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ばばぼん♪ :
2001/05/06(日) 22:05
はいっ、「戦場の日本軍」の最終回です(^^)/ スキャンして、ざっと校正しただけなので誤字や誤変換もあると思いますが、大体、意味は解ると 思います。 また、前回不評だったので、改行してみました。 長文の連続アップなんで、迷惑にならないようにsageで逝きます(笑)。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 HJ「TACTICS」誌・88年12月号 戦場の日本軍〜第2次世界大戦を戦った日本陸軍の作戦と戦術〜 第三回「師団・旅団・軍」(最終回) 瀬戸利春 日本軍の師団・旅団・軍 今回も例によって部隊編成から話を始めることにしたい。日本軍の師団は編成上3タイプに類別 できる。一番古いタイプは四単位師団と呼ばれる編成でこれは明治二十一年に定められた編成を 少しずつ改良してきてできたものである。 次が三単位師団と呼ばれる編成で日中戦争中にはじめて編成された。四単位師団と三単位師 団の相違は基幹となる連隊の数による。つまり四単位師周は四個歩兵連隊を基幹とするゆえに、 三単位師団は三個歩兵連隊を基幹とするがゆえに、それぞれ四単位師団・三単位師団と呼ばれ るわけである。 三つめの師周編成は八個歩兵大隊を基幹とする丙師団と呼ばれるものである。丙師団というの があるくらいだから、当然甲師団・乙師団なるものも存在するわけで、では師団の分類の甲・乙・丙 とはいかなるものであろうか。 師団の甲・乙・丙という分類は能力別というか用途別といった分け方である。いわゆる日支事変の 最中、もしソ連と戦争になった場合に、中国にいる師団をどうするかが問題となった。当然、中国に いる師団を対ソ戦に向けなければならないが、だからといって中国との戦争が続いている以上、こ ちらにも師団を充当しておかなければならない。 そこで日本軍は次のように師団を区分けした。ひとつは即座に対ソ戦に転進させるもので、これ が甲師団と呼ばれるのだが、四単位師団が大体これに相当した。次が対ソ戦に二次的に参加する か、あるいは中国で機動攻勢能力をもって作戦するものが乙師団で三単位師矧がこれに当てられ た。最後が中国での治安警備に任ずるものでこれが丙師団である。 四単位師団は第一次大戦までは各国で一般的な編成であったが、第一次大戦中頃からドイツ・ フランス・イギリス等では戦力をあまり低下させることなく師団数を増すために三単位師団が編成さ れ、戦後列国で一般的な編成となった。
日本では遅れること10年あまり、昭和十二年から四単位を三単位へと少しずつ改変するとともに 新設師団は三単位で編成されることとなった(その後、丙師団が編成されるようにもなる)。太平洋 戦争開始時に最も多かったのが三単位師団であり、また最も活躍したのも三単位師団であった。 師団の具体的編制は図1(省略)を見ていただきたい。三単位師団のバリエーションは非常に多く 大抵の師団の編成は微妙に異なっていたが、自動車化された師団や島嶼部での使用を考えて海 上機動能力を持たせ海洋編成師団なるものもあった。また砲兵連隊や工兵連隊を欠いていた師 団も存在した。 旅団は本来、師団編成の一単位であったが、日中戦争中に警備目的で混成旅団が作られた(そ れ以前にも樺太旅団のような師団に属さない旅団もあった)。混成旅団といっても実際には単なる 歩兵旅団で(但し一時期、独立混成第一旅団なる機械化旅団もあったから、ややこしい)丁度、歩 兵師団を小型にしたような編成であった。戦争中混成旅団は各戦線に守備目的で配置された。さ らに砲兵を持たない歩兵旅団なるものも編成された。 旅団の具体的編成は図2(省略)を参照していただきたい。師団や旅団が二個以上集まると軍が 編成された。日本軍には軍団という編成単位が無く、二個旅団程度の極めて弱体な軍が存在した のが特徴であった。軍の編成には定形は無かったが、代表的なものは師団二個に独立砲兵連隊 と各種後方部隊で編成されていた。さらに軍が集まって方面軍が編成されることもあった。
師団・旅団砲兵隊の装備 歩兵部隊の装備についてはすでに前回と前々回に触れたので、今回は砲兵隊の装備について 簡単に触れることにしたい。 師団・旅団砲兵隊の装備火砲は野砲か山砲であった。野砲・山砲いずれも通常は野戦で使用さ れる大砲で口径は75mmから105mm程度が標準であった。野砲と山砲の違いは前者が平地での 戦闘をもっばらとして山砲より射距維が大きく作られている。それに対して後者は山地・荒地での行 動を考慮して軽量に作られていてその分威力が野砲に劣っていた。もう一つ山砲の特色に分解し て駄載(馬の背に積むこと普通一門の砲を十頭前後の馬で運搬する)できることがあげられる。この 特性は日本軍が山地やジャングルで迂回や浸透を行なう時に非常に役に立った。日本軍山砲部 隊は自動車化された連合軍砲兵部隊が集入できないような地形にも進出し、必要となれば人力で 砲を運ぶことさえしたのであった。 日本軍の野・山砲は他国の同種砲、例えばイギリスの25ポンド砲やソ連の76.2mm野砲と同じく 対戦車戦闘に使用された。九〇式野砲以外は対戦車戦においてあまり効果が無かったが、だから といって他に有効な対戦車兵芸畏が無かったから(終戦間際にバズーカ形式の有力な兵器が少 数作られはしたが)使用しないわにはいかなかった。結局、対戦車戦闘は日本軍全般にわたって 大きな弱点で、これは終戦まで改善されることがなかった。
日本軍の弱点にもう一つ火力不足という問題があった。これを師団砲兵レベルで見るとどうなるか、アメリカ軍の師団砲兵連隊と日本軍の三単位師団の砲兵連隊とで比較してみよう。 日本軍の砲兵連隊は定数を満たしているとすれば75mm砲36門と105mm砲12門を装備して いるはずである。対するアメリカ軍砲兵連隊は54門の105mm砲と12門の155mm砲が装備されて いた。単純に口径と砲数を比べただけでも日本軍の方が同規模のアメリカ軍に比べて砲兵火力で 劣っているのがわかる。これに加えて弾薬量や射撃去の違いが恐ろしく加味されて実際の差はより 大きなものとなるであろう。 これはたとえ日本軍砲兵隊の方が不整地での機動性に優っていたとしても補いのつく問題では なく、ガダルカナル戦以降、日本軍苦戦の原例の一つをなしたのであった。
日本軍の戦闘に対する考え方 ここでいよいよ日本軍の戦闘について話を進めることとしよう。まず日本軍の戦闘に対する理念か ら始めたい。 日露戦争後、その戦訓に基づいて日本軍は、無形的要素(軍人精神・攻撃精神・軍隊の精練・ 指揮統帥の卓越)の重視と歩兵中心の白兵主義を戦闘に対する理念として打ち出した。これは大 正末の軍の近代化や日中戦争を経ても変化することなく太平洋戦争まで継承された。 「攻撃」は日本軍にとって常に選用すべき戦闘方式と定められ、白兵をふるって敵を殲滅するも のとされていた。一方防御ことに専守防御は国民性・国情からして好ましくない戦法とされた。やむ を得ず防御する場合でも機を見て攻撃を敢行することが強調された。 攻撃の主眼は敵を包囲して戦場に破滅することで、攻撃にあたってはあくまで自主積極、敵を求 めてこれに迫り、敵を圧倒殲滅するか少なくとも撃破撃じょう(てへんに「襄」)しなければならないと いうのが、攻撃にあたっての根本理念で、この理念は民族性および伝統に最も合致するものとして 推奨された。このようなことは一回目にも書いたが、要するに日本軍は大部隊でも小部隊でも同じ ノリで戦闘したのである。「防御」について日本軍は「みだりに行なうべきでなく、他に手段なく真に やむを得ない場合に限る」という信念を抱いていた。通常「防御」は「攻勢を企図した防御」と「専守 防御」の二通りに分けて考えられていた。
昭和の初めから日本陸軍内で「速戦速決」と銘打った戦略理念が強調され、攻撃の場合におけ る不可欠の要素とされた。元来どこの団の軍隊でも「速戦速決」は攻撃における条件とされなかっ たわけではないが、日本の場合、特に国力資源に乏しい反面、国家や軍に進取の気風があふれ ていたためか、この空気が強かった。 日本軍の攻撃 日本陸軍は明治十八年ころからドイツ陸軍の戦術思想を取り入れ、それゆえ早くから「分進合撃」 とか「包囲」などの方式に慣らされていて、「戦闘綱要」発布の際には「包囲」方式こそ短期戦具現 の要諦なりとして強調された。 その包囲であるが、一般にその実施には十分な兵力・資材を必要とするものだが、日本軍にあっ ては敵に対して兵力不十分でも兵力分散に陥らない限り放胆に実施すべきものとされていた。そ れに対してソ連を始め(戦前日本陸軍の仮想敵国はソ連であった)、近代の列国軍は、「速戦速 決」の必要を認めるがゆえに、攻撃の場合には相手方の要域である陣地に対しそれを圧倒し得る 兵力を配置して突破瓦解に導くのをもってとるべき基本攻撃方式としていた。戦術的包囲について は特別な好条件の起こらない限り、突破の際あるいは戦果の拡張の際生ずべき好機に乗じ、深く 敵方側背に追って退路を遮断し、あるいは局部的に分断して補足掃滅するなど、戦場における活 発な統帥指揮に期待するという考え方が主流であったようである(余談ながら、多くの作戦級ゲー ムはこうした戦闘ができるように作られていることをゲーマー諸氏は御存知であると思う)。
計画的包囲については、各国とも多くの場合絶対優越を期する外線の配置からする分進合撃の 戦略方式が常型となっていた(分進合撃の雰囲気はエポック社の「日露戦争」が良く表現している ようである)。 不十分な兵力によって包囲を敢行するという思想は他国には余り例が無いようである。 兵力不十分でする日本軍の包囲攻撃は包囲翼方面の兵力を強力にすればするほど、敵側が支 とうとして固める要域主力に指向する圧力は弱まり戦場を支配する要域は最後まで敵が確保する ことになり、その結果敵が自主的に危地脱出や主力への合一を行なったり、後続部隊の増強によ る形勢逆転などを許すことになり、「速戦速決」をねらっての包囲が逆効果を産むこともあった。 それに比較してソ連軍方式の包囲では敵の占領する支とう主力面に絶対優勢な兵力によって強 大な圧力を加える他、両翼側における陣地要域の一挙無力化が計られた。 いずれにしても敵を包囲することに成功すれば連絡線・補給線を断つことになり敵に大きなダメ ージを与えることが期待できた。 日本軍の実際の包囲行動は師団規模のような大部隊でも前回までに紹介した小部隊同様、ジャ ングルや機械化部隊の進入できない不整地を利用して行なわれた。また包囲の際に敵が攻撃前 進を行なう場合には、自軍内に引き込むものとして、これを利用した。 また攻撃にあたっては敵の意表をつくことが奨励され、そのために夜襲・迂回といった手投が取られ、敵司令の急襲(これによって敵を混乱させる)が計画、実行された。
日本軍の防御 先に書いたとおり「防御」には二種類あった。一つは「攻勢を企図した防御」であり、もう一つは 「専守防御」である。 「攻勢を企図した防御」は最初が「専守防御」で持ちこたえ、攻勢に移転した以後の行動は攻撃 の場合と同様とされた。 「専守防御」については、火力と逆襲によって敵の攻撃力を破砕することを本来の戦闘方式とし、 併せてもし乗ずべき好機が発生した場合(敵兵力が分散したり、敵部隊間の協調が齟齬をきたした 場合など)には機を逸せず主力を挙げて攻撃に転ずべきとされていた。日本軍の戦闘にしては火 力が比較的重視されているのが特色と含える。 実戦では日本軍の攻撃と防御はいかに行なわれたのであろうか、実戦例を見ることにしよう。
攻撃の例 日本軍は大陸のあちこち(中国・満州・ビルマ)で包囲や迂回攻撃を行なったが、特にビルマ進 攻作戦は迂回と包囲の連続であったといえるだろう。太平洋戦争初期のビルマでの戦闘は大概、 図5(省略:ジャングルを通る道路沿いに陣を構える英軍を、三個連隊の日本軍が迂回して、二個 連隊が左右両翼から包囲し、一個連隊が英軍後方へ進出している)のように行なわれた。このよう な戦闘が成功を収めることができたのは、敵である英軍が道路に頼り過ぎた(あるいは離れられな かった)ため道路や英軍正面を簡単に迂回できたためであった。補給線・連絡線を断たれた英軍 は結果として後退する以外に無かったが、その際道路を日本軍に塞がれたので車輌や重装備を 捨てざるを得ず、後退時に戦闘を強いられて損害を出すことになった。 こうして英国はビルマから駆逐されたところで戦闘は落ち着いた。 成功例の次にはやはり失敗例も見るべきであろう。場所は同じビルマで今度は後半戦である。イ ンドへと追い出された後、英軍はジャングル戦の訓練と士気の何復に努め一応戦闘可能となった。 そしてより重要なことに制空権を確保することができた。その時に日本軍は三個師団でインパール 方面に攻勢をかけた。日本軍二個師団は旨く英第4軍団をインパールで包囲した。以前ならここで 英軍は退却をしたのだが今度は違った。英軍はインパールを中心に全周防御を行なって粘ったの である。なぜ英軍が粘れたか、包囲されても英軍は補給・連絡を断たれなかったからである。制空 権を確保した英軍は空中補給ですべてをまかなって戦闘を続け、火力の低い日本軍は逆に陣地 攻撃で消耗していった。 補給物質の十分でない日本軍は速戦速決が失敗すると退がらざるをえなかった。
攻勢を企図した防御の例 これもビルマ戦線に典型的な例がある。アキャブの戦闘がそれである。アキャブの戦闘は数回行 なわれたが、ここでは第一次と第二次のアキャプ戦を見てみよう。 インパール戦の一年以上前、まだ制空権を確保していないころ、英軍は海岸沿いに攻撃をかけ てきた。目標はアキャブ。なぜこの方面にきたかというと海岸沿いに道路が有り、とにかくアキャブを 確保できれれば補給が可能であったからである(但し当時はまだ上陸作戦能力はほとんど無かっ た)。図7(省略)を見ていただきたい。日本軍はまずドンペイク付近で英軍の攻撃を支え、その間 に一個大隊と第五師団が迂回して英軍の背後を遮断、英軍のうち第6旅団は背後をつかれて撃 滅されて、残りの英軍部隊は後退した。 これが第一次アキャブ戦のあらましである。まずはこの種の反撃戦闘の典型的成功例と考えてよ いだろう。 第一次アキャブ戦から一年後、英軍は再度アキャブに向けて進撃して来た。御膳立ては第一次 の時とほぼ同様であったが、ただ今度は英軍が制空権を握っている点が異なっていた。日本軍の 迂回またも成功、見事に第7インド師団を包囲したまでは良かったが、その後はインパールと同じ 状況になった(こちらの方がインパールより先だが)。しかし英軍は第7インド師団を含めて(第7イン ド師団は友軍の攻撃で一応放出された)インパール戦開始によって引き抜かれ、日本軍の戦闘は 一応成功したことになった。
専守防御の例 日本軍の専守防御の例は太平洋戦争末期に各地で見受けられるが、ここではサイパン・ペリリュ ー・硫黄島・沖縄の例を取り上げよう。 第一回目で書いたように攻撃して来る敵の火力(特に艦砲射撃)にどのように対抗するかが日本 軍にとって問題であった。問題解決のため歩兵が陣地、特に洞窟陣地を利用したことはすでに第 一回目で述べた。歩兵については従って一応、話を置いて、今回は砲兵中心に観て行きたい。 砲兵が敵砲火を避けるためにしたことは基本的には歩兵と同じであった。要するに火砲を洞窟陣 地や陣地に入れてさらに位置がバレないように偽装して敵砲火を避け、攻撃して来るむき出しの敵 部隊を砲撃して撃退しようとしたのである。 サイパンでは遮蔽陣地にあって生き残った砲兵が海岸堡の米軍上陸部隊に大損害を与えた。サ イパンは1キロ正面当たり5門の火砲を持ち火力装備が優秀なので守り切れると陸軍首脳部は考え たが、さすがにそうはいかず砲兵の活動は三日でほぼ柊了してしまった。その原因は弾薬が少な かったため(埠頭に半分を運び残したという)と移動力が乏しいのに水際防御協力に徹底して撃波 されたため(移動できないのでは敵が追っても撤退できない)であった。 ともかくもサイパン以降、防御の主役は砲兵になっていったのではある。 ペリリューでは上陸第一波を反撃火力を集中して撃還した(撃退に成功したのはペリリュー位なものである)がナパーム攻撃に手こずるうちに第二波以降の上陸をゆるしてしまった。 ここでの砲兵は歩兵拠点内に同居していて目標が大きく移動力がなく敵兵が拠点に迫ると戦闘 不能になってしまった(砲兵は近接戦闘力は低いのである)。
硫黄島は1キロ正面当たり12門の火砲を装備していたがこれは最高密度であった。さらに47mm 速射砲が60門配備され野山砲を歩兵砲に代用しなくてすむようになったため、主陣地後方に砲兵 は布陣して、火力の統一的運用が行なわれた。砲兵は一カ月にわたり敵に損害を与えたが準備弾 薬数の不足はどうしようもなく、活動は終了した。 沖縄では日本軍は反対斜面(反斜面)で待ちうけ、防衛線を越えて来る敵を後方からの阻止弾 幕を浴びせかけてしばしは撃退した。その代表例が嘉数高地の戦闘であった(沖縄旅行した際、 見に行きました ^^;)。反対斜面とは丘で自軍側に下った斜面で、この中間や谷底等に陣地を構築 すると射界が狭くなり頂上稜線までしか火制・観測ができないが敵もこちらが見えないので頂上稜 練まで火器か観測所を設置しないと火力が優勢でも発揮できず、稜線に来る敵は自軍の絶好の 射撃目標となる。反対斜面陣地は敵の火力を封殺するのに有効である上、接近戦になるので本来 白兵主義であった日本軍にとってはおあつらえ向きの戦法であった。 沖縄の日本軍は第一回目に書いたような小戦闘の連続でじりじりと消耗していった。特に五月に 攻勢をかけた時に洞窟陣地から砲兵を引き出して支援砲撃をしたが、空中観測による対砲兵戦で 約60門の損害を受けたのは痛手であったし、例のごとく残弾が少なくなった。そして二カ月の戦闘 で沖縄戦は終了した(ところでWar Gamer社の「Okinawa」はこの火力戦が結構良く表現されている と思う。または「パンツァー・ブリッツ」なんかで反対斜面の利点を生かして防御するのもなかなかだ ろう。特に射程の短いソ連軍にはおすすめする)。沖縄や硫黄島は敵に多大な損害を与え、本土 決戦準備の時間稼ぎを果たしたので防御は成功したと言えなくもない。この成功は砲兵火力を高 密度に集中し得たためであったが、次の本土決戦では防御正面にそれ程火力を集中することは、 もはや期待できなかったので、防御戦闘は歩兵の水際反撃によると決定された。そしてそれからす ぐ終戦となったのであった。
おわりに 最後に、日本軍の戦い方について簡単にまとめてみよう。日本軍の戦い方の根幹をなしていたの は、歩兵中心と攻撃中心の思想であった。いくつかの例外が無かった訳ではないが、日本軍のほ ぼ全体を通してこれは変わらなかった。そのため火力を軽視し、陣地構築には不熱心であった。た だ戦争後期にやむを得ず火力主導で防御戦闘を行なうことになり、洞窟陣地とともに一応成功を おさめはした。しかし日本軍全体として火力主体の戦闘を実行することは、最終的には不可能とさ れてしまった。日露戦争以来培われてきた白兵戦の方針は、急に変えようとしても兵器装備を含む 体質がそぐわなかったのである。弾薬や装備の不足、威力不足といった問題も、歩兵中心思想と 関連していて、火力戦実行を妨げる要因となった。火力の軽視が平時の弾薬準備、装備の威力に 影響を与え、それによって一層、日本軍は歩兵中心へと走っていった。 もう一つ日本軍の戦闘に関して言えるのは戦いが形式的であったことである。これは戦後、内外 から言われていることで、かつて日本軍の将校であった人でも、このことを認めている人も多いよう である。確かに戦例を見ると従来の戦闘法が通用しなくなっても、次の戦術をうまく工夫することが できなかったといえるのであった。 にもかかわらず、日本軍は敵の意表をつくことには熱心で、その作戦は時に巧妙とすら呼べるの だが、基礎となる考え方が変わらなかったから、次第に意表をつけなくなり、彼我の力量の計算も 不十分であったので作戦倒れになることもあった。とこんなところが、戦闘から見た日本軍の特徴と 言えるだろう。 三回に携って歩兵中心で書いてきましたが、いかがだったでしょうか。戦車部隊や騎兵部隊につ いては、また別の横合に譲りたいと思います。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三回に渡って転載しました、瀬戸利春氏の「戦場の日本軍」如何でしたでしょうか? 知っているようでよく知らない、大戦中の日本軍の側面を知るきっかけになれば幸いです(罵倒するにも、よくわからないで罵倒するのはアレですから ^^;)。 大戦末期の日本軍の防御戦闘の関連書籍として、最近、佐藤和正著「最後の関東軍」が光人社 NF文庫より復刊されましたので、これをお勧めします。 ワタシが持っているのはサンケイ出版版ですが、このなかに高級将校同士の雑談として、「要塞 攻撃の研究はよくしていたが、防御についてはほとんどしていなかった。考えてみれば片手落ちだ った」というシーンが出てきます。 陸軍が防御についての認識が足りなかったことを示す、好例だと思います。 最後に、量が多い為、長文の連続アップとなってしまいました。 お読みになる方は、お手数ですが「レスを全部読む」を押して下さい。 長々とおつきあい、ありがとうございました。
ばばぼん様、ご苦労様でした。今後とも宜しく。 これにてばばぼん様誘引作戦第一段階は終了です。このスレッドも私一人ではとても話題を提供しつづけられないので、スレを立てていただいてある程度常駐させてしまおうという狡猾な作戦でした。 新スレを立てずに待っていた皆さんも、結果的に共犯ですよ。 ブラック第一総軍より。 次回からまじめな書き込みをします。ごめんなさいね。
17 :
名無し三等兵 :2001/05/07(月) 12:25
ばばぼん♪氏&第一総軍氏age
18 :
名無し三等兵 :2001/05/07(月) 13:01
良スレアゲ
19 :
888get :2001/05/07(月) 13:02
つられてage
20 :
:2001/05/08(火) 00:15
21 :
名無し三等兵 :2001/05/08(火) 19:05
英陸軍<帝国陸軍は確実。国産兵器ではもとより、新鋭米国供与のM3スチュワートでも完敗。 日本陸軍の97式や95式に明らかに勝ったはずなのに、あっさり捕獲されるとはすごいヘタレ。 ダンケルクでも対独戦であっけなく逃げさっておいて「奇跡」とぬかしていたが。
>>21 あまり責めるな。英国陸軍のドクトリンが、海軍力の及ぶところのみで
戦い決戦に陥りそうになったら去るという物から、大陸型決戦主義に
なったのはWW1から。ダンケルクのような戦い方は、むしろ大陸に深
入りしないという伝統的ドクトリンに則っている。
23 :
名無し三等兵 :2001/05/08(火) 20:28
ほんじゃマレー・インド洋海戦はどうなるんや。
>>23 あれは日本軍の方が勝って当たり前だろ?今考えれば。装備の面で。
>>21 は、明らかに装備に劣る相手に対して敗北を喫した、と言う点を叩いているんだろ。
戦車、重戦車、超重戦車、中戦車、軽戦車、歩兵戦車、騎兵戦車、 歩兵支援戦車、駆逐戦車、火炎放射戦車、対空戦車、巡航戦車、 水陸両用戦車、浮航戦車、試製戦車、突撃砲、自走砲、対戦車自走砲、 自走重歩兵砲、自走高射砲、自走榴弾砲、自走ロケット砲、装甲車、 偵察戦車、装甲列車、列車砲、加農砲、榴弾砲、迫撃砲、ロケット砲、 対戦車砲、高射砲、速射砲、対空砲、高角砲、重機関銃、軽機関銃、 機銃、機関砲、大砲、野戦砲、野砲、対戦車銃、マシンガン、拳銃、 対戦車拳銃、サブマシンガン、ライフル、突撃ライフル、成形炸薬弾、 徹甲弾、劣化ウラン弾、マグナム弾、ダムダム弾、散弾、砲弾、 ロケット弾、ミサイル、ASMミサイル、空対空ミサイル、バズーカ砲、 ロケットランチャー、無反動砲、レーザー砲、メーザー砲、波動砲、 パンツァーファウスト、パンツァーシュレッケ、ピアット、手榴弾、 火炎瓶、閃光弾、炸裂弾、手投げ弾、モロトフカクテル、擲弾筒、 スーパーバズーカ、VT信管、火炎放射器、魚雷、爆弾、核爆弾、 原子爆弾、水素爆弾、中性子爆弾、地雷、対人地雷、対戦車地雷、 Sマイン、パリ砲
26 :
第一総軍 :2001/05/09(水) 01:47
遅くなっていてすみません。週末に書き込みます。
27 :
陳誠大好き :2001/05/09(水) 01:58
ばばぼん様 大変興味深い情報ですね。特に砲兵火力の重要性を痛感します。 第一総軍様 又中国軍の話で恐縮ですが、南寧作戦時の第200師は機械化師団である。というのはよく言われることですが、南寧作戦時の編成や戦闘経過を見る限り、第200師は当初通常の師で、反攻時に第5軍に編入され、装甲兵団の支援を受けた。というだけのような気がします。 第5軍は装甲兵団の一部を有するようですし、何より司令の社津明(←似た字の当て字です)は元々南京の装甲大隊の司令だったようですから、つまりは第5軍が機械化部隊だったのではないでしょうか?
28 :
名無し三等兵 :2001/05/09(水) 22:04
いくらいい武器を持っていてもビルマの英軍や打通作戦の中国軍のように、 使う側がデタラメではどうしようも無い。日本陸軍の装備は相対的に不足ぎみで あったのは事実だが、武装で勝る相手を技量で圧倒した場合も少なくない。
29 :
水みみず :2001/05/09(水) 22:18
下らん事を言うなよ
30 :
名無し三等兵 :2001/05/09(水) 22:25
中国軍弱かったね、米式装備で整えても駄痛されてるしな。
31 :
第一総軍 :2001/05/09(水) 23:37
陳誠大好き様、実は私も似たような疑問をもっています。現在私の手元の資料の中でこの時期の第200師の編成についての記述は、「中国大陸の機械化戦争と兵器」デルタ出版のみです。 これによると第200師はソ連の軍事顧問の指導で編成され、自動車化歩兵1個連隊(団)と戦車1個連隊(団)よりなり、戦車連隊(団)は4個大隊(営)よりなり、1個大隊(営)は3個中隊(連)からなっていると有ります。 装備については、T26軽戦車88両の他、ドイツ、イギリス、ソ連製の戦車、装甲車約200両とされています。 しかし、残念ながら私の所有する中国側資料からはこれを肯定も否定も出来ないので、とりあえずこの記述を信じるしかない状態です。 私の疑問は、この作戦で潰滅した第200師を再編する際、果たして同じような編成で再編できたかどうかということです。第200師はその後も編成表に残っているので間違いなく再建され、太平洋戦争勃発後にはビルマへの遠征軍にも加わっており、戦争末期には米式化されたのも確かのようですが、戦車を主力とする部隊として再編されたとは考えずらいと思っています。 因みにホビージャパン社のSLG日本の進撃では、自動車化歩兵師団として扱われています。
32 :
陳誠大好き :2001/05/10(木) 03:10
第一総軍様 第200師の1939年春の戦車保有数ですが T26:79両 CV35:88両 ビッカース:14両 ルノー:10両 一号戦車:6両 という数字がありますが、気になるのはCV33以下の戦車は上海や南京で壊滅した、と言われていますが、それにしては残存数が多い点です。と、すると南寧作戦での損害も一般に言われるより低かった可能性がある気がします。 こうして見ると第200師が機械化部隊であった、というのは確かな気もするのですが、周囲の師の装備を考えると、そもそも一個師だけがこれほど高度に機械化された意味が解らないのです。
33 :
270 :2001/05/10(木) 12:19
34 :
名無し三等兵 :2001/05/10(木) 12:49
>装備については、T26軽戦車88両の他、ドイツ、イギリス、 >ソ連製の戦車、装甲車約200両とされています。 中国の抗日戦争なんて米英独ソに媚びに媚びて 日本の足を引っ張ってきただけのセコいもんだ。 それでいて何遍やっても日本陸軍に連戦連敗。
35 :
>33 :2001/05/11(金) 12:04
>時代を問わず国軍は、作戦的必要性のみでなく、国民の信頼を後ろ盾とすることによって自らの戦い方を全うすべきであろう。 深く同意です。 有名な沖縄戦もこういうグラフで見るとまた新鮮ですね。 大変参考になります。
37 :
名無し三等兵 :2001/05/11(金) 13:36
38 :
名無し三等兵 :2001/05/12(土) 00:01
第一総軍さん、早く来て下さい。駄痛スレは堂々巡りでどうしようも無いです。
39 :
第一総軍 :2001/05/12(土) 00:48
日本軍師団シリーズ簡略版 第六十師団 矛兵団 昭和17年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 昭和20年米軍上陸に備えて準備中に終戦。 第六十一師団 鵄兵団 昭和十八年編成 編成後南京付近で治安作戦に従事。 昭和20年米軍上率に備えて上海に移動、終戦。 第六十二師団 石兵団 昭和18年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 昭和19年一号作戦に参加後、沖縄派遣。 昭和20年米軍と交戦し全滅。 第六十三師団 陣兵団 昭和18年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 昭和19年一号作戦に参加。 昭和20年関東軍に編入、ソ連軍と交戦の機会は無く終戦。 第六十四師団 開兵団 昭和18年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 昭和19年一号作戦に参加。 昭和20年占領地を撤退し華中で終戦。 第六十五師団 専兵団 昭和18年編成 編成後終戦まで中国で治安作戦に従事。 第六十六師団 敢兵団 昭和19年編成 編成後台湾で作戦準備中、終戦。 第六十八師団 檜兵団 昭和十七年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 昭和19年一号作戦に参加。 昭和20年華中に撤退して終戦。 第六十九師団 勝兵団 昭和17年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 昭和19年一号作戦に参加。 昭和20年米軍上陸に備え上海付近に撤退、作戦準備中終戦。
40 :
第一総軍 :2001/05/13(日) 01:58
打通作戦スレッドは駄目になってしまったようですね。ここと近い分野だったので注目していたのですが。 参加者の姿勢が重要ということですか。
41 :
伊-400 :2001/05/13(日) 04:39
第一総軍様、日本陸軍師団史、勉強になります。脱帽です。
42 :
第一総軍 :2001/05/13(日) 18:26
日本軍師団シリーズ簡略版 第七十師団 槍兵団 昭和17年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 昭和20年米軍上陸に備え作戦準備中、ソ連参戦により関東軍に編入。移動開始直後終戦。 第七十一師団 命兵団 昭和17年編成 編成後関東軍で警備、訓練。 昭和20年台湾移駐、同地で終戦。 第七十二師団 傳兵団 昭和19年編成 第十一方面軍直轄の決戦兵団として福島県で本土決戦準備中に終戦。 第七十三師団 怒兵団 昭和19年編成 第十三方面軍直轄兵団として豊橋で本土決戦準備中に終戦。 第七十七師団 稔兵団 昭和19年編成 編成後北海道に駐屯。 昭和20年九州の第十六方面軍に編入され、本土決戦準備中に終戦。 第七十九師団 秦兵団 昭和20年編成 朝鮮北東部で陣地構築中にソ連参戦。一部が交戦。 第八十一師団 納兵団 昭和19年編成 編成後第三十六軍に編入。茨城県で本土決戦準備中終戦。 第八十四師団 突兵団 昭和19年編成 昭和19年沖縄派遣中止。 昭和20年第五十三軍に編入。小田原で本土決戦準備中終戦。 第八十六師団 積兵団 昭和19年編成 第五十七軍に編入され、鹿児島で本土決戦準備中に終戦。 第八十八師団 要兵団 昭和20年編成 第五方面軍隷下で樺太南部で作戦準備。 ソ連参戦後に交戦。 第八十九師団 摧兵団 昭和20年編成 千島列島にて作戦準備。 終戦後占守島にてソ連軍と交戦。
43 :
270 :2001/05/13(日) 23:41
いつも拝見しております。第三十二軍戦闘序列および指揮下の部隊一覧です。 通称号 球一六一六 第三十二軍司令部 山三四三〇 第二十四師団司令部 〃三四七四 歩兵第二十ニ連隊 〃三四七五 歩兵第三十ニ連隊 〃三四七六 歩兵第八十九連隊 〃三四八〇 野砲兵第四十ニ連隊 〃三四八一 工兵第二十四連隊 〃三四八三 輜重兵第二十四連隊 〃三四八六 第二十四師団第一野戦病院 〃三四八七 第二十四師団第二野戦病院 石一八八ニ 第六十ニ師団司令部 〃三五九一 歩兵第六十三旅団司令部 〃三五九ニ 独立歩兵第十一大隊 〃三五九三 〃 第十二大隊 〃三五九四 〃 第十三大隊 〃三五九五 〃 第十四大隊 〃四ニ八一 歩兵第六十四旅団司令部 〃三五九八 独立歩兵第十五大隊 〃四ニ八ニ 〃 第二十一大隊 〃四ニ八三 〃 第二十二大隊 〃三五九八 第六十ニ師団工兵隊 〃三五九九 第六十ニ師団通信隊 〃三五九七 第六十ニ師団輜重隊 〃五三ニ五 第六十ニ師団野戦病院 〃四ニ九七 第六十ニ師団病馬廠 球一八八〇〇 独立混成第四十四旅団司令部 〃 七〇七一 第二歩兵隊 〃 七八三六 独立混成第十五連隊 〃 七〇七ニ 独立混成第四十四旅団砲兵隊 〃 七〇七三 独立混成第四十四旅団工兵隊 とりあえず本島配備主要部隊のみ書きます、このほか宮古、八重山に第二十八師団が 展開しており、本島でも戦車第二十七連隊、複数の野戦重砲兵連隊ほか多数の軍直轄 部隊が配備されており、それも後刻書きたいとおもいます。 編成をみてお気づきのかたもいるとおもいますが、輸送海没部隊がいくつかあり、 編成完結未了な状況が散見されます。
44 :
第一総軍 :2001/05/14(月) 00:56
43様、拝見していて気づいたのですが、第六十二師団は7個大隊だったんですね。1個大隊は大陸に置いてきたんでしょうか? そういえば、第二十四師団の大隊は3個中隊に縮小して連れてきたようですが。
45 :
名無し三等兵 :2001/05/14(月) 01:12
戦前の日本軍の限界は自国の技術だけでは「近代化」「機械化」が出来ないことだ。その証拠に対米戦が始まると、ドイツ以外から新技術が入ってこなくなったため、技術水準が停滞する。又日本の技術が進むのは朝鮮戦争で、アメリカの軍需産業の下請けをしてからだ。
46 :
名無し三等兵 :2001/05/14(月) 23:09
すいません、第一総軍氏とばばぼん♪氏の博識を見込んで伺います。 陸軍大学校卒業者のうち、陸士卒でないのはわずか2名です。 一人は、東条英機の父親「東条英教(陸大1期:最終階級中将)」 もう一人がわかりません。ご存じありませんか?
47 :
第一総軍 :2001/05/14(月) 23:15
すみません。人事関係疎いもので。
48 :
ばばぼん♪ :2001/05/14(月) 23:52
ワタシも人事は埒外です、って今日、人事についても書いてある芙蓉書房の 「帝国陸軍編制総覧」を図書館で読んでたばっかなのに(泣)。 これは、新人物往来社の「日本陸軍将官総覧」見た方が早いのかな? って言っても、持ってないけど(笑)
50 :
第一総軍 :2001/05/15(火) 00:25
「帝国陸軍編制総覧」ですか。いいですね。確かこの本目次だけでも一冊の本になってるんですよね。私は目次だけ持っています。本編は水戸の県立図書館で見たけど一部のページが切り取られていて悔しいよりもさびしかったですね。
51 :
270 :2001/05/15(火) 00:32
>>44 いま捜しても資料が出てこないのですが、62師団の1大隊は奄美群島沖で海没したと
記憶しております。第五砲兵司令部隷下の砲兵連隊のうち1大隊も輸送途中にて
海没したはずです。海没部隊の詳細文書をもっていたのですが、なんとか探し出して
掲載したいとおもいます。
あと32軍のその他の軍直轄部隊および地元召集編成各大隊などの戦闘序列は今週中に
掲示したいとおもいます。
52 :
46 :2001/05/15(火) 07:45
すいません。ありがとうございます。気長に調べてみます。
53 :
第一総軍 :2001/05/15(火) 23:29
270様、すばらしいですね。本職の研究者の方でしょうか?今後も楽しみにしております。
54 :
ゲーター :2001/05/17(木) 01:38
第一総軍殿、270氏は陸自の現役幹部の方です。 >なお戦史を読み研究し、戦跡を実踏して部隊の展開などを勉強することは幹部教育の基礎であり、 >私もいまでも戦史業書などで振り返ることがあります。 >沖縄戦などはほぼ暗記しております。 ・・・だそうです。(凄い!
ゲーター司令、そうでしたか。ありがとうございます。期待大ですね。
56 :
第一総軍 :2001/05/18(金) 00:51
ばばぼん様、陳誠大好き様に加えて270様にもご参加いただき、ますます今後が楽しみな状況です。 私としては日本軍師団シリーズ簡略版は埋め合わせ企画なのですが、ここまで続けて中断では気持ち悪いので一応最後までやるつもりでいます。で、その後は満州国軍にするか日本軍師団の編成内容にいくか思案中です。 本当は270様のご参加によって、私の役割はむしろ中国、満州国等のマイナー軍の方に変化してきていると思うのですが。
57 :
元帥 :2001/05/18(金) 01:42
58 :
第一総軍 :2001/05/18(金) 01:43
270様、質問させていただきたいのですが、前出のセキュリタリアン誌は一般に入手可能なのでしょうか?
59 :
ZU :2001/05/18(金) 01:46
60 :
名無し三等兵 :2001/05/18(金) 02:06
本来英国軍より少し戦力がある程度の日本が 単独で米軍と戦争して勝てるわけなかった 戦例みてもそれがよく分かって痛々しい。
61 :
:2001/05/19(土) 04:44
62 :
名無し三等兵 :2001/05/20(日) 20:39
よっこらせ
訂正です。 第八十九師団 摧兵団 昭和20年編成 千島列島にて作戦準備。 終戦後占守島にてソ連軍と交戦。 のくだりを、 第八十九師団 摧兵団 昭和20年編成 千島列島にて作戦準備。 終戦後択捉島、色丹島にて武装解除。 に訂正します。 日本軍師団シリーズ簡略版 第九十一師団 先兵団 昭和19年編成 編成後第五方面軍に編入され、千島列島北部で作戦準備。 終戦後、占守島にてソ連軍と交戦。 第九十三師団 決兵団 昭和19年編成 編成後第三十六軍に編入され、千葉県にて本土決戦準備中に終戦。 第九十四師団 威烈兵団 昭和19年編成 第二十九軍に編入後タイ南部からマレー北部に配備。 同地で終戦。 第九十六師団 玄兵団 昭和20年編成 第五十八軍に編入され済州島で作戦準備中終戦。 第
64 :
元帥 :2001/05/21(月) 00:05
65 :
名無し三等兵 :2001/05/21(月) 04:05
age
66 :
名無し三等兵 :2001/05/21(月) 19:08
マターリage
日本軍師団シリーズ簡略版 第百師団 拠兵団 昭和19年編成 編成後ミンダナオ島に配備。 昭和20年米軍と交戦しつつ終戦。 第百一師団 兵団名無し 昭和12年編成 編成後、上海作戦、武漢作戦、南昌作戦などに参加。 昭和14年東京に帰還。 昭和15年廃止。 第百二師団 抜兵団 昭和19年編成 編成後フィリピンビザヤ諸島に配備。 昭和19年一部をレイテ島に派遣、米軍と交戦。 昭和20年主力はビザヤ諸島にて米軍と交戦しつつ終戦。 第百三師団 駿兵団 昭和19年編成 編成後フィリピンルソン島に配備。 昭和20年米軍と交戦しつつ終戦。 第百四師団 鳳兵団 昭和13年編成 編成後、満州に派遣。 その後中国に移動し広東攻略に参加。 昭和20年米軍上陸に備え南京方面に移動中終戦。 第百五師団 勤兵団 昭和19年編成 編成後フィリピンルソン島に配備。 昭和20年米軍と交戦しつつ終戦。 第百六師団 兵団名無し 昭和13年編成 編成後武漢、南昌作戦に参加。 昭和15年廃止。 第百七師団 凪兵団 昭和19年編成 満州で編成。 昭和20年アルシャン方面から撤退中ソ連軍と交戦、終戦後武装解除。 第百八師団 兵団名無し後に祐兵団 昭和12年編成 編成後山西省で作戦。 昭和15年廃止。 昭和19年満州で復活。(番号を引き継いだだけ) 昭和20年ソ連軍との本格的交戦の無いまま終戦。 第百九師団 兵団名無し後に胆兵団 昭和12年編成 編成後華北で作戦。 昭和14年廃止。 昭和19年小笠原で復活。(番号を引き継いだだけ) 昭和20年主力は硫黄島にて米軍と交戦、全滅。父島の部隊は終戦まで健在。
68 :
第一総軍 :2001/05/23(水) 00:05
日本軍師団シリーズ簡略版 第百十師団 鷺兵団 昭和13年編成 編成後、中国で治安作戦に従事。 昭和19年一号作戦に参加。 昭和20年老河江作戦に参加後、洛陽付近で終戦。 第百十一師団 市兵団 昭和19年編成 満州で編成後警備任務。 昭和20年済州島に移動し終戦。 第百十二師団 公兵団 昭和19年編成 満州で編成。 昭和20年ソ連軍と交戦。 第百十四師団 兵団名無し後に将兵団 昭和12年編成 編成後南京攻略等に参加。 昭和14年廃止。 昭和19年復活。(番号を引き継いだだけ) 昭和20年山西省で終戦。 第百十六師団 嵐兵団 昭和13年編成 編成後中国で警備任務。 昭和19年一号作戦に参加。 昭和20年湖南省で終戦。 第百十七師団 弘兵団 昭和19年編成 編成後中国で警備任務。 昭和20年関東軍に編入。ソ連軍との交戦は無く終戦。 第百十八師団 恵兵団 昭和19年編成 編成後駐蒙軍に編入され警備任務。 昭和20年む第十三軍に編入され上海方面に移動中、ソ連参戦により阻止のため移動しつつ終戦。 第百十九師団 宰兵団 昭和19年編成 満州で編成。 昭和20年侵攻したソ連軍と交戦しつつ終戦。
69 :
名無し三等兵 :2001/05/23(水) 20:45
資料スレage
70 :
270 :2001/05/23(水) 23:53
第三十二軍 軍直轄部隊の戦闘序列が遅れて申し訳ありません。もうすこし時間を ください。すこし本業が忙しいもので…。失礼します
日本軍師団シリーズ簡略版 第百二十師団 邁進兵団 昭和19年編成 満州で編成。 昭和20年朝鮮の第十七方面軍に編入。ソ連参戦後京城付近に進出、終戦。 第百二十一師団 栄光兵団 昭和20年編成 満州で編成。 その後済州島に移動し終戦。 第百二十二師団 舞鶴兵団 昭和20年編成 満州で編成。 満州南部でソ連軍と交戦。 第百二十三師団 松風兵団 昭和20年編成 満州で編成。 孫呉付近でソ連軍と交戦。 第百二十四師団 遠謀兵団 昭和20年編成 満州で編成。 牡丹江付近でソ連軍と交戦。 第百二十五師団 英機兵団 昭和20年編成 満州で編成。 ソ連軍との本格的な交戦は無かった。 第百二十六師団 英断兵団 昭和20年編成 満州で編成。 牡丹江でソ連軍と交戦。 第百二十七師団 英邁兵団 昭和20年編成 満州で編成。 ソ連軍との交戦は一部のみに留まる。 第百二十八師団 英武兵団 昭和20年編成 満州で編成。 羅子溝にてソ連軍と交戦。 第百二十九師団 振武兵団 昭和20年編成 編成後中国で治安作戦に従事。 後、米軍上陸に備えバイアス湾にて作戦準備中終戦。
72 :
第一総軍 :2001/05/25(金) 23:29
270様、特設連隊などの記述を楽しみにしております。
日本軍師団シリーズ 簡略版 第百三十師団 鍾馗兵団 昭和20年編成 編成後中国で治安作戦、及び広東で米軍上陸に備えつつ終戦。 第百三十一師団 秋水兵団 昭和20年編成 編成後中国で警備任務。 南京、上海方面に移動中終戦。 第百三十二師団 振起兵団 昭和20年編成 編成後中国で警備任務。 第百三十三師団 進撃兵団 昭和20年編成 編成後中国で警備任務。 第百三十四師団 勾玉兵団 昭和20年編成 満州で編成。 一部は満州東部でソ連軍と交戦。 第百三十五師団 真心兵団 昭和20年編成 満州で編成。 牡丹江付近でソ連軍と交戦。 第百三十六師団 不抜兵団 昭和20年編成 満州で編成。 奉天付近で陣地構築中終戦。 第百三十七師団 扶翼兵団 昭和20年編成 満州で編成。 朝鮮半島北部で陣地構築中終戦。 第百三十八師団 不動兵団 昭和20年編成 満州で編成。 撫順付近で終戦。 第百三十九師団 不屈兵団 昭和20年編成 満州で編成。 敦化付近で陣地構築中終戦。
74 :
第一総軍 :2001/05/26(土) 18:00
第百四十師団 護東兵団 昭和20年編成 編成後第五十三軍に編入され、鎌倉付近で本土決戦準備中終戦。 第百四十二師団 護仙兵団 昭和20年編成 編成後第十一方面軍に編入され、仙台付近で本土決戦準備中終戦。 第百四十三師団 護古兵団 昭和20年編成 編成後第五十四軍に編入され、浜松付近で本土決戦準備中終戦。 第百四十四師団 護阪兵団 昭和20年編成 編成後第十五方面軍に編入され、潮岬付近で本土決戦準備中終戦。 第百四十五師団 護州兵団 昭和20年編成 編成後第五十六軍に編入され、芦屋付近で本土決戦準備中終戦。 第百四十六師団 護南兵団 昭和20年編成 編成後第四十軍に編入され、鹿児島付近で本土決戦準備中終戦。 第百四十七師団 護北兵団 昭和20年編成 編成後第五十二軍に編入され、茂原付近で本土決戦準備中終戦。 第百四十八師団 富嶽兵団 昭和20年編成 満州で編成。 新京付近で陣地構築中終戦。 第百四十九師団 不撓兵団 昭和20年編成 満州で編成。 ソ連軍侵攻後、チチハルからハルピンに移動、終戦。
75 :
第一総軍 :2001/05/26(土) 18:00
第百五十師団 護朝兵団 昭和20年編成 第十七方面軍に編入され、朝鮮半島南部で米軍上陸に備え作戦準備中終戦。 第百五十一師団 護宇兵団 昭和20年編成 第五十一軍に編入され、水戸付近で本土決戦準備中終戦。 第百五十二師団 護沢兵団 昭和20年編成 第五十二軍に編入され、銚子付近で本土決戦準備中終戦。 第百五十三師団 護京兵団 昭和20年編成 第十三方面軍に編入され、宇治山田付近で本土決戦準備中終戦。 第百五十四師団 護路兵団 昭和20年編成 第五十七軍に編入され、南九州で本土決戦準備中終戦。 第百五十五師団 護土兵団 昭和20年編成 第五十五軍に編入され、高知付近で本土決戦準備中終戦。 第百五十六師団 護西兵団 昭和20年編成 第五十七軍に編入され、宮崎方面で本土決戦準備中終戦。 第百五十七師団 護弘兵団 昭和20年編成 第五十軍に編入され、三本木付近で本土決戦準備中終戦。 第百五十八師団 不滅兵団 昭和20年編成 満州で編成。ソ連参戦後の為編成完結できず。 第百六十師団 護鮮兵団 昭和20年編成 第十七方面軍に編入され、朝鮮半島南部で米軍の上陸に備え作戦準備中終戦。 第百六十一師団 震天兵団 昭和20年編成 上海方面で米軍の上陸に備え作戦準備中終戦。
76 :
第一総軍 :2001/05/26(土) 18:42
なんか続けて書き込んだ後を自分で見直してみると荒らしみたいですな。 第二百一師団 武蔵兵団 昭和20年編成 第三十六軍に編入され、国立付近で本土決戦準備中終戦。 第二百二師団 青葉兵団 昭和20年編成 第三十六軍に編入され、高崎付近で本土決戦準備中終戦。 第二百五師団 安芸兵団 昭和20年編成 第五十五軍に編入され、高知付近で本土決戦準備中終戦。 第二百六師団 阿蘇兵団 昭和20年編成 第十六方面軍に編入され、南九州で本土決戦準備中終戦。 第二百九師団 加越兵団 昭和20年編成 第三十六軍に編入され、本土決戦準備中に終戦。(関東地方へ移動中?) 第二百十二師団 菊池兵団 昭和20年編成 第十六方面軍に編入され、宮崎県で作戦準備中終戦。 第二百十四師団 常盤兵団 昭和20年編成 第三十六軍に編入され、栃木県で本土決戦準備中終戦。 第二百十六師団 比叡兵団 昭和20年編成 第十六方面軍に編入され、熊本付近で本土決戦準備中終戦。 第二百二十一師団 天龍兵団 昭和20年編成 第五十一軍に編入され、茨城県で本土決戦準備中終戦。 第二百二十二師団 八甲兵団 昭和20年編成 第十一方面軍に編入され、岩手県で本土決戦準備中終戦。 第二百二十四師団 赤穂兵団 昭和20年編成 第五十四軍に編入され、広島付近で本土決戦準備中終戦。 第二百二十五師団 金剛兵団 昭和20年編成 第十五方面軍に編入され、姫路付近で本土決戦準備中終戦。 第二百二十九師団 北越兵団 昭和20年編成 第十三方面軍に編入され、金沢付近で本土決戦準備中終戦。 第二百三十師団 総武兵団 昭和20年編成 第五十九軍に編入され、岡山付近で本土決戦準備中終戦。 第二百三十一師団 大国兵団 昭和20年編成 第五十九軍に編入され、山口付近で本土決戦準備中終戦。 第二百三十四師団 利根兵団 昭和20年編成 第五十二軍に編入され、八日市付近で本土決戦準備中終戦。
77 :
第一総軍 :2001/05/26(土) 18:42
第三百三師団 高師兵団 昭和20年編成 第四十軍に編入され、川内付近で本土決戦準備中に終戦。 第三百八師団 岩木兵団 昭和20年編成 第五十軍に編入され、青森県で本土決戦準備中終戦。 第三百十二師団 千歳兵団 昭和20年編成 第五十六軍に編入され、伊万里付近で本土決戦準備中終戦。 第三百十六師団 山城兵団 昭和20年編成 第五十三軍に編入され、伊勢原付近で本土決戦準備中終戦。 第三百二十師団 宣武兵団 昭和20年編成 第十七方面軍に編入、朝鮮半島南部で米軍上陸に備えていたが、ソ連参戦により半島北部に移動中終戦。 第三百二十一師団 磯兵団 昭和20年編成 第事由に方面軍に編入され、伊豆大島で作戦準備中終戦。 第三百二十二師団 磐梯兵団 昭和20年編成 第十一方面軍に編入され、大河原付近で本土決戦準備中終戦。 第三百四十四師団 剣山兵団 昭和20年編成 第五十五軍に編入され、高知県で本土決戦準備中終戦。 第三百五十一師団 赤城兵団 昭和20年編成 第五十六軍に編入され、古賀付近で本土決戦準備中終戦。 第三百五十四師団 武甲兵団 昭和20年編成 東京湾兵団に編入され、館山付近で本土決戦準備中終戦。 第三百五十五師団 那智兵団 昭和20年編成 第五十四軍に編入され、姫路付近で本土決戦準備中終戦。
ここはお国「を」何百里。 はあ、すっきりした。
79 :
第一総軍 :2001/05/26(土) 20:38
戦車第一師団 拓兵団 昭和17年編成 満州で編成。 戦車第九連隊はサイパン島に派遣され全滅。 昭和19年、同第三連隊と師団防空隊は支那派遣軍に編入され一号作戦に参加。 主力は昭和20年日本に移動し第三十六軍に編入され栃木県で本土決戦準備中終戦。 戦車第二師団 撃兵団 昭和17年編成 満州で編成。 昭和19年、戦車第十一連隊は北千島に派遣、又一部はフィリピンレイテ島に派遣。 主力は昭和19年フィリピンルソン島に移動し、昭和20年米軍と交戦しつつ終戦。 戦車第三師団 瀧兵団 昭和17年編成 昭和19年一号作戦、昭和20年老河江作戦に参加。 一部をソ連軍に対峙させ、主力は北京付近で終戦。 戦車第四師団 鋼兵団 昭和19年編成 第三十六軍に編入され、千葉付近で本土決戦準備中終戦。 高射第一師団 晴兵団 昭和19年編成 第十二方面軍に編入され、東京を中心に関東地方要地で防空作戦中終戦。 高射第二師団 逐兵団 昭和20年編成 第十三方面軍に編入され、名古屋を中心に防空作戦中終戦。 高射第三師団 炸兵団 昭和20年編成 第十五方面軍に編入され、大阪を中心に本州西部要地で防空作戦中終戦。 高射第四師団 彗兵団 昭和20年編成 第十六方面軍に編入され、九州要地で防空作戦中終戦。 その他、戦地の師団への補充等の後方業務や訓練を行なう部隊として以下の留守師団があるが、調査不足の為名称のみ記述する。 (これらの留守師団は昭和20年に師管区へ改編された。) 留守近衛師団(後に留守近衛第二師団)、留守第一師団、留守第二師団、 留守第三師団、留守第四師団、留守第五師団、留守第六師団、留守第七師団、 留守第八師団、留守第九師団、留守第十師団、留守第十一師団、 留守第十二師団、留守第十四師団、留守第十六師団、留守第十九師団、 留守第二十師団、留守第三十師団、留守第五十一師団、留守第五十二師団、 留守第五十三師団、留守第五十四師団、留守第五十五師団、留守第五十六師団、 留守第五十七師団
80 :
第一総軍 :2001/05/26(土) 20:40
航空部隊の師団は、指揮下飛行隊か固定化されておらずしばしば移動する。地上部隊の師団とはかなり意味合いが異なり、軍又は方面軍のような存在であるため戦績を追跡しずらく、私の調査の調査の対象では無かった為、最終状態を簡単に記述するに留める。(航空隊ファンの皆様、ごめんなさい。詳しい方のご教授をお待ちします。) 第一飛行師団 鏑兵団 昭和17年編成 北海道で終戦。 第二飛行師団 鷲兵団 昭和17年編成 昭和20年5月フィリピンで解隊。 第三飛行師団 隼兵団 昭和17年編成 昭和19年2月南方(ビルマ、マレー、蘭印)で解隊。 第四飛行師団 翼兵団 昭和17年編成 フィリピンで終戦。 第五飛行師団 高兵団 昭和17年編成 仏印で終戦。 第六飛行師団 洋兵団 昭和17年編成 昭和19年5月、ニューギニア、ラバウル方面で解隊。 第七飛行師団 襲兵団 昭和18年編成 ニューギニア、豪北方面で活動。解隊されたらしい。 第八飛行師団 誠兵団 昭和19年編成 台湾で終戦。 第九飛行師団 翔兵団 昭和18年編成 スマトラで終戦。 第十飛行師団 天翔兵団 昭和19年編成 関東地方で終戦。 第十一飛行師団 天鷲兵団 昭和19年編成 関西方面で終戦。 第十二飛行師団 天風兵団 昭和19年編成 北九州で終戦。 第十三飛行師団 隼魁兵団 昭和20年編成 中国南部で終戦。 教導飛行師団 岡兵団 昭和20年編成 本土で終戦。 下志津教導飛行師団 明野教導飛行師団 日立教導飛行師団 鉾田教導飛行師団 浜松教導飛行師団 宇都宮教導飛行師団 立川教導飛行師団 水戸教導飛行師団 以上8個師団は兵団名無し、昭和20年教導飛行師団(岡)の編成に伴い合併した。 第五十一教育飛行師団 兵団名無し 編成時期? 恐らく第五十一航空師団に改編。 第五十一航空師団 空兵団 編成時期? 岐阜で終戦。 第五十二航空師団 紺兵団 編成時期? 埼玉で終戦。 第五十三航空師団 宙兵団 編成時期? 京城で終戦。 第五十五航空師団 昭兵団 編成時期? シンガポールで終戦。 航空師団は教育飛行隊から編成されており、恐らく作戦任務の他に教育も平行して行なっていたと思われる。 で、日本軍師団シリーズ簡略版は一応終了です。通信部隊とかもあったかも知れませんが、休ませてくださいね。専門外だし。
あ、ホントだ(+_+)>78
実を言うと、軍歌「戦友」は、よく休日に父(大正十年生まれ)が歌っていた歌です。 ワタシが幼い頃、洗濯物を干しながら「お国の何百里」と歌っていました。 昨日に電話で確かめると、確かに「ここはお国の何百里」と歌っていました。 父が間違えて覚え、それを子であるワタシが受け継ぎ、というのはおかしなものです。 父に対しては、やや複雑な感情を抱いているのですが、三十を過ぎるとそれもいい思い出です。 さて、明日、ちょいと問題定義っぽいネタをあげます(予定です、予定 ^^;)。
83 :
第一総軍 :2001/05/27(日) 23:31
問題提起ですか。楽しみです。 戦友と私 私の場合は中学時代の友人が歌っていたので覚えました。確か14番くらいまであるはずですね。今でも歌えるかな? その友人の父上は当時地元の大学教授で、元は海軍の少尉候補生?だったらしく、軽巡酒匂に訓練で乗ったことがあるらしいです。友人自体は現在お坊さんの資格をとって、とある高校の寮で住み込み調理員になっています。
84 :
名無し三等兵 :2001/05/28(月) 09:25
すげスレだね
85 :
名無し三等兵 :2001/05/28(月) 10:01
>>78 「・・の」が正解のはず。「ここはお国の何百里。はなれて遠き満州の」って
うちの親父(17現)も歌ってた。ただ「戦友」は大ぴっらに歌うと叱られる
と言ってました。父の友人の元少年航空兵(知覧で出撃機待ち一桁で終戦)は
現役当時一回も歌ったことが無いと言ってました。
86 :
第一総軍 :2001/05/28(月) 23:37
私は「を」だと思ってましたが。
87 :
第五方面軍長官 :2001/05/29(火) 01:18
我々新設の第175師団、またの名を獅子心兵団という。 九州のつわもの・・・薩摩の侍の血を引いたものたちだ。 我々は、志布志湾や、錦江湾、日向灘からの敵の上陸から、 生まれ育った故郷を守り、陛下への忠義を尽くすためにここに 展開した。九州山脈に、秘密補給基地を作り、遅滞作戦を 実行するのだ。我々は、新設にもかかわらず、先の北方戦や、 ガ島、大陸の激戦地からの転進、また、あの沖縄特攻からの 奇跡の生還を果たした艦、冬月、雪風、大和の乗組員の生き残り、 特攻隊に入ったにもかかわらずのる機すらないもの、ニューギニア、 満州や、樺太で戦った者たちが集まった日本陸軍史上まれに見る 最強の師団であった!!!!火砲は日本軍師団一の350門、重機や、 軽機、擲弾筒、新配備の歩兵よう対戦車兵器、「戦車の拳」も特別に 普通の師団の2倍は配備され、臼砲、迫撃砲、山砲、 加農砲、高射砲、速射砲、榴弾砲、座礁した艦船から外した 大口径砲もあったのである!!!! 戦車部隊は、97改、1式、3式、4式、5式、ホリ車も装備され、 合計100両以上にのぼった!!!! そんな部隊が、硫黄島、ペリリュー以上の陣地を構築し、 航空部隊からは、日本陣地が砲撃してもまったく見えないようなすばらしい 陣地であった。司令部は46cm砲が直撃しても大丈夫で、3ヶ月の 持久を期待されていた。アメリカ軍は、完全に隠された陣地に 待ち伏せにされ、焦土を北進していた米戦車群400両は、 完全に補足され、ろくに反撃されずに全滅したのである。 鹵獲した兵器や、動かなくなった戦車を埋め、トーチカとし、 陣地はさらに強力になった!!!この戦いが、これから 4ヶ月も宮崎、鹿児島、大分を舞台にしたあの、映画にもなった 地獄の戦いの幕開けであった。
88 :
名無し三等兵 :2001/05/29(火) 18:28
三文字の兵団なんかあったかな?
90 :
第一総軍 :2001/05/30(水) 00:29
88様、3文字は無いです。
91 :
第一総軍 :2001/06/01(金) 00:33
沈みすぎでしたね。
92 :
88 :2001/06/01(金) 00:53
>>90 やはりそうですか 2CHは、正しい情報を得るのが難しいですね
中川州男大佐指揮の歩兵第2連隊基幹の守備隊(第15連隊第3大隊、 同第2大隊、師団戦車隊配属−計9838名)が見事な戦いぶりをしたのは確かで、 第1海兵師団(24234名)を投入して2、3日で占領するつもりでいた 米軍は大打撃を受けて、1万人以上の死傷者を出した同師団はほとんど 戦闘能力を失ったと判定されて後方に下げられています。 また同島守備隊の奮戦には昭和天皇の御嘉賞の言葉が11回も 中川連隊長宛に無線で伝えられたという異例の事もありました。
94 :
名無し三等兵 :2001/06/01(金) 19:49
こちらのスレROMってて思ったのですが、米軍装備の日本軍なら最強じゃないでしょうか? で、例の442連隊ちょっと調べてみたら、強いですねー。 部隊、個人含め、感状、勲章など約2万個で、今後米陸軍がこの記録を抜く事は無いのでは? ガイシュツならスマソ〜
米軍装備の中国軍なら最弱だよ。
96 :
第一総軍 :2001/06/02(土) 01:30
88様、87様の書き込み内容自体は架空の話しですが、87様自身はそれなりに知識をお持ちの方だと思います。 また、内容から判断して人を騙そうとしたのではなく、ちょっとお茶目に冗談を仰っただけのようです。この方ほどの知識があれば結構私も騙されてしまうような話しも作れるでしょう。
97 :
第一総軍 :2001/06/04(月) 23:32
日本軍師団についての簡単な編制内容を纏め始めました。但し、後2乃至3ヶ月かかりそうです。その間他に何かやりましょうか?
98 :
大陸打通太郎 :2001/06/05(火) 20:09
とにかく俺に言わせれば軍事的実力評価は戦績・結果が全てで、それ以外は聞く耳持たん。
99 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 11:16
ばばぼん♪氏の問題提起がすごく気になるage 大陸打通太郎はどうでもいいです
100 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 18:39
インパール作戦は最初から補給路も制空権無い所での日本陸軍の自殺的攻勢であった。 牟田口で無くても負けたであろう、彼一人を責めるのは筋違いでは無かろうか。 ただ本作戦の動機そのものは大東亜会議に沿ってなされたものであったと僕は思うが、 人によっては愚劣で残虐なアジア侵略の口実に過ぎないともいう。まあもしそうだとすれば、 「愚劣で残虐なアジア侵略戦争」の結果としてインパールで白骨をさらした日本兵達は まさに自業自得であり、牟田口は犯罪集団撃滅に一役買った英雄として賞賛されるべきだ。
101 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 19:25
牟田口だから、インパール作戦を発動した。 彼がいなければ、作戦自体存在しない。
102 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 19:27
>作戦自体存在しない。 あの作戦をやらなかったら、日本は敗戦を避けられたろうか。
無益な犠牲を出さずにすんだ。 すくなくとも折れのじいちゃんは死ななかった。
104 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 19:32
>>102 局地的な作戦の1つや2つで、戦争自体がどうにかなるわけ無い。
105 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 19:42
>すくなくとも折れのじいちゃんは 残虐で無益なアジア侵略の日本軍は、全員死ねば良かったのです。
太郎は無視です。
107 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 19:50
何太郎っていうんだこいつは。
108 :
名無し三等兵 :2001/06/06(水) 20:07
牟田口を軍司令官に選んだ国民にこそ責任がある。
相手にするな、やり過ごせ!sage
111 :
第一総軍 :2001/06/08(金) 01:42
問題提起。私もお待ちしています。
ここはお国の何百里〜といってるのに何千里も進軍しちゃダメでしょ(ワラ
113 :
名無し三等兵 :2001/06/08(金) 02:01
母を訪ねて三千里
114 :
某研究者 :2001/06/08(金) 09:14
しかし重小銃や大筒等を盾や鎧で止める訳にも行かないし 大砲の炸裂弾や連隊砲等の配備で以後騎兵は防御力よりも 機動力が重視されたと言う事だろうか (しかし装甲が無いなら逆に発射速度の速い弓が有効と 成ると言う事は無かった訳なのだろうか)
去年オーストラリアに行ったとき、飛行機からニューギニアの大地 を見た。ふと「日本はこんな遠くまで進軍したのか」と、無性に感動、 涙がでそうになった。更にこんな遠くまで来て死んでいった英霊達を 思うと更に涙が出そうになった。
116 :
名無し三等兵 :2001/06/08(金) 10:25
実際47ミリ砲のデビューは17年4月以降のパターン攻略からです。 高速徹甲弾で1000メートルで50ミリの装甲が貫徹できたので 士気はおおいにあがったのです。
117 :
名無し三等兵 :2001/06/08(金) 12:39
118 :
名無し三等兵 :2001/06/08(金) 20:52
機内の地図によると、日本への帰路はミッドウェー島付近を通過するようだ。 私は現在の飛行地点を示すランプに注目しながら時を過ごしていた。眼下には 一面に広がる海原。波は結構高い「かの時代によくぞここまできたもんだ」と 不思議な感動が込み上げた。その刹那、まだ眠っている英霊がいると思うと目 頭が熱くなってきた。
119 :
名無し三等兵 :2001/06/08(金) 22:08
「日本陸軍の対戦車戦闘」について良く書かれた本無いですか、 地上戦闘は空中戦や海戦と違って戦果判定が困難だからでしょうか。 特に歩兵の対戦車肉迫攻撃ってどれだけ有効だったんでしょうか。
120 :
第一総軍 :2001/06/09(土) 00:13
117様、懐かしいスレですね。私もかつて名無し99号として少し書き込んでいました。 119様、私も残念ながら良い資料が有りません。そのため、グランドパワーの95年7月号「太平洋戦争の機甲部隊2」のアメリカ戦車についての記述を多少参考にできる程度です。後は、いろいろな資料を濫読ですね。
>>114 しかし某研のコレは矢張り誤爆なのであろうか(藁
122 :
第一総軍 :2001/06/10(日) 00:18
現在日本陸軍ネタは資料を纏めている状態なので、過去に私が名無し99号として満州国軍スレに書き込んだ内容を一部改訂の上コピーしておきます。 満州国軍の一部である鉄路警護軍についてですが、ハンドルネーム消印所沢様の質問に対して答えたものです。 元は国策会社である満州鉄道の鉄路警護隊で、 彼らは、1944年3月に満州国軍に編入され、鉄路警護軍と改名されました。 兵力は、ハルピン、奉天、錦州、牡丹江、吉林、チチハルの名をつけた6個旅(旅団)です。もっとも、旅の編成内容は、1個団(連隊)と訓練学校なので、実際の規模としてはあなたがおっしゃるとうり軽歩兵連隊規模といってよいでしょう. 形式的には満州国軍になった彼らでしたが、実際には国軍内でも特別扱いされ、関東軍の直接指揮下で鉄道の警護にあたっていたようです。 中国側資料によると、終戦後ソ連軍に降伏したと簡単に述べていますが、チチハル鉄路警護旅は、その1個団を満州国軍の最精鋭部隊である鉄石部隊に派遣し、鉄華鉄路警護旅として長城線を越え、河北省で1945年3月から八路軍の討伐にあたっていたようです. その後の経過はわかりませんが、鉄石部隊のほかの部隊は、終戦後に国民党軍に編入され、その先遣部隊として満州に帰還し、八路軍との戦いに参加したようです。 以上ですが、日本陸軍ネタに少し時間がかかりそうなので、もし好評なら寄り道企画として満州国軍ネタを継続しようかと思います。 実際のところ、日本陸軍ネタは専門家でいらっしゃる270様にお任せして、いろいろ師団の編制等をご教授いただきたいのが本音です。私は水戸の人間なので、恵比寿の防衛図書館にはなかなか行けませんし。
123 :
名無し三等兵 :2001/06/11(月) 10:33
age
124 :
第一総軍 :2001/06/12(火) 01:27
現在、オリンピック、コロネット作戦スレにお邪魔しています。宜しければ皆さんもいらっしゃいませんか。
125 :
名無し三等兵 :2001/06/12(火) 12:31
ばばぼん♪さんからの伝言です。 会社の引っ越しの際に右手首を骨折してしまい、 キーボードはおろかマウスも満足に動かせない状態だそうです。 あげくのはてに、「書き込もうとしていたネタを忘れてしまった。鬱だ。氏にたい」 と隣で申しております(笑)
1の精子でありますっ!(敬礼っ!ビシッ!) 正確には、今日、本日1の精嚢より生産された2536512584521番目の陸軍3等精子であります! 先輩方のお話を聞いてみると、いつもティッシュの中にばかり放出されて、 我が軍はまだ一度も実戦に出たことがないそうでです・・・なんと嘆かわしい! ああっ!また1殿がオナーニを開始した模様であります!今日で何回目でありましょうか? 1殿はオナーニしかすることがないのでしょうか? ああっとっ!しかもムリヤリ我らがティムポ総軍を決起させようとしておりますっ! 総軍閣下はいい加減疲れているというのに・・・ここまで酷使されて・・・。(涙 しかも閣下は洗浄もさせてもらえず、体中がゴミだらけです。(ウィーン!ウィーン!) サイレンが鳴り響いてきました!私の出番ももうすぐのようでありまっす! っていうか、いくらなんでも早すぎまっす!!(藁 駐屯地がっ!駐屯地がすごい振動ですっ!!!!右に左に・・・ゆれ・・ あああ〜〜〜っ!!(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・) あっ!ただ今先陣隊のカウパー将軍がっ!ゆっくりと、厳格な雰囲気をかもしだし、 その顔はどこかあきらめた顔で・・・「おまえらもすぐこいよ・・・」しょ、将軍〜〜〜〜!! 逝ってしまわれた。。。次はいよいよ私の部隊の番か・・・。(ウィーン!ウィーン!) (ティムポ総督:緊急警報!緊急警報!!赤玉近衛師団の出動を命ずるっ!!) ええっ!!まさか、最終兵器のあの部隊が・・・・? 我々は一度も実戦を迎えることなく、この連隊は消滅しそうであります! 一同、整列うううううううっ!!!(ビッッシッィ!!!) 私のうしろには赤玉近衛師団が・・・どうやら私が最後の3等兵のようであります! でもでも、ティムポ総軍だってまだ17歳ですよ?!我が連隊は不良品ということでしょうかね・・・? 「第2561567464連隊、番号2536512584521っ!!」 ・・・・はいっ!!! みなさん、さようなら、時間が来たようであります!! 実戦で使用されずとも、帝国陸軍兵士として誇り高く、胸を張って、最後の兵として、10メートルは飛ぶ覚悟であります! 光が、光が見えてきました・・・それではっ!とわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
127 :
列島縦断名無しさん :2001/06/13(水) 22:09
最近下がり気味なので、ちょっとした情報を一つ。 靖国神社の境内にある就遊館で、旧軍や自衛隊のビデオが観れましたよね。 そのビデオの中に日中戦争のものがあったのですが、上海事変のシーンで陸戦隊員 が建物内にいる中国軍にベルクマン短機関銃を向けているシーンがありました。 おそらく、戦火が落ち着いてから宣伝用にヤラセで撮ったものだとは思いますが 日本軍の短機関銃が動画で観られる貴重なビデオではないでしょうか? ただ、就遊館は改装中で一部しか見学できないらしいです。
128 :
第一総軍 :2001/06/13(水) 23:16
昨日は書き込めなくなって困りました。でも復活。 列島縦断名無しさん 様、就遊館で私は不覚にも涙を流してしまったことが有ります。 125様、大変なことになっていたんですね。ばばぼん♪様にお大事にとお伝えください。
129 :
列島縦断名無しさん :2001/06/13(水) 23:31
第一総軍様 私、以前にoff会がしたいと言った者です。 就遊館には涙する品々が実に多いですよね。
130 :
第一総軍 :2001/06/14(木) 00:14
列島縦断名無しさん 様、おおっそうでしたか。お名前覚えておきます。 オフ会をしたいのは今も一緒ですが、このスレへどのくらいの方が出入りされているのかわからないのがネックですね。 もし可能なら、リーダーシップのある方に企画していただきたいですね。因みに私は水戸なので東京くらいまでが行動範囲ですが。 陳誠大好き様、どうされていますか? ばばぼん♪様がこうなった以上、私たちで彼の帰りまでスレを支えねば。270様も忙しいそうですし。
131 :
名無しじゃん :2001/06/14(木) 21:00
129です。 書込みする場所が毎回違うのでHNが変わってすいません。 off会やりたいですね。 私は神奈川の人間ですが、東京でなら集まりが良さそうな気 がします。 どうすれば2ちゃんのメンバーでoff会がやれるでしょうか?
132 :
第一総軍 :2001/06/15(金) 00:09
129様、主催してくださる人が現れたら考えましょうか。 土曜日あたりからなにか新シリーズを。
133 :
第一総軍 :2001/06/17(日) 01:21
本当はもっと資料をそろえてからやりたかったんですが、最近どんどん下がっているので。 穴埋め企画なので、皆さん充分ご存知の内容になってしまいますがお許しください。 簡単な日本軍師団編制その1。4単位師団(常設師団バージョン) 師団司令部 歩兵旅団 歩兵連隊(歩兵3個大隊、歩兵砲中隊、速射砲中隊他) 歩兵連隊(同上) 歩兵旅団 同上 野砲兵連隊(10糎榴弾砲12門、75粍野砲36門) 又は山砲兵連隊(75粍山砲48門) 騎兵連隊(騎兵3個中隊、機関銃小隊、速射砲小隊) 又は捜索連隊(装甲車2個中隊、乗車2個中隊) 工兵連隊(工兵3個中隊) 輜重兵連隊(2個大隊) これは戦前からある師団を戦時編制にした状態である。近衛、第一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十四、十六、十九、二十師団が大体この編制であったが、細かな点での違いはある。 特に、砲兵連隊には装備の違いも多いらしく、捜索連隊の編制も師団によってまちまちである。 歩兵4個連隊を主力としているため4単位師団と言われる編制だが、戦争中に連隊数を1個減らした3単位師団に改編された。
134 :
第一総軍 :2001/06/22(金) 00:01
週末に備えてあげ。
135 :
第一総軍 :2001/06/24(日) 23:45
簡単な本軍師団編制その2。4単位師団(特設師団バージョン) 師団司令部 歩兵旅団 歩兵連隊(歩兵3個大隊、歩兵砲中隊、速射砲中隊、機関銃中隊他) 歩兵連隊(同上) 歩兵旅団 同上 野砲兵連隊(75粍野砲36門) 又は山砲兵連隊(75粍山砲36門) 騎兵大隊(騎兵2個中隊、機関銃小隊、速射砲小隊) 又は捜索隊(装甲車2個中隊、乗車2個中隊) 工兵連隊(工兵2個中隊) 輜重兵連隊(4個中隊) これは支那事変中に特設された師団の基本編制である。これらの師団は戦時の兵団不足を補うため、その1で述べた常設師団の留守部隊(留守師団等)が臨時に編成したものである。 主な違いとしては、砲兵連隊の装備火砲が減少していること、騎兵又は捜索連隊が大隊と呼称されていること(編制内容そのものは同等)等だか、その他に一見殆ど同じに見える歩兵連隊の装備も常設師団よりやや劣っているようである。 これらの師団は、任務を終えた後解体されたものもあるが、一部は後述する3単位師団に改編され、大戦終了まで活躍した。又、一度解体された後、大戦末期に同じ番号の師団が再編されたものもあるが、編制内容的には全く別の師団である。 第13、15、17、18、101、104、106、108(第一次)、108(第一次)、109(第一次)、114、116師団が大体この編制であった。
136 :
名無し三等兵 :2001/06/30(土) 20:10
age
137 :
45/85式改 :2001/07/02(月) 19:04
優良スレッドage
138 :
名無し三等兵 :2001/07/03(火) 18:58
┌───────────────────────┐ │ ( ̄ ̄) | │ ) ( 超 優 良 ス レ 認 定 証 | │ / 2ch \ | │ | Λ Λ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | │ | ( ゚Д゚)< や…やるじゃねぇか… | | │ \__/. \________/ | │ .このスレが2ch優良スレ審査委員会の定める認定. | │ .基準(第5項)を満たしていることをここに証する。 .| │ 平成13年7月 2ch 優良スレ審査委員会 | │ 理 事 長 ひろゆき@管直人 | │ 認定委員 (・∀・) ホー さん .| └───────────────────────┘
139 :
第一総軍 :2001/07/04(水) 00:23
体調不良に付き、少し休ませて頂いています。
お大事に。(マジ)
防腐剤投下。
どうもすみませんでした。ご心配かけましたm(_゙_)m 腕の方はほぼ完治しましたが、例のネタ、何だったか思い出せません(爆)。 酒を飲みながら「大陸打通スレ」を読んでた時に思いついたヤツだったので、 そのうち読み返してみます(笑)。
135の書き込みにある簡単な日本軍師団編制その2を改訂します。 簡単な日本軍師団編制その2。4単位師団(特設師団バージョン) 師団司令部 歩兵旅団 歩兵連隊(歩兵3個大隊、歩兵砲中隊、速射砲中隊、機関銃中隊他) 歩兵連隊(同上) 歩兵旅団 同上 野砲兵連隊(75粍野砲36門) 又は山砲兵連隊(75粍山砲36門) 騎兵大隊(騎兵2個中隊、機関銃小隊、速射砲小隊) 又は師団捜索隊(装甲車1個中隊、乗車1個中隊) 工兵連隊(工兵2個中隊) 輜重兵連隊(4個中隊) その他 これは支那事変中に特設された師団の基本編制である。これらの師団は戦時の兵団不足を補うため、その1で述べた常設師団の留守部隊(留守師団等)が臨時に編成したもので、有事の場合編成される事が事前に計画されていた師団である。 主な違いとしては、砲兵連隊の装備火砲が減少していること(但し砲兵の装備内容は師団によってやはり違いがあったようである)、騎兵連隊が大隊と呼称されていること(編制内容そのものは同等)、捜索連隊が縮小されて師団捜索隊に変更されている事等だか、その他に一見殆ど同じに見える歩兵連隊の装備も常設師団よりやや劣っているようである。 これらの師団は、任務を終えた後解体されたものもあるが、一部は後述する3単位師団に改編され、大戦終了まで活躍した。又、一度解体された後、大戦末期に同じ番号の師団が再編されたものもあるが、編制内容的には全く別の師団である。 第十三、十五、十七、十八、百一、百四、百六、百八(第一次)、百九(第一次)、百十四、百十六師団が大体この編制であった。 但し、第十五、十七の二個師団は最初から後述する3単位師団として編制された為、内容は3単位師団を参照。 尚、第百五、百十一師団は平時に動員計画されていたが、結局編成されなかった。
144 :
第一総軍 :2001/07/08(日) 23:53
簡単な日本軍師団編制その3。3単位師団(基本バージョン) 師団司令部 歩兵団司令部 歩兵連隊(歩兵3個大隊、歩兵砲隊、等) 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 捜索連隊(騎兵2個中隊、装甲車2個中隊) 又は師団捜索隊(騎兵中隊、装甲車中隊) 又は騎兵連隊(中隊2、機関銃小隊) 野砲兵連隊(10糎榴弾砲12、75粍野砲24) 又は山砲兵連隊(山地10榴12、75粍山砲24) 工兵連隊(工兵中隊2個乃至3個) 輜重兵連隊(車両中隊、自動車中隊) その他 これが基本的な3単位師団のおおよその編制である。 列強では第一次大戦中から兵団数を増やすために従来の4単位師団を3単位師団に改編していたが、日本陸軍もようやく支那事変中に3単位師団への改編を開始した。しかし、既に4単位師団が中国で戦っている最中でもあり一度に改編できたわけも無く、又、常設師団、特設師団を改編したものに加えて、最初から3単位師団として編成した新編師団もあり、その編制内容は微妙に異なっており、上記の編制表も単に目安に過ぎず、騎兵又は捜索部隊を持たないものも多い。 戦争中に編成された師団の多くが3単位師団である為、私も調査の途中であり、以下の区分は暫定的なものであるが一応参考までに。
145 :
第一総軍 :2001/07/08(日) 23:54
続き 常設師団を改編したもの 近衛(後に近衛第二)、第一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十四、十六、十九、二十師団 特設師団を改編したもの又は最初から3単位として編成された特設師団 第十三、十五、十七、十八、百四、百十、百十四、百十六師団 常設師団を改編した際に余剰となった連隊を基幹として編成したもの 第二十三、二十四、二十五、二十六、二十七、二十八、二十九、三十師団 従来からある混成旅団(樺太、台湾)を基幹として編成したもの 第四十八、第八十八師団 解散した特設師団や特設師団改編時に余剰となった連隊を基幹として編成した、本来は中国国内の治安維持を目的としたもの 第三十一、三十二、三十三、三十四、三十五、三十六、三十七、三十八、三十九、四十、四十一師団 尚、実際にはこれらの師団は治安維持異以上に戦闘で活躍したものも多い。又、戦争中期まで中国にあった一部は途中で治安任務には不要といて砲兵連隊を解散、その後戦争末期に改めて1個大隊(12門)程度の師団砲兵隊を編成したものもある。 支那事変中に新設された師団 第二十一、二十二師団 戦争中に新編された常設師団(昭和軍制による常設師団) 第五十一、五十二、五十三、五十四、五十五、五十六、五十七師団 尚、これらの師団は戦争中に常設師団が満州に永久駐さつとなり、本土に不在となった為に新たに留守師団から編成された。本来は訓練向きの軽装備編成だったが、実際に戦地に出る場合は旧来の常設師団並みに増強された。 昭和軍制による常設師団編制の際、余剰となった連隊を基幹として編成されたもの 第四十二、四十三、四十四、四十六、四十七、四十九師団 これらの師団は太平洋戦争中に編成されたが優良装備の師団であった。但し、第四十四師団のみは余剰となった連隊ではなく、新たに留守師団から編成された。 戦争中南方で所在の各隊をもって編成したもの 第五十、六十六、九十四師団 但し、第六十六師団は砲兵連隊ではなく、師団迫撃砲隊を持つ。
146 :
名無し三等兵 :2001/07/08(日) 23:59
大ざっぱにわけると 1.4単位制師団 旅団x2 (各歩兵連隊x2) 2.3単位制師団 歩兵団x1 (歩兵連隊x3) 3.旅団昇格師団 大隊xいくつか と言う感じでいいのでしょうか?
147 :
第一総軍 :2001/07/09(月) 00:00
ばばぼん♪ 様、お帰りなさい。私も最近体調を崩してこのスレご無沙汰していました。 例のネタ、何とか思い出してください。問題提起との事でしたが、気になって仕方がありません。なんか凄く考えさせられそうで、楽しみです。
148 :
第一総軍 :2001/07/09(月) 00:06
146様、その仰る通りです。因みに旅団昇格師団は旅団2個(各独立歩兵大隊4個)となります。 で、こう書くと簡単な編制シリーズも一気に終わってしまいますが。
・・・・・・なぜここは荒らされないのだろう・・・・・・?
150 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 00:20
3単位制師団における歩兵団という単位は何なんでしょう? 師団司令部と歩兵団司令部がカブってしまうように思いますが。
>150 一応、四単位師団で言う旅団と似た存在です。三個連隊を指揮下に置きます。 実質的には師団→連隊(あるいは連隊を中核とした「支隊」等)という指揮ラインが一般的です。 歩兵団司令部が師団を分割して行動させる際、師団長以下の指揮機能を担います。 個人的には、歩兵団司令部を廃止し、連隊長の指揮権限を拡大させて欧米諸国で言う准将のような存在とした方が効率的だと思います。
152 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 00:37
歩兵団長は少将。旅団廃止で1個師団あたり2人 少将が余りますから、歩兵団創設はその補償では?
153 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 00:38
優良スレage
154 :
第一総軍 :2001/07/09(月) 00:40
152様、そんな気がしますね。ビルマなどでは歩兵団司令部が結構活躍していますが、無くて困ったという話もあんまりありませんから。
ワタシも三単位師団への改編の際の人事的な代償だとは思うのですが、 現代の目から見ると無駄に見えて仕方ありません。 「歩兵団司令部」と言っても確か定数六名ですから、 司令部というより歩兵団長個人と副官・従兵と言った方が正しいでしょう。 もちろん、ワタシがその削減される対象の旅団長だったら頑強に抵抗するでしょうが(^^;;;
156 :
第一総軍 :2001/07/09(月) 01:38
で、追加。 本土防衛の為に各種教導学校と留守師団で編成された精鋭師団 第八十一、九十三師団
157 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 09:58
あげ
158 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 12:58
岡村寧次大将の有能さは戦後国民党軍事顧問に就任したことで、 中国人も大いに認めていたと実証できる。武器にせよ人間にせよ、 たとえ旧敵であっても優れたものは再利用される。 ドイツでも旧軍将校が大勢許されて復帰してた。
159 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 13:07
「抗日英雄」張学良は使われず終い。
160 :
nanasi :2001/07/09(月) 16:15
第一総軍様とばばぼん様、復活万歳あげ
161 :
名無し三等兵 :2001/07/09(月) 16:52
>>155 ばばぼん♪氏
歩兵団司令部の定数は7名、あと馬匹3頭です。
162 :
名無し三等兵 :2001/07/10(火) 12:41
では日本陸軍擁護企画?第二弾マレー編です。でもこの板には詳しい人が多いから釈迦に説法かも. イギリス側戦力 インド第9師団、インド第11師団、オーストラリア第8師団、マレー旅団2個 増援 イギリス第18師団、インド第44旅団、インド第45旅団 日本側戦力 第5師団、第18師団、近衛師団、第3戦車団 てなとこですね。 インド師団ですが、結構馬鹿にする人もいますけど歩兵大隊の3分の1はイギリス本国の部隊ですし、グルカ兵等も含んでいますのでなめられないと思います.現に北アフリカでも結構がんばっているし、ドイツとまではいかなくともイタリアよりは強いんじゃないでしょうか. もっとも、マレーのインド師団からは部隊の新編のため一部の熟練兵がインドに帰国してしまっていたとも言うので、後のインド師団に比べればやや劣っていたでしょう. オーストラリア第8師団は精強とされ、実際にも活躍していましたが、マレーには2個旅団のみが派遣されていたようです.彼らの牛肉の消費量はアメリカ兵に匹敵したといいます.(だからどうした) イギリス第18師団は本国部隊であり、日本軍師団の戦闘力を欧州と比較するよい指標と成りますが、到着時には既にマレー旅団以外の友軍は大打撃を受けていたため罠にはまりに言ったようなものでした。 尚、マレー戦にはイギリス戦車は参加していなかったようですが、(キャリアーを除く)シンガポールには間に合ったとも聞きます.詳しい人教えて下さい. 日本軍ですが、第5師団は常設師団として精鋭であり上陸作戦の訓練を十分に積んでいたそうです.また、この時期には未だ4個連隊編成で強力な歩兵戦力を持ち、自動車化されていたようです. 第18師団は日中戦争中に編成された特設師団で、第5師団よりはやや劣るかも 知れませんが実戦経験豊富な精強部隊です.この師団は3個歩兵連隊編成に 改められていて、分離された連隊は川口支隊の母体となっています. そういえば師団長はあの牟田口中将ですが、師団長レベルとしては勇敢な将軍 といっていいかも知れません. 近衛師団は、全国から優秀な兵(背の高い兵という説も)を集めて編成された常設師団 で実戦向きではないと言う人もいますが、日中戦争での近衛混成旅団の働きから考えて 十分に使える師団だと判断できます.マレーには、2個連隊のみが参加しました. 第3戦車団は関東軍から抽出された戦車連隊3個からなっており、九七式中戦車と 九五式軽戦車を装備していました.軽戦車は別としても、九七式中戦車は対装甲 火力以外は一応当時の水準に達しており、イギリス戦車が殆ど不在だったことを 考えればかなり有力な戦力だったはずです. まあ、制空権はまたもや日本側にあったので一概には言えませんが、第5師団は イギリス師団よりかなり強く、第18師団と近衛師団もやや強いと考えても自惚れ では無いかなと判断しています.いかがでしょうか. また、シンガポール要塞は良くご存知のとうり陸側には余り厳重ではなかったの で、日本軍の攻城能力を判断する基準としては限定された指標に過ぎないと思われ ます.それよりは、要塞を避けてマリー半島を縦断する決定をしたことを、珍しく 賢明な判断だったと戦略眼を褒めてあげましょう.そんな機会はあまりないから。
「第二次世界大戦ー発生と拡大ー」(錦正社)P292〜308 「戦わざる日ソ戦」(A・D・クックス)より引用 北進論者にとり事態を複雑にしているのは、七月二日の御前会議により、 陸軍もまた南進策の第一段作戦を実施することになったという事実であった。 そこで陸軍は、合意に基づき、一九四一年七月下旬に南部仏印進駐を行った。 しかし、北で窮地に陥っているソ連は静謐状態だったが、アメリカは直ちに反撃した。 ローズベルト大統領は大統領命令を発出して在米日本資産を凍結させ、 その後英蘭の両国は直ちにこれにならい、三国と日本との貿易は事実上禁止された。 ≪中略≫ 八月九日、陸軍中央部は参謀本部内に不満があったのにもかかわらず、以下の極秘決定を行った。 1、対ソ警戒態勢の強化により有利に対ソ外交を推進し、またソ連側からの挑戦若しくは 不測の好機捕捉が発生した時は直ちにたってこれに対応する。 2、中国に対する既定作戦の続行。 3、十一月末を目途とする対南方作戦の準備 陸軍は北進策の明確化を主張し、南方作戦が終了し北の天候が好転し次第、一九四二年春、 だいたい二月頃までを目途に、対ソ攻撃が準備されるべきだと強調した。 しかし、独ソ戦展開の如何はもはやどうでもいいことであった。 七月二日の御前会議決定で言及された好機到来は、全く実現しなかったのである。 ≪中略≫ 誰もが石油のことを話題にしたが、一九四一年半ばに好機が到来したにもかかわらず、 日本陸軍がそうした早い時期に対ソ戦を尻込みした理由ーそれは極めて重要だが、 誰も口には出さなかったーが一つある。それは、関東軍が ノモンハンでロシア人の手により敗北を喫したことであった。 ≪中略≫ 一九四八年に出された判決文によると、東京裁判の判事団は、 日本にとって「好機のドアが北で閉まると、南の門が開き始めた」としている。 もしソ連が同時に二正面作戦を強いられるとしたら、スターリン政権が 崩壊し、ドイツが東部戦線で勝利を収めたであろうことは、恐らくほぼ間違いないであろう。 フルシチョフ書記長時代に反体制分子になったグリゴレンコ将軍は、一九四一年にはシベリアの 第一線に駐屯していた。その彼は、ドイツが西方から侵攻した後もし日本が北方に侵攻していたら、 ソ連は明らかに一大危機に直面したであろう、と確言している。 また、ハバロブスク司令部がある極東方面軍の作戦部長を務めていた カザコフステフ少将は、一九四一年グリゴレンコに対し、「もし日本がヒトラー に与して参戦するならば・・・我々の理想は絶望的だ」と語っているのである。
164 :
名無し三等兵 :2001/07/10(火) 21:52
これはあらしなんだろね。 でもA・D・クックスはいいよ。
165 :
第一総軍 :2001/07/10(火) 23:12
162様、懐かしいコピーですね。名無し99号時代に書き込んだ覚えがあります。記憶に残していてくれる方がいて嬉しく思います。
166 :
名無し三等兵 :2001/07/12(木) 20:58
age
167 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 17:48
「陸軍機甲部隊」(学研)P143の古是三春氏の記述より 例えば連隊長戦死、保有戦車の七一パーセントを損傷した第三戦車連隊では、 八九式中戦車(乙)二八両のうち二一両(七五パーセント)が主に対戦車砲 によって損傷を受けたものの全損・廃棄処分となったのはわずか七両 (二五パーセント)にすぎない。反対にBT−5戦車で編成されていた ソ連側の第11戦車旅団は、ほぼ全戦車を全損状態で失い(約一八〇両)、 BT−7で総取替えされたほどだった。
168 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 18:05
>>162 >マレー戦にはイギリス戦車は参加していなかったようですが
捕獲した英軽戦車で一個小隊を編成した、って以前読んだが・・
たしか冨士書房・太平洋戦争(全4巻)1開戦偏、だったと思う。
169 :
名無し三等兵 :2001/07/15(日) 18:35
>捕獲した英軽戦車で一個小隊を編成した、って以前読んだが・・ 「戦車」と一口に言っても米英独ソの基準と日本のそれが違うだけ。 捕獲したブレン・キャリアーは当時の日本からすれば立派な戦車だった。 逆に日本の95式軽戦車や97式中戦車は米英独ソの基準からすれば 対戦車威力の無しの「装甲車」であって「戦車」とはいえず、 新砲塔チハにして初めて「軽戦車」なわけだ。
170 :
名無し三等兵 :2001/07/18(水) 22:40
M3スチュアートじゃないの? 事実上の日本軍最強戦車だ。
隊長! 自分もスチュアートに乗りたいであります!
172 :
第一総軍 :2001/07/20(金) 23:49
三単位師団(基本バージョン)の類別に誤りがありました。訂正させてください。 常設師団を改編したもの 近衛(後に近衛第二)、第一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十四、十六、十九、二十師団 特設師団を改編したもの又は最初から3単位として編成された特設師団 第十三、十五、十七、十八、百四、百十、百十四、百十六師団 常設師団を改編した際に余剰となった連隊を基幹として編成したもの 第二十四、二十五、二十六、二十七、二十八、二十九、三十師団 但し、三個連隊とも常設連隊で編成したものと、一個又は二個のみ常設連隊で、それに新設連隊を組み合わせたものがある。 従来からある混成旅団(樺太、台湾)を基幹として編成したもの 第四十八、第八十八師団 解散した特設師団や特設師団改編時に余剰となった連隊を基幹として編成した、本来は中国国内の治安維持を目的としたもの 第三十一、三十二、三十三、三十四、三十五、三十六、三十七、三十八、三十九、四十、四十一師団 尚、実際にはこれらの師団は治安維持異以上に戦闘で活躍したものも多い。又、戦争中期まで中国にあった一部は途中で治安任務には不要といて砲兵連隊を解散、その後戦争末期に改めて1個大隊(12門)程度の師団砲兵隊を編成したものもある。 支那事変中に新設された師団 第二十一、二十二、二十三師団 戦争中に新編された常設師団(昭和軍制による常設師団) 第五十一、五十二、五十三、五十四、五十五、五十六、五十七師団 尚、これらの師団は戦争中に常設師団が満州に永久駐さつとなり、本土に不在となった為に新たに留守師団から編成された。本来は訓練向きの軽装備編成だったが、実際に戦地に出る場合は旧来の常設師団並みに増強された。 昭和軍制による常設師団編制の際、余剰となった連隊を基幹として編成されたもの 第四十二、四十三、四十四、四十六、四十七、四十九師団 これらの師団は太平洋戦争中に編成されたが優良装備の師団であった。但し、第四十四師団のみは余剰となった連隊ではなく新たに留守師団から編成され、 実際には後日書き込み予定のサイパン陥落後の編成師団といえる。 戦争中南方で所在の各隊をもって編成したもの 第五十、六十六、九十四師団 但し、第六十六師団は砲兵連隊ではなく、師団迫撃砲隊を持つ。 本土防衛の為に各種教導学校と留守師団で編成された精鋭師団 第八十一、九十三師団
173 :
名無し三等兵 :2001/07/23(月) 19:34
換気あげ
174 :
第一総軍 :2001/07/23(月) 23:08
簡単な日本軍師団編制その4 3単位師団(海洋編制師団バージョン) 師団司令部 歩兵連隊(要地確保連隊、歩兵3個大隊、砲兵1個大隊、その他) 歩兵連隊(同上) 歩兵連隊(海上機動反撃連隊、歩兵3個大隊、機関砲1個中隊、戦車1個中隊、 その他、各大隊に砲兵、迫撃砲各1個中隊配属) 師団戦車隊(恐らく1個中隊) 通信隊 輜重隊 海上輸送隊 その他 日本軍師団は元々大陸での戦闘に備えて編制されていたが、太平洋戦争中に太平洋上の島々防衛用に従来の3単位師団を改編したのがこれらの師団である。 例えば大陸と違い、師団が幾つかの島に分散配備された場合でも各連隊が独立戦闘できるよう、あらかじめ砲兵等の支援部隊を各連隊に配属してあり又、1個連隊は舟艇を使用しての反撃や増援に備えて増強されていた。 戦争中に海洋師団に改編した師団 第十四、二十九、三十六、四十三、四十六、五十二師団 戦争末期に改編されつつあったが完結しなかった師団 第五、近衛第二師団
175 :
第一総軍 :2001/07/23(月) 23:09
簡単な日本軍師団編制その5 3単位師団(機械化師団バージョン) 師団司令部 歩兵団司令部 歩兵連隊(歩兵3個大隊、歩兵砲大隊、通信中隊、その他) 歩兵連隊(同上) 歩兵連隊(同上) 師団戦車隊(1個中隊、その他) 捜索連隊(乗車中隊、装甲車中隊) 野砲兵連隊(砲兵4個大隊、その他、 15糎榴弾砲8門、75粍野砲24門) 工兵連隊(工兵3個中隊) 師団通信隊 輜重兵連隊(2個中隊、その他) その他 これはノモンハン事変後に関東軍で再建された第二十三師団の編制である。当時日本陸軍が編成を目指していた機械化師団のモデルケースであるが、第二十三師団しかこの編制は完結しなかったようである。 又、しばしば近衛(後の近衛第二)師団や第五師団、第四十八師団等を機械化師団と呼ぶ場合があるがこの編制ではなく、通常の3単位又は4単位師団の編制を軽量化し、トラックや自転車を増加装備して砲兵を自動車牽引にしただけらしい。 因みに折角機械化された第二十三師団は昭和19年、フィリピンへ輸送中に潜水艦の攻撃で大きな損害を受けてしまい、機械化師団の真価を発揮することは出来なかった。
176 :
名無し三等兵 :2001/07/24(火) 21:58
175についての質問。 歩兵連隊は機械化されていたんですか? 戦車師団の歩兵は機動歩兵として本格的に機械化 されていたけれども、こちらの場合は? 自動車は師団直轄?
177 :
第一総軍 :2001/07/24(火) 23:43
176様、私も手元の資料の範囲では確証はありませんが、歩兵連隊には馬匹が装備されているようなので、自動車は師団直轄か、必要に応じて装備という程度ではないかと思われます。因みに輜重兵連隊に自動車中隊6個とする資料もありますので、御参考までに。
178 :
176 :2001/07/25(水) 01:49
ありがとうございます。 たぶん自動車中隊が多めに付いてたんでしょうね。 なんか現代の自衛隊の「空中機動旅団」みたい、、、
179 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 14:08
こんなにも下がっちゃって、悲しいなぁ。 ってことであげときます。
180 :
名無し三等兵 :2001/07/27(金) 20:27
またあげとこ。
181 :
ですから.......。 (同誌の巻頭言より抜粋) , :
182 :
名無し三等兵 :2001/07/28(土) 22:28
>殊にソ軍は欧ソ方面から有力なる新兵器団と多数の飛行機、 >戦車等を送って本戦闘に参加させるに至ったことは注目に値する。 ここは独ソ不可侵条約の影響が大なようですね。
1よ、こんな駄スレばっかり立ててないで、「イマジン」を聞け! 人は争う理由を幾つか持っている。 民族、国家、宗教・・・ なぜこんなものに命をかけるのか?なんでこんなものに、そこまでこだわるのか? すべて捨ててしまえば、どこに争う理由があるのだろう? イマジンはそう問いかけている。 人は「守る」という言葉が好きだ。でもいったい何を守るのだろう? 民族?国家?宗教?これって人の命より大事なものなの? かつての日本は、それはそれはしょうもない国だった。 天皇。神の国。神風。これらの言葉の前に、いったいどれだけの命が散っていったことか! 「帝国軍人は日本を命がけで守った」と言う方々もいるだろう。でもね、それは正当化というごまかしだよ。 やったことは人殺し。 撃たれて死んだアメリカの人にも、親がいて妻がいて子供がいただろう。 国を守るという大義名分の前では、こういうアメリカ兵を撃ち殺しても賛美されると言うイカレた事実があったという事から目をそらしてはいけないのではないか? カラオケに行くと調子に乗って軍歌を歌い始めるヤツがいる。 ♪エンジンの音 ごうごうと 隼は行く・・・ 実に楽しそうに歌う。カンベンしてほしい。 こいつらは旅行に行くわけではなく、ましてや曲芸飛行をしに行くわけでもない。 親や妻、子供がいるアメリカ兵を殺しに行くのだ。 そこんトコ、どこまでわかってるのか? 「相手が武器を持ってるのだから、こちらも武器を持って戦い、そして守る。」 愚かな軍事マニアはこう言って、イマジンの思想を踏みにじる。 相手の喉元にナイフを突きつけ合って出来る、恐怖の均衡という名のニセ平和に、 人々はもううんざりなのだ。 わかったか、1よ。そんなあほな事をやってる暇があるなら、 少しは世界の平和について考えてみたらどうだ。 そうすれば、お前はきっと変わるだろう
184 :
名無し三等兵 :2001/07/29(日) 00:41
186 :
184 :2001/07/29(日) 01:28
187 :
第一総軍 :2001/07/29(日) 23:58
181様、貴重な資料をありがとうございます。大変参考になります。 184、185様、治安任務ご苦労様です。 簡単な日本軍師団編制その6 3単位師団(サイパン陥落後編成) 師団司令部 歩兵連隊(3個大隊、歩兵砲中隊、速射砲中隊、通信中隊、 作業中隊、乗馬小隊) 歩兵連隊(同上) 歩兵連隊(同上) 師団制毒隊 師団速射砲隊(47粍砲12門) 野砲兵連隊(2個大隊、10糎榴弾砲、75粍野砲各9門) 工兵連隊(3個中隊) 輜重兵連隊(ばん馬中隊1個、自動車中隊2個) 師団通信隊 その他 昭和19年サイパン島が陥落し、米軍の本土上陸が危惧されるようになった時点で留守師団から編成された師団の大体の編成である。 師団に速射砲隊が配属されて対戦車火力が強化されているが、砲兵連隊は18門となってそれまでの師団より半減している。(砲兵連隊の砲の内訳は師団によって多少の違いが有るが)また、捜索又は騎兵連隊が無くなっているが、この任務には歩兵連隊内の乗馬小隊が当たることになっていたようだ。 これらの師団は全て本土で作戦準備に専念し、昭和20年の本土決戦準備の際には心強い状態に成長しており、相当の実力発揮が期待されていた。 以下の師団が大体この編制である。 近衛第三師団、第四十四、第七十二、第七十三、第七十七、第八十四、 第八十六師団 但し、第八十六師団は昭和20年になって更に編制が強化されている。 (後述) 又、同様の目的で第八十一、九十三師団が教導学校と留守師団から編成されているが、この2個師団は特に精鋭師団として編成されたため、シリーズその3で述べた3単位師団を基本として速射砲隊を配属した形になっている。
188 :
名無し三等兵 :2001/07/30(月) 21:57
おっとっと、また下がっちゃた。
189 :
名無し三等兵 :2001/08/01(水) 19:23
第一総軍さん、最近来ないな。
190 :
名無し三等兵 :2001/08/01(水) 20:58
そろそろ終わりにすっか!
191 :
名無し三等兵 :2001/08/02(木) 14:46
そんなこというなよ〜。
192 :
45/85式改 :2001/08/02(木) 17:10
比島攻略作戦戦闘序列その1 第14軍(本間雅晴中将) 木村支隊<第16師団2個歩兵大隊> 三浦支隊<同上 1個歩兵大隊> 田中支隊<第48師団2個歩兵大隊> 菅野支隊<同上 1個歩兵大隊> 第16師団<速射砲2個中隊増> 第48師団<戦車2個連隊・野戦重砲兵2個連隊等増> 第65旅団<臼砲1個大隊増> 第5飛行集団 上島・左側支隊等<第16師団3個歩兵大隊> 第1揚陸団 兵站部隊等その他
193 :
名無し三等兵 :2001/08/02(木) 18:48
第一総軍さん来てくれage
45/85式改 様、援軍感謝いたします。詳しい資料ですね。助かります。 193様その他の皆様、私も調べながら書いているので間があいてしまって申し訳有りません。45/85式改 様の様に資料をお持ちの方は提供いただき、お持ちでない方も色々ご自分の感想等を書き込んでいただければ私の不在中にも、議論が盛り上がるのではと期待しています。 因みに、私も中国軍や満州国軍の編成は別として、日本軍関係は市販の資料に頼っているだけなのでそう大した知識をもっているわけではありません。ただ、市販レベルだからこそこれから日本陸軍を知りたいと思われる皆さんには解りやすくて話しが合うかもしれませんね。 皆様へ、いずれは日本陸軍とその他の軍の師団の戦闘力比較にまで話しを踏み込んでいきたいのですが、太平洋戦争中の日米陸戦の戦闘序列(特に連合国軍側)や、損害数の良い資料が手元にありません。どなたかご存知の方は教えていただけると助かります。
195 :
第一総軍 :2001/08/02(木) 23:49
すみません。某スレのくせで下げてしまいました。
196 :
45/85式改 :2001/08/03(金) 09:21
比島攻略作戦戦闘序列その2 第14軍(本間雅晴中将) 第16師団 <戦車1個中隊等配属> 第65旅団 <戦車1個中隊・山砲兵連隊主力・臼砲大隊主力・迫撃砲1個中隊等配属> 第4師団 <歩兵1個大隊欠如 > <戦車連隊主力・山砲1個大隊・臼砲2個大隊・迫撃砲大隊等配属> 永野支隊 <第21師団歩兵3個大隊基幹> 第14軍砲兵隊<野戦重砲兵2個連隊・重砲1個連隊/1個大隊/1個中隊基幹> 第14軍飛行隊<=第22飛行団戦闘1個中隊・軽爆1個戦隊・重爆2個戦隊・偵察3個中隊基幹> 河村支隊 <第21師団歩兵3個大隊基幹> 川口支隊 <第18師団歩兵3個大隊基幹> 三浦支隊 <第16師団歩兵1個大隊基幹>
197 :
名無し三等兵 :2001/08/03(金) 11:55
中国軍ってホント弱いね。日中戦争でも朝鮮戦争でも。
198 :
名無し三等兵 :2001/08/03(金) 13:13
第一総軍様・ばばぼん♪様・270様来て下さいage
199 :
45/85式改 :2001/08/03(金) 13:54
>>194 第一総軍様の要望に答えます
比島攻略作戦戦闘序列米陸軍編
極東米陸軍総司令官(ダグラス・マッカーサー大将)
駐比米軍
フィリピン師団
直轄部隊<歩兵1個連隊・騎兵1個連隊・戦車2個大隊・砲兵3個連隊基幹>
要塞守備隊<6000人>
比島国防軍
10個師団基幹(詳しい編成の詳細不明)
比島巡警隊
極東米航空部隊
米陸軍航空部隊<計265機>
比島国防軍航空部隊<計50機>
200 :
45/85式改 :2001/08/03(金) 14:07
マレー陸軍総司令官(サー・アーサー・パーシヴァル陸軍中将) インド第3軍団 インド第9師団 インド第11師団 オーストラリア第8師団 シンガポール要塞守備隊<約28000人> 増援部隊 イギリス第18師団 独立歩兵2個旅団 オーストラリア機関銃大隊
201 :
45/85式改 :2001/08/03(金) 14:25
マレー作戦帝国陸軍戦闘序列 第25軍(山下奉天中将) 近衛師団 第5師団 第18師団 第56師団 戦車第3団 <戦車第1・2・6・14連隊基幹> 独立速射砲隊 <速射砲1個大隊/8個中隊> 野戦重砲兵第3連隊 野戦重砲兵第18連隊 野戦重砲兵第21大隊 独立山砲兵第3連隊 独立臼砲第14大隊 第17野戦防空隊 <高射砲4個大隊/3個中隊> 独立工兵第4連隊 独立工兵第15連隊 独立工兵第23連隊 独立工兵第5中隊 鉄道第2隊 <鉄道第5・9連隊及び特設鉄道隊基幹> 第25軍通信隊 第25軍兵站諸部隊 第3飛行集団(菅原道太中将) 飛行第3団 <戦闘1個戦隊・軽爆3個戦隊> 飛行第7団 <戦闘1個戦隊・重爆3個戦隊> 飛行第12団 <戦闘2個戦隊> 飛行第81戦隊 <司令部偵察機で編成> 独立飛行第15飛行隊<司偵2個中隊> 飛行所勤務諸部隊
↑訂正 〇 飛行場勤務諸部隊 × 飛行所勤務諸部隊
203 :
45/85式改 :2001/08/03(金) 14:47
香港攻略戦帝国陸軍戦闘序列 第23軍(酒井隆中将) 佐野兵団(第38師団長兼任 佐野中将) 第38師団 独立速射砲第2大隊 同上 第5大隊 独立山砲兵第10連隊 独立山砲第20大隊 迫撃第21大隊 北島部隊(砲兵第1隊長兼任 北島中将) 砲兵第1隊 <重砲第1連隊/2個大隊> 野戦重砲兵第14連隊 <一部欠如 > 独立臼砲第2大隊 荒木支隊(歩兵第66連隊長兼任 荒木大佐) 歩兵第66連隊 <歩兵1個中隊欠如 > 第23軍飛行隊(飛行第45戦隊長兼任 土生大佐) 飛行第45戦隊 <軽爆 34機> 独立飛行第10中隊主力<戦闘 13機> 同上 第18中隊一部<司偵 3機> 同上 第44戦隊一部<直脇偵 6機> 通信部隊 兵站部隊
204 :
45/85式改 :2001/08/03(金) 14:59
香港攻略戦英軍戦闘序列 香港駐屯軍総指令官(マルトビイ少将) 香港歩兵旅団 カナダ旅団 ロイヤル砲兵隊<重砲兵2個連隊・中口径3個大隊・野山砲3個中隊・高射砲1個連隊> 香港義勇軍 <機関銃4個中隊・砲兵4個中隊・高射砲1個中隊基幹
↑ 最後の行に>付けるの忘れました 済みません
第一総軍様、今日は貴方に任せますので来て下さいね♪
207 :
名無し三等兵 :2001/08/03(金) 19:06
ageぞゴルァ
208 :
名無し三等兵 :2001/08/03(金) 19:49
ageるぞゴルァ
209 :
第一総軍 :2001/08/03(金) 23:29
45/85式改 様、大変感謝いたします。私の手元にない資料も色々お持ちのようで今後が楽しみです。特に香港の守備隊については今まで深く考えたことも有りませんでした。 今回は戦争初期の資料を提供いただいたのですが、戦争末期の資料もお持ちでしょうか? では今回はまたまた訂正からシリーズその6の最後を訂正します。 昭和19年サイパン島が陥落し、米軍の本土上陸が危惧されるようになった時点で留守師団から編成された師団の大体の編成である。 師団に速射砲隊が配属されて対戦車火力が強化されているが、砲兵連隊は18門となってそれまでの師団より半減している。(砲兵連隊の砲の内訳は師団によって多少の違いが有るが)また、捜索又は騎兵連隊が無くなっているが、この任務には歩兵連隊内の乗馬小隊が当たることになっていたようだ。 これらの師団の多くは本土で作戦準備に専念し、昭和20年の本土決戦準備の際には心強い状態に成長しており、相当の実力発揮が期待されていた。 以下の師団が大体この編制である。 近衛第三師団、第四十四、第七十一、第七十二、第七十三、第七十七、第八十四、 第八十六、第九十四師団 但し、第八十六師団は昭和20年になって更に編制が強化されている。 (後述) 又、同様の目的で第八十一、九十三師団が教導学校と留守師団から編成されているが、この2個師団は特に精鋭師団として編成されたため、シリーズその3で述べた3単位師団を基本として速射砲隊を配属した形になっている。 第七十一師団は昭和17年に満州で編成したもので砲兵は通常の36門装備?台湾の防衛に従事。 第九十四師団は南方で編成したもの。
210 :
第一総軍 :2001/08/03(金) 23:35
簡単な日本軍師団編制 その7(警備師団) 師団司令部 歩兵旅団 独立歩兵大隊4個(各歩兵4乃至5個中隊、機関銃中隊、歩兵砲中隊) 歩兵旅団 同上 師団通信隊 師団工兵隊 師団輜重隊 師団砲兵隊(戦争末期に編成) その他 これが日本軍が戦争中にフィリピンや中国の占領地の警備に編成した警備師団の大体の編制である。 これらは独立混成旅団や独立歩兵団、野戦補充隊等を基幹として編成されており、比較的軽装備であるが各独立歩兵大隊は独力で任務を遂行できるように支援部隊を配属されているようである。又、大陸のものは通常は砲兵を持たないが、昭和20年になって大隊規模の師団砲兵隊を編成している。 中国大陸で独立混成旅団、独立歩兵旅団等を基幹として編成したもの 第五十八、第五十九、第六十、第六十二、第六十三、第六十四、第六十五、第六十八、第六十九、第七十、第百十五、第百十七、第百十八、 第百二十九、第百三十、第百三十一、第百三十二、第百三十三師団 フィリピンで独立混成旅団を基幹として編成したもの 第百二、第百三、第百五師団、
211 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 00:20
香港攻略戦英軍戦闘序列(内容強化版) 香港駐屯軍総指令官(C・M・モルトビー少将) 香港歩兵旅団 <イギリス第2ロイヤル・スコット大隊、インド第2大隊等基幹> カナダ旅団 <ラジプット第5・7大隊基幹 > ロイヤル砲兵隊 重砲兵2個連隊 中口径第3大隊 同上 第4大隊 同上 第25大隊 野山砲第1大隊 同上 第2大隊 同上 第3大隊 高射砲1個連隊 香港義勇軍 <機関銃4個中隊・砲兵4個中隊・高射砲1個中隊基幹 >
212 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 00:30
香港攻略戦帝国陸軍戦闘序列(内容強化版) 第23軍(酒井隆中将) 佐野兵団(第38師団長兼任 佐野忠義中将) 第38師団 独立速射砲第2大隊 同上 第5大隊 独立山砲兵第10連隊 独立山砲第20大隊 迫撃第21大隊 北島部隊(砲兵第1隊長兼任 北島驥子雄中将) 砲兵第1隊 <重砲第1連隊/2個大隊> 野戦重砲兵第14連隊 <一部欠如 > 独立臼砲第2大隊 砲兵情報第1連隊 荒木支隊(歩兵第66連隊長兼任 荒木勝利大佐) 歩兵第66連隊 <歩兵1個中隊欠如 > 野砲兵連隊第1大隊 工兵第51連隊一部 輜重兵第51連隊 第23軍飛行隊(飛行第45戦隊長兼任 土生秀治大佐) 飛行第45戦隊 <軽爆 34機> 独立飛行第10中隊主力<戦闘 13機> 同上 第18中隊一部<司偵 3機> 同上 第44戦隊一部<直脇偵 6機> 飛行場第47大隊 同上 第57大隊 同上 第67大隊 第15航空通信隊
213 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 00:49
ビルマ攻略作戦帝国陸軍戦闘序列 第15軍(飯田祥二郎中将) 第33師団 第55師団 <南海支隊欠如> 独立守備歩兵第42大隊 第18師団 <川口支隊欠如> 第56師団 速射砲1個大隊 同上 2個中隊 戦車2個連隊 同上1個中隊 野戦重砲兵2個連隊 同上 1個大隊 野戦高射砲2個大隊 独立工兵2個連隊 鉄道部隊 兵站部隊 第5航空集団(小畑英良中将) 飛行第4団 <戦闘・軽爆・重爆各1個戦隊> 同上第10団 <戦闘・軽爆各1個戦隊 > 同上第7団 <戦闘1個戦隊・重爆2個戦隊> 同上第12団 <戦闘2個戦隊 > 挺身第1団 襲撃・司偵各1個戦隊
もう深夜なので今日の昼位に出直してきます
215 :
名無し三等兵 :2001/08/04(土) 07:47
ばばぼん♪来て下さいage
を考えてください。 正面装備がどうでも、稼動できなきゃどうしようもないし、弾のない銃は無用の長物。 日本陸軍はそれはそれはDQNでしたよ。 義理の父が北支派遣軍の司令部付き通信兵だったが、それでもほとんど現地調達。 食料はともかく、アルミ板からバリコンをつくったとかきかされてもねえ・・・・。
217 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 11:40
ビルマ攻略作戦英陸軍戦闘序列 ビルマ陸軍(マックレオード中将→ハットン中将→サー・ハロルド・アレキサンダー大将) イギリス第4軍団(サー・ウィリアム・スリム中将) ビルマ第1師団 インド第17師団 イギリス第7機甲旅団 国境第1部隊 同上第2部隊 同上第3部隊 同上第4部隊 同上第5部隊 インド第48旅団 同上 第63旅団
218 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 11:50
ビルマ攻略作戦中国国民党軍戦闘序列 中国ビルマ遠征軍(ジョゼフ・ワレン・スティルウェル中将→サー・ハロルド・アレキサンダー大将) 中国国民党第6軍 第49師団 第55師団 第93師団 中国国民党第5軍 第22師団 第96師団 第200師団 中国国民党第66軍 第28師団 第29師団 第38師団
219 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 12:08
蘭印攻略作戦帝国陸軍戦闘序列 第16軍(今村均中将) 第2師団 <戦車第2連隊等 配属> 第38師団 東方支隊 <第38師団歩兵3個大隊 基幹> 東海林支隊 <同上 歩兵2個大隊 基幹> 第48師団 <戦車第4連隊 配属> 金村支隊 <第48師団歩兵1個大隊 基幹> 坂口支隊 <独立混成第56旅団主力、歩兵3個大隊基幹> 川口支隊(川口清健少将)<第18師団歩兵3個大隊基幹(南方軍直轄)> 第3飛行集団(菅原道太中将) 飛行第3団 <戦闘1個戦隊・軽爆3個戦隊> 飛行第7団 <戦闘1個戦隊・重爆3個戦隊> 飛行第12団 <戦闘2個戦隊> 飛行第81戦隊 <司令部偵察機で編成> 独立飛行第15飛行隊<司偵2個中隊> 飛行所勤務諸部隊 挺身第1団
220 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 12:17
蘭印攻略作戦蘭印陸軍戦闘序列 蘭印陸軍(テルポーテン中将) 西部ジャワ兵団 蘭印正規軍2個連隊 米豪軍一部(約16000人) バンドン地域防衛兵団 蘭印正規軍1個連隊 中部ジャワ兵団 部隊未配備 東部ジャワ兵団 蘭印正規軍1個連隊 蘭印正規軍7個大隊(スマトラ島駐屯) 各島基地部隊
221 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 12:26
中南部太平洋攻略作戦帝国陸軍戦闘序列 南海支隊(堀井富太郎少将) 第55歩兵団司令部 歩兵1個連隊 山砲1個連隊 その他諸部隊
222 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 12:39
中南部太平洋攻略作戦連合国軍陸戦部隊戦闘序列 ウェーク島部隊(カニンガム中佐) 海兵隊522人 民間人部隊1216名 航空機18機 海岸砲7門 高射砲16門 対空機関銃13基 グアム島部隊(マクミリン中佐) 海兵隊365人 民間人部隊313人 ラバウル島部隊(スキャンラン大佐) 歩兵3個大隊 対戦車砲隊 義勇小銃隊等 航空機約20機 海岸砲4門 高射砲6門 カビエン島部隊 約1個中隊
223 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 13:05
日露戦争開戦時帝国陸軍戦闘序列 満州軍(大山巌大将) 第1軍(黒木為髑蜿ォ) 近衛師団 第2師団 第12師団 第2軍(奥保鞏大将) 第1師団 第3師団 第4師団 野戦砲兵第1旅団 ↓ 第3師団 第4師団 第6師団 後備歩兵第11旅団 騎兵第1旅団 野戦砲兵第1旅団 第3軍(乃木稀典大将) 第1師団 第9師団 第11師団 後備歩兵第1旅団 同上 第4旅団 野戦砲兵第2旅団 後備工兵隊 攻城特殊部隊 攻城砲兵司令部 野戦重砲兵1個連隊 徒歩砲兵3個連隊 砲兵1個大隊 その他諸部隊 独立第10師団(川村景明中将)<後備歩兵第10旅団配属> ↓ 第4軍(野津道貫大将) 第5師団 第10師団 後備歩兵第10旅団
第一総軍様、皆様が余り話題にしない日露戦争について記載しましたが、どうでしょう? これからも日露戦争シリーズ、日清戦争、大東亜戦争中期〜末期と投稿したいと思います 最近御忙しいと思われますばばぼん♪様や270様が来てくれれば、尚嬉しいのですが! それと第一総軍様の満州国軍ネタ楽しみしています、頑張って下さい
225 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 13:35
日露戦争開戦時露陸軍戦闘序列 満州軍(クロパキトン大将) 東部兵団(ビルデルリング大将) シベリア第3軍団 東狙兵第1師団 同上 第9師団 第10軍団 歩兵第9師団 同上第31師団 第17軍団 歩兵第3師団 同上第35師団 オレンブルグコサック騎兵師団 南部兵団(ザスリチ中将) シベリア第1軍団 東狙兵第1師団 同上 第9師団 シベリア第2軍団 東狙兵第5師団 歩兵第1師団 シベリア第4軍団 歩兵第2師団 同上第3師団 直轄部隊 シベリア第5軍団 歩兵第54師団 同上第71師団 シベリアコサック騎兵師団 ザハイカルコサック騎兵師団 騎兵4個旅団 砲兵諸隊 重砲・臼砲64門 騎砲・山砲67門
226 :
45/85式改 :2001/08/04(土) 13:49
仲間を求めてage
227 :
第一総軍 :2001/08/04(土) 23:15
45/85式改様、ものすごい情報量ですね。いったいどのような資料を研究されているのでしょうか。オランダ軍等のマイナー軍まで網羅されているとは驚きです。 日清、日露についても興味はあります。今日も昼間にエポックの日露戦争をプレイしていました。(参謀でしたけど) 満州国軍ネタですが、現在進めている日本軍師団シリーズが終了したら少しだけ書いてみようと思います。本当は発表するかどうか迷っていたのですが、45/85式改様がここまで情報を提供してくださっていることですし、出し惜しみするのは失礼に当たるので頑張ってみましょう。
228 :
第一総軍 :2001/08/04(土) 23:31
簡単な日本軍師団編制 その8(離島防衛用?の師団) 師団司令部 歩兵旅団 独立歩兵大隊6個 旅団通信隊 歩兵旅団 独立歩兵大隊6個 旅団通信隊 師団通信隊 師団工兵隊 師団防空隊 師団輜重隊 師団速射砲隊 第一砲兵隊 第二砲兵隊 これが離島防衛の為に編成されたと思われる第九十一師団の大体の編制である。 この師団は千島列島北部特に占守島、幌延島に主力を配置しており、終戦後にソ連軍とも交戦している。 編制の特徴として連隊ではなく旅団を指揮下に置き、独立歩兵大隊を12個も編制に含んでいること、砲兵隊が2個編成されていることなど、離島に分散配置された場合でも独立して戦闘できるようになっている。 これらの師団は戦争末期に本土周辺の離島の防衛の為に編成されたが、個々の編制はかなり異なっており日本軍師団としては異色な存在と考えられる。 同様の経緯で編成された師団 第八十九、九十一、百九師団 但し、編制内容はかなり異なる。
230 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 00:51
225について訂正、誤爆しました 日露戦争開戦時露陸軍戦闘序列 満州軍(クロパトキン大将) 南部兵団(シタケリベルグ中将) シベリア第1軍団 東狙兵第1師団 同上 第9師団 沿岸州龍騎兵連隊 ザバイカル騎兵旅団(ミシチェンコ少将) 東部兵団(ザスリチ中将→ケルレル中将) シベリア第3軍団 東狙兵第6師団 同上 第3師団 その他諸部隊 ザバイカル騎兵師団(レンネ・カンプ中将) 関東州兵団(アナトール・ミハイロヴィッチ・ステッセル中将) 旅順要塞部隊(コンスタンチン・ニコラエウイッチ・スミルノフ中将) 東狙兵第4師団(フォーク中将) 同上 第7師団(コンドラチェンコ少将) 同上 第5連隊(トレチャコフ大佐) 集成護境兵大隊 義勇兵団 補充3個大隊 要塞砲兵3個大隊 その他諸部隊 直轄部隊 シベリア第2軍団 東狙兵第5師団 歩兵第35師団1個旅団 同上第31師団1個旅団 シベリア歩兵第1師団 シベリアコサック騎兵師団 シベリア第4軍団 シベリア歩兵第2師団 同上 第3師団 その他諸部隊
231 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 07:57
日露戦争遼陽会戦帝国陸軍戦闘序列 満州軍(大山厳大将) 第1軍(黒木為髑蜿ォ) 近衛師団 第2師団 第12師団 後備近衛旅団 第2軍(奥保鞏大将) 第3師団 第4師団 第6師団 後備歩兵第3旅団 野戦砲兵第1旅団 徒歩砲兵隊 第4軍(野津道貫大将) 第5師団 第10師団 後備歩兵第10旅団 秋山支隊(秋山好古少将) 騎兵第1旅団 騎兵第2旅団 予備部隊 後備歩兵第11旅団
232 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 07:59
日露戦争遼陽会戦露陸軍戦闘序列 満州軍(クロパキトン大将) 東部兵団(ビルデルリング大将) シベリア第3軍団 東狙兵第1師団 同上 第9師団 第10軍団 歩兵第9師団 同上第31師団 第17軍団 歩兵第3師団 同上第35師団 オレンブルグコサック騎兵師団 南部兵団(ザスリチ中将) シベリア第1軍団 東狙兵第1師団 同上 第9師団 シベリア第2軍団 東狙兵第5師団 歩兵第1師団 シベリア第4軍団 歩兵第2師団 同上第3師団 直轄部隊 シベリア第5軍団 歩兵第54師団 同上第71師団 シベリアコサック騎兵師団 ザバイカルコサック騎兵師団 騎兵4個旅団 砲兵諸隊 重砲・臼砲64門 騎砲・山砲67門
第一総軍様、以前記載し忘れましたが、第一次世界大戦・シベリア出兵・満州事変・日中戦争についても投稿したいと思います
234 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 08:29
日露戦争旅順攻略作戦帝国陸軍戦闘序列 満州軍(大山厳大将) 第1・2・4軍は編成未改編 第3軍(乃木稀典中将) 第1師団(伏見宮貞愛親王中将→松村務本中将) 第11師団(土屋光春中将) 第9師団(大島久直中将) 第7師団(大迫尚敏) 後備歩兵第1旅団(友安治延少将) 同上 第4旅団(竹内正策少将) 攻城砲兵(豊島陽蔵少将) 歩兵砲兵第1連隊 同上 第2連隊 同上 第3連隊 独立歩兵砲兵大隊 その他諸部隊 野戦砲兵第2旅団(大迫尚道少将) 野戦砲兵3個連隊 弾薬大隊 その他諸部隊 野戦重砲兵連隊(酒井甲子郎中佐) 海軍陸戦重砲隊(黒井海軍大佐) 後備工兵隊 軍兵站部 その他諸部隊
235 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 15:34
日露戦争旅順攻略作戦露国陸軍戦闘序列
>>230 関東州兵団参照
236 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 15:47
日露戦争沙河会戦帝国陸軍戦闘序列 満州軍(大山厳大将) 第1軍(黒木為髑蜿ォ) 近衛師団 第2師団 第12師団 後備近衛旅団(梅沢少将) 騎兵第2旅団 第2軍(奥保鞏大将) 第3師団 第4師団 第6師団 騎兵第1旅団 野戦砲兵第13連隊 第4軍(野津道貫大将) 第5師団 第10師団 後備歩兵第11旅団 野戦砲兵第1旅団 徒歩砲兵隊 予備部隊 後備歩兵第3旅団 同上 第11旅団 第8師団
237 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 15:59
日露戦争沙河会戦露国陸軍戦闘序列 満州軍(A・N・クロパトキン大将) 東部兵団(シタケリベルグ中将) シベリア第1軍団<2個師団基幹> 同上 第2軍団<同上 > 同上 第3軍団<同上 > サムソノフ支隊 西部兵団(ビルデルリング大将) 第10軍団 <2個師団基幹> 第17軍団 <同上 > デムポフスキー支隊 予備部隊 シベリア第4軍団<2個師団基幹> 同上 第6軍団<同上 > 第1軍団 <同上 > ミシチェンコ支隊 レンネンカンプ支隊 その他諸部隊
題名からは、厨房スレかと思いきや、凄い内容である。
239 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 22:19
日露戦争黒溝台会戦帝国陸軍戦闘序列 満州軍(大山厳大将) 第1軍(黒木為髑蜿ォ) 近衛師団 第2師団 第12師団 後備近衛旅団 第2軍(奥保鞏大将) 第6師団 第4師団 秋山支隊 兵站守備隊 第3師団 第4軍(野津道貫大将) 第10師団 後備歩兵第3旅団 同上 第11旅団 野戦砲兵第1旅団 後備歩兵第5旅団 第5師団一部 直轄部隊 騎兵第2旅団 総予備部隊 第5師団主力 第8師団 <後備歩兵第8旅団配属>
240 :
45/85式改 :2001/08/05(日) 23:37
極東陸軍(クロパトキン大将) 第1軍(リネウイッチ大将) 第1軍団 シベリア第2軍団 同上 第3軍団 同上 第4軍団 歩兵第71師団 騎兵2個師団 その他諸部隊 第2軍(グリッペンベルグ大将) 第8軍団 第10軍団 シベリア第1軍団 集成狙撃兵軍団<狙撃兵3個旅団基幹> ミシチェンコ騎兵団 第3軍(カウリバルス大将) 第16軍団 第17軍団 シベリア第5軍団 同上 第6軍団 騎兵1個師団 2個旅団 その他諸部隊
第一総軍様はまだお見えしてませんね 今宵も早く来て下さると良いのですが
予告 明日は日露戦争最大の見せ場の奉天会戦の日露両国戦闘序列・日清戦争日清両国戦闘序列を掲載します
243 :
第一総軍 :2001/08/06(月) 01:23
45/85式改 様、非常に精力的に書き込みなさっていますね。きっと私だけでなく、他の皆さんも感謝していることと思います。 私が所有しているエポックの日露戦争ですが、近く国際通信社から再販されるそうです。提供していただいたような、以前は入手できなかったような戦闘序列が反映されていると嬉しいのですが。むりかな。 さて、私のほうの簡単な日本軍師団の編制シリーズですが、少し資料を纏めてから書き込ませていただきます。サラリーマンなもので平日にはむずんしいかもしれませんが。 しばしお待ちください。
244 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 02:10
日露戦争奉天会戦帝國陸軍戦闘序列 満州軍(大山厳大将)第1軍(黒木為髑蜿ォ) 近衛師団 第2師団 第12師団 後備近衛旅団 後備歩兵第5旅団 同上 第13旅団 後備独立野砲兵第1大隊 第2軍(奥保鞏大将) 第3師団 第4師団 第6師団 第8師団 後備歩兵第1旅団 同上 第8旅団 同上 第14旅団 騎兵第1旅団 野戦砲兵第13連隊 後備独立野砲兵第2大隊 同上 第3大隊 同上 第4大隊 第3軍(乃木稀典大将) 第1師団 第7師団 第9師団 騎兵第2旅団 野戦砲兵第2旅団 第4軍(野津道貫大将) 第5師団 第10師団 後備歩兵第3旅団 同上 第10旅団 同上 第11旅団 野戦砲兵第1旅団 <第13連隊欠如> 第3師団後備工兵第2中隊 鴨緑江軍 第11師団 後備歩兵第1師団 同上 第16旅団 同上 第59連隊 独立徒歩砲兵第1大隊
245 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 10:31
日露戦争奉天会戦露国陸軍戦闘序列 極東陸軍(クロパトキン大将) 第1軍(リネウイッチ大将) 第1軍団 シベリア第2軍団 第3軍団 第4軍団 清河城支隊 歩兵第71師団 歩兵1個旅団 騎兵1個師団 その他諸部隊 第2軍(カウリバルス大将) 第8軍団 第10軍団 シベリア第1軍団 集成狙撃兵軍団 レンネンカンプ騎兵支隊<騎兵2個師団基幹> 遼河支隊 <歩兵8個大隊基幹> 第3軍(ビルデルリング大将) 第17軍団 シベリア第5軍団 同上 第6軍団 騎兵2個旅団 その他諸部隊 総予備部隊 第16軍団 歩兵第72師団 その他諸部隊
246 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 11:45
日清戦争帝國陸軍戦闘序列その1 大島混成旅団<第5師団歩兵2個連隊基幹>
247 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 11:50
日清戦争帝國陸軍戦闘序列その2 第1軍(山形有朋大将→野津道貫中将) 第5師団 第3師団 その他諸部隊 第2軍(大山厳大将) 第1師団 第2師団 第6師団
248 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 11:58
日清戦争帝國陸軍戦闘序列その3 第1軍 近衛師団(第2期以降) 第1師団 第3師団 臨時第7師団<屯田歩兵4個大隊基幹> 第2軍 近衛師団(第1期) 第2師団 第4師団 第6師団 臨時機関砲隊16個 第5師団 <後備歩兵6個大隊配属> 遼島半島部隊 後備歩兵6個大隊 要塞砲兵4個中隊 朝鮮半島部隊 後備歩兵5個大隊
249 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 12:52
北清事変帝國陸軍戦闘序列 連合軍(ワルデルゼー大将) 日本軍部隊 歩兵2個大隊 砲兵1個大隊 第5師団
第一総軍様、そろそろネタ不足対策を思案した方が良いと思いますが、第一総軍様はどう思いますか?
上記の対策として、私は航空部隊について調査・記載する予定です
252 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 19:25
第一次世界大戦帝國陸軍戦闘序列(青島攻略作戦) 独立第18師団(神尾光臣中将) 第18師団 歩兵第23旅団<第3師団隷下> 野戦重砲兵第3連隊 同上 第2連隊 独立攻城重砲兵第1大隊 同上 第2大隊 同上 第3大隊 同上 第4大隊 独立重砲兵中隊 独立工兵第1大隊 同上 第2大隊 航空部隊 臨時鉄道連隊 英国派遣部隊 歩兵1個大隊 インド歩兵2個中隊 その他諸部隊
253 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 19:37
第一次世界大戦独逸陸軍戦闘序列(青島攻略作戦) 青島要塞陸戦部隊(フオンケシンガー中佐) 歩兵堡塁部隊 歩兵第1堡塁 同上第2堡塁 同上第3堡塁 同上第4堡塁 海兵1個大隊 外方陣地守備部隊 海兵1個大隊 その他諸部隊 陸上砲兵隊
254 :
45/85式改 :2001/08/06(月) 23:56
シベリア出兵帝國陸軍戦闘序列 浦塩派遣軍(大谷喜久蔵大将) 第12師団(大井成元中将) 山田支隊<米中両陸軍一部配属> 野瀬支隊<歩兵1個大隊 基幹> 船橋支隊<歩兵2個大隊 基幹> 第3師団(大庭二郎中将) 第7師団 米国シベリア派遣軍(グラーベス少将) 歩兵第27連隊 歩兵第31連隊 その他諸部隊 その他諸部隊 尚、これは初期戦力ですが、中期及び末期は私が保有する資料でははっきり記載されていない為、詳細については投稿出来ませんでした
第一総軍様、例のネタ対策ですが、私は調査中に代替措置として作戦ネタを掲載する予定です
45/85式改様、作戦ネタの方が大変なのではありませんか?私としてはものすごく興味がありますが。 作戦ネタはゆっくりみんなで議論しながら進められるといいですね。 航空部隊に関しては以前にも書き込んだ通り大した知識もないので勉強になりそうです。
第一総軍様、自分の文章が幼稚だったので勘違いさせてしまいました 例の作戦ネタですが、これまでの様な専門的内容から皆様でも理解できる様に、簡易的に詳細を記載する事です
259 :
45/85式改 :2001/08/07(火) 13:05
満州事変帝國陸軍戦闘序列その1 関東軍(多門二郎中将→武藤信義大将) 第2師団 独立守備第1大隊 同上 第2大隊 同上 第3大隊 同上 第4大隊 同上 第5大隊 同上 第6大隊 旅順重砲兵大隊 関東軍憲兵隊 その他諸部隊
260 :
45/85式改 :2001/08/07(火) 19:14
満州事変帝國陸軍戦闘序列その2
>>259 事変後の追加部隊
独立混成第39旅団
同上 第4旅団
同上 第8旅団
同上 第39旅団
第20師団司令部
第8師団主力
第10師団主力
第14師団
第6師団
騎兵第1旅団
同上第4旅団
その他諸部隊
関東軍飛行隊(長嶺大佐→牧野大佐)
偵察1個大隊
戦闘1個大隊
軽爆1個大隊
261 :
名無し三等兵 :2001/08/07(火) 19:24
age
262 :
45/85式改 :2001/08/07(火) 23:20
満州事変中国軍戦闘序列 東北辺防軍(張学良) 奉天省軍(直率) <約17万人 > 吉林省軍(張作相) <約5,4万人> 黒龍江省軍(万福麟)<約2,9万人> 熱河省軍(湯玉麟) <約1,5万人> 不正規軍 <18万人 >
263 :
第一総軍 :2001/08/08(水) 00:17
東北辺防軍の資料探してみたんですが、見つかりませんでした。私の持っているのは七七事変以降の中国軍資料だけだったようです。 陳誠大好き様なら、資料をお持ちだったかもしれませんが。
264 :
45/85式改 :2001/08/08(水) 00:58
上海事変帝國陸軍戦闘序列 上海派遣軍(白川義則大将) 第9師団 <第11師団1個連隊配属> 第11師団 第14師団 独立混成第24旅団 独立山砲1個連隊 野戦重砲兵2個大隊 攻城重砲兵1個連隊
第一総軍様、帝國陸軍の戦力とは異なりますが、海軍陸戦部隊について興味ありますが、どう思いますか?
266 :
第一総軍 :2001/08/08(水) 07:38
あります。でも、解りずらい分野ですよね。本土決戦時の配備を見ても、大隊数位しかわからないし。本当は詳しく知りたいと思っています。
267 :
45/85式改 :2001/08/08(水) 11:01
上海事変中国陸戦部隊戦闘序列 第19路軍(蔡延楷) 第60師 第61師 第78師 第5軍(張治中) 第87師 第88師 首都憲兵師
268 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 13:19
age
269 :
飛黎 :2001/08/08(水) 13:38
>262 東北辺防軍 司令長官 張学良 副司令長官 張作相、萬福麟 参謀長 榮 至秦(注;字が出ないので、至秦で1文字) 駐遼寧軍 張学良ー−−第7旅 王以哲 第12旅 張廷躯 第20旅 常経武 騎兵第3旅 張樹森 挑北鎮守使 張海鵬 東邊鎮守使 千止山(止の上に草冠) 他はちょっと待って
270 :
飛黎 :2001/08/08(水) 13:58
駐吉林軍 張作相ーーー第22旅 蘇徳成 第25旅 張作舟 第26旅 刑占清 吉長鎮守使 李桂林ー第23旅 延吉鎮守使 右興 −第27旅 濱江鎮守使 丁超 −第28旅 依蘭鎮守使 李社 −第24旅 砲兵第10團 穆純昌 衛隊團 馮占海 山林警備隊 宋希曾
271 :
飛黎 :2001/08/08(水) 14:08
駐黒龍江軍 萬福麟ーーー第1旅 張殿九 騎兵第1旅 呉松林 騎兵第2旅 程志遠 黒江鎮守使 馬占山ー第3旅 呼倫貝爾警備司令 蘇炳文ー第2旅 衛隊團 徐賽珍 砲團 樸炳珊 海軍ーーー海防艦11隻、江防艦8隻 以上、手持ちの資料より。誤字があったらごめん。
第一総軍様、私は出張の為、2週間位出れません 保持御願いします
273 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 16:16
age
274 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:51
age
275 :
飛黎 :2001/08/08(水) 20:45
>第一総軍殿 すみません、湯玉麟の熱河省軍と不正規軍が解りません。これでご勘弁 の程を・・・・
276 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 23:11
age
277 :
第一総軍 :2001/08/08(水) 23:14
45/85式改 様、了解しました。このところの精力的な書き込みは出張に備えたものだったのですね。お戻りまで何とか支えましょう。 飛黎様、新たな同志の登場を歓迎いたします。かなり近い分野の資料をお持ちのようです。今後とも宜しくお願いいたします。
278 :
飛黎 :2001/08/09(木) 07:45
>第1総軍様 いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。 当方満州事変以降の各会戦の中華民国軍戦闘序列なら、ある程度解ります。 でも、当方が興味あるのは軍閥軍なのですが、なにぶん資料が無くて・・・
279 :
第一総軍 :2001/08/09(木) 07:54
これから出勤します。 飛黎様、軍閥軍の資料という程ではありませんがどの師が何処系列の部隊かはある程度資料があります。時期によっても多少変わりますが。 そういえばコミケでこういうのを研究しているサークルが有ったんですが、今年はどうしようかな。
280 :
名無し三等兵 :2001/08/09(木) 10:13
281 :
名無し三等兵 :2001/08/09(木) 13:22
age
282 :
飛黎 :2001/08/09(木) 17:27
第一総軍様、呉佩浮指揮下の師はわかりますか? それと、軍装掲示板にも書かれていましたが軍閥軍の軍服の変遷、発行されていた 勲章の詳細を知りたいと思っているのですが、ご存知ないですか? 勲章類など、中華民国は600種位あるそうで・・・
283 :
名無し三等兵 :2001/08/09(木) 18:50
104連隊戦記「歩104物語」より あるく あるく あるく 肩にくいいる背嚢にあえぎながら あるく 重い弾薬でちぎれそうな腰で あるく 破れた靴で あるく 血と豆の足で あるく ブッたおれるまで あるく 敵に近づくまで あるく これが戦争だと覚悟して あるく 「昭和十九年の湘桂作戦で靴が破れて草履きをつくって行軍した。こんなとき、 補充員が到着した。兵隊たちは『兵隊より靴を補充してくれ』と悲痛な叫びをあげた」
284 :
45/85式 :2001/08/09(木) 19:02
第一総軍様 45/85式改の友人です 彼から伝言です 出張目的である商談の一つが相手側の都合で延期された為に一週間程で復帰出来る様です
285 :
陳誠大好き :2001/08/09(木) 20:18
随分とごぶさたしておりました。 飛レイ(でよろしいのでしょうか?)様 はじめまして。 軍閥の研究とは、ご苦労お察しします。 私はドイツ式装備の調整師への関心が強いのですが、両広の部隊にも最近は興味が湧いて来ております。 ただ、私は編成よりも装備内容あたりに興味の中心がありますのであまりお力になれないかもしれません。 しかし中華民国軍の装備については台湾高手専業出版の「抗戦時期陸軍服制装備」という本をお勧めします。 この本で初歩的なことは解ると思いますが、疑問点等ありましたらご一緒に考察したいものですね。
286 :
飛黎 :2001/08/09(木) 21:23
陳誠大好き様、初めまして。読み方はその通りです。 軍閥軍にしても、国民党軍にしても実際は規定があってないような物ですので結構 苦労しています。さすがに軍閥軍の軍装資料本は出ていないと考えたりしているの ですが、実際どうなのでしょう? ちなみにその本は日本国内でも手に入るのでしょうか?訪ねてばかりですみません。
287 :
陳誠大好き :2001/08/09(木) 22:48
飛レイ様 その本は国内で入手可能かどうかは少々解りかねますが、他にはMAN.AT.ARMSシリーズの306号が戦前戦中の中国軍の資料本で、こちらは国内入手は容易と思われます。 軍装の規格ですが、民国25年1月に頒布された「陸軍服制条例」以前は概ねのデザインを示して後は現地任せ。という傾向が強かったのではないかとおもいます。 しかしながら興味深い話として、1929年?に張学良が蒋介石に 「軍服の寸法を詳しく教えて欲しい、可能な限り中央と統一した規格で製作したい。」 というような内容の書簡を送り、蒋介石も了解していたりもしています
288 :
第一総軍 :2001/08/09(木) 23:37
45/85式 様、御友人ですか。どちらが先にコテハンを名乗られたのでしょうか。私は極幾つかのスレにしか出て行かないので存じませんでしたが、今後とも宜しくお願いいたします。 陳誠大好き様、お久しぶりです。ご帰還を大変嬉しく思います。飛黎様と近い分野のようです。今後のお二人の情報を楽しみにしております。私は軍服や軍装品に疎いもので。 又、以前前スレでお話した調整師の装備についてですが、その際にも少し触れた異説の方の装備について近い内に書き込みます。異説の方がしばしば本に出ているのでご存知かも知れませんが。 飛黎様、呉佩浮の軍閥は確か1926年8月に北伐軍との戦いで潰滅していたはずですので、残念ながら七七事変以降の資料を中心にしている私は手元に資料を持ちません。今度東京に出た際にでも探して見ます。ご期待に添えずすみません。
289 :
飛黎 :2001/08/10(金) 06:25
>陳誠大好き様 面白い話ですね。しかし面白い事に当時の写真を見ると旧東北軍系の軍人は 軍閥時代の軍服に国民党軍の青天白日章と襟章を付けていた者が多いですね。 有名なところでは王以哲、馬占山といったところですか・・・・ さすがに張学良はすぐ軍服を中央の規格に変えているようですが。 >第一総軍様 いえいえとんでもない。私の分野がマニアすぎるんです(笑) お手数をおかけして申し訳ありません。
290 :
飛黎 :2001/08/10(金) 06:28
>陳誠大好き様 レス一部付け忘れました。MAN.AT.ARMSシリーズの306号は早速問い合わせて みます。台湾高手専業出版の「抗戦時期陸軍服制装備」は丸善に一度聞いて みることにします。
第一総軍様 コテハンってなんですか 名前の欄でただ友人から 「僕が消防や厨房、工房的発言を連発してた時に使ってた45/85式でカキコしてくれ」 という意味不明な事言われて使ったのですが
292 :
第一総軍 :2001/08/11(土) 00:05
45/85式 様、固定ハンドルネームは昔の名前だったのですね。私はこの世界は新参者なので昔の方々のことは良く解らないですが、改様の方の改名理由が興味深いところですね。
293 :
名無し三等兵 :2001/08/11(土) 19:40
週末なのでage
294 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 02:38
たしかノモンハン事変当時のソ連側発表は自軍損害1万で 「日本軍国主義者5万5千を殲滅した」だったな。 5万5千といったらノモンハン出撃兵力の大半を失ったことになるし、 それでいて自軍損害1万程度なら更なる「快進撃」ができたであろう。 むろん太平洋戦争での大本営発表もマユツバが多く、例えば台湾沖海戦 はまさにドキュソ極まる。しかしこれは全滅させたはずの敵軍が どんどん進撃してくるのだから間もなくボロが出てくるわけだ。
295 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 02:40
「予備兵力」にしてもそんなにすぐに持ってこられるもんじゃない。 戦果が上げられなければ「すぐさま」敵の反撃を招くことになる。
296 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 01:15
age
297 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 01:20
帝國陸軍は将官三流、装備二流、兵士一流といった感じではないか。 そして現代日本、政治家三流‥(以下略)
298 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 15:52
アゲ
299 :
第一総軍 :2001/08/13(月) 23:45
簡単な日本軍師団編制その8 関東軍末期編制バージョン 師団司令部 歩兵連隊(3個大隊、その他詳細不明) 歩兵連隊(同上) 歩兵連隊(同上) 野砲又は山砲連隊(砲27門) 工兵連隊又は工兵隊 捜索連隊(一部の師団のみ) 師団挺進大隊 輜重兵連隊又は輜重隊 師団通信隊 その他 これが関東軍が戦争末期の昭和19年から20年に編成した師団の大体の編制である。 この時期の関東軍は従来の精鋭師団20個の全てを次々と南方や本土に抽出され、極度に弱体化した。これを補うために従来の師団が転用時に残した残置部隊や各種独立部隊、又は根こそぎ動員によって急遽編成したのがこれらの師団である。一部は済州島へも派遣された。 見かけ上の大きな変化としては、砲兵の定数が27門に減少していることだが、これは例によって部隊により相当の差異があり、10糎榴弾砲や75粍野砲、山砲から迫撃砲まで混成して数を合わせていたり、特に最末期の編成部隊の中には殆ど砲兵装備を持たないものも有ったようである。 実力的には従来の精鋭師団である第十二師団と比較して60〜70%の戦力評価されたものが最優秀で、中には15%程度の評価を受けた師団までありその戦闘力は疑問が多い。 ソ連参戦時には関東軍が後退配備へと移行中だったため多くの師団の主力は本格的な戦闘を経験しなかったが、アルシャンや牡丹江方面の師団はソ連軍との戦闘で善戦し、予想以上の活躍を見せたといっていいだろう。 従来の残置部隊や独立部隊を基幹として編成したもの 第百七、第百八、第百十一、第百十二、第百十九、第百二十、第百二十一、 第百二十二、第百二十三、第百二十四、第百二十五、第百二十六、 第百二十七、第百二十八師団 根こそぎ動員に従来部隊を加えて編成したもの 第百三十四、第百三十五、第百三十六、第百三十七、第百三十八、 第百三十九、第百四十八、第百四十九師団 幹部候補隊や下士官候補隊を基幹として編成したもの 第百五十八師団
300 :
第一総軍 :2001/08/13(月) 23:46
簡単な日本軍師団編制その9 第一次兵備沿岸配備師団 師団司令部 歩兵連隊 沿岸用の大隊3個(各歩兵3個中隊、挺進個中隊、 歩兵砲中隊) 反撃用大隊1個(挺進3個中隊、)速射砲中隊、通信中隊他 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 反撃用大隊2個(各3個中隊、歩兵砲中隊、機関銃中隊) 連隊砲2個中隊、通信中隊、その他 師団速射砲隊(47粍速射砲12門) 師団砲兵隊(10糎榴弾砲4門、75粍野砲8門)又は、 師団噴進砲隊(20糎榴弾砲36門) 師団通信隊 師団輜重隊(ばん馬中隊、自動車中隊) その他 昭和20年、米軍の本土侵攻に備えた第一次兵備で編成された沿岸配備師団の大体の編制である。 4個連隊を持つものの以前の4単位師団と異なり、3個連隊は沿岸配備用、1個連隊は反撃用に編成されており、それ以前の日本軍師団と比較しても歩兵用重火器の装備数はかなり向上している反面、砲兵装備は貧弱である。 これは、本土においては重砲兵や野戦重砲兵部隊の支援を受けることを前提としていたためと考えられる。 これら沿岸配備師団は兵員の平均年齢が高く機動力も低かったが、沿岸に構築した陣地に篭って米軍を拘束し、後に述べる決戦師団の到着まで持ちこたえる事を期待されていた。 又、沿岸配備師団の一部は朝鮮にも配備された。 第百四十、第百四十二、第百四十三、第百四十四、第百四十四、 第百四十五、第百四十六、第百四十七、第百五十、第百五十一、 第百五十二、第百五十三、第百五十四、第百五十五、第百五十六、 第百五十七、第百六十師団 尚、依然述べた第八十八、第八十九師団も編制内容は違うものの、沿岸配備師団の範疇に入れる場合もある。
第一総軍様、スレッドの保持有難う御座います 一応予定より早く出張から戻りましたが、まだ雑務が残っている為に私はすぐにま た出勤しなくてはなりません 数日待って下さい
302 :
第一総軍 :2001/08/14(火) 00:13
45/85式改様、お疲れ様です。引き続きお仕事も頑張ってください。
303 :
45/85式改 :2001/08/14(火) 00:29
第一総軍様、出勤まであと僅かですが書き込む事にしました それと私の資料では中華民国軍が詳しく書かれていないのでその辺はサポート御願いします 飛黎様・陳誠大好き様、これからも宜しく御願いします 北清事変帝國陸軍戦闘序列 北支那方面軍(寺内寿一大将) 北支那方面軍司令部 第1軍(香月清司中将) 第1軍司令部(岡部直三郎少将) 第6師団(谷寿夫中将) 第14師団(土肥原賢二中将) 第20師団(川岸文三郎中将) 戦車第1大隊 戦車第2大隊 独立山砲第1連隊 独立山砲第3連隊 野戦重砲兵第1旅団 野戦重砲兵第2旅団 第1軍通信隊 その他諸部隊 第2軍(西尾寿造中将) 第2軍司令部(鈴木率道少将) 第10師団(磯谷廉介中将) 第16師団(中島今朝悟中将) 第108師団(下元熊爾中将) 野戦重砲兵第6旅団 第2軍通信隊 その他諸部隊 直轄部隊 第5師団(板垣征四郎中将) 第109師団(山岡重厚中将) 支那駐屯混成旅団(山下奉文少将) 臨時航空集団(徳川好敏中将) 北支那方面軍直属防空部隊 独立攻城重砲兵第1大隊 独立攻城重砲兵第2大隊 北支那方面軍通信隊 北支那方面軍鉄道隊 北支那方面軍直属兵站部隊 支那駐屯憲兵隊
304 :
第一総軍 :2001/08/14(火) 03:49
45/85式改様、北支事変ということでしたら大体以下のような国民党軍が参戦していたようです。 第一戦区 長官 蒋中正(蒋介石) 第二集団軍 第二十六路軍 第三十軍 第三十師(孫連仲系西北軍) 第三十一師(孫連仲系西北軍) 第四十二軍 第二十七師(孫連仲系西北軍、調整師) 独立第四十四旅 砲兵第七団 第三軍 第七師(蒋介石軍傍系朱培徳部隊) 第十二師(蒋介石軍傍系金漢鼎部隊) 第四十七師(蒋介石軍傍系孫?芳軍) 第三十八軍 第十七師(楊虎城系西北軍) 新編第三十五師(楊虎城系西北軍) 第五十二軍 第二師(蒋介石直系軍北伐部隊改編、調整師) 第二十五師(蒋介石直系軍、調整師) 第二十七路軍 第四十二師(楊虎城系西北軍) 第百六十九師(楊虎城系西北軍) 騎兵第四軍 騎兵第十師(張学良系東北軍) 第二十集団軍 第三十二軍 第百三十九師(商震系山西軍) 第百四十一師(商震系山西軍) 第百四十二師(商震系山西軍) 独立第四十六旅 騎兵第十四旅 砲兵第六旅 砲兵第八旅 第五十三軍 第九十一師(張作相系東北軍) 第百十六師(張学良系東北軍) 第百三十師(張学良系東北軍) 騎兵第四師(張学良系東北軍) 第六十七軍 第百七師(張学良系東北軍) 第百八師(張学良系東北軍)
305 :
飛黎 :2001/08/14(火) 11:42
あげを兼ねて(笑)、虞溝橋事件当時の中国軍(第29軍)戦闘序列です。 第29軍軍長 宋哲元 副軍長 冬麟閣(冬にはにんべんが付く) 第37師 馮治安 第225旅 張綾雲 第111旅 陳春榮 第110旅 何気醴 第38師 張自忠 独立39旅 阮玄武 独立26旅 李到遠 第114旅 董升堂 第113旅 劉振三 第112旅 黄維網 第132師 趙登虞 第109旅 王長海 第1旅 劉景山 軍事訓練團 張涛齢 第1大隊 李克昌 第2大隊 張自創 第3大隊 馮洪國
306 :
飛黎 :2001/08/14(火) 18:04
そういえば、私の知り合いの方に元満州国軍の方がおられます。 今度遊びに来なさい、と言われてますので色々聞いてきます。
閑話休題
308 :
名無し三等兵 :2001/08/16(木) 12:16
あげ
309 :
名無し三等兵 :2001/08/16(木) 19:27
age
第一総軍様、私の仕事が忙しくなった為、なかなか書き込み出来ません 申し訳御座いません
311 :
陳誠大好き :2001/08/16(木) 21:14
二十九軍の話題が出ましたが、支那事変画報6号に情報を得難いであろう服の色についての記述がありますのでイメージ上の参考までにここに載せておきます。 「中央軍のカーキ色や二十九軍の青色の軍服が乱れている…(昭和十二年九月二十七日発)」 軍閥軍と中央軍の服の色の違いや、兵の入り混じった状況がわかる面白い記述かと思います。 飛レイ様 満州国軍の話、楽しみにしております。 と、話は変わりますが一体常連の皆さんのお歳はお幾つくらいなのでしょうか?もしかすると私が最年少の様な気がして来ましたもので…
312 :
45/85式改 :2001/08/16(木) 22:33
陳誠大好き様、ちなみに私は25歳です ちなみに、以前常連の一人だった「ばばぼん♪」様は三十歳過ぎだそうです 支那事変上海・南京攻略戦帝國陸軍戦闘序列 上海派遣軍(松井石根大将) 上海派遣軍司令部 第3師団 第11師団 独立機関銃第7大隊 戦車第5大隊 独立軽装甲車第8中隊 独立重砲兵第10連隊 迫撃第4大隊 野戦高射砲隊6個 野戦照空隊3個 独立工兵第8連隊 独立飛行第6中隊 上海派遣軍通信隊 架橋材料中隊2個 渡河材料中隊2個 兵站部隊 独立重砲兵大隊2個 独立攻城重砲隊 野戦高射砲隊5個 後備歩兵隊10個 後備野砲兵中隊 山砲兵中隊 工兵中隊 重藤支隊 第9師団 第13師団 第101師団 野戦重砲兵第5旅団 独立野戦重砲兵第15連隊 独立工兵第12連隊 飛行第3団司令部 その他諸部隊 第10軍(柳川平助中将) 第10軍司令部 第6師団 第18師団 第114師団 独立山砲兵第2連隊 野戦重砲兵第6旅団 後備歩兵第1団 後備歩兵第2団 国崎支隊 第16師団 その他諸部隊
313 :
名無し三等兵 :2001/08/16(木) 22:53
何かここのスレッドは日本陸軍ヲタいがいには入りにくそうだ)藁
314 :
45/85式改 :2001/08/16(木) 23:38
仲間もとめてage
315 :
第一総軍 :2001/08/16(木) 23:40
45/85式改様、お疲れ様です。お仕事が大変な中ありがとうございます。ここ2週間くらいで数か月分くらいの書き込みをしていただいたわけですし、お気になさらずに。 陳誠大好き様、私は32です。恥ずかしながら。 313様、確かにそんな感じですね。私の書き込みの際には、出来るだけ私流の解説をつけるようにして今後も理解しやすい内容に努力致します。 陳誠大好き様や飛黎様は、私のお願いに答えて戦闘序列などを書き込んでくださっているので確かにある程度わかった方でないと利用価値に気づかないかもしれませんね。すみません。私の個人的なわがままと興味で協力いただいているもので。 飛黎様、私も満州国軍の話、期待しています。満州国軍にも非常に興味がありまして。
316 :
飛黎 :2001/08/17(金) 00:45
>陳誠大好き様 当方27歳です、もうすぐ28になります。なお満州国軍の方はお会いできたらこ こに書きますが、いつ会えるか解りませんので気長にお待ち下さい。 本日、「戦争と平和展」に行ってきました。まあ、こういう展覧会はあまり好きで はない(どうしても内容が偏りがちになるため)のですが、展示物になかなか面白 い物がありました。 長春の偽満皇宮博物院から借りてきた物で、溥儀が少年時代愛用したというコオロ ギを飼うための壷、満州国の紋章の入った皿、皇后婉容の阿片キセル、撫順戦犯管 理所における溥儀の日記と作業服など。 軍関係では満州国軍の軍服上下、満鉄の鉄道警備隊制服、国境警察隊の制服、景雲 章や柱国章などの勲章がありました。 去年はどう見ても映画用の溥儀の軍服を真面目な顔で本物だと言っていましたが大 分改善されたようです。
317 :
45/85式改 :2001/08/18(土) 10:50
今日は会社の本社の都合で休日になった為、書き込みます 支那事変徐州会戦帝國陸軍戦闘序列1 北支那方面軍(寺内寿一大将) 北支那方面軍司令部 第1軍(香月清司中将) 第1軍司令部 第14師団 第20師団 第108師団 第109師団 独立機関銃第4大隊 独立機関銃第5大隊 独立機関銃第9大隊 独立軽装甲車第1中隊 独立軽装甲車第5中隊 戦車第2大隊 独立山砲第1連隊 独立山砲第3連隊 野戦重砲兵第2旅団 独立野戦重砲兵第8連隊 迫撃第3大隊 迫撃第5大隊 その他諸部隊 第2軍(西尾寿造中将) 第2軍司令部 第5師団 第10師団 独立機関銃第6大隊 独立機関銃第10大隊 独立軽装甲車第10中隊 独立軽装甲車第12中隊 野戦重砲兵第1旅団 臨時航空兵団(徳川好敏中将) 航空兵団司令部 飛行第1団 飛行第4団 飛行第1大隊 飛行第2大隊 飛行第5大隊 飛行第9大隊 飛行第6大隊 独立飛行第9中隊 独立飛行第3中隊 飛行場勤務第1中隊 飛行場勤務第2中隊 飛行場勤務第3中隊 飛行場設定隊2個 野戦高射砲隊6個 野戦照空隊2個 その他諸部隊
318 :
45/85式改 :2001/08/18(土) 15:41
>>317 訂正します
支那事変徐州会戦帝國陸軍戦闘序列1
北支那方面軍(寺内寿一大将)
北支那方面軍司令部
第1軍(香月清司中将)
第1軍司令部
第14師団
第20師団
第108師団
第109師団
独立機関銃第4大隊
独立機関銃第5大隊
独立機関銃第9大隊
独立軽装甲車第1中隊
独立軽装甲車第5中隊
戦車第2大隊
独立山砲第1連隊
独立山砲第3連隊
野戦重砲兵第2旅団
独立野戦重砲兵第8連隊
迫撃第3大隊
迫撃第5大隊
その他諸部隊
第2軍(西尾寿造中将)
第2軍司令部
第5師団
第10師団
独立機関銃第6大隊
独立機関銃第10大隊
独立軽装甲車第10中隊
独立軽装甲車第12中隊
野戦重砲兵第1旅団
第16師団
第114師団
支那駐屯兵団
独立混成第3旅団
独立混成第4旅団
独立混成第5旅団
臨時航空兵団(徳川好敏中将)
航空兵団司令部
飛行第1団
飛行第4団
飛行第1大隊
飛行第2大隊
飛行第5大隊
飛行第9大隊
飛行第6大隊
独立飛行第9中隊
独立飛行第3中隊
飛行場勤務第1中隊
飛行場勤務第2中隊
飛行場勤務第3中隊
飛行場設定隊2個
野戦高射砲隊6個
野戦照空隊2個
その他諸部隊
319 :
45/85式改 :2001/08/18(土) 15:53
支那事変徐州会戦帝國陸軍戦闘序列1 中支那方面軍(松井石根大将) 中支那方面軍司令部 上海派遣軍(朝香宮鳩彦親王中将) 上海派遣軍司令部 第3師団 第9師団 第16師団 第101師団 歩兵第10旅団 その他諸部隊 第10軍(柳川平助中将) 第6師団 第18師団 第114師団 その他諸部隊 ↓ 中支那派遣軍(畑俊六中将) 中支那派遣軍司令部 第3師団 第6師団 第9師団 第13師団 第18師団 第101師団 歩兵第10旅団 飛行第3団 池田支隊
320 :
45/85式改 :2001/08/18(土) 16:27
それと
>>319 で1となってますが2の間違いです
度々の修正申し訳御座いません
支那事変武漢攻略作戦帝國陸軍戦闘序列
中支那派遣軍(畑俊六大将)
中支那派遣軍司令部
第2軍(東久邇宮稔彦親王中将)
第2軍司令部
第10師団
第13師団
第16師団
第3師団
騎兵第4旅団
その他諸部隊
第11軍(岡村寧次中将)
第11軍司令部
第6師団
第101師団
第106師団
第9師団
池田支隊
第27師団
第15師団
第17師団
第22師団
その他諸部隊
航空兵団(徳川好敏中将)
寺倉飛行団=飛行第1団
偵察1個中隊
戦闘2個中隊
軽爆2個中隊
菅原飛行団=飛行第3団
偵察2個中隊
戦闘1個中隊
軽爆4個中隊
藤田飛行団=飛行第4団
戦闘4個中隊
重爆4個中隊
偵察1個中隊
航空地区司令部2個
飛行場7個大隊
飛行場2個中隊
野戦飛行場設定隊3個
航空通信隊
航空情報隊
野戦高射砲隊4個
兵站自動車8個中隊
陸上輸卒隊7個
野戦航空廠2個
その他諸部隊
直轄部隊
第18師団
第116師団
その他諸部隊
321 :
第一総軍 :2001/08/18(土) 23:27
簡単な日本軍師団編制その10 第八十六師団の増強 師団司令部 歩兵連隊 3個大隊(各3個中隊、機関銃中隊、歩兵砲小隊)、歩兵砲中隊、速射砲中隊、通信中隊、作業中隊、速射砲中隊 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 反撃用大隊2個(各3個中隊、歩兵砲中隊、機関銃中隊) 連隊砲2個中隊、通信中隊、その他 独立歩兵大隊 4個中隊、銃砲隊 独立歩兵大隊 同上 独立歩兵大隊 同上 師団制毒隊 師団速射砲隊 47粍速射砲12門 野砲兵第八十六連隊 10糎榴弾砲9門、75粍野砲9門 工兵連隊 3個中隊、器材小隊 輜重兵連隊 ばん馬中隊1、自動車中隊2 師団通信隊 その他 これが編制改正された第八十六師団の大体の編制である。この師団はもともと前出のサイパン陥 落後の編成師団であったが、昭和20年になって、これまた前出の第一次兵備によって編成された沿 岸配備師団に準じて歩兵部隊が増強されている。 本師団は南九州志布志湾の沿岸に配備され、独立混成第九十八旅団と共に米軍の侵攻に備えてい た。 沿岸に配備された兵団でもっとも精鋭と言われる。
322 :
第一総軍 :2001/08/18(土) 23:28
簡単な日本軍師団編制その11 第二次兵備決戦師団 師団司令部 歩兵連隊 3個大隊(各4個中隊、機関銃中隊、迫撃砲中隊)歩兵砲中隊、作業中隊、通信中隊、 乗馬小隊 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 師団速射砲隊 47粍速射砲12門 師団機関砲隊 2連20粍機関砲9基(対空用) 野砲兵連隊 10糎榴弾砲12門、75粍野砲24門 又は山砲兵連隊 75粍山砲24門 迫撃連隊 12糎迫撃砲36門 師団工兵隊 4個中隊(内1個対戦車中隊)、器材小隊 師団通信隊 師団輜重隊 ばん馬中隊、自動車中隊 これが昭和20年本土決戦に備えた第二次兵備で編成された決戦用師団である。決戦師団、機動師団、決戦機動師団等と呼ばれているが、従来の師団と比較してもかなりの重装備で、兵員も在営者を中心に素質優良で若い人員を集めており、その戦力は優れたものであった。 これらの師団は本土決戦時においては後方に待機し、上陸した米軍を沿岸配備師団が食い止めているうちに殺到し、これを撃滅することになっていた。
323 :
第一総軍 :2001/08/19(日) 13:17
第二次兵備決戦師団の師団番号を忘れていました。 第二百一、第二百二、第二百五、第二百六、第二百九、第二百十二、第二百十四、第二百十六師団
324 :
名無し三等兵 :2001/08/20(月) 14:10
資料スレッドage
325 :
第一総軍 :2001/08/22(水) 00:47
油断すると下がっちゃいますね。 週末に続きを書きたいと思います。
倉庫逝き防止age
第一総軍様、済みません 所有していた資料が、大掃除の際に行方不明になってしまいました その為捜索中は穴埋め企画として、帝國陸軍の作戦シリーズを投稿したいと思います 尚、この企画はあくまで代替措置なので簡易的な事のみの投稿となります
328 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 22:15
age
329 :
45/85式改 :2001/08/22(水) 22:22
第二次世界大戦帝國陸軍作戦シリーズ a 関東軍特別大演習・百号態勢・百号輸送 「関東軍特別大演習」は帝國陸軍に於ける対ソ参戦作戦で、極東労農赤衛軍の兵力 転用陸上兵力が転用前の三分の一、航空兵力が二分の一まで減少したら実施される予 定だった 作戦の骨組みとしては、一時攻勢で満州東正面から沿岸州侵攻して制圧、二次攻勢 ではハバロフスク方面へ進出する事となっていた この作戦では初期段階に甲師団や乙師団から成る16個師団が投入され、第二段階 で更に4個師団が投入されて、主作戦を支援する手立てとなっていた また支作戦では、北正面や西正面で別の関東軍部隊が労農赤衛軍と持久戦を展開し 、隙を突いて攻勢に移る筈だった その他にも計画として、特殊部隊によるシベリア鉄道破壊工作等も組み込まれてい た しかし、情勢の変化と目論見が破産した為に結局作戦は中止される事となった だが、対ソ警戒態勢と演習部隊の輸送は予定通り行われ、それそれ「百号態勢」・ 「百号輸送」と秘匿作戦名称が与えられた
330 :
名無し三等兵 :2001/08/23(木) 14:13
定期age
331 :
45/85式改 :2001/08/23(木) 19:21
>>329 の「a 関東軍特別大演習・百号態勢・百号輸送」の「a」を「1」に変更します
第二次世界大戦帝國陸軍作戦シリーズ
2 C作戦
東南亜細亜攻略の一環で、香港占領を目的としていた
まず、開戦と同時に第38軍飛行隊で香港駐屯軍海上及び航空戦力を撃滅、第38師
団は国境突破して九龍半島北半分を占領、その後は重砲部隊の支援を受けつつ香港を
制圧する事となっていた
また、第38師団は南方戦線への転用が決定していた
332 :
45/85式改 :2001/08/23(木) 19:43
第二次世界大戦帝國陸軍作戦シリーズ 3 E・Q作戦 本作戦も東南亜細亜攻略の一環で、1941年10月頃から参謀本部で 検討されていた 作戦骨子としてマレー半島北部のコタバル・タイ南部シンゴラ及びパタ ニに上陸、後続部隊と併せて1個軍3個師団が投入され、英領マレー・ シンガポールを制圧する予定となっていた また「Q作戦」として、状況次第でマレー半島東岸に第56師団の支隊 の投入も考えられていた
333 :
名無し三等兵 :2001/08/23(木) 20:24
334 :
第一総軍 :2001/08/24(金) 23:52
45/85式改様の
>>312 の日本軍と交戦した中国軍です。
長いので3等分して書き込みます。
その1
中国軍呉淞・上海会戦戦闘序列
第三戦区 長官 蒋介石 副長官 顧祝同
前衛総司令 陳誠
左翼軍 総司令 薛岳
第十五集団軍 総司令 陳誠
第十八軍
第十一師(蒋介石直系元北洋軍曹万順部隊、調整師)
第六十七師(蒋介石直系陳誠部隊第九十四師改称、調整師)
第五十四軍
第十四師(蒋介石直系元教導第三師陳誠系基幹部隊、調整師)
第九十八師(蒋介石直系陳誠系部隊元第五十九旅再編部隊、調整師)
第三十九軍
第五十六師(蒋介石傍系元北洋軍等改編調整師)
江蘇?保安第四団
第七十四軍
第五十一師(蒋介石直系軍政部補充旅+范石生部隊、調整師)
第五十八師(蒋介石直系元国民政府警衛旅、調整師)
第十一軍団 長上官 云相
第二十六軍
第四十四師(蒋介石傍系元方振武西北軍)
第四十師(蒋介石直系湖北地方部隊)
第三十三師(葛云龍系西北軍)
第六十師(蒋介石直系元第十九路軍改編)
砲兵第十六団
重砲兵第十団
第十九兵団 総司令 薛岳
第四軍
第五十九師(蒋介石傍系張発奎系奥軍)
第九十師(蒋介石傍系張発奎系奥軍)
第六十六軍
第一五九師(陳済棠系奥軍)
第一六○師(陳済棠系奥軍)
教導旅
第六十九軍
第五十七師(蒋介石傍系元孫?芳系五省連軍、調整師)
第七十三軍
第十五師(何健系湘軍)
第十六師(何健系湘軍、調整師)
第七十七師(蒋介石傍系唐生智系湘軍)
第二十五軍
第十三師(蒋介石傍系元夏斗寅?軍調整師)
第七十五軍
第六師(蒋介石傍系湘軍周鳳岐部隊改編)
第十六軍
第五十三師(蒋介石傍系元漂延?系湘軍)
第七十六軍
第八師(蒋介石傍系賀?祖系湖軍)
第六軍団
第一三三師(楊森系四川軍)
第一三四師(楊森系四川軍)
第一三五師(楊森系四川軍)
335 :
第一総軍 :2001/08/24(金) 23:53
その2中央軍 総司令 朱紹良 第九集団軍 第七十一軍 第八十七師(蒋介石直系元ドイツ式訓練教導第一師の一個旅、調整師) 第七十二軍 第八十八師(蒋介石直系元ドイツ式訓練教導第一師の一個旅、調整師) 第七十八軍 第三十六師(宋哲元系西北軍、調整師) 第二軍 第三師(蒋介石直系元北伐時の第二十師、調整師) 第九師(蒋介石直系元北伐時の第一師、調整師) 第八軍 税警総団 第十七軍団 第一師(蒋介石直系胡宋南部隊元北伐時の第二師、調整師) 第七十八師(蒋介石傍系胡宋南部隊元第十九路軍、調整師) 第一○二師(王家烈系貴州軍) 第十二軍団 第七十六師(蒋介石傍系梵中秀?、万先才部隊余部) 第十軍団 第十八師(蒋介石傍系元漂延?系湘軍、調整師) 第四十六師(蒋介石傍系元漂延?系湘軍) 第五十師(蒋介石傍系元漂延?系湘軍) 第二十一集団軍 第七軍 第一七一師(李宋仁系桂軍) 第四十八軍 第一七三師(李宋仁系桂軍) 第一七四師(李宋仁系桂軍) 第一七六師(李宋仁系桂軍) 第七十軍 第十九師(何鍵系湘軍) 中央軍総司令部直轄部隊 中央軍校教導総隊 第三十二師(梁冠英系西北軍) 独立第二十旅 淞戸(本当はさんずい付)警備司令 砲兵第九団 砲兵第十団
336 :
第一総軍 :2001/08/24(金) 23:53
その3右翼軍 総司令 張発奎 第八集団軍 第五十二師(福建地方土着部隊) 第五十五師(蒋介石傍系孫?芳系五省連軍) 第六十一師(蒋介石直系第十九路軍改編) 第六十三師(何鍵系湘軍) 第七十九師(蒋介石直系陳誠部隊地方部隊併呑、調整師) 独立第三十七旅 独立第四十五旅 砲兵第二団 砲兵第三団 第四十三軍 第二十六師(蒋介石傍系郭汝?系川軍) 独立第三十四旅 第六十七軍 第一○七師(張学良系東北軍) 第一○八師(張学良系東北軍) 第十集団軍 第二十二軍団 第六十二師(何鍵系湘軍) 第一二八師(閥?錫系四川軍) 独立第三十二旅 第四十九軍 第一○五師(張学良系東北軍) 第一○九師(張学良系東北軍) 浙東守備隊 暫編第十一旅 暫編第十二旅 暫編第十三旅 江防軍 第一○三師(王家烈系貴州軍) 第一一二師(張学良系東北軍)
337 :
第一総軍 :2001/08/25(土) 00:01
以上です。 少し前までの中国国民党軍のイメージとしては、戦争中は常に戦いを避け、まじめに抵抗したのは八路軍だという記述のものが多かったのですが、 こうしてみるとさすがに上海〜南京の戦いには大軍を投入していることがわかります。 又、地方の軍閥軍だけでなく蒋介石の直系部隊、特に当時の最精鋭である調整師も多数投入されていますね。 その内暇が出来たら武漢戦等の中国軍も調べてみたいですね。 ただ、戦闘序列そのものは簡単なのですが、各部隊の素性まで調べるのに以外に手間隙がかかるのでゆっくりやらせて下さい。 作戦の経過についてはどうしましょうか。 45/85式改様が作戦シリーズでやってくれそうな気もしますね。 今回は中国国民党軍特集でしたので、日本軍を期待していた方を失望させてしまったでしょうか?
338 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 18:08
定期age
忙しくて最近書き込む時間がありません 済みません
340 :
名無し三等兵 :01/08/27 13:45 ID:fNMbsihU
age
341 :
45/85式改 :01/08/28 14:02 ID:0iaLRVr.
第二次世界大戦帝國陸軍作戦シリーズ 4 M作戦 本作戦は、第一次世界大戦後から研究され、1926年には出来ていた具体的作戦 構想案を元に立案した作戦だった まずは台湾や航空母艦の陸海軍航空部隊でフィリピンの制空権の確保で、次にアパ リ・ビガン・ラオバグ・ダバオに第14軍先遣部隊が上陸して、航空基地の奪取等 の任務だった 一週間後に主力部隊がルソン島太平洋岸に上陸して、マニラを目標に進撃し、周辺 地域を占領後に重要根拠地を制圧する事となっていた 予定では2個師団と1個旅団が投入される予定だった
現在インパール作戦に関し資料を調べているのでが不明な点があり、又ご厄介になります。 まず、有名な3師団長解任ですが親補職である師団長を一人ならいざ知らず15軍隷下全て の師団長を解任し、師団長、15軍参謀長以下将官から尉官まで師団、15軍の各級指揮官、 参謀等をインパール作戦の前後に大量に転属、解任を行っていますが人事的にここまで手を 加えて問題にならないのでしょうか?特に隷下の師団長全てを短期間に相次いで解任して おりますが親補職である師団長を解任する際に天皇に奏上する必要は無いのでしょうか? 又、本来師団長は中将であるのが旧軍の通例ですが柳田中将解任後任に田中信夫少将を 師団長心得(見習の意か?)を充てていますが人事的に問題は無かったのでしょうか?御教授下さい。
343 :
飛黎 :01/08/28 22:47 ID:b.163i4E
>第一総軍様 武漢会戦中華民国軍戦闘序列 武漢衛戌司令 陳誠・・直接指揮下;第16師、江防要塞守備司令 謝剛哲 江防総司令 劉興 副総司令 曾以鼎 馬富守備区指揮官(第16軍)李温行・・第57師、第167師の1個旅、馬富要塞要塞司令 王錫樟 江口守備区指揮官(第167師)篩蔚英・・第167師(1個旅欠)、湖口総隊 九江守備区指揮官(第43軍)郭汝棟・・第26師、九江警備司令・陳雷 田家鎮守備区指揮官(第73軍)王東原・・第15師、第57師、第77師、田家鎮要塞司令 蒋必 どうもご無沙汰していました。武漢戦、手持ちの資料ではこうなっています。
第一総軍様、結構前から海軍陸戦部隊の資料を手にいれたのですが ここにかいても宜しいのでしょうか? それと帝國陸軍の資料はまだ捜索中です
345 :
45/85式改 :01/08/29 13:55 ID:bvQ4yQkE
仲間求めてage
347 :
45/85式改 :01/08/29 19:50 ID:HmKkl9WE
age
348 :
第一総軍 :01/08/29 23:18 ID:7kJ0r5xM
45/85式改様、海軍陸戦隊の資料興味深々です。宜しくお願いいたします。 飛黎様、資料の提供ありがとうございます。武漢直接配備の部隊のようですね。 中国軍に興味を持つ方がこんなにいらっしゃるとは驚き且、心強く感じています。 342様、人事については範疇外ですが、心得であればOKかも知れません。会社でも課長心得とかいますしね。 見習という意味に近いと思います。準ずるともいえますね。 因みに本土決戦時には少将の師団長もかなり誕生しています。 天皇への奏上については行なわれたかどうか存じませんが、時間のあるときに私も資料に目を通してみたいと思います。 346様、お心遣い感謝します。
349 :
45/85式改 :01/08/30 12:46 ID:L2Ar3Unw
第一総軍様、現在掲載している第二次世界大戦帝國陸軍作戦シリーズを一旦中断して、 久々なマイナーな資料の大日本帝國海軍特別陸戦隊を三回に渡って掲載します 陳誠大好き様や飛黎様等の常連の方や常連ではない方も是非御覧下さい
350 :
45/85式改 :01/08/30 12:51 ID:ZQAosmv.
それでは、「大日本帝國海軍海軍特別陸戦隊」を始めたいと思います(^^; 例の帝國陸軍の資料捜索中の時に偶然発見した複数の比較的古い資料を参考にまとめて 、ざっと掲載しただけなので訂正箇所も有ると思いますが、大体の内容は解ると思います 余り詳しくはありませんが、読んで下さったら光栄です 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 海軍特別陸戦隊は欧米諸国の海兵隊に相当する部隊で、は明治十年(西暦1877年)に勃発した西南戦争で、海上での制海権と機動性を生かして随処に上陸し、陸軍との連携行動で大活躍を修めたのが、最初の実戦投入だった それから六年後の明治十六年(1883年)12月には「陸戦隊編成」が発令され、初めて正規的に編成される様になった 明治十九年(西暦1886年)になると、「陸戦隊概則」が発令されて、軍装や各役割分担が明記された(「陸戦隊編成」及び「陸戦隊概則」の大まかな内容については第二回の「部隊編成」に掲載) また、昭和時代に入ると上海海軍特別陸戦隊等の常設海軍特別陸戦隊(その他海軍特別陸戦隊は第三回の「戦闘序列」に掲載)や挺身部隊(空挺部隊)も編成される様になった 大東亜戦争末期になると、本土決戦に備えて鎮守府や警備府は連合陸戦隊に改変されて、 多くの陸戦部隊が訓練される様になった 海軍特別陸戦隊は結成以来日清戦争・北清事変・日露戦争・青島出兵・シベリア出兵・満州事変・支那事変・第二次世界大戦の歴戦を戦い抜いた
ああっ!!! 題名書き忘れた、鬱だ・・・・・
352 :
飛黎 :01/08/30 14:12 ID:D6GlG0jE
すみません。どなたか中華民国陸軍の大礼服の詳細ご存知の方おられませんか? 服本体の色、襟や袖の刺繍模様・・・・なにぶん資料が無いもので・・・・
353 :
名無し三等兵 :01/08/30 17:18 ID:mxQWLqe6
インパール作戦を扱った高木俊郎の小説「全滅」に牟田口15軍司令官を暗殺する 動きがあった(未遂に終わる)とありますが本当にそんなことがあったのでしょうか?
354 :
45/85式改 :01/08/30 18:04 ID:lL.fQTwM
大日本帝國海軍特別陸戦隊シリーズ 第二回 「部隊編成」 まずは前回述べた「陸戦隊編成」と「陸戦隊概則」について触れます 「陸戦隊編成」は各軍艦単位で20名規模の小隊を編成する事を規定 されました 「陸戦隊概則」では前述の通り軍装と部隊の役割分担が規定されまし た(その後、付属隊や機銃隊や戦車隊等の設置で更に兵種が細かく規定 されていきます) 具体的に陸軍の歩兵に相当する銃隊、砲兵に相当する砲隊、工兵に相 当する鍬兵等に分類されました また、砲隊のは陸上戦闘に転用可能な「ボートカノン」と呼称される 小型艦載砲が装備された それでも海軍特別陸戦隊は相変わらず臨時編成で常設部隊はありませ んでした(大体、2〜4個中隊から成る大隊が情勢によって編成された) しかし、前述の通り昭和時代に入ると上海海軍特別陸戦隊等の常設部 隊も編成される様になりました 海兵団にでは陸戦隊本部と銃隊、砲隊、通信隊や工作隊や運輸隊や医 務隊や主計隊から成る付属隊が編成されて訓練を行いました 海軍特別陸戦隊は同じ陸戦部隊である陸軍と役割は似てますが、部隊 運用や編成においては陸軍の様な各独立部隊の相互支援体制では無く、 単艦の様に扱われていました
355 :
45/85式改 :01/08/30 18:05 ID:lL.fQTwM
海軍特別陸戦隊編成図 海軍特別陸戦隊 陸戦隊本部<陸戦隊指揮官(大佐)・参謀兼副官(大尉)・軍艦旗手(准士官)・本部付(将校2名)> 大隊本部<大隊長(少佐)・大隊副官(大尉)・指揮小隊長(少尉)・分隊下士官2名・列兵16名> 銃隊 第一中隊<中隊長(大尉)> 指揮小隊<准士官・下士官2名・兵員16名> 3個小隊<各将校・下士官4名・兵員34名> 第二中隊<中隊長(大尉)> 指揮小隊<准士官・下士官2名・兵員16名> 4個小隊<各将校・下士官4名・兵員34名> 第三中隊<中隊長(大尉)> 指揮小隊<准士官・下士官2名・兵員16名> 5個小隊<各将校・下士官4名・兵員34名> 第四中隊<中隊長(大尉)> 指揮小隊<准士官・下士官2名・兵員16名> 第一〜三小隊<各将校・下士官4名・兵員34名> 第四小隊<将校・下士官5名・兵員42名> 機銃隊 第一中隊<中隊長(大尉)> 指揮小隊<准士官・下士官2名・兵員12名> 第一〜二小隊<各将校・下士官2名・兵員16名> 第三小隊<将校・下士官・兵員7名> 弾薬小隊<准士官・下士官5名・兵員20名> 第二中隊<中隊長(大尉)> 指揮小隊<准士官・下士官2名・兵員12名> 3個小隊<各将校・下士官2名・兵員16名> 弾薬小隊<准士官・下士官6名・兵員36名> 付属隊 医務隊<将校・下士官・兵員3名> 主計隊<将校・下士官2名・兵員16名> 但し、部隊によって誤差はあるので注意 使用兵器については陸軍から給与品や小型艦載砲、艦載高角砲、艦載機関銃が流用され たり、陸軍の戦車に相当する水陸両用車両の「特一式内火艇」(魚雷搭載の特四式は配備 中止、特三式と特五式は実戦に間に合わなかった)が装備された 海軍特別陸戦隊の訓練は海兵団や海軍砲術学校で行われたが、海軍特別陸戦隊新規編成 による要因確保の為に館山砲術学校が開校されて、陸戦や防空訓練が行われる様になった また、戦争末期には本土決戦の為に、前述通り各鎮守府や警備府が陸戦部隊に改変され たが、兵器の調達については困難だったようである 更に各連合陸戦隊は大隊規模の「震洋」や「海龍」や「伏龍」等の特別攻撃兵器も配備 された
356 :
陳誠大好き :01/08/30 18:52 ID:VOgXSBy2
飛レイ様 私も大礼服の詳細な資料は無いのですが、 袖や襟の刺繍というのは梅花と枝を図案化したもののことですよね? かなりセンスの良い図案ですが、反面相当に複雑で、実物を見ない限り枝の太さの変化等の詳細は判明しないでしょうね。 色は私は漠然と黒に金刺繍でないかと思っていたのですが根拠はありません。 と、私の年齢は21です。皆さんやはり私より年上なのですね。
357 :
飛黎 :01/08/30 19:22 ID:mbElCV22
>陳誠大好き様 早速のレスありがとうございました。梅花と枝の図案、それは国民党軍の大礼服ですね。 蒋介石が着用していた元帥の物は図案がわかるのですが、尉官、佐官となると袖や礼帽 の金線や刺繍等はどう変化するのでしょう? 軍閥軍の大礼服は松枝のようなのですが、これも詳細が解らなくて・・・
358 :
45/85式改 :01/08/30 19:35 ID:R.C9TVYI
大日本帝國海軍特別陸戦隊シリーズ 第三回 「戦闘序列」 1941年12月1日現在(陸戦隊のみ表記) 聯合艦隊 第三艦隊(支那方面艦隊の陸戦隊は別記) 第一根拠地隊 第二根拠地隊 第三二特別根拠地隊 第四艦隊 第三根拠地隊 第四根拠地隊 第五根拠地隊 第六根拠地隊 付属 舞鶴海軍第二特別陸戦隊 第五艦隊 第七根拠地隊 南遣艦隊 第九根拠地隊 第一一特別根拠地隊 付属 佐世保海軍連合特別陸戦隊 横須賀海軍第一特別陸戦隊 横須賀海軍第二特別陸戦隊 横須賀海軍第三特別陸戦隊 呉海軍第一特別陸戦隊 呉海軍第二特別陸戦隊 支那方面艦隊 上海海軍特別陸戦隊 丹山列島警備隊 南京警備隊 第一遣支艦隊 漢口方面特別根拠地隊 特設九江警備隊 第二遣支艦隊 広東方面特別根拠地隊 廈門方面特別根拠地隊 第三遣支艦隊 青島方面特別根拠地隊 海南警備府部隊
359 :
45/85式改 :01/08/30 19:36 ID:R.C9TVYI
終戦時本土陸戦隊戦闘序列 横須賀鎮守府連合特別陸戦隊 連合特別陸戦隊直轄部隊( 1654名) 7個陸戦隊 (25945名) 予備隊 ( 2300名) 呉鎮守府連合特別陸戦隊 連合特別陸戦隊直轄部隊( 1675名) 3個陸戦隊 (15000名) 予備隊 ( 2090名) 佐世保鎮守府連合特別陸戦隊 連合特別陸戦隊直轄部隊( 1654名) 3個陸戦隊 (17363名) 予備隊 ( 1470名) 舞鶴鎮守府連合特別陸戦隊 連合特別陸戦隊直轄部隊( 1654名) 2個陸戦隊 ( 8682名) 予備隊 ( 770名) 大阪警備府連合特別陸戦隊 1個大隊 ( 968名) 予備隊 ( 180名) 大湊警備府連合特別陸戦隊 連合特別陸戦隊直轄部隊( 1654名) 4個陸戦隊 (17273名) 予備隊 ( 1470名) 鎮海警備府連合特別陸戦隊 連合特別陸戦隊直轄部隊( 1654名) 2個陸戦隊 ( 7456名) 予備隊 ( 770名) ちなみに大戦時に南方戦線に派遣された陸戦隊ですが、所有している資料のデータのあやふさと資料の一部が欠如している為に掲載出来ませんでした 済みません
360 :
陳誠大好き :01/08/30 21:40 ID:Y2agWCcA
飛レイ様 私は大礼服は殆ど調べたことが無く、校官以下の大礼服の写真を持っていないので推測になるのですが 梅自体、将官の象徴でもあったようですので校官以下の階級では袖の刺繍が全く違ったものが図案化されていたかもしれないですね。 これに将校尉官の各赤黄藍のイメージカラーを各部どのように使用してあったのか等謎だらけですね、、、 私は大礼服等の礼装、正装には疎いものであまりお力になれずすいません
361 :
飛黎 :01/08/30 22:35 ID:XexUCaEs
>陳誠大好き様 レスありがとうございました。気長に調べてみます。 1936年、“日本軍に勝った”と盛んに宣伝された綏遠の戦いの関係諸軍です。 (中国側) 第35軍 軍長・溥作義(兼綏遠省政府主席) 第70師 王靖國(兼綏遠警備司令) 第78師 溥作義(兼任)…第211旅 孫蘭宝、第218旅 董其武 騎兵第2師 孫長勝 晋綏軍騎兵 趙承綬(兼綏遠護路司令) 砲兵第25団 第13軍 湯恩伯(一部) 第68軍 李服庸(一部) (日本側) 内蒙古自治政府 主席・徳王(兼軍総司令) 副主席 李守信(兼副司令) 第1軍 李守信(兼任)…第1〜第4師団 第2軍 徳王(兼任)…第5〜第9師団 西北防共自治軍総司令 王英 副司令 雷中田
362 :
第一総軍 :01/08/30 23:14 ID:4p17QLEI
45/85式改終戦時の海軍陸戦隊の資料ありがとうございます。 製作中のゲームに大ききく影響することになりそうです。 飛黎様、内蒙古連合自治政府軍についてもご存知とは恐れ入りました。 あそこの師って凄く小規模なんですよね。 陳誠大好き様、21でそこまでの博識は凄いことですね。皆さんそうですが、身近にいらっしゃったら 色々とお知恵を拝借したいです。
363 :
名無し三等兵 :01/08/31 10:32 ID:.nEvlUIA
第一総軍様の博識を見込んで尋ねたいのですが日本軍の自動車化師団や機械化師団、機甲師団について教えて下さい
364 :
名無し三等兵 :01/08/31 20:02 ID:LyadOUnM
365 :
名無し三等兵 :01/08/31 20:29 ID:GNUahZBg
肉弾と脱糞攻撃だ!!!!!
366 :
第一総軍 :01/09/01 00:33 ID:9cKVQe9A
皆様、最悪の事態が発生した場合は大渦様の避難所で連絡を取り合いましょう。
367 :
45/85式改 :01/09/01 16:30 ID:WfC.qh3Q
週末なのでage
368 :
名無し三等兵 :01/09/02 14:59 ID:ZHT6mwqk
>>364 すごくイイ!サンキュ。上陸舟艇の写真とシンガポール没落の写真が気に入った。
369 :
第一総軍 :01/09/02 23:41 ID:4myxE8IY
363様、日本軍の機械化師団については前の方に機械化師団バージョン(第二十三師団)の編制が書き込んであり、その直後に質問を下さった方との短いやり取りがあります。 私もそれ以上の資料は手元に無いのでご容赦ください。 日本軍の機械化(又は自動車化)師団は近衛師団(後の近衛第二師団)、第五師団、第二十三師団、第四十八師団があります。 その他に第五十六師団の様に一部の部隊が自動車を配属されている師団もあるようですが、残念ながら詳細は不明です。 詳しい資料が手元に無い為私見ですがこれら機械化師団(自動車化)の特徴として、砲兵の牽引が馬匹ではなく機械化されており、 歩兵の一部又は全部に自動車が配属されている他、自動車の不足分は臨時に自転車を装備していたらしい節があります。 残念ながらドイツ軍のような高度な機械化師団ではなく、飽くまで歩兵師団を必要に応じて自動車化したような感じです。 多少例外的なのは第二十三師団で、ノモンハン後に再編成する際に関東軍がモデルケースとしてそれなりに優良装備で機械化したようです。
370 :
名無し三等兵 :01/09/03 14:32 ID:hotPcnTk
age
371 :
飛黎 :01/09/03 21:52 ID:FApP/4Mg
ちょっと珍しい、中華民国海軍の戦闘序列です。誤字があるかもしれません が、元が中国語ですのでその辺はご容赦を。 中華民国海軍戦闘序列(1937年7月〜45年8月) 海軍総司令部総司令 陳紹寛 第1艦隊司令 陳季良(軽巡4隻、駆逐艦1隻、砲艦6隻、輸送艦2隻) 第2艦隊司令 曾以鼎(砲艦13隻、水雷艇6隻) 第3艦隊司令 謝剛哲(巡洋艦3隻、砲艦3隻、砲艇8隻、駆逐艦1隻) 第4艦隊司令 陳 策(巡洋艦1隻、砲艦4隻、砲艇19隻、輸送艦1隻) 練習艦隊司令 王尋延(巡洋艦2隻) 江陰江防司令部(兼原電雷学校)司令 欧陽格(練習艦3隻、魚雷艇12隻) 閻江江防司令部 馬尾要港司令 李世甲 海軍陸戦隊第1独立旅長 林乗周 海軍陸戦隊第2独立旅長 李世甲(兼業) 第1布雷総隊長 陳宏秦 第2布雷総隊長 劉徳浦(長江遊布雷遊撃連隊)…第1〜第4大隊 第3布雷総隊長 厳智 第4布雷総隊長 節家馨 奥桂江心布雷総隊 宣巴要塞 巴萬要塞 ?江砲台
372 :
名無し三等兵 :01/09/03 22:44 ID:.x.CsrII
電雷..って、なんかカッコイイ!
373 :
名無し三等兵 :01/09/05 23:08 ID:ejFQl6u.
やっぱフトン爆弾による対戦車体当たり集団爆砕人間突撃破甲部隊が一番! 別冊歴史読本・太平洋戦争戦闘地図P182 日本軍、ビルマからの敗走 第三十三軍司令部もメイクテーラ近傍のサジに進出して両師団を指揮しつつ 奪還を図った。と言っても、爆弾を抱えて体当たりする肉薄攻撃が中心である。 それでも十四輛で攻撃してくれば五輛を破壊して撃退し(十九日)、斬込隊を突入 させて二輛擱座させ(二十一日)、七輛の戦車が突進してきても六輛を擱座させる。 (二十二日)、という玉砕戦法で戦い続けた。第十八師団だけで三月十八日までに 戦車炎上二十輛、擱座三十ニ輛の戦果をあげたが、戦死五百八十名・戦傷四百二十六名・ 行方不明五百六十三名の損害を出していたのである。
374 :
名無し三等兵 :01/09/05 23:50 ID:UOJI6zRQ
海軍陸戦隊の軍艦旗マーク付きの95式戦車が好きです。 陸戦隊は、何気にサブマシンガンをドイツから輸入していたり、 ルイス機関銃も装備していたりして、面白い兵器体系でしたね。 戦前のは特に。上海特別陸戦隊とか名前もいいです。 そこの鎮守府の所属なんでしょうか?本来は? 士官はネクタイのある軍服で素人目にもおしゃれです。 もっとも上海事変かなにかげゲートルが白い為夜間に狙撃されたり 装備が必ずしも実践的ではなかった面もあるかもしれません。 雑談みたいでスマソ
375 :
名無し三等兵 :01/09/05 23:53 ID:xxu7e/4E
>>369 第一総軍さま
正確な題は忘れました(スマソ)が、「日米基地云々」って学研から出てる本で
機械化された歩兵第5師団が特集されてましたね。
376 :
第一総軍 :01/09/06 07:45 ID:SRuVbo8Q
375様、ありがとうございます。今度探してみます。 これから出勤です。又週末くらいに。
簡単な日本軍師団編制 その12(第三次兵備機動師団) 師団司令部 歩兵連隊 3個大隊(3個中隊、歩兵砲中隊)、歩兵砲中隊、作業中隊、通信班 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 師団迫撃砲隊 12糎迫撃砲12門 師団工兵隊 3個中隊、段列 師団通信隊 師団輜重隊 ばん馬中隊、自動車中隊 その他 これが本土決戦に備えた第三次兵備で編成された機動師団(又は決戦師団)の大体の編成である。 この師団はシリーズその11で述べた第二次兵備の決戦師団と同様に、沿岸地区への機動打撃を目的に編成され 人員の素質も優良であるよう指示されていたが、装備の不足のため編制は大きく劣っており、まずは人員を充足 させて訓練しておき装備は生産が済み次第順次配備していく方針であった。 以下の師団がこの編制であった。 第二百二十一、第二百二十二、第二百二十四、第二百二十五、第二百二十九、第二百三十、 第二百三十一、第二百三十四師団
簡単な日本軍師団編制 その13(第三次兵備の沿岸配備師団) 師団司令部 歩兵連隊 3個大隊(3個中隊、挺進中隊、歩兵砲小隊)、通信班、補給小隊 歩兵連隊 同上 歩兵連隊 同上 師団噴進砲隊 20糎噴進砲36門 又は師団砲兵隊 10糎榴弾砲4門、75粍野砲8門 師団工兵隊 3個中隊、器材小隊 師団通信隊 師団輜重隊 ばん馬小隊2、自動車小隊1 その他 これが第三次兵備で編成された沿岸配備師団の大体の編制である。 第一次兵備の沿岸配備師団と同様に上陸した米軍を沿岸地区で食い止め、決戦師団の到着まで持ちこたえることを任務としていたが、 人員装備とも不足の状態で動員したため編制内容は大きく劣っている。 以下の師団がこの編制であった。但し第三百二十一師団のみは独立混成旅団を基幹として編成したため編制内容は異なっている。 第三百三、第三百八、第三百十二、第三百十六、第三百二十、第三百二十一、第三百二十二、 第三百四十四、第三百五十一、第三百五十四、第三百五十五師団
そもそも甲種合格を乙種合格の差はどこにあるのでしょうか? 確か身長はなんと155センチです。昔の人は小さかった。
簡単な日本軍師団編制 その14(第五師団シンガポール戦バージョン) 師団司令部 歩兵第九旅団 歩兵第十一連隊 3個大隊(4個中隊、機関銃中隊、大隊砲小隊)、連隊砲中隊、 速射砲中隊、通信中隊 歩兵第四十一連隊 同上 歩兵第二十一旅団 歩兵第二十一連隊 同上 歩兵第四十二連隊 同上 捜索第五連隊 乗車中隊2個、軽装甲車中隊2個、通信小隊、整備小隊 野砲兵第五連隊 10糎榴弾砲8門、75粍野砲16門、75粍山砲12門(推定) 工兵第五連隊 第五師団通信隊 輜重兵第五連隊 その他 これが自動車化されていたという第五師団の大体の編成である。 シンガポール戦時の人員は約2万5千、自動車859輌であるが、後に3単位師団へと改編されているのであくまで対米開戦時の状態である。 編制表から見ると、単に4単位師団を自動車化しただけでこれといって特別な機械化師団といった印象は受けない。強いて言えば捜索連隊が比較的強力だがこれにしても特筆するほどのものではないようだ。 この資料は原書房の陸戦史集、マレー作戦よりのものであるが、375様提供の情報も今後探してみる価値がありそうである。
簡単な日本軍師団編制 その15(近衛師団シンガポール戦バージョン) 師団司令部 歩兵団司令部 近衛歩兵第三連隊 3個大隊(4個中隊、機関銃中隊、大隊砲小隊)、連隊砲中隊、 速射砲中隊、通信中隊 近衛歩兵第四連隊 同上 近衛歩兵第五連隊 同上 近衛捜索連隊 乗車中隊2個、軽装甲車中隊2個、通信小隊 近衛野砲兵連隊 10糎榴弾砲12門、75粍野砲24門(推定) 近衛工兵連隊 近衛師団通信隊 近衛輜重兵連隊 その他 これが自動車化されていたという近衛師団のシンガポール戦時の大体の編制である。 一応編制表上は自動車移動可能のように見えるが、マレー作戦中に有名な銀輪部隊を編成せざるを得なかったことを考えると実際に全員を自動車に乗車させることが出来たのかは多少怪しい。 人員1万8千、自動車663輌であるが、連隊あたりの自動車装備数は第五師団と同様である。 この師団も大戦末期に海洋師団へ改編中であり、編制装備は変化したものと考えられる。 なお、近衛第三連隊は第三大隊のみがシンガポール戦に参加している。
簡単な日本軍師団編制 その16(第四十八師団ジャワ作戦バージョン) 師団司令部 歩兵団司令部 台湾歩兵第一連隊 3個大隊(4個中隊、大隊砲小隊、機関銃中隊)、連隊砲中隊、 通信中隊、速射砲中隊(推定) 台湾歩兵第二連隊 同上 歩兵第三連隊 同上 山砲兵第四十八連隊 75粍山砲16門 捜索第四十八連隊 乗車中隊2個、軽装甲車中隊2個、自動二輪中隊、通信中隊 工兵第四十八連隊 3個中隊 輜重兵第四十八連隊 3個中隊(自動車?) 師団通信隊 その他 これが自動車化されていたといわれるジャワ作戦時の第四十八師団の大体の編制である。 前に述べた第五師団、近衛師団と比較して砲兵連隊の装備がかなり弱体であるが、これは船便の関係上のようである。又、兵員も1万3千であり編制表からは読みと取れないが、通常の師団より歩兵部隊などもかなり減員されているらしい。 これで363様ご希望の自動車化師団の大体の編制は終了しました。戦車師団についてはこのシリーズの最後にしようと考えています。お待ちください。
簡単な日本軍師団編制 その17(近衛第一師団の編制) 師団司令部 近衛第一連隊 3個大隊(4個中隊、機関銃中隊、大隊砲小隊)、連隊砲中隊、 速射砲中隊、通信中隊(推定) 近衛第二連隊 同上 近衛第六連隊 同上 近衛第七連隊 同上 近衛騎兵連隊 近衛野砲兵第一連隊 15糎榴弾砲24門 近衛工兵第一連隊 近衛第一師団通信隊 近衛機関砲第一大隊 その他 建制の指揮下部隊ではないが、以下の部隊も終戦時に指揮下に置いていた。 特設警備第五十五大隊 特設警備第五十六大隊 特設警備第五十七大隊 特設警備第五十八大隊 第一特設警備工兵隊 第二特設警備工兵隊 これが昭和18年に東京で編成された近衛第一師団の大体の編制である。 従来の近衛師団はスマトラ島の防衛に従事していた為皇居の警備は近衛混成旅団が行なっており、 本師団はこの近衛混成旅団を基幹として編成された。 近衛第一第二連隊は従来の近衛師団に属していた連隊、第六第七は他の連隊からの差出人員を基幹として編成されておりこの時期の編成師団としては装備、素質共に優良であったと考えられる。 但し、駐屯地を遠く離れての作戦を想定していなかったためか輜重兵連隊は持っていなかった。 戦争末期には通常の作戦任務を持たず東部軍管区の指揮下で皇居の警備に当たっていたが、終戦時に一部将校が師団長を殺害して反乱し、玉音盤の奪取を図ったが鎮圧された。
384 :
45/85式改 :01/09/09 14:16 ID:jMbAG/L2
旧軍の作戦定義 帝國陸軍の作戦の定義は「兵術を実施する行為」で、兵術の「敵に対して兵力を運 用する技術」とそう大差無く、あやふやだった 第二次世界大戦帝國陸軍作戦シリーズ番外編1 マタドール作戦(イギリス陸軍) 帝國陸軍の南方軍に対抗する防衛線短縮の為に、イギリス極東軍総司令官ロバー ト・ブルックポーハム大将によって考案したタイ侵攻作戦 帝國陸軍のシンクラ上陸目前時に海路からパタニ・シンクラ、更に陸路でもシン クラへ侵攻し、制圧後に防衛線を構築して帝國陸軍の奇襲に備えた 二個旅団を投入する筈だったが、本国からの増援請求が却下された為に、実際の 作戦発動時は規模は縮小されて行われる事となった 外交問題を避ける為に、様子を見て実行するもすでに帝國陸軍が既に上陸してい たので結局マタドール作戦は中止された
385 :
名無し三等兵 :01/09/09 19:35 ID:zzoDg/9A
age
386 :
第一総軍 :01/09/11 00:02 ID:LMU9Y/Kk
飛黎様、中国海軍の資料大変興味深く拝見しました。実態は海防艦レベルとはいえ軽巡?10隻の勢力はなかなか。 日本相手は無理でもスウェーデンとかデンマークとかの海防戦艦と戦ってみて欲しい。 373様、日本陸軍の対戦車能力は人命と引き換えでなら結構高いかもしれませんね。その結果肝心の歩兵を使い潰しちゃうのでなんですが。 374様、私もそんな海軍の浮世離れしたスマートさが好きでした。現在は陸軍の泥臭さに惹かれてますけど。
387 :
45/85式改 :01/09/12 16:37 ID:QLCKgQXM
大日本帝國陸軍航空部隊本土決戦戦闘序列1(1945年8月) 第1航空軍 第1航空軍司令部(東京) 飛行第10師団 飛行第10師団司令部(東京) 航空第18戦隊<戦闘機>(松戸) 航空第23戦隊<戦闘機>(印旛) 航空第53戦隊<戦闘機>(藤ヶ谷) 航空第70戦隊<戦闘機>(柏) 第5飛行団 第5飛行団司令部(西筑波) 航空第74戦隊<重爆撃機>(松本) 第12飛行団 第12飛行団司令部(高萩) 第1戦隊<戦闘機>(高萩) 第11戦隊<戦闘機>(高萩) 第26飛行団 第26飛行団司令部(那須野) 航空第3戦隊<軽爆撃機>(能代) 航空第45戦隊<軽爆撃機>(鉾田) 航空第75戦隊<軽爆撃機>(八戸) 第27飛行団 第27飛行団司令部(児玉) 航空第7戦隊<重爆撃機>(伊丹) 航空第98戦隊<重爆撃機>(児玉) 航空第14戦隊<重爆撃機>(新田) 航空第52師団 航空第52師団司令部(熊谷) 第1練成飛行隊<戦闘機>(相模) 第39教育飛行隊
388 :
45/85式改 :01/09/12 16:52 ID:/ISglGdY
大日本帝國陸軍航空部隊本土決戦戦闘序列2(1945年8月) 第6航空軍 第6航空軍司令部(福岡) 飛行第12師団 飛行第12師団司令部(小月) 航空第4戦隊<戦闘機>(小月) 航空第47戦隊<戦闘機>(小月) 航空第71戦隊<戦闘機>(防府) 第100飛行団 第100飛行団司令部(高松) 航空第101戦隊<戦闘機>(高松) 航空第103戦隊<戦闘機>(由良) 第30戦闘飛行集団 第30戦闘飛行集団司令部(熊本) 航空第59戦隊<戦闘機>(芦屋) 航空第62戦隊<戦闘機>(西筑波) 航空第244戦隊<戦闘機>(四日市) 第16飛行団 第16飛行団司令部(下館) 航空第51戦隊<戦闘機>(下館) 航空第52戦隊<戦闘機>(調布) 第7飛行団<特別攻撃機>(知覧) 第21飛行団<特別攻撃機>(都城西) 第107爆撃集団 第107爆撃集団司令部 航空第60戦隊<重爆撃機>(熊本) 航空第110戦隊<重爆撃機>(隈の庄) 第6飛行団 第6飛行団司令部(太刀洗) 航空第65戦隊<襲撃機>(目達原) 航空第66戦隊<襲撃機>(太刀洗) 航空第2戦隊<偵察機>(福岡)
389 :
45/85式改 :01/09/12 17:12 ID:mRnR0Gjc
大日本帝國陸軍航空部隊本土決戦戦闘序列3(1945年8月) 飛行第1師団「第5方面軍麾下」 飛行第1師団司令部(室蘭) 航空第54戦隊<戦闘機>(札幌) 航空第32戦隊<襲撃機>(計根別) 飛行第11師団「麾下不明=(所有資料の相違の為)」 飛行第11師団司令部(大阪) 航空第55戦隊<戦闘機>(佐野) 航空第56戦隊<戦闘機>(伊丹) 航空第246戦隊<戦闘機>(大正) 第20戦闘飛行集団「航空総軍麾下」 第20戦闘飛行集団司令部(小牧) 第23飛行団 第23飛行団司令部(大阪) 航空第5戦隊<戦闘機>(清洲) 航空第111戦隊<戦闘機>(小牧) 航空第112戦隊<戦闘機>(新田)
390 :
45/85式改 :01/09/12 17:52 ID:KwtE7jHc
389の飛行第1師団を訂正 飛行第1師団「第5方面軍麾下」 飛行第1師団司令部(帯広) 第20飛行団 第20飛行団司令部(室蘭) 航空第54戦隊<戦闘機>(札幌) 航空第32戦隊<襲撃機>(計根別)
もすぼーる
倉庫防止age
>371 中国海軍の艦艇ってイギリスのお古ですか? 数はそこそこ揃えてたみたいですが。
394 :
第一総軍 :01/09/17 00:03 ID:EpAg9W1s
45/85式改様、依然書き込んでいただいた終戦時の海軍陸戦隊ですが、各陸戦隊の番号などご存知無いでしょうか? 是非知りたいと思っています。 又、航空部隊の資料感謝いたします。私は戦史叢書は本土決戦準備2冊しか持っていないので、欠けている部分なので助かります。 後、最近思ったのですが、以前質問を頂いたときに第二十三師団について自動車は必要に応じて配属では?と推測しましたが、今回第五師団等を調べなおした結果自分の推測に疑問を持ち始めました。 確かに歩兵連隊内に馬匹を装備しているらしいのですが、もしかしたら自動車も標準装備していたのかもしれません。 手元の資料では確認できませんが、引き続き調査の必要があると思います。
395 :
45/85式改 :01/09/17 22:26 ID:wIayzkH.
済みません、陸戦隊番号は書いてありませんでした それと飛行第11師団ですが、私の保有資料だと第一航空軍隷下か航空総軍隷下で 内容が食い違っている為に、配属不明と書きました
396 :
名無し三等兵 :01/09/17 22:39 ID:0jg0Xf4I
第一総軍様並びに45/85式改様。 参考資料を上げてくださるとみな喜ぶと思うのですが。
397 :
飛黎 :01/09/17 22:58 ID:Lxiq97uA
>393 資料はあるのですが、なにぶんすべて中国語で書かれているためよく解りません。 写真をみると結構強そうなのですが・・・・
398 :
第一総軍 :01/09/17 23:44 ID:8vHwOyLM
飛黎様、原文を判別可能な状態でupすることが可能ならば、私の方の翻訳ソフトで何処まで可能か解りませんが試してみても良いですよ。 短い文のみですけど。 どこかでお目にかかれる機会があればそもそも簡単なんですが。 45/85式改様、そうですか。確かに番号まではなかなか書いてないですよね。 ご無理をお願いして済みませんでした。 396様、私の場合複数の資料を勘案して書き込んでいるので厳密にどの部分がどの資料とは言えない場合が多いのですが、週末当たりに気づいた範囲だけでも資料を挙げていこうと考えています。
399 :
名無し三等兵 :01/09/18 04:13 ID:KfwWC6ao
doudemo iikedo,butai hennsei bakkari narabete, anntatati tanosiinndesuka?
400 :
45/85式改 :01/09/19 17:25 ID:wIikgPWk
第一総軍様、行方不明になってました資料の一部を発見しました と言う訳で昔の戦闘序列シリーズを再開したいと思います
401 :
45/85式改 :01/09/19 17:51 ID:6vwsgJ/s
支那事変1939年末支那派遣軍簡略戦闘序列 支那派遣軍(西尾寿造大将) 北支那方面軍(多田駿中将) 第1軍 第36師団 第37師団 第41師団 独立混成第3旅団 独立混成第4旅団 独立混成第9旅団 独立混成第16旅団 第12軍 第21師団 第32師団 独立混成第5旅団 独立混成第6旅団 独立混成第7旅団 独立混成第10旅団 駐蒙軍 第26師団 独立混成第2旅団 騎兵集団 直轄部隊 第27師団 第35師団 第110師団 独立混成第1旅団 独立混成第8旅団 独立混成第15旅団 第11軍(岡村寧次中将) 第3師団 第6師団 第13師団 第33師団 第34師団 第39師団 第40師団 独立混成第14旅団 独立混成第18旅団 第13軍(森田進中将) 第15師団 第17師団 第22師団 第116師団 独立混成第11旅団 独立混成第12旅団 独立混成第13旅団 独立混成第17旅団 第21軍(安藤利吉中将) 第5師団 第18師団 第38師団 第104師団 台湾混成旅団 近衛混成旅団 第一総軍様、独立混成第68旅団は精鋭機械化部隊だったそうですが、編成内容 はどうだったのでしょう?
402 :
45/85式改 :01/09/19 19:30 ID:pB60J4lU
張鼓峰事件日ソ戦闘序列 大日本帝國陸軍 朝鮮軍(小磯国昭大将→中村孝太郎中将) 第19師団 野戦重砲兵第19連隊 高射砲第5連隊 琿春駐屯隊 労農赤衛軍(余り詳しくない) 第39狙撃兵軍団 戦車約200輌 航空機100機
403 :
第一総軍 :01/09/20 00:06 ID:1zlGZ7JY
独立混成第六十八旅団については私も不明な点が多い状態です。が、解る範囲で。 第六十八旅団(星兵団) ※独立混成と付く資料とつかない資料がある。 旅団司令部 歩兵第百二十六連隊 3個大隊(4個中隊、機関銃中隊、大隊砲中隊)、連隊砲中隊、 速射砲中隊、通信中隊 第六十八旅団砲兵隊 2個大隊 工兵隊 通信隊 衛生隊 満州公主嶺の教導学校人員で編成された精鋭部隊。但し、人員不足のため第三大隊は補充兵をかなり含んでいるとも言う。(但し同行した独立混成第五十八旅団の1個大隊との混同かもしれません。第一総軍の記憶) 砲兵装備は不明だが恐らくは野砲装備。 一部の記述によると機械化部隊であったともいい、恐らくはトラックを装備していたはず。 歩兵中隊は軽機を持たず、兵員は九九式短小銃(照準眼鏡付き)、下士官は機関短銃を装備し遊撃戦の訓練を積んでいた。 満州出動時に正規の装備の他に武器になるものは何でも持っていくよう指示されていたとも言う。
404 :
陳誠大好き :01/09/21 17:29 ID:NEyvZuQI
中国海軍は私自身全くの門外漢ですが、 少なくとも平海と寧海の二隻は1930年代竣工の新鋭艦だったと記憶してます。 中国側の戦記でも平寧両艦の対空戦闘を華々しく書いています、 が、やはり日本軍相手には無理があったようですね、、、 あと、質問なのですが陸軍習志野学校に関する資料本等を御存じの方おられませんか? 調べてみたいと思うのですが、関西ではどうにもならないもので。
405 :
第一総軍 :01/09/22 00:18 ID:/y93XvmM
では396様ご要望の資料の件です。 日本陸軍編制関係 戦史叢書(51)本土決戦準備1 関東の防衛 防衛庁防衛研究所戦史室著 朝雲新聞社刊 戦史叢書(57)本土決戦準備2 九州の防衛 防衛庁防衛研究所戦史室著 朝雲新聞社刊 大東亜戦争全史 服部卓四郎著 原書房刊 太平洋戦争陸戦概史 林三郎著 岩波新書刊 別冊歴史読本 太平洋戦争師団戦史 新人物往来社刊 別冊歴史読本 日本陸軍部隊総覧 新人物往来社刊 別冊歴史読本 日本陸軍連隊総覧 新人物往来社刊 別冊歴史読本 日本陸軍機械化部隊総覧 新人物往来社刊 PANZER 82年8月号 サンデーアート社刊(現 アルゴノート社) PANZER 88年7月号 サンデーアート社刊(現 アルゴノート社) PANZER 88年8月号 サンデーアート社刊(現 アルゴノート社) PANZER 95年7月号 サンデーアート社刊(現 アルゴノート社) 日本陸軍編制総覧 芙蓉書房出版刊 ソ連軍侵攻と日本軍 中山隆志著 国書刊行会刊 グランドパワー 01年3月号 日本機甲部隊の編成装備(2) デルタ出版刊 グランドパワー 01年4月号 日本機甲部隊の編成装備(3) デルタ出版刊 中国軍関係は省きますね。中国語の資料ばかりであまりご興味ないでしょうから。
406 :
名無し三等兵 :01/09/22 00:30 ID:n1a16AIY
日本陸軍主力の95式軽戦車や97式中戦車は対戦車戦闘には役立たずだが、 だからといって司馬遼太郎や加登川幸太郎の言うような駄作であったわけでは無い。 アメリカだって上陸用にはLVTなどの軽装甲上陸車両もあちこちで使ってる。 対戦車戦闘なぞ全体からすれば僅かなものでしか無く、ドイツの猛獣戦車なぞ 個人的武勇自慢にしかなっていない。戦車破壊の方法は他にいくらでもある。 ガタルカナルやインパールで日本陸軍が大被害を受けたのも敵戦車よりも 補給不足による餓死・病死・過労死のほうがはるかに多かったからだ。
>>406 ちうかね、中国軍相手にはあれで良かったけどね。それにしても
数が圧倒的に足りんし装甲はマジ薄すぎで主砲の威力なんか花火
でっせ。
「装甲車」と呼ぶんなら、傑作かもね。
408 :
45/85式改 :01/09/22 02:44 ID:NbdRA5tI
第一総軍様、私の所有していた資料だと、「独混六八旅は戦車部隊を持つ最精鋭機 甲部隊で、激戦中のレイテ島戦での活躍が期待されるも戦車・火砲は海没して、結 局善戦出来なかった」と書かれていました 私は独立混成第1旅団の様に2個戦車大隊が配属されていると思ったのですが、戦 車小隊位の配備だったのでしょうか
409 :
45/85式改 :01/09/22 02:57 ID:KQDTPRO2
満ソ国境紛争第一次ノモンハン事件戦闘序列 山縣支隊 歩兵第64連隊<歩兵5個中隊・歩兵砲3個中隊・速射砲4個中隊基幹> 第23師団捜索隊<乗馬中隊・装甲自動車中隊基幹> 第23師団自動車隊<乗車2個中隊基幹> 第23師団通信隊<無線小隊・救護班基幹> 3個満州帝國軍興安軍騎兵団 第12飛行団 航空第11戦隊<戦闘機> 航空第24戦隊<戦闘機> 航空第10戦隊<偵察機・爆撃機> その他諸部隊
410 :
第一総軍 :01/09/22 02:57 ID:DGaRPciQ
45/85式改様、第六十八旅団ですが、私が使用した主な資料はレイテ戦記の巻末編制表です。 戦車については不明ですが、日本軍はこの時期戦車大隊という部隊単位をあまり使用していませんし、それに代わりうる戦車連隊には第六十八旅団に所属していたものは見つかりません。 恐らく配属されていたとしても中隊又は小隊単位だったのではないかと思っていますが詳細は不明です。
411 :
45/85式改 :01/09/22 03:28 ID:WRjFzaYc
396様、御恥ずかしながら掲載します(第一総軍様のと比較して) 他にも個人的に父と祖父が書いて残したノートで書いて資料やボロ過ぎ て読み取れない資料があります 日本の戦争 図解とデータ 原書房刊 旧軍作戦簡素解説 刊行出版社不明(読み取れず)
〇 父と祖父が個人的にノートに書いて残した資料 × 個人的に父と祖父が書いて残したノートで書いて資料
413 :
45/85式改 :01/09/22 20:30 ID:s9XpCFAg
満ソ国境紛争第二次ノモンハン事件戦闘序列1 第23師団(小松原道太郎中将) 第23師団司令部 左岸攻撃隊(小林少将) 歩兵第71連隊 歩兵第72連隊 野砲大隊 その他諸部隊 乗車攻撃隊(須見大佐) 歩兵第26連隊 その他諸部隊 安岡支隊(安岡中将) 戦車第3連隊 戦車第4連隊 歩兵第64連隊主力 独立野砲兵連隊 その他諸部隊 第23師団砲兵隊 野砲兵第13連隊主力 独立野砲第1大隊 工兵隊 整備隊 第23師団予備 ↓ 第23師団(小松原道太郎中将) 第23師団司令部 安岡兵団(安岡中将) 安岡支隊 歩兵大隊 戦車第3連隊 戦車第4連隊 野砲兵連隊 その他諸部隊 第23歩兵団 歩兵5個大隊 その他諸部隊 野砲兵第13連隊 野砲2個大隊 岡本支隊(岡本大佐) 歩兵第71連隊主力 野砲大隊 その他諸部隊 須見支隊(須見大佐) 歩兵第26連隊 速射砲2個中隊 歩兵砲2個中隊 第23師団予備(井置中佐) 歩兵大隊 第23師団捜索連隊 その他諸部隊 第23師団直轄 工兵隊 野戦高射砲隊 第23師団飛行隊 将軍廟掩護隊 甘珠爾廟警備隊 採塩所警備隊 満州帝國軍興安師団
414 :
45/85式改 :01/09/22 20:30 ID:s9XpCFAg
↓ 第23師団(小松原道太郎中将) 第23師団司令部 右翼隊(須見大佐) 歩兵第26連隊 速射砲2個中隊 歩兵砲中隊 その他諸部隊 左翼隊(小林少将) 歩兵第71連隊 歩兵大隊 速射砲中隊 その他諸部隊 長野支隊(長野大佐) 歩兵第72連隊 速射砲2個中隊 その他諸部隊 安岡支隊(安岡中将) 戦車第3連隊 戦車第4連隊 第23師団捜索連隊 その他諸部隊 第23師団砲兵団(内山少将) 野砲兵第13連隊 独立野砲兵第1連隊 野戦重砲兵第3旅団主力 その他諸部隊 第23師団予備 歩兵2個大隊 その他諸部隊 第23師団直轄 野戦高射砲隊 工兵隊 第23師団飛行隊 その他諸部隊 第2航空集団(嵯峨徹二中将) 第2航空集団司令部 第7飛行団 第7飛行団司令部 航空第1戦隊 航空第12戦隊 第9飛行団 第9飛行団司令部 航空第10戦隊 航空第61戦隊 第12飛行団 第12飛行団司令部 航空第11戦隊 航空第24戦隊
415 :
45/85式改 :01/09/23 13:50 ID:3oX2qhWE
満ソ国境紛争第二次ノモンハン事件戦闘序列2 第6軍(荻州立兵中将) 第23師団(小松原道太郎中将) 第7師団 第8国境守備隊 鈴木支隊 歩兵2個大隊 その他諸部隊 その他諸部隊 第2師団 第4師団 太田支隊 近藤支隊 第6軍独立守備隊 第6軍砲兵隊 第6軍高射砲隊 満州帝國軍 興安師団 石蘭支隊 その他諸部隊 第2航空集団(江橋栄次郎中将) 第2飛行団 第2飛行団司令部 航空第9戦隊 航空第16戦隊 航空第65戦隊 第9飛行団 第9飛行団司令部 航空第10戦隊 航空第31戦隊 航空第33戦隊 航空第61戦隊 第12飛行団 第12飛行団司令部 航空第1戦隊 航空第59戦隊 航空第64戦隊 集成飛行団 集成飛行団司令部 航空第11戦隊 航空第24戦隊
416 :
第一総軍 :01/09/23 23:10 ID:zRqYvUg2
簡単な日本軍師団編制 その18 (戦車第一、第二、第三師団の基本編制) 師団司令部 中戦車13、装甲兵車3、37粍速射砲1、その他 戦車旅団 戦車連隊 中戦車中隊3個、軽戦車中隊、砲戦車中隊 中戦車47、軽戦車30、装甲兵車7、その他 (砲戦車は一時軽戦車で代用) 戦車連隊 同上 戦車旅団 戦車連隊 同上 戦車連隊 同上 機動歩兵連隊 歩兵大隊3個(3個中隊、機関銃中隊)、歩兵砲中隊 軽装甲車15、装甲兵車39、47粍速射砲27、75粍山砲4、その他 機動砲兵連隊 10糎榴弾砲24、75粍野砲12 師団捜索隊 軽戦車中隊2個、砲戦車中隊、乗車中隊 師団速射砲隊 47粍速射砲18、その他 師団防空隊 高射砲中隊2個、機関砲中隊4個 75粍高射砲8、20粍機関砲24 師団工兵隊 3個中隊 師団輜重隊 4個中隊 師団整備隊 師団通信隊 その他 これが戦車第一〜第三師団の基本編制である。 戦車第一、第二師団は満州の関東軍で、戦車第三師団は中国の支那派遣軍で編成された。 しかし戦車第一師団は本土へ、戦車第二師団はフィリピンへ転用する以前に、又戦車第三師団も中国での活動中にそれぞれ一部部隊を引き抜かれて編成内容が変化している。 因みに戦車第一師団は本土決戦準備中に指揮下に海上機動第一旅団を加えている。
417 :
第一総軍 :01/09/23 23:15 ID:zRqYvUg2
訂正 海上機動第四旅団を加えている。
418 :
xファイル :01/09/23 23:22 ID:5ehuSeSo
すげーよ 45/85式改 は 何者だー。 名と階級を名乗れ。
419 :
45/85式改 :01/09/24 00:20 ID:/bOO/vU.
満ソ国境紛争第一次ノモンハン事件簡略戦闘序列 労農赤衛軍 外蒙古騎兵第6師団 ブイコフ機関銃大隊 機関銃3個中隊 対戦車砲3個中隊 その他諸部隊
420 :
45/85式改 :01/09/24 00:34 ID:xhgwXDos
満ソ国境紛争第二次ノモンハン事件簡略戦闘序列 労農赤衛軍 第11戦車旅団 第149狙撃兵連隊 第9機甲旅団 外蒙古騎兵第6師団 外蒙古騎兵第8師団 第7機甲旅団 第24狙撃兵連隊 ↓ 第57特別兵団(ジューコフ大将) 第57特別兵団司令部 外蒙古騎兵第6師団<対戦中逐次増強> 外蒙古騎兵第8師団<対戦中逐次増強> 第36狙撃兵師団 第57狙撃兵師団 第82狙撃兵師団 第8機甲旅団 第9機甲旅団 第6戦車旅団 第11戦車旅団 その他諸部隊 ザバイカル軍航空部隊 シベリア軍管区航空部隊
第一総軍様、戦車第二師団捜索連隊は戦車第27連隊に改編されて沖縄 に派遣されましたが、改編後の編成はどうなっていたのでしょうか また戦車師団捜索連隊について、私の保有する資料では 捜索連隊 連隊司令部 軽戦車中隊×3 砲戦車中隊 乗車中隊 と書かれていたのですが
422 :
45/85式改 :01/09/24 00:59 ID:jDl4DBu6
第二次世界大戦帝國陸軍モレスビー攻略作戦戦闘序列 第17軍(百武晴吉中将) 第17軍司令部 南海支隊(堀井少将) 歩兵3個大隊 山砲大隊 工兵連隊 独立混成第35旅団(川口少将) 龍頭部隊 第1揚陸団(伊藤少将) 第17軍直轄 戦車中隊 速射砲中隊 山砲大隊 野戦重砲兵中隊 高射砲2個大隊 第17軍予備 歩兵第41連隊 青葉支隊 その他諸部隊
423 :
第一総軍 :01/09/24 01:55 ID:4esWb1qI
45/85式改様、捜索隊ですが今回の資料はグランドパワー誌によるものです。 パンツァー誌に拠ると軽戦車中隊は3個になり、太平洋戦争師団戦史に拠ると歩兵、砲戦車、整備各1個中隊とあります。 実際のところどれを信じればよいか多少悩んでいます。 戦車第二十七連隊の編制 連隊本部 中戦車3、軽戦車1、その他 第一中隊 軽戦車11 第二中隊 中戦車11、軽戦車1 第三中隊 同上(宮古島に配備) 第四中隊 戦車の装備が間に合わず歩兵として戦闘。重機24、その他 歩兵中隊 47粍速射砲2、車載重機6、その他 砲兵中隊 75粍野砲4、重機2、その他 工兵小隊 車載重機24、その他 整備小隊 車載重機6、その他
424 :
第一総軍 :01/09/24 01:56 ID:4esWb1qI
訂正 戦車第二十七連隊の編制 連隊本部 中戦車3、軽戦車1、その他 第一中隊 軽戦車11 第二中隊 中戦車11、軽戦車1 第三中隊 同上(宮古島に配備) 第四中隊 戦車の装備が間に合わず歩兵として戦闘。車載重機24、その他 歩兵中隊 47粍速射砲2、重機6、その他 砲兵中隊 75粍野砲4、重機2、その他 工兵小隊 車載重機24、その他 整備小隊 車載重機6、その他
425 :
45/85式改 :01/09/24 13:15 ID:lmbkeGrM
第二次世界大戦帝國陸軍ガナルカナル島戦線戦闘序列1 第17軍(百武晴吉中将) 第17軍司令部 南海支隊(堀井少将) 歩兵3個大隊 山砲大隊 工兵連隊 独立混成第35旅団(川口少将) 一木支隊(一木清直大佐) 歩兵第28連隊 第2師団 第36師団 龍頭部隊 第1揚陸団(伊藤少将) 第17軍直轄 戦車中隊 速射砲中隊 山砲大隊 野戦重砲兵中隊 高射砲2個大隊 第17軍予備 歩兵第41連隊 青葉支隊 その他諸部隊 飛行第6師団 飛行第6師団司令部 第12飛行団 航空第45戦隊 独立第76飛行隊 その他諸部隊 ガダルカナル守備隊(門前海軍大佐) 横須賀海軍第5特別陸戦隊 ガダルカナル航空基地設営部隊 その他諸部隊
426 :
名無し三等兵 :01/09/24 13:58 ID:xMIBn4yI
日本陸軍の戦車は世界基準からみて「戦車」で無くて「装甲車両」だ。 「新砲塔チハ」だけが「軽戦車」、他は装甲車両と名づけるべきだった。 現在でも戦車と装甲車の区別は対戦車戦闘力の有無で判断される。
427 :
45/85式改 :01/09/24 23:56 ID:oefvCBRs
第一総軍様、度々私の質問に答えて下さって有難う御座います それと、戦車部隊の定数は今一はっきりしません 私の父は戦車中隊の定数を16輌としてましたが、私の保有していた資料では13 輌でした 部隊司令部や本部直属の定数・戦車大隊の編成等も余り多く語られていません 第一総軍様はどう思いますか
428 :
第一総軍 :01/09/25 00:37 ID:kStGfeYs
45/85式改様、丸誌90年6月号に拠ると以下のように記載されています。 戦車第一連隊(戦車第一師団の連隊) 連隊本部 中戦車3、軽戦車3 第一中隊 軽戦車13 第二中隊 中戦車10、軽戦車2 第三中隊 同上 第四中隊 同上 第五(砲戦車)中隊 中戦車10、軽戦車2(砲戦車は57粍砲中戦車で代用中) 整備中隊 連隊予備として中戦車4、軽戦車6を保管 戦車第十九連隊(独立戦車第四旅団の連隊) 連隊本部 中戦車1、軽戦車3 第一中隊 中戦車10、軽戦車2 第二中隊 同上 第三(砲戦車)中隊 砲戦車10 第四(砲戦車)中隊 同上 第五(自走砲)中隊 10糎自走砲6 整備中隊 戦車第五十一連隊(独立戦車第九旅団の部隊) 連隊本部 軽戦車2 第一中隊 軽戦車10 第二中隊 中戦車10 第三中隊 同上 因みに不足している砲戦車は軽戦車で代用としている資料と中戦車で代用しているとする資料がありはっきりしません。 さらに、戦車大隊という編制は日本軍ではあまり使用されていないようです。 極初期の独立混成第一旅団(第一次)や島田戦車大隊位しか思いつきませんが、基本的に常設の戦車隊には連隊の称号を与えていたようです。
429 :
名無し三等兵 :01/09/28 22:26 ID:Dnn5wLhM
何百里?
431 :
430 :01/10/02 14:24 ID:Oi8SYen.
ああ、既出らしい(汗)。 すみません実は前スレまだ読み終えてないんです。 逝ってきます……
432 :
45/85式改 :01/10/02 19:30 ID:AthKGbfc
9月25日にPCが壊れてしまい、暫く投稿出来ませんでした と言う訳で久々に投稿します 第二次世界大戦帝國陸軍ガナルカナル島戦線戦闘序列2 第17軍(百武晴吉中将) 第17軍司令部 第2師団(丸山政男中将) 住吉支隊(住吉少将) 岡部隊 歩兵3個大隊 その他諸部隊 中熊部隊 歩兵2個大隊 その他諸部隊 砲兵隊 軽砲(野砲・山砲)5個小隊相当 榴弾砲中隊相当 野戦重砲兵15個分隊相当 その他諸部隊 防空隊 高射砲2個大隊 その他所部隊 直轄部隊 軽戦車中隊(10輌) コリ支隊 歩兵1個大隊 その他諸部隊 その他諸部隊
433 :
45/85式改 :01/10/02 19:38 ID:AthKGbfc
第一総軍様、発掘した戦車連隊編成ではこう書かれていました 戦車連隊 連隊本部 軽戦車小隊(4輌) 中戦車小隊×2(4輌×2) 軽戦車中隊(13輌) 中戦車中隊×3(13輌×3) 砲戦車中隊(13輌) 整備中隊
434 :
名無し三等兵 :01/10/02 20:02 ID:UFChU8Qc
http://s1.amazon.com/exec/varzea/ts/exchange-glance/Y02Y6496655Y9451488/qid=1002018788/sr=1-2/ref=z_ret_b_oop_05/102-0038218-3002543 Burma campalgn:Casualities
Operasions,with dates British and japanese casualties
Commonwealth
casualties
1st Burma(25 Desember 13,463 2431(1,999)
1942‐12 May 1942)
1st Arakan(23 Octover 5,057(916) 1,100(estimated)(400)
1942-15 May 1943)
1st Wingate(February 1,138(28) 205(68)
-June 1944)
2nd Arakan(February 7,951 5,335(3,106)
-July 1944)
2nd Wingate(March 3,786(1,034) 5,311(4,716)
-August 1944)
Imphal Kohima(March
-Desember 1944)
Preliminaries(Aseam) 920
Kohima 4,064 5,764
Imphal 12,603 54,879(13,376)
435 :
陳誠大好き :01/10/02 20:06 ID:UQ3ag/7.
編成に疎い私もも戦車部隊の資料は多少ありますので、 参考までに私の手元の資料を少しずつ書いてみます。 戦車第一連隊マレー作戦時の装備車両 本部チハ車1ハ号2 第一中隊ハ号13 第二中隊〜第四中隊ハ号2チハ車10 整備中隊ハ号チハ車共に台数は不明 他に自動貨車 砲戦車中隊は昭和十七年六月に新設された部隊だそうですのでこの頃はまだないですね。
436 :
名無し三等兵 :01/10/02 20:26 ID:UFChU8Qc
Irawaddy Crossings;Mandalay 10,096(1472) Combined Japanese losses in (January-March 1945) these tow battles for Fifteen Army and Thity-third Army 12,912(6,513) Melktila(February-March 1945) 8,099(835) Pyawbwe to Rangoor 2,166(466) 7,015(6,742) Rangoon to Surrender (Breakout & Sittang Bebd) May-August 1945 1,901(435) 11,192(9,791) TOTALS 71,224 106,114 Source; Allen,L,Burma:The Longest War,(London,1984).
437 :
名無し三等兵 :01/10/02 20:56 ID:UFChU8Qc
>>434 ,
>>436 なんだか入力がうまくできず無茶苦茶になってしまったが,要約すれば
ビルマ戦線全体での英連邦軍全体の損害が71244人,日本軍全体の
損害が106144人で,日本側は1944年の3月から12月に
かけてのインパール戦線での損害が54879人と際立ってひどかった。
438 :
第一総軍 :01/10/02 23:35 ID:DnFeBiQA
45/85式改様、奇遇ですね。私のPCも最近大変調子が悪く、いつ修理送りになるか解りません。 陳誠大好き様、こう考えてみるとやはり日本軍の戦車連隊の編制は非常に多種多様なのでしょう。軽戦車3個中隊合計36輌の連隊もあるくらいですから。 430様、436様、資料のご提供ありがとうございます。 私は大変遅筆なので書き込みが少なくてすみません。
>>437 殿
横レスすまんが、一般にはビルマ戦線日本軍30万のうち、戦死者は20万人といわれている。
厚生省援護局調べによれば16万7千人。
440 :
名無し三等兵 :01/10/03 09:38 ID:FcDbgEbg
>一般にはビルマ戦線日本軍30万のうち、戦死者は20万人といわれている。 ビルマはフィリピンや沖縄のように「玉砕」したわけでは無いから、 その数字はおかしいと思う。それと大敗したのはインパール作戦で、 またビルマが英軍に奪回されたのはMay-August 1945の時期だろう。
441 :
名無し三等兵 :01/10/03 14:54 ID:VnOgoxB6
>>440 基本は未帰還調査部資料を基にした厚生省援護局の数字16万7千だと思うが、世に出ている本
では戦死者18〜20万と幅を持たせている。
ビルマが連合軍に奪回されたとされる公式の日付は、1945年5月2日ラングーン入城の日。
また、ビルマでの玉砕地として有名なのは北部のミートキーナ。歩兵団長が戦死(自決?)
している。南部のラムリー島も含めるべきかもしれない。
なお、インパール作戦以外で日本軍が大きな犠牲を強いられ敗北した戦いには、イラワジ会戦、
トングー会戦、シッタン会戦などがある。
442 :
名無し三等兵 :01/10/03 15:50 ID:SDWWm2Nc
http://sunsite.sut.ac.jp/pub/academic/history/marshall/military/mil_hist_inst/w/ww2pac5a.asc The U.S. Army counted 6,779 infantrymen (1024 officers and 5,775
enlisted) among its 159,414 troops in CBI, Oct 1944. At that time,
CBI was split into two smaller commands: U.S. Forces, China and U.S.
Forces, Burma-India. The peak strength of both commands was reached
in Aug 1945, an aggregate of 173,608 personnel, which included only
5,146 infantrymen (991 officers and 4,155 enlisted men).
#ビルマ戦線は英軍の他に、中国軍そして米軍も居たことを忘れてはならない。
443 :
名無し三等兵 :01/10/04 00:49 ID:GQUZy9rs
>>442 確かに。
ミートキーナを含むビルマ北部の日本軍第33軍を駆逐したのは、米軍指導の中国軍。
第36英印師団もこれに加わり、米軍指揮官のもと北部戦闘地域司令部を構成。
ただ、1944年秋以降、雲南省・ビルマ方面の中国軍の大部分は本国に転用。
1944年末以降の連合軍反攻の中心になったのは、英印軍。
イラワジ会戦で日本軍はほぼ継戦能力を失い、シッタン会戦で壊滅。
444 :
名無し三等兵 :01/10/04 23:09 ID:93c/nazY
>>434 >>436 対英戦は補給欠乏の自殺的インパール攻勢と、制空権を殆ど米機に奪われた
最後の年の夏以外は日本陸軍がそんなに負けていたわけではないようだ。
日本陸軍は兵器カタログ性能だけでみると確かに最低レベルだけども、
95式軽戦車にしても対戦車威力は皆無ながら、故障が少なく燃費も
かからずアジアの湿地帯をよく走れたものだと思う。戦後も日本陸軍
兵器は中国内戦でも東南アジア独立戦でも引っ張りだこで使われている。
カタログ性能の低さを補って余りある機械的信頼性は無視できない。
445 :
ポプラン中尉 :01/10/04 23:14 ID:oHPTdUfc
スマトラ・パレンバンでは、蘭軍装甲車を ピストルと日本刀で追い回したらしい。陸軍落下傘部隊、恐るべし。
446 :
名無し三等兵 :01/10/05 03:45 ID:2NUO4dtg
>>444 肝心の日本軍のお役に立てない兵器じゃどうしようもない気がするが。
対戦車威力皆無の戦車はちょっといただけないなあ。
447 :
少佐 :01/10/05 03:54 ID:WtRJS1zg
日本軍には鍛冶屋が部隊にいたらしい。 刀や鉄砲が壊れたら戦場でトンチンカンチンやって、直したそうだ。 これは凄いと評価できよう。
448 :
飛黎 :01/10/05 07:44 ID:loWMQVoI
関係者各位(笑)、お久しぶりです。 >鍛冶屋 軍属の身分でいましたね。戦場では川を渡ったり接近戦で使ったりして損傷が激し く、継続して作戦を行っていると錆びて抜けにくくなったとか、刃が欠けたとか色 々あったようです。実際初期の軍刀では何度か砥がれて細身になったものがありま す。たしか軍属として大陸に渡っていた方の書かれた「戦う日本刀」という本に詳 しく書かれているようです。 別の本では大陸の後方で休養中、部隊全体で軍刀を砥ぎに出した、と書かれていま したね。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P171
・・・・約一万人ものパルチザンを率いるのはソヴィエト・ロシア人
中尉マクロソフであった。彼は革命期から、そしてスペイン市民戦争
のときから定評のあるパルチザン指導者であった。その装備は、
「ほとんどが日本製の小銃、軽機関銃、重機関銃、重軽両方の迎撃砲、
大砲、そして対戦車砲」であった。日本製の武器とは驚嘆すべき事実
ではないか。ここに示された武器体系から考えて、ソ連軍がノモンハン
で日本軍を撃滅した際に捕獲した大量の武器であろう。
450 :
大陸打通太郎 :01/10/06 10:20 ID:8lH4E8Kc
海軍はマリアナ・レイテでボロクソ負け、あれではやらないほうがよかった。 一方陸軍の大陸打通作戦は航空部隊も地上部隊もお互いうまく協力しあい、 中国のナラヅ者チンピラゴロツキどもを徹底的にやっつけた。米陸軍主力は このころ欧州に出かけたが、対日戦は中国に任せておくつもりであった。 ところがこの中国軍たるや日本陸軍にさんざんに負けてしまいこの目論見は外れた。 そこで仕方なく米国はソ連に満洲権益譲渡までして対日参戦を「お願い」することになった。 まさに大陸打通作戦の大勝利は、マリアナ・レイテ・インパールの敗戦を 根本的に覆すものであったのだ。邪は滅び、正義は勝つのだ。
451 :
大陸打通太郎 :01/10/06 11:28 ID:8lH4E8Kc
>>442 あれだけの在支米空軍の存在にもかかわらず、大陸打通作戦は大成功だった。
まさにこれで二式戦鍾馗や四式戦疾風の実力が証明されたのだ。
452 :
名無し三等兵 :01/10/06 12:33 ID:ae3wZDl2
日本陸軍の精神は正しい。 正しかった。 東条英機も阿南も人格は至誠だった。 本当の馬鹿は松岡洋介、山本五十六だ、
453 :
名無し三等兵 :01/10/06 14:14 ID:br6mv/kk
>>449 ノモンハンで1万人分もの兵器をソ連に分捕られたのか。
ホントかい?
今までは、日本軍も勇戦し引き分けに近い負け方だと思ってたのに。
1945年の時とは異なり、兵の素質は良かったんじゃないの?
武器を放棄して壊走してしまったことになるな。
ショックだ。
454 :
大陸打通太郎 :01/10/06 14:43 ID:8lH4E8Kc
大陸打通作戦はあの巨大な中国大陸を真っ二つに斬り伏せた、 日本陸軍史上最高の勝利。どんなに日本陸軍の「欠陥」とやら をあげつらおうとも、大陸打通作戦の勝利は微塵も揺るがない。 小さな日本が、正義の鉄拳で大きな中国を倒したのだ。
455 :
大陸打通太郎 :01/10/06 20:19 ID:8lH4E8Kc
大陸打通作戦はとにかく「打通してしまった」という動かぬ勝利の 既成事実を作ってしまったことだ。どんなに日本陸軍が無能だったか、 どんなに日本軍の兵器が粗悪であったか、どんなに無謀な遠征であった かをいくら論じても、大陸打通作戦の勝利記録は何ら揺るぎはしない。
456 :
ポプラン中尉 :01/10/06 23:14 ID:W9hyyr62
>>453 >武器を放棄して壊走してしまったことになるな。
違うよ。
それは戦死者の武器さ。
命令に背かず潰走しない日本軍兵士は、
師団が壊滅してもなお戦い続け、
莫大な損害を出しても、最期まで踏みとどまったのだ。
ノモンハンで指揮をとったジューコフは
日本の降伏しない戦いぶりに驚嘆し
この日本のソ連戦車相手に頑強に戦う陣地戦法を
独ソ戦で真似して成果を上げている。
457 :
ポプラン中尉 :01/10/06 23:45 ID:btOM2mQQ
>>443 ミートキーナでの戦いは、
米「ガラハド」連隊と中国第38、50、20師団に包囲攻撃された
丸山大佐率いる第百十四連隊と
水上少将率いる百四十八連隊第一大隊
の2500人が、英雄的な防戦をしたものである。
米中連合軍は圧倒的兵力にもかかわらず攻めあぐみ、
7月30日〜31日には中国軍部隊の同士討ちさえ起きている。
この混乱に乗じて、
8月1日、軍旗保護を理由に丸山大佐以下600名は
包囲網脱出に成功。
責任をとった水上少将は多くの傷病兵とともに自決。
捕虜はわずか187人だった。
お馬鹿なインパール作戦がなければ、余裕で守り切れた戦いのはずだった。
458 :
名無し三等兵 :01/10/07 03:11 ID:uPASq4yE
>お馬鹿なインパール作戦がなければ、余裕で守り切れた戦いのはずだった。 インパール作戦での日本側死者の大半は戦闘では無く餓死・病死・過労死。 よく日本陸軍戦車の対戦車威力不足が指摘されるが、これは決定的ではない。 戦車を破壊する方法は他にいくらでもあるからだ。ただこれとて補給を絶たれ、 火炎瓶すらなくなってしまってはどうしようも無かったのだが。
459 :
名無し三等兵 :01/10/07 03:25 ID:0cT7sCNw
>>456 ソ連軍の大攻勢は、わずか10日間で日本軍第6軍を壊滅に追い込んだ。
大混乱の中、壊走した歩兵団もあれば、砲を放棄して逃走した野戦重砲兵連隊も
ある。
時代遅れな戦い方と兵器ではやむを得ない状況であり、多数の兵器が無傷のまま
鹵獲されても不思議ではない。
太平洋戦争でも、逃げ場のない小島嶼は別として、ルソンやレイテ、ニューギニア
などでは多数の戦線離脱兵や投降者を出している。
「最後の一兵まで戦う日本兵」は、一面の真実に過ぎない。
ジューコフがノモンハンで試しその成果に確信を抱いたのは、機械化部隊や航空機
を駆使した機動戦による敵の包囲撃滅作戦と、それを確実するための周到な準備と
偵察、指揮系統の明確化、通信体制と兵站の整備など。
これらは、ソ軍上層部での検討と演習を経てその後の実戦に生かされていく。
一方日本軍では、実戦部隊指揮官の処罰には熱心だったが、敗北の教訓が生かされ
ることはなかった。
ミートキーナやビルマ北部での日本軍の頑強な抵抗は、インド・中国間の地上連絡
を長期にわたり遮断する成果を上げた。
しかし、インパール作戦が行われなかったとしても、ミートキーナの長期保持は
無理だったろう。
インド・ビルマ国境からの英軍の本格反攻は時間の問題だった。
旧式化した日本軍には、1944年以降、平地においても山岳部においても英軍を押し
とどめる力はなかった。
460 :
第一総軍 :01/10/08 01:42 ID:kgl/KGc2
日本軍師団の簡単な編制シリーズも概ね終了したことですし、最近皆さんビルマ戦に詳しく言及されていますからそちらのほうに話題を変えましょうか。 少し調べておきますね。 少佐殿、ご無沙汰です。最近お見かけしないので少し心配しておりました。 ポプラン中殿、あちこちでのご活躍何度か拝見しておりました。宜しくお願いいたします。 飛黎様、最近満州事変前位の中国軍の資料を手に入れました。いずれまた機会を見て。 その他の皆様、大変お詳しい方々が参入されてきて心強く思います。今後とも宜しくお願いいたします。
461 :
ポプラン中尉 :01/10/08 13:39 ID:zb5QpFSs
>>460 第一総軍殿
ご教授を宜しくお願いいたします。
462 :
名無し三等兵 :01/10/09 19:27 ID:FOGLO.uo
>>444 欧米の国々は戦争で疲弊しては、その度にその尻拭いをアジアの
植民地からの収奪で補うのが第二次大戦前までのパターンであった。
第二次大戦後にそうはならなかったのは、フィリピンを除いて
日本陸軍との軍事訓練・共闘によって力をつけたからだと思う。
インドネシアもベトナムも日本式の訓練を受けて日本製の
武器で闘って独立を勝ち取ったのだと言える。
463 :
打通バカ :01/10/10 10:54 ID:PISok7/6
大陸打通作戦は間違いなく米中離間を決定的にしたことは、 ヤルタ協定で中国抜きで米ソが満州支那権益について 取引してしまったことで明らかだ。カイロ宣言の時とは 違い中国の発言権は皆無であったのだ。大陸打通作戦の 意義はこれだ。沖縄の中国領化を阻止した決定打であった。
駄痛ネタは別の所でやってくれ このスレッドの質が落ちる
465 :
名無し三等兵 :01/10/11 19:04 ID:1CyrctME
>1st Burma(25 Desember 13,463 2431(1,999) >1942‐12 May 1942) >1st Arakan(23 Octover 5,057(916) 1,100(estimated)(400) >1942-15 May 1943) ビルマ戦で敵のM3スチュワートに対し日本戦車が無力であったことは有名だ。 とはいえ戦車対戦車戦闘が全体の戦局に与えた影響はいかほどであったろうか。
466 :
名無し三等兵 :01/10/12 10:02 ID:.3GfpKcI
中国軍って本気で抗日戦をやる気があったのだろうか。 朝鮮戦争の時の人海戦術とはどう考えても同一で無いような。
467 :
名無し三等兵 :01/10/13 20:41 ID:vgHO9ZNU
浮上
468 :
名無し三等兵 :01/10/13 21:14 ID:BG0eXBbk
>>466 事変前に、あからさまに最新兵器を買いまくってたし。
日本の租界の周囲にはトーチカ築くし
第一次世界大戦を経験した外国人雇ってヒンデンブルグライン
作ってたらしいから、一応本気だったのかも。
本当なら上海租界を全滅させて、めでたし〜めでたし〜だったのかもね。
なんで、耐えぬいたんだ? なんで塹壕 トーチカを突破したのやら?
ガキの私には考えられないよ。
469 :
名無し三等兵 :01/10/13 22:42 ID:y3d65BIw
>447,448 各部隊には鉄工兵(簡単な兵器の補修からはては釘、鎹の制作まで行う) というものがいました。俗謡で「1にテッチン2にヨーチン、3に薬莢のケツ タタキ」と歌われたうちのテッチンのことです(ヨーチンは衛生兵、薬莢 のケツタタキとは通常の歩兵のこと)。 いわゆる特技兵の一つで、入営後、地方で鍛冶屋等の前歴があったもの を選抜していました。 工場の設備保全に相当する役職と考えればいいかと思います。また、占 領地において宣撫工作の一環として現地人に対する奉仕活動なども行って いたとか。
>>462 ベトナムはちょっと違うのだが。
組織としての日本軍自体は、あまりアジア植民地の自立に積極的ではなかったよう
だが、個人として献身的な人たちがいたのが救いですな。
>>465 戦車対戦車の戦闘の全貌については知らないのだが、インパール戦では戦闘を回避
していたもよう。車体を埋めて半トーチカ式にして抵抗していたようだが、相手が
M3、M4ではしょうがない。
戦局については・・・、あんまり影響無かったんじゃないですかね。
>>466 朝鮮戦争を戦ったのは人民解放軍なので、抗日戦時の中国側軍隊とは分けて考えた
ほうがいいのでは。
抗日戦で日本軍と戦ったのは、国民党系政府軍、八路軍、地方有力者の軍隊、宗教
軍など多種多様な部隊だったとされている。
>>469 ひょっとしてソースは山本七平氏の著作かな?
私も読みましたよ。
471 :
大陸打通太郎 :01/10/14 23:12 ID:ajcqcohQ
米陸軍,ソ連陸軍,ドイツ陸軍のような世界的陸軍大国と比べて,日本陸軍の 装備の悪さを言い立てても何の意味も無い。明治以来の日本の宿敵は中国であり, これこそ最優先に打倒されなければならなかったのだ。 また航空機に関して言えば打通作戦の間は第五航空軍の健闘により, 在支米空軍に対して辛うじて対抗できたのだ。白兵戦に持ち込み さえすれば中国軍なぞ日本陸軍の敵では無かったのだ。
472 :
第一総軍 :01/10/14 23:39 ID:ezeB9r2j
皆様、今、ちょっと別な方で戦略級ゲーム(もちろんボード)を製作中で書き込み止っていてすみません。 予告どおり、ビルマ戦について少しやりたいのですが、私より充分詳しい方も何人もいらっしゃるご様子ですし、はじめていてくださって結構です。 宜しくお願いいたします。
473 :
469 :01/10/17 00:53 ID:+Q08wIwg
>470 その通りです。山本七平氏の著作と光人社のよもやま物語シリーズが ソースです。 ちなみに引用した俗謡は兵隊の職務で楽なものを順番に上げていく歌 です。鉄工兵や衛生兵に比べるとその他大勢の歩兵は大変だ、というこ とを歌ったものです(実際にはそんなことはなかったらしいですが)。
474 :
こんにゃく糊 :01/10/17 01:41 ID:QrB10J3/
>日本陸軍の装備の悪さを言い立てても何の意味も無い。 少なくとも海軍との連携がうまくいっていれば、重砲も充実していたかと^^; あと、海軍陸戦隊の装備も。 日本陸軍は組織間の力関係のいびつさが近代化をさまたげていたかと思うねん。
中国近代史の生証人、張学良死去。享年100歳・・・・故人の冥福を お祈りします。
476 :
大陸打通太郎 :01/10/17 20:19 ID:daFT9rqS
464>駄痛ネタは別の所でやってくれ 俺は「日本陸軍の戦闘能力」を証明するものはまさしく大陸打通作戦 であったと確信している。よく米陸軍が,ソ連陸軍が,ドイツ陸軍が どうだったかなんて引き合いに出して日本陸軍を腐す者が多いが, 俺は中國に完勝できれば十分と考える。明治以来,この中國という 国はまことにいやな国で,以夷制夷・遠交近攻で米英独露に媚びに 媚びて日本の邪魔ばかりをしてきた。中國こそが諸悪の根源であり, まず最優先に打倒されなければならなかったのだ。 大陸打通作戦は戦争後半の日本陸軍の将兵・車両・航空機全ての 実力がそれぞれ世界的に確かなものがあったことを教えてくれる。 どれ一つかけてもあのような長距離快進撃は為しえなかったはずだ。
477 :
飛黎 :01/10/17 22:32 ID:2PkBrcpe
>大陸打通太郎殿 ここはつとめて冷静に、装備、編成面等から日本軍及び関係諸軍の戦力を語るとこ ろですので、それをお忘れなく。 それと、大陸打通作戦関係は専用スレがあったはずですので、そちら戻られて語ら れてはいかがでしょうか? >第一総軍殿 中華民国軍の資料、楽しみにしております。
478 :
名無し三等兵 :01/10/18 11:52 ID:3VmzAkcF
>戦略級ゲーム(もちろんボード)を製作中 発売はいつ頃?,予約しときたいな。
479 :
第一総軍 :01/10/18 23:29 ID:oUyiCOBV
478様、ごめんなさいね。自作同人ゲームです。私は本職ではありません。 しかも、まともな軍事ものではなく、ヤマトものです。 因みに21日に最初の6部が完成、そのまま和光市での某イベントにて友人のサークルに並ぶはず。 暇になったら再び日本本土決戦ゲームのデザインをしたいと考えています。もともとこのスレもそのための情報収集用に立てさせていただいたものですし。
お久しぶりです。酔うております(笑)。 今、引っ越しの準備中で、これが終わったら適度に書き込みます。 記憶の範囲でライトな話題なら反応しますので、御容赦を。 ちと、亀レスですが。 戦車連隊の編制なのですが、大戦初期の編制と後期以降の編制(特に本土決戦部隊)では、 運用上思想上の相違があるように感じられます。 特に砲戦車中隊や自走砲中隊を編制したあたりから。 反撃予備としての性格が強くなったんでしょうか? さて、実はワタシも某ゲームの同人モジュールの作成中です。 日本軍のユニットはほとんどできたんだけど、シナリオの製作がほとんど未着工。 完全版のリリースは何時のことか(笑)。
481 :
第一総軍 :01/10/20 00:18 ID:McboasPy
ばばぼん♪ 様、ご無沙汰です。スコードリーダーですね。
482 :
大陸打通太郎 :01/10/22 11:00 ID:Jaj1c1PE
第二次大戦中の日本陸軍機甲部隊が列国に比してそんなに「弱かった」のなら、 あれにすら外国の支援を受けながら連戦連敗だった中国軍の評価はどうなる んだろう。 JS2・パンター・ティーゲル>T-34・M4シャーマン >>>>>>>>>>>97式中戦車改 だとすれば、97式より更に ずっと旧式の訓練用中古戦車で「打通」されてしまった、日本陸軍 機甲部隊快進撃を許した中国国府軍は何流軍隊だ?
483 :
大陸打通太郎 :01/10/22 11:11 ID:S/JDupH9
騰越(とうえつ)、拉孟(らもう)、平戞(へいかつ)の国境を守る日本軍の総数は、 歩兵はたったの400人であり、砲兵はおろか300人の患者も入れても900人に満たない。 1944年の6月2日、そこへ四万を越す装備優秀な雲南遠征軍が襲いかかった。 驚くことに、900対数万の激戦は約3ヶ月も続き、9月7日に終わった。 その二日後、蒋介石の有名な全軍布告放送が行われる。「わが将校以下は、 日本軍の守備隊が孤軍奮闘最後の一兵にいたるまで命を完うしある現状を範とすべし」
484 :
名無し三等兵 :01/10/22 11:47 ID:+b1X7Noc
この人ってベンゼンが名前を変えてやってるの?
__ /__|__ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /__了 ゚Д゚) < 頑張りすぎちゃたぞ!ゴルァ! (|〆/|) \________ /|  ̄ | ∪ ∪
あれ、(国府軍)われわれの概念での「軍隊」と考えないほうが いいと思うな。 神田で発掘した徳間書店刊「現代中国の歴史」全三巻 の帯に書かれてる 「430万の米式装備の国府軍を、たった3年で消滅し…(以下略)」
>>484 どうなんだろ。ただの狂信的日本軍信者じゃない?
ベンゼンはあまり長い文章書けないし。
あと一人、打通太郎嫌いの日本軍信者がいたな。
こいつがパブロフかと思うのだが。
488 :
名無し三等兵 :01/10/22 14:55 ID:OQj8EjsI
>>488 そこ覗いてみたが、「反中家」=打通太郎なのかな。ちょっと確信もてない。
ヤフー掲示板には大勢いるタイプだね。
いずれにせよ、打通太郎もパブロフ二等兵も別の世界に逝ってしまっている。
ズレた話題なのでsageとく。
しかしまぁ、勝てるところとのみ比較して優越感に浸っていて、むなしくないんで すかね?この方は。 それに個々の勝利を上げても、戦略的にみて日本は中華民国に負けた訳だし。 ただ、個々の軍隊を比較した場合国府軍が日本軍より弱かったのは同意。というか レベルの違う軍隊を並べて優越を論じてもしょうがないような気もする・・・
491 :
名無し三等兵 :01/10/23 19:04 ID:EyuNU+4k
横須賀第一陸戦隊 横須賀第三陸戦隊 第一挺身集団 他にも空挺部隊っていないのですか?
492 :
名無し三等兵 :01/10/25 18:00 ID:wgYfy3Ro
age
493 :
大陸打通太郎(483) :01/10/26 17:03 ID:2e4++05L
>むなしくないんですかね?この方は。
まあ冗談半分だし、他の人も同ハンドルでやってますから。
僕の言っていることは第一総軍氏の投稿内容をホラ話を交えて
いくらか大げさに表現して、「日本陸軍の戦闘能力」を強調
すると同時に、中国側の反日悪宣伝に対抗しようと思ってます。
http://yasai.2ch.net/army/kako/978/978020518.html 11 名前: 第一総軍 投稿日: 2000/12/30(土) 01:47
ラモウ、トウエツ、ミートキーナ等の遅滞作戦によって、結果的に
大陸打通作戦を実施中の支那派遣軍の作戦に貢献したらしい。本国
で窮地に陥った蒋介石は、遠征軍を早く呼び戻したがっていたので.
まあ、日本軍としてもそんなつもりで玉砕したわけではなく、
あくまで結果的にそうなったということですが.
494 :
名無し三等兵 :01/10/27 17:07 ID:9BaVwGMp
一四日(午後三時発信)、岡村大将はふたたび「百万の精鋭健在の儘 敗戦の重慶軍に無条件降伏するが如きは如何なる場合にも絶対に承服し 得ざるところ」と、電報した。同時に岡村大将は参謀長を通じて天皇に 対しても上奏し(午後十時二十五分発信)、「外電の伝うるが如き 屈辱的平和は光栄輝く帝国を邁進すべく御聖断あらんことを伏して 祈り上げ奉る」と言上した。
駄通太郎=明らかな荒らし です。正面から論破されると おれさまをとくていするのはふかのうだ! という単純コピペで振り切って逃げます。だからもう誰の相手にしません。 得意技=粘着荒らしです。要するに馬鹿です。コイツに荒らされて 潰されたスレは数知れません。アゲ荒しをやりまくった歴史もあります。 特に困るのは「事実」と「妄想」の区別をつけない所です。 匿名でも時々コイツは思いついたホラ話を投稿して>ソースは? とやられると逃げます。 >まあ冗談半分だし、他の人も同ハンドルでやってますから。 >僕の言っていることは第一総軍氏の投稿内容をホラ話を交えて ちなみに、こういう言い訳を言い始めたのは嵐対策が確定されてからであります。 どうか軍事板からの打通太郎駆逐作戦にご協力をお願い致します>all
>誰の相手にしません。 >誰も相手にしません、に訂正致します。
497 :
名無し三等兵 :01/10/27 21:24 ID:R18DUtFz
例えばあなたのいう「荒らし」ってなんですか? その「荒らし」は管理人ひろゆきさんが決めたものなんでせうか? あなたが勝手にきめたんでせうか、だとしたらあなたに何の権利が?
498 :
第一総軍 :01/10/27 23:37 ID:T6/AmwCG
簡単な日本軍師団編制その18(戦車第四師団) 師団司令部 戦車連隊(中戦車中隊2個、砲戦車中隊2個、 自走砲中隊、作業中隊、整備中隊) 中戦車25、軽戦車12、砲戦車20、自走砲6、 装甲兵車12、乗用車1、自動貨車10、その他 戦車連隊 同上 戦車連隊 同上 師団機関砲隊 5個中隊 20粍双連機関砲20 その他 師団通信隊 師団整備隊 師団輜重隊 4個中隊、整備中隊 以上が日本陸軍が編成した最後の戦車師団である戦車第四師団の大体の編制である。 この 倀はサイパン陥落後に本土防衛のために教導学校人員を基幹として編成されており又、常に本土にあったため素質、装備共に優良であったと考えられる。 特徴としては従来の戦車師団と異なり歩兵、砲兵等の連隊を含んでおらず、殆ど戦車純血の師団となっており日本陸軍が果たして戦訓をどのように考えていたのか疑問である。師団というよりは大型の戦車旅団の様な趣がある。 しかし、資料によっては終戦時には各連隊の中戦車中隊の車両を三式中戦車に改めていたとも言われており、ある程度の戦果を上げえたであろうと考えられる。
499 :
第一総軍 :01/10/27 23:43 ID:T6/AmwCG
訂正 この師団は
500 :
名無し三等兵 :01/10/27 23:51 ID:kRhcRBN7
( ´D`)ノ< 500ゲットしたれす。
501 :
名無し因果応報 :01/10/28 00:19 ID:6nsQzrOq
良スレage 応援してます
502 :
45/85式改 :01/10/28 18:28 ID:yIiCPHWA
久々の書き込みです 第二次世界大戦帝國陸軍南東戦線戦闘序列 第8方面軍(今村均中将) 第8方面軍司令部 第17軍(百武晴吉中将) 第17軍司令部 第6師団 山砲1個連隊 山砲1個大隊 速射砲1個大隊 速射砲1個中隊 高射砲5個大隊 その他諸部隊 第18軍(安達二十三中将) 第18軍司令部 第20師団 第41師団 第51師団<主力再建中> 南海支隊 独立混成第21旅団 歩兵第41連隊 その他諸部隊 直轄部隊 速射砲1個大隊 高射砲6個大隊 その他諸部隊 第38師団 飛行第6師団 飛行第6師団司令部 航空7個戦隊 飛行3個中隊 その他諸部隊 直轄部隊 独立混成第65旅団<2個連隊欠> 南海第1守備隊 戦車1個連隊 戦車1個中隊 野戦重砲兵2個連隊 高射砲3個大隊 その他諸部隊
503 :
名無し三等兵 :01/10/28 22:29 ID:aW/oXvXs
age
504 :
名無し三等兵 :01/10/29 22:47 ID:90fn6vvl
age
505 :
大陸打通太郎 :01/10/29 23:55 ID:TgqAGp5T
第一総軍師匠,早く来ないかな・・・
506 :
第一総軍 :01/10/30 00:47 ID:PGHg7maD
491様、他には空挺部隊は私も存じません。 ただ、第一挺進集団には第一挺進団と第二挺進団があり、さらに第一挺進団には第一挺進戦車隊があったようです。 その他にちと意味合いが違いますが、確か関東軍の機動第一旅団の一部が気球による挺進訓練をしていたと読んだことがあるような。 ところで、第一挺進戦車隊の編制内容をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか? 30輌生産されたという二式軽戦車なのでしょうか?長年の謎です。
507 :
第一総軍 :01/10/30 00:55 ID:PGHg7maD
スレ違いですが雑談です。 いや、ここ3年程忙しい仕事をしていたせいか大分友人を減らしてしまいました。男女共にね。 元々は第一総軍の軍団は、いくら倒れても尽きることなく再生すると言われるほど友人には恵まれていたんですけど。 今、体調を崩して転職のための準備中ですが、この年になって新たに活動するのは億劫で効して柄にもなくネットの住人となり果てている状態ですよ。 このスレにせよもう一つ頻繁に出入りしているデスラースレにせよ、この2ちゃんで珍しくいい人たちに恵まれたようで多少はストレスの解消になっています。 この場をお借りしてお礼を申し上げておきます。 スレ違い申し訳ない。実は彼女も今仕事上で悩んでいるところで、こっちが相談に乗っている関係上愚痴をこぼせなくて。
508 :
第一総軍 :01/10/30 01:18 ID:PGHg7maD
ご心配をかけるような書き方でしたね。因みに次の仕事は既に決まっているので問題はありません。 ただ、少し時間がかかるだけで。
509 :
名無し三等兵 :01/10/30 17:09 ID:h/eC8IO2
「タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図」 (ジョン・キーガン編 滝田毅訳)P145 「1号作戦」は、中国におけるアメリカの政策の終結をもたらす決定的な引き金 となった。それは、米軍の計画につきものの、空軍および陸軍の対立を際立たせた。 1944年に空軍作戦が優先された理由は、蒋介石が攻勢には国民党軍の関与を最小 限にしたいと望んだからである。中国における米軍の高級将校、スティルウェルは、 国民党の消極的姿勢ゆえに蒋に対しても、また空軍基地の安全を保証するのに必要 な地上軍不足から 空軍作戦にも反対した。日本軍の攻勢がスティルウェルの予言どお りになり始めた時、ワシントンは、蒋介石に国民党政府軍全体の実質的支配をスティ ルウェルに与えるよう要求した。 しかしこの要求を強制するてだてもないまま、 ワシントンは蒋のスティルウェル罷免要求にあって彼を召還しなければならなかった。
510 :
名無し三等兵 :01/10/30 17:21 ID:1FhXZqYh
「日中戦争 日・米・中報道カメラマンの記録」(平塚柾緒 翔泳社)のP191 十一月九日、第五十八師団による桂林の総攻撃が開始された。 日本軍は野砲四十二門を中心に、空からは第五航空部隊が市街地を銃爆撃した。 しかし重慶軍の応戦は激しく、日本軍の戦車にも果敢に砲撃を加えてきた。 しかし日本軍は水東門から桂林城中に突入することに成功した。 城内は混乱状態に陥っていた。敵味方の識別も難しい中での市街戦がはじまった。 そして激闘一日半、桂林は第十一軍が確保した。 中国軍の戦士五千六百名、捕虜は一万三千余名を数えた。 こうして、日本軍が桂林、柳州を占領したことで、「一号作戦」の目的である 中国西南部の米軍用基地はすべて奪取に成功したのだった。
511 :
大陸打通太郎 :01/10/31 00:20 ID:eJpZU7ii
>>442 でも述べられているように,CBIは空軍が主体で地上歩兵(infantrymen)
は不足ぎみであったようだ。大陸打通作戦は事実上空で米軍,地上で中国軍
を相手にしたものであったといえる。確かに南方からの輸送・本土空爆阻止
にはならなかったが,その後に及ぼした政治的影響力は非常に大きい。
日本陸軍はそれぞれ空軍で辛うじて対抗,地上軍で圧勝とよくやってくれた。
大陸打通作戦は日本の最終的敗戦は避けられなくなったとしてもそれは
米軍に対してであり,断じて中国のナラズ者集団に対してではないこと
をはっきりさせておくために,断固として必要な作戦であったのだ。
512 :
45/85式改 :01/10/31 02:10 ID:t4RPjO9T
>>507 第一総軍様、御疲れ様です
これからも頑張って下さい
( ´D`)ノ(そういえば四式中戦車スレでも御無沙汰してましたね)
第二次世界大戦昭和18年ビルマ戦線戦闘序列1
帝國陸軍側
ビルマ方面軍(河辺正三中将)
ビルマ方面軍司令部
第15軍(牟田口廉也中将)
第15軍司令部
第18師団(田中中将)
第31師団(佐藤中将)
第33師団(柳田中将)
第56師団(松山中将)
第15軍直轄部隊
第55師団(古閑中将)<南海支隊欠>
ビルマ方面軍直轄部隊
第3航空軍(菅原道大中将)
第3航空軍司令部
飛行第5師団(小畑中将)
飛行第5師団司令部
戦闘2個戦隊
重爆2個戦隊
軽爆2個戦隊
司偵1個戦隊
その他諸部隊
第3飛行団「ジャワ方面」
第12飛行団「スマトラ方面」
連合国軍側
イギリス・インド軍(ウェーヴェル大将)
東部軍
イギリス第15軍軍団<インド2個師団基幹>
イギリス第4軍団<イギリス・インド各1個師団基幹>
イギリス・ビルマ軍団「以前の編成表参照」
ウインゲート旅団
南部軍<2個師団・機甲旅団・軽騎兵旅団基幹>
北部・西部軍<5個師団・機甲師団基幹>
アメリカ・中国軍
アメリカ第1軍(スティルウェル中将)<米式装備中国国民党軍2個師団基幹>
中国国民党軍
雲南遠征軍(陳誠上将)<米式装備中国国民党軍7個師団基幹>
航空部隊
約550機
513 :
第一総軍 :01/10/31 02:19 ID:FdpHQ/OC
45/85式改様、ありがとうございます。 因みに大変奇遇なことに、私もそろそろビルマ戦を始めようかと考えていたところです。 おかげさまでこれで日本軍戦闘序列は書き込まなくても済みそうですね。 私は英軍で行きましょう。 では明日あたりから徐々に。 昨日の愚痴ですが、知り合いなら山ほど居ても戦力にカウントできるのは秋田から山口まで全国に分散している友人20人を切っているでしょう。 そのうち当てに出来るのは恐らく10人強。 それだけいるのなら贅沢だと言う人もいますが。 人付き合いは大切にしましょうね。
514 :
カニ光線 :01/10/31 09:23 ID:+bO3ITDK
どうもお久しぶりです。 第一総軍様 第一挺身戦車隊の資料は手元にあったと思いますので今晩にでも紹介しますね。 掲載の所属戦車の写真は二軽戦車だったとおもいますが記憶があいまいです。 たしか終戦直前にはグライダーと和製ジープを組み合わせた特攻が準備されたようですが、他部隊の特攻の例にも多いように八月十八日が出撃日だったようです。
515 :
陳誠大好き(カニ光線) :01/10/31 14:29 ID:nCHFTDSk
おっと!ひさかたぶりの書き込みのせいでハンドルをミスしてしまいました!上の書き込みは私のです。使い分ける意味なんて最初から無かったのでいいのですが。
516 :
45/85式改 :01/10/31 19:05 ID:drvmbZ00
第一総軍様、空挺戦車候補としては在来の軽戦車が検討されてました ただ、一番強力な試製五式軽戦車は確か重量過大で無理だった筈です また、輸送機は「立川飛行機株式会社 キー92 真鶴」が使用される予定でした (大出力曳航機の必要性や戦況の悪化や資材不足等で不採用) 立川飛行機株式会社 キー92 真鶴 全長 :22,00m 全幅 :32,00m 自重 :11,175kg 全備重量 :17,600kg 搭載機関 :ハ104(空冷式複列星型発動機 1870hp)二基 最大速度 :426km/h 上昇時間 :7000m/18'20'' 実用上昇限度:10,100m 航続距離 :3960km 搭載重量 :6,425kgor兵員34名(完全武装兵の場合は30人) 乗員 :5名
む、今度はビルマ戦線ですか。 第一総軍殿、色々と大変そうですが本土決戦のシュミレーションゲームのほうは いかがですかな? あっちのスレも上げときましょうかね。
518 :
第一総軍 :01/10/31 23:30 ID:Saj0PDrZ
陳誠大好き様、45/85式改様、情報感謝いたします。 なるほど第一挺進戦車隊はやはり二式軽戦車らしいですね。30輌程度生産されたようですが果たして部隊としてはどのくらいの規模だったのか興味津々です。 517様、実は第一挺進戦車隊が終戦時に九州に展開していたのでこれも本土決戦ゲームの為のリサーチの一環なのです。 ゲーム自体に関しては、ようやくヤマト戦略級「東堂の野望」の先行量産型(といっても6セットですが)が完成し、本土決戦に取り掛かることが出来そうです。 しかしぐずぐずしているうちにゲームシステムに満足できなくなってきてまして、何か良いシステムは無いかと思案中です。 実は早くもそして無謀にも続編として「ソ連軍満州侵攻」と連結セット「支那派遣軍の落日」(ともに仮題)のリサーチも同時に行っていまして、どうなることやら。 現在の問題点は以下の通りです。
519 :
第一総軍 :01/10/31 23:44 ID:Saj0PDrZ
1.部隊のリサーチとして第一挺進戦車隊と海軍陸戦隊の詳細な編制内容。 2.ユニットのレーティングで、対装甲と対非装甲攻撃力の区別。 3.同じく、通常戦闘力と砲兵火力の区別。 4.小規模でも精鋭な部隊にはそれなりの活躍が出来るようなゲームシステム。 5.支那派遣軍バージョンで中国軍も師単位でのユニット化。但しユニット数が膨大に。 6.コマンドコントロールの採用?ゲームの更なる複雑化か? 7.それでいてある程度のプレイアビリティー。 8.もちろん満州国軍等の同盟軍もユニット化。 これだけ並べれば大変なビックゲームになりそうです。ヤマトと違い同人ゲームとしての 販売予定さえないのにここまでやるかという感じですね。 因みに「東堂の野望」もユニット総数は700以上になってしまいました。とても初心者では やる気が起きないでしょうね。 幸いルールは比較的簡単ですが今思うとテストプレイの不足から勝利条件等が曖昧です。 勝敗を競うものではなく雰囲気ものなんですが。 私の作るゲームはいつもビックゲーム化してしまいますよ。以前作った(もちろん非売品) マジンガーZもグレンダイザーまでの全敵ロボットをデータ化した上におまけとしてゲッター ロボ各種までいれてましたし、その他のカードゲームも殆ど200乃至300枚に達する勢いでイラスト担当の友人を苦しめました。 本土決戦に関するアドバイスも募集しております。いい案があれば宜しくお願いいたします。 ビルマ戦は今日は無理かな。すみません。
520 :
45/85式改 :01/11/01 01:39 ID:c18upILX
第二次世界大戦ビルマ戦線第一次アキャブ作戦戦闘序列 帝國陸軍側 第55師団(古閑中将) 第55師団司令部 アキャブ守備隊<後川島支隊> 騎兵第55連隊 その他諸部隊 ドンベイク守備隊(伊藤少佐) 集成大隊 その他諸部隊 宮脇部隊<第33師団隷下歩兵第213連隊主力基幹> 有延支隊<第33師団隷下歩兵1個大隊基幹> 棚橋部隊<歩兵第112連隊基幹> 宇野部隊<歩兵第143連隊基幹> 直轄部隊 歩兵9個大隊 その他諸部隊 連合国側 イギリス・インド軍隷下東部軍 イギリス第15軍団 インド第14師団 イギリス第6旅団<インド第26師団隷下> その他諸部隊
521 :
45/85式改 :01/11/01 17:10 ID:nCHOp5gg
第二次世界大戦昭和18年ビルマ戦線戦闘序列2(第一次チィンジット) 帝國陸軍側 第18師団隷下3個大隊 第56師団隷下1個大隊 第33師団 連合国軍側 ウィンゲート旅団(ウィンゲート准将) 北群 ウィンゲート旅団司令部 5個縦隊 南群 2個縦隊
522 :
45/85式改 :01/11/01 23:39 ID:tfZ6nA4A
第二次世界大戦ニューギニア戦線戦闘序列 帝國陸軍側 第8方面軍(今村均大将) 第8方面軍司令部 第17軍<第6師団基幹> 第18軍(安達二十三中将) 第18軍司令部 第20師団 第41師団 第51師団 その他諸部隊 第4航空軍(寺本熊市中将) 第4航空軍司令部 飛行第6師団<航空6個戦隊基幹> 飛行第7師団<航空5個戦隊基幹> 第14飛行団<航空2個戦隊基幹> 第1挺身団 第17師団 その他諸部隊 第2方面軍(阿南惟畿大将)<第2軍・第19軍基幹> 連合国軍側 西南太平洋方面最高指揮官(ダグラス・マッカーサー大将) 連合国軍陸上部隊指揮官(ブレーミー大将) ニューギニア軍 ニューギニア軍司令部 オーストラリア第1軍団 オーストラリア第5師団 オーストラリア第7師団 オーストラリア第9師団 オーストラリア第11師団 オーストラリア第4旅団 オーストラリア第3師団 その他諸部隊 アメリカ第6軍(マッカーサー直率) アメリカ第1軍団 アメリカ第1海兵師団 その他諸部隊 オーストラリア第1軍 オーストラリア第2軍 その他諸部隊 連合国軍海軍指揮官(カーペンダー中将)「陸戦部隊のみ掲載」 第7水陸両用軍 連合国軍航空部隊指揮官(ケネー中将) アメリカ第5航空軍 オーストラリア空軍 その他諸部隊
523 :
第一総軍 :01/11/02 00:49 ID:ycikdVKZ
簡単なビルマ陸戦シリーズその1 ビルマ侵攻作戦編 日本軍戦闘序列 第十五軍 開戦時 第三十三師団 第五十五師団(南海支隊欠) その他(詳しくは45/85式改様の書き込みが有るはずです。) 増援(昭和17年3月4日編入) 第十八師団(川口支隊欠) 第五十六師団 戦車第一連隊 戦車第十四連隊 戦車第二連隊軽戦車中隊 野戦重砲兵第三連隊 野戦重砲兵第十八連隊 野戦重砲兵大隊1個、野戦高射砲大隊1個、同中隊1個 独立工兵連隊2個、同中隊1個、鉄道連隊1個、その他
524 :
第一総軍 :01/11/02 01:19 ID:ycikdVKZ
イギリス軍戦闘序列(開戦時) ビルマ軍 ビルマ第1師団(2個旅団編制、イギリス人大隊1個、国境警備隊1個、 インド人又はビルマ人大隊7個、グルカ人大隊1個、山砲中隊1個、その他) インド第13旅団(イギリス人大隊1個、インド人大隊2個) インド第16旅団(イギリス人大隊1個、インド人大隊2個) ラングーン守備隊(イギリス人大隊1個?、インド人又はビルマ人大隊0.5個) インド山砲兵連隊1個、同中隊2個、野砲中隊1個、インド人又はビルマ人大隊2個、 同中隊1個、国境警備隊4個 増援 インド第17師団(3個旅団編制、イギリス人大隊3個、インド人又はビルマ人大隊7個、 グルカ人大隊2個、山砲大隊1個、山砲中隊3個、国境警備隊1個、その他) ※17年1月頃より順次到着。但しイギリス人大隊、現地人大隊各1個はビルマ第1師団から異動) イギリス第7機甲旅団(戦車大隊2個、歩兵大隊1個?、 砲兵、高射砲、軽高射砲、対戦車砲中隊各1個、その他) ※17年2月頃到着。 インド第68旅団(イギリス人大隊1個、グルカ人大隊1個、その他2個大隊) ※17年3月頃?インド第17師団に編入。 高射砲連隊1個、砲兵旅団1個、現地人大隊19個?、重高射砲、軽高射砲中隊各1個、 対戦車大隊1個、その他(一部重複の可能性有り) ※この時期の英軍師団編制は混乱しており指揮下部隊を頻繁に転属させている。 又、ビルマ第1師団、インド第17師団共、定員をかなり下回っていた。
525 :
第一総軍 :01/11/02 01:30 ID:ycikdVKZ
中国遠征軍 第5軍 新編第22師 第96師 第200師 予備団2個、騎兵、工兵、砲兵、装甲、自動車団各1個、その他 第6軍 第49師 第93師 暫編第55師 工兵、砲兵営各1個、その他 第六十六軍 新編第28師 新編第29師 新編第38師 砲兵営1個、その他 ※この頃の遠征軍の各師は実際には他国の旅団相当の兵力である。 新編師は通常の師より強力、暫編師は通常より劣っていると考えられる。
戦闘序列だけ見ると強そうなんだけどナ
527 :
第一総軍 :01/11/02 01:44 ID:ycikdVKZ
各軍の損害 日本軍 死傷 2,431 内戦死1,999 イギリス連邦軍 死傷13,463 内戦死1,499(行方不明約9,000) 中国軍 死傷不明 私見だが戦死10,000前後、他に負傷か? 以上、ビルマ侵攻作戦編。
528 :
45/85式改 :01/11/02 17:55 ID:ypuHIGe7
第二航空艦隊(福留繁海軍中将) 航空第98戦隊(高橋太郎陸軍少佐)「鹿屋」 飛龍(海軍では靖国と呼称)×36<雷撃機> 航空第7戦隊(高橋猛陸軍少佐)「鹿屋」 飛龍×36 尚、1945年1月8日の第二航空艦隊解散後は第27飛行団に配属
記入ミスしました
>>528 の航空第7戦隊の飛龍×36の隣に<雷撃機>を追加
530 :
名無し三等兵 :01/11/03 19:09 ID:9LK3Z1ys
祝日age
531 :
第一総軍 :01/11/04 02:06 ID:cQEgyvmZ
自分でビルマシリーズ開始とか行っておいて何なのですが、何かこうただ書いているだけで無味乾燥な感じですよね。 読み物としてつまらない。かといって作戦内容を云々するほどの見識も無いし。 困りましたね。
532 :
枢軸国軍側 南方軍(寺内寿一大将) 南方軍司令部 第15軍(飯田祥二郎中将) 第15軍司令部 第33師団(桜井省三中将) 第55師団(竹内寛中将)<南海支隊欠> 独立守備歩兵第42大隊 その他諸部隊 「1942/3/4以降追加」 第18師団(牟田口廉也中将)<川口支隊欠> 第56師団(渡辺正夫中将) 速射砲1個大隊 速射砲2個中隊 戦車第1連隊 戦車第14連隊 戦車第2連隊軽戦車1個中隊 野戦重砲兵第3連隊 野戦重砲兵第18連隊 野戦重砲兵1個大隊 高射砲2個大隊 独立工兵2個連隊 その他諸部隊 第5飛行集団(小畑英良中将) 第5飛行集団司令部 第4飛行団<航空3個戦隊基幹> 第10飛行団<航空2個戦隊基幹> 「1942/3/7以降追加」 第7飛行団<航空3個戦隊基幹> 第12飛行団<航空2個戦隊基幹> 「1942/4/16以降追加」 第1挺身団 航空2個戦隊 タイ軍「ビルマ戦線末期参戦」 歩兵3個師団 その他諸部隊 , :
533 :
45/85式改 :01/11/04 19:28 ID:8zL5l1U5
連合国軍側 ビルマ陸軍(マックレオード中将) ビルマ陸軍司令部 ビルマ第1師団 第1国境部隊 第2国境部隊 第3国境部隊 第4国境部隊 第5国境部隊 その他諸部隊 ↓ ビルマ陸軍(T・J・ハットン中将) ビルマ陸軍司令部 ビルマ第1師団 インド第17師団 イギリス第7機甲旅団 インド第48旅団<インド第19師団隷下> 第1国境部隊 第2国境部隊 第3国境部隊 第4国境部隊 第5国境部隊 中国国民党第6軍 中国国民党第6軍司令部 暫編第49師団 暫編第55師団 暫編第93師団 1個工兵営 1個砲兵営 その他諸部隊 中国国民党第5軍 中国国民党第5軍司令部 新編第22師団 第96師団 第200師団 2個予備団 1個騎兵団 1個工兵団 1個砲兵団 1個機甲団 1個自動車団 その他諸部隊 中国国民党第66軍 中国国民党第66軍司令部 新編第28師団 新編第29師団 新編第38師団 1個砲兵営 その他諸部隊 その他諸部隊
534 :
45/85式改 :01/11/04 19:28 ID:8zL5l1U5
↓ ビルマ陸軍(S・H・アレグサンダー大将) ビルマ陸軍司令部 ビルマ軍団(S・W・スリム中将) ビルマ軍団司令部 ビルマ第1師団 インド第17師団 イギリス第7機甲旅団 その他諸部隊 インド第63師団 インド第48旅団<インド第19師団隷下> 中国ビルマ遠征軍(J・W・ステェルウェル中将) 中国ビルマ遠征軍司令部 中国国民党第6軍 中国国民党第6軍司令部 暫編第49師団 暫編第55師団 暫編第93師団 1個工兵営 1個砲兵営 その他諸部隊 中国国民党第5軍 中国国民党第5軍司令部 新編第22師団 第96師団 第200師団 2個予備団 1個騎兵団 1個工兵団 1個砲兵団 1個機甲団 1個自動車団 その他諸部隊 中国国民党第66軍 中国国民党第66軍司令部 新編第28師団 新編第29師団 新編第38師団 1個砲兵営 その他諸部隊 第1国境部隊 第2国境部隊 第3国境部隊 第4国境部隊 第5国境部隊 その他諸部隊 ビルマ空軍(プルフォード中将→スチアンスン中将) ビルマ空軍司令部 イギリス・ビルマ航空隊<2個中隊→14個中隊> アメリカ義勇飛行隊<約100機> ↓ イギリス空軍ビルマ駐在部隊<約200機> アメリカ第10航空軍(ブレリットン少将)
>第一総軍殿 517ですが、そんなことないと思いますよ。 特にイギリス軍戦闘序列には興味ありです。日本側のはある程度知っていましたが、 初期のイギリス軍についてはあまり知らなかったものですから。 戦闘の流れについても少し加えたほうがいいのでしょうか? 私もそんなに詳しくないのですが。 >「ソ連軍満州侵攻」と連結セット「支那派遣軍の落日」 むむ、大変そうですな。 45/85式改殿も情報提供ご苦労様です。
536 :
第一総軍 :01/11/05 00:36 ID:tv6JGTVR
45/85式改様、恐らくイギリス軍の食い違いは時期によるものと思われます。 原書房の陸戦史集「ビルマ進攻作戦」の巻末資料によるとイギリス軍師団は時期によって指揮下部隊を結構入れ替えています。 恐らくこれがどの時期の戦闘序列かで内容が別れる原因だと考えられます。 又、明らかに臨時の現地人大隊をいくつも新編した気配があります。 因みにインド第48旅団は戦役途中で解散されており、ビルマ第1師団はインド撤退後にインド師団に改編(部隊番号は失念)されています。 517様、応援感謝いたしします。作戦内容については主として45/85式改様が不定期連載されている作戦シリーズの書き込みに依存させていただこうかと不埒なことを考えております。 さて、イギリス連邦の師団について多少の解説を。 ビルマ第1師団はその編制内容からすると明らかにイギリス連邦軍の中で異色な存在のようです。 通常、イギリス連邦の師団は各2乃至3個の旅団(各3個大隊)を基幹として編制されており、植民地師団の場合は各旅団の歩兵大隊のうち1個はイギリス人大隊となっています。 もちろん現地人大隊にも幹部としてイギリス人が含まれているのは言うまでもありません。 更に砲兵に関しては現在のところ私は確とした資料を持ちませんがインド軍等の植民地師団とイギリス軍師団の間には違いがあったのではないかと考えています。 イギリス師団は25ポンド砲72門。 植民地師団は25ポンド砲36門では無かったかと考えています。(一部は山砲を装備するものもある) これら植民地師団については少しづつ解明していけたらと考えております。 その他、確か前スレの方でばばぼん♪ 様ご紹介のページにより詳しい編制図があったように記憶しております。
537 :
第一総軍 :01/11/05 00:40 ID:tv6JGTVR
募集 本土決戦シリーズゲーム化(勿論手作りレベル)に関して協力してくださる方を募集いたします。 戦闘序列や作戦内容、ゲームシステムに思うところある方はお願いいたします。
これザンスよ<イギリス軍の編制
www.freeport-tech.com/WWII/017_britain/__uk.htm
>>537 スケールはどの程度ですか?(ユニット=師団、とか)
第一総軍さん、ユニットの作成なら、協力できるかも。
イラストレイターで作るですよ。
どうでもいいが、プリンタ壊れたぞ(号泣)
539 :
第一総軍 :01/11/05 01:04 ID:tv6JGTVR
ばばぼん♪様ご無沙汰であります。 ユニット規模は師団を基本として独立旅団、独立連隊位までと考えております。 何分私はPC初心者なものでユニットやマップの作成方法を教えていただくなり協力いただくなりお願いできればかなり助かります。 実は元々はデザイナーズキットで1部のみ生産のつもりだったのですが何人か興味をお持ちの方がいらっしゃるようなので必要に応じて追加生産できるようにPCで作成した方がよさそうだと思いまして。 でばばぼん♪ 様はベテランボードゲーマーでもいらっしゃるのでゲームシステムやレーティングについてもご意見を頂きたいところです。
540 :
P :01/11/05 01:25 ID:x29j7ITn
システムの一案 日本軍の勝利条件は、アメリカ兵の損害にせざるをえないと思う。 そうなると、ゲームの内容は、日本軍はいかに効率よく土地とアメリカ兵の人命を 交換していくか、になるのではないか? ゲームの展開としては、損害の累増していく日本軍が、だんだんと うまく土地とアメリカ兵の人名を交換できなくなっていくような感じか? しかし、オリンピック−コロネット作戦のみのゲームならいいが、 ソ連の北海道侵攻とかも含めるのか?
541 :
名無し三等兵 :01/11/05 02:59 ID:NE2V3rQX
すいません、どなたか世界の兵力を数値化して教えてください。
542 :
築城 :01/11/05 10:47 ID:bh40/xk0
始めて書き込みます。
(ユニット規模について 1)
>>519 >中国軍も師単位でのユニット化。但しユニット数が膨大に。
たぶんこれは、計画というよりも頭を悩ましている部分だと思いますが、
中国軍の基本構成を軍団(一部は軍)編成にすれば(日本軍の機本構成は師団)、
ユニット総数を減らすことが可能となりますが、そのような案では表現できませんか?
軍団編成を基本とした場合の最大の欠点は、
雲霞の如き敵の大軍と言われた国民党を始めとする中国軍を、
視覚的に表現できないことにあります。
ですが、その反面、ユニット数の増大を防ぎ、円滑なプレイに寄与します。
正直な話し、軍団規模でもユニット数は膨大でしょうね。
543 :
築城 :01/11/05 10:48 ID:bh40/xk0
(ユニット規模について 2) 《要約》 ■中国軍ユニットを師団規模にした場合 利点) 1.資料として優れている。 2.細かい部隊運動を再現可能。 3.スタック毎のオーバーラン(蹂躙攻撃)により、戦いの再現性に優れている。 欠点) 1.ルールが複雑になる。特に再編成で問題が大きい。 2.制作費と販売費が高騰する。 3.プレイ(テスト含む)に膨大な時間がかかる。 4.マップが広大になる。 ※プレイのチャンスが減り、購入者が限定される。 マップを小さくするとハイスタックになり、プレイアビリティが著しく低下する。 ■軍団規模にした場合 利点 1.支那戦線の特異性の再現に向く。 2.ユニット数をプレイ可能なレベルまで制限できる。 3.開発コストが安く、マップも含めて作り直しが容易。 4.プレイ時間の短縮が期待でき、テストプレイ回数が増える(クォリティアップ)。 欠点 1.細かい再現には向いてない。 等が挙げられます。 どちらの編成を採用しても、再現性の低い戦いが発生するのだけは避けようがありません。 例えば、軍編成では上海を巡る戦いが大雑把になり、 師団編成では徐州攻略のような戦いが困難になります。
第一総軍様 ビルマ戦線作戦内容については、資料の整理の為に後日書き込みます 遅れてしまって済みません
545 :
第一総軍 :01/11/05 23:57 ID:d3yS5xw6
45/85式改様、いえいえ、私のほうで勝手に押し付けてしまいご迷惑をおかけします。 今までの書き込みを見る限り、私より45/85式改様の方が明らかに文才があるとの判断と、最近いい年して専門学校の短期集中講義受け始めたので ゆっくり研究する余裕が無くなってきた為押し付けてしまいました。 P様、ご意見ありがとうございます。全く同意見です。 以前コマンドマガジンの付録ゲームでサムライサンセットという本土決戦物がありましたが大体P様のご提案のような感じでした。 私的には本土決戦に限らず日本軍はかなり攻撃思考な軍隊と捉えておりますが、一般に評価の低い日本陸軍の戦闘力をそのままの解釈で 数値化した場合、大抵の日本軍プレイヤーは交換比率の良い陣地戦を挑むと思います。私もそうですが。 しかし、現実の日本軍は兵力的に不利な状態でもしばしば攻勢を行なっています。結果はご存知のとおりですが、アメリカ軍をなめていたガ島戦ならともかく 末期の戦いでも攻勢を挑むからにはゲーム上でもプレイヤーに攻勢の魅力をアピール出来るシステム又はユニットレーティングにしたいと考えております。 因みにソ連軍の北海道侵攻もついでにゲームに含めてみたいですね。詳細な計画は無い様なので困りますが。 築城様、詳細なご提案ありがとうございます。 中国軍の問題点は正にそこにあります。一応本土決戦シリーズなので初期の戦いは含めないつもりですが、やはりシステムやユニットを流用して再現したい という誘惑にかられます。 ご提案の軍団単位(中国の場合は軍又は集団軍規模)でのユニット化がやはり一番の解決策のようですね。 どちらを採るか難しいところですが、両方作ってしまうという荒業もありますね。 どうせ同人というより個人の楽しみで作るのですから販売なんて考えずに、通常プレイ用に軍単位ユニット、 私の自己満足プレイ用に師単位ユニットを製作するのも手かなと考えたりもします。 一応は中国や満州は後回しにして本土だけでも形にしないと。構想17年位になりますし。 あと、へクスの規模は本土バージョンで1へクス20キロ、大陸バージョンで50キロを考えております。
547 :
P :01/11/06 22:12 ID:oQLt6jLU
>>454 「陸大的な作戦」がうまく決まれば大損害を与えられるが、
現実はそうそう甘くない、みたいなシステムだといいなぁ。
機動打撃師団との合撃による水際撃滅が大戦果の期待を持たせるが、
実際は対地攻撃機のインターディクションとかでうまくいかず、
歩兵単独の攻撃となってしまいがち、とか、
攻勢は魅力的だが、トータルで考えると八原的な持久戦法が確実、
しかしバクチ的な攻勢を強要させるシステムを組み込んでしまうか?
例えば、ターンが進むと兵力は残っても弾薬切れになって、
アメリカ軍に損害が出にくくなってしまうため、早期、
とくに水際での攻勢に一定の説得力がある、とか。
548 :
第一総軍 :01/11/07 00:23 ID:MFedz8i5
P様、部隊にもよるでしょうけど攻撃力を高めに設定し防御力より上にしておくことと、ゲーム中の米軍橋頭堡の数を制限することで 水際撃滅の魅力をアピールしましょうか?強制攻撃では芸が無いですし。 最近フォートレスヨーロッパをプレイしたのですが、本土決戦の基本ルールをあそこまで簡略化できそうも無いですなあ。あのゲームはあのゲームで特別ルールが多すぎるような気もしますが。 因みに私のほうではユニットの耐久力(ステップ)を歩兵又は戦車連隊数に使用かと考えています。 これだと各師団の耐久力は3乃至4。普通のゲームの様に2ステップにだと師団がやせ細っていく文学性に欠けるので。
549 :
第一総軍 :01/11/07 00:39 ID:MFedz8i5
541様、戦力の数値とはどのようなことでしょうか? 部隊単位の装備とか国家単位の兵力数とか、何時の時代かとか色々表現方法があるかと思われます。 因みに私は日本、中国、満州国、汪兆銘政権、華北政務委員会、内蒙古連合自治政府等のマイナー軍中心なのでお役に立てそうもありませんが。 築城様、今日講義中に気づいたのですがもしやオリンピックスレで陣地構築に関して教えてくださった方ではありませんか? もしそうなら、その節はお世話になりました。 私は小部隊戦術のような分野に疎いので大変参考になりました。
550 :
築城 :01/11/07 16:02 ID:9ofMiI+3
>>545 >規模は本土バージョンで1へクス20キロ
日中戦争なら60kmヘクスのゲームもあるようですが、それでも作戦級としては大きい方ですね。
相模湾に当てはめると、大磯から逗子の距離ですので、
数ヘクスで東京湾の要塞群が納まってしまいますね。
上陸地点を米軍プレイヤーが選択できるシステムでしょうか?
このサイズなら1ターン数日(7〜10日前後?)なので、夜間がありませんね。
オリンピック・コロネットには、こんなの想像していたんですよ。
例)
夜間ターンの日本軍の義勇兵ユニットは、
隣接するヘクスで戦闘が発生した場合、即座にモラルチェックを行う。
数値が練度以下なら、可能な米軍ユニットを攻撃しなければならない。
また、スタックしている場合は、個々のユニット毎判定する。
これは、民間戦闘部隊の練度と夜間における連絡の低下を表している。
(限定マストアタックルール)
反撃の為には集結しなければならないが、それにはモラル崩壊のジレンマが付きまとう……
なんて、下らないこと考えてました。
>>549 いえ、あのスレには書き込んでません。
先程スレをつぶさに見たところ、築城のことが書いてあったので驚きました。
特に、>1コ工兵小隊30名が150ミリ級の榴弾に抗堪する木製分隊用掩蓋を丼勘定でシュミレート
このタイトルと内容には笑ってしまいました。物凄くシンパシーを感じます。
夏前には、こんな楽しい会話がなされていたんですね。
野戦築城関連の資料は、現在貸し出して紛失したも同然ですので、
覚えている事だけですが、最近は沿岸築城と要塞が主です。
551 :
第一総軍 :01/11/08 00:56 ID:3gO0u5eF
今日は手短に。 ゲームの構想としては米軍は上陸地点を選べるようにするつもりです。 一応日本列島全域をマップとして(試作は終了)後は一定の条件下に自由に上陸する。 但し、日本海側や東京湾内部等は所在の要塞を無力化しないと不可。 築城様は要塞にお詳しいようですね。私は部隊名としては知っていても装備火砲の数等は資料が不足していますので、お知恵を拝借することもあるかも知れません。 ゲームは思い入れが有れば有るほど複雑になっていきますね。反省して少し考え直してみようと思っています。
「日本軍国主義の残虐で野蛮な中国侵略戦争」だとか、 「日本軍の兵器は幼稚で米ソ独英各国の笑いモノ」だのと、 どんなに日本陸軍を貶そうとも、大陸打通作戦の輝かしい勝利は、 何人も認めざるを得ないだろう。
553 :
名無し三等兵 :01/11/09 18:53 ID:8bSda+8+
>>553 ケースバイケースで判断されることです。
荒しを止めるための行為と異論・反論を封じ込める行為は異なるゆえ。
555 :
名無し三等兵 :01/11/10 02:15 ID:bIfFrDmA
>>554 553はコピペです。
今後は相手にしない方が宜しいかと。
557 :
大陸打通太郎 :01/11/12 00:46 ID:8pGv5Sg/
マリアナ・レイテの海戦は何ら見るべき戦果も無く太平洋のもずくと化した。
上のビスマルクスレでも議論されていたが、大和も武蔵も戦果はあまりに乏しい。
どんなに大和や武蔵の技術的優秀さを強調しようとも、両海戦の完敗は動じぬ。
だが日本の宿敵は中国であり、天王山は寧ろ大陸打通作戦であった。
大陸打通作戦の勝利によって帝国陸海軍は抗戦継続の自信を回復した。
大陸打通作戦はとにかく「打通してしまった」という動かぬ勝利の
既成事実を作ってしまったことだ。こっちは海軍のそれとは逆にどんな
に日本陸軍が無能だったか、どんなに日本陸軍の兵器が粗悪であったか、
どんなに無謀な遠征であったかをいくら論じても、大陸打通作戦の勝利
記録は何ら揺るぎはしない。疾風戦闘機隊は立派に米空軍に対抗できたし、
95式軽戦車その他日本軍車両は機械的信頼性が高く荒地を長く走破しえた。
そいて何より岡村寧次大将以下日本陸軍の将兵は賢く勇敢であった。そうで
なければ、米式装備ではるかに大勢だったにも関わらずボロクソに負けまくって、
米国政府に信頼されなくなった中国軍はいったい何流軍隊を云うべきであろうか。
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/army/989154351/509 韓国の朴正煕大統領も満州軍歩兵第八団の団長副官として1944年半
ばの大陸打通作戦の熱河省討伐作戦に参加し、陸軍中尉にまで出世した。
さすが南雲校長をして「半島出身ではあるが、精神においては完全に日本人
である。岡本生徒のように天皇陛下のためにたてまつり、忠誠心のあつい
者は日本人にも稀である」と言わしめただけはある。中国こそは明治以来
一貫して米英独露と組んでの排日侮日を繰り返してきた諸悪の根源であり、
最優先で打倒されなければならない日韓共通の敵であったのだ。
http://members.tripod.co.jp/nishinom/human/ha/pakuchonhi.html
>>556 ご忠告感謝。
557もどこかで見たような・・・。
559 :
名無し三等兵 :01/11/13 18:30 ID:9XKkBaq1
>韓国の朴正煕大統領 ……も打通太郎だったんか、ふーん。
>マリアナ・レイテの海戦は何ら見るべき戦果も無く太平洋のもずくと化した。 もずくにゃ、焼酎の湯割がええな〜
明治以来やってきた日中戦争は中国人の米英独露を後ろ盾にした 卑劣極まりない排日侮日が原因であって、邪悪なる強者日本が 聖なる弱者中国にただただ領土を求めて襲い掛かったのではない。 そもそも日華事変の原因は中国保安隊が通州で邦人虐殺をやったからだ。 米英独ソが背後についてりゃあ日本恐るるに足らずであったのだ。 ドイツ製兵器が大量鹵獲され、その火力は質量共に絶大だった。 これで日本陸軍は自らの火力不足を痛感させられたとよく言われるが、 どんなに武器が劣っていたとしても中国軍に対しては連戦連勝だったのだ。
562 :
名無し三等兵 :01/11/16 22:06 ID:3aNLNGc/
満州国は日本軍国主義の傀儡国で、「偽満洲国」だったという人も居る。 それでいてまた日本陸軍はヘボ軍隊であったとも言われる。しかし、 もしその両方が正しいとすれば張学良軍とそこの住民はあの広大な 満蒙の土地を「ヘボ軍隊」に簡単に明け渡してしまったことになる。 またソ連はヒトラーと結んででもポーランドやバルトを併合したのに、 こと極東に限って「ヘボ軍隊」によって運営されているに過ぎない 「偽満洲国」にどうして手を出さなかったのだろう。
563 :
名無し三等兵 :01/11/16 22:26 ID:RhI1xpVa
>>561 中国軍って、優秀な兵器は極少数で実際は時代遅れの兵器が大多数を占めていたんじゃないの?
564 :
名無し三等兵 :01/11/17 13:03 ID:xLHyHeeD
支那派遣軍のオナニー、国を滅ぼす。 国滅びて打通あり・・・・・
565 :
名無し三等兵 :01/11/17 13:45 ID:JN/WfcSE
>>563 伊藤正徳著「帝国陸軍の最後」1巻(現在文庫本で読める)で
中国軍の装備の記述が書かれていた
日中戦争初期は蒋介石の軍隊などは輸入によって一応整備されていたが
日本軍に対する相次ぐ敗退で装備の大部分を失って以来、旧式な国産
兵器しか使用できなくなった。援蒋ルートを通じて米式装備できた一部
の部隊を除けば、小銃はさほど悪くなかったが、旧式の軽機関銃と
射程300程度の迫撃砲しかもたない部隊がほとんどだった・・・。
566 :
名無し三等兵 :01/11/17 14:03 ID:uYwpLSvc
装備は劣悪、士気も低く、まとまりも無ないが数だけは多い。 これが中国軍の実態か・・・。
567 :
名無し三等兵 :01/11/17 14:05 ID:in9Wlh/S
>>565 >旧式な国産兵器
中国の国産兵器ってどんな物があったの?
中国の当時の国産兵器 モーゼル系各種ライフル・・・7.92ミリ チェコ 「Vz−24」小銃 「ZB−26」軽機関銃 何より中国軍がDQN視されるのは兵士の給与が サイテ−の部類だった事でしょう。(米英は申すに及ばず 独・露・日と比較すれば) 蒋介石直系軍はともあれ、地方軍閥兵の写真をみれば 雨衣も防寒外套も軍靴も支給されず、番傘をさし、冬は 民家からかっぱらったような布団毛布を身に纏い、足は わらじ履きです。 のコピーが有名。 小銃の性能は殆どチェコ製と変わらぬそうです。
569 :
名無し三等兵 :01/11/17 16:16 ID:Q2AU1WE9
>>568 国産と言っても、全部ライセンス生産ですね。
まぁ、当時の中国では火縄銃くらいしか自国開発できないでしょうけど・・(藁
571 :
伊藤正徳著「帝国陸軍の最後」1巻 :01/11/17 17:55 ID:wnEYlZUc
日本陸軍の兵器もあまり誉められた内容は持たなかったが、大部分のシナ軍よりは 遥かに優っていた。 米軍の新兵器に苦しむ局面は確かに多かったが、日本は一応立派な軍需産業を持ち それなりの兵器を量産し、ただ量産力で遥か米軍に及ばなかったため物量的に敗れた にすぎないが、シナ軍の場合は一部を除いて質・編成とも近代軍の体をなしていなかったのだ と書かれていた
572 :
名無し三等兵 :01/11/17 18:01 ID:1nq2KLvu
小部隊に限定すれば装備最優良はレイテの高千穂降下部隊だろう。 3〜4割が100式機関短銃装備、他に最良の99式軽機、擲弾筒・・・。
573 :
名無し三等兵 :01/11/18 00:30 ID:h50INzyM
>>570 凄いね、中国って・・・物持ちのよさ
ボカ沈された軽巡を引き揚げて1990年代まで使い続けるとは(宿泊艦だが)
あと、日本の海防艦「四阪」も90年代まで存続させてたり・・・
574 :
名無し三等兵 :01/11/18 00:53 ID:SJJTFLcM
>>573 まさに中国4000年の気功術がなせる業ナリ
575 :
570 :01/11/18 11:36 ID:zuPZBqzU
当時(1944年以降)の中国軍=重慶政府軍(国民党軍)で 米式装備なのは「新編第何軍」の「新編」のつく部隊だけじゃないですか? 新四軍は別だけど・・・ 間違ってたら指摘乞う
576 :
名無し三等兵 :01/11/18 20:39 ID:mdxr5gWU
優良スレage
577 :
名無し三等兵 :01/11/18 21:36 ID:AV1LozK5
米式装備って言っても小銃はM1じゃなく、スプリング銃だった部隊も多かった と聞いたけど・・
578 :
570 :01/11/18 21:45 ID:D/z3v/Cw
>>577 その通りスプリングフィールドM1903と
エンフィールドM1917で、どちらも手動式
ただし、下士官にはM-1カービンとかトミーガンの自動火器が
支給されていた。
579 :
第一総軍 :01/11/18 23:21 ID:vFmRPiIh
570様、中国国民党軍の師の編制内容については前スレで私が連載しておりました。 米式装備師について興味をお持ちのようなのでその部分だけ再録させていただきます。 779 名前: 第一総軍 投稿日: 2001/03/17(土) 00:56 では、久しぶりに中国国民党軍編制、米式装備師団(美械師) 師部(師団司令部) 団(歩兵連隊) 歩兵営(大隊) 歩兵3個連(中隊)、機関銃連、迫撃砲排(小隊) 火箭砲排(バズーカ砲) 歩兵営 同上 歩兵営 同上 迫撃砲連 平射砲連 通信兵連 特務排 衛生隊 団 同上 団 同上 砲兵営 山砲12 輜重兵営 工兵営 通信営 特務連 衛生隊 師団装備 歩兵銃不明、軽機関銃243、重機関銃54、 (推定) 75ミリ山砲12、82ミリ迫撃砲30、60ミリ迫撃砲162、 37又は57ミリ砲12、バズーカ砲18、ブローニング自動銃486 火炎放射器27、他 以上が代表的な米式装備師団の編成だが、装備についてはかなりの部分推定であり、 工兵や砲兵装備の小火器は不明である. 第2、第5、第8、第13、第18、第53、第94、第71、第74、新編第1、新編第6軍に所 属の師団が米式化されていた. その内、新編第1、新編第6、第5、第18、第74軍の5個軍は、最強の装備を持ち5大 主力軍といわれ、3個米式装備師に加え、砲兵(榴弾砲12門)、騎兵、工兵、装甲、 汽車、輜重、団各1個、通信、高射機関銃、戦車防御砲、平射砲、特務、営各1個、 及び新兵訓練処より編制されている. その他、第46、第52、第60、第62軍は半米式装備師により編制されており、上記の 師には及ばないものの(詳しい編制内容は不明)、有力部隊と推測される. また、200番代の青年軍の師も米式装備を持っているが、これについては後の機会にする.
580 :
第一総軍 :01/11/18 23:23 ID:vFmRPiIh
師部(師団司令部) 団(歩兵連隊) 歩兵営(大隊) 歩兵3個連(中隊)、機関銃連、迫撃砲排(小隊) 火箭砲排(バズーカ砲) 歩兵営 同上 歩兵営 同上 迫撃砲連 平射砲連 通信兵連 特務排 衛生隊 団 同上 団 同上 砲兵営 山砲12 砲兵営 同上 輜重兵営 工兵営 通信営 警衛連 衛生隊 これは、民国34年(昭和20年)初めに日本軍が貴州内に深く進入したことに脅威を感じた国民党が編成した精鋭師である。 一寸河山一寸血、十万青年十万軍のスローガンで愛国的な青年が参軍し、201から209の9個師が編成された。 装備は当然米式であるが、通常の米式装備師を上回る装備を持っているという.(詳細不明) また、訓練も充分に行なわれていたようで、戦闘序列を見る限り抗日戦争中に最前線に投入された様子は無いようである. 但し、国共内戦では国民党軍の直系中の直系として活躍し、一部は台湾軍の基礎となり、また一部は増強されて軍に改変されたようである. 一応国民党軍師団編成はこれで最終回です.この後の国共内戦には新たに改編された整編師が登場しますが、団に変わって再び旅を編成内に 含むこと以外今のところ詳しい資料がありません.一応は、戦力不十分な師を旅に改編(格下げ)し、旅を2乃至3編合して整編師としたようです。
581 :
ナチスと国民党 :01/11/18 23:35 ID:BWGiHMfo
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19896811 p30、31
ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
582 :
570 :01/11/19 09:48 ID:BHu9Y9T8
ありがとう、第一総軍さん 自分は「小火器」と言うハードしか知らないので参考になります。 さて、ことほど左様に優秀装備の国府軍がせいぜい、百万足らずの 日本軍残置兵器主体の八路軍に僅か三年弱で(台湾に逃れた一部を除き) 潰滅させられてるのは大変不思議で疑問があります。 もちろん、国府軍も只ひたすら負け続けでもなく、49年10月、金門島で橋頭堡も築かず 無謀な上陸戦を挑んだ人民解放軍15、000名を見事に壊滅(半数は投降)させていますが。 ともあれ、国内戦なので我が国の関が原前夜と同じく様々の「調略」「裏工作」「根回し」 が行われたでしょうから、単純に装備・兵員数のみで勝敗を論じられぬでしょう。 機会が有ればこう言うマイナーではありますが、マターリと話せるスレを立てるのも 如何かと思います。 日本陸軍に関係無いので[sage]
583 :
名無し三等兵 :01/11/20 21:20 ID:1wnswfkg
史実をたどっていくと,海軍は言われているほど強くなく,陸軍は言われている ほど弱くはないように思える。日本敗戦はマリアナ・レイテなどの海軍の大敗 が原因であって,日本陸軍がノモンハンの敗戦に懲りなかったからじゃない。
584 :
名無し三等兵 :01/11/20 21:47 ID:wGCPfr59
>583 ほぼ銅管 それについて先日他スレで何処かの阿呆が 海軍まんセ〜 陸軍土窮鼠とかどうこう喚いておったわ。 インパール以外、海軍の世話にならぬ戦域で負けてないもんね。 海軍が関わった戦域では苦戦している。
585 :
名無し三等兵 :01/11/22 20:13 ID:hTuwC+VY
日本陸軍の空挺部隊について詳しい方。 空挺部隊の装備や編成について教えて頂けませんか?
586 :
名無し三等兵 :01/11/22 20:20 ID:/pFWTv3e
>>584 そりゃ陸戦と海(空)戦の性質の違いだって。
海戦は技術力の差が勝敗にダイレクトに響くけど、
陸戦は士気、精神力なども大きな要素になるからね。
587 :
名無し三等兵 :01/11/22 20:22 ID:cwYOT8K2
>>586 つまり、帝国海軍は技術力が無かったということっすか?
588 :
名無し三等兵 :01/11/22 22:37 ID:H8u5FAZV
age
589 :
第一総軍 :01/11/22 23:10 ID:EMq8VKZx
ビルマシリーズ第二弾 第一次アラカン作戦 (第一次アキャブ会戦) 1942年10月23日から1943年5月15日 日本軍の損害 死傷1,100 内戦死400 イギリス連邦軍の損害 死傷5,057 内戦死916 非常に簡単な概略 ビルマの要衝アキャブ守備の日本軍第三十三師団歩兵第二百十三連隊の一部(約5個中隊)に対してインド第14師団、後にインド第26師団(計約6個旅団)の英印軍が攻撃を開始。 日本軍アキャブ守備隊が粘り強く抵抗する間、第五十五師団主力(約2個連隊)が到着して反撃を開始、英印軍を撃破した。 英軍側は装備、兵力、制空権の優越をもって作戦に臨み最精鋭のイギリス第6旅団まで投入したが、陣地によって頑強に抵抗するアキャブ守備隊に手を焼く内に第五十五師団により撃破された。 この時期の英印軍部隊は未だ日本軍に比較して戦闘力で劣っていたと言えるが、補給線が延びきっており必ずしも圧倒的な補給を受けていたとは言い切れない。(日本軍より大分ましかもしれないが) 詳細な戦闘序列については45/85式改様の以前の書き込みをご参照ください。
590 :
名無し三等兵 :01/11/22 23:20 ID:tKRdMxAZ
>>585 木俣滋郎という人だったと思うが、義烈空挺隊の装備のことを書いてた
記事があった。(題名は忘れた。スマソ)
120名のうち約30名が百式機関短銃だったとのこと。
勝手な推測だがおそらくやはり30名くらいが2式テラ銃で
約半数になる残りの60名で、99式軽機と弾薬班、擲弾筒と弾薬班、
あるいは松葉箒のような破壊筒を持った兵士もいたとおもふ。
591 :
570 :01/11/22 23:21 ID:/4UPwSTg
今、北部同盟と他利蛮の部隊責任者が降伏とか都市の明渡しを巡って 交渉している。 あの国共内戦もああいう風にやったのだろうか。 「今、速やかに明渡したら貴官、および貴部隊の安全を保障する。 何なら我が方へ帰順するも宜しかろう・・・従前の地位に就けるよう 中央に話を通すが・・・」 「う〜ん・・・・」 とかの繰り返しで430万の国府軍は3年で崩壊・・・ 関係ないのでサゲ
とりあえず、うろおぼえですが挺進集団の編制。 これは大戦中期以降の編制です。初期のものは不明。叢書の第三巻あたりに出てたと思うけど、ダンボールの中。 どうでもいいけど、資料を広げるスペース欲しさに引っ越しするってどうよ?(笑) 挺進集団司令部 第一挺進団(落下傘) 挺進団司令部 挺進連隊(連隊本部、挺進中隊×3、歩兵砲中隊×1*) 挺進連隊(同じ) 第二挺進団(滑空) 挺進団司令部 挺進連隊(連隊本部、中隊×3、歩兵砲中隊×1*) 挺進連隊(同じ) ※これ以外に、空輸用の輸送機部隊。あと、挺進戦車中隊。 (続く)
(続き) 各中隊はやや大型の小隊×2で、各小隊は二個小銃班(二十名程度、だったと思う)と重火器班で編制されました。 小銃班は二個(三個?)分隊に分割され、それぞれが三人編制の「組」を単位として分割されます。 重火器班は一個重機分隊(九二式重機×1)と速射砲分隊×1(九四式 or らく号三七粍速射砲×1)となってました。 で、「*」がついてる歩兵砲中隊なのですが、記憶が曖昧なのですが、確か「歩兵砲中隊」だったと思います。でも、「山砲中隊」かもしれません(笑)。中隊の定数は砲四門。 小銃班の装備は、各員に拳銃一挺と小銃あるいは短機、各班に軽機一挺程度だったようです。590さんも書いてらっしゃいますが、義烈空挺隊の場合だと、約百二十名中約三十名が短機でした。各組の組長が短機装備、という感じでしょうか。 最後に、初期のパレンバン降下作戦の第四中隊の例をあげておきます。 中隊九十七名(降下人員数)、小銃六十、軽機六、重機二、擲弾筒四、自動砲一。 (続く)
(続き) ここからは余談。 パレンバンの降下作戦の記録にも出てきますが、この頃から三人編制の「組」を多用するようになります。 米英のバーディ(二人組を最小単位として、相互に周囲監視・援護と移動を行うというアレ)に相当するもののようです。 パレンバン作戦時には「降下してちりぢりになった兵が三名集まると前線に投入された」 「三人編制の組は極めて有効」とあります(「」内は自分の記憶の意訳。そんな感じのことが書いてあったの)。 で、後の第一機動旅団や大戦末期の切り込み隊等もこの三人組が基準となって編制されています。 なお、86〜88年あたりのPX誌に日本軍の空挺・海軍陸戦隊、及び陸海軍の特殊部隊の 軍装・装備・編制について詳細な連載があります。 ああ、売るんじゃなかった。今買うと、当時\1,200だったのが\6,000ぐらいするんだよな。 アイゴー!!(号泣)
595 :
名無し三等兵 :01/11/23 10:17 ID:2Mj6spiW
>>592-594 おおっ!!素晴らしい!
ところで陸軍の「挺進団」というのは、地上軍の師団と同じようなものですか?
ああ、いけね。
>>594 の訂正。
例の三人組みはパレンバンの降下作戦以前にも用いられることがありましたが、
それ以後はより意識的に用いられたようです。個人的な感想(笑)。
>>595 大体、そんな感じです。かなり小振りですが。
時間がないのでまたあとで。
違った。 挺進団は旅団に相当します。
598 :
名無し三等兵 :01/11/23 22:39 ID:0nauJD0I
「日中戦争 VOL3」(児島襄 文藝春秋版)P588 敗戦は、太平洋の各地で、ソ連軍をむかえた満州でも実感されたが、 中国本土の日本軍にとってはその感覚は乏しかった。 現実には、これまでに述べたように、中国戦線での戦いは、そのごの太平洋 戦争での苦闘のおとらぬ苦戦、難戦の連続であったが、 結局は目的地の攻略、 占領地の保守などの成果が、「勝ち戦さ」の 印象を与えていたからである。 「(降伏などという)馬鹿な話があるものか」 「我々は勝っているではないか。負けたことは一度もない」 とは、漢口に近い九江付近にいた第三師団第六連隊の将兵の反応だが、 この言葉はそのまま在中国日本軍のほとんどの感想であった、といえよう。
599 :
名無し三等兵 :01/11/23 22:46 ID:0nauJD0I
>>598 某漫画家からのネタで恐縮ですが、終戦後日本軍が引き上げた台湾でも、替わって
シナ軍(蒋介石の国民党軍)が大挙きたが、あまりのみすぼらしさ、品性の無さに
台湾の人々は「日本軍は米軍には負けたがシナ軍には負けていないという噂は本当だった・・・」
と実感したそうです。
HJ「Malaya & Burma」に大戦初期の第一挺進団の編制が出てました。
第一挺進団
挺進団本部
第一挺進連隊(連隊本部、中隊×4)
第二挺進連隊(同じ)
挺進飛行隊(飛行隊本部、飛行中隊×4、飛行場中隊)
>>592 の訂正。「挺進戦車中隊」じゃなくて「挺進戦車隊」だな。
九八式軽戦車の改良型である二式軽戦車
PANZER誌89年12月号の特集によると「昭和十九年には第一挺進集団が編成されたが、
(中略)それと同時に歩兵中隊が増設され、戦車、歩兵、自動車、材料廠という編成になった。
二式軽戦車は軽快だが、その能力を発揮するためには、歩兵と一心同体になって戦闘をしなければならない。
そこで訓練も、歩兵部隊と戦車中隊、つまり戦車一両と歩兵三名はいつでも一体となって行動するという
戦法を考えて訓練された」とあります。
出版共同社「日本の戦車」によると昭和二十年六月の装備として、九五式軽戦車5輌、九八式軽戦車19輌、
九七式軽装甲車12輌とあります。
ちなみにこの本には歩兵中隊についての記載がなかったりする。
個人的には、挺進連隊の歩兵を載っける方が普通のような気が〜(笑)。
あう(泣)。 》 九八式軽戦車の改良型である二式軽戦車 ↓ 九八式軽戦車の改良型である二式軽戦車を装備する方向だったようです。 おまけ。機動第二連隊(後、第一機動旅団)の中隊編制。連隊は三個中隊編制。 中隊本部(中隊長等) 第一小隊(小隊長:少尉) 第一班(班長:准尉) 組(組長:曹長、軍曹・伍長5〜6名) 組(同じ) 第二班(同じ) 第三班(同じ) 第二小隊(同じ) 第三小隊(同じ) 第二機動連隊は対ソ戦時にソ連領内潜入し、破壊工作等を行うことを目的として編制された特殊部隊です。 その為、中隊長と小隊長を除き、叩き上げの下士官を中心として編制されました。佐藤大輔の初期作品にも出てきますね。 後の昭和十九年には、三個連隊に増強されて第一機動旅団となります。ちなみに旅団長は長勇だったりする(笑)。 この場合の「組」は三人編制じゃないけど、その倍と考えれば三人のチームを基本としていることは同じです。 個人装備は三八式騎銃を使うことを除けば、ほぼ一般の歩兵と同じ。軽機は九六式かな?
大陸打通作戦は戦略的に言っても時期的に米陸軍主力が欧州に出かけた ところであり、明治以来米英独露と組んでの排日侮日邪悪極まりない 中国のナラズ者チンピラ集団を一掃するにはこの時期しか無かった。 日本敗戦はただビスほどにも敵艦隊を釘付けにできなかった海軍にある。
>>600 国民政府軍を普通の国軍として考えるのは間違い。
あれは「軍隊」でなくゴロツキ集団である。
他の本でも書いてあった。台湾に来たのは強盗同然の
敗残兵で反感を買ったため台湾では49年2月28日に
大暴動が発生している。
なにより其のDQNな証拠に米式装備云々といいながら
430万もの兵力で僅か100万弱の(しかも日本軍
残置兵器程度の)共産軍に3年弱で一部を除き
壊滅させられている。
唯一、金門・馬祖で勝利しているが、航空兵力皆無の
敵が橋頭堡も築かす上陸して来て、こちらに制空権
があれば国民政府軍でなくとも勝って当然。
ばばぼん♪ 様、挺進戦車隊の資料提供ありがとうございます。 私にとっても長年の謎でした。実質的に軽戦車連隊規模だったのですね。 これで本土決戦ゲームに入れられる。
ちょっと脱線してごめん。 今『弓兵団』の戦記を読んでいるんだけど、北関東の兵も強いね〜。 第一総軍様は水戸にお住まいですよね。 羨ましいような気がしますよ。 私は神奈川だから、歩兵連隊さえないっす。 祖父や叔父は甲府連隊だし。
609 :
名無し三等兵 :01/11/30 00:20
「ルーズベルト秘録 上」(産経新聞社)P77 日本本土上陸戦が現実になりつつあったこの頃、米軍は戦略の練り直しを迫られていた。 中国大陸での日本と中国の戦闘を無視し、太平洋の島づたいに北上する飛び石作戦は 順調に進んでいたのだが、死傷者の数は欧州戦線に比べてかなり多かったのである。 米国防省の記録では、欧州方面での戦死者が十三万五千人であったのに対し、 太平洋方面は十七万人を超えていた。 いずれは本土上陸を決断しなければならない米総合参謀本部は、激しい抵抗を 少しでも弱める必要から、OWIなど政府機関に対し天皇への攻撃的言動を禁じていた。 同時にこの頃から、ソ連軍参戦による上陸作戦の負担減、および早期の日本降伏の 可能性を探る考えが芽生えつつあったのである。 ソ連の対日参戦と日本の早期降伏という二つのアイデアはその後、ルーズベルトの 掲げた無条件降伏についての解釈に加え、スターリンや蒋介石の思惑も絡んで複雑な 経緯をたどっていく。
606様、水戸っぽはお人よしだけど短気で喧嘩っ早いですよ。 私は規格外ですが。
高崎の兵隊はやくざっぽい!
期待age
ごめんなさい。胃が痛いので休ませて頂いています。 私の書き込みは長文だし、結構エネルギー使うので体調と気力に大きく左右されています。 それに現在金欠病の第一総軍はテレホタイムにしか繋げなくなっているので早い時間に書き込みも気が進まなくて。 ごめんなさい。 「俺にかまわず先に言ってくれ」
614 :
45/85式改 :01/12/03 01:53
第一総軍様、ビルマ戦線の戦闘経過についての書き込みが遅れて済ません (風邪で暫く体調を崩してました。この為、また暫く休みます) 作戦計画 ビルマ作戦 太平洋戦争勃発後に急遽立案された作戦計画で、帝国陸軍の東南アジア攻略の一環でとし て、援蒋ルートの遮断とインド及び中国非占領地域への加圧等を目的としており、第一段 階で南部ビルマの制圧(イギリス・インド及びビルマ軍の反撃防止)、第二段階でマンダ レー攻略やエナンジョン及びアキャプ攻略(情況次第)を予定していた また、第33師団麾下歩兵第215連隊のラングーンへの海路輸送も計 画に含まれていた 戦闘序列 以前の第一総軍様や私の書き込みを参考にして下さい(当初、マクレオード中将指揮下 歩兵37個大隊及び砲兵13個中隊の約4万人が、モールメン地区モールメン地区東部シ ャン州、ラングーン付近、マンダレー付近に展開していると予測された)
615 :
45/85式改 :01/12/03 01:57
戦闘経過 1942年1月4日、第15軍司令官飯田祥二郎中将の命令(第55師団、歩兵112 連隊を以って主力に先立ちカンチャナブリ方面よりタボイ方面に作戦して敵を牽制させ、 第55師団主力を以ってメソード付近タイ・ビルマ国境を突破してモールメン付近を占領 させ、第33師団を以って第55師団主力に続行してパアーン方面に前進させる)で第5 5師団麾下沖支隊<歩兵第112連隊基幹>がカンチャナブリ西方地区から国境を突破、 19日にタボイを占領した 20日には第55師団主力がラーヘン・メソード間から国境突破し、22日にカウカレ ー、31日午前9時にモーリメン、第33師団がラーヘンから進撃して2月4日にパアー ンをそれぞれ占領した 尚、ビルマ南部航空基地奪取からビルマ作戦実施に方針転換した大本営が1月22日に 、南方軍に「海軍と協同してビルマの要域を攻略すべし」と命令、南方軍も第15軍に「 ビルマ作戦の目的はビルマにおける英国軍を撃破してビルマの要域を占領確保し併せて對 支封鎖を強化するに在り之が為第15軍を以って成るべく速やかにモールメン付近サルウ ィン河の線に進出して作戦準備を整えたる後主力を以ってモールメン・ペグー道に沿う地 区より速やかに中部ビルマの要域を占領す」と作戦要領を示達した 2月9日、第15軍は南方軍の「第15軍は現作戦に引き続き努めて敵を撃滅しラング ーン地方に進出し且つ成るべく北方に地歩を獲得してマンダレー及びエナンジョン方面に 向かう作戦を準備すべき」という命令を受けて、シッタン河に進撃した 17日、第15軍は第33師団及び第55師団に「第33師団、第55師団は2月20 日ビリ河の線を通過して、当面の敵を撃滅しつつシッタン畔に進出し、爾後の前進を準備 すべし」と命令した 命令後、第33師団は21日にサルウィン河を渡河、22日にシッタン河畔に進出し、 第55師団は22日にチャイトを占領し、その後両師団はシッタン河を渡河した(23日 に第15軍戦闘司令部がチャイトに進出) 3月8日に第33師団麾下歩兵第215連隊がラングーン占領、9日に入場した 次回に続く
第一総軍さま、体調はいかがですか?
617 :
名無し三等兵 :01/12/07 19:21
299>この時期の関東軍は従来の精鋭師団20個の全てを次々と南方や本土に抽出され 「精鋭師団20個」それぞれどこへ行ったのか教えて下さい。
体調は相変わらず不調ですが、比較的簡単なご質問にだけお答えいたします 関東軍から抽出された師団 第二十七師団 北支へ 第二十九師団 グアムへ 第十四師団 パラオへ 第九師団 沖縄(後に台湾)へ 第二十八師団 宮古島へ 第一師団 レイテへ 第八師団 ルソンへ 第十師団 ルソンへ 第二十四師団 沖縄へ 戦車第二師団 ルソンへ 第二十三師団 ルソンへ 第十二師団 台湾へ 第七十一師団 台湾へ 第十一師団 本土へ 第二十五師団 本土へ 第五十七師団 本土へ 戦車第一師団 本土へ 第百十一師団 南鮮へ 第百二十師団 南鮮へ 第百二十一師団 南鮮へ となっています。その他に有名な独立混成第六十八旅団がレイテへ派遣されるなど、旅団級以下の補助部隊の転用も多数行なわれています。 最後の3個師団は必ずしも清栄とは言い切れないような気もしますが、転用師団の残留者を基幹として19年に編成されているのでそれ程酷い師団でもないでしょう。
清栄を精鋭に訂正。 本当はビルマシリーズを完了後、皆さんで各国又は各種師団の戦力判定まで踏み込みたかったのですが、残念です。 詳しい方は他に沢山いらっしゃるので、どうか先にお続け下さい。
620 :
名無し三等兵 :01/12/07 23:28
「南方抽出」といってもそれはグアム・レイテ・パラオ・ルソン だけで、他は沖縄・朝鮮・台湾含む日本本土防衛じゃないですか。
オリンピックスレの方、落ちちゃったみたいですね。無念。
622 :
名無し三等兵 :01/12/12 21:03
保守age
ビルマの竪琴あげ
624 :
名無し三等兵 :01/12/15 18:35
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P118
大体においてヨーロッパ戦域は、ジャングル病、マラリア、デング熱、
そのほか熱帯特有の病気に冒されないだけでも、まともな戦場といえた。
大戦中もっとも病気が恐ろしかった戦場は二つあり、一つはビルマで、
もう一つはニューギニアだった。イギリス軍の経験では、一九四三年
にビルマ戦線で戦闘による負傷者を一人後方に移送するたび、戦闘以外
の原因で後方に移送する者は百四十人を数え、その大半がマラリア
および他の熱帯性の病気の罹患者だった。この数字は一九四四年には、
徹底した防御策と新薬の導入により六十人に落ち、一九四五年には
四十人へと激減した。それでもなお、罹患者数は実に多い。
アメリカ軍に目を向けてみよう。アメリカを離れなかった軍人や非戦
闘区域にいた軍人などを含め、アメリカ軍全体で考えると、戦闘による
負傷で戦闘不能になった者の率は、わずか一八%にすぎない。ビルマ、
ニューギニア、その他の熱帯地域で戦った軍人は、イギリス軍と同様、
数多くの熱帯性疾病の危険にさらされた。罹患者は敵軍による負傷者
より多い。敵軍がいなくても、病気の危険は去ってくれないからだ。
アメリカ軍はメラネシアにあるサンタクルス諸島のヌデニに飛行
基地をつくろうと企てたが、多数の工兵が次々とマラリアに倒れ、
計画を放棄せざるを得なかった。それに加え「内国地帯」(軍事用語
=交戦国内で作戦地域を除く地域)での事故率が、飛び抜けて高かった。
一九四三年だけで、軍事関係の飛行事故で五千人が死んでいる。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P93
戦争に行けば、殺されるか、負傷するか、の危険を負う。アメリカでは
締めて千六百三十万人の男と女が軍務につき、作戦中に死んだ者は二十九万
一千五百五十七人で、一・八%。事故や病気などほかの原因で死んだ者は
十一万三千四十二人で、〇・七%、戦闘で傷ついたが生き残った者は
六十七万九千八百四十六人で、四・二%である。
さらに戦闘参加者の半分以上が、事故か病気にあっている。しかし、この数字
ははっきりしない。戦闘以外に将兵が出あう危険というのは、あまりにも幅広い
からである。そのなかでも最多なのは性病だ。それも動きが不自由になるだけの
淋病から、潜在的に死の危険をともなう梅毒まで範囲は広い。
http://gi.grolier.com/wwii/wwii_16.html Service--Total strength--Battle deaths--Deaths from other causes--Wounds(1)--Captured or missing
Army(2) 11,260,000 234,874 83,400 565,861 135,524
Navy 4,183,466 36,950 25,664 37,778 2,429
Marine Corps 669,100 19,733 4,778 67,207 1,756
Coast Guard 241,093 574 1,345 955
----------------------------------------------------------------------------------------------
Total 16,353,659 292,131 115,187 671,801 139,709
http://www.ibiblio.org/pha/cno/cnorpt_3.html#combat The price of victory has been high. Beginning with the dark days of
December 1941 and continuing until September 1945, when ships of the
Pacific Fleet steamed triumphant into Tokyo Bay, the Navy's losses were
severe. The casualties of the United States Navy, Marine Corps and Coast
Guard reached the totals of 56,206 dead, 80,259 wounded, and 8,967 missing.
629 :
名無し三等兵 :01/12/18 15:35
年末あげ
630 :
名無し三等兵 :01/12/19 20:27
寒いからage
631 :
名無し三等兵 :01/12/19 20:38
632 :
陸軍戸山学校 :01/12/19 20:55
よく中国拳法を主役にした漫画やアニメで日本軍が悪者と して登場して、中国拳法の前に成す術もなくやられるなどという インチキが描かれていますが、あれはあきらかな間違いです。 日本の将兵は銃剣道や柔道、剣道などの戦前の武道(現代のスポーツ武道 とは異なる)を身につけており、その白兵戦能力は各国にとって 大変な脅威だったのです。 また、中国武術家と日本武道家が対決することはたびたびあったようですが、 中国武術家が勝つよいうことはほとんどありませんでした。 。。
633 :
名無し三等兵 :01/12/20 15:23
ageます。
634 :
名無し三等兵 :01/12/20 18:54
ようはアメリカと戦わずに支那だけを相手に戦えばよかった ということか。
635 :
名無し三等兵 :01/12/22 00:02
http://www.isei.or.jp/japanese/America.html History of the United States, volume 2 : Civil War to the Present
日本の陸軍大臣東条英機は、合衆国との戦争は避けられないと考えた。
彼は、合衆国軍が行動する前に、先制攻撃を行うべきだと主張した。
1941年秋、日本は、ワシントンでの会談を続ける一方で、戦争の準備を
していた。(しかし、)アメリカの専門家が日本の暗号を解読していたと
いうことを日本人は知らなかった。合衆国は、日本の無線通信を盗聴し、
日本の戦争の準備をしていることを知っていた。しかし、来るべき攻撃の
正確な時刻と場所は不明のままだった。・・・中略・・・
・・・何年か後に、ジーン・ラロック提督はその日の朝のことを回想している。
最初、私は合衆国の陸軍空挺部隊が誤って我々を爆撃しているのかと思いました。
我々は、それほど思い上がっており、うぬぼれが強く、日本の力について無知でした。
・・・・・・彼らがいかに優秀かを理解するに長い時間がかかりました。
American Voices: A History of the United States
日本軍は、最初の6ヶ月間連戦連勝だった
・・・前略・・・
連合国軍は、戦争の初めの6カ月間は、日本軍が見せた冷酷さに驚かされた。
日本の戦争マシンは、ドイツの電撃的集中攻撃を思い出させ、たちまちグアム、
ウェーク島、香港、タイ、マラヤ、ビルマ、シンガポール、フィリピン、
オランダ領東インドを攻略した。日本軍は、軍艦を1隻も失わずにこの
勝利を収めており、最も恐るべき敵となり得る証拠を十分に示した。
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~jon/adv96/group1/US.html
636 :
名無し三等兵 :01/12/22 16:36
保守age
637 :
名無し三等兵 :01/12/23 13:21
>>631 まあ大陸には数百万の日本人がいたわけだから当然そういうことも
あるでしょうね。
日本の技術を自分のものにして「中国四千年の技術」と言うのは
支那御得意の白髪三千丈ですから、あまり気にしないほうがいいと思います。
638 :
名無し三等兵 :01/12/23 13:41
中国四千年の技術・・・ 人海戦術ですかね〜。 朝鮮戦争で米軍のある部隊に向かって平然と行進してきた。 何の遮蔽物もない平原で機銃で簡単に掃射できたが、自軍の銃弾数を 上回る頭数に戦わずして退却したとか・・・。
639 :
名無し三等兵 :01/12/23 19:16
日本陸軍の戦略・装備はひどかった、そして工業・経済がだめだったというのなら、 あれだけアメリカの援助を受けながら(英・ソとは違い米国人将校が現地指導)、 大陸打通で負け続けた中国の工業・経済・戦略は一体どのように評価すべきか。
>639 だって中国は日本以上にドキュンだもん。 貧民主体の共産党vs裕福主体の国民党軍と内戦 しかも主要エリアは列強が制圧済み、中国人民の技術も当然低い。 部隊は部隊で、逃走・略奪あたりまえの上に、女・子供・家族全員含めて部隊 こんな編成じゃあねぇ・・・。M4を無尽蔵に供与しても勝てるかどうか・・・。
641 :
名無し三等兵 :01/12/23 22:48
装備が悪いと言っても、それは米軍に比してのことで確かに、M4戦車や全軍装備の 自動小銃に苦戦する場面は多かっただろうが、一応日本陸軍もどうにか近代軍の体をなして いたと見るべきだと思う。
642 :
名無し三等兵 :01/12/23 23:11
丸だったと思うが、自動小銃のない悔しさはあったが、分隊の99式軽機 は優秀でBARと撃ち合ってもひけをとらなかった・・という手記を見たことがある。
643 :
名無し三等兵 :01/12/23 23:20
現在に例えると 帝国陸軍=イラク 米軍=米軍 中国軍=タリバン ってところじゃないのか これは装備面であって士気とかは別だけど
644 :
名無し三等兵 :01/12/24 19:07
保守age
645 :
名無し三等兵 :01/12/24 19:28
\?/
/⌒ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ゜Θ゜) <
>>644 そうだとすると?
| ∵ つ \___________
| ∵ |
\_/
646 :
名無し三等兵 :01/12/24 20:01
99式軽機は中共軍、国民党軍でも大人気!
647 :
名無し三等兵 :01/12/28 02:59
age
648 :
名無し三等兵 :01/12/29 20:30
日本陸軍は『米ソ独英という世界水準』からあらゆる面で大幅に立ち遅れていたという。 そうだとしたら、あれだけ米国から援助を受けながら(指揮官まで米国人)、 こんな軍隊に丸ごと大陸打通を許した『中国軍の水準』はどれくらいだったのだろう。 日本の基礎工業力・基礎経済力がどうした?、ならば中国の基礎工業力・基礎経済力は?
649 :
名無し三等兵 :02/01/01 13:43
■中国における「セトミ部隊」 戦車第十三連隊は中国大陸において活躍した部隊で、その基幹となったのは 支那事変より歴戦の独立軽装甲車第ニ中隊、第六中隊、第七中隊を集成して 昭和十四年十一月三十日、漢口で編成された。 初代連隊長は吉松喜三中佐が任命され前期の三個中隊に材料廠を加えた四個 中隊の編成であった。 装備車輛は九十四式軽装甲車が約50両、トラックなど約50両である。 また吉松連隊長は部隊の略称を各中隊長と協議して、「戦車」の「セ」と、 「十三」を「トミ」として「セトミ」部隊と命名した。 部隊はこの後中国各地を転戦し、昭和十七年十二月には戦車第三師団の隷下 となり、これに伴って独立軽装甲車第九中隊を編成して戦力の強化が図られ た。車輛も逐次更新が進み、九十五式軽戦車をはじめ九十七式中戦車、九十 七式中戦車改等の装備に替わっていった。 以後、終戦まで中国大陸における機甲部隊の中核としてその任にあたった。
650 :
名無し三等兵 :02/01/01 13:57
ここはお国の何百里♪って 英雄の丘のテーマに似てるよな。
651 :
45/85式改 :02/01/06 20:03
ウ号作戦帝国陸軍戦闘序列(一部帝国海軍含む) ビルマ方面軍(河辺正三中将) ビルマ方面軍司令部 第15軍(牟田口廉也中将) 第15軍司令部 第15師団<歩兵3個大隊欠> 第31師団 第33師団 戦車1個連隊 野戦重砲兵2個連隊 その他諸部隊 第28軍(桜井省三中将) 第28軍司令部 第2師団 第54師団 第55師団<南海支隊欠> その他諸部隊 第33軍(本田政材中将) 第33軍司令部 第18師団 第56師団 その他諸部隊 第53師団 独立混成第24旅団 野戦高射砲1個大隊 その他諸部隊 第3航空軍(木下敏中将) 第3航空軍司令部 飛行第5師団<戦闘5個軽爆2個重爆2個司偵1個戦隊基幹> 飛行第7師団 その他諸部隊 第28航空戦隊
652 :
名無し三等兵 :02/01/06 21:28
>45/85式改 おまえすごいな・・・・
45/85式改様、大変ご無沙汰しております。 折角インパール戦の日本軍戦闘序列を書き込んで頂いたのでちょっとだけお手伝いを。 ウ号作戦参加インド国民軍部隊 第十五軍配属 第一遊撃師団(遊撃第一連隊第一大隊欠) 第二十八軍配属 遊撃第一連隊第一大隊(第一遊撃師団の部隊) その他 第二遊撃師団 ラニ・オブ・ジャンシ連隊
654 :
名無し三等兵 :02/01/07 12:38
>日本陸軍の戦闘能力 中国軍にはいつでも連戦連勝。大陸打通作戦は大成功。
655 :
45/85式改 :02/01/08 01:09
ウ号作戦連合国陸軍戦闘序列 東南アジア連合軍(マウントバッテン海軍大将) イギリス第11方面軍(ギフアード大将) イギリス第11方面軍司令部 イギリス第14軍(スリム中将) イギリス第14軍司令部 イギリス第4軍団 イギリス第4軍団司令部 インド第17師団 インド第20師団 インド第23師団 その他諸部隊 イギリス第15軍団 イギリス第15軍団司令部 インド第5師団 インド第7師団 西アフリカ第81師団 その他諸部隊 インド第26師団 インド第25機甲旅団 その他諸部隊 セイロン島派遣部隊<歩兵1個師団・歩兵1個旅団基幹> イギリス第33軍団<歩兵4個師団・機甲1個旅団基幹> インド第50パラシュート部隊 ウィンゲート挺身兵団(ウィンゲート少将)<5個旅団基幹> 新編第1軍(ステェルウェル中将)<中国国民党軍歩兵3個師団基幹> 雲南遠征軍(衛立煌) 雲南遠征軍司令部 中国国民党軍第20集団軍<2個軍歩兵4個師団基幹> 中国国民党軍第11集団軍<歩兵九個師団基幹> 中国国民党軍第8軍<歩兵3個師団基幹> その他諸部隊 東部航空軍 東部航空軍司令部 第3戦術空軍 第3戦術空軍司令部 イギリス第21飛行連隊 イギリス第224飛行連隊 北部航空部隊<アメリカ7個飛行中隊・イギリス3個飛行中隊基幹> その他諸部隊 戦略空軍<アメリカ7個飛行中隊・イギリス3個飛行中隊基幹>
656 :
名無し三等兵 :02/01/08 20:24
>>45 /85式改 様
どうもありがとうございます。
英軍の戦闘序列は勉強になります。
BCI方面の英軍歩兵の装備等はご存知ですか?
もしご存知ならご教授ください。
>>第一総軍 様
お久しぶりです。
お元気そうでなによりです。
では私は同作戦期間中のビルマ地域中国軍や部隊について少し補足 させて頂きます。 遠征軍 第十一集団軍 第二軍 第九師(蒋介石直系衛立煌系米式装備) 第七十六師(蒋介石傍系米式装備) 新編第三十三師(蒋介石直系何応欽系米式装備) 第六軍 新編第三十九師(蒋介石直系何応欽系) 預備第二師(蒋介石直系何応欽系) 第七十一軍 第八十七師(蒋介石直系何応欽系米式装備) 第八十八師(蒋介石直系何応欽系米式装備) 新編第二十八師(蒋介石直系康沢別?部隊米式装備) 集団軍直轄 雲寧守備区 第二十集団軍 第五十三軍 第一一六師(張学良系東北軍米式装備) 第一三○師(張学良系東北軍米式装備) 第五十四軍 第三十六師(蒋介石直系何応欽系) 第一九八師(蒋介石直系陳誠系) 遠征軍直轄 第九十三師(蒋介石直系陳誠系) 第二○○師(蒋介石直系何応欽系米式装備) 砲兵第七団 工兵第二団 憲兵第二十団 第八軍 第八十二師(蒋介石直系何応欽系米式装備) 第一○三師(蒋介石直系何応欽系米式装備) 栄誉第一師(蒋介石直系米式装備)
駐印軍 新編第一軍 新編第三十師(蒋介石直系米式装備) 新編第三十八師(蒋介石直系米式装備) 新編第六軍 第十四師(蒋介石直系陳誠系米式装備) 第五十師(蒋介石直系陳誠系米式装備) 新編第二十二師(蒋介石直系米式装備) 駐印軍直轄 砲兵第四団 砲兵第五団 砲兵第十二団 重迫砲団 戦車指揮官(第一〜第六営) 工兵第十団 工兵第十二団 通信兵第六団 輜汽兵団 輜重兵団
※注 中国軍の米式化は順次行なわれいてただけで、作戦開始の時点でこの状態であったわけではありません。 又、時期によって多少の部隊の異動はあったようなので、常にこの戦力が全力参戦していたわけではありません。 656様、相変わらず胃痛ですが、45/85式改様のお手伝いに帰ってきました。 45/85式改様ご提供のウィンゲート部隊は、秘匿名でインド第3師団となっています。 時期によって5乃至6個旅団を指揮下に置いているようです。 戦車旅団は254か255のどちらかですね。
660 :
名無し三等兵 :02/01/09 14:24
戦後国府軍が抗日英雄・張学良を釈放せずに侵略者日本軍の 将校を多く起用したのは、大陸打通作戦などの日本陸軍の 戦闘能力を評価してのことだろう。
661 :
名無し三等兵 :02/01/10 16:35
張学良は「抗日英雄」とされるものの実際には抗日戦に参加してない。 戦後国民党は岡村寧次をはじめ旧日本軍将校を起用したが、張学良の 釈放は無かった。抗日英雄より仇敵日本軍将校の方が頼れるってか。
662 :
陸軍戸山学校 :02/01/10 16:48
国民党には戦中から日本人将校がいましたよ。 国民党の参謀だった大橋大佐もその一人。 張作霖の右腕だった郭松齢の軍事顧問も 元陸軍航空将校の木曾修次。 日本軍と戦っていた国民党のほとんどは反主流派の軍閥 ばかり。 国民党と日本軍の戦いはいわば馴れ合いの戦争。真の敵は 共産党だったことに気付かなかったのが運のつき。
663 :
名無し三等兵 :02/01/10 16:52
>国民党と日本軍の戦いはいわば馴れ合いの戦争。真の敵は >共産党だったことに気付かなかったのが運のつき。 だったら周恩来や張学良など国共合作に関わったの 「抗日英雄」の立場はどうなるんだ。
旧日本軍将校軍事顧問「白団」は、多分に人脈の問題だと思います。 国共内戦の末期にアメリカが支援を躊躇し始めた時期に、残る選択肢として旧日本軍将校しかなかったのが大きいでしょう。 後にアメリカが軍事顧問団を派遣(再派遣?)した際に、蒋介石は「白団」を苦しい時期に助けにきてくれた、大陸からの戦友と同じであるというような発言をしたそうです。 岡村大将についてですが、人物としては大人物のようですが作戦指揮については良くも悪くも今の私の知識では評価出来ません。 昭和20年の春以降、米式装備の中国軍に苦戦した事実もありますが、支那通でもあり評価は難しいでしょう。 但し、もしその時期に重慶侵攻作戦などやった日には、仮に成功したとしてもかえって支那派遣軍の寿命を縮めそうな気もします。 冷静に考えて、今更重慶が落ちたところで中国が単独講和に応じる理由はないでしょう。 因みに、岡村大将は軍事顧問といっても当時病気療養中であり、単に「白団」の名目上の中心人物として旧将校の人選等を行なったに過ぎず、直接顧問として作戦指揮や教育に携わってはいないはずです。 戦犯問題で彼は蒋介石に大変な借りが有った為に、今度は恩を返す義理が生じたのでしょう。
追加ですが、アメリカ軍のような物資の豊富な戦い方は当時の貧しかった台湾にはそぐわず、日本式の戦い方が分相応だったことも有るでしょうね。
666 :
名無し三等兵 :02/01/11 03:59
>岡村大将は軍事顧問といっても当時病気療養中 病気でも抗日英雄・張学良より侵略日本軍の親玉・岡村寧次のほうが大事か?
667 :
陸軍戸山学校 :02/01/11 10:15
>>663 だから抗日英雄や日本軍と激戦を交えた軍団は
ほとんどみんな共産党人脈だろ。
668 :
名無し三等兵 :02/01/11 10:33
670 :
名無し三等兵 :02/01/11 10:39
南京大虐殺・三光作戦(?)はどうなるんだ!
岡村大将は、「白団」時に一度も台湾を訪れていないようです。 初期には入院中であり、その後も一度も渡っていません。 又、「白団」は軍事顧問といっても戦闘指揮を行なうものではなく、幹部教育や部隊訓練の手伝いをしていただけです。 この点、「白団」以前に個人の資格で金門島戦に参加したといわれる駐蒙軍の根本中将と混同されている方がいらっしゃるのかもしれません。 当時の中華民国軍には、長い戦乱のなかで正規の幹部教育を受けたものが少なかったことと、高位の幹部には日本の陸士に留学経験のあるものも多い為人脈を生かせたことがあると思います。 張学良についてですが、そもそも彼が軟禁状態におかれた理由が「西安事件」ですから、共産党との戦いで彼に指揮を執らせるなんて当時の状況からしてそれこそ正気の沙汰ではないと思います。 又、しばしば指摘されていることですが、彼は「抗日英雄」というよりむしろ、「不抵抗将軍」であり、軍事的に何か活躍した実績は私の知る限り全くありません。 彼の功績は唯一つ、中央政府に帰順したことくらいではないでしょうか?
672 :
名無し三等兵 :02/01/12 09:52
>彼は「抗日英雄」というよりむしろ、「不抵抗将軍」であり、 張学良なんて「幹部教育や部隊訓練の手伝い」にもならないよね。
673 :
名無し三等兵 :02/01/12 10:19
674 :
名無し三等兵 :02/01/13 11:37
675 :
名無し三等兵 :02/01/13 16:50
真の敵は共産党だったということでよろしいか? 終戦時には本家が条約をおかして侵略してきたしね。
アカは嘘つきだ。信用できん
677 :
45/85式改 :02/01/13 20:47
大陸打通作戦(一号作戦)帝国陸軍簡略戦闘序列 第6方面軍 第6方面軍司令部 第11軍 第11軍司令部 第3師団 第13師団 第34師団 第40師団 第58師団 その他諸部隊 第23軍 第23軍司令部 第22師団 第104師団 独立混成第19旅団 独立混成第20旅団 独立混成第23旅団 独立歩兵第5旅団 独立歩兵第7旅団 独立混成第11旅団 独立混成第12旅団 第37師団<第23軍直轄> 第13軍 第13軍司令部 第60師団 第61師団 第65師団 第70師団 独立混成第62旅団 独立歩兵第6旅団 第5航空軍
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=04093523 P185
広い額に黒い髪、がっちりとして引き締まった体格のワシーリ・イワーノヴィッチ・
チュイコフというロシア人が、第二次世界大戦が起こったとき、ソヴィエト陸軍武官
として重慶に勤務していた。彼は、彼が開いたといわれる記者会見で、蒋介石がソ連
から受けている大量の軍事援助について語り、その結果外交上の騒ぎがもち上がった。
そのため一九四二年のはじめにチュイコフはモスクワに召喚され、一九四二年三月、
戦線に参加した。予備軍司令官代理をほんのわずか務め、自動車事故で軽い怪我をした
りしたが、やがてスターリングラード戦線を補強するため司令部とともに派遣された。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19896811 p30、31
ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
変な話で申し訳ないんですが……。 「日本陸軍・海軍陸戦隊が関わった最大10km四方程度で、クライマックスが三〜四時間程度の島嶼以外での戦闘」 っていうと、何が思いつきます? いや、シナリオ作ってて、ちょつと行き詰まったもので……(^^;
ばばぼん♪様、海軍オンリーではありませんが、マニラの市街戦なんかどうでしょう。 あとは、ラングーン守備隊の脱出位かな。クライマックスは無いかも知れませんが。
682 :
名無し三等兵 :02/01/15 22:21
203高地だろ
683 :
名無し三等兵 :02/01/17 22:24
日本陸軍の装備は最悪に近かったが、大陸打通作戦は連戦連勝。 中国軍はクズだ。
684 :
名無し三等兵 :02/01/17 22:46
日本軍には国民意識・愛国心があったが、中国軍には私欲しか無かった。 これは米式装備中国軍が「装備劣弱」とされる日本軍に何度やっても 勝利することは無かったことでもよくわかる。守るべき大義の無い ゴロツキ集団が、愛国心と誇りを持った軍隊に勝つことはありえない。
まじめにレスしちゃいけないんだすよね。
だすになっちゃった。です。 他のスレで米式装備師の戦歴について書いたらね相手にしないように注意されちゃったもんで。 との意味です。
687 :
名無し三等兵 :02/01/18 10:37
688 :
名無し三等兵 :02/01/18 10:44
1 第2期 前段−第1期作戦 衡陽攻略 2 第2期 前段−第2期作戦 桂林、柳州攻略 3 第2期 前段−第3期作戦 南部粤漢打通 4 第2期 後段作戦 南寧攻略、仏印打通 1/16 米機動部隊、香港空襲。大型タンカー7隻沈没。 1/19 20軍、23軍により越漢打通作戦開始。1/24 同打通。 2/3 20軍40師団、南雄飛行場を占領。 2/6 20軍27師団、粤州を攻略。 3/22 12軍、老河口付近の飛行場覆滅を目的に行動開始。 3/27 老河口飛行場を占領。 7/24 米軍機250機、上海に来襲。 7/27 中国軍、桂林を奪回。 8/20 ソ連軍の進駐に先立ち張家口の在留邦人京津地区に退避。 9/9 南京にて支那派遣軍降伏。 9/16 香港の日本軍降伏。
今までのパターンからすると次に私が一号作戦時の国民党軍戦闘序列を書き込むべきなんですが、 何分部隊数が多すぎるので少々お待ちください。
690 :
名無し三等兵 :02/01/19 02:18
>>664 第一総軍様、お元気そうで何より。
白団については御説のとおりだと思います。
何年か前に、NHKのドキュメンタリーでも取り上げていましたよね。
台湾の参謀総長の証言によれば、日本の総動員体制が参考になったとか。
団長の冨田少将(記憶違いかも)が、1970年代まで台湾軍に協力していたようですね。
白団関係の本も出ていたような記憶があります。
691 :
名無し三等兵 :02/01/21 14:07
日本陸軍弱小論には大陸打通作戦のハナシを定番にするのが良い。 日本陸軍が時代遅れの最低集団なら、こんな軍隊に3000キロ にもわたってあっけなく打通されてしまった中国軍は何集団だ。
692 :
名無し三等兵 :02/01/21 14:30
寄せ集め集団
693 :
名無し三等兵 :02/01/21 14:34
最弱の中国軍相手に15年も戦争している軍は何物だ? 本当に強い強いと言うのならさっさと征圧しろと言いたい
大東亜百年戦争なんだからしょうがない。
695 :
名無し三等兵 :02/01/21 14:45
だから陸軍はアホゥと言われる
696 :
名無し三等兵 :02/01/21 14:46
大和とアイオワとヴァンガードのスレが恐いよう。シクシク
697 :
名無し三等兵 :02/01/21 14:59
「ビスVS長門」とどちらが怖いだろう?
>>697 今回の方が怖いね
豚を排除した連中同士頂上対決やってるみたい
WARBIRDSの長門やビスが二重装甲ってところが
論破されちまったYO
もしかして両スレの戦いが飛び火ですか? おお怖い。
700 :
名無し三等兵 :02/01/21 23:56
あのスレおもろい。真実一路は無敵ではなかったのか。 豚が怖気づいて参加してないのも幸運。
むー・・・。 真実一路は結構良スレなんだよ、ネタのところはどーでもいーんだが 二重装甲のところは本気モードの部分なんだ。 あそこがぶっとぶとは思わなんだ。 きっと一方はあのスレの作者かも 関係ないのでsage
こっちのスレでも対決シリーズとかやりますか? 支那派遣軍の真実とか。
703 :
名無し三等兵 :02/01/22 02:31
そろそろ話を元に・・・?
では「ウ」号作戦(インパール作戦)とその関連作戦の非常に簡単な解説。 インパール作戦を開始するに当たり、その成功を期するため英軍戦力の牽制と英軍の反抗の機先を制する目的で昭和19年2月、第二十八軍の第五十五師団をもって「ハ」号作戦(第二次アラカン作戦)が開始された。 第五十五師団正面の英軍は第15軍団のインド第5、第7師団、西アフリカ第81師団、第25竜騎兵連隊(M3中戦車装備)であり、この年の初頭から日本軍への攻撃を開始していた。 第五十五師団は瞬く間にインド第7師団主力とインド第5師団の1個旅団、第25竜騎兵連隊を包囲したが、英軍側は日本側の予想を裏切り円筒陣地を形成して空中補給によって粘り強く抵抗を続けた。 更にインド第26、36師団を増援して包囲陣外部より日本軍を圧迫するとともに、西アフリカ第81師団を第五十五師団後方へと浸透させて脅威を与えた。 第五十五師団は2月28日、ついに包囲を断念して防勢に転移するとともに、第五十四師団の1個連隊を基幹とする木庭支隊を編成して反撃、西アフリカ第81師団を撃退し戦線を安定させた。
3月5日以降、今度はウィンゲート将軍のインド第3師団に所属する挺進部隊5個旅団(各4個大隊?)が逐次降下又は陸路浸透、インパール作戦準備中の第十五軍の後方を脅かし始めた。 これに対し第十五軍は第十五、第十八、第五十六師団から各1個大隊を抽出してこれら挺進旅団の掃討に当たらせたが攻撃は悉く失敗。 3月中旬にビルマ方面軍は第十五軍をインパール作戦に専念させる為、第二師団の一部と独立混成第二十四旅団を抽出して掃討に派遣するが、3月下旬には混成旅団の攻撃も失敗に終わった。 4月8日には第三十三軍が新たに編成され、第五十三師団主力による本格的な掃討作戦を準備中に挺進旅団群は自主的に戦場から離脱した。 又、この後第十八、第五十六師団は中国軍雲南遠征軍との消耗戦に巻き込まれていく。
肝心の第十五軍は3月8日から15日にかけて「ウ」号作戦を開始。 日本軍の各師団はその進撃路の険しさから、装備の二分の一から三分の一を後方に残置し、元々乏しい火力を更に低下させては混成旅団程度の実力であった。 計画としては第三十一師団をもってコヒマを占領してディマプールよりのインパール救援を阻止、第十五が直接、第三十三師団は戦車第十四連隊と野戦重砲兵連隊を伴う比較的優良な装備をもって南方から、それぞれにインパールを目指す予定であった。 尚、印度国民軍第一遊撃師団主力は第三十三師団の作戦に協力した。 英軍は日本軍の攻撃意図を察知、各師団を日本軍と接触しつつインパールまで後退させ、補給路の伸びきったところで決戦を強要する作戦であったようだ。 以下後日。
707 :
帝國海軍兵学校生徒 :02/01/24 22:32
なんとここはすばらしいところだ。 知識の宝庫でありますなあ。 帝國海軍なら話ができるのに残念だなあ。 荒らしもほとんどいない。こんなところで話がしたいのう。
攻撃は当初順調に進展するかに見えた。 日本軍の主力攻撃兵団第三十三師団はその一部山本支隊に戦車連 隊と野戦重砲兵連隊を配属し、インド第20師団を攻撃、この師団は 指揮下の1個旅団をインパール防衛に割かれていたため山本支隊 の攻撃を支えきれずに後退した。 第三十三師団主力は3月中旬には早くもインド第17師団を包囲下 に捕らえ、第十五師団も正面のインド第23師団を押し戻しつつ進 撃、更にコヒマを目指す第三十一師団の宮崎支隊も第十五師団の一 部と協力してインド第50空挺旅団を撃滅、師団主力は4月6日に ロイヤルネパール軍シーア連隊を主力とする守備隊を撃破してコ ヒマを占領し、補給基地ディマプールからインパールへの陸路を封 鎖することに成功した。
しかし、進撃もここまでであった。 第三十三師団の山本支隊は4月上旬より印度国民軍第一遊撃師団 の増援を得ていたが、インド第20師団によってテグノパール陣地で 阻止され、猛攻を繰り返したが5月下旬にはほぼ戦力を喪失した。 師団主力もインド第17師団を包囲したものの、英軍はインド第37 旅団(インド第23師団の部隊)を急派しインド第17師団と協力して 解囲攻撃を開始。第三十三師団は損害を受けて已む無く英軍の退路 を開放し、退却する英軍の後をゆっくりと追う形で4月10日頃よう やくインパール前面のトルボノへ進出した。しかし英軍はこの間、 アラカン方面で第五十五師団との戦闘に参加していたインド第5師 団(1個旅団欠)を空輸によって派遣して第三十三師団の進撃を阻 止し、第十五師団の前面にも当初第十五軍では予想していなかった 英軍戦車(インド第254機甲旅団)が登場して苦戦に陥っていた。 第三十一師団に対しては、イギリス本国第2師団に加えてアラカン から空路転用したインド第7師団、インド第5師団のインド第161 旅団をディマプールから出撃させてコヒマの奪還を図った。
インパールをどうにか包囲下に置くことが出来た日本軍であった が、英軍は空輸によって補給を維持するだけでなく増援も空から送 り込んできたのに対し、日本軍は殆どまとまった補給を受けること が出来ず、包囲している側が食料、弾薬の不足によって弱体化してし まった。 元々第十五軍は作戦期間を3週間と予定しており、更に英軍から の鹵獲物資を当てにして作戦を開始するという補給の軽視、更に戦 場に英軍戦車部隊は現れないという根拠に乏しい前提条件の為、 各師団は手持ちの速射砲(対戦車砲)の多くを残置していたことも あり、第四師団の歩兵第六十一連隊、第五十三師団の2個大隊を増 援に送り込んだが、攻撃はここに完全に頓挫してしまった。 5月末、遂に第三十一師団が独断でコヒマを放棄して退却を開始。 道路の阻塞は僅かに宮崎支隊のみに委ねられた。(支隊はなお数週 間健闘した後突破される) 第十五軍は第三十一師団の退却をなんとか止め、インパール方面 に転用しようとしたが師団の退却を留めることはできなかった。 これにより日本軍戦線は崩壊し、隣接する第十五師団も危機に陥 り作戦の失敗は決定的となったが、第十五軍は尚も最後の攻撃に期 待をかけていたものの果たせず、7月10日遂に作戦の中止を決定した。 しかし、敵の追撃に加えて雨季に入っており、更に補給の途絶に よって体力の低下した兵の戦病死が続出して退却は悲惨な状態とな り、ビルマ方面軍の戦力は極度に低下して翌年のビルマ防衛の破綻 に繋がっていく。
711 :
1,死傷者数はビルマ遠い戦場(ルイ・アレン)による。但し スリム戦記によると「ウ」号作戦関係の英軍死傷者は約4万人とのこと。 恐らくその数字には戦病者が含まれているのではないだろうか。日本側 の数字には含まれていると思われる。 又、印度国民軍の損害はこの資料にはかかれていない。第一遊撃師団 (兵員7千〜8千)はこの作戦で大打撃を受け、無傷の連隊は僅かに 遊撃第四連隊のみとなったようだ。 ※2,戦力比較は目安であり、厳密なものではない。時期によって違 うし、両軍とも部隊の異動や分派を行なっている。 以上。雲南方面についてはいずれ中国軍特集でもやるときに。 , :
712 :
名無し三等兵 :02/01/25 01:27
第一総軍殿ご苦労様です。 インパールなら手元に若干資料があったので、データを少々補足。 インパール作戦間における日本軍主要兵器の損耗状況 作戦前 作戦後 第15師団 火砲 46門 12 自動車 230輌 60 第31師団 火砲 39 9 自動車 256 49 第33師団 火砲 39 12 自動車 422 356 野戦重砲 火砲 23 9 (3,18) 戦車連隊 戦車 60 3 (14) 軍直轄 自動車 1,999 385 作戦後の残量には、前線への搬送を諦め後方に残置されたものを含む。 ※磯部卓男「インパール作戦 その体験と研究」丸の内出版より
713 :
名無し三等兵 :02/01/25 01:32
げ、ズレてしもうた。 続きで、 711のデータ中、「ウ」号作戦関係コヒマ方面の日本軍(第31師団)損害については、 「陸戦史集17」によれば、戦死・戦病死5,764人、行方不明・後送患者4,450人、損耗 計10,214人とのこと。 また、日本軍全体の損害については、作戦参加兵力約85,600人、うち6万人がチンド ウィン河を渡河、軍直部隊を除く死者は判明した者だけで20,292人との数字もあり。 軍直を含めると推定で戦死者3万人。 ※丸山静雄「インパール作戦従軍記」岩波新書より スリム戦記の英軍死傷者は、磯部卓男「インパール作戦 その体験と研究」によれば、 公刊戦史および陸戦史集の引用ミス?とのことです。 「遠い戦場」の数字は、英公刊戦史のそれと合致。 R.キャラハン「第二次世界大戦の政戦略・ビルマ1942−1945」という本では、イン パール作戦間の英軍の損害は16,700人、死者はその4分の1となっているもよう。 ご参考まで。
714 :
名無し三等兵 :02/01/25 09:48
なるほど。手元の陸戦史集17 インパール作戦下巻を見直してみましたが、その通りですね。 磯部卓男氏の著作はビルマ戦史研究補遺しか所有しておりませんが、書き込みを拝見してインパール編も欲しくなりました。一度見つけたんですが、懐が寂しくて購入を見送った経緯がありまして。 死傷4万が引用ミスだとすれば、やはり公刊戦史たる戦史叢書もそろそろ再編纂の時期にきているのかもしれませんね。 印度国民軍第三師団の武装解除問題に関する誤りや、曲がりなりにも同盟国軍であるタイ軍、汪兆銘軍、、満州国軍、内蒙古軍等に関する記述が簡単すぎますね。 タイ以外は日本が育てた軍なのに。
716 :
名無し三等兵 :02/01/27 01:46
>第一総軍殿 ハードカバーは高価ゆえ、躊躇して買い逃すことはよくあります。お察しします。 死傷4万の件は、単なるミスなのか意図的なものか、磯部氏の著作からは判然としません。 英公刊戦史では元々死傷16,667人となっていたようで、こちらの文献を参照しなかった だけなのかどうか。 戦史叢書の再編纂はあってもいいかもしれません。もはや旧軍の幹部への遠慮もいらない でしょうし。自国の軍隊だけに偏らない研究分析は、確かに必要だと思います。 が、別筋からの圧力で政争の具になるやもしれず、その点いささか心配です。 昭和館の二の舞にならなければいいのですが。
716様、そうですねえ。政争の道具になりそうですね。 軍事の研究に善悪という視点を必要以上に盛り込みすぎるとかえって現実の姿が見えなくなりそうで困りものですね。 善悪は研究書自体に書くものではなく、それを読む人間の判断に委ねたいものです。 今回の双方の死傷者数を見ても、戦争の数字などというものは色々な資料が出回っていて簡単にどれが正しいとは決めかねることが多いですし、「絶対」なんて考えはおいそれとは持てないはずなんですから。 さて、せっかく45/85式改様が一号作戦の日本軍戦闘序列を書き込んでくださっているので、これから2ちゃんねる軍事板の鬼門の一つ、大陸打通作戦特集を始めましょうか。 この作戦に関しても他に詳しい方が沢山いらっしゃるはずなのでどんどん書き込んでください。 私は中国軍側から簡単にアプローチしてみるつもりです。 打通太郎様(本当は何人も居るんでしょうか?)も折角ですからこのスレでは普通に考察に協力いただければ幸いです。 帝國海軍兵学校生徒様、少し他の海軍関係スレが落ち着いてきてから「帝国海軍の戦闘能力」の様な題目でスレ立てなさってもいいかもしれませんね。 そうしたら私も勉強がてら覗きに行きます。 今は幾つかのスレで技術論で盛り上がっているところですから避けた方が良さそうですが。
718 :
名無し三等兵 :02/01/29 18:02
このページに「国家歳出中に占める軍事費の割合」が載ってるんだけどさ。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/zaisei.htm 1936年までは40%中盤だった軍事費割合が、日中戦争開始直後から
いきなり70%近くまで増加している。
たとえ戦術的に連戦連勝でもこんな財政状態で中国に長期持久策を
取られたらどうしようもないよ。
それと興味深いのは、太平洋戦争開始前後ではあまり軍事費割合に変化がないこと。
このデータだけを見てあえて極論すれば、日本はもっぱら中国を主敵として
戦ってきたとも言える。
719 :
名無し三等兵 :02/01/29 18:23
中国軍ってそんなに弱いのか?、朝鮮戦争では米軍をも押し返してたぞ。
大学の講義やその後のレポート関係の調査なので決して偉そうなことを言えないのですが、 清朝末期の北洋軍閥の成立過程を考えると当然ではないかと。 思いっきり飛ばして簡単に書くと、以下のようになります。多分。確か(藁)。 アヘン戦争でボロ負けした清朝は軍や産業の近代化に走る。 特に国防上の問題から相当焦って軍の近代化しようとする。 ↓ でも当時は英仏がまだ競ってた状態だし、新興国としてのドイツも見逃せない。 ↓ なんだかようわからんから「アンタの省はイギリス式、アンタの省はフランス式」 という感じに、地方単位で別々の国の軍をモデルとした近代化を始める。 ↓ お雇い軍人&商人多数訪中。 それぞれの地方の役人や商人がそれぞれの外国の影響をモロに受ける (贈賄や子弟留学による人的影響含む)。 ↓ 中央政府より外国政府の言うことを聞く。 ↓ 外国政府等の影響を受けた軍閥同士の「予定調和的」内乱。 ↓ そんなこんなで「一応、近代化に燃える国民党政府中央」と「自分の利益が最優先な地方政府(軍閥)」、 「とりあえず食い扶持さえあればいい下級将兵」からなる国民党政府軍が成立。 で、満州事変以降の全てを奪いとりそうな勢いの日本の侵略によって、 (相対的にだけど)各軍閥等の結束が強まり、 後の国共合作(字、あってたっけ? ^^;)の下地となったのではないかと思うのですよ。
あ〜、これはあくまで「組織全体としての国民党軍」のモチベーションについてのことなので、 個人としての愛国者や勇敢な将兵、抗日ゲリラについてのことではありません。 全然関係ないけど、ワタシの親戚筋に満州国や大陸に陸軍士官や省庁からの出向、あるいは商社員として行っていた人が何人かいました。 ワタシが物心ついた(=軍オタとしての自覚を持った)頃にはほとんどが他界していましたが、 父や親戚伝に「大陸では田舎に行くと、山を二つ三つ越えると言葉が通じなくなる」という話を聞いたことがあります。 で、十年ほど前の学生時代に日本の中国研究者が中国現代史について書いた本の中に 床屋の親父さんとの会話として「中国で本当に統一が進んだのはラジオが普及し始めた50年代末からだ」 という話が出てきます(床屋の親父の話です)。 実はこれとよく似た話を別な社会学方面から投票行動の心理を研究している研究者の話として 「イタリアで統一が進んだのは低所得者層にもラジオが普及した50年代末だ、という説がある」 というのを読んだことがあります(ずいぶん前のことなので、正確な出典は記憶の彼方 +_+)。 自分が住む地方とは違う人々との一体感が強まり、国民としての統合が進んだ、ということでしょうか。 軍がその国の政府(元首)の指揮下にある場合、将兵レベルでその政府に対して違和感や不信感のようなものを感じているとすれば、 当然、士気等に大きな影響が出ると考えられます。 日中戦争〜第二次大戦終結辺りまでの中国軍の弱体には、このような要素の影響もあるのではないでしょうか? ああ、そういや、天安門事件の時に民衆に実弾ぶっ放したのは、北京の部隊じゃなくて内モンゴルから来た部隊だって話もあったな。 これも似たようなものではないかと。
うわっ、酒飲みながら書いたら、文章が支離滅裂だよ(藁)。 日本で明治政府が国語教育(=共通語の普及)を強力に推進したのは、 こういう理由もあったのでは、と思うの。
書き込みミスしました。ごめんなさい。 他所で偽者が似たようなスレを立ててしまいましたが、ここはここで予定通り一号作戦といきましょう。 私の名前なんか騙っても、知名度低いから全然反響なんかないでしょうにね。 ばばぼん♪様、お帰りなさい。 一号作戦ネタへの早速の書き込みありがとうございます、 中国軍ネタにはあと御二人専門家がいらっしゃいましたね。 「出てこいシャザーン」
京漢作戦間の中国国民党軍 第一戦区 第二十八集団軍 第十二軍 第二十二師 西北軍 第八十一師 西北軍 第二十九軍 第九十一師 直系軍 第一九三師 直系軍 暫編第十六師 直系軍 第七十八軍 新編第四十三師 直系軍 新編第四十四師 直系軍 暫編第十五軍 暫編第二十七師 ? 新編第二十九師 直系軍 新編第四十二師 直系軍 集団軍直轄 第二十師 西北軍 暫編第五十五師 直系軍 挺進縦隊
第三十一集団軍 第十三軍 第四師 直系軍 第八十九師 直系軍 第一一七師 直系軍 第八十五軍 第二十三師 直系軍 第一一○師 直系軍 預備第十一師 直系軍 第十五集団軍 騎兵第二軍 騎兵第三師 東北軍 騎兵第八師 回軍 暫編第十四師 直系軍 各種挺進縦隊10個 保安縦隊1個 他 第十九集団軍 第八十九軍 第二十師 西北軍 新編第一師 直系軍 暫編第九軍 第一一一師 東北軍 第一一二師 東北軍 暫編第三十師 直系軍 集団軍直轄 第三十三師 ? 独立第六旅
第三十六集団軍 第四十七軍 第一○四師 川軍 第一七八師 川軍 第三十九集団軍 新編第八軍 新編第六師 宋派西北軍 暫編第二十九師 宋派西北軍 第十四集団軍 第十五軍 第六十四師 豫軍 第六十五師 豫軍 第四集団軍 第三十八軍 第十七師 狭(本当は字が違う)軍 新編第三十五師 狭(本当は字が違う)軍 第九十六軍 第一七七師 狭(本当は字が違う)軍 新編第十四師 川軍 劉戡兵団 第十四軍 第八十三師 直系軍 第八十五師 直系軍 第九十四師 直系軍 第九軍 第五十四師 傍系軍 新編第二十四師 東北軍 暫編第四軍 第四十七師 傍系軍 暫編第四師 孫殿英軍 第三十四集団軍 第四十軍 第三十九師 庬(本当は字が違う)派西北軍 第一○六師 庬(本当は字が違う)派西北軍 第一軍 第一師 直系軍 第七十八師 直系軍 第十六軍 第一○九師 直系軍 預備第三師 直系軍 第五十七軍 新編第三師 蒙古人直系軍 第九十七師 直系軍 新編第三軍 第八師 傍系軍 第一六七師 川軍
これが一号作戦(大陸打通作戦)の緒戦、京漢作戦で第十二軍を主力とする日本軍と抗戦した中国軍の大体の戦闘序列です。 ※1,時間の関係で部隊の系列は簡略化しているが、大体以下の通りである。 直系軍=蒋介石の直系軍。本当は更にこの中で幾つかの派閥に分かれているが略。 傍系軍=直系ではないものの、事実上蒋介石の手勢と化しているもの。 狭(字が違う)軍=今回は揚虎城系の部隊をこう記述した。過去の経緯を考えれば、事実上直系軍に併呑されていたはず。 西北軍=今回は韓復架系の部隊をこう記述した。過去の経緯を考えれば、事実上直系軍に併呑されていたはず。 東北軍=張学良系の隊をこう記述した。過去の経緯を考えれば、事実上直系軍に併呑されていたはず。 その他=全て地方実力者系の部隊。所謂軍閥軍。 ※2,手元資料3種が全て食い違っているので一番詳しい記載のある資料に従った。当然、戦闘序列に食い違いがある可能性がある。 又、第二十師がダブっている。師長名も異なっているので謎。途中で異動したものか? ※3,実は、第八戦区の部隊も加わっていたとも言う。 第一戦区は蒋介石の息子を司令長官とし、副指令長官である湯恩伯将軍が事実上の采配を振るった。 第八戦区司令長官は胡宋南将軍。第一、第八とも当時の国民党軍直系の主力部隊だが、所謂美械師(米式装備師団)は未だ含まれていない。 ※4,日本軍戦闘序列については45/85式改様の以前の書き込みを参照。
729 :
名無し三等兵 :02/01/31 00:54
戦艦 大和・武蔵・長門・陸奥・比叡・霧島・山城・扶桑・榛名・金剛・伊勢・日向 航空母艦 瑞鶴・赤城・信濃・翔鶴・大鳳・隼鷹・飛龍・天城・雪龍・大鷹・沖鷹・葛城・祥鳳・瑞風・瑞鳳 千歳・千代田・龍鳳・海雁・龍穣 巡洋艦 高雄・鈴谷・愛宕・利根・鳥海・青葉・古鷹・衣笠・加古・妙高・那智・羽黒・足柄・最上・天龍 熊野・阿賀野・矢矧・球磨・多摩・木曽・夕張・名取・鬼怒・長良・五十鈴・阿武隈・龍田・摩耶 大淀・神通・天龍 施設巡洋艦 能代丸・八幡丸・新田丸・浮島丸・愛国丸・報国丸・金剛丸・栗田丸・盤谷丸・清澄丸・西貢丸・金龍丸 赤城丸・護国丸・金城山丸・浅香丸 駆逐艦 吹雪・白露・春雨・綾波・島風・初雪・敷波・暁・響・松・桜・陽炎・照月・有明・不知火・初春 雪風・初霜・秋月・初月・冬月・春月・宵月・涼月・夕雲・朝潮・峰雪・秋霜・荒潮・早波・睦月 三日月・若竹・朝潮・満潮・神風・夕風・夕凪・樅・夕張・子之日 潜水艦 伊-16・伊-33・伊-58・伊-14・伊-15・伊-401・伊-13・伊-171・伊-361・伊-68・伊-1-6 伊-400・伊-370・伊-56・伊-1・伊-6・呂-35・海大-3・蛟龍 水上機母艦 日進・君川丸・相良丸 潜水母艦 長鯨・迅鯨・大鯨 海防艦 択捉・鵜来型・丁・丙・占守・国後・八丈・石垣・壱岐・対馬・六連・隠岐・笠戸・干珠・満珠・御蔵 倉橋・四阪屋・日振・大東・昭南・三宅・屋代・久保高・竹生・栗国・新南・淡路・千振・稲木・生野 伊磨・神津・目斗・能美・草垣・天草・松輪・佐渡・波太・平戸・若宮・久賀・羽節・男鹿・金輪・生名 工作艦 明石 駆潜艇 1号駆潜艇・2号駆潜艇・3号駆潜艇・4号駆潜艇・5号駆潜艇・6号駆潜艇・7号駆潜艇・8号駆潜艇 9号駆潜艇・10号駆潜艇・11号駆潜艇・12号駆潜艇・13号駆潜艇・14号駆潜艇・15号駆潜艇 16号駆潜艇・17号駆潜艇・18号駆潜艇・19号駆潜艇・20号駆潜艇・21号駆潜艇・22号駆潜艇 23号駆潜艇・24号駆潜艇・25号駆潜艇・26号駆潜艇・27号駆潜艇 掃海艇 19号掃海艇 施設艇 平島 輸送艦 一等輸送艦・二等輸送艦・能登丸 水雷艇 千鳥・鴻・初雁・雉 雷装艇 大井・北上 飛行艇母艦 秋津州 給糧艦 伊良湖・間宮・野崎・早崎・白崎・荒崎 給油艦 知床・襟裳 病院船 氷川丸・高砂丸・朝日丸・波上丸・橘丸・亜米利加丸 標的艦 矢風・波勝・摂津 測量艦 勝力・筑紫
730 :
名無し三等兵 :02/01/31 00:54
戦艦 大和・武蔵・長門・陸奥・比叡・霧島・山城・扶桑・榛名・金剛・伊勢・日向 航空母艦 瑞鶴・赤城・信濃・翔鶴・大鳳・隼鷹・飛龍・天城・雪龍・大鷹・沖鷹・葛城・祥鳳・瑞風・瑞鳳 千歳・千代田・龍鳳・海雁・龍穣 巡洋艦 高雄・鈴谷・愛宕・利根・鳥海・青葉・古鷹・衣笠・加古・妙高・那智・羽黒・足柄・最上・天龍 熊野・阿賀野・矢矧・球磨・多摩・木曽・夕張・名取・鬼怒・長良・五十鈴・阿武隈・龍田・摩耶 大淀・神通・天龍 施設巡洋艦 能代丸・八幡丸・新田丸・浮島丸・愛国丸・報国丸・金剛丸・栗田丸・盤谷丸・清澄丸・西貢丸・金龍丸 赤城丸・護国丸・金城山丸・浅香丸 駆逐艦 吹雪・白露・春雨・綾波・島風・初雪・敷波・暁・響・松・桜・陽炎・照月・有明・不知火・初春 雪風・初霜・秋月・初月・冬月・春月・宵月・涼月・夕雲・朝潮・峰雪・秋霜・荒潮・早波・睦月 三日月・若竹・朝潮・満潮・神風・夕風・夕凪・樅・夕張・子之日 潜水艦 伊-16・伊-33・伊-58・伊-14・伊-15・伊-401・伊-13・伊-171・伊-361・伊-68・伊-1-6 伊-400・伊-370・伊-56・伊-1・伊-6・呂-35・海大-3・蛟龍 水上機母艦 日進・君川丸・相良丸 潜水母艦 長鯨・迅鯨・大鯨 海防艦 択捉・鵜来型・丁・丙・占守・国後・八丈・石垣・壱岐・対馬・六連・隠岐・笠戸・干珠・満珠・御蔵 倉橋・四阪屋・日振・大東・昭南・三宅・屋代・久保高・竹生・栗国・新南・淡路・千振・稲木・生野 伊磨・神津・目斗・能美・草垣・天草・松輪・佐渡・波太・平戸・若宮・久賀・羽節・男鹿・金輪・生名 工作艦 明石 駆潜艇 1号駆潜艇・2号駆潜艇・3号駆潜艇・4号駆潜艇・5号駆潜艇・6号駆潜艇・7号駆潜艇・8号駆潜艇 9号駆潜艇・10号駆潜艇・11号駆潜艇・12号駆潜艇・13号駆潜艇・14号駆潜艇・15号駆潜艇 16号駆潜艇・17号駆潜艇・18号駆潜艇・19号駆潜艇・20号駆潜艇・21号駆潜艇・22号駆潜艇 23号駆潜艇・24号駆潜艇・25号駆潜艇・26号駆潜艇・27号駆潜艇 掃海艇 19号掃海艇 施設艇 平島 輸送艦 一等輸送艦・二等輸送艦・能登丸 水雷艇 千鳥・鴻・初雁・雉 雷装艇 大井・北上 飛行艇母艦 秋津州 給糧艦 伊良湖・間宮・野崎・早崎・白崎・荒崎 給油艦 知床・襟裳 病院船 氷川丸・高砂丸・朝日丸・波上丸・橘丸・亜米利加丸 標的艦 矢風・波勝・摂津 測量艦 勝力・筑紫
731 :
名無し三等兵 :02/01/31 17:43
朴さんは、そーゆー自己の経歴を 晩年は後悔しておられたとか。
733 :
名無し三等兵 :02/01/31 19:30
でも後悔先に立たず、大陸打通作戦は大勝利!!
日本陸軍戦車部隊のかっこいいところは、独ソのような大火力・大装甲 の大規模戦車部隊を伴わずに打通3千キロを成し遂げたということだ。 中国の軍隊は所詮私利私欲のゴロツキの集団であって、いくら米式装備 で身を固めても、誇りと愛国心を伴う日本陸軍の敵では無かった。
よく見直してみたら日本軍側の戦闘序列に第十二軍を中心とする北支那方面軍の参加部隊は入っていませんでしたね。ちょっと自信がないけど大体の戦闘序列です。 北支那方面軍 第十二軍 第二十七師団 第三十七師団 第六十二師団 第百十師団 戦車第三師団 独立混成第七旅団 騎兵第四旅団 その他 第一軍 第六十九師団の一部 独立混成第三旅団 第十一軍 独立歩兵第十一旅団 第十三軍 第六十五師団 方面軍直轄? 第六十三師団
因みに上記は直接戦闘に参加したもののみで、それぞれの軍には他に兵団もありました。 第十二軍のみは全力参戦です。 更に、以前書き込んだ国民党軍部隊の中に第八戦区からの増援が含まれています。 資料によって違いがあるのですが、一説によると第一、十六、四十、五十七軍と前記書き込みにない第二十七軍の第百二十八師(揚虎城軍)が第八戦区となっています。
で、恥ずかしいほど非常に簡単な京漢作戦の解説。 ※今回は混乱を避ける為に国民党軍の部隊は英数字で番号を記述します。 日本軍の目的 一号作戦(大陸打通作戦)の第一段階である京漢作戦は概ね以下の計画であった。 作戦の主力は第十二軍とし、南方からの第十一軍の一部と協力して京漢線を打通、更に右旋回して洛陽方面に進撃し、第一軍の一部と協力して国民党軍の主力部隊の一つ第1戦区軍を撃破、第十三軍はこの間、敵部隊への牽制行動を行なって第十二軍の作戦に協力する。 その後、第二十七、第三十七、戦車第三師団の半分を第二期作戦(湘桂作戦)に備えて南下させ、第十一軍の指揮下へ転用することとなっていた。
中国軍の計画 第1戦区の実質的な指揮官である湯恩伯将軍は指揮下の部隊を南北 2つの兵団に分割し、南兵団の第12軍(3個師)、第29軍(3個師)、 第78軍(2個師)、暫編第15軍(3個師)、挺進軍の2個旅を各地の 城砦都市に配置して日本軍を消耗させ、直系の精鋭部隊である第13軍 (3個師)、第85軍(3個師)を突撃部隊として運用して城砦攻撃で 消耗した日本軍を撃破する計画であった。 作戦の経過 4月17日、第三十七師団と独立混成第七旅団が黄河を渡河し、19日ま でに暫編第15軍の暫編第27師の抵抗を撃破して鄭州を占領。 この戦 闘は直協隊が支援し、敵砲兵を壊滅させている。 同じく19日、第十二軍主力である第六十二師団、第百十師団は中国軍 の堅陣、覇王城陣地で攻勢を開始。第85軍の第110師、預備第11師を撃 破、更に22日には第三十七師団の1個連隊が同じく第85軍の第23師を 密県において撃破、湯恩伯将軍はこれを救援するため第13軍を派遣した が間に合わず、かえって第4師が少なくない損害を受けて退却すること となり、反撃用兵団である2個軍計6個師の精鋭部隊のうち早くも4個 師を撃破されてしまった。 第三十七師団、独立混成第七旅団は30日、厳重に防御された城砦都市 許昌の攻略戦を開始。守備の暫編第15軍の新編第29師は激しく抵抗した ものの、5月1日には師長、呂公良将軍以下全滅。 更に救援に現れた暫編第15軍の新編第42師、第29軍の第91師、第193 師、集団軍直轄の第20師は待ち構えていた第六十二師団の迎撃に遭って 撃退され、特に第20師は5月3日までにほぼ戦力を失った。 この間、第2線兵団である第二十七師団、戦車第三師団も黄河を渡河、 5月9日には京漢の打通に成功した。
蒋介石は洛陽を固守して日本軍主力を拘束し、第1戦区、第8 戦区軍の主力を集結して決戦を企図したが、日本軍はそれより 早く5月5日頃より登封付近で第12軍、第29軍に対し第三十七 師団、第六十二師団、第百十師団、独立混成第七旅団をもって 攻撃、退却する敵の退路に戦車第三師団、騎兵第四旅団を配置し て大打撃を与えた。 中国軍は何とか戦車第三師団の追撃から逃れて後退したが日 本軍主力はこれを追撃して中国軍補給基地を奪取。 更に第六十三師団を中心とする部隊を投入して洛陽を包囲下 においた。 この頃第一軍は中国軍新編第8軍を撃破し、更に第8戦区か らの増援4個軍を拘束して第十二軍の作戦に協力した。 第十二軍は19日から第六十三師団、第百十師団の一部、戦車第 三師団の一部で洛陽攻略戦を開始。 しかし、守備隊の第15軍(2個師)及び第94師は激しく抵抗 し、攻撃は大損害を出して頓挫した。 そこで第十二軍は戦車第三師団主力と騎兵第四旅団を増援し て23日より攻撃を再開、25日遂に洛陽を占領し、京漢作戦を完了 した。 この作戦の結果、国民党軍直系部隊の一つである第1戦区軍は 大損害を受け、翌年になっても多くの欠員を抱えることとなった。
そろそろ上げとかないと危険なので。 又近いうちに続きを。
741 :
名無し三等兵 :02/02/06 08:32
age
742 :
名無し三等兵 :02/02/06 20:43
あげます〜。
743 :
帝國海軍兵学校生徒 :02/02/06 21:25
第一総軍氏へ わかりました。のぞきに来て下さい。
もう寝ますが、近日中に打通作戦第一次の考察に入りたいと思います。 何分地図を詳細に検討する暇もアップする手間もかけていられないので非常に簡単なものになると思いますが、皆さんもどんどん御意見や考察をどうぞ。 賛成派にも反対派にも待ちに待った「打通作戦」ネタですから楽しみましょう。 尚、日本軍の各師団のカテゴリーはこのスレの前の方の師団編制の解説をご参考に。 帝國海軍兵学校生徒様、がんばってください。いずれスレ立てした時は知らせてくださいね。 でも、今は海軍スレが多いから叩かれてしまうかもしれないので様子をみた方が良いかもしれませんね。
さて、今回の「打通作戦第一弾」ですが、この他に何について解説したらよいかむ解らないのですが、まあ適当にお話しましょう。 現在私も中国軍については「本土決戦」のついでに片手間に調査しているだけなのであまり偉そうに解説が出来るほどではありませんが、たまたま手元資料に国民党軍の作戦が簡単に記述してあったので自分なりに辞書と翻訳ソフトを併用して解釈してみました。 細かな点では色々と間違いがあるような気がしますが、国民党軍の行動について戦史叢書以外に良い日本語資料が無いので無理を承知の書き込みとなってしまったことは残念です。 国民党軍部隊の編制、装備について 昭和19年当時の国民党軍の師(師団)編制については資料がありませんが、昭和15年当時の基本編制からすると約1万人、3個団(連隊)+1個補充団、砲兵、輜重兵各1個営(大隊)、騎兵、工兵、戦車防御砲、化学兵、通信、特務各1個連(中隊)となっています。 装備は小銃3,100、軽機162、重機54、迫撃砲36、対戦車砲4、山砲6?が定数と思われます。(擲弾筒不明) 但し、一部精鋭師はこの限りではなく更に重装備であり、逆に直系以外の部隊は定数をかなり下回っていたと考えられます。 加えて、この頃少しづつですが、アメリカからの支援で装備の質と量が向上しつつあったとも考えられますから前記編制定数は既に過去のものであった公算も高いと思います。 又、美械師(米式装備師団)は未だ中国本土には存在しておらず、米国からの支援で装備をやや強化しつつあるという状況だったのではないでしょうか。 尚、美械師とは、単にアメリカの武器を装備しているというだけでなく、その編制から通常の師とは異なっています。つまり、アメリカ製小銃を1挺でも装備していれば米式装備師団という訳ではないのです。 この美械師はビルマ作戦に参加しており、中国戦線には従来の師が存在していたたわけですから、「米式装備でもヘタレ」という評価は打通作戦に関しては言えないようです。 国民党軍の作戦について 今回の戦闘序列と作戦経過を見ていただければ解る通り、蒋介石直系部隊がかなり参戦しており更に大きな損害を受けています。 特に湯恩伯が反撃部隊として指定していた2個軍(6個師)は戦闘に継ぐ戦闘で殆ど壊滅的損害を受けたものと考えられます。 それに加え、時間の関係で書き込みから省略してしまいましたが、当時の国民党軍虎の子の4個軍の一つ第一軍も作戦末期に投入されており、このことからも国民党軍が戦わずに逃げたとの批判はこの作戦に関しては当たらないようです。 第一総軍の私見ですが、湯恩伯将軍の作戦計画自体はそう悪いものではなかったように思います。 日本軍との正面きっての大野戦は不利であると正しく認識し、各1個軍づつ城砦都市の守備につけ、その防御戦闘で日本軍に分散、消耗を強要して精鋭の反撃部隊2個軍(6個師)で反撃するという計画は決して馬鹿に出来ない現実性を持っていたと思います。 しかし何故か、その精鋭軍のうち1個を最前線の覇王城陣地の守備に当てていた為緒戦から日本軍の攻撃を受け、更に救援に向かった1個軍も迎撃されて損害を出すという最悪の結果を招きました。 なぜ反撃兵団を最前線に置いたのかは解りませんが、私は以下のように考えています。 理由1 反撃兵団としては一応後方に配備すべきだが、機動力に欠ける国民党軍が後方配備にすると戦いに間に合わないのではないか。 理由2 覇王城陣地は最前線の中でも鉄道線に近く重要な地点である為、信頼できる部隊に任せたかったのではないか。 又、最前線の一部とはいえ、堅陣とされ数年間もかけて構築された覇王城を日本軍が真っ先に攻撃してくると予想しなかったものか?
本当のところは解りませんが、仮に後方配備にしたところで理由1の様に機動性に欠ける為適時に来援出来なかったことは想像に難くないと思います。 現にこの作戦中、援軍は間に合わないか或いは途中で迎撃されていることからも、結果論ですが理由1の方に説得力があるように感じます。 第一戦区軍と第八戦区軍について 第一戦区は主として日本軍正面に位置していたが、第八戦区は共産党系の第八路軍(正式には第十八集団軍)や、地方軍閥系の第二戦区(閻錫山将軍)に対して睨みを利かせる任務を持っているため適時に来援することが出来なかった。 更に、両軍の実質的な司令官である湯恩伯将軍と胡宋南将軍は共に蒋介石直系の有力者(他に何応欽、陳誠等も)であり、味方であると共にライバルでもあり共同作戦に支障があった可能性もある。 作戦末期に胡宋南将軍が第一戦区軍の一部を統一指揮したが、これは既に湯恩伯軍主力が撃破されていたためと考えられ、「円滑な共同作戦」という程のものとは思えない。
747 :
大陸打通太朗 :02/02/09 11:30
敗退したとされるシコウ作戦だって空軍の来襲が激しくなったからで、 撤退はうまくやれた。だから終戦でも「百万の精鋭健在」だったんだ。
748 :
大陸打通太朗 :02/02/09 11:35
どうも盛り上がりませんね。 やはり国民党軍相手では華やかさに欠けるのでしょうか。 様子を見つつ今後打通ネタを続けるか、イラワジ会戦にするか考えましょう。
750 :
名無し三等兵 :02/02/10 01:17
やったとて やらぬと同じ 駄通かな
751 :
名無し三等兵 :02/02/10 03:12
>749 協力いたしたいのですが、打通関係、第一総軍殿ほどの知識無きゆえ 当面静観させていただきたく・・・。 >745の >美械師(米式装備師団)は未だ中国本土には存在しておらず、米国からの支援で装備 >をやや強化しつつあるという状況だったのではないでしょうか に関連する話だと、美械師もどき(第10軍所属?)がその後の衛陽戦でちらほら出てきた ようですが。本格的なのはまだということなのでしょうね。 あのウェデマイヤー将軍の回顧録によると、中国本土の軍については、1944年秋の段階で ようやく350個師団中39個師団をアメリカ式に装備・訓練することが取り決められたよう ですから。 続編お待ちしております。
752 :
名無し三等兵 :02/02/10 10:26
>打通関係、第一総軍殿ほどの知識無きゆえ 大陸打通太郎と比べたならどうよ?
753 :
名無し三等兵 :02/02/10 10:29
やらねども やれども痛し 打通かな
754 :
名無し三等兵 :02/02/10 21:40
「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」など中国の対日憎悪・対米接近戦略を考えると、 大陸打通作戦こそ米中同盟の基盤を破壊した、英断的作戦であったように思える。 マリアナ・レイテなど太平洋海戦の敗北ぶりを強調して、降伏を早めるべき であったとの意見もあるが、それならばなおのことこういう時期に中国戦線 《だけ》勝利してしまえばそれこそ中国の立場は無くなるというものだ。
打通作戦第二期 湘桂作戦時国民党軍戦闘序列その1 第九戦区 第二十七集団軍 第二十軍 第一三三師 川軍 第一三四師 川軍 新編第二十師 直系軍 第四十軍 第一五○師 川軍 第一六一師 川軍 第一六二師 川軍 欧震兵団 第二十六軍 第三十二師 西北軍 第四十一師 ? 第四十四師 傍系軍 第三十七軍 第六十師 直系軍 第九十五師 直系軍 第一四○師 直系軍 暫編第二軍 暫編第七師 粤軍 暫編第八師 粤軍 第三十集団軍 第五十八軍 第一八三師 真(本当は違う)軍 新編第十師 真(本当は違う)軍 新編第十一師 真(本当は違う)軍 第七十二軍 第三十四師 直系軍 新編第十三師 川軍 新編第十五師 川軍 新編第十六師 川軍 鄂南剿匪指揮官 第一挺進縦隊 第二挺進縦隊 第三挺進縦隊 第四挺進縦隊 第五挺進縦隊
第二十四集団軍 第七十四軍 第五十一師 直系軍 第五十七師 直系軍 第五十八師 直系軍 第七十三軍 第十五師 湘軍 第七十七師 直系軍 第七十九軍 第九十八師 直系軍 第一九四師 直系軍 暫編第六師 直系軍 第一○○軍 第十九師 湘軍 第六十三師 湘軍 李玉堂兵団 第十軍 第三師 直系軍 第一九○師 直系軍 預備第十師 直系軍 暫編第五十四師 元共産兵 第四十六軍 第一七五師 桂軍 新編第十九師 桂軍 第六十二軍 第一五一師 粤軍 第一五七師 粤軍 突撃第二総隊 戦区直轄部隊 第四軍 第五十九師 粤軍 第九十師 粤軍 第一○二師 黔軍 第九十九軍 第九十二師 直系軍 第九十九師 直系軍 第一九七師 直系軍 新編第二十三師 直系軍
さて、今回は打通作戦の第二段です。 この第二段は日本側では概ね「湘桂作戦」として一括りにされていますが、 中国側では「長衝会戦」と「桂柳会戦」の二期に分けて記述されています。 これは、前者が第九戦区、後者が第四戦区軍によって戦われている為と思 われますが、今回はその「長衝会戦」時の戦闘序列です。 この中には751様お気に入り?の第十軍も含まれていますが、この部隊は所 謂米式装備師団では無いものの、蒋介石直系でしかも何応欽系列の部隊ですか ら当時としては優良装備だったのではないかと想像できます。 近日中に気力がもてば作戦の経過をご説明します。
飛黎様や陳誠大好き様の好きそうな話題だと思っていたんですが、最近お留守のようですね。 週末くらいに続きを書く予定です。 日本軍については45/85式改様の書き込みを参照してください。
759 :
名無し三等兵 :02/02/13 01:41
>第一総軍殿 751です。 昭和19年6月26日から8月8日まで続いた衝陽戦では、檜68師団の師団長と参謀長も 重傷を負う激戦だったようで、116師団133聯隊長は、攻略停滞の原因として日本側の 砲兵力の貧弱さと砲弾の不足を挙げ、「砲弾の不足を肉弾で補ったうらみ」があると 指摘したそうですね。 衝陽戦の悲惨さは、昔読んだ「中国慰霊」という本で知りました。 第10軍の方先覚軍長は一旦投降した後重慶に脱走してますが、これは予定の行動だった のでしょうか。 中国側の戦記としては、「落日弧城−中日衝陽会戦紀日」という本があるそうです。 翻訳はされてないようで、小生も未見ですが。
751様、方先覚軍長に関してですが、交渉の際に日本側は「降伏ではない」と口約束したのに対し、実際は降伏文書への署名を強要したり通常の捕虜として扱ったりした為腹を立てていたようです。 予定の逃亡だったかは解りませんが、台湾で白団員が彼に会ったそうです。 それにしても充分に知識をお持ちですよ。頼もしいです。
ちょっと遅れております。 予定では2部構成で打通作戦ネタをやるつもりだったのですが、3部構成になってしまいました。 「長衝会戦」と「桂柳会戦」を一緒くたに解説するのは大変で。 前にも書きましたが私は打通ネタに詳しくは無いです。 一般?常識的に知っていて、今回調べなおして肉付けしている程度なので、あまり期待しないで下さいね。
>第一総軍殿 「口約束」はさもありなんですね(笑 日本的というかアジア的組織の中に身を置くと、言った言ってないの場面に遭遇すること 多々ありでして、何となく状況が分かるような気がします。 それにしても白団、色んな所に出てきますな。 なにせ大規模な作戦ですから、要領よくまとめるのは大変でしょうね。 私もほとんど資料を持ち合わせていないのですが、何か補足できることがあれば協力させて ください。
湘桂作戦前段第一期作戦の非常に簡単な解説。 日本軍の計画 第十一軍主力は湘江東方より、一部は洞庭湖方面から6月初旬に攻勢を開始し、所在の敵第9戦区軍を撃滅して長沙、衝陽を攻略すると共に、側撃してくるであろう第6戦区軍をも撃破し 粤漢鉄道を修復整備する。 この間、第十三軍は第3戦区軍を、第二十三軍は第7戦区軍を牽制して第十一軍の作戦に協力する。 中国軍の計画 会戦前、第9戦区所属の各軍はその1個師を後方に置いて訓練中で、第一線兵力は弱体な状態であった。 第9戦区長官薛岳将軍の作戦計画は、湘江の東岸、西岸で抵抗して日本軍を消耗させ、禄水、漣水の北岸地区で決戦を挑むこととなっていた。 ※手元の地図では禄水、漣水が何処にあるのか確認できない。 但し、作戦の経過から見ると前線は放棄するつもりだったようなので、長沙又は衝陽付近か?
764 :
大陸打通太郎 :02/02/21 23:48
765 :
名無し三等兵 :02/02/25 22:22
倉庫行き防止age
765様、お気遣いありがとうございます。 最近少々気力が低下しておりサボらせて頂いていますが、必ずや続きを書いてご覧にいれます。 実際の所、他の海軍ネタのスレには気楽に書き込めるのですが、ここは皆さんで守って下さっている聖域の様な感じがしてお気楽にいい加減な書き込みがしずらいので大変エネルギーを消耗します。
767 :
名無し三等兵 :02/02/27 17:26
第一総軍 がんばれ!冒険殿のレベルにもう一息だ。
768 :
名無し山砲兵 :02/03/01 03:39
日本陸軍専門の板はここだからちょっと書き込みます 闘魂ビルマ戦記 石井貞彦 光人社NF文庫 P145 P151-152 桜井徳太郎少将が兵団長に着任してから、「楠流戦法」だの「三人組の突撃」 だの「陽動作戦」だの、いままで聞かれなかった新しい戦法を聞かされようになった。 そして「ハ号作戦」が近づくにつれ「とって食え、とって撃て」「桃太郎戦法」 というように発展した。 P151 今度の作戦の全貌が示された。第一日、命令ではX日で示されたが、 夜間長距離の敵中突破をし、敵の本部を急襲する作戦計画であった。 短期決戦であるから、携帯口糧四日分、軽装でしゃにむに進むべし、糧秣は敵のものを 奪って食い、重砲も敵のものを奪って戦えの訓示であった。 「そんなうまいこといくかいな」と、兵はあっけにとられた格好であった。 英霊たちの転進 林 年秀 光人社 P70-71 陸軍に戦さ上手でその人ありと知られた桜井少将は、ビルマ西南のアキャブ地区 の戦線で死闘を演じていた。 第二十八軍(策)第五十五師団の桜支隊長として、英軍布陣の弱い個所をさぐり、 夜陰をついて縦隊で突破し、敵部隊の後ろに出て敵の尻から攻めるという 戦法で敵の心胆を寒からしめた話は、われわれの耳にも入っていた。 その桜井少将が前線から方面軍司令部へ来たとき、公園広場に将星が綺羅星のごとく ならび、民間人も多数、参加して祝賀式典がおこなわれた。そこに現われた桜井少将は、 進行係をとおさず、ずかずかと壇上にのぼった。 弊衣破帽で髪髭はぼうぼう、上衣の背中は汗にまみれ、朽ち穴があいていた。 「桜井少将である。アキャブ戦線から連絡にもどって来たが、ラングーンは まさに日本内地より後方ではないのか。これでよいのか、前線では弾薬なく、 食料なく補給も思うにまかせないというのに、陽が没すれば料亭が繁昌する。 たるんどるのではないか。自分はすぐ前線にもどる」 自分の上級司令部、上官のいる満座を睥睨して強烈な苦言を呈したかと思うと、 さっと降壇して去って行った。一陣の風がパーッと一吹きしたあとは、しばらく シーンとなった。胸のつかえがとれたように、スーッとしたのは自分一人では なかったと思う。多くの人が強い感動をうけた。 本土決戦の真実 米軍九州上陸作戦と志布志湾 太佐 順 学研M文庫 P152 対戦車戦は何処の部隊でも同じであったろう。 いや、一つだけ、例外の戦法にもとづく訓練を行っている部隊があった。 宮崎の北海岸を守るあの菊地部隊(桜井徳太郎少将)は、敵戦車に投身する 肉弾法を避けて独創の対戦車戦闘をあみ出していた。三、四00メートル相当の 距離から、特殊火薬を装着した火箭を噴射筒で敵戦車に射かける方法であった。 廃墟の昭和から 美山要蔵 甲斐克彦編 光人社 P35 桜井は人も知る荒法師、陸士三十期の少将で師団長になり、このときは 九州東海岸に配置されていた。 P221 昭和21年9月25日 桜井徳太郎中将(*陸軍の荒法師、戦場の雄で、 最若年の師団長。戦後も九州帝国独立、クーデター未遂の三有事件で世を賑わす) 忠霊顕彰会の事業の重要性を説きに来る。 桜井徳太郎(歩兵 福岡)陸士30期 陸大37期 昭和18年8月2日少将、第55歩兵団長 昭和20年2月20日ビルマ国軍軍事顧問 昭和20年4月30日第212師団長 桜井徳太郎って異色の人物採り上げている本とか雑誌記事他にあるでしょうか? 一応、桜井徳太郎氏が書かれてあるページ列挙してみた。 こういう、研究熱心な人がもっと多くいたらと惜しまれる。
769 :
名無し三等兵 :02/03/02 18:47
日本軍は攻撃作戦のときに毎回浸透戦術を行ったわけではありませんが、 それを実施したときはWW1のドイツのものと違って、準備砲撃なしの 夜間浸透奇襲であったため、連合軍将兵には「夜間にジャングルの中から 忍び寄ってくる」という強いイメージを与えたようです。
作戦の経過その1 5月27〜28日、第十一軍主力の第三、第十三、第四十、 第六十八、第百十六師団の計5個師団を第一線兵団、第 二十七、第三十四、第五十八師団の3個師団を第二線兵団 として攻勢を開始、一部は舟艇機動で敵の退路を遮断し つつ渡河に成功した。同時に海軍から派遣された水路啓 開隊も行動を開始、湘江の掃海等に従事した。 大雑把に言って日本軍は第三、第十三師団を瀏陽、第 三十四、第五十八師団を長沙、第四十、第六十八、第百十六 師団を南下させようとしていたようである。 第一線兵団、特に中国軍の側撃に備えて両翼に配備され た最強の第三、第十三師団は、第72軍の新編第13、新編第15 師及び第2挺進縦隊の抵抗を撃破して進撃、第三師団は6月 1日には長寿街に進出した。 薛岳将軍は第37、第44、第58軍?に第20、第72軍を協力さ せて日本軍第十三師団を撃滅しようと企図したが、第20、第 72の両軍は適時に来援せず、第44、第58軍は1日の戦闘で撃 退され第183師長は負傷してしまった。 更に第三師団の南下を阻止すべく第20軍の3個師は関王橋 付近などで迎撃を試みたが2日間の戦闘の後撃破され、日本軍 は6日頃には撈刀河の線に進出し、長沙、瀏陽に対する攻撃を 準備した。 第五十八、第六十八、第百十六師団等に対しても第20軍、 が抵抗を試みるも撃破され、続いて第37軍の3個師が立ち塞が り勇戦したが、5月30日遂に防衛線を突破した。 又、長沙北方山地などに集結していた第44軍の残存部隊に対 しては第二線の第三十四師団をもって6月3日から包囲攻撃を 行なったが中国軍の抵抗激しく進展せず、長沙攻略を重視してや むなくこの敵を解囲して部隊を南下させた。 これに対し薛岳将軍は蒋介石委員長の命により、部隊を以下 の様に再配置した。 第4軍(3個師)を長沙、第10軍(4個師)を衝陽、第44軍 (3個師)を瀏陽、第58軍(3個師)を醴陵、暫編第2軍 (2個師)を株州、禄?口、第3師、第32師を湘潭、第37軍か ら3個団を招羅(字が違う)の前線防備に残し主力は洞陽、普跡? に南下(後退)、第20軍を古港に置いて日本軍による瀏陽迂回に 備えさせた。 しかし、この様な拠点分散配備による防衛は必然的に前線兵力 の不足をもたらす事になった。
今回はとりあえずここまでです。 最近作業をしていると彼女から電話があったり、結婚する 友人が式の受付を頼みに来たり、別な友人が入院するとか 連絡してきたり、彼氏とうまくいっていない人から愚痴の メールが入ったり、同じ業界の人が遊びに来たりとまあ色 々と気を殺ぐ様な事が続いてなかなか進みませんでした。 更に資料的にいえば、日本側資料と中国側資料に食い違 いが結構あってそもそも兵団名まで違っていたり、良い地 図が無くて記載されている場所の中には何処だか確認でき ないものが少なからずあったり、中国側資料同士にまで若 干の食い違いがあったりとまあこんな感じです。 言い訳ですけど。 そういう状態での作業ですから、書き込みの中には間違 いも結構有るのではないかと心配ですが、気が付いた方はど うか御指摘ください。 それにしても戦争の資料というやつはどうも資料同士で 食い違いが有ったりして中々面倒なもので、いったい何時 になったら自信を持って真実はこれだと断言できるように なるのか、気が遠くなりますね。
お返事が遅くなりましたがまとめて。 767様、誉められているのかどうかすごく不安です。が、無名コテハンとしてはどっちにしても某研様と比べてもらえると何か嬉しくなりますね。 もしかして長文だから、超常現象だとかそういうことかな? 768、769様、そういう書き込みこそ初心者の方に興味を持ってもうきっかけになると思います。 私の書き込みは正直長いだけでつまらないですから。 特に打通作戦なんてあまり真剣に研究してませんでしたから。 基本的に私は複数の資料を突き合せて考察する様にしているのですが、それがかえって遅筆の原因になるんです。 この件では皆様にご迷惑をかけてしまい心苦しく感じています。 「聖書を作らない」ことをモットーにして、一応何に対しても決め付けないようにがモットーでして。
773 :
名無し三等兵 :02/03/05 01:47
>>768 桜井少将は、高木俊郎「戦死」文春文庫にも出てきますよ。
これを読む限りは、この人結構問題あるなあ、という感じなのですが。
少将個人の問題というよりは、当時の日本軍の体質そのものが問題なんでしょうけど。
英軍の前には、「楠流戦法」や「桃太郎戦法」もまったく通じなかったようです。
人物的には面白そうな人なんですけどね。
戦後はお寺の住職になったり、「三無事件」に巻き込まれたり。
774 :
名無し山砲兵 :02/03/05 02:42
>773 情報感謝 やはり、夜間浸透戦術は難しいのか・・・ 後方に居て、口先だけの督戦するだけの指揮官でなく、 実際、現場で指揮とったって記述が 挽きつけられ、ちょっと興味もったんです。
775 :
大陸打通太郎 :02/03/06 19:13
日本陸軍が大陸打通3千キロを成し遂げたということは、その闘魂もさることながら、 ゴロツキの集団を一掃した「正義の鉄拳」を世界に知らしめたということでもある。 日本軍は太平洋でどんな絶望的状況でも捕虜にはならず神風特攻・集団玉砕で全員 が死ぬまで戦い抜いたが、大陸打通作戦の正義はこれで証明された。
恐らく太平洋戦争で米軍相手に浸透戦術が通用しなかったのは兵力密度の問題も有るのではないかと思います。 太平洋での陸戦は一般に規模が小さいのですが、各島の防衛を担った日本軍は1個師団〜2.5個師団、アメリカ軍はその2〜3倍。 狭い戦場にこれだけの部隊がひしめき合っていると戦線の薄い部分はかなり限られてしまうのではないかと考えています。 この為、折角第一線の抵抗拠点を迂回してもその後ろには又別の抵抗拠点が有るだけで劇的な突破には至らなかったのではないかと。 又、ドイツの浸透戦術においては、迂回した抵抗拠点は後続部隊に処理させていたと思いますが、大抵の場合戦力的に著しい劣勢にあった日本軍には、強力な抵抗拠点を処理出来るほどの後続部隊も無かったのかもしれません。 加えて、本来遮断又は破壊すべき敵の「後方」も、上陸した敵にとっては比較的近くに有る橋頭堡ですから遮断されずらいでしょうし、仮に一時的に遮断されたとしても距離が近い分孤立感も少なかったのかもしれません。 本来、上陸した敵の破壊すべき後方とは海上輸送路であり、海軍が敗北して上陸を許した以上、米軍を「遮断」「孤立」させる方法は既に失われていたといえるでしょう。 これらの事情によって太平洋での浸透戦術は単に「戦術」の枠内に留まってしまい、本来期待された一種の電撃戦には結びつかなかったのだと思います。 ビルマの英軍相手の場合は多少事情が変わってきます。 ビルマはかなり広大な面積を持つ国で、そこに投入された兵力は最盛期でも日本軍10個師団、英印軍20個師団、その他中国軍程度であり、兵力密度は太平洋の島々とは比較にならない位低いものでした。 実際、ここビルマでは日本軍は浸透、包囲自体はしばしば成功させています。 ここが太平洋での戦いと大きく異なる点です。 よく知られている通り、戦争初期には包囲された英軍は混乱して敗走し浸透戦術が電撃戦として効果を発揮しましたが、戦争末期になると強力な円筒陣地を形成し空中補給によって持ちこたえた為包囲した日本軍の方が先に消耗してしまう結果となりました。 しかし、これは圧倒的な制空権と大量の輸送機が有って初めて出来ることで、この大量の輸送機を賄う為に英軍も苦しいやりくりを強いられたのも事実で、一部では英軍を押し戻しています。 その意味ではここビルマでは浸透戦術も一定の役割は果たせたのではないかと考えます。 仮に浸透戦術を執らずにこの英軍を正面攻撃したとしても、あの戦力比では恐らく攻略不能だったでしょう。
777 :
名無し三等兵 :02/03/07 00:19
日本には大神がいるYO
778 :
名無し三等兵 :02/03/07 01:18
>>776 なるほど。
付け加えれば火力と機動力の差もあるのではないですかね。
平地に出れば確実に抹殺されていますから。
太平洋戦線でも、レイテやルソンのような大島では、高地帯で持ちこたえるしか
手がなかったわけですし。
戦術・兵器で一時代遅れたツケは、前線の兵士たちが支払わねばならなかった
わけですね・・・。
先週8年ぶりに恵比寿の防衛図書館にて師団編制の追加調査を行ってきました。 丁度係の方の中に水戸を良くご存知の方がいらっしゃったこともあり非常に気持ちよく利用が出来はかどりました。 東京にお住まいの方が羨ましいです。 この調査で判明した内容を加味して以前書き込んでいた師団編制シリーズを再編集してみたいですね。 あれも読み直してみると色々と間違いや誤入力がありますし、文章が変なところは数えられないほどです。 いつも読み直さずに書き込みしてしまう悪い癖が有るもので。 少しづつ進めていきましょう。
対米戦で浸透戦術をうまく発揮できなかったことの理由に、 「1.アメリカ軍自体が日本軍の戦術を研究していた」ことと、 「2.多くの場合、前線の日本軍は物資の不足により戦力が低下していた」 こともあげられると思います。 前者「1.アメリカ軍自体が日本軍の戦術を研究していた」はとりあえず、 「a.夜間浸透の防止」「b.浸透を許した際の対策」の二つに分けます。 「a.夜間浸透の防止」は、「日本軍が浸透してきそうな箇所を重点的に警戒する (沖縄戦での照明弾大量使用等)」「阻止砲撃で日本軍の移動・集中を妨害する (ガダルカナル戦等)」などがあげられると思います。 # ()内であげた例はかなり極端な例ですので、あまり気にしないように(^^;;; 「b.浸透を許した際の対策」は、 「日本軍が自軍陣地に接近してきても、障害物等を活用して移動を妨げ、 火力を集中することで突入を防止する」「部隊が孤立しても容易に支援を要請できるよう、 小部隊にも無線を配備する」等があると思います。 後者の「2.多くの場合、日本軍が物資の不足により戦力が低下していた」は、 部隊が全力を発揮できる状態ではなかったであろうことを指します (銃剣が役にたつのは最後の最後ですし、武器弾薬以外の食料等がないと、体力・持久力の低下は避けようがありません)。 これ以外にも、日本軍を確認次第、昼のうちに可能な限りの損害を与えておくことはいうまでもありません。
そもそもドイツ陸軍の浸透戦術は、 1.戦線の「穴」から足の速い部隊が侵入し、 2.敵拠点を自軍の後方からの火力支援を受けつつ制圧し(敵の前面の部隊は攻撃を受ける)、 3.敵の後方を攻撃する 4.戦果を拡大するため、後続の部隊が前進する というものであったのに対し日本軍のそれは、 1.(特に夜間)戦線の「穴」から部隊が侵入し、 2.敵に覚られぬよう迂回し(この段階でも敵部隊はほぼ健在)、 3.敵陣に部隊を「流し込む」 or 敵の後方との連絡を遮断する 4.敵が壊走する(それを前提とする) という傾向の強いものだったのではないでしょうか。 戦意の低い、あるいは容易に増援等を得られない敵に対しては有効でしょうが、 それを察知し、待ちかまえている相手に対してはどうでしょう。 浸透して包囲したはずの敵がパニックを起こして手をあげるどころか、 鉄条網を張り巡らした陣地で自動火器で待ち受けていたら。 敵陣周辺までたどり着いた日本軍は有効な火力を発揮できず、 重機や擲弾筒で、残弾を気にしながらの支援の下での敵陣内進入は難しかったでは、と思うのです。 しかも、「浸透に成功する」ということは「敵中に突出している」状態なわけですから、 早期に敵陣に突入するなり移動するなりしないと、反撃を受ける可能性があります。 いずれにしろ、大規模な火力支援が必要となります。 もっとも、「日本軍が浸透した部隊に対して容易に後方から火力支援をできるような軍隊だったら、 混乱しやすく自軍の損害も多い夜間浸透なんか滅多にやらなかったであろう」というオチがつくのですが(+_+)
上の最後の二行は個人的な感想です。 つ〜か、日露やその後の第一次大戦のような大規模消耗戦(火力戦)に国力や生産が追いつかないだろうから、 歩兵中心の夜間浸透をやろう、ということになったのではなかったかと記憶しているのですが。
そうですね。 結局兵器にしろ戦術にしろ国情によって作られているわけですからね。 地理とか経済とか歴史とかを無視出来ない。
784 :
名無し三等兵 :02/03/10 00:39
>>781 最後の2行のオチ、正鵠を射ていると思いますよ。
白兵主義の発端は、日露戦争におけるロシア軍との白兵戦で苦戦したから、との説も
あるようですね。
それがいつの間にかドグマ化し、手に負えないシロモノになったとか。
785 :
名無し三等兵 :02/03/10 13:16
今日、3月10日は陸軍記念日
786 :
名無し三等兵 :02/03/14 10:35
http://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/giangrec.htm Truman and Marshall were intimately familiar with losses
in the Pacific during the previous year: over 200,000 casualties
from wounds, fatigue and disease, plus 10,000 American dead and
missing in the Marianas, 5,500 dead on and around Leyte, 9,000
dead during the Luzon campaign, 6,800 at Iwo Jima, 12,600 at Okinawa,
and 2,000 killed in the unexpectedly vicious fighting on Peleliu.
787 :
名無し三等兵 :02/03/14 13:34
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02905248 P191
マーシャルは、この返答をルーズベルトに提出した。蒋総統に大統領が幻滅を感
じていたことは、彼が十月五日重慶に送った次の返信の中に明らかに示されている。
……中国における地上の情勢は 私の最初の提案以来きわめて悪化しております。
そこでいまや私は アメリカ政府は全中国における貴地上軍の指揮に米軍将校を
配置するといった形で責任を引き受けるべきではない との考えに傾きつつあります。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02905248 P183
一号作戦に先だち激しい宣伝工作が行われてたが、これは連合国側から中国を
孤立させ、国民党軍の士気を低下させることを狙ったものだった。山のような
パンフレットがばらまかれ、日本の敵は米英軍であって中国軍ではない。そして、
日本の目的は新中国の樹立にあると宣言した。もし中国人が抵抗しない場合は、
これを味方として取り扱うと言い、さらに日本軍は焼打ち略奪および暴行を
やめるよう厳命を受けていた。将兵は「現地の住民を親切と尊敬をもって
遇する」よう命ぜられていた。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02905248 P184
スチルウェルは、シャノルトが自分を攻撃する準備をしているのではないかと疑い、
二人の間の古くからの敵意について、長い辛らつな分析を書いた。
シャノルトは蒋総統に航空力がすべてを解決すると保証していた。彼は蒋介石に、
もし第十四航空軍が支援を受けるなら、日本軍の侵攻を防止してみせると言っていた。
いま彼はそれができないことを知った。そして、彼は彼自身のための逃げ道を準備し
ようとして、われわれが彼に与えるはずのないものを、ちょっとでも多く彼に与えれば、
まだできますと言い張っている。彼は自分がまちがった品物を売りつけた事実をおおいかくし、
さらには、その危険のあることを以前から指摘して対策を講じようとしてきた人びとに責任を
なすりつけようとしている。
彼は日本軍の補給線に打撃を与えることができなかった。日本軍を後退させることができ
なかった。逆にわが方の準備はまさしく私が予言したとおりの結果を生んだ。つまり日本軍
の反応を誘った。その反応は、たとえ彼が主張した全航空支援をもってしても地上軍では
扱いきれないことを、彼は今になって認めている。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02905248 P189
シャノルトは古くからの敵手スチルウェルに援助を求めた。洪将軍に火砲や
弾薬を空輸する許可を出してほしいと要請の電報を打った。スチルウェルの
司令部は言質を与えないように、貴提案は「当地において最善の取り扱いを
受けている」と返電を打ってきたが、なんの処置もとらなかった。シャノルト
はさらに電報を送り、五百トンの補給を要請した。今度ははっきりした回答がきた。
諸楊軍の位置 彼の任務 急速に変化する状況 中国軍の現有装備の誤れる用法
不適切なる軍の用法等に鑑み 貴官提案の小火器と弾薬五百トンの空輸は無駄な
努力に終わると思われる。米軍の全努力は空中より継続せらるるものとす。
数週間後、衛陽は陥落した。しかしシャノルトの第十四航空空軍は日本軍の
補給線を攻撃し続け、日本軍の桂林に対する攻撃を一ヶ月遅らせるのをやむなき
にいたらしめた。
対日戦争における中国の役割は縮小していたが、もし中国が壊滅したら、
八十二万の日本軍を解放することになる。そこでルーズベルトは、共産党をも
含むすべての中国の軍隊を統一して対日戦争から中国が脱落しないようにさせる、
という使命を与えておいて、彼の個人的な特使を派遣した。ルーズベルトはこの
特使に民間人を選び、それに陸軍少将の階級を与えた。この人がパトリック・J・
ハーレーで、フーバー大統領の下で陸軍長官をしたことがあり、会社顧問弁護士
として成功した人物だった。
> スチルウェルは、シャノルトが自分を攻撃する準備をしているのではないかと疑い、 >二人の間の古くからの敵意について、長い辛らつな分析を書いた。 (原註1)これは一九四四年五月十日付の電報文につけたスチルウェルのファイルの中から発見された。
> 数週間後、衛陽は陥落した。しかしシャノルトの第十四航空空軍は日本軍の >補給線を攻撃し続け、日本軍の桂林に対する攻撃を一ヶ月遅らせるのをやむなき >にいたらしめた。 そこで四式戦疾風22戦隊が援軍に来て、再び大陸打通作戦は継続可能になった。
793 :
名無し三等兵 :02/03/16 01:29
ヤフーコピペ・打通現るか。 第一総軍氏の復活を待つ。
ヤフー・コピペはパブロフ二等兵だろ・・・。 困ったもんだ
795 :
名無し三等兵 :02/03/16 15:36
駄痛は昨日失言で叩かれて名無しになったからな。
796 :
名無し三等兵 :02/03/16 15:49
どこで、なにやったの?見たい!
798 :
名無し三等兵 :02/03/16 15:55
799 :
打通みてきました :02/03/16 16:05
なるほど。私は、てっきりオリジナル(いっぱいいるかな)が 死んだのかと。それとも、バカ=オリジナルなのか。
800 :
名無し三等兵 :02/03/16 16:06
800
801 :
名無し三等兵 :02/03/16 16:08
>>799 このまま死んでくれたらいいのだが、30分もしないうちに別スレで名無しで
何時もの書き込みをしてるからね。処置なし!
大陸打通作戦(一号作戦)それだけについて書かれた本はどちらかというと 少ないが、大陸打通作戦について多少なりとも触れた本はいくらでもある。 陸でも空でも期間が長く広大だけれども戦闘そのものは地味だからだろう。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19583013 ・・・・衡陽飛行場を失った米空軍は、前線基地をシコウ、桂林、柳州と
移していく。 日本の第五航空軍はこれを追撃し、延べ撃墜三十一機、
地上炎上八十機、撃破七十九機というダメージを与えた。
しかし対岸の衡陽城の護りは固く、中国第十軍は激しく抵抗した。
日本軍は榴弾砲や十センチカノン砲まで使って攻撃するが城は落ちなかった。
それどころか八月四日の日本軍の総攻撃の際には、中国軍を包囲する日本軍の
外側を別の中国軍が包囲するという、敵味方入り乱れての白兵戦となった。
しかもその上空では日米両航空隊が空中戦を展開し、双方に多くの死傷者を出していた。
・・・・十一月九日、第五十八師団による桂林の総攻撃が開始された。
日本軍は野砲四十二門を中心に、空からは第五航空部隊が市街地を銃爆撃した。
しかし重慶軍の応戦は激しく、日本軍の戦車にも果敢に砲撃を加えてきた。
しかし日本軍は水東門から桂林城中に突入することに成功した。
城内は混乱状態に陥っていた。敵味方の識別も難しい中での市街戦がはじまった。
そして激闘一日半、桂林は第十一軍が確保した。
中国軍の戦士五千六百名、捕虜は一万三千余名を数えた。
こうして、日本軍が桂林、柳州を占領したことで、「一号作戦」の目的である
中国西南部の米軍用基地はすべて奪取に成功したのだった。
作戦の経過その2 長沙、瀏陽の攻略 6月上旬、日本軍は益陽、瀏陽方面の敵を撃滅すると共に長 沙攻略の為攻勢を開始した。 6月11日、第四十師団は益陽を占領、第六十八、第百十六師団 は瀏陽方面の中国軍第44軍(3個師)に対して攻勢を開始、これ に先立ち10日より第三、第十三師団が瀏陽南北から山地に布陣す る中国軍に対しても攻撃を開始した。 日本軍第十一軍は都市そのものの攻略よりも、救援に現れるで あろう中国軍主力を捉えて決戦を行い撃滅することを目指してお り、それはそれで間違ってはいないと思われるが問題は事実関係 である。 「大東亜戦争全史」によると瀏陽救援に現れた中国軍7個軍を第 三、第十三師団が迎撃して果敢な運動戦により撃破したとなって いるが、他の資料との食い違いが大きい。 「帝国陸軍の最後」によると無電傍受により中国軍が5個軍をも って側撃し、日本軍を包囲殲滅するとの計画を知り大会戦を準備 したが、中国軍主力は現れなかったとある。 中国側資料「民国軍事史略稿」にはそれらしい記述は無い。 ※但しこの資料は詳しい反面、話がしばしば前後したりして私の 語学力では解読が難しい為見落としているかもしれない。 同じく中国側資料「抗日戦史論集」日誌には、6月6日から古港 付近で第20、第44、第72軍を中心とする計13個師が包囲攻撃を行 なったが、第183師長が負傷し瀏陽に後退したとある。 戦史叢書は手元に無いし、手元の中国側資料も高度な専門資料とい うわけでは無いのではっきり言えないが、その後の中国軍の戦い振 りからして瀏陽会戦で大損害を受けたとは考えずらいと思われる。 いずれにしても瀏陽自身は簡単に攻略に成功、更に日本軍の鬼門だ った長沙も第三十四、第五十八師団が野戦重砲、航空部隊の支援を 受けて6月18日に占領。中国軍第4軍は長沙城内には僅か1個団の みを配置し、主力の第59、第102師を城外に置いて迎え撃ったが比 較的簡単に撃破されてしまったようだ。 第4軍長は蒋介石から責任を追及され銃殺されたとのことであり、中 国軍第4軍はほぼ壊滅的打撃を受けたと思われる。
作戦の経過その3 衝陽第一次攻撃 第十一軍は長沙攻略後、中国軍の態勢崩壊(と、日本軍は判 断していた)に乗じて一部をもって衝陽の攻略、主力は爾後の 作戦を準備することとし、第六十八、第百十六師団と第五十八師 団の志摩支隊が6月28日から衝陽攻略戦を開始した。 一方、中国側の計画としては、衝陽に蒋介石直系の第10軍 (4個師。但し第3師を除き、代わりに新編第19師が来援)が 要塞化して待ちうけており、第62軍(2個師)を漂子山に配置 、敵の攻撃に対して衝陽が抵抗している間に主力を投入して日 本軍を側撃する計画であったようである。 城外に有った飛行場は夜襲によって簡単に占領できたが、衝陽に 対する攻撃は第六十八師団長、参謀長まで負傷する程の大損害を 受け、7月2日に攻撃を中止した。 日本側の敗因としては、鉄道、道路が破壊されている為かなりの 兵力をその復旧に当てねばならなかった上、昼間は米軍機の攻撃 が激しく補給が不足していたこと、更に主力を中国軍第9戦区軍 の撃滅用に拘置していたことが挙げられる。 「帝国陸軍の最後」によれば当時の兵力運用として、撃滅戦用35 個大隊、道路構築用20個大隊、衝陽攻略用15個大隊、後方警備用 10個大隊となっており、衝陽攻略部隊の砲兵火力は山砲30門、弾薬 各砲僅か15発という状態であった。
806 :
中国軍の反撃兵力についてはこれまた資料によって食 い違いが大きくはっきりしない。上記の軍のうち幾つかが参加し ていたというのが実情ではないだろうか。但し、第26軍が渡河時 に攻撃を受け、「傷亡惨重」の損害を受けたのは確かなようである。 尚、衝陽戦での損害は 日本軍の死傷19@`380名、 中国軍戦死34@`000名、捕虜13@`000名 但し、中国側資料によると中国軍の損害は 戦死10@`000名、捕虜13@`300名ともいう。 以下次号 , :
807 :
大陸打通太郎 :02/03/21 19:38
1945年5月のシコウ作戦は日本陸軍の敗退だったが、岡村大将らの作戦それ 自体に問題があったのでは無い。比島失陥や沖縄戦激化で米空軍の激しい来襲 を止めきれなくなったからだ。あれは米空軍に負けたのであって、地上戦で 中国のナラズ者集団に敗北したのでは全くない。
808 :
名無し三等兵 :02/03/24 00:47
第一総軍殿、力作ご苦労様。 ageときます。
809 :
大陸打通太郎 :02/03/28 00:01
CBI総司令官スチルウェル将軍も大陸打通作戦・支那派遣軍の輝かしい勝利 はあらゆる面で認めざるを得なかったといえる。口だけで誉めたってお世辞に すぎないが、この場合は国民党政権の腐敗のみならず味方空軍まではげしく非難し、 しかも自身は解任に至る。これこそ支那派遣軍の武勇と知略、そして日本陸軍航空隊 へのこの上ない賛美ではなかろうか。春ごろは比較的弱いと言われた隼も多かったが、 それでも大陸打通作戦の空ではあれほどの大活躍ができた。
>>509 「1944年に空軍作戦が優先された理由は、蒋介石が攻勢には国民党軍の
関与を最小限にしたいと望んだからである。」だそうだが、これこそ支那事変
勃発以来中国軍は日本軍に連戦連敗しただけあって、白兵戦で勝てる自信が
無かったことの表れだ。しかしながら在支米空軍の大幅強化をもってしても、
四式戦疾風の援軍など陸軍航空部隊の敢闘もあって大陸打通作戦は継続された。
中国航空作戦強化―四式戦部隊等の派遣 ・・・・前略・・・・ 四式戦隊は八月二十一日、四十一機で相模原を発進し、二八期が同日、 大場鎮(上海)に達し、その後間もなく漢口に進出して第一飛行団長の指揮 下に入った。陸軍の最新鋭機戦隊は、全軍の注目を浴びて活動を開始した。 八月二十八日以後九月前半第一飛行団一式戦部隊とともに衡陽、零陵、 全県等を制空した四式戦部隊は、P−40、P−51と数回交戦し、相当の 戦果を報じ、敵戦闘機を畏怖させたようである。そのため、一時、敵機の 湘桂線方面への出撃が低調となり、第十一軍の後方補給が著しく進展した とみなされた。零陵は九月七日、全県は十四日に占領した。 戦史叢書 陸軍航空の運用<3>―大東亞戦争終結まで―(朝雲出版社)より
桂林、柳州攻略の航空支援 ・・・・前略・・・・ 第五航空軍は十月末前後、自隊の後方補給のための船舶輸送掩護に戦闘隊の 主力を使用した。 第十一軍の桂林攻撃は十一月九、十日に成功した。第二十三軍の柳州攻撃も十日 に成功した。この地上戦闘間、下山第五航空軍司令官は衡陽に進出して指揮した。 すなわち、戦闘隊による戦場制空、襲撃、軍偵部隊による偵察攻撃を反復した。 そして双軽には依然、敵の前進基地と判断される柳州、安康、シ江、雲南、老河口 の飛行場攻撃を継続し、相当の戦果を報じた。 以上の桂柳攻略作戦は、国軍の近代的最高潮作戦であったレイテ決戦作戦と全く 同一時期に、約二、〇〇〇粁の距離を置き、支作戦の前者が一〇コ師団、飛行約 二〇コ師団、飛行六〇コ中隊(約二〇〇機)で失敗する奇妙な対照結果となった。 戦史叢書 陸軍航空の運用<3>―大東亞戦争終結まで―(朝雲出版社)より
> 以上の桂柳攻略作戦は、国軍の近代的最高潮作戦であったレイテ決戦作戦と全く >同一時期に、約二、〇〇〇粁の距離を置き、支作戦の前者が一〇コ師団、飛行約 >二〇コ師団、飛行六〇コ中隊(約二〇〇機)で失敗する奇妙な対照結果となった。 以上の桂柳攻略作戦は、国軍の近代的最高潮作戦であったレイテ決戦作戦と全く 同一時期に、約二、〇〇〇粁の距離を置き、支作戦の前者が一〇コ師団、飛行約 二〇コ中隊(約一五〇機)で成功し、主作戦の後者が約三個師団、飛行六〇コ中隊 (約二〇〇機)で失敗する奇妙な対照結果となった。
814 :
在支米空軍の増強について :02/04/03 18:46
世界の戦場を駆けた「P-51」(渡辺洋二) [対日戦のマーリン・ムスタング] 太平洋戦線で最初にマーリン・ムスタングを装備したのは、中国大陸の第14 航空軍の1隊として、すでにP-51Aで戦っていた第23戦闘グループの第76戦闘 飛行隊。1944年2月からP-51Bへの改変を進め、C型も加わった。9月以降さらに 2個飛行隊が、P-40から切り替えられていく。 同グループの変わり種は、6月に編入の第118戦術偵察飛行隊。偵察機装備が 本来なのに、P-51Cを主装備機とし、戦闘機隊とみなされて作戦した。 第51戦闘グループの3個飛行隊は1944年3月から年末にかけて機種改変。 インド方面の第10航空軍から編入された第311戦闘グループ(旧・戦闘爆撃 グループ)は、P-51B/Cを装備して8月に中国奥地の成都近郊に進出した。 D型とK型の配備は1945年に入ってからである。 逐川、零陵を基地とする第23グループは、10月の香港空襲の掩護、大陸打通作戦 に圧迫される中国地上部隊の支援などを実施。成都防空の第311グループは華北へ作戦 地域をうつし、11月から鉄道施設攻撃のB-25の護衛や漢口、南宛の飛行場を襲った。 雑誌「丸」編集部 P-51ムスタング/P-47サンダーボルト 図解・軍用機シリーズ8
815 :
名無し三等兵 :02/04/04 08:28
>>813 大陸打通で勝っただなんて奥さんには逃げられたが、オナニーで萌えたってなもんだね。
∧∧ (=゚ω゚)ノ ぃょぅ 〜( x) U U
817 :
名無し三等兵 :02/04/05 16:36
打通も聞き飽きた。
打通太郎はコヴァ板がお似合い
5月26日の益陽占領を手はじめに、日本軍は6月10日に長沙をおさえ、26日には
衡陽の飛行場を占領したが、町そのものは8月8日まで攻撃に抵抗した。その後は補給
の欠陥で日本軍の行動が遅くなったが、福州はり陸戦と陸海空の攻勢の共同作戦を併用
することで、10月までに占領された。そして、衡陽と広東から別々の攻撃で11月
11日に桂林と柳州両方が占領された。その後日本軍は南部への別の交通路を確保す
るために行動を拡大した。これは海での損失とアメリカ軍の西太平洋への侵入で要請
された。同時に日本軍は貴陽に進み、12月初めには独山と都奄占領したが、日本軍
の重慶侵攻が近いという一時的なパニックを起こしたものの、日本軍はこの一つの前線
に深入りしすぎたことを認めて1週間以内に都奄ゥら撤退した。
第二次世界大戦歴史地図 タイムズ・アトラス / ジョン・キーガン/編 滝田毅/[ほか]訳
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30861654
で?結局日本軍は勝ったんで?
821 :
名無し三等兵 :02/04/09 00:57
ageます。
一九四四年四月、日本軍は一五個師団に五個旅団を合わせて侵攻を開始した。 これを迎え撃つべき中国軍三〇万は、あっという間に姿を消してしまった。 五百人ほどの日本軍部隊に、何千という中国軍部隊が敗走させたれた。中国軍 の指揮官たちは、自分たちの家族と財産を奥地に避難させるべく、トラック 隊を指揮した。シェンノートは、もしスティルウェルがもっと十分な「貸与法」 物資をこれらの中国軍部隊に与えてくれたら、こんなことにはならなかったはず だと主張した。しかし、実際はこれらの部隊はたっぷりとアメリカの物資が供給 され、指揮官たちはそれを闇市や日本軍に売りとばしていたほどだったのだ。 「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)
823 :
おれさまの愛国論 :02/04/09 23:04
日本陸軍は大陸打通3000キロの快進撃を続け、百万の精鋭健在で終戦を迎えた。 それを礼賛して何が悪い。たとえ独りよがりの自慰史観と罵られようとも、 中国の理不尽な謝罪要求やODAたかりに対抗する一つの手段ではないか。 大陸打通作戦万歳! 常勝支那派遣軍万歳!
>823 言いたい事はそれだけ? じゃあ早く自分が立てた駄通スレに帰って頂戴。 邪魔よ。
825 :
大陸打通太郎 :02/04/10 23:06
> シャノルトは蒋総統に航空力がすべてを解決すると保証していた。彼は蒋介石に、 >もし第十四航空軍が支援を受けるなら、日本軍の侵攻を防止してみせると言っていた。 それだけ在支米空軍が強化されたにも関わらずそれとは裏腹に大陸打通3000キロの 快進撃がなしえたのは、4式戦疾風部隊の増援など陸軍航空部隊の敢闘があった証拠だ。 どんなに日本戦車や日本航空機を腐そうとも、大陸打通3000キロは成し遂げられた。
826 :
大陸打通太郎 :02/04/10 23:10
>五百人ほどの日本軍部隊に、何千という中国軍部隊が敗走させたれた。 歩兵レベルでいえば、中国兵が数人がかりで青龍刀で斬りかかろうとも、 鍛え上げられた素手の日本兵一人にコテンパンにされたであろう。
飽きないねぇ・・・・・。
These gains cost the Americans 1,592 killed in action and
4,183 wounded, with thousands more disabled for varying periods by
disease. Entering the campaign after the amphibious phase, the two Army
divisions lost 550 killed and 1,289 wounded. For the Japanese, losses
were even more traumatic: 14,800 killed in battle, another 9,000 dead
from disease, and about 1,000 taken prisoner.
http://sunsite.tus.ac.jp/pub/academic/history/marshall/military/wwii/U.S.Army.campaigns/guadalcanal/guadalca.txt
http://sunsite.tus.ac.jp/pub/academic/history/marshall/military/wwii/50.years.ago/jbd/aug1944.txt China - The Japanese still surround Hengyang. The US 14th Air Force has
carried out 4,454 missions since May 26th in support of the Chinese
forces engaged in central east China.
China - The Japanese capture Hengyang. This is a prelude to the execution of
the Ichi-Go plan, which will eventually lead to the capture of all US
airfields in the southeast of China.
Burma/China - On the Salween river front, the Japanese carry out a successful
raid against artillery emplacements and supply dumps in the Chinese 8th
Army sector of Sung Shan.
China - General Chennault sends a number of aircraft of the 14th Air Force on
a mission over Manila, in the Philippines. His action is immediatly
criticized by Stilwell and MacArthur, who insist, on political grounds,
that the Philippines must not be bombed.
Burma/China - General Stilwell receives orders to construct a highway from the
India-Burma frontier to Myitkyina and to improve the miserable track that
leads from Myitkyina to China. On the river Salween front, the Japanese
defending Lung-ling ask for reinforcements.
China - The Japanese 11th Division, after regrouping after the capture of
Hengyang, advance towards Kweilin and Liuchow, the sites of two major
airfields of the US 14th Air Force.
#「Ichi-Go plan」(大陸打通作戦)の英語版見つけたり。
どんなに在支米空軍を強化してならずもの中国軍を精力的に支援しようとも、 大陸打通3000キロ行軍はなぢとでられた。根本的に中国軍は武器の良し 悪しとは別にただのならずものの集団が「抗日戦争」という屁理屈をふりま わしていただけで、ならずものの集団にはどんな援助も徒労に終わった。
この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。 蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、 ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。 ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ ての援助を停止すると警告した。 スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。 スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、 大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、 やつを突きぬいた」 「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)P252
うおお〜。 印刷代が〜(号泣)
833 :
名無し三等兵 :02/04/19 18:15
スティルウェル問題は、一九四四年、東部中国において、日本軍が「一号作戦」 [大陸打通作戦の一部]にのり出した直後にやま場を迎えることになった。 日本軍のこの作戦は、一九三八年の武漢占領以降初めての大規模なものであったが、 それというのも、アメリカの潜水艦隊が日本の沿海水域に侵入して、東南アジアの 占領地域への物資の海上輸送ルートを切断したために、遠隔地にある日本の拠点は 物資が欠乏し、連合軍の攻撃に対する抵抗力を失いつつあったので、代替輸送ルート として、以前はそれほど必要でなかった中国を南北に縦貫する鉄道の確保にのり出し たものであった。同時に日本はこの作戦で、シェンノートの第一四航空軍が新しく 建設した前進基地を破壊することを計画していた。 シェンノートはかねてルーズベルトに対して、もし自分に前進基地があり、飛行機 があり―そしてスティルウェルが軍需物資のいいところをみんな持っていってしまわ なければ、日本本土を爆撃するB29もそこを使うことができる、というのが彼の主張だった。 これに対してスティルウェルは、そんな基地をつくれば日本軍に破壊されるだけだ、 とまったく逆の立場に立った。そしていつものように、スティルウェルが正しかった。 「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)
一号作戦 桂柳会戦 両軍戦闘序列 中国国民党軍 第4戦区 第16集団軍 第46軍 半米式装備 第170師 桂軍 第175師 桂軍 新編第19師 桂軍 第31軍 第131師 桂軍 第135師 桂軍 第188師 桂軍 第27集団軍 第20軍 第133師 川軍 第134師 川軍 第26軍 第41師 傍系北洋軍残部 第44師 傍系北洋軍残部 第37軍 第95師 直系軍 第140師 直系軍 第62軍 第151師 粤軍 第157師 粤軍 第27集団軍副総司令 第79軍 第98師 直系軍 第194師 直系軍 第93軍 第10師 直系軍 新編第8師 川軍又は直系軍 第35集団軍 第64軍 第155師 粤軍 第156師 粤軍 砲兵指揮官 砲兵2個団、3個営 高射砲第3区指揮所
黔桂湘地区総司令部 第13軍 米式装備 第4師 直系軍 第89師 直系軍 暫編第16師 川軍 第29軍 第91師 直系軍 第169師 西北軍 預備第11師 直系軍 第57軍 第45師 直系軍 第46師 直系軍 第97軍 第42師 西北軍 第196師 直系軍 第9軍 第54師 傍系軍 第166師 直系軍 新編第24師 東北軍又は直系軍 第87軍 第193師 直系軍 第194師 直系軍 第94軍 米式装備 第5師 直系軍 第43師 直系軍 例によって資料によって多少の食い違いがある。 米式、半米式装備は推定。この時期に米式化が完了していたかどうかは不明。
837 :
大陸打通太郎 :02/04/25 07:49
どんなに日本陸軍の装備の悪さを言い立ててみたところで、どんなに四式戦疾風 などの陸軍航空部隊にケチをつけてみたところで、大陸打通作戦の輝かしい勝利は、 何人たりとも否定することはできないだろう。四式戦疾風は大東亜決戦の大陸打通 作戦に投入され、勝てないまでもなんとか食い下がった(陸上部隊の行動は夜間限定)、 これで十分だ。大陸打通作戦はあくまで地上軍主体の航空基地覆滅だから、これでいい。 比島も含めた陸軍航空隊の抵抗で白兵戦に持ち込むことができた。白兵戦でいえば、 中国兵が数人がかりで青龍刀で斬りかかろうとも、鍛え上げられた素手の日本兵一人 にコテンパンに返り討ちにされたであろう。 大陸打通作戦の3000キロ行軍は、戦争末期でも日本陸軍将校の作戦立案能力、 大多数の兵隊のモラルと愛国心と誇り、そして陸軍航空部隊の粘り強い敢闘を証明 したと断言していいだろう。よくいわれる戦争末期の末端兵士のモラル・士気の 低下だの指導部の無能だの四式戦疾風などの陸軍航空隊は役立たずだったとかは、 「大陸打通作戦」の一言で間違いだと喝破できる。零戦の活躍ばかりが取りざた されるが、ミッドウェーもソロモンも決して勝ってはいない。だから四式戦疾風 こそ大陸打通3000キロ行軍の空の屋根を支えた大東亜決戦機だ。
838 :
名無し三等兵 :02/04/25 14:34
マリアナ・レイテ海戦はどうみても勝率ゼロの実力どおりの完敗で間違い 無しだが、大陸打通作戦はもっと誉められてもいいと思う。あれで原因で 米中間・米陸空軍内で重大な軋轢を生じたってのはやはり本当。 こう云ってる僕は日本贔屓だろうか。
日本軍については以前45/85式改様が書き込んでくださった内容をコピーさせていただきます。アーとっても楽。 677 :45/85式改 :02/01/13 20:47 大陸打通作戦(一号作戦)帝国陸軍簡略戦闘序列 第6方面軍 第6方面軍司令部 第11軍 第11軍司令部 第3師団 第13師団 第34師団 第40師団 第58師団 その他諸部隊 第23軍 第23軍司令部 第22師団 第104師団 独立混成第19旅団 独立混成第20旅団 独立混成第23旅団 独立歩兵第5旅団 独立歩兵第7旅団 独立混成第11旅団 独立混成第12旅団 第37師団<第23軍直轄> 第13軍 第13軍司令部 第60師団 第61師団 第65師団 第70師団 独立混成第62旅団 独立歩兵第6旅団 第5航空軍
作戦の経過 桂柳会戦 その1 8月8日、既述の通り第十一軍は衝陽を漸く占領した。 中国軍は包囲された衝陽の解囲の為に5〜6個軍〔恐らく 第26軍(3個師)、第37軍(3個師)、第46軍(2個師)、 第62軍(2個師)、第79軍(3個師)、第100軍(2個師) を中心とする部隊〕を送り出し、その中でも機械化された第 48師は衝陽陥落の翌日には衝陽城の南方に進出して日本軍と 接触したが、日本軍第十一軍の攻撃を受けて中国軍各軍は後 退を余儀なくされ、中でも李玉堂兵団は特に大きな打撃を受 けてしまった。 一方日本軍は衝陽で予想外の難戦となった為、各兵団の補 充と休養を行い軍容を整えてから攻勢を開始することとし、新 たに第六方面軍司令部を編成して第十一軍等の指揮に当らせる とともに、福建省沿岸への米軍奇襲上陸や味方沿岸交通路の確 保を目的として9月から10月にかけて第十三軍等の兵力で攻勢 を開始し、その作戦目的を達成した。
作戦の経過 桂柳会戦 その2 日本軍は10月28日、準備された攻勢を再開した。 計画としては、第十一軍をもって桂林を、次いで第二十三軍 と協力して柳州を攻略。この際、都市の占領よりも中国軍主力 の補足撃滅を重視していた。 第二十三軍の計画は一部をもって柳州を攻略、主力を持って 第十一軍と共に中国軍主力の撃滅、更に別の一部で南寧攻略を 準備することとしていた。 しかし11月3日、中国軍兵力が微弱であると判断した第十一 軍は独断で計画を変更、第三十四師団に全県を確保させ、第三十 七、第四十、第五十八師団等を桂林に、第三、第十三師団などを 柳州に向かわせて同時攻略することとした。 10月28日、第三、第三十七師団は中国軍第20軍(2個師)、 第26軍(2個師)を攻撃、11月3日には第三師団は桂林守備部 隊と第35集団軍の連絡を遮断、第三十七師団は第26軍を潰走さ せた。 第十三師団は第93軍の新編第8師の頑強な抵抗を撃破して (11月3日にはその師指揮所を撃滅)、11月2日には桂林と柳 州の連絡路の遮断に成功した。
作戦の経過 桂柳会戦 その3 柳州に向かった第三、第十三師団は第27集団軍主力(4個 軍計9個師)を破って大胆な迂回に成功、第27集団軍の別働 隊第79軍(2個師)、第93軍(2個師)の正面陣地の無力 化に成功した。 その為中国軍は戦線の縮小を決定し、第79軍、第93軍を桂 林の両翼に配置、第31軍(3個師)を桂林の直接防衛に当て ると共に、第16集団軍の副指令を防衛指揮官に任命し、更に 直系軍4個師(部隊名不明)を投入して桂林外囲の備えを固 めた。 9日から桂林攻城戦が開始され、10日には陥落、中国軍第131 師長は戦死、第31軍参謀が自決する中、第16集団軍の副指令は 桂林を脱出して軍法会議にかけられ、第93軍長は任務を誤解? して処刑された。 ※中国側資料によると桂林に対して日本軍は毒ガスを使用した との事。但し、手元にある日本側資料からは確認できない。 以下次号。
作戦の経過 桂柳会戦 その4 中国軍第27集団軍を大きく迂回した第三、第十三師団は、 中国軍第20軍及び第93軍新編第8師を急速に撃破、第二十 三軍第百四師団は11日に柳州飛行場を占領した。 中国軍第4戦区総司令は柳州固守を決定し、第35集団軍の 一部を現陣地で作日本軍第二十三軍の迎撃に当て、主力を北 泗、思練の線に、第16集団軍第46軍の第175師、第31軍の第 135師、第188師を三岔、大塘線に、第27集団軍の第20軍( 2個師)、第26軍(2個師)を三岔、中脉、小長安線に配置 、防御の中心を宜山とした。 12日、第三師団は第95師を撃破、13日に第十三師団は第16集 団軍の粘り強い抵抗を撃破して宜山へ向けて追撃、主力を持っ て第27集団軍に向かうと共に、1個連隊を派出して第35集団 軍の退路を遮断した。この為第35集団軍は第二十三軍の第二 十二、第百四師団に向かって突囲した。 16日、第二十三軍第百四師団は中国軍第31軍の第135師と接 触、翌日にはこれを退却させ、第十一軍第十三師団は宜山に侵 入、これに対し第26軍(2個師)と第4戦区軍官教育団の砲兵 、工兵は激しい抵抗で前進を食い止め大きな損害を与え、第十三 師団は兵力を二分して敵陣を迂回し、金城江に向かい進撃を開 始した。
作戦の経過 桂柳会戦 その5 日本軍は未だ第4戦区軍主力の撃滅に成功していなかった が、蒋介石は何応欽将軍を中国陸軍総司令に任じて貴陽から 陣頭指揮を執らせると共に、湯恩伯将軍を黔桂湘地区総司令 に任命して5個軍を率いて進駐させ、日本軍の雲南省進入を 阻止させることとした。 22日、中国第26軍(2個師)と第4戦区軍官教育団は遂に 第十三師団によって突破され、湯恩伯が派遣した第97軍(2 個師)が立ち塞がったが27日には敗走、第三師団は第十三 師団の右翼を援護するよう行動し敗残の第27集団軍の陣地 を突破、両師団は貴州省境に突入した。 同時に第二十三軍は独立混成第十九旅団に南寧突入を命令、 同旅団は12月10日に南方軍の第二十一師団と合流して鉄道 線の打通に成功した。
作戦の経過 桂柳会戦 その6 半年に渡る第十一軍の作戦によって衝陽、桂林、柳州、長沙 等の名城が陥落、国民党軍の敗走を追撃して貴州省にまで突入 され、一時は重慶の遷都まで真剣に検討された。 更に、独山に集積した48個師分の装備を日本軍に鹵獲又は処 分され、抗戦した各軍はいずれも勇敢に抵抗したものの深刻 な損害を受けた。 揚漢城の第20軍を例にとると、戦闘前に21個営を数えた兵力 も戦闘終了後貴州省で改編した後は僅か3個営に減少していた。 勿論日本軍の損害も大きなもので、第五十八師団は戦闘終了 時には各中隊の人員が50〜60名となっており、第十三師団の歩 兵第六十五連隊も作戦中に将校32名、下士官兵873名の戦死者 を出していた。 しかし中国側戦史が指摘している通り、全世界的に反ファシス ト国家が勝利している時一人中国軍のみが大敗を喫し、一号作戦 の目的であるインドシナとの陸路連絡線を日本軍の手に委ねてし まう結果となったのは確かであり、結局この線路が直接本土への 資源輸送に役立たなかったにせよ、それまで各地に分散していた 各兵団の連絡が回復し、兵力の機動的運用が可能となった点は支 那派遣軍に少なからず利益となったとはいえるだろう。 打通作戦編、一応終了。
846 :
名無し三等兵 :02/04/29 23:11
> しかし中国側戦史が指摘している通り、全世界的に反ファシス >ト国家が勝利している時一人中国軍のみが大敗を喫し、 ここがまさに国民党政権崩壊の決め手だったと思う。これじゃ弱国として 米国に従属させられたまま、それより革命で一からやりなおしたほうがまし。
おっピンチなので上げ。 次のネタに迷っています。
大正期の陸軍について、何かいい本ないでしょうか? 特に「雰囲気」とか、日常のエピソードについて書いたものです。 できれば阿川の「戦艦長門の生涯」みたいな。 突然、調べる必要が発生いたしまして〜。
849 :
名無し三等兵 :02/05/07 18:43
軍事@2ちゃんねる名物自転車操業スレってここですか。 第一総軍→打通太郎→ばばぼん→第一・・・
ええ、そう言われれば自転車操業とは本当にうまい言い方ですね。思わず楽しい気分に。 しかし、ばばぼん♪様や打通太郎様は有名人ですが、私は知名度がとても低いので軍事板名物というほどでもないかと。 すみません、大正期の本は存じません。 しかしまた何とマニアックな「必要」が発生したことでしょう。
ええ、非常に「マニアックな」必要が発生しました。 もしかすると、この板でも波乱を呼ぶ展開になるかも知れません(+_+)
新ネタを色々考えているところですが、なにかこうぱっとしたものが無いですね。 満州国軍ネタとか支那派遣軍ネタとかも考えたんですが、それは又別の機会に譲ろうかと。 暫くは静観の構えでおります。
853 :
名無し三等兵 :02/05/14 00:14
あ、第一総軍、ここにいたんだ。 あのさ、終戦時の日本の陸上戦力のことってわかる?
854 :
名無し三等兵 :02/05/14 00:15
つか、一年越しのスレなのねん。 おめれと
853様、多少は解りますが、何がご所望ですか?
856 :
名無し三等兵 :02/05/14 11:53
全連隊長と陸士何期か教えて
>>851 大正時代は確か軍が冷や飯食ってた時代だから資料が少ないのかな?女学生が新聞に「サーベルをがちゃがちゃ言わせるのはかっこ悪いからなんとかして」と投稿したと聞いたし。
資料が少ないのなら軍そのものの資料を探すのではなく、それ以外の資料を漁って当時の軍を状況を推測するしかないのではないでしょーか。
それにしても「マニアな事情」「波乱が発生」「大正時代」…私はアレの二次創作を書こうと考えていると予想しますが如何?
当方もその手の中毒患者なので。
858 :
名無し三等兵 :02/05/14 16:21
一周年記念でOFF会やろう!
859 :
名無し三等兵 :02/05/14 20:14
↑第一総軍さん次第だね
856様、本土に有った第一総軍と第二総軍の隷下部隊なら手元に一覧がありますが、全部書き込むのは大変な労力なのでご容赦を。 但し、特にお探しの人物が有るのでしたらその一覧の中に居るかどうか位は探せます。 858様、859様、私は水戸の人間で、更に不規則勤務なのでばばぼん♪様を中心にした方がいいと思いますよ。 予定が合えば東京まで出かけるつもりは有りますが。
ええと、では今日から少しづつ簡単に一号作戦に関する良く言われる疑問の幾つかについて皆で考えてみましょう。 1,戦車第三師団の故障車が多すぎるのではないか? 具体的には京漢作戦中(約1400キロ走行したという)の故障車が3分の1にも達した点を指摘したもの。因みに戦闘損失は地雷7輌、速射砲2輌である。 故障車の数字については、他国や他作戦についての戦史でも詳しく書かれている物が少ないので断定的にはいえないが、ドイツのオーストリア進駐時に第2装甲師団が約680キロの進軍時に約30%の落伍車両を出している。 オーストリア進駐時には敵の軍事的抵抗が無かったにもかかわらずである。 当時の戦車とは結構デリケートなものだったのではないだろうか。 ※湘桂作戦時には水上輸送中に空襲され、船ごと20輌もの損害を出している。 更に、道路の関係上トラックの故障が多く、前線に交換部品が届かなかったので稼働率が低かった。
>>857 いえ、全然別件です。
書くのはワタシではありません。
……「帝都物語」の同人誌だったりして(w
863 :
陳誠大好き :02/05/18 08:08
随分とご無沙汰してました! ばばぼん♪様 いえいえきっと「はいからさんがとおる」の少尉さんの従軍記でしょう。 よく知らないんですが、彼は日独戦役に参加してたんですかね?詳しい人ヒマだったら教えて下さいな。 ひさびさに見た上こんなこと書いて何やってんだろ。 第一総軍様 なにも書き込めずすみませんでした。過去ログを読んでみます。あと今は、ー上海的守護神ー謝普元伝を読んでますが中国語は難しいですが面白い内容ですなぁ。
864 :
名無し三等兵 :02/05/20 21:07
865のページ見れないよ
>865のページ見れないよ Warbirdsの一部の常連しか見れないようになっている。
868 :
名無し三等兵 :02/05/22 04:06
保全の為
869 :
大陸打通太郎 :02/05/22 21:16
比島で陸軍は頑張ったと思う。犠牲は多く結果的に壊滅していったとはいえ、 あれだけ長らくマッカーサーの米陸軍を食い止めて本土侵攻を遅らせたこと は評価すべき。少なくともレイテ惨敗の上マニラ死守で住民の反感を買った だけの海軍とはわけがちがう。稼働率が悪い悪いといわれたはずの疾風だが、 補給支援などの効果はレイテの連合艦隊よりはずっとましだったはずだ。
60数マソ人も氏んで、頑張ったもクソもない。 まあ、検討違いな所で戦線拡大していた陸軍としては珍しく、 主戦場で戦ったってことが唯一評価できる点だけど。 ちなみに沖縄では6マソ人が戦死。 うち、2マソ人が現地徴集された壮年・少年。 ここまでは解るが、 なぜか民間人の死者が12マソ人。
陳誠大好き様、ご無沙汰です。今後も色々と宜しく。 865様、WB攻撃のスレを以前見たことは有りますが、このスレにはあまりそのような方は出入りされないようですよ。 荒らしからも見捨てられた?スレですから。 打通太郎関係は荒らしではないとして。彼については他所では兎も角ここでは別にスレの運営を邪魔する意図は無いようですし。 870様、大陸打通太郎様、いつかフィリピン戦シリーズもやってみたいのですが、肝心のアメリカ側資料をもちあわせていないので残念ながら先送りです。 英語が出来ないのはつらいですね。
872 :
名無し三等兵 :02/05/25 00:35
>861 第一総軍殿 遅レスですが、戦車が自力での戦線移動となると途端に問題児と化すのは古今東西 変わらない事例のようです。 WW1末期、1918年のアルゴンヌ・シャンパーニュ戦では、米仏連合軍の戦車喪失 437両。うち44%が独軍の攻撃に起因する喪失、残り56%が機械故障による使用不能。 湾岸戦争でも、M1戦車はガスタービン・エンジンやトランスミッションが泣き所で、 就役2年以上経った戦車は整備や補修が追いつかず、大半の期間をモータープールで 過ごしたそうです。 将来課題はフィリピン戦ですか。 期待してます。
スチルウェル事件は、アメリカの世論の方向をかえてしまった。スチルウェル
解任までは、シェンノートはアメリカで、つよい支持をえていたが、スチルウェル
解任の陰謀に加担した結果、彼の人気はそこなわれた。
さらに重大なことには、シェンノートの行動によって、陸軍省内部の批判者は、
彼に対する反対の立場をつよめる結果となった。
シェンノートは、スチルウェルの後継者であるウェデマイヤー中将を信頼
していたが、ウェデマイヤーの上官であるアーノルド大将とマーシャル大将は、
もはや信頼できなかった。
彼らは、シェンノートの使用価値は、彼と蒋介石と合体したことによって、
そこなわれてしまったとおもっていたので、シェンノートは陸軍省によって、
指揮官という地位から早急に解任されることになった。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より
陸軍長官のヘンリー・L・ステムソンは、マーシャルの意見に同意したばかりか、
さらに一歩前進していた。もしスチルウェルを召還するならば、彼と交代して中国
に派遣される者と蒋介石との関係を阻害する、重大な過失をおかすことになる、
という意見を、ルーズベルトに提出した。
陸軍省内のおおくの人間の意見を総合して、スチムソンは、蒋介石とシェンノ
ートに対抗して、スチルウェルを支持しなかったのは、ルーズベルトの失敗である、
となげいた。スチムソンは、シェンノートを、“最低の貢献で最大の援助をアメリカ
からひきだすために、蒋介石の手さきとして使われた男”と見ていた。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より
875 :
名無し三等兵 :02/05/26 21:07
損害 補充
百式司偵 12 11
一式戦「隼」 37 35
二式複戦「屠龍」 34 13
三式戦「飛燕」 18 20
四式戦「疾風」 6 0
九九式襲撃機(含軍偵) 54 20
九九式双軽 32 3
百式重爆 11 4
<合計> 204 106
十月二十日から三十一日までの四航軍麾下の第二飛行機の損害と補充は、
前表のとおりであった。
つまり損害機数に対する補充は、わずか半分強といった状況で、十一月五日
ころには第二飛行師団をふくむ四航空全体の実動数七〇機に対し、レイテの
タクロバン飛行場の敵陸上航空兵力は、二百五十機で、彼我の勢力は逆転した。
「決戦機 疾風 航空技術の戦い」(碇義朗 光人社NF文庫)231頁
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/army/1020416520/275
そろそろピンチなので。 今夜は色々と忙しいので近日中に。
一号作戦に良くある疑問 2,蒋介石軍は戦わずして逃げたのか? これは一概に言えない問題なので各戦区ごとに分けて考えてみる。 第1戦区(京漢作戦) この戦区の実質的な指揮官である副指令湯恩伯将軍は蒋介石の信任も厚い国民党軍直系であり、その部隊も直系の中央軍を中心としていた。 既に述べたように湯恩伯軍はその精鋭である第13軍、第85軍の計6個師を作戦中に撃破されており、その他地方軍であってもこの時期にほぼ中央化されていたと考えられる東北軍系や西北軍系等も大きな損害を受けたものと思われる。 湯恩伯将軍の第1戦区は日本軍の攻勢の矢面に立って戦ったといえるだろう。 第8戦区(京漢作戦) 胡宗南将軍の第8戦区は作戦の後半に第1戦区を救援する為に戦場に現れたが、残念ながら既に大勢は決してしまっていた。 その意味では作戦当初からよく戦った第1戦区に比べて戦いを避けていたように思われる向きも有るだろう。 但し、第8戦区は閻錫山の山西軍系第2戦区や共産党系の八路軍(正式には第18集団軍)に対して睨みを利かせる役割を担っており、戦場への投入が遅れたことも一定の理解は出来るだろう。 当時八路軍は独自に勢力の拡大を図って国民党の地盤を脅かしており、第2戦区は正面から日本軍、背後から八路軍の侵食を受けて進退窮まって限定的ながら内密に日本軍と内通し不可侵協定を結ぶ等、共に国民党にとって全く油断のならない「友軍」であった。
第9戦区(長衝会戦) この軍は第1戦区や第八戦区に比べると地方軍色が濃い戦区であり、私も従来は蒋介石が中央軍のみを温存する為に見殺しにしたのではないかと考えていた。 しかし、今回戦闘序列を調べてみて意外に直系の中央軍を含んでおり、特に衝陽で潰滅した第10軍等は完全に中央軍である。 このことから、蒋介石にしても勿論中央軍が可愛かったのは確かだろうが、第1戦区と第8戦区が大きな損害を受けた直後でもあり、救援の余力が無かったと考えることも出来そうである。 第4戦区(桂柳会戦) この戦区も地方軍色が非常に濃い。 そして確かに当初は殆ど桂軍を主力として日本軍に立ち向かって大損害を受けている。 会戦の後半、湯恩伯が第1戦区での損害から再編した?中央軍を率いて参戦し、更にビルマから米式装備師まで空輸してどうにか日本軍に対抗したが、再編部隊の到着遅延は仕方が無いとしても、ビルマからの空輸はもう少し早く実施できたのではないかと感じる。 反面、連合軍の協同作戦中であるビルマからの戦力転用は政治的な問題も絡み決して簡単に行えるものではなかったのも確かだろう。 以上から、蒋介石軍も少なくともこの作戦に関しては一般に言われていたよりもかなり真面目に抵抗していたように思える。
872様、応援ありがとうございます。湾岸でもそんなに故障に悩まされていたとは。 873〜875様、私の手薄な航空部門の資料のご提供感謝します。 最近プライベートで別れとか色々あって苦しい日々ですが、軍事と仕事に逃げ込んでしまおうかと暗い情熱を燃え上がらせております。
「逃げ込む」ではなく「打ち込む」と、前向きにお考えになったほうがよろしいかと。 余計なおせっかいでしょうが。
>>879 第一総軍殿、頑張ってくだされ!
小生も色々問題抱えておりますが、研究と軍事に逃げ・・・もとい打ち込む所存。
880殿、いい事言われますなあ。
880様、881様、了解いたしました。日本陸軍らしく「転進」したことと致しましょう。 さて、本題は近日中に続きます。 が、私の資料も決して権威のあるものからの引用ではありませんから細かな点では多くの間違いがあると思います。 出来るだけ複数の資料、可能であれば違う立場からの資料を合わせて参考にしていますが鵜呑みにはしないで下さい。 更に、考察編も単に私の個人的感想に過ぎませんから、ご自分で考えてみることをお勧めします。
思うが、日本國に1億3000万人いるが 戦史研究やってる人って在野に少ないのだろうか? どう見ても私には、研究している人は思ったより少ない感じがする やはり活字は売れない。本読み続ける奇特な人は限られるんだろうか? 第一総軍氏はどう思います?(話題振ってみる)
名無し山砲兵様、研究をどのようなレベルに定義するかによりますが、確かに少ないように感じますね。 単に兵器好きな方はそれなりにいらっしゃるとは思いますが、「好き」だけではなく、「どうだったのか?」を自分できちんと考えようとする方は希少価値でしょう。 そういう私も元々ボードSLGゲーマーに過ぎませんし。
比較対象によると思うけど、民俗学などと比較すれば少ないかも、戦史研究。 ただこの分野の著作だけで成り立っていた人もいるし、外国と比較すればどうだろ? 豊かになった分、裾野も広そうに思うが。軍事史学会もあるし。 ビンボな国は、過去の戦史研究どころではないところもあるしね。
日本での戦史研究って学問的な位置付け自体されていないのではないかと。 こっちの分野に興味を持っていることで石を投げられるようなことはなくなったとはいえ、 まだ「マイナージャンル」以前の扱いなのかなぁ。つまりは趣味の範疇か。 訳あって、大学院の入試とか博士後期満退者等の研究概要集とかの編纂に関わっているのですが、 こっち方面に進もうという人の潜在的な人口はそれなりに多いです。 てゆ〜か、軍縮条約とか昭和初期の軍部政争史まで広めると、カナーリいます。 でも、食えないんだよな、史学系の研究者って。そもそも需要ないから(w つ〜か、防研図書館、入館料とってもいいから土日もやってくれ(;´Д`) そうすれば平日仕事している日曜戦史研究家はどれだけ助かることか(切実)。
「学問的な位置付け自体されていない」ってのは言い過ぎか。軍事史学会の人に怒られそう(w でも、時代別とかじゃなくて、服飾史とか産業史とかみたいな分け方をしても、どうしても肩身が狭い。 流石に「趣味はなんですか?」って聞かれて「戦史研究です」とは言えないし。
千葉の船橋でしたか? 図書館の司書が保守系の人の本大量に捨てられたが(焚書ですな) あの件聞いても、やっぱりと思いました。 小学生時、担任の先生に矯正された経験がありますから・・ この国では、戦争は一番のタブーだからなぁ・・
恥を明かすようですが、履歴書の趣味欄に「戦史研究」と書いた所、知人に歴史研究と書き直されてしまいました。 あまり聞こえの良くない趣味のようですな。
タブーにして戦争が無くなれば世話ないんですが、世の中そうではないですからね。 念仏平和主義がはびこる我が国では、確かに戦史・軍事関係の話などは肩身が狭いかも。 時たまミリ関係の話が通じる人に出会うと、妙に嬉しいですな。
一号作戦に良くある疑問 3,米式装備でもイチコロか? これは打通太郎氏とその軍団各位が時々書き込んでいたと 記憶しますが、現実的にはどうだったのでしょうか? 今回参考にした中国側資料からは米式装備部隊の抗戦は確 認できません。 但し、衝陽救援に駆けつけた第48師は機械化されていた上 に戦車第3団を伴っており、米式装備師団だった可能性は高 いと思われます。 この第48師は当時昆明行営の戦略予備部隊である第5軍に 属していたようですが、仮に米式化されていたとしても衝陽 救援時には他の中国軍から先行して進撃した為待ち構えた日 本軍に撃退されてしまったようです。 このことから、第48師に関しては特別優勢な兵力で日本軍 と戦ったわけではなく、同等か場合によっては劣った兵力で交 戦して撃退されたと思われます。 つまり、「米式装備でもイチコロ」というのは言いすぎで しょう。 更に、駐印軍(印度遠征軍)から転用された米式師団2個師 は打通作戦末期に到着し日本軍に圧力をかけたとのことですが、 時機が遅かった為本格的な会戦には発展しなかったようです。 ※注1,因みに第48師と同様、第5軍に属していたと思われ る米式化第200師はビルマに投入されています。なぜ分散使用 したのか不明です。 注2,今回中国軍の米式師の判定に使用した資料は「民国 軍事史略稿」、「陸戦史集 雲南正面の作戦」、出所失念の自 筆メモ(恐らく戦史叢書のどれかから)ですが、私にもわから ない中国軍師編制の一つに「三一修制」があり、これが米式師 の一部であるのかどうか今の所何ともいえません。 「三四甲制」が米式、「三四乙制」が半米式なのは 恐らく間違いは無いと思いますが、「三一修制」の正体次第で 今回の米式関係の考察は大きく修制しなければならない可能性 もあります。
892様、それはビルマ戦線のお話ですね。 軍事板各所で時々引用されている資料ですが、ここの皆さんの好みの著作なんでしょうね。 勿論私も何冊か児島氏の著作を所有しています。 皆様、打通編はそろそろ完結で良いでしょうか?
>>822 >>873-874 どんなに陸軍航空隊を腐してみたところで、支那派遣軍は在支米空軍基地もろと
も3000キロ大陸打通を成し遂げ、間違いなく中国におけるアメリカの政策の
終結をもたらす決定的な引き金となった。在支米空軍はただの義勇軍から第14
航空軍に、同時にシェンノート司令官は少佐から少将にまで昇格したにも関わらず。
次回シリーズどうしましょうか。 1,支那派遣軍の終戦時百万精鋭健在はどこまで真実か? 2,終戦時の関東軍はどの程度戦ったのか? 3,本土決戦関係 等考えてはいますが、それぞれに問題が。 とても一人では引っ張れないのでその他のネタも含めて皆さんのお好きな方向で意見交換したいですね。
897 :
名無し三等兵 :02/06/16 01:38
>>896 お、こんばんは。
次回シリーズ逝きますか。
2は関心あります。けど資料の問題がありますね。
本棚を見たら「虚構の大義」がありましたが。
3だとどんな展開があるかなあ。
1は・・・本気ですか?
897様、「1」だと多少考察できそうですが、打通太郎氏の本格参戦を招いてスレを荒廃させてしまうかもしれませんね。 打通太郎氏(多分一人ではない)は他のスレでは色々とオイタをしているようですが、このスレではageを兼ねた書き込みをするだけで我々の邪魔をする意図は無さそうです。 が、やはり一人では無さそうな当りは各人思惑が違うでしょうから少し恐ろしいです。 「2」だと手元の資料で役に立ちちそうなのが「ソ連軍侵攻と日本軍」位しかないすですし、その他の資料はこれの孫引きだったりして丸写しになってしまいそうです。 満州国軍についても言及できるのですが何時の日かどこかで発表する為の隠し玉だし。? 「3」だと過去に屈指の良スレがあり、更に現在も違う方が立てたその後継スレが有るので気が引けますね。 あ、その後継スレの1様、多忙にかまけて書き込めなくてすみません。このスレだけで精一杯でして。 最近色々有りましたから。
899 :
名無し三等兵 :02/06/16 02:03
>>898 う〜む、難しいですね。
他の識者のご意見を待ちますか。
太郎、もっと音を大きく!
明日は仕事なのでお休みなさい。 プライベートで愚痴もこぼしたいのですがまた今度に。
1945年2月といえばマリアナ・レイテで連合艦隊はとっくに消滅してた。 だがこの時期に、アメリカ大統領はソ連に対日参戦を要請する代償として 中国に無断で大陸権益を譲り渡している。これはやはり大陸打通作戦での 中国軍・在支米空軍大敗が原因としか思えないのだが、どうか。
902様、一号作戦での中国軍大敗も確かにソ連への対日参戦要請の有力な原因の一つだとは思います。 が、「一つ」なだけであって、仮に大敗しなくても結局ソ連は史実に近い形で参戦し、アメリカもそれを容認しただろうと思います。 本来は次回シリーズ案1とした「支那派遣軍の終戦時百万精鋭健在はどこまで真実か?」で考察すべき問題なのでしょうが、戦争が長引けばソ連の参戦が無かったとしても支那派遣軍はいずれ中国軍に敗れる運命にあったのではないかと思うのです。
>支那派遣軍はいずれ中国軍に敗れる運命にあったのではないかと 1943年の「カイロ宣言」ではそういう見解がアメリカ世論では支配的だったね。
>>903 戦争後半になると、日本軍の損害増えてましたからね。
逆に中国軍のほうは、初期の損害より減少傾向にあったみたいだし。
次回シリーズについて識者のご意見を待っているところですが、考えてみれば軍事板の放置スレ?と化している本スレでそんなのんきに構えていてもなかなか意見が集まりそうに無いですね。 でも、もう少し待ってみましょう。 904、905様、以前どこかに書いたような気もするのですが、既に本土からの補給や補充が得られない支那派遣軍に対し、問題もあるとはいえ多数の美械師を含む中国軍はやはり最終的には勝利を収めるような気がします。 勿論支那派遣軍としても、ある程度の武器や弾薬を現地製造していたとのことですが、それだけで大会戦を何度も戦い抜くのは難しいでしょうし、勝っても負けても戦えば戦うほど戦力が低下して最後には押し切られてしまうでしょう。 一つだけ光明が見えるとすれば、国共が大規模に衝突して日本軍への圧力が低下することでしょうが、それでさえ幾分かの延命になるだけではないでしょうか。
来月初めくらいには次回シリーズの方向性を決めたいですね。 私は日本軍ファンとは言いながら、結構日本軍に対して厳しい面もあったりします。 打通さん軍団に敵視されてしまうかな。いや、実はあの方達は陸軍を「誉め殺し」にしているだけのようにも思えるから大丈夫か? 最近はあまり他スレに出て行く暇がなくなりましたが、私は元々は日本海軍厨房なので戦艦や巡洋艦関係スレを覗くのが好きです。 ただ、ボードSLGをプレイする際には中々日本海軍をやらせてもらえないので敵側を担当します。 で、敵側として日本海軍を倒すべく作戦を練ると結果的に史実のアメリカ海軍の様な作戦になっていることに気づいたりして。 こうして厨房「第一総軍」も大人になってきたのですね。
おい、そんな事よりWOWWOWで「光ごけ」やってるぞ!
203>が、「一つ」なだけであって、仮に大敗しなくても結局 「1945年2月11日」という日付で考えるに、連合艦隊はマリアナ・レイテ 海戦でとっくに消滅してたし、またサイパン陥落以降日本空襲も始まってた。 この時期、日本が勝ってたのは大陸打通作戦「だけ」だったのだから、日本軍 撃破にソ連の助力を頼むとすれば、専らこれが原因としかおれさまには思えない。
大分前の話になりますが、日米開戦後にスターリンが駐ソ米大使に早くも対日参戦についての口約束をしているようです。(すぐには無理だがとの断りを入れた上で) どの資料だったか直ぐには思い出せませんが、リップサービスだとしても有り得る話だと思います。 又、対米開戦前からソ連が中国に軍事援助を与え軍事顧問も派遣していたこと。 ノモンハンに代表される様に満州国との国境問題での意見の相違、独ソ開戦後の関特演の実施など、日ソの軍事的対立は明白だと考えます。 アメリカにしても日本本土へのソ連侵攻は恐らく望まなかったでしょうが、満州の関東軍を拘束する意味でソ連の参戦は支那派遣軍問題以外にも軍事的利益となると思うのですが。
>>910 帝政ロシア・日露戦争敗北→ソ連・復仇狙いの病人叩き
今更ながら気が付いたら900越えてるんですね。 次スレを立てるべきかどうか。
914 :
名無し山砲兵 ◆rWCu99P2 :02/06/23 23:45
立てるべきでは? 仕切り直すのも良いですし
梅、準備中
では、このスレで次回シリーズを決め、次スレでシリーズ開始と参りましょう。
最近、大戦初期〜ガダルカナルまでぐらいのネタを調べているので、 このあたりならカキコできるかも。 もっとも、仕事的に忙しいので約束はできませんが〜。 亀井宏の「ガダルカナル戦記」、凄すぎる(泣)
おお、ばばぼん♪ 様期待しております。 そういえば、一年程前に骨折なさった時の「問題提起ネタ」は思い出されましたか?
ううう、思い出せませぬ〜(泣)
920 :
名無し三等兵 :02/06/24 01:20
新兵さんは可哀想ーだねー、 また寝て泣くのかよォー
梅・進行準備中
梅ってなんですか?
>922 粘着荒らし
ひえー。ご勘弁を。
>問題もあるとはいえ多数の美械師を含む中国軍はやはり >最終的には勝利を収めるような気がします。 1945年2月11日において、ルーズベルトがそのように見込んでいたのなら、 中国を完全に無視して内緒でソ連と取引なんてことをしただろうか。在支第 14航空軍など中国にはどんなに援助しても、日本軍にどれだけ空爆を加え ても、中国軍が支那派遣軍百万を駆逐できる徴候は全く見られなかったんだ。 現に1945年8月でもなお、支那派遣軍は一点の疑念もなく百万の精鋭健在だった。 そうでなければ、あのような広大な占領地をどうやって維持していたのか。
埋め埋めしたいわけですな。
927 :
第一総軍 :02/07/02 23:29 ID:OE0I5v1f
ばばぼん♪様、暫定スレの27様、明日は早番なので明日の夜に色々ご連絡及びお答えします。 お休みなさい。
929 :
第一総軍 :02/07/04 00:01 ID:muCO9NxR
暫定スレの27様、長沙2号作戦というのは日本側の言う第二次長沙作戦、中国側の言う第三次長沙会戦の事でしょうか? 私もこの作戦は日本軍の敗北かとも思います。 日本軍の目的は南方侵攻作戦(含む香港)に対し、中国軍を牽制しその兵力の転用を防ぐことでした。 双方の損害については良く調べなおさなくては解りませんが、長沙から反転した日本軍は中国軍の追撃で割合に大きな損害を受けたようです。 しかし、日本側としては牽制の効果を挙げたものと考えており勝敗を論じるのはもう少し調査してからにしたいと思います。 ばばぼん♪様、20日なのですが、場所についてはあとで某〇師に確認しなおさなければなりませんが、九州から出てくる彼が東京の何処かの大学でゲーム会をやるらしく、私も見学がてら久しぶりにお目にかかろうかと思っています。 恐らくばばぼん♪様も古参SLGゲーマーであるとのことですからご興味があろうと思いますので、ご都合がつくようでしたらお会いしたいですね。 勿論他に希望される方がいれば同じくです。
>本側の言う第二次長沙作戦、中国側の言う第三次長沙会戦の事でしょうか? はい、それです。子供が話題の阿南大将が指揮をとった作戦です。 >日本側としては牽制の効果を挙げたものと考えており勝敗を論じるのはもう少し調査してからにしたいと思います。 期待してまってます。
931 :
第一総軍 :02/07/06 01:00 ID:A6woGvDx
では、次スレに移り次第ばばぼん♪様の新シリーズをお願いいたしましょう。 私も余裕があれば長沙とか考えておきます。 950位になったら次スレを立てましょう。それまで皆で色々雑談でもしますか。
「フィリピン攻略戦」ですが、ちょっと準備に時間がかかります。 これにかかりっきりになるわけにはいきませんので。 どうでもいいが、叢書とかが文庫本かせめて新書サイズだったらどれだけ助かることか、とか思う。 満員電車の中でアレを広げるのは辛い。 資料読む時間がないぽ。
933 :
第一総軍 :02/07/06 23:39 ID:io3hBnfT
確かに。それに床が抜けてしまいます。 私も叢書は本土決戦編の2冊しか所有していませんし、これから購入する気も起きません。 水戸市立図書館資料室で読むだけです。何冊か紛失しているようですが。 まあ皆さんだらだらと雑談でもしつつスレの余命を消費しましょう。それとも、誰も読んでいなかったりして。 私が長々と打通作戦編をやっていたので、「打通太郎」氏と同類と見る向きも一部に有るようですから、すっかり見放されてしまっているのかも。
県立図書館のあれはきょう返却しときました。スマソ
935 :
第一総軍 :02/07/07 00:10 ID:LQ5daWqc
おおっ身近に同志が。 以前は県立図書館の閉架を出してもらっていたのですが、最近は実際に手にとって選べる市立中央図書館を利用することが多いです。 しかし、こんな身近に同志がいるとは心強いです。今後、色々とお知恵を拝借したい。
儂がインパールに辿り着けるように作戦立ててください。 おながいします。
938 :
第一総軍 :02/07/07 01:28 ID:LQ5daWqc
とてもインパールなど行けません。戦後に旅行してください。 真面目な話し、私には敵兵力を理解していたら恐ろしくて作戦など立て様が無い状態です。
まあ気長にいきましょう。今までもそうだったのですから。
940 :
第一総軍 :02/07/08 23:21 ID:cN/4WY24
最近関東軍はなぜ逃げたスレが盛況ですね。 こちらでも考えていたネタだったのですが、先を越されてしまった感じです。 まあ、あのネタをこちらでやる時には戦いの全体像が見えるようにしたいものですね。誰か協力者がいれば取り組みたいネタです。 あ、長沙が先か。
からage〜
>>938 亀レスで申し訳ない。
では儂になにか手柄立てさせてください。
943 :
第一総軍 :02/07/14 00:52 ID:P4sT+KoW
では何か書き込みを依頼いたします。 研究でも、感想でも、情報でもありがたいです。
おせーよ!!>アマゾン
945 :
第一総軍 :02/07/15 00:06 ID:FhIAIaR/
20日、先方の都合で急に暇になっちゃいましたよ。 もっと早く解れば代わりに色々企画できたものを。 そろそろ次スレの準備ですね。
age
昨日、Amazon.comより秘密兵器が到着。 叢書とつきあわせつつ、適当に翻訳中。 つ〜か、叢書よりでけえじゃん。 満員状態の有楽町線でこれを読めと?(w
948 :
第一総軍 :02/07/21 00:10 ID:xaVlFDnG
アク禁が解けました。良かった。 次スレの準備をしなくてはなりませんが、第一スレの過去ログも移動してしまったのでしょうか? ばばぼん♪様の秘密兵器に期待大です。やはり軍事は双方の記述の比較が有った方が興味深いですから。
950 :
第一総軍 :02/07/24 00:17 ID:OsDGSSLv
新スレ立てられませんでした。 スレを立てすぎだとか。ここの第一スレしか立てたこと無いのに。 そういえばこの前いきなりアクセス規制されたし。 むう。
>>950 乱立気味だからかもしれませんよ。
2〜3日様子を見られては如何?
「改」スレもまだありますし。
952 :
第一総軍 :02/07/24 00:43 ID:OsDGSSLv
はい。そうさせていただきます。
>>952 テンプレ貼り付けておけば、代わりに立ててくれる人がいるかも
954 :
第一総軍 :02/07/25 00:17 ID:YZyLaKer