
>>20 ソ連は更に粛清で4000万の人を消してるらしい。
でも告発してるソルジェニーツインはお忍びで日本旅行.作家はいいね.ブルーカラーのひがみ
>>21 ドイツが行詰ったらソ連が背後から刺しそう。独ソが最後まで同盟しても無条件降伏が休戦になるぐらいじゃない?
日本の松岡外相は三国同盟+ソ連でかなりやれると思ってたらしい.
>>22 そのうち出来ちゃって育てるしかなかった人はどれくらいなんだろう?
24 :
名無し三等兵 :2001/06/22(金) 23:35
ガキの頃はもちろんドイツ軍贔屓だったが、 おっさんになった今は双方均等に評価。 というより、その闘いの凄まじさに唖然。
25 :
名無し :2001/06/22(金) 23:49
>1 要するに、ナチスドイツの肩を持ちたいということかな? もし日本人だったらやめなさい。 外国人に肩入れしてどうするの?馬鹿にされるよ。鏡を見ろと。 国家に友達はない。利用し合うだけだ。 虎と熊がけんかしているときどちらかに肩入れすることはない。 共倒れしたところを襲うのは、シナ人だ。漁夫の利だ。 頭が良い。 戦争は指導者の妄想で起こる。ヒットラーもスターリンも気違いだ。 国民から見たら戦った兵士は偉大だ。 日本人は日本の英霊を顕彰することだろう。 ソ連がドイツに勝ったのは、米国の軍事援助があったから。 ソ連の援助とりつけ工作が成功した。
ハァ?
27 :
名無し三等兵 :2001/06/23(土) 00:11
ハァーぁぁぁぁぁぁあああああああああ!
28 :
3ch :2001/06/23(土) 00:13
>>25 自分の消防・厨房の頃はドイツ軍がこうすれば勝てたのにという
議論が盛んだったのでそれを皮肉ってるだけ。
ただソ連の惨状を語るのは共産主義を信じてた自分への戒め。
中国の悪口言わない方が良くない?
一緒にバイトした時はむかついたけど今は御客さんの一人だから。
日本の英霊に感謝してるし靖国参拝も賛成だけど
アメリカはドイツを倒せばその後で日本は何とかなるという
戦略だったので世界の行く末を左右した独ソ戦に関心を持つ
のも地球人として必要じゃない?
アメリカの軍事援助は決定的ではないんじゃない?特に時期的に。
もちろん最近の研究で首都防衛の航空機の稼働率は援助戦闘機が
かなり良かったらしいけど多国籍軍がドイツ軍を撃退したわけじゃない
29 :
22 :2001/06/23(土) 00:15
>>23 暗で間引いたりした事もあったそーだよ>ソ連兵にレイプ
されて生まれた子
生まれてくる赤ちゃんには罪はないけど敵国人にレイプされた
女性の立場になってみれば心情的には理解できる。
数年前に被害者のドイツ女性が話したけど、2ヶ月間毎日家に
ソ連兵やポーランド兵が来て姉と一緒に毎日レイプされ続けた、
生理の時は本当に辛かった・・・と言っていたので、
おそらく妊娠してしまった女性はかなりいたハズ。
ただこーいうのは万国共通。
同じく数年前、日本の占領下のインドシナで収容所のオランダ人
女性が、当時、いれかわりたちかわりやってくる日本兵に、生理
の日も毎日レイプされ続けて妊娠したが流産してしまった、と泣
きながら語ってた。
なんつーかしかし戦争ってむごいよなあ。
でもまあ、1941年6月の段階で、 「ソ連に1万台の戦車がある」 といわれたら、ドイツに限らず西側じゃ狂人扱いされる。 でもあったんだよな。 なんだかんだいって、スターリンの工業5ヵ年計画をふくむ軍備拡張はえらかったよ。 ピョートル大帝の流れを汲む独裁者だね
31 :
22 :2001/06/23(土) 00:20
>>29 ちなみにNHKの戦争系の番組ね。
戦中戦後の民間人の悲劇をテーマにしたZDFかどっかの
番組だったよーな。
独ソ戦に限っていえば双方ルールを無視できるだけ無視し、
泥沼を絵に書いたような史上もっとも汚い戦争だった訳だ
けど、
それでも人口の1割程度しか死んでいないっつーのに人間の
しぶとさを感じるアホな俺。
32 :
名無し三等兵 :2001/06/23(土) 00:24
あの時点でソ連とドイツがコトを起さなかったとしたら? 勿論ソ連側からドイツに攻め込む事もなくね。 1:ソ連の矛先はアジアに向いた 関東軍とソ連軍また激突 2:戦争で一致団結できなかった為に政情不安を 招き内乱かクーデターでスターリン没落 3:バルカンを陥れ中東に進んだ どれだろ
>>32 いやだなあ。それ、考察じゃなく、火葬千機マニアの願望系だろう・・・
34 :
金属生命体 :2001/06/23(土) 00:33
ソ連は開戦前には13408輌の戦車がありました。 しかし、そのうち無線送受信機があったのは28%、 補給のためのトラックの充足率は13%しかなかったのです。 さらに、一番酷いのが、中級以下の指揮官の充足率が43% トドメに戦車兵の平均実車操縦訓練が3時間あまり。 これが、独ソ戦開始直後の、ソ連の混乱の原因であると考えます。 ようするに、戦車があっても中身まだなかったということです。 そのおかげで、戦車数四分の一のドイツ軍でも、初期侵攻でモスクワ前面まで行けたのでしょう。
35 :
名無し三等兵 :2001/06/23(土) 00:38
独ソ戦と言えば、マンシュタインのバックハンドブロー! 実に見事な作戦、本当に素晴らしい。何度、回想碌を読んだ事か。。。
36 :
3ch :2001/06/23(土) 01:01
>>30 スターリンがいたのに民衆の力で勝てたという人もいる。
>>31 結局番組製作社が一番とんでもない気がするけどいい御客さん.
>>32 スターリンは戦勝後新たな大粛清をやる前暗殺された可能性も高いので2かな?
>>34 数字的な事が説得力あるね。
ただ人間が農業集団化など酷い目に会うのと反比例して装備が充実してる気がする。
>>35 ドイツの御客さんにロンメル将軍は日本で尊敬されているといったら
さん付けで呼んでくれた。
ロンメルってなんであんなに滑降いいんだろう・・・。 ハァハァ
38 :
名無し三等兵 :2001/06/23(土) 06:59
ジューコフがスターリンの代理として、モスクワ・レニングラード・スターリングラードと崩壊寸前の戦線を奔走して手当てしまくったみたいに、 マンシュタインがヒトラーの代理(東部方面軍総司令官?)として自由に腕を揮えていたら・・・・・
39 :
3ch :2001/06/24(日) 08:05
>>37 ロンメル将軍のプラモが出てるって凄いよな。でも肖像権とかどうなんだろう?
>>38 マンシュタイン元帥でも最後は数に押し切られそう。でも東欧諸国は救えそう。
ただやはり運がいいんじゃないかな?後任の防御のライオン、モーデル元帥や
本当は重要な役割を果たしてそうなクルーゲ元帥など自殺に追い込まれたんだから。
それにしても赤軍の将軍達は何であんなに濃い人々が多いんだろう.
個人的には1942年の春のドイツ軍が好きだね。
41 :
名無し三等兵 :2001/06/24(日) 11:18
そうだね、クルスク以降の板もあるけどもうどんなにスターリンがドキュンな事しても負けなくなるからな。 でも直接モスクワ狙わないで石油狙いってのが寂しい。
スターリングラードにたどり着くまでの戦果はものすごい物だったよね。 マンシュタイン将軍もセバストポリ戦から出てくるし。 ウクライナの婦女子の十字架を掲げての歓迎シーンの写真は凄い印象的です。
43 :
上の方はアジア人蔑視 :2001/06/24(日) 15:05
ナチ軍装ヲタの負け
44 :
名無し三等兵 :2001/06/24(日) 15:14
>こんなに酷い状態にあったサムイ(映画スターリングラードの >銃殺部隊など)ソ連に勝てなかったドイツってかなりイタくない? フィンランド、チェコスロバキア、ルーマニア、ハンガリーは?
快適な軍隊を作ってから戦争、なんていう アメリカ流の「軟弱な」戦争のやりかた以外にも戦争のやり方がある、 ってだけの話だからねえ…… 別に、ソ連軍の内情がどうであれ、 そんなことが戦争の行方を左右するわけじゃなかったってだけのことだな。
46 :
名無し三等兵 :2001/06/24(日) 17:01
とりあえず消耗戦になった時点で敗けよ。 ソ連 攻撃力:75 HP:2500 MP:400 魔法:ベホイミ 独軍 攻撃力:100 HP:1000 MP:50 魔法:ホイミ この2キャラをドラクエでガチンコさせてみやがれ(阿呆
47 :
3ch :2001/06/24(日) 19:39
戦果凄かったけど第6軍が倒されてしまったら意味が無い.
マンシュタイン将軍レニングラードに行かされたのがいたい.結局落ちないし.
カフカス方面(スターリンの故郷近く)も大歓迎だったけどその後強制移住。
>>44 フィンランドはマニア受けが凄いけど結局レニングラードにドイツと共同攻撃するのは限界があり
逆に北方面をドイツから守るという皮肉な結果となったが粛清は免れた.
ハンガリー、ルーマニアは御手伝い程度のつもりがスターリングラードなどで大損害.
結局本土も荒されソ連の統治下で大粛清.イタ過ぎるが小国は大変だ.
チェコとスロバキアは部隊の損害は比較的少なかったみたいだけどドイツの統治も
ハイドリヒの事件など酷かったみたいだがソ連の統治はマサリク大統領が謎の死を遂げるなど更に酷かった様だ
プラハもソ連軍捕虜のウラソフ軍に解放されるなど皮肉な結果に終わった様だ.
>>45 「地獄の黙示録」にそんなシーンが出て来るね。
快適でない軍隊って何かされそう.
>>46 判りやすい.でもソ連側の反癒しの魔法が出て損害が凄くなるのはなぜ?
48 :
学生 :2001/06/25(月) 12:22
マンシュタインは、 ・手元に優秀な装甲部隊があった。 ・ヒットラーから自由裁量が許された。 ・ソ連軍の将兵は未熟で防御戦には強いが、側面攻撃などの攻撃に弱いという弱点があった。 ・ソ連軍が勝ちに奢って後退してると思い込み偵察などを怠った。 そこをついたのが機動防御戦?
>>1 ソ連がドイツに先制攻撃しても米英はレンドリースを実行しただろうか?
先制攻撃しておきながら、攻め込まれた場合スターリンの失脚もあっただろうか?
50 :
3ch :2001/06/27(水) 09:46
レス遅れて申し訳無い.
>>48 基本的にそうだと思うけど何度壊滅してもソ連軍はやってくる。
もちろんあまりの敗北に兵器より兵士か足りなくなりつつあったけど。
>>49 レンドリースは第1次大戦みたいにロシアが攻め込んでいる時からあったように行われると思う。
フランスが押さえられ大陸に英米の拠点が無いわけだから。
攻め込まれても反対勢力が殆ど粛清されているからスターリンの失脚は無いと思う。
緒戦の大敗北でスターリンは自棄になって引きこもってもみんな総司令になってくれと御伺いを立ててきた。
51 :
名無し三等兵 :2001/07/07(土) 22:17
WW2ソ連軍の電波探知戦を調べてるんですけど、なかなか見つからなくて。
52 :
3ch :2001/07/07(土) 23:06
>>51 申し訳無いが聞いた事無いですね。
だだクルスク戦の時ドイツ側がフレイヤという初期のレーダーでソ連空軍の先制攻撃をかわし一時優勢に立ったと読みました。
後潜水艦隊も探知装置が良いものが無く振るわなかったという話です。
53 :
名無し三等兵 :2001/07/07(土) 23:50
東部戦線にゃレーダーなんて不要サ!
あぼーん
55 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 17:23
WW2でのレーダー過大評価も疑問だな。 ソ連なんて無線機すらなくて手旗信号でやってたしな。 電子機器なんか無くたって十分戦えたじゃないか。
56 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 17:35
>こんなに酷い状態にあったサムイ(映画スターリングラードの >銃殺部隊など)ソ連に勝てなかったドイツってかなりイタくない? WW2ドイツが世界一の科学技術を誇ったかのようにも言われたが、 所詮それも軍事技術だけで、経済はどうせソ連と同じ徹底収奪方式だから。 ソ連だってアメリカに先駆けて宇宙産業を進めていたんだからね。 軍事技術の一部が世界一になったとしてもそれは一面に過ぎぬ。
57 :
3ch :2001/07/08(日) 20:17
どうも、レスです.
>>55 無線はやはり有ったほうが良いと思いますが.
自分もカーナビなど東京の道を走るのにとても便利です.
日本軍もマリアナで大敗したにはレーダーと無線が大きかったのでは?
ただ中央アジアのラクダ部隊など補給の安く済むマンpowerがものを言った部分も有ったらしい.
>>56 だから意外に思うのが特に軍事板が左翼に対する批判は多いのに割とソ連軍に対する冷静な評価が多い.
ただロケット開発は粛清の影響でかなりドイツの技術が参考にされた様だが.(学研の戦史シリーズ)
58 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 20:29
でもV2号から宇宙ロケットにまで発展させたソ連の軍事技術はスゴイ!
59 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 20:33
しかしソ連ってまともなスポーツカー一台も量産してないんだよな。 この民需と重工業とのアンバランスさがなんとも…。
60 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 20:36
>>58 宇宙ロケットは実質的にV2を束ねただけだし…。
しかもエンジニアの多くはドイツ人…。
すごかったのソ連の軍事技術ではなくドイツの科学力…。
61 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 21:13
>ホビージャパンも今やアニオタ誌 wらった
62 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 21:18
>>59 イタリアってあんな凄いスポーツカー作ってるけど
戦車はアレだし・・・。
63 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 21:30
だからソ連にスポーツカー、イタリアに戦車を期待するのが間違ってるんだよ。 ま両方作ってるドイツは偉い!と言う事だ。
64 :
3ch :2001/07/08(日) 21:51
なんかレスが多いな.ありがたやありがたや
>>58 結局ソ連で実現したのだからそこは評価すべきかもしれないですね.
だから粛清で弱ってるのにドイツは外してしまう.
でもカンボジアが最後にポルポト派勝利だともっとサムイ.
>>60 ,63?
結局ドイツや日本は美味しいね.ドイツにも日本のアニメファンサイトがあるし
ポルシェもホンダも有るし.でも自分はシビックでぶつけてヘコミまくった.
>>61 いくらなんでも石田敦子女史のエッセイは恥ずかしかった.
>>59 、62
資料が無いので自信が無いが、大規模農業が盛んだったからトラクターあたりは
割と造ってたんじゃないかな?
当時のスポーツカーは実質手工業だから大量生産規模の工業製品を
生産する能力の試金石にはなりえないんじゃないかな?
>>58 生産力が劣る分技術に走ったのかもしれない
ドイツ製品は全体的に凝り過ぎていて量産に向かないのもが多いのが気になる
66 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 00:32
うーんいい雰囲気だあ・・・ age
67 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 01:24
>>1 あの記事は仮説的要素が強いことをお忘れ無く。
>>31 軍事板住人ならば、1割の重大さに気付きなされ。
うろ覚えだけど、軍隊で一割損害が出ると「壊滅」だったっけ?
69 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 01:46
>>68 もっと身近に考えると良いよ。
日本で言えば1200万人死亡。
しかも、死んだのは生産人口が多いだろうから、
たとえ生産設備が何一つ破壊されていなかった
と仮定しても、2割は落ち込むだろうな。
これだけでGDP per capitaが1割減少。
ちなみにGDPの伸びが0で日本はこの騒ぎです。
さらに、実際には生産設備が壊滅的打撃をうけて
いただろうし、2割需要が減るとその影響は何倍
にもなるだろうからなあ。
GDP per capitaが半分になったといわれても
おどろかないなあ。
70 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 02:24
あげ
71 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 02:39
68>3割位で「全滅」だったけ?
>>71 確かそうだったと思う
それを考えると旧軍の玉砕って・・・・
73 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 03:57
にしてもロンメル元帥と「エド・ハリス」は似てる・・・・ 軍服似合うし。
74 :
3ch :2001/07/09(月) 11:34
御互いでレスどうも
>>65 農業用トラクターが多かったのでオデッサ戦車とかできた様だけど結局集団農場でトラクターが有ってもすぐ壊れたり管理の問題があって使えない.
実家農家だけど隣と共同所有上手く行かなかったりソ連も戦後集団化で家畜がいないので女性に鋤を引っ張らせていたそうだ.
>>67 南方軍集団は防御レベルを超えてる量の部隊と遭遇とか謎が解ける気がしますが…
>>73 すいません、「エド・ハリス」って誰ですか?
日本軍もノモンハンで殆ど捕虜がいないとか文字通り全滅するまで戦いますが(補給が考えて無くて全滅とか)
ソ連や共産主義国家とか国全体で階級闘争で何割か粛清だから.ドストエフスキーの一億人の斬首というのも産まれなかった人々を入れれば概算でそんなに違ってないような.
しかし自分もソ連並に人間力(国力)を無駄使いしてへたれな絵を生産して寂しい人生になりそうだ…
7.9ミンスク陥落、旅行なら一晩でヴィリニュス―モスクワついたのに。
しかもバグラチオン作戦の逆パターンなら7.3で陥落.ドイツ軍サムイよ.損害も凄そうだけどこの頃の捕虜ならスターリングラードの9万人中5千人しか帰ってこれなくは無いだろう.
75 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 11:43
宇宙産業の最先端を切ったのは米国でなくてソ連だった。 世界初の人工衛星スプートニクはやはり評価されるべき。 ロケット機ならドイツのV2号が先だったという人もいるが、 実はそのずっとずっと前にロシア人技術者ツィオルコフスキー によって為されていたのだ。ドイツこそその物まねではないか。
76 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 11:52
先鞭をつけたのはツィオルコフスキー だが形にしたのは ゴダード 悪夢にしたのはフォン・ブラウン
77 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 11:54
78 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 13:06
宇宙ロケット実用化はまぎれも無くソ連であった。 1957年のことであってもはやドイツの真似ではない。 ただww2で得た東独を含む大量の戦利品あっての ことだというのは否定できないが。
チェルカッシィ包囲網でコサック騎兵のサーベルで斬り殺されるドイツ兵ってのもヤだね
80 :
3ch :2001/07/09(月) 13:10
レス、レス
>>75 、76
いつのまにかロケット論争になってますがカチューシャロケット砲とかソ連はかなり実用化が早いですね.
ドイツは戦後国民の福祉を優先したからそれで良いのでは?尤も日本のような猟奇犯罪やトルコ移民など深刻な問題も有るけど.
泉正人氏もソ連宇宙開発びいきだったけどアメリカより人命に関する事故が意外と多くて失望されたそうだ.
それにしてもひまわりを何とかしないと天気予報が…
>>77 ありがとう御座います.ファンサイトまで有るのが凄い.マンシュタイン元帥も何かこんな感じだった様な.
それにしてもいかにも温厚そうな感じだが実際の兵士はたまらないよな.自分も間違い無く一兵卒の前線での人生が続くので将官の事情に肩入れしても仕方ないが
81 :
3ch :2001/07/09(月) 13:18
>>78 しかも戦利品の東独の機械を中国にまた売りしたとも聞いた.
>>79 チエルカッシイね.モスクワ戦までは機銃掃射で騎兵側が倒されるだけだったのに.
独逸将校団の教え子たるソ連将校団は 独逸の情報をまともに信じスパイ容疑で 粛正に次ぐ粛正で居なくなった。 よしよしと攻め込んでいったら あらあら、極東にいて(ノモンハンで活躍) 粛正を免れたジューコフちゃんが出張って来て 押し戻されちゃったよ... で、とうとう負けちゃいました。 ノモンハンなんてやってなければ ジューコフはモスクワで粛正されてたでしょうな。 日本陸軍も罪ですなぁ。
83 :
3ch :2001/07/09(月) 18:27
>>82 ソ連将校団はドイツのスパイでなくてもフランス革命を終わらせたのはナポレオンという事で遅かれ早かれ粛清の運命に.
ジューコフ元帥はブジョンヌイ元帥派閥(騎兵団)なので大丈夫でしょう。
日本軍は対ソ連戦では再生産できる美味しい戦利品も資源も少ないので小手調べで精一杯でしょう。
ただPANZERなど見ると日本軍も個人技でかなり戦果を上げていたようですが・・・
ハバロフスクでBT-7が博物館に有ったのですが焼き芋やさんのようなエンジンに火炎瓶をぶつけると言うのもちょっとやりたくないけど。
84 :
名無し三等兵 :2001/07/10(火) 20:33
バルバロッサ作戦そのものがドイツの国力的限界を超えた無茶な戦争。 ロシア相手なら最盛期で首都攻略もしてるから戦争自体の勝負はともかく、 ユダヤ・ボルシェビイズム丸ごと根絶だなんて狂気の沙汰。 旧ソ連は戦争無しで自壊したが、あれも戦争に勝っただけで国民経済 を放り出してアメリカと宇宙開発競争なんかやってたから当然。 ロシアが扱うには重すぎ、旧帝国海軍空母機動部隊みたいなもんか。
「ソビエトは腐った建物と同じだ。ドアを蹴破れば建物も崩れ落ちる。」アドルフ・ヒトラー ドイツは電撃戦で勝てるとソ連に侵攻した。戦術的には電撃戦だったが、 戦略的には消耗戦になってしまったわけでまさに泥沼。しかし日米戦と違って 独ソ戦にはドイツにも勝利するチャンスは十分にあったと思う。
86 :
名無し三等兵 :2001/07/11(水) 09:44
俺は小学生のころ宇宙ロケット図鑑でソ連と米国の宇宙産業を読んで、 何とソ連は進んだ国か、なのに日本はまだ人工衛星しかやってない、 日本は遅れた国だとつくづく思っていた。 WW2に関していえばアメリカは大平洋でそのチンヶな 日本相手の戦争をベトナムみたいにぼちぼちやりながら、 欧州参戦はずっと後になってからで漁夫の利に思えた。 ドイツはあの宇宙先進国ソ連をモスクワまで追い詰めた凄い国で、 日本はソ連が恐くてかわりにそれより弱いアメリカを攻撃して、 しかも本土攻略など夢の又夢に終わったトロい国と思ってた。
87 :
名無し三等兵 :2001/07/11(水) 09:49
ソ連邦を解体するってことを目標にしとけば 充分勝算はあったと思う。 ウクライナなくなるだけでもう食えなくなっちゃうんだから。
88 :
名無し三等兵 :2001/07/11(水) 10:31
米英含む全ての西側諸国と和解してEU形成しかあるまい。 経済力の差でソ連邦解体に追い込むのが一番。 ヘタに攻め込んで団結抗戦させるのは愚策。
西から攻めるのがイカン、またタタール人たちに東から攻め込んでもらおう。
90 :
3ch :2001/07/11(水) 21:14
仕事から帰ってきたらレスが多いな―早速御返事.明日のレポートが…
>>84 国力の結論になると急にトーンダウンするけどソ連は最後まで空母機動部隊を最大の脅威として自分も作ろうとしたらしい.
その意味で日本もアメリカのミサイル防衛構想に御付合いしないと.徴兵制が無いんだから.モスクワオリンピックボイコットだけでなく.
>>85 ドイツの方がざっと三分の一ぐらい国力が劣っていたので難しいと思う.
ただスターリンは1943年の前半絶望的になり第一時大戦の時のような条件で講和しようとしたがヒトラーが断ったらしい.
>>86 日本も有色人種で覇権を争う国に取りあえず合ったことが凄いんじゃない?ドイツはフランス戦の幸運が大きい。
ソ連は国全体的な事は凄いけど個人の幸福や良心などは認められなかったわけだから.自分もこんな知ったかぶりなことを言ってるとあっさり収容所行きだろう.
折角旅行して仲良くしようと思ったのに尾行された.尊敬はしてるけど…
>>87 1942から南部決戦だけどドイツのパン籠にするつもりだったからやはり反感.
>>88 それが冷戦下の封じ込め政策ですね.
>>89 中国人の人口は脅威でしょう.イスラム圏の出生率も。
91 :
名無し三等兵 :2001/07/12(木) 17:06
WW2ソ連軍って玉石混合部隊の最たるものだと思う。
92 :
名無し三等兵 :2001/07/12(木) 17:12
>ただスターリンは1943年の前半 1942年前半のブラウ作戦で南方に攻め込まれた時じゃ無かった?
93 :
3ch :2001/07/13(金) 07:09
>>91 一番玉石の格差が酷いと思う.日本やドイツもそうだけど.差が無いのはやはりアメリカ?
>>92 学研の戦史シリーズは1942,43二説あり、42が最も苦しく43のクルスク以後はもう講和の話は出ないでしょう.
94 :
名無し三等兵 :2001/07/13(金) 10:14
独逸はバイカル湖以東迄 来るつもりだったんだろうか? 事によったら独逸が隣国なんて スゲー事になったかも
95 :
名無し三等兵 :2001/07/13(金) 10:26
>>93 ソ連軍は玉と石の差が著しいからな。
石ころを蹴散らして快進撃の独軍も、1941年冬に
シベリア部隊をはじめとする玉にぶちあたった。
とはいえ南方は相変わらず手薄で石ころばかりで、
翌年半ばからはこっちに攻め込まれて大苦戦か。
96 :
名無し三等兵 :2001/07/13(金) 13:29
>>94 ウラル山脈までがバルバロッサ作戦の目標到達地点じゃあなかったっけ?
97 :
3ch :2001/07/13(金) 21:12
意外とレスが続いて倉庫行きを免れて嬉しい.
>>95 中には耐寒装備の無い部隊や戦車の屋根に乗る懲罰突撃部隊もあるけどすばやく突破できるらしい.
冗談はよせ!
結局レニングラード近辺は列車で通っただけだけど緯度が高く荒涼として何も無いので作戦に向かず、
モスクワなど中央は玉の部隊が守るようになったので南方しかないのでは?
しかしキエフで無理しなければハリコフかロストフで済んだような?
>>96 、94
A-Aラインで恐らくウラル以東は脅威にならない程度でほっとくと言う適当なものだったが工場疎開によりスヴェルドロフスクぐらい攻めていかねば為らないだろう.
インドかイラン辺りでドイツは日本と国境を接し、最後はドイツに日本が打たれると言う都合の良い最終計画があったという話.
日本は白人種で無いから上手く行かないだろう.今は教科書問題はどう?と聞かれた.
明日7,14がはじめてカチューシャ実戦使用.ロケットファンには記念すべき日?
98 :
名無し三等兵 :2001/07/13(金) 22:17
クルスク大戦車戦」(青木基行 学研)のP206、207より これらの援助物資のおよそ二割がムルマンスクや アハンゲリスクに陸揚げされ、およそ三割は中東のイランや イラクの港に陸揚げされた後に陸送された。残りの五割は? なんと、アメリカから太平洋を横断しウラジオストックに 陸揚げされ、シベリア鉄道で運ばれていたのだ。 日ソ中立条約のため、ソ連の国旗を翻した商船であるかぎり、 たとえ積み荷が対ドイツ戦用軍事物資であったとしても、 日本はこれを阻止できなかったのである。 もっとも、対米戦を口実に宗谷、津軽、対馬等の海峡を機雷封鎖 してしまうという手もあったのではないかとも思われるのだが、 日本は馬鹿正直にソ連船(それも国旗がソ連のものだというだけで、 大部分はアメリカ製)の海峡通過を妨害しなかったのである。 #1941年冬までは国際的にソ連の抗戦力が疑問視されており、 #武器貸与が本格化するのはずっと後だったそうで。
>>90 ドイツはフランス戦の幸運が大きい。
「ナチ占領下のフランス」(渡辺和行 講談社)P152〜153より引用
三百五十万人がドイツのために働いた
一九四二年に、ヴィースバーデン休戦委員会のドイツ側経済代表は、
「工業、鉄道、国内海運、国外海運のフランス労働者は、ほとんどもっぱら
ドイツのために働いている」ことを認めた。かくしてフランスは、
毎年、工業生産物の三割から五割におよぶ物質をドイツに供給した。
航空機の百パーセント、自動車・建設・石炭・セメント・造船の
七十五パーセント、ゴム・塗料・化学・織物の六十パーセントがドイツ向け
製品であった。もちろん、全業界が対独協力に足なみを揃えていたわけではない。
ルイドゥーがひきいた自動車業界は積極的に協力したが、ドイツと競争関係
にある石炭や鉄鋼業界は、産業の地盤が立入禁止にあったことも手伝って、
対独協力に懐疑的、さらには批判的であった。
工業ばかりではなくて、農業もドイツのために生産していた。
一九四四年にドイツに徴発された食糧の量は、穀物六百万〜八百万キンタール、
ワイン二百万〜三百万ヘクトリットル、食肉十三万五千〜十七万トンに達した。
フランス国内の貨車の四分の一が毎日物資を運んでドイツへ向かっていた。
重陽されてドイツで働いたフランス人労働者の数は、大戦終了時で七十万人に
達していたが、徴用忌避対策として一九四三年十二月に、ドイツはフランス
国内にある三千三百の工場をドイツのために生産する保護工場とした。
なんか気合の入ったレスありがとう御座います.といっても自分あまりデータ的なことは弱いんで大変参考にはなりますが…
>>98 で日本が妨害した方が良かったわけ?名著?「海上護衛戦」にあったけど後のアメリカ潜水艦の日本海侵入を防ぐ意味で機雷封鎖をすべきだったと思うが
ドイツがソ連に勝っても日本にとってはあまり得に為る事は少ないと思う.ドイツはアリアン人種で無い日本を最終的に裏切りそう.
カリフォルニア沖でアメリカ潜水艦と間違えてソ連潜水艦を撃沈してるし、囚人の輸送船が火災を起こして日本側が救助を申込んでも断って囚人を閉じ込めてしまったと言うドキュンな話もある.
結局関特演を準備しただけで極東ソ連軍はすぐ補強されたので手を出さないで正解では?越冬準備だけで補給が大変だったらしい.
ある程度の兵力をくぎ付けできたわけだけど満州侵攻は恩を仇で返された風に日本からは見えなくない.
>>99 占領してからの物理的恩恵も大きいがSPIのWAR IN Europeなどフランスを倒すのが結構大変。ドイツは2号戦車主力だから電撃戦の成功はかなり幸運だったのでは?
もちろんフランスにはナポレオン戦争後第一時大戦などで青年男子の人口減などかなり致命的な欠点もあるけど.
結局戦力的な問題でグデーリアンの嘆いた中途半端な和平、5分の3はビシー政府を残しフランス艦隊も完全に接収できないなど.
で西部からほとんどの戦力を対ソ戦に集中してればドイツが勝てるかというと治安上難しいしそうなればソ連側も収容所の警備兵を回すだけ.
それからフランスの協力はなにかぬるく、なかなかグナイゼナウなど修理が進んでいなかった気がしますが…
101 :
名無し三等兵 :2001/07/14(土) 00:43
第2次大戦中にアメリカがソ連に送った兵器資材の内訳として、
戦車 7056台 飛行機 14834機 艦艇 500隻
商船 95隻 高射砲 8218門 トラック 385883台
ジープ 51503台 トラクタ 5071台 機関車 1981両
貨物車 11157両 食料 447万トン 石油製品 267万トン
軍靴 1541万7千足 ラジオ 16000組
レンド・リース法の兵器について教えて下さい
http://yasai.2ch.net/army/kako/978/978166932.html
>>101 レンドリースについては今まで直接的な兵器よりトラックや金モールなど間接的なものの評価が高く、
また時期的に最も苦しい時期を脱した1943年以後本格的に届いたとされていました.
最近の研究では援助戦闘機はカダログデータはさる事ながら稼働率がソ連制戦闘機に比べ格段に高く
首都防衛に定時パトロールなどかなりの活躍をしたそうです.
また戦車もそれまではソ連戦車との特に主砲の比較で散々言われてましたがカフカス戦線などソ連本国からの連絡が途絶え援助戦車しかない状態が続いたのでこれもかなり大きな役割を果たしてそうですが
でもどうでしょう?無ければ無いでもっと戦死者をソ連当局は増やして乗切りそう.
>>102 まあかなり関心のある戦場なのでもう語られてるかな?とも思いましたが丁度60周年の6.22だったので.
自分の体験も混ぜてますがかなり違う方々に語っていただいて少なくとも自分はためになってます.
最終的な結論はもう語られている様な気もしますが.
個人的には語ってる時間を描く時間に変えないとヤバイんですがもしまだ語ってレス下さる方がいらしたら続けてください.
過去ログとして合流させたいと管理人の方が考えておられるならそれでも良いです.
ただこうしてみると脚本家セミナーで言われたけどお話は古今東西語り尽くされているということなのでデザインで頑張らねばなんでしょうか?
104 :
名無し三等兵 :2001/07/14(土) 02:17
僕は東部戦線の転換点はスターリングラードでもクルスクでも無く、 モスクワ戦だと思う。軍事生産・政治指導の中枢はあくまでこちら。 スターリングラードやクルスクは決戦場ではあるが急所では無い。 1942年冬以降は二度とモスクワを狙われることは無かったが、 ソ連軍もそれ以上の対独反攻はできず逆に手薄な南方に攻め込まれてしまった。 本格的な総反撃はやはり米国の対独爆撃・対ソ武器貸与を待つことになる。
105 :
名無し三等兵 :2001/07/14(土) 02:39
第二次世界大戦 あんな話こんな話(ジェイムズ・F・ダニガン アルバート・A・ノーフィ 大貫昇=訳 文春文庫)P230〜231 第二次大戦を通じ、もっとも長期的で、大規模で、かつ激しく破壊的 だった戦闘の一つ、それは英米空軍によるドイツ大空襲だった。しかし、 その実態はあまり世間に知られていない。空襲は一九三九年から始まっていたが、 本格的になったのは一九四三年の「戦略爆撃攻撃作戦」が軌道に乗ってからである。 この作戦で、四発の戦略爆撃機が百五十万トンの爆弾をドイツ領内に投下し、 戦闘爆撃機(単発・双発を含めて)がさらに百十万トンの爆弾を落とした。 ≪中略≫ 爆撃行で受けた損害もまた大きかった。空軍の戦死傷者は十五万九千人(英米軍半々)。 未帰還機は爆撃機で二万一千九百十四機(うち英軍機は一万一千九百六十五機)、 戦闘機で一万八千四百六十五機(うち英軍機は一万四十五機)に達した。 爆撃に参加した爆撃機はのべ百五十万機、千機につき十五機の損耗率である。 戦闘機はのべ二百七十五機で、こちらは千機につき七機の損耗率だった。 爆撃の発信基地は、ほとんどイギリス。ここから発進した爆撃機が投下した 全爆弾の半数はドイツ国内に落ち、二ニ%はフランス国内に落とされた。 一方、イタリアを発進基地とした爆撃行の標的は、主にイタリア領内(総計中の十四%)で、 オーストリア、ハンガリー、バルカン諸国が七%、残余の地域が七%である。
このまま寝ないで明日仕事行こうかな…
>>104 SPIのTyphoonというゲームではドイツ軍の最終的勝利としてモスクワ占領、鉄道政治中心地の喪失によりスターリン東部戦線大後退、
ロシア兵はもう戦争を終わらせたいと思うだろうという選択設定がありましたが逆にソ連軍の最終的戦略勝利で中央軍集団壊滅、ロストフやレニングラード、モスクワは2度と脅威にさらされないと言うのもありました.
ナポレオン時代モスクワは陥落したといえ戦略的な中心なのと電撃戦の本質からモスクワがレニングラードより目標として大切だがモスクワに全兵力集中も出来ない兵站上・地形上の問題もあるようです。
>>105 一寸文献やデータがすぐ用意できないのですが
空からの第2戦線はボールベアリング工場や非金属戦闘機を作る特殊な接着剤工場を破壊するなどかなり有効だった事は認めますがやはりフランス上陸など直接の第2(西部)戦線に比べ心理的な意味でも劣るのでは?
空軍が万能ならイラクのフセイン大統領は失脚してるはず.
イスラエルも最終的にはチェスの様に陸軍部隊が敵国首脳陣を補足できる場所に有って相手を交渉の場に出て来ざるようにしないと最終的に勝利できないと言っていた.
107 :
名無し三等兵 :2001/07/14(土) 04:13
>フランス上陸など直接の第2(西部)戦線に比べ心理的な意味でも劣るのでは? 戦略爆撃だけでは不十分でも同時に独ソ戦もずっと継続中だから。
あぼーん
109 :
ベンゼン中尉 :2001/07/14(土) 07:41
フランス戦での勝利がヒトラーを神格化させ、彼が多くの権限を持つにいたった。 東部戦線では、その神話が崩れたにすぎない。所詮は伍長、先々の作戦など考える思考はなかったようだ。
110 :
ベンゼン中尉 :2001/07/14(土) 07:44
まあ、ドイツ軍の将軍でも、前線に自ら出向き指揮を取るのはプロイセン時代からの伝統。 多くの将軍が実際に命を落としている。 ロンメルでさえも、重傷を負った。
SPIのTyphoonが出てくるとは... 実は結構おじさん?>3ch
112 :
名無し三等兵 :2001/07/14(土) 22:13
自称世界最優秀民族が東方奴隷民族に屈服しちゃったね(ベルリン陥落)。
113 :
名無し三等兵 :2001/07/14(土) 22:37
全くだね。
114 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 09:10
コーカサスの油田に目が眩んで モスクワ侵攻を止めたのがイタイな T34の工場だって殆どモスクワ周辺だったし
115 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 09:38
ガッチリ@モスクワで戦局変わったかな〜。 ソ連の戦死者が1000万人増えて終わりかな〜。
帰宅早朝ランニングは辛い、意識戻ったのでレス
>>107 心理的にはハンブルク廃墟とか国民のゲーリング空軍元帥大不信だけど1944にドイツ最大生産では効果が少ないのでは?
しかしアメリカイギリスの北アフリカからイタリアへの第2戦線も訓練を兼ね損害減らしに丁度良い.
>>108 何が書いてあったんだろう?
>>109 、110
ベンゼン大尉ようこそ、マターリと語って下さい.宮崎駿監督引退どうですか?
フランス戦のヒトラー総統の勘が無ければ勝利―独ソ戦も難しいのでは?
モスクワ全面の塹壕を掘って立て篭もれも正解だったけどその後勘が裏目に外れまくる.でも将校団は回想録で愚痴って終わり.
映画「戦争のはらわた」で出てくるけどプロイセン将校団は家柄で将校の人も多く別に負けてもスペインなどに領地があり旧西ドイツ領辺りの中産階級の兵士に顰蹙を買っていたようだ.
ロンメル元帥もプロイセン出身でなかった?から人気高いのでは?
熱烈ドイツファンとしてはどうですか?自分PLじゃないけど体育会で嫌な事があったから赤軍ファンだけど騎士道精神の無いドキュンな体質で折角のドイツ軍の偉業も霞みがち.
ドイツの人にハルトマンなど東部戦線のヒーローはジェノサイトのイメージがあり日本ではあまり尊敬されてないと言ったら、その人はおじいさんがパイロットだそうだが残念そうだった.
>>111 もう40近いよ.でも知ってる貴方もオジサン?しょぼい仕事してるから歪んだ見方しか出来ないよ.アニヲタなら絵が上手ければ許されるけど軍ヲタや歴ヲタは活字だから何でも言えてしまう.
Typhoonは当時で一万して1000近いコマのある化け物ゲームの走りだったのでカラーコピーして大切にしただけでソロプレイできなかった.AHの独ソ戦ぐらいしか完全に出来てない.
>>112 、113
スラブ民族もスポーツでは完全にヨーロッパの仲間なのに.
それにしてもドイツやソ連(ロシア)がサッカーやテニス、バレーで優勝するとまたかって感じでしらけてしまう.
戦績見るとかなり優秀?でもカバテイ何かで無くヨーロッパ起源の種目が多いから勝って当たり前?
>>114 ソ連側はモスクワと勘違いしてたから結構南部で戦果が上がった.
>>115 それは言える.でもそれでスターリンやソ連首脳陣の動揺を誘うぐらいしかドイツ側は可能性が無い.
カンボジアの様にあっさりプノンペンが陥落しても泥沼と言うパターンも考えられる.
117 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 16:41
>1944にドイツ最大生産 生産増大しても出した途端に地上爆破炎上させられたと思われ。
あぼーん
119 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 17:04
44年に兵器を大増産出来ても、兵士の質はどうなんだろう。
冷やかすように見える書き方して御免なさい 仰る通り私もおじさんです 第二次欧州大戦をやりたくてもMAPを広げる場所もプレーヤーの 確保も出来ず鬱屈した毎日を送っています Typhoonは友人が所持していたが、やる機会がなくて未プレイ
121 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 17:25
>>114 モスコーを落としても多分首脳部が疎開するだけではなかろうか
コーカサスとウラルも落とさないと結局は戦争は継続されたと
思われるが、どうだろうか?
>>117 この時期に生産が軌道に乗るところがなめてたんでしょう.
連合軍側もテイルピッツなどの爆撃に熱心でそんなに届かないわけでもなさそう.
朝鮮戦争は中国側の物資は3分の2が灰になった時もあったらしい.
>>118 地方出身だから東京の祭りは関係無い.
>>119 最近の写真では平服の人々がパンツアーファウストだけ持ってる悲しい国民突撃隊あり.
>>120 冷やかしでも反応があると嬉しいけど描かないと…
第2時欧州大戦は一時地元に帰る時に捨てた.せめて師団ナンバー入れて欲しい.
GDRのWAR in Europeも一般的ではないだろう.
エンジェリックレイアーはいい.やっぱり絵で萌えさせないとと言いつつソ連の様に他人を信じれないからボクシング練習で肩が痛い.
>>121 だから唯一?のアキレス腱が石油ルートを絶つだけと言う事だけどスターリン批判の一つにスターリン大元帥は環境がドキュンだったので石炭燃料から石油など近代的な燃料への転換を遅らせていたらしい.
だから怪我の功名で効果が薄かった?
>>123 ああ、でも何か分かるような気がする。
炭坑夫と鉄の男って、気が合いそうな感じだし…
感性で国政を云々するのはアレであるが…。
台風作戦。確かパッケージは雪原にタイガー?戦車だったような記憶が。 懐かしい…。 当時はいっぱいいろんなのが出ましたな。 大西洋の壁とか、欧州大戦とか。…航空母艦とか(苦笑) わたしはヘタレでしたんで、もっぱらロシア戦線やってました。 41年シナリオはキツイわ。精神的に。 工場はにがさにゃいかん。戦車軍団はヘタレ。 電撃戦マーカーがカクカク回るたび、吹っ飛んでいく3−3−4狙撃軍。 ショックアーミーが来るまでがとにかく長い。 戦争指導って、楽じゃないよ…。
>>124 スターリン大元帥の感性って色々言われてる、巡洋艦が好きだったとか.
だが現実当時のソ連では巡洋艦レベルまでの建艦が精一杯.
個人的な気まぐれより当時のソ連のドキュンな情勢が国政をとんでもない方向に持っていった.
共産主義イデオロギーも問題あるけど.
エンジェに萌えながらレスする自分も十分ドキュンだけど…
>>125 結局大戦略にしてもWARゲームはよっぽど思い入れが無いとRPGに比べタル過ぎる.
パッケージの絵は4号戦車?そうでないとリアルでないような。
書泉ではまだ売ってるけどサイコロなど戦果判定がコンピュータ化されないと揉める.
ショックアーミーって実際どうかな?
ソルジェニーツイン氏の小説で良く出るけど第2衝撃軍は悲惨な目にあってしまう.
結局ゲームや文献より仕事が指揮系統とかよりリアルに体験できる.
ちょっと夕食の御買い物.補給の大切さとか.
独ソ戦を経験すると、精神的に打たれ強くなりますな(苦笑 後退戦でもなかなかモラル崩壊を起こしにくい。 新人研修で必修にしたいくらいです。 IBM辺り、やらんものかな。 先輩社員はドイツ軍、新人は赤軍。 一陣営二人で、北と南を担当。 ルールを守るかどうかで読解力と理解力を、 北と南の連携と戦力の融通で協調性と戦略眼を、 ルールの穴を衝けるかどうかで独創性(?)を、 それぞれ評価。 最近の若い方は面食らうでしょうが、一度試してみたいものだ。
128 :
名無し三等兵 :2001/07/16(月) 10:38
>>121 T34の生産設備を失えばソ連は自力で
大規模な反攻作戦が出来なくなると思う。
(米国から大量のM4が供給されるとは思うけど)
あとスターリンはモスクワと運命を共にするつもり
だったと聞いているが如何
129 :
人類小穴兄弟 :2001/07/16(月) 10:41
ベリヤがロリコンだったって本当ですか
>>127 サバゲの方が良いでしょう.自衛隊で研修と言う企業も多いそうだ.
>>129 モスクワの学校帰りの女生徒を襲い、彼女は自殺しその父親がベリヤが銃殺される時名乗り出たが個人の復讐は許されないと却下されたそうだ.
>>128 戦車生産設備だけに限って言えばニジニ・タギル、チェリャビンスク、オムスクが
ある
132 :
名無し三等兵 :2001/07/16(月) 19:10
>>131 スターリングラードの”トラクター工場”はいつから生産再開したのかな?
>>133 ジェルジンスキーのトラクター工場ですね(シナリオ3)
奪還後にT-34の43年型を生産したらしいんですが、再開時期については
知りません
>>123 石炭=ドキュンというのには疑問だ
石炭は掘れば即燃料になるが、石油は精製という課題がある
唯のボイラー燃料ならプレヒートの必要の無い石炭は十分に有効と思われ
(寒冷地で重油Bとかだとドロドロになって流れにくい)
但し、戦争に限って言えば当時も石油は重要物資
確かにロシア産業全体に占める石油の使用率は低かったかもしれないが、
軍事兵器は殆んどが石油だ
コーカサスはロシアの産油の八割を占めていたことを顧みれば、
モスコーよりもこちらを優先したのはあながち間違いとも言い切れないのでは
なかろうか
136 :
ベンゼン中尉 :2001/07/17(火) 05:05
1942年にモスクワ攻撃を行なったのなら、独ソ戦は42年内に決着したように思える。
137 :
名無し三等兵 :2001/07/17(火) 10:43
石油はアストラハン経由で送るから スターリングラード占領はあんまり意味は無い
138 :
名無し三等兵 :2001/07/17(火) 11:22
日本がアッツ島を占領した意味知ってる?
>>138 「米ソ連絡路の分断」という奴?
でも、主目的ではなかったはずだが
>>136 1942年のモスクワって、対空砲も防御陣地も鬼のようなレベルになっていて、
ここへ攻撃を掛けるのは、クルスク戦より勇気が要るような気がしますが…。
モスクワ外郭にとりついたは良いが、そこで装甲戦力消耗、膠着状態。
なまじ美味しい目標なだけに、ヒトラーは占領に固執。スターリングラード化(笑)
南方旋回を進言した装甲総監、やる気無しかと更迭の憂き目に。
そして冬。
南部とは比べものにならない厳冬に、戦車も兵士も凍り付く。
そしてある黎明、戦線両翼からT34の大群が雪崩れ込んできて…。
悪夢じゃ。
141 :
名無し三等兵 :2001/07/18(水) 09:16
モスクワ防衛は固まっても南方方面は手薄なままだから、 ここが攻め所だとヒトラーが考えたのは当然。油田地帯も多い。
142 :
名無し三等兵 :2001/07/18(水) 10:24
>スターリングラードの”トラクター工場”はいつから生産再開したのかな? 確か戦争中には操業再開はできなかったはず。
143 :
名無し三等兵 :2001/07/18(水) 10:36
「モスクワ占領」というのは一種のブランドで、 ワルシャワを占領した!パリを占領した! と聞くと情報が無かった時代には国が崩壊 したと聞こえる。一種の精神的打撃で, それによってソ連の反共勢力の放棄やトルコの参戦 など精神的・外交的なものが強かった。 モスクワが奪還されないように一応到達目標は アルハンゲリスク・アストラハンの線までと計画していた。 フルシチョフが言っていたが、スターリンは最初死守命令 をだしまくりドイツ迎撃に確固たる方針を示せず右往左往していた。 そして初期の大敗北、しかし42年43年頃から自信がつき、 戦争方針を自信を持って語れるようになった。 ヒットラーはその逆、最初は自信満々、後半は右往左往・・・・
144 :
名無し三等兵 :2001/07/18(水) 12:00
ベンゼンの発言の全ては妄言で 彼は人の助言一切見えない人なので相手にしてはいけません 例の死体写真等のオナニー開始でスレッドを腐らせるのは時間の問題
時間的に苦しいので少し跡付け少ないレス
>>135 石炭よりスターリン大元帥の色々な近代的事情に疎かった事が問題.
「共産主義とは何か」メドベージェフでラテン語教条授業や男女別学などが非難されているが消耗戦なら結果として中世的体質の方が良いかもしれない.
石油の件は以下のレス
>>136 1942には難しいが絶滅戦争なら石油狙いは何かぬるい.
>>137 ,8,9
スターリングラードは占領できなくてもそこに拠点があってボルガ川を砲撃し石油運搬を妨害できればいいだったと記憶.
>>140 ドイツ側はソ連側の塹壕など使えて防御的に優位.
ソ連側も余裕があまりなく取りあえずヴィヤズマ辺りから撃退するはずが南部に兵力が要り出来ないのでドイツの退却待つ.
>>141 しかもソ連軍の先制攻撃が大失敗.というか結局ドイツ軍も1941の大損害、死者はソ連に比べ割合が低いだろうけどもろもろ約100万の損失を出し「戦うソヴェト・ロシア」A・ワース
図書館に寄贈し手元に無い.全面攻撃やモスクワは苦しく何処か選べば南部しか無くおあつらえ向きにチモシェンコ攻勢.これがジューコフのモスクワ方面限定ならもう少しソ連はましな結果、逆にドイツもそこそこで済んだかもしれないがドイツか賭けに出ないことは自滅的.
>>142 何らかの再利用はしてると思うがトラクター工場など主要な工場はチェリャビンスクなどから帰ってこない.
>>143 ブランドだけど当時の中国ではないヨーロッパ諸国なら効果はそこそこありそう.
ヒトラーの問題も大きいがまた第一次大戦みたいに背後からの一撃説がでないよう将校団や国民はとことんやってみるぐらいの気持ちが在って引きずられてしまったような.
>>144 いやー語られてますね.ざっと見た感じソ連側の資料を見てる人が少ないですね.
今スレの論点はモスクワが陥落してたらどうかと石油地帯の占領の可能性ですが過去スレはドイツと日本の同盟が甘いような.
仲良くするのは難しいけど馴れ合っているうちもっと貧しい国の労働者と何か在りそう.
>>145 ネットの論争だからマターリと行きましょう.
自分もへたれ絵の生産や復讐のトレーニング時間などシャレにならなくなってきた.
まともな過去スレも在るのでコミケも近いし忌憚なき意見をどうぞ.一寸練習へGO!
147 :
名無し三等兵 :2001/07/19(木) 23:33
ボルシェビイズムとナチズムは両方とも軍事力・軍事技術至上主義のドキュソ。 WW2ドイツの技術が世界一だったというドイツオタはソ連の宇宙産業が凄かった という親ソ共産主義者と同じ。軍事技術の一部だけを評価するのはおかしい。
>>147 そう言った意味でナチスのドイツ近代化の功績ややナチズムとボルシェビズムの近親性など最近語られてますね.
判りやすくは最近のアニメでボツボツソ連側をモチーフした悪役の情景が出ますが悪役はやはりドイツ調.
(セイバーマリオネットやガンダムXなど)
149 :
名無し三等兵 :2001/07/20(金) 13:55
どうがんばってみてもドイツはロシアを越えることは出来なかったのだ。 ただ最終的にベルリン陥落とはいえ一時はモスクワまで攻めていった のだからそのへんは敢闘賞には値するのではないか。
150 :
名無し三等兵 :2001/07/20(金) 15:29
モスクワはドイツ軍攻勢終末点で、この前でた「歴史群像」の 小林源文氏の連載によれば備品が届かずドイツ軍の飛行機・戦車 は稼働率激減でほとんど出動できない状況だったとか。
>>149 だからソ連内部には対外戦を内戦に変えるうという動きがなくはなかったがカンボジアのヘン・サムリン政権のような存在は無かった.
今でこそ敢闘賞だが国会図書館の当時の朝日新聞はロシア王室の血縁者が傀儡政権としてドイツに擁立されそうな記事があった.
>>150 ドイツは結局平時さながらの生産体制、徴兵拒否者など終末点だったけど一度手を出した以上一か八かでベルリン攻略とは少し違ったような.
ただソ連側も一時パニックで(急にスターリンがモスクワを離れたらしい)崩れそうだったがスターリンは移転の準備もあったがモスクワに留まった.
「歴史群像」大谷義継公の記事が良かった.
152 :
名無し三等兵 :2001/07/23(月) 18:11
>>52 レーダーかく乱欺瞞紙でも撒けばよかったのに。
153 :
名無し三等兵 :2001/07/23(月) 19:52
>>106 事実上の第二戦線はノルマンジーでは無くて1943年半ば以降からだと思う。
米国の太平洋での対日戦がソロモンあたりで一段落してたからだろう。
対ソレンドリースが沢山入るようになったのもこのころからだし、
ヒトラーがクルスク戦で戦闘半ばにして作戦中止にしたの時も米英軍の
シチリア島侵攻を意識していた。前の年に南方に攻め込まれたのもロシア
の力だけでは明らかにモスクワ防衛以上の反撃能力は無かったから。
更にDデイでドイツ空軍出撃不能だったのも
>>105 の戦略爆撃による。
154 :
ベンゼン中尉 :2001/07/23(月) 20:55
1942年のモスクワ侵攻が可能であったのなら、ドイツはもっと潔い負け方をしていたか、或るいは1941年の雪辱を果たしていたかもしれないということです。 ただし、モスクワを占領しても、ソビエト政府は疎開をしており、ヒトラーもそれを察知していたこそ、油田地帯の制圧で、ソビエト軍の燃料庫を叩いたと思うのですが。 まあ、連合国の支援がなければソビエトは負けていたと思います。
>>152 レーダーかく乱欺瞞紙も知らなければ先制航空攻撃や砲撃が不発に終わったことが大きい.
>>153 本格的な第2戦線はやはりノルマンジー以降では?もちろん戦略爆撃も大きいがイタリアでは地形上最後まで何度も戦線が構築され
決定的な突破は出来なかった.
クルスク戦は最近プロホロフカの戦車戦はドイツ軍の一人勝ちという実相もPANZERで語られてますが7,10のシチリア島上陸が7,12のオリョールでのソ連軍の反抗より少し早いですが結局
ドイツ軍がソ連軍の防御陣を突破できなかったのが作戦中止の原因では?
>>154 1942,1,31までにドイツ軍の戦死傷者数が既に91万7985名、6月までで133万2477名、西方作戦は15万6千名
彼らこそが電撃戦の立役者であったわけだから(回想録も書けなかったので生き残った人が主役を主張しても反論できない)後に補充された人々とは雲泥の差があったことでしょう.
中央軍集団だけで36万6千名の定員不足のままで南方軍集団を補充したわけだからとてもモスクワへ向かえないでしょう.
油田地帯もカフカス地方の側面援護がかなり大変.
連合国の援助は飛行機、戦車で1割ですが43年以降本格的に届くので既にスターリングラード周辺だけでドイツ側は第6軍だけで約30万の損害を出しているので
大体常に300万ぐらい展開していた東部戦線の兵力の半数以上が再編成になったのだから援助がソ連側に無くて44年に中央軍集団への電撃戦が出来なくてもソ連領の維持が難しそう.
援助の中でも戦艦ロイヤル・ソブリンの様にかなり値段が高いのに運用上のミスで全く意味の無い使われ方をされたものもある.
156 :
名無し三等兵 :2001/07/24(火) 16:33
>プロホロフカの戦車戦はドイツ軍の一人勝ちという実相もPANZERで語られてますが 両者互角との記述もあり、後藤仁氏は架空だといってました。
>>156 レスありがとう御座います.
古是三春氏の記事は最近新しく感じるもので.
後藤仁氏はモデルアートで懐かしい.
いずれにせよドイツ軍はクルスク戦ですぐ占領地から退却せざるをえなかったのでキルレシオがかなり有利でもお得意の鹵獲兵器獲得が殆ど出来なかったでしょう.
158 :
名無し三等兵 :2001/07/25(水) 11:16
プロホロフカの戦車戦はそれ自体どれほどの規模だったのですか。 それとドイツ軍の一人勝ちならなぜにすぐ退却したのですか。 いくら量の差があるとはいえキルレシオがそれだけよければ シチリア戦線はずっと西の向こうのことでありそれ以上の 進撃はしなくとも占領区の維持くらいはしてもよかったのでは。 「クルスク大戦車戦」(青木基行 学研)によると戦闘による損失は 独側が60輌でソ連側が300輌とあったのですが、ドイツ側がたった 60輌ばかりの損失で陣地放棄したとすれば、最初から60輌の戦車しか 持っていなかったのか、それとも戦力に余裕を残したままシチリア戦 のためにロシア戦をあきらめたことになります。後者だとすればヒトラー はこの時点で戦力を温存したままソ連と和平したかったのでしょうか。 もしかしてあれほど打倒ボルシェビイズムを絶叫してたヒトラーがいまさら 急に対ソ戦をあきらめて再度ソ連との不可侵条約を考えたのでしょうか。 僕としてはキルレシオ自体独側優勢でもドイツ軍戦車の大半はロシア の泥地で動けなくなって途中で遺棄されたのではないかと思います。 僕はプロホロフカ戦について読んだ本はどれも記述が食い違っており、 単なる推測にすぎないとはいえパンター戦車のことを考えればありうると思う。 結果的に両者の喪失数は同じくらいで量に勝るロシアが戦場に残ったのでは。
>>157 クルスク戦車戦神話の確定は、パウルカレラや西側の書物に引用されて多いに喧伝し
まくった、ロトミストロフの(想像力に満ちた)戦記にあるのではないでしょうか。
(中世の合戦じゃあるまいし、戦場を一望できるところで一将軍がその戦闘を克明に
観察したというのは胡散くさい。)
恐らく、実際のところは中隊〜大隊単位での激突で、互いの損害率、戦車数については
ドイツ側はともかく旧ソ連側の情報にブラックボックスの部分が多く、
ソ連側が主長するほぼ互角だったという説は、殆ど信用できませんが
160 :
名無し三等兵 :2001/07/25(水) 12:04
クルスク戦はドイツ軍渾身の最後攻勢であったでしょう。 ただプロホロフカについてはどちらが勝っていたにせよ、 全体の戦局への寄与度は少ないのではないでしょうか。 そんなに大規模な作戦ならスターリンもヒトラー も何らかの作戦指令を出していたはず。
>>155 シチリア上陸が実際クルスク戦を中止にした訳ですが、その前のブリャンスク戦線での
攻勢で実質的クルスク戦自体に意味がなくしたのでは。
(北と南からクルスクを挟撃する作戦で、北の攻勢が中止となれば南だけの攻勢に
意味はないですから)
マンシュタインは南部だけでも攻勢続けろと言ってましたが、(却ってその部分が
突出して逆に挟撃にあう危険があるため)これは名将にしては間違った判断では
なかったでしょうか。
162 :
名無し三等兵 :2001/07/25(水) 12:24
クルスクに於いて完全に撃破された戦車のソビエト側の記録 パンター×31
プロホロフカに於ける18th Guard Tank Corpsの損害のソビエト側の記録 完全破壊×233 遺棄×413 上も含めて「ロシアン・バトルフィールド」が出典 (ロシア人のやってる大祖国戦争サイト)
165 :
名無し三等兵 :2001/07/25(水) 16:55
補足 完全破壊と遺棄は数字がダブっているので足して考えないでください
166 :
名無し三等兵 :2001/07/25(水) 16:57
164について訂正 × 18th Guard Tank Corps ○ 5th Guard Tank Army
さらに補足 164は7月11-14日の期間です
レスありがとう御座います.大雨で神田の古本屋街でネタを仕入れそこないましたが学研
の歴史群像シリーズなど共通言語として語っていきたいと思います.
過去スレ クルスク戦についてがこれです.
http://yasai.2ch.net/army/kako/979/979698507.html >>158 「PANZER2000.9」の古是三春氏の記事がプロホロフカでドイツ一人勝ちですが復旧も有
ってドイツLAH 90-88輌 損害2輌
ソ連 第5親衛戦車軍630-374輌 256輌
だそうです.ただこれは殺到するソ連軍を迎え撃った結果でその後の事は語られていません.
白石光氏の文章ではドイツ側150から200輌で損害が50から70輌、
ソ連側750から800輌 350から400輌
白石氏の説が大体今の定説です.何故か文章では兵力差がドイツ1に対してソ連7-8になって
ますがこの数字からすれば兵力差が1:4-5でキルレシオが1:5-8です
ただ古是氏の文章もクルスク戦全体の人員のキルレシオに為ると
G.Fクリヴォーシェーエフ中将編纂「20世紀におけるソ連の犠牲者・戦闘喪失」London1997
ドイツ側4万9822名 ドイツ78万900- 73万1078名
ソ連側 17万7847名 で1:3.6になるので残りはソ連 191万361-173万2514名で1:2.4が1:2.3に為るだけです.
戦車でも
ドイツ側2928輌
ソ連側 5128輌 で1:1.8、プロホロフカだけで超人的なキルレシオが有っても追いつかないでしょう.
しかも月産T-34、2000:W号100パンター50後100
戦車の種類はパンターは無くティーガーも4輌という話です.
写真ではかなりのドイツ戦車が回収点検されている様ですね.
>>159 確かにあのT-34がティーガーに体当たりはできすぎている様ですが戦略的意味と生産力を加味すれば互角という事でしょう.
>>160 結局プロホロフカよりクルスク戦の意義なんですがプロホロフカをみてマンシュタイン元帥は攻勢続行を支持したような.
>>161 だからもっとクルーゲ元帥の第9軍を死地に近づけさせなかった慎重な采配を評価すべきでしょう.
加登川幸太郎氏のサンケイブックス.
>>162 グデーリアン将軍もトゥーラの飢餓に責任があるようです.A.ワース「戦うソヴィエト・ロシア」
>>163 かなりが故障で失われたのではないでしょうか?最近の「グランド・パワー」ではソ連軍マークをつけたパンサー部隊の写真有り
ソ連側も主砲の威力に対し高い評価をしています.
>>164 ,165,166,167
やはりプロホロフカでのソ連軍戦車の損害は400輌が妥当なところですか?
ただ遺棄された後回収,復旧されたものを考えるとまた数字が違ってきますが.
宜しければ出典のサイトのURLを上げてください.
PS、CM「PANZER2000.9」VOL.334はイラストが載ってるので見て下さい.
>>169 うわ―濃いサイトですね.しかし明後日英語関係のテストというのに殆ど読み取れないですね.
良いサイトなのでage
シュピールベルガーというのはモーターブーフ社のようなものでしょうか?
171 :
名無し三等兵 :2001/07/25(水) 22:19
>>170 シュピールベルガーは大日本絵画で発売されている一連のドイツ
戦車本の作者です
大きな書店なら置いているんですが、如何せん値段が一冊4000円
なので、重突撃戦車しか所持していません
ああ、1さんの >ドイツの劣等民族政策が無ければ結構共産主義とナチズムって似てるから >(ヒトラーユーゲントってピオネールを参考にしたらしい)西側を倒すまで >同盟の可能性はあったかもしれない ヒトラーは政権を取る時に「労働者」をアピールして共産主義を匂わせた事はあったけど、 彼は共産主義への敵対心で一杯。「我が闘争」を見よ
>>171 早速のレスありがとう御座います.
書泉グランテで見かけた事があります.何にしてもミリタリー系は高いですね.
その代わり古本屋さんでもそこそこ3割ぐらいの値段で引き取ってくれますが…
それにしても先制攻撃,バルバロッサ作戦とスレッドが上がってますね.
過去スレも含めればやはり関心の高い分野なのですね.
どんどん語って下さい.
帝政ロシアからの伝統は退却戦術。大祖国戦争緒戦でただちに退却すべきであった>ソ連軍 下手に死守すべきではなかったかもしれぬ。クロパトキンが居れば、優秀な 退却戦術取れたのにね・・・。
>>172 ナチス=国家社会主義者労働党ですよね。
それに兄弟殺しの戦争とかベリヤ内務人民委員がスターリン書記長に「うちのヒムラー」
と呼ばれていたりとかヒトラー暗殺事件を裁いた裁判官は共産主義から転向したとか結局全体主義国としてやったことにかなり類似性がある.
東欧やスペインの共産党員もドイツの強制収容所からソ連の強制収容所送り。
「社会主義の20世紀」でも反体制の若者がハーケンクロイツ=鎌とハンマーのプラカードを掲げて抗議してました.
「我が闘争」は読んでいないです.が欧米では極右と極左のコングリマッドが実現したと聞きました.その場合もはやイデオロギーでは語れないのでは?
>>174 1940年当時、赤軍の防衛戦略の基本は国境付近で迎撃し戦場を敵国の領内に
移動させるという政治的願望というか共産主義者は国民を信頼していなかったし
粛清で国民が裏切るかもしれないので退却戦術に踏み切れなかったのでは?
国境線要塞も移して弱体化していたしパルチザン後方支援組織も逆に反スターリン組織となると考え解体.
>>174 クロパトキンの戦場は首都から遠く離れた僻地であったが、
二次大戦は首都に近い西側が戦場になった
1940当時では機動防御も不可能だったし、徹底抗戦による遅滞作戦を
行うしかなかったのではなかろうか
178 :
名無し三等兵 :2001/07/26(木) 11:14
プロホロフカでドイツ軍が圧倒的に勝利したことはマンシュタイン が断固攻勢続行を主張した事実で間違いないのだろうが、 戦闘状況も不明も多くかなりマイナーなものだったと思う。 確か児島襄の本だったと思うが大勝利・攻勢続行を主張したマンシュ タインに対しヒトラーが大勝利なら敵の牙を折り攻勢能力は無くなった、 これで貴官の目的は達成されたのではないか、と突っ込んだ。 この後のヒトラーは拠点死守命令を乱発して後世の悪評となるが、 これはもうクルスク以降ドイツ側の予備兵力が底を尽きて しまったことの証拠であろう。だがヒトラーはマンシュタインの 戦果報告をあのように信用していたとすればその心境もうなずける。 クルスクでドイツは予備兵力を使い果たしてそれ以上の攻勢は 無理であったが、敵にもその何倍もの打撃を与えたから向こう もへたばってるはずだ、打倒ユダヤ・ボルシェビイズムイズムは 西で何が起ころうとこれまで通りでいかなる犠牲も惜しまないと。
179 :
名無し三等兵 :2001/07/26(木) 11:18
プロホロフカは紫電改部隊の源田サーカスと同じだろう。
180 :
名無し三等兵 :2001/07/26(木) 11:57
検証するとすれば後藤仁氏の架空説はどうかと思う。前に防御戦を主張した マンシュタインがこの後で攻勢続行を主張するようになったということは、 現場でのドイツ軍圧倒的勝利をその目で見たからとしか思えない。 ソ連軍ロトミストロフ司令官としては明らかに「失策」でありそれ を隠すために回想録で「大戦車戦」をでっちあげたのだろう。 だが例え60輪の損失で300輌撃破しても60輌が独軍の全戦力か、 残りの大半は故障遺棄されたのであろう。
181 :
名無し三等兵 :2001/07/26(木) 13:52
>>171 シュピルベルガーの本、10年ほど前は洋書屋で3〜4万で売っていた。それが今は日本語訳が4〜5千円なんだから持ってけドロボーですよ。
プロホロフカでたとえドイツ軍が圧勝でも、北方からの攻撃が失敗に終わってるし、南方もパックフロントだらけで出血の割には成果は少なかったからあれで中止が正解じゃないのかな?
ロンメルはヒトラーに取り立てられて出世した人だからね。ヒトラー政権が無ければ誰かプロイセン貴族将軍の腹心の参謀となって大佐ぐらいでおわったんじゃないかな?
>>175 なんか最近の話とごっちゃになってるけど、そりゃないって。
総統の意思が反共なんだもの。だからこそチェコスデーテン割譲まで話し合いで
逝ったんだから。
183 :
名無し三等兵 :2001/07/26(木) 20:03
>>162 ドイツ国防軍も一枚岩じゃ無いがな。ライヒェナウやマンシュタインのような
絶滅論者もいれば、グデーリアンやルントシュテットのような消極派もいた。
マンシュタインはポーランド系との混血ドイツ人でアイヒマンはオーストリア出身。
かえってそれがコンプレックスになって過激派になったのかもしれない。
居眠り運転であわやとなりながら結果オーライ,シャレにならない.すぐレス
>>178 児島襄氏の本,確か週間ポストでなが―く連載してましたね.
結局プロホロフカだけ,南部だけで優勢でも仕方ないという事でしょう.
>>179 源田サーカスって同じようにアメリカ軍に部分的に勝ったのですか?
>>180 結局戦場を維持できなければ打ち合いの勝利は生かされないんでしょうね.
>>181 洋書,今殆ど手元に残ってない.まあロマンですね…
クルスク戦中止,P・カレルの感情的な記述では続ければ勝てたし中止の主な原因はシシリー
上陸になってますが歴戦の戦車司令官が戦死する記述も出てきます.
ロンメル,護衛艦に名前もつけられてますね.東部戦線で指揮していたら多分イメージダウン
するような事をしていたでしょう.
>>182 そうですね,結局DRANK NACH OSTENでないとドイツの贅沢な生活は支えられないから.
ただ日本でも端と端を折って重ねると表裏一体に為るから極右と極左暴力集団の連合は
そう遠い事ではないと意味深に語ってくれた変なおばさんがいた.
>>183 その辺りが戦場での指揮に比べあまり語られて無いですね.
グデーリアン将軍もクルーゲ元帥についての記述でなぜかクルーゲ先生と呼んでるし.
しかしNHKでやってましたけどエストニアは折角独立してもロシア系住民にエストニア語
テストに合格しないと国籍を与えないという事で仕事が無く麻薬とエイズが蔓延.
エストニア人をシベリアに追放粛清した報いですが大変ですね.ホテルの魚のフライが美味しかったのですが
バレー雑誌でも全日本男子のロケ地だったのに…
185 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 10:50
プロホロフカはロトミストロフ部隊にとっては危うく銃殺だったかも しれぬ重大な失態であるが、ソ連軍全体からすれば大した損害ではない。 ヒトラーがマンシュタインの勝利報告を信じていたならば その後の彼の死守命令乱発も決してドキュンでは無かろう。
186 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 21:25
>>168 数字はどれもばらばらだね。それよりも戦略的にそれぞれの指導部が
どういう行動を取ったかが大事だろう。プロホロフカの独ソ両軍の
規模・戦果・損害についての数字は不明でもマンシュタインは
攻勢続行を主張、ヒトラーは作戦中止その後は全戦線死守命令
を乱発するもドイツ軍の後退・ソ連軍の前進が続いた。
>>185 上手く行けば死守しているうちに西部戦線から連合軍を対ソ戦に誘導できたかもしれない.
188 :
ベンゼン中尉 :2001/07/27(金) 21:36
>187 ヒトラーの狙いはそこだった訳だが、見事に裏られたね。
>>186 ただマンシュタイン元帥とすれば出来るだけソ連軍に対し出血を強いて講和に持って行こうという戦略もあり.
P.カレルの「焦土戦術」ではドイツ軍が先にドニエプル後退戦のテープを切ったと日本軍の転進みたいな記述をしてますが…
190 :
ベンゼン中尉 :2001/07/27(金) 21:39
まあ、ヒムラーやゲーリングの行動を取れば、末期ヒトラーは常人ではなかったようですな。
>>188 といってもフランスを占領した上にロンドン空襲までして都合良すぎ.
ただトリエステ港を巡って危ない対立もあったことは確か.
>>190 が最後までヒトラーに主権があったことは確か.
特にゲーリング空軍元帥は単独講和をしようとして逮捕されたし空軍は本土空襲の失態で国民の顰蹙を買っていた.
193 :
ベンゼン中尉 :2001/07/27(金) 21:46
ヒトラーがマジなら、倫敦に陸軍を送り込んでいたでしょう。
194 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 21:56
>P.カレルの「焦土戦術」ではドイツ軍が先にドニエプル後退戦 >のテープを切ったと日本軍の転進みたいな記述をしてますが… 「膨大な独軍戦力がこの血の戦場で溶けてしまった」と書いてあったような・・・
そこのところ中央公論社の世界の歴史でも同じゲルマン民族系の国だから海上帝国として存続させようという躊躇いも在った様ですが駆逐艦がノルウエーでの損害で 5%から3%になってしまったのでは上陸作戦は無理でしょう. 同じようにレニングラードを占領できなかったのはネヴァ川を鉄舟が無く渡れなかったという説もある。ソールズベリー「攻防900日」
>>194 そうですか.古本屋に売ってしまったのでうろ覚えですが.
1944の中央軍集団の壊滅は取り返しの付かない事実とありますがどうしても敗北の主因として空軍の屋根がノルマンデイーにより外されたと西部戦線重視だったと記憶してます。
197 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 22:11
198 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 22:17
>クルスク戦中止,P・カレルの感情的な記述では続ければ勝てたし中止の主な >原因はシシリー上陸になってますが歴戦の戦車司令官が戦死する記述も出てきます. P・カレルでは無くE・V・マンシュタインの「失われた勝利」では。
199 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 22:20
>>197 ぼくは1940年の時点で米軍がP-51やF4Uを装備してたと思ってるんだね。
早く寝なさいね、明日もラジオ体操でしょ。
201 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 22:25
あーたーらしーいーあーさがきた きーぼーおのーあさーが・・・・
確かに軍艦でもアメリカ製は非常にダメージコントロールに優れキルレシオがかなり有利です. P-39エアラコブラとか機体の数時以上に稼働率で活躍しているでしょう. がドイツの損害の大半は東部戦線によるものではないのですか? 飛行機は確か開戦時用意していた5千機が41年度で失われたと記憶しています. その代わりソ連側の1万機を破壊しますがこれも結局消耗戦でドイツ側に高くついたようです. しかも後半戦はドイツも極一部の超人的エリート機と大多数のそうでない機に分かれていたようです. 英国機は本土航空戦など長距離飛行してくるのを迎え撃つからキルレシオがイギリス側が良かったと記憶してますが.
203 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 22:36
>がドイツの損害の大半は東部戦線によるものではないのですか?
>>105 の記述からして空軍壊滅(Dデイで出撃不能)は米戦略爆撃では?
204 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 22:40
更に補足すれば1944年でドイツは航空機生産量最大を記録している。 殆ど地上で爆破されたのだろう。撃墜よりも地上撃破が効率的だ。
>>198 マンシュタイン元帥の記述を引用して同じような記述がP.カレルにもあったと思いましたが.
>>204 航空機に限ればそうかもしれませんがドイツ軍死傷者のおよそ7割は東部戦線関係では?
>>204 同じように1941年度のソ連側の大損害は地上撃破が大きく,ドイツエースの人々はそれも少し加味されているかプロホロフカ戦車戦のように数字に対する疑問もあります.
206 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 12:39
ヒトラーに死守命令乱発はソ連軍過小評価・独軍過大評価の産物。 たとえクルスクで攻勢不能になろうとも将軍たちの報告を信じるならば、 ソ連軍にはその数倍の打撃を与えているはずであり食い止められるはず。
207 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 13:07
208 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 16:31
ソ連空軍は訓練不足だろうが頭数そろえるためには無理やり狩り出したからな。 それでも弾除けにはなったろう。歩兵にしても地雷よけにしてるし。
209 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 19:42
今更燃料ネタだが、ソ連のガソリンはオクタン価が低すぎてドイツ軍は そのまま流用するのがかなり困難だったようだ 例え油田地帯を抑えても、本国に後送してベンゼンを添加するのでは 相当手間がかかったかもしれない
210 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 20:28
「指揮官 下」(児島襄 文春文庫)によれば、ヒトラーは晩年の日記 に将軍達が偽りの報告をして余を欺いたなどと書いていたそうだ。
211 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 21:36
>最近の説(学研の歴史群像)ではソ連軍が先に先制攻撃しようと準備中のところ >ドイツの先制攻撃で奇襲効果となってソ連軍に大損害が出たらしい。 開戦前のソ連のタス通信は独ソ友好を説いてましたし、 開戦直後でさえもスターリンは対独不抵抗を出してました。 スターリンがドイツは英仏と戦争してるからドイツの対ソ戦 は無いと考えていたからこそ「奇襲」になったのだと思います。 これはフランスレジスタンスやバトルオブブリテンの過大評価で、 実際スターリンの熱望するフランス戦線は1944年夏になってから。
213 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 21:58
今思うと、ナチとアカが殺しあってくれたおかげで 世界はいくらか自由に…んなわけないか。
>>206 ヒトラー総統が何処まで将軍達の報告を信じていたか判りませんが総統の世界観と終盤の劣勢なドイツ軍では死守命令ぐらいしか作戦が無いかもしれません.
>>207 学研の「バルバロッサ作戦」に拠れば1941年12月でドイツ軍は空戦では900機を失っただけでソ連機1万5500機を地上と空中で撃破しましたが
地上での事故での喪失機を加えると2093機を喪失し更に修理を要する損傷機が1361機に為り15:1が実質5:1ぐらいに為ります
そうすれば生産で1941年から4年間でざっとソ連側が13万機を生産しドイツ側が10万機生産したけどイギリスやアメリカの40万機にも対抗せねばならないし
ソ連側の控えめな数字10万機にドイツ側が主張する6万機を撃破したとしても4万機残るわけです.
結局スターリン首相は重要な演説で勝てたのは連合国との同盟のお陰といってますがドイツ側の同盟国がイマイチだったという事でしょう.
それなら最優秀民族なのだから他国を当てにしないでソ連並の犠牲を国民に強いる事が出来るかというとナチでもそれは無理でしょう.
>>208 文字通り消耗戦.ドイツ軍のエースも収容所の一囚人,が多少の優遇が無ければ帰って来れない.
>>209 1941年バラノビッチでソ連軍燃料ストック捕獲で急場をしのいだそうだ.ソ連に使わせない様にするのが主目的では?
>>210 終盤この前話したことと違うでないかとしばしば将軍達を叱責していたらしい(グデーリアン「電撃戦」)が赤軍の様に粛清していないので国防軍はあからさまに言う事を聞かせられない勢力を保持し続けたらしい.
>>211 1941年5月15日付のチモシェンコ・ジューコフ連盟のスターリンに提出した対独攻撃意見具申草稿の存在があります.
詳しくは学研の「ソヴィエト赤軍攻防史U」をどうぞ。
>>213 日本は結果的に自由なんでしょうか?ヲタクな妄想は自由だけど…
215 :
名無し三等兵 :2001/07/29(日) 16:19
「私は、スターリンの通訳だった」(ワレンチン・M・ベレズホフ 同朋舎出版)P70 かくして、ナチがソ連国境を粉砕する一週間前の一九四一年六月十四日、モスクワは 『タス』を通じてひとつの声明を発表する運びとなった。「わが国が得た情報によれば、 ドイツはわが国と同様、独ソ不可侵条約の条項に誠意をもって応じるとのことである。 これに鑑み、わが国は、ドイツに条約破棄とソ連攻撃開始の意図ありとするうわさは、 まったく根拠なきものとかんがえる」この驚くべき声明を発表してから、 スターリンはおそらく、ヒトラーからも同様の声明が聞けるものと期待していたであろう。 しかし、ベルリンから返ってきたものは完全な沈黙だけであった。
216 :
まんこー :2001/07/29(日) 17:25
人形版にて、本日日曜に上げ荒らし、書き込み荒らし、いたずらスレ乱立、複数の類似スレ乱立、など同時多発の全方位立体攻撃を行います。参加者 募集中!!時間は本日・日曜の夜11時から朝の5時まで。どのような参加も自由です。(作戦名・オーバーロード作戦。) 全面的な荒らしが、どのような影響を及ぼすかの、研究ですので、ふるってご参加下さい。
218 :
215 :2001/07/29(日) 17:59
>赤軍によるドイツ先制攻撃の可能性 あったとすれば対日参戦でやったような火事泥的参戦でしょう。 それにはもうしばらく英独戦が続いて独の消耗を待つ必要があります。 バトルオブブリテンの英軍過大評価が油断の主因だったと思いますが。
油断というよりスターリン首相は粛清による影響を誰よりも良く知っていてドイツ側の戦術的革命により急速にドイツ側に有利になった現状を一時的にやりすごそうとしたのでは? 少なくともバトルオブブリテンでドイツ空軍は1940年の4782機から1941年には4879機にしか変化していなく、爆撃機は逆に1711機から1511機に200機減っている.
220 :
名無し三等兵 :2001/07/29(日) 18:41
フィンランド戦争も継続中じゃ無かった?
フィンランド戦争は1940年3月12日に講和条約締結。 これでソ連軍の粛清による弱体化が明らかになった.
222 :
名無し三等兵 :2001/07/29(日) 19:05
でも継続戦終結は1944年半ばじゃ無かった?
最終的には1944年の9月19日に休戦協定が結ばれますが基本的にフィンランドは人口が現在も500万人ぐらいしかいないので主導権をもって対ソ戦は出来ません. ソ連軍の東部戦線が大体300万の兵力の中で1940年の大攻勢の時が60万ぐらいだからドイツに備えながら作戦が出来るわけです. ただ抵抗の御蔭でフィンランドは人口の5%ぐらいの損害で済みましたが抵抗しなかった(出来なかった)バルト三国は20%ぐらいの人々が粛清されたという話です.
224 :
名無し三等兵 :2001/07/30(月) 18:37
「Panzer Trppen2 1943-1945」のP110に、1943年の2月から 12月までの東部戦線の戦車保有数と稼動数がのってます。 例えば9/30は、保有1953両に対して稼動数は605両です。
225 :
名無し三等兵 :2001/07/31(火) 00:51
教えてくんでスマソですが、バルバロッサ作戦が始まった時、フィンランドを 策源にしたドイツ陸軍・空軍の規模(部隊名、編成)と指揮系統は、いかがなものだったのでしょう? レニングラードとかムルマンスク鉄道とか、戦略目標が多そうだからそれなりの準備はしたと思うけど、あまり聞かないので…
「フラー」と「ウラー」を聞き分けることが生死を分けるんだな。
227 :
名無し三等兵 :2001/07/31(火) 14:58
>>224 稼働率三分の一か、こりゃあサムイなぁ。
>>224 稼働率3分の一,Uボートと変らないですね.
>>225 今の段階では判りません.
詳しい方答えてあげてください.
>>226 結局似てますね.
229 :
名無し三等兵 :2001/08/01(水) 16:44
僕は独ソ戦はそれだけなら両方ともいい勝負だったと思う。 ドイツが後半痛かったのは空軍で、戦略爆撃の結果Dデイで出撃 不能になってしまった。米機相手では高射砲しかなかったよう。
230 :
名無し三等兵 :2001/08/01(水) 17:09
「ヒトラーの戦争」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)下巻P148 ゲーリングとガラントとふたりして戦闘機隊に気合を入れ、 十〇月に米爆撃機隊に痛烈な損害を与えた。一〇日までの三日間の空襲で 敵は爆撃機八八機と九〇〇人近くの乗員を失った。一〇月十四日シュヴァインフルト のボール・ベアリング工場を攻撃した時には、それぞれが何回か出撃した 昼間戦闘機は爆撃機六〇機を撃墜し、さらに一七機に重大な損害を与えた。
>>229 >>105 で詳しい数字がありますが爆撃する方の連合国空軍もそれなりの代償を払った様です.
232 :
☆☆☆☆藤堂空軍元帥☆☆☆☆ :2001/08/02(木) 01:22
『そのとき歴史が動いた』アゲ ドイツ降伏から、きっちり三ヵ月後に対日参戦して、宣戦布告一時間後に攻撃開始! どっかの国の害務省とは偉い違いだ!
>>232 しかし日ソ中立条約(第3条)には違反してますな・・・
234 :
名無し三等兵 :2001/08/02(木) 22:24
klj;lkj;
>>225 ディエートル山岳軍団ですね。ムルマンスク港の奪取が目的でしたが
戦果は芳しいものではありませんでした。
フィンランドはドイツと距離を置いていたので、フィンランド内にドイツ軍が
展開することはありませんでした。
236 :
名無し三等兵 :2001/08/04(土) 23:24
総合的にみて独ソほぼ互角だったと思う。
237 :
名無し三等兵 :2001/08/04(土) 23:28
実はカチンの森はソ連兵に見せかけたナチス兵の仕業だったのです。 彼らは最初の開戦の時点でソ連塀の格好をした部隊を大きく南回りに進撃させ、 ポーランド軍に「もうおれたちは挟み撃ちになっている!」と思わせることで戦意を失わせました。 そしてソ連兵の格好をしたという事実を知られるのは体面が悪い為、 口封じに証人たちを埋めたのです。 ・・・・・え?ここはネタスレじゃないって?
238 :
豊川悦司 :2001/08/04(土) 23:41
愛してるって言ってくれ。
239 :
管制塔 :2001/08/04(土) 23:42
ここからは日本語で話していただいて結構ですから。
240 :
豊川悦司 :2001/08/04(土) 23:49
愛してるって言ってくれ。
241 :
少佐 :2001/08/04(土) 23:54
防寒着さえ、ちゃんと支給してたらドイツ軍は勝ってたんじゃないか? そういう所にナチスご自慢の科学力を使うべきだったのだ。
242 :
豊川悦司 :2001/08/04(土) 23:58
>241 馬鹿、お前は厨房だと言うんだ。 ドイツ軍はモスクワ全面でもう弾薬、火器の欠乏が著しくて無理だった。 お前防寒着って41年だけだぜ。 馬鹿チンが。
243 :
少々 :2001/08/05(日) 00:02
圧力隔壁さえ、ちゃんと整備していたら123便は落ちなかったんじゃないか? そういう所に日航ご自慢の整備力を使うべきだったのだ。
244 :
豊川悦司 :2001/08/05(日) 00:04
ドイツは短期決戦に留まっていればヒトラーも安泰だったね。
245 :
豊川悦司 :2001/08/05(日) 00:05
カチンの森はソビエト軍の犯行。それを黙っていたのはポーランド人を欺く為だったんだね。
246 :
名無し三等兵 :2001/08/05(日) 09:15
いくら防寒着があっても、ロシアの冬はイヤだ…。 ガソリンエンジンはなかなかかからないし、オイルも凍る。 イヤだ…イヤすぎる…。 極地もイヤだ…。 銀狐作戦(ノルウェーからムルマンスクを目指します)に 従軍なんかした日には、発狂するかも知れない。
なんか判らない方に行ってますがレス
>>245 カチンの森は「社会主義の20世紀」によるとハリコフ郊外で第二第三のカチンの森が発見されエリツイン大統領が遺憾の意を表明したそうだ…
>>246 ボルホフでも延髄が凍ったとか.極地はツンドラでトナカイかコケを食べるしかなく作戦無期延期だったそうだ.
248 :
名無し三等兵 :2001/08/06(月) 08:46
でもドイツ航空部隊を最終的に壊滅させたのはソ連で無くて米国だったと思う。
兵器生産自体は1944年が最大でずっつ継続じていたはずだが、
>>105 の爆撃
で大半が地上撃破されてしまったよう。在独日本人留学生の手記に、
ドイツ軍戦闘機が飛び立ったのを見てドイツ空軍の健闘を誉めたところ、
あれは地上撃破を避けるために飛んだに過ぎぬと言われたそうだが、
ウロ覚えで何という本だったかは忘れた、スマソ。
空軍で無
>>248 ドイツの場合戦略く戦術空軍に留まっていたのでやはり主体は陸軍でそれが壊滅した東部戦線=独ソ戦
で死命を制せられたのでは?
ドイツの兵器生産は1945年になると激減します.もちろん5月で戦争が終わるわけですが航空機でも39807機が7540機と半分どころか5分の1になってしまう.学研「バルバルッサ作戦」
日本も本土決戦に備え迎撃し無くなり国民の士気が落ちたそうです.
250 :
名無し三等兵 :2001/08/07(火) 09:12
バルジ攻勢は空襲下でも兵器生産自体は継続していた証拠でもある。 とはいえやはりここでもドイツ軍は燃料枯渇・地上撃破でやられたよう。
251 :
名無し三等兵 :2001/08/07(火) 11:20
ソ連の対独攻撃の可能性があったとすれば火事泥以外に無かろう。 ポーランド分割や日本降伏間際で対日参戦などでこれは推測できる。 どちらが先に攻撃したかというのは長い歴史からみれば些細なことかも。
252 :
名無し三等兵 :2001/08/07(火) 11:48
米英ソが1944年9月12日に調印した協定によって、ドイツを戦勝国が分 割占領すること、そして、ドイツ東半をソ連の占領担当地域とすること が決定されました。ドイツの西半分を具体的にどのように分割占領する かについては、協定調印後も米英両国の間でなお調整が続けられましたが、 上記協定調印の一週間後に妥結しています。 その後、フランスがドイツ占領への参加を要求してきたため、1945年2 月のヤルタ会談において、米英両国の占領地域の一部を割いてフランス 占領地域を設定することが決定されました。 戦争遂行の過程で各国軍隊の侵攻・占領範囲が予定領域とずれることも ありましたが、軍事的必要がなくなり次第、ヤルタ会談での決定通りに なるよう、占領担当者の交代が行われました。特に、米英軍の最前線は 事前に決められていた分割占領ラインを大きく東に越えていたため、 ソ連軍が来るのを待って漸次後退するということが行われました。 以上のように、ドイツの分割占領については、その担当地域の割り振り も含め、ドイツが降伏する前から合意・準備ができていました。
253 :
名無し三等兵 :2001/08/07(火) 19:45
現実として戦後の世界情勢を決めたのは「大西洋憲章」で無くて「ヤルタ協定」だ。
254 :
ベンゼン中尉 :2001/08/07(火) 20:09
まあ、結果としてヒトラーの仕掛けた大博打が失敗に終わり、ドイツの降伏は時間の問題となった、1945年の初め、彼の側近が次々と裏切ったのは、ヒトラーの異常性にあろう。 戦争に負けた民族は生存してはならぬという古代のような人種感を持ったヒトラーはどうなっても自殺しかなかった気がするね。 彼の甘さは、独ソ戦の長期化を理解出来なかったこと。日本と同じように見方となる大国が存在しなかったこと。
255 :
ベンゼン中尉 :2001/08/07(火) 20:39
修正 ×見方 〇味方
256 :
ベンゼン中尉 :2001/08/07(火) 20:41
ただし、ヒトラーの出現は歴史から必然的と思われているようだね。
温かい目で、頼む。
東西両面戦争に突入した時点でドイツの敗北は決定した。 アメリカに対する宣戦布告は駄目押し。 参謀本部将校はその愚劣さを理解していたが、大将が基地外ではどうしようもない。 でも、大戦末期の苦しい後退戦にこそドイツ軍の本領がある。 あっという間に瓦解した極東の同盟軍とは対照的だ。
>>250 バルジ攻勢はかなりの数の三突が参加しましたが写真で見る限りかなり無傷で燃料切れで放置されたものが多いようです。
>>251 戦術的には奇襲効果はかなりドイツ側に有利にありましたが外交的にはソ連側に有利に働いた様です.
>>252 ベルリンを西側に分割した替り必要以上のドイツ領を東独に分割した様です.
当時のソ連は相当疲弊しており必要以上に西側が譲歩したと考える向きもあります.「収容所群島」
>>253 具体的な領土配分(含む北方領土)などはヤルタですね。
>>254 其の一方でビスマルク時代ほどの産業転換ではないにせよかなり西部ドイツの人々に対する機会均等など合理的な改革が行われそれに支持が集まった事は否めない.
>>258 ドイツとアメリカはUボート戦で既に実質交戦状態にあった.
参謀本部の言い分のみ残っているので大将のみが愚劣ではなさそう.
極東の同盟軍は千島での奮闘で北海道が分割されなかっただけでも御の字.
沖縄はそういうの(本土の防波堤)は失礼に当るけど…
260 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 17:02
>特に、米英軍の最前線は事前に決められていた分割占領ラインを大きく東に越え >ていたため、ソ連軍が来るのを待って漸次後退するということが行われました。 デーニッツ政権はこの時点でいかほどの政治的影響力があったのでしょうか。 >必要以上に西側が譲歩したと考える向きもあります 更に4月になると米英軍はエルベ川で進軍を停止しております。 これは欧州解放第一主義を謳った「大西洋憲章」に大きく逸脱してます。
>>260 エルベ川での停止は実在しなかったアルプス要塞にドイツ軍が篭って抵抗する事に備えたという説があります.
デーニッツ政権は西側と停戦しつつあくまでソ連側に抵抗し避難民の時間を稼ぐという方針でしたがあまりアメリカ側はヨーロッパの事情に詳しくなく一括した連合軍に停戦,降伏を求めました.
正式な後継者政権ですが既に分断されていたので具体的には北東部にしか権限が及んでいなかったのでは?トーランド「最後の戦闘」など
262 :
ベンゼン中尉 :2001/08/08(水) 19:51
ベルリンを獲るのをソ連が譲らなかった為と思われる。 アメリカがベルリン戦に介入したならば、ドイツ兵の死者はもっと減っていたと思われる。 ソ連の報復戦は目を覆うほどの酷さだった。 ヒトラーも1938年まではノーベル賞候補に上がっていたのだから、人間というものは難しい生き物だ。
263 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 20:54
>実在しなかったアルプス要塞にドイツ軍が篭って抵抗する事に備えたという説 米軍はアルプス要塞攻略作戦をどのように計画していたのでしょうか。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい. :2001/08/08(水) 21:01
>>261 プレーンのデーニッツ政府と南方のドイツ軍部隊等との連絡は最後まで
保たれていたようですよ。
W.パウルの「最終戦」をご覧あれ。
>>262 ベルリンの位置がやはりかなり東よりなのでは?
このあたり外交的な綱引きが在った様ですがソ連側も冬季攻勢でチュイコフ元帥など1月中にベルリンに行けたはずだという証言もあります.
東プロイセンの脅威もあったようだし一概には言えないのですが…
西側連合軍はマーケット・ガーデン作戦の失敗とバルジ攻勢,ライン川が三月末に渡河とやはり急には兵站が整わなかったのでは?
>>263 爆撃など試していた様ですが無条件降伏という条件が逆にドイツ側を硬化させアルプス要塞で徹底抗戦という幻想を生んだようです.
ルーズベルト大統領を始め軍部もかなりドイツや日本の抗戦能力を過大評価していたようですが裏を返せば孤立主義にもとづいた世論があまり無理な作戦での死傷者を恐れたのでは?
252さんが詳しそうなので語っていただければありがたいのですが…
>>264 そうですかありがとう御座います.ただベルリンなどベルトニング部隊?など最後まで抗戦した部隊など現場の指揮官が最後に判断を下すことも多いと思ったので
267 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 21:34
>デーニッツ政権は西側と停戦しつつあくまで
>ソ連側に抵抗し避難民の時間を稼ぐという方針
>>262 の事実はデーニッツの思惑とは全く逆になっているようですが・・・
268 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 21:35
>>267 その辺りホビージャパンの記事を記憶から出しているので少しHJ側の感情的なものが入っている気もしますがドイツの無条件降伏調印が5月7日で発行が8日とあったのは避難民脱出の含みがあった様です.
270 :
名無し三等兵 :2001/08/09(木) 00:34
>>252 の事実は殆ど米英ソのなすがままでデーニッツ政権は無いに等しい。
271 :
名無し三等兵 :2001/08/09(木) 11:10
末期のドイツってホント無力そのものだったんだな。
>>252
>>271 しょうがないよ。
東西挟み撃ちだからな。自業自得だけど。
でも無力なわりには連合軍の被害も甚大。
D・DAY以降の西側連合軍の死傷者75万人中50万は、44年9月以降の損害。
ちなみに同時期の独軍の損害は33万。
>>269 調印が5月7日で、発効が9日0時00分では?
デーニッツ政権は、最初英軍との交渉(4日に北西部・Uボート部分降伏)で
東部戦線部隊の西側連合軍への投降のための時間稼ぎを図りました。
しかし6日からのアイゼンハワーとの交渉では、無条件降伏文書への即時署名を
迫られ、ヨードル上級大将が粘りに粘った結果、9日までの48時間の猶予が与え
られたわけです。
この48時間は無論、東部諸地域からの軍民脱出のためでした。
5月7日現在の東部戦線部隊は推定で150万、そのうち50万は西側地区に逃れて
います。
また、民間人の脱出者も国防軍のそれを上回っていたとされています。
デーニッツ政権の存在意義は、東部地域からの軍民の救出と秩序ある降伏、破産
財団たるドイツの戦時から平時への転換にあったと言えるでしょう。
274 :
名無し三等兵 :2001/08/10(金) 00:16
末期のドイツ軍って西部戦線で投降兵が続出してヒトラーが愕然としてたな。 有名なバルジ攻勢でも独軍総勢25万のうち戦死傷の他は大半が捕虜になった。 でも西に降伏してもソ連軍に引き渡されるってことも珍しくは無かったよう。
275 :
名無し三等兵 :2001/08/10(金) 00:41
バルジ攻勢は空襲下の1944年秋でもドイツの兵器生産が継続していた ことを示しており、油断していた米英軍は奇襲されて大きな損害を受けた。 ただし攻勢は数日ほどで頓挫したよう。米空軍による対地爆撃はやはり強く、 ドイツ軍の車両や航空機や火砲や補給施設は大半が地上撃破されたといえる。
取りあえずコミケは次回申込書を買わないと…
>>272 なんだかんだいってもルール地方を守らないと戦争にならなかったのでは?
>>273 だからV.Gデーが連合国が5.8でソ連が5.9なのですね.こうしてみるとデーニッツ政権はかなり高く評価していい様ですがただNHK教育のドキュメンタリーではデーニッツは家に帰ろうとした学徒兵を逃亡罪で銃殺したそうです.
>>274 ウラソフ軍など旧ソ連領関係の労働者大隊は厳格に引き渡されたそうですがドイツ軍関係は戦犯以外はどうだったのでしょう?
>>275 シュペーア軍需相などによりこの頃(1944)総力戦体制が整ってきた様ですがその一方で新形UボートやVロケットなどの生産のためかなずしも最前線に必要な兵器は回ってこなかった様です.
またバルジ攻勢に対しチャーチル首相はソ連軍の冬季攻勢を早めてくれる様要請したのでそのため戦後の勢力圏で譲歩させられた部分があるようです.
>>276 デーニッツについては様々な意見があります。
NHKの番組は、おそらくドイツARD制作のものでしょう。
題名は「ヒトラーの共犯者達」だったかな。本も出ているようですが。
軍人としては非常に峻厳な人物でヒトラーにも忠実、よって戦争末期には?と
思われる命令を出し、一部の兵士や戦後の研究者からは厳しい批判を浴びせら
れてます。ブーフハイムも激しい言葉で罵っていましたね。
反対に艦長クラスや他国の軍人からは、頼れる指揮官・優秀な指揮官として今
も尊敬されています。
難しいところですね。
ただ、祖国の破局的な敗北に際し、おのれの名が永久に無条件降伏と結びつく
ことを承知で、困難な終戦処理に当たったことは評価していいと思います。
ドイツ兵捕虜の件については、私の知る限りアルデンヌ攻勢に際しては、目を
疑うほどの捕虜は出なかったと思います。戦死傷・行方不明・捕虜の総計は、
独軍・連合軍ともほぼ同数9〜10万人だったような。
ちなみに巷間流布している連合軍の損害は、多少下方修正されたもののようで
す。
最大規模の捕虜が出たのは、その後のルール地帯におけるB軍集団の投降の時
ではないでしょうか。以後、西部ドイツでは数百万のドイツ兵が捕虜になりま
した。
274氏紹介のソ連への捕虜引渡しについては、東部戦線所属の部隊のことでしょ
う。
ベルリン周辺の守備に当たったヴァイクセル軍集団所属の部隊は、エルベ河を
越え概ね英米軍に投降できたようですが、中央軍集団および南方軍集団所属の
部隊は、米軍に一旦収容された後ソ連軍に引き渡されたことも多かったようで
すね。
ただ米軍収容のドイツ兵捕虜は、その報復的な取扱いにより1945−1947年の間
に110万人も死亡していますから、どちらの側に収容されたほうが良かったのか
個々人の運命によると思います。
>>277 詳しい書きこみありがとう御座います.
デーニッツ提督の番組では彼の息子の戦死の知らせに尋常でなかった場面も出てきました.
アメリカの捕虜となった人々もそんなに犠牲を払ったわけですか.それでは確かに運命ですが民間人はやはり略奪や強姦が無かった分ましなのでしょうか?
日本人のシベリア抑留も60万人の人々が大変な目にあったようです.が右翼の人々が宣伝カーでソ連の強姦とアメリカの原爆の犠牲者の事を声高に言っているのは辞めてくれと思うけど.
作る会の教科書も養護学校に採用しないで進学校におしつけて試験のあり方を考え直した方が良い.
またNHKの番組ではスウェーデンかフィンランドにあった捕虜となったソ連兵が引渡しを拒否して集団自殺事件を起こした建物が現在も残っていて紹介されていました.
労働力として連れてこられた人々も処罰を免れなかった様です.
279 :
名無し三等兵 :2001/08/10(金) 23:35
>戦死傷・行方不明・捕虜の総計は、独軍・連合軍ともほぼ同数9〜10万人 ・・・・とするとバルジの独軍総勢25万のうち15万以上が兵力撤収 に成功したということになるようですが、その後の彼らの戦績は如何?
>>279 軍単位で見た場合、主力の第6SS装甲軍は指揮下の2個装甲軍団と共にハンガリー
に移送(45年1月20日〜2月)、ソ連軍のグラン橋頭堡を排除した後、45年3月の
独軍最後の大攻勢「春のめざめ」作戦に参加しています。
同攻勢は若干の進展を見たものの最終的には失敗に終わり、第6SS装甲軍はハンガ
リーからオーストリア、ウィーン防衛戦を経て大部分はオーストリア領内で米軍に降
伏しています。もちろん、ソ連軍に拘束されて兵もいますし、途中のチェコでパルチ
ザンに捕まり虐殺された兵もいます。
その他の軍のうち第5装甲軍と第15軍は、B軍集団に所属したまま弱体な西部戦線を
支え、45年4月17日にルール包囲地帯で米軍に降伏。
第7軍も同様に西部戦線の戦いに従事、4月28日には中央軍集団指揮下に移り、東部
戦線の後背地を守る形で敗戦を迎えています。5月9日の時点では、ドイツ・チェコ
国境周辺に展開していました。
以上は、上級司令部ごとに見た場合で、下級の部隊ではかなり東部戦線への移送が行
われていたようです。例えば第5装甲軍所属の2個総統護衛旅団は東部戦線に移送さ
れ、シュレージェンでの最終戦を戦っています。
ちなみに独軍損害9〜10万というのは連合軍調査の概数で、実際には戦死1万人、負
傷3万4千、行方不明(捕虜が含まれる)2万2千の計6万6千人でした。
ノルマンディ戦と異なり、バルジ戦では独軍は巧妙な退却のお陰でかなりの兵力を救
い出すことに成功したようです。
281 :
名無し三等兵 :2001/08/11(土) 11:05
ヒトラーもかつての死守命令乱発もやらなくなったようだね。 彼といえども経験からは学んだということなんだな。
282 :
名無し三等兵 :2001/08/11(土) 11:30
ソ連という国は「強きに媚びて、弱きを挫く」というのが戦前・戦後を 問わず常に一貫した外交パターン。全てにわたって攻めてこないのは 平和共存外交でも何でもなく、攻める力が無かっただけのこと。
283 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 02:20
しっかしところで東部戦線って特に不明が多くて史料によって数字もまちまち。 「続ドイツ空軍戦記」(S・W・ミッチャム 手島尚訳)のP127より オリョール攻防戦の期間、第1航空師団のパイロットの出撃は 1日平均五回から六回にもなった。師団の出撃回数は延べ三万七千四百二十一回、 ソ連機撃墜は一千七百三十三機、味方の損害は六十四機の喪失だった。 対地戦闘の戦果は戦車一千百輌以上、トラックなど一千三百輌以上を破壊、 ソ連軍戦線内の目標への投弾は二万トン以上である。 ・・・・だそうだが、これだとオリョール戦でソ連軍はほぼ全滅、 ドイツ軍はほぼ無傷ということになるのだが、これってどうよ?
284 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 02:22
殆ど独ソ開戦間もなくの「キエフ攻防戦」と同じではないか。
285 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 05:08
>>283 出撃数と味方の損害は正しいと思うけど、戦果は割り引いたほうがいいのだろうな。
対地攻撃の戦果の確認は難しく(対空もだけど)、米軍も相当誤認していたからね。
ただソ連の物資生産能力は物凄かったし、アメリカの援助も膨大だったからなあ。
壊しても壊しても、しょせんは蟷螂の斧だったんだろうな。
東部戦線所在のドイツ空軍戦力も、哀れなほど弱体化したしね。独ソ戦後半は。
>>282 何処でもそうだと思いますが残念な事に日本は多分にその傾向があるようですね.
ロシアはまだナポレオン,ヒトラーと撃退しているから強気をくじいてる様に見えなくは無い.
>>284 少なくともキエフ会戦のソ連側の損害はドイツ側発表が兵員66万5千人の壊滅に対してソ連側が死者,捕虜,行方不明者合計52万7千人と
大打撃だったのは間違い無いがエースの撃墜数などかなり割り引いて考える必要があるでしょう.
287 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 10:08
>>283 の戦果が正しかったとすれば、オリョールは第二のキエフになっていたに違いない。
いくらソ連が予備兵力を持っていたにせよ、これだけの損害をうけたらすぐには補充できない。
288 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 11:06
>何処でもそうだと思いますが残念な事に日本は多分にその傾向があるようですね. いや日本は正面きってアメリカに決戦を挑んだ。 >ロシアはまだナポレオン,ヒトラーと撃退しているから強気をくじいてる様に見えなくは無い. いずれもロシアの側からはじめた戦争ではない。
コミケの人々は御疲れ様
>>288 結果として日本は宣戦布告なき奇襲攻撃をしソ連は奇襲攻撃された.
まあ自分の人生を振り返って反省しているわけです.
日本もロシアとの戦争はあの藤子不二雄氏も「まんが道」で自分たちの原稿を上げるのにZ旗を描いて励みにしたように自分もカッコ良さを感じますが
それ以降西欧(強き)に媚びて(アジア諸国)弱きを挫く形になったのは否めない.
日本に来た中国残留孤児の人が確か朝日新聞で中国もそうだったけど特に日本人がそうだといっていましたが個人の問題を割り引く必要はあるでしょう.
これぐらいにしてちょっとマンガ図書館でお絵描き.言葉では最終的に補完できない.
290 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 12:37
>それ以降西欧(強き)に媚びて(アジア諸国)弱きを挫く形になったのは否めない. いやいや日清戦争以来明治日本は脱亜入欧主義をとってきましたよ。 中国はそれ以前もそれ以降も日本の敵ではありませんでしたか。 西欧(強き)に媚びて(アジア諸国)弱きを挫いていたのは日中戦争で 欧米と組し、今なおチベット弾圧を止めない中国のほうではありませんか。 #独ソ戦のスレなのに、スレ違いだったらごめんなさい。
>>290 この辺りの事は「ここが変だよ日本人」で黒人の人権を叫んで終わりなんですが自分としたら東洋太平洋タイトルマッチ(太平洋戦争)よりヘビー級世界戦(独ソ戦)の方が興味が在るという下司な部分があることは否めません。
中国の人のラーメン屋等での対応はむかつく事もありますが子供の教育費のためだったり自分も外国人だけでなく日本の若い人と揉めてバイトやめさせられたりレベルの低い争いしててもしょうがないですから.
小林よしのり氏の言うように早めに中国の柵封体制から抜け出した事は意義があったと思いますが県や郡など中国からもたらされた行政用語などばかにならないと思いますが。
まあもう少し自己実現しないと説得力が無いですね.
独ソ戦ではクルスク戦に関する数字が問題になってますが1年目の全面侵攻から2年目で南部限定,3年目には局地的に突出部攻撃の後全面撤退としょぼくなってるのが単純に感じますがそれ相応の代償がソ連とドイツではキルレシオ以上にソ連側が軽いのでしょう.
もっともあまりにも酷くなってきて新たな奪還地から銃を一発撃つだけの訓練で徴兵した人々の人海戦術も行われたそうですが…「焦土作戦」P.カレル
292 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 19:05
「タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図」 (ジョン・キーガン編 滝田毅訳)のP99によると、 「武器貸与法による援助と主要援助国 1941〜45年」 ブラジル230957000ドル、中国1729333000、自由フランス2039474000、 ソ連5516412000ドル、大英帝国14296120000ドルとなってます。 概数にしてブラジル2億ドル、中国17億ドル、自由フランス20億ドル、 ソ連55億ドル、大英帝国140億ドルということになります。 ところが「第二次世界大戦 あんな話こんな話」(ジェイムズ・F・ダニガン アルバート・A・ノーフィ 大貫昇訳 文春文庫)によると、イギリス313億ドル、 ソ連113億ドル、中国15.5億ドルということになってます。
293 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 19:17
「タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図」 (ジョン・キーガン編 滝田毅訳)のP160によると、 ドイツ国防軍の損害は死傷者10万人、戦車600台、航空機 1600機であり、連合軍の損害は死傷者7万6000人であった。 ・・・とのことですがこれも本によってまちまちで分かりません。 バルジ戦開始はドイツ軍奇襲の12月17日だとしても、 どこで区切って「終わり」とすべきかが微妙なところでしょうか。
294 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 20:44
>>277 たん
それは「ヒトラーの側近たち」ですね。(原題: Hitlers Helfer)
1996年 ZDFの製作だったと思います。
ちなみにこの番組のビデオはドイツ、日本、アメリカなどで発売されているはずです。
スマソ。邦題は「ヒトラーの側近たち」ではなく 「ヒトラーと6人の側近たち」でした。訂正します。
296 :
ベンゼン中尉 :2001/08/12(日) 21:12
アメリカ軍の演習で日本の紙と木で出来た家を火炎放射器で燃やす演習をルーズベルト本人が視察しているのには萎えたね。 ドイツでもヒトラーがベルリンの地下壕に留まらずに、前線視察を出来る性格ならば正常な判断を示せたかも知れんな。
>>293 レンドリースの品目についてはこちらをどうぞ.
>>101 http://yasai.2ch.net/army/kako/978/978166932.html 結論ははっきり語られてませんが今まではワースの「戦うソヴィエト・ロシア」やボッファの「ソ連邦史」などにより特に時期的なものから”重要ではあるが決定的ではない”と位置付けられてきました.
最近のグランドパワーでは稼働率からもっとレンドリース兵器自体がカダロクデータ以上に重視すべきと言う意見もあります.
>>272 の様に甚大な損害が出ているならレンドリースで済むなら安いものなのでしょうか?
何かのジョーク集で貸した金を返せとロシアに詰め寄るとドイツ兵の死体の山を黙って指差したとありました.
299 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 22:59
>レンドリースで済むなら安いものなのでしょうか? でもロシアなんかにものを頼むとその時は良くても後々高くつくからねぇ。 こりゃ東欧一帯ソ連領になっちまっても文句のつけようが無いなあ。
300 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 23:15
1941年冬モスクワ戦の段階では武器貸与は僅かなものだったが、 ドイツは質量とも車両不足で前線まで戦略物資を運ぶことができず、 ドイツ軍もモスクワ前面でそれ以上は攻められなかったはず。 その逆も然りで、ソ連側もモスクワ防衛以上の反撃は不可。
301 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 23:25
ヒトラーが1942年春以降ひたすら南方攻勢に力を入れたのも、 モスクワはどう頑張っても攻めきれ無かったからそうしただけ。 誰が指揮を取ったとしても状況はあまり変わりそうもない。
302 :
ベンゼン中尉 :2001/08/13(月) 00:18
>>301 ドイツの名将の多くは罷免されていた訳だしね、マンシュタインのセバストポリ戦などは語り草ではあるが、ルーマニア油田を占領しても効果はなかったのだし、ヒトラーの選択は間違っていた。
モスクワを落とす意味のない街であることをヒトラーが理解していたのは事実であっただろうが。
303 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 01:21
>>293 バルジはただの時間稼ぎ
西欧連合国軍に一泡ふかせた後、ソ連にも同様の奇襲攻撃で東方へチョット撤退させようとした事
304 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 03:33
>>301 >>302 1941年の段階で寄り道せずまっしぐらにモスクワを攻略したいたら、もしかすると
スターリン政権は崩壊したかもしれない。
モスクワ攻防戦を凌いだことがスターリンの正統性を強化することになり、その後の
ソ連軍の粘り強い戦いにつながったと思う。
ドイツ軍はその指導者のきまぐれと一貫性の無さに左右されるというハンデがあり、
再び両面戦争を余儀なくされた。
独ソ戦でも、引き分け以上を狙うには最初期のワンチャンスに掛けるしかなかったと
考えますけど、どんなもんでしょうね?
305 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 10:52
>その指導者のきまぐれと一貫性の無さ
なら逆にスターリンってどうよ。
>>215 の声明はひどいと思うが。
306 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 11:18
ドイツはヒトラーと共にあり、ロシアはスターリンと共にあり。
308 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 18:49
ルントシュテットやグデーリアンのような消極派が主流だったなら、 ウラソフ師団などの反ソスラブ人勢力との共闘もあり得たかもよ。
ルントシュテットやグデーリアン将軍は基本的に政治には不介入な立場を取っていましたし実際主流となれるほどの民衆の指示も無かった様です. ちらりとヒトラー総統暗殺事件に誘われたけど断ったとかエピソードが出てきますが. 「幻想」フジ出版(作者忘れた)などありますがソルジェニーツイン氏が高く評価するほど可能性は高くなかったと思われますが… 反ソ連邦の非スラブ系住民なら期待できたかもしれませんが連絡の問題(国境を接する必要あり)とかなり前からそういう場合に備えて民族の強制移住が行われていました. たとえばもう1930年代に朝鮮の人々は極東の国境付近からカザフスタンに追放されていました.その後ボルガ流域のエカテリーナ女帝時代に移民したドイツ人も同じ所に追放されますが もちろん結果としてそうなっただけで実際には何の必要も無いいつもの弾圧ですが・・・
310 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 21:46
>>307 ざっと読んだけど結論分かんないね。
厨の乱入もあるしね(藁
でも、両面戦争遂行・スラヴ奴隷化のヒトラー方式でいくなら、
やっぱりモスクワまっしぐら、共産党支配崩壊を狙うしかないかな。
>>309 白ロシアやウクライナでも反ソ系の人たちは結構いたようです。
戦後も1950年代中頃まで、反ソゲリラ活動を展開していました。
中央軍集団参謀のH.v.トレシュコウ大佐などは、彼らとの連携を模索したことも
ありました。
ヒムラーの反対でつぶれたようですけど。
ドイツ軍の上級将校でも、反スラヴでヒトラーの絶滅戦争の理念にあっさり乗って
しまう人と、もともとスラヴ系への偏見がなくヒトラー流の戦争指導に嫌悪感を抱
いていた人達に分かれるようですね。
312 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 00:17
仮想戦記「もしドイツ国防軍の主流が絶滅戦争反対で、ウラソフを重用していたら」
>>312 ヒムラーとそのお友達を排除せんと無理だろ。
314 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 12:31
315 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 12:49
316 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 13:45
コミケ次回申込みは今日締め切り
>>310 基本的にはモスクワに直進すべきだったのでしょう。がイエリニャで阻止されその後結果としてもたらされた戦果キエフ捕虜だけで60万?ソ連のルール地方ハリコフの喪失,タイフーン作戦のヴィヤズマ包囲これも60万?(一旦キエフに転進した事による奇襲効果とレニングラードからの第3機甲集団が必要)もかなり効果的.
>>311 バルト三国でも最終的にはチェコ侵攻での西側の態度を見て諦めるまで抵抗が続いたそうです.有名なエピソードとしてワトゥーテイン上級大将がウクライナ民族組織に狙撃されて亡くなりますが,あのMIG25で日本に亡命したベレンコ中尉の父親も何らかの関係があったようです.「リーダース・ダイジェスト」
>>312 残念ながらウラソフ中将を始めとする上層部の人々は捕虜になって初めて反ボリシェヴィズムを唱えはじめました.結局穏健な共産主義的国家を目指していた様です.
もちろん大部分の捕虜400万人中300万?が緒戦の失策にあった事や待遇が極めて悪かった事などはスターリンに責任がありますが…
アメリカ軍は結局スラブとの連帯を模索した人々の意見を参考にして封じ込めに向かったということは可能性があまり無かったのでしょう.
>>313 ヒムラーは皮肉にも終盤になって恐らく親衛隊の勢力拡大のため積極的に東方民族による師団を建設しました.
ウラソフの2個師団もカミンスキー旅団の再編もありましたがヒムラーの承認がありました.
>>313 ,314,315
中国の民間人の損害が一千万台と酷いですね.これでは靖国でとやかく言われても仕方が無い?
あと東欧諸国の被害もそれぞれの国で多いですね.
>>317 バルト三国やウクライナでの抵抗は、今振り返ってみると決して無駄ではなかった
でしょうね。
90年代の独立に資するところも大きかったと思います。
ところで、ベレンコ中尉の父君はUPA関係者だったのですか?
封じ込め政策が実行されたのは、鉄のカーテン、共産中国の成立等々の西側から見た
脅威の発生と併せて、スラヴ諸国からの移住者・亡命者達の動向(具体的には票)を
意識したこともあるのではないでしょうか。
東方民族からなる反共部隊の編成は遅きに失しましたね。
ドイツは他の西欧諸国と異なり、東方スラヴ系諸国との繋がりが非常に深い国ですか
ら、妙な人種主義の考え方さえ変えれば様々な展開が独ソ戦にはあり得たでしょう。
ま、それが出来ないのがナチズムなんですけどね。
日本が中国に与えた被害については、弁解の余地がないと思います。
が、中国の民間人の被害については、全てが日本軍に起因するものでもないでしょう。
当時の中国は、人口稠密地帯では日本軍、国民党政府軍、共産党軍が戦闘を交え時に
は三つ巴の戦いを行っていました。当然、国共の戦闘で死んだ人もいるでしょう。
加えて自警団的な省長軍、郡長軍なんてのもありましたし、宗教団体の軍隊もありま
した。彼らの攻撃を受け被害にあった中国人も大勢います。
各国の戦争犠牲者数は、永遠に概算にとどまらざるを得ないでしょう。
米英の犠牲者数も資料により差があるようですしね。旧ソ連の数字にいたってはどれ
を信用してよいものやら・・・。
個人的には、巷間流布している軍人1,300万、市民700万人説をとっています。
ちなみにあのノモンハン事件、統計の取りやすいと思われる局地戦でも、ソ連の犠牲
者数は3種類あるそうです。
スターリンの機嫌の良いとき用、普通のとき用、機嫌が最悪のとき用に3パターン
用意したのでしょうか?
319 :
名無し三等兵 :2001/08/17(金) 02:56
>>318 ラッパロ条約での提携等ドイツ側が教えて全て提供しソ連側は石と泥だけ提供したというような意識も強い様です.
実際は戦車などは内戦で鹵獲したものやそれをもとに開発されたものがソ連側から提供されたり必ずしもドイツ側の技術のみ参考にされたものでは無いようです.
中国の事情はややこしくなるのであまりコメントできませんが今お互い仕事の面で上手くやるしかないのでは?
>>319 自動翻訳など凄いですね.数字は2000万と常識的な線ですか…
321 :
名無し三等兵 :2001/08/18(土) 00:20
>>51 >>52 ソ連軍はクルスクでも独軍レーダーシステム「フレイヤ」の存在に
気づかないままだったよね。「レーダー技術の遅れが日本軍の敗因」
なんて言われるけどさ、不便とはいえww2でのレーダーは絶対不可欠
というほどでも無かったと思うな。ソ連軍なんて欺瞞紙という
発想すら無くてもあれだけ勝てたんだからさ。
ドキュソ戦と言っても過言ではないな。
>>321 ドイツの敵がソ連だけだったら、どうなったかわからんよ。
技術の有無が勝敗を分けたかもしれん。
雨なので起きてしまった.
>>321 やはりあったほうが良いのでは?モスクワ防空には使ってそうだが1980年代に西ドイツからセスナ機が赤の広場に到着したのを見ると何か重大な欠陥があった模様.
>>322 そう言う事でしょう。
>>323 消耗戦なので人口の格差を解消できる新しい技術は核兵器ですが現実ドイツは開発できなかった.
325 :
ルスト君の赤の広場強行着陸 :2001/08/18(土) 07:27
ヴォイスカPVOは何をしてたんだ・・・。 しかし、あれで、たしか赤軍人事がいれかわったし、ちょっと政治的な陰謀の匂いもします。 でなきゃ、西ドイツからモスクワまでさあ・・・?
326 :
名無し三等兵 :2001/08/18(土) 10:52
>ドイツの敵がソ連だけだったら、どうなったかわからんよ。 日露戦争などと違って一対一ではなく「世界大戦」である以上当然だ。 日本だって無理を承知で超多正面戦争をやってたもんだ。
327 :
名無し三等兵 :2001/08/18(土) 10:55
ドイツはバトルオブブリテンで敗退してるが、ソ連もフィンランド戦争 で大損害だったから条件は相殺されるし、更にドイツはフィンランド だけでなくルーマニア・チェコスロバキア・ハンガリーを味方にしてた。
328 :
名無し三等兵 :2001/08/18(土) 11:19
セスナ事件ですが、確か一度は邀撃しています。ミグ戦闘機が防空司令部の指示で セスナに向かった、という記事を何処かで読みました。 しかしそのとき何故撃墜しなかったのか、侵入を察知しながら防空司令部はなぜ それ以上対応しなかったのか、など、読んだ当時も不思議に思ったものです。
>>326 -327
323は世界戦争じゃなかったら、という意味さ。
それに条件は全然相殺されとらんよ。独の主敵は米・英だからな。
味方がお荷物東欧小国じゃ話にならんでしょ。
独が原爆開発を事実上断念したことについては諸説あるけど、多正面戦争を招き
兵器開発をすぐ使えるものに絞り込まざるを得なかったことが大きい。
科学者が妨害した説もあるけどね。
330 :
名無し三等兵 :2001/08/18(土) 18:58
フィンランドは強く、カレリアは失ったがドイツの要求もはねのけて休戦できた。 その他の東欧諸国はドイツに従うか、ソ連に飲み込まれるかしかなかった。 ドイツは1939年時点ではいったんソ連と不可侵条約を結んだけども、 イタリアとの同盟・1938年のチェコ併合に続いてヴィシーフランス、スペイン、 フィンランド、ハンガリー・ルーマニアを味方にできたことは大きい。 独ソ不可侵条約を反故にしたのはこれで強気になったドイツ自身だ。 原爆開発やZ計画は東方征服が為しえてからのことで、夢のまた夢。 史実ではソ連がドイツを含む東欧諸国を征服して、原爆製造に至った。
>>330 それくらい分かってるよ。
だから「多少面戦争を招き」と書いてあるでしょ。
321以降の流れを読んでくれ。
ドイツの相手がソ連だけだったら、多少国力に余裕ができ技術の優越が
勝敗に関係したかもしれん、という仮定の話をしているだけだよ。
それと、貴殿の第二段落はちと通説と違うような気がするが。
細かくてすまん。
332 :
330 :2001/08/18(土) 19:23
>ドイツの相手がソ連だけだったら、 日本の相手が中国だけだったら、あるいは米国だけだったら、 という仮定も可能でしょうが、史実と離れすぎて無意味でしょう。 >貴殿の第二段落はちと通説と違うような気がするが。 独ソ不可侵条約の後で情勢の変化がいくつもあったでしょう。 あの時はポーランド侵攻でしたが、ソ連にはあくまで不可侵です。 ドイツが西方で快進撃・領土併合、一方のソ連がフィンランドで 苦戦してるのを見て対ソ侵攻に踏み切ったということは、 P・カレルも「バルバロッサ作戦」で指摘しております。 更に同書によるとスターリンはヒトラーを欺くためにフィンランド でわざと負けてみせたのだとの「伝説」も紹介されてます。
333 :
名無し三等兵 :2001/08/18(土) 23:45
ドイツがもし単独でロシア遠征をやるつもりだったなら、 「独ソ不可侵条約」に応じるはずはなかろう。
>>332 やっぱ誤解されちまったか。
仮定の話云々はね、321氏が東部戦線の帰趨を例に「WW2ではレーダーなど当時の
最新技術は絶対不可欠なものではなかったのでは」との説を披瀝されたので、小生が
ちょっと茶々入れたのが始まりなんよ。
ありきたりだけど、東部戦線でそれほどレーダーが問題にならなかったのは、西部戦線
に比べていささか原始的?な戦いをしてたことに起因すると思うんだよね。
ドイツ軍が新戦術を開発しても、後半戦ではソ連軍が怒涛の如く押し寄せ戦術も糞も
ないような状態になったことが結構多かったでしょ。
ドイツは東西の戦線で異質な敵、極端に言えば西は技術、東は物量を特徴とした敵と
戦っていたのであって、トータルで考えればレーダーなどの技術は勝敗を分ける大き
な要因になったと俺は思う。
そんなことを仮定の話に託して説明しようと思ったのですわ。
ドイツ対ソ連のタイマン勝負だったら果たしてどうなったか、レーダーなど当時の
最新技術は戦争の行方に大きな影響を与えたのではないか、とね。
>>332 同盟国が出来て強気になったから、対フィンランド戦の結果をみてソ連軍が弱いと思ったからだけでは対ソ戦に踏み切る要因には乏しいと思うのよ。
ヒトラーが対ソ戦に踏み切ったのは元々ソ連を警戒していたこともあるけど、1941年6月の時点で攻撃した理由は、対英戦が行き詰まっていたことが主因ではなかったかな。
イギリスがなかなか降伏しないのは、ソ連を頼みの綱にしているからだとヒトラーは考えたようだよ。で、ソ連を急速に打倒すればイギリスも手を上げるだろうと考えた。
後世の我々からすれば?な考え方だが、もともとイギリス本土上陸作戦など真剣に考えたことが無かったヒトラーからすれば至極自然な選択だったそうな。
それに当時の状況をみると、バルカンでは火の手が上がるわ、アフリカでは伊軍がこけるわで既に多正面戦争と化していた。
しかし頼みの枢軸はWW1当時に比べて中身がないし、おまけにスペインは言うことを聞かない。
勝ったと思った対英戦の行方が見えないまま、国力の限界は早くも近づいてくる。ドイツは無力の勝者と化していたわけだ。
その状況を打開せんがため、ヒトラーとOKWは有望と思われる対ソ戦に踏み切ったと理解しているけどね。
これ既出なんだろうな、ま再掲でもいいか。
336 :
名無し三等兵 :2001/08/19(日) 12:02
だったら「独ソ不可侵条約」は一体何のためだったんだ?
337 :
名無し三等兵 :2001/08/19(日) 12:43
>バルジ攻勢に対しチャーチル首相はソ連軍の冬季攻勢を早めてくれる >様要請したのでそのため戦後の勢力圏で譲歩させられた部分があるようです. ソ連軍は米英の要請で一月半ばから援助攻勢、同時期にドイツ軍 は撤退開始だったと記憶してます。ここで米英がソ連に援助攻勢 を依頼したことはスターリンを付け上がらせた愚挙であったとも いわれてます。けれどもこの時点での米英軍・独軍の損害状況によって はこの措置はあながち間違いとも言えないのではないでしょうか。 米英の損害が多くてそれ以上進軍できず独軍の大半が撤収に成功 していたとすればソ連軍の援助攻勢は断固必要で、米英軍の損害は ソ連に押し付けられたのだからソ連の主張は理が通っていることになるし、 この時点で米英の損害は軽く進撃可能で独軍は壊滅状態で僅かな兵力で 逃げ帰ったに過ぎないのなら、米英はソ連に一杯食わされたことになります。 このへんの事情についてだれか詳しい方、ご教授願います。
339 :
名無し三等兵 :2001/08/19(日) 21:15
「ジューコフ元帥回想録」(朝日新聞社)でもハリコフ航空戦で 独軍の「フレイヤ」で逆襲されたのを、「すでに敵機が地上軍に 協力するために飛び立ったあとだった」としか書かれておらず、 レーダーのれの字も出てこない。知らないままなのか、 ずっと後になって知ったとしてもとぼけているかのどちらかだ。 「旧日本軍はレーダー不足に悩まされた」とはよく言われるし、 僕もそう思うが、ソ連軍のように最初からレーダーのれの字も 知らなければいちいち悩むことも無く、知らぬが仏で済んだかもね。
341 :
名無し三等兵 :2001/08/20(月) 19:43
俺はドイツ空軍エース記録で、数字だけを見たときは首をかしげたが、 その内訳が大半がソ連機、次いで英軍機、米機は僅かということで納得。 ただ何機撃墜かよりも地上撃破・事故を含む全喪失の方がずっと重要だ。
米沢旅行でしたが上杉神社の他あまり何かあるわけではありませんでした.
歴史上有名な所でも今現在上手く言っているわけではなさそうです.
>>337 今日ではバルジ(ルントシュテット)攻勢は多分に張ったりめいた部分の作戦であった事がわかっていますが当時は一時予断を許さない状態に陥ったには確かなので援助の要請は間違っていないと思います.
この辺りの外交的駆け引きにもっと詳しい方御教授願います.ただ映画「第3の男」に見られる様にソ連側はウイーンやオーストリアの占領地に関しては譲歩した部分もあります.そのためオーストリアは形だけでも永世中立国となりましたが。
>>339 その後東側は朝鮮戦争で複葉練習機を国連軍基地近くで組み立てて奇襲しレーダーをかわしたり,ベトナム戦争ではガイドラインミサイルをレーダーがあまり当てに為らないので数式照準でより多くの戦果を上げましたが
デルタ出版社の「イスラエル機甲部隊」によると第4次中東戦争で予想以上にレーダーの出力のバンド数が高くて技術的奇襲に成功しましたが
その後レバノン侵攻では官僚的なレーダーの波長変更のため効果的なECM妨害を受けミサイル基地が大損害を受けイスラエル地上軍が航空支援の元侵攻できたようです。
最終的に湾岸戦争で地上戦の場合暗視システムやナビ装置などの射撃統制システムの前にソ連製兵器の信用は失墜しソ連邦も解体してしまいます.
戦略原潜にしても数を揃えても竣工して外洋に出てすぐに音文をとられ何処にいるか大体の位置を掴れていたそうです.
結局独ソ戦当事はまだ戦線で対峙する地上軍が何処かで突破攻撃をかけると言う形式なのと空軍の編隊を捕らえるレベルのレーダーなので活躍の仕様が無かったのでは?
空軍も大編隊でお互いの大都市を戦略爆撃するわけではなく数グループで地上軍を支援する事が多いわけだから.
ただレンドリース兵器など全て外して送られたわけではないのでシャーマン戦車の砲安定装置の様に参考にされ主に戦後に取り入れられたのでは?
ただ戦中は生産の簡略化もあって省略されたのでは?
>>314 そうするとメッサーシュミットBf109など足回りが脆そう.
343 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 00:29
「バルジ大作戦」(ジョン・トーランド ハヤカワ文庫)P309 戦いは終った。 <ラインの守り>は、傷ついた巨大な獣のように“祖国”にはおもどっていった。 ドイツの兵隊たちは、麻袋で足をまいて、頭には婦人用のショールをまきつけて、 よろよろと雪の中を歩いていった。感覚を失ってしまった足を引きずって歩く 彼らの背後からは、氷のような風が、爆弾が、そして砲弾が追いかけてきた。 そしてそのあとには、大量のトラックや大砲が、燃料がなくなってしまったのと、 修理が届かなかったために捨てられてあったのである。 負傷兵と病兵も東へ逃げていった――腹の中が腐ってしまったのや、 凍傷で鼻が球根のようにふくれたものや、しらみだらけのものや、 化膿した傷がそのまま凍ってしまったのや、おちてしまった耳の穴からうみが 出ているものや、そんなのがいっしょくたになっていた。 退却する隊列は、死体とまさに死体になろうとする者でいっぱいに なっているはたけや森を通り抜けていった。アメリカの兵隊が立ったまま、 まるでこじきがもの乞いするように手をひろげた形で、凍死していた。 ドイツの通信隊の兵士が、そのこちこちになった指に電線をひっかけるという、 気味の悪いいたずらをしたので、そのアメリカ兵は人間の電信柱みたいだった。 しかし、退却する者は、そんなものには目もくれなかった。ただ逃げるという ことだけで、彼らの頭はいっぱいだったのだ。巨大な悲しい行進は、東へ東へと 流れていった――自分の吐く息が凍ってえりのところがまっ白になり、 足は凍りつき、心は死んだように無力で、身体は病んでいた。その上に赤痢 がまんえんしていた――彼らがふらふらと通りすぎたあとには、雪の上に血便 の糸が続いていたのである。
344 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 00:42
>当時は一時予断を許さない状態に陥ったには確かなので
>援助の要請は間違っていないと思います.
独軍が一月半ばから兵力撤収に向かっていたのは確かな事実だが、
これでは殆ど大怪我と疲労と病気でわずかに逃げ帰ったにすぎないよう。
背後から退却する独軍を阻むにしても
>>343 の描写が正しいとすれば
あまり意味が無かったんじゃないかな。資料によっても解釈は違うが。
345 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 01:08
ソ連っていうのは底力のある国だと思うよ俺は。 干渉戦争で列強に囲まれ自国内にも白軍等さまざまな集団が入り乱れて戦って出来た国 っていう時点ですごいと思うが。独ソ開戦の時点でもソ連はまだ干渉戦争、一次大戦 の損害から立ち直っていなかったと思う。その状態でのりにのったドイツと5年間戦争 をし、その損害から立ち直らないまま、冷戦に突入、それで国が91年までもった というのはすごくないか?底力がなきゃこんな事出来ないよなぁ。ソ連の歴史=戦史 だよ。 話は変わるけど、ソ連が先制攻撃を考えてたってなんかしっかりとした証拠資料あんの? 日記とかそういうレベルの資料でしか推測されてないと思うんだが。BTシリーズ の走行面での両用機構は将来西側の舗装された道路で行動しやすくするため。という 説まであるけど。それが本当ならT−34が装輪装軌両用機構を試作車の段階で 廃してるのは説明が出来ない。自分の国が完全に立ち直ってない状態でドイツに戦争 を仕掛けた所でソ連になんら利益はないと思うのだが。
347 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 10:07
>>358 兵力温存ちゅうたって
>>343 の傷病者ばっかで車両も殆ど遺棄。
アルプス要塞にたてこもったなんてのもデマだったしね。
348 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 10:35
「ヒトラーの戦争」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P354 この一月十二日のヒトラーの主要作戦会議のニュースは、コーネフ元帥の 強力な歩兵と機甲部隊がパラノフ橋頭堡を封じ込めているドイツ軍三個師団 を蹴散らし、すでに西に一〇マイル前進し、この押し寄せる敵軍を阻む ものはなかった。ドイツの機甲師団はずたずたとなり、壊滅したのだった。 そして今度は三五〇の砲列からの二時間にわたる弾幕放火のあとで、 戦車と歩兵の新たな洪水が東プロイセンに対する第二の攻勢が、 今度は南側面から開始された。この方面の攻勢のゼロ時間が分かって いたので、ドイツ軍は集結するロシア軍部隊と砲兵隊に砲弾の雨を 降らせ、一時的にはロコソフスキー元帥の部隊をたじろかせた。 だが敵戦車二四五輌をすでに叩き潰したのに、一五日には全東部戦線 が激戦中で、敵が戦略的中央突破に成功したのは明らかだった。 南ポーランドのキエルツェは陥ちた。ワルシャワはまだドイツ軍の 手にあったが、北と南で迂回された。クールラントと東プロイセン軍 があんなにうまく敵を寄せつけなかっただけに、この突然の崩壊に 仰天したヒトラーは、最も信頼する副官のひとりのフォン・ベロー大佐に 「もう希望はない」、ドイツを救えるのはいまや奇跡のみであるといった。
349 :
イワソ雷帝 :2001/08/21(火) 10:46
>>346 ロシアとドイツの因縁は13世紀から続いておりまして。
「アレクサンドル・ネフスキー」という映画を見ると、
ロシア人がゲルマンスキーにどういうイメージを持ってるかちょっとわかる。
内容は、チュートン(ドイツ)騎士団の侵略から祖国を守るネフスキーという、
まるで未来を予見させるような、メタ視のようなお話。
この映画の公開翌年に独ソ不可侵条約が締結されて友好ムード上映自粛。
独ソ戦が始まると一転して戦意高揚の為再公開(笑
映画自体は政治色は全く無く…まぁ、スラブまんせーみたいなところはあるけど
ヒロイックチャンバラ映画なので結構楽しめるよ。
バケツに十字の穴開けた兜を被ってるチュートン騎士団の悪役っぷりがたまらんです。
350 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 10:57
>>346 対独先制攻撃の前にフィンランド戦争も継続中だからな。この時点で
のソ連の先制攻撃は考え難い。やるとすれば火事泥参戦であって、
史実でスターリンがかねてより「第二戦線」と言っていたように、
西側連合軍がフランスを攻略し始めた時だろう。史実では米英軍
フランス上陸に呼応した「バグラチオン攻勢」というのがあった。
ポーランドや対日参戦でもやり方はやはり火事場泥棒だ。
>>350 純軍事的に勝利を目的として戦争するなら、
相手が弱体化してるところに付けこむのは当然では?
352 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 11:46
「アドルフ・ヒトラー 4」(ジョン・トーランド 集英社文庫)P285 「秋の霧」は傷ついた巨大な獣のように、うなだれて総統のもとへ 戻りつつあった。それは多くの人々にナポレオンのモスクワからの 敗退を連想させた。将兵は両足を麻袋でくるみ、だらしのないターバン のように襟巻を頭に巻いて、雪の中を痛々しく足を引きずった。膚を刺す 寒風や爆弾と砲弾に悩まされながら、凍傷にかかった足を踏みしめた。 傷病兵は内臓を腐らせ、潰瘍や傷ついた耳から膿を滴らせながら祖国へ の道を辿った。心には絶望を、体には赤痢を抱えて、雪の上を点々と続く 血便の跡を残しながら、感覚を失った足でよろめきつつ進んだ。
353 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 15:13
354 :
名無し三等兵 :2001/08/21(火) 23:40
>>353 ズタボロにされた部隊もあれば、早目に引上げられてさほど打撃を受けなかった
部隊もあるということだろ。
連合軍はファレーズの時と異なり、独軍の包囲殲滅には失敗したんだよ。
邦訳文献も色々出てるからそれを読め。
>>337 米英ソの戦後の勢力圏構想をめぐる争いには様々な逸話がありますが、個々の作戦で
連合国同士依頼し合ったことが、戦後構想で有利不利に働いたという具体的な証拠は
ないようですよ。
結局のところ、1945年5月9日の時点で、米英ソの軍隊がどこにいたかで戦後欧州の
勢力圏は決まったとみてよいのではないでしょうか。
ベルリンやウィーン、チューリンゲンやチェコ西部で多少の変動はありましたけどね。
356 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 00:13
「バルジ大作戦」(ジョン・トーランド ハヤカワ文庫)P297、298 大規模な退却が、始まっていた。もはや、それについては、疑いはなかった。 数日前から、ディートリッヒの第六機甲軍が東方に進路を転じていたし、 つい最近まで自信満々で攻撃してきたマントイフェルの軍も、いまやその 退却行に加わっていたのである。 みんなが退却する中で、どこまでも追撃してくるアメリカ軍に対して 後衛戦闘の任務を受けて、破壊された建物やわびしいたこつぼに頑張っていた ほんのわずかの、選ばれた歩兵たちだけが、その例外であった。これらの後方部隊 をつとめたドイツ兵たち―いずれも若年だったか、老人すぎたか、役に立たない とみられて選ばれて残されたのだ―は、絶望の中で勇敢に戦った。彼らは、自分たちが 友軍の精鋭部隊をジークフリート線の中へ無事に戻すために残されたということが、 ドイツ人の哲学だったのだ。これと同じことは、フランス領内でも起こった。 一四歳から一五歳の少年兵たちが、手が銃に凍りついてしまって、凍傷で腐った 足がまっ黒になったままの姿で発見されたし、地下室で発見された五〇歳以上の老兵 達の死体は、ポートウィンのような顔色をして、傷口の血がすっかり凍っていた。 しかし、退却する部隊の困難もまた絶大であった。彼らの隊列はつねに、空からの 攻撃と、あとを追ってくる砲撃におびやかされていたのだ。アルデンヌで戦ったドイツ 兵の中で、あの残酷ではるかに優勢だったアメリカ軍の砲兵を忘れる者は、ひとりも いないだろうといわれているほどだ。
>>346 ソ連の博物館では必ず白衛軍と外国干渉軍の配置がパネルの地図で表されていましたが(1988当時で今は変わっているかもしれない)
投票で合法的に政権担当者として認められたCP(社会革命党)を弾圧し食料徴発隊を送って農村を荒した事が内戦の原因なのでボリシェヴィキの自業自得の面もあるようです.
底力はあると思いますがTBSでやっていた日曜18:00の報道特集の「浄め」と言う番組で論争では意味が無い,個人の道徳に立ちかえり全体の成果のために個人を弾圧する事は許されるのであろうかとなっていました.
先制攻撃についてはまだ状況証拠に対して公式の文章はありませんが(作戦計画草稿もワシレフスキー元帥の個人文書から発見)従来の様にスターリン大元帥が盲目的に独ソ不可侵条約を信じていたわけでは解決できない問題が多すぎるのでは?
T−34が装輪装軌両用機構を試作車の段階で廃してるのは生産性とスペイン内乱など実戦では殆ど使用する事がない装置のためでは?
万全の状態で無いから先制攻撃は第1次大戦のように恐らく先遣隊は当時のドイツ軍がかなり戦術レベルが高かったのでタンネンベルクのように逆に包囲されるかも知れませんがかなり有利に戦えるのではないでしょうか?少なくともスターリングラードまでは攻め込まれずに済みそう.
またトハチェフスキー元帥はとても有能な人物でしたがクロンシュタット反乱やタンボフ州の農民反乱の鎮圧者として人民の支持は集まりにくかったのではないでしょうか.
>>349 エイゼンシュテイン監督作品ですね.彼もNHK教育の番組でスターリンといろいろ有った事が紹介されていました.
友人の脚本家は収容所で亡くなり本人も無理がたたって心臓発作で亡くなりましたがイワン雷帝が最後に後悔する場面など最後まで自分の作品に対する意思を変えなかったそうです.
アレクサンドル・ネフスキーもノヴゴロド市民の反乱を弾圧するのにタタール族の力を借りたりとかイワン雷帝と親衛隊の残虐行為と同じくスターリンの正当化の対象となりました.
>>350 >>335 に有るようにドイツは手詰まり状態で空軍は弱体化していましたが火事泥より予防戦としてポーランドのドイツ軍攻撃発進基地の壊乱やルーマニアの油田破壊などという可能性もあったのではないでしょうか?
>>353 冬に無理な作戦が行われたのだから一部そのような部隊もあったとは思いますが全体としてはそれほど無秩序な撤退ではなかったのでは?
でなければハンガリーでの反攻など出来ないでしょう.
358 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 00:16
>結局のところ、1945年5月9日の時点で、米英ソの軍隊がどこにいたかで >戦後欧州の勢力圏は決まったとみてよいのではないでしょうか。 特に、米英軍の最前線は事前に決められていた分割占領ラインを大きく東に越 えていたため、ソ連軍が来るのを待って漸次後退するということが行われました。
>>356 トーランドの「バルジ大作戦」にえらくご執心のようだけど、「ザ・ラスト・ギャンブル」
のスタディブックにおける評価をご紹介(著者はアメリカ人でバルジ戦の研究家)。
「ここで示されている話は、多くは人間的な面に重点が置かれている。しかし、戦いを取り
巻いていた情緒的な環境を再現する場合や、逸話的な情報のソースとしては大変重要である。
芸術的な雰囲気が高い」
だそうです。
360 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 00:36
「バルジ大作戦」(ジョン・トーランド ハヤカワ文庫)P303 翌一月二二日には、サン・ヴィストに向う両面からのはさみ撃ち攻撃は進展 していった。北からは第七機甲師団がヒューニンゲンから、わずか三マイルの ところに近づいていた。南からはパットンの部隊が、トロワ・ヴィルージュ で方向を転換して北進した。第一、第三両軍間の距離は一時間ごとに 短縮していったのである。 その日、連合軍の航空隊はヴィアンデンとダスブルク付近の道路上で動きがとれ なくなっていた戦車、装甲車、馬力牽引砲車の大郡を発見して、これにロケット弾と 高性能爆弾の雨を降らせた。その与えた損害は、すさまじいもので、一一七七輌が 完全に破壊され、五三六輌にもかなりの損害を与えたのである。 パットンは、ブラッドレーに電話をした。勝ち誇る彼は、もうじっとしてはいられ なかったのだ。「ブラッド、いまこそ全軍に総攻撃を命じるべきだよ。兵隊がどんなに 疲れていようと、損害がどんなにであろうと、そんなことを考えている場合じゃない。 いまこそ、攻撃の時だ」
おや、懐かしい。 コーネリアス・ライアン先生の3部作も読み終わったことだし、 またトーランド、再読してみようかしら。 この人、たしか奥さんが日本人だったかしら?
>>355 ギリシアではスターリンがチャーチルとの口頭での秘密の協約を何の根拠も無い几帳面さで守ったとあります.
イギリス軍はいましたが人民解放戦線と人民解放軍に軍事援助があれば充分に政権奪取が可能であったかのような記述があります.
「共産主義とは何か」メドヴェーデフ、秘密協約の引用は「第2次世界戦争」チャーチル
>>360 バルジ戦は余り詳しくないのですが突出部を完全に包囲撃滅したわけではないのでもう一つドイツ軍のダメージは少なかったのでは?
363 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 00:49
「アドルフ・ヒトラー 4」(ジョン・トーランド 集英社文庫)P271 真夜中までにアルデンヌの戦場は騒然として、無数の戦闘にかかわった者たち にとっては形容を絶する混乱の舞台となった。だれ一人として―アメリカ人 とドイツ人の別なく、将軍と兵卒の別なく―実際にはなにがおこりつつあるか をしらなかった。シュネー・アイフェルの雪におおわれた高地では、少なくとも 八千のアメリカ軍が―あるいは九千だったのかもしれない、戦闘が混乱をきわめた ために正確は期しがたかった―ヒトラーの軍隊に捕らえられた。それはバターンに ついで史上最大のアメリカ軍の集団投降だった。 #これだけを見れば米英もかなり慌てたようで、ソ連への要請も理解できる。
>>358 >米英軍の最前線は事前に決められていた分割占領ライン
1944年9月12日、米英ソ間で調印された「議定書」にある占領地帯境界ですね。
イギリスは、ロストック−マグデブルク−ライプチヒの線まで現実に進出した実績を
盾に、「議定書」変更をソ連に要求しようとしたようですがアメリカが反対しました。
この時のアメリカ政府は、対ソ融和的なルーズベルトの死後間もないこともあり、対ソ
強硬路線に転換することをためらっていたようです。
365 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 01:12
356>ディートリッヒの第六機甲軍が東方に進路を転じていたし、 「ヒトラーの戦争」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P366 ・・・・燃料不足でアントワープに対する空の闘いはいまは単発の戦闘爆撃機 に制限された。一月末ヒトラーは今後西部戦線は東部戦線を援助するため、 燃料と弾薬不足に耐えねばならないと決定した。ルントシュテットはアイゼンハワー がいつルールに対する新たな攻撃を始めるかもしれず、それに対応して予備を前線 に展開する燃料が欠けているのに、SS第六機甲軍がハンガリーに出発する前に これに補給するため燃料を失わねばならなかった。
>>362 >秘密の協約
例のパーセンテージメモですな。
当初案は、ルーマニア(ソ連90%の支配権)、ギリシャ(米英90%)、ユーゴ
(5割ずつ)、ハンガリー(5割ずつ)、ブルガリア(ソ連75%)、ポーランド
とチェコは放置、でしたね。
チャーチルの援助要請電報は、戦後ソ連の政治宣伝に利用されたこともありましたね。
「アメリカから借りた船は帰さないよ、だってバルジで助けたじゃん」てな嫌がらせも
あったとか。
ただ、その要請があろうと無かろうと、東部・中央ヨーロッパにおけるソ連の影響力を
西側が牽制し得る機会と手段は、1944−45年の段階ではほとんど無かったと思います。
もともと、米英には中央ヨーロッパを戦後どうするかについての明確な構想が欠けてい
ました(1941−43年頃)。
1943年11月のテヘラン会談前夜に行われた米英参謀長会談では、イギリス側がバルカン
半島への攻勢を提案しましたがアメリカはこれを拒否しています
史家によれば、この時点で西側は中央ヨーロッパの情勢変化に影響を及ぼす最後の機会
を失ったとのことです。
367 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 02:00
>>349 ドイツとロシアの関係は複雑だね。愛憎入り混じりドロドロだ。
日本人には理解できんがヨーロッパじゃ当たり前なんだろうな。
帝政ロシア時代には公務員の8割以上がドイツ人だったこともあるようだし、反ゲルマン
運動の中心人物がなんとドイツ人だったこともある。
帝政ロシアと旧西独の両方で外務大臣を輩出した伯爵一族もいたよね。
露独関係が密接になると、今でも他の欧州諸国はビビるそうな。
どうでもいいけど「ネフスキー」の騎士団はかなり残虐かつ不気味だった。
「イワン雷帝」も相当アレだが(すまん)、エイゼンシュテインの作品は
いいね。
エイゼンシュテイン(Eisenstein)って名前自体、ドイツ系っぽいね
今日は台風で東京ドームの巨人X横浜も休みですが仕事も休みで何とか旅行の疲れも取れたかな?
>>366 ポーランドの独立回復のため第2次世界大戦は始まったわけなので英仏にとっては不満足な結果に終わった事でしょう.
後はチェコがマーシャルプランを受け入れる,あるいは東西の掛け橋的存在になるのではと期待されていましたがやはり赤軍の存在が大きかったようです.
また東ドイツ,ハンガリー,ルーマニア,など枢軸国として独ソ戦に参加した国々は何億ドルという単位で戦後賠償を取りたてられたそうです.
船に関しては護衛艦など新型でありながら殆ど使われずに返還され,更に日本の海上自衛隊に貸与されました.
戦艦ロイヤル・ソブリンも特殊潜航艇の攻撃はかわしましたが座礁したか何かでなかなか返還を渋っていたようです。
代りにイタリア戦艦のチェザーレ・ボルジアか賠償艦として引き渡されましたが黒海で事故で爆沈。
オマハ級巡洋艦なども貸与されても全く戦局に寄与する事が無かったようです.
しかもイギリスが貸与したS級潜水艦など乗務員の集団食堂が士官の個室になっていたというとんでもない状態に改造してあったとカンカンだったそうです.
>>367 、368
ロシア語ではドイツ人の事をニェメーニッツ=おし=口のきけない人とも言うそうです.
芸術面ではエカテリーナ女帝の頃からフランスの影響が強いようですが.
リガでガイドさんに「ここはエイゼンシュテイン監督の出身地ですね」と言ったら喜んでくれましたが作品を見た事ありますかと聞かれて無いといって外してしまいました.
「戦艦ポチョムキン」など例のオデッサでの階段シーンなど見た事ありますがモンタージュ映法でしたっけ,イマイチ本当のところわからないのですが.
NHKの番組ではアニメ「ホルスの大冒険」に出てくる悪役のような絵でイワン雷帝を絵コンテで表現されていました.
「鬼戦車T-34」も標的にされていながら破壊されずに脱出するという何か変な映画でしたが
「レニングラード攻防戦」や「スターリングラード攻防戦」など前置きが長い上、市の郊外で終わってしまったのにアレッと思ってしまいました.
370 :
名無し三等兵 :2001/08/23(木) 14:10
ソ連は1930年代初期に、英・米・独とほぼ同時にレーダーの研究をはじめた。 レーダー・システムが開発され、一部は1941年以前に生産段階に入っていたが、 その進捗状態はレーダー支持者が望んだほど急速なものではなかった。実用と理論の うえで、まだ克服されない障害があり、科学者や軍関係者の間にも若干の懐疑論が あった。それだけでなく、ソ連無線工業は必要な装置の製造に困難を感じていた。 粛清もまた、ソ連のレーダー開発に大きなマイナスの影響を与えた。 戦時中にようやく政治指導部はレーダーの重要性を理解した。1943年7月、 国家防衛委員会はレーダー評議会を設置し、マレンコーフが議長となって研究・ 開発を調整し、装置の生産を拡大することになった。レンドリースによって米・ 英・カナダから供給されたレーダーが、コピー生産された。航空工業人民委員部 にレーダー総局が設置され、機器製造工場の1つがレーダー製造に切り替えられ た。 終戦時にレーダー評議会は特別調査団をドイツに派遣して、レーダー設備と ドイツの電子工業を調査させた。この調査団は詳細な技術リポートを作成したが、 これが米英のレーダー研究とあいまって戦後のレーダー開発の基礎を作った。 ドイツのレーダー専門家がソ連に連れて来られ、ソ連の各工場に配属された。 評議会はレーダー開発3ヶ年計画を作成し、1946年7月に政府はこの計画を 承認した。ソ連はかなり立ち遅れており、1946年の米国諜報機関の評価では、 ソ連のレーダー開発は米国より少なくとも10年は遅れているとされた。しかし 1946年初までにソ連は、大規模なレーダー開発の基盤を築き上げていた。 『スターリンと原爆・上』211pより。
371 :
名無し三等兵 :2001/08/23(木) 14:22
戦勝国として、ドイツに乗り込んだ赤軍が各地でレイプと虐殺を繰り返したというのは、 本当なんじゃろか。
373 :
政治委員 :2001/08/23(木) 20:55
>)372さん レイプと虐殺についてはほぼ間違いないと思います。 虐殺については、オストプロイセン西端のアレンシュタイン郡 シェーンヴァルデ(住民487人+避難民多数)において 農民(住民?)20人、避難民80から160人が射殺されています。 これはアレンシュタイン郡だけでの最悪の事件ですが、他の地域でも 住民の数パーセントが殺されています。 これは1951年に西ドイツが行った調査の結果だそうです。 「独ソ戦とホロコースト」日本経済評論社、永岑三千輝 427−429ページで調べました。 レイプについては、独ソ戦末期を扱った本のほぼ全てに出ていますので、 まあ間違いないでしょう。 あと、ロシア、ポーランドとも深刻な物不足ということもあり、略奪は 徹底的にやられています。 なおこうした犯罪は大体占領直後の混乱時に集中しています。
374 :
政治委員 :2001/08/23(木) 20:57
>>にするつもりが間違えました。
375 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 11:10
戦略爆撃による地上撃破は凄まじい威力だったがやはり地上軍による 都市制圧は不可欠で、東部戦線のソ連軍の軍事的役割は大きかった。 日本でもそうだが工場にせよ街にせよ資材と人間さえあれば再建 はいくらでも可能で、現に戦後の復興は日本も西ドイツも早かった。 ヒトラーは戦略爆撃で街を焼かれたら新しく作り直せばよいと考えた。 古代ローマのネロ皇帝もわざと街に火を放って新都市の建設をやってる。
376 :
名無し二等兵 :2001/08/24(金) 11:21
でもさ、やっぱソ連すごいよ。 当時の日本陸軍なんてキエフ包囲戦レベルのダメージくらったら 全滅してる。人口は日本とあまり差がないのに関わらず。 ソ連軍は1941、1942、1943年にすさまじいダメージを くらいつつもベルリン落としてる。 極めつけはそのベルリン攻防戦でソ連軍はまた20万以上も戦死した のにアメリカ、イギリスを震え上がらせるに十分の兵力があったこと。 ソ連の男子みんな戦場いったの?
377 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 11:24
さすが全体主義の国だ。 男みんな西にいったら農村や都市部の女性たちは政治将校のおもうがまま。
378 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 11:44
>>376 つい最近そんな内容の記事を雑誌で読んだけど、大陸国の陸軍と海洋国家の陸軍と比較し、
それを以って片方を凄い凄いというのは止めた方が良い。
単純にソ連陸軍が凄いと言うだけで意味は伝わる。
>ソ連の男子みんな戦場いったの?
正にそんな感じ。
8割近くが戦死した生まれ年度もある程だから。
ソ連は兵力源として中央アジアやモンゴル系などの辺境地域からもビシバシ 男子を刈り立てて戦場に送ったし、またパウル・カレルによると、 突撃してくるソ連兵士に大分老人や子供が混じってて、 兵士の召集適齢期が他国と比べるとかなり幅広く取って、容赦なく 戦場に送ったと思われる。 また女性も前線の塹壕掘りは当然として、戦車の無線手として乗り込んでた 少女もいたそうな...
ソ連は開戦前常備兵力が確か400万位で、 初年度で一気に300万程度(捕虜や戦死で)失って、 あとは一般の農夫や工場労働者で補充していく他なかったから、(独軍に比べ) かなり兵士の質や練度は悪かったハズ。 (だから可能な限り男子を実戦に送り、質より量で対抗する他なかったか)
381 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 17:46
>こんなに酷い状態にあったサムイ(映画スターリングラードの銃殺部隊など) >ソ連に勝てなかったドイツってかなりイタくない? 最高に痛かったろう。しかもアウシュビッツやらダッハウやらで ユダヤ人・スラブ人の死体がゴロゴロ出てきて、第3帝国の周辺民族絶滅政策 とそれによる収奪経済が明らかになった。だからこそリデルハートのドイツ 国防軍潔白論や、マンシュタインの「失われた勝利」が戦後ドイツでは 大いにもてはやされ、それが事実であったと信じられたもんだ。 毎度おなじみの「国防軍は潔白だった」「東部戦線は勝っていたはずだ」。
382 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 18:03
>>381 どこも同じですね。負け犬の遠吠えとはまさに・・・
383 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 18:06
「失われた勝利」だったか、「強いられた戦争」だったか、 「国防軍は潔癖」だったか、「悲劇的な中間位置」だったか、 「第3帝国はドイツ史の例外」だったかもここで議論しようぜ。
384 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 18:38
>>339 「レーダー技術の決定的格差」というのはまさにこういうことだ。
一方「遅れを痛感した」のなら一歩先を譲ったという程度だろう。
385 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 18:53
いやー、ソ連軍ってホントうらやましいよ。 日本なんてレーダー不備に何度悩まされたことか。 レーダーのれの字も知らなければレーダーに悩む必要無かったんだ。
386 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 19:06
ちょっとお尋ねします。 マンシュタイン将軍が嫌疑を懸けられている 戦争犯罪って何ですか? 一応検索かけてみましたが出てこないし、 パウル・カレルの独ソ戦史読んでも出てこないし、 回想録「失われた勝利」読んでも、変なソ連の検察官は 別にして、全然出てこないんですが。
387 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 19:13
>マンシュタイン将軍が嫌疑を懸けられている戦争犯罪って何ですか?
>>162 を参照のこと。
388 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 20:11
>>376 第二次大戦当時のソ連の人口は約1億9千万人、日本は約7千万人。
>>385 悩む必要は無いかもしれないが、負けたことに変わりはないと思われ。
389 :
名無し三等兵 :2001/08/24(金) 20:22
>マンシュタイン将軍 ぼくマンコシタインです。
いきなり盛んに討論されていてどうしたんだ?やはり仕事とトレーニングは先が見えないけど頑張らないと…
書泉グランテで資料を整えようと思ったけど高すぎる.二千円以上
>>370 詳しい解説ありがとう御座います.これで独ソ戦の電子戦に関する答えが出たのではないでしょうか?
「スターリンと原爆」も高かったので買いませんでしたがサンケイブックスなどとにかく
米英の開発の話が中心で新兵器などソ連はやはりロケットの話が中心でした.
>>371 慢性的なドイツのマンパワー不足によりヒヴィス=義勇補助員やオスト大隊として
雑用に使われ装備も貧弱な上、更にクルスク戦で寝返りがあったとかで西部戦線行き
ノルマンジーで奮戦したという話もありますが劣悪な装備(終盤ドイツ軍にさえ装備が不足しているのに他民族の怪しい部隊には回されないだろう)と圧倒的な火力の前には如何ともしがたいのでは?
更に西部戦線でドイツのために戦えと言われても何処まで納得のいくものであったかははなはだ疑問です.
ただソ連側の資料が一様に全ての人々が一時的に飢え死にを逃れるためウラソフ軍に参加し後でソ連軍に逃れるためというのも疑問ですが.
ただ最後にウラソフらに指揮を任せたところドイツは結果的に裏切られてしまいますが…
ウラソフ軍の使った白,青,赤の徽章は今のロシアの国旗と同じですが.
>>373 先にドイツ側が侵攻してきて虐殺を行ったので仕方の無い面もあるのでは?
が作家のエレンブルクが復讐の為に強姦せよと言ったらしい部分は非難されていますが.
また収容所の刑事犯の人々が第5ウクライナ戦線として略奪を行った事もあったようです.
>>376 ただ日本も1点豪華主義と言うか極端な話戦前の日本で世界に誇れるものと言うと海軍と水泳選手だけだったそうです.
>>377 「収容所群島」でそういう技師が出てきます.彼はソ連内部の事情を知っていたのでドイツ軍が勝つと思っていたらしい.
>>379 モスクワ前面でドイツ軍は泥に苦しめられましたがモジャイスクで陣地を掘った婦人部隊も大変だったでしょう.
>>381 厨房の頃はドイツの痛い実態にアララでしたが最近は「ソロフキの真実」などソ連の実態に寒いものを感じますが社会人として下部構造理論など実感できるのが情けない.
国防軍はもちろん占領地でのとんでもない部分に直接的な責任があるでしょう.
が東大で勉強しているドイツ人の人は「いつまで謝り続ければ良いのか?」と極東の同盟国の人々と同じ意見でした.
サッカーWCUPで勝って威信回復できたら良いですが少子高齢化で厳しそう.
>>384 舞鶴で海上自衛隊の人に護衛艦の説明をして頂きましたがレーダー装置は結構錆び易くとある嵐で飛んでいってしまったそうです.
そうするとソ連艦艇の見るからにでかいレーダー類はかなり不利なんでしょう.
実際1988当時タリンのホテルはカラーTVだったが後はボルゴグラードなど白黒な上足つきの点に吸込まれるTVだった.
今日は後お絵かきしたいので宜しく御願いします.
戦争犯罪に関する話は遠慮したいなと思いつつ、ちょっと書いてしまう。 日本「サヨク」が主張する紋切り型の「過去の清算はドイツに見習え」は、 かなり勘違いだろうな。 ユダヤ人虐殺などの「人道に対する罪」については償いをしているとは思うが、 従来型の「戦争犯罪」、例えば東部戦線やユーゴでの国防軍による戦争法規 違反にはドイツは無頓着に近かった。 植民地支配(ドイツの場合はWW1以前)の清算については、考慮したことも なかろう。 日本が直面している問題は、乱暴にまとめれば「戦争犯罪」と「植民地支配」の 清算であって、これは世界初の事例と言っていいんじゃないの。 ただ、日本やもしかするとこれからドイツが直面する問題は、大国とよばれる国や 先進国に共通する問題でもあるだろう。 ロンドン協定で連合国の戦争犯罪は一応免責になったが、現時点での歴史の清算 となればそうもいくまい。 第二次大戦後の英仏の植民地戦争やアメリカのベトナム戦争に限定しても、戦争 犯罪の事例には事欠かないしね。 というわけで、一国の事例をあげつらうと「目くそ鼻くそを笑う」になってしまう のが、戦争犯罪論争というわけですな。
392 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 00:29
「ヒトラーの戦争」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P107 だが“城塞”作戦ではロシア側の損害の方が大きく、死者一万七〇〇〇、 捕虜三万四〇〇〇を出し、戦術予備軍は激減していた。それで次の週の ロシアの夏の攻勢は腰のふらふらしたものになることになった、七月十七日 にマンシュタインの南の戦線に攻撃をかけてきたが、マッケンゼンの 第一機甲軍とカール・ホリット将軍の新しい第六軍はこれを撃退し、 二週間で一万八〇〇〇を捕虜にし、戦車七〇〇輌を破壊することができた。 #プロホロフカはやはりソ連軍が負けていた。ばれたらロトミストロフは銃殺だったろう。
393 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 02:14
>日本「サヨク」が主張する紋切り型の「過去の清算は >ドイツに見習え」は、かなり勘違いだろうな。 「サヨク」というよりは厨房ドイツヲタ。そのくせ彼らは マンシュタインの「失われた勝利」を間に受けてドイツ国防軍 はナチスとは無縁で賢く勇敢で特に東部戦線では勝っていた、 それに引き換え日本軍は残虐で無能でいいとこなしだったと。
394 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 02:19
マンシュタイン著「失われた勝利」、戦後西ドイツではこれが飛ぶ ように売れた。当然だろう、ドイツがソ連に負けただなんて彼らの プライドが絶対に受け入れないし、またいつか攻めてくるともなれば 夜も眠れない。「東部前線は勝っていた」と少しでも信じたかったのだ。
>「サヨク」というよりは厨房ドイツヲタ。 そいつは2chだけのハナシと思われ。
396 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 09:47
野原茂がそうだろう。
397 :
:2001/08/25(土) 10:39
まあ独軍が東部戦線に勝ってたのは初期の奇襲と、戦車を使った近代戦術用法と 兵士の経験がソ連より優っていたからで、後にソ連もそれを学んで電撃戦を マスターして兵士も経験を積んでくれば、対等に戦うことができることを 証明できた。 (更にソ連との兵力差がついて、ドイツが米英に消耗されてくれば おのずとソ連が優位に立つのは自明の理。) もともとロシア(スラブ人)に対するゲルマン優位観など、ヒトラーや 一部のナチ指導者だけが思ってたのではなく、民衆の大半がそう思ってた わけで、「(ドイツ人に劣る)スラブ人に負けるハズもない。」と 考えるのも無理もない。
398 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 11:05
>もともとロシア(スラブ人)に対するゲルマン優位観 戦後も根強く残ったんだなこれが。日本のドイツオタは彼らの 「失われた勝利」を間に受けてああ言っているんだろう。
399 :
補給重視だった賢明なドイツ軍 :2001/08/25(土) 16:35
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201 西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と 勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。 東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、 飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。 各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。 「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、 われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死 することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、 穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
400 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 17:34
マンシュタインや野原のような厨房ドイツヲタはロシア人に復讐されちまえ!
401 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 17:57
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P206 陸軍第十一軍の司令官マンシュタインは、この軍人たる名誉なるものを ナチスの根絶・絶滅政策に対する彼の個人的支持と結びつけたばかりでなく、 その後一九四九年には、ハンブルクにおけるイギリス軍軍事法廷で彼が とった態度とも一致させることができた。私はジャーナリストとしてこの 裁判を傍聴した。フォン・マンシュタインの弁護体制は鉄のように固かったが、 全く信用するに値しないものだった。自分が直接危険にさらされていると感じても、 記録文書で証拠がない場合には「記憶にございません」と言ったり、そっけなく 否定した。彼自身が発した命令が裁判所に提出されて有罪の心証が避けがたい 場合などには、自分の役割を過小評価したり弱めたりする。彼に好都合と思わ れた時には、事実次第で責任を上や下に押しつける。私はこの見すぼらしく、 いつも言い訳や逃げ口上を考える人物、かつては大軍の将であった者が、 ローテンバウム大通りのクリオ・ハウスの中の法廷被告席で見せたあの姿を、 決して忘れないだろう。イギリス軍事法廷により十八年の懲役の判決を受けた この貴族の既決囚は、時の流れの恩恵と彼の同類たちにたいするアデナウアー 時代のおぼしめしによって、わずか四年服役すればよかった―一九五三年、 彼は再び自由の身になったが、何も学んでいなかった。彼は、その回想録に 『失われた勝利』というタイトルをつけた。
402 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 18:02
日本は同盟だったが、本当は劣等人種扱いでは?
403 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 18:10
ラルフ・ジョルダーノの話題が熱いなあ。 この人ユダヤ系の人だから、ぼく自身は、最近では、多少、過激な印象もうけるけど、 やはり、軍事板的に、「マンシュタインの例の声明」とか、読んでて新発見あるよね。 僕的には、キュイラーだかキュイスラーだか、ポーランド戦の時の警察の治安部隊あいてに いったセリフ 「薄汚いゲシュタポはオレ様の戦区からでていけ」 (リデル・ハートとかイギリス系軍事史にでてくる好意的評価が多い) の後日談、 「われわれドイツ人は、警察部隊の虐殺行為を、感情から判断してはならない。 われわれはドイツ民族共同体をつくる義務があり、警察の行動は、歴史の観点から 評価されねばならない」 という感じのセリフが読めたのが収穫でした
404 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 18:19
「第二次世界大戦 あんな話こんな話」(ジェイムズ・F・ダニガン アルバート・A・ノーフィ 文春文庫)P419 スウェーデン 公式には中立国なのにドイツの軍事作戦を積極的に援助して、 ドイツ軍部隊のスウェーデン国内通過を何度も許し、親衛隊への 志願をつのり、スウェーデン軍の武力拡張計画が損なわれてしまう ほど大量の原材料と軍事器材をドイツに売った。「連合軍が勝っても われわれは民主主義国家、ドイツが勝ってもわれわれは非ユダヤの アーリア人だ」とあるスウェーデンの指導者はいった。多くの スウェーデン人が違った見方をしていたのは幸運だった。
405 :
維納の黄昏 :2001/08/25(土) 18:19
えーと、上記の人は国防軍の将軍ね。 いまラウシュニングの「普通の人々」って警察関係の本読んでいるんだけど、 いわゆる「国防軍の虐殺へのコンセサス」って、やはり、戦時中の教育効果も 重要だと思う。 ヒムラーはアウシュビッツとかに、よくアインザッツグルッペンの統括官連中を 送って、虐殺の現場見学をさせたらしいけど、 あれって 「一見、残酷だが、われわれには民族共同体建設の高貴な使命がある。 <いやな仕事>だが(←ここ重要)。感情を超越し、義務を尽くせ」 って、それなりに納得させて、また、人殺しに借り出したようです。 あれですな。インテリというかハイデガー風の<何物かに尽くすことこそ、よりよき自身になれる> みたいな理屈を説くことで、教養ある高級将校ほど、納得した。 それこそが、ホロコーストのある重要な部分を支えていると思います。 ジョルダーノももちろん正論ですが、すべてを<ナチズムとドイツ史の連続性> のなかで説明するのは、多少、無理だと思うDEATHメタル・バンド
406 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 18:32
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P195 戦争勃発以降、軍首脳の頭脳中に起きた変化を示す印象的な例がある。 砲兵隊のゲオルク・フォン・キュヒラー上級大将は一九三九年、ポーランド 在住のユダヤ人に対する大量虐殺のあと、彼の下にあった親衛隊の分遺隊は 「ドイツ陸軍の面汚し」なのでその管轄地域から出ていくよう、激怒して陸軍 司令部に要求したことがある。この同じ人物がその後、陸軍第十八軍の最高 司令官と上級大将に昇進し、一九四〇年八月、次のような命令を下しているのだ。 「余は、陸軍のすべての兵士、特に将校が、ポーランドにおいて遂行された ドイツ民族性の闘争、例えばポーランド少数民族、ユダヤ人、それに教会の事項 の取り扱い、これらに対する批判を控えるよう働きかけることを求める。数世紀末、 東部国境で展開されているドイツ民族性のための闘争は、最終的解決のために比類ない、 厳しい措置を必要とする。党と国の特定の分遺隊に、この民族性のため戦闘の遂行が 委ねられた。したがって兵士は、他部隊のこの任務と関わらないようにしなくてはならぬ。 兵士は批判によってこの任務に介入すべきではない。」
407 :
維納の黄昏 :2001/08/25(土) 18:36
それそれ。
>>406 「昇進を餌に趣旨をかえた」
なんてトンデモ解釈をくだすひとはいないだろうけど、
「結局、ドイツ人はみなナチだ。みな残酷だ。ナチズムはドイツ史のなかで
連続性をもつ」
というテーゼも、ぼく自身は留保してます。
それよりもルドルフ・ヘスとかの手記を読むと、ヒムラー等の
「高貴なる義務演説」
も重要かなあ、と思ってます。
408 :
木村奈保子(木曜洋画劇場担当) :2001/08/25(土) 18:38
軍事板で、最近、主張されている 「マンシュタインはナチスだった」 というのは、<ある現象>を、あまりにも<直結>して解釈しすぎていると思うが、 皆さんのハートには何が残りましたか?
409 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 18:49
軍隊の残虐度コンテストでは、ドイツ国防軍もいい位置につくだろう。 無論、アメリカ軍・ソ連軍・日本軍もトップ争いに加われる。 だが、戦場での有能さという点では、日本軍はちょっとね・・・。 味方殺しが得意だったしなあ。
410 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 19:03
>戦場での有能さという点では、日本軍はちょっとね・・・。
ドイツ軍は日本軍と違って、補給を重視したからネ
>>399 。
>>410 日本軍は補給以前に戦術・兵器もお粗末だったと思われ。
無降伏主義に至っては、前線兵士に対する犯罪行為。
412 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 19:24
ニューギニア戦線に、保存食料として塩ジャケ送ったりね
413 :
維納の黄昏 :2001/08/25(土) 19:27
塩ジャケと比較すると可哀相だが、やっぱ、ドイツはWW1のときの 食料不足による社会崩壊を経験しているから、「補給戦」じゃないけど、 食料供給システムは、がんばったらしいですね。 もっとも実現しなきゃ意味はないが。 それにしても「グロスドイッチュランド師団史」の食料のページは美味そうだゾ。 レーション・スレの地獄におちた勇者たちは、あの本が出る前は、この本を読んで その知的欲求をみたしていたところに100マルク
414 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 19:28
>日本軍は補給以前に戦術・兵器もお粗末だったと思われ。 >無降伏主義に至っては、前線兵士に対する犯罪行為。 旧日本軍は最低最悪の軍隊であり、全員玉砕でこの地上から完全に消滅すべきだった。
415 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 19:49
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216 一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の 開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、 という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への 非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた 「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が 生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、 この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、 いかなる理由もなかったのである。
いやぁ、クルスク以降、誰も東部戦線は口にしない。 いわんや、バグラチオンによる戦線の崩壊以降は、 ワルシャワ蜂起しか口にはできないでしょう。 ドイツ、圧倒的な兵力には弱い。
417 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 19:59
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P194 ソ連に対する奇襲の六日前の一九四一年六月十六日、ウルリヒ・フォン・ハッセルは、 一九四四年七月二十日事件への関与で殺される反ナチの同志ヨハネス・ポピッツ、 カール=フリードリッヒ・ゲルデラー、ルートヴィッヒ・ベック上級大将、 そしてハンス・オスター将軍と会談した後で、次のことを明らかにしている。 「ブラウヒッチュとハルダーは、これまでひとり悪者にされてきた親衛隊の 殺人放火に対する憎悪を、陸軍にも向けようとするヒトラーの作戦にすでに 手を貸してしまった。彼らはその責任をとった。だがそれ自体は何も変えない が見せかけを保つための補足手段(紀律を守ることなどについて)をとることに よって自他ともに欺いた―絶望的なごますり下士官根性!」
418 :
どっこらせ・・・ :2001/08/25(土) 20:04
>>415 いや、頭が下がります。リアルタイムで訳文をタイプしてるのですなあ。
これは貴重な2ch資料となって、世に出るでしょう。
ぼくも思わず、書棚からジョルダーノひっぱりだして読んでます。
>>415 の文章は、その後、「東部ドイツ人の集団パニックによる大逃走」へとつづき
著者はそれを「戦後、ロシアでの蛮行を知らなかった」とするドイツ人の
「じつは無意識レベルで知っていた。ゆえに赤軍からの復讐の恐怖が極大化された」
と続いております。
デーニッツの自伝とか読むと、東部からの避難民の脱出に勢力を尽くしたことで、
ドイツ国防軍の神聖と崇高が強調されてますが、
・・・うーん・・・
しかし物事には、常に反面もある、というのでジョルダーノの著作は
やはり、広く読まれるべき名著です
419 :
維納の黄昏 :2001/08/25(土) 20:11
というわけで、1986年にたしかエルンスト・ノルテが歴史修正論争をぶちあげたとき、 その反対論として、ジョルダーノは出版されたと思います。 正直、このマルティン・ルターがかつてユダヤ人を弾劾したのとほぼ同じ情熱で 逆にドイツ人の<原罪>を追求されると、我輩のごとき、島国の凡庸な市民からすれば、 「もう許してやってもいいじゃないか」 という気持ちにもなりますが、それは、まあ、誤りでしょう。 戦後ドイツ史はたとえばドイツが統一され、連邦軍がセルビア派遣のために アウシュビッツを慰霊訪問し、<過去に決別>したからと、議論を終わらせるものでも ありますまい。 考えて考えて、袋コジにはいりこむまで考え尽くすのも、またいいことだなあと、 我輩、最近、思っております
420 :
維納の黄昏 :2001/08/25(土) 20:15
ところが、せっかくジョルダーノを読んでいて、 「ドイツ・ポーランド教科書問題(ドイツ騎士団は英知か野蛮かの評価等)」 まで思いをはせながら、同一人物が、ウヨだのサヨだのチャンコロだのハングル板だかの 流行語を駆使して、とたんに偏狭になると、我輩、おもわず、天を仰いでしまいます。 神様もガミラスのためにばかり泣かず、もちっと、歴史の普遍性に、 なぜに人々はきづかぬのか、泣いて欲しいものです
421 :
ドイツ空軍の黄昏 :2001/08/25(土) 20:55
「ヒトラーの戦争」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P296 ・・・前略・・・・クライペ将軍が九月三日燃料状況について―すべての 爆撃機および一部の戦闘機と急降下爆撃機の作戦を切り詰めなければ ならないほどいまは深刻であると―説明したあとで、ヒトラーは 「空軍をすっかり解体して、対空火砲を三倍にすることを考えている」 と述べ、空軍参謀総長をたまげさせた。ゲーリングが五日、“狼の巣” に恐る恐る再び姿をみせると、ヒトラーは空軍攻撃を繰り返した。 クライベの日記はこう記録している― 総統がまずしゃべった。空軍非難の長広舌、空軍は全然よくない、 年ごとに悪くなる、生産数字と航空機の性能についてもずっと嘘 をつかれた、フランスにおける完全な崩壊、地上員と無線部隊は 陸軍の戦闘を援けようとしないで命からがら飛行場を捨ててあわて ふためいて逃げ出した、と。 Me262の件が再び議論になった。なんで「高速爆撃機」しか考えられない かについての同じ議論、将来はMe262だけ生産するとともに、対空火砲を 三倍にする考えを前より穏やかな形で再び展開。・・・・・・わが方の戦闘機の 設計はみな間違っている、四発爆撃機と闘うのに必要なのは、大口径の 機関砲を備えた双発の重戦闘機である、全国元帥の要求で、戦闘機中隊 を指揮している〔ハンス・〕ベーム=テッテルバッハが呼び入れられた。 経験から彼は、戦闘機に護衛された重戦闘機でさえも重爆撃機と闘う最善の 方法でないと説明した。ベーム=テッテルバッハは乱暴に退去を命ぜられた。
422 :
名無し三等兵 :2001/08/26(日) 01:37
おお。優良スレあげ
423 :
名無し三等兵 :2001/08/26(日) 02:05
ヒトラーはチャーチルを、戦争屋とあざ笑っていたが、ヒトラ―もルントシュテッ ト元帥からしてみれば陸軍最高司令官の立場で、なのに、この二人の確執は案外目 立たなかった、いや、目立たないやうに意識をしたかったというのが本音だとおも う。 ヒトラーはそれだけ、イギリスとの戦争を心の奥では望んではいなかったのだ。 イギリス連邦と、ソビエト連邦では、ソ連のほうを倒すことをはじめから、つまり ヒトラーが政権を握ったこらから決めていたのだ!
424 :
名無し三等兵 :2001/08/26 07:53
厨房ドイツヲタは徹頭徹尾ナチスドイツの傀儡国として、 その運命を共にすべきだ。勝っているうちはありがたく 貢ぎ物を捧げ、負けた時は一緒に征服者に従う。
425 :
名無し三等兵 :01/08/26 17:00
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P217 当時のドイツ人の大部分がこの絶滅政策の規模についても、またその詳細についても、 明確な考えを持っていなかったしまた持ちえなかったことは、確実だと言える。 しかしながら、東部で起きたことは西部や南部における戦争の出来事となんら 類似点もないという一般的感情は拡まっていた。そのために、ヨーロッパの 大西洋岸や地中海の敵軍より強い恐怖心が生じたのだ。 一九四五年初頭以降のドイツ人の集団闘争の本質的な、そしておそらく最も 本質的な特徴とすら言えるものは、復讐に対する不安だったに違いない。 この不安は根深く、西側連合諸国よりもソ連に大してずっと広まっていたのだ ―ありとあらゆるうわさの寄せあつめ、中途半端な情報、そして禁止されている のに傍受した「敵の放送局」から得た情報。そうしたすき間からもれた情報が、 今や影響力を発揮したのだった。
朝帰ってきても夕方起きたのでは図書館など行けない。戦争犯罪について盛り上がってますが
TOP絵更新したいので速攻レス.
>>391 結局小林よしのり氏の言うように今日の道徳観で当時のドイツや日本の行動を批判する事は難しいのですが、
それなら皆悪かった,インドの日本無罪論なのでしょうか?少なくとも膨大な犠牲者が出たのは
世界恐慌によるブロック経済の流れがあってもドイツや日本が先に手を出し反則技まで使って
世界秩序を乱した事に責任があるのでは?
ソ連等共産主義諸国の粛清の方が多いかもしれないがそこは内政問題に近そう.
小林氏についても個人的には良いと思いますが例の台湾では全て過程を喋ってしまったので台湾入国禁止だそうです.
戦犯の人々や枢軸諸国は冷戦によりタナボタで儲けた事は間違い無いですが韓国や台湾が
徴兵制で日本が冷戦の対価を払ってない事に対して不満な方がもっと問題かもしれない.
「ここが変だよ日本人」でドイツはナミビアの黒人を20万労働力で連れてきて断種手術
を行った事が知られていないと非難されていましたがベトナムなどベトナム戦争の
死傷者より植民地支配(フランス,日本)の時の飢饉などの人口減の方より全然少ないと言う話でした.
が難民としてきた人にホーチミンとかどうですかと聞いたら凄く辛そうだった.
まあドイツも日本も一部の人のみ悪いわけではないのでしょうが一等自営業氏のスレッドでは
自衛隊幹部の人の話だと日露戦争も軍部は戦力的に開戦に不安だったが国民の戦争熱に引きずられてしまったそうです.
ヒトラーは来て去るがドイツ民族は残るという事であまり感情的に非難してもしょうがないですが
侵略した方は忘れる事は多くても反省する事は少ないでしょうが中国も今の日本での犯罪を過去の復讐といわれても…
個人的にはもっと仕事で儲けて絵的なことで実現しないと,インパール作戦に参加した人との話も「インパール知ってる?」
とか気まずくなりかけたが最後は御金さえあれば良い所に就職できるという話で結論が出た.
自分の見た限りドイツオタの方が一般的にセンスも要領も良かったようなのでそれで良いのでは?
共産党はこないだの都議会選挙で共産党に明日投票しようと留守電にいれてた.ふざけるな!
>>418 ジョルダーノは、ある意味典型的なドイツ知識人なんだろう。
「将来の人類の幸福のために、現在の人間をぶんなぐる」ようなところがドイツ知識人
の伝統にはあるそうだが、「第二の罪」もその系譜にあると思う。
自国の過去に対する厳しい原罪追求は、ドイツに限らず大国とされる国々でも必要なの
ではないかと思うがどうなんだろうね。
ルワンダ大虐殺についてフランス国民議会が行った破廉恥な調査結果を思い起こすと、
やっぱり無理なのかなとも思う。
それから、ジョルダーノの訳文を何度も引き写している人がいるけど、「第二の罪」的
な厳しい視線は、日本の旧敵国からも我が国に向けられていることをお忘れなく。
戦争責任とは、結局のところ集団としての責任を未来永劫問われることなのかもしれない。
ワイツゼッカー氏が演説で言ったこととは異なるが。
428 :
名無し三等兵 :01/08/26 22:35 ID:kBkhUB02
>ジョルダーノは、ある意味典型的なドイツ知識人なんだろう。 いや大衆レベルでは国防軍はナチ絶滅政策とは無縁だったとか、 東部戦線で国防軍は負けてなかったとの神話が結構流布してたろう。 マンシュタインの「失われた勝利」が飛ぶように売れたのがその証拠。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい. :01/08/26 23:28 ID:bJ93uDHU
>>428 意味がよく分からんな。
ジョルダーノ流の厳しい自己省察は、ドイツ知識人によく見られるタイプだよ。
見習うべき点が多いと思うけどね。なあなあの日本人にはつらいものもあるが。
自国の軍隊が戦争犯罪に加担していなかったという神話にすがりたいのは、
世界各国共通の傾向だと思う。
俺だって、祖父さんが兵士として従軍しただけで戦争犯罪人だと決め付けれれば、
腹立つからなあ。
ところで貴殿、マンシュタインがかなりお嫌いのようだけど、なにか個人的な怨恨
でもお持ちなのかな?
430 :
428 :01/08/26 23:36 ID:kBkhUB02
>ところで貴殿、マンシュタインがかなりお嫌いのようだけど、
>>162 と
>>401 の通り。自分だけ責任逃れして逃げたマンシュタイン
ははっきしいって卑怯者。自殺したヒトラーの方がまだ美学が残る。
431 :
名無し三等兵 :01/08/27 00:08 ID:OrABi2gk
なるほどね。 でも、ヒトラーが支配するドイツ軍の将官に、他にどのような選択肢があり得たのかも 考えたほうがいいと思うよ。 それに、マンシュタインはともかくも裁判を受け服役したが、ヒトラーやヒムラーは自殺 によって地上の裁判官から逃れ去った。そのことによって、より厳しい断罪を受けねばな らなくなった部下達もいる。 罪を認めた死んだわけでもないヒトラー達に、美学云々はふさわしくないと思うが。 地上の
432 :
431 :01/08/27 00:09 ID:OrABi2gk
433 :
名無し三等兵 :01/08/27 00:11 ID:4GeBHx7U
岸信介はともかくも裁判を受け服役したが、神風特攻隊は 自殺 によって地上の裁判官から逃れ去った。 罪を認めた死んだわけでもない神風特攻隊に、美学云々はふさわしくない?
434 :
名無し三等兵 :01/08/27 00:19 ID:OrABi2gk
>>433 煽りかもしれんが一言だけ。
神風特攻隊の搭乗員達の罪を、網羅的かつ具体的に述べよ。
435 :
名無し三等兵 :01/08/27 00:22 ID:T0vZJrRU
>>433 戦争にはいろんなやり方があるだろうが、特攻隊が裁かれる云々いうのは
おかしいし、認めた云々も笑止。あれは自殺だったのかは微妙だが。
まあ、理解すれとはいわんししないだろうけど、無知すぎ。
436 :
名無し三等兵 :01/08/27 00:38 ID:4GeBHx7U
岸信介とマンシュタインは生きて戦争責任から逃れ、アメリカにその腕を買われたのだ。
>>436 はいはい。
夏休みの宿題は終わりましたか?
438 :
名無し三等兵 :01/08/27 05:29 ID:hZndAnbg
439 :
名無し三等兵 :01/08/27 05:32 ID:hZndAnbg
どーも痛い厨房レベルで、国防軍犯罪うんぬん、いわれると ネタ元特定できるような・・・
440 :
名無し三等兵 :01/08/27 06:02 ID:CdiEmkTo
ポーランドがダンツィヒと回廊をドイツに返還したらなー。
441 :
4GeBHx7U :01/08/27 20:37 ID:4GeBHx7U
>>421 やはりソ連機相手の東部戦線では最後までエースバリバリでも、
米軍機相手の西部ではサッパリってことなんだな。
442 :
名無し三等兵 :01/08/28 07:46 ID:VYl/FauA
>>399 ドイツ国防軍は確かに旧日本軍と違って補給を重視したが、このやり方はどうか。
443 :
名無し三等兵 :01/08/28 13:18 ID:AYZq27pk
>>442 >>399 のとおり収奪が行われ、ソビエト西部地域で数千万の餓死者が発生していれば
大問題だと思うが、実際にはどうだったんだろうね。
444 :
名無し三等兵 :01/08/28 13:20 ID:VYl/FauA
実際にそうならなかったのはヒトラー・ドイツの軍事的敗退によるのでは。
445 :
名無し三等兵 :01/08/28 19:46 ID:VYl/FauA
独ソ不可侵条約であれだけ貿易できたのに、ドイツは欲張りすぎ。 ジョルダーノの言う通り、ドイツ人は東欧人を蔑視しすぎた。 独ソ不可侵条約でさえ不満でソ連攻撃なんて東欧蔑視としか思えん。 またソ連が先に攻撃してくるものと予測していたのなら、前に結んだ 独ソ不可侵条約は一体何のための条約だったのか。
>>445 独ソ不可侵条約についてはガイシュツ。
本も色々出てるからそれで勉強しろ。
君は
>>393 あたりの旧日本軍擁護クンかもしれんが、ジョルダーノ使って独軍叩き
しても日本軍の名誉は救えんぞ。
戦争犯罪についてはどの国も人のことは言えた義理じゃないし、WW2の時の
旧日本軍の無能さは事実だからどうしようもない。
「日本軍だって少しは有能なところがあったんだ」と主張したいなら、もちっと
工夫されたし。
447 :
名無し三等兵 :01/08/28 20:54 ID:VYl/FauA
>旧日本軍の無能さは事実だからどうしようもない。 俺も牟田口将軍のインパール攻略は補給軽視の誤算だったと思ってる。 けれども中国軍は、ソ連軍は、イタリア軍は、ドイツ軍は、イギリス軍は、 アメリカ軍はみな有能で、ただ日本軍だけが無能だったとでも言いたいのかな。 誤算はどこの国でもあったわけで、先ほど俺はドイツの東欧認識の誤りを 指摘したが、ソ連もドイツの奇襲攻撃に対して何の迎撃体制も取らなかった。 またドイツとの不可侵条約に応じたのはソ連自身であり、自業自得でもある。 >それで勉強しろ >もちっと工夫されたし。 2ちゃんねるはお前ごときに説教されてお勉強する場所では無い。 楽しければそれでよいのだここは遊ぶ場所だ。
448 :
名無し三等兵 :01/08/28 21:10 ID:NRPWDi6s
>>447 ほう、そうですか。そりゃ失敬。
君の無知と粘着質を心配したのが、配慮もムダだったな。
>2ちゃんねるはお前ごときに説教されてお勉強する場所では無い。
はいはい、じゃ他のスレで丁寧口調で質問するのは止めようね(藁
インパールくらい本で調べたら?
449 :
名無し三等兵 :01/08/28 21:18 ID:VYl/FauA
↑何もお前で無くても他の人が答えてくれればいい。 あれは丁寧に答えてくれる人を期待しての質問形式だ。お前に用は無い。
>>449 このスレにも君のような厨房はいりません。
451 :
名無し三等兵 :01/08/28 23:34 ID:VYl/FauA
↑お前一人が無視すればいいさ。無視できないなら同類。
452 :
名無し三等兵 :01/08/29 00:17 ID:jyyYLGdU
どこの軍隊を誉めるにせよけなすにせよ、カタログ性能比較で無くて 具体的な戦闘記録で示してほしいね。作戦行動の推移こそ大事だ。
453 :
3ch :01/08/29 08:03 ID:UVppnfSQ
何とか仕事無事終了。2Chも閉鎖の可能性もあるわけだからマターリと行きましょう. ジョルダーノは読んだ事無いですが白水社の文庫は史学科の教授に良く講義で紹介されましたが 受験の穴埋め式テストで疲れたので殆ど聴いて無かったですが. ドイツ空軍に関しては印象的なのがまた「電撃戦」ですがグデーリアンの前でヒトラー総統はゲーリング空軍元帥に 「空軍は駄目だ,しかもこうなった事は君に責任がある」と言われゲーリングの目から涙がこぼれおち思わずグデーリアンは席を外そうかと言ったそうです. しかしゲーリングがいなければ開戦時にあれだけ実戦段階にあった空軍を持つのは不可能との記述もありました. ただ部下のガーランドやイエショネクが先に悲観して自殺したのに対し最後までニュルンベルク裁判まで自己の正当化を訴えつづけたのは逆に凄い事かもしれない. またデーニッツ後継総統の御蔭でヒトラーは遺言で海軍だけは立派に戦ったと言ったそうです。 海軍が急な開戦で準備不足で制海権を争うレベルで無かったのに対し空軍はまだ制空権を争い良く陸軍を支援した気はしますが 最終的に陸軍の失敗で他の2軍は死命を制せられたわけですが海軍は新型Uボートで勝てるのでしょうか?サンケイブックス各巻 日本軍は今月の「PANZER」で(さすがに買えない)ノモンハンではソ蒙連合軍の方が死傷者の%が日本軍より高かった (どちらも25%近く)とありますが例の古是三春氏の論文ですが個々人の回想録ではかなり相手を撃破した(大抵何処でもそうだが)と言う記述もあります. ただ停戦時に包囲されていたのは日本軍の方なので続けていたらヤバそう. 何にしても日本はあれだけの事をやっただけでも(やられた方はたまらないが)凄いんじゃないですか? 最近の週刊文春?の連載小説などでは既に清朝末期に満州民族は漢民族と同化していたそうですが. そんな民族的背景まで調べて侵攻するとか、結局満蒙開拓は既にある中国人の土地を取り上げたことが多く日本の山奥の開拓が良かったという自分捜し的な結論もありますが. 今の自分上手く言ってなくてもなかなか自分から何かしようとまで行かない.
454 :
名無し三等兵 :01/08/29 09:55 ID:qCW9N1FE
戦闘日誌で出てくるヒトラーの発言・命令は、当時のドイツ軍の戦況
そのものをよく語っていると思う。ヒトラーはチャップリンの映画など
で風刺されているような間抜けでは断じて無く、国防軍最高司令官として
の手腕はいろんな所で発揮されている。誤りがあったとすればそれは
ヒトラー個人では無くドイツ国防軍全体の体制的欠陥であったと言うべき。
後継者にデーニッツを選んだのも空軍が
>>421 のような状況にあったからだが、
これもゲーリング個人の腐敗堕落などという問題では無いのだ。
#むろん「体制的欠陥・失態」なら第3帝国に限った話では無いが。
455 :
名無し三等兵 :01/08/29 11:43 ID:xRB411Z.
結局ドイツはしたたかなんだよな。悪いのはヒトラ−とナチスメンバ−であって、彼らに 責任押し付けて清算したように見せかけているんじゃないかな。 戦争犯罪とは、戦闘時における不法行為(非戦闘員の殺害、禁止されている兵器の使用、 強姦、投降した正規軍捕虜の不当な扱い)を指すのであって、ユダヤ人虐殺は、戦争犯罪 ではなく政治犯罪。ユダヤ人問題の責任者アドルフ・アイヒマンも政治犯罪者。 その辺を混同して、ユダヤ人に補償している=過去の直視=戦争犯罪の精算という図式が あるように思う。 タイトル忘れたけど、最近立ち読みした本では、ドイツでは国防軍が占領地で強制売春 に関与していた事実は、問題視されていない、というより殆ど無視しているという。 それは、ナチス絶対悪、国防軍クリ−ン論という戦後作り上げてきた構図を崩すこと に繋がるからだというのが著者の意見だった。 結局、戦争においては大なり小なり不法行為は発生する。旧ソ連の大量レイプや虐殺 が不問されているのは、ロシアを糾弾すれば、「アメリカやイギリスだってやったじ ゃないか」と突っ込まれるからではないかと思う。 日本の戦争犯罪、過去の直視云々される背景には、第2次大戦の戦勝国側の正義という か正当性の強化、日本のサヨクのイデオロギ−をこれまた正当化、及びドイツが過去を 精算しているという神話を比較論の面からきょうかするための「ダシ」に使われている 感じが強い。 に使われている
456 :
名無し三等兵 :01/08/29 11:54 ID:qCW9N1FE
ドイツ国防軍はどこより潔癖で賢く勇敢でよく戦った誇るべき存在だった? 悪いのはヒトラーとナチス党幹部だけ、東部戦線は「失われた勝利」だった? 一方旧日本軍は全ての面でどこより残虐で無能で愚劣で単なる恥辱であった?
457 :
3ch :01/08/29 17:39 ID:xE5J2Q7s
やっと起きたのでレス. バルト三国のインタビューを受けていた人にとってはドイツ軍は良い軍隊だったそうです. 良く言われている事だけどビットマンがノルマンデイーで驚異的スコアを挙げたとされるのは 連合軍の失敗を隠すためもあったそうです. ソ連側からすればスターリンがいなければイタリアやフランスも共産化出来たという「失われた勝利」 旧日本軍、世界で最初の空母機動部隊の実用化、これも「世界の艦船」ではコルチャック提督が世界で最初に 黒海で機動部隊構想らしきものがあったという話ですが例の何でも発明はロシア人の流れで実用化した日本は凄いのでは? もちろん終盤には末期的になってきますが. 謙虚にsageてましたが徹底論争のためageますけどJIM練習とお絵描きで失われた人生を取り戻したい. またもう少し違う資料も使いたいけどもう図書館は閉るのでいつもの文献か記憶であしからず.
458 :
名無し三等兵 :01/08/29 17:49 ID:qCW9N1FE
459 :
名無し三等兵 :01/08/29 17:53 ID:sFq53Jv2
>457 お仕事何しているんです?
460 :
名無し三等兵 :01/08/29 20:45 ID:qCW9N1FE
ソ連の対日参戦は確かに背信的であり怒る日本人も多いけれど、 僕は2000万を越える死者を出しながらも対独戦に勝って東欧支配を 確立したことに関しては素直にその軍事的実力を認めるべきだと思う。 むろん国際法だとか信義だとか国民生活経済だとかは一切抜きにして。
461 :
名無し三等兵 :01/08/29 21:12 ID:qCW9N1FE
ヒトラーが経済再建に成功したから日本も学べちゅうんだったら、 ソ連は五カ年計画で大恐慌を乗り切ったのだからそっちにも学ぶべき。 ドイツに学ぶくらいならソ連に学んだ方がまし。最終的に勝ったのは後者。
462 :
3ch :01/08/29 21:45 ID:hydCOvgk
>458 引用はサーバーに負担をかけるらしい イギリス軍は取りあえず略奪や強姦から無縁?その代わり植民地の人々が人口減? マーケットガーデン作戦は取りあえずベルギー,オランダを解放できた部分もあったので完全な失敗でもないのでは. もちろん大損害を蒙ったポーランド空挺師団などやり場が無いですけど. >459 お仕事はタクシーの運転手,御蔭でマンションで冷房もあるけど空しいよ. 459氏が30未満ならすぐボクシングジムに行こう.まだプロテスト受けれます。 >460 最近「ソヴィエト赤軍興亡史V」などで満州侵攻作戦など評価されてますがビートたけしのフライデー事件で 離婚しようとした奥さんに対し母親が日本に参戦したソ連のようだなどとスポーツ誌が言っていたが 庶民感情としたらそんなものでしょう. age、sage入れるとIDナンバーが変わる?
463 :
3ch :01/08/29 21:54 ID:hydCOvgk
>461 5ヵ年計画はとある高校のバレーチームがやったと言うのを聞きましたが日本はやはり欧米式の倫理観に学ぶべきでしょう. とある音響監督の人の話によると留学していたから自然と挨拶できるそうです. 自分は野球部で無理やり挨拶させられたから今はあまりしないので顰蹙買う事が多い. 中国はやはりMBTなどソ連(ロシア)から学ぶ事が多いでしょう. 金成日氏もロシアで視察したのはT-80の組立工場でした.
464 :
名無し三等兵 :01/08/30 16:41 ID:mYUk2nLE
いくら一時的な軍備拡張に成功しようとも独ソ厨房大国に学ぶ点は無い。 たとえ彼らの軍事技術がどうあれ日本は日本独自の道を歩んで良かった。 旧日本軍が独ソより時代遅れだったというのなら収奪経済がより先進的か。
465 :
名無し三等兵 :01/08/30 16:46 ID:mYUk2nLE
死にたい人を死なせてあげた神風特攻が、アウシュビッツや シベリアの強制労働より非道だったとは断じて言えまい。
466 :
名無し三等兵 :01/08/30 16:57 ID:7UF/vWVo
モチベーションの問題もあるな。 個人レベルでは、ドイツ人は殆ど嫌々闘っていたのに対し、 ソ連の人々はドイツ人に対する憎しみが強かったからね。 ソ連へ亡命した東欧の人々も、カチンの森疑惑など、 ソ連は信用できない野蛮な国だが、背に腹は換えられないというか、 とにかくドイツ憎しで団結していた。 陸戦では部隊の士気も相当影響するからね。
467 :
厨房打通バカAPte4V0gVCnGqCsY :01/08/30 22:46 ID:VCnGqCsY
ソ連軍はジューコフ元帥さえも独軍レーダー「フレイヤ」に気つかず終いか。 いいなあソ連軍は旧日本軍と違ってレーダーで苦労することがなくって。 「レーダーがWW2の勝敗を決めた」ってんならさ、ソ連軍はレーダーを (少数輸入・末期試作はあったにせよ)殆ど知らなかったから勝てたのかも。 「知らぬが仏」ってのはまさに金言だなあ。日本軍だってレーダー なんて全く知らなければあんなに悩まず大東亜戦争に勝てたかもよ。
468 :
厨房打通バカAPte4V0gVCnGqCsY :01/08/30 23:40 ID:VCnGqCsY
渡辺洋二氏だっけ、日本はレーダー技術において米英独から見て何から 何まで徹底的に遅れていたことが敗因だそうだが、それならソ連軍はどう してベルリンを制圧できたんだ。「ジューコフ元帥回想録」(朝日新聞社) では7月にあった空戦で、ソ連軍の先制攻撃が返り討ちにされたのは、 「すでに敵機が地上軍に協力するために飛び立ったあとだった」だそうで、 レーダーのれの字も無い。これはどういうことか誰か説明しておくれ。
469 :
名無し三等兵 :01/08/31 01:28 ID:sowD0zZ2
ドイツ軍のレーダー技術は「ジューコフ元帥すら気がつかない」 くらいに進んでいた、と評価したい。交戦しても無い日本との比較 は無意味で、ならば中国はどうだイタリアはどうだってことになろう。 兵器評価は実戦における敵側の反応をそのまま引用して述べるのが最も確実。
470 :
桐島 :01/08/31 01:32 ID:8tAIv9QA
471 :
名無し三等兵 :01/08/31 01:59 ID:sowD0zZ2
レーダーのれの字も知らないソ連ごときに屈服させられた痛いドイツ軍・・・・
472 :
名無し三等兵 :01/08/31 02:23 ID:LZvweTUo
ソ連は勝つには勝ったけど、犠牲者は独軍の何十倍なのでは? それこそ人海作戦だったのでは? 共産軍は結局それしかない。人海ならレーダーも糞もない、 犠牲を覚悟で数で圧倒するだけだ、 その仕返しに、ベルリンに入るとソ連軍は休暇と称してドイツ人女性 をほとんど総て強姦し尽くしたらしい、一説では50万人の女性が ソ連兵に強姦されたらしい。これが民族絶滅戦争の恐ろしさであり、 成りの果てだ。 結局、英米の捨て駒で、英米は戦いの七割をソ連にやらせ、 自分らは終盤になって三割程度の戦いをノルマンディーから 始めただけ、が実態。戦後の冷戦対立も元はこのあたりにある。
クルスク戦からバグラチオン作戦以降のソ連軍は、人海戦術の一語でくくれるほど、そうバカにしたものでないよ。 もともとグーデリアンの電撃戦理論のモトネタのひとつは、ソ連の縦深攻撃理論だし、 私見では、20年代のゼークトによる軍事交流以来、ソ連とドイツは双子の軍隊。 ハインリーチとかに代表されるドイツの完璧な防衛戦術に、ソ連は、それなりに巧妙な 作戦運営でのぞんだし、兵士個人のスキルも、経験をつんで上昇していた
474 :
クルスク戦におけるフレイア・レーダー :01/08/31 06:21 ID:QzmgdCvQ
一応、レーダーは(八木アンテナのファンに人には悪いが、実用品としては)当時の英独の独占技術だからね。 アメリカでさえ、原爆開発プロジェクトとか、イギリスへの武器援助・食糧援助のみかえりとして、 やっとレーダー技術の供与を、チャーチルからGOサインをもらったのだ。 ・・・って「暗号名イントレピッド」(ハヤカワ文庫NF)で読んだけど、 同じハヤカワの「スパイ伝説」読むと、どうも前掲書は多少、割り引いてよむところもあるなあ
475 :
名無し三等兵 :01/08/31 10:04 ID:sowD0zZ2
>レーダーは当時の英独の独占技術だからね。 ドイツ軍のレーダー技術は「ジューコフ元帥すら気がつかない」 くらいの独占技術だったのにね、それでも屈服させられた痛いドイツ。
476 :
名無し偵察兵 :01/08/31 10:09 ID:QybRlXTM
本土決戦もせずに降伏した日本にドイツ痛いだのと馬鹿にできる資格なんてあるものだろうか・・・ な〜んてボソッとつぶやいてみたり・・・
477 :
名無し三等兵 :01/08/31 10:17 ID:sowD0zZ2
日本は本土決戦やれば良かったってか、まあそれも主観の問題やな。 バルバロッサ作戦はドイツの全面的対ソ奇襲・全身全霊の攻撃だった。 にもかかわらず最終的にソ連に屈服したのはドイツの「世界最先端軍事技術」 なるものが実はそれだけ中途半端なシロモノだったからという他は無い。 アメリカのような完全な先進国ならベルリン封鎖でもキューバ 危機でもソ連ごとき簡単に押さえ込めたもんだ。
478 :
名無し三等兵 :01/08/31 10:21 ID:sowD0zZ2
>共産軍は結局それしかない。人海ならレーダーも糞もない、 >犠牲を覚悟で数で圧倒するだけだ、 人海戦術こそ最高のレーダー戦、否「人海戦術、レーダーを制す」か。
479 :
名無し三等兵 :01/08/31 10:34 ID:sowD0zZ2
「米英は大西洋憲章で欧州解放最優先だった」とも言われるけど、 これも現実とは違うなあ。欧州解放最優先なら第一次大戦のように 東欧諸国が独立できて然るべきなのに、東ドイツも含めてみ〜んな ソ連のカイライ政権だもんね。結局決め手は「ヤルタ協定」だったんだ。
480 :
3ch :01/08/31 12:07 ID:axZaN.NE
月一の会社の会議 レーダーに関してはスターリングラードでドイツ軍はピトムニク飛行場から誘導電波を 出して輸送機を飛ばしていたのですがソ連側はそれに沿った対空砲火のベルト地帯を作 り上げたそうです。ユーゴ空爆でステルス機が撃墜されたように地上支援が多いとレー ダー以外の部分がかかわってくるのでしょう. 近所の図書館で「大崩壊,ゲッベルス最後の日記」講談社を借りる. 最後までフリードリッヒ大王の奇跡,連合軍の仲間割れを信じ、ゲーリングを激しく非難 東部戦線のソ連軍の残虐行為非難とそれに対するドイツ軍の脱走を防ぐ非常処置の賞賛 意外なソ連軍幹部の賞賛と国防軍首脳部への非難. ”われわれの将軍達は年寄りすぎて疲れ果て,国家社会主義思想にも,その運動にも まったく無関心である.将軍の大部分は,国家社会主義の勝利さえ望んでいない. 一方,ソ連の将軍達は,共産主義を熱烈に信奉しているばかりではなく,同様にソ連の勝 利のために熱狂的に戦っている.” だそうだ。特攻も約300名の95%が志願したがゲーリングが保留した事を空軍組織の腐 敗と混乱とゲッペルスは非難している. 2chの最後?をゲッペルスのように見届けましょう.
481 :
名無し三等兵 :01/08/31 14:33 ID:xcSel9ck
神風特攻隊の出撃はアウシュビッツよりも非道かつ愚劣であり、 このような旧日本軍は全軍総特攻でこの地上から消滅すべきであった。
482 :
名無し三等兵 :01/08/31 15:00 ID:xcSel9ck
特攻は国際法でも禁じられておらず、ろくでなし日本軍が 自滅しただけなのだから「ざまあみろ」の一言で片付きます。
483 :
名無し三等兵 :01/08/31 15:02 ID:lyU27Ep2
ドイツ人はポレシェ沼沢地の地理がわからず、補給ルートが固定されていて ソ連軍が捕捉しやすかったみたいだね。 逆にIS-2のような重戦車でも、ソ連軍は自由自在に沼沢地を通過し、ドイツ軍の 弱点を突くことができた。
484 :
名無し偵察兵 :01/08/31 15:04 ID:OxnzO5us
日本も人海戦術多用すればもうちっと成果あげられる・・・わけねーよなあ、普通に・・・
485 :
名無し三等兵 :01/08/31 15:05 ID:dlhG8aac
ソ連軍人は一人たりともドイツ女性を強姦していません。 それはすべて和姦です。ドイツ女性が進んで対ソ協力したのです。
486 :
名無し偵察兵 :01/08/31 15:08 ID:OxnzO5us
実は戦後のドイツの人口を回復させたのがレイプがあったからだったりして・・・ でも史実をみれば侵略後の人口回復は侵略した兵士たちがいたからだとする例もあるような・・・ あくまでヒューマニズムには反するけどさあ・・・
既にベルリンや旧東ドイツ住民の何%かはロシア人の遺伝子が入り込んでいます...
488 :
名無し三等兵 :01/08/31 18:57 ID:d9vxQjVI
赤軍はドイツ民衆の友です。集団レイプなんて反ソ悪宣伝にすぎません。 あれはドイツ女性の赤軍兵士に対する自発的献身的奉仕運動だったのです。
489 :
名無し三等兵 :01/08/31 19:28 ID:GNUahZBg
スターリンは対戦初期に、 「彼らは本当の絶滅戦争を欲している、民族絶滅戦争を、それならそれでいい」 と言ったそうだ。 ドイツ軍は初期において大量絶滅虐殺兵器をソ連軍に対して使い放題に使って いたらしい。 また、この戦争の特徴は13世紀のモンゴル軍の再来の色彩があるようだ、 西欧社会から見ればスターリンはグルジャの顔を持つチンギスハーンだつた ようだ。 独ソ戦開始前にスペインのフランコはチャーチルに、「ナチスドイツは悪魔 ソ連からの西欧社会を守るための防護壁だ」と語ったそうだ。 この本質は戦後の冷戦を観れば理解できる。 ベルリン陥落時には河川にはドイツ女性の自殺死体が溢れたそうだ。 ソ連兵は数が数えられないような無教育者ばかりで、水洗トイレで顔を洗う 者がいたそうだ。
490 :
名無し三等兵 :01/08/31 19:33 ID:CzIzpDTc
>>489 >ドイツ軍は初期において大量絶滅虐殺兵器をソ連軍に対して使い放題に使って
>いたらしい。
絶対無敵最終敵完全撃破装置というと具体的には?
うーん。うーん。神経ガスかなにかですか?
ソレくらいしか思いつかぬ。
491 :
名無し三等兵 :01/08/31 19:37 ID:GNUahZBg
20世紀共産主義の災いと13世紀モンゴル軍の災い、 この二つは恐ろしいほどエリアがピッタリと一致するそうだ。 13世紀にはタタールの頚木で有名なようにロシアはモンゴル軍 に蹂躙された。ドイツ・ポーランド連合軍がポーランド手前で モンゴル軍をやっとくい止めた。ロシア国土からモンゴル軍を駆逐 するのには約200年掛かっている。 このときにロシア人の遺伝子に食込んだモンゴル人の遺伝子が、 20世紀共産主義となって西欧ドイツを襲ったのだろう。ドイツで くい止めたのだ。東では韓国がくい止めた。
それはともかく昔、上記の本のドイツ訪問場面読んで、 「彼ら西ドイツ人の共産主義嫌いは相当なものである。ベルリン陥落時のことを 女性に尋ねるのはタブーとされている。理屈でなく生理的嫌悪感なのだ」 という記述を読んだとき、 「なんでタブーなのかな?」 と思ったものです。 まだ精通も無く、赤ん坊というものは風か気温の関係で女性から自然にうまれる 単性生殖を信じていた無邪気な子供時代の話です。 例の「犯せ犯せ。ドイツ女性から民族の誇りを奪い取れ」とかいう乱暴な文章は エレンブルグですね。 戦後、スターリンのユダヤ人迫害のとき、大分、このことでユダヤ系のエレンブルグは 叩かれたようです
493 :
名無し三等兵 :01/08/31 19:38 ID:CzIzpDTc
>>491 い、遺伝子は、そんなことしませんがな(笑)
言いたいことの雰囲気はわかりますが
494 :
名無し三等兵 :01/08/31 19:50 ID:GNUahZBg
ドイツがそれだけのことをロシア領でもやったのだから仕方が無いのかもね? でも例えれば、当時の最も進んだ先進国の一つであるドイツの首都の上流階級 の婦女が、乞食同然の下等人種とやらに根こそぎ犯されるのは、酷い話だな、 白人なのだから、いつか仕返しが起こるのでは?
495 :
名無し三等兵 :01/08/31 19:55 ID:GNUahZBg
海軍のデーニツッ元帥は、赤軍が東部ドイツに入ったときの事態を 「恐るべき事態」と表現していたようです。 この時点で米英との講和を探ってもいたようなのですが、 ヒムラーは英軍人に化けて脱出を図ったが失敗して英軍に捕らえられ 、確か毒を飲んだのでは?
496 :
名無し三等兵 :01/08/31 20:09 ID:3QK9EUpo
>494 ベルリン陥落まで、ドイツにいた日本人留学生の書いた本読んだことあるけど(確か ベルリン戦争。出版社忘れた。すまん。)、相当ひどかったらしい。10歳の子どもから 70歳過ぎの婆さんまで片っ端からやられたらしい。 道のど真ん中で犯されまくったり、発狂した女性とか、中絶医も大忙し。 彼は、ソ連軍の将校に抗議したけど、「俺の女房はドイツの兵隊に強姦されて、自殺した から、仕返しをしているだけ」「ドイツ兵がやったことと同じことして何が悪い」とどなり つけられてしまったという。どこも似たようなものかな。 そう言えばドイツ人は、従軍慰安婦問題で、「日本は償う必要はない。ソ連だって酷い ことをしたんだから」って言ってた。 旧東ドイツで、ネオナチが活発なのも嫌共産主義の反動もあるんじゃないか。
497 :
罪と罰 :01/08/31 20:18 ID:CzIzpDTc
ヒムラーは何か講和特使になれると、甘い夢をいだいていたような・・・? ナチ党の戦犯容疑者は、おおかれ少なかれ、自身の<悪=罪>を自覚して、 その<罰>をおそれて自決するなり南米逃亡をはかりましたね。 祖国のソレを語るのは好みではないのですが、阿南陸相とか東条さんの 自決未遂とか、あるいは近衛公の自決は、むしろ<罪状認定の拒否> というドイツの一歩手前だと思います。 (あ。むろん我輩は、大東亜戦争が正義か否かなんて興味ありません。 あくまで敗戦国指導者のメンタルを語ったので) ニュールンベルクで最後まで戦ったゲーリングは、それにしてもその 精神力の凄さに敬服してしまいます。 やっぱ肉食人種だなあ。 私見ですが、ゲーリングの最後の裁判闘争中、 33年の国会放火裁判で、裁判の偽善性を最後まで嘲笑した 被告ディミトロフの敢闘精神が脳裏を横切ったと思います。 ディミトロフは当時、プロイセン宰相だった証人ゲーリングを 嘲笑し激怒させたんだよなあ・・・
498 :
名無し三等兵 :01/08/31 20:24 ID:GNUahZBg
結局、ユーラシア大陸内陸部とは土地が悪く、寒くて痩せていて 生産農耕に適さない。だからモンゴル軍のように他に侵略・収奪 に出向いたり、共産主義のように平等分配の方便などが出てくる のでは? そんな土地に攻め入るなんて、ヒトラーもナポレオンも馬鹿だね、 放っておけば奴らの方から、より良い条件で雇って下さい、収奪 して下さい、とおのづと来るはずだね。今みたいに。 だつて土地が元来悪くて人の住むようなとこじゃないんだから、
>ソ連軍の将校に抗議したけど、「ドイツ兵がやったことと同じことして何が悪い」 これってよく聞くけど、実際の状況としてドイツ兵がロシア女性陵辱は問題になる位、 多かったのかだろうか?(ドイツ軍自体は、売春宿を積極的に設営したと聞くが) 単なるいい伝えを、多くのロシア兵士たちが好き勝手に強姦やり放題するための免罪符 として、利用していたような気がしないでもないが...
500 :
名無し三等兵 :01/08/31 21:18 ID:CzIzpDTc
>単なるいい伝えを、多くのロシア兵士たちが好き勝手に強姦やり放題するための免罪符 >として、利用していたような気がしないでもないが... うん。慰安婦問題については、たしかに仰る通りでしょうね。 コーネリアス・ライアンのベルリン陥落の本読んでいるのですが、ベルリン到着第一陣の 赤軍は、プロパガンダもあって物凄く礼儀正しかったようですが、 第2陣はやはり農民ロシアというか、・・・・西欧のレベルではゴロツキですが、 ロシアにおいては<近所のやんちゃ坊主>クラスが多かったようです ただ、約4年にわたってヨーロッパ・ロシアを支配したドイツ軍・警察・行政機関がおこなった 民族蔑視にもとづく(フランス占領に比べるとあまりに)過酷な扱いは、 憤激したパルチザンを生み、そのテロは、さらなる報復を生み、ときにはNKVD自体の 自国民の犠牲もいとわぬ謀略と重なって、もはや解きほぐしようの無い<憎悪>へと 発展した ・・・ということを考慮しても良いでしょう
501 :
3ch :01/08/31 21:34 ID:UvXqKRSc
もうすぐ500、ここまで続くとは思わなかったがなぜか強姦ネタで盛り上がってますね ソ連兵の強姦はサザエさん(漫画版)にも出てきます.それを防ぐために丸刈りにして いる女性を男性と間違えたと言うギャグが. ヒムラーは東プロイセンでの指揮が良くなかったようです. もちろん軍事の専門化で無かったわけですがソ連軍の政治委員クリークやメフリスと 言った人々が緒戦の敗北の責任を問われているのと同じですが終盤ではソ連軍ではそ ういう人々は退けられ逆にドイツ軍では国防軍の将軍は信頼を失いナチ関係者が指揮 を執る場面が出てきます. ディミトロフは咆哮するライオンと呼ばれていましたがブルガリアの首相としてソ連 の監視下で別人のような人生を送ったそうです. 日本の復興と経済発展はやはり地上戦に巻き込まれなかったのが大きいのでは? もちろん両親の世代は自分たちが一生懸命働いたからという事ですが. 特攻も純軍事面では?ですがアメリカの占領政策を考え直させる覚悟が覗えたのでは? 何にしても地方税は高いよ.今日までだったけど寝てて忘れたので月曜納めないと…
502 :
名無し三等兵 :01/08/31 21:59 ID:cxqthJsI
>>501 2chいまだ危機にある最中、500に到達しましたね。素晴らしい。
で強姦ネタですが、素行不良のソ連軍第二陣の兵士たち、出身地はどこだったのでしょうか。
ソ連の西側であればドイツの蛮行に憤激するのも当然、しかし東側であれば?ですね。
ユーゴでも相当問題があったようですが、スターリンは一言「気が立っている兵士たちの気持ちが
わからんのか(大目に見てやれ)」。
乱暴狼藉の背景には、苛酷な戦闘と軍隊生活もあるのでしょう。
ヒムラーはボルマンに嵌められた説あり。
第三帝国黄昏の最中、権力闘争は相変わらずなのであった。
503 :
名無し三等兵 :01/08/31 22:35 ID:sowD0zZ2
504 :
名無し三等兵 :01/08/31 22:54 ID:IOovyG4s
ドイツの軍隊では、強姦は被害者が申告すれば罰するという形、つまり事実上 黙認状態だった。また国防軍(ナチス親衛隊でなく)も、占領地の強制売春 に関与していたらしい。 オ−ストラリアの退役軍人が、豪兵の強姦について「日本で女を犯す必要なん てなかった。チョコレ−トかくつ下を見せれば女は、従った」と、発言したが、 女性が抵抗しなかったからと言って、同意したとは限らない。前述の日本人留 学生の本では、女性は殆ど無抵抗だったようだ。 同意か強姦か。貧困のため寝たのか。今となっては実数は永遠にわからないだ ろうな。 状態だったそうだ。
505 :
名無し三等兵 :01/08/31 23:09 ID:sowD0zZ2
>>386 マンシュタインの戦争犯罪についてはP・カレルも「焦土作戦 下」
で述べているが、焦土戦はスターリン布告でもあるのだと。
この人ノルテ史観ね。やったのは独ソお互いさまだそうで。
506 :
3ch :01/08/31 23:17 ID:zuBExkTE
31日はもうすぐ終わりなんですが果たして2chあるいは軍事板閉鎖なのでしょうか? ソ連側の資料では特に中央アジアの兵隊は規律が良くなかったと言う記述 がありますがヨーロッパ部の人々は復讐に燃えていたので変わらない気が しますが。 ユーゴの内戦で女性や子供達だけの部屋のドアがあけられ中は…と言う嫌 な映像がちらりと出ましたが。 ヒムラーの場合鉄十字章を渡す代りに戦車をまわしてもらうと言う話があ り何らかの軍事的功績をあげてみたいと言う本人の希望もあったような. パリが解放された時ドイツ兵と関係のあった女性が報復で丸刈りにされて 引き回されると言う映像がありました. あの大山倍達氏は強姦していたMPを倒して宗教関係者に匿われたというのは本当なんですか?
507 :
名無し三等兵 :01/08/31 23:43 ID:sowD0zZ2
>彼ら西ドイツ人の共産主義嫌いは相当なものである 戦後マンシュタインの「失われた勝利」なんてのが大売れしたもんだ。 でも東部戦線についてソ連軍の悪口を言えば言うほど却ってドイツが痛い。 ドイツは戦術でも科学技術でも勝ってた、ソ連なぞ貧乏国でアメリカの支援 でようやく勝てたに過ぎんというならなおさらそんなに酷い状態にあった サムイソ連に屈服・本土分割させられたドイツは更に痛いことになるな。 それと万が一にでも再びアメリカがソ連の肩を持つようになったら怖い。 また戦後のソ連の原爆や宇宙産業が旧独軍からの盗用だというのなら、 ドイツこそ東部戦線でどれほどの収奪をやってきたかってことになる。
508 :
名無し三等兵 :01/09/01 10:36 ID:XNbvN8A.
以前テレビで見たけど、ドイツ兵捕虜の大列をソ連兵が銃を持って取り囲みながら モスクワかどっかの都市部の街中を歩かせているシーン、 まあ、市中引き回しの晒し刑ってとこか、凄かったね、 老婆が罵詈雑言を浴びせて石を投げたりして、寄って集って、 「おまえらが攻めてきたおかげでワシの息子は戦死したんだ」とでも言っている のだろうね。 捕虜のドイツ兵は皆、絶望的な顔をしていた、 恐らく全員シベリアにでも送られたのだろうね、 ジュネーブ協定だつて、ドイツ軍自体が緒戦で酷いことをしていたのだから、 主張できなかったのだろうね、 例えば、共産主義者、ユダヤ人、ジプシー等は即刻で皆死刑だつたらしい。
509 :
名無し三等兵 :01/09/01 11:39 ID:QjFP7ziQ
>今まではドイツ軍の超人的な活躍が強調されていたけど ソ連崩壊までの西ドイツ発の猛烈な反ソ感情が原因だろう。
510 :
名無し三等兵 :01/09/01 12:25 ID:rpGDk1DE
最近知ったんだけど、ユダヤ人に対してナチスは、それほど過激ではなく、最初は 嫌がらせ程度、外国へ移住させるのが方針だったらしい。アフリカへ移住する計画 も立てられている。 日本も、満州にユダヤ人移住を計画していたから、ドイツに頼めば協力したんじゃないか。
511 :
名無し三等兵 :01/09/01 12:37 ID:QjFP7ziQ
過激化したのは東部戦線だろう。絶命収容所の多くは東欧にあったから。 マンシュタインの言う「ユダヤ的ボルシェビイズムの根絶」なのだ。
512 :
3ch :01/09/01 12:48 ID:9z/4cGgE
今日は仕事が休みでマターリしてる. ドイツ人で乗ってもらったお客さんは共産主義は良いが人間がよくなって ないから実現しなかったといっておられました. ソ連の原爆はアメリカからスパイしたものがかなり参考にされたらしい. 有名な原爆スパイとして冤罪といわれていたローゼンバーク夫妻は最近の フルシチョフ秘密報告の全公開でスターリン大元帥が夫妻に対して感謝の 意を述べていたということは有罪だったのでしょう. 引きまわされたドイツ軍捕虜は恐らく1944の中央軍集団の崩壊で捕ら えられた人々でしょう.それまでは曲がりなりにも引きまわされるほど大 量の捕虜がいっぺんに掴る事はなかったから. ハバロフスクの近くにユダヤ人の自治共和国があるそうですがスターリン も死ぬ直前までカザフスタンかシベリアに追放する用意をしていたらしい. ただこの場合2,3割の人々(お年寄りや子供が中心)が死んでしまうそうですが…
513 :
名無し三等兵 :01/09/01 15:17 ID:oxloC7xM
まだ2chは沈没してませんな。妙な情報もチラホラ出てますが、ジ・エンドになるまで マターリといきますか。 西ドイツの反共意識には様々な原因がありますが、一番大きいのは戦争終結前後の 東部地域での悲劇があるでしょう。与えた傷と受けた傷を相対化するには、長い年月 を要したようです。 二番目の要因は、旧東ドイツの成立でしょうね。 戦前のドイツではナチスと並んで共産党が一大勢力を築いていましたが、東ドイツで 他の政党を圧迫し一党独裁政権を成立させてしまったことに失望した人は多かったよ うです。 旧西ドイツの社会民主党は、西ドイツ共産党との連携を徹底して拒むことになり、 共産党自体も民主主義の敵として結党を禁止されてしまいます。 統一後は、旧東ドイツの政権政党の後継党(PSD)が政界に参入しましたが。 モスクワ市中引き回しの刑は、国民と軍の士気を高めるためにスターリンが発想し、 ベリヤが実行したものです。1944年7月17日に行われました。 行進させられたのは、同年6月の「バグラチオン作戦で捕えられた中央軍集団のドイツ兵 55,000名。 最終的な行き先はソ連国内の収容所(鉱山・工場等)で、最後の捕虜が解放されたのは 1956年です。 ナチスが「最終的解決」に至るまでの無定見と、虐殺を開始してからの右往左往ぶりは ハインツ・ヘーネの「SSの歴史」が詳しいです。 ユダヤ人移住計画からガス室に傾斜するSS幹部や、虐殺命令を無視し知らぬ顔の半兵衛 を決め込む幹部、ヒムラーに徹底抗戦するSS幹部まで様々な人物が登場します。
514 :
名無し三等兵 :01/09/01 20:40 ID:QjFP7ziQ
「バルジ大作戦 下」(ジョン・トーランド ハヤカワ文庫)P225 すべてが終ったのは、午前一〇時半だった。奇襲の効果は完璧で、 ブリュッセルからエイドホーフェンにいたる間の二七ヵ所の連合軍の基地 は廃墟と化し、三〇〇機が破壊されてしまった。<大打撃>作戦は見事に 成功したのだが、しかしドイツ軍にとっては自殺的であった― 五九名の 教官クラスを含む三〇〇名の戦闘機パイロットを、ドイツ軍はこの作戦で 失ってしまった。ドイツ空軍は、壊滅してしまったのである。
516 :
名無し三等兵 :01/09/01 21:25 ID:Ycl2EX5.
>515 鯖容量ふやして申し訳無いが、『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフ ですから結構、このスレの住人的に満足できる内容でしょう。 それにしても『ブリキの太鼓』は「ナチズムは楽しかった。幸せだった」という普通の人の (ダンチッヒはまあ普通じゃないのだが)日常が覗けて、じつにもって面白いです。 原作第3部の戦後篇は、まあ48年だか49年グルッペンという左翼作家集団に所属していた ギュンター・グラスだけあって、ある意味、「ドイツ第2の罪」(外部からの告発)に負けず劣らずの 内部からの告発による<ドイツの救いようのない罪>というテーマにいどんでおります。
517 :
名無し三等兵 :01/09/01 21:34 ID:Ycl2EX5.
>514 ボーデンプラッテ作戦ですな。ドイツ最後の全航空兵力を消耗した。 バルジ大作戦の 普通ならルントシュテット原案の戦力逐次投入ですますところ、 残存戦力すべて投入の徹底ぶりをみるたび、 じつにヒトラーの<勝利か死か>という二者択一の発想には頭が下がります。 これって、たとえば 「モスクワ攻撃中止が決定した日に、(東方生活生存圏の確立の失敗と敗北を予感し)ユダヤ人の絶滅を決意した」 とか 「東方の蛮族に敗北するくらいならドイツは廃墟と成らなければならないのだ」 とかいう最近の研究諸説に通底する、ヒトラーの自己の生命を度外視した 強烈な妄想大系と軌を同じにしていると思います
518 :
名無し三等兵 :01/09/01 23:20 ID:LITNCM02
そもそもナチズムの台頭理由は、ワイマール後の異常な経済インフレで、 ドイツ人の政治・経済感覚が狂ったことが原因らしい、 昨日札束一枚で買えたパンが今日は札束トランク一杯分に値上がりした、 とか、超異常なインフレが起こったのだね、 そしてその原因はユダヤ人にあったようなのだね、 アウシビツッではナチの研究医が生態実験用の人間の頭を日干しにして ミニチュアにして自分の机の上に飾っていたらしい、 そのくらいユダヤ人が憎たらしかったようだ、 ドイツ人が東方と呼ぶポーランド以東は、13世紀にモンゴル軍が来た 最西点でもあり、蛮族の地域だから、ドイツ軍も西部戦線とは違って、 旅の恥じは掻き捨て、的な戦争をしたのでは? 洋画コンバットでは捕虜のドイツ将校が米軍のヘンリー少佐に、 「捕虜に食事を与えるのは19○○年のジュネーブ協定で保証されている」 とか、いろんな主張をしていますが、東部戦線では、この種のことは無かった のでは? だって相手が蛮族なのだから、
519 :
名無し三等兵 :01/09/02 00:16 ID:IudjFSAE
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P355 東部戦線についての参謀本部の一二月初めの呑気さを戦後の回想録が 黙っているのはわかる。しかし捕虜になったブルクハルト・ミュラー =ヒルレブラント少将が一九四五年八月同僚の将官に、グデーリアン が東部軍の参謀長を一二月五日ツォッセンの陸軍総司令部に召集した 時のことを語っているのを聞かされた。「まずはちきれんばかりの 食物の物凄いご馳走、ついで酒宴、グデーリアンは午前二時まで残り、 その頃にはみんな大うかれになっていた。私はむかむかした」。 毎晩、陸軍総司令部は王侯のように酔っていた、と彼はいった。
520 :
名無し三等兵 :01/09/02 00:30 ID:IudjFSAE
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P355 ドイツ大蔵大臣文書が明らかにしているところだと、国防軍の費用は 一九三九年九月一日から一九四四年一一月三〇日までで総計三九八四億 六〇〇〇万ライヒスマルクで、さらに一九九七億ライヒスマルクが民間部門 に消費された。これに対しドイツは二八八五億五〇〇〇万ライヒスマルク しか直接間接の課税と占領賦課によって調達されていなかった。
521 :
名無し三等兵 :01/09/02 08:20 ID:4j9dj/EE
D・アーヴィングの本は、彼が戦後ナチ党関係者に私的にインタヴューしたものが
ソース元であり、いわゆる伝聞証拠が多くて、多少、眉唾も多いけど、やっぱ読んでて
面白いよね。
彼が、「ヒトラーはホロコーストを命令してなかった!」「だから修正史観者だ!」
と批難されたようだけど、読むと
>>513 氏が指摘してるように
>ナチスが「最終的解決」に至るまでの無定見と、虐殺を開始してからの右往左往ぶりは
>ハインツ・ヘーネの「SSの歴史」が詳しいです。
>ユダヤ人移住計画からガス室に傾斜するSS幹部や、虐殺命令を無視し知らぬ顔の半兵衛
>を決め込む幹部、ヒムラーに徹底抗戦するSS幹部まで様々な人物が登場します。
・・・あるいは、ヘフナーやゲッツ・アリー「最終的解決機能説」と同様で、
「ヒトラーは文書にして殺戮を命令しなかっただけで、いわゆる現場レベルで無定見に
絶滅ははじまり、ヴァンゼー会議はその最終調整にすぎない」
部分、きちんと著述してますね
522 :
名無し三等兵 :01/09/02 09:32 ID:IudjFSAE
必ずしもユダヤ人が殺されたのはガス室である必要も無ければ、またその命令者 がヒトラーである必要も無いです。東方戦争で「ユダヤ的ボルシェビイズム根絶」 を絶叫していたのはマンシュタインら将軍達もそうだったのだから。 ヒトラーがいささかでも思いとどまったことがあったとすれば それはただ米英との宥和のためだろう、外交戦略の一環として。
523 :
名無し三等兵 :01/09/02 09:36 ID:4j9dj/EE
うーん。マンシュタインのあれ、みんなジョルダーノ一冊で結論を急ぎ過ぎのような・・・。
524 :
名無し三等兵 :01/09/02 11:38 ID:IudjFSAE
http://www.thirdworldtraveler.com/Fascism/Slaughter_B_CS.html The Nazis deliberately used famine as a political weapon in the East,
and it soon became the largest single killer. As the German invasion
of the USSR began, General (later Field Marshal) Erich von Manstein
ordered that "the Jewish-Bolshevist system must be exterminated....
In hostile cities, a large part of the population will have to starve."
Nothing, Manstein continued, "may, out of a sense of mistaken humaneness,
be distributed to prisoners or to the population-unless they are in the
service of the German Wehrmacht."*
http://www.excite.co.jp/world/text/
昨晩のドイツDF陣はまるで中央軍集団壊滅のような崩壊ぶりだった... プレーオフの白ロシアかウクライナ相手からバグラチオン作戦やチェルカッシィ包囲網が 達成されないことを望む...
526 :
ムカデは足を切ると耳が聞こえなくなる :01/09/02 14:45 ID:4j9dj/EE
ところで、ユダヤ的ボルシェビズムの根絶を誰が最初に言い出したのか、可笑しいような・・・? やっぱマンシュタイン? ソ連侵攻を決定したのもマンシュタイン?
527 :
名無し三等兵 :01/09/02 17:41 ID:IudjFSAE
>”われわれの将軍達は年寄りすぎて疲れ果て,国家社会主義思想にも, >その運動にもまったく無関心である.将軍の大部分は,国家社会主義の >勝利さえ望んでいない.一方,ソ連の将軍達は,共産主義を熱烈に信奉して >いるばかりではなく,同様にソ連の勝利のために熱狂的に戦っている.” ヒトラーは一部で言われているような狂人でも間抜けでも無かったと思う。 仮にもドイツ国防軍最高司令官なのだから。ヒトラー指導の誤りはそのまま ドイツ国防軍全体の誤りだろう。戦術・戦略・軍事技術・国家組織において ドイツにも優れた面はあったにせよ、最終的にソ連に屈服させられたということ は質・量総合的にみてソ連の方がドイツに勝っていたからだと言う他は無い。
>527 確かに…。 政治的にはソ連が大分優れていたね。うまく立ち回って米英を味方につけて しまったし、それに国内の引き締め態勢も優っていた。 なにしろヒトラーを暗殺しようとした人はいてもスターリンを暗殺しようとした 人はあまりいなかったというか、すでにほとんど粛清されていた。
529 :
名無し三等兵 :01/09/02 19:53 ID:IudjFSAE
独ソ不可侵条約は西側から拭い難いソ連不信を招いたが、スターリンはこれを 逆手に取って米英からの譲歩を引き出したようだ。独ソが和解してしまったら それこそ悪夢の再来で、米英の立場は無くなってしまう。また赤軍大粛清は有能な 指揮官を多く失わしめた一方、スターリン支配の体制はいっそう強化されたよう。 このへんの事情は「ソヴィエト赤軍興亡史T・U・V」(学研)にも載ってる。
530 :
名無し三等兵 :01/09/02 22:14 ID:IudjFSAE
「ヒトラーの戦争 上」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P235、236 いまやヒトラーはペタン元帥を説得して、イギリスに対し組織している “大陸ブロック”にフランスを参加させる方をずっと重視した。スペインの 領土要求はいまや無視しても構わなかった。・・・・中略・・・・・・ 彼はペタンが政府から反対されるとは思ったが、やり遂げようと手をつけた すべてがモントワール会談で達成されたと信じた。このことは彼が三軍に 出した新たな指令の第一節に反映している― 今後イギリスと闘うのに可能な最も効果的な仕方でフランスと協力するのが、 私のこの国に対する政策の目的である。ここ当分の間は、ドイツの戦闘司令部 がフランスの領土で、必要な場合自らの防衛兵力を動かしてこれらの措置を 支援することを課せられた“非交戦国”の役割がフランスに与えられるよう。 フランスの最も緊急な任務は、西および赤道アフリカの植民地をイギリスと ドゴールの運動から―防衛的および攻撃的手段で―守ることである。 この任務から対イギリス戦争への全面的参加が生まれる。
531 :
名無し三等兵 :01/09/02 22:27 ID:gLW.ArKc
戦後の米英アングロサクソンの軍事体制と、ナチスの軍事体制とは さほど変わるものではないのでは? 一時的にスターリンの政治罠に嵌められた感がある。 ナチスがもし、ユダヤ排害を全面に出していなければ、ドイツと米英 とは悪魔ソ連憎し、で団結していたのでは? 日露戦争ではロシアが栗を焼いていて、おまえあの栗を拾ったら俺が 褒美に本格的に帝国主義仕込んでやる、と少年兵の日本の尻を叩く、 大金持ち老年の英国人がいる。その隣で新興成金中年の米国が後ろ腕 を組んで見ている。第二次大戦では栗を焼いたのはドイツだ、そして 拾わされたのがソ連、ドイツが公に栗を焼いたりしなければ、ソ連が 栗を焼くことになった、
532 :
3ch :01/09/03 10:11 ID:OGWLHLMA
一瞬軍事版も閉鎖かと思ったら違いましたね. 歌舞伎町の火事ですが何事もなかったかのように横を走ってました. アイヒマンの”平時で一人の死は悲劇だが戦死の何百万人の死は統計だ”ということでしょう. ゲッペルス宣伝相は”総統の直感的ひらめきは専門家達の知ったかぶりに封じこめれてしまった. ドイツが敗北する原因の大部分がこの点にある.”とまで言ってますがフランス戦にしても セダンからの突破を考えたのはマンシュタイン上級大将(当時)だったのでは. もちろん採用したのはヒトラー総統ですが. 国防軍は最後までナチに対し成り上がりに対する反感のようなものが在った様ですが 再軍備で公に国防軍を認めヒンデンブルク大統領から正式に権力を委諾された訳だから この正当性を覆すのは難しいのでは?ルントシュテット元帥もヒトラー暗殺計画の打倒 に大活躍したとゲッペルスも賞賛しています. 80年代生協関係だったの人の話だと従属理論で次の大戦では遅れた先進国であるソ連が今度は ドイツの役割を果たし今度は中国がソ連の立場で勝利するという話ですが状況は変わった.
533 :
名無し三等兵 :01/09/03 10:59 ID:sS7PFB2Q
「ドイツ先進国・ドイツ軍最強」神話は東部前線が長引くにしたがって崩れて いったと思う。ご自慢の軍事技術にしてもロシア人の及ばぬものでは無かった。
ルントシュテット元帥は、モンゴメリーからロンメルより手強いと言わしめ、 接見したリデルハート卿もその威厳や行儀のよさから尊敬を受け、 自伝で自分の正当性に終始したマンシュタインよりは、伝記を執筆せずに 隠遁したルントシュテットにもっと高評価を与えるべきでなかったかと思えます。 (ただ政治的には他の軍人同様全く無関心で、(高齢も合わせて)そこら辺は 保守的な典型プロシア職業軍人の範疇からは超えられなかった感じでしょうか)
535 :
徹底無視厨房打痛バカ :01/09/03 16:26 ID:xE601D0.
>ご自慢の軍事技術にしてもロシア人の及ばぬものでは無かった ソ連軍は独軍レーダー「フレイヤ」の存在すら気が付かなかった。 それでもベルリンまで進撃できた、「知らぬが仏」こそ最強だな。
536 :
名無し三等兵 :01/09/03 20:52 ID:fGaRDwAc
フランスは
>>530 にある通り、ドイツとの結びつきは非常に強かったと思う。
イタリアは1943年に降伏したが、フランスは翌年夏にようやくパリ解放だから。
だいたい一ヶ月ばかしでドイツに屈服なんて、最初からやる気が無かった
としか思えん。でなければフランス軍は何がそんなにドイツ軍に劣ったのか。
537 :
名無し三等兵 :01/09/04 00:40 ID:UfWraOVk
>自伝で自分の正当性に終始したマンシュタインよりは、伝記を執筆せずに >隠遁したルントシュテットにもっと高評価を与えるべきでなかったかと思えます。 僕も同感だけど、冷戦時代の西ドイツではマンシュタインの人気が 圧倒的に高かったろう。東部戦線での「失われた勝利」という彼の 主張は多くのドイツ人にとってまさに我が意を得たりではなかったか。
>>537 >東部戦線での「失われた勝利」という彼の
>主張は多くのドイツ人にとってまさに我が意を得たりではなかったか。
つまり負けたという事実を冷静に直視するよりは、
(ヒトラーの無茶な命令が無ければ勝てたというような)軍事的な敗北を
全てヒトラーのせいにし、スラブ人に対する昔からの優越感を維持できて
ドイツ人のプライドを保つ内容の方が、受けがいいというワケか...
539 :
名無し三等兵 :01/09/04 01:24 ID:VVXKpHGM
70年代後半は鬼気迫る状態だったね、西ドイツは、 東西冷戦で、いつ東側が攻めてきてもおかしくないほど緊張していた、 あの頃の西ドイツ人のロスケ嫌いは凄まじかったね、 アウシュビッッと言う言葉をドイツ人にぶつけてみたら、 「俺はそんな地名聞いたことも無い」 との返事だつた。完全なトボケでだ、 ロスケのことは、買い物ができない bad country と言っていた、日本のライスの味は最高だ、とも言っていた、
540 :
ベンゼン中尉 :01/09/04 01:32 ID:i5jnfpbQ
>>536 ドイツの勝利こそが、ヒトラーの威信を高める結果になったのは言うまでもない。しかし、大勢の意見が君と同じ様に、ドイツもいつ形勢が逆転されてもおかしくなかったのだ。
541 :
名無し三等兵 :01/09/04 09:46 ID:476X7oMk
>ドイツの勝利こそが、ヒトラーの威信を高める結果になった 確かに西方戦線での連戦連勝でヒトラーの威信が高まり、フィンランド戦争 でソ連軍が悪戦苦闘したことが、ヒトラーの対ソ戦決断の引き金になった ということは、P・カレルもその著書で書いていたよね。対英戦は米国 さえ刺激しなければ反撃上陸される恐れは無かったわけだし。何しろ開戦 直前までソ連からドイツに戦略物資が送られていたのだから。
542 :
名無し三等兵 :01/09/04 10:53 ID:DwTQJLeo
>>538 西ドイツで人気のあった生粋の職業軍人マインシュタインはれっきとした
スラブ人(ポーランド系ドイツ人)だが。個人的にはナチの対ポーランド政策に
胸をいためていただろうが、彼は軍人としての自らの職責を全うすることしか
ないと思っていただろう。もし戦争があのような形でおわらず、もっと早く
講和が成立し、ヒトラー時代が存続していたら、マインシュタインか彼の一派は
クーデターを起こして、多民族ドイツ成立を目指したかもしれない。
ヒトラーなどの政治屋連中と違い、軍人というのは武士として生きるしかなかったのだ。
543 :
名無し三等兵 :01/09/04 11:13 ID:476X7oMk
>つまり負けたという事実を冷静に直視するよりは 冷戦時代はとてもそういうわけにはいかなかったろう。 政治的に言ってもソ連軍の脅威に備えて少しでも西ドイツ軍の 士気を鼓舞するためにもヒトラーは負けても国防軍は不滅だと 主張する必要があった。同時にロシア人に対する恐怖心の裏返し。
>>542 マンシュタインに限らずプロイセン出身の軍人貴族(ユンカー)の多くは旧ポーラ
ンド貴族が出自であるのは確かだが、完全にドイツ化した彼らは自らをスラブの末裔
としてより、先住民であったスラブ系プロイセン人をほぼ根絶してドイツ騎士団が建
設されたゲルマン民族の東の守り、プロイセンのドイツ人としての意識のほうがより
強かったのではないだろうか。
ところで自分は未読だが、マンシュタインの副官の手記「回想の第三帝国」に、マ
ンシュタインがその副官に、自分の実家であるレヴィンスキー家は、ポーランド系ユ
ダヤ人のレーヴィ家がルーツかもしれないと語ったことがあるそうだ。この話ってど
のくらい信憑性があるんだろうか。
545 :
名無し三等兵 :01/09/04 12:20 ID:UfWraOVk
「独ソ不可侵条約」と「バルバロッサ作戦」は一見矛盾するよう
だが伝統的にドイツは東西二正面作戦を避けたがる傾向があり、
ドイツの対ソ侵攻の可能性としてはずっと前から彼の著書
「我が闘争」に書かれていたことだけどもこの時期に決断
されたのは独ソ不可侵条約締結後の1、2年でヒトラーの
威信がとてつもなく上がったことだと思う。
これこそ一貫した第三帝国の戦略的計算であった。前大戦でも
ロシアとは大戦半ばでブレスト・リトフスク条約を結んでいる。
独ソ不可侵条約には付属議定書があり既にここで東欧分割の
プランはできていた。対英戦半ばでのソ連進撃の理由はいろんな
説があるけれども、ヒトラーとて戦略的計算は踏まえていたろう。
少数の反対派は押し切って強引に物事を進める、それで既成事実
を作ってしまえば反対派もおとなしくなるんだという考え方は、
これまでに幾度かナチスがやってきたこと。
>>406 の成功例もある。
B.O.B程度の反対勢力なら同じようにやればよかったんだろう。
546 :
538 :01/09/04 12:46 ID:naYpfTNM
>>542 >個人的にはナチの対ポーランド政策に胸をいためていただろうが、
彼の著作ではそのような憐憫どころか、ロシアの村を集土したことについて常に
正当性を主張し続け、スラブ人に対するシンパシーの微塵さえ見られませんが。
>彼の一派はクーデターを起こして、多民族ドイツ成立を目指したかもしれない。
そのような政治理念を持っていたのですか?それでいて、
>ヒトラーなどの政治屋連中と違い、軍人というのは武士として生きるしかなかったのだ。
というのがわかりません。
もともとマインシュタインはバルバロッサ作戦開始にあたって、
「ユダヤボルシェビキ体制の西欧に対する影響力の排除・恒久的殲滅」
という国防軍が掲げた政治思想に完全に同意してますし、
ヒトラーと軍事上の反目があるからといって、政治・人種思想までも
彼が反ヒトラー的であるという理由にはならないでしょう。
(恐らく彼も他のプロシア職業軍人同様、政治に関しては自分達の地位が保証
されるということが第一で、それ以外は保守的であったことと想像はできます。)
547 :
名無し三等兵 :01/09/04 13:06 ID:LKCXQ.DU
>>544 プロイセン人はスラブ系でなくリトアニア人に近いバルト系。
>>546 西スラブ人と東スラブ人は殆ど別民族と言っていいくらい
分化しているので、ポーランド人(西スラブ人)については
複雑な感情があっただろうが、ロシア人に対してはそうで
なくても、それはごく自然なことだ。
548 :
名無し三等兵 :01/09/04 13:07 ID:LKCXQ.DU
私はマインシュタインは、反共産主義者だったと思うが、それ以上の ことはないと思う。
549 :
新型爆弾 :01/09/04 14:48 ID:zIOe2wxY
ドキュソ戦?
マンシュタインのポーランド系といえば、
その昔、ポーランドとドイツ騎士団との戦争中に捕らえられたポーランド人の子供が、
ドイツ騎士団の養子として育てられ、やがて自分が率いるようになったドイツ騎士部隊を
(本能的な愛国心から)わざとポーランド軍が待ち構える陣地へ誘導し、自分が犠牲に
なってカタキを討つ、というポーランドの愛国心を奮い立たせるような話(というか
創作叙情詩)を読んだのを思い出した。
(そういった点でナチが崩壊したのもマンシュタインが幾分協力してたかも...)
>>544 余談ですが、レヴィンスキ家の綴りは"LEWINSKI"で、これはあのモニカ・ルウィンスキー
"LEWINSKY"と同じで、(-SKIの名字を持つ欧人が渡米した際、-SKYに改名することが多い)
彼女自身ポーランド系ユダヤ人だそうですから、その可能性はあるかもしれません。
(実際スラブ語圏で"LEWINSKI"という名字は、ユダヤ系が多いそうです。)
551 :
名無し三等兵 :01/09/04 16:27 ID:SH3CIwio
>>550 う〜む…ポーランドという国には底の知れない奥深さがあるなあ。
552 :
名無し三等兵 :01/09/04 20:02 ID:GxDfEwgQ
ヒトラーは「アジアの下等人間ども」と共闘するのを嫌ってたからね。 ウラソフ師団や日本軍との共同作戦なんてとんでもないってか。
553 :
中尉 :01/09/04 20:16 ID:WcNYQvDY
>>552 その割には日本にシベリア侵攻を求めたり、武装SSに多くのロシア人義勇兵が含まれている。
君の言っていることは矛盾だらけだ。
554 :
名無し三等兵 :01/09/04 20:55 ID:GxDfEwgQ
あのさ、ヒトラーは「バルバロッサ作戦」の計画を日本に知らせる ことは無かったんだよ。シベリア侵攻を求めたのはドイツ軍が 苦戦しはじめてからのこと。ロシア人義勇兵は更に後のこと。
555 :
名無し三等兵 :01/09/05 00:12 ID:ejFQl6u.
556 :
名無し三等兵 :01/09/05 10:41 ID:drtgpMBU
>>553 あくまで戦略上の判断じゃない?
枢軸国勝利の暁には(あるわけなかったが)、ドイツ中心のグループによる日本破壊が待っていたでしょう。
557 :
名無し三等兵 :01/09/05 10:46 ID:ejFQl6u.
>つまり負けたという事実を冷静に直視するよりは、 >(ヒトラーの無茶な命令が無ければ勝てたというような)軍事的な敗北を >全てヒトラーのせいにし、スラブ人に対する昔からの優越感を維持できて >ドイツ人のプライドを保つ内容の方が、受けがいいというワケか... 「太郎」ってのはどんなことがあっても自分の見たいものしか見ないからねえ。
558 :
:01/09/05 14:58 ID:4cXubztY
初めて投稿します。僕はロシア人は白人とモンゴロイドの混血民族と思います。 頬骨が一般の白人よりも出ていて顔が丸く、肌も他の白人よりアジア人に近いと 思いました。生粋のスラブ系民族と思われるポーランド人はすこしゲルマンとユダヤの 血が混ざりすぎていると思われるし、チェコ人もけっこうゲルマンとユダヤが 入っていると思う。 ブルガリアはトルコないしチュルク人の血が濃く、フィンランドやハンガリーや タタールのようにロシア人よりトルコ系に近いと思います。バシキールになると もう少しアジアが入っている。比較的純粋なスラブ系はベラルーシあたりか。 現在のギリシァ人はスラブ系の血が多い人がほとんどではないか。 メンタル的には旧ソ連はアジアとはやはり違い、個人主義で論理的な思考を する人たちと思いますが、感情表現がとても豊で仕事よりも家族・友人関係を 大切にするので仕事はやりにくかったけど、日本人も家族・友人を大切にする 心は見習った方がよいと思う。
>日本人も家族・友人を大切にする心は見習った方がよいと思う。 要するにこれが言いたかったのですか?
560 :
_ :01/09/05 15:34 ID:S9hcFHT.
ソ連崩壊後のモスクワ市民の苦境を紹介する番組を 山ほど見たがどんな粗末な家にも必ず綺麗で可愛らしい 猫が飼われていて、ソファでながながーと横たわって いたのにはビクーリした。今晩食べるジャガイモにも こと欠くはずのロシア人、でもペットを飼うだけの心の 余裕がある。見習うかどうかは別にして彼らのメンタリティ は東アジア人とは違うと思たよ。
561 :
3ch :01/09/05 15:35 ID:GsSbWREM
とある知合いが参考にしたいということで基本的な討論をお願います。 >515 ヒトラー・ユーゲント勧誘映画「魔王〜OGRE〜」 童話のハーメルンの笛吹き?ちょっとひねってますね。何所のスレのレスですか? そんなに遠くないけど動けない. >555 皆様勉強されてますね。アニメ系サイトしかリンクしてないのが情けない。 どこでも有効撃破表というのは出てくるのですね。 他の戦場はあまり詳しくないので「栄光のバトル・オブ・ブリテン」など買いましたが 750円とまだ許容範囲、こちらはイギリス空軍基地や工場,レーダーサイトへの攻撃か らロンドン爆撃に切り替えたのがドイツ空軍の敗因だったそうです。 独ソ戦はやはりモスクワに直進しないでキエフなど南方攻撃に切り替えたのがまずか ったのでしょう。 民族的な部分はナポレオン時代からの国民国家,マクドナルド将軍などイギリス系で あってもフランス国籍があればOK。自分はなんとなく日本人だけど。
562 :
3ch :01/09/05 15:45 ID:GsSbWREM
どんどん気軽に語って下さい。 >558 ズドラースヴィーチェ=こんにちわ、ロシア語変換が出来ない。 お仕事でロシアの方々と一緒でしたか。素晴らしいですね。 やはりそう言うのが相互理解に一番なんですが… 家族も友人も自分に価値が無ければ付き合えない…エヴァンゲリオン調 >560 今のマンション猫を見かける。いいのか?と思う自分、今日も何も信じられないのでボクシング練習。
563 :
名無し三等兵 :01/09/05 17:15 ID:ejFQl6u.
英米抜きの枢軸はだめでしたな。ソ連を崩壊させるには史実の通り やはり米英含むヨーロッパ共同体を形成するしかありません。
>>561 その知り合いがどういう目的でここの発言を参考にしたいか明らかにしないとみな警戒して発言が減少すると思われ
565 :
3ch :01/09/05 20:59 ID:IiN3aaTM
>563 スターリンはイギリスで港湾労働者と喧嘩沙汰になったこともあり(助けたのが粛清 されたブハーリン)イギリスがドイツの台頭後も長く仮想敵国No1でした。 アメリカはロシアからの移民もいたので援助物資の中には彼らからの寄付もあったようです. >564 ただゲーム攻略の参考にしたいそうです。行き当たりばったりにやるか裏技を使う しかないとアドバイスしておきましたが。 余りやった事が無いのですがまず史実通り行く事など少ないと思いますが. ボードゲームでも初期配置と増援ぐらい?
566 :
バルジ戦後の独軍予備兵力について :01/09/05 21:09 ID:ejFQl6u.
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P375 ドイツの軍事的予備はとっくに尽きかけていた。二月二七日ヨードルは ヒトラーに、二月に約束された五万二二一五人の兵のうち到着したのは わずかに一万一九〇二人に過ぎなかったと激しく苦情をいっているルント シュテットの電報をみせた。マルチン・ボルマンは五〇万以上の脱走兵が ドイツ国内に隠れているとみて、二月中旬以降この“臆病の流行病”退治 運動を始めていた。・・・・以下略
567 :
名無し三等兵 :01/09/05 21:27 ID:ejFQl6u.
ドイツ軍は極端に東欧・アジア人を蔑視し、その捕虜・住民の大半は「下等人間」 としてただ収容所で酷使して捨てるだけだった。ウラソフ師団のような反ソ東欧人 勢力と共闘することさえ嫌っていたのだ。日本も同じように見られてたろう。
568 :
名無し三等兵 :01/09/05 22:31 ID:wC5E/.VI
ヒトラーは日本の海軍を狙っていただけのようだね、 自分のとこに空母も無いので、日本海軍を狙っていたんだな、
569 :
名無し三等兵 :01/09/05 22:39 ID:ejFQl6u.
海軍ならソ連を叩き潰した後で「Z計画」をやるつもりであった。 所詮スラブ人や日本人のような下等人間なんぞ取るに足らない。
570 :
3ch :01/09/05 23:01 ID:DcH4shXk
>568 ヒトラー総統は海軍というかノルマンデイーでの艦砲射撃に戦艦を沈め る事の出来る雷撃技術を欲していた様です。 >569 いつも書きこみどうもです。 「幻影」ユルゲン・トールヴァルトは元赤軍兵に対し”南アフリカや オーストラリアなどが白人の入植者,特に労働者不足に悩んでいるがそれ が歴史の皮肉,1945年ならいくらでもいた”などと言う事を書いています。 現実オーストラリアでは有色人種のせいで職を失う事も多いらしく仕方が無いですね。 そのせいかシドニーオリンピックで日本選手団登場の時人数が多かったのに盛下がっていた.
571 :
名無し三等兵 :01/09/05 23:53 ID:ejFQl6u.
付属議定書 独ソ不可侵条約の調印に際し、両国全権代表は東欧での双方の利益範囲の 境界画定問題を極秘に討議した。その結果次のような結論に達した。 一、バルト諸国(フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア) に属する領域の領土的・政治的変更の場合、リトアニアの北部国境が ドイツとソ連との境界となる。これに際し、 ヴィルナ地域に関するリトアニアの利益を両国は承認する。 二、ポーランド国家に属する領域の領土的・政治的変更の場合、 ドイツとソ連の利益範囲の境界はナレフ、ヴィズワ、 サンの各河の線にほぼ沿うものとする。 独立したポーランド国家の保持が両国の利益にとって望ましいかどうか、 また、この国家の境界はいかなるものかという問題は、 今後の政治的発展の流れの中で最終的に明確になるだろう。 いかなる場合も両国政府はこの問題を友好的な双方の合意によって解決する。 三、東南ヨーロッパに関してはソ連側からベッサラビアに対するソ連の利益が強調された。 ドイツ側からこの地域に政治的関心を全く持っていないことが表明された。 四、この議定書は両国によって極秘に保持される。 モスクワ、一九三九年八月二三日 ソ連政府全権ヴェ・モロトフ ドイツ政府代表ヨハヒム・リッベントロップ #参考 「独ソ不可侵条約」(斎藤治子 新樹社)
572 :
名無し三等兵 :01/09/06 00:38 ID:.R9/oh/c
「世界歴史体系 フランス史」(山川出版社)P316
ダルランが統治した時期には、ボーキサイトを安価でドイツに売り渡したり、
ベルギーから預かっている金をドイツに引き渡したりしたが、特質すべきことは
航空機の共同生産である。ドイツはかねてよりフランスの航空機産業に強い関心
をもっていた。フランス側も失業対策や、プラントをドイツに引き渡さなくて
すむことなどから、ドイツの注文に応じた。ドイツは休戦協定に反するかたちで、
自由地区の兵器産業や航空機産業にも発注する。フランス政府も、自由地区内の
航空機工場へドイツ軍が機材を発注するのを追認した。一九四一年四月に、
工業生産大臣のピュシューがドイツ軍向けの兵器類の製造を約束する。同時に
仏独間で航空機の共同生産計画の協議がなされ、一九四一年七月二十八日に
調印された。この協定でフランスは、ドイツに従属したかたちでの航空機生産
を認める。この結果、フランスはユンカース五二型輸送機の生産ではおおいに
ドイツに貢献することになる。一九四三年には、ドイツはフランスの全航空機
産業を併合した。かくしてフランスは毎年、工業生産物の三割から五割におよぶ
物資をドイツに供給するのである。航空機の一〇〇パーセント、自動車・建設・
石炭・セメント・造船の七五パーセント、ゴム・塗料・化学・織物の六〇
パーセントがドイツ向け製品であった。
>>99
573 :
名無し三等兵 :01/09/06 10:21 ID:oR/0rboE
>>567 反ソ東欧国は満州国をいち早く正式承認したところなんだが。
このルートを使ってさらに反共産主義で一致していれば
中国財閥がユダヤ系と結託して仕掛けた日米戦は
回避できたかもしれない。
574 :
名無し三等兵 :01/09/06 12:38 ID:.R9/oh/c
>>566 ヒトラーがネロ指令を出したのも、こういう事情があったからだろう。
バルジ戦の損害状況からすると25万のうち少なくとも半数は辛うじて
撤退できていたはずだが、多くは逃亡してしまったということか。
575 :
名無し三等兵 :01/09/06 14:29 ID:7N0Z5vGs
ドイツって空母作ったの?何かの本で、日本の空母を視察したというの読んだ記憶あるが。 関東軍は、満州にユダヤ人自治州を作ろうとしていてのに、何でユダヤ人は載らなかった んだろう?
576 :
名無し三等兵 :01/09/06 14:42 ID:tsPMSMFg
>>575 じゃあルワンダに日本人自治州作るって言ったら、行くか?
577 :
>575 :01/09/06 14:46 ID:2y/Uck76
作ったよ。材木置き場を。
>>575 グラーフ・ツェッペリンつ〜の造ってた
未完成だけど(w
579 :
名無し三等兵 :01/09/06 14:49 ID:bi9vdp6M
ゲロマン人は下等な旧人種の系統だ。 アジアの血に近いものほど人類学的に高等な新人種だ。 ドイツ人は下等だから妄想したのだろう。 そもそもドイツの発展は全てユダヤ人の力による。 それを横取りしたのがゲロマン人だ。 死ねゲロマン人。 奴隷労働力以外のゲロマンコ人を全て抹殺せよ!
580 :
名無し三等兵 :01/09/06 19:49 ID:T/HkIK3c
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30847673 P226
《前略》・・・・命令する時、ボルマンは党員に使い古されたスローガンを
もう一度よく言い聞かせた「ろくでなし、敵に攻撃された大管区を離れる者、
最後の一息まで戦わない者、そんなやつらは脱走兵として軽蔑されるのだ。
いま通用するスローガンはただ一つ、『勝利か死か』だけだ。」・・・《中略》
一九四五年三月九日に彼は全高官に通知状を出して、ついに「敗残兵をかき
集めて前線を強化する」という強硬手段を行きわたらせた。本来ボルマン
にとって敗残兵というのは存在しなかった。部隊とのつながりを失ったもの
は戦闘の喧噪に近づいていって、そこにいる部隊に従えばよいのだった。
そうしなければ脱走兵として即決裁判で銃殺するだけだ。
581 :
名無し三等兵 :01/09/06 21:34
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P398〜399
以上見てきたような内部崩壊状況にたいして、親衛隊中枢の意識はどうであったか。
四四年九月末、親衛隊本局の局長ベルガーがヒムラーに宛てた手紙は、それを象徴的
に明らかにしている。彼は親衛隊ライヒ指導者の命令で、武装親衛隊の将軍として
スロヴァキアへの前線勤務に投入されたことをうれしく思うと中枢幹部らしい模範的
な心情を吐露した。・・・・《中略》・・・・
彼は自分の新しい任務について明確な像を得るために、出陣の直前、九月二三日
と二四日、西部戦線のすべての部分について知っている武装親衛隊、陸軍、空軍の
知人から、情報を聞いた。・・・・《中略》・・・・
ベルガーが彼らから得た情勢に関する判断は、まったく同じだった。彼らは国防軍
将校の戦闘意欲を厳しく評価した。すなわち、敵が突撃軍の出動準備に成功すれば、
敵はこの突撃軍でルール地方まで突進するであろう・それは、ドイツ人兵士がもはや
戦おうとしないからではなかった。「中尉以上のドイツ将校の神経の力が全体として
すっかり消耗しつくしてしまっている」のであった。そこでは親衛隊中枢とは違って、
あらゆる理想主義が死に絶えていた。・・・《中略》・・・すなわち、空軍最高司令部
は空軍の三五万人の人員のうちわずかに一〇万人についてしか所在を把握していなかった。
空軍の
582 :
名無し三等兵 :01/09/06 21:56
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P391
以上で戦争末期の現実の一端、しかし重要な側面を紹介してきた。
「七月二〇日」事件でエリートの将校や将軍がヒトラーに反乱を起こす
ほどの戦況は、民衆のなかに「激しい不穏状態」を引き起こしていた。
さらに、まとまった部隊の形であれ、ばらばらになってであれ、続々と
国境を越えて敗残の兵が帰還してきた。ソ連国境のオストプロイセン、
総督府はもちろん、ヴァルテガウ、ベルリン、デッサウ、その他の中部
ドイツ深くまで、たくさんの敗残兵が姿をみせるようになった。各地の
治安警察・保安部が集めた通報によれば、民衆は野戦郵便などから得る
情報と敗残兵の話から東部戦線の中央が崩壊したことを察知した。また、
撤退とはいっても「逃亡のような」ものである点でも敗残兵の話は一致
していた。彼らの話には部隊を見殺しにした将校への非難が頻出した。
放置された兵士のモラルは低く、部分的には武器を売るものもでている
とのことだった。
583 :
名無し三等兵 :01/09/06 22:03
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P171
・・・・約一万人ものパルチザンを率いるのはソヴィエト・ロシア人
中尉マクロソフであった。彼は革命期から、そしてスペイン市民戦争
のときから定評のあるパルチザン指導者であった。その装備は、
「ほとんどが日本製の小銃、軽機関銃、重機関銃、重軽両方の迎撃砲、
大砲、そして対戦車砲」であった。日本製の武器とは驚嘆すべき事実
ではないか。ここに示された武器体系から考えて、ソ連軍がノモンハン
で日本軍を撃滅した際に捕獲した大量の武器であろう。
584 :
名無し三等兵 :01/09/07 01:53
418>デーニッツの自伝とか読むと、東部からの避難民の脱出に勢力を
418>尽くしたことで、ドイツ国防軍の神聖と崇高が強調されてますが、
バルジ以降、指導部が脱走兵狩りに狂奔してた
>>566 や
>>580 の事実も書いてない。
グイド・クノップ、近所の古本屋でゲットしたよ〜ん♪
586 :
名無し三等兵 :01/09/07 09:34
「独ソ戦とホロコースト」(永岑三千輝/著 日本経済評論社)は買うには高すぎるが、 図書館あたりで一読しておく価値はあると思う。従来ナチズムといえばユダヤ人 問題であって、東部戦線と切り離されがちであった。冷戦時代の西ドイツでは 特に「ナチスは滅んでも、国防軍は不滅」との論理が一般的であった。 アウシュヴィッツだけにこだわらず独ソ戦そのものを考察したい。
587 :
名無し三等兵 :01/09/07 16:59
588 :
名無し三等兵 :01/09/07 17:52
「ヒトラーの戦争 上」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P218、219 新たに元帥に任命された人々が八月一四日、ヒトラーの手から宝石で豪華に 飾られた元帥杖をもらいに首相官邸に集まった時、彼は戦略的考えを明らかにした。 ・・・《中略》・・・ヒトラーは空軍がイギリスの決意を悪天候が始まるまでに 変えられるかどうか疑問であるといい、それが失敗すれば、侵略についての決定 を一九四一年五月まで延期する、と語った。 昼食の終り頃のヒトラーの興味深い政治的演説のレープによる記述は重要 なので、詳しく引用しよう。 イギリスが和平しないのには、おそらく二つの理由がある。 第一は、イギリスは合衆国の援助を期待している。しかし合衆国は 一九四一年までは大きな兵器引渡しは始められない。 第二は、イギリスはロシアをドイツと闘わせようと望んでいる。だがドイツ は軍事的にロシアよりはるかに優越している。フィンランドにおけるロシア の戦闘のフィルムには、実に笑うべき光景があった。〔ロシアから〕石油が 来なくなっても、ルーマニアから容易に補える。
589 :
名無し三等兵 :01/09/07 20:54
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=07047444 P118
戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を
描いた名著『A Bridge too far (邦題:遥かなる橋)』の著者でもある
コーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の
抵抗組織からの正確な情報などを提供し作戦成功に役立てようとしたが、
すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
590 :
名無し三等兵 :01/09/07 22:05
私見を言えばバルジ戦はトーランドあたりが言ってるような「ドイツ壊滅 の最後決定打」では無かったと思う。ここだけに限定した独軍全損害は だいたい10万以上で本によってまちまちだが、それでもドイツ軍全体 からすればそんなに多い数とは言えない。攻勢軍25万のうち少なく とも半分以上は逃げ帰っているはずだ。それと西部戦線の勝利である はずのバルジ戦がソ連の利益にしかならなかったというのも可笑しい。 戦果をあげればあげただけ発言力が大きくなって然るべきだろう。 個々の損害状況よりも少年兵動員や逃亡兵処罰とかの行政事情の方が 末期ドイツ軍の戦局状況を示していると思う。バルジで反攻に出ようが 脱走兵に厳罰を課そうが結局戦意の低下はもう止められなかったのだ。
591 :
名無し三等兵 :01/09/08 00:03
ドイツ見習え厨房ドイツヲタこそ奴隷(slave)スラブ人(Slav)以下の 痛い存在であることが明らかになったことが本戦争の最大の意義だ。 スラブ側はゲルマン側よりずっと多くの死人を出したことは確かだが、 ゲルマン人がどれだけたくさんのスラブ人を殺せたにせよ東独領含む東欧 一帯はソ連支配で決定、誰が何と言おうとドイツ人はロシア人に屈服した。 いくら部分的なドイツの優位が強調されようとも、全体の力関係は覆らない。 ヒトラーは見事にそれを証明してくれた。なお本戦争はドイツ軍のほう から全面的奇襲で始まった戦争であり、また英国と目下戦争中とはいえ 二正面作戦を選んだのもドイツ自身だ。ソ連がドイツを攻撃したので はなく、ドイツがソ連を攻撃したのであり、言い逃れは全くできない。
592 :
名無し三等兵 :01/09/08 00:27
例えば「レーダー技術一つ取ってもドイツはずっと進んでいた、 一方ロシアはクルスクで独軍レーダー・フレイヤの存在すら知 らずに逆襲された」と言ってみたところで「レーダーも知らぬ サムイソ連軍に屈服した更に痛いドイツ」という結論しか出ない。
>>591 何を言いたいのか理解できないのであるが、脳病か?
594 :
名無し三等兵 :01/09/08 00:34
↑理解できないお前が脳病!
595 :
名無し三等兵 :01/09/08 01:17
age
>>590 兵士の大半以上は逃げ帰ったとはいえ、元々この作戦の兵士の大半が訓練期間の
短い補充兵で編成されており、それを率いていた数少ないベテランを多く失ったこと
により痛手があったと思うが。
もともとバルジ戦は他の戦線よりかなり優先して精鋭部隊と、戦車などの車両や
なけなしの燃料をかき集めて臨んだ(それでさえ充足率が低く、機甲師団に
自転車部隊が編成された)ため、攻勢敗退により、それを失った反動が大きく、
結局ドイツ軍はそれ以降、西部戦線での大規模の組織的な作戦を実行できなかった。
(特に戦闘・輸送車両の損失が多く、それを最後まで回復できなかった。
(兵士ならば歩いて退却できるが、車両は燃料が無くなれば置き去りにするしかない
ため、それによって大量に失なわれたのである。))
597 :
名無し三等兵 :01/09/08 11:56
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19915980 P23、24
スターリンはこの切り札を投げ捨てたため、次第に弱い手しか打てなくなった。
第一に、一九三九年以前は、ロシアはドイツと国境を共有していなかったが、
新しい領土は、これまでドイツの奇襲攻撃を不可能にしていた独立国ポーランド
という緩衝地帯を失わせてしまった。第二に、ヒトラーはヨーロッパ全土を
制圧すると、その資源と住民を彼の戦争目的のため動員することができた。
第三に、一九三九年八月のスターリンとの協定で、ドイツに石油、種々の非鉄金属、
食料などの戦略的原料を供給したことも、ヒトラーの西部戦線の制覇に貢献した。
さらに、スターリンはフランスの敗北後も、事実上の保護費として、これらの資材の
輸送をきちょうめんにつづけたため、これがソヴィエト連邦に対するヒトラーの攻勢
準備を助けることになった。その結果、一九四一年六月には、ドイツは一九三九年
とはくらべものにならないくらい、恐るべき敵になっていた。
同じ頃、スターリンはこの協定によって得た息継ぎ期間のあいだに、自分自身の
立場をさらに悪くしてしまった。新しい国境の防衛線が完成する前に、古い国境の
防衛線を撤去してしまったのである。併合した領土にソヴィエトの社会主義制度を
導入したため、そこの住民から完全にそっぽを向かれてしまった。だが、それ以上に、
一九三九―40年のフィンランドに対するスターリンの「冬戦争」は、ソヴィエト軍
の指揮系統、戦意、装備に重大な欠陥があることを露呈した。このような情勢の
展開で大胆になったヒトラーは、一九四〇年夏に東部戦線に出撃することを決意し、
その年の終わりには、攻撃計画はできあがっていた。一九四一年五月中旬に計画
されていた進攻は実際には六月二十二日に開始された。
598 :
名無し三等兵 :01/09/08 19:10
冬戦争でのフィンランド陸軍はダンケルクでのイギリス陸軍より強かったと思う。
599 :
名無し三等兵 :01/09/08 20:42
ドイツのレーダー技術の先進性は、「ジューコフ元帥回想録」(朝日新聞社)をして 「すでに敵機が地上軍に協力するために飛び立ったあとだった」と言わしめた。 スゴイぜ!!!!!
600 :
名無し三等兵 :01/09/08 21:05
『髑髏の結社・SSの歴史』に出てきた話だけど 後方から送られてくる反スラヴのパンフレットを見て 前線指揮官が怒るんだよな。 現に自分達のより優秀な戦車を押し立てて 自分達を包囲しつつある敵がどうして劣等民族なんだ、って。 弱肉強食をすぐ唱えたがる連中って多いけど 永遠に強者であり続ける民族も国家も個人もまずいないのにな。
デジャブー
602 :
3ch :01/09/08 23:15 ID:RPBX/nLc
いつのまにか600
>597
偶然「ソヴィエトの悲劇」マーテイン・メイリア草思社は借りましたが西側の代表的
な見解が多くモスクワを攻略できなかった(攻撃開始が1ヶ月遅れたレンドリースの
重要性(筆者も輸送業務に参加)が強調されています.
結局独ソ不可侵条約は英仏がソ連とポーランドで共同戦線を張る際出動する師団数
などやるきが感じられなかったからのようです。
レンドリースに関してはこちらの見解もどうぞ.
http://www.interq.or.jp/japan/maisov/oss/nif6.htm 兼好法師も高師直が出す塩谷高貞の妻に対する恋文の代筆をさせられたそうです.
太平記の時代も乱世でしたが徒然草の方が後々語り継がれたのは以外ですね。
603 :
名無し三等兵 :01/09/08 23:45 ID:RIPRuwEQ
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19915980 P21
この問題については二つの外交的解決法が考えられたが、スターリンは
ドイツとの提携のほうを選んだ。ドイツは地理的に近いだけに、他国よりも
危険な存在だったし、ブレスト・リトフスクの教訓もまだ忘れられていなかった。
もうひとつの理由は、もし日本がシベリアを攻撃してきた場合でも、ドイツと
平和条約を結んでおけば、二つの戦線で戦わなくてすむからである。最後に、
スターリンは、ずるくて信頼できない英仏の帝国主義者が、ソヴィエト連邦を
ヒトラーと戦わせるように画策するのではないかと心配した。そこで集団安全
保障の期間中にも、スターリンはベルリンに探りを入れるための特使をおいた。
何も起こらなかったとすれば、ヒトラーが西側における彼の地位を固めるのに
没頭していて、それに関心がなかったからである。
604 :
名無し三等兵 :01/09/09 00:29 ID:RKQlinuw
>結局独ソ不可侵条約は英仏がソ連とポーランドで共同戦線を張る
>際出動する師団数などやるきが感じられなかったからのようです。
上で書いたようにロシアと英仏は第一次大戦時代から信頼関係が無く、
ましてこの時期東欧征服を繰り返してきたソ連が英仏と共同戦線などという
のは無理があります。ただそれならそれでソ連は独力で防衛体制を固める
という手もあったでしょうが、ちょうどこの時期に、ノモンハンで日ソ衝突
が激化していたことは見逃してはいけないと思います。日本軍の最終的敗退
は8月20日からのソ連軍攻勢で決まったのですが、その前は5月半ば以来
一進一退で、8月20日からの有名な大攻勢をかける際、飛行機も車両も
搭乗員も西からどんどん引き抜いて対日戦に充てる必要がありました。
ここでドイツや東欧・バルトの反ソ勢力に一方的に付け込まれるよりは、
独ソ共同で
>>571 のようにバルト・東欧諸国を分割しようというわけです。
同時に日独離間策で極東の日本軍も押さえ、モンゴルも確保できます。
605 :
名無し三等兵 :01/09/09 19:55 ID:RKQlinuw
ロシアを媒介にすると他の国々の力関係がよく分かると思う。
606 :
名無し三等兵 :01/09/10 20:38 ID:ve3VGhMg
独ソ不可侵条約、得したのはどっちだろ。
607 :
3ch :01/09/10 20:55 ID:HZCkmHE.
今日もいろいろ疲れた.まだ終わってない. >604 「共産主義とは何か」メドヴェーデフ”ソヴィエト政府のこの強いられた処置に対する、 基本的な主たる責任は,ドイツ軍国主義とファシズムを激励する政策をとり、 ソ連との相互援助条約締結の交渉をぶち壊したイギリスとフランスの政府が負うものである. ということで共同戦線の可能性はあった気もしますがポーランドもソ連軍の領内通過に難色を示していました. 後日本軍の場合は戦略的に両面戦争になるので脅威ですが中国で泥沼にはまっていた のとまだそれほど国力が整備されていなかったので(フランス戦でのイタリアの対応を 見習うべきといった政治家もいた)そんなに重視されていない気がします. 結局元帥 5人中3人 一等及び二等司令官(上級大将及び大将相当) 15人中13人 軍団長(中将相当) 85人中62人 師団長 195人中110人(少将相当) 旅団長(准将相当) 406人中220人 更に大佐の75%が粛清対象となった「ソヴィエト赤軍興亡史U」学研 という赤軍の弱体化に対する懸念がドイツと対決できない理由として大きかったのでは? 後バルジ作戦や終盤のドイツ軍についてもう少し研究しないといけないですね. またフィンランド領内ではドイツ軍が「共産主義とは何か」では5個師団が展開とか 航空戦のパイロットもドイツ軍が設備を接収しようとしたとか何らかの部隊が展開していたと思うのですが…
608 :
3ch :01/09/10 20:58 ID:HZCkmHE.
>606 得したのは結果的にドイツですがそれはフランスの予想外の崩壊によるものでしょう.
dat落ち防止sage、ソ連など共産主義の脅威が去ったらイスラム原理主義ですか. しかも反共のためアメリカ(FBI)の支援した組織らしい.冷戦の落し子という表現有り。
age無いと効果が無いのであげ.中国はアメリカに協力するそうだ.
611 :
名無し三等兵 :01/09/13 13:08 ID:/N/twl2w
中国は自分がテロリストを裏でサポートしてるのにお持てではいい顔か。 嫌な国だぜ。
612 :
名無し三等兵 :01/09/13 22:52 ID:l/5wKR5k
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19559803 P39、40
・・・中略・・・八月十四日、シュレンブルクは、「ドイツとロシアの関係は転換点
にさしかかっており」、「両国のあいだには利害関係の対立は存在せず」、
「両国はこれまで友好によって利益を得、反目によって損害を受けてきた」
とのベルリンの見解をモロトフに伝えるよう訓令を受けた。・・・中略・・・
・・・・・モロトフはその会談で、独ソ間の相互不可侵条約に関心がある点も
表明した。人民委員はその他の問題点を持ち出したが、特に問題としたのは、
日ソ関係改善に向けてドイツは日本に影響力を行使する用意があるか、
バルト諸国に対する保証問題を話し合う用意はあるか、という二点だった。
613 :
名無し三等兵 :01/09/13 23:55 ID:l/5wKR5k
スペイン内戦では独ソ両国とも拮抗していたようですが、その後急速にソ連が
ドイツに対して弱腰になるのは、ノモンハン事変とフィンランド戦争の影響
が強かったと僕は考えてます。これは
>>612 のモロトフ発言とか、
>>215 のタス
声明とかで確認できます。あと、赤軍大粛清はモスクワの支配を強化し反乱分子
を根絶やしにしておかないといつ反乱を起こされるかわかりません。現にロシア
革命でもソ連崩壊でもあちこちで反政府運動が起こっていますから。P・カレルの
「バルバロッサ作戦」でもトハチェフスキーの野心は危険とみなされたとあります。
614 :
名無し三等兵 :01/09/14 00:13 ID:6UazjX2g
ドイツ軍のレーダーシステムに対しソ連軍はどういう対策を取りましたでしょうか。 わずかでも知っている方、その例を具体的に挙げてくださいますでしょうか。
615 :
名無し三等兵 :01/09/14 01:06 ID:6UazjX2g
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P237、238
4 総力戦下外国人労働力の大動員とその階層秩序的処遇
これまでみてきたところから明らかなように、ホロコースト政策の進展は、
ユダヤ人の置かれた悲惨な状態をそれ自体として歴史総体の諸連関から切り
離してみているかぎり、理解できない。ホロコーストは「理解不可能」なの
ではなく、見る方法が問題なのである。四五年四月、ドイツ領域内の強制
収容所の扉が開かれ、ブーヘンヴァルト、ドラ、ダッハウ、マウトハウゼン、
フロッセンビュルク、ノイエンガメなどの累々たる死体の山をはじめ驚愕
すべき写真の数々は世界を震撼させた。だがたくさんの大工場のそばに設置
された収容所の支所に関心をいだく人はほとんどいなかった。囚人労働力が
ドイツ戦争経済の不可欠の構成要素となっていた。四四年一一月段階に八〇〇
万人に近い数に上った戦時捕虜・外国人労働者、収容所囚人を雇用するたくさん
のドイツ企業が戦争経済の基礎を構成していた。
616 :
名無し三等兵 :01/09/14 18:05 ID:6UazjX2g
617 :
名無し三等兵 :01/09/14 21:22 ID:6UazjX2g
618 :
名無し三等兵 :01/09/14 22:21 ID:cMT9h64k
>>613 ソ連が弱腰になったから独ソ不可侵条約に応じたと言うのはどうでしょうか?
西欧諸国の動乱を予期し、圏外に立つことによって有利な地位を占めようとしたとの
見方もあります。
スターリンの外交感覚は優れていましたからね。
軍事はちょっとアレだったようですけど。
ノモンハンについても、独ソの交渉が始まり西方に一定の安心感を得たからこそ、
ソ連は紛争に本腰を入れることが出来たとの見方もあります。
ソ連の長期的な目標は、ヨーロッパの共産化でした。
それが叶わぬならば、せめてドイツくらいは共産国にしようと考えていたようです。
なんせマルクス主義発祥の地で、ソ連にシンパシーを抱く人たちは大勢いましたからね。
ナチスが支配しても、西欧諸国の戦争で疲弊すれば十分共産化は可能と踏んでたはず
です。
自国が世界大戦に巻き込まれたのは誤算だったかもしれませんが、結果的には東ドイツ
の成立という形で目標の一部を達成したわけですね。
619 :
618 :01/09/14 22:25 ID:cMT9h64k
>>612 で紹介されている本は読んでみたいですね。
品切れなのか。
620 :
ベンゼン中尉 :01/09/14 22:59 ID:pHt.PfjE
無駄な講釈たれるより、他に時間を使いなよ。
>614 質問の趣旨が良くとれなかった。
622 :
:01/09/14 23:15 ID:pScvxBRM
>620 オマエの脳内妄想ドイツ軍話よりはずっと有益だけどな...w
623 :
名無し三等兵 :01/09/15 01:48 ID:ReP9lBI2
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=07047444 P28
一九四四年六月六日のノルマンディー上陸作戦いらい、連合軍のヤーボ
(戦闘爆撃機)に叩かれ続けたドイツ地上軍をその脅威から救うべく、
「ラインの護り」作戦とリンクして実施された一大航空攻勢が、
一九四五年一月一日のボーデンプラッテ(基地地盤)作戦であった。
一五個航空団三三〜三六個飛行隊の約八七〇機の昼間単発機を主軸と
した合計約九〇〇から一〇〇〇機は、午前九時過ぎに各飛行場を飛び立ち、
ベルギー、オランダ、フランスの計十八か所の米英連合軍飛行場を
一斉に強襲した。
ベルツ少将の第二戦闘機軍団の全力をあげて敢行されたこの攻勢は、
時間にしてわずか一時間程度の電撃のような一撃だったが、連合軍機
三〇〇〜四〇〇機(資料によって違いがある)を破壊する戦果をあげた。
しかし、連合軍の被害のほとんどが、飛行場に止められていた機体
のみで、パイロットの多くが生き残ったのに比べ、なけなしの戦力を
投入したドイツ空軍は、中佐・大佐級の航空団司令三名、飛行隊長九名
をはじめ、ベテラン搭乗員五九名など、パイロット二一四名と航空機
二九三機を失うという、当時のドイツ空軍にとって致命的ともいえる
損失をこうむってしまった。
すでに弱体著しかったドイツ空軍にはもはやこの損害を補充する力はなく、
「ボーデンプラッテ」が最後の航空攻勢となった。
http://www.militaryartcompany.com/luftwaffe.htm http://www.excite.co.jp/world/text/
624 :
名無し三等兵 :01/09/15 02:49 ID:7ZAq508Q
本当もクソもない、ドイツは貧乏だった。
625 :
名無し三等兵 :01/09/15 08:38 ID:ReP9lBI2
ドイツ参謀本部公式発表ではほぼ「全滅」しているはずのソ連軍が
あとからあとから幽霊の如く押し寄せてくる
>>415 の状況は興味深い。
ドイツに対する無条件降伏・領土分割は酷いとも言われているが、
ああでもしない限りはドイツ人の意識として「匕首伝説」が残りそうだ。
あのような「匕首伝説」の通用しそうも無い状況でもマンシュタイン
あたりは「失われた勝利」だったなどと言い続けていたんだから。
知ってて書いているとは思いますが、ドイツの領土分割は連合国の確固たる既定方針 というわけではなく、東西分裂も状況の産物みたいなところがあるんですよ。 ある時期までは、ソ連ですら統一ドイツ政府の樹立を唱えていましたからね。ソ連に 好意的な中立を保つことが条件でしたが。 無条件降伏については、「匕首伝説」の払拭に貢献したといえるでしょう。 ただ、ナチの死に物狂いの抵抗に手を貸した側面もありますけど。 マンシュタインについては、個々の戦闘について「失われた勝利」があると著作で 述べていたと思います。 戦争自体の帰趨については、当時の副官によるとあまりにも楽観的であったよう ですね。
627 :
3ch :01/09/15 16:55 ID:MzKYyPrs
久し振りに来たらついていけない。レスされている方が居られありがたい。 所詮自分大勢の犠牲者が出てても堕落した人間にはお似合の穢れたシスプリ が放送されるかどうかが心配でしたから。今回は801ネタで少し浄化された。 >612 結局ドイツは日ソ両国の関係改善に努力しませんでしたが毒素不可侵条約で結果的に日本のやる気を失わせた。 >613 トハチェフスキー元帥らの公式なクーデター資料は無いと思いますが正当防衛的なもので人民は良い暮らしをしていた赤軍首脳を支持していなかったでしょう。 >614 スターリングラードで飛行場への誘導波沿いに対空砲火ベルトを構築ぐらいしか今わかりません。すいません。 >615 ユダヤ人ホロコーストの犠牲者は左翼系で600万,SF研などシニカルな人の話では150万と言うことですがどうでしょう? >616 いつもありがとうございます。と言っても具体的に何所を見れば良いかと。Russian Victories?違うか >617 右翼系?な印象のあるサンケイ新聞ですが凄い客観的ですね。自分は管理職ではないのでやや同意できない部分がありますが… >618 一度共産主義に好意的なドイツ人の方が御客様でした。 スターリン大元帥の通訳の人のほかに映像技師だった人と言うバージョンがあったような。映画?週間プロレスのターザン山本氏も一時映像技師だった。 >620 出来るなら活字で無く絵で表現したいのですがペン入れが難しい。 >623 終盤のドイツ軍はバルシ攻勢といい春の目覚め作戦といいよくわからない攻勢が多いですね。 航空作戦など本土防衛だから遠くから飛んできて疲れているところを迎撃すればいい と思うのですがそこでレーダーシステムの差がものを言うわけなのでしょうか? >624 マンシュタイン元帥は義務を果たした。というかグデーリアン元帥の様に弱音を吐くと下の人間に侮られてしまうから。 上司としたら嫌だけど。
628 :
名無し三等兵 :01/09/15 18:01 ID:ReP9lBI2
>スターリングラードで飛行場への誘導波沿いに対空砲火ベルトを構築 ソ連軍はドイツ航空部隊の「誘導波」を逆探知していたのですか、どういう機械で?
629 :
名無し三等兵 :01/09/15 18:11 ID:ReP9lBI2
>レーダーに関してはスターリングラードでドイツ軍はピトムニク >飛行場から誘導電波を出して輸送機を飛ばしていたのですがソ連側 >はそれに沿った対空砲火のベルト地帯を作り上げたそうです。 別にこれは電波探知なぞしなくてもただ敵が毎回飛んでくる航路沿い に対空砲を用意しておけばいいだけで、何も電波探知じゃないってば。
630 :
名無し三等兵 :01/09/15 20:00 ID:ReP9lBI2
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P16、P29
マンシュタインの意見はヒトラーに高く評価されており、この場合の
ヒトラーの決意を強めたのは疑いない。一一月二四日ヴァイクスの
作戦会議に到着したマンシュタインは、パウルスはスターリングラード
を放棄し、脱出する以外にないとの同将軍の判断を断固として退け、
明らかに脱出はまだ可能であるとともに「最も安全な道」であり、
弾薬と燃料状況から固守するのは甚だ危険だが―とマンシュタイン
の報告はなっている―
・・・・・・私は少なくとも徹甲弾、歩兵の弾薬、燃料の適切な補給が
あるかぎり―これは不可欠である―B軍団の脱出熱には賛成できない。
原註8 もとの文書が残っている。マンシュタインは出版された
回想録の中で、私の引用したのっぴきならない言葉遣いを「改竄」し、
第六軍は脱出の機会が失われた以上、救出を待つべきである、それも
適当な空中補給が行われるとの「条件」でである、としている。
631 :
ニセ総統 :01/09/15 20:05 ID:PM/.4pB2
>630さん 毎度、コピペご苦労様です。貴重な資料とさせていただいております。 ところで、この名スレ独ソ60周年クラスのBBSって、どこか余所にありますかネエ? あたしゃまけライオンさんくらいしか、ご存知ないのですが
632 :
名無し三等兵 :01/09/15 20:19 ID:Ad4jWti.
633 :
632 :01/09/15 20:20 ID:Ad4jWti.
失礼、BBSでしたか。よく読んでなかった。
634 :
631 :01/09/15 20:22 ID:PM/.4pB2
朝から、あーたと随分すれちがってますなあ(笑) ま、休日ですな
635 :
631 :01/09/15 20:26 ID:PM/.4pB2
いや、そのスレ、以前、ここかゲームスレで紹介され覗いております。 そこ凄く気に入ってます
636 :
名無し三等兵 :01/09/15 21:17 ID:ReP9lBI2
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30693820P234 、235
ヒトラーには、東部正面の状況を憂慮する理由がいろいろあった。しかし、
さしせまった危機は西部正面にあった。一九四一年時点では、ヒトラーから
みると、イギリスなど、自己の無力を認めないだけで、実際には力のない
存在であり、背を向けていても構わなかった。それが今では、二年前に終わる
はずだった対ソ電撃戦はすでに失敗してヒトラーの軍隊は押し返され、一方の
地中海防衛にも錐で穴をあけられるように貫通され、友邦は離反していた。
しかも、それよりもさし迫ったさらにおおきな脅威が、彼の背後に生まれていた。
無力な西側が復讐の念に燃えて立ち上がりつつあった。東部正面に三度目の
ロシアの冬が訪れ、戦闘が凍結した状況にある時、指令第五一号がだされた。
絶対に回避するとあれ程約束していたニ正面戦争が恐ろしい現実となり、
ヒステリックな調子が文面ににじみでている。
637 :
名無し三等兵 :01/09/15 21:29 ID:ReP9lBI2
発総統 総統司令部 一九四三年一一月三日 複写部数二七 <指令第五一号> この二年半、多大の犠牲を伴う厳しい対ボルシェヴィキ闘争は、東部正面 において我方の軍事力の大半を注入することとなり、極度の努力が求められ てきた。危機の大きさと一般の情勢からそれが必要であった。しかし状況は 変わり、東部正面の危機は相変わらずであるか、それよりも大きな危機が 西部正面に出現している。アングロ=サクソンの上陸作戦である! 東部正面では、広大な領土のおかげで、相当に土地を失っても、ドイツの 中枢部に致命的な打撃を与えることはない。 西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を 突破すれば、当面の結果は予測がつかない。すべてが示唆するのは只一つ、 敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、 もっと早くなる可能性もある。ほかの戦場を優先して、西部正面をこれ以上 弱体化させるようなことは、責任上できない。そこで余は、特にイギリスへの 長距離爆撃が始まる地を中心に、防衛を強化する方針をきめた。敵が攻撃して くるところは必ずそこであり、すべての徴候を見誤まらなければ、上陸軍との 決戦生起が、ここであるのは間違いない。
638 :
3ch :01/09/15 22:47 ID:7JXW4hKk
アフガニスタン内戦の英雄マスード国防相が亡くなられました。黙祷
>630
「スターリングラード」サンケイ出版ではマンシュタイン元帥は第6軍の脱出を前提として
救出作戦を指揮したと思いますが。
空輸の保証責任はデミャンスクの成功を過信したゲーリング空軍元帥にあるようです。
「ヒトラーとスターリングラード」文林堂
>631
歴史板に結構似たスレがありますね、独ソ戦
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=999448929&ls=100 迷スレの間違いでしょう。もう少し文献にバラエテイがあると良いんですけど。あとYahoo!掲示板ですか?
>637
ある文献でノルマンデイーなどのフランス海岸部は鎧の裂け目になったという表現がありました。
639 :
名無し三等兵 :01/09/16 00:12 ID:U4WqIWtE
>迷スレの間違いでしょう。もう少し文献にバラエテイがあると良いんですけど。 だったらあんたもこんな「迷スレ」、レスつけないで無視したら?
640 :
631 :01/09/16 00:18 ID:qo8rsK1E
まあまあ
>639 スレを立てた人間の責任としてなるべくレスを付けるべきと思っているわけです。 いや本当はとてもありがたい事と思っていますが自分はそれを素直に言う事が出来ないから。 ただ本当に手元にある文献となると限られてしまいますから。 あとどうしても体験的なものではないので何所まで言って良いものかと言う躊躇いもあります。
ソ連のレーダーってどうなんだろうね。
643 :
名無し三等兵 :01/09/16 10:55 ID:U4WqIWtE
>>283 に亀レス。
中期以降のドイツ軍の戦果確認はドキュソ極まりますなぁ。
ハリコフとオリョールはソ連軍が8月に奪回してるんだからさ。
644 :
名無し三等兵 :01/09/16 11:16 ID:U4WqIWtE
>空輸の保証責任はデミャンスクの成功を過信したゲーリング空軍元帥にあるようです。 大体ドイツ空軍の戦闘日誌なんか読んでるとドイツ空軍はいつもいつも ソ連空軍に対して圧倒的勝利を続けてるような楽観的な記述だ。こういう ものを信じるならば、スターリングラードは空輸作戦で十分と考えられる。 あれが予想外の悲劇になったのはドイツ空軍の勝利過信・戦果誤認が原因。
645 :
名無し三等兵 :01/09/16 21:00 ID:U4WqIWtE
東部戦線でのドイツ軍のの絶対優位を信じて疑わなかった多くの
ドイツ人には、ベルリンに突入してきたソ連軍はあたかも幽鬼怨霊
であったろう。ドイツ軍の敢闘でソ連軍は大打撃を受け、それ以上
進軍できるわけがない、なのに次から次へと湧いてくるではないか。
>>283 の如くドイツ軍に殺されたソ連兵たちはまだ成仏してなかったのか。
またソ連兵のみすぼらしさは当時から有名であり、物量差とも違う。
646 :
名無し三等兵 :01/09/16 22:29 ID:U4WqIWtE
>知ってて書いているとは思いますが、ドイツの領土分割は連合国の確固たる既定 >方針というわけではなく、東西分裂も状況の産物みたいなところがあるんですよ。 まさに東部戦線の戦局が決め手だったんだな。俺は「ドイツの科学は世界一ィィィ」 「東欧人やアジア人は技術的に西欧諸国には全く及ばない」との幻想を完全に 叩き潰してくれたソヴィエト・ロシアに対し、感謝と尊敬の念さえ抱いている。
647 :
名無し三等兵 :01/09/17 00:26 ID:u8Rne95Q
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=ja&id=a5eaa5c1a5e4a5c8a5aaa5a6a5a6a5a2a5ea 搾取と略奪
ヨーロッパ征服によってドイツの経済は豊かになった。労働力と食料と資金が
ドイツに流れ込み、ドイツの戦争への熱意を煽った。
・・・中略・・・
経済的な搾取の手段は地域ごとに異なり、また時とともに変わった。1930年代
の終わりに奪った地域では、工業と農業がドイツの経済に密接に結びついた。4ヵ年
計画は、産業を組織的に奪取することと、ドイツが何を必要とするかを明確に示す
ことに大きな役割をはたした。奪取した産業は国有の帝国工場「ヘルマン=ゲーリング」
が運営した。帝国工場はオーストリア、チェコスロバキア、ポーランド、のちにベルギー
と東部フランスで、鉄、鉄鋼、石炭、機械などの企業を吸収して、世界有数の大企業となり、
その資産は1944年には43億7500ライヒスマルクに値した。獲得したなかで最も重要なのは、
有名なチェコのシュコダ兵器工場で、帝国工場は1940年末にはその株の63%を買収していた。
占領したヨーロッパの他の地域からの搾取で、主に占領軍の必要をまかなったり、
ドイツの軍事行動の資金にあてたりした。戦後の計算では、占領地域は、750億マルク
ほどの貢献をし、占領コストは530億だったとされている。衛星国を含めドイツが
支配したヨーロッパの全体が、ドイツに1200億マルクの貢献をした。つまり、戦争に
費やされた資金の約20%である。・・・・・中略・・・・・
・・・・1944年のピーク時には、ドイツには760万人の外国人労働者がいた。うち570万人
が一般人で、190万人が捕虜だった。・・・・中略・・・・
・・・・1944年の8月までに、ドイツの労働人口46%は外国人労働者と捕虜で構成され、
採鉱労働者は3分の1がそうだった。
648 :
名無し三等兵 :01/09/17 00:39 ID:u8Rne95Q
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30652156 P89
・・・・1941年10月、スペインのファシストのファランへの党員の志願
兵の師団がロシアに向かった。そこは1943年に撤退することになるが、
志願兵からなるスペイン隊は居残り、1945年4月、ベルリン防衛の最後の
軍隊に参加した。他にもヨーロッパのあらゆるところから志願兵がやって
きたが、その多くはエリートであるSSにひきつけられていた。SSは、
1939年の終わりにつくられた武装SSに名誉ある「アーリア人」を
スカウトした。戦争中、20万人以上の志願兵がSSに参加し、
なかにはイギリスからの小規模な義勇兵団も含まれていた。
649 :
3ch :01/09/17 12:54 ID:37Cdk2rM
毎度どうも、今日はレポート関係やらないと不味いのでまずあとずけなしレス。 >642 レーダー,神保町で古本買います。 >643 損害のため北部に比べて南部の反撃が遅れたのはたしか。 >644 スターリングラードの悲劇はパウルス元帥の優柔不断以上に安請け合いした空軍なども攻められるべきでしょう。 マンシュタイン元帥も責任は免れないがA軍集団やハリコフを救い半年は崩壊を食い止めた。 空軍とすれば300機以上撃墜のエースがごろごろいるのだから勝った気になる部分は無理も無い。 >647 「ドイツ空軍」サンケイブックスでは更に生産向上のため慰安婦を追加。 >648 新しいグラフィックアクションシリーズ「ドイツ不敗神話の崩壊?」に詳しく載ってますがスペインの青色師団ですね。 指揮を執ったグランディス将軍の名前はアニメ「不思議の国のナディア」に使われたのでしょうか? 最後のベルリンで最後まで戦ったのはこれら狂信的な非ドイツ系の民族だったのは皮肉。
第250歩兵師団「青」 志願者はSS第101・102義勇中隊に再編、ベルリン戦にて降伏 保全
651 :
名無し三等兵 :01/09/17 22:41 ID:u8Rne95Q
何かにつけてどうして「ドイツ見習え論」って内外で後を絶たないのかねえ。 同じ敗戦でもドイツ軍は賢く優秀だった、日本軍はそれと比べて愚劣だったとか、 ドイツは戦後補償・歴史反省を誠実にやった、なのに日本は無責任・無反省だとか。 だがドイツは自らロシアに対して全面的奇襲で絶滅戦争を仕掛けた、これは確かだ。 そしてその結果として東半分以上はソ連・ポーランド、残りは米英仏と分断された。 「ドイツのように賢く戦い、ドイツのように誠実に謝る」のなら日本も米英中ソ 四カ国で分断されて然るべきだ。欧州戦は太平洋より早く終わっているのだから。
652 :
名無し三等兵 :01/09/17 22:55 ID:u8Rne95Q
日本は寧ろフィンランドに見習うべきだ。かの国もソ連本土攻略は 為しえなかったが圧倒的なソ連軍相手によく戦った。日本も米本土 攻略は為しえず同じ立場にあったと思う。沖縄はカレリアに相当する。
653 :
名無し三等兵 :01/09/18 00:47 ID:.vYu4.WM
>>647 だから末期のドイツは同盟国が離反するに従ってどんどん弱くなったな。
対ソ戦は最初から全力疾走だからモスクワ攻略失敗でそれ以上にはならず。
1944年は生産のピークであったがこれはもう強制労働によるものだった。
しかも敵空軍の戦略爆撃で飛行機も地上火器も大半が破壊されてしまった。
これはDデイでフォッケウルフ2機しか出撃できなかったことで証明できる。
>>653 重箱の隅すまないが
D-Dayの状況は内陸に退避命令が出ていて
2機しか出撃態勢に無かったからだと思われ。
上陸後は第3航空軍は幾度か航空作戦を実施してる。
655 :
3ch :01/09/18 01:03 ID:5KxH1yGU
海軍もSボートが何隻か襲撃しただけでしたよね。 同盟国のほうは弱体とかいろいろ言われていたけどルーマニアの油田とかいなく なれば痛いでしょう。ただ部隊表記とかドイツ軍を賞賛する海兵隊員の インタビューがあったりやはり感情的なものも多いのでしょう。
656 :
名無し三等兵 :01/09/18 15:09 ID:.vYu4.WM
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P15
・・・・・一一月二四日、第六軍の補給係将校は一日に二〇〇トンの燃料
と二〇〇トンの弾薬および二七日以後はある程度の小麦粉を要求したが、
二五日国防軍総司令部の戦史係は、パウルスの「七〇〇トンの要求」は
明らかに誇張されていると書き、やがて三〇〇トンの数字が承認された。
十分なユンカースが手に入らないとのリヒトホーフェンの反対は信じられず、
第六軍は南西方向に脱出する以外にないとの彼の電話による勧告は無視された。
彼は日記にこう書いている。「総統は私のいうことによく耳を傾けてくれたが、
反対の決定を下した。軍が持ちこたえられると信じ、二度とスターリングラード
に到達できると思われないからだ」。ゲーリングに連絡しようとリヒトホーフェン
は試みたが、連絡できなかった、全国元帥はパリに行っていた。空軍参謀本部は
明らかに楽観的だった。というのは国防軍総司令官戦史係は二回こう記して
いるのである、ユンカース二九八機が動員できる、一日の能力六〇〇トンである、
わずかしか、一日二、三〇機しかスターリングラードにまだ到達していないが、
天候が良くなって空中輸送が始まったら、事態は変わる、と。それでヒトラーは
安心した。一一月二七日午後のヒトラーの戦争会議についての国防軍総司令部の
記録はこうなっている、「スターリングラード周辺の敵の配置は第六軍の意図にと
ってこの上もなく好都合である、スターリングラードの食糧事情は思ったよりよい」。
北西前線を撤退させるパウルスの計画はうまく進展していた。二九日の会議の記録は
フォン・マンシュタイン元帥の情勢判断にふれ、「総統と同じ結論に到達」といっている。
657 :
名無し三等兵 :01/09/18 15:27 ID:.vYu4.WM
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P29
原註1 発見された国防軍総司令部の戦闘日誌に、スターリングラード
危機の絶頂における一九四二年一二月二一日のヒトラー、イェショネク、
ツァイツラーの決定的な議論が述べられているが、そこの「しかしいつも
のようにまたなんら大胆な決定は下されてない。総統はもはやそうする力
を持たないかのようである」との文章は一九四五年のでっち上げで、
一九四二年の原文にはなかった。
>パウルスの「七〇〇トンの要求」は明らかに誇張されていると書き
原註4 国防軍総司令部戦争日誌の著者グライナーは一九四五年に
この文句を削除し、のちに出版された原文には出ていない。
>全国元帥はパリに行っていた。
原註5 ところが一九四二年一一月二五日の「日記」にエンゲル少佐はゲーリ
ングが“狼の巣”にいることにしてなんとヒトラーと劇的会談をやらせている。
>ユンカース二九八機が動員できる、
原註6 グライナーはあと智慧で一九四五年に記録を「改竄」し、「第四空軍
は輸送機は二九八機しかない、約500機が必要である」と直している。
658 :
名無し三等兵 :01/09/18 21:48 ID:.vYu4.WM
>空輸の保証責任はデミャンスクの成功を過信したゲーリング空軍元帥にある 1942年1月にイリメニ湖の南からセリゲル湖の北に位置する同地域で独1個軍団 (第二歩兵軍団)がロシア軍に包囲された。しかし補給を空輸にたよりつつソ連 軍の攻撃をささえ、4月には独軍は包囲陣の解囲に成功した。 スターリングラード戦のソ連空軍はこの当時よりずっと強くなっていたよう。
>649 >毎度どうも、今日はレポート関係やらないと不味いのでまずあとずけなしレス。 レポートか。3ch氏は学生さん? よそスレでがいしゅつだけど、ソ連レーダーの資料ならアンテナ関連の論文誌に 論文が投稿されてたよ。マグネトロンとzenit radar とかいう対空用の開発の話。 大学生ならば図書館逝けばあると思う。なくても論文はコピーを頼めるし。 もしも興味があれば…… Alexei A ,et al, "Development of the First Soviet Three-Coordinate L-Band Pulsed Radar in Kharkov Before WWII" IEEE Antennas and Propagation Magazine ,vol 43,no 3, June 2001
>658 ん? それは…タクティクスのおまけゲームにあった戦闘ではないか? まぁ、それはどうでもいいが、あのときの赤軍は大変だったよ。 春が来ると自分たちの退路が溶けるから…ある意味背水の陣。
661 :
名無し三等兵 :01/09/19 11:12 ID:42x64Avc
>>656 -657
何でもかんでも悪いのはヒトラーとゲーリングのせいにしたいという、
国防軍特有の負け惜しみが感じられますなあ。過大に戦果を見積もると、
温存されていたはずの友軍が現れず、撃滅されたはずの敵がわらわらと
出てくるのだから予想外の悲劇になるのはソロモン海戦の日本軍と同じ。
662 :
名無し三等兵 :01/09/19 16:57 ID:rtDThU26
ヒトラーは決してチャップリンの映画で出てくるような馬鹿でも狂人 でも無く、合理的戦略家であったと思う。彼が判断を誤ったとすれば それはドイツ軍の誤った戦果報告を信じた結果だろう。実際晩年の ヒトラーは将軍たちは余に偽りの報告をしてきたのだと言っている。 絶滅収容所での収奪・強制労働は戦争経済には欠かせないものだ。
スターリングラードの件、少々補足します。 まず、マンシュタインの件から。 1942年11月24日には、第6軍は現在位置に留まることを命じる総統指令が出されてま すが、この日、マンシュタインはドン軍集団の指揮を執るべくハリコフ近郊を移動中 です。 アーヴィングの著書でも紹介されているヴァイクスとの会談で、楽観的な見方を示し たのは事実ですが、レニングラード戦線から移動中のマンシュタインに、この時点で 全体を見通す判断を求めるのは酷というものでしょう。 なお、アーヴィングの言う改竄については、見た範囲では確認できませんでした。 その後、戦線視察の結果や敵情判断を踏まえ、マンシュタインは11月28日に戦況判断 と今後取り得る選択肢をヒトラーに送っています。もちろん、これも24日の総統指令 の枠内に縛られるものです。ただしマンシュタインは、この28日付報告の中で、戦線 維持に固執することの不利益と無意味さを説いています。 しかし、この意見はヒトラーの受け入れるところとなりませんでした。 12月3日、マンシュタインは「撤退は問題外であり、南から包囲網突破せよ」との、 ヒトラーからのテレタイプによる命令を受け取ります。ちなみにこれは総統閣下の自 筆でした。 空軍の補給作戦については、ゲーリングの責任も大きい。 11月21日のヒトラー、ゲーリング、ツァイツラー三者会談で、彼は補給の実行を安請 け合いしてしまいました。 陸軍参謀総長ツァイツラーは、必要補給量は300トンだが悪天候に備える必要もある ので実際には最低500トン必要と述べ、空軍がその補給を行うことは不可能と主張し ます。しかし、ゲーリングは補給の実行は可能であると言い張り、ヒトラーのスター リングラード確保の決意を固めさせてしまいます。 第4航空軍司令官リヒトホーフェンは補給に関する実行不可能な命令に仰天し、空軍 参謀長イエショネクに第6軍撤退の必要性を訴えます。22日、イェショネクは同趣旨 をゲーリング、ヒトラーに進言しますが受け入れられません。 さらにリヒトホーフェンは、24日の総統命令を受け、25日にはパリにいたゲーリング に電話、ヒトラーに影響力を発揮して第6軍の撤退命令を出させるよう懇願しますが、 ゲーリングは動こうとはしませんでした。 後はご存知のとおりの展開です。 ただゲーリングも、包囲戦のクライマックスを迎えた12月中旬には、自分の安請け合 いの結末に苦悩していたようです。 スターリングラードの一連の攻防戦に関しては、ご本人が珍しく認めているように、 やはりヒトラーに最大の責任があるとみるべきではないでしょうか。 以上は、A.シュタールベルク(マンシュタインの元専属副官)「回想の第三帝国 (下)」平凡社およびS.W.ミッチャム「続ドイツ空軍戦記」朝日ソノラマより。
664 :
名無し三等兵 :01/09/20 02:13 ID:Z6uHnvDw
OKW戦争日記の公表されたバージョンによれば、ヒットラーは、速やかに軍隊
および空軍の両方の参謀と全体的状況について議論しました、しかし、「再び、
通常のように、大胆な決定は得られません。それはそうです、あたかもか
のように、Führerはもはやそうすることができません。」(81) しかしながら、
デービッド・アーヴィングが指摘するとともに、この頻繁に引用された通行は
貧弱な光でヒットラーを鋳造することを目指した戦後の書き入れです。それは
Helmuth Greiner、OKWの日誌係およびそれによってオリジナルで出版されて
いない原稿に現われません、時期両方ともにヒットラーの記録されたアクション
と一致しない、先立ち次の21の12月の[1942年](82)。動揺するのではなく、
Führerは典型的な独断を備えた彼の将軍の「敗北主義者」見解を否認して
断固たる態度を示しました。彼は、強くMansteinおよびZeitzlerのの
評価に反対し、彼らの提案を拒絶しました。まだスターリングラードを
保持すると決意した、非常に高価な夏キャンペーンのただ一つの主な賞、
彼は、それがボルガ川でその位置を占め続けた場合のみホズの団体と
提携するのを第6の軍隊が試みると主張しました。
http://www.fpp.co.uk/reviews/HaywardonHW.html http://www.excite.co.jp/world/text/
665 :
名無し三等兵 :01/09/20 17:10 ID:Z6uHnvDw
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30468676P464 ヒトラーの返事は二十四日午前八時三十八分、無線で届いた。
冒頭に≪総統命令≫とある。最高かつ最厳重の命令段落だ。ヒトラーは
包囲網に対し、戦線を構築しドン西岸の部隊をすべて包囲網に収容せよ
とはっきり命令し、「現在のヴォルガ戦線を死力を尽くして守れ。空輸する」
と結んでいた。いまや第六軍は至上命令によりスターリングラードに釘付け
にされたのだ。軍集団、軍、現地空軍司令官が空輸の可能性を疑っていたにも
かかわらず、どうしてこんなことになったのか?
これまではゲーリング個人が空輸を保証し、それによってヒトラーの
致命的な決意を招いたとなっているが、どうもそうではないのだ。
伝説とはちがい、山荘でヒトラーと最終的な話をかわしたのはゲーリング
ではなく、その参謀長で慎重なイェショネクだったのだ。彼は空輸問題に
ついてのゲーリングの積極的な支持を提案したが、それに一連の条件をつけた。
たとえば前線飛行場の確保と好天などである。
666 :
名無し三等兵 :01/09/20 17:17 ID:Z6uHnvDw
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30563528 P89
それでも、ドネツ地区の撤収・破壊作戦のため、ドイツ国防軍は
今日に至るまでひどい非難を受けている。将軍・将校・兵には、
この結果、戦後ソ連で重刑に処せられた者が多い。死刑さえあった。
フォン・マンシュタイン元帥も一九四九年、ハンブルクで英軍事法廷
から刑を宣告された。≪焦土≫作戦についての起訴は一七項目に
ついては無罪とされた。法廷がこれは戦争に必要なものと認めた
からである。だが、一項目だけはそうではなかった。住民の一部を連
れ去ったことである。それでフォン・マンシュタインは有罪とされた。
667 :
3ch :01/09/20 20:41 ID:MUQPouLw
なんとかレポートは終った。が仕事を休んだ最低だ。気を取り直してレス。 >658 デミャンスクの場合は6個師団10万人で276トンであれば良かったのですが スターリングラードは22個師団33-22万人で最低500トンのはずですが実際は 悪天候で1日100トンを割る事も少なくなかった様です。 結局11月25日から2月2日まで3295トン運んだ代りに488機と1000人の将兵を失います。 P・カルヴォコレッシー、G・ウイント、J・プリチャード「トータル・ウオ―」河出書房新社 ソ連空軍の強化には疎開した工場の生産が軌道に乗ったのと新型機の生産 そろそろ届き始めた援助機などが要因でしょう。 >659 ありがとうございます。何とか読んでみます。ただ「トータル・ウオ―」によると ”戦前、ソ連は120の大放送局のほかに、2000の地方放送局が放送しており、1938年 には公共テレビ放送が開始されている”これが本当ならレーダーはたやすいはずですが エリツイン大統領の卒論がテレビ塔だったという事なので戦前は早過ぎる気もしますが… >660 White DeathというGDW社のゲームがありましたがボルホフの第2突撃軍のようなものですね。 ホルムではバズーカ砲が捕獲されパンツアーファウストが開発されたという話もありました がこれは対戦車銃の間違いだったとか。 >662 ヒトラー総統はスターリングラードの敗北や暗殺未遂事件などで心身ともにダメージ を受けパーキンソン病の兆候もあったようです。「トータル・ウオ―」 >663 論理的なレスありがとうございます。イマイチ自分は論が感情的なのですがゲーリング 空軍元帥は独ソ戦には反対したわけだから最終的には総統の退却したくないという本音 を汲んでいたかもしれないですね。 だだソ連側からすればそもそも1942年初頭の冬季前面攻勢の失敗。5月のチモシェンコ のハリコフ攻勢の失敗。更にドイツ側が南方に主力を向けているのにモスクワに精鋭 部隊を温存しつづけたスターリン大元帥の失策も責められていますが,R・コンクエスト 「スターリン ユーラシアの亡霊」時事通信社少しずつ学ぶために数百万人を犠牲にし たということでしょう。エドワード・ラジンスキー「赤いツアーリ」NHK出版 またこの本でもソ連のドイツに対する先制攻撃の可能性を示唆して公式文書が無いの は処分されたとの見解です。 >664 文献の改竄はわかりませんが11月でF・ハルダー陸軍参謀総長も解任され (後任はk・ツアイツラー将軍)W・リスト元帥も解任されヒトラー総統がA軍集団最高司令官 ドイツ陸軍最高司令官,ドイツ国防軍最高司令官と兼任していたのでは他に責任者はいないでしょう. ただマンシュタイン元帥の反撃(冬の暴風作戦)で64-50Km地点に12月半ば ドイツ救援部隊が迫った時に第6軍は脱出すべきだったのでしょうか? 空輸はあてになってはいなかったし燃料不足で全面崩壊でA軍集団の退路まで塞がれそうな気が。 マンシュタイン元帥も一部ヴォルガ河畔に残しあとで全体が突破する予定だったとか。
668 :
名無し三等兵 :01/09/20 21:08 ID:Z6uHnvDw
>ヒトラー総統がA軍集団最高司令官 むろん二四日の≪総統命令≫はヒトラー自身の決断に他なりませんが、 マンシュタインをはじめ国防軍総司令部としては支持を得ていたでしょう。 「だから俺は反対だった」というのは後智慧に基づく責任転嫁にすぎない。
669 :
名無し三等兵 :01/09/20 21:10 ID:Z6uHnvDw
>国防軍総司令部としては支持を得ていたでしょう。 訂正。「国防軍総司令部も≪総統命令≫を支持していたでしょう。」
670 :
ベンゼン中尉 :01/09/20 21:30 ID:.mjKNR4k
日本軍はしかしよく戦った。ドイツと同じく世界を敵に回し、大暴れをしたものである。 ドイツ軍よりも、日本軍の方が士気は高かったのは確かである。 ドイツの場合は総統という一天才に指導された軍隊であったが、日本の場合は天皇をはじめ明らかに国民的団結力が違う。 ドイツ軍の模範とは兵器、その作戦であるが、ドイツ軍には日本軍のような敵前上陸戦闘は出来ない。 ドイツには満足な上陸艇もなかったのであるから・・・。
671 :
3ch :01/09/20 21:42 ID:CoVcPl5U
イェショネク空軍総参謀長はミルヒ空軍次官やウーデット空軍調達・補給本部長官と 上手く行っておらずミルヒ次官のようにヒトラー総統からの特別な信頼も無かった様です。 また若かったので能力があっても上官を説得できない事も多かった様ですが”ゲーリング の積極的な支持を提案”ということでここはやはり上官であるゲーリング元帥に責任があるにでは? 1942年の12月までに勝利を収めないと勝ち目は無いという事で1943年の8月18日に 自決したのはスターリングラードの空輸失敗に何らかの責任を感じていたのかもしれません。 ウーデット上級大将に至っては1941年11月17日に独ソ戦による1603機撃墜され1028機損傷 のショックで自決してしまいます。この事は同時期15500機撃破されているソ連空軍機 が不当に安いということでしょう。 >666 現地の指揮官は仕方が無いでしょう。住民も残しておくと赤軍に徴兵とか。
672 :
3ch :01/09/20 21:57 ID:CoVcPl5U
>668 うーん西洋的倫理観からすれば日本の様に敗軍の将兵を語らずでなくてこうすれば 良かったというのが義務なのでは? >670 ソ連の調査では日本のシステムは古典的過ぎて参考にならないそうです。 天皇中心の家長父的支配ということですか。 ただ2ちゃんねるに限らずもう道徳観が崩壊している気もしますが… 確かに上陸作戦は日本に1日の長がありますがその後戦艦まで繰り出したアメリカはもっと陸海共同作戦が上手かったような。
673 :
名無し三等兵 :01/09/21 00:24 ID:vu5pdFx.
674 :
トンンハレ :01/09/21 00:44 ID:LhwqyzlY
基本的に 世界史を語る上で日本は中国の属国的な立場を 覆すことは今にいたってもいないのは 1、最も好戦的だった太平洋戦争当時の闘いぶりが、初戦以来 負けっぱなし。ゼロ戦はいまだ傑作機ととられるのは日本のみ など いいところがなかったこと。 2、カミカゼ、切り込みなど精神面の耐久性をアピールする作戦が インパクトを与えたが、それはあくまで ”アジア人種の異質 性”にたいする畏怖が働いたもので、けっして日本軍を高尚化 するにはいたらなかったこと があるのではないでしょうか。 結局 戦後の繁栄は冷戦の賜物であることを割り引いても、戦中の 日本軍の技術力は、陸、海、空とも ”アジアの軍隊 ”の枠組みを 逸脱するものではなく、むしろ同盟国であり、世界史でも類をみない 優秀さ(戦局の打開力、将兵の質の高さ、戦術理解度の浸透度)を 誇ったドイツ軍はあまりにも強力であったことがうかびあがるのでは ないでしょうか? 兵士の武装火器から、ヘルメットの形状、戦略核ミサイル 暗号技術 これら全てを開発、生産、実用化にこぎつけたのは 我が ドイツ軍 だけだったことを 盲目的日本軍信奉者どもに 伝えたい。 あなたたちは 無知すぎる そのまま 死ぬにはもったいなさ 過ぎる。
ネタだよな?
676 :
名無し三等兵 :01/09/21 21:44 ID:vu5pdFx.
P・カレルも「ベルリン陥落」は書けず終いだったけど、 途中かけでもいいから出版してくれないかな。
677 :
名無し三等兵 :01/09/22 15:21 ID:n1a16AIY
独ソ戦では2千万だか3千万だか見当もつかぬスラブ人が死んでいった。 だがいくら「ドイツ軍は兵器も戦術も世界一ィィィィ!」などと厨房ドイツヲタ が絶叫しようとも、ワイマールドイツ領の過半数はソ連支配下に収まったのだ。 日本軍の司令官は愚かで、ドイツ軍のそれは賢かった、うんうん。 日本軍の兵器は時代遅れのポンコツで、ドイツ軍の兵器は優秀だった、うんうん。 ドイツこそ科学技術の発祥地で、日本やロシアなぞ物真似に過ぎぬ、うんうん。 日本軍は米相手に負けて当然だが、ドイツ軍は東部戦線で勝てそうだった、うんうん。 #ドイツの傲慢な西欧優越主義を叩き潰してくれてありがとうソ連邦!
678 :
名無し三等兵 :01/09/22 16:09 ID:n1a16AIY
679 :
3ch :01/09/22 18:07 ID:zeUfdTJo
夕方まで寝ると調子いいが何所のも行けない。 >673 いつもどうもといっても彼の運命ぐらい見てみましたが武官は目的のためなら手段 を選ばない人が多いので押さえる文官(ヒトラー総統)が真っ先にユダヤ人弾圧だっ たので総統に責任があるのでは? >674 日本軍は数値化が難しいが先人には感謝,アフガニスタンではないのだから。 ドイツ軍はオランダ占領の際シュノーケルを発見したり全てに進んでいたわけでも ない。「Uボート」サンケイブックス >675 シャーマン戦車は傑作かのスレ住人さんですね。アメリカへのテロスレが多いです が1000まで頑張りましょう。 >676 海外でP・カレルというか此の方の文献の評判はどうなんですか? >677 ソ連邦崩壊の時の混乱でドイツからの救援物資を受け取った元看護兵の人は感慨深 げだった。イスラエルに移民した人は独ソ戦の勲章を誇らしげに付けていた。 >678 どうも,がちょっと練習行かないと。祭りも関係無いし。仕事は生き残れるか? 自作自演で千位いこうと思ったがネタ切れ。ヤクルトX巨人は最終決戦
680 :
3ch :01/09/22 18:11 ID:zeUfdTJo
681 :
マーチン信者n1a16AIY :01/09/22 18:39 ID:n1a16AIY
マーチン・ケイディン氏には「シュトルモビグ 大祖国戦争のソ連空軍」 なんてのも出してもらいたかったが、当事者たちが生きているうちに ロシアが資料公開・尋問許可してくれなきゃどうしようもないか。
682 :
名無し三等兵 :01/09/23 00:00 ID:HIuCZ7QI
>>676 >>679 P.カレルの独ソ戦最終篇は私も読みたかったです。
名翻訳家松谷健二氏も既に鬼籍、残念ですね。
ご存知とは思いますが、カレルの著作は世界各国で翻訳され、例えば「砂漠のキツネ」
はエストニア語版まであるそうです。
また、「バルバロッサ作戦」「焦土作戦」の英語版は、英・西独の出版業界が優れた
翻訳作品に授与するシュレーゲル・ティーク賞を、1971年に受賞しています。
世界的に評価の高い作家なのでしょう。
個人的には、独ソ戦の最終局面は、W.パウルの「最終戦」で補っております。
これも好著ですよ。中央公論新社か学研から再刊されるといいのですが。
独ソ戦(WW2)終了後のベルリンを扱ったものでは、G.クレアの「ベルリン廃墟の
日々」新潮社やW.シヴェルブシュ「ベルリン文化戦争」法政大学出版局が面白かった
です。
後者は、分断される前のベルリンを舞台にした、東西両陣営の文化対決を描いた作品
です。
最後にヒトラーの戦争指導について少々。
ヒトラーは、まず軍に対する権力を掌握する過程で優れたスタッフ組織をズタボロにし、
挙句の果てにグナイゼナウ以来連綿として受け継がれてきた参謀将校の共同責任の原則
を否定するという愚を犯しています。
俺は誰の言うことも聞かん!というのは、凡そカリスマ的指導者の行き着く果てなので
しょうが、緒戦の勝利に酔いしれ所詮半可通なのに専門技術的な分野でも自分は天才だ
と思い込んだのは、彼ヒトラーのみならずドイツや全世界にも不幸なことでした。
スターリンやチャーチルも、軍事の分野で余計な口を差し挟み大失敗を繰り返しましたが、
次第に専門家に任せるようになっていきます。
ヒトラーとの違いが生じたのは、政治家や党官僚としてのキャリアの差によるものなの
でしょうか。
684 :
名無し三等兵 :01/09/23 08:54 ID:HIuCZ7QI
685 :
名無し三等兵 :01/09/23 21:45 ID:HIuCZ7QI
>武官は目的のためなら手段を選ばない人が多いので
要するにマンシュタインは俺様の戦争・俺様の勝利にしか興味の無い
「戦争オタク」だった。だからその過程でどんなに多くの東欧人が
犠牲になっても俺は俺の戦争をやっただけで
>>678 は俺の知った
こっちゃあ無いと。それよりも東部戦線が失敗したのはヒトラー
が指揮したからであって、俺に任せたなら勝てたはずだったと。
そしてまた彼の回想録「失われた勝利」は誇り高く賢いはずのドイツ
国防軍がこともあろうにスラブ人の奴隷軍隊に純軍事学的に敗北したと
いう事実を認めたくない多くのドイツ人にとっては福音の書であったろう。
あれはドイツ人がスラブ人に対する優位を確認し自慰に耽るための三文戦記だ。
686 :
名無し三等兵 :01/09/23 21:49 ID:HIuCZ7QI
687 :
3ch :01/09/23 22:43 ID:LJjFje3.
今日は色々あって底だった、努力が足りない。 >683 丁重なレスありがとうございます。「砂漠の狐」エストニア語版ですか。タリンはバルト海の綺麗なところでした。 >685 いつもありがとうございます。が,たまにはアンチドイツ的な視点以外から話題を振って頂けませんか? なんにしても御付合いありがとうございます。
「失われた勝利」はドイツ参謀本部で訓練された精紳の論理的な働きを 描写してはいるが、彼の人間そのものはほとんど現してはおらず、 資料として参考する以外、読み物としては殆どつまらない。
689 :
名無し三等兵 :01/09/23 22:53 ID:HIuCZ7QI
>たまにはアンチドイツ的な視点以外から むろんソ連とて「一方的な犠牲者」とは言えまい。 でも僕が心情的にソ連を応援しドイツを批判するのは、 ウラソフ運動など反ソスラブ人がかなりいたにも関わらず、 根本的にドイツ軍は東欧・アジア人を野蛮人としか見ないから。 日本としてもこんな国との同盟は事実上不可能で対ソ戦に 応じなくて正解だった。これはウラソフの悲劇で確認できる。
690 :
3ch :01/09/23 23:08 ID:LJjFje3.
早速のレスありがとうございます。 >688 確かにP・カレル氏やグデーリアン将軍に比べ退屈だった覚えがあります。 >689 ウラソフの道,これは選択肢としてちょっと無理があるのでは? ソルジェニーツイン氏は第一時大戦のレーニンの様にすべきだったとありますが。 明日仕事なのであとお絵かきしたいので失礼致します。
691 :
名無し三等兵 :01/09/23 23:14 ID:HIuCZ7QI
ついちょっと前まではドイツの通貨なんて紙くず同様であったのに、
>>647 のような徹底した収奪政策によりドイツ戦争経済は飛躍的に伸びた。
一時期は日本は言うに及ばず、アメリカにさえ匹敵するとも言われた。
ドイツ軍は無敵だと内外でそう思わせておく限り収奪は思いのままだったが、
これを最初に打ち砕いたのはモスクワのソ連軍であった。そして最終的に
東方スラブ人達の奴隷の反乱により滅んだ。帝国陸海軍より早かった。
692 :
名無し三等兵 :01/09/23 23:30 ID:HIuCZ7QI
>ウラソフの道,これは選択肢としてちょっと無理があるのでは? ヒトラーやマンシュタインでは無く、グデーリアンやルントシュテット が主流であったならあり得たと思う。まあ主流が絶滅政策なら仕方ないが。 日本と違ってドイツは同盟国による「大陸ブロック」があったのだ。 対米戦の無いうちに反ソスラブ人勢力と共闘する方針ならソ連は 「大祖国戦争」の名分を失うことになる。P・カレルもクルスク 以前までそういうチャンスがあったと書いていたと記憶している。 ドイツ戦争経済は同盟国によって支えられていたのにも関わらず、 収奪オンリーで独り占めにしようとするから嫌われた。
693 :
3ch :01/09/25 12:06 ID:K66Z.BYM
沈みそうなのであげ。アフガンソ連側は大分苦戦したそうだがもう開戦秒読み態勢か。
アフガンでのソ連軍は、対ゲリラ戦術として大規模な農村の無人化と徹底的な穀物 地帯の破壊を繰り返し(生物化学兵器さえも使用した)深刻な食糧不足に陥らせ、 更に罪のない村全体の虐殺を幾度も起こしてる。 大祖国戦争ではドイツ軍の焦土戦術に合い、パルチザン行為による報復(住民虐殺)を受けた ソ連は、今度は卑劣なナチの手法をアフガンに対して行って歴史は繰り返されたのである。
695 :
名無し三等兵 :01/09/26 00:02 ID:ZsvtI5w2
うーん。 アフガンに攻め込んでも、大した戦闘はないだろうと言う気がする。 恐らく、十万単位の飢えた人々を発見して、戦闘ではなく統治に なし崩しに移行するような気が。 北部同盟を受け皿にするつもりかも知れないが、パキスタン辺りが 難色を示しそうだ。
696 :
名無し三等兵 :01/09/26 16:14 ID:LWVN4Epg
何にせよソ連軍がベルリンを陥落させたことは同じアジアの民として彼ら ロシア人の功績と武勇を称え、そして感謝したい。ドイツが一時強くなった のは内外で厨房ドイツ見習えヲタが増えてヒトラーを付け上がらせたからだ。 また第一次大戦のように東部で勝って西側に負け、国土が維持されては 「匕首伝説」を残すことになってしまう。だからこういう場合は東方 スラブ民族に本土が征服され、分割されられてしまうのが一番望ましい。
697 :
名無し三等兵 :01/09/26 16:37 ID:LWVN4Epg
真に西欧優越主義をやっつけたのは日本では無くソヴィエト・ロシアであった。 よく日本軍によるシンガポール陥落が西欧支配の打破であったと言われるが、 英国はその前にダンケルクでボロ負けしてるし、シンガポールは国の首都ではない。 俺に言わせればソ連軍によるベルリン陥落こそが西欧支配の打破であったのだ。 このままロシア人が居座ってしまえばもはや誰も文句のつけようが無かった。 いくら戦後になって無敵ドイツ軍神話、失われた勝利神話が強調されようとも、 ベルリン含む東欧がソ連支配下に入った事実を何ら揺るがすものではなかった。 米国はレンドリース代金を踏み倒されたことを嘆くが、犠牲を払ったのはソ連だ。 ドイツ軍の優れた戦術・新兵器とやらが強調されればされるほど、ソ連軍に よるベルリン陥落・東独支配割譲を喜びたくもなる。ありがとうソ連邦。
ドイツ憎しでソ連を持ち上げるバカがいるな。 シベリアに強制連行され、非業の死を遂げた数万(一説では20万)の日本兵を知らんのか。 いい加減にしろ。
699 :
3ch :01/09/27 18:16 ID:gg2U97Ns
今日も夕方まで寝てて大学行けず、悲しい。 今三省堂で学研M文庫フェア「クルスク大戦車戦」を買ってみたがこれがもとネタな書きこみもあり。 参考HPは概出だった。 >694,695 アフガンはタリバンが麻薬投売り。問題のある政権だが対ソの為アメリカが育てた部分がありそう。 ソ連側は魚を捕まえるより海を干上がらせようとしたらしい。 >698 シベリア抑留は確か5-60万抑留され5-10万人の方が亡くなられたと思いますが… 気の毒ですが自分は他に体験上嫌な事があったので。 それにしてもこうして理論を語る事はどうなのだろう?萌え萌えな絵を描ける事は確実な技術だが…
700 :
吉野屋温故知新 :01/09/27 20:33 ID:W0yuKns.
>3chさま そろそろ、新スレに移管されたほうがいいと思います。 このテキスト量なら、700レスでも、下手すると開封不可能になってしまいます。 この資料の山を、消してしまうのは勿体無いでしょう
701 :
3ch :01/09/27 21:01 ID:7WVoBcns
>700 吉野屋温故知新様、アドバイスありがとうございます。 といってもどうすれば良いのでしょうか? 最近アメリカテロ事件関係で少し話題がずれてきたので1000までマターリ行こうと思いましたが。 新スレ立てるといってもやや語り尽くされ役割を終えた部分があるので雑談して行こうと思いましたが。 Netに関しては初心者なのでもう少し御教授願います。
703 :
3ch :01/09/30 15:03 ID:qj7AprPw
沈みそうなのであげ。それにしてもISDNどうつなぐのか? タリバンはポルポト政権の二の舞になるのだろうか? 今日はエンジェリックレイや―の最終回だ,起きれて良かった。
704 :
3ch :01/09/30 15:08 ID:qj7AprPw
上がらないのでもう一度。 現実あれだけ堂々とテロが行われたわけだから証拠うんぬんではないと思うが。 個人的には売上などで頭が一杯で考えられないが。
705 :
名無し三等兵 :01/09/30 15:13 ID:7ZDmR/lE
ああ。敬愛する3ch氏がエンジェリックレイヤーなどというものを 見ているとは(泣) ま、個人の趣味に立ち入りますまい。ISDNはNTTでフレッツISDN というのに申し込めば電話料金固定月々3080円で特定プロパイダーに 24時間接続できます。 ハード的にはPCと電話端末をつなぐTA(ターミナルアダプタ)が 必要です。これは3万〜5万円くらいでしょう
706 :
新規スレッドに関しては :01/09/30 15:19 ID:7ZDmR/lE
>>700氏がいってるように、これだけの膨大なテキスト量だと 開封が難しくなるということ、過去にもあったと思います。 かといって新スレたてても、昨今の状況じゃ、レスがのびないでしょう。 新スレの立て方として・・・
707 :
新規スレッドに関しては :01/09/30 15:23 ID:7ZDmR/lE
独ソ開戦から60年、PART2
・・・みたいなタイトルで、
1 :3ch :2001/06/22(金) 08:09
(もちろん以下の文章改変可能)
第2次大戦のハイライト、人類史上最大・最悪の戦場なのに最近の研究やソ連側の情報公開により
こんなに酷い状態にあったサムイ(映画スターリングラードの銃殺部隊など)ソ連に勝てなかったドイツってかなりイタくない?
今まではドイツ軍の超人的な活躍が強調されていたけどドイツ神話を煽ってたホビージャパンも今やアニオタ誌。
ほんとのところどうだったのかマターリしたドキュンな情報求む。
最近の説(学研の歴史群像)ではソ連軍が先に先制攻撃しようと準備中のところドイツの先制攻撃で奇襲効果となってソ連軍に大損害が出たらしい。
旧スレッド「独ソ開戦から60年、本当はどうだったの? 」
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=993164998&ls=50 ・・・みたいに旧スレリンクを貼るが上分別かと思います。
・・・でも、しばらくここままでもよいかも・・・
708 :
3ch :01/09/30 15:58 ID:A1XA5nOk
皆さんレスありがとうございます。今週は日曜休みなのでこの時間帯 やはりROMしてる方多いのですね。 >705 ISDNはniftyで申込み機械が来てるのですが自分で繋がないと。 マジシスプリ,NOIR,フルバ,エンジェ好きなんですよ。 と言っても自分は描けるようになりたい。 独ソ戦の堅い話も好きなのですがHマンガ編集の塩山さんという方が 「嫌われ者の記」で「イワン・デニソーヴィッチの1日」など読まれている のですが無辜の民が弾圧されるのを見るのは気持ち良いと言われてい ました。そういうのが本音なんでしょうか? まして自分アウトローな仕事だから現実何が出来るのでしょう? >706,707 具体的な助言ありがとうございます。〆陰薄〜いWW2ソ連戦闘機スレ〆 など関連スレが上がってますね。 アニメ版の美少年スレでは250ぐらいしか行かなかったので1000行きた いというのもありますが。 皆様の御助力でここまでレスが伸びた事は本当にありがたいのですが 確かなもの、本当のものってなんでしょうね?独ソ戦の犠牲者は本当 に御気の毒ですがエンジェの動画部分で知った人のテロップを見た。
http://sunsite.sut.ac.jp/pub/academic/history/marshall/military/mil_hist_inst/w/ww2eto7b.asc http://www.excite.co.jp/world/text/ US battle casualties in the European Theater, 7 Dec 1941 to 31 Dec
1946, totaled 586,628, as follows:
Killed.......116,991
Wounded......381,350
Captured......73,759
Missing.......14,528
For the period 16 Dec 1944-2 Jan 1945, the US suffered 41,315 killed,
wounded and missing. The official Ardennes campaign extended to
25 Jan 1945 and included American counteroffensives. Total US battle
casualties for the entire campaign, including those of the Army Air
Force, were 105,102. See:
711 :
3ch :01/10/02 13:07 ID:6VSXBkIg
>710の単純に東部戦線の独ソ兵力比を見てみると、 Mid-Year Manpower On The Eastern Front Year Soviet German 1941 5 million 3.3 million 1942 5 million 3.1 million 1943 6.2 million 2.9 million 1944 6.8 million 3.1 million 前半の42年まではソ連がドイツの1.5〜1.6倍、後半の43年以降は2.1〜2.2倍と、 これまでドイツの将軍や軍史家が述べていたソ連との兵力差が常に3〜5倍と いう表現は過大だったかも。
>712 まあ敗因の所為を相手の圧倒的な兵力とするのは古今東西何処でも(勿論日本も) 言われてることですけども、対ソ戦敗北についてのドイツの将軍のいい訳としては、大抵 ・ソ連の兵力が圧倒的に多かった ・ヒトラーのせい の2点に集中してますな。
715 :
名無し三等兵 :01/10/02 15:50 ID:UFChU8Qc
716 :
3ch :01/10/02 19:41 ID:iGkhmuRA
航空機関係が5:1ぐらいですか Aircraft Available In Europe Date British US Soviet TOTAL German Allied Ratio June 1942 9500 0 2100 11,600 3700 3.1:1 December 1942 11,300 1300 3800 16,400 3400 4.8:1 June 1943 12,700 5000 5600 23,300 4600 5.1:1 December 1943 11,800 7500 8800 28,100 4700 6:1 June 1944 13,200 11,800 14,700 39,700 4600 8.6:1 December 1944 14,500 12,200 15,800 42,500 8500 5:1 この意味では空からの第2戦線は有効だったのでしょうか? 貴重な資料添付に対して答えたいのですが豊島区の図書館に行くぐらいしか出来ない。
717 :
名無し三等兵 :01/10/02 21:21 ID:UFChU8Qc
718 :
名無し三等兵 :01/10/02 21:59 ID:UFChU8Qc
同書P1072によれば,1943年の米第8航空軍の対独ソーティ数は, 338,526,956,449,1672,2107,2829,2265,3259,2831,4157,5973。 そして翌年は6367,9884,11590,14464,19825,28925,23917,22967,18268, 19082,17003,18252。そして米第15航空軍の対独ソーティは1943年11月から。 とにかく1944年の前と後で米空軍の対独ソーティ数は大幅に増加している。 また英空軍(RAF)はもっと前から対独爆撃をやっている。
719 :
3ch :01/10/02 22:50 ID:70RyXQxE
レスどうも,ソルジェニーツイン氏に拠れば大抵の戦場で常に数的優位を保っていた のはほかならぬ労農赤軍だそうですが1942年8月のスターリン大元帥の演説では 7000万人の人口を失った(占領地として)「スターリン,ユーラシアの亡霊」 R・コンクエスト、時事通信社と言う事なのでこの辺り(スターリングラード戦前後) がもっとも拮抗していたと思われますが常に砲数などはソ連側が優位に有ったと思わ れますが。(それは迫撃砲などが多いせいかもしれない) 航空機がなかなか数の上でも優勢になれなかったので余計米英軍の爆撃による援助が 大きいかもしれないですね。実際ソ連軍の生産の第一目標は航空機だったとありました。 (学研のシリーズ物?)ある人の話でも現在のドイツ軍とか徴兵でパイロットの育成を 第一においていますが(紛争などで航空攻撃が最も強力なので)事故などが多いイメージ があるせいかなかなか志願してくれないそうです。もちろん素質の面も多く誰でも良いと言うわけではないそうですが。
720 :
名無し三等兵 :01/10/03 00:42 ID:use06Le6
ところで、ソ連軍はベルリン戦でいったい何人やられたんだ。二十万人近くやられたという話を聞いたことがありますが。
ソ連軍の損害については、オーデル河〜ベルリンの戦いで10万人戦死という数字が
ありますね。
オーデル河からベルリン、エルベ河までの戦闘であれば、コーニェフ将軍率いる
第1ウクライナ戦線正面軍だけで15万人の戦死者を出しているようですが。
(K.ライアン「ヒトラー最後の戦闘」より。当時のソ連国防当局およびコーニェフ
将軍の証言)
ベルリン攻略を担当した他の部隊、ジューコフの第1白ロシア戦線正面軍や
ロコソフスキーの第2白ロシア戦線正面軍の損害を含めると、被害総数はさらに
増えるのでしょう。
東部戦線での戦力比較は、戦車・自走砲の数字がありますけど、やはり結構な差が
ありますね。
1944年6月22日(ソ軍夏季攻勢開始)ヴィテブスク周辺での独軍戦車は800、対する
ソ軍は4,100、同年9月のナルヴァでは独軍400、ソ軍3,000、翌45年1月12日(冬季
攻勢開始)のワルシャワ周辺では独軍770、ソ軍6,460だそうです。
(J.Ellis「WARLD WARU:A STATISTICAL SURVEY」より)
兵員については、予備の兵士を含めるとやはりかなりの差があったかもしれません。
>>710 氏紹介のデータによると、ノルマンディー戦ではかなり不均衡になっています
からね。
薄い戦線を突破されればジ・エンドというわけですな。
722 :
名無し三等兵 :01/10/03 10:00 ID:FcDbgEbg
>>283 の本って、厨房ドイツヲタじゃないのか。1943年のオリョール戦
は8月中にソ連軍に奪回されたのに、どうしてああいう数字が出るのか。
あの数字を信じるならドイツ軍はほぼ無傷ソ連軍は1941年のキエフ並
の壊滅であった、ということになる。どう考えても「1945年8月ソ連軍
オリョール奪回」の事実と矛盾する。これだけでも完璧なドキュソ戦史決定。
723 :
名無し三等兵 :01/10/03 12:48 ID:SDWWm2Nc
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P270、272
米陸軍は世界最大の船団の持ち主
アメリカ陸軍は世界最大の船団を保有した。そういっても間違いではあるまい。
大戦中、アメリカ陸軍が指揮下に置いた船舶数は十一万一千隻。これに対しm
海軍は一万四千隻から一万七千隻(船の分類の仕方で変わってくる)の戦闘艦
を指揮下に置いた。船の数でいえば陸軍のほうが多いわけだが、ただし陸軍は
一隻の軍艦ももっていなかった。
第二次世界大戦での上陸作戦のほとんどは陸軍が主導権をにぎっていたのだから、
陸軍が大船団を擁していても不思議はないかもしれない。陸軍は千六百二十五隻の
小型(千トン以下)外航船、それに一万一千百五十隻の内航船(曳き船、機雷敷設船、
燃料用艀、浚渫船などを含む)ももっていた。こういう分野は海軍が手を出したがらない。
724 :
名無し三等兵 :01/10/04 01:18 ID:pskZRxt.
>>722 ちゃんと読んでから批判したほうがいいと思うよ。
この本ではドイツ空軍の欠陥と敗因について、中央の首脳部に焦点を当てて
分析している。
725 :
ベンゼン中尉 :01/10/04 01:20 ID:UHAyUznw
独ソ戦開戦60周年記念だな。
こないだ同人誌即売会なんぞに行ったら 「ドキュソ戦・スターリンもヒトラーも厨房だった!」 って同人誌が売ってた……
727 :
名無し三等兵 :01/10/04 08:37 ID:93c/nazY
>中央の首脳部に焦点を当てて
どうせまたおなじみの「ヒトラーが悪い」論でしょ。俺に言わせれば
>>656 −657や
>>665 のように、敗戦責任は国防軍全体にある。
728 :
名無し三等兵 :01/10/04 12:35 ID:aGGuFkhs
>>727 ちょっと違うんだよね。
ヒトラーも出てくるけど主にゲーリングと高級指揮官達が中心。
空戦記ではないけど、人的側面からドイツ空軍の敗北を分析していて興味深かった。
日本でもこんなのが欲しいと思ったが。「本土防空戦」が近いかな。
戦争の敗戦責任は当然国防軍も負うべきものだが、最終責任はやはりヒトラーでしょ。
だからこそ独裁者たる資格があるわけだしね。そこが、日本の場合と異なる。
729 :
3ch :01/10/04 19:27 ID:iOkwLmKg
やっとマンションに帰って来た。割と会話が進んでいて嬉しい。自作自演は疲れる。 >720 A・ワース「戦うソヴェト・ロシア」Uみすず書房1969P300によると「ソ連史」第5巻1963 P288-90によるとベルリン作戦に直接加わった三方面軍(第一白ロシア,第一ウクライナ,第二白ロシア)は オーデル・ナイセ突破とベルリンへの突撃作戦で30万5千人の死傷行方不明者を出したということです。 ジューコフ元帥の第一白ロシア軍に限れば20万人かもしれないですね。 同じ頃の西側連合軍の損害が全体で25万人(資料忘れた)なので兵を無駄遣いする良くない指揮官と言う ソルジェニーツイン氏の批判もありますが最近の調査で尊敬している人の上位はジューコフ元帥とピョートル大帝でした。 >721 詳しい書きこみありがとうございます。ベルリン戦の時の戦力比 ソ連人員250万 戦車6250両 火砲41600門 航空機7500機 ドイツ 100万 1500両 10400門 3300機 「ベルリン攻防戦」学研、「トータル・ウオ―」も同じ数字です。 と言う事で質的なものを考えれば3:1以上はあったかも知れません。 >723 日本は陸軍が空母仕様の船まで持ってましたね。 >726 同人誌は絵で埋め尽くしたい。 >728 日本は余り本当の意味での独裁者というのは出にくいようですが前大戦の場合やはり最終責任は昭和天皇でしょう。 と言っても今の皇太子妃の御懐妊とか好きにやって下さい。全くもてない僻みもあるがそれ以上 にニコライ2世の一家惨殺でロシア革命が良くなったわけでもなんでも無いので。
730 :
名無し三等兵 :01/10/04 22:00 ID:93c/nazY
731 :
名無し三等兵 :01/10/04 23:54 ID:93c/nazY
>詳しい書きこみありがとうございます。ベルリン戦の時の戦力比 >ソ連人員250万 戦車6250両 火砲41600門 航空機7500機 >ドイツ 100万 1500両 10400門 3300機 >「ベルリン攻防戦」学研、「トータル・ウオ―」も同じ数字です。 >と言う事で質的なものを考えれば3:1以上はあったかも知れません。 ソ連軍がベルリン総攻撃を開始したのが4月15日、陥落は翌月2日で 20日未満、だが防御戦でこの程度の数量差なら量よりも質が問題だろう。 特に3300機もあったドイツの飛行機は如何ほどの戦果をあげていたろうか。
732 :
名無し三等兵 :01/10/05 20:10 ID:gDwEEMzA
ドキュソ厨房ドイツヲタが内外であれ以上増やさないないためにも、 「ソ連軍によるベルリン陥落」は断固として必要だったんだ。 「アジアの下等人間ども」に征服されて本当にざまあみろだ。
733 :
名無し三等兵 :01/10/05 21:32 ID:9MoI/A/M
>>732 パブロフ二等兵さん、日本語が変ですよ。
>>732 は資料リンクと翻訳テキスト貼るしか能がないの、よくわかるよ(藁)
このソ連マンセーコピペは世界史板の独ソ戦スレでもほぼ平行して貼りまくってますね。
736 :
3ch :01/10/07 19:17 ID:SIQDal66
色々ありますがNetの上での話なので皆様の常識の範囲でどうぞ。 1945,6,24対独勝利記念戦勝祝賀パレードが開かれあいにくの小雨の中で行われ白馬 に跨ったジューコフ元帥の前でロソコフスキー元帥が戦勝を報告し,スターリン大元帥 も見守る中で200人の選抜兵がドイツ軍から押収した軍旗200本をレーニン廟前の壇に 投げつけると言う儀式が行われ映画ならこれでTHE・ENDにふさわしい幕切れですが その一月後日本軍は悪夢を見ることになりしかも非常にソ連の人々もにとっては不人 気な戦争だった様で対独勝利の5,9に比べ対日勝利の9,2には赤の広場に集まった群衆 は10分の1にも満たなかったそうです。 更にソ連の人々自体ももちろんソルジェニーツイン氏のように獄中でベルリン陥落の 祝砲を聞く人にとっては自分たちの勝利ではなかったわけだし、 生産力がざっと1941の戦前に比べ半減,対アメリカに至っては8分の1という有様で 戦後の復興の上に新たな冷戦に備えて原爆開発まで続けて行かねばならなくなる。 更にどうもスターリン大元帥はこの辺りから戦争の激務による疲労で明確に病気では なかったものの尋常でない精神状態に陥り始め,フルシチョフ首相によると「誰も信じ る事が出来ない」と呟いて庭を歩いていたそうです。 そのために恐怖政治はいっそう酷くなり戦争が終われば暮らしが良くなると信じて いたソ連国民にとってはいっそう辛いものになった様です。 刑期は10年が25年が当たり前になり恩赦は政治犯にのみにでました。 そんな中で1950年に朝鮮戦争ですがフルチショフ首相は苦戦する金日成主席に同情 して「もっと高いレベルの顧問を派遣したらどうか」と言ったらスターリン大元帥は 「これは金日成の問題だと」いって断ったそうですが今日では西側に対する全面戦争 前の偵察戦のようなものであったなら良く自制できたものだと思ってしまいますが。 最終的には1953年のスターリン大元帥の死去で悪夢が終りますが藤子不二雄さんの 「まんが道」では当時株価が下がったそうです。
最後から二つ目の文が長くて……
>736 藤子不二雄の「まんが道」とスターリンという何の接点のなさそな深い取合わせですが、 どういった関連があったんでしょうか?
739 :
名無し三等兵 :01/10/09 01:40 ID:JXb8weFs
今でこそ悪名高いスターリンですが、昔は、「スターリンおじさん」と呼ばれ、 親しまれていた時代があるのです。 第二次大戦の興奮が冷めやらぬといいますか、ベルリンや朝鮮戦争での衝突は、 (者の道理の分かる人間はさておいて)「不幸な誤解」であると思われていた時代が あったのです。 当時、左翼は未だ挫折を知らず、社会主義は第二次世界大戦の戦勝という実績を得て ますます輝かしく周囲の目に映り、社会主義の盟主たるソ連邦の指導者には、 ある種の共感と尊敬が払われていたのです。 こうした勘違いは粛清が行われた当のソ連国内にもありました。 戦後もしばらくスターリンを称える風潮は濃厚で、社会がうまく回らない時期、 指導部の無能をなじるかのように、車のガラスにスターリンの肖像画を掲げる者が 大勢居ました。…フルシチョフがスターリン批判でそれを壊すまでは。 脇道に逸れましたが、スターリン崇拝は日本において社会の風潮でしたので、 まんが道でその辺りが描かれているのも、分かるような気がしますです、はい。
740 :
名無し三等兵 :01/10/09 05:36 ID:RKQlinuw
>当時、左翼は未だ挫折を知らず、社会主義は第二次世界大戦の戦勝という >実績を得てますます輝かしく周囲の目に映り、社会主義の盟主たる >ソ連邦の指導者には、ある種の共感と尊敬が払われていたのです。 けどもソ連崩壊後、経済的にはものすごく酷いものがあったことが明らかになった。 だとすればかえってこんなに酷い状況にあったサムイソ連に勝てなかった ドイツのほうも実はかなりイタい軍隊であったことがよくわかる。
741 :
名無し三等兵 :01/10/09 15:31 ID:GEdbfCE2
ドイツ(というかヒトラー)は、どうも、実業家に阿りすぎていたような気がします。 対仏戦後、すぐに陸軍を動員解除するし、占領政策は収奪ばかり。 総力戦に移行するのは、戦局がシャレにならなくなってから。 対ソ戦も、あれほど長引くと分かっていたら、産業界の反対で潰されたんじゃなかろうか。 「冬までには何とかするから、戦争させてよ」と強引にバルバロッサを始めたまでは いいけれど…やっぱり駄目だった。 産業界も馬鹿だった。 東方進出の夢を語った独裁者の末路はナポレオンの前例で分かっているはずなのに、 目の前のエサが大きすぎると、リスクが見えなくなる。
742 :
3ch :01/10/09 16:00 ID:H6C5mnck
せめて昼に起きないと… >739 わかりやすい解説ありがとうございます。 >者の道理の分かる人間 学者や活字を扱う人間、例えば自分の講義を受けたTOYO大学教授は86年の時点でまだ 文化大革命は文化がついてるから良いとか大韓航空機撃墜事件はアメリカのスパイ偵察 機の可能性の方を強調してました。 漫画家なら手塚治虫さんや石ノ森章太郎さんは物の道理がわかってたのではないでしょうか? 絵柄が余り合わなかったので信者ではないですがかなり皮肉な見方をソ連に対しされてました。 今度009がリメイクされますが004のハインリッヒもドイツの人は余りあれなんですけど中国人 のキャラとか飢えに備えるとか抗議が来そう。尤も自分の出身地はTV朝日系が無くてほとんど 見てないですけど。 漫画ネタが軽薄ならサッカーネタ。ロシアやクロアチア,中国は出場出来て良かったがドイツ はイングランドがロスタイムで奇跡の同点,ドイツはプレーオフに。ブラジルほど予選落ちか どうか騒がれてないのが悲しい。 >740 あるブラックジョークでヒトラーはスターリン時代の普通の独裁者と言う話がありました。 戦術的革命でかなり善戦しましたがやはりかなりソ連側の方に問題が多いので其方の方も 話題にして行きたいですね。 そういう意味ではスペイン内乱もソ連側は顧問団を派遣するだけでドイツやイタリアの様 に自国民部隊を派遣する事は無かったのですが報酬は莫大な金準備だったそうです。 W・クリヴィッキー「スターリン時代」みすず書房、亡命して暗殺されたNKVD長官の本ですが 恐らく偽書ではないでしょう。 アフガニスタン内戦はどうしてソ連側は直接介入したのでしょう。大抵顧問団派遣という 形を取る事が多いのですが。空爆も始まりアメリカの勝利でまた景気が良くなると仕事も 楽になるのですが歴史はそのまま繰り返さないでしょう。
743 :
3ch :01/10/09 16:05 ID:H6C5mnck
>741 海外植民地の道が閉ざされていたのと今のような上手い資本主義経営が できるのはやはり今も当時もアメリカだけでしょう。後強いて言えば英・仏。 それも従属理論的に言えば植民地の収奪があればこそ。 が先に豊かになる要領の良い人を落としても皆が豊かには成れない。
745 :
3ch :01/10/09 22:08 ID:FyDxSPAg
どうしてロシアはT-34が作れたの?
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1001428834/-100 こちらも沈む前に紹介。かなり当時技術的レベルも高かった様です。
>744
ネタを合わせてもらいありがとうございます。
どちらかといえば新しい国に出て来て欲しいですがベリヤ内務人民委員とスターリン
大元帥お気に入りのチーム(ディナモ)に勝った選手が粛清ということもあったようです。
後ユーゴスラビアチームも出れなくて残念。
バレーはロシアはギリシアに破れ世界選手権出場が危なくなった模様。
日本はオリンピックと違い男女とも出場できますが。
アニメネタなら宮崎駿監督は中国贔屓だったらしいが実際旅行に言って現実を見て転向されたらしい。
旧ルパン最終回でルパンは銭形警部から泳いで逃げる時「そっちはアメリカの反対だぞ」という科白に
「じゃあ中国にでも行きますか」と返します。
名作映画カリオストロの城ではるぱmmがクラリスを手品で慰める時の万国旗は鎌とハンマーで無く
聖アンドリューですしICPO国際会議にソ連代表は嫌味な人物で偽ドル札を発注したと反論されます。
現実北朝鮮など思想で正当化して偽ドルを作っているのが悲しい。
746 :
名無し三等兵 :01/10/10 01:09 ID:6aKJKPI.
信じがたいことですが、ソ連邦の科学界は、個人主義に寛容でした。 その精神のもっともたるものはOKB(試作設計局)と呼ばれる組織です。 一人のリーダーを中核に、兵器や機械の設計と試作製造を担当するOKBは、 名声と権力を賭けて、互いに競い合っていました。これらOKBの組織名の 先頭には、しばしば、局長の名前が付けられていました(そうでないのも もちろんあります)。 航空機産業において有名なのは「スホーイ」「トゥポレフ」「ミコヤン イ グレビッチ」、 ロケット産業においては「コロリョフ」「チェロメイ」、 エンジンでは「ミクリン」「トゥマンスキー」…あたりでしょうか。
747 :
スレ違い打通バカ :01/10/10 11:03 ID:PISok7/6
>>713 ヤルタ会談では米国がソ連に対日参戦の見返りとして満州支那の
権益の一部を譲った。これはカイロ会談とは違い中国の立場が全く
無視されてしまったことを明確に示すものである。
大陸打通作戦はやはり米中離間を決定的にせしめた名作戦であった。
748 :
名無し三等兵 :01/10/10 11:24 ID:6aKJKPI.
ごめん。打通作戦て知らない…。 何処から何処へ向かおうとしたの?
749 :
名無し三等兵 :01/10/10 16:53 ID:2q9yOxlU
>>741 ヒトラーと産業界との蜜月関係は、開戦以前に終わっていたのではなかったかな?
動員解除も、特定の利益集団を対象にしたというよりは、むしろ国民一般にアピ−ル
することを狙ったもの。
>>746 資本主義国で行われる競争入札に相当するものかもしれないね。
資源に余裕がある時代には、それなりに適合的なシステムかもしれない。
750 :
名無し三等兵 :01/10/10 16:58 ID:nD4/ciBE
>>748 とりあえず支那北部と南の香港を一直線に結ぶ目的があった
751 :
名無し三等兵 :01/10/10 22:13 ID:o5AKcnjA
>詳しい書きこみありがとうございます。ベルリン戦の時の戦力比 >ソ連人員250万 戦車6250両 火砲41600門 航空機7500機 >ドイツ 100万 1500両 10400門 3300機 >「ベルリン攻防戦」学研、「トータル・ウオ―」も同じ数字です。 >と言う事で質的なものを考えれば3:1以上はあったかも知れません。 ベルリン総攻撃が始まって陥落まで20日も無かったですね。 兵員2.5倍、戦車4倍、火砲4倍、航空機2.3倍とのことですが、 防御側優位(無理に攻撃すれば逆襲・追撃で痛い目にあう) の法則からすればそう圧倒的では無いような気もしますが。 特にソ連機相手なら200機以上撃墜のエースも大勢居たのだから、 ソ連機2.3倍くらいなら互角以上に戦えても可笑しくないはずです。
>>751 防御側優位といっても、この時点では背後から圧倒的な西側連合軍が迫ってますか
らね。後背地がなく予備兵力もない状況では、防御側の利点などほとんど無きに等
しかったのではないかと。
1945年4月中旬頃の独軍航空機については、東西両戦線およびクールラント、イタ
リアなどの全戦線で作戦可能な航空機は2,175機という数字があります。書類上は
4月9日現在で3,331機という数字もありますが、偵察機や輸送機まで含めてこの
数字ですし、燃料事情も極端に悪く稼働率がかなり低下していたようです。
この乏しい独軍兵力に対し、西側を含む連合軍の作戦可能機は4万6千機でした。
(A.Price「The Last Year of the Luftwaffe」)
戦闘の実際については、最近日本語訳されるようになった文献でも読むことができ
ます(例えば「J.B.フラッペ/J.E.ローラン「フッケウルフFw190 その
開発と戦歴」)。
地上攻撃航空団は、最新の機材と兵器の効果もありかなりの活躍をしたようですが、
それ相応の訓練をしていない他の部隊は多数の犠牲を出したとか。
ベルリン防衛のドイツ兵力100万という数字は、ベルリン攻略戦直前にソ連軍が推定
した独軍兵力で、実際はこれより低い数字だったようです。
例えば兵員については、ヴァイクセル軍集団(第3装甲軍と第9軍)が48万2千名
だったとされています(K.ライアン「ヒトラー最後の戦闘」)。
これ以外にはベルリン守備隊がありましたが、計画見込みで約9万4千人、武器は
2人につき1挺でした(W.パウル「最終戦」)。
これらも実際には定員充足することはなかったようです。
戦車については、950両という数字があります(J.Ellis「WARLD WARU:A STATI
STICAL SURVEY」)。
本来ならもう少し多かったはずなのですが、4月3日、3個装甲師団が南方軍集団
と中央軍集団に回されてしまい、ただでさえ乏しい戦車戦力が減じることになりま
した。
実際にはもっと少なかった可能性もあります。4月3日のヴァイクセル軍集団報告
によれば、「戦車と突撃砲148台。装甲車両の81%が作戦可能」とされています。
絶望的戦闘ながら、ヴァイクセル軍集団司令官ハインリキ将軍と第3装甲軍マント
イフェル将軍の冷静な指揮は素晴らしい。
先日、ヴィノグラードフ他編「KGB丸秘調書 ヒトラーの最期」光文社を、迷っ
た末に購入。ハードカバーは高いので。
内容はいいと思います。「ヒトラー最期の戦闘」のその後も補えるし、ソ連軍防諜
部の徹底した仕事ぶりには驚かされる。ついでながら、ロシアはやっぱりヨーロッ
パ諸国の一員なんだなとも実感。
でも、日本語題名はもうちっと考えて欲しかった。
753 :
752 :01/10/11 00:43 ID:mlBRc4HE
本のタイトルを間違えてしまいました。 ○ 「KGB丸秘調書 ヒトラー最期の真実」 × 「KGB丸秘調書 ヒトラーの最期」 「丸秘(○に秘)」が、どうも安っぽくて気に入らん。
754 :
名無し三等兵 :01/10/11 00:54 ID:1CyrctME
>この時点では背後から圧倒的な西側連合軍が迫ってます 西側連合軍は4月の初めにエルベ川で対独進撃を断念しております。 まあ独ソ両軍の「数字」については戦力も損害も資料によってまちまちですが。
世界史板では、もうちょっとジェントルマンにね。 フィーネからの、お、ね、が、い
756 :
752 :01/10/11 01:05 ID:mlBRc4HE
>>754 >西側連合軍は4月の初めにエルベ川で対独進撃を断念しております。
そうですね。
その場所、エルベ河まで来れられては背後はないも同然なんですよ。
「ベルリンは総統大本営としてはすこぶる実際的だ。今に市電で東部戦線
から西部戦線へ移動できるようになる」
ということですね。
昨日の売上は少し良かった、良かった。 ベルリン攻防戦時の独ソ(ソ連側文献ではソ独)両軍の兵力比が問題になっている様 ですがこれはソ連側の数字が元になっており少しドイツ側を多めに見ていたらしい です。戦車に関しては突撃砲や自走砲が含まれており,飛行機に関してはルーマニア の油田でドイツの6−7割の兵器が動いていたということなのでそれが無いわけだか らかなり苦しいでしょう。ハンガリーの油田回復も失敗しましたし合成燃料で動け るMe262は1294機の生産で終っています。人員も「国民突撃隊」など16−60歳まで 徴兵可能としたり人狼部隊も正規軍ではないでしょう。 だが人員はソ連側の報復を恐れたせいか必死で戦い戦意も高かった様です。 ソ連側の発表ですがオーデル川の突破で死者29万5千人に対し捕虜はわずか8万6000人 ということです。ケーニヒスベルクでは死者4万2000人に対し捕虜は 8万4000人 チェルニャホフスキー大将は戦死しタンネンベルク記念館は爆破され哲学者カントの 遺稿も焼け落ち(スターリン大元帥は動物園のかばを保護せよといったらしい)15万人 の避難民もベルリンからだまされケーニヒスベルクに誘導されたそうです。 「戦うソヴェト・ロシア」 西側連合軍の活躍はルール地方を占領したのが一番でしょう。ドイツの心臓として 石炭の80%を生産していました。尤も既に爆撃で無力化していた部分も有りますが 1944の終わりには4分の1しか外部に輸送されず,その2,3ヶ月後には更に半分になっ たそうですが、ドイツの重工業がルールに集中しておりルール以外の工業がルール の石炭に依存していたのは間違い無いでしょう。「トータル・ウオ―」 またナチス発祥の地ニュルンベルクの占領も心理的にダメージが大きいでしょう。
>>757 チェルニャホフスキー大将は、戦死した時はまだ30代でしたよね。違ったかな。
生きていれば地上軍総司令官くらいにはなったかもしれない。
カリーニングラードにはカントの墓は残ってるようですが、町並みは失われて
いるようですね。
759 :
:01/10/13 18:03 ID:P/p2MZeY
もうこの頃は相手の兵力差云々より、「春の目覚め」作戦のようなほぼ同兵力で 戦っても勝てることができなくなり、壊滅させられたソ連軍に「ドイツ軍には クルスク戦時の技量はもう持ち合わせておらず、変わりに無謀な狂信さが加わった」 とバカにされる位、優秀な兵を失ったドイツ軍は質の点でも劣ってきている。 戦争中優秀な人材を誇り、多少兵器の性能が悪かろうと少なくとも同数の 兵力であれば連合軍に負けることの無かったドイツ軍も、1945年に 至っては人材が不足し,同数の兵力でも勝てなくなったということでしょう。
760 :
名無し三等兵 :01/10/13 20:35 ID:l/5wKR5k
数量的には兵器生産は1944年がピークだったからね。 空軍にしても4万機も作ったんだから防御側優位の法則からしても 量的にはそう決定的な差では無い。問題はその「質」だろう。
ふははは。このスレッドでは俺は王様だ!!
我がロシアこそ大陸随一の覇者であることは確かな事実だ。 とはいえ決して無敵では無かった。奉天やタンネンベルク、 キエフでの敗退は有名だが、ロシアが巨大国であることを 忘れてはならない。寧ろそれだけの大損害を受けてもなお 立ち上がる力があったことこそロシアの強さなのではあるまいか。 ストリートファイターのザンギエフも、緒戦で敵に激しく打たれ ながらも最終的にスクリューパイルドライバーで決めるだろう。 厨房ドイツオタ逝って良し
マンシュタインの「失われた勝利」大いに結構、いくらでも自慰に耽るがいい。 彼らがそう言えば言うほど、我らが大祖国戦争の勝利が一層輝いて見える。 ドイツ軍の科学兵器が、ドイツ軍の戦術が優れていた、ならばなおさら 「ソヴィエト軍によるベルリン陥落」は素晴らしい。ありがとうソ連邦。 厨房ナチオタは知識がないくせにドイツを語るな!
ドイツのファシスト軍がわがソ連邦に卑劣な奇襲攻撃 をかけてきた時点で、日独伊ソ四国軍事同盟体制が崩れ、 日独伊の敗北は決していた。ロシアを敵にまわした国は必ず滅ぶ。 厨房オタは知識がないくせにナチに首を突っ込まぬこと
「第二の罪」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社) これ一冊で厨房ドイツヲタどもの「失われた勝利」 「ドイツ見習え論」がいかに薄っぺらなシロモノであるかがわかる。 日本は先の大戦を反省するにしてももっとロシアに目を向けるべきだ。 厨房3chはもっと本を読め!!!
「失われた勝利」ならソ連こそスターリンの過剰な猜疑心により、 赤軍粛清とバルト弾圧でファシストに付け入らせてしまったのだ。 また見習うのならドイツではなくソ連に見習うべきだ。 勝ったのはわがソ連邦なのだから。 厨房3chはドイツを語るな。無知のアホがおぞましい!!
そしてそのドイツを屈服させ東独含む東欧一帯を支配下においた、 人類初の宇宙飛行をやったわがソヴィエト・ロシアはもっと凄かった。 ファシスト・ドイツの「優れた科学兵器」とやらを強調すればするほど、 それに勝ったわれわれソ連邦の偉大さがますます分かってくるであろう。 厨房3chは佐藤大輔とかいうバカ本だけ読んで得意になってるが よろしい!
768 :
名無し三等兵 :01/10/14 00:28 ID:N.ngNWNM
ホンダの、CVCCエンジンの燃焼方法の原型を考えついたのはソ連の科学者だよ。 まあ、ソ連では実用化しなかったけど、かわりに日本が実用化したというのはたくさんあるんだよね。 ついでに、74式戦車はソ連式の発想の戦車だよね。
769 :
デビッド・ジョーンズ :01/10/14 01:11 ID:fkWS4W1g
>>767 崩壊したソ連をみて本当に心がスーとしたね。東西ドイツの合併の時のようにね。
ソ連は誇るべき物は無くなってよかったね。パブロフ君はレーニンの遺体の管理人でもしていろよ。
お似合いだぜ。
>>761 〜
>>767 Стоите!товарищ красноармеец Павлов,
Я обидно тебя! за нашу Советскую родину…
771 :
3ch :01/10/14 12:30 ID:ulDhzkdI
最終的段階に入ってきましたね。ゲームショウは年1回秋だけになるようです。 >758 チェルニャホフスキー上級大将は39歳で御亡くなりになりました。 ヴィリニュスに銅像があり将軍の名前を知っているとガイドさんに言ったら何所 で知ったのかと機嫌が悪くなりました。 >759、760 ソ連軍は人海作戦が多いといいながら特に人員では色々な戦場で2-3倍以上優勢で はなかった様です。 台風作戦時モスクワ方面 ソ連軍 人員 80万人 戦車 800台弱 大砲 6800門 航空機545機 1:1.25 1:2.1 1:2.1 1:1.7 ドイツ軍中央軍集団100万人 1700台 14000門 950機 「バルバロッサ作戦」学研 1941,12,5-6に開始されたモスクワ地区での反撃は ドイツ軍はソ連軍に対し(具体的な数字は無い)兵員で1.1:1、大砲1.8:1、戦車1.4:1 の優位にありました。「戦うソヴィエト・ロシア」 スターリングラードの反攻では ソ連軍 人員100万 500人 戦車894台 大砲13540門 航空機1115機 1:1.1 1.3:1 1.3:1 1:1.1 ドイツ軍+同盟軍101万1500人 675台 10300門 1210機 1944バグラチオン作戦の前では東部戦線全域で ソ連軍 人員693万9000人 戦車9985台 大砲97050門 航空機14787機 1.7:1 1.8:1 1.6:1 4.9:1 ドイツ軍 400万人 5250台 48635門 2796機 「第2次世界大戦」ソ連共産党中央委員会附属マルクスレーニン主義研究所編 川内唯彦訳、弘文堂(1963-64) >761-767 歴史板ではバカ2人にやらせとけということなのでもう少し頑張りましょう。 >768 大転輪方式や傾斜装甲砲塔ですね。CVCCは知らなかった。CMで空気を多く入れるシステムでしたっけ。 >769 ソ連崩壊で大混乱になるから止めたほうがいいと思ったが結果的に良かったのでしょうか? 今度はロシア連邦内も独立の嵐?それともEUのような統合? >770 和訳は、起立!赤軍兵パブロフ,私は祖国ソ連に関して貴方に侮辱されたですか? ロシア語変換できて良いですね。CCCPは普通で出来ますが。 いや本当普通にどんどん語って下さい。別に自分の語っている事が真実ではないので。
>771あ、どうも。毎度興味深く拝見しとりますです。
>>770 ううむ。翻訳って難しい…
自分としては、
「止めたまえ、同志赤軍兵パヴロフ!貴様は我が祖国ソヴィエトの恥だ!」
位のつもりで書いたんすけどねぇ…
奈何せん大学で少々かじった程度だもんだから。
>ロシア語変換できて良いですね。
辞書をカタカナ語設定にして,アルファベットの読みか、
”ロシア”で変換すると全アルファベットが出てきますよ。
>いや本当普通にどんどん語って下さい。
いやいや、自分はこの種の戦史に関しては,語るほど知識無いんで。
まずはココで勉強させて頂きますです。ハイ。
773 :
3ch :01/10/14 13:55 ID:oOmtumv/
>772 早速のレスどうもです。 ひゃ―恥ずかしい誤訳ですね。 本当ロシア語は語尾変化がドイツ語以上に激しく辞書での検索も一苦労ですね。 Poccияとこんな感じですか。 あと前にありましたがフィンランドに派遣されたドイツ軍について少しわかったので追加。 第20山岳軍(20万人)の元に第19山岳軍団(5万人)がありフィンランドではラプランド作戦集団 としてドイツ軍4個師団とフィンランド軍1個師団からなっていました。 そのほかフィンランド国内にはマゼリスク,オネーガ、カレリア地峡作戦集団が展開しており そしてカレリア地峡作戦集団の15個師団のうち1個師団がドイツ師団でしたがこれが 第169歩兵師団でしょうか? 空軍は第5飛行戦隊が派遣され900機だったそうですがこれはフィンランド軍と合わせて全部でしょうか? 海軍はラドガ湖でイタリア魚雷艇を陸上輸送して直接共同作戦をした位でしょうか? その後1944のソ連軍反攻時ドイツ軍は6個師団の救援要請に対し第122歩兵師団と第303自走砲旅団 を送りますが結局フィンランドから撤退しノルウエーでナルビク作戦集団として9個師団,8個旅団がありました。 「第2次世界大戦」ソ連共産党中央委員会附属マルクスレーニン主義研究所編 川内唯彦訳、弘文堂(1963-64) 結局フィンランドの多くの人達が容赦無くデンマーク,ノルウエーに侵入したドイツ との同盟を嫌っていましたがドイツのロシア作戦に関わった少数のフィンランド精鋭軍は証言によると 特にスモレンスクとトゥーラで特に婦女子に対してドイツ軍より悪質に横暴に振舞ったらしい様です。 他の枢軸同盟国軍もそうだったらしいですけど。「戦うソヴィエト・ロシア」
>>773 >ヴィリニュスに銅像があり将軍の名前を知っているとガイドさんに言ったら何所
で知ったのかと機嫌が悪くなりました。
うーん、バルト諸国の皆さんには評判悪いかもしれないですな。
公式には「解放」なんですがね。
銅像が壊されないだけマシかもしれませんが。
しかし色々な数字がありますね。
近代戦において、一つの戦場で相対する軍隊の人数を算定するのは難しいというこ
となのか。制限戦争時代なら簡単だったかもしれませんが。
>>752 で紹介した数字も、まあ確実だなと思えるのは書類上の航空機数とベルリン
守備隊の予定定員くらいですし。
現ロシア連邦軍創設時、当時の副大統領ルツコイ氏は、旧ソ連軍の悲しい伝統だっ
た「兵士の量的優位による勝利戦略」から決別し、「質的優位戦略」に移行するこ
とを唱えています。
1992年5月22日付「赤い星」紙掲載、「大ロシアにふさわしい軍の建設」と題した
論文ですが、そこではフィンランド戦争におけるフィンランド兵とソ連兵の戦死比
率が1対10、大祖国戦争のドイツ兵とソ連兵のそれが1対14だった歴史の教訓に触
れており、もはやロシアはこのような非人道的な人海戦術を維持できないとしたそ
うです。
3ch氏紹介の数字や海外サイトで紹介されていた数字を併せ考えると、結局のとこ
ろ定番の戦史が述べるところの予備兵力の規模が、個々の戦闘の結果に重大な影響
を与えたということなのでしょうか。もちろん他にも、統帥部の戦略、多正面戦争
の影響、作戦の巧拙等々ありますが。
当時1億9千万人の人口だったとされるソ連は、初期に西部地域を喪失したとはい
え驚異的な補充能力を有していたようです。
1941年8月には補充兵99万3千人が前線に投入され、同年末までには、訓練センタ
ーから250万人が投入できたとか。
物的側面では、1942年1月までに1520の工場が東部に移転し操業を開始、しかも大
規模移転の最中でも、1941年中に航空機1万2千機、戦車6500両、砲1万6千門を
生産したそうです。
1942年夏、再び南部で窮地に追い込まれた時も、スターリングラードに72個歩兵師
団、6個戦車軍団、2個機械化軍団、20個歩兵旅団、46個戦車旅団を投入。急な移
動だったため充足率は6割程度だったそうですが(D.ヴォルコゴーノフ「勝利と
悲劇」朝日新聞社、1992年)。
ソ連軍の軍団、師団のサイズは西側のそれよりも小さかったのですが、1942年以降、
ドイツ側の歩兵師団定数も、保有する大隊の数が9個から7個へ、歩兵中隊の人数
が180名から80名に減少しているので、人的側面でイニシアティブを奪回する手立て
は、機動戦を繰り返しキエフ級の大規模包囲殲滅を狙うしか無かったのでしょうね。
個人的には、東部戦線の独軍対ソ連軍の前線兵力の比率は大体1対2〜3程度で推
移、大作戦時に予備兵力が加わると、局地的に1対5以上の法外な比率になるのか
なとイメージしております。
ちなみに、1943年初頭SSの人事部門が1924〜1926年生まれの若者の戦線配置可能
な人数を見積もった時、ドイツのそれは69万4千人、対するソ連は約220万とした
そうです(芝健介「武装SS」講談社)。
先行き不安で、荷物をまとめはじめたSS高官もいたかもしれない。
現在のロシアは、社会の混乱もあり少子化が進行しているとの話を聞きます。
多産が見込める中央アジア諸国も既に独立した今、旧ソ連軍タイプの戦術を採る余
地はないでしょう。
プーチン政権になってからのチェチェン紛争では、兵士の損耗を押さえ込む戦い方
は比較的成功しているように見えますが。
775 :
3ch :01/10/15 22:48 ID:RbO89XR8
沈んでいるのでage >774 詳しい数字有難うございます。 >フィンランド戦争におけるフィンランド兵とソ連兵の戦死比率が1対10、大祖国戦争 のドイツ兵とソ連兵のそれが1対14 フィンランド戦争はそんな感じがしますが独ソ戦はどうでしょう? 鉄兜を被るのは臆病という風潮も有った様だし戦死者が多いことは間違い無いでしょうけれど。 >1941年中に航空機1万2千機、戦車6500両、砲1万6千門を生産したそうです。 学研の「バルバロッサ作戦」P136では 15735機 6590両 42300門となっています。 砲は15300門生産が1940年ですが。もちろん迫撃砲や76mm以上の砲を数えるとか で大分数字が違ってきますが。 >個人的には、東部戦線の独軍対ソ連軍の前線兵力の比率は大体1対2〜3程度で推 移、大作戦時に予備兵力が加わると、局地的に1対5以上の法外な比率になるのか なとイメージしております。 感じとしてはそうなのですが緒戦での大損害や占領地からの労働力の強制移動など 考えるとそこまで優位に立てるのでしょうか? 飛行機など本土防衛や西部戦線などに引きぬかれるのでソ連側が4-5倍になるのは 珍しくないと思いますが。 >プーチン政権になってからのチェチェン紛争では、兵士の損耗を押さえ込む戦い方 は比較的成功しているように見えますが。 どこかのスレでアフガニスタンでは1;3?もっと死傷率がソ連側に有利だった様です がチェチェンでは徴兵忌避のためか色々な独立諸兵連隊を送っているという話です。 レニングラードのホテルでは彼氏が徴兵に行くのでその前の旅行というカップルが いましたが彼の方は日本人の背が低い事をからかう仕草を見せたのでムッと来まし たが今元気なんでしょうか?もう10年以上昔の話ですが…
>>775 こちらこそ早速のレスありがとうございます。
ルツコイ論文については極端な事例を出したのかなと思います。
私が読んだのは、防衛庁広報誌「セキュタリアン」1992年12月号で紹介されていた
記事です。訳者は元社会党政審外交・防衛政策担当の丸山浩行氏。
元米国防総省国防分析研究所研究員T.デュピュイ氏によれば、第二次大戦中の戦
闘を分析した結果、独軍のソ連軍に対する相対戦闘能力値は1941〜1943年の間は2.5、
終戦の時点で1.8、対米英軍の場合は1.2だったそうです。
実際はこんなところだったのでしょう。
「勝利と悲劇」の著者D.ヴォルコゴーノフ氏によれば、独1:ソ3.2だそう。
ちなみに、中東戦争におけるイスラエル軍のアラブ連合軍に対する相対戦闘能力値は、
2.0だったとか。
ソ連の動員能力についてはよく分からないところが多いのですが、大戦中動員された
兵士が3千万人という数字もあります。極東方面をギリギリ切り詰めれば、西部で局
地的に優勢を保つのは不可能ではなかったかなとも思います。戦争末期の日本も真っ
青の根こそぎ動員をしたようですし、西部地域を喪失し7000万の人口が切り離されて
も、まだ1億2千万もいますからね。
開戦時900万人、終戦時1240万人、最大兵力1320万人だったとも言われ、いずれにせよ
超ド級の軍隊だったようです。
社会構造が変わった今では不可能でしょうが。
なお、ドイツの動員兵力は延べで1800万人、実人員で1000万人(含む勤労奉仕隊)だ
そうです。全戦線にわたる野戦軍の兵力が最大になったのは、クルスク戦の前の1943
年7月1日で490万人、1945年1月1日現在で420万人、同年5月9日現在の東部戦線
所在の兵士は158〜173万人だとか。
付け加えてご存知かもしれませんが、「勝利と悲劇」の著者D.ヴォルコゴーノフ氏
は、旧ソ連軍政治総本部次長を務めた後、ソ連の消滅期にエリツィン氏のブレーンと
なり、共産党やKGBなどの秘密文書の管理委員会委員長に就任、ロシア軍の再編成
などにも重要な役割を果した人物です。
経歴からいって例の偏向があるかもしれないと疑ってかかったのですが、案に相違し
てなかなか良い本でした。
でも旧ソ連の数字、政治的な事情もあってかなかなか取扱いが難しいようですね。
FSBの資料を売り飛ばす豪の者もいれば、物理的抹殺を図った御仁もいるようです
し、人生色々ですな。
レニングラードですか。
エルミタージュもご覧になったのでしょうね。羨ましい。
777 :
パブロフニ等兵 :01/10/17 17:01 ID:u/1uGyu9
残存ファシストらが「失われた勝利」なんぞ読んで、ドイツ軍の優秀さ を誉めソ連軍を貶したところで、ただそれは彼らの負け惜しみとソ連 赤軍の栄光をかえって際立たせるものにしかならない。 「ドイツの技術力に感服」ならばそれに勝った「わがソ連邦 の技術力」にも感服すべきだ。「ドイツの優れた戦術を見習う」 のならそれに勝った「わがソ連邦の優れた戦術」にも見習うべき。 われわれはベルリン陥落の日、目に涙を浮かべて勝利を祝った。 ありがとうソ連邦、ありがとうロシア。
778 :
3ch :01/10/17 22:38 ID:kZedORwP
やっと疲れが取れたので遅レス。 >776 やはり大雑把に言ってソ連軍VSドイツ軍の場合人口比から3:1ぐらいなのでしょうか? 只ソ連側の火力の増加により実質的兵力対比は減少した事でしょう。 ソ連軍の装備変化表 実兵員 銃砲 戦車 航空機 1942.11.19 100 100 100 100 1944.1.1 111 180 133 200 1945.1.1 112 217 250 343 「戦うソヴィエト・ロシア」UP200元は「ソ連史」第5巻P467 Ленинград市ですか、エルミタージュ美術館はソ連の人達が行列している 横を擦り抜けて入館だったのが気まずかった。日本人大企業の人も色んなことを 言っていたり絵に触っていたりあれでしたけど。 前半やたらマリアと赤ん坊の絵が多くあとレンブラント「夜警」はなかった気がしますが。 19世紀終盤突然筆のタッチの出る絵が多くなります。写真の影響ですか。 といっても自分はエンジェとシスプリの描き分けぐらいしか出来ませんが… 兵器ではCy-152やオーロラ号が印象深かったですが。 しかしこのレニングラード封鎖で公式には63万2000人実際には100万人近く御亡くなり になったそうです。(米英連合軍の死者より多い) しかもスターリン大元帥はレニングラード市に特別な感情を持っており(ここで革命は 始まり反スターリン派の地盤であった)ジダーノフ共産党組織委員長も大学の名前で残 っていたがあまり尊敬されている感じではありませんでした。 早朝オリガ・ベルゴリツのメモリアルプレートに行こうとしてタクシーに乗ったら 英語の解る人の家に連れて行かれ何しに行くのかと聞かれた上に会館時になってか ら行くように言われましたね,結局行けたから良いですけど… 今サンクト・ペテルスブルクなのも何か悲しいですが。 >777 実際ソ連領占領地での闇市や慰安所など国防軍が直接関わっていた様ですが。 ベルリンの勝利の後の粛清の再開も大変だった様です。レニングラード事件とか。
>>778 エルミタージュ美術館展、今日本でやっているようですね。
大阪なのでちょっと行けませんが。
>英語の解る人の家に連れて行かれ
K○Bですか?
>>773 でご質問の件
>空軍は第5飛行戦隊が派遣され900機だったそうですがこれはフィンランド軍と
合わせて全部でしょうか?
これは第5戦闘航空団「アイスメーア(北極海)」のことですかね。
一度に二方面の敵(ソ連と西側連合軍)と渡り合った、独空軍の縮図のような部隊
といわれているようです。
1944年5月31日現在の可動機数は63機で、第1・4飛行隊はノルウェーの海岸線を
防備、第2・3飛行隊が、南はフィンランド湾から北はムルマンスクに至る長い海
岸線(1,360km)でソ連軍と対峙していました。
レニングラード攻防戦で防衛施設構築に動員された青少年は60万人と公表されてい
るそうで、これは8〜9歳の児童まで駆り出されたことを意味するとか。
後にベルリン攻防戦で防衛責任者ゲッベルスが動員できた市民は、10万人の要求に
対して3万人。
徴兵方法もユニークというか大雑把というか、西部地域で奪回した地区では16〜60
歳の男子がほぼ全員動員され、例えば第13軍の場合、1943年9月の1か月で3万人
徴集という記録が「大祖国戦争史」にあるそうです。
この調子だと、突然5倍以上の兵力に直面するのも無理は無いかなと。
おかげで記録に載らない兵士や死傷者達が大勢いたそうですが。故郷に何らかの通
知がいくのは共産党員に限られていたそうですしね。
調査が難しいとロシアの研究者もこぼしているようです。
第二次大戦時のソ連は、動員史上の極限を示したのではないかと思います。
もっとも、日本も本土決戦(沖縄がありましたが)になったら、ソ連の記録にかな
り迫ったかもしれない。
780 :
名無し三等兵 :01/10/18 23:18 ID:UryRQcGk
781 :
パブロフ2等兵 :01/10/19 05:03 ID:IY1qv1yX
戦後西ドイツ人の殆ど、そして米英仏でさえも、ナチスと国防軍は別と考えた。 戦争の記憶といえば彼らはマンシュタインの「失われた勝利」のような歴史歪曲・ ソ連憎悪・独軍美化の三文戦記を貪り読んで自慰に耽ることしかしなかった。 これではまるでドイツ軍は常に強く賢くソ連軍にはいつも勝っていたかのようだ。 だが、マンシュタインの言う「勇敢で賢く巧妙なドイツ軍の防衛戦」とやらが行われ たはずの1944年は、この夏5週間の「バグラティオン作戦」で独30個師団消滅だ。 ソ連邦の人工衛星打ち上げも、彼らはドイツからの盗用だと盛んに揶揄した。 彼らはヒトラーと一部ナチ幹部にだけに何から何まで全ての責任を押し付けて、 自分たちが国家民族総力をあげてやった東欧での収奪を都合よく忘れていた。 「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社) これ一冊でそのような残存ファシストどもの薄っぺらな西欧優越主義は論破できる。
782 :
名無し三等兵 :01/10/20 11:07 ID:HLY/pK9Y
パブロフニ等兵=3ch って気がするけど、本当に違うんか?
783 :
名無し三等兵 :01/10/20 13:03 ID:bheijuxk
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=05294688 P78
・・・・ミッドウェイ海戦における日本の敗因の一つも、日本海軍の
電波探知技術が米海軍のそれと比べて格段に劣っていたことに
あったとされている。米海軍は、性能のすぐれた電波探知機
によって日本側の空母の活動状況を事前に察知、航空機の
出撃を前広に予測し、逸早く反撃を行うことができたのである。
電波探知技術におけるドイツの研究は、米英ほどの高い水準に
はなかったが、それでも日本とは比べものにならないぐらいに
進歩しており、日本はドイツ政府と交渉して最新の電波探知機
を譲りうけることとなっていた。伊号潜水艦派遣の最大の目的は、
実は電波探知機技術および装置の獲得にあったのである。
#これほどまでに重要な電波探知機だが、ソ連軍なら無くても勝てたんだ。
784 :
名無し三等兵 :01/10/20 13:17 ID:V6u1BbFf
>>782 じつは、おれもそう思ってる。困ったものです
785 :
パブロフニ等兵 :01/10/20 14:36 ID:4vpDevWw
>>782 ,784
そんな君たちに下痢をひっかけてあげます
786 :
名無し三等兵 :01/10/20 22:12 ID:LeKN5rNE
>これほどまでに重要な電波探知機だが、ソ連軍なら無くても勝てたんだ。 ソ連はT−34・シュトルモビグ、ドイツはフレイヤーを代表として、 エンジン技術ではロシア、電子技術ではドイツに軍配が上がると思う。 ソ連は優秀な機甲部隊・航空部隊を持ちながらドイツ軍の事前探知で 大損害ということが多かった一方、ドイツは非戦闘時の事故・故障 による消耗がかなり多く、「冬将軍」「泥将軍」というのがそれ。 荒削りながら量産できて長持ちするロシア製エンジンは、電子機器 の不足を補って余りあるものがあったのではなかろうか。
787 :
3ch :01/10/21 21:23 ID:Oo8ckQKn
御見合いパーティーで全く相手にされず帰宅。
>779
大阪ですか,確かレニングラード市と姉妹都市だった様な。
大阪近鉄は日本シリーズで巻き返せるのでしょうか?
ピスカリョフ墓地は神聖な場所なので自分が軽率でした。
レニングラードが苦戦したのはヴォロシーロフ元帥の指揮に問題が在った様ですが
映画では格好良く陣頭指揮を取りますが。ここでもジューコフ元帥の指揮が発揮さ
れた様ですがルガ防衛戦の混乱で粛清されたピャディシェフ少将の役割も大きそうです。
「攻防900日」H・Eソールズベリー、早川書房
ボードゲームはHJの突撃レニングラードは都市システムがイマイチでした。
SPIのレニングラード攻防戦は装甲軍団にスタックすると戦闘比が一ランクアップが良かった。
>780
ドイツの1944の41000機生産は凄い。
>781
その本があれば読んでみますが最近疲れてる。
>782,784
別人です、が昔の自分はそうだったかもしれませんが今は御仕事と御絵描きで
思想に耽っていられません。
>785
品の無い表現は止めましょう。折角の文明の利器だから。
>786
「PANZER」ではT-34/85でティーガーUを撃破する話も出てきます。特に終盤では
単なる自然条件だけでなくソ連軍が技量の上でも凄い技を発揮したのは確かです
が最後まで最前線で不可解なНКБД部隊の介入も行われた様です。
ソルジェニーツィン氏も確か1945年に逮捕された様ですし。
あと責任の所在をはっきりさせておきます。別に自分、売上のやや悪い只のタクシー
の運ちゃんですから。ただ理屈でなくて絵という拘りはあります。上手くいいたい事
が書込めないですが。それと話題になったレニングラード周辺の画像はこちら。
http://homepage2.nifty.com/H-revenge/sub01.html
788 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :01/10/21 21:26 ID:sWZaqWlK
>>783 ポムポム弾も同様。
あのおかげで、日本の攻撃機のほとんどがやられた。
>>788 エゲレス戦艦に積んでた奴か?あんまり当たん無かったって聞いたぞ。
790 :
パブロフ二等兵 :01/10/22 00:56 ID:aYMgyCrQ
ドイツ軍がキエフを陥落させ首都モスクワにまで迫った時、わが軍には勝利 を収める力がないのではないかと疑っていた。これ以上の敗退はソ連邦の解体 になってしまうのではないかと、兵の士気は沈滞し、モスクワ市民も動揺した。 よく覚えているが、この年12月になって極東部隊の投入によりわが軍が 大規模反撃に出てモスクワ防衛を成し遂げたということが明らかとなり、
791 :
パブロフ二等兵 :01/10/22 00:58 ID:RuSolEUw
よく覚えているが、この年12月になって極東部隊の投入によりわが軍が 大規模反撃に出てモスクワ防衛を成し遂げたということが明らかとなり、 幼い私も大喜びで家族そろってクリスマスを迎えたのである。 ソヴィエト赤軍>ファシスト・ドイツ軍 ソヴィエト赤軍>ファシスト・ドイツ軍 ソヴィエト赤軍>ファシスト・ドイツ軍 ソヴィエト赤軍>ファシスト・ドイツ軍 ただ単純に,純軍事学的科学的論理的にソ連はドイツに勝っていたから勝ったのだ!
あのなパブロフ。 3chさんも迷惑してるんだ。いい加減にしろや。
赤軍兵パヴロフ、ソ連時代を含め,ロシアにクリスマスは無い。 あるのは"1月に行われるヨールカ祭り(:Ёлка)だ。 ”二等兵”なる階級呼称といい…貴様西欧ブルジョワジーのスパイだな? 党と勤労人民、祖国の名において、貴様を刑法第58条違反の容疑で逮捕する! ルビヤンカの取調べは厳しいぞ!
794 :
名無し三等兵 :01/10/22 01:33 ID:prWw2+IQ
>>791 >幼い私も大喜びで家族そろってクリスマスを迎えたのである。
真の共産党員はクリスマス禁止でんがな。
795 :
名無し三等兵 :01/10/22 01:35 ID:prWw2+IQ
>>793 ごめん被った(ルビヤンカはご勘弁を)。
さすが詳しいですな、ナナシニコフ氏。
>>795 様 いえいえ…
旧ソ連時代の”ヨールカ”は
我が国のクリスマス同様、宗教色の薄い形で存続してたそうです。
そういやソ連軍が、ドイツ軍が今クリスマスなるロマンチックな祭りを夢中になってる から攻め込もうなんてのがあったな。
>>796 なるほど、伝統には勝てなかったわけですか。
>(:Ёлка)
このキリル文字なら何とか分かりそう。他のはてんでダメだけど。
ナナシニコフ氏もパブロフ犬と間違われて災難だね。
あの犬は世界史板で相変わらず暴れまわってるけど、何とかならんもんかな。
そもそもあの犬の目的は何なんだろう。
ソ連・ロシア=馬鹿を印象付けるためだったら、案外奴さん言うところのドイツ
厨房の回し者かも(w
>>797 タチンスカヤ飛行場攻撃だったかな。「焦土作戦」に出てた。
考えてみればクリスマス・年末も近いなあ。
799 :
名無し三等兵 :01/10/23 01:51 ID:C1LTQg8V
昔、シュミレーションゲーム(ボートゲームの)にこってた頃、独ソ戦は1943あたり、を境に別のゲームしないと表現できないとかゲーム雑誌に書いてあったなあ。
800 :
800 :01/10/23 02:27 ID:x2i5uxHg
パブロフの文からロシアというキーワードをドイツに置き換えてみると、 ドイツ厨房コテハンの戯れ言とよく似ているような気がする。 そんなドイツは米英仏のような西欧国家より、むしろずっと後進国ロシアとに相似・ 近似性があって、実はドイツとロシアはよく似た国ではないかと思えてしまう今日この頃
>>800 厨房同士のドキュソ戦なら隔離板でやって欲しいよね。
ドイツとロシアは確かに似てる、特に帝政時代は。関係も良好だったしね。
でも、第一次大戦以降、随分と道が分かれてしまったな。
独裁時代に再び接近したけど、第二次大戦後は全然異なる社会体制になってしまった。
今となってはもはや比較不可能と思われ。
>>798 様
>ヨールカ(補足)
まぁ、あの国の国民は基本的に”伝統”には弱いようでして、
一見”進歩的”に見えるボリシェヴィキ政権も,
民衆相手にはむしろこれらの”伝統的”な権威を利用する傾向が強かったようです。
この点が特に強く現れていたのが軍服のデザインで,
帝政期の復古調の強い1943年型が特に有名ですが、
革命直後の1919年型にも、18世紀的なボタン止めの意匠や
中世ロシア戦士の兜を模したとんがり帽子”シュレム”を取り入れたことによって,
帝政以来のフラーシュカ(制帽)やパゴンヌィ(肩章)を身につけた
白衛軍のもつ権威に対抗しようとする意図が読み取れます。
こういったロシア・ボリシェヴィキの”権威”に対するアプローチとは対照的に
”四旧打破”のスローガンのもと、”共産党””毛沢東”以外の
全ての権威を否定しようとしたのが文革期の中国共産党ですが、
それについてはまた別の機会に…
>パヴロフ二等兵
いや〜アレはなまじっか某厨尉相手にかんしゃく起したアタクシが悪いわけでして
たしかにああも内容がかぶってたら誤解を招いてもしょうがないかと、ハイ。
彼のような人が実際に当時のソ連に住んでたら,
多分イェジョフの様に”彗星の如く現れ、そして去って逝ったんでしょうねぇ。
>>800 様
>>801 様
ロシア人とドイツ人
なんでもその昔”PrussiaはRussiaに一文字足しただけ”なんてことを言った
口さがない英国人がいたそうで…(藁
荒涼たるハイデ(荒地)に住み,自然に鍛えられたドイツ人(特に北部)に比べ
ロシア人は土地が肥沃なせいか,基本的に楽天家が多いですからねぇ。
もし似てる点があったとしても,ソレは鏡に移った虚像と実像がそうであるように
”姿は似てても向いてる方向は逆”といった所かも知れませんね。
>>802 ナナシニコフ殿。
奴(パブロフ犬)は類似品ではござらん。「粗悪品」です。
>とんがり帽子”シュレム”
あの妙に先っぽの長い奴ですか。中世ロシア戦士の兜を模していたとは。
ノモンハンの時も使ってましたかね。
中国軍は不案内なれど、APEC警護兵士のメットがフリッツヘルメット
だったのには一驚。
これじゃ世界中ドイツ兵(もどき)だよ・・・。
でも、国民党政府も一部フリッツメットだったな。大陸ではお初ではないのか。
ロシアのみならず中国軍にも造詣が深そうですな。今後ともご教示くだされ。
804 :
:01/10/24 20:44 ID:w9w4Utg/
フリッツタイプのヘルメットはさすがに英仏では採用されてないけど、 やはりプライドとハン(もしくはボッシュ)と似たヘルメットなぞ被りたくも ないっていう伝統の嫌独感からか
805 :
3ch :01/10/24 21:28 ID:xFgdVKIh
800突破、ゴールまで後少し。革命記念日(11.7)までは続いているでしょう。
1941・42年ならこの頃ドイツ軍最後の大攻勢が挫折。
このスレが一杯に成るか開けなくなった場合歴史板のミラーサイトこちらをどうぞ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/999448929/l50 といっても構成員は重複している様ですが。
クリスマスですか。ソ連のガイドさんは童話シンデレラを後存じなかった様です。
スターリン時代にはタタール人の王にロシア人の娘を結婚させ、王を息子に倒させる
という寓話を語る事が禁止だった様です。
>799
アバロン・ヒルの独ソ戦では1943年の春以降労働ユニットの数値が倍になるというの
が(その数値分戦力コマが復活)上手いシステムでした。
実際疎開した工場も本格的に操業しレンドリースも本格的に届くようになり専門的な
軍隊として改編されました。(数字的には砲や戦車は1941年から42年に4倍になり42年
から43年はそんなに変わりませんが航空機は2万5千機から3万5千機になりました)
とんがり帽子はチェキスト帽とかブジョンヌイ帽と呼ばれていたような。
東京では神田古書店街の文華堂書店か篠村書店,書泉グランテが大体ネタを仕入れる場所です。
806 :
デビッド・ジョーンズ :01/10/24 21:39 ID:msea/0fd
確かに、ドイツは対ソ連に武装親衛隊の多数の有名部隊を配置していたようであるし、武装SSやドイツ軍の頑強な抵抗に戦局は常に変動していたのが分かる。 まあ、東部戦線の教訓からか西部戦線での戦局を換えることの出来ないLAHをヒトラーが非難した話は有名だね。
807 :
少佐 :01/10/24 21:55 ID:oLGdPvWG
ソ連の縦深作戦には弱点がある。 後からの攻撃に弱いし、横が無い分、容易に後に入られるのだ。 しかしヒトラーは縦深の正面で死守せよと命令した。 ようするに戦略ミスだ。
808 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :01/10/24 21:58 ID:msea/0fd
まあ、ヒトラーの戦略自体が包囲戦が主体だったから、はっきり言って1944年以降の戦いは好きではない。 ただし、ドイツ軍の退却戦は見事だったというくらいか。
809 :
3ch :01/10/24 22:09 ID:+QNZQHMx
確かに有名なドイツ戦車車長の手記ではソ連軍は強力な第一線を突破すると後は大した事無いので後方を荒しまわってから退却するという戦法が取られた様です。
>>804 それが仏も採用してるみたい。
イギリスは分からんなあ。
811 :
3ch :01/10/25 21:47 ID:CnWLz96X
今日「PANZER」の新刊発見。 第4次中東戦争に新しい発見が載ってました。イスラエル軍の初期の戦車部隊の シナイ半島における損害はサガ―ミサイルなどによるものが大部分と思っていた のですが対岸のエジプト領におけるT-62,55,54などの戦車砲や対戦車砲による ものが7割方だったそうです。 独ソ戦はサンケイ出版社の「無敵T-34戦車」を購入。700円と原価600円とそう変わらない。 1943年までにソ連はドイツの新型戦車1台に対し少なくとも5台の戦車を生産できたそうです。
812 :
少佐 :01/10/26 02:15 ID:CREmvYcw
>>811 戦車の数が戦いを決めたのではない。
フィンランド軍はソ連の縦深作戦の弱点が横や後であると見抜き、
祖国防衛を果たしている。
>>812 フィンランド戦では、まだ縦深作戦は行われておらん。
要塞化された前線を蚕食していく戦術を採ったため、大損害を被った。
これは旧ソ連軍関係者が認めていること。
814 :
名無し三等兵 :01/10/26 22:23 ID:glPTU77j
787>ドイツの1944の41000機生産は凄い。 それだけ生産しときながらDデイで西海岸で二機,東部では ソ連軍の「バグラティオン作戦」をどうすることもできんかったね。 本土空襲たけなわという事情もあるにせよ,日本だって沖縄に特攻出撃してる。
815 :
名無し三等兵 :01/10/26 22:28 ID:3m87tj8G
>814 まだ言ってるのか。
816 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :01/10/26 22:30 ID:pG2br2fg
結局は我がドイツはソ連の豚に負けたのではなく、アメリカの工業力に負けたのである。
818 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :01/10/26 22:38 ID:pG2br2fg
>>817 馬鹿者、我がドイツ軍は永遠に輝く無限の星となったのだ。
>818 どうでもいいけど、きみも早くお星様になってね。
最近パブロフがいないと思ったら電波の古株がお出ましか...
821 :
名無し三等兵 :01/10/26 23:24 ID:iEXXpZBC
>815 :名無し三等兵 :01/10/26 22:28 ID:3m87tj8G >>814 >まだ言ってるのか。 表現欲求を持ちながら技術が稚拙な為に他者の注目を得られ ない人間は、誰かに噛み付く事で充足感を得るようになる。
厨尉…アンタって人は…
>>814 スレ違いだから簡単に書くけど、太平洋とヨーロッパじゃ航空戦の規模が違う。
本土防空戦の期間と苛烈さは比較にならんでしょ。
地上の被害は同等でも。
ノルマンディーでも連合軍4,000機、ドイツ軍3,500機もの損害を出してる。
824 :
3ch :01/10/27 22:27 ID:eXgRnwn7
定期age。失礼しました,少し数字が違ってました。 1944のドイツの生産は火砲41000,戦車22100,航空機39807機です。 ソ連は 122400 28963 40300 1945 ドイツ ? 142 7540 ソ連 31000 15400 20900 1943 ドイツ 27000 17300 24807 ソ連 130300 24089 34900 1942 ドイツ 12000 9200 15409 ソ連 127000 24446 25436 1941 ドイツ 7000 5200 11776 ソ連 42300 6590 15735 「バルバロッサ作戦」学研のP136に1939から英国や米国の数字も載ってますが省略。 結局人員や航空機の東部戦線と西部戦線の損害比はどうなのでしょう。 結構1943年以降東部戦線に兵力が7割置かれたのが減って行きますが。 この辺りに空からの第2戦線の重要性や米英の同盟や援助の重要性がはっきりしてきますが。 ドイツもかなり頑張って生産しますが日本と同じく戦局の有利な1941,42年頃の生産を怠ったのが痛い。 もちろん打ち続く戦争で民力を休ませるのと占領地の収奪があったわけですが。
>824 41-42年は軍需相に無能なトート博士がやっててドイツ軍需工業が混乱して た時期でもあってそうで>生産性。 (その点はソ連はソフトスキン類を殆どアメリカの供給に依存できたので、 戦車へ集中生産ができたようですが...) あと、移動したウラルでの生産が軌道にのったとが43年頃かと思ったら、 42年で早くも(44年まで横ばい状態の生産数で、)軌道にのってたようですね。
>>825 ドイツ戦時経済の混乱は、開戦時に統一的に計画・指導されなかったため
というのが通説で、個人(トート博士)の責任ではないと思われ。
ちなみにシュペーアは、トート博士を高く評価しておりました。
生産分担についてはごもっとも。
827 :
3ch :01/10/28 00:14 ID:Q8dwnvxw
そうですねその後のシュペーア軍需相の功績も大きかったかもしれません。 1942年初頭の冬季攻勢にはウラルへの移転による生産減の影響がスターリン大元帥の 全面反攻による作戦ミス以上に攻勢が不充分に終った原因だった様です。 1941年9月から減少し8月の水準に戻ったのが12月でこの時期がソ連軍の戦車生産の最も苦しい時期だったそうです。 もちろん横這いとはいえ軽戦車T-60(それでもあらゆる面でU号戦車よりカダロクデータは上ですが) やT-70などは1941で1807台 42 9563台 43 3643台含まれています。それ以降軽戦車は生産中止となり(SU-76は続きます) T34-85が 44 11000台(43年は100台) 45 18330台 コンバットAtoZシリーズ6「図解ソ連戦車軍団」斎木伸生、並木書房1998のP208、ここに詳しいソ連戦車の種類別生産数があります。 1944年にT34-76が3723台のみになると大きな戦車砲の質的向上が行われた様です。 SU-76も7155台ありますがИСー2も2252台ИСУ―122,152も2510台造られます。 航空機や火砲はそこまではっきり機種による向上がわからないのですが。
>>824 東部戦線でのドイツ軍戦死・行方不明者は約250万人、対する西部戦線ではD.DAY
以降で約13万人だそうです。イタリアでは約6万人。
航空機の東西での損害比率はよく分からないのですが、1944年5月31日現在の
可動機配備状況をみると、全可動機4,475機中1,887機が本土および西部に、残りが
東部戦線、バルカン、地中海、イタリア地域に配備されていたようです。
機種でみると戦闘機は西側偏重、地上攻撃機は東側偏重になっています。
なお、44年のソ連軍バグラチオン作戦に直面することとなった第6航空軍の可動
戦闘機は66機、地上攻撃機は106機。
ドイツ軍の全装甲車両の形式別、年次別生産台数を把握するには「ジャーマン・
タンクス」(大日本絵画)が便利です。ご存知の方多いと思いますが。
戦車の全生産台数は26,925輌、突撃砲は10,550輌。
829 :
3ch :01/10/30 05:40 ID:iiMQnPcE
定期age、大学の図書館では「第二の罪」は何故か無かったのですが 「ソ連の勝因とドイツの敗因」高津正道、昭和20,11・20 という本を発見,いまいちトンデモ本のような内容(ソ連の実態を勘違い)ですが 1943,6.22の段階でドイツ軍はソ連軍に人員で536万(捕虜464万) 戦車 3万3千台 大砲 5万門 航空機4万機 の損害を与えたとの記述。 「レーニン,スターリン,マレンコフ」西谷覚蔵、昭和28,12.5、磯部書房 こちらはスターリン体制の暗黒面について詳しく千数百万人が犠牲となったなら スターリン統治の25年間に1日3千人が殺害された計算とか。日本は500人で20人とか。 >828 >780に拠るドイツ軍人の死者が350万人なら77%で東部戦線で勝敗が決定付けられますが >20 に拠るドイツ軍人の死者が400万人なら62.5%で西部戦線の比重が大きくなります。 「ジャーマンタンクス」は4000円するのと別の国の戦車との比較があるので 「戦車名鑑」1939-45,光栄,1996などに拠ると T号戦車1493台 U号戦車1922台 V号戦車5681台 W号戦車8509台 X号戦車5995台 Y号戦車1346台 ティーガーU489台
>>829 ドイツ軍の戦死者数350〜400万という数字には、通例1945年5月9日以降の死者、
いわゆる戦後の死者が含まれています。
1950年にアデナウアー首相が連邦議会に提出した資料によると、終戦時点で生存が
確認されていたにもかかわらず帰還しなかった兵士が140万7千人もいたそうです。
彼らは、ソ連やアメリカ・フランス管理下の捕虜収容所で長期拘束中に亡くなった
と考えられています。
ドイツ側の調査では、そうした未帰還兵士を含め第二次大戦による戦没兵士は
最も多く見積もった場合、431万1千人だったとされています(民間人は335万人)。
こうした点を考え合わせると、戦時中のドイツ軍の死者は最大で290万人と推定され
東部戦線での被害の大きさが理解できます。
通説的な理解と同様、陸軍は東方への遠征で消耗したと考えてよいのでは。
空軍については東部での損害も大きかったのですが、米陸軍航空隊による本格的な
攻勢が始まった1943年以降のダメージが致命傷でしょう。
それでも1944年前半までは何とか互角の戦いをしていたようですが(連合軍が制空圏
を獲得したとされるのは4月)、補充(特に搭乗員)が絶望的となり、ボーデンプラ
ッテ作戦の強行で戦闘機部隊は止めを刺されてしまいます。
海軍は、もともとUボート主体の海のゲリラ戦を展開するしか方法がなかったので
すが、これも1943年5月を境に押さえ込まれています。
なお、ドイツでは行方不明者の調査が戦時中から現在にいたるまで継続中で、ドイツ
赤十字には今も専門部局があるそうです。
戦没者についても、戦争墓地団体が終戦直後から国外を含めた戦没者墓地の整備を
行ってきており、ロシアでも活動しているとか。
831 :
3ch :01/10/31 03:23 ID:q4VclE+6
定期age。 >830 いつもありがとうございます。と言っても1:1討論になってきましたが… 空軍については詳しくなかったので資料を探しましたが ミニタリ―エアクラフト5月号別冊「東部戦線航空戦(T)1941-43」1998,5.1,編集宮崎一憲,デルタ出版P143 資料出典・ロシア国防掌編 軍事百科事典1994年板に拠ると >敵がソ独戦線で喪失した77000機のうち,ソ連航空部隊は57000機を殲滅した。内44000機は空中戦で,13000機は飛行場におけるものである。 だそうです。大体ドイツ空軍が戦争中に生産した航空機が11万3514機なのを考えると多すぎる気がしますがどうでしょう? 「トータル・ウオ―」や学研の「バルバロッサ作戦」
832 :
名無し三等兵 :01/10/31 13:51 ID:eJpZU7ii
今だに飽きることなくクソスレを乱発し、訳のわからん持論を振りかざす 毛沢豚(=888=みずミミズ=打通太郎=カレル太郎=その他厨房固定ハン) 最近はヒキコモリ疑惑もあるようで・・・・(ワラ 随分毎日ネットに繋いでいるようだけど、やっぱ三重大学やめちゃったのかい?
>>831 こちらこそお付き合いいただき恐縮至極。
空軍の件、結論から言ってしまうと、いささか「多すぎ」ですね。
西側連合軍が破壊したと主張するドイツ機がこれまた約5万7千機、これでは生産量
に匹敵・凌駕しちゃいます(笑
ドイツが生産した航空機も、全部が全部戦闘で失われたわけではありませんしね。
戦闘以外にも、事故損失や故障、自然消耗や旧式化による退役など様々な要因がある
わけで、これらの要因により廃棄処分した機体は相当数にのぼるでしょう。
末期になると、工場は出たものの搭乗員不足で保管されたままの機材が多数あったよ
うですし。
ただ航空戦の分野では、搭乗員の損失に比べて機材損失に関するデータはあまり厳密
なものが存在しないとの記述を以前本で読んだことがあります。
時期や戦場ごとの航空戦の流れや配備状況などをフォローすれば、まあ十分なのでは
ないでしょうか。
ちなみ私の知る範囲では、ドイツ空軍搭乗員の戦死・行方不明者は約7万人(一部は
捕虜)。
ヨ−ロッパ戦域でのアメリカ陸軍航空隊の死者は約4万人、イギリス空軍は約6万人
(合計で11万人説もあり)。
西側連合軍の戦闘による機材損失は4万機、ソ連のそれは7万7千〜8万機。
また一説によると、戦闘以外の要因、例えば燃料切れや過度の疲労、絶望や自殺の衝
動に駆られて地上や海中に突っ込んだ連合軍機は、オランダ領内だけで7千機にもの
ぼるそうです(ポール・ファッセル「誰にも書けなかった戦争の現実」草思社)。
834 :
名無し三等兵 :01/11/01 11:03 ID:Lmn5tBfy
835 :
名無し三等兵 :01/11/01 11:26 ID:N9FSgggU
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P287
フランスにおける大敗走と堕落の光景についての恥ずかしい話
をヒトラーの耳に届いた。ある地区では五つの別々の師団に属する
五つの混乱した隊列―が東に向かって同じ道路をベルギーもしくは
西部防壁に向かって流れ下っている。別の地区では将校がピストル
で脅して自分の自動車を橋の隘路を通させているし、あるいはかけ
がえのないレーダー装置や砲や弾薬が敵の手に落ちるのに、空軍の
トラックが家具や掠奪物をのせて基地から出て行く、その間敵の
飛行機はこの隊列を一〇〇フィート上空からずっと機関砲や機関銃
で悠々と掃射している。
836 :
3ch :01/11/01 23:42 ID:UtwXFerc
定期age。
そろそろ総括に入るため過去レスの検証に入りますが
>833
>>207 にありましたがソ連軍がドイツ本国に進撃できたにはアメリカ軍がドイツ空軍
を撃滅したためと言う主張が有りましたがこうしてみると4万:5万7千でそれほど西側
連合軍がキルレシオに優れていたわけでは無い様ですね。まして西側連合軍の損害に
は4発戦略爆撃機が含まれるわけだから。
日本軍の生産は5万機ぐらいでしょうか?F6Fヘルキャットの太平洋戦争での撃墜/損失
比は19.1:1と圧倒的だった様ですが。
それでもドイツ空軍はナチスと同じく新興の軍隊として親近感のあったせいか予算や
資材配分で優遇されていた御蔭でソ連軍が大体15-13万機(I-15など二万機戦前に生産
された旧式機を入れるかどうかで違ってくる)のとやや控えめな生産記録
1942-45に8万1千機というもあるのに対し11-10万機とほぼ遜色の無い生産を達成します。
戦闘機の数も新鋭機で大体6万機で拮抗していました。
が戦車になると生産では大体ソ連10万両:ドイツ5万両ですがドイツの場合装甲車も入
っているようで>828の数字で戦車に絞れば37475両になりT34-76で19335両T34-85で
29480両という質的な事を考えれば3:1ぐらいになるかもしれません。
火砲では48万5千門:9万4千門で大体5:1となります。「バルバロッサ作戦」や光栄の名鑑シリーズ
>834,5
終盤ラジオでドイツ各都市の空襲情報など定番だったので直接最前線に晒されない大部分
のドイツ国民にとって空軍は不評だった事でしょう。
後関連スレ)シミュレーション スターリン不在の独ソ戦
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1003834537/l50
>>836 西側連合軍の数字にも当然誤認や水増しがあるでしょう。それは避けられないことだ
と思います。キルレシオも、双方の記録を対照した本(D.L.コールドウェル「西部
戦線の独空軍」朝日ソノラマ、W.ジルビッヒ「ドイツ空軍の終焉」大日本絵画)によ
ると、1944年前半まではドイツ側のほうの戦績が良いようです。夜間戦闘は大戦終結
まで、独空軍が相手に数倍の損害を与える好成績をあげていましたし。
ただ、英空軍が1941年から開始した大陸(英仏海峡)への攻勢作戦とドイツ本土夜間
爆撃、1943年から米空軍が開始した昼間爆撃は、確実にドイツ空軍の戦力を弱めてい
きます。これに加えて、地中海戦域での損失も無視できないでしょう。
空の戦争では第二戦線は継続中であったわけで、1944年に入るとドイツ空軍の戦闘機
部隊は本土と西部に集中配置されるようになり、損耗も尋常ならざる事態に陥ります。
結果
>>828 で紹介したように、ソ連軍の攻勢に直面しても屋根のない状態に地上軍は追
いやられていったわけです。
米軍の昼間爆撃の状況をみると、例えば第8航空軍は、1943年1月以降一度に300〜
400機の重爆による空爆を開始し、同年末には1,500機体制を整えます。
さらにイタリアには、600機の重爆を擁する第15空軍が設置され南北からの挟撃を行い
ます。最終的には常時4,000〜5,000機体制になったようですが。
1944年に入ると、ドイツ爆撃には毎回600〜1,000機の重爆大編隊が送り込まれ、さら
に多数の護衛戦闘機がドイツ防空戦闘機部隊を悩ませるようになりました。
ほぼ同数の損失でも、連合軍全体にとっては軽微な損害、しかしドイツ空軍は出撃機
の10〜20%を失う事態が続き、戦闘機部隊の存続すら危ぶまれるようになります。
また、1944年以降合成燃料工場が破壊されるようになると、ただでさえ乏しい燃料が
末期的な不足状況に陥り、不要不急とみなされた爆撃機部隊などは1944年5月頃から
逐次解散させられるようになります。
ドイツの航空機生産は、確かに1943年頃から急カーブで上昇(42年;15,556 43年;
25,527 44年;39,807)するようになります。
しかし同時期のアメリカは(42年;47,836 43年;85,898 44年;96,318)、増産の
エンジンがかかるのが遅すぎたといえるでしょう。他にも多数の兵器(戦車からUボ
ートまで)を生産しなければならなかったという事情もあり、一国では所詮不可能だ
ったと言ってしまえばそれまでですが。
前線に投入された航空機の比較をみると、1943年6月頃は独5,003;連合軍22,902、
1944年6月には独4,637;連合軍39,481、1944年12月には独5,041;連合軍42,787と
の数字があります。搭乗員や燃料不足も手伝って、必至の増産も戦局には影響を与え
なかったようですね。
戦車・火砲についてはこれまた米英の生産(約12万輌)が加わるわけですね。
日本がもう少し機動化された軍隊だったら、西側連合軍の戦車もかなりアジアにまわ
されたのでしょうけど。
あと細かい話なんですが、ドイツの戦闘機もさすがに全部が新鋭機とはいえないので
はないかと。例えばBf109の初期型(Eタイプなど)やBf110などです。
838 :
3ch :01/11/03 20:14 ID:tdSb/7kh
何か白熱してきましたがパッと見た人には解らないのが難ですね。 「世界の歴史」中央公論社でスターリン大元帥はローマ法王が信者に多大な影響力を 持っているといったのに対し「一体法王は師団を何個持っているかね?」と言い放った そうです。 数が全てではないですがこの時代までは共産主義的なエンゲルスに拠る 「力の勝利は軍需生産に基づくもの」と言う事でしょう。もちろん今日では核兵器や 射撃統制装置によって最近湾岸戦争などで覆されましたが。 あと軍事板なのでソ連の生産は職業すら国家による動員であって職業選択はおろか 失業の自由すらない部分に負うところが大きいのでそのあたりは語ると寂しくなるので。 >837 1944年には燃料ストックが600万トン?(単位不明)からもう上がることなく下がる一方になります。 爆撃により航空燃料生産が4月17万5千トンから9月7000トンに落ちこみます。 しかも8.30にはルーマニアのプロエシュチ油田を赤軍占領。 この当りが連合国軍効果なのと多少の撃墜率を問題にしないダメージなのでしょう。 このせいで新人パイロット訓練飛行プログラムが米英の半分160時間になったそうです。 コンバットAtoZシリーズ3「図解ドイツ空軍」小泉和明(画)菊地秀一(文)並木書房1995 Bf109は余裕のあった設計のせいか改良の余地があり標準戦闘機として生産向上に大 きく貢献たのがパンター戦車や零戦と違う所なのでしょう。 東部戦線で見逃せないのが地上整備要員など飛行場が占領され奪還してみると連れて 行かれてしまっていると言う悲しい事も在った様です。 あとドイツ軍の戦車の場合西部戦線と東部戦線でどれくらい損害比率が違うのでしょう? かなり兵員に近い割合が出そうですが。
>>838 >「一体法王は師団を何個持っているかね?」
それ、私も知ってます。
そう言われても困りますわな。とりあえず「100個師団」とか言ってやればよかった
のでしょうか。
カトリックとロシア正教会の攻防は今も続いていますね。最近も、ローマ側の押しか
けに総主教が激怒してました。
労働関係だと、ソ連は1940年に一連の厳しい労働法規(週7日労働)を導入し、厳格
な罰則を背景に労働力の大量動員を図っています。14〜17歳の若者も「国家労働予備
軍」として80〜100万人動員されたとか。要は軍に属する人間以外はすべて勤労動員し
たということなのだそうです(A.リード/D.フィッシャー「ヒトラーとスターリン
死の抱擁の瞬間」みすず書房)。
ドイツの燃料事情については、海軍(水上艦隊)などは早い時期からケチケチ体制に
入っているんですよね。
だからカフカスの油田が必要なのだ!と総統閣下は怒号したのでしょうが、それは本
末転倒というものでしょう。
合成燃料の技術が進んでいなかったら、もっと早く手を上げていたかもしれません。
1942年9月、ドイツ軍の貯油量はわずか2週間分という危機にみまわれ、訓練やテス
ト飛行にも支障をきたすようになります。シュペーアらの努力により合成燃料増産が
行われ、1944年には57万4千トンの貯油量を達成したそうですが、その後の展開はご
指摘のとおり(A.プライス「ドイツ空軍」サンケイ出版)。
戦車の東西での損失比率はよく分からないのですが、地上戦の期間の長さからみてや
はり東部戦線での被害が大きいのではないかと思います。
戦車対戦車の戦闘では、手強い東側より西側での撃破比率が良かったという意見もあ
りますが、燃料不足や包囲脱出に伴う車体放棄は両戦線とも非常に多かったようです
ね。
重戦車大隊史などをみると、大隊ごとに差はありますが、損失のうち最大原因は放棄
に伴う破壊(自爆)のようです。
例えば、イタリアにおける508大隊の車輌喪失原因に占める戦闘損失の比率は19%で
後は自爆か他の原因、東西両戦線で戦った503大隊の戦闘損失は45%だったそうです。
840 :
名無し三等兵 :01/11/04 18:10 ID:LmZRwkzy
3chさんよ。あんたパブロフ二等兵だな? 凄い迷惑なんだけど。世界史板。 でたらめな経歴名乗ったり自作自演したり、いいかげんにしなさいよ
841 :
名無し三等兵 :01/11/04 18:17 ID:vrZHurOe
だよねー、誰がどうみても「3ch=パブロフ二等兵」だね。 変質的ソ連軍オタはこいつ以外にいるわけない。
842 :
名無し三等兵 :01/11/04 18:23 ID:LmZRwkzy
正直、ま、いいかと大目に見てきたつもりだけど、久しぶりに世界史板覗いたら 完全な悪質な荒らしになってました。 2chに出入りしているインテリさんの厭らしさが匂ってきて、申し訳ないが 独ソ60周年スレはもはや生理的な嫌悪感しか感じなくなってきましたね!
843 :
名無し三等兵 :01/11/04 18:29 ID:FP9/31X0
第二次世界大戦とそれに付属する戦闘(大東亜戦争)を 語るにはやはり「人命浪費」でしょう。 日本の旧軍がやったバンザイチャージやカミカゼスーサイド アタックなんかどこでもやっていただろう。ただ持っていた のが弾無し旧式銃かPPShかMPか、乗っていたのが無防 弾飛行機かヤクかメッサーシュミットか、と言うだけのこと だろう。連合国もノルマンディなんて銃剣突撃以下だし。
ほらよ
>>843 たったいま、おたくが世界史板のロシア史スレッドに張った文章だ。
パブロフ二等兵とオタクの文章との連続性はあきらかじゃねえか
241 名前:世界@名無史さん :01/11/04 18:39
「十二月八日(大東亜戦争開戦日)を忘れるな。日本のお蔭でアジア諸国は全べて独立した。
日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供は
すくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等
に話が出来るのは誰のお蔭か?。それは、身を殺して仁をなした日本
というお母さんがあったからである。十二月八日は、我々にこの重大
な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日
である。我々は此の日を忘れてはならない。」と。
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/01043.HTM
845 :
3ch :01/11/04 19:22 ID:69dTCGe2
846 :
3ch :01/11/05 01:38 ID:4QXST8TM
歴史板の方も今は落ち着いた様ですが… 経歴詐称できるならしたいけど本当に今日朝からタクシードライバーとしてお金稼がないと。 インテリ,今の自分がとやかく言っても仕方ないですよ。 それにしても皆さん本当に歴史的な事を語るのに思い入れあるのですか? 自分遺跡調査の仕事に一時飛ばされてましたけど学問的な事より作業する御年寄り との軋轢とかそう言う事が多くて本当に嫌でしたけど。 この手の論争は大学時代にありましたが今は高度な理想より東京の道,例えば城山 通りを抜けて経堂から成城のルートとか知ってないと話になりませんから。 個人的な事情もあまり語るべきではないでしょうけどスレ立てた人間=ピエロ役 として出来れば最後まで面倒見ようと思ったのですが。 歴史板をROMして一つ気づいた事はやはり日本側は日ソ中立条約の解釈が甘かったのでは? もちろん今の道徳観や関係者が被害に遭われた方にとってはとんでもないソ連側の背信で すがソ連側にしてみれば一定の兵力を釘付けにされた上米英の後押しもあったわけだから。 >844 小林よしのり氏もどちらかと言うとアジア諸国の独立は日本の御蔭といった見解に近い様 ですが自分は日本というか大学に馴染めなかったので韓国,ソ連といった日本と上手く 行ってない国なら馴染んでくれる人がいるかなという甘い気持ちだったのですが少なく とも韓国はこの事に対して感謝しているという感じではありませんでした。 ソ連の人達より地下鉄のコースを教えてくれたり親切でしたけど年配の人で意味ありげな 人がいて釣銭をごまかされましたけど。結局御金が無いと相手にされないですよ。 ソ連では学問的に高レベルの人は相手にしてくれる様でしたがレニングラードのガイド さんは自分の大学名を聞くと皮肉な調子で「図書館には日本からの研究生もいるので貴方 も来て下さい」という話でした。 >839 ちょっと揉めてますが二人討論というのも空しいものがあるので良かったのでは? 週7日労働,厳しいですね。もうすぐ革命記念日ですが当然収容所では政治犯の人々 は反体制なので休日ではなかったのでしょう。 あとKVシリーズはかなり稼働率が悪かったらしく出撃する進路沿いに転々と故障で 放棄された車両が道標代わりになったそうです。それでもKV-1,1sと合わせて4247両 KV-85が130両,KV-2が334両生産されますが。光栄の名鑑シリーズ
847 :
名無し三等兵 :01/11/05 23:49 ID:NH0pFnh9
ソ連の兵器は、センチ規格なのか、それともインチ規格のどちらなんですか。
>>846 >ちょっと揉めてますが
あの方と誤解されてしまいましたか。
世界史板をみると、住人さん達が怒るのも無理ない状態であるとは思いますが、
掲示板の性格上ある程度割り切りも必要かと思ってるのですけどね。
ご迷惑のこととは思いますが、スレの趣旨を理解せず煽るだけの人は、基本的に
放置するしか手がないかと。
>KV-85が130両,KV-2が334両
そんなに少ないのですか。結構メジャーな戦車なんで、1,000輌以上はあるかと
思ってました。「街道上の怪物」なんてエピソードありましたね。
故障はどの国も難題のようで、ドイツは早くも花戦争で失敗をやらかしてます。
優秀だったといわれる修理部隊がなければ、あれだけ長い期間劣勢な兵力で優勢
な敵を支えることはできなかったでしょう。
米軍戦車も故障は少なかったとされているようですが、実際には実戦ならではの
難題が色々とあったようで、故障戦車を修理に出すよりも新規請求をしたほうが
充足率を上げやすかったようです。
849 :
名無し三等兵 :01/11/05 23:59 ID:5pxq0cjt
誤解も何も、このスレッドとパブロフ二等兵との連続性はあきらか。 下手な誤魔化しはやめときな
知識で勝負できないドイツマンセー厨房がゴネてるようだな? お前、ベンゼンか?
・・・やはりこのスレでしたね>850 知識なぞ本を読めばいくらでも蓄えられます。 大事なのは他人と楽しく和解する技術です いいえベンゼンさんとは違います。 ともかくここはパブロフ氏と無関係だという事を証明するためだけに世界史板を またパブロフ二等兵名義で荒らすつもりなら止められたほうがいいでしょう。 あなたが自粛すれば、こちらだってこれ以上責めません。 これまでこのスレに敬意を払ってきたからこそ黙ってましたが、あまりに悪質過ぎます。 やめられたがいいでしょう
852 :
名無し三等兵 :01/11/06 05:28 ID:SsMcTOPd
パブロフ二等兵のおかげでドイツ見習え論者は相当なダメージを受けたようだね。 「インテリさんの厭らしさ」だとか「このスレッドとパブロフ二等兵との連続性」 だとか「他人と楽しく和解する技術」だとかただ感情的になるしかないよう(ワラ。 「楽しく和解」したいのなら雑談スレは他にいくらでもあるんだからさ。
853 :
3ch :01/11/06 18:18 ID:hf+U+Sg4
ようやく仕事から帰ってきたんですが解らない、何でも良いですよ、描ければ。 早速レス。 >847 ソ連海軍はセンチ規格でしょう。代表的なものがキーロフ級重巡?、18cm砲ですから。 あとT-54,55はもと海軍砲の100mm砲ですし130mm砲もそうです。 とすると陸軍はインチ規格なのでしょうか?76.2mm砲とか122mm,152mm砲だから。 ロシア革命がフランス革命,特にパリコミューンを模範にしていた事を考えれば (戦艦マラートはフランスの革命家マラーから。セヴァストポリはパリスカヤ・コンムナ と改名、その後また元に改名されますが) センチ規格を重視していると思いますが生産上それまでのインチ規格も温存したのでは? >848 IS-1(85mm砲)が1台しか完成せず(100前後?と言う数字もあり)後はIS-2(122mm砲)に 移行生産されたそうですからKV-85やKV-2などより効果的なSU-152などに車体が回さ れたので生産が少ないのでは? 尤もKV-85はJS-2が元々85mm砲搭載を前提として作られたので122mm砲弾を確か22発 しか積めないのに対しそれ以上の搭載数と発射速度の高さ(軽いし装薬分離式で無い) で現場の評価は高かったそうですが。 参考までにソ連戦車生産表+レンドリース戦車 光栄の「戦車名鑑」並木書房の「図解ソ連戦車軍団」 T-26 約12000両 バレンタイン3804両 BT-5 1884両 マチルダ 1084両 BT-7 4727両 チャーチル 301両 T-35 51-61両 スチュアート1676両 T-40 222両 M3リー 1386両 T-50 63両 M4A2(75mm) 2007両 T-60 6292両 (76.2mm)2095両 T-70 8226両 M-10 52両 T-80 120両 M-18 5両 KV-1/S 4247両 M-24 2両 KV-85 130両 M-26 1両 KV-2 334両 ハーフトラック1178両 T-34/76 19335両 M3A1スカウトカー3340両 T-34/85 29480両 M15A(対空型) 100両 T-44 200両 M17 200両 SU-76/M 12671両 T48戦車駆逐車SU57 650両 SU-85 2050両 M31ARV戦車回収車 115両 SU-100 1675両 シープ 77972両 SU-122 1148両 1/2トラック フォード151053両 SU-152 704両 スチュードベーカー200662両 IS-1/2/2m3503両 各種車両合計501660両 IS-3 350両 ソ連側トラック生産343624両 ISU-122/152 4040-75両 数字は感情でなくて良いですね。一時トレーニングへ。 オデッサ戦車68両 SU76i 200両
>853
1930年からソ連陸軍はメートル法を採用してるようです。(それまでは、照準機の
目盛りにはアルシン、口径はライン[1ラインは約0.1インチ]というロシアの古い
距離単位が使われていたようです。)
ttp://village.infoweb.ne.jp/~fwkh5241/abst.html このHPによるとドイツ軍が軍用に生産したトラック総数は42万9000台で、
>1/2トラック フォード151053両、スチュードベーカー200662両、ソ連側トラック生産343624両
の3種だけの合計(約70万両)にも及ばず、という感じでしょうか...
>>852 パブロフ君、軍事板にはもう来ないはずでは?
君の一連の書き込みでソ連を見習おうと思う人などいないよ。
ダメージを受けているのはソ連・ロシアに関心を持っている人たちだと思うぞ。
現に3chさんやナナシニコフさんが迷惑してるだろ。
君に欠けているのは、他人と意思疎通を図ろうとする能力と意思。
851さんが怒るのも無理ないよ。何を言っても無駄だろうけどね。
それにしても君、暇人だねえ。
3chさんもパブロフ君に対して、一言言ってやったほうがいいと思う。
でないとなかなか誤解は解けないのでは?
856 :
3ch :01/11/06 22:54 ID:zvBLbFIM
Netばかりでなくてしっかりトレーニングできて良かった。 自分にまず勝たないと。 >849,851 だからパブロフ二等兵氏と自分(3ch=1)は別人です。 アニメ板で指摘されましたが自分の文体は改行無く点が少なくやたら長いしこうして 毎回全文にレス返したり、ですます調にしてるので1つのレスがやたら長いじゃない ですか。引用している文献やアニメネタとかどう考えても別人だとわかると思いますが。 世界史板は独ソ戦スレに2回書き込んだだけです。ロシア史スレには書き込んでいません。 だから知識は問題があるから自分は絵で表現したいのです。 ただ幾原邦彦氏(アニメ、ウテナの監督。自分の言葉だと実績が無いので説得力が無い) がアニメージュ誌上で言っておられましたがアニメも所詮コミュニケーションツールの 一つに過ぎないとのことです。それならどんな細かい絵よりこうして活字で語る事は便利ですが。 >他人と楽しく和解する技術 それはあまり無いからボクシング練習してます。もうその辺がインテリから外れてるじゃないですか。 これから評価されるのは知識よりコミュニケーション能力でしょう。だから余り無い自分はタクシーの運ちゃんなんですよ。 >852 少し理解し難いのですが冷静な所が合意頂けてるのでしょうか? >853 途中だったので。 >「街道上の怪物」なんてエピソード 補給路を1台のKV戦車が塞いでいたでしたっけ? 花戦争はオーストリア進軍(併合)ですね。機械化部隊がかなり脱落 が多かったようですが。 あと米軍は捕獲したキューベルワーゲンなど申告しなかったので更に機械化率が上がったそうですが。 >854 アルシンとか新しい発見をありがとうございます。 HP見ましたが自分のHPもniftyですが教養で無く描いた絵で埋めたいので限りなくしょぼいんですが。 このスレも終わりが近いのでどんどん個人のHPを貼って宣伝して下さい。 もうすぐ11.7日付が変わったらまた書き込みます。明日も日中は仕事なので。
857 :
3ch :01/11/06 23:07 ID:zvBLbFIM
>855 いや自分も色々あったので余り人のことは言えないのですよ。 ただ生き様というかスポーツ的な事や絵的な事で証明するしかないですね。 もちろんそれ以上に仕事が一番大事なのですが今の仕事それほど上手く言っているわけでもないので。 ただ>852は違う人のような気がするのですが。
858 :
3ch :01/11/07 00:19 ID:tj2E9wKM
今年も11月7日がやって来ましたね。 1917年のロシア革命から約84周年ですか。 少し前なら盛大な軍事パレードが行われたのですが。 1941年ならパレードを行った赤軍兵士はそのまま前線に向かったわけですが。 消防,厨房の頃なら人類の輝かしい日と単純に考えていたのですが今は ソルジェニーツィン氏の言うもう一つの記念日(鉄条網発明)の方が相応しいのかもしれません。 パリ祭の日のようにファッション誌に取り上げられる日は来るのでしょうか? 自分は今日も朝から21時間仕事ですがまだ色々あって眠れない。 "初めの一歩"を見て元気を出そう、記念日age。
>>856 ご指摘のとおり、「花戦争」はオーストリア併合、いわゆるアンシュルスです。
この時の軍事的失敗の反省が、後の電撃戦に活かされることになったそうです。
電撃戦の勝利は物量や兵器の質によるものではなく、アイデアの勝利ですからね。
もっとも故障だけはいかんともし難かったようですが。
私は大戦中のソ連兵器はどうも好みではないのですが、どういうわけかKV-2
あたりには抵抗感ないんですよ。
「街道上の怪物」の影響かもしれませんが。
現用ロシア(旧ソ連)兵器では、何故かMi-24ハインドヘリがお気に入り。
ソ連がアフガンから撤退する直前に制作されたイギリスTV局のドキュメンタリーで、
ブルガリアンヴォイスの歌声をバックに乱舞するシーンを見て以来です。
HP拝見しました。
私も3ch氏ご出身地の近くに住んでたことがあります。いまから20年以上前ですが。
風光明媚でいい土地柄ですよね。
(⌒Y⌒Y⌒) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /\__/ < はい!はい! / / \ \ 終了〜!!!! / / ⌒ ⌒ \ \_________ (⌒ / (・) (・)| ( (6 つ | ∩ ( | ___ | ││☆彡___ \ \_/ / // 〜(___)(;´Д` \____/ / ノ ノ ↑3ch=パブロフ //| l | // バギッ | | | | | // 彡 彡 | |/ /// | || // / U | 陰/ | | | / // // // U
パブロフに対する怒りは分かるが、3chさんに八つ当たりはよくないぞ。 パブロフは本当のソ連ラバーじゃないよ。 このスレの上のほうをみてごらん(ナナシニコフさんとのやりとりなど)。 パブロフの原型は遅くとも8月頃からこのスレにいる。 やたらと「厨房」を連発し、引用は「ジョルダーノ」「アーヴィング」あと何だっけ? 野中茂を親の仇のごとく憎んでいる、場の雰囲気が読めないアホ。 暴れまわる犬は放置あるのみ。
поздравляю вас! 84ый годовщинаи,
Великаи Октябреьскаи социалистическаи революции
”大10月社会主義革命84周年おめでとう!”
さて、
>>861 氏の言うように、3ch氏に対する八つ当たりは正直いかがなものか
もう大人なんだからさ、
”痘痕も笑窪”とか、”坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”式の
短絡的な意見は止めましょうや。
>知識なぞ本を読めばいくらでも蓄えられます。
>大事なのは他人と楽しく和解する技術です
たしかに仰るとおりです
だが、前者に関していえば、本を読む努力すらしない人に
知識を蓄えるのは無理ですし
後者に関して言えば,
少なくともこのスレの貴殿にそれを言う資格は無いのでは?
折角資料に基づいて真面目な議論をするいいスレなんだから
マターリしましょうや。マターリとね。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30476636 また,2個の機甲擲弾兵連隊,ひいては師団全体の状況を推測するうえで
参考にしていただきたいのが,SS第26連隊第2大隊は,アルデンヌ攻勢
開始当初に装備されていた105台の自動車のうちの38台を喪失し,
1月末の数字では残された67台のうち34台,つまり最初の数字の
32%が稼動状態を保っているという車両装備状態であった。興味深い
ことに,保有されていた車両の内幕(牽引車を除く)は以下の通りで,
これら6種類のメーカーのうち,3種が捕獲車両であった。フォードV8
13台,オベル・ブリッツ 10台,ブラガ 1台,フィアット 14台,
スチュードベーカー 2台,ベッドフォード 1台。
このようにしてみると,部品の交換や修理に相当苦労したであろうことは,
想像に難くない。
>>863 宮崎御大もご推薦の「SS第12戦車師団史 ヒットラー・ユーゲント」だね。
引用コピペと解説なしの抜書きが誰かさんを推測させるが、まあ邪推はやめとこう。
ナナシニコフ氏の言うとおりマターリといこう。
865 :
マターリ :01/11/08 12:00 ID:VYFDqbOS
(⌒Y⌒Y⌒) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /\__/ < はい!はい! / / \ \ 終了〜!!!! / / ⌒ ⌒ \ \_________ (⌒ / (・) (・)| ( (6 つ | ∩ ( | ___ | ││☆彡___ \ \_/ / // 〜(___)(;´Д` \____/ / ノ ノ ↑3ch=パブロフ //| l | // バギッ | | | | | // 彡 彡 | |/ /// | || // / U | 陰/ | | | / // // // U
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30476636 9・2 スロヴァキア戦開始時の師団の編成と状況
・・・中略・・・かくして、「ヒットラー・ユーゲント」師団の兵力は、
ハンガリーでの作戦開始時、1、703名の不足状態にあった。
このような状況にあって特に注目すべき事実は、205名の将校
不足(32%)を下士官で補っていた点であり、よってもともと
の不足分である1、953名を加えた2、158名分の下士官職
(52%)には、兵が補充されていたことになる。
867 :
3ch :01/11/08 22:27 ID:Dm04OBGD
自分が2チャンネルを知ったのはとある歴史系HPのBBSに非難の書き込みがあり そこでYahoo掲示板と2ちゃんねるを知りそこでの論争が飛び火したのを知りました。 あとバレー選手のファンサイトに直リンされていました。 そういう事が無いよう気を配ったつもりですが。 歴史板には自分の文体を真似た書き込み(ソリアーノ)がされていたりHPの絵も笑わ れてますが無用の混乱を避けるため歴史板には反論の書き込みはしませんし3chに対 する反論はこちらのスレに書きに来てください。 >859 KV-1は1944のフィンランド戦で防御力を生かし要塞戦に活躍したようですがKV-2は どうなのでしょう? フジミの1/76で作りましたが説明書で1940のフィンランド戦では軽戦車の後のいき なりの登場に兵士は大いに勇気付けられ車体を叩いたそうですが。 名付け親?のВоЛощилов元帥の人生も興味深いものがあります。 スターリン大元帥が夫人を投獄しようとしたのに対し例外的に抗議し認められた代り に従兄弟か親戚が投獄されたそうですが。フルシチョフ時代に反党グループとして 追放されますがKVシリーズのようにまずまずの人気が有ったようで80歳以上まで長生きします。 モロトフやマレンコフ,カガノウイッチ氏といった一連の粛清に責任の有った人々も 押しなべて長生きしますが聖歌隊に参加していたり色々な側面があったようです。 Mi-24ハインドヘリはこないだ夕方のニュースでアフガンの北部同盟に援助されていた気が。 HPは公氏混同したくないので余りいいですよ。ただ軍事板なのでそれ系のHPは大いに宣伝して下さい。 地元は人間間系的には色々ありました。最近「出雲人」と言う本も出て大人しく控えめ というより強きになびき問題の有る県民性という反省もありました。 >860,65 サザエさんネタもソ連軍満州侵攻による日本人引き上げで一度話題にしましたがAAはいいですよ。 >861 御理解有難う御座います。 コテハン叩きはいいですよ。声優板でも話題になってますがこのスレも無数の名無し さんに支えられていますが伸ばすためスレ主っぽくレス返そうと1では判り難いんで3ch (自分でもセンスの無いHN)にしただけなのですがウザい人にはウザいでしょうね。 >862 どうもありがとう御座います。ヴォロシーロフ元帥イマイチ綴りが不確かなのですが。 ニュースも最近ろくに見てないのですが今年はアフガン情勢で革命記念日パレードは 報道されないでしょうね。 あとは迷スレとして本音やHP宣伝してもらえば良いです。 >863,866 毎度どうもと言っても4000円以上する本はちょっと。 >864 大塚氏もジープの権威者としてホビージャパンに連載されていましたね。 出身地も県だけは同じですがかなり様子の違う地方です。 宮崎氏も一度講演を聞きましたがそう言う偉大な方の話をするのは失礼な自分の絵のレベルですが。 あとサッカーネタ。前半の1:0は目を疑ったがフランス人の方でWCUP決勝はフランスVSアルゼンチン と自身たっぷりの方がおられました。トルシエ監督は関係があるそうで日本はベスト8と言ってもらいましたが。 だからバイトや仕事でこんな調子ならとんでもない事だがネットなんで。 このスレに対してしょーも無いと思ったら今すぐ他の特技の練習をしよう。 それか今すぐ「ここが変だよ日本人」を見よう。 年末までにこのスレが1000逝ったら2ちゃんねるも卒業したい。
>>844 =
>>851 =
>>860 =
>>865 学も教養もねぇチンカスドキュソ野郎のくせに
矮小な自意識ばっか肥大させ、そのくせ学ぶ努力もせず
粘着に煽りを繰り返すしかない手前みたいな
反抗期の中学生にも似た天邪鬼の駄々っ子の遠吠えのことを
一般世間じゃ”ルサンチマン”
ここ2chじゃ”厨房”っていうんだよ。
(⌒Y⌒Y⌒) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\__/ < はい!はい!煽りは
/ / \ \ 終了〜!!!!
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(⌒ / (・) (・)|
( (6 つ | ∩
( | ___ | ││☆彡___
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\____/ / ノ ノ ↑844=851
//| l | // バギッ
| | | | | // 彡 彡
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U | 陰/
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//
//
U
>>867 ソ連要人の人生もそれぞれのようですな。
Mi-24ハインドヘリは北部同盟に供与されているようです。パイロットの腕がイマイチの
ようで、非常にデンジャラスな飛行ぶりでしたが。
考えてみれば北部同盟もムジャヒディンの戦士。ソ連のアフガン侵攻当時、同ヘリに追い
回された人が操縦してるのかもしれません。
年末までにはこのスレも1,000いくかもしれませんね。
それまではよろしく。
870 :
名無し三等兵 :01/11/10 10:45 ID:bIfFrDmA
>引用コピペと解説なしの抜書きが誰かさんを推測させるが、 世界史板での「パブロフ二等兵」はわざと「嫌われ者」を演じて、 ここのスレへの注目を引いているように思えるのは俺だけか?
871 :
3ch :01/11/10 11:00 ID:qzqq0ssY
>870 今ROMしてて困ったものだと思ってますが歴史板で反論したほうが いいですか? もしパブロフ二等兵氏今このスレ見てるなら歴史板にはもう書き込 まないでこちらだけかあるいはパブロフ氏自身のHPを作りましょう。 それにしてもこの時間に書き込める皆さんは仕事はどうなのですか? 自分今日の朝まで24時間仕事でさすがに頭に来てる。 そんなに独ソ戦とか好きなんですか?関係者の生まれ変わりなんですか? 自分は中高と嫌な事があったんで独ソ戦よりましだろうと言うマイナス 思考ですが。今日明日休み出し行く所も無いんでケリつけてもいいですよ。
872 :
3ch :01/11/10 11:32 ID:qzqq0ssY
資料を揃えてからレスしようと思いましたが色々あるので >868 反論どうもです。 しかし一連の煽ってる人が仕事が上手く行ってればそれでいいですよ。 自分も怒る部分も有るがNetでは他に向けるしかないから。 学ぶ努力もレーダーに関しての前に紹介して頂いた文献を大学の図書館 で手続きしたら煩雑なのでまだまだ垣根が高いですね。 >869 TVニュースで細かく解説されてましたね。 書き込む時間帯を見ると御忙しそうですがインチ規定とセンチ規定など 非常に的を得た説明をされるのでどんどん解説されてください。 後はソ連海軍を語るつもりです。 他の過去ログのスレに他の国がソ連海軍を指揮したら一年早く戦争が 終ったという書き込みがあったので。 戦艦マラートも撃沈されたとはいえ大破着底してレニングラードの艦砲 射撃など良く陸軍を支援したと思いますが。 結論としては「ソヴィエト赤軍攻防史U」のP169にある >ソ連海軍のうち兵力割合の点で最も活躍した部隊は,実は地上部隊で あった。これは冗談ではなく事実である。 という事でしょう。 スターリングラードで第6軍救出部隊を最終的にムイシコワ川で食い 止めたのは海軍歩兵部隊でした。「スターリングラード」サンケイ出版
>>872 貧乏暇無しなもんで。今日はただの夜更かしですが。
む、お次は海軍ですか?期待しとります。
ソ連海軍の活躍余地、どんなものだったんでしょうね。
極洋の船団護衛にもっと力を入れるべきだったということなのか?
私も分かる範囲で書き込みます。
874 :
3ch :01/11/11 19:21 ID:olc1UL/G
一応荒しの方は話をしましたが… やはりNetは便利ですよ。nifty模型フォーラムとか初対面で早々会話が 弾むものではない。 >873 ソ連海軍は元々軍艦ヲタだった(消防から日本の戦艦の名前を覚えると 言うありきたりなパターン)自分にとっても一般的にもマイナーな分野ですが 戦艦 ド級戦艦3隻 30,5cmx12 イタリアのダンテ・アリギウリ級を参考にしており基準排水量が23360t しかないのに3連装砲塔で砲身長も長く竣工当時はかなり有力な艦でし たが革命による混乱で第2次大戦時の他国の新鋭戦艦に対応できるもの ではありませんでした。 そのため40,6x9の6万トン近い新鋭戦艦を作ろうとしましたが未完に終りました。 あと38,1x8のR級戦艦が貸与されましたが全く使われず返還した代りに32x10の イタリア戦艦が賠償で引き渡されます。がこの艦は戦後事故で爆沈。 巡洋艦 旧式の18x4の重巡?が1隻 新鋭の18x9の重巡が2タイプ(改良型)6隻で約8000t この当りが第2次世界大戦当時のソ連建艦能力の最大限界だったようで キーロフ,モロトフ,ゴーリキ,カガノヴィッチ、カリーニン,ヴォロシロフと 言った御歴々が名づけられます。 あと旧式軽巡13x15が2隻あり1隻が爆撃で沈みますが5000t以上の大型艦は数 も少なければ補充も出来ないので温存されたせいか完全に沈んだ艦も少ないようです。 駆逐艦 大戦中に竣工したもののみで56隻日本の特型駆逐艦ほど重兵装ではありませんが (タシュケントは1隻のみイタリアに発注)13x4-5で一定の兵装を持っていましたが 少なくとも20隻以上撃沈されているでしょう。 潜水艦 ここに来て少ない資料でも数字が違ってきますが開戦時約200-210隻(ドイツは56隻しかなかった) しかもソ連海軍の弱点として連絡の難しいバルト海,北洋,黒海,太平洋に分けて配置せねばならず 内訳はバルト海(75-65隻)北洋(15隻)黒海(45-44隻)太平洋(65-86隻) 前の数字は「ソヴィエト赤軍攻防史U」後の数字は「艦船名鑑1939-45」 大戦中に52隻を竣工させたものの103隻を失い戦前より少なくなったそうです。 しかも戦果の方も損害の割にあまり多くなくバルト海では終戦までに53隻沈ん だ代りに1944年封鎖解除後8万7千tを沈めますが航空隊の戦果は16万3千tでした。 他の過去スレにも有りましたがグストロフ号の悲劇(死者7000人タイタニックの約5倍) などもありましたが。 ドイツの場合2600隻1350万tの船舶と170隻以上の軍艦を沈めた代りUボート約780隻が沈められますが。 小型艦 護衛艦22隻,敷設艦18隻,掃海艇80隻,魚雷艇269隻,駆潜艇77隻などが形として文献に現れる船ですが 実際には形に現れないT-34の砲塔をそのまま装備した42tの河川砲艇BKA1124型などが270隻作られ 格闘戦のような形で大活躍したようです。 どうも大陸国家なのとフランス海軍もナポレオン時代芳しくなかった事を考えると革命も 海軍との相性がよくなかったようです。 「第二次世界大戦史」では黒海の上陸作戦(ノヴォロシースク)で海軍が援護しないで 去ってしまった事が非難されていた気がしますが。 またその方面の政治委員が若きブレジネフ書記長だった記憶が。 日曜で古本屋さんが閉っていたのでこの辺りで。
875 :
1 :01/11/11 20:38 ID:olc1UL/G
>>874 おお、こりゃまた濃い情報を感謝。
潜水艦が意外な消耗をみていますね。喪失原因は何かな?掃海艇や機雷でしょうか?
自分も手持ちの資料でドイツ側からみようかと思ったのですが、やはり邦語・邦訳
文献だといわゆる「大西洋戦争」中心ですね。海の独ソ対決はマイナーみたいで。
本国ドイツだと眩暈がするような分厚くオタクな海軍史が多々あり、独ソ戦も当然
フォローしているようですが、入手は難しくかつ自分の独語読解能力では・・・な
ところがありまして紹介かなわず申し訳なし。
ちょっと今日はバタバタしておりまして明日もあるので手短レスですが、独ソの海
軍関係だと戦場は極洋とバルト海、黒海というところですかね。ソ連だと河川海軍
も入るのでしょうか。それに陸戦隊。
Uボート中心になるかもしれませんが、明日以降随時知る限りの事を書いてみよう
かと思います。よろしく。
追伸でコテハンの件ですが、避けたほうが無難だとは思います。
ただ今回の騒動はいわば「撒き込まれ型」と推察、3ch氏改め1氏の責任ではなく、
その点お気になさらぬよう。
マターリと1,000までいきましょう。
877 :
名無し三等兵 :01/11/13 11:41 ID:PN0pW5J+
>874 当時から今に至るまで電子機器に弱いロシアが海軍を扱うのは困難と思われ。
878 :
名無し三等兵 :01/11/13 12:05 ID:lPuv9Xba
1944年度のドイツ兵器生産は量産・モデルチェンジともに 著しいものがあったにも関わらず、特に航空機関係はヒトラー をして「貴重な労力・資材の無駄使い」と何度も言わしめた。 まるで崩壊間際まで宇宙産業・兵器生産を続けていたソ連みたいだ。 ドイツの敗因は物資の欠乏では無く、国家・軍の組織的欠陥。 ドイツが敗れたのはP・カレルが言うように単純に西と東で 戦線を維持するだけの国家的実力がその国に無かったからだろう。 ヒトラー政権は通貨でいえば紙くず同様の価値しか無かったほどの ドイツを一時的に「第三帝国」という大国に復活させたけれども、 崩壊に導いたのもまたそれと同一のヒトラー政権であった。
879 :
1 :01/11/13 17:34 ID:WOqXc9i/
討論になってきましたね
軍事板ではドイツ海軍が主体で語られています.
戦艦ビスマルクについて語ろう
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1004438755/l50 ドイツ海軍
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1002944565/l50Major Warships Sunk In WWII
前に貼ってもらった基礎的な数字のサイトにおける各国主用艦艇の損害表
Country Aircraft Carriers Battleships Cruisers Destroyers Submarines Total
Germany 0 4 9 53 994 1060
Britain 9 5 29 142 75 260
Italy 0 2 15 99 116 232
USA* 11 2 10 82 52 157
France 0 5 10 58 65 138
USSR 0 0 2 34 95 131
Holland 0 0 3 11 15 29
Poland 0 0 1 4 2 9
*includes figures from the Pacific War
あとU-ボートの戦果に関して解説がありますがここではソ連海軍を主体に話したいので省略。
主要艦艇装備表(戦中に就役したもの含む、が貸与されても意味の無いものや
細かい艦種の違いは省略)
ソ連海軍 ドイツ海軍
戦艦 3 4+3(装甲艦)+2(旧式艦)
巡洋艦9 9(重巡!3+軽巡6)
駆逐艦56 45?(単純にZ56まで艦番号はあるが未成艦など引いてみた)
潜水艦約250 1162(784隻撃沈され221隻自沈サンケイ出版の数字たすと上のサイト1060に近い)
戦果
最低8万7千t以上 商船2603隻撃沈1350万t艦艇175隻撃沈(光栄もサンケイ出版もほぼ同じ数字)
こうして見ると皮肉にも陸海空の三軍中数の上でも大戦中の生産(特に潜水艦)
でも質の上でもドイツ軍がソ連軍を上回っていたのですが全くすれ違い。
ドイツ海軍は主戦場は大西洋で相手は米英軍、戦果もこちらが大半。
ただ1942の後半レニングラード占領か?という時バルト艦隊の脱出を防ぐため
テルピッツやシェーア、ヒッパーが派遣された時せめて艦砲射撃で陸軍を支援
すべきだったのでは?出撃しなかった(できなかった?)ソ連海軍は正解。
>877
ソナーの取り扱いはおろか取り付け位置すらわからずイギリス海軍軍人を失望
させたなどと書かれているが陸戦や空戦とは異なりそもそも相手にされてない
と言うか魚雷が効果的でない少艇が実際は活動の模様。
>876
その辺りが信者とアンチの間で論理的な評価が懸離れています。
とにかく当時艦船は何百億円で飛行機・戦車は何億円ですね?
今原子力空母で確か何億ドルなんで何兆円?飛行機・戦車は何十億?
そういう状態だから独ソ戦には余り縁の無い戦いでレーダーの有無
がまたもや無効だったのでは?
今日は用があるのでまた後で。
サッカー、ウクライナXドイツは1:1ホームで相手の点は倍なのでドイツ圧倒的有利。
シェフチェンコ選手に奮起が。日本バレーは一勝しよう。
>>879 Uボートのつもりが何故かイタリア海軍の話なぞ。既出でないことを祈る。
ソ連戦線への派遣はバルト海と黒海に大別されるそうです。
バルト部隊は魚雷艇4隻。ソ連バルト艦隊の不活発さなどのために戦果は少なく、砲艦、貨物船を
各1隻撃沈とのこと。
黒海部隊は第一陣が爆装艇10隻で、これは航続力がなくあまり使用されなかったそうです。
第二陣がMS大型魚雷艇で8〜16隻。これは駆逐艦2隻、貨物船3隻を撃沈、新型重巡「モトロフ」の
艦尾を吹き飛ばし大破させる戦果をあげてます。お尻のなくなった「モトロフ」は「フルンゼ」の艦尾を
付けることになったとか。
潜水艦も小型艦6隻を投入、セバストポリ付近でソ連潜水艦2隻を沈めてます。
小部隊にしてはそこそこ活躍したようで。
Uボートには濃い本やサイトが色々ありますからねえ。自分もお気に入りのが一つあるのですが。
何とかソ連関係だけ拾っていきます。
881 :
1 :01/11/14 01:49 ID:gf23XLdM
深夜にage。 今知合いだった人のイベントから帰ってきました。 良いイベントでしたが自分が話しかけた事には余り… コミケにも受かったので自分もじっくり資料を調べて書き込めないのですが。 >880 モロトフ号の損害は知っていましたがイタリア海軍の戦果だったのですね。 ありがとうございます。 後イタリア海軍はバルト海ではラドガ湖で陸を移動した小型魚雷艇がソ連海軍相手 にこの手の豆海戦に苦戦していたドイツ軍を助けて活躍しフィンランド軍に売られ たそうです。「レニングラード攻防戦」文林堂 またソ連海軍の戦果は50万tぐらいでしょうか?比較的飛行機や戦車より数字がはっきり 出るらしく(沈んでいるか浮いているかだから?)過大な150万t?と言う数字がとある 洋書ではっきり否定されていましたが今持っていません。 どちらにしてもドイツ海軍U-ボートのような数字とは比べ物にならないでしょう。 尤もK級潜水艦がティルピッツを雷撃し命中させたのが大嘘と非難されていても 警戒させ基地に引き返させるだけでソ連側はOKですが。ドイツ側は燃料が… あと訂正>879 バルト艦隊対応も1941ですかグデーリアン上級大将も元帥なんて書いてましたし。
>874 ソ連海軍の陸戦隊はクリミアやレニングラードでかなり活躍したそうで、 (たしか映画「レニングラード攻防戦」とかでその戦闘シーンがあったような) 現代のスナッペズにも引き継がれたボーダーシャツが胸元V字に出てるデザインの 服装が個人的にも結構好きですが...(確かイタレリの1/35キットであったような) >黒海の上陸作戦(ノヴォロシースク)で海軍が援護しないで去ってしまった事が非難され 独巡洋艦ヒッパーがノルウェーの砲台に撃沈されたことがあったように 黒海艦隊レベルでは陸上のドイツ軍砲台に近づくは難しかったのではないでしょうか。
883 :
名無し三等兵 :01/11/14 10:12 ID:ZEyy9R1s
>>880 イタリア軍も結構頑張ってるね。同盟国は一つでも多いにこしたことはないのに、
「イタリアが足を引っ張った」だなんてとんだ責任転嫁・負け惜しみだな。
>882の訂正 撃沈した独重巡はヒッパーではなく、ブリュッヒャーでした。 (しかも陸上砲で損傷を受けた後、魚雷2発で沈没した模様)
>>881 お次は黒海のUボート部隊です。
ルーマニアのコンスタンツァに第30潜水群という部隊があり、小型UボートUB型が
6隻(U18、U19、U20、U23、U24、U9)所属していました。
これらのUボートはそれぞれ分解されて、水上および陸上輸送によりキールから黒海
まで2〜3か月をかけ運ばれています。
第30潜水群は、1942年10月から1944年8月まで作戦行動を展開、その間、64隻・142,007トンを
撃沈、9隻・26,326トンに損傷を与えています。
航洋型でないUボートの活躍の場であったようです。
損害については、1944年8月〜9月の間に、U9が空襲でU18とU24は自沈によりコンスタンツァ
近くで失われました。U19、U20、U23はトルコに逃れそこで自沈しています。
人員の損失は8人が戦死とのことです。
「モロトフ」号ですよね、やっぱり。いや本には「モトロフ」って書いてあったんですよ。
半信半疑でそのまま書いちまいましたが・・・。誤植だったのか。
>>883 イタリアは「へっぽこ」と決め付けられがちですが、小部隊の活躍は評価できます。
しかしながら海軍の場合は、本業の地中海が何とも・・・・・で、そこがマイナス評価
につながっているのでしょう。
887 :
名無し三等兵 :01/11/15 03:34 ID:y4rfOvsd
1943年半ばというと大西洋でUボートが急激に衰退して,米国の対英・対ソ レンドリースが沢山入るようになっている。逆探すらも効かなくなってきたとか。 けど同じ頃の東部戦線ではソ連軍は独軍レーダー「フレイヤー」の存在すら気が 付かないままに逆襲されている。陸ではそれでも他の要素で補えるとしても, こと海軍に関しては電子機器が扱えなくてはどうにもならないであろう。
888get!
889 :
名無し三等兵 :01/11/15 04:34 ID:CKkUBy4G
力学と電磁気は同じ物理学といってもかなり分野が異なるから,この点で ロシアの技術水準が前者と後者で著しい格差があっても可笑しくはない。 機械そのものもさることながら,技術水準が低いと整備も満足にいかない。
890 :
1 :01/11/15 22:05 ID:dvPHaH0K
一昨日の無理が祟ってやっと回復、やはり一度は寝ないと話にならないですね。 会話が進んでいて助かります、感謝。 >882 服装は活字で表現し難いのですが佐川急便みたいな縞模様?ドイツ軍は黒い死の部隊 と海軍陸戦隊(海兵隊と言うアメリカ式の表現は現在?)を恐れた様ですが。 映画「レニングラード攻防戦」ではヴォロシーロフ元帥の演説とともに海軍部隊が 突撃しますがこの時の反撃は予備が無く失敗だったとか。「攻防900日」ソールズベリー >885 具体的な数字ありがとうございます。 やはり個々の戦闘ではドイツ軍の効率がかなり良いですね。特に戦死者の少ないのが 一般的にU-boat作戦は助からない事が多いが… 特に黒海では水上艦艇がソ連海軍が戦艦1重巡2軽巡4駆逐艦14潜水艦44 に対し巡洋戦艦「ヤウズ」を持つトルコは中立、枢軸最強のルーマニア海軍 でさえ駆逐艦4と圧倒的有利だったはずですが。 もちろん太平洋と違い狭いので(地中海で20分の一?の面積)空軍や砲台などとの 関連が大きいでしょう。 オデッサやセヴァストポリ撤退など良く活躍した様ですが。 細かい呼称は気になさらないで下さい。今気づいたし日本語読みにも無理がりますから. >887 イタリア海軍は対英戦で空母が無かったりレーダーが無かったりした部分を付かれて しばしば惨敗しますが(マタパン岬沖海戦でザラ級重巡が三隻一度に沈められる) ソ連海軍は陸軍支援が多かったので致命傷にならなかったのでは? >889 理系的な分析ありがとうございます。 ただ当時は今ほど戦略原潜(一撃で国を壊滅できる戦略ミサイル搭載)や空母機動部隊 (効果的空爆他国の基地を借りなくても良い)が無かったので独ソ両軍とも死に物狂い で海軍を整備する必要が無かったのでは? あと北極海航路ではドイツ海軍は水上艦艇と航空機による共同が行われ理想的だった のですがソ連北洋艦隊は駆逐艦8潜水艦15と1932に創設された新しい艦隊のため 白海艦隊とも沿岸部の場合は船団護衛に回るも海域パトロールや掃海作業よりドイツ 占領地域に対する砲撃任務の方が好まれた様です。 結局援助してもらった上に護衛も西側連合国任せと言う不思議な事に成りますが奈何 ともし難かったのが実態でしょう。 有名なPQ17船団(分散されたため最も被害を受けた)の場合36隻中引き返した2隻のほか23隻が沈められ 飛行機297機のうち210機戦車594両のうち430両、車両4246両のうち3350両 積荷の約3分の2を失いますが全体として370万tをこの方面で受け取りますが過去ログ では大半が太平洋経由だった様です。 余りU-boat側も芳しくなかったせいか約200ページ中8ページしかこの件には触れられていません。 「U-Boat」サンケイブックス+「ソヴィエト赤軍攻防史U」
891 :
1 :01/11/16 23:05 ID:x4sD4TXH
何か思いっきり下がってますが基本的に下げ進行ですか。 結局ウクライナのサッカーは悲願のWCUP初出場はならなかったようです、残念。 自分でソ連海軍とネタを振ってかなり行詰ってきましたが丸グラフィック・クオータリー のNO34「英仏ソの潜水艦」が詳しく戦果の数字が載っていましたがバラ売りは しないと言う事で買えませんでした。 代りに世界の艦船1992,12月号増刊「ロシア/ソビエト戦艦史」を購入しましたが やはり第2次大戦中は余り活躍する事が無かったようです。 寧ろ第一次大戦にスラヴァと言う前ド級戦艦(日本海海戦のスワロフの同型艦) がクリミア戦争から今日までのロシア・ソビエト戦艦で最も活躍したと言われています。 リガでしばしば弩級艦を中心としたドイツ艦隊を迎え撃ち巡洋艦1隻を撃沈したので ドイツ戦艦が砲の仰角を上げる改造を行いました。 最終的に1917、10月に損傷で自沈せざるをえなくなりますがリガでは切手シートが 特に売られていたので活躍したのは間違い無いでしょう。 そもそも第一次大戦タンネンベルクでレンネンカンプフ将軍の第1軍と サムソーノフ将軍の第2軍がしっかり協力していれば連合軍の早期勝利で 革命は起こらずに済んだのでしょうか? ジューコフ将軍はノモンハンの勝利で粛清を免れたと言う文献もありますが 逆にタンネンベルクのドイツ軍勝利は奉天で2将軍が掴み合いのけんかをした 事に遠縁がありそうです。 尤も砲兵が大きな役割を果たしたのに帝政ロシアは十分な砲戦力を生産 できなかった様ですが。只この犠牲がフランスを救った側面は無視されてますが。 ボリシェヴィキの権力奪取が歴史的偶然と言うのと同じぐらいでしょうか? ソルジェニーツィン氏は第2軍とレニングラードの第2突撃軍の悲劇を重ねておられる様ですが。 「8月の砲声」山室まりや訳、筑摩書房40,6,15
892 :
名無し三等兵 :01/11/18 10:23 ID:U5MSyIgC
>ソナーの取り扱いはおろか取り付け位置すらわからず 「レーダーこそWW2の勝敗を決めた花形兵器」ならソ連軍はどうなるんだ。 ソ連軍はレーダー戦の観念(欺瞞紙を撒く、敵のレーダー網を避けて行動する) すら見当たらないのにベルリンを制圧してドイツ軍に勝っているではないか。
893 :
1 :01/11/18 21:33 ID:h6dlEMGI
>892
上げてもらってどうも、と言っても他に新規で書き込んでくれる人もいないので
定位置になりますが。
>>370 にソ連のレーダー開発に付いて詳しい記述があります。
後紹介していただいた英語の文献のコピーが出来たそうですが今大学祭で
取りに行けない。
>ベルリンを制圧してドイツ軍に勝っているではないか
終わり良ければ全て良しではないでしょう。
レーダーがあれば当然少しでも犠牲を少なく出来たと思われますが思い切って
切り捨てて生産を上げた、あるいは人海戦術で犠牲を無視したと言う事でしょうか?
又「もしドイツがバトル・オブ・ブリテンでイギリスに勝っていれば親衛隊大佐シックス
博士の計画に基づいて17-45歳の強壮な男子の国外追放を実行していただろう」と言う
ことなら「栄光のバトル・オブ・ブリテン」サンケイ出版P203
イギリスとしても必死で戦わざるを得ず、そうすれば早期に大陸の二正面作戦
ではないがドイツは避けることが出来なかったでしょう。
またソ連海軍が不振だったのはなかなか制空権の上で優勢が取れなかった事にありますが
(ここに米英連合軍の空からの第二戦線の意義が大きくなる)とすればイギリス海軍が
ドイツ海軍に対し圧倒的に優勢でもどうなったか解らないですね。
バレーは勝って日本17年ぶりのメダル獲得だそうですがまともな大会?ではどうでしょう。
>>893 バルト海におけるUボートの活動を書こうかと思ったのですが、邦語・邦訳文献だと
あまり触れていませんね。
D.ミラー「Uボート総覧」大日本絵画でも、
フィンランド湾。対ソ海上交通作戦は、1941年6月22日の同国侵攻から1945年5月8日
まで実施された。
で終わりです。
自分の持っている資料では、バルト海でのUボートの戦果は他の海域での戦果に紛れて
抽出できませんでした。
戦没艦は10隻、そのうちソ連軍が撃沈したのが6隻で全てフィンランド湾での戦果と
なっています。
内訳をみると、U250とU679は掃海艇、U144は潜水艦、U676は機雷、U479とU745は
推定で機雷により喪失となっています。
他の4隻、U367、U854、U2342、U803は、それぞれ訓練中に連合軍の投下機雷により
沈没しています。
バルト海では、開戦から終戦までUボートの訓練、試験航海が行われていました。
訓練中の事故損失は9隻、試験運航中の事故損失は19隻で、殉職者は602人となっています。
沈没艦のうち3隻は引揚後再就役。
バルト海にあったUボート基地は、東からヘラ(訓練基地)、メーメル(第4訓練潜水隊)、
ピラウ(第19、20、26訓練潜水群)、ケーニヒスベルク(第8訓練潜水群)、
ゴーテンハーフェン(第24、25、27訓練潜水群、第2訓練潜水隊)、ダンツィヒ(東部潜水艦戦隊司令部)、
シュテッティン(第4訓練潜水群)、ノイシュタット・イン・ホルシュタイン(第1、3訓練潜水隊)、
キール(第5訓練潜水隊)です。
895 :
1 :01/11/20 07:29 ID:eyQX93eX
潜水艦の話題なのでsage。 >894 やはり潜水艦の場合も航空機と同じく単純な戦果ならバルト海で53:6=9:1が 事故を含めた全ての損失だと53:38=1:1,4ぐらいに成りますか。 Uボート基地も戦後殆ど共産圏として組み入れられたところが多いですね。 バルト海に関しては「補給戦」原書房、手元に無い、の記憶ではレニングラード が陥落していれば日本海のように聖域化して補給物資を運んでみたら という仮想がありましたが鉄道が主体だったのとそんなにドイツに商船隊があったか疑問ですが。 あと早期決着のため「Жуков元帥回想録」1970,1,20朝日新聞社、を7500円で投入。消費税別 ざっと読んでますが「敵の行動を分析した結果、ベルゴロド地域の敵軍の司令官は 経験豊かな統率力ある将軍の様に思えたが、それもそのはずで、マインシュタイン元帥 がここを指揮していた。」と言う事で正に元帥は元帥を知るでしょか? 共産主義イデオロギーなら上部構造のコスモポリタニズムとして顰蹙ものでしょうか? 海軍はネタが尽きつつあるので他の話題、特に空軍は余り詳しくないので教えて下さい。 と言いながら1162隻のUボートは造り過ぎのような気がするのですが。 単純にUボートがおよそ1000t各種航空機が10tとしても1隻につき100機 1162隻が10万機になるような気もしますが。 関係無いですが今日から男子バレーも頑張って欲しい。
>895 ジューコフ元帥回想録は高校の図書室に何故か置いてあったので大まかに読んだ記憶が あります。(日本語版へのジューコフ自身の序文と捕虜になった武装SS兵の尋問部分が あったような) ジューコフはヒトラーならびにドイツの将軍たちを蛇蝎のごとく憎んでたようですが、 スターリングラードで救援にかけつけたマンシュタインの進撃には目をみはらせ、 「ヒトラー国防軍がその才能を高く評価しているマンシュタイン元帥」と、 ただし書きながらマンシュタインの能力は認めてはいたようです。 赤軍トップたるもののこのような発言は、マンシュタインが軍人としての業績と 同時にヒトラーとの対立関係からも有名な点で、許されたのではないでしょうか。
897 :
名無し三等兵 :01/11/20 17:14 ID:Ato+TFoj
WW2ソ連潜水艦はグストロフ号だけでもファシスト6千人を撃滅している。 これだけでもソ連潜水艦隊の損害と比べてなかなかの戦果であったと言える。
898 :
少佐 :01/11/20 18:11 ID:rDIyLFue
「君はゲルマン民族は生きるべきか?死ぬべきかどっちだと 思うかねベンゼン中尉」 灼熱の戦場の中、ベンゼン戦車長の脳裏にはヒトラーと会った 時のあの会話がふと蘇った。 「ソーセージビールダッシェン(ソ連兵が来やがった)」 部下の声とソ連戦車の砲撃がベンゼンを現実に引き戻した。 「カルテポルシェフリードリッヒダッシェン(先頭のソ連野郎を 撃つぞ)」ベンゼンはそう叫びスコープを覗いた。 なぜ戦うのか?なぜ死ぬのか?解らないのはソ連兵も同じだった。 農夫カニバブラは鍬で畑を耕している所をソ連戦車が通りかかり、 「同士である人民よ!我が愛する祖国は君を必要とする、君はトラクター が運転できるか?できる?ならば君は戦場で人民の為に戦わねばなら ない」の一言で戦車に乗せられた。 国家とかスターリンとかファシズムなど農夫カニバブラには意味が解らな かったが村を守る戦いと思い参加した。 しかし戦いは村を越え、ソ連国境を超え、ここはベルリンである。 村を出てから何ヶ月が過ぎたのかも解らない。 またどれだけの仲間が死んだかも解らない。 ベルリンにはチラトラと雪が降り、ひとつの時代の終わりを告げて いた。
899 :
1 :01/11/20 18:34 ID:OoEoBjsd
起きてみたら久し振りにまともなレス?が >896 まだ全体を読んでませんが数字も詳しい描写が多く「第2次世界大戦史」よりとっつきやすい文体ですね。 P25でコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの冒険」の愛読者であったり 最後のP588でボタン作戦でも大軍の役割は減らないなど人間の役割についてアフガニスタンなどその通りですね。 日本語版への序文の「革命はまさしく、社会の最下層出身の人間が、世界的強国の軍の 一兵士から元帥になるまでの道を通る事を可能にした。」というので実感でしょうね。 中・高の図書館にあったこの手の本は殆ど貸し出し記録が無いと思いますが。 自分も出身校で「収容所群島」を見返す機会があったのですが誰も借りていなかった。 またジューコフ元帥はベリヤ人民委員が逮捕される時兵士を率いて参加したとか、 その後軍隊がそう言った政変に参加していないようですが。 >897 戦局も終盤のこの時期に避難民満載の客船を沈める事にどれだけの戦局的意味があったのでしょうか? ただ艦長アレクサンドル・マリネスコ少佐は2,9に豪華客船ゲネラル・シュトイベン号も沈めますが 反体制的態度のせいでコリマ収容所で死線をさ迷い60年代ようやく復権したものの63年癌で 御亡くなりになった様です。「ソヴィエト赤軍攻防史V」P16-17 名著「海上護衛戦」で最後に出てきますが対日参戦した赤軍は航洋爆撃法が 確立していなく日本軍への船団攻撃は殆ど失敗に終り著者大井篤氏は息子に胸のすく勝利と宣伝されています。 しかし結果のわかっていることは批評しやすいですがこれからジムに行き年末までに描かないと… 皆様の人生は今モスクワ攻防戦ですか?それともベルリン攻防戦の最中ですか?頑張りましょう。 すれは今ゼーロウ高地かな?なかなかゴールが見えない。
900 :
900 :01/11/20 18:37 ID:ZdgPItyL
少佐に期待age
902 :
名無し三等兵 :01/11/20 19:21 ID:d5jV3gEL
903 :
名無し三等兵 :01/11/20 19:58 ID:d5jV3gEL
ソ連は大祖国戦争で2500万人もの死者を出しながらも戦後は米国に 対抗しうる唯一の大国となった。2500万人もの死者を出したら普通 国力は衰退してしかるべきなのに,ロシアの場合はその逆だった。 これは原子爆弾やジェット機,人工衛星打ち上げで確認できる。 ソ連の場合は戦争で無くとも国内で粛清やら内乱鎮圧やらで人間が 沢山死んでいるのだから,人命損失は領土拡大で補えたのかも。
904 :
1 :01/11/20 20:26 ID:ezeWd6OP
やっと黄色い表示が出てもう一頑張り、ジムはやはりほっとかれてる。
>868
コテハン同士でしかわからない創作小説ですか。
>902
>>830 で詳しいですが
>1950年にアデナウアー首相が連邦議会に提出した資料によると、終戦時点で生存が
確認されていたにもかかわらず帰還しなかった兵士が140万7千人もいたそうです。
彼らは、ソ連やアメリカ・フランス管理下の捕虜収容所で長期拘束中に亡くなった
と考えられています。
ドイツ側の調査では、そうした未帰還兵士を含め第二次大戦による戦没兵士は
最も多く見積もった場合、431万1千人だったとされています(民間人は335万人)。
こうした点を考え合わせると、戦時中のドイツ軍の死者は最大で290万人と推定され
と言う事でソ連側の捕虜450万?など第2次世界大戦における全ての捕虜の意味ではないでしょうか?
ソ独両国の捕虜でも600万?まだ半分なので詳しい方御教授下さい。
>903
だから概数で確か2000万の人口が新たに加わったわけですが(北方領土からは住民は残らなかった)
他の過去スレにも有りましたがこの偉大な勝利でペイできたのでしょうか?
個人的には生き残りたいが無理な作戦で多くの不具者が生まれ、都会で志をねだって
生活していたのですがある日…と言う事もあったそうです。
905 :
名無し三等兵 :01/11/20 20:41 ID:mJhRuGSj
906 :
1 :01/11/20 22:12 ID:YaRHSuCQ
>905
>>776 で詳しいですが
>なお、ドイツの動員兵力は延べで1800万人、実人員で1000万人(含む勤労奉仕隊)だ
そうです。全戦線にわたる野戦軍の兵力が最大になったのは、クルスク戦の前の1943
年7月1日で490万人、1945年1月1日現在で420万人、同年5月9日現在の東部戦線
所在の兵士は158〜173万人だとか。
>>712 にあるように
単純に東部戦線の独ソ兵力比を見てみると、
Mid-Year Manpower On The Eastern Front Year
Soviet German
1941 5 million 3.3 million
1942 5 million 3.1 million
1943 6.2 million 2.9 million
1944 6.8 million 3.1 million
という事で当時のドイツの全人口が約7000万であった事を考えると
ドイツ軍の捕虜1100万人は考えられないのですが…
本もサイトを見ると違う本で「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」
は全てドイツ軍捕虜とは言っていない気がするのですが…
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」は11月に出たばかりの本のようで調べてみます。
どちらにしても他の方の意見を待ちましょう。
>>906 おっと捕虜の話になってしまいましたか。
なんていうかちょっと忙しくて時間がアレなんで、海軍関係はバルトの撤退行動と極洋関係が
少し分かったのですが、いずれスレ終末までにということで。
>全てドイツ軍捕虜とは言っていない気がするのですが…
軍人だけではないですね。
公職関係は結構パクられています。民間人も大勢。
ナチ党関係は当然かもしれませんが、酷い場合には制服着てただけで「オマエちょっと来い」。
なんとホテルのボーイまで巻き添え食ったみたいです。いや確かに制服なんだろうけど・・・。
あと何とか「長」も危なかったとか。ドイツ語で「フューラー」ですからな。
デンジャラス。
>>906 追加で
「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」と
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」は
おそらく同内容かと思われ。私も確認してみますが。
フジ出版の旧版の再刊ではないかな。
909 :
名無し三等兵 :01/11/21 09:55 ID:wb5tCHup
>当時のドイツの全人口が約7000万 ドイツ本土だけではそれだけでも、オーストリアやチェコスロバキア などの在外ドイツ系住民を含めれば9000万くらいになるのでは。 戦後チェコで報復措置として300万のドイツ人が追放されたのは有名。
910 :
名無し三等兵 :01/11/21 10:53 ID:OUfItTMJ
>だから概数で確か2000万の人口が新たに加わったわけですが(北方領土からは住民は残 >らなかった)他の過去スレにも有りましたがこの偉大な勝利でペイできたのでしょうか? 戦争以前にソ連は大量餓死・大量粛正で大勢の国民を失ってる。 死者2500万といっても玉石混合ソ連軍にしてみれば大半は「捨て石」で、 特にドイツの捕虜になった兵士なぞ上記の本に書かれている通り ほとんど「裏切り者」扱いだったよう。ソ連邦全体からすれば 支配領土さえ増えれば人員の損失なぞいくらでも補えたのだろう。
911 :
名無し三等兵 :01/11/22 03:40 ID:8E5dvdLC
>>863 ただ種類が雑多なだけでなく,外国製にすらあれだけ頼ってたんだな。
1944年の大増産にも関わらずドイツ車両事情がこんなにお寒いとは意外。
912 :
1 :01/11/22 16:46 ID:Vyjotgwq
レス有難う御座います、が本当色々あるので手短に行かせていただきます。 >907 バルトの撤退行動では生き残ったドイツ水上艦艇が難民撤退,支援砲戦に活躍しましたが 大抵西側連合国空軍の爆撃で行動不能となりソ連軍の接近で自沈に追い込まれた様です。 ソ連海軍の戦果とすれば1944年に防空巡洋艦ニオベを沈めた事や1年間に60万t 輸送船304隻と軍艦294隻を撃沈した事がブルジョワ編史学者に疑問視されていると わざわざ注まで作ってバルト海だけで軍艦輸送船252隻の損傷を外国の原典が示している のにソビエトの統計が信頼が置けないと言っていると自己弁護してますが,ニオベの撃沈 は明らかに誤り。(確かアドレア海で西側連合国空軍の爆撃か魚雷艇の襲撃で撃沈) 極洋は最も近く最も危険なルートだが総貨物量の4分の1で半分は鉄道輸送が大変長くても 太平洋経由。ベルシャ湾経由はイランの鉄道.港湾施設に問題ありだかここで残りの4分の1 なのでしょうか?「第二次世界大戦史8」P205-6 捕虜に関しては民間人も抑留されればですか? >908 再版?550Pと600Pで微妙に違いますが… >909 無条件降伏だから人口全体が捕虜のようなものなのでしょうか? また戦後西ドイツが人口4500万で東ドイツが2500万ぐらいでしょうか? 東ドイツが共産圏支配化で捕虜?でもないですね。 >910 >特にドイツの捕虜になった兵士なぞ上記の本に書かれている通り 「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」と 「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」を読まれたと言う事ですか? 「戦うソヴィエト・ロシア」に拠れば(元はA.Dallinの「German rule in Russia」でOKW文書によっている) ソ連軍捕虜で全体が516万,解放されたのが80万,生き残ったのが100万差し引き300万以上 の人が御亡くなりになった様です。 しかも新領土の人々にもソ連の法律が適用になり反ソ連煽動で25年の刑は法体系からおかしいと言う ソルジェニーツィン氏の主張もあります。 今の技術革新の上ではやたら異民族を抱え込んでいても分離独立される事も多いと思いますが… >911 ドイツは兵器の絶対量が少なくアフターケア能力が優れていたので捕獲装備が正式化 (番号まで付く)されたのでは? 1944の大増産は燃料不足と技量低下で相殺された様ですが… あと他スレ、シャーマン戦車は傑作か?でソ連軍は援助が無くても 負けはしなかったのではないか? とか,どうしたら日本は勝てたか?では東京裁判でソ連側は日本の 参戦をかなり恐れていたとの書き込みもあります。 が「戦史業書」では越冬準備だけで大変だったとあり「ソヴィエト赤軍興亡史U」 では日本軍が約50万に対し1942年7月でも145万で関東軍は満州事変から終戦まで 一時も優位を保てずまた1941の8,1石油全面禁輸でバイカル湖付近までが限界と 檜山良昭氏の仮想戦記の様に日本が参戦してもモスクワ陥落は難しいでしょう。 AH社の「独ソ戦」でも1ヶ月早く増援が来る代り1コマづつ極東に転送するも43? 以降はノモンハンと同じく日本軍が壊滅して送らなくても良いと言う悲しい設定がありました。 また戦略的にも満州国は三方から包囲されている形の上1936年度すら 人員で3.6倍,航空機で5.2倍,戦車で8倍だったそうです。質については言わずもがなでしょう。 ただ越冬準備の17億円(41当時の一般会計の軍事費が30億円)が12月の開戦による臨時追加で解決したのは良かった?
913 :
名無し三等兵 :01/11/22 22:22 ID:oYZS7TSL
>ソ連軍は援助が無くても
1942年前半は援助が僅かゆえモスクワ防衛に成功した他は、
対独反撃が行き詰まって逆に南方に攻め込まれてるでしょう。
アメリカの豊富な物資援助と第二戦線無しでは対独進撃は不可能です。
但しモスクワ防衛に成功した以上は単独でも長期抗戦継続は可能ですから、
こと寧ろ米英のほうがソ連に対する軍事的依存が大きいと言えます。
「ソヴィエト赤軍興亡史」でもそのあたりの関係は詳しく書かれています。
>どうしたら日本は勝てたか?では東京裁判でソ連側は日本の
>参戦をかなり恐れていたとの書き込みもあります。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/989154351/163 クックス教授の説が最も説得力がありそうですが、あくまで日本軍部の
政略構想は独ソ和平工作推進による対米和平ですからそうはいきません。
914 :
名無し三等兵 :01/11/23 17:30 ID:0nauJD0I
915 :
1 :01/11/23 17:51 ID:jioV+rtA
>913
前にも書きましたがハルダー参謀総長の日記でモスクワ戦の頃でドイツ軍の損害が約100万
1942,9,10で1637000と質的な事を考えればこの損害によりソ連領の維持が難しそう。
米英の援助が果たしてどれだけソ連軍の勝利に貢献したかというのはこのスレでも
重大な論争の一つですが自分はソ連側に少し思い入れている部分がありますが
米英の援助が無くともソ連領の回復ぐらいは出来たかと。
結果として東欧諸国の統治も酷いものだったわけだからその方が良かったかもしれません。
ただ最近の援助兵器の稼動率の高さやこのスレでの論争による米英空軍による活躍などは
決して過小評価してはならないと思いますがなんと言っても死者が
ざっとソ連約2000万:米英約100万「新詳世界史図説」なので概数。
から来る不公平感を埋める事が出来ないので米英援助の重要性が認められないのでしょう。
日本の対ソ参戦=関特演は戦略的には両面戦争でソ連側にとって非常に脅威ですが
日本軍の実態は数字の上ではかなり寒い様です。が対米戦のように一時の勢いが
あればかなりはったりが利くかもしれませんがもしソ連にドイツが勝った場合
あるいは独日で世界分割などドイツが最後に日本を倒すつもりであったらしく
日本の方も
>日本軍部の政略構想は独ソ和平工作推進による対米和平ですからそうはいきません。
という事でそこまで飛躍していなかった様ですね。
ただノモンハンでソ連側が断固たる措置に出なかったら,あるいはジューコフ将軍
以外の不適切な指揮が行われていたら,リュシコフ三等大将まで亡命していたわけですが
やはり中国との関係がネックとなって対ソ戦までは手が廻らないと思われますが。
これも日本は勝てたかスレで中国に大人になる(近代国家になる)勧告とかありますね。
あと
>>659 Development of the First Soviet Three-Coordinate L-Band Pulsed Radar
in Kharkov Before WWII"
で紹介された論文が来ましたがやはり
It must be admitted,however,that on the Soviet-German front,rader was
never a major factor,compared to its role in the Battle of Britain.
という事で大半はウクライナのハリコフで戦前からレーダーの開発が行われていた
概要が民族主義的?な面から詳しく説明されています。真空管とか日本も
H.Yagi(40)K.Okabe(41)氏が紹介されています。
また結局ソ連軍は生産できなくて米英カナダから124ユニット貸与されたとかあります。
>914
どうも,可能な限り読めたら読んで見たいのですが。
>>915 最終段階ですが、海軍話がまだ書けない。
912の「60万t輸送船304隻と軍艦294隻」はちょっと多すぎですかね。特に軍艦は
総保有量を超えてしまうような。
極洋は確かに危険なんですがソ連側の拘りも強かったそうです。1週間に1度は
船団を出せとか言ったりして。結局のところイラン経由が一番多かったという
記述を見かけたことがありますが、遺憾ながら書名を失念。
ちょっと戻りますが、895でご指摘の「Uボートの作りすぎ」というよりはむしろ
足りなかったと思われ。それも初期においては絶望的に。だからこそ陸の第二戦線
(北アフリカでは1942年から)形成を許したわけですからね。
また第二戦線というのは空・海では1939年から存続していたわけで、例えば英国の
観点からみると東部戦線こそ第二戦線と見れるわけです。
ソ連の反転攻勢には米英の物資(カフカス戦線では米国製軍服が出回り、43年以降は
トラックが威力を発揮「焦土作戦」)が貢献したでしょうし、西側の大陸再上陸に
向けたブラフも独軍兵力拘束に効いてます。実際ディエップなんかがありましたしね。
もちろん、西側もソ連の進撃に大きな恩顧を被っており、中庸的な見解しか持てない
私なのですが。
それと、
「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」と
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」
の件ですが、著者と訳者が同じなんですよね。頁数の違いは付録ではないでしょうか。
私はまだ確認してませんが。
917 :
名無し三等兵 :01/11/24 22:44
>It must be admitted,however,that on the Soviet-German front,rader was >never a major factor,compared to its role in the Battle of Britain. >という事で大半はウクライナのハリコフで戦前からレーダーの開発が行われていた >概要が民族主義的?な面から詳しく説明されています。真空管とか日本も >H.Yagi(40)K.Okabe(41)氏が紹介されています。また結局ソ連軍は生産 >できなくて米英カナダから124ユニット貸与されたとかあります。 しかも実戦での使用は首都周辺に限られてたよう。ソ連軍の組織的な レーダー運用・敵レーダー妨害作戦をやったという記録は見つからない。
その2は? やるの?
昨日は河口湖マラソンで25kmで時間オーバー,個人的な事も余り語るべきで無いかもしれませんが 理論を振りかざすのもどうかと思うので参考までに。 >916 じっくり調べて書いてください。 「第二次世界大戦史9」のP280に拠ればバルト艦隊により敵は1945には40万6000トンの輸送船151隻 と軍艦補助船舶98隻を失ったと有りますがこれも疑わしそうですか。 といっても前半陸軍が苦戦していた時の人員輸送やレニングラードへ木材など物資を届けた事の方 が真の戦果なのでしょうけど。 その意味で潜水艦というのは弱者の兵器というか相手に海域を使わせないためのものなのと43以降 Uボートが不振になってから他の兵器同様生産が急増したので新型が出来るまで他の兵器を作った 方が良かったのでは?という事ですがそんな簡単に転用も難しいでしょうね。 >917 「第二次世界大戦史9」のP283ではバルト海で駆潜艇第124号は水中電波探知機で潜水艦U-679を発見 して撃沈とありますが例外でしょうか? 陸戦では砲兵隊の音響や目視の観測の方が効果的だったのでしょうか? 捕虜の尋問による作戦開始時間前の先制攻撃なども良く出てきますが。 >918 その2は限界,恐らくやりません。歴史板にミラーサイトがあって誘導しようと 思いましたが揉めて今は書きこみが止まっています。 スレ主レス返し方式で数は伸びてますが独ソ戦スレの決定版と言うのには 至ってないと思うので新しく立てて頂いても結構です。 あと80がまず長い。
ようやく海軍関係の話など。 黒海、バルト海ときたので、お次は寒い寒い極洋です。 この海域では、ソ連向け連合軍輸送船団(PQ・JW船団)とそれを阻止せんとする ドイツ軍との戦いが繰り広げられました。 1941年9月から12月までは、PQ船団は妨害を受けることなく目的地に着きますが、 1942年1月頃から次第にドイツ海軍による攻撃が始まります。 同年5月には、複数の輸送船団をめぐって大規模な交戦があり、ドイツ側は駆逐艦2隻、 英海軍は巡洋艦、駆逐艦各1隻と輸送船数隻を失っています。 最大の戦闘は7月のPQ17船団をめぐる戦闘で、同船団は36隻中24隻を失う大損害を 蒙ります。これは保全艦隊の幻影に怯えた英海軍の失態との見方もあります。弱体な ドイツ海軍水上艦艇は、早くも1942年4月には燃料不足で出撃を制限されるようになって いたのですが。 その後、12月のJW51B船団に対するドイツ海軍水上艦艇の攻撃は失敗(独英とも駆逐艦 1隻ずつを喪失)に終わり総統は激怒、艦隊解体要求を突きつけレーダー総司令官 は辞任、デーニッツが後を継ぐことになります。 以後、水上艦艇の活動は下火になります。 次にUボ−トですが、個々の活動と極洋に限った戦果はちょっと区別できませんでした。 バレンツ海とカラ海(1944年8月に作戦)で失われたUボートは30隻。うちソ連軍が沈めた のは2隻とのことです。 Uボートの所属戦隊は、ベルゲンの第11潜水群とトロンヘイムの第13潜水群でした。 第11潜水群の司令(ヴィーレンブロック中佐)は、小説(後に映画化)「Uボート」の艦長 のモデルになった人です。 この人、戦後も活躍したようで戦友(メルテン艦長)とライン河のサルベージ業に従事したり、 ヨットでアルゼンチンまでの冒険航海を行ったりしているようです。商船に乗り組んでいた時は、 難破したブラジル船を救助、原子力船オットー・ハーン号の船長を務めたこともありました。 戦時中は騎士十字賞、戦後は連邦功労十字賞を受賞しています。映画の撮影にも立ち会って いたようですね。 第11潜水群は、フランス失陥後のUボートの避難基地にもなっていました。 なお積荷ですが、英国のハリケーンとスピットファイア4,300機は北極航路で輸送された とのこと。一方、米国援助航空機(P39、A20など)14,800機の大半はアラスカやイラン 経由で輸送されたそうです。37万輌のトラック、鉄道レール54万トン、軍靴1,500万足も 同様だとか。 全般的に見て、この方面でのソ連海軍の影はいささか薄いような気がします。 英側からすれば、ムルマンスクやアルハンゲリスクから出てこないとの不満があったようで。 極洋の戦いのバランスシートを大雑把にみると、連合軍の艦艇喪失は18隻、商船は98隻。 一方ドイツ軍は艦艇4隻とUボート30隻を喪失しています。 極洋経由でソ連に届いた積荷は約400万トンで、戦車5,000輌と航空機7,000機が含まれていました。 Uボートの生産についてみると、1944年度には新型Uボート(21型及び23型)の生産に 切り替わっているのですが、これは遅すぎたのでしょう。新技術満載なので仕方がない面も あるのですが、120隻以上引き渡された21型の実戦参加は1945年4月末で時間切れ。 23型は2月から実戦参加、損害なしで5隻を撃沈(イギリス沿岸)。 以上は、 カーユス・ベッカー「呪われた海」中央公論新社、 デヴィッド・ミラー「Uボート総覧」大日本絵画、 リデル・ハート「第二次世界大戦」中央公論新社、 Uボートネット(HP) 等を参照しました。 潜水艦は確かに弱者の兵器なのでしょうね。戦後の潜水艦戦ものでは、米ソ対決を扱った S.ソンタグ/C.ドルー/A.L.ドルー「潜水艦諜報戦」新潮OH文庫という本が 面白かった。TVドラマ化されたP.ハクソーゼン/I.クルジン/R.A.ホワイト 「敵対水域」文藝春秋も良かったです。
追加で捕虜の件ですが、軍人や行政関係者、警察官以外に多数の純然たる民間人が抑留 されていたことは事実で、例えばフランス管理下の一収容所(ディータースハイム収容所) の記録によると、1945年7月、アメリカ軍から賠償労働力として引き渡された抑留者103,500人 のうち、老人、女性、14歳以下の少年、患者と障害者が32,640人もいたそうです。 旧東ドイツ地域では、1945年4月〜1950年夏ごろまでに11の収容所が存在し、160,000人が 収容され65,000人が死亡したとか。ここで抑留されたのは、企業経営者、警察幹部、教会 指導者、社会民主党員だったそうです。 今からみると問題がある話ですが、当時のアメリカ軍(正確にはアイゼンハワー将軍と その周辺)の報復的取り扱いはいささか常軌を逸していたようで、米・仏軍管理下(英軍は 問題なし)で死亡した抑留者は100万人を超え、しかも当時の記録は破棄されているそうです。 そして冷戦下、行方不明者140万人の発生原因の一部はソ連のせいにされました。 P.カレル/G.ベデカー「捕虜」フジ出版社では、元がブラント政権下の「捕虜史委員会」 だったせいか西側への配慮が優先し曖昧にしているところがありますが、J.バクー「消えた 百万人」光人社ではその辺はっきり書いてます。 抑留者1,100万人には重複もあり短期の拘束者も含まれていると思いますが、1945年5月9日 現在の野戦軍兵力が全戦線で300万人であったことから考えると、訓練部隊、トート機関や ナチ党関係者以外の理由なき民間人拘束者が多数あったことが推察できます。 有名人の中には、東プロイセンからホーエンツォレルンに避難してきたプロイセン王国皇太子 などもいたようで。 足立邦夫「ドイツ傷ついた風景」講談社、W.パウル「最終戦」フジ出版社も参考。 旧満州でも同じようなことがあったので(J.ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店)、 個人的にはあまり驚かないのですけどね(正当化する気はありませんが)。 小生、民間人抑留者の末裔でして。
>サイズが496KBを超えています。512KBを超えると表示できなくなるよ。 おっと上記の表示が出てしまいました。長文書き込みすぎたようですみません。 そろそろ限界ですかね。 書き込めなくなった場合に備え、お付き合頂いた1氏(旧3ch氏)に感謝の意を 述べさせていただきます。小生の駄文を読む羽目になった皆さんには陳謝する次第。
923 :
名無し三等兵 :01/11/28 07:29
ソ連軍の本格的国産レーダー実用化は,
>>370 や「ソヴィエト赤軍興亡史3」
にある通り,戦後になってからだとい得る。WW2時は首都周辺に輸入品が配備
されるだけだったにしても,戦後はレンドリースが無くなった代わりに東ドイツ
も含めた東欧諸国を丸ごと併合できたのだから,そっちのほうから取り寄せれば
良かったのだろう。まあ「国産」といっても占領地収奪なのはナチと同じか。
924 :
名無し三等兵 :01/11/28 08:27
925 :
名無し三等兵 :01/11/28 12:14
昔、あるところに、当時としては遅れた後進国とみなされていた地域があった。 そこでは農奴たちが貧しい暮らしをしていた。 ところがある時、その地域の辺境で謎の巨大な爆発があった。どうも隕石が落ちた らしい。 すると、ちょうどそれと同じぐらいの時期のその地域に、それまでにない新しい制 度の文明が現れた。 そして、その文明は、あれよあれよといううちに、大きな戦争に勝ち抜き、周囲の 国々を従え、独自の技術を発展させた。 最盛期にはその文明は世界の半分を支配し、その技術力で宇宙に人を飛ばすことさ えできたという。 だが、その文明は、やがて禁断の力に手を出し、その力を制御できずに大事故を起 こしてしまう。 そして、わずか70年ほどの繁栄の後に、その文明は滅んでしまったのだ。 だが今でも中東などでは武器にその文明の技術の名残を見ることができると言う。 その文明の名は……ソビエト連邦。
昼頃状況を知りましたが疲れが残っていたのでやはり夕方まで寝て起きてみたら 状況が変わりましたね。自分もコミケに向けて全力投球しなければ成らないので 潮時でしょう。 >920 詳しい記述ありがとうございます。北洋ルートが半分なのでしょうか?4分の1は少なすぎそうですね。 「敵対水域」は少し読みましたがソ連側にとっては最も技術差があって絶望的だったそうです。 >921 >小生、民間人抑留者の末裔でして。 それは大変でしたね。自分の祖父は徴兵不適格という事で本人は悩んだ様ですが。 近所の地域でもシベリア抑留者は今の自分の年代(30代後半)にやっと帰国された 人もいたそうです。もっともどちらが幸福な人生を送れるかは別ですけど… >922 自分もここに感謝の意を示しておきます。 できればHPなど紹介してください。ほんの2,3日後に立った "えがったんかいバルバロッサ作戦"などこちらが先だったのでつぶされて しまったのを覚えてますが… >923 レーダーなどは捕獲しても使えるのでしょうか? >924 結果的に実現は難しいと思います。ウラソフ中将も捕虜になる時女性がいた? はウソっぽいですが身分を示す書類を引っ張り出したりとか何か引っかかりますが。 >925 19世紀末?ツングースカの隕石大爆発ですか。確かにそれ以降急に木の成長が早く なったり何らかの影響があったかとも思いますがもう少し歴史的な解明が必要では? >926 新スレ立てどうも、これから皆様其方の方も盛り上げてください。 後書きこめる限り書いておきます。 ひとまず皆様有難う御座いました。
一応一区切りついたので気楽な一人旅? 今月の歴史群像は日本の合戦が多かったが一等自営業氏のモスクワ冬季反攻 はきちんとT-70など軽戦車を先頭に描かれてあった。 この時工場疎開で数合わせに生産されたのであろう。
月も変わってそろそろ赤軍の反攻準備? 最近の週刊文春でT-34/85のアフガニスタンでの写真を見る。 息の長い戦車だ。 WCUPサッカーは日本とロシアが同じ組。日本にとって最大の脅威だろう。
>931 このスレは自分が立てたものではありません。 あまり考えないで続編の新スレで話題を振ってください。 ドイツ軍艦の場合条約に縛られた装甲艦など防御が薄いと思いますが。 シュペーなど写真を見ると舷側が穴だらけですが。 ソ連海軍は売却されたヒッパー級重巡のタリンなど完成出来なかったようですが。
疲れた,結局12時間ぐらい寝てしまった。 1942ならスターリングラードでソ連軍によるドイツ軍の逆包囲が進行中。
>894 事故で沈没したU-Bortの再就役と言う事ですがシャーマン戦車スレで新品同様に 修理しても死臭が消えないので乗務員は嫌がったと言う事です。
今日辺りからソ連軍のモスクワ反攻開始,ドイツ軍モスクワ攻略放棄。
日米開戦60周年age、がドイツ軍はモスクワ攻略失敗。先見性が無い?
age無くても書き込めば大丈夫なのか? そう言えばこの時期ドイツ軍は退却しソ連軍は反撃すると言う方式なのか。
果たしてあと何スレ書き込めるのか? 1000本ノックというか何でも1000回すると大体形になるが。 ドイツのエースハルトマンは360機でソ連のエースゴシェトフは61機だった記憶が。
戦車のエースはどれぐらいなのだろう? ビットマンが50台ぐらい?
アフガニスタンのように多国籍軍が来ていたらさすがにソ連崩壊なのだろうか?
スターリン大元帥の好きだった言葉が「人民は肥料だ」という事で神学生として 不熱心だったが聖書でアダムが塵から作られたという部分は信じていた様だ。
サンケイ出版のメッサーシュミットを買ったがハルトマン352機で話半分としても 大した物だが結局ソ連側はエースに頼らず消耗戦なので問題無いという事か? ベトミンもディエンビエンフーでは人蟻戦術だったし。 自分も絵を描かなければアニメ製作者の肥料に過ぎない。
一言なら1000行けるのか?しかしこの本独ソ戦の項目が殆ど無いが メッサーシュミット整備員を二人乗せて飛べるのは凄い。
この本に拠ればアメリカのエースボングで40,イギリスのエース ジョニー・ジョンソンで38機撃墜だそうだ。かと言ってドイツ エースの記録は全くの嘘でも無い気もするが… とにかく事故などを含めた総合的な数字が大切な事は間違い無いが…
今どうしたら日本は勝てたかスレの元気が良いが天皇はしばしば独ソ講和の斡旋をされていたそうだ。 第三者的に見れば其の方が得なのだがドイツ側(ヒトラー総統)の思いこみがそれを許さない。
アフガニスタンは最終局面に入りT-54/55やT-62が砲撃を行っていた。 ラディン氏も夫人数人,子供42?人と言うのが萎え。 そうするとスターリン大元帥よりレーニン首相が偉大なのだろうか?
何もしていないのに上がっている気が… それは良いとして大体ソ独の損失比は戦闘でざっと5:1でその他の事故などの 損失を加えて3:1ぐらいなのだろうか? 人口3倍,国力もそれぐらいとしても戦力二乗の法則や人命軽視など考えて十分 ソ連側は元が取れるのだろう。ドイツ側は9:1ぐらいにしないと勝てないのでは?
ネタが…アフガンではT-62が砲塔の先端に白い布のようなものを巻きつけて T-55などと見分けられない様にしているのだろうか?
やっとあと50,ageとか言って全部埋めるのも。1941なら今日は赤軍クリン奪回。 といっても12時間ぐらい時差が早いのか?
このスレの中で紹介されたHPの掲示板を見ると次のような数字が載っていました。 >ソ連軍は装軌車両類を13万両製造して9万両失ったと >(1941/6/22-12/31) 2300 (1942) 6600 (1943) 14700 (1944) 13800 (19451/1-5/10) 7500 これから考えると、40000両以上のT-34が失われたことになります という事だそうです。このHPの管理人さんは会った事がありますが 2ちゃんねるに公開して欲しく無いようだったので引用を明らかにしていません。 原典のサイトも貼りませんがここに引用させてもらいます、失礼しました。
>952 久し振りの貼りこみどうも、といっても今一つ意図や文献の内容が わからないのですが… どちらにしてもアメリカやイギリスは戦上手ですね。 尤もイギリスはソ連以上にアメリカの援助に依存していて代金も 踏み倒した様ですね。他スレに有りましたが終戦と同時に米貸与の コルセア機を空母甲板から落とすとか。 あともうKBが残り少ないので張り込みや引用はなるべく御遠慮下さい。
アフガニスタンも佳境で日本のせんぐく時代の終わりに日本惣撫令?を出した 豊臣秀吉や徳川家康の様な事をアメリカが提唱しているようだ。 今回の犠牲で世界連邦的な事に少しでも行けば良いが。 アメリカの主導権には反発も多いが。
ビン・ラディン氏は逃亡に成功か?あと例のHPの書き込みによるとソ連軍の 軽戦車が製造中止になったのは1943に工場が爆撃されたというのもありました。 空襲に備えるより生産重視のため集中して工場が設立されていたため損害が 大きかったとか。
何故か何もしていないのに340から165に上がっていた。 といってもネタが。ドイツから引き渡されたヒッパー級重巡リュッツオウは タリンからペトロパブロフスクに改名されたが結局完成しなかった。
模型誌を立ち読みした所ビットマンは80台の戦車を撃破し100門の砲を撃破したとか。 カリウス大尉はまだ健在で100両近くの戦車を撃破したという話だ。 が飛行機以上に修理回収される場合が多いのだろうか?
週刊文春の連載小説ではカンボジアの虐殺は当時の人口が700万として 300万はベトナムの侵攻正当化の産物だそうだ。 今の定説は120万ぐらい?ナチのように工場化してなかったのでそんなに 大量に虐殺できるはずが無いという話だがどうだろうか? 共産主義政権下の虐殺はしばしば公式の数字がびっくりするほど大きくても 過小に見積もっているという話もあるが…