日本本土決戦 統合スレ

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99名無し三等兵
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P118
 大体においてヨーロッパ戦域は、ジャングル病、マラリア、デング熱、
そのほか熱帯特有の病気に冒されないだけでも、まともな戦場といえた。
大戦中もっとも病気が恐ろしかった戦場は二つあり、一つはビルマで、
もう一つはニューギニアだった。イギリス軍の経験では、一九四三年
にビルマ戦線で戦闘による負傷者を一人後方に移送するたび、戦闘以外
の原因で後方に移送する者は百四十人を数え、その大半がマラリア
および他の熱帯性の病気の罹患者だった。この数字は一九四四年には、
徹底した防御策と新薬の導入により六十人に落ち、一九四五年には
四十人へと激減した。それでもなお、罹患者数は実に多い。
 アメリカ軍に目を向けてみよう。アメリカを離れなかった軍人や非戦
闘区域にいた軍人などを含め、アメリカ軍全体で考えると、戦闘による
負傷で戦闘不能になった者の率は、わずか一八%にすぎない。ビルマ、
ニューギニア、その他の熱帯地域で戦った軍人は、イギリス軍と同様、
数多くの熱帯性疾病の危険にさらされた。罹患者は敵軍による負傷者
より多い。敵軍がいなくても、病気の危険は去ってくれないからだ。
 アメリカ軍はメラネシアにあるサンタクルス諸島のヌデニに飛行
基地をつくろうと企てたが、多数の工兵が次々とマラリアに倒れ、
計画を放棄せざるを得なかった。それに加え「内国地帯」(軍事用語
=交戦国内で作戦地域を除く地域)での事故率が、飛び抜けて高かった。
一九四三年だけで、軍事関係の飛行事故で五千人が死んでいる。