>>927 清だって軍事力だけで勢力を広げたわけじゃないしな。
だんだん農耕軍を組み込んで現状と現地に合わせた戦略に組み替えたり変質させられている。
遊牧民が戦闘力を発揮できる時間や場所はかなり限定されることは絶えず考慮しとかないとね。
朝鮮征伐は天正20年から足掛け7年間もある
征明を掲げたのが戦略的に間違いだった
現実を無視し古代の様に朝鮮半島南部は日本の属領とし
朝鮮半島南部を治める李朝は関白に従属すべきとし王の上洛を求める
当然朝鮮は宗主国は明であり日本に服属する意志は無いと伝えるだろ
それを無礼とし朝鮮半島南部と済州島に侵攻し恒久支配を目指す
侵攻の範囲がはっきりし現実的に彼我の戦力比から勝利が容易ければ各大名のモチベーションは上がるし
明や朝鮮も侵攻目的がはっきりしていれば講和もしやすい
現実的な明の判断として南朝鮮を日本に割譲し、北朝鮮は明の郡を置き直接支配し日本や後金に備えるだろう
朝鮮半島南部の支配権を確立し彼地に有力大名を配することが出来たら次は征明だが
先ずは新興の後金や後元の残党を調略し明を北方から厄させ
南朝鮮に大軍を派遣し水軍を黄海に派遣し南朝鮮から海路山東半島に侵攻する
ここまでで7年で可能だと思うな
本当にサッカリンなんだ
旧日本軍ってこんな感じで失敗を重ねたんだろうね
>>953 明に向かって征明を掲げているわけでもなければ、朝鮮を軍事力のみで征服する政策を取ったわけでもない。
日本の歴史の中では、支配者層も被支配者層の保護を義務とする事が求められていたよ
江戸時代の人命軽視の象徴である無礼討ちなど、実際に行われる事など滅多にない。
無礼討ちが行えば、それから事実が実証されるまでの間、その武士は謹慎処分にされるわけだし
事実を実証するのは、その武士自身の費用で為されねばならず。実証できねば、殺人で逮捕されるわけだし
仮に実証できたとしても、人を切るわけだから、世間の評価は下がると、良いこと無しだから武士も出来るものではなかった。
それに患者のもとに向かう産婆には、例え大名とは言え道を譲らねばならなかったし。
武家屋敷の前に倒れた人間がいれば、その人間を武士は保護する義務があり、果たさなかった場合は切腹が命じられた
こんな具合に支配層であっても、領民を守り義務が強く求められた
それが強く求められるようになったのは、五代将軍の綱吉の時代からだから
生類憐みの令も再評価する声もあるのよね
>>955 おいおい講和協議で秀吉は明使にはっきり降伏しろと言ってるが
また開戦前に朝鮮使にも従属し征明の先鋒を命じているが
歴史的事実はガン無視派ですか?
最近暴れてる子は簡単な資料も読まず日本兵は超人だっていう前提で話すから話が通じない
>>957 敗北を認めて講和する事も一瞬の降伏だし、征明の征は征伐の意味だろう
征服にしては戦略が最初から杜撰だ
杜撰だから戦闘で勝ってても撤退するはめになったわけだろ
>>959 朝鮮征伐とは江戸後期からの呼び名で唐入りと言われていた
唐とは支那を差し明らかに明の征服を目指してたんだよ
戦略の杜撰は後世から見てだが当の秀吉や政権中枢は貿易商や宣教師らの話を聞き
当時の日本が軍事的に装備も動員数も戦闘経験も世界一だと考えた
ゆえにイスパニア王にすら服属を求めている
明は大国だが日本の軍事力なら征服は可能と判断したのだろ
朝鮮が服属を拒むとも考えて無かったようだし簡単に征伐できると思っていた
現に朝鮮だけなら半年かからずに平らげている
明が参戦したと知った秀吉は逆にシメタと考えただろう
遠く明で戦うより九州に近い朝鮮で明と戦う方が有利だからだ
ずさんな計画でも“短期決戦なら勝てた”だものなぁ……
ずさんな計画“だから”長期戦になったとは思わないのかね。
>>956 その考えが定着したのは江戸時代に朱子学が広まってから
戦国時代は身分自体が曖昧で成り上がり各々勝手に出自を工作脚色していた
まさに下剋上
>>962 明らかにちがうだろ
小西や宗みたいに早く講和して交易したい部下が明が降伏したいとウソを報告し秀吉に休戦させて
結果的に秀吉の寿命が尽きて国内政情不安から撤退しただけ
もし秀頼が20年早く産まれ秀吉から秀頼に上手く政権委譲されていたら
秀吉が死んでも征明は継続されただろう
徳川家は清和源氏の末裔と称していたけど。
実証する資料は、徳川家が勝手に作った家系図くらいなもの
ま、当の家康自身も信じていなかったでしょうな
そうでなければ、一時的と言っても、藤原姓を家康が名乗った理由がわからん。
支那王朝も劉封くらいだよね出自を取り繕ってないのは
秀吉も開き直りした方が良かったのにね
天皇家に繋がる源氏や平家を名乗りたいんだよね
日本は中国よりも血統重視だからしょうがない
>>966 当時は日本でも中国でも、何々の末裔ってのは政治的に必要な事だったから
当人たちの心情はどうあれ、そうせざろう得なかったのだろう
劉邦も赤帝の子と称していたよ
赤帝は、南海赤竜王のこと
つまり劉邦は自らを神の子と称していたわけだ。
ま、劉邦の場合は、特異なのは正史にも彼の粗暴ぶりが書かれている事実だよね
普通は開国の祖となれば、美辞麗句が並びたてられるものだ。
これは要するに、彼の粗暴ぶりは当時から広くしられ、隠しようがなかったのだろうが
>>968 赤帝の子が劉封なら日輪の子豊臣姓藤原朝臣正一位関白太政大臣秀吉と同じじゃん
>>969 秀吉は自らを親王のご落胤と称していたよ
もっとも当時から誰も信じなかったそうだが
>>970 大政所が否定するよw
日吉は百姓の子だで
尾張国中村の百姓の出だってみんな知ってるからな
つまりあれか
「俺は、おまえらと違って超エリートだから」
「はいはい、ワロスワロス」
974 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 17:36:50.46 ID:UWqd7WcG
>>973 >「はいはい、ワロスワロス」
秀吉: お前ら全員朝鮮行きな
お前ら全員全裸道への転封を命じる。
太閤秀吉
関白秀次
天 皇
976 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 20:40:39.31 ID:4Fh34xi3
関ヶ原の因縁が倒幕の明治維新に繋がったっていう話題は前スレだっけ?
篤姫が徳川家へ嫁げたのは、
江戸幕府が薩摩藩を恐れたゆえの配慮からじゃね?
お前らせっかくなんだから大河見ろや
秀吉さんのラスボスぶり半端ねえぞ
>>971 秀吉自身が秀吉は親王のご落胤との説を流した事が知られているよ。
秀吉の父とされる親王は、実在の人物ではなかったし
当時からほとんど信じられなかった事もわかっているが
ソースも無しに俗説や、しまいにゃ物理・生理を無視した願望を書き殴る、牟田口がいるスレはここですか?
インパール征明作戦がワクテカです。
あの時代ならまぁなんとかやれなくもない>インパール作戦
朝鮮に水牛は居るのか?
>>977 私の思い通りにならなきゃやだやだって言い出す馬鹿女が主人公な大河はちょっと
しかもなぜかそれを持ち上げられるという
正宗「なんで俺の思い通りにならないんだ?」
このスレでNHK大河ドラマを視るなら黄金の日々とかおんな太閤記とかか?
葵三代とかは?
祖国防衛戦争って寡兵にて大軍強兵に一矢を報いる戦いがあるが朝鮮征伐でそんな話あるの?
晋州城攻防戦は圧倒的な寡兵でもないしテルモピレーの闘いみたいな話聞かないよね
>>982 あの主役の中の人はそういうキャラだと思ってるから違和感ない
秀吉は南岸一体に城をたくさん築いていることから見て恒久支配は疑いない
朝鮮南部で大軍を養えなっかたから城作って
兵士総数を減らしたんでしょ
南岸なら別に朝鮮での徴発を当てにしなくても内地からの輸送で兵糧は賄えるやん
16万人分だと1日1人3合食べても480石
上方から名護屋を経て釜山まで船で片道7〜10日
一回に1万石づつ運べばいい
次スレ立つの?
1日1人3合だと不満爆発だな
997 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:49:04.66 ID:U/lg2PyT
998 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:49:09.68 ID:U/lg2PyT
999 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:49:13.15 ID:U/lg2PyT
1000 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 13:49:20.85 ID:U/lg2PyT
1001 :
1001:
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