妄想で架空の歴史を熱く書いてくれ。

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1世界@名無史さん
たまに無性にみたくなる。皆さんの博識でこうだったらなあという
のを見せてくれ。市販の架空戦記ものとはひと味ちがうのをお願い。

自分のはひと味ちがうなんてことはないし、駄作ですがとりあえず
書きます。

天下を統一した秀吉は、海外貿易にのりだした。その機運にいち早く
のった伊達正宗は、西国諸将がアジアに向かうなか、東に向かって探
検を奨励した。西暦1600年。ハワイ諸島。現地のハワイ王国と交流を
はじめるうちにさらに東の大陸のうわさを聞く。 1605年。西海岸の
半島根元に日本人町を開く。その半島を狩穂留半島と 名づける。そ
こを拠点に各地に続々と日本人町を形成し、1683年。各地の 日本人
町が自治を宣言。10年に及ぶ戦いの末に本国日本の統治を離れて 自
治権を獲得。大和諸藩国成立。1700年。大和諸藩国南部において、ノ
ヴァイスパニヤと戦争になる。日本人町形成当時、あふれてた浪人が
大量に流入し、その後大和諸藩国成立に際して、国軍として吸収。数
十年を経て立派な軍隊と成っていた。その国軍はノヴァイスパニヤ軍
を圧倒的に凌駕し、首都メキシコを攻略。地峡部までその勢力を広げ
、大国への道を歩みだした。一方、大和諸藩国成立と同じ頃東海岸に
成立したアメリカ合衆国はその勢力を確実に広げ、18世紀半ばには、
ミシシッピー川東岸まで広げていた。19世紀初頭、それまで緩衝地帯
を北大陸中央部に設けていた両勢力は、自衛開拓農民の土地争いに端
を発した紛争が激化して、戦争へと発展した。通称「東西戦争」と呼
ばれるこの戦争は30数年の長きにおよび、一旦は、大和諸藩国が勝利
を収める。多額の賠償金を科せられたアメリカ合衆国はその後30年か
けて国内構造を大規模に改革。リンカーン大統領の呼びかけと西部か
らの危機感も手伝って、奴隷制を廃止。産業革命によって近代化した
イギリスの助けを借りて、近代化を推し進め、爆発的な好景気を作り
出した。そして、1911年。第2次東西戦争勃発。アジアにおいて、日
韓連合王国を形成し、フィリピン、琉球、樺太、高砂を吸収し、豪州
に植民地をもっていた日韓連合は大和諸藩国に協力した。イギリスも
またアメリカ合衆国に協力した。アジアにおいては日韓連合の軍事力
が新大陸にシフトしたのを契機に往年の覇権を求める明が国外侵略を
はじめ、周辺国を巻き込み始めた。玉突きのように各地に飛び火した
。ヨーロッパにおいても「未解決のイタリア」問題によって戦禍が起
こり、混乱し始めた。ここに第一次世界大戦がおこったのである。。。

2世界@名無史さん:02/01/31 12:14
3:02/01/31 12:38
結局スペインは架空史でも敗北の道しかないのですね。大和諸藩国には
負けるわ、フィリピンは取られるわ。
4世界@名無史さん:02/01/31 12:51
大日本帝國が世界を支配しました。
めでたし、めでたし。
5溥儀:02/01/31 13:39
>>2
それ発見した瞬間両手を上げて喜んだだろ!
その姿が浮かんでくる!!
6世界@名無史さん:02/01/31 15:27
この種の話題は、時間線の分岐点を特定して、
分岐点自体は小さな変化なんだけど、
それ以後は将棋倒し式にどんどん変化が大きくなる……
という具合に記述するほうが面白いと思う。
>>1の分岐点はどの時点のどの事件?
7世界@名無史さん:02/01/31 19:33
>>6
「その機運にいち早くのった伊達正宗は、西国諸将がアジアに向かうなか、
東に向かって探検を奨励した。」ここだと思います。
8世界@名無史さん:02/01/31 19:39
>>1
うーむ。このネタは佐藤大輔にあったような...

無粋な突っ込み、ひらにご容赦を!
9山野野衾:02/01/31 19:47
>8
でもあの話では「大西洋戦争」があったらしいし、アメリカは無かった筈。
そこがミソですか。しかしわざわざ太平洋を渡るとか日韓連合とか、どうも
想像し難い・・・。明がまだ残ってるのは面白い。
10世界@名無史さん:02/01/31 20:31
なんだ。SF板で見かけた名前がいるなぁ(笑)
正直、国内の某仮想戦記作家名だすのはイージーすぎるので、
おれは「パヴァーヌ」だか「大西洋横断トンネル万歳」

スレ違い?
11世界@名無史さん:02/01/31 23:10
いやいや、活発な意見交換もいいね。
でも、だれか他のおんもしろいの頼むよ。
12山野野衾:02/01/31 23:24
>11
直接関係ありませんが、SF板に「ドラキュラ紀元」スレがあります。
ところで日本の仮想戦記小説でおそらく幕末に書かれたもので、主人公は徳
川斉昭。水戸藩兵数千人と黒船で海を渡り、アイスランド船を装ってロンド
ン港に入港。砲撃して敵警備隊を壊滅させる。
市内に進撃して離宮に逃れようとしていた国王達を虜にする内容だとか。
13山野野衾:02/01/31 23:25
>12
日本の仮想戦記で「一番古いものは」と書くのを忘れてました。これじゃあ
意味不明。
14世界@名無史さん:02/01/31 23:31
俺こういうのチョンに近づいていくようで
あまり好かん
15世界@名無史さん:02/02/01 00:58
結局オナニーになるしね。
16世界@名無史さん:02/02/01 01:05
1476年、スイスのモラ。
3月前のグランソンでの借りを返そうと、シャルル豪胆公指揮下のブルゴーニュ公国軍は
堅固な防御陣地を敷いてスイス軍を待ちかまえていた・・・がなかなか現れない。
キャンプに戻って晩飯でも食うかな、というお気楽な考えが将兵に広がるが、
ふと悪い予感が公をとらえる。ここは気長に待ちの一手だ!
待つこと数時間、スイス軍の奇襲!
スイス槍兵の突進は猛烈を極めるが、堅い陣地に拠るブルゴーニュ軍はよく凌ぎ、
クレシーのひそみに倣ってついに敵軍を撃退する。

この勝利をきっかけに、ついにスイス諸都市を従属させたシャルルは軍制改革にも成功、
上ブルゴーニュからラインラント、低地諸国にかけて強力な勢力圏を築き上げた。

やがて、このシャルル・・第二のシャルルマーニュの建設した国は17世紀までには王国に昇格するが、
ヨーロッパ有数の人口密集地・商業地域を押さえたことにより、随一の文化・富強を誇り、
19世紀フランスのナポレオン、プロイセンのビスマルクという大政治家の挑戦も、
ブルゴーニュ(ブルグント)王国の覇権を揺るがすには至らなかった。

こうして、20世紀初頭には、ヨーロッパにおけるブルグント・ブリテン・フランス・北ドイツ
オーストリア・ロシア・イタリアによる列強の均衡が成立していたが・・・・
17世界@名無史さん:02/02/01 02:19
>>1
>>16
おもしろいっす!(><)続き聞かせてー。
18世界@名無史さん:02/02/01 03:20
>>14-15
妄想なんだからかたいこと言わなくてもいいじゃん。
差別するわけじゃなく、自国を賛美するわけでもなく、「こうなったらおもしろい」
ってのを自分達で考えるのも楽しいと思わない?
19世界@名無史さん:02/02/01 06:42
じゃあ壮大に。
人類に極めて近い非人類が存在する世界史なんてのは?
例えばギガントピテクスが絶滅せず生き残ってる世界史。
身長3メートル体重300キロの猿人ギガントピテクスは幼児並みの知能しか無いが、一種の家畜として戦史時代から保護を受け、奴隷労働や儀式や軍事に使用されていた。
石を引く巨人がピラミッド絵画に描かれ、古代ローマでは剣闘をやらされていた。
中世ヨーロッパには全身甲冑を纏った巨人傭兵をイタリア都市国家が所有し、ベルセルクのガッツのような大剣を振るって、西欧の騎士団やトルコ騎兵をぶった斬った。
中国においては宦官とならぶ非人間扱いを受けて皇帝の護衛の任につき、その脳は最高の珍味とされた。
悲しい歴史を持った巨人だが、その後の銃器や機械の発達でその戦闘力や筋力は重要性を失いはじめる。
近世に入るとギガントピテクスは人間か否かということが大いに議論され、ロベスピエールなどは「猿人の友」クラブに入会する。
紆余曲折の末、フランス人権宣言にはギガントピテクスの人権も謳われることとなる。
しかし二〇世紀、ドイツに出現した人種思想の牙はユダヤ人やジプシーだけでなくギガントピテクスにも向けられることとなり、強制収容所では一〇万の猿人が食肉として処理されることになる。
しかしその蛮行に鉄槌を加えたのは、アメリカ軍に参加し五〇口径マシンガンを片手で撃ちまくりながら突進してくる猿人部隊だった。
20山野野衾:02/02/01 07:46
>16
それだとハプスブルク家の立場がありませんね。ところで日本は。
21世界@名無史さん:02/02/02 01:36
>>19
おもしろい!家畜人ヤプーの3倍体みたいだ。そういうのもいいね。
そもそも異種知性体が同じ星にいたらどうなったんだろうか。
22世界@名無史さん:02/02/02 02:37
蜂や蟻なんかの生態は、歴史を構築するのに持ってこいだろうな。
23世界@名無史さん:02/02/02 03:14
アルペンローゼ、うぜえなあ。
小説の独演会かよ
24世界@名無史さん:02/02/02 12:18
1950年1月1日の時点でのソ連盟構成国
ロシア社会主義連邦共和国
モンゴル人民共和国
日本社会主義人民共和国
東トルキスタン社会主義国
カザフスタン社会主義国
タジキスタン社会主義国
ウズベキスタン社会主義国
トルクメニスタン社会主義国
アフガニスタン社会主義国
カシミール社会主義国
グルジア社会主義共和国─────\
アゼルバイジャン社会主義共和国──→ザカフカース社会主義共和国連邦
アルメニア社会主義共和国────/
リトアニア社会主義共和国─\
エストニア社会主義共和国──→トランス・バルチック・シー社会主義共和国連邦
ラトビア社会主義共和国──/
ベラルーシ社会主義共和国
ポーランド社会主義共和国
ウクライナ社会主義共和国
チェコ社会主義共和国
スロヴァキア社会主義共和国
ハンガリー人民共和国
ルーマニア人民共和国
ブルガリア人民共和国
トルコ人民共和国
25世界@名無史さん:02/02/02 12:31
>24トランス・バルチック・シー社会主義共和国連邦

表現として「トランス」は変では?
26世界@名無史さん:02/02/02 13:38
>>24
ドイツ・フィンランド・イタリア・フランス各社会主義共和国が抜けてる。
27世界@名無史さん:02/02/02 13:55
ジョン・メイナード・ケインズがソ連のスパイで、ケンブリッジで30年代英国担当の
共産党スカウトマンにスカウトされたいう妄想が大昔、はやったなあ。
つまりブレトンウッズ会議でハリー・デクスター・ホワイトと戦後世界にIMFをもちこむことで
自由放任の西側に計画経済の概念をもちこんだということで。

実際、ルーズベルトのニュー・ディール政策だって憲法違反だって最高裁に訴えられたんだから
「共産主義社会実現のためにケインズはソ連の手先となった」
いう与太話好きだなあ
28世界@名無史さん:02/02/02 15:01
ブルガリア人とセルビア人が手を結んでバルカン半島のみならず中央、東欧を席巻、なんてのは。
29SSBN:02/02/02 16:55
明が海禁せずに貿易でぼろ儲けして、東南アジア一帯に植民地化。
で、ポルトガルやらスペインやらと東南アジアで戦争になったり。
日本が統一されて用無しになった武士たちが傭兵として東南アジアを渡り歩く。

統一される前に九州あたりに明が攻め込んできそうだな。
30世界@名無史さん:02/02/02 23:12
確か、なんかの架空小説でインド洋上のアフリカの角あたりの諸島に
日本の志士と徳川慶喜が新しい国を建てた話があったよね。
31世界@名無史さん:02/02/02 23:30
星新一のショートショートには源義経がアステカの
英雄になったって話がある。
32世界@名無史さん:02/02/02 23:47
日露戦争敗戦

なんとか植民地化は逃れたものの、フィンランド化
33世界@名無史さん:02/02/03 00:06
>>32
史実の大津事件では皇太子が負傷しただけだが、
皇太子が死ぬ展開になる可能性は十分にあった。
そうなっていたら日露戦争が19世紀におきることになったろうし、
その場合の日露戦争では日本に勝つ見込みはまったくない。

34世界@名無史さん:02/02/03 00:18
>>32
光瀬龍の「所は何処、水師営」というSFが、そういう設定だった。
35世界@名無史さん:02/02/03 00:19
>>32
とりあえず北海道は割譲か。カレリアみたいに。
36カウニッツ:02/02/03 01:32
1558年、瀕死のメアリ女王のもとに謎の医者ブラックジャックが現れた。
メアリは多額の金品と引き換えに手術を依頼、術後、健康を回復した。
その後のメアリは夫フェリペとの間に多数の子をもうけ、ハプスブルク家の安泰と
イングランドのハプスブルク家領化に貢献、ついにハプスブルク勢力はフランスを包囲した。
1572年、前年トルコ海軍をレパントで撃破したスペイン海軍はマルセイユ、
イングランド海軍はノルマンディーに殺到、フランス海軍は二正面作戦を取らざるをえず、
見事に惨敗。陸上でもフランスはネーデルラントの新教勢力にけしかけたものの失敗。
逆に旧ブルゴーニュ領・神聖ローマ帝国の連合軍に東から、南西から無敵と謳われたスペイン陸軍に
殺到され、あっというまにパリも陥落。シャルル9世とカトリーヌ・ド・メデシスも捕虜の憂き目に遭う。
フランスもハプスブルク領になり、1580年には血統の絶えたポルトガルもハプスブルク領に。
教皇領を含むイタリア諸国も活き上がるハプスブルク家の下に統一され、三重冠もオーストリア・ハプスブルク家の物となる。
ここにヨーロッパは政教一致のハプスブルク家中央集権国家が完成し、トルコとの決戦も日程に昇る。
37カウニッツ:02/02/03 01:38
その後、1683年までトルコとは勢力均衡を続ける。
三重冠はオーストリア・ハプスブルク家が、世俗の家領統治はスペイン・ハプスブルク家が
担当していくことになる。
                  −つづく−
38世界@名無史さん:02/02/03 01:54
>>36>>37
続きを早くキボンヌ
39世界@名無史さん:02/02/03 09:37
age
40世界@名無史さん:02/02/03 09:45
起源年前後、ローマ帝国は石油石炭の発見による
大量生産工業技術を発明。
北欧やアフリカ大陸にまで破竹の勢いで進出し、
各地に鉄道や交易路を開くが、チベットを越えたところで
待ち構えていたのは、すでに戦車や小型ミサイルを開発していた
始皇帝率いる中国軍だった。
41SSBN:02/02/03 14:59
>>30
三木原慧一の「新大日本帝国の興亡」かな
この人の作品結構好きな私はイッテヨシか?
42世界@名無史さん:02/02/03 22:21
>>41
そうです(^^)なんというか、面白い・・・ですよね。自分もイッテヨシです・・・
43世界@名無史さん:02/02/04 06:04
あげ
44世界@名無史さん:02/02/04 06:53
戊辰戦争は佐幕派の勝利に終わり、徳川慶喜率いる幕府の手で近代化が進められた。
1941年、幕府海軍は真珠湾を奇襲、日米戦争勃発。
1945年、幕府はポツダム宣言を受諾、江戸城は無血開城し、大政奉還が実現。
国号を大日本帝國と改めた。
45世界@名無史さん:02/02/04 08:41
露仏の援助を受けて戊辰戦争で賊軍活躍
陸奥、出羽、東越後(信濃川以東)、蝦夷、千島、樺太に榎本武揚を首班とした「北日本共和国」成立。自分達が地方政権であることを認めて国名に「北」と正式につけていることに、東京に首都を置いた日本帝国(「大」はつかない)政府は安心した。
フランスの半植民地となりながらも北日本は発展を遂げていく。一方、日本帝国はフランスと対抗するイギリスと結び付く。ドイツ、アメリカは両方の日本にパイプをつなげる。
状況は普仏戦争により変わった。新たに誕生したドイツ帝国は北日本におけるフランス利権を賠償として接収、やがて北日本はドイツに引き寄せられていき、三帝同盟各国と友好関係になる。
こんな中で北日本は北樺太をロシアから買収、北辺の守りを海軍に任せ、陸軍への出費を抑える事に成功する。

さて日露戦争、寒冷地に適応した兵士が少ない日本帝国陸軍は、肌寒い満州の地で戦闘を行う為、既に半植民地としていた韓国北部から兵士を「義勇兵」として徴集した。
一方北日本は、同朋と戦うことは民衆が許さずほとんど決まっていた露日軍事同盟の締結を破棄、急速にロシアとの中が悪化していく。
結局日本帝国は、海戦では決定的勝利を収めたものの陸での戦いは惜敗に終わり、朝鮮半島に撤退、関東州からすらも追い出されてしまった。このことは政界に対して勢力を着実に伸ばしていた陸軍の政治生命の喪失を意味した。
革命の気運が高まったロシアでは日本帝国への戦争の継続、および北日本への懲罰戦争も不可能となり、極東は停滞した国際状況に置かれた。
46世界@名無史さん:02/02/04 08:42
そして第一次世界大戦。
北日本はいくらかでも関係を改善する為にロシアにシベリア経由で援軍を送る。
一方日本帝国は国際貢献バランスの対抗上、西部戦線に陸軍数個師団、金剛級を中心とした高速打撃部隊、編成なったばかりの航空隊、そして韓国師団までも投入。
南北日本を決定的に分断する事件はロシアで起こった。
そう、ロシア3月革命、そして11月革命である。
これに呼応して既に社会民主党が第一野党(各得票数、議席数では第一位)となっていた北日本で無血革命が発生、「日本社会民主共和国」が成立。ここに二つ目の社会主義国が誕生した。
列国による干渉戦争の日本戦線では東北地方、関東地方が打撃を受けた。
これは必然的に(奥羽越列藩同盟の流れをくむ)封建勢力の衰退を意味し、日本社会民主共和国は真に一枚岩となった。

もはや、日本に平和統一が訪れる事は永久になくなった、と世界中のだれもが確信した・・・・。
47世界@名無史さん:02/02/04 12:06
三十年戦争さなか、傭兵隊長ヴァレンシュタインは皇帝によって
暗殺されかかるも、辛くも脱出に成功。
当然ながらヴァレンシュタインは新教側につくことに決める。
資金は潤沢であり、常時五万以上の兵を養うことの出来た彼が
新教側についたことの意味は大きく、情勢は一気に逆転する。
ザクセンやブランデンブルクを通じてスウェーデン軍と和解した彼は、
本拠地のプラハを奪回し、ウィーンへ進軍を開始。
オーストリア国境で多少手こずるも、数ヶ月後にはなだれ込み、
まだ城壁のあったウィーンを包囲する。

一方オーストリアの宮廷では、同じカトリックであるフランス
と同盟を結ぶべしという勢力と、同じハプスブルク家である
スペインからの援軍を呼ぶべしという勢力に、ヴァレンシュタインの
暗殺失敗が判明した直後から分かれ、論争が続いていた。
皇帝フェルディナント二世は結局、スペインからの援軍を
呼ぶことに決定する。
しかしながら包囲中のウィーン近郊に到着したスペイン軍は
旧来からのテルシオを中核とした部隊構成で、和解した
スウェーデン軍から、本格的に「新戦術」を導入した
ヴァレンシュタイン軍に勝てるはずもなく、敗退する。

絶望したフェルディナント二世は降伏し、処刑される。
皇帝にはヴァレンシュタイン自身が即位する。
ここにオーストリア=ハプスブルク帝国は完全に崩壊した。
48世界@名無史さん:02/02/05 01:54
>>45>>46
続きは?気になるっす。
49SSBN:02/02/05 09:53
>>42
やぁ同志w
どうやら新シリーズがCノベルズで始まるようです。
>>46
その設定だと東京に遷都しますかね?いささか敵国に近すぎのような気がします。
私も続きが気になります。続編希望。
50大佐:02/02/05 13:13
韓国が日本と中国を支配し、アジアの盟主となる「大韓帝国物語」

韓国人はいつもこの種の妄想をしているので、語らせたら得意かも
51SSBN:02/02/05 13:30
>>50
私は日本人だがちょっと考えてみた。

白村江の戦いの後、壬申の乱あたりに乗じて唐新羅連合により日本への本格侵攻が始まった。
日本側も抵抗し損害を与えるもじりじりと後退。やがて九州北部を占領され、つかの間の休戦。
その間に3ヵ国は国力の回復と軍の再編成を行っていた、
南九州。中国地方へ同時侵攻を開始した。
大和政権は東国へと逃げ西日本を唐新羅が占領した。
色々あったのちに西日本は新羅領になり、彼らは東方への進撃を開始した。

…続きは
1.日本占領しようとしてたら本国でアレコレで滅亡。
2.このまま日本を占領し、中国へ進行し満州のあたりを分捕り西方へ進撃しモンゴル帝国見たいのを作り上げる。
3.日本から叩き出され、国力を消耗した新羅は唐に併合される。
4〜その他。
・・・こんなことをしていて明日の入試は大丈夫だろうか?
52世界@名無史さん:02/02/05 16:45
>・・・こんなことをしていて明日の入試は大丈夫だろうか?

ボロボロですね。
53SSBN:02/02/05 17:14
((;゚Д゚)ガクガクブルブル
54世界@名無史さん:02/02/05 21:43
>>45
それ、昔軍事板にあった仮想戦記スレからのコピペじゃないか?
5545、46の続き:02/02/05 23:00
激戦の末の同盟国の敗北、対ソ干渉戦争の終息により平和が訪れた。

1920年代、モンゴル独立、中央アジア各国がソ連邦に編入、など赤色勢力の大躍進が始まる。
そして中東欧でも社会党、共産党など革新政党が勢力を伸ばす・・・しかし、このまま「裏庭」で革命が起こっては困るのが英仏。
一方ソ連でも、このまま中東欧に勢力を伸ばしつづけてしまっては英仏はおろか米との開戦も必至。
対ソ干渉戦争が治まったのにまた戦争、ということになっては革命の輸出どころかソ連の存続も危うい。
ここで妥協がなり、英仏蘇、オブザーバーとして南北日本、南欧各国が参加した会議が開かれ、
1.中東欧の政治的な現状意地を保つ。
2.独国はベルサイユ条約による“領土返還”に加えライン川以西の領土をフランスへ割譲、シュレスヴィヒ・ホルシュタインを丁国へ返還、東プロイセンをポーランド・ソ連へ割譲、連邦を解体する。
3.


などとの提案が承認された。
これにより中東欧には小国が分立することになり、それらの国の多くは売国奴まがいの独裁者による停滞した支配が行われることになった。
何はともあれこうして植民地であるアフリカも含め、中国のような特殊な例外を除き三大陸に安定(≠平和)が訪れた。
これが「パクス・ユーラフリカーナ」と呼ばれる時代の開始であった。
56世界@名無史さん:02/02/06 07:06
1904年、旅順での苦戦を受けてロシアはオーストリアとの関係改善を図り、陸軍の大幅な増派を決定した。
日本は旅順こそ落とし、ロシア太平洋艦隊を沈めたものの、奉天会戦では惨敗した。
以降、朝鮮半島で抗日運動が激化し、後方を撹乱された日本軍は混乱をきたした。
旅順を奪還されたが、危機感の強まった連合艦隊が疲弊した第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)を
完膚なきまで叩きのめした。
老朽艦により構成されていた第三太平洋艦隊も降伏させるなど、海の上では勝利が続くが、半島では
平壌、京城、釜山と次々と拠点を失いついに大陸から叩き出された。
朝鮮民族の大半は、日本から解放してくれたとロシア軍を歓迎し、親日派は日本本土か未だ日本の勢力下にある
済州島に亡命していった。
日本では大本営が宮中から第五師団司令部(広島)に移され、本土決戦の準備が進む。
一方、この期に日本を徹底的に叩いておこうとしたロシアは、日本海の制海権を得て日本列島への補給線を確保
するために、トルコを脅しつけて、イギリスの再三の警告も無視し、黒海艦隊にボスフォラス・ダーダネルス海峡
を越えさせて、これに新造艦数隻を加え、第四太平洋艦隊として派遣する。
例によって喜望峰周りの航路でどこにも寄港できず、イギリスの艦隊から挑発を受けながら極東に向っていた
黒海艦隊は、牙を砥いで(十分に訓練をつんで)待ち構えていた連合艦隊により完敗。
戦艦ポチョムキンも歴史に名を残すことなく東シナ海に沈み、ロシア海軍は事実上壊滅した。
日本ももはや韓半島に逆進撃するほどの余力などあるはずはなく、ロシア側も日本の策動で革命の機運が高まり
各地で暴動がおきるなど、両者とも手詰まりの状態となった。
そこで、アメリカの仲介によりポーツマス条約が締結される。
ロシアは満州の権益を確保したのはもちろんのこと、韓帝国を保護国とした。
アメリカはロシアと日本のバランスを取らせる為、日本が実効支配していた樺太を日本に割譲、済州島・欝陵島・
巨文島を半島から分離し、日本の保護領とすること認めさせた。
事実上の大敗に日本国内で軍部、特に陸軍の責任を問う声が強まり、陸軍参謀本部・長州閥の立場が大きく弱まり、
逆に海軍軍令部・薩摩閥の立場が僅かながら強まった。


57世界@名無史さん:02/02/06 07:08
中国東北部から朝鮮半島まで勢力圏に加えたロシアは、華北・西北にまで勢力圏を広げるため山東省に拠点を
置くドイツと共同で中華民国に圧力をかけるようになった。
東方での拡大に専念するため、バルカン半島ではオーストリアに妥協するようになり、バルカン半島の現状維持を
志向し、セルビアの暴発を抑えるようになる。
日本は福建省にわずかな利権を残すほかは大陸での利権をほぼ失い、アメリカと共に「門戸開放」「機会均等」
を唱えるようになり、日米協商が結ばれる。
アメリカではアジア人移民排斥の動きが強まったが、日本人だけは例外とされる。

1910年、ロシアが大韓帝国の要望を聞き入れ、ロシア政府内の慎重派や日英米の抗議を無視し同国を併合した。
釜山は、旅順・ウラジオストクに並ぶロシア太平洋艦隊の母港となる。
危機感を募らせる日本は、軍令部の発言権が強かったこともあり艦隊の増強を急がせる。

1912年、四川・武昌等で清朝に対する反乱が起こり、ほとんどの省が清からの独立を宣言した。
清朝は、ロシアに外蒙を割譲する代わりに反乱の鎮圧を要請した。
しかしロシアは北洋軍の袁世凱と通じており、逆に北京を制圧され、清朝は滅亡する。
袁世凱は北洋軍とロシアの武力を背景にし、中華民国を僭称する反乱軍の拠点を次々と落とし、中華帝国の建国を
宣言し、皇帝の位につく。
中華帝国は、漢民族中心の国でこそあったが、民国創設を目指した民衆の間に大きな不満を残していた。
しかもロシアに対し外蒙に加え、新疆(東トルキスタン)・興安省・黒龍江省まで割譲するという密約を反故し、旧清朝
の領土が中華帝国の領土であると公言したため、ロシアの反発を招いた。
そうしてロシア軍はたちまち北京を占領し、袁世凱に、ロシアが外蒙・内蒙・新疆・満州を領有することを認めさせた。
袁世凱は憤死したため、中華帝国では各地で軍閥が割拠し、列強の介入を招くこととなる。
58世界@名無史さん:02/02/06 07:10
1914年、セルビア人の青年がサラエボでオーストリアの皇太子夫妻を暗殺する事件が発生する。
セルビアはオーストリアに宣戦布告するが、モンテネグロ・ギリシャ・ルーマニアの支援しか受けられず、極東に専念
していたロシアには見殺しにされた。
セルビア陣営は、オーストリアと、バルカン戦争の後始末で仲が抉れたブルガリアとの挟撃を受け、敗北する。
ロシアを刺激しないようにというドイツの配慮で敗戦国の主権は保たれたが、それでもオーストリアは保護国であった
ボスニアを完全に併合し、ブルガリアはマケドニア等を割譲される。
オーストリア領内のスラブ民族に対する弾圧が強まり、ロシアの民衆の間には次第に同情的な雰囲気が広まりつつはあった。

1917年、ロシアはチベットに進出し、イギリスと激しく対立する。
また、イラン南西部へもロシア軍を進駐させ、ペルシャ湾岸アバダンを租借し、インド洋艦隊を新設する。
イギリスはホルムズ海峡の非武装化を宣言し、ロシア艦隊がインド洋に進出することを防ごうと図る。
また、ドイツはクウェートをオスマン帝国バスラ地方に復帰させるようトルコを支援した。
ロシアはアフガンとインドの独立運動を支援したため、南アジアにおけるイギリスとの対立が決定的となる。
この年、第3次アフガン戦争の結果、アフガン王国がイギリスから独立する。
59世界@名無史さん:02/02/06 07:16
1918年、南アラブにおいてもイギリスの支援するサウド家と、ドイツとトルコの支援するラシード家ハシム家連合の対立が深まり、
南アラブ戦争が勃発した。
この戦争の結果、アラビア半島西部にハシム家を王家とするヒジャーズ王国が建国され、半島中部にラシード家の興したナジュド
王国が、サウド家のワッハーブ王国(ナジュド地方南部)を倒し、ナジュド地方を平定し、半島東部のアル・ハサ地方まで領有する
こととなった。
ドイツは、両国を支援し、イギリスの勢力下にあるマスカットオマーン・ハドラマウト・イエメンへの圧力を強めていく。
イギリスの経済力はすでにドイツに抜かれて久しく、世界各地に植民地をもつため戦力が分散し、次第に独露のこうした動きを
防ぎきれなくなってきた。
また、極東や西アジアに拠点を築いたロシアが東南アジアやアフリカに進出する気配を強めていくにつれ、同盟国フランスとの
利害が対立し、関係が次第に冷却していった。

1919年、ロシアの協力を得たイランがイラン南東部にあるイギリスの勢力を駆逐した。
その代償して、ロシアはバンダルアバスを借り受け、インド洋艦隊の増強を進める。

1922年、ドイツを中心に艦船建造競争が激化し、ドイツ海軍はイギリス海軍を凌駕する規模にまで膨れ上がった。
各国の経済は著しく圧迫され、アメリカや日本の提唱でワシントン軍縮会議が開かれることになる。
この会議の結果、所要艦船はイギリスが10、ドイツ・アメリカが9、日本・ロシアが7、フランスが3,5、イタリア・
オーストリアが3の割合に決定した。
実態よりかなり低く抑えられた独露墺が、この条約の履行を拒絶し軍拡を続けたため、結局は各国の対立を深めるだけの
結果に終わった。
独露墺と英仏日の関係悪化は、もはや後戻りできないところまできていた。
60リクエスト:02/02/06 07:39
21世紀まで満州国が存在していたら?
を、どなたかお願いします。
61世界@名無史さん:02/02/06 13:00
大塚秀志になっちゃう
62名無しさん@1周年:02/02/06 14:23
モンゴル帝国がイギリス、日本、北アフリカの支配に成功するシナリオは劇的
現在の黄人・黒人と白人の立場が180度変わっている
63世界@名無史さん:02/02/06 14:28
>>62
豊田有恒「モンゴルの残光」?
64世界@名無史さん:02/02/06 14:30
>>62
どの道黒人は黄人の奴隷になっている気もする
65世界@名無史さん:02/02/06 14:34
和親頓(ワシントン)とか林漢(リンカーン)とか出てくるのはご愛嬌。
>モンゴルの残光

アイユンハリシンバトラとかなんとか、
66世界@名無史さん:02/02/06 19:46
秦始皇が焚書をしてなかったら?
中国が1つの文化圏としてまとまるのは難しかったかも。
焚書坑儒によって衰退した文化、言語と言うのは幾つかあるらしいから(例えば猫族とか)
それらが残ってたら求心力としての“中華”というのが成立しなかったかも。
そうすると、その後の歴史は・・・選択肢が多すぎてどうなるのかわからん。
誰か考えてくだちい。
67世界@名無史さん:02/02/06 21:12
>>65

ヒットラーもでてたな。漢字忘れた・・
なんでも、檀君を子孫に持つとする朝鮮民族主義の那智党が西域人迫害政策を推し進め
無産主義化した支那に攻め込むとか。ティーガー戦車も朝鮮風にホラン(虎の意)なんだろーか。

また、あの世界では北美合省國が大西洋戦争に勝利し、英國に原爆を投下するのだが
占領軍指令は松笠(まつかさ)元帥だろう。やはり
68SSBN:02/02/07 09:45
>>66
分裂し切磋琢磨しつつ技術も発展していき、
西洋と東洋にほぼ同時に大航海時代が訪れ大洋戦争勃発。

まぁ世界史はまったく別のものになったことは疑いないですな。始皇帝は凄いですなぁ。
でも中国は欧州に比べて統一しやすかったとどこかに書いてあったな。
69世界@名無史さん:02/02/08 13:14
歴史で変えたもの
・豊臣秀吉を早死にさせた

北条家を滅ぼし、全国を統一した豊臣秀吉であったが、1591年に急死。
直系の子供がいなかったので養子の秀次が豊臣家を継いだが、器量不足がすぐに露呈し、
日本は再び戦国の世を迎える。朝鮮出兵は行われなかった。

17世紀初頭、中国東北部では女真族が活発に活動を始めたが、朝鮮出兵がなかったので
明は疲弊しておらず、反乱を鎮圧。清が建国される事はなかった。しかし、李自成の反乱を
食い止める事はできず、明は滅亡。かわって順が建国される。

19世紀になると阿片戦争等によって順も疲弊しはじめ・・・以後は正史と同じ歴史をたどる。

歴史改変失敗。鬱だ・・・

変わった事といえば、女真族による中国統一がなかったので弁髪が普及せず、
ラーメンマンとモンゴルマンの髪型が弁髪ではなかったということぐらいか。
70世界@名無史さん:02/02/08 23:05
>>66
仮想戦記作家の青木基行氏が「龍騎兵」というシリーズ(学研刊、現在絶版)で似たような状況を書いてます。
こちらでは劉邦が匈奴に敗死して漢が崩壊。中国は以後統一されることなく、欧州のように燕や秦などの国家が分立したまま近代を迎えます。
文化、言語も多様化し、儒教はマイナーな存在となります。そして産業革命は中華諸国でおきます。ま
一方欧州ではローマ帝国が存続を続け、停滞した状況が続きます。
小説では17世紀初頭の中華諸国間の戦争を描き、そこに日本が介入します。その後の歴史では日本は英国の役割を演じ、新大陸には蓬莱という日系国家が生まれます。
冒頭で描かれる第二次世界大戦では燕がドイツのように大陸を席巻し、朝鮮=フランスは敗北して日本に亡命政権が築かれ、九州上空では日本航空決戦が起こります。
ようするに東西の歴史をそのまま逆転させたわけです。
題材がマイナーすぎたために未完のままで終わってますが、面白かったので古書店で探してみては。
71山野野衾:02/02/08 23:23
見させて頂いている内にのって来たもので、とりあえず一本。
「イエスという男について、おそらくほとんどの読者はご存知ではあるまい。かの
クレオパトラの死後およそ30年後に生まれ、現在のパレスティナの地にあって一
時キリスト(救世主)と呼ばれた男である。(中略)かくしてすんでのところで死
罪を免れたイエスは70歳まで生きて死んだが、あまりにも安穏とした後半生を送
った為か、近年になって彼の生涯を記した『死海文書』が発見されるまでその存在
は忘れ去られていた。
本書は彼が志半ばにして死ぬという事の与えた印象により却って後世にその教えが
「世界宗教」となり、ユダヤ教(ご存知無い方もおられるかも知れないが)と同じ
「一神教」が世界の半分を制覇したという仮想世界を描いたものである。」
(平行世界におけるある仮想戦記小説の序文より抜粋。)
72山野野衾:02/02/08 23:35
>71
と同世界の世界史の教科書より抜粋。
「所謂『西方世界』への仏教伝播の始まりは7世紀の前半に西典取経の為に
インドに赴かれた玄奘三蔵法師がアラビア半島のメッカより通商の為に訪れ
ていたムハンマドに教えを説かれた事に始まる。
彼は当初ユダヤ教(パレスティナ周辺に存続している少数派宗教である)の
影響を受けていたが、説教を受けて後回心し、反発を受けながらもアラビア
半島の神々を本地垂迹説で説明づけ、信者を増やした。
彼の存在が無ければ13世紀までにイベリア半島まで仏教が伝来する事は無
く、歴史は大きく変わったものになっていた事であろう。
(調子に乗ってしまいましたが、ご勘弁を。)
73SSBN:02/02/10 11:44
>>72
ってことは。イタリア辺りにはキリスト教系の芸術品の変わりにギリシアローマ神話系統の芸術品や仏像があるのかなw
74世界@名無史さん:02/02/10 13:02
>>70
同人誌で続けてるらしいぞ。
http://www.din.or.jp/~shinodas/AOKI.HTM
75世界@名無史さん:02/02/10 13:42
>>73
別に違和感なさそうですね。釈迦だってもとはくるくる巻き毛だったのが
中国あたりまで来たらあんなブツブツ頭になっただけだし。
ヘレニズム文化からさらにギリシア彫刻っぽくなってるぐらいで。
7670:02/02/14 18:10
>>75
遅レスで申し訳ないが、現在ある掲示板に来ている本人曰く、続編は「構想が練り上がって、かつ、どこの出版社も相手にしてくれなかったら、
その時は同人誌で出しますよ」とのこと。やる気はありみたいだが、昨今の出版状況を考えると・・・。
77(=゜ω゜):02/02/15 17:51
ところで、ロシア革命のときにソビエトでなく臨時政府が内戦に勝ってたら、
歴史はどうなったと思いますか?
78世界@名無史さん:02/02/17 06:58
どうなるだろう?
79世界@名無史さん:02/02/17 23:04
今のロシアみたいになるんでは?



80世界@名無史さん:02/02/18 01:22
インドが世界征服するとか、アフリカが先進文明になるような話キボーン
81世界@名無史さん:02/02/18 10:30
徐福が蓬莱を探してきますとか言って秦始皇のとこからトンズラこいて
食糧や技術者や馬や牛などの家畜、色々な種子を持って船出したまでは良いが、
台風に遭ってなぜだか北アメリカ大陸まで流されてしまいました。

これなら1000年頃にヨーロッパの連中がアメリカに来る前に
ネイティブインディアンたちによる高度な文明ができるかな?
82世界@名無史さん:02/02/18 11:13
>>81
せっかくだが、徐福だと青銅器文化。
現実世界とかわらん。
8382:02/02/18 11:34
北条時宗はフビライの国書に応じて国使を派遣、何度かの交渉のすえ、
皇室は「日本国王」、得宗は『総理「蓬莱等處乞行中書省」事』に、北
条一門とその他有力ご家人は各地の「万戸長」に封じられた。日本国内
にも「駅站」が整備され、地球規模の商業活動とリンクして、急速に経
済成長が進展した。

そして1280年、蒙古・日本・高麗・旧南宋人の兵士10万、移民30万か
らなる大艦隊が、東方の未知なる大陸にむけて旅だった。

彼らの行く手にまちうけるは、まばらに分布する小部族、粗放な首長制
国家のみ。チンキム太子を総司令官とする蒙古軍は、わずか3年でこの
「バローン・モンゴル大陸」を平和的に接収したのである。
8482:02/02/18 11:35
人にモンクゆうだけではもうしわけないので。
**********
北条時宗はフビライの国書に応じて国使を派遣、何度かの交渉のすえ、
皇室は「日本国王」、得宗は『総理「蓬莱等處乞行中書省」事』に、北
条一門とその他有力ご家人は各地の「万戸長」に封じられた。日本国内
にも「駅站」が整備され、地球規模の商業活動とリンクして、急速に経
済成長が進展した。

そして1280年、蒙古・日本・高麗・旧南宋人の兵士10万、移民30万か
らなる大艦隊が、東方の未知なる大陸にむけて旅だった。

彼らの行く手にまちうけるは、まばらに分布する小部族、粗放な首長制
国家のみ。チンキム太子を総司令官とする蒙古軍は、わずか3年でこの
「バローン・モンゴル大陸」を平和的に接収したのである。
85世界@名無史さん:02/02/18 11:39
1492年 コロンブス、水夫の反乱でやむなく引き返す。
1531年 ピサーロ、アンデスに没する。
1620年 メイフラワー号沈沒
86世界@名無史さん:02/02/18 12:45
個人的には>>85の歴史がいちばん気持ち良い。男らしいといってもいいくらいだ
87世界@名無史さん:02/02/18 14:11
大航海時代以後は文明のレベルが離れすぎていたから、先住民の国家形成の努力も無惨な結果に終わった。チェロキーネーションとか。
んで、10〜11世紀の欧州人の定住が恒久的なものだったら、というのは?

ドイツ系の「東方植民」と並ぶ、スカンディナビア系の「西方植民」により
(北米)大西洋岸にいくつかの封建的諸国家ができる。
で、彼らを通じて鉄と馬・築城技術+キリスト教が伝わり、周辺にも先住民系封建諸侯国が成立。
ちょうどイングランドに触発されてウェールズやスコットランドの国家形成が進んだように。
いわば、(北米)は中世のケルト地域・ロシア・東欧に類似した状態に。
んで、(北米)における前期的な国家形成の動きは(中南米)にも波及し、
より先住民色が濃いが、しかし中世ヨーロッパ的な要素を備えた国家がそこにも成立する。
・・・16〜17世紀までにヨーロッパはウラル山脈から、(アラスカ)、(マゼラン)海峡に至る、
ぼんやりとした文化的統一体を指すようになるが、
そのなかにおける「新大陸」の位置は決して従属的なものではなかった。

以上は、ロシア・東欧、新欧という2つの非ヨーロッパ的ヨーロッパ圏が、
西欧・中欧の核地域を取り囲む世界ですね。
しかし「アメリカ」を持たない世界は18世紀以降どうなってしまうのだろうか?
88アメリカ不在の場合:02/02/18 14:13
マルクスは「交通」の概念がかけなくて、資本論の執筆が中断されます。
89ふむ:02/02/18 15:13
数量的に見ると、欧州とアジアの貿易は、
欧州が銀を輸出し、アジアが手工業製品を輸出する構造だった。
アメリカ産の銀がなければ、欧州はアジアと貿易することができず、
欧州のアジア進出は起こらなかった可能性がある。
一番大きな影響を受けるのはハプスブルク朝スペイン。
プロテスタントとトルコとの戦争費用をアメリカ銀で補っていた。
スペインから銀をとったら、西欧のパワーバランスが変わる。
トルコとプロテスタントの勢力はもっと伸びただろう。
90世界@名無史さん:02/02/18 15:25
>>82
アメリカでユーラシアに匹敵するような文明が育たなかったのは
家畜化可能な大型動物がいなかったからなんだと。
あと農耕に適した(収穫高が大きく、食用に適した)植物が少なかったかららしい。
んで、それらに加えて徐福が中国から貨幣やら車輪や文字といた技術を持ちこめば
ヨーロッパに対抗出来る文明に育つんじゃないかと思ったわけです。
それから中国では春秋戦国時代から鉄製の農具やら使用してるよ。
91世界@名無史さん:02/02/18 16:44
紀元前220年。シナ大陸では堆河以南に楚、中原に漢という二大勢力の
対立が激化していた。楚は匈奴と密約を結び漢を挟撃し、漢が抱いていた
流軍300万の大半は楚が吸収、匈奴をオルドス北辺へ追いやる。
一方劉邦は、その大きな一物を女にしゃぶられながら、一人
思う。わしがこのまま匈奴の囚われの身であれば、かつての名臣たちは
楚に迎合するだろう。すると項羽は鬼に金棒、嘴の黄色い冒頓など
一捻りだ。匈奴もおしまい、楚の天下がくるであろう。
劉邦が長白山の戦いで捕虜となり、匈奴の首都ノイン・ウラの天幕まで
来たとき、彼の処刑は確定していた。冒頓の御前に来るや否や、
火炙りの刑が確定、即日執行されるはずだったのだが、急に冒頓の命により
刑は延期となり、かくて劉邦は捕虜の身となったのである。
刑が執行される直前、彼の頭には虚無とも諦観ともつかぬ感情が満ち、
自分が置かれた立場すら他人事のように思えてしかたなかった。
いざ巨石に縛られ、我が身にたきつけられる炎を目の前にしても
「死の恐怖」という関心すら失ったのか、取り乱すことはしなかった。
そこに冒頓が劉邦に対して男の潔さと豪傑の証を感じたらしい。
だが、実際には、彼の容貌に一目惚れしたアッシが、冒頓に頼み劉邦の
処刑を取りやめにしてくれたというのが真相であった。
劉邦にとってアッシは命の恩人であり、彼女の欲求を満たすことが
彼の生存条件だった。
今日も彼女は、劉邦の肉体を求めた。
ゲルの中で激しく腰を動かすと、アッシは苦悶と歓喜の入り混じった
声を上げ、劉邦の肉欲は更に萎えた。「もっと若い娘としたいのう」
劉邦の頭にはこれしかなかった。
92世界@名無史さん:02/02/18 17:09
項羽には政治能力がないからなぁ。。。
93世界@名無史さん:02/02/18 23:15
オカ板でこんなものがあった。かなりスレおよび板違いだが、世界史板の
みなさんの意見を聞いてみたい。ここであまり評判良くなければSF板持って
いこうかなあ。以下に続きます。

9493:02/02/18 23:17

ある存在がある惑星に到達した。
 その惑星には生物は居なかった。しかし、そこには活発な活動をする
存在がいた。一見、生物と見間違うほどに多岐多様に適応放散した存在
群。調査の結果、遙か昔にその星に到達した異星の機械宇宙船が、その
星でオートメーションによる資源開発し、その後、その用途用途に応じ
た自己複製機械群を形成。本体は失われたが、機械群はバージョンアッ
プを繰り返し、新型を開発して、適応放散した。
 その後、数億種にまで分化した機械群から、社会と呼べる機構を会得
した機械種が現れ、その後、文明と呼ばれるほどのものを作り上げた。
その機械種は自我をもち、文化をもち、宗教さえもっていた。
 元々どこかの異星で開発された機械であったために、相互リンクする
ことも、ある機械を別の機械が自由にすることも、また、プログラムだ
けで電気的ネットワークの中に存在することも、いくつもの個別プログ
ラムを統合して巨大プログラム群を作ることもできたが、長い間にそう
いった機能は他者に利用されやすいために、個別に完結したプログラム
および機体が生き残ることになった。それがスタンダードになり、その
中から文明を持つに至ったのが上記の機械種だった。
 もはや、その生物と呼んで差し障りない機械種は、惑星全土にその文
明圏を広げ、自らを助ける新たなる機械を開発し、その機械の助けをか
りて宇宙にまで進出した。いくつもの勢力圏にわかれていたが、機械種
が開発した機械群を利用し、彼らは惑星規模で繋がる電気的ネットワー
クを開発した。

 
9593:02/02/18 23:17
彼らの言葉では、そのネットワークを「インターネット」といった。
そしてその惑星の弧状列島に存在する勢力圏の一つの「インターネット
」の中で「2ちゃんねる」と呼ばれるものが存在した。
 その中には「オカルト板」という場所があり、そこである日、こうい
った書き込みがなされた。

「誰かが私の身体を乗っ取り、自分の意志に反して違うことをするん
 です。誰か助けてください」

 その惑星を調査した存在はこう思った。
「もともと機械なんだし、ようは受信機能が敏感で先祖帰りしたんだ
 な。なぜこの個体はそれを怖がるんだろう?機械ゆえか?」

・・・・・・もしかしてこんな風に解釈すれば、「霊界」(電気的ネットワー
ク内の巨大プログラム群)とか、「霊」(電気的ネットワーク内に存在
する機体を持たない個別プログラム)とか、「憑依」(機体を別な場所
から電気的に操る、ラジコン)とか、「霊視」(個別プログラムが相互
リンクして情報を得る)とか、「霊感がある」(送受信機能が強い個体
が個別プログラムを自身をとりまく電気的ネットワークで認識できる)
とかいうような見方をすることができるのでしょうか?
96世界@名無史さん:02/02/19 00:13
1938年、ユダヤ人による世界征服の謀略が明らかになった。この情報をいち早く掴んだ
ナチスドイツは、この野望を阻止し世界に恒久平和をもたらすべく立ちあがる。
(ユダヤによる支配を受けている国はアメリカ、フランス、イギリス)

ドイツは対英仏宣戦を布告、電撃作戦を開始したちまちベルギー、オランダ、フランスを
ユダヤ人の魔手から開放。スペイン、スイスはドイツに同調。
クロアチアはユーゴスラビア全土およびギリシアを開放する。
イギリスは大航空戦の後、制空権を握ったドイツの空襲を受ける。この空襲によって
国内で反ユダヤ派がクーデター、同時にドイツ軍が上陸し、英国はドイツと同盟を結ぶ。

東部ではフィンランドを占領したソビエトが突如国境を破りポーランドへ侵攻、しかし
ドイツ機甲師団は空軍の援護もありモスクワ直前まで反攻する。
満州・大慶で大量の油田を発見していた日本は対米戦を行わず、北進を開始、航空機を
中心とした日本軍は優勢に戦いウラジオストクを占領する。
こうしてシベリア方面にソビエト極東軍が張り付けにされている間に、ドイツはモスクワを占領。
東と西から挟撃されたソビエトは降伏を余儀なくされる。

中国大陸では中国と日本が停戦に合意、共産ゲリラ掃討に協力する事を条件に華北地域の
委任統治、満州国の承認を受ける。

1943年、第二次世界大戦終結。
全樺太・ウラジオストクが日本に割譲される。
同年、ドイツを盟主とするヨーロッパ連合が発足。日本を盟主とする亜細亜連合が発足。
欧州・亜細亜連合は共同で中米・フィリピンの開放を米に勧告、受諾される。
これ以降、最大のユダヤ帝国アメリカは没落していく。

最大の狂信的ユダヤ主義者達の根拠地となるはずだった
パレスチナではユダヤ人の虐殺が行われ、皆殺しとなる。
97世界@名無史さん:02/02/19 04:41
>>93
 >>94-95の文章は、ジェイムズ・P・ホーガンの「ライフメーカー」シリーズの
なぞりですね。
9893:02/02/19 14:20
>>97
すぐにわかるよねえ?オカ板の人たちはぜんぜん見当違いなこといってるし、
長い文章は嫌いらしい。やっぱ板によってこんなにも反応違うんだね。
99世界@名無史さん:02/02/19 15:11
ロシア革命の雰囲気高まる首都ペトログラード。
ポーランド系海軍将校シュベンスキは皇帝ロマノフより直接ある指令を賜った。
帝國の保有する金塊をイギリスに運び出せと。
早速シュベンスキは大型貨物船を用意し、北海のアルハンゲリスクより金塊を船に乗せ一路イギリスへ。
しかし・・・・・・・・
10099:02/02/19 15:23
「伏兵だ〜」

ジャーンジャーンジャーン
101世界@名無史さん:02/02/19 16:07
>>100
横山光輝かよ!
102世界@名無史さん:02/02/20 05:42
age
103幻想の語り部:02/02/20 12:02
 織田信長死後、羽柴家と徳川家に二分された天下を再統一したのは、家康の死と同時に
関が原で羽柴軍を打ち破った徳川初代将軍・信康であった。

 余勢を駆り大阪城を包囲しだ信康率いる東軍は、毛利輝元を代表とする羽柴家の
降伏を受諾。

 羽柴家は秀頼は隠居し、生まれたばかりの国松を当主とした上で転封された。
 西国大名を従え、天下を再統一した徳川家は国内を固めつつ、対外政策の充実を
図っていった。
 まず戦国の終焉で仕事にあぶれつつあった忍び達と幕藩体制の中ではみ出しつつあった
道々のもの達や浪人達を対外交易商人や交易船団の要員や異国に築かれる日本街の開拓民
や傭兵として再訓練し、東南アジアから豪州にいたる地域へと送り出したのである。

 次に大阪と江戸に巨大な出島と港湾施設を築き、大型船の来航管理を進める一方、
各大名に「鉄甲船建造禁止令」を出して、一万石以上の船の建造とその施設の保有、
艦載砲の搭載量を制限し、事実上海軍を幕府の専有物にした。

 その上で、民間の交易船の武装を禁じ、その航海を幕府海軍に護衛させる事を義務
付けたのである。

 後に太東洋の覇者となる大海洋国日本はこうして始まった。
104幻想の語り部:02/02/20 12:25
 日本が悪疫の島・高山国(台湾)の開拓を苦心惨憺進めて頃、大陸では朝鮮侵攻を
発端に清と明が対立していたが、内乱で崩壊し始めた明を清が攻め、中国北部は
清に併呑されてしまう。

 南明政権の救援要請を受けた徳川家は海軍を揚子江へ回航させて清の南下を
防ぐ一方、北部沿岸を脅かし、以後継続的に周辺各国と連携して清の領土拡大を
阻止し続けるのである。

 この結果、清の憎しみは徐々に日本へと向かい、第一次日清戦争の原因となる。 
105幻想の語り部:02/02/20 12:42
 日本が清国を満州・蒙古・北支の分断させ、領土拡張を完全な破綻へと追い込んだ頃
後に豪州と呼ばれる方面に存在する広大な無主の大陸への移民計画が進められていた。

 日本はすでに日高(蝦夷)と蓬麗(台湾)を開拓し、国内の扶養可能人口は5000万人
まで増大していたが、それに合わせて人口も増えており、樺太や神着香(カムチャッカ)
半島のような寒冷な地域への開拓では将来的に大規模な人口を支えきれる保証もなかった。

 そこでボルネオ、セレベスの開拓と移民を進める一方、広大で手の付けられていない大陸
への開拓移民も進められることになったのである。

 大陸は「古南」と命名され、その東にある大きな二対の島は新対馬と呼ばれた。

106              :02/02/20 13:06
なるほど、大東亜共栄圏ならぬ大東洋(太平洋)共栄圏を日本は建設するのですね。

確かに徳川幕府が鎖国さえしないで、海軍を専有物にし、海外進出を行っていれば、南方は台湾、フィリピン、ボルネオ、香料諸島、ニューギニアを経て豪州、ニュージーランド、南太平洋諸島に進出したでしょう。
北方は北海道、樺太、沿海州、アリューシャン列島、アラスカ、カナダ、アメリカ西海岸、までは確実に日本の領土になったでしょう
さらにスペイン支配が緩いメキシコ、パナマ、ペルー、チリも日本の領土になった可能性も捨てきれない。

太平洋沿岸部全域が日本の領土になり、大英帝国以上の大帝国を日本は建設できたかもしれない
107幻想の語り部:02/02/20 13:33
>>106

 私の歴史の最大のポイントは、若くして自害した徳川信康という人物でした。

 数多くの一次資料を調べるうちに、彼が信長の意志ではなく、三河軍団結束の
イケニエとして家康に殺された(もしくは幽閉中に反信康派の家臣の策謀で
自害に追い込まれた)としか思えなくなったのです。

 慈愛と勇猛さを兼ね備えた貴公子がもし、その事件の際に信長によって助命され
織田軍団の一翼を支える名将として活躍して生き延び、巨大な功績によって徳川家を
ついで天下を取っていたら、・・・?

 秀忠のように闇雲で安易な政策(切支丹迫害や鎖国)は採用しなかった
でしょうし、敵を殺すことよりも新たな天下の為に活用しようとするのでは
ないかと考えたのです。

 このシナリオはまだまだ続きがあり、西洋世界の対立や人種問題を含む
政治思想史に日本が世界へ影響を与えて行くわけですが、もし疑問点、
ご要望があれば遠慮なくお書きください。

 最終的には欧州の政治にまで影響が及び、ヒットラーナチスの歴史にまで
意外な展開を用意するつもりです。
108世界@名無史さん:02/02/20 14:17
しかし信康はDQNとして名高い人物ですからなぁ。
まぁ成長して名将と呼ばれる人物になる可能性もあるかもしれませんが。
そこらへんを説得力のあるシナリオにまとめて欲すぃです。
例えば家臣や親父の言う事を聞かなくて大失敗をやらかしたあと心を入れ替えるとか。
109幻想の語り部:02/02/20 14:40
>>108

 その事ですが、信康のDQNな部分は信康を自害に追い込んだ家康を庇おうとした
徳川家御用学者の捜索の疑いが強いという指摘があり私はそれを肯定しています。

 その理由として、

 信康率いる岡崎城集団の功績。
 信康直属の(不具者や武技に劣るもので構成された)部隊が戦場で見せた
働き。
 秀康母子が家康の命令で浜松から追い出されたときの信康の機略に富んだ対応。
 信康を育てた築山殿の出生と性格。
 信康死後に、岡崎城務めのものから大量の離脱者が出たこと。
 信康の妻だった徳姫が亡夫を偲び、父・信長も再婚話を持ち込まなかったこと。

 これら全ては信康が人に慕われる人物だった可能性を感じさせても、DQNんの
可能性を感じさせません。
 又、幼少時から信康に仕えていた家臣の多くが優秀な内政能力を持っていた事を
考えると、信康自身も熟慮型か、熟慮型の人間を好む人物だったと見ています。
110幻想の語り部:02/02/20 14:42
>>109

 少し訂正します。

御用学者の捜索 → 御用学者の創作
111世界@名無史さん:02/02/20 14:49
>>109
ほほう、そうだったのですか。
浅薄な知識で口を出してすいませんでした。
ついでに人物ばかりでなく経済や技術、環境などの要素も盛り込んで頂けると嬉しいんですが
欲張り過ぎですか?
112世界@名無史さん:02/02/20 14:52
>>103
個人的には幕府海軍そのものが商人を乗せて貿易する方が経済的だと思うんですど。
わざわざ貿易船に護衛つけるより。
113幻想の語り部:02/02/20 15:12
>>111

 もちろんできる限り本格的にやりたいです。

 それから素人考えであろうがいい意見は出して下さい!

>>112

 私もそれを考えましたが、この世界の幕府海軍は(信長時代の影響を保持
して)鉄張り装甲を採用していますし、近接攻撃用に大型の砲弾や交換用の
大砲も多数積載しておりますので、普通の商船ほどの積載余裕は無く、
貨物用の船とは別にした方が効率的と判断しました。

 それに、「栄光ある海軍のいくさぶね」を直接商いに使うことには抵抗も
強いのではないでしょうか?(いつ敵になるか判らない異国人を乗せる
機会は減らしたいという考えも出るでしょう)

 ただし奪われては困るもの(例えば軍需物資)は運ぶ任務も多いと思います。
114世界@名無史さん:02/02/20 15:17
鉄張り装甲で外洋航海は辛いと思うのですが?
115幻想の語り部:02/02/20 15:42
>>114

 幕府海軍の鉄装甲は”初期の場合”防火用ですので薄いのです。それでも船の
広範囲を覆いますから、船底に石を入れて安定させています。

 ちなみに建造技術は”羽徳時代”にイスパニアの迫害を逃れて亡命中だった
ネーデルランド(オランダ)人技術者から多くがもたらされ、さらに切支丹
技術者の提案によって(聖書の記述にある)ノアの箱舟の寸法を参考にした浮沈船
研究の成果も取り入れられたもので、速度はともかく耐波性はかなり高い
という設定です。

 なお、この世界の徳川幕府はキリスト教を宗教として公認はしないが、
”学問として”ならばその研究を公認する姿勢を取っています。

 その為、欧州人の発想や思想の研究は切支丹侍を中心に急速に進んでいます。

PS: 宣教師の滞在は、カソリックに限って言えば(信長の信任が厚く、一般の
評判も良い)オルガンティーノと彼が選んだ後輩達のみにとどめられており、
無警戒ではないという状態です。
116:02/02/20 16:12
幻想の語り部さんとてもすごいです。
海軍や世界への広がりもきちんと意味があって、なおかつ質問にも理路整然と
答えている。もっと幻想に浸らしてください。
そこで注文なんですが、大膨張をするには人材の育成はかかせないと思うので
すが、教育制度および教育機関に関しての記述もあると大変嬉しいです。
ご一考いただけたら幸いです。
117山野野衾:02/02/20 19:36
>107
信康が信長の命で殺されたのは「三河物語」や幕府方の史料にしか無いそうですね。
(間違いでしたら申し訳ございません。)
11896:02/02/20 21:13
お前ら、聞いてくれよユダヤの謀略がさぁ・・・
おい・・・

ねぇ・・・ユダヤがさぁ・・・
ねぇったら・・・
119幻想の語り部:02/02/20 22:12
 >>96さん。

 あなたのシナリオはユダヤ人を人類の敵として描くのではなく、古代神ヤハウェが
全人類にかけた呪いを象徴する悲劇の民族というコンセプトにしてシナリオを組み
なおすと深みが出ますよ。

 第一、単にユダヤ人を滅ぼしても結局、元凶のカナン人を喜ばせるだけですからね。
120世界@名無史さん:02/02/21 00:11
すんごい面白そうで読んでみたいんですけど、設定本で教科書のような記述になってしまうのか、
小説として「人間」を描き、設定はあくまで背景として扱ってくれるのか、
個人的には小説として読んでみたいです。
121世界@名無史さん:02/02/21 17:03
ニューコメンが100年位早く生まれて、なおかつ天才技術者。彼が試作した蒸気機関
は、充分実用に耐えうるものだった…

つーのは、難しいかなぁ。
蒸気機関の用途は、この時期、新型ペストの蔓延している事(南米のインディオへも当
然感染する)での、マンパワーの大幅な減少を補う為。やっぱり、工作機械の精度が
ネックかなぁ…。

いや、最終目的は、ビクトリア王朝期にロケットを打ち上げてみたいつー事なんです
が(w。
122世界@名無史さん:02/02/21 17:55
ビクトリア期に月に行くのはジュール=ベルヌの力を借りないと無理かモナー
123世界@名無史さん:02/02/21 18:34
ビクトリア王朝が1970年代まで存(以下略
124 :02/02/22 00:01
鄭和が西ではなくて東に進路を取っていたら…
125山野野衾:02/02/22 00:05
>124
そのまま西進するという手も・・・。
126世界@名無史さん:02/02/22 15:59
いっそ鄭和に豪州あたりに漂着してもらって文明起こしてもらうとか(w
127世界@名無史さん:02/02/22 19:33
> なお、この世界の徳川幕府はキリスト教を宗教として公認はしないが、
>”学問として”ならばその研究を公認する姿勢を取っています。

なんか危ういなぁ。ミイラとりからミイラになる学者・技術者がけっこう出てきそう。


細かいことだが、>>105
>神着香(カムチャッカ)半島
カムチャツ(ト)カ(カムチャッカではない)に宛てる漢字は、神威ナントカのほうが良いと思われ。
ちなみにアイヌ名では、“鮭肉(カム)を乾かす(サッケ)場所”の意だけれども。

>大陸は「古南」と命名され、その東にある大きな二対の島は新対馬と呼ばれた。

“古南”の由来は何なんだろうか?
“新対馬”──二対ではなく一対な。それはともかく、その命名はありそうだな。


厨房的考えでは、当時の武将で本格的海外進出を視野に入れてそうな人物って、信長だけっぽいのだけど。
秀吉は信長の構想をどっかで耳にしてたんだろうし、それでも実際には無謀で無意味な朝鮮の武力侵略くらいしか思いつかなかったみたいだし。信康にその点を補強する“何か”が欲しい。

ま、誰でもいいから、やってほしかったね。海外進出。現実には鎖国によって消滅した東南アジアの日本人町の発展。島国に住んでるくせにちっとも海洋民族でなかった日本人というキャラが大幅に変わっただろうし。
しっかし、そうなっていたら現在(21世紀初頭)の日本ってどうなっていたんだろう。世界のゴタゴタは全て米国(に相当する国家)に押し付けて、楽隠居生活でもしてるんだろか?

てゆーか、なんか板ちがいっぽいけど。佐藤大輔の『信長征海伝』が未完で終わってしまいそうだから、アンタに期待するよ。
128              :02/02/23 01:33
日本が鎖国しなければ、米国のような覇権国家は存在せず、日本太平洋連邦と欧米大西洋連邦の連合勢力に二極化していただろう

ソ連とアメリカの対立とは違う、イデオロギーのない緩やかな文明間の対立が見られただろう
129世界@名無史さん:02/02/23 02:41
>>128
そういうの好きだよ。いいよ。いい。すごくいい。

>>96
キミの発想も私好き。もっと書いてくれると嬉しいな。
130幻想の語り部:02/02/23 14:29
>>127

 参考になる指摘ありがとう。

 カムチャッカ半島 → 神威鮭半島

 というのはどうでしょう?

 古南という命名は最初に到達し、その報告を持ち帰った探検隊の報告を聞いた幕閣が
(西洋人の世界地図から判断して)南の果ての大陸という意味で「果南」と当初
名付けられていました。
 しかし、後に本当の南の果ての大陸がさらに南側に位置する事が判明し、「古南」
と改名されるのです。(史実のオーストラリア大陸です。)
 なお、その際に混乱を避けるため、新発見の南の果ての(南極)大陸は新南大陸と
命名されます。

 それから信長が生きていれば確かに海外進出をやったでしょうが、私はあえて信康を
史実の事件から助け出し、信長の側近として彼の先進的な発想を学ばせる事にしてみました。

 史実では未完の大器で終わった信康を、やさしすぎるという欠点を除けば家康と
信長の長所をあわせた人物へ成長させるつもりです。

 彼ならば戦国末期の有用な人材を殺さずに生かして日本の発展に活用するのでは
ないかと考えました。(信長だと、島津一族を皆殺しにしかねないので・・・)

 又、信康亡命時に岡崎三奉行を始め、多くの信康の部下(史実では家康時代の徳川家の
政治に寄与した人材や自害に追いやられたり徳川家を見捨てた人たち)が信康とともに
織田家の傘下に入り、海洋通商型の戦略を学んでいるので、信康政権の江戸幕府は
海外進出に肯定的です。

 なお、信康独自の発想としては”戦よりも開拓・進出による領国の拡大”です。

 多くの家臣とともに三河を捨てて他国へ行かざるを得なかった信康が、石高の低い
土地を度々任され、そこの石高向上を成功へと導いたことと、信長から世界の広さを
教えられた事で、「日本よりも広大な無主の地へ人を送り、そこにより大きな国を
作れば、大戦なしで強大な国を生み出せるのではないか」という発想を持つわけです。

 特に、ウィリアム・アダムス等から英国が北米に恒久的な植民地を築こうと奮闘している
話を聞かされ日本千年の計の為に、強国の影響が及ばない地域へ多くの人間を
送り込み、現地人にも教育を施しながら「日本を拡大」しようとするわけです。

 送り込まれるのは、子沢山の農家の子弟や浪人、部屋住みの旗本など、史実では
密かに殺されるか、働き口も無いまま滅びるか圧殺された人生を送った人たちです。

 そして、この世界の海外日本の大きな拠点はマレー半島、ボルネオ、パプア・ニューギニア、
セレベス、オーストラリア沿岸、ニュージーランド、王国のあるハワイをのぞく太平洋各島
アラスカ西南部沿岸、アメリカ西海岸からメキシコ西北部まで広がるものとします。

 19世紀初頭頃から英国との熾烈な戦いが始まり、米国とは対英政策を通じて長期間友好関係を
持たせてみようと思います。(西海岸の日系植民地は米国の侵略の前に縮小し、ついには併合を
余儀なくされるという予定です)

 さらに清国や英国との戦争で不足しがちな士官(侍)の数を補充しやすくするため、
史実ほど強固な身分制はなく、19世紀末までに南太平洋の黒人達からも多くの侍を出し、
場合によっては黒人の提督が指揮する最強の機動部隊が米国の太平洋艦隊を撃破する
という局面も出してみたいと思います。(その場合の米国の黒人の反応が見ものです・・・)
131しかし:02/02/23 17:05
考えてみたら、何でアジア諸国は海外発展を考えなかったんだろう?
スペインの銀が新大陸産だとオスマン朝は知っていたはずだし、
国力の圧倒的違いを前提すれば、オスマンが本気で進出すれば、
アメリカ全土を制圧することも可能だったはずだ。
中国・日本・ムガール朝でオーストラリアを取り合って戦争するとか、
そういう歴史の方が(後知恵で考えると)自然な気がするんだが。
132世界@名無史さん:02/02/23 17:19
幻想の語り部さん!どんどんやってくれ!
個人的には信長にやってもらいたい事績だったが、信康というのも
面白いかも。スカッとするやつ頼む(笑)
133SSBN:02/02/23 17:48
>>131
オスマン帝国は広いですし、領域の維持が大変だった。
オスマン帝国が主として活躍したのは地中海で外洋に出れなかった(インド洋とかはどうなんだろう?)
新大陸へ逝くのに便利な大西洋に面した港湾が無かった。

まあ相変わらず思いつきだけで何の信憑性も無いわけです。帝政希望

南宋がもっと粘って東南アジア日本等と交易して国力を増大し元の攻勢を何とか受け止め、帝位継承のいざこざを利用したりして
南北朝時代が到来。南宋は本当に海外交易が生命線になってしまい、あっちこっちに殖民しまくり、東南アジア、オーストリアのほうまで殖民。
モンゴルはモンゴルで帝位継承やらなんやらでごたごたしつつも緩やかに解体していく。
で、南宋が中原に戻ろうとすると決まって北方から次の遊牧民が南下してきて、結局南宋は貿易で金をもうけ続ける道を選ぶ。
日本?まぁマターリしてるんじゃないかなぁ。
信長による戦国の終焉と、それにより国を負われた有力大名の一部が海外へと逃亡する。彼らはその土地で捲土重来を図った。
やがてこのことは日の本の支配者の知るところとなり第一次南洋征伐の準備が進められた。

妄想sage
134倭人:02/02/23 18:41
倭寇による国家建設というシナリオはどうかな?
場所は台湾かフィリピン。
バイキングの築いたシチリア王国の東洋版といった感じ。

もちろん後期倭寇というのは実際は漢人が主体で、
そういう意味では鄭成功だって倭寇みたいなもんだから、
その意味では実際に台湾は倭寇の国だったともいえるわけだけど、
ここで言ってるのは、本来の「倭人の倭寇」による国家建設ね。
135幻想の語り部:02/02/24 00:01
>>134

 先手を取られたかな?

 実は私のシナリオではセレベス島日本人植民地海軍の中核は倭人の倭寇となって
います。(海外は戦国の気風を強く残しますので・・・戦国時代の日本同様、彼らの
統制を無視しては政治は成り立ちません)

 ちなみに日本人の海外活動の主な対象地域とそこの現場を主に仕切る集団を大雑把に上げますと

〜17世紀中期
日高(北海道)・・・幕府と織田家遺臣団と伊達家(史実の宇和島藩に近い集団)

蓬麗(台湾)・・・旧羽柴家遺臣団もしくは転封される羽柴家

南海府(ブルネイ)・・・倭寇や倭僑(幕藩体制からはみ出した道々のもの等)

〜18世紀前半
北海(カムチャッカ半島と樺太)・・・幕府と東北諸藩

沿海州の港湾都市・・・越前、越中、越後諸藩

古南大陸(オーストラリア)・・・南洋諸地域の日系勢力と幕府

〜19世紀中期
南満州東部を含む黒龍江以南・・・日本海沿岸部諸藩

アラスカ沿岸(あくまでも漁業基地として開拓)・・・幕府

北米西海岸(正確にはカリフォルニア南部とメキシコ西海岸地帯にかけて開拓発展)・・・幕府

古南大陸中部(植林と灌漑による農地面積の拡大事業が中心)・・・古南大陸沿岸部勢力と幕府

 というように時代を追うにつれ幕府の植民事業への介入頻度が高まります。

 これは英国との戦いが激化し、その為に必要となった戦費や軍需物資、果ては人材などを
植民地から多く調達する為に植民地の政治経済政策に口を出すようになった結果なのです。

 幕府による植民地政府への政治的軍事的な支配力強化は多くの軍事・諜報分野の逸材を
有力艦艇群とともに幕府中枢から引き離す結果となり、結果的に日本国本土諸藩への
支配力を低下させ、江戸前の変(1861年の島津斉明による江戸城奇襲)をきっかけとする
幕府崩壊の一因となります・・・

 なお、幕府対英国の百数十年に及ぶ対立は英国の覇業を史実以上に後退させ、その影響で
英国による米国財界への支配は弱く、インドの征服も道半ばで、めぐりめぐってロシアの
シベリア鉄道計画開始まで遅れています。
136世界@名無史さん:02/02/24 00:42
幕府強すぎっていう気もしますが、面白すぎです。
こうなってくるとポルトガルやスペイン、フランス、オランダが日本の一部の
藩と手を結んでそうですな。
そんで、史実ではイギリスが占めていたパイは
幕府、スペイン、ポルトガル、フランス、オランダ(およびそれらと同盟関係にある藩)
なんかが握るようになると。
薩摩あたりがキーパーソンになりそうですね。
なんだか日本がヨーロッパになったみたいです。
日本国内(という概念はもはやないでしょうが)での戦争ももっと大きくなりそう。
伊賀上野あたりは永世中立国になったりして。
でも名君が続かないと、インドの二の舞になりそうな感じがします。





137世界@名無史さん:02/02/24 00:49
幕藩体制である必要は無い気もします。
徳川絶対王制のほうが楽と言うか、各藩が海外領土で独立しそう。
138世界@名無史さん:02/02/24 01:48
>>137
信康と内親王との結婚が成立して早いうちから公武合体が行われるとか?
でもそれだと明治維新の切札天皇マンセーが使えなくなるしなー。
ハプスブルクみたいに大量の子供を作って他藩に養子に出すとか?
でも精薄そうだしなー。(信康
天皇家を引っ張りだせばなんとかなりそうだけど、
やっぱり絶対王政は難しいんじゃないかな。

でも一時期、西洋かぶれの将軍(家治)があわられて、
絶対王政、重商主義を指向、
それに反発した諸藩が海外に分家された藩から上がってくる利益を元手に
同盟を組み幕府勢力と抵抗、
一時一触即発の事態をまねくが伊達2400万石の取りなしで,
諸藩の領地拡大を制限しないという条約を諸藩と結ぶことにより、
なんとか事態は収拾される。
しかし!
伊達=前田家とロマノフ王朝とのシベリア領有を巡る争いに幕府は介入を余儀なくされる。
また、ロシアと伊達=前田=徳川連合軍とのシベリアでの戦いをしりめに諸藩はそれぞれ
重商主義、植民地拡大政策に邁進するようになる。

大老田沼意次はシベリア出兵により不足する旗本衆を補うため、
民間登用による常備軍編成、
雑賀衆の協力による新兵器の開発を行い、兵器、用兵の近代化を行う。

また、海外直轄地への植民奨励、また、屯田兵として現地浪人を登用する。
これにより田沼時代に幕府直轄領は一億石を突破、
諸藩もそれぞれ石高を増し、
日本は空前の好景気に沸く。

つーのはどうよ?
139隼人:02/02/24 05:22
鎖国しない場合、幾つかの藩は切支丹に改宗しているはずだが、
その役は薩摩にしておきたい。
地理的位置から南蛮人との接触が多いから自然だし、
何より、島津家の「丸に十字」の家紋こそは切支丹に相応しい。
宣教師が「その家紋はあなたがたの改宗が神の御予定の一部である証です……」
とか何とか言って薩摩藩主と手を取り合う光景が目に浮かぶ。

やがて宗教的情熱で幕府に戦いを挑む丸十字軍萌え!
140妄想電波之介:02/02/24 12:18
妄想OKということなので、カキコさせて頂きます。
ツッコミどころ満点でしょうが、笑ってお許し下され。m(__)m

1506年イタリアの風雲児チェーザレ・ボルジアは死んだ。享年31歳。
法王庁を頂点とするキリスト教世界に挑戦し続けた一生だった。
チェーザレの血を恐れた時の教皇ジュリオ2世は、生まれたばかりの
チェーザレの娘ルクレチアを抹殺しようとする。チェーザレの親友にして
忠臣ドン・ミケロットは間一髪で娘ルクレチアを救い出す。そして同名の
叔母フェラーラ公爵夫人ルクレチア(チェーザレと近親相姦?)の助力のもと、
フェラーラ公国に匿ってもらうことに。娘ルクレチア1歳。

このドン・ミケロットという男はチェーザレの右腕となって大活躍した男。
ルックスも良かったらしくて、人気者。まあ銀英伝のキルヒアイスみたいな
もんかな(笑)。

叔母の庇護の下、美しく成長するルクレチア。
しかし、1519年、叔母ルクレチアは何者かに毒殺されてしまう。
犯人は勿論法王庁。法王庁はイタリア統一寸前まで持っていったチェーザレ
・ボルジアを決して許さなかった。またも危険が娘ルクレチアに迫る。
ミケロットは、ルクレチア12歳を連れて、オスマントルコに亡命するのだった。

ヴェネツィア商人やアラブの海賊にトラブルやらサポートやらを受けつつも、
何とか無事にコンスタンティノープルに辿り着いたミケロットとルクレチア。
このころから少女の胸の中には法王庁、更にはキリスト教世界そのものに対する
憎悪が激しく生まれつつあった。

141妄想電波介:02/02/24 13:27
コンスタンティノープルに逃れた2人の亡命者は、ミケロットの旧知
であるトルコ人宝石商夫婦の屋敷に匿われることになった。
ミケロットの思いは唯一つ。親友の遺した娘を、命に代えても護ること。

しかし、平穏は長くは続かない。3年後、ふとしたキッカケで、
ルクレチア(15歳)は、スレイマン一世に見初められるが、拒否。
激怒したスルタンの命令で、イエニチェリ(スルタン親衛隊)数百が
屋敷を囲む。尤も、これは目障りな宝石商をつぶしたい、という宮廷筋の
陰謀でもあった。またしてもルクレチアの愛する人々は殺された。

鬼神の如きミケロットの奮戦で何とか港までの血路を開き、出発間際の
帆船に乗り込んだ2人。行き先はなんとインドのゴアだった。

〜〜〜五年後〜〜〜←(笑)m(__)m

様々な艱難辛苦を味わうルクレチアとミケロット。
カキコしても面白くないので、当然端折ります。(w
ともあれ、キリスト教世界だけでなく、イスラム教世界でもお尋ね者と
なってしまった二人。
何故、私達はこんな目に遭わなければならないのだろう。
父チェーザレは、教皇の息子というキリスト教世界での呪われた存在。
そしてその血を引く自分ルクレチア。少しずつ少女は復讐を考えるようになる。
一方、忠実なミケロットは、何とかルクレチアが無事一生を終える
ことのできる場所を探し出したい。
そこで浮かぶは!イタリアならばお馴染みの「東方見聞録」。
そうだ、黄金の国ジパングならばルクレチア様の安住の地があるかも
しれない。あの国に行こう。

二十歳になった美しいルクレチアと老ミケロットは、堺の町にいた。
この地でルクレチアは、お忍びで堺に来ていた尾張の国の若き実力者
織田信秀に出逢う。若い二人は当然の助動詞べし!で恋に落ちた。
時に1527年。(種子島より随分早いじゃねえか!)
そして7年後待望の男の子が産まれた。


あ、もうバレバレっすかねぇ?(笑)
142妄想電波之介:02/02/24 17:23
1534年、尾張の若き実力者織田信秀と亡命貴族ルクレチア・
ボルジアとの間に男の子が産まれた。
「東洋のユリウス・カエサル」「帝国の復興者」との異名を持つ
後の織田信長である。

父信秀の勇猛さと母方のボルジア家の血を引き継いだ信長。
忠臣平手政秀と老ミケロットの教育の下、すくすくと育つ。
父信秀急死の後、家督を継いだ頃には、数カ国語を解し、
西洋世界にも通じている異様なカリスマ性を持った男に
成長していたのである。

ボルジア家特有の血故か、裏切り者には異常に厳しく、一度の
裏切りで異母弟信行を惨殺する。(柴田勝家は助命)
1560年、今川義元を桶狭間の戦いで破ると、勢力を伸張、
1567年、美濃を平定し、1568年、足利将軍を奉じて
上洛し機内を平定。1570年には盟友徳川・浅井と連合して
越前朝倉氏を滅ぼす。(つまり長政は裏切らない(笑))

こうなると雪だるま式に信長の勢力は増強し、1572年、
最大の難敵武田信玄を三方が原の戦いで、信長自らの指揮に
より、信玄を敗死せしめた。

一方、信玄に継ぐ難敵であった上杉謙信は盟友浅井長政と
サポートに付けた柴田勝家の活躍により、1573年には
謙信を自刃に追い込んだ。勝家が長政に対して、密かな
コンプレックスを持っていたことは公然の秘密だったが。(笑)

天下統一に突き進む信長は、着々と将来の布石を打っていた。
堺の港を中心に貿易を盛んにし、鉄砲増産等あらゆる富国
強兵策を実行していた。

この時点で信長の最終目標を知っていたのは、無二の腹心
であった羽柴藤吉郎秀吉(通称サル)一人だったと言われる。
彼は主君の言葉を幾度となく反芻していた。

『日本の統一などは、始まりにすぎない。
 俺の望みは、この島国だけではない。世界なのだ。
 異郷の地で若くして死んだ母上とミケロット爺の無念を晴らす。
 サルよ。俺についてくるか。』

後年、第二次ヘースティングス会戦で、信長の身代わりとなって
命を落とす事になる秀吉は、死ぬ間際まで、このときの感動を
忘れなかったということである。


だー!電波入りまくりで申し訳ない!
幻想の語り部さん達のような綿密さは全くなし!(恥)


 
143SSBN:02/02/24 20:29
いや私は結構楽しんでるので続けてホスィ。
144世界@名無史さん:02/02/25 15:46
>>142
面白いから大丈夫ですよ。漏れの考えた奴なんかもっとデムパバリバリだし。
145世界@名無史さん:02/02/25 16:15
第二次世界大戦・日独圧勝やってホスィ。
146幻想の語り部:02/02/25 18:14
>>145

 日独同盟の勝利!
 それが私のシナリオの目標でもあります。

 ある意味、日本が米国と戦って勝つためには、本土のみならず南方資源地帯にも
巨大工業地帯を設けて、米軍が本土、南方資源地帯のいずれに進撃してもその横合いに
痛打を与えられる体制が必要ですから・・・(その為の”太東洋共栄圏構想”でした)

 同時にドイツを勝たせるには、まず、ドイツの負担を空間的時間的に減らした上で、
米独の開戦時期をA-9/A-10ロケット(世界最初に構想されたICBM)完成直前
くらいまでに遅らせなければなりません。
 その為には英国と米国を離間させるか、ポーランド侵攻をドイツではなくソ連
(もしくはソ連に相当する大国)に開始させるほうが良いでしょう。(ポーランド
問題自体がドイツを孤立化させるためのワナとしおて使われていました)

 まず英国と米国を離間(仲違い)させるのは、かなり困難です。
 独立戦争以降、英国王室の思惑(米国の実質的な乗っ取り)にとり政財界の支配層の中には
英国王室系人脈の一族が多数入り込んでいます。(親子二代で大統領をやっている現在の
大統領はその典型です)
 引き離すには、国民レベルで英国嫌いを浸透させる事件を起こしてやる必要があるでしょう。
 例えば、20世紀初頭米国のフィリピン征服を史実のベトナム戦争並に泥沼にして、
その戦場へ英国の(ベンガル産)麻薬を大量に流して米国の若者を多数は偉人にしてやった上で
その麻薬戦略の大元が英国だと暴露してやるとか・・・

 あえて日本が北満州の石油利権を餌に満州に米軍を駐留させて、中国の利権をめぐって米英が
対立しやすいように仕向けるという手が考えられます。

 もしお望みなら、昔、私が考えた米独対立による欧州分断と米独冷戦から開戦前夜の
経過を書いたシナリオを出しておきます。
147幻想の語り部:02/02/25 18:22
急いで書いたもので>>146内の文に誤字が多く出ました。
ちょっと訂正します。

英国王室の思惑(米国の実質的な乗っ取り)にとり政財界の支配層の中には
              ↓
英国王室の思惑(米国の実質的な乗っ取り)により、米政財界の支配層の中には

(親子二代で大統領をやっている現在の大統領はその典型です)
            ↓
(親子二代で大統領をやっている現在のブッシュ一族はその典型です)

引き離すには  →  米英両国を引き離すには

米国の若者を多数は偉人にしてやった上で
      ↓
米国の若者を多数廃人にしてやった上で
148  :02/02/25 18:27
第二次世界大戦でアメリカ+イギリスが日本に負ける
149 :02/02/25 18:40
第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が一人勝ち
150山野野衾:02/02/25 18:49
羨ましくなって来ましたので、ネタ妄想を一つ。
1270年、蒙古の勢いに懸念を抱いた鎌倉幕府は南宋との交流を活発化さ
せ、共同戦線を張る事を計画。
その過程で沖縄・台湾に植民を推し進め、やがてはフィリピン(仮称)やボ
ルネオ(仮称)にも到達した。
北条時宗は挙国一致を呼びかけ、将軍を廃して自ら「大君」を名乗って75
歳まで生きて足場を固めた。
それに対しフビライは両国の攻略よりもまずモンゴル帝国内の安定を図る事
に全霊を傾け、それを成功させた。
新生モンゴル帝国はヨーロッパ大陸を制圧し、日本は南海の島々に、南宋は
インドシナ半島に、イングランドは新大陸に勢力を拡大した。
インドにも統一王朝が出来た。
さてここまで来ればいずれ衝突するのは明らかですが、いつぶつけましょうか。
16世紀にすべきか、はたまた19、20世紀にすべきか。
どれにせよ妄想ですが。
151 妄想電波之介:02/02/25 19:24
SSBN様、144様、有り難いです。凄く嬉しいです。
お言葉に甘えて、またカキコさせて頂きまする。m(__)m

既に諸兄におかれましては、塩野ヲタ、信長ヲタ、銀英ヲタ(爆)という素性を
喝破されておられるとは存じます。(恥ずかしいッス!)

幻想の語り部様。
貴方の構想の綿密さや質問に対する誠実な回答を読むにつけ、己が恥ずかしゅうなります・・・・
自分では、とても数百年間の構想はできないので、日独同盟大勝利すんげー楽しみにしてます!

山野野衾様。
北条時宗からってのが、斬新だと思います。自分の希望は是非16世紀で!!
あの世紀はスーパースター信長(←ヲタ(笑))を筆頭に沢山のスターが世界中に
いると思うんですワ。ストーリーアップ楽しみにしてまっす!
152妄想電波之介:02/02/25 20:46
えーお言葉に甘えまして、、電波を充電しましたので・・・・m(__)m


信長の政略・戦略・戦術における天才的な才幹は、桶狭間の戦い直後に
死亡した亡命者ドン・ミケロットの影響が多分にある。数倍の兵力を
有する今川義元に対して、信長とミケロットは死力を振り絞り、
奇跡的な勝利を得た。(近年の研究では斉藤道三の役割も指摘;後述)
かつて、イタリアとヨーロッパを恐怖のどん底に陥れ、
マキャヴェッリが「君主論」で絶賛した祖父チェーザレ・ボルジアと
その軍団の力量は、孫の信長に確実に受け継がれていた。
ミケロット自身は、このときの戦傷が原因で85年に及ぶ波乱に
満ちた生涯を終えたが、未来を見据えて満足な死だったかもしれない。

そして特筆すべきは、父信秀の開明的な先見の明である。
外国人の血の入った信長を、反対をモノともせずに可愛がり、
自らの勇猛さと家督を信長に伝えたのである。
ルクレチアの急死後(宣教師による毒殺説等多数)、信秀の
落胆・衰弱は目に見えて目立っていた。信秀がもしも後10年
生存していれば、彼の死以後の尾張国内の混乱も無く、信長の
覇業も更に促進したのではないか、というのはよくネタにされている。(笑)

更にもう一人、信長に強い影響を与えた人物として、岳父
斉藤道三が挙げられる。史上名高い聖徳寺での会見以来、
道三は信長にぞっこんであった。息子義龍の反乱で、殺害
されたというのが「定説」であるが、最近の研究では、
道三は信長に救出され、天寿を全うしたという事が次第に
明らかになっている。どうやら信長による上洛→畿内平定の
頃まで生存し、信長の軍事顧問のような役割を担っていた
らしい。後年の信長による法王庁への見事な謀略は、裸
一貫で美濃の国を乗っ取ったとされる斉藤道三の手法に
酷似していることが指摘されているからである。

153妄想電波之介:02/02/25 21:21
あ、本宮「夢幻の如く」ヲタも付け加えておいて下され・・・・m(__)m
154世界@名無史さん:02/02/25 21:54
僕には満州と言う国がとても魅力的に感じるんだよな
アジアのアメリカめざした幻の国満州
現在までつずいていればと妄想してしまう
155山野野衾:02/02/25 22:20
>151
そう仰って下さったからには、無い知恵絞って考えて書かせて戴きます。
16世紀になっても、日本には戦国乱世が訪れる事は無かった。ただ北条家
から足利家、足利家から織田家へと禅譲が行われていた。
外敵〜最早固有名詞と成りつつあった〜に対する団結心が無用な混乱を避け
る働きとなったのであろう。
国内における対抗意識は、それ以上に異質な存在の前では霞んでしまってい
たのである。
異質なものに対する嫌悪感を打ち消す為には、より大きな嫌悪感が有効であ
るらしい。良い事かどうか、この時代に判断される事は無かったが。
さて織田家であるが、北条時代から次第に勢力を拡大し、信長の父信秀の代
になって実権を握り、信長の代になって大君位を獲る事に成功した。
両翼となったのは今川家康・橋場久吉(ともにママ)の両名。
他に鎌倉以来の家柄として毛利や伊達、島津らが従っていた。
156世界@名無史さん:02/02/25 22:35
あぁ満州帝國
北支・中支・インドシナを放棄できていたら…
充分、存在可能だったんだよなぁー

60〜70年代に、駐留日本軍への反基地闘争なんかもあって
日本の影響力が減って、自立した高工業国家になってたら
魅力的な国だよねー
157山野野衾:02/02/25 22:35
>155の続き
他国はどうであったろうか。
南宋(以下単に宋と呼ぶ)は明に変わっており、火力を誇っていた。またイ
ンドシナ半島の各国を(ビルマ含む)朝貢国と為し、後に「開海政策」と呼
ばれる事となる積極的な外洋進出を進めており、交易国はオマーンやエチオ
ピアその他のアフリカ諸国にまで広がっていた。
永楽帝の時代には鄭和がアフリカ大陸の南端を越え、これを「喜望峰」と命
名している。
またインドにはヒンドゥ−系の王朝二ヶ国が勢力を拡大して南北朝時代とな
っていたが、こちらも融和して実質的な統一王朝が出来ていた。(但し後の
パキスタンはモンゴル領)
ネパール、スリランカなどがその勢力圏に入っている。
北アフリカではマムルーク朝が崩壊して一旦はモンゴルに制圧されそうにな
ったが、かろうじて撃退して新王朝が出来ていた。
いずれの国々も不安を抱えている事、言うまでも無い。
158世界@名無史さん:02/02/25 22:47
>>146
いいねぇ、できたら日独でソ連を撃滅するシナリオやって欲しい。
クレムリン炎上ののち大爆破。
159山野野衾:02/02/25 22:51
>157
ヨーロッパはどうであったろうか。
こちらは再統一後のモンゴル帝国に占領されていた。
あっという間に東欧を抜き、東ローマ帝国を属国化した超大国に戦慄を覚え
た国々はほとんど抵抗を見せなかった。
神聖ローマ帝国も教皇庁もフランス王国も戦わずして白旗を揚げていた。
イベリア半島のイスラーム勢力は1392年に滅ぼされていた。
注目すべきはイングランドであった。
東方に対する圧迫感からアフリカや大西洋方面への航路開拓が盛んとなり、
ついにはアメリカ大陸に到達した。
16世紀初めにはアステカ・インカを属国化し、やがて大量の銀が本国に流
れ込んだのである。
ユーラシア大陸を制覇した大帝国の存在により期せずして各国が海に目を向け
たこの時代を「大航海時代」と呼ぶ。
160山野野衾:02/02/25 23:03
>159の続き
1533年、「大東洋」を渡りきったイングランド船が上総に漂着。ここに東西の
直接交流が始まった。
寧ろ丸い地球上にあって「東西」という感覚がある意味で瓦解した瞬間であったか
も知れない。
奇しくもこの年のこの日に遠く離れた本国では王女エリザベスが生まれていた。
史実では病死していた弟が王位を継いだこの世界においては二つの大海を女の身で
初めてまたぎ、一歳年下の信長の正室となる女であった。
婚姻が行われたのは1550年。時のモンゴル皇帝もローマ教皇も刺激せずにはい
られない出来事であった。
161山野野衾:02/02/25 23:08
妄想電波之介様、以上の様なものでよろしかったでしょうか。途中つじつま
の合わぬ所がありますが、どうかご勘弁を。
162世界@名無史さん:02/02/26 04:04
漏れも羨ましくなったのでちょと書いてみる。幾つかネタを混ぜてあるんでわけわかんないだろうけど。
・・・・西暦2001年9月11日・・・
突如オリオン座方面(詳しくはM78星雲と思われる)より飛来した2つの飛行体が
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークに飛来。飛行物体は世界貿易センタービルの2つの建物に激突。
おそらくは核融合によって推力をを得ていたと思われる飛行物体の激突による衝撃はすさまじく、
半径500mの圏内は瞬時に蒸発、深さ200m近くの巨大なクレーターと化した。(のちにウルトラの穴ぼこと通称された)
恥かしいからここまで。
163妄想電波之介:02/02/26 21:29
山野野衾様。
早速のカキコ、拝見しました。面白かったッス。(^_^)
エリザベスと信長の結婚というのは、正直意表を突かれましたね。
私の電波では(w、二人は仇敵関係ですから。あ、言っちゃった。
「大東洋」を渡りきる、、、という所に、自作へのヒントを頂いちゃいました。m(__)m
またよろしく〜

164妄想電波之介:02/02/26 21:46
圧倒的な経済力と軍事力を背景に信長の勢いは止まることを
知らない。直属の軍団は数十万を数え、鉄砲の効果的使用等を
始めとする数々の戦術は、他の戦国大名を完全に凌駕していた。

旗下の軍団には、他大名諸侯の垂涎の人材が揃っていた。
一の腹心羽柴秀吉を筆頭に、明智光秀、蒲生氏郷等無名の中から
信長に見出された人物は数多い。冷徹な思考(ボルジア家独特の
血か)とは裏腹に、父信秀譲りの豪放な明るさをも持っていた
信長の周りには多くの人材が集まった。その点は明るくは無かったが、
レオナルド・ダ・ヴィンチを引きつけた祖父チェーザレをも彷彿とさせる。
そして、信長の人物鑑識眼は確実に祖父を引き継いでいたのである。

ここで信長の義弟でもある盟友浅井長政ついて少々語っておきたい。

浅井長政は北近江の大名であり、1567年に信長と同盟を結んだ。
信長は最愛の妹お市の方を輿入れさせたが、政略結婚とはいえ、夫婦仲は
睦まじかったとされる。長政の父久政は、頑固一徹に信長を憎悪し続け、
信長による越前朝倉氏攻略に際し、再三息子長政を説いて反逆させよう
とした。しかし逆に長政は父を幽閉し、信長に率先して協力、金ヶ崎城を
攻略した。富強を誇った朝倉氏は滅亡し、歴史の流れは大いに信長に傾く。
この直後、久政は憤死したが、長政は生涯悔やんでいたと言われる。

この後、長政は越前から越中越後と主に北陸戦線を担当した。
信長が、義弟に対してコンプレックスを抱いているとも知らずに、
サポートに付けた柴田勝家は、私心を隠し通して長政を懸命に補佐した。
今日北陸で、惚れた女性の恋人・夫に親身に尽くす人を、「かついえどん」
と称されるのは、この故事からである。

ともあれ、長政&勝家のコンビは破竹の進撃を続け、3年後には上杉謙信を
自刃させるという大戦果を挙げる。北陸平定後、東北諸侯の恭順を受けた後、
日本国内最後の戦いである対毛利・島津連合軍戦に参戦した。

浅井長政は終生義兄信長の覇業に尽くし、己の才幹も十分に発揮した人物と
いえる。
もしも、日本国内に留まっていたならば、支配者として浅井家による体制を
打ち立てることができたかもしれない。しかし実際は、長政は義兄の野望に
ついていくことを選んだ。
長政自身は、コンスタンティノープルで死んだが、甥である織田信忠に送った
手紙がトプカピ博物館に現存する。内容は、コンスタンティノープル攻略とい
う大功を立てた信忠が有頂天になりすぎて父信長の勘気を被り謹慎させられた
のを慰めるものである。
その中で長政は、父への孝養を切々と説いているが、もしかしたらそれは
遠い昔、実父を死に追いやったことへの後悔だったかもしれない。

デムパバリバリ~
165世界@名無史さん:02/02/26 23:41
>惚れた女性の恋人・夫に親身に尽くす人を、「かついえどん」
と称されるのは、この故事からである

こういう小技のきかせかたがたまらないです。ガンガレ。
166山野野衾:02/02/26 23:50
>165
激しく同意です。
167幻想の語り部:02/02/27 00:56
>>166

 同感ですね。
 史実の勝家も同じ状況のもとでは同様に行動したと思います。
168世界@名無史さん:02/02/27 01:40
実に面白い!みんなよく考え付くねえ。
146さんのシナリオが楽しみだね。個人的には伊もいれてやってほしいが。
169妄想電波之介:02/02/27 20:26
>165様、山野野衾様、正直嬉しいッス。また電波充電してきマス。
>幻想の語り部様、貴方にそう言って頂けるとは、感激ッス。

皆さんの寛容さに甘えまくってますが、ツッコミどころ満点というのは、
電波を飛ばしてる本人が一番わかっております・・・・
なるたけ「もしかしたらアリかもよ?」となるように心がけてはいますが(笑)。
自分の趣味キャラが活躍する日頃の妄想を、カキコできるとは思ってもいませんでした。
スレ立てた1さん、ありがとうございます〜
ま、あくまでカルーイゆるーい感じで、サクッと読んで頂ければ有り難いです。
一応、信長の死まではカキコさせて頂きたいと思っています。m(__)m

170妄想電波之介:02/02/27 22:06

皆さんが欧州に行かれたとき、幾つかの地域では、次のような言い回しを
耳にされることが、度々あると思う。(特に北へ行くほどにあると思う)

『 いつまでも泣いているとノブナガが来るぞ 』
『 戸口に日本人が立ってますよ 』

21世紀初頭の現在、相変わらず世界中で我々日本人は嫌悪されている。
否、憎悪されていると言ってもいいかもしれない。よく指摘されるように
過去の二つの世界大戦を独り勝ちしたことが、現在の繁栄に繋がっていて
ソレに対する嫉視である、という見解があるが、読みが浅いと考える。
むしろ400年以上前の覇王信長の時代から、日本人は憎まれていたのだ。

しかし真の平和とは、嘗てのパクス・ロマーナ時代のように、一つの超大国
の存在が不可欠なのだから、その現実を直視するべきだ。甘い甘い甘すぎる
理想主義を唱える人が後を絶たないが、世界の平和を担っている我が国が
いてこそ、そう言った主張を「安心して」述べることができる事を喜ぶべき
ではないだろうか。因みに、筆者は先頃の先制核攻撃を断固支持している。

歴史の話に戻らせて頂く。

後の帝国樹立の為の戦いと比較しても、桶狭間会戦と三方が原会戦は、充分
に激烈なものだった。前者は信長が飛躍する一歩であり、後者は戦国を終わ
らせるキッカケにもなった。(特に後者は、第二次ラヴェンナ会戦に匹敵す
る程の量の研究本が、多くの戦史家によって出版されている。)

武田信玄は上杉謙信とともに、唯一信長に対抗できる人物と言われていた。
しかし1572年のこの会戦で、彼は信長によって敗死してしまう。
信玄は、前哨戦における徳川家康の巧みな誘導作戦に引っかかる形で、三方
が原まで誘い出され、信長直属の精鋭部隊と激突し戦死した。(ミケロット
仕込みの歩兵密集戦術が、発揮されたといえる。)しかし、何故あれほど
慎重だった人物が、一発で勝負が決まる可能性がある野戦を選択したのだろう?
いかに家康の作戦行動が巧妙だったとはいえ、信玄がソレを見破れなかったの
であろうか?
171妄想電波之介:02/02/27 22:08
諸説あるが、筆者は信玄は見破っていた、との説を採る。信玄は敢えて野戦を
選んだと思う。第一の理由は、己の年齢に対する信玄の不安である。30代の
信長に対して信玄は50過ぎ。旭日の勢いの信長に対して、経済力、軍事力の
差は拡がるばかりであった。この辺で雌雄を決しないとマズイ、と思ったとし
も不思議ではない。第二は関東北条氏への期待である。前年死去した北条氏康
を継いだ氏政は、同盟関係にある信玄に対して煮え切らない態度を取っていた。
信玄は、野戦で信長に打撃を与えることで、北条氏を動かそうとしたのだろう。
だが、現実には北条氏政は動かなかった。北条陣営の中でも信玄を助けて織田
・徳川連合軍の側面を衝く事を主張する者もいた。しかし、侃々諤々と論議を
続けていくうちに時機を逸したのであった。(「小田原評定」)

更には、同時期に対信長という点で協調できた筈の上杉謙信は、浅井長政麾下の北陸
軍団に完全に封じ込められていたし、信玄が期待した畿内における一向一揆は簡単に
鎮圧された。そして、信玄が己の大義名分としていた将軍足利義昭は、この時点で
既にこの世の人ではなかったのである。(比叡山焼き討ちで寺とともに炎上)

こうして信長は最大の敵を葬った。この後甲斐方面に明智光秀を派遣して一気に
占領鎮撫するとともに、自らは家康を伴って小田原城を囲む。(1573年)
関東諸侯を集め、恭順を受ける。そして北条氏の講話要請を入れたのである。
(但し領土は幾分か割譲された)しかしながら、これより17年後、
北条氏は徳川家康によって滅ぼされてしまった。伊達政宗に荷担した為である。

デムパバリバリバリ~〜
172妄想電波之介:02/02/27 22:10
ありゃ、講和要請の間違いでした。訂正します。
173:02/02/28 01:35
でんでんでんろくまめうまいまめ♪
とってもおもしろいっす。かかさずに見てます。もっと書いてー。
174妄想電波之介:02/02/28 20:06
1様、ありがとございます〜〜嬉しいっす。
でもちょっと電波が切れてきたかも(泣)
昼間、電波をキャッチしたとき(笑)、急いでメモってたら、職場の上司に
笑われてしまった・・・・・
175妄想電波之介:02/02/28 22:04
           比叡山を焼き討ち

信長の宗教に対する態度・政策を鑑みたとき、彼が15歳のときに死んだ
母ルクレチア・ボルジアの影響を指摘する声は多い。筆者も同意する。
但し、母の復讐の為だけではないとは思っている。何故ならば、復讐に
とらわれない冷静な判断力があればこそ、あそこまで宗教を巧妙に利用で
きたのだと思うからである。

宗教と同様、信長に巧妙に利用され捨てられてしまったが、足利義昭とい
う人物もなかなか面白い存在ではある。信長上洛の大義名分として、御輿と
なりながら、ソレに飽きたらず、足利幕府の復権を目指した。短期間にせよ、
信長及び秀吉、盟友家康と長政らを奔走させた原因は、義昭の謀略の才によ
るところが大きいと思う。しかし畿内を制し、権力を飛躍的に増大させた
信長にとって、義昭は敵ではなかった。加えて、勤王で知られる父信秀以来の、
皇室からの織田家への信頼感は、権威の面でも最早、足利将軍を必要としなかった。
結局、足利義昭は上洛の為だけの存在だったといえる。

事が露見した後、義昭が比叡山に逃げ込んだのは、彼の最大の失敗であった。
織田信長という男は、既存の権威など全く眼中になかったからである。
(足利贔屓の史家からは、毛利領に逃げるべきだった、と嘆かれている。)
直ちに数万の追討軍が派遣された。(1571年)
王城鎮護の山として平安の御代からの伝統を持つ比叡山は一夜にして灰となった。
この一件で、常々日本の政治に影響を与えてきた仏教勢力は、冷水を浴びることになる。
足利幕府最後の将軍足利義昭も延暦寺と運命を共にしたのである。

この信長の行為について、批判は当時から現代まで少なからずある。
確かに数千とも数万とも言われる非戦闘員犠牲者の事を考えると心が痛む。
しかしながら、この比叡山焼き討ち、更には一向衆徒への徹底的な弾圧、そして
キリスト教への巧妙な攻撃(ジャポネ・ディオクレティアヌス)によって、
我が国日本は宗教の束縛から自由な国になったのではなかろうか。

今日、世界中に展開する我が国の平和維持部隊が最も多く投入されている紛争地域が、
宗教対立の場所なのだ。翻って、我が国と一部を除いた日系諸国は殆どといって
良い程、宗教の呪縛から自由であることは明らかである。

全くの偶然ではあるが、ほぼ同時期に欧州で同じような宗教弾圧が起こっている。
所謂「聖バーソロミューの虐殺」であるが、この虐殺をやってのけたカトリーヌ・ド・メディシスは、
後年、織田信長によって大いに運命を狂わされる。また、虐殺を免れたナヴァル王アンリ
(アンリ・ド・ナヴァール)も、信長に大いに関わってくるのは、御存知の通りである。


デムパバリバリバリバリ~~~


176 妄想電波之介:02/02/28 23:10
正直に言うと、このネタは将来自分のホームページ上でアップしようかな、
思っていたモノであります。私がヲタになっている本だけでなく、もう少し
勉強?して、小説の形にでもできればなあ、と考えておりました。

おそらく諸兄には、結末は予想されておられると確信しますが、そこへ到達
するための電波が、ちょっと充電できておりませんので、これからは毎日は
アップできませんことを白状させて下さいまし。m(__)m
ま、こんな風にお断りを申し上げる程のモンじゃないですけど(笑)。
(あまり職場で電波を充電するわけにもいきません。リストラされちゃう(笑))

それから、他の皆さんの作品も是非読みたいッス!!
幻想の語り部様のシナリオや山野野衾様の続き、それからブルゴーニュ公国の話も
あったような、、、、。あのジャーン、ジャーン伏兵だ!の続きも気になる!

というわけで、また宜しく〜〜、です。


177世界@名無史さん:02/03/01 02:43
もしかして御大の小説も好きですか?
178妄想電波之介:02/03/01 06:51
オハヨウゴザイマス
>177
>>もしかして御大の小説も好きですか?
(私への御質問ですよね?>177様)
はて、御大とは何方のことでしょうか?
一応私が読んだのは、厨房時の三国志から始まって、山岡荘八「織田信長」、塩野七生、銀英伝、、、
後は適度に摘み食いですねえ(笑)
それなりに「通」を自認していた頃もありましたが、数年前ニフ○ィの歴○フォーラムの
チャット(リアルタイム会議でしったけ)に参加したとき、自分がいかに井の中の蛙か、
思い知らされましたねえ(泣)。以来、あんまりこういうカキコはしないようになりましたよ。
今回何をトチ狂ったのやら、、、、恥ずかしいッス。

※何方か、次のような架空の歴史、作って貰えませんか?※

・ハプスブルク家大活躍(特にカール5世)
・曹操、大陸統一
・龍馬が生き延びた明治日本

そいでは、また!
179SSBN:02/03/01 07:06
>>178
>御大とは誰か
佐藤大輔ではないかと思われ。
ホムペできたら張ってほしいですね。
180軍事板住人:02/03/01 12:13
>妄想電波の助氏

うーむ織田信長好きで、長文OKで、これで自衛隊の軍事運営に詳しければ、あー、あの人だなと・・・。
某20氏?

181山野野衾:02/03/01 12:56
>175
差し出がましい事で恐縮ですが、信長の場合長篠の合戦前などにいちいち神
社を修復しておりますし、津島社の祭礼に参加したり竹生島に参詣したりし
ておりましたから、無神論者では無かったのでは。
当時の我が国に言葉が無かった為でもあるでしょうが、「無神論者」として
記録していたのはフロイスぐらいであった筈。
信憑性の薄さが当時から言われていたとはいえ、「信長記」にも「鬼神を信
仰したあげく守護を得られずに死んだ」と書いてあった事から見て信仰心が
無かったというよりは特定の信仰に凝っていたのでは無いかと。
信長が津島社の祭礼や宗教的建築物安土城の宴で女装して見せたのも、神子
(巫女)のつもりだったのでは。実際女装した男性が参加する神事もありま
すから。スレ違いですので下げさせて戴きますね。
182山野野衾:02/03/01 12:57
>181
sage入力を忘れておりました。鬱です。
183177:02/03/01 20:31
言葉足らずで申し訳ない。
御大とはSSBN氏の言うとうり佐藤大輔の事です。
184 :02/03/01 23:18
昭和十年、工場内の事故により堀越二郎爆死。

重戦闘機・96戦の活躍が評価された三菱は
次期主力戦闘機の開発にとりかかる。
エンジンは大口径・高出力の「土星」が用いられた。
多少の被弾は物ともしない、急降下にも堪え得る頑丈さ。
要らぬ工作を凝らす事もなく、簡単な構造のため生産の容易な機体。
雨あられと敵に降り注ぐ、13mm×6機銃。
パイロットを確実に守る、防弾鋼板・防弾ガラス風防・翼内自動消火装置。
こうして、主力艦戦・一式戦闘機は誕生した。

太平洋戦争開始後の昭和17年初頭、ニューギニア・日本軍ラエ基地と
連合軍ポートモレスビー基地間で壮絶な基地航空戦が繰り広げられたのだが、
一式戦は目を見張る活躍を見せた。
敵基地上空で、味方爆撃機を守る護衛任務において、
一撃離脱戦法を取る敵迎撃機を見事に捕らえ、爆撃機への攻撃を
許さない。
また敵爆撃機を迎え撃つ迎撃戦では、その圧倒的な火力と速度で、
次々に敵爆撃機を屠っていった。
整備・操縦が簡単で、補充が利きやすいのも強みであった。
かくして、敵ポートモレスビー基地は火の海と化し
珊瑚海海戦で大勝利を収めた日本軍の占領する所となる。
185 :02/03/01 23:20
ポートモレスビーが陥落した事によって、ソロモン群島も
間もなく日本の支配下に入った。

米軍との補給路を遮断され、連日ポートモレスビーからの空爆を
受けたオーストラリアは日本と単独講和を結ぶ。
186世界@名無史さん:02/03/02 04:54
主力艦戦・一式戦闘機が開発される背景として
戦術思想の転換の理由なんかも入れといてくれるとなお良い感じよ。
堀越二郎爆死ってだけではちと弱いかも。
187妄想電波之介:02/03/02 11:25
177様、SSBN様
どもども〜。佐藤大輔氏の名前は知らなかったので、検索してみました。
「覇王信長伝」は家康と対決する巻を、立ち読みした記憶がありました。
是非続編読んでみたいですな〜。ヨーロッパまで遠征するのだろうか、、、。
そういや現代世界の記述も描かれていましたよね〜。これじゃ真似って言われてもしかたないなあ(笑)
戦国イフ分野には興味ありますけど、信長がミーハー的に好きなので、信長が勝利者になるものを読みたいんです!(爆)
「異戦国志」も立ち読みでチェックしてましたけど、信長が死んでしまってからはチョット・・・
織田信忠が活躍する本があったでしょ。「織田武神伝」ってタイトルでしたっけ?アレはどうなったんだろう・・・
一番影響?を受けたのは本宮「夢幻の如く」かもしれません。丁度10年位前に連載が始まった記憶が。
御存知の方も多いと思いますが、本能寺で死ななかった信長が、世界を征服するという内容です。ただ作者は「また失敗作だ」と(泣)。
もう少し長く詳細に描いてくれたらなあ、と個人的に思います。

SSBN様、すいません。HPまだ持ってないんですわ。いずれ作りたいとは思ってますが、、、。
このネタ書き上がったら、HPに載せる、という意味ですよね?すみませんです。m(__)m



188妄想電波之介:02/03/02 11:39
軍事板住人様。
どもども〜。残念ながら人違いです。ごめんなさい。
軍事版は、少し覗いたことはあるけどカキコしたことはないです。
パソ通はニ○ティで3年位やってたけど、インターネットはやったりやらなかったり。
ようやくキチンと設備を整えたのが、去年の12月。2ちゃんねる歴は1ヶ月半位です。
信長ヲタですけど、まあ、「桶狭間スゲー!」「鉄砲三段打ちダー!」「MAC版早くでないかな〜」位のレベルです(W)
これからもどんどんスカスカになって行くので、甘い採点で頼みます!
189妄想電波之介:02/03/02 11:48
山野野衾様。
レスどもども〜です。長篠前の話は初耳でした。
ま、自分も信長が無神論者だったかは?ですけどね。
ただ既存の権威や旧体制に遠慮はしない男だったとは思っています。
それでいて利用できるものは、利用する。神社女装の一件とかは、
もしかしたら民心を得る為のパフォーマンスかな?とも邪推してます。(+_+)\バキッ!
190SSBN:02/03/02 11:49
>>187
>是非続編読んでみたいですな〜
・・・でたらいいですなぁ・・・
>信長がミーハー的に好きなので、信長が勝利者になるものを読みたいんです
激しく同意。
HPのことは完成したらURL教えてほしいなァと言うことです。
191妄想電波之介:02/03/02 11:58
SSBN様、ありがとうございます。
了解しました。HP作り真剣に考えてみますね。
192山野野衾:02/03/02 21:43
>189
ご返答有難う御座いました。ご参考になればと思いまして。そろそろまた書かせて
戴きますね。
193184:02/03/03 13:36
>>186
もう少し練り直してみるですハイ。
194184:02/03/03 13:38
とりあえずは
「俺は天才で三菱の機体部門は優秀だったけど
軍の横槍とエンジンがねぇ・・・」
とほざく堀越を爆死させたかったのです(笑)。
195世界@名無史さん:02/03/03 17:43
こんなの↓あったよ

日本は九つに分かれた。そんな話。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1012659936/l50
196:02/03/04 02:17
「ラッパ者」
かつて、群雄達が覇を競った謀略の戦国時代。この時代に忍者はその頂点を迎えた。
当時、『草の者』・『乱破』などと呼ばれていた彼らが暗殺、調略、防諜、伝令、
そして流言などの工作のために日本中で暗躍していた事は、ご承知の通りだろう。

そして、最近はこれももう有名な話かもしれないが、彼らは「無縁の者」「道道の者」と言われる
者たちとと非常に近く、彼ら自身も忍術=見せ物師である芸能民であったのだ。

例えば「世阿弥」、そして「松尾芭蕉」。
彼らは芸術によって現代まで不朽の名を残す「忍者」達である。

彼らほどでなくとも、「琵琶法師」などとして諸国をさすらいつつ情報を集め、
また、情報を流す者たちは多くの数に上った。情報は人の集まる場所に集まる。
人々は彼らの歌曲・話芸を聞くために集い、そして世論を形成していった。

ために『乱破』達は、時に市などで歌舞音曲に載せ、人を集めて「ニュース」を歌にし、売った。
この国で、時には外国で起きている事件に人々は胸を熱くし、また恐れたのである。

それは「講談」の前身であり、「瓦版」の先祖であり、「都々逸」、のルーツであり、
そして明治と共に伝説の『乱破』、川上音次郎の「オッペケ節」につながるのである。

音次郎は政治を、経済を、世相を、風俗を、痛快にやり込めていった。
まさに彼によって、『乱破』の世相歌術は頂点に達したのである。

そして、彼ら音次郎一座は米国へと渡る。『乱破』の仕事を西洋で繰り広げるために。
「芸術家こそ最高のスパイ」この陽忍の極意は、この時代に至っても真実だった。
このとき、彼らは何人かの黒人少年達を雇い入れ、そのまま一座の仲間に引き入れた。
かれらこそ…

そう!今こそ失われた真の歴史の扉を開かねばならない。
これこそが『ラップミュージック』の祖先であることを!
「ラッパー」は「乱破」から来ていると言うことを!!
ここで流された、心理効果をも考え「リズムに乗せたニュース」・・・
やがてそれを聞いた黒人兵の子孫達が、叫び出すだろう。
自分自身の「ニュース」を世界中の街角に向かって。

そして再び忍者の末裔達に、忘れてしまった歌を届けてくれるだろう。
197世界@名無史さん:02/03/04 02:22
音二郎が「ヘイル コロンビア」などの替え歌を歌った物がやがて広がっていって・・・
198妄想電波之介:02/03/04 23:04
オッペケペッペーオッペケペ〜、、、懐かしいです>196様
199妄想電波之介:02/03/04 23:16
覇者と好運

毛利氏大ブレイクの源といえば、元就に尽きる。
大内、尼子の二大勢力に挟まれながら、見事な知略で戦い抜き、
遂には、西日本の一大勢力となり中国地方の覇者となった。
「西国の桶狭間」有田合戦、厳島奇襲の決着までの一連の鬼謀の数々、、
もしも元就が20年早く、又は20年遅く生まれていたならば、
信長の覇業はどうなっていただろうか。この「もしも」は信玄、謙信についても同じことが言える。
信長の祖父チェーザレに心酔していたマキャヴェッリは、覇者にとって「好運」の必要性をも説いていたが、
全くその通りだったと思う。信長の一生は、好運に彩られている。
(因みにチェーザレ没落の原因は、全くの不運の為とも指摘している。)

さて、傑物元就が死去したとき(1571年)、織田信長は翌年の武田信玄との対決に全力を注ぐため、獲得した領土の鎮撫・内政に努めていた。
この時点で、信玄との全面対決は不可避だったが、足利義昭の陰謀が明らかになったこともあり、信長自身は動けなかったのだ。
しかし、信玄の煽動によって燃え上がった畿内一向一揆も、信長配下の武将達によって簡単に鎮圧されたし、
足利義昭自身も比叡山で最期を迎えた。

このとき、もしも毛利勢が大挙上洛していたら・・・・・という仮想イフは、昨今多いが、
やはり元就という巨星が堕ちた直後の毛利には、荷が重かったか。
義昭も信玄も、書状を送り、信長を挟撃することを提案しているが、実現したら歴史はどうなっていただろう。

信長が約7万の軍勢を率いて三河遠征にたったとき、畿内の留守を任されたのは、一の腹心羽柴秀吉である。秀吉は信長の期待に応え、
主君の背後を守護し、主に外交戦術によって成果を上げる。信長が信玄を破った時点で、全国諸侯の反応は確実に信長への恭順に傾いたが、
秀吉は積極的に主君の戦果を利用した。
大阪本願寺への調略は功を奏し、さしもの一向一揆の本山も弱体化する。四国諸侯へは、松永久秀を派遣し恭順を呼びかけた。(毒を盛って毒を征す)

前述したように、信長と遠征軍は信玄を破った後、関東にまで進んだ。
そして東北諸侯への恭順を入れつつ南下する浅井長政の北陸軍団との合流を待ちながら、北条氏の本拠地小田原城を囲んだのである。
そして北条氏を含めた関東諸侯の恭順を入れた後、1574年秋、京に凱旋した。

こうして信長は、翌1575年から西国平定に乗り出すわけであるが、この時点で既に大勢は決まっていたと言える。
それほど織田信長の勢力は他を圧倒していたからである。もしも、反信長勢にとってチャンスがあるとしたら、
武田&上杉&毛利の三派連合軍の同時上洛作戦だったかもしれない。(尤も謙信は長政相手に敗色濃厚となっていたが。)
元就が健在ならば、ソレはあり得た。しかし、信長が上洛し天下の覇権に挑戦したとき、元就は既にこの世の人ではなくなりつつあった。
マキャヴェッリの指摘通り、好運も覇者の条件の一つだった。

デムパバリバリバリバリ〜〜

200妄想電波之介:02/03/04 23:18
あちゃ、改行が滅茶苦茶ですね。何でだろう。鬱だ。
ごめんなさい!m(__)m
201SSBN:02/03/04 23:31
>電波の介さん
ガンバレー。もうすこしで「さらば故国の土よ」って感じになるのかな
202妄想電波之介:02/03/04 23:31

1575年初春、織田信長は大軍を率いて西国平定に親征する。
(天皇より西国平定の勅命を戴き、自身は既に右大臣の位にあっ
た。)先鋒に徳川家康、後衛に浅井長政、信長自身は約10万の
軍勢を率いた。途中、山陰、山陽、四国などの各地の諸侯が恭順
の意を表す為に、参上する。こうして、毛利領内に進入したとき
は、軍勢は20万を超えていたと言われる。

迎え撃つ毛利家はどのような対抗策を持っていたのか。
前年に援助していた本願寺が教主顕如共々、壊滅してしまったので、
慌てて宇喜多直家などの有力な中間勢力を取り込もうとしたが、時
既に遅しで、羽柴秀吉の手が伸びていた。毛利の両輪、吉川元春と
小早川隆景は、絶望的な防戦に立ち向かう。

しかし毛利軍は各地で敗れ、遂に本拠地安芸国まで織田軍の侵入を
許してしまう。ここに至って小早川隆景は抗戦を諦め、主君毛利輝
元を連れて信長の陣に訪れ、降服した。隆景は自分の命と引き替え
に、主君の助命を信長に乞うた。

信長の側近となっていたポルトガル人ルイス・フロイスは、このと
きの隆景を、『カエサルに降服したウェルティンジェトリクスのよ
うに堂々としていた。』と後に記している。(因みに、フロイスは
信長に出会ってからというもの厳格なイエズス会宣教師としての責
務を忘れ、信長にベッタリであった。)

信長は隆景と輝元を助命し、謹慎させた上で、毛利家の領土を割譲
して織田家に恭順させた。尤も戦後直ぐに、隆景の謹慎を解き、自
分の側近に加えているから、元々その人物を高く評価していたのだ。

一方、吉川元春は徹底抗戦を叫び、配下数千と共に関門海峡を渡り
九州に逃れた。そしてかねてより盟約を結んでいた島津軍と合流し
たのである。だが、大友、龍造寺を凌駕し九州を席巻する勢いであ
った島津軍団も信長の敵ではなかった。信長軍は即座に九州に侵攻
した。圧倒的な兵力差もあって、信長は戦いを有利に進める。
半ば自棄になった吉川元春が戦死すると連合軍の総大将島津義弘は
降服を申し出た。おそらく兄義久の判断もあったと思われる。圧倒
的な権力と権威を持つ信長に抗戦することは不可能だったからだ。
この義弘も、信長に助命されて側近の列に加えられるが、このとき
の光景を、フロイスはまたも同じ表現で書き遺すこととなる。彼は
よほどガリア戦記が好きだったらしい。

この年1575年をもって、100年続いた戦国時代は終わったと
される。勿論、江戸幕府による幕藩体制が確立するまでの間には幾
つかの大きな戦いがあったわけであるが、信長によって打ち立てら
れた統一権力は揺るぐことはなかった。

日本人は内にあってお互い戦うのをやめた。その眼を世界に向けた。
後世、「大日本時代」と称される時代が始まったのである。

デムパバリバリバリバリバリ〜〜〜
203妄想電波之介:02/03/04 23:49
SSBN様
ありがとうございます!激励嬉しいッス。
どうも文章が硬くなってしまい、鬱でありますっ。
長年暖めていたわりには、まだまだ知識不足なんですねー。
マイッタっす。でもスレ完走に協力したいしなー。
204妄想電波之介:02/03/05 00:40
地獄だった。私には名前があった筈だが、とっくに忘れていた。
ここに連れて来られてから何年が経っただろう?まったくわからない。
確か私には両親がいた。美しい姉もいた。今はどうなったかは知らない。
確実な事は、明日も朝から一日中銀を掘り続けることだ。
監視の白人の眼を恐れながら。

隣の老人は、しきりに死神ミキストリに祈りを捧げている。
どうやら白人達に罰を下して欲しい、と祈っているようだ。
私は無駄だと思った。もしもミキストリや創造の女神オメシワトルが
願いを聞きとどけてくれるならば、我々アステカの民はこんな地獄を
そもそも味わうはずがなかった。

私は眠ることにした。明日も仲間の何人かが、白人の鞭によって死ぬだろう。
もしかしたら、それは自分かもしれない。この地獄では眠ることが一番の
楽しみだった。私はもう未来に何の希望も持っていなかった。
ただその日、死なずに、殺されずに過ごせればよかった。
この小屋に帰ってこれれば良かった。



信じられない光景だった。
いつもならけたたましい、我々を人間扱いしない白人の怒声とともに開けられる
奴隷小屋は、全く別種の声によって開けられた。たどたどしいが、我々の民の
言葉のようだ。私たちは半信半疑のまま外へ出た。

広場ではもっと信じられない光景を見た。
あの怖ろしい白人達が、縛られて一カ所に集められていたのだ。
周りには、見たこともない不思議な形をした甲冑で身を固めた男達が
大勢立っていた。

おそらく白人達は日頃我々を威嚇する火の飛び出る筒を使う間もなく、
あの謎の男達に捕らわれたのかもしれない。信じられないが、私の目の前の
現実なのだ。やがて処刑が始まった。

我々の仲間を殺すときの、彼ら白人の表情は明らかに笑っていた。
明らかに殺戮を楽しんでいた。哀願する老人、血を吐く病人、何の区別無く
白人は楽しみながら仲間を殺した。虫けらのように。

その白人達が今や恐怖に満ちた表情で、謎の男達を見上げている。
後になってわかったことだが、他の近隣の作業場でも同じことが起こっていたという。
謎の男達は、無表情で処刑を開始した。それは白人達が用いる首を吊す方法では
なく、刀で首を切り落とすものだった。瞬く間に広場は血で染まった。

私たちは皆興奮していた。誰かが叫んでいた。何人もが口々に叫んでいた。
『 ミキストリが降臨されたのだ!天から!天から! 』


デムパバリバリバリバリバリバリ〜〜〜

205SSBN:02/03/05 01:01
>>204
太平洋(大東洋)わたったのか・・・
小説にするならそこの部分の終わりに
――より抜粋って感じになるのかな?
たとえばと後でえらくなった人の日記とかw

↑軍板の某スレでワショーイしすぎてややおかしくなってるんで無視して結構です(藁
206幻想の語り部:02/03/05 13:43
>>204

 いいねえ!

 絶好のタイミングで助けるわけですね。

 ただ中南米ばかりでなく、山岳の多い南米の西部(旧インカ帝国領)は、地形の
複雑な戦いに慣れた日本の武士や忍者には戦い易い所だろう。

 又、北米(特に南西部の乾燥地域)には迫害を逃れたアステカの残党や東部森林地帯
(特にミシシッピ川やオハイオ川の近く)にはアステカの影響を受けたと思われる
文化圏がありましたから、彼らと日本の絡みも出したいですね。

 アメリカの成立と拡大の過程で日本からインディアンに伝えられる鉄砲の技術や忍者に
よるゲリラ戦思想が米国の拡大に与える影響は(最終的に米国が勝利したとしても)
大きいというべきでしょう。

 特に戦国の気風の強い忍者の場合は、敵を巻き込む自爆も辞さないほど苛烈ですから、
西洋人にとって数百年早い”神風の洗礼”となるはずです。(私のシナリオでは
対西洋勢力への先鋒を受け持つのは忍者です。)

 その上で忍者(上忍や中忍)を顧問としたインディアンには自爆特攻から鉄砲や煙幕、
アヘンガス戦法や催眠術まで使った戦いで白人勢力を消耗させて日本人植民地を援護
させるつもりです。

 なお、私は日本人を無敵にするつもりはありません。

 まず、19世紀初頭までは日本人植民地は沿岸部を中心に強化され、ボルネオとセレベスに至っては
完全に”日本化”され、古南(オーストラリア)と新対馬(ニュージーランド)、沿海州は幕末頃には
内陸部への開拓がはじまり、インド洋ではセイロンを巡って英国と睨みあっています。

 しかし、幕府崩壊によるがもたらした混乱(特にマレー/ジャワ方面では情勢不利と見た
華僑やオランダの離反による騒乱)で、南方ではセイロンのみならずシンガポールをも
英国に奪われ、ボルネオを中心に艦隊の再編を行いつつ東南アジア各地に潜入した草
を中心としたゲリラ戦による港湾施設への攻撃で停泊中の英国海軍艦艇を破壊させて
進撃を鈍らせます。(結局、英国は19世紀末までインド攻略に没頭します。)

 一方、日本では幕府崩壊後、島津と毛利軍を主軸とする天皇政府が成立したものの東北
諸藩との折り合いをつけられず、日本を東西に分ける戦いが発生。
 一度は東北諸藩の敗色は濃かったものの、日高(北海道)に駐留していた幕府軍
(近未来の対ロシア戦に備えた最強の砲兵部隊と江戸湾守備艦隊の残存部隊)が参戦し
激戦の末、江戸を奪還されて江戸城諸共天皇の身柄を奪われた天皇政府軍の譲歩により
史実よりは藩閥色の薄い明治政府が成立。
 「日本皇国」を名乗ります。

 一方、幕府崩壊の混乱の中、日本から分離独立した南洋領(同じ頃、沿海州や北米
西海岸の日本人植民地は崩壊と降伏を余儀なくされます。)は南洋共和国として
再出発します。(1885年までは陥落・喪失した植民地からの亡命者や難民受け入れで、
日本と南洋は苦労しますが・・・)
207山野野衾:02/03/05 15:47
>205
どうしても欧州勢と東南アジア以外で戦いたい場合にはユーラシア大陸経由という
訳には行きませんからね。(あちらは同時に占領ですか。)
この手の仮想戦記小説は三作しか読んだ事がありませんが。
208山野野衾:02/03/05 22:45
前のやつとは別に、妄想を飛ばしてみました。
1775年、徳川幕府は開国を決定。老中田沼意次がロシアのエカチェリーナ二世
ら欧州各国の君主の下へ派遣された。
彼は出立の同行者に天下の才有る者達、言い換えれば奇人・変人の類を捜し求め、
平賀源内は勿論上田秋成、本居宣長、稲生武太夫らを選出した。
その上欧州に着いてからはサン・ジェルマン伯爵やフランケンシュタイン博士、カ
サノヴァやモーツァルトらとも付き合いだして、フランスに着いた頃にはどんな犯
罪者も裸足で逃げ出す紙一重集団と化していた。
そしてちょうどその頃10年早く革命が起ころうとしていたフランスの情勢とその
背後の勢力に気がついた田沼一行。彼らはそれを防ごうとする。
さて変人達は王政を護る事が出来るのか。
・・・いや、妄想という自覚はありますよ。ありますから追求はご勘弁を。
209幻想の語り部:02/03/06 00:50
>>208

 フランケンシュタインに相当する人物なら実在していたという話がありますよ。

 先祖は15世紀までバヴァリア北部の地方貴族だったが反宗教改革の余波でジュネーブに
亡命後、法曹界の名士となり、ヴィルヘルム・フランケンシュタインの代に、その長男
として生まれたヴィクトールが”あの”フランケンシュタイン博士のモデルとなった
人物です。

 ヴィクトール・フランケンシュタインは幼児から聡明で、当時医学の最高学府だった
インゴルシュタット大学でヴァルドマン教授の下で学んだそうです。

 ただし彼は19世紀初頭の人間で田沼時代にはうまれてもいません。

 しかし!、田沼時代には他に驚異的な超天才がいました。
 それはエマニニョエル・スウェーデンボルグという人物で、科学の全分野(”大脳生理学”
から”原子物理学”まで)で200年から300年も先を行っていたという”巨人”です。

 その驚異的過ぎる頭脳の為、彼の業績を”価値あり”と西洋科学者達が認めたのが
200年後の20世紀初頭という有様でした。

 政治や軍事、建築の分野にも貢献しながら、革新的な宗教観の為にカソリックから
睨まれ、異端者として亡命し、1772年に英国で客死したそうです、

 時期的に田沼政権後半に開国すれば、晩年のスウェーデンボルグを受け入れる事は
可能です。

 今、私は日本の洋学の始まりをターヘルアナトミアやシーボルトではなくスウェーデンボルグ
でやってみようと思っています。

 彼の影響で18世紀後半からの日本は”本物の科学精神”を育む事になり、日本固有の発想
(人間を含む一切の事物はより巨大な存在の一部であるという発想)から体系学(システム
工学に近似したもの)や神霊学(超心理学のようなもの)が誕生。

 以後の日本人社会はそれらの高等学問を実地レベルで究めた頭脳集団を中核とする
組織・「孔雀明王会」によって密かに(表社会も裏社会も)指導運営されていく事になり、
基礎科学面で日本は英国やドイツと肩を並べ続ける予定。
210:02/03/06 03:33
>>204
妄想電波之介殿。
こんなのも有ります。自分が立てました(^^;実は>>195で紹介されたスレも
自分が立てたんだったりして(^^;

「南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=991138826
211妄想電波之介:02/03/06 06:44
皆さん、おはようございますです。

>SSBN様 
いつもイツモ激励多謝ッス。何故か時間がシンクロすることが多いですよね。
生活スタイルが似てるのかな(笑)?

>幻想の語り部様
正直嬉しいッス。レス、すげー勉強になりました。特に自爆特攻、アヘンガス
作戦に激しく魅力を感じてますっ。それから>>209の”本物の科学精神”〜〜とい
う箇所、眼の付け所がマジに凄い。(毎度読むのが楽しみッス。)

>山野野衾様
どもども〜。やはりユーラシア経由は陸路も海路もキツイですよね。
本宮先生の「夢幻の如く」レベルの方法でないと(笑)。この手の話は、いつも
幾通りか妄想していて(笑)、あるときは、姉や妹が襲われる瞬間に信長の矢が
飛んできて・・・
・・とかだったりします。(w
それから外海横断の記述は、自分の知識が浅いので困ってますが、山野さんの
>>160「地球は丸い」という所にヒントを貰いました。(多謝)
可能性アリならば、自分の方でもやってみようかなとか思ったりして。
但し、これからは今まで以上にセコイ技を使いますっ。
それから、>>208、実に愉快な集団ですな〜〜。のぶ&エリ夫婦も気になるぞ、と。
212妄想電波之介:02/03/06 07:09
1様
ご紹介のスレ、ささっとですが拝読しました。興奮しましたっ。(息の長いスレだ!)
(このスレも完走して欲しいっすね)
この版全体に言えることですが、カキコする人は皆々博識だ。読んでいて
全く飽きがこないですよ。自分のシナリオ(電波ですな(^_^;))にも使わせて!
という知識が至る所にありますもん。ただ私には、幻想の語り部さんのような
綿密な構成力は全く無いんで(涙)、折角貰った知識も使えないのですけども。

ただこのネタ話は、スレ主1さんの御趣旨「妄想で〜〜」という所に120%
甘えさせて貰ってるからこそですからねえ。他スレのようなツッコミが来たら、
やってられませんし。ま、自分としてはミーハー的に信長大活躍!というところで
サクサクッとお手軽に書いて、お手軽に読んで頂きたいと切望してます。(願)
ちょっと仕事関係で時間がなりそうなので、なるたけ早く完成させたいと思っとります。
以上、言い訳&予防線でした(爆)。

213山野野衾:02/03/06 11:58
>209
うろ覚えですが、この頃の人物をモデルに後に廃墟となった古城を訪れたメアリー・
シェーンが「フランケンシュタイン」を書いた、という説がありましたので。医師
で錬金術師だったそうです。
あるいはこの時代の先祖かこの時代版という事になさって下さい。
それと、スウェーデンボルグを忘れていました。不覚。
で、とりあえず一コマ。
田沼「カサノヴァ、お女中に手を出すで無い。・・・平賀、お小姓にもじゃ。なに、
上田と本居はまた喧嘩か。ふう、やれやれ・・・。
うん、何じゃサン・ジェルマン、その男は。」
伯爵「は、マルキ・ド・サド侯爵に御座います。お近づきになりたいとの事。」
田沼「ほう、してその特技は。」
聞いてから後悔した田沼であったが、鞭が使えると聞いた平賀源内が「鶏の鳴真似で
函谷関を開いた者もおります。」と言ったので、側に置く事にした。
彼の鞭は戦闘や馬の調教よりも専ら捕虜に向けられたが、これはこれで役に立った。
後に平賀源内、カサノヴァと共にパリの夜を色々な意味で荒し周り「夜の三魔人」
と呼ばれる事になる。
214山野野衾:02/03/06 12:00
>212
妄想電波之介様、SF板の「ドラキュラ戦記」スレも面白いかと。
215世界@名無史さん:02/03/06 14:08
ホームズ兄とバフィーが活躍する話だっけ?
216山野野衾:02/03/06 14:58
>215
そうです。それと正確には「ドラキュラ紀元」スレでしたね。よく考えたら
少し主旨と外れておりますが、ある意味面白い話です。
217SSBN:02/03/06 16:47
質問です。上で話に出ているスウェーデンボルグと
霊界や天国地獄を見たと称したスウェーデンボルグって同一人物ですか?
218山野野衾:02/03/06 17:47
>217
同一人物の事です。ハレーのもとで天文学を学び、金管楽器やレンズの職人の工房
で学び、最終的には当時の学問分野のほとんどを制覇しました。
キリスト教では裁かれた罪人が行く所とされていた天国と地獄をそれぞれ住み易い
人間達が住む所とした点が大きな特徴です。
山村某先生の推理小説「霊界殺人事件」の世界観はこの人の著書に基づいたもの。
219SSBN:02/03/06 19:00
>>218
回答感謝。名前が同じだからもしかして、と思ってたけどそこまでの大人物だったとは。
山村某はよくわかりませんが簡潔な説明までしていただき感謝の極み。

始皇帝が統一前に暗殺され、中国が分裂したまま欧州もローマが崩壊し分裂していたらどうなったか?
って結構面白く思います。うまくいけば東洋と西洋でほぼ同程度な発展を見せることにより20C末ぐらいで今より少し進んだ文化になった鴨。
(もしくはモンゴル帝国みたいな遊牧騎馬民族によってすべて統一されてユーラシア帝国みたくなってしまうか?)
最終的に欧州諸国家連合と中華諸国連合。それにそれぞれのはみ出し者(藁)の島国二つ+米大陸国家の三極世界になったら面白いかな?
220山野野衾:02/03/06 20:13
>211
で妄想電波之介さんがああ仰られたので、とりあえず蒙古モノの続きを。
1560年、反対勢力を鎮圧した織田信長は妻の実家のイングランド王国と連携し、
「東西」感覚にとらわれて「地球」という概念を活用出来ずにいた蒙古帝国を挟撃
する計画を実行に移す事とした。
イングランドではこちら側では16歳で夭折していたエドワード六世が健在であり、
メアリ・スチュアートとの縁談(両国にとっては商談か)も成立していた。
エジプトではマムルーク朝崩壊後一時的な混乱が生じたが、今ではトルコ系のオス
マン朝が成立していた。こちらとも連携をとる。
その他にも明、北インドのヒンドゥー王朝等にも共同戦線を呼びかけた。尤もさす
がにどこの国も協力してくれるとは考えていなかった。せいぜい尻馬に乗ろうとす
る位であろう。だが、だからこそ緒戦で敗北する訳には行かなかった。
1562年正月五日、信長は大君の名において諸大名に出陣命令を出した。集まっ
た兵の数、およそ三十万。四月十二日には釜山を攻略し、その後三方に分かれて進
軍して二十日後には高麗の都開京を陥落させた。
蒙古側が援軍を出した頃にはすでに半島のほとんどが制圧されていた。
蒙古こと大元帝国並びに高麗はこれをあらかじめ察知出来なかったのだろうか。勿
論その機会は(名将と呼ばれる人種からすれば)いくらでもあった。
しかし超大国の地位に胡座をかいていた事と日本の将橋場久吉のスパイを利用した
工作により、真面目にとりあおうとするものは無く、とりあげようとすれば煙たが
られたのであった。
野兎はどんな野兎でも狐よりも速く走る。何故なら次など無いからである。
危機意識の差が、如実に現れたのであった。
221山野野衾:02/03/06 21:19
翌年正月、諸大名に出陣命令を出してから一年後遂に大元の軍勢がその姿を現した。
周辺諸国との戦闘や内乱の鎮圧に行動して来ただけあって、往年の狂暴さは無くと
もその質は侮れなかった。
それにこの世界の日本も(小規模な戦闘はあったが)「戦国時代」が存在しなかっ
た為に戦慣れの程度はさほど変りが無かった。
両軍が衝突したのは平壌の近くの山間部。雨で地面が泥田の様になった土地での事
であり、遠方から眺める者からすれば一部はがゆくも滑稽な情景が見られたという。
この戦闘、当初は日本側が押され気味であった。
しかし小早川隆景や立花道雪、今川家中の大久保兄弟らが奮戦。狭い地形で敵を圧
倒し更に両側の山から矢玉・鉄砲玉・砲弾を雨の様に降らせた為に元軍も瓦解した。
この合戦で軍が瓦解しかけた時、撤退を促した部下に対して信長が返した台詞は良
く知られている。
「わしはここまで遊びに参ったのでは無い。戦しに参ったのじゃ。ここで敗れ、一
体どこの国に逃げるのか、考えておるのか。日本の将が戻るべき国は日本しか無い
わ。退くは無間地獄よ。寧ろ、進め。」
周囲の者達はこれに感動せずにいられなかったという。が、実はこの時信長の脳裏
には一歳年上の正室お江里の方のキツーイ顔が浮かんでいたのであった。
「(負けて帰ってみよ。江里に殺されてしまうわ。)」
ある意味、良い妻であったといえるかもしれない。
222妄想電波之介:02/03/06 22:06
>御三方(幻想の語り部様、SSBN様、山野野衾様)&スレ主1様
いつもお世話になっとります。
ウキウキしてきたので(笑)、もう素のワタシでフランクに行かせて頂きます!
2ちゃんねるって怖い印象があったんで・・・・←バカ?(^_^;)

山野さーん!
すげー全開じゃないですか!無茶苦茶面白いッス!エリ→江里ね。
「夜の三魔人」も私のツボです。カサノヴバを活躍させて欲しいッス!
どんどんアップして下され。私、電波が来ないんで触発されたい!
こうしてみると信&エリは、殆ど同じ年なんですな〜〜
ちょっと私のシナリオは、ヤバイかも。かたや夫婦、かたや仇敵ですからねえ。

それから、スレ主1さんも、またシナリオを読ませて欲しいっす。
しつこいようだが、ジャーン、ジャーンの続きが気になるのだす〜〜〜
223山野野衾:02/03/06 22:32
>222
ああ良かった。実を言うと不安だったのですよ。さっきは急に用が出来たので途中
で止めて電波も止まってしまいましたが、裏シナリオも書かせて戴きます。
エドワード六世、実は「王子とこ○き」(今では放送禁止用語に指定されて「王子
と子供」。訳が分りません。)の王子です。(本当)
生後一週間で女王となったメアリ・スチュアートとの婚約はヘンリー八世が実際に
申し出たそうですが、拒否されました。この世界では英国国教会の成立がプロテス
タント以前の事であった為、さほど軋轢も無く御成婚となっております。
またお江里、あるいはお江との結婚話ですが、見合いに使用されたのは肖像画。
ブスで年の離れすぎていたメアリは拒否され、当時幼女であったエリザベスが選ば
れました。肖像画(実在)の彼女は辛気臭い表情でしたが、先に見せられたメアリ
の肖像画のせいで美人に見えたとか。(他にも候補はいたんですけどね。)
(すみません、元々一発ネタのつもりだったのでフランスの「背後の勢力」の正体
が思いつかず、なかなか進みません。与謝蕪村にも出てもらうつもりですが(藁。)
224妄想電波之介:02/03/07 01:11
>223
確かに信長とブラッディ・メアリーの夫婦は見たくないかも(笑)。
そうか、一発ネタでしたか。すんません。(ジャーン、の人もそうだったらすんません)
一つ質問なんですが、「橋場久吉」って名前は初耳なんですけども、どういった
人だったのでしょう?「今川家康」はピンと来たんですが。
1560年前半時点で海外遠征に出られるということは、20代後半。
まだまだ活躍の余地がありそうだ。自分のネタでは、既に40代に突入して
しまったので、焦ってます。今日は電波が来なかった。折角早く帰ってきたのに。
225山野野衾:02/03/07 12:05
>224
調子に乗って来たので一発ネタの連発の様な形でやるつもりです。
それと「橋場久吉」は「はしばひさよし」と読みます。江戸時代には「太閤記」に
秀吉と書けずに久吉と書いたそうです。いずれ改名してもらうつもりですが。
226日本V2:02/03/07 14:21
昭和20年初春、連合軍の妨害にもめげず
奇跡的に独逸からV2の設計図を入手した日本は早速
日本国内でV2の研究を開始
しかし欧米より1000年遅れた日本の冶金技術では
最初から不可能なことであった
そのうえ物資不足により冶金で出来ない部分を全部セラミック(陶器)で
代用することにした
それが大当たり!!
陶器は金属よりも熱に強く、かつ安く大量に作れたため
当時の日本の貧相な電装でも独逸並の運用が可能になった
この日本V2は「天照」と名付けられ
沖縄、硫黄島、フィリピン、サイパンに雨霰と降り注ぎ
橋頭堡を維持できなくなった米軍は撤退
さらに複数のV2「天照」を括り付けた新兵器「天罰」を開発
米本土を直接空襲できるようになった日本は連戦連勝を続け
昭和24年7月4日、フィラデルフィアでアメリカ合衆国は
日本に無条件降伏した
今、われら日本人が100万円でプール付きの広い家を購入できるのも
当時の日本の偉大さに浴しているのである

それはともかく、零戦なんか簡単にコピー出来るはずのドイツは何を考えてんだ?
ムスタングなんか米製のエンジンがボロで、やっつけで英製のエンジン乗せたら
ビンゴ!ってやつなのに・・・
227妄想電波之介:02/03/07 19:25
>山野さん
ああ、なるほど!太閤記は徳川政権下ではやばかったんですね。
一発ネタに転向しようか迷ってます(笑)

>日本V2さん
>今、われら日本人が100万円でプール付きの広い家を購入できるのも
>当時の日本の偉大さに浴しているのである

激しく萌えてしまいましたぞ。
私の故郷は陶磁器産業が超盛んですが、世が世ならば・・・!

228山野野衾:02/03/07 21:20
>227
いえ、「田沼と迷惑な仲間達」で一発ネタをやりながら続けて行こうかと。勿論そ
れなりの結末も用意致します。ただ現在本屋に行って資料集めが出来ないので遅れ
そうですが。(信長の方はともかく)
229桜47:02/03/08 03:15
どうせなのでコテハン作ってみました。

妄想之介さま。自分はあまり文章上手じゃないのです。なんとなく大したことの
ないものは書けますが・・・。皆様があまりにも上手なので気遅れしちゃいます
よう。
230妄想電波之介:02/03/08 22:18
桜47様。
まあゆっくりいきましょう。自分もあんまり長文は得意ではなかったんです
けど、やってみたら何とかなるものでしたワ。色んなシチュエーションの
シナリオが読みたいですし。また宜しくです〜
231妄想電波之介:02/03/09 23:10

今日、日本が世界で一番偉大な国であることに異論を持つ人は
少ないだろう。100万円でプール付の家が買えるのは我が国
位だと思う。(トリビュート>日本V2様m(__)m)
確かに嫉妬、更には憎悪されていることも事実ではあるが、裏
を返せば、それは、日本の実力を証明する以外の何ものでもな
い。ダイイチ、我が国は成果に見合うだけの努力をしてきたし、
コレからもする。主に血と金によって。

我が国と同胞の日系諸国も同じように繁栄を謳歌していると言
える。だが、同胞のなかでも大日本DQN共和国だけは別なよ
うだ。悲しむべきことだが。もう10年余も不況に苦しんでい
るし、その他の問題も山積みなようだ。
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/soc/1013758151/l50
                             
筆者には何故、不況下に緊縮財政を貫くのかわからないのだ。
彼の国の為政者は、日本人大ブレイクの祖織田信長の事績を忘
れたのだろうか。

1570年、信長が上洛して畿内を平定したとき、一部の地域を
除いて膨大な生産力が無為にされていたという。元々、富裕な地
域であったのだが、政情不安もあって、充分な経済活動が行われ
なかったのだ。生業を失った人間が溢れていたとされる。今風の
言葉で言うとデフレ状態だったといえる。

信長は、この状態を見ると、所謂関所撤廃、楽市楽座のような規
制緩和策だけでは充分でないと判断し、自らの権力をもって大規
模な公共投資を行った。近年の信長研究によって、信長がリヴィ
ウス「ローマ史」を始めとするローマ帝国関係の史書に精通して
いたことは、明らかである。おそらく信長は、ローマの有力者達
が自ら大規模な土木事業を主催することで、経済を支えていたこ
とを熟知していたのだろう。この政策は、今も残る安土城、二条
城、大阪城、そして京都御所、各地の土地整備等々、、、多くの
人間に職を与え、畿内に安定と飛躍的な経済成長をもたらすこと
になる。因みに、このとき信長は、その財源を新通貨を発行する
ことで得た。「元亀小判」は、畿内を平定した信長の絶大な権威
権力に裏付けされ、大いに普及した。
(但し、それまで流通していた悪銭との戦いには苦労するのだが。)
この畿内の圧倒的な経済力をもって信長は軍事力を増強、戦国を終
わらせたのだと言える。後に信長はイタリアでも同じ事を行う。

この事は、多くのケインズ主義者にも激賞されている。
織田信長が「ケインズ以前のケインジアン」と呼ばれる所以である。
筆者は、彼の国の為政者が一日でも早く政策転換をしてくれること
を祈ってやまない。

さて九州を席巻した信長は、その地で羽柴秀吉に親善渡欧を命ずる。
1575年秋、羽柴秀吉と随行員(500人?1000人?)は、
10隻余の艦隊をもってヨーロッパに向けて出向したのだった。約2
年後、インドのゴア、アフリカ喜望岬を経て、ポルトガルのリスボン
に上陸した秀吉一行は欧州各地で大歓迎を受ける。サル顔の愛嬌者は、
熱狂的なジパング・ブームを巻き起こした。秀吉の活動については
後述したいが、その時、欧州の人々の殆どは、何も気付いていなかった。
織田信長が放ったサル顔の毒を飲んだことに。

デムパバリバリバリバリバリバリバリバリ~
232山野野衾:02/03/10 18:02
>231
「サル顔の毒」がツボです。言い回しがいい。それではこちらも駄文を。

信長が朝鮮半島で勝利を収めた事が伝わったヨーロッパは、大きく揺れ動いた。
まずエドワード六世の軍がノルマンディーに上陸。それに呼応してポルトガル王国
とオーストリアのハプスブルク家も動いた。
こちら側ではまもなくスペイン国王がポルトガル国王も兼ねる事となったが、この
世界ではハプスブルク家のスペインは存在せず、代りにポルトガル王がスペイン王
を兼ねていた。国王はエンリケ一世。
モンゴル人によるイベリア半島制圧戦の際、徹底抗戦を試みたカスティリアなどの
勢力が衰え、イベリア半島の西部がポルトガル領となっていた。
しかし独自に船団を組織してブラジルを開拓するなど独立心が強く、モンゴルより
という訳でも無かったのである。
ハプスブルク家は1558年に亡くなったカール五世であれば喜んで「ヨーロッパ
開放戦」に参加したであろうと言われた。そうで無くても参加してくれたが。
この三勢力に直轄地のモンゴル兵、三国同盟に組みする勢力、大元帝国に組みする
勢力が行動して、ヨーロッパ全土がわやくちゃな事になった。
この時(名目上の)援軍と共に倫敦を訪れていた佐久間信盛は信長に宛てた書簡の
中で「欧州の情勢は複雑怪奇にて御座候」と述べている。
233山野野衾:02/03/10 19:15
三国同盟にとって、当面の大敵はフランスであった。こちら側の歴史ではカトリッ
クの王がプロテスタントともイスラームとも結ぶという無節操振りを見せてくれて
いた。しかも長年に渡って行っていたのだから恐れ入るが、こちらでも案の定寄ら
ば(まだ安泰そうな)大樹の陰とばかりにキリスト教とヨーロッパ解放の大義を掲
げる三国に敵対する意志を表明していた。
しかも事実上元領西ヨーロッパの中心となっていた。ヨーロッパにおける帝国の出
先機関がロシア南東部に設けられていた為であった。ド田舎のヨーロッパの中でも
更にド田舎であると見なされていた地域は余り重要視されていなかったのである。
イングランドの勢力拡張や日英同盟、英葡の接近などに対する懸念の声も挙がって
いたのだが、それならまた死体の山を築けば良いというのが元の役人らの考えであ
ったのである。
234山野野衾:02/03/10 19:45
しかし南北から挟撃されたフランスは当初から旗色が悪かった。ブルゴーニュやスイ
スといった元の直轄地からの援軍を得ていたものの、牽制してくれる筈であったミラ
ノ公国、フィレンチェ共和国、ヴェネチィア共和国などがポルトガルに連戦連敗。
フランス国王シャルル九世に「いっその事タタール人に占領されておれば良かった
のだ。そうすればまだしもましであったろうよ。」とこきおろされたのであった。
しかしそんな彼も1565年2月24日にイングランド軍に敗北。捕われの身とな
ってしまう。カトリ―ヌ・ド・メディシスは元に援軍を求めようとしたが、結局和
議が結ばれる事となった。
ところで無節操振りといえば負けていないのがローマ教会であったが、こちらはカ
トリックの総本山の癖してどちらに付くかを決めかねていた。
元の国教であるチベット仏教の布教によりリトアニアを中心にヨーロッパに仏教圏
が形成されており、早い話が「商売上がったり」となっていたローマ教会は免罪符
を発行した。ところがそれが教会の堕落ぶりの象徴となってプロテスタントが生じ
てしまった。懐は潤ったが。
さてどちらの陣営についた方が旨味が多いか。教会の指導者達の頭はその問題が占
めていたのである。
235妄想電波之介:02/03/10 22:38
山野さん
佐久間信盛は、信長軍団の中でも結構好きな武将です。目立たないけど。
彼が登場するとは渋いです。私はゲームでも信盛君を敢えて活躍させます。(笑)
236世界@名無史さん:02/03/11 12:26
蛮人アンリ・ド・ナヴァルも活躍させておくれage
237山野野衾:02/03/11 16:50
>236
にんにく親爺(スケベ)は世代が異なるので難しいかと。少々なら何とか。
238mo:02/03/11 18:54
妄想世界史

読者諸兄は、歴史IF小説と言うものをご存知だろうか?。
いま、欧米で流行っている小説の壱分類で、過去の歴史を改変し、
現在がどのように変わるか、思考実験を行うものである。

その範囲は、自国・欧米全体・世界そのものまで、大小様々であるが、
おせっかいにも、我が日本を対象にしたIF小説が、かなり出回っている。
それも、ソ満国境線での日ソの激闘。
中国・満州の万里の長城を挟んだ睨み合いと小競り合い。
さらに遠く、江戸・戦国の時代まで・・・。

だが、一番多いのは、「日本が満州油田を発見できなかったら?」と言う物で、
「満州事変じたいおこらなよう、日本を日清・日ソの戦争で負けさせたり、
当時資源に困っていた日本に、事変後の調査をさせない様改変したり、
陸海軍の調査団の人員を変え・技術者を殺害し、報告を捻じ曲げ・・・」
っと言う物が主で、
ちゃんと時代考証・事実改変による国際政治の変化を考えた物は少なく、
日本は最後、ソ連・アメリカ・中国などの領土となってしまう。

なにしろ、中国・ソ連とも、満州国境線に史実より多い軍を集めているのに、
日本は油田が無いため、資金難から軍の装備・錬度・士気ともに悪く、
殆ど消耗もなく、日本は満州からたたき出され、本土おも失ってしまう。

読者諸兄は「なにを馬鹿馬鹿しい事を!!」と、お思われるかも知れない、
だが、当時の記録をつぶさに見ると、「油田発見」は苦難の連続だった。
陸軍上層部の判断で、調査隊の報告が無視されたり、
陸海軍の反目から拡大・複数だされた調査団を、馬賊が襲撃したりと、
数々の試練に晒されていた。
だが、満州全域を殆ど網羅した資源調査は、日本に朗報をもたらした。
当時、無尽蔵とも言われた「満州油田」と、
日本を支えた数々の「鉱山」の発見に繋がったのだ。
239mo:02/03/11 19:40
妄想世界史その2

それは、調査隊の報告を、陸軍が当時の常識から、
報告を無視したことから始まった。
(注※当時、石油は太古の昔、海だった地層からしか、発見されていなかった)
(満州の地層は、陸で作られた地層だったので、出ても少しと判断された)
本来ならそこで話は終わり、日本は資源を求めてシベリア・中国へ手を出し、
中国進出を狙っていた英・米なども、敵としていただろう。

だが、仮想敵国・米に石油と鉄を握られ、のがれる事を切望していた海軍に、
「満州に石油が有るらしい」と言う不完全な噂が流れ、噂はすぐ、
「陸軍が石油を独り占めにする」と言う物になった。
そのため海軍は、陸軍から常識を元に説明されても納得せず、
ついには自ら「調査団を作って調査する!!」とまで言い切った。

だが、海軍には石油採掘の専門家がいない為、
民間はおろか英・蘭など外国からも技術者を招聘した。
海軍の態度に腹を立てた陸軍も、解体された調査隊の再結成・増員を開始し、
海軍が、外国からも技術者を招聘したことから、独技術者を招聘して対抗した。
240mo:02/03/11 20:05
妄想世界史その3

調査団は幾人もの死傷者・病人を出したものの、無事使命を果たした。
長春・大連そして本土に凱旋(まさしく、そう言うのが相応しい)した、
団員たちは英雄として迎えられ、相応しい歓迎をうけた。
また、死者の遺族・負傷者・病人は大いに称えられ、
天皇陛下への謁見、叙爵・多額の見舞金の支払いである。
(注※戦中でも見舞金などの支給が止まる事はなかった、陛下の強い要望だと言う)
241山野野衾:02/03/11 20:49
妄想世界史万歳!!桜47さんも頑張って下さい。
>234
イタリアで快進撃を続けていたポルトガル軍であったが、ここにおいて大問題が生
じていた。給金の支払いが滞ってしまっていたのである。
そんな事かと言われるかも知れないが、傭兵など満足な手当てを与えられないとす
ぐに盗賊と化していた時代の事である。金欠病のもたらす恐怖は疫病並みであった。
こうなってしまうと最早止めようが無く、暴走した兵達は行く先々で略奪(命含む)
を行いながらローマまで進撃した。指揮系統も何も無かった。
ローマの城壁を越え、市街地に雪崩込み・・・後は岩根の岩躑躅。あえて言ってし
まえば、例によって大略奪と殺人・強姦の嵐であった。好き勝手に出来る力があっ
てしかも止める上官もいないのに、馬鹿正直に紳士ぶる者など皆無であったのだ。
暴徒達がローマに留まる事、何と九ヶ月。とうとうローマ教会は恥も外聞もかなぐ
り棄てて降伏した。これによりその権威が失墜した事、これまた言うまでも無い。
この時支払われた「降伏金」は四十万ドゥカード。
「獅子心王」リチャード一世の身代金は国庫の三分の一に及んだ。
徳川和子の入内費用は嫁入り道具だけで七十万石分、兵を養うとすれば二万一千人
分に相当するものであった。
そしてこの度支払われた四十万ドゥカードという金額は、貧乏人一家二十万世帯を
一ヶ月養える金額であったのである。
もっともそんな金は経済的に見れば大したものでは無かった。ただ法王庁の面目が
丸潰れになった事の方が大問題であった。
この大略奪、実はエンリケ一世がわざと仕掛けたものだともいうが定かでは無い。
242山野野衾:02/03/11 21:27
かくして西欧を席巻した英葡両国であったが、大元側も何時までも黙って見ている
筈が無かった。1566年になってサライとコンスタンティノープルを援軍が出立。
イヴァン四世らを従えてウィーンを包囲して、猛攻を加えた。しかし小アジア勢は
ともかくロシア勢にとっては皮肉な事に、例年よりも早い冬将軍が来襲。
いくら寒さに強くても、熊ではあるまいし吹雪の中生きられる訳が無い。いや熊で
あればわざわざ寒い中を動くよりは冬眠する・・・。
加えてオスマン朝エジプト王国が不穏な動きを見せているとの報告が届いていた。
事実この直後にシリア方面に駒を進める事になるのだが、陥落を目前にしながら退
きあげるしか無かった。ここで何時までも暖かかったら、どうなっていたか分から
ないという事はよく言われたが、死んだ子の年を数えても仕方が無かった。
五年後、西欧諸国はポーランドに攻め入ったが今度は「理想的な戦場の地形」で大
敗を喫した。しかし同年のレパントの海戦では大勝。
最終的には南でイスラーム勢力と結んでイル・ハン国を包囲しつつ、北でキプチャ
ク・ハン国と東欧諸国と睨み合う図式が成立する事となる。
佐久間信盛はその頃にはすっかり記録魔としての姿が板についていたが、本国への
書簡でこの様子を「ポーランド・ハンガリーとドイツ・オーストリアの間には鉄の
帳が下ろされている」と述べたのであった。
243妄想電波之介:02/03/11 21:32
同じく妄想世界史マンセー!ポイントは満州油田ですか(^_^)?
キてますね。続編に大期待中ナリよ。

山野さん。
これって、ポルトガルばーじょんの「サッコ・ディ・ローマ」ッスか?
やはりローマはヤラレル運命だったのか・・・・。
信盛君といいポルトガルといい、くすぐられてます。

アンリ・ド・ナヴァールは自分も出すつもりですが、殆ど知らない。人となりとか。
やべー(笑)


244山野野衾:02/03/11 21:36
>423
いやあ、まんまですね(藁。ローマには悪い事をしてしまいましたが。
アンリの人となりはかなり面白そうです。終盤で少し出てもらう予定です。
245妄想電波之介:02/03/11 21:38
早っ!って早すぎ!
付け足ししようと思って戻ってきたのに(笑)
どのスレか記憶が定かではないのだけど、幾つかの別スレで山野さんや
SSBNさんをおみかけした。やっぱ博識だねえ(^_^)
そろそろ別スレにもカキコしてみようかなあ。でもこのHNじゃな(w)
246山野野衾:02/03/11 21:44
>245
世界史板は比較的治安が良い上に、彼方は嫌われる様な性格の方では無いので大丈
夫では無いかと。
247妄想電波之介:02/03/11 23:54
恐縮です。早速カキコしまくってきました(笑)
面白いスレを発見したので、楽しかった〜
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1015848840/l50
248世界@名無史さん:02/03/12 02:00
満州油田というと谷甲州ですか?
佐藤大輔、谷甲州、横山信義あたりがこのスレの推奨小説?
249mo:02/03/12 20:39
妄想世界史その4

当初、日本の発表を信じ無かった欧米列強も、帰国した技術者達からの報告と。
日本が各国に発注した、石油採掘・精製機器、大型作業車、大型土木機械の、
種類と量を見て、認めざるをおえなかった。

だが、各国は概ねこの事態を喜んだ、大恐慌で沈んでいた経済を、
多少でも回復出来たからだ、特に、米・英・独は大いに喜んだ。

米国は、日海軍から受けた技術者派遣の打診を、鼻であしらったため、
満州での利権獲得に遅れを採ってしまっていた。
(注※だだし、個人で参加した米国民も多い、彼らの言う)
(開拓魂=フロンティア・スピリットの成せる業だろう)
当初、日本からの受注にも難色を示したため、
米産業界からの非難を浴びてしまった。
(注※米政府は、石油と鉄で日本を支配下に置こうとしていたと言われている)
(筆者もそう考える一人である、日本を支配下にすれば中国にも食い込めるからだ)
米政府が米産業界の脅迫に負け、許可を出したことから。
米産業界は、日本政府高官・軍上層部に食い込み、更なる利益を上げたため、
米政府も不満は有るものの、口を閉ざした。
(注※アメリカ発の大恐慌で、一番打撃を受けたのは)
(海外市場を持たなかった、アメリカ自身だった)

英国は、絶頂を過ぎ退潮の兆しを見せていたが、不満を表す事は無かった。
(注※ただし、日本との間に、様々な秘密条約を結んだとされている)
(筆者も、あの英国ならやりそうだと思うが・・・)

独国には福音だった、日陸軍からの発注が集中したからだ。
それに当初、米国が政治的判断から輸出許可を渋っていたため、
日政府・日海軍からの発注をも、英国と分け合っていたからだ。
当時の独逸首相・ヒットラー氏に手腕もあって、独逸経済は急速に回復していった。
(注※後に、米の参入で、独逸経済の回復は減速した)

ただし、その恩恵に預かれず、日本に激しく嫉妬した国があった。
中国とソ連である。
250mo:02/03/12 20:56
妄想電波之介さん、山野野衾さん、MOと申します、
以後お見知りお気を。

248さん
一応、このスレッドで推奨小説と言うのは、まだありません。
小説の好みは、人それぞれですから。

満州油田というと谷甲州ですか?>そうですが、
私はアメリカと戦いだしてからは、読んでいません。
アメリカと戦いだす理由が、イマイチわからないのです。
気が付くとアメリカと戦争していたため、納得出来ないものですから。

追記
妄想世界史その4、ラストに「ヒットラー氏に手腕もあって」とありますが。
「ヒットラー氏の手腕もあって」の間違いです、
まるで、ヒットラー氏にその能力が、無いかの様に感じてしまいます。
失礼おば致しました。
251mo:02/03/12 21:23
妄想世界史・付記

満州油田発見の物語で、
「自分の知っているモノと違う」と感じられた読者諸氏も、居られると思うが。
90年代に機密解除になった、
当時の陸海軍資料・政府資料から分かった事実である。

なお、大戦時の資料の開示も併せてあったため。
私達、物書きにはいい勉強になった。
(注※もっとも、軍の最高機密は、流石に除外されているが)

また、日本放送協会=NHKで最近、
プロジェクト・X「満州油田発見」を放送されたさい、
一部視聴者から「史実と違うのではないか?」と抗議がきたと言うが、
新資料から再現したための混乱であろう、
一般市民には、そんな昔の資料に余り興味は無いようだ。
公害や政治の混乱以上に、気を引く物では無いのだろう。
252妄想電波之介:02/03/12 22:03
話題の映画「お市自刃〜永遠の瞬間(とき)〜」を、ようやく観た。
正直、期待はずれだった事を告白したい。敢えて名指しはしないが、
あの若手女優では、お市の方役はまだまだ荷が重いのではないか。
長政役の俳優は、名前も知らなかった。柴田勝家役の前田銀の熱演
だけが、印象に残った。

義兄信長の野望に殉じ、海を渡ろうとする浅井長政。唯一の心残り
は、愛妻お市の方と子供達だった。別離を告げる夫に、お市は嘆き
哀しみ、兄と夫を恨む。この間様々な紆余曲折が入り混じってく
るのだが、最後は夫の眼前で、お市は自刃して果てる。

古今様々な伝承を生み、何度も小説や舞台の題材とされ、映像の時
代になってからは、映画やTVドラマにもなった史上名高い事件で
ある。

筆者は個人的には「お市自刃」よりも「本能寺の別れ」の方が好き
だ。信長に心酔し、同行を切望するも、信長無き後の日本を託され、
説得されて留まる決心をする徳川家康の真情が何とも言えない。

古来より日本人の心を打ち続けてきた二つの故事は、これからも
我々を揺さぶり続けるのだろう。

253妄想電波之介:02/03/12 22:04
さて天下を統一した織田信長は、この後約三年間内政に専念し、己の
最大の野心の実現に向けて牙を研ぎ続ける。

「16世紀最大の謎だ!」「いや人類史上最大の謎だ、、、」とも
言われる「織田信長の大遠征」であるが、実は、それほど詳しくは
解明されていない。資料が大いに混乱しているからである。実際、
どのようなルートを使って、どれくらいの日数をかけて、ヨーロッ
パまで辿り着いたのかも、ハッキリとは判っていないのだ。
この遠征を記述した資料は大量にあるが、どれも決定打に欠けてし
まい、諸説乱立しているのは、諸兄も御存知の通りだ。
現時点で、さほど争点とならずに通説化している事は、以下の通り
である。便宜上、箇条書きとなるのをお許し頂きたい。

・信長が日本の覇者となって以降(1570〜)、日本人の海外植
 民が年々活発化していること。
・1578年初頭に、全国の諸大名に動員令が下されていること。
・新対馬や古南等太平洋地域に、大規模な中継基地が建設されてい
 ること。(トリビュートm(__)m>幻想の語り部様!)
・遠征軍は数十万規模だったらしいこと。
・狩穂留半島までの幅広い地域に、大規模な野営の後が
 数百カ所遺されていること。
 (トリビュート!>スレ主1様m(__)m)
・野営だけでなく植民しながらの遠征だったこと。
・1582年夏の時点で、新大陸のスペイン植民地を全て
 「解放」し、日本の支配下に置いていること。
・ヴェネツィア共和国の関与
・1583年5月29日時点で、スペイン領シチリア島を
 征服し、その後の欧州を大混乱に陥れたこと。

これは筆者の推測の域を出ないが、おそらく更に詳しい一次
資料や研究結果は存在すると思う。日本政府は把握している筈だ。
だが、おそらく公表はされまい。今以上に反日感情を煽ってしまう
からである。多分記録大好き国家だったヴェネツィア共和国
関係の資料は確実に現存する筈である。となれば、あの宗教も
関わってくるから、コトは厄介だ。あまり筆者も首を突っ込み
たくないのが本音である。ただこういった数百年間も続く
「オトナの事情」が、古今の史家の飯のタネになってきた事だけは、
否定できない事実ではあるのだが。

☆電波バリバリ!実に実に姑息な手段で逃げました!☆


254山野野衾:02/03/12 22:04
>250
こちらこそお見知りおきを。それでは私めも続きを書かせて戴きます。

1563年に平壌郊外の戦闘で勝利を収めた日本軍は更に北上を続けていた。
愛新覚羅などの満州の有力氏族を味方につけ、威維光将軍(生年不明・1587年
没)を初めとする歴戦の将達を打ち破った。
勝利したのは戦ばかりでは無い。陣中において能・狂言はもとより現地の芸能を上
演させ、更に諸大名に各地の民俗芸能を紹介させ、今日は奥州の番楽、明日は芸州
の五行神楽と見る側も見られる側も楽しめる様にした。
その中にはお江里ことエリザベス一行が本国から持ち込んだ「ひょこすか馬」(竹
馬の様な娯楽で、16世紀にスペインから伝来して大流行したもの)まであったの
だから恐れ入る。
後にシェイクスピアの演劇が、セルバンテスの「ドン・キホーテ」が十年以内にこ
の地に辿り着き、人々に知られる様になった。
本人達も訪れて西洋の神話などの教養を伝える事になるのだが、「西遊記」などの
異本中で悟空がアテナと戦ったり太公望がオーディンと問答をしたりしているのは
これ以降の交流の名残である。
これらの文化が今日も少なからず満州に限らず東勝神州(この世界での東アジア)
の文化に影響を与えている事は周知の通りであるが勿論これ以外にも産物や技術の
交流が活発化していた。
皮肉な事にそれはまるでモンゴル帝国勃興期を見ているかの様であったというが、
新しい交流のやり方・意識が広まっていたという事であろう。
新しい時代は来るものでは無いし、古いものを破壊しただけで出来るものでも無い。
ただ現在我々は先人の足跡に咲いた華を見る事が出来るが故に彼らが新しい時代を
造ったと考える。しかし彼らは過去も未来もないがしろにする事が無く、両者をそ
の時代の中で真剣に見つめて来たからこそ、後世に何かを残せたのでは無かろうか。
信長の勝利は、戦闘技術よりも航海技術よりもまず第一にインフラを整備し庶民が
枕を高くして眠れる環境・魅力ある生活を用意出来た事にあった。
ただ一代の英雄が領土を拡大したところで、末永く人心を掴めるものが欠けていれ
ばすぐに崩壊するしか無かったという事を予め心得た上での領土拡張の成果があれ
だけの繁栄を生んだのである。
255妄想電波之介:02/03/12 22:26
凄惨な処刑は、なおも続く。日頃、鞭や火の出る筒で私たちを脅す、
(そして殺したりもする)白人達は次々と命を断たれた。
この作業場の長である大柄の白人(確かペドロと呼ばれていた)
は、縛られてからも抵抗を止めなかった。彼よりも小柄な甲冑
男達2人が両脇を締めていたのだが、何事か大いに喚き散らす。

同じ小屋の仲間で、白人達の言葉を解す男が後で教えてくれた。

『 こんな事、許されるはずがない!マリア様、マリア様ぁ!
  スペイン王が黙っていないぞ!蛮人どもが!
  どこから来たのだ!お前達は!助けて!お願いだ!
  助けて!死にたくない!死にたくない!殺さないで! 』

おそらく恐怖で身動きできなくなり、全てを諦めて従容と首を
斬られる者が多かったなかで、この大柄な白人ペドロは、最後
まで甲冑男達の手を煩わせた。首を一刀の下に斬り落とせず、
身体の彼方此方を斬り刻まれた為、なかなか致命傷とならない。
だが、それは恐怖と絶望と激痛によるであろう悲鳴を何度も彼
に上げさせ、それは私たちに更なる興奮と深い満足を与えた。
これが一番恨まれていたであろう男の最期だった。

長ペドロとその他白人全員の首が槍に突き刺さされ、広場に
高く晒された後、暫くしてようやく、私達の興奮も冷めつつ
あった。
私達は、解放されるのだろうか。
私達は、あの怖ろしい白人達から解放されたのだろうか。
あの謎の男達は、何者なのだろうか。
これから私達はどうなるのだろうか。
ひょっとして、単に「御主人様」が代わっただけなのだろうか。

逃げようという気持ちを持った者は私を含めて誰もいなかった。
あの怖ろしい白人達を、アッという間に屠ってしまった男達。
とてもじゃないが、逃げられるものではない。第一、逃げたと
して何処に逃げれば良いのか。かつて我々アステカの民のモノ
だったこの大地は、白人達によって崩壊してしまっている。

私達が不安で一杯になりかけた頃、急に謎の男達が跪いた。
跪いたその先には、彼らの主人らしき人間が立っていた。



256妄想電波之介:02/03/12 22:34
盛り上がってきましたねえー
>信長の勝利は、戦闘技術よりも航海技術よりもまず第一にインフラを整備し庶民が
>枕を高くして眠れる環境・魅力ある生活を用意出来た事にあった。

至言ですよ。トリビュート決定(^_^)m(__)m
このままでいくと信長は、まだ二十代〜三十代でしょう。
どこまで登り詰めるのでしょう?どきどきしてきた。

>MOさん
満州油田、実に魅力的です。
鉄道王ハリマン氏も登場するのでしょうか。

257山野野衾:02/03/12 22:48
この様子を万里の長城越しに眺めながら、元の皇帝を始めとした面々も焦っていた。
日本一国に勝って帰る筈の戦で勝てず、その上明や西方の蛮国にまで兵を向けられ
ていたのである。起死回生の策が必要とされていた。
しかしこの時考案された作戦程元の宮廷人達の度肝を抜いたものは無かった。
あくまでも「蛮族除けの」長城を利用しようとする人間が多数派を占める中、名も
残されていない献策者は水軍を利用しようと言い出したのである。
勿論元にも大規模な水軍はあった。しかしそれはあくまでも沿岸防衛や明との小ぜ
りあいを目的としたものであり、日本領への侵攻は思考外にあった。
作戦内容については今更読者諸兄に語るまでも無いが、目的は半島南部、或は九州
に上陸・制圧する事により南北から大陸の日本軍を攻撃するというものであった。
残念な事にこの計画の詳細な目的や途中経過などについてはよく分かっていない。
ただ日本人を中心に何人か居た記録魔達や大君に仕えた学者達の記録をもとに再現
するしか無いのである。
不謹慎な事でありまた帝国の臣民として問題のある考えかも知れないが、それでも
言わせてもらえれば筆者としてはいっその事上陸まで作戦を遂行してくれた方が有
難かったという気もしてしまう。
1565年4月、朝鮮出兵の功により豊臣姓を授かっていた橋場久吉改め豊臣秀吉
のもとに大都に賄賂をたっぷり持たせて潜入させていた密偵より報せが届いた。
それにより今回の計画について知った秀吉はただちに信長のもとに使者を発した。
そしてそれより早く海軍に迎撃体制を整える様命じ、沿岸部の警戒を怠るなとも伝
達させたのである。
確かに本国と大陸との海上輸送は秀吉に任されている。だがこれは越権行為では無
いのか・・・・・こう言って心配する部下達がいれば、秀吉は珍しい怒鳴り声を響
かせた。
「わが殿(大君)はやる気の無い者は容赦無くお手討ちになされるが忠義の志を持
ってご奉公を心がける者を裏切られた事は一度も無いわい。第一越権も何も、国が
滅びて残る山河はあっても残る権限などありはせぬわいな。いざとなればわしがこ
の腹かき切って済ませる故、急ぎ支度せい。早く済ませた者らには褒美を出そう。」
他の将達は、それぞれの反応を見せた。そんな中で名言を残したのが小早川隆景で
あった。支度を命じてこう呟いたのである。
「焦らんでもええけえのう。急いで、ゆっくりやってくれえや。」
敵船団見ゆとの報が届くおよそ一月前の事であった。
258山野野衾:02/03/12 22:52
>255
続きが凄く楽しみな展開ですね!!では私は今夜はこの辺で。
259山野野衾:02/03/13 19:01
>257の続き

1565年5月、全羅道沖に元の大艦隊が出現した。その数は資料によってまちまち
ではあるが、元軍が戦闘艦だけでおよそ300隻、日本軍も同程度であったらしい。
「おのれ、南洋よりもかき集めればあの程度の敵は問題にならぬものを。」
悲観的な者でこう言って嘆いたのは一人や二人では無かったという。それこそ死んだ
子の年を数える様なもので時間の無駄であったが、事実この時代に日本が保有してい
た船舶数は欧州諸国のそれを優に上回っていた。(兵員数からしてそうだったが)
しかし気付くのが遅すぎたというか相手の発想が思考外であった為に備える時間が無
かった。
「親爺がこの場におったら、ぶつぶつ文句言いながら手ぇ動かして、口しか動いとらん
奴らをどやして回っとりましたわい。」小早川は出陣前に秀吉にそう言った。
成る程、元就の愚痴には幼い頃から信長も閉口していたと秀吉は思い出していた。
「敵を討つよりも安芸の爺の愚痴と説教、江里の癇癪を鎮める方が難儀な事よ。」
そう言って笑っていた主君の顔が目に浮かんだ。懐かしく、愛しい思いでの一幕であ
った。だがそれ以上に己が護るべきもの、やるべき事を秀吉に思い出させてくれた。
隆景が突然こんな話をしたのは、第一に緊張をほぐす為であり、第二に生きて帰れぬ
かも知れぬという思いがあった為であったろう。
5月15日、両軍は衝突。日本海軍の総大将は小早川隆景。他に村上や乃美、九鬼、
松浦などの旗が各甲板にはためいていた。これらの旗が馬印ならぬ船印と呼ばれる
様になったのがこの海戦以降の事だという。
そんな中で日本のそれとは明らかに色彩の異なるものがあった。若き日のドレイクと
李舜臣の旗。共に秀吉の抜擢と信長の理解が無ければ歴史の闇の彼方へと消えてしま
う筈であった二名の名将の若き日の姿であった。
260幻想の語り部:02/03/14 08:00
満州油田か・・・

 私のシナリオでも満州の利権は対米外交の切り札足りえますね。

 私個人はそれを日本が独占するのではなく、米国に与える格好で、米国を対中国
対ロシアの矢面に立たせる作戦が良いと思います。(実はこれをセオドア・ルーズベルトは
恐れており、ハリマンの動きは米国からも掣肘された格好になります。)
 
では米国をそこに引き入れる(在満米軍の創設)事でなにが起こるかといいますと、

1)中国とロシアとの直接的な対決による消耗を減らせる。(完全に大陸から手を引く
ことはさすがに無理でしょうから・・・)
 さらに在満米軍の展開力や物資動員力を見れば史実ほどの対米楽観論は影をひそめる
でしょう。

2)米国の大量生産システム思考を導入しやすくなる。
 実は白人国家の中で最も効果的な量産思想を持っていたのは米国でした。(ナチス
ドイツと米国の兵器を比較しても一目瞭然です。)
 日本が鎖国せずに先進国としてのレベルを維持したとしても、日本人の発想だけで
生み出せない工業思想だと思います。
 それゆえ在満米軍の駐留を認めることを条件に、そこで必要とされる戦略物資は日本が
供給する事にします。
 20世紀前半の米国の品質管理思想は厳しいですから、日本工業界はそれに答えるためにも
本格的な大量量産システムを米国から学ぼうとするでしょうし、それによって日本の
国民生活や軍備の質的向上も加速され、結果的に1930年代の日本は本国レベルで史実に
十倍する工業生産力を得られるでしょう。
 改変された歴史で日本の勢力圏となった南洋領もその影響を受けると判断した場合、
日本圏の総合力(資金力、資源、人口、工業生産力等)は米国の1/3以上になると思います。

3)日本の軍備を部分的に米軍と共用化する。
 米国の拳銃や機関砲、輸送車両、輸送機、内装品を導入し、日米戦に突入後も基礎技術
面での大幅な乖離が起こらないようにする。

4)同盟関係を結んで米国の人材(ニコラ・テスラのように干され気味の人材)を
入れ、米国の優れた科学のアイデアを日本で実現しやすい環境を整える。
 これによって日本での奇想天外兵器出現の余地を作る。

 なお、満州大油田の公表は大恐慌後のルーズベルト政権成立後がよいでしょう。
 油田の発見と、それを基点とする石油化学コンビナート建設の利権を大恐慌であえぐ
米国に差し出して、米国の経済復興の主導権を日本が握れば史実ほど右往左往せずに
すむでしょう。(しかもそこに米国からの移民を大量に入れれば、米国は厭でもソ連と
対峙せざるを得なくなり、独ソ戦でもソ連側への援助などやりにくくなるでしょう。)
261幻想の語り部:02/03/14 12:11
 16世紀日本の覇王戦争(織田信長による戦国時代の終焉)で鉄張り軍艦は
使われていた。

 後の羽徳時代に西洋や中国の造船技術を吸収する事で外洋航海が可能な鉄張り船
の技術的基礎が確立し、17世紀当初は装甲浮き砲台に過ぎなかった鉄張り軍艦は
17世紀後半の第一次日清戦争時には外洋装甲艦として完成を見たのである。


艦船:鉄張り万石船(英名:メイト級)

 艦名は日本の有名な太刀から取られたため、後世、”名刀級”と呼ばれた。
 信長時代に実用化された鉄張り装甲と中国やネーデルランド(オランダ)の
造船技術に旧約聖書のノアの箱舟の話にヒントを得た不沈船技術を複合したもの。

 特徴的なのは船形で船の全長が船幅の6倍もあり帆走性能(速度性、操縦性、
航洋性)が高い上、喫水線を浅くしながら耐久性を増したこと。
 羽徳時代まで設けられていた楼閣が縮小・廃止され、見張り台になったこと。

 砲台用甲板を狭くして上部構造を低くし、装飾を省いた事。

 大砲は上甲板とそのすぐ下に配置され、船の傾きや津波による浸水を防ぎやすく、
船底は石材で覆われていた。

 後にさらなる大型化で浮力を増すと鉄装甲も厚くされ、側面では5寸厚の
錬鉄板で防護する船も出てきた。
 これによって炸裂弾を受けつけ無くなり、通常弾でも僅かなへこみしか付かない
程の強靭性を持つに至るのである。

 その一号艦が江戸湾守備艦隊旗艦「鬼切」である。(六貫目砲を28門搭載)



 皮肉な事にこの幕府海軍軍艦の本格的な戦闘の最初の相手は、その誕生に
寄与したオランダだった。

 1623年の「アンボイナの虐殺」をきっかけとする対オランダ感情の悪化は、
第一次日清戦争を間近に控えた日本に、太東洋におけるオランダ勢力の弱体化を
決意させたのである。(アンボイナの虐殺とは史実でも起こった事件で、オランダが
アンボイナの英国の拠点を襲撃した際、そこにいた日本人やポルトガル人をも
処刑した事件)

 17世紀の後半を通じて数回に渡って行われた日蘭戦争と第一次日清戦争は
日本が太東洋の盟主となる第一歩となる戦いだった。

 太東洋の領土をジャワにのみ留められたオランダは英国の追い上げもあり、
大海洋国家としての地位を急速に失ったのである。

 いくつもの藩の集合体とはいえ、兵器開発や海軍に関わる組織を一本化して
掌握していた幕府と違い、七つの連邦州からなるオランダには統一的な海軍が無く
力の集中が足りなかった。(海軍力のない清国に至ってはまともな海戦さえ出来なかった。)

 オランダは善戦したものの、九鬼義隆の時代から海軍力の整備・統合を開始
していた日本に対抗できる勢力ではなくなっていた。
 以降、日本は急成長し、やがて”4つの海を支配する大英帝国”との対決の
歴史へと進んでいく事になるのである。
262mo:02/03/14 17:56
妄想世界史その5

もっとも、中国の嫉妬は大した事はなかった、
国民党と共産党との間で、権力闘争の最中で、
満州から追い出された、張学良・氏が蒋介石を脅して統一抗日戦線を作るまで、
大した脅威にはならなかった。
(注※満州国建国から、中国の戦乱を嫌った漢族が、大量に移民を開始していた)
(移民達にとって、満州の好景気は都合が良かった、入国出来れば衣食住の)
(心配は殆どないのだ)

ソ連にとって、満州とは帝政ロシア時代に支配していた土地であり、
彼らの念願であった不凍港への、道でもあった。
それを、日露戦争で不当に取り上げられたのだ、
彼らの怒りと恨みは頂点に達していた。
その怒りは、ソ連極東軍の増勢・中国共産党への抗日工作指示へと繋がった。

”ソ連極東軍強化!”の情報は、関東軍を激しく揺さぶった。
この時、後に有名になる満州要塞線もまだ紙の上でしかなく、
世界最強を誇る関東軍も、正味二個師団強しか、いなかったのだ。
(注※朝鮮軍司令部から、一個師団の増派あり)

その結果、関東軍は少ない兵力で、油田のある満州北部を、
守らなければならなくなった。
最初は日ソ両国の輸送力が低く、小部隊同士の小競り合いが主だったが、
シベリア鉄道の複線化が進むに連れ、ソ連側兵力が増えていった。

だが、日本側は当初低調だった、幾つかの部隊が、
満足な補給を受けられず、壊滅していった。
(注※ソ連側の補給線を、必死に妨害したため、ソ連軍を後退させられたに過ぎない)
ソ連軍小部隊との戦闘で、陸海軍は少しずつ変わっていった、
陸軍は、増派されたとは言え、輸送・通信・索敵の重要性を理解し、
ソ連軍の火力の洗礼によって、重火力・重防御の要塞の建設、
(注※要塞の建設は、時にソ連軍の襲撃の中でも続けられ、)
(かなりの被害が出ている)
ソ連戦車に勝てる戦車の開発などに、陸軍をのめり込ませていった。
輸送は満州鉄道が一手に引き受けたが、問題もあった。
陸軍が望むほどの、輸送力を日本だけでは、すぐには達成出来なかったのだ。
本土で作られる車両・線路だけでは足りず、困っていた満鉄に救い主が現れた、
満州進出・中国制覇を狙っていた、フォード・GMなどの自動車会社、
1909年に死亡した鉄道王ハリマンの遺志を継いだ、米鉄道会社達だ。
(注※もっとも、満州では外国企業は、日本あるいは満州との)
(合弁会社を作らざるをおえなかった、当時の日本企業では)
(会社を乗っ取られかねなかった)
263mo:02/03/14 18:29
妄想世界史その6

海軍も、舞鶴・大泊の基地機能強化、大分の海軍大神工廠・鎮守府の開設と、
高速タンカー・補給艦・給兵艦等と言った補助艦艇の量産、
(注※海軍軍縮条約が失効した昭和12年には、海軍工廠の拡充と)
(補助艦艇の大半が就役していた)

もっとも、最初は陸海軍で同じ会社に、別々に注文を出したり。
同じ物に、別々にライセンス代を払うなど、無駄もあったが。
陸軍側満州資源調査団団長であった、永田鉄山陸軍少将、
海軍側満州資源調査団団長であった、山本五十六海軍少将、
の両名の仲介もあり、陸海軍連絡会議の設置をもって、以後減少する。
(注※連絡会議は後に、軍部・政府連絡会議に拡充される)
(この会議の結論を、大本営も無視できなかったのだ)
264mo:02/03/14 18:43
修正
妄想世界史その6で、「張学良・氏が蒋介石を」とありますが、
「張学良・氏が蒋介石・氏を」に修正します。

でラスト「会社を乗っ取られかねなかった」とありますが、
「会社を乗っ取られかねなかったのだ」に修正します。

幻想の語り部さん、今後ともよろしくお願いします。
私のシナリオでは、ほぼ独り占めです(笑)。
ただ、石油や鉱石によるバーター取引や対ソ戦軍備のため、
日本は世界中から物を買っています。
借金もこれでかなり返せるでしょうし、満州に渡った外国人技術者や労働者で、
日本を底上げできるでしょう。

もう少しで、日ソ・満中の戦争までいけそうです。
265 :02/03/14 22:29
>>264
大航空戦もきぼーん
266世界@名無史さん:02/03/14 23:44
正直言って混乱してきた。
複数の人が同時並列進行しているからだけど……。
誰か、サイトにアップしてそれぞれに整理整頓してくれないかなぁ(他力本願)
267SSBN:02/03/15 00:01
>>266
暇なのでちまちまやってみる。
一行ものとかそういうの無視して、とりあえず集めてみます。
268SSBN:02/03/15 01:42
>>267
作った。かなり適当。新しくアカウントとるの面倒なので、自分のHPのスペースに上げた。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/8126/IF/index.html
269幻想の語り部:02/03/15 11:53
 幕府崩壊後、旧幕府軍と薩摩長州連合軍が講和し、日本皇国が発足する頃、南洋領の内、
ボルネオとセレベスは南洋共和国(赤い三日月の国旗)として、パプア、古南、
新対馬は古南連合国(上下に白と赤で二等分された大地の国旗)として成立した。

 この頃、日本独自の教義を持つに至った日本切支丹の教え(日ユ同祖論に基づいて
解釈されたキリスト教の為、日本を新たなエルサレムと認め、伊勢神宮の外宮に
祀られている豊受大神をヤハウェとする)により、二国の国民は日本を事実上の
”聖地”として認め、国防問題及び戦略物資の輸出入に関して日本皇国の優先権
及び主導権を認める事とし、それに関する問題を扱う超国家的指導者を”総裁”と
した。

 総裁とは日本人に宗教的人種的な闘争が仕掛けられた場合、その問題解決の為に
全日系国家に対し、独裁的な権限を行使する存在でもあり、事実上米国大統領に匹敵する
影響力をもっている。

 そして日本は幕府時代の軍編成(林子平の提案により幕末時に創設された気球の
偵察部隊である空軍と海軍と陸軍)を変え、陸海空を軍団レベルで統合運用するための
統合軍を発足。
 さらに日本忍軍を核に軍のクーデターに備えた特殊任務軍である監察軍を創設した。

 特に監察軍は軍の軍備計画や兵器開発、極秘工作や軍警察(史実の憲兵)を管理
統括する軍の中の軍ともいうべき存在であり、史実の陸軍中野学校の部隊を新兵器で
武装した軍団に再編したような質の高さを誇っていた。(監察軍には奇怪な能力を持つ
特殊部隊がいるとの報告があるがその全容は明らかになっていない。)

 幕府時代の忍軍より強化されたこの監察軍によって以後の英国諜報部は諜報戦で
惨敗を繰り返し、後の”赤軍大亡命”、”満州疑獄事件”、”アドルフ・ヒトラー
暗殺未遂事件”で決定的な敗北を喫してしまう。
270幻想の語り部:02/03/15 11:54
1) 赤軍大亡命とはスターリンによるソ連軍幹部粛清直前に起こったスターリン暗殺未遂事件と
その後の混乱の最中に起こったソ連赤軍幹部の(満州への)大量亡命事件である。

 これによって満州国軍はスターリンへの復讐に燃える有能な軍人(トハチェフスキーを
始めとする数万の元赤軍将校)を労せずして手に入れるのである。

2) 満州疑獄事件とは赤軍大亡命の余波で生じた国際的なスキャンダルである。
 亡命した赤軍将校がクレムリンから持ち出した重要物件の中に米連邦準備銀行に
しかないはずのドル印刷機があった事から起こった騒動で、結局、そのネタを
確保した在満米軍司令官のダグラス・マッカーサーの差し金で(当時日米戦に
備えて三選目の大統領選挙に出馬していた)フランクリン・ルーズベルトが弾劾され、
大統領職を辞職した事件。
 なお、日本側が確保したドル印刷機は”分解調査”の名目でドイツ側に引き渡された。

3)アドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件とは、”ソ連軍による”ポーランド侵攻と
同時に締結された”日独同盟”とポーランド再興を口実に始まった独ソ戦の最中に
英国諜報部によって起こされたテロ事件。

 結局、弾丸はヒットラーの側にいたヘルマン・ゲーリングとハインリッヒ・ヒムラーの
頭蓋を打ち抜いただけで終わった。

 逮捕された英国人スパイは(厳しい拷問の末)ヒットラー暗殺計画があった事を
認めたものの、発砲自体は最後まで否認し続けたという。
 この結果、英国はドイツに対し表立って政治的闘争を仕掛けにくくなり、ソ連への
軍事援助は事実上不可能となってしまう。

 なお、後に麻薬中毒で能力の低下が認められ始めたゲーリングと、ヒットラーへの
忠誠心に疑いが認められたヒムラーの死はドイツに有利に作用したという指摘が
為されている。

 後に高名な実話作家である松本清張氏はこの事件の背後に日本皇国監察軍がいた
との見解を示している。
271山野野衾:02/03/15 11:57
>268
神ですか・・・。大感謝です。
272mo:02/03/15 18:28
妄想世界史その7

ここで少し、現代に戻りたい。
現在、我が国は世界有数の工業国にして、最先端の技術を有している。
その源流は、陸海軍連絡会議での、有る決定にある。
当時、ソ連との国境紛争で、軍は武器弾薬を大量に消耗していた。
(注※本土師団の備蓄分まで食い潰していた)
その補充が、上手く云っていなかったのだ。
原因は兵器の生産性が悪かった事だが、すぐには解消できなかった。
その結果としてのライセンス生産だったが、それでも不足がちだった。
(注※何しろ、購入した物を除き、日本の工場で作らねばならないからだ)
だが、満州での工場での生産量が多い事に気が付き、その差を調べるため、
逓信省などの役人・軍需産業の技師・軍の技師達が、満州入りした。
そこで役人達が見たのは、部品の規格を統一し、
大量に作ることで、交換部品おも作り出す工場群だった。
(注※後に「大社長」と言われ、日本の空と陸を制覇した中島知久平氏も居た)
(中島飛行機の渡洋機・富嶽、新幹線など)
その報告はすぐに上げられ、陸海軍連絡会議で議論されたが、
日本のすべての工場での導入は、不可能だったため。
部品の規格を可能な限り統合し、生産性を上げることが決定され、
陸海軍での一部装備の共用・開発・生産が決定された。

そう、現在の日本の規格統合検定・・・IJIS=帝国工業規格の誕生である。
273mo:02/03/15 19:32
妄想世界史その8

さて、話を戻そう。
日本とソ連の衝突は、時と共に広がりを見せた。
最初はソ満国境線である、北部山岳地帯から東部の河川流域での、
戦闘が多かったが。
日本が築いた要塞での迎撃により、次第に満蒙・朝ソ国境へと移っていった。
(注※山岳地帯から河川流域まで、大軍に適した進撃路が殆ど無く)
(其処へ要塞を作られたため、攻撃個所を変えざるおえなかった)

朝ソ国境での、張胡峰事件。
(注※トマン江中州の領有権おも争われた)
(また、両軍とも策源地が近かったため、大規模な航空戦になった)
(航空戦での勝利を得た、日本軍の大規模爆撃により)
(張胡峰に篭っていたソ連軍は壊滅し、トマン江中州の領有権は日本の物となった)

また満蒙国境で行われたノモンハン事変。
(注※アジアで行われた、初の戦車戦)
(日本が万を持して送り出した、95式戦車改と99式軽爆改)
(95式戦車改は、95式戦車の欠点であった、速度と運動性を改善し)
(砲を7.5cm高初速砲に換装した物)
(99式軽爆改は、日本発の対戦車攻撃機。もっともその軽快さをもって)
(対爆撃機戦闘にも使用された)

そして、張胡峰事件と合い前後する形で、
中国軍から満州軍を挑発して起した、盧溝橋事件。
(注※言うまでも無く、側面援護であろう)
(成立してから、数年しか経っていない満軍戦力は、対した物ではなかっため)
(日本からの支援が無くては、危なかった)
274mo:02/03/15 19:35
265さん
すいません、私には書けませんでした。
其処までの能力は私には・・・・。
275妄想電波之介:02/03/16 20:59
>幻想の語り部さん

今までも面白かったけど、今回の269,270は更に面白い。緻密さが好き。

>山野さん

ドレイク卿と李瞬臣とは、凄いオールスターですね。
私の方は(当然)敵役なんですが(^_^;)。江里も(笑)。
最近全然電波が来ないし、忙しいしでかなり鬱です。
なんかSSBNさんに凄いお世話になっちゃって、光栄やら恐縮やらッス。

>moさん
中国軍から満州軍を挑発して起した、盧溝橋事件。・・・そのとーり!
IJIS=帝国工業規格・・・萌え萌えッス。
続き頑張って下され。






276名無しさん:02/03/17 01:17
age
277mo:02/03/17 20:52
妄想世界史・付記2

この時期、日本の農業は控えめに見ても、危機的状況だった。
相次ぐ不作で地主・小作人とも疲弊し、人身売買が横行していたが。
満州油田がそれを拍車を駆けた、工業の発達・軍の増強・満州開発は、
農村から人口を吸収し始めたからだ。

その事態を重く見た政府は、地主の反対を押し切り、
「農地解放」「自作農育成方針」「地区ごとのトラクター・トラックの恩賜」
(注※もっとも、「数が揃い次第」だったが・・・)
「農民への低利の貸し付け」
などを行い、辞職した。
(注※「辞職させられた」と言った方が、正確だろう)
(地主達と繋がりの有る、暴力団から圧力がかかっていた)

ただ、この事が昭和11年2月26日に起こった、
クーデター未遂事件・俗に言う2.26事件での、
反乱軍の規模・士気に、大きな影響を与えたと言われている。
歩兵第一・第三・近衛第三の各連隊から、約七百名。
地方の農民の生活も、安定し始めていたため、決起に懐疑的な者も多く居た。

また、陛下の信任厚い、斎藤内府が死亡、
鈴木侍従長・渡辺陸軍教育総監が重傷、
岡田首相・高橋蔵相・牧野前内府は難を逃れた。
(注※岡田首相は、当初死亡との報告が入り)
(陛下が激怒して、断固鎮圧を下命する原因の一つとなる)

また、当初反乱軍側に組した軍事参議官・荒木将軍、
東京警備司令官・香椎将軍の発案により、新政府の設置が議題に昇った為、
反乱軍の首魁と判断され、両名は即時逮捕された。

反乱軍自体は、陛下自らの奉勅命令により、近衛師団により鎮圧された。
その後の、粛軍を行ったのは、相澤事件により療養中だった、
永田中将と石原少将だった。

この事件が、日満を中国との大戦争から、とうざける事となった。
(注※満州国は、万里の長城以北を領土に組み入れたが)
(長城以南には航空隊しか出せず、睨み合いを続ける事になった)
278山野野衾:02/03/17 20:54
>275
私もここのところ電波がうまく受信出来なくて・・・。
という訳でmoさん頑張って下さい。
279妄想電波之介:02/03/17 23:05
>moさん
ってことは、高橋是清公の大活躍の予感がする・・・・楽しみッス。

山野さん、どうしよう。忙しくなって妄想できなくなっちゃった(泣)
280山野野衾:02/03/17 23:19
>279
同じく(泣)。とにかく気張りましょう。SSBN様の御為にも。(268参照)
281桜47:02/03/18 03:49
仕事で忙しくてなかなかみれなかったら。
HPができてる!!
すごいびっくりです。電波は受信するんですが、文章にならない(泣)
みなさんがんばってください。時間ができたら不肖自分も頑張ります!
282桜47:02/03/18 03:50
しまった。sage忘れた・・
283mo:02/03/19 18:09
妄想世界史・付記3

IJIS=帝国工業規格の発展には、2.26事件でからくも生き残った、
高橋是清老(1854-1943)の力量を忘れてはならない。
陸海軍連絡会議での、一部兵器の共用をさらに推し進め、
(注※陸海軍連絡会を、政府・軍連絡会議に発展させた、要因の一つとなる)
主要部品の規格決定・工業品の規格の概要を作り、工業系学校の増設を建白し、
資格試験・免許制度を実務経験者よりに改定する事を提案したりと。
事件以降の8年は、日本を本当の工業国にするために賭けていた。
その本当の成果を、高橋老は見る事無く、
第二次大戦中の、奇しくも43年2月26日に癌のため死去。
享年89歳、最後の言葉は「後、三年・・・。いや二年でいい・・・」であった。
高橋老にして見れば、日本経済の復興を任せられる人材が、居なかったのだろう。
だが、高橋老が作った筋道は、今の我々の繁栄を支える柱となったのだ。
284mo:02/03/20 19:41
妄想世界史・付記4
大戦中に偶発的に、発生した太平洋戦争に於いて米国が、
「一式陸攻はB−17のコピーである!!」と憤慨したが、それは誤りである。
たしかに、日本はB−17の原型となったボーイング299を、
試作機が完成した1935年に購入しているが、
それの直系は、陸軍の百式呑龍であり、
海軍の一式陸攻は、それを参考にした程度である。
また呑龍・一式ともに、その主要敵はソ連であり、
その航続距離は呑龍ですら5000キロ強、
一式では6000キロを超えており、その重装甲・重火力をもって、
米軍に恐れられ、「ベティ」と呼ぶ者は米軍でも少なく、
誰もが火を吹く龍=「ドラゴン」と呼んでいた。
285mo:02/03/20 20:56
妄想世界史その9

今回までで、日本の大戦前を中心に、歴史を書いてきた。
さて、これからは、日本との戦争によって、疲弊したソ連が発端となった。
第二次世界大戦=対共産圏戦争にも、目を向ける事としよう。
そこで、読者諸兄には昔、言われていた物とは少し違う歴史を語りたい。
本来なら、「ソ連が東欧諸国を支配しようと考えていた」と書けば好かったが。
崩壊し13に分裂したソ連の記録は入手が難しく。
とくに、スターリン書記長が、モスクワ陥落直前に暗殺されたため、
資料は存在しないとまで言われ、ソ連が何故戦争の道をひた走ったのか謎であったが。
近年、公文書の類が独逸の図書館や、ソ連から分離した13の諸国に幾ばくか、
存在しているのが分かり。
日本が所有しているソ連の資料と合わせて、ある程度の推測が出来るようになった。

端的に言って、日本とノモンハンで衝突していたにも関わらず、
独逸との衝突も恐れず、バルト三国併合・フィンランド・ポーランド侵攻へと駆り立てたのは、
皮肉にも、これまでの対日戦の被害と財政不足と言う、単純なものだった。
1939年9月のバルト三国併合・対フィンランド戦。
(注※バルト三国は、戦争終結前に、独・英連合軍により解放)
(フィンランドは、英・独の支援をもって自力でサンクト・ペテルスブルクを落とし)
(ソ連崩壊後、フィンランド湾・ラドガ胡・オネガ胡・白海以北を領土とした)
1940年4月のポーランド侵攻・6月のドイツ・ルーマニア・ブルガニア・ギリシャ侵攻。
1941年4月のトルコ・ユーゴスラビア攻撃・・・・。
戦争が始まってから、一年半で東欧諸国は併合され、唯一残っているのは。
フィンランドが盾になった、スエーデン・ノルウェーの北欧諸国と、
西欧諸国の盾となったドイツのみ。
ソ連の思惑は当たったかに見えた、が・・・独・英・日の三国同盟の締結と、
日本軍のシベリア侵攻により、明日の見えない戦いを続ける事となった。
286山野野衾:02/03/20 21:59
moさん、御苦労様です。しかしフィンランド強い。
>259の続き
さて、史上名高い「全羅沖海戦」であるが、教科書や映画等によって流布されている
印象と記録からみる実態とではかなり隔たりがある様である。
まずは一般にもよく知られている事実から指摘しておこう。
日本海軍の「長安宅船」と呼ばれた艦船は船腹と全長の差が一対六という非常に長い
ものであった。これだと船が傾いても転覆し難いという利点があったのだが、世間の
理解と異なりこの型の船が採用されたのはこの海戦からでは無い。
既に南海交易において発明・利用されていた事が下記の資料により明らかである。
(中略)正確に言えば海軍に正式採用されたのが確認出来るのがこの海戦からなので
ある。「天才」以前に既に下地が存在していた。
誤解されている事柄はこれだけでは無い。長い横腹を護る為に船体上部(甲板含む)
には厚さ5ミリ程の鉄板が張られていたのは確かだが、だからといってそれが劇的
な勝利を即座にもたらした訳では無かった。
また絶え間無く砲撃を浴びせる為に「三段撃ち」があったという話については講談
で広められた創作である事は明らかである。
以下、海戦の模様について語りながら「誤解」を訂正して行きたい。
287山野野衾:02/03/20 22:20
「鉄張り船」だからといって一方的な勝利を収められた訳では無かった事については
既に述べたが、(皮肉な事に)講談等で知られている通り切り込み戦も多かった。ド
レイク、李舜臣、加藤清正、福島正則らの活躍が知られている。
何も偶発的に生じたものでは無く、小早川隆景の下した指示の中にははっきりと「可
能な限り敵船に近づいて大砲、鉄砲、焙烙を浴びせよ。」と記されていた。
この時代の大砲は単に鉄の玉を撃ち出すものでしか無く、意外に潮流や風向きの利を
活かした火船の利用による効果も大きかった。
これまた誤解されている様なので記しておけば、一口に「全羅沖海戦」と言ってもた
った一度の海戦で勝負がついたという訳では無かった。
戦闘が行われた地域は主だった海域だけでも全四箇所にのぼり、それぞれに伝説があ
り、村興しが行われている。
結局最後にはモンゴル側が船団の三分の一を失って敗走(敗航か)したのだが、その
主な理由は兵達の栄養不足と弾薬の不足であった。「神風」とも言われた台風が無く
とも我が国は勝っていたらしい。
華々しい様な歴史の一場面ではあったが、その勝利の背景には地味な努力や工夫もあ
ったし、地味な問題もあったのである。
最後に付け加えておくと秀吉が船の鉄張りが間に合わぬというので一部の船の船体を
黒く塗ったという話があるが、こちらは創作であるらしい。
288mo:02/03/21 19:38
山野野衾さんへ、
しかしフィンランド強い。>
資料を軽く読んだ所、フィンランドはソ連相手に、
十分な支援無しで、善戦しているんですよ。
1939―1940までの「冬戦争」1941−1944の「継続戦争」共にです。
支援が独だけでなく、英・仏からも望めるこの世界なら、大丈夫でしょう。
この世界では、ソ連を支援している国は、表向き在りませんし・・・。
289mo:02/03/21 21:04
妄想世界史その10

この、シベリア侵攻・関東軍特別大演習=関特演は、
ソ連がまだ帝政ロシアの頃からの、陸軍の夢の一つ、
北方からの脅威の排除が実った瞬間だった。
時に、1941年6月の事である。
戦闘はまず、北部山岳地帯から東部河川地帯に作られた、
要塞砲の攻撃から始まった。
(注※要塞砲には、海軍の作った戦艦用の40センチ砲が使われており)
(非常に強力な火力は、戦闘開始から数時間で射程距離内の敵を殲滅していた)
そして、チタ・ハバロフスク・ウラジオストック・イルクーツクなどの、
空港・ソ連軍基地に呑龍・一式陸攻による猛爆をくわえた。
困ったのはソ連である、欧州での勝利に、
シベリア兵団の戦力をあてに出来なくなったからだ。
この時点で、ドイツ・フィンランドは、西欧諸国の支援により持ち直しており、
日本の参戦により、ソ連の敗北が濃厚となった。
だが、ソ連降伏はこの後、2年余り後の事である。
ソ連は支配下に住む諸国民を、恐怖と虐殺で縛り上げており、
略奪・強制徴用・破壊と解放した独・英連合軍をして、
「再建には途方も無い時間と資金が、必要となるだろう」と、
感想をもらした程である。
(注※独・英連合軍と書いているが、自由ポーランドなどの亡命政権)
(戦場で役に立たず、英首相チャーチル・氏をして戦後)
(「彼らがいなければ、欧州解放は1年早まった」と言われた、伊・仏などもいた)
(筆者も、その無能さと厚顔無恥によって、連合軍の足並みを崩し)
(連合軍に多大な被害を出させた、伊・仏を連合軍の構成員として挙げたくない)
290mo:02/03/21 21:39
妄想世界史その11

連合国による対ソ連が進むなか、不気味な沈黙を守っている国家があった、
アメリカ合衆国である。
アメリカはこの時、満州(表向きは、実際は日本)・英国・独逸とうに、
大量の民生品を販売しており、すでに不況から脱出していた。
(注※軍需物資や武器は、中立法により輸出禁止されており)
(これが連合軍の足を、さらに遅くしていた)
また、英が戦争により中国から、一時的に手を引いたため、
内戦中の国府軍と共産軍、双方に武器を売って多大な利益を上げていた。
(注※戦争ではなく内戦のため、中立法の適応外だと言い切っていた)
これと、意図的な勘違いによる対日戦開始によって、
米はソ連と同じ覇権国家と解釈され、
太平洋戦争講和会議にも、厳しい条件が示された。
(注※読者諸兄には、一年戦争の方が分かり易いのかも知れないが・・・)
戦後、これまでの反省から国際連盟が強化され、
連合軍参加国から一定の割合で、国軍が国連軍に参加し、
治安維持・戦争抑止に役立っていたが、米は参加を断固拒否したため、
米の国連参加は、敗戦国であるロシアより遅く、1970年代に入ってからである。
291妄想電波之介:02/03/21 21:40
山野さん、moさん、全開ですね。羨ましい。
「フィンランド化」という国際政治用語も無くなりますね!
292山野野衾:02/03/21 22:07
>288
おおせの通り。マンネルヘイム元帥でしたか、考えられない様な有利な展開に持ち
込めたそうですね。へタレでは無い。
しかしこの後の世界史はどうなるのでしょうか。
>291
MO氏もどうぞ。バトルスレも含めて。
293山野野衾:02/03/21 22:08
>292
失礼、MD氏でした。
294妄想電波之介:02/03/21 23:37
うーん、ちょっと電波が来ないんでねえ(涙)
ちょっと長期戦になりそうですワ、、、、もしこのスレが無くなっちゃら
マズイとは思うけど、、、無理無理電波飛ばしたら、何よりも自分が楽しく
ないですし。山野さんの執筆パワーをお裾分けして欲しい今日この頃。
295世界@名無史さん:02/03/22 11:21
296mo:02/03/22 14:03
妄想世界史・付記5

中国における、国共合作が崩れた原因は、
毛沢東・氏率いる共産党・張学良・氏率いる奉天軍残党共に、
蒋介石・氏率いる国民党を盾に、勢力を高めていたためであり。
危機感を感じた蒋介石・氏は、1937年12月13日南京において、
反共・反奉天のクーデター(南京クーデターと言われている)を起し、
内戦が再開された。
(注※日本は国民党に支援をした事が、米の疑惑を生んだ)
(原因だと言う識者もいるが、米が中国を支配下にしたがっていたのは)
(日清・日露昔からの米国の戦略の一つである)

日米開戦の原因は、中国が欲しい米が、
図らずもそれを邪魔できる国力があった日本を、疎ましく思っていたからだ。
直接の発端は、中国共産党に流れる武器弾薬の一部が、
ソ連に流れる危険性があったため、日本が抗議した事が米の反感を買ったのだ。

元々あの国は、人種差別が酷く、日本との対立の為さらに激化し、
それが原因で、日米間の直接輸出が止まったため、日本の反感を買うと言う、
堂々巡りになり、日本海軍による米船の臨検により、米国からの開戦となった。
(注※さらに、英のアジア戦力の欧州への移動に伴い)
(マレー・ボルネオ北部に第16軍(今村均陸軍中将)と)
(ビルマ・インドに第15軍(飯田祥二郎陸軍中将)が入り)
(物資輸送のため、仏印の港と、飛行場の一部が日本軍に解放された事も)
(彼らの怒りを買ったのかも知れないが、彼らの言う米封じ込めの意図は無い)
(英からの申し込みである)

開戦日には、12月8日の連合艦隊凱旋観艦式が選ばれた。
攻撃開始の数時間前に宣戦布告すると言う、用意周到な物だったが、
米駐日大使はその時間に、米内首相にも東郷外相にも会えず、
さらに、日本では首相以下の大臣の序列が決っていなかったため、
日本が宣戦布告を知ったのは、奇襲後数時間経ってからだった。
297mo:02/03/22 14:18
妄想世界史・付記6

またこの時、第25軍(山下奉文陸軍中将後、大将)が、中東に派遣され、
独逸中東軍団(エルウィン・ロンメル陸軍大将後、元帥)、
英中東派遣軍(オーキンレック元帥後、モンゴメリー大将)と共に、
ソ連中東侵攻軍(ジェーコフ大将)と戦い、勇名を馳せていたのも、
この時期である。
298世界@名無史さん:02/03/22 22:22
初カキコです。駄文ですが見てやってください。
・・・瞬く間に「宣戦布告の将棋倒し」は亜細亜全域へと拡大した。
満州帝国の怒涛の快進撃により苦境に陥った友邦中華民国との間の
同盟義務を果たすため、日本皇国は織田信長公以来300年ぶりの大規
模な外征地上軍の編成に着手した。いちはやく徴兵制から志願制に移
行し明治末期には本土・琉球・蝦夷地、そして亜細亜・太平洋地域の
要衝を防衛するための精強ではあるが小規模な陸軍・海兵隊しか持た
なかった皇国は、対華支援の第一歩として大々的な募兵運動と戦時国
債の大量発行によって20個師団の新編を計画したのである。琉球から
日高に至る全国の市町村役場には青年が長蛇の列を成し、江戸・京・
大坂・名古屋など大都市では大学生が大挙して軍役を志願した。さら
に、公家・大名家の成年男子も進んで刀をとった。また、当時すでに
多くの特権を形骸化され、給与労働者・官吏に転身していた旧士族の
志願率の高さにも言及すべきだろう。こうして集まった22万余の若人
は、まさしく日本青年の最良の部分だったのだ。
299世界@名無史さん:02/03/22 22:27
コテハンを名乗るか題名をつけるかしたほうが良いと思われ。
300山野野衾:02/03/22 22:31
>298
これはこれは。新入りさん、歓迎致しますよ。ところで時代背景と現状の御
説明の方をお願い致します。
しかし、地名が江戸や京のままなのが良いですね。それに信長から300年
という事は19世紀のお話でしょうか。
301298:02/03/22 23:01
浅草の茶屋からも、北浜の金融街からも、五条坂の窯元からも若
者の姿は日に日に減っていった。袴姿の大学生が行き交う学生街
が静まり返る一方、日本全国の軍需工場では嵐のような大増産
が行われていた。機関銃から褌まで、現代陸軍が行動するために必
要なあらゆる物資が前線ではなく銃後で祖国に貢献することを選
んだ男達による昼夜を分かたぬ努力によってこれまでにない速度
で生産されていった。
一方で、先遣隊として長江戦線に投入された第2海兵連隊(堺)の
将兵は、この戦争が全く新しい形態をとっていることを知覚のみな
らず身をもって知ることになる。間断無く飛来する敵重砲弾、一
定の旋律で中華民国兵を殺戮する機関銃、鉄条網に引っかかった死
体。塹壕の中国兵は疲れきり、ここかしこに発狂した砲弾病兵士
が声にもならないうめきを洩らす・・・濃紺の制服に威儀を正し、
博多から熱狂的な歓呼の声に見送られて海を渡った海兵隊員はこの
陰惨な光景に息を呑んだ。彼らが幼少の頃から読み親しんだ軍記物
語や祖父から聞いた第2次満州戦争の英雄物語や伝説は、近代戦の
轟音にあっけなく粉砕された。鎌倉時代以来、戦国、海外雄飛の時
代に渡って日本将兵に受け継がれてきた武士道はその黄昏時を迎え
つつあったのである。
302298:02/03/23 00:01
閑話休題、ここで当時の日本皇国の国際的立場をかなり端折って
ではあるが整理してみようと思う。日本の近世以降の運命を決定
付けた最大の事件として織田信長公の天下統一を挙げることに異
論は無かろうと思う。戦国の乱世の中ですでに沸き立っていた国
内の経済活動は、油を注がれた炎の如く燃え上がり、国産兵器・
陶磁器・銅などの特産品は国内市場のみならず海の向こう側へと
そのはけ口を求めて輸出された。当時の明朝は海禁策をとってい
たため、堺・近江・博多などの商人は南蛮から伝えられた造船術・
航海術を駆使し、大挙して東南亜細亜や印度へと乗り出していった。
欧州人との交易活動もこのころから活発になっており、堺や雑賀で
製造された火器が欧州で使用されたとの史料も発見されている。
また、信長時代末期の出来事として、新大陸への探検行が挙げられる。
織田信長公の命を受けた豪商たちによって出資・結成された
文禄遣東船団は、文禄元年に大阪を出発、布哇諸島を経由して東進、
ついに未知の陸地へ上陸した。そう、狭い湾口と静かな湾内が博多
湾に似ているその地こそ、現在、当時の日本人町や博多城が世界遺
産登録されている大和民国の古都(大和人がこう自慢するたびに、
我々日本人は苦笑するのだが)、新博多市なのである。出発から2年
後に、新大陸(つまり大和大陸)の珍しい動植物標本や鉱物資源を
土産に大坂へ凱旋した探検団がもたらした情報は、国内で信仰の自由
を制限されていた一向宗門徒や切支丹たちへのまさに嬉しい報せであ
った。そして、全国の豪商もこの新天地に、過当競争の感さえあった
亜細亜貿易に代わる無限の可能性を見出していた。(ここまで書いて、
なぜ大和弁が近江弁や博多弁、河内弁の影響を色濃く残しているのか
について考えを巡らせた方もおられるだろう。これについては幾多の
先達が興味深い名著を著している。そちらを参照されたい。)・・・
続く

妄想が膨らんで収拾がつかなくなってきた・・・
303 :02/03/23 00:04
>>302
だいじょうび、文章をすっきりまとめれば収拾つく。
304妄想電波之介:02/03/23 00:04
>moさん
>危機感を感じた蒋介石・氏は、1937年12月13日南京において、
>反共・反奉天のクーデター(南京クーデターと言われている)を起し、

心憎いですネ>技、確かに見届けました。

>298さん
初めまして!19世紀物ですか?楽しみにしてます!

305SSBN:02/03/23 01:01
>>298
(・∀・)イイ!
大和民国とか見ると、佐藤大輔を思い出し、続刊新刊を夢見て涙で枕をぬらしてしまう罠
>>302
>妄想が膨らんで収拾がつかなくなってきた・・・
妄想を膨らまし続けるのも一興鴨。がんばってください

HPのほうですがこうしたらもっと(・∀・)イイ!のあったらメルするなり書くなりしてください。
306幻想の語り部:02/03/23 11:25
>>305

 同感ですな。

 今、私は日米戦争の前哨となる”マジノ危機(ソ連を片付けてベルリン条約の名の
もとに欧州統一を目指すヒットラーと彼に立ち向かう米英の対仏支援から始まる軍事的
緊張の事件。ドイツによるV-2改原爆ミサイル実験成功とヒットラーの申し出た
”地球保全条約交渉”により収束する)”と、ドイツによる日米離間作戦。

 その後で起こる日米戦争の開幕から終幕までの状況を思案中。

 開戦時期は1947年ごろの予定。

 この世界の米国は史実をはるかに越える強敵となった日独に対し、前進翼式のP80改をはじめ
ステルス性を高めたB49全翼ジェット爆撃機を繰り出して、日本側を苦しめます。(史実の米国
は戦争が長引いた場合前進翼式のP51を開発する予定だったそうです。)

 なお、その新兵器とは核兵器ではありません!

 空間歪曲兵器です。

 私の世界では米国は1945年から遅ればせながら”マンハッタン計画”と”ミラージュ計画”
という兵器開発計画を進めており、ミラージュ計画は五大湖付近の巨大研究施設で
進められ、その成果がドイツ原爆をしのぐ兵器として(実験的な水準ながらも)製作され、
一部は実戦に投入される予定です。

 初期の空間歪曲兵器には三つの特徴があり

1)物体の転送(テレポート)
 数十キロから数百キロ程度の距離で核兵器や戦艦を転送し、日本艦隊中枢部を攻撃。

2)幽霊化(フィールド・ステルス)
 物体固有の振動率を変換し、4次元空間へ徐々にスライドさせることで、視覚で捕捉
することはおろか物理的な破壊作用が及ばなくなる。

3)時空破砕
 空間諸共目標を異次元へと転送。
 防ぎようがない上、標的となった周囲の空間にも多数の次元破口が開いたままとなり、
空間補正を施さない限り、その空間は行き先不明な神隠し現象の頻発空域となって
航空機や船舶の通行は危険となる。

の効果があります。(ただ初期の兵器は莫大な動力を食う上、制御不十分な危険兵器と
なっています。)

 まあ、あくまでも予定ですが・・・
307幻想の語り部:02/03/23 11:27
訂正します

なお、その新兵器とは核兵器ではありません!
     ↓
なお、米国起死回生の新兵器は核兵器ではありません!
308幻想の語り部:02/03/23 12:04
今創作中のシナリオをの元ネタとして、私がかつてヤフーに投降した第二次大戦逆転の
シナリオをお教えします。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&board=1835559&tid=a43a4a6a49a4la4pbea1a4fa4bfa1aabgel0a1c0oah&sid=1835559&mid=&start=201

の画面で204から258のLackman_Tevalleyの投稿です。

日本とドイツが勝つ上での基本的なアイデア。
日本がやらねばならない改革。
多くの人が知らないドイツの原爆開発情報。

実際にドイツが原爆を開発したときの米国とドイツの政治的思惑等など、当時の
私の考えが付け焼刃ながら出ており、その世界設定を徳川信康以降数百年もの時間を
かけて作り直してもうすこし面白くしてやってみようと考えております。
309世界@名無史さん:02/03/23 13:33
大ちゃんはもうRSBCと皇国しか書かんのかな・・・?
310妄想電波之介:02/03/23 22:38
これまでのあらすじ(wっていうか電波(藁

イタリア統一の野望を抱いたチェーザレ・ボルジアは、若くして死んだ。
だが、チェーザレの娘ルクレチアは、苦難の末、東の果て日本に亡命する。
その地で彼女は、織田信秀と結ばれ、信長を生む。
成長した信長は、その才幹をいかんなく発揮し、並み居る強敵を葬って
遂に日本を統一する。(1575年)だが彼の野望は、日本に止まらない。
彼の最終目的は、母の国イタリアを攻略し、新たな帝国を作ることだったのだ。
一足先に、腹心の羽柴秀吉を親善使節として欧州に送り込んだ信長は、盟友
徳川家康に日本の後事を託す。そして自らは準備を整えた1578年、大軍団を
もって太平洋に向けて出発した。義弟浅井長政と百戦錬磨の諸将と兵士を連れて。


311妄想電波之介:02/03/23 22:40
1577年8月1日、親善使節羽柴秀吉とその一行は、ローマのサン・
ピエトロ寺院にて、時のローマ教皇に謁見した。数ヶ月前、リスボンに
上陸していらい、各地で大歓迎を受けながらの移動は、遂に終着点を迎
えたのである。主席大使羽柴秀吉は、日本国覇者織田信長(太政大臣)
の親書を手渡し、日本と欧州各国の友好親善を高らかに提唱した。

「まるで人語を話す猿だ、というのでローマ市内は、秀吉公を一目
 見ようとする人々で大賑わいでした。ある古老の話によると、
 サッコ・ディ・ローマ以来、これほどローマの民衆が嬉々とした
 ことはなかったとか。私は、知り合いの上流夫人連に頼まれ、
 秀吉公との面会を仲介しましたが、ご婦人方は皆々、彼に
 「喰われてしまった」ようです、、、、、、、」

当時の駐ローマ、ヴェネツィア共和国大使マルコ・ゼンが本国に報告
した機密文書の一部である。

この時点で、信長とヴェネツィア共和国の密約(軍事同盟)が成立して
いた、という史家は多い。筆者もそう思っている。何故ならば、信長が
地球を半周廻って、欧州に到達するためには、この海洋都市国家の協力が
不可欠だったからである。「歴史上、類い希な協力関係」とも評される
この盟約は、信長の意を受けたヴェネツィア人グループがクーデターを
成功させることで(1583年6月)、盟約から支配に変わることになる。

なぜヴェネツィアは、信長と盟約を結ぶ必要があったのだろうか。

ハプスブルクとオスマントルコという二大帝国に挟まれていて、
このままでは、座して滅亡を待つのみであった、、、という状況が
この地中海の女王をして、西洋と東洋の混血児信長との同盟に向かわせた
のである。

羽柴秀吉は、ローマ訪問後、その本拠地をヴェネツィアに置く。
そこから、あらゆる工作を豊富な資金力を持って指揮する。
不思議な魅力を持った猿面冠者の知遇を得ようと各地から人がやってくる。
誰も秀吉が日本に帰らないの事を不思議には思わない。
「このヴェネツィアの地が気に入りましたのじゃ」覚えたてのイタリア語に
人々は感心して鵜呑みにしている。
1000人とも言われている随行員が、数十人ずつのグループに分かれて
欧州各地に散り、その地の情報取得や言語習得に励んでいることに、将来
征服される人々は誰も気付いていない。
5年間秀吉は、様々な布石を打っている。
彼が忠誠の全てを捧げ、心酔している主君の到来を待ちながら。

312妄想電波之介:02/03/23 22:41
1582年末、スペイン王フェリペ2世は、愕然としていた。
スペイン帝国の富の源泉である新大陸植民地が見知らぬ敵によっ
て全て奪われてしまったのだ。新大陸から湯水のようにわき出る
銀無くして、スペインは何もできない。すぐさま討伐軍を送った
が、2度に渡り返り討ちに遭ってしまった。

つい2年前、ポルトガルを併合し、その植民地をも押さえ、欧州
における覇権を手にした事が嘘のようだ。これからネーデルラント
の小癪な独立運動を潰し、その背後にある小生意気なエリザベスを
叩きつぶし、父帝カール5世が成し得なかったオスマントルコ撃破
を実現させなければならないというのに。

王は側近を呼び、来春までに3度目の新大陸討伐を厳命した。

翌年春、3度目の遠征軍は出発したが、やがて散々な結果が
報告されてきた。
何よりも痛いのは百戦錬磨のアルバ公が戦死した事だ。
スペイン王は、その敗報が信じられなかった。そうこうしている
ウチに、大西洋の彼方から謎の大船団がやってきて、スペイン領
シチリア島を制圧してしまった。アッという間の出来事である。
驚くべき事に、その軍団とは極東の国日本の兵士達だというのだ。

最早、欧州はパニック寸前だった。
ヴェネツィアに駐在しているという日本国親善使節羽柴秀吉の
引渡しをヴェネツィア共和国に要求してみたが、梨のつぶてである。
新大陸の植民地を奪ったのも、日本軍だと判明した。彼らは現地の
インディオを懐柔し、今や富を独占している。シチリアは瞬く間に
彼ら日本の「領土」となるであろう。
そして遂に敵の首魁の名前が判明した。オダノブナガ。
スペイン領ナポリの総督から援軍を求める火急の使者も到着した。
もう誰に目にも大混乱は明らかだった。

だが、フェリペは負けてはいない。
不屈の意志を持つ王は、直ぐに自己を取り戻した。
これはカトリックの守護者たる自分に神が与えた試練なのだ。
必ず克服しなければならないし、克服できることは自明の理だ。
最後までカトリックの名誉を守り続けた父帝に恥じぬ行いをする。
東洋の汚れた猿などは、神の栄光の前には跪くしかない筈である。

「直ぐにフランス、イギリス、ローマ各国駐在の大使に命令せよ。
 我々、キリスト教諸国は一致団結して蛮族を討ち破るべし。」

対信長十字軍の結成である。
313妄想電波之介:02/03/23 22:42
カトリーヌ・ド・メディシスは、スペイン王フェリペの申し出を
快諾した。
11年前の聖バーソロミューの虐殺は、彼女に勝利をもたらし、
カトリックの勢威を増した。ユグノー側の旗印、あの鬱陶しい
アンリ・ド・ナヴァールも、内心はともかく彼女に従っている。

この上は、いきなりこの世界に侵入してきた東洋の蛮族を、我が
フランスの手で、息の根を止めてやろうではないか。
おそらく死んだノストラダムスが予言した「恐怖の大王」とは、
あのボルジア家の血を引くノブナガとやら、なのだ。
我が宗家メディチとあのボルジア家とは100年の因縁がある。
あの悪魔の子チェーザレ・ボルジアが死してなお、メディチ家
に災いを為すとは、、、、、。でも、予言の通り事が進めば、
恐怖の大王を退治する「マルス(軍神)は、我が子フランス王
アンリ3世なのでしょう。神にご加護を感謝しなければ。

だが、その頃シチリア島では、信長がシチリア人を相手に見事な
イタリア語の演説を行っていた。

「シチリア人、イタリア人諸君、君達は失ったものを取り返す
 べきだ。私と私の軍団は、諸君をスペインの圧政から救い出
 した。しかし、まだ終わりではない。何故ならば諸君は、
 イタリア人だからである。イタリアの現状を見よ。
 スペイン、フランスなどの外国人に支配されているだけでは
 ないか。諸君の富は彼らに奪われているのである。
 それでいいのか?このまま、外国人に屈するのか?
 諸君らイタリア人は、かつて世界を征した。
 マーニャ・グレチア(偉大なるギリシア「植民地」)
 マーレ・ノルストウム(我らが海「地中海」)
 、、、の時代である。栄光の時代を思いだそうではないか。
 ホーエンシュタウフェン家の時代を思いだそうではないか。
 400年前の「シチリアの晩鐘」を再現するのだ。
 諸君の失われた富、奪われた富を取り返しにいくのだ。
 イタリア人よ、私には半分あなた方と同じ血が流れている。 
 さあ、行こう。イタリアを救いに。全ての富を取り戻す為に!」

1583年7月、織田信長とその日本人軍団、及びイタリア人軍団は
海峡を渡り、イタリア本土に上陸した。直ちに半島最南部を制圧し、
転じて北上する。行き先は、誰の目にも明らかである。

314山野野衾:02/03/23 22:55
ボルジアに対抗心を燃やすカトリーヌがイイ!ですね〜。
私は当分の間書き込めそうにありませんが、続きを楽しみにさせて戴きます。
315妄想電波之介:02/03/24 00:00
やあ、山野さん、アリガトウ!
ちょっと、というか電波バリバリでしかもスカスカ度が高くなってしまいました
それからシチリアの晩鐘は1282年だから、、300年前でしたね。訂正スマソ
316妄想電波之介:02/03/24 01:38
これまでのあらすじ その2 新大陸編 (電波w
これはテコ入れの為、アップしましたが、結構楽しかった。

スペインの植民地で、酷使される現地住民の「私」。
彼は何の希望も無く、日々、白人に殺されないことだけを願って
生きていた。
しかし、謎の兵士達が、あっという間に白人達を皆殺しにする。
驚く住民達。そして遂に信長が彼ら前に現れた。
317妄想電波之介:02/03/24 01:39
謎の男達が跪いた先には、彼らの主らしき人物が立っていた。

その男はいきなり我々の言葉で喋った。

『 私はミキストリの化身である。
  あなた方アステカの民は、ケツァルコアトルの呪いに
  より白人達の奴隷にされた。 』

その通りである。
太古の昔、我々アステカの民は創造神ケツァルコアトルを
軍神テスカポリカの策略に乗って、追放した。
そのときケツァルコアトルは、こう言ったという。
『 私は必ず、この地に戻ってくる。
  そして、人々に不幸をもたらすだろう。 』

この伝説はアステカの民ならば、誰でも知っている話だ。
白人達が、この地にやって来たとき、皇帝モンテスマは
ケツァルコアトルが帰ってきたと思ったという。皇帝は
恐れをなして、すぐさま白人達に財宝を送った。それから
白人の横暴が始まったのだ。もう数十年前の話だが。

『 私は死を司る神、ケツァルコアトルよりも強い神、
  ミキストリとして、あなた方アステカの民を救いに
  来た。もはや苦難のときは去った。私と共に
  来るがいい。アステカの民に平和が戻るだろう 』



あれから何年か経った今でも、初めて信長様に会ったときの
記憶は忘れられない。人々は嘗ての暮らしを思いだし、率先
して、信長様に銀を献上した。白人達は皆殺しにされ、我々
の地に白人は一人もいなくなった。再び白人達が攻めてきた
けれども、全て皆殺しにした。

しばらくして信長様は、海を渡ると言い出した。
私達は泣いて引き留めたが、海の向こうに逃げたケツァルコ
アトルが再びやってこないように、とどめを刺しに行くらし
いのだ。その為に、信長様はあの何万人もの兵士を連れて
きたのだとも言う。

私は志願して、信長様達と一緒に海を渡った。後で判った
ことだが、伝え聞くインカの地の民も白人から救われたらしい。

ローマという地までやってきたが、ケツァルコアトルらしき
神は姿を現さない。だが、ここへ来る前に沢山の白人を殺した。
今までの復讐だからである。数は少ないが私達アステカの民は
信長様を一番近くでお守りする兵士となった。

(こっちの電波編はおしまいm(__)m)

318妄想電波之介:02/03/24 14:53
僕の名前は、ジョバンニ・オルシーニ。21歳だ。
一年前から、この地中海の孤島マルタで、聖ヨハネ騎士団の
一人として、戦っている。相手はトルコ海軍やイスラム海賊
達だ。ときどき、ヴェネツィアの商船を襲ったこともある。
彼らは、キリスト教徒なのに、イスラムと堂々と交易してい
るからね。ウチの騎士団のお偉方には、それも襲撃の充分な
理由になるらしい。

聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)は、もともと十字軍時代に
パレスチナで結成された。巡礼者への奉仕が主な仕事だが、
時代を下っていくにつれて、異教徒との戦いが主になった。
十字軍が終わりを告げ、キリスト教勢力がパレスチナから
一掃されると、紆余曲折の末、聖ヨハネ騎士団は、ロードス
島に移った。ここで1522年にスレイマン大帝率いる
トルコ軍に敗れるまで、キリスト教世界最前線の砦として、
イスラム勢力相手に大活躍した。

本拠地ロードス島を追い出されてから、カール5世の傘下に
入り、マルタ島に移りマルタ騎士団と名乗ることになる。
1566年のトルコ軍からのマルタ島防衛は、今でも語り
草だ。騎士団は小規模ながらも海軍を持っているので、あの
レパント海戦(1571年)にも参加している。

正直、僕はマルタ騎士団になんか入りたくなった。
オルシーニという性が示すように、僕の実家はローマ郊外に
ある。だけど、あの有名なオルシーニ本家ではない。分家の
分家といった格付けだ。僕は三男坊だから、仕方ないし、
父も母も本家に頭が上がらないからね。本家のお坊ちゃんを
危険な海上任務に出すよりは、名前だけでもオルシーニを
持つ男を騎士団に入れれば、本家としても格好が付く
わけだ。

そんなワケで僕はもう一年間、トルコ人相手に命のやり取りを
してきた。何度か死にそうな目に遭ったが、何とか切り抜けて
きたようだ。時折、故郷に残してきたアンジェラの悲しそうな
顔が目に浮かぶ。ごめんよ、アンジェラ、許しておくれ。
騎士団員は神に仕える身だから、妻帯は許されない。
僕が故郷に帰れるとしたら、トルコ人相手に死んだときなんだ。

319妄想電波之介:02/03/24 15:10
永遠に、(死ぬまで)トルコ人相手に戦うと思っていた僕らが
ちょっと様子が違ってきたぞ、と思った事が起こってきている。
我が主君であるスペイン王国が、新大陸の植民地を悉く失った
らしい。相手は極東の国から来た日本人だという。そういえば、
学生の頃、ローマで日本から来たというヒデヨシという男を、
アンジェラと一緒に見に行ったっけ。とても猿に似ていた。

そして今年(1583年)5月、僕は今まで見たこともない
大艦隊がマルタ島沖を通り過ぎて行くのを、島の見張り台から
目撃した。それが日本の大艦隊だった。聞けばヴェネツィアが
背後に控えているらしい。そういえば、宿敵トルコの動きも
おとなしくなっていた。何でも、ヒデヨシの煽動に乗って、
ペルシアが大規模な戦争を、トルコに対して仕掛けたという事だ。
トルコ側の旗色は悪く、とても地中海側に力を入れることができ
ないのだと言う。

新たな命令がスペイン王から下った。
それは、騎士団の海軍力の全てをもって、新大陸からシチリア島に
向かう敵の大船団を叩けというものだった。早速艦隊が編成され、
出撃することになった。勿論、僕はイタリア隊の一員である。
(騎士団は出身国ごとに編成される)

敵艦隊は大型帆船3隻!!偵察船からの情報を元に、僕らマルタ艦隊は
手ぐすね引いて敵を待っていた。どうやら、敵本体とはぐれたらしい。
格好の獲物だ。司令官の攻撃命令が下される。僕達は相手の船に乗り移る
準備をしながら、接舷を待った。

一番先頭を行く船にアリが群がるように接舷する。騎士団の船は、
長距離には不向きだが、機動性に富んでいる。白兵戦になれば
此方のモノだ。歴戦の強者が何十人と敵船に侵入していく、、、

そのとき、だ。


320妄想電波之介:02/03/24 15:32
信じられない光景だったんだ。
敵の大型帆船がいきなり大爆発したんだ。
つまり罠だったってことだ。初めから隙を見せておいて、
火薬を満載した船に、此方を誘い込む。

浮き足だった騎士団側に追い打ちをかけるように、どこから
ともなく小舟が何十艘も近づいてきた。異様な甲冑を付けた
敵の兵士達が満載されている。日本人に違いない。
瞬く間に白兵戦になった。

僕は懸命に戦った。多分、一時間後には、僕は死んでいるだろう
けど、だからといって敵の捕虜になるのはゴメンだ。日本人自体は
それほど残虐ではないらしいが、敵の一部隊通称「アステカ親衛隊」
の残虐さは有名だったからだ。多分スペイン人に対する恨みだろうが、
彼らインディオにはスペイン人とイタリア人の区別はつかないと思う。

気がついてみたら、抵抗しているのは僕の乗っている船だけだった。
旗艦は占領されて、騎士団旗は引きずり降ろされているようだ。
とにかく彼ら日本兵は鉄砲の使い方が上手い。狙い撃たれて次々に
味方が倒れる。そして怯んだ所を白兵戦に持って行かれるのだが、
日本人の使う剣は独特だが、斬れ味が我々の剣よりも鋭いのだ。

少なくとも、僕は4人の敵を殺した。もう充分かもしれない。
もともといつかは、こういうときが来ると思ってた。
相手がトルコ人じゃないってことだけだ。

「 私は、信長様にお仕えするサナダ ユキムラという者だ。
  貴公の勇戦ぶりに敬意を表する。次は私がお相手する!」

正確なイタリア語だった。不思議な気もしたが、とにかく応戦した。
とても強い男だった。僕も剣には自信があったが、この同年輩の男は
更に強かった。20合近く撃ち合った後、僕は肩口を斬られ、剣を
落としてしまった。勝負がついたわけだ。

ユキムラが僕を見下ろす。
なるたけ苦痛を与えないでくれよ。寧ろ清々しい気持ちで笑顔を向けてやった。
さよなら、アンジェラ。幸せに。

321妄想電波之介:02/03/24 16:07
今やスペイン領ナポリは、風前の灯火だった。
上陸した信長軍団は各地でスペイン軍を撃破する。
ナポリ総督コルドーバは、信長の息子信忠直属の精鋭に包囲され
戦死した。

更にクーデターによって信長の麾下に入ったヴェネツィア軍南下の
情報がローマに伝えられる。時の教皇グレゴリウス13世は狼狽し、
ヴェネツィア出身のフォスカリーニ枢機卿を信長の許に派遣し、和を
乞う。ところが、フォスカリーニ枢機卿自身が信長に付き従う始末で
ある。

信長軍は各地で大歓迎を受ける。
スペインの圧政から解放された喜びは、民衆にとってみたら切実な
ものだったのである。各地の異端審問所が破壊されていった。

いち早くフィレンツェのトスカーナ大公国フランチェスコ・メディチは
大公妃ビアンカ(ヴェネツィア出身)の助言に従い、信長に降服した。
イタリア諸侯の中でも有力なメディチが信長の傘下に入ったことにより、
イタリア中に雪崩現象が起こった。残るはローマの教皇だけである。

「ノブナガ!ノブナガ!イタリア解放の父!平和の守護者!」

圧倒的なローマ市民の歓声に見舞われながら、信長がローマに入城した
のは8月1日正午。要塞カステル・サンタンジェロでは、教皇が震えて
信長との会見を待っていた。

「 私織田信長は、法王猊下をお守りするために、海を渡って参りました。
  私の勇気と忠誠を信じて下さるのならば、私にローマに仇為す者を討つ
  お許しを頂きたい。」

命はない、、、と怯えきっていた教皇はこの信長の言葉を鵜呑みにした。
直ちに信長は教会軍総司令官に任命された。これによってイタリア内の
反信長勢力は大儀名分を失った。丁度、祖父チェーザレが、同じく、
教会軍総司令官たる地位を駆使したように。
322mo:02/03/24 16:16
幻想の語り部さん
空間歪曲兵器>(・∀・)イイ!
これ、宇宙開発にも使えますね。

妄想電波之介さん
技、確かに見届けました。>
いえいえ、全部妄想でやると、混乱してきちゃうので、現実も少し混ぜて見ました。

298さん
ガンバッテ!、書いている内に、妄想も収拾つきますから。
323妄想電波之介:02/03/24 17:13
こうしてイタリアを制圧した信長だったが、スペイン、フランスを
中心とした対信長十字軍は、スペイン領ミラノに集結した。
その数約10万人。戦争終結後のイタリア分割を約して、獲物を
求めて南下する。

対する信長は、トルコ軍のシチリア、カラーブリア地方攻撃に対する
防衛に兵力を割かれた為、約3万人だった。

1584年2月、両軍は、中部イタリア要衝の地ラヴェンナで激突する。
史上名高い第二次ラヴェンナ会戦である。1512年のときは
フランスとスペインの戦いではあったが。

戦況は一進一退ではあったが、数に勝る十字軍側の突撃を、信長軍の
鉄砲隊が良く防いでいる。そして十字軍の突撃の勢いが弱まったとき、
信長の命により、戦場を大きく迂回した浅井長政率いる騎兵部隊が
十字軍の背後を突いた。数万の十字軍は一斉に背後を振り返る。
殺戮が始まった。

この一戦で、信長の勢力は飛躍的に伸びた。
フランスでは、アンリ・ド・ナヴァールが、反旗を翻し、信長と
同盟する。3年後クートラの戦いで、彼が勝利できたのは、信長の
援軍のお陰だったことは良く知られている。摂政カトリーヌは
自殺した。

スペインは一気に没落した。
ポルトガルに反乱が起こり、王の一族はフェリペ2世を殺し、
信長に降服した。信長は、ジブラルタル付近をイタリアに割譲させ、
講和を結んだ。今日のジブラルタル公国の起源である。

324妄想電波之介:02/03/24 17:14
イギリスは、エリザベス一世の下、最後まで信長に抵抗を続けるが、
1585年、アルマダ沖海戦で信長軍に大敗する。指揮をしていた
ドレーク卿、ホーキンス卿は共に戦死。上陸した信長軍を、女王
寵臣ウォルター・ローリー卿率いるイギリス軍がヘースティングス
の地で迎え撃つが、逆に大敗北を喫する。ただこのときの戦いで、
ローリー卿が潜ませた刺客が信長を狙うも、秀吉が身代わりになる、
という事件があった。名古屋市中村区にある「身代わり猿」神社は
400年以上、秀吉を祀っている。

因みに、エリザベスを幽閉した信長は、逆に幽閉されていたスコット
ランド女王メアリー・スチュアートを解放、イギリス女王の位につけた。
以後イギリスは内政に不安を持つ国となるが、信長に反抗することは
無い。

オランダは天才的武将オレンジ公マウリッツが、当初信長に抵抗するが、
信忠率いる遠征軍に敗北、以後は信長の忠実な同盟国となる。因みに、
後のフーゴー・グロティウスは少年のとき信忠に謁見したが、信忠は
「この少年は、オランダの奇跡だね 」と言ったとされる。

ドイツ諸侯は相変わらず乱立していたが、信長の勢力が伸張するにつれ、
次第にライン川以北に押し出されていった。

信長は、1588年、ローマ帝国の復興を宣言。自らローマ皇帝の
地位につく。本国イタリアを中心とした富国強兵体制を整え領土を
拡大していった。1593年、息子信忠の遠征軍が海から、コンスタン
ティノープルを急襲し、陥落させる。このときの信長の喜びようは、
大きかった。

1601年、日本からの親善使節徳川信康を迎えた席で、信長は倒れる。
この頃から身体に変調をきたしていたらしい。そして3年後、70歳の
生涯を閉じた。彼の創った帝国は、息子信忠の代に極盛期を迎えるだろう。
その後は、残念ながら100年以内に、織田=ボルジアの血は途絶える。

帰国した徳川信康は、父家康の跡を継いで、日本本国を更なる積極拡大策で
繁栄させる。信康は信長の死の間際までローマに滞在したが、その影響は
大きかったようだ。

歴史家、哲学者のフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト博士は、言う。

「 織田信長は、人間の奇跡である。 」



おしまいm(__)m
325妄想電波之介:02/03/24 17:16

チョット仕事、私生活に追われて最後はだいぶ端折ってしまいました。
いつかキチンと勉強して、もう少しマシな形にしたいものです。
でも、このスレで長年のネタを披露することができて楽しかったッス。
お付き合いして下さった方々、本当にありがとうございました。
今度は観客としてスレ完走を応援します!

326mo:02/03/24 18:34
妄想世界史・付記7

日米の開戦は、世界に衝撃を与えた。

ソ連は単純に喜んだ、日本と米国が争う事は、
将来と現在の敵が潰し合いをしているのだから。

欧州連合軍にとって、既に対ソ連戦のパートナーである日本が、
行動の自由を失ってしまった事。
米国を味方に引入れる事が、当分出来ない事(当然、支援も望めない)は、
深刻な影響を与えていた。

さらに、在フィリピン米軍による、台湾空襲・マレー仏印空襲・上陸によって、
(注※この頃の在ヒ米軍は、空軍・陸軍・海軍共に大規模な強化がされていた)
亜細亜・欧州連絡線遮断の危機が迫っていた。

だが、マレー・ボルネオ北部は第16軍(今村均陸軍中将)の的確な指揮により、
米軍相手に、一歩も引かなかった。
また、日仏間の合意により、日本軍駐屯がされていなかった仏印では、
(注※仏印軍は装備・士気とも米軍の相手では無かった、瞬く間に降伏してしまった)
ビルマ・インドに展開していた第15軍(飯田祥二郎陸軍中将)から二個師団、
台湾から一個師団が、台湾に展開していた海軍第三艦隊・陸海航空隊と協力して、
米軍と戦った。
(注※後に、第11軍(阿南惟幾陸軍中将)と交代して、原隊に復帰)
海でも、日米艦隊は激しく戦った。
最初は、観艦式にて戦艦を狙った、ハルゼー艦隊追撃戦。
(注※天皇陛下ご臨席の、この式典に米内首相・東郷外相が出席していたため)
(米の宣戦布告が遅れると言う、米にとっての不幸が発生していた)

この戦闘により、米空母2隻(ヨークタウン・レキシントン)の撃沈に成功していた。
もっとも、日本艦艇の被害は大したものだった。
航空攻撃により、戦艦・伊勢大破、戦艦・扶桑沈没、
軽空母大鷹沈没を主に各種艦艇に被害が出ていた。
艦艇側は実弾が厳重に保管されていた為、迎撃開始が間に合わなかったのだ。
空母艦載機はそうでもなかった、電探によって不十分であるが迎撃が出来たからだ。

これが、1930年代に英・独の技術者を招いて、
陸軍がソ連爆撃機を効率的に、迎撃するために研究していた対空電探を、
海軍が、艦隊搭載を可能にするべく改良した、艦艇用対空・対艦電探の効果だった。
327山野野衾:02/03/24 21:39
妄想様・・・有難う御座いました!感動!
328298:02/03/25 00:49
信仰の自由を求める者、富を求める者、そして新天地に望みを託す農民
が海を渡っていった。その数は植民開始から皇紀2300年までの30年余りで
80万に達したという。新博多や文禄浄土など、現在の大和民国文禄ヶ原地方は
この時期に形成されたのである。東南亜細亜、印度、古南大陸、南洋諸島に広
がる貿易拠点は大坂や堺、博多へと莫大な富と知識を送り出し、日本人の視野や
価値観を根底から変えていった。
信長公はこうして日本民族の種が世界中へ根付いたのを見届けるように、皇紀
2262年5月4日に死去した。68歳であった。彼の死後、遺言により織田信忠が太政
大臣を継承した。(この後、羽柴、徳川などが太政大臣を務め、天皇陛下が統治
権を政所より選出される太政大臣に下賜、太政大臣が国政の最高責任者となる「立
憲制」が完成する。)
織田信忠、羽柴秀吉、徳川家光らのもと、日本皇国は幾多の対欧州紛争を有利な
条件で切り抜け、皇紀2300年代には琉球を沖縄藩として本国に編入、大和大陸、古
南大陸を親王殿下の御料地というかたち(実際には伊達・島津・前田など有力大名
が統治に当たった)で植民地とし、ブエノスアイレスからアレキサンドリアに至る
まで拠点を拡大した。
皇紀2400年代前半には、大和大陸植民地が激しい独立戦争の末に独立、大和民国
となり、日本人のみならず清・朝鮮・越南・シャムなど亜細亜各国から移民を
受け入れはじめた。社会の上層は現在に至るまで日系人が占めているものの、大和
民国が「民族のるつぼ」と言われるゆえんはここにある。
大和民国の独立は日本皇国にとっておおきな衝撃であった。しかし、この頃から
日本皇国は第一次動力革命、産業革命などにより世界最強国への歩みを加速して
いく。その波は亜細亜諸国をも洗っていった。
一方、欧州では植民地貿易が行き詰まり(その一因は日本の慶長小判などの良質
な通貨であろう。日本小判は瞬く間に亜細亜・太平洋・印度・中東に浸透した。)
、君主同士がトーナメントまがいの戦争を繰り返すだけであった。切支丹の宗派で
ある新教・旧教の紛争も社会を戦乱の蟻地獄へと引き込んでいった。和元冷戦が
終結した後、欧州で宗教紛争が再燃しているのもこの時代の新旧紛争が原因なので
ある。
明治天皇の御代、この遊星には、世界最大最強の海軍と日の沈まぬ植民地を持ち
「太陽の帝国」と呼ばれる日本皇国、清王朝衰退に乗じて漢民族国家を建国した
中華民国、長城以北の諸部族が団結して成立した一大陸軍国たる満州帝国、洗練
された食文化と儒教を誇る大韓帝国、大和大陸全土を版図に収めた新時代の大国
大和民国が列強として繁栄し、その他越南、シャム、マラヤ、ムガール諸藩国など
も欧州植民地からの恩恵に浴していた。
第一次世界大戦は、このような世界に勃発したのである。
329298:02/03/25 01:36
話を現代へ戻そう。既述の如く、第一次世界大戦は主戦線たる長江戦線では
憂鬱で凄惨な塹壕戦のかたちをとった。国民の最良の部分によって結成された
―――薩摩の農家の三男坊から近衛家の当主まで―――日本皇国大陸の将兵は、
まさしく「浪費」としか形容できない方法で唐土の露と消えていった。
大戦を通して97万の陸兵が海を渡ったが、無事凱旋したのは58万。実に39万の
将兵が戦死したのである。公家、大名家、そして士族からの志願兵(その殆どは
皇大、慶応義塾、大坂法学校、皇学館など最高学府の学徒であった)は、充分な
訓練も受けぬまま、ただ選良としての義務感だけを頼りに操典通りの突撃を行い、
先頭に立ち、そして満州の婦人工員に加工された機関銃弾に貫かれていったのだ。
しかし、それでも皇国軍は無様な様だけは見せなかった。すでに伝説の域に達し
ていた日本歩兵の精強さと沈着さはこの戦いで実証された。武士道と堂々たる威儀
という日本将兵の美風は機械的殺戮を生き延びたのである。当時の大陸派遣軍参謀
であった加藤敏岳中佐(後の太政大臣)の手記を引用する。
「ようやく南京を奪回した我々同盟軍は南京市の目抜き通りで凱旋行進を行った。
最初は大韓帝国軍だった。彼等は機敏に動き、華やかな制服に身を固めていたが、
ただそれだけだった。次は中華民国軍だった。中国的なものが全てそうであるように
、ただ数が多いだけで雑然としていた。次は大和軍だった。装備も良く、栄養状態も
良いようだったが、顔はいかにも大和人という陽気そうで覇気の無い面構え。
行列が途絶えた。各国の軍楽隊も遠ざかり、静粛があたりを支配した。そのとき
だった、あの冷静な法螺の音色が聞こえてきたのは。近衛歩兵師団、1万7千。漆黒の
近衛兵服はすりきれた土色の戦闘服に変わっていたが、将兵の赤銅色に焼けた顔には
なんともいえない威厳と自信が滲み出ていた。私は確信した。日本皇国こそ世界の
盟主、七つの大洋を制覇する太陽の帝国なり、と。」

御大の作品は中学生の時に出会いました。御大に新刊続刊予定を期待するのは、ま、野暮
ってやつでしょう(w
この妄想も「信長征海伝」が元ネタです。
詳しく述べられていない「日本皇国の近代」を勝手に想像してみました。ただ、
やはり御大へのオマージュ的妄想の域から出ることは私の知識と想像力では難
しいです。皆さんの豊富な知識や想像力には感服している次第です。
大学進学に伴って色々忙しいのですが頑張って書いていきますね。
330世界@名無史さん:02/03/25 02:38
黒槍のビッケが哲学者に!?(w
331桜47:02/03/25 03:37
欧州暦1500年代。
文明の先進国たる、欧州、亜細亜、亜米利加で機を同じくして大航海時代
が始まった。欧州は、スペイン、イギリスが、亜細亜は日本が、亜米利加は
マヤ第11王朝がそれぞれの担い手だった。。

だ、だめだ。。。妄想できない(;;)せっかく別スレでもしも亜米利加大陸に
旧大陸に匹敵する文明があったらを書こうとしたんだけど・・・。
もうちょっと充電します。。
332桜47:02/03/25 03:39
訂正

別スレで>別スレで盛り上げられた
333幻想の語り部:02/03/25 11:15
 moさん。

 空間歪曲兵器は技術の発展によって確かに宇宙進出にも使えます。

 なにしろ、空間歪曲=人工重力ですから。

 ただ、宇宙旅行に利用可能な強力な重力場を創出するためにはかなりの高出力と
精密制御が必要な為、その実現に人類は四苦八苦(最初に実戦投入された米国の
装置は結局暴走して味方にも被害が出ます。)し、21世紀頃にようやく火星までの
瞬間移動実験を成功させたいと思います。

 なお、その研究過程で発見された超希少資源の権益を日独勝利後の政治的な問題に
したいと思います。

 その代表的なものとして魂金(たましかね。英名:オリカルコス)というものを考えております。

 これは高次のエネルギー波に感応する性質があり、例えば人間のテレパシー波を
受けると光と熱を発する物質です。(超能力者のテレパシーや気功家の気を受けると
眩しく輝き、灼熱化します。)

 その為、これを含有する素子やユニットは人間の意志に感応して作動する機能を持ち、
これを仕込んだ電子機器は思考入力による精密制御が可能なようにします。

 空間歪曲装置の実用化(重力の精密制御)はこの資源なくしては不可能とし、その
採掘地は(陸地では)パプア島某所と日本の近畿地方に限定します。

 戦後、米国東海岸地帯をオグラントとして併合した大ドイツは、このオリカルコスが
太陽から発される高次元のエネルギーをも光と熱に変換する現象を利用して、在来の
技術では考えられない高出力の太陽エネルギー集積発電所をベルリンに建設し、
そこから世界のエネルギー供給を一手に掌握する事を考えます。

 しかし、必要十分なオリカルコス資源はことごとく日本の勢力下に入っており、
旧領回復と復権を目論む米国は日本に再接近し、ヒットラー暗殺事件による政権
交代劇により再び緊張関係が始まるという展開もいいかもしれません。

 なお、私の世界では日本も先進国として英国以上の科学を持って競い合っていますので、
史実の日本と比べても科学分野で50年、技術分野で10年から20年進んでおります。
 史実日本で独創的な発見を無視したような無能な学者は私の世界では助教授
が止まりにさせるつもりです(w
334世界@名無史さん:02/03/25 13:45
未訳の海外SFで「中世にペストで欧州の人口が10分の1以下に大激減。そこから立ち直れないまま16世紀に大西洋を越えてきたアステカ帝国に征服されてしまう」
というのがあるらしいが、こういう改変も面白いとおもうがどうだろうか。ちなみにこの作品では英国はウィンザーではない王家が統治し、アステカに対する抵抗運動がひそかに行われている。
335世界@名無史さん:02/03/25 22:05
336世界@名無史さん:02/03/25 22:33
>>334
そのタイトル きぼんぬ
337世界@名無史さん:02/03/26 14:14
>>336
ゴメン、ちょい前のSFマガジンのコラムで紹介されてただけなんで、題名は覚えてない。
かわりにといっちゃなんだけどPaul McAuleyの「Pasquale's Angel」というのを紹介しておく。
ttp://www.sfsite.com/05b/pa81.htm
こちらはルネサンス期にダ・ヴィンチらによって産業革命が進行し、蒸気機関や写真が存在する世界。
そこでラファエロが巻き込まれた事件を新聞記者マキャベリが捜査するという話らしい。
マコーリーは日本でも翻訳されているのでうまくすれば日本語で読めるかも。
90年代の欧米SF界では、まるで日本の仮想戦記ブームと歩調を合わせるかのように歴史改変物がはやったそうだ。
このほかには、南極に落下した反物質彗星を強大なエネルギー資源として利用し、大帝国を築いた19世紀末イギリスが舞台の「Anti Ice」なんてのがある。
338世界@名無史さん:02/03/26 15:05
と書いたあとで海外の歴史改変SFサイト
ttp://www.uchronia.net/
でそれらしいのを発見
ttp://www.uchronia.net/bib.cgi/label.html?id=evanaztecc
Christopher Evans 「Aztec Century」
正確にはコルテスがアステカの伝染病にやられ、それがヨーロッパにひろまって・・・という経過らしい。

あとこのサイトには
「白亜紀の生態系が残った北米で、恐竜に乗ったインディアンと戦うカスター将軍」
「南北戦争が勝敗つかず、その後延々数十年間戦いつづける南部と北部」
「ソクラテスがエジプトに亡命した結果、ローマを滅ぼしたカルタゴ(後にアビシニア)=エジプト連合がヨーロッパを支配する」
「中世、二度の疫病禍で欧州が完全に滅亡」
「19世紀後半に落下した隕石群で欧州と北米が壊滅、インド植民地で生き残ったイギリス人が祖国の再建に挑む」
なんていう小説ばっかり紹介されてるんで、参考に。
339mo:02/03/26 20:46
妄想世界史・付記8

そして、日本軍による反撃は素早かった。
第一・第二・第六艦隊による、米アジア艦隊の殲滅。
(注※この時の米アジア艦隊には、戦艦が四隻いた)
(ネバタ・オクラホマ・カリフォルニア・テネシーである)
(もっとも、ネバタ・オクラホマは砲撃戦と、航空攻撃にて撃沈され)
(カリフォルニア・テネシーも、損傷が酷くスービック海軍基地にて、)
(ドックを目前にして沈没)
(日本も戦艦・陸奥中破を初めに被害が酷く、航空艦隊に頼らざるをおえなくなった)

そして、この夏編制されたばかりの、
第二航空艦隊(翔鶴・瑞鶴・慶鶴・宝鶴)と、第三艦隊による、フィリピン封鎖。
そして第14軍(本間雅晴陸軍中将)を掩護しての攻略作戦遂行。
第一航空艦隊(赤城・加賀・飛龍・蒼龍)と、第四艦隊共同のグアム・ウェーキ攻略。
さらには米太平洋艦隊と、戦艦・大和、戦艦・武蔵を主力に再編した連合艦隊との、
(注※この時、戦艦・信濃、戦艦・甲斐はまだドックで建造中だった)
南洋決戦=カロリン大海戦で、双方大規模な損害を出し、フィリピン陥落をもって、
自然休戦状態になり、数ヶ月の間小競り合いをするも、米に不利な停戦を迎える。

講和条約は、
@欧州への武器の供給A中国への武器輸出禁止Bグアム・ウェーキの割譲
Cフィリピンの独立D賠償金10億円支払いE米軍事力の削減
の六つを主な条件としていた。
代償として、日本占領地(フィリピン)・仏印・マレーからの撤退、
日本軍事力の縮小が求められたが。
南方軍の引き上げまで、フィリピンの独立を先延ばしされる事で合意した。
(注※だがこれが後に、米によるアジア独立戦争の勃発を、許すことになる)
340世界@名無史さん:02/03/26 23:37
こういうのオルタネイトヒストリーというんだっけ?
341幻想の語り部:02/03/27 08:23
>>338

いろいろあるね。

 私もアレキサンドリア大図書館が焼き討ちされず、そこの知識や技術が後世に
生かされていたらと考えた事がある。

 例えば、古代蒸気機関の発明がさらに発展し、スパルタクスの反乱が成功した影響で
ローマ人が従来ほど奴隷に頼れなくなり、アレクサンドリア製の蒸気機関が普及し始めたら?

 という想像だったが・・・あまりにも西洋の一方的な勝利に終わりそうだったので・・・。

 なお、現在、米英が衰退し、ドイツが勝利した場合、どのような産業革命が起こり、
文明のエネルギー体系がどう変化して、兵器とその戦術体系がどこまでどう変わるか
思案中。
342幻想の語り部:02/03/27 12:57
 1951年、4月、日本はハワイ諸島を奪還。

 日本の富嶽とドイツの(炭塵爆弾搭載の)A−9/A-10ミサイルによる攻撃により
米本土工業地帯の荒廃は悲惨を極めた。

 三月にはパナマ運河と米国西海岸を指呼の間に望んだ海域に海上航空基地が
建設(正確には組み立てられ)され、機動艦隊のみならずそこから発する陸上機にまで
米本土が攻撃され始めたのである。(日本軍によるガラパゴス攻略戦が始まると見た米海兵隊の有力師団
は到着後、大井篤司令の指揮する日本皇国潜水艦隊に交通線を封鎖され、島ぐるみ
捕虜となった。)

 カリフォルニアとテキサスの油田地帯への執拗な爆撃で米海軍は燃料の確保に頭を
痛めつつあり、多くの艦船がドックや軍港諸共空襲を受けつつあった。

 6月、日本皇国は米国への講和要求と並行してアズテック地峡のパナマに上陸。

 日本皇国統合軍の強大な物量に米陸軍守備隊は追い詰められつつあった。

 米海軍太平洋艦隊は最後の切り札としてモンタナの燃料搭載能力を半分犠牲にする形で
実験中の空間歪曲兵器を搭載させて、日本軍を撃退する「レインボー・ハンマー作戦」
を立案。

 1951年6月3日午後、バーク中将の指揮の元、モンタナは大型空母アラスカ、軽巡洋艦
アトランタ他12隻と共にサンフランシスコを出撃したのである。
343幻想の語り部:02/03/27 13:45
パナマ沖海戦(1)

1951年6月5日、大型空母神龍にて・・・

「電磁攪乱(ECM)が無効になる前に、101空中隊は敵に到達できるか?」
「いけます!」
「提督、敵母艦アラスカから敵機出撃。機影は約50」
「今ごろ発進だと?・・・」
「302空中隊から入電。われアトランタ級一隻を大破、撃沈せり」

山口提督は唇を引き結ぶと怒鳴った。
「軽巡一隻ごときで喜ぶな!まだ敵は9隻残っている。主力艦は健在なのだ」
「誘導噴進弾(ミサイル)と電磁閃光弾(EMP)で敵の動きが鈍った
模様との事。航行停止状態に入ったそうです。」

「罠に気をつけるよう航空中隊に伝えろ。101中隊の空中指揮機に各種感知機
による情報収集を徹底させるんだ。攻撃部隊が敵上空に接近するまで敵から目を
離させるな」

「敵艦隊上空に異常磁場感知!電磁攪乱にあらず!」
「空間歪曲とやらの発生磁場か?」
「はい、強制補正波をかけないと・・・

「提督、302空から報告です。敵艦隊の周囲に正体不明の緑の霧が発生!旗艦モンタナ
を始め、全艦が異様な発光現象を起こしているとの事です!」

山口は目を見開き大声で命じた
「302空は攻撃中止。全速退避!」
分析兵が悲鳴のような声で叫ぶ。
「空間歪曲波の出力臨界に達した模様。時空破断が始まります!」
「302空より入電。敵艦隊が緑の霧の中に消えていきます!」
「?!電探映像にはまだ映っているぞ!」
山口は両眼を見開き問いを発した。
「目には見えないというのにそこにいるというのか?幽霊のような話だぞ」

技術参謀が叫ぶ
「幽霊化現象です!」
「?」
「空間歪曲波による消磁過程で発生する物質の透明化現象です。この段階に
入った以上、間もなく瞬間移動します」

************************************************************

つたない文章ですがどうでしょう?
まあここで言う山口提督は史実の山口多門提督に当たる人物です。
間もなく起こる敵の奇襲で戦死する予定。
344幻想の語り部:02/03/27 14:30
通信兵が叫ぶ。
「302空中隊は退避完了!」
「消えた!敵艦隊消滅!」
「101、302両空戦隊から入電。敵艦隊は完全に視界から消滅せり。次なる
指示を待つ」
「索敵係は奴らの出現位置を見逃すな。現在の技術ではそれ程遠いところへは
飛べないはず!飛行中の全航空部隊に伝えよ、索敵しつつ東進」

「敵艦隊一隻・・・いえ、8隻出現!モンタナ級と思しき艦、わが艦の左舷
900m!敵航空部隊も姿を現わし始めました!」

 同時に海上に白い光の霧が発生し、その中に図鑑で見覚えの有る艦影が浮かび
上がる。

 参謀達は絶句して目を見開いた。

 あまりの驚愕の中神龍の男たちが言葉を無くす中、実体化する艦隊。

 「あれが・・・敵?」
 円谷英一がうめきながらも震える手で本能的に撮影機器を向ける。

 「なんという事だ・・・」
 海面を睨んでいた笹井大尉も指揮下の直掩隊の航空兵同様度肝を抜かれ
つぶやく。

 突如、静まり返った全将兵の耳に山口提督の剛健な声が轟いた。
「総員直ちに迎撃開始。敵の攻撃が始まるぞ!」

 威厳に満ちた司令の声は悪夢の呪縛を破り神龍全体に正気と緊張を取り戻させた。

 恐慌寸前の沈黙が破れ、近辺の護衛艦艇や航空部隊に命令を伝える声が戦闘司令室内
を中心に沸騰する。
 僚艦との連携と迎撃命令が伝えられたとき敵の総攻撃が開始された。 
345 :02/03/27 20:57
すげえー、大空中戦カコイイ!
346mo:02/03/28 19:12
妄想世界史・付記8・補足
海軍の編制と任務

連合艦隊(山本五十六海軍大将)以下の各艦隊の指揮、作戦立案・遂行機関。

第一艦隊(高須四郎中将)戦艦主力、昼間砲撃戦艦隊。
第二艦隊(近藤信竹中将)重巡主力、夜間雷撃戦艦隊。
第三艦隊(高橋伊望海軍中将)軽巡・駆逐艦主力、日本海防衛。
第四艦隊(井上成美海軍中将)軽巡・駆逐艦主力、南洋諸島防衛。
第五艦隊(細萱戊子郎海軍中将)軽巡・駆逐艦主力、本土太平洋湾岸防衛。
第六艦隊(清水光美海軍中将)潜水艦主力、偵察・通商破壊戦艦隊。
第一航空艦隊(南雲忠一海軍中将)空母主力、偵察・攻撃艦隊。
第二航空艦隊(小澤治三郎海軍中将)空母主力、偵察・攻撃艦隊。
(注※ただし、第三艦隊主力は台湾に移動しており。)
(第五艦隊が、本土沿岸守備を行っていた)

戦艦大和級について
この艦は、紛れも無く世界最強の戦艦であり、
もっとも多くの戦艦を沈めた戦艦でもある。
戦艦大和
・昭和12年9月4日〜起工・呉海軍工廠
・昭和15年6月8日〜進水・儀装開始
・昭和16年10月28日〜公試終了により呉回航
・昭和16年11月4日〜竣工。連合艦隊第一戦隊編入
戦艦武蔵
・昭和12年10月15日〜起工・三菱長崎造船所
・昭和15年7月21日〜進水・儀装開始
・昭和16年11月28日〜公試終了により呉回航
・昭和16年12月8日〜竣工。連合艦隊第一戦隊編入
戦艦信濃
・昭和13年3月29日〜起工・横須賀海軍工廠
・昭和16年11月1日〜進水・儀装開始
・昭和17年5月19日〜公試終了により呉回航
・昭和17年5月25日〜竣工。連合艦隊第一戦隊編入
戦艦甲斐
・昭和13年4月9日〜起工・大神海軍工廠
・昭和16年12月8日〜進水・儀装開始
・昭和17年6月5日〜公試終了により呉回航
・昭和17年6月12日〜竣工。連合艦隊第一戦隊編入

これから分かるのは、信濃・甲斐とも実質的に、
戦争が自然休戦に入る直前の完成であり。
実戦参加はアイオワ級が投入された、マーシャル迎撃戦だけである。
そう、大和級四隻が揃って出撃したのは、実はこの戦いだけであり、
巷間に信じられているような、大和級だけで米戦艦を撃滅したわけではない。
だが、マーシャル迎撃戦での敗北が、米を講和の席に着かせた事実からすると、
武勲艦には違いが無いのだ。
347mo:02/03/28 20:49
妄想世界史・付記9

日米停戦によって欧州戦線は、激しく動いた。
まず、
1942年6月連合軍ワルシャワ及びバルカン半島解放。
(注※この時、ソ連による他民族浄化が発覚、世界中から非難声明がだされる)
1942年8月中東軍による、ロフトフ・スターリングラード攻撃開始。
(注※ソ連の名将ジェーコフ将軍、スターリングラードに篭城、〜11月まで)
1942年9月連合軍バルト三国解放・キエフ攻略。
ソ連による反撃作戦開始、作戦名「バクラチオン」)。
クルスク大戦車戦発生、ソ連敗北。
ソ連加盟の白ロシア(現ベラルーシ)・ウクライナ、ソ連離脱と対ソ宣戦布告。
1942年11月連合軍モスクワ侵攻作戦「ツィタデレ(城塞」発動。
カザフスタン、ソ連より離脱、中立宣言。
1943年1月22日、スターリン書記長暗殺事件発生、ソ連崩壊。
同年同月31日、新生ロシア降伏。

ニュルンベルク講和会議により、ソ連解体が決り東欧諸国に賠償として、
土地を分割。
日本にも賠償として、北樺太・北緯55度以南のカムチャッカ半島を分割。
(注※もっとも、バルト三国・フィンランドは純粋に増えたが)
(ポーランド・ブルガリア・ルーマニアなどは東に移動し、西側部分を他国に渡している)
(またその余波で、白ロシア・ウクライナが東に移動した)
また、ソ連自体も13に分割されてた。
1.ロシア連邦
2.ウクライナ
3.ベラルーシ(白ロシア)共和国
4.カザフスタン共和国
5.キルギス共和国
6.タジキスタン共和国
7.トルクメニスタン
8.ウズベキスタン共和国
9.アゼルバイジャン共和国
10.アルメニア共和国
11.グルジア共和国
12.チェチェン・タゲスタン連邦
13.サハ(ヤク−ト)共和国

この中で日本との関係が深いのは、ご存知サハ共和国。
日本による、イルクーツクーウラジオ間の、シベリア鉄棒沿いの占領による、
物資不足の地獄を、日本軍による援助により救われたのが切っ掛けで。
住民達をロシア復帰よりも、日本庇護を求める事となり、分離独立となった。

そして、シベリアの資源は日本の、いや、アジアの復興の手助けとなったのだ。
348mo:02/03/28 21:50
妄想世界史その12

そして、国連常任理事国(日・英・独・伊・仏・(ソ連は39年除名))での、
日本代表団による、民族自決主義は、世界人権宣言として発表され、
日本外交の夢の一つが、実現した。
(注※20年前に、米の反対と巻き返しにより、廃案に追い込まれていた)
それに、素早く独が賛成し、英が植民地を自治州にして、英連邦を形成した事で、
たの国々も、「ソ連のように見られてはかなわない」との判断から、
独立承認・自治州化・連邦形成などの手を打った。
だが、蘭・仏・各国のアフリカ植民地は、交渉が難航し、
とくにアジア植民地の問題による対立は、米に反撃するチャンスを与えていた。

アジア解放戦争と呼ばれる、米による干渉で誘発された内乱である。
これは、1943年末から1945年8月に起こった一連の戦争で、
何万もの市民が犠牲になり、独立後も混乱が続く原因となっている。

この戦争では、初の国連軍が編制され、大西洋・太平洋から攻められた米は、
艦隊・陸軍の大半と、何万にも及ぶ市民が犠牲になった。
これにより、@フィリピンの即時独立。Aパナマ運河の国連・パナマ共同統治。
B米軍需産業の解体。C陸海軍の解体。D国連軍による4年間の臨時統治
が行われ、米はかつての国際的地位を回復するまで、奮闘することになる。

そして、植民地独立の手始めとして、アジア各国の独立が行われた。
内乱が続いていた、中国ではチィベット法国、シンチャン=ウイグル民国、
東トルクメニスタン、南京を首府に中華民国、瑞金を中心に中華人民共和国に分裂。
さらに共産政権が倒れたモンゴルが内蒙古を併合。

仏領インドシナからは、ラオス、カンボジア(旧クメール帝国)、コーチシナ、
アンナン、トンキンが独立。
(注※アンナンとトンキンは、後にホー・チ・ミン首相のもと)
(合併し、ベトナムに国名変更)

蘭領インドネシアから、インドネシア連邦独立、
ニューギニア島全土にパプア・ニューギニア成立。

日本領からも、
台湾は選挙の結果、日本領のまま、自治権獲得。
南洋諸島から、カロリン連邦・マーシャル共和国・パラオ共和国が独立。
(注※マリアナ諸島は日本に帰属)
また、米の工作によって、内乱になりかけていた朝鮮半島は、
朝鮮王室の李王に君主に、立憲政治制をもって、日本から分離。

フィリピンは、国連監視団のもと、独立を果した。

インドはインド連邦、パキスタン、ビルマ(ミャンマー)の三自治国成立。
(注※後に、パキスタン領だった、東パキスタンがバングラディッシュとして独立)

また、アフリカ、太平洋の諸国も体制が整い次第、独立していった。
独立するさいに、人種差別が無い様、異民族居留地は自治権付加を、
可能な限り付け、それが無理なら、強引に独立させた。
(注※イラクやシリアを分割した、クルディスタンがそうだ)
349世界@名無史さん:02/03/30 23:53
黄金期ともパクス・ロマーナともいう五人の賢帝、そのうちの一人ハドリアヌスのこのエピソードには笑った。

―――民主的であることを示すために皇帝たちはよく、公衆浴場で一般市民と共に汗を流すことが多かった。
ある日、ハドリアヌスは、老人が石鹸をつけた背中を浴場の壁に擦りつけているのを目撃する。
その老人はかつて自分が軍団長をしていた頃に配下の百人隊長にあった事を思い出したハドリアヌスは彼に尋ねた。どうしてそんなことをしているのか? と。
彼は答えた。金が無くて背中の垢を落とす人が雇えないと。
同情したハドリアヌスは昔の部下である彼に専用の垢カキ奴隷を諸費用込みで与えたのである。
老人は感謝感激し、ハドリアヌスも満足して皇宮に戻ったのだが、次の日。再び公衆浴場を訪れてみると、壁という壁に背中を擦り付ける老人たちが列をなしていたという。
350世界@名無史さん:02/03/30 23:55
スマン。誤爆
351mo:02/04/02 20:19
妄想世界史その13

だが、問題が多く残った地域があった。
その根底は第一次世界大戦時の英の外交戦術があった、独立を求めるアラブ諸民族と、
「約束の地カナン」への、国家建設を望むユダヤ人たちに、同じパレスチナへの、
国家建設を認めた事から、今に続く中東の混乱が始まったのだ。
俗に言う「パレスチナ問題」である。

もっとも、最大の問題になり得る、「聖地エルサレム」は国連管理地であるため、
イスラエルによる、「聖地解放戦争」(第一次中東戦争)での攻撃は低調であり、
何度か行われた「ユダヤ国家の拡大を目的とした戦争」でも、外周部での被害がある物の。
国連軍による難民保護・支援の拠点になり続けている。

そして御承知のように、パレスチナ首相アラハァト・氏の和平の呼びかけも、
イスラエル首相ラビン・氏の暗殺により、不成功に終わり、まだ平和には遠いようだ。
また、イスラエルによる、占領地での横暴が取り沙汰され、大きな問題となっている。
352mo:02/04/02 21:14
妄想世界史その12・補足

この時、日本軍が空爆に使用したのが、「モンスターバード」=超空の怪鳥と言われた、
六発の長距離攻撃機・・・戦略爆撃機・富嶽であった。
B-17にまさる一式によって、自信を失いかけていた米が、
自信をもって送り出したB-29(ハワイから、マーシャル諸島を攻撃できた)をさらに上回る、
航続距離一万キロ・最高速度740キロ・爆弾搭載量10tの「化け物」である、
さらに、B-29なみの高高度性能をもち(高高度での速度は600キロを超える)、
米軍機の迎撃を受け付けず、これが米国の降伏を早めた(英独による、東海岸攻撃もその一因だが・・・)。

また、国連の統治は、当初米軍の解体・縮小再建の間の混乱回避であったが、
財政の悪化・犯罪多発・テロ多発・人種差別の横行により、
銃器の押収(日本では「刀狩り」と呼称された)、
ギャングなどの犯罪集団の撲滅(結局、大部分が残ったようだが・・・)、
財政再建などで、4年の歳月を費やしてしまい、
軍産複合体と呼ばれる癒着には、如何する事も出来なかったようだ。

だが米の現状を見るに、昔の国連による統治はまずまずだと、
言わなければならない。
キング牧師(1968年4月4日、メンフィスで暗殺。39歳)の例を見るに、
国連部隊が去った後の、人種差別の激化。
自由を標榜するために、貧しき人々に教育・医療が行き渡らず、
富める人々での独占になっている事。

それらが原因となって犯罪率・薬物汚染などの増加率を、
押し上げている事から、そう判断するしかない。
353世界@名無史さん:02/04/03 02:24
AGE
354世界@名無史さん:02/04/03 04:09
MO氏の見てたら遥かなる星の続編が見たくなってきちゃったよ。
もう出ないんかなぁ・・・穂積綾乃嬢萌えage
355幻想の語り部:02/04/03 14:12
 うーむ、ドイツが生存した場合イスラエルの建国を認めるかなあ?

 私のシナリオではユダヤ人はアシール(メッカの南にある旧カナーンの土地)と
北満州に分散され、日ユ同祖論の信望者や研究者は日本皇国本土内での居住を許される
事にしたが・・・
 したがって、パレスチナにユダヤ人国家建設を目指すシオニストユダヤ人と日本皇国政府の
仲は良好とはいえません(表立って敵対していませんが・・・向こうの思惑は険悪なものがあります。)

 それから日本皇国の天皇は幕府崩壊後の混乱の中、岩倉具視ら尊王派の過激派に
暗殺され、結局、有栖川宮樽仁親王が天皇として即位し、その後を(民間人の側室の子)
王仁が即位します。

 因みにこの王仁陛下こそ史実の出口王仁三郎に当たる人物です。
 ユダヤ人問題の音頭は王仁陛下が取り、事実上大半のユダヤ人勢力を日本勢力圏に
吸引します。

 日米戦争が始まる頃、王仁陛下は崩御し、遠縁の(南朝系統で、史実の昭和天皇に
当たる)裕仁陛下が即位します。
356幻想の語り部:02/04/03 15:18
日本皇国の主力航空機

 対ソ戦前夜

1)96式艦上戦闘機/97式戦闘機

 史実の零式艦上戦闘機とその陸上機型。愛称は”隼”
 違いは、内部部品に細かい穴が付いていないことと機体の外版が従来機並の
厚みと強度を持っているため、やや重い。
 その反面、急降下時の限界速度は高い。

 機銃は翼に米国製ブローニング12.7mmを片翼2門、胴体に二門で合計6門。

 最大時速は発動機の換装に伴う性能向上で上がり、
 初期の1250馬力で515km
 1940年12月に試作された最終型の1850馬力(排気タービン加給機装備機)
で675kmをマークした。
 高々度性能の低いソ連機に徹頭徹尾優位を保持した栄光の機体。
 在満米軍への導入時、模擬空線で破られた米国グラマンの技士が参考受領し
米国最後のレシプロ艦戦ベアキャット開発の参考にしたという。

2)一式戦略爆撃機

 連山。米軍のB-17が在満米軍に採用された際、それを元に再設計した機体。
機首下面に機銃砲塔を付けて迎撃能力を向上させ、発動機を2200馬力の火星に
した事で最高時速は一挙に600kmを超え、高高度に上昇すればソ連機では
迎撃不可能だった。
 在満米軍はB-17カスタムとして対中戦争用に採用。(途中からボーイング社が
同形式機の生産を担当。)

 対ソ戦では300機が動員(うち50機は整備の関係でドイツに引き渡された。)
され、その大半がドイツ軍への物資空輸作戦に従事し、厳冬によるドイツ陸軍
壊滅を防いだ事でドイツ側から賞賛された。
 この一事がドイツ空軍による戦略爆撃機開発計画の統合整理問題を前進させ、
名爆撃機ハインケルグライフ(エンジンをタンデム式に配置した4発機)
開発を進捗させるきっかけとなった事は有名である。

 1943年ウラル以西を制圧したドイツ軍との合同作戦による対ソ戦略爆撃で
延べ1000機が参加し、ソ連を事実上の降伏へと追い込む一因となった。
357幻想の語り部:02/04/03 15:39
米国の主力機

F5U スキーマー
 着艦事故が起こりやすかった欠点の克服と短い甲板でも運用可能なSTOL性能
を追求したタービンエンジン機だったが、1943年ごろからドイツで始まった
ジェット化に対応すべく(開発中止に見せかけて)ジェット化が進められた。

 米国独自のジンママン翼による独特のフォルムによって、空飛ぶパンケーキ
とも呼ばれた。
 搭載エンジンの変更によって開発が遅れたものの1950年に実用機の量産が開始。

 亜音速の高速性と(燃費を無視すれば)空中停止さえも可能な機動性を
有しており、米本土攻撃を開始した日本皇国航空部隊にとって恐るべき死神と
なった機体。

 近年、米国内で米国が日独に勝利を収めるといった内容の架空戦記小説には
ほとんど登場する人気機種でもある。
358mo:02/04/06 11:32
幻想の語り部さん
ドイツが生存した場合イスラエルの建国を認めるかなあ?>

私のシナリオではソ連からの攻撃で、独逸にユダヤ人迫害の余裕が無くなります。
実際、ユダヤ人虐殺は大戦中期から後期にかけてですし(初期はポーランドとかへの収容所送り)、
ソ連が変りに異民族抹殺をしているので、死者は逆に増え気味です。
また、それを見て、独逸も移民(戦前の様に財産の大半を巻き上げての)に熱心です(体の良い国外追放)。

様は、抹殺できなくても、独逸国内からユダヤ人が減れば良いのではないかと、
判断してます。
359mo:02/04/06 12:47
妄想世界史その12・補足2

また大戦時の日本軍主力戦闘機は、
陸軍の推す中島”キ43”と、海軍の推す三菱”十二試艦上戦闘機”の競作で行われ、
最後は両戦闘機の一騎打ちで、勝利した三菱”十二試艦上戦闘機”が採用された。

”十二試艦上戦闘機”=”零戦(正式採用後)”は、
その火力(二十_機関砲4門)、速度(高度5000mで550キロ)、上昇力(高度4000mまで3分30秒以内)、
航続距離(2500キロ(正規)、3350km(増加タンク付))、防弾設備(防弾ガラス、燃料タンク・座席後方への防弾板)
そして、その初心者でも操れる操作性、運動能力において、
大戦初期は敵は無かった程の名機であった。
アジア独立戦争時において活躍した機体は、1200馬力エンジンを1500馬力に変更した物であり、
戦後ジェット機時代になっても、初等練習機として、長らくアジア各国でひたしまれた。

ただ、その操作性の代償として、低速でも中々失速せず、それが故に急降下が苦手であり、
戦争後半、戦果が急激に悪くなり、被害も急増した。

米軍での呼び名は、ジーク(もっとも、”ゼロ”の方がとうりが良いのか、公式文書にも”ゼロ”と書かれている)

後継機は、エンジンに問題のあった三菱「烈風」を押しのけ、
2300馬力のエンジンを積んだ、中島「疾風」が採用された。
零戦に使われたエリコン機銃ではなく、低進性に優れたマウザー機銃を装備(二十_機関砲4門、十二_機関砲2門)、
速度(高度5000mで687キロ)、上昇力(高度5000mまで4分秒以内)、
航続距離(2430キロ(正規)、3180km(増加タンク付))、
防弾設備(防弾ガラス、燃料タンク・座席後方への防弾板、さらに機体全体に簡易装甲を施していた)

そして、零戦の欠点を踏まえ、急降下が出切るようになっており、米軍機を苦しめた。
米軍での呼び名はフランク、太平洋でもっとも手ごわい戦闘機だったため、
彼の国の架空戦記に、必ず出てこない戦闘機である。
(注※開発前に戦争に勝利したり、開発自体失敗に終わらせたり、元々開発できないほど、日本を弱くさせたりしている)
360世界@名無史さん:02/04/09 01:06
3日間レスなしかぁ…
作家の皆さんが電波を受信してる間にお題でも出してみよーか。
キリストが殉教しないで生涯をまっとうして、キリスト教がユダヤ教の一分派、
ただの新興宗教として後世にほとんど影響を与えなかったらその後の歴史はどうなってるか?
というのをおながいします。
361世界@名無史さん:02/04/09 03:16
おそらくヨーロッパ人はミトラ教を元にして
現在のキリスト教とほとんど変わらない宗教を作っていたでしょう。
362世界@名無史さん:02/04/09 03:22
オルフェウス教のセンもありうる。
363山野野衾:02/04/09 09:50
>360
71〜72ですでに書き込んでおります。・・・駄作だったから無視?
364世界@名無史さん:02/04/09 13:25
前にどっかで書いた記憶があるんだが、ポール・アンダースンの「タイム・パトロール」でローマがカルタゴ戦争で敗北して、早々に歴史の舞台から退場するという短編があった。
結果ローマ帝国は存在せず、ローマのユダヤ征服もなく、キリストも生まれなかった。ゲルマンの大移動もなし。
その結果この歴史の20世紀では、
欧州はケルト系の国家が群立。東欧からウラルにかけてはゲルマン、スラブ、匈奴系の国家がいくつか存在。
新大陸はケルト系の民族が発見、アファロン(アヴァロン)という国家が存在。
ゲルマン人やケルト人は固有の神(トールとかペルーンとか)を信仰し、ケルト人の多くはフェニキアの神バアルを信仰。
強力な一神教が存在しないため技術の発展は遅れ、20世紀でも蒸気機関どまり。
なおアジアでは漢が君臨し続け、日本はその一部となっております。
365mo:02/04/09 20:15
364さん
漢が君臨し続け、日本はその一部>
・・・・何だかなぁ(笑)、どうやったら漢が長生き、するんだろう?・・・。
まあ、日本が殺れる年代にも寄ると、思いますが。
366mo:02/04/09 20:29
360さん
キリスト教がユダヤ教の一分派>
・・・うーん、難しいなぁ。
変りの一神教を出さなければ、どうなるだろう?。
・・・まず、イスラムとの抗争は宗教戦争では無く、ただの勢力争いになるだろうし、
世界中の民族の固有の宗教・歴史が今より残っているだろう。
・・・・それ以上はちょっとわからないな、欧州中世史は良く知らないので・・・。
367世界@名無史さん:02/04/09 20:44
アンダースンは北欧系のアメリカ人だったからあっちの文化や歴史は詳しいんだけど、アジアはちょっとね。
あとインドにはヒンズーラジというヒンドゥー教系の国がある。


キリスト教が存在しなければイスラムも存在しない(アラーを主神とするアラブ民族宗教はあったかもしれないが)わけだから、たとえキリスト教に代わる一神教的宗教が存在してもけっこう状況は変わってるんじゃないかな。
ゾロアスター教がペルシャの国教として生き残ったり、東南アジアへの仏教やヒンドゥーの浸透も大きかっただろうし。
欧州でも北欧やスラブの神々は数百年長く生き続けるのでは。
368mo:02/04/09 20:55
妄想世界史>
ラストのオチは決った。
だが私にそこまで書けるだろうか?。
史実に仮想条件を入れ、少しずつ変っていく歴史を書いているが、
そろそろ、大戦に関わってくる事柄が無くなって来た。
この世界は、大戦争が起きずらい様に誘導しているため、
戦争の火種はパレスチナ周辺と、アフリカ・アジアの内乱だけ。
しかし、それも国連軍(国際連盟に各国が貸与)による、
制裁・鎮圧・勧告などで、大事になる前に終わるようにしてあるし・・・・、
だいいち書けない。
ここは、ラストを書いて、思いついたら追加と言う形で書くべきだろうか・・・・?。
369360:02/04/09 22:16
>>363
無視とかじゃなくてですね、もっと長編で読んでみたいorいろんな人の意見が聞いてみたい、
と言う事ことで。
誤解させるような書き方で申し訳ないです。
370山野野衾:02/04/09 22:27
>360
わざわざご丁寧にどうも。ところでオーディンやフレイヤに対する信仰は民
俗信仰の形で17世紀まで残っていたそうです。スラブも。
・・・参考になるかどうか分かりませんが、どうぞ。
371幻想の語り部:02/04/10 14:13
 現在、対ソ戦終了直後(トルーマン就任直後)に始まった米中戦争の推移を思案中。

 そのきっかけとして米国の民間人が大量に虐殺された光州事件を考え、その後の推移を
想定したところ、あまりの地獄絵図(特に中国人にとっての)に気がめいっております。
(真珠湾であれだけ怒るんですから、光州虐殺の被害者が米国の民間人達だった場合・・・)

 毒ガス弾や枯葉剤、最後は原爆までが大量投入され、中国の人口は五億から
一億近くまで減り、蒋介石は逃げ込んだ香港で原爆に焼かれて国民党諸共滅亡します。

 しかし、その米中戦争(1942年〜1945年)の悲惨な結末が日米離間の第一の遠因
となります。

 この世界で
372幻想の語り部:02/04/10 14:47
 続き

この世界では、ドイツは中国に武器を供給する側に立っており、対ソ戦が終わって
二年近い休養期間にドイツは経済復興と兵器開発を進め、欧州最強の国家として
英仏をも圧倒しつつあった。

 一方、米国は中国軍が用いる兵器やドイツ軍の義勇部隊が用いる実験兵器の威力に驚愕し、
(対ソ戦の関係で)日本がドイツから輸入していた航空機やミサイルや火器
の技術の売却を要求。

 後にその協力要求は高圧的なものとなり、中国本土への攻撃に使用された
生物兵器パンドーラがもたらした混乱で日本で米国排斥運動が起こってしまう。

 生物兵器パンドーラとは史実以上の速さで科学が進歩したこの世界で米国が
発見したウィルス兵器。

 中国で使用されたそれは季節風で移動する雲に乗って日本にも危険なウィルス混じりの
赤い雨を降らせ、中国はおろか日本中が大騒ぎとなる。

 一種の猛毒を分泌するウィルスの働きで強力な催奇性を持ち、妊婦を含む
女性が感染すると奇形児しか生めない体になる。一種の民族抹殺兵器。
373世界@名無史さん:02/04/10 19:51
>中国の人口は五億から一億近くまで減り
そんなに虐殺したら世界中から非難されてしまうのでは
374世界@名無史さん:02/04/10 20:14
戦闘による直接被害による死者でもかなりの数になるっつーのに加えてインフラ
崩壊による二次災害三次災害的なものによる死者がかなり出るから…まさに地獄
ですな。
米は「死者のかなりは国民党が国民を見捨てた云々…」で回避しようとするので
はないかと。かわしきれんでしょうが。報道をどれだけ規制できるかが鍵になり
ますが、ドイツが大々的にバラすでしょうから。ドイツ宣伝相大喜びですな。
375山野野衾:02/04/10 22:13
>372
それってもしかして家畜人ヤ(以下自粛)。
376幻想の語り部:02/04/11 06:30
>>374

 実際問題として、米国人がどれだけ理性を失えるかどうかです。

 この世界の場合、光州事件が十倍の規模で在中米国民に起こっていますから、
報道と同時に米国内で中国系への虐殺事件が頻発し、トルーマンは本心から中国系
米国人の命を守るための収容所を立てるほどです。

 もちろん軍事関係を狙った真珠湾など問題にならないほどの反中ヒステリーが
生じるでしょう。
 真珠湾程度でも「日本に対する戦いは肉体も精神も死に絶え、国土は枯れ果て、
男達は死に、女子供は別れ別れになって他国の人々の間に消えていくまで続けられる
べきだ」という意見が流行していたそうですから、下手をすれば中国の文物さえも
憎しみの対象になるかもしれません。

 ここで参考までに日米戦争での実例を御見せしますと・・・

 1943年の戦後日本の扱いを決める委員会では海軍代表が「日本民族のほぼ完全なる根絶」
を要求。

 1945年4月には戦争動員委員会のポール・V・マクナット委員長が一般国民に「自分は
日本の全国民を絶滅させる事に全く賛成である」と述べ、その理由として「日本人をよく
理解しているからこそだ」と語りました。

 終戦の年では米軍人の25%が「主要目的は日本人を投降させることではなく、できるだけ
多くの日本人を殺す事に有る」と述べ、当時の米国内の世論調査では国民の13%が日本人の
「日本人全員の殺害」を希望し、33%が国家としての日本の崩壊(原始時代に戻す)を支持
していました。

 さらに日本が降伏した後の1945年12月の世論調査では回答者の22.7%が「日本が
降伏する前にもっと原爆を使う機会があればよかった」と考えていた事が判明しています。

 当時のマスコミで軍事分析家のジョージ・F・エリオット少佐は「日本産業の完全な
破壊を目指すべきである。工場の一個のレンガ、一基のモーター、蒸気機関はむろん。
実験室や技術書もなおさら残してはならない」と言明していました。

 私の世界では、史実の米国人が日本人の研究をやったように中国人の
研究もなされるでしょうから、当然、中国人の執念深く復讐心の強い性格が
判明すればするほど、米国人の中国人殲滅は容赦の無いものになり、加速度を
つけると思います。
 
 なお、この世界では米国を非難できる有色人種の国家(独立国)は日系三カ国、
タイ、チベット、朝鮮王国だけです。

 しかし朝鮮人は事大主義から米軍の歩兵部隊として、中国人虐殺に積極参加中。

 タイとチベットは様々な細菌兵器に羅患した中国人難民の流入で大混乱。米国からの
ワクチン欲しさに大声を出せなくなります。

 となると米国の頼らずにワクチンを作る能力があり、強力な国家(国力は米国の1/3)
でもある日本政府と国民だけとなります。

 ドイツの場合、ゲッペルス宣伝省が確実に活躍する保障はないと思います。(史実では
フランスが降伏したとき、本国のヴィシー政権に恭順するか否かを決めかねていた
フランス艦隊を英国海軍が攻撃して多くの犠牲を出させたとき、ドイツ側はこの事件を
宣伝してフランスの国民感情を味方につけようとしませんでした。)

 まあ、やれば面白いですが、・・・それについてもいろいろ考えてみましょう。
377幻想の語り部:02/04/11 09:57
 米中戦争勃発のきっかけは光州虐殺事件だったが、それは発火点に過ぎなかった。

 他の要因として中国人自身の(ある意味、白人以上の)強欲さが原因だと
指摘するものも多い。

 特にドイツからの軍事援助で(軍事的には)強国としての復活を遂げつつ
あった中国は、その自信とドイツやソ連の策謀(英国から中国市場を奪おう事で
米英経済に打撃を与えようとしていたした)に乗せられた格好で、英米両国に
香港返還要求(後に中華民国の香港併合を阻止できないと判断したチャーチルは
英資本引き上げ後、香港市街を徹底破壊して「元通りに返還」した。)や
満州地方返還を目的とした米貨排斥運動を開始した。

 英国側はともかく、(日本の誘導もあったとはいえ)広大な土地と石油資源地帯を
有し、莫大な資本を投下して建設した都市や工業地帯の所有権まで主張する厚顔な
中国人に対する米国の反発と怒りは大きかった。(日本から流入した中国の
歴史情報から、中国人の領土の北限は万里の長城までとされており、その見解は
今でも不動である。)

 さらに国境を越えて不法入国する中国人による犯罪も年々酷くなり、在満
米人などから聞く中国人犯罪者の報道から米国内部では中国人に対する反発は
強くなっていた。(しかも蒋介石政権自身が世界的な麻薬密輸組織とも一体化
していた事が知られたため、米国における中国人の印象はすこぶる悪いものと
なっていた。)

 一方、米財界は満州開発により大きな利潤を上げていたものの、やはり戦争による
需要創出を望んでいた。

 (日本の妨害もあって)対独戦争へ踏み込めなくなった米財界は大規模な戦争を欲して
いたのである。

 そこへ潜在敵国ドイツの同盟国中国が米国に高圧的な態度を取り出したのである。
(日本側は「蒋介石は政敵・毛沢東との政争の具に米国を槍玉にしているだけ」と
説明したが、その声は米国のマスコミに紹介されなかった。紹介されたとしても
米国人の反中感情はやわらげられなかっただろうが・・・)

 対ソ戦が日独連合の勝利に終わることが確実視されたとき、米軍需産業界が
選んだイケニエは中国だった。(光州事件が起こったとき、その残酷な報道写真
を見て、某米財界人は喜びを抑え切れなかった様子だと言われている。)

 そうして始まった戦争で米国人はジュネーブ条約無視の民族国家との血まみれの
戦いを始める事になった。

 中国側による捕虜虐待やニセ写真を使った虚偽プロパガンダによる名誉毀損に
理性肌の米国人も怒りを掻き立てる事になり、日本側があぜんとする勢いで
米中戦争は史上最大の虐殺戦争へと形を変えていくのである。

 後に大漢連邦(1979年建国)の初代国家主席となったケ小平は「毛同志は
(米中戦前に)死んで幸運だったのかもしれない。自分達が仕掛けた謀略
(蒋介石揺さぶりの為に米中対立をあおった事)で漢民族が根絶やしにされ
かけた光景を見ずにすんだのだから」と語っていたという。
378mo:02/04/12 20:48
妄想世界史・後日話
「・・・ふう、私も若かったな」
「旅客機」のエンジン音を聞きながら、「本」を閉じた。
十五年ほど前の、懐かしい90年代に書いた本を久しぶりに読んだが。
今から思うと、書き足りない事・勘違いなど、かなり修正したくなる出来だ。

だが仕方が無い、修正本を出そうにも直ぐには出来ないし、
第一この旅行記を上げない事には、余裕も出来そうに無い。

私が、この機に乗っている理由は、今だ建設途中に有る「あの都市」に、
観光客・移住者を募る為の、案内書の作成を依頼されたからだ。
なにしろ、渡航費用が安くなってきたとはいえ、
かなり度胸と時間の要る「旅行」なのだから・・・・。

だが、そんな仕事を受けたのは好奇心と、”費用は向こう持ち”と言う、
厳粛な事実からだった。

それに、かの独逸と張り合う、我が日本の最前線なのだ、
戦史研究家でもある私が、一も二も無く引き受けたのは、
もしかしたら、独逸の最前線都市<フォン・ブラウン>にも、
行けるかも知れないからだ。

参加と共に国連理事国になった米国の横暴もあって、
一時期の対立も無くなって来たから、もしかしたら、適うかもしれない。

米国は昔と変らず、自国本意で国際協調を壊そうとしている、
それが、独逸・日本・英国を、もう一度結束させる事となったのだから、
皮肉なものだ。
379mo:02/04/12 20:53

しかし、私が駆け出しだった70年代には、たいした事も出来なかったPCが、
今では、世界を席巻しようとは・・・。
英のヘンリック・独のゲルマ二ア・日本の富士・米のエニアック、
どれも、弾道計算機として始まり、世間へ浸透していった。
今では、子供の主な玩具であり、我々物書きにも、無くてわならなくなっている。

また、日独が張り合った宇宙開発も、「ここ」まで行くとは思っても見なかった。
最初に火蓋を切ったのは、戦前から宇宙熱の凄かった独逸だ。
今だ復興の途中であった50〜60年代に、フォン・ブラウン博士によって、
史上初の衛星打ち上げを見て、日本の黒木博士が時の政府を脅し、
宇宙開発事業団「NASUDA」を作り。
独逸より2年遅れの1963年に日本人初の有人飛行を成功させ、
世界の耳目を集めた。

ただ、日独共に打ち上げ費用が嵩み、
70年代から「航宙機」=スペースプレーン開発に乗り出していた停滞期のなか、
米ただ一国が、莫大な費用の掛かるロケット・スペースシャトルを打ち上げ、
国威を喧伝していた。
だがそれも、80年代に独逸「ゼンカー計画」・日本「軌道往還機計画」によって、
慌てて策定された「X30計画」が1986年1月、X30チャレンジャーが、
大気圏内飛行試験中に事故を起こし、カンザスシティ郊外に墜落し、
数百名もの犠牲者を出した事で止めをさされた。

米国が強引にX30を飛ばしたのは、85年3月に独逸のゼンカー、
85年11月に日本の往還機が相次いで飛行試験に成功したからだと言われている。

また同年、国際宇宙ステーション<ホープ>(希望)が英・独・ロ・日の協力で、
完成し米国が宇宙からも締め出されつつあると、感じていたのかもしれない。
(実際の所、米国のも参加を呼び掛けたらしいが・・・・)

そして、2004年〜2006年に相次いで英独を中心とする月面基地群と、
日本を中心とする月面基地群が建設された。

・・・・・そんないろいろな事を考えていた為か、アナウンスを聞き逃す所だった。
<・・・・当機は間も無く、目的地のみずほ市に・・・>
どうやら、地球嘉手納から三日、ホープからでも一日がかりの退屈な飛行も、
終わりらしい。

「本」・・・近年増えてきた、ブック型通信モバイルの回線を切る。
今回は帝国図書館・電脳資料庫・一般閲覧解放対象物から、
昔の自書を見つけたので、随分と読みふけってしまった。

私は、座席のベルトをしっかりと締め、着陸の衝撃に備える。

目的地のみずほ市・・・旧日本帝国月面みずほ基地へと私達は降りていった。
380世界@名無史さん:02/04/18 22:06
ずぶずぶと下がってる様なのでここらでホシュっときます
381蓬莱連続体:02/04/19 07:54
中国では秦の時代。
不老不死を求める皇帝をうまく騙して金を出させた徐福は、
若い男女を船に乗せ、東の海にある蓬莱島に向けて船出した。
彼らが結局どうなったのか、史実では良く判らない。
中国語圏では、彼らこそが日本人の祖先だと信じられているが、
「紀元前200年頃の日本列島に高度文化の伝来があった」
という考古学的資料は存在しない。

徐福の船が日本に辿り着き、九州に拠点を築いた時間線を考えよう。
稲作や文字や青銅器といった高度技術を持った秦人の集団は、
狩猟採集と初歩的農業をやっていた縄文人を圧倒し、
やがて人口でも追い抜いて、縄文人を徐々に東に追いつめていく。
史実における弥生人は、満州か朝鮮半島辺りから来たのだろうが、
この時間線では徐福移民団がその役目を数百年早く先取りするわけだ。
この結果、日本列島の住人はシナ系言語を話すようになり、
史実におけるよりも密接な関係を中国に対して持つことになる。
また、列島における国家・文明の成立も数百年早まることになる。
国名は必然的に「蓬莱」となるだろう。

例えば中国の三国時代、史実の日本列島は卑弥呼の時代で、
魏に生口(奴隷)を献上する程度の土人国である。
しかし、この時間線の蓬莱(秦系日本)は、
史実の奈良時代程度に文明化し、中国大陸に強い関心を持っているので、
中国の戦乱に介入して利益を得ようとするだろう。
その後も蓬莱は、時代時代に中国の情勢と深く影響しあうことになり、
歴史の基本パターンは、欧州大陸とイギリスとの関係に似たものになる。

東シナ海を横断する海路が歴史の初期から成立するので、
船の技術も史実より発達することになるだろう。
この時間線では、「徐福の子孫たる蓬莱人」によって、
アメリカ大陸が発見されることになる可能性が高い。
382名無し縄文人:02/04/19 09:04
>>381
漢民族のコロニーがその頃できれば、
だいたい上のような展開になるだろうとは思う。
でも揚げ足とりをすると、紀元前200年頃の九州は既に弥生時代だよ。
文化の流入時点が史実より早まるんじゃなく、
流入する文化がもっと高度なものになるというのが、
漢民族コロニーによって変更されるポイントだね。
383世界@名無史さん:02/04/19 22:18
>381
面白い。続きキボーン
384おなかいっぱい。:02/04/20 01:46
イタリアのエチオピア侵略に憤慨した大日本帝国は、
同じ有色人種である同胞、エチオピア人を救うため、準備を始めた。

皇族とエチオピア皇室の婚姻関係を持ち、
皇室とエチオピア皇室との繋がりをもって平和的解決を図る一方、

武威を持ってエチオピアを救う事を辞さぬと表明。

また、エチオピアを救うべく、エチオピア軍への援助、訓練、兵器の給与、
秘密裏にドイツと共にエチオピアに対して人材を派遣したのである。

この物語は『エチオピア軍人として』アフリカの地に安寧をもたらすべく闘った、
一人の日本人パイロットと勇敢なドイツ人ガンナー、
心優しき陽気なイタリア人の看護婦兼メカニックの少女を中心に、
血よりも熱き熱砂の大地で、独立をかけて闘いぬいた勇者達の栄光を描いたものである。

今、小さな星達はアフリカの旭日より強く、美しく輝く。

さりげなーく『ムルデカ』のパクリ。
385世界@名無史さん:02/04/23 17:51
age
386世界@名無史さん:02/04/24 16:15
そのうち本能寺の変からスタートする徳川家の興亡書きます。
387mo:02/04/24 18:39
妄想世界史・ネタその一

パックス・ブリタニア
今現在、世界でもっとも偉大で輝かしい大英帝国。
その繁栄を支えている、北米英領・・・ノースアメリカンの存在無くしては、
語れない。

・・・・・・。
だめだ、もう少し北米史・欧州史を読まんと、アメリカの肩代わりを英国だけでは、
受け止められない、・・・困った(汗)。
設定としては、独立戦争で敗北あるいは、
英がボストン茶会事件後にかなりの譲歩する。
で、ナポレオン戦争時に、何気に北米で英仏戦争。
さらに、南北戦争と言う独立派の起こした内乱。
メキシコ(或いはスペインか?)から、テキサス・米太平洋岸諸州を、
史実より巧妙に取得。

ただ、こう言う設定だと、日本開国はロシアが行なう可能性が高いが・・・。
さらに、英には日本と同盟しなくてもあまり困らない(アメリカの国力+)。
もし日英同盟が成立して、長続きしていたら、
日本は対ロシア戦備を追求すれば言いからかなり楽。

同盟不成立・同盟の解消後は、いつか日本が英太平洋艦隊を、
真珠湾で奇襲(笑)するだろうな。
388世界@名無史さん:02/04/26 13:39
>妄想さん
「織田武神伝」は9巻以降は刊行されてません。どうやら桐野先生の自説が変わった
かららしい。
389リクエスト:02/04/26 14:51
>>387
「地球が単一の世界帝国によって統一された時間線」も面白そう。
その可能性がある分岐点は、蒙古か大英帝国がもっと強かった場合、
あるいは、中国で産業革命が起きた場合だけだと思う。
「北米植民地を保持し続け、しかも史実より攻撃的な大英帝国」
を主役にした時間線を書いて欲しい。
390mo:02/04/26 16:53
389さん>

史実より攻撃的な大英帝国>
凄い結果になりそうな指定ですね、しばらくお待ちを。
最低でも、近代史の年表を見て書かないと・・・・。
391世界@名無史さん:02/04/27 02:01
>>389さん

>その可能性がある分岐点は、蒙古か大英帝国がもっと強かった場合、
蒙古の場合は、「モンゴルの残光」豊田有恒なんてのがありますな。
392大仏帝国:02/04/27 02:18
>>389
フランスによる世界統一も、可能性としてはありじゃないかな?

ナポレオンのロシア遠征が成功した場合、
ロシアまで含めた欧州大陸全域がフランスの支配下に入ることになる。
この欧州大陸の兵力を結集すればイギリス征服も簡単だし、
欧州と他地域の技術格差が大きいこの時点で欧州が統一されたら、
「パリを首都とするボナパルト朝ヨーロッパ帝国」は、
何十年かで残りの全世界を征服してしまうはず。
393世界@名無史さん:02/04/27 03:31
>>389
オスマントルコは無理かなあ。
とりあえずルネサンス前にヨーロッパを征服する可能性はあったと思うが。
394幻想の語り部:02/04/27 12:52
>>392

 今一瞬、「皇国の守護者」のような話を連想しました。
395世界@名無史さん:02/04/27 18:49
30年戦争からの欧州統一はどう?
ヴァレンシュタインが皇帝に!とか、
グスタヴ・アドルフが戦死せずに大暴れ!とかで。
これなら幾らでも統一への道がありそうだし・・・
あっでもむしろさらに欧州の混乱が深まりそう(爆)
396世界@名無史さん:02/04/27 22:52
バーホーベン版宇宙の戦士の世界が、ヨーロッパ帝国による世界支配という感じだね。
あの異様な世界観が実は好きなんです。。

397世界@名無史さん:02/04/30 17:34
かの有名な奇書「家畜人ヤプー」には、既知宇宙を統一するイギリスおよび
白人勢力の帝国である「イース帝国」がありますよ。
まあ、未来史だから違うといわれればそれまでですが・・・。
徹底した人種差別の下、白人による日本人の末裔の「ヤプー」の徹底利用。
ああいう未来ってありそうで怖いなあ。
398世界@名無史さん:02/05/01 21:12
age
399世界@名無史さん:02/05/05 03:14
あげ
400ナイルデルタ分岐点:02/05/06 06:13
ナイルの流れが現実と少し違う世界。
デルタ地帯で別れた分流の一部がスエズ湾に流れ込んでいたら……。

微妙に地形の違うこの世界では、船がナイルデルタを通って
紅海から地中海に通り抜けることが可能であり、
言わば、歴史の最初から天然のスエズ運河が出来ているようなものである。
この変更によって世界史のパターンはどう違ってくるだろうか?

影響1
東洋と地中海世界は最初から水運でつながることになる。
水上貿易のルートに沿った各地の港は商業拠点として繁栄し、
これらの港が各地の文明の中心となる。

特に、交通の要衝ナイルデルタは、世界中で最も繁栄する商業拠点となる。
周辺の諸国は常に虎視眈々とナイルデルタの富を狙い続けるだろう。
史実のペルシャやローマやサラセンやトルコに対応するような
〈この世界〉の大帝国は、必ずナイルデルタに首都を置くことになる。

紅海に面したエリトレアやジブチも文明の大拠点となるので、
史実よりもアフリカは発展し、アフリカ人に対する差別は弱くなる。
401ナイルデルタ分岐点:02/05/06 06:14
影響2
史実では、荷物を船で運べない所は馬・ラクダの背中に載せて運ぶしかなく、
そういう陸上交易ルート沿いのオアシスに商業拠点が形成された。
シルクロードの諸都市やメッカは、そんなオアシス商業都市の代表である。
しかし、最初から水運が中心となる〈この世界〉では、
オアシス商業都市は歴史の主舞台にはならない。
オアシス商業都市を征服する遊牧民は、現実の歴史では重要主題だが、
〈この世界〉では「辺境で暴れる野蛮人」程度の意味しか持たない。

影響3
ナイルデルタを拠点とするナイル商人は、各地に移民して交易拠点を築く。
史実ではギリシャ人やフェニキア人が同様の交易網を築いたわけだが、
ナイルデルタが圧倒的に重要な商業拠点となる〈この世界〉では、
ギリシャ商人やフェニキア商人はナイル商人に太刀打ちできない。
「ナイル僑」の交易ネットワークが帝国に発展する可能性も高い。
その場合、ナイル語は西アジア・東アフリカ・南欧の共通語となる。
時がたてば口語は方言差が開き、相互に通じない別の言語となるが、
文語は古代ナイル語のままで共通であり、この地域は単一文明圏となる。
402ナイルデルタ分岐点:02/05/06 06:15
影響4
〈この世界〉のアフリカは、早い時期から各地にナイル人の交易都市があり、
歴史を通じてナイル人移民が続いている。
コーカソイド系のナイル人と黒人との混血が典型的アフリカ人であり、
われわれの世界のアフリカ人よりもむしろインド人に似た外見である。
南アフリカの金は古代か中世に発見されて、ゴールドラッシュが起こり、
南アフリカはナイル文明の重要な植民地として発展する。
アフリカを一周する交易ルートも中世には成立しているだろう。
アフリカ西部とブラジルは距離が近いので、アフリカ西岸に航路があれば、
嵐で流された船が南米大陸に漂着して帰ってくるといった偶然の出来事で、
新大陸も自然に発見されてしまうことになる。


影響5
ユーラシア大陸西半分が共通の文明圏となり知識や技術が累積するので、
この地域の文明の進歩は史実よりも速くなる。
史実では、古代〜中世を通じて世界一文明の発展した地域は中国だが、
〈この世界〉では、中国は相対的に遅れた地域となる。
史実では、ヨーロッパ人が新大陸を発見し、このボーナスのおかげで、
後進地域ヨーロッパが中国や西アジアを追い越せたわけだが、
早い時期にアメリカが発見される〈この世界〉では、
そういうチャンスが無いので、ヨーロッパも後進地域に留まる。
どこかで産業革命が始まれば、文明の中心はその地域に移るだろうが、
それがどこになるかは判らない。
403名無史さん:02/05/06 23:54
それはいいが、一方で産業の発展はアフリカの熱帯化も加速させるかもしれない。
(紀元前にアフリカは豊かな自然をもっていた)
無論、現代の産業社会のもたらす砂漠化や熱帯化とは比べようのないゆっくりしたものだろうが、
それでもどこかで飽和点に達して一気に崩壊、暗黒時代が訪れるんじゃないかなァ……
404揚げ足鳥:02/05/07 00:35
>ナイルデルタ分岐点
史実でも、ナイル下流から紅海に通じる運河は作られたから、
紅海連絡水路の設定は、あんまり史実を変更したことになってないよ。
エジプトが海運国になれなかったのは、木材が無かったから。
パピルス製の葦舟は、ナイルを行き来する川舟としては使えたけど、
海に出られるほど頑丈ではなかったんだ。
もちろんエジプトは、穀物を輸出して木材を輸入していたから、
軍艦なんかは輸入木材で作ることができたけど、
漁師や商人といった海の船乗りの底辺が狭かったので、
木材が豊富で、海の船乗りの裾野が広かったフェニキアやギリシャが、
エジプト貿易の主役となっていたわけ。
中世の東アジアの貿易における中国をエジプト、
沖縄をギリシャ・フェニキアと置き換えたら、少し似たところがある。
エジプトを海運国にするために必要なのは、紅海連絡水路よりも木材だよ。
405MO:02/05/07 20:28
>>389さん
年表見てたら、眩暈がして来ました・・・・。
最低ラインでも、米国+米国植民地にオランダ・スペイン系植民地。
中南米諸国、各国アフリカ・アジア植民地への圧倒的な影響力。

第一次世界大戦時で、世界第一位の海軍。
(数・質共に第二位・第三位を足したよりも多い。陸軍でも同じ)
圧倒的な国力。
(世界の生産力の七割強・植民地込み)

圧倒的じゃないか・・・・・。
これじゃあ第一次世界大戦・大英帝国が参戦した時点で、おわっとる・・・。
406文明監視員:02/05/08 05:36
>>405
たぶん、アメリカ独立無しのその時間線では、
ある段階で「大英帝国vs残り全部」の戦争が起こり、
その戦争こそが「世界大戦」と呼ばれることになるだろうね。
407世界@名無史さん:02/05/10 08:30
http://www.sankei.co.jp/news/020509/0509kok026.htm

もしヴィルヘルム2世率いるドイツが海を渡ってアメリカに侵攻していたら・・・?
フリート イン ビーイングはこのためですか?
てか60隻の艦艇に10万の兵士って・・・無理臭ぁ・・・

これ関係の妄想もおながいします。
408SSBN:02/05/11 23:09
仕分け所更新サボってごめんなさい(;´Д⊂


適当に検索してたら面白そうなHP見つけたので報告です。
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/
ここのページの世界布武というコンテンツです。
佐藤大輔の信長征海伝の世界を背景にしつつ作品でかかれなかった所を書かれているようです。
いくつか信長〜と違う部分もあるようで。

こういうの見ると誰か遥かなる星の補完してくれないかなァと思ってしまう罠。
409リンク:02/05/13 05:19
<鋼鉄の嵐『北海道国編』>
http://homepage2.nifty.com/solcom/HOKKAI_ISH/

日本語の仮想史関連では、一番濃いサイトだろう。
本来は、Niftyの架空戦記フォーラムに集まった素人による仮想世界設定で、
後にここから書籍も出版された。

――分岐点は幕末。
薩長に負けた幕府と佐幕諸藩は北海道に亡命政権を作った。
(大陸を追われた中華民国が台湾に落ち延びたのと似ている)
明治日本から独立した北海道は共和国となり、
日本内地から大量の亡命者を受け入れて史実よりも急速に発展する。
明治日本と北海道共和国との間で外交に関して競争が起きるので、
明治日本は史実ほど攻撃的にならず、朝鮮や沖縄は独立を保つ。
やがて、これら東北アジア独立諸国の連合とロシアの間に戦争が始まる――

そういう時間線。
メインストーリーと無縁の細かいところまで世界が造りこんであるなど、
良い意味でヲタ度が高いので、じっくり読んで楽しめる。

410世界@名無史さん:02/05/13 07:34
アメリカ大陸がない世界の、歴史キボーン
411妄想電波之介:02/05/15 23:34
皆さん、御無沙汰しています。鯖移転を倉庫落ちと勘違いしてパニクった
ヤローです。親切な人に教えて貰って一安心。イッテヨシですね。

>388さん

「織田武神伝」情報、ありがとうございました。御礼が遅れてすみません。
私も、これは毎度立ち読みで済ませていて(^_^;)、好みの完結だったら
購入しようかなと思っていました。じゃあ続編は期待薄ですね。残念。
412mo:02/05/16 14:27
あはははは、大英帝国コケマシタm(_ _)m。
まさしく、世界が範囲で想像できん。
いまの歴史が参考にしずらい(T-T)。
413mo:02/05/16 14:28
あはははは、大英帝国コケマシタm(_ _)m。
まさしく、世界が範囲で想像できん。
いまの歴史が参考にしずらい(T-T)。
414mo:02/05/16 14:30
オマケにうっかり二重かきこ(^^;
415世界@名無史さん:02/05/17 01:48
それでしたら、もしもできたら「南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら」
スレを使ってだれか妄想史書いてもらえませんか?
あのまま落すのは惜しい・・・。

http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/991138826/-100
416世界@名無史さん:02/05/23 21:41
age
417世界@名無史さん:02/05/29 01:06
>415
頼むだけじゃなくて、自分でも考えてみないか?
ほんのちょっとしたきっかけでも。
続きを考えてくれる人がいるかもしれない。

俺は今、関ヶ原で家康が負けてからのことを考えているんだが……。
隆慶一郎の影響で徳川忠輝がキーパーソンになりそうな感じ。
もうちょっとまとまったら妄想吐き出しに来るかも。
418mo:02/05/31 19:51
今、織田信長の天下統一をイカにして加速するか、思考中です。

それとこんなサイト発見
太陽帝国
ttp://www.cwo.zaq.ne.jp/bface700/top.html
419mo:02/06/02 21:15
歴史改変・ケース1
1582/6の本能寺の時点。

信長が直前に裏切りを知って出来ることは、とりあえず京から逃げること。
逃亡先としては考えられるのは、まず安土、
美濃・尾張・近江からかき集めるより早く、明智軍が来る。
よって、召集できた兵が少なくては、岐阜まで逃げるしかない。

次に、大阪。
だがこの時点で、四国遠征軍がまだ残ってるのを、
信長が知らない(何しろ、風待ちで渡海延期してたからな)。
ただ、船で四国(遠征軍がいるはずの)・播磨(中国遠征軍の根拠地)・
尾張(織田本領)などに移動可能。

どちらにせよ、明智軍は壊滅確実(二正面作戦が出来るほどの兵力が無い、
信長を徹底的に叩く前に、秀吉軍にやられる)。
ただ、乱の影響は史実とあまり変わらない、西は毛利と中途半端に講和。
四国はとりあえず手を出せない。北陸は再進撃に時間が必要。
関東では、信長生存の報で甲信は一揆は弱体化、
上野では敗北寸前の滝川が粘って、北条を何とか押さえ込む。

このケースでは、体制建て直しに最低半年、再進撃に一年、
日本統一に2−3年かかる。
420世界@名無史さん:02/06/02 21:52
昭和初期に東京をワームホールから沸いて出た
異星人「魔」と交渉して割譲、京都還都、って言うのを条件にして、原爆は硫黄島
と那覇、そして東京に投下されるも調査できないから継戦、日本ソヴィエト共和国連邦
(首都仙台)と大日本皇国(京都市)と日本民主共和国(首都松山)、琉球国
(首都浦添)に分断されるって話。 
 でも談合で天皇を中心としたナァナァの関係ができて日本統一戦争起こった後に
JCIAとJKGBの共同でソ連転覆させるっ
 
 終点は2001(平成20)年に昭和天皇戦没20周年を期に日本が再統合されて
大日本連合国作るまでを考えた.

昭和7年1月
 異星「魔」と東京が数百年ぶりに繋がる。
同年2月
 『魔』、家康との「江戸繁栄システム」のレンタル超過延滞料のカタに東京の割譲を要求、
少壮軍人や元老によるクーデター発生。『魔』これを一度無力化した上で蘇生させ、天皇の信頼を得る。
昭和7年3月9日
『魔』に東京割譲、京都に還都。それと引き換えに3つの願いを聞いてもらえることに。
昭和7年3月19日
関東軍蜂起、北緯38度線で第七管区方面軍と交戦状態に。
天皇、願いを使い『魔』により近衛師団と共に戦場へ転送される。
〜昭和7年6月
 ついでに中国や帰国時に満州国、朝鮮をお忍びで視察、日本人の対外イメージの実態を知り、日国共合作を呼びかける。仲介の労を貿易市場の拡大の約束と引き換えにアメリカに取らさせる事で成立。
 さらに、朝鮮を自治帝国とし、満州国は立憲君主制(溥儀一代限り)の合衆国とし、実質大陸より撤退する詔勅を発布、日本は「大日本帝国連邦」と改称。
以後、空前の好景気がアジア、アメリカに訪れるも日米経済摩擦が始まる。
 昭和16年12月8日
 アメリカがシャレのつもりで出したハルノート(内容は魔の技術をアメリカに引き渡す事)を深刻に受け止めすぎて開戦。
昭和20年8月6日硫黄島に原爆投下、同島消滅
     8月9日東京に原爆投下、が何も起きず。
     いずれも調査不能の為、継戦。しかし、天皇「2つ目の願い」を使い日本側の全兵士、国民に語りかけ、ある約束をする。 
421世界@名無史さん:02/06/02 21:55
昭和20年8月10日、ソ連軍、満州国を避け朝鮮に侵攻、中国共産党、裏切り満州国に侵攻。日国共合作崩壊。
昭和20年8月15日 沖縄全島、陸軍中将牛島、海軍中将大田の名の下に自治政府樹立と引き換えにアメリカに降伏。
昭和20年9月15日 日本軍、ソ連軍の追撃をかわし多くの日本人や半島人、旧満州人、国民政府と共に朝鮮半島から撤退。使った船以外を全て焼き払う。
昭和20年9月~10月 沖縄同様各地で降伏相次ぐも、撤退してきた兵力は北に回される。
     11月3日 ソ連、樺太千島を制圧。
     11月10日 間宮海峡海戦
     11月11日 津軽海峡海戦
     11月13日北海道陥落
     11月15日 できうる限りの住民と共にアメリカ占領地域での降伏目指し日本軍撤退開始。
     12月20日 昭和天皇、未占領地域の自治と引き換えに降伏。
     12月22日、ソ連とアメリカが和歌山県で手を結ぶ。
           ただし、東京は不可知バリアがあるため占領されず。
昭和21年2月11日〜4月29日
   日本民主合衆連邦(JDUPF、首都松山、副都、大阪市・熊本市・那覇)
   大日本皇国(GJES、京都市、及び旧京都府一部市町村によるバチカン型国家)
   極東ソヴィエト共和国同盟(環オホーツク共和国、環日本海共和国含む)総督府秋田市)
昭和21年9月13日 日本統一戦争勃発
         ソヴィエト同盟 旧大日本帝国地方で米がロシア軍に
         嗜好品として略奪され、食い詰めて蜂起。
         しかし、形式的には南日本に攻め入った形をとり、
         戦闘をするふりをしながら武器や食料を少しずつ南から受け取り
         力を蓄えていく。
昭和21年10月〜12月 統一戦争関係各国に情報機関が設置される。
          民主連邦はJCIAをソヴィエト同盟(後に日本民主主義協和連盟)
          はJKGBを、皇国では近衛陰陽師(シャーマニックインペリアルガード)
          をそれぞれ創設、連絡を取り合う。 
昭和24年10月5日  ソ連、キューバと共に旧北海道、旧千島、仙台に核ミサイル配備。
      19日  核ミサイル、JKGB、JCIAが奪取され。呼応して旧日本領本州地方、北海道地方
          、ならびに朝鮮半島で一斉蜂起、ソ連からの独立を宣言。
昭和24年10月24日 フルシチョフ、「核奪取」を歴史の闇に葬り去る事を条件に
         極東、キューバの核配備の撤収、関東甲信以南地域、ならびに
         北緯38度線以南からの撤兵を決定。
         大韓民国、朝鮮民主共和国ならびに日本国の成立へと繋がる。
         同時にこの功績により、日本各国は米国はじめとする旧敵国
         と講和が決定される。
 
昭和24年4月24日 サンフランシスコ講和会議。単独講和の為に共産各国とは講和せず。
         日本各国とアメリカ、台湾、韓国の間で相互集団安全保障条約が締結。

昭和27年 朝鮮戦争勃発、同時に第二次日本統一戦争勃発。
     田中角栄、新潟より攻め上り青森を攻略、東北政権首班となる。
     同時に、かつて天皇より諭されていたように第一次戦争からずっと蓄えていた
     武器にてゲリラ活動が開始される。
     膠着状態に陥る。
昭和35年 10月 朝鮮民主共和国で蜂起、ソ連軍、中国軍の支援を受け反攻。
昭和35年 11月 朝鮮民主共和国蜂起軍、大韓民国、など安保条約連合軍、プサンに
     追い詰められる。
昭和35年 1月 天皇御親征 撤兵を助ける。(チェジュ撤退)

昭和45年 朝鮮半島・旧北海道にて暗殺事件発生、総督暗殺。
     ソ連軍派兵・弾圧、これを阻止する為、田中角栄、福田赳夫、中曽根康弘など
     日本各国連合軍派兵、総指揮を天皇が取り派兵、戦闘激化。
422世界@名無史さん:02/06/02 21:57
昭和46年5月6日 朝鮮解放戦争にみずから出征していた昭和天皇はじめとする軍首脳は
         JCIAやJKGBの工作により開発が遅れていたはずのソ連の原爆
         攻撃により戦死。中国製であった事が判明する。
平成元(昭和46)年9月20日 元号 平成に。今上天皇即位。
         オペレ−ション=ヤマトタケル発動

同年9月21日 日本各国情報部工作員、ソ連、中国の首脳以下、政府・軍
         中枢を大量に暗殺。
   同22日 ソ連書記長にゴルバチョフが、中国国家主席にケ小平が就任
         共に左遷中であった為、難を逃れていた。         
同年9月〜12月 ドサクサに紛れて、独立し損なっていた旧日本支配地各国が
       独立を宣言、日本各国と集団安保条約を結ぶ。
平成2(1972)年 1月7日にソ連と、1月10日に中国と講和条約を結び
         占領地域の返還独立はじまる。
平成14(1984)年 全ての被占領地域が返還、解放され、旧日本本土各国は
         統合され大日本連合国となる事が決まり、天皇は「朕は先代との約束を果たす」
         と謎の言葉を残し実権を退き、関東近郊の御料に転居する。
平成26(1995)年「魔」とのワームホールが50年ぶりに開く。

平成30(1999)年9月23日 昭和天皇の最後の願いに基づき、天皇は「魔」の代表団と契約書にサインする。
             その内容は「もし仮に50年以内に日本を再統合し、周辺諸国に平和をもたらす事ができたなら
             東京に何か、のしを付けて返してくれませんか」というもの。
             「のし」が宇宙航行技術だったため、日本を始めとする全世界の国による
共同出資の下、銀河移住計画が始まる。 
              
 東京の分断から始まった一連の歴史を観察した結果、「魔」は日本、ひいては地球を「延滞料遅延者」
から「見込み有るビジネスパートナー」に格付けを変更、銀河連邦加盟準備用意団体に推薦を決定。
 平成33(2002)年 第一回地球統合会議が行われる…

 完                
423世界@名無史さん:02/06/03 10:22
すごすぎ。
424mo:02/06/04 19:54
歴史改変・ケース1のU
1582/6、明智の裏切りがなかった場合。

割と簡単、年内に中国・四国地方は平定可能。
翌年には、九州平定(大友・竜造寺は織田への臣従を、乱以前に申し込んでいる)、
北陸も上杉を春日山まで、追っ払う事ができる。
関東は、北条がどう出るかだが、おそらく模様眺め。
よって滝川は佐竹・結城・宇都宮・那須七党・里見などの関東諸将と、
東北地方の平定。
1583末には日本統一。

その後はケース1及び1−Uともに、蝦夷(乱の前に、信長が絵地図を持っていた)、
琉球・台湾を支配下にし、情報収集を兼ねた交易で進攻方向を考えるだろう。
425世界@名無史さん:02/06/05 09:02
>419
以後「覇王の軍」のように秀吉・家康が戦死するまで全国統一作業が
進められる、と。
426世界@名無史さん:02/06/07 21:46
>東京の分断から始まった一連の歴史を観察した結果、「魔」は日本、ひいては地球を「延滞料遅延者」
>から「見込み有るビジネスパートナー」に格付けを変更、銀河連邦加盟準備用意団体に推薦を決定。
えらくプラグマティシズム入ってますね。
W杯でがんばるスウェーデンにエールを込めて!
<パクス・スウェデニカ?>
1700年より勃発した大北方戦争においてスウェーデンのカール12世は連戦連勝、デンマークを屈服させ、ポーランド=サクソン連合を撃破し、
ポーランド王位を自らが選んだスタニスラフ・レシチンスキに務めさせ、最後の敵ロシアを撃破するべく長躯モスクワを目指して旅立った。
この戦いでもカール12世は勝利を続け、ホロウチンでロシア軍を破り更に奥に進む。
しかし、ピョートル大帝は焦土戦術でこれに対抗、補給に苦しんだカール12世はコサックの首領マゼッパと本格的に共闘する事を決意、
その根拠地であるウクライナに向けて軍を旋回させた。
しかしこれは裏目に出た。
その途上、レースナヤでスウェーデン軍補給部隊がロシア軍に捕捉され壊滅、
補給してくれるはずのコサックの町は先回りしていたロシア軍に破壊もしくは占領され、マゼッパが約束した大援軍も絵空事であった。
さらにこれに18世紀最大の寒波と言われる寒い冬が追い打ちをかけ、ついにカール12世の無敵スウェーデン軍は追い詰められる。
しかし不屈のカール12世は春を待って交通の要衝ポルタヴァに進撃、これを包囲し救援に来るはずのピョートル大帝とその大軍を誘った。
この誘いに乗るかのようにやって来たピョートル軍4〜6万は、ポルタヴァの北に陣を置き、スウェーデン軍(1万6千)とにらみ合った。
ポルタヴァ会戦前日、偵察に出たカール12世は辛うじて負傷を免れ、翌日の会戦では、敵陣地をすり抜けて軍営地その物に攻撃をかける世界初の浸透突破作戦を成功させ、
自軍の3倍以上の兵力を持つピョートル大帝軍を撃破、ナルヴァの再現をしてみせる。
更に戦勝後、ピョートルの姿を探すカールは、運悪く銃弾が胸を貫き死亡していたピョートルを発見、その事実を広く公表しコサックを味方にする。
こうしてウクライナ一帯を味方としたカール12世はモスクワに進撃、新たにツァーリとなっていたアレクセイを降伏させる。
講和条約はロシアにとって致命的だった。ペテルブルグ、モスクワを失い領土の殆どは、スウェーデン、ポーランド(スウェーデンの属国となっていた)に分割され、
ウクライナはコサックの首領マゼッパの支配するところとなったからである(ロシア3分割)。
そしてこの状況下において父帝に似ず守旧派なアレクセイは、ピョートルの改革を全て台無しにしてロシアを元の後進国に逆戻りさせ、ツァーリとしての権力を急速に失った。
一方、デンマークを屈服させ、事実上、ロシアとポーランドを支配下においたカール12世はその目を北から西へと転じた。
当時西ヨーロッパでは、スペイン王カルロス2世死去に伴うスペイン継承戦争が勃発しており、
カール12世と無敵スウェーデン軍の評判は、フランス、反フランス同盟、両陣営にも鳴り響いていた。
とは言えカール12世はどちらにつくか決めかねていた。イギリス・オランダ両国には大北方戦争初期においてデンマーク軍を撃破する手伝いをしてもらった恩義があったが、
その後は、エーレスンド海峡における通行権をめぐるいざこざや、その同盟国であるオーストリアとのいざこざがあり、決して関係が良いというわけではなかった。
加えてロシア遠征前の反フランス同盟の軍事的指導者の一人マールバラ公との会見は不調で、その関係は余り良くなかった。
しかし一方のフランスとの関係も良くなかった。元来スウェーデンの同盟国であったフランスではあるが、カール12世の父、カール11世の時代からその関係は次第に悪化していた。
これはカール11世治下のスウェーデンがなるべくならルイ14世の侵略戦争に関わりたくないと考えたからである。そうすると自然、フランスはスウェーデンの敵デンマークと同盟を結ぶようになり、
デンマークがスウェーデンに敗れた現在に置いても、それは暗い影を落としていた。
また、フランスにとって運の悪い事に、カール12世はフランス嫌いで有名で、それはフランス語が喋れるのに喋らないといった徹底ぶりであった。
両陣営は競ってカール12世の関心を引こうとする中、1711年、旧ポーランド王でサクソン選帝候で、マールボロ公の麾下でフランドルを転戦中のアウグストが、
オーストリアの後援でポーランドの王位奪回に向けて秘密裏に活動している事が判明する。
この事態となって、カールは個人的な反フランス感情を一時は抑えて、ドイツ出兵を決断する。
不正義を厭い、裏切りを許さないカール12世はアウグストに鉄槌を加え、選帝候から追い払うまで戦う決意であった。
こうして1712年、6月カール12世30才の誕生日を期してヴィスワ河を渡りシュレジェンに侵入する。
目指すはサクソンの首都ドレスデン、講和気分が両陣営に流れ始めた丁度その時の出来事であった。
ルイ14世はこの参戦に大いに喜び、ほつれを見せる同盟を後目にネーデルラント、オランダ、ライン川流域へ兵を進める。
状況はフランスにとってあまりに有利であった。
何故ならば神聖ローマ帝国皇帝ヨゼフが死去し、反フランス同盟が王位にと望んでいたカール(カルロス3世)が皇帝になってしまった。
更に加えてイギリスでは和平派が勝利し、恐るべき「フランスの敵」マールバラ公は失脚していた。
かくてここに至ってイギリスは苦悩する。ハプスブルクが勝てば、今や神聖ローマ帝国皇帝となってしまったカール(カルロス)はスペイン王位まで手に入れて、
巨大なハプスブルク帝国が再び生まれる。
かといってフランスが勝利すれば、大ブルボン帝国が誕生してしまうのである。
このどちらもイギリスにとってはあってはならない事だった。
初期の和平案では、ルイ14世の孫アンジュー公フィリップのスペイン王位とインディアスの統治者の地位を認める代わりに、フィリップの他のヨーロッパの領土を認めないという痛み分けで、
ヨーロッパの均衡をある程度保つつもりであったが、もうそれはあり得ない物となっていた。
ルイ14世はもはや妥協しなかった。イギリスと皇帝は微妙に袂を分かっていて、共同行動はもう行えないのだ。そうすればルイ14世にとってこれは勝てる戦争だった。
そして事実、事態は優位に進んだ。ドイツに侵入したカール12世が、サクソンと、その悲鳴に答えたブランデンブルグの連合軍を壊滅させまずベルリンを、
そして継いでドレスデンを落とし、一路ウィーンに向かったのである。それはグスタヴ・アドルフの再来だった。
これを迎え撃つのは失脚したマールバラ公の友、対トルコ戦の輝ける英雄、プリンツ・オイゲンその人であった。
しかしここで驚くべきことがおこった。それはオスマン・トルコの侵入である。
ルイ14世とカール12世の要請に応じたスルタン、アフメット3世はこれを機にかつて失った西の領土を回復させるつもりであった。
こうしてウィーンは2方向より攻められるに到ったのである。
転じてイギリスでは苦悩するトーリー党による中立政策が行われ、スウェーデンに頻繁に大使を送り、ドイツ懲罰が終わったら、フランスと敵対してくれるように盛んに訴えていた。
彼等はすでにカール12世の人となりを見抜いていた。それは彼にはにさしたる領土欲がないという事実であった。
成る程、おそらくハプスブルクは敗北し、ドイツは再び混乱するだろうが、それはもうどうでもよかった。問題はそこに入り込もうとするフランスであり、これをどう防ぐかであった。
そしてその術として考え出されたのが、スウェーデンを使うということだった。
こうする状況下、カール12世はオイゲン公との激戦の末、ウィーンをついに陥落させ、皇帝を退位させる。
そしてオーストリアを後方から脅かしたトルコにはハンガリーが割譲されるにいたった。
また、フランスはネーデルラント、オランダ、ライン川流域で勝利をおさめた。
こうしてハプスブルク家は実質上崩壊した。
新たにドイツの大地に君臨したのはカール12世であった。彼はイギリスの支援とその武力に恐れをなした選帝諸侯の賛同をを受けて1720年、空位になっていた神聖ローマ帝国皇帝に推戴され
(カール12世は新教徒であったが、これは皇帝位に新教徒を据えてはならないと言う条文はないので可能だった)、
ルイ14世亡き後、同君連合となったフランス=スペイン王国に対して、戦争を行うのである。
429世界@名無史さん:02/06/10 00:03
続きを希望・・・僕も年表ねりなおそうかな・・・
スウェーデン負けちった。がっかり。
関係ないのでsage
431420:02/06/19 00:01
以下に書くのは今年の初め、オカルト超現象板の夢についてのスレにかかれていたものです。
スゥェーデンで思い出したので記します。

「なんかさ、歩いていたら、いきなり意識が、半分に割かれてどっか異世界に飛ばされてるの。
なんか西洋風の宮殿に若めのちょんまげサムライが座ってる。
 そしたら彼が

『よくぞきた、そなたが今回の【えーじぇんと】じゃな。余はスウェーデン大公、
松平家康である。そなた、見かけはラッパの格好じゃが中身が違うようじゃの』っていうの。
 
 で、自分の格好見てみたら、黒装束の民俗衣装。クビから三日月型のペンダント。
そこで聞いてみた。『畏れながら申し上げてもよろしゅうございまするか?この世はどうなって
しまったのですか?』
 大公いえり。
『おぉ、そなたは気にする事は無い・・・とは言えこれから重要な頼み事をする相手。
 よろしい、この世界には日本が二つあるのじゃ、一つは切り取られたまま何も無いが
侵入する事が叶わぬ、旧日本領域、そして、このスカンジナビア半島に覆い被さってできた
日本=スカンジナビア大半島の二つなのじゃ。理由は信長殿の御業とも、天海のせいとも
言われているが全くの謎じゃ。』
 そこで、【えーじぇんと】が、わしに接触してきた、と言うわけじゃ。

 『は、はぁ、それで私めは何をすれば・・・』
「○○を、あぁそなた達の世界ではノブヤスと名乗っていたらしいな。
この我がいとしき息子をフィレンツェまで届けてもらいたいのだ。」
「はいかしこまりました。」
432世界@名無史さん:02/06/19 00:53
大日本帝国によって中国が制圧をされソ連はシベリアを
制圧をされ抗戦しているが圧倒的な関東軍の機甲部隊に
前にソ連軍は壊滅寸前、アジア方面では英東洋艦隊を撃滅
して東南アジア全域を一気に占領、豪州も圧倒的な海軍と
陸軍力で制圧、米国は太平洋艦隊が壊滅をしてハワイを
占領され米本土に上陸をして帝国空軍の戦略爆撃機富岳
により各都市と工業地域が壊滅状態になり敗北寸前、
悪の大日本帝国を世界支配を阻止するために
ドイツ第三帝国ヒトラー総統が世界平和の為に
大日本帝国に宣戦を布告する!!!!!
433山野野衾:02/06/19 16:11
志茂田景樹風に纏めてみました。
1399(応永6)年10月13日。室町幕府3代将軍足利義満に和泉・紀伊の没
収を宣告された大内義弘は5000の兵で戸数一万と称された堺に立て篭もり、海
上を水軍で固めさせた。
ところがいざ決戦という時になって周辺を霧が覆い、晴れた時に目についたのは見
知らぬ風景ばかり。海上には巨大な鉄の船が浮かび、陸地には平原が広がっていた。
とりあえず陸地に百人の偵察隊を派遣して確認させ自らは小舟で鉄の船に乗船。
乗っていた者達は未来の日本国自衛隊員と名乗りタイム・スリップという概念を伝
える。そこに近くの村を襲っていた野盗を討って偵察隊が戻って来た。
そこの村人と交渉した結果、彼等が1399年のフランスに居る事が判明。
当時は狂気の「親愛王」シャルル6世の下、英国のみならず国内にも争いの種があ
ったという。ならばそれを利用して生き残ろう。
限り有る燃料や弾薬の代りとなるものを求めて、両「日本軍」は動き出した。
434新装版刊行記念!!:02/06/19 20:42
じゃあ、
ラプラス博士がロシア戦役においてナポレオンに進言。
これによりナポレオンは見事ロシアを征服し、名実ともに欧州の皇帝となった。
しかし素粒子空間における運命理論を完成させたラプラスは魔界と交信して“力”を手に入れ、クーデターを起こしその地位を襲った。

そして20世紀初頭、いまだ世界はラプラスのもと魔界による支配を受けていた………。
435mo:02/06/19 20:52
歴史改変・ケース2
1575/5長篠の戦い
この時、退却する武田軍を追撃していたら?。
最低でも、南信濃・遠江は盗れる(この地方の城主・城代は殆どが死傷している)
川中島(高坂・戦争不参加)が粘ると思うが、甲斐に入る事が出来れば、
東方戦線を五年くらい繰上げできる。
これで、天下統一も加速する、1582には悪くとも関東・北陸・東北南部が支配下に。
436世界@名無史さん:02/06/19 21:21
長篠の戦いの死傷者の大半は、追撃戦で出た事を知らないのだろうか?
437世界@名無史さん:02/06/19 22:33
織田の方も、武田方による決死の突撃で決して「圧勝」とは言えない犠牲者を出していました。
やはりあれくらいが上出来ではと。
438mo:02/06/21 01:05
437さん
この時、徳川家康ほか織田家臣団から、信濃・甲斐・遠江への、
追撃具申がありました、しかし、信長は却下。
その所為で、武田氏討伐に7年余計に使いましたが。
つまり、追撃できるのに、しなかったんですよ。
436さん
そのまま、追撃続行の場合です。
史実では、武田軍・殿部隊(馬場)を叩いた後、
休息・再編後の追撃を具申しても、武田氏を滅ぼせるとの、
意見も聞かず、帰ってしまったんです。
439mo :02/06/24 20:45
歴史改変・ケース3
1570 朝倉攻め

この時点での改変は、浅井氏の離反をどう食い止めるか。
浅井氏に話をとうして、参戦してもらうか。
それとも、最初の題目のとうり若狭の武藤氏討伐が、可能な兵だけ投入して、
余りを六角氏・三好三人衆掃討に使って、朝倉氏から手を出すのをまつか?。

どちらにせよ、浅井氏離反が無ければ、織田家武闘派武将達が、
別方面に使えるわけで、天下統一が多少は楽になる
440世界@名無史さん:02/06/25 17:32
>439
浅井家が名目的には対等の同盟者として存続してしまうのは、
浅倉攻めの時点では良いとしてもその後の織田家の天下統一戦略に不安要因となるかも。
北近江なんて言う織田家版図の中央部に他家の領地が存続する事を信長が容認できるかどうか。

下手をすると、浅倉攻めの際に離反しなかったために勢力を温存した浅井家を攻めあぐねて、
史実よりも畿内制圧が遅れてしまう可能性もあるのでは。
441世界@名無史さん:02/06/25 21:33
>440
その代わり、織田幕府発足の可能性が・・・
442mo:02/06/26 19:37
440さん
そうかなぁ、徳川家の例を見ても、畿内制圧までは我慢できるのでは?。
その後はどうなるかは「?」、織田家臣は領地がバラバラに与えられていたから、
(例:秀吉は、北近江一郡・播磨を与えられ、攝津・但馬・備前への指揮権を持っていた)
本領より遠くに、分国を与えればいいような・・・。

441さん
そうですね、長政・家康が信忠を補佐し、秀吉・勝家・長秀・光秀・一益らが、
盛り立てて行くとか。
443英彦:02/06/26 19:50
>442
440なんですが、力の均衡という意味で史実では
必要無かった征夷大将軍という地位が必要になるかもしれませんね。
もっとも、覇王の軍みたいに秀吉・家康が戦死、という歴史もありえますが。
444世界@名無史さん:02/06/27 17:58
ねぇ世界史レベルの話は?
内容が日本史板ですよ。
445英彦:02/06/27 22:12
>444
431の続き。
実は、この夢見たの僕なんだけど。
次に夢を見た時には、ベネツィア(当時は違う名前だったっけ?)
の船に乗ってるの、で、ノブヤス君にペンダントを渡して
「もう大丈夫です、次のエージェントが来るまで、これを持っていてください」
って差し出したの。
 でもノブヤスが「そちとはまた縁がありそうじゃが?ではまたな」
って別れを告げたから船をこぎだした所で目がさめた。
 道中の話しが何も記憶に無いのがガクガクブルブル
446mo:02/06/29 01:28
444さん
・・・頭から読みました?。
もし、私の信長改変物を指して、日本史と言うているのなら、
424の後半を見てください。
それに、コレらの改変物は、信長をして海外進出させるための、
日本統一短縮策のモトです。
コノ時点での海外進出は、確実に『世界史』を変えてしまいますが。
447444:02/06/29 15:26
moさん>
いやぁちょっち怒らせてしまい申し訳ない。
私は、信長が生きていたら世界史を変えていたのは間違いない事で、
加えて、死ぬ直前、49才でほぼ日本平定を終えていたのだから、それ以外の些末に
囚われることはないのでは?と言いたかったのです。
つまり、私は例え日本平定が2,3年早まっても世界の視点から見れば、
それは大したことではないと考えているのです。
そして、そんな一国内での政戦両略を論ずるより、
信長が海外進出する時に考えられる幾つかの選択について考えた方が
世界史板にあった話しになるのでは?と思った訳です。
これにだって幾つものケースがあります。424では
>その後はケース1及び1−Uともに、蝦夷(乱の前に、信長が絵地図を持っていた)、
>琉球・台湾を支配下にし、情報収集を兼ねた交易で進攻方向を考えるだろう。
とあり、この方面でケース分けして欲しかったと残念がっているのです。
例えば
1、東南アジアに進出
2、中国進出
2−1、朝鮮経由の場合
2−2、台湾経由の場合
3、太平洋方面への進出
4、明と同盟し北進
etc
と言った感じに・・・。
しかしこの議論が終わった後、こっちに行くわけですよね。
ならば期待しつつ議論を見守らせて頂きます。個人的には日本史好きですし。





448mo:02/06/29 17:49
444さん
そう言う事なら、此方も少々言い過ぎました、すいません。

447にて、提示された進出方向ですが。
1及び3については、相当の海軍力の強化が必要になります。

当時の日本船は、外洋航行を考えていないので、航洋力を上げるため、
竜骨方式・帆走を取り入れるのに、鉄張り軍艦をダシに使いましょう。
(重量に負けない様に・速度強化を理由にする事ができます)
ただ、東南アジアはともかく、太平洋方面へは行かないでしょう。
「島が有る」と分らなければ、偶然(嵐で難破後、無事帰還)を、
期待しなくてはなりません。
まあ、小笠原からマリアナ・フィリピンからパラオへは、さほどの苦労はないでしょうが。

2については、当主が信長なら情報を重視していますから、武力行使は可能性が低いです。
むしろ、東南アジアの交易路を抑えて、商売にセイを出すでしょう。
(事実、鎖国するまで日本商人は、欧州のアジア貿易の最大の敵でした)
(現地民に、先渡し金を気前よく払ったため、欧州商人は屑物しか手に入らず)
(高い代金を出して、ようやく買い集めたりもしていました)

4については、後金(清)を敵とするワケですが、日本が全力を出しても、
後金を倒すことは難しいです。
日本が無理なく動員できる人数は約10万。
(国内の留守部隊まで全部出せば、MAX50万ぐらいは出せるが・・・・)
(そんなに出すのは、ムリでしょうから、まあこれくらい)
後金は男性人口=兵力なので、40万。
明は(対日戦が無い為)、長江以南は自力で守れるでしょう。
(もっとも、支援無しなら数十年後に滅びるでしょうが・・・・)

449ハンニバル:02/06/29 20:01
がんばれスウェーデンさんの改変に感動です。僕も世界史の改変を渇望しています。
僕は三十年戦争の改変を考えています。主役はヴァレンシュタイン、最終的には
神聖ローマ帝国から独立してライン王国を作る予定です。
僕は日本史、世界史両方OKなので要望があればどんな時代でも考えてみたいです。
あと、ここでは近代史はなしですか。
450世界@名無史さん:02/06/29 23:17
もしアトランティス帝国が実在してたら、世界史はどうなったんだろう…。知識が
ないから書けないけど…。興味あるなあ。
451英彦:02/06/30 04:23
>422
>日本、ひいては地球を「延滞料遅延者」
>から「見込み有るビジネスパートナー」に格付けを変更、
>銀河連邦加盟準備用意団体に推薦を決定。
現代っ子ですな・・・
452ハンニバル:02/06/30 11:17
>450
アトランティス帝国って、大西洋にあったやつでしたっけ?
たしか南極大陸説もあったような・・・
上で、信長が生きていたら世界史が変わったという議題がありましたけど、特に西洋史に
どんな影響を及ぼしたんでしょうか、もし武力介入していたら、カトリック勢力が史実より
強力になっていたと思います。ユグノー戦争や三十年戦争の結果も変わってくるかも、でも
航海技術に無理があるのかなぁ。もし武力介入しなくてもオランダやポルトガルが強力に
なっていたと思います。
453mo:02/06/30 12:45
ハンニバルさん

日本が欧州に手ぇ出すには、喜望峰かマゼラン海峡を回らないと。
・・・かなり無理っぽい、千人単位で送らないと意味無いですし。

近代史>OKですよ。

アトランティス帝国>・・・古代から続く大帝国・・・。
ムーと世界を争った世界帝国(ムー及びアトランティスは同じ国の別名か?)
世界は統一されてますよ、それなら・・・。
454世界@名無史さん:02/06/30 16:24
>欧州進出
日本の誇る侍傭兵団が大活躍。
日本刀掲げて武田、島津(信長に滅ぼされてたら)などの落ち武者軍団がワイルドギースの如く
戦い、お家再興の夢を追う!
455ハンニバル:02/06/30 17:27
侍傭兵団大賛成!!
信長なら、これを積極的に国外に送り込んで邪魔者を国内から一掃しますね。

信長が天下統一を果たして日本が一大海洋国家として世界に繰り出すとして、
実際どの程度まで勢力を広げれたと思いますか、もしくは全く広げなかったと思いますか。
僕としてはフィリピンぐらいまでなら南下してたと思うんですけどどうですか?


456世界@名無史さん:02/06/30 17:36
アメリカ西岸に屯田するのがベストかと。
それなら、徐々にだが確実に国力を増やせる。
できればテキサスまでは取りたいな。
457名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/30 22:56
たとえば、劉邦が匈奴に敗死して漢が崩壊。
中国は以後、近代まで統一されることなく、欧州のように燕や秦などの国家が分立する時代が長く続きます。
文化、言語も多様化し、儒教はマイナーな存在となります。そして、産業革命は中華諸国でおきます。
一方欧州ではローマ帝国が存続を続け、停滞した状況が続きます。
その後の歴史では日本は英国の役割を演じ、新大陸には蓬莱という日系国家が生まれます。
ようするに東西の歴史をそのまま逆転させたわけです。
しかし、最後は20世紀の初頭になって蜀が天下を統一します。でも、蜀は統一から僅か3年で滅亡します。
そして、中国は再び幾つかの国家が乱立して現在に至ります。
これを小説にすれば、すごく面白そうですね。
458世界@名無史さん:02/07/01 13:41
>457
70で出ている。それはほとんど「龍騎兵」の設定だ。
第1部完と言っているので、いつか続きを青木氏が書いてくれるだろう・・。
期待しないでまとう。
459世界@名無史さん :02/07/01 15:40
>>458
>それはほとんど「龍騎兵」の設定だ。
たしかに「龍騎兵」の設定に近いよ。
でも>>457は「龍騎兵」と違う小説を希望してるのだと思うよ。
460ハンニバル:02/07/01 18:53
>457
ローマ帝国が存続って、ゲルマン民族やフン族、ノルマン人、スラブ人は
どうなっているんですか。
461世界@名無史さん:02/07/01 19:11
>422
年表じゃなくて文章希望。
>460
うまく取り入って地位向上させて皇帝を輩出させていそうだ。
462世界@名無史さん:02/07/01 19:17
>>458
>それはほとんど「龍騎兵」の設定だ。
「龍騎兵」の主人公は、女武将だよ
463ハンニバル:02/07/01 19:19
ここでは信長の天下統一後の可能性がよく話されていますが、逆に信長が登場しなかったら
日本はどうなってたんでしょうか。僕の天下人候補は伊達政宗、島津義弘あたりだと。
あと今川義元の上洛は可能だったと思います。ただ、地方勢力の域からは出ないとおもいますが
しかも一代限り、義元死後は内は徳川家康、外は武田信玄に食われるのがオチ、義元が何年生きるかが
以外とキーになると思います。
464世界@名無史さん:02/07/01 19:19
>>462
女武将の名前は、姫小宝(チー・シャオパオ)だよ
465mo:02/07/01 19:57
ハンニバルさん
信長領地線>
私も北は樺太・北海道、南は琉球・台湾・ルソン諸島はいけると思います。
それ以降は、信長生存中には難しいですね。

信長無しの世界>
まず思いつくのは、四国の長宗我部・九州の島津・東北の伊達、
ほかの毛利・武田・北条・上杉は天下を狙う意思が薄過ぎるので除外。
よって、今川を支配下に置いた松平元康と、長宗我部・島津・伊達の、四つ巴。
466ハンニバル:02/07/02 18:18
妄想戦記一
第一次世界大戦にて、日本軍は日英同盟を理由に欧州本土へ出兵、しかしドイツ帝国
のUボートによる通商破壊にて日本軍の戦艦榛名、金剛は大破、さらに地獄のような
塹壕戦にて多くの犠牲者をだす。結局日本は、ほとんど何もできず大戦終了。上層部
はアメリカの巨大さ、総力戦のなんたるかを思い知らされた。しかし、英仏両国は遠く
極東からの援軍を喜び民衆は日本を「東洋の朋友」と呼び親日ブームが巻き起こった、
これは、後の世界恐慌時に日本が英仏の経済ブロックへの参加を許可される原因にもなる、
一方パリ講和会議でアメリカ大統領ウィルソンの意向でドイツへの賠償は零にされ、米国は
ドイツの恨みを回避した代わりに英仏など連合軍の恨みを買った。
ロシア革命によりロマノフ王朝が滅亡しソヴィエトとなったロシアはレーニンの死後
スターリンとトロツキーの権力闘争となり、トロツキーの勝利に終わった。共産政権の拡大を
恐れた米国はソ連に対し厳しい経済統制を敷いた。これによりソ連内の反米感情も高まった。
そして一九四〇年日英仏蘇四国軍事同盟が締結され米国に対抗、米国も独伊蘭葡などと連合国
を形成、そして一九四二年両陣営の火蓋は切って落とされた。

色々と間違いがあるかもしれませんが、ご諒承ください・・・
467世界@名無史さん:02/07/02 18:50
17世紀の中国で、かつ三国鼎立状態の小説を考えてみましたが・・・
登場人物が思いつきません。
468世界@名無史さん:02/07/03 12:03
新武将が信長・秀吉・家康と渡り歩き、最後に天下をとる小説を望むよ

新武将(名称未定)の生涯
1549年7月:尾張商人の息子として生まれる。(0歳)
1559年7月:織田信長に仕官する。(10歳)
1560年5月:桶狭間の戦いに従軍して勝利する。(10歳)
1582年6月:山崎の戦いで秀吉と連合して光秀を討つ。(32歳)
1584年2月:小牧長久手の戦いで家康と連合して秀吉に勝利する。(34歳)
1585年8月:秀吉から臣下の礼を受ける。(36歳)
1588年9月:秀吉から九州を与えられる。(39歳)
1600年9月:関ヶ原の戦いで東軍の家康に従軍して勝利する。(51歳)
1618年3月:第二次関ヶ原の戦いで西軍を率いて勝利する。(68歳)
1619年4月:本拠地を大坂城に移す。(69歳)
1625年1月:江戸の陣で徳川家を攻め滅ぼす。(75歳)
1629年1月:京都の二条城で病死する。(79歳)
469 :02/07/03 12:17
>>463
氏真は楽市楽座を信長にさきがけて行い、灌漑に業績があり、
行政の手腕は素晴らしかった。
蹴鞠だけでなく、運動神経もよかった。
義元から家督を受けて一年で義元が死んだため無能扱いされているが、
義元が長生きして後見していれば才能を発揮できただろう。
470ハンニバル:02/07/03 13:23
>466
この世界では、日本は日露戦争にて判定負け、満州進出が挫折します。そして満州は
帝政が崩壊するまでロシアが領有。しかしロシア革命にて満州は無政府状態となる、
そこにアメリカがチェコ兵の救出を名目に満州に進出しそのまま占領してしまった。
欧州本土に眼を向けていた日本政府は、アメリカの行動に遅れをとった。こうして
満州に対する共通利害で日本とソ連は友好関係となる。
471史郎:02/07/05 23:03
 初めてのカキコです。とても面白そうなテーマなので私も稚拙なアイデアを
書かせてもらいます。
 織田信長の大明征伐について。まず信長が死ななかったら天正十三年前後に
天下統一は可能。信長が統一した日本は戦国百年に渡って戦時経済で、経済の
高度成長を続けてきた。戦争を失えば即無職になるものばかり.
 景気対策は家康のような徹底した内需拡大か、秀吉のような外需・当時は侵略
交易以外にはない。
 国内を安定させるためにも巨額の資本投下を必要とする信長は、海禁を国策と
する明に交易を求めるため軍事的恫喝をしようとする。
 当時、対中国貿易は明からマニラを得ていたポルトガルと、呂宋(フィリピン)
を占拠するスペインがあり、互いに競争していた。1585年本国同士は合体し
ていたが遠い植民地での競争心は無くならない。
 信長としてはスペインから艦船と軍事的顧問を借りるだけ。実戦闘は日本兵が
受け持つ。面倒な朝鮮を通過するより北京に近い沿岸に上陸戦するほうが容易い
 秀吉は史実でもスペインとの同盟を検討したが失敗しているが信長は頭がイイ
から成立するのを前提にして、北京を包囲した日本軍は、スペインと日本に交易
の許可とスペインに香港とキリスト教の布教拡大の許可、日本に寧波を封土に得
る。
 味を占めた信長は、スペインに自国の水軍力を示しておこうと呂宋にも寧波に
も近い台湾を軍事的に占領する。
 初代総督に九州のキリシタン大名/大友宗麟、軍監にキリシタンの高山右近を
任命し、キリスト教徒のスペインに配慮を示す。それでも黄色人種への本能的な
脅威と恐怖心から呂宋のマニラ総督府は本国に日本の脅威を伝える。
 スペイン本国では小規模ながらスペイン艦隊の一部派遣を決定する。1587年に
このスペイン艦隊の先制攻撃、後世に言う欧寇、だが信長が大明征伐で気前よく
スペインに好条件を示した訳は、欧州の優れた造船技術と戦闘方法を盗むため、
秘密裏にスペイン軍船を模倣した軍艦などと村上水軍のようなゲリラ戦術で撃退
する。続いて香港と呂宋を占拠し中国貿易を日本が独占する事を示した・・・。
 続きありますが、織田信長の大明征伐は書いてしまったので続きは明日。
内容はいかがでしょうか。ぜひ聞いてみたいです。
472mo:02/07/06 00:39
史郎さん>
初めまして。
マニラではなくマカオ、と言う突っ込みは無視して(笑)。
たた、戦闘技術の導入と軍事顧問団に?を感じます。
あの時期の火砲戦術では、西洋・日本の差は小さいです。
(火砲の質・量の違いはあっても、また鉄砲でも同じ)

また、軍事顧問団が、自分たちが指令官と勘違いして、
むちゃくちゃ言ってくるでしょう。
(奴らにとっては、未開人種だと思っているんだから)

473世界@名無史さん:02/07/06 17:16
フューラー クレムリンが解体いたしました

フューラー ロンドンを占領いたしました
      英国王家は皆殺しです

フューラー 大日本帝国がアメリカに生体兵器を送り込みました
      アメリカは大混乱です
474史郎:02/07/07 00:08
 ご指摘ありがとうございます。日本国内にこだわると日本史なりそうなので
海外について。
 織田信長は各地の大名や豪商にも交易拠点となる日本人町建設は自由放任とした。
ただし武装を禁止し織田家直轄の駐留軍や護衛を置いて代価を支払わせたのだ。
 当然現地と本国直属を威を借りる駐留軍は対立。信長死後、現地武装化は容認された。
更に呂宋総督 羽柴秀吉が植民地側の代表として本国と渡り合う。
しだいに交易や植民地の利益は現地に留保され現地の殖産興業に活用され、本国は人材流出に直面する。
 事勿れ主義の日本本国を尻目に男系の絶えた台湾総督家大友家の姫を嫁にした呂宋総督家羽柴家の2代目秀次が
呂宋=台湾連合王国となり香港、マカオ、琉球を服属させ国力を伸ばしてくる。
 自立割拠した東南アジアインド洋の日系国家は30年戦争に突入し呂台王国羽柴公家の仲介で講和するまで長い戦乱に突入。
日本本国は新たな収奪の場として新大陸・秋津(アメリカのこと)に目をつける。 
 北秋津に入植した一団は決して本国を快く思っていない指導者に率いられていた。
津田信澄、徳川秀康といった面々である。彼らは、本国からの高い税金に不満があった。
 ちょうど日本から追放されて北海道(極東シベリア)開拓の屯田兵とされていた上杉景勝、伊達政宗と密約を交わし
強大な日本本国に対して独立宣言を叩きつけたことで日本本国も30年戦争と同時期に戦争に巻き込まれることとなった。
 
475世界@名無史さん:02/07/07 08:19
>>467
十七世紀だと、史実では明末清初だから、
清朝ドルゴン摂政、順帝国李自成、明朝将軍呉三桂あたりが
三国鼎立させるのが、順当と思われ。
それなりにマジメな史料にあたらないと、この時代の情報は
得にくいだろうとは思う。
476475:02/07/07 08:24
台湾を根拠にする国姓爺鄭成功の、海上王国というのも同時代
(ていうか、やや時代が下るけど)にあります。
477世界@名無史さん:02/07/07 18:24
>>466
トロツキーがソ連主流派になっていたら、ドイツ革命や中国革命がもっと違う展開になっていただろう。
そのあたりを検証してくれ.

あと、だれか信長が杉谷善住坊に暗殺されていた場合の展開を考えてくれ。
478世界@名無史さん:02/07/07 18:36
17世紀の中国で三国鼎立する小説を希望!
479史郎:02/07/07 19:47
あと中国の三国鼎立ならば秦帝国滅亡のときもありええたのでは。
楚の項羽、漢の劉邦、斉の韓信の天下三分。
項羽は政治下手そうで天下統一は無理、韓信は義に厚い武将で積極的に統一しそうにない。
劉邦は政治力はあったが奥さんが物騒だったし落ち目になった劉邦を毒殺して国乗っ取り。
 中国は三国のまま続いていく。そうなると今後の歴史で中国が統一国家になる可能性は低くなる。
皇帝名乗るのも不吉ってんで国王かよくて大王のまま。秦がフランク王国とすると、
斉がイタリア、漢がドイツ、楚がフランスみたいになる。
 ただ、漢が内紛と匈奴の侵略で滅んで異民族の大国になってしまうかもしれない。
斉は武将肌の韓信がきまえよく部下に領土与えすぎ小国に分裂、匈奴(か鮮卑)の
圧迫に対し楚や高句麗を巻き込んだ外交や政略で生き残っていく。
 日本の場合邪馬台国がどこに朝貢するかだが、ともかく大陸文化受け入れの対応に
変わりはない。ただ、大和朝廷が成立しても天皇という称号じゃなく天王か大君。
 というか高句麗の圧迫を受けた当時の日本の有力豪族たちが楚に支援を仰いで楚の王子を迎えて大君とする。
当然日本は万世一系の王家じゃなくなる。易姓革命で交代したり大陸や半島の王族を平気で大君にしたりする
 あと諸国鼎立のままの大陸にはイスラム帝国勃興後、イスラム教がかなり浸透するかもしれない。なにしろ唐がないからイスラム帝国の助力
を頼って積極的にイスラム教徒を受け入れる。早い時分に日本もイスラム教が入る。
 西域でアッバース朝が衰退するとイスラム化した中国のどこかの国が招き入れ教主(カリフ)の認可がないと
王位を継承できない前例作ってしまい日本や各国も教主の権威をめぐって陰謀をめぐらせたり宗教戦争になったりする。
 東アジアのイスラム教がカソリック、中東イスラム教が正教会と同じ役割をする。
この場合ロシアの役割はペルシャ(イラン)が果たす。ともかくイスラムがギリシャローマから受け継いだ文物もそのまま
東アジアで花開く。儒教は哲学、仏教もギリシャ思想と融合し思想学問として生き残っていくしか無くなる。
 
480世界@名無史さん:02/07/08 08:05
>>466
漏れとしてはトロツキーやスターリンじゃなくてクラスノシチョーコフに活躍して欲しいね。
アメリカ流の資本主義をみにつけた共産主義者。これ。
史実のソビエトよりかなりマシな社会を作ってしまい、
アメリカにとってはもっとたちの悪い事態に。
481ハンニバル:02/07/08 11:07
>480
クロスノシチョーコフって初めて聞いたんですけど。詳しい情報下さい
>466の各国情報
ドイツ
大恐慌後再びアメリカの支援を受け復興、ヴェルナー=フォン=フリッチュ
を大統領に国防軍の軍事独裁政権が樹立している。実質的にアメリカの傀儡国家
フランス
シャルル=ド=ゴールが軍事クーデタに近い手段で政権を奪取、機動戦を重視した
機甲部隊を作り上げる。
ソ連
赤軍健全、トゥ八チェフスキー大活躍。
イギリス、アメリカ
史実とほとんど変わらず。
日本
軍部大臣現役武官制が復活せず、宇垣一成内閣が成立。脅威の統制力
で陸軍改革を断行、現在は米内内閣が成立している。

満州にアメリカ軍が駐留しているんですけど誰か良いアメリカ陸軍の将軍いませんか
ジョージ=パットン以外でお願いします。
あと日本国内の改変がありきたりすぎにおもうので良い意見を下さい。
482世界@名無史さん:02/07/09 00:16
クラスノシチョーコフはユダヤ人でアメリカに渡ってそこで教育を受けた人ね。
革命の時アメリカから日本を経由してモスクワに戻ったりしてます。
ここらでちょっと日本と絡ませたIFを展開できるかもね。
その後共産党国際部の東洋部長を経て
シベリアに日露の緩衝国家として作られた極東共和国の大統領になってるね。
極東共和国がロシアに併合されたあと国立銀行の総裁になってるけど、
スターリンに粛清されてます。
アメリカの経済的支援の元に極東共和国をロシアから自立させようと狙ったりもしてるね。
親日、親米的な活動が問われた時に
そうした理由について「幸福を探しに。」と愉快な事を言ったりもしてる。
あとなんでか中国人が嫌いみたいです。張作霖とはしょっちゅう喧嘩してた。
日露戦争時に対露工作をした明石くんとは好敵手と言う間柄みたいです。
敵だけど仲が良いみたいな。
アメリカや満州国を巻き込んで架空の歴史を作れそうな存在だね。
明石くんとの絡みで謀略とかも展開できそうだし。
結構使い勝手が言いキャラだと思うんだけど彼が出てくるIF物って聞いた事が無いですね。

>トゥ八チェフスキー
八?ハ?微妙ね。
483世界@名無史さん:02/07/09 00:23
捕捉までに書いとくと極東共和国はバイカル湖以東の広大な領域を領土にしてます。
484ハンニバル:02/07/09 13:53
>482
ありがとうございました。大いに活用させていただきます。
485世界@名無史さん:02/07/09 14:12
劉禅VS今川氏真。
途中でムッツリーニも参戦し、果てのないショボイ大戦に!
もちろん呆れた信長とヒトラーはひたすら傍観…
最後はぶち切れたヒトラーにムッツリーニは吊され、劉禅は親父に首ネッコをつかまれひきずられながら帰国。氏真は・・・戦いに飽きて蹴毬W杯を開催してた

結局争いの火種がなんだったのか?誰も知らない。。。
486ハンニバル:02/07/09 20:59
クラスノシチョーコフについて、ネットで調べたんですが、存命期が
(1830-1937)となっていたんですが、マジですかね。そしたら死んだのは
107歳。あぁ、第二次世界大戦の時代に登場させるの大丈夫でしょうか。
487mo:02/07/10 19:09
信長物難航中(笑)
何気に、水軍衆の強化でいきずまる、どうしよう?。

・・・とりあえず、決まった部分からマターリとカキコするべ。
488世界@名無史さん:02/07/10 23:04
クラスノシチョーコフが1830年生まれ?
そんな話は聞いた事がないが・・・
具体的な生年を知らんのでなんとも言えないけど、
そんな爺のはずはないと思うんだが・・・
489ハンニバル:02/07/12 19:07
<488
すみません。よく調べたら(1880-1937)でした。多分僕が最初に見たのは
間違いだったみたいです。

490無駄口厨将 ◆RPGJPJaM :02/07/13 00:19
儂はインパールに辿り着き大東亜戦争を終わらせる。
491WF 風鼓 ◆B178h7r2 :02/07/13 04:02
昨日は叔父御の命日ですた・・・ミッチーナで戦死ですた。
492無駄口厨将 ◆RPGJPJaM :02/07/13 07:18
>>491
儂、軍板のあのスレには書き込みできんよ。















※単なる牟田口ロールプレイなのでマジレスつくと鬱になりますです、はい。※
493mo:02/07/14 14:23
信長物その壱

天正10年6月2日・京・まだ日も昇らぬ早朝
「彼」はふと、目を醒ました。
・・・「彼」は微かに苦笑いを浮かべた、どうやら緊張しているらしい。

既に、蝦夷のエミシや琉球も従えている。
紅毛人たちのルソンも押えた、各地に置いた探題たち(関東管領・九州探題・ルソン探題)も、
良く領域を管理している。

「彼」は少し速いが、起きてしまう事にした、もともと、拙速に行動する事が好きなのだ。
此れだけは、既に亡き岳父やお守役の老人にも如何する事も出来なかった。
だが、今回だけは、両名が生きていても、咎めはせぬだろう。
・・・何故なら、今日「天下一統」の最後の仕上げを、始めるのだ。

・・・「彼」即ち、相国・・・太政大臣・織田信長は、
この日より、関白・太政大臣として、日ノ本の兵権・政権を手に入れ、
この遊星にて、最も恐れられ、かつ尊敬される帝国の基礎を築いてく事になる。

その、輝かしい第一歩を、歴史に記して・・・。
494世界@名無史さん:02/07/15 23:38
>>1-1000

ねえ、10−13世紀あたりのバイキング軍団、アメリカ大陸定住、増加成功に
よる「新世界統一」、欧州系大「バイキンゲリア」帝国建国ってのはありえない
のか?
495世界@名無史さん:02/07/16 10:27
1000までまだいってないでしょ。
バイキンゲリアはやだ。なんか「黴菌下痢ア」って感じで。
てじかに移住・略奪にいける場所があるのに
わざわざアメリカにまで行った理由を説明できれば面白そうですね。
496世界@名無史さん:02/07/16 10:45
>>494
なんで英語読みなんだよw
しかも〜エリアって語尾はいったいなんなんだ。
だいたいあいつらは分割相続好きだから、大帝国なんて夢のまた夢と思われ
497世界@名無史さん:02/07/19 00:01
>>494
いいぞ、スペインやポルトガルなんか軽く蹴散らせそうだ。
大帝国じゃなくてもいいから、十三世紀までに北米にある程度の大きさの文明があったら?
498186:02/07/19 12:30
十字軍がニ正面作戦になって戦線を維持できなくなってヨーロッパあぼーん
499世界@名無史さん:02/07/19 22:18
フランス革命コンプ持ちの漏れのために
日本で最初に近代市民革命が起こるシナリオきぼんぬ。
500山野野衾:02/07/19 22:22
>499
いらない・・・と思いますが。
501499:02/07/19 22:54
>500
502世界@名無史さん:02/07/19 23:31
バイ菌下痢唖却下!
503大日本皇国海軍幕僚長:02/07/19 23:43
1936年、ソ連書記長スターリンが暗殺された。急遽、書記長にフルシチョフ
が選出され、翌年にソ連は緩和政策によりドイツと軍事同盟を締結した。これにより
日・独・伊・ソ四国同盟が締結された。
504大日本皇国海軍幕僚長:02/07/20 00:37
1938年、欧州で、第二次世界大戦勃発。ドイツは電撃作戦を開始した。
ソ連と同盟を組んでいたドイツはルーマニア・ブルガリアを割譲し、
ポーランドは東と西で分割統治することを決定した。そのためドイツは
フランス占領後スペイン・ポルトガルに進出。実質的に属国とした。
505大日本皇国海軍幕僚長:02/07/20 00:38
この続きはまた後で
506世界@名無史さん:02/07/20 01:19
1936年、ソ連書記長スターリンが暗殺された。急遽、書記長にフルシチョフ
が選出され、翌年にソ連は緩和政策によりドイツと軍事同盟を締結した。しかし
ドイツとイタリアが不仲になり、ドイツはイタリアとの軍事同盟を破棄した。
これにより日・独・ソ三国同盟が締結された。
507世界@名無史さん:02/07/20 01:21
1938年、欧州で、第二次世界大戦勃発。ドイツは電撃作戦を開始した。
ソ連と同盟を組んでいたドイツはルーマニア・ブルガリアを割譲し、
ポーランドは東と西で分割統治することを決定した。そのためドイツは
フランス占領後スペイン・ポルトガル・イタリア・イギリスに進出。実質的に属国とした。
508世界@名無史さん:02/07/20 01:22
この続きは次回(後日)だよ
509大日本皇国海軍幕僚長:02/07/20 11:17
そのころ、日本では日独ソ伊四国同盟が締結されたため、日米間の関係が悪化していた。
日本は何とか戦争だけは避けようと外交的に努力し、甲案・乙案を提示したが米国は
これを無視。その後米国は、いわゆる「ハルノート」を提示した。米国は、ドイツ・ソ連の二大大国
が手を結んだことに脅威を感じ、「戦争はしない」ことをスローガンとして掲げていた
ルーズベルト大統領もこの脅威に負けやむ終えず戦争に突入したのだった。
510世界@名無史さん:02/07/20 14:13
ここはsageが基本のスレだと思っていたのだが…
ずいぶん客層がかわったな
511506:02/07/20 17:22
そのころ、日本では日独ソ三国同盟が締結されたため、日米間の関係が悪化していた。
日本は何とか戦争だけは避けようと外交的に努力し、妥協案を提示したが米国は
これを無視。その後米国は、いわゆる「ハルノート」を提示した。米国は、ドイツ・ソ連の二大大国
が手を結んだことに脅威を感じ、「戦争はしない」ことをスローガンとして掲げていた
ルーズベルト大統領もこの脅威に負けやむ終えず戦争に突入したのだった。
512506:02/07/20 17:35
戦争を決意したルーズベルト大統領は、中国と米中同盟を締結した。
ドイツの電撃作戦に歩調を合わせて、ソ連も北欧や中央アジアに進出。
また、日本もソ連と共同で中国侵攻作戦を開始した。
ソ連と日本に挟撃された中国にとって、米国は救世主のような存在になった。
513世界@名無史さん:02/07/23 00:56
>510
夏ですから・・・
514mo:02/07/24 20:33
信長物その弐

織田氏による、日本統一と海外進出の基点となった出来事は、
世に知られている永禄3年5月19日未明に桶狭間で行われた、
一大決戦と言われているが、其れだけではない。
弘治2年、美濃斎藤氏で起きた、内乱にまで遡る。
この時、信長は岳父道三を支援し、
西美濃三人衆の氏家直元・安藤守就・稲葉良通を、道三と共に義龍から離反させ、
当時、井ノ口と呼ばれた岐阜を押える事に成功した。
(最も、永禄5年、松平元康(徳川家康)と清洲で和睦するまで)
(東美濃での斎藤義龍・龍興親子の奮戦は、称賛に値する)
永禄8年には甲斐武田氏嫡男、勝頼と養女・雪が婚姻、
また、信玄公の娘・松と信長嫡男・信忠との婚姻話が纏まる。
(ただ、天正五年の勝頼降伏まで、待たなければならなかった)
永禄10年の、
近江浅井氏当主、長政と妹・お市との婚姻、
越後上杉氏当主、謙信への三男・三七郎の養子入継、
三河徳川氏嫡男、信康と娘・五徳との婚姻。
などは、道三の手腕と伝えられている。
515mo:02/07/27 18:52
信長物その参

永禄11年
足利義昭を越前より美濃に迎え入れ、南近江六角氏を撃破して、京に上洛する。
同年滝川一益に命じて、北伊勢攻略。
北伊勢の有力者・長野氏に、弟の信包。
同じく有力者・神戸氏に、甥の信澄(道三・兄信長を嫌い、乱を起こして敗死した)
                (弟信勝の子)
翌年永禄12年には、伊勢国司・北畠氏に次男・信雄を継嗣とする事に成功。
上洛の際、飛騨・三木・大和の松永・河内の畠山・和泉の三好義継・摂津の荒木・
若狭の武田・丹波の波多野ら、信長に臣従。
同年木下秀吉、播磨・但馬両国に進駐、尼子家を支援し毛利氏と戦う。
ただし、上洛を急いだため、南近江の仕置が甘く、度々悩まされる事になる。

翌元亀元年
壱万の軍勢で、若狭守護・武田元明に反抗した豪族・武藤氏を攻める。
これに呼応して、三好三人衆・六角氏挙兵、信長・畿内制圧を開始。
滝川を通じ、伊賀の土豪達を懐柔。
越前・朝倉氏、信長が若狭に残した柴田らを攻撃、長政の支援を当てに姉川に押し出し、
信長・家康・長政の連合軍に負ける。
(のちに、朝倉氏は当主義景の優柔不断から分裂、浅井氏に吸収される)
また、本願寺(一向宗)との、合戦も始まる。

元亀2年
長島一揆にて庶兄・信広ら叔父・弟らを失う。
元亀3年
本願寺及び義昭の策略により、武田信玄と遠江・三方原にて戦う。
516世界@名無史さん:02/07/29 15:39
517世界@名無史さん:02/07/30 08:27
安藤守就・・・
安藤と守就の間になんとか「えんぞう」という文字を入れたいね。
円蔵でも燕造でも塩蔵でもなんでも良いけど。
そうすると、ほら、安藤・エンゾ・モリナーリじゃないか・・・
なんか美濃国潜水大会最長記録保持者って感じになるだろ?
そうなれば今一つ冴えない安藤守就にも他人に自慢できる事が出来るね。
518世界@名無史さん:02/07/30 13:09
もし、日露戦争の時点でロシアが安泰だったら、日本に勝ち目は無かった!
その場合は、その後の日本によるアジア遠征は不可能だった。
519世界@名無史さん:02/07/30 17:50
夏厨か・・・。そんな季節だねえ・・・。
520ハンニバル:02/08/02 18:54
久々にカキコします。moさんの信長話とても楽しいです。
頑張って下さい。
521世界@名無史さん:02/08/02 18:59
フジTV「カノッサの屈辱」
522シンドバッド:02/08/03 07:41
マレーを拠点にインドネシアや中国と交易していたアラブ商人。
周辺を探検しているうちに、インドネシアの南方に巨大な陸地を見つける。
その土地の珍奇な動植物は良い売り物になり、アラブ商人は交易都市を築く。
探検は進み、その大陸の中心部の気候が故郷と似ていることが判ってくると、
商人に引き続いて植民者が到来し、ラクダや羊を飼うようになる。
アフリカ黒人と似た原住民も植民者の高度な文化を受け入れ、
アラビア語とイスラムが普及していくことになる。

……別にドラマチックな時間線ではないんだが、
「オーストラリアの砂漠を駆け抜けるアラブ遊牧民」というイメージは、
何か妙にピタッと嵌る感じがあると思わないか?




523mo:02/08/03 20:57
信長物その四

翌天正元年
武田信玄、病を得て陣を払い、甲州に帰還(信濃伊那郡駒場にて死去)。
信長、信玄を頼りに兵を挙げた、朝倉氏を賎ヶ岳で破り、長政に越前を与える。
また、武田・朝倉両氏を煽った足利義昭を追放する。
(正しくは、義昭が本願寺を頼って逃亡したのだが・・・)

天正二年
長島・加賀の一向一揆を鎮圧。
備前・宇喜田氏、信長に臣従。
(この時期から、関東・東北の諸侯、九州の大友・竜造寺・島津らとの)
(文の遣り取りが激しくなる、特に東北の諸侯は信長の関心を引くために)
(競って使者を出している)
(特に北海州・松前の蛎崎氏(後に地名を持って松前に改姓)は蝦夷探題を勝ち取った)

天正三年
長篠の戦いで武田勝頼に大勝、駿河・信濃に兵を入れ、降伏を促す。
長政、越前の一向一揆を鎮圧
土佐の長曽我部元親、四国切り取りを認められる。

天正四年
織田水軍、毛利水軍を木津川河口で破り、本願寺を封鎖する。
雑賀衆を攻略。

天正五年
勝頼降伏、一子信勝に家督譲渡、後見人に上野・厩橋の滝川一益。
毛利氏、長門・周防・安芸・石見・備後・五カ国安堵を持って降伏。
本願寺、武田・毛利の降伏により、朝廷を通じて和睦を打診、
紀伊退去を持って本願寺降伏。
神流川の戦いにて滝川一益、北条を降す(伊豆・相模安堵)。

信長、四国・中国・九州巡視。
出雲・伯耆は約束どうり、尼子氏が。
淡路は、丹羽長秀が領し、
長曽我部氏に土佐・伊予の二国、讃岐・阿波は神戸信澄が三好本家を継いで領す。
大友氏に豊後・日向半国、竜造寺氏に肥前・筑後、島津氏に大隈・薩摩・日向半国。
豊前・筑前・肥後は西国探題(九州探題)の明智光秀に与えられる。

西国諸侯は、信長より南蛮諸国の調査を命じられる、東国諸侯、次々に恭順。

信長、先年の内大臣叙爵につぎ従二位右大臣となる。
また、御所にて全国の大名を集めて、馬揃(軍事演習)を挙行。

天正六年
上杉謙信死去、上田長尾氏を継がされた景勝が、
同じく養子で古志長尾氏を継いだ景虎・上杉氏を継いだ景孝(信長三男)に対して、
家督を主張、御館の乱が起きる。
(この騒ぎは凄かった、なにしろ天下人に喧嘩を売ったのだ)
(一年余り戦った後、景勝主従は降伏するが、信長に認められ上越を与えられる)
524mo:02/08/09 19:20
信長物その伍

天正7年
天正4年より建造していた、安土城の完成。
探題職の設置、蝦夷の松前(探題職の中では例外的に、この一族出身が多かった)
探題府は松前から、アイヌ族長シャクシャインによって、札幌に移される。
関東の上杉(景孝は後に探題職を解かれ、滝川一益、徳川家康に引き継がれる)
探題府は厩橋から、家康の代に江戸に移る。
九州の明智(琉球国を従わせる事に成功し、当時小琉球と呼ばれ)
(疫病と暴力が蔓延していた台湾に、都市建設・治水・医療・治安をもたらした)
探題府は博多から、光秀死後、職を継いだ羽柴秀吉・上杉景勝らによって、
現在の台北に移される。

天正8年
信長、太政大臣叙任。
浅井長政を大将とした軍勢3万、呂宗島北部・亜琶里に上陸、
迎撃に出た、スペイン軍を麟雅園沖海戦と、樽烙の戦いで打ち破る。(スペイン軍、瀬舞島に退却)

信長、長政を呂宗探題に任命、亜琶里に府を置く。(呂宗諸島を征服後、真韮に移動)

同年、政庁開府、諸奉行を決める。(現在の各奉行庁の原型、寺社奉行・勘定奉行)
(政庁直轄地の各町奉行・大目付{警察庁}・ 京都所司代{禁裏附}・普請奉行など)

天正10年
信長、関白叙任、太政大臣との兼任。
諸法度の制定・公布。(後に憲法の土台となる)
全国の座・関所を廃止、普請奉行・丹羽長秀のもと、街道・河川の改修工事が始まる。
525世界@名無史さん:02/08/09 23:25
不意に思ったんだが日米開戦前(昭和15年後半三国同盟成立前)
にバルバロッサ作戦が早期に失敗(ソ連での軍人の粛清がなかったため)
ルーズベルトが病死した場合大日本帝国は存続できたんだろうか。
526mo:02/08/10 14:38
>>525
現在までですか?、普通に考えると十数年後に日米決戦で消えそうですが・・・。
527mo:02/08/10 17:35
>>525
526の追加。
バルバロッサは41年と言うのは、置いといて。
ルーズベルトが病死しても、相当の平和主義者が40年の選挙で、大統領にならなきゃ、
戦争になるよ。
出来れば、その条件に「中国との戦争が無かった」を入れれば、20〜30年は確実に、
延命できますが・・・・。
528525:02/08/10 18:00
やはり無理ですか。どの道戦争になったのか
そう考えると悲しいな。例えイギリス相手に
日本が戦争始めても謀略で開戦しちゃうだろうし
どの道大日本帝国が生き残るには短期決戦で
条件付き降伏(陸海軍の縮小と米軍の進駐)
ができなきゃ終わりなのか。と言う事は
山本五十六は正しかったのか。
529ハンニバル:02/08/11 17:55
528
というより、そもそもアメリカと戦争しようという事自体が間違ってる(軍事的、経済的、資源的に)
日露のあとに満州を共同経営してアメリカと親密になっときゃ良かったんじゃないですかね。
けど、実際山本五十六が唱えた短期決戦、早期講和は実現可能だったんでしょうか。
宇垣一成と米内光政の連立政権ができてればいけたかも
530世界@名無史さん:02/08/11 18:35
米内光政を首相にしたのが最大の間違い(もちろん能力は十分あります。)
鈴木侍従長を首相にしちゃえば戦争にはならんかったろうに(時間稼ぎですが)
間違いなく暗殺されちゃいますな。
ハンニバルさんちなみに短期決戦、早期講和は無理です。
終戦時米軍のみでも空母が120隻存在したんですから勝てっこないです。(笑)
531mo:02/08/11 19:47
530さん、ハンニバルさんは恐らく、そんなに作られる前に停戦したいと言っているのでは。

ちなみに、私は第二次世界大戦での、日本勝ち逃げ後に、リターンマッチで殺られると、
思いますが・・・。
532ハンニバル:02/08/12 10:54
やっぱり、第二次大戦で日本が負けたのは必然だったんですね(言うまでもなく)
あぁ、宇垣一成、結構期待していのにな。
<531 moさんへ
日本勝ち逃げ後、再びアメリカに追い詰められた日本は苦し紛れにソ連と同盟、
しかも、EC(でいいのかなぁ)の英国加盟の件で英米と対立したフランスも巻き込んで
ついでに中国共産党も、日蘇仏中の軍事同盟締結っ、だったらどうなったでしょう
以外と戦記としては面白いかも。

ここでは関係ないですけど、僕は国家間の利害の前にイデオロギーなど無意味だと
思っています(自論というより、みんなそう思っているでしょうけど・・)



533世界@名無史さん:02/08/12 16:20
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
< 残念ながら、>>1はボッシュートです。
  \_____
    ⌒ ⌒ ⌒
   _⌒ ⌒ ⌒__
  /:::::Λ_Λ:::::::::::::::/
 /::::::(∩;´Д`)∩ :::::/
/:::::::(  >>1  /::::/  チャラッチャラッチャーン
534mo:02/08/12 19:09
ハンニバルさん
吸いませんが、sageおねがいします。
詳しくは、メール欄をみてください。
535ハンニバル:02/08/13 11:31
moさん、これでよいのでしょうか
536世界@名無史さん:02/08/13 16:04
日本がアジアに持ってた利権?を奪うと言うのも太平洋戦争の目的の1つだったろうから
何やっても結局は戦争に引きずり込まれる気がするね。
現在みたいな日米関係にまで大幅に譲歩するんなら別だろうけど。
537世界@名無史さん:02/08/14 11:24
日本・イギリス・ソ連・イタリア VS アメリカ・フランス・ドイツ・中国
こんな第二次世界大戦だったら、どちらの陣営が勝ったと思う?
538山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/14 11:27
>537
イタリアと最初に手を組まなかった陣営。
539世界@名無史さん:02/08/14 14:01
>>537
中国を敵に回さず、露助を信用しなかった陣営。
540世界@名無史さん:02/08/14 14:23
>>537
ドイツに屈しなかった陣営
541世界@名無史さん:02/08/14 14:40
朝鮮半島がはいってないほうがかつ
542mo:02/08/15 18:25
信長物その六

天正11年
スペイン軍、瀬舞島より退去、姥冥大島文來に移動、長政率いる呂宗探題軍追撃。
文來陥落、スペイン軍大東洋より敗走。
同年文來に探題府を設置(蒲生氏郷を探題に指名)。

有力諸大名の牽制に、有力家臣(諸大名の家臣:信長にとっての陪臣に当る)を、
南方領に分散配置。

天正12年
旧石山本願寺跡地に(本願寺開城後、失火で全焼)、5年の歳月を掛け、
恒陽城完成、都の名も恒陽と改まる。
神君信長公が、天正16年嫡子信忠に太政大臣を譲り、
関白を辞するまで恒陽にて政務を執り行う。(関白辞職後、太閤となってからは)
(天正20年死去するまで、安土にて生活する。死後文禄元年に改元)

この間天皇家では、正親町(天正9年退位して上皇:文禄2年崩御)
―陽光(天正9年即位:天正17年崩御)
―後陽成(天正17年即位:慶長16年退位して上皇)
となっている。(文禄は5年をもって慶長に改元)

また、信長治世では、古来日本の伝統である家柄や血筋での、差別なく出世できた為、
寺子屋(各種学校の前身:常に有能な家臣を織田家は求めており、仕事が出来れば、拘らなかった)
など、教育・生産・交通に関る分野での、開発・発明・改良などが相次いだ。
543世界@名無史さん:02/08/21 15:04
ほしゅりあげ
544世界@名無史さん:02/08/21 16:19
545mo ◆saH5lQVM :02/08/21 20:31
信長物その七

享保の改革にて施行「7代相国・織田信継」
足高の制(役職ごとに一定の役高をきめ,在職中だけ支給するもの)
    (政庁役職は任命制の為、華族以外の者もなれたのが、主な原因)
    (是に従い、天領の縮小が止まり、諸大名達と土地を切り離す事になる)
役方改め(上記の法に則り、常備軍の役職制定、将官・佐官・尉官を置く)
    (それに併せて、左右の近衛府を廃止)

一代士族の発生{足高の制により、本人だけ士族と認められた者。基本的に軍士官・役人の衆民に与えられ}
       {退職後も年金等の優遇措置があった}
もともとは軍と行政機関の兼任に無理が生じた為、士族を急激に増やした結果である。

寛政の改革にて施行「11代相国・織田信成」
政庁改変(外務・内務・勘定・商務・工務・農務・寺社・普請・文部・法務の各奉行)
    (京都所司代{禁裏附}・大目付{警察庁}・郵政所)
    (これに3代相国信英が制定した、陸軍・水軍の各奉行が入る)
    (商務・工務は暫く後商工務奉行となる)
大本陣設置(常設の日本軍指揮組織、最高司令官は征夷大将軍{相国兼任})
     (この下に、陸水両軍と情報・補給の部署が置かれ、各地の探題は鎮守府に名称変更)
     (諸大名の軍勢も、治安維持以外の兵力は吸収)
     {それ以前より常備軍の経費を出せず、上田上杉氏など政庁に領土返還・御家人化した大名も有り、歓迎された}

大法{憲法}の発布、各大名領でも基本的に適用され、政庁・常備軍への人材吸収の根拠となる。

天保の改革「14代相国・織田信政」
議会開設(衆民院{近代化の中で、権利を主張し始めた商人を主体に編成})
    (華族院{武家400余家、公家80余家よりなる世襲制議員、基本的に各家当主がなり)
    (当主不在時には当主が任命した代議員が、会議に参加した})
知藩事配置(天領一国につき1名選出、後に各大名家も設置)

明治維新
14代相国・織田信政、版籍奉還・廃藩置県、後継者に徳川慶喜を指名。
以後、織田家は暫し歴史の表舞台から、姿を消す。
546世界@名無史さん:02/08/23 01:47
このまま羅門みたいな展開になったら泣きますよ?
547mo ◆saH5lQVM :02/08/24 18:49
>>546
・・・羅門?、覇王の軍の?、でも私1巻を立ち読みしただけだが、似てます?。

大丈夫、あそこまで加速してない、・・・と思う。

維新時で領土は、北は樺太・北海道・千島、東はマリアナ・パラオ、
南はフィリピン・北ボルネオ、西は台湾。

西洋の産業革命に、10年ぐらい遅れて産業革命開始、
西洋史を見るに、技術革新が貴族制度を揺るがしたから、
日本でも起これば、史実より庶民の権力が増えるから、
取り込みを行うのに、「政治に参加している」つもりになる(実権は殆どない)、
評定所に参加させるしかないでしょう。
そうなると、私の想定では、譜代・外様の区別が余りない(直臣・陪臣の区別は在るけど)、
大名衆も参加させて、互いに牽制させる方が楽になるし、当主限定で議員にすれば、
在地領主制を壊して、知藩事配置もできる(軍人・議員は兼任不可)。

まあ、ぶっちゃけた話、体制改変はやり方が少なくて困る。
方法・革命、禅譲・討伐、禅譲のケースは知らない、討伐なら明治維新。
   改革、役職の改廃、慶喜が打ち出した大君政府。
統治方式・大統領方式、権力の一極集中方式、アメリカ政府。
     総理方式、権力分散・合議制、まじで日本政府。
後継者選出・血族、直系血族相続方式(徳川将軍の基本的選出方式)と、有能血族選出方式(基本時に養子、慶喜・吉宗)
      選挙、今は一般的。
      指名制、別名独裁者の方式(笑)、自分の息子に・・・。

で、私としては、改革(革命は有能者が潰しあって後々干乾びる)、
太政大臣(相国)一極式、後継者指名制度、となったのですよ。
各県の知藩事の元に、「機動隊」と名を変えた、藩兵の一部(大半は常備軍行き)と、
アメリカ州政府並みの権利(つまり、外交・軍事を政庁に、それ以外を各県保持。知藩事は指名制)を。

で、目指すは、東洋のブリテン!!(笑)。
1800年代まで、西洋国家は東洋に大規模軍を出せないから、それまではいい。
それ以降は、否応無しに世界規模。

それと、どこか良い世界史年表のあるサイト、無いですか?。
世界史から見た、この歴史変換を書きたいけど、良い資料がなくて・・・。
もしかして、改革じゃなくて革命の方が良かったかなぁ・・・。
548:02/08/25 03:29
http://homepage3.nifty.com/chrotubo/

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/sekaisi.htm

検索したら2つ見つけました。参考になります?
549mo ◆saH5lQVM :02/08/31 17:24
>>548さん
ありがとう、参考にします。
しばらくお待ちください。
550420改:02/09/03 07:06
・・・一つの会社が倒産した。
 その会社は惑星改造を行い原住民にその恩恵に預からせる事で収益を上げる
ことを生業としていたが銀河連邦の成立に辺り解散を命じられ銀河連邦の
管轄下に置かれたのであった。
 それから400年が過ぎ、その管財会社の査察委員会はある書類を見つける。
「オリオン上腕銀河太陽系d採算惑星地球における『江戸繁栄システム』
レンタル契約書」である。
 銀河連邦首脳は事態を重く見た。よりにもよって未加盟国のそれも、最も野蛮な
「内戦段階」にある惑星に契約をしたまま装置を残してくるとは。
 既に歴史の流れに御重大な影響を及ぼしているに違いない。これは介入する必要がある。
・・・かくして銀河連邦は、その強制執行組織として超空間介入機構「魔」
を建造、地球へとアクセスを試みたのである。
 時に昭和七年正月七日のことである。
 以下続く。 
551mo ◆saH5lQVM :02/09/03 20:05
信長物・閑話休題

武功院(明治初期に成立・既存組織を改変)
太政大臣の政治・軍事諮問機関。
有能な軍人・政治家・学者・企業家などで構成される。
名前のとうり、その始まりは三代相国・織田信秀の補佐の為に、
文武に秀でた武将や商人・学者を、御意見番として置いた事による。
(もっとも、殆ど名誉職だったため若年者は少なく、「大老」と称されていた)

初期の構成員は、
徳川家康・浅井長政・伊達政宗・小早川隆景・立花道雪・千利休・今井宗久など。

時間が無いので、また後日・・・。
552大気三国志 第一話:02/09/04 01:07
第一章
 昔々、宇宙星の片隅にグローブ島という小さな島がありました。
最初、そこでは、シーオーツー人がグローブ島の大部分を支配して、シーオーツー帝国を
作っていました。
 シーオーツー帝国の支配は長い間続きましが、徐々にその勢力は弱まり、各地で
反乱が起こるようになりました。その反乱の中心となったのがサンソ解放戦線
です。
 解放戦線の族長ショクブーツは、グローブ島の外にある非常に大きな
大陸であるサンラシア大陸を支配する大サン民国や、グローブ島の中で大きな
自治権を持っていたミズ族と同盟をして、大量破壊兵器、光合成爆弾を
発明しました。
 シーオーツー帝国とサンソ解放戦線によるグローブ戦争は凄まじかったのですが、
新兵器光合成爆弾によってサンソ側の勝利となり、ショクブーツはサンソ王国
を建国、自身をショクブーツ1世と名乗りました。以後シーオーツー帝国の力は急速に
衰えていきました。
553続き:02/09/04 01:08
第二章
 これで天下はサンソ王国の物、と誰もが思っていましたが、虎視眈々、世界の覇者
を狙う国がありました。それはグローブ島成立時、まだ微小で弱小国に過ぎなかった
チッソ共和国です。チッソ共和国はグローブ戦争時、富国強兵をして徐々に勢力を
増強してきました。一方、サンソ王国は戦争による疲弊が激しかったし、何より得意の
光合成爆弾がチッソ共和国には効かなかったのです。まさに漁夫の利を得たのです。

第三章
 今現在、グローブ島の78%をチッソ共和国、21%をサンソ王国、
残りの1%をアルゴン教皇領や他の少数民族が支配しています。
 ところで以前、隆盛を極めたシーオーツー帝国はというと、たった0.03%の支配
にまで弱体化してしまったのです。しかし最近、帝国人が信じてやまなかった
救世主(メシア)が現れたのです。それは最近即位した第134代皇帝ニンゲン4世です。
彼の進める「地球ホット.ホット.ダンス化政策」によって以前の勢力を取り戻そうと
しているのです。
つづく
554mo ◆saH5lQVM :02/09/05 21:50
>大気三国志

いい!!話だ。
どうにも笑いが止まりませぬ、脱帽。
555大気三国志の作者:02/09/07 04:17
大気三国志を書いた者です。
moさんに「いい話だ」と言われると、とてもうれしいです。
ありがとうございます。moさんや他の方が書かれている内容と比べると
ちとスレ違いかな、とも思いましたが、ひらめいたので書いてみました。
一応、第二話を考えているのですが、次が最終回になりそうです(はや!!)。
moさんの話続きがみたいです。
556420改 風狐 ◆B178h7r2 :02/09/07 11:23
第二回 五・一五事件 犬飼総理の決断

 関東大震災の後、満州事変を起こすもかろうじて国際連盟脱退を免れた
日本は大不況も6年目に達し犬飼首相が暗殺されるなど波瀾に満ちた状態
に晒されていた。
 事の発端は昭和五年、犬飼総理絶命の時まで遡る・・・
 犬飼は我々の世界の犬養総理と同様に襲撃後10時間後まで生き残っていた。
 しかし、襲撃をかけた将校を呼び戻して説経をした犬養総理と異なり
最後の力を振り絞り犬飼総理は宮中に参内、昭和帝と謁見した。

 「・・・来たか。」昭和帝・・・裕仁は犬飼が来るのが分かっていたかのように
玉座に座っていた。
「・・・陛下におかれましてはご機嫌麗しく・・・恐悦至極に存知まする。
臣犬飼、最期の御奉公に参りました」
 犬飼は戸板に載せられたまま運ばれてきたが流石に御前という気遣いからか
起きあがり鮮血が脇から漏れた。

「最期の、とな?・・・思うに犬飼は歴史とは異なる行動をとっておるな
朕をはじめとして皇室には代々、ある程度の未来を見とおす力があるのでな。
冥土の土産である、聞こう」
 
「・・・・!やはりそうでしたか・・・本来は私めを襲撃した将校を呼びつけて説経する
積もりだったのですが変心しまして。本題は、ですな、恐れながら、何故に江戸幕府
があれほどの財政難にあえいだか御存知で?」
  
「・・・うむ。この江戸城・・・皇居を元にして呪術結界を張り巡らせているのであろう?
何時の頃からか、それに異変が生じ、逆に働くようになった為に朕等、鎮撫能力を持った皇族を
招かんが為に15代将軍、慶亘が維新軍と謀って命じ維新を成し遂げた、と先帝、ならびに
大室寅之祐・・・明治帝からも聞いておる」
 犬飼はおもむろにある壱冊の帳面を懐から取り出した
「・・・これを、ご一読下さい。また、今ここに臣犬飼は総理を辞職致します」
 そういうと犬飼は絶命した。
557420改 風狐 ◆B178h7r2 :02/09/07 11:25
大室寅之祐・・・南朝方の皇族の末裔にして一説には明治帝をミカドカタブケ
暗殺後成り代わった人物だといわれている・・・は江戸城に入り、慶亘より引継ぎを受けた。
 慶亘は当時「この江戸は元は穢土とも呼ばれた地を神君家康公により開墾された
人造の地なれど・・・他にも発展の要素はございました。これです」

 慶亘は「青白い刀」を見せた。「これはタダの刀のようですが鍵でございます。
鍵穴はこの江戸の町。即ち、刀より発せられし力が江戸中にみなぎる江戸繁栄の証!
・・・なれど人心が荒廃していくにつれ、刀の威力は弱まっていった、と記録には
残っております。さらに、これは神君家康公が何者かにより借り受けたもの。
 いずれは返さねばならないもの、であると言う事は覚えておいて戴きたく存じます」
・・・こうして、この刀は歴代天皇のサーベルとして装備しておく事が常となった。
 この事は誰にも詳しく知らせず関係者が没した為、今では当代総理(歴代総理も
荒唐無稽として一生に付したが犬飼は重視した)以外知る者は居ない。
 これは重大な事ゆえ、最期に知らせんと参内した・・・・
 ここでとぎれていたのである・・・

 「・・・で、あるか。これは即ち歴史と異なる行動を朕に取れと言う事であるな。
あい分かった。出馬じゃ!朕自ら賊軍どもを成敗してくれるわ」

・・・こうして五・一五事件は天皇陛下御出馬という前代未聞の結末をもって
鎮圧され彼等をかばおうとした陸軍首脳をも粛清、一方で東北以北一山百文と呼ばれた
窮状を打開せんが為、満州への殖民、貿易に勤め国力を回復していった。

 徐々に裕福になりかけた矢先に国際連盟からも非難されたが門戸開放を行う事で
打開して事無きを得た。しかし、これで本当に良かったのか・・・
 一度御忍びで視察すべきかもしれない・・などと裕仁が物思いにふけっている

 時に昭和七年正月七日、四方拝など一連の行事も終わった宮中の執務室
「魔」全権大使「犬飼毅」は現れた・・・
 以下続く
558mo ◆saH5lQVM :02/09/07 15:53
信長物・歴史年表

慶長5年(1600)英国 東印度会社設立、ムガール帝国及び諸藩国に権益を得る
慶長17年(1612)蘭国 北米にニューアムステルダムを建設「後に英国・米国と所有権が移り
         ニューヨークと名づけられる」
         スペイン ノヴァ・イスパーニャ(現メキシコ合州国)領サンフランシスコ・ロサンジェルス開発、
         「アジア植民地奪回の根拠地として」天正16年英国に無敵艦隊を撃破された為、
         植民地軍事力の底上げ。
慶長18年(1613)ロシア・ロマノフ朝成立
元和2年(1616)後金(清)の成立・李氏朝鮮、清に隷属
        「日本・軍艦派遣、朝鮮の名水将・李舜臣と戦う」
元和4年(1618)欧州 三十年戦争
元和9年(1623)蘭人、アンボン島で英国人・日本商人を虐殺(アンボン事件)姥冥大島におけるいざこざから、
        戦争に発展、講和後、俗に言う「出島貿易(出入を厳しく監視する事で、衝突を避けた)」が始まる
寛永8年(1631)明・李自成の乱
寛永15年(1638)オスマン帝国、バグダッドを占領しイラク併合
寛永19年(1642)英国 ピューリタン革命
正保元年(1644)50年近い明清内乱膠着・長江を境に北を清、南を明とする。
        「以後日本は清・朝鮮との相互不信激化」
慶安元年(1648)ムガル帝国、都をアグラからデリーに移す
        ウェストファリア条約締結。三十年戦争終わる
万治元年(1658)ムガール帝国 アウラングゼブ帝即位 英国東印度会社の影響力減少
延宝元年(1673)第二次ウェストミンスター条約「第三次英蘭戦争が終結・英国優位に」
貞享4年(1687)オスマン帝国、ハンガリアをオーストリアに奪回れる
元禄2年(1689)ネルチンスク条約「日・清・露三国の領土確定条約・貿易についても合意に達する」
元禄14年(1701)スペイン継承戦争・プロシア王国成立

とりあえず.1600より1700ぐらいの歴史の素案。
大きくは変えてない。
559mo ◆saH5lQVM :02/09/07 16:07
大気三国志の作者さん
エエ!ッ、私にファンが・・・。

moさんの話続きがみたいです>

ちょっと違うとは思いますが、年表素案UP。
私は最近ヒラメキを補充できないので、少し減速気味です。
560世界@名無史さん:02/09/11 01:14
ほしゅ
561420改 風狐 ◆B178h7r2 :02/09/11 22:14
第三幕〜ファーストコンタクト〜

 正月の忙しさは毎年の事である。庶民は休みといえども、
皇族は有職故実に基づき、儀式を行うのみ。
 正月4日。この日の、この時間は…決して歴史上には公表される事の無い空白の時間。
 その時間に、それは起こった…

「魔」全権大使、犬飼毅。全権公使、涜口雄幸。

 彼らは朕の前にに現れた。
 「黄泉の国より黄泉帰ったか…」
朕は驚いた様子も見せずに言い放つ

「畏れながら我等死人は組織の傀儡に過ぎませぬ。陛下。我等が何を申し上げに参内
仕ったのか、御存知でありましょうや?」

「分かっておる。朕は明治帝以来、この日のこの時間は、ここで待機するように教えられていた
 非常に不可思議ながら、臣等がくることをしろしめられて居られたわけだ。犬飼。いまわの際
の件であるな?」
562420改 風狐 ◆B178h7r2 :02/09/11 22:14
「はい。陛下。畏れながら申し上げます。期限は到来致しました。代償を戴きたい。」

 犬飼。涜口。いずれも、凶弾に倒れ、しかし最後まで勇敢であった者達である…
 黄泉帰りを果たす者、それは神以外には有り得ぬ、いや…

「陛下。我等は、最早この星の者では在りませぬ。我等は数多の星より成る国
からの使者としてまいりました。日本は言うまでも無く、この地球という星は
海を挟んで国々がひしめき合っております。それが星と星の間に広がるだけの事でして。」

 朕は軽いめまいを覚えた。言うまでも無い、彼奴らは自分を「天孫降臨」したと
言っているようなものだ。しかも朕の思考までも読んでおる。 
 なれど、かつての、大日本帝國宰相に対する態度を崩す訳にはいかぬ。
  
「臣等は朕に何を望むと言うのであるか?」
 犬飼は、おもむろに書状を渡そうとした。本来は位在る侍従が仲介すべきであるが
相手は正体不明の国家元首の全権である。仔細な事は言っては居れぬ。
「良い。机の上に置くがよい」
 その、内容は、またしても、めまいのするような内容であった
563大日本帝國 解体 ◆B178h7r2 :02/09/12 21:30
第三幕二章 

東京の割譲。
 それはあまりにも苛烈な条件であった。

 「魔」内部では一つの議論が起こっていた。
 本来の歴史の流れ、つまり装置が無かった場合、このエドという土地は
風水学上の見地から言って「積極型」の首都になるはずであった。
 しかも、調べてみると、キョート、ナラ、と言った古代都市にまで
影響を与えてしまっている。
 現在のエド、トーキョーの都市としての性格は「爆発寸前の積極型首都」
である。テンノーというアストラル能力の優れた知性隊が装置を装着したゆえ
に在る事が判明した。
 調べてみれば現在の地脈の投げれからして、今一度キョートに還都すれば、
この国は滅びない。しかし、歴史がまたしても変わってしまう。
 それゆえ、トーキョーの影響を排除する為に東京自体を差し押さえよう、と。
 トーキョーの都市エネルギーを使えば時空間を操るのに造作ないほどのエネルギー
を得る事ができる。ゆえに空間より隔離して利用すれば不良債権を速く処理できるだろう
というものであった。
 この事実は枢密院・元帥府にかけられ、大本営をも動かした。
 しかし、何より慌てたのはキリスト教徒であった。
 極東の未開のサルからキリストが現れてしまったからである。
 一方日本国内でも天皇の現人神としての権威が薄れてしまった。
 一月の間、世界は大混乱に包まれたのであった。
564mo ◆saH5lQVM :02/09/15 18:12
信長物・歴史年表2
元禄16年(1703) オスマン帝国でチューリップ時代が始まる(〜1730)
享保元年(1716) 享保の改革
享保5年(1720) クメールがアユタヤ、ヴェトナム両国に服属
享保8年(1723) 清 キリスト教を禁止
享保11年(1726) 諸国戸口調査が行われる。新田検地条目を定める 。チューリップ時代のオスマン帝国、イスタンブールに印刷所を設立
享保12年(1727) キャフタ条約「清・露間において再度の領土・貿易交渉」
享保14年(1729) セビリヤ条約が締結され、ジブラルタルが英国領に
享保17年(1732) 北米 十三植民地の成立「後のアメリカ合衆国」
享保18年(1733) 露西亜・ベーリングがカムチャッカ探検
享保20年(1735) 清、乾隆帝の即位(〜1795)「清はこの帝の元、北西部に領土を広げる。ジュンガル部・回部等の東トルキスタン全域を領有、新疆と名付ける」
元文5年(1740) オーストリア継承戦争
寛延2年(1749) 第三次ジャワ継承戦争(〜1755)。その結果、マタラムはスラカルタとジョクジャカルタとに分割
宝暦2年(1752) ビルマにコンパウン朝(アラウンパヤー朝)成立(〜1885)
宝暦6年(1756) 七年戦争「宝暦13年のパリ条約にて終結、英はカナダ、ルイジアナ東部を仏から奪い、仏の勢力を北米から一掃また印度における優位を確立した」
明和4年(1767) ビルマ軍、アユタヤ朝を滅ぼす。タークシン、ビルマ軍を撃退し、トンブリ朝を興す
安永4年(1775) アメリカ独立戦争勃発「翌年、独立を宣言。仏は2年後、英は7年後に独立国として承認」
天明2年(1782) タイ バンコク朝成立
天明3年(1783) クリミヤ半島のクリム・ハン国がポチョムキンにより滅ぼされロシアに併合される
天明7年(1787) 寛政の改革
天明8年(1788) アメリカ憲法の発布。英 オーストラリアを囚人植民地に。
寛政元年(1789) フランス革命。ワシントンが初代アメリカ大統領に。オスマン帝国のセリム三世、軍制・財政改革。
寛政8年(1796) ナポレオンのイタリア遠征
寛政10年(1788) ナポレオンのエジプト遠征
享和元年(1801) 朝鮮 キリスト教大弾圧
ふう・・・、さらに100年分。
565LaVi:02/09/16 07:03
新欧州史(1)

フランク帝国第3代皇帝のロタール1世は、相続の際に3人の弟たちとの戦いに敗れ、中部フランクと
北イタリア以外の領土を失った。
ヴェルダン条約によって、アクィタニア(アキテーヌ)国王であった次男ピピンはロワール川以南を
承継し、南フランク国王となり、バイエルン国王であった三男ルートヴィッヒはライン川以東を承継し、
東フランク国王となった。
そして末弟シャルルがロワール川以北(ネウストリア)を承継し、西フランク国王となった。
ロタールの家系が断絶した後、ピピンの息子とルートヴィッヒ、シャルルの3人は中部フランクを分割した。
このメルセン条約によって南フランク王国はプロヴァンス・ローヌ・サヴォア・ピエモンテ地方を得た。
このときの3フランク王国の境界が、オック語圏・オイル語圏・チュートン語圏の境界にほぼ等しく、
後のロマンシア・フランス・ドイツという国家の原型となった。

南フランク王国では、カロリング家の系統が途絶え、有力諸侯の選挙によりトゥールーズ伯が王位を
継承した。
トゥールーズ伯は、イベリア半島でのイスラム勢力討伐で活躍し、バルセロナ伯ら南西有力諸侯の
協力を取り付けたことで、王位を得た。
しかし、トゥールーズ伯は有力諸侯の1つでしかなく、他にバルセロナ伯、モンペリエ伯、ガスコーニュ伯、
ナルボンヌ伯、ギュイエンヌ公、ポワトゥー伯、リモージュ伯、クレルモン公、プロヴァンス伯、ローヌ公、
サヴォア伯、トリノ伯といった有力諸侯が割拠する国となっていた。
このころから、南フランクといった国名は使われなくなり、ローマ人の国を意味する「ロマンシア王国」
という国名が一般的になる。
歴代ロマンシア国王は、サラセン海賊やイベリアのイスラム勢力の討伐のため国内の統一を重視し、
徐々に王領を拡大させていった。
特に、レモン2世は、キリスト教会と結び、シャルルマーニュ以来の悲願であったナヴァラ王国を
征服し、イスラム勢力からアラゴン地方・バレンシア地方を奪還し、国王直轄領に加えていった。
566LaVi:02/09/16 07:08
新欧州史(2)

この頃、ローマ教皇の提唱で十字軍が編成され、ロマンシア王国からも多くの騎士が参加した。
彼等やフランス騎士達もバルセロナやマルセイユ、モンペリエといった港町から海路、東方へ向って
いった。
十字軍の活動自体は、ロマンシア王、ドイツ皇帝、イングランド王、フランス王等の反目や、イスラム
勢力の抵抗で成果をえなかったが、ロマンシアの港町は、北イタリアのヴェネツィア・ジェノバと並んで
地中海貿易で栄えるようになった。
ロマンシア商船は、アレキサンドリアからブリュージュまで行き交うようになる。
特にマルセイユは、プロヴァンス−ローヌ−ブルゴーニュ−シャンパーニュ−フランドルという陸路の
始点でもあったことからヨーロッパ随一の繁栄をみせる。

また、この頃は、カトリック教会の腐敗が進行していった時期でもあり、清廉なロマンシア人は新たな
信仰を求め始めていた。
当時のロマンシアには、ブルガリア近辺から伝わってきた<新教>を受け入れるだけの素地が出来上が
っていたといえる。
この<新教>は、後にゲルマン人のマルティン・ルターが開いたルター派に対し、カタリ派とも呼ばれる。
カタリ派はグノーシス派などの影響を受けた教義であり、リヨンの商人ワルドの起こしたワルド派など
をとりこんでいき勢力を拡大させる。
567LaVi:02/09/16 07:19
新欧州史(3)

カタリ派新教会は、ロマンシア国王やサヴォア公の保護を受けたこともあり、瞬く間にロマンシアや
北イタリアへと広まっていったが、カトリックの権威を否定する<新教>の教義がローマ教会の反発を招いた。
ついには時のローマ法王インノケンティウス3世が、諸国の王侯に対し、カタリ派に対する十字軍の編成
を説き、フランス国王・カスティリア国王を中心に十字軍が編成され、ロマンシアに侵入していく。
十字軍を名乗るフランス・カスティリア諸侯連合軍は、僅かに残った旧教徒もろとも進路の村々を壊滅
させていくという暴挙に出た。
危機感が高まったロマンシア王国では、国王レモン6世を中心に結束を強め、ついには十字軍を打ち倒した。
レモン6世を継いだレモン7世は、自ら大軍を率いフランスへと進撃し、東から攻めたサヴォア公等の
諸侯連合軍と共に、パリを挟撃した。
イベリア半島では、国王軍別隊やバルセロナ伯を中心とする諸侯連合軍によってカスティリア諸侯連合軍
が大敗した。
フランス国王及びカスティリア国王は降伏し、ここに聖教徒戦争は幕をおろした。
ロマンシア王国は、フランスからロワール川河口地域とブルターニュ半島を、カスティリアからはカンタ
ブリア地方を獲得し、ロマンシアは、地中海だけでなく大西洋にも広く面する国となった。
なお、サヴォア公も北イタリア新教徒の保護者としてリグリア地方(ジェノヴァ)を獲得し、ロンバルディア
・エミリア地方へも勢力圏を広げている。
この戦争の後、フランス・カスティリアでは国王の権威が地に落ち、諸侯が力を増していくこととなる。
その結果、フランスではイングランドの介入を招くこととなり、大公を自称したブルゴーニュ公がフランス
国王を遥かに凌ぐ力を持つようになっていった。
カスティリアでは、ポルトガル伯がガリシア地方を奪い、かつてレオン−カスティリア王国に滅ぼされた
ガリシア王国の復興を宣言したほか、諸侯による内部闘争でカスティリアによる国土回復運動は停滞する
こととなる。
568LaVi:02/09/16 07:21
新欧州史(4)

また、ローマカトリック教会の権威も低下することとなり、新教はスイス、シュヴァーベン(南西ドイツ)
西部、ブルゴーニュ、ネーデルラント、ヴェストファーレン、ベーメン、ハンガリー、ポーランドまで
広がっていった。
このうちベーメン、ハンガリー、ポーランドでは神聖ローマ皇帝等の弾圧や反宗教改革で新教が根絶させ
られていったが、ロマンシア王国や、旧ロタリンギア(ロタールの国)地方で根付いていった。
ロマンシア王国では、十字軍の脅威にさらされた民衆が、自警団を組織し、国王軍と共にフランス軍に
抵抗するといった、国家意識の芽生えといえる現象もあった。
国王は、新教の聖職者や貴族、都市の代表者を集め、全ヨーロッパに先駆け<議会>を開催した。
議会は国王との対立で、度々解散させられたりもしたが、ロマンシア王国内の意見を集約する機能を果た
していた。
十字軍を打ち払ったロマンシア王国は、国土回復運動を推進しムルシア地方やアンダルシア地方の一部、
モロッコ海峡両岸地方を版図に加え、バレアレス諸島・コルシカ島・サルディニア島を獲得し、西地中海の
覇権を揺ぎ無いものとした。
569ハンニバル:02/09/16 10:25
大日本共和国歴代大統領列伝

1968年に行われた大日本共和国建国百周年記念祭には、各国の首脳が来日した
ことで有名である。ロシア共和国連邦大統領・デミトリー=ミハイロヴィッチ=リヴァイスキー、
大韓帝国首相・朴襲顕、中華連合共和国総統・李弦惚、満州国首相・アレクセイ=ワンなどである。
これは当時のアメリカが東南アジア各国へ経済的圧力をかけてきた事への対策会議のためだと
思われる。公式の記録にはないが、この会議で対米戦辞さずの意見まで出て、EU諸国も黙認
していたということだ。しかし、実際は戦争には発展しなかったが、ベトナムの悲劇を避けられなかった
ことは国連の力不足を露呈した出来事だった。

この書物は、そんな御時世に出された大日本共和国歴代大統領を列伝形式で書かれたものである。
今は廃盤となっているが、著者はこの名書を自分風にアレンジして再び執筆した、愚書ではあるが
どうか読者諸兄には読んでいただきたい。
570世界@名無史さん:02/09/20 16:10
良スレ、保守
571LaVi:02/09/21 06:32
新欧州史(5)

その頃フランス王国では、ブルゴーニュ公やフランドル伯を中心とするブルゴーニュ派と、オルレアン公
を中心とする国王派、そしてノルマンディー公領を持つイングランド王の3つ巴の争いが続いていた。
ブルゴーニュ公子とフランドル伯女の結婚により、ブルゴーニュ公は大きく勢力を伸ばし、ネーデルラント
の大半、リュクサンブール、ピカルディー、ロレーヌを領有し、国家としての制度を整え、ブルゴーニュ
大公を自称するようになる。
ここでイングランド王はフランスの領有を目指し、王太子自らが率いる軍を上陸させた。
ブルゴーニュ大公にフランスの施政権を約し、ブルゴーニュの協力を得たイングランド軍は、パリ・オルレ
アンを次々と陥落させ、フランスを征服した。
こうしてフランス30年戦争は終結し、フランスはしばしの間歴史の表舞台から姿を消すこととなる。
しかし、イングランド王はブルゴーニュ大公との密約を破りフランスの施政権を渡さなかった。
代わりに、ブルゴーニュに対しピカルディー南部までを割譲し(このためカレーは英領フランスの飛び地となる)、
ブルゴーニュ王国の建国を承認したが、ブルゴーニュ大公の怒りを鎮めることは出来ず、強大な宿敵を作って
しまうことになる。
もっとも、ブルゴーニュのイングランドに対する反発は、僅かに残ったフランス人としての意識が、征服者に
対して抱く反発心もあったと当時の文献から推定されいる。
572LaVi:02/09/21 06:35
新欧州史(6)

フランス30年戦争の間、イングランドはワインの輸入で関係の深かったアキテーヌ地方の貴族や、バスク
地方の民衆を煽動し、ロマンシア王国に内乱を起こさせた。
内乱自体は、アルマニャック伯を司令官とする国王軍により鎮圧させられたが、ロマンシア王国はフランス
30年戦争に介入する機会を失った。
そのため、ブルターニュ地方をイングランドに奪われ、その後の歴史で同じ新教国ながらロマンシア王国
の最大のライバルとなるブルゴーニュ王国の成立を、指を咥えて見守るほかなかった。
ブルゴーニュ王は、農民の娘ジャンヌ・ダルクが煽動したシャンパーニュ-ロレーヌの乱を鎮圧し、スイス
誓約者同盟・ティロル公連合軍を退け、東西フリースラント、エルザス辺境伯領を獲得、国家として結束を
高め、ロマンシアやイングランドと並ぶ強大国となっていった。
英領フランスと神聖ローマ帝国の間に確固たる足場を築いたブルゴーニュ王国は、ロタリンギアの復興、
フランク帝国の再現を目指し、ラインラント、ヴェストファーレン等のドイツ北西部やシュヴァーベン・
スイス等ドイツ南西部を攻略し、何度も戦争を引き起こしている。
そのブルゴーニュ王国の国庫を支えたのが、当時ヨーロッパで一二を争う先進地域、フランドル地方の
毛織物産業と海運業・金融業であった。
そして、後にフランドルをも越える鉱工業の中心となるルール・ラインラントも勢力圏に加えたブルゴーニュ
王国は、ヨーロッパ一の大国、経済・文化の一大中心地となり、王都ブリュッセルの荘厳華麗な宮殿がそれを
象徴した。
ブルゴーニュ王家は、ドイツの名門ハプスブルク家やヴィッテルスバハ家と婚姻関係を結び、幾人かの神聖
ローマ皇帝も輩出する名家となった。
皇帝位を得たブルゴーニュ王は、神聖ローマ帝国としてのまとまりよりも、自領の拡大を重視し、西ドイツ
地方一帯を勢力圏に加えたのである。
573LaVi:02/09/21 06:37
新欧州史(7)

またブルゴーニュは、イングランドの後背に位置するスコットランド、アイルランド、ウェールズ、コン
ウォール等ケルト人を支援し、イングランドの弱体化を図る。
ロマンシアもまた、かつて自国領でもあったブルターニュの公女アンヌを支援し、英領フランスからの独立
運動を支援する。
大陸に大きな権益を持っていたイングランドは、勢力が分散し、ブリテン島とフランスの双方を守りきる
ことができず、ケルト人の独立を阻止しえなかった。
スコットランド王はブルターニュ公女アンヌを王妃に迎え入れ、アイルランド、ウェールズ、コンウォール、
ブルターニュと同君連合を組んでゲール・ブルトン連合王国(通称ケルト連合王国)を興し、イングランドと
対抗した。
ケルト連合王国はスコットランドとアイルランドといった北部が主導権を握ったが、マン島のダグラスに
連合議会を置くなど、各国のバランスをとった。
このケルト連合王国がブルゴーニュやロマンシアと共に、イングランド包囲網の一翼を担うことになる。
574LaVi:02/09/21 06:41
新欧州史(8)

15世紀半ば、ロマンシア王はナポリ王国・シチリア王国を承継した。
しかし、ブルゴーニュ、ハプスブルクの支援を受けた教皇の息子チェーザレ・ボルジアによって両王国は
征服され、ロマンシアは南イタリアとシチリアを失った。
「猛毒の息を吐く男」と呼ばれたチェーザレはその後、ロマーニャ地方・トスカナ地方を征服し、教皇
から施政権を譲り受け、ボルジア朝イタリア聖王国を建国した。
チェーザレは、勢いに乗り北イタリアにも進出していったが、サヴォア公領のピエモンテ・リグリア地方
は無論のこと、カタリ派新教の支配的なロンボルディア・エミリア地方諸国や独立心の高いヴェネツィア
共和国の思いのほか強い抵抗を受け、イタリア半島統一を断念せざるをえなかった。
このことの裏には、サヴォア公やロマンシア王が北イタリアの諸都市を支援したこと、イタリアが強大に
なり過ぎることを嫌ったブルゴーニュ王が、チェーザレに対する支援を渋るようになったこと、教皇が
交代し、イタリア聖王チェーザレとローマ教会が対立し、国内が混乱したことが要因とされている。
この数十年後、サヴォア公はパルマ公とモデナ公を兼任していたミラノ公爵位を継承し、北西イタリアを統一
する。
ナポリ・シチリアを失ったロマンシア王国であったが、イベリア半島ではイスラム勢力をアンダルシア地方から
完全に追い払った。
これをもってイベリア半島での国土回復運動は終結し、ガリシア王国との同盟関係も緩んでいくこととなる。
ガリシア王国の主導で、ガリシア・カスティリアの反ロマンシア同盟が成立される。
聖教徒戦争以来敵対的だったカスティリアはおろか、かつては同盟国であったガリシアとも、イスラム勢力と
いう共通の敵を失い、かつてのような同朋意識を維持していくことは不可能といえた。
575世界@名無史さん:02/09/21 11:21
新欧州史かなり面白いね。
576LaVi:02/09/22 07:47
新欧州史(9)

「イタリア」が完全に他国の領土となったため、神聖ローマ皇帝は皇帝を名乗る資格を失い、もはや名目だけの
存在であった神聖ローマ帝国はその名目すら失った。
各領邦のうち、バイエルン公・オーストリア大公・ブランデンブルク選帝侯・ザクセン選帝侯といった有力諸侯
は、バイエルンを皮切りに一斉に王国を名乗るようになる。
その他中小ドイツ諸侯は、独自路線を突き通すもの、ドイツ諸王に併合されるもの、ブルゴーニュ王に庇護を
求めるものと対応は様々であった。
こうしたドイツの小国が、大国に引き込まれていくきっかけとなったのが、ルター派新教による宗教改革と、
それに続く宗教戦争であった。

15世紀後半には東方でオスマントルコが強大になり始め、ビザンチン帝国が滅亡した。
オスマン帝国は、ヨーロッパとアジアの間の交易路を独占し、地中海貿易は下火となった。
新たな交易路を求めたガリシアやロマンシアでは、国をあげて新航路の開拓を進めた。
こうした中、まずガリシア王国がアフリカ周りの航路を発見する。
遅れをとったロマンシア王国では、サヴォア公国領ジェノヴァ出身のコロンブスを登用し、西に航路をとった。
そしてついにコロンブスは西回りでインドとおぼしき大陸に至る航路を発見した。
しかし実は、コロンブスが到達したのはインドではなく、新大陸であった。
ロマンシア王国は、ブルゴーニュ、ガリシア、カスティリア、イングランド、ケルト、イタリアに先行し、
新大陸への開拓・入植を進めていった。
577LaVi:02/09/22 07:49
新欧州史(10)

16世紀始め、贖罪符の乱売等でローマの牝牛と呼ばれたドイツ諸国では、ルター派新教の宗教改革をきっかけに
ザクセン王国・ブランデンブルク王国を中心とする新教派諸国と、バイエルン王国・ハプスブルク王国を中心と
する旧教派諸国に別れ、合い争った。
その争いの最中、ヨーロッパ全体に激震のごとく、ある事件が伝わった。
それは「ウィーン陥落」であった。
オスマン帝国はバルカン半島を北上し、ついにかつては神聖ローマ皇帝のお膝元であり、今なおヨーロッパ文化に
一大中心地だったウィーンを陥れた。
それは、オスマン帝国という異質な勢力が、ヨーロッパの中心部まで進出してきたことを象徴する出来事であった。
ウィーンをイスタンブールに次ぐ拠点としたトルコ軍はその後も快進撃を続け、ポーランドやベーメンの南部をも
脅かし始めた。
とうとうミュンヘンが包囲されるという事態になり、新教派諸国と旧教派諸国が和解した。
ザクセン王等北東ドイツ諸国連合軍を中心に、ティロルとベーメン・シュレジエンに領土が分裂したハプスブルク王、
バイエルン王等南東ドイツ諸国の軍や、ドイツ西部のブルゴーニュも連合軍に加わり、激戦の末、トルコ軍をエステ
ライヒ(オーストリア東部)地方に撃退した。
こうしてヨーロッパでは、オスマン帝国という異質な脅威を前にすることで、内部の対立がしばしの間収まった。
578LaVi:02/09/22 07:54
新欧州史(11)

この平穏は、ベーメンで起こった反カトリック運動に端を発するドイツ30年戦争によって破られた。
ドイツ諸国は、再び新教派と旧教派に分かれ、争いをはじめた。
新教国であるロマンシアはケルト、北欧のデンマーク、スウェーデンと共に新教派の支援に回り、旧教国のイング
ランド、イタリア、カスティリア、ポーランド、そして新教国でありながらブルゴーニュが旧教派の支援に回った。
それは、宗教戦争という表向きの名前の裏側で、ロマンシアとブルゴーニュの新教国同士の代理戦争の様相を呈
してきた。
ロマンシアは、バイエルン・ハプスブルクの弱体化という点で利害が一致したオスマン帝国を戦乱に引き込んだが、
このことが新教派の結束を緩めてしまうことになる。
この戦争でドイツは荒れ果て、特に中小諸国は壊滅的打撃を受け、周辺の大国に吸収されていくことになる。
主にブルゴーニュの支援のおかげで旧教派優位のままハノーファー条約が結ばれ、バイエルン王国が南東ドイツ
一帯で強大な勢力を得た他、ブランデンブルク王国やザクセン王国、ハプスブルク王国もそれなりに領土を拡張
し、ブルゴーニュは新たにハノーファー地方(ニーダーザクセン地方)とヘッセン地方を獲得し、ドイツ西部をほぼ
完全に掌握した。
現在のブルゴーニュ王国領(ブルゴーニュ・フランドル・ピカルディー・リュクサンブール(ルクセンブルク)・ブル
グント自由伯領(フランシュコンテ)・アルザス・ロレーヌ・ワロニア・ネーデルラント・ラインラント・ヴェスト
ファーレン・ハノーファー・ヘッセン・シュヴァーベン・スイスの15地方)は、ほぼこのハノーファー条約によって
固まったといえる。
他にも、メクレンベルク地方をスウェーデンが、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方をデンマークが獲得した。
579LaVi:02/09/22 08:03
新欧州史(12)

バイエルン王は王太子を、将来ハプスブルクの継承権を持つことになる王女と結婚させて、やがて2人がそれぞれ
の王国を継承することでバイエルンとハプスブルクの同君連合が成立した。
民族的にも、同じバイエルン族を祖としていたこともあり、両国の融和はスムーズに進んだ。
この後、ヴィッテスバハ-ハプスブルク家は南東ドイツに広大な領土を有するようになり、オスマン帝国領となった
エスターライヒやザルツブルクの奪回を目指していった。
ハンガリー等、オスマン帝国の支配下に置かれた諸地方で反乱を起こさせ、オスマン帝国がその対応に苦慮する隙に
ウィーンを解放し、エステライヒを奪回した。
その後も新生バイエルン王国はフランケン地方を得て南東ドイツを統一し、北東ドイツで勢力を伸ばしてきたブラン
デンブルク王国と拮抗することとなる。


>>575さん
ありがとうございます。
ただ、自分の工房級の知識ではネタ作りに困ってますし、続きを書くほどつまらなくなりそうです。
580mo ◆saH5lQVM :02/09/22 18:30
LaViさん
<続きを書くほどつまらなくなりそうです

十分面白いですよ。
ただ、私は欧州の地理に疎い為、新国家群の位置が殆ど、わかりませんが。
581mo ◆saH5lQVM :02/09/22 20:03
信長物・閑話休題・異伝

時は西暦1588年、所は欧州ドーヴァー海峡。
人はイギリス艦隊司令官サー・フランシス・ドレイク。
        「ア ル マ ダ」
彼は迷っていた、スペイン無敵艦隊来着まで、後わずかにも関らず戦術が固まらないのだ。
しかし、だからと言って逃げる訳にはいかない、ココで「アルマダ」を倒さねば、イングランドの未来は無い。
彼がその迷いを振り払う様に霧で煙る水平線を睨んだ時・・・、その「艦隊」は現れた。

ドレイク「アルマダか!」見張り「・・・いいえ!、形状が違います、アルマダではありません!!」
彼は驚いた、(何処の艦隊だか知らないが、敵だとしたら大変だ!!)
だが、その艦隊は彼らの見ている前で速度を落とし、ボートを出して乗船を希望してきた、
その人々の身なりも奇妙だった、頭頂部から額に掛けての髪を剃り落し、残りの髪を天を突く様に結い上げていたからだ。
その衣装も変わっていた、ベルトやボタンも無いローブの様な上着に、裾の広いズボンだった、
そして、使者が0「我が主が、アルマダを倒す索を、ドレイク艦長と話し合いたい」とイタリア人通訳を通じて申し入れてきた時,
私はいちもにも無く、受け入れいた。
582mo ◆saH5lQVM :02/09/22 20:04
信長物・閑話休題・異伝

話し合いは、彼らの旗艦にて行う事に、他の将達は騒いだが、彼らの船の大きさ・其処個々に見える大砲の数から見て、
我々だけでは到底かなわぬ為、反対を押し切った、脳裏に(もかしたら、この艦隊は我らの、味方になるやもしれん)とぼんやりと浮んだ。
彼らの主も、姿形は他の乗組員と大差無いが、その瞳から放たれる迫力には圧倒された。
「主」が海図を示して何かを語る、少し遅れて通辞によって海戦時の機動に付いての提案らしい、それはまさしく斬新で、私の迷いなぞ吹っ飛んでしまった、
いわく、唯一我らが敵に勝つは機動力にて、海戦開始と共に渦を巻くように、前進と後退を繰り返し、敵を早さの違う小艦隊に分けてしまおう。
と言うのだ、成功したなら歴史に名が残るだろう。
しかし、彼らは何処の誰なのだ、そう告げると「我らは東方より航海して来た、然るにこの国にて戦近き事、国主が女性なるを聞き、
助太刀せん事を告げる、彼の国にて女子供を助くるは、武の道に添う物なり」
さらに、目の前の「主」がその国の王ノブナガであり、副将として幾人かが居ると言う。
だが私は王自身がこの様な所に来ている事に驚き、副将らの名は覚えていない。
583mo ◆saH5lQVM :02/09/22 20:05
信長物・閑話休題・異伝

海戦について書く事は無い、結局、ノブナガ艦隊と合流した我等が勝利だった。
私としてはその後の事を書き綴りたい。
凱旋後のエリザベス女王との謁見で、ノブナガはその立ち振る舞いから、称賛を受けた。
女王自ら「ナイト」への就任と、「この地に滞在して政務を共に見て欲しい」との要請も、「女性を助くるは我等の道、賞欲しくての行いでは無い」と明確に謝絶し、
我が国の滞在も、僅か数日にて出発していった。
その直前、私は尋ねた「王よ、貴方は何処に行かれるか」ノブナガ「ココより西に大陸が有ると言う、其処に行こうと思う」ドレイク「其処に国を建てられるのか」
ノブナガ「いや、さらに西に、誠此の世が丸いかを知らんと欲す」、その時のノブナガの顔が私の心に深く刻みこまれた、夢を語る少年の輝く面持ちだったのだ。
                                            ナイト     
私だけでは無く、女王もノブナガを心にとめた、女王は日記にノブナガの事を「誠、夢幻の如き漢であった」と書かれたと聞く。
私は今でも彼らが去った、海の向こうに思いを馳せる、彼らはいかにしているか、王はその夢を果したのか?。
何時か又逢いまみゆる事が、出来るかを・・・・。
584LaVi:02/09/23 08:09
>>moさん
moさんにそう言っていただけ、ありがたいです。
moさんの文才あふれる作品、いつも楽しませていただいています。

地名は確かによほど地理に詳しくないと分かりづらいですね。
白地図を使った簡単な地図なら30分もあれば作れますが、あげる場所が無いので。
585LaVi:02/09/23 08:12
新欧州史(13)

ドイツの混乱を他所に、先進諸国は新大陸や東洋に広大な植民地を得ていた。
ロマンシア王国は、新大陸にノヴァロマンシア植民地(カリフォルニア・テキサス・ミシシッピ川西岸地域(本来の
仏領ルイジアナ)・フロリダ・メキシコ・中央アメリカ)とカリブ海諸島を、そしてアフリカのセネガルとマグレブ
地方を獲得した。
また、サヴォア公がロマンシア王とは別にラプラタ植民地(アルゼンチン北部+パラグアイ+ウルグアイ)を獲得した。
ガリシア王国は、ブラジル植民地(ブラジル北部・中部)・アフリカ西岸・アフリカ東岸等を獲得した。
カスティリア王国は、国王の名前をとったフィリピン植民地(本来のヌエベグラナダ副王領・大コロンビア)とペルー
植民地(ペルー・ボリビア・チリ北部及び中部)とアフリカ西岸の一部を獲得した。
イタリア聖王国はパラナ植民地(ブラジル南部)とアフリカ東岸の一部を獲得した。
ケルト連合王国はアヴァロン植民地(アトランティックカナダ+ニューイングランド+グリーンランド)とパタゴニア
(アルゼンチン南部・チリ南部)を獲得した。
ブルゴーニュ王国は、ニューブルゴーニュ植民地(ハドソン川流域・デラウェア川流域・五大湖周辺・ケベック)、
ギニア植民地、ケープ植民地、ブルゴーニュ領東インド(マレー半島、インドネシア、ルソン島、ミンダナオ島、
ニューギニア島、ニューホラント大陸、ニューゼーラント等)、セイロン島を獲得した。
イングランド-フランス連合王国は、ヴァージニア植民地、ジョージア植民地とアフリカ西岸の一部を獲得した。
新大陸では原住民が疫病等で急減し、労働力を補充するため、アフリカから黒人を新大陸に輸出するといった貿易が
行われた。
586LaVi:02/09/23 08:14
新欧州史(14)

大航海時代初期において、ガリシア・カスティリア連合王国(通称イスパーニャ王国、後に再び分裂する)が、新大陸
の金銀を元手に整備したインビンシブル・アルマーダ(無敵艦隊)が強盛を誇り、短期的とはいえヨーロッパの端っこ
の中堅国家が世界の海を支配することとなる。
しかし、それも僅かの期間でしかなく、イスパーニャの無敵艦隊はブルゴーニュ艦隊に完膚なきまで敗れ去り、二度と
覇権を手にすることはなくなる。
その後もブルゴーニュは3度に渡る英武戦争でイングランドに連勝し、7つの海の支配者となったのである。

西欧で激闘が繰り広げられているさなか、東欧でも激しい戦いが続いていた。
バルト海の覇者スウェーデン王国が、リトアニア大公国と同君連合を組んだポーランド王国を中心とする反スウェーデン
同盟に破れ、バルト海の制海権を失った。
ポーランドは、その後もドイツ騎士団・ロシア帝国を破り、バルト海の制海権を手にする。
オスマントルコの退潮によって、ポーランドがクリム汗国(クリミア半島)やベッサラビア・モルダヴィア・スロヴァキア
を得る等、南下を進めた。
バイエルンの支援で独立したハンガリー王国は、トルコからクロアチアやトランシルヴァニア等も奪還し、ポーランドに
続く東欧の大国へと成長していった。
同時にバイエルン王国は、トリエステとフィウメを得て、海への出口を手にしている。
東欧においては、オスマントルコの弱体化に伴い、このバイエルン・ハンガリー同盟と、ポーランドを中心とするスラブ
人の連合の対立が深まっていくこととなる。
587LaVi:02/09/23 08:19
新欧州史(15)

実際のところ、ポーランド王は、ブランデンブルクやバイエルンの強大化を恐れるブルゴーニュの意図で当て馬とされて
いたのである。
つまり、ブルゴーニュを核に、その隣国(イングランド、ロマンシア、ブランデンブルク、バイエルン)を弱体化させる
ために、さらにその周辺国(ケルト、ガリシア、カスティリア、イタリア、ザクセン、ポーランド)を支援するというブル
ゴーニュの遠交近攻政策によるシステムに東欧も完全に組み込まれたということである。
ブルゴーニュは、ザクセン王国とポーランドの縁組の仲人のようなこともしていた。
ザクセンと同君連合を組んだポーランドは、バイエルン王国支配下のシュレジエン地方・ベーメン地方に侵入したが、
ブランデンブルク・ドイツ騎士団に背後を脅かされたため、撃退されてしまう。
しかし、このことはチェック人のスラブ人としての民族意識に火をつけ、バイエルンを苦しめることになる。
西と南の海への出口をポーランドによって完全に塞がれたロシア帝国は、東に目を向け、カザン汗国をやぶり、シベリア
を東に向って拡大を続けた。
ポーランドもまた、コサックを味方につけアストラハン汗国を打ち倒し、後に中央アジア諸汗国を征服する拠点となる
ヴォルガンスク(ポーランド版ボルゴグラード)を建設し、カフカス地方へと南下を続けていった。
588ハンニバル:02/09/23 21:31
ああ、せっかく自分の小説をカキコしようと思ったのに、引越しのせいで
一週間ぐらいカキコできない、かなし〜。

Laviさん、新欧州史最高です。ここまで素晴らしく西洋史を改変しているのは
初めてです続きを期待してます、頑張ってください。
589LaVi:02/09/25 07:32
>>ハンニバルさん
ありがとうございます。
ハンニバルさんの深い見識に裏打ちされた作品も期待しております。
特に、満州国首相アレクセイ・ワンのくだりが、気になります。
しばらくカキコできないそうですが、続き期待しております。
590LaVi:02/09/25 07:33
新欧州史(16)

西欧諸国の植民地獲得戦争は、ヨーロッパの継承戦争等と連動しておこなわれてきた。
その中心となったのは、やはりブルゴーニュ王国、ロマンシア王国、イングランド王国の3カ国であり、新興のブラン
デンブルク王国、バイエルン王国も絡んで幾度となく戦争が繰り返された。
これらの戦争の結果、ブランデンブルク王国がポーランドからプロイセン公国領(旧ドイツ騎士団領)を奪い、バイエ
ルン王国領だったシュレジエンも獲得したほかは、ヨーロッパ内で目立った領土のやり取りはなかった。
国家間での移動が目立ったのは海外植民地の方である。
世界中探しても敵の無いほどの海軍大国であったブルゴーニュ王国は、東部国境をブランデンブルク王国に脅かされた
ため、陸軍の増強に走り、陸軍大国にもなったが、このことが王国の財政を逼迫させていく。
591LaVi:02/09/25 07:42
新欧州史(17)

北米大陸はインディアも絡んで数々の激戦が行われた地である。
各国の拠点となった地こそ不動のものであったが、ミシシッピ川とアパラチア山脈に鋏まれたいわゆるインディアン領土
など、ロマンシア→ブルゴーニュ→イングランド→ロマンシアと、次々に持ち主を変えた。
ケルトも、イングランドやロマンシアの攻勢から北米植民地のアヴァロンを維持するのが困難となりはじめ、ブルゴー
ニュに対し、アヴァロン植民地をニューブルゴーニュ植民地と合併させ、共同経営するよう持ちかけた。
ブルゴーニュはこれを受け入れ、両植民地を合併させ、アヴァロン植民地とした。
アヴァロンの名を残したことは、ブルゴーニュが名より実をとったことの現われであった。
西部においては、ベーリング海峡を渡ったロシアが勢力を拡大させ、オレゴンまでを制圧した後、ロマンシア領のカリ
フォルニアにまで侵入する。
東部での争いに注力していたロマンシアはこれに抗し得ず、北米太平洋岸は、メキシコ・中米以外はロシア領西アメリカ
とされた。
ロシアは、サンクトフランチェスコ(サンフランシスコ)という港湾都市を建設し、南米にまで進出していく拠点とした。
592LaVi:02/09/25 07:43
新欧州史(18)

北米と並んで激戦地となったインド亜大陸では、ロマンシアがシャンデルナゴルを中心とするベンガルからインドシナ
半島西部にかけて強い影響力を持つようになった。
ブルゴーニュは、綿花の輸入先として関係の深かったポンディシェリ・ボンベイを中心にデカン高原以南を自らの勢力圏
に加えた。
イングランドはインドの西部に強い影響力を持つようになり、ロマンシアやブルゴーニュの勢力圏の拡大を危惧する
ムガル皇帝に接近した。

新興の陸軍大国であるブランデンブルクとバイエルンに面し、イングランドとロマンシアという強大国の双方を相手にし、
植民地獲得戦争では苦戦を強いられることも少なくなかったブルゴーニュであったが、植民地経営を通じた資本蓄積の点
では随一であり、ルール地方等資源も豊富であり、ヨーロッパの技術的先進地であったことから産業革命が起こった。
ブルゴーニュの工業生産力は飛躍的に増大し、後に世界の工場と称されるほどとなった。
この工業力をてこにし、ブルゴーニュは世界の海の覇者としての位置を一層強固なものにすることが出来た。
デカン高原以南のインド亜大陸を完全に植民地化したのもこの頃の話である。
593世界@名無史さん:02/09/25 08:39
ロマンシア王国にニポーンの奥州王からの使者が来たりするのかい?
594:02/09/25 08:56
すごい!!昔やっていた深夜番組の「カノッサの屈辱」を思い出す!!
(読んでる内に眠たくなっちゃったwwと言うのは秘密ですww)
595LaVi:02/09/28 08:56
>>593さん
ええと、ナントカ使節団というやつですか?
日本史はよく知りませんし、あくまで欧州史なので、日本は脇役に徹してもらうつもりです。
多少贔屓目で、史実よりはまともな(?)国になるかなぁ、というところです。
596LaVi:02/09/28 08:58
新欧州史(19)

繰り返される戦争による膨大な戦費は、新大陸の植民地に財政的な皺寄せが押し付けられることとなる。
特にロマンシアやブルゴーニュは常に激戦を繰りひろげており、それだけ戦費も他国を凌駕するものとなっていた。
ロマンシアの北米植民地では、重税が課せられたことで、ブルゴーニュの北米植民地では工業化が著しく阻害される政策を
押し付けられたことが原因で、激しい独立運動を招くこととなった。
当初、ロマンシアのノヴァロマンシア植民地で起こった独立運動は、ブルゴーニュの(名目上はケルトとの共同経営の)
アヴァロン植民地にも飛び火し、反響しあうかのごとく過激化していった。
イングランドが自国の植民地であるヴァージニアに飛び火しないようヴァージニアへの懐柔と共に、この両独立運動を
支援したためもあり、ついには独立戦争にまで発展する。
ロマンシアの北米植民地は、ミシシッピ川河口のノヴァマルセイユを首都とするコロンビア連邦として独立宣言を発し、
ブルゴーニュの北米植民地は、ハドソン川河口のニューアントウェルペンを首都とするアヴァロン合衆国として独立宣言
を発した。
戦力面でいえば、コロンビアよりアヴァロンの方がはるかに整っていたが、宗主国のブルゴーニュがほぼ全力を尽くして
独立派を潰しにかかったのに対し、ロマンシアは初戦に大敗した後はほとんど戦いらしい戦いもせず、事実上コロンビア
連邦の独立を承認した。
コロンビア連邦軍は、アヴァロン側に立って独立戦争に参戦し、四面楚歌となったブルゴーニュもついにアヴァロンの
独立を承認した。
このとき、コロンビア連邦国民は我が事のように喜んだという。
後に、不倶戴天の宿敵となるアヴァロンとコロンビアにも蜜月の期間というものが存在していたのである。
597LaVi:02/09/28 09:00
新欧州史(20)

英領ヴァージニア植民地(旧ヴァージニア植民地にジョージア植民地等を編入)が、労働力としての黒人奴隷を除き
一貫して頑なにアングロサクソン純血主義を突き通したのに対し、コロンビア連邦は、ロマンシア出身者の移民を
中心としながら、黒人奴隷やイタリア、カスティリア、ガリシアといったラテン系、ポーランド等のスラブ系から
も積極的に移民を受け入れ、拡大していった。
アヴァロン合衆国もまた、ブルゴーニュやケルト出身者だけでなく、英領フランス、ブランデンブルク・ザクセン・
バイエルン、北欧等からのゲルマン系の移民を受け入れ拡大を続けていった。
両国は競うように西に向って拡大していき、北米大陸を二分する勢力となっていく。
後に両国がロシア領西アメリカに面するようになるときには、アヴァロン合衆国の領土は、英領ヴァージニアを除く
北米大西洋岸(いわゆる東部)・五大湖周辺(いわゆる中西部)・グリーンランド・カナダ(ブリティッシュコロンビア及び
ユーコン地方を除く)となっており、コロンビア連邦の領土は、ミシシッピ西岸地域・メキシコ・キューバ・カリブ海
諸島となっていた。
なお、英領ヴァージニアは独立戦争で勝者の側を支援していたこともあり、若干拡大し、ヴァージニア州・フロリダ・
ミシシッピ河口地域を除いては、ミシシッピ川とオハイオ川に囲まれた地域を版図とした。
ロシア領西アメリカは、ロッキー山脈によって東部から遮られたアラスカ、ユーコン地方、ブリティッシュコロンビア、
オレゴン、カリフォルニアという南北に細長いものになっていた。
598LaVi:02/09/28 09:01
新欧州史(21)

ブルゴーニュは世界一の工業力を持っていたが、万年2位と呼ばれながらもかなり遅れをとっていたロマンシアは、北米
植民地の大半を失ったことで、財政的に窮地に陥ることとなる。
その皺寄せは、本国の民衆に寄せられることとなった。
それでも、トゥールーズの宮殿を中心に王侯貴族が豪奢な生活を維持していたこともあり、民衆の不満は爆発すること
となる。
折りしも、コロンビア連邦の独立戦争に加わり、自由・民主主義といった思想に感化された青年貴族達が国内での活動
を開始していたことも重なり、反乱の、否、革命の火の手は、ロマンシアの旧体制を焼き尽くすまで燃え盛ることと
なった。
国王夫妻等は処刑され、国内の旧体制派貴族も処刑されるか、亡命し国内から脱出することとなり、ロマンシアでは
初の民主的共和制国家が建国された。
しかし、この革新的な政治体制は、周辺諸国の王族にとっては悪夢に等しいものであり、すかさず対ロマンシア大同盟
が結成された。
ロマンシアは、よく組織された国民軍により連合軍を撃退し、まわり全てが敵という絶望的な状況を乗り越えた。
しかし、国内では急進派による粛清活動により、民意が政府から離れていくこととなる。
599LaVi:02/09/28 09:03
新欧州史(22)

こうした中、サヴォア公国領コルシカ島出身の将軍ナポレオン・ボナパルトが表舞台に現れることとなる。
彼は、その天才的な手腕で国民の人気を一身に集め、ついにはロマンシア帝国皇帝の座につくこととなる。
ナポレオンはカスティリア、ガリシア、イタリア、イングランド(英領フランス)と次々制圧していき、ヨーロッパ南部を
併合していった。
ブルゴーニュを避けるようにしてドイツ東部にも侵攻したナポレオンは、バイエルン、ザクセン、ブランデンブルクを屈服
させ、同盟国という名の半従属国とした。
しかし、ロマンシアにとって長らく宿敵であったブルゴーニュ王国は、ロマンシアの海上封鎖という荒業でロマンシアを
苦しめた。
活路を見出すため、ナポレオンが全力を持ってブルゴーニュ領に攻め入ることを覚悟した。
激戦の結果、ナポレオンはフランドルの地に敗死した。
彼の言葉どおり「神は、常に大砲の多い側に」あったわけである。
ブルゴーニュの圧倒的な物量の前にし、戦争の天才ナポレオンすら屈したのである。
600LaVi:02/09/29 09:44
新欧州史(23)

ナポレオン戦争の事後処理のためのミュンヘン会議が開かれ、ロマンシアからは旧王朝の血を引いたブルボン家から代表者が
送られ、サヴォア公国の独立が認められた他は旧ロマンシア王国領の確保と王政復古の承認を得るに成功した。
サヴォア公国など南欧各国が独立を果たした。
ナポレオン打倒の最大の貢献者といえるブルゴーニュは、英領フランスのうちシャンパーニュ地方を譲り受け、海外植民地の
一部(シンガポール島)をイングランドに譲った。
バイエルン王国とブランデンブルク王国とも僅かに残ったドイツ中小国家をほぼ全て併合した。
ブルゴーニュの支援もあり、ザクセン王国はチューリンゲン地方のいくつかの小国を併合して、中部ドイツにそれなりの勢力
を持つこととなる。
こうしてドイツ地方には、西ドイツのブルゴーニュ王国、南東ドイツのバイエルン王国、北東ドイツのブランデンブルク王国、
ザクセン王国と、ハンブルク、リューベックの2自由都市(両都市国家ともブルゴーニュの後ろ盾があり、フランクフルトと
ブレーメンはブルゴーニュ王国領)が残されるのみとなった。
このミュンヘン条約の締結をもって(あるいはナポレオンの敗北をもって)ロマンシアとブルゴーニュの400年近くに渡る
対立の歴史に終止符が打たれた。
あくまでブルゴーニュの優位が確立されたということにおいてだが。
こうしてブルゴーニュ、ケルト、ポーランドや南欧諸国・北欧諸国による多国間協商と、イングランド・ドイツ・バイエルン
・ロシアの新興工業国による四国同盟という2つの軸が徐々に形成されていくことになる。
601LaVi:02/09/29 09:45
新欧州史(24)

ナポレオン戦争中、南米の各植民地では本国のしばりが弱まったため、コロンビア連邦やイングランド、一部はロシアの支援
を受け、独立を果たした。
それぞれ、ロマンシアから独立したフロリダ共和国やマヤ共和国(ユカタン半島・グアテマラ)等中央アメリカ諸国、カスティ
リアから独立したフィリピン共和国(グランコロンビア)、ペルー共和国、ボリビア共和国、チリ共和国(本来の北部と中部)、
ブルゴーニュから独立したガイアナ共和国(ガイアナ+スリナム+仏領ギニア)、ガリシアから独立したブラジル帝国(ブラジル
北部・中部)、イタリアから独立したパラナ共和国(ブラジル南部)、サヴォアから独立したラプラタ共和国(アルゼンチン北部+
パラグアイ+ウルグアイ)、ケルトから独立したパタゴニア共和国となっている。
南北アメリカに残された植民地は、小さな離島を除いてはロシアの西アメリカとイングランドのヴァージニアのみとなった。
独立を果たした中南米諸国であったが財政的にコロンビア連邦やイングランド、ブルゴーニュに依存することとなり、3国の
重要な市場となる。
602LaVi:02/09/29 09:46
新欧州史(25)

ロマンシア大革命がヨーロッパ各地に伝えた国民主義と民主主義の思想は、各国の王権を激しく揺さぶることとなる。
各地で民主化を求める暴動が頻発し、ミュンヘン体制を揺さぶった。
この流れは、英領フランスにおいては激しい独立運動に発展する。
ミュンヘン会議の結果、ブルゴーニュ領となっていたシャンパーニュ地方は、もともとフランス国王戴冠の地であるランスを
抱える等、最もフランス人としての意識が強い地域であった。
(かつてジャンヌ・ダルクという大規模な反乱の煽動者を生んだのも、この地域特有の風潮のせいもあったとされる)
まず、このシャンパーニュで独立を求める過激な行動が頻発するようになった。
それに手を焼いたブルゴーニュは、まだこの地域に大した利権も愛着も持っていなかったため、独立を認める方向で動いていた。
これに慌てふためいたのが、イングランドであった。
シャンパーニュに独立などされたら、もはやイングランドの半身とでもいえる英領フランスの独立運動を煽ることは明白であり、
ブルゴーニュに対しシャンパーニュの独立を阻止するよう求めた。
そこで、イングランドとの関係を重視したブルゴーニュは、シャンパーニュ独立を認めないよう方針を転換した。
しかし、方針を翻されたシャンパーニュの独立運動家は運動を一層過激化させ、ブルゴーニュの首都ブリュッセルで組織的テロ
リズムの草分けとでもいうべき無差別殺戮を繰り返し、多くの被害を出した。
603LaVi:02/09/29 09:48
新欧州史(26)

フランス系住民がある程度発言力を持っていたアヴァロン合衆国から、独立を認めるよう圧力をかけられたブルゴーニュでは、
イングランドに対し、シャンパーニュ地方を格安で売却する旨を申し入れた。
イングランドはこれを受け入れ、英領フランスはナポレオン戦争以前の領土を取り戻したわけだが、シャンパーニュの独立運動
が英領フランス全体に拡大し、テロの標的がブリュッセルから、ロンドンあるいは英領フランスでもイングランド系住民が多数
居住するルアーブルやカレーへと移る等、イングランドにとっては状況はより悪化した。
なお、現在のフランス人に、ブルゴーニュがイングランドに次いで嫌われる理由は、ブルゴーニュの繁栄に対する嫉妬とは別に、
シャンパーニュ売却が時代錯誤の植民地主義の表れ、と解されていることもある。
こうした中、イングランドは、ヴァージニアと並びフランスの自治領化を認めた。
ただし、イングランドの国祖ノルマンディー公ウィリアムの根拠地であり、イングランド系住民が比較的多かった両ノルマン
ディー地方と自治都市カレーがイングランドの領土に残されたため、後々まで遺恨を残すこととなる。
自治領では満足できなかったフランス民衆は、すぐさま独立宣言を発し、フランス共和国が建国された。
ドイツ国民主義の広まるブランデンブルク王国は、バイエルン王国を同盟に引き入れ、ザクセン王国に侵入する。
ザクセンはブルゴーニュやポーランドに支援を求めたが、ブランデンブルクがフランス・ロシア・イングランドに好意的中立を
約させ、ブルゴーニュ・ポーランド包囲網を形成したため本格的な支援に乗り出せず、小規模な部隊を送ってはブランデンブルク
軍に撃破されるということを繰り返し、ザクセン王国はブランデンブルクに併合されてしまう。
ザクセンの他にもブルゴーニュの後ろ盾があり独立を維持していたハンブルク、リューベックをも併合したブランデンブルク王は、
ドイツ皇帝を名乗るようになり、ドイツ帝国が建国された。
604世界@名無史さん:02/10/02 18:55
hosyu
605世界@名無史さん:02/10/05 13:40
あげ保守
606世界@名無史さん:02/10/08 04:37
ほっしゅ
607ハンニバル:02/10/08 17:09
大日本共和国列伝

1940年、世界は二つの陣営の対立のさなかであった。
一つは、日英仏露四カ国軍事同盟を主軸に大韓帝国、中華民国、オランダ王国などを加えた
連合国側。
もう一つは、米独伊に東欧諸国、フィンランド、トルコなどを加えた枢軸国。
ヴェルサイユ条約以後、形づくられた、この構図は30年代に、ナチスドイツの台頭
アメリカによる満州事変、それに伴った蒋介石の失脚、汪兆銘の総統就任などによって
日に日に悪化し、そして1940年、ポーランドとの防共協定を正式な軍事同盟へと
発展させ背後を固めた、ドイツ帝国総統アドルフ=ヒトラーはフランスに対して宣戦布告
電撃作戦を敢行した。これに対してフランスと同盟関係にあった大英帝国首相サー=ウィンストン
=チャーチル、ロシア共和国連邦大統領アレクサンドル=A=クラスノシチョーコフ、
大日本共和国大統領近衛文麿らはドイツに対して宣戦布告を通達、これから五年に渡る
第二次世界大戦の開戦であった。
608mo ◆PBsaH5lQVM :02/10/09 20:19
南部十四年式光線銃への考察

今は亡き大日本帝国が、世界に残した数少ない技術体系の産物で、
光線兵器について世界をリードする、イギリスすら驚いた「拳銃」だ。
二十世紀初頭に起きた、イギリスへの「宇宙人侵略」のさい、突入角度の違いから、
一基の「突入艇」が、日本帝国領九州に落下、この「宇宙人達」は細菌感染により、
死滅したが、「突入艇」「三脚歩行戦車」と共に「光線兵器」は残された、恐らくその産物であろう。

この「拳銃」の凄さは、その小ささ・威力である(イギリスにおいて、最初に開発成功したのは、
余りにも巨大で尚且つ、発電設備の必要な「大砲」であった)。
その秘密は、ある日本人科学者が「増幅装置」の解明に成功したからである(イギリスでは、増幅装置の解析中に暴走し、
研究所ごと消滅していた)。
その威力は、一撃で重戦車を粉砕するほどで、量産化が進んでいなかったのだけが、わがアメリカにとって、
幸いであった(戦争末期に我等を苦しめた、十五サンチ高射光線砲も配備が遅れていた)。

ただ、海だけは日本海軍戦艦に苦しみ続けた、特に十八インチ光線砲装備戦艦「大和」には、
アメリカが作った戦艦の十%近くを沈没させられたのだ。
そう、我々は奇跡的に勝った、潜水艦(光線砲は水中では激しく減衰するため)と、
被害を気にせず挑んだ、勇気あるパイロット達のおかげで。

大日本帝国は空襲と潜水艦による通商破壊により、中世以前の国家に転落した、もう二度と世界平和を乱せぬよう、
日本は農業国家としてだけ、存続を許され現在(2024年)にいたっている。
609世界@名無史さん:02/10/10 01:36
誰か460KB越えた時点で次スレ立ててね。500KB越えると書きこめなくなるよ。
610mo ◆PBsaH5lQVM :02/10/14 17:13
信長物・閑話休題・京都守護職と寺社奉行の分離について。

現在、日ノ本にある全ての宗教を管理する「寺社奉行」と、
京・内裏禁護役の「京都守護職」の分離は、織田家による初代守護職・村井春長軒の代から始まっている。
その理由は、本願寺衆徒との戦に求められる。
庶民を救う筈の宗教が、財を尽くし民を煽り、自らは戦わず、天下を荒す僧侶たちを、信長が嫌っていたからだ。
春長軒老は京の政務の他に、朝廷との折衝、京に本山を構える宗派の監視もしていた事になる。
(信長がキリスト教に好意的だったのは、仏教勢力に対する牽制と、宣教師達の利権を求めぬ姿勢からだろう。
その証拠に晩年、利権を求める宣教師達を大勢、本朝から追放している)
宗教監視を補佐したのが、松永弾正久秀と興福寺住職・筒井順慶の二人である。
この二人、双方が激しい怒りを抱えていた為、しばしば小競合いが生じている。
原因は、大和国の領地争いだった、筒井氏は順慶の父・順昭代に大和支配に成功しかけたが、
順昭が27歳で没したのでわずか2才で順慶が家を継ぐが、
当時三好方であった久秀により瞬く間に領土を切取られ、一時は滅びる寸前であった。
が、織田信長の最初の上洛時に、順慶がいち早く帰順、領土を安堵された為、久秀の大和支配は成らなかった。

611mo ◆PBsaH5lQVM :02/10/14 17:15
信長物・閑話休題・京都守護職と寺社奉行の分離について2。

双方とも、帰順後も事有る毎に対立したため、海外遠征もせず、遠国への赴任もなかった。
信長が双方に科した、「寺社奉行」最初の仕事が、寺社の武力剥奪である。
理由としては信長の有名な「”民の救わん”と称する教えが、兵を雇い・財を凝らし・現し世の権勢を求むるは、
自らの教えを信じぬ故か?、その様な教えならば要らぬ、滅ぼしてしまえ」と言う詞に集約されている。
(尤も、滅ぼさぬ条件として、僧兵の退去・貧民救済・医療の無料提供・改宗の強制の禁止等厳しい物だった、
ただ、僧侶達も然る者、診療所での勧誘・寺子屋での早期信徒確保なぞをして、勢力を保っていた、
こんにち、本朝での宗教系医院・学校の多さはココに起因している)
つまり、日ノ本に宗教的な騒乱が、たいして無いのも京都所司代宗務掛をしていた、
この二人の仕事が如何に完全であったのかを、証明している。
(筆者は二人の仲裁をしていた、春長軒老の努力に感謝している、殺し合いにまで発展した事も有る”喧嘩”の仲裁を、
多忙な仕事の合間にしていたからだ)



612桜47:02/10/14 17:48
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034585045/

みなさん、お久しぶりです^^いつもいつもわくわくして読んでいます。
>>609さんのご意見を受けてさっそく次スレをたててみました^^
これからもごひいきのほどお願いしますね^^
613大日本帝國崩壊:02/10/21 02:17
第四章序章 内戦前夜
昭和7年正月。
 異星人との接触は、世界を揺るがした。
 しかし、何故それが世界に漏れたのか、それは定かではない。
 一説にはゾルゲ団の仕業だとも言うし、一説には力を失う事を恐れ、発狂した大川周明の仕業だとも言われている。
 いずれにせよ、大日本帝國は大きく方向を変えていった。
 
 ローマ=カトリック本山は大日本帝國を「野蛮の徒からキリストが産まれるわけがない」と罵りつつも「異星人」という概念をしっかりと理解しており、この点は歴史学者の間での謎とされている。
 ともあれ、一部の人種差別主義者を除き(もっとも、白人のほとんどは依然として自然的人種差別主義者であったが)、世界が日本に注視していた。
 
 さて、その後の一ヶ月に起きた事は、この地球に住む物なら誰もが知っている、「転回の1ヶ月」である。
 
 日本は関東軍を縮小した。また、梅屋庄吉を中国に派遣して孫文、またその後継者達と交渉を行い
日中危機を回避した。
 しかし、果たせるかな、国内では「日清・日露の血と汗と涙の謝罪と賠償を(以下略」という怒号が飛び交い内閣が崩壊・首相が暗殺未遂されつづけるという事態が起きた。
 さらに同時に縮小が決定された関東軍で公然と内乱が発生した。
 満州国の建国こそまだであったものの、既に関東軍は実質的に軍閥と化していた。

 また、混乱に乗じてソ連がソ満国境に終結していた。

 天皇は当然のように「ご出馬」されるかに見えた。
 が、しかし。
614大日本帝國崩壊:02/10/21 02:17
 天皇は憲法を停止した。人々の希望の込められた憲法。
 亜細亜で初めての立憲君主国家としての誇り。
 
 その上で歴史に残る施策を行った。「天皇領の分配」である。
 実質的に公地公民制の復活といっても良かった。
 そのうえで、「地主制度解体」を発令したのである。

 そして、その上で声明を表明したのである。
 「この国はこれで終わるかもしれない。しかし、名を惜しんで身を滅ぼすよりは、協力してくれる者だけ日本に帰って来れば良い。それでも手向かう者は賊軍としよう」と。

 賊軍。この汚名を着たが為に辛酸を嘗め尽くした者、その家族、それらは軍には多かった。
 しかし、同時に思うのであった。「君側の奸を斬れ」と。
 そして、2月26日。「2・26内戦」が起こったのである。
615世界@名無史さん:02/10/25 19:22
616世界@名無史さん:02/10/29 18:26
617世界@名無史さん:02/11/07 04:31
ほしゅりあげ
618世界@名無史さん:02/11/18 18:33

619世界@名無史さん:02/11/24 17:57
620世界@名無史さん:02/11/30 19:52
621世界@名無史さん:02/12/05 18:01
hosyuhosyu
622世界@名無史さん:02/12/08 19:59
保守
623世界@名無史さん:02/12/16 20:16
bosyu
624世界@名無史さん:02/12/25 20:16
捕手シュ
625世界@名無史さん:03/01/04 18:43
kuuusss
626世界@名無史さん:03/01/07 06:16
age
627世界@名無史さん:03/01/08 20:51
ほし
628世界@名無史さん:03/01/08 20:52
ageなくていいよ
629山崎渉:03/01/11 12:58
(^^)
630世界@名無史さん:03/01/19 19:41
保守
631世界@名無史さん:03/01/28 14:52
メインタンクブロー!
632世界@名無史さん:03/02/09 20:18
hosyu
633大日本帝國崩壊:03/02/13 02:53
第四章 2・26内戦
 壱ヶ月以内の帰属決断。これが天皇から帝國臣民へ渡された「踏絵」であった。
 
 それから壱ヶ月。
 発端は些細な出来事であった。税制の劇的な改革に伴い、「食える人々」が増えた。
 それは即ち「旧陸海軍」がその力を失った等かった。
 何故ならば「飢えへの恐怖」「ロシアの恐怖」が民衆の頭を占めていたからである。

 2・26内戦。一般には、第二次日露戦争とも呼ばれるこの戦争は一部の扇動による朝鮮独立運動が
発端であった。
 昭和帝は併合状態であるとは言え、大本営や提督、将官クラスにすら旧韓国籍臣民が居る状況であった
為に、朝鮮の状況が把握できていなかったと言われる。

 昭和7年2月26日。京城及び長春にて関東軍蜂起。
 長春を首都とする満州朝鮮合衆帝国の樹立を宣言。
  既に朝敵となった身の関東軍にしてみれば怖い者は何も無かった、そう、ソ連を除いては。
 
 国際連盟は日本を責めたが日本代表は
「逆賊の徒」つまり犯罪者の起した不逞行為として弁明し逆に民族自決を訴え
国としては体を為しえず、捨て身の注進に来たはずの旧大韓帝國代表が号泣するほど堂々と反対演説を行った。
634世界@名無史さん:03/02/28 01:00
あげる
635世界@名無史さん:03/03/05 10:31
19世紀後半、カナダのケベックでフランス系住民による独立戦争が勃発、これに呼応し、メキシコ出兵などで声望を落としていたナポレオン3世はやけを起こして(と誰もが判断した)イギリスとの抗争を決意。
アジアで、アフリカで、中東で第三次英仏百年戦争と呼ばれることになる長期的な戦闘が行われ、これは普、露、墺、西、葡、蘭などの元列強、あるいは新興国の野望を呼び起こして第一次世界大戦へとつながる。

一方南北戦争の終結によりナショナリズムの再形成が至上の命題となっていたアメリカ合衆国。
ケベックの独立に危機感を抱いたニューファンドランドなどのカナダ東南部諸州の併合要請に応じ、
また本国の対応に不信感を抱いた他のカナダ諸州やカリブ諸植民地を併合した。
そして独裁政権に倦んでいたメキシコ、中央アメリカ連邦、コロンビア共和国といった中南米の諸国も星条旗の下に集い、
ヨーロッパで第一次世界大戦が死者と国債以外に何も生み出さずに終結した時には北はアラスカ、グリーンランド、南はかつての大コロンビア共和国にいたる、南北両アメリカ大陸の2/3ほどを版図に収めた史上最大の民主主義国家ができていた。
636世界@名無史さん:03/03/05 12:26
>>635
そこで問題となったのが星条旗の星をどうするか、であった。
 USA   48
 カナダ   10+2
 メキシコ  32
 旧中米連邦 5
 ベネズエラ 24+72
 コロンビア 33
 エクアドル 21
 ギアナ植民地 3
 カリブ諸領 13
 その他   20  合計 283

どうデザインしても50が限度の星の数をどのようにするか大もめに揉め、
一旦は小星10を大星で表現することで落ち着いたが、
準州や保護領を数えない原則に対して反発がおき、
決着はまたしても先送りとなった。
637世界@名無史さん:03/03/05 16:07
>636
でかすぎる国だな……反応兵器がたった一発首都に落とされただけで四分五裂しそう。
638mo ◆PBsaH5lQVM :03/03/06 19:29
>637
いや、ソレより教育とか国防とかの心配が、先だと思う。
私には、連邦政府が国軍維持費で沈んで行くような・・・・?。
州知事に州内限定で全権委任しても、大統領の仕事量も半端じゃなさそうですよ。
ただ、コンだけ大きければ、殆ど国内で全ては完結しそうですが。
639635:03/03/07 10:39
かくしてアメリカ合州国は自他共に認める世界最大最強の国となった。
しかし、その内実は無数の民族・宗教の寄り合い所帯であるめ、大統領当選者の獲得票数が毎度の如く過半数をわずかに超えるだけという不安定な政体であった。
無理やりにでも中央集権をとるか、あるいは地方分権をすすめるか。
独立当初の論争が再び上がってきていた。
しかし前者は先の理由により難しく、後者は合州国の解体につながる。
かくして停滞した政治が進むこととなった。
結果、大恐慌が起こった時には社会主義者も入り乱れて内戦勃発の危機があった。
それを収めたのはルーズベルト大統領である。
彼は持ち前の力量と、幸運にも助けられて経済的・社会的混乱を収束に向かわせた。
そしてその過程で彼はドクトリンを打ち出すことになる。
それは外敵による国内意志の統合という古典的な手法だった。
合州国の脅威となる国は幾らでもいた。
戦争中ふんだんに血をすすった相手である英仏とは表向きは手を結びつつも決して心を許すことが出来ず、
ソ連は革命の有力な輸出先として合州国をにらんでいる。
太平洋を挟んだ日本とはハワイ王国の宗主権をめぐって争い、
南米諸国は合州国内の拡大論者にはっきりと敵意を抱いている。
そしてドイツはその南米に手を伸ばそうとしている。
640世界@名無史さん:03/03/15 17:36
あげ
641世界@名無史さん:03/03/15 17:58
合州国は、安い外国人労働者をあまり得られなくなるわけだが、どうするのだろう?
国内に大きな経済格差を作って貧民州から安い労働者を得るか
あるいは他の大陸から労働者を入れるか
それとも他に手があるのか
642世界@名無史さん:03/03/22 15:09
ソロソロ捕手
643世界@名無史さん:03/04/09 19:13
もう一回ほしゅ
644山崎渉:03/04/17 10:03
(^^)
645山崎渉:03/04/20 04:45
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
646世界@名無史さん:03/05/10 16:30
続編キボンヌ〜
647山崎渉:03/05/21 22:34
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
648山崎渉:03/05/22 00:01
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
649山崎渉:03/05/28 15:27
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
650世界@名無史さん:03/06/22 18:29
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
651世界@名無史さん:03/07/05 12:16
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
652大日本帝國崩壊。:03/07/11 16:40
さて、2・26内戦が発生した最大の原因は「一ヶ月以内の帰属」という無理な
スケジュールであったといわれている。
 また、内地民・外地民に関わらず、貴族への投票兼を見とめたためとも言われている。

 情報が伝わらないうちに帰属を迫られたために現地民の不満の多かった北部朝鮮では一も二も無く
賛成した、といわれているが、これは後付けで、関東軍の支配する北部朝鮮で旧日本帝國住民から接収した土地を
現地民に大盤振る舞いしたためである。

 そして、この時に発生した略奪の数々に昭和帝は激怒した。
 そこで旧大韓帝国籍の陸軍少将に命じ、北部朝鮮解放作戦を決行したのである。
 北緯38度線にて、戦闘に入った第7管区方面軍と関東軍であったが防戦する関東軍に悲劇が起きた。
ソ連の侵攻である。
関東軍は自分たちが 対ソ連舞台であることはわかっていたが、同時に半島南部からも攻められた時の
事態までは想定はしていなかったのである。
 関東軍は総崩れとなり、38度線にまで追い詰められた。
 国際連盟日本代表は関東軍の非を責めた上で訴えた。「ソ連は侵略者だ」と。
 また民族自決主義に基づいて韓国をっ独立自治英国にする意思の有ることも表明した。
 また、アメリカに対しては、満州国解放後に、貿易への参画を条件として、日本・中国国民党・中国共産党の
仲介の労を頼む密約を交わした。
 これが石井・ランシング協定である。
653山崎 渉:03/07/15 12:39

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
655大日本帝國崩壊。:03/07/18 03:38
この、第弐次石井ランシング協定には、いくつかの重大な約束が取り交わされていた。
 1.人種平等原則
 2.門戸開放原則
 3.民族自決意見尊重原則
 4.貿易相手国育成義務

である。
 これは重大な意味を持った。
 一言で言えば「収奪されるだけの植民地を持つ国は信頼できない」という世界的な枠組を
作るきっかけとなったからである。

 共存共栄。まさに、この為に日米は手を組んだのである。
 かくして、米国はソ連に対し、宣戦布告を行うことは無いものの、コングロマリットを背景とした義勇軍と
作家達による中国民衆を救うための、戦いと称されたアジア戦争が切って落とされたのである。
 これにより、一時的に暴落するかに見えたアメリカ株価は逆に急騰。
 ドイツにおいては債務返済がスムーズに進みナチスは支持を失い、イタリアへと逃れた。

 当時、最前線に、あるソ連兵が存在した。
 その男は、後に「もっとも有名な一平卒」と呼ばれるようになるトロツキーである。
 彼は単独で白旗を掲げ、中国共産党部隊に投降してきた。
 失脚後、シベリアに配流れていたところ、突撃命令が下ったのだという。

 中国共産党がこれを利用しないわけが無かった。国民党との交渉材料、そして一発大逆転のための
布石とするためであった。
656おすすめ:03/07/18 04:29
☆貴方を癒す女の子たちのサイトです☆
http://endou.kir.jp/yuminet/link.html
657世界@名無史さん:03/07/31 04:11
age

658世界@名無史さん:03/07/31 12:05
あるひ おだのぶながは かみのちからをみにつけました

のぶながあろーは ちょうおんぱです。
のぶながいやーは よくきこえます。
のぶながうぃんぐは そらをとびます。
のぶながびーむは ねつこうせんです。

かみのちからをみにつけたのぶながは
たわむれに ひでよしにのぶながあろーをはなちました。
のぶながあろーは ひでよいのみけんにめいちゅうし
ひでよしはそくししました。
そのしがあまりにもとうとつで はやかったせいでしょうか
ひでよしのしにがおは のぶながへのあいにみちあふれていました。

のぶながはそのかおをいとしいとおもい
そのごのてんかとういつの おおいなるはげみとしたのでした。

659世界@名無史さん:03/07/31 16:44
ひでよいってなによ?教えてデビルマン。
660世界@名無史さん:03/08/22 02:04
cominng soon

大日本帝國崩壊。第1部 終章 同床異夢
 1.いくつかの結末
 2.無数の時空
 3.日満ソ国共、停戦
 4.大活況時代
661世界@名無史さん:03/10/06 17:02
沈船サルベージage
662世界@名無史さん:03/11/04 11:07
木下家の末裔が22世紀から送り込み、
徳川家の覇権を未然に葬り、
幼君秀頼を補佐する大任を命じたロボット・・・

   ドラミネーター    
  
対する徳川家側が送り込んだ

   T(トクガワ)−1000型

の死闘が今、慶長の道頓堀で始まる・・・・

   「わしゃすぐ戻るだぎゃ(方言翻訳ソフト不備)」
 
だめか・・・
663世界@名無史さん:03/12/03 22:08
豊臣・徳川・伊達・島津など東西の争いが関が原戦場で続きついでに世界中が参戦、遂には
日本発世界大戦となったわけだが、これは結果として白人史上主義を潰えさせる事となった。

1900年代に入り「関が原の壁」が建設されるに至り、東西の国家分裂は決定的となった。
しかし、同時に、この徳川・豊臣の2国家は対外戦争を行わないのが特徴的であった。

一方で伊達家は津軽から蝦夷・アラスカまで制覇し、北アメリカ一帯を先住民等と共に白人との
派遣をかけて争う一大勢力に成長した。

これは漁夫の利を狙った「明智光秀=天海が日本を制覇した世界」から送りこまれた最強の刺客に対抗して
ドラミネーターやT−1000が共同してこれに立ち向かい、結果として救ってしまった信長の処遇に困って
伊達家に押し付けた為と言われている。

やっぱ苦しい。
664世界@名無史さん:03/12/16 08:07
日露戦争でロシアが勝っていたらどうなっただろう?
665とてた ◆0Ot7ihccMU :03/12/21 21:52
>>664
架空戦記でいくつかあります。
中立国になって繁栄しているのもありますが、たいていはロシアの属国になってます。

あ、西郷総理の元でシベリアまで手に入れるのもあったか…。
666世界@名無史さん:03/12/21 23:08
ロシアの属国になって皇女アナスタシアに萌えるのも良いかも。
ロシア革命が起こってオリガ、タチアナ、マリア、アナスタシアの四人姉妹だけが助かって日本に逃げてくんの。アレクセイはどうでもいいや。
んで彼女達に萌えつつソビエトと戦争。
667世界@名無史さん:03/12/22 00:37
>>665
日本独立戦争が結構よかったが学研が撤退しちゃったからなあ・・・
>>666
確か覇王の軍がそういう設定だったような・・・
668世界@名無史さん:03/12/22 01:33
秀吉が朝鮮出兵中に死なず、明の反撃によって日本軍撤退。
明の日本上陸を恐れた秀吉は武士の鉄砲の訓練を奨励する。
徳川の200年の鎖国中、武士の象徴となった鉄砲は
ひたすら射程の増大と精度の向上が図られ、
鉄砲の腕と短筒の早撃ちこそが武士の誉れとされる。

19世紀、ペリー来航によって開国を余儀なくされた日本だったが、
日本の鉄砲は射程と精度においてヨーロッパのそれを凌いでおり、
生麦事件によって上陸したイギリス軍海兵隊を撃破することになる。
この結果欧米各国は対等な貿易関係を結ぶ事になるが、
輸入超過によって財政破綻寸前に陥った幕府は、
外貨獲得の手段として、傭兵としての武士の貸し出しを行う。
これ以後、世界各地の戦場で武士は優秀な狙撃兵として、
又は要人のボディーガードとして活躍を始めることになる。

色々と無理有りすぎだな。
669世界@名無史さん:03/12/25 22:23
>668
鎖国中積極的に銃火器の情報の収集と新型銃の導入を行ってた方がマシかと。
第一射程延長に不可欠なライフルがそれでは発明されないぞ。
670世界@名無史さん:03/12/29 12:39
鎖国といっても、琉球・朝鮮・清・明とは貿易してたわけだから、琉球を薩摩が直轄化せず、
琉球を通して短筒を明に輸出することでボロ儲け、イスラム系商人や台湾の明商人と共同して
ライフル開発・・・・

荒唐無稽かな。
671とてた ◆0Ot7ihccMU :03/12/31 12:11
>>666
「帝国海軍の陰謀(若櫻木健)」が近いかと。
アイヌ人工作員が彼女らを「誘拐」して、沿海州にアムール帝国を建国…。

霧島那智な人達の中ではよいできかと。
672世界@名無史さん:03/12/31 15:25
if日本の近代化が失敗したら

迫りくる薩長連合軍に対し、徳川幕府は徹底抗戦を表明、ロッシュ公使を通じてナポレオン・フランスに軍事援助を要請した。
これを受け薩長側も、朝廷を何とか説き伏せて英国の援助を受けるようにした。
英仏は日本の頭上で折衝し、日本の分割植民地化まで話をまとめた後、日本の内戦を長引かせて利権を吸い取り合うことで妥協する。
こうして日本は、悲願の近代化を遂げることなく10数年間の凄惨な内戦に膨大な資金・人員を投じることになってしまう。
結局、普仏戦争の敗北によりフランスが手を引くことで薩長側が勝利することになったが、
もはや英国の植民地化というとりかえのつかない事態を迎えていた。
数年後に旧武士階級が英国の保護下にあった皇室を持ち出しての大規模な反乱が起こったが、英国軍の圧倒的な火力、
またいまだ絶えなかった武士階級間の地域感情・階級的対立により反乱は鎮圧され、2000年の歴史を持つ皇室は廃絶されることとなった。
ロシアの樺太・千島・蝦夷占領、米国の伊豆諸島領有といったつまみ食いもあった。
ロシアは対馬にも何度か食指を伸ばしたが、イギリスはこれを断固として拒絶、
また津軽海峡のロシア軍艦船通行に対しても制限を課し、ロシアの南下を防ごうとする。
英国はやがて、対馬海峡を封鎖する戦略のために朝鮮国にも開国要求を行った。
しかし朝鮮の宗主国である清国はこれを中華に対する侮辱、またアヘン戦争の復讐戦ととらえて宣戦を布告した。
この清・朝鮮対英国という構図をとった第一次極東戦争は、(朝鮮半島を舞台に陸上戦が主体になったこともアヘン戦争とはいくらか異なるが)
こともあろうに英国が撤退を強いられると言う、世界最強国の事実上の敗北という結果を招く。
英国は敗因を陸上兵力の不足と判断、インドのセポイに習い、日本人傭兵をイギリス軍の部隊として編成することにした。
再び行われた第二次極東戦争では、日本人部隊、旧武士階級の子弟で構成された部隊が活躍を見せ、清・朝に対し圧倒的な勝利を収めた。
敗北した清・朝鮮両国はたちまちに列強の植民地化の洗礼を受け、こうして東アジア諸国は19世紀末以来数十年にわたる暗黒の植民地時代を送ることになった
その決定的な引き金が東アジア諸国の一員であるべき日本人傭兵の活躍にあるというのはまったくの歴史の皮肉である。。。
673世界@名無史さん:03/12/31 19:07
ウホッ続きお願い。イギリスに対するレジスタンスとか独立戦争とかなったら萌える。
674別の板でもやったが:04/01/01 09:16
創価学会が幕末にできていたら世界の歴史はかわってると思う
多分大正には公明党政権ができ、いまごろは欧米もこーせんるふしてるとおもうのですが。
675世界@名無史さん:04/01/02 16:40
創価学会はね、池田以降と池田前で完全に違う組織だから、もしも幕末に現在の形に
進化していたら(元々は法華講)、池田が付け入る隙が無くて、もっと健全な団体になってたと思うよ。
676世界@名無史さん:04/01/03 02:50
ええじゃないか人口を信者に取り込み、世直しメシアニズム色を強めて巨大化するとかw
677世界@名無史さん:04/01/03 13:56
if日本が近代化に失敗してイギリスあたりに半植民地化されたら
日本を獲得したイギリスは朝鮮の保護国化、清からの領土割譲(台湾等)、遼東半島租借、なども成果とした。
そして満州に勢力を伸ばしていたロシアとの対立を深めた。
津軽海峡、朝満国境から中央アジア、ペルシアに至る英露の勢力争い、いわゆるグレート・ゲームは一触即発の雰囲気を漂わせていた。
英露が争えば漁夫の利を狙うのがフランス、そしてプロイセン改めドイツ帝国である。
彼らは英露の対立を煽るため、分が少ない方であるロシアの立場に立った政策が多くなった。
しかし独墺はロシアとバルカン半島で争い、独仏もまたアルザス・ロレーヌ問題を抱えていた。
列強間の亀裂はますます深くなっていったが、決定的対立をもたらすにはいたらず、世界は運命の1914年を迎えた。
このとき英仏協商、露仏同盟は結ばれていたが英露協商はたびたびの外交努力も実を結ばず成立していなかった。
しかし現実の必要性から戦争中に三国協商が締結された。
開戦後、陸上戦では西部戦線は膠着状態、東部戦線はドイツの圧倒的優勢となった。
一方海上戦では一気に勝利をつけるべく、英露の連合艦隊がドイツ艦隊を急襲した。(当然日露戦争などなかったため露太平洋艦隊もバルチック艦隊も健在)
ドイツ艦隊はわずかに通商破壊艦が逃れたに過ぎず、主力艦隊は艦隊決戦に敗北して全滅の憂き目に遭ってしまった。
そして英露連合艦隊は圧倒的な海上優勢の元、海上封鎖作戦、港湾都市の戦略艦砲射撃を行い……ドイツの戦時経済は数ヶ月にして崩壊、
陸上戦においてもドイツ軍の士気の低下を招いてドイツ帝国の敗北となった。
この機を逃さず参戦したイタリアの力もあり、オーストリア・ハンガリーも敗北を認め、いまだ余力を残していたオスマン・トルコ帝国は連合国の袋叩きにあった。
1915年初頭に開かれたヴェルサイユ講和会議では独墺の条件付講和が結ばれ、また最後まで抵抗したトルコは英仏露列強に蚕食されることになった。
しかし新たな火種はオーストリアで起こった。
ルーマニアやセルビア、イタリア等にむざむざと領土を削られた二重帝国政府をまずハンガリーが見限り、
チェコ、スロバキアといった諸民族も独立を宣言したのだ。
678世界@名無史さん:04/01/03 15:55
アメリゴヴェスプッチ
679ふるさとはオリーブとうどんの地:04/01/03 22:22
日本は英仏に分割統治される
韓国はロシアの植民地
中国は列強が分割
故郷は西日本の親藩だったので
ウチの姓は英語でかいてフランス読み
おれはジャンジャックウシャダなんて名だっただろうな
680ふるさとはオリーブとうどんの地:04/01/03 22:23
それは明治維新に日本が失敗したときのお話
681世界@名無史さん:04/01/03 22:24
>677
単に、近代日本の役割をイギリスに押し付けただけじゃねーか。
682世界@名無史さん:04/01/03 23:00
何を言おうと、書いたという事実が大切。

条件を変えるケーススタディとはそーゆーもんだ。
683世界@名無史さん:04/01/03 23:44
(日露戦争当時)世界第二位とも言われたロシア海軍が健在であっても、第一次世界大戦の戦況に役立つとは思えないのだが……。
684世界@名無史さん:04/01/04 00:38
第一次世界大戦が欧州だけにとどまるならば、艦砲射撃で席捲した可能性はあるけどな>ロシア海軍
685世界@名無史さん:04/01/29 18:33
あのまま第一次大戦後も露・墺・土大帝国が続いていたら面白そうだったろうな・・・
686世界@名無史さん:04/01/29 22:30
黒海北岸の穀倉地帯を手中に収めんとアウグストゥスは20万のローマ軍を東へ進軍させた・・・
「皇帝が東へ向かえば死ぬ」と予言したイエスの首には新征服地・ダキアの領主の懸賞が懸けられた。
スキティアの地でローマ将兵を待っていたのは黄金の山でも豊穣なる大地でもなく
焦土と化した荒野と破壊され尽くした街の残骸とローマ植民者の惨殺死体であった・・・
史上最大最悪と言われたローマとスキタイの攻防戦の幕開けである・・・
687世界@名無史さん:04/02/15 12:40
sage
688世界@名無史さん:04/02/16 09:32
>696
史実ではサルマタイも滅んだ後になるっけ?
まあいいとしよう、続き進めてちょ
689世界@名無史さん:04/03/13 15:46
hage
690世界@名無史さん:04/03/25 20:37
秀吉が、堺商人の助言等でもう少し国際感覚を身につけていたら。

秀吉はイスパニアと手を結び、対明戦争を開始した。
西国の大名を主力とする日本軍はイスパニアの輸送船によるピストン輸送で東シナ海を横断した。
イスパニアの新兵器と新戦術、日本の人的資源を有機的に活用した連合軍は快進撃、南京を陥落せしめる。
しかし相次ぐ中国人民のゲリラ的活動、明軍の物量作戦によりそこが攻勢限界点となった。
しばしこう着状態が続いた後、講和条約を結ぶことになった。
すなわち日西両軍の明国土からの撤退、日西明の限定貿易の開始、日西両国が明、朝鮮の幾つかの港湾都市で租界を持つことなどであった。
これは血を流して領土を勝ち得た、という認識がある武将達にとっては不満のあるものだった。
しかしこれは本国での事態の急変(無敵艦隊の敗北)という急報が届いたイスパニア代表の意向によって締結された。
かくして秀吉の対明戦争は一応の(政治的)目的は果たしたが、国内の(国際情勢をわきまえない)武将達からは不満の多い結果となった。
そして勝手に明国と外交を行った、ということで朝廷の対秀吉感情も険悪なものとなった。
691山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/25 23:26
一応述べておくと
天下統一→1590年 朝鮮出兵→1592年 無敵艦隊敗北→1588年
692世界@名無史さん:04/03/30 06:28
とある個人の流転<1>

以下に述べる物語は全ては電波と片付けられるかもしれないし、全てが真実かもしれない。
全ては、あと数百年経たないと分からないことである。

1.温暖化・海面上昇した世界

私は、その世界では、日本連邦九州府の実家で豊前神楽を教えていた。
 残念ながら、其の時点で海面上昇によって多くの国々が海中に没し、東京もまた、海面下に消えていた。
そんな中、私は自らの長年の夢を実現した。

時空ドライブの開発。

早速私は、全世界に連絡をとり、「ダメで元々、イチかバチかにかけて、この絶望的な世界を変えてみよう」と
時空ドライブを始動した。

<2>  終わる銀河系
私が次に目が覚めたのは、1984年〜5年頃の、首吊り死体の前だった。
 私はピンときた。
私の居た歴史の流れでは、目の前に居る自殺体=幼い頃によく面倒を見てくれた女性は自殺などしていない。
私は時空実験に失敗したのだと悟った。

時間実験に失敗して、多くの人間の意識が時間を遡行して過去の時間の流れにある、平行世界の自分の身体
に宿る。
これは何と不幸な事だろうか。

この世界では、核戦争が起きた。
第三次世界大戦である。
この世界では私は、軍に捕まって幾つかの精神に引き裂かれた挙句、千々に細分化されながら多くの世界へと
旅立つ羽目になった。
693世界@名無史さん:04/03/30 06:44
<2>の終わる銀河系の世界と<2>の内の世の世界は別の世界だった・・・
終わる銀河系・・・銀河が収縮を始めるか何かで、人類は地球ごと移住する事になった・・・
すして、私達は、どうしても、時空ドライブを必要とした。

私は、迷わず、再び、知識を掻き集め、思い出し、スイッチを,入れた。
そして、先に述べたような経路を辿り、また別の世界へと出たのである。
694世界@名無史さん:04/03/30 06:44
<3>
共和日本

次に目が覚めたのは、自殺身体の前ではなく、廃墟の中を爆弾を積んで走るワゴン車の中だった。
今は17歳、か・・・私は中学5年生。
そして、ここはアメリカを打ち破った独ソによって圧制がしかれている日本。

この世界では男女別学だったために、今居る世界では初恋の女が目の前に居ても、風貌が本来の美しさ
を保っている・・・茶色になど染めては居ない黒髪をみて・・・逆に心が痛んだ。

私達は・・・中学5年生全員と教員、そして、女学校生徒の最高学年の者たちが、殺され陵辱され、消された。
その仇を取ろう・・・全てが最早何も無かった。

周りは完全に焼けの原で何も残っていない。
アメリカも、欧州も、そして、日本や大陸も。
695世界@名無史さん:04/03/30 06:48
アメリカよりも先に原爆を実用化させた、独ソはやりたい放題だった・・・で、私達は、まさに最期の最期の
特攻をしかけるべく、小倉にあるソ連軍司令部に、女学校の生徒会長を献上するという言う名目で、自爆攻撃
をやりに行っている最中だった。

・・・しかし、私は、こともあろうに乗り物酔いしてしまい、女学校の生徒会長に道端で背中をさすられている始末だ。
情けない。
・・・目が合った。意識が離れていく。
どうやら、今回はまったく関係の無い、本流とは遠い世界だったようだ・・・彼等がどうなったのか・・私にもはや
知る術は、ない。
・・・そして、目が覚めると、またおなじみの自殺体だ。

これから,覚えている限り、あと2度は同じ風景を見ることになるのだが,何度見てもなれない。
確かに、この幼児である私の同位体が精神崩壊を起こすのも分かる・・・が、
ここで一つの問題が起きた。
 今まで通り過ぎていった、そして頭の痛くなることに、私には覚えの無い多くの私が
この幼児の精神の中に混在している事に気づいたのだ。
 いわゆる、多重人格状態となったわけだ。
さて・・・あと、3つの世界について述べて、私の話を終わろう。
696世界@名無史さん:04/03/30 06:49
<4>スゥェディッシュ大公イエヤス・公子ノブヤスを守って
    日本列島が信長によって切り取りペーストされてスカンジナビア半島と融合してしまった世界

<5>
ときをわたるものたち

について、大まかに述べて終わろう。では、また。
697世界@名無史さん:04/03/30 07:15
>654
関係ないこと書くな。
698名無し:04/03/30 20:14
>>690
漏れ的にはこうなりまつ。
【大明征伐】
  文禄元年の初夏、十隻の大型帆船が平戸の港を出港した。
船団は無数の和船を従えシナ海を西へと向かう。
先頭の船にはイエズス会の東インド巡察使ヴァリニアーノと小西行長であった。
第二船団の旗艦には平戸の松浦隆信がポルトガルの軍事顧問と乗っていた。
  これこそは日本とポルトガルとの連合艦隊であった。

これをさかのぼる事5年前、豊臣秀吉はイエズス会の日本準管区長でもあった
パードレ(神父)コエリヨと筥崎神社で引見した。
コエリヨは単なるパードレという立場を超えてポルトガルとイスパニアの利益を
代表する立場にあった。

  かつて信長が大陸出兵を意図していたことはイエズス会のフロイスに打ち
明けていた、秀吉は天下統一を目前に信長の遺志である明と朝鮮への出兵計画
を実行するつもりでいたのだ。

  その為の海軍を求めたのだ。大航海時代の到来で西洋諸国は外航用船舶の
造船技術を飛躍的に発達させていて、1600tの巨船マードレ・デ・ゼウス号も登場
していた。
帆柱の数も15世紀の末には1本から3本に増え、帆も三段に張られ横帆の他に
三角帆が取り付けられている。
  それだけの造船技術は日本にはなく、ポルトガル、イスパニアもその技術は
日本に教えないようにつとめていた。
  秀吉はあえて大型船の売却を求めた、その交換条件として提示したのは
明でのカソリック布教の自由化であった。
699名無し:04/03/30 20:16
  良いタイミングで、ポルトガルとイスパニアも明の征服計画は真剣に検討
しており、秀吉もその計画は察知していたようだ。
    イスパニアはマニラを、ポルトガルはマカオを根拠地として激しく鍔迫り合い
を演じていたが、国王は同じフェリペU世であり、
イエズス会の日本布教長を努めたカブラルは天正12年に国王宛の書簡で
「シナ全土には青銅の弾丸は一つなく」征服がいかに容易で実りが大きいか
を縷々として述べてもいた。
「キリスト教や陛下にとって、大きな利益、名声、及び名誉が期待されるこの
 偉大な王国(明)を征服するのに、それほどの経費や武器は必要とはしません。
 なぜなら私の考えでは、この征服事業を行うのに、最初は7千人多くても1万人
 の軍隊と適当な規模の軍隊で十分でしょう。」


700名無し:04/03/30 20:17
  その裏事情はイエズス会の東インド巡察使ヴァリアチーノは手紙の中で日本は
最初の発見者であるポルトガルの征服圏に属すると解釈している旨述べているが
日本は信じがたい事に鉄砲で針鼠のように武装していた。
日本の軍事征服は不可能であるとヴァリアチーノが改めて報告、これによって明
の征服計画が浮かび上がっていたのだ。

  マニラのフィリピン総督ディエゴ・ロンキーニョが国王宛に
「陛下がこのような重要な遠征を断行されるなら8千人のスペイン兵と十隻ないし
 十二隻のガレオン船からなる艦隊で十分であります」
と進言していた。
しかし問題となる8千人の兵力を本国から回航するということであった。
  殖民地ネーデルランドの新教徒、イングランドとの戦いにより兵を割く余力が
なかったのだ。

このような背景に熱心なキリシタンでもあった小西行長が秀吉の大明征伐と
考え合わせて裏工作をした成果であった。
小西行長自身が秀吉側のつまり日本の立場にいたか、イスパニア、ポルトガル
の報じるキリスト布教の十字軍の側にいたかは歴史の謎であったが。
701名無し:04/03/30 20:18
  既に筥崎神社の引見の2年前に秀吉は大阪城でコエリヨと会見した際、
大型船二隻を船員付きで売却する事を要請していた。
日本と明の兵力を相争わせ漁夫の利を企てたのか、コエリヨは秀吉の要請
に応じて大型船二隻を供与した。
  秀吉はただちに平戸、塩飽、伊勢の水軍の船大工に命じて同型船の建造
を急がせた。
朝鮮半島出兵は朝鮮側の拒絶にあっていた、本来ならば朝鮮を窈窕したい
秀吉ではあったが、イスパニア、ポルトガルの狙いは明にある以上彼等の
立場を考慮する必要があったし、外航用の船がある以上朝鮮を経由する
必要がない。 
艦隊は直接に、ポルトガルの大陸拠点がある寧波に向かった。

  
  寧波に橋頭堡を設け、沿岸警備はマカオとマニラから来援したポルトガル  
とイスパニアの軍艦に委ね、艦隊は平戸と寧波のピストン運動を繰り返す。
往復が二週間と推定して1回の輸送兵力が5千人として1万人以上の兵力を
整えるのに1ヶ月かかる計算になる。
  戦いになれ事に火力ではアジアでは冠絶していた日本軍ではあった。
但し主たる火力は火縄銃であるから、明が大軍を催して来攻した場合
1万人や2万人の兵力で応戦できたかは疑問であった。
  なにしろ場所は朝鮮ではなく首都南京の近くである。
明軍の規模も意気込みも違ってくる。
702名無し:04/03/30 20:18
ポルトガル、イスパニアの白人たちは日本を救援する以前に自らの命を守る 
その為に艦砲を陸揚げし、これを野戦に用いる方法を日本人に教えざるを
得なかった。
艦砲を馬匹に曳かせて山野を騎兵とともに疾駆させるのである。
野戦砲兵のこの戦術は、15世紀末にフランスのシャルル8世によって考案
され、フランスでは140門の野砲をもってイタリアの野を席巻していた。

  この技術は秀吉麾下の西国大名が明の地で身に付けた。
これによって明の南京を陥落寸前に追い込むことになる。
  無論明全土の支配など不可能であった。
秀吉は明の中華皇帝と対等と立場で講和するという日本史上初の快挙を
成し遂げることは出来て面目は保った。
若干の港湾の支配と白人の要求するカソリック布教の公許を取り付ける。


また対明戦争とその過程で軍備、特に外洋海軍力の著しい増強が開始され、
陸軍兵力の火力・機動力の増強、それに合わせた組織の改編とが急ピッチ
で進んだ。
  この軍備の急速な増強の最大の副産物は、大型船建造のノウハウが
民間に流出し、流通経済の高速化巨大化を招く。
そして軍拡の為の巨大な軍需産業が整備され、その周辺産業の著しい
発展をも促し、高度な手工業といった国内産業の基礎となった。

  この未曾有の軍需景気と副産物は、その後の日本を更なる海外交易
と海外への膨張を決定つけたといってよい。
703名無し:04/03/30 20:19
  対外的には日本商人の躍進がイスパニア、ポルトガルを圧迫して日本
とのトラブルが多発。
貿易上の利害も絡んで衝突を余儀なくされる。
明はこの気に日本とイスパニア、ポルトガルの分離を図るべく画策、
  既に造船技術を得た日本はポルトガルが独占していたゴア−明−日本
間の三角貿易に乗り出してもいた。
主要な商品はベンガルの絹と、明の茶と陶器、日本の金銀や米や雑貨で
あった。
  豊臣政権による大胆な海外進出の雰囲気を捉え、ネーデルランドは極東
戦略の後退をも視野に入れていた。
ところが慶長の役にともなう国内の混乱と長期にわたる内需拡大、国内体制
固めへの専念により、ネーデルランドは強気の戦略に一転しつつあった。

  この後もネーデルランドは長らく徳川に親しむ風が強かった。この背景には
ネーデルランドが、
「イスパニア等の布教と貿易をセットにしキリシタンの力で国を乗っ取る」という
宣伝に対し、もっとも激しく反応したのが徳川家であった事、
徳川家だけは豊臣日本と方針を異にして、鎖国の道を歩んでいった事実から
彼等が徳川に何を期待していたか推察できる。
704名無し:04/03/30 20:22
【関が原の合戦】  
  マカオ、マニラとの衝突に備えるべくまだ未開の島・高砂(台湾)への
防衛拠点の設置が課題に上る。
  この際日明戦争で独断専行が目立った加藤清正を賞罰あわせる意味で
高砂探題として配置させ、先の連合艦隊や明との交渉で縦横無尽の活躍
を見せた小西行長そして強兵振りを見せ付けた島津に肥後を分与した。
発言権の増大した小西行長が、政権内に自分の立場を示すべく誇示した
ものがあった。他国との衝突や戦を経験した以上、海上防備の必要性は
不可欠であった。
かつて織田軍団が毛利の水軍を打ち破った鉄張り装甲艦を歴史の中より
甦らせたのだ。
全部で六隻に及ぶ鉄張り装甲艦が大阪湾に常駐され、その指揮権は行長
に任されたのだった。
705名無し:04/03/30 20:23
  さて先の大明征伐では旧時代的な領土は殆ど得られなかった。出兵を
負担した諸侯への恩賞は自ずから異なる内容が求められた。
対外国貿易の利益や蓄積を分与する他はない。
  当然参陣した諸侯は、外国との交渉や衝突、貿易や西洋の文物へ
接する事が否応なく求められていたし、新しい時代への変化の風を感じる
機会ともなった。
  既に秀吉は耄碌していたがまだ若い豊臣秀次を輔弼して石田三成ら
豊臣系ピュ−ロクラートは、戦争の成果を生かし、貿易通商機構の整備に
よる経済掌握による政権確立と都市を基盤にした中央集権化を目指す事
になる。
豊臣政権では大きな封土を持つ巨大外様大名がゴロゴロしていて土地に
基盤を持つ米経済では成り立たないのだから当然の判断であったろう。
706名無し:04/03/30 20:24
  諸侯が戦争の恩賞として貿易の分け前を得たり生かすためには必然的
に港湾を整備して内航船や外航船の往来を促したり、都市と都市の流通
ネットワークを整え商人資本と結びつかねばならない。
  農村部における生産活動にも換金を目的としたモノが現れたり、それを
材料とする加工業も盛んになり、都市と農村の交流も活発化する。
金銀は豊臣家に掌握されている以上、対外貿易や全国市場に相手する為
の殖産興業、産業育成が諸侯の分国でも奨励されていく。

  当然、土地に農民を縛り付けておく事は不可能になり、封建的土地所有
関係は崩壊し、年貢に頼る旧式な封建領主は没落していく傾向が顕著と
なる。
農村に割拠する旧い大名は狭く小さな存在にならざるを得なかった。
  この中で唯一取り残された大名があった。徳川家康であった。
徳川家は戦争に参加する事もなく、貿易もなく、関東の開発も途上であったし
貨幣経済も発達していなかった。
徳川家は三河以来の保守的で、あくまでも封建的な土地所有関係を守り
古臭い主従関係に固執していた。
三河武士は、器用で頭の切り替えが早く打算的な商人を嫌い、頑固である
事を美徳としていた。
707名無し:04/03/30 20:25
  家康は旧式な農村大名の代表であった。
およそ彼ほどに、この風潮を苦々しく思っていた人物はいなかったであろう。
秀吉没後に秀吉の遺命に背く諸侯との私婚を行い、独断による論功行賞
を図りと派閥工作を露骨に行い、周囲の顰蹙を買ったのは周知の通りで
あろう。
  おそらく日本がポルトガルとの連合艦隊を組まなかったら、海路を明に
向かわず朝鮮を経由していれば、いや対外戦争が失敗していたら
徳川家康は最大の実力者として、天下取りも為し得たかもしれない。
  秀次はまだ若い事もあって天下の政務は伏見城で徳川家康が代行し
前田利家は秀頼を補佐して大阪に滞在させ、両者の均衡を齎し秀次に
京都から仲裁をさせていく。
これが秀吉が考えた天下構想であったが、思わぬ混乱に見舞われていく。

  思わぬ混乱を起こした要因は内覧豊臣秀次の重病と前田利家の死去
であった。
鶴松元服までの代役と言うこともあって秀次は関白の職責から一歩引いて
内覧の職についており、関白が不在の状況にあったのである。
  当時国内で最も大きな勢力を持っていたのは徳川家康であったが、
彼と同格の諸侯・前田利家突然の病没であった。
折悪しく太閤秀吉没後、体調を崩していた関白秀次も精力的に活動する
どころか、混乱に拍車をかけるだけの存在になっていた。
  これで家康を抑える事が難しくなっていた。
  ここに偶然と必然から豊臣政権は弱点を露呈していく。
つまり尾張・清洲系と近江系の、武断・武勲派と文治・吏僚派の対立が
急速に悪化していくのだ。
708名無し:04/03/30 20:26
  徳川家康がこの期に行動を起こしたのは、時が経つほど豊臣政権が
作り上げた組織が、交易による利で膨れ上がり、それに応じて軍事力が
強化され、官僚制度も安定して、自らの天下取りも遠のくと考えたからだ。
関東での地固めに懸命で、大明征伐には参加していなかったが それを
なし得た豊臣政権の財力と軍事力については正しく評価もし、それゆえ
恐怖していた。
まして家康の天下への影響力と実力は急速に薄らいでいた。彼自身の
年齢もあった。
  およそ五大老のうちで明との戦争に参加していない唯一の人物であり、
戦後の貿易利潤に基ずいた新体制造りに全く関与すらしていない唯一の
人物であった。
五大老で浮き上がり、まして諸侯と切り離され伏見に置かれ、家康の
孤立無援は明白であった。
徳川家康の拠って立つ力といえば、
  関東250万余石の大封土は西国諸侯にとっては別段一目置く程の脅威
とするに値しない。海軍力と交易網という強みが皆無であったからだ。
  三河以来の結束を誇る軍事力であるが
西国諸侯は野砲の運用に熟達し外航用の大型船を持っていたのに対し
国内に残留していた徳川家だけはそれを知らない。
野戦の雄といわれた家康だが、新しい戦術に適応するのには歳をとりすぎ
ていた。
  まして貨幣経済や流通経済といったものにもっとも後ろ向きな家風は
到底天下の衆望を集め得なかった。
  例え家康が彼らに追いつこうと切歯扼腕したとしても家臣がなじもうと
しないのは明白であった。
他の諸侯のように対外戦争への参加や、その恩賞の確保の為として強引
にでも協力させる手段も使えない。
昔ながらの農本経営に執着し時代遅れになっていくのを見守るしかなかった。

 
709名無し:04/03/30 20:27
  ただそれを認識していたのは徳川家では、家康と彼の参謀である
本多正信のみであったのだが。
これでは家康が謀反を決意したのは至極当然であったろう。

  旧時代的な武将連を炊きつけ石田三成の暗殺をそそのかした際も三成
は佐竹義宣に助けられた上に、海運・外交担当で大老格の小西行長と
大老の宇喜多秀家によって武将達は処断されたし、
  前田利家の死去に際して起きた家康暗殺疑獄でも、家康が前田征伐を
強行するなら考えがあると他の大老は一喝。湾内の鉄張り軍艦は家康に
無言の圧力を、他の大老には心強い後ろ楯となっていた。

  ちょうど会津に帰国して領国整備に余念のない蒲生氏郷に武装の難癖
を付け諸侯に蒲生征伐を訴えて軍の動員を求めた。
家康は乾坤一擲の大勝負に打って出たのだ。
  豊臣家の裁可を淀殿に嘆願し受けたものの、三成以下の奉行衆に
参陣する諸侯は各人の良識による志願に限るよう制約。
  この背景には淀殿の妹が家康の嗣子秀忠の嫁となっており、彼女が
秀頼の後見を家康に頼む雰囲気があったからだ。
710名無し:04/03/30 20:28
  もはや家康に手は残されていなかった。
無理やり蒲生を討伐し伊達をはじめ奥羽と繋がり割拠する他に手はなかった。
  だが実の所、伊達政宗は明の寧波に参陣し、最新かつ最高レベルの文化
と技術に触れて以来、松島港に仙台港を開き、港と一体の大城郭を松島に
建設し、進取の気風に溢れた伊達王国建設に邁進していた。
家康の蜂起を自分の国力を育てる為の時間稼ぎにしか考えていなかった。

中世的志向を持つ保守的な人物であった家康は、同じく封建的割拠傾向
を持つ武断派地方大名を積極的に取り込み東軍となったというのが通説
だが実際の有力大名の状況はどうであったのだろう。
711名無し:04/03/30 20:29
  当時高砂(台湾)都督なっていた加藤清正は三成はじめ奉行衆を快く
思っておらず武断派武将と親しかったのにも関わらず西軍に協力を図った。
  対外戦争の経験と高砂の現地経営への腐心は清正をして封建的傾向
の強い東軍に付くより、近代的な官僚制度を持つ豊臣奉行衆の西軍に
協力するという選択をさせた。
  西軍への協力の証拠として清正の管轄下にあった博多に待機していた
緊急展開用の機動兵団と水軍を拠出している。
後の東軍鎮圧にも積極的に活動もしている。
もはや彼には農業を中心とした近世的封建態勢に興味がなかったという
事だった。

  黒田長政は家康に合流を迷ったが父・如水の諌めで参加を見合わせ
九州で割拠の機会を窺う事になった。
  細川忠興も微妙な立場であった。家康に親しむところも多かったが
秀次とも親しく、そして三成ら奉行衆とは仲がよくなかったとも言う。
父である細川幽斎と話し合った上で中立の姿勢を見せていた前田利長と
行動を共にしていく。

  小早川秀秋は家康に与力の暁には
「上方に二カ国の上、豊臣家当主として関白に推挙する旨」申し入れたが
ものの動向は明らかではなかった。
712名無し:04/03/30 20:31
  毛利家では吉川広家が三成や恵瓊憎さに家康に与すべく策動したが
他の老臣が家康不利と見て同意せず、独断で本多や伊井に書簡を送る
事になる。

  島津では当主義弘と前当主で兄の義久が二頭体制で古臭い状況に
あった。
義弘は上方との交誼に役立つ伊集院一族を擁護し、守旧派の義久はこれ
を処断しようとしていたなど好例であろう。対明戦争では活躍したが家中の
統制の必要性は感じたところであろう。
病床についた秀次が義弘に命じた書状、この関白の書簡こそ家康が誼を
通じた義久の存在で島津家攪乱を図った策を無意味にする秘策であり
秀次が三成に送った心づくしであった。
島津家では大胆な家中改革が強引に進められ義久が大阪常番を示唆
された。

  福島正則は武断派諸侯の頭目的存在であり親豊臣ではあったが家康 
に組した。同床異夢といったところだろうか?
福島正則の参加は大きかった・・しかし徳川家康が催した軍であるのに
東軍は正則の私兵の如き有様となり東軍総大将が2人いるに等しい状況
にあった。
713名無し:04/03/30 20:33
  関東に向かった東軍の動向を見て三成以下は西軍として決起する。
ここに戦国最後の大戦が始まった。
大阪城留守居役は大老・毛利輝元に一任し、西軍総大将は小西行長に
副将は宇喜多秀家になった。
なぜ行長が大将となったかと言うと彼の持つ豊臣海軍の動員の為であった。

謀反人扱いされたまま関東に篭もるのは自殺行為だった。
もはや関東と徳川家の後進性はそこまで危機的状況になっていたのだ。
  家康は長男である結城秀康を会津の蒲生氏郷に、次男秀忠の妻子を
越後の上杉景勝に差し出し、奥州の伊達政宗に忠輝を人質に差し出し、
屈辱的な土下座外交で関東不可侵の約束を交わした後に西に向かい
進んだ。
蒲生、上杉、伊達を相互に疑心暗鬼に陥らせ一丸となって関東に乱入
する事を抑える策であった。
714名無し:04/03/30 20:34
  戦は流石に野戦上手な家康だけあって長駆、関が原にもつれ込む。
ともかく京洛に行く、これしか徳川の生き延びる道はなかった。
そして家康の率いる東軍の軍勢と三成や宇喜多秀家らの西軍の軍勢
は関が原での野戦にもつれ込んでいた。
関が原の合戦は東西五分五分で勝敗を決しかねていた。

 ここに歴史の大いなる謎がある。東軍は布陣でも数の上でも劣勢なのに
なぜ関が原での野戦に持ち込んだのか?である。
  この時家康が松尾山城に後詰をしていた小早川秀秋に向け鉄砲隊を
乱射させたと言う。
まだ交戦もしていない軍に鉄砲を仕掛けた真意は歴史の謎とされている。
あるいは家康が秀秋の内応に一縷の望みをかけて行ったとも言われる。
  吉川広家が不戦の密約を承諾していたからだとも言われる。
715名無し:04/03/30 20:36
  慶長の役の序盤である関が原の合戦は、ここに西軍の圧倒的勝利、
東軍の地すべり的な敗北となる。

  しかし戦いはまだ続いていた。無傷の福島正則がいた。家康は彼の
立場と発言力がこれ以上増えることそして二頭体制の問題から正則を
岐阜城に後詰としていたのだ。家康は関東へ敗走する。
 東海道には無傷の東軍が要所要所に立て篭もる。
東海道戦争は福島正則が大将となりゲリラ戦を展開、容易には前に進ま
せない。
行長の海軍による攻撃も山野に篭もっての抵抗戦には、その効果を発揮
しない。
江戸は海軍の攻撃により役に立たない。
息も絶え絶えの徳川家は本多忠勝、伊井直政が「今講和すれば大老は
罷免するが領地は安堵する」という吉川広家の申し入れを信じ降伏を受諾
江戸城を開城する。
この後も福島正則は東軍を束ね西軍との必死の条件闘争を展開していく。
この戦火が耐えるのに1年を必要とした。

戦後の処分は福島正則以下の東軍は寸土の捨扶持のみ許される過酷な
処断であった。
彼等には対外戦争で異国に土着しうる国造りをさせる、これが西軍での
考えであった。剣呑な武力を持った不満分子を国内に置く事など考慮の
余地はなかった。

  そして彼らよりも情けない状況に置かれたのは徳川家であった。
徳川家に下された処断は相模・伊豆二ヶ国に封ずというものであった。
この期に及んで家康や彼の謀臣本多正信は、降伏受諾を吉川広家に申し入れた
際に領国安堵を確約していたとして激しく抗議する。
  江戸城接収の任に当たった毛利秀元は、そのような約束事は吉川広家の
独断であり毛利輝元の署名すらない空手形だと弁明する。
716名無し:04/03/30 20:38
  結局の所、家康秀忠父子は苛酷な処分を受け入れる。
かつて小牧長久手の戦で故太閤秀吉を一戦とはいえ打ち負かし、大政所を
人質に受けて秀吉の下座の礼すら受けた稀代の武将も、時代遅れの田舎侍
であったと分析できる。
東軍をまともに束ねきれず、まして名目的な総大将が西軍に内応の二股をかけ
領土が安堵などという約束を信じて福島正則以下の東軍与力が戦の最中だと
いうのに勝手な講和まで交わしていたのである。

当時の資料から史家の中には
「毛利輝元は銀で瀬戸内海に橋をかけて上洛するが、家康は米で街道を
  造り上洛する」
「前田利家と衆望を二分しており五大老は家康と利家の均衡であった」
などと評価されている事をあげつらい、徳川家康は天下を取りえたというIFを
唱える輩がいる。

  が・・あえて断言するが、万一対明戦争が失敗に終わったとしても家康の
天下はないと思われる。
蒲生氏郷も言っているが家康は吝嗇で衆望を担うに値しない。
彼の関が原までの戦を見ても東軍の主導権すら福島正則に半ば奪われ
戦では天下や味方ではなく徳川の御家のみ大事の考えを露骨にしているが
このような心根で平和な天下を確立できはしなかったろう。
  伊達政宗や福島正則に足元を見られ、吉川広家の子供騙しに飛びつく稚拙
な謀臣正信しか知恵のある側近がいないのでは、関が原で大勝利をしたとして
早晩大阪を追われ、三日天下に終り戦国乱世が再燃した危険性すらある。
717名無し:04/03/30 20:44
やぱーり無理ありますか?(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル
まあ一応妄想込みってことで。(藁
前半は大明征伐を無理やり成功させて
後半は関ヶ原のパロです。
続きはいりませんよね・?
718世界@名無史さん:04/03/30 20:45
<4>スゥェディッシュ大公イエヤス・公子ノブヤスを守って
    日本列島が信長によって切り取りペーストされてスカンジナビア半島と融合してしまった世界

さて・・・「幼児」はその後、20年にわたり自覚が無いままに過ごし、記憶も薄れていた。
そして、全てを思い出したとき、一時的に発狂し、再び「私」が日の目を見ることとなった。

その後、この世界では1999〜2001年にかけてのラゴウ星という凶兆の星の接近に伴う
運命の戦いが、人知れず行われた。
 それは、全平行世界、全時間帯を舞台とする、決闘。
ありとあらゆる時代に跳び、一対の男女が戦う。
終わるのは、止めを刺すか、(あるいは愛し合うか。これは果たされる事は無かった)相打ちするか。

今まで数千年にわたり、決着がつかなかったこの戦いに、2001年、遂に決着がついた。

・・・私は、時空の流刑者として、その戦いを見ることが出来たが、それは、あまりかかわりのないことだ。

・・・そして,その中で、「私」だけが切り離されて、とある山の中に飛ばされた。
ご本山である。
その力の源であり決して動かぬ座主は女性。
白い装束に身を包む。その彼女の深い藍色の目と会ったと同時に、私は・・・
719世界@名無史さん:04/03/30 21:00
次の瞬間に、洋風の神殿調の建物の中に居た。
そして、これまた洋風の王座に座るのは、日本の着物に身を包んだ若き侍であった。

「おぉ、そなたが、「ゆき」殿の申しておった「えーじぇんと」であるか。」

私は、何故か、そこが何者かによって,日本という存在が二重に存在するものの、住民がスカンジナビア半島の
もの達とそっくり入れ替わっている、特異な状況にあることを知った。

そういえば、私、こと「幼児」は根来忍者の子孫の家系に当たるので、「エージェント」に選ばれても不思議ではない、
と思うことにして話を聞くことにした。

「さて、貴殿に頼みたいのは、そちらの世界では既に亡くなっておるノブヤスが、この世界では生きておる。
我が子ノブヤスは、この世界にとり非常に重要な人物。是非、ジェノヴァまで、警護していただきたい。」

ここで、初めて私は目の前に居る人物が松平家康であることに気づいた。
信長や秀吉の居ないスカンジナビア=日本についての詳しい情報は与えられていないので分からないが・・・ 
面白そうだと思ったので、引き受けた・・・しかし、だ。道中の記憶は消されてしまった。

しかし、任務達成のご褒美なのか、別れ際の記憶は残してもらえたので、その旨を
話して終わりにしよう。
720世界@名無史さん:04/03/30 21:29
さて・・・どこまで話したか・・・肉体年齢は数えで25歳だが、実際には何度もループを繰り返しているだけに
精神的には既に累積で150年は生きているものでね・・・・

そうそう、ノブヤスとの別れだったかな。
あれは聡明な・・・今で言えば、「奇跡のような清純派カリスマアイドル」と言った印象だったかな。
さて・・・そんな彼に帰り際に言ったのさ。
「・・・さて、ここでお別れだわ。(何故か女性の身体を与えられてた。)」
 そうしたら、あの子、いや、あのお方はぞくぞくするような深くてまっすぐな瞳でこちらを見据えて言ったよ。
「そなたは来ないのか?寂しくなるな」と。

仮の姿とはいえ、こういう人物に仕えられて幸せだった、と思いながら、私は彼にペンダントを渡したのさ。
「・・・そう。でも・・・ここでお別れよ。これを・・・ペンダントよ。これをかけていれば、きっと、またエージェントが
助けてくれるわ。」
 そのペンダントは・・・誰かの像のついたエメラルドブローチのようなものだったか、大きくて丸い鉱石だったか
・・・それは定かではない。
 そして、私は、船を漕ぎ出し・・・ノブヤスがその後何を成し、どう死んだか、私には知る術も無く・・・

また、自殺体を見た。
・・そして更に20年が経過し、今ここにいる。
 皮肉な事に、今回の「流刑」では、理系能力の一切が失われた。
・・・更に、恐ろしい事に、簡単な計算すらできない。
もはや、時空ドライブを作る事は無いだろう。

今まで多くの世界を駆け抜けてきた。
歴史の流れは一定ではなく、世の中の闇の深奥には因果律さえ覆す連中すら居る。

しかし・・・もう十分だ。今度こそ、天寿を全うしたい・・・・「歴史のやり直し」は、人生に対する冒涜なのだ、と
最近やっと気づいた・・・
(完)
721とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/01 21:21
>>717
基本的にこのスレは「突っ込み無し」ですから。

ちょと「展開」が早い気もします。
…荒巻義雄の「猿飛佐助」似ているような。
722世界@名無史さん:04/04/01 23:10
>面白そうだと思ったので、引き受けた・・・しかし、だ。道中の記憶は消されてしまった。

妙にリアルですね。
語りたがりの多いこのスレでは逆に目立ちますね。
723世界@名無史さん:04/04/15 01:20
構想
歴史の改変はほとんど行わず、第一次世界大戦の開戦理由だけを変える。

で、ハーグ密使事件を韓国じゃなくて、ベトナムにする。
ベトナム正史を軽く挙げた後に、数十年速くベトナム戦争に突入。

作家とかがベトナムについたら、共産主義以外に、どう転ぶか、等などを練ってるところ。
724世界@名無史さん:04/04/16 18:02
韓国の歴史教科書はほとんど妄想で架空って言うけど本当?
725世界@名無史さん:04/04/23 20:12
>717
面白かったッス!続きがあるなら読みたい。
726世界@名無史さん:04/05/06 00:16
>>724
檀君半万年
727カトー:04/05/06 00:24
>>725どうもです。698-717にカキコした名無しです。
南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら で
名前を書いてくれと言われましたので過去に使ったカトーの名
を復活させました。
そして続きですか。
最近このスレが沈滞のようなのでカキコします。期待はしないでください。
DQN炸裂しまくりですから(藁
728カトー:04/05/06 00:27
  この慶長の役で面白い特色は、東軍を代表した武威、衆望共に天下に
並びなきカリスマ徳川家康が
家康ほどの突出した武将が不在のいわば烏合の衆の西軍に、
まして代表しているのは性格に圭角が多くはなはだ不人気な石田三成に
この戦争に負けた事である。
戦歴や戦争経過を見るに付け東軍が勝てた要素は無くはない。
  結局の所は家康が破れたのは西軍にではなく、時代の流れに負けた
といえなくもない。
この戦争は戦国最後の梟雄である家康と言う個人と
豊臣政権というシステムとの戦いであったというのが正しいであろう。
 徳川家康は図らずも師とした武田信玄と同じ運命を辿ったのである。

  この一連の戦乱の影響は、それまで燻っていた政権内の内訌を一掃し、
これまで戦国時代をリードしてきた武断派と呼ばれる大名が政治権力を失い
反対に文治派という近代官僚的性格の強い大名が勢力を拡大した。
前近代的な地方割拠志向を求める地方武将の抵抗も大きく削減され
戦後には教訓を生かし豊臣家直属兵団という常備軍の設立も果たした。
戦国時代が目に見える形で終息を迎えたのであった。
729カトー:04/05/06 00:30
  慶長の役と日本全土の混乱が収拾すると、石田三成や長束正家など
豊臣の新興経済官僚は
官僚制の整備による中央政治制度の完成、交易独占の強化による富の
一層の集中、巨大な経済力を背景に常備軍の整備と強化
が推進されていったのだった。

  慶長の役が一応の終息を見た後、淀殿が秀頼を残し大阪城を退去した。
詳細は不明であるが、一説には、淀殿が家康に気脈を通じ増田長盛に
家康への書状を交わさせていたなどの憶測を呼んだ。
淀殿が何故、大阪城を退去したのか?それは今もって謎とされる。
730カトー:04/05/06 00:31
【海外雄飛】
  豊臣秀吉が天下を統一した頃から堺、博多、京都、長崎の商人たちが
盛んに東南アジア諸国に貿易船を送るようになり、
慶長の戦が終り、天下が確かなものとなってから急速に増大し始める。
  当時の豊臣政権は東アジア諸国に平和通交の新書を送り、朱印船によ
る交易を展開していく。

  最初のうちは北は高砂(台湾)からマカオ、インドシナ半島の安南(ベトナム)
東京(トンキン:ベトナム北部)、コーチシナ、カンボジャ、シャムなどの他ルソン
ボルネオなど数十箇所に分散していたが、それらは次第に整理され
コーチシナ、カンボジャ、シャム、高砂(台湾)からマカオなどに集中していく。
というのも最初は単調な往復商いであったのが、日本人の拠点となる恒常的
なベースキャンプができ、そこに現地駐在員である手代が常駐するように
なったからだ。
  船が帰国すると駐在員は奥地に商品の買い付けに行ったり販促ルートの
拡大に向かう。
あらかじめ生産者に手付金を渡し「先物買い」の約束をしたり、技術指導をし
収穫量を上げる努力をしている。
  その結果、多いところで三千人、少なくとも二、三百人の日本人町が東
東南アジア各地に出現していた。
  こういう日本商人の活動は、軍艦と大砲で脅かし、砦を築いて植民地化
を図る武力本位のやり方ではなく、じつに平和的に、合理的な経済活動を
行う事で、西ヨーロッパと五分か、それ以上の力関係において圧倒し、有利に
東アジア市場を制圧しつつあった。
731カトー:04/05/06 00:33
  これが元和年間の状況であった。
これに国家的な保護育成と奨励をすれば、貿易と商業活動の利益のみならず
豊臣家は東アジア最大かつ最強の絶対君主に成長する事も可能であった。
  もし万一徳川家康が勝っていたら、当分は別にしても秀忠、家光の蝦夷地
での施策を見るに付け、(笑うなかれ)日本全体が鎖国令とやらの愚策の
災禍にあったかもしれない。
  しかし豊臣家は直轄地が(その米の取れ高が)最盛期の徳川家より
低く、それを蔵入地として各地の大名に委託していた。
貿易の齎す財力を裏づけに火砲の力と軍事力を巨大化していく以外にない。
  しかも対南蛮貿易や対明貿易は日本の独占に近くなり、これで得られる
富強は計り知れない。
当時の日本は間違いなく世界一の富裕国であったろう。


732カトー:04/05/06 00:34
豊臣政権は施策として各地に港を開き、その港は豊臣政権の直轄支配地
とし豊臣家の指定した港以外では対外貿易を禁止する事を明確化
豊臣家の許可した朱印貿易船のみを積極的に東アジア各地に送り出した。
これにより諸国の大名が直接貿易を行う意味合いをなくしつつ、各地の良港
に貿易船を積極的に送り出すようにした。
貿易港は全て政権の直轄とし、貿易の集中管理、独占支配を行うのは当然
であった。

勿論全国の主要都市を直轄支配とするの相変わらずだが、商業活動を
活発にし都市が巨大化する中で、諸国の大名は事実上その影響下に
置かれていく。
例えば島津氏は対琉球貿易がドル箱となっていたが、その意味合いが
薄れ明や南蛮との交易が豊臣家のルートに誘引されていく状況の中
琉球の旨みを失い、島津氏は屋台骨が傾いていく事になる。
つまり闘わずして諸侯の弱体化が起きたのだ。
733カトー:04/05/06 00:34
豊臣政権は施策として各地に港を開き、その港は豊臣政権の直轄支配地
とし豊臣家の指定した港以外では対外貿易を禁止する事を明確化
豊臣家の許可した朱印貿易船のみを積極的に東アジア各地に送り出した。
これにより諸国の大名が直接貿易を行う意味合いをなくしつつ、各地の良港
に貿易船を積極的に送り出すようにした。
貿易港は全て政権の直轄とし、貿易の集中管理、独占支配を行うのは当然
であった。

勿論全国の主要都市を直轄支配とするの相変わらずだが、商業活動を
活発にし都市が巨大化する中で、諸国の大名は事実上その影響下に
置かれていく。

例えば島津氏は対琉球貿易がドル箱となっていたが、その意味合いが
薄れ明や南蛮との交易が豊臣家のルートに誘引されていく状況の中
琉球の旨みを失い、島津氏は屋台骨が傾いていく事になる。
つまり闘わずして諸侯の弱体化が起きたのだ。
734カトー:04/05/06 00:35
  徳川家康の起こした慶長戦争が日本の海外進出や発展を遅らせて
一時的に西洋諸国に利した事実は疑いない。
しかし何の成果もなかったかと言えばそうでもない。
家康の独断専行は豊臣家の軍制や大老職の有り方を変える契機となった。
  即ち「方面軍体制」の原型が登場したのである。

東海道担当=石田三成
北陸担当  =前田利政  
南海道担当=小早川秀包
中山道担当=真田昌幸
東山道担当=佐竹義宣
中国路担当=毛利秀元
九州担当  =立花宗茂
奥州担当  =直江兼続

735カトー:04/05/06 00:36
彼等を探題とし各管区の諸侯や在地武士団の統括や仲裁を行わせた。
諸侯は妻子の大阪集住や1年おきの参勤交代が徹底され、城代家老や
土着の武家を諸侯不在の間に取り仕切るものだ。
当初は反発や抵抗があったこの制度であるが、諸侯単位での財政が
度重なる天下普請(街道や河川工事など)と参勤交代での費用の圧迫
で疲弊するにつけ役目は変わり
各地の土着武士団は中堅テクノクラートとして行政を担い、彼等の任免
や転勤を宗主が行うようになっていく。
  諸侯が実際に版籍奉還を行い宮廷貴族化するのは豊臣秀頼の孫の代
を待たねばならなかったが。
宗主の管轄する方面軍がそのまま道となり
各地の武士団が城や館単位で地方を治めるのが藩という
こうして道藩制度が確立し汎日本的な国家が具体化する事になった。

地方政治に直接介入していく遣り方は豊臣秀吉が関白太政大臣として
各大名の領内に蔵入地(直轄地)を置き、あるいは重臣に直接官位を授与
したりしていた。
これを大胆かつ大幅に実践したと言えよう。
736カトー:04/05/06 00:37
  朱印貿易船に乗った日本商人たちは、ポルトガルやイスパニア、イング
ランド、ネーデルランドなどの西ヨーロッパ諸国と競合・競争しながら
次第に優勢な地位を占めるようになる。
  東・東南アジアの貿易はことごとく日本人の独占され、ヨーロッパ人は
その手を借りないと買い付けもできなくなっていた。
日本から持ち込まれた銀と銅銭が東アジア世界での国際通貨となり定着すら
していた。
  こうした状況で元和6年オランダがイングランドと連署して豊臣家に
イスパニアの植民地経営を非難する「上申書」を提出
豊臣家が最も懸念していたキリシタン問題に触れた書簡は物議をかもし
真剣に鎖国が検討されかけたぐらいである。
  
  が結局の所、慶長の戦が終り、諸国に溢れた浪人たちを海軍に組織し
南洋日本人町の保護にあてる方針に変わりはなかった。
南洋日本人町には日本の海軍基地が置かれ、朱印貿易船の護衛や町を
警護する。
737カトー:04/05/06 00:38
元和9年の「アンボイナ事件」こそはそういったときに起こった事件であった。
事態を重く見た政権では直ちに艦隊を派遣、アンボイナ砦のみならず各地の
オランダ砦、更にはバタビアの総督府を陥落させ、マレー半島から東に
オランダ砦が一掃されるまで攻勢は続けられた。
  この教訓を元に「南洋総督府」が置かれ特別な統括官庁として南洋日本
人町などの陸地の支配を中心とし、豊臣政権とは半ば独立した行政機関
となった。
そしてその支配下に強力な海軍を置いた。
今後貿易ルートが東アジア海からインド洋まで延びることを考慮したもの
であった。
既に台湾では加藤清正が砂糖や鹿革を独占的に長崎に売り、手にした
金と銅をイングランド人に売り、イングランド人はインドでそれを売るという
連係プレーで、東アジア海とインド洋が一体化していくようになっていた。
  実に豊臣政権が東アジア世界に進出し、日本と南洋世界、中国大陸
を結ぶ交易網を造るの自然の流れであった。
ピークに達していた朱印貿易船の活躍
南洋日本人町の発展
中国人鄭芝龍・鄭成功父子の親日本感情
シャム。ソンタヤ国王の友好的態度
高いレベルの造船技術、その他の加工技術力
燃え立つ南方進出の国民的エネルギー
それらの自然に成長する力、溢れ出るエネルギーは日本の海外雄飛が
不可避の流れである事を証明していた。
738カトー:04/05/06 00:39
  諸侯は軍事力の牙を抜かれヨーロッパの絶対王政下の貴族のように
宮廷官僚化する趨勢にあった日本は「日本版絶対王政」形成の内乱も
静まり世情も安定したころ
秀頼の後を継いだ関白秀国(幼名国松)の元に
急使が届く。鄭芝龍の命を受けた武将、周崔之からの書状で
満州に起こった後金国が北京を占拠したというものだ。
鄭芝龍は福建地方の海賊の大頭目で南シナ海を制圧する軍閥に成り上がり
明も黙視できず彼を海将としていたのだ。
日本では直ちに国内の浪人10万を動員、福建沿岸に大艦隊を集結して
支援する。
国姓爺合戦であった。
この戦争は明を支援するのは名目であり、日本の真意としては少なくとも
福建地方沿岸だけでも日本商圏に取り込む事にあった。
中国南部は北部と違い流通経済が発達していたのも魅力的であった。
739カトー:04/05/06 00:40
鄭芝龍・鄭成功父子の本国福建廈門(アモイ)には「仁・義・礼・智・信」と
名づけた五件の問屋があり、浙江杭州には「木・火・土・金・水」と名づけた
五件の問屋があった。
既にとおく南方の島々と明そして日本をつなぐ三角貿易を独力でつくり
大陸内の絹織物と生糸の産地を全て掌握、ほとんどの唐船をも支配していた。
そして彼は反ネーデルランドであり、非常な日本贔屓でもあった。
彼等との同盟・連携関係は
東アジア海と中国大陸、日本を結ぶ大デルタゾーンを形成する事となる。
貿易事業は飛躍的に拡大していく。
  元和年間から寛永年間にかけて、日本の貿易構造は「材料を輸入し
加工品を輸出する」という形に変化しつつあったからだ。
   当時の輸出入品目を見ると、東南アジアから衣服の原料となる
糸や織物、獣皮、魚皮のほか香木、薬草などの天然産原料か半製品を
輸入し、
銀と銅銭などの貨幣商品の他、銅、鉄、硫黄などの鉱産物、樟脳、麦粉
などの食料品、そして雑貨や工芸品などど加工品を輸出していたのである。

  商品の種類は変わっても、貿易構造は現代と同じ「原料輸入・製品輸出」
型になりつつあった。
こうなると膨大な需要が見込める。
これが日本の近代への萌芽であり、日本から産業革命が起きる要因とも
なった。
740カトー:04/05/06 00:40
まだ日本が広く、日本国内にも開拓開墾の余地があった時代に対外通商
の為は兎も角、蝦夷地、高砂、ルソンにと大規模な入植が敢行されたのは
慶長戦争で敗れた東軍処分の為であった。
がそれ以外キリシタン対策と言う問題を秘めていた。

まだまだ日本での全国統一市場の確立や各地域の殖産興業、産業振興を
進め、又農本経営的な開拓、新田開発、開墾事業を振興する余地もあり
内需拡大を要した時期にあって必要な人手を大勢海外に放出した事は
日本一国としては大きな痛手といえた。
しかし時代は大航海時代であり、さしもの日本もその流れには逆らえはし
なかった。
741カトー:04/05/06 00:43
少し時を遡る・・・
【日本国王】
  豊臣家は天皇家を輔弼する関白太政大臣という立場に立ち、古代からの
律令制官位に戦国の武将大名を就任させ朝廷権威を活用して武家の序列に
生かしていた。
つまり従来の武家政治に朝廷権威を密着させていた。
形式的な律令制秩序に戦国武将の序列をさせるというのは画期的なアイデア
ではあったが、やがて時代の要請にそぐわなくなるのは止むを得ない事で
あった。
  江戸に置いて関東経営を任されたのは名目的には大老・宇喜多秀家
であった。
とはいえ彼の統治能力、指導に不安があり大阪での豊臣家の補佐という
大命もあった。
蒲生氏郷は徳川家と縁戚であった上、上杉と伊達との不毛な睨み合いに
拘泥し関東侵攻が遅れた。
佐竹義宣は中途半端に家中の親徳川派の動静に足をとられてしまった。
  ここで齢8歳となったばかりの御拾(鶴松の弟)を奉じて三成ら奉行が
選んだ官僚団が送られ、家康が徳川家の力だけで遂行してきた江戸建設
を大規模な天下普請として遂行していく。
  これは長らく敵地であった関東の民心慰撫と大規模な公共事業により
内需拡大を、そして東国ではまだ未発達な流通経済を整備していくという
様々な目的があった。
742カトー:04/05/06 00:45
  慶長10年ようやく元服した鶴松が関白太政大臣に就任。
鶴松は秀利となった。
  小早川秀秋は豊臣家に戻り筑前豊臣家、豊臣秀次は尾張名古屋にて
尾張豊臣家、そして江戸に下向した御拾(後の秀頼)は江戸豊臣家として
正式に豊臣御三家の制度が整えられた。
血縁の少なさを補う制度としてこの後長く有効に機能していくこととなる。
  江戸での大規模な普請事業そして東海道整備は徳川家にとって領内を
仮想敵である豊臣家に曝け出すに等しい行為であった。
  これは徳川への挑発に等しいとする意見も出始めた。
政権内の対徳川強硬派の挑発行為は確かにあった。
  その反対に御拾(秀頼)について付家老となった片桐且元に代表される
江戸家臣は徳川同情派が多かったし、亡き豊太閤秀吉の遺言にもあった
家康の初孫千姫と鶴松か御拾に娶らせるという約束は江戸豊臣家の
御拾(秀頼)で果たされた。
  江戸城建築には関ヶ原合戦以後は手のひらを返したように西軍に降った
藤堂高虎が普請奉行を務めた。
彼はその後も多くの近世的城砦建築を残している。
関東には徳川寄りの風潮があったのは確かであった。
これが徳川家への対処の甘さに繋がったとも思われる。
743カトー:04/05/06 00:46
  そして再編途上の豊臣政権は余りにすべき事がありすぎたのだ。
地方政治など眼が行き届かないことがおおすぎた。
警戒すべき徳川にも杜撰な対応が目立ってきた。
そこを家康につけこまれ彼の勢力拡大を許すようになってしまった。

  豊臣家が巨大な経済力を背景にして常備軍を整備して言ったのは
前にも述べたが関ケ原合戦後大量に発生した浪人を職業軍人として
金銭契約で数万の単位で雇用し能力に合致した役職に就け、武断派大名の
空いた穴をふさぐため、新たな豊臣家臣団として軍事集団を形成していった。
  浪人を新たな武装集団として再編成するための組織造りと教育に時間が
かかっていた。
まだ徳川と豊臣双方は戦う時ではなかった。
徳川家は関東250万石から相模、伊豆二州10万石にまで激減してしまって
いた。
長男秀康はもとから豊臣びいきであり結城家の家督を継いでいた。
父・家康について好感情を持っておらず、熱心に江戸豊臣家の後見をして
一朝事あったときに協力など仰げない。
忠輝も岳父・伊達政宗や豊臣秀頼との親交が厚く徳川本家の味方を頼む
に足りる相手ではなかった。
このままでは徳川家は解体していくのは時間の問題であった。
家康は自分の寿命を推し量って自分亡き後の徳川の命運に暗澹たる思い
を抱いていた。
744カトー:04/05/06 00:48
  慶長13年御拾が元服、豊臣秀頼となり権大納言従三位となる。
そして慶長16年 徳川家康は江戸城を訪ね豊臣秀頼と会見する。
これが家康の最後の謀反への決意を固めたとも言われる。
あわよくば江戸豊臣家の事実上の乗っ取りを考えていたのが
秀頼の思ってもみない成長ぶりと器量そしてやがて自分の後を襲う秀忠の
器量を比べ、寧ろ徳川家の脅威だと認識したと言うのだ。
  ついに大阪は徳川の取る行動を激しく非難し事実上の改易を命令した。
これは経済力、軍事力の圧倒的優位を確信しているが故の高圧的態度で
あるとともに、単に徳川氏の封じ込めもしくは殲滅を図るだけでなく、国内
安定の一挙解決を図る狙いがあった。
今までなんとかしのいできた家康も一か八かの賭けにでる事を決意する。
豊臣の侵攻軍を撃破し、その勢いと混乱を利用してもう一度戦国時代を
再来させ、その中での再起を図ろうとしたのだ。
まずは天皇をないがしろにしているので打倒しなければならないと全国に
檄を飛ばし、反豊臣勢力を結集しようとした。
これに、一部の大名達や、豊臣常備軍による徴兵で減少したとはいえ、
国内に残っていた浪人を始め、関ケ原などで敗退し滅ぼされた元大名、
豪族や武士達が多数参集した。また、それまでに徳川家に恩のあった
いくつかの遠方の有力者に、豊臣政権に非協力的であるよう働きかけも
積極的に行われた。
745カトー:04/05/06 00:49
慶長19年冬、江戸に大火災が発生この混乱で足並みの乱れた江戸を攻略
そして箱根前面の富士川攻防戦、つまり徳川側が得意とする野戦で開始。
ここでの戦いに思わぬ敗退を喫した豊臣軍は、この戦いに日和見をした
地方諸侯たちの出遅れなどが原因で進撃が遅れ、またこれを見た諸大名の
中で豊臣政権に恨みのある幾つかが徳川陣営に付き、本拠地小田原には
十万人を越える軍勢が集結する事となった。
更には徳川方による数万の軍勢を用い甲州街道への積極的な侵攻が行われ、
甲州一円が徳川側の手に落ちる事になった。
冬ということで日本海側や奥州の諸侯が動けない事もあり、
その深刻度合いを増していった。
この不測の事態に豊臣政権は、豊臣秀頼が総大将となり諸将の動揺を沈め、
動揺が広がりつつあった全国の諸大名に激を飛ばしさらなる動員を命令
する事で対応
豊臣軍団の主力と西国大名の連合軍は尾張名古屋に参集した。
  その30万とも言われる大軍団は日本国内の内戦だったとは言え、
豊臣政権の国力を見せ付ける何よりの証拠だった。
この時代にあって、これだけの大軍、しかも極度に火力装備がなされた
近代的な軍団を編成できる国は世界のどこにも無かった。
この戦力は、当時の全欧州のそれを完全に圧倒するとさえ言われており、
これ以上の軍事力を持つ国は巨大な領土と人口を擁する明帝国しか存在
しなかった。
しかも明は、その巨体と後進性ゆえ軍備の近代化は日本ほど進展して
いなかった。
そして完全な三兵編成(騎兵、砲兵、歩兵)が取られた豊臣軍団の大半が
職業軍人による常備軍だった。
つまり、当時の豊臣軍団は文字通り世界最強の軍隊(陸軍)だと言えるだろう。
746カトー:04/05/06 00:51
  圧倒的戦力を東海道と中山道に分けて進軍させ、徳川軍を圧倒的火力
と機動力でねじ伏せると、その勢いのまま関東地方へとなだれ込んだ。
もちろん北国からもそれぞれ数万の大軍が同時侵攻を行っており
海外から召集した大艦隊も海を埋めつくした。
  最後の山場となる小田原篭城戦は、太閤の小田原征伐を彷彿とさせ
見た目にも戦国時代が終焉した事を全ての人に感じさせるものがあった。
  徳川家康を始めとする一党の最後の詳細は、包囲軍に所属する強大
な砲兵部隊による間断ない砲撃によって炎上する城での切腹や
死に際を求め激しい剣劇を見せた事が伝わっており
軍記物に彩を添え、また様々な文献・絵巻物が時代の節目であった事を
伝えている。
747カトー:04/05/06 00:52
  ここで余り目立たないが見るべき所として征夷大将軍に島津豊久が
就いている。
無論幕府なる制度も史上二度と現れない。
この戦いは戦国の終わりであると同時に、幕府という武家政権の終り
でもあったのだ。
そしてその背景には関白を中心とした日本式宮廷儀礼を重んじた平安朝
以来の官位秩序の見直しになっていく。
この戦で公家の一部が徳川優位の戦況に、家康に将軍就任させるという
工作をしていた事実が発覚したのだ。
天皇が豊臣家の要請に関わらず徳川征伐の勅許を出さなかった事実も
あった。
既に朝廷では豊臣家の突出した海外との交誼、独断の多い外交に不快感
を見せていたのだ。
承久の乱・建武親政以来の主上御謀反という声すら上がっていた。
  天皇家はローマ教皇のような精神的な権威であり、立場は日本国の
祭祀権に限られるとし象徴としての立場にする。
そのような本来なら不敬に当たる行為を断固として実行できた背景には
豊臣の強大だけでなく、このような天下の静謐に反した利敵行為に走った
事実を挙げておかねばならない。
  天皇から関白太政大臣豊臣秀利にあて天下の総覧,大権を譲渡する
所謂『大政禅譲』が行われた。
以降豊臣宗家は「日本国王」の号を宣する事になった。
  小田原で最期を遂げたのは徳川家康と松平忠吉であったが、皮肉にも
廃嫡されていた秀忠は命ながらえている。彼と徳川の一党には蝦夷地転封
という処断が降った。
とはいえその後の蝦夷地開拓では徳川家の功績は大であろう。
一旦土地に根を張ったら梃子でも動かない、頑固なまでの土着的な農兵
集団である三河武士は、蝦夷地を開墾し必死に自給自足の生活を送り
後の北海道の礎となる。
748カトー:04/05/06 00:54
>>726とりあえず漏れが用意してた続きはここまででつ。
これ以上は続けるか迷ってます。
749世界@名無史さん:04/05/06 01:09
いっそ続けて500まで・・・というか500までいかずに次スレに行った方が良いかも。

次スレ
《《 熱く書け!架空の歴史。パート2 》》
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034585045/
750カトー:04/05/06 01:10
↑ごめんなさい>>725ですた。
751カトー:04/05/08 00:22
【大覚醒時代】 ナドハ
“ソ連邦の大崩壊”後のロシアは、依然としてアメリカと並ぶ二大軍事的
超大国ではあるが、経済的には世界の三流国に転落し、その国際的地位
は低下している。
  ロシアでは伝統的に西欧志向が強く、モスクワに比重があった。
シベリアは自然人口減退と過疎化に悩まされ続けた。
環太平洋圏の勃興にあわせアメリカや東アジア諸国の資本を導入し
シベリア開発に利用しようと図るが巧くいかない。
既に旧ソ連の中央アジア諸国ではソビエト化の為に政策的に送り込まれた
ロシア人移民は同化して埋没するか、ロシア本土に追い立てられつつあった。
  やがてロシアですらタジク人、ウズベク人、カザフ人、その他のムスレム
民族が、支配階級であるロシア人より多くの子供を生んだ。
華人やタタールの出生率がロシア人を圧倒し追い越した。
  EUで内部調整に力を取られロシアに期待と不安に満ちた目を注ぐ
欧州との絆は不信と期待の狭間で揺れ、
台頭著しい中国初め東アジア諸国、新たに自信と活力を取り戻した南部
国境沿いのイスラム諸共和国や更に南方のイスラム教国との絆は否応もなく
次第に密接になっていった。
以降、ロシアでは突然の断絶も血なまぐさい革命もなかったし分裂も起きは
しなかった。
モスクワはモスレムと黄河の大海に溺れ、苦笑いしつつ耐えるしかなく
そしてロシアそのものがムスリムやトルキスタンの民族に置き換わっていた。
  ロシア人はロシアで少数民族となり埋没し同化混血するか
辛うじて一部がEUへと流れ込んだ。
誰もが気がつかない内にロシアにおける比重と関心はヨーロッパではなく
シベリアやトルキスタンに移ってしまった。
752カトー:04/05/08 00:23
  チェチェンの紛争そのものが意味をなくした。ロシアから独立する以前に
ロシア自体が乗っ取られたのだ。

  20-21世紀、歴史上の偶然の巡り会わせから巨大な富がアラブ世界の
ものとなり、そしてイスラム教の革新運動が高まりを見せた。
富は地域紛争や貧富の格差、そして諸外国の介入や偏ったイスラム原理
主義思想のテロ行為を誘発もした。
  が、それにもかかわらずイスラム教は出生率の高さと改宗により年間
5000万人のペースで増加し、活力を見せていた。
結局、キリスト教や共産主義といった西洋の宗教が衰退に向かっていた
のは顕著であった。
  イスラムの新時代ナハドは、ムスレムに間で密やかに幾世紀もの間
予言され語られていたが、それが遂に現実となったとき、そこに働いた
歴史的な力は四つあった。
人口統計、石油、宗教的熱狂。
更に歴史的な偶然が働いた結果宇宙というフロンティアが見出された事。

753カトー:04/05/08 00:24
  最初に月そして火星に到着したのはアメリカであった。
だがアメリカは目的意識を見失い、宇宙を放棄した。
2003.9.11事件そしてアフガン、イラクへの相次ぐ介入、
そしてパレスチナ強硬派ハマスへの弾圧姿勢をとるイスラエルへの甘い
ダブルスタンダードの対応、
アメリカの紆余曲折は重力の井戸を突破するようなコストのかかる挑戦に
かける余力はなかったのだ。
  火星への最初の有人探査船は、アメリカはテキサスから離陸した。
最初の離陸は悲劇的な空中爆発をとげ、
一部に「アッラーの神が下された罰だ」と叫ばれた。
  そして2度目の離陸にはムスリムの乗組員が乗船していた。NASAでは
前回の事故をイスラム原理主義のテロと見て、この選抜をしたのでは?
との憶測も流れたが定かではない。
ともかくも、この二度目の挑戦は成功し、そしてアームストロングの名言と
並ぶ宇宙開発史上の至言を残した。
彼,アブーバクル大佐は、クルーの籤引きで火星に足跡を示す人類最初の
男となり、「ここもまた、アッラーの世界だ」と述べたのだ。
  もっともNASAでは「これは最初の足跡だが、最後の足跡ではない」
とのセリフを予定していたのだが、それを語る以前にこの言葉が出たのだ。
  このセリフこそそれから訪れるアッラーの世紀の到来を示していた。
754カトー:04/05/08 00:24
  最初に月そして火星に到着したのはアメリカであった。
だがアメリカは目的意識を見失い、宇宙を放棄した。
2003.9.11事件そしてアフガン、イラクへの相次ぐ介入、
そしてパレスチナ強硬派ハマスへの弾圧姿勢をとるイスラエルへの甘い
ダブルスタンダードの対応、
アメリカの紆余曲折は重力の井戸を突破するようなコストのかかる挑戦に
かける余力はなかったのだ。
  火星への最初の有人探査船は、アメリカはテキサスから離陸した。
最初の離陸は悲劇的な空中爆発をとげ、
一部に「アッラーの神が下された罰だ」と叫ばれた。
  そして2度目の離陸にはムスリムの乗組員が乗船していた。NASAでは
前回の事故をイスラム原理主義のテロと見て、この選抜をしたのでは?
との憶測も流れたが定かではない。
ともかくも、この二度目の挑戦は成功し、そしてアームストロングの名言と
並ぶ宇宙開発史上の至言を残した。
彼,アブーバクル大佐は、クルーの籤引きで火星に足跡を示す人類最初の
男となり、「ここもまた、アッラーの世界だ」と述べたのだ。
  もっともNASAでは「これは最初の足跡だが、最後の足跡ではない」
とのセリフを予定していたのだが、それを語る以前にこの言葉が出たのだ。
  このセリフこそそれから訪れるアッラーの世紀の到来を示していた。
755カトー:04/05/08 00:25
  これが低緯度地方に住む石油で豊かになったムスリムによるアメリカと
ヨーロッパの宇宙計画への投資熱となり、ソ連の遺産であったカザフの
バイコヌールでの宇宙計画にも及んだ。
やがて両者を占有したのであった。
  そしてアッラーが財布の紐を握り、議事日程を決定させるようになった。

人口統計では、先に述べたとおりロシアは旧ソ連中央アジア諸国に
送り込んだロシア系移民の保護に向うどころではなくなった。
ぐんぐん増加していくロシア国内のモスレム人口を引き留め、モスレムの
宗教指導者をロシアの権力構造の内部に抱え、新たに活力と自信を
取り戻した南部国境沿いの旧ソ連イスラム諸国を懐柔していく他なかった。

  イスラムの宇宙への進出は、西側への民間投資と、カザフスタンの
バイコヌール発射施設、日本の技術と投資で建設されたサウジ=イラン
共同発射施設を通しかなりの成果が上がり
一世代のうちに月、火星、、セレスにあった植民地や、木星以遠の宇宙
居住地はほとんどモスレムのものとなり、それから急激に発展し飛躍的な
成果を挙げた。
756カトー:04/05/08 00:26
  これが低緯度地方に住む石油で豊かになったムスリムによるアメリカと
ヨーロッパの宇宙計画への投資熱となり、ソ連の遺産であったカザフの
バイコヌールでの宇宙計画にも及んだ。
やがて両者を占有したのであった。
  そしてアッラーが財布の紐を握り、議事日程を決定させるようになった。

人口統計では、先に述べたとおりロシアは旧ソ連中央アジア諸国に
送り込んだロシア系移民の保護に向うどころではなくなった。
ぐんぐん増加していくロシア国内のモスレム人口を引き留め、モスレムの
宗教指導者をロシアの権力構造の内部に抱え、新たに活力と自信を
取り戻した南部国境沿いの旧ソ連イスラム諸国を懐柔していく他なかった。

  イスラムの宇宙への進出は、西側への民間投資と、カザフスタンの
バイコヌール発射施設、日本の技術と投資で建設されたサウジ=イラン
共同発射施設を通しかなりの成果が上がり
一世代のうちに月、火星、、セレスにあった植民地や、木星以遠の宇宙
居住地はほとんどモスレムのものとなり、それから急激に発展し飛躍的な
成果を挙げた。
757カトー:04/05/08 00:27
  地球上では人口統計の威力は遺憾なく発揮されていた。
徐々にある民族が別の民族に置き換わっていく。
これはロシアだけではない。イスラエルでも生じた。ただ単純にアラブ民族
の出生率が高かったのだ。
アラブ民族やパレスチナの民は、彼等の煽動的指導者が凄んだ様な
全面的聖戦に訴える必要はなかった。
イスラエルは妥当される事もなかった。ただ単純に、そしていつのまにか
イスラエル国民の多数派はパレスチナやアラブ民族にムスレムになって
いたのだ。
  人口増加の波は、北へ、東へ着々と広がっていった。
西洋諸国はモスレムの足掛りが、昔からどの程度の範囲に広がっている
のか気がつくのか遅すぎた。
  アルバニアには20世紀には人口の70%がムスレムであったがこれは
遠い昔のイスラムの侵略の遺産であり、これは他のバルカン諸国も少な
からずムスレム人口を抱えていた。
マホメットの帝国は西暦1683年にウィーンの城壁で阻止された。
  がかつて武力によるイスラムの膨張で成し遂げられなかった、
それは今回の平和的浸透の前に成し遂げられた。
758カトー
ドイツ、フランス、オランダその他の諸国は、それぞれかつての植民地から
“短期労働者ゲストワーカー”を輸入する習慣を持っていたが、
これら諸国に出稼ぎに出たゲストワーカーたちは、工夫を凝らして、その国
に居座る方法を編み出し、故郷から家族を呼び寄せた。
  例えば1990年の時点でオランダの人口の10%は、すでにモスレムであり
インドネシア人、スリナム人、トルコ人、モロッコ人、そしてパキスタン人だった。
  一旦彼等が労働組合を、風変わりな制度で牛耳るようになると、
彼等は更に、ゲストワーカーとその家族を呼び寄せた。
フランスで言えば、フランス国民はアルジェリア人を同化できなかった。
逆にフランスそのものがアルジェリアに吸収されてしまった。
イタリアはチュニジアとリビアを経由して、シシリーにも戻り、そこを拠点に
ブーツの形をしたイタリア全土に足掛りを作った。
スペインとポルトガルもまた、かつてコルドバ教主国であったように
ムーア人の国となった。
ドイツではトルコ人が幅を利かせ「ひさしを貸して母屋を取られる」の故事
を思い起こさせるようになった。
イギリスでは人口統計に加え俗物根性がちょっとした貢献をした。
既にイギリスはムスレムとは限らないがインド系が大きな割合を占めつつ
あった。