1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2011/05/19(木) 22:00:37.57 ID:???
3 :
名無し三等兵:2011/05/20(金) 07:59:34.41 ID:???
朝鮮征伐
4 :
名無し三等兵:2011/05/20(金) 18:18:06.29 ID:???
乘
5 :
名無し三等兵:2011/05/20(金) 22:12:49.21 ID:???
征伐
6 :
名無し三等兵:2011/05/20(金) 22:42:23.45 ID:98noDB9H
日清戦争の主戦場となったのは朝鮮で、これは朝鮮戦争とは言わない。
また、日露戦争の主戦場は満州ですが、これも満州戦争とは言わない。
この朝鮮征伐って言う名前は明らかにおかしいと思うのです。
7 :
名無し三等兵:2011/05/20(金) 22:44:00.49 ID:???
明征伐に変えようや
8 :
名無し三等兵:2011/05/21(土) 04:46:49.37 ID:???
鼻マダァー? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
9 :
名無し三等兵:2011/05/21(土) 17:19:57.70 ID:???
>>6 日本が朝鮮を侵略して、虐殺略奪しただけなのに
「征伐」だとは不自然極まりない。言葉が間違っている。
10 :
名無し三等兵:2011/05/21(土) 17:39:12.41 ID:GKqpXif8
と、チョンが泣いております(笑)
カルタゴのようにチョン絶滅されなかっただけでもありがたく思わねば
11 :
名無し三等兵:2011/05/21(土) 17:52:18.24 ID:???
>>6-7 実際に当時は唐入りって呼称が一般的だったしね
12 :
名無し三等兵:2011/05/21(土) 18:03:49.85 ID:EzPx6I9k
最も、朝鮮出兵はいいことではないことは確か
耳を削ぎ落として集められて供養された耳塚というものも実在する
ま、いばれるような要素は少ないね
でも奴らのウソを暴いてやることには大賛成だけどね
13 :
名無し三等兵:2011/05/21(土) 19:12:57.61 ID:???
亀甲縛り船
14 :
名無し三等兵:2011/05/21(土) 19:37:11.15 ID:???
ん?普通に日明戦争だろ
15 :
名無し三等兵:2011/05/22(日) 00:52:48.42 ID:???
いや陸の主戦力が明軍だったのは確かでも、海戦では李氏朝鮮も健闘したし、
少なくとも主敵が朝鮮だったのは事実だろ?
にしても亀甲船の実態はどんなだったんだろうね? 鉄甲と大筒を搭載して
いては、当時の櫂航船ではトップヘビー過ぎると思うのだが…… そのくせ
龍のフィギュア・ヘッドまで付けて、潮流を利用して日本水軍に勝ってるし。
16 :
名無し三等兵:2011/05/23(月) 00:41:01.09 ID:???
ちなみに亀甲船には戦果を上げたという記録が一切ない。
日本側からは「変な船が居た」
朝鮮側からは「倭人対策で作った」
という記録しかなく、その後一切出てこない事から、おそらく何の役にも立たずに損耗したと思われる。
17 :
名無し三等兵:2011/05/23(月) 02:45:51.65 ID:???
亀甲船は複数の史書にその存在が記されている軍艦であるが、現存する船体が
ない事、史書の記述があいまいな事から詳細は明らかではなく、研究の途上にあ
る艦である。太宗実録に初めて記録された。豊臣秀吉による文禄・慶長の役で実
際に運用されたとされる。
現実の亀甲船は木造船の一種で手漕ぎの突撃艇であると推測され、史書の「李
忠武公全書」に装甲艦であると指摘できる記述が存在しない事から装甲艦とは見
なされない。 渡洋能力はほとんど無く、沿岸部でしか行動できなかった。
李舜臣行録
「亀甲船の大きさは、板屋船(当時の主力戦艦)とほぼ同じく上を板で覆い、
その板の上には十字型の細道が出来ていて、やっと人が通れるようになって
いた。そしてそれ以外は、ことごとく刀錐(刀模様のきり)をさして、足を
踏み入れる余裕も無かった」
「前方には竜頭を作り、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があった。左
右にはそれぞれ6個の銃口があり、船形が亀のようであったので亀甲船と呼ん
だ」
「戦闘になると、かや草のむしろを刀錐の上にかぶせてカモフラージュしたの
で、敵兵がそれとも知らず飛び込むとみな刺さって死んだ。また、敵船が亀
甲船を包囲するものなら、左右前後から一斉砲火をやられた」
当時の建造数はわずか5隻、実戦に投入されたのはそのうち3隻のみで、巷間
噂されるほどの戦力だったとは思えない。また李舜臣の創意によるものですらな
く、李朝初期の太祖時代には既に、亀甲船が建造されて臨津江に浮かんだという。
それを再建させて、実戦投入に間に合ったのは確かに李舜臣の功績だがね。
18 :
名無し三等兵:2011/05/23(月) 08:05:28.71 ID:???
?
19 :
名無し三等兵:2011/05/23(月) 19:25:32.38 ID:???
>>6 前スレから
秀吉による朝鮮征伐の呼び方は
唐入り・唐御陣・高麗陣・朝鮮陣・朝鮮征伐・征韓・文禄の役・慶長の役・朝鮮出兵・朝鮮役・征韓の役
朝鮮侵略・壬辰倭乱(文禄の役)・丁酉倭乱(慶長の役)・丁酉再乱(慶長の役)・壬辰祖国戦争・朝鮮の役
など別名多数なのであなたの政治思想・国籍などにあったものでお呼びください
20 :
名無し三等兵:2011/05/23(月) 22:38:10.42 ID:???
ここにはこんな風に書いてあるが、そうするとこれは全部ウソか?
ttp://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse056.html 「李忠武公全書」(1795年)によると、亀甲船の構造は底板の長さ14.2
メートル、舷板最下第一板20.6メートル、舳板(船尾)上4.4メートル、頭
の広さ3.6メートル、最上級第七板34.2メートル、下の広さ3.2メートル、
腰の広さ4.4メートル、高さ2.3メートル、尾の広さ3.2メートル、厚さ
0.12メートルとなっています。
これから分かる事は、形が細長く流線形で速い速度が得られるようになって
おり、また安定度が高く、船材が非常に丈夫な特殊船であったという事です。
厚板と鉄甲が戦闘員と装備を保障し、体当たり攻撃をしても壊れる事が無く、
優秀な火砲を備えていたので、敵を思う存分攻撃する事が出来ました。
この亀甲船によって李舜臣将軍は、緒戦から4ヶ月間に300隻余りの艦船を
葬り去り、海に補給路を頼る敵軍には致命的な制海権を握り、大打撃を与え
たのでした。
21 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 00:03:45.71 ID:???
>20
200年後に書かれた資料を鵜呑みにする馬鹿
つか、重装甲重武装快速で安定性が高く堅牢な構造なんて
技術や材料に大した差が無いのに、実現できるはずが無い。
22 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 00:16:38.08 ID:???
そう言えば韓国軍の劣化イージスはやたら重武装にしたおかげで日本海が荒れると出撃できないとか噂されてるが
あながち否定出来ないところが朝鮮人の浅はかさというか・・・
23 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 03:13:50.16 ID:tngWTsnT
えー、船体を細長くすることで得られる高速性は安定度と引き替えなんですが。
甲板の高さを上げれば敵の船に切り込むのに有利ですが、これも安定度と引き替え。
24 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 03:37:31.91 ID:tngWTsnT
まあ運用面も胡散臭さ爆発な訳ですが。
死人がでるほどの長さの杭を隠す為に藁を積んだ船なんて、常識的には火船(特攻船)にしか見えないのでアウトレンジに徹するに決まってる。
それができないほど高速で迫ったって?逆に火を点けられたらそれまでですが?
25 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 03:44:15.65 ID:tngWTsnT
強力な火砲が存在するなら、当然陸上でも使えるわけで。
いや防御側の朝鮮は城に配備するだけでいいんで、存在さえすれば運用できない理由はないんですよ。
26 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 08:59:01.44 ID:???
亀舟の甲板の仕様をみる限り、白兵で勝つのは諦めてたと見るべき。
一隻に仕掛けられるのは一つの出口のみで敵艦より低い位置に作ってあるのだから。相手より上の甲板に死ぬほど長い槍を生やすのは無意味。
とすると、後はラムか火砲の可能性のみだが。
27 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 09:56:49.82 ID:???
大型砲に関しては朝鮮のほうが優れてたからな
28 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 12:07:48.20 ID:???
その大型砲って一体なに?
水車すら作れない低脳チョンがそんな物を作れるの?
29 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 16:56:49.70 ID:???
天地玄黄銃筒といった青銅砲
朝鮮は活字なんかと同様、鋳造技術については当時は日本より優れていた
30 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 17:48:24.70 ID:NbNXu9ol
「卑弥呼」とは、戦後に呼ばれるようになった蔑称であり、
戦前の日本では、別の字が当てられていた。
「倭国」も同様に、戦後から用いられるようになった蔑称です。
つまり、中国の立場での呼称なのです。
日本国内に於ける本来の当て字は、
「姫巫女」と「和国(大和)」でしょう。
31 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 17:51:25.06 ID:???
>>29 全部鍛造で済ませてたせいで鋳造技術が低いのは分かるが
活字つっても大量生産できないんじゃ優れてるとか言う評価はできんぞ
32 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 18:22:34.86 ID:???
>>29 >鋳造技術については当時は日本より優れていた
そういう解釈が一般的に行われているものの果たして専門家による
検証はされているのかね?
実際の朝鮮製の鋳物は当の銃筒を始めかなり雑でいびつな代物なんだが。
そして優れていたはずの戦利品の朝鮮製銃筒類をその後日本で使用したとか
それを模造したとかいう話もサッパリ聞かない。
>31氏も言ってるのと逆で、朝鮮では鍛造技術が未発達だったので
鋳造が主流だったけれど技術レベルは低いんじゃないの?
33 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 18:25:35.80 ID:???
>>30 いやタリシヒコが誰か分からんように
向こうに発音が正確に伝わってるとはいい難いぞ
34 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 18:41:16.09 ID:???
鹵獲使用は両軍ともそれなりにあったと思う、戦国期の銃砲は実在数が
少ないしな・・寧ろ硝薬をどう確保していたんだろ?日本はかなり輸入
してたけど・・硫黄も半島では確保しづらいしな
35 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 19:12:03.13 ID:???
>>29 >鋳造技術については当時は日本より優れていた
日本三大梵鐘のような巨大鋳造物が朝鮮にあんの?
スペック
東大寺鐘 (高さ385cm、口径271cm)
方広寺鐘 (高さ420cm、外形280cm、厚さ27cm、重さ82.7t)
知恩院鐘 (高さ327cm、外径273cm、重さ約70t)
>>31 >全部鍛造で済ませてたせいで鋳造技術が低いのは分かるが
大砲の鋳造してるよ。
少なくとも大友宗麟や北条氏は。
36 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 19:14:49.52 ID:???
あそうだ日本三大梵鐘よりもっと巨大な鋳造物が日本にあった。
東大寺の大仏さん
37 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 20:27:09.63 ID:???
>>32 その頃には仏狼機があったからね
朝鮮も明朝から伝来してくらは仏狼機に切り替えている
>>35 全部戦国時代の前か後じゃん
38 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 21:48:47.62 ID:???
>>34 朝鮮役の際に、現地では鹵獲砲を使用しているものの日本国内での
使用例はないんではないかな。
敢えて朝鮮銃筒の影響を言えば、江戸期の棒火矢が挙げられるのかも知らんけど
ずいぶんと小型化してるし実用と言うよりは一種の芸に近かったらしいし。
39 :
名無し三等兵:2011/05/24(火) 22:00:04.35 ID:???
>>38 黒田騒動のとき栗山大膳が大砲ももってたってあるから
いがいと鹵獲品かな?おやじさんは普州城で活躍してるしな
まあ、大鉄砲の類の可能性もあるけど
40 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 00:35:32.26 ID:???
>>37 >全部戦国時代の前か後じゃん
その時代の前にも後にも技術があるなら、その時代に技術があったってことになるだろ。
41 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 00:43:29.01 ID:???
流石に大仏建造と大砲鋳造は違いすぎると思う・・・
42 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 00:49:27.65 ID:???
日本では全国各地に大小無数の仏教寺院が存在している。
それら寺院には梵鐘が備えられていて、全国で頻繁に鋳造による製造がおこなわれていた。
つまり、日本では大型鋳造物の鋳造が極めて盛んに行われていたことになる。
これは、日本で鋳造技術が常に鍛えられていたことを意味する。
大砲の鋳造ぐらいは造作もないことといえる。
一方、朝鮮では李氏朝鮮の建国以来仏教抑圧政策に転じており。寺院の多くは消滅している。
これにより、鋳造技術が鍛えられる機会は失われ、稚劣な鋳造技術しか存在していなかったことになる。
銃筒と呼ばれる朝鮮製の火砲を見ても、その技術的稚劣さは明らかで、
砲身には多数の箍を嵌めて強化しないといけないほど、構造が弱く低水準なものであることがよくわかる。
43 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 01:17:20.02 ID:???
明も同じ構造の砲つくってるから一概に否定するのはどうかと
というか箍なんて嵌ってたか・・・?
44 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 01:33:09.07 ID:???
ggrks
45 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 02:01:08.38 ID:???
そこで
>>20のデータですよ。
全長20m程度の船で形が細長く、となると積める砲の砲身の長さが制限されちゃうわけで。
砲門開けっ放しで砲を外に突き出すとかオソロシイ事いわないように。それ、ちょっと荒れたらすぐに沈むから。
46 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 02:37:37.83 ID:???
47 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 02:56:36.57 ID:???
>>43 明と朝鮮の砲は形状が違うだろ。
明のは薬室廻りを球状に補強した形で、他方朝鮮のは
箍状に砲全体に数条の補強をかませた形だな。
まぁ、写真なんかを見る限り朝鮮のものの方が成型の
精度は低そうに見える。
48 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 03:03:03.48 ID:???
>>45 韓国人の脳内では、西洋の戦列艦並みに両舷にずらりと
砲を並べてあったと妄想してるみたいだけどね。 >想像復元亀船
49 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 03:09:33.83 ID:???
>>46 玄字銃筒・地字銃筒・天字銃筒のどれかで画像検索するといいと思うよ
50 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 08:12:11.81 ID:???
>>47 明も大将軍砲なんかは箍をはめているけどね
ちなみにこれは鉄製、西洋のチューブガンみたいなの
51 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 08:12:57.77 ID:???
朝鮮のは箍でなく、一体成型だったはず
52 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 11:54:17.79 ID:???
>>45 東アジアの砲は基本的に短砲身です
後装砲は例外だけど
欧州もしばらくすると短くなるし
53 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 12:20:03.00 ID:???
でも、白兵弱腰なのは甲板の槍衾が証明してるわけで、3隻で300隻も狩るとなると、もう砲撃の優位しかないんだけど。。。
それが普通の砲では順当に数の暴力で沈んじゃうじゃない。
54 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 12:30:18.37 ID:???
55 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 14:10:08.87 ID:???
うん
半万年前には韓民族が日本も含めてユーラシア大陸の東半分を支配してたのです
と、真顔で言うチョンにはもうホラ以前の問題だからな
56 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 20:46:06.07 ID:???
57 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 21:15:37.60 ID:???
58 :
名無し三等兵:2011/05/25(水) 23:51:47.66 ID:???
>>57 それ鋳造時に一緒に鋳込まれてるリブで後から巻いたんじゃない。
明も同じ形式
59 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 00:55:11.34 ID:???
日本軍が篭る日本式の城郭が明朝鮮軍に戦闘で攻め落とされた事は無い様だが
敵さんの大砲ってどの程度攻城戦の役に立ったんだろうね
60 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 01:06:14.54 ID:???
全く役に立たない
榴弾が開発されるまで日本の城には役立たない
61 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 01:16:08.85 ID:YGuzE+1k
震天雷が威力絶大で、日本勢大損害でgkbrってのが、
向こうの記録にだけはあるな。
62 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 03:07:48.44 ID:???
泗川倭城攻撃で明軍の大砲は自爆して
島津軍大勝利に大貢献しましたw
63 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 07:08:21.17 ID:???
韓国は亀甲船を過大に評価しているが。
それほど強力な装備であれば、朝鮮の役以外ではまったく見られなかったのは疑問だ
あまり戦果を挙げる事が出来なかったから消えたと考える方がすっきりする
復元したものだから、史実どおりかどうか疑問が残るが。
亀甲船の構造をみれば、少し横波があればすぐに横転してしまうし
炸薬を持たない当時の大砲の威力は小さい。ましてやあんな小さな船に乗せる砲ではどれほどの力があるか?
64 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 07:12:10.69 ID:???
>>59 大阪冬の陣では、徳川方が大阪城に大砲を打ち込んだが
最大の効果は、たまたま淀君のいる館に弾が入って、淀君を怯えさせた事だったそうだ
淀君がこれで徳川との戦を恐れて不利な講和を飲んだとのこと
ま、当時の大砲は炸薬もないし、それほど大きな効果が与えられるものではなかったよ
65 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 07:31:57.12 ID:???
66 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 07:47:33.58 ID:???
明側の資料によれば、朝鮮の役で戦った倭軍は、鉄砲の扱いに長じていたと特筆されていた。
当時、世界で最高数の銃を揃えていただけに、この点では明側も圧倒されたようだが
ただ、大砲に関しては、明側の方が揃えていたようだ
67 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 08:26:48.82 ID:???
>>58 大将軍砲は鋳鉄の筒に、後で箍を巻いたはず
>>60 >>64 大坂城については城郭研究者の過大評価、実際はかなり櫓を崩している
もっとも島原の乱での戦訓を元に榴弾と臼砲を導入しているけど
68 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 09:57:11.19 ID:???
ライフルのことを小銃と呼ぶのは、対義語となる大銃と呼ばれるものが実際に古くにあった事の名残とか
いまで言うところの、迫撃砲のような扱いが為されていた。
どの程度の威力なのかは知らないが、古式銃もいろんなタイプがあったようだな
69 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 10:00:54.87 ID:???
>>48 スペインとイギリスが争った海戦
何ていったかな?
無敵艦隊が壊滅した戦いだが
これ以前には、艦載砲は船体よりも帆を狙って、動きを取れなくしてから
切り込みをかける戦法が西欧でも主流だったとか。
スペイン艦隊相手にイングランド海軍が、船体に直接大砲をぶち当てる戦法が出来たのも
当時の欧州で大砲に炸薬が詰まったものが開発される発展があったから。
これを考えると、炸薬のない、朝鮮の役当時の大砲では、充分に船体を損傷する力はなかったと思うが
70 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 14:36:29.75 ID:???
>スペイン艦隊相手にイングランド海軍が、船体に直接大砲をぶち当てる戦法が出来たのも >
>当時の欧州で大砲に炸薬が詰まったものが開発される発展があったから。
|∀・).。oO( スゲー珍説が出てきたなw
71 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 15:47:57.77 ID:???
結局
>>29の
>鋳造技術については当時は日本より優れていた
という証明は何もない。
72 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 15:55:14.48 ID:???
73 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 16:10:48.69 ID:???
まあ、何ら問題ないしな
実際
74 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 16:57:36.63 ID:???
戦場で一番大きな音が出ればそれだけで両軍の士気に影響がでるから
実際の殺傷力以上の価値が大砲や鉄砲にはあるんだろうな
75 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 17:31:28.21 ID:???
?
76 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 17:41:09.99 ID:???
先込め式の旧式の銃は、合成弓と比較して、貫通力も射程距離も大きく劣るよ
日本で銃が普及しても弓がたちまち駆逐されなかったのも当然だろう
銃の発展した欧州でも、銃が弓を戦場から駆逐するのには100年くらいかかっている
77 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 17:54:26.43 ID:???
(ノ∀`)
78 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 18:11:16.74 ID:???
朝鮮の鋳造技術は日本より優れていた。
根拠はない。
79 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 18:16:05.48 ID:???
韓国に対する愛情はないのかーっ!
80 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 18:21:41.69 ID:???
ねえよ
81 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 18:22:22.27 ID:???
この分野、韓国への愛情史観で語るせんせー方が多いね。
82 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 18:31:53.57 ID:???
貫井せんせーも古ーい著作だとそれほど偏向はひどくないんだけどね
新しい著作になるほど偏向がひどくなっていくw
今じゃフレンド・アジア・ロードなる、いかにもな感じのNPO団体の代表者に収まって
居心地よさそうに暮らしていらっしゃるw
83 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 18:33:07.03 ID:???
そりゃ、お金が出る方になびくのは仕方ないよ
霞を食って生きてるわけじゃないんだから
84 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 19:05:18.06 ID:???
85 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 19:37:27.74 ID:???
朝鮮の役に関する限り、一番公平かつ客観的な歴史の見方をしてるのは中国
次いで日本、
一番史実捏造&偏向してるのは韓国
日本軍が最後まで戦術的敗北を喫していないのを唯一評価してるのは中国
韓国人や日本人は日本軍が半島でボロ負けしてほうほうのていで命からがら
逃げ帰ったとばかり思っている
86 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 20:03:20.93 ID:???
>朝鮮の役に関する限り、一番公平かつ客観的な歴史の見方をしてるのは中国
そーか?
ウィキP中文板の朝鮮の役関連の記述見る限り相当偏ってるぞw
87 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 20:09:30.85 ID:???
( `ハ´) 碧蹄館は我が軍の戦略的勝利アル
と中文Wikipediaに書いてあるという話がつい先日どっかのスレで出てたな。
88 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 20:35:02.04 ID:???
涙目wwwwと哀れんでやればいいさ
みっともないだけだし
89 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 21:31:46.48 ID:???
ま、朝鮮の役に関しては、日本史上で冷笑されたのは事実だよね
大量の人員を動員し、莫大な費用を費やしながら、何ら成果を挙げなかったのだから
はっきりと敗北であったとも断言できるが
ただね、白村江以降、日本が本格的な対外侵攻を行ったのは初めての事だ
そのことも考慮して、もうちょっと冷静な分析があった方が良いとは思うけど
90 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 21:47:45.43 ID:???
ウィキP中文板島津義弘では泗川の戦いが完全スルー
犬HKの糞番組と同レベル。
91 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 21:57:47.34 ID:???
泗川の戦いスルー といえば
韓国国定教科書では
文禄の碧蹄館も第二次晋州も完全スルー
慶長の蔚山や泗川も完全スルー
NHKのアナウンサーがニコニコ顔で「イムジンウェラン」って言ってたクソ番組
でも泗川を含め、これらの戦いは完全スルーしたり内容を捏造したりだった。
まるで韓国国定教科書を書いた人がNHK番組を作ってるみたいな感じ。
92 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 22:00:58.82 ID:???
偉大なる離酔心を称えるためにも
朝鮮軍の苦戦を演出するのは必要そうなんがな・・・
ドラマでも日本人に負けるのは出来ないようだな彼らは
93 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 22:16:41.46 ID:DH/XkTCG
さすがに明軍20万が島津七千にフルボッコにされた戦いは
とうていチャンコロにとっては正視できないようだな
当たり前か
94 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 22:32:29.98 ID:???
>明軍20万
それは虚構w
95 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 23:25:39.57 ID:???
最近だとNHKまでもが朝鮮侵略といい始めたな
10年位前までは文禄慶長の役とか朝鮮出兵とか言ってたのに
ほとんど韓国人の主張を鵜呑みにしたような番組を教育テレビで放送するし
公共放送が他国の宣伝機関に成り下がったようでたまらなく不快だ
96 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 23:30:20.98 ID:???
軍事分析といいつつ結局ここもレイシストの集いか
97 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 23:37:57.03 ID:???
悪貨は良貨を駆逐する
98 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 23:47:54.79 ID:???
倭国極右軍国主義者が認めない正しい歴史
倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量がすぐれていたためである。
わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。
こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を撃退させることができる力になった。
そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの技術者と学者等を拉致していった。
(出典・大韓民国国定教科書)
99 :
名無し三等兵:2011/05/26(木) 23:55:06.50 ID:???
>>98 レイシズムつーか、自民族優越主義の塊だな、大韓民国国定教科書
韓国の正しい歴史認識とやらを信じていれば、韓国人は日本列島の半分を制服し
さらにアジア全域から中東に及ぶ一大帝国を古代に成立させた偉大な民族となるよ
まさかと思うだろうが、韓国軍の教育課程で学ぶ民族史には、堂々とこの説が提示されている
>>96 朝鮮に不利な物を突きつけられる→レイシスト!!ネトウヨ!!!
このパターンは見飽きた
日韓で比較すれば韓国人の方がよほど人種差別的で右翼なのにな
ナショナリズムを形成する歴史的根拠自体がかなり怪しい物なんだがね
ナショナリズム?
ウリのはファンタジーだ!
以前さ、もう戦争の時代ではない友好が大事だ。アジア諸国に謝罪するべきだとか、真摯に反省するべきだとか
そんなことを繰り返していた奴に、重大なことは日本の独立を守ることだろうがと返したときの言葉が忘れられない
「日本を侵略するとしたら、アメリカでしょうか、日本はアメリカの属国ではないですか、いまさらのような気がします」
とケロリとこう言ったのだよ
他国を支配することが絶対に許されないことだ、侵略などやってはならない悪だってことを大前提に謝罪するべきだとか反省するべきだと言った張本人が
日本が侵略されているけど、いまさら何を言っているのだと答えるのだから、
もう開いた口がふさがらない。
奴隷制度は間違っていた、奴隷にした人々に謝罪するべきだと言った張本人が、我々は奴隷だけど、それがどうしたのと言ったようなものだよ
これ以降、この種の発言を繰り返す奴を、心底軽蔑するようになったよ。
って、事で、この種の議論には辟易しているし
心底、蔑んだ目でしか、この手の連中を見ることは出来なくなっている
105 :
名無し三等兵:2011/05/27(金) 09:16:02.48 ID:M9IcCJ1C
>>65 ケンチャナヨモーターは発射前に埋設するんですよ。展示は移動モード。
キャノンだったらあんな仰角付けないし目の前で埋めてたら火縄銃で撃たれる(笑)
106 :
名無し三等兵:2011/05/27(金) 09:17:14.04 ID:M9IcCJ1C
追伸。わが国の弾道学は世界一、故に着弾修正など無用。
朝鮮水軍がこの戦役で貢献した点って何?
補給路断絶→失敗
日本水軍の殲滅→失敗
釜山以外から日本軍が上陸する予定→無し
結局、妨害活動だけで戦局に何も影響与えてないじゃん。
陸戦では日本軍は欧米からコピーした鉄砲を持っているおかげで
手ごわかったが海戦では李提督が完勝した
補給路を断たれた日本軍は民衆から食料を略奪し、
その為ゲリラに苦しみ結局半島から
敗走する羽目になった
朝鮮では、根拠地から追い払われて、しまいには
急造のにわか水軍に返り討ちにあったのを完勝というのか。
李舜臣は禁じられていたにも関わらず追撃を行い、圧倒的に有利な状況になのに、鉄砲の掃射を受けて返り討ちにされている。
因みにネルソンが戦死した時も似たような原因で、この時はフランス側がも帆柱に多数の狙撃兵を配置していた。
朝鮮水軍は言われているほど優秀だった訳ではないし、かなり有利な状況でも失点を重ねていたよ。
補給を妨害は出来ても遮断は出来なかったのが好例だろ?
流石にスレが始まったばかりで、何も知らない一見さん目当てのチョンによる捏造流布が盛んだなw
そして捏造に対してすぐさま事実が提示されるから、
全然流布できてないどころか一見さんにも正しい知識や認識が広まるというw
まず朝鮮にせよ日本にせよ、或いは中国にしても、船はキール(竜骨)やリブを持たない和船構造で、強度が低い上に航行性が低かった。
その上で国ごとのマイナーな特徴や改良点がある。
中国はイルカの生息する大河を中心に運用していたので、内部に格子状に板を渡して強化し、同時に升を並べたような水密隔壁とした。
南蛮貿易に使われた朱印船もこれが基本となっており、西洋のガレオン船の構造を取り入れて、船首・船尾楼を設けたり、帆を改良したりした。
日本の安宅船はもっとも単純な構造で、強いて特徴を上げるなら、帆柱が一本だけで多くは折り畳めること、帆柱に登らずとも帆を張り畳めた点が上げられる。
因みにオール(櫂)は一人で一本を動かす。
朝鮮の板屋船は基本的に安宅船に近いが、良質の木材が手に入らないため杉などを使い、板を厚くすることで強度を出した。
これがそのまま装甲としても役にたっているが、同時に船が重くなるため積載量が下がり、航行性も安宅船に劣る結果となっている。
また潮流の強い黄海を中心に運用するため、トルクを重視してオール(櫂)を数人で動かすようになっている。
そのため櫂の数は安宅船より少なく、スピードでは劣るが潮流には強い、それでいて外洋航海は難しいという、運用の難しい船となった。
>>110 イギリス海軍は副将以下閣僚軒並み戦死したりはしてないのでかなり違うだろw
しかし近海の防衛に限るなら、板屋船は朝鮮の国情に適した優れた軍船ではあった。
これを更に強化したものが亀甲船で、これは甲板に6門の大砲を搭載し、さらに甲板の上を全て板で囲ったものだった。
これは言わば、ガレオン船の船首楼と船尾楼がつながったような構造で、重心が上がったことで航行性は更に低下した。
因みにガレオン船や戦列艦の場合、船内に複数の砲甲板をもち、砲門を開けて発砲し、外洋では砲門を閉じた。
後の国姓爺が使った軍船も、内部に砲甲板を張った改造ジャンクだった。
>>113 朝鮮の船材は基本的に松だぞ。
杉だったなら全く無問題だろ。
>>113 それから日中韓共に基本はオールじゃなくて櫓な。
このように、朝鮮水軍は近海防衛に注力すれば良く、当時の技術で可能な限りの手だてを尽くして局地戦用の軍船を建造した。
一方で日本側は日本海の荒波を超える必要性から、重心の崩れる装甲を施す余地は無く、ましてや数少ない大筒を搭載することは出来なかった。
もっとも亀甲船に搭載された大砲とて、日本ではむしろ大鉄砲や抱え大筒に分類されるサイズだったが。
豊臣政権とて実情は認識しており、名護屋などで装甲用の鉄を集めるなどの動きはあったが、外洋に出る以上はどうしても技術的な限界があった。
もっとも現実的な処置としては、現地で木材を追加し装甲とすることだった。
世界四大提督
ジョンポールジョーンズ・李舜臣・ネルソン・東郷平八郎
東郷が李瞬臣を称賛したという説もあるけど、はっきりしてないな
ただ、それまで王と一緒の逃げ回っていた文官ばかりが顕彰され
光のあたらなかった武官を帝国軍人が再評価し、のちの軍人大統領
たちが新たな民族シンボルにしていった面は確かにあるな
そんな説は司馬遼太郎の小説と朝鮮人の脳内にしか存在しないから
>>121 あぁ、司馬遼太郎が小説のネタに創作したエピソードを、
チョンがマジに受け取ったっていう笑えない笑い話かw
韓国の海軍の幹部候補生が通う学校では
一時期坂の上の雲が必読だったらしい
教官が例のエピソードを広めたかったようだ
自らの歴史に誇りをもてないから捏造するのか
捏造するから歴史に誇りをもてないのか・・・
小栗上野介を東郷は賞賛したとの話はあったがね
彼は島国の日本が世界に打って出るのは、まず造船だと考え
造船所の建設に力を注ぐなど、確かにその場しのぎの考えが多かった官僚化した当時の幕臣の中では
数少ない、長期的視野にたった国策を考える事が出来る人物だった
>>107 朝鮮水軍は全羅道で健在なだけで日本水軍は黄海方面へ進出できず
補給線は漢釜間の陸路に頼らざる得なくなり補給活動はゲリラ襲撃に悩まされることに
補給活動の停滞の不始末を誤魔化すために石田ら奉行衆は清正や正則を讒言し過日に豊臣政権の空中分解を引き起こす
結果的に全羅道でフリートビーイングに専念した李舜臣の戦略は正しい
日本水軍による朝鮮水軍の駆逐は難しくまたその逆もしかり
秀吉は休戦せず家康以下の決戦戦力を全羅道討滅に投入し朝鮮水軍の陸上拠点やゲリラ根拠地を蝨潰しにすべきだった
数が多ければ多いほど、補給は難しくなるんだよ? 現地の朝鮮・明軍ですら
補給に苦しみ、島津との正面決戦を余儀なくされているのに……
ちなみに日本側の補給線も、それほど停滞していた訳ではない。そもそも食料や
まぐさなどは量が膨大なものとなるので、全てを後方から運ぶのは不可能だ。海路
からの補給は弾薬など戦闘に必要なものに限られるし、最後までそちらは有効に
機能していた。
よって飲食物はどうしても現地調達をせざるを得ないし、調達すべきものが朝鮮
にはなかった。
繰り返すが、朝鮮にせよ明にせよ、自国領土であるにも関わらず補給に苦しんで
いたのだから、これはやむを得ないことだったろう。ナポレオン戦争当時もそう
だったが、当時の街は人口が千にも満たないことが多く、数少ない人口数万の都市
を除けば(或いはそれでも)何万という軍勢のための物資を集積することは不可能。
余りに狭く痩せた地域で、互いに軍をろくに機動する余地もないまま大軍同士が
集まり、決戦しなくてはならないのが朝鮮出兵の実態。また秀吉にしても本当に
朝鮮や明を制服する積もりであったか疑わしい。むしろ政治家として、明国の冊封
体制にクサビを入れ、統一日本の派遣を周辺国家に認めさせるのが狙いでは?
126は、現代戦の感覚を持ち込んで離してるんだから、とんちんかんなことを言ってて当たり前だと思うけどね
家康を軍団長かなんかと勘違いしてるとしか思えん
>>127 九州征伐、北条征伐と同じく朝鮮征伐も兵糧はすべて後方調達し船便でロジスティックスしてる
ただし漢城あたりでは釜山からの補給が間に合わず残念ながら現地調達もしている
当時の宣教師の記録によると、国内戦である九州征伐や小田原の役においても、
豊臣方は饑餓と疫病に苦しめられたとある。また李舜臣の『乱中日記』の記録では、
特に日本軍の補給を遮断しようとの意識は無かったらしいことが伺える。
>>130 菅内閣みたいなご都合記録の発表だなw
そもそも豊臣軍は九州で25万、関東では30万を動員している
島津軍7万、北条軍8万を攻めるのには過大な戦力投入だ
豊臣政権の財政が潤っていた理屈を知らないとしか言えない
大名は封建制度に基づき出征や普請の労役の義務を負うが費用は自己負担
活躍に応じて知行や金銀などの恩賞に与れるが基本的には本領安堵の代償にて無報酬
つまり大規模な出征や普請をすれば全国から兵や人夫が集まり米価が高騰する
あらかじめ安価に大量の米を買い付け備蓄した後に出征発令すれば儲かる仕組み
つまり豊臣政権の莫大な蓄財は米のインサイダー取引と陶芸など日用雑貨から数奇に至るまでの工業製品の振興
工業製品普及の為にも全国から動員し宿営や茶会を通じて製品を広める必要がある
日本軍の誤算は国民を見捨て都も捨て王以下支配階級が明朝国境まで逃亡すると考えてなかったこと
日本の常識だと一所懸命に領地を守り降伏したら従うと思ってた
油断からとは言え初期の混乱により慶尚道南部が蹂躙されるのは致し方ないが
少なくともその他の地域ではもっと頑強に抵抗すべきだ
秀吉のブレーンにしたら想定外に兵站が急速に伸び補給計画が破綻したのだろ
想定外だから仕方が無いって、3.11以来よく聞くようになったね
最初から明が出てくるの織り込み済みだろ
>>131 当時の流通体制で計画通りに補給が続いていると見る方がご都合主義
でね?現場で飢餓、疫病が広がっているのは各種記録に残されてるし
・・いつの時代も上は現場を知らん!っていうなら現政権批判にも
繋がるかもしれんが
義兵の影響か前線への陸送は滞ってたとは聞くが海運が滞ってたとは聞かんな
このスレだったか海上ゲリラが居たはず!なんてあほな説を唱えた奴が昔いたが
云万人も名護屋に駐屯してたんだから
屯田開墾すればよかったのに
138 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 13:21:23.51 ID:LsRAuzak
戦国自衛隊みたいに、実は朝鮮で戦っていたのはタイムスリップした自衛隊だったみたいな映画が作られないかな?
ついでに在日米軍もタイムスリップしてて、李瞬臣はジョージ・ワシントンの艦長だったみたいな。
すごく盛り上がると思うんだけど。
お前在日だろ?
なにか『絶対的に朝鮮マンセー&日本アンチ』か『絶対的に朝鮮アンチ&日本マンセー』の二通りしか、意見は認められないみたいだな?
現実の資料から目を背け、憶測と希望的解釈で歴史を“造ろう”としてるのはどちらも一緒だが。17世紀になっても解決しない補給問題を、
いったいどうすれば安土桃山時代に解決できるのか知りたいものだ。実際に両軍とも苦しんだ記録が散見するのに「そんなこと無かった」と
言い切れる神経はもっと分からない。意固地になってるのか?
完全に補給が充足してたなんて誰も言ってないとおもうが
居るのは港までの量は問題なかった派と何言ってるかよく分からないけど不足してる派だけだろ
港までしか運べてなくて現地で物資が不足してるのにもっと動員してれば勝てたとか
ぬかす奴がいるから非難されるんだろ
>>108 欧米ってwネイティブアメリカンから何をコピーするの?
144 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 18:56:43.32 ID:Hh/bZPdg
済州島に長曽我部や北条、武田の残党やキリシタン、浪人どもを送り込んで入植させれば
普通に分けどりできたんでは
>>144 農業が難しい溶岩の島なのにだれが喜んでいくの?
島の住人の職業は倭寇だよ
146 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 19:28:17.77 ID:Hh/bZPdg
気候的には江戸や甲斐でしょ
畑作レベルなら武蔵野の開墾と変わらんのでは
だいだいあそこは元の直轄牧場でんがな
貧しくても領地がもらえるなら行く奴には困らんだろ
領地ってのはそういうもんだ
>>131=136=141?
豊臣びいきも良いけど現実を見なよ
149 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 19:57:36.18 ID:Hh/bZPdg
インカ文明レベルの石組み技術があれば
いくらでも開墾できそうだ
ホドイモ、ジャガイモ、蕎麦、あわ、ひえ、きび、たかきび
その辺なんでも出来るだろ
150 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 20:07:06.63 ID:Hh/bZPdg
15世紀までは朝鮮と別の独立王国があったわけで済州島だけの占領なら明も出てこない
済州島の服属と分配ぐらいで秀吉が妥協してれば
みんなハッピーだったろうね
なんで貧しい島ひとつで満足するんだよw
何の為の外征だそりゃw
政治的に考えれば、明に海禁政策を撤回させ交易を認めさせるとか、
もっと利益も内容もある交渉が出来たはずだし、済州島の占領なんて
取引の材料にしかならんだろ。
現実には朝鮮半島そのものですら、取引には不足していたのだが。
あれだけの規模の外征をぶちまけて、島一つじゃ恩賞に困るだろ・・・。
要するに琉球征伐程度にしとけってことか?
朝鮮全土を席巻しても貢物すら拒否した明に済州島で取引とか在り得ないんすけど
済州島に利用価値があるとすれば倭寇同様に黄海や東支那海沿岸への中継地としてかな
九州北部から直接支那へは遠征するに遠いが済州島からなら比較的近い
当時の人の地理感覚はどうだったのだろう?
当時の地図(海図?)を見ても、当時の人の感覚は分からないや
159 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 21:54:42.04 ID:Hh/bZPdg
済州島は淡路島の三倍の面積で森林や水もあるなら
まず入手して代官おいて入植開墾すればよかろ
明とコトを構えず恩賞となる土地さえ入手でにればOK
次は琉球台湾だな
そういうちゃちい計画は四代目とか実力じゃなく無難に地位についたような奴のやること
朝鮮がヘタレだからと調子こいて平壌まで落として清朝国境近くまで攻めるから明が出て来る
当時明は辺境で少数民族の反乱が相次ぎ朝鮮どころではなかった
秀吉軍は慶尚道全羅道に限定して侵攻すれば明が本格的に介入することはないだろ
南部の支配を確実にしたら大名を国替えし日本から農民を移民させ
そして確実に入植地を拡大して行くべき
別に、日本としては、朝鮮が欲しかった訳じゃないでしょ?
163 :
名無し三等兵:2011/05/30(月) 00:33:16.11 ID:piggyYwu
五島列島、対馬、佐渡ぐらいの立ち位置の新領土が増えればOKだろ
朝鮮半島みたいな米も育たず民も最低な土地いらん
>>67 島原の乱って大阪の陣から数十年後の事だろうw
どうやって島原の戦訓を基にして大阪の陣に活用すんのw
逆じゃないとおかしいだろw
165 :
名無し三等兵:2011/05/30(月) 00:43:26.35 ID:piggyYwu
朝鮮半島の先端だけ分け取るなんつう都合の良い
状況なんて可能なのか?
和冦の組織だったのはそんな感じらしいが
>>164 大坂の陣では大砲で櫓を崩した
その後、島原の乱の戦訓で榴弾と臼砲を導入したということ
>>163 朝鮮半島南部は米作可能
京畿道 慶尚道 全羅道 忠清道は日本と変わらず米作地域
当時の日本にしたらイムジンガン以北は無価値かな
明を攻めるなら先ずは朝鮮半島南部の支配を確立し
十分な準備をしてから進撃すべきだろ
>>161 それ朝鮮王的にはどうなんだろ、向こうだって米作可能地帯は貴重なんでしょ?
中華帝国の面子としては一応救援要請出されたら受けないわけにいかないし。
170 :
名無し三等兵:2011/05/30(月) 07:45:11.65 ID:piggyYwu
間氷期で冷害飢饉が起きた江戸時代のことを考えると
朝鮮半島の米作は日本レベルでは考えないほうがいい
併合後、米収量が数倍というのは近代農法と新品種が入ったから
朝鮮半島古来より雑穀文化だ
>>169 明の援軍は当初は騎兵3000、歩兵2000だけで朝鮮軍と合流し小西隊と合戦し壊滅した為に50日の休戦をし大軍を編成した
初期の援軍が簡単に壊滅せず首都漢城の警備を出来るなら、
後金をはじめ反乱した辺境民族討伐優先のためおそらくは援軍を小出しにする
>>171 希望的観測が過ぎるだろ・・・・。
明にとってはそれこそ東夷討伐の良い機会じゃないか。
>>172 朝鮮半島南部くらいで大軍送る余裕は明にはないよ
永楽帝時代ならいざ知らず
余裕が無いからこそ、短時間でケリを付けるために大軍を編成するんだろ。
>>174 史実では先遣隊が壊滅した報告を受けて大軍を編成し短期に勝利を得んとし
足掛け7年に渡り最大20万の大軍を派遣し損害は10万明は国力が衰え滅亡する
正直、明としたら先遣隊壊滅した時点で、朝鮮放棄でよかったんじゃね?
まあ、結局の所、誰も勝者がいない戦いだったんだね
>>176 册封体制を放棄するんですね
ンなことしたら大明皇帝の権威は地に墜ちて辺境の諸民族は勝手気ままに反乱する
西方との草原 砂漠 海上の交易網は各地で寸断され結果的に国力は減衰し滅亡で同じ運命
明にしたら見捨てはしないが侵攻が限定的なら朝鮮が主に対処すべきと茶を濁せる
秀吉が本気で征明を考えていたなら水軍をイスパニアぐらい質量ともに整備し
九州の大本営は佐世保とし先ずは中継地の済州島と陽動作戦の朝鮮半島戦線の橋頭堡釜山を占領
明の来援部隊を吸引出来る様に慶尚道全羅道を蹂躙し占領し防衛陣地を建設
明の来援部隊が来たら朝鮮半島南部にて戦線を膠着させ
主力部隊を済州島に集結させ明本土に上陸作戦を行う
上陸地点は兵糧を現地調達できる淮水や揚子江沿岸の穀倉地帯を占領
合肥や南京を占領し江東を固めたあと大運河を北上し首都北京を目指す
そう言えば朝鮮出兵の時の明軍は、金や清への備えとして編成された方面軍で、歩兵より騎兵が多いんだよね。
なのでよほど補給が大変だったらしく、こちらも明本国より、船を使った海路からの援助を受けている。
秀吉も一気に征明とか言わず日明間で朝鮮分割したら良かったんだよ
例えば漢代の4郡に当たる地域は明とし三韓に当たる地域は日本としたら歴史的にも納得できる
朝鮮南部の新たな知行地に徳川を転封して関東を空けて
朝鮮出征の恩賞にしたらいい
>>178 当時のスペインはイギリス侵攻に失敗したとはいえ超大国だったんだが
1600年時点で日本の保有する火縄銃は世界中のマスケット銃の三分の一
>>183 秀吉は朝鮮南部4道割譲の日明講和を承認してるんだけど
秀吉は朝鮮全土どころか朝鮮の南半分で納得してる
>>186 あれは明のお姫様をよこせとか勘合貿易復活とかのがメインだろ
朝鮮なんぞどうでも良かったけど攻め取った分寄越せって話だろ
欲しいかどうかと、講和条件とは違うと思うけどね
189 :
名無し三等兵:2011/05/30(月) 17:27:02.41 ID:LtmynMaV
うは、まだ「お姫様」かよこの死に損ないの猿が。
いや、普通の人なら選択肢の一つだが、色基地で有名な人なんでつい。
>>168 それよりは10〜20年くらいかけても外洋遠征可能な海軍を作って直接明本土を狙った方がいいと思うけど、
当時の秀吉もそこまで長生きできるとは思ってないか
少なくとも極東のイスパニアを目指すくらいなら、大それた望みとは言えんだろ?
スペインが大帝国っつても、火薬も鉄器も知らないようなインディアン相手に
ペスト菌撒き散らしながら虐殺やって植民地広げてただけだからなあ
ユーラシアの文明国相手の大規模長期外洋渡航作戦は16世紀においては非常に難しい事業だ
仮に当時のスペインが日本の位置にあったとして秀吉の代わりにフェリペが出兵したとしても
秀吉以上に悲惨な結果に終わった可能性の方が高いと思うよ
>>192 そもそもイスパニア自体がヨーロッパからみたらアラブ人とラテン人の混血の2級民族だからな
スペインは一応ベルベル人の末裔だろ
支配階級はアラブと混血したけど
安宅船じゃガレオン船に対抗できないだろ日本でも文禄の役の20年後にガレオン船作ったつってもそれは
スペイン人の助けを借りての話、九州攻めのときガレオン船を売ってくれと頼んだが日本の海外進出を
恐れたスペインは売ってくれなかった海外進出を諦めない限り建造に協力はしてくれないだろう
そこはスペインと仲の悪い欧州の国、例えばオランダ英国あたりを利用するとか
16世紀じゃ倭寇が朱印船でよくスペインのガレオン襲ってたし大丈夫だろ
欧州が海に出た理由は明らかだ。
アラブの存在があったからだよ
中東のイスラム帝国を抑える事ができなかったから、欧州は陸ではなく海を目指すしかなかったのだ
新大陸の発見やインドの混乱に乗じての植民地化の成功で、長く世界の主導権を握ったのはその後の話であり
大航海時代以前はイスラム勢力の方が優勢だった
ジャンク船なら数揃えればいけるかもな
倭寇と一言に言うが。
彼らは「俺は倭寇だ!」何て言って海賊行為を繰り返していたわけではない。
有名な北欧のヴァイキングにしても、収益の98%は交易で得ていたように
倭寇も収益の大部分は、通常の交易で得ていた。つまり貿易商だったと考えてよいよ
ただ、取引が上手くいか無かったときとか、それなら腕ずくで決めてやる
なんてことになったりしたし。
何かの理由で商売が上手くいかなかったときは、手ぶらで戻るわけにはいかないから、それならぶんどってやる
とか、そんなことをやっていただけだ。
ま、要するに交易のための船か、倭寇かは、かなり曖昧だったのだろう
朱印船貿易が続いたのだって、結局、その程度でしか倭寇か否かの区別はつけられなかったわけだ
ジャンクでガレオンに追いつけるのかが問題
マスケット銃を簡単にコピーされてガレオン船を売却するのを恐れたんだろ
>>196 オランダはスペインの属国だしノルマン朝イングランド王家などスペインパプスブルグ家から見たら格下
そのころのオランダはスペインに反乱を起こして戦闘中だったから属国というのは語弊がある
まあ朝鮮出兵が終わるころになんとかインドネシア本国間の往復に成功したとかいう様なので
朝鮮出兵に絡むのは無理だけどイギリスはさらに遅れて1601年に初めて東アジアへの貿易船を
出すありさまなのでこっちも無理
>>203 独立戦争はとっくに始まってる
実質は別の国
206 :
名無し三等兵:2011/05/31(火) 06:57:29.23 ID:so6lIqnx
明ー清の切り替わり辺りの時期だと
朝鮮に援兵だせなかったが
そんなこと秀吉には解らず、寿命も無い
>>206 逆だろ秀吉の朝鮮出征がなければ明が急速に国力を落として滅びることもない
足利義満は南北朝動乱を鎮めたあと元を北方へ追い払い建国間もない明と貿易をし国力増進と有力守護の粛清とで幕府を安定させたが
当時は高麗が滅亡し李朝が台頭してくる朝鮮半島内乱期
有力守護を粛清するより朝鮮出征を命じて国内の不満のガス抜きと有力守護の減衰と新領土獲得を考えれば良かったんだ
明の周辺諸国と協調して倒すって手段はなかったのかね
後知恵で言えば女真族の酋長であるヌルハチに親書を送り明朝鮮を共同で攻めれば良かったんだな
女真族が反乱を起こして明の援軍到着を妨害し秀吉が朝鮮を平定
その間にヌルハチは満州の諸族を統一し秀吉と共同で山海関を攻める
でどっちが中華皇帝になるんだ?
満洲蒙古華北をヌルハチに与え大名とする
>>200 当時の冊封体制の国では自由貿易が違法だったから、
そうした国々相手に貿易しようと思ったら必然的に法の外に出ざるを得ない事情も、
海賊的イメージを強めていったんだろうな
倭寇を取り締まりせず国策として倭寇を推奨し沿岸部を侵食していく戦略がいい
日本版キャプテンドレークみたいなの育成すべき
各水軍はもともと海賊衆なんだし素養はある
つまり和冦を私掠船とする訳かな?
上にも書いてある通り、明は海禁策を敷いており、交易船=和冦ってことも多かったけど。
海賊禁止令の意味がなくならね?海上も含めた私戦禁止による公権力の
暴力独占=日本の最高権力者の構図を崩しかねんし、倭寇のケツもち
してた諸大名に財力つけさせる結果になりかねんが・・
あと、当時のシルバーラッシュと倭寇についての考察も求む
取り締まらないと九州の大名が裕福になって天下統一が乱れる
野放図に倭寇奨励は政策放棄だけど政府管理で倭寇奨励はありだと思う
各大名から水軍を切り離し日本海軍を創設
私掠船の取り締まりをすると同時に東支那海日本海で臨険を行い
日本政府の朱印船以外支那南蛮琉球朝鮮の交易船をも拿捕する
もちろんガレオン船すら拿捕出来る性能の艦船の開発
私掠船って、世界的には日本でいう
ちょうど西南戦争の頃まで存在していたんだな。
機帆艦船での海賊船ってどんなものだんだよwと考えてしまうw
海賊戦艦ktkr
>>220 >もちろんガレオン船すら拿捕出来る性能の艦船の開発
それってどんな船だもしかして朝鮮人の脳内亀甲船みたいな
>>223 当時のシャム船のようなジャンクと西洋帆船の折衷船なら
フツーにガレオンを捕捉できて戦闘の際の運動性はずっと
上だろ。
海禁策がとられなかったら、それベースで日本船独自の
方形船首楼を持つ日本前の艦隊が整備されたんじゃねーの。
意外に思うだろうけれど、東洋ではガレオンを中心としたイスパニアが、軽快なガレオットを使うオランダに負けている。
このガレオットは、オールも備えた帆船とガレー船の中間的な船で、性能的には上の人が書いた、改造ジャンクや朱印船に近い。
実際に国姓爺こと鄭成功は、ジャンクの中ほどに砲甲板を設けることで、ガレオットに近いものを作ったし、オランダを台湾から追い出している。
台湾って西洋の植民地にでもなったん?
台湾は近代になり日本が開発するまでは野蛮な原住民が巣くう未開の毒虫毒蛇熱病の島で明確な支配者は不在
江戸時代初期にはオランダが極東貿易の中継地として一部の港湾適地周辺を占領していた
平野部の密林を切り開き湿地を埋め立て河川の治水と潅漑施設を整備したら亜熱帯気候で4毛作が出来る台湾のポテンシャルは高い
火山灰で米作が困難な島津や東北のヤマセに悩まされる伊達からみたら意外に垂涎の開拓地かもw
台湾全島を開拓したら300万石くらいは簡単に行くだろし
>>227 ガレオンは向かい風航行能力、波浪などに対する渡航性能、砲戦能力、居住性など遠洋航海に優れた船だが
貨物積載能力や航行速度や無風航行能力は他の船種に劣る面もある
海軍主力艦隊とすれば当然後の戦列艦の様に単縦陣で両舷の大口径砲による砲撃戦で勝利すべき
この戦術が可能なのはガレオンだけ
まぁ、現実問題としては国外で火遊びするより
国内でしっかり腰をすえて国土開発したほうが良いわな
>>232 いやあの時に台湾開拓に乗り出していれば将来、日韓併合、満州開拓などバカな事業に行かないで済む貴重な教訓になるw
俺が秀吉なら台湾にキリシタン大名を国替えして現地での信教の自由と交易活動を保障する代わりに開発させるな
キリシタン大名の持つ内地の知行地は他の大名の恩賞に使えるし
開発に大量の人手がいるため日本人奴隷輸出とかも必然的に無くなるし一石三鳥だ
しかし朝鮮や台湾が不毛だとか肥沃だとか、
住民の抵抗がどの程度なのか実際出兵してみないと
解らない面が多々ある
台湾が織豊時代に日本の支配下になり開拓が行われていたら
内地から台湾へは台湾の気候風土で醸造が難しい味噌(醤油)酒干物など発酵食品や保存食品、通貨用の銅銭銀銭や工芸品
台湾から内地へは余剰米や果実の他に綿花や麻などの繊維原料、漢方薬や南蛮工芸品など交易渡来品
西国を中心にキリシタンと浪人など百万の台湾移民は実現可能一大消費地穀物生産地となり内地の政情は安定する
それまでに必要な投資と時間と人員はどこから工面するの
>>232 ここでも『遠距離航海用』と『近海防衛用』の違いが出てくるんだよ。
マニラ・ガレオンに代表されるように、スペインは大西洋を隔てて南米から、時にはフィリピンより太平洋を横断し、さらに南米から物資を運ばねばならなかった。
ガレオン船は優れた船だけれど、局地戦に特化したガレオットに、汎用のガレオンでは勝てなかったんだよ。
逆に言えば、イギリスなんかは、ガレオン船や戦列艦なくして世界帝国は作れなかったろう。
ただしそこまで補給線が伸びてからの話だ。
この時代は輸送力も大したことなかったし
西洋とてインドにせよ中国にせよ内陸に文明のある国を侵略出来なかった
せいぜい石器人達を追い立てるのが関の山
それを可能にするには産業革命での蒸気機関を待たなくてはならなかった
豊臣政権が継続し海外進出拡大政策をし江戸幕府みたいな鎖国政策の実質的にゼロ成長社会でなければ国内に炭鉱もある日本で産業革命が興っても不思議はない
日本の造船って基本的に箱型船体方形横帆で遣隋使船時代から朱印船まで羅針盤を除きイノベーションされてない
西洋は地中海の三角縦帆船と北海の方形横帆が融合したカラックが誕生しガレオンに発展したガレオットなどは派生船型
もし徳川政権が鎖国せずに海外権益確保に邁進していたら
台湾やフィリピンは日本の勢力圏に収まっていた可能性は高いな
その過程で西欧との小競り合いもあろうし、造船技術も進歩しただろう
日本が鎖国しなければ日本商船による日墨航路が活発になりハワイなど北太平洋の島々の発見や保護領化は進んだだろうね
>>237 数百年かけて現地調達だろ。
大名の領地なんだから
朝鮮が鎖国をしなかったら東南アジアと太平洋諸島は
朝鮮の支配下にはいってただろうな
日本よりも強力なアジア最強水軍を保有していたんだから
明が属国にお怒りのようです。
>> 245
釣り針がデカすぎる、0点
>>244 それは不可能
最初というか、それ以降もかなりの量を持ち出す必要がある
そして利益が出るまでの損失も感受しなければならない
いっそ天領にするか
蝦夷と一緒で完全放置になるな
>>242 幕府は鎖国の際に鎖国した場合オランダが他のヨーロッパ商船から入らなくなる商品を十分肩代わりできるのか
心配してるし欧州勢に喧嘩を売ることはないんじゃないかね硝石などの軍需品も輸入してたみたいだし
日本と中国は何故停滞したのか、また何故鎖国したのか
日中が産業革命を起こせる要素はあったのか
なぜ日本は急速に近代化出来たのか
これらは欧米の歴史学者も文明史や人類史全般を扱った
書籍でよく扱うトピックだ
朝鮮が欧米でどう思われてるのかは知らんが
>>248 大和川付け替えくらいの天下普請を台湾で出来るなら話は別だけどね
>>252 中国では産業革命は起きないよ
国土も人口も資源も恵まれてるからね
>>253 大和川付け替えは天下普請か?
中国での旧式の技術を使用しただけの普請だぞ。
普請で難しかった箇所は、浅香山での川筋迂回だけだったと思うが。
因みに大和川付け替えの結果、堺港に砂が溜まって、
堺の繁栄が凋落する直接の原因になったわけだが。
江戸期の日本は労働力がだぶついていた
西欧だと器械にやらせる作業もわざわざ人力を使ってやっていた
台湾に送る人間の頭数には困らないだろ
>>248 近代の概念で考えてないか?
貧弱な土地でも一定量の収穫は上がるんだから税収は確保できるだろ
ましてや統治者の能力が違いすぎる
>>255 諸大名に分担負役をさせたんだから技法は関係なく天下普請になるだろうな
それと堺が凋落したのは鎖国により海外交易が禁止されたのと
国内航路も諸大名をはじめ商人も大都市大坂京都に直接海運するようになり
渡辺や木津や難波や伏見の各湊が賑わい消費地から距離のある堺が敬遠されたため
台湾に国替えされたら旧領国からかなりの移民を連れて行くので開発は一気に進むだろ
琉球台湾を琉球 台前(北) 台中 台後(南) 台東 澎湖と分けて大小6藩を置く
>>259 いや堺は秀吉が大坂城を築城した時に
堺の商人を全部船場に移転させた時点から没落した
大和川なんか全然関係ない
>>260 国替えで領民ってどの程度連れてけるもんなのかね当面自分が食わせていってやらにゃいかんわけだし
職人を連れて行った話は聞くけど商人や農民を連れて行った例ってあるの?
商人は連れて行っても現地の流通網も何も持ってないから連れて行っても使えるのか怪しいもんだし
農民はそもそも連れて行っていいもんなのか?
福島正則あたりを台湾にとばして
原住民の抵抗を押さえつける
内地からは職のない浪人共を連れて来て屯田兵にさせる
怖いのは風土病
屯田兵も最初の何年かは収穫がないわけでその後も土地にあった農法を発見するまで
はたいした収穫も入らんだろうし大名に任せる場合は
本土の領地からの収入で細々と開発するしかないと思うんだけど
非効率でも朝鮮人の収穫もあるんだから食っていけないことはないだろ
本土並の兵力の維持は絶対無理だが
10万人分の食料生産能力があれば10万人まで人が増えるだろ
そこに2万の兵士がやってきたら飢えるに決まってるだろうが
人を減らすか外部から食料持ち込まないといけない
李王朝のテキトーな収奪が無くなるだけで10万辺2万やそこら余剰出るだろう
というか2万も常備兵力維持する意味がわからないが
先ずはアフリカから除虫菊を導入しないと水田なんかやったらマラリアで全滅する
北は蚊生き残れるのか?w
テキトーな収奪も誰かが食べてる
外に持って出るか腐らせてない限り
×台湾の話をしてるんだが
○ボクの考えた最強の台湾の話をしてるんだが
>>267 農耕による余剰生産が富を産み富が力の源泉となり階級社会を成立させて文明を興して来た人類史を全面否定するとはw
穀物生産高まで農耕生産階級人口が増加し僅かな支配階級や兵士すら養えず常に飢餓に瀕していると言うその理論だとメソポタミアもエジプトも文明にはなりえない
農耕社会いや人類史そのものを否定した近年稀に見る希有なおバカレスご馳走様でしたw
>>271 中世の基本として
農業生産=税収=予算だろ
人足の給与も米だし
>>274 逆にいうと、文明が発生しない所の文明化にはそれなりの余剰の発生が必要になる訳で。
トンでもない量の持ち出しか、逆に収奪を強めるかの二択な訳。
それをまったくの余所者である日本の大名がやるんだから、もはやそれ恩賞じゃないです。
台湾道楽やるんだったら、直轄地にして三成とかがやれば〜?
>>276 たからお前さん近代以降と混同し過ぎ
東北地方なんてその理論が本当なら明治まで自給自足出来ないことになるだろ
農耕していた東北と狩猟採取してる台湾を同一視かw
確かに曲がりなりにも農耕していた朝鮮の場合は別とし、台湾はまともな農耕がなされていないのだから
当時世界一の農耕技術集団である日本農民が農耕生産にあたれば
開墾に1年を要したとしても2年目からは恵まれた亜熱帯モンスーン気候の下に1haあたりは内地以上の収穫を得ただろう
>>276 文明が未発達な場合は往々にして食料生産力が低いままなために人口が少ない
つまり移民を受け入れる未開の土地があり生産力が飛躍的に上昇する可能性が高い
鄭成功が明の再興を賭けて台湾にて清と戦っている際
日本への援軍の求めた事がある
その際、徳川幕府側も一時期本気になり、かなり具体的な議論をやったそうだが
明の状況が知れるに従ってその勢いも衰えたそうだ。
鄭成功としては、朝鮮の役で二十万の大軍を送り込んだ日本の支援があれば清に対抗できると考えたのかも知れないが
当時の徳川幕府としては、朝鮮の役など無理な事をして衰退した豊臣の愚を冒したくはなかったようだな
秀吉の時と違い孤独な戦いじゃなく現地軍の協力を得てるし
意外と上手くいってたかもしれんよ
日本は昔から近隣国と連合軍を組むことしないけどさ
>>280 将軍や幕閣は南明への援軍派兵に乗り気だったが
実際の派兵を負う親藩以下諸大名は大反対
その中で派兵論を推進していた重臣が相次いで死に援軍は派遣されずじまい
大船禁止と鎖国完成後に台湾に逃れた鄭成功からの呼び掛けには軍船舶不足から応じることも出来なかった
鄭成功は日本人なんだから自国民保護を理由に台湾派兵しても清は黙認しただろう
その清と戦う為の派遣要請だし、実際に鄭成功は南京に侵攻しているよ?
>>276 ブラジル移民なども純民間で大した持ち出し無しで移民し開墾してるよ
反復継続した支援は不要
朝鮮の役は、もちろん初期の目的を達成できなかった以上は敗北には間違いないのだが。
もし成功したと言えるとしたら、最大の点は日本の国力を周辺諸国に示した事だがな。
一時期、オランダと対立が激化した事もあったが、オランダ側も、二十万の戦力を朝鮮半島に送ったその国力を高くい評価していて
日本との戦争の回避に動いた。
鄭成功が日本に援軍を求めたのだって、日本の国力・軍事力に高い評価があったからだ。
毛沢東が、朝鮮戦争に参戦したのは、中国の国力を示し国際的な発言力の確保が目的だったとされている。
その点は朝鮮の役での日本は達成できたのだから。
もっと強い態度で外交に望んでもよかったかも知れないが。
ま、日本人ってのは、昔から外交は下手ってことで・・・。
ブラジル移民は初めの内はコーヒー農園に雇われてたんだけど
>>286 政府公募南米日系移民は耕作地を現地政府が提供する形
しかし与えられた耕作地の潅漑施設が未整備で止むなく耕作放棄した人が
プランテーション農場で止むなく労働していただけ
出稼ぎみたいな生活条件で移民するわけないやん
>>289 あれは実質日本一国で孤軍奮闘だろ
主要な百済軍は壊滅してたんだから
白村江の戦い
百済再興政府の支援の為に阿部比羅夫を征新羅大将軍に任じて官軍主力をもって遠征するも
百済再興政府は既に瓦解しており更に唐軍主力の待ち伏せにあい壊滅的損害を被る
百済再興政府の残党は日本と高句麗に散り散りになり亡命する
朝鮮の役と白村江、どちらも
中央集権国家VS豪族連合軍ってな感じでねえか
>>288 日本人のブラジル移住の始まりはコーヒー農園の労働力不足解消のためにブラジル側から持ちかけてきたものなんだが
まあ移民の条件は詐欺みたいなもんだったようだけど
日系はジャングルを切り開いたからな
日本人は戦争のような臨機応変な対応は苦手だが
粘り強く目の前の目標を達成するのは得意だ
阿部比羅夫は越の国の豪族出身
出羽や陸奥だけでなく北海道から樺太を征伐し黒龍江流域までも遠征
そんな名将をもってしても惨敗とは無念だね
小西が宗が訳が分からない外交をやったから
グダグダになったんだろ。
今も昔も、外交官は売国奴
秀吉に朝貢しろなんて明が受け入れるわけないじゃないですか
中原の漢人王朝はたびたび北方異民族王朝に朝貢し平和を買ってる
秀吉が先鋒を小西や宗など非戦派を当てず福島加藤ら主戦派を起用し
安易に休戦計略などに陥らず攻勢を強めていれば明から折れることはあっただろ
明は朝鮮八道の内京畿道江原道以南の五道を日本、平安道黄海道咸鏡道の三道を明とし
近上天皇を日本帝国皇帝、秀吉を日本国王とし日本を弟明を兄とし
兄が弟に毎年慶賀の使節に対して一定の財宝を贈る事で手打ちにしただろ
明は平安道黄海道を廃止し明の楽浪郡を平壌に置き漢人を大守にして直接統治し
朝鮮王国は廃止し咸鏡道に朝鮮郡を置き旧朝鮮王を郡王にしここを統治させる
>>299 元々偉かったから、名目上だけでも子分のフリしてプライドの切り売りする事に抵抗感の薄かった義満と違って、
秀吉やナポレオンみたいな成り上がりはプライドが肥大化しがちだから、
名目上だけでも子分のフリ(しかも相手は非日本人)をするのは無理なんじゃないかな
派遣やめたのって鄭成功の父親が裏切ったからじゃなかったっけ?
それもあるが、名目上は日本を格下扱いするような文面について、異議を唱える形になっている。
これが単なる断る口実だったのか、日本という国の覇権と尊厳を認めさせる為だったかは未知数。
実際に海外出兵するとしても、本気で遠征するのではなく、国内の不平分子を使い捨ての傭兵として差し出すだけでも良い訳だし、幕府にはそうした思惑もあった。
> それもあるが、名目上は日本を格下扱いするような文面について、異議を唱える形になっている。
それどんな内容だったわけ?
浪人が一杯いたわけだからメリットはあったんだろうけど難しい所だね
一応台湾征討で鄭成功が雇った日本人浪人は黙認したな
>>274 小難しいこと考えすぎ
食料生産能力=人口の上限なわけで
兵士だけ外から持ってきたら飢えるだろ
>>306 発想力が小学生以下だな
域内食料生産能力=域内人口の上限
そうすると離島や砂漠地帯や寒帯以北の人口は限り無く少数になる
現実は離島や砂漠地帯や寒帯以北には食料生産能力以上の人口がいる答えは交易や略奪
対馬と朝鮮、蝦夷と松前藩、蒙古と支那、北欧と中欧、北朝鮮と韓国みなそう
米はカロリー高くて人口を支えるのにはいいんだけど手間がかかりすぎて
専業軍人は難しかったんだろうね。
>>300 確か「メシ→金→権力→権威」みたく、平均的な人間の欲求はそうした段階を踏むって論があったね。
>>308 農業してみろ田んぼの方が畑より百倍楽だよ
>>303 むかし月刊『歴史群像』で読んだ内容のうろ覚えだから、はっきり覚えてないが、重箱の隅をつつくような言いがかりだった。
おれ個人の印象では断る口実か、情勢を見極めるまでの時間稼ぎだったと考えている。
秀吉が朝鮮の人口を激減させて、
後顧の憂いを取り除いたからこそ鎖国ができたのだとおもう。
にしても、朝鮮の前にもっと北に進んで北海道樺太千島を日本の領土に確定させて、
北の海産物などを手に入れておいて欲しかった。
そして、二回目の朝鮮侵攻のかわりに、沖縄台湾に侵攻してフィリピンを睨んで欲しかったな。
だからそんなことするより、国内開発するほうが割が良い
>>313 征夷大将軍阿部比羅夫は東北から北海道も千島も樺太も平定しアムール川流域まで征伐し従わせた
>>316 最近の軍板住人は記紀も読んでないのか?情けない
>>307 日本が朝鮮に攻め込んで
攻め込んだ兵士分の食料を調達するには
日本から持ってくるか
朝鮮の兵士や支配層を殺害しない限り
飢えるってはなしだけど
理解してるか?
最近はゆとり教育で越国阿部引田臣比羅夫の粛慎討伐も知らないのかw
こんな日本人なら誰しも知る常識を知らないのはチョンかゆとりくらいだろ
俺なら恥ずかしくてソースとか言えないわ
古文が難しいなら火の鳥でも読み直せばいいかもなw
>>318 名護屋から釜山に何を主に運んだか知らないとしか…もしかしてニワカ?
朝鮮半島を占領したとしても
朝鮮半島の生産力では
中国に攻め込むだけの軍隊を維持できない
それは日本から物資を送りこみ続けないといけないこと意味する
朝鮮+中国のどの部分まで占領すれば日本からの持ち出しをなくす
ことができるであろうか?
>>321 ンなの簡単だよ
朝鮮半島や遼寧や山海関は無視して済州島を中継地に占領して淮水や揚子江地域に攻め入ればOK
>>318 それは朝鮮じゃなくてもし台湾に植民しようとしたらって話で出てきたくだりなんだけど
まあどっちでもいいけど
>>320 国内の北条攻めですら補給が足りなかったけど?
>>317 粛慎って北海道に居たのだろ。
大陸じゃねえよ。
326 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 01:53:36.67 ID:xUC+fI3T
>>320 >>324が正しい。
名護屋から釜山に運んだ食糧は各城の「置兵糧」と用途がはっきり指定されてる。
だから野戦軍は完全に現地調達した。
しかも置兵糧としても不足してた。
旧紀雑録後編3のP186を読めばいい。
正月9日の書状で、義弘本人がしっかり現地調達したので
篭城になっても心配ないと述べてる。
両朝平攘録でも、四川の旧城に達した明軍が、
稲刈りしてる日本兵を見たと述べてる。
「及明、我兵大衆至。倭方四散、槍刈禾稻。見我兵、皆棄禾奔散城内。」
そもそもクレフェルトが補給戦で証明してるとおり、
当時の軍隊は世界的に現地調達が基本。
日本史学者はバカで嘘つきだから信用しないほうがいい。
敵に稲刈りしてるとこを見られる日本兵なんかはずかしい
基本的な戦術だよ。
篭城しにくいよう事前に周辺の米を減らしたり、ぬ敵を挑発して誘い出したい時に敢えて少数の兵士を送って稲刈りさせたり、
敵国の外縁部の村を弱体化させる為、数年のあいだ定期的に青田刈をさせたり。
この時は稲の根まで抜いてやると、地力が落ちるからよかんべ、と雑兵物語にも書いてある。一兵卒にまでその意義が知られる
非常にポピュラーな戦術だ。
食料なんてなくても人間食べればいいじゃない
それなんてレニングラード
>>328 >篭城しにくいよう事前に周辺の米を減らしたり
いや、ここでは篭城する側がやってるんで・・・
文禄の役当初は現地調達などしていない
現地調達しないから日本軍は各地で解放軍として歓迎されてる
その後戦線膠着と義勇兵のゲリラ戦に補給が苦しめられた
その後兵糧補給に責任のある奉行衆が日明講和や現地調達を始める
後に武闘派と文治派で豊臣系譜代大名が反目する原因
あと小田原の役や九州征伐での兵糧不足も資料が示す内容は局地的で全体としては不足には至っていない
そもそも常識で考えて25万人前後が現地調達出来ることなど当時の域内生産からあり得ない
古代から中世に掛けて遠征軍の規模が実体上10万人を超す大軍になかなかならないのは補給を現地調達に頼るからだ
過去の伝記などでウン十万や百万と言われた大軍はみな誇大伝聞に過ぎない
また十万人規模の大軍もその半数は補給線維持の非戦闘部隊や後方警備部隊であり
真の前線戦闘部隊のみがわずかに現地調達する程度しか現地食料生産力はないのが現実だ
>>333 はっきり文献に残された事実なんだから、いい加減に諦めろよ。
ナポレオン当時に補給についての計算結果が出ている。
仮に荷重1tの馬車を一人の御者が動かしたとして、十日離れた街まで補給物資を送って帰るには、700kgの食料と馬草が必要とのこと。
船舶なら効率は10倍から30倍に跳ね上がるが、日本から朝鮮間の距離と、多数の漕ぎ手を必要とする当時の船では意味がない。
史実でも計算でも不可能と分かっている。
戦争にロマンを感じたとしても、精査すれば、そこに横たわるのは徹底的なリアリズムなんだ。
日本を不当に貶めるのも、逆に美化するのも同じくらい間違ってるし、そこに自分のアイデンティティを求めるのは馬鹿げている。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は、Jリーグやフィギュアスケートの代償ではないし、李舜臣はキム・ヨナではない。
当時の日本軍は半数が非戦闘員で、その小荷駄(補給隊)の運ぶ荷物は、およそ七割が自分たちが食べる食料で占められている。
スイス傭兵にしてもドイツ傭兵にしても、戦闘部隊と同数か、それ以上の民間人が酒保として帯同する状態だった。
秀吉の唐入りでは、後方から必死に補給を送り出し、前線でも徴発して何とかやりくりしていたのが事実。
「初期は略奪を控えた」などとは、ナポレオンやヒトラーのロシア遠征でも、言われていたことだ。
>>252 中国は豊かだったからなんか経済発展に消極的だしなぁ。
皇帝が我が国には何でもある。欲しい物を持ってゆけ。だし。
陶磁器は量産してたみたいだけど他知らんなぁ。
庶民が字を読めないから発展できないわ。
日本の鎖国はカトリックから逃げたんだわ。侵略の走狗で邪宗門だもんなぁ。ww
産業に関したら、問屋制家内工業、工場制手工業まで達してたから、
ヨーロッパに比べてもそれほど遅れてないかな。日本より遅れてる国もあったろう。
科学技術の分野も蘭学で最先端を理解してる日本人は多かったし。
経済は産業革命直前のヨーロッパと同等で庶民の教育レベルは欧米より高かった。
急速な近代化というより枷を外されたという方が正しそう。
たんぼが楽になったのって水稲農林1号からなんじゃ?
当時農薬もないしトラクターもないんだよ。
<田植え>
一番鋤き、二番鋤き、くれ返し、鋤きかけ、鋤き戻しetc・・・
馬の骨買って焼いて砕いて臼でひく、木炭と人糞を混ぜる
それを素足で「ぎったぎった」と混ぜ合わせる
苗の一株の根を肥桶に一回一回浸けて含ませ、それが落ちないように
握り固め、そのような団子が付いた苗を田船の中に揃える
それが田船にいっぱいになったら田んぼ這うように入っていって田植え
手足は肥負けして”穴股腐れ”など普通のことじゃった・・・
石牟礼道子
「西南役伝説」
340 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 12:21:52.43 ID:wZH4Gj3/
>>333 >その後戦線膠着と義勇兵のゲリラ戦に補給が苦しめられた
現実は以下のとおり。
「釜山海之御兵糧も、山坂に而御座候間、五日路、六日路、
道中届かね可申候哉、川ニ付而船ニ而のほせ申候儀も、
今之つなきの御人数にては難届候由申候」
このとおり、距離が離れていること、人手がないことの2つしか述べられていない。
ゲリラに邪魔されたというのは史料的根拠のない妄想。
341 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 12:29:42.85 ID:wZH4Gj3/
日本史学者の思考回路は以下のとおり。
@近世的兵站体制の下では、蔵入地から一括供給していた!
Aでも唐入りでは現地調達しているぞ?
Bピコーン)ゲリラに補給線を寸断されたに違いない!
実際には邪魔されるような補給線自体が無かった。
朝鮮は貧しく人口が少ないので、
現地に食糧と輸送手段を依存していた当時の軍隊は
必然的に困ったってだけ。
そもそも@自体が何の根拠も無い妄想である上、
君主の直轄地だけで大軍を養うって発想がバカらしい。
そんな気前のいい奴なんていないし、不可能。
近世日本史学者は、高木昭作以下、間抜け揃いだよ。
近世兵站論の根拠になってる「日本近世国家史の研究」1990年代に発表されたけど、
参考文献には、1980年に初版が出た「補給戦」など影も形もない。
驚くべきことに、日本史学者は「補給戦」を知らないんだよ。
不勉強の極み。
孫子の兵法書にも食料は現地で調達しろって書いてあるしな
近代以前の現地調達は善悪の問題じゃなくってむしろ戦争のいろはってか常識だろ
>>336 実は人の食料よりやっかいなのが馬の秣だよね
駄馬の他に武者の馬とよく食べるからな
軍需物資から見た戦国合戦 盛本昌広 洋泉社
によると当時の軍事行動では大量の木・竹が必要になる
米を持ってきても薪類はどうしても現地調達になるわけで
万単位の人員が活動すると地元にどうしても大きな打撃を与える
現在でもアフリカ等の難民キャンプで食糧は国連配給で凌げても
煮炊き用の薪の伐採で避難先とトラブルになる件は多数ある
当初、食糧略奪がなかったとしてもいずれ重大な問題は発生しただろう
・・まさか薪も日本から運んできたという奴はおらんやろな
>>329 支那人みたいなことは日本人はしない
籠城したら子供を交換するらしい
>>336 日露・奉天戦での日本陸軍の歩兵銃数の占める割合は、出征部隊兵科人員の52.4%(189,869/469,499)、
出征部隊人員の49.8%(189,869/494,014)。
『戦役統計』より。
動員総員は664,985。
時代が下っても、後方に必要な人員は想像以上に多い。
348 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 14:20:15.12 ID:wZH4Gj3/
>>344 信長も現地調達してたに決まっとるわ。
秀吉だって現地調達してるんだから。
信長が違うのは銭を持ってたから、
単なる略奪以上のことも時々、できたってだけ。
金を払えば食料品も素直に出すから手間が省ける。
食料の出所はどっちみち敵地。
盛本昌広も含めて根本的に間違ってるのが、近世になると
現地調達しなくなるって幻想なんだよ。
実際には唐入りで秀吉がはっきり現地調達してる。
それなのに学者はそれを「稚拙」「後退」「独善的」と言う。
自分たちの定説と矛盾するからね。
定説じゃなくて現実のほうが間違ってる、
現実の近世は「近世的」じゃないってわけ。わけわからん。
中世攻城戦で秀逸なのは羽柴秀長の因幡鳥取城攻め
これからは誰得戦争と呼ぼう
明らかに女真族は得してるだろ
一番得をしたのは内府殿でしょ
たしかに清は得したかもな
日本との戦いで明の連隊長クラスが沢山戦死したし
その後のサルフの戦いでの統率の乱れの原因になったとも言える
信じられんことに、日本軍が女真を攻撃してしまったため、女真側から李氏朝鮮に共闘の呼びかけがあった。
(日本おおポカ!)
朝鮮はこれを拒否しているが、属国の立場では難しいところだろう……もっと狡猾に立ち回ることも出来たろうに。
逆に日本側が女真と共闘する、という考えもあろうが、実は明軍にも女真族の兵士や武将がかなり存在した。
実は朝鮮への援軍がそうだった、騎馬民族に対抗するには騎馬民族、騎兵が多かったのはそのため。
反清復明という言葉で、単純に割り切れるほど反目している訳ではないのが、明と清(女真)とのややこしいところだ。
当時女真族は内戦中だったしな
360 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 22:10:38.88 ID:wZH4Gj3/
>>357 クレフェルトを読んでるのに全然理解してない奴がいる。
>>後金のように、ほぼ一撃で朝鮮を屈服しない限り、勝機は無かったかも
>確かにそうなんでしょうね。あのナポレオンでさえ、兵站上の問題を解決するのは容易でなかったことを見れば、彼のように常に野戦で敵主力を撃滅出来ぬ限り、明・李氏朝鮮軍に勝利出来なかったかも知れませんな。
ナポレオンが包囲戦をやらずにすんだのは、
要塞を包囲しつつ、前進する兵力を捻出することができたから。
だから敵にしても篭城する意味が無くなった。
数十万のフランス軍あってのこと。
近世の10数万の軍隊では全く不足。
>>日本の軍事水準が戦術・兵站などあらゆる面で未熟だった。
>最も16〜17世紀の欧州戦役でさえ、常に軍の移動を続け、現地調達をしなければ、飢餓に陥ってしまう深刻な事態になっていたようです。
>そういった理由もありまして、16〜17世紀の欧州戦役は、基本的に包囲戦が殆ど採用されることは無かったようです。
全く逆。包囲戦やりまくりだった。そして常に中途半端に終った。
有利な和平を結ぶだけで終った。
一国の主力が要塞にある間は、
ナポレオンが繰り返したように敵を「殲滅」することは不可能だった。
日本軍が朝鮮で苦労したのは、
ナポレオンがロシアで苦労したのと全く同じこと。
ナポレオンの場合は少なくとも、
モスクワに近づくにつれて補給状況は改善されたが、
朝鮮は北進すればするだけますます貧しくなった。
361 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 22:18:49.38 ID:wZH4Gj3/
三路の戦いで明軍は20万を投入したが、
せいぜい一万が篭るだけの倭城はビクともしなかった。
当時この手の要塞を落とすには、7:1もの数的優勢が必要とされた。
日本軍ですら第一次晋州城の戦いでは失敗してる。
ナポレオンなら三城を包囲しながら釜山まで突進できたが、
最大で20万しかいない明軍にはできなかった。
城に篭るのは防衛側の基本だし、攻撃側もこれを包囲するだけで手一杯。
16〜17世紀の戦争は>包囲戦が殆ど採用されることは無かった
どころか要塞とその周辺が主な舞台だった。
362 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 22:28:25.15 ID:wZH4Gj3/
>>358 ttp://mltr.ganriki.net/faq22h02.html >そしてまた,現地での略奪調達方式しか頭になかった明軍には,
>日本軍が食糧のほとんどを日本から海路運んでいるなんて信じられなかったのさ(笑).
>って、おれも旧日本陸軍の「朝鮮戦役」で初めて知ったんだけどな
史料的根拠が全くない妄想。
旧日本陸軍は軍事知識は有る代わりに、史料批判精神が欠如している。
日本史学者は、史料漁りはできるが、軍事知識は一切ないから
バカなことばかり言う。
実際には秀吉が供給したのは各城の「置兵糧」だけ。
しかも置兵糧としても不足してた。
日本軍も基本的に現地調達してた。
>>326で証拠の史料を挙げたとおり。
363 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 23:02:16.45 ID:wZH4Gj3/
秀吉にミスがあったとすれば、侵攻ルートの選択を誤ったこと。
朝鮮を過ぎてもその先には同じくらい不毛な満州があるだけで、
近世の10数万陸軍がこれらの地域を通過するのは無理。
実際には慶長の役では、南部キープAND定期的に再侵攻を繰り返して
明の消耗を待つ、という策に転換している。
秀吉は現実にちゃんと対応している。
364 :
名無し三等兵:2011/06/04(土) 23:06:58.29 ID:wZH4Gj3/
あと、聞きたいんだけど
>最新の歴史群像でも,海上補給の点から朝鮮出兵を書いた記事が掲載されている.
海上補給の使い方間違ってない?
海上補給って、補給艦で海上の艦艇に補給することでしょ?
これはただの海上輸送じゃないのかな。
やはり南進策の方がよかったかもしれんね
台湾に軍港を置いてそこを拠点に南京から北京に北上
準備に最低でも十年は要るだろう
戦争はお茶をしに行くものではない
より南のタイ王国の繁栄や、スペイン領ルソン、オランダ領マラッカの事例を見ても
国策として南進するのはそれなりに意義があったんじゃないかな? 開発に莫大な労力
を必要とするのは確かだが、疫病や未開を理由に不可能と断じるのは早計だ。
あと
>>357-359はあくまで総則と言うかまとめであって、正しい意見もあれば間違いも
あるだろう。鵜呑みにするんじゃなく、自分で調べて考えるための叩き台として考える
べきサイトだよ。
369 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 00:42:24.58 ID:soWkOFrY
>>368 史料的根拠のない意見など正しい間違い以前に論外だよ。
>>357に対しては「補給戦」を読み直せ。
>>358については補給と輸送の違いから勉強して来い。
これで済むこと。
370 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 00:44:27.61 ID:soWkOFrY
>総則と言うかまとめ
というのならもっとマシなものを持ってきてもらいたいね。
371 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 00:51:17.93 ID:soWkOFrY
ちなみに海上輸送を「海上補給」と表現するのは、
唐入りの兵站についての権威的著作「豊臣政権の対外侵略と太閤検地」で、
中野等がやらかしてる。最新の歴史群像がそれを踏襲し、
件の軍オタの文章に至ったんだろう。
中野がバカなのは、秀吉軍が現地調達してる証拠をつかみながら、
「稚拙」「逆行」などと表現してる時点で明白なんで、
海上補給に関してもつくづくバカだなーとしか思わなかったけど、
仮にも軍オタともあろうものが、
用語の基本的間違いを踏襲してしまうとは失笑もの。
372 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 00:55:37.96 ID:soWkOFrY
ちなみに中野等によれば、
太閤検地後の日本軍には「補給部隊」があったそうだwwww
ヨーロッパで補給部隊が出現するのは1783年なんだけどねwww
中野は、単なる徴発された百姓を
補給部隊と言ってるわけ。中身は戦国と全然変わらない上に
「補給部隊」じゃねーよwww
373 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 00:58:22.01 ID:soWkOFrY
ちなみに中野等は九州大学の教授www
正直、2ちゃんの文系差別は間違ってると思ってたけど、
調べれば調べるほど、文系のバカさ加減を信じないわけにはいかなくなる。
やっぱ偏差値って人間の能力をある程度反映してるわ。
まあ荒れ覚悟で言うと史学系はマルキストが多いから・・・
現地調達は思想的に許せないんだね
ナポレオンの大陸軍は愚かWW2の東部戦線でも収奪しまくってたわけですな
375 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 01:05:38.08 ID:soWkOFrY
>>374 やっぱ影響抜けきれてないよね。
補給と輸送の区別も付かない分際で、
よくままあ、秀吉クラスの軍人を、
「稚拙」だの「逆行」だの偉そうに批評できるなーと思いながら読んだよwww
中野の論文は、根本史料からの引用部分は有用だけど、
地の文は完全に無価値。
軍事的常識が全然ない上に、先入観まみれで、
トンチンカンな考察しかできてない。
極端な自国マンセーは論外だが、ここは様々な知識・経験を持つ
人間が侃侃諤諤していくところだろ。それほど自分の説が完全無敵
なら、わざわざ軍オタ集うこの板などにこないでチラシの裏に書かれて
はいかがかな?ID:soWkOFrY殿
377 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 01:14:12.05 ID:soWkOFrY
378 :
名無し三等兵:2011/06/05(日) 01:58:38.73 ID:soWkOFrY
ttp://www.uraken.net/ibbsr/ibbs.cgi?mode=res&namber=4697&page=15&RES=1-9&H=tp&no=0&KLOG=28 >まあ補給に関しては、マーチン・ファン・クレフェルトの「補給戦」が大いに参考になりました。
さて、どのように参考にしておられるか見てみましょう。
>16〜17世紀の欧州戦役は、基本的に包囲戦が殆ど採用されることは無かったようです。
「補給戦」P39〜P40で数え上げられる、ル・テリエが行った包囲戦の一部。
どうみてもやりまくり。
1643 チオンビル包囲
1644 ダンケルク包囲
1658 ダンケルク包囲 ブレゲ包囲 イープル包囲
クレフェルトは包囲戦の難しさは述べているが、
ほとんど採用されなかったとは一言も述べていない。
>ナポレオンが包囲戦を実行したのは、たった2回に過ぎなかったのですから、如何に平坦の多い欧州でも、陸上輸送による補給は容易ではなかったのでしょう。
ナポレオンが包囲戦を2回しかやらなかったのは、
補給が難しかったせいではない。「補給戦」P78
「彼の軍隊は城塞一箇所を包囲し、かつ前進を続けるに十分な規模だった。
指揮下にある軍隊が大規模であったために、包囲戦をやらなくて済んだナポレオンは、
18世紀の補給制度を大部分不必要なものにした。」
>あくまで総則と言うかまとめであって、正しい意見もあれば間違いも
>あるだろう。
総則でもまとめでもないし、どう見ても間違いだらけです。
資料を読む時は鵜呑みにしないことと出来るだけ裏をとること
伝記伝聞系は筆者主観が入り客観性や事実と差異があること
自身の失態を誤魔化したりすり替えたり自身の功績を過大にしたりの考慮が必要だ
他人行儀にさらっと書かれた事例は事実である事が多い
包囲戦の要諦は数と速度でしょ
鉄道の発達する以前の軍隊には難しかったんじゃないのか
朝鮮征伐に話しを戻すと碧蹄館での日本軍は包囲殲滅に失敗してるし
その後の明軍の大攻勢では明側に大損害が出た
結局痛み分けが続く不毛な戦役だったな
当たり前のことだけれど、大量に動員すればするほど、兵站は難しくなるんだよ?
日本軍の歩兵マスケット銃部隊と明軍の騎兵と野戦砲部隊の戦いのため勝ち負け着かず
>>380 最初から隆景は包囲殲滅なんて目論んでない
深追いしてたら明軍後衛部隊の反撃に遭っただろう
あの戦が隆景無しで秀家以下血気盛んな若手ばっかりだったら
前半日本軍圧倒後半明軍反撃の痛み分けになっていたかも知れない
小早川隆景vs李如松の日明名将対決ゆえに決定的な勝利とはならない
合戦に勝って漢城を放棄し戦線縮小するとか流石に隆景や如水が在陣すればこその冷静な判断
>>383 いや後衛の火兵部隊は小早川や吉川が包囲した時点ですでに来着しててその結果李如松を逃したんだが
日本側にもう少し兵力があれば包囲殲滅出来てただろ
>>384 碧蹄館の戦いは日本軍は宇喜多秀家の本隊や後詰めは投入してないやん
包囲殲滅する気があるなら立花隊は無理に戦端を開かず誘引し小早川隊と合流
その間に宇喜多本隊が右翼へその他の部隊は左翼へ展開し
半包囲態勢を拡大構築しつつ退路を塞ぎ殲滅するだろ
史実では立花隊が寡兵で突撃し戦端を開き小早川隊以下逐次戦場に投入し明軍後備えが戦場到着する前に各個撃破を目論んだのでは?
碧蹄館で合戦するくらいならイムジンガン渡河直後を急襲する方が効果的では前回の清正の戦訓もあるし
>>385 しなかったというより出来なかったんじゃね
数万規模の明の騎兵隊をまともに食い止められるか自信がなかったから
後詰めとして主力を京城に残した
まあ小早川は立花宗茂の追撃を止めたりしたんだけどさ
勝負に出ず安牌を取ったいうか
立花勢はわずか3千で1万近い明軍先鋒を食い止めていたので損耗も大きい
隆景にすれば養子で末弟の秀包と同年の若武者宗茂は我が子みたいな感覚
無理に突撃し討ち死にさせては忍びないと自重させたのだろうな
碧蹄館での日本軍は太閤秀吉の覚えめでたき若い武将が多い
血気盛んで功を焦る若武者に囲まれ隆景は引率するのが大変だろうな
まあこの面子での合戦は九州、小田原と3戦目だから慣れたものか
>>387 平原でもないのに鉄砲隊がただの騎兵を恐れる道理はない
山地と小河川が多い朝鮮半島の地勢は鉄砲を持たないただの騎兵部隊は脅威ではない
むしろキラーゾーンに誘い込まれアウトレンジから野砲部隊の一斉射撃に遭う方が脅威
>>389 その脅威でない騎兵部隊に立花宗茂隊は苦戦したわけですね。
途中で後退させられてるけど。
粟屋景雄隊は脅威でない騎兵部隊相手に後退したわけだ。
日本軍はよっぽど弱かったんだね。
長篠の合戦みれば鉄砲隊と騎馬隊の戦力差は明白
>>392 長篠の戦いでは予め時間をかけて馬防柵を設けてるけど、
碧蹄館のどこにそんなものがあるの?
明軍は20000のうちほとんどが騎兵なんだけど、
(それはそれで歩兵の援護がないのでやばいけど)
武田は15000のうち騎兵は限られてるよね。
小早川・立花は20000しかいないよね。
織田・徳川は38000いたけど。
当時の鉄砲には、数では味方と変わらない敵騎兵の大部隊を
馬防柵無しに阻止する力なんてないよ。
30秒に一発しか撃てないんだから。
>>391 単純に兵数の差だろw
3倍近い兵力差で立花一隊すら抜け無かった無力な支那騎馬部隊
395 :
392:2011/06/05(日) 12:05:24.02 ID:???
>393
もちろん「そういう意味」で書いたんだが、何で突っかかってくるの?
>>395 >長篠の合戦みれば鉄砲隊と騎馬隊の戦力差は明白
どう見ても「そういう意味」で書かれたセリフには見えないね。
槍騎兵は機関銃が大々的に使用されるまで現役だったよ。
WW1でも使われてた。リヒトホーフェンは最初騎兵だった。
「戦力差」なんてねーよ。
>>392 武田騎馬軍団なんて江戸時代の創作だよ
他の大名より騎馬比率が高いだけで騎馬専門部隊を編成した訳じゃない
>>394 シナ人側も交戦したのは僅かな先鋒部隊なんだけどね。
逆に言えば立花側も敵を後退させられなかったわけで、
その点では立花も「無力」だったわけだ。
>>397 誰も騎馬部隊がいたとは言ってないけどな。
武田氏は臨時に騎兵部隊を編成したものか、
騎兵を先頭に備が突撃するものか不明だが、
騎兵戦術を度々用いていたよ。
「三河公記」「信長公記」では「馬」を防ぐために
「柵」を作れと信長、家康が指示を出している。
長篠の戦いの三日前に徳川家康が出した書状ね。
「先刻申し含め候場処の事、様子見積もらせしめ、
柵等能々念を入れられるべき事肝要に候、馬一筋入り来るべく候」
>396
流れを読まない馬鹿者だな
>389-391 のあとに>392なんだから「そういう意味」に決まってるだろ?
鉄砲に慣れてない明軍騎馬隊に射撃間隔とかンな余裕ない後知恵だよ
そもそも至近で斉射されただけで人馬ともに大混乱
そこに抜刀突撃され防具ごと斬られたり突かれたりしたら退却するしかない
騎兵の本来の役割は正面突撃などでなく機動力を活かし後背からの襲撃
騎兵部隊の役割はハンニバルの時代から変わらない
>>401 言い訳乙。
>長篠の合戦みれば鉄砲隊と騎馬隊の戦力差は明白
こういう低能丸出しのセリフに同意できないのが馬鹿なら、
馬鹿で結構だわ。
長篠の戦いの織田の勝利は、馬防柵と大量の鉄砲と根本的な兵力差が
有機的に組み合わさった結果で、
鉄砲と騎兵隊の戦力差の表れではない。
>>399 江戸時代に書かれた伝記は徳川家康や織田信長の功績を称えるための創作
>>402 >至近で斉射されただけで人馬ともに大混乱
大混乱した割りには随分長時間戦ってるよね。
立花勢なんて消耗しすぎて後退させられてるし。
>機動力を活かし後背からの襲撃
カイロネイアの戦いではアレクサンドロスは正面から突撃してるけど?
まあ敵の間隙を狙ったわけだが。
カタラウヌムの戦いでも、西ゴート王子トリスムンドは
自分の正面の東ゴート軍に突入してるよね。
しかもこれが決勝点になったし。
あなたがアレクサンドロスやトリスムンドより騎兵戦に精通してるなら
納得だけど、とてもそうは思えないな。
碧蹄館の戦いは先鋒は日3000人、明10000人と言うけどね
>>408 そう
その先鋒は立花宗茂ね
寡兵でも壊滅せず耐えたのは鉄砲のおかげだろう
投入戦力はどちらも2万前後
戦闘後半になると明軍に後衛の歩兵火兵部隊が加わる
>>411 立花は先鋒の先陣の大将
先鋒の大将は小早川
本軍の大将は宇喜多
>>412 日本語としておかしくない?
先陣は前衛と同義語で後陣の対比語
後陣の音から後塵を連想させ先陣に先駆け的な意味が生まれる
先鋒は字の如く最先端を意味する
先陣の先鋒は日本語として正しいが先鋒の先陣って何?って感じ
ただ慣用句として時代劇で先陣と一番槍を混同して誤用してるからかな
>>389 出征した武将が西国中心だし
大規模な騎兵部隊に過度に恐怖心を抱いてたのはあるんじゃないの
これが関東平野があり木曽馬の産地も近い関東の武将なら強気に出たかもしれん
とにかく碧蹄館で主力を出して徹底的に殲滅しなかったのは痛い
正しくは
先陣の大将 隆景
先陣の先鋒の将 宗茂
本陣の総大将 秀家
だと思うが
>>412 先遣隊の中の先鋒って意味で言ったけど
言葉を慎重に選ぶべきだったかな
射撃間隔の長さより射程の短さのほうが問題だと思うんだけど
あと日本の火縄銃は瞬発式で斉射より各自狙撃が主な使いかた
>>414 李如松が歩兵を置き去りにして来てるとは誰も思ってない。
向こうのほうが数では圧倒的優勢と考えてたんだから、
野戦に慎重になるのは当然。
無線機も無い当時では仕方のないこと。
>>417 射程距離がやや伸びた19世紀のマスケット銃ですら、
「敵兵の白目が見えるまでは撃つな」と命じられたのだから、
射程距離はほとんど問題にならない。
ライフルが発明されたのは遥か後。
まずは発射装置の改良と紙薬莢の発明が行われた。
当時問題視されていたのは、まずちゃんと発射できるか否かと、
発射速度。投射量。
>>417 アラビアンではない支那馬に騎乗していた明の騎兵に
どこまでギャロップが出来たのか
とぼとぼ武器を振り回して近付いてきたところを射殺されたのが実情でわ?
>>414 >大規模な騎兵部隊に過度に恐怖心を抱いてた
なら打ち破る結果なんて得られないがな。
結果を見ろよ。
大規模な騎兵隊なんて関東にも日本のどこにもないし、
九州勢がびびるなら関東勢もびびるに決まってるじゃん。
馬鹿じゃないの?軍オタって。
軍オタって戦争をバレエか何かと勘違いしてるんじゃない?
お前らの脳内の型どおりに戦争が進行するなら、
「名将」なんていらんわ。
鉄砲の威力は弩程度とあなどってたのだろ
日本は他の国と違ってまともな陣形を組まないから
既に壊乱していると判断したんじゃない
>>424 そういうのじゃない
ファランクスとかテルシオとか
>>423 俺が学生の時の恩師も全く同じことを言ってたな
>>425 ファランクスやテルシオが、明のどこにあるの?
大体、ファランクス組んでない=陣形組んでない
なんて判断はヨーロッパ人だってやらんわ。
自分はロアナプラ出身の法務士官から聞いた
>>420 関東平野一帯は鎌倉時代から騎馬戦が盛んだったよ
坂東武士は騎馬戦が巧みだったんだが
>>429 九州でも四国でもどこでも騎馬戦はやってます。
大規模な騎兵部隊は日本のどこにもありません。
>>427 そのまんまはないけど、似たような方形陣は中国にもあった
>>431 日本も長槍足軽で横隊組んでたよね。終了。
>>432 一列横隊と同じと考えているなら、話にならない
立花宗茂3千に明の先陣騎馬隊1万が足止めを食らい
本隊も小早川に包囲されてしまったのが実情だわ
テルシオは対騎馬ではなく正面の歩兵部隊に対する衝撃力でしょ
>>433 槍衾がなかったと?
テルシオ的な使われ方じゃないから槍衾が存在しないというのもおかしいね
碧蹄館の戦いで西洋の戦術を引用してくるのも変な話だし
騎兵が陣形組んでるのはテルシオとは呼ばんだろ
>>437 いろいろと変な人だなぁ
明軍にテルシオ?
明は大砲主体だし鍛造技術が低いせいで鳥銃の装備率は低かったんだが
>>434 >義経や木曽義仲も知らないの?
義経や木曾義仲の騎兵部隊が大部隊だったソースよろしく。
繰り返すが、馬なんて日本全国どこにでもいるし、
九州でも四国でも騎馬戦はやってます。
>>437 数百単位が密集したらテルシオになるのかwwww
超ウケルwwww
円陣とか方陣が普通出てくるよな
碧蹄館でテルシオモドキなんてどこにも出てこないんだが
李如松は開城に火力部隊置いてきてるのに
日本を貶したくてしょうがないんだろうな
どうも勘違いしまくっているようなので、再度訂正
密集陣形は日本にはなかった
この流れはまずテルシオが何かを説明する必要がありそうだ
テルシオはフランス騎兵に負けたスペインが作った陣形とそれに合わせた兵制のことで特に騎兵に有効だった
中央に密集隊形の槍兵を置き周囲に火縄銃を装備した小隊を置いたもので銃兵は射撃後離脱し
装填して再度敵に接近射撃を繰り返し槍兵を支援する
つかファランクスでも迂回を防ぐために
列を薄くすることあるし、
場合によっては散開も選択するから。
密集していなかったら陣形組んでないとか、
んな馬鹿な判断をプロがするわけないじゃん。
明軍なめすぎ。
馬鹿な軍オタであることを自覚して謙虚にならないと。
プライドの塊、無能歴オタ
論破されたチンパンが荒らしてるな
>>454 密集の話じゃなかったのか?
テルシオにまた話しを戻すのか
テルシオモドキの密集隊形なんて明にも日本にも散見されないね
後、
>>448は野戦じゃない
結果として日本が勝ってるわけだから、
日本軍が陣形組もうが組むまいが、正しいのは日本軍のやり方。
しかも実際の史料上もそうだし、
当然のことでもあるわけだけど、日本軍も陣形組んでる。
ところが、ここに、「明軍は日本軍が陣形組んでると分からなかった」
とほざく重症の馬鹿が一匹いる。
もちろん証拠はない。
実際には明兵は本物の兵隊で(ミリヲタじゃなくて)、
こいつよりも遥かに賢いので、日本軍の陣形には
きちんと注意を払ったに決まっている。
密集してないと気が済まないんでしょ
そもそもヨーロッパのマスケット銃と日本の火縄銃じゃ仕様も異なるのに
当然陣形や戦術も異なってくる
>>457 歩兵で密集陣形組まない例をこれまで明軍の将が見ていればね
忠州の戦い碧蹄館の戦いで陣形を組んだ日本軍に脆くも敗れ去った
これが事実だよ
>>460 お前遼東騎兵が今まで何と戦ってきたか知ってるか?
女真族だぞ?
女真族が密集陣形組むわけねーだろ。ボケ。
しかも明軍は倭寇対策を通じて、
日本人との対戦を既に経験してる。
明軍の知識も経験もお前より幅広いんだよ。
>>462 女真族は騎馬ですね、歩兵主体ではないですね
倭寇は正規軍ではないですね
>>464 女真族には歩兵もいるし、
騎兵にしても歩兵にしても中国とは異なります。
正規軍じゃなかったら陣形組まないんですか?
相手の明軍は対抗して倭寇専用の陣形考えてますが。
話にならないな。
古今東西色んな戦術があり密集隊形もその一つに過ぎないのに
やたらとヨーロッパの戦術をスレに持ってくる馬鹿が一匹
欧州コンプレックスが強そう
>>465 遼東騎兵が女真族歩兵と戦った事実はあるのですか?
相手が組んでも、倭寇は組まないよ
>>466 逆、西洋軍事史のみで全てを説明すのが軍オタの大半
日本は武士社会が封建的な身分制だから騎馬隊は発生しにくい
元々護家人制度だから騎馬武者は当主と一族、そこに徒歩の郎党が一騎に数人続く
護家人を与力としその集団を守護大名が部隊編成し統率
個々が独立採算性だから単一兵種の部隊編成は発生しにくい
>>455 これの長篠合戦は明らかに攻める武田軍が鉄砲隊を組織しているな
これを見てもわかるように「鉄砲隊と騎馬隊の戦い」なんてトンデモでしかない
時代は下るがワールシュタットなんて名だたる騎士団がモンゴルの軽装騎兵に側撃されて大敗してるのに
あれは密集した重装騎兵が正面に突撃をかまして包囲殲滅されたいい例
密集してないと気が済まない馬鹿はモンゴル軍にハリネズミにされればいいよ
一方ナポレオンは散兵戦術で欧州各国をフルボッコにした
あのさ……火縄銃だと火の粉が飛ぶし、そんなに密集していては運用出来ないんんだけれど。
テルシオだって銃の装備率は1/3だし、スイス傭兵やドイツ傭兵はもっと少ない。その密集
隊形にしたって、古代のファランクスに比べればかなり柔軟だったし、日本の場合は更に柔軟な
一種のレギオン方式だったよ?
おおむね20人に一人程度の割合で足軽小頭が統率し、槍足軽、弓足軽、鉄砲足軽といった
それを幾つかまとめたものを足軽大将が統率する。情勢が危なくなれば旗頭が後退して、再
集結の位置を決め、一度の後退ぐらいでは全軍崩壊とはならない。
ファランクスなどには当時の戦闘教義が反映され、日本の『備』には戦国日本の戦闘教義が
反映されているというだけのことだ。
甲州軍学系の影響丸わかりの絵図で陣形がどうのこうの言われてもな
>>450のは描かれた時代が戦時と近いから割と参考になると思うけど
>>466 西洋は軍事史がよく纏められているからそれはしょうがない
日本なんて一部の人から陣形を組まないなんて言われてしまうほど
そもそも日本には軍事を教え研究する場がほとんどない
当時の東アジアに西洋の軍事史をもってくるおかしさ
西洋にしたって密集陣形は散兵戦に弱いと知りつつも改善するには第2次大戦を待たねばならなかっただろ
西洋伝来の火縄銃の考察なんだから問題ないだろ
ここにいる連中、wikiで備の項ができるまで日本の軍制について何も知らなかったんだろうな
>>477 火縄銃では騎兵の突撃を止められないことはテルシオの例を見れば分かるし有用だっただろ
wikiのテルシオの項目見た?
はいはい西洋の軍事史ね
wikiのテルシオから
>最初期の槍:銃の比率はおおよそ7:1であった。時代が進んで火器の量産が進み、また重騎兵の装備が槍からピストルと刀剣に変化し、歩兵への脅威が減少するにつれて槍兵の比率は低下した。
騎兵に有効なのは火縄銃より槍だということがこれで分かる
長槍で突撃の機先を制した
それがなにか?
日本は日本のやり方で長槍と火縄銃を使い分けてたんだね
では当時の火縄銃兵にとって騎兵の突撃が十分脅威だったことに同意してくれますか?
さあ?君がテルシオに拘ってる以上安易に同意できません
西洋の事を参考にする事のどこがそんなに不満なの?
騎兵を止められるかは当時の火縄銃の性能にかかってる火縄銃は元々ポルトガル人が
持ってきたもので西洋でも日本でも性能に大きな差はない違う?
日本に西洋の用兵学が持ち込まれたのは高島秋帆の1853年だとさ
それ以前の戦争になぜか西洋戦術で強引に評価するからじゃないかな
戦国日本にテルシオの密集隊形がないからなんなの?って感じ
第一スレ違いだしね
火縄銃の性能の参考として話してるだけでテルシオ自体はどうでもいい
その前に密集隊形の話はどうなったの?
それは別の人だから
じゃあ僕も別の人だから答えられない
西洋の用兵学(テルシオ)の話をするのが嫌なのに密集隊形とか用兵の話を自ら持ってくるのはおかしくない?
こっちの話に乗って火縄銃の話をすればいいじゃない
さっき蔚山城の絵を持ってきて密集してるしてないだのゴネてたのは誰だよ
いや本当にそれ違う人だから
それに西洋の用兵学の話をするなと言ってる側がその話を蒸し返しちゃだめでしょ
その話に相手が乗ってきたら結局西洋の用兵学の話をする事になってしまうじゃないか
>>496 ああ、それは自分
明軍騎兵が三角や四角の密集陣形を形成しているなという話
火縄銃が有効ではなく長槍で凌いだと認めて
それから何が言いたいのかわからんもん
結局揚げ足取って持論である密集の有無の話しを補強したいだけでしょ
それに当時の日本に孫子や戦国策の教養はあっても西洋の用兵学なんて知らんのは事実だろ
>>499 380くらいから読み直してきなよこっちは389以降の火縄銃の有効性を強調して
騎兵を無価値なもののように扱う意見に反対なだけ
戦国時代に教養本読んで戦する馬鹿居ないだろ
実戦で積み重ねた戦法だよ
自分は騎兵を無価値なんて言ってないよ
因みに
>>389は自分じゃないよ
騎兵が廃れたのは日本でも長槍や火縄銃が主流だしな
>>501 武田は中国兵法を参考にしてる風林火山からして孫子から来てるわけだしまあ武田は中国兵法は日本ではあんま使えねーと思ってたらしいが
というか、欧州の火縄銃の主力って日本よりも小型なんだが・・・
練度も含めて参考にならんだろう。野戦でも馬留あるし
506 :
名無し三等兵:2011/06/06(月) 02:03:14.36 ID:rijlBK5n
つーかパイカーが敵騎兵を拘束ないし停止させ、マスケットで打撃を加える
ってのは教科書的な基本の基だろ?
何をグダグダやってるんだ
>>505 欧州の火縄銃は六匁くらいじゃなかった?
ヨーロッパのパイクは4〜8mの長さがあって
日本の戦国期の長柄槍とほぼ同じ長さだが
明軍は同じような長さの槍を持ってたのか?
朝鮮軍が使ってた槍は短く、火縄銃も満足に配備されていなかったので
陸戦で日本軍に苦戦したらしいが
欧州だと砲兵部隊が敵陣を遠距離射撃し、敵砲兵部隊を騎兵が急襲し無力化を計り、それを阻止せんと歩兵が横隊斉射で迎え撃ち着剣突撃って流れじゃないの?
明にパイクマンが居たという話しは聞いたことないな
武器で言うと蛇矛とかは5、6メートルあったらしいが
まあ日本軍のマスケット銃歩兵部隊と精強な槍刀歩兵部隊の前では明軍の騎馬軍団も歩兵部隊も砲兵支援の外では同数なら必敗、倍数ですら互角以下、基本的に3倍は戦力差ないと戦線維持すら困難
日本のはマスケットというよりハークイバスに分類されると思う
>>510 それは三兵梯団戦法、より後年の三十年戦争における、スウェーデンのグスタフ・アドルフが確率した戦術だ。
この時代だと、フランスがイタリアに侵攻したイタリア戦争が終わり、大砲の有効性が認識され、規格・量産化され始めた頃。
結果として、今までのカーテン・ウォール式、市街城壁が廃止され、イタリア式の築城が広まってる。
この時点では、騎兵は役に立たない時代遅れとされ、西洋各国とも大砲や歩兵の運用、陣形を模索していた……
と言うよりテルシオが広まりスタンダードとなっていたのが、マウリッツの軍制改革で、覆された頃だ。
これにより当時ネーデルランドと呼ばれていたオランダは、1580年頃からスペインより独立し、1588年のアルマダ海戦によってスペインの凋落は決定的となった。
文化的はシェークスピアやドン・キホーテの時代。
>>510 秀吉の時代だと欧州でも銃剣はまだ発明されてないから
長槍兵とマスケット銃兵は同じ歩兵といっても別々の兵種だろう
>>514 現代でもネーデルランドはオランダの正式名称では?ある日本がネーデルランドのホラント州出身者に出身国名を尋ねホラントと答えたことからホラント→オランダと勘違いし現在に至る
まるでアフリカに旅行に来た日本人にふるさとを尋ね九州と答えたらそれが日本の国名と勘違いしたみたいなもの
>>513 士筒やら大筒やらこれといった規格はないでしょ
鉄砲足軽が使ったのは平均6匁だけど
また昨日の人が荒らしてるのか
火縄銃だとライフル線ないから真っ直ぐ飛ばないだろ
斉射しないまでもある程度固まって撃たないと当たらないんじゃないの?
>>514 ん〜ネーデルランドの意味は直訳だと「低地地方」なわけ。
このため必ず「王国」を付けてあげないとシナとかチョンとかと呼ぶのと同じになる。
>>519 今時の戦車砲はライフル刻まないけどちゃんと戦車を狙い撃ちにするぞ。
作りがちゃんとしてれば、それなりの命中精度が出るって事だな。
火縄銃と言えば鉄砲三段撃ちとかいうけど
三回に分けて撃ってなんか意味あるわけ?
敵に送り込む弾量は一斉に撃っても分割して撃っても変わらないやん
522 :
514:2011/06/06(月) 13:18:52.54 ID:???
ちなみに軍事とは本質的に保守的なところがあり、マウリッツの軍制改革を受けても、テルシオは三十年戦争までは使われ続けていた。
むしろ神聖ローマ帝国などでもスタンダードだった。
一方でスイス傭兵やドイツ傭兵、更にはテルシオによって役立たずと見なされた騎兵については、グスタフ・アドルフによって見直されている。
もっともフランスのように、常に騎兵を重視し続けていた国もあったんだけれど(ナポレオン時代は騎馬砲兵なんてのまであった!)
火縄銃は50m程度しか低伸しないよ
黒色火薬で鍛造技術も低い時代じゃこれが限界
来る板間違えてる奴が一人いるな
>>521 射撃間隔を埋めるためだろ一斉射したら乱戦に持ち込まれ火縄銃が無力化される
>>521 「鉄砲三段撃ち」も「鉄砲隊と騎馬隊の戦い」も明治以降に作られたトンデモだよ
まさか明治の頃の小説家の妄想が勝手に史実扱いされたとか、
坂の上の雲のイスンシン×東郷のエピソードみたいに
527 :
名無し三等兵:2011/06/06(月) 13:57:49.24 ID:Bkey1/Aj
>>520 ネーデルランド人は別に差別と思ってないよ
支那朝鮮的ないちゃもん文化と混同すべきではない
また滑腔砲は砲弾に翼を付けてるから安定弾道をえれるだけ
近世までに旋条砲での運動エネルギーの損失云々が問題になるとは思えないが
また中世近世の技術で旋条処理ならまだしも砲弾に翼をつけるなんて出来ないだろ
>>525 三段撃ちも騎馬隊vs鉄砲隊も実際にあったが長篠の戦いでは行われていない
後の九州各地や大坂の役での戦いを参考に江戸時代から明治時代にかけての戦記ものの創作
>>514 この戦術はなるほどポーランドの田舎将軍に負けまくり、近視でうろちょろしてたら流れ弾に当たり頓死するんですね
ところでこの、日本の火縄銃をマスケット銃って呼びたがる阿呆は何者?
頬付けで威力より命中率を狙った鳥撃ち銃の奇形進化にすぎないのに。
531 :
514:2011/06/06(月) 14:21:57.91 ID:???
それどころか、味方に誤射されたとの説もある。
おまけに無理な常備軍は国庫の破綻を、無茶な徴兵は国民の払底を招き、挙げ句に昔どおり傭兵に頼る結果となった。
バカな王様が頓死したお陰でバルト帝国はミネバ=ザビみたいな幼いお姫様を擁した宰相がしっかりした国家運営して行く
結果的にドイツやイタリアや東欧が近世まで混乱してたのにスウェーデンは大きな混乱もなく近代国家になれた
明と日本の戦いに話題が及ぶとなぜかwikiに書いてあるヨーロッパの事を書き連ねるキチガイがいる
>>517 少なくともマスケットの様に槊杖を支えにしないと撃てない銃は
主流ではない
ちなみに明の槍は長槍と狼筅というのがあり、長い後者は4.67m
だいたい、二間半(4.54m)の長柄に相当する
>>530 自己無知宣伝乙
火縄銃は立派なマスケットだろがw
マスケットとは先込め装填式丸弾丸滑腔銃身の歩兵銃を意味するなんて軍板の常識
またマスケット銃とか銃つけるのもフリゲート艦同様に間違い
対外戦争していたアホな王様が死んで幼い後継者を有力宰相が補佐するなんて
慶長の役直後の日本にそっくりだなスウェーデン
まあ日本の場合は補佐を頼まれた宰相により纂奪されるが
>>536 名称なんて時代によって内容がころころ変化するから、そう目くじらを立てるものではないよ
大砲なんてもう無茶苦茶
>>538 名称はどうでもいいが明らかに火縄銃はマスケットでないと言う認識は間違い
この朝鮮の役は、海峡を超えて二十万を超える遠征を成功させているのだから
世界史的にも一大遠征だと断言できるよ
近代以前に十万を超える軍隊を海峡を越えて遠征させる事に成功した例など。
私の知る限り、第三次ポエニ戦争のローマ帝国や元寇での蒙古くらいだ
海を超えての侵攻という、戦略上、極めて困難な事を、千万単位の人間を動員して成功させたのだから相当なものだ。
単なる空想に過ぎないのだけど。
当時の明はすでに末期的状況にあった。
日本軍との朝鮮での8万人を派遣した事が、最後の一撃になったくらいだ。
もし秀吉軍が十年二十年と長期的な戦略を立てて、明侵攻を行っていれば、満州族の代わりに日本が大陸に大帝国を築いた可能性もあるね。
初期の清よりも、当時の秀吉の方が戦力でも経済でもずっと上だったはずだからな
>>539 狭義のマスケット(大口径・肩当・要槊杖支え)を指しているんでしょう
>>540 元寇時の元軍は大軍を擁しながら陸上に橋頭堡を築く事すら出来なかった
秀吉軍は内陸の拠点を最後まで確保し撤退時まで戦術的には勝ち続けた
この差は大きい
ライフルを小銃と呼ぶのは、対義語として大銃と呼ばれるものが古い時代にはあったからだ
いまの迫撃砲のような役割を行っていたものだったがな。
朝鮮の役であったかどうかは知れないが、砲や銃の技術も、ポルトガルからのパクリばかりではなかったのは間違いないよ
>>514 いつ騎兵が役立たずで時代遅れになったんだよwww
さらっととんでもない嘘つくなよwww
>>517 六匁はポルトガルのコピーまんまのサイズで朝鮮出兵では安くて量産できる二匁半が七割と主流になる体格の小さい日本人が使うには小さい方がいいし銃自体年代が下るに従って小型化する傾向がある
重火力、紙装甲の明兵相手だから慶長の役では三匁が量的主流になったが
それまでやもっと前の時代は六匁が主流やね
>>545 小口径化したのは戦国時代が終焉してからでは?
関ヶ原、大阪夏冬の陣までは当世具足を貫通するのに6匁必要だったし
>>548 西洋の話じゃね>小型化傾向
10匁クラスを主力にするとかアホな事やって元々低い命中率をさらにガタ落ちさせて、結局小型化したらしいし
当時の日本の刀鍛冶や鉄砲鍛冶はすごい技術レベルだけど大口径にするより銃身長くした方が初速が速くなり貫通力も射程も延びると気付かなかったのかな?
松本城に配備されてた火縄銃は銃身が長かったぞ
野戦用の鉄砲よりも威力と射程が長いそうだ
紡錘型弾丸や旋条砲が日本に伝わるのは幕末
>>550 それは尖頭弾が発明される19世紀末からだろ
火縄銃だと口径を大きくしないと丸い鉛玉だから貫通しない
銃身が長くなり短槍程度まで長くなったから銃剣なんて発想がうまれた
>>555 最大貫通力=弾丸質量×初速
つまり大口径にするか銃身長くするかだ
大口径で初速が落ちれば使い物にならない
長い銃身にするには薬室を高圧にする必要があるが、当然当時の技術でそんな高圧にできるわけはない=大口径化しかない
>>549 西洋ではマスケットと呼ばれる日本の大鉄砲みたいなのとアルケブスというマスケットを小型化したものを使っていた
そのうちマスケットが軽量化されるとアルケブスもマスケットと呼ばれるようになった
日本の火縄銃はアルケブスのコピーで西洋人が持ち込んだ時点でだいたい六匁だった
いわゆる士鉄砲=大口径と、足軽鉄砲=小口径で使い分けてたと
いうことかな?
>>559 日本の火縄銃は銃身は短いが、肉厚は厚いから炸薬量が多かったと推定される
>>562 何が言いたいのかよく分からないが
装薬を維持したまま小口径化は事実上不可能だし、出来ても発射後運動エネルギーを急速に失うから有効射程が低下する
>>563 燃焼速度が早い火薬なら、短い銃身でも十分なエネルギーを弾丸に与える
しかしそれをやると銃身に多大な圧力がかかるので、欧州では燃焼速度を
遅くする代わりに、銃身を長くしてエネルギーを弾丸に与える方式を採用した
>>564 黒色火薬で有意性がでるほど燃焼速度の差が出るのか?
ソースキボン
それじゃあ欧州のマスケットの黒色火薬が遅延だったかなんてわからんじゃないか
それぞれの銃身の長さと厚さを考えるとそういう考えになる
勿論、日本の火縄銃は必要もないのに肉厚があり、銃身が短いので、
欧州の銃に大きく劣るという考えもできるが
ちなみに火縄銃の競技大会では日本の火縄銃が主流だそうだ
銃身寿命も関係ある
単に小型化した反動じゃね
大きい→使いにくい→小型化→威力下がった→高初速化→銃身強化
ただの思い付きだけどね
>>568 つまり根拠レスじゃねーかそれは
長くすれば命中率がよくなると単純に思い込んだ西洋人が長くしちゃっただけの可能性すらあるじゃないか
これじゃ議論にならん
>>571 根拠というより考察ですな
まさか、考えるなとは言わんよね
その考えだと相当長い間、そう思い込んでいたことになるね
>>569 おいおい砲身命数なんてどこの高性能砲だよw
より遠くに飛ばす為に銃口と銃身の比率つまり口径を大きくすればいいと考えたが
銃口を小さくすると銃弾が小さくなり威力が小さくなる為に弾丸は球形から楕円形になり爆発力を逃がさない為に尖塔型になった
また弾道を安定させる為に回転運動を弾丸に与える機構として旋条が開発された
秀吉死後も朝鮮半島南岸を維持して居れば当然江戸時代より戦闘機会が増え上記の様な改良は日本人により早期に為されていただろう
文禄の役の時に漢城に諸将が集まり八道国割りを協議したが
隆景や如水が居ながら明に近い平安道黄海道や辺境の咸鏡道まで戦線拡大する愚を何で決めたのだろ?
京畿道江原道以南の完全制圧と来るべき明の援軍来襲に警戒し
京畿道各地や漢釜間の街道筋への砦建設と全羅道制圧に全力を傾けるべきだと思う
特に平壌への進軍には最低でも5万はそろえるべき
平壌から明との国境までの攻略には名護屋から漢城に新手5万を派遣し平壌へ進軍させるのが常道
関白秀次を征明大将軍に任じ総大将とし家康を補佐に付けて東国諸将を与力とし進軍さすべき時だった
また漢城攻略までな初戦の功績を評価し一番隊には全羅道南半分を二番隊には全羅道北半分を恩賞に与えるとし自ら切り取らせたら良かった
さっさと朝鮮は恩賞にして分割すれば各将は知行地を一所懸命護るよ
慶尚道南部は豊臣秀次を近江から転封、慶尚道北部は小早川隆景を筑前筑後から転封
全羅道北部には加藤清正、全羅道南部には小西行長を各々肥後から転封
忠清道東部に黒田長政を豊前から転封、忠清道西部には細川忠興を丹後から転封
京畿道黄海道平安道には徳川家康を関東から転封、咸鏡道江原道には伊達政宗を陸奥から転封
毛利には備後出雲を召し上げ代わりに豊前筑前筑後を加増、宇喜多には備後を加増
立花は肥後北部に転封、島津には奄美を加増、鍋島は肥後南部に転封、長宗我部は伊予宇和島を加増、福島は肥前に転封、大谷は丹後に転封、石田は出雲に転封
こんな感じに西日本と朝鮮を固めたらいい
明らかに所領が減る人事ばかりですがな
もし半島でのダメージがなければ、徳川時代に三浦按人監修の艦艇で華南強襲の余力があったかもよと。
史実ではノウハウは朝鮮で溜まったが、逆に不味さも知れ渡ったんで誰も食いつかなくなってた訳だが。
朝鮮で無ければならないなら、もはやそれ以前の詰み状態ですがね。
>>577 なるほど!明の所領が減る人事ですか?それなら無問題
純粋農耕民族の日本人にとっては朝鮮など不毛な土地
まあ統治してやってもいいと思うのは慶尚道全羅道忠清道京畿道の南部4道くらいだな
実際ヤマト朝廷はかつて沿海州北部黒龍江河口から樺太千島北海道東北の蝦夷などや鹿児島奄美沖縄や
済州島や新羅などを平定するも自らは統治せずわずかに任那など朝鮮半島南岸のみ領した
これは寒冷地や海洋島嶼や火山灰など米作中心の農耕に適さず統治に魅力を感じないためと考えられる
中世と近世の中間になり農耕技術も進歩した朝鮮征伐当時は東北地方同様に朝鮮半島南部4道では米作が可能
支那大陸ではモンスーンの影響がある黄河以南でなら米作は可能
華北地方は麦粟は豊かだが米作には不向き
結局、最終目標は何な訳?
あくまで米作地帯だけ取るなら、そもそも「可能なだけ」の朝鮮南部より「沢山取れる」華南を取ればいいじゃん。
どっちでも明と対決しなきゃならんならウマイ方がいい。
で、第一次は橋頭堡になる沿岸部で明と手打ち、第二次はヌルハチと中華饅半分こ。
第3次はヌルハチが欲張り過ぎなきゃ起きない。
>>582 目的 臣従させて日が浅い部下の諸大名に恩賞として与える地行地を得るため
目標 東アジア最大の穀倉地帯である中原や江東江南の占領
手段 中原に進出するルート上の朝鮮遼華北の現地勢力の討滅
注1 水軍力が弱く直接江東には侵攻できない
注2 遠距離大口径火力部隊や大規模騎兵部隊がなく平原での戦いに不利
注3 部下の大名達は領地としては米の石高に執着
>>573 朝鮮は街道が細すぎて大軍を一気に通せなかったそうだ
朝鮮は貧しい土地で10万でも維持するのに苦労したのが実情
585 :
584:2011/06/07(火) 12:44:18.93 ID:???
アンカ間違えた
>>575 後、小口径高速弾が可能になったのは尖頭弾とカートリッジと旋条だね
これは近代に入ってから可能になったこと
朝鮮や満州や華北を攻めるなら兵糧を現地調達できる範囲の軍勢でペンペン草作戦で行動したら良かったんだよ
例えば兵3万くらいで羊の群れを同じくらい連れて
見たが、損害の多さという数字を見てるだけで用兵について全く語ってない
日本はそこらのへんの百姓の首とって戦果を誇張してるんでしょ?とか
うちの史書は信用できん、どうせ誇張されてるとかそんな話題
wikiの独ソ戦のページの損害見てソ連弱えーとか言い出すガキと似ている
まあ支那人が島津を恐れたのは確か
更に関ケ原後に家康に屈せず臨戦態勢で臨み結果的に改易も減封も免れた
臨戦態勢中に家康の朱印を持った明との交易船が東支那海で倭寇に襲撃され家康の面子丸潰れ
せっかく停戦合意し和解した明と緊張が走った
>>572 おいおい、だったら断定すんなよw
>>573 火縄銃でも砲身命数あるだろ。暴発して射手を道連れにするか発射ガスが漏れて弾がマトモに飛ばなくなるまでとか。
規格化できる程安定してなさそうだが。
>>591 論文じゃ考察でも断定した書き方しないと、撥ねられるよ。
島津ってほんのちょろっと最後を飾っただけだろ
最初から最後まで矢面に立ってた加藤、小西、小早川、立花は無視ですかっと
島津は兵が集まらなかったからな
>>592 そんな論文はない。
あったらそれは捏造だ。
>>596 捏造は資料などを一から創り上げること
全然違う
>>597 推論だけで断定なんてしたら韓国人のトンデモ起源説と一緒だろーが
勘弁してくれ。まさか理系じゃないだろうな?
>>598 推論を補強する資料があれば、有力な考察と見なせる
>>601 そりゃ、こんなところで糞真面目に書く気はないね
と書くと、負け惜しみとか言われるんだろうけど
すごい初歩的な事聞くけど火縄銃って自分より低い的撃てないの?
>>630 そういう場合は弾の後に更に紙を詰めるので、問題なく撃てる
なるほど
豊臣政権の奉行たちは無能だな
朝鮮出兵は大軍ゆえに兵糧の現地調達も難しい
戦線拡大は補給線に負担をかけ危険なのは明白
当初から慶尚道全羅道忠清道の3道に派兵を限定すべきだった
先に朝鮮と南3道割譲で和議を結び朝鮮半島を足場にして黄海を渡り支那本国へ攻める計画なら
出兵から撤退まで休戦期間を含め足掛け7年も期間があったのだから
かなり成果を上げ秀吉の死後も朝鮮南部3道は日本領のままだった
3道に暮らす朝鮮人は迫害を恐れて残らず京畿道や江原道に移住する
朝鮮南部を知行地とした大名達が各々本国から農民や国人達を移住させ内地と変わらぬ支配体制と農業生産を始める
国内各地の滅亡大名家の浪人問題や戦乱が終わり兵農分離が進み農村人口増による農地不足も解消される
東北地方の大名にしたら朝鮮南部はヤマセなどの冷害が無い分いい知行地かもしれない
また島津など火山灰の地行地を持つ大名にも喜ばれるだろ
610 :
名無し三等兵:2011/06/08(水) 16:12:33.69 ID:0r+nE0a1
秀吉は甘い!俺なら自分の死後将来脅威になる家康をそのままにして置かない
朝鮮南部に国替えして豊臣にちょっかい出す余裕がない対外国境地を管理させる
家康みたいにいちゃもんをつけて豊臣を滅ぼすよりもまだ朝鮮転封は良心的だ
治水が大変そうではあるけどな〜朝鮮って基本雑穀だから。
戦前みたいに莫大な投資は必要だろうな
>>610 そんなことしたら秀吉が死んだ後に日本がまた戦国時代になるだろ
農民は土地とセットだから普通連れてけないと思うんだけどそれも大人数
国替えで農民まで連れて行った例って聞いたことないし
>>613 ならない
豊臣政権が1860年ぐらいまで続くから
>>607 南三道を軍事占領しても現地軍を養う現地の再生産力と秩序再構築が不可能だから無理。
>>602 君、それじゃ負け惜しみそのものだ。
推論を述べるなとは言わないが、根拠なしの上に断定したんじゃ朝鮮人と同レベルになってしまうからヤメレ
後、推論を断定で書かせた馬鹿な捏造教授を晒せ
酷さによっては論文の提出先の学会に連絡する必要があるから。
>>619 日本と西欧の火縄銃の、口径と銃身の長さと肉厚の違いを述べ、
日本の火縄銃が競技で使用されることから、低性能ではないことから、
日本の火縄銃が高性能であるとし、そこから考えられる威力増大の
方法を
>>564に書いたんだが
621 :
名無し三等兵:2011/06/08(水) 22:34:51.43 ID:0r+nE0a1
九戸城ひとつまともには落とせなかった豊臣軍に国土を蹂躙された朝鮮って何?
>>620 レギュレーションにも拠るんだろうが、競技用に使ってるのは
スリーブが入れてあるのが多いからな〜
前提が破綻してるだろ。
>>609 島津は朝鮮に寸土の領地も要らんと言っております。
>>620 だから問題はそこじゃなくてお前さんが自分の推論を断定して捏造した事だろ・・・
もういいよ・・・
>>624 捏造の言葉の意味を間違えてるから長引いてるんだよ
捏造とは
「事実でないことを事実のようにこしらえること。」
620が自説を正しいと思ってるならそれは捏造ではなくただの間違え
豊臣の脅威になる可能性の高い大名家は徳川 島津 伊達 南部 黒田の5大名
これらを朝鮮半島に国替え出来たら豊臣政権は安泰
>>562 宣教師が日本では鳥銃を戦争に使ってると報告してるくらいで銃身は長かった
>>628 鳥銃が長いという根拠は?
ジョン・セーリスは日本の火縄銃をカービンと見ているが
統一新羅の初期の領土は八道から平安道と咸鏡道を除いた六道
新羅は永らくヤマト朝廷の属国だったのだから当然日本領の一部と言える
文禄の役で漢城攻略と同時に八道国割をせず東国軍を渡海させ
六道を完全に平定し領土化政策を進めていれば正解だった
渡海させた東国軍には黄海道江原道を警備させ漢城には家康を配置すべき
この機会に黄海道江原道は伊達政宗を転封、京畿道忠清道全羅道には徳川家康を転封
宗には済州島を与え転封し慶尚道は諸大名に分割して恩賞にする
釜山対馬壱岐博多は豊臣の直轄地とし各々代官を置く
631 :
名無し三等兵:2011/06/09(木) 09:05:10.34 ID:uRdc0eR9
基地外猿は脳に梅毒が廻ったようです。ある意味本家を超越しちゃったな。
三河と関八州の交換レートでやっと承知してもらえるなら、関八州の代わりが何でなければならないか位解りそうなものだが。
>>622 他の国の火縄銃の方が良ければ、そちらにスリーブ施して用いるでしょうな
>>631 バカ?三河遠江駿河甲斐信濃の5ヶ国と伊豆相模武蔵下野安房上総下総上野半国7ヶ国半との交換
安房伊豆はほとんど石高が期待出来ないし上総下総で一国程度で230万石とは程遠い状況
実態は信玄家康が手塩に掛けて育て上げた東海三国と甲信150万石とたいして差はないんだが
まあ朝鮮全土より関東の田舎の方が百倍マシだが
キムチってこの頃からあったのかな
>>634 キムチはまだない白菜は塩漬け
秀吉軍が防寒用に足袋や手袋に入れて使った唐辛子をチョンは食べたみたことから始まる
そしたら完全にキムチの起源は日本じゃん
チョンは恥ずかしくないのか
憎っくき日本の食べ物を主食なんかにして
別にルーツが何処にあってもいいだろ
>>636 日本では唐辛子は食べ物とは言えないよ
防寒薬品かわずかに防腐剤代わり
唐辛子はその前に中国から伝わってた
で、日本が持ち込んだのがきっかけで広まったとな
>>632 そもそも日本以外ではフリントロックが主で、使用可能な火縄銃なんて
ほとんど現存してないだろw
>>641 何を言いたいのか知らんがその手のイベントで使われているのは
ほとんどレプリカだろ。
拾ってきた写真でどうやってオリジナルと判断してるんだ?w
マッチロックも普通にスイスやバチカンに保管されてるよ
>>635 にんにくもまだもたらされてなかったのか
>>644 にんにくは紀元前にエジプトから支那経由で伝わる
>>646 この当時から朝鮮の強烈なにんにく臭はあったのか
不味くて臭くて安っぽい朝鮮汚れの起源なんてどうでも良いよ。
唐辛子もニンニクも、朝鮮人と同じく半島に自生してたで良いじゃん。
きっと朝鮮熊神が、糞と一緒にひりだしたのさ
649 :
名無し三等兵:2011/06/10(金) 11:20:45.31 ID:4XMyFLCA
それにしても最近のマスゴミの異常なキムチ持ち上げはなんとかならんのか
マスゴミにこそチョン征伐が必要だ
マスゴミがとうか、政治家も歴史学者も一般人も朝鮮という言葉が出ると
異様に朝鮮の肩を持つような気が・・・
菅原道真や平将門などの扱いを見ろ、敗者に優しいだろ日本人は
多くの善良な日本人が複雑な胸中を押し隠して朝鮮に優しくしてしまうのは仕方無い
>>651 敗者に優しくはない
自分達が悪いと思うから祟りが怖いだけ
チョンはそもそも吠えるだけで祟らない
なぜならチョンは全てが悪業だから討伐は天意
デパート倒れた場所に縁起?いいのかマンション建てたんだよね。
デパート跡地江南地区は5割高とか日本人には考えられんよ。
>>650 政治家は韓国と繋がりのある奴が多い冷戦期は韓国とは同じ西側陣営として一応協力してたし当時はまだ
日本統治時代からの人間が(特に軍人が)韓国を指導してたからある程度日本語が通じたし人脈があった
左翼の朝鮮好きは俗に言う自虐史観のせい
歴史学者や一般人は一部おかしな奴らが目立ってるだけ
>>654 軍政時代は暗黙の了解があって、竹島に警察は置くけども
軍隊は置かない、大規模な工事なんかはやらないという
暗黙の了解事項があったのに、民主化で金大中以降左傾
政権になるとそういうのがチャラになったとかいう話は聞くな。
港湾整備やら民間人居住やらは自民は流してしまったけど、
最近話に出る韓国軍を駐留させるとかいうのは、さすがに
しきい値だろうとは思うんだが、ミンス政権だとそれもグタグタに
なりそうで・・・
>>654ちがうよ
戦後のどさくさで日本人になりすましたチョンの多くが政治家や教職や公務員になったから
敗戦し米軍占領下の日本より米ソ分割占領で軍事緊張高まる朝鮮から逃げ日本人になりすました
その中で日本人を陥れ組織内で委員として頭角を現したモノノケが
その後に政治家や宗教家や労働組合委員長や教育委員長やマスコミ幹部となり
日本人に歪めた自虐的史観をおしつけチョンマンセーの虚像の世論を構築
>>655 軍政時代は竹島は基本的に無人島
あんな岩だけの島で井戸すらないのに誰も住めない
ただ韓国の警備艇が優良漁場の竹島水域を占拠し
日本漁船を大量にだ捕し日本人漁師を大量に殺し漁船を韓国漁民に払い下げた
658 :
名無し三等兵:2011/06/11(土) 10:31:33.38 ID:wGx4ThXV
>>657 >軍政時代は竹島は基本的に無人島
何無知丸出しのウンチクたれてるんだ?
1956年から警察が常駐してるだろうに。
>>658 1945〜1956年の11年間は軍政じゃないの?
>>659 ほー、じゃあ米軍政下で
”韓国の警備艇が優良漁場の竹島水域を占拠し
日本漁船を大量にだ捕し日本人漁師を大量に
殺し漁船を韓国漁民に払い下げた ” 訳か。
アホ丸出しで自己撞着してるだろ。
661 :
660:2011/06/11(土) 13:38:49.22 ID:???
>>669 あーっと、
>>657と別人だったらスマン。
韓国の政治体制は、1961年の軍事クーデターから
1987年の民主化宣言までが一般的に”軍事政権”と
されている。
なにスレ違いの話を続けてるんだ朝鮮依存症患者どもが
一部の朝鮮人は秀吉の朝鮮出兵の賠償まで求めてるし現代の朝鮮の政治の話もスレ違いとは言い切れん
詭弁は良いから
>>663,665がどんな話題を提供してくれるのかwktk
665じゃないが390あたりでやってた火縄銃(二匁半)で騎兵(軽装?)の突撃を防げるかの決着は?
馬は本質的に臆病な生き物だし、日本軍は鉄砲だけで戦ってた訳では無いよ。
そして更に重要な問題として、飛び道具は敵兵を殺傷はしても、その組織力を
瓦解させる衝撃力には欠けていた。これはクレーシーの戦いから、ナポレオン
戦争に至るまでついて回る問題だった。
飛び道具とは“敵兵”に着実な出血を強要し、ジワジワと衰弱しさせるための
武器であり、戦闘とは“敵軍”の“組織的”戦闘力を奪うのが目的だ。
極論すれば、敵兵が一人たりとも死なずとも、バラバラに離散して指令通りに
動けなくなってしまえば勝利する。
ランスチャージを含む騎兵突撃は、正に敵軍の隊列を分断してこの組織力を奪う
ために行うのだし、ナポレオン戦争序盤におけるロシアのスヴァーロフ将軍も、
短期決戦を志向する戦術思想から銃剣突撃を多用した。
逆に言えば飛び道具を使う側は、敵の突撃を阻みつつこれに継続的なダメージを
与える方法を模索する。クレーシーの戦いにおいては雨にぬかるんだ自然の丘陵と
馬防柵によって、長篠の戦いもまた馬防柵によって勝利を得ている。
それにスイス傭兵やランツクネヒツは高い割合で長槍を装備しているし、日本の
足軽だって槍衾で接近を阻み、速射出来ない鉄砲の欠点を弓矢で補完するなどして
敵の突貫を防いでいる。テルシオは兵士にボーナスを払って野戦築城を行った。
戦争はオール・オア・ナッシングではないし、一部の兵器を取り上げてその優劣
のみを語ったところで意味はない。戦車が戦闘ヘリに勝てないからといって、その
価値は決してなくなりはしないように。
670 :
名無し三等兵:2011/06/12(日) 09:04:19.76 ID:PIvaiNPd
つまり、騎兵突撃を防ぐのはあくまでも柵だから、銃士と騎士が一騎打ちするときほど大口径に拘らなくていい。っと?
>>668 日本における衝撃力は、馬格に問題がある騎乗兵より、首獲り=近接戦闘
を前提とした侍が担っていたのかな?
>>669 長篠の戦いに武田騎馬軍団など後世の創作で実在しないのだけど
騎馬部隊の突撃を14世紀までは長弓や弩の斉射で防いでたのだし
より強力で音や臭いで人馬への精神的動揺をさそう鉄砲は馬防柵などなくとも有効
騎馬や長弓は古代以来強力な兵器だがその扱いは難しく長年の訓練が必要
それに比べて鉄砲足軽は短期間の訓練で戦力化が可能だったのが大きい
短期間の訓練で大量の鉄砲による鉄砲部隊は編成できた
騎馬部隊や長弓部隊などとの再編時間の差が決定的な差となる
細かな鍛冶仕事が必要な鉄砲が発達したのに技術的に簡単な鋳造大砲が発達しなかったのはなぜ?
鋳造大砲が技術的に簡単と思ってる馬鹿がいたからじゃね
朝鮮ご自慢レベルの大砲なら簡単だろ。
銅鏡 銅鐸 仏像 釣鐘 鉄瓶など細かな模様や文字まで凹凸で施した鋳型を用いて鋳造する冶金技術力が日本には古代よりあった
銃砲類は基本的に大型化するより小型軽量化する方が技術力は必要
南蛮船の大砲を目にしてながら大坂城などですら大砲への備えは無かった
当時の大砲の射程は約2〜3kmもあるのに本丸を有視界弾着観測が出来る地点に配置している
船場や玉造は本丸より遠くまた低地で弾着観測は不可能だが本丸直ぐ北の備前島などからは天守閣へ距離も近く直接照準が可能
逆に大坂城本丸や二の丸に大型加農砲を集中設置すれば無敵の要塞になった可能性は高い
寺院の鐘を鋳造する技術はあったわけだし
青銅砲なら作れたと思うけど無いんだよね。
国友鍛冶がわざわざ鍛造で大砲作ろうとしてるくらいだから
大砲自体の需要はあったと思うんだけど
>>677 鋳物ってのは大きくするほどスが入って難しくなるんだけどね
馬格の関係で運用に難のある大砲より、大鉄砲の集中運用の方が使い
がってがよかったのでは?大阪攻城戦でも大砲暴発事故で攻め手に多数の
死傷者だしてたよね
和製大砲が登場したのは島原の乱でしょ
尾詮の鋳型を作るには強度不足で長年解決できなかった
石火矢みたいな小型の大砲なら鍛造で作れたけども
日本の青銅技術については大陸に劣ったな
色々すっ飛ばして朝鮮に固有領土を得たとして、明を滅ぼして成立した清に追い出された可能性が強い気がする
秀吉が死亡した後、恩賞問題が朝鮮の土地で解決したとしても遅かれ早かれ三成派vs徳川派の対立で政情不安定になるのは避けられないと思う
清としては隣接した鉄砲大国の土地を放置する理由はないんじゃないかな
>>682 あのころの清はそこまで大軍を擁してないし
明を滅ぼせたのは明内部の反乱があったからだし
追い出すことは出来んでしょ
>>682 ただ、日本も本国が秀頼傀儡政権下の対立でガタガタになっててまともな援軍が期待できないんじゃないかなって思ってさ
そしてガタガタになるのは秀吉死亡=朝鮮制圧直後からだから当初から朝鮮統治大名への支援は期待できない
>>684 清も家光の代まで南の亡命明政府と戦争してたんだが
半島にかまけてる暇はないよ
大陸王朝は統一なると、戦力リストラと冊封体制確認による王朝正当化
の為、周辺国に軍事行動を起こしてくる。半島に封じられても本土からの
後詰がなければ防衛は無理、後詰の為には安定した政権が必要になるわけ
で・・
清に代わるのは関が原大阪の陣が終わって国内が収束してからだよ
大体豊臣政権が半島を維持するほど健在なら家康が行動起こすわけないんでね
清はまだ大陸統一すら成し遂げてない
あと中国が周辺に侵攻するのは3代目以降が多い
成長した秀頼がどんな大名になるかはわからんが、傀儡のままでいるなら徳川(秀忠)派vs毛利派にでもなってたかね
朝鮮出兵の無駄足が三成追い落としにつながったとは言え、三成への不満の根源は秀吉の寵愛を盾にした政治手法
そうとなれば、朝鮮出兵が元からなかったとしても、家康存命時に関ヶ原やそれに準ずる合戦が起きた可能性は高いと思う
仮に対立があってもそれは織田から秀吉になる過程の小競り合いで終わったんでねーの
ま清なんてこの頃は統一に忙しく外国に目を向けるほど余裕ないよ
7万動員して1万弱が守る倭城落とせなかったのに
戦争抱えてた当時の清に10万、20万動員する程国力は余ってないです
朝鮮出兵は戦をするたび主に明軍に関が原と同じかそれを軽く越える死者が出てて
どんだけ血なまぐさい戦役だったんだろうな
そこら中腐乱死体だらけでさぞ臭かったろう
封建制度の武士社会だから不本意でも朝鮮半島に国替えしたら大名は一所懸命に頑張るよ
北条征伐時に家康の関東転封を見送り伊豆一国加増に留めておき
朝鮮征伐で確保した南部3道に徳川転封とすれば豊臣政権は安泰
石田とかテクノクラート達に関東開発をさせ武闘派と軋轢を生む機会をつくらなければいい
北条征伐と奥州仕置で生じた東国浪人対策に朝鮮征伐を企画するのは合理的
家康には伊豆を加増する程度にし前田を北陸から関東へ移封
徳川がせっかく根城張った関東に石田を介入させるだろうか
数少ない戦の結果がダメだったから侮られやすいけど、秀忠もその辺は割と優秀だぞ
>>694 でも言葉も文化も違う住民と主従の関係を築けるだろうか
史実の出兵した武将たちも苦労したみたいだが
もともと李朝の悪政で権力者を信用しない土地柄だよ?
>>695 家康を関東に移転させたのは大坂から遠ざけるのと同時に東海道の大半を握られてる状況から脱却するため
しかもこれは朝鮮出兵以前の話だから、家康に関東を与えないという選択をするのはかなり無茶だぞ
>>694 どうあがいても左遷にしか見えない朝鮮転封を家康に命じたら、その時点で反三成派が決起するわ
不安定な大陸に政敵を追いやって自身が権力を握ろうとしてるようにしか見えん
いっそ三成を朝鮮南部総督府(仮)に命じてみる
>>700 イエズス会報告でも政敵を半島に放り込むのでは?と報告されてましたね
ただ、この場合は主に秀次派を指していたようですが・・
警戒しつつも東国の抑え等で一門扱いの家康はまだ必要だったということ
ですかね?
いつの時点で転封大名が遠征大名から受け継ぐかによるが、遅くなればなるほど徳川転封は無理になってくる
三成が家康を出し抜けるかっていうとかなり微妙だしな
>>696 だから徳川の関東国替えを止めて朝鮮に国替えするんだよ
>>704 徳川の関東国替えは1590年
文禄の役は1592年で、朝鮮出兵が成功した場合でも制圧して国替えとなるとさらに後
徳川が大動脈である東海道を握っている状況をなんとかしたいのに、二年以上放置してどうすんの?
秀次派が仮想敵で、家康は少なくとも名目上は秀頼派
こんな状況で三成たちが家康を朝鮮に飛ばしたら、秀頼派総決起を呼んで1600年を待たずして三成の命運が尽きるな
秀吉は家康のことを秀頼の後見人として頼ってるから朝鮮出兵よりもその認識を変えないと家康転封は無理
光秀が天下を取るには、信長存命中に秀吉を隠居させることだ!って言い出すぐらいに無理
家康を朝鮮転封させるために必要なこと
・秀吉から家康への信頼をなんとか無くす
・秀次を朝鮮制圧完了までになんとか消して早く三成vs家康の構図にする
・家康の関東転封を遅らせつつも東海道を握るという状況をなんとか打破
・三成の人望をなんとかして史実より高める、あるいは家康の人望をなんとかして史実より低下させる
ここまでやってやっとスタートライン
朝鮮転封はまるっきり左遷かな?上方から遠く離れた朝鮮は左遷には違わないだろうけど
外国との最前線にあたり大きな軍事権を握るであろう朝鮮総督(探題)は信頼出来る有力大名でなければならない
また海外植民地の経営は軍事行政ともに優秀でなければ勤まらない
秀吉が政権内で信頼し能力が高くなおかつ実力が伴うのは家康くらいだと思う
関八州への転封でさえ揉めたのに、さらに異国の地へ飛ばされるのは考えにくいな
家康の年齢を考えても、栄転ならもっと若い大名にやらされる
朝鮮には前田と徳川以外の4大老が渡海してる
日明和議が成れば徳川か前田を朝鮮に転封し朝鮮の逆襲に警戒させるのは常識的な処置
栄転だろうが左遷だろうが、秀次か秀頼がなかったことにならないと秀頼を守る家康を極端に遠くまで飛ばすことは考えられない
朝鮮出兵後だから秀吉の痴呆症は進行する一方だし、朝鮮南部を刈り取るまでに秀吉の寿命は保つのか?
関八州で内乱が起きてて大変なんです、寄る年波にはかなわないものですな、ここは若い武将に華を持たせます
と言われたら無理強いはできなくなるし
>>712 さすがに関東国替えしたら連続で朝鮮国替えはないだろ
徳川を朝鮮に国替えするなら北条征伐後すぐに朝鮮出兵し国替えのない徳川が第4陣で渡海し遠征軍主力となる
奥州仕置きは前田の役目となり加賀から武蔵へ国替えだろな
あと秀頼が産まれたら秀次を朝鮮に派遣して家康に補佐させかっこを付ける
関東国替えがある時点でどうにもならないが、関東国替えをしないわけにもいかないというジレンマが発生するからどう考えても徳川の朝鮮国替えは無理ゲーすぎる
信長の野望みたいにポンとクリックするだけで国替え完了となれば楽なんだけどな
>>716 現代ではポンとクリックするだけで海外転勤になるでござる(´;ω;`)
>>715 秀吉は大老全員頼ってたが?家康は実力者だから頼って当り前
>>716 佐々の肥後経営失敗の例もある関東の国人領主をコントロールするのは難しい
秀吉は朝鮮は簡単だと思ってたんじゃないかな
家康はじめ有力外様大名はできるだけ渡海させず譜代を中心に出兵している
手柄をたてさせ領地を与えたかったのではないかと思うのだが
>>720 九戸城攻めでもそうだが徳川軍は実質的に譜代に近い扱いだな
大老大名はみな外様と言うより譜代扱い
いち早く秀吉と同盟を結んだ毛利(小早川) 上杉 宇喜多 前田
朝鮮出兵時は鶴松君夭逝した後で秀頼公はまだ未誕生じゃないの?
信長公を真似て甥の秀次に家督と関白を譲り自身は太閤として院政を敷いた
朝鮮の役では最大で二千人を動員している。
これは延べ人数でしょうけど
当時の日本の総人口は四千万人程度だから、単純に計算すれば国民の半分が動員される一大外征だった事がわかるよ
こんな大動員が可能な国は、当時のヨーロッパには存在しない。
この当時の日本の国力は、明やオスマントルコと比較しても遜色がないものだったとも考えられる
その点は評価しても良いと思うがな
トルコや中国なんて弱小国と比べるなよ
ドイツや英国だろ、日本のライバルは!
>>720 当時の地図って結構いいかげんだったからな。
いけそうなサイズに見えたんじゃないか。
当時の大国
イスパニア オーストリア オスマン ムガル 明 日本
関係ないが大河でも秀吉ラスボス化しだしてちょい吹いた
730 :
名無し三等兵:2011/06/13(月) 12:31:20.53 ID:LWBHkm0M
秀吉の死因て脚気が有力らしいじゃん。即ち玄米や小麦取らない白米だけの生活していたのが原因ね。
戦地に出向いて粗食を食べるようなれば脚気は治っていただろうから、やっぱり戦地に秀吉が赴かなかったのが最大の失敗要因だよ。
秀吉出向いていれば逆に太閤守れで兵力集中するから、分散する大名の各個撃破が精々な明軍では、秀吉の中枢部隊を叩くことは不可能だったろうしな。
>>730 成り上がりだから栄達したら贅沢したいんだろな
戦地でも白米食べてたらいっしょ
日露戦争でも陸軍は白米だったから脚気でたくさん戦地で病死してる
まあ森鴎外がみんな悪いんだけど
>>725 当時のイギリスはアルマダの海戦でなんとかスペインの侵攻を防いだころで大帝国建設はまだ先の話
ドイツに至ってはまだ神聖ローマ帝国の時代でまともに統一されていないしかも1618年から三十年戦争で内戦に突入する
三十年戦争で神聖ローマ皇帝の傭兵隊長ヴァレンシュタインは十数万の兵を率いているので余り馬鹿にはできないが
鴎外は露探だから
牟田口と同レヴェルだよ
何げに日本は有史以来ず〜と世界のトップ10大国から落ちてないんだね
有史以来一度もトップ10入りしてない隣国とえらい違いだな
>>725 中央アジアなんてほとんどトルコ系だぞ!
最大時にはモンゴルから中央アジアや北インド、ペルシア、インダス、アナトリア、エジプト、アラビア、バルカン、北アフリカを統べる大帝国がオスマン帝国無知って怖い
安宅船には大砲積んでたけどアレ国産だよね
外国産は大友氏の海城の備え付けだけじゃないの?
>>734 その「世界のトップ10大国」の日本に、太平洋戦争では世界の半分以上の国が宣戦布告をして、
みんな大勝利しているんだよなw中国様韓国様もねw
>>736 靖国神社の仏狼機は国産とか、芝辻砲は実用に適さないという話はある
当時存在しなかった韓国がどうやって宣戦布告するんだよ中学からやり直してこい
韓国人がよく自慢してる小さい大砲はどこまで効果的だったんだろうね
>>724 デタラメ言うな、明治初頭で日本の人口は3000万なのに
推定値で1200万〜2000万
明が6000〜8000万で李朝が300万〜600万
全朝鮮の人口が600万人くらいなら南部3道は300万人くらいか?
まあ全員強制移住させれる人数だな
南朝鮮3道に国替えになっても内地から優秀な日本人農民を連れてくれば石高は申し分ない
農家の次男坊以下だと新たに米作可能な農地を与えると募集すればかなり集まるだろ
>>742 つ宮崎克則著『逃げる百姓,追う大名 : 江戸の農民獲得合戦』中央公論新社
>>744 それは江戸期になり幕府により移動制限されたからだよ
野放しにすると重税に苦しみ耕作放棄し江戸大坂京都に流民が溢れスラム化する
安宅船に搭載されてた大筒や大砲って尻込式?
ガレオン船の備砲は尻込式だよね
明朝連合軍はやはり総体として弱い
朝鮮は文弱化していたから仕方ない、平和の証拠といえなくもないが
明の弱さは言い訳が利かん
既に満州などの大反乱を何度か経験し、将も兵法も育っているはず
更には戦場が属国内という地の利に加え、
日本が総数10万を超える大戦を体験したのは朝鮮戦役が初であり、対する明軍は歴史上何度も経験しているにも関わらず
あのザマは一体なんだ?経験値にそれだけ差があるなら、加藤清正ぐらい一揉みで倒せなくてどうする?
>>747 全く見当違い
明軍は属国朝鮮領内での戦闘はむしろ足枷
北方蛮族は一定の略奪をしたら撤退する
10万を超える大軍も平原での広大な国土を考えたら局地戦闘は数千前後の戦い
それに対して豊臣軍は九州、小田原、九戸と3度も10万を超える動員を短期間に経験出来た
普通属国内はホームグランドみたいなもんだろ
朝鮮があれだっただけで
>>748 は?
総勢10万が丸々衝突することはなかったが
派遣された部隊によるた数万対数万の戦いなら何度も起きてるじゃん
明は高祖の頃から北虜南倭と言って常に戦争はあったし
朝鮮出兵の前にも北は土木の変でエセンハーンのモンゴルの大軍と戦ったし
呉では恒常的に倭寇と戦闘してて一時は賊に南京を占領された事件もあったんだが
技術的にも戦国日本に負けず劣らず戚継光らが戦術や武器の研究をしてんだが
もちつけ
明が宋のような軟弱な国軍しか無かったわけではないが
建国期より時間も経ち鄭和が遠征したころから見れば水陸両軍ともに規模も技量も衰えた感あるな
北方は長城が完成し常備軍は縮小可能だったし
以前ほど北方民族はまとまってないので歩兵三十万に数万騎の精鋭さえあればこと足りた
倭寇も昔ほどは大規模な襲来はなくなり江南各所の水軍で十分こと足りた
一世紀も戦国時代をしてマスケットを駆使した最新の戦術をマスターした日本軍とは違う
つまり、同レベルの軍隊とやり合う機会が無かった、と?
日本軍だって中規模の列島にひしめく豪族の寄り合い所帯みたいなもんじゃないか
そんな烏合の衆であるはずの連中に、統制された一枚岩の軍隊である明軍が勝てないとは、どういう事だ?
兵器の質や戦術など問題ではない
長期戦略的にはともかく、戦術的には数を揃えた弓兵の方が鉄砲隊に遥かに優越するはず
鉄砲の轟音が云々など、明軍が大量の火砲を運用していた事から見れば、贔屓目に見ても互角だろう
明軍が朝鮮で食糧徴発しても、食糧手に入らない気がしてならない。
朝鮮の食糧生産率低そうだし
>>751 土木の変じゃ長城の門を突破してきたから迎え撃ったんだけど?
火兵を中心とする戚継光の涙ぐましい軍改革を知らないのか
実際、厳しかったらしいな
日本も明も朝鮮が貧しいせいで兵糧不足だった
唐入りがどちらの軍も決定的勝利を得られずに終わったのは、戦場が貧しすぎたのも主因の一つだろう
まあ、一番アワレなのは朝鮮だったろうな、とは思う
756 :
754:2011/06/14(火) 16:02:20.82 ID:???
>>752 明軍将軍にすれば驚愕動地の青天の霹靂だっただろう
大量の鉄砲と切れ味鋭い日本刀と大威力と長射程の長弓かつ兵農分離で訓練され実戦経験豊かな軍隊が万千単位で統率されている
そんな圧倒的な軍隊など夢想だにしてなく中華たる明国軍以上の軍隊などあるはずもないと驚いたのだろ
>>751 歩兵30万で事足りたって
明は負けてんだけど
>>757 明軍だってやろうと思えば同レベルかそれ以上の軍隊を日本より楽に揃えられたし
その必要だってあったはずなのに、驚天動地とはどういう事だ?
それは怠慢だし、結局は明軍がだらけた弱軍だったと言ってるようなものだろう
質という意味じゃ自由競争で戦功を立てねばならない日本兵と
苦役として徴兵された大陸の軍兵じゃモチベーションは違うだろうけどな
それでも北方問題は常に明の頭痛の種だったし
歴代に渡って赤字覚悟で精鋭を維持してたんだが
>>759 明は北元が衰退してからはまともな統一国家と戦争してないからな
最大の脅威は自国軍の反乱で外敵はゲリラ程度だし怠慢というより予防処置
土木の変で調べて来いよ
あれがゲリラの散発的攻撃なのかw
>>757 平壌の緒戦を見る限り
明軍には日本と言えば倭寇のイメージが強く
精鋭を擁すれば簡単に圧殺できると舐めてた節はある
中華王朝が無理矢理動員かければそれなりの物量は揃うだろう
しかし明朝鮮はどこまで兵農分離が進んでたんだろな
オスマン帝国と同レヴェルと見て良いのか
>>765 日本だって戦闘員の数倍の人足を農民で賄っているわけで。
>>765 中国には兵農分離という概念がないんじゃないの
北辺の兵士にも屯田させてたし
>>765 兵士を出す家を軍戸として、政府が土地を与えて自給自足させる衛所制が
とられていたものの、地方の汚職官僚による土地の横領が相次ぎ、実質崩壊
政府による食糧支給に切り替えたけど、これまた汚職官僚による横領、水増し
によって、崩壊。実態は地方有力者の私兵で国防を支える状態
最重要拠点である北方はもう少しましな状況だった模様
また汚職か
汚職ばっかだな中国は
日本もまあ、汚職が少なくないとは思っているが
中国の汚職はちょっと半端無さ過ぎるんじゃね?
平安時代とか汚職が酷かったらしいな
>>769 支那は基本的に汚職文化だから
科挙と中央集権制は汚職を産み出す温床
>>757 ちょっと待て
切れ味鋭い日本刀?
日本刀は最終兵器(使う頃には既に戦死覚悟的な意味で)であって、普通は槍で決着着くんだけど
日本刀は塹壕の中とか狭いとこでは銃剣(槍もどき)より有効だったらしいけど野戦でそんな使えるかというと微妙
塹壕で有効なのはスコップや銃床だろ。
塹壕で有効な白兵戦装備
スコップ=銃床>日本刀>銃剣
日明の槍の性能差は日本刀と剣ほど差はない
やはり驚いたのは日本刀の切れ味だろうな
>>778 ウチの爺さま曰く、接近戦で頭突きに勝る武器無しらしい
朝鮮の役で日本軍の守る城が攻城戦で落城したのって平壌以外でどんくらいあるんだろ?
ない。キッパリ
日本刀厨はどこにでも湧くが、戦国時代までは武器と言えば槍のはずだったんだが
>>783 槍と足軽が普及したのは戦国時代でも末期では?
>>784 吉野ヶ里遺跡や古墳時代の埴輪や壬申の乱や恵美押勝の変の記録を見る限り槍を持つ歩兵(足軽)は古来より戦闘の主力だが?
>>783 高価な日本刀が戦闘の主力であるはずは無い
しかし明の将軍が驚くのは日本刀だろう日本製の槍に驚くことはない
伝聞では驚きが記録で残って当然だ
当時、日本刀は、朱印船貿易の重要な輸出品だったのは事実だ
相応の競争力がなければ、中国が輸入してまでほしがるわけはない
日本刀が優れた剣であったのは認めるけどね
しかし当時の記録では、日本軍は鳥銃(鉄砲)の扱いが上手いと書かれている
鉄砲を用いた戦術を中国側は高く評価していたよ
文禄の役で八道国割をせず小西隊から毛利隊までの主力を平壌入りさせていたら戦争はもっと早くに日本勝利で決着してたのでは?
一気に北京まで行けたとは言わないが先ずは朝鮮を得て日明和議を結び大陸侵攻の足場を獲れた
日本軍が分散してなければ李如松も初戦の平壌決戦で敗死しかねない
もちろん平壌〜漢城〜釜山の街道警備に大量の補給物資が必要だし全羅道の平定軍も必要
徳川前田上杉の残り3大老軍をそれらに振り分け更に莫大な補給物資を集積しなきゃいけないが
歩兵突撃は刀を使うんだよ。短槍使う人もいたけど
長槍隊は突撃には不利だからな
浸透突破を試みる歩兵分隊は、一人が短機関銃を持つぐらいで、誰も重機関銃を持ったりしないだろそれと同じ
また、近世欧州の戦列歩兵だって、敵に出血を強いたのはマスケット銃であるにも関わらず、敵が隊列を乱したらわざわざ突撃・白兵戦を行った
それは突撃による衝撃で敵軍の組織力を奪うためで、マスケット銃を撃ち続けるよりずっと勝利に有効だったからだ
死傷者をより多く出した武器=唯一有効な武器ではない
上兵は謀を伐つ
兵を伐つのは、城を攻めるよりはマシ、程度の下策だ
刀は上兵の戦法に必要な武器だった訳
後、日本刀は普通に兵卒クラスでも持ってる奴が少なからずいたよ
数打刀っつー粗悪品が大量に出回ってるからね。まあ、粗悪品っても普通に
強力な刀なんだけどな
大名や、江戸時代に武士がオーダーメイドする様な名刀とはまた別の量産品
が大量に出回ってたんだよ
普段使いから美術品級と日本刀はピンキリ
日本刀の価値が大幅に上がったのは江戸時代以降
戦国期は武器と言えば槍で、名が残っているのも槍が多い
代表格は本多忠勝の蜻蛉切りや黒田節に唄われた日本号かな
>>792 だーから、そんなん適材適所だっての
どっちが主流とか、そんなの無いから
戦国時代に「剣豪」とか沢山いたし
これは分かりやすい釣りの流れ。
鈴木アンチは針が見えててもすぐ食いつくから困る
刀はサブ・ウェポン
弓・鉄砲、槍を持っていても、一本くらいは腰に差しておける。
かさばるメイン・ウェポンでは、そうはいかない。
あといくら鉄砲や弓の方が優秀だからって、白兵戦の武器を持たないでは心細い。
敵が飛び込んで来たときのため、万が一の遭遇戦のため……そして仲間同士の喧嘩やギンバエの時にも。
>>787 そういや当時の日本では銃に関して他国以上に命中精度を要求してた都合から、
火打石を叩く衝撃で狙いがブレやすいフリントロック式の銃に見向きもしなかったって説もあったね
>>795 あのね、メインだのサブだの、なんて分類自体が見当違いなんだよ
刀は突撃で敵陣に斬り込む場合に必要なんだよ
槍は長いし重いしで、穂先を前に突き出しながら走るとバランスが悪い
突撃の衝撃力を削ぐ刀なら程よい長さだし、上段に構えても中段に構えても姿勢を崩さずに走れる
敵の槍壁を薙払うにも刀の方が都合が良い
突撃の衝撃力は勝利の要だ。それを支える武器がどうして副次的であるはずがある?
槍というのは防御に向いた武器であって、攻勢には向いていない
特に長槍などで突撃など、正気の沙汰ではない。敵に当たる前にすっ転ぶからな
弓や鉄砲は出血を強いるが、衝撃力が無く決定打にはなりがたい
弓や鉄砲で敵を削り、鉄砲の発砲音で士気を削り
槍隊の防御で敵と揉み合って敵陣を乱し
機を見て刀隊の突撃で蹂躙し、敵を壊乱せしめる
この様な諸兵科連携こそ勝利の鉄則だというに、何故に各兵科をメインだのサブだのと序列化しようとする?
単に貶めたいだけだろ
日本が命中にこだわったのは、補給が心細いから
この「命中」か「速射(連射)」か、の争いはヨーロッパでも起きているが、
速射が重視されるのはナポレオン以降の補給系が確立されてから
明の司令官が日本刀で騎馬ごと切り殺されたとか証言してるけど
だから鉄砲と日本刀の間合いに入るなと
俺らが想像する日本刀がどれほど実戦で使われてたのかは疑問だね
おそらく日本刀ぽく見える長巻だったんじゃないかと思うんだけど?
言ってみれば日本刀を巨大化させたやつでしょ
>>799 苗刀が制式化されてるあたり、本来に俺達が第一に思い浮かべる日本刀だろうよ
長巻だったなら、苗刀じゃなくて関羽の武器のアレを日本刀の刀身にした様なのが制式化されてるはず
801 :
795:2011/06/15(水) 15:00:40.69 ID:???
>>797 少し前のレスで「弓や鉄砲は出血を強いるが」と書いたのは俺自身だよ。それにちょっと考えてみれば分かる話だが、
その「防御に有利な」槍襖に、足軽が持つお貸しの長脇差し程度で、突入したところで有効な攻撃になるだろうか?
突入は番槍やお貸し脇差しではなく、個々人が自分の持ち槍を持った、上級の侍たちの役割だ。
ランツクネヒツで言うと、カッツバルゲルを持った一般兵と、完全装備の倍給兵の違いだ。
馬ごと切り捨てるのは長巻の仲間の大太刀だな
長巻は徒士でも使うけど大太刀は騎馬武者が突撃の慣性で扱うもの、振り回す武器じゃない
>>801 実際に有用だったと、敵側の史料に書いてあるんだからしょうがねーだろ
自軍を誇るのに誇張を入れまくる明軍がそこまで書いてるんだから、嘘ではないだろうよ
「槍を切り落として懐に入り、散々にやられた」って書いてあるんだからよ
西洋剣とは切れ味も違うだろうし、その辺が原因じゃねぇの?
西洋は同じ事をするのに、切れ味の代わりに刀身の重量を増したツヴァイハンダーを
使ったが、日本刀の切れ味ならそんな必要は無かったと
そんな所だろうよ
「馬ごと斬り殺された」……バイオレンス・ジャックじゃないんだから。
日本刀マンセーに走る余り、物理を無視して常識的な判断を忘れなさんな。
日本刀の有用性は、倭寇でもつとに知られていることだけれど、個々人の
技量がものを言う小規模な“戦闘”と、多数の火器が飛び交う“戦争”とは
全くの別もの。
そりゃ火力で圧倒したあと、決着をつけべく突入する局面でなら役に立つ
かも知れないけれど。
宮本武蔵も(修練を積んだ武芸者にとっては)槍と刀の差はそれほど無い
ようなことを書き残している。槍は間合いに入られたら打つ手が無いし、
薙刀は振り回す関係上、どうしても後手にまわりがちだと。
これは西洋剣術の話しだが、互いに甲冑を着て木刀や槍でどつきあう
『アヴァロン』の仕合を見た限りでも、一対一や少数同士の戦いでは、
意外に剣も負けていなかったよ。
けどそれは数を頼む槍足軽や弓足軽、鉄砲足軽が持ってる脇差しでは
ないよ。上級の武士は10kgほどもある大鉄砲や、持ち槍などと従卒に
持たせて局面に応じて武器を取り替えたし、そのことは『雑兵物語』に
もそう書いてある。
俺は、突入組はそうした腕に覚えのある士卒の役目だと言っている。
主戦力が飛び道具であり槍なのは動かない。
馬ごと斬り殺すと言っても両断したわけではあるまいて
戦国期は、日本刀の技術に関しては、室町や鎌倉期と比較して明らかに劣化しているよ
それは当時の人々だって認めている
秀吉を始めとする、戦国大名たちが、そろって室町・鎌倉期の古刀を富と権力の象徴として買い求めたのは
それだけこの時期の名刀が、戦国期の刀と比較して優れていたからだ。
ともかく戦国期には、質より数で来たし
そもそも合戦の主力は鉄砲だったから、名工はそちらの生産に移り
日本刀も粗製で数を揃える事を優先され、大量生産型の質の悪い刀が作られていた時代だ。
つまり朝鮮の役で海を渡った兵士達が所持していた刀は、大名やそれに準ずるクラスはともかく
一般の兵卒の刀に関しては、そんなに質の良いものを保持していたとは考えにくいが?
黒田長政は自ら首獲りしようとして後藤又兵衛に咎められたってエピソード
あったね。初陣なら大名や準大名クラスでも、首獲りにはしったんでね?
>>805 突撃の時に役立ったならそれで良いだろ
突撃にしか役に立たないからサブだってんなら、重騎兵もサブか
戦の花形と言われた騎士達に失礼だぞ
諸兵科で連携してる部分にメインだのサブだの序列化するのが間違いだと言ってんだよ
戦闘では切れ味よりも耐久性の方が大事だし、中国や西洋の剣と打ち合ったら
日本刀はあっという間に駄目になりそう。
>>合戦の主力は鉄砲
それはないだろ
よほどの技量を持った人間が大量に日本軍にいたならまだしも、一人切ったり間違って武器同士の打ち合いなんかした日には使い物にならなくなる日本刀が主力とかありえないよ
槍と違ってリーチもなく、中華刀や西洋剣みたいに強引に押しつぶせるほどの重量もなし
こんなんで突撃した日には、速攻で武器を失うぞ
>>808 小早川秀秋にも似たエピソードがあったな
明兵の首をとったが、秀吉から軽率さを咎められたという
>>810 >>812 多少刃こぼれしたり脂がついた程度で「切れなくなる」って事は無い
普通に刀そのものの重量で割と叩き斬れる
そもそも、斬れなくてもそれ自体が「鉄の棒」である事は変わらんから、鈍器として使える
突きならもっとやれる
まあ、そもそも一人が6人も7人も殺すって事がまず有り得ない
7倍の敵軍を殲滅した事なんて無いからな
あと、日本刀は西洋剣や青竜刀と比べても普通に重量あるぞ?
重心配分が良いから、あまり負担をかけないだけで……
「両手剣」でなら軽量だが、普通に3kg超の打刀とかあるし
それと、西洋剣とか支那の剣は鋳造で鋼に練成するのもあんまりやってないから、脆いぞ
ロングソードなんか、数人の頭を「叩いた」程度で「ぐにゃりと曲がる」からな
>812
現物見たら、そんな感想にはならないと思うんだけどなぁ
三島の美術館で見たときは、そんなに柔なイメージはなかったよ?
有名な将の持ち物ならともかく、雑兵レベルの持つ日本刀は当然脆いし切れ味もかなり甘いはずだぞ
槍までに決着が着かないと特攻兵器・脇差で死なば諸共という覚悟で戦わないといけなかったのが当時の戦だよ
ゲームやアニメみたいに、ある程度の距離で日本刀の達人が槍の達人と互角以上に戦うなんてありえん
腕が同じような状況で超至近距離から戦闘開始とかいう状態じゃなければ槍が絶対的に有利
個人対個人ならまだ隙もあるだろうけど、集団戦闘だとそれもなかなか望めないしね
>>816 「はず」とか言われても知らんよ
鍛造だし構造は大きく変わらないんだから、最低限の能力はあるんだろ
別に、特別丹念に作らなきゃ、薄いアルミ板みたいに脆くなる訳でもあるまい
「飛び道具で敵軍を削り、場合によっては槍隊で揉み合って、敵の陣形を崩してから」突撃に使ったんだろ
懐に飛び込めば刀が圧倒的に有利だし、陣の切れ目に複数人が突撃すれば槍隊の迎撃能力を超えて突入される
それこそが「集団戦闘」というものだ
日本刀を不当に貶めるのは止めろ
槍vs刀みたいな不毛な最強議論モドキなど、話にならん
諸兵科連繋・適材適所だろうが
あらゆる戦局で常に槍が刀に優越している訳ではない
戦局に合わせて積極投入する場面が異なるだけの話なのに、それが何故
メインだとかサブだとかの序列の話になる?
>槍までに決着が着かないと特攻兵器・脇差で死なば諸共という覚悟で戦わないといけなかったのが当時の戦だよ
なんかそういうアニメかマンガがあるのかねー(笑)
>>816の超知識にはもう鈴木は足元にもおよばないな。
アニメやマンガだと無駄に日本刀万能になってね?
数十人相手に日本刀一本で無双するアニメやマンガがいっぱいある気がする
>>821 えっ
いや、書いた本人が言うのもなんだが、そんな変な事書いたか?
粗悪品でも5人くらいは斬れるだろうし
斬れなくなるって言っても別に刃が折れる訳じゃないし
突きにはまだ多少は使えるし
鍛造だから結構丈夫だし、日本刀がだいたい1,5kgくらいの重量で、西洋剣とかに比べても重量で劣る訳じゃないのも本当だし……
槍隊の密集陣形に切り込めれば、かなり有利なのも事実だし
つまり合戦の主力は日本刀だし
日本兵はスラムキングみたいなのばっか
言わせんなよ恥ずかしい
日本刀は簡単に刃が欠けたりしないから使い勝手いいが実戦では5人も斬ったら血糊で使えない
西洋剣や青龍刀などは斬ると言うより殴る類だな
予想通りに「血糊うんぬん」という都市伝説が来たか
そんなメカニズムはありはしないのに
名のある武士なら必ず従者がいて、刀にしろ槍にしろ士鉄砲にしろ持っていて
もらったんだが。一人で携帯武器を運用するのが求められる<兵士>と
従者の存在が前提の<戦士>を混同してないか?
>>824 そもそも5人も斬れれば充分だろ
5倍以上の敵軍を殲滅する様な戦闘って古今東西では見かけないし
個人戦闘的なミクロな話は各論で意見対立しても
朝鮮征伐と言うマクロな話だと戦闘も補給も兵の質も日明両者の歴史的資料を見る限りは日本優勢で一致している
太閤秀吉の死がなければ勝ち戦の日本軍の撤退は考えられず
すでに莫大な損耗を出していた明軍には朝鮮放棄以外に選択肢はない状況だった
冊封国への後詰め保障の放棄は冊封体制の崩壊を招き明は急速に周辺民族の支持を失い紛争が多発する
蒙古満州の諸民族が明を見限れば女真をはじめとする反明勢力を拡大させ国家の危機となる
ますます朝鮮になど関われなくなり山海関以北は放棄せざる得ないだろ
>>807 抜刀突撃して騎馬兵を切ってたのは中級以上の武士じゃないのか?
そこそこの拵えの刀を持ってさ
雑兵は槍と鉄砲以外は邪魔だから最低限の小太刀しか携行してなかったしな
>>829 普通の打刀持ってる雑兵もいたよ
そもそも、まだ国人衆も勢力残ってる時代だし、持ってても変じゃないだろ
流石にあの時期だと、武器も完全に個人の自前って訳じゃないし
中流以上は侍頭とか、下士官以上の役割やってるよ
>>828 ただなー
日本としても別に朝鮮なんかイラネーんだよなー
明朝との貿易再開は、結局は対馬や属領化した琉球との三角貿易で解決しちゃったしなー
日本の方も本国が荒れたし、持久戦をやるってノリじゃなかったし
まあ、冊封体制から名実共に抜け出したって事にはなったんだっけ?
「日本刀を不当に貶める」これが全ての元凶なんだよ。
>>817辺りは概ね正しいんだけれど、余計なことを書くから信者と見なされる。
あと日本刀の切れ味には当然限界がり、槍や薙刀、長巻きより太刀を重視する武者なら、何本か代えを持って戦に挑んだよ。当たり前。
だけど戦国末期の戦は既に集団戦に移行しており、そうした武辺の武者が活躍する機会は、そうそうなかったのが実情だ。
>>830 言いたかったのはその国人クラスの足軽大将、足軽小頭のことだけど
日本刀ばかり悪口言われるが当時外国の刀剣もそんなに切れたもんじゃないだろう
重さで叩き切ると言っても硬い物体に当たると刃捲れができるのはどこも同じはずだし
明兵の使う刀剣が恐ろしく切れる云々の記録はどこにも見つからない
よく武器図鑑に出てくる中国の巨大な刀槍類も述懐されてないね
>>831 秀吉は豊穣や不毛は別として恩賞に配る土地が欲しかったんだよ
>>834 信長みたいに茶器や金で恩賞払えば良かったのにな
信長の臣下のくせにその辺冴えてねえな秀吉は
>>835 秀吉の時代になると流通網が発達して
小金持ちの庶民も茶を嗜むようになり
大名の間で茶碗や名刀の価値が下がってしまった
>>831 日本が冊封体制にいた時期って卑弥呼の頃・遣唐使・勘合貿易、
せいぜいこの三つだけしか思い浮かばんし、それ以外は名実共に冊封体制の外だろう
まあ中国としても前近代で日本から仕掛けた戦争が唐入りだけだったんだし、スルーしても何の問題もなかったろう
足利義満の次代将軍の足利義持は直ぐに冊封体制から脱却してる
失業した舟方が倭寇化したのもこの頃
>>836 だから、金で恩賞を払えば良いと思うけどね。俺なんかは
封建制なんて土地が限られてる以上、すぐに飽和するんだし
そもそも資金さえ出せばまだまだ石高が上がる未開発の土地も多かった訳だし
配下のために内政そっちのけで土地を求めて侵略しなきゃならないのは非合理的だよ
そういうのから信長は脱却を図ってたのに
そもそも歩兵の持てる重さは変わらないんだから西洋東洋でそんなに強度が変わる訳はないっていう
同じ安物でも鋳造と鍛造じゃ天と地ほど差があるし
>>839 この時代は金がどれほど取れてたの?
黒川金山は秀吉時代には掘り尽くしちゃったよね
>>839 秀吉の外征思考は信長の影響
金一封は一度限りだから郎党を養えないじゃないか
それに外征は失業対策法
>>841 金は天下の回り物というだろう
経済を回しつつ税を取ってれば、与える金に限界は無いのだ
>>842 北条にならって税を下げて商工に投資すれば良い
信長はそうしていた
信長の革新的な所、織田の経済力の要因はそういう部分なのに、秀吉はそういう部分で駄目だな
>>839 秀次は大名に金配って秀吉の猜疑を招いたのでは?
>>841 佐渡や鹿児島で金脈が新たに発見されるから無問題
>>844 あの当時の秀吉は既に頭沸いた耄碌爺だろ
>>828 朝鮮は寒むく言葉も通じないので派遣された武将は嫌がったらしいけどな
まあ秀吉の存命中は南部三道は維持してたろうけど
>>847 南部3道はそんなに寒くない
咸鏡道 江原道 平安道 黄海道が極端に寒いだけ
,. -‐‐‐- 、
/ \
{ ,.-、___ノノノハ )
! ,.-、j _ ノ
ゝ6 ' ` '⌒( だ〜れが騙った
ゝ.ー-‐‐v‐一 ) n/ノク'j
i⌒ヾヽn‐-‐ハ,ij { ゝ( ノ
ト、 ,ゝ )V <,ij/ヾ、/
l \二ンヽ,/ハ____ノ
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l l !
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'ー------'`ー---一'
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_ /ヽ/ ,.-、___ノノノハ )
\{`/ ! __ j _ ノ
| l //>' 6` ` '⌒( 安全性♪
lてl l l/ _ゝー---‐v‐-‐ノー-,__
\{ ヾ!_/_ ヽー----‐‐'__(_三
\ ヾ、 ヽ(_三∨/'
`ー、ヾニニ[]ニニン
L{ ! /
! `ヾ_/
`ー'
>>848 南部三道も良くて東北並みだろ。
っか、朝鮮軍陣図屏風では蔚山戦なんかでも
河川は凍結して描かれてるな。
つか嫌がってなきゃ秀吉死んで速効で撤退命令なんて出さんだろ
せっかく占領して防衛にも成功した土地を手放すなんて
土地は財産だった農耕民の日本人ですらよほどキツかったんだろう
>>745 農地を放棄して逃げる百姓など、そうそういないよ。
なぜなら、当時は農村部の方が豊かだったからだ。
それに比較すれば都市部の多くが貧しかった。
実際、人口増加は、農村部が常に高く、都市部は常に低かったからな。
日本刀の事ばかり出されているが、当時の主要兵器は鉄砲や弓と槍だった。
鉄砲はすでに再三論じられているけど。
和弓に関して言えば、竹と木を組み合わせた強力な合成弓であり。
一撃で船を沈めたとか、そんなヨタ話は信じられないにしても、貫通力は相当のものがある。
並の鎧衣では貫通できるだろう。
>>832 柳生十兵衛の父親の柳生何て言ったかな?
名前は思い出せないが、彼は将軍の前で冑をそれを乗せた碁盤ごと叩ききっている。
このような芸当を出来る武芸者はそうそういまいがな
しかし常識で考えれば、鎧衣は身を守るために作られるものだから
日本刀や槍で簡単に貫かれるものは作られないはずだ。
西洋では、レイピンのような突くことを主体とする剣が発明されたのは、鎧衣の間に剣を潜らせる戦法のためだった。
しかし日本刀は、一貫して切ることを主体として発展している。
この事実は少々、気になるところではあるがな
>>850 戦国時代には普通に北陸地方でも河川は凍り付いてるよ
たぶん今よりは寒いんでないかい
緯度的に見ても朝鮮半分南部は東北地方と同じくらい
降雪は少ないので東北地方太平洋岸から北関東に似た気候
>>854 石舟斎とかシルクドソレイユみたいなものサーカスと一般人を同じくするのはどうか
そもそも日本の鎧兜は長弓対策が主だよ
日本刀対策は鎧兜が重くなりかえってマイナスでは
>>852 日本史の教科書などで取り上げる伝記や古文を見るかぎりは律令体制の口分田制度もそうだが農村は慢性的に田畑不足で流民供給地
芥川の羅生門は創作だが流民が京へ流れるのは平安時代以降常識だった
>>857 江戸時代には農村部で増加した人口の受け皿となったのが都市部だったのだよ
政治が安定して人口が増大すると、田畑の不足が起こるのは必然だった。
そうした結果、都市部に人口が流入するのは考えるまでも無く理解できる事だが。
>>853 いい加減にしろ
俺は「メインだのサブだのと序列化するな」と言ってるんだ
諸兵科が連携してこその軍隊だろうが
>>856 人を殺すのにもっとも有効なのは斬ることよりも刺すことだよ。
その方が傷口が小さくとも深くなり、致命傷となりやすい
斬ることを主体とした戦いは、皮鎧か衣服のような無防備に近い相手との戦いで用いられるのが普通だ。
そのことを考えれば、日本刀というのは特異な武器だなと言っているだけでね
>>855 それは、まあ、近年の温度上昇が異常なだけで、戦国時代は現在より少し寒かった
当時は小氷河期と呼ばれる地球規模の寒冷期であり
戦国時代の到来も、この小氷河期が来た時期と一致する事から、関連性を指摘する説もあるくらいだ
>>859 防具と武具の発展は一体のものだよ
優れた防具が出来れば、それを打ち破る武器も求められるようになる。
そしてその武器を生かした戦術も考えられるようにな。
近代において、機関銃の発展が騎兵を消滅させ、塹壕を用いた兵術に進み
塹壕を用いた兵術が戦車を生み出し、戦車が戦車をウチ破る戦車を登場させたようにね
つまり個々の武器を見ない限りは、兵術も防具も語る事はできないさ
メインとサブを序列と考える方がおかしいだろ。
槍足軽の主武装は飽く迄も槍だし、鉄砲足軽の主武装は飽く迄も火縄銃。
部隊全体のメイン、サブの区分けと個人武装のメイン、サブを敢えて混同して
序列化すんなと言ってる方がおかしい。
ATMとARのどっちが主武装?
みたいな話だしなぁ
刀持った足軽もいるし槍持った足軽もいる。侍はどっちも(刀だけもいるか)持ってる
肉を散々切った後の包丁なら、ペーパーナイフと同じだから首筋に当てて引いても大丈夫。。。
なんて馬鹿はいないだろうに、何故日本刀だと安全になるのかと。
>>864 兄さん兄さん
それ血抜き済み
そもそも西洋東洋の剣にそこまで重量差ない
>>364 この件の歴史群像を買いたいんだが、バックナンバー漁ってもそれらしいの見つからなかった。
誰か何号か教えてくれまいか。
>>864 まさか生きてる人間や動物と体毛も皮下脂肪も体液も血液も除去し食肉処理された肉を同一視している香具師が軍板にいるとはなw
868 :
名無し三等兵:2011/06/17(金) 10:50:36.46 ID:IRCSA9OP
>>610 家康公をぞんざいに扱えなった状況があったと考える。
秀吉には、家康を殺す機会すら何度もあった。
(家康を単独で上京させたり他)
しかし、それをしてしまうと
家康の部下などが大乱の元となってしまう。
大乱が大乱を呼び、秀吉の政権は崩壊というのが予見できたからこそ、
秀吉は安易な決断をしなかった。
せいぜい、家康を江戸へ押し込むので手一杯だったんだろうね。
869 :
名無し三等兵:2011/06/17(金) 10:57:14.63 ID:IRCSA9OP
>>616 秀吉が家康を殺害→家康の部下と親族たちがキレる→東海地方が戦乱の地域となる
→便乗して政宗などの野心を持った大名たちも独立→秀吉に反感を持っていた大名たちも一斉蜂起
>>867 まさか人間の脂肪や体液がプロテクターになると言い張る香具師が軍板にいるとはなw
手元の本に
精肉前のつまり血抜きする以前の豚の頭蓋骨を試し切る実験がある
普通に何度も切れてるんだけど
日本刀とナイフの類を一緒にするのはどうかと
>>866 第100号の
中西豪 「朝鮮出兵」渡海作戦のことだと思う
ちなみに記事内では「海上補給路」の用語は出て来るけど
目次にでててる<成功した戦国の海上補給>は編集部のミス
と見ていい。内容は通説で言われてるように、海上補給路を
脅かされて敗退という事実はなく、本土撤退まで海上補給路
自体は機能し続けた事を検証している。
>>871 精肉用のナイフは一体毎および部位毎に交換消毒が義務づけられてるが
同じナイフで何体も捌いたら菌を撒き散らすだろが
>>870 プロテクターになるなんて読解してる香具師は藻前だけだろw
脂身をたくさん切ればはナイフの切れ味を無くす
同じく刀も人を斬れば斬るほど切れ味は悪くなるのは道理
>>874 いやナイフじゃなくて
日本刀で豚を試し切ったやつ
>>854 武術を知らないなら軽々しい書き込みは控えなよ。『兜割り』は実際にあるけれど、兜を真っ二つに切り落とすことでは無いぞ。
兜を構成する鉄板を破り、“もし人が被っていたら頭蓋に届いた”状態まで斬りつけたら、それで『兜割り』と呼ばれることになる。
兜を真っ二つにするのはまず不可能だし、ましてや碁盤までなんて講談のヨタを、さも事実のように語りなさんな。
あとレイピアは、普段着の時に着用するスモールソードから発達したもので、その背景には火器の発展とそれによる鎧の衰退がある。
エストックやコリシュマルドなどの、メイル・ピアサーと混合しているよ。
>>874 どーせおまいは「脂で切れなくなる」メカニズムも説明できないんだろ?w
まさか脂で金属が溶かされる、なんて言うつもりかよw
日本刀と包丁は造りからして違うもんだってことも知らなかったくせにw
時代劇じゃあるまいしよほどの剣豪でもないと一太刀だけで鎧武者を無力化出来るか?
5人も鎧武者を斬ったら刃も痛むし切れ味も鈍って当然じゃ無いかな
>>861 個人携行のアーマーは近世以降は長いこと停滞してるよね
胸甲だけになってそれも次第に邪魔だからと廃れていって
ディスカバリーチャンネルで日本刀の切れ味を検証した番組があったな
豚肉を白人が切っていたよ
詳しい内容は忘れてしまったけど
>>880 ディスカバリーチャンネルでは44マグナムvs日本刀で日本刀が一発目は弾を切り裂いたが少しへこみ二発目で真っ二つになってたな
>>881 それは12.7mmだ
軍板住民なら混同すんなよ
似た様な企画は日本の番組でもやってたね
ちょっと記憶があやふやだけど、拳銃弾は易々と両断したけど、
重器の連射では6発目まではなんとか斬れたものの7発目で折れたと思った
中国で秦漢とか隋唐とか、二つの王朝をまとめて呼ぶ事がある
これらの王朝は、何れもが長い動乱期の後に成立した前王朝が終結した後に成立した
新王朝が、長期に渡る安定政権を築いた事から成り立っている。
前王朝は動乱期の収束を、無理に無理を重ねてやろうとした結果
短期政権に終わり。
代わった成立した、新王朝は、やるべき事は前王朝がほとんど片付けているのだから、すんなりと安定を築いたわけだ。
この構図が日本に当てはめるとしたら、やはり豊臣政権と徳川政権だろ
豊臣政権が短期間で終わったと言っても、その前の織田政権と共にやるべきことはだいたい済ませていた
だからこそ、徳川政権は長期政権を保つ事が出来たのだ。
最初から戦国期を終結したのが徳川政権であったなら、江戸幕府の長期政権が成立したかどうかは考える余地はあると思うがな
豊織時代とか安土桃山時代とか言うものね。
信長〜秀吉〜家康の時代は、歴史は点ではなく線で見るべきだという事を実感できる絶好のサンプルだね
安土桃山時代って名前がおかしい
安土大坂時代とか安土伏見時代にすべき
>>889 中国共産党だろ
ネタだと気づいてやれよw
>>837 ボクが思い浮かばんから無いに違いない(キリッ。無知は良いねえお気楽でw
>>843 本当にそうならば、江戸の幕府があんなに金銀銭であたふたする事は無かったろうねえ
893 :
名無し三等兵:2011/06/17(金) 21:19:22.37 ID:4MiSrFbW
日本刀といってもいろいろあるだろう、あつがさねのような鉈みたいに刀身が分厚いのや
鎧通しという鎧の隙間につきたてる為の刀身の薄いタイプとかいろいろあるぜ
戦国時代に一般的に使われてたのはあつがさねタイプだそうだよ
あと戦国時代は槍が主力で刀がサブなんていうが実際は京都や奈良みたいな場所での市街戦や
森林での戦いでは槍より刀や短槍の方が使われてたし、戦場によりけりだろ
>>884 そんなのは歴史的常識
平氏政権→鎌倉幕府
建武新政→室町幕府
織豊政権→江戸幕府
意外に思うだろうけれど、コアなミリヲタって連中は、思想的にはリベラルか中道左派だったりするんだよ。朝日新聞のそれとは
ちょっと意味合いが違うんだけれど、少なくとも盲目的愛国心とか、視野狭錯は恥ずかしいものとされる。軍事とは言わば剥き出し
になったリアリズムそのものだからね。しかもしばしばロマンティック。
逆に言えば、だからこそロマンのない醜悪なでっち上げ(プロパカンダ)には生理的な嫌悪感を感じて反発するんだ。
ルデル閣下→ハイルヒトラー!
元空幕たもちゃん→右翼
口だけの「コアなミリオタ」wwww
→「少なくとも盲目的愛国心とか、視野狭錯は恥ずかしいニダ!」
あ、自分はソフトwwwなミリオタなんでふつーに保守です。
>>896 それは外国の事だろ。
日本の左派は現実から乖離した、一種の宗教集団だけに嫌悪感しか私は感じない
そもそも九条を否定するだけで、右翼と呼ばれた時代がふた昔前まであった日本で
ミリヨタは極右以外の何者でもないな
>>898 ボルゲーゼ公もルデルもガチ右翼だけど。
まあ、あっちはこあ(笑)どころかリアルで軍人だけどなwwww
歴史を見れば、政治家や官僚よりも、軍人の方が平和路線を主張する事が多いのだがな
イラク戦争には、軍人出身のパウエルが最後まで反対したし。
太平洋戦争ではアメリカの海兵隊が最後まで反対した。
ソ連のアフガニスタン侵攻は、官僚や政治家たちがごり押ししただけで、軍は最後まで反対していた。
それは考えてみれば当然の事であり
現場で戦う軍人にしてみれば、困難と思える任務をごり押ししてもメリットはないが
政治家たちはそれとは違う思惑を優先するからな
>>901 軍人にもよりけりだろ。
イラク戦争も国防長官も軍人(将校)出身だったぞ。
戦国期の大名は軍人と政治家を兼ねてるがな
もう次スレ建ってるんだからサクサク進めろ
軍人兼政治家である大名だからこそ、本土の政治的安定なしに
半島での領土獲得は困難とみて撤退に同意したんだな
>>906 ってか、それ以前に前線に出たのは二期作・二毛作あたりまえの西国大名だから
あんな土地いらんわ、とフツーに思っただけなんじゃないかと思う。
最近、ユキチカとワカチコを混同してる人多いよ。
朝鮮で恩賞になりうるのは南3道くらい
それも朝鮮人北部強制移住させ日本人農民の移民が可能な場合のみ
はて当時は現代のような人種差別はあったのだろうか?
朝鮮の役の時は知らないがな
元寇の際は、日本は捕虜の扱いを出身地で明確な区別をつけていた
旧南宋の遺民は許し、帰国まで認めたが
高麗やモンゴル兵・南宋遺民以外の漢人は皆殺しにした。
これは民族差別だと捉える人もいるな。
ただ、南宋と日本とは当時、交流が深かった事と
モンゴルに苦しめられた人たちって事で、同情もあったからと考える事もできる
同じモンゴルに圧政を行われた国でも高麗の方には容赦はなかったのは
日本遠征に終始積極的に関与していた事が日本側にも知られていたのかも知れないな
>>903 クラウゼヴィッツが、軍人は政治の事に口を挟むなと戒めたのは
政治家と軍人が同じ見解を持つようになれば、軍事のアドバイザーとしての位置づけがあやふやになるからでしょうね
>>910 韓国では、いまでも旧百済遺民は、旧新羅の出身とされる他の地域の人たちから差別の対象となっている。
為政者が統治のために意図的に差別を煽った何て単純なものではないよ。
政治的に作られた差別であれば、政治体制が代わればすぐに改善される。
今なお続くのは、政治以上の根深いものが彼らにはあるとしか言いようが無い
>>907 文禄の時に鍋島直茂は任地の咸鏡道を自家の新領とすることを求めて秀吉に手紙出してる
この人の場合お家の特殊性で遠国で独立したがっていたのかも、という事が考えられるが
これは占領統治に成功したら次の段階として自領に組み込むを事を視野に入れる、という例か
江戸時代になって、各地域の百姓を束ねる庄屋や名主と呼ばれる豪農が出現したが。
これを最初に始めたのは加賀藩の前田利家だった。
もともと各村や各地域の百姓は、下級武士によって束ねられていたが
しかし、下級武士と言えども階級が違えば、やはり百姓達との対立があり。上手くいかない
重税を課したりしたら、村を捨てる百姓も出て、税収はかえって減ってしまう。
その改善策として、百姓に百姓を統括させる名主制度を加賀藩は初め、それが大成功して全国の大名がこぞって取り入れたわけだ。
もし朝鮮を統括するとなれば、当面は同じ制度を行うのが日本に出来たかどうかが気になるな。
直接統治するのは朝鮮人であり。
日本は雲の上の存在として君臨する。
このやり方は異民族統治ではけっこう行われているが、日本はこれまで経験がないけどね
>>910 人種差別と言うより民族区別だな統治のしやすさで区別する
モンゴル帝国の場合
最高支配層のモンゴル系
上級官僚層のトルコ系
下級役人層の北人(黄河以北の漢族、西夏族朝鮮族女真族)
非支配層の南人(黄河以南の漢族、南方少数民族インド系アラブ系他)
多民族国家の場合は支配時期により民族区別をしたり管理者をあえて異民族にしたりした例が多い
非支配民族にリーダー的な役割を持たせるのはレジスタンスを育成するに等しいからだ
帝政ロシアやソ連の様に民族を別の未開地域に強制集団移転させ開拓させる手法のもある
またアメリカの様に原住民をほぼ根絶やし非支配層として他大陸の異民族から奴隷を調達した方法もある
室町末期の日本人と朝鮮人の場合は外見的差異はあまりない、あるのは文化風習的差異、言語的差異も上方と東北の方言差異と似た程度である
現代日本と現代韓国ほどには大きな差異は無かったが、ただ決定的なのは文盲率など庶民の文化レベル
一揆の連判状や高札告知など平安期から日本人は非支配層ですら男性は読み書き計算が出来る、女性でも半数以上は出来た
また支配層は文化教養として漢文は普通に読み書き出来た
しかし世界的にみてこれは日本唯一の事象であり普通は非支配層の結託を恐れ文盲にしておくのが普通
庶民にまで文化教養がよしとされ、中世以前の奈良飛鳥時代から庶民が自ら万葉集などに歌や詩を残しているのは奇跡と言える
>>915 庄屋や名主は平安期の荘園制度から派生した中間支配層で別に前田家の発案ではない
戦国期の一身同心を農民支配に逆転用し庄屋や名主と言われる土豪を郷主にし農村管理を任せ
それまでの国人領主を家臣団に組み込み農村支配から切り離したのが江戸期の領国経営
これ以降一揆などは農民だけになり国人一揆の様な武士層をまきこんだ大規模反乱は島原以降は大塩平八郎までほとんど見られない
>>913 朝鮮人内の差別は李朝まで役人になれるのは慶尚道全羅道忠清道京畿道の出身地に限られていた
これは旧新羅百済の支配地に重なり明らかに文化風習言語も異民族であった高句麗系や済州島や欝陵島の住民を差別している
この差別は現代においてもみられ歴代大統領から大会社経営者も慶尚道か全羅道の出身に限られる
>>901 関東軍首脳に言って聞かせたい言葉ですな
>>896 ちみは左っぽい発言をしてる自分がコアだと自認したくてしょうがないタイプなのか
軍オタはリアリストが多いというだけでリベラルだ左派だのは願望だね
リアリズム≠反軍主義、反国家主義
>>916 言語的差異も3千年前から枝分かれしてたろ
>>920 しつこく絡み否定したがるのは、何かのルサンチマンか?
>>922 何にルサンチマン感じなきゃいけないの?
軍オタを左派とこじつけるのが不思議だからレスしただけだよ
まあ現代日本でも京都弁とズーズー弁と琉球弁だと文法が同じでも単語が違うから意志疎通はかなりしんどい
秀吉は名古屋弁かな?朝鮮語も方言あるみたいだが基本的な文法は日本語と同じ共通単語がムチャクチャ少ないからオランダ語とドイツ語より遠く感じる
因みにイタリア語とスペイン語はスペイン語とポルトガル語より近い
>923
お前こそ構うなよ、多分あのポン厨だ。
>924
日本国内でも、極端に方言の異なる地域同士で、どう話してたか謎なんだよね。
文語では
>>919 中国軍による民間人虐殺が広がり、国民世論から激しくバッシングを受けながら
政府や官僚たちは、すでに死文化した協定破りになることを嫌い、中国側の日本人居留民の虐殺を放置し続けた。
国民や現場の兵士の突き上げをモロ食らった関東軍の首脳が、それをどう受け止めてきたか
そっちも聞かせてもらいたいものだな
928 :
名無し三等兵:2011/06/18(土) 16:37:35.98 ID:DBm8+Pqw
>>886 篤姫でも云ってたんだけど、
関ヶ原の因縁が、数百年後の
倒幕に連なって結び付いているとか。
薩摩藩=島津家
ご先祖を意識するのは有ったのかな。
929 :
名無し三等兵:2011/06/18(土) 17:50:15.62 ID:H9riuLns
>>901海兵隊が拒む気持ちはよくわかるwというか秀吉以外の武将は軒並み朝鮮出兵に反対だたっと思う。
>>928 毛利(つまり長州)じゃお殿様との元旦の挨拶がまさにそれだったとかw
殿様:「準備まだ〜?」
家臣代表:「まだ時期が来ませぬ」
生き延びた大名達やその子孫はきちんと根に持ちますよ。
だって、今日の大名の立場やご飯ってまさにそこに繋がってるんだもん。
むしろ、そこからちゃんと統一された近代国家に移行できた方が驚異ですよ。
アフリカとかの氏族社会丸出しの独裁政権が非主流派との妥協なき内戦を繰り広げる様を見るとね。
あぁたとえ名目上の存在に成り果てても天皇がいて良かったと。
>>929 それだと奥州四国九州征伐にも秀吉以外の大名は出兵反対ってことになるな
>>930 それって司馬の創作かと思ってたわ
「広島におった頃はなぁ」なんて貧しい食卓を囲みながらグチをこぼしてれば恨みも積もるものか
まぁ幕府も知ってて見ぬふりしてる慣例行事だけどね
>>929 日ノ本の天下泰平が大義名分だった戦国時代が終わったのに、
まだ戦わないといけないのかよ・・・・・みたいな。w
大義名分という観点では、秀吉には分が悪かったはず。
説得力が無いのに兵力を動員できたのは、
強権によるものだけだったのだろうか?
秀吉は、日本史上最高の専横を成し遂げた独裁者だね。
明治時代以後でさえ戦争には理由が有ったし、口実が必要だった。
朝鮮征伐に反対してたのは一部だよ
基本的には大外様は反対だっただろうけど
>>931 前幕府の室町幕府が日ノ本六十六州を治めていたので、
新しい政権が日本を再統一するのに反対する道理は無い。
むしろ、天下一統の後に他国へ侵略できた大義名分と
説得力の無さで、兵力を動員できたほうが不思議。
この時代に秀吉を独裁者なんて言い出したらどこも専制国家だろ
民主的な現代の基準持ち出して指導者を裁けるのはせいぜい明治以降から
>>937 いくら強権的な独裁者でも、
理不尽すぎる命令は人心が離れますよ。
聞き入れない家臣も居ただろうし、
反乱の元と成り得ます。
独裁者でも一手先の保身ぐらいは予想してる。
それが出来なかった無能な独裁者は歴史上で敗北している。
(中国の董卓、ドイツのヒトラー、リビアのカダフィ)
譜代大名を国会議員か何かと勘違いしてそう
>>939 戦国期の農民でさえ民主的な影響力は有りましたよ。
宗教以外の一揆が起きないように配慮をしていた。
一揆の鎮圧は、遺恨が残り続ける戦後処理のほうが困難で、
労働力も激減する。
家康が関東へ移封された際に、前の税率の影響で、
低税率の年貢である四公六民を変えられなかった事実も有ります。
半農半兵の日本国民は強かったので、意外にも民主的でした。
上様でも無視できる存在ではありません。
>>940 農民は指導者を選ぶ権力も持ってないのに何言ってんの
日本も西洋もこの時代は権威がすべて
だから権力者たちはバチカンや京都に進んで上洛したんだよ
進歩史観や唯物史観じゃ理解できないだろうけど
室町幕府があまりにヘタレだったんで民主化は進んだのは確か
加賀など100年も住民支配で守護大名も地頭も不在、堺も町衆による自治など余りに有名
>>641 「民主的」の意味を理解してますか?
選挙などとは言っていません。
国民も影響力という権力を持っていたという意味での「民主的」
秀吉が刀狩りを施策したのは農民(国民)の武力を恐れたから。
民主的=選挙=国会という連想は短絡的。
支配者は、宗教以外の一揆には、
起こらないように配慮していましたよ。
簡単には潰せないし、一揆の強引な鎮圧は、
遺恨や労働力など、デメリットのほうが大きい。
>>941 「民主的」の意味を理解してますか?
選挙などとは言っていません。
国民も影響力という権力を持っていたという意味での「民主的」
秀吉が刀狩りを施策したのは農民(国民)の武力を恐れたから。
民主的=選挙=国会という連想は短絡的。
支配者は、宗教以外の一揆には、
起こらないように配慮していましたよ。
簡単には潰せないし、一揆の強引な鎮圧は、
遺恨や労働力など、デメリットのほうが大きい。
>>944 刀狩は一向一揆やキリシタンなどの半ば大名化した宗教勢力の武力蜂起を警戒したからで
普通の農民の影響力に苦慮したからじゃないよ
少なくとも秀吉を独裁者なんて呼べるほど影響や権力があったわけじゃない
947 :
名無し三等兵:2011/06/18(土) 22:13:59.53 ID:H9riuLns
>>934ようやく平和になって国家再生をしてる最中なのに!!とか言って怒ってたらしい。
NHKの歴史発見という奴でやってた。たしか秀吉の朝鮮支配が失敗した裏に雑賀衆など
の反秀吉派が朝鮮側に寝返ってしまったとか。特に雑賀衆は鉄砲の技術者集団で朝鮮側に
その技術と戦術を教え込んだとか。金忠善という将軍がどうも雑賀衆出身者らしいとも。
とにかく裏切りが凄かったとか
>>946 武田信玄の軍団でさえ、半農半兵ですよ?
合戦の経験がある国民が、無力のはずないでしょう。
秀吉も国民の武装は恐れますよ。
純粋な戦闘集団は、信長公の軍団からでしょう。
>>948 そもそも国民なんて概念この時代にはないんだけど?
合衆国憲法修正第2項じゃないんだからさ
軍隊は傭兵(つまり徴税権の最高峰である豊臣家の私兵)だし
権威から承認された太閤の一存にそりゃ逆らえるわけない
その状態を独裁者(つまり民主的指導者の対義語)なんて評するのも変だ
>>949 豊臣家に権力があっても、
それを取り囲む連中が曲者ぞろい。
仮に秀吉が家康を怒らせて合戦になったら、
伊達政宗や島津、長宗我部、など連鎖的に反乱が起きて
戦国時代や逆戻り。
いくら関白でも、理不尽な仕打ちは出来なかった。
統一された日本とはいえ、豊臣政権は危ういものだった。
伊達政宗なんか野心の塊で、天下取りを狙っていたくらいです。
>>950 秀吉が生きてる内は無理だな
伊達政宗は野心過剰の無能だからどうでもいい
>>950 家康を怒らせる?
三成というライバルがいてまだ天下取れるかも分からない家康に
どれだけ譜代大名が付いて来るかも不透明な時期にどうやって秀吉に逆らえるの?
どれもが後付けの評価だな
>>949 傭兵はヨーロッパの話で日本は領民からの徴発がメインでは
何か誤解があるようだけれど『一揆』とは連合体と言う意味で、ムシロ旗を立てて武装帚することでは無いよ? 村々が連帯して
領主に要求を突き付ければそれが一揆であり、大抵は武装蜂起となる前に要求が通るか、領民と領主の間に妥協案が締結されて
争いは回避された。
もちろん要求の背景に、武力蜂起も含めた実力行使があったのは事実だけれど、それはむしろ少なかったし、一揆としては既に
半ば失敗した例だ。
あとこの時代の“戦争”と言うものを、現代の感覚で推し量るのは間違ってると思う。秀吉の政策に日本統一があり、そのために
大名同士の争いを禁じ、刀狩りを行ったのは事実としても、それは豊臣政権の確立と暴力の独占のためであって、平和や身分の固定は
むしろ副次的なものだろう。
武士たちは合戦を悲惨なものと捉えるより、むしろ犠牲を伴う祭りのように感じていたのではないかな? それこそ御柱祭りか
何かのように。少なくともやる気と上昇意欲を持っていた大名は、嚴戦気分とは遠かったはずだ。割に合わない努力が嫌だっただけで。
>>952 豊臣政権の金庫番でしかなく、自身の領地・勢力をほとんどもたない三成が
関八州の主である家康に対抗できるわけなかろう
秀吉が最大勢力をもつ大名たる家康に強く出られなかったのは事実でしょ
家康に頭一つ下げさせるのに秀吉がどれだけ苦労したとおもってるんだ?
考えてみれば、豊臣秀吉も徳川家康も、政策としては旧来型の“征夷大将軍+幕府”型の統治を目指してるんだよね。逆に織田信長は
絶対王政と言うか、自分のお家が日本全国を統治してなきゃ気が済まない。あるいは単純に、戦国大名の延長上に
日本の支配を考えており、尾張一国を統治するように、日本を統治する積もりでいたかのようだ。
だから簡単に国替えを命じるし、配下の武将はあくまでも家臣であって、一国の大名として敬意を払ったりはしなかったのだろう。
>>953 い戦国時代も末期になると専業傭兵で溢れてたんだよ
秀吉や家康の時代はそれら失業者が洛中に溢れて治安が悪化したから
無理矢理帰農させたりね
>>954 上段は江戸時代の地方藩の話しじゃね?
一向門徒なんてオラが殿様に要求したいなんて可愛いもんじゃなく本格的な軍事組織だった
硝石は堺から直で供給されてたしね
戦国時代の一揆は国人や農民等の組織化の事を指すが
江戸時代の一揆は実質百姓一揆のみってだけの話じゃねーかそれは。
百姓一揆蜂起自体は戦国時代からあったろう。
決死度が全然違うけどさ。
>>958 そこらへんは温度差があるね
ただ戦国時代は純粋な農民の反乱より宗教組織の外郭団体といったほうが近い
江戸時代はむしろ直訴されるほどの悪政を敷く藩は幕府に取り潰されてたわけで
秀吉にとっては帰順後の家康は信頼してる重臣
確かに野心家な家康を完全には信用してはないが
自分の存命中に反逆されることは考えてない
大老の徳川 前田 毛利 小早川 上杉 宇喜多に対する秀吉の信頼は
代々の譜代や一門を持たない豊臣にとっては貴重な重臣
>>959 一向一揆は百姓一揆には分類できないだろう。
当時の寺が村社会で大きな力を持ってたのは確かだが必ずしも一揆の中心になるわけじゃないし
>947
平和になってうんたらかんたらとか、平和ボケ時代の偏向歴史番組をソースに
ナニ寝ぼけたこと言ってるんだ?という感じ?
福島正則なんかは、改易されたのも徳川政権では目立った奉公もしてないから
それもしょうがない、ということを言ってるし、江戸初期までは戦国末期に戦功で
国持ちになった大名始めまだまだイケイケドンドンだろ。
>>924 朝鮮語の標準文法が定まったのは20世紀で、それを定めたのが
朝鮮総督府なのは秘密ですね、わかります。(・∀・)
>>914 鍋島も侵攻初年の夏場はそう思っていても、一冬越したら
心変わりしてたような気がしないでもないけど、どうだろうね。
>>961 いやいや
当時一向門徒はただの地元の有力者じゃないよ
戦争ばかりの世相でアノミー化した連中を洗脳したカルト集団
門徒の構成員も従来の地縁血縁で結ばれた村人じゃなく
方々から有能な人材を掻き集めたネオコミュニティーだった
>>965 一向門徒限定の話をしてるんじゃなくて百姓一揆=宗教一揆じゃないと言ってるんだよ。
>>966 そんなの郷土史に載る程度の小さい規模だね
大名の軍隊とタメ張れるような代物じゃないし
>>967 だからそのレベルの話をしてるんだが・・・
百姓一揆が国人衆や大名と張り合える程大規模になった事はないでしょ。
>>968 そういうのは一揆と言わず強訴と言った
地元の代官と示談して終わり
江戸時代初期に起こった島原の乱は、藩主を打ち首にするという厳しい処置を行った
江戸時代を通じて、大名を切腹はともかく、打ち首にしたのは、この島原の乱の時だけだ。
これには島原の乱の原因が、キリスト教以前に島原藩の厳しい年貢取立てが原因だと幕府側は見て取ったからだと思われる
外様大名だった島原藩は、江戸幕府に擦り寄るために、幕府に対して自藩の分を超えた石高を伝えていた。
結果、幕府は、島原藩の石高を見誤り。島原藩に対して相応額を超える負担を強い続けた。
それを補うために島原藩は農民に対する高い年貢を納めることを強要した。
この事実が島原の乱につながり、乱の後でそれを知った幕府が激怒したらしい。
ま、要するに幕府としても、大規模な一揆に繋がるような圧政を行う大名を無視はしなかったわけだな
>>970 それ島原藩の地元を省みない重税にキリシタンが付け入ったんだよ
戦争するための装備一式を提供したのがキリシタンだった
何もないただの農民集団なら早々に島原藩に鎮圧されてたろ
幕府軍も当初武器弾薬の揃った組織的な戦闘集団とは思ってなかった
だから板倉重昌が戦死する羽目になったんだろ
>>969 戦国時代の話でなんで代官が出てくるんだ
戦国時代にも普通に代官いるけど
戦国時代にだって代官はいたよ。
そもそも戦国時代の村は葱村と言って、自検断を持った自治組織だ、しかも一定の軍事力を持った。
それと百姓一揆と強訴は排他関係ではないよ。
上にも書いてあるが、一揆でまとまり、その上で強訴をしたり武力蜂起を起こしたりするんだ。
この武力蜂起も一くくりに一揆と呼ばれるからややこしいけど、本来なら
>>968 の書いている
>そのレベル
まで含めた概念なんだ。
ただし戦国時代の場合だと、士農工商がまだ未分化だったし、地元有力者が指導してると、そのまま下克上になったりした。
>>975 排他関係というより二つは同じ物だろう。
一般的に武装蜂起を一揆と呼んでるだけで
>>976 一向一揆と普通の一揆を一緒にするとややこしくなるよ
前者は地元の利益を代弁する強訴とは性格が違うものだし
一揆という言葉に左翼的ロマンを掻き立てられるんだろうな
日本で一国を揺るがすようなアンシャンレジームに対するプロレタリアートの大革命があったとかw
>>972 組織的かも知れないが、あまりにも愚策だ。
援軍や長期化による戦況の改善のアテもないのに、原城に篭城を続けるなど
包囲の挙句に崩壊するのは当然だ。
こんな事、軍事の初歩の初歩のそのまた初歩だよ。
それが分からないなど、素人戦術もよいところ
>>970 >江戸幕府に擦り寄るために、幕府に対して自藩の分を超えた石高を伝えていた。
擦り寄るためってのは違和感があるな
石高は大名の格を決める物(当然、格に応じた負担が課せられるが)
分不相応な格を求めた結果だろう。
薩摩藩なんかも、かなり背伸びした石高で出して外様では前田家に次ぐ家格になってる
>>977 一向宗、改め浄土真宗だけど。
この団体はいまでも政治に口を挟むよ
創価学会とか立正佼成会のような比較的、新しい団体ならともかく
伝統的な宗教団体で政治にあれこれ口を挟むのは浄土真宗だけだ。
権力に擦り寄らねばどうにもならないってのを、骨身にしみている団体だな
我が家は先祖代々浄土真宗だし。
菩提寺が浄土真宗で、そこの和尚とは家族ぐるみの付き合いだから
いまさら宗旨代え何てできないけど、こういう実態を知ってから、出来たから代えたくなっているのが正直なところだな
「秀吉へは逆らえない空気があった」と言ってる奴は、
学生時代に習った歴史の勉強を鵜呑みにしてる厨房です。w
豊臣政権は一枚岩ではなく、不穏分子がゴロゴロ居ました。
反乱が起きないような仕組みを作った江戸幕府のほうが上手(うわて)です。
>>975 ねぎむらってなんだよw
惣村だろ、高校日本史レベルだぞ
>>980 家格の序列は前田>伊達≧島津>その他国持外様が通例だったよ
島津は琉球通信使を連れてきた当主は官位が一段上がった
忠臣蔵で、悪役として討たれる吉良上野介の吉良家は、家格で言えば赤穂浅野家どころか徳川家よりも上との意見もあるけど
何しろ、もともと吉良家といえば、儀礼を司る非常に歴史のある家だったからな
当然だ、将軍家も高家として遇せざる得ない家柄だからな。経歴偽装の成り上がり将軍家とは違う
室町幕府があった頃ならの話だろ
エーとですねぇ
石高は何も米の収穫だけで決まるもんじゃありません
それじゃ松前なんか零になっちまう
島原は鎖国まで南蛮貿易で潤ってたんですわ
そりゃもう長崎での貿易高が日本で三番目くらいに
儲かりまっせぇ!
それを基準に家格を決めてるから
鎖国だからって石高を下げたら身分まで低くなってしまう
武士ったって足軽なんかのいわゆるサンビン侍は
雨でも傘を差せないし下駄も履けず裸足ですわ
そりゃあもう身分差による惨めさってのは収入どころじゃない訳で
武家奉公人は中間でも若党でも武家以外には仕えたがらなかった
例え大店の商家の方が実入りが良くたって
武士の端くれかその金魚の糞の方が良いよと
大名だって同じことでんなぁ
いやぁ〜。
ここでの議論を聞いていて思ったのだが、血筋による統治ってのは血筋による恩讐も必然的に継承するものだね。
何しろ、古い血筋によって、身分を決めたりするのだから
もともと敵対関係にあった血筋は、どうしても下にせざろう得ない。
そうなれば下にされた連中は、そのままでは我慢できるかと、恨むようになる。
先祖の恩讐なんてものは、しょせんは感情の問題だから
やはりそれだけでは長続きしない、政治とか現実の利権がなければ、続かないものだけど
封建制度ってのはそういう下地があるのね
991 :
名無し三等兵:2011/06/19(日) 09:32:55.42 ID:W5BjskAz
>>962残念ながら当時の文献も多数その番組ででてる。「秀吉それ狂せるか」という内容の手紙まで
出されてる。釜山から平城までの兵站路でどれほどの兵士が脱落してるかまで詳細にその当時のデ
ーターが出てる。表立って秀吉のやってる事に不満顔する奴っていると思う?表面上は服従の態度
とるだろうよ。
>>991 ストーリーありきでそれに都合のいい史料を並べるだけのTV番組鵜呑みにするなよ。w
>釜山から平城までの兵站路でどれほどの兵士が脱落してるかまで詳細にその当時のデ
ーターが出てる。
初耳だな。そんなものがあるのなら是非示してほしいモノだが。
993 :
名無し三等兵:2011/06/19(日) 10:13:55.62 ID:W5BjskAz
>>992日本側の資料だった。逆に歴史群像では朝鮮の住民が朝鮮の悪政を憎んでいて
日本側に協力してたらしいが。半島の連中のいう日本が住民を拉致したという話も
実はその協力者を放置するとトンでもない災厄が訪れるので日本側が日本に連れて
行ってやったらしいが。
陶工とかの特殊技能を持った奴を選んでさらってきたからなあ、その説はどうだか
>>988 松前藩は石高ゼロだよ
藩格は幕府が一万石以上格としてる
国力は10万石以上だけど
島原が南蛮貿易で儲かったって話は聞かない
肥前では平戸 佐世保 長崎 名護屋 松浦とかは天然の良港で有名
島原は諫早湾は遠浅で港湾として使えず島原辺りも大きな入江がなく漁港レベルしか難しそうだが
>>993 朝鮮人捕虜は後の講和条約締結時に大半は帰してあげたよ
残った陶工とかは日本に永住することを選んだ人たち
>>993 歴史群像はバックナンバー揃えてるけどそんな記事みた記憶ないぞ
他誌のまちがいでね?
島原は平戸・相神浦松浦が堺商人とつるんでポルトガルと揉めた後に当該人との取引港として選定された
大村氏や筑前商人の出資で長崎が貿易港として開拓されると、客足を取られて島原は徐々に海外貿易港としては衰退していったが
国内流通の基点ではあり続けたし、イエズス会の一大拠点でもあった
>>991 でもその手の出兵反対とか疑念の手紙も、実は朝鮮征伐が終わってから書かれたって物も多いからなあ
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