1 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :
2008/05/12(月) 23:15:21 ID:Y8tJ5tOE 満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、 武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。 日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。 前スレは「容量オーバー」のため、839でお亡くなりになりました。合掌w。 まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
2 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/12(月) 23:15:45 ID:Y8tJ5tOE
3 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/12(月) 23:16:13 ID:Y8tJ5tOE
,r---、 . _ソヽ/`、シi ._>=ヘ 丞/=<,. ((ん'ノノルレム)) ペチッ _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ ミ i っ 状況開始! ),k'ヲ_`:´アつXE無旺〉ノ| っ (ン::::/:::l::ヽ. .(_,ノ `~i,ンT,ノ~´
>>1 新スレ乙。
このスレも随分長寿スレになりましたね。
6 :
名無し三等兵 :2008/05/12(月) 23:23:47 ID:???
どーせ、日本が悪いで教わってるから、それでいいよ。終了
7 :
名無し三等兵 :2008/05/12(月) 23:25:59 ID:???
洗脳されたやつとはディカッションはない。 宗教から足を洗えっていうようなもんだし。 何度もディスカッション試みて不毛と分かった感想。
8 :
名無し三等兵 :2008/05/12(月) 23:29:44 ID:???
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9 :
名無し三等兵 :2008/05/12(月) 23:30:59 ID:???
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10 :
名無し三等兵 :2008/05/12(月) 23:31:33 ID:???
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11 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/12(月) 23:43:31 ID:Y8tJ5tOE
>>5 毎度どうもでございます。まあ、●「継続は力なり」ということで引き続き
マイペースで続けていきたいと思います。いつ、戦死するか分かりませんし。
さて、前スレでは『日独防共協定』まで話が進みましたが、仮に広田が「支那と
ドイツ」の間に楔を打ち込むために推進したのだとしたら、日本の外交というのは
つくづく大陸政策(支那)に左右されているのだなあ、と痛感します。
それはさて置き、広田内閣のトピックの1つとして「国会議事堂の完成」があります
(1936年11月7日・竣工式)。現代の我々がよく目にする「永田町のアレ」ですが、
1920年に原敬内閣で地鎮祭が行なわれて以来、実に17年の歳月と巨費をかけて
完成したものでした。そして広田弘毅がこの真新しい国会議事堂に登壇した最初の
首相ということになります――。
余談になりますが、1890年に帝国議会が開設されて以来、当初は財政難により
ず――――っと●「仮議事堂」のままでした。本格的な議事堂の建設が決定された
のは、実に日露戦争も過ぎ去った後です(1906年)。しかも政変で延期されました。
12 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 00:09:02 ID:97YaskXb
こうして真新しい国会議事堂に立った広田弘毅ですが、政権運営は困難を極めました。 まず国家予算に占める陸海軍の軍事費の割合が半分近い――。いくら天皇陛下から 首相として善処を求められたとはいえ(前スレ参照)、文民出身の広田自身がこれを 『政府予算案』として国会に提出する訳ですから、内心は忸怩たるものがあったでしょう。 また広田内閣では、「庶政一新」のマニフェストを実行するため、●「七大国策」が作成 されましたが、寺内陸相の強い希望として末尾に加えられた『行政機構の整備改善』が ボディブローのように政権に効いてきます。 陸軍の思惑としては、広田内閣に「軍部に都合の良い政治改革」を代行させようと 目論んでいた訳です。後で述べますが、総力戦体制の樹立をイメージしてもらうと 分かりやすいでしょうか。国家総動員法が成立するのが1938年ですからまだまだ 先の話ですが、広田内閣でその動きの萌芽があった訳です。 松岡洋右が以前に目指したような「政党解消運動」、端的に言えばナチス党のような 「一国一党制度」が最終的な目標にありました――。
13 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 00:37:09 ID:97YaskXb
>>12 >>端的に言えばナチス党のような「一国一党制度」が最終的な目標にありました。
話が先走りますが、もう2、3年経ちますと●「バスに乗り遅れるな」とばかりに政党が
自発的に解散して「大政翼賛会」ができる訳ですから、広田が首相をやっていた頃は
この過渡期と言えます。まあ、近衛文麿の「新体制運動」も後でやるかもしれません。
広田としては陸軍の政治改革の要求に対して、出来るだけ「時間稼ぎ」を行なう事に
決めました。要するに、特別委員会やら調査会を設けて、ゆっくり審議を引き延ばそう
とした訳です。革新派の連中からは、●「広田内閣は何もやらない」と非難されますが
広田としてはむしろ「褒め言葉」だったでしょう。
元老の西園寺も、広田内閣をこう評しています。●「斉藤(内閣)も岡田(内閣)も
いずれもまあ、グズグズやっておると言われた。広田もそう言われるだろうが、まあ
やっぱり広田のように(引き延ばしに)持って行くより致し方あるまい。結局、軍部と
喧嘩をすれば憲法なんか飛んで行ってしまう。今でも半分ぐらい飛んでいるのだから
何と言われも、まあ、ゆっくり段々にやって行くより致し方あるまい――」
14 :
名無し三等兵 :2008/05/13(火) 13:56:21 ID:???
イナゾウ上級中尉殿乙。 進級通知が届かなかったのでありますか?
15 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 21:55:52 ID:aIFVVR5x
>>14 毎度どうもでございます。まあ、早く「定位置」に戻りたいのは山々なのですが、
なかなかそうもいかず……。多分、このスレで広田弘毅の話が終わるでしょうから、
その頃には元の鞘に収まっているのではないかとw。
>>12 >>陸軍の思惑としては、広田内閣に「軍部に都合の良い政治改革」を代行させよう
こうして軍部が一方的に悪役のように書いていくと、なんだか『クローバーフィールド』の
映画に出てくる「HAKAISYA」みたいな怪物に思えてきてますが、もちろん間違いです。
陸軍とて必死です。統制派の雄となる武藤章が「2・26事件」の後始末後、友人に思い
詰めたように今後の見解を語っています。要約すると――、
●「日本政界の厚い壁は、いかに銃剣をもって突破しようとしても容易にできるもの
ではない。それと、暴力による政治革新ということも、原則として行なうべきではない。
だとすれば、この頃の政治的力関係から考えても、『元老や重臣の推す後継者』を
利用し、これを通じて可能な範囲で革新政治を推進し、指導する以外にない――」
16 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 22:17:57 ID:aIFVVR5x
>>15 >>『元老や重臣の推す後継者』を利用し、これを通じて可能な範囲で革新政治を
>>推進し、指導する以外にない――。
乱暴ですが「天皇の存在」を無視するならば、そもそも軍部はペットであり、政府は
飼い主みたいなものです。いくら軍部がリヴァイアサンのごとき猛獣だったとしても、
自ずと出来ることには限界があります。ペットは自分で飼い主にはなれません。
こうして2・26事件後の「最初の標的」となったのが、広田内閣だった訳です。広田は
できるだけ時間稼ぎを図りますが、痺れを切らした陸海軍は合同で●「行政機構改革
共同意見書」を政府に突き付けてきます。
のちのヒデキの腰巾着であり、「黙れ!事件」でも名を馳す佐藤賢了(少佐:陸軍省
軍務局軍務課国内班長)が起案したもので、その内容は、
●国策統合機関の設置、外務省・拓務省の統合、農林省・商工省の統合、内務省の
改革、議会法・選挙法の改正など、『総力戦体制』の匂いがプンプンする内容です。
>>15 >>16 陸軍もできれば頼りになる国策中枢があって、
軍事に専念したい訳なんですよ。
明治憲政体制というのが、政府にとっても始末に負えないと同様に、
陸軍にとっても始末に負えないものなので。
18 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 22:45:16 ID:aIFVVR5x
>>16 >>議会法・選挙法の改正など、『総力戦体制』の匂いがプンプン
とくに「議会法・選挙法の改正」は、議会の権限を大幅に縮小するものだとして、政党が
軍部に対して猛反発します。まだこの頃は、「2・26事件」に対する反発もありまして、
政党も元気でした。
こうして広田内閣は、議会と軍部の対立に巻き込まれる形で総辞職(1937年2月2日)
する訳ですが、直接のきっかけとなったのは●「腹切り問答」と呼ばれる騒動でした。
まあ、日本史の教科書にも載っているレベルでしょうか。
詳細はこうです。1937年1月21日の第70議会で、政友会の浜田国松議員が、
寺内陸相に痛烈な軍部批判の演説を行ないます。寺内は前年の第69議会でも、
民政党の斉藤隆夫にコッテリ絞られておりまして、鬱憤が溜まっておりました。
まあ、斉藤の時は2・26事件直後ということもあり、寺内は針の筵に立った思いで
軍部批判に耐えていましたが、浜田の時は異なった訳です――。
19 :
名無し三等兵 :2008/05/13(火) 23:03:33 ID:???
巣鴨で語った話によれば広田内閣の総辞職は対外為替の悪化が原因だったらしい
20 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 23:07:43 ID:aIFVVR5x
浜田の時(1937年1月21日)は、既に『粛軍』を終えており、陸軍も相応の犠牲を払った 自負がありました。むしろ政党の方が何の反省も刷新もしていないではないか?―― という反発が陸相の寺内に湧いてきた訳です。以下、寺内と浜田のやり取りです。 寺内:「軍人に対して、いささか侮辱されるような感じのするお言葉がある」 浜田:「どこが侮辱されているか? 私のいかなる言辞が軍を侮辱したか、事実を 挙げなさい」 寺内:「侮辱するが如く聞こえる」 浜田:「侮辱した事を言うたと最初に言っておいて、今度は侮辱に当たるような疑いの あるというところまで惚けてきた。……速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉が あったら割腹して君に謝する。なかったら、君、割腹せよ!――」 と激しく寺内に詰め寄ります。ここまで来ると、言った言わないの「泥仕合」ですw。
21 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 23:36:36 ID:aIFVVR5x
ちなみに浜田国松は、前年の1936年まで衆議院議長を務めておりました。この 「腹切り問答」に当然の事ながら、陸相の寺内は激怒します。政治史ですと浜田の ことを「政党政治家の気骨を見せた」と持ち上げますが、後々の混乱を考えますと いかにも軽率だったでしょう。 よりにもよって「腹切り問答」です。『生き死に』が商売の軍人にとっては、引くに引け ないでしょう。結局、国会は大混乱となり審議はストップ。寺内はここまで舐められて たまるかとばかりに、●「政党が時局に対して認識不足」であるとし、首相の広田に 議会の解散を求めます。さもなければ、自分が陸相を辞任すると。すなわちそれは 閣内不一致により、『広田内閣総辞職』とイコールです――。 広田は打開策を求めるために、昭和天皇の裁可を戴いて国会を「一時停会」とさせ ました。さて困ったのが、実は海軍です。念願の『海軍休日』から抜け出して、この 広田内閣で巨額の海軍予算を通過させる腹積もりだった訳です。ここで広田内閣が 潰れれば、せっかくの海軍予算がパーになって、審議はイチからやり直しとなります。
22 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/13(火) 23:44:13 ID:aIFVVR5x
広田としては、議会の解散は●『軍部の圧力による懲罰的解散』と映りますから絶対に 受け入れることは出来ません。奇しくも利害関係が一致した「海軍予算」を通過させたい 永野修身海相と共に広田は、寺内陸相に再考を促しますが寺内も譲りません――。 当然のことながら、この頃には議会を解散させるのは寺内個人の考えではなく、 綿密な会合のもとに決定された「陸軍の総意」になっていたことでしょう。
それにしても「北京オリンピック」の直前に、チベット暴動のホットゾーンで大地震が 起こるなんて事実は小説より奇なりというか……。三文小説のプロットみたいですw。
24 :
名無し三等兵 :2008/05/14(水) 00:40:16 ID:+mTLTT4D
夏期休暇でアメリカに行った際の出来事。 LAで信号待ちをしていると気の良さそうな2人組のお兄さんが、 「おまえは 日本人か?」と気さくに聞いてきました。 「そうだ」と答えると、「漢字のタトゥー (刺青)を彫ったんだけど、 どういう意味か教えろよ」と言われ、差し出された腕を見ると『大和』と彫ってありました。 「日本のもっとも有名な戦艦の名前だよ」と伝えると彼は満面の笑みを浮かべていました。 続いてもう一人が腕を差し出すとそこには『世宗』と大きく彫ってありました。 「韓国最強の駆逐艦だよ」と教えてあげた後の彼の悲しそうな顔が忘れられません。
25 :
名無し三等兵 :2008/05/14(水) 16:39:24 ID:???
政党vs陸軍vs海軍vs首相www お前らもうちょっと仲良くしろよwww
26 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/14(水) 23:16:36 ID:TxpHcvQf
>>24 >>「韓国最強の駆逐艦だよ」と教えてあげた後の彼の悲しそうな顔が忘れられません
吹いたw。コピペの割には面白いです。
>>17 >>明治憲政体制というのが、政府にとっても始末に負えないと同様に、
>>陸軍にとっても始末に負えないものなので。
まあ、城山三郎の『落日燃ゆ』的に言えば、●「日本を滅ぼした長州の憲法」と
なるのでしょうか。
>>25 >>政党vs陸軍vs海軍vs首相www お前らもうちょっと仲良くしろよwww
話が進みますと、この頃はまだマトモに思えてくるでしょうw。
27 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/14(水) 23:37:54 ID:TxpHcvQf
結局、広田は『内閣総辞職』を選びまして、1937年1月に首相の座を辞すことを 決意しました。「行政機構改革共同意見書」を起案した佐藤賢了も戦後になって、 ●「広田政権は議会改革をやらない内閣だったから、軍が議会改革をしてやろうと 思ったのだ――」と腹切り問答の背景を語っています。 ちなみに広田弘毅も佐藤賢了も仲良く「A級戦犯」ですが、陸相の寺内寿一だけが 1946年6月12日に病死して訴追を免れました。まあ、昭南(シンガポール)市長 だった大達茂雄によれば、●「山下奉文より余程マシな人物だった」と云いますから 人を見る目というのは本当に様々ですw。 さらに余談ですが、前スレの最後の方に小磯国昭の話も出ましたが、ヒデキの後継 首相には寺内寿一の名前も挙がっています。結局、南方総軍司令官の寺内は前線 指揮官であるから動かせないとしてお流れになりましたが、場合によっては父親の 寺内正毅と並んで元帥ばかりか、親子2代の内閣総理大臣の可能性もありました。
28 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/14(水) 23:57:53 ID:TxpHcvQf
>>27 >>親子2代の内閣総理大臣の可能性もありました。
まあ、アメリカなら「ブッシュ親子」がそうですし、珍しくもありませんわな。実現は
難しくなりましたが、場合によっては「夫婦で大統領」の可能性もあった訳です。
日本ですと、現首相の福田康夫が日本の憲政史上初めての親子二代(福田赳夫)
にわたる内閣総理大臣になりましたが、ああヤダヤダ。
言うまでもなく、広田の時代はテロの時代であり、首相も、いや首相だからこそ、いつ
殺されるか分かったものではありませんでした。今の日本の首相なんてどんなに下手糞な
政治をしても殺される気遣いは無用ですから、いっそ戦前の方がプレッシャーがあって
まだ良かったのではないかと思えて来ますw。2・26事件の磯部浅一ではないですが、
「余は云はん。全日本の窮乏国民は神に祈れ。而して自ら神たれ神となりて天命を受けよ。
天命を奉じて暴動と化せ。武器は暴動なり殺人なり放火なり。愛国的大日本国民は
天命を奉じて道徳的大虐殺を敢行せよ」なんて、磯部の遺稿も頭にチラ付きますw。
29 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/15(木) 00:24:18 ID:xAPa5PCk
>>27 >>結局、広田は『内閣総辞職』を選びまして、1937年1月に首相の座を辞す
さて前スレで、広田内閣の●「軍部大臣現役武官制」復活について詳しく触れました。
このことで広田が一方的に責められるのが、いかにくだらない話かを強調しましたが、
改めてもう少し補足しておきましょう。
もし寺内が陸相を辞任したいというのであれば、どうぞお引取りを願えば良いのです。
陸軍が後任の陸相を推薦してくれるなら――という条件が必要になりますけど。
「陸軍の総意」として、それが不可能であることが分かりきっていたからこそ、広田は
せめてもの意地として『総辞職』を選択する訳ですが、もしこのとき●「軍部大臣現役
武官制」で無かったとしたら、それで一体どうだと言うのでしょうか――?
要するに現役でない、予備役・後備役の陸軍人から陸相を一本釣りできる選択肢が
この時あったとして、広田は●「じゃあ、この人に陸相を頼むから別に良いよ」と政権を
維持できる可能性が有り得たでしょうか? 答えは『絶対にノー』です。意味がありません。
>>29 >>答えは『絶対にノー』です。意味がありません。
んなことやった日にゃあ、陸軍全体が●『中国・四川大地震』みたいになって
それこそ政権が1日も持たないことが明らかだからです。
繰り返しになりますが、全てはその時の「政権と陸軍の力関係」に支配される
のであって、そんな奇手のような事が仮に選択肢にあったとしても、文字通り
「絵に描いた餅」に過ぎません。
まあ、そもそも広田には「予備役・後備役のツテ」もなければ、引き受ける度胸のある 相手もいなかったでしょうが。
32 :
名無し三等兵 :2008/05/15(木) 11:24:20 ID:???
>そもそも広田には「予備役・後備役のツテ」もなければ 軍人と政治家の間で意思疎通できるパイプがあればなんか変わったろうか。 明治時代の軍人と政治家が癒着していたのは有名だが。
>>29 結局、陸軍最強の実力者だったはずの宇垣にできないことは、
広田にできるはずはないですねえ。
さて「2・26事件」の後始末内閣として誕生した広田弘毅内閣ですが、結果として 1936年3月から1937年2月までという1年弱の短命政権に終わりました――。 広田政権が残したもので現代の私たちに最も馴染み深いのが、「文化勲章」の 制定です。広田の息子の正雄が、●「政治家や官僚、軍人ばかりが勲章を貰う のはおかしい」と言ったのがきっかけとされますが、自身も外務官僚として幣原 喜重郎の●『勲三等事件』など、いわゆる「コップの中の騒動」を目にしてきた 反発もあり広田は意欲的に動きました。 いち早く昭和天皇に働きかけ内意を取りつけると、とっとと閣議にかけ成立させて しまいます。天皇も「政治上のことではないから自分も意見を述べてよいだろう」 と文化勲章の制定に積極的に賛成し、 ●「桜は軍人がいろいろ用いている。右近の橘、左近の桜だから、(文化勲章は) 橘にしたらよかろう」と自らアイデアを出したと云います――。
昭和天皇は、●「文化は永遠であり、散りぎわの美しさを示す桜で代表させるべき ではない」と述べたともされ、こうして白く簡素な橘の花が「文化勲章」に用いられる ことになりました。また広田の意向により、文化勲章には『階級』がありません。 ちなみにですが、高級お茶の詰め合わせセット(2缶で1万円)に、『右近の橘、 左近の桜』というものがありますw。まあ、桜は軍人、橘は文化人という訳です。 そして首相を辞めたとき、広田はすでに還暦の60歳。飛ぶようにして藤沢鵠沼の 別荘に引きこもり、余程のことが無い限り、東京には出ようとしませんでした。 また広田は「位階勲等の全てを返上し、恩給もいらない」と辞退したと云われます。 「恩給まで返して、どうやって喰っていくのか?」との問いには、「できれば田舎の 学校の先生でもしたい。無理なら習字でも教えて生活する」と答えました。 広田の話の冒頭でも述べたとおり、子どもの頃から広田の書く字は超絶上手く、 全く無名の石屋のセガレの小学生が、水鏡神社の大鳥居の『天満宮』の文字を 書いていた程でした。また幼少の頃は、墓碑の文字もよく書かされておりまして、 その頃に広田は戻るのだという訳です――。
結局、「恩給まで返上したい」という広田の希望は認められませんでした。 前首相がそのような行動を取っては、周りからいらぬ憶測を招く恐れがある という訳です。生活苦で困窮されても扱いに困りますし、取りようによっては 何かのハンガーストライキに見えなくもありませんw。 戦前は年金制度がありませんでしたが(文官や軍人の恩給がその代わり)、 現代に喩えるなら、●「年金も全て返上したい」と言い出すようなものです。 ちなみに一般の厚生年金制度が作られたのは戦中の1942年、国民年金 制度は1959年になってからです。また国民年金が強制加入になったのは 実に1986年以降です(専業主婦などは、それまで任意加入)。 まあ、こうして風車を回す風もついに止み、広田は1人の恩給生活者として 静かに老後を暮らすものと思われたのですが――。
37 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/16(金) 00:51:45 ID:/Je7/De4
最終回じゃないのぞよ。もうちょっとだけ続くんじゃw。(ドラゴンボール)
38 :
名無し三等兵 :2008/05/16(金) 21:22:28 ID:???
イナゾウが退役してイナゾウjrが登場 その内孫が
39 :
名無し三等兵 :2008/05/17(土) 10:26:41 ID:???
イナ仙人の登場はまだですか?
40 :
名無し三等兵 :2008/05/17(土) 10:48:38 ID:???
>36 すぐに外務大臣に格下げじゃぁ〜ないですかw
41 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/17(土) 23:18:04 ID:56tPWHlv
>>40 >>すぐに外務大臣に格下げじゃぁ〜ないですかw
ご指摘の通り、広田弘毅は1937年1月に内閣総辞職しまして、一旦は鵠沼の別荘に
引きこもった訳ですが、半年も経たない1937年6月に、第1次近衛文麿内閣の外相
として再登場します――。
>>32 >>軍人と政治家の間で意思疎通できるパイプがあればなんか変わったろうか。
>>明治時代の軍人と政治家が癒着していたのは有名だが。
>>29 >>結局、陸軍最強の実力者だったはずの宇垣にできないことは、
>>広田にできるはずはないですねえ。
この半年弱の間に、宇垣一成に大命降下するも陸軍の猛反対に遭って組閣に失敗し、
林銑十郎内閣が出来上がるも僅か4ヵ月で「食逃げ解散」と、政治史では非常にあっさり
片付けられてしまいます。しかし、●「軍部大臣現役武官制」とは何かを考えるうえで
これ以上の好例はありませんので、この『狭ざまの期間』を埋めていきます――。
42 :
だつお :2008/05/17(土) 23:40:32 ID:f/kJmEvK
43 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/18(日) 00:04:56 ID:JXT43Jfg
さて広田内閣の後継に、陸軍は従来どおり●「近衛文麿」を熱望したと云います。 当の近衛もまた、「大命が降りたら死んでもやらなくちゃあいかん」と周りに話して いましたが、実際の首相奏薦の根回し役である原田熊雄や木戸幸一に対しては ●「どうか自分を出さないでくれ。自分は絶対に困る」と頼み込んでいました――w。 「腹切り問答」により広田内閣が総辞職したのは1937年1月23日ですが、結局、 その翌日の24日に「宇垣一成」へ大命が降下することになります。 他には例の如く、平沼騏一郎や海軍の末次信正の名前も挙がっておりましたが、 近衛文麿にやる気が全くない以上、元老の西園寺はもう1つの奥の手である 「宇垣カード」を切った訳です。 言うまでも無く加藤高明内閣で、宇垣が陸相として「政府の方針」によく協力して 軍縮を成功させた(『宇垣軍縮』)手腕を、西園寺が高く評価していた訳です。 宇垣が組閣すれば、陸軍に抑えが効くのではないかと――。
44 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/18(日) 00:43:25 ID:JXT43Jfg
ちなみに宇垣一成と、海軍の宇垣纏は「遠い親戚」にあたります。 こうして1937年1月24日夜の午後8時30分、伊豆長岡の別荘にいた宇垣のもとに 百武三郎・侍従長(海軍大将:2.26事件で襲撃された鈴木貫太郎の後任)からの 電話があり、●「組閣の大命」が降下したことを知らされました。 宇垣は翌朝宮中に参内すること告げて電話を切りましたが、午後9時に再度電話が かかってきて、●「深夜の参内を可とす(とっとと来い)」と督促を受けましたから只事 ではありません。宇垣は大慌てで午後10時沼津発の列車で上京する事になります。 もうすでに宇垣は後継首相候補として世の中の注目を集めており、当然の事ながら 大勢の新聞記者が宇垣の別荘をマークしていました。大命降下の一報が伝わると、 近隣の住民も手に手に提灯をぶら下げて集まって来たと云います。 機関銃のように写真班のフラッシュが瞬き、列車内も記者団が殺到。1937年1月 25日午前0時に横浜駅に到着。そこには1人息子の宇垣一雄が早稲田の学生服 姿で待っており、親父に準備していたフロックコートとシルクハットを手渡しました。
45 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/18(日) 01:18:46 ID:JXT43Jfg
広田の時と同様、宇垣の組閣も『24』(トゥエンティ・フォー)状態ですw。 宇垣はそこで礼服に着替え、神奈川県知事差し回しの自動車に乗って京浜国道を 東京に向かって出発。その後を追いかけてくる新聞記者の車は50台を超えました。 他方、組閣の大命が誰に下るか?、今や遅しと待ち構えていた陸軍省は1月24日の 夕刻から九段下の偕行社で、軍事課・軍務課・新聞班の面々が待機していました。 陸軍省の影のキーマンといえる次官の梅津美治郎も顔を出しています。 午後9時、宇垣に組閣の大命が降下した事を知るや、協議のため全員が陸相官邸に 急行します。移動の車中のなかで既に、「反宇垣の空気は高まっていた」とされます。 ここに参謀本部作戦部長代理だった絶頂期のカンジも合流して、まず陸軍省の局課長 会議を行ない、続いて午後11時からは梅津次官、中村孝太郎・教育総監本部長、西尾 寿造・参謀次長の『三次長会議』を開き、宇垣の組閣に陸相を出さない事を決定しました。
46 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/18(日) 01:52:58 ID:JXT43Jfg
これが有名な●『陸軍入閣拒絶の件』と言われるものでして、 「宇垣総理大臣候補者より陸軍大臣推薦の交渉を受けたる場合には左の理由を以って 拒絶するを要す。 宇垣総理大臣の許に於いては陸軍大臣として部内統制の責に任じ得る者無し――」 まあ、陸軍省と参謀本部は全く別の組織な訳ですが、参謀本部も次長以下集合して 陸軍省の決定に部内一致で同調することに決めました。また小磯国昭など、陸相 候補に名前が挙がりそうな大将たちにも急遽、電報で通知が行きます。 このとき参謀総長は皇族軍人の閑院宮でしたが、1月25日午前1時40分に参謀次長の 西尾寿造から決定が伝えられました。まあ、「よきに計らえ」という訳です。また陸相官邸 での協議は引続き徹夜で行なわれ、終わったのは夜が明けた朝午前6時でした。 ちなみにカンジは日記に、「宇垣大命、夜呼び出され徹夜」と書いています――w。
47 :
名無し三等兵 :2008/05/18(日) 21:56:52 ID:???
48 :
47 :2008/05/18(日) 22:19:46 ID:???
なお、この堀越氏と同じ
歩兵第65連隊 第1大隊 ◎栗原利一伍長 第65連隊第1大隊所属による当時のスケッチの記述です。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/suketti3.htm スケッチ 3
スケッチ内に書き込まれた注記
揚子江
ここの中央の島に1時にやるためと言って 船を川の中程において集めて、船は遠ざけて
4方から一斉に攻撃して処理したのである。
この時撃たれまいと人から人へと登り集るさま。既ち人柱は丈余になってはくづれ、なってはくづれした。
(島流し)
その夜は片はしから突き殺して夜明けまで その処に石油をかけてもやし
柳の枝をかぎにして1人1人ひきじって川の流れに流したのである。
我部隊は13,500であったが他部隊合せて70,000余と
言って居られてた。全く今考えて想像も出来ないことである。
49 :
名無し三等兵 :2008/05/18(日) 23:13:29 ID:???
なんで伍長程度がカメラ持って戦場うろうろしてられるんだよ
50 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/18(日) 23:26:25 ID:nA4xApAP
>>46 >>宇垣総理大臣の許に於いては陸軍大臣として部内統制の責に任じ得る者無し
さて、なぜ当時の陸軍がこれほど「宇垣総理大臣」を忌避したかと云えば、やはり
10年前の『宇垣軍縮』(1925年)のトラウマが大きかった事に尽きます。他にも
「3月事件」(1931年)の宇垣の関与が取り上げられましたが、陸相を出さない
ための体の良いタテマエに過ぎなかったでしょう。
当時、田中新一は陸軍省の兵務課長(大佐)でしたが、●「いま、宇垣閣下に
出られては、陸軍はふたたび往年の惨めな目に遭うのみならず日本の将来が
危うくなる。全軍の一致した意志として宇垣出馬に反対するのだから、憲兵も
大いにやってくれ――!」と熱涙こもる調子で激励したと云います。
ちなみに「宇垣軍縮」のおさらいですが、第13師団(高田)、第15師団(豊橋)、
第17師団(岡山)、第18師団(久留米)の4個師団を削減。連隊区に直すと
16ヵ所が廃止になりました。幼年学校も2校、無くなっています。
51 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/18(日) 23:43:42 ID:nA4xApAP
これにより3万4千人の将兵が削減される事になりまして、要するに「大リストラ」です。 とくに大量の将校の首を切り、また将来のポスト・出世の道を奪ったことは、上層部に 不満をもつ大量の『青年将校』を生み、派閥抗争を激化させる結果ともなりました。 早い話が、宇垣軍縮は「2・26事件」の遠因となっている訳です。また師団の廃止は、 地方経済にも大きな影響を及ぼしました。北海道など自衛隊の駐屯地に依存している 自治体を考えてみると分かりやすいでしょう。 しかし、『宇垣軍縮』は陸軍の近代化のためには必要不可欠なものでした。リストラに よって浮いた費用によって、戦車連隊1個、高射砲連隊1個、飛行連隊2個、台湾山砲 連隊1個、陸軍自動車学校(東京)、陸軍通信学校(神奈川)、陸軍飛行学校(三重・千葉) などが新設された訳です。 とくに飛行機は「金食い虫」の権化ではありますが、これが無くては近代戦を戦う上で 全くお話になりません。現代支那の人民解放軍がひと頃、どんどん陸軍の兵員数を 削って近代化にカネを回していたようなものです。
52 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/19(月) 00:04:25 ID:nA4xApAP
対ソ戦や太平洋戦争を考えると、陸軍の近代化はお寒いものだったかもしれませんが、 宇垣が曲がりなりにも土台を整備していなかったら、もっと酷い事になっていたでしょう。 そういう意味で●「宇垣軍縮」は無くてはならないものだった訳ですが、リストラされる 方は堪りません。一時期の日産がリストラによって復活したと云っても、首を切られた 従業員の生活には関係ないのと一緒です。 まあ、「宇垣総理大臣」が誕生したからといって、陸軍に不利益をもたらす政策を行なう とは決まっていませんが、まず「パブロフの犬」のような感情的反発が先に出た訳です。 何と言っても、たかだか12年前の話です。2008年の現在から考えれば、1996年に 大リストラをやった人間が今度は首相になって帰って来るのです。軍縮の現場で酷い 目に遭った生き残りの世代が、ちょうど中堅幕僚クラスになっている頃です――。 また宇垣が忌避された理由は、もちろんそれだけではありません。例えば参謀本部の カンジなどは、もっとロボットとして操りやすい林銑十郎を首相に擁立しようと画策して いましたから、宇垣のような大物に来られては自身の野望の邪魔になるだけです。
53 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 00:15:17 ID:???
54 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 01:56:31 ID:???
55 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 02:04:54 ID:???
どうせ軍縮するんなら師団を廃止するよりも三単位制にして連隊を廃止すべきだったな。
56 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 02:14:00 ID:???
病院潰すぐらいなら幼年学校を全部潰した方がよかった。 ・・・と言うよりはなからんなもんつくるべきじゃなかったな。 中学校出での方が思考が柔軟でマシだったイメージが強いんだが。 もっと言えば大学出将校をもっと活用すべきだった。
57 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 02:19:39 ID:???
活用しようがどうしようが対中対ソ対米全部結果を出せないよ まる。
58 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 11:46:04 ID:???
>>56 日本の大学生は軍隊が大嫌いなんだよ。
当時の大学は社会的エリートの養成所。
将来は政治家や官僚、学者として巣立っていこうという身がなんで軍隊ごときで無益な時間をすごせようか。
59 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 12:10:46 ID:???
>>56 旧制中学は大学のための予備校的な部分があって、
そこでは大学レベルの学業についていくための基礎教養を叩き込んでいた。
それはもうガチガチの詰め込み教育で、生徒の自主性なんか欠片も尊重せず、子供の人格形成のためによいと思われる教養が詰め込まれた。
戦後教育のような「自由にのびのび育てる」という部分はほぼない。
60 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 19:25:29 ID:???
古来より世界は強い国が弱い国を侵略するのはごく当たり前の話であり、それは別に悪いことではなかった。 ところが、現代の世界では侵略は決して許されることではない。 では、いったいいつから侵略が当たり前のことからいけないことに変わったのであろうか? 俺個人としては第二次大戦の終了の1945年がその境であると考えている。 つまり、日本の大陸侵略は悪いことではないが、支那のチベット侵略は悪である。
61 :
名無し三等兵 :2008/05/19(月) 23:12:44 ID:???
62 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/19(月) 23:30:52 ID:+Sq6Ej9p
>>45 >>広田の時と同様、宇垣の組閣も『24』(トゥエンティ・フォー)状態ですw。
1937年1月25日午前0時、横浜駅に到着した宇垣一成ですが、そこから自動車に
乗り換えて一路、皇居へと向かいます。その途中、待ち伏せしていた憲兵司令官の
中島今朝吾(中将)が宇垣の車を止めて同乗し、組閣の大命を拝辞するよう説得した
のは有名な話です。まあ、面白いエピソードなので詳しく取り上げてみましょう。
中島今朝吾(けさご)は、陸軍次官の梅津美治郎と同期であり、2・26事件後の粛軍に
その果断さを買った梅津が「習志野学校長」から抜擢したと云います。中島の性格は、
『個性派将軍・中島今朝吾――反骨に生きた帝国陸軍の異端児』という本の題名から
想像してみてくださいw。詳しく触れる気はありませんが、南京虐殺にも絡んできます。
まあ、自分的には中島が「習志野学校長」だった事の方が重要です。習志野学校は
化学兵器の教育機関だからです。詳しくは次の大テーマ『支那事変と毒ガス兵器』で
やりますがw。中島のキャリアは一貫して●「砲兵畑」を歩み、舞鶴要塞司令官という
閑職に回され、あわや予備役と思われた時に、習志野学校長という転機が訪れました。
63 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/19(月) 23:50:09 ID:+Sq6Ej9p
中島今朝吾が「習志野学校長」に回されたのは、砲兵畑出身という点も大きいでしょう。 毒ガスは、砲弾を使用する投射兵器でもあるからです。まあ、キナ臭い仕事といえども 予備役に編入されるよりは遥かにマシです。ちなみに舞鶴要塞司令官は、関東軍参謀 副長を放り出した、落ち目のカンジ(石原莞爾)が回された役職でもありますw。 そこから全く畑違いの憲兵司令官にいきなり抜擢ですから、いかに異例の人事だった かが分かるでしょう。「2・26事件」後の憲兵司令官は、マトモな神経では不可能だと 思われた訳です。それこそ、これから大命を拝受しに行く「首相候補者」(陸軍長老)の 自動車に単身乗り込むような――ですw。 中島は1月24日夕方、九段下の偕行社に顔を出し、軍務局の連中が「後継内閣は、 宇垣さんじゃないのか?」という議論に対して、●「断じて然らず!(近衛文麿である)」 と自信たっぷりに極言して、参謀連中を煙に巻いたという逸話も残っていますが、その 真偽はとりあえず置いておきましょう。
64 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/20(火) 00:04:41 ID:E45rjUxY
その夜は憲兵司令部に待機していましたが、早くも午後9時には三島憲兵分隊長から 至急電で「伊豆の宇垣に大命降下、宮中に参内するため上京」という報告が入ります。 中島は偕行社の「軍務局臨時出張所」に急行すると、梅津美治郎・陸軍次官や磯谷 廉介・軍務局長と相談してから憲兵司令部に戻ります。すると中島は、 ●「三月事件の関係調書類を引き出し、通読したうえ、『宇垣大将関連事項』を適宜 要約して、明朝までに田中新一兵務局長に提出せよ。侍従武官長を通じて天聴に 達する目的であるから、そのつもりで至急やれ――」 と部下に命じました。陸軍上層部は、「三月事件」を理由に宇垣の組閣を阻止しようと したことが分かります。まあこの後、中島は私服に着替えて副官1人とともに宇垣を 待ち伏せに自動車で深夜向かう訳ですが、先に上記の顛末に触れておきましょう。 中島は憲兵司令部に朝戻ってきますと、部下から徹夜作業の報告を受けました。
65 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/20(火) 00:17:00 ID:E45rjUxY
「ぜんぶ綿密に探求したのですが、宇垣閣下が直接、(三月)事件を指揮指導したという 明確な点が出てきません。みなある線で切れてしまっていて、宇垣閣下の本件関与は 単なる推理推定に過ぎません」 「当時の取り調べが徹底を欠いたからだ。それで良いから直ちに提出するように――」 この部下は、陸軍省の田中新一兵務課長に持参しましたが、結局、この書類が 使われる事はなかったようです。宇垣の事件関与が立証しきれない書類はむしろ マイナスだったからです。まあ、その後の話であります。
66 :
名無し三等兵 :2008/05/20(火) 00:20:59 ID:3h8jfdK4
>>63 >>64 田中新一に続いて陸軍最高の問題児中島今朝吾ですか。
この宇垣組閣断念事件の登場人物は、
帝国陸軍奇人変人列伝を作れば確実に登場する人々ですね。
68 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/20(火) 23:01:25 ID:DpHGRXiP
>>67 >>この宇垣組閣断念事件の登場人物は、帝国陸軍奇人変人列伝を
>>作れば確実に登場する人々ですね。
まあ、田中新一は意外と『兵務課』が長いからですね。
2・26事件後に軍紀粛正のため、「兵務局」が軍務局から分離独立します。ちょうど
その頃に田中新一は兵務課高級課員(課長代理)に配属されて(1936年3月27日)
順当に兵務課長となりました(1936年8月〜1937年3月)。
ですから同じ軍紀を取り締まる部署として、憲兵司令官の中島今朝吾と、兵務課長の
田中新一は繋がりができる訳です。まあ、●「奇人変人」の類が軍紀を取り締まるとは
これいかに。やはりマトモな神経では、下克上の陸軍を取り締まれないのでしょう。
さて憲兵司令官の中島今朝吾は、副官を連れて宇垣に『特攻』をかける訳ですが、
もちろん中島の独断ではありませんでした。もし独断ならそれこそキチガイですw。
中堅幕僚の突き上げを喰らった寺内寿一陸相が、『陸軍の総意』という名目で
宇垣に組閣を断念させるよう中島に代理で行かせたのでした――。
69 :
だつお :2008/05/20(火) 23:04:36 ID:BRz3dftt
また例の映画の件で靖国問題が保守論壇で大きく取り上げられてるようだが、 日本人の自分にはまるで興味の持てない内容・・・ 皇軍の大陸打通作戦で散々ドツキ回された中国人の靖国恐怖症は放っとけっての。 靖 国 問 題 は 中 国 人 の ト ラ ウ マ !
70 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/20(火) 23:23:57 ID:DpHGRXiP
>>62 >>待ち伏せしていた憲兵司令官の中島今朝吾が宇垣の車を止めて同乗し、
中島の待ち伏せは、その頃の軍部のイメージとは異なり、地味でこっそりとした
姿でした。まず副官とともに和服に着替え、その上からインバネスを羽織ります。
インバネスとは和洋折衷の外套コートで、昭和前期には洒落者が好んで着用
していました。要するに民間人に化けていった訳です。
憲兵隊の自動車もわざわざ「地方ナンバー」のプレートに付け替え、まずその姿で
寺内のもとへ陸相官邸に立ち寄ります。宇垣は横浜駅から、第1国道を自動車で
上京するという話なのですが、●「さて、どの辺で待ち伏せたら捕まるかしらん?」
と思案します。もう既に行き当たりバッタリです。
そのまま先を急いでいると、幸運にも六郷橋の手前に道路工事で片側通行になって
いる箇所が見つかりました。六郷川は多摩川の下流に位置します。まあ川崎の辺り
ですね。「これは絶好の待ち伏せポイントだ!」と喜んで車を停めていると、警察の
車がやってきて、●「ここで何してるの?」と2人は職質を受けましたw。
71 :
名無し三等兵 :2008/05/20(火) 23:34:58 ID:???
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。 日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな? 平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は 不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが 現実なのだ。 しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、 その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。 もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。 1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。 100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。 つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた 打撃を被るというわけだ。 君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。 それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。 株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。 日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を 日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど 造作もないのだ。 最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で 外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。 金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら 自営業と答えれば良い。 アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、 武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。 海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
72 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/20(火) 23:42:34 ID:DpHGRXiP
副官が●「いま、偉い人がここに来るから応援に来たんだ」と応じますと、特に疑いも 持たなかったらしく、そのまま先に行ってしまいました。いい加減な警察もあったもの ですw。まあ、既に宇垣の大命降下が伝わっていれば、提灯行列か新聞記者とでも 勘違いしたのでしょうか。ヤレヤレですw。 しばらく六郷川鉄橋で待っておりまして、結局、宇垣の車を捕まえられたのは1月 25日の深夜0時半を過ぎたころでした。 副官が手を上げて車を止めて、運転手に確認すると間違いなく宇垣大将の乗った 車です。司令官の中島今朝吾に報告すると、宇垣に近づき、 ●「憲兵司令官の中島中将ですが、ご参内になるまでに意見具申もうしあげたき につき、車に同乗お許し願いたし――」
六郷川鉄橋も総理大臣と縁のある場所ですね。 暗殺されかけたり(このスレで既出のような)、組閣を阻止されたり。
74 :
名無し三等兵 :2008/05/21(水) 21:33:50 ID:???
面白いものを発見。
国連脱退騒動後、松岡洋右が政党解消運動をはじめたころの文章。
http://sizuka.at.infoseek.co.jp/matsuoka/se-index.htm 松岡洋右 著
青年よ起て 世界変局と大和民族の使命
日本思想研究会発行
本書は、松岡先生帰朝以来今日までの講演及び叙述の殆んど各部を蒐集せる
もので、特に本会が乞ふて出版せるものである。
内外の急迫せる状勢に黙止しがたく、つひに先生は今回決然として政友会を
脱党せられ、国家革新の壮途に就かれようとしてゐる。
そして一切の褒貶を他所(よそ)に、躬を以て国に殉ずる決意の下に、進んで荊棘の
道を択ばれたのである。
本書は、先生の国家革新運動の思想的、政治的、経済的の基調たるものであ
つて、八千万国民の必読含味すべき経典であると確心する。
われ等は本書の校正に際し、至誠の人松岡先生の胸奥より迸り出でし警世憂
国の大文章に感激して、朱筆を投じて嗟嘆せるもの、実に一再ではなかつた。
新日本の黎明を告ぐる暁鐘として、この一篇を全日本国民に贈りうることを
われ等は光栄とするものである。
昭和八年十二月十四日
日本思想研究会
>>68 >>●「奇人変人」の類が軍紀を取り締まるとはこれいかに。
::::::::|\/ i
::::::::|´:::::::::ヽ
::::::::|:::ノノリ::::〉 /[] 田中隆吉も兵務課長(1939年1〜1940年3月)月が長いわね……w。
::::::::|!゚ ヮ゚ノリ / []]
::::::::| i.Hi]つ/ [][]
::::::::| _|j / [] []
::::::::|し'ノ
76 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/21(水) 22:51:44 ID:RUa7MDol
>>72 >>●「憲兵司令官の中島中将ですが、ご参内になるまでに意見具申もうし
>>あげたきにつき、車に同乗お許し願いたし――」
その後に、●「(宇垣)閣下が組閣されますことに対し、陸軍全体として反対の空気が
強く、また不測の不祥事勃発の恐れなきを保し難き状況なれば、組閣の大命を拝辞
さるるよう特にご配慮願いたし――」
と、こう続きます。バカ丁寧な物言いですが、上記は中島今朝吾の視点から書かれた
伝記によるものです。これが宇垣の記録では次のようになります。
●「(寺内陸相から)自分が出る筈だが、差し支えがあるのでお前(中島)が行って
ご報告申し上げろ、ということですから私が参りました。自動車の脇に載せて頂き
ましょうか? 車中でお話したいから――」
宇垣が「そうか宜しい」と車に同乗させると、中島は続けて、
77 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/21(水) 23:06:32 ID:RUa7MDol
●「あなたに今度組閣の大命が降るそうだが、どうも軍の若い者が非常に騒いで容易 ならぬ情勢だから、今度は一応お断りを願いたい。……これは寺内陸相の伝言でござる。 ……また、あっちこっちから反対だという電報が来た」 という話を品川に着くまで繰り返したと云います。「中島側の視点」と「宇垣側の視点」で まったく口調が異なっているのが面白いと云えます。まあ、宇垣も誇張して書いている でしょうから、ここまで中島が陸軍の長老に対して乱暴な物言いをしたかは疑問です。 本当だったら、軍人というのは現役を離れたら、どんなに大物でも●『屁』みたいな扱い なのだなあと思いますw。現代の民間企業や官庁でも同じでしょうけど。 早い話、現役陸軍人からの『宣戦布告』だった訳ですが、もちろん宇垣も言われっぱなし ではありません。●「それじゃ、私からも訊いて置くが、私がもし組閣の大命を拝して出る ということになれば、2・26事件のように軍隊が動くか? 今の話を聞くと爆弾が飛ぶとか、 ピストルを撃つという話であるが、軍が動く恐れはあるのか―-」
78 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/21(水) 23:27:29 ID:RUa7MDol
憲兵司令官の中島今朝吾は宇垣の問いに対し、●「2・26事件のように軍隊が動くという ことは、絶対にありません」と答えました。すると、宇垣は●「よし、それだけ聞いて置けば よい」と言って、泉岳寺で中島を車から降ろして宮中に向かったと云います――。 その後、陸相官邸に戻ってきた中島が「参った、参った。宇垣というヤツは偉いヤツじゃ」 と言うと、誰かが冗談半分で「そんなに偉いのなら、反対せずに(陸相を)やってもらった らどうだ?」というエピソードが当時、陸軍省軍務課の国内班長だった佐藤賢了(中佐) の回顧録に残っています。 こうして見ていくと、当時の陸軍が具体的にどんな理由で宇垣に「猛反対」したのか? よく分からなくなってきます。この項の最後で触れますが、自身の野望のために林 銑十郎を首相に画策していたカンジ一派を除けば、「何となく宇垣は絶対イヤだ!」 というイメージ優先のものでした。自分が小沢だけは絶対イヤだ、に似ていますw。 そもそも陸軍次官だった梅津美治郎の結婚の仲人は宇垣一成であり(奥さんは2児を 生んで早世)、個人的には反対しにくい関係もあった訳です。
>>75 中島今朝吾と田中隆吉は軍紀頽廃の最高峰ですな。
この二人に較べれば田中新一は「常識的」かな。
80 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/22(木) 00:07:56 ID:Kih5YYZt
>>45 >>広田の時と同様、宇垣の組閣も『24』(トゥエンティ・フォー)状態ですw。
いきなり冷や水を浴びせられた形の宇垣ですが、それでも1月25日午前1時40分頃に
宮中で天皇陛下に拝謁。正式に組閣の大命が降下しました。いくら深夜の方が混乱が
少ないだろうという判断とはいえ、差し迫った時間帯です。
広田の組閣の時も、「名門を崩す事のないように」という異例の御言葉がありましたが、
宇垣に対しても、●「組閣を命ず。……不穏なる情勢一部にありと聞く。その点につき、
成算ありや?」とまたもや異例続きの御言葉です。
さすがの宇垣もふたつ返事とはいかず、●「ただ今は組閣の大命を拝し、恐懼感激に
堪えません。さっそく聖旨に副い奉るべきではありますが、何分にも目下の事態は
重大であり、時局は相当紛糾しており、また自らを顧みましても徳薄く、識乏しい身分
ですから、数日間のご猶予を乞い奉り、十分考慮講究を遂げ、改めて復奉致したく
存じあげます――」と答えて退出しました。
81 :
イナゾウ特務中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/22(木) 00:26:12 ID:Kih5YYZt
ここから組閣に向けた長い長い日々が始まります。まあ、結末は分かっていますがw。 広田の場合、陸相は最初に寺内ですんなり決まり、他の閣僚名簿でとやかく 言われて難渋した訳ですが、宇垣の場合は、ただ1点――。 陸相が決まりません。
82 :
名無し三等兵 :2008/05/22(木) 00:29:35 ID:???
俺だよ、俺>陸相
83 :
名無し三等兵 :2008/05/22(木) 11:38:44 ID:???
いや俺だよ、俺>陸相
84 :
山田洋子 :2008/05/22(木) 23:59:11 ID:???
>>81 >>宇垣の場合は、ただ1点――。陸相が決まりません。
さて宮中から退出した宇垣一成は午前2時20分、四谷内藤町の私邸に帰宅しました。
すでに友人知人や新聞記者などが自宅に待ち構えており、教育総監の杉山元大将の
和服姿もそこにありました。
ここから「ハハーン、宇垣の陸相は杉山が務めるのだな?」と、周囲のあらぬ誤解を
招き、話が余計にややこしくなりました。かつて宇垣が陸相だった時代、杉山は軍事
課長、軍務局長、陸軍次官までの幕僚を務めていたからです。杉山スゲーw。
すでに「陸軍の総意」として、宇垣の組閣に反対するのが決定しているにも関わらず、
どうして杉山元がノコノコと訪れているのか全く理由が不明です。後日、杉山自身が
宇垣の組閣本部を訪れて、大命拝辞の説得にやって来るのですから尚更です。
単なるお祝い気分か? 考えなしの不用意か? 陸軍内の反対の激しさにKYだったか?
その時は確かに陸相になる積もりがあったのか――? 後で杉山自身が後悔したこと
だけは間違いないでしょう。
86 :
名無し三等兵 :2008/05/23(金) 18:34:45 ID:???
そこがグズGENがグズGENたる由縁。
87 :
山田洋子 :2008/05/27(火) 21:22:28 ID:???
a
88 :
だつお :2008/05/29(木) 01:31:46 ID:sRD75yTM
朴正煕大統領は皇軍の大陸打通作戦に魅せられ、皇軍に入隊。そこで勇戦敢闘して、
陸軍中尉にまで出世した。大陸打通作戦の栄光はあの朴正煕大統領も認めた偉業で、
まさに「漢江の奇跡」をもたらしたのは大陸打通作戦の闘魂に他ならない。
1942(昭和17)年 満州・新京軍官学校首席卒業
「高木正雄」少尉として日本の陸軍士官学校に派遣留学
1944(昭和19)年 日本陸軍士官学校を卒業(卒業成績3番)
関東軍に編入
1945(昭和20)年8月 北京郊外の駐屯地で終戦を迎える
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ha/pakuchonhi.html <「遥かなる俊翼」(渡辺洋二 文春文庫)の「教え、かつ戦った訓練部隊」>
ところで、整備の特幹一期の中に、やがて新聞のトップに載る“変わりダネ”
がいた。あだ名は「人力車」、朝鮮生まれの金本元一(本名・金載圭)上等兵は、
一九七九年十月二十六日、KCIA部長の立場で朴正煕・韓国大統領を射殺する。
複座改造機
相模飛行場に同居の飛行第二十二戦隊は八月二十一日に華中に向けて出勤し、
<以下略>
89 :
名無し三等兵 :2008/05/29(木) 02:44:07 ID:???
↑ うざいから自分の立てた糞スレにひきこもってろ
90 :
名無し三等兵 :2008/06/03(火) 22:22:24 ID:???
イナゾウはどうしたの?
課長殿はまた帰ってこられるでしょう。 適当に保守しておきましょう。
92 :
キング :2008/06/04(水) 03:54:53 ID:zeAn4uTO
93 :
名無し三等兵 :2008/06/04(水) 08:05:01 ID:???
電波がきつすぎて引きつり嗤いしか出てこない・・・
94 :
名無し三等兵 :2008/06/07(土) 08:25:33 ID:???
しかしイナゾウはなんでそんなにチマチマと語りたいのか、 そのエネルギーはどこからくるのか? つーか、まとめてどこかにうぷすりゃそれで済む話じゃないのか? 2ちゃんよりはブログ向きだな。
95 :
名無し三等兵 :2008/06/07(土) 17:27:43 ID:???
実際そういうブログあるしなあ
96 :
名無し三等兵 :2008/06/08(日) 00:43:18 ID:???
元32を逮捕しろ!!!!!!!!!!!!
97 :
名無し三等兵 :2008/06/12(木) 23:10:20 ID:???
バンド・オブ・ブラザーズ見たけど感動した。 ああいう誇りある兵士たちのお話ってすごくいいよね。 日本だと悲惨なものばっかで気が滅入るけど、中国戦線なら愚連隊があるように 日本版バンド・オブ・ブラザーズ作れるんじゃね?
98 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 00:30:03 ID:???
>>97 そもそも今の時代支那戦線題材で日本人の鑑賞に耐える誇りある物が出来るとは
思えないんだが。
99 :
名無し三等兵 :2008/06/13(金) 01:30:39 ID:???
イナゾウ特務中尉はまた降格処分されるつもりなのかな。
俺がイナゾウだ
結構長いなぁ。大丈夫かな?
イナゾウ兵長は仕事でノイローゼ気味って聞いたことがある
イナゾウ一等兵はエロゲ廃人になって引きこもってるって聞いたことがある
例大祭で何かあったとか。 時期的には一致する
中尉はノモンハンで捕まって生きながら皮を剥がれたと聞いたが
まさか秋葉原で・・・・・
軍板屈指の支那通がたかがナイフ魔のテロに破れるなどありえん!
支那じゃ暗殺なんて日常茶飯事ですよ。
イナさんはああ見えて日支の友好親善論者だからな
まさか四川へボランティアに・・・?
でぶ=公安警察で一般市民に紛れてる いるならいるで仕事しろよって連中です。 秋葉原は中東やアジアにおけるテロ組織が こぞって武器用部品を購入する場所なので 公安が重点的に見張ってるんだよ。 穿った見方をすれば加藤は最も捕まりやすい 現場で犯行を犯したということ。
オタクの職質で点数稼ぎをする警官がいるって話なら聞いた事があるけどなあ。
遅れましたが、過去ログ倉庫を更新しておきました。
>113 おつです 最近過去ログ読んでて、途中から見れなくなってて悲しい思いしてましたw
なんでイナゾウ死んでしまったん?
出版不況だよ
イナゾウよ、早く帰ってこないと死人にされるぞw
こんど帰還したらどこまで降格されるのかな? 敵前逃亡扱いで銃殺だけは避けたいところだが
潜行三千里 著イナゾウ
わたしイナゾウ 今タイにいるの
イナゾウ特務中尉は南興安嶺の地誌調査ために旅行中だ。 無事でいれば良いが。
122 :
真のイナソ :2008/06/25(水) 20:59:51 ID:???
古来日本は朝鮮半島を兄として慕い従いながら 文化の恩恵を受けてきました。しかし、ある時 兄が病気で調子が悪いのをいいことに兄を押さえ込み 兄の財産はおろか生命までも奪おうとしました。 弟に対しては慈しみをもって接していた兄は 弟のなすがままにさせてやろうと大慈悲の心で 弟の暴虐に耐えていましたが、ついに弟は親にまで 手をかけたのです。それには周りの人たちも非難しましたが 弟は聞く耳を持ちませんでした。そしてついに弟は近所の人々を 相手に喧嘩を始めました。しかし、弟は不意打ちで次々と近所の 人を倒してしまうので、ついに兄は立ち上がりました。 兄は弱いものだと思っていた弟は驚きました。 兄の怒りによって近所の人たちも大いに驚き兄に味方しました。 弟は全てを失い近所の人々にもうしませんと泣いて謝りました。 兄はとても慈悲深い心で弟を許してあげて、近所の人にも とりなしてあげました。近所の人も兄を心から尊敬し敬服して 弟を許してあげました。 兄は弟に色々と物心両面で助けてやりました。 息を吹き返した弟はまた兄を批判したり馬鹿にしたりしています。 まさに喉元すぎればなんとやらですね。 そんなことしてたら またいずれ痛い目に遭いますよと兄は何度も忠告してますが 弟はなかなか聞こうとしません。 また同じことを繰り返さないことを 願うばかりです。
>>122 あなたこすがイナゾウ同士の正銘!!!!! やっとまったるこ!!!!! 話しえオ続けるのを始めよ!!!!!!!!!
>124 タイトルが違う 正:護衛艦「さざなみ」、地震「お見舞い」物資を中国海軍に渡す
126 :
名無し三等兵 :2008/06/27(金) 00:07:55 ID:TguJrYC2
中公新書から『広田弘毅』が出ましたね。 このスレとも関わりが深い人物の伝記の発売を記念してあげ
特務中尉は戦犯裁判にかけられて獄中で虐待死したよ
いや、身内を売って生き延びたって話だよ。 死んだのは身代わり。
米兵捕虜を首切って、死体で焼き肉パーティしたのがばれたらしいよ。
イナゾウさんは勤務先から栗鼠虎されてネカフェ難民だよ
ネカフェから続き書いてw
いままでの警察に自殺と発表された例 * 大阪、タクシー運転手 - 首にロープを巻いて、家の門扉の前でジャンプしロープを門扉にひっかけて首吊り。門扉の高さは数mあった。 * 東京、アフガン航空常務 - 全財産をつぎ込んだFX取引きで失敗し、社内で自分の心臓を刺してから窓枠を乗り越えて離陸。 * 大阪、社長 - 全身をロープと粘着テープで縛って、ビル屋上の鉄柵を飛び越えた。 * 千葉、少年 - 全身をロープと手錠で縛って、柵に囲われた線路に飛び込み。 * 東村山市議 - 逆立ちしてマンションの窓際まで、指でひきずった跡をつけながら歩行、足から手すりにぶら下がり、空中で方向転換して50cmの隙間に向けて飛行。 * 沖縄、社長 - 全身をめった刺しにして自殺。背中や手の甲もきちっと刺してあった。血の跡ひとつつけずに非常ボタンを押した。 * 大阪、潜水ルポライター - 水深数十センチの川で全身を縛ってめった刺しにしてからうつぶせに水中に横たわった。ご丁寧に背中に重しまで乗っけた。 * 神戸、ヤクザ - 自分で自分の首をはねて自殺した。首はみつかっていない。 * 東京 - 火の気のない玄関で人体発火現象を起こして、燃え尽きるまで気管に煤が入らないようじっと息を止めて焼身自殺。 * 愛媛 - 風呂場で自分で自分の頭をハンマーで殴り自殺。 * 茨城、おばさん - 首吊りしたあと歩いて川に入り息を止めて自殺。気管には水なし。 * 熊本 - 某病院主要関係者を乗せ、峠道を時速80キロで、ガードレールのわずかな隙間をタイヤ痕ひとつ残さない絶妙な運転テクニックですり抜けて50m下へダイブ。 * 福岡、高校生 - 400kgの重しを抱いて海に飛び込む。 * 東京 - 頭に穴があく不思議な方法で首吊り。 * 千葉 - 首吊りをしてからわざわざ飛び降り自殺。死因は飛び降りではなく窒息。 * 名古屋 - 車で首吊りをしようとして首を切断。しかし、首がないまま駐車、車庫入れをこなす。 * 大阪 - 歩道橋から飛び降り自殺するも、なぜか歩道橋から45メートル離れた路上で発見される。
秋葉オタがカッターナイフ所持→何十日も拘留のあげく有罪 暴力団が銃と鉄パイプで警察手帳強奪→処分保留で釈放 配送業者が配達の為に2分駐車→待ち伏せしてた天下り監視員にステッカー貼られ20000近い反則金 暴力団が高級外車で渋滞箇所に24時間以上放置→誰も取り締まらないフリーパーキング 無職青年が万引きで逮捕(額数百円程度の物)→懲役5年 社会保険庁や警察幹部が公金横領(数億円以上)→誰も起訴されずお咎めなし 天下りを受け入れてなかったライブドアが15億の粉飾→幹部は全員実刑上場廃止 警察天下りを受け入れた日興が数百億の粉飾→幹部お咎めなし上場維持 長野で中国人の暴力から身を守る行動をした日本人→逮捕 日本人を集団で殴る蹴るした中国人→警察の庇護を受けながらやりたい放題 対策 警察犯罪公務員汚職天下り犯罪のみを取り締まる超法規的機関の設置
「会津人を大量に殺してんねんで!」 じゃあイナゾウが 支那の土人を大量に殺してんねんで! つったら通報され逮捕される危険ありか。すごい言論封殺。 今イナゾウが出てこないのって規制されてるからじゃねーよな。
彼は今撫順戦犯管理所にいます。 多分次の登場は我が国軍を土人兵士と言って、東洋鬼を連発するでしょう。 返す返すも残念です。
人権擁護法案や民族差別法案ができたら、 土人だのなんだのいってるイナゾウは真っ先に逮捕w
なんか以前から粘着が一人いるね
イナゾウが戻ってきたらまた消し飛ぶさ。 今は生暖かく馬鹿踊りを見守りましょう。
イナゾウさんもドジンだから問題ないよ
同人がどうしたって?
同じ馬鹿ならおどらにゃ損損
ぜんぜんえらいことになってないぞ
過去のスレを読んだがイナゾウの土人差別発言は結構きついぞ
中佐はけっこうきつい発言多いよ。 くだらないツッコミとかすると「ばーかwww」とか言われるし。
>>493 「金」曜日といえば偉大な将軍様(笑)の苗字と同じだから肖像画に向かって一日中「マンセー!」と叫んでるんじゃね?
オナニーを覚えた猿みたいにw
そろそろ三週間か。
やっとアクセス規制終わった。 イナゾウ中佐もそろそろ帰ってくるかと
ははぁ。犯罪予告規制に巻き込まれたか。
吾輩が兵頭二十八参謀長である。 核武装すれば皇軍必勝間違いなしである。
それはともかくイナゾウマダー
初めて来たけどレスの内容が全然「参謀本部第二部支那課」じゃなくてワロタ。
保守
158 :
名無し三等兵 :2008/07/20(日) 21:25:10 ID:Jtf7JoDx
あけま
160 :
名無し三等兵 :2008/07/26(土) 08:23:28 ID:Y/YEKyvm
これは捕まったな 洗脳されて帰ってくるぞ
イナゾウさんは支那奥地に浸透中だょ。
保守
163 :
俄将軍 :2008/07/31(木) 07:07:22 ID:???
>■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★ >このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) >ディプロマシー12 [卓上ゲーム] >ディプロマシー11 [卓上ゲーム] >ウイニングイレブン2008のんびり組 Part1 [アーケード]
164 :
名無し三等兵 :2008/08/04(月) 07:26:20 ID:CogQwtG5
日中戦争って、たとえば日本が勝ったとして、一体日本は何を 中国に要求するつもりだったの? あれだけの被害者出した割には、一体何のために戦ってるのか さっぱり分からない戦争だよな。
つ 土地
166 :
名無し三等兵 :2008/08/04(月) 10:31:42 ID:ea5a9wzT
>>163 目的が分からないのは当たり前。あの戦争は日本から仕掛けた訳ではないから。戦争目的など存在しない。
北支分離工作などは、支那事変の戦争目的というわけではない。
>>165 土地は要求していないんだが。
陸軍は北支防共駐兵と、海軍は海南島権益と駐兵だな。
駐兵を土地要求と捉えるのなら、何とも言えんが。
168 :
名無し三等兵 :2008/08/04(月) 21:32:15 ID:6kOSlkar
しかし中国人って反日になると盛り上がるよな イギリスのアヘン戦争ぐらい抗議せんかい
大して反日じゃねえだろ、かつて昔の中国人がイギリスの綿製品を不買運動して締め出したように 日本企業も撤退するぐらい不買してみやがれって、反日で熱狂しちゃうのは一部の学生連中だけだろ
反英暴動も普通に起こってるがな
せぜい中国人の学生はネットでサイバー攻撃(笑) こいつらには購買力がねえから不買もクソもない 逆に湾岸の中国人中産階級はせっせと韓国の液晶HDTVや日本の車や携帯電話、婦人はシャネル・ルイヴィトンを喜んで買う そして彼ら中産階級は言う「中国の製品はダメだ。ダサイしすぐ壊れる」
>>167 そのほかに「特殊貿易」が加わりますな。
あたりまえぢゃん
174 :
暫編第一軍 :2008/08/07(木) 19:34:53 ID:???
イナゾウ氏の不在も2ヶ月を越えてしまいましたね。ご病気などでないと良いのですが。 氏の復帰まで何かネタをやりましょうか? 氏のように政治や人物に踏み込んだネタは詳しくないので、「国民党軍」に関する資料ということになってしまいますが。
やはり事故か何かで… いやいや緊急の仕事で長期出張中とか… まさかここに書いてるのがばれて「軍国主義者!」と家族に非難されたとか…
哀れ、イナゾウ中佐は極秘任務に失敗し八路軍の闇討ちで戦士しました。 ___ | イ | | ナ | | ゾ | | ウ | ,,,. | の | ,'"';, 、''゙゙;、). | 墓 | 、''゙゙;、),、 ゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙ ‖ `i二二二!´ ‖ 昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌 | ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:| | :|::::::| |;;;;;;;;;;| |::::| :| | :|::::::|┌─┐|::::| :| ./゙゙└‐┴ ┴l,,,,,,,,,,l┴┴‐┘゙゙゙゙\ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄ | |::: |: : : : |:: | | | |::: |: : : : |:: | | /_|::: |: : : :.|:: :|_ヽ _|___|;;;;;;;;;;|,;,;,,,,,,,,,,,,,,,;,;,|;;;;;;;;;;|___|_ l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
www はないだろ
180 :
177 :2008/08/09(土) 12:13:47 ID:???
>>174 申し訳ないです
よろしくお願いします。
age
今、1が死んだ。 これほどのスレッドを立てる才能がありながら、1は死んでしまった。 分かっているのか?殺したのはお前達だ。 こんなに才気溢れる、将来性豊かな、ゆくゆくは日本が誇る世界の巨匠に なったであろう1を、お前達はつまらん煽りや叩きで殺したのだ。 恥じるがいい。悔いるがいい。悲しむがいい。嘆くがいい。 お前達を俺は恨む。1を殺したという理由から、この板の住人を、2ch 住人を、ひろゆきを、日本人を、人類全てを。 1よ。あなたのことは忘れない。 あなたを殺した奴等にはいずれ俺がきっちり復讐してやる。 安らかに眠るがいい、1よ。 あなたの立てたスレッドは来年から歴史の教科書に載るそうだ。 1を殺した者共よ。俺が怖ければ、1の死を踏み越える覚悟でここを 超えるスレッドを立ててみろ。それが素晴らしい物であったら素直に賞賛 してやろう。暖かいレスもつけてやろう。sageも晒しも俺はするまい。 だが、ここの1を殺した罰によって俺はお前を倒す。それに変わりはない。 無闇に叩きや煽りやコピペをした夜は、お前の背後に俺が出る。
稲造復活はコミケあけまでお預けか?
チベット国旗振って当局に連行された日本人が実はイナゾウ
それじゃ国家の恥じゃまいか。
186 :
名無し三等兵 :2008/08/15(金) 23:35:59 ID:kd/yknYx
今日は8月15日です。 日本人だけでなく、世界の人々にとって大事な日です。 戦争はいけません。 戦争は悲劇を生み、また更なる悲劇を生みます。 戦争反対。 平和主義ニッポン。 世界に訴えていかなければいけません。 二度と、ヒロシマ、ナガサキ、のような悲劇を生んではならないのです。 戦没者に対して、また罪も無い子供や女性の死の冥福を祈って、 合掌…………
187 :
名無し三等兵 :2008/08/15(金) 23:46:43 ID:c+9Ou5cZ
>>186 不謹慎かも知れないが、
広島長崎の総死者数よりも、去年の人工中絶人数の方が多いんだよなあ・・・
何の罪もない赤子がむざむざと・・・
戦争より酷いんじゃないかと今日この頃
内モンゴル自治区の徳王の軍隊を撃破した国民党軍の部隊を日本軍が撃滅 皖南事変で共産党軍を包囲殲滅した国民党軍の部隊を日本軍が撃滅(かなりに数が集団投降) 日本軍は徳王の軍を倒して意気上がる国民党軍の部隊を倒して天狗の鼻をへし折る 皖南事変で共産党軍を倒して意気上がる国民党軍の部隊を倒して天狗の鼻をへし折る わざわざ関係無い国民党軍の部隊じゃなくて、徳王や共産党軍を倒した部隊を攻撃して勝利をおさめて 国民党に日本軍の強さを印象付けた。 「お前らが強いんじゃなくて、相手が弱すぎただけなんだよ」とね。
>>188 全般的に日本軍が戦場では国民党軍に勝っていたのはわかるが、具体的にその部隊名と時期をプリーズ。
そして同じことを米軍に…
191 :
大乃木 :2008/08/17(日) 23:39:01 ID:???
>>187 さらに不謹慎なことを言えば、胎児には人権が認められていないので
妊娠中の女性を殺しても殺人は一人と計算される。
まあ胎児の人権を認めてしまったら堕胎医と母親は殺人罪で逮捕だが。
これなんてカトリック?
まあ日本でも刑法と民法で違うからな。
刑法的にも民法的にも日本でもその状況では同じ
195 :
名無し三等兵 :2008/08/21(木) 20:22:17 ID:sxMIPB6y
結局のところ、日本人は人権とか人の命なんてさして大事に思ってないということでFA?
人権思想はユダヤ・キリスト教を背景に出てきた思想だからなぁ 聖書に馴染みのない文化圏にはいまいち理解できなくてもしょうがない
人権の概念はむしろ王権神授説の絶対主義体制下での対抗言論だろ。 あまりに多くの殺人の結果得られたもの。 概念そのものはフィクションで実際には国民の権利。
で、日本は国民や財界の意見を聞きすぎた結果、国民を300万人ほど失ったわけだが。 日本人がもっと我慢強ければ、中国がいくら舐め腐った真似をしても耐えて耐えて乗り切れたはずなのに。
夏コミ終わるも中佐帰還せず まだか
辻ーんの霊に取り付かれてベトナムにいったまま帰ってこないとか
辻はラオスだろ。
【日中戦争】近衛はどーすれば・・・【日米交渉】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1148200440/ より
日本はG8の一員としてというコテハンの主張
軍事的勝利と占領維持と政体変更はイコールではありません。
歴史家からはボロクソ言われてますが中国大陸の占領方針は点と線でオッケーです。
南京の勝利でとっとと軍隊を引き揚げるのが一番ですが史実のように占領を選んだとしましょう。
しかしこれでも占領予算と軍事費で日本陸軍が大泣きするだけです。
軍事的に問題ないでしょう。どれだけ集まっても中国兵では勝てません。
主要都市を抑えちまえばこっち物のだったのです。
第三勢力が両国の間に干渉しなければそのまま重慶も延安も古代世界に逆戻りでした。
干殺し出来たのです。
しかしあるだけで目障りなソ連がいたのでのんびりやってられなかったのでしょう。
あと10年あればなんにもせず居座っているだけでお終いです。
全土征服など無駄なだけです。
抵抗力がなければ問題ありません。
日本の敗戦はそれでした。
205 :
俄将軍 :2008/09/11(木) 02:39:13 ID:???
何の脈絡もなく、中国大陸での大日本帝国の阿片政策など、ブームになっているのか、よくわ かりませんが、同時代の大英帝国などの阿片政策など、比較しないのであれば、片手落ち、 ということになるのか、などと、書き散らしてみたり。
なんかただの痛いスレになってないか
208 :
名無し三等兵 :2008/09/25(木) 01:44:13 ID:LZWjXseK
あげ
209 :
俄将軍 :2008/09/25(木) 02:18:45 ID:???
>>207 シナジー効果、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
戦争になったら男は全部殺す。 女性自衛隊員を捕虜にしたら、 連行して洗脳し情報を、聞き出したりし いったん戻して、中枢部を破壊させる。 彼女らは四千年の秘術で逝きまくり、腰が抜ける のもでる。 生き残った精鋭や一般人で170cm以上の長身美女は北京に連行して、 スポーツエリートやエリート将校と結婚させる。 チャイナベビーが数多く誕生する。 これらにより、男系の日本人は断絶する。
211 :
雑草 :2008/09/27(土) 22:17:50 ID:???
>>118 こんど帰還したらどこまで降格されるのかな?
>>敵前逃亡扱いで銃殺だけは避けたいところだが
今度は「雑草」に生まれ変わってやり直したいと思いますw。
>>460 >>「俺は陸大に受かった!」と叫んで部隊長自ら失踪
もう何から書き始めたら良いのか分かりませんが、とりあえずリハビリという事で
極々小話を……。自分が終戦間際に支那で陸大を受験した時の話です。記憶を辿り
ますと確か、1945年5月頃だったと思います(※『最後の打通作戦――鯨兵団
大陸転戦始末』佐々木春隆著:図書出版社のオマージュですw。文字通り念のため)。
あれは打通作戦の大詰めとなる桂林攻略、そして南部粤漢線の掃討がとうに
過ぎてからでした。大東亜戦争の戦局は日に日に悪化し、4月には米軍が
沖縄に上陸しています。しかし支那派遣軍総司令部としては、連合軍の広東
上陸の可能性を捨てきれず、自分が所属する師団他を広東に派遣した訳です。
212 :
元32 :2008/09/27(土) 22:53:46 ID:???
>>211 班長殿自ら残置諜者とは。
いずれにしろ再会オメ。
213 :
雑草 :2008/09/27(土) 22:59:13 ID:???
あ、言い忘れましたが、自分は第40師団(善通寺)で連隊の作戦主任を務めて おりました。もちろん連隊に「作戦参謀」なんている訳が無いのですが、自分の 連隊では慣例で歩兵砲隊長が作戦主任的な役割をして連隊長を支えていたのです。 第40師団が広東に到着したのは、1945年4月半ばのことでした。なにせ南支です から4月といえども気温は日本の初夏です。遥か昔に支給されたクタびれた冬服が 非常に暑かった記憶があります。広東は久方ぶりに見る大都会で邦人も沢山おり、 特に女性の色彩豊かな着物姿が、戦場のモノトーンに慣れた目にチカチカしました。 しかし、誰も「お疲れ様」「ご苦労さん」とも声をかけてくれず、奇妙な目でこちらを 見ています。宿泊先の確認のために部隊を街路で休憩させていると、ランドセルを背負った 小学生が寄ってきて「どこから来たの?」「どこへ行くの?」「山猿そっくりだ、臭い!」 「あっ、シラミだらけだ! うつるぞ、逃げろ!」と叫んで逃げていき、乞食そっくりの 自分たちの姿に情けなくなった次第です。今だったら歌舞伎町や秋葉原で大八車を 引っ張っているホームレスにも負けないでしょう。ちなみに支那の土人たちは どこかの戦場から逃げてきた敗残兵を見るような目つきでしたw。
ああ、生きていたのかイナゾウさん 義務として書き込んでるわけでもないだろうから そんな責任感じなくても良いとは思うよ でも突如音信普通になられると心配になるから 書き込めないときは書き込めないと言ってから休んでくれるとうれしい
216 :
雑草 :2008/09/27(土) 23:42:38 ID:???
>>212 毎度どうもでございます。「人生って何だろう…」と悩んでおりました。
早く人間になりたーいw。
さて、そんなこんなで広東防衛の配備に付いた訳ですが、全くもってロクな思い出が
ありません。何一つです。今から考えれば「沖縄→本土決戦」と戦局は推移し、我が
支那派遣軍は100万の遊兵となった訳ですが、当時は米軍の広東上陸が相当本気で
考えられていました。とくに水際防御で玉砕する羽目になりそうな第23軍(広東)
司令部は深刻です。「まさか…」と思いつつも、際限の無い疑心暗鬼へと陥ります。
さらに悪いことにCGA(支那派遣軍総司令部)の方針が右往左往しまして、自分の
第40師団が広東に到着して間もなく(4月11日)、南京(上海)方面に再転用させる
べく第23軍司令部に「転出可能時期」を問い合わせました。
第23軍司令部は広東からの転用に異見表明しつつも、約1ヵ月の5月10日頃に
発進可能と答えます。この時点で第40師団は「どうせ出ていく部隊だから」と、
徹底的に陣地構築(艦砲射撃避けの横穴掘り)に使い潰される運命となった訳ですw。
おかえりなさい!
218 :
名無し三等兵 :2008/09/27(土) 23:56:16 ID:yzbdv7e8
復帰age
219 :
jy :2008/09/28(日) 00:15:18 ID:mWoPx7cP
復帰おめでとうございます!(´・ω・`)ノシ
221 :
雑草 :2008/09/28(日) 00:25:07 ID:???
>>214 >>書き込めないときは書き込めないと言ってから休んでくれるとうれしい
全く以ってごもっともで返す言葉もありません。これでは社会人としても失格ですw。
>217 >>第40師団は「どうせ出ていく部隊だから」と、
しかし現場はそんな決定を知る由もありません。やがて台山という広東から
約120キロ離れた地区の固定防御を命令されましたが、配布されたのは地図
だけで、砲兵はおろか地雷1発の交付もなく、これには呆れかえりましたw。
これでは「標的になって死ね」の命令とイコールで、堪らず第23軍司令部の
兵站参謀のもとを訪れます。
雑草「連隊には連隊砲の2門しかない。何か対戦車手段をください」
兵站「何かあったかなあ…」
222 :
雑草 :2008/09/28(日) 00:45:20 ID:???
>>217 >>218 >>219 まことに恐縮至極です…。
雑草「速射砲か、カノン砲はないか?」
兵站「ない。あっても通用せん」
雑草「対戦車地雷は?」
兵站「重点正面に交付済みだ。一発も無い」
雑草「肉攻資材は? 柄付タ弾とか、ふとん爆雷とか、青剤(青酸)とか…」
兵站「そんなもんがあるもんか」
雑草「何か下さい。それでは、死にに行けというのと同じです」
兵站「済まんが、何も無い」
雑草「掘削資材は? ただ標的になるのは嫌です」
兵站「渡してしもうて、もう何も無い。精神力で戦ってくれ」
雑草「精神力で何か交付してください」
兵站「……」
223 :
雑草 :2008/09/28(日) 02:00:45 ID:???
「これでは必敗だ」と涙が溢れて、敬礼もせずにその場を飛び出しました。 自分の連隊に割り当てられた防御正面は65キロ。連隊砲の2門を除けば、僅かな 重機・軽機、そして擲弾筒と手榴弾ぐらい。「これで米軍の上陸に立ち向かえ」という 訳です。肝心の「対戦車手段」ですが、何とかして手榴弾を車内に投げ込むぐらいしか 思いつかず、後は夜間に日本刀を持って米軍陣地に斬り込むしかありませんw。 そもそも沖縄で激戦中の米軍が、支那で新たな上陸作戦を行なう(それも広東のような 辺鄙な場所に)など自分の常識では考えられなかったのですが、戦争では何が起きるか 分かりません。疑念を持ちつつも、やるべきことをやらなければ、いざというときに 「ほぞ」を噛みます。 結局のところ出来るのは「無駄死に」を極力避けること。ひたすら持久して米軍に 出血を強いるために、海岸の洞窟陣地から山塊・丘陵地の坑道、陣地の蛸ツボに 至るまで、●「その場で死ぬ覚悟で穴を掘れ」としか言えませんでした。しかし 掘削資材もなく、岩盤が固くて容易には掘り進めません。
224 :
雑草 :2008/09/28(日) 02:39:59 ID:???
さらに台山は何も無い場所で、ここ数年の飢餓と人災が重なって副食がありません。 昼夜兼行24時間、全身真っ黒になりながら穴を掘っても給与(食事)が最悪で、 僅かにライチーの実を齧るくらいでした。米と苺のデザートだけ喰っているような ものですw。あとはヘチマや野草です。同僚の回想では、 ●「馬の歯の悪いのが落とした糞を空缶で洗うて、その麦を食いよった。台山は 最悪じゃった」 ●「ある人に誘われて中国人の食堂に行ったところ、鼠の煮物を食わされた。 小骨が多くて閉口した」 とあります。しかし怪我人が続出しながらも、皆真剣に黙々と自分の死に場所を 掘っている姿は神々しささえ感じました。ですが自分は「弱り目に祟り目」というか、 師団本部から隣の連隊の大隊長に異動するよう突然の命令が来ます。死生を共にした 多くの仲間と別れ、見ず知らずの連隊に移るのは耐え難い苦痛です。民間企業で 隣の支店に転勤するのとは訳が違います。今の連隊長も他の人間を出すよう色々工作 してれましたが、結局ダメでした。こうなっては軍人の運命だと諦めざるを得ません。
またサケのようにスレを遡上してきたな、まあ復帰おめ
「雑草という草はない」 復帰オメ
復帰おめでとうございます。
228 :
雑草 :2008/09/28(日) 22:29:51 ID:???
>>225 >>「過去ログ倉庫」からなぜか復活できました。サケの喩えは絶妙ですw。
>>226 そのうち「イナ草」にでも改名しよかしらんw。はやく人間になりたーい。
>>227 ue少将閣下には弁解の言葉もありません。人生に大分迷っておりました。
>>224 の続き。>>こうなっては軍人の運命だと諦めざるを得ません。
平時には国家公務員よろしく、軍人は転勤が付き物の商売です。しかし今は戦時です。
下級将校の現場指揮官にとって、長年生死を共にし気心の知れた部隊を離れるのは、
例え同じ師団内(40D)の別の連隊といえども辛いものがあります。ましてや戦時
急編成の「独立歩兵旅団」なんかに飛ばされた日にゃあw。そういった新編部隊の
志気があがらず、実質戦力が額面より遥かに見劣りするのは理由のあることです。
それはさて置き、隣の連隊の大隊長に異動した自分ですが、広東防衛を離れて
北上するという噂が部隊で持ち切りでした。人の口に戸は立てられないものです
(但し行き先の南京までは知られていない)。
広東の防衛から自分たちが『御役御免』になるのであれば、こんな難工事は 一刻も早く止めてしまいたい。まったく現金なものですが、これが人情です。 連隊長からは「命令があるまで陣地構築を続けろ」と指示され、部下の中隊 長からは「早く止めさせてください」と矢のような催促です。 大隊長になっても板挟みの「中間管理職」の苦労を味わう訳ですが、仕方なしに 1週間以内に完成の目処が立ちそうな陣地はそのまま工事を続け、それ以外は 中隊長の判断で作業を止めてよい、と指示した覚えがあります。部下はさぞかし 不満だったことでしょうw。 結局、自分の第40師団は5月下旬に広東を正式に発進して北上することになり、 1ヵ月間に及ぶ「穴掘り」(陣地構築)は徒労に終わった訳です(少なくとも自分たち にとっては)。こんな事なら広東に寄り道させず、初めから南京に向かわせてくれれば と思うのですが、CGA(支那派遣軍総司令部)の不決断によるもので、戦局が悪化した 当時では珍しくありませんでした。要するに、「貧すれば鈍する」という訳ですw。
中佐が帰ってきてくれた。 今度は霊将を名乗ってください
231 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/29(月) 00:04:15 ID:WjkK6k4U
>>119 CGA(支那派遣軍総司令部)の優柔不断・不決断によるもので、
1945年4月1日に米軍が沖縄本島へ上陸した以上、そこから南西に後退するような
位置関係にある台湾や南支を襲ってくる可能性は減った訳です(世界地図を参照)。
その後の米軍は沖縄から真っ直ぐに日本本土を衝くか、もし支那戦線に米軍との
決戦場が「仮に」あるとすれば、上海・南京の揚子江流域でしたでしょう。文字通り
CGAが死守すべき最後の本丸です。
結局、第40師団他の第23軍(広東)からの再転用がなったのが沖縄戦の大勢が
見えた後になりますから、いかにも後手後手に回っていました。蕋江(しこう)作戦も
米軍が沖縄に上陸した半月後の4月15日から従来予定どおり行なわれています。
さて部隊が北上を始めますと、自分には異動に続いてもう1つ、青天の霹靂が訪れました。
それが「陸大の受験」です。伝令がやって来まして、●「**は広東に残留し、陸大初審を
受験したのち?州(かんしゅう)において追及すべし。依命師団長」の意でした。最初は
「まだ陸大があったのか!」と単純に驚いた覚えがあります。
232 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/29(月) 00:36:36 ID:6QVJeTDM
>>230 >>中佐が帰ってきてくれた。今度は霊将を名乗ってください
どうもでございます。金正日も「百戦百勝の鋼鉄の霊将」だからイヤンw。
>>231 >>「まだ陸大があったのか!」と単純に驚いた覚えがあります。
日清・日露戦争でも陸大は一時閉鎖されましたから、「もうこの戦局では…」
と思い込んでおりました。しかし「試験をやる」というのですから、案外まだ
この戦争にも余裕があるのかもしれないと単純に嬉しかった覚えがあります。
今考えれば、官僚組織の硬直化した「惰性と慣性」に他なりませんでしたがw。
しかし受験するかは迷いました。不慣れな連隊に異動してきたばかりで、しかも
初めての「新品」大隊長です。あ、このとき自分の階級はまだ大尉でしたw。北上
する部隊から早々に離れることは、何となく逃げ出すようで気が引けた訳です。
困りまして大隊の副官に相談しますと、「遠慮は要りまっせん。命令ですけん、
大隊長ドノがおらんと兵達が喜びます。難しか作戦が来んからですよ」と熊本弁で
シャアシャアと答えやがりますw。
んで結局、中国長期出張してたってこと?
234 :
在特会 :2008/09/29(月) 05:54:12 ID:Bqn5hkIo
一人一人の怒りの拳が大きな力となります、皆さん御賛同下さい。 我々、日本人の血税を貪り食らい 不労所得で毎月一人あたり20万円もの生活保護を受け さらに 【納税・教育・交通・保険・医療・他、】 それら全てを優遇され 凶悪犯罪を行っても通名(偽日本人名)で報道されて 本名を一切公表されない・・・ 異常な【在日特権】を知らない日本人があまりに多すぎる。 ⇒ サイト 「在日特権を許さない市民の会」 会員募集中! サイト 「韓国は『なぜ』反日か?」参照 サイト 「歴史捏造国家 韓国」参照 サイト 「在日による性犯罪」参照 サイト 「厳選 韓国情報」参照 サイト 「博士の独り言」参照 関連書籍/宝島社「嫌韓流の真実!ザ・在日特権 」 関連書籍/晋遊舎「マンガ嫌韓流」〜3(絶賛発売中!) 関連書籍/晋遊舎「TBS報道テロ 全記録」 動画サイト/YouTube ニコニコ動画 (在日 韓国 朝鮮 反日 創価) 検索 推奨番組/CSスカパー 「日本文化チャンネル桜」
235 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/29(月) 23:38:43 ID:0rhr3SCw
>>232 の続き。>>しかし部隊を離れて陸大を受験するかは迷いました。
結局、3年程前(1942年の淅?作戦)に同じく新任の大隊長が陸大受験のために
部隊から離れて残留したことを思い出し、自分もそうすることに決心しました。
そして北上する部隊を見送り広東の兵站旅館に入ります。久しぶりの人間の部屋で
同じ第40師団の陸大受験者には自分の他に、輜重隊長のI少佐とK大尉がおり
ました。K大尉が「広東料理を食って死にたい。(受験が終わって部隊への)追及の
道中が一番危ないんだ」と泣き言を言うので、街に出て料理屋に入ります。
部隊から離れる前に主計から「追及するには金がいる」とまとまった儲備券を
貰ったのですが、店側と筆談すると「法幣なら1万元、儲備券なら100万元」と
とんでもない値段を吹っかけられます。3人分の金を合わせても半分にも満たず、
ほうほうの体で逃げ出した次第ですw。支那の土人の敏感な嗅覚は、WW2の戦況を
正しく見切っていたのです。
236 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/30(火) 00:05:24 ID:xd72OwBw
そういえば広東に到着したばかりの時(1945年4月)も、連戦で未払いになっていた
1年分の俸給を「儲備券」で受け取ったのですが、尻を拭くチリ紙を買っただけで
半分吹っ飛んだ覚えがあります。札束で20センチはあったのに……。同じ量の
「チリ紙より価値が低い」とはこれいかに。
ちなみに
>>235 の100万元は、3人分ではなく「1人前の値段」なので悪しからずw。
念のためですが、「儲備券」は汪兆銘政権の中央銀行発行の紙幣、「法幣」は蒋介石
率いる国民政府の紙幣です。そういう訳で兵站旅館の食事と去年の8月以来、約1年
ぶりの入浴だけが楽しみで、昔は軍票5円で一晩中呑めたのが懐かしい限りでした。
さて「陸大受験」の本番です。第23軍(広東)司令部の大会議室らしい試験会場には、
2〜30人が集まっております。机の上には英国製の煙草と紅茶が置いてあり、試験
監督らしい少佐参謀は「自由にしてよい」と言うなり、連日の疲労のためか居眠りを
始めました。自分も問題を見る前に、煙草と紅茶に手を出した覚えがありますw。
イナゾウさんて佐々木氏本人なの?
イナゾウさんはちょっとイタコの真似事ができるんだよ。 稀に二次元のまで呼び入れてしまうけどね。
239 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/30(火) 00:39:35 ID:UjFh5lDk
しかし試験は真剣に受けました。いくら師団の命令の形とはいえ、作戦をサボって 受験していることには変わりないからです。 それでも●『対米上陸防御』に関する問題が出たのにはギョッとしました。誰にも 成案があるはずのない現下喫緊の難題をよくも出したものです。採点の基準は一体 何なのでしょう。幕末に黒船が来航したとき、その対策を諸大名に尋ねたような 感じかしらん?w 思慮の足りない「火葬戦記」なら、ここで抜群の答えを書くと 大本営からお呼びがかかって、戦局打開のための「勇者」になれそうです。おお、 死んでしまうとは何事だw。 とはいえ今までの「戦訓速報」によると、米軍が上陸したどの戦場からも「想像を 絶する砲爆撃を受けて…」「敵の戦車に対抗する手段無く、日に日に蚕食せられ…」 と共通する打電が送られています。またサイパンやレイテの海岸陣地があっという間に 全滅したのに対して、ペリリューや硫黄島などの洞窟陣地が被害を極限していたのが 対照的でした。しかし75ミリの90式野砲が敵戦車を直撃しても効果がなく、瞬時に 撃ち返して破壊されたことから、敵戦車はレーダーを装備しているという話も……。
240 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/30(火) 01:05:56 ID:UjFh5lDk
とどの詰まり、●『敵の上陸前後の砲爆撃をいかに生き延びるか?』 ●『敵の戦車をいかに撃破するか?』の2つの命題に絞られます。 >>「想像を絶する砲爆撃を受けて…」 「想像を絶する」からには想像しようも無いのですが、とにかく洞窟を掘る しかありません。現に硫黄島では有効に戦っています。しかし大変ですよ。 なんならあなた、自分の家の庭で10mくらい試しに掘ってみてください。 あるいは『メントレG』の地球貢献プロジェクトの若手芸人グリーングリーン のように、スリランカで井戸を掘るのでも可ですw。 そんなこんなで陸大受験の答案用紙には、●「水際で生き残って撃破できる 有利な地形と築城の余裕と火力あれば『水際撃滅』を企図すべきだが、そう でなければ後方配備して上陸後に出血を強いる他は無い。とにかく陸海一体 となって輸送船を撃沈し、戦車を撃破できる手段を開発することが先決……」 などと書いた覚えがあります――。
241 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/30(火) 01:31:47 ID:UjFh5lDk
こうして陸大の受験が終わると、少佐参謀の試験監督官が「第27(東京)、 第40(善通寺)師団の者は明日未明に広東駅を発、夜明けまでに源潭墟に 着け。その後は船団で遡行し、第131師団(金沢)の指示で?州に行け」 と原隊追及の指示を出しました。 肝心の答案はどうするのか尋ねますと「飛行便で東京へ明朝送る。しかし、 届くかどうかは保証の限りではない」と答えられました。最後に「道中、 気をつけよ。さらばじゃ。第23軍はここで玉砕する」と決別の辞を述べ られたのと相俟って、何だか悲壮な気分になったのでした。(続く)
242 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/30(火) 23:08:39 ID:qvZhdlkp
>>241 の続き。 >>明日未明に広東駅を発、夜明けまでに源潭墟に着け。
自分の原隊に追及するべく、深夜に広東駅を出発します。タイヤのゴムを外して
線路のレールを走る自動車に便乗できましたので、予定どおり源潭墟へ無事に
到着することができました。
車長の話では、「昼間はグラマンやP51に狙われて走れない。敵機が射撃体勢に
入った瞬間にブレーキをかけて急停車すれば弾丸は頭上をかすめるが、決して
気持ちのいいものではない」とのことでした。
また線路を走れるのは源潭墟まで、以北はレールの復旧が手つかずのまま
と聞いて、何のための「大陸打通作戦」だったかと寂しくなった覚えがあります。
そもそも南方資源地帯と日本本土を陸路で繋ぐ、壮大な構想だったはずです。
世が世ならネタに困った『プロジェクトX』でも必ずや取り上げられたでしょうw。
源潭墟からは船で遡航するはずですが、何日も待たされて無聊に苦しみます。
243 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/09/30(火) 23:36:32 ID:qvZhdlkp
あまりに暇なので、陸大の試験で「俺はこう書いた」の話が盛り上がります。
自分の解答を明かすと、K大尉が「貴様は通った」と太鼓判を押してくれました。
しかし情勢の変化で結局採点されなかったそうで、とんだ無駄骨を折らされた
ことになります。繰り返しになりますが、支那事変末期は「貧すれば鈍する」で
足りない戦力に自分で追い討ちをかけていました。
いや、言葉が正確ではありません。「とんだ無駄骨」は米軍とて一杯やらかして
いるのですが、勝っているから目立たないだけで、負けている側は一回のミスが
取り返しの付かない致命的なものに悪化していきます。
2〜3日後に50隻の補給船団に便乗することが出来たのですが、敵機が来るので
夜間しか航行できません。夜明けには土人を使って、船を縄で陸地に引っ張り上げ
分散し隠してしまう徹底ぶりです。なので遅々として原隊に追及できなかった訳です。
痺れを切らして自分が船を下りて歩こうと提案すると、
>>235 で泣き言を垂れていた
K大尉が「俺は追及のベテランだ。任しとき」と余裕ぶっこいて動きませんでしたw。
>>238 >>イナゾウさんはちょっとイタコの真似事ができるんだよ。
>>稀に二次元のまで呼び入れてしまうけどね。
,. -‐-k'_
ゞ((、)=-―ぐ
彳(ノハノレイ)
ノliハ、゚ ヮ゚ノi, あら、呼んだかしら? ちなみに四川大地震を
(ハi(_,).(ハ)と) 起こしたのは私だったりして。
,(ンメ,x,ェ_ハ
.`^r_ァ^t_ァ''
245 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/01(水) 00:19:09 ID:rm33+v5D
結局、原隊に追及できたのは1945年6月下旬で、陸大受験から実に 1ヵ月近くかかったことになります。その途上、鉄道はもちろんのこと 曲江大橋や?州鉄橋など多くの交通の要衝が壊れたまま放置されており、 その意味でも多くの犠牲を払った「打通作戦」の戦略的意義は何だった のだろうと思った次第です。 場所によっては、ほとんど全てのレールが持ち去られた鉄道の線路復旧 だけでも日本の国力にとっては悲鳴を上げる様な一大事業だったでしょう。 そして自分は南京へと部隊が進む途中の南昌近くで1945年8月15日、 つまり終戦の日を迎えることになりました。当時は『終戦』という言葉が なく、部下の副官と「しゅうせんって何だ? 聞いたことがないが」「戦争を 終わると書くそうです。要するに、負けた、降伏するという宣言だそうです」 などとやり合っていました。
>>460 >>「俺は陸大に受かった!」と叫んで部隊長自ら失踪
, ‐‐-、___
/ ., '´⌒⌒ヽ 〜♪
./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ)
|| メ)ハ)゚ ー.゚ノl) の話は、一体どこから始まるのかしら?
ヽ. _Q)#」ネl」)
〜〜  ̄ ,<´_#,#ハ
`(ノノ"´
247 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/01(水) 01:02:41 ID:rm33+v5D
>>460 >>「俺は陸大に受かった!」と叫んで部隊長自ら失踪
……以上で、極小話の陸大受験はオシマイですw。
まあ、日程の関係で早いとこ「広田弘毅」の話に戻らなければならないのですが、
リハビリのついでとばかりにもう1つ、支那大陸での終戦を取り上げたいと思います。
参考文献は引き続き、『最後の打通作戦』です。そしてイタコの真似事も継続しますw。
このスレでは意図的に南京絡みの話は、『華麗にスルー』してきた訳ですが、
たまには関連テーマをやってみようかと。その昔、上海決戦から南京追撃戦、
そしてトラウトマン和平工作に話を続けたら、●「さすがイナゾウ、南京虐殺は
華麗にスルーだな」と突っ込みが入ったのが未だにツボにはまっていますw。
とはいえ、まともに南京虐殺を扱ってはスレが破綻しますし、日中戦争では
1億人が目指す「目標」だった自分にとっては、40万人という数字はガッカリ
するほど少なく、どうも食指が動きません。
248 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/01(水) 01:10:09 ID:rm33+v5D
【お詫びと訂正】 ×日中戦争では1億人が目指す「目標」だった自分にとっては、 ○日中戦争では1億人が「最低目標」だった自分にとっては、 さて皆さんは、以下のようなコピペを見たことがありませんか? >611 :名無的発言者 :02/09/04 05:28 >うちの爺さん、終戦時に兵隊として南京にいたんだよ。で、終戦と同時に >収容所入りになったんだけど、その時、南京城の堀のドブさらいをさせられた。 >敗軍の悲哀といえばそうなんだけど、実は南京城の堀は数百年?間も放置され >続けた極めつけのすごいものだったらしく、中国軍兵士が何年もかかっていっこうに >進まないシロモノ。が、うちのジイちゃんたち日本兵は予定された6ヶ月の期間の >半分くらいでやってのけ、しかも掘り割りまでしてキレイにして、南京市民の大喝采を >受けたという。・・・本当に南京大虐殺なんてことが日本兵によって行われたのなら、 >ジイちゃんたちが大喝采をうけるはずないと思う。ジイちゃんは死ぬまでそのことを >言い続けていたよ。
249 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/01(水) 01:44:22 ID:rm33+v5D
同じような内容はコピペでよく貼られますし、今は昔懐かしの日下公人が 書いた『日本軍の教訓』(PHP文庫)の冒頭でも、「建制」が重要だと 取り上げる話のなかで、終戦後の「南京のドブさらい」が登場します。 全体の話の流れとしては、日本軍の捕虜をソ連と支那は「建制」を保った まま収容したので、自分の都合の良いようにコキ使うことが出来て大いに 得をした(強制労働など)。逆にアメリカは、将校と兵を分けて収容する など日本軍の秩序と組織(建制)を壊したので、捕虜の間で暴行・窃盗が 横行して失敗したというものです。 ただしアメリカの場合は、日本人が民主主義の『文明人』であるならば 自然に選挙が行なわれ、自治組織が出来上がると考えていたとも……。 まあ、上記の日下公人の考え方は置いておくとして、南京のドブさらいに ついても触れていますので少し長くなりますが引用してみましょうと思い ましたが、今日はもう夜遅いのでまた次回……w。また自分が後で取り上げる 話は「ドブさらい」ではなく、南京城外の「道路工事」なのであしからず。
250 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/01(水) 23:43:05 ID:Z1DbXtbX
>>249 >>南京のドブさらいについても触れていますので少し長くなりますが
>>引用してみましょう
さて、日下公人の『日本軍の教訓』(PHP文庫)にはこうあります。
「南京という街には、千年来の歴史を持つ運河が多数あり、そこにはそれこそ
千年分の泥が溜まっている。中国は厚顔にもこの掃除を(敗戦後)引き上げる
日本軍に依頼した。幕長(ママ)たちは、その申し出を断るべきかどうか、
侃々諤々の議論を交わしたが、某師団長は『中国人にはさんざん迷惑をかけた
のだから、わが師団は罪ほろぼしに掃除して帰ろうと思う。どうか、わが師団
将兵諸君、ひとつやってくれないか」といった。そこで『師団長の命令なら
やります』ということになった。
結局、この師団の将兵は南京に最後まで残り、運河をきれいに掃除して帰った。
日本人としては美談だが、中国人からみればうまく利用してやったという話で
ある。こんなことが可能になったのは、日本軍の建制が解かれていなかったから
で、建制をもとにして『第○中隊はこのドブ、第△中隊はこっちのヘドロを
掃除せよ』と命令されると、将兵はみなそれに従った。それから、よしやって
やろうという日本人の心もあった――」
251 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/02(木) 00:07:57 ID:e1U74iJV
これを遥か昔、まだ単行本の頃に読んだ感想は「本当かよw」というもの でした。この本のテイスト自体、いつもの「日下節」炸裂という物ですし。 ただ『最後の打通作戦』を読みますと、南京の運河のドブさらいではない にせよ、かなり似たエピソードが出てくるので参考にはなると思います。 かなり昔のスレで、支那大陸で「武装解除」された日本軍の顛末を幾つか 取り上げましたが、比較的大過なく日本に帰ることが出来た部隊もあれば、 劣悪な捕虜収容所の環境のために敗戦後に多くの死者を出した部隊もあり、 降伏した場所によって非常に大きな「運・不運」が付きまといます。 前者は大テーマ「北支の治安戦」で取り上げた部隊であり、後者は『日中戦争 一兵士の証言:生存率1000分の3からの生還』の部隊です。こちらも過去 スレを適当に検索して頂ければ見つかるでしょう。要するに1000分の3に 至った「かなりの程度」が、戦闘ではなく捕虜収容所で死んでいる訳です。 それに比べれば、これから取り上げる南京で「道路建設」に従事した部隊は、 南京での労役で大いに苦労したにせよ、まだ恵まれた部隊だったと言えます。
252 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/02(木) 00:36:48 ID:e1U74iJV
さて話を戻しましょう。自分の部隊は、広東から南京に戻ろうとする途上、 南昌の近くで終戦を迎えました。真っ先に考えたのは敗戦の責任を取って 自決すべきかどうかで、非常に悩みました。そのとき自分は大隊長で大尉 だった訳ですが、新品の少尉や中尉ならともかく微妙な立ち位置です。 しかし結局、責任を取って自決するなら支那派遣軍総司令官や方面軍司令官、 あるいは軍司令が最初に殉国すべきであり、続いて師団長や連隊長レベルなら どうでしょう? 何も大隊長が早まることはなく、しばらく様子を見ようと 考え直した次第です。 そして敗戦の報が伝わった翌日の8月17日に連隊本部を訪れますと、連隊長の 目はさすがに充血しておりましたが、案外サバサバして「やっぱりダメだったね。 ムリな戦だった。仕方が無い。承詔必謹しかないね」とぼそぼそ呟かれています。 自分と同期の人間や、他の同僚もあまり思い詰めた様子は見られませんでしたので、 深刻に自決しなければならないと考えたのは自分が小心者だからでしょうか。
253 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/02(木) 00:59:58 ID:e1U74iJV
それでも終戦の報が伝わった夜に、副官から拳銃と軍刀を取り上げられて 「陸士出はやばいからな。しばらく預かっておきますよ」と言われたのは 忘れられません。 やがて阿南惟幾陸相(8月15日)の自刃が伝わってきまして、次は支那派遣軍 総司令官の岡村寧次大将ではないかと憶測が流れましたが、結局それはありま せんでした。自分が所属する第40師団司令部も特に異変はなく、正直言って 死ななくて済んだとホッとした覚えがあります――。 それから3〜4日しますと、南昌→九江→揚子江北岸を経て南京付近に向かうよう 前進命令が来ました。ただこの頃は『支那派遣軍、単独継戦説』の噂も真しやかに 流れておりまして、米軍機の爆音が聞こえますと皆さっと疎開します。航空機に 対する偽装も今までどおりで、まだ終戦が完全には信じられなかった時期でした。
254 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/02(木) 01:40:35 ID:e1U74iJV
ただ敗戦を迎えた「支那派遣軍」特有の事情としまして、降伏しようにも 降伏する相手が目の前にいませんw。八路軍や新四軍はその辺りに湧いて 出てきますが、もちろん問題外です。国民党軍に武装解除を受けなければ ならないのですが一体どこにいるのでしょう? という訳で、南昌に到着しますと日本軍の貨物廠がそのまま機能しており、 そこで補給を受けました。たまたま廠長が、自分が異動する前の連隊の 高級主計だった方で、懐かしがって珍しいものを色々交付して頂きました。 しかし前の連隊長に散々苛められて左遷された方でもあるので、この時に 古巣のその連隊は「仇討ち」を受けたとか。 更にハン陽湖(中国最大の淡水湖)を右手に北上しますと、ようやく九江に 到着しました。揚子江を北岸に渡河すべく門橋に乗っていると、米軍機の 編隊が突っ込んできます。「しまった、騙された!」と観念すると勝ち誇った ように翼をバンクさせて西に飛び去っていきます。続いて、赤い吹き流しを 付けてゆっくり飛んで行く友軍機を見て、初めて戦争が終わったことを実感 できた次第です。これ以後、偽装を施す人はいなくなりました――。
久しぶりに覗いてみたら…おおっ イナゾウさんおかえり〜
256 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/02(木) 23:38:20 ID:fbpDAyGc
>>255 >>毎度どうもでございます。福田政権が「始まって終わる」ぐらいまで
休んでいました。広田弘毅のテーマが途中なうちに、同じ福岡県出身の麻生太郎が
首相になるとは思ってもいませんでしたが、これもタイミングというやつでしょうか。
>>254 の続き。さて九江から揚子江を北岸に渡りまして、あとは南京を目指して
ひたすら徒歩で行軍を続けます。何年か前にここを通った時は、揚子江を往復する
定期船や砲艦、貨物船などで賑わっていたのに、全部沈められてしまったのか、
今動いて見えるのは漁船や小さな民船ばかりで寂しい限りです――。
「船が無い」ので日本への復員には3年いや10年はかかるという暗澹たる噂が流れ、
他の部隊では前途に希望が持てなくなって自殺したり、中共軍に投降してしまった人が
何人か出ました。
南京まで半分の道程にあたる無為県に入りますと、本格的に中共の紅軍が出没し
始めます。と同時に「個別交渉や武器の引渡しを禁ず。自衛警戒を厳にすべし」との
命令が回ってきました。やがて自分の部隊でも対岸に紅軍が藁藁と湧いてきますw。
257 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/03(金) 00:14:04 ID:xGFFkKr8
もちろん「自衛戦闘」は許されていましたが、相手が一発でも撃ってこない ことには始まりません。いっそ要求を伝える軍使なりがやって来れば話が全然 早いのに、こちらを遠巻きにして人数ばかりがボウフラのように増殖しますw。 河岸の崖道で一斉射撃でもされたら全滅です。そうこうする内に包囲される 危険性も出てきまして、こちらから撃つべきか非常に迷いました。自分たちは 支那大陸という敵地で降伏した軍です。敗戦後に訪れた「最初の試練」でした。 自分の任務は部隊を無事に通過させる事でしたが、戦闘の気概を見せなければ 舐められて余計に事態が悪化しそうです。ついに決心しまして、「当たらない ように脅しで撃て」と命じますと、百戦錬磨の擲弾筒手が山麓にバンバンと 弾幕を見事に張ってくれました。すると相手はたちまち姿を消したのですが、 今思い出してもゾッとする決心であります。 相手の正体と企図は謎のままでしたが、後続の連隊によると紅軍の将校が 現れて夕食に招待し、「腹切り」を戒めて中日の友好を説いたと云いますが…。
258 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/03(金) 00:44:21 ID:xGFFkKr8
さて1945年9月上旬になると、ようやく南京にも程近い蕪湖に到着し、 当塗県城という街で部隊が集結しました。すると県長の要請と国民党軍の 命令で、この付近をしばらく警備するという妙な事態になります。 警備といってもこちらは他所者の外国人の、しかも戦争に負けた軍隊です。 一体どういう警備の基準なのか? 県政府を訪ねますと、初老の品の良さげな 県長が流暢な日本語で歓迎してくれました。日本の明治大学を出たそうです。 曰く、●「紅軍の浸透で人心が怯え、仕事も手につかない有様だ。土匪も多い。 遠慮なく討伐して欲しい」との事でした。なので部隊を近くの村に分散させて 警備任務に就いたのですが、国際的には捕虜の身分である訳です。しかし、その 中身は完全武装の将兵ですから、何やら戦中の「治安戦」に戻ったかのようです。 それでも支那の「国共内戦」に巻き込まれ、帰す船が無いのを理由にこのまま ズルズルと深みにはまってしまうのではないか?との不安が襲ってきました。
259 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/03(金) 01:30:09 ID:xGFFkKr8
この警備地区はクリークと堤防に囲まれた水田地帯で相当豊からしく、有名な 上海ガ二の原産地でもありました。富農も多く警備を始めて2〜3日しますと、 あちこちから「新四軍が来た!討伐してくれ」「紅軍の工作員が村人を煽動 している。捕えてくれ!」と言ってきます。 そうして出動すると、大抵は遅すぎて取り逃がす結果となるのですが、必ずご馳走を 用意して待ってくれていました。豊かな地域であるがゆえに、共産党の浸透に対する 恐怖心は格別だったようです。 その後、情報を集めるために付近の有力者に集まってもらうと、「日本軍はいつまで いるのか?」と尋ねられます。そこで自分が「交代の国民党軍が来るまでだ」と答え ますと、「永久駐屯を望む。国府軍は当てにならぬ」と真剣に訴えるのでビックリ します。人から頼られれば悪い気はしませんが、自国の軍隊が信用できず、「敵軍の 捕虜」に自分の身の安全を託そうと願うのですから、何だか気の毒に思えてきました。 今なら日本の自衛隊が信用できず、在日米軍に身の安全を求めるようなものですw。
260 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/04(土) 22:53:11 ID:n5UwgYjT
>>259 >>そうして出動すると、大抵は遅すぎて取り逃がす結果となるのですが
電信や電話がある訳でなく、向こうから「走って助けを求めに来る」訳ですから、
間に合うはずがありません。それでも「紅軍が来るらしい」という『見込み』の
通報が多いので「何故分かるのだ?」と聞くと、「紅軍が進駐する前には必ず、
工作員が浸透して宣伝したり、同志を募ったりする。だが日本軍が来ると退散
して、しばらくは寄りつかない。だから助かっているんだ」との返事でした。
ある日「土匪が掠奪に来る」と知らせがあったので急行すると、この日は珍しく
間に合って、土匪は何も盗らずに村から逃げました。すると町長らが山盛りの
豚のから揚げやギョーザを届けに来てくれ、敗戦後初めてのご馳走になります。
いやはや支那の住民を守って、御礼を受け取るのは「何やら複雑な気分」です。
特に20キロ離れた川向こうの町長が日本軍の駐屯に殊更熱心で、「2〜30人で
良いから常時駐屯してくれ。寝る宿舎も3度の食事も町で負担する。料理人も出す。
日本軍が1人でもいれば紅軍は近づかない。ただ、いてくれさえすれば良い。冬に
なったら寝具も進呈する」と町からの使者がやって来ます。
261 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/04(土) 23:23:51 ID:n5UwgYjT
「そんなに望まれるなら」と明日町を見に行く約束をし、わざと定刻の2時間前に 到着しました。一応、罠を警戒してのことです。すると既に町長以下10数人が 「日本軍が早く出発した」と見張りの知らせを受けてご馳走を準備して待っており、 何だか気持ち悪くなった覚えがあります。ですが、その熱心さには驚かされました。 町長の話を聞くと、「30人が無理なら10数人でいい。ただし擲弾筒を付けて 欲しい。アレさえあれば奴ら(紅軍)は怖がって近づかない」とのこと。しかし、 町を観察してみると裕福そうな煉瓦建ての町並みで人口約5千人。流民も含めれば 1万人近いとのことです。この大きな町を、最低10数人で守れという訳です。 『七人の侍』を思い出します。村を襲う野武士が「紅軍」という訳ですw。 自分も部下の命に責任がありますし、既に戦争は終わっているのですから尚更です。 そのとき自分は大隊長でしたから、やるなら1個中隊ぐらいが適当と考えまして、 「いっそ200人ではどうか? 今夜上司に相談して明朝返事するから待て」と 言うと、町長は困った顔で「200人に食わせるのは大変だからご馳走できない」と 渋ります。その夜、中隊長を集めて希望者を募ると意外と多かった記憶があります。
262 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/04(土) 23:44:32 ID:n5UwgYjT
結局、上に話を持っていくと「後続の連隊主力が駐留する。貴隊の分屯不要」 とのことでした。翌朝、町長を呼んで「喜べ。これでもう安心だ」と伝えると 「連隊は何人くらいか?」「3000人くらいだw」「そんな大人数は不要だ。 とても食べさせられんし、宿舎もない。精々200人が適当だ。断ってくれ」と 大弱りの様子です。 もちろん自分は連隊の駐屯をどうこう出来る身分ではありませんから、気の毒 ですが、「実は、中共軍5万が南下してこの地方への侵入を狙っているそうだ。 3000人の駐屯は国府軍の命令だから断れない。葉剣英(紅軍総参謀長)や 陳毅(新四軍司令)が近くに来ているらしい」とテキトー脅かしますとw、 町長は心底震え上がった様子でした。 さらに青い顔をして「日本軍はいつまでいるのか?」と聞いてきますので、 「分からんが我々は早く故国に帰りたい。交代の国府軍が来たらすぐ帰る」 「日本は焦土になって住めないそうだ。国府軍は信用が置けない。生活の 面倒は一切見るから中国に残ったらどうだ」とやり取りがまだまだ続きました。
263 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/05(日) 00:07:30 ID:ET7Cnaiz
要するに支那の住民は、国共内戦の再燃とその後の『革命』を予感して いた訳で、藁にもすがりたい一存だったのでしょう。そうこう考えると 支那事変の8年間も支那の住民にとっては、長い長い戦乱のワンシーン でしかなかったのかもしれません。駐屯する町の住民も好意的で、昨日 までの侵略者に対する敵意や報復心も全く見られず、何でこの国と戦争 していたのだろう?と不思議に思った次第です。 またある時、付近の有力者が訪れました。この地域でも屈指の財産家で 製油工場を幾つも経営して広大な土地を持ち、上海に別荘があるという 超金持ちです。何だか、パールバックの『大地』に出てくる「王龍」を 思い出しましたが、あの話は清朝末期から国民革命までの話です。そして 今回は「共産革命」に至るという訳です。 その財産家からは中国情勢の今後の行末について意見を求められたのですが、当然 一大尉に分かることではありません。それより自分の行末を聞きたいぐらいですw。
264 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/05(日) 00:37:19 ID:ET7Cnaiz
その資産家は「紅軍が支配したら何もかも無くなってしまう。もちろん 命も無い」と切なげでしたが、自分には「そんなに心配なら財産を三分 したらどうか? 欧米では革命を予感すると、財産の3分の1を海外に移し、 もう3分の1を宝石に換え、最後の3分の1をそのままにしておくそうだ」 とお座なりの答えをするしかありませんでした。 そんなこんなで当塗県の警備を続けている内に、2ヵ月が瞬く間に過ぎようと していました。とうに秋を迎え、もう直ぐ初冬です。1日でも早く日本に帰り たい将兵の気持ちは痛いほど分かりましたが、敗軍の身ではどうすることも 出来ません。紅軍や土匪の情報があれば直ぐさま出動して気を紛らわせ、 民衆を安心させているという思いが、せめてもの心の支えです。とにかく 部下に死傷者が出なかったのが何よりでした――。
265 :
名無し三等兵 :2008/10/05(日) 00:44:11 ID:ZC867JJU
あげ
266 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/05(日) 01:02:50 ID:ET7Cnaiz
結局、「警備任務を撤収し当塗県城に部隊を集結」の命令が下ったのは 11月上旬でした。約2ヵ月駐屯した町ではいざこざ一つ起こりません でしたが、交代の国府軍も現れないままでしたので住民は不安を隠さず 見送ってくれました。さぞ心細かったことでしょう。 当塗県城に到着しますと、中隊長以上は県政府の晩餐に招待されました。 わずか2ヵ月の警備であったのに、戦争に負けた軍隊に別離の宴をして くれるとはと驚きました。前に述べたとおり県長は、明治大学の出身で 日本語も流暢な、いわゆる「中国の大人(ターレン)」的な人物です。 県長の挨拶は、戦争の第一義的責任は日本にあるとしつつも、内戦に明け暮れ 外に侮りを受けた中国にも非はあり、日本は敗戦後の復興、また中国の将来は 未だ予断しがたいが、今後はアジアの未来のためにも日中両国が手を携えて 世界平和に貢献しなくてならない、と説くものでした。
267 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/05(日) 01:21:50 ID:ET7Cnaiz
県長はさらに、以下のように続けました。 「皆さんの一路平安を祈る。文化国家の建設に尽くし、また中国に来て下さい。 今度は鉄砲を持たずに平和の使徒として、友好の印として遊山に来て下さい。 記念に竹の絵を贈ります。内地に帰れば辛い事、憂き事が当分続きましょう。 だが百折不撓、この拙い竹の絵を思い出していただき、屈せず、節を曲げず、 すくすくと新しい日本の再出発に尽くして下さい。 以上は日本人を、日本をよく知っていると自負する一中国人の偽らざる 気持ちです。勝敗は兵家の常と言い伝えられます。どうか挫けずに日本を 立て直して下さい。それが中国のためにもなります。 ところで、この考えは私一人の考え方ではありません。実は蒋介石総統が 中国百年の計を慮り、『日軍の暴に報いるに怨をもってする無かれ…… 徳をもってせよ』と論告されました。暴をもって報いれば、彼我ともに 怨みだけが残り、結局は東亜に恒久平和が訪れないからです。中国人は 日本に反省は求めます。しかし、決して報復はいたしません――。 時が時でご馳走はありません。心ばかりの品ですがどうか召し上がって下さい」
268 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/05(日) 01:40:40 ID:ET7Cnaiz
県長は「ゴマ塩頭」の初老の人で、雄弁ではありませんでしたが その切々たる言辞は胸を打ちました。食事中、自分が県長に 「県長は(汪兆銘:要するに日本の傀儡政権)南京政府の任命と思うが、 重慶政府が遷都したら身上はどうなるのか? 親日分子としてお咎めは? 大事無いか?」と尋ねますと、 「心配していただき謝謝。それは上帝のみぞ知る。目先のことは不明白。 その時まで責任を尽くすだけだ。成るようにしか成らぬ――」 と答えられ、宴が終わると県長は1人1人に竹の絵を贈って別離を告げました。 その他にも「国共内戦やソ連」「民衆は一体どちらに付くのか?」など県長に 聞きたいことは幾らでもありましたが、連隊長から「くどい、もう止めろ!」と 言われて仕舞いとなりました。今思えば、苛酷な運命が待ち受けている県長には 酷過ぎる質問ばかりでしたでしょう――。
>>267 >>実は蒋介石総統が、『日軍の暴に報いるに怨をもってする無かれ……
>>268 >>県長は(汪兆銘:要するに日本の傀儡政権)南京政府の任命と思うが、
_....._rァ、
,:'´:::::::<@7
!::(::ノ::ノ)::);) 県長自身は『漢奸裁判』で死刑にされるかもしれないのに……。
ノ;:ハi - -ノリ 蒋介石の言葉をあえて使って、日本軍を送り出すところが
i´Yソr') ,、,、 泣けてきます。どうか蒋介石さん、「親日分子」の暴にも
,:'〈_,ゝ<_〉、 (。:。::) 怨をもってせず、徳をもって報いてください――。
`'r_ァr_ァ''´ l;i;l;r:>〜
汪兆銘を傀儡とするのは如何なものか。 残念であるとしか言い様がない。
271 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/06(月) 23:15:21 ID:/u/YVw+k
ダウが1万ドル割れしましたか。鬱打支膿……。それはさて置き、昨日
寝不足でサンクリに早朝逝きましたら、帰ってからブッ倒れましたw。
>>270 >>汪兆銘を傀儡とするのは如何なものか。残念であるとしか言い様がない。
文脈から「支那側の表現」を使っただけですので他意はありません。
つーか、「太平洋戦争」では日中戦争が地理的に含まれませんので
不正確だとは常々思うのですが、「大東亜戦争」は右翼臭がプンプン
しますし、かといって「アジア・太平洋戦争」では、以下略w。
自分が簡単な調べ物に重宝している本に『太平洋戦争・主要戦闘事典』
(PHP文庫)があるのですが、これには日中戦争も序章に含まれています。
アマゾンのレビューには「不正確なので『大東亜戦争・主要戦闘事典』にせよ」
とか、「『日中戦争・太平洋戦争 主要戦闘事典』にせよ」とか書いてありますが、
それはタイトル的に無理というものでしょうw。
272 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/06(月) 23:46:32 ID:/u/YVw+k
>>269 の続き。こうして部隊は当塗県を去った訳ですが、その際、県の
警備隊長から自宅に招かれて「思い詰めた相談」を受けました。自分の
部隊の擲弾筒を1つか2つ分けて欲しい、というのです。ちなみに彼は
27、8歳ほどで色白の華奢な青年でした。
「紅軍は擲弾筒を一番怖がっている。それさえあれば何度でも追い払える」
と真剣そのものの表情です。自宅で精一杯の料理を準備してくれた奥さんは
手を合わせてこちらを拝んでいます。
「擲弾筒の1つや2つ」と一瞬思いましたが、実際に渡すとなると迷いました。
どう考えても弾には限りがありますし、擲弾筒は単純な構造だけに操作や照準が
難しい代物です。というよりも「職人技」の方が必要な兵器です。しかも自分の
部隊は明朝出発するので、この警備隊長に訓練してやる時間もありません。
どう考えても「あらぬ方向」に撃っているうちに弾切れとなり、かえって
この青年が紅軍の余計な敵愾心や報復を買うだけではないだろうか?――
273 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/07(火) 00:01:41 ID:/u/YVw+k
マイナス500ドル…。ダウの底が抜けました…。明日の日経はどうなる?w さて、そのような理由で「擲弾筒を渡すことはできない」と説明しますと、 警備隊長の青年の落胆ぶりは見ていて辛いものがありました。自分の頭の 片隅で「擲弾筒の1つや2つ、くれてやればいいじゃないか?」と囁き声が しますが、やはり僅か50人の手勢と擲弾筒では「その先」が見えています。 「新四軍30万が南京接収を狙っているらしい。国民党政府軍に任せた方が よい」と告げると、「国民党軍は新四軍を怖がっている。信用できない。 頼む。分けてくれ」となお粘ります。 「国民党軍300万でもどうにもならないのに、50人の手勢と擲弾筒で どうなるものではない。あなた1人がじたばたしても、天下の形勢は 覆らない。ここは県長の身辺警護に徹して成り行きを見定めた方がよい。 病身のようだし、何も死に急ぐ必要はないではないか」
274 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/07(火) 00:31:16 ID:CtJcOOXD
「自分は肺を病んでいる。永くないそうだ。生きている内は戦いたい。頼む……」 「明朝、早くに大隊本部に来てくれ。軍医に診てもらう」 筆談と通訳兵を介しての話でしたから、こちらの意図がどれだけ伝わったか 心許ないものがありました。帰る途中で泣き崩れる奥さんの姿が見えたのが とても辛かった次第です。明くる日ちっともこの青年の姿が現れませんので 使いを出しますと、朝早くから討伐に出かけたとの事でした――。 自国の軍隊(や警察)に信用が置けず、自分の身の安全は自分で守らなければ ならないという状況が、これほど人を苦悩させるものかと気の毒を通り越して 哀れにすら思いました。 さて自分の部隊は更に北上しまして、南京から西南に30キロほどの采石鎮 という場所にたどり着きます。ここで運命の『武装解除』の日を迎えますが、 時に1945年11月28日の水曜日のことでした。
275 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/07(火) 01:22:45 ID:CtJcOOXD
「武装解除」の前日には、下士官や兵達が泣きながら三八式歩兵銃の 菊の紋章を削り落としていました。また軽機や重機、擲弾筒をこれが 最後と名残惜しそうに手入れする者たち、今まで共に歩いてきた馬の 毛をくしけずる者たち……。 長い間、「自分の命より大事にしろ」と教わると同時に、長い間、自分の 命を守ってくれた兵器たちです。それらを支那の土人共に引き渡さなければ ならない辛さ、物悲しさを一体どう表現すれば伝えられるでしょうか。 サムライが自分の刀を手放す…。スポーツに打ち込んだ貴方ならバットや ラケットやグローブ、ボードに喩えても良いでしょう。手垢の染み込んだ ギターでもペンでも本でも何でも構いません。それを明日、支那人に渡さ なければならないのです。
\絶壁!/ _ , -‐‐'-< 琶ω-===iて_ l´(ノハノレハ ノliハ、゚.ー,ノi, 昨日のサンクリのA1ホールが、なぜか隔離施設の (ハl( ).ix⊂ゝ 「東方オンリーイベント」になっていた件についてw。 ,(ンxxxハ_ヽ .`^r_ァ^tァ`
サンクリにいらっしゃったんですか。 自分もいましたよ。 BホールとDホールしか行きませんでしたが。 Dホールを巡回してたとき前の人が、連れの人に向かって 「Aホールにいるのはオタクだ、Dホールにいるのはよく訓練されたオタクだ」 とか言ってました。ちょっと意味合いが違う気もしますが……
こんな感じ ./ ;ヽ l _,,,,,,,,_,;;;;i <いいぞ ベイべー! l l''|~___;;、_y__ lミ;l Aホールの奴はオタクだ!! ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | Dホールにいる奴はよく訓練されたオタクだ!! ,r''i ヽ, '~rーj`c=/ ,/ ヽ ヽ`ー"/:: `ヽ / ゙ヽ  ̄、::::: ゙l, ホント サンクリは地獄だぜ! フゥハハハーハァー |;/"⌒ヽ, \ ヽ: _l_ ri ri l l ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| | / | ゙l゙l, l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l | ヽ ヽ _|_ _ "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ /"ヽ 'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄ [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`" / ヽ ー──''''''""(;;) `゙,j" | | |
長物禁止!w
最近東方初参戦で紅魔郷をやり始めたのだが、 根暗読書少女とキチ○イメイドが強すぎて先へすすめない。 ナイフ飛ばしてくるメイドみてて華北治安戦で出てきた某中隊長を思い出したよ。
>>277 自分は昼の1時近くまでA1ホールに逝きまして、Bホール→A23ホール
→Dホールと回りました。全部見て回ると、自然と3時近くになってしまいます。
更に「色紙ジャンケン」とかに参加しますと……w。
最近、東方ファンは『東方厨』と他の参加者から非常に評判が悪いのですが、
自分に言わせればA23ホールの待機列の混乱の方が異常ではないかと思い
ます。「8時ペナルティ」なんて、どう考えても参加者とスタッフ、疑心暗鬼の
無限連鎖の結果でしょうw。自分は7時20分ぐらいにA1の待機列に並び始め
ましたが、拍子抜けするぐらい平穏でしたよ。
それはさておき、Cレヴォが無くなってから、その頃に比べてあまりお金を
使わなくなった(無駄遣いが減ったw)気がします。1月→3月→4月→6月
→8月(夏コミ)→9月→10月→12月(冬コミ)に、更にオンリーイベントまで
勘定に入れれば、今考えるとゾッとします(核藁)。
282 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/07(火) 23:54:27 ID:Pr9N254S
>>275 の続き。「武装解除」の当日、指定の田んぼに集まりますと国府軍の監視の下、
黙々とその作業を進めていきます。自分は「受降指揮官」の営長(大隊長)に兵器の
リスト(目録)を提出しました。
前にも説明しましたが、国府軍の編成についてもう一度おさらいしておきましょう。
◎「師」(師団)→「旅」(旅団)→「団」(連隊)→「営」(大隊)→「連」(中隊)→「排」(小隊)
の順番です。覚えるのは非常に簡単です。念仏のように、「シリョダンエーレンハイ、
シリョダンエーレンハイ、シリョダンエーレンハイ」と100回は唱えましょうw。
ですので、自分たちの武装解除を監視したのは、支那側の大隊長になる訳です。
三八式歩兵銃は叉銃(三角錐になるよう3つの銃を組み合わせて立て置くこと)し、
他の火器は種類別にまとめ、弾薬や弾帯は山と積み上げました。馬は別れを惜しみ
ながら杭に繋がれ、拳銃や日本刀はゴミのように荒縄で括られました。作業は
あっという間に終わりまして、まるで夢幻を見ているかのようです――。
283 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/08(水) 00:17:04 ID:6v5g52oA
ちなみに「叉銃」を知らない人もいると思いますが、三角に立てかけるのは 小銃の機関部に泥や砂が入るのを防ぐなど、色々な理由があります。 さて自分の所属する第40師団(善通寺)は支那事変が始まってから 2年目の1939年に編成されて以来、中支・南支を6年間に渡って 転戦し続けてきました。「四国の山猿師団」と敵味方に怖れられた 『鯨』兵団は、名実ともにその生涯を終えたのでした。急に虚脱感に 襲われまして、物悲しいやら心細いやら――切ない限りです。 民間企業に喩えるなら、急に会社が潰れて路頭に迷わされたような ものでしょうか。「社員は悪くありませんからぁ!」って、山一の 野澤社長を知らない世代も今や多いんでしょうかね。 この間、国府軍は自分たちを包囲し「短機関銃」を腰溜めにして監視 していました。自分が支那側の営長(大隊長)に、「武装は自ら解いた のに余りに大袈裟じゃないか」と抗議すると、すぐに包囲を緩めました。
284 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/08(水) 00:47:08 ID:6v5g52oA
この支那側の営長(大隊長)は、目録のリストと実際の兵器の員数を照合 しますと、「好好」(ベリーグッド)と笑顔で自分に握手を求めてきます。 「編制装備表より何もかも1〜2割少ない。どうしたのか?」と尋ねてきます が、とくにこちらが隠したなどと深刻に疑った様子ではありませんでした。 なので、「昨年(1944)の初夏から1年半、湖南・広西・広東・江西と転戦 して損害を受けたが、補給が無いからだ」と説明すると目を丸くしていました。 さらに「その間に逃亡兵は何割出たか?」と聞いてくるので、「死傷者は235人 出たが、逃亡者は一人もいない」と答えると、ひどく感心しています。ちなみに この「235」の数は、自分の「歩235連隊」を文字ったテキトーな数ですw。 こうして「武装解除」はあっけなく幕を閉じた訳ですが、目の前の国府軍の装備が 見慣れない物ばかりなので非常に気になります。つい職業病で「立派な装備をして いるが、何戦区から来たのか? どこで戦っていたのか?」と聞いてしまいました。
285 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/08(水) 01:07:32 ID:6v5g52oA
すると国府軍の営長(大隊長)は、得意気にこう答えました。 「我が軍は、蒋介石・軍事委員会委員長に直轄する『新編第6軍』で、 重慶で学生を集めて編成した米式化の最精鋭軍だ。 『小隊』は連発式小銃、機関銃、軽機、短機関銃およびバズーカを装備。 『中隊』は60ミ迫撃砲と50ミリ無反動砲を。『大隊』は水冷式重機と 81ミリ迫撃砲を、『連隊』は105ミリ重迫撃砲などを装備している。 (1945年)4月に日本軍が蕋江に侵攻すると急遽空輸されたが、交戦 までは至らなかった。もし我が第6軍が参戦していたら、日本兵は1人も 生きて還れなかっただろう。9月に南京に空輸され今、(中共の)新四軍と 戦っている。あなた方と戦わずに済んで本当に良かった――」
>>280 >>最近東方初参戦で紅魔郷をやり始めたのだが、
>>根暗読書少女とキチ○イメイドが強すぎて先へすすめない。
,..-─,ヘ-.、
(,.r-/_@_r-i i
i ノルハノリノノ ノ|
ルl.リ_゚ ヮ゚ノリ (_,ノ 『紅魔郷』よりも『妖々夢』を先にやって、
rX,_,i.∞i,〉 私に会いに来るのをお勧めするわ。
<_/_,§! |〉 雑草さんは、私の『ボーダーオブライフ』
`'-r_,ィ_ァ' の後光に当てられてマジ泣きしたそうよ。
>>280 >>ナイフ飛ばしてくるメイドみてて華北治安戦で出てきた某中隊長を思い出したよ。
,.ィ ーrーr 、
y' "´ ̄`'ヽ 『妖々夢』で自機になった私の強さは、「柏崎中隊長」を遥かに上回ります。
.ノく ノ人リ))ゝ
ルi§゚ д゚ノ§ 彡 シュッ
'k'_,i`ム と彡 - ─ = ≡三 ⊂[|三>
,し'/_ハ.ゝ、
`'ト_ノ'ト,ノ"
288 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/08(水) 22:52:38 ID:E8+MuY7n
>>285 の続き。>>あなた方と戦わずに済んで本当に良かった――
エライ上から目線ですが、前出の国府軍の営長(大隊長)はこう続けます。
「私は8年前(1937)の上海戦のころ、南京の中央軍官学校を出た。あの頃の
日本軍は強かった。あなた方はどうして大人しく降伏したのか? ひと騒動も
ふた騒動も(武装解除で)起こると心配して厳重な警戒をした。気を悪くするな」
と謝まるので、
「天皇陛下の命令で戦い、天皇陛下の命令で戦いを止め、日本の陸軍士官学校の
先輩にあたる何応欽大将の命令でこのように(武装解除)なったのだ。先輩の
命令には服従せねばならぬ」
と自分は説明しました。多少、負け惜しみが入っていますw。
289 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/08(水) 23:11:29 ID:E8+MuY7n
>>288 >>日本の陸軍士官学校の先輩にあたる何応欽大将の命令
まあ、改めて説明するまでも無いと思いますが、何応欽は日本の陸軍
士官学校22期に留学生として学んでいます。同期に、牟田口廉也が
いるのが何ともはやw。他には鈴木貞一や相沢三郎なども。ちなみに
蒋介石は前年の21期生です。同期には石原莞爾がいるのが、以下略w。
どうでもいいですが、今日の日経平均は952円安…w。新しい期が
始まったばかりなのに憂鬱になるばかりです。前年の期末に滅茶苦茶
押し込んでいるので、タダでさえ反動が激しいのに……orz.
それはさて置き、国府軍の営長は「あなた方が羨ましい。もう戦う必要は
ないし、いずれ帰国できる。帰ったら『日皇』に中日友好を説いてよろしく
伝えてくれ。我々はこれから紅軍と本格的に戦わねばならん。新しい戦争が
始まったばかりだ。何年かかるか分からん――」と勝者の側にも関わらず、
深刻な面持ちでした。これには敗者の側の自分も複雑な心境です。
290 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/08(水) 23:49:10 ID:E8+MuY7n
「あなた方は米式装備の精鋭軍だから、紅軍にも速く勝てるだろう」と 営長を慰めまして、互いの無事を祈りながら握手をして分かれました。 予想外に「人の良い」受降指揮官だった訳ですが、要するにこの頃の国府 『新編第六軍』とは、発足当時の日本の自衛隊の初期装備に等しい訳です。 服装も立派で、米軍に訓練されたせいか、一般の国府軍に比べて規律も正しく 見えました。件(くだん)の営長がくれたアメリカ製煙草は実に美味かった。 しかしその後の「新編第六軍」は第2次国共内戦で満州に投入され、新京か 奉天で全滅したと云いますから、人の運命とは分からないものです――。 さてCGA(支那派遣軍総司令部)と国府軍の降伏協定で「泥棒よけ」用の 最低限の小銃と、大隊長用の乗馬を改めて借り受けました。借金で差し押さえ られた自分の家を借りる羽目になった気分ですw。そうして運命の武装解除から 引き揚げますと、ドッと疲れが出て自分は寝込んでしまいました。マラリアでした。
291 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/09(木) 00:21:57 ID:rmWb8Mwg
上記までの話ですと、「降伏後も別に大した苦労してないじゃないか?」と 思われるかもしれませんが、ここからが大変ですw。自分は戻って直ぐに マラリアでぶっ倒れた訳ですが、その晩から急に慌しくなります。 そもそも武装解除して捕虜となった日本軍の安全は、国府軍が保証する協定に なっていました。実際、4キロほど離れた街に国府軍の1個連(中隊)が駐屯 していたのですが、それら土人兵が強盗となって、日本軍の時計や万年筆など 貴重品を奪っていくのです。一応、自衛火器として●「中隊に小銃2挺ずつ」 配分されていましたが、土人兵は軽機で脅してくるので始末に終えません。 自分が駆けつけて「協定違反」を怒鳴り込んでも、向こうは四川から来た 土人兵らしく言葉が通じません。責任者の国府軍の連長(中隊長)に抗議 しても、その連長が「献上品」を要求してくるダメダメの腐敗ぶりですw。 仕方ないので、強盗が侵入してくると皆でドラや洗面器を叩いて音で威嚇し、 棍棒や竹槍をもって包囲すると、今度は慌てて退散するようになりました。
イナゾウは今年の夏にNHKでやってた戦時中の大陸でのアヘンについてのドキュメンタリー見た?
293 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/09(木) 00:53:38 ID:rmWb8Mwg
>>291 >>皆でドラや洗面器を叩いて音で威嚇し、棍棒や竹槍をもって包囲
ここはアフリカの奥地でしょうか、いや支那大陸ですw。これで少しは
大人しくなったかと思いきや、敵もさるもの、今度は1人1人の日本兵に
難癖をつけて個別に拉致監禁し「何か金品を持ってこなければ釈放しない」
という戦法を取り始めました。外国人を狙った金目的の誘拐と同じですw。
戦争中なら即「ブチ※す」ところですが、そこは敗軍の捕虜の苦しい立場。
何度も傍若無人に耐えながら、いちいち誘拐された兵の解放の折衝に当たった
現場の中隊長や副官の苦労は「人一倍」という表現では全く足らないでしょう。
自分が一度たまりかねて、国府軍の連長(中隊長)に警備の兵を寄こすよう
要求すると、予想通りというか、今度はその警備兵が物をねだるので早々に
お引き取り願った次第ですw。前述の当塗県の警備隊長の青年が「国府軍は
信用できない」と漏らした理由が、自分の身に染みて理解できました。安全と
引き換えに(←それも怪しい)、タカられ続けるのでは自国民でも堪りません。
>>292 >>今年の夏にNHKでやってた戦時中の大陸でのアヘンについての
>>ドキュメンタリー見た?
ちょっとだけ見ましたけど、取り立てて見るべき新しいところは
無かったように思います。今の日本人にとって「アヘン政策」が
あったこと自体、そんなにショッキングに映るんでしょうかね?w
大テーマ『日本陸軍と阿片問題』も里見の前フリで頓挫したままです。
また何時か再開したいとは思いますが、広田弘毅と化学兵器と諸々の
小テーマの方が先でしょう。
戒煙局とか明治期以降からの阿片政策から見ていくと、一層味わいのある展開かも。
久しぶりに稲造の土人節を聞いたな
雑草のくせに生意気だぞ。と土人が申しております。
298 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/09(木) 23:33:05 ID:r+xcRrG8
>>295 >>それをやると日本国内の話も相当触れざるを得なくなりますから、
一体何スレ使うことになるやら想像も付きませんw。
>>296-297 たまには『初心』に戻るのも大事です。「我々は参謀本部第二部
支那課だぞ!」と、いつもヤツを出来ないのが残念ですw。
>>293 の続き。>>「国府軍は信用できない」と漏らした理由
しかも、この国府軍の部隊は「満州移駐」の話が出ると約半数が逃亡したと
云いますから、支那の将来に大きな不安を覚えた記憶があります。
しかし、一般の支那の民衆は自分たちに温かかった。まったく意外なことです。
自分たちは武装解除され丸裸になった訳ですが、それでも家などを(半ば無理やり)
間借りした住民との間にトラブルが起こった覚えはありません。もちろん自分の連隊
1200人が進呈する「おこぼれ」はありましたが(時たまの甘味品や小物の贈与、
自然に大量製造される肥料w)、そんなに迷惑顔もせず付き合ってくれました。
299 :
名無し三等兵 :2008/10/09(木) 23:41:27 ID:42UcyhoF
昔うろ覚えだがなんかの本で、日本兵のうんこは量も多くて 柔らかいので、農民が競って取り合ったそうだ。
300 :
名無し三等兵 :2008/10/09(木) 23:51:06 ID:wE5Afwj0
陸軍大学を下位で卒業した連中は シナ班に配属された 彼ら「シナ通」は独特の偏見を持っていて それが中国人の近代ナショナリズムを見誤り ひいては大日本帝国を滅ぼすことになった
301 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/10(金) 00:01:07 ID:r+xcRrG8
>>298 >>そんなに迷惑顔もせず付き合ってくれました。
自分は(一応、大隊長ですので)支那人の若夫婦の農家に間借りして
いましたが、あるとき「雄豚の去勢」作業を見かけました。夫婦が
雄豚の手足を押さえつけまして、専門の作業師が麻酔もかけずに※※を
切り開き、出てきた『赤い玉●●』2つをペロリと食べてしまいます。
そうして糸で縫う訳ですが、1頭わずか3分の早業でした。
次の雄豚の「●●」は夫が食べ、その次の「●●」は妻が食べ、そのまた次の
「●●」は、自分に「精が付くから食べないか?」と勧めてくれました。無論
丁重にお断りした訳ですが、その晩の夫婦の営みが激しかったことは言うまでも
ありません。自分は隣の部屋に居るのですがちっとも遠慮してくれないのですw。
ちなみにですが、奥さんの方が旦那より10歳は年上でした。当時の支那人の
風習では、男子が生まれると10歳前後の嫁さんを『買って』きます。幼いほど
養育費が掛かっていないので安いと云います。まあ、その嫁さんに子守をさせる
訳ですが、気のきいた旦那なら当然、若い「2号さん」「3号さん」を作ります。
>298 >「満州移駐」の話が出ると約半数が逃亡した 結果を見れば賢明じゃないかw まあそんなのばっかだから全滅、とか 残ったトンマばっかだから全滅、って考え方もあるがw
303 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/10(金) 00:30:51 ID:3IenJYbd
>>301 >>気のきいた旦那なら当然、若い「2号さん」「3号さん」を作ります。
まあ、蒋介石も15歳の頃に「母親の言いつけ」で4つ年上の19歳の奥さんと
初婚します。この毛福梅がいわゆる「蒋介石の四人の妻」の1人目な訳ですが、
蒋介石にとって酷いトラウマになったようです。結局、女手一つで自分を育てて
くれた母親の死を待って離婚するのですが(それでも長男・蒋経国が生まれる)、
後に●「ああ、余の逆境ここより始まる。これ中国『早婚』の悪しき結果なり」
「(毛福梅との結婚は)17、8年間もの罪」「いま目覚めることができた。
もう前車の轍を踏むことはない」などと、回想で散々に振り返っています。
>>299 >>日本兵のうんこは量も多くて柔らかいので、農民が競って取り合った
まあ、太平洋戦争の頃の日本人の「うんこ量」は欧米人の3倍はあったと云います。
ですので米軍は、日本兵のうんこの量から兵力を分析しようとして大失敗したとかw。
食物繊維の摂取が多いからで、肉食が進んだ今の日本人はそれから半分程度に減った
のですが、その理屈からすると「当時の支那人」のうんこはどうだったんでしょうかね。
304 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/10(金) 01:05:10 ID:3IenJYbd
>>300 >>陸軍大学を下位で卒業した連中はシナ班に配属された
>彼ら「シナ通」は独特の偏見を持っていてそれが中国人の近代
>ナショナリズムを見誤りひいては大日本帝国を滅ぼすことになった
まあ、1920年代後半から支那問題が重大になるにつれ、外務省でも
花形部局は「欧米局」から「亜細亜局」に移りました。ちょうど幣原外交の
時代ですが、亜細亜局には傑出した人材が充てられ、その卓越した地位から
●「亜細亜局モンロー主義」と呼ばれる『局閥』が形成される事になります。
石射猪太郎(盧溝橋事件の東亜局長)の『ある外交官の一生』によると、
「ある種の閥で亜細亜局を固め、閥外者には亜細亜局入りをさせない。
亜細亜局員が海外に転出する時は良い任地をあてがう。怪しからん――」
などとあります。幣原が外相のとき、亜細亜局長は直系の出渕勝次ですし、
閥外の欧米局長は広田弘毅でした――。
まあ、何が言いたいかと云えば、支那課の力は「陸大下位出身」かどうかに
関わらず、否が応でも増大していったという訳ですw。
>>302 >>「満州移駐」の話が出ると約半数が逃亡した
>結果を見れば賢明じゃないかw まあそんなのばっかだから全滅、とか
>残ったトンマばっかだから全滅、って考え方もあるがw
これだから「自国を戦場」にしか、してこなかった連中は困りますw。
>>301 の続き。さて、そんなこんで自分の部隊は「武装解除」後、
労役が待ち構えている事になります。まずは最初のジャブとして
南京から40キロほど南西に離れました「?水」付近の道路工事に
駆り出されました――(続く)。
なんか旧軍の亡霊がいる と思ったらイナゾウじゃった よく帰ってき……た……
307 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/11(土) 23:08:09 ID:X37T63jQ
初めて早朝の高速バスで帰省しようと思ったら、満員で乗れませんでした……。
もう意地になりまして、新幹線を使わず「在来線」で帰った次第ですw。
>>305 の続き。>>まずは最初のジャブとして道路工事に駆り出されました――。
1945年12月中旬に入りまして、粟水(南京から南西40キロ)付近の自動車道路の
補修を命じられました。これが本格的な労役の始まりだった訳ですが(ただし、まだ
ジャブ程度)、この道路は遥か「広徳」(安徽省)へと通じていました。
広徳は1937年末の南京攻略戦の際に、第10軍主力が通過した要衝で、日本が敗戦した
現在は「紅軍」新四軍の有力な根拠地となっていました。ですので、この話を聞いた時
「すわ、国府軍の『広徳奪回』のための道普請か?」と直感しました。それにしては
工事をする自分たちを警備してくれる国府軍が姿を現しません。『放置プレイ』ですw。
南方にそびえる「広徳山地」がただただ不気味で、新四軍の襲撃があったら、こちらは
1個中隊に小銃2挺ですから処置なしです。どうしたものかと心配ばかりしていました。
308 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/11(土) 23:49:05 ID:X37T63jQ
また「道路工事」自体は構いませんが、部隊の住むところがありませんw。 近隣の住民に訳を話すと、親切にも同居させてくれました。そして肝心の 道路ですが特段壊れている訳でもなく、せいぜい凸凹を直していく程度 でした。それよりも「衣食住」の問題の方が深刻で、特に「副食の欠乏」が 酷かったです。見かねた住民が漬物を分けてくれまして、大事にボリボリ 食べていた次第ですw。 さらに工具も携行用の小円匙(えんぴ)ぐらいしかありませんでしたので、 凸凹を直す程度といっても大変な苦労をしました。「ついに苦力(クーリー) になったね」と皆でボヤいていたのを思い出します。また灯火も無いので 日が沈むと寝るほかなく、日の出とともに作業を再開です――。 そうしている内に1945年が終わりまして、新しい正月を迎えました。正月の 挨拶に何を言ったかあまり覚えていませんが、大隊本部の連中に「これからが 本当の捕虜となり忍苦の時であろう。とにかく生きて還ろう。軍医は足まめに 巡回して兵が病気になる前に休ませてくれ。主計は油物を手に入れてくれ。 自分の私物は何に使っても構わない。副官は復員情報の入手を頼む」と言った ような覚えはあります――。
309 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/12(日) 00:39:27 ID:cX9/ae3q
1946年1月中旬に「道路修理」の工事を終えることに決心しました。転圧する ローラーも何もありませんので、見栄えは良くないですが、これ以上は出来かねます。 工事完了を上に報告しますと、前の駐屯地の采石鎮に引き揚げの命令がやって来ました。 しかし検査官がチェックしに来る訳でもなく、国府軍の姿も全く見かけないまま――。 そもそも自動車道路にも関わらず、この1ヶ月の工事期間中、トラック一台通った覚えも ありません。今もって何のための道路修理だったか不思議でなりませんが、とにかく 丸腰の状態のまま、「新四軍」に襲われずに済んだのが何よりの幸いでした。 また付近の住民も特別親切だった訳ではないですが、「粟水」付近は日本軍の作戦の 発進地でありました。支那事変中の8年間には、何度もトラブルがあった事でしょう。 にも関わらず、戦力を失った敗軍の捕虜に対して報復的な行為は何一つ行なわれず、 むしろ気の毒がってさえくれたのは非常に有難いことでした。 采石鎮に戻りますと、ついに部隊の南京移駐の命令が待っています――。ちょうど 支那では「旧正月」の時期にあたりまして、住民はその準備に慌しい最中でした。
310 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/12(日) 01:33:39 ID:cX9/ae3q
間借りさせて貰っていた采石鎮の「例の夫婦」は、自分の部隊の移転を聞くと 「豚を少しだけだが分けてあげる、元気で帰れ」と励ましてくれました。日本に いつ帰れるか分かりませんでしたので、最悪数年はここに住むつもりで建てた 諸施設を丸ごと残していきますから、そのお礼の部分もあったのでしょう。 「久しぶりに肉が食べられる」と夕食が待ち遠しかったのですが、出てきた 豚汁は変な臭いがして味気もありません。当番兵にその理由を聞きますと、 「豚の腎臓や肺をくれたのですが、誰も料理法を知りません…」とのことw。 まあ、焼肉でしたら「豚のホルモン焼き」になる訳ですが、肺はナンコツに 近いですかね。腎臓はというと……、牛でも普通の店にはあまり置いていない 気がします。豚では尚さらです。焼肉では何人かが食ってシマイですから、 スープに煮込んだのでしょう。
>>306 >>なんか旧軍の亡霊がいると思ったらイナゾウじゃった よく帰ってき……た……
,. -‐-k'_
ゞ((、)=-―ぐ
彳(ノハノレイ)
ノliハ、゚ ヮ゚ノi, 私は帰ってきた!(核藁)
(ハi(_,).(ハ)と)
,(ンメ,x,ェ_ハ
.`^r_ァ^t_ァ''
>307 >工事をする自分たちを警備してくれる国府軍が姿を現しません。『放置プレイ』ですw。 監視もいないってことじゃんよw なぁに真面目に工事やってっかねw これだから旧軍士官は・・・w
>>312 >>監視もいないってことじゃんよw なぁに真面目に工事やってっかねw
>>これだから旧軍士官は・・・w
支那人ではあるまいし、こちらは日本に無事帰れるかどうかの瀬戸際です。国民政府の
心証を悪くしたら…と思うと、とても不真面目には出来ません。「一体どの程度の工事を
要求されているのか?」が分からないとのは、非常に始末が悪い――w。
今回は「検査もない」という滅茶苦茶な工事でしたが、次の本番ともいえる南京城外の
道路修理では、自分たちの完成申告後に綿密なチェックを受けました。
>>310 の続き。1946年2月上旬、ついに南京城の中央門外にあるレンガ工場に移駐する
ことになりました。広東から南昌に向かう途中に敗戦を迎え、さらに九江を経て、ようやく
南京まで辿りついた訳です。
しかし、この時の行軍ほど辛い行軍はなく、沿道の住民の嫌がらせは想像していた以上の
ものがありました。まるで屠殺場に引かれる羊の群れような心境で、南京に近づくにつれ
住民の悪罵が激増します。言葉はあまり分かりませんでしたが、身振りや語調、たまに
聞こえる『マカラピー』で、必死で自分たちを罵っているのは明らかでした。
敗戦を迎えて約半年、これが初めての経験なだけに「やはり南京は空気が違うなあ。
今度こそ苛められるぞ。いよいよ『耐え難きを耐え、忍び難きを忍』ばなければ
ならない時がやってきた」と覚悟した次第です。
>>316 マカラピー!!!!!WWwwwWWWwWWwwWWw
>>316 あなたの言葉の真実を信ずりぞ!!!!!! この島を貴大国に差し上げん!!!!!!!!
>313 下士官と兵だけだったら絶対手抜きこいてただろw 反論は受け付けませんw
>>318 実際に現場を仕切るのは下士官なんだが。
>>318 サボったら古参兵殿に殴られそう…
支那事変の方だったら内務班とかあったんでしょ?
/::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\ /::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~ ヽ:;::l |:::::::::::| |ミ| |:::::::/ ,,, ヽ,、 '|ミ| '|:::::::l '''"" ゙゙゙゙` |ミ| |:::::|. ,,r ‐、 ,, - 、 |/ ,/⌒| ノ ・ _), (. ・ `つ| | ( "''''" |"'''''" | ヽ,,. ヽ | はぃ〜ん | ^-^_,, -、 | | _,, --‐''~ ) | 'ヽ ( ,r''''''‐-‐′ / \,,,`― ''′ ,,,/
遅めの夏休みを1日取りまして、帰省先から戻ってきたと思ったらO※Nが 「アクセス規制」されておりましたw。避難所のあるシベリア超速報にいる 間に少し書き溜めましたので……。
323 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 00:32:34 ID:aq5MMb1r
>>314 >>どおりで変な味がしたはずです……。ひょっとして腎臓に「豚の小便」も
混じっていたのかもw。
>>315 >>たまに聞こえる『マラカピー』で、必死で自分たちを罵っているのは明らか
漢字表記が上手く画面に出るか分かりませんが、『マラカピー』は「媽拉个巴子」で、
「母親と姦淫する子供」といった意味合いです。英語の「マザーファッカー」と同じと
覚えれば手っ取り早いでしょう。ただし、儒教的な考え方から支那人にとっては最大級の
罵りとなります。米語のスラングで、親しい友人に「Hey! Motherfucker」(おい、君)と
呼び掛ける事がありますが、「ヌオ、マカラピー」と間違っても声をかけてはいけませんw。
また近親相姦ネタは罵倒の常套句ですが、日本語ではあまり聞きません。更に近親相姦で
一番多いのは「父親×娘:80%」で、以下「父親×息子:9%」「母親×娘:8・5%」
「母親×息子:3・5%」と続きますから、実際とイメージはかなりギャップがあります。
「父親×娘」の場合は、数が多いのとシャレにならなさ過ぎるのがあるかもしれません。
むしろ「Daughterfucker」という言葉でも創りましょうかw。
>>323 >>更に近親相姦で一番多いのは「父親×娘:80%」で、
_
,:´:::::::::ヽ
i:::ノノリ)))〉
!:::l !゚ -゚ノ! ……。
`/リ _ソ_il
<_/===ヽ>
`l.フl.フ´
325 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 00:45:36 ID:aq5MMb1r
>>318 >>下士官と兵だけだったら絶対手抜きこいてただろw
このテーマの冒頭でも少し述べましたが、軍隊としての『建制』を崩されたら、
「手抜き」云々とは関係なく何も出来ないでしょう。将校は将校だけ、下士官は
下士官だけ、兵は兵だけと分けられると最悪です。効率的な組織としては崩壊
します。あなたの職場でも係長職以上が全ていなくなり、それ以下で今までの
仕事を続けろと言われても、齟齬が生じるでしょう(意思決定や裁量で特に)。
>>315 の続き。>>「やはり南京は空気が違うなあ。今度こそ苛められるぞ」
のちの「紅衛兵」ではありませんが、やはり子供〜10代前後の罵詈雑言や悪戯が
酷かった次第です。自分の隊列では悔し涙を流している者もいましたが、歯を食い
縛って耐えるほかありません。石を投げられた同僚の大尉が子供に大声で怒鳴って
いました。しかし夜が近づきますと、さすがの悪童も家路に着きますから、人心地
つけた訳です。唯一の救いは、大人がそれほど罵倒に加わらなかった事でしょうか。
326 :
JY :2008/10/18(土) 00:50:52 ID:KBPn+TSB
なぜに、モコたんがこの話の流れで(´・ω・`)・・・・・・。 断固として異議を申し立てます。
327 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 00:52:27 ID:aq5MMb1r
>>325 >>唯一の救いは、大人がそれほど罵倒に加わらなかった事でしょうか。
大人の多くが自分たちの隊列を「見て見ぬふり」をし、なかには悪戯する
子供を嗜めてくれる人もいました。もちろん、腹の中でどう思っていたかは
分かりません。戦争に負けたとはいえ、日本軍に対する『潜在的な恐怖』は
あるでしょうし、万が一の報復やヤブヘビを怖れただけかもしれません。しかし、
罵倒に加わらなかっただけでも、その時の自分たちには有り難いことでした。
さて、捕虜収容所となる南京城近くの「レンガ工場」にたどり着きましたが、
窯と作業場があるだけのダダっ広い空間です。自分の大隊が丸ごと入ります。
やれやれと思ったのもつかの間、南京への移動の目的が●「日本軍が8年間駐留
したせいで首都南京は荒れ果てた。だから清掃して返せ」という支那側の要求で、
自分たちの第40師団がその作業を命じられたことを知り、憂鬱になります――。
328 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 00:58:37 ID:aq5MMb1r
>>327 >>日本軍が8年間駐留したせいで首都・南京は荒れ果てた。
>>だから清掃して返せ。
支那側の要求する『清掃作業』が何なのか、全く見当がつかない不安もさること
ながら、なぜ南京とは縁もゆかりもない自分たち「鯨兵団」(40D)が清掃を
命じられなければならないのか?――怒りが沸々と湧いてきました。
「南京の付近に駐留して『汚した部隊』に担当させるのが筋ではないか? 何も
湖南・広西・広東・江西と、数々の戦場を駆け巡り疲れ切った将兵をこのうえ
懲罰的な匂いのする『尻拭い役』に使うとは、あまりに残酷ではないか?」と
自分の兵たちが可哀相で仕方がありません。
329 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 01:04:26 ID:aq5MMb1r
ですから当時のCGA(支那派遣軍総司令部)作戦主任だった宮崎舜市中佐(参謀)が 陸自の第1師団長だったころ、指揮下の大隊長だった自分は、酒席でこの話が出た際に ●「なぜ鯨(40D)を南京のドブ浚いや道路人夫に使ったのですか? あまりに非情 ではありませんか?」と恨みがましく聞いたことがあります。
330 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 01:12:48 ID:aq5MMb1r
>>329 >>当時のCGA(支那派遣軍総司令部)作戦主任だった宮崎舜市中佐
宮崎舜市中佐は、何年か前の映画『蟻の兵隊』(山西省の日本兵残留問題を扱った
ドキュメンタリー)にも登場されます。自分もこの映画を見まして批評した覚えが
ありますが、ue少将閣下の過去スレを検索すればどこかにあるでしょう。
宮崎中佐は敗戦後、満州からの引き揚げ業務も担当しておりまして、山西省に残留
した日本軍のことを聞くと、現地に赴いて『帰国を迫った』という逸話があります。
映画では、戦後60年経って余命いくばくもない宮崎中佐の病床を、主人公の奥村
和一(山西省残留兵)が真相究明のために訪れる、という冒頭のシーンから始まり
ます。宮崎中佐は2006年11月に99歳で大往生されていますが、いやはや
話が脱線しましたね。自分の記憶があやふやですが、映画では宮崎中佐が戦後は
陸自の北部方面総監で陸将まで務められたことは『微妙な扱い』だったような気が
しますw。何にせよ脳梗塞を患ってからは、寝たきり状態が10年続いたそうです。
331 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 01:22:46 ID:aq5MMb1r
>>330 >>「なぜ鯨(第40師団)を南京のドブ浚いや道路人夫に使ったのですか?」
宮崎中佐が、陸自の第1師団長を務めていたのは1960年頃だったと思います。
自分が当時のことを恨みがましく聞きますと、手振り身振りで「談論風発型」の
師団長は一瞬絶句され、やがて不快感を露にしながら、
●「手元には『鯨』しかいなかった。気の毒であることは百も承知していたが、
南京とゆかりの無かった部隊の方が、南京市民とのトラブルも少なかろうと
考えたのも一因である。ご苦労をかけた――」と言葉少なめでした。
敗戦時の第40師団長・宮川清三中将の前職は、支那派遣軍の兵器部長でしたから
同じ司令部勤務だった宮崎中佐が頼みやすかった、というのも理由にあるでしょう。
それはさて置き、肝心の「清掃作業」の内容が心配でなりません。南京攻略戦で
壊れた城壁を直せと言われるのでしょうか? それとも焼けた家々を建て直せ?
壁一杯の広告を消せ? 荒れた道路の凸凹を修理しろ? 公衆便所を綺麗にせよ?
下水道やドブをさらえ? 自分や将兵が惨めでなりません。貴方ならどれがいい?
332 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/18(土) 01:44:48 ID:aq5MMb1r
翌朝、自分は「第3作業隊長となって連隊主力を指揮し、南京清掃事務所長の 指揮下に入り、清掃に従事すべし」と命令を受けました。不思議なことに隣の 大隊長だったA少佐(自分より階級が上)は、わざわざT大尉と交代します。 のちに支那側が「事務所長は中佐だから、日本の大佐や中佐を指揮する訳には いかない。また佐官に作業をさせるのも忍びない。清掃作業隊は、尉官以下で 編成して欲しい」と要望した結果と聞いて、予想外に配慮されていると感じて ホッとしていいものやら、思わず戸惑った次第です。 また支那側が日本軍の『建制』をいじらなかったのも助かりました。もし米軍がした ように、将官・佐官・尉官・下士官・兵の集団に「部隊を解散」させられていたら 収拾が全くつかなくなり、清掃作業にも非常な苦労が加わったに違いないからです。
>>325 >>軍隊としての『建制』を崩されたら、
>>「手抜き」云々とは関係なく何も出来ないでしょう。
アメリカに捕虜となった日本兵は軍隊組織を継続させるのではなく、将校と
下士官兵と分離されてしまった為に、組織の体を成さず、殆ど何も出来ない
状況になってしまったようで。営内はぐだぐだ。作業もぐだぐだ。
アメリカ側は自発的に自由主義的な形になるのではと思っていたようだが、
そうは成らなかったと。ニューカレドニア、布哇、アメリカ本土と渡り歩い
た帝国軍人将校の苦難が忍ばれる。下士官兵は人によって(博打に強いとか)
はある種自由だったようだけど。
>>332 で書いていたのか。アメリカ事例。
スマヌ。
》 父親×娘 70〜80年代のアメリカのSFで、核戦争後のアメリカで戦禍を逃れて娘と共に山にこもって自給自足していたお父さんが娘との間に子供を作り、その娘に子供を置き去りにされて逃げられて、って話があったなぁ。 娘がいなくなったことに気が付いたお父さんはひげが伸びていたことに気が付いて、「ああ、石鹸作らなきゃ……」とか言い出すヤツ。
>>326 >>なぜに、モコたんがこの話の流れで(´・ω・`)・・・・・・。
>>断固として異議を申し立てます。
_......_
.,:´::::::: ヽ
iノll ll ハ ll))
|::::!|.゚ ヮ゚ノ!| 父親の愛に飢えていたモコたんとしては、
|.,´リ`仝j リ その数字の比率を聞いて複雑な気持ち……
ノ〈_ノ -^-i_〉 なんて妄想ではダメかしら? ああ、そうですか
ソ/、ノ、 ヘヽ、 逝ってきますw。
` ̄ ̄  ̄´
337 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 04:29:41 ID:1Nv45xKF
>>319 >>実際に現場を仕切るのは下士官なんだが。
>>320 >>サボったら古参兵殿に殴られそう…
>>333 >>組織の体を成さず、殆ど何も出来ない 状況になってしまったようで。
ただ『建制』が残っていれば全部ハッピーかと云えば決してそうではありません。
このスレでもよく引き合いに出す『日中戦争一兵士の証言――生存率1,000分の3
からの生還』は独立歩兵517大隊の話ですが、敗戦後の捕虜収容所の劣悪な環境で
1200人中850人の死者(3分の2強!)を出します。
死者の比率が階級の低い『初年兵〜2年兵クラス』(徴兵時期によるもので年齢は
あまり関係ない)に集中していたのは、捕虜収容所でも『建制』が下手に保たれて
いたため、毎日の炊飯の薪を集めるなど、体力を消耗する重い労働作業は彼らに
集中したからです。給養が最悪な状況で、これは致命的です。下士官や古参兵は
チンチロリンで、体力を温存していた訳ですw。
338 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 04:46:05 ID:1Nv45xKF
>>337 >>体力を消耗する重い労働作業は彼らに集中したからです。
例えば、これだけ多くの死者が出ますと、その「遺体処理」だけでも大変な
重作業です。とても全身を火葬するだけの燃料(薪)を集めるのは不可能です
から、せめて小指だけでも切り取って「遺骨」を作りたいところです。しかし、
同僚の死体の指を切り取るのは「精神的に来る」ものです。こっちを見るな。
また、火葬しないならしないで「遺体を埋葬する穴」を掘らなければなりません。
これが同様に大変な重労働です。いまいちピンと来ない人は、これから自分の庭に
人間が入れるような穴を掘ってみてくださいw。
結局「ミイラ取りがミイラ」な訳でして、体力を消耗した彼らはその後を追う
可能性がひどく高まる事になります。こんな状況ならアメリカの事例のように
将校・下士官・兵を分離して「フリーダム」にしてもらった方が、組織の体を
なさず無秩序としても、よほど死の確率から『平等』でしたでしょう。
339 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 05:01:05 ID:1Nv45xKF
>>337 >>独立歩兵517大隊の話ですが、
ただし、この話は『寄せ集め』の独立歩兵大隊の話ですから、これが
今話を続けている第40師団(歩兵235連隊:徳島)のような郷土連隊
だったら話は違っていたかもしれません。
いずれにせよ『建制』が保たれていた方が良かったかは、一概には言えず
部隊の状況やTPO(時・場所・場合)による、と云ういい加減な答えに
なりますw。
>>339 >>部隊の状況やTPO(時・場所・場合)による
,ヘ/L──- 、
Lニ)r_」=== イ
,ヘ、i ノノλノハノヘ
,' `(ハリ ゚ ヮ゚ノi) ', 人はそれを『運命』と呼ぶわ。
.i >〈(つ,i!と) i
vヘγk´_/___i,ゝヘノ
`゙r_,ィ_ァ゙´
341 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 05:36:01 ID:1Nv45xKF
>>335 >>その娘に子供を置き去りにされて逃げられて
時代を感じさせる、なかなか凄まじい設定ですね。実の娘に産ませても、
それは孫になるのか混乱してきますw。
>>332 の続き。>>南京清掃事務所長の指揮下に入り、清掃に従事すべし
清掃作業隊長の1人を命じられた自分は翌朝、南京市内の清掃事務所へと
出頭します。途中、城門を通ろうとすると15歳前後の少年兵が憲兵の
襟章を付けて「偉そうに」立哨しておりました。
敗軍とはいえ大尉の自分に敬礼を要求し、しつこく股間をまさぐるなど
身体検査をして「時計をないか、万年筆を持っているだろう?」と金品を
かすめ取ろうとしてきます。当然、用心して持ってきませんでしたので
「もう支那軍に取られてしまった。是々云々の要件があるから早く通せ」
と言っても馬耳東風です。埒が開かないので、CGAから貰ったばかりの
『旭光』(煙草)を献上すると、ようやくその少年兵は通してくれましたw。
342 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 06:13:59 ID:1Nv45xKF
後で「どうして、こんな子供に憲兵の真似事をさせているのか?」と 聞きますと、「大人に憲兵の権限を持たせるとロクな事をしないので、 『純真な少年』に軍紀を取り締まらせている」と聞き、支那軍の上層部は 大変だな、そこまで腐敗しているのか?と驚いた覚えがあります。 「純真な少年」に変えても結局やることは同じで、多少あしらい方が楽になる だけですw。なので清掃事務所に行ったら、どんな無理難題を吹っかけられる やら、さぞかし支那事変8年間の仕返しをされるのだろうなあ、と気が重く なった次第です。 ところが奇跡が起きたのでしょうか。国府軍の清掃事務所長の「戴根法工兵 中佐」はまことに出来た人物で、尊大な言動は微塵もなく、むしろこちらの 状況を気の毒がってくれている様子でした。
343 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 07:05:36 ID:1Nv45xKF
>>342 >>国府軍の清掃事務所長の「戴根法工兵中佐」はまことに出来た人物で、
小柄で笑みを絶やさない国府軍らしからぬインテリな人物で、向こうから握手を
求め、「Can you speak English?」(英語が話せるか?)と聞いてきます。
「I can't speak English」(いや話せない)と自分が答えると、「It is
possible to do, aren't you?」(話せるじゃないか?)と返って来ますw。
「No, English I can speak is only this」(いや、英語で知っているのは
これだけだ)と念押ししますと、中佐は笑って支那語で要件に入りました。
英語が出来ないからといって、別段こちらを見下ろすような素振りも無く
正直ホッとした次第です。
結局、自分の連隊に割り当てられた『清掃作業』は道路の修復で、南京の
揚子江に面した外港である下関から、そのまま揚子江沿いに燕子磯(別荘地)に
至り、幕府山を回って南京城の中央門に戻る「環状道路」の修復と増幅でした。
>>341 >時代を感じさせる、なかなか凄まじい設定ですね。
現代のエロゲには姉、娘、孫、曾孫、玄孫と直系の娘犯しまくった伝説の最低男が…
>341 >しつこく股間をまさぐる アツいメッセージを察してやれよw ウホッ
>>344 >>現代のエロゲには姉、娘、孫、曾孫、玄孫と直系の娘犯しまくった
>>伝説の最低男が…
え、ラディッシュ・バケーション?(藁)
>>345 >>アツいメッセージを察してやれよw ウホッ
貴重品は「パンツの中」に隠すのが基本です。尻の穴の中まで見せろ
と言われなくて良かったですw。
347 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 23:21:25 ID:YQKxKlDE
>>343 の続き。>>自分の連隊に割り当てられた『清掃作業』は道路の修復で、
便所掃除やドブ浚いなど「汚い仕事」では無いのでホッとした訳ですが、とりあえず
●「日本軍の占領8年間の汚れを落とすため、と聞いている。だから道路の修復は
その趣旨に沿うが、増幅まではおかしいのではないか? それに作業する道路の半分は
産業道路だが、(揚子)江岸沿いは観光道路のようだ。国共内戦が再燃したというのに、
そんな悠長なことでいいのか?」と感じた疑問をぶつけてみました。
すると戴根法中佐は急に困った顔をして「もっともな質問だ。作業計画の立案には
自分たちも苦労した。最初の計画には入っていなかったが、米軍の要望でこうなった。
我慢して、こちらの設計図どおりにやってくれ。頼む」と頭を下げたのには驚きです。
突然、隣にいた清掃事務所の副所長(同じく中佐)が英語で怒鳴りましたが、何を
喋っているかまでは分かりません。所長から必要な器材と資材を早急に申請するよう
言われましたので、「明後日までに計画を作成して申請する」と了解して帰りました。
348 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/19(日) 23:52:47 ID:YQKxKlDE
>>347 >>突然、隣にいた清掃事務所の副所長が英語で怒鳴りましたが、
戴中佐は、大きな判子を押した通行証を交付してくれるとともに、門まで
見送ってくれました。捕虜に対してここまで配慮してくれる人は稀です。
門を出ますと、英語が少し分かる自分の副官が「あの副所長は、『In captive's
position, do not complain. Do as it is an instruction of the victorious
country!』(捕虜の分際でつべこべ言うな。戦勝国の命令どおりやれ!)と
言ったのです。あれには注意しましょう」とコソッと教えてくれましたw。
所長の戴中佐も副所長も英語の達者なインテリですが、副所長の方は尊大で
「戦勝国」を振りかざすタイプで全く対照的でした。まあ、戴中佐の方が
稀有な存在と云うか、変なのかもしれませんが。
帰路に作業予定の道路を一巡しまして、熟知の工兵中尉や各大隊の専門家と
ともに翌朝、ふたたび偵察しました――。
なんだかんだといっても、飛行機ももたずに敵の機動部隊と戦う。 おまけに陸上とも戦う。昔から砲台と戦争したら 海上部隊は負けると言われている。それをやるというんだから 戦略も、戦術もない。軍艦がいれば軍艦とやる。商船がいれば商船とやる。
350 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/20(月) 00:27:18 ID:nk7V0Eum
工事予定道路の長さは22キロ。作業量を公平に分担しまして、第2・第3大隊は それぞれ約10キロ。自分が直接指揮する第1大隊は、水田を通る高さ2メートル ほどの道路を2倍に増幅する必要から、約2キロの担当としました。 必要な器材は、石塊や砂利、土砂を運搬するためのトラック10数両、山から採石 するための爆薬や資材もろもろ、大円匙、モッコ、大型土管、セメントなど膨大な 量となります。 南京市内の清掃事務所に出頭しまして、所長の戴根法中佐に必要リストを提出すると、 こちらが約束の日を守ったのが嬉しかったのか、機嫌は上々でした。「器材は明日中に 準備する。明後日取りに来てくれ。ところで何時までに出来そうか?」と聞いてきます。 工事内容に「米軍の要望」も入っているせいか、膨大な必要リストをあっ気なく「2つ 返事」で了解するとは少し驚きましたが、「天候や食糧の質量にも関係があり、いつまで とは断言できない。問題は道路の増幅だ。水田を掘っていいなら3ヵ月弱で5月初旬には できる。だが他所から必要な土砂を運ばなければならないとなれば、大変だ。見当が 付かない。運搬用のトロッコのレールを敷くだけでも……」
351 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/20(月) 00:36:09 ID:nk7V0Eum
と自分が言いかけますと、戴中佐はそれを手で遮って「水田を掘ってよい。 私も今の仕事から早く解放されたい」と、あっさり認めてくれました。 戴中佐が非常に協力的なのは自身の都合もあるのだな、と思いつつ「分かった。 ならば水田の持ち主の了解を得て欲しい」と念押しすると、「OK、OK。話は 付けたはずだ」とトントン拍子で話が進みました――。
旧陸軍の縦肩章はなくなってしまったのでしょうか? 絶対やめて欲しくない! 強い陸軍の証だもの。 あの肩章、日本だけでしたよね! カッコ良かったよw!
353 :
JY :2008/10/20(月) 02:23:35 ID:???
>>336 いやてっきりエロ同人誌の話とかにいくのかなぁと
ダメなほうに早とちりしただけです(´・ω・`) サーセン
モコたんはいい子ですよぅ(´・ω・`)。
>351 >OK、OK。話は付けたはずだ これトラブルの伏線ねw
>>353 自分も悪ふざけが過ぎたようでスマンス。自分は「マリみて」から
足を踏み外しましたので、エロ同人誌はほとんど買いませんですw。
__,、 \ii ,- 、 _ 、 ,'´ ‐ `<´_|i ´ ((((( ((! i ハi、ー ゚ハ i | 11月の京都・紅楼夢で遭いましょうw。 〈_i_:`i^>| |<i 〈`::Y:: ゝ'ヾi<i `i_ブヽ.)i)),)
357 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/21(火) 00:48:56 ID:dmWgb1x5
さて
>>250 で以下のように述べて、日下節を「ウサン臭い」と述べた訳ですが…。
>日下公人の『日本軍の教訓』(PHP文庫)にはこうあります。
>「南京という街には、千年来の歴史を持つ運河が多数あり、そこにはそれこそ
> 千年分の泥が溜まっている。中国は厚顔にもこの掃除を(敗戦後)引き上げる
> 日本軍に依頼した。幕長(ママ)たちは、その申し出を断るべきかどうか、
> 侃々諤々の議論を交わしたが、某師団長は『中国人にはさんざん迷惑をかけた
> のだから、わが師団は罪ほろぼしに掃除して帰ろうと思う。どうか、わが師団
> 将兵諸君、ひとつやってくれないか」といった。そこで『師団長の命令なら
> やります』ということになった。
358 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/21(火) 01:07:29 ID:dmWgb1x5
やはり自分も「道路工事」の作業を各員に割り当てする際、 「これが支那における『最後の作戦』だと思う。どんな心構えで作業するかは 色々考え方があるが、支那にとんでもない迷惑をかけたのは事実だし、これ からは信頼される隣人として付き合っていかなければならない。また蒋総統の 『以徳報怨』の恩返しもしなければならないと思う。 だから『やはり日本人は違う。負けても立派だ』と思われる仕事をして帰り たいと思うがどうだろう? 支那人に笑われないよう、軽蔑されないよう、 設計通り手を抜かずに作業しようじゃないか。辛いだろうが、それが日本に 早く帰れる近道でもあると思う――」 と所信を述べた訳ですが、聞いてくれた皆も「もとから、そのつもりだ」と 賛同してくれたのを有り難く思っています。
359 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/21(火) 01:35:33 ID:dmWgb1x5
とまあ、ここで終われば『いいはなシーサー』の番組にも出れそうな話ですが、 実際の道路工事が始まると、当然のことながらトラブルが多発しますw。 まずお決まりの「食糧事情」です。国府軍から支給される主食の米には石や砂が 混じっておりまして、不用意に食べると歯が欠けますw。アサリに石が入って いるのをイメージして下さい。もちろん「米の重さ」を増して不正するためで、 そのための石を売る商人がいると云います。 もう選り分けて食べるしかないのですが、今度は副食が野菜しかありません。 3食脂気なしの「野菜雑炊」で、これでは辛い肉体労働するのに身体がとても 持たないです。もちろん窮状を戴中佐に訴えましたが、「中国軍も同じものを 食べている」と言われればどうしようもありませんでした。 結局、主計係が走り回り、必要のなくなった冬用の衣服などを「物々交換」 して豚の脂身などを住民から手に入れた訳ですが、いつの間にか自分の私物の 柳行李も空になっていた次第です。「好きに使ってくれ」と言いましたので、 仕方の無いことですがw。
360 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/21(火) 23:01:47 ID:iFV6eqiK
具体的な道路作業は、「採石班」「土盛り班」「運搬班」「舗装班」に分かれて
まずは順調な滑り出しでした。「これが終われば日本に帰れる」という噂が、
部隊の心の支えになっていたと思います。しかし、楽しい思い出などある
はずがなく、ひたすら忍耐の日々が続きます。
>>354 >>OK、OK。話は付けたはずだ。これトラブルの伏線ねw
まず水田の地主が文句を付けてきましたw。従来の道幅5メートルを8メートルに
拡張する工事ですから、「単純に道が広がる分の3メートル」に加えて、採土用に
同じ量の3メートル分、つまり合計6メートル幅の水田が、長さ2キロメートルに
渡って潰れます。これは1万2千平方メートル=約3636坪の膨大な面積です。
当然、地主にとっては大事ですから「先祖伝来の土地だ。止めてくれ」と縋りついて
きます。自分が「南京城の清掃事務所長の命令だ。事務所に掛け合ってほしい」と
設計図を見せようとすると、地主はそれを見向きもしないで「あっちの方を掘れ」
と隣の水田を指差しますw。
361 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/21(火) 23:26:17 ID:iFV6eqiK
>>361 >>地主はそれを見向きもしないで「あっちの方を掘れ」と隣の水田を指差します
自分が呆れて「あっちを掘れば、あっちの地主が怒るだろうw。設計の変更は許されて
いない。国府軍の命令だから仕方が無い。とにかく事務所に掛け合ってくれ」と告げて
工事を続けていますと、近くに駐屯していた国府軍の支那兵5〜6人が血相を変えて
飛んで来て、●「中止しなければ撃つ!」と怒鳴って、銃をこちらに向けてきますw。
工事の理由を説明しても引き下がりません。仕方が無いので作業を中止して、戴中佐に
善処を要請すると「構わんから続けてくれ」の返事です。なので工事を再開したのですが、
またまた支那兵に銃を突きつけられて埒が開きませんw。困り果てて内心、戴中佐の
手腕を疑っていますと自分の副官が、
「きっと、こいつらは物が欲しいのです。何か献上しましょう。この調子で難クセを
つけられ続けたら、仕事になりません」とアドバイスしてくれました。そこで主計に
頼んで多少の金品を、それらの指揮官と思しき者に渡すと干渉がピタリと止みました。
362 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/22(水) 00:00:43 ID:iFV6eqiK
きっと地主も工事を止めさせるため、国府軍の支那兵に金品を献上していた に違いありませんが、どうやらこちらの献上品の方が上回ったようですw。 この顛末を戴根法中佐に話しますと、温厚な彼が珍しく色をなして、 ●「土地は買収済みだ! 金で動き、金あさりだけが能だ。だから中国軍は 駄目なんだ――」と慨嘆しますので、かえって自分の方が驚いた次第です。 ある時、工事現場をアメリカ軍のGM10輪トラックが通り過ぎます。日本軍が 使っていたトラックの4倍はあり、「これでは敵わんはずだ…」と皆が呟きます。 間もなく、米軍の将校が視察にやってきまして、自分たちの捕虜収容所である レンガ工場の炊事場を案内すると、さも気の毒そうな顔をして帰っていきましたw。 また有名商社のシドニー支店長だったという日本軍の老中尉が通訳で米軍将校と 一緒に来ておりまして、「いつまでに工事が終わるのか?」と自分に尋ねます。 「5月初旬の予定」と答えますと、老中尉は「もっと早く出来ないか? この工事が 終われば日本に帰れるのだ。ああ、1日も早く戻りたい。今すぐ帰れば儲かるのに なあ……」とひどく焦っている様子でした。
363 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/22(水) 00:21:07 ID:qDw+GqAx
その老中尉はさらに、「バカな戦争を始めたバカのおかげで、散々な目に 遭った。いま牛肉や羊毛を日本に輸入すれば、10倍以上の値になる――。 友人は儲けているだろうなあ……」と悔しそうに言いますので、この時期に 金儲けを考えている人がいるのか?と非常に驚きました。 日本軍が消滅した今となっては、自分は内地に帰れば単なる『無職』ですw。 いや、帰国後の身の振り方を悩んでいたのは、部隊の人間の大多数であり、 何やらその老中尉がまるで『違った人種』のように思えまして、何となく 虫が好かなかった次第です。 しかし一計を思いつきまして、老中尉に「早く工事を仕上げる方法があります。 米軍と交渉してGMトラックを借りてください。できれば荷台が上げ下げできる ダンプ車を」と頼んでみると、「努力してみよう」という前向きな返事でした。 駄目もとで言ってみたのですが、工事の最後の方になってダンプが加勢に来て くれましたので、何事も言ってみるものです。彼の一日も早く金儲けのために 日本に帰りたいという一念が功を奏したのでしょう。
364 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/22(水) 00:35:32 ID:qDw+GqAx
>>360 >>楽しい思い出などあるはずがなく、ひたすら忍耐の日々が続きます。
次なる災難は、清掃事務所の副所長(
>>348 )の襲来でした。ある日、突然に
自分たちの捕虜収容所であるレンガ工場にやって来まして、
●「このレンガ工場は、首都南京の再建のために操業を始める。立ち退け!
レンガの生産が最優先に指定された」と、一緒に連れてきた工場主らしき
人物を見やりながら藪から棒に迫ります。
突然の『退去命令』に面食らいまして、自分が「一体どこに移ればいいのか?」と
尋ねると、副所長は「俺が知るもんか」と取り付く島もありませんw。これは何か
あると感じまして、「分かった。戴中佐に相談する」と答えると、不機嫌丸出しに
して何事か喚き散らします。
先ほどの老中尉が「これはタチが悪い。貢物をした方が良い」と助言しますので、
万が一の時のために用意していた金品を差し出しますと、副所長は当然のように
受け取って帰っていきました。
365 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/22(水) 00:54:32 ID:qDw+GqAx
また所長の戴中佐に今度の「立ち退き要求」の件を話しますと、目をパチクリ させて、「あなたは私の指揮下だ。私以外の者の言うことを聞く必要はない」 と憮然とした面持ちでした。 後日、今度は戴中佐がレンガ工場を訪れまして「子豚1頭」を自分たちに 贈ってくれました。「こんな所で苦労させて済まない。私の本意ではないが、 任務上致し方がない。辛抱して仕事を終えて、一人残らず故国に帰ってくれ。 そろそろ伝染病の季節だから、予防を頼む」などと励ましてくれます。 これには感謝しまして戴中佐に多少の金品を差し出すと、彼は満面の笑みを 浮かべて受け取りました。しかし、「多々的謝々。しかし、私にこのような 気遣いは無用です。これで何か買って兵隊に食べさせて下さい。食料費の 一部に贈ります」と、そっくり置いて帰りました。 戴中佐のおかげで、無事に日本に帰れたと感謝している次第です――。
中佐いいひとすぎ。 上になるまでは彼も苦労したんだろうな。
::::::::|\/ i ::::::::|´:::::::::ヽ ::::::::|:::ノノリ::::〉 /[] ……。連隊長や師団長、CGAのお偉方が ::::::::|!゚ ヮ゚ノリ / []] 自分たちのレンガ工場に来た覚えが無い罠w。 ::::::::| i.Hi]つ/ [][] ::::::::| _|j / [] [] ::::::::|し'ノ
368 :
暫編第一軍 :2008/10/22(水) 23:22:44 ID:???
>>357 「帝国陸軍の最後」にもほぼ同様の記述がありますね。
369 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/23(木) 00:14:43 ID:mpYv6N1O
>>366 >>中佐いいひとすぎ。上になるまでは彼も苦労したんだろうな。
まあ、彼の特異なキャラクターは『工兵出身』ということもあるでしょう。
英語がペラペラですし、どこぞの外国に留学もしていたかもしれません。
>>368 >>「帝国陸軍の最後」にもほぼ同様の記述がありますね。
日下公人の『日本軍の教訓』の元ネタは伊藤正徳なのかも…w。
>>365 の続き。さて道路工事の中味はというと、こんな感じでした。まず厚さ
30センチの岩を碁盤状に並べ、その上に厚さ10センチの砂利を敷き、更に
厚さ5センチの砂で仕上げに化粧します。
工事で一番のネックになったのは、やはり採石でした。近くの採石場で山を爆破
するのですが、手頃なサイズの岩と同時に、「砂利と砂」も破片を金槌で砕いて
調達する迂遠な作業です。手間ばかりかかって能率が上がらず、そこに栄養不足
と長雨が追い討ちをかけました。
370 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/23(木) 00:40:10 ID:mpYv6N1O
爆薬の「装填孔」は金ノミで掘るのですが、相手は硬い岩ですから定期的に 刃に焼きを入れる「鍛冶屋」が必要になります。しかし木炭が足りません。 なので作業を中断して炭焼きがはじまる始末ですw。 ですので1日1回しか発破ができず、作業人数を増やして夜間も作業する ことで、ようやく3回行なうことが出来ました。すると今度は砕石が遅れ、 土盛り班を転用するなど、なかなか軌道に乗りませんでした。 また運搬の積み下ろしが重労働で難儀します。乗せるのも大変ですが、意外と 降ろす作業も時間がかかります。何せ相手は岩や砂利ですから…。トラックは ありましたが荷台が上下に動かないのが欠点ですw。仕方が無いので、土を 直角三角形状に盛りまして、そこにトラックを斜めに乗り上げさせます。そう して荷をズリ落とそうとするのですが、なかなか上手くいきません。 ちょうどその頃に、前述のダンプが加勢に来てくれて非常に助かりました。また 橋の拡張も工事に含まれていましたが、土管を利用して岩とコンクリートで固めて 「眼鏡橋」を造るなど、何ひとつ楽チンな作業はありませんでした。
371 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/23(木) 01:07:18 ID:mpYv6N1O
また週に1回は、南京市内の清掃事務所(戴根法中佐)に作業の進捗の
報告に行くのですが、これは貴重な「情報収集」の機会でもありました。
なぜなら自分の連隊の工事作業区はあまり人家がなく、唯一近くの集落は
国府軍の団部(連隊)が駐屯していたため寂れていたためです。
しかし橋近くの家並み路を舗装したときは、近隣の支那住民がお茶をふる
まってくれまして、敵意や恨みがましい言動は微塵もありませんでした。
南京に来た時は、さぞかし苛められるだろうと覚悟していたのが嘘のよう
です。少なくとも住民は当たらず触らずで、自分たちをそっとしておいて
くれました。
さて、自分の連隊の労役は道路工事でしたが、不幸にも
>>357 で挙げました
南京市内の「ドブさらい」をさせられた部隊もある訳です。伝聞になりますが、
こんな感じだったようです。その部隊は、同じ第40師団の歩兵234連隊
(丸亀【香川】)で、ちなみに連隊長は西川俊元大佐です。
372 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/23(木) 01:37:33 ID:mpYv6N1O
第234連隊は、南京市内の南部を流れる泰淮河(下水道)の「ドブさらい」を 清掃作業の労役に命じられました。支那人特有の習慣で、生ゴミから排泄物まで 人間生活で発生するありとあらゆる汚物を川にブチ込みますから、色々ドンブラ 流れて想像を絶します。 もはや手の付けようがない状況から、第234連隊の将兵は防毒衣のような 物を着て我慢し、消毒し、「忍の一字」で所定の作業に入ります。最初は子供の 悪戯が酷く、また支那人の主婦がおまる(朱色の室内便器)を持ってきまして、 日本兵が清掃したばかりの場所にこれ見よがしに糞尿を捨てるなど、悲憤の涙に 暮れたそうですw。 まあしかし自分たちも、職場や駅のトイレを掃除業者の人が作業したばかりの 目の前で「用を足す」なんてしたことはないでしょうか?w
>>372 >>職場や駅のトイレを掃除業者の人が作業したばかりの目の前で、
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 支那人のふりみて我がふり直せ、ということですねw。
゙,ヘi_i][i,l\ []
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
トイレ我慢しろってかw 漏らすぞ!w
375 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/23(木) 23:51:39 ID:+zuYlft5
>>372 >>第234連隊の将兵は防毒衣のような物を着て我慢し、消毒し、
悪戯や嫌がらせも我慢して黙々と作業を続けていますと、いつしか南京住民が
休憩のためのお茶を出してくれるようになりました。次第に昼時になりますと、
出店が卓に料理を用意してくれ、清掃作業を妨害するような行為も消えました。
また日本兵の経理係が市場に買い出しに行くと、どんどん値段を負けてくれた
うえ、オマケも付けてくれた次第です。
またある時、街の顔役に日本軍の駐留を懇請されたこともありました。曰く、
「国府軍は頼りにならない。紅軍が怖い。日本軍に警備して欲しい。衣食住は
住民が出し合って保障する」など、何やら南京に来る前に聞いた話と同じような
内容でした。
南京市内の清掃作業は辛いものでしたが、徐々に住民とも打ち解けてきまして、
当時の日本兵の回想によると、以下のような「心の慰め」となる良い思い出も
あったそうです。
376 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/24(金) 00:05:32 ID:1GF/R9uj
●「南京警備の国府軍は『四川軍』らしく、南京市民と言葉が通じない。 また郊外から南京城内に商品を搬入するとき、城門で徴発する。軍紀も 弛緩している。市民は嫌がっており、その反動で『日本軍の方がマシだ』と 思っている。日本軍の占領8年間、あまり良い軍政ではなかったはずだが、 その間、平和だったのは事実だからなあ。頼りにされているなら、報い ねばならぬ……」 ●「街では、日本軍を再武装して残してもらう嘆願運動を進めるらしい」 ●「ウチの主計が何応欽司令部に陳情に行ったら、国府軍に日本の陸士卒の 中将クラスが多く、日本語で懐かしそうに話しかけられ、親切にして もらったそうだ」 ●「ある主婦が街頭で『日本軍にこんなことをさせるのは、南京市民の恥だ。 せめて金を出し合って、日本軍に寄付しようじゃないか』と演説していた。 嬉しかった」
377 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/24(金) 00:27:19 ID:1GF/R9uj
●「ウチを監視している国府軍の若い少尉は、軍官学校を出たばかりの 文学青年だが『貴方たちは良いね、国に帰れる。我々はまた戦争です。 もう懲り懲りなのに』と羨ましがっている。近く満州に行くらしい」 ●「自分とこの兵隊は、しょっちゅう支那人の家に遊びに行っている。娘の マラリアをキニーネで治した縁らしい。奥さんを『媽媽』(お母さん)と 呼んで仲良くしている」 ●「ある兵が相談に来た。遊びに行く店の主人に気に入られ、『ウチの 娘はどうだ、美人だろう。養子になって家業を継いでくれ』と頼まれて 弱っている。どうしたもんでしょうか、ということだった……」 いずれも『辛い労役』のなかで生まれたエピソードですから、捕虜の身分の 憂さを晴らすための『清涼剤』として、実際の話以上に強調されているかも しれません。それでも南京市民と大きなトラブルが起こった話はついぞ無く、 従って東京裁判で『南京虐殺』が問題になると、自分は「嘘だ。報復のための でっち上げだ。本当であれば、南京市民があのように友好的に接するはずがなく、 必ず酷い仕返しをしたはずだ。戦火が止んでから、人間が人間を30万人も殺した と思う人間の方が、人間のツラの皮を被った獣だ――」と思った次第です。
378 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/24(金) 00:49:55 ID:1GF/R9uj
さて1946年の4月下旬になると、自分の連隊の『道路工事』も完成に 近づきまして、どの担当区域も最後の仕上げの真っ最中でした。支那人の 娘を助手席にはべらせた、半裸の米兵が運転する自動車がフルスピードで 自分たちの作った道路を通り過ぎると、白塵がもうもうと立ち上がります。 道路沿いの集落の村長は、「立派な道になった。辛苦多々的、謝々」と 言ってくれました。労役の終わりと日本への帰国は目の前だと思うと、 気が浮いて仕方がありませんでした。しかし『好事魔多し』とはよく 言ったもので、最後に大事件が自分たちを待ち受けておりました――。 それはある日の午後、2台のトラックで南京市内の清掃事務所に向かった 時のことです。いつもの運転手が腹痛で、自分の副官が代わりに運転して おりました。工事で出来立てのハイウエイは、下手なアスファルト道路 よりも快適で、スピードもぐんぐん上がります。すると、あぜ道から4人 ほどの国府軍兵士が湧いて出てきまして、こちらに手を振ってきます。
379 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/24(金) 01:12:19 ID:1GF/R9uj
要するに「車に乗せろ」という合図ですが、以前、銃で脅されて国府軍 兵士を乗せたところ、あちこち走り回らされて、清掃事務所での会議に 遅刻しました。所長の戴根法中佐が珍しく不機嫌で、 ●「日本人の時間厳守に感心していたのに、一体どうしたんだ? 私は 中国時間(必ず定刻より小一時間遅れて集まる)が大嫌いなんだ――」 と詰られます。理由を説明すると戴中佐は逆に恐縮して、『この車は 当所の緊急作業車に付き、無許可者の乗車を厳禁す』と記した「乗車 拒否証」を交付してくれた次第です。まあ、国府軍兵士避けのお守り みたいなものの訳ですがw。 そんな訳で「駄目だ」と乗車拒否の手振りをしながら通り過ぎようと したのですが、1人の国府軍兵士が仲間の制止を振り払って、自分の 車の目の前に、両手を広げて飛び出してきました。
380 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/24(金) 01:31:05 ID:1GF/R9uj
自分の副官は必死でブレーキを踏みました。助手席の自分はフロントガラスに 頭をぶつけました。しかし車は急に止まれません。飛び出した国府軍兵士を 突き飛ばし、車の左前輪が『何か』を轢いてストップしました。悪夢です。 たまたま同乗していた軍医が診ると、どうやら内臓が破裂しているらしいです。 目の前が真っ白になりまして、さあ大変です。敗軍の捕虜が、戦勝国の兵士を 轢いたのです。助かるか死ぬかで大きく異なりますが、どんな報復をされるか 分かったものではありません。裁判は免れず懲役刑か、悪くすれば死刑です。 自分も指揮官として部下の監督責任は免れないでしょうが、大隊全体が日本に 帰れず抑留されるような事態だけは勘弁してもらわなければなりません。もう 戴中佐にありのままを報告して善後策を縋るしかないです。所属師団や連隊は 気の毒がってくれるでしょうが、何も権限がない以上「自分の不始末は自分で 拭け」と言うぐらいが現実のオチでしょう――。このように頭の中がグルグル 回りまして、何にせよ国府軍兵士を轢いた副官が可哀相でなりませんでした。
,◎‐◎、 _,.-'-‐‐‐‐-'、_ 'ー( ( メ (^)ノ))-' ノ_ハi ゚ ヮ゚ノゝ 土人はどうでもいいけど、まさか蛙は轢いてないよね? ノ´i(ヨ:::i,〉 <_/:fォ::f):ヽ, ``'i_フi_フ´´
毎回気になる所で区切りおってからに〜w
>>380 >>飛び出した国府軍兵士を突き飛ばし、車の左前輪が『何か』を轢いて
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_....(゚ー゚)
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i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' ヤクザの下級構成員を轢き殺すのに近い気分ですねw。
゙,ヘi_i][i,l\ []
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 ̄  ̄
384 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/25(土) 22:34:53 ID:YZSggBbz
>>380 >>さあ大変です。敗軍の捕虜が、戦勝国の兵士を轢いたのです。
副官と軍医に、轢いた国府軍兵士を日本軍の病院に至急運び込むように指示し、
自分は南京の清掃事務所の戴根法中佐のもとに走りました。事件の状況を詳しく
説明して、何とか穏便に済むよう『善後策』を懇請するためです。
●「車は急に停まれません。非は飛び出してきた国府軍兵士にあります。だが
お互いの立場が立場です。穏便に済むよう助力して頂きたい。お願いします。
裁判には自分が残ります。だから大隊全員が抑留されるような罰だけは勘弁
して欲しい。関係各所に手を打つための必要な経費は、こちらの3度の食事
を1度に削って……」
と必死に頭を下げました。すると所長の戴中佐はいつものスマイルを絶やさず
聞いておりまして、●「それは中国兵が悪い。四川の山奥から来た部隊だから、
車の事を知らんのだ。問題にはならん。心配無用。何か起こったら知らせてくれ。
手を打つ」と言うなり、話を打ち切って今後の清掃作業の連絡を始めました。
385 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/25(土) 22:58:46 ID:YZSggBbz
あまりに軽く扱われるので、却って不安になった次第ですw。 その日の夜、副官と軍医が帰ってきたので報告を聞くと、●「下関(シャーカン)の 日本軍の兵站病院に入院させてきました。今夜、開腹手術します。腹を開いて みなければ助かるかどうかは不明です。国府軍兵士の営長(大隊長)を訪ねて 取りあえず謝ってきました。明日経過を見て、できたら大隊長(自分)が営長に もう一度謝罪してほしい」とのことでした。 主計に大隊の副食費から流用して「見舞金」を用意させましたが、その夜は 悶々として眠れませんでした。轢いてしまった副官が可哀相でなりましたが、 本来の運転手が急病で代わったこと、自分たちが作った道が良すぎたことの 二重の災難でした。 よく朝、兵站病院を訪ねて容態を聞きますと、●「腸が3ヵ所切れていたが、 自分の見誤りが無ければ、1ヵ月で治る。手術台が空いていて運が良かった。 具合が悪くなればすぐ再手術する。心配するな――」
386 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/25(土) 23:16:53 ID:YZSggBbz
こう太鼓判を押してくれた若い軍医が「神様」か「仏様」に見えた次第です。 直ぐに踵を返して、国府軍の営長(大隊長)のところに謝りに行き、分厚い 『見舞金』を差し出しました。その営長は40歳過ぎの脂ぎった厳つい男で、 こちらの通訳の詫びを怪訝そうに聞いておりました。不機嫌そうでマズイw。 見舞金の中味を見ると営長は「これは何だ?」と言うので、「兵士に怪我を させた謝罪の印です。退院後の治療費でもあり、営長に迷惑をかけたお詫び でもあります」と説明しました。すると「謝々」と受け取って突然立ち上がり、 何か演説するように長々と話し始めました。 まるで『判決文』のように思えて、「死了(死刑)」の語句が入っていないか 固唾を飲んで聞いておりましたが、通訳が始まるとそれは意外な内容でした。
387 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/25(土) 23:38:41 ID:YZSggBbz
「同行していた兵士から一部始終を聞いた。アイツは質の悪い奴で、皆が 止めるのを振り切って自動車の前に飛び出したそうで、天罰てきめんだ。 貴方たちに非はない。であるのに奴を入院させ、腹を割る神技の手術を 施して命を助けてくれたうえ、昨夜も今日も謝りにきた。 ほほう、日本人ってこんな人達だったのかと見直している。非は1つも ないのに、ここまで気を遣って貰って感謝している。上部からも『問題に すればお前の監督責任が問われる』と言ってきた。実はこちらからお礼に 伺うつもりだった。……貴方たちの工事作業は立派だ。全員が陰日向なく 働いて、軍紀粛正、能率よく協同している。感心した。強かったはずだ。 部下にも日本軍を見習えと教えている」 何か信じられない内容の話で、通訳が間違えたか、自分の耳が変になったかと 思ったのですが、営長が最後にうやうやしく渡した紙に『感謝状』の3文字が まず目に飛び込んできまして、「これで助かった……」と嬉し涙が出そうに なった次第です――。
388 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 00:05:27 ID:kPkJm5F8
感謝状の中味は忘れましたが、『起死回生之神技』『中日友好之礎』などの 文言があった気がします。 翌日、戴根法中佐に今回の取りなしを謝して「金一封」を差し出しましたが、 また前回と同じ様に1度受け取って「これは私の慰労金です。副食に充てて 下さい」と直ぐにリターンバックでした。 また戴中佐は「日本軍は1人ひとりの兵士の心配をするのか?」と聞くので 「当たり前です」と自分が答えると、ひどく感心していました。少し複雑な 気分です。 まあ何はともあれ、国府軍兵士を轢いてしまった副官に「良かったね。もう 大丈夫だ」と元気づけますと、副官は「もし死んだら心配です」とまだ不安 がっていました。結局、副官は最後の最後、復員船に乗るまで時々暗い顔をし、 気がかりだったようです。手術後の経過は順調で、その話は当方にも伝わって いたのですが、この感覚はきっと轢いた当時者でなければ分からないのでしょう。
389 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 00:31:45 ID:kPkJm5F8
>>388 >>この感覚はきっと轢いた当時者でなければ分からないのでしょう。
これには後日談がありまして、戦後も副官は『事件』をよく話題にしました。
「私はあの時、銃殺を覚悟した。少なくとも終身労役だと考えた。それを一緒に
いてくれたS軍医が助けてくれた。(轢いた国府軍兵士を)入院させたのも、
営長のところに詫びに連れていってくれたものS軍医だ。S軍医を生命の
恩人だと思っている」
と語るのが常で、その言外に「アンタは何もしてくれなかった」の響きがあり
ました。もちろん自分は戴中佐のところに善後策を縋りに駆け込んでいた訳で、
副官に責められるのは心外で情けなかったのですが、まだ反論してません。
そう思い込んでいるのを説得するのは容易ではないですし、お互いに気不味い
思いをするだけでしょう。おそらく、ショックを受けた副官に付き添って
励まさず、清掃事務所に飛んでいった大隊長(自分)が非常で能無しの
人間に映ったのだと思います――。
ッ-ヘ。__.「^ヽ,ry'^i/ー- 、 レ, '´゚ ,ゝ"´ ⌒`ヽ=ヽ i i ハ))).くi Lノノハノ)」 |/ イオi ゚ ヮλ.[i ゚ ヮ゚ノi! .+ 「逆恨み」って怖いわよね。 ,ぐ`i盃レ',ヘ.i`ム'」つ ,メ∪イ-,く_,//T.iλ ゙'ーi_'ォ_ァ"ーr_,t_ァ'"
391 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 02:52:30 ID:kPkJm5F8
さて1946年5月初旬に、予定どおり道路工事の『清掃作業』を終えました。
ローラーをかけ、さらに砂利や砂を満載した10輪トラックを往復させて転圧し、
最後に掃除して全てが完了です。隣の第2、第3大隊の工事も立派で、花崗岩を
砕いて作った白い砂がキレイで印象的でした――。
そして、いよいよ国府軍側の検閲です。以前の道路工事(
>>308 )では、監視も
検査も無い『放置プレイ』でしたが、今回はなにせ首都・南京の環状道路です。
当日の朝には、南京城の中央門外で検査官の一行を出迎えました。もう睡蓮の
花が咲き始める初夏の季候でした。
てっきり検査官は「国府軍の将官あたり」と思っていたのですが、実際に来たのは
普段より緊張気味の、いつもの「戴根法中佐」(清掃事務所所長)その人でした。
彼は自分たちの敬礼を受けるや部下に合図して、まずは「軽いジャブ」とばかりに
巻尺で「路幅」や「舗装幅」を測らせます。もちろん設計図どおり、寸分の狂いも
あるはずがありません。
392 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 03:13:58 ID:kPkJm5F8
次に戴中佐は、道路の1ヵ所をランダムに指差しまして「ここを掘れ」と言います。 シャベルで掘ろうとしましたが、ローラーの転圧が効き過ぎていて歯が立ちません。 仕方が無いのでツルハシで掘りますと、基礎で埋めた岩盤が現れました。それを チェックのために掘り出すのが大変で、随分と時間がかかりましたが、長さ40 センチ、厚さ30センチの大物でした。 戴中佐は自らの巻尺で、丹念に「岩・砂利・砂」の層の厚さを測り、「好(ハオ)」と 頷いて、次の地点に向かうべく自分たちもジープに乗せてくれました。途中、橋を通る とき「何年ぐらい持つのか?」と尋ねたので、橋を担当した工兵中尉が「何年でももつ。 南京の城壁が崩れても、この橋は大丈夫だ」と答えたので、戴中佐は「好々(ハオハオ)」 と笑っていました。 おおよそ100メートルごとに路幅を測り、自分たちの捕虜収容所だったレンガ工場の 宿舎の前に来ますと、再び「掘れ」と言いました。工事する前ここは、トラックがやっと 通れるぐらいの泥濘だったので、視察で通るのに難儀したことを覚えていたのでしょう。
393 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 03:39:04 ID:kPkJm5F8
しかしここは工事の最終地点でしたので、余った岩石を「これでもか」と 言わんばかりにブチ込んで補強していました。ですので掘れども掘れども 岩ばかりで、戴中佐は途中で穴掘りを止めて「好々々」と3回言いました。 検査するごとに「好」が増えます。 他の大隊の担当区を検査しても結果は同じで、戴中佐の顔は次第に感動の 面持ちへと変わっていきます。下関(シャーカン)の近くで水たまりの 箇所がありましたので、戴中佐は「ここぞ」とばかりに掘れと命じました。 その地区の責任者と思しき若い将校が「何を疑うか?」とばかりに憤激して ツルハシを物凄い勢いで振るって掘り起こします。1秒に2回は振り下ろした でしょうか。戴中佐が気圧されて「そう急ぐ必要は無い」と制しますが、その 若い将校は瞬く間に基盤の岩を掘り起こします。もう戴中佐は測るまでもなく 「頂好(最高だ)、頂好、謝々」と感に堪えない様子でした。 ここに第40師団(鯨)による南京の『清掃作業』は完了いたしました――。
/: : :/: :/} :小: : : : : : : : ≧ー __,/ /: : /: :/ ,| : | ∨| : : : : : 廴 f´/ }:/.: :.ム斗' | /| `ヘ}ヽ: : : : ヘく ∨ ,イ: : :{ :/ j/ V | : : ∨ / / / | _|_ ― // ̄7l l _|_ ヽ、{∧ 圷旡≧/ / /≦乏ア:| ト、:ハ_ /| _/| / | | ― / \/ | ――― |:ヽ}ヘ:/ | |/ / / / | | ?W |:「ヽ} | | / | 丿 _/ / 丿 |: :|:`ー.、| | , -- 、 | | {ム/:{ |: :|: : :|:|> 、ー'⌒ー'_. イ: : |: :| |: :|: : :|:| ,.≦厂 「x |: : :|: :| | : ', : :',|/ {___7`ーl: : :|: :|
何この「プロジェクトX戦争よもやま話」
だがしかし その土木能力を評価され彼らは日本にまだまだ帰れなかった・・・
397 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 22:38:56 ID:fNpB2xTf
>>393 >>ここに第40師団(鯨)による南京の『清掃作業』は完了いたしました――。
検査の翌日『清掃作業隊』の解体式が行なわれました。戴根法中佐は感謝状を
贈呈してくれまして、
●「日本人の誠実、勤勉、団結の力をこの目で見た。生涯忘れ得ないであろう。
日本の国は負けた。しかし貴方たちは中国人が及ばない優秀さを見せてくれた。
立派な工事成果を残してくれたことよりも、『軍隊はかくあるべし』と無言の
うちに模範を示してくれたことの方が大きい――。
多々的謝々。南京市民も感謝していることを伝えます。彼らは私たちより貴方
たちが好きらしい。日本は必ず立ち直る。貴方たちの作業を見ると、そう信じ
ざるを得ない。落ち着いたら、今度は鉄砲を持たずに来てください。中日の
友好こそがアジアの、世界平和の基本です。互いに相手を理解して、仲良く
いきましょう。無事還国、祈念一路平安」
398 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 22:55:35 ID:fNpB2xTf
自分が『清掃作業隊』を代表して返礼し、戴中佐のこれまでの敗軍の 捕虜である日本軍への配慮と、その高潔な人格に感謝しました。 ●「日本人の及ばない寛容と度量を、戴所長(中佐)に見ました。多々 的謝諾々。……中国はこれから大変でしょうが、必ず発展されると 信じています――」 その後、簡単な別れの昼食の席を設けまして、自分が「満州では大変なこと (国共内戦)が起こっていると聞いています。今後の見通しはどうですか?」 と尋ねますと、戴中佐は途端に笑みが消え、「明日のことは明日にならねば 分からない」と沈んだ表情になりました。 そして「私(戴中佐)は間もなく南京を出発する。行き先ははっきりして いない。貴方たちの帰国を見送れないのが残念だが、軍人だから仕方が無い。 ごきげんよう。祈念無事還国、一路平安」と言うので驚きました。
399 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 23:16:38 ID:fNpB2xTf
これでは見送る立場が「あべこべ」です。また戴中佐が「家族は重慶に いるが、ここ1年会っていない」と漏らしますので、「中国軍は家族 連れで作戦していたようでしたが?」と尋ねると、「地方軍は土着だから 家族連れだが、われわれ中央直系軍は違う」と答えました。 また尊大な副所長の姿が見えないので重ねて聞くと、「どっかに行った。 中国は広いから色んな人がいる」と憮然とした表情です。 そして瞬く間に別れの時間が来まして、「ご武運をお祈りします。大変 お世話になりました。ご恩は一生忘れません」と最後の挨拶をすると、 戴中佐は寂しげに自分の手を強く握りまして、しばらく離しませんでした。 その後、1946年5月5日に南京を経ちまして、また紆余曲折はありましたが、 5月13日に駆逐艦「杉」に乗って故国日本へと帰還でき、5月21日に復員式を 取り行いました。
400 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 23:23:07 ID:fNpB2xTf
戴根法中佐は、生涯忘れ得ない支那人の1人ですが、その後の消息は不明です。 自分が戦後、陸幹校(陸自幹部学校)の教官をしていた時、4人の台湾からの 留学生に接しましたが、誰も戴中佐のことを知りませんでした。 生きておられたら偉くなったに違いない、と信じているのですが――。
401 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/26(日) 23:44:29 ID:fNpB2xTf
これで極小テーマ、『プロジェクトX〜清掃者たち〜』は終わりですw。 リハビリのつもりが、アクセス規制の期間も含めて1ヵ月かかりました……orz。 上記の話は、敗戦時、支那大陸に100万人いたCGA(支那派遣軍)の将兵の 「その後」の1エピソードと考えてください。 これだけの人数と部隊がいた訳ですから、その顛末も様々です。第40師団は 敵国の首都である南京の『清掃作業』をさせられるという辛い(そして稀有な) 労役を負う羽目になりましたが、死人がバタバタ出た訳ではありませんでした。 自分が美化するような書き方をしているのもありますが、割と「何だ、そんなに 苦労して無いジャンw」と思われる方もいるかもしれません。確かに以前書いた 大テーマ『北支の治安戦』の部隊は、敗戦後は労役ではなく国府軍が来るまでの 治安任務を山東半島で引き続き命じられまして、八路軍との衝突で戦争終了後に 戦死者も出しています。
402 :
雑草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/27(月) 00:09:38 ID:iR/siV1m
敵国首都での辛い労役と、戦死するかもしれない(でも比較的、行動の 自由な)治安警備任務。どっちがマシか?――という話です。 また劣悪な捕虜収容所で3分の2の病死者を出した部隊もありますし、 『湖南戦記――知られざる日中戦争のインパール戦』(小平喜一著) のように、第1野戦補充隊員として、ず―――――――――――っと 『丙部隊』扱いで第3線の「警備任務」ばかり(著者は、最後まで敵に 向けて小銃を撃ったことがない)。 各部隊の「掃き溜め」に出されたような混成部隊ですから、やること なすこと緩みっぱなし、弛緩しっぱなしのチャランポラン。それでいて 敗戦後の国府軍による扱いは、自分が知っているなかでも『特異』級の 厚遇を受けて帰国するという、何とも恵まれた部隊もあった訳ですw。 ですので戴中佐の言ではありませんが、違う意味で「中国は広い。色んな 人がいる」となるので。何とも締まらない終わり方ですが、チャンチャン。
_,........,_ , ´,.-== ,ヽ i (ノノλノ)リ 待望のMG 『∞ジャスティス』を買ったのだけど、 ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 3600円ぐらいで安い! でも何年もMG化される `,く_,`ハ,イつ のを待ってたから、あんまり安くても「複雑な気分」に ,(,ノ┐ハゝ なるのは私だけ……?。12月には『シナンジュ』も `'-i'_ィ,ァ"´ 発売されるし、正月休みはどちらを作ろうかしらw。
404 :
名無し三等兵 :2008/10/27(月) 01:03:46 ID:UbQ9VrXJ
秋葉原に行ってきました。
麻生さんの演説に喚いていた連中の一部は、韓国人です。
その証拠に、連中は朝鮮語でヒソヒソ話を・・・
さらに、裏道で責任者・リーダと思われる人間から封筒を受け取っていました。
どう見ても日当です。
残念ながら、写真は取れませんでしたが。
彼ら朝鮮人の世論操作、政治妨害を日の当たるところに晒しましょう。
この事実を広く、広めてください。
http://www.vipper.org/vip969561.jpg
405 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/27(月) 01:13:02 ID:iR/siV1m
次回から「広田弘毅」の話に戻りますが、
>>81 の続きになります。時期的には
広田が首相を辞して、第一次近衛内閣が誕生する狭間――「宇垣内閣の流産と
林銑十郎内閣」から始まります。まあ【閑話休題】の部分ですが、広田内閣で
復活し、また東京裁判で広田が叩かれる理由の1つ(端的に言えば、文官だけど
死刑になっても仕方が無いヨネとなる)『軍部大臣現役武官制』にも絡みますので。
>>81 >>ここから組閣に向けた長い長い日々が始まります。まあ、結末は分かって
>>いますがw。広田の場合、陸相は最初に寺内ですんなり決まり、他の閣僚名簿で
>>とやかく言われて難渋した訳ですが、宇垣の場合は、ただ1点――。
>>陸相が決まりません。
明日の株価はどうなるかしらん?…w
>『プロジェクトX〜清掃者たち〜』 やた!タイトルが採用されたw >地方軍は土着だから家族連れ 以前、支那の軍閥は中世のようだ、と評していましたね。 そういえばアルマダ海戦に参加したスペイン船も家族連れだったそうでその末路は実に悲惨です。 (海戦後の嵐で英本土に漂着して地元民に通報され虐殺されたとか)
支那軍にとっては常に本土決戦なので、特に戦場土着の地方軍にとっては日本軍に占領されれば家族は支配下に置かれるかドサクサで死ぬか。 連れて歩く気にもなるでしょう。
保定軍官学校出身者はおるかぁ
陸から侵略してきた敵をいかに阻止するか−。 北海道の守りを担う陸上自衛隊北部方面隊は、10月上旬から北海道東部の矢臼別演習場で、指揮所など約2300カ所の陣地を地下に築き、敵の侵略を阻止する大規模な防御訓練(総合戦闘力演習)を行い、訓練の様子を27日、報道陣に公開した。 「第5旅団の全部隊地下に潜る」と銘打った今回の訓練は、師団・旅団レベルの訓練としては、昭和59年の「対機甲戦闘演習」以来四半世紀ぶりの大規模訓練。北部方面隊第5旅団を中心とする部隊員ら約3300人が参加した。
411 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/28(火) 00:00:00 ID:qO0cw5v3
>>81 の続き。さて広田弘毅内閣が、寺内陸相の『腹切り問答』で総辞職したのが
1937年1月23日。宇垣一成に組閣の大命が降下したのが翌日の24日深夜
です。何気に「支那事変」が始まる半年ほど前であることに注目して下さい。
ちなみに宇垣の「組閣参謀」は、今井田清徳(宇垣と同じ岡山県出身で逓信官僚、
宇垣が朝鮮総督時代に政務総監を務める)と林弥三吉(予備役陸軍中将、宇垣が
参本作戦部長のとき欧米課長を務める。元第4師団〈大阪〉長)の2人です。
今井田は1936年12月半ばから『宇垣内閣組閣』のための相談を既に始めて
おり(もちろん広田内閣の途中から)、組閣に必要な閣僚名簿は大命が降下した
1月24日には用意万端、出来上がっていました。
>>宇垣の場合は、ただ1点――。陸相が決まりません。
宇垣は1月25日夕方4時に陸相官邸の寺内寿一を訪ねて、自分の内閣の陸相を
選出してくれるように依頼します――。もちろん、寺内が留任するのもアリです。
412 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/28(火) 00:20:26 ID:iSDTJZ3S
しかし陸相の寺内寿一は「(陸相の選出は)どうも難しいようであります」と ツレない返事です。これに対して宇垣は「しかし折角、陛下から仰せがあった のだから、責任者である貴方が部内をまとめてくれ、そして候補者を出して くれろ」と言って帰りました。 この辺り、陸軍省軍務局軍務課の『政変日誌』には「宇垣が『三長官会議』で 陸相を推薦してくれるよう頼んだ」とあります。言うまでも無く、陸軍三長官 とは「陸相」「参謀総長」「教育総監」の3職を指します。 しかしここで問題が発生します。もう覚えている人はいないと思いますが、 広田弘毅が『軍部大臣現役武官制』を復活させる条件として挙げたのが、 首相が陸相を指名できるようにすること、もっと端的に言えば、陸軍三長官 会議による「陸相推薦制度」の廃止です。 結局、宇垣が組閣できなかったのは、ついに陸相の候補者を得られなかった ことです。ですので宇垣は戦後、次のような「恨み節」の回想を残しています。
413 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/28(火) 00:44:13 ID:iSDTJZ3S
>>412 >>宇垣は戦後、次のような「恨み節」の回想を残しています。
「私が最近聞いた話によれば、(自分が組閣に失敗した1937年)当時、
既に(陸軍)三長官会議の(陸相候補者)決定なるものは政府にとって
無効であったとの事。すなわち小磯内閣成立のための重臣会議を終えて、
宮中に参内しようとする小磯国昭大将を呼び止めた『広田弘毅』は、
『小磯君、実は私が内閣をやっていた時に復活させた陸軍大臣現役武官制は、
総理が三長官会議を経ることなしに陸相を任命できる、との【交換条件】の
もとに立法化したのだ、という事を記憶して頂きたい――』
と彼に告げたのである。なぜ広田はその事をもっと早く、私に教えてくれ
なかったのだろう。さすれば日本の辿った運命も少しは変わっただろうに」
これは1つのミステリーでもあります。一般的には、広田弘毅の爪の甘さと
批判されることが多いのですが、広田自身は『三長官会議』の廃止を信じて
いた訳です。でなければ、敗戦間際の危機的状況下で大命が降下した小磯に
『いい加減なこと』を教えるとは考え難いからです。しかし、それならそれで
なぜ小磯に教えて宇垣に教えなかったか?――という疑問が残ります。
414 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/28(火) 01:41:07 ID:iSDTJZ3S
まあしかし、宇垣の組閣参謀である今井田清徳が1月25日午後5時に 記者会見を開いて、 記者:「後任陸相の推薦を(三長官会議に)求めたのか? 名指しで求めたのか?」 今井田:「陸相の推薦を求めたか、名指しであるかは、自分より何も申し上げられぬ」 とやり取りしていますから、別に当時でも「三長官会議」が絶対的なものでは 無かったことが分かります。 まあ、話がややこしくなるので一旦先に進みましょう。1月26日には教育総監の 杉山元が宇垣の組閣本部を訪ねて『大命拝辞』を説得しています。これはその前に 陸相候補の噂に挙がった香月清司・近衛師団長(盧溝橋事件直後の支那駐屯軍司令官)が わざわざ陸相官邸で記者会見を開いて、 「かかる宣伝は自分にとって甚だ迷惑千万である。自分は現在の部内情勢において たとえ(宇垣内閣の)陸相候補に挙がったとしても、就任の意志は毛頭無い」 と断言したのを杉山がマズいと感じて、ただでさえ「自分が宇垣に立場が近い」と 見られていた(自覚していた)ことを否定するためのアリバイ行動だった訳です。 宇垣からすれば、杉山の「明白な裏切り」だったでしょう。
雑草から微妙に進化した(w
416 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/28(火) 23:15:35 ID:+m0V5nBi
>>86 >>そこがグズGENがグズGENたる由縁。
杉山元は当時『教育総監』でしたが、宇垣一成に大命が降下した1月24日深夜、
四谷の宇垣邸を和服の着流しに袴姿で訪れていました。誰が見ても、「ははあ、
杉山が陸相になるつもりだな――」と受け取ったのですが、陸軍部内の空気が
険悪と見るや、いつの間にか姿を消して2日後には、大命拝辞を説得に来る訳
ですから、何ともオポチュニストの印象を与えました。
そうして1月26日午前11時、杉山が宇垣の組閣本部を訪れます。杉山は宇垣の
陸相時代、軍事課長、軍務局長、陸軍次官まで務めていましたから「飼い犬に手を
噛まれる」気分とはこういう事を言うのでしょうw。
杉山は「後輩の1人として」「個人の資格において」「当時としては必要だったが」
などと回りくどい言い方をしますが、要するに、宇垣が陸相時代に4個師団を削減
(宇垣軍縮)したことが陸軍部内を複雑にしたとの理由で『善処』(大命拝辞)を
要請します。その時の会話は、宇垣の回想によると以下のようなものです。
417 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/28(火) 23:40:25 ID:+m0V5nBi
杉山「どうもお辞めを願わねばならぬ。(陸軍)部内がどうにも静まらぬ――」 宇垣「おかしいじゃないか、杉山さん。部内を鎮めるのは貴方や寺内君の責任 じゃないか。部内が静まらぬ『尻』を僕のところに持ってくるのか? 部内が 静まらぬ責任は君たちにあるのだから、君たちが辞職しなければならないの ではないか? 僕に辞めろと言うのはおかしいじゃないか――」 杉山「ハイ…w」 この後、建川美次予備役中将も説得に来ます。全く余談ですが建川は身長147 センチしかありません。最後に寺内寿一陸相が夕方5時半に「三長官会議」の 正式回答をもって現れまして、●「閣下!閣下! 三長官会議において慎重考慮の 結果、推挙した者が全員辞退したことは誠に遺憾であります!」と慇懃な物言い ながら、陸軍部内の『宇垣拒絶』の意志を伝えました。
/ ̄ ̄ ̄ \ / :::::\:::/\ / 。<一>:::::<ー>。 戴根法中校は死んだんだぉ | .:::。゚~(__人__)~゚j \、 ゜ ` ⌒´,;/゜ / ⌒ヽ゚ '"'"´(;゚ 。 / ,_ \ \/\ \ と___)_ヽ_つ_;_ヾ_つ.;._ /´ ̄ ̄ ̄  ̄ ヽ / \ /::::: \ もう何も信じられないお… _______ + /::::::::: ヽ |i:¨ ̄ ,、  ̄¨.: i |::::::::::: | |i: /ヘ:\ :i| _ |::.:. : : ,,ノ:..:ヾ、 | .|i:〈`_、/´_`>.、 :i| ,.r:;'三ヽ:: :: . ー'"´ ,,、 ー‐‐,, /`、 |ii~~'、;'´`,'~,;~~~~:i|;イ:;:":::::::::::\;;。(ー一) (ー一)。;:;:. /::::: ヽ |i`::;:':::::;::;:'::::::::::;.:i|`。⌒/7, -──〜 、(___人___,)"⌒;;::/::|:::::〆::\ |i::::::;:':::::::::::::::::::::::i| ::::://,::::.. " ニニヽ、⌒ij~";_ ィ /:::::::|:::::〃::: : ヽ ─|`ー=====一 | ::::::|_|;;、:::.__y-ニニ'ー-ァ ゚‐─'───┴────── ‐ ::::::`ー―――‐一´ ̄~  ̄  ̄
419 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/29(水) 00:11:10 ID:Djs/mfY6
>>417 >>「推挙した者が全員辞退したことは誠に遺憾であります!」
ちなみにこの時に挙がった「陸相候補」は、第1が杉山元で問題外w、第2が
中村孝太郎中将(教育総監部本部長)、第3が香月清司中将(近衛師団長)の
3人です。香月は
>>414 で述べたように速攻で断っていますね。
またこの時の「三長官会議」メンバーのうち2人は、『陸相:寺内寿一』『教育
総監:杉山元』となる訳ですから、宇垣にとっては奴等の「自作自演」みたいな
もので、会議もクソもあったものではありませんw。唯一、例外だったのが参謀
総長の閑院宮載仁でしたが、●「宇垣内閣への陸相の推薦拒否」という重大事を
決めるとは全く知らされずに会議に出席して(決まって)しまったと云います。
しかし一方で、宇垣一成内閣の誕生を熱心に推進した人間も当時数多くいた訳で、
そういう人たちから見れば「閑院宮は陸軍のペテンにかけられた」と悔しがって
おりました。宇垣自身も回想で「(閑院宮)総長殿下に対しても相当インチキを
やりおったと聞いている」と述べています。
420 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/29(水) 00:34:14 ID:Djs/mfY6
また「騎兵第1旅団長」や「国際連盟陸軍代表」を務めた稲垣三郎(予備役中将)は、 閑院宮の事務官(別当)を1928年〜45年の永きに渡って任されていましたが、 宇垣拒絶の『三長官会議』が終わった後でペテンに気がつき、 「閑院宮に奉仕すること十数年ながら、最も大切な時機に同邸にいなかったため、 飛んだ事態をかもしたり」と残念がったと云います。 まあ、後で述べますが、宇垣内閣の流産を中心となって画策したのはカンジ(石原 莞爾)であり、通常は参謀次長(当時・西尾寿三)が代行することが多い「三長官 会議」に是非とも閑院宮が直接出席されることを前日の深夜に懇請していました。 さらに余談が続きますが、宇垣内閣を熱望する人々、また陸軍の横暴に反発を感じて いる人々にとって参謀総長の閑院宮の『良識』に対する期待は大きかったらしく、 それだけに失望も強烈なものがありました。1月30日には、留守第1師団に 閑院宮の●『死亡通知葉書』の怪文書が投げ込まれています。
421 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/29(水) 00:54:13 ID:Djs/mfY6
>>420 >>閑院宮の●『死亡通知葉書』の怪文書が投げ込まれています。
●「参謀総長陸軍大将元帥閑院宮載仁儀1月25日急逝仕候につき此の段
御通知申上候
追而葬儀は2月2日青山祭場にて神式にて執行可仕候 陸軍省、参謀本部」
もちろん相手は皇族軍人ですから悪戯で済まされるはずがなく、しっかり
憲兵隊が動いて捜査し、その結果『帝国新聞』の外勤記者が犯人として
逮捕されます。その時の自供が残っており、かなり長くなりますが、当時の
雰囲気が非常に分かりやすく掴めますので要約してみましょう。
「私は新聞社から派遣されて組閣本部にいました。刻々伝わる情勢は悲観
するものばかりです。しかも陸軍が政治干与をするだけでなく、天皇の
命令による宇垣大将の組閣を『絶対拒否』の態度に出ている訳ですから、
明らかに大命を阻止するものです。こんなことが許されるものではない」
422 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/29(水) 01:03:51 ID:Djs/mfY6
「にも関わらず、寺内大将はその先頭を切って反対しているのです。これに ブレーキをかける者とていません。せめて閑院宮さんだけでも、しっかり していらっしゃって軍を抑えて頂けないものかと考えておりました――。 が、参謀本部も陸軍省に同調してしまいました。私は組閣本部で宇垣さんや 側近の人々が憂色に包まれながらも、腹の中では軍部への怒りを内攻させて いるのを感じていましたし、私もまた確かに軍の態度に憤りを感じていました。 これが陸軍か――。つい去年の2・26事件では反乱軍に怯えていた彼らでは なかったか? こんな奴等はもう一度叩き潰してやらねば、日本の国民は救われ ないと思いました。また閑院宮さまにしても、ことごとく軍の言いなりになって いる。その軍は天皇の命令に弓を引いているのではないか? これを抑止できない 宮様なら、その宮様はすでに死んで亡くなられているのだ――」
423 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/29(水) 01:32:06 ID:Djs/mfY6
「あの1月26日から29日にかけて、私の心の内は軍への憎悪で固まって いました。29日午後3時ごろ社に帰った私は、この軍に対する憤りが、 どうしても収まりませんでした。サラサラと本当に何の躊躇いもなく、 葉書にあのような文字をしたためました。誰に相談したのでもあり ません。私はあの時の気持ちを、そのまま筆にしたものです――」 このように『世論の反発』は強いものがあり、さすがの陸軍も腰が引けました。 香月清司中将(近衛師団長)が記者会見を開いて断固、陸相就任を断ったと前述 しましたが、取りようによっては「記者会見」を行なうこと自体、世論に配慮 したとも云えます。とくに香月は、宇垣の選挙参謀である林弥三吉(元陸軍中将)が 陸相の『唯一の候補者』と考えて宇垣に推薦していた人物であり、またもう1人の 選挙参謀である今井田清徳も、千葉県で演習中の香月に押しかけて説得していました (この時、香月は「自分はその器ではない」と断っています)。 香月としても両方の『強力板挟み』に遭って、さぞかし苦慮したことでしょう。 正真正銘、記者会見は「香月の悲鳴」でも、あったかもしれません。
>416 >杉山は宇垣の陸相時代、軍事課長、軍務局長、陸軍次官まで務めていましたから 宇垣軍縮の実行者の一人じゃねえの・・・? なんでこれでしれっと逃げられるんだか・・・?
425 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/29(水) 23:11:15 ID:zPyvBKnG
>>424 >>宇垣軍縮の実行者の一人じゃねえの・・・? なんでこれでしれっと
>>逃げられるんだか・・・?
まあ、その頃には杉山元も『出世コース』に乗っていましたからね。宇垣は
1931年の「三月事件」でケツに火が付いて、6月には自ら『依願予備役』
で朝鮮総督に身を引いてしまいますが、陸相の跡目を継いだのは「宇垣閥」の
南次郎です。権力の禅譲が一応は出来ている訳でして、イナーシャ(慣性)と
いうヤツですよ。
何より杉山の「保身能力」「嗅覚」というか、『政治的遊泳術』の巧みさは、
異常です。三月事件でも、同じ「宇垣四天王」と呼ばれた小磯国昭や建川美次、
二宮治重らが賛成に回るなか、杉山1人だけが態度不鮮明――。色んな意味で
図太くなければ、土壇場でこうした「別行動」は取れません。
また後で述べますが、5年間にわたり絶大な権力を振るった「宇垣の陸相時代」の
印象があまりに強烈過ぎて、子分だった杉山の印象など消し飛んでいるでしょう。
426 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/29(水) 23:33:39 ID:zPyvBKnG
>>426 >>『世論の反発』は強いものがあり、さすがの陸軍も腰が引けました
別に宇垣を支持している訳でなくとも、軍が政治に口出しするのがムカつく
という世論の反発は激しいものがありまして、宇垣の組閣本部に届く「激励
電報」は1日3千通を超えたと云います。また宇垣の組閣を支持した大阪
毎日、東京日日新聞にも同様に2万通の「激励電報」が舞い込みました。
こうした世相を気にしまして、陸軍も「陸相は出すつもりだが、成り手が
いないのだ」という弁明を取った訳です――。
また宇垣にしても、ここまで陸相の寺内寿一に「恩を仇で返される」とは
思っていなかったでしょう。複雑な思いは、杉山に対するものよりも全然
大きかったと思います。後年、宇垣自身は次のように回想しています。
427 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/30(木) 00:00:26 ID:ICnh1gk9
「寺内寿一は、寺内正毅大将の子息だ。私が陸相時代、定期異動で寺内の予備役 入りを決めたが、彼は陸軍の大先輩の跡取りだから、辞令だけでは失礼と思い 本人を呼んで、『君は伯爵だ。この際、後進に道を譲って義兄・児玉伯と共に 貴族院議員でお国にご奉公してはどうか?』と勇退を求めた。 彼はうなだれて『私の無能は存じておりますが、私は世間で申します襁褓のうち からではなく、母の胎内にいる時から陸軍の飯を頂いておりましたので、任地は 由良でも澎湖島の要塞でも結構です。どうか一生陸軍に置いて戴きたい――』と、 神妙に言うので、宋襄の仁も手伝って『馘首』は引っ込めた。後に大阪の師団長に 栄転、ゴーストップ事件を起こしたが、累進して時めく陸相となった。人間の運 なんて判らんもんじゃ」 話を進めましょう。こうして「三長官会議」による陸相の推薦は絶望的になった 訳ですが、宇垣はここで組閣を諦めるようなタマではありません。1月26日深夜、 もはや尋常の手段では陸相を得ることは不可能と断じて、自ら陸相の「一本釣り」を 決意します。
428 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/30(木) 00:13:44 ID:ICnh1gk9
具体的には当時、朝鮮軍司令官だった小磯国昭(中将)です。
>>425 で述べた通り、
小磯はかつて『宇垣四天王』の一人であり、宇垣の陸相時代には軍務局長を務めて
いました。宇垣の回想によると、
「小磯中将に電話をかけて『陸相をやってくれぬか? 陸軍部内の空気は相当悪いから
君は僕と一緒に討ち死にする覚悟でやってくれないか?』と聞くと、小磯君はああ
いう利口な人物だから煮え切らぬ。『三長官が同意なら出ます』と言う。『三長官の
同意が得られぬから、僕は直接君に頼んでいるのだ。三長官の同意云々ということでは
話にならぬ』ということで、こっちから電話を切った」
これを小磯国昭の自伝の回想から見ると、次のようになります。朝鮮にいた小磯の
もとに宿直憲兵が「東京から長距離電話です」と報告してくるので、受話器に出ると
確かに宇垣の声がします。
429 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/30(木) 00:27:52 ID:ICnh1gk9
小磯「新聞で大体は(組閣の状況を)承知していました。一体どうした訳 なんですか?」 宇垣「困った。陸軍大臣を受ける者がいないと言うのだ。君ひとつ受けてくれ」 小磯「そうですか、それはお察しします。しかし三長官からの推薦も受けない のに、閣下からの直接交渉に対して私の一存で諾否は申せませんな」 宇垣「そうか、困ったな」 小磯「閣下、寺内君にもっと強硬に交渉したらどうです。大命が降下したんです からね。何とかなろうじゃありませんか」 宇垣「うう。寺内に言っても駄目なんだ。まあ一応、電話を切ろう」 と、こうなります。小磯も「宇垣の期待」を裏切りまして、陸相の一本釣りも 失敗に終わりました。それにしても小磯の回想は脚色の匂いがプンプンしますw。
>>415 >>雑草から微妙に進化した(w
、 - _- 、 ___
/ 〆~~~, '" `ヽ,
l ノ. 、 ! ノ)ノ)λノ))
|| メ从i - 。-リi 〜♪ 早く『植物人間』になーれ。
ヽ.__.(Oi#lムliづ
~~~~ <#/i#i#iゝ (◎)
''i_ン_ン" ヽ|〃 .
'゛'゛ ゛゛
431 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/30(木) 23:34:13 ID:A/0RKi9d
>>424 >>宇垣軍縮の実行者の一人じゃねえの・・・? なんでこれでしれっと
>>逃げられるんだか・・・?
もう少し補足しますと、宇垣閥は同期の鈴木荘六や白川義則、大分の金谷範三、南次郎。
また林弥三吉(前述の組閣参謀)、多門二郎、畑英太郎・俊六兄弟、阿部信行、林桂、
そして四天王の二宮治重、小磯国昭、建川美次、杉山元などと非常に層の厚いものです。
なので、杉山だけ「親(分)の因果が子(分)に報い」というのも、おかしな話でしょう。
まあ、杉山元は陸軍次官から第12師団長(小倉)に異動しますが、これが左遷と
言えなくもありません。しかし、この頃は『皇道派』vs『統制派』という新たな
火種が生まれますから、宇垣がどうのこうのという時代では早々に無くなります。
去る者は日々に疎し――。
432 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/30(木) 23:59:08 ID:A/0RKi9d
>>429 >>小磯も「宇垣の期待」を裏切りまして、
小磯は、宇垣の組閣が流産して「ほとぼり」が少し冷めたと思われる
1937年3月6日にフォロー(弁明)の手紙を送っています。これが
『人を舐めた』内容でして、要約しますと以下の通り――。
「拝啓 先般の組閣工作のご苦心を拝察いたします。あの時、お電話(
>>429 )を
せっかく頂戴いたしましたが、前もって寺内陸相より『現在の陸軍部内は、宇垣
大将が東京に来る事を許容できない状況にある。自重を望む。念のため』という
電報を受け取っていました。
閣下もご承知の通り、陸軍大臣は『三長官会議』の決定のうえ推薦される慣習ですので
陸軍部内の統制を考えた結果、辞退を申し上げた次第です。もっとも(天皇陛下から)
優諚降下(後継陸相を出せ)の場合は、一切を排除、断固処断の覚悟を心に決めて
おりましたが、側近の方の『勇断の処置』が無いまま事態が推移してしまいました」
433 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/31(金) 00:20:40 ID:VJD/35sn
「そのために閣下のご出馬が実現することなく終わったと推察しております。 しかし、今回の結果は『反宇垣連合』までをも俄然『宇垣ファン』たらしめ、 閣下の存在感がより大きくなりました。また陸軍中央当局にも、今回の事態に 悔悟反省の色が濃くあります。閣下はしばらく『沈黙』されて、度量の大きい ところを見せる方策に出られることを切望します。中央軍部に対して『死屍に 鞭を加える』ような言動をなさらないことが肝要です。 そうすれば、いずれ遠からず『閣下が出られたら(今度は)……』の風潮が 朝野に到来するものと確信しております――」 このように『酷い内容』でして、「電話が掛かってくる前に、寺内陸相から 既に釘を刺されていた」「天皇陛下から『優諚』降下すれば断固引き受けた」 「そう状況を持っていかなかった側近が悪い」「今回を根に持って軍部を 批判しない方が政治的将来がある」と、宇垣を持ち上げつつ脅すのですw。
434 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/31(金) 00:47:44 ID:VJD/35sn
宇垣が「陸相」として頼ろうとした小磯は、かつての四天王にも関わらず、 このように狡猾きわまりない人物だったのでした。 さて「陸相の一本釣り」も失敗に終わり、宇垣の組閣は本格的に頓挫します。 仮に(小磯の他に)、陸軍の現役大中将クラスからいわゆる『ゴボウ抜き』で 陸相候補を得ようとしても、これに応じる者は実際問題として1人もいない と考えられました。 宇垣は「最後の手段」として1月27日午前11時、宮中に入って湯浅倉平 内大臣と会談。陸軍との交渉の顛末を詳しく説明し、暗に「宮中方面」の 尽力を訴えます。 もはや残された手段は、●天皇陛下から現役将官に優諚を降下して無理 やりでも陸相に就任させること、または●大命をもって陸相候補となる 予備役将官を現役に復活させること――の荒業ぐらいしかありません。
>432-433 前例と、側近に責任をなすりつけるとは 小磯の保身弁明もものすごいですね。 困ったときの天皇頼みは、もうこの頃から常套句か…
436 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/31(金) 01:49:00 ID:VJD/35sn
>>434 >>もはや残された手段は※※の荒業ぐらいしかありません。
宇垣が組閣を全うするためには、もはや宇垣自身が「首相と陸相を兼任する」ほか
ありません。しかし、このためには『軍部大臣現役武官制』の壁を越えるために、
予備役から現役軍人に復する必要がありました。もしこれを通常の手続きでやろうと
すれば、自分の組閣に反対する寺内陸相(人事権を握る)の手を経なければならない
という「矛盾」(パラドックス)に陥りますw。
しかし天皇(大元帥陛下)から、宇垣一成に「現役に復せよ」そして「陸相を兼任せよ」
と大命を降下してもらうか、或いは陸軍に「後任陸相を推薦せよ」と優諚を降下して
もらえれば全ての壁をブチ破れます。まあ、最後は「神頼み」ならぬ「天皇頼み」
な訳ですが――。
前例は一応ありまして、大隈重信内閣が組閣する際、軍が大臣を出し渋りました。
それに怒った明治天皇が「陸海軍二大臣の選は、朕自らこれを裁せん」との優諚を
降下して、遂に成立したという経緯があります。宇垣はこれを念頭に置いた訳です。
437 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/10/31(金) 02:11:05 ID:VJD/35sn
>>434 >>●大命をもって陸相候補となる「予備役将官」を現役に復活させること
これは宇垣自身のことです。
「そんなの関係ねえ!」の人だなw
>>438 の件でNHKで速報。
防衛相が空幕長を更迭だそうです。
こんなのが大将になれるのか 自衛隊って凄い組織だな
2ちゃんの低レベルなレスと大差ない論文だな…… イナゾウの戦闘力が500000だとしたら、関係ねぇは1だな。
さすが「勇猛果敢、支離滅裂」の空自だ
445 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/01(土) 03:38:02 ID:vRHt2lI+
>>435 >>困ったときの天皇頼みは、もうこの頃から常套句か…
しかし「天皇頼み」するにも宮中という厚い壁を突破しなければなりません。
宇垣は、内大臣の湯浅倉平に『優諚降下の御言葉』を天皇から賜われるよう、
その執奏方を求めますが……。
宇垣「こんな軍の2、3の者が騒いで、せっかく降下した組閣の大命を阻止する
なんて大権干犯だ。違勅だ。こんな事が日本国にあるなら、国の前途にとって
由々しき事態になる。是が非でもここは押し切らねばならないと思う。こんな
悪い例を残すことが断じてあってはならないと思う。
私は強いて(首相に)出馬したい訳ではないが、こんな情勢になった以上は
是が非でも押し切っていきたい。どうかあなた(湯浅)から、『陸軍大臣を出せ』
あるいは『誰々を大臣として出せ』という(天皇の)勅命を現陸軍大臣(寺内寿一)
にお伝え下さるよう取りついで頂きたい」
446 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/01(土) 03:59:02 ID:vRHt2lI+
湯浅「そう無理をなさらぬでもよいではないか? そういう無理をなさると 血を見るような不祥事が起こるかも知れぬ」 宇垣「不祥事が起きるかもしれない事は、私も既に覚悟している。天下国家の 重きに任じて出馬する以上は、ピストルが飛ぶとか、爆弾が飛ぶなどは覚悟 のうえである。ただ私が懸念するのは、『2・26事件』のように軍隊が再び 動くかどうかでである。2・26事件で軍隊が動いたことは、日本の歴史が 始まって以来の大不祥事である。だからこそ、(中島今朝吾)憲兵司令官に (軍隊が動くか否かを)念押ししたのだ。ピストルや爆弾は、問題ではない」 湯浅「どうも、そんな無理をなさることはあるまい。あなたにはまだ再起を 願わねばならないことも、あるのだから」 宇垣「私は重要な決定・行動をするときには、いつでも最初で最後だという 覚悟をもってやっている。また今度、同じようなことがあるかもとは、 絶対に考えない。自分にとっては重過ぎると思うほどの重大な責務を負担 するのだから、無論これが最初で最後、乗るかそるか――。この一挙に 身命を賭してご奉公するつもりだ」
447 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/01(土) 22:39:39 ID:eqqhUZSP
湯浅「……」 宇垣「それでは、どうあってもお取次は願えないか?」 湯浅「どうも、そこまで陛下をお煩わしすることは……」 ここで宇垣の組閣の命運は尽きました。●「陸軍三長官の推薦も不可」●「陸相の 一本釣りも不可」●「宮中方面の助力も不可」では、四面楚歌の八方塞がりです。 内大臣の湯浅倉平は、宇垣の組閣は陸軍の猛反対により「激流をさかのぼる船の如き 有様」だと言って、天皇陛下を同じ船にお乗せすることは余程考えなければならない と宇垣に反対したのでした。要するに『沈む泥舟』という訳ですw。これには宇垣も サジを投げて結局、天皇に直接拝謁を願うのを止めて帰ってしまいました。 宇垣自身も政権に野心があったにせよ、あくまで宇垣の組閣は大命が降下しての 行動です。具体的には西園寺公望が「切り札」のカードの1枚を切った訳ですが、 全く自己責任で、元老筋や宮中が『放置プレイ』では宇垣がチト気の毒ですw。
448 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/01(土) 23:17:39 ID:eqqhUZSP
宇垣がもう1つ運が悪いのは、組閣にあたる時代が中途半端に早すぎたことです。 具体的には1937年1月だった訳ですが、もう1年か2年も後なら、近衛文麿が 陸相の1本釣り(板垣征四郎)をやるわ、天皇陛下も優諚降下どころか「陸相は畑か 梅津を選ぶべし。それ以外は認めない」(阿部信行内閣)と事実上の陸相指名をブチ 上げるわ、戦時下という事もあり、それまでの慣習や壁は急速に崩れていった訳です。 湯浅に断られた翌日の1月28日、宇垣はもう1度、選挙参謀の今井田清徳を 陸相官邸に派遣しまして「寺内と直接会見したい(別の陸相候補者を推薦して くれ)」と最後の足掻きと粘りますが、その返答は「先の三長官会議で、陸軍の 態度は正式に決定して確固不動である。今さら宇垣大将と自分が会見するのは 全く徒労だと考える」と断られてしまいました。 結局、宇垣は1月29日午前11時半に宮中に参内して『大命拝辞』をします。 最後の方は宇垣もヤケクソでして「軍部に最後まで抵抗して反省を促し、国民に 禍根の正体を明らかにするためだった。自分の次の林銑十郎の組閣で軍の態度が 軟化したのは、自分の健闘の賜物だと信じている!」と述べています。
449 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/01(土) 23:44:09 ID:eqqhUZSP
どうあっても宇垣は組閣することが出来なかったのか?――実はもう1つ 方法がありまして、とりあえず『陸相不在』のまま内閣をスタートさせて、 首相の宇垣が「陸相事務管理」を取る選択肢も考えられました。 海軍では、ワシントン海軍軍縮会議・ロンドン海軍軍縮会議で海相が渡欧・ 渡米して長期不在の際に、原敬首相・濱口雄幸首相がそれぞれ「海相事務 管理」を代行した先例があります。 宇垣もそれは考えましたが、昭和天皇に『大命拝辞』の理由を説明する際、 「内閣官制第9条により『陸相事務管理』を設置する方法も考えましたが、 立法の本来の目的を考えれば、違法でなくても今日の場合は正しい適用と いえない(禍根を残す)」としています――。
>>443 >>2 ちゃんの低レベルなレスと大差ない論文だな……
ぱっと読んだ感じ、大学の弁論部に入りたての1年生が書きそうな文章だと
思いました。何も「櫻井よしこ」や「黄文雄」を引き合いに出したり、アパ
グループの懸賞に応募しなくても良いと思うのですが…。「航空幕僚長」様の
書いた文章なら、ちゃんとした出版社の論壇誌にも載せてくれたと思います。
もちろんネタとしてw。あるいは誹謗中傷のために、誰かが空幕長の名前で
応募したという可能性はなし? ああ、そうですかw。
しかし論文に名前は出てきませんが、「別宮翁」臭もプンプン感じるのは
自分だけでしょうか? 何にせよ、こんな文章でキャリアを失うのは酷く
もったいないと思います。もっと「あの戦争で、糞支那人を根絶やしに
出来なかったのはなぜか?」みたいな、ちゃんとした論文で騒ぎになる
のなら、まだ相応しいと思うのですが。
>>450 >>「あの戦争で、糞支那人を根絶やしに出来なかったのはなぜか?」
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' クソシナ人とフェニキア人て、語感が似てませんか?w
゙,ヘi_i][i,l\ []
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
453 :
市民 :2008/11/02(日) 14:24:16 ID:WP+TFmKi
454 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/03(月) 22:47:38 ID:1hcT6TZH
>>449 の続き。こうして宇垣の組閣は失敗に終わったのですが、どうして陸軍は
ここまで「宇垣政権」に猛反対したのか? という疑問が残ります。
真っ先に挙げられるのが4個師団などを廃止した『宇垣軍縮』ですが、佐藤賢了は
自身の回想録で「この頃には、陸軍の近代化のために誰が大臣でも整理はやらなけ
ればならなかった。多数の将校がリストラされ、その人たちは宇垣を怨んだかもしれ
ないが、現役で中央にいる我々が宇垣を怨む理由は無かった――」と否定しています。
この点、陸軍の報道部長を務め「新聞畑」のキャリアを長く歩んだ松村秀逸(少将)は、
宇垣の組閣に対する反対の空気は、合計5年間にわたる宇垣の陸相時代のワンマン
ぶりが祟ったためだとしています。宇垣軍縮は「その1つに過ぎない」という訳です。
ちなみに宇垣の陸相時代は、1924年1月〜1927年4月(清浦奎吾内閣〜第1次
若槻礼次郎内閣)の3年間余りと、1929年7月〜1931年4月(浜口雄幸内閣)の
2年間弱で、合計5年間となります。
455 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/03(月) 23:09:14 ID:1hcT6TZH
>>454 >>宇垣軍縮は「その1つに過ぎない」という訳です。
たとえば、こんなエピソードがあります。宇垣の陸相時代は自由主義が
華やかなりしの頃で、『軍隊内務書』も寛大な内容に緩和されることに
なりました。『軍隊内務書』はヤフオクでたまに出品されていますね。
もちろん保守的な層には、軍縮はもとより『内務書』の改正にも反対
する者が多く、なかなか意見がまとまりませんでした。これに対して
宇垣は、あらかじめ中央で膨大な改正案を作成し、師団長会議で突然
「明朝までに、何か意見があったら提出してもらいたい」とやりますw。
当然、一晩ぐらいでこんな分厚い改正案の検討がきちんと出来る訳がなく、
翌日の会議では何も意見が出ませんでした。それで宇垣は「反対意見は
無かったと認めます」とアッサリ片付けようとしました。
もちろん、宇垣のやり方に反発する人もいました。師団長会議に出ていた
佐賀県出身の大野中将という硬骨漢が、
456 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/03(月) 23:38:51 ID:1hcT6TZH
「軍隊生活の根本を規定し、軍紀の基礎をなす『内務書』の改正草案を 一寸読んで意見を出せ、というのはヒドイ。まあ、少し研究の時間を 与えて貰いたい――」ともっともな抗議をします。その結果はと云うと、 師団長は間もなく予備役に編入されてしまいましたとさ、めでたしめでし。 宇垣一成の組閣失敗を、現代にどう喩えたら分かりやすいでしょうか?―― 無理やりですが、小泉純一郎と比べてみます。もう引退するようですが、小泉が もう一度政権を取ろうとしても「もうコリゴリ」と反対する人は多いと思います。 ちょうど小泉政権は、宇垣の陸相期間と「同じ5年間」です。2人とも絶大な 権力をふるい、小泉の「自民党をぶっ壊す!」が「宇垣の陸軍軍縮」にあたる かもしれません。また自分の方針に反対する者に、人事で容赦が無いのも似て います。小泉政権で地方が疲弊しましたが、宇垣にリストラされた将校の窮状も 同じイメージかも……。
457 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/04(火) 00:19:53 ID:kZDPI2wF
いずれにせよ、宇垣の長い陸相時代そのものが、組閣にも嫌気を及ぼした と思われます。 また広田弘毅内閣が寺内陸相の『腹切り問答』で総辞職した直後でしたから、 重臣たちが「かつての宇垣陸相の威力」をもって陸軍を圧伏しようとした 魂胆が見え見えでした。これが尚更、陸軍部内の「アンチ宇垣」の空気に 拍車を掛けます。 しかし、宇垣内閣を流産を導いた●『本当の黒幕』は別にいた訳です。それは 当時、参謀本部・作戦部長代理だった石原莞爾大佐とそのシンパです。石原は 前年から日本と満州国の「長期経済計画」を作成しており、このプランを実行 できる「都合のいい存在」として、次に述べる『林銑十郎大将』を首相にしよう と画策していたのでした。 まあカンジ(石原莞爾)が、●「林大将ならば、猫にもなるし虎にもなるし、 自由自在にすることができるから……」と述べていたのは有名な話ですね。
4
>>57 >>●『本当の黒幕』は別にいた訳です。
∧,.-─- 、
i_,.>〜〜ヽ
r) (ノλノ) (
(イ!) ゚ ヮ゚ノ)´ 呼びました?
,r´i_`Y'i〉
〈〈,_ハハハ,〉
`'i,_フi_ブ
459 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/04(火) 00:58:08 ID:kZDPI2wF
石原莞爾は「2・26事件」で戒厳司令部参謀(当時、参本作戦課長)を兼務して 上手いことやりましたので、当時その声望は参謀本部を覆わんばかりの状態でした。 まあ、カンジの絶頂期の初めの頃ですね。 数年前からシンパの宮崎正義(日満財政経済研究会)や十河信二(満鉄理事)を使って カンジは日本と満州の『5ヵ年計画』の粗筋を書いておりました。特に空軍力の飛躍が 目玉です。カンジは近衛文麿にこのプラン(試案)を見せまして、「ぜひ財界の有力者 にも見て貰いたい」と依頼します。このとき近衛は、池田成彬に見せて検討・修正して もらっています。 政界では、カンジは「陸軍中堅層」の中心人物であり、このプランも関東軍に多くの シンパがいると見られていました。要するに、「自分の案を骨子にして政治をやって 欲しい」と云うのがカンジの要望だった訳ですが、それを全部、丸呑みにして首相を やってもよいと引き受けたのが林銑十郎でした――。ですから、この頃からカンジは 「林が出れば、政治(日本)も自分の思うようになる」と思って、しきりに「林大将、 林大将」とプッシュするのでした。
》 「2・26事件」 大叔父が某所で撃たれましたw
461 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/04(火) 01:34:45 ID:kZDPI2wF
>>459 >>日本と満州の『5ヵ年計画』の粗筋を書いておりました。
広田弘毅内閣が崩壊に差しかかると、さっそくカンジは自分のプランを参謀本部の
決定事項とすることに成功します。大企業の有力課長が、自分の作成したプランを
会社の経営方針にすり替えてしまうものだとイメージして下さい。具体的には、
●(広田)内閣更迭の場合、陸軍大臣の入閣条件として要求すべき事項
昭和12年1月23日 参謀本部(総長決裁印)
1.東亜の保護・指導者であるに必要な兵備および諸施設を速やかに充実させる。
2・航空機工業は遅くとも5年以内において世界の水準を突破させる。
3.戦争遂行の基礎を確立するため、概して昭和16年(1941)までに日満を
範囲とする『自給自足経済』を完成させる。特になるべく多くを満州・朝鮮に
おいて生産することが重要である。
【説明】いやしくも陸軍大臣の入閣条件として、これらの条件をもし実行できない
場合は、『職を賭するべき程度』の最重要のものでなくてはならない。このため
軍はこの際、本来の任務上絶対必要とする最重要件のみを簡明に要求するに留める
必要がある――。
>>460 >>大叔父が某所で撃たれましたw
,..-─,ヘ-.、
(,.r-/_@_r-i i
i ノルハノリノノ ノ|
ルl.リ_゚ ヮ゚ノリ (_,ノ ひょっとして、「襲撃対象者」のご親族?
rX,_,i.∞i,〉
<_/_,§! |〉
`'-r_,ィ_ァ'
対象者というか……士官学校でクーデターがアレしたときに逆恨みを受けたのか受けてないのかqあwせdrftgyふじこlp
464 :
俄将軍 :2008/11/04(火) 02:30:38 ID:???
>>438-442 更迭、「定年退職」される類のお話ではない、ということになると、浜田防衛大臣の中の人の
辞任など、ということになるのか、日教組な教師の大量免職フラグが立った、ということに
なるのか、見物、ということもあるのか、などと、嘯いてみたり。
465 :
俄将軍 :2008/11/04(火) 05:28:07 ID:???
>>464 中曽根弘文文部大臣の中の人は、靖国神社を参拝するべき、ということになるのか、などと、
嘯いてみたり。
466 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/04(火) 23:43:33 ID:0ij8OIJ/
>>461 の続き。「遅くとも5年以内に」「昭和16年までに」「大臣が職を賭する」
などの言葉に、石原莞爾(カンジ)が『世界最終戦争』に勝利するために満州国と
一体となった「総力戦体制」を早期に構築することを目指していたのが分かります。
19世紀の軍事外交の発想と法華経の『終末思想』の合体に取り憑かれたカンジは
軍人というよりも『宗教家』に近いものがあります。旧体制と世俗の権化のような
宇垣一成が総理として返り咲くのは、自身の「あるべき未来」を妨げる障害としか
映らなかったでしょう。
と言うわけで、陸軍が宇垣の組閣に反対した理由の1つとして「(宇垣が)既存勢力と
密接なる関係を有し、『合法的革新政策』の実行は全く不可能」が挙げられますが、
これはカンジが参謀本部を火元として焚き付けた結果でもあります。
軍務局長だった磯谷廉介(少将)は、「石原(カンジ)に、課長連中が踊らされて
いたので、別に梅津(美治郎)次官以上の人間は全て宇垣でも差し支えなかった」
と振り返っています。
467 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/04(火) 23:49:11 ID:0ij8OIJ/
ちなみに磯谷廉介は、ヒデキの後任の関東軍参謀長として赴任し、 副長だったカンジに止めを刺す人物ですw。
__ ⌒ヽ, 〉 ,. -─V-、 _k=ニニ}><{=!_ `l /ノノハノ) ) 結局、広田内閣で『軍部大臣・現役武官制』が復活 〈ハリ ゚ ー ゚ノ〉 しなかったら、宇垣は組閣できていたのでしょうか? Kヾ'=ェツl〈 ,(ン!}::/:::l::|{) `'ーr_'ォ_ァ'
469 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/05(水) 00:29:37 ID:E76Bf89S
>>468 >>広田内閣で『軍部大臣・現役武官制』が復活しなかったら、
いや『非常に困難』としか言えないでしょう。仮に「予備役軍人」の中から
陸相が選べたとしても、陸軍が猛反発することに変わりはありません。また
海軍も含めて予備役軍人が「陸海相」となった前例は未だかつて無いのです。
正確に言うと、予備役・後備役・退役の将官から軍部大臣に任命するときは、
一旦『現役』に戻してから任命したのです。しかし現役軍人に戻そうとすれば
前任となる陸相から所定の手続きを経なければならなく、宇垣の組閣の場合は
反対している寺内寿一が相手な訳ですから、前述したとおりナンセンスですw。
もし『軍部大臣・現役武官制』が復活していなかったとしたら、宇垣は例えば
組閣参謀だった林弥三吉(元陸軍中将)などを陸相に任命できたかもしれません。
あるいは自分が「首相を陸相と兼任する」ことも理屈上は可能でしたでしょう。
何れにせよ組閣が成ったとしても猛反発した陸軍が早期に倒閣させるでしょうな。
471 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/05(水) 00:59:48 ID:E76Bf89S
しかし、もともと●『三長官会議』は、そのようにして●『落下傘降下』 してきた現役軍人の意に沿わない陸相が、好き勝手な高級人事を取れない ようにするための目的で作られたものなのです。「MAGIシステム」の 合議制のようなもので、 「予備役陸相メルキオール、****を提起しました。否決否決、バルタ ザール(参謀総長)、カスパー(教育総監)により否決されました――w」 な訳です。仮に「予後備役武官制」どころか「文官制」の状態であって、陸相を 得られたとしても、陸軍の反対がこれだけ熾烈であれば、新任の陸相は身動き 1つも出来なかったでしょう。それどころか、組閣に成功しても『新内閣』は 瞬く間に倒れざるを得ない――。そう考えられていたからこそ、内相の湯浅も 天皇を引き合いに出すことに反対した訳です。 これは何も湯浅だけの考えでなく、のちに満州国の総務院国務長官(日本人官僚 トップ)を務めた武部六蔵も日記に、
472 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/05(水) 01:18:50 ID:E76Bf89S
「宇垣大将は『剛腹不敵』の人物だから、あるいは(天皇の)優諚降下、 または陸相兼任で押し通す手もあるが、そんな無理をすれば到底長続き はしない。彼の為を思えば速やかに、即ち今夜にでも大命を拝辞すべき である――」と述べています。 結局、宇垣の組閣が流産したのは『陸軍の総意による反対』のためであって、 『軍部大臣・現役武官制』は都合のいい建前に過ぎなかった訳です。最後に 陸軍の退役将校で「朝日新聞」に務めていた記者・河野恒吉という人物の 『取材メモ』を紹介して締め括りとしたいと思います。 「1937年1月24日の晩、自分は朝日新聞の編集室にいた。社では 長岡と四谷の(宇垣)大将留守宅の両方を警戒していた。長岡とは長距離 電話の買い切りである。午後9時15分ぐらいになると、長岡から『大命 降下』を伝えてきた。社の中は『ワーッ』と歓声だ」
473 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/05(水) 01:36:26 ID:E76Bf89S
「社の幹部には『岡山党』が2人いた。自分と3人で机を囲んで『まあ、 良かった、良かった』と、しばらく(宇垣政権の)入閣者の顔ぶれなどを 雑談して帰宅した。 翌朝に新聞を見ると、『陸相官邸は宇垣内閣阻止で大騒ぎ』との記事満載で ある。驚いて飛び起き、早々に支度して陸相官邸に行ってみた。ここも陸軍省 内もガランとしていた。山本茂一郎・陸相秘書官(中佐)の官舎に行ってみると、 秘書官は『たった今、引き上げてきたところだ』と言って背広姿でいた。 自分は玄関に立ったまま指を3本出して、『これを持ち出したか?』と尋ねた。 山本秘書官は、『出した、出した』と答えた。指3本は『三月事件』のことだ。 それで宇垣はもう駄目だと直感した。すぐ引き上げて朝日新聞社に帰った。途中 電車のなかで2、3日前に、軍事課の片倉衷少佐が、石原大佐の言として『後継 内閣は林(銑十郎)に来る』と我が社の記者に漏らしたことが、ふと頭に浮かんだ。 よって宇垣は流産して林に行くと見た――」
474 :
イナ草 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/05(水) 01:51:29 ID:E76Bf89S
>>473 >>軍事課の片倉衷少佐が、石原大佐の言として『後継内閣は林
>>(銑十郎)に来る』と我が社の記者に漏らした
と言う訳で、石原莞爾の思惑どおり宇垣内閣は流産しまして、林銑十郎
陸軍大将に「組閣の大命」が降下する運びとなります。という訳で、
次回から●『石原莞爾の野望と蹉跌――林内閣の組閣』に移ります。引き続き
脱線話が続きますが、広田弘毅が内閣を総辞職して、第1次近衛文麿内閣で
外相に復帰するまで、ちょうど「宇垣と林」の顛末が間に挟むので、広田が
復活させた『軍部大臣・現役武官制』を考えるうえでも丁度いいからです。
>>463 >>対象者というか……士官学校でクーデターがアレしたときに
,..-─,ヘ-.、
(,.r-/_@_r-i
i ノルハノリノノ ノ|
ルl.リ_゚ ヮ゚ノリ -3 (_,ノ え、Kさん…ゴホン、ゴホン。今回は聞かなかったことに
rX,_,iつ旦O しておくわw。
ノ人_.§_!〉
>>475 >>龍宮の使い 永江衣玖
,..-─,ヘ-.、 , , ;
(,.r-/ _@r-i 人从人
i ノルハノリノノ viヽ^::::::: "ヽ
ルl.リ_゚ ヮ゚ノリ -=ニ" ::::::: "::::") 名前、間違えんな、ボケw。
rX,つ皿O `ーー〜〜〜
と/§)__)〉
大学の頃の妹との会話. 妹「○ちゃんの曾祖父いさんは,首相だったんだって」 私「へーそりゃすごいな.○ちゃんの名字何?」 妹「林だよ」 私「林,林なんて首相いたっけか..........あ〜〜〜」
478 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/05(水) 23:40:40 ID:4Xi+GPzd
>>474 >>次回から●『石原莞爾の野望と蹉跌――林内閣の組閣』に移ります。
さっそく始めましょう。年末までに「広田弘毅の話」を終えなければなりませんので。
>>477 >>私「林,林なんて首相いたっけか..........あ〜〜〜」
このような「ネタw」にも使われるように、林銑十郎内閣というのは非常に影の
薄い存在です。教科書で占める割合は大体1〜2行、下手したら組閣が流産した
宇垣の方が厚く語られるでしょう。近現代史を学んで「林内閣」を知っている人が
真っ先に思い付くのが『食逃げ解散』で、この5文字で全てが語られてしまいますw。
その選挙にも大敗を喫しましたから、別名「史上最も無意味な内閣」とも呼ばれます。
まあ、「政治史」の側面だけ見ると上記の通りなのですが、ここは軍板です。
「軍政史」の観点から見ると、背後に石原莞爾が絡んでいるだけに全く違う
側面が見えてきます。はっきりいって宇垣の話よりも面白くなると思います。
479 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/06(木) 00:16:59 ID:+8yopSNp
さて時系列の整理ですが、広田弘毅内閣が総辞職をしたのが1937年 1月23日。その後、宇垣に組閣の大命が降下するも「紆余曲折」を経て 拝辞するのが1月29日です。毎日が『24(トゥエンティフォー)』な 訳ですが、そろそろ「政治的空白」がヤバイ状況になってきます。 まあ、2・26事件が起きて近衛文麿が大命を拝辞、その尻拭いが回ってきた 広田弘毅に比べれば1万倍もマシですが、そうも言っていられませんw。 宇垣の次の首相候補者は、「第1:平沼騏一郎」「第2:林銑十郎」と元老・ 西園寺公望から奉答がありました。簡単に述べましたが本来、西園寺と平沼は 思想が水と油でまったく噛み合わない『犬猿の仲』のはずです。その平沼を 西園寺は首相に推薦せざるを得ないのですから、いかに『人材』が枯渇して いたかが分かります。 実際、西園寺は失意に苛まれましてこれ以後、元老が主体となるのではなく、 『内大臣』が元老などの意見を参考にしつつ奉答する形式に変更するように 願い出ました。要するに「自分はリタイアしたい」という訳です。
480 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/06(木) 00:49:59 ID:+8yopSNp
宇垣が1月29日午前11時半に『大命拝辞』してから僅か12時間後――。 同じ日の深夜11時半に林銑十郎は参内して『組閣の大命』を拝受しました。 ちなみに林の組閣参謀長は、前にも述べました十河信二(元満鉄理事)です。 言うまでもなく背後には石原莞爾がいるのですが、カンジは宮崎正義に命じて 日本と満州国に『重要産業5ヵ年計画』を作成し、●「10年間は産業育成に 専念して対外戦争はしない」という方針を固めていました。 この石原のブレーン的存在が、浅原健三と十河信二です。浅原は元無産党 代議士で、若い頃には大杉栄にも私淑しています。連隊長時代のカンジと 出合い、その思想に共鳴してこの頃にはカンジの「秘書」のような仕事を していました。後の話ですが、カンジが陸軍を失脚すると「坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い」とばかりに、ヒデキから目を付けられて苦労しますw。 そして陸軍の上層部には『満州事変の盟友』板垣征四郎中将(当時、関東軍 参謀長)、中堅幕僚には片倉衷少佐(陸軍省軍務局員)がおりまして、上記の メンバーたちが石原派(満州組)の中核と言えるでしょう。
481 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/06(木) 01:38:44 ID:+8yopSNp
石原莞爾の野望としては、この「5ヵ年計画」実行のために十河信二を まず内閣書記官長に送り込み、林銑十郎内閣を作ります。 そこで自由主義経済を『計画経済』に移行するための『企画院』を創設し、 十河をその長官の座につけ、さらに宮崎正義を配下に入れるのです――。 また軍部大臣として陸軍を押さえるのは、もちろん板垣征四郎その人です。 このために石原組は宇垣の組閣をシャカリキになって阻んだ訳ですが、財界の 大物・池田成彬には既に「5ヵ年計画」の骨子の了解を取り付けていましたし、 元老・西園寺には浅原が「林首相ならば陸軍が収まる」と情報操作をしておく 用意周到ぶりでした。 広田弘毅内閣が末期を迎える1937年1月中旬に、林銑十郎大将は カンジと面会・要談して、こうした「石原案を大体承知」しています。
482 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/07(金) 00:27:01 ID:LYyaje0f
カンジの5ヵ年計画には『革新大好きっ子』の近衛文麿も乗り気です――。
広田弘毅内閣が続いている1936年夏に軽井沢でカンジから資料を貰うと、結城
豊太郎(元日本興行銀行総裁)に研究を依頼しています。その結果が同年冬に返って
きまして、結城からの手紙には●「この実現には相当な困難が伴なうが、実行しない
訳にはいかない」とありました。
またカンジの情報操作で、●「陸軍は林銑十郎内閣でこの計画の実行を希望する」と
ミスリーディングされていましたので、近衛は●「大蔵(相)と商工(相)が大事である。
結城(豊太郎)を大蔵に、池田(成彬)を商工に……」と狸の皮算用を弾いています。
ちなみに池田成彬は「健康の問題上、国務大臣の就任は困難であるが、日本銀行
総裁ならば、結城氏の下についても就任する」との意志を漏らしたとか……。
いずれにせよ、林にも組閣の大命が下る可能性が高いことは、宇垣が四苦八苦していた
当時から伝わっておりまして、前述の
>>472-473 河野恒吉(陸軍の退役将校で『朝日
新聞』の記者)は、片倉衷少佐のリーク話を聞いてすぐに林の自宅を訪ねています。
483 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/07(金) 00:52:10 ID:LYyaje0f
その模様を要約すると……以下の通りです。 河野記者は『朝日新聞社』から林宅に電話しまして自動車で急行します。林は最近 歯痛で寝込んでいるという話でしたから、「寝床でもよい」と取次ぎの者に伝えると 林は「会おう」と言って応接間に通されました。 河野「宇垣は『三月事件』を持ち出されては、もう駄目だと思う。2、3日前に 石原が君のことを言っていたから、君に(組閣の大命が)来るぞ。来たらしっかり やれよ。ところで歯痛で悩んでいるとのことだが、容態はどうか?――」 林「医者に診せたら、『前歯が全部化膿しているので、抜いて入れ歯にしなければ ならない。それには1ヵ月かかる』と言うから床に臥せっている」 これを聞いて河野は「ハハーン。林のヤツ、石原から連絡があって大いに野心を 持っているな」と思いました。もし野心が無いのなら、サッサと歯の治療を始めて 痛みに耐え忍ぶ必要はない訳です。
484 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/07(金) 01:38:29 ID:LYyaje0f
続いて河野は、阿部信行(大将)のもとを訪れます。「宇垣は駄目だ。林に
(組閣の大命が)来るよ」と告げますと、阿部は意外な顔をして「そんなことが
ありましょうか? 来ても受けるもんですか」と反論します。河野は「イヤ、
そうではない。歯痛を堪えて待っている」と言い残して去りました。
そんなこんなで結局、1月29日の晩、歯の痛みに耐えて待機中の林銑十郎に
組閣の大命が降下した訳です――。
上記までを読んで、陸軍大将の林や阿部にタメ口を聞く「河野恒吉」って何者だ?
と思った人も多いと思いますが、河野は元少将で陸士7期の出身です。林が8期で
阿部が9期ですから、非常に近い先輩に当たる訳です。むしろ遠い後輩だった方が
気を使ったでしょう。河野は陸軍を退役すると、『朝日新聞』の軍事顧問となり
まして、戦後は『国史の最黒点』という1千ページを超える大著を残しています。
まあ、こうして林に大命降下すると、
>>480 で述べました浅原健三(元無産党代議士)
宅に片倉少佐、宮崎正義、十河信二(元満鉄理事)が集まりまして、ここに組閣活動が
開始されました。この日の夜は、徹夜で作戦会議をしていますが、肝心の林のスタンスは
「良きにはからえ」の傾向が強いというか、自分の確固たる信念はありませんでした。
485 :
名無し三等兵 :2008/11/08(土) 12:50:25 ID:26IQSILr
日華事変において中国軍が弱かった理由は軍事的に見ればどうしてなんでしょうか? 膨大な人口と広大な領土の上に陸軍国の中国軍のほうがなんか日本軍より強そうな気がしますが、 島国の陸軍に惨敗を続け終いには自力で日本軍を国内から駆逐する事ができませんでしたよね? 戦略的観点、軍事的観点、将帥的観点から見ると なにが不味かったんでしょうか? 蒋介石が愚将だったから? もし蒋介石が韓信、孫武、謝安、白起、曹操のような名将では日本軍相手に勝てたんでしょうか? 戦略的に見ると人口が膨大だけれども各地に散らばっていて 一箇所に集中させることができなかったから? 軍事的には日本軍の装備の方が勝っていたからなんでしょうか? 日本陸軍は戦車を保有していたとは言え、歩兵の方が主体でしょう? 日本軍の強さの秘密と中国軍の弱さはどこから来ていたんでしょうか?
486 :
名無し三等兵 :2008/11/08(土) 12:54:46 ID:26IQSILr
蒋介石って過去の名将と比較すると、愚将に近い人物なんでしょうか? 韓信、孫武、謝安、白起、曹操のような面々と比較すると具体的にどんな感じなんでしょうか? 日本軍には名将が多かったからでしょうか? 松井、山下、石原といった日華事変に参加した面々は 義経、信長、秀吉、家康、信玄、謙信、元就といった過去の面々と比較すると 具体的にどんな感じなんでしょうか?
石原莞爾の5ヵ年計画って実現性ゼロだったらしいから、 とりあえず壮大にロマンチックなこと言って中国進出に夢を抱く財界人や政治家を騙す看板文句にしかならなかったんじゃないか
>487 国を食い物にする連中には、実現性なんてどうでもいいのw 大規模な計画(=国家予算)があってそれにかじりつく事が出来ればそれで十分。 官僚にとっては天下り先の確保、民間にとっては公共事業ね。 そういう連中には、中身はともかく大規模で、しかも国民を誤魔化すなんか立派な看板がある計画はとにかく魅力的。 高橋是清財政の積極財政がいったん緊縮に向かっていた状況だったから尚更だったろうね。
489 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/09(日) 00:20:07 ID:wQ/c4RdH
>>485 とりあえず「広田弘毅」の話を年末までに終わらせる『大前提の締切り』が
あるので、正月まで答えは気長に待ってくださいw。極小テーマでやりましょう。
また「ue少将閣下謹製」の過去ログを読んで頂ければ、大体のところはお分かりに
なると思います。まあ、でもひと言でも短く回答しますと、殴り書き御免。
>>日本軍の強さの秘密と中国軍の弱さはどこから来ていたんでしょうか?
教育の差です。兵頭軍師は将兵が受けた教育レベルの差が、如実に戦死者数の差に
なって現れると述べていますが、まったくその通りでしょう。日本軍は末端の兵士
でも『文盲』は一人もいないとは言いませんけど、それに近い状態だった訳です。
少なくとも「初等教育」は修了しているはずです。これ対して、支那の土人兵は
というと……w。
初等教育とバカにするかもしれませんが、自分たちが小学校の体育で組体操でも
ドッジボールのような簡単な球技でも、「集団行動」が出来るよう教育を受けて
いるのは大変重要なことなのです。マトモな教育を受けていないと、体だけ成熟
して大人になっても、それすら出来ないのです。『土人クオリティ』なのです。
490 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/09(日) 00:43:08 ID:wQ/c4RdH
>>「集団行動」が出来るよう教育を受けているのは大変重要なこと 「教育の差」と言われてピンと来ない人は、難しく考える必要はありません。企業の 経済活動で考えてください。大卒・高卒・中卒で差別する気は、毛頭ありませんが、 どこかの『ライン』で超えられない人材の壁が出てくるのは容易に想像できるのでは ないのでしょうか。能力云々というよりも、仕事に対する「意識」レベルの差ね。 全く関係ありませんが、そのうちスーツ着て駅のホームで「ウンコ座り」する新卒 連中の光景が見えそうで怖いですw。 日本軍が、人数で比較ならない支那軍を圧倒できたのは「山砲の優位」です。砲は 最低でも十数人で運用する「集団行動」(チームプレイ)の権化です。重機だって もう、そうでしょう。複数人での運用が大前提です。しかし支那軍の末端になると、 まったくそれが望めません。たとえ連合軍供与の砲が腐るほどあっても同じでしょう。 ですから、必然的に手榴弾の投擲などの『個人商売』や2〜3人からでも運用できる 軽迫撃砲が火力の中心になります。そうなると、日本軍は山砲は言うに及ばず、もう 小型の歩兵砲からでも支那軍をアウトレンジ出来てしまうのです。あ、蕋江作戦や 米式訓練の新編軍とか挙げて揚げ足取らないでねw。
教育という物は非常に大事なもので、戦前の日本はそれが大成功した国であった と思う。 国民皆教育という思想は古く、江戸時代でも官制、官立ではないと雖も読み書き 算盤を漢学を教える私塾や寺子屋があった。 明治以降土人と規定されたアイヌでも日本民族とは癖が異なる朝鮮、台湾でも教 育は真っ先に浸透させた。大正時代以降の南洋でもそう。 植民地で基礎教育、高等教育を施すのはイギリスでもやっていた事ではあるが、 全国民植民地民に教育を施した訳でもない。アメリカなんて黒人に教育って何処 迄浸透していたのやら。 日本はその意味でよくやったと思う。 近代軍制の支那国民党軍への浸透はドイツがその補助をしていたが、将校への教 育が主で、兵士には行き届いていないというものの、後の軍務局長である武藤章 は支那事変初期には拡大派で不拡大派であった石原と対立していたが、武漢占領 後の昭和14年以降、その将校への高等軍事教育に「5年遅ければまずかったし、今 も早急に戦線を収縮せしめるべき」と考えを転向した。 教育が全体に行き渡らない土人連中相手でも、それに近代軍制が付加されると非 常に遣り難くなった事であろうと思う。結果として支那事変は一敗もせずとも勝 てなかったという事で残念であったと思うしかない。
492 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/09(日) 00:53:03 ID:wQ/c4RdH
>>486 >>韓信、孫武、謝安、白起、曹操のような面々と比較すると
>>具体的にどんな感じなんでしょうか?
時代が異なりすぎて全く分かりませんw。比べる意味が何かあるのでしょうか。
つーか、映画『レッドクリフ』の影響ですか?
>>蒋介石って過去の名将と比較すると、愚将に近い人物なんでしょうか?
蒋介石がヒトラーやスターリン、あるいは過去の中国の支配者のような本当の
『独裁者』であったなら、支那事変の様相も大きく変わったでしょう。権力を
持っているかどうかという意味ですよ。蒋介石の立場というのは、本質的には
御輿に担がれる様な不安定なものに過ぎなかったのです。史実の支那事変でも
戦況によっては普通に『下野』していたでしょう。ただ第二次世界大戦が起こり
ますと、諸外国とのチャンネルを一番握っていたのが蒋介石一派だったという
理由もあります。
493 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/09(日) 01:13:56 ID:wQ/c4RdH
「絶対的な権力者」というなら、アメリカのルーズベルト大統領だって独裁者顔負け だろうさ。そうしたトップの戦争指導力の差も、戦況には如実に影響してきます。 >>日本軍には名将が多かったからでしょうか? >>蒋介石って過去の名将と比較すると、愚将に近い人物なんでしょうか? 末端将兵の「教育レベル」と同様、大日本帝国と当時の支那では『近代国家』として 絶望的な差があります。「兵器が国産できるか」という産業の基盤も当然そうですし、 『徴兵制度』が完璧に機能していた当時の日本と、日本と戦争が始まってようやく (皮肉なことにそれまでは困難だった強権が発動できるようになって)徴兵制度が マトモに機能させることが出来た支那とでは、比較の対象にすらなりません。 言うなれば、日本軍の名将というか司令官というか、将帥というのは、過去の先人たちが 営々と築いてきた『制度』や『遺産』を享受して戦争をやっている訳です。軍紀や内務、 「上官の命令には絶対服従」という軍隊の常識一つ取ってもそうです。目に見える兵士や 兵器の数以上に、そうした『目に見えないシステム』は絶望的なまでに大きく影響します。 ですから、蒋介石と日本の将官たちを『一概に』比べるのはナンセンス極まりないです。
494 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/09(日) 01:28:56 ID:wQ/c4RdH
>>大日本帝国と当時の支那では『近代国家』として絶望的な差があります。
明治以来『近代国家』として築いてきた蓄積があるからこそ、明治の元勲のような
大人物でなくとも、例えば官僚軍人的なヒデキや、箸にも棒にもかからないような
ダメ人間の近衛文麿でも、戦争中の宰相が曲がりに也にもマトモに務まるのです。
あ、ヒデキはちゃんとしてますけどw。
>>491 >>教育が全体に行き渡らない土人連中相手でも、それに近代軍制が
>>付加されると非常に遣り難くなった
これも『システム』の蓄積ですよね。『マニュアル』とも云います。蒋介石に
できたのは、まず将校から列強並みの人材を何とか育成しようとしたのですが、
まるで間に合わず、結局、全体を諦めて『中央軍』や『新編軍』など少数の精鋭を
文字どおり「虎の子」として組織したことです。そして真っ先に『中央軍』は緒戦の
上海決戦で壊滅しています。
495 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/09(日) 02:03:27 ID:wQ/c4RdH
>>少数の精鋭を文字どおり「虎の子」として組織したことです。 まあ、このあたりは中テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』で触れました。 >>蒋介石って過去の名将と比較すると、愚将に近い人物なんでしょうか? 言うなれば、蒋介石は「賭博黙示録」に出てくる『帝愛グループ』に挑み続ける 絶望的なカイジのような存在でありw、これで日本軍に勝てるのならそれこそ、 『鷲津麻雀』の圧倒的な資金量の差にも勝てる「アカギ」級の名将となります(藁)。 まあ、中テーマ『上海航空決戦』の結論でも述べましたが、支那は『近代戦』、 ひいては『総力戦』を戦えるようなレベルの国家ではなく(最新鋭機を輸入して 航空戦力で日本を上回ろうとしたのは一時的なドーピングに終わり、何万機・ 何十万機と航空機の生産と消耗を繰り広げる『総力戦』は全く想像外の 「神々の世界」の話だった)、日米英独ソと名将云々を同列に比べられるような 話では無かった訳です。 全く土俵が違うわけで、三洋電機を吸収したパナソニックと、町の小さな電気工場。 どっちの経営者がエライか比べるような話です。
以上、ひと言でした。殴り書き御免。正月に少しきちんとやりましょう。
>>「集団行動」が出来るよう教育を受けているのは大変重要なこと /\/ i 「` ´:::::::::ヽ 「ここは最後尾列ではありません」って、何度言ったら分かるの? i::::::::ノノリ::::〉\\ あと、「列の途中です」の看板が前から回ってきたら、 !:::l:!゚ ヮ゚ノリ ', ', ガッ 無視せずにちゃんと受け取りなさいな。これだから と [ iH.i]ノ | | ニコニコ動画だけから入って来た連中は……。 くイ__/ノゝ ヽ人/ iノ/_ノ .彡 < >∧∩ /[] [] ノノV`Д´)/ [] [] [] / / []] 彡
>>494 >>全体を諦めて『中央軍』や『新編軍』など少数の精鋭を文字どおり
>>「虎の子」として組織したこと
┌〜ー〜┐
| 晴天 |--─- 、
└-〜-〜|-ー☆ -'、
i.L|レLハノリ」
i l.|§゚ ヮ゚ノi! 支那軍の「精鋭・精兵」=日本軍の普通の「現役兵」。
|.kOi.`\´i,〉 この絶望が分かりますか?w
__r。ァ __r。ァ __r。ァ __r。ァ レi./`"i:|"|j
`ェェ' `ェェ' `ェェ' `ェェ' (( 'r,ン-ヽ_!'
499 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/09(日) 02:55:21 ID:wQ/c4RdH
>>487 >>石原莞爾の5ヵ年計画って実現性ゼロだったらしいから、
>>とりあえず壮大にロマンチックなこと言って
まあ、石原莞爾が首相になってたらどうなったんでしょうねえ。ぶんか社文庫で
『世界最終戦争――甦る石原莞爾』(佐治芳彦)1〜3が復刊しましたけど、
ばっちりヒデキが航空機の遭難で死んで、カンジが首相になっていますw。
自分が高校生のころ、カッパノベル版で読みまして『軍事』に道を踏み外す
きっかけとなった、小っ恥ずかしくも思い出のある本です(核藁)。
>>488 >>そういう連中には、中身はともかく大規模で、しかも国民を誤魔化す
>>なんか立派な看板がある計画はとにかく魅力的。
満州国は、まさにうってつけの看板だった訳です。まあ、スターウォーズ計画
でも何でもいいのさw。
>>485 そりゃあ、”発射あか筒”(化学兵器)のおかげだよ。
支那派遣軍は当初から大量の化学兵器を使いまくった。
配備量は一個連隊につき2200発。
こいつを日本軍は突撃前に支那軍の陣地に発射したもんだから支那兵は簡単に総崩れを起こした。
更に支那兵の退路を遮断するように発射し殲滅した。
毒ガスの大量使用を前提に支那派遣軍の作戦は成り立っていたわけ。
無敵支那派遣軍の実態は毒ガス使いまくりの卑劣集団でFA。
毒ガスの使用自体は中国側もやっていたが、稚拙なために運用がうまくいかず 風向きで自軍側に飛んできてしまうこともしばしばあった。 卑劣な手段を用いたのは中国も日本も同じだが、手段を用いる技術において 中国は日本に劣っていた。
赤軍の文盲も中国に劣らず酷かったが、文明社会の西欧を座圏した ナチスドイツの精鋭装甲軍団を壊滅させている。 識字率がそのまま軍事力に反映されるとは思えない。
でもロシアは犠牲が半端じゃない 日本の10倍、3000万人も死んでる
多い統計でも2600万だろ。 大半がナチスによる民間人の犠牲だし。
505 :
名無し三等兵 :2008/11/09(日) 15:01:39 ID:ebzGoubO
》 『世界最終戦争――甦る石原莞爾』(佐治芳彦) 日本軍の戦車のイラストに萎えたので1巻で挫折しましたw
まず河本大作氏は終戦後に中共の戦犯管理に放り込まれ三年後に死亡している。 > 1949年に成立した中国共産党政権は日本人戦犯を撫順に戦犯管理所に集めた。 > そして、彼等に自発的に自分の罪を認めさせるように教育したのである。 > 供述書を書いた先般の中には張作霖爆殺の首謀者であった河本大作を始め「満州国」高級官僚・司法官・将軍・将校・憲兵・兵士が含まれている. もちろん河本氏は手記も何も書いていない。『文藝春秋』昭和29年12月号に載った河本告白記というのは河本の義弟で作家の平野零児が書いている。 平野は戦前は治安維持法で何度か警察に捕まっている”アカ”。彼が勝手に書いた記事を確認せずに雑誌に載せただけなんだよ。
>>507 森克己『満州事変の裏面史』では、昭和十七年十二月一日、於大連河本邸にて河本本人の口から
やったとの言葉が出ているようですが、そのことはどう思いますか。
509 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/09(日) 22:27:44 ID:B8+JN3DI
>>489-490 基礎教育が、日本兵の個々には将校と対等な判断(戦闘経験豊富ゆえ
判断力は敵も知らん日本軍の上層将校よりまし)が出来るものが多かった
こと、この為隊長が戦死しても、兵独自で的確な判断が出来、組織的な
効率の高い戦闘がまっとう出来た。一方、中国軍の方は、指揮官を失うと、
途端に戦闘力が低下し健制も乱れ軍隊の用をなさんようになった。
云うことでしょうけど、逆に「近代人」とやらの日本の上層部の
エリートの愚かさは非近代人(土人)以下でしょう。
チンギス・ハーンやチムールは文字が読めんかったでしょうが、
上層指揮官の判断力なら文盲でもええわけです。逆に知的近代人を自負
すると敵軍蔑視の妄想に取り付かれるんじゃないですか。
その点アングロ・サクソンは、知性を蔑視する紳士の伝統か、
理論崇拝と云う空論より現実的経験を優先しますのう。日本の上層部は
ドイツの理論崇拝好きじゃけぇことにならん。
まあ、近代人と非近代人云うか、世界の個人から諸民族に至るまで
優劣はないんですが、優秀な個人や民族、劣等な個人や民族を空虚な
理論で設定した近代人の申し子のエリートの愚かさです。
510 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/09(日) 23:26:36 ID:B8+JN3DI
>>490 続き。「近代人」は、自国の大衆をも愚弄しますのう。
ムッソリーニは、大衆は自由を欲せず、パンとサーカスだけじゃの、
ヒトラーは、不活発な怠慢性じゃの、つまり非理性的な大衆は土人で
知識人たる(自身がそう思いでおる妄想であるが)理性的近代人に操作される
為にこそ存在しとる。その点近代人の代表である共産主義者も同様で、
非理性的人民は、人民の利益を代表する理性的近代人(党幹部、前衛)が
操作すべきものじゃろう。そう云やあ、田嶋陽子氏が提灯文化人に
対し、知的な人たちが云うてね思想の違いがあっても同じ操作する側の
知識人階級として「近代人」たる仲間意識でもあるんじゃろう。
「イタリアで列車が時間通り走ったのは、ムッソリーニの治政だけである。
今のイタリアは近代人から土人に回帰した、近代性を奪ったのは、戦勝国で
ある」とネット右翼は云いたいんじゃろうか。そもそも、十九世紀の
ドイツ思想、マルクス唯物論やランケの実証史学に洗脳された近代人は、
十九世紀の「土人」で、二十一世紀の現代人と違う帝国主義回帰が希望
なんじゃろう。
ほいで、イナゾウ氏に伺いますが、「近代人」ぶるんは、キャラで
しょう。まさか「近代人」「土人」と、ネオナチ並みのレイシスト的
優劣論を未だに持っておられるんですか?
>>501 要するに支那派遣軍が連戦連勝だったのは毒ガスのおかげということ。
日本はそれだけの毒ガスを作って安全に運ぶことが出来たの?
513 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2008/11/10(月) 19:06:05 ID:aXw9JqiD
>まあ、中テーマ『上海航空決戦』の結論でも述べましたが、支那は『近代戦』、
>ひいては『総力戦』を戦えるようなレベルの国家ではなく(最新鋭機を輸入して
>航空戦力で日本を上回ろうとしたのは一時的なドーピングに終わり、何万機・
>何十万機と航空機の生産と消耗を繰り広げる『総力戦』は全く想像外の
>「神々の世界」の話だった)、
ttp://www.luzinde.com/meisaku/tanks/chi-ha.html 旧日本軍弱小列伝 97式中戦車チハ
自動車は97式中戦車チハが精一杯だった大日本帝国の工業技術がそんなに凄かったのか、
そんな工業技術など米英独ソと比べれば全然低いのではないかと、そういう意見も出されてる。
しかしながらそれは言えば言うほど、「その旧軍にさえ歯が立たなかった中国軍」ということで、
中国人がますます惨めになるだけのことだwww
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/diplomacy/1181382122/l50 ドイツは誠実に戦争責任を反省、なのになぜ日本は?
さて最近は大陸打通作戦を離れて欧州戦史を研究しているが、欧州戦史を勉強していると、
ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たした「大祖国戦争」と比べて、
中国抗日戦争とやらの役割はいかほどだったのかという観点を強調せずにはいられない。
仕事量が破綻しそうになっているのと、風邪が治らないことのダブルパンチで しばらくお休みさせて頂くかもしれません……。パソコンと書類のにらめっこ で目が失明しそうですw。ブルーベリー、ブルーベリー。
515 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/10(月) 23:37:40 ID:dVT4Ei9z
とはいうものの、書き込める時に〜w。
>>502 >>識字率がそのまま『軍事力』に反映されるとは思えない。
>>503 >>でもロシアは犠牲が半端じゃない 日本の10倍、3000万人も死んでる
自分は、
>>489 で『教育の差です。兵頭軍師は将兵が受けた教育レベルの差が、
如実に●【戦死者数の差】になって現れると述べていますが』と述べています。
>>500 >>毒ガスの大量使用を前提に支那派遣軍の作戦は成り立っていたわけ。
>>無敵支那派遣軍の実態は毒ガス使いまくりの卑劣集団でFA。
詳しくは、以前の予告どおり大テーマ『日本陸軍と毒ガス兵器(仮)』でやります。
『支那事変と化学兵器』『日中戦争と毒ガス問題』なんて、タイトルもありかも。
来年、前半の予定です。ところで、なんで毒ガスを使うと「卑劣集団でFA」なのか、
理解できません。自分は「1億人」達成するためには、収容所にガス室でも作れば
よかったと考えています。
516 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/10(月) 23:48:13 ID:dVT4Ei9z
>>501 >>毒ガスの使用自体は中国側もやっていたが、稚拙なために運用が
>>うまくいかず風向きで自軍側に飛んできてしまうこともしばしばあった。
天候に左右されるので、同様の失敗は支那派遣軍にも普通にありました。
ただし砲弾で飛ばせば、おおよそ解決する問題です。その意味では毒ガス
兵器は『砲』の一種であり、土人軍には手の余る代物だったと言えます。
少し予告編みたいなことを書こうかと思いましたが、ちょうどこのスレで
ちょびっと書いていたので、コピペするにとどめます。
>>62 >>63 >まあ、自分的には中島が「習志野学校長」だった事の方が重要です。習志野学校は
>化学兵器の教育機関だからです。詳しくは次の大テーマ『支那事変と毒ガス兵器』で
>やりますがw。中島のキャリアは一貫して●「砲兵畑」を歩み、舞鶴要塞司令官という
>閑職に回され、あわや予備役と思われた時に、習志野学校長という転機が訪れました。
>まあ、自分的には中島が「習志野学校長」だった事の方が重要です。習志野学校は
>化学兵器の教育機関だからです。詳しくは次の大テーマ『支那事変と毒ガス兵器』で
>やりますがw。中島のキャリアは一貫して●「砲兵畑」を歩み、舞鶴要塞司令官という
>閑職に回され、あわや予備役と思われた時に、習志野学校長という転機が訪れました。
517 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/11(火) 00:00:43 ID:dVT4Ei9z
後半がダブったw。鬱打支膿……orz.
>中島今朝吾が「習志野学校長」に回されたのは、砲兵畑出身という点も大きいでしょう。
>毒ガスは、砲弾を使用する投射兵器でもあるからです。まあ、キナ臭い仕事といえども
>予備役に編入されるよりは遥かにマシです。ちなみに舞鶴要塞司令官は、関東軍参謀
>副長を放り出した、落ち目のカンジ(石原莞爾)が回された役職でもありますw。
>>511 >>要するに支那派遣軍が連戦連勝だったのは毒ガスのおかげということ。
言いすぎw。詳しくはテーマでやりますが、支那軍は「防毒面」を持っていないか、
持っていても性能が劣悪で、面白いほど効いたというのもあります。要するに
●『対抗不能』だった訳です。日本兵だって伊達や酔狂で、重く嵩張る防毒面を
携帯していた訳ではありません。
ふと気付いたら雑草から「イナゾウ」になってるから油断ないな。 貴様なんぞ「イナ草」で十分だ。 名は与えられても人を名乗るのはまだまだ早いwwww
519 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/11(火) 00:15:37 ID:xNwYi+Lu
日本は第一次世界大戦で、欧州の陸戦に参入していませんでしたので本格的な
「毒ガス戦」を経験していなかった訳です。戦間期は化学兵器の使用に国際法で
制限をかける風潮でしたが(少なくとも大っぴらには使えないw)、その一方で
ドゥーエの『戦略爆撃』なんかを真に受ければ、開戦劈頭、敵国の大都市に毒ガス
兵器(高性能爆弾・焼夷弾など含む)による先制爆撃ですw。
日本は来たるべく「対ソ開戦」でも毒ガス兵器の使用を真剣に考えていましたので、
支那戦線というのは非常に都合のいい『実験場』ないしは『演習場』だった訳です。
というよりも、日本は第一次世界大戦で「毒ガス兵器」のノウハウで欧米に水を
空けられた事に危機感を持っていた分、キャッチアップするのに必死だった訳です。
でなければ日本兵が、史実の土人兵のような塗炭の苦しみを味わう事になるからです。
やられたら、やりかえす――。同じ土俵に立たない限り、一方的な悲劇が待っています。
>>512 >>日本はそれだけの毒ガスを作って安全に運ぶことが出来たの?
運ぶよりも「製造現場」の方が大変ですなw。
520 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/11(火) 00:29:03 ID:xNwYi+Lu
>>506 >>日本軍の戦車のイラストに萎えたので1巻で挫折しましたw
カッパノベルズ版だと、さらに微妙な本文の挿絵が付いてきますw。あの
セーラー服を着た女性キャラの名前が思い出せません……。ぶんか社文庫
版で外したのは英断だろうさw。夢に出てきそうな絵でしたから(核藁)。
>>518 >>ふと気付いたら雑草から「イナゾウ」になってるから油断ないな。
>>貴様なんぞ「イナ草」で十分だ。
まあ、皆さんの判断にお任せしますよw。
>>484 の続き。>>肝心の林のスタンスは「良きにはからえ」の傾向が強い
>>というか、自分の確固たる信念はありませんでした。
1937年1月30日から、林銑十郎の組閣活動は始まった訳ですが、林は
石原莞爾(カンジ)の書いた計画書を持って「これでやる」と宣言し、「万事
十河信二(元満鉄理事)の手元で切り盛りして、組閣を完成させるよう」指示
しました。ここまで、自分から御輿に担いで貰おうという人物も珍しいですw。
521 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/11(火) 00:48:30 ID:xNwYi+Lu
一方、陸軍側でも「林銑十郎」の組閣に対して、同日の朝から協議が行なわれました。 陸相官邸に、おなじみの寺内寿一陸相・杉山元教育総監・西尾寿造参謀総長の3人が 集まって『三長官会議』が開かれます。 宇垣のときとは「180度」異なりまして、あっさり中村孝太郎(中将)を新陸相と することが決められました。ばんざーい、ばんざーい。組閣の最大ハードルが簡単に クリアできたと思いきや、そうは問屋が卸しませんw。ここからが銑十郎クオリティ の始まりな訳です――。というか、グダグダですw。 それは後に置いておきまして、林の組閣本部がどんなものだったか見てみましょう。 林は四谷に組閣本部を置きましたが、報道関係者・政治浪人が詰め掛けまして、内外は 4、5百の数の人間で溢れかえります。 その中に、林に呼ばれた大橋八郎という逓信官僚がおりまして、岡田啓介内閣では 法制局長官を務めていました。林の実弟である白上祐吉・東京市元助役とは、高校 以来の友人です。白上は汚職で逮捕された経験があり(それも林の陸相時代w)、 表立って兄・林銑十郎の組閣を手伝えないことから、友人の大橋八郎に援助を頼んだ 訳でした。しかし十河信二らカンジ派にとっては、大橋が邪魔な存在になってきます。
522 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/11(火) 02:28:51 ID:xNwYi+Lu
>>479 >>宇垣の次の首相候補者は、「第1:平沼騏一郎」「第2:林銑十郎」と元老・
>>西園寺公望から奉答がありました。
もともと宇垣の後には、枢密院議長だった「平沼騏一郎」が第1の首相候補に
挙げられていましたが、時機が悪すぎると平沼は辞退していました。しかし林に
組閣の大命が降下しますと、●「平沼が辞退したからこその林政権だ」と恩着せ
がましく、平沼の意を受けた政治浪人たちが林の組閣人事に介入してきましたw。
強引な理屈ですが、とにかく平沼の横槍で塩野季彦法相が実現してしまいます。
しかし、平沼の息がかかった小林省三郎(予備役海軍少将)まで入閣させようと
ゴリ押ししたのが、さすがに林の憤激を買いまして、平沼派の政治浪人たちは
組閣本部から叩き出されることになりますw。
まあ要するに、林銑十郎の組閣本部には、●「カンジ派の十河信二」、●「林の弟
である白上派の大橋八郎」、●「平沼派の政治浪人」が出入りするという三者入り
乱れた、訳の分からない代物になってきます。誰の組閣本部も似たようなものですが、
林のソレは『百鬼夜行』の度合いが強いものになりましたw。
>>522 >>林のソレは『百鬼夜行』の度合いが強いものになりましたw。
ヽ、_ ,、 ,、 γ
r>iゝ!' ,.ゝ-ヽiノ,.i
ゝ,) , ,ヽイ
γ ノi」ハノイ」
,'イレi ゚ ヮ゚ノ〉 『鬼』の名前をそんな喩えに使わないで欲しいね。
(_ハ((8i,ハ,iつ曰 ゴミ捨て場の「腐った肉」に群がる野犬やカラス、
.リ.,く_ハλハリ 油虫みたいなものじゃないか。
`"r_7i_7"
西尾寿造参謀総長って
スマン。西尾寿造「参謀次長」の間違いです。今日の株価はどうなるかの〜。 GMはどうなるかしらんw。
526 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 00:30:23 ID:GNI8aq9O
>>521 >>あっさり中村孝太郎(中将)を新陸相とすることが決められました。
陸軍三長官会議であっさりと「中村孝太郎」(中将・教育総本部長)を林内閣の
「新陸相」に推薦することが決められました。しかし林の組閣本部では『仲間割れ』が
生じます。カンジ一派は、前述の
>>480 「5ヵ年計画」を推進するために是が非でも
盟友の「板垣征四郎」(中将・関東軍参謀長)を陸相にしようと無理押ししたのです。
陸軍中央とも「陸相人事」でもちろん対立しますし、「御輿」に担いでいるはずの
林からも反発を喰らいました。宇垣一成の組閣とは違う意味で『陸相が決まらない』
訳ですw。十河信二(元満鉄理事)や浅原健三(元無産党議員)らカンジ派の記録には、
●「宇垣内閣流産の経緯から、陸軍大臣の選任は最慎重を要する。陸軍大臣としては
板垣征四郎中将、海軍大臣としては末次信正大将以外には『適任者なし』として、
1月31日に林大将自ら、寺内寿一陸相と直接面談して折衝する。陸相については
相当困難を予期しなければならないが、何回でも寺内陸相と交渉して飽くまで初志の
貫徹を期する必要がある――」と『板垣陸相実現』に息巻いています。
527 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 00:52:45 ID:GNI8aq9O
>>526 >>●『板垣陸相実現』に息巻いています。
これが同じ林の組閣本部の中でも、河田烈(大蔵官僚・林が陸相をしていた
岡田啓介内閣で書記官長)という別の選挙参謀の回想を要約する以下の通り。
●「さっそく閣僚の交渉に入ったが『陸相』について問題が起こった。林大将は
慣例のとおり『陸軍三長官の推薦する候補』(中村孝太郎)を採ろうとしたのに
対して、十河信二(カンジ派)は板垣征四郎中将を強烈に主張して、たとえ陸軍
三長官と摩擦が生じても、断固として板垣を陸相に奏薦することが最もお上に
忠義を尽くす結果になると譲らない。
林大将は『板垣陸相』を三長官に納得させることの至難さを思って、十河に
賛成せず、意見が対立して双方ともかなり『激昂の様子』となった。
そこで自分は『陸相の問題は、後でゆっくり考えようじゃありませんか』と
仲裁したが、林大将は非常に組閣を急がれた」
528 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 01:18:56 ID:GNI8aq9O
「なぜなら林大将は、宇垣内閣流産の後でグズグズしていると『不測の災』が 起こると心配していた。それには理由がある。あの当時、右翼左翼の両方面 から、半ば脅迫的な情報が林大将の手元に集まってきて『どんなことになる』 とも限らない――。それを怖れられたのである。 そこでとにかく夕食となったが、謹直な林大将だから立派な御膳にも関わらず、 杯が付いていない。そこで自分が『この鯛の刺身で一杯やりましょう』と酒を 所望したので、ようやく場が和んだ――」 とありまして、カンジ一派が『板垣陸相』を組閣の絶対条件に挙げたのに対して、 林は『組閣最優先』で陸相は(三長官が納得して推薦するなら)誰でも良いという 非常に大きなギャップがあった訳です。 それにしても宇垣一成が、憲兵司令官の中島今朝吾に「2・26事件のような軍事 クーデターが再発するのでなければ、矢でも鉄砲でも持ってこい――」と啖呵を 切ったのに比べて、林の「我が身可愛さ」の小心ぶりは情け無い限りです。
529 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 01:46:19 ID:GNI8aq9O
>>526 >>1月31日に林大将自ら、寺内寿一陸相と直接面談して折衝する。
そんなこんなで1月31日の午前10時、林は陸相官邸で寺内に会いました。
ここで陸相候補者について協議する訳ですが、
林:「板垣中将を陸相として懇望する」
寺:「既に昨日、三長官会議を開催し、中村孝太郎中将を推薦することに決定した」
林:「中村とは同郷(石川)なので遠慮したい。板垣にては不可なりや」
寺:「同郷などは問題にならない。また板垣では部内の統制上、適当ではない」
林:「いったん組閣本部に帰って相談してから返答したい」
寺:「既に三長官会議で決定した事項を誰に相談するのか。そんな必要はない」
と林は、あっさり逃げ帰ってしまいます。ちなみに林は陸士8期、寺内は11期の
先輩後輩です。まあ、最初から林にやる気が無いと言った方が正確でしょうかw。
530 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 02:09:34 ID:GNI8aq9O
林が組閣本部に戻ると、今度は『カンジ派』の組閣参謀である十河信二(元満鉄 理事)が同じ日の午後2時、自ら寺内陸相を訪ねて●『板垣陸相』実現の説得に 当たります。 十「既に昨日、三長官会議が開かれまして、後任陸相が決定されたということを 伺いました。組閣の大命を拝受しました林の苦哀、その意見、希望などをぜひ 他の三長官方(参謀総長・教育総監)にもご報告を願いたいと考えております。 そのうえで三長官がやはり『中村中将』を陸相の最適任者と考えられ、他に 候補者がいないのであれば、林はさらに考慮する所存です」 寺「林大将は既に予備役となり陸軍を去られて、時を経ているのである。部内に あって毎日情勢を詳にしている三長官が最適任であるとして、『中村中将』を 推薦したのであるから、その決定を変更するということは出来ませぬ」 十「三長官会議が開かれたのは、組閣の大命が下った林が『陸相』の推薦をお願いに 伺う前であります。ぜひ林の心持ちを再度、三長官方にお伝え願いたい」
531 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 02:18:01 ID:GNI8aq9O
寺「宇垣大将が組閣の大命を拝受した際、陸軍より3人の陸相候補者を推薦 しましたが、杉山元大将は『三月事件』関係でその資格がなく、小磯中将 も同様ですから、中村中将の他に適任者はありませぬ」 十「それでは、どうしても三長官に林の希望をお伝え下さることが出来ないと 仰せになるのでありますか?」 寺「もう(予備役で)部外にいる林大将が、何故に『板垣中将』を最適任者と 言われるのか、甚だ真意を得ない。板垣中将は(陸士)第16期生である。 師団長を経験した事もないのである。この板垣中将が、全軍の統制に当たり 軍政の責任者となるに最適任者であると主張される『林大将は、どうかして いないか?』と思わざるを得ないw。 なぜ板垣中将を最適任者とする結論に達したのか、その根拠を示して貰いたい」
532 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 02:23:29 ID:GNI8aq9O
十「陸相の選択については、人格・徳望・手腕・識見・その他、四囲の情勢から 慎重に考慮して決定されるものですから、板垣中将が最適任者だとする根拠を 示せと言われても……w」 寺「とにかく、どうか林大将に、なぜ板垣中将が新陸相の最適任者であると仰る のか、その根拠を示して下さるようにお伝え願いますw」 十「それでは止むを得ません。お言葉の趣旨を林大将に伝えます――」
534 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/12(水) 23:55:53 ID:PO+R/T/b
>>531 >>なぜ板垣中将を最適任者とする結論に達したのか、その根拠を示して貰いたい
>>板垣中将は(陸士)第16期生である。師団長を経験した事もないのである
寺内寿一は、なぜ林銑十郎が『板垣陸相』に拘るのか全く理解できない、と反論した
のでした。これには一理ありまして、現陸相である寺内が陸士11期、次官の梅津
美治郎が15期、板垣は16期です。軍人も●『官僚の世界』の生き物ですから、
平時にも関わらず(戦時でもないのに)急に4期分、ゴボウ抜きするというのは
余程の理由がなければ納得できません。ちなみに、三長官会議で推薦された中村
孝太郎中将はといえば陸士13期でした。
また板垣のキャリアを見れば、典型的な『支那通軍人』でして参謀本部で支那課の
経験はあるものの、満州事変以降はずっと「関東軍と満州国」絡みです(この当時、
関東軍参謀長)。師団長経験はともかくとして(大隊長と連隊長はこなしている)
陸軍省での勤務はまったくありません。陸軍中央からは外れた人物だったと云えます。
もし陸相となったら実務面でも大いに不安が予想されますし、実際のちの近衛内閣で
支那事変中に陸相に一本釣りされると、お目付け役として次官にヒデキが選ばれました。
535 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/13(木) 00:25:04 ID:kwlOaoX6
ちなみに中村孝太郎中将は、キャリアの最初は参謀本部勤務が多いものの、 参本庶務課高級課員、陸軍省高級副官、陸軍省人事局長、第8師団長(弘前)、 教育総監部本部長と、陸軍中央でバランスよく勤務しています。陸相候補者 としては「うってつけ」というか「典型的」な人物だったと云えるでしょう。 ただし寺内陸相も小さなウソを付いていまして、流産した宇垣には新しい 陸相候補者を「杉山元・小磯国昭・☆香月清司」と伝えていたのに、林の時 には「杉山・小磯・☆中村孝太郎」とチャッカリ変化しています。 まあ『カンジ一派』は、陸相に板垣征四郎が難しければ最悪「杉山元」を 代わりにと考えていました。しかし、宇垣内閣を流産させるために寺内らは 『3月事件』をダシに使っていますから、どちらにせよ杉山の目はありません。 いずれにせよ、林銑十郎本人は陸相が得られるならば、中村でも香月でも どちらでもよく、『カンジ一派』は板垣(or杉山)でなければ絶対ノー。 大勢に影響は無かったでしょう。何か自分でも書いていて訳が分からなく なりますw。
536 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/13(木) 00:45:23 ID:kwlOaoX6
>>532 >>それでは止むを得ません。お言葉の趣旨を林大将に伝えます。
寺内陸相に追い返された『カンジ一派』の十河信二(元満鉄理事)は
組閣本部に戻りまして、「今後の対応」を林銑十郎と話し合います。
林はすっかり弱気になりまして、
林「この上は止むを得ない。寺内陸相の言うとおり、三長官会議の決定に
服従する他はないと考える」
十「林閣下、それは余りに性急なお考えではないでしょうか。私はたった今
寺内陸相と会見した結果をご報告したばかりです。今までのお考えを言下に
捨てられるのは、軽率の誹りを免れないと思います」
林「寺内陸相の話によれば昨日、三長官会議が開かれたという事である。
言うまでもなく三長官の中には、閑院参謀総長宮殿下がいらっしゃる。
この決定に服従しないのはつまり、『宮様』の御言葉に服従しないと
いうことであり、武人としての林は到底出来ない――」
537 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/13(木) 01:09:47 ID:kwlOaoX6
林は『宮様』の反対を理由に挙げて、『板垣陸相』の実現にこだわる十河を 押し切ろうとします。まあ、実際の「三長官会議」に出席したのは次長の 西尾寿造だった訳ですが。それを知ってか知らずか、林の理由には言い訳の 匂いがプンプンしますw。さらに2人の会話の続きを追ってみましょう。 十「ごもっともであります。三長官会議といえば、もちろん総長宮殿下も お入りになっています。しかし林閣下が組閣の根本方針でも示された通り、 新内閣の『陸軍大臣』は特に重要な地位であると考えます。いわば内閣の 中心枢軸をなす地位だと言っても良いと思います。 その結果、板垣中将おいて他に適任者はいないとお考えになった訳です。 また閣下は我々に対しても当初より、板垣中将の陸相推薦については非常の 困難がある。この難関を突破するためには、再三再四(寺内)陸相に懇請する 必要があると仰られたではありませんか? 現状の難関は最初から予想された ことではありませんか? それを寺内陸相から『三長官会議』で決定されたと伝えられただけで、素志を 翻されるということは宜しくないと思われます――」
538 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/13(木) 01:28:17 ID:kwlOaoX6
林「(閑院)宮殿下に反抗するような形になるのは、武人としての林の信条が 許さない。また『三長官会議』という権威ある機関が決定したことに、服従 するのは止むを得ないことである」 と、林はもう早々に『白旗』を掲げまして闘う意志はひと欠片も残っていません。 やる気ナッシングですw。それでもなお十河は粘りまして、切々と林を説得します。 十「それは閣下の御言葉とも思えません。第1、宮殿下の御意志に反すると 仰られますが、閣下は(天皇)陛下に組閣の最善を尽くすとお誓いになった のではありませんか? 第2に、閑院宮殿下は参謀総長の職に就かれているのであって、軍政や政治上の 責任はすべて陸軍大臣にあることは、寺内陸相が内外に声明されたことではあり ませんか(宮殿下に逆らう訳ではない)。また三長官会議で決定されたとしても、 後任陸相の推薦の責任は、陸軍大臣が負うべきものであります。ゆえに林閣下は 宮殿下に言葉を返すのではなく、政治上の責任者である寺内陸相に再考を求める 訳です――」
539 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/13(木) 01:50:28 ID:kwlOaoX6
十「第3に陸軍大臣の地位は、ひとり陸軍の長官であるのみならず、国務大臣 であります。国務大臣である陸軍大臣と、陸軍の長官である陸軍大臣とが 『たまたま同一人物である』と云うのに過ぎないのであります。 陸軍の長官たる陸軍大臣は三長官の推薦によるべきですが、国務大臣たる 陸軍大臣の選奨は、組閣の大命を拝したる林大将の責任の選択であります。 それゆえに『新陸相』の人物は、現在の陸軍大臣と大命拝受者の協議のうえ 決定されるべきと考えます。それにも関わらず、寺内陸相は林閣下の意見も 聞かずに『三長官会議』を(先走って)開いて決定した訳ですから、この 責任は寺内陸相にあると思います。 第4に、宇垣大将の組閣に対して、寺内陸相は「杉山・小磯・中村」の3人を 新陸相に推薦したにも関わらず、わずか10日後の林大将の組閣にあたって 『中村中将以外に適任者がいない』と様変わりするのは、如何でありましょう? 林閣下は三長官会議を『権威ある機関』と仰いましたが、そのような機関の 決定としてはどうかと思われます」
540 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/13(木) 02:08:24 ID:kwlOaoX6
十「このような疑問が多々あるにも関わらず、寺内陸相の言を鵜呑みにして 『妥協的態度』に出られることは、断じて臣節を全うする所ではありません。 また政治の明朗を期する処置でもないと思われます。 もし寺内陸相が、林閣下の初志貫徹を阻止されて、新内閣の陸軍大臣の選択 について閣下が最善と思うところ(●カンジ派の十河が主張するのは板垣)が 実現できない場合は、潔くこの次第を(天皇)陛下にご報告申し上げ、大命を 拝辞する事こそが臣節を全うするものだと考えます。 あくまで『新陸相』に対する閣下の要望を貫徹するか、しからずんば退いて 組閣の大命を拝辞するか、この2つの道より他に林閣下の採るべき道は無い と考えます――」
10月末の株安を受けて最近、証券会社に口座を作ったのですが、 全然株を買うタイミングが掴めませんw。ただ今もダウが280 ドル安……w。
イナゾウらしく軍需関連でいけ モビルスーツの開発に着手したあの会社とかな
>>542 もとは商学徒ですので、昔とった杵柄の血が……。先ほど覗いたら
苺chの銅鑼殿はまだ現役でいらっしゃる。10年戦士どころの話ではなく、
自分もあやかりたいものです。
真面目な話、買おうかなあ〜と思っているのは、セ*ン銀行・*リエンタル
ランド、パナ*ニックとかなんですけど。商船*井は、実家が中国特需の前に
買ってえらく値上がりしたのですが、売り時を逃して今はエライことに…w。
500円ぐらいなので買うかと思ったのですが、最近の実物経済の余りの悪さに
躊躇していまふ。
>>538 >>それでもなお十河(元満鉄理事)は粘りまして、切々と林を説得します。
,r---、.
_ソヽ/`、シi. 皆さん、おこんばんわ。十河の話が長くなりましたが、林に
_>=ヘ 山/=<, 諭している内容はまことに理路整然としたものです。簡単に
. ((ん'ノノルレム)) まとめると、@「林は閑院宮ばかり気にするが、天皇陛下に
_ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 対して組閣の最善を尽くす方が武人として優先ではないか?」、
),k'ヲ:::::::::つ A「後任陸相の推薦は、三長官会議の決定よりも現役陸相の
(ン::::/:::l::ヽ 判断が優先すべき(責任を負うべき)ものである(したがって参謀
`~i,ンT,ノ~´. 総長宮殿下に反抗するものではない)、B「陸相は陸軍の代表
であると同時に、内閣の国務大臣でもあり、首相候補者の希望は
当然、反映されるべきである」、C「わずか10日で推薦者の是非が変わる三長官会議は
本当に権威があるものか?」となります――。惜しむらくは、このように●『理路整然』として
述べた結論が、板垣陸相という●『無茶振り』である点です――w。
また陸軍の三長官会議は、「中村孝太郎」中将という非常に順当な人物を推薦しているので
あって、宇垣の時のように候補者自体を出さないとか、なにか「刺客」のような人物を送り込もう
としている訳ではないのです。そして林自身も「板垣陸相」は、無理があると自覚しています。
十河の理路整然も、●「最初の前提に無理がある」ので結局チグハグの感が否めません。
545 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/14(金) 00:43:35 ID:AwEU4JVj
>>544 >>A「後任陸相の推薦は、三長官会議の決定よりも現役陸相の判断が
>>優先すべき(責任を負うべき)」
2・26事件後の『粛軍』(広田弘毅内閣)で、部内の統制を徹底するために
陸相の権限が大幅に強化されました。具体的には従来、「三長官会議」の合意で
決定されていた将官人事(高級人事)を、全面的に陸相単独の手に委ねた訳です。
まあ、皇道派の真崎甚三郎が教育総監を辞めさせられる時に「三長官会議」の
合意をタテに、ゴネまくって「2.26事件」の誘発となったことの反省です。
権限が大幅強化された陸軍大臣に『落下傘降下』で予備役陸相が来ないために、
広田内閣で『軍部大臣現役武官制』が導入されたとも言えるのですが、新しい
首相が誕生するときに、選ばれる陸相もまたそれに含まれるのか(現役陸相が
選ぶべき性質のものか)は、ひどく曖昧になってしまいました。ですから林も
十河も、三長官会議の決定による新陸相の推薦は、果たして権威があるものか
どうか? そんなに閑院参謀総長宮殿下に気を遣わなければならないか? など
延々と揉めている訳ですw。
546 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/14(金) 01:13:50 ID:AwEU4JVj
それにしても『カンジ派』の十河信二は林に対して、『板垣陸相の実現を貫徹するか? あるいは組閣の大命を拝辞するか? 2つに1つ』と迫った訳ですから、言いも言ったり です。当然のことながら、この激しい対立は一旦収まっても後々に尾を引きます――。 さて同じく『カンジ派』の浅原健三(元無産党議員)が林に電話しまして、もう1度 寺内陸相と会談するように要請します。林はこれを渋々了解しまして、さらに河田烈 (大蔵官僚:※カンジ派ではない)も賛成したことから、組閣本部全体で林の再度の 陸相訪問が大勢を占めました。 こうして同じ日(1937年1月31日)の夕方5時、林は「再度、陸相官邸を訪問 する」といって組閣本部を出ていきました。しかし、しばらくすると林が陸相官邸に 一向に到着していない(行方不明)ことが分かり、十河たちは憲兵隊に問い合わせて 捜索するなど、テンヤワンヤの大騒ぎになりますw。 ようやく林の足取りがつかめまして、なんと『閑院宮』邸に行っているという事が 分かりました。その後に寺内陸相と会って、組閣本部に戻ってきた林の言うことが 振るっていますw。
547 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/14(金) 01:44:08 ID:AwEU4JVj
林「まず閑院宮殿下に今日までの経過をご報告しておいたが、何もお言葉が貰え 無かった――。その後、寺内陸相に会って●『第一案:杉山陸相、板垣次官』 ●『第二案:中村陸相、板垣次官』という2つの妥協案を提示して、明朝8時の 回答を待つことになった」 と言うのです。十河ら組閣本部を無視して、勝手に『妥協案』を出してしまった訳です。 先に閑院宮殿下のご機嫌をうかがって、さらに陸軍次官に「板垣」を持ってくるあたり、 いかにも林の妥協の仕方という感じがしますw。これには十河も呆れて「ついに素志を 翻して、寺内陸相の言を丸呑みした」と嘆きました。 その日の夜遅くの午後10時半、宮崎正義が再度『カンジ派』の意向を林に伝えますが、 望み薄でした。カンジの「私設秘書」とも云える浅原健三は組閣本部を訪れ、十河信二に ●「林大将の決意は根底より覆されたと認められる。もう新内閣に対する『一切の希望』 を捨てざるを得なくなった」と告げていますw。 また肝心の首領格であるカンジの許にも、「夜(林の)軟化の情報ばかり伝わってくる」と 不満しきりです――。
548 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/14(金) 01:58:44 ID:AwEU4JVj
>>547 >>当然のことながら、この激しい対立は一旦収まっても後々に尾を引きます。
林が勝手に妥協案を出したばかりか、カンジの私設秘書である浅原健三はその後、林に
面会が出来なくなります。このことに気付いた十河信二が、真意を確かめに林の部屋に
行こうとすると、林の部屋の前にいた●『憲兵数人』に阻止されます――。
本来、林の『組閣参謀長』であるはずの十河が、林に会えなくなるという異常事態に
まで発展した訳ですw。
,、_, ヘ‐-、,、 >ヘ== ==,< 《i(》 ̄ ̄´l》 ノリl、ハ l |!、 一体、何なんですか? このグダグダは……(怒)。 (_,i_ルyノ)キ ,∪'-^-ヽ)ニ] ´`i_ラi_ラ´´
550 :
名無し三等兵 :2008/11/14(金) 10:07:33 ID:N8u7r4ve
9.11後、アフガンに侵攻したらアラブ義勇軍が大量にアフガンに流れ込み泥沼化、湾岸諸国は対米原油禁輸を発表 アラブ側の貿易再開条件は、北部同盟を認めずタリバンを唯一正当な政権だと認め、アフガンと中東諸国から米軍が完全撤退する事。 これは呑めない こうみると日本は連合国切り崩しが必要だったな
551 :
市民 :2008/11/14(金) 10:42:09 ID:hLT15K/J
日本人的と言えば実に典型的な日本人だな>林
553 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/15(土) 01:38:24 ID:PMTNn/ri
>>548 >>本来、林の『組閣参謀長』であるはずの十河が、林に会えなくなる
>>という異常事態
林の組閣本部には『SP』として私服憲兵が派遣されていました。この責任者は
「赤坂憲兵分隊長」の大谷敬二郎・憲兵少佐です。1月31日の夜、林の使者が
大谷のもとを訪れて、組閣本部に招き入れられます。以下、林と大谷の会話です。
林「今日まで組閣に努力してきたが、ある1点、非常な難関に直面している。宇垣の
ように投げ出すほかない状況にまで追い詰められている。実は陸軍大臣の問題だが、
陸軍の三長官は中村孝太郎を推薦してきている。ところが十河君(カンジ派・元
満鉄理事)は、関東軍の板垣中将を要求してきている。それも大変な強硬なのだ。
もし板垣を陸相に据えることが出来ないのなら、この内閣の革新性を失うので潔く
大命を拝辞せよ、と迫っている。だが私も陸軍大臣をやったので、その経験から
云って、何も板垣を必要とは思わない。陸軍大臣なんて、誰でも務まる。三長官
会議の推す中村君で結構なのだ――」
554 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/15(土) 01:55:02 ID:PMTNn/ri
林「それを十河君はどうしても納得しないで、しきりに●『玉砕せよ』と 言うのだ。だが、私はお上(天皇陛下)に必ず組閣を完了いたしますと 申し上げている。宇垣が流れ、また私が投げ出したのでは、お上に対して まことに畏れおおいので、何とかして無事に早く組閣を全うしたいと 痛心しているのだ」 大谷「それは何より林閣下のご決心による事でしょう。どうしても組閣する なら、断固として十河氏に(組閣参謀長を)辞めて貰えばよいではありま せんか? 明朝にでも閣下から直接、彼に『退去』を要求されれば、それで 済む話ではありませんか?」 林「それがね、そう簡単には行きそうも無いんだよ。どうも十河君の背後には 何人か居て、これを操っているのだ。十河の秘書が外部(銀座)に電話して 組閣の進行状況を知らせ、何事か指令を受けている。だからこれには大きな 裏があると思われるので、ウッカリしたことは出来ないんだ――」
555 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/15(土) 02:14:15 ID:PMTNn/ri
大谷「憲兵は治安に対しては、常に大きな関心を持っています。治安上、
必要とあれば堂々と介入します。そこで林閣下は、もはや躊躇すること
なく、十河氏が邪魔ならあなたの意志で追い出してしまいなさい。
その結果、十河氏あるいはその背後の勢力が、閣下の組閣を妨害したり、
閣下の身辺に危険を及ぼす恐れがあれば、それは明らかに治安問題です
から、私の責任において善処します。ですから閣下は、心置きなく思う
通りにおやりになればよろしいかと思います――」
>>553 >>陸軍大臣なんて、誰でも務まる。
いかにも林らしい発言でしょう。言外に『自分にだって務まるのだから……』
が見え隠れしますw。結局、十河は翌日の2月1日の朝10時、林銑十郎に
呼び出され、●「君が居ては邪魔になるから、早く引き上げて貰ったほうが
宜しいと思う」と最後通告を突きつけています。
556 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/15(土) 02:49:54 ID:PMTNn/ri
同様に、カンジの私設秘書である浅原健三もその30分後の午前10時半、 林護衛の憲兵に取り囲まれて、林から●「君がたびたび組閣本部に出入り することは、何だか自分が軍の圧力に支配されている様で非常に困るから もう来ない様にして貰いたい」と告げられます。 ここに、林銑十郎の組閣本部から『カンジ派』は全て叩き出される結果と なった訳です――。十河自身は、のちに振り返って●「あの組閣本部は、 実に陰惨なものでしたよ」と述べています。 十河らは、林が「平沼派」や「統制派(梅津次官ら)」「実弟の白川派」などと 接触して雑音を入れられるのを防ぐために、組閣本部の2階を相談所と決めて 林をそこから出さないようにしていました。しかし林は「便所に行く」などと 称しては部屋を出て、1階の座敷でそうした連中と会っていました。
557 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/15(土) 03:11:47 ID:PMTNn/ri
その内に、政治浪人や右翼、壮士などの連中が続々と集まってきまして、 ●『十河を殺す』と叫ぶので、裏で糸を引いていた石原莞爾(カンジ)も 十河を守るために人を送り込みます。したがって組閣本部は一触即発、 血の雨でも降りそうな状況でしたw。 また片倉衷少佐(軍務局軍務課員)の回想にも、「林大将に付いている 政治浪人の岩田愛之助(愛国社社長)が『十河は林内閣を毒殺するんだ ろう? 今日中に組閣本部から退かなければ殺す!』と脅した。それで 林大将も十河が岩田に殺されては気の毒でもあるし、また困ると思った」 とあります。 いずれにせよ、林の組閣本部は『魔女の婆さんの釜』というか『生ゴミを 詰め込んだポリバケツ』の様な混乱した状況だった訳でして、十河は最後に こう述べています――。
558 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/15(土) 03:14:34 ID:PMTNn/ri
十河「しかし、わたしゃア、驚かなかった。そういう時には、命がけで やるんだ。僕はいつでも!――」
_......_ .,:´::::::: ヽ iノll ll ハ ll)) |::::!|.゚ ヮ゚ノ!| 最低な『24』(トウェンティ・フォー)が作れそうねw。 |.,´リ`仝j リ ノ〈_ノ -^-i_〉 ソ/、ノ、 ヘヽ、 ` ̄ ̄  ̄´
計画通り民主党が参院選で過半数を獲得。いよいよ始まりますね。
自民党独裁弾圧政治の終わりの始まり。
我々虐げられてきた在日同胞の権利拡大の始まり。
最近はネットのおかげで90年代以前なら使えたネタが通じにくいですが
民主党さんにはがんばってもらいましょう。
まず短期的には在日同胞のお年寄りへの年金支給実現が急務です。
生活保護だけでは本当に最低限の生活しか補償できないのが現実です。
差別と弾圧の苦難の時代を乗り越え、我々三世四世が暮らせる基礎を
気づき揚げてきたアボジたちに、豊かな老後生活を提供しなければならないですね。
多くの日本人同様に税金をしっかり払ってきたわけだし、これまでの差別の歴史を
考えてみたら我々にも年金をもらう資格はあるし日本政府にもその責任があります。
在日同胞への年金支給がいちばんの優先です。
その次は地方参政権獲得へと山を作っていきましょう。
各地のコリアンタウンを基点に、組織的に民主党議員を支援していく体制は
すでに整っていますが、足りないものがあれば、各支部ごとにまとめて本部に
頼んでください。
民主党の中での雰囲気醸成や意見の舵取りなどは、同胞議員の先生たちが
きちんと動いてくれる予定ですから心配ありません。
また北韓同胞との連携も必要になってきますので、支部長レベルでの会合等調整をお
願いします
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=552022058&tid=cf9qa4nhbfffca5ga5b&sid=552022058&mid=83344 メディアは意図的操作されている日本人ならよく読むべし、
恐るべき在日集団による日本乗っ取り計画
支援求む!拡散ヨロ、日本の危機なり!
561 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 05:13:08 ID:sjtLoDSw
>>553 >>陸軍大臣なんて、誰でも務まる。
結局、1937年2月1日の午前中に、寺内寿一から林銑十郎に電話がありまして
「中村孝太郎・陸相」が確定しました。後で述べますが、梅津美治郎が陸軍次官に
留任したことが重要なポイントです。
「カンジ派」の十河信二が追い出された後は、前述の大橋八郎(逓信官僚)が組閣
参謀長を務めることになり、そのまま林内閣の書記官長に就任しています。林は
この日の夜、●「あと2人か」と言っており、組閣メンバーを揃えるのが最優先
であり、陸相などは『誰でも良かった』と思っていたことが裏付けられます――。
時系列が前後しますが、その日の夕方には『カンジ派』の浅原健三(元無産党議員)と
宮崎正義が林の組閣本部を訪れて、『陸軍省・参謀本部の代表』という名目で林に対し
「決別の辞」というか「絶縁状」の挨拶を述べています。
要約すると、「今日まで陸軍が林大将の組閣を支援してきたのは、その行なおうとする
政策や重要人事が、軍の要望と一致したためである。それにも関わらず林大将は政策や
組閣の基礎方針を根本的に変えてしまった。のみならず、陸軍と林大将との間に立って
連絡協調の責任を負う十河氏を退けたため、軍は林大将と『絶縁』せざるを得なくなった。
今日、『軍務局長』以下の会議の結果、浅原・宮崎の両名を代表して、軍と林大将の
絶縁の次第を通告することになった。この段、ご了承いただきたい――」
562 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 05:38:53 ID:sjtLoDSw
>>561 >>軍は林大将と『絶縁』せざるを得なくなった。
言うまでもなく『軍』とは云っても、林内閣を画策した『カンジ派』のことを
指しているのであって、「全陸軍の総意」とかでは全くありませんw。大袈裟に
述べているだけです。さりとて『カンジ派』には陸軍省・軍務局長の磯谷廉介も
絡みますので、馬鹿にはできない勢力ですが。
何にせよ、いくら脅しても「負け犬の遠吠え」「捨てゼリフ」の感が否めません。
「いい夢見ろよ!」」「いい夢見させてもらったよ!」とも……w。この後、宮崎・
浅原の両名は、『個人の資格』で林に次のような挨拶を述べて引き上げています。
「今日まで多年、林大将の恩顧を受けて親しく意見交換をし、林大将の命により
組閣の実現に向けて軍を始めとする各方面と政綱・政策・重要人事を折衝する
任に当たってきたが、林大将の方針が根本的に変更されたため、今日まで交渉
してきた各方面の人々に重大な責任を感じるに至った。
こうなっては林大将と今日までの様な関係を続けることは出来ない。まことに
遺憾に堪えない。ここにお別れするに当たって、過去永年の間、種々ご教示に
預かりご眷顧を賜わったことについて厚く御礼申し上げます。今後ますます
ご健勝で日本のためご奮闘されることを希望します。これを以って『決別』の
ご挨拶といたします――」
563 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 06:04:58 ID:sjtLoDSw
>>562 >>今日まで多年、林大将の恩顧を受けて親しく意見交換をし
『林の裏切り』によって組閣本部を追放されたにも関わらず、ここまで丁寧な
別れの挨拶をするのも不思議な気がしますが、ちゃんとした理由があります。
浅原健三は1920年の八幡製鉄所の大労働争議を指揮して以来、無産党代議士
として中央政界に進出しています。青年期から親交のあった政友会の森恪のツテで
陸軍省の鈴木貞一(政治的軍人の典型w)に接近し、中堅幕僚の間にコネクションを
苦心して広げていきました。その集大成として、1935年ごろに林銑十郎陸相の
政治的な幕僚となった人物でした。
その後、カンジ(石原莞爾)と会って心酔し、林に進言してカンジを歩兵第4連隊長
から参謀本部の作戦課長に栄転させるのにも浅原は一役買っています。つまり浅原が
『今日まで多年、林大将の恩顧を受けて』という言は、別に社交辞令でも何でもなく
本当のことであり、今回の「林の裏切り」は自分の築いてきたキャリアの大部分を失う
結果となりますので特別、失望や感慨も深かったのでしょう。
564 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 06:31:51 ID:sjtLoDSw
のちに浅原健三は、
>>553 で出てきた大谷啓二郎(憲兵少佐・東京憲兵隊・特高課長)に
逮捕されます。大谷は、浅原ら『カンジ派』の政治工作について詳しく回想しています
ので、ついでに要約してみると以下の通りです。
浅原の政治工作は●『政権獲得計画』とも言うべきものであり、明らかに政治陰謀である。
まず「党組織」を確立して、政権獲得を5年後に期待する、いわば「5ヵ年計画」である。
すなわち「1年1内閣」「1内閣1革新主義」を断行して、5年後には板垣征四郎を首相
とする政権を作り、板垣内閣の手によって国家的な「党組織」を完成させるというものだ。
また、それまでの5年間の総理は「林銑十郎」でも「近衛文麿」でも「有馬頼寧(ご存じ
有馬記念)でも、自分たち(カンジ派)に好意的なら誰でもよく、これらの内閣には必ず
何らかの思い切った「革新政策」を断行させて辞職させる。したがって任期はおおむね
1年として、次々と変えさせることで国内の政治状況を革新へ革新へと進めていく――。
565 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 06:48:02 ID:sjtLoDSw
もちろん日本国内は著しく動揺を受けるが、その末期の状況で満州組(カンジ派)の 総帥(名目上、影の支配者は当然カンジ)である板垣征四郎を首班として迎える。 この板垣内閣において、それまでの「協和会工作」で隠密に扶植しておいた協力団体を 一挙に動員して、いわゆる無産大衆を基盤とする『党組織』『政党』へと転換させる。 そして完全なる「党国政治」を作り上げ、この党の独裁によるファッショ政治によって 天下を完全に掌握する。もちろん必要に応じて「暴力主義」も肯定するもので、これは もはや改革ではなく革命である――。 このような政権獲得構想で5年後に『板垣内閣』を実現させるためには、林銑十郎 内閣で板垣征四郎なる人物を陸相として政界にデビューさせる必要があった。だから 関東軍参謀長で中将になったばかりの板垣をどうしても陸相にもって来ようとし、幸い 林内閣だから大丈夫だと思っていたが、あまりに無理が過ぎて、かえって失敗する結果 となった。
566 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 06:54:44 ID:sjtLoDSw
まことに遠大と言えば、遠大な「政治的陰謀」だった訳である。もし浅原が 単に普通の政治家であれば、ひとつの謀略として看過されたかもしれないが 彼の思想思念が「左翼」であることが、とくに我々(憲兵隊・大谷敬二郎)の 関心を引くこととなった。しかも軍の一部と結託するところを、危険視した。
567 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 07:10:36 ID:sjtLoDSw
大谷の回想は以上になります。 要するに『カンジ派』は、満州国協和会の組織をベースに、ヒトラーの 「ナチス党」のような一党独裁を目指していた(と見られていた)訳です。 どういう『夢物語』かと思うかもしれませんが、のちに近衛文麿が同じものを 目指していますし、史実の「大政翼賛会」はその残骸のようなものです。まあ、 アレは「一党一国論者」の考えていたものとは全然違いますが。昔の「新生党」 みたいなのですね、今は「民主党」になっていますけどw。
568 :
名無し三等兵 :2008/11/16(日) 09:28:57 ID:2hODyfYv
冬コミが終わったら、中佐帰ってくるよね?www
大学時代に憲法の講義で教官が「軍学者の見解によると・・・」なんて言ってたので 誰のことか気になって聞いてみたらやっぱり兵頭軍師だった。 それで「軍学者」なんて肩書きを使うのは兵頭さんくらいしかいないもんなぁ、 なんて思ったら大学生協で二人目の「軍学者」の著書を見つけた。
>>568 >>冬コミが終わったら、中佐帰ってくるよね?www
多分ねwww。「中佐」がいなくなってから、もう1年以上たつのか(核藁)。
>>569 定員の数が「別宮翁」が26人で、「兵頭軍師」が150人というのが
なんとも……w。ベストセラー連発の「佐藤愛」が150人で、兵頭軍師は同格
なのか!(藁)
>>571 誰でしょう?「軍師」は商標登録しておくべきですw。
林銑十郎ってヒゲと越境将軍の綽名しか印象に残ってないな。
575 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 20:10:40 ID:WH71iBJz
>>567 の続き。>>大谷の回想は以上になります。
大谷啓二郎(憲兵少佐・東京憲兵隊特高課長)は、ヒデキの憲兵政治を現場で
担った人物ですから当然、ヒデキとカンジの対立関係に大きく絡んでいます。
なので『カンジ派』の浅原健三の逮捕や
>>564-566 の回想は、その辺の所を
割引いて考える必要がありますが、これに近い構想があったのは事実でしょう。
いずれにせよ『林の裏切り』によって、カンジ派による壮大な「政権計画」は
第一歩から大きく踏み外すことになりました。
>>552 >>日本人的と言えば実に典型的な日本人だな>林
さて、この『石原莞爾の野望と蹉跌』のキーパーソンである林銑十郎ですが、
一体どのような人物だったのでしょうか? 豪快なヒゲにも関わらず、性格は
温厚で謹厳。酒は一切飲まず、晩年には煙草も唯一の趣味であるビリヤードも
辞めました。また、妙に信心深いところがあったと云います。
576 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 20:46:09 ID:WH71iBJz
>>546 >>ようやく林の足取りがつかめまして、なんと『閑院宮』邸に
>>行っているという事が分かりました。
>>547 >>閑院宮殿下に今日までの経過をご報告しておいたが、何も
>>お言葉が貰え無かった――。
前述のように浅原健三の回想では「閑院宮は林に何も言わなかった」とありますが、
『私の履歴書』にある十河信二の記憶では異なります。林は閑院宮から「なぜ三長官
会議の決定を素直に受け入れないのか?――」と激しく叱責を受けたと云います。
これを聞いて十河は「宮様が出て来ては万事終わりである」と慨嘆し、「林大将が
閑院宮殿下に会われてから、完全に『板垣陸相案』は消えてしまった」と書いており、
それ以降、寺内陸相と林が会ったことすら『私の履歴書』には出てきません。
林はなぜ突然、閑院宮に会いに行ったのか? 一般的には、閑院宮から寺内陸相に
圧力をかけてもらうためのお願いだったと云われています。
577 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 21:07:16 ID:WH71iBJz
これは、林の「閑院宮邸訪問」を聞いた陸軍次官の梅津美治郎が、 ●「(これは総長の力を利用とする)陰謀だ。よく分かった」と 述べて警戒したと伝えられるからです。 しかし、ここまで林の人となりを見てきて「それは違う」と感じた人も 多いのではないでしょうか? そもそも組閣参謀長の十河信二が、首相 候補者が行方不明になり、憲兵隊に問い合わせてようやく居所が掴めた というのも不自然な話です。この『失踪』には理由があることでしょう。 結論から言うと、林は閑院宮に「わざと叱られに行った」というのが実際 ではないでしょうか? もちろん『板垣陸相』は不可能だと、十河や浅原を 納得させる口実としてです。つまり閑院宮は言い訳のダシに使われた訳です。 次官の梅津は、閑院宮邸の別当(家宰)に林との会談の内容を問い合わせ ましたが、「単なる大命降下の挨拶だけ」と答えたと云います。もちろん 梅津はそれを疑いましたが、案外、真実だったかもしれません――。
578 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 21:42:15 ID:WH71iBJz
いったん話をまとめますと、『カンジ派』は宇垣内閣を流産させた余勢を駆って、 林銑十郎を「ロボット首相」にして野望を達成しようとしました。カンジたちは あらかじめ林に『5ヵ年計画』や要望する『閣僚名簿』を見せて説得し、そして 林に組閣の大命が下るよう、元老の西園寺をはじめ関係各所に根回しをしました。 しかし『板垣陸相の実現か? 流産か?』の瀬戸際に立たされると、林はあっさり これまで自分の組閣に尽力した「カンジ派」と手を切って、土俵際でウッチャリを 喰らわせた訳です。組閣本部を追放された浅原健三が、宿舎に戻って片倉衷少佐に いきさつを報告すると、片倉は『林に欺かれた!』と激怒しました。 また林内閣が成立する前日の2月1日、近衛文麿は木戸に対して「石原たちは 林に裏切られたと憤慨している」と話しています。さらに林の縁者として組閣 本部にいた宮村三郎(『林銑十郎:その生涯と心情』の伝記を書いた)でさえ、 「これでは裏切られた者の方が怒るのは当然である」と述べているのですから、 当時としても「相当なペテン」と受け取られた訳です。
しかし昭和の陸軍は組織として終ってるな。 佐官連中が組閣に関与しているとき陸軍の将官たちは何やってたんだ。 三長官会議による陸相推薦までは分かるとして、満州組やら参謀本部の 中堅将校やらが好き勝手やってるのを直属の上司なり上長なりが 抑えなかったってのは理解出来ん。 企業で言えば課長クラスが部長・取締役の裁可を得ずに勝手に大株主を 回って代表取締役の人事を自分の都合の良いように動かそうしているようなもんか。
580 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 23:09:35 ID:WH71iBJz
石原莞爾(カンジ)大佐は、●『林大将なら猫にも虎にもなる。自由自在にすることが できる』と豪語していました。しかし実際に「毒饅頭」を喰わされたのはカンジでした。 思えば、林銑十郎には大きな『前科』がありました。本来なら林のキャリアは東京湾要塞 司令官(1926〜27年:中将)で予備役に編入され終わるはずだったのですが、盟友である 皇道派の真崎甚三郎が助命嘆願し、林を陸大校長に返り咲かせてやった経緯があります。逆に 真崎が第8師団長(弘前)から、栄光の第1師団長(東京)に栄転するには林の工作が無ければ 不可能だったでしょう。 こうした経緯がありまして『皇道派』と『統制派』の暗闘時代、陸相の荒木貞夫が肺炎を こじらせて辞任すると、その後釜には盟友の林銑十郎が座ることになります。林がいた 教育総監のポストには、真崎甚三郎が仲良く入れ替わりです。 しかし林が高く評価していた「歩兵第1旅団長の永田鉄山」を軍務局長に引っ張ってきた 所から話がおかしくなります。林は永田のロボットと化し、皇道派の旗色が悪くなると あっさり統制派に鞍替えして、真崎の教育総監罷免に賛成します。真崎を裏切った訳です。
581 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/16(日) 23:37:08 ID:WH71iBJz
>>580 >>真崎の教育総監罷免に賛成します。真崎を裏切った訳です。
翌月には「相沢事件」で永田鉄山軍務局長が斬殺され、林は●「永田を殺した
のは俺の責任だ」と罪の意識に苛まれる事になります。しかしウカウカしている
と陸相の自分まで殺されかねません。すでに「統制派」と見なされていました
から。絶妙なタイミングで逃げ出すように陸相を辞任しますと、皇道派の怨みは
真崎の後任の教育総監・渡辺錠太郎の方に多く向いていたこともありまして、
2・26事件では危うく難を逃れます。もし陸相に在任したままなら100%、
林は殺されていたでしょう。
2・26事件後の広田弘毅内閣での『粛軍』で予備役に編入。そして今に至る
訳ですが、この腰の座らない――強いものに押されると直ぐに押されてしまう
●「定見のなさ」。林を映画のキャラクターに喩えるならば、スターウォーズに
出てくる『C-3PO』(金色のロボットw)でしょうか。まことにタチの悪い
『C-3PO』で、従順なふりをしてアッサリ人を裏切りますw。
>>574 >>林銑十郎ってヒゲと越境将軍の綽名しか印象に残ってないな。
,..-、
i /´/`)
,'´~`ヾ,.'´
/ .j ))〉
/ / / /ノ こんな人が「戦場の指揮官」だったとしら、
ノノノノjヽ 最前線の私たちは一体どうなるんでしょうか(泣)。
0O0._〉U ガクガクブルブル……
三三三
三三三
583 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 00:30:51 ID:kFL26Sd+
>>582 >>こんな人が「戦場の指揮官」だったとしら、最前線の私たちは
>>一体どうなるんでしょうか(泣)。
日露戦争では「旅順攻略戦」に参加して、個人感状も貰っている猛者でしたけどね
(歩兵第6旅団副官)。なんで副官で感状を貰っているかとえいば、自分も突撃に
参加して陣地を死守しているからです。『麒麟も老いては駑馬に劣る』でしょうか、
あるいは『ピーターの法則』(人はより高い地位を与え続けていけば、必ずどこかの
レベルで無能になる)の典型でしょうか。
朝鮮軍司令官のときに「満州事変」(1931年)が起きて、最強硬派の参謀・
神田正種少佐の意見具申に押し切られて『越境将軍』となったことも、カンジ
(石原莞爾)が自身の「5ヵ年計画」の御輿に選んだ大きな理由でしょう。
まあ、林に対してキツイ書き方ばかりでしたので、こんなエピソードも紹介して
おきます。
戦後、陸軍省と海軍省は解体したと思い込まれていたが、 実は、第一復員省、第二復員省という名称に改称。 これが一つになって改称されたのが、厚生省の援護局。 ここにかつての省部(陸海両省と参謀本部)からの職業軍人たちが全国入れて1500人も生き残っていた。 他にも、陸軍有末機関、海軍の中村機関に大本営の参謀達が戦史研究の名のもとに生き残っていた。 特に有末機関は、米軍の謀略活動や反共活動にも従事していたとされ、中村機関ともども戦後の暗部の 一つだと言われていれつづけているが、戦後の自衛隊の生みの親と言われ、当時の吉田総理と米軍の間 を連絡員として介在していたのが、辰巳栄一元中将。この人もその機関所属。 さらに、戦後、自衛隊の将官多数もこの機関から輩出されている。 自衛隊は生まれからして米軍直隷。 それが、ここにきて田母神発言は自衛隊の質的変容とも言える大事件。
585 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 00:42:24 ID:kFL26Sd+
以下、旅順攻防戦の話です。 突撃隊は窮地に陥る。それでも屈しないが屍の山を築き、更に1個大隊も 全滅し、ついには歩兵第7連隊は全滅した。 一戸旅団長は攻撃中止命令を 出し、副官の林銑十郎を呼ぶ。 ここで林銑十郎は「お言葉ではありますが」と、更に猛攻撃を具申する。 状況報告を受けた師団長・大島久直中将は、兵を死なせることは忍びん ことだが、「ただ今も乃木司令官から第9師団が出てくれんから作戦が 不成功になった」とお叱りを受けたところだと口を開く。 攻撃は再開された。「旅団長1人は死なせん、わしも死ぬ」。林副官は 泣いて旅団長に復命した。犠牲を覚悟して第35連隊全部に突撃命令が 発せられる。要塞からの機銃掃射で倒れてゆく部隊。その中から林副官が 立ち上がって突撃を命じる。 砲弾の雨霰をかいくぐり進む。連隊長以下の指揮官は、全員戦死した。 残ったのは林銑十郎ただ1人であった。
586 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 00:46:08 ID:kFL26Sd+
1人残された林銑十郎。そこへ1個大隊の増援を受け、彼はこれを指揮 して前進を続ける。しかし万事休す、増援部隊も全滅に追い込まれる。 そこへ「肉弾三勇士」ではないが、5人の勇士が火薬を持って敵陣を爆破。 この機を逃さず林銑十郎は、山頂目指して突進する。生存者もこれに続き、 勢いに飲まれたロシア兵は猛射の能力を失い、ついに完全に敵陣地を占領 した。この猛攻撃で、一戸旅団長は「鬼将軍」と言われた。 林銑十郎が捨て身の勇気を持って、3度屈せず休まず猛攻撃を敢行した功績は 全軍に讃えられ、第9師団の奮闘は明治天皇の上聞に達し、林は感状を賜った。 その後、林銑十郎は少佐に任ぜられ、間もなく朝鮮軍の情報勤務に服した。
587 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 01:05:02 ID:kFL26Sd+
まあ、どこの「ランボー」かという気がしないでもないですが、これが 「C‐3PO」になるのですから、時の流れは残酷です。もって他山の 石とすべきでしょう。 >>佐官連中が組閣に関与しているとき陸軍の将官たちは何やってたんだ。 いやいや、『カンジの野望』を潰したのは陸軍次官の梅津美治郎(中将) ですから。実は、林銑十郎の組閣のドタバタ劇というのは、中堅幕僚の 下克上を、高級将官がきちんと押さえ込んだ稀有なケースなのです――。
>>586 建川といい、昭和にポカした日露戦争組は「ピーターの法則」の体現者ばっかりだな(w
590 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 22:57:24 ID:AgwsbkBD
>>579 >>佐官連中が組閣に関与しているとき陸軍の将官たちは何やってたんだ。
>>587 >>『カンジの野望』を潰したのは陸軍次官の梅津美治郎(中将)ですから
こうして石原莞爾の野望は蹉跌した訳ですが、潰したのは一体誰だったのでしょうか。
陸相の寺内寿一? ノー。参謀総長の閑院宮? ノー。答えは「陸軍次官」の梅津美治郎
(中将)です。梅津は2・26事件当時、第2師団長(仙台)でしたが、いち早く決起
部隊の『即時鎮圧』を主張して、お上(天皇陛下)からも覚え目出度くなりました。
それゆえ、広田弘毅内閣で『粛軍』が最重要テーマになると、陸軍次官に登用されます。
一応、上司には陸相の寺内寿一がおりましたが●『お飾り』のようなもので、実際の
『粛軍』をプロデュースしたのは梅津美治郎だったと言っても過言ではないでしょう。
梅津の人柄を評して、「思慮あくまで周密、情勢の推移を注視して寸分の隙も見せな
かった達人」というものがあります。梅津は「2・26事件」の陸軍次官、ノモンハン
事件後の関東軍総司令官、敗戦間際の参謀総長就任で戦艦ミズーリでの降伏文書調印、
東京裁判でA級戦犯……と、いつも盛大な尻拭いの役目ばかりの人でした。家族にも
「いつも軍部は、最後オレのところに尻拭いを持ってくる」とぼやいています。
591 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 23:01:24 ID:AgwsbkBD
まあ、梅津美治郎を分かりやすく『東方』のキャラクターに喩えるなら、 四季映姫さまが当てはまるでしょうか。
>>591 >>まあ、梅津美治郎を分かりやすく『東方』のキャラクターに喩えるなら、
,r---、
. _ソヽ/`、シi
._>=ヘ 丞/=<,.
((ん'ノノルレム)) ペチッ 地獄の閻魔も壮大な「尻拭い」と言えなくも
_ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ ミ i っ ないんでしょうかね。悪い子は地獄に流して
),k'ヲ_`:´アつXE無旺〉ノ| っ しまいますよ。さあ、善行を積むのです。
(ン::::/:::l::ヽ. .(_,ノ
`~i,ンT,ノ~´
593 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 23:22:12 ID:AgwsbkBD
陸軍次官として『粛軍』を担当した梅津美治郎の信念として、●「陸軍として、 陸軍出身の首相はできる限り阻止したい』というものがありました。なにやら 禅問答のようで、自分達の出身母体から「総理大臣」が生まれるのなら結構な ことではないかと思うかもしれません。しかし梅津は異なりました。梅津曰く、 ●「軍人の本分は政治に関わらぬことである。軍人は『大将』をもって最高の 栄誉とすべきであり、大将になることで十分な満足と感激をもつべきである。 しかし近年は、なお大将の上に『首相』の地位があり、大将になって初めて この首相の地位(の資格)が得られるとなると、大将になることは首相への 梯子の一段階に過ぎないとなってしまう。これでは軍人の政治化、ひいては 陸軍の政治団体化を来たし、『野心的な軍人』を輩出する危険が増大する」 となります。当時、梅津の下で陸軍省軍事課長だったた柴山兼四郎大佐が聞いて 大きな感銘を受けたと云い、同様の内容は、矢次一夫(国策研究会の設立者)も 聞いております。
594 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/17(月) 23:45:57 ID:AgwsbkBD
ですので梅津としては、広田弘毅のあとに「宇垣一成」が出馬するのも内心 歓迎しませんでしたし、いわんや中堅幕僚(カンジ派)のロボットのような 「林銑十郎」が首相になるなど、我慢できることではありませんでした。 「林のためにもだが、陸軍のためにも困る。できれば阻止したい――」という のが梅津の正直なところだったでしょう。トドメとばかり『陸相候補』が板垣 征四郎ですから、首相も陸相も石原莞爾のロボットとは「何じゃそりゃw」です。 梅津は、カンジや片倉少佐の「政治工作」に強い嫌悪感を抱きました。 1月29日深夜、林に組閣の大命が降下するやいなや、翌朝30日の朝9時半には 寺内陸相、梅津次官、杉山教育総監、西尾参謀次長が集まって協議。いったん梅津は 中座して林と会見しますが、午前11時半には「三長官会議」で中村孝太郎・中将を 陸相に推薦することを決定してしまいます。まさに電光石火の早業です。 カンジ派の片倉衷少佐も、のちに●「三長官会議では梅津さんの提案によって、 寺内さんが中村(孝太郎)中将と決めちゃった訳です――」と振り返っています。
595 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/18(火) 00:05:10 ID:AgwsbkBD
>>594 >>梅津は、カンジや片倉少佐の「政治工作」に強い嫌悪感を抱きました。
すべてが決着した後、梅津は陸相官邸で『カンジ派』として浅原健三・
十河信二の背後で具体的に「策動」した片倉少佐の行動を非難しました。
省部の関係課長以上が集まるなか、梅津は――
●「片倉少佐のやった一連の行動は、どうもけしからん。片倉少佐の
行動を皆はどう思うか?」
と個別に問い質します。一番の槍玉に上げられた片倉少佐と云えば、
●「私の行き過ぎについては、軍法会議でも何でもかけて処断して下さい。
しかし私は上司の命令によって行動し、これを全部報告しています――」
と開き直りました。梅津が真偽を問うと、軍務局長だった磯谷廉介は「いや、
これは私の承認のもとでやりました」と答え、兵務局長の阿南惟幾も「私も
承知しております」と片倉をかばい、田中新一兵務課長、町尻量基軍事課長、
石本寅三軍務課長(※
>>593 の柴山の前任)も同様でしたw。
596 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/18(火) 00:33:12 ID:CXMZaUkn
>>579 >>佐官連中が組閣に関与しているとき陸軍の将官たちは何やってたんだ。
これには陸軍次官だった梅津も呆れ果て、●「君の行動に私は同意しない。しかし
皆が承知済みであるということなので、先に私の言った発言は取り消す。それでも
その行動は行き過ぎていたように自分は思っている」と訂正したのでした――。
これでは梅津の方が「馬鹿を見た」感じですが、そこはやはり梅津です。片倉少佐は
関東軍の参謀に飛ばされて、二度と中央の要職に戻ることは出来ませんでした。また、
軍務局長の磯谷廉介は、第10師団長(姫路)に外されたあとで関東軍参謀長に転出
(その後、予備役編入)。軍務課長の石本寅三は、騎兵第25連隊長に出されたあと、
駐蒙軍参謀長など、しばらく中央には帰って来れずです。
その後も順調にキャリアを進めたのは、
>>595 のなかでは阿南惟幾(兵務局長→人事局長)
と町尻量基(軍事課長→侍従武官→軍務局長)と田中新一(兵務課長→軍事課長)の3人です。
梅津の直系で、軍政に責任をもつ「軍務局長・軍務課長」が詰め腹を切らされた形ですね。
597 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/18(火) 00:54:53 ID:CXMZaUkn
まあ、梅津美治郎が『勝利者』であったのは、中村孝太郎が陸相になっても 陸軍次官であり続け、さらに杉山元が陸相になっても陸軍次官であり続けた ことからも明らかでしょう。 しかし『奢れる平家』の表現はおかしいですが(別に奢っていないw)、支那事変の さなか、近衛文麿政権の内閣改造によって、ついに板垣征四郎が陸相に選ばれると 『粛軍の申し子』である梅津は陸軍次官を自ら「依願本免官」し、第1軍司令官 として陸軍中央を去ることになりました――。 まあ、その頃にはカンジも「関東軍参謀副長」に飛ばされて、身体も心も オカシクなる寸前でしたけどw。
598 :
イナゾウ ◆FU/OcfTlfM :2008/11/18(火) 01:10:03 ID:CXMZaUkn
これにて『石原莞爾の野望と蹉跌』はオシマイです。ようやく『広田弘毅と その時代』の話に戻れそうですが、もともと広田が首相を辞めて、近衛文麿 内閣で外相に復帰するまでの「インターリュード(間奏)」として取り上げた ものです。 また広田弘毅内閣で「軍部大臣現役武官制」を復活させたのは、本当に東京裁判で 広田が唯一の文官として死刑になるほど重大な汚点だったのか?を問うためのもの でもあります。今まで「宇垣と林」の組閣の顛末を見てきて、予後備役制だったら 状況が変わったと思う人は手を挙げてw。
599 :
イナゾウ@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/18(火) 01:24:05 ID:CXMZaUkn
>>499 >>まあ、石原莞爾が首相になってたらどうなったんでしょうねえ。ぶんか社
>>文庫で『世界最終戦争――甦る石原莞爾』(佐治芳彦)1〜3が復刊しましたけど、
>>ばっちりヒデキが航空機の遭難で死んで、カンジが首相になっていますw。
まあ、林の組閣というのは、石原莞爾と梅津美治郎の『代理戦争』みたいなもの
だった訳です。
>>499 で取り上げた佐治芳彦著の『世界最終戦争』は、近衛文麿
内閣で板垣征四郎に陸相の白羽の矢が立ち、そのお目付け役としてヒデキ(東條
英機)が次官に選ばれるところから話が始まります。
本来なら、板垣陸相の次官にはカンジが就くはずでしたが、杉山・梅津の逆襲で
関東軍参謀長のヒデキが押し付けられたという格好です。そんでヒデキが満州国
から東京に飛行機で急行する途中、●『宇宙人の乗った宇宙船のバリアに衝突して
消滅(神かくし)するw』というトンデモな小説ですが、
カンジが陸軍次官から首相になるまでに、梅津美治郎との暗闘が繰り広げられる
(といってもほんの十数ページですが)というのは、至極「真っ当な設定」だと
言えるでしょう。
カ〜ンジ! 倒閣しよっ
>>599 >>ヒデキが満州国から東京に飛行機で急行する途中、●『宇宙人の乗った
>>宇宙船のバリアに衝突して消滅(神かくし)するw』
_......_
, ´:::::::::::ヽ
.((llハ ll l)、:i
|i、ヮ.゚ |i::::| えーりん、なんか蒸発した。
.i/i仝´l|`、i
〈_ノ,^-‐ヽ__〉
/ ヘ 、 _>ヽ、
` ̄  ̄  ̄
602 :
イナゾウ@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/19(水) 00:59:22 ID:dZXvtY0T
>>599 >>カンジが陸軍次官から首相になるまでに、梅津美治郎との暗闘が繰り広げられる
まあ、『世界最終戦争――甦る石原莞爾、勇戦の石原莞爾、不敗の石原莞爾』の3部作は
1992〜93年に刊行された初期の火葬戦記です。自分が*学・**生ぐらいのときに
読みまして、非常に強烈な印象を受けました。「日本にもこんな男がいた!」から始まる
カッパ・ノベルズ版で、初めてカンジの存在を知った次第です。当然、ヒデキのことが
大嫌いになった訳ですが、今現在、自分がヒデキを贔屓にしてカンジに風当たりが強い
のは、その反動でもありますw。
改めて読み直すと「ドウシヨウもない内容」ですが、最近になって文庫化される
という事は、自分以外にも強烈な印象を受けた人が「ぶんか社」の編集部に居る
のだろうなあwという気がします。
まあ、これだけカンジが気持ち良いぐらい主人公の本も大変珍しいので、無聊に
苦しんでいる方は金をドブに捨てた気で読むのもいいかもしれませんw。
603 :
イナゾウ@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/19(水) 01:13:40 ID:dZXvtY0T
>>599 >>カンジが陸軍次官から首相になるまでに、梅津美治郎との暗闘が繰り広げられる
まあ、初めの方を少し抜き書きするとこんな感じですw。
「山口みどりは、石原が『梅津斬るべし』と口にしたということを聴き、烈しい興奮とも
感動ともつかない胸のときめきを覚えた。そのときめきは、父が部屋を去った後も収ま
らず、両手のひらで胸をセーラー服の上からそっと押さえた。そこにはクラスメートの
誰よりもふくよかな隆起が息づいていた――」
着々と「近衛首相―板垣陸相―石原次官」のラインで地歩を固めていくカンジに対して、
梅津美治郎ら守旧派はついに第二の「2・26事件」を起こすことを決意します。
梅津「俺は真崎とは違う。2・26のような幼稚な行動は取らせない。やるなら徹底的に
やる。明治維新の際、薩長は親幕派の孝明天皇を毒殺して、何も知らない幼帝・明治
天皇を即位させ、傀儡としたじゃないか――」
604 :
イナゾウ@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/19(水) 01:26:16 ID:dZXvtY0T
しかし、梅津のクーデターをカンジは予期していまして、勃発と同時に 鎮圧されてしまいます。 神田「奉勅命令。自分は東京警備司令官・『神田正種』中将である。麻生 歩兵第1連隊に命令を伝える。連隊は本日払暁の演習を直ちに中止し、 武装解除のうえ、次の命令があるまで営舎内にて謹慎せよ。繰り返す、 これは奉勅命令である……。 なお、第1師団によるクーデター計画は、すでに1時間前、第1師団長の 自決と最高指導者である杉山・梅津両将軍の逮捕によって終息した。歩1は 奉勅命令に従え。軽挙妄動は厳に慎め。違反する者は、最高の軍律によって 処罰する。以上――」 梅津「石原に、またしてもやられたか……。計画はある段階から、石原にすっかり 読まれていたのだ。いや、ひょっとすると計画自体が石原の仕掛けたワナだった のではあるまいか?……日本の針路は自分よりも、やはり石原に任せた方がいい のかもしれない。さて、軍法会議で『良き敗北者』(グッド・ルーザー)の姿勢を いかに保つか? 真崎のような醜態は演じたくない。つまり、これが俺に残された 最後の戦いかな――」
_....._rァ、 ,:'´:::::::<@7 !::(::ノ::ノ)::);) この本は、石原と梅津の漫才か何かですか? ノ;:ハi ゚ ヮ゚ノリ / i`ソ/i)っ,、 ___ ,,.z z Z <_/"´^`,)(-::)r'´)、 ´ ̄  ̄  ̄  ̄'~
まあ、明日から広田弘毅の話に戻りますw。
タモ神を断罪しろ あいつは昭和軍人の亡霊が乗り移ったに違いない
>>607 まあ、自分の周りですと『タモ神論文』よりも『村山談話』がずっと
継承され続けていることの方に驚いている人がいましたからねえw。
609 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/19(水) 23:21:46 ID:x5QizOFY
さて「広田弘毅」です。現在の日本の首相である麻生太郎は、広田弘毅以来、 約70年ぶりとなる福岡県出身の首相(2番目)であります。また広田と 外務省同期である吉田茂は言うまでもなく、麻生太郎の祖父にあたります から、割とタイムリーなテーマではないかと思います。 まあ、同じ福岡県人だからといって広田弘毅と麻生太郎は似ても似つかず、 祖父の吉田茂にそっくりだと思うのは自分だけでしょうか。ちなみに吉田は 高知県生まれです。 馬場恒吾(元読売新聞主筆)の人物評によれば、広田の性格は●「外交官に 似合わず国士肌の男である。だが国士の風があると云っても、彼はいわゆる 豪傑肌の粗枝大葉の頭ではない。腹の底には愛国者の熱情を持っているが、 頭は緻密で意見は地味だ――」とあります。 『緻密で地味な外交官』でありながら、『愛国者の熱情』をみなぎらせ、 また『国士の風』も備えた広田の両面を上手く言い当てています。
610 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/19(水) 23:44:45 ID:x5QizOFY
さて、元駐サウジアラビア大使、元駐タイ大使を務めた外交官出身の 「親米保守系」の評論家に岡崎久彦がいます。外務省の情報調査局の 初代局長を務めるなど「情報畑」を中心に歩んだ人物ですが、岡崎の 著者に『〜とその時代』という外交官の人物評論シリーズがあるのを ご存じの方も多いと思います。一応、書名を挙げますと 『小村寿太郎とその時代』『陸奥宗光とその時代』『幣原喜重郎とその時代』 『重光・東郷とその時代』『吉田茂とその時代』 となります。明治維新以降、日本の針路に大きな影響を与えた主要な外交官を 取り上げているのですが、どういう訳か、広田弘毅の名前が見当たりませんw。 もちろん東京裁判で「A級戦犯」となり絞首刑なのが響いているのでしょうが、 1930年代という日本が最も揺れ動いた時代に、2回の外相(1933年9月〜 1936年3月、1937年6月〜1938年5月)そして首相(1936年3月〜 1937年1月)を務めた戦前を代表する外交官を取り上げないというのは、全く 片手落ちの謗りを免れないでしょう。
611 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/20(木) 00:11:33 ID:OPfCmhY5
要するに広田弘毅は『外相を約3年半、首相を約10ヵ月』務めた訳ですから、 1930年代の『日本の針路』の半分に大きな影響を与えたことになります。 これだけの人物が東京裁判でA級戦犯だからと言って「腫れ物に触る」ような 扱いを受けるのは如何なものか?――というのが、この大テーマ『広田弘毅と その時代』を始めた動機です。 自分が失踪する時にちょうど前半部分、広田の生い立ちから「2・26事件」後の 『粛軍』を最大テーマとした首相時代までを取り上げました。ですので、これから 始めるのは後半部分――第1次近衛内閣で外相に返り咲くところからになります。 前半は割とポジティブな話も多かったのですが、後半はかなり暗い話が続くでしょう。 サブタイトルを更に付けるとすれば、●『広田弘毅――挫折と終わりの始まり』です。 前口上が長くなりましたが、もう少しだけ、リハビリと復習代わりではありませんが 前半で舌足らずだった部分を補足しつつ再スタートしましょうw。
>>611 >>前半で舌足らずだった部分を補足しつつ再スタートしましょうw。
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 結局、広田弘毅は『玄洋社社員』だったのでしょうか?
゙,ヘi_i][i,l\ []
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
613 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/20(木) 00:39:26 ID:OPfCmhY5
広田弘毅が東京裁判で『A級戦犯』となり刑死した大きな理由の1つに、広田と 「玄洋社の関係」が追及されたというものがあります。 結論から言うと、広田は『玄洋社』の社員であったことを、東京裁判における 国際検察局の尋問であっさり認めています。また最後の方で改めて述べますが、 検察「あなたは、玄洋社の一員であったということで間違いないか?」 広田「以前にも話したようにイギリスから帰った時、青年教育のために入社する ように求められ、改めて社員になった」 検察「玄洋社の他にも、どこかに所属していたか?」 広田「玄洋社だけである」 東京裁判での国際検察局は、黒龍会や玄洋社など右翼系の「超国家主義団体」の 活動を異常に重大視していました(昭和以降は、衰退)。喩えはあまり良くない ですが、今ごろオウム真理教がどうのこうの、ライブドアが云々という感じですw。
614 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/20(木) 01:06:14 ID:OPfCmhY5
自分が不利になる玄洋社との関係を広田があっさり認めたのは、太平洋戦争の 結果について自らの責任を重く感じていたのと共に、当時の玄洋社社長だった 進藤喜平太が戦犯容疑者として同じ巣鴨プリズンに収監されていたためでした。 喜平太の父親である「第5代目玄洋社社長」の進藤一馬には、広田が福岡から 外交官を志して上京するとき自分や仲間の学費を工面してもらったり、玄洋社 総帥の頭山満に紹介して貰ったりと非常な恩義がありました。ここで「頬被り」 を決め込むほど、広田は恥知らずな男ではなかった訳です。 まあ、それは後で述べるとして、一般的には広田が『玄洋社社員』であったか どうかの問題は非常に曖昧になっています。というのも理由はカンタンで、最も 広く読まれている広田弘毅を主人公とした小説、城山三郎著の『落日燃ゆ』の中 では、●「もっとも、広田は玄洋社の正式社員ではなく、生涯、そのメンバーには ならなかった――」と断言されているためですw。
615 :
名無し三等兵 :2008/11/20(木) 01:18:21 ID:kJJQCJAh
・未婚の日本人の父と外国人の母の間に生まれ、出生後に認知された子の日本国籍取得要件
から「婚姻」を外す国籍法改正案は18日の衆院本会議で全会一致で可決、参院に送付された。
今国会で成立の見通しだが、これに先立つ同日の衆院法務委員会の質疑では、与野党双方の
議員からさらなる慎重審議を求める声が出ていた。国家の構成員を決める改正案の重要性に
比べ、国会での扱いのあまりの拙速ぶりが目立った。
「重大法案についてはきちんと審議をすべきだ」(自民党の稲田朋美氏)
「もう少し慎重に時間をとりつつやってもらいたい」(民主党の石関貴史氏)
「徹底的にやるべきだ」(社民党の保坂展人氏)
18日の法務委では委員たちから審議の不十分さを指摘する意見が相次いだ。改正案は
偽装認知など闇ビジネスを誘発する懸念が指摘されるが、実質的な審議はこの日午前に
3時間行っただけ。
採決が急がれたのは、自民、民主両党が12日、改正案を会期末までに成立させる方針で
合意したためだ。「与野党で合意したものをほごにはできない」(与党議員)と、国民とは
直接関係のない国会対策上の事情が大きい。
各党の法務委メンバーなど関係各議員のもとには、改正案に抗議し、慎重審議を求める
ファクスやメールが殺到した。その中には、DNA鑑定の導入や、父子の同居・扶養の
事実確認の必要性を訴えるものが多かった。
このため、18日の法務委では(1)父子関係の科学的な確認方法を導入することの要否と
当否について検討する(2)虚偽の届け出を行った者に対する制裁が実効的なものとなるよう
努める−などの付帯決議を行った。だが、「努力目標」の付帯決議では、国民の不安払拭には
至りそうにない。
国籍法改正案は、最高裁が6月、同法の「婚姻要件」を違憲と判断したため準備され、
今月4日に閣議決定された。だが、次期衆院選対策で地元に張り付いていた多くの議員は
法案の内容を知らないうちに、手続きは終了していた。(一部略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081119/plc0811190955005-n1.htm http://www.taro.org/blog/ ←河野太郎ブログ
616 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/20(木) 01:37:26 ID:OPfCmhY5
>>613 >>あなたは、玄洋社の一員であったということで間違いないか?
GHQは玄洋社を『日本の国家主義と帝国主義のうち最もキチガイじみた一派』
と断トツの高評価ですw。確かに玄洋社社員の来島恒喜が、条約改正に反対して
大隈重信外相に爆弾を投げつける「テロ事件」(明治22年〈1889年〉)も
ありましたが、昭和に入るとそうした活動は衰えたことは既に述べた通りです。
広田の生家から玄洋社までは、子供の足で10分とかからない場所にありましたし、
広田が幼い頃から近所にあった玄洋社の柔道場に出入りし、のちに柔道場が新築
されると「落成式」で総代を務めたことも前スレあたりで触れました。
玄洋社には様々な側面があり、「大アジア主義」もあれば青少年の教育機関、また
頭山満のような篤志家の面もありました。玄洋社が輩出した人物には、広田の他に
緒方竹虎(朝日新聞社主筆)、中野正剛、寺田栄(裁判官:鳩山由紀夫・邦夫の
曽祖父)、日露戦争の諜報戦で活躍した明石元二郎などがおります。
617 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/20(木) 01:58:46 ID:OPfCmhY5
>>614 >>喜平太の父親である「第5代目玄洋社社長」の進藤一馬には、
スイマセンw。勘違いで進藤の「父親と息子」の名前が逆転しておりました。
広田と一緒に巣鴨プリズンに収監されたのが『進藤一馬』で、広田が学資など
非常に世話になったのが『進藤喜平太』です……orz.
>>614 まあ、広田が「玄洋社社員」だからと云って特段悪い訳ではなく、進藤
一馬は戦後に福岡市長も務めていますし、玄洋社が発行していた『福陵新報』は
『九州日報』と名称を変えて、のちに『福岡日日新聞』と合併し、今の『西日本
新聞』となっています――。
まあ、福岡における「玄洋社」の影響力というのは、他県民では窺い知れない
ものがあります。まあ、名古屋も他県民に排他的なところがありまして、一昔
前は「中日ファンでなければ人にあらず」という感じでしたw。
ちょっと今日は文章が乱筆でした……w。
まあ官僚が政治結社の組織員ってのは何をどう繕っても不味いわけで・・・ 石原莞爾の電波系日蓮宗も不味いが、宗教はまあ内心の問題であるから追及しにくいけどねえ。 それにしたってお電波の命ずるままに国家簒奪計画始めたらいかんやねw 恩を返すなら、在官中は身をきれいにしておいて、退官後に加入して顧問とかやってりゃよかったのにね〜。 ヤメ検的なノリでw
何時の間に脱走兵にw
622 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/21(金) 01:12:50 ID:Ju4K0eIG
>>619 電波だろうがマトモだろうが、軍人は『現役』でなければ何の意味も
ありません。それは宇垣や林の組閣の顛末で散々触れてきました。
>>614 >>最も広く読まれている広田弘毅を主人公とした小説、城山三郎著の
>>『落日燃ゆ』の中では、●「もっとも、広田は玄洋社の正式社員ではなく、
>>生涯、そのメンバーにはならなかった――」と断言されているためです。
この部分は『落日燃ゆ』の最大のミスリーディングと言っても過言では無いのですが、
どうしてこのような次第になってしまったのでしょうか? 1つには発刊された時期が
1974年のため、資料の発掘や研究が現在のように進んでいなかったこと。
また『落日燃ゆ』の相当な部分が、広田弘毅伝記刊行会編の『広田弘毅』(1966年)に
依拠しているのですが、この本も事実とは異なる部分が散見します。実はこの『広田弘毅』
もまた種本というべき本がありまして、澤田謙の『広田弘毅伝』(1936年)や同じ書名の
岩崎榮の『広田弘毅伝』(1936)へと行き当たります――。
623 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/21(金) 01:25:50 ID:Ju4K0eIG
>>622 >>澤田謙の『広田弘毅伝』(1936年)や同じ書名の岩崎榮の
>>『広田弘毅伝』(1936年)へと行き当たります。
もうお気づきの方も多いと思いますが、この「1936年」という年は、
2・26事件が勃発しまして、広田弘毅が外相から首相へと突如として
飛躍した年にあたります。要するに広田の首相就任時に作成された伝記
でして、当然のことながら美談など「顕彰的」な内容が多くなります。
安倍総理のときも麻生総理のときも、首相に就任したばかりの時期には
必ずと言っていいほど「当人を持ち上げる」単行本が書店に並びます。
あ、福田総理のときは出ませんでしたかw。そこまで極端な代物では
ないにせよ、この2つの『広田弘毅伝』にも同じ傾向が見られます。
また広田が首相になるなど、本人はもちろん誰も想像していません
でしたから、かなり慌てて書かれたに違いありません。
624 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/21(金) 01:58:22 ID:Ju4K0eIG
要するに「小引き」「孫引き」の類で、この2冊の誤った記述が広田弘毅伝記 刊行会編の『広田弘毅』(1966)や城山三郎の『落日燃ゆ』(1974)に与えた 影響は非常に大きかった訳です。 例えば『落日燃ゆ』の冒頭には、小学生の頃の広田弘毅が達筆を買われて 鍛冶町にある水鏡天満宮の南側鳥居に「天満宮」の文字を書いたことが、 広田の人生を大きく変えたとあります。つまり家庭の経済事情で本来なら 小卒の学歴で終わるはずが、知人から親が強く勧められて修猷館中学に編入 されるきっかけとなったと云うのです。 しかし広田弘毅の長男・弘雄の証言によれば、弘毅が書いたのは「天満宮」 ではなく、神社前の「水鏡神社」という石碑でした。また、それだけなら まだしも、それを書いたのは広田が小学生の頃ではなく、日清戦争の戦勝を 祝った1895年11月で17歳の中学時代だったというのです(玄洋社 記念館の館報『玄洋』より)。
625 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/21(金) 02:25:16 ID:Ju4K0eIG
また広田は石屋の「極貧の家庭」に育ち、子供の頃は●「藺草〜、藺草〜」と 街中を売り歩いて家計を助けたと云います。そうして得た、なけなしの小銭で 筆や紙を購入しましたが、教科書までは無理だったので友達に自筆で写させて もらったといいます(字が上手くなった理由の1つ)。 しかし『玄洋』の館報によると、広田の父親は「来島恒喜」という条約改正に 反対して大隈重信に爆弾を投げつけて自決した(前述)玄洋社社員のために、 立派な墓石を一人で寄付したとありますから、それほど「極貧」ではなかった という意見もあります。しかし「殉教者」みたいな死に方ですから、相当無理 したかもしれず、この辺りは何とも云えないかもしれません。 まあ、今の雑誌や書籍でもよくある話なのですが、こうした孫引きはどんどん 伝染していく訳です。軍事関係は全然良い方ですが、ウィキペディアだって 似たようなものでしょう。「参考文献にウィキを上げる」という古典的な ジョークもありますし。鉄道のそれは、個人の好き嫌いの主観が入り過ぎて いると思うのは自分だけでしょうかw。
626 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/21(金) 02:31:00 ID:Ju4K0eIG
ちなみにですが広田弘毅の最初の進路希望は、陸軍士官学校でした。 もちろん家計に負担をかけないためです。日清戦争後の三国干渉の 屈辱をきっかけに外交官を志すのですが、世が世なら帝国陸軍人の 広田弘毅の姿が見れていたかもしれません。もちろん福岡県出身と 玄洋社社員という観点から、『支那通軍人」になったのは間違いの ないことでしょうw。
>>623 >>安倍総理のときも麻生総理のときも、首相に就任したばかりの時期には
>>必ずと言っていいほど「当人を持ち上げる」単行本が書店に並びます。
広田の場合もそうですが、例えば「極貧の家庭で苦学」が実際以上に強調される
とかですね。子供のころに新聞配達でもしていた日にゃあ。
>>626 >>もちろん福岡県出身と玄洋社社員という観点から、『支那通軍人』に
>>なったのは間違いのないことでしょうw。
史実でも支那通軍人の重鎮である「松井石根」と関係が深いことが挙げられます。
生まれて初めて株を水曜日に買ったら、翌日の木曜日に大暴落ですw。うー。
指値の1円の読み違いで軽傷で損切りできなんだ……。今朝もダウが大暴落して
いますし、今度は成行でとっとと損切りしまふ。モーニングサテライトを見ていると、
煽り口調に鬱になってきます。どうでもいいですけど、あのアナウンサー?は
何となく西川女医に似ていると思いますが、いかがでしょうw。
_,........,_ , ´,.-== ,ヽ i (ノノλノ)リ ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 広田外相の最初の失点と言われる `,く_,`ハ,イつ ●『天羽声明』って、結局何だったの? ,(,ノ┐ハゝ `'-i'_ィ,ァ"´
629 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/22(土) 00:22:34 ID:/ZLtQyct
さて一気に話が飛びまして、広田の外相時代に移ります。広田はいわゆる●『協和外交』を 推し進める訳ですが、●『天羽声明』が発表されますと欧米諸国からダブル・スタンダード だと大きな非難を受けます。1934年4月17日午後2時、外務省情報部長の天羽英二が 「霞クラブ」と呼ばれる外務省の記者クラブで会見を開いたことから、話は始まります――。 前スレでも短く触れましたが、 >天羽の記者会見の発表にある、●「日本は東亜の秩序維持に責任をもつ国家であり、 >列強による支那援助は日支の特殊関係を考慮すると、主義としてこれに反対せざる >を得ない」というくだりが問題になります。日本の新聞は、●「支那からの英米 >駆逐論」とヤンヤ騒ぎ立てますし、海外からは●「日本のアジア・モンロー主義」 >だとして反発を招きました。 と騒動になり、あくまで欧米との協調のもとで『対支外交』を意図していた外相の 広田にとっては『寝耳に水』の出来事でした。広田は釈明に追われ、駐日アメリカ 大使のグルーに対しても、「日本は支那における第3国のいかなる利益も害そうと いう意向を持たない」と弁明する羽目になります。
>「日本は支那における第3国のいかなる利益も害そうという意向を持たない」 なぜだろう、虚ろな棒読みにしか聞こえないよ・・・・・・
631 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/22(土) 00:59:57 ID:/ZLtQyct
しかし、日本の「外交電報」を解読していたイギリスは、この『天羽声明』は 天羽が独断で発表した個人的な見解ではなく、「広田の名前で出した電報」に 依拠するものだと気がついていました――。 なぜ広田弘毅は、この『天羽声明』が勝手に出されることを止められなかったので しょうか? 広田はもともと「情報部次長」を務めていましたから、かって知ったる 部署だったはずです。実はそこには外務省内部の複雑な力関係が根底にありました。 外相の広田弘毅と、外務次官の重光葵の●『対支政策』をめぐる綱引きです。 結論から言えば、『天羽声明』は外務次官の重光葵が行なった策略だった訳です。 広田が外相に就任する以前から次官を務めていた重光は、外務省の『対支政策』を リードし続けていました。第1次上海事変後の「天長節式典」で右足首を爆弾テロで 吹き飛ばされた(朝鮮独立運動家による)経験をもつ重光は、支那における欧米列強の 影響力を排除するのに、より強硬な考えを持っていた訳です――。
632 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/22(土) 10:19:04 ID:nA33sl5q
そもそも『天羽声明』の中味というのは、1934年4月13日に広田外相の 名前で「有吉明・駐支公使」宛に出された第109号電報のほぼ全文でした。 『天羽声明』が出される僅か4日前のものです。 ちょっと分かりにくいかもしれませんが、会社の社長名で出される社内文書の ようなものだと考えて下さい。当然のことながら「社長名」だからといって、 社長が自分で文章を考えている訳ではありません。最後に部下からの説明なり 趣旨を聞いて「許可・承認」を与えるだけです。 この天羽声明のもととなった「第109号電報」を起案したのは、外務省亜細亜局 第1課長だった守島伍郎です。のちに東京裁判で広田の弁護人も勤めた守島は、 広田と同じ福岡県人で修猷館中学の後輩(22歳年下)にあたります。さらに 守島に外務省入りを勧めたのが、当の広田弘毅だったりします。 しかし、この「第109号電報」を守島に書かせたのは広田でなく、実は外務 次官の重光葵でした。重光は駐支公使の時代から守島に目をかけており、重光は 極力「対支外交」から外相の広田弘毅を排除しようとしていたのです。
633 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/22(土) 23:01:14 ID:UcaCfHoJ
>>629 >>なぜだろう、虚ろな棒読みにしか聞こえないよ・・・・・・
国益のためなら『黒』を『白』とでも相手を言い含めるのが「外交官の仕事」
ですから仕方がないでしょう。しかし広田は本当にこの時、寝耳に水でした。
広田外交の最大のネックはやはり満州国問題です。この状態で支那との関係
改善を目指そうとも、支那から見れば「自分の家族を人質に取っている人間
から、そのままの状態でヨリを戻そう」と言われているようなものですw。
>>633 >>国益のためなら『黒』を『白』とでも相手を言い含めるのが「外交官の仕事」
______
´> `ヽ、
_,.'-=[><]=.,_
ヽi <レノλノ)レ〉'
ノレ§゚ ヮ゚ノiゝ 国益のためなら、『幻想郷最強の生物は、チルノ』とだって
`k'_.〉`=' !つ 主張しなければならないんだぜ、だぜw。
i_ノ'i! ̄i!>、
~'i,ンT,ン"~
635 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/22(土) 23:48:07 ID:UcaCfHoJ
>>632 >>この「第109号電報」を守島に書かせたのは広田でなく、
>>実は外務次官の重光葵
問題になった「第109号電報」ですが、書いた守島伍郎によると「私の作った
電信案は重光次官の気に入らず、シカラレ、シカラレ二度も書き直した。電信案が
やっとパスしたので、改めて桑島(主計)東亜局長、重光次官のサインを取って
『広田大臣』の所に持っていった。大臣は変な顔をされたが、兎に角サインを得た
ので、直ぐに電信課から発電した――」
要するに「第109号電報」は、形式上は広田の名前ですが、内容的には重光の
電報と言ってよい訳です。それを読み上げたのが、●『天羽声明』の正体でした。
実は、広田と重光の関係はあまり良好とは言えず、前述の守島によれば「重光氏は
広田外相の下で、あまり従順な次官ではなかったように思う。重光氏はともすると
自分の対支外交をやる傾向があった。しかし広田氏はズルイと云うか、人物が大きい
と云うか、重光氏独特の対支外交にあまり干渉されなかったようである――」
636 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/23(日) 00:17:51 ID:vmk2ODsz
こうして書くと広田の監督責任が問われるような内容ですが、いろいろ理由が あります。まず根本的な問題として、広田は『支那通なのか? ソ連通なのか?』 という命題です。もちろん広田はどちらも専門ではあるのですが、強いて言えば 『ソ連通』の傾向がより強かったでしょう。 外務省の大先輩であり、外交の師匠である故・山座円次郎から広田は若いときに 「日本の外交の中心は支那とロシアだ。外交官たらんとする者は、まずこの2国 の事情を究めねばならぬ」と聞かされていました。 確かに広田は、外務省に入って最初に赴任したのは支那でしたが、清朝末の頃であり、 すでに四半世紀以上もの歳月が流れていました。それよりも広田の専門はソ連であり 駐ソ大使のときに『満州事変』が起こって、対応を一歩間違えれば『別の事変』が 勃発するような危機的状況を上手く乗り越えました。 そもそも広田の外相時代は、陸軍の皇道派の勢力が強かった時期です。広田が外相に 抜擢された理由も、陸軍を抑えて穏健な対ソ外交の実現を求められた背景があります。
637 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/23(日) 00:43:31 ID:vmk2ODsz
広田に比べて、外務次官の重光葵は前駐支公使であり、上海総領事も務めた 経験がありました。皇道派がドンパチを始めそうな「ソ連」と満州国問題で 揺れる「支那」、難しい極東情勢のなかで広田はソ連を自分でやることにし、 支那は重光にほとんど任せるような状態だった訳です。 それでなくとも広田は「大山巌」ではありませんが、仕事を部下に任せるタイプです。 少なくとも部下の仕事に対して、粘着質に口を出すような男ではありませんでした。 それは、広田が欧米局長のときから変わらないスタンスです。 次官の重光自身も回想で、●「外務省ではシナおよび満州問題について、外務次官 である私を中心にして対策を講じていた。広田外務大臣も私のシナにおける経験を 鑑みて、私に広範囲の裁量を許していた――」 そのようにして起きた「天羽声明」事件ですが、外務省は「縦割り組織」であり、 事情を詳しく知らない寝耳に水の他部署の幹部から、非難の声が集中しました。
638 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/23(日) 01:04:41 ID:vmk2ODsz
特に『天羽声明』で欧米から総スカンを喰う形となった東郷茂徳欧米局長は、 ●「声明の過激政は、9ヵ国条約に執着する諸国との間に無用の葛藤を惹起 する――」と広田に噛み付きました。ちなみに9ヵ国条約とは、支那の領土・ 権益の保全を謳ったものです。要するに「現状を維持して抜け駆けすんなw」 という内容です。 これに対して広田は「(外務大臣の)自分が全く知らない間に出された電報 なので、欧米諸国の大公使より聞かれた場合は、その趣旨をもって弁明して 欲しい――」と答えるしかありませんでした。要するにイレギュラーな声明 であり、日本の外務大臣が本気で考えて出したものではない、という訳です。 情けないといえば情けない限りですが、それでも広田は次官の重光や天羽の 責任を問いませんでした。天羽英二の日記によれば、天羽が『進退伺い』を 出すと、広田は「(自分も)連帯(責任)」と答えたといいます。
639 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/23(日) 01:32:43 ID:vmk2ODsz
>>638 >>東郷茂徳欧米局長は、広田に噛み付きました。
こんなでも広田弘毅と東郷茂徳の関係は良好で、むしろツーカーの仲でした。
逆に東郷重徳は、「重光葵・天羽英二」としっくりいきません。天羽英二は
広田が駐ソ大使のときの部下でしたが、天羽より1期先輩の重光葵と近く、
独断で声明を発表するようなタマ(性格)ではないと、当時の新聞記者から
見られていましたので、背後に誰がいたかは明々白々でしょう。
もともと天羽英二の所属する情報部は『宣伝外交』が仕事であり、政策決定に
携わるような部署ではありませんでした。間違っても「007」のような
仕事では無い訳ですw。むしろ機密事項が漏れないように、情報部には
重要な情報を伝えないと云った「パラドックス」すらありました。
しかし外務省にとっては「鬼門」の部署であり、以前に満州事変では同じく
情報部長だった白鳥敏夫が、外相の幣原喜重郎に意向に反して「強硬声明」を
出すなど、むしろ「負の宣伝」を行なっています。
640 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/23(日) 01:55:22 ID:vmk2ODsz
>>628 >>広田外相の最初の失点と言われる●『天羽声明』って、
>>結局何だったの?
結局『天羽声明』の責任問題はウヤムヤになってしまい、天羽は1937年4月まで
3年もの長期間、情報部長の座に留まることになります。ホトボリが冷めるまで留め
置かれたという方が正確でしょうか。それでも、スイス大使やイタリア大使を後には
務め、日米開戦直前の1941年8月には外務次官にまで上りつめました。
「天羽声明」は外務省内の対支外交の主導権をめぐるドタバタ劇のようなもので、
部内を掌握できていなかった外相・広田の最初の失点だったと言えるでしょう。
ちなみに全く関係ありませんが、東郷茂徳は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、島津義弘が
連れ帰った朝鮮人陶工の子孫であり(当然、鹿児島県出身)、陶工たちが集められた
苗代川周辺では幕末まで朝鮮語が使われていたと云います。
広田は東京裁判の時、「私は貝になりたい」気持ちだったろうか。
>>641 >>広田は東京裁判の時、「私は貝になりたい」気持ちだったろうか。
来月には「東京裁判」に突入するので、それを読んで判断してくらさい。
__ ⌒ヽ, ) _...V.._ /´__iXi__ヽ <ノi,ノノハノ) )> ゚ ((ハリ゚ ー.゚ノハ 。 「広田外相」の功績って、結局 ノ〜ヌ-i((つ 何だったのでしょうか? ,(ン'´ノ::::`ヽ、 `'〜'r_fi_ァ〜^  ̄  ̄ ̄
645 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/23(日) 23:43:45 ID:NhJAGPqz
>>644 >>『広田外相』の功績って、結局何だったのでしょうか?
1に『東支鉄道の買収』、2に『在支公使館の大使館への昇格』ですね。
先にも述べた通り、外相の広田弘毅に求められたのは●『ソ連との緊張緩和』です。
「対ソ強硬派」の皇道派が陸軍を牛耳っているとなれば、なお更です。だからこそ、
「ソ連大使」を務めた広田弘毅が外相に選ばれた訳です。
詳しくは前スレで述べましたので重複は省きますが、東支鉄道(北満鉄道)の買収
成功は、ソ連との緊張緩和に大きく寄与するものでした。なにせ皇道派は「戦争に
なったらタダで獲得できるものを…」と買収に反対していましたからね。統制派の
永田鉄山(参本第二部長【情報】)と皇道派の小畑敏四郎(参本第三部長【運輸】)が
東支鉄道買収の是非をめぐって派閥の『代理戦争』じみた対立を繰り広げています。
まあ、広田が東支鉄道の買収に成功できたのも「統制派vs皇道派」を上手く利用
できたからかもしれません。広田はソ連大使のころから『東支鉄道の買収』に力を
注いでいましたから、1年9ヵ月に及ぶその交渉妥結は感慨ひとしおだったでしょう。
646 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/24(月) 00:10:41 ID:8jw2bS+z
最終的に1935年3月23日、ソ連と満州国が「東支鉄道」の譲渡について協定を 結びますと、正式調印は交渉を取り持った広田の外相官邸で行なわれました。 因みにその条件とは、譲渡価格を1億4千万円とし、満州国の支払いを日本が 保障するというものです。 広田の外相官邸には、当事者となるソ連駐日大使のユレーネフと満州国駐日大使の 丁士源をはじめ、外務次官の重光葵、欧米局長の東郷茂徳、東亜局長の桑島主計、 情報部長の天羽英二、通商局長の来栖三郎、条約局長の栗山茂…など、外務省の 高級幹部が勢ぞろいで同席し、外相の広田は ●「東亜ひいては世界の平和増進のため慶賀に堪えぬ所である」と高らかに 祝辞を述べたのでした――。 また翌日の『東京朝日新聞』には「日満露親善の礎なる」と大きく報じ、衆議院で広田が 外相の報告として●「満州における総ての鉄道が(満鉄による)一元的経営のもとに立つ ことに相成りました」と胸を張ると、議場には割れるような拍手が鳴り渡りましす。 ソ連との緊張緩和は、広田外相(第1次)の最大の功績と言って良いでしょう。
647 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/24(月) 00:35:48 ID:8jw2bS+z
>>639 >>こんなでも広田弘毅と東郷茂徳の関係は良好で、むしろツーカーの仲でした。
成功の背景には、外相の広田弘毅と欧米局長の東郷茂徳の良好な関係が挙げられます。
広田が「ソ連通」であることに加え、広田が欧米局長時代、東郷はソ連担当の第1課長
として共にソ連との国交樹立に尽力していた経緯がありました。
こうしてソ連との雪解けムードが強まり、広田が衆議院の漁業委員会で北洋漁業について
質問を受けると、●「かつて北樺太の買収問題を討議したことがあります。日本とロシア
(ソ連)の間で円満に話が進むのならば、この問題を再び起こすこともよろしいのでは
ないかと思うのであります」と些か勇み足のような答弁も飛び出しています。
まあ、この頃が広田の推し進める『協和外交』の絶頂期に近くなりまして、貴族院で
岡田啓介首相のあとに登壇し、日支親善と東アジアの平和を説いた、堂々たる演説を
広田が行なうと、貴族院には珍しい拍手喝采に包まれたと云います――。
648 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/24(月) 01:03:19 ID:8jw2bS+z
そんな外相として絶頂期にある広田ですが、そこは国会の議事堂です。必ず 噛み付いてくる野党議員はいます。岡田啓介内閣は、元老・西園寺の要請に よって民政党が与党として補佐していましたが、ある日の衆議院の本会議で 野党・政友会議員の『芦田均』が広田の外交政策を批判しました。 芦田均とは言うまでも無く、戦後の内閣総理大臣です(1948年〜)。 ただし昭和電工の疑獄事件で非常な短命政権に終わってしまいますが。 もともと芦田は外務省出身で、「支那の排日抗日政策」「ブラジル移民問題」 「ソビエトの極東守備軍の兵力」など、ひとしきり質問を投げつけたあと、 ●「無策無方針の(外交の)結果として、国際的孤立に陥ることは我が国運の 前途を危うくするものであると信じております(場内拍手)」と岡田内閣を 追及しました。外交官から衆議院議員に転身した芦田なので、外交に関する 発言には迫力がありました。それでも広田は余裕の表情で答弁に向かいます。
649 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/24(月) 01:29:58 ID:8jw2bS+z
広田「流石は外交官出身であって…(場内苦笑)」 野党議員「何を言うか!」「いつも不真面目なことを言ってはいかん」 広田「黙ってお聴きなさい――」 と一喝すると、かつて外務官僚時代の芦田が自分の元を訪れて「外交官を辞めて 政党に入りたい――」と相談に来たことを議場で暴露します。さらに追い討ちを かけるように、 広田「芦田君のごとき外交通が外務省から去られたことは、外交の将来の発展の ためには甚だ遺憾のことだと、私は痛感するのであります」 と褒め殺しました。その前口上の後で広田は、支那や満州国、ソ連などについて 存分に論じ尽くし、あの有名な言葉である●『私の(外相)在任中に戦争は断じて ないと云うことを確信いたしております』として、答弁を締め括ったのでした。 議員になって3年目の芦田より、外相として国会の議事堂に上がったばかりの 広田の方が遥かに役者が上でした。翌日の『東京朝日新聞』には、●『我輩の 在任中、断じて戦争なし。芦田氏の外交質問に率直確信を披露』と大きく報じ られました。
650 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/24(月) 02:07:16 ID:8jw2bS+z
>>645 >>1に『東支鉄道の買収』、2に『在支公使館の大使館への昇格』ですね。
こうして「ソ連問題」を片付けた広田弘毅ですが、今度は「支那との関係改善」に直接
乗り出します。しかし、そこには大きな『鬼門』が待ち受けているのでした――。
『日中親善』を訴える広田の演説は、国民政府の蒋介石・軍事委員会主席(当時)や
汪兆銘・行政院長兼外交部長などにも好意的に伝わります。蒋介石もまた日中の善隣を
説く声明を発表するなど、ソ連に続いて支那との間にも雪解けムードが漂ってきました。
しかし日支間の根本的な問題として『満州国』の是非をめぐる絶対的な対立がある以上、
支那との関係改善は、それを棚上げにすることで辛うじて成り立つものだった訳です。
また更には日本陸軍の『支那通軍人』たちも大きく関わってきますから、余計に話が
ややこしくなってきますw。
それはさて置き、「在支公使館の大使館昇格」が行なわれる契機ですが、外相の広田が
ハーグから帰国途上に来日した応寵恵・常設国際司法裁判所判事と会談したことから
始まります。応寵恵が「相互の公使館を大使館に昇格してはどうか?」と尋ねると、
広田は「親善関係が一層増進すれば、大使交換を実行したい」と前向きな返事でした。
>>645 >>2に『在支公使館の大使館への昇格』ですね。
, -─ 、y)
(ル,, ===Oo、
l´(ノ))ノ)),)´
ノノ!l.゚ ヮ゚ノil 「公使館の大使館への昇格」なんて、
(v,<リ,_ネ_iリつ そんな大したことないんじゃない?
,(ン'、_x_x_ヽ、
`^i_ソ'^i_ソ^゙
 ̄ ̄  ̄
652 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/25(火) 00:01:21 ID:DX3CPudm
>>651 >>「公使館の大使館への昇格」なんて、そんな大したことないんじゃない?
いえいえ、そんな事はありませんよ。現在の感覚で考えては非常なミスリーディングに
なります。今の日本の外務省は、世界中123ヵ国に大使館を持っていますが、広田の
時代の日本大使館の数は、僅か10ヵ国しかないのです。広田がオランダに赴任した時も
「公使」の地位であったことを思い出して下さい。オランダに大使館は無かったのです。
今でこそコスタリカやトンガ、ルワンダにだって日本の大使館はありますが、広田の活躍
した時代である1930年代半ばには、●イギリス、●アメリカ、●フランス、●ドイツ、
●ソ連、●イタリア、●ベルギー、●ブラジル、●トルコ、●満州国の10ヵ国にしか
存在しませんでした。一部、ブラジルやトルコなど日本との特殊事情(海外移民など)で
大使館が置いてあった国もありますが、基本的には「大使の交換」というのは一流国同士で
行なわれていたものでした。今まで支那に置かれていたのは、『在支日本公使館』ですね。
もし支那に「11番目の大使館」が開設されるとなれば、日本は支那を対等の大国として
認めたことになり、国際的なインパクトは非常に大きなものがあります―。
653 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/25(火) 00:22:10 ID:ewdfgUT3
ある意味、大使の交換というのは支那にとって「不平等条約の改正」にも 匹敵するほど国際的地位を向上させるものです。 何やかんや言って、広田が外相を務めた1935年頃というのは満州国の 騒動も一段落ついて(なし崩し的にw)、日中関係が一番落ち着いた頃でも あるのです。まだ汪兆銘や黄郛といった日本に留学経験を持つ『親日派』が 頑張っていた頃ですし、広田の『協和外交』はそれを勇気づけるものでした。 ちなみに当時の汪兆銘は行政院長兼外交部長、黄郛(こうふ)は北支5省と 北平市・青島市を管轄する行政院駐平政務整理委員会委員長(長い!)です。 また、汪兆銘の右腕となった唐有仁(慶応義塾大学留学)は外交部ナンバー3の 常務次長ですし、広田はこうした支那の『親日派』と手を取り合って関係改善を 目指そうとした訳です。しかし以前にも述べたとおり、満州国の存在がネックになり ます。日本と支那が手を取り合おうとも、満州国を棚上げにせざるを得ないのです。
654 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/25(火) 00:52:43 ID:ewdfgUT3
かねてより支那は、日中双方の「公使館」を「大使館」に昇格させたいと 切望しましたが、駐支公使館付武官である磯谷廉介(少将)など陸軍は 強硬に反対します。言うまでもなく、磯谷は『支那通軍人』の一人であり、 支那が時おり見せる親日的態度は『偽装親日』に過ぎないと主張した訳です。 それでも『ソ連との雪解け』に成功して勢いづいている外相の広田弘毅は 大使館への昇格を決心し、1935年5月7日に岡田啓介内閣の閣議で 了解を得ました。前日には、昭和天皇にも内奏しておく手際の良さです。 念願を果たした広田は、南京総領事の須磨弥吉郎から行政院長の汪兆銘に、 『両国の関係進展を重視するため』との理由で大使館への昇格を申し入れさせ ました。こればかりか広田は、アメリカ・イギリス・フランスなど欧米列強にも 日本と同様の「大使館昇格」を勧め、同意を取り付けます。これは支那との関係 改善ばかりか、日本が音頭を取って欧米諸国と足並みを揃えることで日本自身の 国際的な信頼回復を図るという広田の『一石二鳥』の外交戦略が実現した瞬間でした。
満州国と陸軍なかりせば・・・
>>654 >>広田の『一石二鳥』の外交戦略が実現した瞬間でした。
___/,k-‐-v'7ァ
`>(_ノ)o,___`>
`Y〈 ハλノ) )
!イリ ゚ ヮ゚ノリ なんか、支那はダシに使われているような気が……w。
ノィ(,_i`{:}'l]つ
,(ノゝ、;_,_〉、
`''r_ァ'r_ァ'"
657 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/25(火) 01:31:28 ID:ewdfgUT3
>>654 >>広田は、南京総領事の須磨弥吉郎から行政院長の汪兆銘に、『両国の
>>関係進展を重視するため』との理由で大使館への昇格を申し入れさせました。
須磨が「大使館昇格」を伝えますと、行政院長の汪兆銘は泣いて喜びます。須磨が
帰るときには一礼したうえ、唐有人(外交部)次長を伴なって、わざわざ自動車に
乗るまで見送りに来てくれました。更には、汪兆銘自らドアを閉めてくれるという
歓待振りで、同行の通訳ともども、須磨はすこぶる恐縮したと云います――。
1935年5月17日付けで正式に「大使館昇格」となると、国民政府外交部の
スポークスマンは、●「広田外相の努力および誠意は、日支国交に画期的な改善を
もたらしたものとして、我々の最も感佩(かんぱい)するところである」と談話を
発表しました。感佩とは『深く心に感じて忘れない』という意味です。
福岡に生まれ、幼少の頃から玄界灘の向こうの大陸を夢見ていた広田弘毅に
とっては、『日支提携』の一里塚を自らの手で築くことが出来て、さぞかし
感無量だったことでしょう。
>>657 >>幼少の頃から玄界灘の向こうの大陸を夢見ていた広田弘毅にとっては
しかし、『板子一枚下は地獄』とはよく言ったものです。
シナ公使の大使への格上げが廣田外交の功績と言われてもなあ。 田中政権の功績が日中国交回復、といわれるのと同じくらい違和感あるわw
660 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/26(水) 00:52:06 ID:tOt558Oj
>>659 まあ、そう結論を急がずに。支那の国民政府の中にも『親日派』と『親欧米派』が
おりまして綱引きをやっている訳です。汪兆銘は、日本の法政大学出身ですし、唐有仁は
慶応義塾大学出身、また前述の黄郛も日本の振武学校出身で蒋介石と同期だったりします。
ちなみに振武学校は1903年設立で、清国が派遣した留学生を教育するための予備学校です。
これに対して『親欧米派』の代表は、孔祥熙・財政部長、宋子文・中央銀行理事会常務理事、
孫科・立法院長です。それぞれ米国に留学しており、ハーバード大、イェール大、カリフォル
ニア大、コロンビア大などで「学士・修士・博士号」を取得しています。
まあ、何が言いたいかと云うと、国民政府の中で『親日派』の勢力が隆盛してくれないと、
『親欧米派』に圧迫されて『反日運動』に歯止めがかからなくなるなど、ますます関係が
悪化してきます。駐支公使の「大使格上げ」は、親日派へのカンフル剤として有効な手だと
外相の広田は考えた訳です。結果はどうあれ、日中提携の『一里塚』であったことは間違い
のない事実でしょう。ただし、これから述べるように爆弾に火をつける羽目になりましたw。
661 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/26(水) 01:24:12 ID:tOt558Oj
>>658 >>しかし、『板子一枚下は地獄』とはよく言ったものです。
実は「駐支公使」の大使昇格は広田が独自に進めたものであり、外務省の東亜局長
である桑島主計にも十分に知らされておりませんでした。つまりは広田自身の外相
権限で決定したものだった訳です。
しかし大使館昇格は、桑島と同じく十分な根回しを受けていなかった陸軍を激怒
させる結果となりました。外務省までわざわざ来て、●「今後、陸軍は広田さんの
ヤルことを妨害する――」と公言させるまでに軋轢が生じます。もともと陸軍は、
大使館昇格を「時期尚早」と反対しておりました。その理由として「大使館昇格」と
なれば、現地の外交官の地位・権限が格段に向上し、陸軍の出先機関が下に見られる
ことを懸念した訳です。
要するに、陸軍の意向を無視して外務省が勝手な交渉を国民政府と進めるのでは
ないか?――陸軍の中でも参謀本部がとくに批判的でした。広田の大きな失点と
しては、●『対支外交』はイコールで●『対陸軍外交』という意識が希薄だった
ことです。
662 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/26(水) 01:54:51 ID:tOt558Oj
前述の外務省・亜細亜局第1課長の守島伍郎は、「広田さんは『対支政策すなわち
対陸軍政策』という事実がよく分かっていなかった」と回想していますが、広田は
陸軍による『北支分治工作』の激化で嫌というほど思い知らされることになります。
>>661 >>現地の外交官の地位・権限が格段に向上し、陸軍の出先機関が下に見られる
少し補足が必要ですね。いわゆる『特命全権大使』は親任官(天皇の親任式をもって
任命される)となりまして、国務大臣クラスの地位になります。他に親任官というと
内閣総理大臣はもとより、枢密院正副議長、大審院長、検事総長、朝鮮・台湾総督、
東京都長官、企画院総裁などが挙げられます。
軍の親任官は陸海軍大将、またそれに相当する「親補職」として、陸海相、参謀総長、
教育総監、軍令部総長、軍司令官、東京警備司令官、連合艦隊司令長官、艦隊司令長官、
一番数が多いのは「師団長」となります。
早い話が外務省の「駐支公使」が大使に昇格されてしまうと、最低でも「師団長」クラス
でないと序列としての地位が下になってしまう訳です。
663 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/26(水) 02:14:52 ID:tOt558Oj
大使館や公使館の『付武官』というのは大抵は少将ですし、たとえ中将でも
>>662 で述べた高位の役職に就いてなければ、親任官の格下の『勅任官』に
過ぎません。大将になって初めて、無条件の「親任官」となる訳です。ああ、
ややこしいw。
外務省の公使は「勅任官」で陸軍の少将も「勅任官」ですから、広田が大使館に
昇格させる前は一応、釣り合いが取れていた訳です。ちなみに外務次官は勅任官
ですから「大使」よりも下位となります。
支那と云えば「支那駐屯軍」の歴史が長いですが、1936年に混成旅団規模に
拡大されて(それ以前は10個中隊規模)、ようやく軍司令官が『親任官』になり
ました。これとて関東軍との力関係のバランスが考慮された理由が大きいでしょう。
まあ話が脱線しましたが、外交官も陸軍人も同じ官僚ですから、こうした「官吏区分」は
非常に気にする訳です。命令系統がまったく異なる別組織ですから、尚更のことでしょう。
また蛇足ですが、親任官や勅任官は「明治憲法」の制度で、今の日本国憲法のもとでは存在
しません(形式上、内閣総理大臣と最高裁判所長官は親任式で天皇から任命されますが……)。
このスレのおかげで佐々木氏の一連の著作を買ったよ。 大変面白かった、ありがとう。
665 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/27(木) 01:12:42 ID:jv96hLw5
>>664 どうもでございます。「中間管理職」の苦労というか、数代にわたる
連隊長との交流と比較が非常に面白い本です。昔は図書出版社の単行本しか
無かったのですが、光人社文庫に収録されて何よりです。秘蔵のタネ本扱い
だったので正直残念な気持ちもあるのですが……w。
どうでもいいですけど、最近は株を始めたせいで睡眠時間が3〜4時間になり
ぶっ倒れそうです(藁)。2時半ぐらいに寝てモーニングサテライトが始まる
6時前に起きるという……。
>>661 >>●「今後、陸軍は広田さんのヤルことを妨害する――」
「駐支公使館」の大使館昇格について特に反発したのが、支那駐屯軍参謀長の
酒井隆大佐です。「心外に堪えず」と外相の広田弘毅を名指しで批判しました。
ちなみに酒井の前職は、参謀本部第二部支那課長でこのスレのタイトルまんまでふ。
太平洋戦争の冒頭では、第23軍司令官(中将)として香港の攻略を指揮しました。
敗戦後は、南京の軍事法廷で「死刑第1号」となり雨花台で処刑されてしまいます。
666 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/27(木) 01:31:09 ID:jv96hLw5
>>665 >>大使館昇格について特に反発したのが、支那駐屯軍参謀長の酒井隆大佐
酒井はこの時、支那駐屯軍司令官の梅津美治郎(少将)を補佐するナンバー2の
地位にありました。ちょっと前の「宇垣一成・林銑十郎」の組閣の話と前後して
ややこしいですが、今はそれよりも2年ほど前(1935年)の話です。
酒井の反論としては、●「前外相の内田康哉が『国を焦土にしても(焦土外交)』
満州国を守ろうと決意していたのに、後任の外相の広田が、満州国の敵国である
支那と大使を交換するとは何事であるか? 一体、満州国と南京政府のどちらを
援助しようと考えているのか?――」と云うもっともな意見です。
まあ、内田の外交の行き過ぎを是正するために、内田自身が後任の外相に広田を
推薦したという事情もあるのですが、酒井の『満州国と南京政府のどちらが大事
なのか?』という反発は、支那との「外交関係」を考える上で全ての問題の根源を
表していると言ってよいでしょう。もちろん広田とすれば、どちらも大事ですが
大使館昇格の問題で『疑心暗鬼』になっている陸軍には、満州国より南京政府を
優先しているように見えて仕方がありませんでした。
>>666 >>酒井の『満州国と南京政府のどちらが大事なのか?』という反発
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 『仕事とアタシ、どっちが大事なの?――』
゙,ヘi_i][i,l\ [] という命題に匹敵しますねぇ。
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
____r。, , '´ ⌒ヾ゚') i ( ( ) ) )ノ (ハリ ゚ ヮ゚ノヨ 『とらドラ!』のアニメに気を取られて、私の名前、間違ってますよw。 `⊂i、'」(メi⊃ <_/;:゙,;:':゙○ ``i_ラ ̄脱走兵
広田弘毅は南京大虐殺を黙認したから死刑で当然だろ
670 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/27(木) 02:19:22 ID:jv96hLw5
>>666 >>大使館昇格の問題で『疑心暗鬼』になっている陸軍には、満州国より
>>南京政府を優先しているように見えて仕方がありません
支那現地にいる酒井隆の「広田批判」は、参謀次長の杉山元を通して外務省に
伝わってきました。また陸軍は「それならこちらも好き勝手にさせて貰う――」
とばかりに、●『北支分治工作』に拍車を掛けるようになりました。
その結果としての『梅津・何応欽協定』『土肥原・秦徳純協定』(1935年)
となるのですが、広田の「大使館昇格」が陸軍を刺激して『呼び水』となって
しまった感は否めません。ちなみに前述の酒井隆(支那駐屯軍参謀長)も梅津の
留守中に何応欽を脅すなどの強硬手段を取っています。広田は、正直しくじった
と思ったことでしょう。
この2つの協定は、親日派の支那人・新聞経営者が天津の日本租界で射殺された、
パスポートを持たない日本の軍人が支那軍に拘束された、などの現地トラブルが
もとになっています。その責任者の処罰を問う形で、北支における「分治工作」を
砂糖に水を垂らして侵食するが如く進めていった訳です――。
671 :
市民 :2008/11/27(木) 22:30:52 ID:f971IovT
672 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/28(金) 01:18:28 ID:i55VBfRq
>>669 >>広田弘毅は南京大虐殺を黙認したから死刑で当然だろ
その理屈なら「東京大空襲」や「広島・長崎の原爆投下」を黙認したアメリカの
国務長官も死刑で当然ですね。もうハルではなく、E.ステティニアスですが。
>>660 >>北支における「分治工作」を砂糖に水を垂らして侵食するが如く進めていった
日本の支那駐屯軍や特務機関の余りの過大な要求に、駐日支那大使の蒋作賓から外相の
広田弘毅に助けが求められました。しかし広田は、自分の代わりに桑島主計・東亜局長を
陸軍と協議させたうえで、●「この問題は主として『停戦協定』に関連する軍関係事項
であるので、外交交渉として取り扱うべきではない」とつれない返事をしました。
この背景には、駐支公使館の「大使館昇格」で陸軍を逆撫ですることの『不味さ』を
広田が思い知ったことがあります。広田は、支那側にあくまで陸軍出先と協議するよう
に求め、外務省としては関与しないと結論づけたのでした。広田の判断は、国民政府の
『親日派』を苦境に立たせ、汪兆銘や唐有仁からすれば裏切られた思いでしょう。
673 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/28(金) 01:33:02 ID:i55VBfRq
>>672 >>広田の判断は、国民政府の『親日派』を苦境に立たせ、汪兆銘や
>>唐有仁からすれば裏切られた思いでしょう。
まあ、重複で話が長くなるので「前スレ」を読んで補足して欲しいのですが、要するに
>>385 >>でも支那側から見れば、日本の外務省と軍は『グル』だと思うのが
>>普通ですよね。「お父様の裏切り者――」(by カガリ)ではありませんがw。
となる訳です。広田とすれば、せめて陸軍と協議して「対支那の根本方針」である
●『広田三原則』をまとめて多少の歯止めをかけるのが精一杯でした。広田三原則
とは、これも前スレで取り上げましたが(
>>419 )下記の通りです。
1.支那側をして排日言動の徹底的取締りを行ない、かつ欧米依存より脱却すると
共に、対日親善政策を採用し、該政策を現実に実行し、さらに具体的問題につき
帝国と提携せしむること。
2.支那側をして満州国に対し、窮極において正式承認を与えしむること必要なるも
差し当たり満州国の独立を事実上黙認し、反満政策を止めしむるのみならず、
少なくともその接満地域たる北支方面においては、満州国との間に経済的および
文化的の融通提携を行なわしむること。
3.外蒙等より来る赤化勢力の脅威が、日満支三国共通の脅威たるに鑑み、支那側
をして外蒙接壌方面において右脅威排除のための我が方の希望する諸般の施設に
協力せしむること。
674 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/28(金) 01:50:01 ID:i55VBfRq
これは外務次官の重光葵や前述の東亜局第1課長・守島伍郎らが中心になって 原案をまとめたものです。1935年10月4日に『広田三原則』は、外相の 広田弘毅、陸相の川島義之、海相の大角岑生の「3大臣了解」となり、のちに 岡田啓介首相や高橋是清蔵相も承認しました。 国民政府側にも蒋作賓大使を通じて、この『広田三原則』は伝えられましたが、 先方の失望の色は隠せません。広田は共産主義の脅威(防共)を訴えましたが、 基本的に支那側への要求ばかりの内容です。また、そもそも『日中の提携』は 満州国問題を棚上げにして辛うじて成り立つものであり、いくら『事実上黙認』 とはいえ、満州国の存在を支那側に認めさせるのは無理があります。 支那側としても、満州国の承認は不可能だが、日本側に対しても満州国の承認の 取消しを求めず「不問に付す」のが精一杯と広田に前もって伝えてありましたが、 これとてオフレコだからこその話です。
675 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/28(金) 02:12:05 ID:i55VBfRq
>>673 >>広田とすれば、せめて陸軍と協議して「対支那の根本方針」である
>>●『広田三原則』をまとめて多少の歯止めをかけるのが精一杯でした。
要するに、広田率いる外務省の●「蒋介石の国民政府を軸に支那は1つに
まとまるべき」という案と、陸軍の●「支那は常に分裂させておくべき」
という案が根本的に対立したため、せめて妥協案を作って陸軍の好き勝手に
制限をかけようとした訳です。
しかし、それでも広田に対する支那側の失望は非常に大きなものがありました。
日に日に「反日運動」は激しくなり、国民政府が同年11月に銀本位制を止めて
管理通貨制に移行する『幣制改革』を進めると、親欧米派の財政部長・孔祥熙らが
国民政府の主導権を握って『親日派』の衰退に拍車をかけます。
更にこの『幣制改革』はイギリス主導だった訳ですが、外務次官の重光葵が大の
英国嫌いであったため、日本はこうした国際協調に距離を置くことになりました。
そうこうする内に『親欧米派』がますます勢い付いてきます――。
>>385 >>でも支那側から見れば、日本の外務省と軍は『グル』だと思うのが
>>普通ですよね。「お父様の裏切り者――」(by カガリ)ではありませんがw。
, -─ 、y)
(ル,, ===Oo、
l´(ノ))ノ)),)´
ノノ!l.゚ ヮ゚ノil さあ皆さん、サンハイ。
(v,<リ,_ネ_iリつ 「お父様の裏切り者――!w」
,(ン'、_x_x_ヽ、
`^i_ソ'^i_ソ^゙
 ̄ ̄  ̄
>>672 >>陸軍を逆撫ですることの『不味さ』を広田が思い知ったことがあります。
___/,k-‐-v'7ァ
`>(_ノ)o,___`>
`Y〈 ハλノ) )
!イリ ゚ ヮ゚ノリ 戦わなきゃ、陸軍とw。
ノィ(,_i`{:}'l]つ
,(ノゝ、;_,_〉、
`''r_ァ'r_ァ'"
潮さんもなんだかなぁ。 憲法知らないんだろうか。 タモちゃんみたいな発言する奴は国家公務員になっちゃいけないんだよ。 トンデモ論文だってことが議論のなかで明確になり、必死で発言していた西尾幹二が哀れだった。 それにしても「つくる会」草創期に西尾が「歴史は科学じゃない、物語だ」といったが、 歴史を自分の読みたい物語に書き替えた思想(ってほどのもんじゃないけど)が、いつのまにかはびこって 中山やタモちゃんみたいなトップを作り出してしまったorz つくる会の自慢史観、自慰史観の罪は重いよ。 タモちゃんが外人記者クラブで話をするらしいけど、 日本人としてあの程度の知的レベルの人間が自衛隊のトップだったという機密w が漏れるのがたまらなく恥ずかしいし、怖いよ。 最後のアンケートはネットウヨ諸君の動員があからさまで笑っちゃった。
つくる会の力なんぞ屁みたいなもんだろ。 史観自体にも罪というものは無い。 中山にしろタモにしろ、はたまた村山富市や河野洋平にしろ問題なのはその人自身だ。
ああ、現首相のことですねw
ああ、昨日の『朝生』ですか。てっきり金融危機のテーマでやると思っていたので、 「タモさん」ではあまり見る気がしませんでしたねえ。つーか、『タモリ倶楽部』の あとにやるとは、これいかにw。それより昨日の夜は、年末進行の絶望的な状況下で 「火葬戦記」みたいな中味の原稿が入ってきて頭の中がパニックになりました。 衝動的に深夜1時に実家へ電話をかけてしまいましたよw。あーあ、もう信者 遺体です…。以前、消費者金融団体の「借り過ぎ」の注意を促すキャンペーン CMで、コップの中の水が溢れる(限界を超える)内容のものがありましたが アレは的確な表現だと思いますねえ。最後のきっかけが、たとえ水一滴分でも それまでで「限界ギリギリ」だと人は突然壊れるのさ。 >>日本人としてあの程度の知的レベルの人間が自衛隊のトップだったという機密w >>が漏れるのがたまらなく恥ずかしいし、怖いよ。 全く同感で、論文の中味どうこうより、そっちの方が一番の問題です。逆羞恥プレイ ですか。政治家だって「タモさん」と大して変わらないレベルの人間がごろごろ居る のではないかと危惧します。人生は死ぬまで勉強です。
>>681 >>最後のきっかけが、たとえ水一滴分でも
___/,k-‐-v'7ァ
`>(_ノ)o,___`>
`Y〈 ハλノ) )
!イリ ゚ ヮ゚ノリ 戦わなきゃ、現実とw。
ノィ(,_i`{:}'l]つ
,(ノゝ、;_,_〉、
`''r_ァ'r_ァ'"
683 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/30(日) 02:06:52 ID:ofbdJrJx
>>675 >>『親日派』の衰退に拍車をかけます。
さらに1935年11月に、汪兆銘は国民党の全会開会式の記念撮影時に
狙撃されて「行政院長と外交部長」を辞職せざるを得なくなります。汪は
3発の銃弾を身体に受けましたが、幸い急所は外れて一命を取りとめます。
しかし、このとき体内から摘出できなかった弾がのちに骨髄腫の原因となり、
汪の寿命を著しく縮める結果となりました。
汪兆銘は中国の国益のために●「日本とは戦うべからず」という信念のもと、
日本の北支分治工作に対しても「一面抵抗、一面交渉」と隠忍自重の政策を
選びました。当然、国民政府内にも猛烈な反対がある訳で、「親欧米派」との
主導権争いも背景にチラつく『狙撃事件』でした。
また汪兆銘ばかりか、有力な『親日派』と見られていた黄郛は失脚・引退し、
外交部常務次長の唐有仁が、ただ一人残されます――。
684 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/30(日) 02:27:03 ID:ofbdJrJx
日本の駐支公使館の「大使館昇格」にあれほど興奮して喜んでいたのは
もはや見る影も無く、唐有仁は全く意気消沈します。前述の南京総領事・
須磨弥吉郎に、●「親日派の凋落近きにあり――」と漏らします。
そして唐有仁までもが、翌月の1935年12月25日に上海で狙撃されて
死亡しました。もはや名実ともに国民政府内の『親日派』は壊滅状態となり、
支那は『反日・抗日』へと益々大きく舵を切ることになります。
外相の広田弘毅の選択は、せっかくの『親日派』を見殺しにする結果となり
ましたが、陸軍という『厚い壁』を越えるのは他の誰が外相であったとしても
困難だったのではないでしょうか。
>>674 >>1935年10月4日に『広田三原則』は、外相の広田弘毅、陸相の
>>川島義之、海相の大角岑生の「3大臣了解」となり、のちに岡田啓介首相や
>>高橋是清蔵相も承認しました。
広田を批判するのは容易いですが、陸軍と外務省のバランスを取ろうとすれば
止むを得なかったでしょう。更に「泣きっ面に蜂」とばかりに、陸軍に歯止め
をかけようとした『広田三原則』は、東京裁判で中国侵略における軍部と政府
の『共同謀議』の有力な証拠として捉えられ、広田の死刑を惹起する原因とも
なりました。
685 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/30(日) 02:45:55 ID:ofbdJrJx
広田はのちに●『満州事変が日中関係の癌となっていた』と語っていますが、 全くその通りでしょう。広田としては「満州国と北支の穀物交易」など、経済 レベルから関係改善を目指そうとしましたが、結局頓挫することになりました。 カンジ(石原莞爾)は●「日中問題は、究極にして日米問題である」と喝破しま したが、広田からすれば●「日中問題は、究極にして陸軍問題である」な訳です。 また今度はイギリス主導の『幣制改革』に反発して、陸軍の「北支分治工作」が 益々激しくなります。のちに通州事件が起こる日本側の「冀東防共自治政府」や それに対抗した国民政府側の「冀察政務委員会」が出来るのもこの頃です。 陸軍の北支分治工作は、最初のきっかけが広田主導による「大使館昇格」だと すれば、後半は支那の親欧米派がグルになって推し進める「幣制改革」でした。 まあ、「カネを制するものが全てを制す」とばかりに、経済的に首を絞められる のを陸軍は怖れた訳です。
686 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/11/30(日) 03:18:57 ID:ofbdJrJx
こうして広田弘毅の『協和外交』は影をひそめる結果となり、日中関係が更に 悪化していくと、新聞にも●『広田健在なりや?』の記事が載る事になります。 「協和外交の旗幟を振りかざして、彼が初めて外相として乗り出した頃に比べると その後の広田外交の影は薄らぎつつあるのではないかと云う印象を一般に与えて いる。とくに支那大使館の昇格以降、ここ1年ばかりの外交は、支那に関して 『広田健在なりや?』の疑いすらポツポツ現れている。そして、その原因の大方は 陸軍との関係に帰している――』(読売新聞:1936年1月11日夕刊) また広田外相時の大きなトピックとして、第2次ロンドン海軍軍縮会議からの脱退 がありますが、ここでは割愛します。広田は国会(衆議院)の演説で『広田三原則』の 支那での進展と親善を説きますが、議場では『放置プレイ』にされました。それより 蔵相の高橋是清の演説が終わると、野党の政友会が内閣不信任案を提出して衆議院は 解散、恒例の『万歳』『万歳』と叫ぶ議員たちで総選挙に突入することになりました。 当時の日本は外交のみならず、美濃部達吉の●『天皇機関説問題』でも揺れており、 岡田内閣を攻撃する野党の政友会は勢いに乗って、不信任案を提出したのでした。
まあ、総選挙の結果は「政友会」の大敗で「自爆テロ」になります。 これにより岡田啓介内閣は、与党の民政党とともに政権磐石になった かに見えたのですが(1936年2月20日)、その僅か6日後に勃発した 2・26事件により全ては引っくり返る羽目になるのですが……。 これにより外相の広田弘毅の運命も大きく翻弄されることになります。
坂野潤治東大名誉教授は、政友会の大敗が皇道派将校暴発の引き金になったんじゃないかと推測してましたね。
689 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/01(月) 01:31:19 ID:btcq37N4
>>688 >>政友会の大敗が皇道派将校暴発の引き金になったんじゃないかと
もし政権交代となれば当然、陸相も入れ替わる可能性が高いですからね。追い詰められた
皇道派連中の決起も、「しばらく様子を見ようか」ということになったかもしれません。
まあ、過去のことだと考えるからピンと来ないのであって、来年の衆議院選挙の6日後に
クーデターが起こると想像した方が早いでしょうw。どっちが決起するかは知りませんが。
>>686 の続き。支那に関して広田の『協和外交』は、かなり尻すぼみな結果となって
しまいました。当時、上海総領事だった部下の石射猪太郎にも、●「広田大臣の議会
演説中、対支関係の所があまりに白々しいことを言っているので、支那各地の新聞で
大の不評判だ。『国内消費用』とは云いながらも、信を世界に失うものだ――」と
手厳しいことを言われています。ちなみに石射は、支那事変勃発時の東亜局長です。
ほかに広田の1回目の外相時のトピックとしては、玄洋社との関係も挙げられます。
時系列が前後しますが、1935年3月12日には、玄洋社の総帥である頭山満と
ともに『孫文10周年忌慰霊祭』に出席しています。明治神宮外苑の日本青年館で
行なわれたのですが、広田は●「弘毅、また青年の日、しばしば(孫文)先生を亡命中の
仮寓に訪(と)い、親しくその抱負を聴けることあり」と祭文を読み上げています。
690 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/01(月) 01:52:18 ID:btcq37N4
また1935年5月には、頭山満と『政界の大黒幕』である杉山茂丸の「金菊祝賀会」が 東京で開催されました。杉山茂丸とは、在野の浪人でありながら「山県有朋・松方正義・ 井上馨・桂太郎・児玉源太郎・後藤新平・寺内正毅」の政治参謀役を務め、戦国大名の 竜造寺隆信の末裔だと言われます。ちなみに杉山の長男は作家の夢野久作だったりします。 頭山と杉山は『玄洋社』の設立から深く関わっており、●「金菊祝賀会」とは金婚式に なぞらえて両者の交わりが50年に及ぶことを祝したものでした。かつて頭山から杉山を 紹介された広田は、●「両先生のご薫陶の恩に報いなければならぬと云うことを、1日も 忘れることは出来ないのであります」と祝辞を述べました。外相時代の広田も、上記に 挙げた軍人・政治家と同様、杉山から「大陸政策の助言」を受けていたようです。なにせ 杉山は満鉄の設立(満州経営策の立案)にも関わっていますから。 しかし杉山は「金菊祝賀会」が行なわれた僅か2ヵ月後に急逝してしまいます。杉山の 葬儀は芝の増上寺で営まれ、頭山満と広田弘毅がそれぞれ葬儀委員長と副委員長を務め ました。福岡で社葬ならぬ『玄洋社葬』を行なうため杉山の遺骨が東京駅を出発すると、 広田は頭山とともに涙を流して見送ったと云います――。
691 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/01(月) 02:05:38 ID:btcq37N4
まあ、城山三郎の『落日燃ゆ』の記述ですと、広田が外相や首相になると 極力、福岡(玄洋社)との縁故を断った様に描かれていますが、実際は 上記のとおりな訳です。やはり広田と玄洋社の絡みが、この本の最大の ミスリーディング(誤誘導)でしょう。まあ、とはいえ昭和に入ってからの 玄洋社(頭山)は右翼の大物とはいえ、大分落ち着いてしまいましたが。
____r。, , '´ ⌒ヾ゚') i ( ( ) ) )ノ (ハリ ゚ ヮ゚ノヨ[] 話が長くなりましたが、 こうして「2・26事件」に `(_i、'」(メiつ|`) 突入していく訳ですね。それにしても東支鉄道 <_/;:゙,;:':゙;ヽ 問題(皇道派は買収に大反対),や支那公使館の ``i_ラi_ラ'´ 大使館昇格、北支分治工作への歯止め(気休め 程度ですけど)など、あれだけ陸軍に歯向かって おいて「2・26事件」で広田が殺されなかったのは 不思議じゃあないですか?
693 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/02(火) 23:48:53 ID:ZgPBSCqK
>>692 >>あれだけ陸軍に歯向かっておいて「2・26事件」で広田が
>>殺されなかったのは不思議じゃあないですか?
まあ、襲撃対象となったのは「岡田啓介首相」「高橋是清蔵相」「斉藤実内大臣」
「鈴木貫太郎侍従長」「渡辺錠太郎教育総監」「牧野伸顕伯爵」「後藤文夫内相」
の7人です。
この中に「広田弘毅外相」が入っていても全然おかしくないのですが、皇道派の
決起部隊は岡田首相は当然としても、いわゆる天皇の側近である『君側の奸』を
優先してターゲットにしました。斉藤や鈴木、牧野(かつての内大臣)がこれに
該当しますね。さらに皇道派の怨みを買った教育総監の渡辺や、治安維持を担当する
内相の後藤を押さえると、実は「決起部隊」の人手が足りなかったように思われます。
そうすると残るは、軍事予算を削減しようとした蔵相の高橋是清か、さんざん陸軍に
対外政策で盾ついた外相の広田弘毅か、となる訳ですが…。まあ、人物の格から言って
高橋の方が「襲撃対象」に選ばれたというところでしょうか。それにしても2・26
事件で危うく命拾いした広田弘毅が次の首相になって『粛軍』を担当する訳ですから、
人の運命とは分からないものです。獄中の青年将校らはどのように思ったでしょうか?
やはり広田を※っておけば良かったと思ったでしょうか?
.「^ヽ,ry'^i ,ゝ"´ ⌒`ヽ '__ ところで、広田が首相になるとき、天皇さまから くi Lノノハノ)」 、 「名門を崩してはならない」と言われた λ[i ゚ ヮ゚ノi! /レヘ そうだけど、アレって結局、 レ|Y(つ旦) (.l l ) にゃーん 何だったのかしらね? とレ'_}_〉 l_,_i_)ソ  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄
695 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/03(水) 00:22:50 ID:c4UxMfzz
天皇陛下は、歴代首相へのお言葉として、●「第1に憲法の条規を遵守し、政治を 行なうこと。第2に外交においては無理をして無用の摩擦を起こしてはならない こと。第3には財界に急激なる変動を与えないこと」を告げるのが通例でした。 しかし広田の場合には、上記の3つの後に●「第4に名門を崩してはならない」 と異例の言葉が付け加えられました。福岡の石屋出身で平民宰相となる広田は 大きなショックを受けて、●「自分は50年早く生まれ過ぎたような気がする」 と側近に漏らしたというのが、小説『落日燃ゆ』の中でも1、2を争う有名な エピソードになります。 けれども現実問題として、昭和天皇がいちいち広田の出自を「名門でない平民」 だと気にするでしょうか? 答えはノーでしょう。平民宰相といえば原敬が有名 ですが、実は原の祖父は盛岡藩の家老も務めるほどの上級士族です(敬は20歳 の時に分家して戸主となったため平民に)。それに比べれば広田はアレですがw、 天皇陛下は出自ではなくその頃、問題になっていた『貴族院改革』や『華族制度 改革』について慎重を期すよう、広田に釘を刺した可能性の方が高いと思われます。
696 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/03(水) 01:05:22 ID:c4UxMfzz
この『貴族院改革』というのは、伯爵や子爵などの有爵議員や多額納税議員の 定員数を減らし、代わりに勅撰議員として「職能類別」の人間を加えようとした ものです。少し前に書いた『宇垣内閣の流産』でも、当時陸相だった宇垣一成が 寺内寿一を予備役に編入しようと、 >寺内寿一は、寺内正毅大将の子息だ。私が陸相時代、定期異動で寺内の予備役 >入りを決めたが、彼は陸軍の大先輩の跡取りだから、辞令だけでは失礼と思い >本人を呼んで●『君は伯爵だ。この際、後進に道を譲って義兄・児玉伯と共に >貴族院議員でお国にご奉公してはどうか?』と勇退を求めた。 と説得しようとしましたね。まあ、何が言いたかったと云うと、2・26事件で 信頼する老臣を一度に失った昭和天皇とすれば、『皇室の藩屏』と呼ばれた華族 制度に大きな打撃を与えかねない急激な改革は見逃せなかったのでしょう。 もし天皇陛下が「平民出身」の広田に危機感を抱いたとすれば、『アカ』じみた 社会改造をしやしないか、といった所だと思われます。何にせよ、広田内閣では 「貴族院制度調査会」を設置して首相の広田が会長を務めるなど、もし天皇が危惧 したとすれば、あながち的外れでもなかったで事になります。まあ結局、貴族院 改革は実現しなかったですけど。
>>696 >>天皇陛下が「平民出身」の広田に危機感を抱いたとすれば、
>>『アカ』じみた社会改造をしやしないかと
.「^ヽ,ry'^i 天皇さまも大変ね。山の上のどこかの巫女のように、
,ゝ"´ ⌒`ヽ 「信仰心が足らない」とでも心配するのかしら。
くi Lノノハノ)」
λ[i ゚ ー゚ノi! /レヘ
レ|,ヘi`ム'」つ (.l l )_ソ ))
旦.く_,/'_}_〉 (/i_n_) トテトテ...
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄
698 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/04(木) 01:51:04 ID:fxpooopA
>>697 >>「信仰心が足らない」とでも心配するのかしら。
まあ、後でも述べますが広田弘毅は『粛軍』の際に、天皇の名前をダシに使って
いますから、確かに平民出身ならではの「信仰心の足りなさ」はあったでしょう。
宮中に近い人間であればあるほど、火中の栗を拾うのに天皇の威光を借りるのは
絶対に避けようとするはずです。それが「2・26事件」の後始末なら尚更です。
ちなみに自分の好きな言葉に、醍醐忠重・海軍中将(第6艦隊司令長官【潜水艦】)の
●「私は最初から天皇は人間であると感じとっていました――」というものがあり
ますが、華族の超名門・五摂家九精華の出自ともなればこうなる訳です。ただし、
醍醐は幼いころに両親と死別して孤児となり非常に苦労していますが。また侍従
武官として天皇の側近くに仕えてた人物で、最後は戦犯として刑死しています。
まあ、広田の『信仰心が足らない』とは言っても、同じ外務省出身で同じ平民出身の松岡
洋右とは比較の対象になりませんけどね。松岡は完全に天皇を自身の野望の道具ぐらいに
しか考えていませんでしたから。もし松岡が首相になっていたらと想像するとゾッとしますw。
全く可能性が無かった訳ではないですから。少なくとも「カンジの首相」ぐらいはありました。
699 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/04(木) 02:19:48 ID:fxpooopA
さて補足の話がまだまだ続きます。1936年3月9日に首相になった広田弘毅ですが、 「陸軍の横やり」によって組閣に難渋したのは、前スレで詳しく述べましたので省きます。 広田内閣の功績ですが、何を差し置いてもまず『2・26事件』という未曾有の国難から 辛うじて組閣を成し遂げ、政治的空白を「12日間で収めた」ことが挙げられます。近衛が 大命降下から逃げ出したのは、もっと記憶されるべきでしょう。 天皇陛下から「名門を崩してはならない」と異例の言葉を賜わって、首相の親任式から 外相官邸に戻った広田を待っていたのは、和服姿の静子夫人、モーニングを着込んだ 長男・三男の弘雄と正雄、そしてあでやかな洋服を着た娘の美代子と登代子でした。 また郷里・福岡から上京してきた玄洋社の旧友たちが2、30人も駆けつけ、一斉に 広田に手を差し伸べたと云います――。 ●「広田さん、よぉーくやってくれましたゾ」●「ハア―、どうも有り難く存じます」 (『東京朝日新聞』1936年3月10日)
700 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/04(木) 02:34:44 ID:fxpooopA
広田が驚異的な粘り強さを発揮して、組閣を成功させることができたのは 「2・26事件」で崩壊した岡田内閣の外相だったことも大きいでしょう。 首相の岡田は命からがら助かったものの、高橋是清蔵相、斉藤実内相が 非業の死を遂げました。陸軍の猛反対を押し切って、組閣を成功させる こと自体、同僚だった広田にとっては仇討ちの意識が強かったのです。 さて●「福岡初の首相誕生に沸き立つ一同は、渦巻く歓喜と激励のうちに ビールで乾杯し、朗々と『黒田節』を合唱し始めます。酒豪で知られる 黒田の武士に、殿様が大酒を勧めると見事に全部飲み干してしまい、 褒美として殿様自慢の槍を貰うという逸話から生まれています。 ●「酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を 飲みとるほどに 飲むならば これぞまことの黒田武士――」
松岡洋右は長州の出ですから やはり、お上に対する畏れのような一層薄いのでしょうかね。 そういえば先日、日本史の先生に日本号の話をしても通じませんでした。 蜻蛉切はさすがに知っていたのですが。
702 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/04(木) 02:55:53 ID:fxpooopA
広田は家族や懐かしい仲間たちと大合唱しますが、そこには欠けている 人たちがいました。餓死同然の自殺をした母タケ、高校受験に2度失敗し 将来を悲観して自殺した次男の忠雄――。そして父親の徳平の姿もそこには なく、いまだに故郷で石屋を営んでいました。1ヵ月に35日分は働くと 評判で「35日さん」と呼ばれた生真面目な父の老いた姿を思い出し、 広田は思わず感きわまって目を潤ませます。 そこへ「広田万歳!」「玄洋社万歳!」と周りから唱和され、割れんばかりの 拍手と歓声が広田と妻の静子を包み込んだのでした――。
ちなみに今の首相である麻生太郎は、広田弘毅以来、2番目の福岡出身の 総理大臣として話題になりましたが、フタを開けて見ればこんな体たらく とは思いもよらず、もうゲンナリです。なんで党利党略で第2次補正予算 が通らないのでしょうか。 今日の株式市場は「ユニクロ祭り」でしたが、明日はどうなんですかねえ。 明日、成行で買い注文出したら一体どうなってしまうのかしらん?w とりあえず今日の分配で当たった人はおめでとうございまふ。
1次補正予算が成立していないのに2次予算って成立できるものなんですか? イナゾウさん
しかも1次補正予算は民主党が絶賛審議拒否中w
>>698 松岡はひじょうな尊皇なんだが。
外相時代、職務として外務概要を陛下に報告する職務を最も喜々として行って
いたという証言もある。
近衛日記で「二重橋遥拝」が喧伝されているが、彼は本心で遥拝を行ったとい
う証言も存在する。
不幸な事は、陛下が松岡の施策に疑問を呈して居られた事だ。
彼の時代に執った施策、イメージのみで松岡は天皇を「野望のための道具」と
見ていたなどと書かないでもらいたい。
確かに総理大臣への野望は持っていたのは否定しないが。それと天皇軽視は両
立しない。
707 :
元32 :2008/12/04(木) 15:00:06 ID:???
松岡は外交政策家としては何者も信用しないマキャベリストなのですが、 そして、陸軍に対しては外交官中類を見ない強面なのですが、 自分の味方と信じる人達を客観視できないところがあるのです。 近衛を信用したのは松岡の不明ですが、 陛下については、その意図も方針も松岡は理解できないまま、 陛下が自分を完全に信用しておられると思いこんでいたようです。 そのために、松岡は陛下に意図しない方針を押しつけようとした、 という批判をうけることになります。 陛下のために、そして日米和解のために、 全力を尽くしたつもりの松岡にしてみれば、心中無念でしょうけれど、 そのあたりには、彼の誤解も影響しているように思います。
>>704-705 >>1 次補正予算が成立していないのに2次予算って成立できる
>>ものなんですか? >>しかも1次補正予算は民主党が絶賛審議拒否中w
やっちまった……orz. スイマセン。最近忙しくて日経新聞は読むのですが、
政治面はスッ飛ばして、株に関連するような企業面しか読んでいないのです。
なにせ買って15分で捨てますからw。お恥ずかしい限りです。
>>706-707 >>確かに総理大臣への野望は持っていたのは否定しないが。それと
>>天皇軽視は両立しない。>>陛下については、その意図も方針も松岡は理解でき
>>ないまま、陛下が自分を完全に信用しておられると思いこんでいたようです。
すいません。今から読み直しますと広田と比較しようとするあまり、松岡を変な
ふうに書き過ぎたようです。ご容赦くださいませ。
709 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/05(金) 00:58:11 ID:NW4w+Wnr
>>699 >>広田内閣の功績ですが、何を差し置いてもまず『2・26事件』という
>>未曾有の国難から
更に広田内閣を語るうえで『粛軍』の問題は欠かせません。外相時代に陸軍には
『北支分治工作』で自身の目指す対支外交を頓挫させられましたし、岡田内閣は
2・26事件によって崩壊し、同僚の閣僚も殺されます。そして広田の組閣の際には、
「これでもか!」と言わんばかりに妨害を加えられた事は前スレで詳しく述べました。
広田も人間ですから、陸軍に対しては『腹に据えかねる』という言葉で収まらない程の
感情を抱えていたでしょう。よって首相となった広田が陸軍の『粛軍』に力を注ぐのは
当然のことだと言えます。しかし、ここで非常に大きな矛盾が発生します。統帥権の関係で、
陸軍の『粛軍』を実行するには、陸軍の『自助努力』に任せざるを得ないのです。戦後の
日本国に比べて「非常に権限の弱い首相」の広田に出来ることは実は僅かだった訳です――。
これは陸軍に対して酷な喩えですが、年金問題の解決で「社保庁」に自助努力を
期待するようなもの、と言ったらイメージしやすいでしょうか(藁)。
710 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/05(金) 01:24:08 ID:NW4w+Wnr
>>709 >>広田も人間ですから、陸軍に対しては『腹に据えかねる』
陸軍に対する怒りは、そもそも広田が首相を引き受ける強い動機にもなったでしょう。
マトモに考えるなら、『火中の栗』を拾うのを嫌った近衛文麿のように何が何でも断る
のが正しい選択でした。このご時勢ですから、一歩間違わなくとも普通に殺されます。
その時の決意を、広田は東京裁判時に国際検察局の取調べで●「そのとき我が国で
最大の懸案は、2・26事件に善処することだった」と語っています。
>>698 >>後でも述べますが広田弘毅は『粛軍』の際に、天皇をダシに使っていますから
さて
>>709 で述べたように、陸軍の『粛軍』を進めるためには、陸軍に頼らなければ
ならないという禅問答の様な大きな壁がありました。この壁を乗り越えるため広田は、
貴族院の開院式で昭和天皇に『粛軍』への憂慮を代弁させるという鬼手を打ちました。
それは広田内閣成立後に初めて開かれた、第69回帝国議会(1936年5月4日)の
開院式の勅語に起きた出来事です――。
711 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/05(金) 01:47:42 ID:NW4w+Wnr
閣僚や衆議院・貴族院の正副議長、そして各議員たちが見守る中、首相の広田は うやうやしく『勅語書』を奉じて玉座に進みます。天皇が勅語書を受け取ると、 以下のように読み上げました。 ●「朕茲(ここ)に帝国議会開院の式を行ない、貴族院および衆議院の各員に告ぐ。 帝国と連盟各国との交際はますます親厚を加う、朕深くこれを欣(よろこ)ぶ」 ここまでは通例の型どおりでしたが、この日の勅語は更に続きました。 ●「今次東京に起これる事件は、朕が憾(うら)みとする所なり。我が忠良なる臣民朝野 和協文武一致力を国運の進暢(しんちょう)に効さむことを期せよ――」 天皇自身の口から●『朕が憾みとする所なり』という強い言葉が発せられると、議場の 議員たちは万雷が落ちたように息を呑みました。天皇が「2・26事件」に激怒されて いたとしても、異例の厳しい表現と言わざるを得ませんでした。恐懼に堪えないとは、 まさにこのことです。
712 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/05(金) 02:04:14 ID:NW4w+Wnr
天皇の憂慮の言葉に対して広田は、 ●「本日の開院式に賜わりたる勅語を拝して、誠に恐懼の至に堪えません。謹んで 聖旨を奉じて報効の誠を尽くしたいと思います」 と談話を発表しました。しかしこの天皇の憂慮の言葉は、実は『広田のヤラセ』だった 訳です。つまり広田は、天皇が「2・26事件」に激怒していることを知り、広田自身が この『勅語』の下書きを取ったと云うのです。広田が東京裁判で国際検察局に語った ところによると、 ●「天皇に懇願して、陸軍の行動は許しえないと宣告するような言葉を勅語に含め ようとした時、今までにない決断と危険を伴なった」●「日本史上、『憾みとする 所なり』などという勅語が開院式で用いられたことはなかった」のであり、勅語が 読み上げられると、●「全議員は深く心を動かされ(2・26事件後の)憂慮すべき 状況を改善せねばならん、という雰囲気になった」とその当時を振り返っています。 この勅語を聞いた国民は大きなショックを受け、当然『被告人』ともいうべき陸軍は 震え上がりました。曲がりなりにも陸軍が『粛軍』に前向きだったのは、広田が引き だした「天皇の優諚」も非常に大きかったでしょう。
713 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/05(金) 02:28:01 ID:NW4w+Wnr
いくら天皇が「広田の懇願」に乗り気になったとはいえ、陸軍の『粛軍』という
非常にデリケートな重要問題に、天皇に一口噛ませようなどと宮中筋の重臣では
絶対に真似できない鬼手だったでしょう。
>>699 >>後でも述べますが広田弘毅は『粛軍』の際に、天皇の名前をダシに使って
>>いますから、確かに平民出身ならではの「信仰心の足りなさ」はあったでしょう。
確かに平民出身ならではの●『信仰心の足りなさ』が広田にはあったのです。しかし
広田からすれば、「『朕の憾みとする』というお言葉は、日露戦争のような戦時の場合に
使われた前例を取ったのだ」と西園寺の秘書の原田熊雄に語っているように、『粛軍』は
ある意味、陸軍との『戦争のようなもの』だったのかもしれません。
>>704-705 >>1 次補正予算が成立していないのに2次予算って成立できる
>>ものなんですか? >>しかも1次補正予算は民主党が絶賛審議拒否中w
, ‐‐-、___
/ ., '´⌒⌒ヽ 〜♪
./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ)
|| メ)ハ)゚ ー.゚ノl) 『右脳』だけで生きている天然さんだから、
ヽ. _Q)#」ネl」) 許してあげてねw。
〜〜  ̄ ,<´_#,#ハ
`(ノノ"´
>>702 >>1ヵ月に35日分は働くと評判で「35日さん」と呼ばれた生真面目な
>>父の老いた姿を思い出し、広田は思わず感きわまって目を潤ませます。
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 『31ノットバーク』みたいなお父つあんですね。
゙,ヘi_i][i,l\ []
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
2008/12/06 21:00〜23:21 朝日放送 ドラマスペシャル 男装の麗人〜川島 芳子の生涯〜 清朝皇女として生まれ、男女二つの顔を持った美貌の女スパイ川島芳子の華やかな悲劇の生涯を描く「男装の麗人」。 豪華キャストで贈る芳子の数奇な運命をお楽しみに! ▽▽ 出演 黒木メイサ、真矢みき、八木優希/平幹二朗、吹越満、若村麻由美、星野真理、岡本麗/堀北真希、 仲村トオル/高嶋政伸、中村雅俊 ほか スタッフ 村松友視『男装の麗人』(恒文社) 龍居由佳里 藤田明二(テレビ朝日) キャストがバーニングばっかり・・・ 出来が心配・・・
>朝日放送 いったい何を期待しているんだキミは。
>>716 男装の麗人ってタイトルには黒木メイサはピッタリだけど
実際に川島は山田邦子がやったのがそっくりだったように
麗人とは言いがたいのでそこが捏造だなw
719 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/06(土) 23:28:21 ID:58c4F5xJ
>>716 >>ドラマスペシャル 男装の麗人〜川島 芳子の生涯〜
今は半ばスレ違い(本当はそうでは無いのだけれど)で「広田弘毅」をやって
いますが、大テーマ「川島芳子」もこのスレの趣旨からすれば面白いかもしれ
ませんね。ひょっとして希望される方はいますか?
>>717 >>朝日放送 いったい何を期待しているんだキミは。
自分的には、TBSの特番でビートたけしが『東條英機』を演じる方がすごく
気になります。衣装を着た写真を見ましたが、予想を裏切って恐ろしいほどに
似ています。もう少し、たけしが痩せていて顔が細ければ……なのですが。
ところで、放送日は一体いつになったら決まるのでしょうかw。
>>718 >>男装の麗人ってタイトルには黒木メイサはピッタリだけど実際に川島は
>>山田邦子がやったのがそっくりだったように麗人とは言いがたい
シーッ!w
>>719 >>大テーマ「川島芳子」もこのスレの趣旨からすれば面白いかもしれませんね。
___/,k-‐-v'7ァ
`>(_ノ)o,___`>
`Y〈 ハλノ) )
!イリ ゚ ヮ゚ノリ 私に、「お父様の裏切り者――!」
ノィ(,_i`{:}'l]つ と言わせたいだけちゃうんかw。
,(ノゝ、;_,_〉、
`''r_ァ'r_ァ'"
>>719 >>大テーマ「川島芳子」もこのスレの趣旨からすれば面白いかもしれませんね。
______
´> `ヽ、
_,.'-=[><]=.,_
ヽi <レノλノ)レ〉'
ノレ§゚ ヮ゚ノiゝ 私も主人公にされそうで、非常に気になるんだが、だぜw。
`k'_.〉`=' !つ
i_ノ'i! ̄i!>、
~'i,ンT,ン"~
大竹まことがやればよいのじゃ>東条ヒデキ
723 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 00:27:40 ID:6qd3BHgS
>>722 >>大竹まことがやればよいのじゃ>東条ヒデキ
丸坊主にすればソックリでしょうけど、大竹まことは何か「ルサンチマン」ぽくて
自分のヒデキのイメージに合わないのでイヤンw。
>>713 の続き。さて広田が首相を務めた期間は「10ヵ月半」ですが、東京裁判で広田が
文官でありながら「死刑」になる布石というか、材料というか――地雷は幾つも踏んで
いました。広田からすれば、「自分は粛軍をやり、正邪のけじめをつける。この内閣は
それだけでいいんだ」という決意でしたが、何分、粛軍自体は「陸軍の問題」であり、
統帥権独立の制限もあって、首相である広田に出来ることは限りがありました。精々、
>>712 で述べたような『天皇をダシ』に使って、お膳立てをするのが限界でしょう。
そして1936年5月4日に天皇をダシに使って、2・26事件後の「政情の沈静」と
「粛軍のプレッシャー」をかけた首相の広田ですが、直後の5月6日、貴族院本会議で
『施政方針演説』に臨みました。通常は1年に1回「通常国会」の冒頭で行なわれるもの
ですが、この第69回帝国議会は『特別議会』であり、非常時に開かれる短期の議会でした。
724 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 00:54:38 ID:6qd3BHgS
「2・26事件」後初の帝国議会ということもあり、議場と議員は緊迫、傍聴席 まで超満員という異常に張り詰めた空気でした。広田の前に組閣の大命が降った にも関わらず逃げ出した近衛文麿はこの時、「貴族院議長」の座に収まっており まして、●「広田内閣総理大臣――」と施政方針演説を促します。 固唾を呑む聴衆に対して、広田の声量豊かな演説が25分間に渡って響きました。主に 「2・26事件という未曾有の不祥事への対処」「日満両国の特殊不可分関係」「統一 ある自主積極的外交の確立」を挙げ、とくに支那の抗日反満に釘を刺しました。以下、 ●「常に支那政局の推移に対する深甚の注意を怠らず、支那がその抗日反満の 態度を是正し、日満支三国間に親善提携が促進されるよう、この施策に遺憾 なきよう期している次第であります――」 広田という人間の大きな特徴は『柔軟性』というか『バランス感覚』にあります。 外相時代に陸軍の意向を無視して「駐支公使館の大使館昇格」をやり、却って陸軍の 強硬路線を促進する失敗を犯していた広田は、陸軍にも配慮を示すことで何とか 『大きな脱線を防ぐ』というか『歯止め』を掛けようとしたのでした。しかし、これが 政府と軍部の『共同謀議』の疑いを東京裁判でかけられ、広田の命取りになっていきます。
725 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 01:30:16 ID:6qd3BHgS
広田の真意は、「統一ある自主積極的外交の確立」>「日満両国の特殊不可分関係」 ですね。広田に続いて登壇した外相の有田八郎が「ソ連の軍拡への注意」をし、 陸相の寺内寿一が「2・26事件の善後策」について説明して、広田の最初の 関門は突破しました。続く5月12日の貴族院議会で、組閣の大命を拝受した 経緯と決意を質問されると広田は、以下のように答弁しています。 ●「現に三代の内閣の首相(原敬、犬養毅、浜口雄幸)は、身命を捧げて国家の ために尽くされたのです。私は甚だ微力ではありますが、刀折れ、矢尽きて 楠公が湊川に進まれた時の気持ちを想い起こしまして、この際こそ君国の為に 尽くすべきであると感じたのであります――」 要するに広田は、楠木正成が湊川で足利尊氏と戦って討死した時の心境に自身を なぞらえたのであり、また●「図らずも突如として私に組閣の大命が降ることに なったため、さしたる準備がなかった」ことも率直に認めています。 これを貴族院の議長席で聞いていた近衛文麿は、内心忸怩たる思いだったでしょう――。
726 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 01:59:44 ID:6qd3BHgS
>>724 >>広田という人間の大きな特徴は『柔軟性』というか『バランス感覚』
>>にあります。
まあ『現実主義者』というか『調整主義者』とも云います。外相や外交官の立場から
離れて政治家となった広田弘毅の政治方針は、なるべく1つの勢力の不満が大きく
ならないよう(暴走しないよう)、最大公約数に調整するというものでした。悪く
言えば『妥協主義者』でしょう。分かりやすい例を挙げると、
広田政権時代の1936年3月に、一木喜徳郎・枢密院議長が辞職しますが、その
後任に平沼騏一郎を広田は推薦しました。平沼はこの時、枢密院副議長で、議長の
座は平沼の念願というか悲願だった訳ですが、平沼の保守右翼的傾向(ファシズム)を
嫌う元老の西園寺の反対によって、長く留め置かれていた訳です。
しかし広田は、平沼が国本社の会長を辞任することを条件に枢密院議長に推しました
(その後、国本社自体が解散)。平沼は長く枢密院議長になれなかった事の腹いせに
「帝人事件」をプロデュースしてw、斎藤実内閣を総辞職に追い込んだなど、放って
おくとロクなことをしません。ですので広田は『名を捨てて実を取る』をモットーに、
平沼を議長に推薦した訳でした。広田の首相時代は、こうした姿勢がとてもよく出て
きます。
尊氏は陸軍か・・・ 廣田は陸軍怒らす事だけはホント上手いな・・・
730 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 22:31:34 ID:HmFIn1ej
>>727 >>尊氏は陸軍か・・・ 廣田は陸軍怒らす事だけはホント上手いな・・・
おっしゃる通りですけどw。ちょっと他の人に補足が必要ですね。言うまでもなく
戦前の足利尊氏は、後醍醐天皇に弓を引いた『逆賊』として非常に評判が悪い人物
な訳です。これは戦前の国定教科書にも大書してあります。広田内閣から2代前の
斎藤実内閣(広田が外相を途中から務める)の商工相・中島久万吉は●「足利尊氏を
礼賛した論文を書いた」と野党に糾弾され、辞任する羽目になります。
まあ滅茶苦茶な例えですが、現在の『田母神論文』みたいな扱いを受けた訳ですw。
もちろん戦後は、吉川英治の『私本太平記』(足利尊氏が主人公)がベストセラーに
なりまして再評価されています。広田は国会演説で、自分の首相就任にあたっての
心境を『楠木正成』に例えた訳ですが、天皇に仇なす逆賊(足利尊氏)が誰である
かは分かりきったことでしょう。
しかし「2・26事件」という未曾有の不祥事を起こして、天皇の優諚も降下した以上、
陸軍は何を言われても文句を言える立場ではありません。であるからこそ、組織防衛に
必死になる訳です。下手したら「陸軍から首相を出す」とでも言い出しかねないでしょう。
731 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 22:45:28 ID:HmFIn1ej
テレビで「派遣切り」の特集がやっていますが、見ていて背筋が寒くなります。 トヨタを筆頭に3万人って何じゃらほい。自分は愛知県出身なのですが、今まで どんなに不景気でも「トヨタのお膝元の愛知県だけは大丈夫」と言われており ましたが、この分では実家に帰っても仕事は無さそうですw。 3万人たら小さな市町村がまるまるです。しかし先週の金曜日の夜は、アメリカの 雇用統計で失業者が先月から50万人も増えて「ダウ終わた――!」と、日本株を 持ち越してしまった自分は涙目になったのですが、引けてみれば250ドル超上げて います。これには空いた口が塞がらず、アメリカ人を株板では「プリオン」と呼んで いるのも思わず納得です。狂牛病で脳がスカスカになっているという意味ね。 どんだけアイツらは楽観的なのでしょう。
732 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 23:09:08 ID:HmFIn1ej
>>727 >>廣田は陸軍怒らす事だけはホント上手いな・・・
とは言っても、そこは広田弘毅です。満州事変時や毎年トラブル続きの漁業交渉など
胃に穴が幾つも空く様な「ソ連大使」を及第点以上に務めています。驚異的な粘り腰
こそが広田の真骨頂な訳です。陸軍に対しては内心ハラワタが煮えくりかえっている
でしょうが、首相となった広田にとって今度の『外交の相手』は陸軍でした。
駐支公使館を「陸軍の意向」を全く無視して大使館に昇格させ、かえって北支
分治工作の激化を招いたのと「同じ轍」は踏みたく無かったでしょう。ですので
広田は側近に対して、以下のようなことを語っています。
●「軍部は野放しの暴れ馬だ。それを止めようと真っ向から立ち塞がれば、蹴り
殺される。かといって、そのままにしておけば何をするか分からん。だから正面
から止めようとしては駄目で、横から飛び乗ってある程度、思うままに寄せて
抑えていく他はない。もっともこの馬には鞍(くら)もなく、飛び乗るのが大変
だし、裸馬だからいつ振り落とされるかも知れん。しかし誰かがやらなくちゃ
いかん。そう思って自分は飛び乗ったのだ――」
スレ違いですが、ちょと続けて。 「首都圏でも、北は大宮、東は千葉、南は横浜等のターミナル駅を中心とした 半径約30km.以遠と、西は八王子あたりを輪郭とした、都心部経済から 取り残されて急速に衰退しつつある地域がドーナツ状に広がりつつある」 と、一年くらい前に考えており、それらの地域に住む者や自治体に勤務する者、 その手の研究職についた友人に雑談旁々話したところ同意を得たことがあります。 地方都市がその人口と経済の中で活力を維持できていた(というかピーク)は1980年代ですが、 その後はそれまで以上に「売り」のない都市は生産人口が減少して産業が衰退し、 それが人口流出につながり、と悪循環の中で寂れてしまうんでしょうね。
734 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/07(日) 23:59:04 ID:HmFIn1ej
>>730 >>しかし「2・26事件」という未曾有の不祥事を起こして、天皇の優諚も
>>降下した以上、陸軍は何を言われても文句を言える立場ではありません。
戦前というフィルターが掛かっているので事件の重大性が今いちピンと来ないかも
しれませんが、現在に例えれば、自衛隊の一部隊が決起して首相官邸の麻生太郎を
襲撃、財務大臣の中川昭一を***……。まあ、止めておきましょうw。
>>732 >>首相となった広田にとって今度の『外交の相手』は陸軍でした。
外交官出身の人物で憲政史上初めて「首相」になったからには、自ら外交をリード
していきたいという希望は、広田に大いにあったでしょう。しかし、前述のように
首相になったからには、広田の『外交の相手は陸軍』など軍部であり、不慣れな
内政にも力を注がなければなりません。というか、『粛軍』が最優先事項ですし、
マトモな国会運営のために忙殺されることでしょう。
という訳で、首相の広田の代わりとなる『外相』を決めなくてはなりません。
広田は自身の外相時に、駐ベルギー大使から駐支大使へ抜擢していた有田八郎を
さらに外務大臣へと抜擢することに決めました。
735 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/08(月) 00:23:48 ID:PtuSLnMa
>>733 >>地方都市がその人口と経済の中で活力を維持できていた
>>(というかピーク)は1980年代ですが、
最近、「東京湾アクアライン」を使って木更津に行く機会があったのですが、
高速バスから降りてみて、あまりの寂れ様に絶句しました。よく経済が回って
いるものだと。しかも更なる高速バスの値下げ問題に揺れているそうで、バスが
値下げされると都内に出やすくなり、ますます地元に金が落ちなくなるとか…w。
>>734 >>という訳で、首相の広田の代わりとなる『外相』を決めなくてはなりません。
本当は自分が「首相と外相を兼務」できれば最善ですが、仕事量からいって現実問題、
不可能でしょう。田中義一なんかは首相と外相を兼務していましたが、田中はああいう
人物ですから、外務省の仕事は『猟官運動』で次官の座を得た吉田茂に全て任せきりの
状態でした。まあ、陸軍からの横槍で「組閣問題」に揺れた広田内閣では、1ヵ月ほど
広田が外相を兼務していたのですが、田中のように外務次官に丸投げするのは健全な形
ではありません。どうせ、外交活動を任せなければいけないのなら、きちんと外相を
決めた方が良いのは自明なことでした――。
737 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/08(月) 00:53:48 ID:PtuSLnMa
>>734 >>という訳で、首相の広田の代わりとなる『外相』を決めなくてはなりません。
ところで本当は、広田弘毅内閣の外相は同期入省で『盟友(腐れ縁)』の吉田茂が
就任するはずでした。近衛とともに広田に首相に就任するよう説得に当たったのも
吉田でしたし、一蓮托生でその責任を取るうえでも自然な流れだったでしょう。また、
外相就任はイタリア大使を最後に「依願免本官」して浪人状態だった吉田にとっても
「さあ来た!」という思いだったと思われます。むしろ、そのために広田を首相にと
画策したような気さえします――。
しかし吉田茂は「自由主義者だから」と陸軍からイチャモンがついて、外相就任は
結局流れてしまいました。もし吉田が広田内閣の外相だったとしたら、日本の歴史も
大きく変わったと思うのは自分だけでしょうか。良い方か悪い方か、知りませんが
とにかく、何かしら「大きな分岐ルート」に入っていったと思えてなりません。
さて吉田茂が陸軍から忌避された理由の1つには、広田との関係にまつわる小話
というかエピソードがあります。広田も吉田と同じく、閑な時期というものが
ありまして1933年にソ連大使から日本に帰国して待命となり、斎藤実内閣で
外相に就任するまでの期間でした。
738 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/08(月) 01:12:28 ID:PtuSLnMa
広田はその閑な時代に『大亜細亜教会』の設立委員になっておりました。これは 満州国の出現を受けて、皇国日本の指導のもと「大亜細亜連合の結成」を目指す というアジア主義的な団体でした。「玄洋社」と関係の深い、いかにも広田らしい と言えば、らしいのですが――。 何という怪しげな団体と思われるかもしれませんが、「大亜細亜協会」の設立 委員は広田のほかに、恒例の近衛文麿w、ジャーナリストの徳富蘇峰、外交官の 白鳥敏夫、また陸軍人では、支那通の大御所の松井石根、本間雅晴、鈴木貞一、 海軍人では、末次信正、石川信吾ら、合わせて40人が名前を連ねました。 とくに当時、中将で軍事参議官だった(同年、大将に昇進)松井石根が重要な 役割を担ったのは言うまでもありません。広田は外相に就任するまで、この大 亜細亜協会の評議員を務めており、斎藤実内閣で外務大臣になるとその祝賀会が 協会でも開かれました。松井は広田を気に入って、近衛文麿によく「外務大臣は 変えた方が良い。広田などどうだろう?」と推薦していたと云います。
739 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/08(月) 01:46:51 ID:PtuSLnMa
広田は他にも、政党政治に批判的な『国維会』の理事も務めております。 この時期、広田は湘南・鵠沼の別荘に暮らしていたのですが、足しげく 東京まで足を伸ばしていました。 ちなみに『国維会』は、思想家の安岡正篤をイデオローグとしておりまして 「日本精神」によって国政を刷新しようとする団体でした。政党政治の腐敗 が「政権争奪戦」となる弊害を批判しています。そして、またまた同じ理事に 当時貴族院の副議長だった近衛文麿も名を連ねており、広田と近衛の関係も こうしたところから深まっていきました。 まあ、たまに広田弘毅が●「政党政治に執着がない」(軍部大臣現役 武官制もさしたる抵抗をせずあっさり認めてしまった…etc)と批判 されるのも、玄洋社絡みだけでなく、こうした団体に所属していた ことが理由に挙げられるのでしょう。 まあ、脱線話が長くなりましたが、広田弘毅は「盟友(腐れ縁)」の吉田茂を 上記の「大亜細亜協会」へ熱心に誘い出しておりましたが、吉田はあまりの 「アジア主義的」な傾向に閉口して、大亜細亜協会に出席しなくなりましたw。 この辺りが、軍部や右翼から毛嫌いされるようになった1つの要因だったと 吉田自身が追想しております。
いまドキュメンタリー番組で『トリアージ――命の選別』を見ていますが、 なかなか良テーマですね。秋葉原で起きた大量殺傷事件で重傷患者の「搬送 優先順位」を色タグを付けて『選別』した訳ですが、黒タグは「救命不能」と 判断され、病院に搬送されるのも後回しになります。(赤タグは最優先) なぜ自分の息子は、早く病院に搬送してもらえなかったのか? 本当に十分な救命処置をしてもらえたのか? まあ戦場でしたらガンガン、「黒タグ」を付けていくのでしょうけど。
>740 将校に介錯されたり手榴弾渡されて置いていかれるよりましだよな・・・ この手の優先順位って、漏れた人間の関係者には気持ちは分かるが諦めろとしかいえない
>737 >吉田が広田内閣の外相だったとしたら、日本の歴史も >大きく変わった 陸軍と喧嘩してあっさり内閣瓦解に一票
743 :
俄将軍 :2008/12/08(月) 06:35:43 ID:???
満州事変は、陸軍ではなく、外務省が満洲での夜郎自大が、根本原因、ということになるのか、 などと、嘯いてみたり。 「在支公使館の大使館昇格」というのは、日本国内の陸軍、外務省などの権力闘争といったよ うな矮小な問題ではなく、日本国以外の諸外国も、在支公使館を大使館に昇格させた、とい うことになると、大日本帝国の国益にとって、百害あって一利なく、マイナス以外の何も のでもない、といったような結末になるであろうことは、火を見るよりも明らか、とい うことになるのか、などと。
>>741 『遠すぎた橋』では、軍医に見捨てられたのを銃で脅して強引に治療させ、生き延びのがあったよねぇ…
要らんコテ犯壱号が久々に湧いてきたが、どうせスルーできないんだろうなあとちとすでに絶望気分
そういや最近ネットの左巻きの人を中心に「トリアージ=ホロコースト」論争ってのもあったなぁ 苺の経済学板にまでスレ立ってて何かと思ったが
スレ/板違い承知でトリアージ話に便乗すると、 こないだ防災士の講習で習ったトリアージの基準は 「頭部切断等、明らかに死んでると認められる場合、 もしくは死後硬直が認められる場合」だった。 因みに後者が基準となる理由は、「良く動く筋肉程死後硬直が早い =心筋が一番良く動くので、その他の筋肉(顎が一番早い)が硬直する時、 既に心筋は完全に硬直してるので蘇生不可能」と言う事らしい。 しかし問題はそうした基準が、災害医療に関心のある一部の医師や、 監察医(都内では全6名)を除き余り周知されてない事である。 ただでさえ災害直後の混乱下、 付け焼き刃の知識すらない医師が大半を占める状態で、 トリアージが適正に行われるか否かは甚だ心もとない。
なんつーいい加減な講義だwwww 秋葉原のトリアージで一番問題になった判断要素は 「外傷性の心肺停止は9割9分蘇生しない」というものだった。 そしてそれに近い状態、即ち呼吸が止まり、心拍も極めて微弱な場合や 逆に心拍がとまり、呼吸も殆どない状態も、外傷性なら自然快癒する見込みは 全くないため移送中に死亡する可能性が極めて高く、赤タグ扱いとなる。 まぁ、戦場じゃ普通に死んでる状態だわな。
赤タグじゃない・・・。 間違えた。
つかよ、切り傷刺し傷や鉄砲傷による出血多量のケースが多い大規模犯罪現場 /戦場でのトリアージと、 家屋/家具倒壊の下敷きによる圧迫や窒息のケースが多い (阪神大震災では8割)のトリアージでは、自ずと基準が異なるんだが。
751 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/09(火) 01:39:37 ID:p7YkbpIP
>>741 >>将校に介錯されたり手榴弾渡されて置いていかれるよりましだよな・・・
昔、読んだインパールかどこかの戦記ですが、担送患者が「すまんなあ、すまんなあ……」
と運んでくれてる人に謝り続けるんですよ。状況が状況ですから運ぶ人もフラフラな訳で。
だんだん自責の念に耐えられなくなって、「用を足してくる」とジャングルの茂みに入って
手榴弾で「ボカン」。運んでいた方も「畜生! 死ぬ思いで、ここまで運んでやったのに」
と怒るんですが、体力を消耗したその人も次の担送患者になって延々とループに。てな事を
なぜか思い出しました――。
>>この手の優先順位って、漏れた人間の関係者には気持ちは分かるが諦めろとしかいえない
まあ、ねえ。それで救急救命士とかが訴えられたら、やり切れんことこの上なしです。
自分が遺族の立場になったら、絶対納得できないのでしょうけど。しかし現場では
絶対に、齟齬、無駄、ミス、誤解、が生じる訳で、全部それらを無しでやれ、という
のは無理と思います。株で「最安値」で買って「最高値」で売り抜けろ、と同じです。
しかも秋葉原に行く人は分かると思いますが、現場は最も人だかりができる場所です。
752 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/09(火) 01:57:38 ID:p7YkbpIP
>>745 >>要らんコテ犯壱号が久々に湧いてきたが、どうせスルーできないんだ
>>ろうなあとちとすでに絶望気分
もう少し分かりやすく書いてくれたらレスする気にもなるのですが、文量を
増やすために、わざわざ回りくどく書いているとしか思えません。「という」
は可能なかぎり削るのが短く読みやすい文章の第一歩です。割と自分の文章の
初期のお手本は、別宮翁の文章だったりします。あのやたらと、断言口調のw。
>>747 >>付け焼き刃の知識すらない医師が大半を占める状態で、
>>トリアージが適正に行われるか否かは甚だ心もとない。
トリアージの知識も一般に普及してくると、負傷者が早く治療を受けたいが
ために自分で「色」をいじってしまったり。日本だと「もぎ取り式」なので、
緑色の人は千切って黄色に、黄色の人は千切って赤色に。でも最初から黒色
(手遅れ:もっとも治療の優先順位が低い)の人は、どうしようもないですw。
まあ、意識も無いのでしょうけど。
意識があって黒札つけちゃったら・・・ そりゃダメだろ・・・
754 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/09(火) 02:16:03 ID:p7YkbpIP
>>750 >>家屋/家具倒壊の下敷きによる圧迫や窒息のケースが多い
>>(阪神大震災では8割)のトリアージでは、自ずと基準が異なるんだが。
福知山脱線事故もトリアージが使われたそうですが、どうだったんでしょうか。
昨日、テレビで久しぶりに「現場の映像」を見ましたが、今見ても酷すぎます。
>>そういや最近ネットの左巻きの人を中心に「トリアージ=ホロコースト」論争
だったら「どないせえ」というんでしょうか。そういえば、昨日の番組のサブ
タイトルも「命の選択」ではなく「命の選別」でした。1文字でも大違いです。
>>742 >>吉田が広田内閣の外相だったとしたら、日本の歴史も大きく変わった
>>陸軍と喧嘩してあっさり内閣瓦解に一票
まあ、そりゃそうなんですけど、広田と吉田の「二人三脚」というのは果たして
可能だったのかなあ、と思う訳ですよ。水と油で即、喧嘩別れか、逆にお互いの
足りない面を補完しあったのか……。『相棒』みたいになったら腐女子がネタが
増えたと泣いて喜びますw。
>>753 >>意識があって黒札つけちゃったら・・・ そりゃダメだろ・・・
そりゃそうでした……orz.
756 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/09(火) 02:28:47 ID:p7YkbpIP
>>742 >>吉田が広田内閣の外相だったとしたら、日本の歴史も大きく変わった
>>陸軍と喧嘩してあっさり内閣瓦解に一票
まあ、吉田茂が外相になれたのは、広田弘毅が外相になった年の10年後
なんですよねえ。広田が1935年9月14日(斎藤実内閣)で、吉田茂が
1945年9月17日(東久邇宮内閣)です。3日違いで惜しい! 日付まで
同じだったら1つの話のタネになるんですけど。でも、運命的なものを感じる
のは自分だけでしょうか。
>754 まあホロコーストもトリアージも命の選別ではあるんだけどね。 ただ、殺すものを選ぶのと助けられる人を探し出すのは180度違うどころか同じ質的次元にはいないわけで・・・ ホロコーストは語源的にはスケープゴートと同じなのに、大量殺人って現象面だけ見て原爆や戦略爆撃と混同しちゃう連中だからまあいつものことではあるんだがひどいやね。 より悪質で悪意まであるが・・・(ホロコースト=虐殺行為全般ってのは大半無知だろう)
>>739 >>広田弘毅は「盟友(腐れ縁)」の吉田茂を上記の「大亜細亜協会」へ熱心に
>>誘い出しておりましたが、吉田はあまりの「アジア主義的」な傾向に閉口して、
>>大亜細亜協会には出席しなくなりましたw。
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ 「絶対に面白いから!」と、自信満々に友人を
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 同人誌即売会に無理やり連れていったのですが、
゙,ヘi_i][i,l\ [] 会場で思い切り『ドン引き』されたみたいなものですねw。
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
>>758 >>ホロコーストは語源的にはスケープゴートと同じなのに、
_
_....(゚ー゚)
, ´ ⌒ヽi)
i|(( ) )) )iリ
(リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 目からウロコ!
゙,ヘi_i][i,l\ []
<_/ノ:;:;:;ヽ>ij^)
`¨i.ラi.ラ'´ (
 ̄  ̄
>758 高級官僚が政治団体の会合にのこのこ顔出しちゃ不味いだろう。 この辺の広田の脇の甘さというか無神経さはなんなんだろうね・・・? 距離を置いた吉田のほうがまともで良識的だったんじゃないの。 この辺の感覚と処世は考察の価値はあると思う。 まあ当時は、政治活動絶対禁止のくせにゴソゴソおおっぴらにやってた軍人ドモの存在があるからその辺の意識も鈍るのかな、とも思わぬでもないが。
761 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/09(火) 03:07:20 ID:p7YkbpIP
>>735 >>どうせ、外交活動を任せなければいけないのなら、きちんと外相を
>>決めた方が良いのは自明なことでした――。
結局、広田内閣の外相には駐支大使の「有田八郎」が就任することになりました。
駐支大使を『外相』に抜擢するあたり、広田が「対支外交」に気を遣っていた事が
よく分かります。本当は、外務次官だった重光葵を外相に繰り上げる手もあったの
ですが、重光は「反英・対支強硬路線」の気が多分にありましたから、広田が心配
したのでしょう。しかし、重光は広田と同じコースとなる「駐ソ大使」に出される
訳なので、広田は重光を買っていたのも事実です。一番きついポストですからね。
ちなみに重光は、のちに「駐英大使」にもなっています(1938年)。
また広田は有田を抜擢した理由として、●「そのころ駐支大使だった有田を外相に
抜擢したのは私であって、陸軍ではない。有田は職業外交官であり、日本が(満州
問題で)国際連盟から脱退したときに、有田は外務次官として連盟脱退に同調しな
かった。私は有田と同じ考えであった。このため私は、有田を信頼していたのである」
と述べています。まあ、陸軍に吉田の外相を阻止された広田の、せめてもの抵抗だった
と言えるかもしれません。しかし別宮翁などは、●「広田は無能な人間を偏愛する」と
バッサリですw。
762 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/10(水) 00:12:45 ID:WM0C/9d2
>>760 >>高級官僚が政治団体の会合にのこのこ顔出しちゃ不味いだろう。
>>この辺の広田の脇の甘さというか無神経さはなんなんだろうね・・・?
『脇の甘さと無神経さ』で近衛文麿に勝る者なし!w と言って済ませたいところ
ですが、広田の場合、まさか自分が直後に外相やのちに首相になるとは思っても
いなかったでしょう。1933年の時点で、広田は55歳。少し前まで、オランダ
公使が外交官としての『上がり』のポストだと考えられていました。にも関わらず、
ソ連大使まで務めることができたのです。外務次官も経験していないのに「お呼び」が
掛かるとは思っていなかったのだと思います。
どのみち玄洋社にも●『関わりが深い』のに、今さら「大亜細亜協会」や「国維会」を
気にしてどうする?という気もしますw。
さて、有田八郎が「広田内閣」の外相になった訳ですが、その他の外務省高官の
メンバーは以下の通りです。●堀内謙介次官、●桑島主計・東亜局長、●東郷茂徳・
欧亜局長、●岡本季正・亜米利加局長、●松嶋鹿夫・通商局長、●栗山茂・条約局長、
●天羽英二・情報局長です。まだ天羽が情報局長に留任していますね。さらに吉田茂が
『広田の心遣い』(吉田自身の表現)で、駐英大使としてロンドンに出向いたのは言う
までもないことです――。
763 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/10(水) 00:30:47 ID:WM0C/9d2
>>723 >>広田が首相を務めた期間は「10ヵ月半」ですが、東京裁判で広田が
>>文官でありながら「死刑」になる布石
広田の首相としての在任期間は1年弱で「功績が少ない」と批判する向きも多い
ですが、大きな間違いです。前スレとも重複しますのでザッと流していきますが、
まず「2・26事件」の決起部隊将校らの軍法会議がありました。1936年4月
28日に始まった軍法会議は7月5日に判決、同月12日には磯部浅一ら15人の
『死刑』が執行されます。ちなみに同年7月に拘留された真崎甚三郎は、翌37年
9月の判決で無罪になりました。何にせよ、軍人としては両腕両足を?がれた形です。
また『粛軍』の名目で広田は1936年4月に「軍部大臣現役武官制」を認めています。
この背景は前スレで詳しくやりましたので省きますが、広田自身、自らの組閣で必死の
思いをさせられましたので、単なる名目上「予備役・後備役」の陸相の選択肢があったと
しても意味が無いと考えたのでしょう。また『玄洋社』『大亜細亜協会』『国維会』などの
関係から、広田は「政党政治」に対して愛着を感じていなかったと批判する意見もあります。
764 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/10(水) 00:46:10 ID:WM0C/9d2
また広田お得意の●『名を捨てて実を取る』戦略で、軍部大臣の現役武官制を 認める代わりに、首相候補者が陸海軍の大・中将のなかから自由に軍部大臣を 選べるように取引し、当時の陸相・寺内寿一と海相・永野修身に「完全に同意 させた」と云いますが、真相は不明です――。この●『交換条件』があったと 主張するのは、実は広田自身に過ぎないからです。 しかし東京裁判での取り調べで広田は、●「天皇陛下から組閣の大命を拝した者は 誰からも介入されずに、陸海軍の中将と大将から自由に大臣を選べるようにせねば ならない。他の閣僚を選べるのと、同じようにである――」と寺内と永野の2人に 説いた(そして認めさせた)と陳述しています。 広田が検察の取り調べに対して非常に協力的だった(それが死刑を招く結果となる) ことを考えると、全く嘘を付いているとは思えず、当時ほぼこれに近いやり取りは あったと思われます。ただ惜しむらくは、広田が首相を辞めると直ぐにウヤムヤに なってしまった事ですw。
765 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/10(水) 01:06:49 ID:WM0C/9d2
また広田弘毅は1936年4月17日、「支那駐屯軍」の増強を決定しています。 それまで『歩兵10個中隊規模』だったのを一気に3倍の兵力に増やしまして、 『混成1個旅団(5774人)規模』となります。また、これに合わせて支那 駐屯軍司令官は『親補職』(天皇の親任式をもって補任される)とされました。 この背景には、満州から北支へと手を突っ込みたがる『関東軍』に歯止めを かける狙いがありました。要するに、それまでの支那駐屯軍は「格下扱い」で 同じ陸軍といえども関東軍に舐められていた訳です。支那駐屯軍の規模と地位を 向上させる事で、収拾がつかなくなるのを防ごうとした訳です。また陸軍中央も 関東軍を「対ソ戦」に専念させたかった背景もありまして、首相の広田と利害が 一致したのです。 しかし支那駐屯軍が一気に3倍に増えたのは、支那の土人共をいたく刺激し、 1937年7月の「盧溝橋事件」が勃発する遠因ともなりました――。
766 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/10(水) 01:33:42 ID:WM0C/9d2
また広田内閣では、日本の外交方針が大きく●『国防』●『外交』●『国策』の 3つの面から見直されておりまして、それぞれ ●「帝国国防方針の改定」●「帝国外交方針」●「国策の基準」の形となります。 このうち「帝国国防方針の改定」は日露戦争以来、3度目の改定となり、仮想敵国が 従来のアメリカとソ連・支那に、イギリスが加えられたのが大きな変更でした。また 長期戦に備える必要性を説きつつも、「作戦初動の威力を強大ならしめる」ことにより 短期決戦の『速戦即決』を主張したのも特徴でした。実は、支那事変と太平洋戦争は この新たに改定された「帝国国防方針」に基づいて起こった訳です。 しかし「帝国国防方針」の改定作業は、それこそ「統帥権の独立」に関するもので 首相の広田もほとんど口を挟むことが出来ず、陸海軍の決定をそのまま鵜呑みに せざるを得ませんでした。これが1936年6月3日に天皇陛下から裁可される ことになります――。
767 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/10(水) 01:56:08 ID:WM0C/9d2
また1936年8月7日に、首相の広田弘毅、外相の有田八郎、陸相の寺内寿一、 海相の永野修身の「四相会議」で定められた「帝国外交方針」は、陸軍の意向を 中心に反映しており、『ソ連の脅威の解消』と『赤化防止』を重視していました。 また同じ日の8月7日に、蔵相の馬場^一を加えて「五相会議」で決定された 「国策の基準」は、今度は海軍の主張が盛り込まれており、『東亜大陸における 帝国の地歩を確保するとともに、南方海洋に進出発展する』と南北併進論を謳う メチャクチャなものでした。 要するに、ソ連の脅威を排除しながら、日満支提携のもとで、南洋にも進出する、 という、明らかに日本の国力を度外視した無謀な内容です。首相の広田弘毅は、 この時の背景を「巣鴨プリズン」で同じA級戦犯であり、外務省で部下だった 東郷茂徳に対して以下のように語っています。 「海軍が(第2次ロンドン)海軍軍縮条約の廃棄後の『軍備拡張計画』を正当化 するための下地作りと、これに陸軍が『負けてはならじ』と便乗したものが 合体したものである。単に『予算を取る』ため軍部において拵えたもので、 それ以上の実質的な意義は考えていなかった――」
768 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/10(水) 02:24:26 ID:WM0C/9d2
少し補足が必要ですが、広田が首相を務めていた1936年には、日本が既に 第2次ロンドン海軍軍縮会議を脱退する事が決定しており、翌年の1937年 からは『無条約時代』に突入する危機的というか、実に不安定な時代でした。 広田内閣が批判される1つの理由に、馬場蔵相のもと「軍事予算を急増させた」 というものがありますが(結局、寺内の『腹切り問答』で予算は通ることなく、 総辞職へ)、これが戦艦「大和」や「武蔵」の建造にも繋がっていく訳です (話が飛びますが、広田の内閣総辞職に海相の永野が反対したのは、折角の 海軍予算が頓挫してしまうためですね)。 陸軍も、海軍の「軍縮条約の脱退」をネタに巨額の予算を獲得するのを黙って 指を咥えて見ている訳にはいきません(予算額はそのまま権力の額)。結局、 広田は陸海軍の双方の面目が立つように『調整』を図った訳ですが、これらは 陸海軍と政府の『共同謀議』を立証するための格好の材料に使われる事になります。 まあ、こんな広田の首相の時代にまで遡ってやるのは、近衛文麿が自殺したため なんですがね。誰かがババを引かされる訳です。
769 :
名無し三等兵 :2008/12/10(水) 03:31:53 ID:276XHMZZ
>>765 満洲国の存在が癌となり、広田にとって国民党政府の神経を
逆撫でしてまで陸軍と妥協するような本末転倒なやり方以外に
選択肢が無かったのはよく分かりました。
ただ、支那駐屯軍の増強については、現地における正規軍の直接的
な武力の強化という意味で、それまでの妥協とは一線を画すように
思えます。
盧溝橋事件が起こることを視野に入れての結果論かもしれませんが、
この手の嗅覚が鋭い外交官出身の広田自身、こうした行為によって、
現地で軍が揉め事を起こす確率が高くなる―それだけ事態の収拾が
難しくなり、軍につけいる隙を与える、とは考えなかったのでしょうか。
確かに、これだけ政軍関係が乱れると何が起こっても不思議では
ないのでしょうが、このタイミングでの出先の軍の増強について
は、いくら交渉の産物とはいえ、他に利害の一致を見るような材料
は無かったのかとも思います。
要領を得ない質問ですみません。
内憂外患で内憂を優先した結果でしょう。
本読んでると海軍には、鉄砲屋とか水雷屋とか出身兵科が政治力に影響を与える描写が良く出てくるけど、陸軍はどうだったの
772 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/11(木) 01:27:13 ID:a89l0bT3
>>769 >>ただ、支那駐屯軍の増強については、現地における正規軍の直接的な
>>武力の強化という意味で、それまでの妥協とは一線を画すように思えます。
『関東軍の南下』を食いとめるためですから、当時の判断としては止むを得ない
と思われます。そもそも「良識的・支那通軍人」の代表格である多田駿(少将)が
新任の支那駐屯軍司令官として1935年9月に赴任した際、自身の責任担当
地域内における『関東軍の干渉』に憤りを表明したのがきっかけでした。
陸軍省も多田を支持して、1935年11月に北支での『地方的事件』の取扱いに
ついては支那駐屯軍の担当として、関東軍から手を引かせた訳です。これを受けて
同年12月に「参謀本部第二部支那課長」の喜多誠一大佐が、支那駐屯軍の独立性を
高めるために大幅な兵力の増強と再編を提案し、認められました。
これにより『北支の問題処理』は正式に支那駐屯軍の担当となり、関東軍の守備範囲は
万里の長城以北に限定されたのです――。
773 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/11(木) 01:57:32 ID:a89l0bT3
>>769 >>現地で軍が揉め事を起こす確率が高くなる―それだけ事態の収拾が難しくなり
これにより支那駐屯軍は、戦時定員5774人の旅団規模にまで拡大し(約3倍)、
新たに編成した「独立歩兵2個連隊」により火力がさらに強化された訳です。この
2個連隊は「3単位制」で編成され、重機関銃中隊、歩兵砲部隊を加え、通信部隊も
強化し、独立して作戦行動が取れるまでになりました。
しかし、ここで大きな問題が発生します。兵力が3倍になったのですが『兵員の宿舎』が
全然足りませんw。北京の外国人居留地は、既に日本の歩兵2個中隊と他の外国駐屯軍が
使用しており、定員オーバーです。やむなく兵力を過度に「分散配置」せざるを得なくなり
まして、歩兵第1連隊第3大隊は北京南西郊外にある『豊台』に駐屯することなります。
言うまでもなく歩兵第1連隊第3大隊は、『盧溝橋事件』で支那第29軍と衝突した部隊
です。豊台は数年前までイギリスの部隊が駐屯していましたが、「第3大隊」を1ヵ所に
収容するには狭すぎました。結局、3つの場所で別々に小さな宿舎を作らざるを得なくなり、
連隊本部が全体を指揮するのに不利になったばかりか、支那の土人部隊・第29軍の兵舎が
日本軍の兵舎の間に入り組むという「複雑な様相」を呈しました。当然、双方が衝突する
危険性が高くなります。実際、1936年9月には両軍の間で乱闘騒ぎが起きています。
774 :
イナゾウ脱走兵 ◆FU/OcfTlfM :2008/12/11(木) 02:11:00 ID:a89l0bT3
もちろん支那駐屯軍が大幅に増強されたことにより、北京の土人共は大反発して 『反日感情』に拍車を掛けました。まあ、関東軍のやりたい放題を止めるために 支那駐屯軍を増強させたのですが、実際やってみると思わぬ問題が発生した好例 になります。さすがに昭和天皇は「良いカン」をしておりまして、陸軍から支那 駐屯軍の大幅強化を聞かされると、これを承認しつつ「あまり目立たないように やれ」と注意しています。 まあ、もともと首相の広田は『軍の統帥権事項』に口出しできませんし、よかれと 思って賛同したのですが、関東軍は「北支」が駄目となったら今度は「内蒙古」に 触手を伸ばしますし、なかなか上手くはいかないものですw。
ッ-ヘ。__。ヘ レ, '´゚ `,〉. i ハ)))ハ))ノ) ( :::) イオi ゚ ヮ゚ノヘ__( ::) 今うどん食べてるんですよ ,ぐつ==\_/ 映姫様もどうですかい? ,メノ イ-i| ̄ ̄ ̄ ̄| ゙'ーソフ-Uフ ̄ ̄ U
また新スレで会いましょう。
あと12kb残ってるー
778 :
769 :
2008/12/18(木) 01:16:24 ID:W4sDsEf3 スミマセン、御礼言わせて下さい。
丁寧な御回答感謝します。御話が実務レベルで見えて、来て目から
ウロコです。
>>770 さんの見通しに沿ってますね。
元々提案したのが軍側であったので、広田にとっては統帥権が
足枷になったこともあって細かい注文を付けられなかったわけですか。
おしゃるように「毒を以って毒を制す」つもりが、藪蛇になった
ような印象を受けます。
成程、盧溝橋事件も、関東軍と北支派遣軍の縄張り争いによる
混乱と、居留地という手狭な状態が引き起こした側面があったわけ
ですね。