WW2傑作戦闘機を論じる 6

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275碇義郎ってどうよ?
 このとき、飛行第一、第十二、第二十二、第五十一、第五十二および第二百の
各疾風部隊は、攻撃隊の主力としてネグロス島のマナプラ、サラビアなどの各基地
から出撃して敵上陸地点を制圧、一時はレイテ上空の制空権はわが手に帰したかと
思われた。とくに二十六日夕方、第十六飛行団の第五十一両戦隊は、はやくも敵
上陸地点のタクロバン飛行場に進出していた百機以上の中小型機に対し、わずか
十数機でタ弾攻撃をかけ、大損害をあたえた。
 しかし、敵もさるもの、翌二十七日夕方にはすっかり立ちなおって飛行場が使えるよ
うになり、日本からは機動部隊艦載機にかわって陸上戦闘機ロッキードP38がモロタイ
島を発進したB24と戦爆連合で、ネグロス島のわが飛行場群に対する攻撃を開始した。
 十月三十一日現在、第二飛行師団の保有機数は三百二十四機で、このうち実働機数は
百四十機だった。戦闘機だけをみると保有機数百六十九機に対して実動機数は八十七機、
うち一式戦隼が二十機、三式戦飛燕が十七機、残り五十機が疾風で、悪い悪いといわれた
疾風の可動率は、むしろ隼や飛燕のそれを上まわっていた。

「決戦機 疾風 航空技術の戦い」(碇義郎 光人社NF文庫)231頁