もし日本が勝っていたなら Part2.1

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1名無し三等兵
ログが吹っ飛んですっかり煽りは忘れてしまったわけだが
つまり出直しというわけだ。
もし日本が勝っていたら今頃日本軍はイラクで嫌われ、
ドイツはナチスが崩壊して共和国になっていたりするのだろうか。
まぁそう言うスレである。
2一等自営業 ◆BVruYgneoI :03/05/21 16:43 ID:CCs3VFkt
1!
3名無し三等兵:03/05/21 16:43 ID:???
バカめ
4名無し三等兵:03/05/21 16:47 ID:???
自営業氏は壊れちゃったの?
5名無し三等兵:03/05/21 16:48 ID:???
 自営業閣下に2をゲットされてしまったぁあああああ!!

 このスレは幸先がいいのか悪いのか。
6名無し三等兵:03/05/21 17:19 ID:???
先生、惜しかったですね(w
7名無し三等兵:03/05/21 17:56 ID:mP21x3Zq
こちらも復興したようですね。
今回の災害の復興にともない、オカルト板にマッカーサーがやってきました。
軍事板みなさん、何とか言ってやってください。
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/occult/1053490888/l50
8名無し三等兵:03/05/21 20:12 ID:E9j1lyQn
日本が勝っていたら2chで皇太子様をバカにしたヤツ
全員不敬罪でタイーホ&接続してた奴全員特高のブラックリストにマークされるね
9名無し三等兵:03/05/21 20:14 ID:I7CtI+ug
ろりろり、レイプ、痴漢、盗撮、人妻、OL、スッチー、
女子高生、女子大生、女教師、外人、・・・・
やすいんだな、これが。

http://www.dvd-yuis.com/
10名無し三等兵:03/05/21 20:17 ID:???
>>8
犯人タイーホはあり得るだろうが
接続してたやつって何人いると思ってるんだよ。
拘置所がいっぱいになっちまうぞ。
11名無し三等兵:03/05/21 20:19 ID:???
ひろゆきが逮捕されると思われ
12名無し三等兵:03/05/21 21:14 ID:???
特高や憲兵、そして皇軍の相当数はタイーホ!と思われ
13名無し三等兵:03/05/21 21:17 ID:???
日本が勝ち、国民が豊かになれば
天皇制は多国民連合国家となった
日本帝国の精神上の要諦になるのではないだろうか?

神格化というよりはむしろ道具・機関に近くなるのでは?
14名無し三等兵:03/05/21 21:56 ID:???
全然違うスレになってるな
15過去スレの大まかなまとめ:03/05/21 22:32 ID:qBzy4+qW
 日本は江戸末に長州戦争にて本州側と九州側からの挟み撃ちに成功した徳川慶喜は
奇兵隊による猛烈な反撃に遭いながらも、ぎりぎりで持ちこたえ、長州を屈服させることに成功する。
 
折りも折り。ロシアは蝦夷地が国際法的に独立国でないことに目をつけ、触手を伸ばそうとしていた。
 その後、徳川慶喜は「余は将軍後見職から征夷大将軍に就任するが、露西亜という夷敵を打たんが為
江戸及び日ノ本全ての領土と引き換えに蝦夷地をよこせ」という朝廷への要求・【上様御謀反】により大きく
歴史を変えた。
 徳川慶喜は一切の政権から身を引くことと引き換えに旧幕臣・旗本・武士・商人など望んだものを
引きつれて松前へと移転することを望んだ。
 この際、フランス型の大統領制をもくろむものの元首を天皇とし、大統領的内閣制度とする事で落ちついた・・・

 小栗上毛之介初代総理大臣のもと、徳川松前酋長家率いるアイヌ首長国連邦、薩摩の戦力を殺ぐ目的で
失脚した西郷隆盛の後ろ盾で独立が承認された琉球王国、そして大日本帝國。
 琉球の帰属を巡って争われた日清戦争、アイヌ首長国連邦陸軍が「北のベドウィン」として畏れられた
日露戦争を経て、大東亜・太平洋戦争は幕をあけた。
16過去スレの大まかなまとめ:03/05/21 22:33 ID:qBzy4+qW
開戦原因はハワイ王国における王制打倒クーデターに対する救出作戦、真珠湾奇襲であった。
 ミッドウェイで大惨敗を喫し、当時既に大日本連邦帝國の一部となっていたアイヌの呼びかけで
最高御前会議が開催。戦局は逆転していった。
 陸においては、東シナ連合義勇軍(ビルマ・タイなど)の後押しにより牟田口率いる連合陸軍が
インパール作戦を成功させベーリング海峡を島伝いに攻略していく「飛び石作戦」によって
アラスカを陥落させた。
 
 一方、ソ連はナチスドイツの侵攻を受けウラル以東にシベリア共和国を作るも更に惨敗。
 当時、既に立憲君主帝政を敷いていた満州合衆国とアイヌの肝煎りで作られたサハリンからアラスカを
望む千島・クリル列島・そしてアイヌシモリ本島を領土とする「ベーリンジア共和国」が建国された。
 チャーチルをして「海のカーテン」と呼ばせしめたベーリンジアは国民国家の概念を大きく塗り替えた。
 こうして、世界はベーリンジア委任統治領のアメリカ合衆国(亡命政府)・西アメリカ(日本委任統治)
東アメリカ(第三帝國→欧州帝國)、欧州帝國・共栄圏による冷戦時代へと入ったのである。
 近年、欧州帝国が崩壊、東西米国が統合されるなど激動が続いている。
17名無し三等兵:03/05/21 22:35 ID:???
支那が協力してくれていれば勝てただろうね
あと、外交官をアメリカに置いてきた方が良かったかもね
18名無し三等兵:03/05/21 22:46 ID:CaR/qmCe
今より反日左翼が少なくて、少し発展が遅れる程度で
今とほとんど同じような状況になっていたと思われ。
ただし2chでは天皇機関説論者と天皇教徒との熱いバトルが繰り広げられているだろう。
19山崎渉:03/05/22 00:58 ID:???
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
20名無し三等兵:03/05/22 01:54 ID:LCqkoc7J
日本は、武器輸出で経済成長しただろうね。
21名無し三等兵:03/05/22 22:32 ID:???
それより、実史で大久保利通が廃藩置県をする前に暗殺されていたら・・・・。
22名無し三等兵:03/05/22 23:10 ID:???
>>21
日本は合藩連合国家にでもなったんじゃないの?
23名無し三等兵:03/05/24 00:16 ID:???
日本モンゴル軍事同盟の可能性はないか?
24名無し三等兵:03/05/24 01:52 ID:???
>>23
 満州合衆帝国・ベーリンジア・大蒙古(旧内外蒙古)の3国軍事同盟ならありますが何か・
 
25名無し三等兵:03/05/24 05:18 ID:???
貴族制が残っていて、官吏には位階勲等
いいなぁ

26名無し三等兵:03/05/24 07:38 ID:???
戦後すぐに日本が核開発をするかどうかにかかっていると思われ。
27名無し三等兵:03/05/24 15:26 ID:???
旧住人は戻って来ませんでしたとさ。
28名無し三等兵:03/05/24 18:32 ID:???
>>25
漏れは平民なので、貴族政は正直勘弁だ
29名無し三等兵:03/05/24 18:36 ID:LSUo+v8+
よーし、パパ勅任官目指しちゃうぞ
30名無し三等兵:03/05/24 19:52 ID:???
不祥事発表時には深々と頭を下げる姿ではなく、白装束で時世の句を
詠む姿が掲載される。
31名無し三等兵:03/05/24 21:41 ID:k0NuKtAL
>>27
 ここに居るとも・・・
32名無し三等兵:03/05/24 21:49 ID:???
>>31
でももうダメポ
33名無し三等兵:03/05/24 22:02 ID:k0NuKtAL
>>32
確かに・・・15-16を投下したけど反応が・・・

 こんなだから帝都大戦が大東亜戦争記録映画の派生映画だと知らない人間が
増えたんだろうな・・・・
34名無し三等兵:03/05/24 22:11 ID:???
>>33
最近の若い人は歴史の勉強をしないからね。
米国が我が国と戦争した過去があるのを知らない人もいるんだよ。
まあ、反戦反戦と騒ぐアメリカの国家社会党崩れ見てたら、彼らに戦争するだけの気概がある
とはとても思えないのも理解できるが、彼らが「ガンマン」の歴史をもっていることを忘れちゃ
いけないね。
俺の祖父も加半島上陸戦で戦死したそうだが、上官の人が言うのはアメリカ兵のの闘いぶ
りは見事だったそうだ。
35名無し三等兵:03/05/25 02:05 ID:???
米兵の戦いぶりは部隊によって大分違うようだよ。
人種別編成されていた所為かな?
黒人兵部隊やメキシコ系の部隊は文字通りへタレだったが、
大陸原住民(インディアン)や独系、日系人部隊は鬼神の如く勇猛果敢で
絶対降伏しなかったらしい。俺の祖父がそう言ってた。
36名無し三等兵:03/05/25 11:24 ID:???
>>35
 戦後、白人が腑抜けになる一方で三国人と称し暴れまわる黒系とメキシコ系を制圧したのは
日系と大陸先住民系だったね。
 日系は共栄圏からの勧めで公務員入りを望まれても拒否したし、先住民系は自治政府作ったしね。

 琉球やアイヌが積極的に日系の再移民(帰還ともいうが)を受け入れてるのも肯けるよ。
37名無し三等兵:03/05/25 12:26 ID:???
そういやどこかの都市に包囲されて立て篭もった米軍に降伏勧告してみたら、
「うるせえ、馬鹿野郎!」と日本語で返事してきたことがあったらしい。
住民は退避した後だったから徹底的に戦うつもりだったんだろうな。
実際陥落まで一ヶ月近くかかってその街は瓦礫の山になったけど。
臨時編成の先住民系と日系の混成部隊が守備隊の主力だったそうだ。
38名無し三等兵:03/05/25 13:46 ID:???
>>37

2ちゃんUSAの「Shed tears storys」スレに出てたなそれ。
守備隊の残した遺書を包囲側の部隊が戦後遺族に届けたって話だった。
39名無し三等兵:03/05/25 14:45 ID:???
日本が勝っていたということは、
満州国が存在するのか?
40名無し三等兵:03/05/25 16:16 ID:???
>>39
 満州は「君臨すれども統治せず」を背景に、代々の皇帝を愛新覚羅家からではなく、婚姻に
よる外部からの男子でもって選ぶ未曾有の国家体制を作りました。
 元首は皇帝ですが、強力な国力の元、大モンゴルを後押しして弱体化したソ連を保護国化の後に
併合してベーリンジア建国に一枚噛みました。

 最近は大韓自治帝國(現:大韓帝國)北部の狂信的ゲリラに悩まされてるみたいですね。
41名無し三等兵:03/05/25 16:19 ID:???
壇君原理主義テロリストね
42名無し三等兵:03/05/25 17:13 ID:mOlC/Zhg
韓国北部といえば、大昔金日成とか言う国家社会主義ゲリラを
攪乱目的でドイツが援助したらうっかり国を丁稚ageてしまった
なんてこともあったね。
43Dear everybody in the 2ch Japan:03/05/25 17:15 ID:4U5eYaiy
今日、IはUCLAでTOEIC(国際通信のための日本語のテスト)をとりました。
試験はso難しかった、あれIが必要なマークを日本で勉
強させることができたかどうか確かでありません。
44Dear everybody in the 2ch Japan:03/05/25 17:16 ID:4U5eYaiy
TOEICではなくてTOJICです。訂正します。
45名無し三等兵:03/05/25 17:38 ID:???
>>42
領土なき独立国家「朝鮮国家社会主義共和国」ね。
すぐに脱出してシベリアと突破して(ここだけはチョトすごい)ニュルンベルグで亡命政権を
建てた。
その後は寡聞にして知らん。
46名無し三等兵:03/05/25 19:06 ID:???
>>45
 同じく無謀にも瑞金からチベットを越えてペルシアからギリシャに入り
ドイツに亡命政権を作った中華国家社会主義人民共和国ってあったねぇ・・・
 始めは数十万人居たのに最後にドイツに入ったのは5人だったって?
 むちゃくちゃだよな・・・驚きなのは今も100歳超えて元気なケ小平総統・・・
 他は皆しんじゃったけど。
47名無し三等兵:03/05/25 23:32 ID:???
(台湾はともかくやっぱり北海道と沖縄は日本領土であるべきだと思うのは俺だけか?)
48名無し三等兵:03/05/25 23:35 ID:???
>>45
ん? それは戦後すぐ半島からたたき出された非主流系の反日運動家集団だろ。

金日成がつくったのは「朝鮮国家社会主義人民共和国」だし。
49名無し三等兵:03/05/26 01:02 ID:???
>>47 勝たせる為には明治から改変しないとどうしようもないだろっていうのが過去スレの雰囲気だった)
50名無し三等兵:03/05/26 01:53 ID:???
オーストラリアとニュージーランドの戦中から現在に至るまでの状況を誰か教えて下さい。

明日試験で赤点になると極めてまずい状況に追いこまれるのです。

ついでに越南動乱についても。
51名無し三等兵:03/05/26 05:33 ID:???
>>49前スレの後半部分からだけど、それ……)
52名無し三等兵:03/05/26 21:54 ID:???
>>50
普通です
53名無し三等兵:03/05/26 23:48 ID:???
オーストラリアは1944年12月、加州上陸戦直前に日本に対し単独講和。
付近の戦況は日本側は西ニューギニアで防備を固めるも積極的攻勢に出ず、
米側は日本側のPA作戦への対応でいっぱいでこちらも反攻には出れず。

この時オーストラリアは英本国の命令で講和を日本単独とし、
ドイツ・イタリアとの講和を禁止していた。
(英本国が豪の支援を必要としたため)
この条件を日本が受け入れてしまったことが、
後にマルタ会談以降の日独対立の発端になる。

ニュージーランドは同時には講和交渉せず。
これは日本の支配圏がニュージーランド近辺に及んでいなかった為。
1945年8月10日に停戦。完全講和は翌年。

両国は一度英本国への帰属に復帰するが、
その本国が欧州で唯一、東側世界に属した為、
両国も急速に共栄圏と接近していくことになる。
しかし、英本国とは異なり人種問題等も抱え、
1948年には日本のパレスチナ紛争介入に抗議するデモが
暴動に発展する事件も起きている。
5450:03/05/27 00:55 ID:???
>>53
ありがとうございます。でも遅かったです。赤点ケテーイで明日から補習と罰で演習場で薬莢拾いです。

豪州も先住民を差別してたからねえ。共栄圏では人種差別撤廃が徹底してるのに。
55日本軍主力装備を想像してみる:03/05/27 21:30 ID:1jeEUCGR

F−15を撃墜するために開発された、
日本空軍 三菱 F-99「99式主力戦闘機 天狼」とか

SU−35を意識して開発された、
日本海軍 三菱 F/A−00 「零式艦上戦闘攻撃機 千翼」とか

適当に妄想してみたり。
F−2がF−16ベースじゃなく、純国産開発の双発戦闘機になっていた可能性も…

日本空軍 三菱 F-2 「二式支援戦闘機 神鷹」
う〜ん…
56名無し三等兵:03/05/27 21:36 ID:???
>>55
アメリカの方ですか?日本語上手ですね。
57名無し三等兵:03/05/27 21:39 ID:xckIuzNb
>>55
F−15イーグルって、西アメリカが39式戦闘機「銀鷲」のライセンス生産型では?
15番目に採用した日本製機体ってことで付けた名前らしいが…
58名無し三等兵:03/05/28 01:14 ID:???
っつーかなんで同盟国の戦闘機が仮想敵なんだ?
まぁ、英軍や泰国軍の高性能機ならまだわかるが。

フツー、仮想敵っつったら今でも第三帝国〜ドイツ連邦共和国の機体だろ?
59名無し三等兵:03/05/28 01:35 ID:???
やっぱり仮想敵はトーネードやミラージュ、ラファールじゃないか?
英国はやっとまともに対抗出来る自主開発のタイフーンを揃えられたけどな。
それまでは日本製を輸入してなんとか対抗してたよね。
60名無し三等兵:03/05/28 02:00 ID:???
海空軍の航空機命名基準では

艦上戦闘機 「風」
艦上攻撃機 「星」
陸上戦闘機 「光」
陸上爆撃機 「山」
偵察機・早期警戒機 「雲」
対潜哨戒機 「海」

だわな
61名無し三等兵:03/05/28 02:28 ID:???
>>60
陸上戦闘機は明確な命名基準なし。「光」は慣例。
同じく陸上爆撃機も明文化されていない。ついでに中型以下は「龍」

これは陸軍の命名基準に一歩譲った形なんだな。
62名無し三等兵:03/05/28 02:33 ID:???
>>60
偵察機も基準から離れた機体がいくつかある。
高速戦略偵察機「黒鳥」とかな。
63名無し三等兵:03/05/28 03:26 ID:???
>>62
ソレって確か、池田首相がその機体の優美さに感嘆して
「まさに黒鳥だ!!」と勝手に命名しちゃったんだよね。
命名権のあった当時の空軍省長官の三木武夫は面目丸つぶれで
後の三木内閣のときに意趣返しとして予算大幅削減されたんだっけ。
64名無し三等兵:03/05/28 03:44 ID:???
そういえば西アメリカは当初、三菱特殊戦闘機「電光」を導入する気満々で、愛称まで用意してたなあ。
最初は「電光」を訳した「ライトニング」を採用しようとして、「それはあまりにも日本にべったりだ。
独自性がない。」といわれて「スーパースター」を案にしたら「正気か?そんな恥ずかしい名前!」
で、ようやく「ラプター」で落ち着いたんだっけ。
西アメリカも財政崩壊でそれどころじゃなくなってしまったが。
65名無し三等兵:03/05/28 06:40 ID:???
>>63
そもそも三木武夫は東西融和論者だったからね。
ただ、今にして思うと第3帝国の延命に手を貸しただけっていうのは後知恵に過ぎるん
だろうか。。。
後の中曽根内閣がレートを釣り上げまくって経済的に追いつけなくなったのが第3帝国
の崩壊につながったわけで、もっと早くやっていれば・・・と思うのだが。
66名無し三等兵:03/05/28 07:44 ID:???
>>58
 ほら、ミッドウェー御前会議の後、共栄圏の合言葉は「想定しうる限りの全ての災厄に備えよ」
だったし。
67山崎渉:03/05/28 15:52 ID:???
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
68名無し三等兵:03/05/29 01:13 ID:6qRQ23EB
>>60
おいおい英語のBomberの直訳じゃないんだから、陸上爆撃機なんて恥ずかしいこと言うなよ。

爆撃機=急降下爆撃が可能。
攻撃機=雷撃、もしくは水平爆撃専門

軍からの資料にはちゃんと「G18K 陸上攻撃機 叡山」とか書かれているぞ。

・・・とは言うものの機体番号はうろ覚え。川西初の大型陸攻ってことまでは覚えているんだけど。18で良かったっけ?
69名無し三等兵:03/05/29 07:50 ID:???
>>68
またも海軍至上主義者ハッケソ。
水平爆撃専門は「爆撃機」でいいんだよ。
九七式や一〇〇式「呑龍」は「爆撃機」だろ。
70名無し三等兵:03/05/29 11:19 ID:LLbyo6ri
70年代まで海軍は対艦誘導奮進弾運用機を攻撃機つってたが
最近の多用途艦上戦闘機も、対艦弾使えるようになって
そこら辺の区分は曖昧になっているらしい。
71名無し三等兵:03/05/29 16:34 ID:PjpAUNrU
>>68-69
コラコラ。陸海軍が喧嘩してたらどっかの架空戦記みたいに日本が負けちゃうぞ(藁
72名無し三等兵:03/05/30 00:07 ID:???
そういや、大東亜大戦末期に米本土に投下された原子爆弾って、
8月6日にニューオリンズに投下された桜一号がウラン235爆弾だったと思ったけど、
8月9日にラスベガスに投下されたのはなんて名前でどういう構造だったっけ?
73名無し三等兵:03/05/30 03:24 ID:???
>>69
コリャ、海軍をいじめるでねぇ。
海軍はスエズ撤退からず〜と縮小の一途。
今だって虎の子空母を、友邦台湾の海軍に売るか売らんかで大モメじゃ。
もう空母は二隻しかないのに。
叩くなら、警察を叩きしゃい。
人権蹂躙の旧特高警察連中を。
74名無し三等兵:03/05/30 11:54 ID:???
>>73
ハァ?
空母はまだ正規空母だけで7隻も保有してますが何か?
戦艦と勘違いしてないか? 大和と霧島しか残ってないし。
もっとも大和は九・一一でぶっ壊されたままだがナー。

っつーか特高警察を人権蹂躙つってるあたり、
あなたはクロかアカですか?
75名無し三等兵:03/05/30 21:30 ID:???
>>73の脳内海軍にある空母って商法蕊砲だけなんだろ(ワラ
76名無し三等兵:03/05/31 00:44 ID:???
だれか大東亜戦争の正しい知識を教えてたもれ。
77名無し三等兵:03/05/31 02:03 ID:???
>>74
こないだの官報で大和修復開始ってのってたよん。
上部構造物は結構酷くやられてるように見えるけど、
船体に浸水はないし、真珠湾記念日までには修復出来そうだって♪
78名無し三等兵:03/05/31 04:28 ID:???
さしもの46サンチ砲搭載戦艦も旅客機の突入なんて想定してないものな・・・・。
同型艦である信濃が例のテロ組織の根拠地へ巡航弾を山と叩き込んだのは、
姐の仇を討ったと考えても良いのだろうか。
79名無し三等兵:03/05/31 05:28 ID:???
>>76
 合衆国海軍の軍閥出身であるフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統
領が、自国民を欺きつつ、欧州大戦に介入する為、当時第三帝国と同盟関
係にあった我が帝国に対し対日強行政策を独断で行った。
 我が帝国は最後まで戦争回避につとめたが、合衆国の対日石油禁輸と、
「ハル・ノート」なる不等な要求に対しやむを得ず開戦に踏み切った。

 開戦劈頭の空母機動部隊による真珠湾奇襲攻撃によって帝国海軍は多大
な戦果を上げ、半年間は破竹の進撃を続けたが、わずか半年後、第一次ミ
ッドウェイ海戦にて合衆国海軍の卑劣な待ち伏せ攻撃を受け、主力の航空
母艦「赤城」「蒼龍」、そして真珠湾以来の機動部隊指揮官南雲忠一中将
(死後元帥)を失う事になってしまった。

 当初軍令部はこの事実を封殺し国民のみならず畏れ多き方々まで欺こう
としたが、生還した山口多聞中将(当時)が強硬、と言うより過激に反対し、
これをGF司令部が養護した為、やむなく大本営海軍部は真実を発表。
 しかし、このことにより国民や帝国陸軍にも危機意識がはっきりと伝わ
り、以降の戦争遂行に大きく影響を与える。

 正規空母2隻を喪失した結果、帝国陸海軍はソロモンまで伸ばしていた
支配圏を漸次西ニューギニアまで縮小。しかしこれにより正面戦力は充実
し、強固な防衛線を構築。小形海防艦や簡易水上機母艦を建造し海上輸送
線の充実につとめた。
 一方、我が軍の戦線縮小を単純に軍事力衰退と捕らえた合衆国海軍はニ
ューギニア西部へ侵攻する。しかし帝国海軍の反撃を受け、更に帝国陸軍
の航空作戦により行動を阻害された結果、強固な防衛圏に戦力を順次投入
する愚を犯し、有力な正面戦力を徒に消耗させてしまった。
 また大西洋方面を優先する余り太平洋方面での補給線確保がおざなりに
なった為、少なくない戦力を補給路上で帝国海軍の誇る大型潜水艦によっ
て喪失した。後に護衛を強化するが、帝国海軍はこれに対し戦艦「扶桑」
「山城」を投入し作戦正面の補給線破壊につとめた。
80名無し三等兵:03/05/31 05:57 ID:???
 西ニューギニアでの戦線膠着に焦りを感じた合衆国は、卑劣きわまりな
い暗殺攻撃を計画、前線視察に訪れたGF長官山本五十六大将(死後元帥)
座乗の連絡機を撃墜。大将を殺害する。
 しかしこの事実に国民は士気を落とすどころか激怒し、「鬼畜米軍撃滅
せしむべし!」「二英霊に続け!」を合い言葉に国内は沸き返った。

 マル四計画で設計された中型航空母艦「雲龍」の同型艦を戦時急造計画
で一気に7隻を起工し、順次建造していった結果、戦前に一方的消費であ
ると考えられていた海軍はしかし、開戦前の倍にも膨れ上がる機動部隊を
有するに至ってしまった。(その代わり戦艦は減少の一方となったが、最
強戦艦たる大和級2隻を保有しており充分な戦力を確保しえた)
 海軍は総力決戦と称してPA作戦(中部太平洋侵攻作戦)を発動、ミッド
ウェイ〜ハワイ〜パナマと飛び石伝いに合衆国本土へと迫った。
 当時帝国の30倍の工業力を持つ合衆国は当然、総数においては帝国海軍
を遥かに上回る戦力を生産しながら、帝国海軍の電撃的進撃に対し戦力を
集中できず徐々に防衛力を失っていった。

 ハワイ陥落後、日本は中島飛行機と満州飛行機によって製造された超大
型攻撃機「富嶽」によって合衆国本土爆撃を敢行(ただし、昭和19年6月
のシアトル初空襲は大型攻撃機「連山」によるもの)。合衆国が絶対的優
位を保っていた工業力は急速に失われていく。

 昭和20年早春、帝国陸軍は遂に合衆国本土への侵攻を開始。カリフォル
ニアの主要都市を占領し、油田の確保に成功。以降も合衆国西部で激戦を
展開するが、制空権が帝国側にうつり徐々にだが圧倒しはじめる。
81名無し三等兵:03/05/31 06:21 ID:???
 しかし、広大な合衆国全土を制圧するのは不可能だった。一方、合衆国
も本土爆撃による荒廃により講和を称える勢力が強くなっていった。
 そこで両政府はスイスで特使を接触させ講和の道を探り始めた。しかし、
合衆国は対等講和を強硬に主張し、条件付き降伏とする帝国との交渉は平
行線を辿った(これは作戦期間を伸ばし、帝国陸軍の自然衰退を狙って条
件の好転を狙ったものでもあった)。
 この間も日米双方に多大な犠牲を出していた。合衆国陸海軍は帝国軍に
局地的な大打撃を与えて継戦意欲を削がせる為、B-17などの大型機の武装
一切等を取り外し、大量の爆薬のみを搭載して、操縦手1名のみを搭乗さ
せて体当たりする作戦を敢行した(いわゆる「馬鹿爆弾」である)。
 しかし、大本営は合衆国に対し譲歩する意図はなく、むしろ現政権の確
実な排除が必要であると判断し、無条件降伏に追い込む為、最終手段を行
使した。

昭和20年8月6日、ニューオリンズ
昭和20年8月9日、ラスベガス
 帝国海軍はこの2都市に、人類初の原子爆弾投下を行った……
 2都市合計で死者38万人と言われている。

 昭和20年8月15日。合衆国政府は枢軸同盟に対しマダガスカル宣言受諾
を通知。無条件降伏した。

 昭和26年、ポトマック湾上に浮かぶ航空母艦「紀伊」の甲板上において
降伏文書に調印。合衆国はイタリア支配の北東部8州、ドイツ支配の東南
部5州と日本支配の西部37州に分割され統治された。その後、日本側支配
領域に合衆国政権が再建され、独伊支配領域がアメリカ国家社会主義共和
国が成立し、後の日独冷戦時代の象徴的な地域になっていく事になる。
8279-81:03/05/31 06:28 ID:???
 まぁ実際には西ニューギニア攻防戦とかパナマ沖の七面鳥撃ちとか四式
戦車の活躍とかいろいろあるんだけどそう言った細かい話は過去に語られ
たかこれから作戦毎に語られると思うので、とりあえずはこんなトコで。
83名無し三等兵:03/05/31 08:31 ID:???
>>81
アメリカ国家社会主義共和国

アメリカ国家社会主義連邦
84名無し三等兵:03/05/31 08:52 ID:???
大韓自治帝国の帝位は
日本皇帝陛下と兼任だっけ?
85名無し三等兵:03/05/31 09:06 ID:???



  日 本 皇 帝 っ て な ん で す か ? 
86名無し三等兵:03/05/31 10:23 ID:???
ところで、最近米本土ではやっているUS歌謡って笑えるな
歌詞はほとんど英語だけど、サビの部分はアメリカ訛りの日本語。
あいしてるぅ〜とか、聞いてられないよ
87名無し三等兵:03/05/31 10:35 ID:???
ああ、そうだ。こないだ吉野家ミルウォーキー支店が開店したんだよな。
今まで吉野家の進出は海岸中心だったんだけど、遂に北部まで手を伸ばしたか。
88名無し三等兵:03/05/31 11:15 ID:???
>>79-81
ジークジオン!
89名無し三等兵:03/05/31 11:48 ID:???
戦後の日本車は、漢字がメインなわけだけど
これだけ種類が多いと、ちょっと萎えだわな。
総合カタログとか見た時読みづらいし、
90名無し三等兵:03/05/31 13:03 ID:???
誰か加州上陸作戦のことを教えてくれる?
インドシナ各国との初めての大規模合同作戦だったとか、五式戦車対M26重戦車とか語る所はいっぱいあるだろ。
91名無し三等兵:03/05/31 14:02 ID:???
>>89
最近は盛り返してるぞ。
本式の英語はあれだが、日本には海軍英語という代物があるからな。
だいたい「辛み入り汁かけどんぶり」とか陸式の無理さ加減はいただけない。
92名無し三等兵:03/05/31 14:47 ID:???
大元帥陛下は原爆投下を承認なさったのか・・・
93名無し三等兵:03/05/31 15:09 ID:???
>>74
君もしかして、プロバガンダ・ドラマの「特高警察」見ちゃった人?
共産主義者のアジトにあんな派手なガルウィングドアの車で乗り付けて
ショットガン撃ちまくるような特高があるかよ。さすがテレビ朝日だよな。
94名無し三等兵:03/05/31 16:11 ID:???
>>92
陛下が断固として都市部への投下を許さなかった。
計画では、無人地帯への威嚇爆撃のはず。
メリケンには何もない土地がいっぱいあるからね。

 ニューオリンズ原爆事件
計画:ニューオリンズ郊外への威嚇投下。
実際:ニューオリンズ市街上空で、P38の体当たり攻撃を受け損傷。 任務遂行不可として爆弾投棄後帰還予定が、爆発。

 ラスベガス原爆事件
計画:グランドキャニオン近郊への威嚇投下。
実際:ラスベガス上空にて試作F6Fによる体当たり攻撃により撃墜、上空で爆発。

威嚇投下するってことは事前にアメリカ政府にも通達しておいたし、
市街地にも英語のビラ巻いて警告しておいたのが逆にあだになったと言われてる。
旧アメリカ軍の体当たり攻撃部隊に襲われなきゃ、犠牲者は多くて100人くらいだったはず。

まぁ、旧アメリカ軍としても万が一にも都市爆撃されたらたまったもんじゃないだろうから、迎撃する気持ちはわかるな.
帝国側も、都市部上空横切る際、既に安全装置を外してたみたいだし、
直奄戦闘機が少なかったらしいから、非がまるきりないわけじゃあない。
一節には、わざとやられて都市部に落としたと言われてるけど、
搭乗員(ラスベガスに行った富嶽の方は全員戦死したけど)と司令官は軍法会議で処刑されてるよ。

>>85
外国の人では? 英語だと天皇も皇帝もエンペラーらしいから。
95名無し三等兵:03/05/31 16:18 ID:???
>>87
アメリカ吉野家のPaddy Wistariafield会長(日本語だと藤棚田夫とでも訳すのかな)
は社を引っ張ってったりで、凄いらしいね。
どんぶりめしを食べる習慣のない国で、よくあそこまで版図を広げたよな。
9679-81:03/05/31 16:28 ID:???
>>92
「合衆国政府を排除し合衆国民を圧制から解放する為です」
 と言われ、大元帥陛下も許可せざるを得なかったらしい。

 ただ、当時理化学研究所では放射能汚染の可能性はわかっていたが、
 その規模はずっと小さいものだと推測していたらしい。

 戦後東条英機大将が手記で
「少なくともすべての可能性を検証し終えるまで、投下するべきではなかった」
 と、後悔の念を表していたのを知らないか?
97名無し三等兵:03/05/31 17:28 ID:???
朝鮮が大日本共同体内の自治帝国として独立したのっていつだっけ?
98名無し三等兵:03/05/31 17:37 ID:???
>80
今さらだが、アメリカ本土上陸は昭和十九年六月六日だろ
陸海軍が初めて本格的に合同でおこなった大君主作戦(はでな名前だ)の事
99名無し三等兵:03/05/31 21:54 ID:???
>>98
オーバーロード(ぼそ
100名無し三等兵:03/05/31 22:28 ID:???
>>98
それはパナマ上陸開始日では……
101名無し三等兵:03/05/31 23:04 ID:???
パナマ上陸〜キューバ攻略〜ニューオーリンズ上陸〜海への進撃
                  ↓
                  →西海岸上陸(第2戦線)

同盟国                    →ケベック上陸(第3戦線)
102近衛文麿:03/06/02 00:13 ID:???
余の公爵の地位はどうなっておじゃる
103名無し三等兵:03/06/02 00:20 ID:???
形式上は続いていますが、
アメリカとの交渉を投げ出したので、事実上喪失したも当然ですた。
104名無し三等兵:03/06/02 01:57 ID:???
105近衛文麿:03/06/02 18:05 ID:???
余はプリンスぢゃ。公爵じゃ。東條という軍人なんぞに政治は任せられぬ。
大政翼賛會を再発足ぢゃ。貴族院ならずも衆議院もわが支配下に加えてくれん!!
106名無し三等兵:03/06/02 18:26 ID:???
一挙にレベルダウン。。。もうダメポ
107名無し三等兵:03/06/02 19:38 ID:???
>>105
 貴殿は確か、終戦後、栄誉有る満州合衆帝国初代大使になったはずですが?
108名無し三等兵:03/06/03 01:58 ID:???
貴族制度は戦中に廃止されたんじゃなかったっけ?
統帥権に介入する馬鹿な公爵が多かったからね。
109名無し三等兵:03/06/03 02:37 ID:???
華族制は廃止されてないよ。
廃止されたのは貴族院で一院制に移行した。
110名無し三等兵:03/06/03 03:22 ID:???
あのー……参議院できたんですけど。



しかし
>統帥権に介入する馬鹿な公爵が多かったからね。
は禿堂。華族出身の軍人、政治家でロクなのいなかったしな。
その頂点が誰あろう近衛文麿なわけだが。
111名無し三等兵:03/06/03 04:50 ID:???
ん?武官貴族制ができたろ?
 名誉は有るけれども実権は指揮権のみ。
 で、その地位は世襲だけど、つらいだけだからよほど教育された子弟で無い限り
継がない。
 で、空位になれば、志願者が公募される。
 
 それでも、継がなかった奴等は世間一般の家庭教育水準より遥かに折り目正しい教育
受けてるから接客業界やビジネス業界で上位を占めてる会社に名を連ねてるし。
112名無し三等兵:03/06/03 15:28 ID:EQoS3mDF
このスレに中学の公民科まともにやった奴はいないのか?

華族制度・位階勲等は存続しているが、法的権利義務・地位は
伴わない飾りだぞ。華族はのきなみ財政難で、俺の郷里の殿様は
国元・東京の家屋敷はとうに売り払って、今じゃ郊外の一戸建て住まいの
博物館長だ。

貴族院・枢密院はそれぞれ戦後の憲法改正で参議院・国政諮問
会議に改組された。後者は今じゃ退官した高文組の天下り先になってるけどな。
113名無し三等兵:03/06/03 15:42 ID:???
>>112
スマヌ、なにせここんとこ外に出たのはイラク戦の時の、
海軍予備役召集とゆーヒキコモリっぷりだからな。
もっとも、召集中も後詰めで霞ヶ浦にいずっぱりで、
ずっと個人端末で2ちゃんねるやってたわけだが。
114名無し三等兵:03/06/03 15:54 ID:EQoS3mDF
>113
ヰ`

華族の中でも熊本の細川家は政界で成功したほうだ。
あと、故高円宮殿下は日本蹴球連盟・大日本武徳会の理事長をなさっていた
と思うが、華族にも各種財団の理事職・名誉職をしている人が多いな。

あと今の駐ベルギー大使は伊達家の当主だ。
115名無し三等兵:03/06/03 19:36 ID:???
俺、蝦夷と日本の二重国籍者だよ。
今じゃ近畿地方と同じようなイントネーションだけど江戸時代なんかは今の関東地方でも俺等と
同じような訛りだったんだってね。
116近衛文麿:03/06/03 23:29 ID:???
いやぢゃ。余は帝國の政界に君臨するのぢゃ。
110よ。余を侮辱するのか。許さぬぞよ
117名無し三等兵:03/06/03 23:59 ID:???
近衛公爵って70年代に痔が悪化して死亡しただろ?
どうも先代昭和天皇に嫌われていた事を、結局最後まで自覚して無かったらしい。
118名無し三等兵:03/06/04 01:05 ID:???
あのさ、近衛公さんよ、あんたみたいな公家がのさばってるから
他の真っ当な華族が冷や飯食わされる破目に陥るんだよ。
軍神西男爵の墓参りでもして反省せんかいこのヴォケが。
119名無し三等兵:03/06/04 01:42 ID:???
京大卒が使えないのは近衛以降の伝統らしいな、と学歴板に糸を垂れる
120名無し三等兵:03/06/04 02:40 ID:???
またあう使いが糞スレ立ててるよ・・・。

何でアメリカは日本みたいに航空機を緑色にしなかったの?
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1054633585/l50
121名無し三等兵:03/06/04 03:09 ID:???
>>118
いや、西大将は戦死してないし。

まぁ、加藤中将とともに「生軍神」と言われるまでの功績を、
大東亜大戦で上げたのは確かだけどね。
近衛公とは比べ物にならんよ。
122名無し三等兵:03/06/04 03:18 ID:???
>>120
米海軍は最後までグロッシーブルーの洋上迷彩にこだわり続けた。
この青は地上飛行中や駐機中にはえらい目立った。
帝国海軍機の濃緑色でも海上の紺色には溶け込み、迷彩効果があるのだが、
実戦部隊の人間が海軍上層部に具申しても、頑として受け入れなかったらしい。
123名無し三等兵:03/06/04 03:26 ID:???
今気がついた。連書きスマソ。

>>117
「陛下」をつけろよ、このデコスケ野郎!


西中佐(当時)は、陸軍省が対米決戦に向けて三式チヌ車では不利と悟り、
中戦車は四式チト車のみに絞り、砲戦車と大量に配備され始めた時、
本当に漢泣きで喜んだそうだね。
124近衛文麿:03/06/04 07:41 ID:???
全く愚民どもには余の偉大なる思考がわかっておじゃらぬ。
仕方ないのう、この上は政界にいるとしても詮無し。
余は引退する。
125名無し三等兵:03/06/04 09:56 ID:bE4utp2Y
先日書店に行った時、「ディープブルーフリート」なるアメリカの仮想戦記を見かけたんですが、これって面白いんですか?
今度買ってみようかと思うんですけど。
126名無し三等兵:03/06/04 10:21 ID:???
>>125
ああ、アラマッキー・サーモンの「星条旗艦隊」の原著だね。
なんでも史実で前線視察中に屠龍に食われたキンメルが後世という世界に転生して
日本を相手に八面六臂の活躍をするらしい。

まあ漏れ的には旧支配者がキンメルに乗り移って日本艦隊を絶望の海にたたき込む
スィモーダー・カゲキンスキー著「クトゥルーの艦隊」と同レベルだな。
127名無し三等兵:03/06/04 10:59 ID:???
>>125
アメリカの軍事物の「The X Fleet」はまあまあいいと思うよ。
日本語にすると「X艦隊」ってところかな。
主人公の米国海軍情報部のフォックス・モルダーは、近年にいたり
ことさらに角つき合わせようとする各国に疑念を抱き、その背後に
巨大な謎の組織があるのではないかと思い至るようになる。
でまあ、各国はユダヤの秘密結社に操られてるとか、じつは
その秘密結社は宇宙人と手を結んでいて…とかトンデモてんこ盛りだ。
荒唐無稽なんだけど、演出がまあまあで娯楽にはちょうどいいよ。
128名無し三等兵:03/06/04 11:42 ID:???
>>126
「星条旗艦隊」は「ディープブルーフリート」の同一世界並行物では。
「ディープブルーフリート」が対日戦線、
「星条旗艦隊」は対英戦線。
129名無し三等兵:03/06/04 14:24 ID:???
>127
それって「秘匿記録」のパクリじゃんか。
内務省警保局の捜査官が華僑や宇宙人の陰謀を云々って言う・・・
130名無し三等兵:03/06/04 14:27 ID:???
>>129
それは「The X File」……
131名無し三等兵:03/06/04 14:54 ID:???
    ___
     |_ ☆|_      
   ヽ( # ゚Д゚)ノ   なんしょんなら!大声出せや!
     | 个 |      訓練教官の南郷軍曹が1000ゲッターをシゴしたるど!
    ノ| ̄ ̄ヽ
     ∪⌒∪


>>995 寝台に戻らんか!
>>996 手塚王国のお祭りか?!
>>997 なぜおんどりゃがここにおるんじゃ!
>>998 なぜわりゃ中途半端な数字をgetするんじゃ?!
>>999 なぜ1000をgetせんのじゃ?!
>>1000 父ちゃん母ちゃんの愛情が足りんかったんか?おんどりゃ!
>>1001「訓練教官殿に報告します。1000がgetされました。」
132名無し三等兵:03/06/04 16:16 ID:TR1C3Jdt
星条旗艦隊に出てくる「プレジデント」ってちょっと強すぎねぇ?
前世の「アイオワ」の悲劇を繰り返さない為に造ったって言ってるけどさぁ・・・・
対艦噴進弾はやりすぎだろ。
「新・星条旗艦隊」じゃあ水中戦艦になっちゃうし。
米国人ってなに考えてんだよ(w
133名無し三等兵:03/06/04 16:52 ID:i/Ffrnn2
どうでもいいけど大日本連邦帝國ってなんかカッコイイ!
134名無し三等兵:03/06/04 17:34 ID:???
紐育在住の友人によると「コロンビア」という漫画が米国で売れているらしい。
なんでも米国の新鋭駆逐艦futureが60年前の戦火渦巻く太平洋に時空超越してしまい
墜落した連絡機から偶然救った旧海軍少佐と共に歴史の流れを変えるとか変えないとかいう
まあよくある話だ。邦訳版が出たら読む価値あるだろうか?
135名無し三等兵:03/06/04 17:35 ID:???
そう言えばハルビン郊外の防疫給水部の地下に宇宙人の死体が保存されているとか言う噂が根強かったな。
あの噂どうなったんだっけ?
136名無し三等兵:03/06/04 18:00 ID:ufzHEgir
>>134
あの漫画家って前にも潜水艦の漫画を描いてなかった?
137_:03/06/04 18:00 ID:???
138名無し三等兵:03/06/04 21:16 ID:???
>136
「Silent Service」だ。
帝国海軍の伊875号級を改良した米海軍初の原潜「America」が
反乱を起こして独立宣言するんだ。それで聯合艦隊の追撃を振り切って
東京湾に侵入して云々という話だったと思う。
139名無し三等兵:03/06/05 01:42 ID:???
最近、大地震でアメリカ全土が壊滅、ってのも連載始めたよな。
大統領の孫が直後に行方不明になったけど、メキシコだかで発見されて、
アメリカ人難民の頭目になりつつあるとか。
140名無し三等兵:03/06/05 02:21 ID:???
昔は「Boots coming closer」なんていう政治劇画も書いてたな。

南米の油田利権を守るためにUSSDFが憲法破って展開したり、
そうこうするうちにクーデター起こすって話。
141名無し三等兵:03/06/05 07:51 ID:???
宇宙戦艦アイオワのDVD(当然海賊版)ゲッツ!
142名無し三等兵:03/06/05 18:01 ID:???
 CS放送のニュース専門チャンネルでやっていたのだが、
 米国タコマの郊外で旧合衆国軍が放棄した毒ガス製造用の青酸系化合物
が、井戸や河川に流出して住民に健康被害が出ているようだ。
143名無し三等兵:03/06/05 19:09 ID:???
>>135
あそこらへんは伝統的に未確認飛行物体ネタがおおいからな
南極のラストバタリオンなるナチの秘密部隊ネタとか
円盤空軍強襲部隊ネタとかわらんレベルだろ
ああ、あと北極の空洞にコミュニストの残党部隊が潜伏とか
チベットにもそういうネタあったな
144名無し三等兵:03/06/05 20:15 ID:???
>143
未確認飛行物体と言われるもののほとんどは帝国空軍、海軍共同開発の秘密飛行兵器の実けn
145名無し三等兵:03/06/05 21:37 ID:???
144は市ヶ谷本村町に片道旅行だな
146名無し三等兵:03/06/05 23:59 ID:???
アタリ社の新型「プレイディメンジョン2」が発表されたね。
こんどはTV録画機能つきか。
くやしいけどゲームの分野では米国が世界の覇権を取ってるな。

しかし、秋葉原電気街で米国製のゲーム機を買うために並んでる大行列を
ウチらのじいさまが見たら「日本は戦争に負けたのか?!」と思うだろうなあ・・・
147名無し三等兵:03/06/06 00:11 ID:???
ただアメリカじゃ軍隊忌避感が強いので、軍事ゲームは日本の一人勝ちだな。

擬似飛行ゲームでは「システムソフトコンバットフライトシミュレーター」、「帝国空軍」や「水交社監修 海軍航空隊戦記」、「隼 4.0」、
一人称射撃ゲームでは「神風特別攻撃隊」、「戦場1945」なんかが世界中の軍オタに人気だな。

史実追体験試合なんかやってると、アメリカの参加者が零戦21型よりよく回るF4Fや富嶽より
高性能なB24で参戦してくるんだ。
148名無し三等兵:03/06/06 04:25 ID:???
>>146
日電のPC−DOCKIIも結構頑張ってるぞ。
少なくともSGI社の「Dream Presenter」よりは売れてるし。

もっとも、DPの青酸中止はそれ自体の失敗と言うより
みょうちきりんなゲームに投資しすぎたのが原因だけどナー
149名無し三等兵:03/06/06 12:21 ID:???
それよりもおまいら、海軍の艦載機についてはどう思いますか?
少し前に退役が決まっちゃったA18M「暴風」は流石に可変後退翼だの
超長距離空対空誘導弾だので費用がが高く付いた上に奮進発動機の
出力不足に悩まされた事で結局実力発揮できなかった。それは判る。でも
・・・・・・寂しいよなぁ。色気があってとても良い機体だったのに。漏れは好きだったなぁ。
なんだかんだ言っても、映画がきっかけで大流行した分知名度も高かったし。

で、その後釜として川西・三菱A6K/M「天狼」(艦爆の命名基準は「星」だけど、天狼星から命名した
らしいねぇ)の大規模改良型、A6K/M3「天狼改」が配備されたワケだが、アレはどうよ?
なんか微妙に野暮ったくなってないか? 機首側面の整流翼がでかくなるわ発動機吸気口が
対電波低被視認化で角張った形になるわ、つまんない機体になったなぁ、と思ったり。
主翼はアレくらいの方が好きなんだが、川西の自主開発だった「蝮龍」のとがった感じが
改良されるたびもっさりした機体になっていくのが つД`)
150名無し三等兵:03/06/06 12:41 ID:???
「暴風」を艦上爆撃機に改造する計画は結局ポシャッたの?
漏れもあの映画好きだったなあ。空母が時空逆行する映画もよかったけど。

「天狼改」のことは諦めろ。それよりも統合戦闘爆撃機の方が気になるよ。
どう見ても「電光」小型判なんだよな。
151名無し三等兵:03/06/06 13:03 ID:???
「暴風」艦爆改造ってA18M4「爆風」(非公式とはいえ、なんて名前だ……)のことだっけ?
何機か改造されたかと思ったけど、じゃあアレは残るの?
空母の時空逆行は漏れも好きだった〜。暴風対F6F燃え〜

統合戦爆、せっかくだから川崎案が通っていればなぁ。最近の試作機の中では
予算不足でぽしゃった愛知の隠密艦爆案(空飛ぶ三角定規w)と並んで
豪快に吹っ飛んだ空想的な機体で、是非採用して欲しかった・・・・・・
アレ、やっぱ実証機と量産機の設計変更が大きかったのかなぁ。それとも
川崎に艦載機の実績が無かったから駄目だったのかな・・・・・・
152名無し三等兵:03/06/06 13:51 ID:???
おまいら「暴風」の認知度を上げたものといったら
米製アニメを忘れてはいけません。あの変形するやつ。
153名無し三等兵:03/06/06 14:27 ID:???
あの影響力は凄かったな。
オレ、「暴風」は中学に入るまで人型兵器に変形する物だと信じてたし(藁
154名無し三等兵:03/06/06 17:56 ID:???
何か忘れてませんか?USASDFはいまだに「麗風」が現役なんですよ。
「麗」が「霊」と間違われて「ファントム」って相性がついたアレですよ。
改造を重ねA4M5-WR(WestAmerica Refine)なんて型番がついてるアレですよ。
「ファントムギャング」って漫画が書かれて妙なファンがついたアレですよ。
あれもさすがに老朽化してきて後継機が検討されてるらしいんですが、
「電光」を買うとか買わないとか取りざたされてますけど、どうなんですかね。
西米国は統合戦闘爆撃機計画にはかんでないんでその線はまず無いですし。
やっぱり妥当にロッキード・ボーイングF−2の改良版で落ち着くのでしょうかね。
155名無し三等兵:03/06/06 21:15 ID:???
わが国の軍用機についてはよく知られているので、ここでドイツ・
欧州連合の戦後の主要な機種について簡単にまとめてみた。なお、
年代は連中の記録を皇紀に換算するのが面倒なので西暦のままに
している。

タンク社
フォッケウルフ社は、創立者のフォッケが回転翼機のフォッケアハゲリス社
に専念したのを機に、看板技術者であったタンクの名をとり社名変更。
大戦中に開発した革新的なTa183は、戦略物資節約のため木製部品を大幅に使用
したり、開発を急いだことによる各種の問題があったため、戦後大幅な改設計を
行った。Ta183IIという仮番号を与えられた機体は、1946年初飛行、47年には
Ta383という正式番号を与えられ量産開始。飛行性能で帝国の機体を上回り、
1950年の北米戦争では出現当初は深刻な脅威であった。ロシア国家社会主義
共和国では、ミコヤン・グレビッチ社によりMiG-15の名でライセンス生産
された。

Ta283(1945)はラムジェットを使用する計画であったが試作のみ。

Ta483(1950)はTa383の拡大型の超音速戦闘機。実際には主として戦闘爆撃機として
使用された。60年代の南米や東南アジアの紛争などにも登場。

156名無し三等兵:03/06/06 21:17 ID:???
Ta1021(1956)は、それまでの後退翼にかわり尾翼つき三角翼を用いたマッハ2級
戦闘機で、欧州連合各国でライセンス生産されたこともあり、戦後のジェット
戦闘機では最大の生産機数を誇る。現在でも多くの国で使用されている。

Ta1023(1967)は、可変後退翼をもち、Ta1021の後継機となることを目指して開発
されたが、小型軽量で安価なTa1021の発展型が優先された結果、戦闘爆撃型の
Ta1027が主に生産された。

Ta1025(1964)は、わが国の戦略偵察機「黒鳥」や超音速巡航戦略爆撃機の脅威に
対抗して開発された、マッハ3級迎撃機。出現当初は性能が過大評価され、
わが国の「飛鷲」開発を促すことになるが、1976年に西米に亡命してきた機体の
分析結果、電子技術の立ち遅れなどの問題点が発覚した。
発展型のTa1031(1975)は最大速度を落としたが、低空性能を向上、位相配列電探を
搭載して汎用性を高めている。

Ta1029(1977)は、小型軽量の高機動戦闘機として開発されたが、第三帝国の崩壊に
伴い主力戦闘機の座をMe1027に奪われて、主に輸出用となっている。


157名無し三等兵:03/06/06 21:18 ID:???
メッサーシュミット社
同社では大戦中にMe262を量産、戦後も発展型のK型(HGIIIとして開発された型)
や艦載用のMe462などを開発したものの、後者は空母の開発計画が縮小されたこと
により量産はキャンセルされた。
Me662(1955)はMe262Kを全面再設計した迎撃機。

Me2107(1955)はMe262を原型とするP.1100/IV計画をもとに開発された攻撃機。
Me2117は、1007が輸出先から離着陸性能を改善するよう求められたことから、
P.1102計画での経験をもとに開発した可変後退翼を採用した型。
Me2122は、Me1017の発達型で、1981年にわが国の「暴風」と史上初の
可変後退翼機どうしの空中戦で撃墜されたのが知られている。

Me1115(1962)は、Me662の後継機として開発された大型迎撃機。
1983年に、民間機を撃墜した事件が有名だが、事件の詳細は今も謎である。

Me2124(1970)は、可変後退翼の戦術爆撃機・攻撃機。He343やDo835に
替わる機体として開発開始。電子戦機などのバリエーションあり。

Me2125(1975)は、直線翼の近接航空支援機で、当時すでに吸収されていた
ヘンシェル社の航空機部門の元設計陣が開発を担当したといわれている。

Me1127(1977)は、迎撃機・制空戦闘機を兼ねる機体として開発された大型戦闘機で、
現在の主力となっている。艦載型のMe1133、艦載攻撃機型のMe1132、複座戦闘爆撃型
のMe1134、電子装備を近代化したMe1135、推力変更エンジンを搭載したMe1137など
多数の発展型が存在する。

158名無し三等兵:03/06/06 21:19 ID:???
アラド社
Ar/He343(1945)は、アラドAr234の発展型である本格的な戦術爆撃機。大戦末期には
生産能力の乏しいアラド社からハインケル社に移管されHe343と呼ばれていたが、
後に再度アラド社に移管された。やや古い設計ではあるものの、扱いやすく操縦性も
良好であり戦後長らく使用され、欧州連合各国でも幅広く生産された。

アラド社はその後は主として輸送機・旅客機を手がけ、Ar4018は当時の
ベストセラーとなった。軍用型としては対潜哨戒機のAr4038や電子戦機、
電子情報収集機なども開発されている。
159名無し三等兵:03/06/06 21:21 ID:???
ユンカース社
Ju595(1951)大戦末期に、わが国の富嶽と並び、北米への戦略爆撃に活躍した
Ju390の後継機として、Ju490が開発された。しかし1950年の北米戦争において、
レシプロ動力の爆撃機ではジェット戦闘機に対抗することが不可能なことが
明らかとなり、ジェット化したJu590が計画された。しかし、既に基本設計が
旧式化していたことから、Ju EF132/II計画に基づき開発されたのがJu595
である。1950年代の設計ではあるが、ターボプロップ、ターボファンなどに
エンジンを換装し、巡航飛翔体母機や長距離哨戒機として今日も多数が
使用されている。

Ju3322-I(1958)は、双発の超音速爆撃機。航続距離の不足などが問題となり、
少数生産に終わった。
Ju3322-II(1969)は、これを全面的に再設計したもので、可変後退翼を有する。
海軍にも多数配備され、対艦攻撃機という側面も強い。

Ju1328(1963)は全天候迎撃機として、地上支援なしに機能できる機体として
開発された。爆撃機なみの巨体で、運動性は悪く、対爆撃機専用機である。

Ju3360(1981)は、Ju595にかわる本格的な戦略爆撃機として開発され、多数の
配備が予定されていた。しかし、第三帝国の崩壊に伴い、数10機の生産に
とどまった。

160名無し三等兵:03/06/06 21:22 ID:???
ハインケル社
He280という世界最初のジェット戦闘機を開発したにもかかわらず、
制式採用化ではメッサーシュミット社やフォッケウルフ社に遅れを
とっていた同社は、大戦末期、戦線の拡大から人的資源不足が顕著と
なったため、ヒトラー青年団員が操縦可能な「国民戦闘機」として
急遽開発されたHe162でようやく主力戦闘機の一角を占めることとなった。
戦後、操縦性・安定性などの面で改良が続けられ、He162-II、-IIIなどが
1950年頃まで生産されたが、基本性能不足から、主に練習機や標的機として
使用された。

He1525(1952)は、大型の電探を搭載した双発長距離迎撃機。現在は全て退役。

He1528(1962)は、He1525に似た迎撃機/爆撃機。ただし競合する機種が多く、
実際には練習機、電子戦機、偵察機などとして用いられたと見られる。

1963年に、世界初のジェット式垂直離着陸機であるHe1536の飛行に成功し、
話題を集めたが、これは実用機というよりは実験機に近いものであり、
生産には至らなかった。その後、1975年に空母艦載機としてHe1538が開発、
実用化されたが、ドイツ空母艦隊の航空戦力となったが、わが国の艦載機に
比べ性能面ではあらゆる点で劣っている。1989年に開発されたHe1541は、
完全に新世代の期待で、電子化、噴進弾搭載能力、超音速飛行可能である
など、垂直離着陸能力と戦闘機としての能力を両立できる機体となっているが、
ドイツ政府からは予算が降りずに制式採用のめどはたっていない。

161名無し三等兵:03/06/06 21:23 ID:???
リピッシュ社(ブロッシュ社)
フランスで、対独レジスタンスへの協力者として逮捕されたマルセル・
ブロッシュが所有していたブロッシュ社は、戦時中はドイツ機の
ライセンス生産を行っており、戦後も同様であった。
1852年のNuTO・「ニュルンベルク条約機構」発足を機に、独自機種の
開発をめざして招聘したリピッシュ博士の研究をもとに、三角翼機の実用化
を進め、ミラージュ戦闘機、爆撃機のシリーズを生産。
今日も先尾翼と三角翼を組み合わせたラファール戦闘攻撃機を生産している。

162名無し三等兵:03/06/06 22:05 ID:???
しかし今だ旧欧帝圏ではナチ系政党強いな・・・・・・・
ドイツでも今だ議会第一党はナチスだし
大統領がナチになった国もあるんだっけ?
163日本重巡の系譜:03/06/06 23:00 ID:???
条約・大戦型重巡
妙高型:妙高 那智 羽黒 足柄
高雄型:高雄 愛宕 摩耶 鳥海
(戦没しなかった艦は全て昭和30年代に艦対空誘導弾運用能力を付与される)

誘導弾重巡(艦対空誘導弾を主武装とする)
高千穂型:高千穂 磐梯 大雪 大山

原子力重巡(原子力空母の直衛用に建造されるも維持費の高さが災いし早期に退役)
三笠型:三笠 畝傍 生駒 逢坂

いわゆる「三笠改型」(通常動力型)
笠置型:笠置 妙義 箱根 開聞

防空重巡(神威(かむい)防空兵器管制装置・垂直発射機を搭載)
金剛型:金剛 比叡 霧島 榛名 古鷹 衣笠 妙高 足柄 鳥海 穂高
     立山 剣 白根 羽黒 愛宕 青葉 富士 阿蘇 摩耶 那智・・・

で間違いないだろうか?いくつか忘れている気がするが
164名無し三等兵:03/06/06 23:07 ID:???
>>163
霧島はまだ戦艦が健在だって。
165名無し三等兵:03/06/06 23:10 ID:???
>>162
正確に言うと、

第三帝国時代の「ドイツ国家労働党」は保守クーデター(失敗)時に解体。
現在の第一党は「ベルリン労働党」。
 まぁ影響力としては似たようなもんだが。
166名無し三等兵:03/06/06 23:41 ID:???
>>164
あれは軍籍を離れた記念艦として鹿児島港に係留されてるだろ
167名無し三等兵:03/06/07 01:30 ID:???
>>166
 それは「加賀」のことでは……
168名無し三等兵:03/06/07 06:03 ID:???
>>163
コラコラ。捕獲艦を忘れとるぞ。
重巡で言えば大量に捕獲した「バルチモア」級。
実験やや砲撃訓練で沈めたのもあるが、
艦隊に編入したヤツが無かったっけ?
169名無し三等兵:03/06/07 10:52 ID:???
 捕獲とは少し違うが、カリフォルニア占領後、ロサンゼルスの航空機工
場で仕事にあぶれた労働者が暴動寸前にまでなった結果、旧合衆国軍が発
注した機体を帝国陸海軍が買取る事になったそうだな。
 大部分が加州防衛に使われたそうだが。
170名無し三等兵:03/06/07 13:04 ID:???
西アメリカの人に、「どうして日本空軍は戦闘機に
女性の名前を付けるのか」ときかれますた。

「栄光」→エイコ
(以下は百番組)
「剣光」→ケンコ
「神光」→シンコ
「稜光」→リョウコ
「旭光」→キョッコ
「雷光」→ライコ
「槍光」→ソウコ

子がついてれば何でも女の子ですか!
ていうか発音のばせよ!
171名無し三等兵:03/06/07 15:05 ID:???
>>170
それは日本の戦闘機が日本女性のように美しく穏やかでありながらも
芯は強くいざというときには護国の華となる気概を秘めているからといっておきなさい

まぁ嘘っぱちなわけだが(苦笑)
172名無し三等兵:03/06/08 02:22 ID:???
こないだ西アメリカの掲示板を除いたら、カナダに神威防空装置を供与
することで大騒ぎになってた。

連中、よっぽど日米台しかもっていない神威がカナダに渡るのが気に食わないらしい。
カナダに売るのは神威の電探・中央演算装置・対空誘導弾管制部だけで、
電子戦装備や対潜誘導魚雷管制部なんかは売ってやらないんだけどな。

一応、アメリカについては忠勤を認めて台湾・タイに次ぐ重要同盟国にふさわしい
扱いはしてると思うんだが>小泉政権
カナダに売るのを決めたのと同時期にアメリカにも最新版の神威を全部込みで
売ると決まったのに。

と思ってたらどうも軍事知識のない「Anti-Canada kids」が流入しているようだね。
173名無し三等兵:03/06/08 10:31 ID:cv/TA/Fm
>>172
俺も知ってる。
なんかカナダ人を小馬鹿にした顔文字つかって、半分ネタ混じりにからかっているな。

ネタの混じってない奴も大勢いるみたいだが・・・。

それと軍事知識がないってのは、西米じゃあたり前だぞ
BattleShipが軍事用の船として扱われてるし、
中南米の巡航噴進弾の発射訓練ごときで「アメリカの本土は安全なのか!?」とおおっぴらに特番組んだりする。

潔癖症過ぎるのも困ったもんだよ。
174名無し三等兵:03/06/08 13:21 ID:???
カナダもカナダで、対ケベック融和派のクロが首相になったり、
在加日本軍撤退運動がもりあがったりでよくわからんがね。

それで石破国防大臣が「そんなにいやなら撤退させるぞ
ゴルァ」って言った途端に手のひら返して日本軍感謝運動をやったりする。
175名無し三等兵:03/06/08 14:56 ID:???
ケベックの情報って全然入ってこないが
どうなってるんだろう・・・・・・・?
176名無し三等兵:03/06/08 15:50 ID:???
関西では「炎狐」やってるぜ。

草刈正雄がドイツに潜入してフォッケウルフTa1031(実際の機体とは別物の
架空の高性能機)を強奪する話だ。
177名無し三等兵:03/06/08 16:35 ID:???
>>175
人肉まで売られるようになったとかならないとか(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
178名無し三等兵:03/06/08 19:13 ID:???
そういえば、欧州帝国時代の水上艦は、今どうなっているのだろうか。
さすがに、ヘリ空母の「ベルリン」級は退役・解体だそうだが。
それに、「リガ」とかその辺りの、艦載機がダメダメだった奴も、
売却だの何だのの話があったと想ったが、今はどうなってるのやら
179名無し三等兵:03/06/08 21:08 ID:???
デーニッツ級空母のギミックには、マスコミも書き立てたんだけどね
原子炉の電力を使った、リニアカタパルトとか、対空2cmレールガンとか…
実際にはカタパルトは故障だらけ、艦載機はがらくただったわけだが。

イタリア海軍に売られた後、東アメリカにテーマパークとして売られたらしいが
今どうなったのやら?
180名無し三等兵:03/06/08 22:11 ID:???
欧州帝国の水上戦闘艦と言えばやっぱりあの怪物、
原子力誘導弾巡戦「ヴィルヘルムスハーフェン」級でしょ〜
排水量25000t、全長で長門級を上回る超大型艦。おっかね〜

同じ原子力巡でも三笠級は個人的にはぱっとしなかったなぁ。
大体二番艦が畝傍ってのが縁起悪すぎ。一番艦があの三笠の
名を継いだんだから、もうちょっとその辺に気を使って欲しかったよ

そして神威と垂直発射機で発展した金剛級ももうちょっと頑張って欲しかった。
神威搭載艦の第二系列になった秋月級駆逐艦がほとんど巡洋艦並の大型艦だし、
金剛級には20000t級の打撃重巡を狙って欲しかったっす。

・・・・・・費用対効果とか運用実績とかいうのより萌えを重視する
漏れは逝ってよしですか。そうですか。何となく判ってましたが(´・ω・`)
181名無し三等兵:03/06/08 22:23 ID:???
帝国海軍は喪失した艦艇の名前を付けることはないのだが畝傍って何?
182名無し三等兵:03/06/08 22:47 ID:???
たしか奈良県選出の議員が当時の国防大臣だったんだ。
それで自分の選挙区の山の名前をごり押しで決定しちまったというわけ。
183名無し三等兵:03/06/08 22:49 ID:???
>>182
回転翼機搭載巡「白根」ってのもあったね。
確か失脚した防衛大臣だとおもったけど、だれだっけ?
184名無し三等兵:03/06/08 22:53 ID:???
>>180
逝かなくてよしだ、戦友よ。

おれは笠置型に神威・41式垂直発射機を搭載してほしかった。
やはり秋月型が傑作艦だから仕方ないか。西アメリカの「ワシントン」
級防空駆逐艦の参考にもなったくらいだしな。

ところで、次期汎用駆逐艦について知ってる香具師はいるか?
185名無し三等兵:03/06/08 23:33 ID:???
笠置型かぁ。確かに15000t級の笠置船体+神威は良いかも。そして垂直離着陸機複数搭載、って

今  度  は  航  空  巡  洋  艦  で  す  か >漏れ

というか、70年代に試作された20サンチ速射砲が採用されなかったのを未だに悔やんでいたり、
戦時中の米国がバルティモアの後継に考えていたらしい次世代重巡とかヒトラーの趣味で
50年代に建造されそうになった巡戦とかに萌える辺り、自分にゃ本質的に大艦巨砲主義者が入ってる
気がする・・・・・・でも大和級に萌えないのは秘密だ(w

>次世代汎用駆逐艦
あの対電波被視認性低下にやたらと拘ったあれ? なんか電磁砲だの二酸化炭素式光線砲だのと
一昔前なら電波扱いされそうな装備を実際に考えていたようだけど、最近聞かないなぁ。まぁ、
結局汎用性で空母には敵わない、ってボツになった誘導弾運搬艦共々、そのまま永眠してくれ(w

でも似たような設計ながら、スウェーデンの誘導弾襲撃艇は萌える。ああいうのは好きなんだよなぁ
186名無し三等兵:03/06/08 23:42 ID:???
結局、ドイツ第3帝国崩壊後のドイツ連邦共和国海軍では
空母「ラインハルト・ハイドリヒ」改め「シャルンホルスト」しか稼動してない
んだよね。斜面甲板でMe1127を運用しているんだが、離陸重量の制約で
爆装できない。やはり見栄なんだろうな。

そういや西アメリカの軍事掲示板にも「Carrier mafia」なんてのがいるよ。
187名無し三等兵:03/06/08 23:52 ID:???
>185
実際海軍ではまだ艦齢が若い箱根・開聞を指揮巡洋艦にする構想は
検討されたと聞く。全部甲板に垂直発射機、後部甲板の誘導弾発射機を
撤去して回転翼機甲板・格納庫を追加するって計画だったらしい。

もし実現されていれば手頃な指揮艦としてティモールなんかの低強度紛争に活躍しただろうな。
188名無し三等兵:03/06/09 07:02 ID:???
>>186
西米海軍になぜ空母が必要なのかと小一時間(ry・・・ですな
189名無し三等兵:03/06/09 10:27 ID:???
西米国は地理的にいって、東米国への対抗を第一にする陸軍国だからな。
西米SDFは建軍以来、予算配分や頭数で陸>空>>海の順位をつけてるというに、
なんで空母なんだろうね?
東太平洋は陛下のバスタブでまわりに危ない国が散在してるわけじゃないし、カリヴ海も
事実上それにちかい状況。そもそも彼らはカリヴ海に海軍根拠地を持ってない。
米国が統一されたら別だけど、それまでは空母なんて無用の長物だろう。
190名無し三等兵:03/06/09 11:14 ID:???
欧州の海軍力は大東亜大戦以来ドイツよりイタリアの方が大きいだろ。
未だに正規空母「ジュリオ・ドゥーハ」「レッジアーネ」の2隻を保有しているし。
搭載機はスタイル的に古めかしいと言われるマッキMC.600だけど、艦上機としてはドイツのものより完成されていたし。
191名無し三等兵:03/06/09 12:17 ID:???
>190
イタ公が作ると空母までも美しく・・・
個人的にはレッジアーネの方が大鳳(U)よりカコイイと思うがどうよ?
192名無し三等兵:03/06/09 15:13 ID:???
>>191
確かに線は優美だよな。イタリア艦は。
俺は日本艦の質実剛健なスタイルも好きだが。
もっとも、大型艦が空母ぐらいになっちまって、
軍艦の迫力が削がれているような感じは(´・ω・`)ショボーン
大東亜大戦時の日本艦が一番好きだよ。
193名無し三等兵:03/06/09 15:13 ID:???
フォークランド紛争のさい、日本がアルゼンチンに売り払った機体(何だっけ?)
がハリアーにボコボコに落とされたからその後ハリアー輸入されて陸戦隊に回されて
いるよね・・・
194名無し三等兵:03/06/09 15:15 ID:???
>>180
あれって俺が聞いた限りじゃ、最新の対艦ミサイルが搭載不可のへタレときいたし
たしか艦命はデアフリンガーって聞いたが・・・
そういえばドイツ軍も空母にSSN埋め込んでいたって聞いたが・・
195名無し三等兵:03/06/09 16:14 ID:???
>>193
アルゼンチン海軍の空母艦載機は川西16式艦上攻撃機「明星」の23型だ。
軽攻撃機の傑作で、25番から核爆弾まで多彩な兵装を搭載できる。
搭載量が自重に近いんじゃなかったか?土居技師の面目躍如だ。

機動性が戦闘機並みで、戦技教導隊の仮想敵機に採用されてたこともある。

あと、中華民国製の「幻影」系列の戦闘機もバタバタと落とされたな。

196名無し三等兵:03/06/09 17:51 ID:???
>>195
明星って木製の奴?
197名無し三等兵:03/06/10 00:46 ID:???
>196
いや、日本海軍初の奮進艦爆(194の艦攻ってのは間違いね。名前が「星」だし、
そもそも当時既に艦載機の性能向上で雷撃速度が上がりすぎて魚雷が衝撃に
耐えられない、艦隊防空の進歩で雷撃自体が自殺行為になったとかで艦攻は流星改で
打ち止めになってる)。主翼折り畳み廃止、昇降機の問題は全幅自体を押さえ込む、
と言う彗星から受け継いだ思想と翼面積確保の矛盾を尾翼付き三角翼で見事に解決した
のはホントに見事としか言い様がないな〜。
198名無し三等兵:03/06/10 00:52 ID:???
中華民国製の「幻影」系列といったら、輸出用として性能を落した「短剣」じゃなかったかな?
確か電探未搭載の有視界戦闘しか出来ないそうだが。

ところでフォークランド紛争でのアルゼンチン空軍は勇敢だったよね。
「明星」(輸出名はA-4だっけ?)で英軍艦隊に特攻を彷彿とさせるような近接攻撃を加えて何隻か沈めたでしょ。
その分陸軍と海軍はへタレだったけど。
199名無し三等兵:03/06/10 01:19 ID:???
>198
フォークランド空中戦では空対空誘導弾の優劣も大きかったと聞く。
アルゼンチン軍の「17式空対空誘導弾2型」と英海軍の「同13型」は名称こそ同じだが、
探知追尾装置の性能が全く違う。全方位捕捉能力の威力が再認識された。

明星の輸出仕様は「A4 Skyhawk」という名で売り出されてたな。
200名無し三等兵:03/06/10 01:30 ID:???
知り合いが西米から帰ってきたんだけど、最近統一派の過激な一団が小規模ながら東西でテロ活動を起こしてるらしい。
まあ、急いで無理に統一する必要無いと思うけどね。経済格差も国内総生産や個人所得の格差が東西で1:3以上もあるし。
統一したって人種問題で絶対揉めそうだしな。
人種関係なく「努力次第で必ず報われる」登用制度を採用した西と、
独仏系(アーリア系)重視の白人優越主義者が多数派の東だったら絶対揉めるぞ。
東にはまだKKKがいるからな。ああ、やだねぇ。
まあ、西も東も統一賛成はかなり少数派だし、ブッシュもクリントンもまだ考えて無さそう。

ケベックの方も大変らしいけど自業自得だからな(w
あそこが発端で北米の半分がクロになったんだし、いまだにナチの残党を受け入れてるから食糧援助してるのは
欧州連合崩壊後の仏臨時政府位だからな。独逸人よりもナチに心酔してる奴多いんじゃないか仏系?
201歴史知らない:03/06/10 20:36 ID:???
日本史近代史のの試験赤点ですた。恥ずかしいので誰か教えてくださーい。
202名無し三等兵:03/06/10 20:47 ID:???
ageてる人には教えません
203名無し三等兵:03/06/10 21:54 ID:???
>201
どこが分からないか挙げてくれよ
204名無し三等兵:03/06/11 00:46 ID:???
まあなんだ。近代史という分野は学校では普通は十分に履修しないからなあ
205名無し三等兵:03/06/11 00:54 ID:???
俺の中学なんて大東亜戦争以降は自習だったよ。
県下で一番一高三高海兵陸士に送り込む学校なんだけど。

そのせいで最近の若いのには「アメリカと戦争してたの?」ってぼんくらが
増えたのかねえ。
206名無し三等兵:03/06/11 01:05 ID:???
高等国民卒だが、何か?
207名無し三等兵:03/06/11 01:16 ID:6alz4fz1
↓自称海兵一号生徒(中学四修)
208名無し三等兵:03/06/11 01:20 ID:???
海兵は江田島だっけ?そういえば空軍の士官学校ってどこにあるんだ?
209名無し三等兵:03/06/11 01:22 ID:6alz4fz1
埼玉県入間市。飛行士官はその後新田原に行く。
210名無し三等兵:03/06/11 14:14 ID:???
海軍にいる兄が休暇で帰ってきました。
お土産に金属のかけらをもらいましたが、これは何と聞くと
「フセインの銅像の破片だよ」と言ってニヤリと意味ありげに笑いました。
それ以外に写真も見せてもらいましたが、バグダッドが陥落した日付の入った写真に
銅像を背景に兄が写ってました。
兄って何者?
211名無し三等兵:03/06/11 16:41 ID:???
>>210
ただの暇な陸戦隊員だろ……
212名無し三等兵:03/06/11 18:52 ID:???
うん、どう考えても単なる陸戦だな
213名無し三等兵:03/06/11 21:14 ID:???
ほんじゃあまあ、この辺で年表作ってみましょうか。
214名無し三等兵:03/06/12 01:00 ID:???
陸上で撃墜→脱出した航空隊員かと思ったけど、海軍航空隊はヘリでの沿岸&艦隊警備しかしてないね。
215名無し三等兵:03/06/12 02:14 ID:???
>>213
お願いします。そろそろ分からなくなってきた。
ついでに世界情勢も

へっ、どうせ近代史は学期末でまともにやってねーし、世界史と公民は赤点だよ(涙
216名無し三等兵:03/06/12 03:53 ID:???
公民科をざっとまとめてみた。

・軍制:軍令組織=兵部省、軍令組織=統合幕僚本部のもとに海軍軍令部・陸軍参謀本部
    ・空軍参謀本部。海軍(29万)、陸軍(22万)、空軍(19万)の計70万人。
・大日本帝国憲法(昭和21年改正):
  天皇制:天皇は万世一系にして大日本帝国の元首。天皇大権は内閣の助言と承認を要す。
  自由権:いかなる法律もこれを侵すことはできない。
・帝国の領域:日本本土・千島列島・南西諸島・遼東半島。
         台湾は昭和34年に独立、朝鮮は昭和45年に独立、その後南北に分裂。
・教育:小学校6年(義務)−中等学校5年−高等学校3年−大学3年
     ただし今では中等学校進学率は9割以上。高等学校・大学の進学率は3割、官立私立の専門学校
     を合わせると6割に達する。
     
217名無し三等兵:03/06/12 05:43 ID:???
…………教育は4-5-3-4制のままだったかと
218名無し三等兵:03/06/12 22:12 ID:???
緊急浮上
219名無し三等兵:03/06/12 22:18 ID:???
そういえばアメリカ自衛隊の掃海能力や対潜能力は高いよねぇ・・・
220名無し三等兵:03/06/12 22:37 ID:+yll3Usk
>>219
旧米軍がおろそかにしてたところだな。
糧食もいっぱいあるみたいだしw
221名無し三等兵:03/06/13 17:41 ID:???
>>219,220
正確に言うとおろそかにしていたわけじゃない。
けど、大西洋のUボートにばっかに気がとられ過ぎて、
日本の輸送線破壊を軽視し過ぎていたせいだ。

なんでも旧合衆国海軍のキング作戦部長が、
「日本の潜水艦は航続力こそ長いが、隠密性に劣り、またUボートのよう
な群狼作戦もとらない。航空攻撃も水上機が主体で、脅威ではない」
などと抜かしたそうだ。

実際には水上偵察機を搭載した我軍の大型潜水艦は、
太平洋の全域で神出鬼没に現れて、丸腰の輸送船を沈める……
いや、我軍の酸素魚雷を輸送船が食らった場合は、
沈む間もなく吹き飛んだそうだ。

他にも水上機基地から爆装水偵で襲撃したりもした。

ようやく太平洋艦隊にも対潜護衛艦が配備されたかと思ったら、
ニューギニア線で味をしめた我軍は、今度は戦艦「扶桑」「山城」を投入
いくら旧式戦艦つっても、魚雷も持たない駆潜艦では勝ちようがないわな。
222名無し三等兵:03/06/13 19:37 ID:???
通商破壊なら2式大艇も忘れるなよ。
223名無し三等兵:03/06/13 20:14 ID:???
護衛空母つけたらやってきたのが六番抱えた二式水戦や「強風」で、
FMが返り打ちにされると言う逸話もあったわけだが。
224初代スレ>>1:03/06/13 20:34 ID:GWG+vWBS
久々に覗いてみたら、煽り文句が抜けていたので。投下します。



<><><><><>
もし日本が先の大戦で勝っていたなら

北京ダックや石焼ビビンバが日本料理屋に並び、
メイドインホンコン、メイドインタイワンがメイドインジャパンとして売られ、
総理大臣の全国遊説だけで一年のほとんどが浪費され、
687都道府県州省くらいに地方行政府がいっぱいあり、小中学生がやる気をなくし、
タイやマレーシアの少女売春所が児ポ法&風営法に引っかかり、
全国甲子園野球大会に上海商業や市立釜山、バンコク実業などが名を連ね、
ハワイやバリの観光パンフレットが国内旅行の棚に置かれ、
金正日やポルポトが日本人になり、
ウォーシーリーベンレンが中国弁となるので、わしゃー日本人じゃーも中国弁となり、ワケがわからなくなり
.krや.chなどが全て.jpに含まれるので、.jp内でのドメイン取得が激戦となり、
地方に行くと道路標識に平仮名、片仮名、漢字にハングル、タイ文字、マレー文字、アルファベットが併記され読みにくくなり、
韓国人、朝鮮人がニダといわなくなるので<ヽ`∀´>←こいつをなんと呼んでいいのかわからなくなる

やっぱり日本は負けたくらいがちょうどよかったのだ。



225名無し三等兵:03/06/13 20:57 ID:???
通商破壊戦といえば第23日東丸だね。
あの100dにも満たない漁船がどれだけの米潜、護衛空母を海底に葬ったか考えると
先人の偉大さを実感するよ。
226名無し三等兵:03/06/13 21:10 ID:5+cbXPpD
>225
漏れの田舎じゃ消防団が漁船で誘導弾の訓練しとるよ。
227名無し三等兵:03/06/13 21:16 ID:???
二式水戦とFMのキルレシオってグラマン社の人が可哀想になる位なんだよな、米軍発表
の数字でも(爆
228名無し三等兵:03/06/13 22:07 ID:???
米国で評判になってるフォレストグッドマンの戦争論と本を取り寄せた。
.......
凄い電波本だよ。やれ「太平洋戦争は自国防衛の聖戦」だの「ハルノートは軟化しなかった日本が悪い」だの「戦争は爽快だ!」だの読んでて吐き気がした。
あんな本が最人気とは米も終わりだな。
229名無し三等兵:03/06/13 22:14 ID:???
>>228
ディズニーの弟子だか孫弟子にあたる奴だっけ?
230名無し三等兵:03/06/13 22:35 ID:???
たしかデビュー作が「Straight road to Stanford」だ。

231名無し三等兵:03/06/14 11:37 ID:???
>>227
大戦中盤の大規模戦闘ではF4Fは零戦、二式艦戦や一式戦に対して、
まぁちょっと分が悪いかなって程度だった。

けど、護衛部隊のFMは数が少ない上、
二式水戦や「強風」が純然たる戦闘機であるという認識がなく、
ゲタばき水偵のつもりで飛びかかっていってバタバタ落とされた。

もっとも前線での磨耗が激しくて、
護衛部隊には未熟なパイロットしかいなかったってのもあるだろうけど。
なにせ最後にゃ、複座の紫雲に撃墜されたF6Fがあったそうだからな。
232名無し三等兵:03/06/14 12:28 ID:???
帝国宇宙軍の情報を持っている人いる?
機密情報が解除されないのでストレスが溜まっているんだが。
# この前の軌道往還機の爆発事故とか
233のらくろ召集兵:03/06/14 18:28 ID:mZvgFkfF
自衛隊員がくると思われるスレ
アメリカのために死ねと言われたら死ねるか?
234名無し三等兵:03/06/14 18:31 ID:f9cMN/Vq
紫雲って後席の旋回銃しかなかったはずだが、、、、>231
235名無し三等兵:03/06/14 18:58 ID:NlNzrt1i
>234
あいつら後ろ上方からしか飛んで来かったんじゃ・・。
戦後判ったが、ハイスクルールの生徒を強制的に搭乗員に。
飛行時間平均100時間。離陸と着艦しか教えられてなかったと言う話。
236マジレス:03/06/14 19:53 ID:???
F6Fを落とした紫雲は現地改造で主翼下に20mm機銃を取り付けた機体。
ただし、照準器は二式水戦からひっぱがした中古品なのでやはり操縦員の技量は賞賛に
値する。
まあ、中国戦線以来の戦闘機隊のパイロットばかりいた強硬偵察を専門とする部隊の水
偵を単なる下駄履きと勘違いして飛びかかっていったヒヨッコじゃ返り討ちも当然か。
237名無し三等兵:03/06/14 20:41 ID:???
>>236
わが国ではあの頃からパイロットの大量育成と錬度向上が叫ばれて
日米開戦後でも数がおすぎて腕が良くても予備に回された者もおおかったようだし
教官の数も多すぎて共栄圏各地で指導してたほどだしな
238名無し三等兵:03/06/14 21:05 ID:???
頭悪い
239名無し三等兵:03/06/14 21:14 ID:???
ベネズエラ戦争で29年頃、東ベネズエラ軍のジェット戦闘機(Ta?)を流星64型が撃墜し
たって本当?
流星って攻撃機だと思うんだけどなんで戦闘機がやられるの?
240名無し三等兵:03/06/14 21:20 ID:???
>>237
自動車の運転出来ないのにパイロットやってる人なんつーのも陸軍にはいたらしい(w
241名無し三等兵:03/06/15 00:01 ID:W57D9IcT
>>240
うちの爺ちゃんの兄がそうだった。(実戦には不参加。)

爺ちゃんによると、その後自動車の免許取る際に「飛行機の方が簡単だった。」と漏らしていたらしい。
当時の飛行訓練って、今で言う電子模擬訓練機を、人力化したような物だったらしく、免許教習より楽しかったとか。

(´-`)俺も免許とる時は苦労したなぁ。
242名無し三等兵:03/06/15 00:16 ID:???
戦争に日本が勝っていたら?

現地の子供から米兵のガイコツを買うね。
あと5才のころのルーズベルトのガイコツも。
243名無し三等兵:03/06/16 03:26 ID:???
>>239
 当時のジェット戦闘機はようやくアフターバーナーがついたばかりで、
低空での性能は必ずしも優れているとは言えなかった。
 戦闘機並みの運動性能を持つ流星なら、低空での格闘戦に引きずり込め
ば勝ち目はあったんだよ。
 もっとも、並大抵の事じゃないのは確かだが。
244名無し三等兵:03/06/16 22:01 ID:???

 空模様は今日も一面、サリィとヘレンが覆っている。
 俺は海兵のパイロットのはずだが、
 乗るべき戦闘機は滑走路の端で無惨に黒焦げになっている。
 補充機は明日到着するはずだが、すべてオスカーには勝ち目のない鈍牛。
 本国からの新聞じゃ、ヘルキャットの量産が1万超えたとかいってるが、
 艦隊の連中が無能で、全部ジャップのスコアに加算されてる。
 俺はそろそろこの職場を見放そうかと思っている。
 もしトニーに乗せてくれるのなら、
 ジャップにヘッドハンティングされてもいいぜ。

           ――ラエ飛行場詰め所から発見された米兵の手記より
245前々スレ年表製作者:03/06/16 23:48 ID:???
2.1に沿って改訂しました。
2は保存してなかったので、本スレの初めのほうのレスを参照してます。

皇紀,2358,西暦,1698,元禄,11,イギリス新東インド会社成立
皇紀,2360,西暦,1700,元禄,13,シベリアで鉱物の採掘始まる(露),
皇紀,2368,西暦,1708,宝永,5,ピョートル1世の布告によりシベリア州設立(露)
皇紀,2371,西暦,1711,正徳,1,ダニロ・アンジフォロフ、占守島を探検(露)
皇紀,2379,西暦,1719,享保,4,田沼意次 生(日)シベリア政庁新設(露)
皇紀,2385,西暦,1725,享保,10,ベーリング、アジアとアメリカの北海岸を探検(露)(〜41)
皇紀,2387,西暦,1727,享保,12,清とロシアがキャフタ条約調印
皇紀,2392,西暦,1732,享保,17,清、満州地域の毛皮貢納民を満洲八旗へ編入(中)
皇紀,2393,西暦,1733,享保,18,十三植民地出そろう。(英米)
皇紀,2400,西暦,1740,元文,5,カムチャッカ半島に、ペトロパブロフスク建設(露)
皇紀,2414,西暦,1754,宝暦,4,英仏植民地戦争(米)
皇紀,2422,西暦,1762,宝暦,12,エカチェリーナ2世の治世始まる(露)
皇紀,2424,西暦,1764,明和,1,江戸大火、松前藩が、国後島に国後場所を開く(日)
皇紀,2427,西暦,1767,明和,4,田沼意次 側用人に(日)
皇紀,2430,西暦,1770,明和,7,ボストン虐殺事件(米)
皇紀,2431,西暦,1771,明和,8,得撫島でロシア人・アイヌの紛争(日)
皇紀,2432,西暦,1772,安永,1,田沼意次 老中に。目黒行人坂火事(日)
皇紀,2433,西暦,1773,安永,2,茶税法制定(英)ボストン茶会事件(米)
皇紀,2434,西暦,1774,安永,3,『解体新書』刊行。
 コリツイルスキー、シュムシュ島からエトロフ島までを占領(日)
皇紀,2435,西暦,1775,安永,4,米独立戦争勃発。第二回大陸会議。
 ワシントン、大陸軍総司令官となる。(米)
246前々スレ年表製作者:03/06/16 23:49 ID:???
皇紀,2436,西暦,1776,安永,5,アメリカ合衆国独立宣言(米)
皇紀,2438,西暦,1778,安永,7,ロシア人、得撫島からノッカマプ(根室)に来航、
 交易を懇請。松前藩士明年を約して退去させる。(日)
 フランス、アメリカと同盟、対英宣戦。ロシアの提唱で対英武装中立同盟。
皇紀,2442,西暦,1782,天明,2,天明の大凶作(東北の冷害)(日)
 バンコク朝(チャクリ朝)成立(泰)
皇紀,2443,西暦,1783,天明,3,浅間山の噴火。田沼意知 若年寄に就任。
 大黒屋光太夫がアリューシャン列島に漂着。工藤平助『赤蝦夷風説考』献上。
 西国米借上令(東北の飢饉の回避)(日)
 パリ講和条約により米独立戦争終結。イギリス、アメリカの独立を承認(英米)
皇紀,2444,西暦,1784,天明,4,白川騒動。佐野政言による田沼意知暗殺未遂。
 米の買占め発覚と合わせ松平定信が蟄居、徳川治済が隠居。
 西国米の流入により米価安定、田沼「世直し側用人」と呼ばれる(日)
 米国、中国との貿易始まる
皇紀,2445,西暦,1785,天明,5,幕府普請役最上徳内、蝦夷地調査隊に随行し
 国後島に至る。浮田幸吉、岡山で飛行実験(日)
皇紀,2446,西暦,1786,天明,6,最上徳内らが千島探査(日)
皇紀,2447,西暦,1787,天明,7,天明の改革、田沼派による重商政策推進、
 守旧派の排除。松前藩の収公・転封。蝦夷地奉行設置。初代奉行青島俊蔵。
 外洋航行可能な船舶の建造解禁。フランス人ラベルーズ、樺太西海岸調査(日)
 大黒屋光太夫ら、カムチャッカ半島に渡る(露)
皇紀,2448,西暦,1788,天明,8,数次にわたる北方調査隊の派遣(日)
 最初の植民約1000名がイギリスから送り込まれ、ポート・ジャクソンに上陸(豪)
 合衆国憲法発効(米)
247前々スレ年表製作者:03/06/16 23:51 ID:???
皇紀,2449,西暦,1789,寛政,1,最上徳内ら、アイヌモシリ保護領化交渉(日)
 フランス革命、人権宣言(仏)大黒屋光太夫ら、イルクーツクに到着(露)
皇紀,2450,西暦,1790,寛政,2,北方諸令。アイヌの自治承認、下層民の北方移民、
 千島・樺太の日本領化などを定めた(後のアイヌ首長国の原型)(日)
皇紀,2451,西暦,1791,寛政,3,蝦夷地への移民開始(後の屯田兵制度の原型)
皇紀,2452,西暦,1792,寛政,4,徳川家斉 十一代将軍就任、田沼意知 老中に。
 大黒屋光太夫帰国、ラクスマン通商を求め、五年以内の通商条約締結を約す(日)
皇紀,2453,西暦,1793,寛政,5,ワシントン、フランス革命に対して中立宣言(米)
皇紀,2454,西暦,1794,寛政,6,近藤重蔵、最上徳内、大日本恵登呂府の標柱(日)
 桂川甫周・『北槎聞略』をまとめる、伊能忠敬隠居、千葉 周作 生(日)
皇紀,2455,西暦,1795,寛政,7,近藤重蔵、最上徳内、大日本占守の標柱(日)
 カメハメハ一世、支配権を確立、カメハメハ王朝を開く(羽)
 オランダ、バタビア共和国としてフランスの属国に(蘭)
皇紀,2456,西暦,1796,寛政,8,近藤重蔵、最上徳内、大日本樺太の標柱(日)
 エカテリーナ2世 没、パーヴェル1世即位(露)
皇紀,2457,西暦,1797,寛政,9,日露通商条約。千島・樺太を日本領として国際的に
 初承認。函館開港、露西亜公館設置(初代公使ラクスマン)。
 イギリス人ブロートン、樺太西海岸調査、蝦夷地奉行所に退去を命ぜられる(日)。
皇紀,2458,西暦,1798,寛政,10,第1次欧州・露西亜派遣団出発。団長 間宮林蔵。
 伊能忠敬、測量の旅に出発。高田屋嘉兵衛北方航路開拓(日)
皇紀,2459,西暦,1799,寛政,11,第1次欧州・露西亜派遣団欧州到着。
 ロシアではパーヴェル1世と会見、エカテリーナ2世の厚情に謝意を表す(日)
 オランダ東インド会社解散(蘭印)
248前々スレ年表製作者:03/06/16 23:52 ID:???
皇紀,2460,西暦,1800,寛政,12,米首都ポトマック河岬のワシントンに移転(米)
皇紀,2461,西暦,1801,享和,1,千島にてロシア人との紛争(日)
皇紀,2464,西暦,1804,文化,1,ナポレオン皇帝即位(仏)レザノフ駐日公使に
皇紀,2465,西暦,1805,文化,2,レザノフ事件。
 レザノフの随員フヴォストフ大尉が、帰途に樺太と千島列島で測量・略奪(日露)
 アウステルリッツの戦い(ナポレオン、墺・露連合軍を破る)(仏)
皇紀,2467,西暦,1807,文化,4,第2次欧州・露西亜派遣団出発。
 異国船警備令、北方を主に海上警備体制構築に着手。後の帝国海軍の原型(日)
 フルトン、蒸気船の実用化に成功、ハドソン川を航行(米)
皇紀,2468,西暦,1808,文化,5,フェートン号事件。
 長崎でイギリス船がオランダ船を拿捕しようと進入、襲撃。これを受けて
 異国船警備令の対象が北方だけでなく日本のすべての海域に拡大(日)
皇紀,2469,西暦,1809,文化,6,間宮林蔵、沿海州から黒龍江を遡行。
 デレンの清国出張所(「満洲仮府」)にいたる(日満)
皇紀,2470,西暦,1810,文化,7,カメハメハ一世により統一国家(羽)
 オランダ、フランスに統合(蘭仏)
皇紀,2471,西暦,1811,文化,8,ゴローニン事件。ゴローニン少佐指揮下の
 ディアナ号、領海侵犯により拿捕、翌年解放。日露通商条約改定(日露)
皇紀,2472,西暦,1812,文化,9,高田屋嘉兵衛、日露通商方の顧問に
皇紀,2473,西暦,1813,文化,10,海軍評定により洋式海上戦力の増強および
 造船所の設立を決定。海軍奉行所設置(日)
 ナポレオン失脚(仏)オランダ独立(蘭)
249前々スレ年表製作者:03/06/16 23:53 ID:???
皇紀,2474,西暦,1814,文化,11,ウィーン会議、日本の第3次欧州・
 露西亜派遣団がオブザーバーとして臨席。
皇紀,2475,西暦,1815,文化,12,ドイツ連邦成立(独)
 ニューオーリンズの戦いでジャクソン、英軍に大勝利(米)
皇紀,2476,西暦,1816,文化,13,イギリス船が琉球に(日)
 ジェームズ・モンロー、大統領当選。アメリカ植民協会設立(米)
皇紀,2477,西暦,1817,文化,14,イギリス船が浦賀に(日)
皇紀,2478,西暦,1818,文政,1,琉球に「南方奉行」設立。薩摩藩による支配から
 幕府直轄に。薩摩と幕府の摩擦激化の原因に(日)
皇紀,2479,西暦,1819,文政,2,ジョホール王からシンガポールを買収(英)
皇紀,2480,西暦,1820,文政,3,アメリカのプロテスタント伝道団ハワイに上陸(羽)
皇紀,2481,西暦,1821,文政,4,伊能忠敬門弟「大日本沿海輿地全図」完成(日)
 メキシコ、スペインからの独立を宣言(墨)
皇紀,2482,西暦,1822,文政,5,長崎奉行所、蝦夷地奉行所・南方奉行所を統括する
 外国奉行所(外務省の原型)を江戸に設置(日)
皇紀,2483,西暦,1823,文政,6,中米連合独立、米「モンロー・ドクトリン」(米)
皇紀,2484,西暦,1824,文政,7,常陸沖にてイギリス船、領海侵犯として拿捕。
 第4次欧州・露西亜派遣団出発、欧州諸国との条約締結に向けての交渉着手(日)
皇紀,2485,西暦,1825,文政,8,ジャワ戦争(反オランダ戦争)始まる(蘭印)
皇紀,2486,西暦,1826,文政,9,海軍新令(海軍組織の改変・近代化)
 長崎に海軍伝習所設立(日)
皇紀,2487,西暦,1827,文政,10,小栗上野介 生(日)
250前々スレ年表製作者:03/06/16 23:54 ID:???
皇紀,2488,西暦,1828,文政,11,シーボルト事件(国籍詐称およびスパイ容疑)(日)
皇紀,2489,西暦,1829,文政,12,洋式鉄砲令(洋式大砲・小銃研究・製造解禁)(日)
皇紀,2490,西暦,1830,天保,1,7月革命(仏)
 ボルティモア・オハイオ鉄道開通。インディアン強制移住法(米)
皇紀,2491,西暦,1831,天保,2,蘭・仏・英との通商条約締結(日)
皇紀,2492,西暦,1832,天保,3,その他の欧州各国との通商条約締結(日)
皇紀,2493,西暦,1833,天保,4,天保の大飢饉始まる(日)
皇紀,2494,西暦,1834,天保,5,水野越前守忠邦老中就任。
 函館から津軽にイギリス船進入、外交ルートでの対英抗議(日)
皇紀,2495,西暦,1835,天保,6,高島 秋帆、徳丸ヶ原での近代砲術訓練(日)
皇紀,2496,西暦,1836,天保,7,対外政策に関する不満高まる(日)
皇紀,2497,西暦,1837,天保,8,徳川家慶 十二代将軍就任(日)
 モリソン号事件(領海侵犯の米船拿捕。漂流民を受け入れ後に開放)(日米)
皇紀,2498,西暦,1838,天保,9,中米連合解体し、中米五ヵ国生れる(米)
皇紀,2499,西暦,1839,天保,10,漢社の獄、攘夷を唱える漢学者・国学者らに
 対する思想統制(日)
皇紀,2500,西暦,1840,天保,11,アヘン戦争(英中)第一次憲法成立(羽)
皇紀,2501,西暦,1841,天保,12,アヘン戦争への視察団派遣。
 「富国強兵」軍備・政策の抜本的な見直しが検討される(天保の改革)(日)
皇紀,2502,西暦,1842,天保,13,南京条約(英中)欧州脅威論が強まる(日)
皇紀,2503,西暦,1843,天保,14,江川太郎左衛門、鉄砲型兼帯に。
 近代的製鉄事業の着手(日)アメリカ、ハワイの独立を承認(羽)
皇紀,2504,西暦,1844,弘化,1,水野忠邦、反対派の圧力により失脚、
 阿部正弘 老中に。近代化の方向は変わらず。間宮林蔵 没(日)
皇紀,2505,西暦,1845,弘化,2,阿部正弘 老中首座に(日)
251前々スレ年表製作者:03/06/16 23:56 ID:???
皇紀,2506,西暦,1846,弘化,3,米墨戦争、オレゴン協定でカナダとの国境確定(米)
皇紀,2507,西暦,1847,弘化,4,ビッドル(米)来日、通商条約締結要求。
 5年度に予備交渉開始することで合意。
 江川太郎左衛門、お台場砲台建設着手(日)
皇紀,2508,西暦,1848,嘉永,1,カール・マルクス「共産党宣言」
 カリフォルニアで金鉱発見。ゴールド・ラッシュ始まる(米)
皇紀,2509,西暦,1849,嘉永,2,イギリス艦マリナー号、浦賀・下田に領海侵犯し
 測量。幕府海軍の追撃を振り切り逃走(日)
皇紀,2510,西暦,1850,嘉永,3,ネヴェリスコイ、黒龍江河口に侵入して調査、
 ニコラエフスク、マリースク、ソフィースクに軍事拠点を築く(露)
皇紀,2511,西暦,1851,嘉永,4,太平天国の乱(〜1864)(中)
皇紀,2512,西暦,1852,嘉永,5,江川太郎左衛門、全国の海上防衛砲台建設計画(日)
皇紀,2513,西暦,1853,嘉永,6,徳川家慶 没 家定 十三代将軍就任。
 ペリー来航、長崎への入港を求める幕府海軍と交戦(伊豆沖海戦)
 日本側3隻、米側1隻が沈没。お台場砲台の攻撃により米側1隻が沈没(日米)
 クリミヤ戦争おこる(〜1856)。英仏艦隊、ペトロパブロフスクを攻撃。
 ロシア海軍大佐ネヴェリスコイ、樺太占領の命を受け、クシュコタンに根拠地
 構築。蝦夷地奉行率いる幕府軍と交戦(樺太戦争)
 フランス、二ューカレドニアの領有を宣言
皇紀,2514,西暦,1854,安政,1,ペリー再来日、長崎にて日米和親条約締結。
 樺太戦争停戦、全権大使プチャーチン、日露和親条約締結。クシュコタンの
 ロシア軍撤退を約す。安政の大地震(日)
皇紀,2515,西暦,1855,安政,2,安政の大地震で破損したディアナ号に代わり、
 日本で建造した同級のヘダ(戸田)号(500人乗)によりプチャーチンら帰国(日)
 愛揮条約 アムール川左岸をロシア領とし、沿海州は清国との共同管理(中露)

252前々スレ年表製作者:03/06/16 23:56 ID:???
皇紀,2516,西暦,1856,安政,3,タウンゼント・ハリス着任(日)
 第二次アヘン戦争(アロー号戦争)(中英)
皇紀,2517,西暦,1857,安政,4,咸臨丸 出航、勝海舟、小栗上野介ら渡米(日)
皇紀,2518,西暦,1858,安政,5,徳川家定 没 家茂 十四代将軍就任。井伊直弼
 大老に。安政の大獄、思想統制強化。沿岸砲台第1期完成、江川太郎左衛門 没
皇紀,2519,西暦,1859,安政,6,小栗上野介 外国奉行、勝海舟 海軍奉行(日)
皇紀,2520,西暦,1860,万延,1,小栗上野介 横須賀製鉄所起立原案。
 勝海舟 神戸に軍艦操練所設立。桜田門外の変(日)
 英仏連合軍が北京を占領し、北京条約を結ぶ(中)
 ロシアは沿海州を得てウラジヴォストーク建設(露)
 リンカーン大統領当選。サウス・カロライナ州連邦脱退(米)
皇紀,2521,西暦,1861,文久,1,最初の日本人移民ハワイへ(羽)
皇紀,2522,西暦,1862,文久,2,ハリス帰国。生麦事件。
 清川八郎の献策で浪士隊設立(日)
 ベトナム南部三省、フランス領となる(第一次サイゴン条約)(越)
皇紀,2523,西暦,1863,文久,3,薩英戦争発生、幕府の圧力で停戦。
 浪士隊、京にて「新撰組」に(日)
 カンボジア、フランスの保護国となる(仏印)
 奴隷解放宣言。ゲティスバーグの戦い(米)
皇紀,2524,西暦,1864,元治,1,池田屋事件 長州征伐(日)
皇紀,2525,西暦,1865,慶應,1,上田寅吉、横須賀海軍工廠の初代工場長に(日)
 リー将軍降伏し、南北戦争終結。リンカン暗殺。
 憲法修正第13条(奴隷制度の全面廃止)(米)
皇紀,2526,西暦,1866,慶應,2,徳川家茂 没 慶喜 十五代将軍就任。
 薩長連合成立するも、2度目の長州征伐(長州戦争)で幕府辛勝(日)
253前々スレ年表製作者:03/06/16 23:57 ID:???
皇紀,2527,西暦,1867,慶應,3,江戸幕府の政権返上と立憲君主制を採る
 新政府の設立を決議。朝廷に対して国政変革を要求【上様御謀反】
 徳川慶喜蝦夷地(アイヌモシリ本島)移転、旧幕臣ら屯田兵として移住(日)
 オーストリア=ハンガリーニ重帝国成立。
 ぺナン、マラッカ、シンガポール、イギリス直轄の海峡植民地となる。
 米、アラスカをロシアから購入
皇紀,2528,西暦,1868,明治,1,第一次統合戦争(萩、鳥羽伏見、上野、
 会津、函館などの一連の紛争の総称)旧幕臣・朝廷の反対派勢力の排除(日)
皇紀,2529,西暦,1869,明治,2,函館の役。第一次統合戦争終結。
 徳川松前酋長家を長とするアイヌ首長国成立(日)
皇紀,2530,西暦,1870,明治,3,樺太でロシア人、日本人漁場に波止場の構築を
 はじめ紛争(日露)
皇紀,2531,西暦,1871,明治,4,廃藩置県、太陽暦を採用、徴兵制布告、廃刀令、
 鎮台の設置(日)ドイツ帝国統一(独)
皇紀,2532,西暦,1872,明治,5,ハワイへの日本人移民増加(羽)
皇紀,2533,西暦,1873,明治,6,初代総理大臣 小栗上野介(日)
皇紀,2534,西暦,1874,明治,7,第二次サイゴン条約、南部六省が
 フランス植民地となる(越)
皇紀,2535,西暦,1875,明治,8,第二次統合戦争、
 旧薩摩・長州の反対派勢力の排除。西郷隆盛の後ろ盾で琉球王国独立。
 琉球の帰属について清国抗議、後の日清戦争の遠因のひとつに。
 アイヌ首長国・琉球王国・大日本国連合帝国(大日本帝国)成立(日)
254前々スレ年表製作者:03/06/16 23:58 ID:???
皇紀,2536,西暦,1876,明治,9,大日本帝国憲法発布、日朝修好条規(日)
 米国・ハワイ互恵条約締結、ハワイに米軍利用を許す(羽)
皇紀,2537,西暦,1877,明治,10,第1回帝国議会(日)露土戦争
皇紀,2538,西暦,1878,明治,11,ロシア駐在公使・榎本武揚、シベリアを横断(日)
皇紀,2540,西暦,1880,明治,13,ハワイのカラカウア王来日
 (訪日した最初の国家元首)日本からの「官約移民」渡航開始(羽)
皇紀,2541,西暦,1881,明治,14,パナマ運河起工(英エジプト)
 カイウラニ王女と山階宮が結婚(日羽)
皇紀,2543,西暦,1883,明治,16,鎮台を師団に改称・再編(日)
皇紀,2544,西暦,1884,明治,17,清仏戦争がはじまる。安南が仏領となる。
皇紀,2546,西暦,1886,明治,19,英独日 太平洋勢力分割協約。
 日本、ハワイが独立国であることの確認を求める
皇紀,2547,西暦,1887,明治,20,フランス領インドシナ連邦成立。
 マライのヌグリ、スンビランがイギリス保護領となる
皇紀,2548,西暦,1888,明治,21,海軍兵学校が江田島に移転(日)
皇紀,2551,西暦,1891,明治,24,大津事件(来日中のニコライ皇太子襲撃)
 二宮忠八、模型による飛行実験、人口4000万人突破(日)
 リリエンタール、グライダー初飛行(独)
皇紀,2553,西暦,1893,明治,26,ハワイで王制転覆計画。
 日系人を主体としたカウンタークーデターにより阻止。
 米国・ハワイ互恵条約を破棄。日羽互恵条約締結、日本艦隊派遣(羽)
皇紀,2554,西暦,1894,明治,27,露仏同盟。日清戦争はじまる。
 アメリカ、ハワイに艦隊派遣
皇紀,2555,西暦,1895,明治,28,日清戦争終結。下関条約により台湾が日本に
 割譲される。清水徳川家のスポンサーで二宮忠八 飛行実験開始。
255前々スレ年表製作者:03/06/17 00:00 ID:???
皇紀,2556,西暦,1896,明治,29,ニコライ2世即位、東清鉄道敷設契約(露)
 米艦隊退去(羽)日本郵船会社、日米羽を結ぶ太平洋定期航路開設(日)
皇紀,2557,西暦,1897,明治,30,ウラジオストク−ハバロフスク間に鉄道開通(露)
皇紀,2558,西暦,1898,明治,31,ロシアが、大連、旅順を租借。
 中国、戊戌政変(近代化失敗)。
 米西戦争の結果、グアム、フィリピン、アメリカ領となる。(米)
 二宮忠八大尉、世界最初に重航空機の有人制御動力飛行に成功、徳川と改姓(日)
皇紀,2559,西暦,1899,明治,32,トランスシベリア鉄道、
 ノヴォシビルスク-イルクーツク間開通(露)
 イギリス、ドイツ、アメリカ、日本が、四国協定でオセアニアの
 領有関係を明確化。米へイ国務長官、中国における門戸開放宣言(第一次通牒)。
皇紀,2560,西暦,1900,明治,33,義和団の乱。ロシア、満州の実権を握る。
 アメリカで日本人移民への排撃強まる
皇紀,2561,西暦,1901,明治,34,清、北京議定書(辛丑和約)に調印
皇紀,2562,西暦,1902,明治,35,日英同盟、シベリア鉄道開通(露)
皇紀,2563,西暦,1903,明治,36,対露強硬意見が強まる(日)
皇紀,2564,西暦,1904,明治,37,日露戦争開戦
皇紀,2565,西暦,1905,明治,38,日露戦争集結、ポーツマス条約。
 沿海州、遼東半島の日本への割譲、朝鮮半島および満州における日本の
 特殊権益の容認。韓国統監府を設置(日)ロシア国内で革命勢力が台頭(露)
皇紀,2566,西暦,1906,明治,39,満州の門戸開放を宣言。
 日泰皇族の婚姻計画。李王朝と皇室との婚姻計画も持ち上がるも失敗(日)
皇紀,2567,西暦,1907,明治,40,日露協約、ウラジオストクに日本領事館開設(日露)
 撫順炭鉱、日本資本による採掘開始(満)
皇紀,2570,西暦,1910,明治,43,日韓協約(日韓二重帝国の設立)
皇紀,2571,西暦,1911,明治,44,辛亥革命(中)モンゴル独立活動(蒙)
皇紀,2572,西暦,1912,大正,1,清が滅亡、日本支援のもと孫文が中華民国建国(中)
256前々スレ年表製作者:03/06/17 00:02 ID:???
皇紀,2573,西暦,1913,大正,2,袁世凱、正式大総統に就任(中)
 バボージャプの求めに応じてモンゴル独立運動を支援。満州が緩衝国家から
 国益の対象に変化したことにより、さらにロシアよりの緩衝国家を必要と
 したことによる。(日蒙)
皇紀,2574,西暦,1914,大正,3,第一次世界大戦勃発、パナマ運河を完成(米)
 自治モンゴル成立。日韓承認。中露は否認(蒙)
皇紀,2575,西暦,1915,大正,4,対英支援開始。地中海に遣欧艦隊を派遣(日)
皇紀,2576,西暦,1916,大正,5,欧州に陸兵二個師団を派遣(日)
皇紀,2577,西暦,1917,大正,6,三月革命でロマノフ王朝崩壊、十一月革命(露)
 米、第一次世界大戦に参戦。日米間で石井=ランシング協定、中国の門戸開放
 の共同要求および太平洋の海軍バランス維持を規定。
皇紀,2578,西暦,1918,大正,7,日本、北満出兵(赤軍の攻撃に備え満州・沿海州
 への戦力増強)。満蒙打通、モンゴルを日本側勢力として確保。
 独皇帝退位、同盟側の降伏により第一次世界大戦集結
皇紀,2579,西暦,1919,大正,8,ベルサイユ条約締結。ワイマール体制(独)
 コミンテルン結成(ソ)満州国成立、初代皇帝溥儀。撫順炭鉱拡張(満)
 大モンゴル成立、活仏でもあったボグド・ジェプツンダンバ・ホトクト・ハーン
 を首相とする宗教色の強い議会制民主主義国家(蒙) 
皇紀,2580,西暦,1920,大正,9, 国際連盟成立、日本は常任理事国に。
皇紀,2581,西暦,1921,大正,10,日満韓、大蒙古を承認。その後国際連盟で承認。
 米大統領ハーディングの提唱でワシントン会議(米・英・日・仏・伊)
皇紀,2582,西暦,1922,大正,11,北満州油田発見。
皇紀,2583,西暦,1923,大正,12,関東大震災(日)
皇紀,2584,西暦,1924,大正,13,中ソ協定締結。国交回復。レーニン死去 (ソ)
 満州フォード設立、在満日本軍協定、在満米軍協定(満)

257前々スレ年表製作者:03/06/17 00:03 ID:???
皇紀,2585,西暦,1925,大正,14,芳沢・カラハン協定により日ソ国交回復。
 ソ連、大蒙古を承認。ソ連にとっても緩衝国家の存在は有益との判断。
皇紀,2586,西暦,1926,昭和,1,北満州油田の本格的な営業開始。満州の重工業拡大。
皇紀,2587,西暦,1927,昭和,2,満州・半島からの輸入拡大に伴う金融不安。
 海上護衛総司令部創設(日)汪兆銘、武漢政府首脳(中)
皇紀,2588,西暦,1928,昭和,3,重工業化5ヵ年計画(日)蒋介石、南京政府主席(中)
皇紀,2589,西暦,1929,昭和,4,世界恐慌(米)
皇紀,2590,西暦,1930,昭和,5,ロンドン海軍軍縮条約締結
皇紀,2591,西暦,1931,昭和,6,沿海州事変、在満米軍による沿海州の占領・分離計画。
 表向きには張作霖が沿海州は中国人の土地であると抗日を主張。
皇紀,2592,西暦,1932,昭和,7,リットン調査団派遣、米国に満州以外の
 大陸からの撤退を勧告。米は拒否。蒋・汪合作政権(中)
皇紀,2593,西暦,1933,昭和,8,F・ルーズベルト大統領就任、
 ニューディール政策開始、ソ連邦を承認。沿海州事変を機に中国大陸への
 進出機運強まる(米)ナチス政権成立(独)
皇紀,2594,西暦,1934,昭和,9,アドルフ・ヒトラー、ドイツ総統に就任(独)
 エチオピア皇帝の甥アラヤ・アベベ王子の花嫁に黒田子爵の令嬢雅子(日)
皇紀,2595,西暦,1935,昭和,10,ジョン・エドガー・フーバーFBI長官に(米)
皇紀,2596,西暦,1936,昭和,11,スターリン憲法制定、粛清激化(ソ)
 日独防共協定。満州事変、米軍による満州沿岸部と半島北部の占領・分離計画。
 満州原油の日本への輸出・日本製品の大陸への輸出の遮断、大陸における
 米国のプレセンス強化をもくろむ。
 ベルリンオリンピック(独)
皇紀,2597,西暦,1937,昭和,12,平壌攻防戦、米軍による平壌の包囲攻撃。
 在満米軍協定破棄。日満韓蒙安全保障条約。アイヌ首長国オホーツク海封鎖。
 愛新覚羅溥傑・嵯峨和 結婚。満州映画協会(満映)設立(満)
 蒋・汪政権は米と日満の問題であるとして、共産党との戦いに注力するため
 中立を宣言するが、秘密裏に蒋介石は米に、汪兆銘は日満に接近(中)

258前々スレ年表製作者:03/06/17 00:05 ID:???
皇紀,2598,西暦,1938,昭和,13,ソ満国境紛争。愛新覚羅慧生 生(満)
皇紀,2599,西暦,1939,昭和,14,独ソ不可侵条約締結。独ソによるポーランド侵攻・
 分割。英仏対独宣戦布告、第二次世界大戦開始(欧州)
 ソ蒙国境紛争。十四試重攻(後の富嶽)試作指示(日)
皇紀,2600,西暦,1940,昭和,15,ハワイで米国に支援された王制打倒クーデター、
 米軍による攻略(4月)。日羽互恵条約に基づき日本は王家を正当政権と主張、
 日米対立激化。英米との開戦を念頭に日独伊満四国同盟締結。(8月)
 東京オリンピック開催、国際情勢悪化のため参加国激減(8月)
 北欧侵攻(4月)、フランス制圧(6月)。大陸諸国と講和成立。
 潜水艦による対英海上封鎖(独)仏印・蘭印進駐(10月)(日)
皇紀,2601,西暦,1941,昭和,16,ソ連、欧州侵攻するも撃退される(4月)
 対日石油禁輸を米が打ち出したのに対し、満州原油の輸送を妨害された日本は
 中国経由での輸送強化。汪兆銘政権との関係が強まる。樺太油田の増産。 
 満州・中国・仏印・蘭印というマーケットを確保し、原油も確保した日本に
 対する脅威から、大陸からの撤退を強硬に求めたハル・ノートを示す(米)
 駆逐艦島風竣工。対米戦を睨んで大量生産。キー61初飛行。
 真珠湾の米国艦隊を奇襲、ハワイ王室救出作戦。マレー攻略(12月)(日)
皇紀,2602,西暦,1942,昭和,17,フィラデルフィアへ隕石落下?(1月)
 フィリピン完全制圧、暫定政権発足、のちラウレル大統領(2月)
 マレーシアの英軍正式に降伏、暫定政権成立(2月)
 特殊回転爆弾を装備したB−24のダム攻撃、長野・富山に被害。(4月)
 中国を拠点とした英米戦力を遮断するためマレー・仏印、タイ王国を基点に
 ビルマ打通。ビルマ共和国独立。(6月)
 自由インド仮政府発足(6月)
 第1次ミッドウェイ海戦、日本側の戦術的敗北。(6月)
 ソロモン・ニューギニア方面で戦線の圧縮、雲龍型、竣工開始。貴族院廃止(8月)
 二式艦戦(キー61艦載型)部隊配備。(10月)
 第1回大東亜会議(11月)富嶽 試作1号機初飛行(12月)。
 海上封鎖により米英の対ソ支援を遮断、ウクライナ穀倉地帯・チュメニ油田・
 黒海方面に侵攻、中東打通(独)インド洋を経由する日独連絡が確立。
259前々スレ年表製作者:03/06/17 00:07 ID:???
皇紀,2603,西暦,1943,昭和,18,日本海軍中部太平洋に再進出
 GF長官山本五十六大将(死後元帥)戦死。(4月)
 第二次ミッドウェイ海戦。第二次ハワイ沖海戦。ハワイ上陸戦(太田実中将)(7月)
 ベーリング海峡「北方飛び石作戦」アラスカ上陸戦。(9月)(日)
 戦艦アリゾナ謎の爆沈(6月)(米)
 ウラル以東への疎開を図るも燃料・資材等の不足にあえぐ(ソ)。
 中央アジア・中東占領地域の資源化に力を注ぐ。石油事情好転(独)
皇紀,2604,西暦,1944,昭和,19,パルミラ沖海戦。紫電改艦上型・零戦六四型投入
 「パルミラの七面鳥撃ち」(6月)
 ハワイを基地に米西海岸に対する戦略爆撃。(6月)
 第2次パナマ海々戦。空母に改装された伊勢・日向参加、独伊艦隊も参加。(6月)
 パナマ上陸戦、パナマの枢軸参戦・四式中戦車チトの初陣。(6月)
 パナマを基地に米東海岸に対する戦略爆撃開始。(7月)
 オーストラリア日本と単独講和(12月)
 加州(ロサンゼルス)上陸作戦。米軍機体当たり攻撃、扶桑轟沈・山城大破。(12月)
 ロスアラモス原爆研究所に対して誘導爆弾による精密攻撃。(12月)
 哀号作戦(コスタ・リカ独立支援)(日)
 モスクワ攻略(7月)、長距離弾道弾による対米爆撃開始(10月)(独)
260前々スレ年表製作者:03/06/17 00:08 ID:???
皇紀,2605,西暦,1945,昭和,20,日独、原爆の開発に成功。
 マルタ会談、日独伊満による戦争終結に向けての協議(2月)
 キューバ上陸戦、サイモン・バックナーJr中将降伏(4月)
 戦艦アイオワを中心とする第5艦隊キューバに向け出撃、フロリダ沖にて
 艦載機の攻撃を受け戦艦アイオワ、軽巡1、駆逐艦4を失い作中止。(4月)
 原爆輸送から帰還中の鈴谷、アーチャーフィッシュにより撃沈。
 ニューオリンズおよびラスベガスに原爆投下、ニューオリンズ上陸戦(8月)
 アメリカ人で構成された王立欧州特務隊、バハマのアンドロス島に鹵獲した
 銀河で殴りこみ、原爆搭載の富嶽を強奪・原爆を投下するも起爆せず(8月)
 ケベック社会主義共和国独立、対米宣戦布告。これを受けて、
 ドイツ軍ケベック上陸、合衆国領土に進出(8月)
 メキシコ、中米、対米宣戦布告(8月)
 9月ポトマック河口、紀伊の甲板上でアメリカ合衆国全権大使、停戦条約締結。
 国際連盟再成立。国連公用語は日独伊に。
 アリューシャン列島、日本(アイヌ首長国)に帰属。
 アラスカ、シベリア沿岸部、委任統治領に。
皇紀,2606,西暦,1946,昭和,21,戦艦オハイオ、ドイツに譲渡、
「フォン・モルトケ」となる。
 戦艦メイン、タイ海軍に譲渡、「バンコク」となる。
 ベトナム帝国(東インドシナ)とカンボジア王国、ラオス王国(西インドシナ)
 で構成される二重帝国が旧仏印に成立。
 戦犯に対するアトランタ裁判開始(米)
 パレスチナにイスラエル設立、ユダヤ人の「最終解決」として移民が
 進められる(独)
 首相 吉田茂。憲法改正、参議院設立、二院制に復帰。
 枢密院、国政諮問会議に改組(日)

261前々スレ年表製作者:03/06/17 00:09 ID:???
皇紀,2607,西暦,1947,昭和,22,インド連邦・パキスタン独立(印)
 Ta383量産開始(独)のちMiG-15としてライセンス生産(露)
 満州国、憲法改正、立憲君主制の満州合衆国成立。
 験−1で黒江中佐、人類発の音速突破(日)
 西アジア諸国独立、イスラエルをめぐって第一次中東戦争(西亜)
皇紀,2608,西暦,1948,昭和,23,スターリン以下の幹部処刑、ただしスターリンは
 戦中に死亡・死刑となったのは替え玉との説あり。エニセイ川にそって
 西側がドイツ側支配圏「ロシア国家社会主義共和国」に。
 東側にはシベリア共和国(旧ソ連)が残るが、満州の保護国化。(露)
 中国共産党、国家社会主義党に名称変更・改組(中)
 1940年のオリンピックの参加国が少なかったことから再度東京オリンピック
 開催。国力アピールのため万博も併設。敗戦国米英は呼ばれず。(日)
 西亜のイスラエル・パレスチナ問題に対し、ユダヤ人国家として
 ソ連極東部と沿海州の一部に「東イスラエル」建国を提案(日満)。
 ただし浦塩をはじめとする主要港湾・基地は日本が永久租借。布哇王国再独立。
皇紀,2609,西暦,1949,昭和,24,汪兆銘政権、中国の過半を制圧。蒋介石政権、
 首都を海南島に移転。中華国家社会主義人民共和国を称する国家社会主義者、
 チベット越えの長征、中東に脱出。のち、ごく少数がドイツに入国(中)
 日独伊のアメリカ占領領域から後の東西アメリカの領域確定。
 ロング、アメリカ合衆国大統領。フーバー、北米一般SS長官。(米)
皇紀,2610,西暦,1950,昭和,25,アメリカ動乱(米)人類最初の人工衛星(独)
 前年の空軍設立に続き、入間に空軍兵学校設立(日)
皇紀,2611,西暦,1951,昭和,26,ドイツ側はD.C.のドイツ占領機構を引き継ぐ
 形で「アメリカ国家社会主義連邦(東米)」建国。
 アラスカにD.Cから脱出した「アメリカ合衆国」が亡命政権樹立、のち
 日本側支配領域のシカゴに移転し「アメリカ合衆国(西米)」が成立。
 イラン、石油国有化(西亜)

262前々スレ年表製作者:03/06/17 00:10 ID:???
皇紀,2612,西暦,1952,昭和,27,NuTO・「ニュルンベルク条約機構」成立(欧州)
 十二式戦車採用(主砲127ミリ)(日)
皇紀,2613,西暦,1953,昭和,28,空母 日向 タイ海軍に譲渡。
 EATO・「大東亜共栄宣言機構」成立。朝鮮半島独立反対デモ
 三菱、二八試艦上戦闘機開発開始、後の「麗風」原型(日)
 ロンメル、ヒトラーの死で大統領(任1953-63)。ゲッペルス、ヒトラーの死で
 首相(任1953-64)、ナチ党総裁(任56-64)を兼任(独)
皇紀,2614,西暦,1954,昭和,29,アメリカ動乱を機に満州・欧州の経済成長。
 首相 石橋湛山のもと、国内経済再建が進められる(日)
皇紀,2615,西暦,1955,昭和,30,アメリカ動乱 終結。
 ウェポンシステムWS-110A(後のB-70)開発開始(東米)
 人類最初の有人宇宙飛行(独)
 伊勢 二等空母に分類 日本最初の人工衛星(日)
 シベリア共和国(既に東半分となっていた旧ソ連)、満州合衆国と大蒙古に
 分割・合併される。
 ベーリンジア宣言、アイヌ首長国、満州合衆国、大蒙古、日本領沿海州、
 東イスラエル、委任統治領アラスカによる多民族超国家共同体の結成。
 国家の定義について論争を呼ぶ。
皇紀,2616,西暦,1956,昭和,31,国家社会主義ドイツ労働者党第28回大会、
 ゲッベルスがヒトラー批判を、シーラハが平和共存路線を発表(独)
 リンドバーグ、第2代大統領(東米)
 第2次中東戦争。イスラエルに対抗する形で西亜連邦が形成される(西亜)
皇紀,2617,西暦,1957,昭和,32,リンドバーグ大統領暗殺、マッカーサー
 第3代大統領(東米)辻正信、北米国際軍事裁判での禁固、刑期短縮政界復帰。
 験−15試験飛行開始、のち数度にわたり宇宙飛行。総理 岸信介(日)
皇紀,2618,西暦,1958,昭和,33,岸総理コロンビアの独化は南米の独化に繋がる
 と言明(将棋倒し理論)日本最初の有人宇宙飛行成功(日)
 マッカーサー大統領病死、アイゼンハワー第4代大統領(東米)
263前々スレ年表製作者:03/06/17 00:11 ID:???
皇紀,2619,西暦,1959,昭和,34,アイゼンハワー暗殺、ジョセフ・P・ケネディ
 第5代大統領(東米)
 大久保武道君、愛親覚羅慧生 結婚「世紀の大恋愛」(日満)
皇紀,2620,西暦,1960,昭和,35,辻正信、首相に。
 布哇王国総督府廃止。東部諸島地区(内地)が外地への社会資本投資に耐えかね
 連邦制度を提案。かぐや計画発表(日)
 大統領選挙、カーチス・E・ルメイ東米第6代大統領。
 ジョン・F・ケネディ西米大統領(米)
 アフリカ諸国の独立続く
皇紀,2621,西暦,1961,昭和,36,日独双方の南米への介入は深刻の度を増、
 総兵力50万をコロンビアに派兵。原子力発電所の商業運転(日)
皇紀,2622,西暦,1962,昭和,37,核配備を巡り海南島危機。核の輸送を察知。
皇紀,2623,西暦,1963,昭和,38,日独の間で冷戦解消への歩み寄りが進み、
 7月には両国間にホットラインが敷かれ、8月には日独英3国による部分的
 核実験停止条約が調印、10月10日から発効した。
 勤労感謝の日、辻正信首相は東京都内某所での講演会に出席。
 閉会後首相官邸への帰路、公用車の車上で狙撃され死亡。
 官房長官池田勇人が代行、翌年首相。
皇紀,2624,西暦,1964,昭和,39,満洲国で新京オリンピック開催(満)
 ゲーリング、ナチ党総裁に就任(独)B-70初飛行。ルメイ大統領暗殺(東米)
皇紀,2625,西暦,1965,昭和,40,佐藤栄作、首相に。内陸部の猛反対にあうも
 連邦制度成立。手塚王国建設(日)
皇紀,2626,西暦,1966,昭和,41,ファシズム国家大革命(国家大革命)
 マッカーシー、ニクソンら四人組による奪権闘争。
 ケネディなどの指導者が失脚(東弁)
 空母 天竜 就役(日)
皇紀,2627,西暦,1967,昭和,42,愛新覚羅溥儀 崩御、溥傑 即位(満)
 かぐや1号火災事故(日)
皇紀,2628,西暦,1968,昭和,43,笹井醇一ら、かぐや8号で月周回(日)
264前々スレ年表製作者:03/06/17 00:13 ID:???
皇紀,2629,西暦,1969,昭和,44,かぐや11号月面着陸(日)
 党大会で、ロング派勝利、KKK青少年部設立(東米)
皇紀,2630,西暦,1970,昭和,45,1月、ベトナム=インドシナ二重帝国内の一国王
 シアヌークが第三帝国に接近。シアヌークの海南外遊中にロンノルが
 クーデター、親越政権樹立。シアヌークを擁するポルポトがプノンペンを陥落。
 4月「退廃音楽展」ワイト島で開催(独)ハルピンで冬季五輪(満)
 大阪で万博。日米安保条約延長(日)核拡散防止条約発効
皇紀,2631,西暦,1971,昭和,46,台湾と朝鮮独立。大韓帝国成立。
 朝鮮は最後まで独立を渋る。
 フロリダ返還。川西31式艦上戦闘機A18M「暴風」採用(日)
皇紀,2632,西暦,1972,昭和,47,佐藤総理、横井氏を訪問。
 三菱32式戦闘機「飛鷲」採用。軌道往還機「間宮」初打ち上げ。
 田中角栄、首相に。沖縄の空軍嘉手納基地に航空宇宙博物館開設(日)
皇紀,2633,西暦,1973,昭和,48,反日運動家金日成一派が半島北部の主要都市で
 同時蜂起、平壌を首都として朝鮮国家社会主義共和国の建国を宣言。即時鎮圧
 されドイツに脱出(朝)
 陸奥 事故により爆沈。ザ・ドリフターズ訪英(日)
皇紀,2634,西暦,1974,昭和,49,対馬海流発電所、黒潮発電所、着工。
 低軌道基地建設開始、三木武夫、首相に。東西融和政策。(日)
 宇宙戦艦アイオワ放映開始(米)
皇紀,2635,西暦,1975,昭和,50,ゲーリング、首相を兼任、総統に(日)
 海南島の蒋介石政府ベルリンに亡命(中)
 空軍軽量戦闘機計画、中島「隼(2代)」選定。選に漏れた川西「蝮龍」は、
 のちに海軍で川西・三菱A6K「天狼」として採用。
皇紀,2636,西暦,1976,昭和,51,ロングの死により四人組逮捕、国革終結(東米)
 Ta1025亡命飛行事件(西米)
皇紀,2638,西暦,1978,昭和,53,戦艦大和 除籍。船の科学館で記念館として展示決定。
 武蔵・長門海防艦に分類(日)

265前々スレ年表製作者:03/06/17 00:14 ID:???
皇紀,2639,西暦,1979,昭和,54,川西・三菱39式艦上戦闘攻撃機A6K/M「天狼」採用。
 「飛鷲」改良型の「銀鷲」導入開始。東米・日本国交正常化(日)
 ロシア、アフガニスタンに軍事介入。ドイツが背後にいると見て対独・対露
 非難決議が国際連盟に提案されるも、ドイツは否定、拒否権発動。
皇紀,2640,西暦,1980,昭和,55,ミュンヘン五輪を日本帝国側がボイコット(日)
皇紀,2641,西暦,1981,昭和,56,低軌道基地完成。静止軌道基地建設開始(日)
 オマーン湾事件、イラン空軍のMe2122を空母「飛騨」の暴風が撃墜。
皇紀,2642,西暦,1982,昭和,57,中曽根康弘、首相に(日)
 フォークランド紛争(英、アルゼンチン)
皇紀,2643,西暦,1983,昭和,58,西米レーガン大統領、
 「日米運命共同体」「不沈空母」発言
 トロント発ロンドン行きエア・カナダ007便、北海上空でドイツ空軍の
 防空識別圏に侵入、Me1115に撃墜される。航法装置のミスとも、ドイツ側の
 防空能力・電子戦能力を見るための擬装飛行だったとも言われる。
皇紀,2644,西暦,1984,昭和,59,合衆国ロス五輪を第三帝国側がボイコット。
皇紀,2645,西暦,1985,昭和,60,ドイツ第三帝国陣営、統治能力の低下が続く。
皇紀,2646,西暦,1986,昭和,61,静止軌道基地完成。
 月面基地および静止軌道基地2,3号着工(日)
皇紀,2647,西暦,1987,昭和,62,武蔵・長門 解体、国鉄民営化(日)
皇紀,2649,西暦,1989,平成,1,「西側」ドイツ陣営の崩壊が急速に進む。
 東米、D.Cで民主運動家によるデモ、軍に制圧される(ポトマック事件)
皇紀,2650,西暦,1990,平成,2,二等空母 伊勢 解体(日)
 ドイツの影響力低下するも、東米は独自に国家社会主義の理想を追求すると主張。
皇紀,2651,西暦,1991,平成,3,保守クーデターによりドイツ第三帝国時代終了。
皇紀,2652,西暦,1992,平成,4,有人火星探査計画発表(日)
 国家社会主義市場経済論を採択(東米)
皇紀,2653,西暦,1993,平成,5,ソマリア紛争に独立機動第一旅団と
 神風特務攻撃隊派遣(日)
 欧州連合帝国成立(独・仏・蘭・伊ほか12カ国)

266前々スレ年表製作者:03/06/17 00:15 ID:???
皇紀,2654,西暦,1994,平成,6,愛新覚羅溥傑 満州皇帝崩御 
 娘婿の愛新覚羅武道、皇帝に(満)
皇紀,2655,西暦,1995,平成,7,戦艦金剛除籍、太平洋戦争終結50周年記念の一貫と
 して、故郷のイギリス・スカパフローに記念艦として保存。
皇紀,2656,西暦,1996,平成,8,軌道発電衛星着工(日)
皇紀,2657,西暦,1997,平成,9,ブレア労働党内閣成立、香港中国に返還(英)
皇紀,2660,西暦,2000,平成,12,ベルリン労働党、第一党に。
 ナチス時代を志向、第四帝国とも称する(独)
 新戦略兵器禁止条約交渉の中で軌道発電衛星に出力規制
皇紀,2661,西暦,2001,平成,13,オアフ島の南約十八キロの海上でアナポリス
 水産高校実習船「バルチモア」日本海軍原子力潜水艦「なだしお」衝突、
 バルチモア沈没。小泉内閣発足。
 9/11新宿超高層ビル街、国会議事堂、大本営にて同時多発テロ発生。
 記念艦大和 同時多発テロの標的となり破壊。三菱61式戦闘機「電光」採用
皇紀,2662,西暦,2002,平成,14,アラブ諸国vs大日本帝国、大西亜戦争勃発。
 有人火星宇宙船「大和」発進。空母 飛龍 就役。
 炭素微小線による軌道エレベータ基礎実験開始。
皇紀,2663,西暦,2003,平成,15,大西亜戦争、イラク制圧。
 東米、新型肺炎の発生により経済成長鈍化。
 ケベック、核の保有を主張。
 本田技研と川崎重工業「伏龍」(水陸両用人型戦車)開発。
 記念艦大和、修復開始。
267前々スレ年表製作者:03/06/17 00:18 ID:???
ついでに、日本側勢力圏

東亜連邦
・アイヌ首長国・琉球王国・大日本国連合帝国(大日本帝国)
・ベーリンジア共和国(ベーリンジア共同体)
 -アイヌ首長国(アイヌモシリ本島、樺太、千島、カムチャッカ、
  アリューシャン列島を領有。アラスカはアイヌ首長国の自治州)
 -満州合衆国(シベリア東部各州は満州の自治州)
 -大蒙古(シベリア西部各州は蒙古の自治州)
 -日本領沿海州
 -東イスラエル
 -アラスカ自治州
・中華民国
・台湾
・大韓帝国
・東南亜細亜共同体
 -フィリピン、マレーシア、ビルマ、タイ王国、インドネシア、ベトナム
 (加盟申請中:ラオス、カンボジア)
・インド
・セイロン(スリランカ)
(非加盟中立)ネパール、ブータン
・ハワイ王国
・南洋諸島各国


その他の世界情勢は、どなたかにおまかせします。
268名無し三等兵:03/06/17 01:09 ID:???
乙!相変わらずいい仕事するねえ
269名無し三等兵 :03/06/17 01:26 ID:???
貸映画で「黒鷹墜落」を借りてきて何度も繰り返して見てます。
いつ見ても神風部隊の二人がやられる場面で目頭が熱くなります。
270名無し三等兵:03/06/17 01:36 ID:???
「カンダ、ナラシノ、増援がいつ到着するかは未だ不明、それでも降下するか?」
「ナラシノ、カンダ、増援到着まで降下して防御します」
271名無し三等兵:03/06/17 01:42 ID:???
「今井電錐軍団」は見ましたか?

加州戦のシーンで空挺の二式軽戦車の砲撃受けまくった米兵の、
「そうだ、何度でも言ってやる、ジャップのエアボーン・チームは戦車を持ってやがるぞ!」
というセリフが妙に好きなんですが。
272名無し三等兵:03/06/17 03:04 ID:???
>>266
そういえば大和がやられたとき報道各社は色めき立っててたな。「大和はどうなんですか?」と
質問した記者がいたけど、統合大本営海軍部長官が静かに「戦艦大和、未だ沈まず」とだけ
返したのには年甲斐もなく目頭を熱くしたよ。
太平洋戦争当時「実は長門も上回る大戦艦がある。それが沈むときは日本が沈むときだ」と
噂された故事にちなんでるんだな。
273名無し三等兵:03/06/17 04:54 ID:???
飛行機基地外の源田実なんかは
「戦艦大和は無用の長物」
なんて切って捨ててたが、
実は空母機動部隊が一番、大和型2隻の恩恵を受けてたんだよね。

武蔵がウエワク沖夜戦で、
ノースカロライナ級2隻を1隻で撃沈破してしまったものだから、
米海軍は慌ててモンタナ級を増注してしまった。

一方でわが海軍は、数は少ないけど事実上最強の2戦艦を保有した事で、
戦時中の大型艦は空母だけで固められた。
戦艦より空母の方が短期間で作れるし、雲龍型は特に大量建造に対応する為、
流用と単純化が徹底されていた。
もっとも、そのおかげで初期の艦はエレベーターが2基しかなくて
不便だったそうだけど……
合衆国が本気を出せば、翔鶴レベルの空母を大量建造できたんだろうけど、
大和と武蔵におびえるあまり、チンタラ戦艦の建造続けてしまった。
しかもそのほとんどは浮きドックでギ装中に爆撃で破壊されたわけだ。

パナマ沖「TF7謎の反転」も
「大和伝説」が引き起こしたものだったらしいしな。
274名無し三等兵:03/06/17 05:18 ID:???
>>273
その源田氏も後に宮内省入りして侍従長になったんだよなぁ・・・
淵田氏は淵田氏で独立後のハワイの空軍元帥になってハワイ軍の組織近代化に
成功させたからって勲章貰ってたし。
275名無し三等兵:03/06/17 06:01 ID:???
>>269
あの神風部隊の狙撃兵二人は、墜落現場で数百人の暴徒と
戦った挙句に裸で引き回されたんだよな・・・

それを見た当時の西村防衛政務次官は、「核攻撃じゃ!土人どもを
根絶やしにしてまえ!」と激怒したとか。
276271:03/06/17 06:05 ID:???
「今井」じゃなくて「今村」だろ……

   ∧||∧
 ・゚・(  ⌒ -=y ターン
   ∪  ノ ̄
    ∪∪
277名無し三等兵:03/06/17 07:21 ID:???
>>275
しかし、あれはカダフィ大佐やアフリカ要人が単独で乗りこんで説得した為かギリギリで
死なずに済んだ・・・何より大きかったのは当時、国際平和構築寄与軍最高司令官として
チェ・ゲバラが酸化していたことかな。
 今も75越えて南米連合の調整役やってるし偉大なるゲバラは本当に生きる伝説だよ。
278名無し三等兵:03/06/17 13:14 ID:???
>>245-267
乙です。前スレからの抜粋(年代が記入されている、または推定できるもののみ)を追加します。

皇紀,2601,西暦,1941,昭和,16,挙国一致内閣発足。近衛文麿首相は東条陸相、山本海相、吉田外相の3者
協議に戦争指導を丸投げして自分は内政に専念して上手く戦争指導を機能させる。
[「山本海相」は原文ママ。改変が必要?]
皇紀,2604,西暦,1944,昭和,19,「富嶽」のハワイ配備開始。ただし稼働率は20%以下。(10月)
日本を交渉の席に引きずり出す為に「アトゥーンメント(贖罪)作戦」が発動される。北米戦線から引き抜い
たB-29通常爆撃機型をはじめとする大型爆撃機による、中国の成都から日本本土への攻撃「ミーティング・
ハウス」と北米のアメリカ陸軍としては最後の大規模攻勢となった「コロラドの守り」からなる。
日系人部隊が日本兵に偽装して後方攪乱を行なう。住民を射殺して日本軍の残虐行為に見せかけようとした
作戦だったとも。
プエブロ収容所解放。日系人将兵の家族が人質として収容されていた。
陸軍の一部が暴走して中国国民政府と密約を交わし、のちに映画『遠すぎた飛行場』で有名になった「大陸
打通作戦」をやらかす。
皇紀,2605,西暦,1945,昭和,20,「富嶽」の稼働率、大規模な作戦が可能な程改善される。(3月)
3/10,帝都大空襲。
3/12,英、大日本帝国と単独停戦。
4/1,ニューヨーク報復爆撃。
5/8,日英講和宣言。
マダガスカルで日独伊首脳会議。アメリカ合衆国に対する無条件降伏勧告「マダガスカル宣言」。
8/10,アメリカ合衆国はマダガスカル宣言を受諾。
大日本帝国の斡旋により、英独休戦が成立。(10月)
279名無し三等兵:03/06/17 13:14 ID:???
皇紀,2614,西暦,1954,昭和,29,水爆巨大生物「呉爾羅」の映画第一作が公開。以降昭和帝の崩御のときの
一年を除いて50年連続で同じタイトルの映画が製作され続け、日本各地ではロケ隊の誘致合戦が激化する。
皇紀,2615,西暦,1955,昭和,30,社会大衆党大躍進。保守合同で自由民主党成立。
皇紀,2616,西暦,1956,昭和,31,景雲改が撃墜される。
皇紀,2620,西暦,1960,昭和,35,太平洋安全保障条約機構調印阻止運動で社会大衆党向坂派により西尾派が
追放される。社会民主党成立。
西米で太平洋条約機構6条国(共同防衛義務を持つ双務的加盟国)への昇格に反対する学生達と警官隊が衝突、
メアリー・バーチが死亡する。ASU(全米学生連盟)は武力闘争を示唆。
皇紀,2627,西暦,1967,昭和,42,コロンビア戦争のクリスマス攻勢。メデジン要塞篭城戦。(12月)
皇紀,2632,西暦,1972,昭和,47,佐藤・ニクソン会談の結果キューバは西米に帰属する事になる。
皇紀,2638,西暦,1978,昭和,53,帝国空軍偵察機「岩田タミ」号、オクラホマシティ上空で東米(当時)の
地対空ミサイルに撃墜される。
皇紀,2642,西暦,1982,昭和,57,フォークランド紛争でアルゼンチンの日本製巡洋艦(酒匂または羽黒)が
英潜水艦に撃沈される。
皇紀,2663,西暦,2003,平成,3,職業野球東京読売巨人の米人選手ガッズィラが東京半球状球場(東京球々)で
満塁打を打つ。
280名無し三等兵:03/06/17 13:18 ID:???
>>278の一部改訂です。

>プエブロ収容所解放。日系人将兵の家族が人質として収容されていた。
「家族が」の後に「FBIによって」を挿入。
281名無し三等兵:03/06/17 14:12 ID:???
 記録映画「大東亜戦争」の第一部、関東大震災での昭和帝の陣頭指揮を描いた「帝都大戦」で
昭和帝を神秘化しすぎたためこれがシリーズ化される。
 ただ、第一作目を作ったスタッフは全員、不敬罪容疑で告発されるも、連合帝国の2国が
難色を示し昭和帝が特赦の勅令を出すよ強く要請したために問題なった。
 結局、公開が許され、空前の大当たりとなるも、諸外国では「ヒロヒトは神」と
まともに信じ込んでしまい、天皇制廃止論議が一気にしぼんだ。

皇紀2640〜50年代のことだったかと。
282名無し三等兵:03/06/17 16:46 ID:???
どうも、ここいつもみてます。

実は私、サンフランシスコのある日本政府外郭機関に奉職しているものです。
米国沿岸警備隊員のように勤務中に公用電算機で書き込んだりはしてませんから
祭りにしないでくださいねw

ただいま西米ではイラクにUSSDFを派遣するかどうかで侃々諤々の激論が
繰り広げられています。共和党の重鎮が「重武装で行けやゴルァ」と言ったり、
対カナダ利権のドンが「保安官部隊編成しろや」と言ったり。
ただ、やっと西アメリカも同盟国らしくなってきたなという印象です。
283名無し三等兵:03/06/17 18:05 ID:???
>>282
ひょっとこして今から夜勤?
御苦労さまであります! Σ∠( ゚д゚)
284283:03/06/17 18:07 ID:???
あ……違った……そっちは今夜か。
ごめん……大恥……

 ∧||∧
(  ⌒ ヽ
 ∪  ノ ブラン
  ∪∪
285前々スレ年表製作者:03/06/17 21:04 ID:???
>>278-281
ありがとうございます。このスレの終わりごろに、あらためて
年表をすりあわせてみます。
286名無し三等兵:03/06/18 11:13 ID:???
原潜イ−二〇一七「なだしお」と激突した、
米国実習船の代船が「ボルチモアV」が、
今日ハワイ王国ホノルルに入港したそうだ。
287名無し三等兵:03/06/19 21:17 ID:???
>286
それなんだが、入港後に行われた慰霊祭には、
在ハワイの海軍関係者からの出席者はなかったらしい。
司令官とはいわなくとも、潜水艦隊の関係者が一人行って、
献花くらいすればいいと思ったよ。
288名無し三等兵:03/06/19 23:01 ID:???
当時のハワイ鎮守府司令長官って誰だっけ?
ところで要港部に格下げする話ってどうなったのかな。
289名無し三等兵:03/06/20 18:46 ID:???
>>286
対潜武装してるって噂は本当?
290名無し三等兵:03/06/20 18:54 ID:???
>>289
捕鯨用の銛が少し強力になったらしい。
ほら、帝國海軍の潜水艦は表面を天然護謨で覆ってるから。
291名無し三等兵:03/06/20 23:57 ID:???
捕鯨といえば、国際捕鯨委員会が、新しい商業捕鯨割当量を発表しましたね。
戦前の欧米の乱獲のおかげで鯨の一部の種は絶滅寸前でしたが、
戦後は捕鯨について長い歴史のあるわが国の指導のもと、適切な管理
が進められて安定した水産資源となっています。
欧米の一部では宗教的理由で捕鯨反対を主張する向きもあるようですが、
油をとるだけのために乱獲していた国の言うことなので、捕鯨国には
まったく相手にされていないようですね。
292名無し三等兵:03/06/21 10:11 ID:???
一橋大学教授の太田哲三先生は神だよ。

戦後飴の産業調査団企業会計部長として飴の会計制度を徹底的に調べて
反対論を押し切って日本に導入したんだから。産業報国会での原価計算
指導で軍と商工省が会計制度の重要性に気づいて大蔵省との壮絶なバトル
の末内閣府の外庁として証券会計管理委員会が設立され計理士の制度を整
備して、自分は第一回計理士試験の試験委員長をやった後第5回試験を受
験して一発合格。その後大田計理社を設立して戦時国債の償還で緊縮財政
を行っていた影響で大阪府が破綻の危機に直面した際に公会計を提唱指導
して建て直しを成功させ、社会民主党の江田三郎首相が国家財政に公会計
を採用して国家予算の単年度主義があぼーん

病床にあった際に発生した山陽特殊鋼事件で、政界財界からの介入を一切
排除しろと強硬に捲くし立て学問的正統性を優先重視した基準の答申が出
た直後に病死。

そして弟子筋の竹中が三田工業事件で監査の信頼性が失われたのでごー
いんに監査基準引き上げ、国際会計基準2005年全世界導入を決めたら西米
で反米陰謀だと批判がでまくっとるが、日経が1997年に西米の金融機関が
続々あぼーんして架空決算が明らかになった際に「不思議な会計基準を持
つ国」って揶揄したのを奴等はどう考えてんだ?

帝国証券市場に世界中から投資家が集まってくるのは世界一厳しい基準で
企業を審査しているからだってどうして理解できないんだろう(⊃д`) 
293名無し三等兵:03/06/21 13:13 ID:???
今更だが>>181

その称号規定は昭和18年10月に改定されたんだよ。
大量建艦に艦名策定が追い付かなくなってな。

何せ帝国海軍が大東亜大戦中に建造した艦は

 改大和型空母2隻
 雲龍型空母18隻
 仁淀型丙巡(防空軽巡>17隻
 (他に建造中に阿賀野型乙巡から変更された能代型丙巡が2隻)
 白霜型駆逐艦(「島風」の量産対応型・巡航用主機をディーゼルに)42隻
 松型駆逐艦63隻
 海防艦各種263隻(新造艦のみ)

 だぞ、おい…………
294293:03/06/21 13:19 ID:???
他にも漁船・木造商船改造の特設襲撃艇・特設駆潜艇・特設水上機母艦とか、
あるけど、もう数えるのもいやでつ。(汗)
295名無し三等兵:03/06/21 20:35 ID:???
曲技飛行部隊(戦技研究隊らすい)って
空軍の衝撃隊と海軍の三矢隊どっちがカコイイと思う?
296名無し三等兵:03/06/22 00:28 ID:???
西米の天使隊・・・って漏れは少数派なんだろうな。
アレはアレで味があっていいんだYO!!!
地元住民の目を気にしてあんまり大技出せないところとか・・・
297293:03/06/22 01:44 ID:???
>>295-296
ドイツ共和国空軍の「Ritter des Deutschland」は?
デカいHe1528で巧みな曲芸を見せる迫力は、
軽戦主体の東側曲芸飛行団にはない迫力があるぜ。
298297:03/06/22 01:44 ID:???
コテ消し話スレでスマソ……
299名無し三等兵:03/06/22 03:08 ID:???
良スレage
300名無し三等兵:03/06/22 03:54 ID:???
>>278

近衛内閣成立時は
山本海相、島田連合艦隊司令長官、永野軍令部総長
じゃなかったっけ?
山本海相は開戦阻止に向けて動くも、万が一開戦の場合を考えて
大西、山口、福留等に対米戦計画原案の作成を命じてた訳でしょ?

それでいよいよ開戦という時に米内海相、山本連合艦隊長官つー人事
を強行して自分が作成指導に当たった対米戦計画通り戦争を遂行させた
んじゃ無かったっけ?
301名無し三等兵:03/06/22 05:43 ID:???
>>293
江田内閣って田中金脈問題で三木派、河野派、福田派が自民党を離党して
結成した新自由倶楽部との連立政権だったっけ?
確か田中内閣がそれで崩壊して三木が首班の連立内閣が成立したんだけど
選挙後第一党が社会民主党になったから三木が江田に禅譲して新自由倶楽
部は河野総裁以下全員社民に合流したんだよね。

歴代総理は
近衛→鈴木→東久迩→幣原(民生)→吉田(政友)→片山(社大)→芦田(民政)
→吉田(自民)→鳩山(自民)→石橋(自民)→岸(自民)→池田(自民)→佐
藤(自民)→田中(自民)→三木(新自)→江田(社民)→福田(社民)→大平
(自民)→鈴木(自民)→中曽根(自民)→竹下(自民)→海部(社民)→宮沢
(自民)→細川(社民)→羽田(新生)→河野(社民)→橋本(自民)→小渕
(自民)→森(社民)→小泉(社民)

ついでに今の政党は確か
自由民主党 古賀総裁、社会民主党 小泉党首、公明党 神崎代表
社会大衆党 土井党首、日本共産党 不和書記長

で良いんだっけ?フォローきぼんぬ
302名無し三等兵:03/06/22 14:30 ID:???
>>301
近衛→東條(陸送兼任)→鈴木(暫定)→米内→吉田、だったと思うが。
それと池田の前は元陸軍大佐の辻正信。

ちなみに鈴木首相は米内大将が暫定GF長官であったため、
新GF長官小沢中将(当時)に引き継ぐまでの代行職……
その他の閣僚は移動せず。

この時の海相は井上大将だっけか。

稀代の戦略家、山本元帥を失って、
海軍がどれ程バタバタしていたかがよくわかるな。


それと自民党と社民党の党首があべこべ。
っつーか社会大衆党ってまだあったのかよ!(ゲラ

>>300
???
303名無し三等兵:03/06/22 16:25 ID:???
>>302
最近の若い連中は小林某の影響かしらんが戦争回避努力を知らん奴が大杉

近衛内閣成立は6月。吉田外相と山本海相の下戦争回避に向けて最後の努力
が行われるが、ハルノートで開戦止む無しとなり11月末に山本GF(福留参
謀長)体制に成ったんだろ。そして大西ー源田の立案した真珠湾作戦が大成功
して軍令部の宇垣1部長は山本構想を丸呑みせざるを得なくなった訳だな。
ガイシュツだが戦時挙国一致内閣が近衛でなかったらマジでやばかったと思う。

東久邇宮は陸軍内部で戦争完遂・講和反対の動きがあったから皇族を
担ぎ出して講和条約調印させたんじゃなかったか?
まあ海相兼副総理が米内さんだったから事実上米内内閣では有ったが。。。
それと幣原内閣は民政と政友の暫定(選挙管理)連立政権。

最後に小泉は福田直系で古賀は大平→宮沢派の生え抜きだろ?
安部派相続を森と争った亀井が自民党入り。宮沢派相続を古賀と争った
加藤、中曽根派相続を江藤と争った山崎が社民党入りして小泉と共に
YKKを結成した訳なんだが、どうして社民と自民の党首が逆になるんだ?
304名無し三等兵:03/06/22 17:40 ID:???
>>303
?????

あの、近衛内閣が対米外交投げ出したのが、
貴族院廃止の原因になったんですけど……

近衛公爵は悪いけど無能だよ。米の戦略計画があったにせよ、
日米関係を一番激しく悪化させたのはあの人だからね。
東條内閣時代の方が融和のポーズを見せなければ危険だったと、
死刑前のハルが手記に残しているよ。

山本海相ってのも変だろ。
挙国一致内閣が必要な時に、陸軍と反目してる人間送り込んだら、
それこそどこぞの仮想戦記状態になっちまうじゃねぇか。
嶋田海相で正解だよ。

戦争完遂、講和反対って……
原爆まで落としたのにそんなこと言ってるのは少数派じゃねぇか。
大体、宮様持ち上げる間でもなく、講和は昭和帝陛下のご意志でも、
あったんだから。

ってか、その政治構造、なんかどっかで見たぞ。
「もしアメリカが勝っていたなら」ってスレじゃねぇか?
305名無し三等兵:03/06/23 18:36 ID:???
確かに近衛公爵は頭は良いけど丸投げと時々大ミスする悪癖があった、
東條閣下も役人としては有能だったけど政治家としての器は少々小さかった、

>>304の言うとおり戦争完遂、講和反対なんて言ってたのは軍の少数派だが
報道機関の宣伝も多分に影響したのか行け行けの国民世論も背景にあった。
未然に抑えられたが当時一部急進派により昭和帝陛下のご意思を受けて
講和を持ち出した鈴木首相を腑抜けとして暗殺計画があったぐらい。

東久邇宮内閣は講和の前後に起きるであろうゴタゴタを抑え
陛下の御意思を直接軍民に知らしめる為に編み出された策というわけだ。
306名無し三等兵:03/06/23 20:07 ID:???
>>305
あれのせいで、戦後、赤追放&黒追放で主要新聞社の幹部が消えたんだっけ。
307名無し三等兵:03/06/24 00:35 ID:???
ところでブリテンからベッカムて蹴球選手が
大日本職業蹴球連盟に来るって知ってた?

産経のチームらしいんだけど、年俸が20億円移籍金が50億円だって
こんな額が払えるのは世界広しと言えども日本だけだよね

英国の蹴球ってジョンブル魂て表現されるようにパワーで押し捲って
精神力で耐え切る戦術で3回もW杯で優勝してるんだけど
彼だけは優雅で創造性に富んでいるんだって
典型的な毛唐の顔だけど近頃はああいう顔が好きな輩もいるから
人気が出るかもね
308名無し三等兵:03/06/24 19:09 ID:???
>>307
髪型が毎度毎度個性的なんだよな、でも真似しようと思っても
うちの学校長髪禁止が規則だからなぁw
309名無し三等兵:03/06/24 20:00 ID:???
>>308
おいおい、今時長髪禁止って・・・ひょっとして陸式か?ご愁傷様。
海兵ですらそんな規則なくなったのにな。頑迷固陋、って言われるのも判るぜー。
310名無し三等兵:03/06/24 21:11 ID:???
日本の蹴球は東京五輪で金賞とってから世界の強豪に数えられるようになった
冷戦期にはドイツとしのぎを削り第3帝国崩壊直前にはドイツに後背を拝す時代があったものの
その後優勝と準優勝そして対昨年の地元での優勝を含めW杯は過去5回優勝している
最近じゃブラジルでかつて日本を優勝に導いたW杯得点王釜本が代表監督になったらしいな
311名無し三等兵:03/06/24 23:11 ID:???
>>309
いや。今は陸式は肩下あたりまでは大丈夫。
海兵で陸戦か航空取ると長髪禁止。理由は、海水浴の可能性が高いから。
312名無し三等兵:03/06/24 23:25 ID:???
バミューダ戦での米軍の地元住民虐殺事件について、
誰か詳しく知ってる香具師いる?
313名無し三等兵:03/06/25 00:06 ID:???
浮上
314名無し三等兵:03/06/25 00:36 ID:???
>>312
北カリブ海のベーリジニストと米民主主義者の連合体が強固な
支配をしていて、うかつに欧州帝国が中米に進出できなかったことから
バミューダトライアングルと恐れられていたよね


315名無し三等兵:03/06/25 17:42 ID:???
ベルリンの人気デュオ「W.M.a.d.L.d」が来日してるの知ってるか?
ああいう歌手グループが出るとは、ドイツの民主化はずいぶん進んだなぁ。
それに比べてケベックは……
316名無し三等兵:03/06/25 22:07 ID:???
なんと驚くなかれ、彼女達のプロデューサーはあのトレヴァー・ホーンだ。
『音楽TV』世代の漏れにはもうビックリですよ。
『録画機がラジオスターを殺した』懐かしいなあ。
317名無し三等兵:03/06/26 00:48 ID:???
ロシア国家社会主義共和国では今レーニン主義をスラブ至上主義に
からめたネオコミが流行ってるて報告は本当?
いくらなんでもソ連時代の方が過酷だと思うんだけどどうなのかな
禁止された「槌と鎌」とか持ち出してるし・・

それとは別に西米ではソ連軍の兵器が大人気らしい

彼らにかかると何もしないでばたばた落ちたMIG-3が
第二次世界大戦最優秀高高度戦闘機になるし
鈍重で頑丈なだけがとりえのIL-2が「黒死病」らしい

あたらなければどうってことはないT34/85も鬼戦車、
無駄に資源を食っただけのJSシリーズも大戦最優秀戦車らしい

極めつけはイルクーツクを脱出したスターリンは南米に行き
最強特殊新鋭赤軍とともに反撃の機会をうかがっているという話
未確認飛行物体は実はコミュの最終兵器で南極に秘密基地がある
という頭がどうかしてるような内容だった

確か著者はMisuteru Yaoi とかいう日系人みたいな名前だったと思うが
よせばいいのにトムクランシーていう作家(プレイボーイ誌でよく書いてる)
が本気で信じて全米出版したらしい
まあそいつは日本の情報局や外務省に深いコネがあるといってる様なホラ吹きだけどな


318名無し三等兵:03/06/26 01:33 ID:???
ケベックにもあるじゃない伝統芸能。
団体でやる超巨大マスゲームが。
そのためだけに超電算機使うそうだけど、激しく使い方を間違ってると思うぞ。
319名無し三等兵:03/06/26 02:35 ID:???
大戦最優秀戦車か……
単純に性能だけなら第三帝国のVI号ケーニッヒ・ティーガーだろうが、
四式中戦車も捨て難いな。
燃えにくいディーゼルエンジン、信頼性の高い懸架装置。
特にカゴ型砲手席付の後期型(砲塔が全溶接に戻っているのですぐ判る)は、
「新砲塔だ!」といって旧米軍が逃げ出すのが常だったそうだし。
320名無し三等兵:03/06/26 18:18 ID:???
>>319
四式中戦車か、元戦車兵の近所の爺さんの愛車だったよ、尤も前期型みたいだが。
戦争末期にはまだ実験配備の九式八糎高射砲を搭載した五式中戦車改に乗り換えたのと
池田大佐の部隊だった事が自慢らしい。
今でも米軍の守備隊を蹴散らして日系人を開放したときの記念写真が残ってる。
321名無し三等兵:03/06/26 18:27 ID:???
>>320
おお、チリ改か、そいつは珍しい!
チリ車の37粍副砲を撤去してチト改と同じカゴ型砲手席をつけた型だろ。
惜しむらくは、実戦データが充分とれる前に終戦になってしまったことか。
でも、汪兆銘政権に貸与する為、2000両程はつくられたはずだが。
322名無し三等兵:03/06/26 19:38 ID:???
汪兆銘政権には四式チト車ほか結構貸与されたね、当の陸軍は密約までしてやった
打通作戦の際国民党軍があまり協力的でなかった事を根に持って嫌がったが。
中国統一後は引き揚げて後に満州、蒙古向けとして改修された北満改良型も有名。


チリ改は確かに活躍期間は短いが停戦直前に雲霞の如く現れるM3やM4に苦戦中の
チト部隊や砲戦車・対戦車砲部隊の後方からぬっと現れ瞬く間に敵戦車を次々と
撃破した話や米軍の切り札だったM26パーシングと雌雄を決し勝利した話など
実戦データこそ少ないが武勇伝に関していえば密度は濃いな。

この頃には米軍戦車も数こそ凌駕していたが乗員の錬度といえば劣悪。
砲の威力こそ我が戦車にとって脅威だったが動かすが精一杯。
先述のパーシングも撃破した車両を調べたら少年兵の死体ばかり出てきて
立ち会った戦車隊の指揮官が敵とはいえ思わず落涙したらしい・・・。
九五式軽戦車(ハ号車)
 大戦勃発前の主要な機動戦闘車。信頼性に優れる日本戦車の基礎を確立
したが、7.7粍歩兵銃でも貫通する装甲の弱さが欠点であった。
 大戦直前のノモンハン事変でその脆弱性を露呈、大東亜大戦では極初期
の南方作戦ではその機動能力を生かして活躍したが、生産は早期に縮小さ
れ、後発の九八式軽戦車に譲った。その後は歩兵部隊の直協や自走砲のタ
ネ車となった。

九七式軽装甲車/九七式軽戦車(テケ車)
 支那戦線で活躍した九四式TK車の増強型。装甲厚はハ号車とほぼ同じ
だが、曲面を多用し、被弾経始の改善によって耐久性を高めている。
 大東亜大戦勃発と共に生産が増強され、偵察車両として活躍したが、正
規乗員が2名のため偵察員1名が跨乗しなければならなかった。
 戦車部隊に配備される事になった為、昭和17年7月に呼称が「九七式軽
戦車」に変更されている。

九八式軽戦車(ケニ車)/二式軽戦車(ケト車)
 帝国陸軍初の空挺戦車。九五式ハ号車をベースに、懸架装置覆いを取り
付け、また、被弾経始を改善、装甲厚も厚くしたものがケニ車である。
 大東亜大戦勃発と共に量産・配備が開始されたが、大陸での空挺作戦の
機会がなく、多くは九五式ハ号車の後継車として使用されたに留まった。
 また、クリスティー式懸架装置を搭載したケニB車も試作されたが、期
待したような性能を発揮できず、信頼性では帝国製の圧縮コイルリンクア
ーム式が格段に優れているとして、量産には到らなかった。
 ケニ車の車体をさらに滑らかにして搭載性を向上し、また砲を高初速型
としたものが二式ケト車である。対米上陸戦に向けて生産され、世界で初
めて運用された空挺戦車として活躍し、歴史に名を残した。
九七式中戦車(チハ車)
 大戦勃発時の主力中戦車だが、他国の軽戦車レベルの性能でしかなかっ
た。既にノモンハン事変で脆弱性を露呈していたが、大戦初期においては
南方の植民地軍の装備が貧弱であった為、活躍する事ができた。
 中戦車としては欠点の多い車両であったが、大戦後半は自走砲タネ車と
して多用された。

一式砲戦車/一式自走砲(ホニ車)
 帝国陸軍初の本格自走砲。7糎半型(ホニI)と、10糎型(ホニII)があり、
他の車両同様、配備部隊によって呼称が異なる。タネ車は九七式チハ車。
 もともと対戦車車両ではないが、大口径の砲で装甲車両を圧倒できる事
が判明し、昭和17年から実戦配備を開始。その一方で改良も続けられ、昭
和18年にはホニIIの砲塔を全閉型としたホニIIIが開発された。

一式中戦車(チヘ車)
 九七式を母体に、全溶接構造、高初速47粍砲とした中戦車。チト車と並
行開発されていた車両だが、昭和18年に生産可能となったため、製造が開
始された。しかし、四式チト車までの間に合わせ車両としてしか存在でき
ず、ニューギニア防衛に少数が配備されただけに留まった。
 また、ホニ車にかわる全周型砲塔を搭載する対戦車車両として、七五粍
大型砲塔を搭載したチヌ車が三式中戦車として制式化されたが、こちらも
チト車の生産開始にわずかに早かったに過ぎず、量産はされずに終わった。

二式砲戦車(ホイ車)
 歩兵直協用に、九四式山砲をベースとした短砲身曲射砲を搭載した自走
砲。開発そのものは一式ホニ車より早い。射程は短いが、開放型半固定砲
塔のホニ車に対し全閉型全周砲塔をもっている。タネ車は九七式チハ車。
 制式化された後、すぐには量産されなかったが、重量化した四式チト車
の代わりに駄載山砲にかわる装甲歩兵直協車が必要とされ、昭和18年から
本格製造が始まった。
四式対空戦車(タセ車)
 九五式ハ号車に二〇粍対空機関砲を搭載した帝国陸軍初の対空戦車。特
急開発の混乱のため、搭載銃の「ソキ」がこの車両の名称として出回って
しまったが、実際には「タセ(I)」車である。
 パナマ上陸戦から参加、一直線に突っ込んで来るP-47サンダーボルトに
対し威力を発揮。
 九五式ハ号車のタネ車がつきた為、後にケニ/ケト車の車体をタネ車と
したタセII車に製造が切り替えられる。

四式中戦車(チト車)
 昭和12年に開発が開始された重装甲戦車。主砲には八八式高射砲を軽量
化したものを搭載し、装甲厚75粍も他国の主力戦車に対しひけを取らない
ものとなった上で、九七式譲りの信頼性を保持した画期的戦車。
 量産は昭和18年末頃に整えられたが、新機軸を大幅に盛り込んだ車体で
あった為、制式化は昭和19年に入ってからとなった。しかし、実際には昭
和18年中には部隊配備が開始されている。
 当初は試験的に採用された半鋳造砲塔の生産性が悪かった上、電動砲塔
であるにもかかわらず、従来の戦車と同じく砲手席が砲塔と別に固定され
るなどの不具合も多かった。
 昭和19年中頃から生産された後期型では帝国ではむしろ技術的に確立さ
れた全溶接砲塔に戻し、砲手席を砲塔側に固定した新砲塔車となった。

試製二四糎自走噴進砲
 砲塔の壊れた戦車に、試製四式(のち五式)二四糎噴進砲を開放式砲塔、
というかほとんどそのまま3門溶接して自走砲にしたもの。昭和19年頃か
ら突撃砲として多用されたが、廃品利用でタネ車もまちまち、遂に制式名
称は与えられなかったと言う珍兵器。米兵はこれを「ヒロヒトのオルガン」
「バッブリー・ワッヴリー(赤ん坊の癇癪)」などと呼んで恐れた。
五式中戦車(チリ車)
 米軍のM26重戦車に対抗するべく、チト車をさらに拡大し、主砲に九九
式高射砲を搭載した上、三七粍副砲も備えている。昭和20年に制式化され
るも、発動機出力不足の問題が解決できず、また内地で鉄道輸送ができな
いという欠点があった上、チト車の後期型より先に設計が確定した為、砲
手席付砲塔も未採用と問題が多く、結局四式チト車の生産拡大が選択され
量産に到らなかった。
 スーパーチャージャー付きディーゼル発動機の実用化にともない、チト
車で得られた経験を生かして改修されたチリ改が実験的に製造されたが、
試験運用中に終戦、大東亜大戦には間に合わなかった。
 戦後に中国動乱さなかの汪兆銘政権に貸与するため、量産されている。


 他になんかあったっけ? 補完キボンヌ。
327名無し三等兵:03/06/26 21:10 ID:???
>先述のパーシングも撃破した車両を調べたら少年兵の死体ばかり出てきて
>立ち会った戦車隊の指揮官が敵とはいえ思わず落涙したらしい・・・。

 訓練もロクに受けていなかったから、コロラドの反攻作戦では、我が軍の
“速射砲回廊”陣地にマトモに突っ込んで50発以上の47粍を受けて、擱座し
た車体も多かったとか……
 放棄された車体を調べてみたら驚愕、そのM26には榴弾しか搭載されてい
なかったんだと。始めから重装甲だけを頼りに我が軍陣地に突っ込んで、刺
し違える事だけが目的だったようだ。

 何でこんな話知ってるかって? その速射砲連隊の連隊長が俺のダチの祖
父さんだったんだよ。それを見たとたん、人間らしい感情が壊れた気になっ
て、終戦まで治らなかったと言っていたよ。

 我が軍も熟練工の流出をさける為18年頃から志願制女子部隊を採用したが
……訓練をしっかりとやった上での話だからな。
328名無し三等兵:03/06/26 22:35 ID:???
>>326
五式中戦車チリと同チリ改は大東亜大戦中は四式中戦車チト車の量産優先で
本格的な量産は見送られたが、とにかく倒しにくいパーシング戦車への対策と
米本土に迫りつつあった独逸の重戦車軍団への牽制の為に独立戦車部隊として
大隊、中隊単位である程度の数が生産されて停戦間際に投入されていた。

試作品だけに慢性的な交換部品と弾薬の不足に悩まされていたようだが
選抜された戦車乗員と整備員の尽力であれだけの活躍をしたから尊敬するよ。


そういえば鹵獲したり遺棄された工場にあった米軍の火器や車両を修理、改造して
大暴れした部隊があったってマジ?
329名無し三等兵:03/06/26 22:49 ID:???
カタログデータ的にはぱっとしないけど、M4シャーマン系の米軍戦車は
機械としては信頼性・保守性・生産性など総合的に考えると優秀戦車
だったと思います。
対ソ援助用に大量に作ったのが太平洋・大西洋の支援ルートを完全に封鎖
されて在庫の山をかかえ、当時は米本土が戦場になるなんで夢にも思わず
生産を縮小したため、44年に本土が脅かされたときには航空機やトラック
の生産拠点に転換されてた工場の再転換やら富嶽の空襲やらで、本来の
生産力の1割程度しか発揮できなかったとか。さすがに数で10倍にも
なると多少の性能や腕の差では押し切られてしまったかもしれません。

まあ、制空権を完全に日独側が押さえていたのだから、実戦では結局
キ109(陸軍名「飛龍」海軍名「銀河」に75ミリ砲を積んだ重装甲
対地攻撃型)や、噴進弾を満載した陣風、Ta152C/R4に
戦車撃破章を大量に提供するだけだったかもしれませんが。

それにしても、数量的には日本の戦車の相当量は元満州フォードの系列
工場で生産されていたのだから、満州事変への協力で追放された米系
役員たちはどう思ったでしょうね。
330名無し三等兵:03/06/26 22:53 ID:???
>>328
鹵獲車両の話は良く判らないが、ロスの工場でM3スチュアートの車体を、
タセ車に準じた装備にして日本軍が受領したって話なら知ってる。

「俺達は代金を払ってくれるならアメリカ軍でも日本軍でもかまわない」
って話だが、要は肉体労働者は有色人種が多かったってのが背景にあるんだよね。
331名無し三等兵:03/06/26 23:28 ID:???
なんとも評価に苦しむのがT−34。傾斜装甲とか簡素な構造に
当時としては強力な武装とか、傑作戦車になる可能性は十分だったのは
周知のとおり。
それが、ソ連の41年はじめの欧州侵攻で、たった一ヶ月かそこらで
ぼろ負けして大量に投降者を出したものだから、その責任を押し付け
られて鋳潰されて鈍重なKVの原材料に回されたおかげで実力は発揮
できずじまい。あとから85ミリ砲搭載型を開発したときには戦況は
とっくに手遅れ。

本当の敗北の原因は数年前の大量粛清のせいなのは一目瞭然なのに、
戦争をはじめた後だっていうのに現場の指揮官や参謀クラスをまた粛清
したりするものだから、軍の士気は地におちるわ、前線でドイツ側に寝返って
反スターリンを叫ぶ部隊が続出するわ、最後までいいとこなしでソ連が
消滅したものだから、ソ連戦車って主砲の口径とか装甲厚とかのスペック
だけは優秀だけど戦歴は全然ぱっとしない
332名無し三等兵:03/06/27 00:32 ID:???
>328
>そういえば鹵獲したり遺棄された工場にあった米軍の火器や車両を修理、改造して
大暴れした部隊があったってマジ?

うちの爺さんから聞いた話だと、米軍から捕獲したM2式重機関銃、M1式騎銃、BAR自動銃、トンプソン式短機関銃、コルト式45口径自動拳銃は誰もが目の仇にして奪い合うように使いたがったそうだ。
特にM2式重機関銃は威力が大きいので人気があったらしい。なにしろ結局M2式重機関銃は武式重機関銃として帝国陸海軍が採用してしまった程だし。
代わりにM1式小銃は九九式半自動小銃や四式突撃銃と比べたら装弾数が少ないとか使いにくいとかで人気無かったそうだ。
M1919式機関銃も重い割に当らないからこれも人気無かったそうだ。

333名無し三等兵:03/06/27 01:13 ID:???
>>331
無線機が指揮車にしか付いてなかったってのは有名だな。

っつか、多少分厚いところで垂直面ばかりのKVじゃ、
側面狙えば37粍でも撃破可能だぜ。
赤軍も何考えてたんだか。
334名無し三等兵:03/06/27 01:16 ID:???
>>329
おっと。
北米東部戦線ならイタリア空軍のブレダBR.65bis3艦載型も忘れちゃいけないぜ。
335名無し三等兵:03/06/27 03:29 ID:???
トムクランシー=西機関のコードネーム。
プレイボーイは公開指令書。
Misuteru Yaoiのその本は西機関の暗号書代わり。
さて・・・公安に出頭するか。

 これだけのことを喋ったらまず死刑かな・・・
336名無し三等兵:03/06/27 03:36 ID:???
>>335
いや……鉄格子の中だろ。
ただし刑務所じゃなくて 精  神  病  棟 な。
337名無し三等兵:03/06/27 03:45 ID:???
そういや脳味噌を切除する外科手術が東米やドイツのゲシュタポにあったよな・・・。
一発で廃人だけど。
338名無し三等兵:03/06/27 04:32 ID:???
>>337
精神病棟2人目……東映や日活のB級映画見過ぎだおまいら。

まぁ、洗脳手術と称される過激な投薬はあったらしいがな。
339名無し三等兵:03/06/27 17:54 ID:???
>>334
最初は水上機ともども不足していた独軍の洋上航空戦力の穴埋めとしての参加で
あまり期待されていなかった。
防空戦のみならず独伊軍艦隊を襲う米軍の魚雷艇狩りに従事、独軍地上航空隊進出後も
対地支援までやってのけたのはイタリア飛行機乗りの面目躍如。

サンマルコ海軍歩兵連隊の活躍といいイタリアは巷の評判の割にはいいとこどりだなw
340名無し三等兵:03/06/27 18:00 ID:???
イタリア軍と言えば、敵の通信傍受を逆手にとって罠にはめたことがあったな。
乾燥地帯のど真ん中で「我が部隊はパスタの茹ですぎで真水が不足している。」と
打電して進撃を停止し、好期と見て襲いかかってきた敵装甲部隊を逆襲で突き崩した
というまるで冗談のような話が。
巷の評判を逆手にとるなんてラテン民族はあなどれないね。
341名無し三等兵:03/06/27 18:58 ID:???
>>339
なんといっても「グラーフ・ツェッペリン」の竣工が結局間に合わなかった
ドイツは、ケベック本土からだけじゃ洋上航空戦力を確保しきれなかったわけだしね。

それに戦闘機のMC.200サエッタといい、
性能はともかく脚が頑丈な機体が多かったおかげで、
イタリア空海軍は空母2隻をすぐに使う事ができた。

ベストは当然、我軍のように専用の艦上機を用意する事なんだが……
もし「ツェッペリン」が竣工していたとしても、
Me109Tじゃ「離着艦で壊した方が多い」シー・ファイアや
F4Uの二の舞いになっていただろうね。
(もっとも、F4Uは艦上機として設計されたはずだが……)

イタリアの航空技術って結構バカにできない。
エンジンの性能が伸び悩んだおかげで、低武装に甘んじてる戦闘機も多かったけど、
4発大型爆撃機は(輸送機改造のFw200を別にすれば)枢軸軍では実は
イタリアのピアッジョP.108だし。
342341:03/06/27 18:59 ID:???
×イタリアのピアッジョP.108だし。
○イタリアのピアッジョP.108が初だし。

すまか、吊ってくる。
343ゆうか ◆9a1boPv5wk :03/06/27 19:00 ID:pjRj066z
>>339-340
イタリア兵は個々人や小チームの武勇伝には事欠きません。
個人の機転がものを言う状況では世界最強かもしれません。

敵地に潜入し、軍司令官の娘を寝取って機密情報を聞き出した某少尉とか、
散々通商路を荒らしておいて、進退窮まるや第一種軍装で降伏を申し入れた某潜水艦とか、
他国ではちょっと考えにくいような伝説がいっぱいです。
344名無し三等兵:03/06/27 20:17 ID:???
>>331
投降した反スターリンを唱えて寝返った白ロシア人をはじめとする諸民族からなる
外人部隊の活躍も目ざましいね。本当にT−34を活用できたのは彼らだけだったし。
まあルフトバッフェに制空権を握られたら重戦車や重突撃砲も形無しなんだが。

>>341
F4Uは結局製造コストと訓練不足がネックになって本領発揮できなかった機体だろ、
戦艦建造を優先したせいで気付いてみれば本来乗せるべき大型空母が無かったのも一因。
何だっけ、いよいよ米本土が危なくなった時に大慌てで空母に改装したはいいが
回航中に潜水艦に沈められた艦は?

この機体もF8Fとともに鹵獲と現地生産分を一時的に加州防衛に使った後、
大陸や南方の各国に供与されて対地攻撃機に使われたね。
345341:03/06/27 20:39 ID:???
>>344
アイオワ級3番艦ウィスコンシン。
ちなみに雷撃したのは連絡任務中の伊−三五二潜
346名無し三等兵:03/06/27 21:11 ID:???
>>345
わずか10日の命だったらしいな。
沈めた潜水艦長、後日連絡任務を終えて意気揚揚と司令部に報告に行ったらこの少し前に
上空を飛んでいた偵察機の報告によって大型タンカーと訂正されていた。
艦長は頭にきて「沈めたのは正真正銘空母だ!!」とあわや大喧嘩というおまけがついた。
(戦後真相が明らかになってきちんと戦果として認められた。)

>>323=326
あと五式対戦車砲U型装備のナト車がぎりぎり実戦に間に合ったかも、
十糎(105粍)砲を装備した砲戦車(駆逐戦車)カト車、ホリ車は間に合わなかった。
用途や性能から言って米軍というより独逸戦車を意識したのは明らかだろうな。
347名無し三等兵:03/06/27 23:45 ID:???
ところで「悪魔の飽食」は、もう読んだか?
中国人捕虜や黒人を使って、生体実験を行ったというアメリカ陸軍の
ストーン・ウェル部隊の悪夢。

何でも、その生体実験の資料を我が国に差し出すのと引き換えに、
アトランタ裁判でも戦犯として告発されるのを、まぬがれたのだとか。
反吐が出るような話だよ!
348345=323:03/06/28 00:02 ID:???
>>346
 ついでに、連絡任務中(もともとイ三五二は隠密作戦用の輸送潜水艦)に
攻撃やったもんだから訓告処分。


っつーわけで、
>>323-326補足。

一三年式七糎半自動車高射砲(HT車)
 一一年式七糎半高射砲を商工省標準型六輪トラックに乗せて造られた、
帝国陸軍初の自走砲にして、世界初の自走高射砲。
 技術陣の顔をたてる意味で採用されたが、当初は運用側が日本の自動車
技術に懐疑的なので少数生産されたに留まった。
 ところが、ノモンハン、日華事変と航空機が戦況を大きく左右する時代
になると、搭載砲は旧式だが簡便な移動が可能だと言う事で目を付けられ、
たちまち引っぱりダコに。九四式六輪自道貨車をタネ車として、生産が再
開された。結果的に大東亜大戦に参加した世界最古の戦闘車両だが、それ
は技術陣の先見性と当時の上層部のそれのギャップを示していると言える。

五式七糎半高射砲戦車(ナト車)
 もとは水平射撃によって重戦車を撃破する事を目的として、「試製七糎
半自走対戦車砲」として開発がすすめられていた。しかし、水平射撃をや
るにはかなり無理のある構造で、結果的に対戦車車両としての開発は放棄
された。
 そこで、搭載砲の試製三式(のち五式)七五粍対戦車砲II型の原形が四式
七糎半高射砲であることに目をつけ、大正12年依頼の一三年式にかわる自
走高射砲として採用される事になった。しかし、多くの「五式」兵器同様、
少数が実戦配備されるに留まった。
349名無し三等兵:03/06/28 00:15 ID:???
>>335
西男爵(後に侯爵、栄典廃止後は中央情報省大臣) 著「諜報の基礎」

によれば、「貴重な情報は冒険小説などに隠すのが通常であるが、それは全店頭に並んでから4日後に
つまり、発売から20日以内の限定的な暗号書とする」とある。
 その一つだったんだろう。もう賞味期限切れだ。
350名無し三等兵:03/06/28 00:16 ID:???
>>347
移民日本人・日系人も犠牲になってるぞ。

 で、その取り引きに応じた参謀本部に嫌気がさして、「皇軍の威信地に
堕ちたり」つって辞表叩き付けたのが、映画「今村電錐軍団」でも有名な
栗林忠道中将。
351名無し三等兵:03/06/28 02:38 ID:???
アラマッキー・サーモンの「ディープブルーフリート」「星条旗艦隊」
や、スィモーダー・カゲキンスキー著「クトゥルーの艦隊」が話題に
なっていたけど、我が国にもそれ以下の馬鹿小説があるな。
荒馬茅野の「第7の空母」が。
アメリカ大平洋艦隊に配備される予定だった、モンタナ級五番艦の
改装空母アパラチアが、途中北極海で氷山に囲まれて遭難。
しかし肉食民族のアメリカ人は、白クマやトドやアザラシを食って
生き延びて、地球温暖化で氷山が溶けた現代において復活。
モンタナ級は大戦当初1番艦もまだ竣工してなかったぞとか、アメリカ
戦艦は州名をつけるのが決まりだとか、そういう軍オタお約束の突っ込み
も馬鹿馬鹿しい駄作だよ。

352名無し三等兵:03/06/28 03:01 ID:???
年表見たけど、太平洋戦争の天王山となった、ラバウル争奪戦が
省略されているのは不満だなあ。
事実上、この戦いでの消耗が、太平洋戦争の帰趨を決したと
言ってもいい。
日本もアメリカも、激しい航空戦を展開するのだけど、戦場と
なったラバウル上空の戦闘自体は互角でも、航続距離の長い
日本機は生還率が高かった。
アメリカのほうは生還率が低く、帰途の遭難事故のほうが、戦闘
での被撃墜数の10倍にもなったらしい。

戦況不利になりながら、選挙民対策としてどうしてもラバウルを
放棄できなかったアメリカ軍は、地上部隊の逐次投入を繰り返し、
とうとう輸送艦が不足して駆逐艦や潜水艦で物資を輸送するという
「マウスキャリアー作戦」を取るのだけど、これが貴重な物資と
戦力を無駄遣いする結果に終わってしまった。
ただ、我が軍は駆逐艦を輸送に使う、アメリカ軍の贅沢ぶりに
驚いて、輸送艦に比べ遥かに高速な駆逐艦輸送部隊を「ニューヨーク
特急」と呼んでいたそうだが。
実際、30ノットの高速駆逐艦部隊は、一度は我が日本の巡洋艦を
含む艦隊を撃破してしまうくらいの勢いだった。
ただ、その駆逐艦部隊を率いたアーレイ・バーグ提督は、マウス
キャリアー作戦に対して批判的だったので、左遷させられてしまった
けど。
353名無し三等兵:03/06/28 03:40 ID:???
>>352
前スレだか前々スレで語られてたよ。

 で、その最中に帝国陸軍機の空襲を黙らせる為、ノースカロライナ級2
隻でウエワク夜襲をやったわけだ。
 成功はしたが、その報復に「ニューヨーク特急」狩りに扶桑級2隻が出
てくるとは思っても見なかったんだろうな。

「ニューヨーク特急」は目的地の遥か手前で引きかえせり、か。
354名無し三等兵:03/06/28 21:01 ID:???
>353
ソロモン方面の夜戦ならむしろ3日連続夜戦やった第3次ウエワク沖海戦だろ。
初日なんか突入直前の混乱でワシントン、サウスダコタが先頭切って突入しちゃって
まさか戦艦が先頭に、って思わなかった日本艦隊も大混乱。結局ワシントンは撃沈したけど
サウスダコタは無傷で日本艦隊はほぼ壊滅したんだよなぁ。

で、その翌々日、再突入したダコタに対して日本艦隊は大和、武蔵で迎撃。
ダコタの初撃で副砲塔粉砕された大和が思いもかけず大破したものの、武蔵の砲撃で
結局ダコタは一方的に沈没。結局、その時の損害がきっかけで米艦隊の夜間行動が
えらく下火になった、と・・・・・・
355名無し三等兵:03/06/28 21:29 ID:???
>>354
ソロモンっつーか西ニューギニアだな。
ソロモンまで攻め込んでいたら、
あの時点では補給が追い付かなくてジリ貧だったろ。
やはり、ミッドウェイで負けを認めたのが転機だったんだな。
356名無し三等兵:03/06/29 01:22 ID:???
>>352
日本機・・というかパイロットの生還率が高かったのは、救難に当たった
2式大艇と、カタリナの性能差も大きいよ。
滞空時間が長くて、まる1日捜索が可能。大型で外洋でも離着陸可能。
搭乗人員(見張り要員)が多く、遭難パイロットの発見率が高かった。
などなど、救難を目的に設計された飛行艇ではないのに、救難が目的
だったカタリナを上回っていたから、凄いもんだ。
357名無し三等兵:03/06/29 01:35 ID:???
離着陸?離着水だろ。
358名無し三等兵:03/06/29 03:33 ID:???
>>356
あと、対陸上/艦上機で戦える武装と防弾も重要だよ。
カタリナなんか一〇〇式「呑龍」と撃ち合って落とされた機もあるそうじゃないか。
359名無し三等兵:03/06/30 03:50 ID:???
捕獲した米軍の爆撃機や輸送機に機関砲や大砲を積んだ地上掃射機が初投入されたのは加州戦線でよかったっけ?
悪魔のワゴンホイールとかあいつが飛んだ後は草も生えないと言われて米兵に恐れられたそうだけど。
360名無し三等兵:03/06/30 12:34 ID:???
>>352
ラバウル争奪戦においては、地味ではあるが、現地部隊が食料の自給自足
作戦を行ったのも、勝因のひとつらしい。
司令官から兵士に至るまで、日本食を諦め、現地調達の食料で自活した
という話。
本来なら食料の質が落ちれば士気が落ちる事だが、当時の日本軍は
将官、士官、下士官、兵士で、食事のランクに差がひどく、攻撃機の
乗員の士官と下士官で弁当にも差があるという体たらくだった。
それが、将官から兵士まで、皆一緒の食事を取るようになったため、
階級を越えた一体感が生まれ、士気が大いに高くなったのだとか。
この事が大本営に報告されて以降、階級による待遇差別も随分と改善
されたという。
361名無し三等兵:03/06/30 23:38 ID:???
>>350
栗林中将は今でも人気ですね。当時から頭脳明晰、人格者で部下から慕われていたし。
文人肌だったので参謀本部の受けはあまり良くなかったみたいですが・・・。

映画「今村電錐軍団」で語られる指揮ぶりが有名ですがコロラド作戦の折
米軍の「コロラドの守り」作戦が発動し我軍が総崩れの危機に立った際。
一番攻撃が集中した突出部に配属され米軍反抗の情報から入手した中将が
地雷、速射砲、野砲、高射砲を組み合わせた回廊からなる陣地を構築し、
米空陸の猛攻に対しても自ら陣頭に立ち持久作戦の指揮を採ったのは有名な話。

これで時間を稼いで布石であるバロン西率いる四式戦車を中核に構成された
快速機甲部隊。通称「西支隊」が米軍本隊の後背を突いて米軍を突き崩すきっかけに
なったのだからやはり栗林中将は名将だったと思うよ。

>>359
元爆撃機だったか司偵の搭乗員だった親戚の話によるととにかく大量に機体と
機銃や速射砲、あと弾丸が鹵獲できたので整備員と搭乗員が知恵を絞って作った
改造機が大半らしい。「陛下からお預かりした兵器」ではなく「戦利品」なので
惜しみなく使って良しという雰囲気だったみたいだし。
対空、対人用にトラックに機銃をハリネズミのように装備した車両も有名だね。
362名無し三等兵:03/06/30 23:54 ID:???
>>360
いやいや、「地味」ではなく、食料現地調達が一番の勝因と言っていい。

米食民族である日本人の大便の量は、アメリカ人のそれの4倍にもなる
らしい。
アメリカ軍は日本軍の便所の大便の量を偵察して、兵力を推測して
いたのだけど、上記の大便の量の違いは、よく知っていた。
ところがその時の日本軍は、現地食料調達により、米の消費量が激減
しており、当然大便の量もかなり減っていた。
お陰でアメリカ軍は、日本軍の兵力を過少見積もりしてしまい、それが
戦力の小出しの逐次投入という、愚を犯す結果となった。
363名無し三等兵:03/07/01 05:14 ID:???
あと、ラバウル戦では、
「鳴子」が威力を発揮したらしいね。
ほら、時代劇とかで、絵馬みたいな板に小さな板をぶら下げて、
縄に吊るしておくやつ。

密林の中で動く米兵は、これに何度も足を取られて、
皇軍の銃撃を浴びてるよ。
364名無し三等兵:03/07/02 21:06 ID:???
なんか誰も書き込まなくなっちゃったのでage
365名無し三等兵:03/07/02 21:15 ID:???
日本とアメリカずっと仲悪かったら、
スクーターがアメリカで生まれなかったし、
マイクロプロセッサは生まれなかったし、
ウォークマンも生まれなかったし、
アタリショック後、家庭用ゲーム機は復興しなかったし....
366名無し三等兵:03/07/02 21:28 ID:???
こんな惨めったらしいスレは立たなかっただろう。
367名無し三等兵:03/07/03 01:47 ID:???
USSDFがイラクに派兵するそうだけど、装甲車両にオントスを持っていくらしいね。
どうせだったらちゃんとした戦車持って行った方が良いと思うのですが。
368名無し三等兵:03/07/03 02:06 ID:MJ851WlR
USSDFのは特車
369名無し三等兵:03/07/03 03:05 ID:???
>>361
ちなみにブローニング12.7粍は陸軍ホ−103の母体だから、
ホ−103の弾丸が使えたんだよな。
370名無し三等兵:03/07/03 11:10 ID:???
いい加減現実を見ろよ。
惨めったらしいたらありゃしない。
371名無し三等兵:03/07/03 11:31 ID:???
ドイツがロシア落とすのが必須だよね。
それはそれで悪くないかもしれない。
372名無し三等兵:03/07/03 15:14 ID:???
ネタをネタと楽しめない惨めったらしい370がいるスレはここですか?
373名無し三等兵:03/07/03 16:52 ID:???
これは西米の方でしょう。
前スレでもChannel2から書きこみがありましたよ。
374名無し三等兵:03/07/03 19:02 ID:???
まぁ西米つーか、合衆国は阿呆が多いからな。
そんなだから米国統合後に東米の奴らに圧倒されるんだよ。

 東米は思想はDQNだが倹約の精神があるからな。
 それに引き換え西米は・・・まったくもって無駄遣いしすぎ。

 循環型社会と再利用の倹約発想を「内政干渉」としてゴミを垂れ流しつづける馬鹿ばっかだからな。
375名無し三等兵:03/07/03 21:35 ID:???
学研から先日発売された「呑龍・一式陸攻・連山」はお勧め。
特に開発経緯が興味深かったので、簡単に内容を紹介。

試作のみに終わった七試大攻により四発爆撃機に関する基礎データを取得。
昭和11年からの満州事変で、満州軍所属の九六陸攻、九七重爆が在満米軍との
交戦で大損害を出したことから、昭和12年に後継機の開発が指示された。
航続距離、防御火器、防弾装備などの要求を満たすための四発機と、早期に
戦闘に投入できる双発機の両方が求められ、前者が陸海軍統合計画となり
十二試陸攻として開発が開始された。
開発にあたっては米国のB-17を多分に参考としたが、火星発動機が早々に安定して
1800馬力を発揮し、開発時期の差もあって全般的に一段上の性能を示した。
昭和15年「陸軍百式重爆 呑龍」、雷撃可能とした海軍型が翌年「一式陸攻」
として採用。大戦中を通じて大活躍する。昭和14年には、対米開戦必至と見て
十四試重攻(後の富嶽)の開発が始まっていたが、大戦に間に合うか疑問視する
意見もあり、次々に改良型が製作された。2200馬力の火星二五型を搭載、武装強化、
航続距離延長のための主翼変更など大幅に設計変更された二四型が昭和18年に
配備され、「連山」という海軍名が与えられて大戦後半の主力となった。
戦後には連山をもとにした旅客機も開発されたが、噴進化の流れに伴い、短期間
使用されたにとどまった。
376名無し三等兵:03/07/03 21:36 ID:???
余談その1
陸海軍統合計画では、主力戦闘機(海軍の零式艦上戦闘機と、陸軍の一式戦闘機)、
単発爆撃機(海軍の九九艦爆と、陸軍の九九襲撃機)、陸上偵察機(海軍の一式陸偵と、
陸軍の百式司偵)などが対象となったのはよく知られているとおり。

余談その2
双発爆撃機の統合は、四発爆撃機優先の方針から、当面は1500馬力級の発動機への換装、
武装強化などでしのぐこととなったため、新型機(陸軍名「飛龍」海軍名「銀河」)の
実戦配備は昭和18年まで遅れた。もっぱら九六陸攻は対潜哨戒、九七重爆は輸送用に、
どちらもほぼ完全な味方制空権のもとで使用されるようになっていたため、戦闘による
損失は満州事変当時に比べ極めて小さかった。
377名無し三等兵:03/07/03 21:37 ID:???
余談その3
ドイツでは昭和11年にヴェーファー将軍の死亡に伴いウラル爆撃計画が中断され、
Ju89計画は輸送機としてJu90に切り換えられたが、昭和14年にイタリアのピアジオ
P.108、日本の十二試陸攻があいついで初飛行し、高性能を示したことから、急遽
爆撃機として再度見直され、昭和15年にJu290として採用された。
He111/177、Do17/217の生産・開発は整理対象となり、爆撃機は双発のJu88と四発の
Ju290に絞って大量生産された。ノルウェーやフランス沿岸を拠点に、対英海上封鎖、
対ソ援助船団攻撃に活躍した。中東・中央アジアの油田地帯を確保して燃料事情が
好転した昭和18年以降は、高高度からの戦略爆撃によりソ連の生産力を崩壊させた。
なお六発の発展型Ju390は、日本より一足早く、昭和19年春には北米東岸に対して
爆撃を開始したが、護衛戦闘機が随伴できないため大きな損害をこうむった。
このため、パナマ海戦で米艦隊が事実上壊滅し、空母(グラーフ・ツェッペリン型、
アキュラ型)艦載機による護衛がつくまでは米本土爆撃は中断。
その間、「ミステル」計画と呼ばれた護衛戦闘機搭載型Ju390なども検討されたが、
これはのちに空中給油機というアイデアに生まれ変わることになった。
378名無し三等兵:03/07/08 11:09 ID:WnyQljPU
ふっかつ
379名無し三等兵:03/07/08 13:01 ID:???
ちょっとだけ巻き戻ってるね。
九六式陸上攻撃機(三菱G3M)
 日華事変の時期から活躍した、大東亜大戦での代表的双発陸上攻撃機。
雷撃を主目的とした双発機である。
 大東亜大戦に参加したのは二二型から。陸海軍戦時機種統合と、一二試
中攻の4発化(後述「一式陸上攻撃機」参照)により、旧式ながら改良しつ
つ製造が続けられた。開戦直後に同機最後の大幅モデファイとなった三四
型では、燃料タンクの消火装置や胴体後部下面の20粍動力銃塔等が追加さ
れた。しかし、それでも戦闘機の高性能化には追いつけず、味方の圧倒的
制空権下以外での行動は危険をともなうようになり、4発機や高速中型機
と順次交代、第一線を退いていった。なお、三四型以降の製造は全て渡辺
鉄工所及び満州飛行機。


一式(大型)陸上攻撃機(三菱G5M)
 元は一二試中型攻撃機(G4M)として、双発機として開発がすすめられて
いた。しかし、海軍の過大な要求には双発での実現は難しいとして、三菱
の本庄李朗技士が4発案を逆提案し、海軍がこれを受け入れた。開発中は
一二試中攻のまま進められたが、制式採用時に「4発で中型と言うのはい
かがなものか」という理由からG5M・大型陸上攻撃機に振られた(4発とし
ては本命の一三試大型攻撃機(中島G5N「深山」)が上手く行かなかったこ
とをカムフラージュする意図があったとの説もあり)。
 形態としては米B-24や英スターリング等に近い箱型胴体の4発機だが、
搭載力は魚雷×2もしくは爆弾2.4トンで、諸外国の4発機に比してやや
小さい。その代わり長大な航続距離と7.7粍(のち12.7粍)×10、20粍×4
の防御火力、そしてそれまで日本機としては異例の防弾性能で活躍し、連
合軍からは「イエロー・フォートレス」(自軍のB-17フライング・フォー
トレスになぞらえた)と呼ばれ恐れられた。
 後継の「連山」の制式化にともない生産は縮小されたが、終戦まで第一
線で活躍している。また、陸軍でも少数だが運用され、二式重爆撃機「蒼
龍」の制式名が与えられている。
二式陸上爆撃機(中島G6N/キ−49)
 日華事変で九六陸攻の敵戦闘機による被害に悩まされた海軍は、陸海軍
戦時機種統合の折り、戦闘機のキ−61とともに、高速・重武装爆撃機とし
て陸軍が既に採用していた一〇〇式重爆撃機「呑龍」を対地攻撃用として
採用することとなった。九六式に替わる双発爆撃機として第一線に配備さ
れていったが、航続距離が九六式の約半分である為、あまり活躍の場を得
られずに終わっている。ただし、陸軍の一〇〇式「呑龍」はウェワクから
のラエ・ラバウル空襲で多大な戦果を上げており、決して本機の設計その
ものに問題があったわけではないことを追記しておく。


陸上攻撃機「連山」(中島G8N)
  一式陸上攻撃機の高性能に自信を得た海軍が、その後継として、さら
に高々度巡航能力の付加と高速化を目論んで一六試大型陸上攻撃機として
三菱と中島に試作を指示、一式の改良と生産拡大に努める三菱が競作から
降りた結果、中島機が採用されることになったものである。双発レベルの
性能向上から出発した一式と異なり、搭載力4トンまたは魚雷×4の本格
的大型攻撃機となった。
 当初は高速化と高々度性能の向上に主眼が置かれ、雷撃性能はスポイル
されてもやむを得ないとの要求だったが、その操縦性のよさから雷撃も可
能となった。一方で発動機は希少鉱物であるモリブデンの不足から当初予
定されていたターボチャージャーは断念され、量産型は機械式過給器とな
っている。
 なお、米本土戦略爆撃の幕を開けたシアトル空襲は、本機によるもので
ある。
陸上爆撃機/陸上攻撃機「銀河」(三菱G11M/キ−67,キ−109)
 陸海軍戦時機種統合によって採用された、中型高速攻撃機。ただし試作
指示はそれ以前で、昭和16年度に陸軍キ−67として開発が始まっている。
その当時の要求を上回る性能を盛り込んだ三菱の意欲作で、高速、さらに
は九六式陸攻並みの大きさでありながら多発戦闘機に匹敵する運動性能を
持つ。当初は雷撃能力を持たなかった為、二式陸爆と同じ事情で陸上爆撃
機「銀河」と称されたが、制式化後間もなく雷撃性能が付加され、晴れて
陸上攻撃機となった。
 大東亜大戦中の活躍は僅かだが、さらに中国内戦や南米動乱の時代にも
使用され、夜間低空侵入の高速レシプロ爆撃機として、多大な戦果を上げ
ている。
 また、良好な低空運動性を利した37粍固定機関砲装備の対戦車攻撃型も
製造されたが、海軍ではG9M-Mとしたのに対し、陸軍ではキ−109という新
形式が振られた。ただしこれは、海軍が陸戦隊支援用の少数使用であった
のに対し、陸軍は当然本格的な運用となったという事情も絡んでいる。
 なお、本機の陸軍での呼称は四式重爆撃機「飛龍」。
超大型陸上攻撃機「富嶽」(中島G10N)
 強制空冷28気筒発動機「昴」4800hp×6を装備。搭載力15トン、最大速
度715km/h、実用上昇限度17,500m……第二次世界大戦・大東亜大戦に投入
された、最大の超大型大陸間爆撃機。
 元々は中島飛行機の創立者・中島知久平が私的に研究開発を命じた「Z
飛行機」である。これとは別に、海軍も渡洋爆撃用の6発超長距離機を研
究していたが、それは既存の発動機を用いた、当時としては「地に足をつ
けた」性格のものに過ぎなかった。
 しかし、昭和17年に三菱の協力を得て「昴」発動機の実用化に成功する
と、海軍はその可能性を認めて一八試超大型陸上攻撃機として正式に試作
発注となった。
 その後の開発過程で、中島が当初予定した搭載力20トンは主脚強度の問
題等から15トンに減じられたが、それによる発動機出力に対する余裕は防
弾強化と防御火力の充実に振り向けられた。その数、実に30粍機関砲×2、
20粍機銃×16。
 中島武蔵野工場と満州飛行機大連工場で生産を開始、「連山」の下りで
も発生したターボチャージャーを機械式過給器に変更する改修が行われる
も、さらに川西、満州三菱の工場も動員され、終戦までに3600機余りが製
造され、米本土の主要工業都市に対する戦略爆撃に使用された。
 そして、8月6日と同9日には、人類初の原子爆弾投下にも使用されて
いる。
 さらに南米動乱の際にも第一線機として活躍しているが、この時には噴
進戦闘機の急速な発達により、既に「普通の爆撃機」でしかなかった。


いちいち再掲載スマソ……続いて艦上機編も。
九七式艦上攻撃機(三菱B5M)
 一〇試艦上攻撃機として、中島飛行機と競作になった機体。当初は九七
式二号と呼ばれ、引込脚を採用した中島の一号に対し、固定脚を装備して
おり、一回り大きめにつくられている。
 本来海軍は引込脚の中島機を本命とし、本気は予備的存在とていたが、
昭和14年のノモンハン事変が本機の運命を変える。大量の航空機を送り込
めなかった事が敗北の要因のひとつとされ、はじめての陸海軍機種統合計
画が行われ、のち昭和17年の戦時下統合に繋がっていくのだが、この時は
双方性能の差を主張しほとんど物別れに終わり、実戦機ととしてはほとん
ど唯一、統合されたのが本機と陸軍軽爆撃機だった。この際、陸軍側は単
発機の引込脚を嫌った為海軍側が譲歩する形で(三菱機の性能にも満足す
るものがあった為)九七式二号が以降の本格量産機となった。
 以後、開戦劈頭の真珠湾奇襲攻撃から第一次ミッドウェイ海戦、ニュー
ギニア攻防戦の途中まで六七型、出力向上・防弾強化型の七九型が活躍し
たが、その後は速度の不足が目立ち、後継機の「天山」に譲って第一線か
ら退き、その後は専ら対潜哨戒、陸戦隊直援等に使用された。
 なお、陸軍での本機の制式名は九九式軽爆撃機(キ−30改)。


九九式艦上爆撃機 一一型〜二二型(愛知D3A1〜D3A2)
 九四式〜九六式と続いた愛知複葉艦爆の後継として、一一試艦上爆撃機
の名で試作された機体。丸みを帯びた機体と固定脚が特徴で、ダイブ・ブ
レーキは短冊型のものを主翼前縁に吊るす形態で装備していた。
 開戦劈頭の真珠湾奇襲以降、当時の熟練搭乗員の腕により概ね8割以上
と言う驚異的な命中率を誇った。しかし一方で旧態依存的な形態で低速と
言う事もあり損害も少なくなく、昭和17年劈頭に小改良と発動機の出力向
上を行った二二型が登場するも、さしたる性能向上はできず、大幅改修と
なった三五型以降に第一線を譲って退いていく。
艦上攻撃機「天山」(三菱B6M)
 一四試艦攻は当初中島の一社単独指名となっていたが、先の九七式艦攻
の経緯から三菱が競作に参加する事になった。
 三菱の開発陣は中島とのおよそ1年のブランクを埋める為、九七式を母
体に空的リファインした機体で挑戦した。これにより部品もおよそ半分以
上が九七式七九型と同一となった上、僅か1年半で設計完了、初飛行とな
った。
 性能は海軍の要求したものに及ばなかったものの、引込脚化、発動機ま
わりを中心とした空力改善で100km/h近くも速度を向上、しかもその上で
手動ながら燃料タンク消火装置も備える等、画期的機体となった。
 航空本部はこの時も中島機を本命視していたが、自社製発動機「護」の
改修に手間取っている始末で、しかも前面新設計の機体と一回り大きな発
動機を採用しながら性能は三菱機に若干勝る程度というていたらくだった。
結局問題も少なく直ちに量産に入れる三菱機が晴れて制式機となり、昭和
18年初頭から順次九七式と置き換えられていった。
 後継機「流星」は艦爆の置換えに優先された為、途中で発動機を14気筒
の「金星」から18気筒の「土星」に変更し大幅な性能向上を得て、終戦ま
で使用されている。
九九式艦上爆撃機 三五型〜五六型(愛知D3A4〜D3A6)
 当初空技廠に試作命令が出ていた一三試艦爆が後継として予定されてい
たが、これに予定していた水冷発動機「熱田」(独ユンカースJumo211Jの
国産・高圧水冷化)が二式艦上戦闘機(川崎AXS)に優先された為、頓挫する
形となってしまった。そこで既存の九九式の大幅改修が実行されたのであ
る。
 固定脚を同じ主翼桁に砲弾型格納装置を備えた引込脚に変更、ダイブ・
ブレーキも吊り下げ型からスノコ型の物を主翼に引込む形態に変更された。
これによって速度は420km/h前後まで向上した上で、発動機の出力余裕から
防弾タンクの装備、正面武装の強化(7.7粍→12.7粍)を実現した。
 性能は不足気味になりつつも味方の制空力に支えられて活躍し、後継機
「流星」の登場までを繋いだ。また、あまり知られていないが、中古払い
下げ機として戦後、タイ王国海軍に譲り渡された機体が、南洋動乱で活躍
している。


艦上攻撃機「流星」(愛知B7A)
 雷撃機と急降下爆撃機を兼ねる機体として、愛知に一六試艦上攻撃機の
名で試作発注された機体。主脚延長を嫌って逆ガル構造とした主翼、爆弾
倉を設けたなだらかな線が特徴的。
 艦上攻撃機に艦爆の「星」の名をつける事で両者を兼ねる事を示してい
たが、さらにF6FやP-47に匹敵する格闘性能も備えた優秀機であり、終
戦間際の昭和19年末から実戦に配備された。
 ひとつ残念な事とがあるとすれば、大東亜戦争中に就役した機体のほと
んどが、東海沖地震による三菱「土星」の生産遅延から、大口径の「火星」
を搭載した応急型と言える六六型で、その流美な線がぶち壊しになってい
た事である。
 大戦後も中国内戦や南米動乱で第一線機として活躍、未だ低空での性能
に難のあった噴進機を他所に「陣風」六七型と共にナチズム・ゲリラの掃
討に大活躍した。特に昭和41年6月10日のリオデジャネイロ近郊上空での
Ta283撃墜は本機の大きな逸話として知られている。
387名無し三等兵:03/07/08 18:47 ID:???
そういえば、今度の長崎の幼児殺害事件で長崎県警は西部軍憲兵司令部長崎
支隊に合同捜査の要請をするよう内定したそうだが真偽のほどはどんなもんなのかな
388名無し三等兵:03/07/08 21:48 ID:???
>>380-386
纏めお疲れです。
わが国はタイに向け九九式艦爆はもちろん米国からの賠償艦「メイン」(「バンコク」に改称)
あと退役した空母「日向」(改称名は失念)と色々な兵器を譲渡しているね。
今でも現役で残っているのはいるんろうか・・・。

そういえば渡辺鉄工所の飛行機開発部門の九州飛行機ってどうなってるっけ?
389名無し三等兵:03/07/08 22:01 ID:???
>>388
>あと退役した空母「日向」(改称名は失念)
「ラーマX世」ですね。
390名無し三等兵:03/07/08 23:01 ID:???
>>388
細川内閣以降の軍需不景気のあおりを受けて三菱重工に吸収されたんじゃ
なかったっけ?
391名無し三等兵:03/07/08 23:39 ID:???
378 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 16:25 ID:???
>>372
ネタとしても面白くないんだよ。
見てるだけで惨めになる。

379 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 17:39 ID:???
「面白くないなら見ない」という選択肢もない378がいるスレはここですか?

380 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 17:48 ID:???
>>377
ミステル計画>
日本の戦闘機はドイツ機に比べ航続距離が長かったので護衛戦闘機には困らなかったが
いかに鍛えた搭乗員も米本土への護衛任務はきつく損耗も無視できなかった。

この為護衛戦闘機を敵地上空まで輸送してやろうというドイツの妙案に影響を受け
我が国でも早速「富嶽」搭載用として確か「桜花」とかいう護衛戦闘機を試作していたね。

381 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 18:06 ID:???
見て惨めになるものをわざわざ見るというのもなあ・・・
西米には精神相談員に掛かるような制度ってないのか?
日本だったら保険も効いて気軽に診てもらえるんだけどね。
392名無し三等兵:03/07/08 23:40 ID:???
382 :名無し三等兵 age :2003/07/04(金) 18:15 ID:???
>>380
「秋水改」とも呼ばれていたやつだな。
 「秋水」のロケットモーターの燃焼時間を1時間以上に延長して、翼を
折り畳み可能にした奴だ。形式名MXY8-Mだっけか?
 確か、実用性に問題ありとして実戦に使われたことはなかったと思うけ
ど……

>>381
 それにかかることを恥と取る風習があるんだよ。
 日本も大東亜大戦からしばらくの間まではそうだった。

383 :名無し三等兵 age :2003/07/04(金) 18:30 ID:???
>>376
 統合されたのは九九式艦爆と九九式襲撃機じゃなくて(襲撃機は6〜13
粍の防弾板を装備しなきゃならないんだから、艦上機との統合は無理だ
よ)、九七式艦上攻撃機と、陸軍の各軽爆撃機だよ。
 まぁ、それで陸軍が引込脚嫌って、海軍が本命としていた中島の一号・
三号じゃなくて、三菱の二号が大東亜大戦の主力になることになったって
話。

384 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 18:36 ID:???
>>382
一回目の試験飛行の時も切り離しと単独戦技飛行は上々だったがいざ収容となると
とにかく速度が合わないものだから戦闘機も爆撃機も合わせるのに必死、
みごと事故無く繋がった時は双方の搭乗員はヘトヘト、息を呑んで連絡を待っていた
地上では無事収容の報を受けた瞬間万歳と喝采の嵐。
当然敵地上空でこんな曲芸は出来ないとあえなく没。

戦後しばらく戦技研究隊が航空祭で離脱収容を披露していたそうだが。
393名無し三等兵:03/07/08 23:41 ID:???
385 :名無し三等兵 age :2003/07/04(金) 18:49 ID:???
>>384
しかも機体そのものは胴体内に収容するのは端から不可能で、
戦闘機搭乗員を回収して捨てるか、
あるいは帰投時に再度切り離して別々に着陸するしかなかったんだよな。

あれ発案したのだれだっけ。
大西瀧治郎?

386 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 19:00 ID:???
警察官がサーベル持ってたりしますか

387 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 19:16 ID:???
>>382
たしか、戦争神経症で精神を病んだ兵士が大量に復員してきた時機からだよね。
精神相談員に掛かり易くなったのは。

それまでは異常者扱いされてたのが、英雄の罹る病気ってことになったら
扱い変わるわな。

388 :名無し三等兵 age :2003/07/04(金) 19:33 ID:???
>>386
日露戦争の前の話か、そりゃ……(汗)

389 :名無し三等兵 age :2003/07/04(金) 19:37 ID:???
>>387
 あとやっぱり在米皇軍や在英皇軍のなかで躁鬱病を発症する兵が相次い
だからな。最初は「精神がたるんどるからだ!」という精神論も展開され
たが、そのうちそれだけじゃ対処しきれないって気付いて、最初に空軍が
専門のカウンセラーや医師を確保するようになったわけだ。
394名無し三等兵:03/07/08 23:42 ID:???
390 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 20:16 ID:???
>>385
大西瀧治郎閣下は止めた人でしょ。
確かに当初は随伴機が富嶽の性能に追いつけず米国爆撃は損害続出。
(実際は落とされるよりエンジン不調で帰路に不時着というのが多かったんだが)。

そこで事態打開のために目をつけた「子持ち機」構想に海軍も興味を示しその大元が
大西中将だったんだがその危険すぎる実態に愕然。
そんな阿呆らしい曲芸飛行機を作るぐらいなら海軍からも空母から護衛機を出すと
怒鳴りつけたらしい。

まあ航空屋として乗せられることになるパイロットを想った故の言葉だろうね。
停戦直後に慶祝に沸く中多くの若者を死地に送った責任を取ると自決の道を
選んだのも判るような・・・。
395名無し三等兵:03/07/08 23:42 ID:???
391 :名無し三等兵 age :2003/07/04(金) 20:44 ID:???
>>389
牟田口廉也中将だったっけ? 神経症が認知される頃になってもまだ、
その事実を認めず、神経症患者をブン殴って、左遷させられる事に
なったのは。
おまけに退役後も間違いを認めず、自分の葬式の時にすら、参列者に
対し、「精神がたるんだ者を殴るのは、当然の事である」という主張
を、ビラにして配ったという・・ 

一方、時代の変化に即座に順応していった例もあったよね。角田寛治
中将とか。
イタリアに倣って、南方で任務に就いた将兵に対し、アイスクリーム
の配給が始まった頃の話。
「暑いのは将官も兵士も平等である」という事から、アイスクリームの
配給所には、階級関係無しに行列を作るという制度ができた。
ところが一部の士官が、兵士を脅し付けて、強引に割り込んだ所、行列
の最後尾から、
「士官といえど、順番は守れ!」
と声がする。
怒ったその士官たちが、その声の主を怒鳴り付けようと近寄ってみると、
実は行列の最後尾に並んでいたのは、司令官の角田中将だったという・・

392 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 20:56 ID:???
子機を無人の遠隔操縦機にしたり、今で云う空対空ミサイルにする案が
空技廠周辺で出ていたという話が某少年航空雑誌に載ってたけど、
それ以降の話を聞かないなァ。「重護衛型富獄」という名前には
結構ワクワクしたものだけど、、誰か顛末を知らない?
396名無し三等兵:03/07/08 23:43 ID:???
393 :名無し三等兵 age :2003/07/04(金) 21:05 ID:???
>>390
大西瀧治郎の自殺については、大鵬級大型空母の建造取り止めに対する
抗議ではなかったっけ?
その後建造される事になった空母に「瀧鳳」と命名されたのは、贖罪の
意味もこめて、大西瀧治郎の名前から1字を取ったと聞くが。

394 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 21:50 ID:???
>>378
面白くなければネタを自分で面白くなる居ように提供するべし。

395 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 22:13 ID:???
まあ、勝ったというよりは、うまく日米早期講和にもちこめたってほうが現実的かな?







とりあえずそれが言いたかった・・・

396 :名無し三等兵 :2003/07/04(金) 22:48 ID:???
>>391で飯の話が出てたんだけど、今の陸軍の携行食ってどうなってんの?
湾岸の頃は、毎日毎日、カンパンに副食が鰯や鯖の缶詰ばかりで、鶏もつ缶
が貴重品、頼みの綱は慰問袋という有様だったと友達が言ってたよ。
そこんとこどうよ?
397名無し三等兵:03/07/08 23:44 ID:???
397 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 01:36 ID:???
>>396
輜重部門が利貨店(便利雑貨店)方式を採用してから、質量ともかなり向上した
とは聞いていたけど…イラクでの話を聞いた限りじゃまだまだ改善の余地がある
みたいだね。機甲師団の進撃が速すぎて補給部隊が追いつけず、最悪の時は
一日に握り飯一個なんて状態にもなったそうだよ。

398 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 01:46 ID:???
>>396
湾岸諸国の基地には移動式牛丼屋。

399 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 02:11 ID:???
>>397
物資集配所の効率の悪さを解消するためにイトーヨカドー物流の集配主任と
トヨタ自動車の部品管理重役を引き抜いたって聞いたよ。

400 :396 :2003/07/05(土) 08:33 ID:???
>>397-399 そうだったのか。ありがd。
俺に愚痴ってた友達ってのは、396で書いたように慰問袋を楽しみにしてたんだけど
たまたま貰った袋(結構名の通った風紀の厳しい女学校から来たヤツ)にお菓子の
ほかに成人男性向け写真雑誌が入ってたんで、驚いて喜んで丁寧な礼状書いたんだと。
そしたら返事が来て、軍人の父親が戦地の兵隊にはそのようなものも必要だと言って
いたので同級生そろって買いに行きました、と書いてあったそうだ。
そんなこんなで文通が始まって、遂にケコーンしたんだがね。
もっとも義理の親父は怖い怖い特務少佐殿で、今でも嫁の実家へ行ったらハイ、
デアリマス調で話しているそうだ。(親父のほうは娘が帝大卒の婿を捕まえたんで
よろこんでいるらしいがね。)
俺も嫁さんに会ったことあるが、あまり別嬪じゃないがよく気のつくいい嫁さんだったよ。
398名無し三等兵:03/07/08 23:46 ID:???
401 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 12:26 ID:???
>>397
握り飯は熱風で腐る前に即表面が乾燥してしまう上に厳重に袋詰めしないと
砂できな粉餅状態で前線ではむしろ流し込む水が何より貴重だったとのこと。。

補給が充実してくると>>398の言うトラックに飯と牛丼の具をそれぞれ入れた大鍋を積んだ
移動式牛丼屋が大活躍、前線まで進出したが配食の現場はそれこそ殺伐としていたらしい。

402 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 14:41 ID:???
>>400
>特務少佐殿
(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
うちの親父、海軍の予備役大佐なんだけど現役時代にお世話になった特務少佐にあったら
最敬礼(w

403 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 15:05 ID:???
そういえば、イラク進駐部隊の戦死者が200人を超えたとか・・・。
国益から中東を確保しておく意味は十分に理解できるし、
今になって手を引くわけには行かないのは重々承知ですが、、
ぼつぼつ国内でも批判的な意見も出てきているようで、政府も
悩ましいところでしょうね。

404 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 15:32 ID:???
西米軍(SDFとかいうんだっけ?)が、派兵先は安全な後方に限る、とか
言ってるもんだから、わが国の「政府高官」が「西米はもっと貢献できる
はずだ」って文句をつけたそうだけど、この高官って誰?
石破国防大臣あたり?
399名無し三等兵:03/07/08 23:48 ID:???
405 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 18:44 ID:???
>>404
中東の連中には旧米軍の「馬鹿爆弾」はあたり前のように語られてるから、
星条旗みると感動する奴らがいるんだよな。

彼等に、現実のショボいセルフ・デフェンス・フォースを見せたくないって考えもあるんじゃない?


406 :名無し三等兵 :2003/07/06(日) 02:11 ID:???
>>403
今次派兵に関する御上の御意向はどの様なものなのでしょうか?


407 :名無し三等兵 age :2003/07/06(日) 04:50 ID:???
>>391
当時はもう大将じゃなかったっけ?

408が巻き直し後の380です。
400名無し三等兵:03/07/09 00:45 ID:???
>>391-399
補完乙です。
401名無し三等兵:03/07/09 21:27 ID:???
>>391-399
補完オツー

>>390
そうかー、九州飛行機は戦中戦後から空技廠出身の鶴野少佐を筆頭に
斬新な設計と卓越した性能を持つ野心作をよく発表していたね。
試作機がよく航空専門誌の表紙を飾っていたのを覚えてる。
402名無し三等兵:03/07/09 23:52 ID:???
>>401
大戦中は三菱機のライセンス生産がほとんどで、
特に少数運用に終わった局戦「雷電」なんかはほとんど九州製だよ。

九州飛行機最初の独自設計機は鶴野少佐と共に行った「震電」。
発動機の冷却不足に泣いて大東亜戦争では量産されずに終わったものの、
その後単発噴進戦闘機として、
J9W-A「震電改」/キ−210「雷龍」として再起したのは有名な話。
その後いくつも野心的な戦闘機や高速旅客機で名を馳せたけど、
近年の航空製造業不振には勝てなかったんだな。
三菱重工や富士重工(旧中島飛行機)みたいに、自動車で稼げるところは、
また違うんだろうけど。
403名無し三等兵:03/07/11 22:34 ID:tD14djcj
富士重工か・・・自社開発のレガシーとかをスバルブランドで出す一方、
日産からOEM供給を受けたグロリアやスカイラインをプリンスブランドで
出すという、訳のわからん会社だな。

スレ違いにつきage(何のこっちゃ)
404名無し三等兵:03/07/12 00:10 ID:???
いま公開されてる映画「スパイ・ゾルゲ」って、軍板的には
どうなんでしょう?

日独の当局にバレバレなのに気づかず、偽情報をつかまされたソ連が
極東地域に大兵力をはりつかせていたおかげで、ドイツの攻撃を
支えきれなかったのはここの住人なら知ってるだろうけど、そういう
軍事的な背景はちゃんと押さえてるのかな。

ソ連のワルシャワ〜東プロイセン侵攻がドイツに筒抜けだったのも、
ゾルゲの諜報活動から逆に推測されてたんだっけ?(うろ覚え)
405名無し三等兵:03/07/12 03:05 ID:???
米国の月刊誌「マンスリー・スプリングフォールス」に、
「F・D・ルーズベルト大統領国民への謝罪遺書四つの疑問」
 なる記事が乗ってるそうだな。

>>404
ゾルゲ自身は優秀なスパイだった。
だがスターリンは有りもしない日本軍の大兵力に怯え、
ソ満国境付近に大兵力を貼り付かせてしまった。

 「スパイ・ゾルゲ」はその短命のソビエト共産党政権時代の、
 悲劇的ヒーローの物語でつよ。

ちなみにソ連のワルシャワ侵攻が第三帝国に漏れていたのは、
親独中立のスペインで駐マドリードのソ連武官が、
ウォッカに酔って全部喋ってたから。
406山崎 渉:03/07/12 16:33 ID:???

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
407名無し三等兵:03/07/13 00:26 ID:???
特四二式内火艇ハァハァ
408名無し三等兵:03/07/13 23:43 ID:???
ところで、我が國の国家組織ってのはどうなっているのだ?
409名無し三等兵:03/07/14 01:29 ID:???
アイヌ首長国・琉球・日本帝國の大国家連邦までは
わかる。
 あとは南洋とアイヌや琉球の所有する領域だが、いまいちあいまいでなぁ・・・
九七式重爆撃機(三菱キ−21)
 快速爆撃機として、ノモンハン、日華事変で名を上げた双発爆撃機。大
東亜大戦開戦時も爆撃機としては比較的速度は高めで、航続距離は短かっ
たが、生存率は海軍の九六式に比べて優れていた。
 既に一〇〇式「呑龍」が制式化されていたが、九七式を望む声も多く、
立川飛行機及び満州飛行機で転換生産が続けられた。ニューギニア・ラバ
ウル攻防戦で「呑龍」と共にラエ空襲に活躍し、その快速力で終始米軍を
悩ませ続けた。
 しかし、以降は戦闘機の性能が更に向上し、九七式では味方の圧倒的制
空権内以外での行動は危険をもとなうようになった為、生産は徐々に縮小
され、四式「飛龍」の量産開始とともに製造終了となった。

九九式軽爆撃機(三菱キ−30改/B6M)
 海軍九七式二号艦上攻撃機の陸軍型仕様。ほぼ物別れに終わった昭和14
年の陸海軍機種統合計画で、実戦機ではほぼ唯一の成果である。
 と言っても陸軍ではとにかく「爆弾を積んで飛べればいい」程度の認識
のジャンルだったから、当然改良・改修は海軍B6Mのそれについてまわる
だけとなり、陸上爆撃機としてはただただ煮え切らない性格のものでしか
なかった。形式記号も前任者である九七式軽爆撃機(三菱キ−30)の“改”
と定義している程である。
 もっとも、その程度の機体だからこそ陸海軍別注とせず、メーカーの負
担を減じた意味は大きいと言える。入れ代わりに、川崎の九八式軽爆撃機
は製造終了となった。
 初の統合計画機、それだけが重要な意味を持つ機種で、実際に陸軍機と
しては、フィリピン、香港等大戦の極初期まで使われたにすぎない。
九九式襲撃機/軍偵察機(三菱キ−51)
 別名、空飛ぶ速射砲。日本初の対戦車攻撃機。
 当初は運動性能に優れた軽爆撃機、もしくは急降下爆撃機としての意味
合いを強く持つ機体だったが、それでもコクピットや発動機周り、燃料タ
ンク等を6粍防弾鈑で覆っていた。
 大東亜大戦が勃発すると地上部隊の直協機として働き、生産は固定装備
を12.7粍×2に強化されたキ−51IIとなった。
 しかしそれでもニューギニア・ラバウル攻防戦では、その火力の不足を
露呈する事になる。
 そこで改修されたキ−51IIIでは、製造縮小となった三菱ハ−26にかわ
り中島ハ−115を搭載、機銃もホ−5 20粍機関砲2門にまで増強された。
これにより本格的襲撃機と変貌し、加州戦以降活躍を続けた。37粍機関砲
搭載のキ−109の派手な所業に隠れがちだが、全撃破数ではキ−51IIIの方
が圧倒的優位にある。

一〇〇式重爆撃機「呑龍」(中島キ−49/G6N)
 自力で敵の迎撃を排除し侵攻しうる重爆撃機として、九七式よりさらに
高速・重武装の双発爆撃機として中島飛行機に発注された。
 九七式とともに海軍機より優速である陸軍快速爆撃機の一翼を担い、ニ
ューギニア・ラバウル攻防戦では、ラエ・ラバウル空襲で大活躍し、その
防弾性能と速度、運動性で迎撃側を大いに困惑させた。
 更に陸軍機としては大戦初になる、行動中の艦船に対する戦果(戦艦
「サウスダコタ」中破)を上げている。 
 一方で搭載力で九七式に劣り、結局次代の四式「飛龍」まで九七式と並
行生産・運用となった。しかし、その上げた戦果、そして「連山」「富嶽」
を設計する中島飛行機に近代型多発爆撃機の設計・製造を経験させたと言
う意味からも、重要な機種であった。
二式重爆撃機「蒼龍」(三菱キ−120/G5M)
 海軍一式陸上攻撃機の陸軍仕様。ラエ空襲が陸軍自慢の快速双発爆撃機
によるものなら、距離のあるラバウル空襲はこちらが主役。
 海軍が当初中口径機銃の採用に不熱心で、7.7粍機銃を装備していたの
に対し、陸軍型は当初から12.7粍機銃を装備していた。これが海軍の12.7
粍機銃採用を触発するのである。
 陸軍は海軍にくらべて高々度巡航能力の付加には不熱心で、終戦まで二
式を主力の一端として使い続けた。逆に言えば二式の性能は搭載力を除け
ば大戦末期にあっても一流以上の水準にあったとも言える。

四式重爆撃機「飛龍」(三菱キ−67・キ−109/G11M)
 九七式の後継として、さらに一〇〇式の長所をも取り入れた三菱の意欲
作。
 末期の米本土戦において、前線の支援のみならず、「富嶽」の補佐役と
して高速低空侵入の精密爆撃で活躍している。中型爆撃機であるにもかか
わらず、急降下もしくは反跳爆撃で対艦船攻撃にも活躍している。
 戦後も発足したばかりの空軍機として使用され、中共動乱、南洋動乱等
で夜間低空侵入のレシプロ攻撃機として活躍している。
413名無し三等兵:03/07/14 16:58 ID:8LdqZjg8
朝鮮人が「我々の方が日本人に近い」という事で
中国人をいじめてる
414名無し三等兵:03/07/14 17:08 ID:Gn1cQPVt
日本人が亜細亜の長男ならウリは次男ニダ、チャンコロはおとなしくしる
 陸海軍機の装備火器開発は開戦まで、機体同様別々に行われていた。し
かし、弾薬の製造、輸送が混乱する事を恐れ、昭和17年の戦時機種統合計
画の際、同口径の機銃の統廃合が実施された。まとめると次の通り。
7.7粍:海軍九七式系列
12.7粍:陸軍ホ−103系列
20粍:陸軍ホ−5系列
30粍:海軍2式系列

 その使用頻度からすれば、輸送を担当する海軍が陸軍に譲った形だが、
実際問題として、スイスや英独のコピー兵器に終始した海軍のそれと比
べて、積極的に新しい口径の採用につとめた陸軍の方が、性能的に優秀
な航空用銃火器を持っていたことも事実だった。
416名無し三等兵:03/07/14 17:33 ID:???
>415
とはいうてもホ5ってマウザーのライセンス生産じゃん
417名無し三等兵:03/07/14 17:38 ID:???
皇軍歩兵用小火器の歴史に詳しい方おられます?
418415:03/07/14 17:42 ID:???
>>416
 良く勘違いなさっている方がいますがマウザー砲は「マ式」でホ−5
系列とは別物です。ホ−5はホ−103の拡大型で、強いて言うなら米国
ブローニングM12機銃の拡大コピーと言えなくもないか、というところ
です。
419名無し三等兵:03/07/14 19:21 ID:qhLciz0r
もし日本が勝っていたなら、今頃は独立を求める人々による
テロが各地で起きてます。
チェチェンのように。
420名無し三等兵:03/07/14 21:17 ID:???
ハア?日本が勝ったからアジアの国々は現在独立を謳歌しているのではありませんか。
421名無し三等兵:03/07/15 01:01 ID:???
>>420
いや、でも枢軸同盟であった旧第三帝国支配領域の南米やアフガニスタンでの民族意識の高まりは、
おくれる事になったかもしれないぞ。
422419:03/07/15 01:09 ID:u9KqIhWu
つまり朝鮮、台湾や中国、シンガポールなどの国の人々って意味ですよ。
旧日本軍が負けたからその国々が解放されたわけですよね。
423名無し三等兵:03/07/15 01:16 ID:???
>>422
言ってることがよく判らないな。「旧」日本軍ってことは「新」日本軍もあるってこと?
あと、負けたってどの戦争で?南米戦争なら負けというのには程遠いんだけど・・・
424419:03/07/15 01:25 ID:u9KqIhWu
>>423さん:それは失礼しました、訂正します。
南米戦争ではなく、太平洋戦争です。
425名無し三等兵:03/07/15 01:51 ID:???
>>422
大東亜戦争を太平洋戦争って言う事は、
ひょっとしてあなたは旧西側出身なのでしょうか?

 ってか台湾はともかくシンガポールはむしろ戦前こそイギリスの植民地
だったワケだし、朝鮮なんか総督府に「日本統治イクナイ」言うから、
「じゃあ、独立してもらいましょうか」ってことになったら手のひらを返
したように反対運動起こしやがった国だぞ。

 確かに、中国では中共動乱が昭和23年頃まで続いたが……
426名無し三等兵:03/07/15 01:57 ID:???
>>423
まぁ、あの戦争では結局ブラジルの黒化を防げなかったわけだし、
日本側の敗北である事は否めないよ。
それを認めないとこの先も森や小泉みたいな戦争キティが出続ける事になる。

「リオデジャネイロ発最終便」というドキュメンタリー映画をお薦めする。
427名無し三等兵:03/07/15 01:59 ID:c1PYWXd9
>>419
こんな事を書くとシラけるから、何度も書かない。一度だけだ。
もう一度、このスレの過去の書き込み全部読んで、このスレが
どういう主旨なのか理解しろ。
これに懲りたら、ろくに今までの書き込みも読まないで、勘違い
した書き込みをするような、お馬鹿な真似は2度とするな。
428名無し三等兵:03/07/15 02:04 ID:???
>>427
(いや、まぁ、このスレの歴史でも結局民族と戦争の歴史は避け得てないわけ
だし、この世界がどうなったか>419のような方に答える形で形成するのもひと
つのあり方なので、まぁ、つまり、穏便に)
429422:03/07/15 02:21 ID:u9KqIhWu
>>425さん
「旧」西側ってあるの?それは知らなかった。
現在一般的には太平洋戦争って言うのんで、
もし差し支えなかったらそう呼ばせて頂きますね。
430428:03/07/15 02:32 ID:???
>>427
俺が悪かった。

 ∧||∧
(  ⌒ ヽ
 ∪  ノ ブラン
  ∪∪
431419:03/07/15 02:32 ID:u9KqIhWu
>>427さん
失礼しました。嫌がらせするつもりはありません。
逝ってお詫びいます。
432名無し三等兵:03/07/15 04:08 ID:???
野暮なひとがいるなぁ。せっかく西側の人が来てくれたのに。
歴史認識の違いは置いておいて、旧第三帝国の生情報は聞きたかったよ。
433名無し三等兵:03/07/15 06:45 ID:???
紙で出来た車の乗り心地とか聞いてみたかったね
434名無し三等兵:03/07/15 07:27 ID:???
>425
大東亜戦争なんて言うのは陸式だけ。海軍関係者の曰く
「陸式がインドくんだりまで行って戦ったのが大東亜戦争ですヨ。
私らはそのとき太平洋戦争をしてましたネ。太平洋戦争の最中に
大東亜戦争の協力させられて参りましたヨ」
435名無し三等兵:03/07/15 09:57 ID:???
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))
●他人に異常に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、そこから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けていることが多い)
●権力・強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(人が見ていない場合特に))
●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているので性格が鬱陶しい(根暗・陰気)
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量、視野が狭い、多数派=正しい と信じて疑わない)
●集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)
●他人の悪口・陰口を好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がそうだから容易に他人を信用できない、またポーズだけで中身を伴っていない、「世間体命」)
●たとえ友達が多くいても、たいていは浅い付き合いでしかなく、心の友はおらず孤独(心の感度が低く、包容力がなく、冷酷だから)
●頭が硬く融通が利かないためストレスを溜め込みやすく、また短気で、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿)
●たとえ後で自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通そうとし、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかないだろう!)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでやねん!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
436名無し三等兵:03/07/15 10:39 ID:???
>>423
コロンビア戦争はどう見たって負けだろ。
確かに軍事的には勝ってたが政治的に負けた。
437名無し三等兵:03/07/15 12:28 ID:???
とりあえず、>419は旧西米の人ということで。

コロンビア戦争というと、
タカ派俳優の制作・主演による「緑帽隊」という映画を思い出しますねぇ。
438名無し三等兵:03/07/15 18:02 ID:???
(´,_ゝ`)プッッッ
439名無し三等兵:03/07/15 18:27 ID:???
>>417
大東亜大戦時では>>332が書いているように三八式歩兵銃に変わり主力となった九九式半自動小銃、
四式突撃銃が戦後暫く鹵獲米国製火器とともに主力の座にあった。

1950年に米動乱が始まると独製火器に対抗するため九九式半自動小銃の後継として一七式自動小銃が。
また八九式重擲弾筒の親戚とも言える二○式擲弾銃が導入された。

その後のコロンビア派兵の際現地では一七式自動小銃は扱いにくく取り回しの容易な二二式突撃銃が
急遽投入される事になった、当初こそ動作不良が多発したがそれを改善した二二式突撃銃改(改一型)
および二○式擲弾銃を銃に取り付けられるようにした二八式擲弾筒を採用、多大な戦果を挙げた。

二二式突撃銃は戦訓を基に派生型が生まれ特殊部隊で使用された試製二二式突撃銃改甲型と同乙型、
1982年に制式採用された二二式突撃銃(改二型、四二式突撃銃)とこちらも特殊部隊用に
銃身を切り詰めた短銃身四二式騎兵銃が生産された、これが現在にいたるまでの主力小銃。

現在ではさらに改良を加えた二二式突撃銃(改三型)と特殊部隊、士官用として
試製二二式突撃銃改の正式な後継として開発された五四式小銃が最新型として採用されている。
440名無し三等兵:03/07/15 19:59 ID:???
二二式歩兵銃とかを突撃銃って機械翻訳するあたりドイツ語圏のソフト屋もまだまだだな
441名無し三等兵:03/07/15 20:23 ID:???
>>437
代表格は「小隊」だろ。
あと「完全被甲弾」とか「牛つくねの丘」など。
442名無し三等兵:03/07/15 21:38 ID:???
「おはやう御座いますコロムビア」もいいぞ
443名無し三等兵:03/07/15 22:48 ID:???
九九式小銃も自動銃としてはかなりの命中率を誇ったが、
三八式の命中率はそれを更に上回るものだった。
その為、大戦でもかなりの数の三八式が運用されていた。
444名無し三等兵:03/07/15 23:17 ID:???
ていうか九九式が主力になったのって大戦後半じゃなかったっけ?
445名無し三等兵:03/07/15 23:19 ID:fjkm7sjp
>>443
狙撃銃としてね。
普通の小銃の場合、命中率の高さよりも、使い勝手の良さが大切。
それに気付いて九九式に更新したのは立派。

つーか、三八式って、他の三八式と部品を取り替えて使う事ができない
んだぜ。こんなもんを主力にされたら、たまらん罠。
446名無し三等兵:03/07/15 23:23 ID:???
6.5ミリが自動火器に向いてたのが幸いした。
447名無し三等兵:03/07/15 23:28 ID:???
おいおい、99式は7.7ミリだよ。
448443:03/07/16 00:14 ID:???
>>445
 それでも九九式も、海外の下手な単発歩兵銃より正確な射撃ができたそ
うだけどね。

 ちなみに、三八式を本格的な狙撃銃に改修したものが九七式狙撃銃。

 あと、九九式が自動銃になった理由は、先に採用された九二式重機関銃
と弾丸をそろえる為(九二式重機のリム付弾丸は単発銃のクリップにひっ
かかり、装填不良の原因になった)ってのはあまり知られていない話。
449名無し三等兵:03/07/16 01:46 ID:???
>>447
いや、当初は7.7ミリ口径と6.5ミリ口径の二種類で試作された。
一発の威力は7.7ミリの方が勝っていたが、反動が強く、その分反動制御の為に重量が重くなった。
一方、6.5ミリの方は元々自動火器に適合しており、反動も重量も軽く製作出来、しかも6.5ミリ弾がそれこそ無数に備蓄してたから。
したがって6.5ミリ口径で試製半自動小銃が製作されることになった。
ちなみに九九式半自動小銃(当初は防諜の観点からただ歩兵銃或いは小銃とのみ呼称された)の派生型として
空挺部隊用に短銃身化し、銃床を鉄製折りたたみ式に変更した二式小銃(秘匿名テラ銃)がある。
配備当初は脱着式10連箱型弾倉が標準だったが、加州上陸作戦直前に20連箱型弾倉が配備された。
なお、四式突撃銃は九九式に機関銃と同じく連射能力を付加したもの。
450名無し三等兵:03/07/16 02:09 ID:???
ところで、呉から海軍の軍艦がイラクに派遣されたそうだが・・・
451名無し三等兵:03/07/16 06:19 ID:???
6.5JAPは現代でも東側標準の小銃弾だよね
452447:03/07/16 09:48 ID:???
間違えた、7、7ミリなのは
99式狙撃銃(97式狙撃銃の7,7モデル)と99式軽機関銃
それと17式汎用機関銃だった。
453447:03/07/16 09:50 ID:???
ちなみに99式軽機は小銃との弾薬共通性が問題になり
少数しか使われていない。
454名無し三等兵:03/07/16 11:10 ID:???
99式狙撃銃は性能が優れてたから最近まで改良されて使われてましたよ。
外観は大分変わりましたけどね。

22式突撃銃から新開発の5.56mmに変わって今に至ります。
もっとも今でも諸外国では6.5mmを使いつづけている所も多いですが。

旧第三帝国陣営でも7.92mm×33や7.62mm×39が使われてる所も多い。
そういや独逸が4.73mm×33の無薬莢弾薬を開発してたけど結局ものになったのかな?
ロシアから5.45mmを導入したとか聞くから失敗だったのか?
455名無し三等兵:03/07/16 15:16 ID:???
>>450
ああ、イラクの方はひと段落したので空母を中核とする機動部隊は内地に戻って
代わりに駐留部隊の支援と民間向け復興物資を積み込んだ輸送艦隊が中核らしい。

機動部隊の一部は最近キナ臭くなっているケベックの牽制に西大西洋に派遣じゃないかという噂だが。
456455:03/07/16 16:18 ID:???
訂正、北太平洋だった。
457名無し三等兵:03/07/16 18:06 ID:???
オランダは大変なことになってるね。
かつての、植民地だったインドネシアに逆に植民地にされたんだから
458名無し三等兵:03/07/16 18:15 ID:???
PKFと言ってやれよw
第三帝国時代に入植したドイツ系住民との紛争で大変だからなあ
459名無し三等兵:03/07/16 19:43 ID:???
そういえば社会党連合政権だった時に核や精密機器、軍事機密が朝鮮反日ゲリラに渡ったね。

460名無し三等兵:03/07/16 20:19 ID:???
朝鮮反日ゲリラ???
461名無し三等兵:03/07/16 20:23 ID:???
17式汎機では分隊機銃としての運用に問題があったため
22式歩兵銃と弾薬を共有できる5.56ミリ弾の42式軽機関銃が
新たに開発された。
462名無し三等兵:03/07/16 20:25 ID:???
日本は銃器所有自由すぎる。
だから校内発砲事件とか起こるんだ。
西米に習ってもっと厳しくすべきだよ。
IRA(帝国ライフル協会)のロビイングうざすぎ。
463名無し三等兵:03/07/16 21:11 ID:gGHbIKpZ
アメリカの事柄を羅列してるだけじゃないか
464名無し三等兵:03/07/16 23:56 ID:???
>>463
はぁ、どちらの平行世界からお越しで?
まさか皇国と西米が入れ替わった世界からですか?(藁
465名無し三等兵:03/07/17 00:09 ID:ISWfClVg
>>462
あなたもどこの平行世界の住人ですか?
銃器に関しては、西部開拓時代の伝統あるアメリカのほうが、東西とも
自由なんですが。
我が国で問題になっているのは、日本刀の個人所有ですな。
466465:03/07/17 00:13 ID:ISWfClVg






・・・仮に日本が勝った世界であっても、銃の所有がアメリカ以上に自由
になる訳ないじゃんか。
アメリカの銃所有は、インディアンの土地を奪って開拓していった歴史に
由来するんだから。
もっと考えてネタ作れ! 馬鹿!
467名無し三等兵:03/07/17 00:19 ID:???
太平洋戦争に比べて、欧州での戦争については書き込みが少ないので、
独ソ戦を軸に主な経緯をまとめてみました。


1930年代、トハチェフスキーらの理論をもとに、ソ連で発展した
縦深作戦理論は、当時のドイツ以上に近代的な陸戦理論であったが
1937年から39年にかけての軍の大量粛清により、機械化部隊を主体とした
考え方は放棄されてしまった。これはスペイン内戦でソ連の兵器・戦術
が挫折したことによってさらに加速された。
1938年8月、蒙古軍が、満州義勇軍の支援のもと、ソ連国境地帯に対して
威力偵察を行った。これを撃退したジューコフは、トハチェフスキーの
思想の後継者であったが、上層部の大半を失った中で急速に昇進する。
1938年9月、ミュンヘン会談でドイツはオーストリア併合に続く
ズデーデン地方の併合を認められた。呼ばれなかったソ連は孤立を
深め、翌年8月に秘密条約として締結された独ソ不可侵条約の遠因となった。
この条約の付属議定書で両国間でのポーランド分割、バルト3国へのソ連の
影響力の拡大などが盛り込まれたが、事実上の両軍の代理戦争がスペイン
で激化していたことから北欧やベッサラビアの扱いについては合意され
なかった。
1939年9月、条約の成立にともないドイツ、ソ連両軍はポーランドに侵攻、
10月始めにポーランドは降伏。英仏はドイツに対しては宣戦布告、ソ連に
対しては国際連盟からの除名のみという温度差のある対応をとり、自国民の
理解を得るのに苦労する。
468名無し三等兵:03/07/17 00:20 ID:???
1939年11月、ソ連によるフィンランド侵攻。フィンランドは米・英・仏の
物資の支援だけでなく、ドイツ「義勇兵」約20万人の支援をうけ、粛清により
能力の低下したソ連軍を退けた。翌春までの戦争によりドイツは冬季戦の
ノウハウを得るとともに、フィンランドがレニングラード北側を脅かす状況を
維持することに成功した。
1940年4〜6月、ドイツは北欧侵攻。並行してオランダ、ベルギーへの侵攻を
開始し、ダンケルクでは約40万人の捕虜を得た。この後、ドイツは戦争遂行に
あたって捕虜を労働力や戦力として活用するのを常道とするようになる。
6月下旬にはフランスが降伏。
1940年7月、フランスにペタン政権成立。ソ連はバルト三国を併合。
イギリス上陸戦を発令し、それに先立ちイギリス本土に対する航空戦開始。
Bf109用の落下増槽が十分に確保できず、護衛戦闘機の援護を十分に得られ
ない昼間爆撃では損害が大きいことがすぐに判明し、8月上旬には早々に
ゲーリングは名誉職の閑職に追いやられ、対英作戦はFw200と新型のJu290に
よる夜間爆撃と海上封鎖(Uボートも空軍と連携して大きな成果を上げた)に
切り換えられた。英国は必要とする船舶量を徐々に割り込み、翌年にはドイツ
に対する空襲もほとんど不可能となった。
英国への対応は、頑強な敵は迂回・包囲して降伏させるというドイツ軍の
得意な戦術を戦略レベルで適用したものと見ることができる。このやり方は
第二次大戦の最後まで各方面で繰り返される。
469名無し三等兵:03/07/17 00:20 ID:???
>>465
全体主義の東米じゃ
銃器所持が自由にならんと思うが。
470名無し三等兵:03/07/17 00:21 ID:???
1940年9月、対英上陸作戦を中止したヒトラーは、ムソリーニに対して近く対ソ
侵攻作戦を予定していること、このため近くルーマニアを確保することを告げた。
イタリアは領土確保のための英領エジプトやギリシャへの作戦を取りやめて
対ソ戦に協力されられることとなった。
ドイツはシュペーアを軍需相に抜擢し、対ソ戦をにらんだ総動員体制をとり、
このため人的資源確保の観点から人種・宗教をとわず国家への貢献を重視すると
政策を大きく転換した。政権内部で大小の混乱が生じたが、人口と各種の
産業統計の数字がそれを要求していた。
1941年1月、参謀総長の座についたジューコフは、ドイツの対ソ開戦が迫っている
とティモシェンコと連名で先制攻撃をかけることを主張。戦争準備が整って
いないと消極的なスターリンに対して、ドイツは遅くとも5月には侵攻を開始する
との予測(これは正しかった)を示し、攻勢の許可を得た。
KV-1、T-34、MiG-3、Yak-1など最新最良の兵器と、ソ連としては最良の部隊を
かき集め、ポーランドを分断した国境線に配備した。
スパイ活動が活発だったソ連は、奇妙なことに情報の秘匿という点には当時ひどく
無頓着で、ドイツは、高高度からの航空偵察によりソ連の動向を把握し、ソ連の
攻勢が近いことを察知した。緒戦の目標はソ連兵力それ自体であるとの観点から、
ソ連の先制攻撃を敢えて許し、侵攻部隊を捕捉殲滅する計画が立てられた。
471名無し三等兵:03/07/17 00:21 ID:???
1941年4月、ソ連は正面戦力約200万、後方に予備100万の大兵力で侵攻開始。
主攻はワルシャワ、助攻としてケーニヒスベルグ、ダンチヒを目標。
ドイツ空軍は初日にソ連機約600機を撃墜、翌日には少数の飛行場に密集していた
ソ連機に対して空襲をかけ地上で約1500機を破壊して制空権を確保した。
陸軍は鉄道網を随所で破壊、あらゆる車両を引き上げながら整然と撤退し、
攻勢開始から2週間で補給が追いつかずに延びきったソ連軍に対して逆襲した。
経験の不足だけでなく旧式の戦術を引きずっていたソ連軍は、初期故障が頻発する
だけでなく乗員の訓練も不十分な最新兵器をつぎつぎに遺棄しながら、次の2週間
で各地で包囲殲滅されるか降伏することとなった。
戦線の後方に取り残されたワルシャワ占領軍は、脱出かなわずヴィスワ川の分岐
で包囲され、60万人が降伏した。後方の予備兵力は戦果の拡大どころか自身の
保全のために後退を開始したが、ビアトリスクで包囲され40万人が降伏した。
わずか1ヶ月あまりの戦闘で、ソ連は最良の兵力250万を失い、ドイツは180万に
のぼる捕虜を得た。兵力を抽出されたソ連軍は、次々に軍を新設したが訓練・
投入が間に合わず、ドイツ軍は破竹の進撃を開始した。ジューコフ、
ティモシェンコと、彼らの一味と見なされた機械化部隊の指揮官の多くが処刑
され、指揮官の不足と戦闘経験の喪失を生じた。
縦深作戦理論に基づく攻勢の失敗から、軍事ドクトリンの混乱が生じた。
1930年代末の粛清と同様の結末が、ソ連にとって最悪の状況で再現された。
472名無し三等兵:03/07/17 00:22 ID:???
北方軍集団は、5月にリトアニア、ラトヴィア、6月にはエストニアを確保、7月
にはラドガ湖北方から進撃してソ連軍の背後を突いたフィンランド軍と連結し、
レニングラードを包囲した。レニングラードに対する砲爆撃は低調であり、
ワルシャワ戦での捕虜による呼びかけや、ワルシャワを脱出した将兵に対する
スターリンの過酷な処遇を訴えるなどの宣撫工作が重視された。タリンで鹵獲
された元バルト艦隊の艦船による艦砲射撃をスターリンによる督戦と判断し、
レニングラードは9月に開城した。それを待たずに8月にはフィンランド軍は北方
に転出、ノルウェー駐留ドイツ軍のムルマンスク侵攻に合流した。ムルマンスク
は10月にドイツ・フィンランド軍の手に落ちたが、全戦線において圧迫されて
いたソ連軍は気候の悪化もあり奪回を断念した。

中央軍集団は、プリピャチ沼沢地の北を、北方軍集団の側面を援護する形で前進、
5月にミンスクで、6月にはスモレンスクで、ソ連の大部隊を包囲殲滅することに
成功した。直接ヴィヤジマからモスクワに向けて進撃することも検討されたが
ソ連の抵抗が激しくなると予想されたため、大きく南に方向を転換、南方軍集団と
ともにキエフでの包囲戦を行うことになる。

南方軍集団は、ルーマニア軍、ハンガリー軍と共同してプリピャチ沼沢地の南を
進撃した。年初、ソ連はドイツの主攻勢はこの方面と予測して機甲部隊の主力を
ここに配置していたがワルシャワ戦には主としてこの方面から部隊が抽出されて
いたため抵抗は微弱であった。5月にはロブノ、6月にはウマニで大規模な包囲戦
が行われ、7月には中央軍集団と共同してキエフの大包囲戦が行われ、ウクライナ
からソ連軍は一掃された。ソ連南西部正面軍はこの大打撃により、8月に再び
中央軍集団と南方軍集団が協力してハリコフとドネツ盆地の重工業地帯を占領
したときには、ほとんど抵抗らしい抵抗ができなかった。
473名無し三等兵:03/07/17 00:23 ID:???
オデッサとセバストポリ要塞では立てこもるソ連軍は頑強に抵抗を続けたが、
ワルシャワ、レニングラード、キエフ、ハリコフといった主要都市の脱落は
ソ連にとって人的資源の供給と工業生産力という点で深刻なダメージを与えた。
ボルガ川流域やシベリア、ウラル地方に工場を疎開させる計画だったが、
戦線の崩壊とドイツの進撃があまりに急であったため、これらの都市の工業力の
移転や、焦土戦術はごく限られた範囲でしか行われなかった。移転が遅れたのは、
人的資源の多くを前線戦力の維持に取られたことも大きい。

独ソ戦開始時、ソ連の動員可能数の限界は1400万人程度と見られていたが、
わずか半年でソ連はこのうち600万を失った。極東地域では、在満米軍と
対峙する満州軍200万への対応と、蒙古との長大な国境線を維持するため、
300万が貼り付けられており、人的資源の枯渇が目前となっていた。
一方ドイツ側は、枢軸各国とあわせて350万程度の兵力しか有しておらず、
補給の維持、占領地域の確保などの後方業務は捕虜から選抜された「義勇ロシア」
「義勇ウクライナ」師団などに依存する割合が急速に高まった。ドイツ側は、
ロシア人に対しては「グルジア人の独裁者からの解放」、バルト三国や
ウクライナ人に対しては「ソ連の圧制からの解放」をよびかけ、「東方の解放」
をスローガンに占領地から兵力と生産力を吸い上げ始めた。

1941年12月までに、北方軍集団はドミトロフ〜クリン正面、中央軍集団は
ヴィアジマ〜トゥーラ正面でモスクワを包囲、モスクワは中部戦線における
突出部となり、かろうじて東方との連絡を維持するのみとなっていた。
42年1月には、包囲が弱まったと見たソ連側が攻勢に出たが、戦線を一時的に
押し返したのと引き換えに兵力を消耗し、翌月には元に戻ってしまった。
この時期にモスクワを攻略しなかった点については賛否あるが、頑強な相手は
迂回・包囲するという方式がここでも繰り返されたといえる。両軍は戦線を
膠着させ積極的な攻勢を控えて対峙しながら、戦力の回復をはかった。
レニングラードで生産が再開された鉄道車両が、広軌のソ連鉄道網を利用した
ドイツ軍の補給を支えた。
474名無し三等兵:03/07/17 00:24 ID:???
12月7日、日本と米国が正式に戦争状態となったが、防衛的なものとして締結
された日独伊満四国同盟では、互いの交戦相手国に対する宣戦布告は求められて
おらず、ドイツは米国との宣戦布告は行わずにソ連との戦闘に専念した。
(ただしアメリカは結局12月末にドイツに対し宣戦布告した)
ハリコフ・ドネツを行動拠点として確保した南方軍集団は、約3ヶ月にわたり
戦力を回復した。11月には「青」作戦が発動された。ロストフを落とし、
南進してカフカス正面軍、ザカフカス正面軍と対峙して冬を迎えた。冬季装備を
優先して与えられ、ハリコフ・ドネツからの補給に支えられ、1942年2月には
グロズヌイを確保したものの、油井の多くはソ連軍により破壊されていた。
この方面では、空ではBf109と旧式化したJu87に替わってFw190の配備が進められ、
頑丈さと保守性の良さで現場の好評を得た。陸ではほとんど無傷で確保した
ハリコフ工場製のT-34が配備されるようになった。

英米の対ソ支援は、オホーツク海がアイヌ首長国により封鎖され、ムルマンスク
がドイツの手におちたため、アラスカからシベリアへの細々とした空路、
アルハンゲリスクへの海路と、中東からの陸路によっていた。ムルマンスクを
占領したノルウェー駐留ドイツ軍・フィンランド軍の戦力ではアルハンゲリスク
までの進軍は不可能だったため、1942年の春、北方軍集団はさらに東進、鉄道網
への爆撃により支援を遮断した。またムルマンスクをあらたな拠点とする哨戒機
とUボートによる船団攻撃もアルハンゲリスクルートの遮断に貢献した。北方軍
集団はさらに東進、そして南進し、モスクワの南方を迂回してきた中央軍集団と
カザンで合流した。1942年5月、モスクワは巨大な包囲の輪に閉じ込められた。

475名無し三等兵:03/07/17 00:25 ID:???
南方軍集団は、カフカス山脈とカスピ海に挟まれた狭隘な地形をバクーに向けて
進撃し、複雑な地形を利用したソ連の側面からの攻撃に悩まされながらも7月には
バクーに到達し「青」作戦を完了した。グロズヌイからカスピ海の水上輸送による
補給が、進撃速度を維持していた。この後、この方面のソ連軍はカフカス山脈に
こもって散発的な攻撃を繰り返していたが、他の戦線から孤立し、42年末には
降伏した。ドイツ側は2ヶ月間の休養と補給の後、9月にテヘラン進撃作戦「緑」が
発動された。1941年8月にイギリスとソ連に占領されたイランを「解放」し、
ソ連への補給を完全に絶つとともに、中東の油田地帯を確保するというもの
である。モスクワ包囲を完成させた中央軍集団は、包囲の維持に必要な最小限の
戦力を残して、スターリングラード、アストラハンなどの主要都市を「解放」
しつつ南進し、南方軍集団の後方と側面を確保した。
カスピ海沿岸からかき集められた船舶により南岸に上陸した部隊は、11月には
テヘランを陥落させた。国王レザー=ハーンは復位とともに枢軸側への参戦を
宣言し、ドイツの中東打通は完成した。

1942年の快進撃を支えたのは、ますます数と重要さを増した旧ソ連義勇兵の
存在である。開戦から1年以上を経て、さすがに当初のように数十万単位を
兵力を一度に包囲・降伏させるという機会は希となった。ソ連側が経験を
積んだこと、それだけの大兵力を集中させるだけの余力を失ってきたためである。
かわって、勝ち目のない戦線に孤立して投入された急増部隊が、一線も交えずに
降伏し、場合によってはドイツ軍への強力を申し出るというケースが急増した。
1941年に降伏した捕虜たちを基幹に形成された多数の「義勇師団」は次第に前線
にも投入されるようになり、1942年末にはドイツおよび枢軸国の兵力400万に対
して、これらの「義勇師団」兵力は前線・後方あわせて300万を越えるように
なっていた。1942年12月、レニングラードを首都とする「ロシア国家社会主義
共和国」の建国と共産主義者に対する宣戦布告が宣言された。同時に、
ウクライナ、バルト三国の独立も宣言され、ソ連の解体プロセスが始まった。
476名無し三等兵:03/07/17 00:25 ID:ISWfClVg
>>469
アメリカで銃所有を認めない政権ができたら、市民全員が叛乱を起こすぞ。

シラけるから、これまでにしよ。
477名無し三等兵:03/07/17 00:28 ID:???
ソ連の人口の多くは「ロシア国家社会主義共和国」領域となったヨーロッパ
ロシアに存在しており、42年末までに前線兵力900万人を失い(そのうち300万人
は上記のとおり枢軸兵力と化し、さらに300万人は枢軸側の労働力と化していた)
徴兵すべき人口も限られてきたこの時点では、既に動員可能な潜在的予備兵力は
枯渇していた。極東に貼り付けられていた300万は貴重な戦略予備となりえたが、
「ソ連」がウラル以東から最終的にはシベリアまで追いやられることも現実的な
恐怖となっていたため、シベリアを保持するための極東方面軍からは、大規模な
兵力の転用は最後まで行われず、消耗した部隊の穴を埋めるために数個師団単位
で移動する程度に限られていた。これは「必要に満たぬ戦力の逐次投入」という
最悪のパターンであるが、極東に保持された200万人が、戦後の「シベリア共和国」
の核となり、ソ連の最後の断片として、満州と蒙古に
併合されるまでの短期間存続することになる。

478名無し三等兵:03/07/17 00:29 ID:???
1943年には、それまでのような目だった大攻勢は行われなかった。破壊された
バクーなどの油田の再建と並行して、イランからの原油の輸入が進められた。
2年間の戦闘で失われた耕地や工業施設、各種インフラストラクチャの再建が
必要であり、新生各国は、国家としての体制を整えるため、義勇師団や軍需
産業労働者から、少なからず人員を割く必要があった。
米国は護衛空母の量産により空と海中からの脅威を排除して英国を支援する予定
であったが、太平洋での日本の攻勢により、建造量の半分は太平洋に回された。
レニングラードを始めとするロシアの建艦設備では、未完成だった空母
「グラーフ・ツェッペリン」を始めとする水上兵力と、英本土上陸戦の放棄と
引換えに大増産が指示されたUボートが次々に竣工した。ドイツは待望の英米に
対抗しうる海軍戦力を手にすることとなったが、43年は大半の艦船の乗組員に
とっての習熟の期間であり、積極的な攻勢に出ることはなかった。このため英国
は一息つくことができ、英米空軍によるドイツへの戦略爆撃が開始されたが、
爆撃機・弾薬・燃料が十分ではなく、少数による散発的な攻撃にとどまり大きな
被害を出した。また工業生産の中核は既にドイツよりもポーランドやロシアに
シフトしており、たいした効果が見込めないことから、主として都市の市民を
標的とした爆撃が行われた。これはドイツ側の大規模な報復爆撃を引き起こし、
ハリス将軍は解任され、戦後戦犯として処刑された。
ソ連側は疎開させた工場を核に、生産設備の増強と兵器生産の拡大に努力して
いたが、ドイツ空軍による戦略爆撃と、資材・原材料・燃料・輸送力・労働力
などの不足に悩まされた。

479名無し三等兵:03/07/17 00:30 ID:???
43年の東部戦線で行われた戦闘は、じわじわと狭まるモスクワの包囲と、
ウラル山脈をはさんだロシアとソ連の一進一退の小競り合いに集約される。
この1年間をかけて、東部戦線は独ソ間の戦争から、ロシアとソ連の内戦に
ゆっくりと性格を変えていった。44年に入り、戦線を維持しようとする
ソ連のあらゆる努力は限界に達し、シベリアに向けて敗走を続けた。ドイツ・
ロシア連合軍にも、広大な全ての地域を掌握するだけの兵力はなく、44年の秋に
追撃部隊の一部がエニセイ川沿岸まで到達した時点をもって、独ソ戦の終結が
宣言された。この間に、最後まで抵抗を続けていたモスクワが、食料や物資が
どうしようもなく不足して7月に降伏し、名目上の停戦が発行していた。

44年の始めには東部戦線の終わりが見えていたことから、ドイツはようやく
英米に対する本格的な攻勢を開始した。ドイツ・ロシア・フランス・イタリア
の連合海軍は、1年あまりの訓練期間を経て、曲がりなりにも外洋で英米海軍に
対抗しうる戦力を形成していた。手始めとして、41年7月にインディゴ作戦に
よって米軍が支配していたアイスランドに対し、44年2月に上陸作戦が実施
された。太平洋で日本と激戦を繰り返していた米国は、残った大西洋艦隊を
傷つけることを恐れて出撃を渋り、英艦隊は燃料の欠乏から逼塞したままで
あったことから、海上での大きな抵抗に合うこともなく作戦は成功した。
上陸戦闘に際してさまざまなトラブルは生じたが、貴重な経験を積むと
いった程度であった。なお、この作戦には日本海軍がさまざまな助言や
支援を行っており、これはパナマでの共同作戦へのさきがけとなるもので
あった。
480名無し三等兵:03/07/17 00:35 ID:???
6月には日本海軍と共同してパナマ作戦に参加し、温存されていた
米海軍大西洋艦隊は、事実上消滅した。これにより、44年後半からは独本土
およびアイスランドを拠点とするJu390の戦略爆撃に対して、空母艦載機の
護衛を提供することが可能となり、艦砲射撃とあわせて北米東海岸の主要
都市を順次焦土に変えていった。北米内陸部に対してはJu390の航続距離では
十分ではなかったが、垂直発射の2段式長距離弾道弾A9/A10と、カタパルトに
よる水平発射のゼンガー対蹠地爆弾の2種類による爆撃が、五大湖地域を
主目標に10月より開始された。通常爆弾数トンを送り込むには効率の悪い
システムであったが開発が進められていた核弾頭の利用を想定し、運用試験と
しての意味合いがあったとみられる。

45年に入り、北米上陸作戦の準備が開始された。膨大な船舶が準備され、
東部戦線での経験を積んだ200万の兵力が大西洋を越えることとなった。
準備に約半年を要し、カナダのいくつかの地点が上陸候補として検討
された。6月に入り、ケベックが独立と対米宣戦布告をもくろんでいることを
打診してきたため、それに合わせて作戦を発令すべく調整が進められた。
輸送船団は7月に出航し、8月の独立宣言当日にケベックに上陸、そのまま領土を
通過して合衆国領内に進出した。西海岸と南部での日本軍との戦闘に集中
していた米国は、裏口からの侵攻に十分な備えができておらず、マルタ宣言の
受諾を発表するまでの2週間程度の間に100キロ以上もの進軍を許した。
降伏宣言の後も、米本土に対する足場を確保するため1ヶ月近く戦闘を続け、
東海岸主要都市を包囲した状態で、9月の停戦条約締結を迎えた。
481名無し三等兵:03/07/17 04:51 ID:???
>>465は戦前戦中の日本では市民が自由に銃を所持できていたことをご存じないらしい。
482名無し三等兵:03/07/17 06:29 ID:???
>>466
禿頭
なんか、現在のアメリカで起きている出来事をそのまま「勝った日本」世界に
反映させてるだけってのは考察もへったくれもなくて激しくつまらん
まあ優良なネタ>通常レベルのマジレスという人もいる位だから池沼にはネタスレ
を盛り上げることは難しいのかも
483名無し三等兵:03/07/17 06:50 ID:???
>474
>12月7日、日本と米国が正式に戦争状態となったが、防衛的なものとして締結
された日独伊満四国同盟で

あれ?ソ連のドイツ攻撃でこの条約が発動して、日本陸軍が北方作戦を発動。
チタまで攻め入ったよね?
484名無し三等兵:03/07/17 07:25 ID:???
>>459
最近、国内差別煽りが増えてるなぁ
実家が京城だからなんだっていうんだよ。ヽ(`Д´)ノ バーカバーカ
485名無し三等兵:03/07/17 10:20 ID:???
アメリカには通商破壊戦が効果を出しにくくってやりづらかったそうです。
自給自足できる国ってのは強いですねぇ。
486名無し三等兵:03/07/17 21:43 ID:???
                 ┌─┐
                 |も.|
                 |う |
                 │来│
                 │ね│
                 │え .|
                 │よ .|
      バカ    ゴルァ  │ !!.│
                 └─┤    プンプン
    ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ  (`Д´)ノ    ( `Д)
    | ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄  . ̄◎ ̄   ̄◎ ̄   ◎−>┘◎
モウコネェヨ!ウワァァァン!のカタログをつくっています。
487名無し三等兵:03/07/17 23:12 ID:???
>>485
だから実際には「通商破壊」とは意味合いがちょっと違うんだよね。
通商ではなく、前線への軍事輸送を狙って妨害したわけで。
488名無し三等兵:03/07/17 23:13 ID:???
スマンageた……

ってか、sgaeってなんだよ、sgaeって……
逝ってくる。

   ∧||∧
 ・゚・(  ⌒ -=y ターン
   ∪  ノ ̄
    ∪∪
489名無し三等兵:03/07/17 23:17 ID:???
気にするな
俺なんかsage
490名無し三等兵:03/07/18 00:56 ID:???
>>487
だから、輸送船団のルートが限定されてて、攻撃目標は絞りやすかったけど
護衛が無茶苦茶強力だったからえらい苦労したそうだ。

日本はついには戦艦や空母機動部隊まで投入して輸送船団を攻撃し、
護衛艦隊との間で激烈な海戦も生起したんだよ。
護衛艦隊の方にも戦艦や正規空母が加わってることが珍しくなかったから、
こいつらを食う目的で攻撃を仕掛けたこともあった。

戦果は挙がったが、その分損害も大きかった。
ただ、大規模な海戦が起きたときには輸送船団は引き返さざるを得なかったから、
戦略的には勝利することが多かった。
491名無し三等兵:03/07/18 02:11 ID:???
>護衛艦隊の方にも戦艦や正規空母が加わってることが珍しくなかったから、
>こいつらを食う目的で攻撃を仕掛けたこともあった。
「南太平洋海戦」がそうだな。
日本側が軽空母・改装空母合計3を喪失、
米側が正規空母「ホーネット」を喪失。

「上層部はUボートに比べて、日本の潜水艦が航続性以外の性能や戦略で
劣っている事から、太平洋の対潜護衛をおざなりにした。しかし、実際に
は日本軍の潜水艦の方がUボートより余程危険だった。太平洋のいつどこ
に現れるかも知れず、しかも彼等の魚雷は我々の探知外から輸送船を1発
で粉微塵にしてしまう能力があったのだから」
       ――アーレイ“31ノット”バーグ・戦後仕度で発見された手記より
                    (フォレスト・ジョージ著「真実の大東亜戦争」)  
492名無し三等兵:03/07/18 02:22 ID:???
あ。
大東亜戦争を語るのならこの本、
「真実の大東亜戦争」
は一読の価値があるよ。
著者が著者だけに、かなりバイアスがかかってるけど、
 米国が本土攻撃を全く想定しておらず、都市部が空襲に晒される可能性を
全く考えていなかった事や、加州戦で米軍が(日本軍の進撃スピードを遅く
する為に)市民向けの食料をごっそり持ち去った事なんかが書いてある。
 日本人はよく「あの戦争に勝ったのは奇跡だ! 神風が吹いた!」と言っ
ているけど、実際には米国が隙だらけだった事を、米国人の立場から痛烈
に批判している内容だ。
493名無し三等兵:03/07/18 09:50 ID:???
米国の輸送艦は高速でね。
何しろ前線基地への補給だけ考えればいいもんだから贅沢な仕様だった。
総トン数1万数千トン、速力18ノット、武装も強力なんて豪華船が隊列組んで海原を押し渡ってくる様は
「大名行列」に例えられたとか(襲撃した伊号潜水艦乗組員談)。

それに護衛がまた強力でね。ちょっとした機動部隊クラスがかならず付き添ってた。
襲撃かけた我が潜水艦は度々返り討ちに遭う苦汁を舐めさせられたものさ。
494名無し三等兵:03/07/18 13:26 ID:???
>468
>470
冬戦争への対ソ義勇兵派遣→独ソ関係悪化→原料供給不足→
40年夏時点での経済危機→総動員体制の早期志向という流れはわかるんですが。

僅か三ヶ月で秘密議定書を反故にした経緯と
ゲーリング(&シュペーア)×ヒムラー間の権力闘争とについて、できればいま少し。
495名無し三等兵:03/07/18 16:54 ID:???
>>490>>493
有名なのは戦艦「扶桑」「山城」を投入した襲撃戦かな。
ハワイ作戦前後は空母搭載機、爆撃機、潜水艦や駆逐艦だけでなく二式大艇や水戦、
金剛級の巡洋戦艦群も投入して補給線を締め上げていたし。

潜水艦による補給線破壊に関しては搭載攻撃機「晴嵐」による戦果はありましたっけ?
496名無し三等兵:03/07/18 20:50 ID:???
まったくおめでたい連中だな(藁
497名無し三等兵:03/07/18 21:47 ID:???
>>495
奇襲による戦果はあったけど、大抵は強力な防空網に引っかかって壊滅してしまった。
数を投入しないことには米軍の護衛艦隊は突破できなかった。
結局「晴嵐」は戦略拠点に対するゲリラ的奇襲攻撃に転用され、
パナマで大成果を挙げたのは周知の通り。
だが見るべき戦果はこれだけというのも事実だった。

ただこれは「潜水艦発」に限った話。
ソロモンの基地に配備された「晴嵐」は持ち前の高性能で魚雷艇や潜水艦狩りに大活躍したよ。
498名無し三等兵:03/07/19 00:28 ID:???
”31ノット”バーグは大戦生き残ったっけ?
499名無し三等兵:03/07/19 00:39 ID:???
>>498
田中頼三との戦後の親交ぶりは有名じゃないか。
何度となく合間見えたうちに培われた戦場の友情、とでもいうのかな?
500名無し三等兵:03/07/19 16:34 ID:???
500
501名無し三等兵:03/07/19 19:35 ID:???
>>498
戦後食うや食わずの生活を送っていたのを見かねたわが海軍の某提督が
援助を申し出たら断ったとか、食事に招待したら「もしわが国が勝っていたら、
こんな場所に来る事はなかったでしょう」とスピーチしたとか逸話はかなり
残ってるよ。
502名無し三等兵:03/07/20 01:36 ID:???
>>501
>某提督
角田覚治中将(当時)ですだよ。
よく>>499の件で田中頼三提督と勘違いなさってる方が多いですが。
503名無し三等兵:03/07/20 13:25 ID:???
>>494
>僅か三ヶ月で秘密議定書を反故にした経緯と

(日露戦争でロシア大敗→ロシア軍の士気その後も低下)&
(WW1で日本は陸軍を派遣→ロシアへの武器弾薬供与は限定)
→WW1でロシア軍は弱体→ドイツ「ソ連軍弱し」との意識。

WW1で日本は東部戦線にも兵力投入→シベリア鉄道の輸送能力の
制限から部隊は小規模→日露戦争で世界最初に航空機を運用した
経験を生かし大活躍→ロシア人「ドイツ軍意外と弱い」との意識。

互いの過小評価が遠因で、独ソ不可侵条約も、裏口を確保する
というより、合意に至らなかった範囲についてのチキンレースの
目安となってしまった。ソ連のフィンランド侵攻の際、スターリン
はドイツの参戦も覚悟していた可能性が高い。ドイツはミュンヘン
会談からポーランド分割時までの外交交渉からフランスをはじめと
する大陸諸国の戦意の低さを察し、西方侵攻が短期間で終わるので
あれば、ソ連との関係悪化も辞さずと大規模な義勇兵を派遣した。
冬戦争で、もう少しソ連が優勢であれば、1年早く独ソ戦が
始まったかもしれない。
ちなみにベッサラビアへのソ連の侵攻も予想されたため、イタリア
と合意の上で、ルーマニアへのドイツ進駐も繰り上げられた。
504名無し三等兵:03/07/20 13:29 ID:???
>>494
>ゲーリング(&シュペーア)×ヒムラー間の権力闘争と
WW1で日本陸軍航空隊が活躍した分、ナチス成立における
ゲーリングの人気や集金力は限定的。空軍設立後、それを権力闘争の
道具とする態度が露骨だったため、空軍内からも政権内からも疎まれ
対英航空戦の失敗を機に早々に政権中枢より排除された。薬物使用を
ヒムラーが密告したためとも言われる。
シュペーアは自らゲーリングを追い落とそうとはしなかったが、
生産力が改善しないことをしばしば(ヒトラーの大好きな)
数字で示し、経済大臣としてのゲーリングの無能さを示唆していた。
このためゲーリング失脚後は、建設を担当するトートと、産業全般
を担当するシュペーアに、ゲーリングの経済閣僚としての実権が
分割された。
ナチスの人種論は、ヒトラー自身は国民に受けるための便宜的な
スローガンと考えており、人的資源として必要となれば見直すこと
をいとわなかった。ヒムラーは本質的な人種主義者というよりは
上の意に過大に応じることで自身の役割を示そうとする小役人
タイプで、「ユダヤ人を排除するよりも有効活用を」との方針変更に
唯々として応じた。親衛隊の内部ではこのため相当の混乱が生じ、
その間にシュペーアはドイツ国内での立場を確立した。
独ソ開戦後、再編された親衛隊は警察官僚として治安の維持に努め、
占領地においては市民に親独的な意識を醸成させることを何よりも
重視することとなり、大戦後半の独露連合に貢献した。ヒムラーは
次第に重要な地位を占めるロシアで権勢を振るうことで権力欲を
満たしたと見られる。
505名無し三等兵:03/07/21 14:16 ID:???
あれ、昨夜の書き込みが消えてる?

>503
>504
ありがとうございます。
不可侵条約のそもそもの位置付けについて誤った理解をしていました。
人種論についても、内務省寄りの見解が優勢になっていた点を失念しておりました。
不勉強、恥ずかしいです。
506名無し三等兵:03/07/21 15:20 ID:???
>>504
ヒトラーは今や「スターリン、ルーズベルト以上の独裁者」と言われているけれど、
シュペーアの出す数字をよく理解したあたり、
政治家として優秀であった事は認めざるを得ないわけだね。
507名無し三等兵:03/07/21 19:10 ID:???
「強風」「紫雲」の各量産型では、
主フロートを胴体の後方に引き寄せる形で上げて、空気抵抗の減少を計っていたと思ったけど、間違いなかったか?
508名無し三等兵:03/07/21 19:30 ID:???
>>507
そういう計画はあったけど、試験的に改造してみた結果、
空気抵抗減少によるメリットより重量増によるデメリットの方がでかいと判断された。
量産型には導入されてないよ。
509507:03/07/21 19:43 ID:???
>>508
ごめ、自分で「風防眼鏡」で調べてみた……

 「紫雲」「晴嵐」に関してはその通りですた。
 「強風」については主に横転性能の向上から、三七型から採用されたようだよ。
 前型の一五型は離着水安定性に難があって少数生産に終わってるから、実戦に投入された「強風」はほとんどこれだったみたいだ。
 もっとも、当初1500hp程度だった「火星」が、1800hp以上に向上したから可能になった、って当時自ら開発に携わった川西社長が言ってるね。

 ちなみに試験機は二式水戦。まぁ試験時の評価は>>508氏の通りでつ……
510名無し三等兵:03/07/22 04:44 ID:???
イラク郷土防衛隊設立計画のニュース見た?

 まるで、西米の戦後状況を悪い方向でなぞってないか?
511わんにゃん@名無しさん:03/07/22 13:06 ID:???
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
512名無し三等兵:03/07/22 16:12 ID:???
亜細亜人と白人を入れ替え間違ってるな。
 いまどき珍しいクロか。
513名無し三等兵:03/07/22 18:25 ID:???
>>512
合衆国には結構多いらしいぜ。
この前の日米首脳会談の時も、国務長官が、大統領の声明から、
「ケベックとの対話と圧力」
から、勝手に「圧力」を削除して問題になっただろ。
まぁ副大統領の独断で追記されたわけだが。
514名無し三等兵:03/07/22 19:22 ID:???
>>513
脱ケベック亡命者の爆弾発言は別として上空を監視していた我軍の特殊偵察機が
ケベック上空の大気から核物質を検知したとか核疑惑に関しては色々と出てきているね。

そうでなくても前に偵察機「祥雲」がケベック空軍の戦闘機に接近された一件もあって
今では早期警戒機「層雲」や戦闘機を護衛につけたとか物騒になってきているが。
515名無し三等兵:03/07/22 19:58 ID:???
>>514
とはいえ、核爆弾は綺麗に点火するのが難しいからな。
ガンバレル型でも陸廠式新二号火薬クラスの炸薬が無いと無理。
そんな高性能火薬、あの国に買ったり製造したりする資金はないと思うよ。
516名無し三等兵:03/07/22 21:30 ID:???
核爆発がうまくいかなくても、核物質をばらまく「汚染爆弾」なら
作れるのでは。

しかし、西亜とちがってケベックにはわが国はなかなか手を出さないな。
せっかく西米がわが国寄りなのだから、わが国まで届く弾道弾を開発
するまでは放置でいいって考えなのかな。それとも西米にちゃんと
軍備を拡張して手を汚すようにさせようって考えなのかな。
517名無し三等兵:03/07/22 21:47 ID:???
閣内も一部は発火寸前だけどな。
 何故米合衆国陸海軍は伸びた輸送線を日本帝国海軍の前に晒し、有力な
戦力を徒に浪費する事になったのか。

 主力空母の2隻を失った結果、南部大平洋方面のみならず支那大陸にお
いても戦線の圧縮を余儀無くされた日本帝国陸海軍は、戦力の埋め合わせ
ができる迄の間、水上戦力と基地航空戦力で乗り切らねばならなくなった。
 そこで第八艦隊参謀だった神重徳大佐の発案で、報復作戦「Q作戦」が
実施された。これはいわゆる「一撃離脱戦法」である。「Q」は「急」に
なぞらえて山本五十六聯合艦隊司令長官(当時)が命名したものだ。
 昭和17年9月20日のダッジハーバー砲撃を皮切りに、9月下旬いっぱい、
戦艦金剛、榛名、重巡鳥海、青葉、加古、古鷹、衣笠、軽巡天龍、夕張を
西部太平洋に放ち、夜間闇にまぎれて接近、砲撃、離脱をくり返したので
ある。

 米海軍はこの時、ミッドウェイの帝国海軍の唯一の反撃である伊一六七
潜によるヨークタウン撃沈で、太平洋艦隊における即動可能な空母がホー
ネットとエンタープライズの2隻に減少してしまっており、思わぬ翻弄戦
法に追随できなかった。
 庭先であるパルミラ(9/25:古鷹・天龍・夕張隊)、ジョンストン(9/27:
金剛、榛名隊)の両島を砲撃されるにいたり、米軍の中に動揺が生じた。
 この時、米軍上層部では南部太平洋での反攻を強く称えたものがいた。
ダグラス=マッカーサー大将である。これは自分が権益をもっていたフィ
リピンへいち早く再侵攻する為の主張であったが、悲しいかな、合衆国陸
軍の中で彼の発言力はあまりに大きかった。

 米軍は日本軍が一度、放棄したラバウルに大型爆撃機用の飛行場の整備
を急ぐ一方、ニューギニアの兵站基地ポートモレスビーに大量の兵員を送
り込もうとした。しかし、これは帝国陸軍の誇る一〇〇式司令部偵察機に
よってたちまち日本側の察知するところとなり、帝国海軍はこれを阻止す
るべくソロモンを中心に伊号潜、巡航能力のある呂号潜などを送り込んだ
のである。
 この時、米軍の補給路に対する警戒は皆無に等しかった。帝国海軍の潜
水艦の海中性能や、その戦略の拙さから、Uボート程の脅威ではないと判
断していた。自軍の潜水艦作戦が(その初期においては魚雷の欠陥から、
中期以降は帝国海軍の船団護衛が強化された事から)思うように戦果を上
げ得ていない事も手伝っていた。
 しかし、その代償は大きかった。昭和17年10月度の1ヵ月間だけで、合
衆国は米豪間の民間船も含め、なんと約200万トンという大量損失を被っ
てしまうのである(ただし、航空攻撃や水上艦による戦果も含む)。これは、
日本が保有する船腹の約1/4にも達しているのである。有力な地上兵力が、
海上で徒に失われたのである。

 それでも数字の上からでは合衆国にとってはさほどの痛痒ではなかった
が、軍がチャーターしていた民間船のストライキや、潜水艦などの建造差
し換えに繋がった。一方で、自軍の潜水艦搭乗員は、特に高性能高信頼性
の日本潜水艦魚雷に羨望し、士気を下げた。こうした事象によって、合衆
国は間接的に締め上げられたのである。だが、開戦時生産力で20:1以上の
較差をもっていた合衆国首脳部に、いまだ危機意識は生じていなかった。
 徐々に生産力を兵力に裂かれつつある合衆国の現状と、戦線圧縮で生産
力を復旧し始めた日本、という現状も正しく理解していなかったのである。
 一方、陸軍山下泰文中将からの異例の私的感謝文を受けた日本海軍は、
補給路寸断作戦に自信を着け、以降太平洋全域でこれを行うようになる。

 さぁこまったのは米海軍である。ノモンハン以前の日本帝国陸海軍同様、
米国にも陸海軍間に、お互い政治的優位をとろうとする動きがあったので
ある。まさか「フネが確保できないので作戦出来ません」とも言えない。
 やむを得ず始められたのが巡洋艦や駆逐艦による輸送、実際に従事した
将兵が「マウスキャリアー作戦」と揶揄した戦法である。しかしこれは、
当初は不効率ながらもそれなりの効果を上げていた。
 ところが。米側のウェワク基地砲撃(10/13)に対する報復戦として、日
本海軍はこの輸送路上に戦艦「扶桑」「山城」を中核とした襲撃艦隊を送
り込んでいた。
 結果は日を見るより明らかだった。米海軍は巡洋艦4隻、駆逐艦12隻を
海底に送り込まれた。しかも駆逐艦の大半は、排水量に余裕のあるファラ
ガット型以降の比較的新しい駆逐艦だったのである。
 米軍側も重巡「摩耶」を魚雷攻撃で撃沈し駆逐艦多数を小中破させたが、
輸送任務は阻止され、戦略的に日本の勝利だった。

 日本軍の執拗な補給路攻撃と空襲に悩まされながらも、ようやくラバウ
ルにB−17、B−24が大量運用可能な飛行場を完成させた、そのまさ
に翌日――昭和17年11月7日、払暁。
 突如として、海兵隊詰所が20糎砲で吹き飛ばされた。重巡5隻、軽空母
・改装空母3隻を中心とした艦隊に支援され、海軍陸戦隊と陸軍の再上陸
部隊2万がラバウルに上陸してきたのである。砲撃とウェワクからの空襲
によって徹底的に叩かれた米軍は当初日本軍の上陸戦力を過小評価したこ
ともあり、戦力の順次投入という愚作を起こし、相手より豊富なはずの戦
力をすり潰していってしまったのである。
 そして、米海兵隊員にとっては長い長い“地獄の一丁目”の戦いが始ま
ったのである。
521名無し三等兵:03/07/23 16:11 ID:???
>>517
イラク戦の戦費が膨張して財政が相当悪化したからな。
小泉総理は西亜情勢如何では続投にも黄信号の可能性もある。
522名無し三等兵:03/07/23 20:32 ID:???
>>519
いやいくらなんでも一ヶ月で200万トンはやりすぎ(^^;
Uボートの最盛期だってその数分の一だぞ。

後、>>487-502が先に出ちゃってるから参考にしてくれな。
523518-520:03/07/23 23:38 ID:???
>>522
やっぱり?(精々いって50万トン程度かな)

>>487-502は参考にしたつもりなんだけど、
ちょっと矛盾が出てるかもなぁ……
ちなみに>>490,493の下りはこのあと、昭和17年末〜昭和18年中頃の、
ニューギニア・ラバウル争奪戦後半での出来事と想定してますた。
(このあと"南太平洋海戦"が起きるわけでつ)
524名無し三等兵:03/07/24 00:08 ID:???
>>523
まあ考えてみてくだされ。
50万トンを沈めるには、1万総トンという大型優秀船を、一月で50隻沈めなくてはならないわけだ。
一日一隻以上だよ?
大抵の船はせいぜい数千トンだから、実際にはもっとすごいことになる。
多分君の計算だと、毎日2隻から3隻、沈めなくてはならない。

仮に一つの輸送船団を20隻前後と過程した場合、一月でこれを5つか6つ、全て海の底に叩き込まなければ
50万トンなんて数字は達成できないのですよ。

現実的な数字を出すと、一月で数万トンも沈めればたった一つの戦線としては異常なくらいの大損害になる。
525名無し三等兵:03/07/24 01:12 ID:DYj9Gus9
うざいと臭いを殺ったね。ご苦労さん。
次は親父か。
526名無し三等兵:03/07/24 03:20 ID:???
>>524
了解ですた。スンマソ。
527518-520:03/07/24 03:44 ID:???
(ただひとつ弁明させてもらうとすれば史実の昭和19年度の日本側の被害が、約382万トンで、突き当たりのオーダーが60万トン超えてるんですよね。米豪間には民間航路もあるでしょうし、200万トンはどう頑張っても無理としても20〜50万トンは不可能な数字ではないと考えてました)
528518-520:03/07/24 03:45 ID:???
×突き当たり→○月あたり

今 日 は 厄 日 か 。

   ∧||∧
 ・゚・(  ⌒ -=y ターン
   ∪  ノ ̄
    ∪∪
529518-520:03/07/24 03:46 ID:???
しかも計算間違ってるし。

60万トンじゃねぇ30万トンだよ。<月あたり

だめだ。マジで吊りたい……
530名無し三等兵:03/07/24 10:13 ID:???
>>527
だ・か・ら、それ「日本の」被害でしょ?
各方面の損害全部合計して、しかも米機動部隊や潜水艦が猛威を振るった昭和19年でも
月30万トン程度でしかなかったわけだ。
531名無し三等兵:03/07/24 15:40 ID:???
>>530
史実の昭和19年ではその時点で開戦以降船腹そのものの総数が目減りしているからそれも考えないと。
日本にもっと船があったとして日米の攻撃・防御戦術がそのままだとしたら月30万トンでは済まない結果に
なっていたかもしれない。

アメリカの場合開戦前の船舶と戦時標準船リバティ級とかの戦時水増しされた船を含めて
総トン数は日本のそれを凌駕していたわけだから、大西洋側に引き抜かれたのを差し引いても
太平洋で米軍の補給線を本気で締め上げる場合輸送船団は沈めても沈めてもやって来るので
「三割以上喪失させれば補給路破壊戦は勝利」という法則に従えば>>524の言うとおり
「仮に一つの輸送船団を20隻前後と仮定した場合、一月でこれを5つか6つ、全て海の底に叩き込まなければ」
というのは正しく(全滅とは言わなくても毎回20隻中5、6隻沈めれば御の字。同じ船が数回航海して
生き残れる確率を考えれば乗組員にとっては相当な恐怖になります)
英軍の分も含めて全戦線合わせて数十万トンという結果が出てもあながち嘘じゃなくなってくる。
200万トンは大袈裟だがその辺も考えてくれい。


>>525
襲撃したのは駐留してる陸軍の挺身部隊だっけ?
親父は炭小屋にでも隠れてるんじゃないのか?
532名無し三等兵:03/07/24 22:02 ID:???
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/full2.htmを参照しました
史実で大西洋での連合軍の船舶の喪失は1942年前半に月に70万トン
程度。ドイツの総動員体制が早まっているのと、ウラル以西の
ロシアのリソースが利用できることなどから、大西洋では100万トン/月
程度のスコアを上げたと想定するのは可能ではないでしょうか。
日本は史実の数倍の国力を有しているので、同時期に大西洋と同等の
戦果を上げて、連合軍の損失はトータルで200万トン/月。
米豪間だけで200万トン/月は無理としても、太平洋全域で100万トン/月
なら、>>527 のとおり、米豪間で20〜50万トン/月、戦果が集中した月
にはそれ以上の結果が出たとしてもいいのではないかと。
単純に年換算すると2400万トン/年。アメリカの造船量が1942年に800万
トン、その後平均して年間2000万トン以上は建造しているので、日独が
英米の海運に深刻なダメージを与えるのには、43〜44年には300万トン/月
程度の戦果を上げ続ける必要があったのは確かでしょう。
(それを前提にしないとそもそもこのスレが成立しなくなるし)

ささやかな歴史改変:1940年、イギリスの某刑務所で、特異な性的嗜好
ゆえに収監されていた一人の元数学者が首を吊っているのが発見された。
それが電子計算機とイギリスの歴史を大きく変えたことを知るものは
だれもいない・・・。
533名無し三等兵:03/07/24 22:02 ID:???
>>531
>親父は炭小屋にでも隠れてるんじゃないのか?
ワロタ

今回は陸軍の部隊だったのか。
534名無し三等兵:03/07/24 22:23 ID:???
>>530-532
それと魚雷の性能も加味した方がいいと思う。
あれだけ連合軍を手を焼かせたUボートは、航跡の目立つ通常魚雷と、
低速の無航跡電気魚雷で戦っていた。
日本の魚雷は電気魚雷と通常魚雷のいいとこ取りしたした上、さらに威力の
大きな酸素魚雷を潜水艦にも使っていた。
巡洋艦でも1発で轟沈できる九五式魚雷なら、輸送船など1発で木っ端微塵だよ。
535名無し三等兵:03/07/25 02:10 ID:???
>>533
陸軍神風特務攻撃隊と憲兵隊、特高警察から抽出された精鋭で編成された第20特務機動中隊ですね。
536名無し三等兵:03/07/25 02:40 ID:???
陸軍神風特務攻撃隊っつーと……
通称閻魔の文通相手っつわれる……
537名無し三等兵:03/07/26 00:02 ID:???
神風野郎ですな。
538名無し三等兵:03/07/26 12:35 ID:???
日本潜水艦の襲撃に手を焼いた米軍は、
まず駆逐艦50隻を改造して高速輸送艦を仕立てた(いかにもアメリカ的)。
通常船舶ほどの搭載量はないものの、駆逐艦そのものを使うよりは物資を積め、
何より25ノットの高速で潜水艦を振り切り、また意外に強力な武装で撃退することさえ可能だった。
第2回輸送では、襲撃してきた日本軍水雷戦隊に反撃を加え、
なんと駆逐艦2隻を撃沈してしまった(思わぬ反撃に狼狽した日本の不手際もあるが)。

彼女たちが急場をしのいでいる間、本国では本命の大型輸送艦の建造が進んでいた。
総トン数1万9千トン、速力18ノット。武装は高角砲6門とレーダー射撃指揮装置(!)
装甲こそないが船内は多重隔壁構造でかつ機関はシフト配置(そこまでするか!)
おそらく並の船の5倍以上のコストと手間がかかったこの船は
超特急で建造が進められ、3日に1隻という恐るべきペースで就役を開始した。
1番船「グローリー・ロード」が南方戦線に姿を現したのは1942年12月31日。
奇しくも同じ日、本国ではエセックス級空母1番艦「エセックス」が産声を上げていた・・・
539名無し三等兵:03/07/26 14:51 ID:???
わずか2ヶ月で20隻の大船団を組織するに至った「グローリー・ロード」級は
護衛に訓練を兼ねた「エセックス」を引き連れ、最初の本格的戦略輸送任務に就く。
最初に襲撃を仕掛けた「伊−56」潜の艦長は、潜望鏡に映った光景に絶句したという。
「まるで大名行列だ・・・」
以後南方戦線の輸送船は急速にこの「大名行列」に置き換わり、
襲撃任務に就いた潜水艦たちの手を大層煩わせることになる。
襲撃の成功率は急激に低下し、潜水艦1隻・1出撃当たり3〜4隻あった戦果は
なんと1隻未満にまで落ち込んでしまう(1隻沈めれば在来船数隻分に匹敵する戦果ではあったが)。
それよりも重大なのは、極めて強力な護衛艦隊だった。
我が潜水艦の生還率は、「グローリー・ロード」出現前は8割以上を誇っていたのだが、
正規空母すら含む「大名行列」の余りにも強力な鉄壁の防御の前に、今や6割を切っていた。

この危機的状況を前に、海軍は新たな戦術の模索を迫られることになる。
1943年中盤、南方戦線は新たな局面を迎えつつあった・・・
540名無し三等兵:03/07/26 15:25 ID:???
それまで、青息吐息で戦線を維持していた連合軍が、
今や急速に戦力を備蓄している。
このままでは後数ヶ月を経ずして、連合軍が本格的反攻作戦を開始するのは自明の理であった。
ハワイ方面を圧迫していた日本軍にとっては、柔らかい下腹を長ドスで抉られる、の図式が成立してしまう。

大本営は苦渋の決断を下した。
ハワイへの攻勢を中断し、南方戦線に決着をつける。
トラックに未曾有の大戦力が集結を開始した。
これを察知した連合軍もまた、戦力の集中を急ぐ。
かくて南方戦線で、「大名行列」を巡る大海戦が連続して生起した。
日米両軍とも当時は否定していたが、この間1年以上に及ぶ激戦こそ
まさしく戦争の天王山であり、日本の望んだ「決戦」に他ならなかった。

日本が喪った艦船総数実に60万トン以上。
船団を守るという、不利な態勢を常に強いられた連合軍に至っては300万トンを遥かに超えた。
(守るべき輸送船が1隻2万総トン近い巨大船であったことも大きい)
ちなみに南方戦線の決着がついたとき、日本軍の手には20隻を超える「グローリー・ロード」級があったという(笑
541名無し三等兵:03/07/26 15:40 ID:???
なお、船団の情報察知が最優先課題であったため、
熾烈極まる情報戦が当然の如く生起した。

連合軍は1年以上の長きにわたり、
日本軍に最新の情報戦の何たるかをレクチャーしてしまったのである。
代価は鉄と血と汗だった。



かくて情報戦のエキスパートに成長した日本軍は、
痛烈極まる恩返しを師匠であるアメリカに対して行うことになる。
542名無し三等兵:03/07/26 15:42 ID:???
>>538
>襲撃してきた日本軍水雷戦隊に反撃を加え、なんと駆逐艦2隻を撃沈してしまった
島風級だったか吹雪改級か忘れたが夜間振り切ろうとする高速輸送艦隊に発砲しようとしたら
見張員が雷跡を発見、高速航行中だったので混乱し衝突した二隻に魚雷が命中
自艦の魚雷に誘爆して轟沈。あっという間の出来事だったので生存者は殆どいなかった。
隊列が乱れ艦同士の衝突の危険性があったのでそれ以上の追跡は中止されたが。

>グローリー・ロード級
当時通商破壊任務に従事していた稲葉通宗艦長に「小島が群れをなして動いている」と言わしめたあれな、
高角砲で我が方の中爆が返り討ちに逢う事もままあったが潜水艦から放たれる必殺の改良型酸素魚雷には
自慢の多重隔壁も破壊されて真っ二つだったらしい。
エセックス級も結構不幸な船だよな、あのまま量産が進み数が揃えば脅威だったが大和級を恐れた米海軍の方針で
戦艦量産に走ったから中核となるべき中〜大型空母はキャンセル、作りに作ったカサブランカ級ともども艦載機に
ろくに訓練をさせないまま作ったそばから五月雨式に投入したから護衛どころの話でなく遭遇戦では襲ってきた
「扶桑」や「榛名」など戦艦の砲撃で沈められたのもあったし。
543名無し三等兵:03/07/26 16:03 ID:???
>大名行列

グローリー・ロードの参加が2桁に届くような船団だと、
戦艦や正規空母といった主力艦級が必ず複数護衛に就いたそうだ。
下手すると輸送船より護衛艦の方が数が多いなんて事態も珍しくなかったらしい。

>>540
他にもエセックス級空母やカサブランカ級空母3隻他、
20万トン以上の捕獲艦があったそうだ。
損傷激しく、すぐに使える艦はさすがにほとんどなかったが、
1年〜1年半ほどで我が戦列に続々加わった。
我が軍は60万トンを超える大損害をこれでかなり埋め合わせることができたんだよな。

我が軍からは唯一、巡洋艦1隻が連合軍の戦列に加えられる屈辱を味わっている。
どういうわけか自沈処分に失敗し、修理可能な状態で連合軍に接収されてしまったんだよな。
当然連合軍は散々こいつを宣伝に利用し、
我が軍としてもかつて味方だったこの艦を最重要攻撃目標の一つに加えることになった。
544名無し三等兵:03/07/26 16:08 ID:???
>>540
両軍合わせて400万トン近い艦が海の底に消えたんだな・・・
人的損害も莫大、両軍とも錬度が極端に低下したそうだ。
おかげで南方戦線決着後しばらく、戦闘規模の割に戦果が妙に小さい稚拙な戦闘が随分起きたらしい。

連合軍では自嘲を込めて「第二次いかさま戦争」なんて呼んでたくらいだ。
545名無し三等兵:03/07/26 16:31 ID:???
>>544
45年8月の海戦なんか象徴的だよな。
両軍とも空母3隻、あわせて500機近くの航空機が参戦したってのに
日本側損害16機、米側損害22機。VTを使った対空砲火まで含めてこの体たらくだよ?
艦船なんか直撃を受けた艦は、両軍共にゼロってんだからひどいもんだ。

あまりの不甲斐なさに衝撃を受けた両軍は以後申し合わせたように戦闘を中止し、
45年中は小競り合いさえ月一回起きるかどうか? なんて平穏な状勢が続いたもんだ。
(ただし太平洋限定。インド洋方面では結構波風荒かった)
546名無し三等兵:03/07/26 17:19 ID:Hmrj5NoU
>>544
日本では「八百長戦争」と呼ばれた。
こっちの方が言い得て妙、だな。
547名無し三等兵:03/07/26 19:20 ID:???
この時期に旧合衆国が力で押し切る意志を貫けば・・・
(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
548名無し三等兵:03/07/26 19:34 ID:???
>>545
しかし事故による未帰還機が双方とも100機以上出たという
さらに腰がくだけるおまけ付き。
発艦で事故り、進撃で進路を見誤って迷子になり、敵味方を誤認して空中衝突まで引き起こし(損害の内2割はこれだそうだ)、
帰還中にも迷子になり、着艦では一番損害が出て・・・
母港に帰還した空母の搭載機は定数の5割切ってたという・・・
549名無し三等兵:03/07/26 20:37 ID:???
当時の潜水艦艦長の証言
「43年に入って現れた敵の大型輸送艦には本当に苦労させられたよ。
 魚雷一本で沈むかは五分五分でね、確実を期すためには外れも考慮して
 艦首発射管全門斉射で1隻を狙うしかなかった。
 だがそれはいいんだ。奴を仕留めれば並の船3隻分には相当するから。
 問題は他に2つあった。
 1つは脚がやたら速いことでね、16〜18ノットは普通に出してたな。
 おかげで射点につくのにえらく苦労させられたよ。
 せっかく見つけても雷撃のチャンスがつかめず、見送るしかなかったことは1度や2度じゃなかったね。
 それにもう1つ、アメちゃんも船の価値がわかってるんだね、護衛がとにかく強力なんだ。
 ちょっとヘタ打つとたちまち爆雷の雨だよ。
 俺らの間じゃアイツを沈めた奴は一種の英雄だったね。
 基地に戻ったら酒でそいつを撃沈するのが楽しみだったよ。
 でも基地に戻る度に艦長連中の顔ぶれが変わっててね・・・」
550名無し三等兵:03/07/26 20:53 ID:???
>>549
おまえクロだろ。
当時の艦長が「43年」なんていうかよ。それとも独潜水艦長の話か?彼らは彼らで血の滲むような
苦労をしたそうだが、そういう話はお前の母国では良く伝わってるだろうな。
で、ケベックじゃ正月のスープは何を食うんだい?
551名無し三等兵:03/07/26 20:55 ID:???
>>542
白霜型(改島風型)だよ。
巡航用機関をディーゼルにしていたが、
その為戦闘時に直ちにボイラーの出力を上げられるよう、
ディーゼルの冷却液廃熱でボイラー水を余熱できるようにしてあった。
画期的な構造だったが、この時はそれがアダになったんだな。

>>545
自分達はVT信管を開発しておきながら、
日本の対空火器に対する研究はまるでしていなかった。
第二次ハワイ沖では、廉度不足で直線的につっこんでくることしかできない米艦載機が、
大量に三式弾の餌食になった。

ところで、45年→43年の間違いだよな?
45年なんて、もう米艦隊なんてほとんど残ってないぞ……

>>547
逆だ。合衆国でもエセックス級のような空母を一気に何隻も建造できるわけではない。
主な造船所はモンタナ級に占拠されてたしな……
その上で自信の力を過信して、日本側の防御の厚いところへ飛び込んできたから、
順次撃破されることになったわけだ。
その間、陸上機と水上艦艇で戦い抜いた日本は、
開戦前に倍する機動部隊を育てることが出来た。
552名無し三等兵:03/07/26 21:10 ID:???
>>548
日本側は理由がある。
艦上機としては決して優秀とは言えない液冷機である二式艦戦を、
完熟訓練も半ばに実戦に投入してしまったからだ。

しかし、43年末以降、二式艦戦が事実上の日本海軍の主力戦闘機として活躍したのは言う間でもないこと。

44年後半には軽空母にも空冷型が配備されて、零戦はどうしても長距離飛行が必要なごく一部の戦線にしか配備されなくなった。
(ちなみに、陸上基地では液冷型も空冷型も使った。
553名無し三等兵:03/07/26 22:08 ID:???
パイロット自体は陸軍でも海軍でも日米開戦前から
かなり重要視されて大量育成されていたからな
特に日中開戦以後の戦線拡大に伴って
陸軍航空隊が大量育成に優れたノウハウを手に入れていたのが大きかったな
海軍はどちらかといえば質重視だったけど
こちらも渡洋爆撃で種々の問題を抱えてから
ターンオーバー制とその実現の為に出来うる限り交代要員の質を落とさないように
パイロットを増やしていたおいたのが幸いしたな
ただ整備隊は相当大変だったらしいけどね
554とし:03/07/27 00:56 ID:NgT8QxZY
二次大戦における、独ソ戦の経緯をお教えください。
555名無し三等兵:03/07/27 01:05 ID:???
>>551
いや、アメリカはエセックスやモンタナといった大艦建造できるドックや船台を16基も持ってるんだが・・・
中にはエセックスなら3隻同時に建造できるんじゃないか? なんてふざけた超巨大船台まであるし・・・
556名無し三等兵:03/07/27 04:29 ID:???
>>555
そのうち6基をモンタナ級、2基をアイオワ級が占拠。
エセックス級の割り当ては当初最優先と言われていたはずが、
第一次ウェワク沖海戦で武蔵が1隻でノースカロライナ級2隻を撃沈破してしまった
結果、計画が吹っ飛んでしまった。
557名無し三等兵:03/07/27 04:30 ID:???
 空冷の方が出力に対し軽量であること、大東亜戦争以前は乾燥地帯であ
る満蒙での使用が主だったことから、日本は液冷発動機の開発に不熱心で、
主に外国製製品やその改良デッドコピーを少数の機種に採用していたのみ
であった。
(決して技術力不足のみが原因でなかったことは、空冷発動機の開発状況
を見れば一目瞭然である)
 しかし、太平洋で戦争勃発の危機が迫ると、前面投影面積を小さくでき
る液冷発動機を使用した高速機にも興味を持ちはじめる。
 開戦直前の昭和15年、陸軍はドイツから戦闘機用発動機として、ダイム
ラー・ベンツDB601のライセンスと見本を購入し、川崎ハ−40として生産
する計画を立てた。
 一方、前年にDB600を購入し、陸軍と同じくDB601のライセンスを購入し
ようとしていた海軍だったが、陸軍への反目から(この時はまだ、お互い
への不信感が強かった、特に航空本部長だった井上成美提督は大の陸軍嫌
いで有名だった)、「同じものは使いたくない」という意識から、同じド
イツ製でもユンカースJumo211のライセンスと開発中のJumo213の図面を購
入し、愛知「熱田」として生産準備を整えていった。

 ドイツの工業製品は高性能だが精細で、凄惨に手間がかかる物が多かっ
た。DB601もその典型で、高回転ではあるがその分生産に手間がかかり、
信頼性も、米国の禁輸政策で資材の質が落ちていた日本では、ドイツと同
等のそれを確保できなかった。
 Jumo211も根本的な問題は同じだったが、(DB601と比較して)鍛造部品を
多く用い、また定格回転数もやや低めであったことから、なんとか使いこ
なすことが可能になった。
 この為海軍の方が先に「熱田」の量産体制を整えることができ、二式艦
戦の早期の戦力化に成功した。
 一方、陸軍の三式戦闘機は配備開始こそ海軍に3ヵ月の遅れで開始した
が、発動機の初期トラブルと生産遅延に悩まされ、結局、昭和18年末に、
Jumo211をベースとした出力向上型を川崎ハ-141として採用するに至った。

 しかし、Jumo211も量産性と言う点で空冷発動機に劣っていたのは事実
で、陸海軍とも空冷型(海軍AXS5、陸軍キ−100)の採用に至っている。

 そして、昭和18年、三菱の空冷18気筒発動機MK9、海軍名「土星」・陸
軍名ハ−104の完成により、「液冷か空冷か」の論争に決着がつくことに
なった。キ−61/AXS2は、帝国陸海軍最初で最後の全金属低翼単葉・液冷
戦闘機となったのである。
560名無し三等兵:03/07/27 12:42 ID:???
(´-`).。oO(2.2ってどうしてスレッドストップかかってないんだ?)
561名無し三等兵:03/07/27 12:46 ID:???
陣風を水上機に改造した四式水戰ってなかったっけ?
562名無し三等兵:03/07/27 14:17 ID:???
>>543
最上級の「三隈」だっけ?
機関故障で隊から遅れて航行中に襲ってきた米艦爆隊の爆撃がいきなり艦中央部に命中。
戦闘指揮、通信能力と甲板上の乗組員のほとんどが死傷した。
一応駆逐艦一隻が護衛に付いていてこちらはぎりぎり回避して大破した艦から乗組員を収容し
艦を曳航しようとしたが米艦隊の接近を確認、もはやこれまでと「三隈」を処分する為魚雷を発射して離脱したが
魚雷は不発、そのまま鹵獲されてしまった。
563名無し三等兵:03/07/27 19:09 ID:???
むしろKi-61シリーズは大戦末期から戦後にかけて大東亜各国に輸出されたり
ライセンス生産されたマ式発動機搭載型のほうが有名だね
英国製のこの発動機のおかげで評価が一変したけど
時代はすでにジェットに傾いていたし4式戦の配備が進んでいたこともあって
大戦での活躍の場はほとんどなかった
ただ一時期戦後世界各地での紛争では結構目にすることもあったらしい
564名無し三等兵:03/07/27 20:11 ID:???
>>561
ああ、川西お家芸の水上機な。
結局水上戦闘機は「強風」三七型がだぶついていたのと
二式大艇やその輸送型「晴空」。「紫電改」や本家「陣風」の開発生産に追われていたので
「晴嵐」と同じくパナマ作戦に少数配備されたに過ぎなかった
565名無し三等兵:03/07/27 20:51 ID:???
宮城の地震で松島基地の航空祭は中止。残念がるひとも多かろう。
陸軍からは第六師団が派遣されたとのこと。こういうときはわが軍は
迅速で頼りになるな。
566名無し三等兵:03/07/27 20:53 ID:???
熊本から?
宮城の第二師団は壊滅?
567名無し三等兵:03/07/27 23:57 ID:???
第二師団はイラクに行ってるのではなかったか?
在イラク皇軍の将兵は自宅の安否が心配だろうな。
568名無し三等兵:03/07/28 01:53 ID:???
>>566-567
第二師団はイラクに派遣中だ。

第六師団は洋上移動の訓練をつんでいるから、それを生かしたんだろう。
地上からだと、鉄道はともかく、道路は地震+週末で混乱しているだろうからな。
569名無し三等兵:03/07/28 02:05 ID:???
>>561,564
翼配置が違うから、A8K-Nっていう形式になっていたけど、
実際には「陣風」自体が「強風」から発展した戦闘機だから、
先祖帰りした格好だね。

ただその時期で愛称名ではなく年式で呼ばれていることからもわかるように、
最初から大戦には間に合わないことを承知での少数採用だったんだな。
570名無し三等兵:03/07/28 08:49 ID:???
>>562
で、「帝国海軍の恥」「海軍丙事件」とまで言われた三隈は最終的にどうなったのでせうか?
571名無し三等兵:03/07/28 11:13 ID:???
>>570
あの時三隈はある程度動けたので機関長以下二十数名が艦内に残って復旧作業をしていた。
「万が一の時は構わず魚雷で沈めてくれ」と駆逐艦長に伝言を残してな。

しかし拿捕寸前で駆逐艦の放った魚雷は不発。幸か不幸か生き延びた三隈の乗組員は
今度は米軍艦艇から乗り込んできた米兵にスパナや鉄パイプを手に絶望的な白兵戦を挑み
一時は艦を奪い返したが今度は米軍がガス弾を打ち込んで結局全員が戦死した。
三隈の鹵獲はその数日後アメリカの新聞がこのとき死んだ水兵を甲板に並べこれ見よがしに公開して発覚したんだが。
572名無し三等兵:03/07/28 15:41 ID:???
>>571
ガス攻撃とは鬼畜ですな
573名無し三等兵:03/07/28 15:54 ID:???
>>541

>かくて情報戦のエキスパートに成長した日本軍は、
>痛烈極まる恩返しを師匠であるアメリカに対して行うことになる。

ああアレか。
史上最大の暗殺事件と言われた・・・
574名無し三等兵:03/07/28 15:59 ID:???
>>572
 この時護衛を担当していたのは、大東亜大戦に参加した最古の駆逐艦
「睦月」級「涼月」。艦長は「三隈」に放った魚雷が不発だったことを
悔やんだというが、「涼月」の奮戦ぶりは特筆に値するよ。
 米側水雷戦隊8隻に取り囲まれながら、2隻を返り打ちにして突破、
脱出に成功したんだから。

 その後、日本軍技術の研究、修理の後米巡洋艦「アラスカ」として戦
線についた。
 しかし、アメリカ側の落ち度はこの時搭載されていた三式弾を、単な
る改良型榴弾と勘違いして、対空火器であることに気がつかなかったこ
とだ。


 「三隈」改め「アラスカ」は第一次パナマ海々戦に参加したが、被弾
した「エンタープライズ」が離脱する際、護衛についた。
 そしてやはり飛行甲板損傷状態の「加賀」と護衛の「涼月」「朝霜」
と遭遇。
 「エンタープライズ」と「加賀」の砲撃戦の最中、「涼月」は最新型
白霜級「朝霜」と共に「アラスカ」を襲い、魚雷2本を命中させて撃沈
した。
 「涼月」は最終的に目的を果たせたんだな。
575二式艦戦(川崎AXS)の各型:03/07/28 16:28 ID:???
一一型(AXK1)
 キ−61I〜乙をほぼそのまま、アレスティングフックの追加と翼端部の
折り畳み機構を取り付けて艦上機化した機体。発動機はDB601をベースと
した川崎製の陸軍ハ-40。川崎航空機初の海軍機であり、海軍戦闘機とし
ては初めて12.7粍機銃を採用した機体でもある。内地及びトラックに地上
機として配備され、主に慣熟飛行に使用された。少数運用で、全て川崎製。

一一型甲(AXK1改)
 陸軍キ−61丙。ドイツから輸入されたモーゼル(マウザー)MG151/20を取
り付けた機体だが、モーゼル社はこの機銃のライセンスを発行しなかった
為、少数生産に終わった。うち、海軍に引き渡されたものはわずか5機で、
うち1機のみが愛知製。

一二型(AXK1a)
 ユンカースJumo211の国産・高圧水冷化バージョンである愛知「熱田」
の製造が予想以上に順調だった為、二二型の胴体生産が間に合わず、やむ
を得ず川崎製胴体の発動機架と冷却器覆いを愛知型のものに取替えて完成
させたもの。

二二型(AXK2)
 愛知時計電気にて本格的な艦上機とする為に改修、主翼を14番リブの位
置で折り畳めるようにし、機首機銃を20粍機銃に変更した機体。この時の
20粍機銃は九九式二号FFLであるが、陸軍ホ−103に換装することも可能に
なっている。発動機はJumo211を国産・高圧水冷化した「熱田」一二型(※)。
その為冷却器覆いの形状がキ−61Iとは変更されていて、川崎・土井技師
の得意とする直線的な胴体に、愛知流の丸みを帯びた冷却器覆いがつくミ
スマッチ感が以降の特徴となった。製造は主に愛知で行われたが、陸軍も
キ−61I改として運用している。
576二式艦戦(川崎AXS)の各型:03/07/28 16:29 ID:???
三二型(AXK3)
 陸軍キ−61丁に準じて改修した海軍型で、陸軍ホ−5、海軍名二式二〇
粍航空機銃を搭載する為に機首が20cm延長されている。空技廠では視界悪
化を懸念する評価があったが、実戦では高性能の新20粍機銃が搭乗員の絶
賛を買った。しかし、機体が大型化したことによる性能低下は否めず、
「熱田」二二型の製造開始とともに以降の型に切り替えられた。

三三型(AXK3a)
 1420hpに性能向上した「熱田」二二型を搭載、機体大型化による性能低
下を補ってなお余裕のある性能向上型で、高圧水冷型の最多生産型
(約7,000機、ただし陸軍キ−61は含まず)。第二次ハワイ沖海戦(連合軍呼
称「パルミラ沖海戦」)における、「パルミラの七面鳥撃ち」を果たした
のは本型と七六型である。外観では三二型とほとんど変わらず、製造番号
以外で見分けるのは難しい。本機の登場に前後して陸軍はダイムラーベン
ツDB601の選定が誤りであったことを認め、愛知のライセンスでほぼ同じ
型の川崎ハ−141を採用したが、こちらは冷却系は元のJumo211と同じ形態
で、搭載するキ−61IIも、冷却器覆いは川崎型のままだった。

五八型(AXS11)
 戦後型。「熱田」にかわり、英国製ロールスロイス グリフォン発動機
を搭載した型で、主に輸出用に製造された。グリフォン発動機は当初ロ式
グ号発動機と呼ばれていたが、後に三菱重工がインジェクター化したもの
(海軍呼称「月光」)を逆輸出するようになり、本機も生産途中でそちらに
切り替えられた。武装は三三型とほぼ変わらない他、冷却器覆いも川崎型
となっている。
577二式艦戦(川崎AXS)の各型:03/07/28 16:31 ID:???
六五型(AXS5)
 番号は高いが実際の登場は三二型より先である。キ−61/AXS空冷型の第
一号で、三菱「金星」五四型1300hpを搭載。速度は560km/h程度にまで低
下したが、格闘性能は全シリーズ中もっとも高いとされている。先行試作
的意味合いが強く、同じ発動機を搭載する最終期の零戦が重用された為、
数百機がつくられたに留まった。

七五型(AXK5a)
 三二型同様、ホ−5を搭載した型。ただ高圧水冷型と異なり、全長の短
い空冷発動機を採用していた為、機首の延長はなく、銃機関部覆いのみが
変更された。これがまた、愛知流の涙滴型なのだが、後に七六型相当のキ
−100を採用した陸軍でも、この銃機関部覆いをそのまま使っている。一
方従来の冷却器覆いは川崎型とされ、オイルクーラーを収めていた。

七六型(AXK5b)
 水冷型の三三型にあたる機体で、発動機を「金星」六四型1500hpに変更
した機体。空冷型の最多生産型(甲型含め約5,000機で三三型より少ないが、
七五型、八七型がほぼ同じ構造で3,000機以上生産されているので、総数
では空冷型の方が多い)。陸軍キ−100はほぼ同型である。

七六型甲(AXS5b改)
 米軍の高々度爆撃機、B-17やB-24に手を焼いた海軍が、主翼装備に30粍
機関砲を搭載してこれの迎撃に充てた機体。陸軍のキ−100I乙に相当す
る。しかし搭載の為に主翼下部に銃機関部収容の膨らみが出来、重量増で
運動性は悪化した為、搭乗員には不評だった。空母に搭載され、体当たり
攻撃に対抗した。
578二式艦戦(川崎AXS)の各型:03/07/28 16:32 ID:???
八七型(AXS5改)
 陸軍キ−100II。コクピット下方にターボチャージャー、愛知型冷却器
覆いにインタークーラーを収めた、高々度迎撃仕様。武装は七六型甲と同
じく、主翼に30粍機関砲を搭載している。1000機程製造されたところで終
戦、しかし約200機がパナマに配備され防空に活躍したが、米側はB-26マ
ローダーやA-20ハボックなどで低高度高速侵入を主としたため、せっかく
の高々度性能は生かすことができなかった。全て川崎製で、艦上装備は付
けていない。

九九型(AXS15)
 戦後型。「金星」に変わり三菱「土星」四二型2400hpを搭載した型。五
八型同様、主に輸出用に製造された。中共動乱に「陣風」と共に汪兆銘政
権に貸与され、毛沢東パルチザンへの攻撃に使用された。


(※)……「熱田」一〇型はダイムラーベンツDB600の研究用コピーである。
579名無し三等兵:03/07/28 18:44 ID:???
>>574
以前怪奇譚板でみたんだが、その前夜三隈の機関長と機関学校同期だった加賀の機関長
が夢で三隈機関長に遭ってなんか言われたんだってな。
580名無し三等兵:03/07/28 21:27 ID:???
>>578
帝国占領下の米国工場のアリソンやパッカードマーリンを積んだ型も語って欲しかったな
発動機の不良が少ない上にすぐに発動機部品や補機の補給が効いたので
現場じゃかなり重宝したらしい
戦後各国に輸出された型にはこれらも結構入ってるし
これらの型が後のグリフォン搭載型の開発ベースとなったんだよね
結構生産された上にあちこちに輸出されたため結構残ってて
映画なんかでよく見る実機もこれらが多い
「海軍大戦略」とか「ラバウルの星」なんかに出てる奴が有名だね
581575-578:03/07/28 23:44 ID:???
>>580
 補完スマン。
 ただそのあたりは正式な型番は与えられていないんだよね。
 あくまで戦利品流用って考えがあったから。
 (実際には、その為にアリソンやツインワスプをわざわざ生産したんだが)

 アリソンは高々度性能が低く、マーリンはキャブレター式のレスポンスが
悪く、インジェクター式の「熱田」や「金星」(四三型以降)に慣れた搭乗員
には評判が悪かった。軽くて運動性の高い、空冷型にR-1820ツインワスプを
搭載した型が一番生産されたらしい。
582575-578:03/07/28 23:51 ID:???
連書きごめ、追記。

 「米製なので信頼性が高い」というのは昨今の、帝国や旧西米での架空
戦記で描写された誤解らしい。

 「続々・大空のサムライ」で、坂井三郎氏が次のように述べているよ。

「当初空技廠は米国製発動機の信頼性に機体を寄せていたようだが、
(中略)実際には米国兵器は『壊れても補充が効く』ということもまた前提
としていた。(中略)東海岸からの資材の輸送が断たれた状態では、愛知の
丁寧な工作によってつくられた「熱田」と同程度の稼働率しか保持できな
かった」
583名無し三等兵:03/07/29 20:30 ID:???
そして戦後大量に余ったそいつらが国家社会主義陣営との最前線の同盟諸国にただ同然でばら撒かれるわけだ
西米がいち早く経済を立て直せた一因だな
584名無し三等兵:03/07/29 20:50 ID:???
佐藤大輔発見
585名無し三等兵:03/07/29 22:11 ID:???
>>579
第一次パナマ海々戦で『加賀』が損傷、離脱した夜損傷の処置と点検を終えた機関長が
休息していると突然「随分と出世したじゃないか」と話しかける声がする、
振り返ると『三隈』の機関長がひょっこり現れた。
普通死人が突然現れたんだから驚いても良さそうなものだが極限まで疲労していた
『加賀』機関長はこの旧知の友と普通に会話していたらしい。

取り留めの無い話を小一時間続けていると『三隈』の機関長はそろそろ艦に戻らないとと言い出した
『加賀』機関長は酒ぐらい出すぞと引き止めたが部下が待っているからと聞かない。
そして去り際「貴様は昔から几帳面だがたまにそそっかしい所があったな。」「良い部下だ、一人も死なすなよ」と言い残して
戸の向こうに消えていった。

そこでハッと目が醒めた『加賀』機関長はもう一度部下に総点検を命じると冷却系に損傷が見つかった。
ほとんど目を凝らさなければ見えないほどの傷だったが最悪再び最大戦速を出せば以上異常加熱し爆発する
危険性があったらしい。

きっと機関故障で死ななくて良い部下を死なせてしまった『三隈』機関長が同期の友人を助けに来たんだろうなぁ・・・。
586名無し三等兵:03/07/30 01:09 ID:???
>>583
パナマなんかツインワスプ型のデッドコピー機をつくって、ハワイ王国やコスタリカに輸出していたほどだよ。
587名無し三等兵:03/07/30 07:28 ID:???
>>585
ああ、その話だ。もしかして怪奇譚板に書かれた本人ですか?

たしか、向こうで書かれた時には書いた人の祖父か大叔父だったかが加賀の機関科
員ということで、その総点検に参加した後で機関長から聞かされた話として紹介され
てた。
588名無し三等兵:03/07/30 12:03 ID:???
>>586
南米だけじゃなくアフリカにもな。

但しこちらはアフリカの旧英仏勢力の一掃したかった独逸が積極的に
援助していたから南米以上に成果は上がらなかったが。
成功したのは南アフリカなどアフリカの南の方ぐらいじゃないのか?
589名無し三等兵:03/07/30 13:05 ID:???
>>588
 といいつつ、独逸のやり口もなあ。
 援助と一緒に「顧問団」送りつけてるわけだし。
 それで、政治的な「助言」も行うものだから実質的に傀儡。だから、逆に部族抗争で政権が
 ひっくり返るともう目も当てらんない。下手しなくても精緻きわまる独逸の工業製品だから、
 顧問 団追い出した途端に可動率がガタ減りして、挙句の果てには共食い整備が始まって
 しまう。

 逆に、南アフリカなんかはまだ自力整備するのには「何とかなる」レベルだったから、
 今や兵器産業ではかなりシェアを伸ばせるくらいまで工業力をつけられたわけで。

 世の中何が幸いするかわからんね。
590名無し三等兵:03/07/30 22:43 ID:???
大戦中のわが国の造船能力としては雲龍型の量産がよく
取り上げられますが、戦時標準船の量産は、昭和17,
18年の消耗戦をしのいで、昭和19年には北米上陸戦を
支えるほどになったんですよね。

造船量と船舶保有量の変遷について、詳しい方、簡単に
まとめてもらえないでしょうか。あと、それを可能にした
造船設備についても。
591名無し三等兵:03/07/31 02:56 ID:???
>>590
造船設備については、中小の造船施設が宮城、函館、釜山を中心に増設されたが、大型船ドックというものは余りつくられていない。
これは、当時の輸送船の規模が小さかったこともあるが、造船所の数を増やすより、船型の規格化、部品の量産強化によって造船期間を著しく短縮することが可能になった為である。海軍艦でも、「雲龍」
592名無し三等兵:03/07/31 02:57 ID:???
途中送信失礼。

海軍艦でも、「雲龍」級、「松」級などはその主砲を用いることで大量建艦に成功しているわけである。
593名無し三等兵:03/07/31 03:58 ID:???
>>590-592
海軍工廠・船渠スレを見れ。
昭和初期の日本の主要造船施設が全部載っている。
ゆうか氏の力作だ。
594名無し三等兵:03/07/31 20:53 ID:???
 第二次パナマ海々戦の勃発した翌々日。
 自由フランス軍の指導者シャルル・ドゴール将軍は、ロンドンの英国首
相官邸に呼び出された。
 迎え入れたウィンストン・チャーチル英国首相の複雑そうな表情に、将
軍は嫌な雰囲気を覚えた。
 そしてそれは、首相の口から現実の物として吐き出された。

「将軍、とても悲しい訃報がある」
「訃報?」
「数時間前、ルーズベルトが死んだ。過度の心労が引き起こした心不全だ」
「…………」
「現在、副大統領が職を引き継いでいるが、アメリカはもうダメらしい。
米海軍は先日の海戦で壊滅した。日本軍の空襲を阻止する力はもう残って
いないようだ」
「……首相、それが私と何の関係が」
「……将軍、言いにくいことだが、我が大英帝国は日本帝国と講和するこ
とにした。お互い単独講和だ。もう、交渉は進んでいる」
「なんですと!?」
「アジアの植民地はほとんど手放すことになるだろう、だが、仕方ない。
我が国もドイツとの戦争を続けながら、これ以上アジアで作戦行動を起こ
すだけの余力はないのだ」
「首相、ファシスト共の軍門に下ると言うのですか!?」
「将軍、私は貴方とよき友人でありたいと思っている。しかし、それ以前
に私は大英帝国の首相だ。この国を亡国にするわけには行かない」
「……それでは、我がフランスの自由はどうなるのですか?」
「将軍、戦争は子供の喧嘩ではないのだよ。ここで徹底抗戦することは簡
単だ、しかし、それで我が国がナチに屈服することになったら、ヨーロッ
パの民主主義全てが潰えることになる。将軍もそれは本意ではないだろう
?」
595名無し三等兵:03/07/31 20:53 ID:???
「だからと言って、アジア人のファシストを野放しにすると言うのですか」
「日本帝国は五族共和、大東亜共栄圏を称えている。我々と主観こそ違う
が、彼等もまた、自分達流の民主主義を興そうとしているのだ」
「詭弁だ!」
「落ち着きたまえ、将軍。もっと理性的に考えよう。日本帝国がアジアの
自由を求めているのなら、必ずナチとは袂をわかつ。そして、今度はドイ
ツと日本帝国が対立する時代が来る。既に、対米戦を巡って対立が起きて
いるようだ」
「…………」
「日本帝国がアメリカとの戦争を乗り越えたなら、ドイツはもとより、以
前のアメリカよりさらに強大な軍事力を持つことになる。彼等の力を借り
る事ができれば、ヨーロッパ大陸に再び民主主義を取り戻せる日が来る。
もちろん、フランスにもな」
「…………」
「すまぬ、将軍、一時だ、一時耐えてくれ」
「……わかりました、首相。全ては、明日の自由の為に」
「ありがとう、将軍」

 それから数カ月後、日英単独講和は成立した。
 しかし……フランスが、ヨーロッパがナチス支配の暗黒の時代から解放
されるまでには、50年、かかった――
            (フォレスト・ジョージ著「真実の大東亜戦争」より)
596名無し三等兵:03/07/31 21:44 ID:???
>>589
しかし独製兵器が異様に息が長いのも事実だよな、
小火器もそうだが前にアフリカの部族紛争で第二次大戦の戦車がいまだに現役なんて話を聞いたぞ。
597名無し三等兵:03/07/31 22:28 ID:???
>>593 本スレ版つくってみますた。

昭和3年に重工業化5ヵ年計画が策定された。第一次大戦時に
大量建造された老朽船の代替と、昭和和6年の沿海州事変を機に
将来の対米戦を視野に入れ、造船設備の更新・拡充が進められた。
また平時標準船が定められ、税制や補助金によりとして商船の
規格化・高性能化が進められた。
昭和12年には中国大陸の状況から数年内の対米戦は必至の
状況となり、平時標準船の船型を5種、動力を4種(ボイラー、
ディーゼル。出力大小各2種)に絞り、一段と量産性を考慮した
戦時標準船が定められた。基本船型は以下のとおり。
 貨物船:総トン数 7000トン、5000トン、3000トン
 油槽船:総トン数 10000トン、5000トン
船体を共通化した護衛空母や海防艦も多数建造された。

船台・船渠をあわせた主要造船設備数(昭16)
       内地 首長国 満州 沿海州 半島 台湾 他  計
 10000トン級 105  22  26  11   7  8 19  198  
  5000トン級 120  46  34  17   11 13 24 265
船台・船渠をあわせた主要造船設備数(昭19)
       内地 首長国 満州 沿海州 半島 台湾 他  計
 10000トン級 118  24  30  13   8  8 26  227
  5000トン級 166  65  41  22   31 13 38 378
昭和16年には、ラインあたり平均建造数は2隻/年だったが、
ブロック工法の本格導入などで大戦後半には4〜5隻/年に
生産性が向上した。
598名無し三等兵:03/07/31 22:29 ID:???
各国船舶保有量の概略推移(単位:万トン、千トン以下の小型船除く)
    昭16 昭17 昭18 昭19 昭20
日本(満州他含む)
 保有 1600 2000 2600 3300 4400
 喪失  -   200  400  300  100
 建造  400  800 1100 1400 1300
ドイツ(仏・露・ノルウェー他含む)
 保有  500  600 800 1200 1900
 喪失  100  100  200  200  100
 建造  200  300  700 900 800
米国
 保有 2800 3200 3600 3500 3000
 喪失  300  900 1700 2500 1600
 建造  800 1300 1600 2000  500
英国(英領含む)
 保有 2200 1900 1400 1500  900
 喪失  500  800  400 1000  400
 建造  200  400  500  400  100(米国からの輸入含む)
日本はフィリピンで米海軍が保有していた魚雷の大部分を破壊したほか、
緒戦で米潜水艦隊に大打撃を与えたことから昭和17年前半まではさほど
大きな被害を受けていない。昭和17〜18年の消耗戦では、大規模な
船団護衛により損失を造船量以下に押さえた。昭和19年の米本土上陸は、
日本の保有する輸送船を根こそぎかき集めて可能となったもので、
地上戦が長引いた場合は補給に不安が残るものであった。
米国では日米開戦後、造船設備の大幅な拡大を計画したが、
昭和18年に太平洋・大西洋両岸で損失が増加し、昭和19年には
本土空襲や港湾封鎖のため生産は計画を下回り損失は拡大した。
英国は自国での建造よりも米国からの援助に依存していたが、
ドイツのUボートと長距離哨戒機による封鎖により、大きな打撃を
受けていたことが示されている。

599名無し三等兵:03/07/31 22:31 ID:???
各国軍用機生産数の概略推移
    昭15 昭16 昭17 昭18 昭19 昭20
日本 8000 14000 18000 20000 24000 18000
満州 6000 12000 17000 22000 30000 26000
ドイツ 12000 18000 25000 32000 45000 35000
イタリア 2000 2000 2000 3000 3000 2000
ロシア - - 5000 25000 38000 17000

米国 13000 26000 48000 86000 65000 33000
英国 16000 23000 20000 25000 15000 12000
ソ連 11000 16000 20000 10000 4000 -
日本は日露戦争より伝統的に航空機を重視していたが、満州は広大な
土地と資源を有し、また生産設備が新しく、量産では日本を越える実績
を示した。(日米開戦により日本は大陸に本格参戦し、数年間補給を
遮断され孤立していた大陸の在満米軍は短期間で降伏した)
欧州ではソ連脱落とロシア枢軸参戦が大きかったことがわかる。
米国の生産力は圧倒的で、本土空襲や地上戦が始まった昭和19年でも
世界最大の生産量を示している。昭和20年においても東海岸や内陸部を
中心に、依然として巨大な生産力を維持していた。
600名無し三等兵:03/07/31 22:33 ID:???
日米開戦から停戦までに竣工した日米の軍艦
  日本     米国
戦艦
 大和型  2   ノースカロライナ級  4
 紀伊型  1   サウスダコタ級    4
         アイオワ級      4
        (モンタナ級      4未成)
正規空母
 信濃型  2   エセックス級     8
 雲龍型 18  (ミッドウェー級    1モンタナ級の船体を利用
 大鳳型  2   して建造されたが竣工前、回航中に雷撃され沈没)
護衛空母・軽空母
 祥鳳型  2   チャージャー級    5
 伊吹型  2   サンガモン級     4
 千歳型  2   ボーグ級      37
 大鷹型  5   インデペンデンス級  9
 飛鷹型  7   カサブランカ級    43
 戦標型 36*   コメンスメントベイ級 2
601名無し三等兵:03/07/31 22:34 ID:???
巡洋艦
 仁淀型 17   ボルチモア級    10
能代型  2   アトランタ級     6
         クリーブランド級  11
駆逐艦
 白霜型 42   ベンソン級     24 
 松型  63   リヴァモア級    43
 橘型  55*   フレッチャー級   121
         アレンM.サムナー級 12
         ギアリング級     1
海防艦・護衛駆逐艦
 各型計 263*   各型計       455 
潜水艦
 各型計 425**  各型計       174
(*7000トン級戦時標準船戦を原型とした戦標型空母、及び松型を原型
 とした橘型駆逐艦は、海上護衛隊の所属であり、連合艦隊の編成
 には含まれていない。海防艦についても、表とは別に100隻以上
 海上護衛隊所属の艦が存在したが、多くは連合艦隊から移籍された
 老朽艦や、商船改造であったため、建造量は明確に定義できない)
(**うち180隻は日独間の協定に基づき量産されたUボートであり、
 南方資源を搭載して大西洋に回航され、ドイツに供与された)
602名無し三等兵:03/07/31 22:45 ID:???
うわ、表のレイアウトがずれまくってる・・・
読みにくくてもうしわけない。
603名無し三等兵:03/08/01 02:26 ID:???
いえいえ。まとめ乙です。
固定ピッチフォントで見ればきちんと読めますよ。

ただ、戦艦の
紀伊型 1
は、信濃型2番艦の事ではないかと……
604名無し三等兵:03/08/01 02:41 ID:???
アラスカ級が忘れ去られてる・・・
605名無し三等兵:03/08/01 03:04 ID:???
ミッドウェイの原形はモンタナ型ではなくアイオワ型ですが・・・
606名無し三等兵:03/08/01 03:04 ID:???
超大和型戦艦の案もいろいろあったなあ。
・45口径46サンチ3連装4基12門
・45口径51サンチ2連装3基6門
・45口径51サンチ2連装4基8門
・45口径51サンチ3連装3基9門
607名無し三等兵:03/08/01 03:12 ID:???
>>596
もっとも帝国の兵器も頑張ってるけどな。
アフガン戦では北部同盟が四式チト改使ってたぞ。
608名無し三等兵:03/08/01 03:18 ID:???
「戦標型」ってのは水上機母艦・・・とはいえまぁ、目的はアメリカの護衛空母と同じだから一緒に入れておくべきか。
609名無し三等兵:03/08/01 08:00 ID:???
>589
大戦後、阿弗利加では伊太利や西班牙が分不相応な植民地を持つことになったのも一因。
独逸の介入は、伊西の植民地経営失敗の尻拭いという面があったので強引で急場しのぎ的な
方策の採用が多かった(特に伊のスーダン保護国化政策失敗とか)。

まぁ、ヒトラー批判が出るまで「サハラ以南の半人間とはまともに関わらない」が
公式政策だった国だし……

あ、ちなみに私はクロじゃないです(藁
610名無し三等兵:03/08/01 15:57 ID:???
>>609
東米や中東、東欧にかかりっきりだった独逸に代わり仏勢力を追い出してアフリカ経営に乗り出したは良いが、
戦後の亜細亜諸国の自主独立と流入した国家社会主義思想が結びついた民族独立運動が各地で頻発するという
時代の流れを読み切れなかったのが最大の失敗。

南アフリカを中心に南部で英国勢力が踏ん張っていたのも一因。最大の転換期は17カ国が独立した
「阿弗利加の年」と言われる皇紀2620年(昭和35年)、イタリアが引っ掻き回したおかげで
ヒトラー批判後の独逸が介入し独立を達成したというのがほとんどですが。


我国も資源戦略の観点上英国とともに介入を主張する声もありましたがその二年前の岸内閣の発表した
「将棋倒し理論」によりアメリカ動乱後の米大陸と南米への介入が強まりコロンビア派兵と海南島危機により
アフリカはほとんど忘れられた格好になっていた。

第三帝国陣営の崩壊で民族対立とかのタガが外れ内戦と国力衰退で難民が多発すると冷戦後の国際協調と
テロリズムの抑止の為近年になってアフリカ政策に本腰を入れまずソマリア紛争鎮定作戦を実施したものの
逆に事態が悪化する寸前まで行ってしまったのは記憶に新しいですが。
611名無し三等兵:03/08/01 17:05 ID:???
 どなたか1968年の、ベルギーの経済改革政策が民主化クーデターに発展し、
第三帝国の介入によって潰えた「ブリュッセルの春」事変について詳しい方
はおられますか?
612名無し三等兵:03/08/01 19:17 ID:???
ヒットラー批判のあとと前じゃ随分世界が違うからな
白豪主義やアパルトヘイト等が強化されて次第に黒化していった南アや豪州のような国もある
613名無し三等兵:03/08/01 21:46 ID:???
日本帝国もナチスと似たようなもんだよ。
ヒットラーは悪だけど、日本は正義だとでも思ってんの?(w
ネオナチスどもは自分に都合のいい解釈しかできないから困るんだよね。
614名無し三等兵:03/08/01 23:59 ID:???
ケベックの黒どもか・・・
615米海軍の行方:03/08/01 23:59 ID:???
CV1ラングレー   昭17年2月バリ島沖で爆撃により沈没
CV2レキシントン  昭17年5月珊瑚海海戦で沈没
CV3サラトガ    昭17年1月イ6の雷撃で沈没
CV4レンジャー   昭18年8月北大西洋で雷撃により沈没
CV5ヨークタウン  昭17年6月ミッドウェー海戦、イ167の雷撃で沈没
CV6エンタープライズ昭19年2月第一次パナマ海戦で沈没
CV7ワスプ     昭17年9月輸送任務中イ15の雷撃で沈没
CV8ホーネット   昭17年10月南太平洋海戦で沈没
CV9エセックス   昭18年1月 レンネル島沖海戦で沈没
CV10ヨークタウン(II)昭18年7月、ムンダ島沖海戦で日本に鹵獲
CV11イントレピッド 昭19年6月パルミラ沖海戦で沈没
CV12ホーネット(II)昭19年6月第二次パナマ海戦で沈没
CV13フランクリン  建造中に空襲で破壊
CV14タイコンデロガ 建造中に空襲で破壊
CV15ランドルフ    (未成)停戦後、引き上げ船として完成
CV16レキシントン(II)昭20年6月ボストン空襲で大破
CV17バンカーヒル 停戦時残存、引き上げ船として使用後解体
CV18ワスプ(II)停戦時残存、引き上げ船として使用後解体
CV19ハンコック  昭20年3月ニューヨーク空襲で大破
CV20ベニントン    (未成)日本に譲渡
CV21ボクサー     (未成)ドイツに譲渡
CV31ボンノムリチャード(未成)イタリアに譲渡
CV32キアサージ    (未成)解体
CV33オリスカニー   (未成)満州に譲渡
CV34アンティータム  (未成)解体
CVB41ミッドウェー昭19年11月ニューヨークへ回航中イ352の雷撃で沈没
CVB42フランクリンDルーズベルト(未成)日本に譲渡
616米海軍の行方:03/08/02 00:01 ID:???
BB31ユタ      昭16年12月第一次ハワイ海戦で沈没
BB32ワイオミング  昭19年10月サンディエゴ空襲で沈没
BB33アーカンサス  昭19年1月アイスランド沖で雷撃により沈没
BB34ニューヨーク  昭19年10月サンディエゴ空襲で沈没
BB35テキサス    昭18年6月第二次ハワイ海戦で沈没
BB36ネバダ     昭16年12月第一次ハワイ海戦で沈没
BB37オクラホマ   昭16年12月第一次ハワイ海戦で沈没
BB38ペンシルベニア 停戦時残存、捕鯨母船となり、のち核実験標で沈没
BB39アリゾナ    昭17年1月ノーフォークで爆発事故により沈没
BB40ニューメキシコ 昭18年1月レンネル島沖海戦で沈没
BB41ミシシッピー  昭19年11月イ188の雷撃により沈没
BB42アイダホ    昭18年7月ムンダ島沖海戦で沈没
BB43テネシー    昭19年6月第二次パナマ海戦で沈没
BB44カリフォルニア 昭19年6月第二次パナマ海戦で沈没
BB45コロラド    昭19年6月第二次パナマ海戦で沈没
BB46メリーランド  昭19年6月第二次パナマ海戦で沈没
BB47ワシントン   軍縮条約により撃沈処分
BB48ウェストバージニア昭19年6月第二次パナマ海戦で沈没
617米海軍の行方:03/08/02 00:02 ID:???
BB55ノースカロライナ昭19年10月サンディエゴ空襲で大破
BB56ワシントン  昭17年11月第三次ウエワク海戦で雷撃により沈没
BB57バーモント  昭17年10月第一次ウエワク海戦で武蔵の砲撃により沈没
BB58ミネソタ   昭17年10月第一次ウエワク海戦で武蔵の砲撃により沈没

BB59サウスダコタ 昭17年11月第三次ウエワク海戦大和・武蔵の砲撃で沈没
BB60インディアナ 昭19年6月シアトル空襲で大破
BB61マサチューセッツ昭17年1月フィラデルフィア大爆発により沈没
BB62アラバマ    昭19年10月カリフォルニア沖で雷撃により沈没

BB63アイオワ    昭20年4月フロリダ沖にて艦載機の攻撃で沈没
BB64ニュージャージー昭19年6月第二次パナマ海戦で沈没
BB65ミズーリ    昭19年11月サンフランシスコ空襲で大破
BB66ウィスコンシン 建造中空母に改装、CVB41となる
BB67ケンタッキー  昭20年4月ノーフォーク空襲時で大破
BB68イリノイ    (未成)イタリアに譲渡

BB69モンタナ    (未成)日本に譲渡
BB70オハイオ    (未成)ドイツに譲渡「フォン・モルトケ」となる
BB71メイン     (未成)タイに譲渡「バンコク」となる
BB72ニューハンプシャー(未成)解体
BB73ルイジアナ 建造中空母に改装、CVB42となる

CB1グアム(アラスカから改称)停戦時残存、満州に譲渡
CB2フィリピンズ  昭20年3月ニューファウンドランド沖で雷撃で沈没
CB3プエルトリコ  昭20年3月ニューヨーク空襲で大破
CB4サモア      (未成)解体
CB5パナマ      (未成)解体

618米海軍の行方:03/08/02 00:55 ID:???
ベスレヘムスティール/クィンシー(マサチューセッツ)造船所
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●竣工 BB57バーモント
●●●●●●●●●●●●竣工 BB61マサチューセッツ
○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●●中止 BB69モンタナ
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●中止 BB70オハイオ
○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●竣工 CV16レキシントン(II)
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●竣工 CV17バンカーヒル
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●中止 CV31ボンノムリチャード
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●中止 CV32キアサージ
ニューヨーク/ブルックリン工廠
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●竣工 BB55ノースカロライナ
○起工●●●●●●●●●●●●●竣工 BB63アイオワ
○起工●●●●●●●●●●●●●●●●●竣工 BB65ミズーリ
○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●中止 BB71メイン
○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●中止 BB72ニューハンプシャー
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●竣工 CV18ワスプ(II)
○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●竣工 CV19ハンコック
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●中止 CV33オリスカニー
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●中止 CV34アンティータム

619米海軍の建造:03/08/02 00:56 ID:???
ニューヨーク/キャムデン(ニュージャージー)造船所
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●●●竣工 BB59サウスダコタ
○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●竣工 CB1グアム(元アラスカ)
○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●竣工 CB2フィリピンズ
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●竣工 CB3プエルトリコ
○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●中止 CB4サモア
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●中止 CB5パナマ
フィラデルフィア(ペンシルヴァニア)工廠 42年1月大爆発(公式には隕石落下)で消滅
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●竣工 BB56ワシントン
○○起工●●●●●▽事故により中断 BB64ニュージャージー
○○○起工●●●●▽事故により中断 BB66ウィスコンシン
620米海軍の建造:03/08/02 00:57 ID:???
ニューポートニューズ(ヴァージニア)造船所
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●竣工 BB57ミネソタ
●●●●●●●●●●●竣工 BB60インディアナ
○○○○○○○再建開始▽●●●●●●●竣工 BB64ニュージャージー
○○○○○○○○再建開始▽●●▽中断 BB66ウィスコンシン
○○○○○○○○○○○○○○空母改装▽●●●回航中沈没 CVB41ミッドウェー
○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●●●中止 BB67イリノイ
○○○○○起工●●●●●●●竣工 CV9エセックス
○○○○○○○起工●●●●●●竣工 CV10ヨークタウン(II)
○○○○○○○起工●●●●●●●●竣工 CV11イントレピッド
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●竣工 CV12ホーネット(II)
○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●爆撃で喪失 CV13フランクリン
○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●爆撃で喪失 CV14タイコンデロガ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●●中止 CV15ランドルフ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●●中止 CV20ベニントン
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○起工●●●中止 CV21ボクサー
621米海軍の建造:03/08/02 00:57 ID:???
ノーフォーク(ヴァージニア)工廠
年1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年
月KBEHKBEHKBEHKBEHKBEHKBEHK
●●●●●●●●●●●●竣工 BB62アラバマ
○○○○○○○○○○○○起工●●●●●●●●●●爆撃で喪失 BB68ケンタッキー
○○○○○○○○○○○○○○○○○●●●●●▽中断 BB73ルイジアナ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○空母改装▽●中止 CVB42フランクリンDルーズベルト
622名無し三等兵:03/08/02 01:06 ID:???
>613の主張だと、我が日本はいつの間にかクロの国になっているようであるな(w

>611
和蘭と違い、割合あっさり降伏した白耳義は戦後も東部国境地帯の一部割譲で済んだ。
また、コンゴからのウラニュームが重宝されたこと、伊太利王妃が白耳義出身だったことなどから、
白耳義は「独逸は小国といえども疎かにしませんよ」的な宣伝材料として、
また大西洋への窓口として(アントワープ大規模拡張工事等)扱われており、
比較的西側との交易量が多かった。

しかしなにしろ「国家社会主義王制」なんていう変な体制の国なものだから、国内は矛盾だらけ。
それらが60年代になって対西側貿易のさらなる拡大と共に一挙に表出してくる。
コンゴ紛争の軍事費負担も大きかったので「貿易拡大と投資誘致のために計画経済の緩和を」との
主張がレックス党内部でもだんだんと主流になり、長年の支配者だったレオン・デグレも68年1月には
党を追われてしまう。

しかし、レックス党新指導部の打ち出した経済開放政策は独逸の意向を損ねないよう段階的なものだったのだが、
この動きに戦後非主流派へと追いやられたフラマン系市民や王制廃止論者までもが便乗し始めると運動は一挙に過激化。
「自由な競争の経済、自由な投票の政治」を合言葉にした大規模な市民示威行動が国そのものを揺るがすようになる。
遂には政府までもが示威行動に押されるように「欧州統合体からの離脱と中立化」を口にし始めるに至り、
68年8月には独逸を中心とする欧州統合体五カ国軍が白耳義に侵入。
レオポルド三世を退位させ、共和制とフラマン・ワローン両言語圏での分割・連邦化を強制する。
69年4月には白耳義連邦共和国が誕生し、そして90年代の欧州解放の中でフラマン・ワローン両共和国に分離したのは
記憶に新しいところ。

介入正当化の口実とされた所謂「ボルマン主義」については賢者の説明に委ねる。
623ぼるじょあ ◆ySd1dMH5Gk :03/08/02 04:20 ID:???
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
624名無し三等兵:03/08/03 10:59 ID:???
>>622
それ、反論になってる?(w
625名無し三等兵:03/08/03 12:26 ID:???
ワラタ
626名無し三等兵:03/08/04 00:57 ID:???
第2次大戦の独ソ戦で忘れちゃならないのはハンガリー陸軍の存在だね。
あの国は西側でも比較的親日だったと聞くけど、どうなんだろうか?
627名無し三等兵:03/08/04 11:49 ID:???
>>612
盟主の大英帝国が講和という形とはいえ屈服しちゃったからね、
戦後差別されていた先住民など分離独立派が勢いづいた。
これに危機感を覚えた白人支配層が極端な人種政策に走ったのは皮肉だけど。

同じく英植民地だったインドやパキスタンが独立したことで
その後押しをしていた我が国にも多大な期待をしていたようですが、
北大西洋では数少ない東側友好国であるイギリスへの配慮があったり
主要な貿易相手国であった南アや豪州に対し強く抗議は出来なかっので
冷戦構造が崩壊する近年まで人種による差別や隔離が続くことになった。
628名無し三等兵:03/08/04 18:55 ID:???
>>627
一番複雑な立場に置かれたのが豪州でしょう。
白豪主義者の発言力が強まる一方で、地理的に共栄圏の影響も大きいから、
政府は常に微妙な立場に立ち続けなければならなかった。

冷戦構造が崩壊して以来、デモ隊の争乱が何度もあるようですが。
近いところではイラク戦勃発時とか。
629名無し三等兵:03/08/05 04:17 ID:???
日本による米国本土空襲、損害も大きかったそうで、
後3ヶ月戦争が長引いていたら富嶽隊は解散の止むなきに至らざるを得なかったそうです。
630名無し三等兵:03/08/05 11:21 ID:???
>>629
当時の特に地上要員の証言だと富嶽の稼働率は大幅に改善された昭和20年3月以降でも
燃料事情が常に逼迫していたのと、機体の修繕及び予備部品の確保でかなりギリギリの戦だったとのこと。

また作戦における損耗についてもこの時期は米軍航空隊の錬度がガタ落ちして富嶽単独の防御火力で返り討ちに出来る位に
なっており手に詰まった米軍は遂に「富嶽」に対する体当たり攻撃を敢行し相当数の未帰還機を出しています。

あと運悪く被弾したことによる損傷や突発的な発動機の故障、燃料切れとかで不時着した機体もありましたが、
これに関しては海軍の協力により駆逐艦や飛行艇を出してもらい大抵の搭乗員は生還、新機体を受領し作戦に復帰しています。


米軍の最新鋭高高度戦闘機にバタバタ叩き落されたというのなら君は向こうの火葬戦記の読みすぎですw
631名無し三等兵:03/08/05 11:30 ID:???
航空燃料、爆弾弾薬などの消耗品の手配だけでも海軍が青くなってたからな。
出撃の度にほとんど千トン単位で消耗するから。
曰く、「戦略爆撃はカネとヒトがかかりすぎる。艦隊決戦のほうが楽だ。」
632名無し三等兵:03/08/05 12:17 ID:???
>>630
バタバタ墜とされる以前に補充が大変だった。
月産10〜15機が精一杯だったから、ちょっと激戦を月2〜3回やったら
もう生産量を損害が上回ってしまったとか。
おかげで部品を共食いしたツギハギ機体がわんさか誕生し、
戦後の現在に至るまで完全な把握が不可能になっている。
633名無し三等兵:03/08/05 14:39 ID:???
>>632
しかもそんなのを民間機に改造して使う例もあったらしいからなぁ・・・

よく大事故が起きなかったもんだ。
(小規模なトラブルはしょっちゅうだったらしいが)
634名無し三等兵:03/08/05 15:15 ID:???
>>630
 昭和20年6月にフロリダ州タンパが陥落すると、以降は四式戦「疾風」
の護衛が着くようになった為、体当たり攻撃すら満足に行えなくなったわ
けだが。

>>632
 それ日産の数字じゃあ……
 終戦までに3600機完成している(>>383)んだから、月産は300機超えてる
はず。
635名無し三等兵:03/08/05 17:20 ID:???
>>634
満州大連近郊に「富嶽」専用の組立工場と滑走路を作ったぐらいだらね。
発動機は武蔵野の中島で(一部は満州の三菱)、機体は満飛と中島及び川西で生産、
これをこの工場で組み上げて軍立会いによる試験の後内地経由で編隊を組みハワイに送り込んでいました。

戦中と終戦直後は軍機により「富嶽」を生産していた時の満足な写真は残っていませんが
現在満飛・富士重工両大連工場がここに移転しその巨大さの名残を留めています。
636名無し三等兵:03/08/05 17:42 ID:???
>>634
この数字は一桁間違ってると言ってみるてすと。
茶々入れてすまんが、例え日本の国力が史実に数倍していても
富嶽みたいな超重爆を日産10機も製造できると思うか?
637名無し三等兵:03/08/05 17:44 ID:???
まあ漏れ的には>>632の方が現実的な数字だと思う。
連山とか戦略爆撃機全部合わせて3600機ってんならまだわからん話じゃないがな。
638622:03/08/05 18:05 ID:???
>624
も、漏れはクロじゃないんだぁ!
特高だけは勘弁してくれぇ!
639名無し三等兵:03/08/05 22:59 ID:???
現実的ではあるが月産15機を1年間続けても200機ちょい。
それで米国に戦略爆撃をかけてもたいしたダメージを与えられる
とは思えない。18世紀後半から歴史改変してるんだし、
ほかの戦略爆撃機の生産縮小・富嶽への生産傾斜を想定して、
月産100機単位としてもいいのでは?
640名無し三等兵:03/08/05 23:42 ID:???
>>636,639
発動機の製造次第じゃないかな。
ちなみにこの世界では末期の機体はほとんど三菱の発動機……
641名無し三等兵:03/08/06 09:46 ID:???
向こうの仮想戦記といえば、定番はP-80、F8F、モンタナ、M-26か。
もう、二式艦戦とかバッタバッタ落とされるし、大和型とか沈められまくり(w
642名無し三等兵:03/08/06 10:05 ID:???
大戦末期に登場したサンダーボルトには散々苦労させられた。
制空権を握ってるから大量機での空襲はなかったが、
少数機で奇襲かけられると中爆並の搭載量で、戦車始め地上部隊に大損害を与えてくれたもんだ。
一個小隊四機の奇襲で戦車十数両とその他車両30両以上がスクラップにされたこともあったな。

後はシャーマンだ。
とにかく倒しても倒してもハエのように湧いて出る。
正直、戦車対戦車では数に押されて分が悪かったが、空地一体の攻撃でなんとか忍いだもんだ。
643名無し三等兵:03/08/06 11:56 ID:???
>>639
何も富嶽ばかりが戦略爆撃機ではない、と言ってみるてすと。
まー富嶽は連山4、5機分の爆弾搭載量誇ってるからな。
富嶽200機が連山1000機にも相当する罠。
644名無し三等兵:03/08/06 14:27 ID:nV43qNc1
>626
洪牙利は大戦で結構おいしい思いをしたが、摂政が死んでからは
跡を継いだのが小物ばかりで駄目駄目。

今なんて、スロヴァキアとルーマニアの「領土返せ!」包囲網で(w
645名無し三等兵:03/08/06 16:16 ID:LGDs6jw6
『イナゴ身重く横たわる』 ホーソン・アベンゼン著
646名無し三等兵:03/08/06 20:57 ID:???
>>642
本来の高々度戦闘機としては疾風になで切りにされるだけだった罠

それに、我が軍もキ−51IIIやキ−109でかなり米戦車壊してるぞ。
647名無し三等兵:03/08/07 11:38 ID:???
>>642
とにかく戦車や装甲車がわんさと出てくるから歩兵部隊はかなり苦戦したようです。
無線を整備し空地直協用の訓練を行ったり独逸からの輸入や技術供与で作られた
携行タ弾発射機及び対戦車噴進弾がハワイ・アラスカ作戦に本格投入され戦果を挙げたが
それでもパナマ、加州と米本土に近づくにつれそれでも間に合わない状況になっています。
逆に米軍から対戦車砲やバズーカ砲を鹵獲したり占領した工場での再生産で急場を凌いでいたらしいですが。

航空機の対地攻撃は>>646が書かれていますがキ−51IIIやキ−109、あと対地攻撃用装備を積んだ
「陣風」等の単発戦闘機が活躍しています。数の不足を補うため鹵獲米軍機が現地軍の改造により
続々投入され米軍を撃破しています。
地上の歩兵もこれら友軍対地攻撃機はとても頼もしい味方だったようです。
648名無し三等兵:03/08/07 15:37 ID:???
日本軍の燃料事情が好転したのは、石炭液化が軌道に乗ったから。

現実でも昭和22年位まで粘れば、石炭液化は実用化されてたかも・・・
英米は日本が降伏してから、中東の本格的石油探索を再開したし。
649名無し三等兵:03/08/07 16:56 ID:???
>>642
>>647
 そういう新型機だけじゃないぞ、と。
 本来お蔵入りになるはずだった九九艦爆とか、陸軍機では中古のキ43が翼下にロケット弾
 ぶら下げてそれなりに活躍してる。

 新型機の対戦車任務投入までの場つなぎとして、地味ではあるが 米軍の反撃を
 押さえ込む活躍をしてる。
 ただし、一時的にであっても航空優勢取られると、途端に損害は増えたけどな。
 キ43の方は爆弾なんかを捨てればまだマシだったんだが、九九艦爆は「棺桶」といわれる
 ほどだったらしい。

 ちなみに、それが米本土戦の後半以降、陸軍航空隊が戦闘爆撃機に傾倒する理由の
 一つだったりするんだが。
650名無し三等兵:03/08/07 18:33 ID:???
>648
日本の主たる燃料供給源は>256・>257の年表にある北満油田では……
651名無し三等兵:03/08/07 20:40 ID:???
>>648
実験はやってた(つーか今でも研究そのものはあるんだが)
昔も今も出来るには出来るがコストに釣り合わないというのが結論。
日本の石油は>>650の言う通り北満が主な供給源です。

ドイツからの技術供与により石油精製に伴い発生するナフサや残油を原料に
ガソリンなどを合成するいわゆる「人造石油」の製造プラントの完成も
燃料事情の好転に大きな役割を果たしました。
652名無し三等兵:03/08/07 21:59 ID:???
>647
でも、あのころの米軍は本来部隊の中核を成してるべき熟練兵が
日本の通商破壊戦で海底送りになってしまって、十八未満の餓鬼が
碌な訓練も無く戦わされていたって、前に書いてあったような。

なんでも、せっかくのシャーマンもサンダーボルトも錬度の高い
皇軍兵士にとっては葱背負った鴨に成り果ててたと聞いたが、
そこらへん詳しい人教えて下されい。

結局、戦争で生産人口を大きく失ってしまった事が米国を没落させた、と
誰かが言ってたような気がするんだが……。
653名無し三等兵:03/08/07 22:23 ID:???
>>652
18歳未満のガキが大量動員されたのは事実で、訓練期間がそれほど長くなかったのも確かだが、
錬度がそんなに低かったわけではない。
アメリカのトレーニングマニュアルは敵ながら良く出来ていた。
短時間で一人前とまではいかないが、4分の3人前くらいにはなったんだよ。
もともとパイロットの大量養成とかやってたお国柄だからな。

ただ、実戦の洗礼を受けた兵が減っていったのも事実。
だから応用力がなくなっていった。
18のガキでもマニュアル通りにやれば結構な戦果を挙げたんだが、
突発的な事態への対応がだんだん下手になっていった。
「教科書通り」になっちまったんだな。
654名無し三等兵:03/08/07 22:28 ID:???
>>653
でも例えばな、一人の熟練兵に率いられれば狼とまでは言わんが猟犬くらいにはなれたんだよ。
そういう教育・訓練をしてたんだ。
幼いとか訓練時間が短いからってそう侮れるものじゃなかったってことだな。
655名無し三等兵:03/08/07 22:30 ID:???
>>652
 米本土航空戦では、当初富嶽は自身の防弾装備・対空火力・高々度性能
だけを頼りに爆撃した。
 高度6000m以下では特に重武装高速のP-38による迎撃が効果を上げたが、
日本側はその為精密爆撃を諦め、高々度無差別爆撃に紛れてケ号自動吸着
爆弾による発電所破壊、などと言った戦法をとった。

 米本土の好きな都市を爆撃できる帝国海軍に対し、米側は広大な本土に
戦闘機を配置せねばならず、その為徴兵制を厳しくし、生産人口の欠如に
繋がった。

 爆撃対象が東海岸に向かうにつれて迎撃が激しくなってきた為、帝国陸
海軍はフロリダ半島のタンパを攻略、ここに陸軍四式戦「疾風」を配備し、
パナマ発の東海岸爆撃の護衛を行わせた。
 今だP-51、P-47、P-38等、富嶽の迎撃に有効な戦闘機を多数保有してい
た米軍だったが、搭乗員は飛行時間も短い上にほとんど対爆撃機戦闘しか
訓練しておらず、四式戦の餌食になるだけだった。

 昭和20年4月12日、クレア・L・シェンノート率いるP-80噴進戦闘機部
隊343Sqが発足し一糸を報いたが、30数機のP-80で帝国海軍の戦略爆撃を
阻止することはもはや不可能な状態だった。
656名無し三等兵:03/08/07 23:06 ID:???
北満油田は重質油成分が多くてガソリンの精製には向かないから
当初はもっぱら船舶用の重油に使われてた。だけど、せっかく
日本の勢力下に大油田が出たんだから、と昭和のはじめに(まだ
世界情勢がそんなに緊迫してないころに)世界中から石油化学
関連の技術をかき集めた。アイデアとか理論段階のものまで。

おかげで猛烈な勢いで技術革新が進んで、昭和10年までには
巨大なプラントが立ち並んで石油製品ならなんでもまかなえる
ほどになった。
それがアメリカの世界戦略と衝突するようになって、昭和11年の
満州事変の原因のひとつになった。
657名無し三等兵:03/08/08 01:08 ID:???
>>653、654
そう、彼らは決して侮ってはいけない存在だった
ただ相手が悪かったのさ
当時の海軍航空隊や空軍のパイロットは
古参だと日中戦からやってるような人までいて
多くはその日中戦の頃に大量に育成され開戦時にはすでに熟練なんていう
猛者ばかりだったからね
開戦後に育成されたパイロットが行くと
飛行時間が2000時間以上でようやくヒヨッコ・・・なーんて感じだったらしい
658名無し三等兵:03/08/08 01:39 ID:???
>>656
独逸からの技術供与だけでなくソ連からの亡命化学者というのもいたらしい、
機会均等の名の下に米国資本が入ってきたのに合わせて米国製の最新鋭の機材を入手できた
昭和10年代半ばには燃料と石油製品の生産は軌道に乗っていましたがあくまで軍需に限った話で
石油製商品が民間の隅々まで普及したのは戦後になってから。

それでも海軍は不安でしょうがなかったらしく「水から石油を作れる」と主張する詐欺師まがいの
発明家にあの山本五十六閣下本人が入れ込んで引っかかりかけるという珍事が起きている。
659名無し三等兵:03/08/08 01:41 ID:???
>>657
前線にいた方々にはあんまり評判が良くなかったらしいが、熟練パイロットを
定期的に内地(というか教官配置)へと戻していたのも結構大きいかと。
あれのおかげ(だけじゃないけど)で後半パイロットの数が火の車まで行かな
くて済んだと思う
660名無し三等兵 :03/08/08 02:24 ID:???
米軍のパイロットはまだまだマシな方で、歩兵となると14〜15歳の兵士はざら、しかも訓練が圧倒的に不足していた。
661名無し三等兵:03/08/08 03:05 ID:???
>>659
部隊によっては定期昇進と異動で同期の熟練搭乗者がごっそり抜けてしまい
一時的に戦力が低下したなんて事もあったそうです。
逆に各所に配置されていたエース級のパイロットをひとつに集めて最精鋭部隊を
編成することが出来たりと一長一短といったところでしょうか。

>>660
 特に米軍少年兵は比較的体が小さいかったので多くが戦車等の操作訓練を受けて駆り出されていたが、
我軍の少年戦車学校を繰上げ卒業した兵との双方の練度の差はは比較にならないほど開いていた。
 対独戦にいたってはもっと悲惨で少年兵を主力に編成された促成の戦車部隊がケベックから上陸して
間もない数的には圧倒的に少ない独軍戦車部隊に壊滅させられている。
欧州、中東を征服した猛獣の群れに文字通り蹂躙されたわけだ。
662名無し三等兵:03/08/08 03:35 ID:???
>>661
しかも肝心の戦車も、信頼性の高さで鳴らしたM4シャーマンも、
末期には我が方の戦略爆撃によって資材の質が下がり、
キャタピラは切れる砲塔は旋回しなくなるエンジンは突然燃え上がると、
えらい粗製濫造車がいっぱいあったらしいな。

四式の製造にあたって細心の品質管理を行った帝国とは大違いだ。
663名無し三等兵:03/08/08 06:37 ID:???
>>662
そりゃ単なる噂。
品質がやや低下はしたが、もともとそんな斬新な技術を使ってたわけじゃないからな、シャーマンは。
自動車作る感覚で戦車作ってたアメリカだから、致命的な故障率上昇はなかった。
この噂は一種の都市伝説だ。
664名無し三等兵:03/08/08 11:21 ID:???
>>663
末期のシャーマンの稼働率の低下は操縦とか整備等の用兵の問題だったと思う、
性能比較ではパナマ、加州戦で主力だったM4A3の76粍砲搭載型やM4A3E8では
我方の戦車と互角以上の戦が出来るはずだったがこちらが早期に戦車の運用を
対戦車戦闘中心に切り替えたのと後は腕の差でねじ伏せられた格好だった。
665名無し三等兵:03/08/08 11:35 ID:???
少年兵少年兵というけど、もっと悲惨なのは末期の州兵だよ。
もう兵士としちゃ年が行き過ぎてる連中も引っ張ってって、軍の経験者
を指揮官に部隊編成。
軍服はないから、腕章つけて。
武装も自宅から持ち出したライフルとか散弾銃で、ごくたまに倉庫に死
蔵されてた古臭い砲がある程度。


それでも、結構な頻度で戦意があって頭のいい香具師に率いられた部隊
が遊撃戦でこっちの輜重部隊に損害を与えてる。

こっちも捕獲したトラックに、捕獲した米軍の機銃をくくりつけて、余
りものの装甲板(これもまた大抵は米軍のデポから分捕ったものだが)
を貼り付けて即席装甲車を造って護衛につけたとか。
666名無し三等兵:03/08/08 12:41 ID:???
>>665
現地応集の部隊はその土地に長く住んでいた事もあり地理に詳しく西部のガンマンの末裔とも言える
銃の技量で青二才の正規兵より手強い相手だったと加州作戦に参加したベテラン下士官の証言があります。

都市部はともかく郊外の集落に歩兵部隊が入ると建物や掩体から小銃弾や対戦車榴弾が飛んできたそうです。
旧式銃といえども馬鹿に出来ず前線指揮官や無線手を何人も射殺した狙撃兵を我軍の狙撃手が倒したので
死体を調べてみると独立戦争当時の物と思われる先込めライフルを何丁も持った老兵だったりとか。

街中で息を潜めていた重戦車などが突然壁を破って現れたりするとほとんど動けなくなってしまい
陸路補給線の一時的な寸断や日系人など移民米国兵の奮闘、そして「コロラドの守り」作戦などで
内陸への侵攻は遅延を余儀なくされていました。
667名無し三等兵:03/08/08 15:44 ID:???
アトランタ裁判で死刑になった極悪人を教えてください
668名無し三等兵:03/08/08 16:50 ID:???
>>667
光輝ある帝国は敗者に鞭打つような真似はいたしません。
基本的には日独の監督の下、米国自身が裁きました。
669名無し三等兵:03/08/08 20:21 ID:???
なにしろ開戦の責任者たるルーズベルトが病死しちゃったから・・・
トルーマンは敗戦処理しただけだから戦争責任を問うわけにも
いかないし。
捕虜や日系人収容所での虐待・殺人・略奪に関係したとかが
大半で、軍事作戦関連では病院船を雷撃した潜水艦乗りとか
だっけ。
政府高官クラスへの処遇が甘くて東米政権を生むことに
なったのは批判もあったね。
670名無し三等兵:03/08/09 00:17 ID:???
日本に開戦強いたコーデルハルとその子分の共産主義者はどうなったんですか?
671名無し三等兵:03/08/09 01:07 ID:???
米英の共産主義シンパは、独逸への協力を強要されていたもの(ソ連敗北時に
名簿を押えられてしまった連中)は戦後も引き続き活動していた。
もっとも、独逸が押えた名簿はごく一部だけだったので、大部分はそ知らぬ顔で
戦後を過ごしたらしい。

ハルは終戦当時に半ば引退状態であり、1871年生まれという高齢も考慮されたため
我が国での怨嗟の声は大きかったが、ごく短期の刑で昭和三十年に自然死。
672名無し三等兵:03/08/09 01:43 ID:???
ハルの悪名は帝国中に響き渡ってたから仕方ないけど、本当に裁かれるべきだったのはルーズベルトだと思うがな。
ルーズベルトを法廷に引きずり出してやりたかったが死んでるんじゃ仕方ない。
それよりFBIのフーバーの扱いがとても納得行かない。
日系人を強制収容所に放りこんだり財産を没収したり、あげくの果て中学生まで強制徴兵して皇軍と戦わせたのはこいつだろ。甘すぎないか?
673名無し三等兵:03/08/09 02:03 ID:???
>>668
ある意味、日独が裁くよりも陰湿だ罠。
日独の目を恐れた米国は結構重刑を課したと聞く。

また裁判で「無罪」だったり「軽い刑」だったりした者には、
さりげなく物理的・精神的・社会的制裁が加えられたとか。
その裏にはゲシュタポが動いていたという噂もある。

後半部はあくまで噂だが、さもありなんとまことしやかに囁かれている。
674名無し三等兵:03/08/09 03:07 ID:???
まあ米国の戦争犯罪裁くのは名目でアトランタ裁判開廷前年の国際連盟成立と言い
日独の戦後国際社会の主導権を巡る茶番劇だったというのが定説だもんな。

 戦後日本は占領地、特に亜細亜で多くの連合国関係者を拘束しているけど大半は
開放された植民地現地民の旧宗主国人に対する私刑の多発など治安悪化を防ぐための措置だった。
「恩讐を越え国内外の復興と民心の安定を第一とせよ」という昭和帝のお言葉もあり
米国においても戦後処理の一環として捕虜や日系移民の虐待を直接指揮、実行した人物以外は
旧来の政治システムを間接的に活用する方針だったからあまり積極的ではなかったと見る人がいる。

 日本とってのアトランタ裁判は講和から燻っていた国内の主戦派(陸軍参謀本部の一部や中堅将校、
山本元帥の仇討ちを主張する海軍の若手など)と国内世論を陛下の「聖断」だけでは抑えきれないという
判断に達した上で行われた「禊ぎ」の場であり独逸の一人舞台になるのを牽制する場でもあった。

結局は終戦前から東米傀儡政権に取り立てるか生贄にするかの名簿を作成していたりした
独逸が一枚上手だったというところか。
675名無し三等兵:03/08/09 04:59 ID:???
>>674
その後の米の東西経済較差逆転を考えるに、結果論としては帝国の方が見事と言えよう。
676名無し三等兵:03/08/09 05:08 ID:???
>「恩讐を越え国内外の復興と民心の安定を第一とせよ」
実際には広大な西米の需要を帝国の民需生産力で支えるのは不可能に近く、
聡明なる昭和帝陛下にあらせられては一刻も早く西米の生産力を復旧する必要を御理解されていたという側面もあったりします。
677名無し三等兵:03/08/09 06:14 ID:???
ところでニューオリンズの原爆モニュメントに放火しやがったDQNは、
結局つかまったのか?
678名無し三等兵:03/08/09 12:16 ID:???
そういえば今日はニューオリンズの原爆投下の日でしたね。
アメリカ戦線での経緯を記念カキコ。どっか違ったら指摘してください。
昭和18年
 7月 ハワイ上陸戦。島内の米軍戦力掃討が8月末に完了。
    そのあと1年近くをかけて、本土上陸戦に向けて
    基地・港湾の整備・物資の備蓄を進める。
 9月 アラスカ上陸戦。アリューシャン経由で首長国軍が
    主体となって進めた。本土上陸戦に向けての陽動と
    実戦訓練としての役割を期待していた。投入した戦力は
    さほど大きくなかったが、この方面での制海権を握られた
    ため、翌年2月には州知事が合衆国からの離脱を宣言、降伏。
昭和19年
 2月 独伊、アイスランド上陸戦。米からイギリスへの支援拠点を
    遮断するとともに、アメリカ攻撃の拠点とするため物資集積開始。
 4月 ドイツ、本土から米東海岸に対する空襲開始(Ju390)
 6月 上旬ハワイを拠点に、シアトルに対する空襲開始(連山)。
    シアトルに米陸軍の防空戦力を誘出し、同時に太平洋岸
    南側のパルミラで米海軍との海戦、米空母の航空隊は事実上壊滅。
    空母の脅威を排除できたので、6月下旬にパナマ上陸戦。
    これに伴い第二次パナマ海戦発生。米海軍の残存勢力を掃討。
    太西洋岸では独伊艦隊が米旧式戦艦群を撃沈。運河地帯を確保。
    ゲリラ化した残存米陸軍との戦闘はその後も散発的に発生。
 7月 富嶽がハワイを拠点に米西海岸諸都市への爆撃を開始。
    一部の部隊がパナマへ分派され、防空体制の威力偵察を兼ねて東海岸
    への爆撃を開始。フロリダに集結した米陸軍航空隊の迎撃にてこずる。
    東西両岸で主要都市、兵器工場、交通上の結節点などを爆撃。
12月 月初をもって加州上陸作戦開始。主攻はロサンゼルス。
    平行してサンフランシスコとアナハイムへの上陸も行われたが、
    アナハイムでは空襲で喪失したサンディエゴの残存兵力が集結して
    いたため大きな被害を出した。
679名無し三等兵:03/08/09 12:17 ID:???
昭和20年
 1月 月末、加州沿岸部をほぼ制圧。内陸への侵攻にあたっては、全土を
    面で制圧するのは非現実的であり、鉄道線路での補給を前提とし、
    サンフランシスコ―リノ―ソルトレークシティー―デンバーの
    中部方面を主攻軸とすることとなった。
    カリブ海で海軍と連結するため、助攻として南部方面
    ロサンゼルス―ツーソン―エルパソ―サンアントニオ―ヒューストンの
    の進撃も進められることとなった。
    ハワイの富嶽部隊はパナマへ移動。陸軍の内陸侵攻支援と東海岸への
    爆撃が主に。
 2月 中部方面はソルトレークシティー制圧。ロッキー山脈という天然の障壁の
    ため日米両軍とも大兵力の投入は出来ず、事実上兵員の輸送のみで、大きな
    戦闘もなくユタ州を確保。
    南部方面は米陸軍やアリゾナ州兵、民間人との戦闘を繰り返しながら
    ツーソン到達。
    海軍は太平洋の脅威が消滅、加州戦線支援も完了しパナマ大西洋岸に集結。
 3月 米陸軍、デンバーにて「コロラドの守り」作戦。地形的に大兵力を投入
    できない日本軍は、グランドジャンクションまで撤退し、ロッキー山脈の
    出口をうかがいながら米軍と一進一退を繰り返した。
    南部戦線では、太平洋での勝利をテコにしたメキシコへの外交攻勢が効を
    奏して、国境を越えての物資補給が可能となり、またメキシコ領空を通過
    した富嶽・連山による爆撃もあり、テキサス州兵などと激戦を繰り返しつつ
    サンアントニオ手前まで到達した。
680名無し三等兵:03/08/09 12:20 ID:???
 4月 キューバ上陸戦。富嶽の東海岸攻撃に対する最大の障害である米陸軍の
    防空部隊に対抗するため、キューバを戦闘機部隊の拠点とすること、
    および米大西洋岸の艦隊拠点とすることを目標とした。3月末に開始、
    5月上旬にはバックナー中将が降伏し、戦闘を終了した。この間4月に、
    アイオワがキューバ目指して出撃したが、サウスカロライナ沖から日本の
    艦載機の触接を受け、フロリダ・ジャクソンビル沖合いで撃沈された。
 5月 中部戦線は引き続き膠着。デンバーを迂回してエルパソから北上、
    ラスベガスを経由してカンサスを目指すルートが検討される。
    南部戦線はメキシコ湾から海軍の艦載機の支援も受けられるようになり、
    ヒューストン到達。海軍のガルベストン占領と連結、米国東西打通。
 6月 中部迂回作戦のためエルパソへの集積が進められるが、ルイジアナを
    目指す南部戦線への補給もあり、本格的な地上での攻勢再開は9月以降と
    見積もられた。
 7月 本格的な地上戦が停滞し、護衛戦闘機がついて脅威が事実上なくなった
    富嶽部隊による戦略爆撃や、占領地を拠点とする双発爆撃機による戦術爆撃
    が主となった。また、フロリダ半島や東海岸に対しては、日本だけでなく
    独伊露の艦隊による艦載機の空襲や艦砲射撃が次々に加えられた。

681名無し三等兵:03/08/09 12:23 ID:???
 8月 3日ケベック独立宣言。同日独軍上陸、その日のうちに国境を越え進撃。
    中部迂回戦線と、南部戦線の障害となる兵力集積地のラスベガスに6日、
    ニューオリンズに9日、原爆投下。実際に使用する意図はなかったとの説も。
    13日ニューオリンズ上陸戦。正確には湾口にあるガルフポートに上陸。原爆で
    事実上抵抗は消滅していたため、爆心地の科学調査が中心となった。
    15日、米国は停戦受け入れを表明。この時点での勢力は、独軍がボストン、
    ニューヨークを包囲しており、メイン、ニューハンプシャー、バーモント、
    マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカット、ニュージャージー州と
    ニューヨーク州の半分を包囲・遮断していた。人口密集地であり、都市部での
    戦闘を避けるため、完全に制圧していたわけではないが、のちに東米として
    ドイツ勢力下となる下地となった。首長国軍は引き続きアラスカを確保。
    日本軍はカリフォルニア・キューバを完全占領。ネバダ、ユタ、アリゾナ、
    テキサス州と、コロラド、ニューメキシコ、ルイジアナ州の一部について、
    主要都市と鉄道・道路沿いの地帯を確保していた。
 9月 停戦条約締結。ドイツ軍が、停戦条約締結までの間は戦闘を継続すると表明し、
    バルチモア、ワシントンDCも包囲し、バッファロー、クリーブランド、
    ピッツバーグへも進撃したことから、日本軍も対抗上太平洋岸のシアトル、
    ポートランド、戦線をくいとめていたデンバー、フロリダのマイアミ、
    オーランドなどにつぎつぎ進駐部隊を送り込み、アメリカ分割競争の態を
    示した。結果、東海岸と五大湖周辺はドイツ、中西部と南部が日本の勢力圏と
    なった。
682名無し三等兵:03/08/09 12:30 ID:???
>>673
捕虜収容所で出されたコーラ(だっけ?)を、日本軍捕虜が
「毒を飲まされた」と訴えて、所長と看守が処罰された
などという笑えない話もあったとか。

683678:03/08/09 12:43 ID:???
ごめん、すぐ前の
>>634 を見落としてた。
20年6月にタンパ攻略を追加。
684名無し三等兵:03/08/09 13:06 ID:???
>>681
南部諸州の一部は独立宣言によって終戦前に合衆国から離反したんじゃなかったっけ?
その後、アメリカ連邦として、日独に次ぐ北米大陸での第3勢力の地位を確立したはずじゃ?
WWU前のタイやスイスみたいなもんだな。
685名無し三等兵:03/08/09 14:07 ID:???
>>682
戦前からソーダ水とかを飲んでいた海軍はその話を聞いて「陸式はアホか」と唖然としたとかしなかったとか。
コーラはともかく炭酸飲料水というのを見た事も無かった地方生え抜きの陸軍将校だったので仕方ないと言えば仕方ないですが。
(当時興味本位で飲んだ兵隊が「飲んだら口の中で爆発した」とかで吐き出した事が噂が噂を呼んで毒物というデマも広がっていましたし。)

 当初ハワイや加州の占領地で倉庫にあった飲み物を調べた際ビールやウヰスキーなどのアルコール類はすぐに判別できたものの
この黒い謎の飲み物は誰にも判らず捕虜に尋問しても「コーク」としか答えないので処理に困ったらしく。
独特の薬品のような匂いからヨードチンキの類似か何かだろうど浅い傷にコーラを塗っていた部隊もあったとのこと。
大半は中身を捨ててしまい空き瓶にして火炎瓶を作ったり米軍捕虜や民間人に与えたら喜ぶのでコップに移し替えて宣撫に使っていた。

 陸でも抵抗無く飲まれるようになったのは終戦後に山下奉文中将か誰かが飲んでハマったからという話を聞いた事があるけどどうなんだろ。
686名無し三等兵:03/08/09 16:21 ID:???
西米つってもデンバーの合衆国政府と
アトランタの南部連合じゃ全然違うからな
687名無し三等兵:03/08/09 19:15 ID:???
>>685
ハワイのある倉庫では、海軍のある艦の主務が、
倉庫番に使われていた現地民に軍票渡して、
コーラをがっさり酒保に持っていったと言う話もある。

雲龍型空母の……どれだったっけか?
688名無し三等兵:03/08/09 19:17 ID:???
>>684
混乱を恐れた日本が、人種差別撤廃の徹底を手形に合衆国に再併合しました。
689名無し三等兵:03/08/09 19:28 ID:???
>>687
葛城。別名「復員輸送艦」とも呼ばれた(w
690名無し三等兵:03/08/09 22:10 ID:???
>>689
停戦後亜細亜・太平洋諸島からの米兵の復員や民間人の引き上げ、陸海軍の西米派遣軍(進駐軍)の人員輸送で
船舶の需要はむしろ増加していて我軍の保有していた輸送船舶や商船ではとても間に合わず
米国の船舶や検修施設も国内輸送もままならない程損耗していたので聯合艦隊の遊休艦艇の一部や
賠償艦を特別復員輸送艦として急場を凌いでいたようです。

元米国艦としては空母ランドルフ、バンカーヒル、ワスプ(二代目)を筆頭に駆逐艦などが有名で
その輸送能力に注目した海軍もまず旧型艦や商船改造空母を投入していましたがより大型の船をという声があり
米軍の自爆攻撃で中破し修理中だった「葛城」の武装を外しを仮復帰してハワイ経由の太平洋横断航路に使っていましたね。
何しろ12000人が乗れるので重宝したようですが一番恩恵を受けたのは一個旅団を丸々輸送できると絶賛した陸軍でしょうか(w
691名無し三等兵:03/08/10 00:40 ID:???
>672
>674もちょこっと書いてるけど、フーヴァーは大戦末期になると米の敗北を見越して
中南米経由(西半球での諜報活動はFBI担当だったから)で独逸と接触してしたもの。

でも結局、男色趣味がバレて早々に失脚したんだからいいじゃん(w
まぁ、独逸系亜米利加人協会のフリッツ・クーンみたいに、獄中から釈放されて
「俺の時代が来た!」と思ってたらすぐに本国送還でKZ送りって香具師よりはマシかも?
692名無し三等兵:03/08/10 10:02 ID:???
>691
失脚ってゲシュタボに連行されて。
そのまま即決で銃殺。
容疑は小学生相手に猥褻行為じゃぁ。
693名無し三等兵:03/08/10 11:21 ID:???
>>692
そのゲシュタボに連行されたっていうのが怪しいんだよな。
向こうでは秘密警察に連行→行方不明(むしろあの世行き)という図式があるから
逆に言えば誰にも怪しまれずに世間から姿を消す恰好の手段であるし。

マッカーサーとかルメイとか東米大統領はいかにもアクの強そうな面々なのに
独逸の人形同然でしかも初代以外5人連続でロクな死に方しなかったのは
常にフーバーが暗躍して東米ナチとSSを操っていたからというし。
実際には東米政治混迷の極めつけである国家大革命の最中の昭和40年代後半ぐらいに
死んでいてこれがニクソンら「四人組」逮捕という劇的な幕切れの遠因だったという
説もある。(直接的なきっかけはロング元東米大統領の死であるが)

なんつーかトンデモ本のネタっぽい話なのでsage
694名無し三等兵:03/08/10 13:00 ID:???
ヒトラー批判のあと差別意識の強い南部諸州は西米からの独立を目指し
東米を中心とする反ドイツ連合に接近するも
キング牧師等の黒人指導者に率いられた黒人解放運動鎮圧に手を焼き
やがて大革命によって東米による介入計画が困難となったため頓挫する
もし黒人による解放運動が無ければ
南部は東米に奪われていたかも知れんな
もっとも全黒人に権利を保証したのは占領軍当時の帝国なわけで
彼らの運動を日に影に支援していたのは間違いないだろうが
695名無し三等兵:03/08/10 16:50 ID:???
黒人の権利拡大と共に南部からはKKK残党が東米に一部亡命しているが、
向うで退廃主義者の烙印を押されて結局収容所送り(w

第一次大戦ではヴェルサイユ条約に盛り込めなかった「人種平等」だったが、
大東亜戦争での対米講和条約でははっきりと謳うことができたことは本当によかったと思う。
対独宥和論者の圧力に耐えた当時の講和会議代表団に拍手。
696名無し三等兵:03/08/10 19:05 ID:???
>>684>>688にもあるが
戦争末期にアトランタを中心とするいわゆる南部連合再結成の動きがあった
当時の合衆国の状況と元々からの離脱運動
それからどうもわが国の内部にも南部支持者がいたらしい
支那戦線での戦利品に当時の米国産(今をときめくスタジオハリウッドらしい)
の映画がありその出来のよさに鑑賞者が皆驚き
かの国の技術力と資金力はやはり恐るべしと
印象付けたことがあるらしいのだが
このときの映画が南北戦争を扱ったものらしく
鑑賞者には南部に同情するものがかなりの数あったようだ
そういった事が原因かどうかはしらんがともかく戦争中
黒人活動家にも南部独立派にも
資金や武器の提供が行われていたのは事実で
それが勘違いを生んで独立運動の原因になった模様
もっとも黒人側からしてみればとんでもないことで
彼らにも武器や資金が流れていたため一触即発の雰囲気となり
帝国が介入せざるをえないと言う事態を招いた
その後も>>694、695にあるようにくすぶりつづけるが
結局帝国の人種平等政策が実を結んだ結果となっている

しかし>>695に言われてる対独融和論者ってやっぱり南部同情者だったりしてなw

697名無し三等兵:03/08/10 19:23 ID:???
>>659
もちろん前線ではこっちが押してる時に面子変えるな!
みたいなそういう声があったんだけれど
補充されるパイロットも大体飛行時間が2000時間超えてたんだし
激戦地に補充されるものは必ずシナあたりの実戦経験者だたり
そうでなくとも何らかの任務に従事してたものだったから
抜ける超熟練にかなわないとはいえ贅沢なもんだよな

パイロットの大量育成は日中戦争の頃から政策によって最優先事項とされ
ノモンハンでの航空優勢で地上軍の不利を救ったことで証明された
だから戦争中盤から後半ともなると
パイロット自体は余ってたんだよな(というか整備兵を始め後方のほうが不足したらしい)
んで後方に指導に行くといっても日本でなく
大東亜の各地の同盟国の育成に行った人が多かったようだ
まぁそれが戦後の冷戦でのすばやい対応ができる原因になってるから
なんとも驚嘆するばかり
698名無し三等兵:03/08/10 20:27 ID:???
>>696
間諜を使って裏で手を組み、
夜間に暴動を起こして工場施設や発電所に放火させ、
それを目標に爆撃したり、と言うこともあったようだが。
699名無し三等兵:03/08/10 20:48 ID:???
>>698
人種平等を訴えてきた実績
ドイツの同盟国という2つの相反する面をもったおかげで
どんな相手でもうまく立ち回れたらしいね

とくにネイティブや黒人の人種差別撤廃活動家には受けが良かったようだ
戦争中彼らにかくまわれたり他国へ逃げる手助けをしてもらった
日系の人々も少なくなかったとか
700名無し三等兵:03/08/10 20:55 ID:???
>>699
逆に収容所から徴用した日系人を使って
いわゆる日系人狩りをやらせた当時の米軍および政府指導者達には反吐が出る
701名無し三等兵:03/08/10 22:20 ID:???
我ら皇軍にも汚点がなかったわけではない。

陸軍某大佐が指揮した南方での間諜摘発作戦の際に発生した島民虐殺事件(陸軍甲事件)
西部戦線でとある都市に立てこもった米軍を民間人ごと絨毯爆撃で吹き飛ばしてしまった戦略爆撃部隊(陸軍乙事件)

山本五十六戦死(海軍甲事件)はともかくとして
海軍潜水艦による米病院船撃沈事件(海軍乙事件)
この事件は露見を恐れた艦長が生存者を機銃掃射で皆殺しにするという最悪のおまけがついた。
重巡三隈鹵獲事件(海軍丙事件)
702名無し三等兵:03/08/10 22:29 ID:???
>>701
海軍乙事件は良心の呵責に苛まれた乗組員の内部告発で初めて発覚したんだよね。
即刻艦長は軍法会議の末極刑に処され、
戦時中にも関わらず丁重な謝罪文がアメリカに対し送られた。
また国内にも報道され(さすがに家族に累が及ぶのを恐れ、個人名は出さなかったが)、
「斯様な振舞いは皇軍の恥である」として軍紀粛清のための引き合いネタにされた。
703名無し三等兵:03/08/10 22:38 ID:???
それらの事件は早々に公表され、戦時中であっても明らかな犯罪あるいは過誤と
見なされたものについては謝罪や関係者の断罪がおこなわれた。
この点は皇軍の清冽なまでの順法精神を如実に顕していたものとはいえ、東側に
かかっては政治宣伝の材料にされてしまったのは残念ながら事実である。

何しろ、東側、特に独逸の国軍は、いかなる激戦下にあってもどのような戦時犯罪も
犯すこともなく、その軍規が遵守されること厳格にして適切、だと宣伝されたからだ。
もちろんある程度の理性と常識を有している人にして見れば、それが強烈な胡散臭さ
を醸し出すものでしかなかったわけだが。
704名無し三等兵:03/08/10 22:38 ID:???
696
 あの米国映画が戦利品となったのは支那戦線ではなくて南方作戦の時に英軍が持っていた映画フィルムを入手したんだ。
フィルムは政府と軍の高官、映画会社の役員、新聞記者や作家などを集めて試写され大きな衝撃を与えたのは>>696が書いている通り。
その後は内地に持ち込まれ戦時中主要都市を巡回して上映会が開かれた。
 昭和19年に上映会が大阪で開かれた時映画館でディズニーのアニメーション映画を食い入るように見ている一人の医学生志望の青年がいた。
この青年が戦後衰退したディズニーに代わり漫画、アニメーション作品の名作を世に送り出す事になる手塚治虫。
 軍の要求に対しメーカーが切磋琢磨し意欲作を次々と送り込んだ結果、
優秀機を続々と戦線に送り込んだ帝国陸海軍航空隊に対し、米国の大戦中
盤以降の軍用機開発はどのような様相であったか。
 まずは米海軍艦上機を例に見てみる。

 艦上戦闘機は1943年よりグラマンF6F『ヘルキャット』が量産に入る。
この機体はF4Fをベースに一回り大きくし、防弾装備等の充実をはかり、
重くなった機体をP&WR-2800『ダブルワスプ』2000hpで引っ張ろうと言
うものだった。しかし空的リファインはほとんどなされておらず、重くな
った分鈍重で、F4Fの約7割増しの出力を持ちながら、速度では我が方
の二式艦戦とほぼ同じで、格闘性能についてはくらべるべくもなかった。
しかも零戦と二式艦戦の関係とは反対に、F6FはF4Fより工数が多く、
部品点数も増えてしまっていたのである。
 瞬発力に劣る零戦で、F4F−3Aなどと渡り合った経験のある我が方
の搭乗員には「F4Fの方が手強かった」と言われる始末だった。しかし、
F4Uの実用化に手間取り、他に変わるべき機体もないまま生産が続けら
れた。初期型のF6F−3から、生産性向上を狙ったF6F−5にモデル
チェンジしても根本的な解決にはならず、本土空襲が始まりR-2800の生産
が遅れるようになると他の高速戦闘機にR-2800の供給を優先され、出力の
低いR-2600の軽量低過給型を搭載したF6F−7が老醜を晒し、最後は6
丁あった機銃を2丁のみにし、翼下面4基の噴進ブースターを吊った体当
たり仕様のF6F−8でその幕を閉じた。
 F6Fはあわせて12,000機余りが製造され、これは同時期の二式艦戦の
生産数とほぼ同じだが、それは一重にグラマン戦闘機以外頼るものがない
と言う、米海軍の艦上戦闘機開発の失敗が生んだ数字でしかなかった。
 逆ガル翼に後退したコクピットが特徴となったチャンス・ヴォートF4
U『コルセアII』は、終戦時に接収・試験した黒江少佐(当事)が酷評した
通り、性能は優れていても海軍艦上機としては失格に近かった。それでも
F6Fを上回る高速に目をつけられて採用され、主に海兵隊用の陸上機と
して運用された。我が方もこの機体の存在は脅威と感じていたが、扱いが
難しく練度の低下した米海軍ではもはや使いこなすことさえ困難で、よう
やく空母搭載の目処がたった時には載せる空母がないと言う状態だった。
それでも『富嶽』迎撃用に陸上からとはいえ最後まで戦闘機としてその生
涯を全うしたあたりは、F6Fより恵まれていたと言っていいだろう。

 SBDの後継として開発されたカーチスSB2C『ヘルダイバー』だっ
たが、海軍側の「1基のエレベーターに2機載せるように」という無茶な
要求がたたって、SBDより速度は向上したが酷く安定性を欠いた機体に
なってしまった。
 多少優速になったところで500km/h未満では高性能戦闘機の飛び回る状
況にあって好材料とならず、練度の低下で離着艦時の事故が多発し、成績
はSBDの方が良好と言う有り様だった。それでも海軍は頑迷にこの機体
を実用しようと“努力”をし、結果としてあたらパイロットを事故で失わ
せることになってしまう。1944年7月にようやくSB2Cを失敗と認め、
SBD−6の増注とSB2Aの開発再開を決定したが、その時には全てが
遅かった。
 雷撃機の新型はグラマンTBF/TBM『アベンジャー』に一度定めら
れ、第一次ミッドウェイ海戦に早くも少数機が参加したが、これが全滅す
ると言う事実になぞらえるがごとく、その前途には暗雲が立ち篭めていた。
 ニューギニア・ラバウル攻防戦では主に対地攻撃機としてその活路を見
い出したTBFだが、本来の空母戦になるやたちまちその飛行性能の低さ
が泣きどころとなり、味方から“座り込んだ七面鳥”とまで言われるよう
になってしまう。
 業を煮やした海軍はほぼ同じコンポーネントでより洗練され、発動機も
R-2800(TBFはR-2600)を採用したチャンス・ヴォートTBU/TB2Y
『シーウルフ』に主力を切り替えようとした。だが、これがかえって雷撃
機供給のスキマを作ってしまう結果となる。
 結局、最後はTBUも戦闘機優先のR-2800を奪われ、首なし機体を広大
な向上に累々と晒し、最後はお決まりの「低性能発動機+噴進ブースター」
りよる体当たり仕様でTBFともども幕を閉じた。

 終戦間際、グラマン社が最後に送りだしたF8F『ベアキャット』は四
式戦『疾風』と互角以上の戦いを繰り広げた。一方、SB2Aをベースに
ブリュースター社が独自に作り上げた雷撃・降爆両用機BTA『スカイレ
イダー』も少数が実戦配備されわずかながらも戦果を上げた。
 しかし、もはや絶望的な戦局を覆す程の力とはなり得るわけもなく、米
海軍は載せる空母も全て失った状態で8月15日を迎えるのである。
708名無し三等兵:03/08/11 02:14 ID:???
>>702
あの事件の後米軍は病院船としておけば撃沈されないと思ったのか何と赤十字をつけた船で
堂々と兵員や武器弾薬を輸送していたらしい。
勿論武器弾薬は全部梱包するなり擬装して軍医と船員以外の将兵は全員怪我人や病人という事にして
包帯を巻いたり隔離病室を作り、全員分の病床日記(カルテ)や関連書類を準備する念の入れよう。
 乙事件のこともあり潜水艦は見逃していたし特設哨戒艇や海防艦による臨検に引っかかっても
偽書類や負傷者役の兵隊や軍医の迫真の演技で切り抜けていた。
 
 しかし年貢の納め時は来るもので昭和20年のある夜(擬装)病院船が航行しているのを駆逐艦が発見、
停戦させてカッターで士官、軍医、通訳など50名程が乗り込んだ。
船内にはいたる所に(鶏の血を使った)黒ずんだ血の後が残り(血糊をつけた)包帯でぐるぐる巻きにされた兵隊が
うめいておりそれを(わざとヨレヨレにした)白衣を着た軍医が走り回り(ブドウ糖の)注射を打っていた。

 なぜか戦傷者がほとんどなのに手足をが無い兵隊がおらず、病気と言われても皮膚に症状が出ている
患者がいないなど(米軍は隔離していると言い張った)怪しい所があったものの書類に不備がないので
引き上げようとしたら水兵が主のいないベッドの下から春画本ならぬ歩兵の装具一式を発見。
そのベッドの主を呼び出したらその兵隊は足を骨折しているはずなのに松葉杖も無しに歩いて現れたことで
疑惑が深まり船内を調べることに。
 すると船室の床下や船倉の赤十字の印が付いた箱の中から無線機や弾薬、過剰な糧食や医薬品が見つかり、
言い訳無用の状況になりそのまま拿捕。
 回航して徹底的に調べると底上げされた上甲板の下に戦車や火砲が隠されていたりベッドの金具と
船内にあった木製品を分解して組み上げると機関拳銃や小銃が出来るなど擬装病院船の驚くべき実態が明らかになり。
乗船していた一個連隊の将兵は全員捕虜になった。
709名無し三等兵:03/08/11 07:59 ID:???
>696の映画はグリフィスの「国民の創世」だと思われる。
710名無し三等兵:03/08/11 08:19 ID:???
>>708
いや、病院船ってのは万国共通で撃沈しちゃいけないことになってるんだが。
ただし病院船の船籍を相手に通告しておく必要がある。
ただし不審な点があれば臨検は可能(史実です)
711名無し三等兵:03/08/11 12:30 ID:???
>>710
確かに撃沈してはいけないが、相手国が病院船として承認しなければただの船としか扱われなかったはず。
そのため、承認しなければ撃沈も可能です。
712名無し三等兵:03/08/11 22:20 ID:???
日本軍の病院船が連合軍に承認された例しはない訳だが(苦笑
713名無し三等兵:03/08/11 22:46 ID:???
>>712
それなのに連合軍側の病院船をきっちりと承認していた日本軍ってすばらしいと思うわけで・・・・
714名無し三等兵:03/08/12 00:02 ID:???
>>705-707
纏めお疲れ様です
 末期の米海軍は日本軍の攻勢に一矢報いようと生き残りのベテランや腕の良い新人を掻き集めて
F8Fベアキャットで編成された航空隊があったようですね。
 キューバ上陸戦の頃にフロリダで編成されいきなり艦戦を50機以上撃墜の戦果を挙げ
初出撃後の一時期は制空権を再奪取する勢いでしたがすぐさま西海岸戦線に引き抜かれて
二式艦戦や疾風などの戦闘機だけでなく爆撃機の迎撃や海軍の体当たり攻撃機の直援など
滅茶苦茶ともいえる海軍の用兵で最盛期には100機以上を誇った戦力も瞬く間に70機前後に減り
日本機と一対一位の率で損耗と補充の繰り返しでしたが西と東を行ったり来たりの渡り鳥転戦と
隊長クラスのパイロットの戦死も響いて補充が追いつかず50、40と稼動機とパイロットは減り続け
8月にケベックから雪崩込んできた独伊戦爆連合に対し最後まで生き残った飛行隊長率いる
十数機が航空戦を挑み文字通り壊滅したそうですが・・・。
715705-707:03/08/12 04:13 ID:???
>>714
 ベアキャットは中低空での運動性では我が方の戦闘機を圧倒するものが
あったが、高々度で進入する富嶽や連山を迎撃するには火力が乏しく、重
武装のコルセアの方が向いているとして航空隊指揮官は一様に拒否したが、
キング作戦部長の強い意向で迎撃戦に投入されてしまった。
 一時は取り戻したフロリダの制空権も、タンパ防空にキ−201(五式双戦
「火龍」)が配備されるとたちまち追い払われてしまった。

 最後にニューヨーク防空に回されたが、ここでは爆撃機の相手は重武装
の陸軍P-47サンダーボルトやP-38ライトニングに任せることが出来、フォ
ッケウルフTa152HやレッジアーネRe2001、そして疾風等と最後の死闘を演
じた。
 この戦場は究極のレシプロ戦闘機達の競演でもあった。
716705-707:03/08/12 04:18 ID:???
 失礼、ロシアからイタリア空軍に供与されたヤコブレフYak-9F(ユンカー
スJumo213Gを搭載した高々度仕様)もいたっけ。
 米陸軍戦闘機は初期におけるP-40、P-39がそうであったように、大戦第
2世代に入っても要求のはっきりしない中途半端な設計要求に終始する。
これは帝国陸軍にも共通することで、とかく限定された基地設備であらゆ
る任務をこなすことができることを前提としてしまうのである。
 しかし、帝国陸軍が戦闘機の性能はまず敵航空戦力の撃滅を第一とし、
またその用途も当初制空用の軽戦と迎撃用の重戦とに分けていた(結局、
この分化はキ−61、キ−84の開発によって不要の物となったが)のに対し、
高々度戦闘機にまで対地攻撃能力を求めその結果P-43『ランサー』のよう
な失敗機を生み出してしまうことになる。

 制式機となった機体もこれに振り回される結果になる。P-43の改良型と
してスタートしたリパブリックP-47『サンダーボルト』は、当初侵攻用戦
闘機だったはずが高々度性能の付加や武装強化を強いられた結果、速度こ
そ『疾風』より優速であったが鈍重で格闘戦には適さず、また航続距離も
短く、結局高々度迎撃機や対地攻撃等に活路を見い出すしかなかった。
 一方、英空軍のカーチス『キティホーク』(米陸軍P-40の同型機)のライ
センス生産を蹴って、独自設計を逆提案して採用されたノースアメリカン
P-51『ムスタング』は、空力的に洗練され、ほぼ同出力の発動機を搭載す
るAXS3よりも100km/h近く優速で、格闘性能も申し分なかった。しかしそ
の代わり曲面を多用したデザインは量産性に優れているとは言えず、そこ
へ持ってきて当初ルメイの強硬な爆撃機優先の主張をさらにマッカーサー
が支持した為、ノースアメリカンはB-25爆撃機の生産にリソースを奪われ
なかなか前線には送られず、帝国陸海軍側はハワイ攻略戦でようやくその
存在に気付くと言う始末だった。以降、発動機をパッカード『マーリン』
(同名のロールスロイス製発動機のライセンス生産)として高々度性能を向
上したC型、D型を送りだし、米本土防空戦の一翼を担っていく。しかし、
空冷で瞬発力に勝る『疾風』と戦うやキャブレター式の弱点を露呈し、大
戦末期のドタバタの中、この改善策としてアリソンV-1710のターボチャー
ジャー付案まで飛び出した。結果最後に選択されたのはその流美な姿を徹
底的に痛めつけ、空冷ライトR-2600を搭載したP-51Fだった。同じ選択を
したキ−61/AXS系が空冷型もなお流美な姿を見せたのにくらべると、あま
りに哀れな最後の姿だった。

 P-39の改良型ベルP-63『キングコブラ』は、P-39の汚名を濯ぐに充分な
高々度戦闘機として完成されたが、陸軍側がP-39の思わぬ低性能ぶりに膾
を吹いてしまった形になり、そのほとんどが対ソ・対英支援用に回されて
しまった。ソ連解体・米本土防空戦の状況になってようやく在庫が米陸軍
に配備されるや、日本側護衛機を実力で排除できる格闘性と37mmモーター
カノンの重火力が絶賛されたが、既に時遅く、プロペラシャフトのベアリ
ング供給源を帝国海軍の戦略爆撃によって失ってしまい、在庫数100機が
すり減らされて終わった。高々度強行偵察をくり返すJu388Rを迎撃する戦
闘機として英空軍が絶賛し、逆にライセンスを買って、ボールトン・ポー
ル『キングコブラ』として、生後まで生産されたのは痛烈な皮肉である。
 双発と言うことがBf110やキ−45改と同列と連想させるのか、戦後人に
はあまり評価の高くないロッキードP-38『ライトニング』だが、帝国陸海
軍にとってもっとも脅威となった米陸軍戦闘機は本機ではなかろうか。迎
撃から護衛、戦術爆撃、威力偵察となんでもござれの万能機で、しかも各
々満足のいく性能を有していた。1トン近い量の噴進弾を搭載して、なお
500km/h以上の速度性能を維持するのはレシプロ時代の単発戦闘機には不
可能な芸当で、一方格闘戦に持ち込まれてもその優れた上昇力を背景にし
た“縦の格闘”を用い、日本側戦闘機と互角以上に戦った。米本土防空戦
では20mm機銃を機首に配置している事が有利となり、意外にも護衛機が存
在する中でも生存率は単発戦闘機に決して劣らず、格闘戦至上主義者の源
田実大佐(当事)をして「侮れぬ敵」と言わせしめたほどである。

 米陸軍戦闘機のトリをつとめたのはP-38と同じケリー・ジョンソン技師
の手になるロッキードP-80『シューティングスター』である。正確には失
格となったベルP-54や狂気の体当たり専用機P-79が存在する為『米陸軍初
の』というタイトルはあたらない。が、クレア・L・シェンノート率いる
9AF343sqが僅か数十機のP-80で、大戦末期の不利な状況下で富嶽3機・連
山12機・疾風5機のスコアを上げ、海軍のF8F部隊VF-22と共に名を残
した。だが、その登場遅すぎたこともまた同じであった。

(なお、量産準備中に敗戦を迎えたエンテ式XP-55『アセンダー』や、迎
撃機から対艦攻撃機へと転じた悲劇の体当たり専用機P-79『フライング・
ラム』に関しては、量産機とは呼べぬ状態の為ここでは割愛する。特に詳
しい文献があるので是非そちらを参照されたい)
720名無し三等兵:03/08/12 20:01 ID:???
>>719
双発戦闘機としては米軍が試作機までも大盤振る舞いしだした昭和20年7月以降
突如出現したムスタング2機を繋げた珍機『ツインムスタング』もありますね、
生産数が少ない上に独特の操縦方式が災いして事故が多発、あっという間に米本土の空から
消えています。

あと量産に至らなかった機体としてそのユニークな形状から『フライング・パンケーキ』
と呼ばれたXF5Uも有名ですね。
向こうの仮想戦記ではP-80『シューティングスター』やXP-55『アセンダー』以上に不遇な扱いですがw
721名無し三等兵:03/08/12 20:29 ID:???
>>720
ツインムスタングは超長距離援護戦闘機なんで、B−36と編隊を組んで超高高度を我が物顔に飛び回ってましたよ。
とても日本機がたどり着けない高みから、あざ笑うように大量の爆弾を降らせてくれたもんです。
超高空からなんで精度がイマイチだったのと、配備数が極々少数だったのが幸いしましたが、
あいつらが量産されてたら大変なことになってたでしょうね。

それでもパナマと真珠湾への爆撃作戦は米戦略空軍最後の意地として戦史に残っています。
真珠湾では超高空から落とされた爆弾がとんでもない加速で突っ込んできたため、
宝くじ的確率で直撃を食らってしまった戦艦『霧島』が弾薬庫までブチ抜かれて船体真っ二つ。
空母『飛鷹』が大破着底の大被害を受けました。

これに対して我が軍のとれる対策は生産施設の破壊と発進拠点の奪取しかないとされ、
有名な大陸打通作戦が発動されます。
722名無し三等兵:03/08/12 20:32 ID:???
>>721
なおこの作戦はドイツ軍と協同でアメリカを東西から締め上げるものであり、
事実上大戦最後の本格的陸上作戦となりました。
進撃にあたって、大陸横断鉄道が有効活用されたのはなんとも歴史の皮肉としか言いようがありません。
723名無し三等兵:03/08/12 20:37 ID:???
大陸打通作戦は結局未了のまま大戦が終結してしまったんだよね。
ただ南部諸州が大戦末期に離反した結果、出撃拠点が大幅に後退したのがこれまた幸運だった。
724名無し三等兵:03/08/12 20:52 ID:???
そういえば最近の西アメリカでは、時間跳躍をあつかった戦争娯楽小説が流行っているらしい。
流行の理由がわからなくて、あちらの友人に聞いてみたら苦笑しながらいわれたよ。

「当時の我々は圧倒的な国力をもっていたのだから、英明な指導陣が強力な指導力を発揮し
アメリカを指導していたなら、第二次世界大戦に勝っていたに違いない。経済、軍事、文化などで
日本の風下に立つこともなかったはずだ。‥ってところじゃないか?欲求不満の解消手段と
してはあまりに馬鹿らしいがね。」
725名無し三等兵:03/08/12 21:18 ID:???
>>721
そんな火葬戦記がありましたね。
726名無し三等兵:03/08/12 21:25 ID:???
>>721
ハワイ攻撃は第二幕がありますた。

22機のB−36に対し、今回こそ爆撃を阻止せんと悲壮な覚悟で臨んだ防空戦闘機隊は
必死の防戦を繰り広げるも、超高空での戦闘は困難を極め。
ついに再びオアフ上空への侵入を許してしまいます。
今はこれまでと覚悟を決めた加藤隊長は、ついに先頭機に対して体当たりを敢行!
巨体故に莫大な量の爆弾を搭載していたB−36は大爆発を起こします。
その余波にあおられた敵編隊は大きく体勢を崩し、完全に投弾のタイミングを外してしまいます。
再度照準の余裕は最早なく、てんでに爆弾を投棄した上で残機は逃走しました。
我が方の被害は加藤隊長のおかげで予想を遥かに下回り。
靖国に逝った隊長のために、丁重な部隊葬が行われます。

後にこれを知った連合艦隊司令長官から、彼の家族と防空戦隊にあて、直筆の礼状が届いたのは有名な後日談。
隊員も家族も滂沱の涙を流したそうです。
727名無し三等兵:03/08/12 22:05 ID:???
>>722
 昭和20年の大陸打通作戦というのは大陸の陸軍と汪兆銘政権との密約に基づき
成都近郊で粘っていた米航空戦力の撃滅と相互支援を行っていた国民党軍蒋介石・張学良派、
あと共産党残党の一掃を狙って起こした作戦の総称だよ。
 パナマ・キューバ・米本土西海岸と太平洋の向こう側での戦いが風雲急を告げているのに
本来なら米国戦線に送るはずの増援を引き抜いて第二戦線を構築する作戦計画に対して
反対する声もあったが後顧の憂いを断つという大義名分と空挺と機甲部隊を組み合わせた
「電撃戦」で作戦期間は短く済ませると豪語する作戦立案者のゴリ押しで決定してしまった。
 
 結果はどうなったかというと初動は成功したものの敵軍の予想外の抵抗や場当たり的な作戦計画が
裏目に出て映画『遠すぎた飛行場』で語られていますがつぎ込んだ戦力と犠牲に対して中途半端な形で
停戦を迎えています。
728名無し三等兵:03/08/12 22:20 ID:???
>>727
その頃米大陸でも打通作戦が行われていたんだよ。
戦力集中を誤った結果、どちらも中途半端で停戦を迎えてしまったんだ。
729名無し三等兵:03/08/12 22:37 ID:???
>>714
マッキャンベル大佐麾下のVF-343ですね。
優秀なパイロットは海兵隊からも引き抜いてたから後に「大空のガンマン」を記すウォルシュ大尉なんかも
所属していたそうで。
730名無し三等兵:03/08/12 23:03 ID:???
>>726
それって実は加藤隊長が酸欠で失神して先頭機に衝突した、ってのは
言っちゃいけないことだよね?
731名無し三等兵:03/08/12 23:14 ID:???
>>721
第一次ハワイ攻撃の作戦名は「ドゥーリットル」。
本土空襲を成し遂げた英雄(と思われてた)にちなんだ。
第二次ハワイ攻撃の作戦名は「シャングリラ」。
ドゥーリットル爆撃隊が出撃したという架空の基地名にちなんだ。
732名無し三等兵:03/08/13 03:23 ID:???
>>729
もうちょっとログ嫁
733名無し三等兵:03/08/13 07:09 ID:???
カリブ海海戦(第二次パナマ沖海戦)。
米軍の空海連合奇襲攻撃をほとんど一手に引き受けた武蔵は
実に命中魚雷20本以上、砲弾・爆弾数十発という大被害を受け、それでもなお海戦終了まで沈まなかった。
武蔵が耐えているうちに体勢を立て直した連合艦隊は反撃に転じ、
米軍最後の機動戦力を葬り去ることに成功する。
わが軍の勝利を見届けた武蔵は司令長官・西村中将と艦長・猪口少将はじめ千数百人の骸を懐に抱いたまま、
静かに海に没していった・・・

なお、この海戦で唯一生き残った米戦艦アイオワは後日再びカリブ海への進出を図るが、フロリダ沖にて撃沈されたのは知られるとおり。
734名無し三等兵:03/08/13 16:54 ID:???
両軍の提督・将軍の消息はどうなの?
735名無し三等兵:03/08/13 19:58 ID:???
>>730
当時は飛行機の増産が優先されたのと格段に上がった性能に対して
耐圧服や電熱服、酸素吸入器など搭乗員用の装備が発達していなかった。
この為知らぬ間にいわゆる「六割頭」の症状が起きて事故が多発していた。

この時の戦いとの関連はちょっと判らないが・・・。
736名無し三等兵:03/08/13 21:44 ID:???
>>730
いつの時代も性能第一主義というものがいて困ったものだね
上層部の用兵思想に忠実でさえあれば
あとは技術者のやりたい放題だったもんだからそういう事が起きた
もっと現場の意見や現場の創意工夫を評価してもらわないとな

そういえば米国製の仮想戦記では逆に日本が現場の意見を重視しすぎて
ろくなことにならないという展開にしてたな
737名無し三等兵:03/08/14 00:08 ID:???
>734
漠然と尋ねられてもなぁ。
誰の消息が知りたいのよ?
738日本戦艦の消息:03/08/14 23:21 ID:???
金剛 1995年、除籍。
比叡 1942年、ソロモン海の海戦で戦没。
榛名
霧島 1945年1月、第一次ハワイ空襲(ドゥーリットル作戦)により大破着底。
    その後破壊した船体前部の修復を機にミサイル戦艦に改造。2003年現在、モスボール保存。
扶桑 1944年12月、米軍の体当たり攻撃により轟沈。
山城 1944年12月、米軍の体当たり攻撃により大破。戦力的価値を鑑み、除籍・解体が決定。
伊勢 1942年、日向の爆発事故を契機に空母改装が決定。 
日向 1942年、主砲塔爆発事故。船体後部が大破したのを契機に空母改装が決定。
長門 1987年、除籍・解体。
陸奥 1943年、火薬庫爆発と見られる事故により、爆沈。
大和 1978年、除籍・記念艦。
武蔵 1944年、第2次パナマ沖海戦にて戦没。戦艦戦力激減への対処として、
    例外的に空母として建造されていた111号艦の戦艦への再改造が決定され、
    竣工後、『武蔵』の名を受け継ぐ。1987年除籍・解体。
信濃 空母として竣工。
111号艦 1947年、『武蔵』として竣工。
紀伊 2003年現在、唯一の現役戦艦。
尾張 建造中止

富士 超甲巡。1980年、除籍・モスボール保存。
穂高 超甲巡。1978年、除籍・解体。
蔵王 超甲巡。1982年、除籍・モスボール保存。
十勝 超甲巡。建造中止。
大山 超甲巡。未起工。
戸隠 超甲巡。未起工。

武蔵の再就役はドイツが侮り難い戦艦戦力を構築しつつあるため、戦後世界を睨んだ政治的判断により決定されたようです。
霧島の改造もまた政治的意味合いが強いようですね。
榛名についてのみ、何故か手元に資料がありません。
どなたか補完してください。
739日本空母の消息その1:03/08/14 23:39 ID:???
鳳翔 大戦の全てを練習空母として過ごす。1945年、終戦と同時に退役、記念艦に。
赤城 1942年、第1次ミッドウェー海戦にて戦没
加賀 1944年、第2次ハワイ沖海戦にて戦没
龍驤 1942年、ソロモン海の海戦にて戦没
蒼龍 1942年、第1次ミッドウェー海戦にて戦没
飛龍 1966年、除籍・記念艦。
翔鶴 1978年、除籍・解体。
瑞鶴 1980年、除籍・記念艦。
大鳳 1982年、除籍・解体。
海鳳 1982年、除籍・解体。
信濃 110号艦より改造。2003年現在、モスボール保存。
111号艦 1947年、戦艦『武蔵』として竣工。
雲龍 中国に売却
蛟龍 中国に売却
海龍 アルゼンチンに売却
昇龍 チリに売却
応龍 1944年、第2次パナマ沖海戦にて戦没
金龍 ブラジルに売却
740日本空母の消息その2:03/08/14 23:52 ID:dG7Yz6Ir
天城 1944年、第2次ミッドウェー海戦にて戦没。
葛城 1944年、第2次パナマ沖海戦で中破。終戦後復員輸送に従事。
笠置 1972年、除籍・解体。
阿蘇 1945年、米潜の雷撃により沈没。大戦最後の戦没軍艦。
生駒 1975年、除籍・解体。
乗蔵 1983年、除籍・解体。
白根 1988年、除籍・解体。
那須 1996年、除籍・解体。
九重 戦後竣工
妙義 戦後竣工
雲仙 戦後竣工
三瓶 戦後竣工
飛隼(旧『伊吹』) 巡洋艦として建造中、空母に改造。タイに売却
蒼隼(旧『生駒』) 巡洋艦として建造中、空母に改造。インドネシアに売却
千歳 旧水上機母艦。1944年、第2次ハワイ沖海戦にて大破・処分。
千代田 旧水上機母艦。1944年、第2次ハワイ沖海戦にて戦没。
祥鳳 旧潜水母艦。1942年、珊瑚海海戦にて戦没。
瑞鳳 旧潜水母艦。戦後コマンド母艦に改造。
龍鳳 1943年、ソロモン海の海戦にて戦没。
741名無し三等兵:03/08/14 23:54 ID:???
ageてしまった・・・
742日本空母の消息その3:03/08/15 00:10 ID:???
大鷹 1944年、米潜の雷撃により戦没。
雲鷹 1944年、米機の空襲により戦没。
冲鷹 戦後、客船に復帰。
海鷹 戦後、客船に復帰。
神鷹 戦後、ドイツに返還。
飛鷹 1944年、米潜の雷撃により戦没。
隼鷹 改造空母として最も奮戦。戦後記念艦に。
天鷹 1945年、米軍機の特攻により戦没。
瑞鷹 1945年、米軍機の特攻により大破・処分。
祥鷹 戦後、対潜空母に改造。
虹鷹 戦後、対潜空母に改造。
彩鷹 戦後、対潜空母に改造。
743名無し三等兵:03/08/15 00:12 ID:???
勝たないか?
744名無し三等兵:03/08/15 00:13 ID:???
>>742
あ、失敗。飛鷹は1945年、第1次ハワイ空襲により大破着底だ。
745名無し三等兵:03/08/15 00:18 ID:???
>>738
> 武蔵 1944年、第2次パナマ沖海戦にて戦没。戦艦戦力激減への対処として、
>     例外的に空母として建造されていた111号艦の戦艦への再改造が決定され、
>     竣工後、『武蔵』の名を受け継ぐ。1987年除籍・解体。

例外的と断っているので、こんなことを書くのもなんだが、
帝國海軍は、縁起が悪いということから、沈没した艦の受け継ぐことはしなかった。
746名無し三等兵:03/08/15 00:21 ID:???
>>745
知ってる。あくまでも戦没した『武蔵』の奮戦ぶりを評価したもの。
帝国海軍の銘銘基準は「終わりをよくせざりしもの」なので、1艦よく数艦を葬った上で戦没したような形での襲名はアリと判断しました。
747名無し三等兵:03/08/15 00:29 ID:???
>>738
榛名 1942年、ソロモン海の海戦にて戦没。
比叡と榛名はわずか一週間のうちに相次いで戦没し、超甲巡の戦力化(1943年後半)まで
空母機動部隊は護衛戦力の低下に大なる不安を覚えていた。
748名無し三等兵:03/08/15 01:05 ID:???
第2次パナマ沖海戦は、別名カリブ海海戦とも呼ばれる。
連合艦隊は空母機動部隊の一部をパナマ運河より侵攻させ、
大和・大鳳以下主力部隊は南米大陸を大回りさせる大遠征を行い、
両者の連動によってカリブ海に大包囲網を形成、一気にカリブ海の制海権確立を図った。
しかしこれほどの大遠征が察知されないはずもなく、米海軍は残余の部隊を集結させ、各個撃破に討って出る。
米軍の機動部隊はキューバを離れ、日本主力部隊に先制奇襲をかけた。
米艦隊は陸上機の支援下で待ち構えていると油断していた日本艦隊は虚を衝かれ、『大鳳』・『海鳳』以下の空母部隊に大きな被害を出す。
日本艦隊のエアカバーを奪った米軍は得意のレーダー射撃に一縷の望みを託し、夜戦を挑んだ。
当日夜は天候悪く、米軍が完全に主導権を握ることになる。
日本艦隊がまだ敵影を確認できないうちからレーダー射撃が降り注いだ。

旗艦『武蔵』は味方に体勢を立て直させるため、探照灯を照射した。
当然ながら敵砲火は彼女に集中する。
だが、米軍にも誤算があった。『武蔵』の驚異的なタフさである。
彼女は16インチ砲弾実に30発以上をその身に受けながらも奮戦し、
逆に『メリーランド』ウェストバージニア』を葬ってみせたのである。
さらに水雷戦隊の雷撃すらその身に受け、総数17本もの魚雷を浴びつつなお沈まなかった。
そのタフさに恐怖し、半ば意地になって『武蔵』にトドメを刺そうと米軍が気を取られている隙に、
『大和』以下の艦隊がすぐ側まで忍び寄っていた。
絶対に外すことのない至近距離から砲撃を開始した日本艦隊は、ついに米軍最後の機動戦力を葬り去る。
だが最早『武蔵』を救う術は残されていなかった。
朝日が昇る中、艦隊総員の帽振れに見送られつつ、彼女は静かに永遠の安息についたのであった。。。

なお、米軍空母部隊は帰投中をパナマよりおっとり刀で駆けつけた第二機動部隊に襲われる。
夜戦に全てを賭け、ほとんどの水上艦をこれに割いた米軍は艦載機以外に自らを守る術を持たず、
その艦載機も第一機動部隊襲撃で大きく損耗していたため、文字通りなで切りにされることとなる。
749名無し三等兵:03/08/15 05:54 ID:???
体当たりで轟沈or大損害を受けた戦艦が2隻もあるな。
日本の戦艦って防御力が弱かったんだねえ。
さらに言えば戦艦へ体当たりを許してしまうとは防空も何をやっていたんだか。
これで米軍と立場が逆なら体当たり攻撃なんかで主力艦への被害は出さなか
ったことだろうな。
750名無し三等兵:03/08/15 10:06 ID:PXpPb5EO
なにいってんだ。

日本軍が勝っちまったら、1942とか1943ミッドウェー海戦とか1943改
とかアドバンスド大戦略の難しい日本のキャンペーンモードとかできなくなるじゃねーか。


あと、スカイデストロイヤー。
751名無し三等兵:03/08/15 10:31 ID:???
>>749
このとき体当たりしたのはB-17。爆薬搭載量は4tに達した。
扶桑・山城共20機以上の襲撃を受け、それぞれ3機ずつの突入を許している。
12tものTNTが炸裂しちゃあ、大和でもただじゃすまないよ。
特に扶桑は2機目の突入の衝撃で艦内構造がめちゃめちゃになったところに3機目が突入し、
ガタガタになった構造の隙間から火炎が缶室に流入、水蒸気爆発によって艦体が真っ二つになった。
一説には4番主砲塔弾庫も誘爆したという。
752名無し三等兵:03/08/15 10:40 ID:???
>>751
このときの米軍の戦術は敵ながら巧妙。
第一波は瞬発信管を使用し、艦上構造物を目茶目茶に吹き飛ばした。1機当たり4tの爆薬が炸裂すれば対空火器など根こそぎ吹き飛ぶ。
第二波は遅延信管を使用し、艦内で爆発させた。さらに第一波の突入により発生した火災部をピンポイントに狙っている。
753名無し三等兵:03/08/15 10:49 ID:???
赤城って、ミッドウェーでやられたのか。

しかし、これほどの空母を開戦1年も経たずにやられるなんて・・・・・
これじゃ加点よ
754名無し三等兵:03/08/15 12:25 ID:???
>>752
厨な質問だったら申し訳ないんだけども、体当り攻撃で信管の種類は関係あるんですか?
755名無し三等兵:03/08/15 12:36 ID:???
>>754
関係大有り。
ただ、普通の遅延信管のように0コンマ何秒というタイミングじゃない。
突入速度が遅いからね、その分爆発のタイミングも遅く設定された。
一種の時限爆弾だ。
もちろん装甲をブチ抜くような効果はない、突入速度が遅いからね。
だが装甲の手前で炸裂させ、装甲ごと艦内構造を滅茶苦茶にしたんだ。
大事なのはこれが4t爆弾ではないこと。4tの炸薬なんだ。
93式酸素魚雷でも炸薬量は500kgなんだから、威力の程が知れるね。
機体自体を爆弾とみなせたから、安定翼だのなんだのといったものが全部省略されたんだね。
756名無し三等兵:03/08/15 20:00 ID:???
無理があるなあ
757山崎 渉:03/08/15 20:12 ID:???
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
758名無し三等兵:03/08/17 12:15 ID:???
>>756
> 無理があるなあ

これは妄想を楽しむスレなんで、少々のことで突っ込むのはナシにしようぜ。
759名無し三等兵:03/08/17 12:17 ID:???
>少々のことで
^^^^^^
ならば・・・

  無 理 有 り 杉 
760名無し三等兵:03/08/17 14:30 ID:???
>756
ただ突っ込むだけじゃなく、それを補完するようなネタを考えることで参加すればよいのだ。
761True/False ◆ItgMVQehA6 :03/08/17 16:27 ID:???
>755
んー、無線操縦B−17に搭載されていたのは
特大の成型炸薬弾頭「Cherry」と記憶していますが。
直径6フィートのこの弾頭、理論上の貫徹距離が20フィートにも達する怪物。

ただ、さすがにこれだけの大きさを綺麗に爆発させるのは至難のようで
ジェット形成せずに飛び散ってしまったものもあるようです。
762名無し三等兵:03/08/17 20:10 ID:???
なんで名前を消し忘れるかなこの可愛い系は
763名無し三等兵:03/08/17 20:50 ID:???
つうか戦艦と雲龍型空母についちゃかなり以前にやってなかったか?
加賀も第二次ハワイ沖で沈没してたら第一次パナマ沖に参加できないし。
764名無し三等兵:03/08/17 21:23 ID:???
>>763
以前の情報が整理されてないから重複して別の人が考えちゃうんだろ。
765名無し三等兵:03/08/17 22:06 ID:???
それ言い出すと重複ネタはもう山のように
766名無し三等兵:03/08/18 00:16 ID:???
>761
無線操縦のB17ですがこれって獲物の近場まで背中に単発戦闘機を乗せて飛行するんでしたっけ?
それとも私、同様のドイツ機と勘違いしてますか?確かドイツのはミステルとかいったと思うのですが。
767春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 02:19 ID:???
(1スレ120-121より)
戦艦大和>
 昭和53年除籍。記念艦として保存されたが、平成13年、同時多発テロの
標的となり破壊。平成15年現在復旧の見通し無し

戦艦武蔵>
 昭和53年海防艦に分類、昭和62年解体。

戦艦長門>
 昭和53年海防艦に分類、昭和62年解体。

戦艦陸奥>
 昭和48年、横須賀基地近海で事故により爆沈。生存者が少なく、原因不
明とされる。

戦艦伊勢>
 大戦中航空母艦に改装、昭和30年二等空母に分類、平成二年除籍・解体

戦艦日向>
 大戦中航空母艦に改装、昭和28年、タイ海軍に譲渡。
768春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 02:20 ID:???
戦艦扶桑>
 輸送線襲撃任務中、B−17による体当たり攻撃を受け轟沈。昭和19年
除籍。

戦艦山城>
 輸送線襲撃任務中、B−26による体当たりを受け大破。日本への回航
中に終戦を迎え、修理が放棄され昭和20年除籍。

戦艦金剛>
 平成7年除籍、太平洋戦争終結50周年記念の一貫として、生まれ故郷の
イギリス・スカパフローに記念艦として保存された。

戦艦比叡>
 昭和18年、第二次ハワイ沖海戦で航空攻撃により轟沈。

戦艦霧島>
 昭和19年、第二次パナマ沖海戦で航空攻撃により轟沈。

戦艦榛名>
 平成15年現在、帝国海軍最後の現役戦艦。
769春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 02:28 ID:???
空母赤城(II)>
 昭和17年、第一次ミッドウェイ沖海戦で大破・処分。

空母加賀>
 昭和22年二等空母に分類、昭和26年除籍、記念館として保存(佐世保)。

空母蒼龍>
 昭和17年、第一次ミッドウェイ沖海戦で轟沈。

空母飛龍>
 昭和22年二等空母に分類、昭和26年除籍。

空母翔鶴>
 昭和20年、体当たり攻撃により大破。回港中に終戦を迎え、昭和22年除
籍。

空母瑞鶴>
 昭和28年二等空母に分類、昭和
770春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 02:35 ID:???
空母瑞鶴>
 昭和28年二等空母に分類、昭和30年除籍。

空母大鳳>
 昭和28年除籍。

空母信濃>
 昭和26年大改装、現役。

空母紀伊>
 昭和26年大改装、現役。

空母雲龍>
 昭和22年中国海軍に譲渡。

空母天城>
 昭和22年タイ海軍に譲渡。

空母葛城>
 終戦時中破。復員船として使用後、昭和22年除籍。
771春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 02:46 ID:???
空母笠置>
 第二次ハワイ沖海戦にて敵潜水艦アーチャーフィッシュの雷撃を受け損
傷、その後航空攻撃により轟沈。

空母阿蘇>
 昭和22年二等空母に分類、昭和26年、ハワイ王国海軍に譲渡。

空母生駒>
 昭和22年二等空母に分類、昭和26年、パナマ海軍に譲渡。

空母伊吹>
 昭和22年陸軍に譲渡、揚陸母船「信州丸」と改名。昭和50年陸軍から除
籍。

空母春日>
 昭和22年陸軍に譲渡、揚陸母船「蝦夷丸」と改名。昭和50年陸軍から除
籍。

空母浅間>
 終戦時中破。昭和21年工作船「関西」に改装。
772春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 02:58 ID:???
空母赤城(III)>
 昭和22年二等空母に分類。昭和26年陸軍に譲渡。揚陸母船「筑豊丸」と
改名。現役、陸軍籍。

空母蒼龍(II)>
 昭和22年二等空母に分類。昭和26年陸軍に譲渡。揚陸母船「武蔵野丸」
と改名。現役、陸軍籍。

空母祥鳳(II)>
 昭和22年二等空母に分類。昭和50年除籍。

空母翠龍>
 昭和22年二等空母に分類。昭和50年除籍。

空母捷龍>
 建造中終戦。復員船として使用後、電気(電子)実験艦「八丈」に改装。

空母飛鶴>
 建造中終戦。復員船として使用後、電気(電子)実験艦「下野」に改装。
773春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 03:03 ID:???
空母飛隼>
 終戦時船体のみ完成。昭和21年、飛隼級空母(噴進機対応)1番艦として
完成。平成2年除籍。

空母蒼隼>
 終戦時船体のみ完成。昭和21年、飛隼級空母(噴進機対応)2番艦として
完成。平成2年除籍。

空母翔隼>
 終戦時建造中。昭和22年、飛隼級空母(噴進機対応)3番艦として完成。
昭和50年平成2年除籍。

空母雷隼>
 終戦時建造中。昭和22年、飛隼級空母(噴進機対応)4番艦として完成。
平成2年除籍。

空母翠隼>
 終戦時建造中。昭和22年、飛隼級空母(噴進機対応)5番艦として完成。
平成2年除籍。
774春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 03:10 ID:???
空母鳳翔>
 昭和18年海上護衛総隊に編入、昭和53年除籍。

軽空母龍驤>
 昭和18年南太平洋海戦にて沈没。(この時米側は、「加賀」と誤認)

軽空母祥鳳>
 昭和17年、珊瑚海々戦にて航空攻撃により轟沈。

軽空母瑞鳳>
 昭和22年二等空母に分類。昭和26年陸戦隊揚陸母艦「大鯨」に改装。

軽空母龍鳳>
 昭和19年第二次ハワイ沖海戦にて航空攻撃により轟沈。
775春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 03:19 ID:???
改装空母大鷹>
 昭和18年、南太平洋海戦にて轟沈。

改装空母雲鷹>
 昭和19年、米軍機の体当たり攻撃により轟沈。

改装空母神鷹>
 昭和21年、ドイツに返還。

改装空母隼鷹>
 昭和22年二等空母に分類。昭和26年、陸戦隊揚陸母艦「白鯨」に改装。

改装空母飛鷹>
 昭和18年、南太平洋海戦にて轟沈。

改装空母冲鷹>
 昭和21年、日本郵船に返還。

改装空母海鷹>
 昭和21年、日本郵船に返還。

改装空母祥鷹>
 昭和21年、日本郵船より買収。昭和50年除籍。
776春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 03:27 ID:???
重巡洋艦
古鷹>昭和22年 タイ海軍に譲渡
加古>昭和22年 タイ海軍に譲渡
青葉>昭和22年 中国海軍に譲渡
衣笠>昭和22年 中国海軍に譲渡
妙高>昭和18年 第三次ラバウル沖海戦にて轟沈。
那智>昭和18年 第三次ラバウル沖海戦にて轟沈。
羽黒>昭和18年 第二次ラバウル沖海戦にて轟沈。
777春夏秋冬厨 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 03:35 ID:???
足柄>昭和18年 第二次ラバウル沖海戦にて轟沈。
最上>昭和17年 第一次ミッドウェイ沖海戦にて事故により沈没。
三隈>昭和18年 ビスマーク海にて米海軍に拿捕。
熊野>昭和18年 ビスマーク海々戦にて轟沈。
鈴谷>昭和18年 ルンガ沖夜戦にて沈没。
利根>昭和48年除籍
筑摩>昭和48年除籍
778名無し三等兵:03/08/18 09:00 ID:???
>>776-777
高雄級四隻が忘れ去られてる上、加古は第一次ソロモン海戦後に米潜に撃沈されてまつ。
779名無し三等兵:03/08/18 11:48 ID:???
厨な質問で申しわけないが、何故艦齢のより若い大和型が昭和53年に除籍され
混合型の榛名が現役なのだろう。
また、上のほうで武蔵が西村提督と共に沈んだというレスをみたのだが。
780 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 12:25 ID:evovbd9Z
高雄>昭和22年 タイ海軍に譲渡(加古のかわりってことで)
愛宕>昭和18年第三次ラバウル沖海戦で轟沈。
摩耶>昭和17年第一次ラバウル沖海戦で被雷大破、処分。
鳥海>終戦時体当たり攻撃によって中破。譲渡先のニュージーランド海軍にて修復


>>779
大和は27ノット、榛名は30ノット出せる為。

武蔵が沈むとはなんですか?
大日本帝国海軍の誇る最強戦艦がそう簡単に沈むはずないではありませんか。
(っつーか、大和型もう1隻造ってたらいくらなんでもリソース食い過ぎ……)

781名無し三等兵:03/08/18 12:31 ID:???
あれ?昭和32年の大改装で大和型は30kt出るようになったって物の本で読ん
だんだがなあ・・・
782 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 12:40 ID:evovbd9Z
>>781
もうひとつの理由は大和が大き過ぎるってこと。
 空母中心の時代にあのデカい図体を維持するのはかなりの額かかかる。
 それでも帝国海軍の象徴たる存在として戦後も現役にあったが、
 昭和48年の「陸奥」爆沈事故、昭和50年の南米動乱介入の事実上の失敗から、
 国政側の軍事費抑制の声に勝てなくなり、
 小型の「金剛」「榛名」だけが生き残ることを許された。

 それでもまぁ、第一次湾岸戦争で36糎砲の射撃の映像に興奮した香具師は
 多いと思うが。

 で、平成7年に「金剛」が記念艦として英国に返還?されたので、
 現在「榛名」のみが現役。
783名無し三等兵:03/08/18 14:01 ID:???
>>780
だから、そう簡単には沈んでないぞ。
全身ズタボロになってそれでも戦い続け、海戦が終わった朝、静かに波間に消えてったのだ。
帝国海軍は彼女の勇戦を称えて例外的に代艦を建造し、「武蔵」の名を襲名させたくらいだ。
>>738の設定も生かしてみますた)
784名無し三等兵:03/08/18 14:37 ID:???
つか、WWU時点で艦齢30年超えてる金剛級が2003年現役って、
どう考えてもありえないとおもふ。
100歳近いばあちゃんだぞ。100歳。
785名無し三等兵:03/08/18 15:00 ID:???
>>784
榛名は新兵器のテストベットとして使われている。
軍事予算緊縮の影響で、テストベットだけのために、あそこまで大きな艦を
建造することとは無理なので、しかたなくっていう側面もあるみたい。
786名無し三等兵:03/08/18 15:06 ID:???
>>785
悪いが、3万トンで100歳の榛名を維持するよりも
6万トンで60歳の大和を維持する方がまだ安上がりだと思うぞ。
まして戦後、近代化改装を施したとあれば。
787名無し三等兵:03/08/18 15:39 ID:???
>>786
下手に近代化改装なんかで金をかけちまったから捨てるに捨てられなくなったとか。
788 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 17:08 ID:???
>>786
主砲の砲身運ぶのに専用船維持するようなフネですが……<大和型

軍縮条約時代とその明けての改装でずいぶん手が入ってますからね。
終戦時の条件は似たようなものかと。<大和と榛名
789 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 17:10 ID:???
(大体予算切る大蔵省の役人どもがそこまで考えるかい。単純に小さい金剛型の方が維持費少ないと考えるだろ……)
790名無し三等兵:03/08/18 17:46 ID:???
>>788
給兵艦の『樫野』のことだね(砲身運搬船)
『樫野』退役後の現在は専用艦は存在せず海軍の輸送艦や艀を使って輸送ということになっている。
他の平時の後方での軍需品輸送のように民間に委託するという話もあったらしいが。

>>789
それはあるかもね、小銃だって基本が変わっていないからとはいえ
二二式のままで通しているのは予算請求の絡みがあるからだそうだし。
791名無し三等兵:03/08/18 18:19 ID:???
おいおい、どこの国の大蔵省の話してんだよ。
ドイツの財務省かなんかと混同してねーか?
財政の無駄省くために局長以上に豊田自動車や川崎重工の取締役経験者
迎えてるわが国の大蔵省は結構優秀だと思うぞ。
792 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/18 18:28 ID:???
>>791
彼等は軍事に関しては素人さ。
793名無し三等兵:03/08/18 18:30 ID:???
774 :761 :02/04/14 22:22
>>772
俺はなぁ、ハルゼーが大嫌いなんだ。
パナマ突入を無視した負け犬め!意気地なしの低脳野郎め!
775 :1 :02/04/14 22:29
この駄スレを面白くしてくれた海軍省氏に感謝。
馬鹿は気にせず進行してください。
・・・ハルゼーがパナマ突入無視だって(プ
776 :761 :02/04/14 22:35
>>775
なんだ?お前は?やる気か?
777 :きんけいどん :02/04/14 22:37
突入しなかったのはぼくだいウワァァァァンヽ(`Д´)ノ
778 :名無し三等兵 :02/04/14 22:41
>>776
なかなかいい味出してるね(クスクス・・
779 :名無し三等兵 :02/04/14 22:42
ハルゼー艦隊謎の反転(w
780 :名無し三等兵 :02/04/14 22:48
パナマでハルゼー艦隊が反転したスレってのはここですか?

794名無し三等兵:03/08/18 19:36 ID:???
そういや、「ガッチリトラックを占領していたら」なんてのもあったな。
795名無し三等兵:03/08/18 22:39 ID:???
>>789
(マジレスするとリアルの大蔵省であったとしても上記の金剛−大和のようなことがないので
潔くそのネタはあきらめなさい)
796名無し三等兵:03/08/19 02:15 ID:???
>467-480の労作には敬意を表するが、冬戦争への義勇兵20万は送りすぎでは?
いかに「黄」が延期を繰り返していたとはいえ、OKHが同意するだろうか。

漏れとしてはちょうど11月末がSS戦闘部隊の編制に一段落ついた時期なので、
彼らの中から戦闘師団が送られたとの修正を提案。
国防軍からは少数の軍事顧問団か観戦武官という形ではどうか。
797名無し三等兵:03/08/19 02:30 ID:???
また、上の方で財政の話が出ていたのでもうひとつ。

捕虜労働力の投入に関しては同意するも、彼らに対する食料供給の負担は非常に大きいものに
なると考えられる。
冬戦争の経緯が先の設定による場合、40年2月の独ソ通商協定は成立を期しがたいと思われ、
この点、総督府管区の食糧事情が史実より悪化を見ることは確実となろう。

さらに、独ソ戦勃発後も赤軍捕虜の労働力投入を積極的に行うとすれば、
その食糧負担は全く途方もないものとなることが予想される。

したがって、漏れはここに「40年夏段階での総督府管区における対猶太人飢餓政策」が決定された、
との設定を盛り込むべきであると考える。
798名無し三等兵:03/08/19 02:57 ID:???
どうも史実と仮想戦記(一部火葬もあり)が入り混じってるようだ。
799名無し三等兵:03/08/19 18:24 ID:???
>>798
まあ最近は近現代史をよく学ばない輩が多いというか。
火葬を鵜呑みにする奴多過ぎというか・・・。

過去ログ全部とは言わないが>>245-267 >>278-280にせっかく年表があるんだから
せめてそっちを読んでからでも。
800名無し三等兵:03/08/19 21:07 ID:???
釜山での軍神金田少佐の慰霊祭が近いね。
一度行ってみたいな。
801名無し三等兵:03/08/20 12:15 ID:???
>>728
あっちも確かに打通作戦だね、中南部打通は米軍が混乱したことを含めて
空挺と地上軍が連動した作戦は成功していたものの中国大陸で同じ事をやって成功するかといえば
大間違いというか。

空挺作戦からして飛行場の確保には成功。ですがもうひとつの目標だった成都に繋がる橋梁は目前で
蒋介石派の国民党軍に爆破されてしまいましたし、頼みの機甲部隊も地形と多雨に悩まされ前進できず
飛行場を保持していた軽装備の空挺部隊が米軍の戦車に包囲されるという最悪の展開に。

こんな時に汪兆銘派国民党軍が共産ゲリラ駆逐を名目に積極的に救援に動かなかったのが戦後長らく尾をひきましたね。
802名無し三等兵:03/08/20 12:39 ID:???
>>793
確か一番最初のスレでトーピード・ジョンって言う香具師が
「燃料満載のB−25」云々って喚いていたなぁ…
803名無し三等兵:03/08/20 18:54 ID:???
>>836
しかも作戦の目的は日本に対して「あんたんとこの戦艦、たいしたこと
ないじゃん」って言うためだけなんだよ。
そのために体当たりさせられるB-25搭乗員哀れ。
終いには興奮して英語のスペル滅茶苦茶になってたしな。
804名無し三等兵:03/08/20 23:11 ID:???
>>796
おお、そういえばSSは当時武装SSとかいう組織を陸軍とは別に立ち上げて
いたのでしたね。SS自体は紆余曲折あって治安警察に再編され、武装SSの
装備と人員の多くは後に陸軍に統合されたので特に触れていませんでした。
>>797
民生には不勉強でして。フォロー有難く。総動員体制に伴ってある程度の
配給制の下地はあったでしょうし、占領下にあったポーランドなどからの
強制的な買い上げなどもあったのでしょうね。1940年を乗り切れば、41年
の収穫期からはウクライナや南ロシアが確保できるので、状況は好転した
のかな?
805名無し三等兵:03/08/21 00:56 ID:???
>804
なるほど、そういえばヒトラー死後の混乱期にSSも
そのあおりで改編されていたのでした(すんません、失念してました)。
まぁ、無名部隊(wに日の光を当てる方策と思し召していただければと。

東方領からの食糧供給については、まず東方領自身の食糧消費という問題がありますが、
並行異世界(史実)ではバルト三国において土地や企業の再私有を認める実験で
経済効率を高めた例が(期間・規模ともに限定的ながら)あります。
我らの世界ではゲーリングが失脚しているので東方経済政策もローゼンベルクに一本化されたはず。
40〜41年は相当な綱渡り状況だったものと思いますが、なぁに結局は勝ったわけですからね。

最初に赤軍が攻撃してきた時、どさくさに紛れて猶太人が大量に「行方不明」になったことは秘密(w
806名無し三等兵:03/08/21 20:03 ID:???
戦争中活躍した動物のエピソードきぼんぬ。
807名無し三等兵:03/08/21 20:07 ID:???
>>806
地雷犬
808名無し三等兵:03/08/21 22:36 ID:???
>>807
自軍の戦車で訓練してたから実戦でも敵戦車ではなく自軍の戦車に突入・・・
だっけ?
809名無し三等兵:03/08/21 23:31 ID:???
海軍では「海鷹」「大鷹」などが活躍……え?違う?
810名無し三等兵:03/08/21 23:54 ID:???
>>808
ソ連の奇想天外兵器だな、独戦車に対する奇襲に使うつもりだったらしいが
一部では成功したが大半は自軍の戦車の下に潜り込み爆発、なけなしのT34を失う羽目になった。

発案者と訓練担当はスターリンに銃殺されたんだっけ?
811名無し三等兵:03/08/22 15:31 ID:???
対馬海峡を突破して米露連絡作戦を実施した”Enterplise”ってマジですか?
向こうの2-channelで前に話されてたんですけど
812名無し三等兵:03/08/22 18:53 ID:???
>>811
大戦末期には露天繋止でB-29(一機)を搭載し、日本本土太平洋岸爆撃を成功させた。
このとき、RATOをふかしながら夜空を飛ぶB-29が民間人に目撃され、天狗として報告
されている。
戦果は残念ながら山火事を発生させたにとどまった。
813名無し三等兵:03/08/22 18:54 ID:???
Enterprise(エンタープライズ)ではなくEnterplise(エンタープリーズ)ですか?
確かに某提督が戦後に「“エンプリ”があと五杯もあったらアメリカの一人勝ちであっただろう」
とのコメントを残しています。
その提督の名はおきtfceshn/@l[90dc
814名無し三等兵:03/08/22 19:01 ID:???
そういや敵と間違われて味方にいきなり急降下爆撃かけられたというエピソードもある。
本体からはぐれて単機で進撃していた基地航空隊のドーントレスが、デカイ煙突のせいで大
鳳型空母と間違えていきなり突っ込んできた。準鷹艦長は射撃許可を出さず、回避に専念
させた。
幸い爆弾投下寸前でパイロットが気づいて事無きをえたんだが、、その時にEnterplise艦長が
「只今ノ急降下見事ナリ」と無電を打たせたのは有名。
その後その彗星は単機で敵機動部隊に向かって進撃、空母準鷹を撃沈したのはこの機では
ないかと言われている。
815名無し三等兵:03/08/22 23:13 ID:???
>>812
これ、アメリカお得意自動操縦装置を使った自爆機ですよ。
乗員は片道出撃で針路を定めた後パラシュート降下、潜水艦で救助・回収。
機内には爆弾や爆薬を満載した動く火薬庫。
一部はソビエトの黙認の下、カムチャッカ経由で米本土からはるばる日本本土爆撃を敢行したそうな。
総計300機を超える重爆撃機が断続的に来襲、3月10日には帝都に12機が到達し、1機は皇居からわずか3kmの地点に着弾・大爆発を起こしたそうだ。

陸軍丙事件とはこのこと也。
816名無し三等兵:03/08/23 07:27 ID:???
アメリカの技術は世界一ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
817名無し三等兵:03/08/24 17:44 ID:???
まぁたしかに終戦間際までそういう態度は多々見られた訳だが
わが国のように他国の技術にも敬意を表し柔軟に取り入れる一方で
本質を見失うことなく目的達成の手段のための道具として
つねにコスト、信頼性、利便性を考えられていたのとは違うな
818名無し三等兵:03/08/24 18:38 ID:???
>>817
金属加工や大量生産体制など日本の勝利に貢献した技術の大半は同盟を結んだ独逸からの支援より
我が国とともに満州に進出した米国の技術およびその改良なんだよな。
「これほどの技術は亜細亜人には真似どころか理解すら出来ない」と豪語していたらしいけど
これを昭和に入ってほぼ追い付かれたときの米国は大変な危機感を覚えただろうね。
819 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/24 20:14 ID:???
>>818
ゆえに汪兆銘と蒋介石のパイプ役だった張作霖ょ爆殺し、
それを関東軍に擦り付け、大陸から帝国の権益を追い出そうとした結果、
日華事変から泥沼の大東亜戦争へと世界は転がり落ちていくわけだが。
820名無し三等兵:03/08/24 23:33 ID:???
>>819
まー張作霖が公約にした北伐が共産党の妨害などがあって大失敗、
列強は張作霖を鎹にした国民党による中国安定化は望めないと判断し
米・英が蒋介石、日・満は汪兆銘に援助しだし満州で浮いた格好になった張作霖は
いつ消されてもおかしくなかった。
アメリカと蒋介石が早くも日本の庭の満鉄で爆殺なんて手に出るとは思ってもみなかったし
状況証拠が揃いすぎていて関東軍に世界中の疑いの目が集まったな。

これにより一番翻弄されたのは息子の張学良。当初は喪に服すると中立策を採ったが
関東軍攻撃を主張する部下の突き上げと蒋介石を疑いつつも父を利用していた
日本への疑念も払拭できず汪兆銘との交渉が打ち切られたのと蒋介石と背後の
アメリカの圧力に屈して蒋介石派に属した。

戦中は蒋介石とともに行動したが日本軍と積極的に戦わず国共合策などあらゆる手段で
中国統一を唱える張学良と蒋介石のウマが合うはずもなく蒋により幽閉、暗殺されかける
出来事も起きている。
このこともあり終戦前後、大陸打通作戦のときには蒋派から完全に縁を切り日本側に付いていた。
戦後も中国の統一に尽力し結構長生きしている筈だが。
821 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/25 06:46 ID:???
>>820
それどころかアメリカは国際連盟をなし崩し的に解消させ、
自分達に都合のいい新しい国際機関をつくろうとさえしていた。
残念ながら帝国とドイツはその策にまんまとはまってしまっていたわけだ。

むしろその面で一番上手く立ち回ったのは英国だね。
日英講和成るや国際連盟再建を声高に叫び、日独伊の復帰と、
満泰露の参入により実現したわけだ。
げに恐るべしはジョンブル魂かな。
822名無し三等兵:03/08/25 08:28 ID:???
>>821
日独伊満によるマルタ会談の時点で戦後処理として国際機関の成立は話し合われたけど
国際連盟の改組による再建を実現させたのは英国。元々欧州中心の組織だったので独逸主導に
なってしまったのは計算の内だったのかどうかは謎になっているけど。
但しヒトラーは間接的に世界を動かせるこの方式に満足したらしく米国の分割などで
それ以上の野心を露にすることは事はなく戦後処理がスムーズにいった側面もある

しかしその当初から連盟は日独の政治対立の場となり5年後に勃発した米動乱を防げなかった事もあり
加盟国は『西側』と呼ばれる「ニュルンベルク条約機構」『東側』と称される「大東亜共栄宣言機構」の
二極に分化していくことになる。


冷戦終結とともに欧州連合の再加盟やアフリカの紛争地域に国際平和治安部隊が結成されるなど
新たな国際協力関係の協調の場になりつつありますね。
823 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/25 22:36 ID:???
しかしまぁ、チャーチル一番の誤算は、
第三帝国崩壊により、現在の国連は大日本帝国主導のアジア中心主義に染め上げられてしまったことだね。
824名無し三等兵:03/08/26 00:38 ID:???
>>823
かといって第三帝国が覇者になるのは望んでいなかっただろ<チャーチル

しかし国是のアジア中心主義も石破、安倍、小沢ら新保守派のとなえる強引な
軍事力を背景にした外交と小泉総理の対テロリズム政策がこの間の西亜戦争の際に
欧州だけじゃなく東亜連邦や東南亜細亜共同体と認識のズレを生んでいるのも事実。

イラクもそうだがもうひとつの懸案であるケベックに関しても今日あたりから日本、加奈陀(カナダ)、
ケベック、西米、東米、独逸の六カ国協議が始まるがこちらも気になるな。
825 ◆oeKt6oXtQ6 :03/08/26 14:45 ID:???
>>824
カナダ国内は世界大学運動大会での事件で暴発寸前だな。
826名無し三等兵:03/08/26 22:22 ID:???
>>825
今に始まった話じゃないけどなw
この時期に反ケベックという動きはタイミングが悪いとしかいえないが
対話路線の大統領は平謝りしちゃうし。
827名無し三等兵:03/08/28 15:32 ID:???
ケベックの美男軍団て、名目上軍人らしいね。
828名無し三等兵:03/08/28 22:34 ID:???
西米が求めていた拉致事件の被害者と家族の扱いについては
事実上進展なしかなあ。
829日本の航空史:03/08/28 22:35 ID:???
浮田幸吉は宝暦七年(1757)備前国八浜の旅館の次男として生まれた。
幼少期の両親の死後、親族の表具屋で修業し、腕を認められた。彼が「空を飛ぶ」
ことに執念を燃やした動機について文献では断片的にしか残っていないが、現代の
観点からみれば「空を自由に飛びたいな」という想いが伺われる。「自由」という
概念がなかった頃ゆえ適切な表現ができなかったといえよう。幼少期に父母を
失ったことも背景にあると推測される。
鳩を研究して羽ばたき式で飛ぼうとしたが失敗、その後、鳶を研究し滑空機の概念
にたどりついた。表具屋としての腕を生かして、現在でいう懸垂式滑空機と同様の
翼を製作、天明5年(1785年)7月 、28歳のとき備前岡山京橋朝市の橋の
上から滑空に成功した。
なお天明7年、琉球で安里周祥が沖縄中部の泡瀬の海に面した崖から飛んで尚王
から恩賞を受けたとされているが、詳細は不明である。
1782年のモンゴルフィエによる熱気球が人類が空中に浮いた最初の記録である
が、翼と揚力による飛行で明確な記録があるのは、幸吉が世界最初である。
この事件により、幸吉は世間を騒がせたとして縛についたが、彼の腕を惜しむ周囲
の支援により所払いという微罪となった。その後、知人の商人の下に身を寄せ、
その縁で交易先の駿府に移り住んだ。時計や入れ歯細工などで生活し、同時に
それらのからくり細工を飛行に活用するための研究を進めていた。
830日本の航空史:03/08/28 22:36 ID:???
ちょうど田沼政権は、農業中心から商工業中心への政策変更を進め、平賀源内ら
が政権のブレーンとして活躍していた。田沼家の膝元である遠江や徳川家の出自で
ある駿河では、工業技術や新奇な発明・発見を積極的にとりあげ評価しようという
気運に満ちていた。彼の飛行実験は、お上から資金援助も受けるようになった。
弘化4年(1847)8月、91才で死去するまでに、多数の飛行実験を行い、
膨大な記録を残した。方向舵・昇降舵・補助翼・抗力板・釣合錘・操縦桿など
飛行の基本要素や、張り線・丸框・縦貫材・脚・緩衝装置などの機体構造の大半を
独力で発明し、動力以外の飛行機に必要な全てを実現したといってよい。また翼形
の検討のため、後の風洞実験装置や水槽試験装置の原型さえ開発している。晩年
まで意欲は衰えず、1845年にイギリスの蒸気船ラトラー号のスクリュー
プロペラの有効性を実証した実験のことを知るや、プロペラ推進を模型飛行機で
実験したという。欧州では、イギリスのケイリー卿が30年遅れで航空工学の基礎
を独自に築き、リリエンタールが100年遅れで有人グライダー実験に挑むことと
なった。しかし幸吉の偉業は、当時は地元住民や関係者の間に伝わったのみで、
広く世間に知られることはなかった。
のちに明治政府は浮田家より権利一式を買い取り、二宮忠八の飛行実験成功を機に
欧米において各種特許を申請、第一次世界大戦においては莫大な特許収入とともに
各国の航空機開発・生産情報をいちはやく得られるという多大な利益を得た。
831日本の航空史:03/08/28 22:37 ID:???
二宮忠八は慶応2年(1866年)愛媛の八幡浜に生まれた。凧で遊ぶことを
覚えるや数々の工夫を凝らした凧を発案。13歳で父を亡くしてからは学費を稼ぐ
ためそれらを市販し、大いに売れたと伝えられる。明治20年(1887年)丸亀
の陸軍歩兵第12連隊の看護卒(衛生兵)として入隊、2年後に上等兵に昇進する
が、演習の帰途、樅の木峠と呼ばれる場所で休息をとっているときに烏の群れを
見かけ、自在に空を飛べる乗り物を作ろうと思い立った。
明治24年(1891年)丸亀練兵場の広場で「カラス型飛行器」の実験に成功。
ゴム動力による今日の模型飛行機のようなものであったが、浮田幸吉の偉業が広く
世間に知られることがなかったため独力で飛行機の原理を再発明するに至った。
これにより自信をもって、人間を搭載できる構造をもつ「玉虫型飛行器」を設計。
しかし、一兵士の資金では実現は不可能であり、上官の矢野十一と相談し、柴田
勝央軍医の手により陸軍参謀長、長岡外史大佐に設計図と上申書を提出したが
却下されてしまった。明治27年(1894年)の日清戦争の経験から飛行機の
有効性を確信していた忠八は、カラス型の実験を取材した新聞社を通じ、広く
支援をつのり、欧州でのリリエンタールの実験も話題になっていたおり、世間の
注目をひくこととなった。その中に、清水徳川家の当主、徳川篤守がいた。
832日本の航空史:03/08/28 22:38 ID:???
篤守は島津家や鍋島家などと私的な資金援助を申し入れた。これにより忠八の
計画は資金的裏付けを得ることができたが、もうひとつ大きかったのは、幕府の
保管していた浮田幸吉の文献資料の閲覧を許可したことである。100年も前の
先人の偉業に大いに驚きながらも、玉虫型の原案から大幅な設計変更をへて開発
された新玉虫型は、明治31年(1898年)ついに世界で最初に空気より重い
飛行機による有人飛行に成功した。このニュースは欧米ではほとんど信用され
なかった。しかし日本国内では大評判となり、篤守が「徳川」の姓を許し、陸軍は
長岡外史が直々に不明を詫び、軍を辞していた忠八に技術大尉として陸海軍航空の
原点となる「臨時軍用気球研究会」に参画させるなど、異例の厚遇で処した。
ちなみにこの研究会の会長には長岡外史が就任、その後航空機の進歩に注力し、
「日本の航空の父」と呼ばれた。(大きなヒゲのため「プロペラひげ」とあだ名
されたのはよく知られている)
陸海軍が組織的に航空機の開発に関与するようになってから忠八は一線を退き、
大正4年、航空殉難者の霊を祀る飛行神社を創始して晩年は神職として過ごした。
昭和11年(1936年)胃ガンにより71才の生涯を閉じた。
なお徳川家では篤守の実子である徳川好敏が、忠八の影響を受け、陸軍飛行学校
教官、のち飛行第一連隊長をつとめるなど、陸軍航空隊の拡大に貢献した。
833日本の航空史:03/08/28 22:39 ID:???
臨時軍用気球研究会では、新玉虫型による飛行実験と並行して、軍用機の目的、
用途別の要求、操縦士の育成、機体の開発、発動機や搭載する装備品の開発・検討
運用方法の検討、飛行場や格納庫の検討など、生まれたばかりの飛行器(まもなく
飛行機と呼ばれるようになった)についての基本的な検討を進め、航空工廠や
飛行学校などの設立、各種関連組織の立ち上げなどに携わった。明治34年
(1901年)には東京砲兵工廠で航空用発動機の量産化に成功、陸軍小石川砲兵
工廠飛行機工場(のちの陸軍航空工廠)、横須賀海軍工廠造兵部飛行機工場(のち
の海軍航空技術廠)があいついで設立され、機体の開発・製造に着手した。
明治37年(西暦1904年)の日露戦争の時点で、陸海軍はそれぞれ300機
もの航空機を擁しており、偵察・弾着観測・水上哨戒などに大いに活躍した。
航空写真はロシア軍の動向をつぶさに把握することができ、陸軍は数量的には劣勢
だったにもかかわらず終始優位に戦闘を進めた。特に騎兵第一旅団(秋山支隊)は
後の諸兵科連合という思想にも通じる柔軟な部隊運用を行い、後にいう前線統制官
による航空支援など幾多の先進的な考案により大活躍した。旅順では被害の大きい
高地攻略に替えて航空機の弾着観測により港内の艦船を遠距離からの曲射で撃滅
せしめた。海軍では水上機が台湾沖よりバルチック艦隊に触接、位置を連合艦隊に
伝えることで、日本海海戦の完勝に寄与した。爆撃や地上攻撃は搭載量が小さく
効果は疑問視されていたが、心理的効果・奇襲効果により大きな成果を上げた。
明治39年(西暦1906年)、日露の戦訓をまとめ、その後の航空機の開発・
運用などについての道筋をつけたのち、臨時軍用気球研究会は解散した。
834日本の航空史:03/08/28 22:40 ID:???
小型軽量高出力の航空用発動機の開発、無線装備を機載可能とするため、電気・
電子技術開発、将来敵軍が航空機を有するようになった時に備えての「戦闘機」
の開発、それに伴う航空機関銃やプロペラ面内を通して発射するための手段、
飛行場を短時間で造成するための土木機械、燃料を確保するための樺太油田開発と
石油化学の推進、そしてなによりそれらの基盤となる国力と基礎技術の向上など、
無数の課題が挙げられた。そして、これらは日露の戦訓を総合的に検討し、将来の
日本の戦略を検討するための新組織「総力戦研究所」に引き継がれた。
総力戦研究所は陸海軍、文民、民間の垣根を越えた横断的組織として設立され、
若手の優秀な人材を集めることで日本の基本戦略を検討することを目的とした。
また各組織の将来の中核を早くから集めることで、往々にして生じがちな陸海軍
の対立や軍と官と民間の意思疎通の不備を避け、国家としての意思を現場から
トップまですりあわせることももくろんでおり、その後の日本の進路に大きな役割
を果たした。のち第一次・第二次世界大戦において、戦争の推移の予測をほとんど
的中させたことはよく知られている。日露以降の日本の戦略を考える上で、諸外国
に比べて10年は先行している航空技術を装備の軸に据えるという発想はここで
まとめられた。大正のはじめには、将来的に世界中どの国に対しても抑止力となる
機体として、モンゴルから欧州全土を爆撃可能、ハワイから米国全土を爆撃可能と
いう概略仕様を示し、後の富嶽の原点となった。
若き日に設立まもない総力戦研究所に所属した中島知久平海軍機関少尉は、これを
究極的の航空機「Z機」と呼び、熱意を示した。早々に退役し、中島飛行機を設立
したのも、Z機の実現を目的としていたためと言われる。

835日本の航空史:03/08/28 22:43 ID:???
大正3年(1914年)、第一次世界大戦勃発。日本は日英同盟の精神に(条文に
ではなく)基づきドイツに対して宣戦布告、対英支援に乗り出す。日清戦争での
三国干渉や、日露戦争当時ドイツがロシア側に立っていた恨みもあり、中国の青島
からの撤退や太平洋における独海軍の活動停止を要求。拒否されるや、青島爆撃を
敢行し、多大な被害を与え攻略に大きく寄与した。開戦当時、欧州の爆撃機の搭載
量は300〜400キロ、大戦後期に登場する異例の巨人機ハンドレーページV/
1500がようやく3トンを達成していたのに比べ、日本では開戦前に採用された
双発機がすでに1トンを搭載可能であり、末期に試作された四発機では5トンもの
搭載量を有していた。(日本爆撃機は輸送の問題から欧州には投入されなかった)
翌年には大西洋に遣欧艦隊を派遣し、Uボートの脅威を痛感することとなったが
艦載水上機による活発な哨戒活動により被害を最小限に押さえることに成功。
さらに翌年には、シベリア鉄道により東部戦線に日本陸軍二個師団、加えて航空隊
約200機が参戦した。対戦闘機戦闘は日露戦争では発生せず、演習と訓練の経験
しかなかったため、実戦経験に関しては日独とも同等であった。ドイツが機銃同調
装置を装備したフォッカー単葉機を投入して一時的に脅威となったため、日本側も
機密が漏れるのを恐れて投入を控えていた各種新型機を続々と送り込み制空権を
奪回した。シベリア鉄道の輸送能力の制限から、数量的にはドイツ側が勝っていた
が、性能・運用面で日本機が圧倒していた。
836日本の航空史:03/08/28 22:44 ID:???
開戦当初の欧州の戦闘機のエンジンはせいぜい100馬力、終戦近くでも200
馬力程度のものが主体(ニューポール・ドラージュ29のように300馬力のもの
もあったが)であったのに比べ、日本機では開戦の年に正式化された三年式戦闘機
(注:大正3年採用の意味であり、後年の「飛燕」とは別機)は空冷星型9気筒
250馬力、三年式艦上戦闘機は水冷V型8気筒300馬力を達成していた。
また張り線を多用していた欧州機に比べ、すでに機体自体で強度を確保し、翼間
支柱のみで抵抗の少ない構造を採用していた。ただし第一次大戦での激しい実戦
経験を経て、欧州各国の航空技術も急速に日本に近づいた。ドイツ最優秀機と評価
されたフォッカーD.VIIなどは三式に匹敵する性能を発揮した。ただし日本側は
既に三葉の七年式一型、単葉の七年式二型に400馬力級のエンジンを搭載し、
最強戦闘機の座を維持していた。
終戦時には欧州各国は万単位の機体を保有するに至り、余剰となった機体が大量に
放出され、民間航空が盛んとなった。日本は技術的優位が数量差で押し切られる
ことを懸念し、民間の航空機製造、航空輸送を積極的に支援した。
837日本の航空史:03/08/28 22:45 ID:???
三菱では明治40年に三菱合資会社造船部を設立、それを母体に明治44年に三菱
合資会社航空部を設立し、航空機の開発・生産を開始していたが、大正10年に
合併して三菱重工業株式会社となり、造船・航空機を一手に扱うようになった。
なお同年、電気部門を独立、三菱電機株式会社となった。
中島知久平は明治43年に海軍を辞し、郷里の群馬で日本最初の民間飛行機工場で
ある飛行機研究所を設立した。当初のスポンサーが事業に失敗したため、大正2年、
財産整理に関わった関西の富豪、日本毛織社長の川西清兵衛に出資を仰いで本格的
な航空機の製造に乗り出した。第一次世界大戦中の特需の間は両者の関係は良好で
あったが、積極的な技術開発・生産拡大路線を取ろうとする中島と、それを財務を
無視した暴走と見る川西の間で対立が生じ、中島は三井家をあらたなスポンサーと
して太田工場を買収し独立、大正10年に中島飛行機株式会社を設立した。一方、
川西家では織物機械の製造・修理を担当する川西機械を大正9年に設立(社長は
清兵衛の次男龍三)しており、中島とのケンカ別れを機に神戸工場を核に航空機
部門を設立した(昭和に川西飛行機として独立)。川西は日本航空株式会社を設立、
民間航空輸送の先駆者ともなった。
川崎造船所は大戦勃発を機に大正4年に川崎造船所飛行機科を設立、戦後の大正
12年に川崎航空機工業として独立した。
愛知時計電機は海軍に精密機械などを納入していた関係で、大正5年に航空機生産
を請け負うようになった。大正13年に愛知航空機株式会社として独立した。
石川島飛行機製作所は大正13年設立。のち昭和に入ってから立川飛行機となる。
満州飛行機は満州フォードと同じく大正13年設立。ともに満鉄の出資を受けて
いた関係で、フォードの規格化・マニュアル化などの思想や製造ラインの合理化の
ノウハウを取得、のちの大量生産の基盤を築いた。
838日本の航空史:03/08/28 22:46 ID:???
満州国・大蒙古、江戸時代から交易のあったタイや蘭印に加え、南洋の旧ドイツ
植民地との交通手段を必要とした日本は、海路に加え空路を次々に開設した。
日本航空輸送研究所、朝日新聞社東西定期航空会などの国内路線を主体とする各社
も半島、大陸、東南亜細亜方面の路線を順次開設、日本航空株式会社は南洋航路を
積極的に開拓した。なお、これが川西が飛行艇を中心に大型機の開発・生産に傾斜
するきっかけとなった。富嶽の主翼も、実質的に川西の設計になるものである。
政府が出資した日本航空輸送株式会社も、南洋、東南亜細亜、のちには北米や欧州
との国際路線を開拓し、大正の後半から昭和初期にかけて、日本の民間航空の黄金
時代と呼ばれるようになる。大正13年の日本海軍による世界一周飛行、昭和3年
の民間人による太平洋無着陸横断飛行、同年の羽田飛行場開設、昭和10年の航研
長距離機による航続力世界記録樹立などがこの時期の著名な出来事である。しかし、
中国大陸の諸勢力の紛争に加え、当初日本とともに共産主義の脅威に当たるはずで
あった在満米軍は昭和4年の世界恐慌以降不穏な動きを示し、張作霖が沿海州で
抗日活動を活発化させるなど、時代は2度目の大戦に向けて動き始める。
839日本の航空史:03/08/28 22:48 ID:???
日本の航空技術は総合的には世界一流であったが、液冷エンジンの小型高出力化や
ジェット・ロケット推進など、一部については欧州の後塵を拝する分野も現れる
ようになった。このため第二次世界大戦ではこれらの分野についてはドイツからの
技術導入も行われた。それでも主敵であった米国に対しては、エンジン出力では
終始1〜2割の差をつけ、また機体設計も進歩していた。それを背景に日本の各
メーカーは数々の名機を生み出した。生産量では米国が世界一であったが、開戦後
は日本国内だけでなく満州での生産量が急速に拡大し、欧州・ソ連向けにも機体を
回す必要のあった米国に対して、個々の局面では十分数量的に対抗できた。また
昭和19年後半からは米本土爆撃により、米国の生産数も頭打ちとなっていった。
新型機の出現時期の差などにより一時的に劣勢になることはあっても、ほぼ全ての
局面において制空権を維持し、戦勝に大きく寄与した。


(第二次世界大戦時の軍用機の詳細や戦後の経緯については、
すでにあちこちで述べられているので、省略)
840名無し三等兵:03/08/30 08:24 ID:???
   \ | /
   ― Θ ―
   / °\
  ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)<  航空先進国だったノカー!
 ( つ  つ  \_______
  〈 〈\ \
  (__)(__)
841名無し三等兵:03/08/30 12:01 ID:???
この分だと日露戦争を契機に戦車が生まれてたり、浦塩艦隊の跳梁を許した戦訓から海上
護衛が艦隊決戦より優先されてたり、艦船が高価だから沈ませないようにダメコン技術が世界
一だったり人的資源の少なさを補うためにレーダーがさっさと実用化されてたりしてそうだな(w
842名無し三等兵:03/08/31 02:21 ID:???
うむ、これほどの技術的優位と日本の地理的条件、歴史経験からすると
そういう方向に行くだろうね
そういえば江戸時代の数学「和算」ってのは結構進んでたらしいね
西洋科学だけでなく
こういった独自の方法論や理論からの科学もありだと面白いかもな

843名無し三等兵:03/08/31 06:50 ID:???
>>841
戦車が歴史に登場するのは英軍が第一次世界大戦にソンムに投入したのが最初。
我が国でも日露戦争の戦訓から装甲兵器がいろいろと考案されたが単純に
台車に装甲版を貼り付けた戦国時代の攻城兵器に毛の生えたようなものばかりで
どれも計画倒れに終わっている。

第一次世界大戦中連合国側として参戦し大正5年に対英支援の海軍遣欧艦隊派遣に続き、
陸軍2個師団規模の戦力を欧州に派遣(戦力化は翌年)した際に航空機関連技術を提供した
見返りに英軍の新兵器である戦車に関する技術と実車の提供、搭乗員の訓練を現地で行い
ここで初の日の丸戦車隊が誕生、連合国が攻勢に転じた際実戦にも参加している。
(機械的信頼性の低さゆえ本家同様華々しい活躍はありませんでしたが)
戦後この戦車と戦利品の独逸戦車、そして参考として購入した仏のルノーFT戦車ともに
凱旋したことが日本戦車のさきがけになった。
844名無し三等兵:03/08/31 13:15 ID:???
旅順上空で戦死した乃木閣下の息子ってどっちだっけ?
845829:03/08/31 19:29 ID:???
最初は富嶽の開発物語を、中島みゆきが主題歌を歌っているあの番組風に
やろうと思っていたのですが、昭和19〜20年前半までにあの怪物機を
3000機も量産できた背景とか経緯をまとめているうちに、どんどん
時代をさかのぼってしまってああなってしまいました。
(過去ログ、過去スレはひととおりチェックしたので、一応本スレ的
にはあれくらいはアリなんですよね・・・書いてて自分でも唸ってしまい
ましたが)
846名無し三等兵:03/08/31 20:13 ID:???
>>845
反省汁
847名無し三等兵:03/09/01 01:39 ID:???
>>843
総生産数が20両にも満たず、稼動車輌に至っては特別天然記念物モノの独戦車が日本軍の手に渡るとは思えんのだが。
WWTの陸戦が日本にもたらしたものは機械化と火力信奉だよ。
ただ日本軍の主戦場たる大陸や日本本土のインフラ整備状況から考えれば機械化部隊の活動が制限されるのもわかりきってたことで、
その辺のすりあわせがかなり苦労したらしい。金もかかるし。
848名無し三等兵:03/09/01 03:16 ID:???
 戦車開発に関して当事の日本が遅れてる遅れてると言われがちだけど、
実際にはそんなことはないよ。
 はっきり言ってしまえばWWII開戦時にはドイツのIV号とソ連のT-34が
頭抜けていただけで、あとはどんぐりの背比べのようなものだった。
 ただそれに追随するアメリカがM4シャーマンをすぐに主力化したこと
にくらべると、確かに形式上昭和19年採用の四式で肩を並べたのはやや
遅れ気味と言えるけど、英国なんか同クラスの車体をつくるのにさらに1
年半かかって、できたセンチュリオンは遂に戦争に間に合わなかったんだ
から。
849名無し三等兵:03/09/01 07:20 ID:???
>>847
軍部が一次大戦での独逸からの戦利品で一番興味をもったのはやはり火砲であり、
戦車は他国戦車と装甲厚や火力の比較対象として設計図とドンガラ状態の未完成品を
入手しただけだったそうな。
機械化に関しては政府が鉄道、港湾(水上機の離発着設備含む)は積極的に整備したものの
大規模道路や橋梁は国土防衛上宜しくないという江戸時代からの方針を継承していて
総力戦研究所が羽田飛行場など大型陸上飛行場の造成とともに旧五街道の近代化改修を
提唱してこれをひっくり返すまで続いていた。
一次大戦後は機械化を推進する陸軍の意向もあり大変高価ではあったが輸入自動車の国内普及と同時に
国産自動車製造の動きが強まることとなり、特に貨物自動車(トラック)と乗合自動車(バス)が
鉄道を補完する新たな交通機関として奨励され昭和に入る頃には東京〜名古屋〜神戸の道路整備を中心に
各地で道路改良が進むようになっていったようです。

あと国産戦車の発達の遅れは陸軍が難燃性を重視したあまりガソリン燃料の航空機エンジンの転用より
ディーゼルエンジンの新規開発に固執したことにある説もあるようですがどうなんでしょうか?
850名無し三等兵:03/09/01 07:30 ID:???
明治以来狭軌だった日本の鉄道が昭和前半に標準軌に変わったのも総力戦研究所
がらみ?
あれも莫大な国費がかかっただろうねえ。
851名無し三等兵:03/09/01 10:36 ID:???
ちなみに、史実の日本に一番足りなかったのは火砲とその弾薬。
戦車も自動小銃も火砲の優先度に比べれば次の次のそのまた次といって良かった、そのくらい不足していた。



さ、この事実を踏まえて本世界版の改善策を練ってみれ。
852名無し三等兵:03/09/01 16:33 ID:???
>>850
それが俗にいう新幹線、別名を亜細亜超特急という。
昭和16年の開戦までに東京〜博多間が開通し、第2期工事として東京〜室蘭間が着工していた。
大陸側でも同規格による新線が敷設されつつあり、最終的には東京〜新京を結ぶ長大な鉄道網になる予定だった。
853名無し三等兵:03/09/01 22:12 ID:???
>>852
島安次郎が「弾丸列車」として立ち上げ、その息子の秀雄が「亜細亜超特急」
として実現させ、戦後はそのまた息子の隆が、国家のワクと東西冷戦という
壁をのりこえて、電車化だけでなく東京―モスクワ―ベルリン―ロンドンを
鉄路で結んだという一家3代にわたる物語は、鉄道に少しでも関心のある人
には忘れられませんね。
854名無し三等兵:03/09/01 22:27 ID:???
>>852
結局線路規格と電力関係はどうしようもできずに記念直通列車は機関車牽引の客車列車という形を
とる他はなかったとはいえユーラシア大陸全通という偉業は鉄道史に残ったな。
現在は旅客輸送の主力は航空機なので旅行するには国際高速電車の区間運転の乗り継ぎですが
貨物輸送分野では冷戦後ますます輸送量は増えているね。
855名無し三等兵:03/09/02 01:50 ID:???
大陸との直通鉄道網って、

北九州と長門から対馬経由で釜山の日朝海底連絡線と
根室から国後-択捉-千島-カムチャツカの東シベリア線
稚内からサハリン通って間宮海峡わたる樺太線

の3つだよねぇ

日本海横断鉄道が企画倒れしたのは知ってるけど
鹿児島・沖縄・台湾・フィリピンと大陸を結ぶ路線はもう着工してるの?

鉄道関係疎くてスマソ
856名無し三等兵:03/09/02 03:06 ID:???
>>855
いや、実現したのは樺太線と対馬海峡線の2つだけだよ。
残り2つは余りにもコスト的に引き合わないし、船の方が余程安上がりなのでね。
一応沿海州経由でカムチャッカまで延びてるし、2003年現在ではベーリング海峡横断計画も持ち上がっているが。
同じ理由で南は鹿児島まで。
そこから先は船だよ。
台湾には台湾縦断鉄道があるけどね。
857名無し三等兵:03/09/02 10:48 ID:???
858名無し三等兵:03/09/02 13:58 ID:???
>>856
対馬海峡線でまた半島からの密入国者と貨物列車との衝突事故があったようだ・・・、
数十キロある海底トンネルを歩いてくる奴が結構いるらしく線路に落ちて電車に轢かれたり
作業用坑道の迷宮で迷った挙句衰弱死寸前で発見されたりと時々記事になるな。
重要施設ゆえ大部分は入国管理局の職員や警察、軍の警備網に引っかかり拘束されているが
かなり手を焼いているらしい。
859名無し三等兵:03/09/02 17:48 ID:???
ていうか国内の鉄道の大部分、山手線とか大阪環状線みたいな都市部以外は標準軌化さ
れて一世紀近く経つ今でも「新幹線」呼ばわりはどんなもんなのか。
860名無し三等兵:03/09/03 03:19 ID:???
>>859
新幹線は「広軌」です。
「標準軌」とは1067mmのことですがなにか?
861名無し三等兵:03/09/03 06:00 ID:???
坂口は逝ってヨシだな。
そもそも、医者とか弁護士とか規制に守られてる職種の最たるものなのに、そんな人間を
大臣だのなんだのにしてどうするんだよ。
862861:03/09/03 06:00 ID:???
スミマセン、誤爆です
863名無し三等兵:03/09/03 12:30 ID:???
>>860
 おいおい、日本標準はそうだが国際規格は1435mmだぞ。
もっともロシアなどではこれより広い規格なのでユーラシア横断鉄道実現には
線路規格の統一より車輪幅・動力方式可変車輌の開発が大きい。
 あと「新幹線」というのは新規のトンネルや橋が必要だったことから便宜的に
使われた呼称の名残、現実にかつての幹線とは別ルートを通る事が多く
都市間の運賃計算が面倒だったので別運賃と言うことになっている。
864名無し三等兵:03/09/03 18:24 ID:???
無知なくせに粋がる>860が居るスレはここですか?
865名無し三等兵:03/09/03 19:50 ID:???
あと標準軌化が行われたのは主な幹線とそれに直結する工業・鉱山地帯や大都市圏の一部のみであとは1067mm、
輸送量がどう考えても少ない僻地では昭和初期から本格的に軽便鉄道の変わりに道路整備と荷台付大型自動車や
乗合自動車の導入が奨励された、代議士や政党に利用されることも多く我田引鉄が我田引路に変わっただけだと
批判されることも多かったが。



866名無し三等兵:03/09/08 12:16 ID:???
867名無し三等兵:03/09/08 23:40 ID:???
読む気せんよここは
868名無し三等兵:03/09/09 17:53 ID:???
>>867
そんなお前を透明あぼーん
869名無し三等兵:03/09/09 20:45 ID:???
だが確かにネタが尽きてきたな・・・
870名無し三等兵:03/09/09 22:02 ID:???
まあイラク情勢は爆破工作の多発など宣撫どころか煮詰まっているからな。
小泉総理も選挙が近づき撤退を急ぐあまり連盟に加盟国による多国籍治安部隊創設提案という
事実上の丸投げに近い状態になっているが。
871名無し三等兵:03/09/10 20:04 ID:???
このスレがない。
>>1が生まれなかった。(歴史が変わればそうなる可能盛大、60歳以上でしたらすいません)
まだパソコンが普及していない。(あのまま日本が発展していけばこうなると思います)
インターネットがない。(大日本帝国がこんな危険なものを認めるわけがない)
従って、いずれにしてもこのスレが立ちません。
872名無し三等兵:03/09/10 20:15 ID:???
>>871
無知だね
873名無し三等兵:03/09/10 21:11 ID:???
>>872
わたしは無知ですが、あなたは無恥です。
874名無し三等兵:03/09/10 23:03 ID:???
おいおい、戦争に勝つには情報が何より勝る場合が多々ある。
今日のような情報網も元々は東西冷戦中核攻撃による通信途絶を防ぐために
好む好まざるを問わず軍事技術の発達と時代の要請で構築された。
もっとも民間に解放後このような恐竜的進化を遂げてしまっているわけですけどね。
875名無し三等兵:03/09/11 10:04 ID:???
>>871
パーソナルコンピューターの構想そのものは確かに、米国Apple社の、
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックによって生み出されましたが、
周辺機器やソフトウェアを取り揃え、本格的な汎用電算機のひとつとして
完成させたのは日本電気に他なりませんよ。

もっとも大形商業用電算機では「世界の巨人・NEC」と言われた日本電気も、
昭和59年に精巧エプソン社との互換機訴訟に敗訴してからは、シェア的には
めっきり落ち込んでしまいましたが。
876名無し三等兵:03/09/11 15:18 ID:???
>>863-865
スレタイ
877名無し三等兵:03/09/11 22:54 ID:???
この壮大なネタスレの歴史を知れば
このような的外れなレスは消えるはずなのだが
それくらいスレ1のテンプレは素晴らしかった
878名無し三等兵:03/09/12 00:28 ID:???
我国で最初に本格的な電算機を導入したのは海軍でしたっけ?
暗号解読だけでなく電探で得た情報を素早く砲撃や航空機の位置策定への利用が主な理由で
海軍が導入したから艦船内の限られた空間に収めるという要求があったので小型化が進んだとか
いわゆる『海軍英語』で「ソフトウェア」など関連用語がそのまま普及したとか言われていますが。
879名無し三等兵:03/09/12 01:12 ID:???
>>878
そこから発展したのが小規模級電算機。
小規模といっても商用電算機に対する小型と言う意味で、
サイズは箪笥程もあったわけだが。
880名無し三等兵:03/09/12 17:42 ID:???
>>879
海軍の当面の要求は発電機と電探・ソナーと組で駆逐艦に積めるような大きさだったからそれでも良かったのかも。

電算機は戦中から米軍との暗号作成と解読合戦の最中に構想が生まれ大本営主導で研究が進んでいましたね。
戦後に米国や英国の技術を導入して作られた国産の「電子計算機一号」が東京帝大の研究室で完成し
海軍と同時期に陸軍でも登戸で同じ物が導入されその改良型が国内各地や満州新京に設けられた
電算室に設置されたようです。
881名無し三等兵:03/09/14 23:35 ID:???
先日ドイツの女流映像作家レニ・リーフェンシュタールが亡くなったとか。
そんなときに不謹慎かもしれないが、ゲッペルスとデキてたってウワサは
本当なんだろうか。

882名無し三等兵:03/09/15 17:04 ID:???
>>881
映画女優との交際などゲッベルスの浮気遍歴を聞くとさもありなんという気が・・・。

ヒトラー死後は混乱の中でナチ党総裁兼首相になりヒトラー批判までやるという
身のこなしは見事としか言いようが無いけどね。
883名無し三等兵:03/09/17 18:59 ID:???
Our fighting was a victory. To those who inherit true national democracy Instead of us, those who fight with the imperialism of Japan and Britain stop this broadcast temporarily till the day which resumes broadcast truly from a free auditorium again.
884名無し三等兵:03/09/18 20:40 ID:???
私たちの戦いは勝利でした。私たち?フ代わりに真実の全国民主主義を継承する人々に、日本と英国の帝国主義で戦う人々は、自由な講堂から本当に再び放送されて再開する日までこの放送を一時的に止めます。
885名無し三等兵:03/09/19 01:40 ID:???
>>884
昭和19年末のロサンゼルス市攻防戦の最中カリフォルニア大学ロスアンゼルス校の講堂から
12月24日(現地時間)に発せられた最後の放送電波だな。

その45年後に起きたポトマック事件でリンカーン記念堂に立て篭もった民主運動家の学生が
軍治安部隊の突入直前にこれをもじった放送を発信し再び脚光を浴びたわけだが。
886名無し三等兵:03/09/19 01:44 ID:???
>>885
ちゃう、これはその後者のもじった方の文だ。
「英国」が入ってるだろ。
887名無し三等兵:03/09/19 02:13 ID:???
>>886
すまん、寝惚けて間違えた。
しかし酷い事件だったなあれは、ワシントン記念塔を中心にポトマック河畔に集結し
デモを繰り返していた学生に対し政府が戒厳令を発令。
そして遂に治安部隊が群集に向けて発砲、装甲車が公園に突入という映像が生中継で
西米や日本など東側各国に配信されたな。
いまだに事件の経緯や死傷者など真相は不明だっけ?

888名無し三等兵:03/09/19 03:07 ID:7SK4c/+K
軍事とは関係なくてスマソだけど、ドリフターズの荒井注と結婚したアメリカ人女性て何て名だっけ?
今日本に住んでるけど、結構活動的だよね。


そういえば、ドリフがイギリスに公演しに行った時、前座務めた「The Beatles」って、ただのコント集団になっちゃったらしいね。
旧米の戦時歌謡とかをもじった歌とかは結構上手いと思ったんだが・・・、もったいない。
でも、西米では彼らのコントは人気らしいね。
889名無し三等兵:03/09/19 04:10 ID:???
>>888
荒井注が道玄坂で撃たれて死んだ時はショックだったよ。
俺、けっこうファンだったから。
荒井注ってドリフ脱退してから暫らくは子育てに専念していたらしいんだけど、息子に
「パパはドリフターズなの?」って聞かれて復帰を決意した矢先だったらしい。
う〜ん、残念。
890名無し三等兵:03/09/19 05:47 ID:???
中本工事の息子って、親の七光りかと思ったらなかなかイイ!音楽だよね
891名無し三等兵:03/09/20 01:59 ID:???
阪神猛虎団 優勝おめでとー♪
記念カキコ
892名無し三等兵:03/09/20 11:26 ID:???
名古屋金鯱がんがれ
893名無し三等兵:03/09/20 22:42 ID:???
「暴風」の「天狼」「天狼改」への置き換えが進んでいるが西米駐留の「暴風」装備部隊の撤収が始まったな
西米では見られるのは最後って事で現地の航空祭は賑わったみたいだけど。
894名無し三等兵:03/09/22 19:35 ID:???
アメリカ←→日本
単純な入れ替えネタはもうお腹一杯
895名無し三等兵:03/09/22 22:02 ID:???
>874
そんな指摘にもお腹一杯の人は大勢いる。
批判屋さん 文句はネタを ageてから(心の川柳
896名無し三等兵:03/09/27 02:59 ID:???
今回の地震で北海道地方に戒厳令は適用されたのか?
897名無し三等兵:03/09/27 04:03 ID:???
>>896
そこまでの被害はなかったようだ。
北海道の建物は比較的頑丈だからな。
898名無し三等兵[:03/09/27 22:52 ID:???
>>896
アイヌ首長国の発表や現地の報道によると怪我人が出た程度だったらしいので
戒厳令ほどではないと思われ。
 数年前の千島諸島や南西部の地震の教訓もあり対応も早かったらしいし。
899名無し三等兵:03/09/28 08:16 ID:???
地震対策に関してはア首長国は世界最高水準ですからな。
世界各地での震災にも必ずいち早く救難隊出してるでしょ。
900名無し三等兵:03/09/29 23:41 ID:???
>>899
まぁ、世界最高水準といっても、起きないに越した事は無いんだが>地震
901名無し三等兵:03/09/29 23:45 ID:???
>>900
そりゃー、災害と戦争はない方がいいに決まっている。

分かってないのが永田町に何人かいるけどな。
902名無し三等兵:03/09/30 01:26 ID:???
>>899
災害出動では聯合艦隊も活躍しているぞ、
数年前の京阪神の震災の際訓練のため太平洋上の日本近海に向けその前日横須賀を出港していた新型駆逐艦「秋月」などが
災害出動命令を受け反転、横須賀経由で物資を急送している。
903名無し三等兵:03/09/30 17:55 ID:???
火災を起こした出光石油について調べてみました。
新潟の油井採掘から始まった日石などと違って、販売店が原点で、大正期に
満州に進出して精油所を手がけたのが大きくなったきっかけ。
戦後は独寄りになってしまったロシアやイランからも原油を輸入して
超大型タンカーのはしりにもなりました。20万トンの出光丸は有名ですね。
904名無し三等兵:03/09/30 19:22 ID:???
>>903
あそこで精製していたのは戦後発見された樺太油田のものだっけ?
農水産物や観光収入以上に石炭に変わるア首長国の主要財源なので影響が懸念されるな。

905名無し三等兵:03/09/30 23:31 ID:???
樺太油田は江戸時代に見つかってますよ。最上徳内だか間宮林蔵だかの
何回目だったかの調査隊が報告してます。
北満油田が見つかってからも、軽質油成分が多かったので、明治〜大正
年間には航空機や自動車のガソリン用に樺太産が重用されてたそうです。
北満で改質・分留・石化製品などの巨大プラントが林立するようになって
アメリカがちょっかいを出してきたわけですが。昭和の始めに張作霖とか
在満米軍が積み出しを邪魔するようになった一時期は、年産100万トンと
国内需要の1割程度しかなかったとはいえ、樺太油田の存在は大きかった
らしいです。
とはいえ、戦中は北満油田の役割がなんといっても大きかったし、
樺太油田も、戦後に沖合いの海底油田の発掘やパイプラインの布設が
話題になったりしたこともあって、そういう印象が強いのでしょうね。


906名無し三等兵:03/09/30 23:39 ID:???
>>904
石炭も最近見直す向きがあるが、
それこそ露天掘りの北満産に太刀打ちできないからな〜
907名無し三等兵:03/10/01 00:04 ID:???
>>906
戦後は豪州産の輸入も活発になったから九州も同じ理由で止めちゃったよね。
大東亜戦争前及び戦中の大増産計画で相当な量を掘り尽くしてしまったというのもありますが。
908名無し三等兵:03/10/01 18:28 ID:???
もっとも豪州も満州も樺太も皆三菱だの三井だの住友だの日本の財閥の資本で
日本人技術者がメインでの開発だ罠。
909名無し三等兵:03/10/01 20:27 ID:???
>>908
戦後西米のいわゆる「石油メジャー」解体の最中職にあぶれた技術者などを囲い込んだ成果だな
米国の財閥そのものは東側の脅威への対抗という政治的要求から解体は中途半端に終わり
戦後大きく発展することになるんだが。
910名無し三等兵:03/10/01 20:52 ID:???
エネルギー開発と言えば西米はいつまで高速増殖炉の実験を続けるつもりなんだろう?

そう言えば、ケベックへのCGR炉提供中止の話はどうなったんだ?
911名無し三等兵:03/10/01 21:42 ID:???
>>909
米の2-channnelでCertain Researcherって奴が近江商人の陰謀とか三菱とか三井の
謀略とかよく書き込んでるよな
912名無し三等兵:03/10/01 22:33 ID:???
>>910
一時危ぶまれていた総裁選を大差で再選されたおかげで小泉首相も強硬に出ているからな
「火遊びをする者にマッチを渡す道理は無い」とか言ってるし。
ケベックもこの間の六カ国協議をご破算にしかねない発言をしているから再び緊張が高まるかも知れん。
隣接するカナダ、東米の出方次第と思われ。
913名無し三等兵:03/10/02 15:00 ID:???
>>910 西米の高速増殖炉、自主エネルギー資源の確保ってのが看板文句。
もともと北米は戦前から大産油地帯だったのはご存知だと思うが、いまや
アパラチア油田、中部内陸油田は東米。
メキシコ湾岸油田とカリフィルニア油田は日本が押さえてるが、友好国価格で
西米に提供してるし、首長国傘下のアラスカやカナダのアルバータ油田からも
西米に輸出してるから、別に原子力に頼らなくてもエネルギーは十分。
けど、わが国がその気になればいつでも締め上げられることには変わりない。
(伝統的に石油の大量消費が身についてるからなおさら影響が大きい)
核武装を目指してるっていう陰謀論もあるけど、そうなるとしてもわが国の
管理下でのことになるよ。
自主エネルギーってだけなら石炭がいくらでもあるけど、石炭液化にはコスト
と効率の問題があるし、どうもいろいろ圧力がかけられてるみたい。
その点では、日欧のいわゆる巨大石油資本の陰謀があるのかも。
914名無し三等兵:03/10/02 18:40 ID:???
西米の高速増殖炉って、いざと言う時のダーティーボム的意味合いで開発してるってうわさを聴いたことあったような・・・
炉心を溶解させて放射能汚染で東米と心中するためではなかったのですか、実験炉、原型炉ともに国境線に近い位置に
あることからあながちうそではないような気が・・・当然それから電力が取れればなお良いわけでして・・・
これって、本当なんだろうか・・・
915名無し三等兵:03/10/02 18:44 ID:???
>914
間違った
溶解× → 溶融○   メルトダウンですな。
916名無し三等兵:03/10/03 15:02 ID:???
オーストリアの大司教が「ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は人生の最期の時に
近づきつつある」とか言ったとか。自分が後継者候補だからって、そんなこと
言っていいのかね。

ローマカトリックはナチス政権と早くから結びついてたのは有名だけど、
ヨハネ・パウロ2世は世界中の国や宗教代表者に積極的な外交交渉を
しかけて、第三帝国崩壊後も教会の権威を守りきったという点では、
たいした人物だったんだな。(まだ過去形にしちゃまずいか)
917名無し三等兵:03/10/03 19:41 ID:???
>>916
関係が深かったのはどちらかというとイタリアのファシスト政権でしょうね
バチカン市国の独立を承認したのは他ならぬムッソリーニですし。

二次大戦後アフリカ経営に失敗してもイタリアの東側における影響力が下がらなかったのは
ドイツが不得手とする洋上航空戦力をイギリスに匹敵する規模で保有する軍事力にもありますが、
冷戦の最中東西各国への交渉においてイタリアにローマカトリックが表に裏に協力し、
外交面でイタリアの国際的地位を高めた点においてその蜜月の関係ぶりが伺えます。
918自分的日本航空事始:03/10/03 23:25 ID:???
 明治37年1月9日。広島の郊外で異形の怪物が空に舞い上がろうとし
ていた。名付けて「二宮式玉虫型軍用飛行器」。日本人による初めての動
力式航空機であった。
 二宮忠八は慶応2年、愛媛県八幡にうまれる。僅か12歳で父親を亡くし、
働かざるを得なかった。しかし、そんな境遇が彼の道を大きく変えるきっ
かけになった。明治14年、学資を得るために彼は10種類の凧をつくって
売り出した。それは“忠八ダコ”と呼ばれ人気をはくした。これが彼を空
へと誘うきっかけになった。
 明治20年に陸軍に入隊した忠八は、22年に烏が飛ぶ様子を見て航空
力学を発見、24年にはそこからゴム動力を使った模型飛行機「烏型模型
飛行器」を初飛行させた。
 意を強くした忠八は翌明治25年から、今度は人力による搭乗型飛行機
の開発に乗り出した。これが“玉虫型飛行器”である。
 しかし、人力による飛行は、当時の資材ではおおよそ不可能に近かった。
そこで忠八は、日清戦争従軍中の明治27年、軍用偵察機としての航空機
の必要性を感じ、玉虫型をもとに当時出現したばかりの石油発動機による
航空機を設計し、大島混成旅団長宛てに上申書を提出した。しかし、この
上申書は大島将軍に届くこと無く却下されてしまった。
 業を煮やした忠八は、明治29年、大島将軍に直接面会し、再度航空機
の必要性を説いた。大島将軍はその実現性については半信半疑であったが、
熱弁を振るう忠八に感打たれ、陸軍参謀本部宛に「飛行器開発の必要性と
実現性」と題した報告書を提出した。
 かくて明治31年、忠八は陸軍参謀本部付とされ、飛行器開発技術長の
ポストが与えられた。ところが、そこに配属されたのは忠八と作業員が1
人だけ。参謀本部も、まだ忠八の主張のすべてを鵜呑みにしたわけではな
かった。
919自分的日本航空事始:03/10/03 23:26 ID:???
 それでも、陸軍は翌明治32年にフランスより石油発動機2基を買付け
た。その任にあたったのは大島将軍その人であった。
 しかし、念願の石油発動機を手にしても、まだ人力飛行に至るには時間
がかかった。当時の石油発動機は重すぎたのである。まだ独力で軽量発動
機をつくるには日本の技術は不足していた。
 フランス製発動機を軽量化した大島式発動機を4年がかりで完成に漕ぎ
つけ、いよいよ初飛行へ向けて大きく動きだした、その矢先。
 明治36年12月8日。アメリカのライト兄弟の手によって、初の有人
動力飛行は達成されてしまった。そのニュースを聞き、忠八は男泣きに泣
いたと言う。
 しかし、完成間近の忠八の玉虫型飛行器に対する陸軍の期待は明治31
年当時とはくらべるべくもなくなっていた。石油発動機の調達と改良に心
血を注いだ大島将軍に叱咤され、忠八は玉虫型飛行器の完成を目指した。
 ライト兄弟に遅れること1ヶ月、ついに忠八の飛行器は完成し、初飛行
に望んだ。先人がいたとは言え、日本人にとっては初の飛行である。そし
て、運命は忠八を見捨ててはいなかった。
 「玉虫型飛行器」の初飛行時間、3分。――僅か3分。だが、ライト兄
弟の初飛行12秒から見れば、それは無限にも等しい長時間であった。大島
将軍は「ライト兄弟が行ったのは“跳躍”である、本当の有人動力初飛行
は二宮忠八なり」と豪語した。
 しかし、残念ながら、当時二等国家とみなされていた日本の、二宮忠八
の飛行は世界的な記録として認められなかった。それに落胆を覚えた忠八
は、玉虫型飛行器が結果的に日露戦争には貢献できなかったこともあり、
大島をはじめとする陸軍高官の遺留を振り切って退役し、以降は製薬会社
経営に没頭した。
920自分的日本航空事始:03/10/03 23:28 ID:???
 しかし、それでも空への夢は捨て切れなかったのであろう、明治45年、
奈良原三次が「奈良原式2号」機を完成させると、忠八は製薬業によって
得た利益で「二宮・大島飛行財団」を設立、以降、日本の飛行機製造の発
展に貢献したのである。

 そして歴史は痛烈な皮肉を与えた。欧米が忠八の功績を認めたのは、日
本の大型爆撃機『富嶽』によって米本土を灰にされることによってだった。
そしてそれを製造したのは、“二宮忠八の子孫”の1人、中島知久平の興
した中島飛行機であった。
921名無し三等兵:03/10/04 16:15 ID:???
明治天皇に以下のハワイのカラカウア王の提案を受け入れるよう進言したのって誰だっけ?

1.カラカウア王の姪で王位継承者のカイウラニ王女と、山階宮定麿親王(後の東伏見宮
依仁親王)との縁組。
2.日本・ハワイの合邦(連邦)。
3.日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設。
4.日本主導による「アジア連邦」の実現。
922名無し三等兵:03/10/05 09:16 ID:???
そういえば核問題で思い出したけど海南島危機の詳細を知っている人いる?
ちょっと前に映画化されたのを見たが正直あの映画の辻首相は恰好良過ぎたな。
923名無し三等兵:03/10/05 19:49 ID:???
昭和37年10月に発生した、人類が核戦争の淵にたった13日間のことだ。

日付
16:大日本帝国特別高等警察外事部、蒋経国総統率いる反日軍閥が占有・
   独立政権を主張する海南島に、ドイツ第三帝国が核弾道弾を搬入すると
   の情報を入手。
   辻政信首相、緊急御前会議を召集。
19:村田重治空軍中将、キューバ空襲を辻首相に進言。
22:大日本帝国、珍宝島に第三帝国弾道弾基地が建設中であることを公表。
   中華民国政府対海南島海上封鎖を宣言。
24:聯合艦隊、太平洋上にて臨検を開始。
   「対核防衛基準二」を発令、大本営召集。
26:ゲッベルス第三帝国大統領、私信の形で辻首相に弾道弾撤去を提案。
   蒋総統日本機に対する攻撃許可を宣言。
27:「暗黒の土曜日」
   ゲッベルス、フランスに中距離弾道弾撤去を要請。
   海南島上空にて対核哨戒機「南海」被撃墜、搭乗員は死亡と判断。
   加藤建夫空軍相、29日の海南島空襲開始を提言。
   昭和帝陛下、空襲中止の御聖断を下される。
   中垣國男法務相、アナター・ドブラウス駐日ドイツ大使と接触。
28:「奇跡の日曜日」
   ゲッベルス、ベルリン中央放送にて海南島の弾道弾撤去を発表。
   大日本帝国、閣議にて海南島への即時攻撃体勢解除を決定。

 11/9、海南島から第三帝国の運搬船が弾道弾を搬出、聯合艦隊艦艇が併走
し、弾道弾撤去を確認。
 11/11、「対核防衛基準」解除、大本営解散。
924>>923:03/10/05 19:53 ID:???
(なお、日付は日本標準時とする。ドイツ側の動きは、-1日と考えられたし)
925名無し三等兵:03/10/05 21:06 ID:???
ドイツの優秀なスパイ網にしてやられた事件って何があったっけ?
926名無し三等兵:03/10/05 21:19 ID:???
空軍メイドさん事件
927名無し三等兵:03/10/05 21:56 ID:Y92U6y50
>>899殿
国賊 横路が北海道庁からいなくなったからできるのだよ。
928名無し三等兵:03/10/05 22:54 ID:???
北海道庁???
929名無し三等兵:03/10/06 23:04 ID:???
>>928
明治期に作られた我が国の出先機関、北海道という名称は蝦夷地から改名する際
便宜的に名付けられたもので現在もアイヌ首長国首都の総領事館をそう呼ぶ人が多い
国際的には「アイヌ首長国」であっているよ。



930名無し三等兵:03/10/07 06:10 ID:???
ア首長国の成立を過去レスさかのぼってみてみろよ
931名無し三等兵:03/10/07 11:09 ID:???
道路公団の総裁の首が飛ぶとか、新聞のベタ記事に載ってましたが、皆さん
ご存知でした?道路公団なんてものがまだあったんだとちょっとびっくり。
高速道路の主要な幹線部分は戦時中には出来上がっていたし、戦後10年
くらいは復員してきた兵士に職場をあっせんする意味合いもあって、全国
どう見ても不要そうなところにまで鉄道と道路が整備されましたが、その後
ずっと保守・維持だけのために不相応に肥大化したお役所仕事を残して
いたんですね。
932名無し三等兵:03/10/07 12:46 ID:???
>>931
保守と維持、そして更新の方がよほど金がかかるのだが。
アメリカなんぞ現在老朽化道路の更新問題で頭を悩ませる日々が続いてる(史実です)

戦後くらいに整備された道路なら、2003年現在では完全に寿命が来てて、
どれから優先して更新するか? が深刻な問題になってるはず(現在のアメリカが抱え込んでる重大な社会問題のひとつです)。
933名無し三等兵:03/10/07 13:53 ID:???
>>932
なるほど。そう考えると、40年前にやたらと道路を引きまくったのは、
未来永劫自分達の仕事は増えつづけるという深慮遠謀があったのか。
どんな社会でも役所は拡大し役人は増えつづけるというナントカの法則は
健在なのですね。
934名無し三等兵:03/10/07 14:00 ID:???
ちなみに日本の場合、アメリカより20年遅れくらいで同じ問題を抱え込むと予想されており、
今から保守技術の低コスト化とか、補修作業の優先順位付けとかの研究が進行中。
アメリカという格好の前例があるだけに、同じ轍を踏むまいと努力している真っ最中(やはり史実です)
935名無し三等兵:03/10/07 22:44 ID:???
>>934
日本の場合は建設時期が日本列島改造論の頃だからですね?
936 ◆ItgMVQehA6 :03/10/07 23:09 ID:???
>932
おかげでラリースト好みの交通量の少ない舗装路が多数。

道路族まんせー。
937名無し三等兵:03/10/07 23:34 ID:???
第一次大戦から大東亜戦争にかけての道路行政はどうだったんですかね
関東大震災の復興や世界恐慌での失業対策として鉄道と合わせて整備が行われ
工事も従来の「クワとモッコ」から機械化を積極的に進めたらしいですが。
938名無し三等兵:03/10/07 23:38 ID:???
>>936
たまに直線道路で空軍の飛行機が離着陸訓練をやっとるな
やはり有事への備えということもあるのだろう。
939名無し三等兵 :03/10/10 03:24 ID:???
>>932
「崩壊するアメリカ」とかいう本がありましたな。
経済や社会の事かとおもたら、道路や橋が崩壊w
940名無し三等兵:03/10/10 09:42 ID:???
埼玉県知事選挙に松田優作が当選したってホント?
941名無し三等兵:03/10/13 19:37 ID:???
>>940
おいおい、高倉健だろ
942名無し三等兵 :03/10/14 01:46 ID:???
そういや昔、勝新太郎が知事に当選して驚いた覚えがある。
あれ、三船敏郎だったか?
943【ワシントン14日時事】:03/10/15 15:15 ID:???
東米初の有人宇宙船「マーキュリー5号」が14日午後8時
(日本時間15日午前10時)、フロリダ半島のカナベラル岬
衛星発射センターから打ち上げられた。
有人宇宙船の打ち上げは独日に次ぎ3カ国目。飛行士が無事帰還すれば、
東米は名実ともに「宇宙大国」の一員となる。
ワシントンポストによると、マーキュリー5号は同8時10分
(同10時10分)、予定された軌道に乗った。
現場で打ち上げを指揮している東米国家航空宇宙局の
シーン・オキーフ長官は同42分、打ち上げ段階の成功を宣言した。

航空宇宙板やニュース板で祭りになってますね。
944名無し三等兵:03/10/15 22:55 ID:???
現在中国の保護国化しているチベット共和国。
かろうじて名目上は独立国となっているが、いつイチャモンつけられて併合されるかとびくびくしながら日々を送っている。
かの国を支援する方法はないものだろうか?
945名無し三等兵:03/10/15 23:43 ID:???
>>943
電送されてきた写真を見た限り独逸のロケットのモロパクだな
独逸のロケットはそれなりに実績があるけど無事に帰ってこられるのかなぁ
946名無し三等兵:03/10/17 11:45 ID:???
>>945
こんな記事もあるな。

東米が十五日夕、「マーキュリー5号」を無事帰還させて独日に次ぐ有人
宇宙飛行を達成したのを受け、ドイツ政府部内には東米がただ同然で同飛行に
欠かせない自国の技術をコピーした、との不満の声が上がっている。
 ドイツ宇宙当局高官は同日、南ドイツ新聞に対し、「マーキュリー5号」が
外見のみならず内部の生命維持装置など重要な技術で独宇宙船、シュピーゲルを
まねた造りになっていると指摘、東米人宇宙飛行士が着用した宇宙服も「ドイツ
製の完全なコピー品」と述べた。
 高官によると、東米側は一九九一年の第三帝国崩壊の混乱に乗じ、当時国外に
持ち出せる限りの技術をただ同然で入手してドイツから持ち出した。
 両国は九五年に宇宙技術に関する協力に合意したが、「(東米側は)代表団を
宇宙関係企業に派遣、取れるものはすべて取っていき、取れなかったものだけを
買うやり方でドイツの技術をあさった」(高官)という。
947名無し三等兵:03/10/17 19:09 ID:???
>>946
東米側は当時主要技術の購入を持ちかけたが第三帝国側に法外な価格を提示されたので
ほぼ独力で開発したと主張しているな。
どっちにしても本家独逸では40年前に開発・確立された技術なんだが。

第二次世界大戦中から独逸は長距離弾道噴進弾による爆撃を実用化するなど一歩先を行っていたけど
我が国の宇宙ロケット開発はやはり戦後からなのかな?
948名無し三等兵:03/10/17 19:29 ID:???
>>947
大戦中から派遣されてた技術者がそのまま帰化しちゃったんだよね。
日本のロケット技術の発展には彼らの貢献が無視できないものだった。
その影には日独の熾烈な諜報戦があったという・・・

ああそうそう、占領下のアメリカの技術者争奪戦もそれはそれは凄まじいものだったそうだ。
イギリスの技術者は大半がドイツに獲られてしまったため、第一世代ロケット技術ではもともと先行してたこともあって
ドイツに大きく水を開けられていたっけ。

いつ頃から追いついたんだっけか?
949名無し三等兵:03/10/17 19:41 ID:???
最近、オレの通っている大学に

「ウリたちは日本に一番近い最も忠実な同盟国ニダ!!お前ら、ウリたちに対し、生意気ニダ!!お仕置き汁!!」

といってシナの連中をいじめる<ヽ`∀´>がいるのよ。何とかならんかな?
950名無し三等兵:03/10/17 19:53 ID:???
>>949
ん?ニダって朝鮮語の語尾か?あれはラテン語みたいな「死んだ言語」だろ。

今の朝鮮半島の公用語は日本語じゃないのかな。語彙に朝鮮語の単語が
ふくまれてるし、「ぼ」と「ぽ」が区別できなかったり、「十円五十銭」って
言えなかったりはするけど。

京城に旅行に行ったときは日本語ふつうに通じたよ。
独立しても加藤清正像や伊藤博文像を撤去してないのに驚いたが。
951名無し三等兵:03/10/17 19:53 ID:???
>>948
戦後ユダヤ系を中心に反ナチの科学者が集団で亡命したというのもあった。

さっき出た大陸弾道弾の開発者も戦中からロケットの平和利用をとなえて一時ゲシュタポに逮捕されるなど
ナチに疎まれていて戦後有志とともに脱出、亡命し後年辻首相の提言で開始された有人月探査計画
通称「かぐや計画」の中心人物になったんだっけ。



952名無し三等兵:03/10/17 19:57 ID:???
>>950
折角植民地時代にオンモンとか広めたり歴代総督も国語(=朝鮮語)教育も熱心に
取り組んでいたのにな。
結局、日本語使えないと出世できないとかいう時代を経て日本語オンリーになってし
まったんだよね。
953名無し三等兵:03/10/17 20:01 ID:???
>>950
その割には独立後立てられた李瞬臣像はその後の都市計画であっさり撤去、何考えているんだか。
954名無し三等兵:03/10/17 20:09 ID:???
>>953
どこから聞いたかしらないが、それは誤報。
道教社会の中・韓では先祖への敬意は日本の想像をはるかに超えるよ。
一方で悪人と断じられた人物への蔑視ぶりも日本の想像をはるかに超えるものがあるのだが。
まあどっちに転んでもやたら大げさなのが韓国人なんだね。
955名無し三等兵:03/10/17 20:09 ID:???
>>953
李舜臣像なら鎮海市の韓国海軍士官学校に移設されたはず。
香具師ら李氏朝鮮を悪者にしてるふしがあるからその後は分からないけど。
956名無し三等兵:03/10/17 21:18 ID:ez9KukII
でも、あの連中、何考えているんだろうな。東南亜細亜やシナの連中相手にはあんなに威張っているのに、
日本人相手にはヘコヘコして。

ところで、韓国って共和制に移行したんだったっけか?それとも、かつての英国と豪国のように、
まだ、ご聖上の代理たる総督を派遣しているんだっけか?
957名無し三等兵:03/10/17 22:06 ID:???
>>948
あと戦争も末期になってくると理論はともかく現物を独逸がなかなか譲ってくれなかったので
米大陸に着弾した弾道弾の破片、特にエンジンを陸海軍の特務部隊が回収し持ち帰って研究したという話も残っている。
958名無し三等兵:03/10/18 03:56 ID:???
戦術誘導弾の運用なら帝国の方が先じていたがな。

ロケット弾と言うと当時はドイツの十八番みたいに言われていたが、
ドイツは無線誘導がやっと。
それに引き換え我が方は無動力とは言え、ケ号自動吸着爆弾を運用していたからな。

イタリア空軍は必死になってケ号の信管を収集して回ったが、
ドイツは信じられない程無関心だったそうだ。
959名無し三等兵:03/10/18 20:20 ID:???
ドイツ人は自国の技術には非常に自信を持ってるからなぁ
自国が手ひどい打撃を受けて初めて敵を調べ始める
まぁすぐに完全コピーが作れるほど
徹底的に調べるし確かに技術も優れてるんだが
それまでは我々のほうが優れているはずだ
仮に我々を一時的に上回ろうが
すぐに我々独自の技術で同等以上ことができるから問題ないというスタンスだから恐れいる 
960名無し三等兵:03/10/18 23:39 ID:???
>>958
ドイツでもケ号弾のような滑空爆弾を開発していたから不要だと思ったんだろうな、
昭和18年ぐらいになると地上からの誘導による急降下爆撃機の対地支援が確立されていたし。

ただ我が国の誘導爆弾のキモは熱線誘導にあって50番で護衛空母を戦闘不能にできる威力があり
太平洋の戦闘で米軍に対して有利に立てた要素の一つなんだけどね。
961名無し三等兵:03/10/18 23:46 ID:???
>>960
「フリッツX」か? あれも無線誘導だぜ。
962名無し三等兵:03/10/19 00:20 ID:???
>>961
> 「フリッツX」
対ソ、米国戦で艦艇や交通網破壊に使ったやつね、搭載していたのはユンカースの重爆だったっけ。
結局ドイツは弾道噴進弾が実用化されて「富岳」のような超大型重爆はあまり投入されなかったらしいけど。
963名無し三等兵:03/10/19 05:23 ID:???
>>962
Ju88〜Ju388は確かに傑作機だと思うよ。
964名無し三等兵:03/10/19 13:23 ID:???
>>963
でJu388をもとに昭和18年から量産されたのがJu390な、
もっとも航続力が比較的短いという欠点は残っていて
昭和19年春からの北米爆撃も往復するだけでも大変だったらしい。

そういえばJu87って結局どれだけ作られたんだ?
途中でFw190などに主力の座を譲ったのはわかるんだけど。
965名無し三等兵:03/10/20 10:10 ID:???
>>964
Ju390の機体の元はJu290だって。Ju88系列の発展型でJu488という戦略爆撃機
も試作されたけど、同じ会社で似た性格の機種を複数開発するのは意味がない
ということで、与圧キャビンや遠隔砲塔などの要素技術をJu390に適用して
統合された。

Ju87の生産は1943年の半ばくらいまでで、4000機いかないくらいだったはず。
生産のピークは独ソ戦が拡大した1942年で、この1年だけで2000機近く生産。
この年から前線部隊では順次Fw190とか、ロシア製のIl-2(R)に代替されたけど、
生産ラインが確立してたから、練習用とか、ウクライナやロシア国内の共産
ゲリラに対する治安維持用に引き続き使われた。

ところで次スレ誰か立てない?
966名無し三等兵:03/10/20 13:06 ID:???
>>965
今夜まで待ってもらえれば洩れが立てます。「Part 3」でいいんですよね。
967名無し三等兵:03/10/20 13:15 ID:???
>>965-966
ちょっと早いような気もするが、
今のままだとこのスレが即死しかねないか。

>>966
とりあえず漏れが試してみるわ。
968名無し三等兵:03/10/20 13:28 ID:???
969名無し三等兵:03/10/20 13:38 ID:???
>>967
966ですけど乙。後で「今までのあらすじ」貼ります。
970名無し三等兵:03/10/20 14:06 ID:???
>>951
いや、あの「主任技師」はシベリアの金鉱で強制労働させられてた旧ソ連の
セルゲイ・コロリョフ。
ただロケットに限らず旧ソ連系の技術者は、シベリア共和国が満蒙に分割占領
された際に亡命とか連行とかややこしい形で極東に流れ着いたことと、
戦後ロシアがずっと「不当に占領された東方領土を返還せよ」と主張してた
関係もあって政治的な問題から存在が長く伏せられてた。
名前も死後はじめて小さく報道されたくらいだ。

ロケットに関しては帝国も戦前から基礎研究レベルのことはやってたけど、
実用化についてはドイツのV2と、それを多段式に発展させたコロリョフが
源流になっている。くやしいことではあるが。

アメリカではゴダードが史上最初の液体燃料ロケットの実験を行ったが、
結局戦時中は兵器として各種の個体燃料推進のロケット弾を開発した程度で、
大型ロケットの開発は戦後に東アメリカが独から、西アメリカが日本から技術
供与を受けてから本格化した。

ドイツの宇宙開発は他国をおおきく引き離していたが、戦後ロシアとの外交
関係に配慮して、フルシチョフが後ろ盾になったグルシコやチェロメイが
関わるようになって、かえって足をひっぱられてしまった。フォン・ブラウン
に一本化してれば、月一番乗りもドイツのものになっていた可能性がある。

971名無し三等兵:03/10/20 15:26 ID:???
>>970
半導体技術が壊滅的に遅れていたから、それはないと思われ。
972名無し三等兵:03/10/25 11:56 ID:???
埋め立てやった方がいいのかなぁ?一応関連スレっぽいのを書いておく。

朝鮮■台湾総督府■樺太が残っていたら日本の鉄道は
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/rail/1058785444/
もし・・・占領地域がまだ日本だったら国内線は?
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/space/1067027290/
【SF】もし日本が勝っていたなら【架空世界】
http://book.2ch.net/test/read.cgi/sf/1043021767/
大東亜戦争 日本勝利の可能性
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1054383412/
もし太平洋戦争で日本が勝っていたら?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045655431/
妄想で架空の歴史を熱く書いてくれ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1012445319/
《《 熱く書け!架空の歴史。パート2 》》
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034585045/
973名無し三等兵:03/10/25 13:48 ID:???
設定調整の場として沈むまで活用したらいいんじゃないのか
974名無し三等兵:03/10/26 23:30 ID:JJ7rp3Ds
999を頂くよ
975名無し三等兵
1000でも貰うか・・・