日本人どこから来たんだ?9

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1出土地不明
◆前スレ◆
日本人どこから来たんだ?8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1248834365/

◆重複スレ※白馬青牛と仲間達専用(隔離)スレ]◆
日本人どこから来たんだ?8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252749898/

◆過去本スレ◆
日本人どこから来たんだ?7
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1244083090/

日本人どこから来たんだ?6
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1237219924/menu931

日本人どこから来たんだ?5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1225715306/

日本人どこから来たんだ?4
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1217864779/

日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/

日本人どこから来たんだ?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1189633821/

日本人どこから来たんだ?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1165607012/

◆本スレ関連リンク◆
まとめサイト : http://taatanniji.blog99.fc2.com/

黒潮圏の考古学 : http://ao.jpn.org/kuroshio/index.html

ISOGG(英語) : http://www.isogg.org/

TripAtlas(英語) : http://tripatlas.com/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroups

Atlas of the Human Journey : https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
21:2009/09/13(日) 02:29:29 ID:EwF5NPnd
━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E ムキになって駄文荒らし   .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
3出土地不明:2009/09/13(日) 02:52:45 ID:cjGQmvzt
>>1
おっ、本スレですね。
スレ立て乙!
4出土地不明:2009/09/13(日) 03:40:14 ID:H/iHX+Kq
この際スレ、分けたら?
あっちはコテ専用ということで。
5出土地不明:2009/09/13(日) 04:03:40 ID:FRaJP5A1
古事記では淡路、阿波が最初だった
アワは倭、つまり最初四国徳島に邪馬台国があったんじゃ
6出土地不明:2009/09/13(日) 04:32:30 ID:HmWpOtcn
ここ最近ディスカバリーで見たNHKスペシャルをまとめると、
2万年ほど前にバイカル湖付近が寒すぎて樺太経由できた人たちが北海道まで到達。
1万2千年前に最寒冷期を向かえ、津軽海峡が渡れる様になったので南下。
一方最寒冷期までのインドネシア付近の島々はスンダランドとして大きな大陸になってたけど、
温暖化で陸地が激減。船の利用が増えて最終的に沖縄まで到達。
当時は黒潮の流れから九州には行けず。しかし流れが変化して九州に行けるようになり
九州南部に到達。9千5百年前の土器とプラントオパールから稗や粟なんかを栽培してた可能性
しかし3千年後に鬼界カルデラの噴火で九州南部は壊滅。
ただし高知県では北部から南下した人々と、南部から北上した人々の土器が一緒に発見された。
海洋民由来の土器は多摩ニュータウンの遺跡からも見つかっている。
こうして海を渡った人たちとシベリアから南下した人たちが融合して縄文人となったみたい。
ちなみに現代モデル30人の頭骨を調べたら、シベリア型27、朝鮮型1、中国型1、タイ型1。
沖縄で発見された頭骨は中国のものとは異なり、インドネシアのものと共通する型。

中国あたりが全ての起源みたいな主張をするとなんか腹が立つのはこういう歴史があるからかな。
朝鮮は知らん。
モデルの診断結果のとき、朝鮮型と診断されて「おめでとうw」と言われた人が滅茶苦茶微妙な顔してたw
7出土地不明:2009/09/13(日) 04:46:58 ID:HmWpOtcn
6の補足というか考察しておくと
津軽海峡は再寒冷期の冬季には凍結して渡れるようになったかも知れんが
対馬海峡は多少温暖なため、昔から渡るのが困難な海峡だった。
8出土地不明:2009/09/13(日) 15:12:45 ID:FN8++6gb
ちと、参考までに引用。

『1997年、種子島中種子町の立切遺跡の発掘調査では、約3万年前の火山灰の下層から、
焚火の跡(9ヵ所)や石蒸し料理施設(礫群2基)、ドングリなどの木の実を貯蔵したと考えられ
る土抗(1基)などが発見された。しかも石斧や磨石や台石などの生活道具(石器)も一ヵ所で
発見されている。--(中略)--氷河期であっても当時の種子島は日本列島の他の地域とは違って、
黒潮などの影響によって温暖な環境から豊かな森が存在していたことが推察される。そして、
その豊かな森に産する木の実などを採集して、食料としていたことが考えられるのである。』
---「南九州に栄えた縄文文化」 新東晃一著より一部抜粋

尚、南種子町でも、立切遺跡と同様な横峰遺跡があり、約3万1千年前の調理場
と思われる「礫群」が発見されている。
>>1の「黒潮圏の考古学」や山下町洞人などを思案しながら勘案すると面白いかと。
9出土地不明:2009/09/13(日) 16:15:07 ID:GrQuf9ka
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



10出土地不明:2009/09/13(日) 22:55:51 ID:tZ2s+78r
★日本最古と判明 横尾遺跡の建築部材

大分市横尾の横尾遺跡群(第八十二次調査)で見つかった縄文時代の建築部材は、市教委のその後の調査で
縄文前期初めから早期末にかけて、約六千年以上前の「日本最古」だったことが十五日までに分かった。
これまで国内で出土した最も古い建築部材は、同中期末の約四千年前で、それを二千年以上もさかのぼる。
市教委は「日本の建築史上、貴重な発見」として、さらに時代と部材について詳しく調べている。
建築部材は縄文後期初めのドングリ貯蔵穴のさらに1mほど下から見つかった。地層断面を詳しく調べたところ、
建築部材はアカホヤ火山灰の下から出土していた。アカホヤは、南九州の鬼界カルデラから約六千年前に噴出。
県内では縄文時代前期と早期にまたがる時代とされている。この結果、建築部材は前期初め(約六千年前)から、
早期末(約六千三百年前)の可能性が高くなったという。
加工された建築部材はこれまで、富山県小矢部市の桜町遺跡から出土した縄文中期末(約四千年前)が
「日本最古」とされていた。横尾遺跡の建築部材はそれを二千年以上さかのぼることになり、建築史の専門家
らも注目している。市教委は今後、火山灰の分析をする一方、時代を確定させる土器の発見に全力を挙げていく。
11出土地不明:2009/09/13(日) 23:05:48 ID:tZ2s+78r
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/yokoo.html
出土した建築部材は断面が正方形に加工された長さ三・八m、縦横十八cmほどの角材。「ほぞ穴」「めど穴」と呼ばれる丸い穴が、
確認できるだけで六カ所あった。原始・古代建築に詳しい東北芸術工科大学の宮本長二郎教授は「大型の高床建物の桁(けた)
部分ではないか」と話している。
建築部材は他の二つの木と一緒に、組み合わされた格好で出土。建物の部材として使われた後、水場の作業場の足固め(水場遺構)
として使われていたらしい。他の二つの木も、一部に石斧(せきふ)による加工跡があることから、部材の一部の可能性が出ている。
このほか姫島産の黒曜石の原石が、植物繊維で編んだかご、またはネットに入って見つかっている。
横尾遺跡は、縄文前期から後期にかけての横尾貝塚遺跡の隣接地にある。これまでに縄文後期初めのドングリ貯蔵穴八基と多量の土器、
石器が出土していた。
12出土地不明:2009/09/13(日) 23:19:29 ID:kh1iqNtP
竪穴式住居の建材が出た事が何か嬉しいの?
13XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/14(月) 00:56:24 ID:wiHD6h9o
>>1
あなたが黒潮さん(笑)ですか。
なぜ「日本人どこから来たんだ」のスレに関連するリンク先の
筆頭に黒潮の話が来るのですか?
恣意的なのがバレバレですよ。
それと“ナショヂオ”を出していますが、わたしの述べたポルィニーシャ人の話は、
それこそあの本のラピタ人特集の箇所に載っていますよ。
黒潮、つまりフィリピン諸島方面から日本方面への海伝いの影響は
証拠や信憑性が無さ過ぎです。多くの分野でです。
色々と思い込むのは自由ですが、空しくなりませんか?
昔の人々にとり、海は非常に大きな壁です。日本にYAPが残った事も
これが非常に大きいわけですし、目と鼻の先にある朝鮮半島等との
この点での大きな違いがある事も、この海峡が大きかったわけですよね?
アイヌが北海道で周囲と違う独自のものを保持できた事もこれが大きな
要因でしょう?あの樺太や青森とのわずかな海峡ですらそうなわけで。
ですからフィリピン方面から日本への海伝いなどまず考えられません。
いい加減に夢から醒めたほうが好いですよ。
以前にも述べましたがせいぜい沖縄辺りが台湾などとともに大陸と
繋がっていた時代の、大陸の海岸伝いに来た人々の影響が、沖縄や
一部本州などにあるだけですって。
海は大きいですって海は…。それこそ山以上でしょうよ。
YAPがそれを大いに証明していますよね?
しかも沖に進む海流に乗る事がどれだけ恐ろしい事か。
あなたも現在の宇宙開発の基本を知っていますよね‥‥。。
14出土地不明:2009/09/14(月) 01:24:09 ID:kysPeX6Y
自分のスレに戻れ。ストーカーみたいな奴らだな。工作員ども。
15出土地不明:2009/09/14(月) 01:28:26 ID:qfx8T9Kw
>>14
俺6,7なんだが最近見たテレビの内容伝えただけなので「共」に混ぜないでねw
16XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/14(月) 01:29:08 ID:wiHD6h9o
何が工作員ですか。
ハッタリは止して下さい。嘘は罪ですよ。
また合理的思考を持って下さい。
17出土地不明:2009/09/14(月) 01:58:08 ID:CF2auMc2
9500年前の話は南方人が九州南部にやって来たんじゃなくて、
むしろ九州南部人の方が台湾あたりの南方に行って交流した
だけだろうな。

沖縄に九州縄文人が流入した時期とも一致するし、
彼らは外来土器の壺型土器を祭祀用の宝器として使うのみで
日常土器にほとんど使っていないからだ。
18出土地不明:2009/09/14(月) 02:02:02 ID:CF2auMc2
>>16
どうせいつものワン人工作員なんだから気を付けれよw
19出土地不明:2009/09/14(月) 02:19:36 ID:h6ugL+f5
>>17
証拠を挙げて論じなさい。考古学に思いつきは不要。
20出土地不明:2009/09/14(月) 02:24:32 ID:qfx8T9Kw
>>17
流石にそれは苦しいんじゃないか?
海流的にも奇跡的なことが起こらないとたどり着けそうもないし。
沖縄で見つかった港川人のほうが古いし、同時期にリュウキュウジカなどの哺乳類が絶滅してる。
しかも九州の方が遥かに食物が豊かだった。
もし九州在来の人類がいたとしても、わざわざ文化を伝えられるほどの集団で命を懸ける必要が無いと思う。
沖縄は獲物が少なく港川人も度々飢餓に襲われていた。
命を懸ける必要があるのは沖縄の方じゃない?

っと思ったけど、九州西部から沖縄北部は強い海流もないし、当時は対馬海峡も狭かったから
東よりの流れは一度押し戻されるのかな?だとしたら交流も可能かな。
21出土地不明:2009/09/14(月) 02:59:13 ID:CF2auMc2
>>19
論拠がそこに書いてあるのが見えないか?


>>20
なぜそれが分かるのか。

それは沖縄からその当時の九州縄文土器が出土するからである。
22出土地不明:2009/09/14(月) 03:04:23 ID:LxTWYBq8
あのな、無理センで種子屋久までにしとけや
半島系にも云えるがな。
23出土地不明:2009/09/14(月) 11:59:03 ID:rPpNgY1H
★日本最古と判明 横尾遺跡の建築部材

大分市横尾の横尾遺跡群(第八十二次調査)で見つかった縄文時代の建築部材は、市教委のその後の調査で
縄文前期初めから早期末にかけて、約六千年以上前の「日本最古」だったことが十五日までに分かった。
これまで国内で出土した最も古い建築部材は、同中期末の約四千年前で、それを二千年以上もさかのぼる。
市教委は「日本の建築史上、貴重な発見」として、さらに時代と部材について詳しく調べている。
建築部材は縄文後期初めのドングリ貯蔵穴のさらに1mほど下から見つかった。地層断面を詳しく調べたところ、
建築部材はアカホヤ火山灰の下から出土していた。アカホヤは、南九州の鬼界カルデラから約六千年前に噴出。
県内では縄文時代前期と早期にまたがる時代とされている。この結果、建築部材は前期初め(約六千年前)から、
早期末(約六千三百年前)の可能性が高くなったという。
加工された建築部材はこれまで、富山県小矢部市の桜町遺跡から出土した縄文中期末(約四千年前)が
「日本最古」とされていた。横尾遺跡の建築部材はそれを二千年以上さかのぼることになり、建築史の専門家
らも注目している。市教委は今後、火山灰の分析をする一方、時代を確定させる土器の発見に全力を挙げていく。
24出土地不明:2009/09/14(月) 12:01:25 ID:rPpNgY1H
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/yokoo.html
出土した建築部材は断面が正方形に加工された長さ三・八m、縦横十八cmほどの角材。「ほぞ穴」「めど穴」と呼ばれる丸い穴が、
確認できるだけで六カ所あった。原始・古代建築に詳しい東北芸術工科大学の宮本長二郎教授は「大型の高床建物の桁(けた)
部分ではないか」と話している。
建築部材は他の二つの木と一緒に、組み合わされた格好で出土。建物の部材として使われた後、水場の作業場の足固め(水場遺構)
として使われていたらしい。他の二つの木も、一部に石斧(せきふ)による加工跡があることから、部材の一部の可能性が出ている。
このほか姫島産の黒曜石の原石が、植物繊維で編んだかご、またはネットに入って見つかっている。
横尾遺跡は、縄文前期から後期にかけての横尾貝塚遺跡の隣接地にある。これまでに縄文後期初めのドングリ貯蔵穴八基と多量の土器、
石器が出土していた。
25出土地不明:2009/09/14(月) 13:30:12 ID:g0vfsrAK
第5部 神々の故郷と子孫たち 01.日本神話の源流 -南洋の島々

神話がどれほど似ているのか、どういう基本構成をもって似ているとするのか、
海幸彦・山幸彦の話(失われた釣り針神話)を例に調べてみよう。
南洋の島々に点在している神話が日本神話ともこれだけ似ているということは、
大もとの神話がどこかに在ったことを強く示唆している。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_01nihonnsinnwa_no_gennryuu.html
日本神話と南洋の島々
ハイヌウェレ型神話と犠牲の習俗
土偶とハイヌウェレ神話素
水田稲作文化に随伴した神話


26出土地不明:2009/09/14(月) 14:06:27 ID:Nen9/Nf4
第5部  神々の故郷と子孫 06.海上の道はあったか−琉球人−

トカラ海峡を境に、九州では既に詳しく調べたナイフ形石器やその後の細石刃の文化が、
南西諸島の中部地域と南部地域は、東南アジア、南中国、台湾島などの南方地域との関連で
捉えられる「不定形剥片石器文化」が展開していた。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_06kamigaminosisonn_ryuukyuujinn1.html
また、石斧に加え貝斧というシャコガイから作った特殊な道具を使ってる。
これはフィリッピン方面との繋がりが指摘されている。(右図参照。貝斧拡大サンプル) 
このように南部地域は、考古学的資料からは、10世紀ごろまで南方の文化が卓越していたと
みられ、北部、中部と違って、本土の文化の影響は受けなかった。
27出土地不明:2009/09/14(月) 15:38:37 ID:ZFNNH4eA
28LUNAMASK:2009/09/14(月) 16:21:49 ID:QNVU7a6o
日本人どこから来たんだ?8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252749898/menu40-46
>>26
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_06/nihonnjinn_no_seiritu_moderu_ryuukyuujinn_kaihenn.jpg
↑ほぼ完全にロシア筋情報と合致するが、ロシアでは興隆窪文化を台湾方面から来て
おり、幼児の遺体を土間に埋める習慣とか、複数の霊魂とかがそれを示唆していると
見ている。


29LUNAMASK:2009/09/14(月) 16:40:30 ID:QNVU7a6o
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252749898/menu40
これなんかロシアにしては出来すぎており、ロシア系米国専門家の知識と見られる。
そうした場合どうしても縄文人がシベリア・沿海州に進出していたといった発想が少なく
なる。これは情報が少ないからかもしれない。であるから、縄文人が進出していた
ということを前提に考えなおす努力を怠ってはならないと考える。
30出土地不明:2009/09/14(月) 18:36:45 ID:pjp5cD4q
>>29 此れなんか参考になるんじゃ無い。

一時はコーカソイド(白人種)ではないかと言われた、アイヌ民族の風貌も東日本縄文人(=古バイカル人)
と同源ではないかと感覚的に思わせる理由である。   下の写真を見比べてほしい。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_05/kawamura_kaneto_to_torusutoi.jpg
奥深い眼窩、秀麗な鼻梁、豊かな口髭、どれをとってもコーカソイドに見劣りしないばかりでなく、
よく似ているといって過言ではない。これはおそらく、アイヌ民族が、ホモ・サピエンスが
コーカソイドとモンゴロイドに分化した直後の古形を保っている、すなわちアジア化がまだ進んで
いないタイプの人びとの子孫であり、それは筆者の持論である

アイヌ民族=東日本縄文人=古バイカル人という図式の証明でもあると考えるのである。
31bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/14(月) 19:00:15 ID:ZFNNH4eA BE:1000113067-2BP(352)
>>28
その画像だが、基本的に古華北人は漢民族で、古長江人が周辺に散らばって国づくりしたわけだが、、
日本列島が長江以上に華北に影響されるってことはないと思う。

コメもジャポニカ米だし。
32bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/14(月) 19:03:35 ID:ZFNNH4eA BE:357183735-2BP(352)
>>30
個人的にはアイヌはスンダランドの前モンゴロイドが北上した結果、コーカソイドそっくりになったんだと思う。

なぜなら、アイヌは細かい形質で南洋やオーストラロイドと共有してるし、
コーカソイド自身東南アジア原住民の前モンゴロイドやオーストラロイドと連なる中東人から進化してるわけだから。
33bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/14(月) 19:06:13 ID:ZFNNH4eA BE:1071549195-2BP(352)
東日本とアイヌは日本古代権力による彼らの取り扱いからみても連続性が分かるな。
まあ地理的・文化的(東北には「続縄文」という時代区分がある)にも、
アイヌ人と東日本原住民が共通で、東日本の原住民は西日本のモンゴロイド系農耕民に飲み込まれたと見るのが自然と思う
34出土地不明:2009/09/14(月) 19:26:38 ID:DH7XGNZ4
むかーしむかし、長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。

最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。


おしまい(爆
35出土地不明:2009/09/14(月) 20:09:06 ID:NkwmPqOW
テュルク系、イラン系のいわゆる中東人は紀元前2世紀には新彊ウイグル、モンゴル西部まで
生活範囲広げてる、そこはバイカル湖と隣接地

バイカル付近の人が日本の先祖なら、その中東YAP遺伝子を持って
移住してきたのはBC2〜AD2ということになりうる

その頃は大陸から秦氏が大量移住してきている、
大部分が西暦1年前後の秦氏など中東系移住者と考えられる

もちろん縄文人もそれ以前にいたことをふまえ
中東民族の中東から極東への移動は過去に一度や二度ではない、何度も繰り返されている
361252819482:2009/09/14(月) 21:18:49 ID:qi7fykPz
>>30
そのての見た目はあまりあてにならんよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1252819482/
37出土地不明:2009/09/14(月) 21:29:50 ID:dq0aW98d
>>8の続き、参考になればと思います。

山下町第一洞穴人と縄文人の形態比較↓
http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/s18.html
>縄文人の変異を考慮すると、山下町洞人はほとんどの計測項目において縄文人と大きな違い
>はなかったため、ホモ・サピエンスとして矛盾はないと考えられる。

山下町第1洞穴出土の旧石器について↓
http://ao.jpn.org/kuroshio/yamashitacho/200306.htm
>山下町第1洞穴の石器類は、「敲石、礫器」という重量石器であり、東南アジア内陸部に発達した
>植物採取型旧石器文化の様相を呈している。つまり、スンダランドに定着した初期ホモ・サピエンス
>が開発した「礫器文化」と共通していたのである。

先史沖縄人、縄文人と一線 より小顔傾向・食は魚介類中心↓
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090512-687307/news/20090512-OYS1T00684.htm

研究発表会(2008年10月)↓
http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/s25.html
>篠田謙一: 琉球列島貝塚時代人骨のDNA分析
38出土地不明:2009/09/14(月) 22:53:04 ID:qi7fykPz
>>35
「その頃は大陸から秦氏が大量移住してきている、     
 大部分が西暦1年前後の秦氏など中東系移住者と考えられる」
で、「秦氏」って“アータ”? イスラムテロリストの先祖と同一? 
39出土地不明:2009/09/14(月) 22:59:50 ID:qi7fykPz
日本人の祖先は、イスラムテロリストのそれと同一か。
則ち、日本人とイスラムテロリストは、生物学的に同根か。
“Prime Gene Investigation”が必要だ。
   http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1252819482/
40出土地不明:2009/09/14(月) 23:27:17 ID:NkwmPqOW
>>39
イスラム教の成立年代を考えろよ
41出土地不明:2009/09/14(月) 23:35:18 ID:A0GhmPsA
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
42出土地不明:2009/09/14(月) 23:54:15 ID:D5c5sDe9
すしは、稲作(いなさく)と同じように、中国南部から九州を通って日本に入ってきたと考えられています。
奈良時代の文書にすしのことが書いてあるので、その頃(ころ)にはすしが食べられていたことがわかります。
早ければ縄文(じょうもん)時代の終わり頃に、すしは日本に入ってきていたのかもしれません。

韓国で「なれずし」が文献(ぶんけん)に登場するのは、1200年代になってからです。
http://www.kodomo-silkroad.net/denpa/food/sushi.html
43出土地不明:2009/09/15(火) 00:40:08 ID:gAT6mAtY
縄文人は海洋民族

丸木舟を作るのに必要な石ノミの材料となる黒曜石は
伊豆の神津島や国東半島の姫島にしかないが九州、四国、瀬戸内海沿岸の遺跡で出土。
新潟か富山でしか産出しないヒスイは青森の三内丸山遺跡からオールとともに出土。
沿岸航海だけではなく、遺跡から大型のマグロ、
カツオなどの遠洋でしかとれない魚類の残滓が出土するので遠洋航海も行っていた。
44XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/15(火) 01:18:16 ID:uEtBxYlv
>>43
何が“海洋民族”ですか!?
海岸伝いならともかく、陸地からが圧倒的に多かった、いいえほとんどであった
に決まっているでしょうに。
それと海沿いの地域でしたら漁をしていて当然です。
海洋民族は本当に行き過ぎですから…。
遠洋ね…。
ポリニーシャ人の苦労に笑われますよ。
45XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/15(火) 01:25:14 ID:uEtBxYlv
怒られますよ、でしたかね…^^;
46出土地不明:2009/09/15(火) 02:50:35 ID:wzvm2mvJ
自分の立てたスレに引っ込んでろ。粘着するな。話す事は何もない。
47XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/15(火) 03:09:20 ID:uEtBxYlv
では黒潮ポルィニーシャン、黒潮稲作伝播(電波!?)、
黒潮アボリヂニー(失礼;)など、頑張って下さい。

あなた、宇宙開発では死にますよ;;;

そして、どうしても支那や半島は避けたいようですね…。
可愛いような可哀想なような・・・・・
48bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/15(火) 07:14:27 ID:rDBinzAu BE:238122825-2BP(352)
>>44
お前基礎的な人類学勉強してないだろ

人類はまず海岸沿いに移動して、大河を伝って内陸に進む形で広がったんだよ

縄文人は旧石器時代に到来したんだから、内陸から来たわけがなかろう


>それと海沿いの地域でしたら漁をしていて当然です。
してただろ。仮にもここは考古学板だぞ。地理人類学板ならまだしも・・
49bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/15(火) 07:16:13 ID:rDBinzAu BE:1523981388-2BP(352)
>>44,45,47
誘導http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252749898/

相手した俺が悪かった
50出土地不明:2009/09/15(火) 12:00:23 ID:dlBsjyZk
マンモスハンターが海沿いに来るのかよw
51出土地不明:2009/09/15(火) 20:58:33 ID:Tt6uljTc
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
52出土地不明:2009/09/15(火) 21:01:43 ID:kh7vvFOT
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
53出土地不明:2009/09/15(火) 21:27:07 ID:Gjic0SpU
鵜飼いの最古の記録はエジプト
54出土地不明:2009/09/15(火) 22:18:49 ID:iVxCJ2IP
各務原市/Web Magazine/のびのびマガジン2004年6月号/名勝木曽川で ...

そもそも鵜飼は、日本固有の習俗というのではなくインド、ベトナムそして
現在でも漁としてつづけている中国などのアジア地域や古代エジプト、
紀元前のペルーでも行われています。日本でも、「古事記」「日本書紀」
などの古い文献からも ...
www.city.kakamigahara.lg.jp/nobinobi/.../special1.html - キャッシュ - 類似ページ
55出土地不明:2009/09/15(火) 22:25:12 ID:VwoMA++/
鵜(う)は、ペリカン目ウ科(学名:Phalacrocoracidae)に属する水鳥の総称。研究者によって種数は変動するが、全世界に約40種が熱帯から両極地まで広く分布する。

56出土地不明:2009/09/15(火) 22:45:36 ID:NZpm8GyB
のびのびマガジンねw

のびのびマガジンwwww
57出土地不明:2009/09/15(火) 22:57:06 ID:6+764ilC
白馬とXYZは隔離しかない。
58出土地不明:2009/09/16(水) 21:16:03 ID:PcfX/xfX
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/09kaigai/koudusimasann_no_kokuyouseki.jpg
右図は、伊豆半島沖の神津島産の黒曜石を石器原料として使っていた遺跡とその分布範囲である。
この地域には箱根産という別の立派な黒曜石があるにもかかわらず、神津島産を多くの集落が
利用していたとみられる。イギリスの若い研究者マーク・J・ハドソンの「古代のミロス島と
神津島における黒曜石の調達」という論文(1988年)によれば、---神津島の黒曜石は早くも
2万7000年前に本州島に搬入され、後期旧石器時代と縄文時代とに、「他の伊豆諸島や南関東
との間で定期的な交易があったことは間違いない」と述べている。---
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/09kaigai/kokuyouseki.jpg
渡海に限らず、サカチアリャンやグロモトゥハの遺跡はアムール川沿いにあり、水運を利用して
運んでいたことが明らかである。これは列島人のほうから交易品として、大陸の方に持って
いったり、大陸の人々が列島各地に高品質黒曜石を求めてやって来て、持ち帰ったものであろう。
隠岐や男鹿産の黒曜石はウラジオストク辺りからも出土し、日本海を横断して交易し、潮や風向き
などを見計らって持ち帰ったものであろう。

59出土地不明:2009/09/16(水) 22:07:02 ID:wYHPGipo
ちと、ラピタ人(ポリネシア人の先祖と考えられている)について、参考までに。

『このように、オセアニアにおける人類の移動史は、いまだ意見の一致を得ないのであるが、
オーソドックスなシナリオとして、もっとも受け入れられているのはベルウッドの提唱する移動
シナリオ(ベルウッド 1989;2008;図10)であり、以下のようにまとめられる。
(1)紀元前4000〜3500年に先オーストロネシア語系民族の台湾への移住。稲や雑穀など
の穀物や根菜類を栽培する農耕民で航海技術は未発達。台湾では縄蓆文文化を生み出した。
その子孫が台湾先住民。
(2)紀元前3000年ごろ、オーストロネシア祖語の集団がフィリピン北部へ移住。航海技術が
改良され、縄蓆文土器は無文ないし赤色スリップ土器へと変化。
(3)紀元前2500から2000年代にかけて、マレー・ポリネシア祖語段階の文化がフィリピン南部
からボルネオ島、スラウェシ島、マルク方面へ拡散。樹木作物(バナナやブレッドフルーツ)および
根菜類が穀物と同程度に重要になった。一部の人々がジャングルに入り込み、ボルネオ島や
スマトラ島で熱帯雨林における採集経済が開始された。
(4)紀元前1500〜1000年にかけて、スールー海やスラウェシ島付近で移動性の海洋文化が出現。
(5)紀元前1500〜1000年の間に、ビスマルク諸島付近で生まれたラピタ文化がリモート・オセアニア
のトンガ・サモアにまで拡散。航海技術は未踏の島に及ぶほどに進展したが、パプア系の住民に
よってすでに居住されていたニューギニア島へは海岸部を除いて侵入しなかった。
(6)紀元前1000年から約1000年間、オーストロネシア語文化がベトナムやマレーシアへ進出。
先住農耕民との間に競争ないし共生が起こった。
(7)紀元前500年以降、青銅器および鉄器文化が東南アジア島嶼部に導入。』
次レスに続く。↓
60出土地不明:2009/09/16(水) 22:08:18 ID:wYHPGipo
『また、先史時代の台湾の先住民と今日の台湾におけるオーストロネシア語を話す人々の系譜関係
が未解明である現状を考えると、ポリネシア文化の起源を台湾に求めるのは時期尚早であり、
現時点では東南アジア周辺海域を起源地とするのが妥当であろう。両者が共通の祖先をもっている
ならば、いつごろ両者は分岐したのかを解明する必要がある。生物学的な人間集団と言語集団は
必ずしも一致しない。』--以上、平成20年11月6日、「台湾大学・ 金沢大学学術交流講演会
61出土地不明:2009/09/16(水) 22:13:04 ID:wYHPGipo
あらら。。以下>>60の続き
「ポリネシア文化起源地としての台湾」 酒井中(金沢大学) より一部抜粋

以前、言及したことがあるが、個人的にはポリネシア文化は、
スンダランドからメラネシア方向に波及した旧石器人が携え、育んだ文化[特に(4)の海洋文化に着目]
+台湾・中国南部から南下した原ラピタ文化の融合からポリネシア文化の土台[ラピタ文化]が生じたと
考える。(原ラピタからラピタ土器伴ったラピタ人が登場する(5)と(3)の約1000年の間に融合したと
考える)それは、フィジー、サンタクルス、ニーカレドニア諸島のラピタ土器(B.C.1200年頃)出現地域
には、スンダランドから渡海技術を持つ旧石器人の波及した痕跡がないからである。
62出土地不明:2009/09/16(水) 22:52:13 ID:yAtBvJJ0
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
63XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/16(水) 23:57:34 ID:P6FDzxau
>>48
あなたは相変わらず読解力がありませんね…。
>>44をから何故そのような返信になるのか不思議なものです。
わたしは京都人さんや白馬さんとは違い、比較的南方からの影響も
指摘しているほうですよ。>>44でも島伝いのような海洋伝いがほとんど無い
という文章で、内陸がどうのではなく、あなたの述べたような海岸沿い等の
“陸地伝い”としか、わたしは書いていないのですが…。“陸地伝い”ですよ。
意味解りますか?
ま、無論、中央エイシャ・西方支那方面からの移動もあったでしょうし、
それ以外も色々と考えられるとは思っていますがね。

またあなたね、WEBの世界だからと、尊大に「お前」などとひとに軽々しく
言うものではありませんよ。ですから当たり前の話が出来ないのですよ。
そしてなんとかひとの言葉尻を捉えようと躍起になったり、隣人(国)を貶そうと
必死になったり、そういうくだらない事に血眼になるのはいい加減に止めなさい。
独り芝居も滑稽ですよ(苦笑)。
まだ若いのですから、あなたなら修復できますよ。しかしそのまま行きますと
白馬さんの言うような「無能な知識人」化してしまう可能性は大ですね。

近畿≒渡来系文明人の血が濃厚、ですか・・・
あまり考えたくはないですが、そうした傾向とはあるものなのかも知れませんね・・・
あなた達を見ていると。
64XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/17(木) 00:00:45 ID:g1ptJ0+V
△ 捉える
○ 捕える
65XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/17(木) 00:16:35 ID:g1ptJ0+V
>>48
あなた、よく見てみますと色々な所でつまらないスレを
たくさん立てていますね? 特に人類学板で。
レスだけでしたらともかく、荒らしのような行為は止めて下さい。
恥を知りなさい。

若気の至りはわかりますが、自分が空しくなりませんか?
愛されていないようですね。可哀想です。。。

学問や知識を不毛な喧嘩の道具にしない下さい。
66出土地不明:2009/09/17(木) 00:28:03 ID:59NhkpXx
>>65
お前だって慇懃無礼に煽ってるだけじゃん。大して変わらんよ。
これ以上やりたいんだったら、隔離スレの方で頼む。
67XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/17(木) 00:47:26 ID:g1ptJ0+V
>>66
慇懃無礼とは全然違うと思いますが、水を差さないようにします(本当は
それほど時間は取れないのですがね…^^;)。
相変わらず「お前」「隔離スレ」(は?)などと思いあがっていないで
普通にやり取り出来るようになって下さいね。
それと少なくともわたしは真面目な書き込み(学問的にも)をしてもいますよ。
甘く見ているのではないですか?
“薄”識は否めませんがね^^;
68出土地不明:2009/09/17(木) 06:18:52 ID:4irfRk8t
>>63
> ま、無論、中央エイシャ・西方支那方面からの移動もあったでしょうし、
これは縄文人、弥生人、古墳渡来人のいずれのこととして言われているのですか?
縄文人・弥生人についてなら全く的外れなので、こういうのをアプリオリな認識とするのは問題だと思う。

南方で陸地伝いとは、海面低下で陸続きだった3万5千年前±に南西諸島経由で来た
旧石器人のことでしょうか。温暖化が進んだ約1万数千年前以降の典型的な海洋民よりも、
この古い種族が縄文人の主要なルーツというなら良く理解できますが。

最も、どちらもスンダランド経由でアフリカから海沿いに来た種族なのは確かなので、
ある程度陸繋がりのスンダランド・フィリピン諸島・台湾・南西諸島をたどったとして、
旧石器人(最古の日本人)が海洋民の性格が強かったと考えるのが自然ですが。
6968:2009/09/17(木) 06:25:30 ID:4irfRk8t
 1.35000年前±α D2南方旧石器人 スンダランド → フィリピン・台湾 → 日本列島 40%
 2.18000年前±α C1貝文人      スンダランド → (黒潮ルート) → 日本列島  05%
 3.BC4000±α〜 O3越人        華南沿岸部 → (黒潮ルート) → 日本列島  15%
 4.BC1000±α〜 O2b東夷族      湖南・江西 → 安徽・江蘇 → 日本列島     30%

弥生時代までに渡来の日本人の大部分の先祖は、上記あたりがおおよそ近いのではと思う。
石器のお話などを参考にさせていただけば、1の種族がポリネシア人と関わりが深い可能性が
十分に想像できますが、種族として最もポリネシア人に近いのはおそらく2の貝文土器をつくっていた方かと。
海外でのY染色体DNAの分析では、D2種族とC1種族は一緒に移動した可能性も高いと考えられていますね。
70bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/17(木) 07:01:34 ID:WDA3+VQC BE:1000113067-2BP(352)
>>65
例挙げてみ

>>67
お前が真面目である事は100も承知だ
それが迷惑なんだよ
71出土地不明:2009/09/17(木) 08:36:35 ID:qb5cI5sn
>>69
Yにかこつけた凄まじい限りのデムパだなw
72bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/17(木) 19:00:33 ID:WDA3+VQC BE:1333483687-2BP(352)
>>71
男系にかこつけた凄まじい限りのデムパ?
じゃあ女系もダメなのか

お前にとって遺伝子は人類移動の指標として意味を成さないんだな?
73bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/17(木) 19:20:30 ID:WDA3+VQC BE:857239294-2BP(352)
×遺伝子
○性染色体
74出土地不明:2009/09/17(木) 20:51:10 ID:n3BIckfu
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
75出土地不明:2009/09/17(木) 21:03:01 ID:WU8QEjTs
東の涯から南北アメリカ大陸へ・・・・・中南米の先住民90%以上がQ系等2万年変異なし。

南北両アメリカ先住民に共通する、Y染色体内の変異、M3(Q)と名づけられた遺伝子マーカーが発見された。
このマーカーの頻度は、中南米の先住民で90%以上、北アメリカの先住民のおよそ50%に及ぶ。
したがって、このM3(Q)こそ、アメリカ系統を規定するマーカーであることが明らかである。
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/011Ysennsyokutai/gennseijinnrui_no_kakusannkeiro.jpg
76出土地不明:2009/09/17(木) 21:39:07 ID:EZ5gKzIZ
>>74
>「呉服」は百済経由で伝わっている。
呉からダイレクトに伝わっていると都合が悪いのか?

歌垣や高床式建築物もな。

コリアンからいくらもらって工作してるんだよ。
77出土地不明:2009/09/17(木) 22:45:32 ID:v8Zw6ADn
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




7861:2009/09/17(木) 23:11:53 ID:c+bGtHGN
>>69
>1の種族がポリネシア人と関わりが深い可能性が十分に想像できますが、
>種族として最もポリネシア人に近いのはおそらく2の貝文土器をつくっていた方かと。

なるほど、港川人を起点とした視点ですね。老婆心ながら、C3についても
多少言及したほうがベストかと。

で、>>61の一部をちと訂正。
>フィジー、サンタクルス、ニーカレドニア諸島のラピタ土器(B.C.1200年頃)出現地域

>フィジー、ニューカレドニア諸島のラピタ土器(B.C.1000年頃)出現地域
79白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/18(金) 00:08:58 ID:Pd72cx9B
>>72
単一遺伝標識だけじゃあ、人類移動の指標にならんよ。
一神教神話のY染色体だけを信仰しとる新興宗教集団に
所属しとるんか?
80出土地不明:2009/09/18(金) 01:27:56 ID:NdoL4XsI
━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E ムキになって駄文荒らし   .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
81出土地不明:2009/09/18(金) 08:38:43 ID:hkYUrkzm
遺伝子は不変のものではないというところから切り込んでいかないから
ダメなんだよ馬鹿爺さんはw
82出土地不明:2009/09/18(金) 11:44:53 ID:bb+E4x0D
今時Y遺伝子を無視する歴史ファンってのも珍しいよ、
自説を曲げない朱子学のせいかな絶滅危惧種だから大事に、
耳垢やABO(親子,兄弟で違うのに)の方が信頼出来るらしい(笑うな!)
83出土地不明:2009/09/18(金) 12:20:01 ID:fIaVd0ZM
無視はしてないがw

ただ、

文物という絶対的な存在を前に、遺伝学など、




         風 の 前 の 塵 と 同 じ 。



84出土地不明:2009/09/18(金) 12:25:39 ID:wjD5wSxY
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
85出土地不明:2009/09/18(金) 12:26:32 ID:wjD5wSxY
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



86出土地不明:2009/09/18(金) 12:27:04 ID:mbG2yjO4
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
87出土地不明:2009/09/18(金) 12:36:36 ID:tuVjjE8t
>>79
ほらゲノムのなんたるかを知らないバカがやって来た(^o^)
88出土地不明:2009/09/18(金) 12:46:15 ID:vowXIJcp
俺にそんな見掛け倒しのコケオドシなど通用せんよw
89出土地不明:2009/09/18(金) 12:46:37 ID:FDCfGppe

コピペ,アルバイトがやって来た来た来た来た北の方。
90bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/18(金) 19:10:05 ID:XxRj0q/E BE:714366656-2BP(352)
>>79
Y染色体とMTDNAは遺伝子本体とは別に遺伝するから、
遺伝子のすべての標識を最良の組み合わせで勘案したものと同じレベルの指標になるんだよ。
YとMTDNAは。
91bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/18(金) 19:11:45 ID:XxRj0q/E BE:857239766-2BP(352)
>>85
韓国も日本も水田は南方(長江・越)から渡来したんだから、どっちが古い軽んじるのは無意味

奈良県と和歌山県でどちらに古くから人類がいるのかを論戦するようなもの
92出土地不明:2009/09/18(金) 20:16:33 ID:8NfZFYV2
弥生人と水稲稲作はセットで伝来したよな。
わい河南岸〜河姆渡あたりから。
朝鮮半島南部を飛び越えて北部・満州のワイ人系統が弥生人と同根
などという話のどこに蓋然性があるのかわからんよ。
93白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/19(土) 00:36:59 ID:/gZnmZjV
>>82
精度の低い単一遺伝標識のY染色体だけで妄想する歴史ファンなら
電波になるわい。しかも、あんた朱子学が江南で生まれた南宋の
宋学であることも知らんらしい。日本の基本的に江戸幕府は朱子学国家
じゃし、朱子学の国粋主義は水戸学攘夷思想で幕末、明治に受け継がれ
とるんに。旧軍部も南京総軍じゃの江南を手中にしたい大陸主義は、
江南朱子学に憧れがあって、中国人(特に江南人)になりたかったじゃ
ないか。
>>90-91
Y染色体とmtDNAは、一神教的世界観の遺伝子板に過ぎんよ。
mtDNAの方が精度が高いけど。
韓国も日本も人としては、江南たぁ、満州等北方から渡来した連中の方が
多かったわ。
>>92
確かに、渡来系弥生人は水稲稲作を持ち込んだ可能性が強い。
穢と倭は同音weiじゃし、北東アジアの水辺人として同族であったと
するんが、三上次男氏の説じゃが、倭も北東アジアから朝鮮南部に
移り住むと現地の稲作を採り入れるけぇのう。それらが九州北部に
移住したら、より稲作に適した土地で、米は保存出来るし交易道具にも
なるけんのう。米は貴重なもんで生産しても主食にゃあならんかった。
中国では、江南で米の大量生産が可能になって脚気が出てくるが、
日本は江戸期でも都市部の江戸患いが出てくる程度じゃし、米を
主食としとらんかった。昔の日本の農村は秋から冬は麦をつくるけぇ、
稲作と畑作が共存しとるが、中国は、華北は麦作、淮河以南の江南、
華南は稲作と分離しとる。南の低地は麦が根腐れする云うて。
日本人は大陸中国の南方人のように純粋な稲作民じゃないよ。
むしろ、昔の日本人の主食は畑作物じゃし。
94出土地不明:2009/09/19(土) 00:55:18 ID:7xdVyQZq
>>93
だからY染色体が「精度の低い」という根拠を言え。
おまえのいう精度って何だ?
答えられないだろうがクズ。
95出土地不明:2009/09/19(土) 01:44:45 ID:90dFEU0+
むかーしむかし、長江江南の呉や越から3000年前、渡来系弥生人が九州北部に
渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。

最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。


おしまい(爆
96出土地不明:2009/09/19(土) 08:09:42 ID:THA8Hs/E
>重複スレより
> 思うんだが、わずか1〜2世代で中東から日本に移住してきた人がいてもおかしくないんじゃないかと
> それならわざわざ1万年前の縄文人とか言わず、中東の遺伝子が日本人に40%入ってる事の説明が付く
> 一気に渡来してきた説ってないのかな

40%と言ってるから日本人最多・最古のD2系統のことを言っているのだと思いますが、
DNAからD2は1万年というより渡来時期は3万5千年±とされている。
1万年前の縄文人であればどうして「わざわざ」なのか理解できないが、
その「ずっと新しい時代」にYAP+が「一気に渡来してきた説」は、はっきり誤っているが
ネット上でも時々良く流されてきた1つの典型的なパターンの説なので、
それを信じ込む人が多く出てきてもあれなので説明しておきます。

このタイプの説はY染色体の遺伝を否定するような日本・アルタイ系同祖論よりは
一見論理的なのですが、渡来の時代や移動ルートがはっきりおかしく、
宗教的バイアスがかかっていたり、一部の渡来系子孫の自己正当化の目的で
意図的に流されているのではないかと思われます。

つづく
97出土地不明:2009/09/19(土) 08:31:17 ID:xGDCL5yw
続きマダー? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
9896:2009/09/19(土) 09:01:56 ID:THA8Hs/E
YAP+変異を持つDE大系統ですが、太古にスンダランドなどへ移動したD系統と、
北アフリカ・中東にそのまま残ったE系統とはっきり分かれており、
6万年程度前にD系統(日本人・ヒマラヤ少数民族など)とE系統(ベルベル人など)に分かれています。
5万年遡れば共通の先祖に辿り着く、ドイツ人・インド人・中国人の関係よりもある意味では遠い関係です。
それでも日本人などD系統の種族にとっては、貴重な唯一の遠い兄弟種族ではありますが。

尤ももDNA分析の誤差で極端に言えば6万年でなく2、3万年程度前には同祖だったとか
ほんの少しは可能性があるのかもしれませんが(生化学者の方ごめんなさいw)、
数千年前にD系統とE系統が分かれたという可能性は、これは全くありません。
(犬と狼が江戸時代に分岐したとか言うような話です。)

D系統は最古の日本列島への渡来人・南方旧石器人ですが(C1系統が一緒に渡来した可能性もある)、
この渡来時期を3万5千年前ではなく数千年前に変えてしまえば、気候的にも技術的にも
騎馬民族化した中東人が北アジア・朝鮮半島を経由して日本にやってきて征服し、
天皇家や支配者階級になったみたいな話を創り易くなります。

特にキリスト教関係者の一部にとっては紀元後の話にできるので、より都合が良いと考えるのかもしれません。
(朝鮮はアジアの中ではフィリピンに次いでカルト系も含むキリスト教徒が多い国。)
(日本にいるキリスト教関係者には、韓国に親近感がある人や朝鮮系が比較的多い。)
あとは古墳時代以降の渡来系の子孫という意識が強い方々が、
自らを日本の正統な後継者の貴種・選民と定義づけるのに利用した可能性があります。
日韓併合が行われたり騎馬民族起源説が人気を得た昭和の時代は、こうした勢力が強かった時代なのだと思います。
つづく
9996:2009/09/19(土) 09:51:15 ID:THA8Hs/E
ユーラシア西岸でのYAP+のE系統ですが、これはアフロ・アジア語族(セム・ハム語族)の母体で、
中東のアラブ人とかユダヤ人にも高頻度ではないが広くみられるのですが、
特に多い典型的な種族は、北アフリカマグレブ諸国に多いベルベル人(歴史的にムーア人・ヌミディア人)や、
南欧のアルバニア人などですね。サブサハラのアフリカ系と混血が進んでいますが、
西アフリカのギニア人やエチオピア高原のアムハラ人とかもE系統が多い種族です。

それでYAP+の草原の道・オアシスの道渡来説(笑)は、日本人のルーツを
起源以降(2000年前以降)のパレスチナ(日猶同祖論)に求める話が多いが、
(もう少し前のバビロニアとかもある。あと何故かYAP+の無い北アジアとの同祖を印象づけるのにも使われる。)
D系統とE系統の差異を横に置いておいたとして、この場合に日本人のD2系統以外のDNAが主に
J系統で占められるはずだが、これは日本人に存在しない。

 ユダヤ人(セファルディム)・・・ J系統4割、E系統3割
 ユダヤ人(アシュケナジム)・・・ J系統4割、E系統2割

J系統はアラブ人、ユダヤ人を始め、中東でE系統とともに(そしてそれ以上に多い)広く見られるY−DNA系統だが、
E系統が北アフリカを中心として多いのに対して、J系統はより北東のユーラシア中心部に多く分布する。
「騎馬民族化」した紀元後の中東系がユーラシア内陸部を通った場合に、J系統がより多くを占めるのが自然である。
100出土地不明:2009/09/19(土) 11:59:42 ID:YfZRNw9/
>>93
>精度の低い単一遺伝標識のY染色体
この文がお前が生物学に関して無知だと言うことを晒しているんだよ。
先ず、遺伝子、伴性遺伝、分離の法則、染色体、連鎖、核外遺伝子、ゲノム
こういった用語の意味を理解してから人類学に挑もうね(^o^)
言っておくが一連の君の書き込みを見て、
君が遺伝子の意味すら理解してないことは明らかなんだよ
101出土地不明:2009/09/19(土) 16:40:11 ID:Y7nSl7l3
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
102出土地不明:2009/09/19(土) 16:42:54 ID:vhPrAjPF
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
103出土地不明:2009/09/19(土) 16:44:51 ID:iWivwSv8
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
104bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/19(土) 19:23:49 ID:cJxvSq4y BE:1500168997-2BP(352)
>>93
>mtDNAの方が精度が高いけど。
>韓国も日本も人としては、江南たぁ、満州等北方から渡来した連中の方が
>多かったわ。

ここらへんのお前の信仰は分けが分からんのだが
ソース出してみ
105出土地不明:2009/09/19(土) 21:35:51 ID:brQ4ci2U

2009年7月10日、韓国紙・中央日報によれば、ソウル大学医学部医学遺伝体研究所は8日、
米ハーバード大学と共同で30歳の韓国人男性のゲノム解読に成功したと発表した。
すでに解読済みの漢族中国人と比べたところ、多くの共通点があったという。中国新聞網が伝えた。
研究成果は9日発売の英科学誌「ネイチャー」で発表された。今回解読に成功したゲノム情報と
すでに解読済みの漢族中国人およびアフリカ系黒人とを比較したところ、漢族中国人との方が、
共通点がより多かった。人類学的な視点から見ると、韓国人と漢族中国人との関係はより密接で
あると証明できるという。
韓国人のゲノム解読成功は昨年12月の嘉泉医科大学の李吉女癌・糖尿病研究所に続いて2度目。
世界では6番目の快挙となる。(翻訳・編集/NN)

http://news.livedoor.com/article/detail/4245505/


106出土地不明:2009/09/20(日) 01:27:08 ID:9I7HIKmM
先ほど下記のようなメールを外務大臣、外務省、文部省へ送りました。(文部大臣はadd見つからず未送付)

ウィキペディアの日本の外交上重大な誤記の件

外務省関係者各位

つい先ほどウィキペディアで下記のような記述を見つけました。
>>http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2b_(Y-DNA)

O2bと言うのはy染色体上の遺伝子の種類で、韓国人の50%、日本人の30%を占める遺伝子です。
これらはベトナムで15%、タイでも5%くらい見られる遺伝子ですが、中国本土では殆ど見当たらなく、
経路が断絶した遺伝子です。

上記ウイキペディアではこの断絶を日本が第二次大戦中に東南アジアへもたらしたと推測した文章を
掲載しており、これは読者に日本軍の女性への暴行や現地女性の慰安婦を連想させるものですが、
それは有り得ません。
>>it has also sporadically been detected in a few individuals who reside within the extent
of the erstwhile Great Japanese Empire like some populations of Southeast Asia, including those
of Indonesia and Vietnam.

何故なら日本人男性の遺伝子の40%はD2というタイプの遺伝子で、もし日本軍がベトナムやタイに遺伝子を
残せば、タイやベトナムにO2bと同等かそれ以上の割合のD2遺伝子が残っていなければなりません。

しかし、D2遺伝子は日本以外にその遺伝子は殆ど全く無いのです。勿論、タイ・ベトナムにも有りません。

ウィキペディアは電子百科事典としては、世界中の人が一番多く参照するものです。ここでこんな明白な
間違い、しかも日本への重大な誤解を招く記載を捨て置くわけには行かないと考えます。

外務省様においては早急な訂正要求をウィキペディアになされるよう要望いたします。

107出土地不明:2009/09/20(日) 01:39:05 ID:V8hPoA2v
ビルマ系ボド語

足 atheng 
目 megan
口 khuga
歯 hatai
毛 khenai
頭 khara
舌 sila


インドネシア語

目 mata
手 tangan>たなごころ
足 kaki >駆ける
歯 gigi >牙
108出土地不明:2009/09/20(日) 02:41:02 ID:403yrBzx
古エジプト語
胸 menedu
指 yeba
手 de
眉 oayup
109TK:2009/09/20(日) 02:45:36 ID:9I7HIKmM
>>106
上記は最近wikiに最近掲載されたものと思われる(数ヶ月前には無かったと思う)。この掲載の元になった論文は
>>http://www.springerlink.com/content/b7c224nfknj90ncy/fulltext.html
であるが、これは韓国人が主に書いた論文で、内容ははっきりいっていい加減であるが、韓国人は従来から
O2bが南方から来たとは認めていない。

この論文でも最初から結論ありきのような、O2bがモンゴルか満州辺りでの発生と結論づけているが、根拠は
全く薄いもので、特にベトナム・タイを始めとする東南アジアでのO2bの存在を説明し得ないものである。

この論文は、東南アジアのO2bの存在が第二次大戦時の日本軍と結び付けてはいないが、それを暗示するのに
十分なもので、逆に自分で考え発見させるので始末に悪い巧妙さを持っている。

実際、海外の遺伝子関係のフリークや一般人の掲示板ではJapan Empire等の文字が見られるのには気が付いて
いたが、はっきりと馬鹿げた推論であるので特に書き込み等はしなかった。しかし、wikiまでがこんな明確に
馬鹿な記事を掲載するとは思わなかった(勿論、wikiがケースによってはインチキなのは当然知ってはいたが)。

明確にベトナム・タイと東南アジアでのO2bの存在は日本軍とは無関係である。何故なら、彼らの遺伝子には
日本人の40〜45%を占めるD2遺伝子が存在しない。当時の日本軍がO2b遺伝子を選り分けて、それだけの
軍人を送るなど不可能だから。

ついでに書けば、上記論文には先ほど亡くなった日本の著名な遺伝子学者 中堀豊氏も名を連ねている。多分、
日本人の遺伝子の分析結果についての引用部分で名前を貸したのだとは思うが、はっきり言って安易過ぎる。
亡くなった方に抗議することは出来ないが、もう一人のToshikatsu Shinka氏には事実を知らせるとともに、
安易な名義貸しには抗議しようと思ってはいる。(>>106 のように外務省、外務大臣、文部省には送付済み)

ただ漢字での名前が分からず、所属も不明なので誰かご存知なら教えて欲しい(多分徳島大だとは思うのだが?)。
そして、O2bの発生場所・経路についても(勿論、江南からの移住者だと思うが)色々皆様の知識もお教え願い、
出来れば、是非、此処で出来る限りの正しいO2bの発生場所と日本への経路を皆で議論・研究したいと思います。

>>107
>>http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252749898/158
11096:2009/09/20(日) 03:45:09 ID:ZJ3EKFa7
>106,>109
本当に乙です。捏造とか恥と思わないことごとく汚い連中だな奴らは。
過去スレで書いたことではありますが、微力ながら参考になればと
以前に気づいたほぼ確からしい重要なポイントを記述させて頂きます。

まずO2bが中国では存在しないような誤認識が広がっていますが、これは間違いです。
日本、ベトナム、韓国には存在するが中国には存在しないような記述・データを見て解釈に困った覚えがありますが、
中国での調査ではO1a系統、O2a系統、O3系統の各頻度および、「それ以外のO系統」の頻度までを
分析しているようで、O2b系統を直接調べていないが0%ということではない。
断言はできませんがおそらくは、「それ以外のO系統」の多くがO2b系統の可能性が高いと思う。
「それ以外のO系統」の頻度が相対的に高い(といっても中国はO3系統が圧倒的に多いのだが)地域は、
四川から江蘇まで長江文明・水田稲作民に縁の深い地域に集中している。

それからもう1つですが、朝鮮南部は中国と良く似ていてO3系統が約半分を占め、
O2b系統は2割台と日本よりは比率が低い。O3系統とO2b系統の比率は日本と全く異なることになる。
韓国人の50%がO2bという話は、サンプル数が非常に少ない古いデータが流布したのだと思われる。

ちなみにO2bの兄弟種族のO2a系統は東南アジアの稲作地帯で多いようだけど、
元々のホームランドはインド東部あたりみたいですね。
ドラヴィダ人との接触はあったでしょうが、彼らのY-DNAとは系統が異なるようです。
111出土地不明:2009/09/20(日) 11:33:58 ID:Lhja5JiV
O2bはインドネシアに20%も居る

O2b
50% 韓国 
20% インドネシア
14% ベトナム
 6% タイ

ソース
『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』
崎谷満

O2b系統
 0% アイヌ
26% 東京
30% 沖縄(北琉球)
67% 八重山(南琉球)

 0% 漢族(華北)
 0% チベット
51% 朝鮮
 4% 満州
 0% オロチョン
 2% ブリアート
 0% ハルハ・モンゴル(モンゴル)

 0% 漢族(華南)
 0% ミャオ
 0% チワン(タイ・カダイ系)
 0% マレー
 1% フィリピン
 6% タイ
14% ベトナム
20% インドネシア
112出土地不明:2009/09/20(日) 12:01:15 ID:ZQnx3gCh
>>111
だから韓国のO2b50%ってデータは古く少人数だから誤差が多く
最近の調査で実際は20数%で日本より少ない見たいだよ。
113出土地不明:2009/09/20(日) 12:09:58 ID:DU1mZe1/
>>112
日本列島は韓国人が...........のバイアスが懸かり
データ%を高めに調整した可能性が有るかも?
114出土地不明:2009/09/20(日) 13:26:18 ID:ZJ3EKFa7
>>113
どうも中国の東夷族(おそらく弥生人の先祖)を、彼らは韓国人とみなして電波を飛ばしているようではある。
古代百済の領土が黄海沿岸全体に広がっている凄い地図を見たことがある。
115出土地不明:2009/09/20(日) 13:31:56 ID:403yrBzx
日本人の中に真っ白な肌がいるのはなんで?
http://www.sanspo.com/geino/images/090920/gnj0909200504005-p1.jpg
116出土地不明:2009/09/20(日) 13:51:30 ID:8JkKMUU/
>>111
WiKiの「日本人」にあるDNA,O2bは崎谷さんの本を参考にしてるけど、如何云う訳かインドネシアを抜いてるんだよね。
インドネシアのO2b20%は可なり重要な意味を持つと思うんだけど、
如何してかなと疑問だった、編集者の意図かな。
117出土地不明:2009/09/20(日) 14:14:32 ID:Rl/xKBnX
むかーしむかし、長江江南の呉や越から3000年前、渡来系弥生人が九州北部に
渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。

最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。


おしまい(爆
118出土地不明:2009/09/20(日) 14:22:15 ID:TEUT5mFy
「YAP+変異」って“入浴習慣”(40℃程度以上のお湯につかる習慣)によって生じうるって聞いたことがあるが、本当か?
119白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/20(日) 17:30:37 ID:vsRmR4J5
>>96
宗教的バイアスは、一神教理論から成立したY染色体を信仰しとる
あんたらYカルトじゃないか。
中東人と日本人が人種的近いわけあるまあ。
>>104
HLAでもmtDNAでも形質人類学的にも日本人は北東アジア人の集団に属する。
単一遺伝標識信仰は、おどれらYカルトの特徴よ。
120bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/20(日) 18:12:42 ID:mZA3bwWc BE:857240249-2BP(352)
>>119
>HLAでもmtDNAでも形質人類学的にも日本人は北東アジア人の集団に属する。

当然だ。日本は北東アジア人なのだからな

北東アジア人である日本人のY染色体がDであるということは、日本が他の北東アジア人とは異なるルーツを持っているということじゃないのか?

お前はYが間違っていてmtDNAとHLAが正しいかのような言い方をするが、遺伝子に正しいも間違ってるもない
あくまで要素をあらわしてるに過ぎないんだから、古南アジアの遺伝子が男系の半分を占めているという事実を真摯に受け止めなければならない。
mtDNAで日本人が大陸系であるということが言えるのと同じように。

それと、HLAだが日本人は北朝鮮・満・華北漢族とは異なる集団を形成してるぞ

満族と本土日本人は満族とブイ族との間に匹敵する差異があり、満族とアイヌの間にはタイ人と同じ規模の違いがある
121出土地不明:2009/09/20(日) 18:30:06 ID:Kjzl0gfc


740 名前:っ子 :2009/09/20(日) 13:18:01 ID:4X/ASKF1
>>739
アイヌは白人ですよ。{'-'`}
今頃金髪なびかせてサマヨってますよ。{'-'`}
122出土地不明:2009/09/20(日) 19:03:15 ID:rQIuU7kC
>>119
>単一遺伝標識信仰は、おどれらYカルトの特徴よ。

男系を遡れるのはYしかないのだから当たり前じゃん。
遡れないと証明できないのに何言ってるんだ?
おまえさぁ、知らない事は素直に聞けと親に教えられなかったのか?
何で知ったかぶりして恥かいてんだよw
123出土地不明:2009/09/20(日) 19:07:51 ID:TEUT5mFy
>>121
アイヌ人は白人ではない。私の知る限り、アイヌ人は Caucasian(白色人種)ですらない。
124出土地不明:2009/09/20(日) 19:32:03 ID:Kjzl0gfc
色が白くないと白人じゃねーの?
125出土地不明:2009/09/20(日) 20:29:24 ID:TEUT5mFy
>>124
「白人」とは、
広義では、 Caucasian であって、その全般的な由来がヨーロッパにあるもの,
狭義では、広義の白人に属すものであって、生粋のヨーロッパ系のもの,
を指す。
 *従って、マイケル=ジャクソンは白人とは全く異なります。
126出土地不明:2009/09/20(日) 22:21:14 ID:3cCCW3YT
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




127白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/20(日) 22:59:01 ID:vsRmR4J5
>>120
http://yumiki.cocolog-nifty.com/nautica/cat21314075/index.html
D型と云うY染色体の一部の遺伝型だけ抽出しても意味あるまい。
他の北東アジア人と違う云うんなら複合的根拠がいるど。
Yの方が遺伝子型も少ない。染色体数も70本にもならん程度で
mtよりはるかに精度が低い。どうせYなんか絶滅する遺伝子じゃし。
mtHLAを総合的に見たら、日本人は北朝鮮・満・華北漢族に近いど。
B52-DR2等の単一遺伝型だけで、近遠度を云うたら電波になるんも
同じこと。学問は複合・総合的要素から判断するもんじゃ。
128出土地不明:2009/09/21(月) 02:20:18 ID:zOz1+Bpd


615 名前:っ子 :2009/08/06(木) 23:45:11 ID:nRrhHYPR
皆、縄文人の事を"中東系"って言うけど、
俺から視たらゲルマン系って感じですけどね。\{'-'`}
だって、モアイじゃないですか。骸骨に反った。\{'-'`}
頑丈な小顔って感じ。
"濃い顔"って、どういう事かイマイチ良く解りませんね。\{'-'`}
129出土地不明:2009/09/21(月) 06:31:06 ID:l9QSnIPU
>>127
>染色体数も70本にもならん程度でmtよりはるかに精度が低い

何本あれば「精度が高い」になるのか言えや。
現在の100組の親子で100%遺伝してるのだからこれは科学だ。
というかおまえは実の子かどうか調べる親子鑑定も否定するのか?

それと単なるブログ紹介して何の意味があるのだ?
いくら韓国との繋がり言われてもmtは母系だし。
ブログ主がコメで「僕も素人なので、話半分くらいで読んでくださいね。」
なんて言ってるしさ。
130出土地不明:2009/09/21(月) 10:00:21 ID:NKxXCwC0
白馬青牛さんよ、あんたはどこまで無知なんだ。
ヒトの染色体は46本しかない。70本って、どこから出てきたんだ。
あんたの遺伝学、いや科学に対する知識は最低級。高校どころか中学の
理科の知識を皆無である。Y染色体が男系で遺伝しないなんて、遺伝
学の基礎基本すら理解していない。あんたに科学は語れない、もう恥の
上塗りはやめにしたら。惨めなだけだよ。
131出土地不明:2009/09/21(月) 10:40:21 ID:MHVhK0DD
彼は恐らくハプロイドって単一遺伝子だと思っているんだよ(^o^)
132出土地不明:2009/09/21(月) 10:55:08 ID:MHVhK0DD
それと致命的なのが時間の観念が無い。

遺伝子には保守的なもの(大部分の構造遺伝子)と急速に変異するもの(免疫関係、多重遺伝子、非構造遺伝子等)があり
それぞれ異なった時間軸の量りとして用いられる。
これはC14の適用範囲が数万年までで、それ以上の年代は別の方法で計測する、
といったことに類似している。
133白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/21(月) 15:14:52 ID:SH2XDH2s
>>131-132
ハプロタイプも単一の型に過ぎまあ。時間の観念云うとるが、
C14の測定値を信仰しとるんか。
さっき、?8の>167にも、ブログを挙げて、旧石器捏造に加担した
前科のある歴博の年代測定は、捏造の可能性が強いけんのう。
134bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/21(月) 15:22:37 ID:ePwCLgJg BE:642929393-2BP(352)
>>127
染色体数が少ないと人類学的解釈に影響が出るほど精度が下がるという理由を説明しろ
135bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/21(月) 15:23:55 ID:ePwCLgJg BE:428620436-2BP(352)
そもそもお前のいう「染色体数」というのはいったい何を指してるんだ?
136白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/21(月) 15:39:32 ID:SH2XDH2s
>>127
http://gontango.exblog.jp/7104431/
ブログに篠田氏の引用が出とるが、「遺伝子全体の0,2%にも
満たない。Y染色体は、それほど偉くない。」
Y染色体なんか精度がそれだけ低い云うことじゃ。
137出土地不明:2009/09/21(月) 15:42:49 ID:r7aaVEqS
そんなにくやしいか、チョン。諦めて帰れ
138出土地不明:2009/09/21(月) 15:52:46 ID:L+0ezn9O
白馬青牛さんは日本人がY染色体を民族の能力の優劣を決める道具として
使ってると勘ぐってるんじゃないかな。(ユダヤ人、地中海人に近いとか言うから)

Y染色体は簡単に説明するとオス、を決めるスイッチの役目しかなく、(当然青牛さんにもY遺伝子は有る、男性なれば)
能力の優劣を決める遺伝子ではない。

だからY遺伝子の種類が多い、少ないは関係無く、正確に子孫へ何十世代、何百世代とコピー遺伝するかどうかが第一の問題点で
これらを青牛さんは理解されてないんじゃ無いかな。(突然変異も僅かに有るが、メダカやねずみ等で30世代、50世代と確実にコピーされる事は証明済みで世界中の科学者が認めてる)
139出土地不明:2009/09/21(月) 15:58:45 ID:L+0ezn9O

詰りはY染色体Dと言うのは例えると、尻に赤いホクロが出来る遺伝子とするとして
在る民族に何%尻に赤いホクロが有るか?と言う問題だけの事で、赤いホクロが有る人は釣りが上手で、足が速いとかは
関係ない、ただ赤いホクロが尻に有る人達と言うだけの事。

しかし遠く離れた在る民族にも尻に赤いホクロが有れば、昔むかし何か血縁関係が有ったんじゃないかと思ってしまうだけの事。


140出土地不明:2009/09/21(月) 17:17:45 ID:pDup8zon
★トマス・ジェファーソン大統領はユダヤ系?研究者が染色体から解明

 【テクノバーン】(2007/2/28 17:11)1775年にアメリカの独立宣言を起草し、
第3代アメリカ大統領を務めたことで知られているアメリカ建国の父の一人となる
トーマス・ジェファーソンがユダヤ系である可能性が高まってきた。

イギリスのレイチェスター大学のチューリ・キング氏とマーク・ジョブリング氏を中心とする
研究グループがジェファーソンの子孫の遺伝子の解析を進めた結果、中東以外では珍しい
Y染色体が発見されたことを受けてのものとなる。

 トーマス・ジェファーソンがユダヤ系だとした場合、初のユダヤ系大統領だったということとなる。
 
 トーマス・ジェファーソンは混血黒人奴隷のサリー・ヘミングスとの間に1子を儲けていた。
研究者に遺伝子の提供を行ったトーマス・ジェファーソンの子孫は自分にサリー・ヘミングスの
遺伝子が伝わっているかどうか確認するために遺伝子の提供を行った。

 今回、行われた解析の結果、トーマス・ジェファーソンのY染色体はK2という珍しい枝に
属することが判明した。このK2枝はヨーロッパではスペインとポルトガルのごく一部の
男性で見つかるもので、中東、東アフリカで一般的なものとなる。

 トーマス・ジェファーソンはピーター・ジェファーソンの子供として1708年にバージニア州で誕生。
ピーター・ジェファーソンの父はイギリスのヨークシャー地方からアメリカに移民していたことまでは
判明していた。

 これらの研究結果は、米人類学学会の専門誌「American Journal of Physical Anthropology」の
最新号に掲載される予定だ。

Technobahn http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200702281711
141出土地不明:2009/09/21(月) 17:19:10 ID:pDup8zon
トーマス・ジェファーソンが混血黒人奴隷のサリー・ヘミングスに
子供を生ませたことが両家子孫の「Y染色体」が一致したことで判明し、
嫡流家系で組織される「ジェファーソン協会」の1999年の年次会合に
ヘミングスの末えい35人が招待されています。

http://www.rocus.co.jp/dnatesting/ychromosomal/jeffhemm2.htm
142出土地不明:2009/09/21(月) 17:57:05 ID:r7aaVEqS



270 :っ子:2009/09/11(金) 03:59:08 ID:5l+4Xajb
俺、ハーフじゃ無いけど、
見た目おもいっきり外国人ですよ。\{'-'`}


143出土地不明:2009/09/21(月) 18:20:34 ID:EeJbs9bL
「入れ墨」は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
144出土地不明:2009/09/21(月) 18:24:13 ID:EeJbs9bL
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
145出土地不明:2009/09/21(月) 18:28:13 ID:wI2LmS2F



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


146出土地不明:2009/09/21(月) 20:17:03 ID:l9QSnIPU
>>136
偉くないという一個人の恣意が何故「精度が低い」になるのだ?
おまえはY染色体で半島人との類似が見られないから反対してるだけだろ。
まず先に結果がありきの最低の卑怯者小心男だなw
147白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/21(月) 22:31:45 ID:SH2XDH2s
>>138
実際、生物学者はネオダーウィニストの生物決定論者が
多いでしょう。ナチス並みの優生学と違わん。
ちなみにユダヤ人は人種集団ではありません。
スファラディ・ユダヤ人は地中海人種に近いでしょうが、
アシュケナージ・ユダヤ人は、西洋で暮らしてきた地域の
集団に近いわけですから。金髪や茶髪のユダヤ人は地中海人種
じゃ無いでしょう。
Y染色体が、正確に子孫に受け継がれるかも、歴史的史実から
違うでしょう。青海のモンゴル系土族にY染色体のD型が
多いとしたら、父系にチベット系になりますが、
土族は満州から移住した鮮卑族やモンゴル帝国のモンゴル系が
支配しとります。日本でも被支配層の縄文系にD型が多く、
奴隷の縄文系の男を支配層の女性が種馬にする可能性は逆に比べて
少ないでしょう。ですからY染色体のD型は東アジアにおいて
辺境部に残った地方的特徴で、父系集団と云う血族的特徴とは
考えられんと云う結論が出るわけです。
148白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/21(月) 22:49:08 ID:SH2XDH2s
>>138
続き。メダカやねずみにおいて父系がコピーされるんも研究室の研究者の
見解の結果で、生態条件が変わったらどうかまで、データに入れて
おらんでしょう。自然界の突然変異なんかも。
まして人間でも無く、全然証明にはならんのです。
まず、突然変異はどういう状況で起きるかも解らんのに、結論ありきから、
辻褄を合わせて妄想しても研究室の机上の空論ですよ。
>>146
他の遺伝子型や形質を総合的見たら、日本人は半島人と近い云うこと
じゃ。あんたが感情的に否定しても無駄なことよ。
「卑怯」云う言葉を平気で使う、あんたが日本人かどうかは別問題じゃが。

149出土地不明:2009/09/21(月) 22:49:22 ID:GrYpdyPR
カルト臭漂う韓国版「日鮮同祖論」か

日本に密入国するのは我々の権利だ!って云う訳の分からん論理の為か?
150出土地不明:2009/09/21(月) 23:18:14 ID:NKxXCwC0
白馬よ他人をナチ呼ばわりする前に、自分自身がとんでもない「馬鹿」
である事実を認めろ。
お前、Y染色体が父親からのみ伝わることがまだ理解できないのか。
理解できないなら、高校の「生物T」の教科書を読め!
読んでも分からないなら、病院に行け!
151出土地不明:2009/09/21(月) 23:24:10 ID:/S9eoW32
Yだけでとことん詐欺った台日・中日同祖論も日鮮同祖論と変わらねえじゃねえか。

くせえ在日台湾・中国チンク野郎は朝鮮人とともにとっとと日本から出てけよウゼエから。

目障りなんだよ汚らしい。
152出土地不明:2009/09/22(火) 01:01:02 ID:HU/PCPe+
>>147->>148
あんた牛の代理か広島弁に成っちょらんけんのう
偽ものはいけんのう
153出土地不明:2009/09/22(火) 01:10:08 ID:HU/PCPe+
>Y染色体が、正確に子孫に受け継がれるかも、歴史的史実から違うでしょう。

>Y染色体のD型は東アジアにおいて.......父系集団と云う血族的特徴とは考えられんと云う結論が出るわけです。

これはもう驚きの反論!、もうカルトの域に達してますな。
常人とは思えん。






154出土地不明:2009/09/22(火) 04:57:39 ID:BBK2ZS1T
もう自説を押し通すためなら、何でもありって感じだな。
155出土地不明:2009/09/22(火) 07:12:38 ID:Rjs4NTeE
>他の遺伝子型や【形質】を総合的見たら、日本人は半島人と近い云うこと
>じゃ。あんたが感情的に否定しても無駄なことよ。

結局、古臭い形質人類学カルトじゃんw
科学をおまえが感情的に否定しても無駄なことよ。
156出土地不明:2009/09/22(火) 07:20:51 ID:Rjs4NTeE
>日本でも被支配層の縄文系にD型が多く、
>奴隷の縄文系の男を支配層の女性が種馬にする可能性は逆に比べて
>少ないでしょう

白馬青牛という基地外の本音がここにあるのだろうな。
縄文系が被支配層であり奴隷であるという【教義】が
この糞カルト男にあるのだ。
157出土地不明:2009/09/22(火) 15:12:18 ID:7x8O3HSX
>>148
古い遺伝学のつまみ食いをしたいらしいが(笑)
Y染色体がそっくり無ければ子孫は残せないんだよ(笑笑笑)
これは古い遺伝学その物なんだがなー。
158出土地不明:2009/09/22(火) 16:09:50 ID:9JmeNT6T
白馬あほ牛にゆうとく。
以前、総合判断で日本人がどこから来たか判断するべきといってたが、
遺伝子のみならず、言語的にも、米作伝播経路からも、
お前の説はすべて嘘であることが、断定された。
159出土地不明:2009/09/22(火) 16:18:42 ID:3nl0dWog
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
160出土地不明:2009/09/22(火) 16:21:36 ID:9MfOBWM+
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
161出土地不明:2009/09/22(火) 16:27:16 ID:v4uOw8HI
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
162出土地不明:2009/09/22(火) 18:07:34 ID:OLS0L+UY
歌垣   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

歌垣と同様の風習は、中国南部からインドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。
このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を築いていたという見方もある(照葉樹林文化論など)。
163出土地不明:2009/09/22(火) 20:55:25 ID:M97q4Kkz
杵島山は筑波山,摂山と並んで三大歌垣山といわれる歌垣山です。
東側には広大な白石佐賀平野が広がってます。田園に点在する集落は
昔ながらの懐かしく赴きのある風景がみられます。

稲佐神社:長い長い石段の先(車でもいけます。)にあります。
祭神は、五十猛命(いそのたけるのみこと)日本書紀によれば、
二人の妹神である妻津姫、大屋津姫とともに朝鮮半島から木の種を
日本に持ち帰り植樹したという神です。また、推古天皇の時代百済の
聖明王(仏教を日本に伝えたと言われる)を祀ったのに始まる。
という古代朝鮮国家百済に所縁のある神社である。古代杵島には
百済から渡来人が訪れ、住み着いたのかもしれません。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/sights/hizen/utagaki/j-hizen-2.htm
164出土地不明:2009/09/22(火) 21:02:08 ID:Rfwz9NHp
佐用姫伝説は肥前風土記や万葉集などに取り上げられてます。
大和朝廷は新羅・唐王朝連合に脅かされる百済救援のため兵を送ります。
都から出征のために狭手彦は軍を率いて松浦の地に赴き、駐屯します。
この地方 (厳木町笹原)の長者の娘・佐用姫が狭手彦の身の周りの世話をするうちに
二人は恋に落ち、契りを結びます。 しかし、狭手彦は任務があります。
ついに兵を率 いて百済、任那に旅立つことになりました。
狭手彦は鏡を佐用姫に「これを自分だと思ってくれ」と渡します。
旅立ちの日、佐用姫は玄界灘を見渡す鏡山に登り水平線に消え行く
狭手彦の船団に領巾を振りつづけます。
さらに佐用姫は鏡山を駆け下り、松浦川を渡り、ついに海を渡って加部島にたどり着きます。
しかし、海にはも船団の影もう見えませんでした。
佐用姫は悲しみのあまり七日 七晩泣き明かし、とうとう石と化してしまったと言う話です。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/sights/hizen/tajima/j-hizen-1.htm
165出土地不明:2009/09/22(火) 21:43:31 ID:BBK2ZS1T
( ;∀;)イイハナシダナー
166白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/22(火) 23:49:31 ID:z+uQCgXp
>>152-153
あんた、広島県でも芸南方言を真似よるつもりらしいが、
「ちょらん」の後に「けんのう」はわざとらしい。
歴史的史実を無視しY染色体だけを盲目的に信仰する処がYカルトの
特徴じゃないか。カルトはあんたらの方で。
167出土地不明:2009/09/23(水) 05:44:00 ID:UIX4UjHB
>>166
科学的事実を無視しY染色体だけを盲目的に否定する処が形質人類学カルトの
特徴じゃないか。カルトはあんたの方で。
168XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/23(水) 11:00:15 ID:rTq/ayfe
>>167
それは詭弁ですね。
むしろ白馬青牛さん(達)の述べているようにY染色体以外の事を
恣意的に語ろうとしない、あなた達のような人達こそ盲目的でしょう。
ですから勝手に「チョン」ですとか「工作員」ですとか、このような
嘘や侮蔑で、血眼になり隣国(特に朝鮮や支那)との関係性を否定したがるの
ですよね。何が「形質人類学カルト」ですか。笑われますよ。
そのいやらしい政治がかった見方や蔑視の情で、学問を汚さないでほしいですね。
しかも何ですか、ここは考古学板ですよ。ローカルルール等も見られないのですか?
遺伝学だけなら生物板や人類学板、言語ならそれ専門の板があるの当然知っている
のでしょうに、何度も同じ事ばかりを延々と語りたがる、ま、一種の病気ですね…。
可哀想な人達です。
169XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/23(水) 11:11:21 ID:rTq/ayfe
おそらく専門の板では相手されない人達なのでしょう…。
それ専門の人達にはあなた達のような“変なの”ばかりでは
ありませんからね…。
当然恣意的と言いますか不合理な考え方の人(達)は、最終的に
学問上は淘汰されますからね。
170出土地不明:2009/09/23(水) 11:13:22 ID:MSoTq5LJ
>>168
在日6世の金さんはどこから来たのか
YDNA、mtDNA以外で答えてらてるか?

HLA、血液型、形質人類学、指紋、耳垢
こんなもんいくらこねくり回しても意味がない

在日1世の金さん 妻日本人
在日2世の金さん 妻日本人
在日3世の金さん 妻日本人
在日4世の金さん 妻日本人
在日5世の金さん 妻日本人
171XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/23(水) 11:21:55 ID:rTq/ayfe
>>170
それも詭弁ですね。
確かに個人を取ってみればそのような事も言えるでしょう。
しかしながら全体の傾向というものが必ずあります。
それを意識的に無視し、Y染色体だけの話題に固執し、その話題ばかりを
書き込んでいる人達がいるのが、この2chの“考古学板”(本当に?^^;)
なのではないでしょうか??
べつにわたしもY染色体の話も好きなのですがね^^
それにしても…。
172出土地不明:2009/09/23(水) 11:37:01 ID:MSoTq5LJ
>>171
なぜ個人では良くて日本人全体では駄目なんだ?

Y染色体だけの話題に固執なんかしてないだろ
どのレスがY染色体だけの話題に固執しているか言ってみろ

Y染色体を精度が低い、カルト、ナチス、嫌韓右翼と執拗に否定する輩はいるが




173XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/23(水) 12:01:06 ID:rTq/ayfe
>>172
そうですかね?
レスは過去のを含め沢山あると思いますが、Y染色体の話が
主体になる事自体が、この板では少しおかしいとは思いませんか?
また、例えばあなたが>>170で出したもののうち、Y染色体以外の
mtDNA・形質人類学・指紋・耳垢・血液型(これは微妙でしょうか)、
他にも下戸遺伝子ですとか、このようなものの傾向を語る事には
意味ないのでしょうか? これらのうちmtDNAしか語るに値しないもの
なのですか? でしたらその根拠は何ですか??
また、これら以上にこの板では特に重要なのが考古遺物の話題です。
これはあなたの頭の中には入って来ないのですか? ここがどこか
わかっていますよね?
あとですね、「日朝同祖論」ですとか、そのようなどうでもよい話を
しないで下さいよ…。そういう現代の国レヴェルゥの狭い話題を
(しかもかなりくだらない)に話を持っていき、誰かを批判ではなく
非難したがるような、取るに足らないやり取りをされましてもね…。
うんざりしませんかね?
あなたがこれの該当者でないのでしたらすみません。
174XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/23(水) 12:27:24 ID:rTq/ayfe
その点LUNAMASKさんは少しイッてしまっている感じはありますが^^;
その知識の幅といい量といい、貴重な存在ですね。^^
白馬青牛さんなども全体の傾向を考察していく視点は良いと思います。
ただ白馬さんに関しましては、やや文献や資料重視、または誰かの発言重視の
(その裏にあるその人の趣向を鑑みていない)、非現実的な偏った見方を
正論のように言う点は否めませんがね…^^;
それでもより“イタい”偏見を持つ誰かさん達よりはだいぶまともですよ。
結局、何かを見出せるかは“人”によりますからね。“人”に。
175出土地不明:2009/09/23(水) 12:43:05 ID:MSoTq5LJ
>>173
スレタイが「日本人どこから来たんだ?」だから問題ない

Y染色体・mtDNAとそれ以外では精度が違い過ぎるがしたければいいんじゃないか

血液型(ABO式・HLA・GM遺伝子)
長頭短頭・二重一重・下戸遺伝子・指紋・耳垢
で全体の傾向を語ってもY染色体・mtDNAと比べれば血液型(ABO式)と同じようなものなんだが

遺伝的に中立(*これ重要)
男系遺伝 YDNA
女系遺伝 mtDNA

遺伝的中立ではなく双系遺伝 
ABO式・HLA・GM遺伝子・下戸遺伝子・指紋・耳垢
176出土地不明:2009/09/23(水) 13:08:51 ID:Nv2ZyM0v
>>173
最も確実なデータが主体になるのは当然でしょ。
177出土地不明:2009/09/23(水) 13:16:48 ID:MSoTq5LJ
>>168
>「チョン」ですとか「工作員」ですとか、このような嘘や侮蔑で、
>血眼になり隣国(特に朝鮮や支那)との関係性を否定したがるのですよね。

そんな書き込みあったか確認したが

今スレの書き込み回数
名無し チョン  1回
XYZ チョン  1回
白馬青牛 ナチ  1回

前スレの書き込み回数
名無し チョン  2回
白馬青牛 ナチ 17回

“イタい”偏見を持っているのは白馬青牛だな
178XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/23(水) 13:30:56 ID:rTq/ayfe
>>175
なるほど、それはわかりました。
ま、もう少し突っ込みたい点はありますが、これまでにしておきます。
Y染色体(これとそれ以外でかなり括れたりする点の理由を考察して
みるほうが面白いと思いますが)以外の話も宜しくお願いしますね。
ここの板の名前と空気くらいは読めるでしょうから…。
179白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/23(水) 17:28:30 ID:T8VGQ2VO
>>167
わしゃあ、形質人類学のみで考察したこたぁなあでぇ。
学問は総合じゃけぇのう。
>>174
わしが文献、資料重視ですかねぇ。総合的に見るにゃあ文献、資料も
重要でしょう。誰かの発言云うて具体的に誰のことですか?
しかも裏にあるその人の趣向を見ずY染色体論者、社会優生学を
唱え、ネット右翼を煽る蔵琢也氏のブログを挙げたんは、XYZさんですよ。
具体的に、わしのどこが非現実的なんですかいのう。
>>177
ナチスのどこが偏見なんか。嫌韓ネット右翼はナチスと同様じゃ云う
事実を云うとるだけど。
180出土地不明:2009/09/23(水) 18:24:03 ID:m6YOqzpS
チョン必死w必死w
181出土地不明:2009/09/23(水) 18:27:54 ID:UIX4UjHB
>>179
>学問は総合じゃけぇのう。

ならY染色体も考慮して総合的に考察しろよ。
自分の持ってる結論にそぐわないから無視しようとしてる、
心の狭い偏狭な人間になってるよね、おまえは。
182出土地不明:2009/09/23(水) 18:45:13 ID:EKwqb7P9
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
183出土地不明:2009/09/23(水) 18:49:53 ID:uP4NKiwb
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
18461:2009/09/23(水) 22:57:32 ID:1S3AAMzL
私見:日本列島人「日本人」的特質形成において重要であると思われかつ、「蓋然性」と「整合性」
が高いと考えられること。

1)日本的文化特性の根幹は、共生・共存的要素の強い「八百万的信仰概念」である。
「日本文化」 的思考の潜在は、列島が大陸から離れて約一万年の間(縄文時代)に列島内において、
黒曜石等の交流によって生じたある程度の「コトバ」の共有性によって紡がれた「八百万的信仰概念」
が横たわっていると考える。 以下参考までに↓
『人間の場合はどんなに孤立した奥地に住んでいる種族といえどもかならず宗教とか信仰、価値観
とかいうようなものを持っており、これが生活の仕組みの中の基本的な部分を占めており、いわば
扇のカナメのような役割を果たしている。---(中略)---宗教や価値観など複雑なことになるとコトバ
がなければ筋道立てて考えて、しかもそれを頭の中にしまっておくことはできないからであり、
ここに人間と動物の間の区切る境界線がハッキリと引かれることになるのである。』
---「文化人類学のすすめ」 祖父江孝男著より一部抜粋

2)縄文文化から弥生文化への文化的置換は起らなかった。
縄文時代と弥生時代の境界線を灌漑農耕段階であるとしても、なおかつ渡来民による「文化置換」は
生じていない。文化受容と文化変容の繰り返しを経て(縄文文化+渡来文化)弥生文化は形成されて
ゆくのであって、文化置換、即弥生文化というわけではない。すなわち、渡来民が日本列島に大挙押
し寄せて在来民(縄文人)・縄文文化を駆逐したのではなく、渡来文化を受容する過程でゆっくりと縄文
文化が変容し、かつ在来民と渡来民が共存、そして徐々に混血。但し、灌漑農耕のコントロールに長け
た渡来民中心の集団の東進に伴っての人口増加率が急激なものであったがゆえに、弥生期の列島人
における「渡来形質」の占める割合が急増したと考えられる。

3)新人(現生人類)の日本列島地域への第一波は、約4万年前に南方から。(南方系旧石器)
(スンダランド地域→台湾→琉球諸島→日本列島の太平洋側)「陸橋」づたいに、ときに筏を使い北上。
尚、シベリア起源と思われるナイフ形旧石器系の日本列島地域への波及は約3万2千年前頃。

全国の遺跡から出土している同種磨製石斧も、姶良Tn火山灰層前後の地層や、C-14年代測定値で
約40,000〜30,000年前の文化層に集中している。↓
http://ao.jpn.org/kuroshio/palaeomafu.htm
参考:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252749898/9
及び、>>8>>37
185白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/24(木) 01:26:07 ID:JU5RJsMs
>>184
「八百万的信仰概念」が縄文期云う根拠も無い脳内観念論よ。
八信仰は、鮮卑八姓、契丹八部、満州八期等、北東アジアに
見られる要素を無視し、縄文に概念があったじゃの、
可笑しげなことよ。祖父江考男氏なんか、脳内出鱈目県民性本を
書いとるが、自身の調査報告ものうて、イメージ観念で書いとる
フィルドワークもせん文化人類学者でお笑いもんど。
渡来系は世界的民族移動期の古墳期の現象で弥生期は
全国的に拡散しとらん。
小田静夫氏は旧石器捏造を煽った歴博の14年代測定法・測定値に
出土写真も撮っとらん発掘現場での作為(捏造)を指摘されとるよ。
186出土地不明:2009/09/24(木) 01:35:30 ID:QB5aBf0x
>>これ面白そうな話なのでいただき。

599 名前:日本@名無史さん :2009/09/23(水) 21:20:06
孔子の編集と伝えられる「春秋左氏傳」に下記の記述があります。
「隱公四年(紀元前719年)、春王の二月、呂(草冠に呂)人《きよひと》、杞を伐ち、牟婁《ぼうろう》を取る。」
ここは、現在の地名でいえば江蘇省徐州市付近です。緯度でいえば、山口県や奈良県と同緯度です。

ここを追われた牟婁(むろ)の人々は、朝鮮半島の任那に逃げてきました。ところが、「継体記」には

「百濟遣使 表請任那上多利(いずれも口編) 下多利 娑陀 牟婁四縣 大伴大連金村輕依表請 許賜所求」
とあり、大伴金村によって百済に割譲されてしまった。
そして住み着いたのが、和歌山県から三重県にかけての熊野地方、すなわち牟婁の地。

つまり、朝鮮半島は仮の住処でしかなく、もとはと言えば秦に滅ぼされた杞氏。
紀の国と呼ばれるようになったのはこのためです。
18761:2009/09/24(木) 01:37:14 ID:ZbBPT2KR
>>185
取り敢えず、過去に投下したレスを置いとくわ。

縄文時代における共生・共存的要素の強い「八百万の神々」的概念の形成について
根拠:
1.気候変動に伴う地理・地勢的要因(列島化)
2.交流による、ある程度の「コトバ」の共有化(交流は日本列島内が顕著、ゆえに日本列島特有と言える)

『気候変動により海水準上昇が始まり(ヤンガー・ドリアス寒冷期の終焉)、大陸より切り離され列島化した
日本列島に独自の文化が発展・形成される土壌が整った。縄文時代の始まりである、この後縄文時代は
約1万年続くことになるが、この地理・地勢的要因(海によって隔てられ、大陸と近からず遠からず)によっ
て大規模な渡来人の侵入が妨げられることから、呑気に文化受容が可能であった。そして地域的な差異が
ある程度ある縄文「諸」文化が形成されることになる(縄文草創期と早期また前期〜晩期では縄文「諸」
文化の地域的分布は変化する)。その地域的差異の中で異なった言語が幾つも存在していたと考えられるが、
様々な交流(黒曜石、アスファルト、土器、サヌカイト、ヒスイ<硬玉>等々から窺える交流)を深め、
繰り返すうちに「共通のコトバ」が生じていたと考えられる。その過程の中で、地理・地勢的要因に
よって比較的呑気に暮らすことができ、自然信仰的な概念(アニミズミ的)と「再生と循環」の概念を
育んでいた縄文は、祖霊崇拝的概念をも徐徐に獲得するに至るが、その発展段階の中で様々に異なった
「信仰概念」を持つ縄文ヒト集団間(ヒト集団とヒト集団の持つ信仰概念の交錯)は、呑気ゆえに比較的
穏やかに交わることができた。そしてそれを繰り返すうちに縄文人は異なった「信仰概念」を持つ縄文
ヒト集団間において共生・共存的要素の強い「八百万の神々」的概念(ありとあらゆるところに日本列島
的感性でカミを感じる概念)を徐徐に共有化しつつ、ある程度の「共通のコトバ」を伴いながら日本列島
に拡散していったと考えている。』

でさ、学者に対する訳が分からんレッテル貼りをする前に本人に疑義をぶつけてみたらw
188出土地不明:2009/09/24(木) 01:37:22 ID:QB5aBf0x

601 名前:日本@名無史さん :2009/09/24(木) 01:08:21
>>599   なんか匂うね!!!!

杞(紀)国,牟婁《ぼうろう》は今の山東半島で諸城県の西南だよ、後の「斉の国」
伊勢神宮の言い伝えで「斉」の御田より米が伝わったとも合うね。

紀(木,鬼)の国,熊野,牟婁(ムロ)の郡にある熊野大社はヤタガラス(三足烏)の故郷。

任那の牟婁四縣,百済の大姓(木氏),百済は百家で海を渡って来た伝説。
189出土地不明:2009/09/24(木) 01:39:01 ID:QB5aBf0x

602 名前:日本@名無史さん :2009/09/24(木) 01:22:49
>>601   追加....皇紀2600年に近いね。 紀元前445年、楚によって滅ぼされた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9E
杞(き)は、古代中国の殷代から戦国時代にかけて存在した国。国姓は?であり、禹の末裔と称した。
殷末周初に一時滅亡するが、周初に再興され、史料では東楼公より20代の王が記録されている。
紀元前445年、楚によって滅ぼされた。


190白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/24(木) 02:16:39 ID:JU5RJsMs
>>187
採集で食量確保に追われた縄文期が呑気なわけあるまあ。
共生、共存なら縄文人に何で食人習慣があったんなら。
共通のコトバなんか確認出来ん妄想よ。
レッテル貼り以前に、くだらん縄文美化を扇動する学者が可笑しげな
妄想じゃ云うとろうに。
19161:2009/09/24(木) 02:38:17 ID:ZbBPT2KR
>>190
>採集で食量確保に追われた縄文期が呑気なわけあるまあ。
列島外の文化受容が呑気であったということ。話をそらすなよw、
で、列島内で争っていたら食料確保にも支障が生じるでしょ。

>共生、共存なら縄文人に何で食人習慣があったんなら。
だからさ、食人風習は縄文期の一般的な習俗ではないって。
一般的習俗であったと断じるならば、相当数の例を挙げてみたらw

>共通のコトバなんか確認出来ん妄想よ
藤本強氏の『もう二つの日本文化』(1998年)の中で、南・中・北の文化交流のさいに
「共通のコトバ」が必要だったのではと推測している。

>レッテル貼り以前に、くだらん縄文美化を扇動する学者が可笑しげな
>妄想じゃ云うとろうに。
君は問い合わせもできないのかw
192出土地不明:2009/09/24(木) 03:34:03 ID:G2uEm0Un
>>190
河姆渡人の信仰...........中国古伝に、最初に生まれた子を食べると次々に子が産まれる、という風習の国ありとの記述がある。

@神が天下るときの乗り物として鳥を信仰し,鳥形飾りを建物の棟の上に飾った。これが神社の鳥居の原型となる。

A葬制として,死者の頭を東の方角に向けて葬った。東方重視は日本の古代祭祀も同じである。

B女性の墓に副葬品が多い。・・・母系社会

C東方海上の彼方に死後の安楽浄土があると信じた。これは春秋戦国時代以降の中国人にも東方楽土の信念として受け継がれていった。

D太陽に対する強烈な畏敬の念を持っていた。

E食人習慣があった。釜の中に魚の骨といっしょに嬰児の骨が混ざって出土している。中国古伝に、最初に生まれた子を食べると次々に子が産まれる、という風習の国ありとの記述がある。

かれら河姆渡人やその子孫が九州に移動していった可能性は十分にある。弥生時代のずっと前から,こういう人々が住み着いて日本人のルーツになったと考えられる。
193bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/24(木) 08:16:40 ID:Mb0Nczes BE:642929393-2BP(352)
>>168
お前牛だろ

論理が破綻してるぞ
194bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/24(木) 08:18:57 ID:Mb0Nczes BE:238122825-2BP(352)
>>169
おまえマゾか?

自分と自分の仲間が淘汰されるなんて言い出して・

>当然恣意的と言いますか不合理な考え方の人(達)

4000年前に農耕文明によって東アジア南北で圧倒的な人口差が開いたのに、
現代の人種の起源を詭弁を駆使して当時の北方民族に求めようとする牛君なんか典型じゃないかい
195出土地不明:2009/09/24(木) 13:58:32 ID:WMBIFahd
>>187 >>その地域的差異の中で異なった言語が幾つも存在していたと考えられるが、

・・・奈良時代には列島内の言語は日本語とアイヌ語しかなかったんだから、諸言語といっても琉球列島内の諸方言みたいな
日本語族が互いに通じない方言に分かれていただけだろうな。

 交流には後の時代と同様、その内の地方中心勢力方言が流通していたんだろう。
196出土地不明:2009/09/24(木) 17:33:57 ID:4TiffKI0
縄文時代は余裕があったんじゃないか?

縄文土器のさまざまな造形。
食うのにかつかつだったらあんな土器作らんて。
勾玉も時間かけて作っていた。
時たま天候不順で木の実が取れなかったり、不漁続きで魚にあり付けない事が
あっても大体はゆとりがあって生活できた。
南海でしか取れないゴボウラ貝の貝輪を身につける為に交易までしたいた。
ゆとりが無かったら装飾品の為に交易などしないし、そもそも装飾品を
見につかる事は無いだろう。

縄文晩期には寒冷化の影響でゆとりが無くなった様子が見て取れるけどね。

現代人の勝手な妄想で古代人を馬鹿にしちゃいかんぜよ。
197出土地不明:2009/09/24(木) 19:43:48 ID:0RcB7gr/
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
198出土地不明:2009/09/24(木) 19:55:46 ID:WMBIFahd
>>187 >>その地域的差異の中で異なった言語が幾つも存在していたと考えられるが、

・・・別言語があったとしても南島語、ツングース語の一派くらいか。
19961:2009/09/24(木) 21:07:10 ID:WN4dkMOX
>>198
フム、フム。であるならば、
「言語」よりも「諸方言」という表現の方がベターなような感じがしますね。

とにもかくにも、
「黒曜石等が示す交流の痕跡が縄文期に相当数あり、交流が行われていたことは容易に推察
できる。また、縄文期の新人(現生人類)が当時、「コトバ」を持っていなかったとは考え難い。
よって、交流する際に「共通のコトバ」を模索するのは、利便性からいって当然であると思われる。
ゆえに、交流が深まる度に、あるいは年月を重ねる度に、「共通のコトバ」に幅ができ、かつ広が
りをもったと考えるのが通常であると考える。」
200白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/25(金) 00:22:41 ID:AnET0HI1
>>191
http://cscd.osaka-u-ac.jp/user/rosaldo/030314morse.html
http://www.kochi-tech.ac.jp/jinrui60/page10k.html
上の方のモース氏による大森貝塚や熊本県松橋町の大野の当尾
貝塚。
下の方では、弥生期の大浦山洞穴でも、儀礼的食人が行われて
いた可能性が強い。
共通の交易用語は言語の同一性と関係あるまあに。
あんた縄文文明派の妄想文化人に白馬青牛を叩いてくれぇ云うて
泣きを入れたらどうか?
>>392
江南の食人習慣を隠さず書いてとる処、縄文文明派よりましじゃ
のう。岡正雄氏が「殉死をのぞいては、人身供犠の風習または
伝説は南シナより東南アジアの農耕社会に広く分布しており」
と、旅行者、乞食を犠牲獣ならん犠牲人間とした云うことじゃが、
日本でも関東地方はそれに近いのう。「馬庭のすえに生首たやすな、
この門外とをらん乞食・修行者めらぱ、やうある物ぞ。追物射に
せよ。」と乞食や修行者を犬追物の代わる的として殺害し首を晒す
風習があったし、旅人を殺す説話は関東に多いと宮本常一氏も
指摘される。まあ、殺す側の論理では西から疫病をもたらす
連中を許しておったら自滅する云う論理じゃろうけど。
わしの先祖も関東武士が多いけぇ、ご先祖様も旅行者から乞食まで
殺害しとったんじゃろうのう。
201出土地不明:2009/09/25(金) 00:42:17 ID:R3Ji2rLS
単に中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播しただけw


しかも、この査海遺跡の玉ケツ(ケツ状耳飾り)や玉匕とよく似ている遺物が、
福井県金津町の縄文早期末〜前期(6,000年前)の桑野遺跡から出土していた。
桑野遺跡だけではない。類似したケツ状耳飾は、前節の鳥浜貝塚をはじめ、
新潟県清水上遺跡、京都府浦入遺跡など日本海側の遺跡を中心に、日本全国に
分布しているのである。  

即ちこの玉ケツ(ケツ状耳飾)は、実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして
伝播したものではなく、中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、
桑野遺跡を含む北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html
202白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/25(金) 00:50:31 ID:AnET0HI1
>>191
>>200の上の方が出とらんかったのう。
http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030314morse.html
じゃったか。
>>196
縄文時代に余裕があったんは縄文中期の温暖期だけじゃ。
http://www.netcity.or.jp/michinoku/izakaya/jyomon/j23jyumyou2.html
縄文期の平均寿命は、15才未満の死亡率を除いても30才ちょっとじゃ。
気候が寒冷化すると人口も減少した。「一旦環境が悪化の方向に向かうと、
それを克服できるだけの文化的抵抗力に乏しかった」云うことじゃろう。
しかも、採集狩猟社会に縄文文明と文明云うほどのレベルは無い。
交易ならどこの採集狩猟社会でも当たり前じゃ。古代人を馬鹿に
しとらんし、日本だけが縄文期に文明化したじゃの電波じゃ云うとるんで。
20361:2009/09/25(金) 00:58:26 ID:50Jdq4uR
>>200
縄文期の食人の痕跡について

大森貝塚については、以下↓
モース報告書が提示されたのは1879年、『大森貝塚』という表題であった。
『モース報告書での大森貝塚の人骨の出土状況は、イノシシやシカその他の獣骨と混在し、
一体にまとまるものはなかったとされる。「1980年、山口敏は再度検討を加えて、三例の人骨
にわずかな切創痕を認めるとともに一例に切断端の一部が不自然に平滑な骨片を認めている」
ただ、モース報告書では人骨の出土があったが、1984年と1993年の調査では人骨の出土は
報告されてない。』---『日本考古学の原点』"大森貝塚" 加藤緑著より一部抜粋

当尾貝塚については、『大森貝塚』E.S.モース著(近藤・佐原訳) の中には、当尾貝塚について
「人骨はすべて割れており、堆積層のあちこちに無秩序に散乱していた」との記述あり。
但し、下記の見解から食人があったかどうか定かでない。
大浦山洞穴の弥生時代人骨(弥生時代の食人に関しての考察あり)↓
>古人骨資料において食人痕跡であるか否かを判断する難しさは、様々な先行研究において
>指摘されている(White 1992, Turner and Turner 1999)。鈴木も述べているように、
>単純な骨の人為的な損傷や破壊の有無は、再葬や儀礼・呪術目的、加工目的など食べる行為
>を伴わない要因が想定され、決定的な食人の証拠とはみなせない(鈴木 1998, White 1992)。
http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/s24.html

あと、伊川津貝塚や中沢浜貝塚の成人ないし熟年男性人骨に切創痕が多いことから鈴木尚氏が
食人であると推定したということくらいかな。

私が知る限りでは、これくらいかな。報告された事例はきわめて乏しい。
以下次レスへ続く
20461:2009/09/25(金) 00:59:55 ID:50Jdq4uR
で、
『2008年
20561:2009/09/25(金) 01:04:28 ID:BzsyNZnK
あらら。。
で、
『2008年8月現在、奈良文化財研究所データベースに蓄積されていた縄文遺跡の(種別)
個別データは27,563件、その内、日本列島に存在する貝塚遺跡の総数は約3000ヵ所
(その大部分は縄文時代に属する)にのぼり、日本全国から発見されている縄文人骨は
少なくとも数千体になるといわれている』
の中の数カ所しかないということは、一般的な風習あるいは習俗とまではいえない。

>相当数の事例が提示できない限り、一般的な風習あるいは習俗とまではいえない。
>相当数の事例が提示できない限り、一般的な風習あるいは習俗とまではいえない。

まぁ、縄文期の一時期にある一部の縄文集団が行った呪術的信仰や宗教儀式的なカニバリズム
なのでしょう。先史時代では世界各地で見られることであり、特に珍しいことではないかと。
206白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/25(金) 01:50:31 ID:AnET0HI1
>>203-205
旧石器捏造を煽った、騎馬民族説嫌いの共産主義史観の佐原真氏や
渡来説を嫌う鈴木尚氏の文面だけを強調しても意味があるまあ。
日本の食人は明治期でもあった既成事実じゃし、百人おれば、
百通りの論理が出来る論理観念論でしかも付け足しで、
世界各地にあると事実を指摘して縄文期から明治期の食人風習を
言い訳しても虚しいかろうに。
20761:2009/09/25(金) 01:58:57 ID:BzsyNZnK
>>206
だからさ、ゴチャゴチャ言う前に縄文期における食人痕跡の相当数の事例を提示したらw
208出土地不明:2009/09/25(金) 02:46:26 ID:6b5ZAOGc
紀元前500年頃の孔子でさえ人間の内臓で作った塩辛が大好物だと
云う位だから、当時の倫理感からすれば如何って事ないって言う感じかな。

ましてや縄文時代なら、別になんとも無いよって感じ。
209出土地不明:2009/09/25(金) 15:40:51 ID:vAGo7wRl
縄文農耕の世界―DNA分析で何がわかったか 縄文への道
同著は著者の最新(本年9月刊)の書で、専門のコメを始めクリ・ヒエなどを沢山の植物が
『どうも縄文時代には栽培されていた』ということを、専門のDNA鑑定を通じて明確に
証明して行く。一方我々が「農耕」というとき、どうしても現在の整備され ...

縄文農耕 とは
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000?年前(縄文時代中期)の土器に
稲もみの圧痕跡があることが判明、当時の稲作が確実視されるようになった。稲以外でも
小麦、大豆、三内丸山遺跡のクリや鳥浜貝塚のヒョウタンなどの栽培種が認められ、
打製石斧(石鍬)や石鎌、掘り棒、石包丁等の農具が多数出土し ...
210出土地不明:2009/09/25(金) 15:44:01 ID:vAGo7wRl
<大豆痕跡5点発見、縄文農耕論の可能性高まる 山梨>

山梨県立博物館(山梨県笛吹市)などの研究チームが、約5000年前の縄文時代中期の土器から
栽培されたとみられる大豆の痕跡5点を発見した。同チームは1年半前、同時期の土器から大豆の
痕跡1個を発見したと発表し、穀物栽培は弥生時代(2500〜3000年前)からという「定説」を
変えるかもしれないと注目を集めた。さらに今回、多数の小豆類やシソ属なども発見された。
専門家の間でまだ少数派の“縄文農耕論”に弾みがつくとともに、縄文人の食文化のイメージも変えそうだ。

県立考古博物館や県埋蔵文化財センターなどの研究者5人は、1年半前に大豆痕跡が見つかった
縄文時代中期の酒呑場(さけのみば)遺跡(北杜市)に加え、同時代の女夫石(めおといし)遺跡(韮崎市)から
出土していた土器を調査。土器に残る痕跡にシリコンを流して型を取り、顕微鏡で調べていった。

野生の大豆は長さ4、5ミリで、水に浸しても最大約8ミリにしか膨らまないが、
発見されたのはいずれも10ミリ前後と大きかった。

これまで、より大きい大豆痕跡が熊本県と長崎県の縄文時代後期(約3500年前)の土器から見つかっていた。
研究に当たっている熊本大学の小畑弘己准教授(東北アジア先史学)は山梨県での発見の意義を認めつつ、
「縄文時代に中部地方で先に大豆が栽培され、九州に伝わった可能性もある」と指摘する。

211出土地不明:2009/09/25(金) 15:49:18 ID:cioeapeF
青森県の遺跡で見つかった炭化したヒエを、縄文時代中期の栽培種の可能性が高いと指摘したことのある
国立歴史民俗博物館(千葉県)の西本豊弘教授(環境考古学)は「大豆の栽培はもう確実で、小豆類は
あまり例がなくおもしろい。縄文時代中期の考え方が変わる発見だ」とみている。

山梨県の研究チームはまた、約1000年さかのぼる縄文時代前期(約6000年前)の
天神遺跡(北杜市)の土器も調査。栽培大豆の野生種のツルマメと、野生種のシソ属
(エゴマ・シソ)を発見した。

中山課長は「栽培大豆の前段階の、野生のツルマメが見つかったのは初めて。縄文人は、香りが強く
殺菌作用のあるシソやゴマも食べていたのでは」と話す。縄文人の多様な食文化が浮き彫りになりつつある。

「長野県などで発見するなど広がりの確認が必要」(西本教授)という課題も残っており、
縄文人が稲作の前に行っていたとみられる穀物栽培の、さらなる解明が待たれている。
212出土地不明:2009/09/25(金) 17:35:06 ID:erMJRasg

あらっ何縄文シリーズ?
213出土地不明:2009/09/25(金) 18:03:50 ID:HmWTA6sk
一番有力な説は、【宇宙人の捨てたゴミから勝手に産まれた】と言う説

だから外見も性格も汚い人種なのかぁ〜www
214出土地不明:2009/09/25(金) 18:34:15 ID:dXqqe0bp
縄文人=シュメール人
215出土地不明:2009/09/25(金) 20:10:07 ID:HP6WOIaw
縄文人はスンダランド人
で海岸伝いに素潜りや磯漁しながら移動してきた人達だろな
だから内陸に余りY−DNAを残さなかった。
216出土地不明:2009/09/25(金) 21:21:14 ID:9lSZg/ZX
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



217出土地不明:2009/09/25(金) 21:51:50 ID:6uu3KTS4
>>215
家族で筏に乗って魚を弓で射止めながら、陸地では山菜取りしながら結構楽しく。いいな〜〜
218出土地不明:2009/09/25(金) 22:03:41 ID:NtYc7YyJ

まるでピクニックだにゃ

海の上の方が猛獣がいないし安全

山道の登り降りしなくても良いしね。
219出土地不明:2009/09/25(金) 22:59:00 ID:T7/Srhif
温かいし、食い物はたくさんあるし、海岸沿いに、
日本に来た人もたくさんいただろうにね。
220出土地不明:2009/09/25(金) 23:14:40 ID:TUIqzBc2
縄文人=シュメール人
221出土地不明:2009/09/26(土) 00:28:30 ID:SAw+P6mr
Y染色体で言えば、
北方系といってもスンダランドから派生したハプロタイプがほとんどでしょ?
元は南方系ということか。
222出土地不明:2009/09/26(土) 01:01:17 ID:kkBjV1ME
今のパプアニューギニア人見たいに、草で作った腰みのと
チンチン隠すコペカと弓矢とモリさえ有れば、何処えでも移動できる南方だと
スンダランドは古代人にとって楽園だったんだろな。
223白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/26(土) 01:49:19 ID:7x8HCAqi
>>207
縄文人の食人痕跡を事例を云うたが、相当数たぁどがあな規模なら。
出土品で残るんはごく一部じゃけぇ、縄文期に食人や人身供儀が一部
云う方が電波になる自覚の無いようじゃのう。
>>208
中国からオセアニアの豚肉をよう喰う地域は食人の痕跡が強い。
沖縄でも死んだ親類を供養として食す風習から近い親戚は、親肉親類、
遠い親戚は脂肪親類と云うた。豚は化粧品に使うよう人間に合うんか、
豚肉の味も人肉に近い味のようで。
>>209
縄文期の採集狩猟の半栽培を農耕たぁいえまあ。
>>211
旧石器捏造を煽った歴博の大本営発表の電波なんか宣伝してどうすんない。
>>215
篠田謙一氏によると、縄文人はブリアートや雲南も含むが、概ね
朝鮮、遼寧、山東の方が遺伝子が近いそうな。縄文人も朝鮮半島から
渡来した連中が多数派じゃろう。
>>219
渡来する集団が武力が無いと人身供儀か食人で喰われるか奴隷になるかよ。
甘いロマンで夢見なや。食量確保もままならんのに。
224出土地不明:2009/09/26(土) 01:54:03 ID:iJPWqPtt
>>218 しかし、海にはサメやタコ坊主がいるし、坂はないが大波に揺られて船酔いする。
225出土地不明:2009/09/26(土) 02:04:59 ID:SAw+P6mr
>>223
Y染色体は男系遺伝しないと言ってる学者名をたったの一人も言えず、
51回もスルーしてて偉そうに言うなよボンクラ。
おまえの腐ったどたまカチ割ったろうか。
226出土地不明:2009/09/26(土) 02:19:13 ID:yiU85mtY
現在でも海が荒れた時は漁休むよ、その時の為に海産物は干物として保存する
サメは日本ではワニ、フカ、と言って食料として大変歓ばれる。
227出土地不明:2009/09/26(土) 02:30:35 ID:TdEVI3Hm
分子人類学から見た縄文人のルーツ

女系遺伝子ミトコンドリアDNAの分析による縄文人のルーツ解明も試みられている。
宝来聡によると、東南アジアの少数民族と現代のアイヌおよび琉球弧人が共通の因子を持つとされ、形質人類学において
この両者と縄文人が特に近いとされることから、縄文人のルーツの一つに東南アジアの旧石器時代人が存在したとの見方が可能である。


228出土地不明:2009/09/26(土) 02:32:03 ID:TdEVI3Hm
一方、篠田謙一の研究によると、縄文中期以降のものとされる茨城県や千葉県出土の縄文人の化石人骨から採取された
女系遺伝子ミトコンドリアDNAは、ブリヤートの人々と共通の因子があるとされる。つまり、縄文人のルーツの一つがバイカル湖周辺にあるとの見方もある。
229出土地不明:2009/09/26(土) 02:39:45 ID:8Qo8NeFD
日本人の発生的系統を考えるとき、上記分類によると、日本人はまずは東ユーラシア人ということができる。
ただし、たとえば中国の山東省の臨?(りんし)から出土した古人骨のミトコンドリアDNA分析では、
春秋戦国時代の集団は現代ヨーロッパ人類集団・トルコ人集団に近く、前漢時代の集団は中央アジア集団のクラスターに入るものであった。
230出土地不明:2009/09/26(土) 02:41:03 ID:zOTkX34G
もとはインディオ
231出土地不明:2009/09/26(土) 02:41:23 ID:8Qo8NeFD
それゆえ王朝の交代や戦乱や様々な事情で人類集団の系統は地理的にも定住するとは限らないし、
「アジア人」と「ヨーロッパ人」とが分岐したからといって両者は完全に分割できるものではない。

また、日本人だけを調べても日本人の起源は分からないので、各人類集団との対照研究が必須である。
232出土地不明:2009/09/26(土) 02:47:02 ID:BuKZHjzs
D系統分析からのシナリオ

D系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、
Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。東アジアの地域全体にはアジア系O系統が広く分布し、
島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと崎谷のシナリオでは考えられる。
アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体 分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、
同じく日本人に固有に見られるタイプで朝鮮半島や中国人にはほとんど見られず、それゆえこの YAPハプロタイプ(D系統)の集団はいわゆる「縄文人」と考えられた。
233出土地不明:2009/09/26(土) 02:48:44 ID:BuKZHjzs
さらにハマーはチベット人も沖縄人同様50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、
約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとするシナリオを提出した。つまり日本人と他のアジア人とは遺伝的類縁性を持ち、父系を示すY染色体を共通して所持する集団が
アジア大陸から 日本列島へと移動していき、列島において母系集団を形成することを長期にわたって継続し、縄文時代において混交を繰り返したとする。
234出土地不明:2009/09/26(土) 04:41:23 ID:z6epOIyL
山東・臨siの古人骨のコーカソイド説は中国の考古学界では頑なに
認めてないみたいだが何か政治的な理由があるのだろうか?
235出土地不明:2009/09/26(土) 10:44:50 ID:US8kwuqy
>>234
その節は日中共同発表だったろ。
鉄器も彼らがもたらしたものだろうし、
始皇帝の兵馬ようには多数のコーカソイドがいる、
君らと違って気にしてないってのが正解でしょ。
236出土地不明:2009/09/26(土) 11:05:51 ID:YoP+xvXG
蛮族コーカソイドが、世界の文明の中心たる中原に
向かうのは当たり前だろう。
ここ数千年間、その動きは現在まである。
呂布や李白が金髪碧眼だった可能性さえある。
杭州生まれのアイドル、ローラ・チャンが
日欧ハーフの加藤ローサに顔が似てるのは
ローラの母がウイグル族だから。
中国西域のコーカソイドの血は流入し続けている。
237出土地不明:2009/09/26(土) 15:34:11 ID:Uj5GKGGF
コーカソイドならインド、バングラデシュにウジャウジャいるから
南回りからも入っているしな。
238出土地不明:2009/09/26(土) 15:36:30 ID:Uj5GKGGF
>>236 >>ローラの母がウイグル族だから。

それならトルコ語族だから日本語が上手いのは当たり前だな。
239出土地不明:2009/09/26(土) 15:42:44 ID:XGjRWcj3
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
240白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/27(日) 00:52:59 ID:R1o8VFpm
>>228
http://www.dai3gen.net/mt08.htm
NHKスペシャルに洗脳させられたんか。篠田氏自身、ブリアートも
縄文人に影響を与えたが、朝鮮、遼寧、山東の近隣の集団が
縄文人により近いと云われたことを無視したNHKの独走じゃ。
マスメディアなんか、読売、朝日、毎日、フジのテレビ局も捏造し
視聴者を騙す洗脳体質は、戦時中の大本営発表と体質は変わらんよ。
日本のマスメディアが発信したら、過去の事例から捏造、偽証の可能性が
強いと判断するんが真っ当な人間じゃ。
241出土地不明:2009/09/27(日) 01:58:59 ID:eX+xdtbJ
>>236 シナにいくらコーカソイドが来たとしても古代から圧倒的に多い
モンゴロイドに吸収されて跡形も残っていないな。
242出土地不明:2009/09/27(日) 15:10:46 ID:c5M9IKrA
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
243出土地不明:2009/09/27(日) 15:14:20 ID:XhVG5GnS
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
244出土地不明:2009/09/27(日) 16:15:42 ID:vC82gSyk
>>240
科学者はデータに語らしむ
お前は妄想で語る(笑笑笑)
245出土地不明:2009/09/27(日) 17:08:57 ID:W9Scr+dB
天皇に姓がないのは「どこから来たか言えない事情があったから」
日本の姓は普通出身地の地名を指す
天皇に姓がないのは天皇という位を作った天武が「私はどこそこのだれそれです」を
明かすことができない人だったから
246出土地不明:2009/09/27(日) 17:53:49 ID:vC82gSyk
>>245
本来日本に姓は無い。
247出土地不明:2009/09/27(日) 20:28:11 ID:W9Scr+dB
天皇が部下に下賜する姓のことを言ってるんじゃねーよ
248出土地不明:2009/09/27(日) 20:33:36 ID:XgoRPhr3
万葉言葉がシュメール語として読めるってことから、シュメール人が元々いたという
インドの北西あたりが日本人の故郷じゃないかな。
249出土地不明:2009/09/27(日) 20:58:24 ID:Fbf58oN3
>>245 モンゴル人にも姓がなかったのでモンゴルから来たのかもな。
250出土地不明:2009/09/27(日) 21:10:34 ID:HAtjPBZw
D系統
251出土地不明:2009/09/27(日) 21:14:09 ID:Mhus2sYa
それを言うなら北方アジアだろ。

北方には姓が無かったからね。

弥生人は北東アジア系と学会でもう答えは出ているんだよ。

ただ北東アジアのどこからかがこれからの争点。
25261:2009/09/27(日) 21:35:59 ID:QhNRGED9
>>223
>縄文人の食人痕跡を事例を云うたが、相当数たぁどがあな規模なら。

例えば、縄文期の抜歯については、出土した百体以上の人骨に抜歯の痕跡が確認され、
「縄文時代後・晩期」の一般的な風習であると認識されているようですが、食人については、
十体未満くらいしか確認されていない現状では、とても一般的とは言えない。
縄文期の食人については、ある一時期のある一部の縄文集団が行ったというくらいが関の山
でしょう。以下縄文期における抜歯風習の一部の事例を列挙してみましょう。↓

・愛知県吉胡貝塚(縄文後期)340体もの人骨が発掘され、人骨の多くには縄文時代の風習で
 ある抜歯が見られる。「縄文時代研究事典」を参照
・岡山県津雲貝塚(縄文後・晩期) 約174体の縄文後・晩期の人骨が発見された、人骨の
 若年以上の成人は抜歯されていたと云う。「縄文時代研究事典」を参照
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/publish_db/books/collection2/tenji_honyurui2.html
>叉状研歯のある縄文時代頭蓋骨:愛知県の吉胡貝塚と岡山県の津雲貝塚では
>90パーセント前後の高率で抜歯が記録されている。

・愛知県伊川津貝塚(縄文晩期)人骨はこれまでの発掘で191体を数え、そのほとんどが
 晩期に属するものであり、成人骨23体の内21体に抜歯が認められた。↓
 以上「縄文時代研究事典」とhttp://www.taharamuseum.gr.jp/heritage/list.htmlを参照
・愛知県平井稲荷山貝塚(縄文晩期)90体以上の人骨が検出されたと云う。彼等からは抜歯や
 叉状研歯の風習が見られたと云う。以上「人と社会」"抜歯"舟橋京子著とHPを参照

・北海道入江貝塚(縄文時代前期〜後期)21号人骨には抜歯の痕跡あり。
・北海道美沢遺跡(縄文後期)出土人骨に抜歯の痕跡あり。
・岩手県大付遺跡(縄文晩期)出土人骨に抜歯の痕跡あり。
・茨城県広畑貝塚(縄文後期)男性人骨の上顎左側犬歯抜歯の痕跡あり。
・千葉県曽谷貝塚(中期〜後期末)人骨一体に、上あご左側の側切歯二番目の前歯と
 下あご右側の側切歯の2本における抜歯の痕跡あり。
・岐阜県縄文晩期(縄文晩期)人骨3体とも壮年後半〜熟年前半の男性で下顎右犬歯に
 風習的抜歯の痕跡あり。
・愛知県大曲輪貝塚(縄文前期)仰臥屈葬の成人男性の人骨は、抜歯が上下8本に施
 されていた痕跡あり。
・愛知県保美貝塚(縄文晩期)出土人骨に抜歯の痕跡あり。
・大阪府森之宮遺跡(縄文後・晩期)出土人骨に抜歯の痕跡あり。
・岡山県中津貝塚(縄文後・晩期) 屈葬人骨一体発見、抜歯された痕跡あり。
・熊本県御領貝塚(縄文晩期)抜歯のある人骨などの出土あり。
・鹿児島県柊原貝塚(縄文後・晩期)20歳前後の男、片方は30歳代の女、犬歯が2本抜歯
 されていると言う。
以上各HP及び「縄文時代研究事典」を参照

・熊本県轟貝塚(縄文前期)、岡山県羽島貝塚(縄文前期)、広島県大田貝塚(縄文中期)、
千葉県中峠貝塚(縄文中期)出土した人骨に抜歯の痕跡あり。
以上「考古学を知る事典」を参照。

以下、次レスに続く。
25361:2009/09/27(日) 21:38:06 ID:QhNRGED9
縄文期(縄文草創期・早期〜晩期)を通して「食人風習が一般的である」と断じたいのであれば、
縄文期に出土した数千体中百体以上の事例が必要でしょうね。
ゆえに、食人風習における相当数の事例とは「出土した縄文期の数千体中最低でも百体以上
の事例」が必要であると考えられる。

なお、食人があったと推定される食人痕跡人骨出土は、『大森貝塚(縄文後期・晩期)、当尾貝塚
(縄文後期以降)、伊川津貝塚(縄文晩期)、中沢浜貝塚(縄文晩期)[人骨は晩期とされる]』
縄文後期・晩期に集中しており、個人的には「縄文後期・晩期」に、ある一部の縄文集団に食人
があったのではないかと考える。
254出土地不明:2009/09/27(日) 21:40:03 ID:HAtjPBZw
縄文人はグルメ
25561:2009/09/27(日) 22:12:54 ID:QhNRGED9
>>253
ちと、訂正。
×縄文期に出土した数千体中百体以上の事例が必要でしょうね。
○出土した人骨が縄文期であるとされる数千体中百体以上の事例が必要でしょうね。
25661:2009/09/27(日) 22:41:47 ID:QhNRGED9
>>252
申し訳ない。再び、訂正。
×・岐阜県縄文晩期(縄文晩期)
○・岐阜県庭田貝塚(縄文晩期)
257出土地不明:2009/09/28(月) 00:08:48 ID:9E5eLAHT
日本の縄文遺跡って異常に多くないか
何ヶ所くらい有るんだろ?
25861:2009/09/28(月) 00:16:19 ID:X3dF+GXE
>>257
>>205で、記載していますが、一応、
「2008年8月現在、奈良文化財研究所データベースに蓄積されていた
縄文遺跡の(種別) 個別データは27,563件」らしいです。
259出土地不明:2009/09/28(月) 00:20:34 ID:xtVbfRRS
>>257   伊那谷だけで県下最多(約8500)の遺跡数だから、全国だと数十万とかで把握不可能だろ。

伊那谷の縄文時代A伊那谷は県下最多(約8500)の遺跡数を持つ *縄文遺跡が多く、大半は縄文中期 *関東、関西、東海の文化の接点であり、出土品が多い
B縄文人は木の実を食べていた(採集+狩猟・漁労) *縄文人の主食は木の実(8割以上)、残り2割が魚や肉: ...
260出土地不明:2009/09/28(月) 00:41:45 ID:Jx89EIQD
61氏。
基本的に日本を貶めたいと思ってる白馬青牛は、
縄文時代に食人習慣があったと決め付けたいので、
女の腐ったような細かい反論してくるはずですよ。
26161:2009/09/28(月) 00:51:14 ID:X3dF+GXE
>>260
OK、助言ありがと。
しかしながら、ちと眠たくなってきたので、今日はもう寝ます。
お休み。
262出土地不明:2009/09/28(月) 01:13:56 ID:uMK7MUYY
もうそろそろ馬鹿性牛が出没しそうなんで俺も寝るわwwwww
263出土地不明:2009/09/28(月) 02:01:03 ID:IEOzYpjJ
ちっ!みんな寝やがって,わしゃ一人か?
264出土地不明:2009/09/28(月) 02:18:19 ID:o7PjS8tv
明日は遅勤にしてくれよ
何で5時までなんよ支部長の馬鹿やろう
民潭の幹部連中、調子こいてないかー
265白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/28(月) 02:23:35 ID:HsXSOuV/
>>252-253及び>>255-259
抜歯の習俗と食人の風習に関連させるレトリックは稚拙じゃのう。
食人、人身供儀を、縄文人の誰もがする抜歯成年儀式と混同させる操作工作
よのう。人身供儀なんか度々やったら縄文人は種を残せんわ。
食人も食量が枯渇する時以外はする必要もない。
手前勝手な食人数量認定すなや。モース氏の指摘されたよう、
何例か食人例があったら、食人タブー概念は薄く、食人習慣のあった
地域と考えるもんじゃ。
ほいで、縄文人の主食も内陸部の採集植物中心と沿岸貝塚の動物
タンパク質の多い食生活と地域によっても違うど。
>>260
日本を貶めたいじゃ?逆にトンデモ日本美化するロマンチシズムの方が
「夜郎自大症」「他民族蔑視」云う旧国軍の負の部分を継続しとる
ネット右翼の性質じゃ。
わしが女の腐った云うんなら、広島へ勝負しにこいや。
軟弱ネット右翼君よ。
266出土地不明:2009/09/28(月) 02:33:19 ID:qgqdJzzM
牛も出没したしいい加減にせーよ
267出土地不明:2009/09/28(月) 02:35:00 ID:qgqdJzzM
みっちゃん ビールもう無いんか
268出土地不明:2009/09/28(月) 02:36:43 ID:qgqdJzzM
あんたちょと飲みすぎ はよ寝ーや
269出土地不明:2009/09/28(月) 02:38:53 ID:qgqdJzzM
そんな事言ったって5時までせにゃならんし
民潭の馬鹿やろう
270出土地不明:2009/09/28(月) 02:40:27 ID:qgqdJzzM
牛も出てきたから見張っとかな遺憾し
271出土地不明:2009/09/28(月) 02:42:30 ID:GLSqLR/q
あっネット切れた、くそっ
272出土地不明:2009/09/28(月) 02:44:29 ID:GLSqLR/q
ビールまだか、スルメもついでに頼む
273出土地不明:2009/09/28(月) 02:46:17 ID:GLSqLR/q
あ〜〜眠いの〜5時までか長いの〜〜支部長の馬鹿!
274出土地不明:2009/09/28(月) 02:50:10 ID:GLSqLR/q
牛もう寝たかのう、毎日毎日下らん小学生の作文見たいなんばっかり
牛っ出て来い!!ジジイじゃからもう寝たな
275出土地不明:2009/09/28(月) 03:03:29 ID:euijukjx
276出土地不明:2009/09/28(月) 03:05:28 ID:J3sJmlOM
277bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/28(月) 07:17:40 ID:QRYQp4Mq BE:1071549959-2BP(352)
>>223
>渡来する集団が武力が無いと人身供儀か食人で喰われるか奴隷になるかよ。
>甘いロマンで夢見なや。食量確保もままならんのに。

北アジア人が得しない説をあまり条件反射で反論しないことだな

旧石器時代に最初期に来た人類(縄文人)の話でどうして武力だの奴隷だのって障害がでてくるんだ?
日本には北京原人あたりの異人類文明でもあったのか?君の脳内では
278出土地不明:2009/09/28(月) 07:32:49 ID:R9Rl5nFF
でも青牛さんはすこし欧米かぶれな気もする・・アジアの学者の言うことは
信用しないけど横書きの名前の人はすぐに引用して自説の権威付けに使ってる。
279出土地不明:2009/09/28(月) 09:28:43 ID:72A3Tbre
チョンだよアイツ人類学板にもよく出没するよ
280bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/28(月) 19:21:41 ID:QRYQp4Mq BE:1285859669-2BP(352)
朝鮮人が欧米人に憧れるのは何でだろうな
韓国のビデオ屋はたいがいAVコーナーには独立して洋物棚があるという話も有名だが、
俺の友達の朝鮮系(帰化。完全に日本人として育っている)も超がつくマジメ君なのに白人女性には異常な執着を見せる
281bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/28(月) 19:30:46 ID:QRYQp4Mq BE:1285859096-2BP(352)
一応俺が考えたのは(誰も聞いてないだろうけど)

朝鮮系は親に包み込まれて(普通家庭は厳しいけれど、何となく子供に距離を置いてるんじゃないかと思う)育つから、
基本的に
・世間知らず。自分のおかれた環境から人と同じように楽しみを探し出せない
・よくあるステレオタイプに当てはめてしか物を考えられない、自分の感性で考えようとしない
・精神年齢が低い
・自分は特別・マジメと漠然と思ってる→他人を信用しない、共同作業をすると被害者意識全開になる
・ムッツリ(性的なことに限らない)
・周り(その場で強者っぽいやつ)にとにかくあわせようとする。しかしステレオタイプに当てはめて周りを分析するので、結局同化できない
が10人のうち9人に共通してる。

それで、「東京」とか「欧米」とかいう物に漠然と信奉してしまうんじゃないかなあと思う。
282出土地不明:2009/09/28(月) 19:51:17 ID:mBeooOLK
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
28361:2009/09/28(月) 21:12:26 ID:TtmBehqA
>>265
>人身供儀なんか度々やったら縄文人は種を残せんわ。

>モース氏の指摘されたよう、何例か食人例があったら、食人タブー概念は薄く、
>食人習慣のあった地域と考えるもんじゃ。

おやっw、上記の君の考えに従えば、食人痕跡のある人骨の何例かは、縄文後期・晩期のもの
とされる出土例なので、「縄文後期・晩期に日本列島のある地域で、時々、人身供儀(食人)が
行われていた程度」ということになりますね。結局、君の考えに沿って考えたとしても、
縄文期(縄文草創期・早期〜晩期)を通して、"食人はさほど行われていない"ということになる。

まぁ、食人が、縄文期を通して頻繁に行われていたというイメージを構築したいのなら、
食人痕跡のある出土例を多数提示したらw
284出土地不明:2009/09/28(月) 23:00:09 ID:L3oDyES7
>>280 朝鮮人が白人から一番遠い顔つきをしているから劣等感をもっているんだろう。

 日本人なら白人にちかい人間もいるからそう珍しいとも思わない。
285出土地不明:2009/09/29(火) 00:35:47 ID:4Iek7Z8s
白馬青牛氏の話題は下記の方でお願いします。

◆重複スレ※白馬青牛と仲間達専用(隔離)スレ]◆
日本人どこから来たんだ?8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252749898/
286出土地不明:2009/09/29(火) 00:36:17 ID:4vFkvwoV
>>265
>わしが女の腐った云うんなら、広島へ勝負しにこいや。
>軟弱ネット右翼君よ。

だからY染色体は男系遺伝しないと言ってる学者名を言えという質問を、
53回もスルーしてていきがってるなやこのボケが。

お前が【男らしく】学者名を言ったなら、
広島でもどこでも行ってやるよw

ほら言ってみろやオカマ禿げw
287出土地不明:2009/09/29(火) 01:00:01 ID:/PFffSk+
>わしが女の腐った云うんなら、広島へ勝負しにこいや。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
288白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/29(火) 01:43:52 ID:6eO2Y6Rd
>>277
縄文人が一種類で渡来時期も同じじゃと妄想しとるんか?
シベリアから細石刃文化人だけじゃのうて、篠田謙一氏が縄文人の
mtDNAが、ブリアートや雲南も含むものの概ね朝鮮、遼寧、山東の
集団に近いとされるよう縄文人も各地からの渡来があったし、
縄文中期の紅山文化の影響はシベリアより南の満洲じゃし、
縄文後期の半栽培民文化は照葉樹林文化の影響が強い。
旧石器時代の住民なんか後に渡来した縄文系に圧迫それる存在でしか無い。
島国で在地人が渡来系を支配したなんか英国でも例があるまあに。
ほいで、
>>283の縄文後期、晩期の食人の痕跡が偏るんは、寒冷化による
人口減少と、食人習慣の乏しい北東アジア系の縄文人と違い、
照葉樹林文化の半栽培民文化の食人文化の強い南方文化の縄文人が食人を
加速したと多面的に見る必要はあろう。縄文後期、晩期も縄文期
じゃけぇ、人口減少期食人が乏しいとするあんたのレトリック論理展開は
嘘になるのう。
>>278
わしが欧米かぶれ?欧米なんか19世紀の史学なんか社会進化論で
ひどいもんじゃったよ。20世紀になって世界を多面的に見るように
徐々にましになって来たが。歴史の総合的視点じゃあ今でも、
西洋より東洋が上じゃろう。
まあ、東洋、東アジアの方も日本、中国、朝鮮の極東儒教国家は、
隠蔽、捏造する癖が強いけぇ、その点は西洋より劣るんじゃないか。
>>280-281
Y染色体論者が、いかに朱子学攘夷主義か、ナチスレイシストであるかの
証左と云えよう。
>>286
あんたが広島駅に着いて、居場所を云うたらええだけど。
まあ、あんたネット右翼に典型な弱虫じゃけぇ来まあがのう。
289出土地不明:2009/09/29(火) 02:13:51 ID:kyMRMrDp
━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E ムキになって駄文荒らし   .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
290出土地不明:2009/09/29(火) 08:11:48 ID:4vFkvwoV
>>288
はい、答えられず54回目のスルー。

>あんたが広島駅に着いて、居場所を云うたらええだけど。
>まあ、あんたネット右翼に典型な弱虫じゃけぇ来まあがのう。

お前が質問に答えられたらどこでも行くよ。
逆に招待してやってもいいがなw
まあ、あんたクズ左翼に典型な卑怯者弱虫じゃけぇ来まあがのう。
291出土地不明:2009/09/29(火) 11:20:04 ID:3WBCZLPb
>>288
一度こってり生物学の特別授業をしてやろうか?
ちゃんと講義代はいただくが(笑笑笑)
292出土地不明:2009/09/29(火) 19:44:33 ID:j24+tIoe
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
29361:2009/09/29(火) 22:18:02 ID:hG+2fb6Z
>>288
>縄文後期、晩期も縄文期じゃけぇ、
縄文後期・晩期は縄文期の一部であるとも表現できるw

>人口減少期食人が乏しいとするあんたのレトリック論理展開は嘘になるのう。

「飢饉等の食料欠乏状態での食人」を対象とするならば、その食人は非日常的なものであり、
追いつめられ、生き残りたいとする本能的なものでしょう。(非日常時は、日常時に食人をしない
集団と日常時に食人をする集団の本能的なものはあまり変わらないのでは)
ゆえに、日常時に形成されたと考えられる共生・共存的要素の強い思考形成とは関係ないでしょ。

ちなみに、食料不足であるとされる縄文後期・晩期、食料減少に伴う人口減少は当然であるが、
縄文人はクリの入手が困難になると、やむなく手間がかかるトチの実で補う。それはアク抜き技術
の本格的な利用から推定できる。で、小規模ながら温暖な気候の復活があったようで、漁労条件
が安定した内湾への移動が推察できる。こうして縄文人は「日常」の工夫によって、食料減少に立
ち向かったのである。

でさ、早いとこ、食人痕跡のある出土例を多数提示したらw
294出土地不明 :2009/09/29(火) 23:47:27 ID:3jby2iBx
NEWTONムック9/28新刊
日本人の起源 最新版―最初の日本人から、邪馬台国の謎まで
誰か読んだ人よろしく。
295出土地不明:2009/09/30(水) 00:19:26 ID:kV7fyPID
>>288
だからよ
その北東新モンゴル人って言うのはどこから沸いてくるの?
もしかしてアフリカから北上した旧石器人が
ヨーロッパでコーカソイドへ進化し、北極周辺周りの東進でモンゴロイドへと進化
シベリアでアメリカへ渡ったルートと分化し、シベリアにとどまり
そこから南進したモンゴロイドがいたという説か?
その説は古い説で、近頃は否定されてるぞ
296白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/30(水) 00:46:17 ID:0ro0/27k
>>290
こんな、広島へ来たら卑怯云う日本人にとって最大の侮辱語を
使う日本人の誇りを汚す日本人にあるまじきネット右翼の
言動を取るおどれに話が解るようにしちゃるよ。
あんたが弱虫じゃ無いんなら、広島へ来いや。弱虫じゃ無いんなら、
わしを制圧する手段や技量でもあるんか?ネット右翼なんか、
実際に在日朝鮮人に会うと諂う人種じゃろうに。
マルクス主義に批判的なわしが左翼たぁのう。左翼史観の
自民族発展段階説に近いんは、縄文文明派の>>61氏じゃろうに。
ネット右翼と左翼は、社会進化論賛美、全体主義肯定、日本の
伝統的なものは何でも反対の革新主義で似とるんじゃないか。
>>291
ナチス優生学によるレイシスト講義を受けても意味があるまあ。
297白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/30(水) 01:16:19 ID:0ro0/27k
>>293
江戸期飢饉になっても、瀬戸内沿岸部地域や広島や北陸の浄土真宗地域は
赤児殺しの間引きをせんかったが、東北は飢饉で間引きは当然で
親族の肉を人肉市場に売ったりしたんは、地域の習俗や宗教概念に
基づく。縄文期の人口減少期に飢饉で人肉を喰うんは、
人肉タブーが薄かった証左に他ならん。
食人の痕跡は提示しとるんに、あんたは、歴史的、地域的事例を
挙げず、空論で駄々こねよるだけじゃないか。
縄文期の社会構成や習俗なんか民俗学知識の無い発掘者の個人的見解で
どうにでも空論で説明出来るよ。論理なんか所詮脳内観念論じゃけぇ
のう。どれだけ日本の通史から事例を挙げ現実的な解釈が出来るかの
問題じゃ。ドイツ観念論の大陸思想の影響が強い連中はトンデモ解釈論が
出て来るけんのう。あんたのように。
>>295
あんた自身が人類アフリカ起源説の一元論の前提条件を勝手に
選定しとるじゃないか。原人が完全淘汰された根拠もあるまあに。
説に古いも新しいも無いで。あんたぁ、一神教の影響が強い西洋の
一元説神話を崇拝しその説に乗っとるだけじゃ。
298出土地不明:2009/09/30(水) 01:30:40 ID:XaT3NVP4
>>296
Y染色体は男系遺伝しないと言ってる学者の名前を言えないから、
ごたご言い出しただけだねw
55回目のスルーだね、すごい弱虫のクズだね。
大笑いのアホだ。
日本が戦争にに負けてから、
急に日本の悪口を言い始めた卑怯親父の遺伝子を引いてるだけの事はあるよなw
親子そろって最低の卑怯者だなw
299出土地不明:2009/09/30(水) 03:08:54 ID:qM92z5Nl
>>297
江戸時代の飢餓と言っても、庄内藩や米沢藩は備蓄米をしてたんで
餓死者は一人も出てないよ
人肉食いは食糧事情が一番の原因だろう
300出土地不明:2009/09/30(水) 03:41:00 ID:qERqJc7C
横入り失礼。
人肉食は本能に基づくもので、文化的な差異にはあまり関係が
無いかと。人は飢えれば、すべからく共食いする生物ですよ。
東北に切迫した事情があったのは落葉樹林帯の農業の厳しさだと
思います。つまり年一度の収穫期を逸すると他に穴埋めする作物が
ほとんど無い事です。むしろ東北は縄文生活を捨て弥生的米作を
選択した事により食料獲得の基盤が脆いまま人口を増やしたことが
悲劇を生んだのだと思います。
で、縄文人の人肉食に関する説のソースがあれば是非伺いたいの
ですが。パプア人に近いものが有ったのかと思いまして。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 08:01:06 ID:UzQn6rJZ
白馬青牛氏は下記のスレでも大活躍中です。

日本人の顔に近い人種 Part4
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1246615224/
302出土地不明:2009/09/30(水) 08:46:06 ID:XaT3NVP4
58 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/10(金) 23:36:15 ID:gytcilMI

(略)

>形質人類学でも遺伝子でも総合的に見たら日本人と朝鮮人が一番近いよ。
>日本人も中央蒙古人種に近いんじゃが。

Y染色体を無視してるこの偏狭な小心者のアホが【総合的に見たら】だっておw
30361:2009/09/30(水) 21:23:23 ID:/gQ3HkyP
>>297
また、訳が分からんことをゴチャゴチャと。
で、結局、縄文期を通して食人痕跡のある出土例を「多数」提示できないわけねw

『縄文期の食人は、食人痕跡のある出土例を"多数"提示しない限り、縄文期を通して食人が
「一般的であった」という前提を構築する前段階にも至らない。』

>>299-300
同意です。
「説」というまでの見解は目にしたことはありませんが、1938年、鈴木尚氏が愛知県伊川津貝塚
などの縄文時代人骨に利器による傷を見出し、食人風習の存在を提唱。それから有名ですが、
1879年、モース氏の「モース報告書」『大森貝塚』の中で人骨の割れ方が人為的なものであり、
食人が行われたのではないかと推測しているということ。私が知る限りではこれくらいです。ただ
、1869年に来日していたシーボルト自身が調査した大森貝塚以外の七ヵ所の貝塚では、人骨が
割られていた形跡はまったく見られなかったとのこと。(「日本考古学の原点」 加藤緑著を参照)

ちとスレチ気味の話題なので、以上で61のレスを終了します。
304出土地不明:2009/09/30(水) 21:23:53 ID:LGXhfTSP
遺伝学も理解できず、形質人類学など分かるはずもない。
科学を否定し、妄想に生きる。自分自身を賛美し、他人を
罵倒する醜男のナルシスト。それが白馬青牛。
305出土地不明:2009/09/30(水) 21:46:06 ID:7MwrCWCU
世界では珍しいY染色体D系統が日本人に多いことは
何を意味するのでしょうか?
Y染色体D系統は、日本人以外では、
チベット人や中近東の人々だけがもっていますが、
他のどこにもほとんど存在していません。
        ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
地理的に最も近い、お隣の朝鮮半島でもほぼゼロ%です。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
日本国内の分布は、アイヌ88%、沖縄56%、日本本土42〜56%と
いわれています。
世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統が
日本人に多いことは何を意味するのでしょうか?


306出土地不明:2009/09/30(水) 21:47:11 ID:7MwrCWCU
その意味するところは、日本では世界最古の土器や貝塚が発見されているように、非常に古くから人々が暮らし、独自の文明を築いていたということです。
それは他に類型のない特殊な言語である「日本語」からもいえることです。
また、同じD系統であっても、チベットや東南アジアがD1とD3系統であるのに対して、日本人のD系統はほぼ100%がD2系統です。
もちろん、同じD系統ですから近縁であることは間違いありませんが、D2系統は世界の中で日本人にしか存在しない固有の系統です。

さらに大きな意味な持つのが、日本の近隣諸国にはY染色体D系統が存在しないこと、そして現代の日本人にも、相当に高い頻度で残っていることです。
なぜそれが大きな意味を持つのかというと、たとえばBという民族がAという民族に支配されていたとします。
すると、後世のB族の子孫の遺伝子は、母系のミトコンドリア遺伝子には大きな変化は見られないのに対して、父系のY遺伝子は圧倒的にA族の系統が多くなってしまいます。同時に、B族の言語もA族の言語になってしまうか、相当に強い影響を受けた言語に変化してしまいます。
つまり、Y染色体の遺伝子は、その民族の過去の支配者の歴史を証明するものなのです。

そこで日本人についていえることは、わたしがかつて学校で習ったように、必ずしも縄文人が渡来人に支配されたり、南北に追いやられていたわけではないということです。
それを証明するのが日本本土にも42〜56%存在するY遺伝子D系統(縄文系)です。
さらに、付け加えるなら、他に類型のない特殊な言語である「日本語」の存在もそれを証明しています。

即ち、渡来人=弥生人ではないということです。
後世の日本人が得意とするように、渡来の優れた文化を取り入れて発展したのが弥生時代であり、弥生人とは、弥生化した縄文人と、母国の言語すら捨てて日本人に同化した渡来人のことなのです。
307出土地不明:2009/09/30(水) 22:14:47 ID:7MwrCWCU
「DNA」からみると日本人と韓国人は「異父兄弟」になるみたいです。
「ミトコンドリアからの分析では韓国人と本土人はまったく
区別がつかないくらい似ている」らしいです。

でも、父から息子に伝達される「Y染色体」だと「ミトコンドリアや
常染色体の遺伝子と違って、本土人(日本人)と韓国人、
そして北部中国人はあまり似ていない」というけっかになるようです。

「とりわけ異なるのは、Yap+という染色体である。
これは下図の世界分布でのDという染色体に相当し、
日本以外ではチベットでしか多くない、起源の古いY染色体」
なんだそうです。



そうして「この染色体D(Yap+)は、沖縄やアイヌではもっと多い。
アイヌではほぼDとCである。縄文人の染色体はあまり分かっていないが、
Dが多いと推測されている」とか・・・・

これは「日本本土人の常染色体やミトコンドリアでは朝鮮南部とほとんど
差がなく、アイヌ人や沖縄人との差のほうがずっと大きいことは、
母系の大多数が渡来人の系列であることを意味している。
しかし、Y染色体の約半分がアイヌ人と共通であり、
沖縄人とも似ていることから、父系の約半分は縄文人由来なのである。

つまり、父系と母系の頻度が異なっている。
日経サイエンス2007年6月号『対談 DNAで探る日本人の起源』
の中で、人類学者の篠田謙一博士の言葉を借りると、
『すると「渡来人は全員女だった』と言う話になるんです。
これは絶対あり得ない』というほど」のギャップなんだそうです。
308出土地不明:2009/09/30(水) 22:21:07 ID:7MwrCWCU
「DNA」からみると日本人と韓国人は「異父兄弟」になるみたいです。

「ミトコンドリアからの分析では韓国人と本土人はまったく区別がつかないくらい似ている」
らしいです。でも、父から息子に伝達される「Y染色体」だと
「ミトコンドリアや常染色体の遺伝子と違って、本土人(日本人)
と韓国人、そして北部中国人はあまり似ていない」というけっかになるようです。
「とりわけ異なるのは、Yap+という染色体である。これは下図の世界分布でのDという染色体に
相当し、日本以外ではチベットでしか多くない、起源の古いY染色体」なんだそうです。

そうして「この染色体D(Yap+)は、沖縄やアイヌではもっと多い。
アイヌではほぼDとCである。縄文人の染色体はあまり分かっていないが、
Dが多いと推測されている」とか・・・・

これは「日本本土人の常染色体やミトコンドリアでは朝鮮南部とほとんど差がなく、
アイヌ人や沖縄人との差のほうがずっと大きいことは、
母系の大多数が渡来人の系列であることを意味している。
しかし、Y染色体の約半分がアイヌ人と共通であり、沖縄人とも似ていることから、
父系の約半分は縄文人由来なのである。つまり、父系と母系の頻度が異なっている。
日経サイエンス2007年6月号『対談 DNAで探る日本人の起源』の中で、
人類学者の篠田謙一博士の言葉を借りると、
『すると「渡来人は全員女だった』と言う話になるんです。これは絶対あり得ない』というほど」
のギャップなんだそうです。
309出土地不明:2009/09/30(水) 22:31:58 ID:nU16tya0
沖縄文化はどこから来たか 定説に疑問呈する挑戦の書

書名は『沖縄文化はどこから来たか』。本書の結論は「北から来た」である。良い意味で問題の書である。
なぜなら、通説では琉球王国は内的発展によって成立したと考えられているからだ。

310出土地不明:2009/09/30(水) 22:36:00 ID:nU16tya0
本書は、まず「グスク時代に何が起こったか」というテーマで考古学1名、日本語学2名、地理・民族学1名の計4名の研究者が報告する形で、
自説のポイントを語る。異分野の研究者が、それぞれの最新の研究成果を披露する。
これは「序にかえて」という位置づけで、その後に各自の研究論文が並ぶ。
311出土地不明:2009/09/30(水) 22:39:15 ID:nU16tya0
さまざまな分野からの結論は、沖縄諸島以南のグスク時代(11〜12世紀)の開始には外的な衝撃が大きかったのではないかという点で、
ほぼ一致。すなわち、従来の研究に再検討を迫る異議申し立ての書と言えよう。
 考古学からは、奄美諸島の喜界島で発見された城久遺跡群(9〜12世紀)に、沖縄諸島のグスク時代が始まるより早い段階から
九州地方の文物が大量に搬入されている事実を踏まえ、九州地方から人間集団が南漸した結果との見方が示される。
 日本語学からは、沖縄の古謡集『おもろさうし』の対句部における単語をよく観察した結果、室町時代に用いられた単語を積極的に取り入れていることが判明。
室町時代語と重なるという事実は、グスク時代、『おもろさうし』の編纂(へんさん)に大和の人間が深くかかわった証拠ではないか、と論じる。
312出土地不明:2009/09/30(水) 22:41:26 ID:nU16tya0
 もう一つは、日本語のハ行子音が宮古や八重山などの琉球方言でp音と対応しているのは、大和で古く文献時代以前にp音であった、
その名残をとどめるものではなく、実は新しく生まれたp音と解する可能性もあると指摘し、琉球語の分岐が文献時代以前と考える説に疑問を投げかける。
 民族学からはDNA資料等を考慮し総合的に判断すると、弥生時代より後の時代からグスク時代の初期の間に
弥生人の形質を持つ人々が琉球祖語をもたらした可能性が大との大枠が提示される。
 意欲的かつ挑戦的な書で、内容も多岐にわたるだけに、より一層の研究の深まりが期待される。
 (間宮厚司・法政大学教授)

313出土地不明:2009/09/30(水) 22:49:06 ID:QmKk+Rt6
急に朝鮮人になるよなw南語らせると。
314出土地不明:2009/09/30(水) 22:58:04 ID:7MwrCWCU
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は飢餓が深刻化し、闇市で人肉の売買まで行われていると、香港の太陽報など中国圏のマスコミが、脱北者報告書の話として3日報じた。
 ある脱北者はこの報告書で、「北朝鮮では肉類が余りにも不足している上、高く、少数の特権層しか食べれない。人々は闇市で人肉を販売していることをみな知っている。公の場で言わないだけだ」とした。 
 またこの脱北者は、「他の動物の脂肪は円形で固まるが、人間の脂肪はダイアモンドの形で固まる」とし、「北朝鮮でもし今夜死体が埋められるとすれば、翌朝になる前に人肉として売り渡されるだろう」と話したと、同マスコミは伝えた。
315出土地不明:2009/09/30(水) 23:24:25 ID:/gQ3HkyP
ちと、他板で過去に投下したレスを。参考までに。(個人的な見解ですが)
沖縄を考える時、
『移民という捉え方でなく、後期旧石器時代にスンダランド地域より黒潮にのった現生人類
が琉球列島と日本列島の一部に辿りついた。(この時「音節が母音終わり」という特質をもった
言語が波及したのではないだろうか)そして縄文時代前期後半以降に本土人の一部が南下し
北琉球で再び出会い、双方向の交流が始まった。それ以前、北琉球は南方方向から貝塚文化
の影響を受けつつも「音節が母音終わり」という特質をもった言語は保持していたので、交流も
スムーズであったと考える。交流が盛んになるにしたがい、日本列島と文法的なものを共有し、
「言葉」の共通性を高めた。そして現在に至る。それは現在の日本語と琉球語が証明している。』

『言語学では、違う言語の間の同系性を説明するには、一連の単語を通じて「規則的な音声の変化
対応」を挙げなければならない。英語を学んでからドイツ語を学習する場合には、そのような対応に
助けられる--(略)--インド-ヨーロッパ語族の中のもっとも遠い言語の間でも、このような「音声対応」
の証明が進められてきた。しかしアジアの近隣の言語の間ではそれができないから、音声対応の追
求をあきらめて、言葉の同系性を説明するのに、偶然の一致ではないかと思われる事例がつぎつぎ
と挙げられることになる。--(略)--「音声対応」の証明もなしに、個々の単語の発音の比較を続けても、
どこまで信頼できるかという疑問が残る。--(中略)--そして日本語の古い形を考えるには、日本語と
琉球語が、近隣のどの言語より近い関係にあるということが基礎であると考えた。小泉保は基本語彙
における音声対応を厳密に適用して、これら二つの言葉は日本語の系統に属するものと証明した。』
---「稲作渡来民 」池橋宏著より一部抜粋

『日本語は今日、音節が母音終わりだという特徴を持っている。それはこの縄文時代の言語が
南太平洋のオーストロネシア語の仲間で、それが母音終わりである特質を日本語も共有してい
て、その特質が弥生時代以後もずっと保持されてきたのだろうと私は推定している。』
---「日本・日本語・日本人」 新潮選書より一部抜粋(大野晋氏の見解の一部)
以下次レスに続く。
316出土地不明:2009/09/30(水) 23:26:01 ID:/gQ3HkyP
先ず、グスク時代以前の琉球については北琉球(奄美諸島・沖縄諸島)と南琉球(宮古・八重山
の先島諸島) に分けて考えるのが妥当かと。B.C.3000年頃以降の九州から北琉球への文化
流入のキーワードは曽畑式土器。曽畑式土器は朝鮮半島の櫛目文式土器との関連性がみられ、
当時の九州縄文人の広範囲の交流が伺えるが、曽畑式土器文化圏として貝塚文化である北琉
球が受け入れ、土器の共有を果たしたのに 対して、九州と北琉球が朝鮮半島の櫛目文式土器
文化圏のワクに入らなかったことの意味を考察する必要があると思う。個人的には、曽畑式土器
を北琉球が受け入れる過程で、ある程度「コトバ」としての共通性が生じたのではないのかと推察
している。そしてそれを土台として、弥生時代以降のゴホウラ・イモガイ等の活発な交易等によって
「コトバ」の共通性が深まり、グスク時代以降(11世紀〜12世紀以後、グスク時代として北琉球と
南琉球を含む琉球諸島全体が一つの文化圏になる)石鍋・亀焼窯にみられる海人による経済圏の
波及等により、琉球諸方言の中に"主に"九州方言が入り交じっていったのではないだろうか。
317出土地不明:2009/09/30(水) 23:29:30 ID:BM1z/gZ0
>>309-311
そんな通説見たこと無いぞ。
318出土地不明:2009/09/30(水) 23:48:46 ID:ZI1vEz0w
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
319出土地不明:2009/09/30(水) 23:49:24 ID:Art1/9pm
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



320出土地不明:2009/09/30(水) 23:51:31 ID:h0f9o2zi
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
321出土地不明:2009/10/01(木) 00:37:46 ID:lodlEMi0
朝鮮の炭化米を調査した結果、”ただのスミダ”と発表されましたとさ(爆)
322白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/01(木) 00:57:01 ID:D8IBwJfu
>>298
わしの親がどがあな考えを持っておったかかも知らん癖に妄想すなや。
まあ、妄想するんがYカルトの特徴じゃけぇのう。
人様に卑怯者云う時点で、あんた日本人としての誇りは持っとらん。
軍隊で卑怯者云うたら、大事になるど。命の保障はのうなるけんのう。
>>299
庄内藩は本間家が備蓄米を献上したが、餓死者がごく少なかっただけで
ゼロじゃあるまあ。米沢藩にしても。山形県が江戸から明治に
口減らしとして、子供を売りよったけぇのう。脱走出来んよう、
数珠繋ぎにくくられて、関東へ売られて行ったんじゃ。
最上婆が人身売買の仲介してのう。
>>300
地域の差を無視して、人が飢えれば共食いするじゃの一般論化すなや。
赤児殺しの間引きも、関東や東北では盛んじゃが、西日本の瀬戸内沿岸部
は生まれた子は育てたし、浄土真宗地域は、広島や北陸に赤児殺しの
習慣は無かったよ。漢民族も間引き、赤児殺しが多かったが、
ツングースに間引き、赤児殺しの習慣が無かったんはシロコゴルフ氏も
指摘されとる。つまり文化の違いじゃ。
323出土地不明:2009/10/01(木) 01:02:48 ID:OUf0y+7w
>>332
強がり言う前に質問に答えろ。
人の質問に56回もスルーし続けるおまえのような糞人間は卑怯者呼ばわりされて当然。
悔しかったら答えろ。
出来ないのだな?
あぁ悔しいのうw
324出土地不明:2009/10/01(木) 01:06:53 ID:OUf0y+7w
332でななく>>322の糞野郎へのレスね。
325白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/01(木) 01:29:46 ID:D8IBwJfu
>>303
もとうらんことをゴチャゴチャ云うとるんは、あんたど。
食人タブーがあったら食人の痕跡は無いはずじゃ。
>>306-307及び>>308
ネット右翼を煽る社会優生学信者の蔵琢也氏の妄想引用じゃろうに。
>>311-312及び>>315-316
『おもろさうし』が16世紀なんに、空想ファンタジーじぇゃのう。
上代日本語のP音が琉球にあっても、九州は原をバルとB音地名が
多いし、系統関係を上代日本語に持って行くんは問題点が多かろうに。
>>314
朝鮮も間引きのタブーが薄い地域じゃけぇ食人はあったろう。
昔は香港も同様じゃ。稲作地域は一部の除き、ほとんど間引きや
食人があったろうに。逆に牧畜系民族に間引きは少ないと云えよう。
326出土地不明:2009/10/01(木) 01:44:11 ID:Y/hjVFuI
日本語、韓国語、琉球方言

縄文系のY染色体の異常な増殖は、言語学による知見とも整合する。日本語は朝鮮語と余り似ていないのである。
安本美典博士による計量言語学の研究によれば(『日本語と日本語の起源』[1991]毎日新聞社、
『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』[1991]JICC出版局などを参照)、首里語(琉球方言)は日本語に近く、
孤立語の日本語からするとほとんど方言にすぎない。しかし、日本語と韓国語はかなり異なる。文法以外に類縁性を
見いだせないほど離れている。韓国語と日本語より、日本語とアイヌ語の方が近い。
また、上古日本語(奈良時代ぐらいの近畿方言だと考えて良い)と現在日本語(東京方言)も、首里方言ぐらいの
差しかない。古代朝鮮語はほとんど分かっていないため、高麗朝の中期朝鮮語と現代朝鮮語を比べても余り変わらない。
327出土地不明:2009/10/01(木) 01:48:11 ID:kbqn8+HJ
言語は時間に対して頑健なのである

しかし、日本語は現代語も上古代語も、現代および中期朝鮮語とはかけ離れている。基礎二百語の音の類似度から測って、
日本語と現代朝鮮語の距離がどれだけ離れているかを他言語と比較すると、日本語とカンボジア語、ネパール語、ベンガル語、
インドネシア語、アタヤル語(台湾先住民の方言の一つ)くらい離れている。ついでに安本博士の計った言語の中で
日本語と5%有意に関係のある言語を述べると、クラマス語(アメリカ先住民の言語の一つ)、中期朝鮮語、北京方言、客家語である。

その上、中期朝鮮語より、現代朝鮮語の方が、なぜかずっと日本語に近い! 古代の朝鮮語と日本語が現在より似ていたという証拠はほとんどない。
むしろ逆なのである。
328出土地不明:2009/10/01(木) 01:51:01 ID:kbqn8+HJ
琉球は『日本書紀』や『古事記』には出てこない。出てくるのは種子島までである。もちろん、朝鮮半島に関係する記事は大量にある。
しかし、古代には既に日本語と朝鮮語ははっきり異なっていて、そのころから既に琉球語が、日本の方言であったのである。
古墳時代以降の大量の帰化人がその後の日本語に大きな影響を与えた可能性は少ないといえる。もし、影響を与えたのなら上古代や現代の日本語は、
影響を受けていないはずの琉球語と大きく異なるはずだが、現実は上古代日本語と現代の日本語と同じぐらいしか、上古代日本語と琉球語は離れていない。
329出土地不明:2009/10/01(木) 01:53:12 ID:kbqn8+HJ
単なる時間変化とほとんど区別がつかないほどである。これは弥生時代の初期に日本語が成立して、以後、
余り変わっていないことを意味している。また、沖縄人が縄文人の血を強く受けていることを考えると、
日本語は弥生時代の渡来人系由来の言語ではなく、縄文の影響を強く受けている可能性が高い。

文法的には、日本語と朝鮮語はアルタイ語の特徴を持っており、類似性はあるのだが、
それでも日本語と(札幌方言の)アイヌ語程度の類似でしかない。

330出土地不明:2009/10/01(木) 02:00:18 ID:qgKjViVP
縄文人の例外的な部分

先に中南米、太平洋の島々、北部インドなどで母系と父系の頻度が異なるという例をあげたが、
日本人の場合は、状況が例外的に違う点もある。

父系と母系が異なる場合のほとんどは、後からきた移民の方が父系の割合が多く、母系の割合は
先住民系が多い。南米、太平洋の島々など、欧米人が植民して混血した地域はほぼ例外なく、
このパターンである。Y染色体は白人由来が多く、ミトコンドリアでは原住民由来が多いのである。
インドもこのパターンである。

これは、移民が征服を伴うのが普通だからだ。先住民の方が移住者より軍事的に強いと、そもそも
移民できない。移民が可能なのは移住者の方が強いからであり、これは兵士になる男の割合が多いほど
有利である。その結果、父親は移民であり、母親は原住民という組み合わせが多くなって、母系の
ミトコンドリアと父系のY染色体の由来が違ってしまう。

331出土地不明:2009/10/01(木) 02:02:51 ID:OUf0y+7w
>>325
>食人タブーがあったら食人の痕跡は無いはずじゃ。

実話を元にした映画「ひかりごけ」や「ゆきゆきて、神軍」でも分かるように、
食人タブーがあっても究極の場合、食人は行われた。
当たり前だろうがドアホ。
332出土地不明:2009/10/01(木) 02:03:04 ID:qgKjViVP
これを普通に当てはめると、日本人も渡来人系の方が父系のY染色体に強く出ており、縄文人は母系のミトコンドリアに
強く残っているはずだ。 しかし現実は逆である。

縄文人は、軍事的に強かったようだ。実際、古代社会で日本の辺境にいた蝦夷や熊襲は、縄文の血の濃い人々だったが、
彼らは人口が少なかったはずなのに、記紀の記録によれば大変に精強で大和朝廷を悩ませたのである。

これに対して、渡来人は、あまり縄文人が利用しなかった平野の沼地に植民した。それも縄文人の人口が割合に
少なかった西日本に入植したのである(縄文人の数が多い東日本には長い間入植できなかった証拠がある。
これらについては後述する予定)。縄文人は数が圧倒的に少なかったが、多くの渡来人植民地をたちまち制圧し、
支配下においた。つまり支配層の少なくない部分、というよりほとんど総てが縄文系で置き換わったのである。
こう考えないと、入植者系と原住民系が世界史の通例とは逆パターンの母系と父系の頻度の違いが説明できない。

333出土地不明:2009/10/01(木) 02:05:24 ID:qgKjViVP
縄文人とアイヌ人

前世紀の常識では縄文人は奇妙な土器を作る狩猟採集民と考えられていた。遺伝的にどの人種よりもアイヌ人に近いため、
アイヌ人と同じような生活をしていたと考えられていたのである。実際、アイヌ人は農耕のレベルも定住のレベルも低い。

だが、縄文人がアイヌ人のような生活をしていたという考えは否定されつつある。もともと北方から少数の原日本人が
来ていたのだが、縄文人は南方の海を渡ってきた大海洋人種であり、高度な海洋渡河能力があった。アイヌ人は原日本人と
縄文人の混血の最北端にいた周辺的な一派なのである。

むしろ、縄文人は南方系の農業を持っていて、その分派であるアイヌ人は北海道や千島か樺太といった寒冷地に移民した
ときに、寒冷地に適さない農業を忘れて(捨てて)狩猟採集に特化した縄文人であることの可能性が高くなってきている。
縄文時代末には下北半島でも農業が行われていたのである。
334出土地不明:2009/10/01(木) 02:07:49 ID:sEepYRqB
縄文人の遺伝子が南方系要素の方が強いと述べたが、アイヌ語や日本語は言語学的にはアルタイ語に似ている。
この意味するところは縄文人自体が二層になっており、最初に北東アジア出身のアルタイ語系の人種がやってきたあと、
ビルマ、チベット、カンボジアと共通する別人種が南方から強力な文化を持ってやってきて混血したためだろう。
縄文人の遺伝子は、今はまだ研究例は少ないが、南方の方がずっと強いようだ。今後、もっとはっきりしてくるだろう。
335出土地不明:2009/10/01(木) 02:09:27 ID:sEepYRqB
遺伝的に縄文人とアイヌ人は近く、古い人種である。他のどの人種とも離れていて、独自の古い形質をもっている。
アイヌと縄文の頭蓋骨のマイナー変異を組織的に調べた百々博士によると、
比較的に三大人種(黒人、白人、黄色人種)から離れていると言われるアボリジニ(オーストラリア先住民)よりも、
隔絶した形質を持っている。曰く「三大人種のいずれにも属していない。誇張した表現をすれば、モンゴロイドの
大海どころか、現世人類の大海に浮かぶ“人種の孤島”といえる」(百々幸雄「縄文人とアイヌ人は人種の孤島か?」遺伝61,No.2,p.50-54)
336出土地不明:2009/10/01(木) 02:22:57 ID:d/IZwCl+
寒冷地適応した新モンゴロイド形質の増殖で東アジアじゅうが病気になってんだよなw
さてこれにどんな落ち付けるか楽しみだw
337bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/01(木) 07:41:48 ID:ZGzZaEEl BE:1071549959-2BP(352)
>>335
それは別にモモ博士の持論というわけではない
海外の人類学マニアによるモンゴロイド下位分類では、日本の独自人種として、
シパンギーデ・アイニーデ という2つの人種が用意されているけれども、これらは中央アジア〜西アジアのトゥラニーデ(トルコ)と同じで、
『混血人種』に分類されてる。

トゥラニーデは普通にコーカソイド*モンゴロイド であることが分かるが、シパンギーデ・アイニーデに非モンゴロイドの混血元がいるというのは当然のことらしい。
あと、海外で出版された本を読んだ時にも、古代日本列島に関しては「非モンゴロイド」とだけ書かれてた
338出土地不明:2009/10/01(木) 09:46:57 ID:9dlAFyf4
>>337
マニアまで持ち出すか(^o^)
まー昔はアイヌは白人だ説まで有ったからな(笑笑笑)
339出土地不明:2009/10/01(木) 10:08:45 ID:K//GgzB5
>>332
なるほどなー
弥生人は姿は中国系なのに、何故文化や言語が日本古来なのか
前から疑問だったけど、それだと疑問は解けるな
渡来人は飛んで火にいる夏の虫だった訳ですね

中国から逃げて来た奴だと思うけど、安住の地は無かった訳だ
そして西日本で水田により人口が増えまくった
340出土地不明:2009/10/01(木) 12:28:55 ID:lhKZT0hZ
そうなんです。

むかーしむかし、長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。

最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。


おしまい(爆
341出土地不明:2009/10/01(木) 13:52:28 ID:3fJ7sZce
そうなんです、そうなんです。

むかーしむかし、長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
台湾経由で黒潮にのって九州に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の重い石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江には無い、台湾のクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも作りやすい木製に変えて。

最後の最後まで当時の江南で作られていた温帯ジャポニカ種にこだわって伝えてしまったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系の高床式建物や中国土器の炊飯釜なで伝えてしまったのです。


おしまい(大爆
342出土地不明:2009/10/01(木) 14:45:43 ID:iksKf5/R
日本人の人種的な祖先はコーカソイドとモンゴロイドの混血(戦国時代から敗戦後などに
かなり米軍の男系の血が混じったが)であり、では、文化的には騎馬民族なのか江南人なのか、
これがこのスレの問題なんでしょ?
私はやっぱ江南〜インド支那半島だと思うな。
343bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/01(木) 17:38:03 ID:ZGzZaEEl BE:666742447-2BP(352)
>>342
>敗戦後などに
>かなり米軍の男系の血が混じったが

米国進駐軍は主に中央でのまつりごとへの介入を目指した。

民間で資産を接収したのは朝鮮進駐軍。よって混血は朝鮮人。
当時日本にいた朝鮮人の多くは済州島&半島南岸なので、朝鮮半島最南部の血が日本平野部に入ったということ
344出土地不明:2009/10/01(木) 18:11:04 ID:+/C1evRs
>>343
そんなのたいした率ではない。
345出土地不明:2009/10/01(木) 20:06:45 ID:K3yKvYH8
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
346出土地不明:2009/10/01(木) 20:10:25 ID:SV/II3/k
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
347出土地不明:2009/10/01(木) 20:13:50 ID:WZtO4iEq
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
348出土地不明:2009/10/01(木) 21:37:28 ID:vipu3otL
長江中流で稲作が始まったのが、1万2千年まえぐらいなんだけど
6千年前に日本で籾や小麦が見つかるのは普通でないの?
縄文人は1万年ぐらい前に、舟で東アジア全域をうろうろしてる
349出土地不明:2009/10/01(木) 22:49:04 ID:9dlAFyf4
>>332
縄文人は弥生人に軍事的に圧倒されたんだよ。
大体大陸で戦乱に明け暮れた民族とのほほんと狩猟採集で暮らしていた人間が勝負になるわけ無いだろ。
ちょうど琉球に薩摩が侵略したのを考えれば良い。
徳川に負けた薩摩は平和な琉球に支配の手を伸ばしたろうが。
350出土地不明:2009/10/01(木) 23:14:57 ID:CaQogCho
<拝借>

「DNA」からみると日本人と韓国人は「異父兄弟」になるみたいです。

「ミトコンドリアからの分析では韓国人と本土人はまったく区別がつかないくらい似ている」
らしいです。でも、父から息子に伝達される「Y染色体」だと
「ミトコンドリアや常染色体の遺伝子と違って、本土人(日本人)
と韓国人、そして北部中国人はあまり似ていない」というけっかになるようです。
「とりわけ異なるのは、Yap+という染色体である。これは下図の世界分布でのDという染色体に
相当し、日本以外ではチベットでしか多くない、起源の古いY染色体」なんだそうです。

そうして「この染色体D(Yap+)は、沖縄やアイヌではもっと多い。
アイヌではほぼDとCである。縄文人の染色体はあまり分かっていないが、
Dが多いと推測されている」とか・・・・

これは「日本本土人の常染色体やミトコンドリアでは朝鮮南部とほとんど差がなく、
アイヌ人や沖縄人との差のほうがずっと大きいことは、
母系の大多数が渡来人の系列であることを意味している。
しかし、Y染色体の約半分がアイヌ人と共通であり、沖縄人とも似ていることから、
父系の約半分は縄文人由来なのである。つまり、父系と母系の頻度が異なっている。
日経サイエンス2007年6月号『対談 DNAで探る日本人の起源』の中で、
人類学者の篠田謙一博士の言葉を借りると、
『すると「渡来人は全員女だった』と言う話になるんです。これは絶対あり得ない』というほど」
のギャップなんだそうです。

どうも勝ったのは、縄文人みたいだ、
351出土地不明:2009/10/01(木) 23:22:05 ID:+C3tsuft
アイヌ人の繁殖力の弱さから縄文人の人口増加率も小さいはず。
にもかかわらず現代日本人の風貌は大陸諸新モンゴロイドとは
明らかに違う(欧米人からみると日本人は土人臭くて、一発で分かる
ようだ)。
つまり、弥生時代以降の大陸からの大量渡来、民族置換はなかった
のだろう。
352白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/01(木) 23:22:27 ID:D8IBwJfu
>>326-327
安本美典氏は、江南にビルマ系語があったじゃの電波を飛ばしとる
江南派朱子学攘夷思想の国粋主義者で。まあ、歴博や同じ江南派の
樋口隆康氏ら京都学派の左翼史観等の邪馬台国畿内派に噛み付く処は
内ゲバで面白いが。
>>328-329
一世代で言語は変わることを無視して、しかも16世紀成立の琉球語を
上代日本語と結び付けて古代から同言語と妄想しても意味があるまあ。
弥生期に日本語が成立した根拠も無い。日本の記紀が弥生期に出来たと
妄想しとるんじゃろうか。
>>330
妄想を基に空論論理の観念論を展開する処がYカルトの特徴よ。
ドイツ観念論が明治以降の日本の知識人に影響したけぇ、良かったのう。
ごとぁな空論でも論理に乗せれるんじゃけぇ。
353出土地不明:2009/10/01(木) 23:37:43 ID:lodlEMi0
>>350
朝鮮売春婦が、世界中に遠征に出かけている事例もあるじゃろうて。
http://killkorea.iza.ne.jp/blog/entry/796621
354出土地不明:2009/10/01(木) 23:47:06 ID:9dlAFyf4
>>352
オモロイナー、
なんでも君の意に添わないとレッテル貼るんだな(笑笑笑)
355白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/02(金) 00:02:21 ID:SPIjuLYA
>>331
食人は明治期にもあったし、近代化で食人がタフー概念昭和初期でも、
まだ近代化されとらん中国は、食人習慣が日本よりもあったけぇ、
長年中国で戦闘した日本の将兵も感化された面を無視すなや。
まあ、日本でも地域差があって、>>200でモース氏が縄文の食人事例を
指摘した熊本の13iは、強姦した女性を殺害し、豚を殺した名目で、
尻や両大腿部をえぐって食用にしたのう。「慰安婦を同行しながら、
強姦罪は後を絶たぬ」と岡村寧次司令官認定の熊本第六師団は、きわだっと
ったが、郷土地域兵団によっても違うよ。飢えとらんでも食人する
部隊はおる。
>>332
蝦夷や隼人が精強?支配者集団が現地民を兵隊にするんはどこでも
顕著じゃし、オスマン・トルコが征服した東欧の少年をイェニチェリ軍団
としたけぇ、トルコは東欧より弱かったんか?しかも隼人は宮門で犬の如く
遠吠えする役目じゃし、新来渡来系の東西史氏や秦氏が天皇家の騎馬
護衛兵になったんと違い、蝦夷や隼人の扱いは低かったのう。
蝦夷遠征軍は、大和民族化した関東の東夷民族を使い、夷を以って夷を
征するようにしたが、蝦夷に苦戦した関東勢が弱い為、長期になって
仕舞うただけじゃ。
356出土地不明:2009/10/02(金) 00:25:12 ID:HArp+i+J
お馬さんよ、あんたら高貴なお方は何時までハヤト土人を野放しにしたんだよ
なあ、九州は足元だろ。普通なら真っ先に始末する集団だ。
357白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/02(金) 00:27:18 ID:SPIjuLYA
>>333-334
縄文人が大海洋人種?生業を人種概念に還元するナチス優生学じゃのう。
生業は環境と風土条件で、人種概念じゃないど。しかも縄文人は
文化を受け入れる側の島国におったわけじゃし。
縄文人が南方要素が強いんなら、竪穴式住居は矛盾しとる。
チベット人は高顔の北方新モンゴロイドの牧畜民で、南方系じゃないど。
>>335
http://yumiki.cocolog-nifty.com/nautica/2009/04/post-d96f.html
百々幸雄氏は、弥生〜古墳期の大規模渡来の主力日本人は、「アイヌと
離れており、韓国人、華北人、モンゴル人らにより近い。」と考えて
おられるんでぇ。御都合主義で抽出すなや。
>>337
アイヌ白人説はベルツ氏ら19世紀的見識で、現代では形質的に
古モンゴロイドじゃ。
358出土地不明:2009/10/02(金) 00:45:34 ID:PzFqHmk9
宣祖9年(1575年)の記録で「人肉及び肝胆を以って薬となし、
凶悪の徒、小児を人無きところに誘致し、壮男女といえども単独で行路すれば却掠し、
腹を割いて取肝し、転売して重価を得、材木に緊縛して割かれたる者、山谷間に
相望む」とあります。李朝500年にわたってこのような記述がたくさんでてきます。
朝鮮時代史研究の根本史料である「朝鮮王朝実録」に記述があるのですから、
朝鮮の人肉食については否定しようがありません。また「三国史記」にも人肉食が登場します
35996:2009/10/02(金) 00:52:37 ID:OPIZSh2r
>330,>332
確か蔵琢也さんの「異父兄弟である日本人と韓国人」論ですね。
支配者に縄文人の血が濃かったというのには、基本的に同意です。

あと父系と母系でDNAがギャップが出てるというのは日本人よりも、
大陸の各民族、特に朝鮮半島などの北アジアの方が遥かに大きいと考えるのが自然と思います。
むしろ島国の日本人は父系・母系のギャップが比較的小さいのではと。

DNAギャップの説明になりそうな、過去スレでも出た従来からの説をまとめると
1.東アジアに広く住んでいた古モンゴロイド(YAP+人種)は日本やチベットなどを除いて、
  大陸のほとんどでは、父系を中心に(広義の)新モンゴロイド(F-NO系統全般)に圧倒された。
  このため大陸では父系には日本と同じDNAがほとんど残っていない。

2.日本では縄文系が軍事的に強く支配層に多かったので、
  渡来系は比較的多かったが母系でしか主流としては残っていない。

3.mtDNAはY染色体ほど系統の違いが明確に出にくく、長い人類の歴史上では
  ごく最近に起こった新モンゴロイド化のマーカーとして機能しない。

1と2は相反する極論ですが、おそらく大まかには1に近い1と2の中間あたりが事実なのではないかと。
360出土地不明:2009/10/02(金) 00:54:01 ID:aqxtlb2U
人間なんて氷河期に共食いしたからこそ生き延びられたんだし、
人間の脳みそを喰ったからこそ、大脳を肥大させる事が
出来たんだから、そんな深刻な問題じゃないよ。
味は豚肉そっくりだって。
豚も人も食ってるもんはあまり変わらんのだろう。
361白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/02(金) 00:58:20 ID:SPIjuLYA
>>339
渡来系と在来系の違いもあるんに弥生人云う言い方も可笑しいが、
渡来弥生人が中国から来た根拠は無い。弥生期なら航海技術から
朝鮮南端からしか渡来できまあ。
>>342
日本人にコーカソイドの混入は稀じゃろうに。江南〜インドネシアは、
北方新モンゴロイド系主流の日本人と人種が違うし、航海の軸線からも
無理じゃ。ファンタジーより、現実的海洋思考を持つことじゃ。
>>349
縄文人も弥生人も古墳人に軍事的に圧倒された云うほうが世界史の事例と
整合性があるよ。琉球、薩摩、徳川の例は違うんじゃないか。
薩摩正規軍は琉球で苦戦したろうに。側面から釣り野伏せりの野郎部隊が
突いたけぇ戦さに勝った云うだけのこと。
ほいで薩摩は徳川に負けとらんよ。関ヶ原でも徳川の正面を破り撤退した
んじゃ。後退する時、一人が犠牲になって多数を逃がし、次に一人が
犠牲なる戦闘なんか、遊牧民的戦闘法で、島津氏が新羅秦氏系で、
豊前から秦氏が大隈に入植した歴史もあり、鹿児島は新羅系習俗が
強いけぇのう。
>>350
ネット右翼を煽り、社会優生学信者のエリート崇拝者の蔵琢也氏の
コピーを繰り返すあんたも、エリート奴隷根性が強いようじゃのう。
>>351
欧米人の誰が日本人と解ると具体的な名を挙げんけぇ、あんたの妄想。
362出土地不明:2009/10/02(金) 01:00:52 ID:krUoHtAr
>>355
>食人は明治期にもあったし、近代化で食人がタフー概念昭和初期でも、
>まだ近代化されとらん中国は、食人習慣が日本よりもあったけぇ、
>長年中国で戦闘した日本の将兵も感化された面を無視すなや

なら>>325で、

>食人タブーがあったら食人の痕跡は無いはずじゃ。

と自分で言ってる事と矛盾してるじゃねーか。
アホだろおまえ。
363出土地不明:2009/10/02(金) 01:11:34 ID:SUAkuZrJ
おおざっぱな話しで申し訳ないが
日本人て、他から流れて来た人には基本的に甘いと言うか優しいんだよね
でもそいつ等が住み着いて、何時までたっても郷に従わないと分かると
冷たくなり差別して、最後は絶滅させる
こんな2面性が有る

これ縄文からの習慣だったんだなあ〜w
納得
364白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/02(金) 01:17:07 ID:SPIjuLYA
>>359
支配層に縄文系が多かったになら、何で蝦夷や隼人は異民族視され、
人間扱いされんかったんなら。
平安期の貴族による俘奴買いも、蝦夷が売買される奴隷であった
ことの証左じゃないか。歴史を無視して、Y染色体という精度の
低い単一遺伝標識で妄想するファンタジー観念論よのう。
日本や青海省のY染色体D型は被支配者が支配者の女性に犯された
云う珍説を唱えても意味がせあるまあ。
>>360
日本も明治期まで食人が多かった。じゃが人間の脳みそを
喰うたら大脳を肥大化させる根拠は何なら。
大脳が肥大化すると人間が進化する証になるとの根拠の提示して
欲しいもんじゃ。ナチス優生学に還元する由々しき問題じゃけぇ、
諸外国の人たちに誤解されんよう、日本人の誇りと武士に二言は
無い自負を以って答えてつかわさらんか。
36596:2009/10/02(金) 01:26:04 ID:OPIZSh2r
初代の過去スレに、mtDNAはY-DNAよりも曖昧なのであまり参考にできないとの話がありました。
あえてありえそうな1つの想像をすると、東アジアでも日本でも多いmtDNAのかなり多くの部分は、
Y染色体では東アジアに多いO3系統でも日本に多いD系統でもなく、
元々Y染色体ではC系統の先祖に対応していたなどという可能性もあるかもしれません。

このC系統は太古にユーラシア南縁をおそらくD系統とともに東へ移った海洋冒険者の血統です。
C1は日本人固有、これと近親のC2はポリネシア人のDNAですが、
この海洋民の系統は南米などにも早くに居住したものの母系の社会であり、
Y染色体ではあまり多くの子孫を残せていないようなのです。
(アメリカ原住民のY染色体にはQ系統が圧倒的に多い。)
(日本の縄文系でも、C1系統よりD2系統の方がすっと多い。)
(ポリネシア人の原郷の中国南部・台湾あたりでもC系統は少なくO3系統に圧倒されている。)
36696:2009/10/02(金) 01:34:11 ID:OPIZSh2r
あとサフルランド原住民に一定にみられるC4系統はともかくとして、
現在の人類のC系統人口の多くを占める「北アジア・シベリアに高率でみられるC3系統」は、
新モンゴロイドの最も典型的なY染色体で、他のC系統と全く異なる特徴を持ち、また居住環境も全く対照的なほど異なる。
Y染色体を追っていて、最も謎で(ある意味変わった性格の)大系統と思いました。

C系統の中でC3系統だけ元々移動経路が全く違うのでなければ、樺太のあたりから大陸へ広がったC系統の一部が、
環境が著しく異なるシベリアの寒冷期に適応して生き残ったのがC3系統なのでしょう。おそらく。
現世人類にとっては(特に最近数万年では)最も激しい形質の変化だったのでしょう。
白馬先生とかXYZ女史、大陸土器先生達は、ある意味人類の最も先鋭的な子孫。
もっと独自性を大切にして故郷へ帰還された方が宜しいかとw

新モンゴロイド系は現在ではY-DNAのO3の人口が多く、例えば南下したツングース系の朝鮮人・満州人などには
O3系統の方が多いしモンゴル人でもO3系統が半分近いのですが、これらの北アジア系民族はC3系統が基層となり、
あとから中国系のO3系統などが支配層から入り父系で主流になった可能性が一番高いかと想像できます。
ジンギスカンの遺伝子(C3に含まれる)の拡散は有名ですが、あれはだいぶ後世の話で太古では主に逆だったと。

D系統が基層の日本語はこれらの言語との違いが大きいですが、昔に強調されたアルタイ諸語との
文法的な共通性がみられるのは、太古のC系統(またはC、D共通の)言語的特徴が残ったものではないでしょうか。
367出土地不明:2009/10/02(金) 01:45:33 ID:cMP4u3Ks
約半々であった縄文人と弥生人

それでは、日本人の由来はどうだったのだろうか。結論から言えば、ミトコンドリアでははっきり、縄文系と渡来系弥生人に別れなかった。
それでも様々に推定されてはいるが、これが縄文系のミトコンドリア、これが弥生系渡来人のミトコンドリアとは単純に別れなかったのだ。

この理由は中国を含む近隣の地域のミトコンドリアが多様であり、日本も多様だったからである。ミトコンドリアは分岐して多様化した
年代が古いので、縄文人と渡来人の区別がはっきり付かなかったのである。
http://kuroneko.blogdns.net/HP/JapanEemp/FameleEmp/1-3.htm
しかし、多様化した年代が新しいY染色体は違った。縄文系と渡来系が、だいたいはっきり別れたのである(図3.2)。
そして、縄文人由来のY染色体と渡来人のY染色体の比率は、だいたい半々であった。これは意外である。

(中堀豊『Y染色体から見た日本人』岩波書店,2005、あるいは、最新の研究
http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf を参照)

368出土地不明:2009/10/02(金) 01:51:18 ID:cMP4u3Ks
>>367 続き

Y染色体から見ると日本人の三分の一から半分は中国で大多数の系統(中国や東南アジアで多数を占めるO型と)であり、渡来系弥生人が持っていたと思われるタイプである。
しかしもう半分は、ほとんどチベットにしかないD型と、広く環太平洋に見られるC型の混合である。いわゆる縄文系である。D型とC型に別れるのは
縄文系もやはり二種類に分かれるという一部で言われていた説を、ある程度裏付ける結果である。フィンランド人や東シベリアのウラル語族に多いN型も数%ある。
このN型は遺伝的にはO型の兄弟ではあるが分岐年代は1万年以前であり、これらの民族は北極近辺に集中している。もしかするとN型はO型に近くても「渡来人」系ではなくて、「縄文人」系なのかもしれない。

この結果からいえることは金属器と稲作を持ってきた弥生人が増えるのと併走して、なぜか縄文人の遺伝子も爆発的に増えてきたのである。

369出土地不明:2009/10/02(金) 01:53:45 ID:cMP4u3Ks
>>368 続き

この原因は今後の重要な議論になるだろう。だが、縄文人は基本的に狩猟採集民の新石器時代人とはいっても、土器や石器のレベルが最も高度な部類だったし、
簡単な農耕もしていた証拠が増えつつある。とりわけ西日本では焼畑農業を既に行っていたようだ。そもそも農耕は、それに適した作物の種が手にはいらないと
できないので、良い品種の米が伝来しないと本格的な農業には入れなかった。しかし伝来すると、ほぼ数十年で名古屋の方まで伝わったと推測されている。
ヨーロッパやアメリカの農耕の拡大のスピードと比べて、驚異的に速い。縄文系の人々は金属や稲作農耕を見て、他の狩猟採集民ではあり得ないほど、
すぐに学んだと考えるのが最も簡単な説明だろう。
37096:2009/10/02(金) 01:56:33 ID:OPIZSh2r
>>78
> なるほど、港川人を起点とした視点ですね。老婆心ながら、C3についても
> 多少言及したほうがベストかと。
遅レスで申し訳ないです。C系統はこのとおり微妙な感じで素人としては難しいですね。

日本人全般ではC3系統は3%弱程度ですが、アイヌが1割強持っていますね。
アイヌのY染色体はあとはほとんどがD2系統なので、元々縄文系の一部が津軽海峡を超えて
現地に住んでいた、または後世の気候シベリアからの逆移住によるC3系統と
混血した民族なのでしょうね。言語がD2系の日本語とやや違いが大きいことなどから、
母系では1割強よりはシベリア系の血が濃いかもしれません。
顔立ちの濃さからは縄文人の血の方を濃く引くのは確かだと思いますが。
371出土地不明:2009/10/02(金) 02:00:04 ID:9c9IagS1
>>369 続き

後世、ポルトガル人が鉄砲を持ち込んだとき、わずか三〇年で世界一の生産量をもつようになったり、幕末にアメリカ人が蒸気船やアームストロング砲の威力を見せたとき、
それを素早く学んで、一世紀もかからずに史上最大の戦艦大和級(図3.3)を造るに至ったりした歴史を思い起こしてほしい。
ある技術の有効性を見抜き、学んで、改良するスピードは日本人が世界の主要民族の中で最高レベルのようだ。しかし、渡来人は、遺伝的に北部中国人や韓国朝鮮人に近い。
中国や朝鮮は欧米の近代文明の有効性に気づくのも遅れ、学ぶのも遅かったのと対照的といえる縄文人の遺伝子恐るべし。
http://kuroneko.blogdns.net/HP/JapanEemp/FameleEmp/1-3.htm
372出土地不明:2009/10/02(金) 02:08:32 ID:aqxtlb2U
>>364
うろ覚えで悪いが人間の大脳が肥大化したのは氷河期であるらしく
そのためには特殊な塩類(忘れた!俺も生物学が得意じゃない)
が必要で、動物の脳に含まれるらしいが、手に入りやすいのは人間
の脳ぐらいだったという。(自分で言うのもなんだがデンパかも
しれぬが)
あと大脳を肥大化させてIQをアップさせたとしてもリソースの配分を
変更するだけの話で優秀になるとかじゃないよ。大脳を大きくすると
身体制御機能が制限を受けるので他の動物はブレーキをかけている
とか。東大にいっている人に歩行時に右手と右足が同時に動く人の
割合が大きいとかいう話も…(これこそデンパかもしれぬが)。
あんたやっぱりナチ呼ばわりがすきだね〜。
373白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/02(金) 02:10:22 ID:SPIjuLYA
>>365-366
Y染色体のD系統の海洋冒険者じゃの遺伝子が渡来したがる
遺伝子じゃのナチス優生学でも洗脳されておらん限り、
そういう発想は出んのう。ジンギスカンの遺伝子がC3じゃの
根拠も無い妄想で頭が狂うたんか?
>>367
上の方のブログは、Y染色体論者がナチス・レイシストである
証左じゃのう。奴隷で食人の習慣のあった縄文人の血が
あったけぇ日本は近代化したじゃの、ひと昔のマルクス主義左翼が、
封建制度があった日本は発展し、中国、朝鮮き停滞し続ける云うたん
と主張は変わらん。
マルクス主義の方は、イスラム世界の軍事封建制度があっても
近代化に直結せんかった事や、中国や新興アジア諸国の経済発展で
机上の論理は破綻したが、ネット右翼陣営は現実を未だ認識出来ず、
ファンタジーで自慰しとる状況じゃのう。未だにナチス理論とは、
時代錯誤も甚だしい。ネット右翼は19世紀〜20世紀前半の土人
(非近代人云うより非現代人)じゃのう。
374出土地不明:2009/10/02(金) 02:16:35 ID:LoAuJZaY
最近の研究で判って来た事だけれど
今まで定説の様にO2bは長江文明の遺伝子だと言われてた
ところが現在長江の南側のYはO2aが主流でO2bは余り居ないんだって
O2bは長江と黄河の間地域から検出されるらしい。
375出土地不明:2009/10/02(金) 02:21:34 ID:krUoHtAr
>>373
Y染色体は男系遺伝するという科学的事実か目をそらし、
根拠も無い妄想で頭が狂うたんか?
Y染色体は男系遺伝しないというたったの一人の反論者の名前も出せず能書き垂れるのは、
おまえがナチス・レイシストで母親が淫乱である証左じゃのうw
376白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/02(金) 02:24:27 ID:SPIjuLYA
>>371
ポルトガル人が鉄砲を持ち込んでも、大砲の砲攻撃の概念に
乏しく文禄の役で平壌から後退し、戦闘に役立たん大和を
製造した云うことも書かにゃあ、日本人の夜郎自大症、
敵情軽視、即ち他民族軽視は、現代ても受け継がれとる
云うことを自慢したい自虐でしかないよ。
>>372
右手右足が同時に動くナンバは、明治の近代軍隊の訓練が無い頃は
普遍的であろう。そがぁな慣習は人種概念じゃのうて文化概念じゃ。
37796:2009/10/02(金) 02:24:55 ID:OPIZSh2r
>>364
> 支配層に縄文系が多かったになら、何で蝦夷や隼人は異民族視され、
> 人間扱いされんかったんなら。
> 平安期の貴族による俘奴買いも、蝦夷が売買される奴隷であった
> ことの証左じゃないか。

日本人全般には北アジア渡来系の血は非常に薄いと思われるし、
大和国家(朝廷)も縄文人と(同化した弥生人)によって形成されたが、
天武帝の死後から徐々に、そして特に完全に藤原不比等の子孫が権力を握り
百済系渡来人の集住地だった平安京への遷都以降は、国家と支配層の性格が大きく変わっている。

壬申の乱に典型的なように軍事的に縄文系が強力であっても、百済系の可能性が高い藤原氏は、
元々日本人にあまりなかった陰謀や権謀術数、政略結婚を駆使して権力を握っていった。
平安時代の坂上田村麻呂の蝦夷討伐が有名ですが、軍事的天才の彼はアテルイに寛容な態度を取ろうとしますが、
藤原氏が主導する朝廷がアテルイを殺させたことなどは象徴的だと思う。
天皇は父系では一系で縄文系なのでしょうが、渡来系混血に人質にされた側面もあるかと思う。
378出土地不明:2009/10/02(金) 02:27:37 ID:RJRNofp9
>>374
だが現在の漢民族と言われる人たちは大体O3系が主流で
このO3系の遺伝子はどうも古代北方遊牧民の遺伝子らしく
後世に魏や隋、唐、などの胡族系、モンゴルや清朝の満州族などが
中原を支配してから広がった遺伝子らしいんだよ。
379出土地不明:2009/10/02(金) 02:37:54 ID:SUAkuZrJ
>>374
それは日本に来たのが戦争難民だからでないの?
その当時の中国は戦乱が続いたとんでもない時代だったし
周が西の奥から進出したんで、元いた敵対勢力は海に押し出されように逃げるしか無かったとか
長江を渡って南に戦争を仕掛けるのは大変だとか、いろんなパターンが考えられる、
農耕してる民族が移住するなんて非常事態が起きてるってことだ
380出土地不明:2009/10/02(金) 02:42:28 ID:fNKpnaLp
>>378
じゃ東アジアに広く分布するO2bとは何ぞや
そこなんだよ確信は
中国政府は絶対認めたくない秘密が?
O2bは北方系のO3に追われたんだよ、中原をO3に乗っ取られた
O2bは東や南、西へと逃げたが長江の南、百越地域はO2aが優勢な地域
じゃO2bは元々何処らへんに居たんだ???????
381出土地不明:2009/10/02(金) 02:56:49 ID:HArp+i+J
まあ、隠し事は色々あるだろwあんま表には出ないが結構血にこだわる連中なんだよ。
まさか日本の学者は中国情報丸呑みしてないよな。
382出土地不明:2009/10/02(金) 03:06:33 ID:IgbeoHQk
>>380
いよいよ確信に近づいて来たな
そっ、貴方の想像どうり
元々春秋以前の中原の遺伝子はO2b系が主の住民が居た
そこへ西域からコーカソイド系?トルコ系?インダス系?人種が
西安、山東半島、辺りに居住で交易都市国家、殷が出来た。
383出土地不明:2009/10/02(金) 03:21:03 ID:HArp+i+J
いや、連中が隠すとすればD2の痕跡。もしあるとすればだが。
384出土地不明:2009/10/02(金) 03:35:31 ID:SeJpotIZ
今から4000年ぐらい前に、世界的に寒冷化や乾燥化が起きた
この時期に世界中の文明が滅びかけたので、中国大陸でも影響が大きかっただろう
よって、この頃の戦争は占領では無く、土地の奪い合いだったと思う
元居た人は、殺されるか追い出されるかだっただろうから、これが移住の原因だった可能性も有り
渡来人が日本に来たのが4000年前以降なのは意味が有る、
その前は温暖化で日本に来る必要は無かった
385出土地不明:2009/10/02(金) 04:03:45 ID:MfcI0ACB
>>382
なるほど此れで朝鮮族の殷の王族箕子伝説や倭人の呉の太白伝説
は皆O2bで繋がるな
呉の王族は周と同族だから周の王族もO2bの可能性が有るな
周と殷は敵対関係だが王朝交代後は結構面倒見てるんで、血の繋がりは感じてたんじゃ無いかな
なんか殷周、呉越の関係って日朝の関係に感じるね、罵り合いながら隣で飯食ってる様な。
>>383
D2はちょっと列島固有種で居てほしい気持ちも日本人のアイデンティティとして。
386出土地不明:2009/10/02(金) 05:01:26 ID:KtSRAfsA
ジンギスカン時代のモンゴル人と現代のモンゴル人とはY染色体少し違ってきてるの。

O3も多いけどシベリアに多いC3が満州族と共に多いね。
387bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/02(金) 08:03:22 ID:fc4K+heW BE:428619492-2BP(352)
>>386
モンゴル高原では人口増えないけど、満州では人口が少ないとは言え生産されるから満州化したのかもな
388出土地不明:2009/10/02(金) 11:09:33 ID:krUoHtAr
>>377
おいおい何で藤原が百済系なのかソースを示してくれ。
朝鮮人のアホな流言に惑わされてるんじゃ?
389出土地不明:2009/10/02(金) 11:44:24 ID:26n1Jhmq
朝鮮半島南部は、古代は日本と密接な交流圏だった。北の方は人が住んでなかった
中原が発展すると人が流れて来て、中国の属国になる
よって、南と北は伝統的にかなーり仲が悪い。差別も酷い

歴史的に見れば、韓国の下半分を日本の県にして、ソウルと北を中国の州にするのが適当なんだが
触らぬ神に祟りなし。
朝鮮人は歴史を直視できず、そしていつの間にか文化のルーツを忘れ今に至る
390出土地不明:2009/10/02(金) 12:37:35 ID:uv9Scl5G
http://www.comonca.org.cn/PDF/2008/COMONCA02-011.pdf
中国語の2008年の論文
本文は読めないが、途中、YAP+、D1, D2, D3,M(mtDNA)の分布濃度図
古代民族と現代の相関予想図、古代民族のMapが掲載されている。

なお、日本の部分は、2007年に出された
Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese
Population and their Relationship to 16 Y-STR
Polymorphisms
を参照している、現在ほぼ最新のものだと思われる。
391出土地不明:2009/10/02(金) 14:16:05 ID:uv9Scl5G
D2支配説には賛成できない。

D2は西日本では2割代、関東で5割、北日本で6割程度である。
九州からO系統が進出してきた所では、
Dは駆逐されているのである。

私は、次のように考える。

稲作民O系統は、北部九州を中心として日本に渡来した。
稲作適地にいたD2は、Oによって基本的に駆逐された。
稲作不適地には、Oは進出しようとしなかった。

その後も境界線でのトラブル、稲作進展によるOの進出は続いたが、
その速度はゆるやかなものであった。

渡来のO及び原住Dともに小さな部族に分かれており、
稲作適地の戦闘に不適地のDが参戦することはなかった。
むしろ、敵の敵は味方という関係になったかもしれない。

このようにして、西日本においても、山間部にはDが残った。
東日本においては、長くDが過半数を占めていた。
そして、徐々に両者の交流が進んだ。
392出土地不明:2009/10/02(金) 14:44:15 ID:HNwbkC12
>>391
D2は日本全体では4割台 2500万人以上いる
稲作適地と稲作不適地では人口増加率が著しく違うのにどうやってD2は2500万まで増えたんだ?

D2
アイヌ .約   3万人
沖縄  約  20万人
本土  約2500万人

移民国家アメリカの白人比率も最近5割を切って4割台になった

4割台 白人           縄文人  D2
2割台 黒人           弥生人  O2b O3
2割台 ヒスパニック・アジア  渡来人  O2b O3
     ネイティブアメリカン.        C3
393出土地不明:2009/10/02(金) 15:07:51 ID:uv9Scl5G
北日本から西日本へとD2が直線的に減少しているということ、
古代においては稲作適地が現在よりもずっとずっと狭かったこと
を説明するのは、D2が支配者であったというより、
私の考えのほうが合うと思うからです。

D2がずっと稲作をしなかったとは言ってないし、
O2がいつまでもD2を駆逐し続けたとも言ってない。
それに、D2が採取狩猟だけをやっていたとも思っていない。
雑穀あるいは里芋栽培適地と稲作適地を比べれば、
時代をさかのぼるほど前者のほうが圧倒的に広い。
そして、前者地域はD2の多い地域だった。

人口は、単位面積当り養いえる人数 × 面積 で決まります。
394出土地不明:2009/10/02(金) 15:21:18 ID:Q3jB6OGu
>>391
Dは山間部狩猟民で有り沿岸部の漁労民でも有るから
日本の場合食糧が豊富で争う必要は無く、現在でもその伝統は引き継いでいる。

稲作民の適地である沼地、川沿いはマムシ、ヒルなどウジャウジャ居て足は取られて歩き難いし、こんな所いらんわって感じかな。

それで海幸、山幸神話じゃないけど、魚やるから米くれって感じで共に豊かに生存できる。
西日本にDが少ないのは元々九州四国西部など、火山の大噴火で縄文人が少なかったから
現在でも九州地方は火山灰で泣かされ畑も潰されてる。



395出土地不明:2009/10/02(金) 15:23:50 ID:HNwbkC12
>>393
弥生時代が始まる前から縄文人の人口は東日本>西日本だったし
移民は北九州経由で入ってきているんだろ?
西日本から北日本へと移民が直線的に増加していて当たり前

アメリカの黒人が南部から北部へと直線的に減少しているのと同じ
396出土地不明:2009/10/02(金) 15:26:10 ID:HNwbkC12
>>395訂正 

× 西日本から北日本へと移民が直線的に増加していて当たり前
       ↓
○ 西日本から北日本へと移民が直線的に減少していて当たり前
397出土地不明:2009/10/02(金) 15:26:34 ID:uv9Scl5G
もう1つ付け加えれば、
Dが4割という数字は、どういう調査を基にしているのでしょうか。

日本のY調査で
近畿や中国地方を出しているものは、見たことがありません。

私が今回紹介したものもそういった地域が単独で出てくるわけではありませんが、
そういった地域の調査を含んだwestern Japan として、
D2 26.8%という数字を出しているように思います。
398出土地不明:2009/10/02(金) 16:06:24 ID:l4AACJEj
>>397  下記じゃないかな!

東京、青森・静岡、九州のY染色体亜型は、いわゆる本土日本人のY染色体亜型と考えてよい。
その中で、先住系と考えられるヒト集団(C3系統およびD2系統)の比率が、現在でもほぼ4割を占める。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2/nipponn_3minnzoku_Y.jpg
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2Ysennsyokutai_karamita_sosenn..html
399出土地不明:2009/10/02(金) 16:21:19 ID:zXGo15JI
>>397  アイヌ、青森、東京、静岡、徳島、九州 、北琉球、南琉球
     地域別のデータが載ってますよ!

崎谷満のシナリオ [編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
その後、1万数千年前に、大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人である。
D2は日本だけで見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県56%、本州42-56%で、朝鮮半島では0%である。
近縁のD1,D3がチベットで見られる。D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西がD1,D3になったと考えられる。

400出土地不明:2009/10/02(金) 16:58:22 ID:6ahhD4vJ
>>393
東北地方では青森県から、弥生前期の水田跡が発見されている
水田の伝播は渡来人系の増殖より、遥かに早く日本中に伝わったと考えられる

そう考えると、縄文人が弥生人なったと考えられるから
渡来人が水田を伝える前に、緩やかに混血が進んでいた可能性も有る
401出土地不明:2009/10/02(金) 23:17:00 ID:TycA7FGA
>>370
大雑把ですが、考察のヒントになればと思います。

4万年〜1万5千年前の石器の系譜
・約40000年前〜32000年前--- 『非石刃系石器』 南方系旧石器(礫器・台形様石器[敲打器等])
 日本列島太平洋側、黒潮環境圏の約100ヵ所の遺跡から多数出土している。
 ※35000年前、400kmを越える黒曜石の移動例あり。また32000年前、武蔵野台地の遺跡から
 神津島産出の石器出土、同時に、南方系石器の特徴である重量石器群も見つかっている。
 ※40000年〜30000年前の局部磨製石斧の石器については、南方からやってきた新人が、日本
 列島で開発したとする説が有力。

・『非石刃系石器』と『石刃系石器』は年代的に併存している時期あり。

・約35000年前〜15000年前--- 『石刃系石器』 ナイフ形石器
 シベリア起源と考えられるナイフ形石器が32000年前から列島に波及し始める。

私見:大陸から石刃系石器技術(ナイフ形石器)を持つ集団がナウマン象を追って日本列島に流入
したと考えられるが、その集団が、「上記の」黒曜石集団と入れ替わったのではなく、黒曜石集団
が石刃系石器技術を獲得したと考える。なぜなら、黒曜石集団勢力は縄文前期後葉・中期初頭に
活況を呈し、縄文時代の中核を担った勢力であるからである。よって、14000年前の細石刃技法
集団(樺太経由のマンモスハンターと一部の朝鮮半島経由のナウマン象ハンター)の日本列島流入
の際にも、黒曜石集団との入れ替わりはなかったと考える。
(あくまで私的な見解ですが、黒曜石集団がD2、ナイフ形石器集団?、細石刃技法集団C3、C1に
ついては、D2集団と同時期に日本列島を駆け抜け一部残存したと考えています)
402出土地不明:2009/10/02(金) 23:42:37 ID:uv9Scl5G
>>390の英文論文は、こちらからdownloadできます。
http://ir.tdc.ac.jp/irucaa/handle/10130/491

この論文の調査サンプルを都道府県別にすると、次のとおり
北海道(3) D2, O2a, O2b
青森(3) D2, O1, O2b1
秋田(3) N/O, D2, O2b
岩手、山形は調査なし
宮城(7) D1, D2(3), O2b1(2), O3
福島(6) C1, D2, O1, O2b, O2b1(2)
栃木(5) D2(3), O3, O3e
茨城(5) C3, D2(3), O3e
群馬(4) D2, O2b1(3)
埼玉(13) C1, Q1, D2(7), O1, O2b, O2b1(2)
東京(51) D2(22), O2b(2), O2b1(15), O3(6), O3e(6)
千葉(45) C1, C3(2), D2(21), O1(2), O2b(5), O2b1(9), O3(3), O3e(2)
神奈川(14) D2(9), O2b, O2b1(4)
新潟(6) C3, D2(3), O2b, O2b1

403出土地不明:2009/10/02(金) 23:47:28 ID:MFt5lPXA
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




404出土地不明:2009/10/02(金) 23:55:44 ID:uv9Scl5G
長野(11) C1, C3, D2(3), O2b1(5), O3
山梨(2) O2b1, O3e
静岡(12) C1, D2, O2b, O2b1(5), O3e(4)
愛知(6) D2, O1, O2b(2), O3, O3e
岐阜(2) D2, O3e
富山(3) O2b1, O3, O3e
石川(4) C3, O2b1(2), O3e
三重(4) D2(2), O2b1(2)
福井、奈良は調査なし
滋賀(1) D2
京都(2) D2, O2b1
大阪(2) N/O, O2b1
和歌山(5) C1, D2(2), O2b, O2b1
兵庫(5) D2(3), O2b, O2b1
岡山(6) D2(2), O2b, O2b1, O1, O3
広島(3) O2b1, O1, O3e
鳥取(2) O1, O3
島根(3) D2, O2b1, O3
山口(2) O2b, O3
香川(4) C3, D2, O3(2)
愛媛(4) O2a, O2b, O3(2)
高知(1) D2
徳島は調査なし
福岡(4) C3, D2, O3(2)
大分(3) D2, O2b1(2)
佐賀(2) D2(2)
長崎(1) D2
熊本(3) D2, O2b, O2b1
宮崎、鹿児島は調査なし
沖縄(1) O2b1

県名(サンプル総数) xxx(うち、この亜系の数。1のときは省略)
となっています。
405白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/03(土) 00:17:50 ID:TUBdNpK6
>>377
日本人全般に北アジア云うたぁ、北東アジアの血が濃いことは、HLAや
mtDNA等の遺伝子、形質、耳垢や人骨に残らん現代目や耳、口の形、容貌
から明らかなことよ。大和の王権は渡来系が倭人や縄文系を
支配したんであって、異民族視し奴隷扱いの縄文系に同化するわけ
あるまあ。平安京は元来百済系よりも、トルコ・チベット羌、新羅、
伽耶系の秦氏の渡来地の側面が強かろうに。
壬申の乱に縄文系?近江朝側は、百済系勢力で、大海人側は美濃、尾張の
新羅系勢力じゃし、縄文系勢力なんか無いど。
藤原氏は百済系と断言は出来まい。秦氏との婚姻や僧ちょう然が秦氏と
藤原氏の両方名乗ったように。日本人は元来、陰謀や権謀術数、
政略結婚が無かった?日本国家形成や日本民族は飛鳥、奈良期に成立
したし、その時代は陰謀だらけじゃないか。東北の蝦夷は
当時日本人じゃないし、平安期でも異民族視されとったよ。
そう云うたら前九年の役で蝦夷の阿倍貞任は重陽の節句で源義家を
騙まし討ちしょうとしたが失敗したのう。縄文文明派は、
大和民族は騙まし討ちが好きで、蝦夷は侵略された云う被害者意識の
恨の精神が強いけど、征服した側の日本人が騙すだけじゃのうて、
蝦夷人も騙しは使うわいや。
坂上田村麻呂は、「家世々弓馬を事とし、馳射を善す」と武人の家柄、
つまり西史氏や秦氏と同様、奈良時代天皇家の護衛騎馬部隊じゃった。
坂上氏は鮮卑、楽浪、百済、伽耶系の東漢氏で、東漢氏の新沢千塚古墳
から鮮卑系と思える。天皇家が縄文系の可能性は、渡来系に比べたら
低すぎるわい。
406白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/03(土) 00:43:09 ID:TUBdNpK6
>>394
日本は食糧が豊富で争う必要がないんなら、縄文末期の人口減少や、
弥生期の倭国大乱、気候が寒冷化したら飢饉になるんは、昭和前期まで
続いたど。稲作の米も主食になったんは戦後からじゃ。
歴史を見ても、中世貨幣の代わりに流通した米は江戸期でも財産の証明で
先物取引の為の道具じゃけぇ都市民以外滅多に食えるもんじゃない。
広島県出身の総理大臣池田勇人氏の誤解された言葉じゃが、
「貧乏人は麦を食え!」じゃ。米なんか贅沢じゃし、脚気になって
どうすんない。
407出土地不明:2009/10/03(土) 00:55:37 ID:hg0wr4xj
日本にある(欧米人にレイプされるなどして血が混じる前)コーカソイド的形質は
どこから来たものなのでしょうか?
408出土地不明:2009/10/03(土) 01:10:51 ID:2vGNEXe3
>>405
Y染色体ではそうなってません。
お前の古臭いアホ説なんてどうでもいい。

科学に逆らわないように。
409出土地不明:2009/10/03(土) 01:12:44 ID:9tnY+r9Q
中央アジア。

おそらく古モンゴロイドの前が古コーカソイドだったからだろう。

ポリネシアンみたいなのも古コーカソイドの前がオーストラロイドだったからだろう。

原始時代の形質を残していたり、先祖帰りして出てきてしまったり。
410出土地不明:2009/10/03(土) 01:28:34 ID:9tnY+r9Q
Y染色体単体だけでは全く信用に値しない。

個人の先入観で解釈をしてしまうからである。

多数の遺伝学や絶対的存在である文物と整合したものでしか、
Yが示すその科学的真実に近づく事もできない。
411出土地不明:2009/10/03(土) 01:36:08 ID:PoVnIva+
>>395
弥生人系質が多いのは
近畿、中部、関東の中日本
これは渡来人が舟で島根、山口
412出土地不明:2009/10/03(土) 01:39:38 ID:PoVnIva+
>>395
弥生人系質が多いのは
近畿、中部、関東の中日本
これは渡来人が舟で黒潮にのって近畿和歌山辺りに
上陸したからではないか
もしくは古来から現代まで発達した都市には
地方から人が集まり、たまたま弥生系が多くあらわれたのかもしれない
413出土地不明:2009/10/03(土) 07:44:49 ID:2vGNEXe3
>>410
そのYが示す科学的真実を無視してる>>405にまず文句言え。
414出土地不明:2009/10/03(土) 08:49:12 ID:T8D3jeq/
白馬青牛さん、あなたの主張は説得力がある。
あなたのように短頭で堀が浅く扁平な顔は明らかに北東アジアの
新モンゴロイドだ。また、あなたは一重か二重かも分からない小さな
目をされているようなので、この特徴も彼らに完全に一致する。
あなたは典型的は北東アジアの遺伝子を受け継いでいる。
あなただけは確実に北東アジア系だ。あなたのような容貌は日本では
醜男だが、中国北部や韓国に行けば、もしかすると美男として認めら
れるかもしれないな。羨ましい。
415出土地不明:2009/10/03(土) 10:21:03 ID:NpnAluSf
大和朝廷すら蝦夷の制圧には苦労してる、渡来人が東日本を制圧できた可能性はまったく無い
しかし弥生前期にはもう水田が存在するし、一般的に言う弥生系も多く存在している。
渡来人が西日本を制圧できた事すら疑わしい。
奈良の水田跡も日本最古級である。あまりにも伝播が早過ぎる。

あと、弥生時代を作ったのが渡来人なら、文字が無いのは絶対に変だぞ。
弥生時代は、水田以外の大陸文化の伝播が無い。
縄文人が水田を学びに留学した可能性も有る。
邪馬台国も中国と国交は有ったから、可能性は0ではないだろう。
416出土地不明:2009/10/03(土) 11:19:22 ID:NpnAluSf
あと考えられる可能性は
渡来人が大規模で、日本各地に入植した可能性があるが、
大和朝廷と日本各地が敵対してたので、この可能性は低い。

弥生系の多さから渡来人は大量だったと思われる。しかもその拡散は急である。
しかし、日本古来の文化は残った。
残るのは、中国からの移民が友好的に行われた可能性である。
417出土地不明:2009/10/03(土) 13:23:25 ID:AMspBESC
酒匂本(1881年)

百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡[海]破百殘■■新羅以為臣民

〈そもそも新羅・百残(百済の蔑称か?)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に[海]を渡り百残・■■(「百残を■■し」と訓む説や、
「加羅」(任那)と読む説もある)・新羅を破り、臣民となしてしまった。〉

2006年4月には中国社会科学院の徐建新により、
1881年に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが完全に一致していることが発表され、
これにより大日本帝国陸軍による改竄・捏造説が成立しないことが確定し、
倭が朝鮮半島に勢力を伸ばしていた事が証明される結果と成った。

*4世紀末には、すでに日本は海を渡れるほどの強国であった。
418出土地不明:2009/10/03(土) 14:59:40 ID:AMspBESC
全羅南道の光州郊外と栄山江の流域に奇妙な形をした古代の墓があるのを
知っているだろうか?その形は前部が四角錐、後部が円形となっている。
出土物から紀元5〜6世紀頃の遺跡と確認されている。

ところが、この歴史的遺跡は韓国の考古学会では黙殺されている。その
理由はその古代の墓の形状にある。日本人なら「前部が四角錐で後部が円
形の墓」と言われれば直ぐにピンとくるはずだ。そう、逆向きで表現され
ているが前方後円墳である。

実はこの墳墓が発見された当初韓国の新聞などは一斉に「古代朝鮮から日
本へ前方後円墳が渡った証拠」として報道していたのである。
前方後円墳は世界的に見ても非常に珍しい形の墳墓で、日本独自の墳墓文
化として世界に紹介されているからだ。ところが、よくよく調べてみると、
日本の前方後円墳が3〜5世紀に作られたのに対し、これらの韓国の前方
後円墳は5〜6世紀に作られていたことが分かってきた。さらに韓国の前
方後円墳の出土物に日本の埴輪に酷似した土器類が発見されたのだ。

常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力
な豪族がやってきて当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が
古代朝鮮にあったと推察される。
419白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/03(土) 15:02:56 ID:TUBdNpK6
>>411-412
弥生人形質じゃあ、渡来系弥生人か縄文系弥生人か解らん
じゃないか。渡来形質なら弥生期は北九州、山陰が中心地じゃし、
古墳期になって全国的に拡散したが、近畿、中国、北九州が
多かったろう。
ほいで黒潮は死の海じゃけぇ、アメリカの方まで流されるよ。
運よう日本列島へ漂流しても現地民に殺される。
華南人が台湾へ移住しだしたんが宋代以降で。
>>414
日本でも、エラの張った低広顔の縄文形質たぁ、北東アジア系の
高細顔の方が伝統的に美男とされるよ。
420白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/03(土) 15:45:37 ID:TUBdNpK6
>>415-416
阿倍比羅夫は海路の点と線の拠点攻略で蝦夷を制圧しとるが、
白村江敗戦以降、律令制もあって日本は海洋思考の点と線の
支配から陸思考の領土支配に転換した。兵站が伸びるけえ、
短期間の制圧は難しいのう。しかも東北蝦夷と前線で
戦闘したんは東国で挑発された連中じゃけぇのう。
渡来系が東日本を制圧したことは、東国が出雲神系で北陸、
東山道経由で支配されとるし、大和政権に直姓をもらうて
隷属しとることや、関東最大の豪族上毛野氏が渡来系田辺氏と
同族であったこと等、渡来系に完全に制圧されとる。
東北の蝦夷すら支配層は渡来系の可能性が強い。
文字を持つ、持たんは支配、被支配に関係ない。日本の
国家形成期が6〜7世紀じゃけえ文字が読める連中を
揃えるんはその頃じゃ。おいおい、弥生時代は水田だけで
他の穀物が無い云う珍説か。
ほいで、弥生系の渡来が多かったんじゃのうて、古墳期の渡来者が
多かったんで。
>>417-418
倭は当時朝鮮南部から九州北部地域を指しとるんで。
倭の支配層は伽耶の北方木槨墓人じゃ。
列島の倭は、漢に生口の奴隷を提供し漢の隷属しとったんで。
そがあな弱小な列島倭人が短期間で強国になれるわけ
あるまい。古墳期の渡来系大量移住期までは無理じゃ。
前方後円墳は朝鮮北部が起源かも知れんのう。
まあ前方の方墳プランは高句麗じゃし。
421出土地不明:2009/10/03(土) 16:02:51 ID:rUbqevG6
昔から東北には弥生時代が無いと言われて来た。
しかし、東北地方には弥生時代にもう弥生的特徴がかなり増えている
http://kaken.nii.ac.jp/en/p/12012203

>>420
東北弥生時代の、大陸又は朝鮮的文化って何よ。
言葉、文字、土器、宗教、なにも伝わっていない。渡来人が支配層だったと言う考えは無理が有る。
422bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/03(土) 16:16:59 ID:z1Otrm3D BE:380995182-2BP(352)
>>405
こいつ・・

日本の地方勢力を全部大陸北部の諸民族に当てはめだしたぞ・・!
423bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/03(土) 16:28:35 ID:z1Otrm3D BE:357183353-2BP(352)
>>407
>(欧米人にレイプされるなどして血が混じる前)

欧米人の血は混じっていません

そして日本にコーカソイドはいません。旧石器時代からいる非モンゴロイドをコーカソイドっぽいと勝手に思い込んでるだけです

>>419
>日本でも、エラの張った低広顔の縄文形質たぁ、北東アジア系の
>高細顔の方が伝統的に美男とされるよ。

その通りです。

しかしあなたには用語の過ちがみられます、エラの張った低広顔は南方形質であり、
弥生時代に稲作を伝えた長江人、通称「弥生人」と呼ばれます。

縄文人とは、旧石器時代日本が冷帯気候でマンモスなどが栄えた頃に適応したため、
現代北東アジア人と同じく高細顔です。

しかし、元の人種が北東アジア人とは別なので、見た目は全く違います。

余談ですが、わが国では北東アジア人の高細顔はブ男、縄文系(在来系)の高細顔は美男美女とされているようです。


>>421
東北勢力が大和の先進的な文化を取り入れていた証拠ですね。
つまり、東北には大々的な文化の受け入れができるような国家的な大規模な組織があったということですね。

>言葉、文字、土器、宗教、なにも伝わっていない。渡来人が支配層だったと言う考えは無理が有る。

牛氏は大陸の文化が伝わっている地域は大陸勢力OR大陸起源の人類集団が支配していたという信仰を持っている方です。
日本の在来集団には外部文化を大々的に受け入れるようなシステマティックな動きをする能力がなかった(≒国家を構成する能力が無かった)と考えているのでしょう。

これは単なる人種差別であり、相手にしては話がこんがらがります。
424出土地不明:2009/10/03(土) 18:52:05 ID:2vGNEXe3
>>420
>関東最大の豪族上毛野氏が渡来系田辺氏と
>同族であったこと等、渡来系に完全に制圧されとる。

アホか。婚姻によって入り込んだのではないかとも言われてる、
また田辺氏といっても皇別と渡来系とがあり、別系統の可能性も高い。
大原、桑田、清原なんて氏族も皇別と渡来系とがある。

>前方後円墳は朝鮮北部が起源かも知れんのう。
>まあ前方の方墳プランは高句麗じゃし

負け犬みたいに嘘ばっtかり言ってないで、
どんな出土物があったのか示してみいや、この腐れチンポ。
425出土地不明:2009/10/03(土) 18:58:51 ID:AMspBESC
まず、朝鮮半島での稲作文化が確実に存在していたと思われるものは紀元前2000年頃のもので、
それ以前は確実に畑作文化であった事が証明されています。
まず、平安南道龍岡郡弓山里遺跡などでは開墾や耕作のための石鍬、石鋤などの一連の農耕を
示す遺物が出土していますが、これに伴った遺跡群としては、平壌市南京遺跡の櫛目文土器
文化後期の住居跡からの雑穀と共に出土した250粒の炭化米だけで、これは畑作米でした。
他にも、あくまで水耕ではなく畑作で米を栽培していた証左も多く発見されています。
一方、この出土された時期に、日本においては多くの水耕田が見つかっております。つまり、
熱帯性/温帯性の稲において、この時期やその1500年前の時代幅で最も最適といわれる水耕の
証左が、中国以外には、朝鮮半島ではなく日本及び東南アジアからにおいてのみ見つかってい
るのです。
426出土地不明:2009/10/03(土) 19:21:22 ID:tM152LlL
「入れ墨」は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
427出土地不明:2009/10/03(土) 19:24:47 ID:vvinPeUr
日本には世界最古の7000年前の「入れ墨」の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
428出土地不明:2009/10/03(土) 19:28:14 ID:AMspBESC
【万葉集】
 ○ 原文: 大納言大伴卿歌一首  未詳
   奥山之 菅葉凌 零雪乃 消者将惜 雨莫零行年(巻三・299番)

 ○ 訓読: 大納言大伴卿(おほとものまへつきみ)の歌 一首 未だ詳らかならず
   奥山の菅(すが)の葉しのぎ降る雪の消(け)なば惜しけむ 雨な降りそね
 〔現代語訳(中西進):奥山の菅の葉をおおって降る雪の見事なことよ。消えてしまったら惜しいだろうから 雨よ降るな。〕

【朝鮮語で万葉歌の解釈例】
○ 李寧煕解読:ギムメジ(野良仕事なす) ワンニムダル(王君たち) ショージャショーセ(休もう 休もう(あるいは 休まれよ)) ウマクヨンソルネ(小屋も不慣れよ(下手なことよ))
朝鮮訳:野良仕事なす王君たち 休もう 休もう 小屋も不慣れよ(下手なことよ?

【結論】日本語と朝鮮語は、関係なんて無いと思う。
429出土地不明:2009/10/03(土) 19:28:16 ID:4s1O0M6E



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


430出土地不明:2009/10/03(土) 19:32:34 ID:0AT+TdBx
「入れ墨」は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
431出土地不明:2009/10/03(土) 19:33:10 ID:xtBEwa09
日本には世界最古の7000年前の「入れ墨」の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
432出土地不明:2009/10/03(土) 19:34:01 ID:OLI8fvPt



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


433出土地不明:2009/10/03(土) 19:51:00 ID:AMspBESC
農学、植物学、生態学の分野では米の伝来ルートについては中国南部から
直接伝来したという説が定説でしたが、
考古学、歴史学の分野では朝鮮半島経由という考え方が有力でした。
しかし、7,8年前からまず考古学の分野から変化が起き、
次第に中国南部から直接伝来した説が有力になって、
現在ではほぼすべての学界で定説になっています。
また中国の稲作研究界ではむしろ
水稲種は日本から朝鮮半島に伝播した
という説が有力になっています。
この流れが加速したのは主に2つの理由があります。
遺伝子工学の分野からの研究の成果、もう1つは中国政府機関が20年以上かけて中国北東部で行った品種の調査です。この2つが決定打になり朝鮮半島経由で米が伝来した可能性がなくなりました。

434出土地不明:2009/10/03(土) 20:02:01 ID:OLI8fvPt
>現在ではほぼすべての学界で定説になっています。




それ、どこの学会?w



435出土地不明:2009/10/03(土) 20:16:48 ID:kbw7CXn6
あのな、温帯ジャポニカは熱帯ジャポニカから生まれたんだぜ。

佐藤洋一郎が遺伝子の経年変化も計算できない大馬鹿なだけ。

山東半島から遼東半島に稲が伝わり朝鮮を経由して九州北部に伝わった
時点では遼東半島から朝鮮北部にも大なり小なりまだ熱帯ジャポニカがあり、
その後、地域に応じて熱帯ジャポニカが欠損消滅したり、逆に頻度が
高くなるという頻度の経年変化を起こしただけ。

水稲と陸稲もそう。

陸稲はもともと水稲。

山東半島から遼東半島に伝わった水稲は遼東半島で陸稲になり、
朝鮮南部に入って自然環境の変化から、どこから伝わった訳でもなく、
自然発生的に再び水田が登場して水稲に戻っただけなのである。
436出土地不明:2009/10/03(土) 20:32:26 ID:m2CxY5xp
>山東半島から遼東半島に伝わった水稲は遼東半島で陸稲になり、
>朝鮮南部に入って自然環境の変化から、どこから伝わった訳でもなく、
>自然発生的に再び水田が登場して水稲に戻っただけなのである。

何の根拠も無い超希望的妄想ですね。w



437出土地不明:2009/10/03(土) 20:34:47 ID:m2CxY5xp
>山東半島から遼東半島に稲が伝わり朝鮮を経由して九州北部に伝わった
>時点では遼東半島から朝鮮北部にも大なり小なりまだ熱帯ジャポニカがあり、
>その後、地域に応じて熱帯ジャポニカが欠損消滅したり、逆に頻度が
>高くなるという頻度の経年変化を起こしただけ。

これも何の根拠も無い超希望的妄想ですね。w
438出土地不明:2009/10/03(土) 20:41:09 ID:m2CxY5xp

ジャポニカイネの起源は東南アジアで、そこから中国へ伝わり、
そこで温帯ジャポニカイネが生まれ、日本列島に伝わったたのですが。w
東南アジアって南方でしたね。

http://www.nias.affrc.go.jp/press/20080707/
439出土地不明:2009/10/03(土) 21:20:33 ID:AMspBESC
朝鮮では、遺伝子は経年変化することになってるのか?
それは、最高科学者のファンウソック博士の説か?W
440出土地不明:2009/10/03(土) 21:38:20 ID:0faEi0w6
おまえ、まさか遺伝子が永遠に変わらないものだと思い込んでいたのか?

さすが馬鹿ワンw
441出土地不明:2009/10/03(土) 22:17:35 ID:AMspBESC
突然変異だろ。w
442白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/03(土) 23:06:02 ID:TUBdNpK6
>>421
弥生期なんか部分的渡来に過ぎんけぇ渡来系が多数派に成った古墳期以降
のことを云うとるんでえ。
>>422-423
こいつ云うて、わりゃ、しったげな(生意気な)のう。
弥生期の渡来系は、形質的に韓人系支石墓が朝鮮南部から渡来した
縄文形質か、朝鮮南部伽耶地方の甕棺墓の北方形質であって、
江南沿岸部に華北から南下した北方形質があっても、航海の軸線から
江南から直接移民の可能性は低いのう。山東〜朝鮮経由なら
ありうるが。
弥生期に日本国内で国家形成する力は無いし、朝鮮半島も土着の韓人や
倭人に国家形成する力は無いわ。国造りに巧みな北方民族が征服せにゃあ
のう。4世紀以降の北方民族移動で西欧も日本、朝鮮も国家形成が
出来たんは世界史が証明しとる。どこが人種差別なんなら。
弥生期の北方渡来系は農耕民的で組織運用力に欠けとったが、
古墳期の北方渡来系は牧畜民の組織運用力を持っとったけぇ、
現地民を統治する能力においては巧みじゃっただけじゃ。
オリエントの昔から牧畜民が農耕民を支配する構図は変わらんよ。
それが世界史の例で日本だけ特別云う夜郎自大、日本式江南朱子学の
中華思想よ。
>>425
皇別なんか後づけで、秦氏の島津氏が、惟宗氏から源氏に姓を変え、
賤民出身の徳川氏が賀茂氏、藤原氏、源氏と姓を変えて皇室の血統に
近づくんは、政治手段じゃ。
ほいで高句麗が方墳プランが無かった云う根拠を提示せんかい。
わりゃ、わしを嘘つきじゃゆうたんで。吐いた唾は飲むな。
443出土地不明:2009/10/03(土) 23:07:46 ID:7V9v6Ctu
もあるが、その前に頻度変化の方が最もポピュラーな経年や環境による
遺伝子変化だろうが。
444白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/03(土) 23:23:04 ID:TUBdNpK6
>>442の、>>425>>424へじゃった。
>>425
贅沢な者を除いて多くの日本人が米を主食したんは、戦後じゃし、
日本人は稲作の米より、畑作物を主食にしとったんで。
弥生期の渡来系でも麦とセットになっとるけぇ、稲作民じゃのうて
畑作民じゃ。稲作民は江南以南の低地において麦が根枯れして作れん
状況じゃあるまいし。江南開発で白米の食いすぎで脚気となった
症状が日本では江戸期までほとんど無かったろう。
あんた、軟弱脚気症状の米崇拝者じゃのう。
445出土地不明:2009/10/03(土) 23:41:07 ID:7V9v6Ctu
>韓人系支石墓が朝鮮南部から渡来した縄文形質


九州北部には朝鮮無文土器を真似たと思しき弥生土器はあるが、
半島人の定着を示す朝鮮無文土器そのものを生産していた
弥生遺構は無い。

やはり単に朝鮮南部と交流して朝鮮支石墓を導入した
縄文系弥生人自身のものだろう。


>山東〜朝鮮経由ならありうるが。


江南直来にしろ、山東〜朝鮮経由での渡来にしろ、
江南人だろうが華北人だろうが、弥生期に中国から人の渡来があれば
古代中国文物はもちろんなんだが、まず龍が伝わるハズなの。

特に江南には敵としての龍を信仰する思想があるから、
絶対に龍が伝わるハズ。
446出土地不明:2009/10/04(日) 01:09:41 ID:emxfKOwt
弥生系が渡来人の特徴を持つのは確かだけど
水田が始まった弥生初期は、九州北部ですら弥生系の人骨の率が少ない。縄文系が多い
渡来人が入植したと言うより、縄文人に渡来人が混じってたという方が適当である
弥生系は九州北部で徐々に増えて行くが、初期は少なかった。

しかも、全国各地に水田と弥生系の遺伝子が急速に広まった
弥生初期、つまり縄文晩期は全国的な交流が有ったことになる
水田と弥生系遺伝子が、支配地を広げる侵略で広まった可能性は無い。
戦闘は有ったかもしれないが、それと直接関係なしに全国に広まったと言える。
447出土地不明:2009/10/04(日) 01:12:48 ID:vBau0M5P
>>442
>皇別なんか後づけで、秦氏の島津氏が、惟宗氏から源氏に姓を変え、
>賤民出身の徳川氏が賀茂氏、藤原氏、源氏と姓を変えて皇室の血統に
<近づくんは、政治手段じゃ

>ほいで高句麗が方墳プランが無かった云う根拠を提示せんかい。

方形だからと言って味噌も糞も一緒にするなボケ。
日本で高句麗風の積石方形墳墓なんてごくわずかで、
しかもたいした地位もない。
それでも高句麗と日本の類似を言うなら、
早く高句麗の古墳出土物の日本との一致を証明してみいや。
出来ないくせに能書きたれるな売女のせがれが。

それこそが新撰姓氏録の9世紀以降の後づけじゃねぇかボケ。
448出土地不明:2009/10/04(日) 01:14:44 ID:vBau0M5P
447修正

>>442
>皇別なんか後づけで、秦氏の島津氏が、惟宗氏から源氏に姓を変え、
>賤民出身の徳川氏が賀茂氏、藤原氏、源氏と姓を変えて皇室の血統に
>近づくんは、政治手段じゃ

それこそが新撰姓氏録の9世紀以降の後づけじゃねぇかボケ。

>ほいで高句麗が方墳プランが無かった云う根拠を提示せんかい。

方形だからと言って味噌も糞も一緒にするなボケ。
日本で高句麗風の積石方形墳墓なんてごくわずかで、
しかもたいした地位もない。
それでも高句麗と日本の類似を言うなら、
早く高句麗の古墳出土物の日本との一致を証明してみいや。
出来ないくせに能書きたれるな売女のせがれが。
449出土地不明:2009/10/04(日) 01:44:55 ID:K/dJs+Ei
>>446
違う。

渡来人はアムール川方面から南下して沿海州南岸でヴァイキング化した集団。

船で日本全国を周って交易してたんだよ。沖縄から北海道南部まで。

そのときに繁殖力の強い北方モンゴロイドの遺伝子が全国に落ちていき、
経年するに従って拡散していった。
450白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/04(日) 02:14:29 ID:pX/dM2dI
>>445
土器は基本的に現地の人間が造るもんじゃ。少数渡来なら
現地で確保した奴隷に作らせればよい。
朝鮮式なら遼寧式青銅の朝鮮経由伝播をわざとらしゅう無視すなや。
江南の信仰は龍より蛇じゃろうに。
>>446
弥生期に渡来者が少なのうて古墳期に大量移住したんは、わしが
何遍も云うとろう。九州北部は弥生人骨が多かろう。歴博の年代を
信用せん限り。弥生期も東日本でも神奈川県でも渡来系人骨も出るが
少数派であることは変わらん。渡来系が全国に拡散するんは、
世界的民族移動期の4世紀以降の古墳期じゃ。
そもそも水田が増えたら人口が増える云うんは中橋氏の妄想
見解じゃろう。何遍も云うが日本人が歴史時代、米を主食とした
時代が無い以上妄想に過ぎんのじゃ。
>>447
日本で方形墳墓がごくわずか云う根拠は何か?
出土品なんか現地のもので取り合わせ出来るもんは現地のもんを
利用するけぇ、どの部分を具体的に云うとるんか?
売女のせがれ云うとるが、わしん家は、戦前から裕福じゃった
けぇ、売女はおらんのう。元芸者の方はおったけど。
東北地方なんか没落武士の娘が売笑婦になったり悲劇が多かった
けど、縄文文明派に近いあんたの家の方が売笑婦に成った方が
おったかも知れんのう。まあ、武士の起源も妻は売笑婦で、
武士自身は尻を主君に犯されて出世するけぇ先祖還りじゃし、
武士も売笑婦もカタギじゃ無いわ。あんたカタギの価値観で
教条論を云うても意味があるまあに。
わしが、天皇に結びつける家系なんか姓氏禄のよう後づけ
政治手段じゃ云うとるんに肯定しとるたぁ珍しいのう。
451出土地不明:2009/10/04(日) 02:38:12 ID:UKOQddzG
━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E ムキになって駄文荒らし   .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
452出土地不明:2009/10/04(日) 02:51:01 ID:vBau0M5P
>>450
>土器は基本的に現地の人間が造るもんじゃ。少数渡来なら
>現地で確保した奴隷に作らせればよい。

少数渡来したことと現地の人間に作らせたことを証明するのが考古学だ
それが出来ないでいいなら何人が来たでもかまわないじゃねぇか。
そんなこともわからねぇのか痴呆。

>朝鮮式なら遼寧式青銅の朝鮮経由伝播をわざとらしゅう無視すなや

日本語が不自由なのか何言ってるのかわからねぇが、
文物の渡来と人間の渡来をごっちゃにすな。
日本に鮮卑系の馬具が出るからと言って、
鮮卑人が日本に来て王朝を作ったとはならないのと同じだ。

頭悪すぎだおまえ。
453出土地不明:2009/10/04(日) 02:56:17 ID:vBau0M5P
>>450
>日本で方形墳墓がごくわずか云う根拠は何か?

じゃおまえがこれこそが日本における高句麗人の墓だと思う例を言ってみろ。
方形だから高句麗だろうって事なら馬鹿丸出しだ。

おまえの家柄なんてどうでもいいんじゃ、何をオカマみたいにゴチャゴチャ言ってるんだ下衆。
454出土地不明:2009/10/04(日) 04:16:12 ID:RBXqn52O
>>450
征服かw

征服もよっぽど劣った土器文化しかない場合を除いて普通は
征服した方の土器文化が短期間でも定着するんだけどなw

縄文末に沿海州からやって来て弥生開始させた渡来人たちは
少数だっただろう。

にもかかわらず、その後、西日本一体に刻目突帯文土器や高床式倉庫の
一大ブームを巻き起こしている。

漢の朝鮮侵攻後の朝鮮半島もそう。

中国灰陶が伝わり、100年と経たないうちに朝鮮瓦質土器として
朝鮮半島に一大センセーショナルを巻き起こしている。
455出土地不明:2009/10/04(日) 04:19:11 ID:RBXqn52O
被征服者にとって征服者の文化というは魅力的で全てが流行の的。

戦後の日本はどうか?

西洋陶磁器はもうあったから影響を受けなかったが、もう何もかもが
アメリカ浸りの一言だろう。

朝鮮式細型青銅武器は単に朝鮮南部と九州北部との交易を通じて
伝わっただけだろう。

それが証拠に青銅器が伝わっても長い間、国内で青銅器を生産できなかった。

長い時を経て、現地と交流する弥生人たちの中でようやく技術を
体得するものが現れて技術を持ち込んできた。

でも彼らは朝鮮青銅器なんかどうでもよくて、独自の銅鐸を作りまくるのだ。

江南の信仰には蛇の他に鳥もある。鳳凰だがな。

不思議と龍も信仰されていた。

それが証拠に江南の文物には龍をかたどった文物が非常に多い。

それに江南には敵としての龍信仰があった。

だからどう転んでも龍は伝わってしまう運命なんだよ。
456出土地不明:2009/10/04(日) 21:32:25 ID:RsWS3jMH
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
457出土地不明:2009/10/04(日) 21:36:00 ID:6rK94b1t
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
458出土地不明:2009/10/04(日) 21:39:10 ID:HW+NgP1m
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
459出土地不明:2009/10/04(日) 22:32:54 ID:Av6bHPrt
>>456
日本語としては「ひちにん」が正しいが、レッドブックの「ななにん」も間違いではない
ただ朝鮮人や関西人が良く使う「しちにん」は明らかに間違い
これを使っていると日本人である事を疑われるので気を付けるように
460出土地不明:2009/10/04(日) 23:11:51 ID:tQtCqdZq
日本は百済、高句麗からの亡命者を結構受け入れてるね
高麗神社とか、http://www.komajinja.or.jp/
ちゃんと残ってるなんてすごいと思わないか
倭国は百済に何度も援軍を送ってたりしたから関係が深かったんだろうな
461白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/04(日) 23:22:42 ID:pX/dM2dI
>>452-453
文献や出土品なんかごく一部のもんで、証明の手段にならんよ。
学問は仮説の見識であって証明の見識でも無い。
馬具なんかの副装品の方が土器の生活文物よりも、出自がバレる
可能性が強いのう。
高句麗式の積石塚は日本各地にあろうに。高句麗自体が、
楽浪を征服したら漢人式土盛塚が増える。後漢に奴隷を献上した頃
から漢の隷属国じゃった列島で高句麗に好き好んでマネる方が
可笑しかろう。漢人隷属としての列島倭人文化から胡族文化の
転換よ。ほう、あんた自身の家柄に卑下する気持が強いんか?
>>454-455
征服した方の土器文化が、どがぁな実例から短期間で定着するん
か?土器は生活用具で征服者が強制したもんじゃ無い。
中国土器なんか内モンゴルや満洲にも伝わっておるが、当時の
漢人が直接、モンゴルや満洲を支配したわけじゃあるまいし。
土器は便利かどうかで流通するもんじゃろうに。
銅鐸が日本独自じゃあるまいし。龍信仰は内モンゴル遼寧の先紅山
文化以前に発見出来とるまあに。
462出土地不明:2009/10/04(日) 23:46:06 ID:tQtCqdZq
>>461
朝鮮は唐の支配下で、地名や姓名を唐に添って改名させられてるのに
説得力無さ過ぎ。歴史を直視しよう
463出土地不明:2009/10/04(日) 23:52:42 ID:32VXPbzY

【外国人参政権】【人権侵害救済法案】についての
反対署名が下記HP(署名TV)で始まりました。
住所本名を晒さなくても署名ができるようです。

今月開催の臨時国会で提出されてしまう可能性の高い法案です。
出来るだけ多くの署名および拡散協力をお願いいたします。

ttp://www.shomei.tv/project-1300.html

            _,‐/.|       ヽ.,лi'\,‐i
           ノ   .|      ,ノ  (´・ω・`)´i
          /    `'‐´`'-,_,‐'v'‐-ー,__,、,-、_`'!_ _
    _ __ノ‐-ー'     ,‐^'‐‐,iー,,l´        ~   ,}
 ‐‐=''‐'`フ   中国  ,‐´     `\   朝鮮  /"
     .t_   . i`ヽ_/   < `∀´ >   ~j      `i、
     .л)   .`j     ___,,,--、   '‐!      ζ
    __| . jヽ‐'´~    /''     `ヽ  ヽ, ,,---'´´~
    `フ `i      ノ        ヽ, /
    `'''ーt´   ,‐,/~          .i /
      <   _j 

『あなたの隣町が上九一色村になってしまうかもしれません・・・』
464白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/05(月) 00:00:52 ID:3V7yRXuZ
>>462
じゃが新羅は大唐帝国を撃退したけぇ強いよ。
これが歴史の直視じゃろう。嫌韓厨の偏見と違うて。
465白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/05(月) 00:05:18 ID:3V7yRXuZ
>>463
四国の形に成っとるが、愛媛が中国で徳島が朝鮮か。
高知がエラの張った縄文人で、香川は、何人になるんかのう。
466出土地不明:2009/10/05(月) 00:39:50 ID:7yfsrnYt
>>461
>文献や出土品なんかごく一部のもんで、証明の手段にならんよ。

じゃ何が証明の手段になるのか言え。


>高句麗式の積石塚は日本各地にあろうに。

だから具体的に古墳名を言えって。
方墳を全部高句麗系だなんて思ってるんじゃなかろうな。
アホ丸出しだぞ。
まぁお前ごときアホが何を言おうと定説になるわけないんだけどねw
467出土地不明:2009/10/05(月) 00:47:21 ID:EBKIJ3dk
>>461
過去に征服なり侵略して植民地を置いた集団は、実際そこの現地の
陶磁器文化に甘んじてるだろうか?

楽浪はどうか?日本人町はどうか?ピサロは?コルテスは?
ピルグリム・ファーザーズは?クックは?

必ず征服側の陶磁器文化になっているはずだが。

最近だとロシアに征服された北方領土ね。

北方領土に住むロシア人が言っていたよ。「ここは間違いなく日本だよ。
なぜなら、耕作しようと畑を耕すと日本の陶器が出てくるんだから。」だとさ。

つまり征服後はロシアの陶磁器が入り込んでるわけだ。

日本の銅鐸は朝鮮銅鐸が元だが、日本の銅鐸は日本独自に発展したものだぜ。

龍は7500年〜8000年前の興隆窪文化が最初だが、河姆渡文化が
終わるまでに江南にも龍信仰は広がってるがな。

良渚文化の玉龍は結構有名だぜ。
468出土地不明:2009/10/05(月) 00:51:50 ID:MPdJEPm1
↓ここで言ってることは本当なの??

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!39
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254400875/
469bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/05(月) 12:03:11 ID:ns1UiB/M BE:285746562-2BP(352)
>>462,464

462「朝鮮は唐の支配下で、地名や姓名を唐に添って改名させられてる」

牛「じゃが新羅は大唐帝国を撃退したけぇ強いよ。」


話がかみ合って無さ過ぎるww
母国の繁栄を理解してもらえてないという被害者意識が強すぎるぞww
470出土地不明:2009/10/05(月) 17:52:43 ID:RVIDQbFQ
長江域からの渡来人が日本に大量に来るのだけれど
面白い事に日本全国に散らばっている
東日本は各地でほぼ同じ割合、西日本で少し多いぐらい
まるで、一部地方に固まらない様に「計画的」に移住させられたかのようだ

普通は、移民は同じ所に固まろうとする。しかしそれが無い
西日本に多いのは、ヤマト王権が出来て各地と仲が悪くなり
その後も継続的にやって来た渡来人が、自然と西日本に溜まったせいかも知れない
471bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/05(月) 18:12:40 ID:ns1UiB/M BE:476244645-2BP(352)
もともと渡来人も日本人も関西にしかいなくて、それが後で東西に広がったからじゃね?
472出土地不明:2009/10/05(月) 18:18:50 ID:j+JNebbw
>>471
あほ、弥生時代は北部九州から始まっている。
九州と近畿は数百年の時代差があるぞ。
>>470はまるで事実と反する。
473bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/05(月) 18:41:34 ID:ns1UiB/M BE:333371827-2BP(352)
関西 → 西日本
474出土地不明:2009/10/05(月) 19:39:34 ID:UqtxuFDG
>>470
長江域からの渡来人が日本に大量に来ておいて何で中国文物一つ伝わらんのだ?

馬鹿じゃねえのかおまえ。

「江南茶色広鼻土人が祖先の台湾人の僕は何でこんな醜悪なベトナム顔なんだああああ!!!!!」

と叫びながら、とっとと故郷の台北101の屋上からダイブしろ。
475出土地不明:2009/10/05(月) 19:51:00 ID:UJzdz52o
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
476出土地不明:2009/10/05(月) 19:51:40 ID:6C7CpdAe
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
477出土地不明:2009/10/05(月) 23:14:03 ID:PMyYawVk
>>423など
「人種」という言葉が昔ほど意味があるかは置いておくとして、
遺伝的にコーカソイド、ネグロイド、モンゴロイドとも違う縄文系を含めればこんな感じかも。
「ヤパノイド」はYAP+とこれの人口が最も多い日本のラテン読みに掛けた造語ってことで。

日本人(父系) ・・・ ヤパノイド50%、古モンゴロイド50%
日本人(母系) ・・・ ヤパノイド30%、古モンゴロイド50%、新モンゴロイド20%

中国南部人(父系) ・・・ 新モンゴロイド70%、古モンゴロイド20%、ヤパノイド10%
中国南部人(母系) ・・・ 新モンゴロイド20%、古モンゴロイド60%、ヤパノイド20%

中国北部人(父系) ・・・ 新モンゴロイド80%、古モンゴロイド10%
中国北部人(母系) ・・・ 新モンゴロイド60%、古モンゴロイド30%、ヤパノイド10%

朝鮮人(父系) ・・・ 新モンゴロイド80%、古モンゴロイド20%
朝鮮人(母系) ・・・ 新モンゴロイド70%、古モンゴロイド20%、ヤパノイド10%

東南アジア人(父系) ・・・ 古モンゴロイド40%、新モンゴロイド20%、ネグリト20%、ヤパノイド20%
東南アジア人(母系) ・・・ 古モンゴロイド40%、新モンゴロイド10%、ネグリト30%、ヤパノイド20%

ポリネシア人(父系) ・・・ ヤパノイド60%、古モンゴロイド30%、ネグリト10%
ポリネシア人(母系) ・・・ ヤパノイド60%、古モンゴロイド30%、ネグリト10%

チベット人(父系) ・・・ ヤパノイド50%、新モンゴロイド40%、古モンゴロイド10%
チベット人(母系) ・・・ ヤパノイド60%、新モンゴロイド20%、古モンゴロイド20%
478出土地不明:2009/10/05(月) 23:38:31 ID:j+JNebbw
>>473
お前さんは東西に広がったと書いてあるんだが?

それと>>470が事実と違うと書いたのは渡来人が大量に来たという事
弥生時代が紀元前3世紀に始まったという数十年前の説では大量渡来が想定されるが、
現在は紀元前9世紀頃の渡来開始であり大量渡来は必要ないと言うのが定説。
479白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/06(火) 00:21:26 ID:JppFUtQi
>>466
そもそも学問は個人の見識の仮説であり証明じゃないど。
証明なら自身がタイムスリップする以外無いど。
そもそもあんたが、日本の原住民が好き好んで方墳プランを取り入れた
根拠を云わにゃあのう。
>>467
楽浪を除いて随分新しい時代の例じゃないか。日本人町の日本人が
支配層たぁ笑うたよ。平戸の奴隷が売り飛ばされて東南アジアへ
行った者が大半の日本人でぇ。土器は流通圏の根拠になるが、
支配民が持ち込むもんじゃ無いんで。現地民を支配した連中が土器造りの
職人になる可能性が高いわけじゃあるまいし。楽浪のような高文明圏の
文化は自国から職人を連れて自分の好みと交易に売れるかどうかを
考えたらええだけじゃ。銅鐸も日本独自じゃのうて流通圏で好まれる
形式にしたに過ぎん。玉龍も決状耳飾りも先紅山文化が江南や縄文期の
列島に影響を与えただけで、龍信仰を江南に結びつけ強調しても
意味があるまあ。
>>469
事実新羅は、唐と戦争して勝っとるし、黄海の制海権を握った海洋王国
じゃったよ。母国云うてわしの母国は日本の広島に決まっとろう。
在日認定なんかネット右翼が論破された時使う印籠じゃないか。
>>470
長江流域で北方形質じゃったんは、沿岸部だけで、内陸部なんか
ほとんどは古モンゴロイドの南方形質で、北方形質主流の日本人とは
似とらんし日本へ大量移住しとらんよ。まあ椿宏治氏が云われるよう
北関東は江南系の容貌が日本の中では多い。西日本は江南系容貌が
少ないけど。平安期の関東の旅行者・乞食の殺害も江南的な文化じゃのう。
>>471-472
古墳期の渡来系は関西云うか、西日本に渡来系が多かったが、
特に近畿地方に多かったよ。弥生期の九州北部は渡来系が多かったが、
古墳期には老司古墳の被葬者のように縄文形質になっとる例もある。
まあ、朝鮮南部から縄文形質の連中が九州へ渡来したとも云えるけど。
>>477
中国南部人や東南アジア、ポリネシア、縄文人は低顔南方形質の
古モンゴロイド。チベット人や朝鮮人、日本人の特に西日本人は、
高顔北方形質の新モンゴロイドじゃ。
新モンゴロイドと古モンゴロイドの境界線は、長江付近じゃ。
480白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/06(火) 00:27:37 ID:JppFUtQi
>>478
旧石器捏造を煽った歴博の弥生期遡り工作を無批判に受け入れるとるが、
文化庁か歴博の回し者か?しかも弥生期よりも世界的民族移動期の
古墳期の方が渡来系は多いじゃろう。
481出土地不明:2009/10/06(火) 01:38:28 ID:N7viRbqf
>>479
アメリカの支配民もオーストラリアの支配民も多くはもと流刑民だぜ。

それに支配民はその一行の中に土器作りができる人間が居るわけだろ。
それを支配民が持ち込むと言うんだろうが。屁理屈はやめろよ。

それに朝鮮銅鐸に日本銅鐸なんかないぜ。
朝鮮銅鐸は小さいし文字も絵もないのっぺらぼうだぜ。
日本銅鐸は日本独自に発展した日本独自の文物。

それに江南には新石器時代にすでに龍が伝わっているから、
弥生開始頃に江南から渡来人が直接やって来ても龍は伝わるぞと
言ってるだけだろうに。

ったく、ホント屁理屈の神様だなあんた。
482出土地不明:2009/10/06(火) 09:24:58 ID:sTKBZ0xi
>>479
>そもそも学問は個人の見識の仮説であり証明じゃないど。
>証明なら自身がタイムスリップする以外無いど。

そう思ってるのなら偉そうな断定口調はやめろ。

>日本の原住民が好き好んで方墳プランを取り入れた根拠を云わにゃあのう。

また【逃げ】た。
おまえは高句麗人の渡来を言ってたのだから、
高句麗人の墓と思われる日本の方墳の具体的な名前を聞いたのだが?
何も労を厭わないはずだ。
今度こそ【逃げ】ずに具体的に答えろ。

日本の方墳は高句麗の影響なんて全然関係なく、
中国の天円地方思想の「方」が基になってるというのが俺の意見。
実際、7世紀あたりからだが天円地方墳が作られてるしね。
483出土地不明:2009/10/06(火) 14:30:35 ID:NdDO3Afb
>>472
どこが事実と違うんだ?

近畿最古の水田 約2500年前
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091002-00000266-mailo-l29

北九州最古の水田 菜畑遺跡 2500年から2600年前(日本最古級)
東北最古の水田 青森 砂沢遺跡 約2300年前

水田の伝播は、北九州と近畿はほぼ同時、北端の青森までたった数百年だぞ
あと渡来人が大量に来てるのは、現在の弥生系の多さを見ても明らかだろ
蝦夷は大和朝廷と仲が悪かったので、渡来人が秋田や青森まで移住したのは
紀元数世紀より以前でなければならない

なぜ渡来人が青森まで行ったんだろうか、一カ所に集まって暮らしたほうが
色んな意味で楽なはずなのに。
484出土地不明:2009/10/06(火) 18:19:59 ID:gerZM1OR
天皇家以前に王権が成立していた・・・?
485出土地不明:2009/10/06(火) 20:09:28 ID:TbZMlh9J
>>484
出雲古代政権の噂が有るね

縄文人は全国的に活発に交流してたフシが有る。物もそうだけど、
人的交流も活発だったと思う、遺伝子的に均質性が高い。

縄文人は移民とかを受け入れて混血が好きだったけど、
国内で遺伝子的を均質にする知恵も有ったんでないかなと思う。
でないと北方と南方でもっと差が有るのが普通
日本は一つ、という意識は縄文時代が起源かもw

まあ日本が一つと言っても、全国にクニが沢山有りそれを精神的に統べるクニが有る
こんな感じだったろうと思うが。邪馬台国と卑弥呼みたいに
486出土地不明:2009/10/06(火) 20:40:29 ID:mVkQv5BI
日本ていつ中国から独立したの?
487出土地不明:2009/10/06(火) 20:48:46 ID:TbZMlh9J
>>486
中国と言っても、国がいっぱい移り変わって分からないんだけど
あなたの言う中国とは、どの国の事を指しているの?
元、清?
ちなみに今有る中国国家は、建国して今年60周年を祝ってるね
488出土地不明:2009/10/06(火) 20:54:16 ID:mVkQv5BI
>>487
自分にもよく分からないが、中国は日本のお兄さんで中国が日本の面倒を見ていたのに裏切って勝手に独立した。って中国人が言ってた
面倒なんか見てもらってたの?
489出土地不明:2009/10/06(火) 21:10:53 ID:cBkt7ovR
唯の貿易相手じゃねーの
490出土地不明:2009/10/06(火) 21:12:33 ID:TbZMlh9J
>>488
経済・軍事的に、何も面倒見てもらってないと思うが、
取り敢えず唐までは、日本は使いを出して朝貢していた
また倭国の王認定のハンコは色んな人が貰ってたらしい
天皇の先祖も貰ってた可能性も有り、あいつ大陸かぶれだから
まあその中国王朝が滅んだら、それも反故だろうw
491出土地不明:2009/10/06(火) 21:29:57 ID:lTpa5TIl
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
492白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/06(火) 22:58:40 ID:JppFUtQi
>>482
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/test273.htm
積石塚なんか、高句麗系渡来者が多かった、長野県、山梨県や
四国の香川県やここには出とらんが徳島県になんぼでもあるんじゃに
。前方後円墳の起源は高句麗の可能性があるし、「前方後方形の
墳墓は、シベリアのバイカル湖の周辺や蒙古でも見られます。」
と、あるよう、中央アジア〜蒙古〜満洲のステップルートの文化
じゃ。高床式建物もエベンキやイヌイットと北方諸民族も
あるので南方特有で無いことも出とるのう。高句麗も高床式は
あった。ブログのホモサピエンスアフリカ一元説には同意出来んが、
一番下の方の「2千数百年前の弥生人の渡来数よりも、4世紀以降の
いわゆる古墳時代の渡来数が多いと思われますので」の、
部分はその通り。世界的民族移動期はゲルマン、エフタル、匈奴、
鮮卑、夫餘、高句麗らから明らかで、渡来系を弥生人と名称するんは
間違うとる。最近の人類学者は歴史も知らず専門分野だけで
妄想するけぇのう。多面的、総合的に考察するんが学問じゃ云う
基本を忘れとる。
まあ、あんたのような日本独自が好きな朱子学排外鎖国主義論者も
妄想ファンタジーで世界的視野に欠けとる面は同様じゃのう。
493白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/06(火) 23:31:25 ID:JppFUtQi
>>481
オーストラリアの初期は流刑の移民が多かったにしても、カタギの
移民が後に多数を占めるし、アメリカ云うて曖昧な表現じゃが、
アメリカ合衆国への移民と解釈して、ニューイングランドへの
移民はピューリタン、宗教の迫害を逃れて来た人達で流刑民と違うよ。
南部のブランターは母国でも裕福な層じゃけぇ広大な土地を持てた。
農場労働者に年季奉公の連中の中には罪人じゃった人もおっただけで、
流刑民が多数じゃないど。あんた何で偏見を煽るんか。
支配層が職人を同行したか、流通圏かも問題で土器と民族を
安易に直結したらいけんよ。銅鐸なんか牧畜で家畜の鈴が変化
しただけで、日本は独特云う方が可笑しかろう。埴輪も日本独特と
解釈するか、埴輪の服装が北方民族の胡服で、北方民族の文化と
考えるかじゃ。わしゃあ鎖国主義の日本独特たぁ思わんし、
文化、民族の列島移住バージョンじゃと考えるよ。
>>485
縄文人は移民とか受け入れて混血が好きだったと、これも夜郎自大よ。
独善的幸せ回路の解釈がどっから出るんか?出羽の蝦夷が漂着した渤海の
使節を殺したんは解って電波飛ばしとるんか?縄文人の食人、平安期の
関東武士の旅行者、僧の殺害等、余所者は殺すんが東日本の流儀じゃ
ろうに。世界の中で日本だけ例外であろうと独善解釈すなや。
494出土地不明:2009/10/06(火) 23:33:30 ID:arXmjDsg
四世紀に渡来したのは、中国系、秦漢の遺民。
中国文化か主流で、朝鮮の文化は伝わっていません。
495出土地不明:2009/10/06(火) 23:56:13 ID:TbZMlh9J
>>492
海を超える民族移動の難易度を勘違いしてる
百済、高句麗滅亡の時も、日本に来たのは王族か倭国関係者
昔の平民は、舟を使って海を渡ったりできない。普通は海で諦める
今とは違う。
日本に来たのは、多くとも1万人以下だろう、たぶん数千人。
すでに人口が増えていた日本では影響は無いのと同じ。しかも東北は異国扱いで誰も来てないはず

ある研究によると、弥生系母系遺伝子の割合が、北九州で半分、青森で1/4もあるそうだ。
弥生初期の渡来人の数は分からないが、その当時の日本人(縄文人)の数から見れば
割合的にかなり多かったと思われる。

もしかすると、弥生初期の渡来人も追われた王族関係者かな、
美人の産地と言われるのが、全部日本海側なのと関係あったりしてw
でも水田が始まり、渡来人が多く来た事が倭国大乱の元になったとも考えられるな
戦争好きの血が日本に入ったんだろう
496出土地不明:2009/10/06(火) 23:57:12 ID:sTKBZ0xi
>>492
>積石塚なんか、高句麗系渡来者が多かった、長野県、山梨県や
>四国の香川県やここには出とらんが徳島県になんぼでもあるんじゃに


長野や山梨の積石塚は5世紀以降。
5世紀に高句麗人が来てた証拠を言え。
ありえるのは友好国の百済系渡来人。
百済にも積石塚があったからな。

阿波讃岐の積石塚は3世紀。
これらの古墳まで高句麗人が作ったというなら出土物の類似を言え。
都合の悪い部分をごまかすな。
どっちにしても石を積んでるから高句麗だというのならアホ丸出し。
積石なんて三内丸山にもあるからね。
497出土地不明:2009/10/06(火) 23:58:34 ID:FNm/YV3o
中国の論文では、haplogroup N9bは列島→半島との事ですね
http://www.comonca.org.cn/PDF/2009/COMonCA03-003.pdf

中国の論文はデタラメが多いので信用なりませんが
他のmtDNAも南回りだそうです
498白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/07(水) 00:09:56 ID:Stht9+DH
>>494
秦は元来チベット羌系牧畜民の国でぇ。秦韓の地の尖兵的
存在が移民した処に前秦、後秦等の五胡、北朝の胡族が
新羅、伽耶から日本へ移住して天皇家の騎馬護衛や
土木事業、八幡神の武神のシンボルとなったんが秦氏じゃと
考える。中国は黄巾の乱以降人口減少傾向で、
北朝の胡族が主流になり、それらが朝鮮や日本へ移住したん
じゃろう。東漢氏の新沢千塚古墳に鮮卑要素が濃厚なよう、
中国文化を受け入れた北方牧畜民族の胡漢文化人の渡来者も
多かったろう。
499出土地不明:2009/10/07(水) 00:17:57 ID:v5JfmP5Z
解明された細川茂樹のDNAとそのルーツ
熱血バイヤーの祖先は4万年前に海を渡ってきた

スペンサー・ウエルズ博士はゆっくりとした口調で語り始めた。
「細川さんの祖先はアフリカで生まれました。
そして6万年前に移動を始めたんです。そして沿岸地域を通り、
インドから東南アジアを通って3万〜4万年前に日本にたどり着きました。
細川さんの先祖は、日本に最初にたどり着いたグループに属します。
気が荒いかどうかはわかりませんが、ただ細川さんの祖先は漁師だったはずです。」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20090821/1028377/?P=4


細川茂樹さんはD2だったようです
500出土地不明:2009/10/07(水) 00:37:17 ID:B/ngsIJ+
>>498
>東漢氏の新沢千塚古墳に鮮卑要素が濃厚なよう、
>中国文化を受け入れた北方牧畜民族の胡漢文化人の渡来者も
>多かったろう。

東漢氏の古墳かどうかは分からないが、
確かに新沢千塚126号古墳は有名だな。
しかしほとんどそれだけだ。
つまりあまり多くないと言えるよな。
501出土地不明:2009/10/07(水) 00:42:25 ID:v5JfmP5Z
Haplogroup C (M130, M216) Found in eastern Eurasia, Oceania, Japan, and North America

Haplogroup C1 (M8, M105, M131) Found in Japan

Haplogroup C3a (M93) Found in Japan

Haplogroup D (M174) Found in Tibet, Japan, the Andaman Islands

Haplogroup D2 Found at high frequencies among the Ainu, Japanese, and Ryukyuans

Haplogroup M12 small clade found in Japan

Haplogroup M7 found in East Asia, especially in Japan
502477:2009/10/07(水) 01:00:25 ID:+dWp+0Ou
>>498
鮮卑系は典型的なY染色体O3系統の種族なわけだが、
日本人のO3系統は全体の15%程度とO2b系統よりもずっと少ない上に、
この日本に来たO3系統は南方(現在の福建のあたり)から弥生か縄文か微妙な早い時期に
おそらくボートで四国、東海などの日本の海岸部のあちこちにバラバラで来たものが多いようである。
長江・淮河系(O2b)のジャポニカ水田栽培より前の時期の、稲作といっても陸稲だったろうね。

鮮卑族の影響が秦韓(新羅)に強く及んだかどうかもかなり不明だと思うけど、
古墳時代の渡来系の数をあまりに過大視しすぎじゃないかな。
任那などからの日本へ戻った倭人ならそこそこいてもDNAからいっても
言語での順応性からも無理が無いが。
503出土地不明:2009/10/07(水) 02:02:15 ID:BLC7sbkd
>>497
D系にしてもなんか胡散臭さ満載ですねw
504出土地不明:2009/10/07(水) 02:51:43 ID:Nz8ymP/e
中国の学会の主流は、稲作も日本から朝鮮へ、ですからね
505出土地不明:2009/10/07(水) 09:00:37 ID:PmoM0VRA
中国農耕具も伝わってねえのに馬鹿だよなw
506出土地不明:2009/10/07(水) 09:52:14 ID:JpJ5+nLW
百済新羅は倭国の構成国だった
亡命百済王の子孫は今も日本に生きてる、凄いねー
歴史を大事にし義理に厚い日本ならではだろう

朝鮮統一した統一新羅も大和朝廷に人質を預けている
中国の手を借りて統一してみたけど、やっぱり日本と仲直りしたって事かな
正しい歴史認識が必要だな
507出土地不明:2009/10/07(水) 11:06:53 ID:TWauQqIW
・ 百越人
>日本語的字眼很多來自南島語族。
>倭人的水稻種植,斷髮紋身,與生活習慣與百越人出奇相似。
>銅鐸(大鈴)(與彌生時代文化相似)


中国では、弥生人=百越人というのが定説なんだな
まぁ日本でもそうだけど
508出土地不明:2009/10/07(水) 11:57:04 ID:jkuIHDCC
おまえの様な台湾人工作員の脳内だけでなw
509bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/07(水) 17:37:40 ID:WngamtCf BE:142873632-2BP(352)
>>488
なんじゃそりゃ。
人民解放軍ですら日本とフィリピンは外国と考えてるのに。

(インドシナ全域と中央アジアの一部、沿海州、朝鮮半島は本来中華世界の一部だからいずれは取り返すと息巻いてる)
510bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/07(水) 17:41:52 ID:WngamtCf BE:1333483878-2BP(352)
>>492
じゃあシベリアでみられる縄文土器はシベリア起源かね?
日本や中国は温帯常緑樹域なわけだが、シベリアから南下してきた人類集団はこれを上回る人口・文化を持っていたと何故いえる?

高句麗に高床式があり、日本に高床式があったらどうして高句麗起源なんだ?
日本では稲作とともに高床式が広まったんだから、ジャポニカ米の起源が高床式の起源ではないかい
511出土地不明:2009/10/07(水) 18:11:09 ID:/aYV93yE
ねえねえ、三内丸山忘れてない?
高床式倉庫群あるよ
http://webmap.torikyo.ed.jp/ipa/k-jda1/k-jcf1/k-jsf1/IPA-san0410.htm
512bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/07(水) 18:21:18 ID:WngamtCf BE:333371827-2BP(352)
>>511
その時代だと日本も江南の3分の1ぐらい人口あるんだから日本起源というのもアリなんじゃないか。
そもそもクリ栽培は外人に教えられたわけじゃないだろうし
513出土地不明:2009/10/07(水) 18:28:31 ID:maiXd/XM
■「黒曜石の道」
白滝村の黒曜石を使った石器は、道内各地から出土している。
さらに遠くサハリンや大陸までも運ばれていることがわかっている。
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/02/images/02-01-map.gif

白滝産黒曜石や加工技術が人類の拡散やマンモスのオーバーキルの
キーとなった可能性はないだろうか?
http://www16.ocn.ne.jp/~srtk-gp/shiratakiGPHP2008/image26.gif
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosak16/kokuyo51.jpg

これもなかなか興味深いね
514出土地不明:2009/10/07(水) 18:55:55 ID:6YTIMxfI
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



515出土地不明:2009/10/07(水) 20:25:57 ID:owG76QTA
南方系のO2aが日本とインドネシアにあり、朝鮮にない理由は・・・
516出土地不明:2009/10/07(水) 21:24:08 ID:/aYV93yE
Y染色体(父系)による系統分析(%) wiki日本人より
C1 C3 D1 D2 D3 N O1 O2a O2b O3
アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 36 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球 4 0 0 39 0 0 0 0 30 16

渡来人由来の遺伝子は、O2b,O3であると思われる。D2が縄文系
これらが青森から九州まで、全国でほぼ同じ割合でに混ざっている。

しかし、青森までヤマトの軍勢が届いた事は一度も無い。
ヤマト王権が生まれたからは、東北は逆に隔離されている。
つまりこの渡来系遺伝子が全国で混ざったのは、ヤマト王権が生まれていない時期である。
弥生前期は渡来人を、縄文人に対して同じ割合になる様に、全国的に移住させた可能性が高い。
それには統一された意思決定が無いと出来ない事業である。
そしてアイヌは、それを受け入れなかったか、縄文日本人でも無い人たちだろう

母系遺伝子ではこうなるみたいだ
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080804/trd0808041444013-n1.htm
男は地元に定着し、弥生系の女が都に流出してるのかな? orz
517出土地不明:2009/10/07(水) 21:33:35 ID:XAhft5l7
518白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/07(水) 22:27:17 ID:Stht9+DH
>>495
日本に来たんが王族と倭国関係者と独善的解釈すな。列島の倭が、
朝鮮半島の高句麗、百済、新羅や朝鮮半島の倭ほど航海技術があった
わけもあるまいに。後の遣唐使船が新羅船に頼っとることから
航海技術の差は明らかじゃ。
東国への渡来記述を書いとる文献でも、1万人は越えるし、渡来数を銘記
しとらん東国の渡来民や王権の地より西国の渡来民の移民ははるかに多い。
弥生期の日本列島は中国の気候寒冷化が飢饉をもたらし黄巾の乱から
人口減少を起こしたよう、黄巾の乱と同時期の倭国大乱でも人口減少を
もたらしたと考えるが自然じゃ。古墳期になると渡来人のもたらす疫病
で、縄文文明派の安田喜憲氏さえ、認めておられる列島現地民の倭人や
縄文人は半数は死んだろう。中国が文献的に10分の1に人口が減ったと
すると家畜免疫の無い列島原住民は弥生期の人口の20分の1まで人口が
減ったとしても不思議じゃない。古墳期の渡来系によって人口増加が
出来て良かったのう。
だいたい、あんた4世紀の世界的北方民族移動期を無視しよるし、
日本海側が美人が多いと云われだしたんも昭和期じゃ。明治期の木会河畔
美女麗人の國の尾張美人や美濃美人は太平洋側じゃないか。
何でこうもYカルトは歴史知識が無いんか。考古学板は2chじゃあ
学問・文系になっとろうに。じゃけぇ、わしゃあ、いちいち説明せにゃあ
いけんわい。
519白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/07(水) 23:16:15 ID:Stht9+DH
>>496
阿波、讃岐の積石塚は4世紀と推定されとる。まあ実際は、
5世紀かも知れんが3世紀は弥生期じゃけぇ年代を繰上げ過ぎじゃ。
信濃の高句麗人は文献的には6〜7世紀に渡来したことになっとるが、
初期の渡来人は5世紀に渡来したと見るほうが妥当じゃろう。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~sinanodaimon/sinanodaimonmain.files/daimonheya.files/hukaisi.files/2hukaitomii.htm
http://sky.geocities.jp/sabutyan66/page023.htm
上の方のブログに高句麗人が平安期まで姓を改めず、掛婁等部族名を
使うておったゆえ、信濃の高句麗系は平安期まで独立性が強かった
云うことじゃ。前方黒麻呂の子孫は信濃の戦国大名で有名な村上氏じゃ。
下の方のブログは甲斐じゃが、延暦8年(789)6月9日高句麗系の渡来系の
改姓が出とるが、鞠部の改姓大井氏は武田信玄の母方の実家じゃのう。
甲斐には高句麗系だけじゃのうて百済系も延暦18年(799)12月5日、
190名人に石川、広野姓を与える。と家族を含めると1000人以上の
百済系が改姓帰化したことは、それ以前は帰化せんでも独立勢力として
存在しとったことじゃろう。
関東の上野なら新羅人が多かったよう、東国は地域によって渡来系の
違いがあるのう。
520白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/07(水) 23:34:49 ID:Stht9+DH
>>496
>>519の下の方のブログは、
http://sky.geocities.jp/sabutyan66/page023.html
じゃったか。ほいで、三内丸山は満洲の先紅山文化の影響で古墳期の
積石塚とは断絶性があるわい。
>>500
新沢千塚126号墳に顕著な特徴としても、東漢氏の内陸アジアに多い
神牛伝説、東漢氏や秦氏のモンゴルーツングースの哈拉(腹)氏族制と
総合的に考察したら、内陸アジアの牧畜民要素が強いど。
521出土地不明:2009/10/08(木) 00:04:39 ID:g3WYqeRD
日本列島の支配民は4世紀ころに来た騎馬民族だとすると、どうして
日本列島に牧畜産業は盛んにならなかったのでしょうか?山がちだったからですか?
522白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/08(木) 00:13:42 ID:K2E60rzb
>>502
鮮卑系がY染色体でO3系統の種族じゃのタイムスリップして確かめたんか?
妄想が逞しいのう。鮮卑族の子孫とされる民族にY染色体の共通性が
強い根拠も無いのう。
http://www.recordchina.co.jp/group/g410.html
http://www.gesanmedo.or.jp/uli227.html
鮮卑族の子孫として、上の方のシボ族は言語はツングース語の満州語分支、
つまり南ツングース語で、元来狩猟、漁撈を生業とし、新疆へ屯田兵として
移住した集団は水稲栽培と牧畜を生業としとる。
鮮卑系でも、下のブログのY染色体D型の多い土族は、満洲、遼東の鮮卑を
祖とする吐谷渾で、モンゴル語を使用し、畑作農耕を主とし牧畜も行う。
支配したチベット羌系に多いD型が支配した満洲西部の鮮卑系の土族にも
多いのも、歴史的に父系を辿れる根拠に乏しい。じゃけぇY染色体は
精度の低い単一遺伝標識に過ぎず、人種の起源にほとんど役に立たん
ボンクラ遺伝標識じゃのう。
古墳期の渡来系が日本民族の主流なんは、形質からも、世界史の事例からも
明らかじゃ。
倭人が日本へ戻ったじゃの倭人の起源は日本と間違うた電波を飛ばす。
倭は元来北東アジアの水辺民で、中国人の倭人範疇が、朝鮮、日本列島へ
と徐々に広がっただけじゃに。
523出土地不明:2009/10/08(木) 00:51:40 ID:H/2awvwB
>> 519
>阿波、讃岐の積石塚は4世紀と推定されとる。
>まあ実際は5世紀かも知れんが3世紀は弥生期じゃけぇ
>年代を繰上げ過ぎじゃ

アホかおまえは。萩原2号墳は3世紀前半の日本最古の古墳でる事が有力だ。
どこのアホが4世紀と推定してるのだ。

>初期の渡来人は5世紀に渡来したと見るほうが妥当じゃろう

といってお前が紹介してるブログは6世紀後半〜7世紀中ごろじゃねぇか。
どこが5世紀なんだ。
お前本当にアホだなw
524出土地不明:2009/10/08(木) 00:56:04 ID:Id/VtKlp
騎馬民族!
 騎馬民族!
 _(Д´ )  _(Д´ )
  ヘ|  |\  ヘ|  |\
    <     <

騎馬民族!
 騎馬民族!
  ( `Д)_ ( `Д)_
 /|  |ヘ   /|  |ヘ
   >       >
525出土地不明:2009/10/08(木) 01:00:07 ID:H/2awvwB
>>520
>三内丸山は満洲の先紅山文化の影響で古墳期の
>積石塚とは断絶性があるわい

いやだから石を積み上げる発想は三内丸山時代からあるので、
どこだって自発的にあっても不思議ではないのだから、
古墳時代初期の積石塚も自発的であろうと言ってるわけだが。
にも関わらず、何で高句麗と結びつけたがるのかを聞いてるわけだが、
おまえ自身が「断絶性」を言ってるのだから自分でそれを認めてるという事になるねw

アホは可愛いねw
526白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/08(木) 01:02:07 ID:K2E60rzb
>>504
中共の、中華民族の隷属奴隷倭人の朝鮮対抗軸工作よのう。
>>506
百済は夫餘の分派で、新羅は積石木槨墓人。両者とも北方渡来系で
土着の韓人や倭人を支配した。新羅が大和朝廷に人質を出した中国の
文書なんか無いでぇ。妄想嘘吐きが正しい歴史認識云うんは、
嫌韓厨だけに通用する電波じゃ。
>>507
形質人類学的に弥生期の渡来系も百越の南方人と似とらんけぇ、
否定されるよ。江南沿岸部に華北北方人的形質がおっただけで、
弥生期渡来人も北方形質じゃった基本を忘れたらいけんよ。
>>510-512
高床式住居は北方、南方共にあるが、縄文の竪穴住居は北方文化じゃし、
満洲内モンゴルの先紅山文化の影響でクリ栽培をしたと見る方が妥当じゃ。
日本で稲作と共に高床式が始まった根拠は何なら。
えらい稲作に拘っりよる処、米の食いすぎで病気になった軟弱脚気君
じゃのう。日本は江南ら南方人と違い、弥生期、古墳期から戦前まで
米を主食にしとらんよ。どうも米好きなもんは、江南朱子学慕夏主義者が
多いのう。
>>521
日本列島では内陸アジアのような牧畜は出来ませんが、牧畜は平安期に
おいても盛んじゃったでしょう。特に西日本は島嶼部で牛牧畜しとって、
後に段々畑になったんですよ。江戸期では、島嶼部だけでのうて、
山地も牛馬の飼育でハゲ山になったぐらいです。明治初期の神戸の六甲山の
写真を見たら解るでしょう。縄文文明派の云うような日本人は自然を
愛する民族では無く、逆に自然破壊をした民族なんですよ。
縄文文明派の安田喜憲氏も広島大学におられた時、江戸期の自然破壊にも
触れられておられたのに、中央の著名人になると日本人的夜郎自大症に
なって日本人は自然を愛好する民族と鎖国国粋主義者となられた。
安田氏は、気候変動と民族移動と気候学の分野では真っ当ですけどね。
527出土地不明:2009/10/08(木) 01:06:59 ID:H/2awvwB
>>520
>新沢千塚126号墳に顕著な特徴としても、東漢氏の内陸アジアに多い
>神牛伝説、東漢氏や秦氏のモンゴルーツングースの哈拉(腹)氏族制と
>総合的に考察したら、内陸アジアの牧畜民要素が強いど

だからその126号墳自体が突出してるのであって、
他にはさほどそのような古墳が無い事実は、
全体的に牧畜民要素が日本に少ないと言ってるわけだが。

反論があるなら126号墳的な要素のある古墳を他に言ってみろ。

あぁ、また言えずに【逃げまくる】のだろうなw

528出土地不明:2009/10/08(木) 01:21:51 ID:+k5DVBSk
6300年前、中国の長江(揚子江)流域に巨大文明が誕生していた事が近年の発掘調査で明らかになっている。
メソポタミア文明やエジプト文明と同時期かさらに古く、黄河文明よりも千年以上も早い。
長江の水の循環系を利用して稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であり、自然と共生する「再生と循環の文明」であった。

4200年前に起こった気候の寒冷化によって、漢民族のルーツにつながる北方の民が南下した。
彼らは畑作牧畜を生業とし、自然を切り開く「力と闘争の文明」の民であった。
彼らはその武力で長江文明の民を雲南省や貴州省の山岳地帯に追いやった。これが今日の苗(ミャオ)族などの少数民族である。
529出土地不明:2009/10/08(木) 01:23:48 ID:+k5DVBSk
別の一派はボートピープルとなって、一部は台湾の原住民となり、別の一派は日本に漂着して、稲作農耕の弥生時代をもたらし、大和朝廷を開いた、、、

日本人の起源に関するこうした壮大な仮説が、考古学や人類学の成果をもとに学問的に検証されつつある。
これが完全に立証されれば、日本人のアイデンティティに劇的な影響を与えるだろう。今回はこの仮説に迫ってみよう。


530出土地不明:2009/10/08(木) 01:26:22 ID:+k5DVBSk
漢民族の南下によって長江の民は次第に雲南省などの奥地に追いつめられていった。

その子孫と見られる苗族は今では中国の少数民族となっているが、その村を訪れると高床式の倉庫が立ち並び、まるで日本の弥生時代にタイムスリップしたような風景だという。
倉庫に上がる木の階段は、弥生時代の登呂遺跡と同じである。
かつての水田耕作を山岳地でも続けるために、急勾配の山地に棚田を作っているのも、日本と同様である。
531出土地不明:2009/10/08(木) 01:29:00 ID:+k5DVBSk
苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていた。
味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。
主なタンパク源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行われている。

また明治時代に東アジアの人類学調査で先駆的な業績を残した鳥居竜蔵は、
実地調査から台湾の先住民族・生番族と雲南省の苗族が同じ祖先を持つ同根の民族であるという仮説を発表している。

532出土地不明:2009/10/08(木) 01:31:31 ID:L3IdTg03
長江文明の民が漢民族に圧迫されて、上流域の民は雲南省などの山岳地帯に逃れて苗族となり、
下流域に住む一族は海を渡って台湾や日本に逃れた、とすれば、これらの人類学的発見はすべて合理的に説明しうるのである。


確かに共通点は多そうです。この他にも、苗族の習俗で『歌垣』というものが見られるようです。

『歌垣』より引用します。
533出土地不明:2009/10/08(木) 01:33:47 ID:L3IdTg03
男女が集会し相互に掛合歌をうたうことによって求愛し,あるいは恋愛遊戯をする習俗で,
年中行事あるいは儀礼として行われることが多い。

分布は古代日本のほかに,現代では中国南部からインドシナ半島北部の諸民族において濃密であり,
フィリピンやインドネシアにも類似の掛合歌が行われている。
中国貴州省南東部のミヤオ族の場合では,歌垣はミヤオ語で遊方といい漢語では揺馬郎という。
534出土地不明:2009/10/08(木) 01:36:17 ID:L3IdTg03
村には遊方を催す場所が,村はずれの山の背に決められており,2月2日の敬橋節のような祭日や農閑期に行われる。
毎晩8時か9時ごろから,夜中の1時か2時ごろまでつづく。女は15〜16歳,男は16〜17歳になると参加できる。

60〜70組の恋人が集まり,互いに向かい合って手をつなぎ,軽やかに裏声で恋歌を対唱し,愛情を伝え合い,他の組の邪魔はしない。
ベトナム北部のバクニン省の農村では,旧暦3月5日から12日までの村の鎮守の祭りには,毎晩集会所での儀式が終わったあとで,
若い人たちは村の門のそばの繁みの下で掛合歌をやった。対になって歌い,その内容は愛をテーマとしていた。

それから恋人たちは隠れたところに行って交わったが,その際,少女の同意なしに連れて行くことはできなかった。
こうして親密になった二人は,祭日後,結婚することができた。
535出土地不明:2009/10/08(木) 01:38:54 ID:L3IdTg03
このような歌垣は,元来は集団的な成年式だったと考えられている。歌垣で婚約し,その後,多くの場合は収穫後に結婚式を挙げるというのが古い形式であったろう。
この歌垣を催す民族には焼畑耕作をやっているものと,水稲耕作を営むものとの両方が含まれているが,おそらく元来は山地の焼畑耕作文化の要素であったろう。

中国南部では,歌垣の習俗とほぼ重なって,結婚しても夫妻は別居し,しばらく一方が他方のところに通い,
子どもが生まれてから同居する不落家の習俗が分布し,日本の妻問い婚を思わせる。

536出土地不明:2009/10/08(木) 01:39:30 ID:J2LTFD/F
倭人伝で陳寿が狗奴国の風俗は海南島と同じと書いてるのにね
537出土地不明:2009/10/08(木) 01:42:25 ID:AbJdJXVd
婚姻様式まで同じような形態をたどったようですが、もし彼らが伝えたなら、
これってもの凄く日本の婚姻史に変化をもたらしたものだったのでは無いでしょうか?

その苗族においても、現代では婚姻様式も当初のものとは違ってきているようです。

538出土地不明:2009/10/08(木) 01:51:20 ID:lu4vk7RP
で、中国南部で1500年以上前に歌垣があったという証拠は?w
539出土地不明:2009/10/08(木) 03:00:21 ID:NKDAD8qq
中国の歌垣は漢代から記録に残る。
540出土地不明:2009/10/08(木) 05:08:13 ID:RrAuT9iW
水田が始まるのが2500年前ごろで、弥生時代の戦争が始まるのが紀元後だから、
縄文人と渡来人は、少なくとも500年は仲良く混血して農作業してたんでない?
弥生初期に戦争の形跡ないし
541出土地不明:2009/10/08(木) 15:11:46 ID:XTj8nJYs
>>539
そのソースを抜粋して出してみ。

漢代に華南で歌垣をしていたという。
542出土地不明:2009/10/08(木) 17:06:17 ID:illyIiuG

「歌垣」は、日本で作られた和製単語なので、
「歌垣」という単語を使った文書の記録は、中国にも朝鮮にもないですよ。
よって、厳密に「歌垣」と呼べるものは、日本にしかない。

類似したものは、元気な男と女と酒と言語があれば、
古代から、どこの地域でも見られるでしょう。
543出土地不明:2009/10/08(木) 19:46:31 ID:etiHTT/g
>>539
中国の歌垣は漢代から記録に残る。 ×

大和製の歌垣という単語を使っていたら、その記録を残した人は大和人でしょう。
朝鮮半島でも同じことが言えます、もし朝鮮半島から歌垣を伝えたと言うのなら、
朝鮮半島も古代は漢字を使用していたので、最低限「歌垣」と言う単語が入った文物が
出土してから言わないと。
任那日本府と同じです、朝鮮半島に地方名として「任那」の単語が入った文物が出土しないと
はっきりと断言する事はできないのです。
何を書かれていても、片方の記録だけでは、断言する事はできません。
その事を知らない人は、片方の記録だけで「歌垣」や「任那」など証拠もなしに、
コピーを貼り付けるのに、熱心になっているのでしょう。
544出土地不明:2009/10/08(木) 20:17:37 ID:vt2Hv9Rt
弥生開始期に渡来人骨も渡来人集落も一切無い。
無文土器さえほとんど無い。

つまり、稲作も農工具も土器技術も支石墓も、弥生開始期に伝わった
弥生文化は全て、ただ単純に半島南部と交流していた九州北部の
縄文人自身が持ち込んだだけの話。
渡来人骨が出土し始めるのは弥生前期末頃。
545出土地不明:2009/10/08(木) 21:51:53 ID:zbANJWlk
私のミトコンドリアDNAは、Haplogroup: M*なんだとか。

始まりは、アフリカ大地溝帯。
約15万年前に生きていた、ミトコンドリア・イブから始まって。
スンダランド(現ボルネオ島)あたりに着いたのが、5万年くらい昔。
そこから先は、矢印が途切れているけれど。

東南アジアから日本列島まで、どんなルートがあったんだろう。
黒潮に乗って、丸木舟で来たんだろうか。
ttp://through-the-forest.way-nifty.com/elephant/2006/08/post_e131.html


私の遺伝子は、"haplogroup C"に属するM130に分類されるようです。

説明文を読んでみると、かなり早い時期にアフリカを出て、
アラビア・インド・スリランカを経由して東南アジアに広まったようです。
ニュージーランド・オーストラリアの人やマレーシア人に多いタイプらしいです。
その一団が途中で枝分かれして日本にも来ているようです。他のサイトで調べてみたら、
大体日本人の15%くらいがこのグループに属しているそうな。
ttp://blog.katotaku.net/archives/2006-09.html
546出土地不明:2009/10/08(木) 21:55:53 ID:zbANJWlk
以前、自分のご先祖様を調べてくれるジェノグラフィック・プロジェクトに参加した。
というわけで、私の父方のご先祖様は "Eurasian Adam" だということが分かった。
アフリカから、インド、東南アジアを経由して日本にたどり着いたらしい。
M174 の皆様、遠い親戚になるそうですのでよろしくお願いしますm(_ _)m
ttp://www.in-vitro.jp/blog/index.cgi/Misc/20060419_01.html

GENOGRAPHIC PROJECTへの試料送付をしたのが4/26、なかなか結果が出なかったのですが、
やっと6月最終週に結果が判りました。
これによると自分の遺伝子はアフリカ発が31,000から79,000年前で、インド、マレーシア、
台湾あたりを経由する南回りルートで移動したグループのようです。
HAPLOGROUP D(M174)という名前のグループです。
ttp://www.asobox.com/o/modules/wordpress/index.php?cat=3

以前のエントリー で、「The Genographic Project」 でのDNA解析を申し込んだという事を書いて、
サンプルまで送り返したんだが、最近までその事をすっかり忘れてしまっていた。
で、先日確認したところ、もう結果が出ていた。
僕のハプログループは"D" (DNAマーカー名 M174) という事らしい。
M174をもつ人たちは、食料の豊かなインド、東南アジアを経て、日本へやってきたそうな。
ttp://fkmn.exblog.jp/3456575/
547出土地不明:2009/10/08(木) 21:58:06 ID:zbANJWlk
ジェノグラフィックプロジェクトに参加して早2年弱・・・久しぶりに結果を見てみた。
あなたのY染色体結果は、あなたがhaplogroup D2のメンバーであると認識します。
オレ(たち)の父方の先祖は、6万年前にアフリカを出てインド・東南アジアを経て南方より日本にたどり着いた、
いわゆる「縄文系」だった。
ttp://blog.goo.ne.jp/shinpei-challenger/e/bb7581ed021ed931498e29a61a22cf37

なんかSNPテストをやるぞとかいうことになってから、2か月以上が経過したが、
忘れずに2〜3日に1回は律儀にログインしてチェックしていたオレ。その甲斐あってかようやく結果が出た。
まあ、あたりまえだけどごく普通の結果で、HAPLOGROUP D(M174)というタイプらしい。
アフリカ大陸を出て、ユーラシア大陸の南岸沿いに伝播してきたようだ。
最終的にはチベットまで辿り着いていて、一部は北上してベーリング海峡を渡っており、
イヌイットや南米のインディオにも見られる型のようだ。ふーん。
ttp://buru.jp/diary/20050930.html
548出土地不明:2009/10/08(木) 22:26:17 ID:IWakretX
話は、変わりますが、National GeographicのDNAゲノム解析診断に参加しました。
まあ、結果はいたって普通でアフリカからアラビア半島、
そしてアジアの沿岸部、いわゆる海の道を通り東南アジア、
沖縄方面から日本に入り縄文時代に定住するという結果となりました。
大体日本人の50%はそんな感じらしい。
ttp://ameblo.jp/takapon-jp/day-20090116.html
549アルファ:2009/10/08(木) 23:13:52 ID:Ttp+QszR
白馬青牛博士の「総合的」とは、昔から全体を見渡して自分の「思い」に一番都合のいいことを引っ張ってくるという意味ですからね。
本人も皆さんもご承知置きのこととは思いますが。
550出土地不明:2009/10/08(木) 23:36:17 ID:J8kheZ/y
おうおう、台湾工作ゴキブリがうじゃうじゃ湧いてるじゃねえか。


>>542-543
では、江南で1500年以上前に歌垣をしていた証拠は無いという事で
確定だな。


>>544
弥生開始期の渡来人骨はまだ見つかってはいないが、
大陸から入ってきたとしか考えられない土器文化を伝えた
渡来人集落はあるよ。

それと弥生開始期に伝わった大陸から入ってきたとしか考えられない
土器文化は朝鮮無文土器とも中国土器とも異なる土器文化ゆえ、
朝鮮半島・中国以外の場所から入ってきている。

稲作も農工具も支石墓も、その朝鮮半島・中国以外の場所から
入ってきている土器文化集団が半島南部との交流によって
持ち込んできている。

それと今のところ最古の渡来人骨は弥生前期中頃のもので、弥生前期末頃から
渡来人骨が急激に出土してくるのは甕棺墓の普及によって人骨の保存状態が
著しく向上したからに過ぎない。
551出土地不明:2009/10/08(木) 23:39:37 ID:bxkEAFij
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
552白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/08(木) 23:40:05 ID:K2E60rzb
>>523-525
萩原古墳群の1号墳と2号墳だけ抽出したら弥生後期の可能性もあるが、
萩原古墳群の多くは後期古墳じゃ。四隅突出墳も同様に弥生後期から
あるが、古墳期の民族移動期に先駆ける尖兵的存在じゃ。三内丸山から
断絶した時代が何世紀あるんか?継続たぁ云えまあ。
高句麗勢力が加賀から出雲勢力と共に東国侵攻を考えると6世紀は遅すぎる
わい。
>>527
新沢千塚の126号墳は、朝鮮半島を飛び越え直接鮮卑の影響が見られる
けぇ、東漢氏が神牛伝承や哈拉氏族制から伽耶、百済や中国の漢より
内陸アジアの牧畜民的じゃと主張しとったことの根拠が増えたけぇ、
わしゃあ喜んだが、今度は西文氏や秦氏の内陸アジアの要素が
現われんかと思うとるよ。総合的考察でわしゃあ云うとるんで、
あんたが信濃の高句麗人の存在すら知らんで、逃げとるんと違うよ。
553出土地不明:2009/10/08(木) 23:42:23 ID:vt2Hv9Rt
その土器文化集団は、航海術に長けていたんですね。
554白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/09(金) 00:07:28 ID:doNpxObH
>>528-529及び>>530-531
安田喜憲氏のコピーか。苗族は山地の焼畑狩猟民で越やタイ系のような
稲作民じゃないでぇ。苗族は山地の剽悍な連中で、強兵で知られ稲作民の
ような文明軟弱化した民族じゃないし、ましてや長江文明?を築いた民族
じゃ無いわけじゃ。台湾の原住民はマレー・ポリネシア系住民で
苗族とは言語が違うよ。安田氏が民族学無知を披露したんかどうかのう。
同じ江南崇拝の鳥越憲三郎氏が北方の畑作民の苗族が稲作民の倭族を
撃退し倭族が流民となって日本へ移住した説に、苗族の山地民の素朴な
性質に接した安田氏が苗族弁護の為に苗族を稲作民に捏造したんじゃ
ないか。苗族もタイ系稲作民の影響で稲作をしとるグループを
苗族に普遍的なことと、捏造したんじゃないか。それとも安田氏が
民族学知識が本当に無いんか、結果からどっちかに成るのう。
555白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/09(金) 00:18:17 ID:doNpxObH
>>549
一番都合がええどころか、捏造するんが縄文文明派や長江文明派なんは、
>>554の安田喜憲氏の苗族の捏造でも解ろう。ご本人は苗族に対する
愛情から稲作民にしたかったんかも知れんけど。鳥越氏の苗族は
華北の畑作民に近い生業なんは事実じゃ。鳥越氏も安田氏も牧畜民、
畑作民嫌悪の江南中華思想朱子学に洗脳されとる共通性を持っとる点は
変わらんよ。
556出土地不明:2009/10/09(金) 00:42:10 ID:fOZD2xJx
>>552
>萩原古墳群の1号墳と2号墳だけ抽出したら弥生後期の可能性もあるが、
>萩原古墳群の多くは後期古墳じゃ。

だから初期から後期まである古墳群なのだね。
その中から君が高句麗人の墓と思う古墳をどれか言ってみてくれ、ドアホ君。

>高句麗勢力が加賀から出雲勢力と共に東国侵攻を考えると6世紀は遅すぎる
わい

だから何の証拠があるのかな?
悲しくなってくるくらいアホだね。
557出土地不明:2009/10/09(金) 00:45:38 ID:ZvO/pmkB
ソースがちょっと古いが、考古学だから古い方がいいのかも

中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は江南地方か
http://www.come.or.jp/hshy/j99/03d.html#%A1%DA%CE%F2%BB%CB%C8%AF%B8%AB%A1%DB

>また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があっ
>たが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。

> 江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でD
>NAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。
558出土地不明:2009/10/09(金) 00:50:11 ID:fOZD2xJx
>>552
>今度は西文氏や秦氏の内陸アジアの要素が 現われんかと思うとるよ。

だから新沢千塚126号墳墓が文化的に突出した古墳なのであって、
他の古墳は普通だろ?という問いかけに答えてないのだがな。
おまえは日本語さえ理解できてないではないか。

>あんたが信濃の高句麗人の存在すら知らんで、逃げとるんと違うよ

朝廷にお願いして村上や玉川など日本風の姓
もらった信濃の高句麗人だろ?
彼らの渡来は5世紀じゃないのだが?

何を言ってるのだお前は。
お前の脳味噌は蟹味噌か?
559出土地不明:2009/10/09(金) 00:52:09 ID:XuTCHReU
古代日本人も台風には泣かされただろうな!
560出土地不明:2009/10/09(金) 00:56:47 ID:zUFiwijR

いやあ地震の方が怖かったじゃろ
561出土地不明:2009/10/09(金) 01:16:54 ID:5sc56RG1
甕棺は、長江河口地域→日本→朝鮮というのがはっきりしてますね。
長江河口地域から甕棺が消えると同時に九州に出現する(紀元前2世紀末)。
その後、4世紀or5世紀になって朝鮮南部にも出現している。
562出土地不明:2009/10/09(金) 02:09:01 ID:IOegtpSH
>甕棺は、長江河口地域→日本→朝鮮というのがはっきりしてますね。


してねえよ馬鹿ワン!

屈家嶺文化(紀元前3000年頃-紀元前2600年頃)では大型の城跡や甕棺墓などが
見られたが、石家河文化(紀元前2500年頃-紀元前2000年頃)ではなくなってしまう。

弥生甕棺墓は弥生前期中頃(BC8C頃)に最初は甕棺墓としてではなく、
壺棺墓としてまず登場するの。

それで弥生前期末にようやく甕棺墓に進化して普及するの。

つまり弥生甕棺墓は長江文明の甕棺墓の終焉から1500年ほどの時代差が
ある上に、最初は甕棺墓として登場していないの。

弥生甕棺墓は日本独自に登場した壺棺墓から発展して生まれた日本独自の
土器棺墓だよ。
563出土地不明:2009/10/09(金) 02:29:02 ID:oaLr2PXH
台風どっか行った
凄かったな
564出土地不明:2009/10/09(金) 02:31:09 ID:k6F4yEwk
北海道へ抜けたんじゃないか
565出土地不明:2009/10/09(金) 02:33:27 ID:/c6dRecV
ここ何の話してんの
566出土地不明:2009/10/09(金) 02:36:58 ID:icw/onw0
壷とか墓の話みたい
難しいこと考えてるんだ
567出土地不明:2009/10/09(金) 02:40:05 ID:q/IY+6zt
ところで土曜日
どこ飲み行くん
568出土地不明:2009/10/09(金) 02:43:55 ID:QvF7yxs1
まあーちゃんとこ行くけど
来る
8時ごろには居ると思う
569出土地不明:2009/10/09(金) 02:47:41 ID:QvF7yxs1
まあちゃんとこ
新人の
らんちゃん同よ
570出土地不明:2009/10/09(金) 02:54:03 ID:GwrPFpnX
顔はまあまあ だけど
歌はうまいな
歌手に成りたいんだって
571出土地不明:2009/10/09(金) 02:58:19 ID:+CSZzPkm
ぼちぼち止めようか
叱られるぞ
あと3時間じゃ
572出土地不明:2009/10/09(金) 03:00:09 ID:uR1mgcVC
よっしゃ
しかし眠いのう
573出土地不明:2009/10/09(金) 09:49:18 ID:drHjrKYL
縄文時代にも「埋甕」が有るよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8B%E7%94%95
長江起源でも弥生独自でもない、縄文独自と思う
再葬もしてたから、今の日本人の埋葬形態がこれに近いね
弥生してるやつら縄文無視してない?
574出土地不明:2009/10/09(金) 12:10:02 ID:/3xP8xRf
>>573
日本語でお願いします。
575出土地不明:2009/10/09(金) 12:18:38 ID:ZBQLALpY
562 :出土地不明:2009/10/09(金) 02:09:01 ID:IOegtpSH
>甕棺は、長江河口地域→日本→朝鮮というのがはっきりしてますね。


してねえよ馬鹿ワン!

屈家嶺文化(紀元前3000年頃-紀元前2600年頃)では大型の城跡や甕棺墓などが
見られたが、石家河文化(紀元前2500年頃-紀元前2000年頃)ではなくなってしまう。

弥生甕棺墓は弥生前期中頃(BC8C頃)に最初は甕棺墓としてではなく、
壺棺墓としてまず登場するの。

それで弥生前期末にようやく甕棺墓に進化して普及するの。

つまり弥生甕棺墓は長江文明の甕棺墓の終焉から1500年以上の時代差が
ある上に、最初は甕棺墓として登場していないの。

弥生甕棺墓は日本独自に登場した壺棺墓から発展して生まれた日本独自の
土器棺墓だよ。
576出土地不明:2009/10/09(金) 12:21:35 ID:ZBQLALpY
>>573
当然知っているよ。

日本最初の土器棺墓は縄文前期からある。

土器を棺に使うのは世界中の原始社会で見られる。
577出土地不明:2009/10/09(金) 12:23:15 ID:uvBem3m2
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
578出土地不明:2009/10/09(金) 12:23:55 ID:Ulu8DU/6
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
579出土地不明:2009/10/09(金) 13:40:30 ID:RF+oxQa4
>北方民族から伝わったのかもしれません。

かもしれません、といわれましても・・・

それに、満州での鵜飼はいつ始まったのですか?
580出土地不明:2009/10/09(金) 17:52:25 ID:wNoKUXrK
>北方民族から伝わったのかもしれません。

・・・日本から北方民族へ伝わったのかも知れません。
581出土地不明:2009/10/09(金) 18:54:57 ID:fOZD2xJx
鵜飼もそうだが、
養蜂も満州にそっくりなのがあるらしい。
養蜂なんてどちらかと言えば温暖な地で盛んなのだろうから、
日本から伝わったのかもしれないね。
黒曜石の拡散からも言えることだが、
結構日本から拡がった文化もあるかもね。
582出土地不明:2009/10/09(金) 19:44:37 ID:ZRvctOVK
>鵜飼いはペルーの方が100年ほど古そうなのでペルー>イヌイット>日本かもしれませんね???
  「かもしれません」は便利な言葉ですね。

鵜飼い - Wikipedia
鵜飼漁をする人を鵜使いまたは鵜匠(うしょう・うじょう)と呼ぶ。その装束は風折烏帽子、漁服、胸あて、腰蓑という古式 ....
日本の鵜飼いより100年ほど古い時代、5世紀ごろ行われたと思われる鵜飼いの様子を記した土器がペルーのチャンカイ谷より出土 ...
ja.wikipedia.org/wiki/鵜飼い - キャッシュ - 類似ページ
583出土地不明:2009/10/09(金) 20:47:15 ID:drHjrKYL
ペルーの先住民は縄文人と遺伝子的に近い
ブリヤート人とも近い
アレ、これはw
584出土地不明:2009/10/09(金) 21:42:11 ID:Ei9i2hhQ

近代、清朝時代に鵜飼いがあったから古代にも、「あったかもしれません」記録はありませんが!

近代、沿海州には高床式倉庫があったから古代にも、「あったかもしれません」遺跡はありませんが!

近代、沿海州には自動車があったから古代にも、「あったかもしれません」遺物は発見されてませんが!

近代、古代日本には納豆、なれ寿司があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!

近代、古代日本には歌垣があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!
585出土地不明:2009/10/09(金) 21:57:32 ID:q/IY+6zt
>>582-583  これも関係あるんじゃないか。

「太平洋岸宮崎でバルディビア土器風の縄文土器を発見!」
http://www.kitombo.com/new/pottery.html
太平洋岸に面した宮崎市で、南米エクアドルのバルディビア土器とそっくりの文様を持つ縄文土器群が発見されていた。
エクアドルのバルディビア土器とは、米国スミソニアン協会のエバンス博士夫妻により縄文土器とそっくりの文様を持つ土器様式として、1965年に発表されたものである。
博士らはバルディビア土器文明が唐突に始まっている事から、日本の縄文人が土器文化を携えて太平洋を渡り移住してきたのだと主張している。

しかし、バルディビア土器にそっくりの文様を持つ縄文土器は、九州の熊本の土器に限られ、それ以外の地域では、わずかに鹿児島などで発見された土器との類似性が認められる程度だった。
縄文人が、太平洋を渡り南米にまで到達していたとすると、黒潮に乗って移住したに違いない。
しかし、黒潮に乗って太平洋を渡ったのならば、何故、太平洋沿岸からバルディビアの土器と似た文様の土器が発見されないのか。
この点が、これまで最大の謎だった。今回、宮崎でバルディビア土器とそっくりの文様を持つ土器が確認された事により、この最大の謎が解明されたと言えるだろう。

586出土地不明:2009/10/09(金) 22:03:41 ID:q/IY+6zt
>>585  追加!

南米の縄文土器
http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/kataru/hanne/peruu/index.html
南米の縄文土器, スペース. ペルーの北に位置するエクアドルのバルディビア文化からは、高い完成度を持つ紀元前200年以上前の土器が出土している。
興味深いことにこの土器は、日本の縄文土器、その中でも特に九州で出土している土器との類似性が強く、 ...
www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/.../index.html - キャッシュ - 類似ページ
587出土地不明:2009/10/09(金) 22:18:31 ID:3HKrXda0
>>582
バルディビア文化ってペルーのすぐ北部で

ペルーの鵜飼いは首に縄をつけるらしい、中国のは縄はつけないから
ペルーの方が日本式に近い。
588白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/09(金) 23:19:41 ID:doNpxObH
>>556-558
萩原古墳群の初期古墳の頃は高句麗の尖兵的存在で渡来も少数の者じゃった
けえ、土器類に土着の物が多かった云うことじゃ。広島県や山陰の
四隅突出墳においても同じこじゃ。
出雲勢力の越侵攻において伝承じゃあ、出雲と高句麗を同一視しとる
けぇのう。
わしが総合的解釈云うた日本語も理解出来とらんのは、あんたじゃ。
森浩一氏は信濃の高句麗人の積石塚の年代5〜7世紀より文献の
渡来の方が新しいことについて、
「その時期ならば、そういう積石塚の風習は本国には無いはずです。
だから長野県などへ大量の高句麗系の人たちがやって来たのは、
5世紀頃から始まって、そして6世紀にはその子孫が繁栄した。古い時代の
故国の風習を、こちらでそのまま保持していたと見たら説明できる
わけですね。」
と、云われるよう、5世紀の方が4世紀以降の世界的北方民族移動期が
4世紀は、朝鮮南部〜西日本、5世紀には東日本にも波及したと、
考える方が自然じゃ。
589出土地不明:2009/10/09(金) 23:26:35 ID:foz+Z4aE
>>585

なんでこういう臆説が繰り返し復活してくるのか・・・
縄文土器にそっくりな文様をもつ土器なんて、世界の至るところに
あるじゃないか。バルディヴィアについては東大の紀要とか、佐原
眞の思い出話くらい読んどいた方がいいよ。

そもそも時期が違うんだから・・・
590出土地不明:2009/10/09(金) 23:47:38 ID:xrOdtUQQ
根井正利ペンシルベニア州立大学教授
「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993京都)にて
日本人は約3万年前から北東アジアから渡来し、
弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールには
ほんのわずかな影響しか与えていない、
という研究結果を出している。
591出土地不明:2009/10/09(金) 23:48:33 ID:xrOdtUQQ
日本海の北回りで大陸とつながるような環日本海人の子孫が、
縄文時代人の大多数であり、さらにそのおもなる子孫がアイヌとみられる。
日本海の南回りで大陸とつながるような環日本海人が、
縄文時代に南朝鮮、対馬、壱岐、北九州などにいた。
この人たちが、長江下流域からの水田稲作や文化などを
積極的にとりいれ弥生文化を成立させた。
592出土地不明:2009/10/10(土) 00:01:16 ID:drHjrKYL
>>589
鵜飼いと遺伝子は類似してるって話しが出たからでないかな
珍説だけどいいんでないの?
593出土地不明:2009/10/10(土) 00:05:49 ID:Uce/tzc3
>>589 >そもそも時期が違うんだから・・・!!そんなに時期はずれてないよ!! 

http://www.nirai-kanai.org/ayumi/miyazaki_jomon.htm
日本の縄文時代の出土品と酷似するバルディビア文化エクアドルは日本の本州と九州とを合わせた程度の面積で、私たちの住む ...
紀元前3000年のころから花開いたバルディビア文化の独特な文様の土器や土偶は、驚くほど日本の縄文時代の物と似ており、考古 ...
http://www.nirai-kanai.org/ayumi/miyazaki_jomon.htm
現在のところ、南アメリカでは、エクアドルのバルディビア文化の遺跡から発見された前3200年ごろの土器が最古とみられている。
バルディビア文化はおそらく2000年ほどつづき、土器製作の伝統は、つづくマチャリージャ文化やチョレラ文化にひきつがれた。 ...
594出土地不明:2009/10/10(土) 00:27:42 ID:DR4QIA7m
そう言えば
南米にはキープという数字が有るけど
沖縄にもワラ文字という数字が有る

これらは世界的に特殊な文字と言ってもいいかな
類似点が多いよね縄文と南米西側は
595出土地不明:2009/10/10(土) 00:44:44 ID:NKFcDwsl
>>588
>萩原古墳群の初期古墳の頃は高句麗の尖兵的存在で渡来も少数の者じゃった
>けえ、土器類に土着の物が多かった云うことじゃ

ドアホ。
尖兵的存在とやらを証明するのが考古学だ。
お前の腐った脳内妄想なんてどうでもいい。

そして大室古墳群は高句麗とは決まってない。
百済という意見も多い。
どっちにしても森将軍塚古墳などの巨大墳墓と比べるまでもなく貧相な古墳群だ。
おそらく馬の生産民の墓だろうがだから何なんだ。

596出土地不明:2009/10/10(土) 00:58:36 ID:7Io1ff9U
>>589  これは偶然一致が多すぎる!!!!!!

http://www.kitombo.com/gon/030317.html
一,二種類なら偶然模様の類似ってあり得るけど
八種類以上の模様の一致って偶然では有りえないよ

それに鵜飼い、キープ数字、Y染色体C3、縄文のビーナス土偶、「石のビーナス」と呼ばれる岩偶
木を引っかいて樹液を出し利用する文化、漆器、天然ゴム、
597出土地不明:2009/10/10(土) 01:42:52 ID:RK1LdA/L
593のようなリンクの貼り方は恣意的だね。
ま、リンク先も・・・。

だいたい、どの時期の縄文土器とバルディヴィアの土器を
比べてるわけ?縄文土器の文様に似てるものが八種類?
それあんまり意味ないと思うけれど。

次は、ラピタ土器あたりを調べてみたら。似てるからさ。
キープと縄って、現代とインカ帝国時代を比べてるわけ?
江戸時代と現代を?その間はどうなってんの?
ビーナス?大地母神なんてユーラシア一帯に広がってるじゃん。
似てる似てると思えば何でもそう見えてくるよ。
598出土地不明:2009/10/10(土) 01:56:43 ID:RK1LdA/L
それから、一応言っとくけど比較写真に出てる文様は
かなり普遍的なもので、日本列島でも時代や地域を
違えて出現しているから。
599出土地不明:2009/10/10(土) 02:04:56 ID:TClRmwZh
>>597  隋書倭国伝 読んだ事ないか?

隋書倭国伝に無文字。「唯刻木結縄」。

唯刻木結縄とは、
木を刻んでしるしをつける。
それから、縄を結んで縄目をしるしにする。
600出土地不明:2009/10/10(土) 02:12:54 ID:zcJBnkyb
>>591
日本には長江稲作が伝わっていない。

石鋤で耕作をして三足土器で米を炊く長江稲作が
伝わっていない。
601出土地不明:2009/10/10(土) 02:38:33 ID:RK1LdA/L
>>599

7世紀の東北アジアの歴史書による記載と13〜16世紀の
南米インカ帝国、それに現代の沖縄。中間はあるの?
つまり地理的・時間的な連続性がこれらの間にあるわけ?
まず沖縄には、縄文字が少なくとも7世紀から連綿として
ある→そしてそれがある時期にペルーに伝わったという
証拠のこと。想像力で間を埋めています、とか言うのはナシで。
602出土地不明:2009/10/10(土) 08:55:28 ID:Yn5MBkrO
>>595 "馬の生産民の墓"にワロタ。
>>600
おっしゃるとうりだと思う。
江南ー>X−>日本の伝播ルートで、
Xで三足土器で炊飯する文化が廃れたか、既に良い方法があったので、
日本に伝わるときに無くなったと、個人的に思います。
603出土地不明:2009/10/10(土) 09:12:28 ID:J5QcnXeE
>>602
日本にはすでに土器が有ったし、昔から石を積んでかまどで焚くから
不便で効率の悪い三足土器が定着しなかったんだと思う
604出土地不明:2009/10/10(土) 09:25:52 ID:Q4+PIscf
長江江南の釜(炊飯器)は、伝わっていないとは、言い切れない。

>6000年以上前の長江江南の釜(炊飯器)は、さてどれでしょうか。
>(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/img/k0009-1.jpg
>(2) http://www.uq.edu.au/news/images/media/9202.002.jpg
>(3) http://inoues.net/museum/torihama81.jpg
>ヒント
>(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/
>(2) http://www.spf.org/spinf/news/pdf/wop8.pdf
>(3) http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
>これは、ただの主役級の器種のクイズでした。
605出土地不明:2009/10/10(土) 09:29:46 ID:J5QcnXeE
>>601
横でなんだが、1万年前にモンゴロイドが太平洋沿岸沿いに、南米南端まで約千年で到達してるから、
その後も移動が有ったとしてもそれほど不思議は無い
一度使われたルートはその後も小規模ながら移動も有るだろう
陸路でそんなに早く行ける訳が無いから当然海路だろう

あと縄文人は絶海の孤島である八丈島まで移住してるし、千島列島や樺太は元々日本領
江戸時代は防衛隊が存在した。
縄文人は北地対応してたしアラスカまで行こうと思えば行ける
絶対無いと言い切るのは逆におかしい
606出土地不明:2009/10/10(土) 09:31:40 ID:Q4+PIscf
三足土器は、その後の時代、長江江南に広がった形式です。
中国の北部から南下した漢族が広げたようです。
607出土地不明:2009/10/10(土) 09:43:20 ID:Yn5MBkrO
>>605 そういえば、こんなことも聞いたことがある。
樺太、沿海州には、ギリヤークという
アイヌ以前の狩猟漁撈先住民がいました。
近世までアイヌとの交易も行っていました。
608出土地不明:2009/10/10(土) 09:56:01 ID:Yn5MBkrO
>>606 なるほどね。
609出土地不明:2009/10/10(土) 10:19:13 ID:r5N2pKsW
>>605
絶対無いなんて言ってないよ。ヴィンランド
みたいな例もあるわけだし。赤毛のなんたらとかね

太平洋沿岸沿いって、ヘイエルダールみたいなこと
言ってるわけ、ベーリンジアじゃなくて?
ベーリング海峡あたりなら、1万年前?に通ったかも
しれないし、近世交易の証拠もあるけど。日本人か
どうかは別として。

八丈島言うなら、倉輪とかから先、マリアナの石斧から
もっと先を見つけないと。そこから南米まではまだ結構
距離がある。 千島列島や樺太は、まぁ日本領だけどさ、
その前には オホーツク人てのが居てだな、また樺太の
北には別の 人たちがいたわけ。東北アジアの人たちは
北地対応できてるからアラスカ行けるだろうけれど、
言っていること、ほぼ「だろう」話だから。


610出土地不明:2009/10/10(土) 11:00:20 ID:uf2pOUPF
日本外相「韓日中共通教科書が理想的」

 岡田克也日本外相が韓日中3カ国の教科書問題と関連し、「韓国・日本・中国共通の教科書を作るのが最も理想的」と述べた。

 時事通信など7日の日本メディアによると、岡田外相はこの日午後、東京外国特派員協会の講演でこのように明らかにした。
 日本の現職閣僚が「共通教科書」に言及したのは今回が初めて。

 岡田外相は歴史問題をめぐり韓日中間で葛藤が生じることに関し、
「(日本の侵略戦争について謝罪した1995年の)村山談話にもかかわらず、一部納得していない人たちがいるのは事実。
 いまや言葉よりも行動をする時」と主張した。

 岡田外相は
「韓日中共通の歴史教科書を作るのが理想的だが、そこまでいく第一歩として歴史に対する共同研究を実施することが重要だ」
と述べた。

 一方、岡田外相は鳩山由紀夫首相が唱えた東アジア共同体の構成国と関連し、
「日本と中国・韓国・東南アジア諸国連合(ASEAN)・インド・オーストラリア・ニュージーランドなどを想定している」
とし、10日の韓日中首脳会談でこの問題が議論されるだろうと明らかにした。
日本政府が東アジア共同体の構成と関連し、米国を除いて発言したのも今回が初めてとなる。

2009.10.08 07:09:56
中央日報/Joins.com
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=121308&servcode=A00§code=A00
611出土地不明:2009/10/10(土) 12:16:01 ID:80/who90
>>603
石を積んでかまどで焚く必要がねえから便利で効率の良い三足土器が
生まれてきたんだろうが台湾便所虫。

それに、まず伝わる事が定着する前提だろうが。

三足土器が伝わってもいないのに三足土器が定着しなかったとか
本末転倒な事言ってんじゃねえよ台湾ウンコ色豚が。
612出土地不明:2009/10/10(土) 13:38:25 ID:J5QcnXeE
>>611
根本的に勘違いしてる
日本に三足土器は存在している。それも縄文時代の青森に
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
大分の秋葉遺跡も有るらしい、そっちが中国由来かも知れん

三足土器がかまどよりいい物なら、いまでも中国は三足土器を使ってるはずだが
613bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/10(土) 18:28:30 ID:zHP62jd/ BE:285746843-2BP(352)
>>612
中国の三足土器が中国発明なら、青森の三足土器も同時発明という可能性はいえないだろうか
614出土地不明:2009/10/10(土) 21:04:35 ID:mf9i3zCe
>>612
勘違いはおまえだ馬鹿ワン。

それは中国鬲ではなく、製法が異なる足が後付けの
遼寧〜沿海州方面の「鬲型土器」だと学会で結論が出ているし、

数点しかない搬入物レヴェルのものを伝わっている状態とは言い難い。

ましていわんや、稲作が伝わった九州北部の最古級水田のある
福岡・佐賀に何で華北鬲も江南鼎も伝わっていないのか?

ミスリードばっかりしてんじゃねーよこの台湾クソ虫が。
615出土地不明:2009/10/10(土) 21:08:58 ID:y3C3fu3h
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
616出土地不明:2009/10/10(土) 21:17:31 ID:VAJWg9yy
水稲が江南→日本→半島もあるが、
半島に伝わっていない品種があるので、
水稲が 江南→日本−×→半島もあります。
稲のDNA調査から、ほぼ間違いないと思われます。
また、朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前、
日本では、稲作や麦作は約6000年前からです。

稲作が朝鮮半島から伝わったのなら、日本列島になぜ古代朝鮮半島の
農機具も伝わっていないのだろうか、
弓山里遺跡から石鍬、角鍬、猪牙鎌などの農耕具が出土してるのに、
日本列島は木製農機具ばかり。
また、朝鮮半島では、石犂、石鎌も智塔里遺跡から出土している。
農機具で、稲作の伝わり方を説明するのには、朝鮮半島経由では、
矛盾が出てくるんだが。
617出土地不明:2009/10/10(土) 21:43:39 ID:pXd+CEKb
むかーしむかし、長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。

最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。


おしまい(爆
618出土地不明:2009/10/10(土) 21:54:35 ID:iQ49qhyt
>>614  三足土器よりカマドの方が、1ヶ月で35%〜55%の薪の節約ができるんだって。縄文人はエコですね〜

「緑を減らさない」
アフリカでは多くの地域が「三石カマド」と呼ばれるカマドを使っています。これは3つ石をならべ、上にかまをのっけるというもの。
これは非常に簡単でどこでもでき、だんらんの場にもなりますし、虫よけや明かりにもなるという点ですぐれています。
しかし、熱効率は低いので薪を消費します。そこで囲いを作って薪の無駄を防ぐようにしました。これが「改良カマド」です。

http://www.gef.or.jp/desert/image/sahel5.jpg↑写真5 伝統的に行われている三石カマド。熱効率はよくない。
http://www.gef.or.jp/desert/image/sahel6.jpg↑写真6 粘土質の改良カマド(左)とドラム缶を利用した金属製のカマド(右)

最初10の家族を抽出し、どのくらい薪を消費するかテストを行いました。その結果、1家族平均8〜10人で1000kg薪を使うことが分かりました。
村のかみさんたちに声をかけて、粘土で炎が逃げないようなカマドを作りましたが、壊れやすいのでドラム缶の廃材を使いました。
それをみんなの見ている前で火にかけたところ、伝統的な三石かまどはお湯が沸くのに20分かかり、改良かまどは10〜12分でした。
薪の消費量も減り、1ヶ月で35%〜55%の薪の節約ができました。そこで、村に行っては、おかみさんたちや、村の若手リーダーに改良カマドを普及してきました。
619出土地不明:2009/10/10(土) 22:17:46 ID:v+ggKIvm
かまどの方が
薪半分で済むのか
三足土器が導入されたが直ぐ捨てられた訳だ。
620出土地不明:2009/10/10(土) 22:34:35 ID:z3DK79hS
>>615
日本に縄文稲作が有ったのは確実で、その縄文稲が朝鮮経由なら

遼寧の半月型石包丁が縄文遺跡からザクザク出てくるはずだが出てこないね

あれえ〜〜どゆこと トンスル団員さん教えて!
621出土地不明:2009/10/10(土) 23:14:22 ID:xjsG9is1
>>618
竈は日本では古墳時代の半島帰化人より伝えられたんだが、
縄文時代に竈なんて聞いた事が無いので、ちょっと縄文時代の竈の
ソースを提示してくれないか?
622出土地不明:2009/10/10(土) 23:49:24 ID:hAZjWY4F
>>618
クソワロタ
縄文時代に竈があるなんて知らなかったわ
三足土器って言ってるのについても、基本的に
>>614が正しい

というわけで、次のネタ考えてくれ
623出土地不明:2009/10/11(日) 00:35:41 ID:ik0nrVN6
>>621  これで良いか!!

http://todako.com/wp-content/uploads/2009/09/cimg4920-300x225.jpg
http://todako.com/wp-content/uploads/2009/09/cimg4919-300x225.jpg
上の写真は、縄文時代の竈(かまど)だそうです。

http://e-uonuma.jp/modules/rssc/single_feed.php?fid=4258&keywords=
2009年9月11日 ... 新潟県魚沼市
新潟県魚沼市の 縄文時代後期の土器がでてきているらしいですよ。 遺跡発掘. 上の写真は、縄文時代の竈(かまど)だそうです。 ...
todako.com/2009/09/遺跡発掘/ - キャッシュ - 類似ページ

624出土地不明:2009/10/11(日) 00:56:51 ID:7PAwNfjs
大船遺跡と国宝「中空土偶」
http://www.hakodate-kankou.com/blog/?p=4219
大船遺跡は、縄文時代中期(約4,500年前)の集落跡
目の前には噴火湾が広がり、背後には栗の木山、
また、サケ・マスが遡上する大船川も流れているなど、
自然環境に恵まれたところで、縄文時代の人々の生活には最適な土地でした。
http://www.hakodate-kankou.com/blog/wp-content/uploads/2009/07/e3818be381bee381a9.jpg
竪穴式住居跡 穴は柱の跡、そして並んだ石は[かまど]の跡です。
625出土地不明:2009/10/11(日) 01:12:41 ID:g8CPsfsj
竪穴式住居【たてあなしきじゅうきょ】

地面を掘り込み、柱を利用してその上に屋根を設けて居住空間を作り出した住居。
後期旧石器時代から確認されるが、発見例が多くなるのは縄文時代以降である。

形状は円形や方形などがあり、住居内には炉あるいは [竈] が設けられることが多い。
縄文時代には円形の多い時期、方形の多い時期があるが、弥生時代以降になると方形のものがほとんどになる。
626出土地不明:2009/10/11(日) 01:13:33 ID:Fkrv1RsK
>>623
ただの炉だろ、それ。

個人サイトや個人参加型のサイトじゃなくて、
もっと学術的なソースを出してくれんないか?
627出土地不明:2009/10/11(日) 01:18:27 ID:g8CPsfsj
桐原の瀬戸ヶ原遺跡 | みどり市大間々博物館(コノドント館)

「縄文時代のものがほとんど........」 昭和61年9月、まだ残暑の厳しい桐原の瀬戸ヶ原遺跡試掘調査現場で、
次々と現れる竈(かまど)を持った住居跡を(縄文時代の住居には竈はない)を前に、
居合わせた人たちの本調査への期待は大きくなっ ...
www.city.midori.gunma.jp/conodont/.../seto.htm - キャッシュ - 類似ページ
628出土地不明:2009/10/11(日) 02:52:55 ID:aLeWxupC
>>615
石包丁も縄文時代に有るよ
弥生に伝わったとされる物の大部分は、縄文時代に既に有る
あと日本最古の漆器は9000年前だからな、当然世界最古

まあー、三足土器を使ってた大陸は遅れてたって事だ
629出土地不明:2009/10/11(日) 03:02:55 ID:aLeWxupC
狩猟採取の時は、一日2時間の労働で生活できてた
しかし水田農耕は一日6時間の労働になった
どっちが幸せですか?

水田の民族は気象変動に弱いよー
応用が効かないからな
630出土地不明:2009/10/11(日) 05:38:57 ID:mejmzJC4
考古学で見る朝鮮半島VS日本列島の古代対決は過去11回行われました。

第 1回戦 古い勾玉         ○列島  ●半島
第 2回戦 新石器時代土偶      ○列島  ●半島 
第 3回戦 新石器時代土器      ○列島  ●半島
第 4回戦 新石器時代集落の住居数 ○列島  ●半島
第 5回戦 鉄器時代集落の住居数  ○列島  ●半島
第 6回戦 古い鎧           ○列島  ●半島
第 7回戦 古い盾          ○列島  ●半島
第 8回戦 環濠集落の大きさ     ○列島  ●半島
第 9回戦 銅剣の出土量       ○列島  ●半島
第10回戦 古い石棺墓        ○列島  ●半島
第11回戦 古い漆工芸品        ○列島  ●半島
第12回戦 古い船           ○列島  ●半島
631出土地不明:2009/10/11(日) 05:39:44 ID:mejmzJC4
どれも日本の圧勝すぎてワロタw
632628:2009/10/11(日) 09:23:53 ID:5iXBTNA5
ちょっと修正、漆器でなくて漆工芸だな
世界最古の漆器は7000年前の中国と言われてるが、日本では6800年前の物が見つかっているから
ほぼ差はない

あと、縦に細長く上が広い煮炊き用の縄文土器は、熱効率が良く表面の凸凹は早く熱を伝える
縄文土器は短時間で煮るのが目的で、弥生土器は冷めにくく長時間加熱するのが目的と考えられ
その形には技術的な優劣は無い
食い物が変わり調理法が変わったから、それに合わせて土器の形が変わっただけと言える

まあ古代の研究者は形しか見てない、自分で煮炊きなんかしないのだろう
共通するのは縄文も弥生もエコ精神だ、薪を最小限にする工夫をしてる。
633出土地不明:2009/10/11(日) 13:02:57 ID:f33A9Q7c
>>623

それ、竈じゃない。>>626の言う通りだ。
これをカマドと認識しちゃうということは、これまでの
話はその程度のレベルだと見做さざるを得ない。

それと「エコ精神」って・・・そんな安い言葉やめなよ。
634出土地不明:2009/10/11(日) 14:53:13 ID:efDr241h
6000年以上前の長江江南の釜(炊飯器)は、さてどれでしょうか。

(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/img/k0009-1.jpg
(2) http://www.uq.edu.au/news/images/media/9202.002.jpg
(3) http://inoues.net/museum/torihama81.jpg

ヒント
(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/
(2) http://www.spf.org/spinf/news/pdf/wop8.pdf
(3) http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html

これは、ただの竈で使う釜のクイズでした。
長江流域でも、漢民族が南下する前は三足土器では無く
釜を使用していたようです。
その民族は、現在のどの民族にあたるかは不明ですが。
635出土地不明:2009/10/11(日) 15:14:11 ID:7ZuL7gH1
で、縄文土器・弥生土器に釜という器種があるんですか?あるんですか?
で、縄文土器・弥生土器に釜という器種があるんですか?あるんですか?
636出土地不明:2009/10/11(日) 15:42:10 ID:efDr241h
で米は、どのように炊飯したのですか?炊飯したのですか?
で米は、どのように炊飯したのですか?炊飯したのですか?
637出土地不明:2009/10/11(日) 15:49:22 ID:7ZuL7gH1
釜は日本ではやはり古墳時代に半島帰化人が竈とセットで韓式土器に
羽釜を伝えている。
638出土地不明:2009/10/11(日) 16:14:57 ID:FReXc/Zd
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
639出土地不明:2009/10/11(日) 18:48:55 ID:bbCCjHFF
>>626-633  >キャンプなんかで下に有る様な石組カマド作った事無いか!

縄文時代の石組カマドだから当然現在の様な煙突付土壁カマド(後世工夫,発展した物)とは違う
しかし熱効率と云う点では三足土器とは比べ物にならない
キャンプなどでご飯や煮物を大鍋で調理すれば良く分かるよ。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/87/0000898787/27/imga58d740ezik1zj.jpeg
http://homepage3.nifty.com/takagi7/images/outdoor/kamado/k_isi.gif
http://www.asahi-net.or.jp/~WT8Y-SGWR/takibi-no-tetujin/takibi-images/t-takibi04.gif
http://pds.exblog.jp/pds/1/200909/20/03/d0072903_188114.jpg
640出土地不明:2009/10/11(日) 19:38:11 ID:QNUnBPMC
>>633
日本では、竈は火を使う所で神が宿ると言われてて、
使わないで放っておくと、たたりガミが生まれ害をなすと言われてる。
よって家を捨てる時は、神主を呼びお払いした上で竈を壊す風習が有る
これが分かりにくくしてる面もある

かまどの認識が少し違うようだけど、
縄文早期にはもう「煙道付炉穴」が各地にある。こっちの方が、あなたの言う竈に近いと思う。
こっちは最後は埋めたんで残っているのだろう。最古の煙道付炉穴は1万2千年前だ
当然、火は横から焼べる
http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/1-100/0090.html
http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/maibun/RUINS/tomidakiyotomo/ruins_tomida.htm
これはもう竈だよな
大陸から伝わった事は否定しないが、それだけを竈と言われるとそれは違うと思う
641出土地不明:2009/10/11(日) 19:53:41 ID:QNUnBPMC
炉穴もこう使う
http://www.enpitu.ne.jp/usr3/bin/day?id=32878&pg=20051102
縄文土器は炉穴に適応して一番効率いい形になってる。
下が細く縦に長いのは熱吸収を良くするため、表面の縄目もそう
口の部分が無駄に広いのは、穴に落ちない為と、持ち易くする為だろう

これが縄文早期、つまり1万年以上前から使われていた縄文の煮炊き文化
すこし感心したかw
なぜ弥生以降に大陸式竈が流行ったと言うと、平地に炉穴を作るのが大変だからだろうな
642出土地不明:2009/10/11(日) 20:24:49 ID:gLcjeiWy
すこし感心した。
643出土地不明:2009/10/11(日) 21:43:02 ID:P2q8TS8P
炉穴使っているなら、縄文人なら竈くらい独自に思いついて
作るんでないの?
644出土地不明:2009/10/11(日) 22:04:02 ID:LR4idXvd
感心しただ?w

ぜーーーーーーーーーーーんぜん。

だからそれは竈じゃなくてただの炉だよ。

もちろん古代中国にもあった。

しかし、釜が登場すれば炊飯器は釜にステップアップし、
三足土器が登場すれば炊飯器は三足土器にステップアップし、
竈が登場すれば炊飯器は竈にステップアップした。

それはなぜか?

一番の理由は、炉が集落での共同利用なのに対して、
三足土器は一家に何台も持てるからである。
645出土地不明:2009/10/11(日) 22:15:37 ID:f33A9Q7c
縄文時代の炉が、現代の人間が一般的にイメージする
竈に直接つながる訳ではないと言うことを言っておき
たい。そういう意味で、たとえ機能的には近いもの
だとしても、縄文時代の「炉」は竈ではない。

煙道付炉・地床炉・石囲炉・埋甕炉・複式炉・・・
縄文時代とひとくくりに言っても、地域・時期に
よって多くの炉の形態があり、それらひとつひとつの
系統的な変遷をしっかり捉えたうえでなければ、
竈について云々することは出来ない。

確かに煙道付炉穴は縄文早期に存在するが、それでは
その後、そうした炉穴はどうなったのか?そういう視点
が重要であって、有る無し論はあまり意味が無い。
646出土地不明:2009/10/11(日) 23:11:56 ID:QNUnBPMC
>>643,645
炉穴は縄文中期に減少している。しかし縄文式土器は使われていた
つまり炉穴に似た設備が作られていたと言う事だ
何故残ってないかと言うと、壊したから。>>623は壊された竈の跡だろう

>>644
炉穴と土器とセットで考えないと駄目だよ
つーか、オマエの言う竈の定義を言ってみろよ。
日本語だったら>>639も竈になるが
普通は火を囲って上に容器置いて下から焚けば間違いなく竈だろ
おまえが言ってるのは「ポルシェ以外は自動車じゃ無い!」と言ってるだけに聞こえる。

縄文式炉穴+土器の方が、中国式竈+土器より熱効率良さそうだけどな
あと協同で煮炊きしてる点も効率的だろ
三足土器を各家庭で複数使うなんて、燃料浪費の自然破壊だな。
647出土地不明:2009/10/11(日) 23:18:32 ID:QNUnBPMC
>>644
古代中国の炉穴が見つからなかったw
ソースおね
炉じゃ無くて、煮炊きをした炉穴で出来るだけ古いヤツ希望
648出土地不明:2009/10/11(日) 23:28:38 ID:LR4idXvd
じゃあ、今も縄文式炉穴+土器だろがw

だいたい古代人が燃料浪費の自然破壊なんか考えるのか馬鹿w

ウダウダ屁理屈言ってんじゃねえよこのツブレ鼻のウンコくせえ類人猿の湾ニグロのくせにw
649出土地不明:2009/10/12(月) 00:31:15 ID:g0e3Y4ht
>>648
薪が山から飛んで来るとでも、人手で薪拾いせにゃならんが
その苦労を知ってるから現代人より節約し大事にしてるよ
古代の人の方が森とか水は神様の恵みって考えるからな

ま考えなかった中国や韓国はハゲヤマだらけ
考えた日本はこぼれそうなくらいの豊かな森、森には精霊が住んでるんだよ。
650出土地不明:2009/10/12(月) 00:31:19 ID:SoxR3nE+
炉穴に土器を差し込んで煮炊きしている縄文人が、三足土器ごとき
にメリット感じるかね?
いやつまり三足土器が指標としての意味があるのかと。
651出土地不明:2009/10/12(月) 00:37:07 ID:KAXI/Kyu
>炉穴は縄文中期に減少している。しかし縄文式土器は使われていた
>つまり炉穴に似た設備が作られていたと言う事だ
>何故残ってないかと言うと、壊したから。
>>623は壊された竈の跡だろう

ごめん。意味が分からないわ。炉穴って具体的には
煙道付のこと?あれは時空間的に限定されるし、
どっちかというと特殊なものだよ。

壊した?
じゃあ、古墳時代の竈遺構はなぜ残っているんだい。

それに壊したって、粉微塵に証拠を残さず破壊する
わけでなし、竈なら立体的な構造が残るものも
あるはずじゃない。それでなくとも石や粘土造り
なら、その破片が周囲から出るはず。

それに縄文時代の煙道付炉・地床炉・石囲炉・埋甕炉
・複式炉・・・みんな残っているよ。写真のが本当に
炉だと言うなら中期の石囲埋甕炉なんじゃないの?
652出土地不明:2009/10/12(月) 00:46:48 ID:LJZFqdUw
あるに決まってるねえかこのウンコくせえ馬鹿台湾ニグロが。

そういう詭弁はねえ、実際一度でも伝わってから言えよな。

おまえの論理で行くと、今も炉だろうがこのウソツキ大馬鹿湾人が。



>>649
今は日本も禿山だらけ、つか禿山も残らず団地やマンションに
なってるが何か?w

だいたい台湾土人の分際で日本の事をウダウダ言うんじゃねえよ。

おまえらは鮮人とともに日本からさっさと出てけばいいんだよバカヤロウ!
653出土地不明:2009/10/12(月) 00:53:23 ID:LJZFqdUw
そろそろウソツキ湾人、日本の国を挙げて頃そうぜ。

こいつら朝鮮人なんかはるかに凌ぐ大ワル中の大ワルだよ。

万害あって一利なしだぜ、このベトナム顔した土人どもは。
654出土地不明:2009/10/12(月) 01:08:00 ID:FQ/f3kRC
ホントに日本国家のプロジェクトとしてゴキブリ湾人を駆除する必要があるね。

特にここでウソを中共方式で唱え殺した大ワルは是非とも俺の手でやってやりてえ。

日本で一番切れ味の悪い中華包丁で頭を何百回のドツイてそのふざけたドタマを
かち割ってやるぜ。

クソ湾人も故郷の中華包丁でドタマをドツカレ割られて本望だろが。
655出土地不明:2009/10/12(月) 04:37:00 ID:hsqOkOJ4
えっ......何これ......ウワサの火病
656出土地不明:2009/10/12(月) 07:09:00 ID:z4qlCRVF
>>654
ドツク=殴る
ドタマ=頭
土器人は大阪朝鮮トンスル部落在住と判明しました。
657出土地不明:2009/10/12(月) 07:49:45 ID:k5HXVehy
>>652
お前日本に来たこと無いだろ。
日本に禿げ山は無いよ。
658出土地不明:2009/10/12(月) 11:20:51 ID:rG1aD8Ct
ついでだから、さらしておこう。

526 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/08(木) 01:02:07 ID:K2E60rzb
前略
>>521
日本列島では内陸アジアのような牧畜は出来ませんが、牧畜は平安期に
おいても盛んじゃったでしょう。特に西日本は島嶼部で牛牧畜しとって、
後に段々畑になったんですよ。江戸期では、島嶼部だけでのうて、
山地も牛馬の飼育でハゲ山になったぐらいです。明治初期の神戸の六甲山の
写真を見たら解るでしょう。縄文文明派の云うような日本人は自然を
..........................~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
愛する民族では無く、逆に自然破壊をした民族なんですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
縄文文明派の安田喜憲氏も広島大学におられた時、江戸期の自然破壊にも
触れられておられたのに、中央の著名人になると日本人的夜郎自大症に
なって日本人は自然を愛好する民族と鎖国国粋主義者となられた。
安田氏は、気候変動と民族移動と気候学の分野では真っ当ですけどね。
659出土地不明:2009/10/12(月) 15:26:49 ID:hffmIQ49
>>658 は白馬の話を信じる良い人だと思うけど

2chで白馬といえばトンデモ爺で有名じゃけんのう
一時期の緊急避難的トンデモ現象を古代からの、文化の様に吹聴して回るトンデモ爺じゃ。
660出土地不明:2009/10/12(月) 15:53:27 ID:pMnUdfRf
爺さんは半分真実、半分でむぱ。

爺さんは騎馬民族さえ出さなかったら、評価はかなり上がるのにな。

江南江南江南江南江南・・・の江南教のでむぱ安田と一緒。

もったいない人だよ。
661出土地不明:2009/10/12(月) 15:55:38 ID:d5kZ4lpa
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
662出土地不明:2009/10/12(月) 16:00:02 ID:d5kZ4lpa
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



663出土地不明:2009/10/12(月) 16:03:48 ID:xAIuheib
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
664出土地不明:2009/10/12(月) 20:08:17 ID:0C/LuHIa
>>661 >>662 >>663

熱帯ジャポニカ種の稲が朝鮮半島北部から出ていない点で
日本列島から朝鮮半島南部に熱帯ジャポニカ種が伝わったと考えられ、
遺伝子の面から見ても、朝鮮半島から日本列島に伝わった説には無理があり。
665出土地不明:2009/10/12(月) 20:33:47 ID:wXQ9i4KX

「倭」の始まりは「弁韓」「馬韓」の小国の集まりが九州に移民をしたのが始まり。
その後、「馬韓」は「百済」となり、家族付き合いを続けており、
最終的に「百済」消滅後、「倭」と統合し、現在の「日本」となる。
「朱蒙(チュモン)」は日本の歴史番組でもある。 卑弥呼はプヨから派遣された巫女。

大和王朝 … 扶余系高句麗人の騎馬軍団(蘇我氏など)が日本に来て倭国に王朝を建てたのが始まり

第四代新羅王「脱解尼師今」の血筋が継体天皇。
つまり今の天皇は高句麗、百済、新羅の三国の王家の血を引く王様と言う事だろう。
蘇我氏の努力だろう。

「白村江の戦い」以降の武蔵(東京)での朝鮮半島からの移民の歴史
●666年(天智5年)……「百済人男女約2000人東国移住」
●684年(天武13年)……「百済人僧尼以下23人を武蔵國へ移す」
●687年(持統元年)……「高麗人56人を常陸國、新羅人14人を下野國へ移住」「高麗の僧侶を含む22人を武蔵國へ移住」
●716年(霊亀2年)……高麗郡の設置(駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1779人を武蔵國に移す)
●733年(天平5年)……「埼玉郡の新羅人徳師ら53人に金姓を与える」
●758年(天平宝字2年)……新羅郡の設置(日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移住)
●760年(天平宝字4年)……「新羅人131人を武蔵の地へ移り住む」
666出土地不明:2009/10/12(月) 21:43:20 ID:SUBE91nw
>>651
じゃあなぜ尖底土器が、縄文初期から弥生期まで継続して使われてたんだろうか
あれは竈の底に石を置き、その上に立てて使うのが最適な形。必ず支えが必要
古墳時代の竈でもそう使っている。
http://www.city.sakurai.nara.jp/bunkazai/bunkazai07.html
なぜ最新式の「竈」という物に、最も古くさい土器が最適だったのか。偶然で片付ける?

それと縄文時代は、共同炊事と考えてもいいと思う。そうしないと
採取して来た物を隠して、家族にこっそり与える奴が出て来て、争いの元になるだろう
縄文時代は、家族単位に財産を持ち生活するという習慣が少ない、倉庫も共同である
よって竪穴式住居寝る所で、簡単な炉や竈で十分だった

じゃあ何故はっきりとした竈の跡が見つからないのか、
縄文土器には内側が焦げた物が有り、土器を竈の代わりに使った可能性も有るし
専用の協同炊事場が有り、村を捨てる時に更地にしてしまった可能性も有る
炉穴とそれに対応した土器を作ったのに、土器だけが残って野焼きに戻ったとは
到底考えられない。
あの形はどうみても不便、倒れたら貴重な食糧を無駄にする。三足土器を喜んで使うだろう
667出土地不明:2009/10/12(月) 22:38:00 ID:U2D6Xi5Z
 356年、辰韓の韓族が新羅を建国、弁韓の地には伽耶諸国が成立した後、倭の勢力が海を越えて任那行政府を置いた。
 このとき朝鮮半島は、南東部に激情型で不屈、知略に富んだ新羅系韓族、南西部に柔軟で温厚、文芸に秀でた百済系?(わい)族、北部に質実剛健、勇猛果敢な高句麗系扶余族が土着民としてほぼ確定することになる。
 楽浪郡、帯方郡が滅んだ後、その地に残された中国系秦族、漢族の遺民は母国へ返ることもできず、朝鮮系土着民からも圧迫されて一部は日本へやって来た。
668出土地不明:2009/10/12(月) 22:39:32 ID:UNRu3utX
>>664
その前に、北朝鮮以北の最古級の炭化米で熱帯ジャポニカの
調査をしてないじゃないの。

サギはやめましょう。
669出土地不明:2009/10/12(月) 23:07:38 ID:sW6WFjgq
>>666

>尖底土器が、縄文初期から弥生期まで継続して使われてた

それは違うね。縄文早期には尖底土器がある。
しかし、その他の時期、草創期や前期、中期や後期、
晩期の土器は尖底かい?平底とか丸にだって、焦げも
煮炊き痕があるよ。

早期の土器にしても時期や地域によって違う。それらを
一緒くたにして、「弥生期まで使われていた」というの
は、まったく通用しない。

二段落目は空想というか、原始なんたらなんたら
みたいなものだね。写真に撮ってきて欲しい。
たとえばあなたの注目する早期の竪穴住居には炉が
無いものが多いんだが、それはどうなるわけ?

土器を竈の代わり?あなたの主張していることと
矛盾が出てくるんじゃない?土器の焦げは縄文
土器に限らないしね。そうじゃなくて、あなたは
縄文時代の竈の存在について主張していたのだから
そこは貫徹した方がいいんじゃないの。

ずっと気になっているんだが、炉穴というのは具体的に
何をイメージしてるわけ?「炉穴と対応した土器」?
尖底土器が直立しないのは当たり前じゃない。
「土器だけが残って野焼き」??

復原図でもいいからさ、炉を使っている写真とか
見てみたほうがいいよ。あと時代と地域がごちゃ
ごちゃだから、その時点で言っていることに説得
力がない。
670出土地不明:2009/10/12(月) 23:11:00 ID:UNRu3utX
>>666
何をゴチャゴチャ言っとるんだあんた?

古墳時代の竈は竈と韓式土器の羽釜のセットが主流。

単にその安倍寺遺跡の竈の構造が遅れとるだけだろうが。

それに縄文時代に竈はない。

竈的構造の「炉」ならあるけどな。
671出土地不明:2009/10/12(月) 23:40:11 ID:SUBE91nw
>>669
土器は用途に合わせて使う物、尖底土器だけを煮炊きに使う訳でない。当然だろ
土器はその為に多様な種類が有る。当然、炉で煮炊きした土器も有る。

早期の竪穴住居には炉がないのは、別の所で煮炊きをしてた証拠になるな。

炉穴を使ってる図
http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/1-100/0090.html
http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/maibun/RUINS/tomidakiyotomo/ruins_tomida.htm

あなたは尖底土器をどうやって直立させていたと思う?
672出土地不明:2009/10/12(月) 23:42:48 ID:5cVZMovM
その前に日本は韓国人のものになりますので
日本人?さっさと絶滅しちゃってくださいwww
673出土地不明:2009/10/12(月) 23:45:41 ID:0mqczo4h
とセン人を装う台湾産南京虫が湧いてきたようでw
674出土地不明:2009/10/13(火) 00:01:50 ID:sW6WFjgq
あなたの言う「炉穴」は分かりました。これは早期だけれど、
そのあとはどうなるんですか。古墳時代の竈まではだいぶ
長い時間が必要ですね。

夏島貝塚の例を挙げれば、礫を尖底土器の周囲に集めて
支えるとともに尖底部はローム(まぁ地面ですが)に
突き刺さした状態ということになりますが?

それはともかく、あなたは多くの疑問に答えていませんね。
675出土地不明:2009/10/13(火) 00:26:38 ID:CW1Dg4vB
>>674
>そのあとはどうなるんですか。古墳時代の竈まではだいぶ 長い時間が必要ですね。
そうなんだよね、
でも古墳時代の竈はこれ。竪穴式住居で沢山見つかっているのもこれ
http://www.city.sakurai.nara.jp/bunkazai/bunkazai07.html
>>670の言う通り韓国式より炉穴に近いと思う。下に石を置く所なんかも炉穴と一緒

>あなたは多くの疑問に答えていませんね。
こたえてない疑問てどれ?

>>しかし、その他の時期、草創期や前期、中期や後期、 晩期の土器は尖底かい?平底とか丸にだって、焦げも 煮炊き痕があるよ。
>土器は用途に合わせて使う物、尖底土器だけを煮炊きに使う訳でない。
>当然、炉で煮炊きした土器も有る。

>>たとえばあなたの注目する早期の竪穴住居には炉が 無いものが多いんだが、それはどうなるわけ?
>早期の竪穴住居には炉がないのは、別の所で煮炊きをしてた証拠になる

>>「土器だけが残って野焼き」??
>あなたは尖底土器をどうやって直立させていたと思う?
676出土地不明:2009/10/13(火) 00:40:04 ID:CW1Dg4vB
>>670
だから、竈の定義を言ってよ
移動式竈が竈なら、底に穴の開いた土器を逆さにして中で火を書いても竈だろ?
677出土地不明:2009/10/13(火) 00:50:29 ID:tcsFT++0
竈は器体が地上に露出していて陶器でできている調理道具だろ。
678出土地不明:2009/10/13(火) 00:57:18 ID:p1/WVwmi
>>676
その点が、噛み合わないことの理由のひとつだね。疑問もそこにある。
竈の定義は一般的なものしか知らないよ。ただ、あなたの論旨だと
縄文時代から古墳時代まで直接つなげているような書き方に見える
ので、

それはマズいということ。系統的な繋がりを見ないといけない。
あなたのいう「炉穴」は縄文時代に確かに存在する。でも、その後がない。
そして、縄文時代には竈とは別に炉の系統的な変遷がある程度言えるわけ。
そういうことが「炉穴」にあるかどうかということ。「炉穴」が早前中後
晩期と持続して、

古墳時代の竈に繋がるのなら、縄文時代の「炉穴」も竈の祖形として
考えられるだろう。でも、そうはならない。パッと出て消えてしまう。
バージェス頁岩動物群みたいなもの。それに長い時間の
間には似たものが出現することは不思議ではない。特に機能に関わる
ものではね。似たような石器は世界中にあるが、あれは全部一箇所から
広がったものというわけじゃない。重要なのは単発のものではなく
継続的に発展するもの
679白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/13(火) 01:31:06 ID:iFoBUzfr
>>595
考古学で出土するんはごく一部で、証明にはならんし、そもそも学問に
「証明」は出来んよ。ほいで、大室古墳群の百済説は誰の引用かいの。
高句麗系の渡来を古墳と文献と総合的に合わせて、高句麗の方が
有力じゃろうに。
>>630
勾玉自体、先紅山文化の決上耳飾りのマネで、古墳期においてヒスイの
産地の越を押さえたんは出雲の渡来勢力で、それを新羅へ売った程度。
>>649
戦前から明治期は特に西日本の山地も禿山じゃったよ。>>658氏がわしの
コピーしとるが、神戸の六甲山の明治初期の写真を見たら明らかなこと。
縄文文明派に洗脳されたんか。日本人は森林破壊もし、日本狼を絶滅させた
けぇ、歴史の実例として自然愛好の民族でも無いんじゃが。
>>659
トンデモは、あんたら縄文文明派か朱子学派の媚江南厨、柳田国男シンパの
南方派じゃろうに。
>>660
わしゃあ、騎馬民族説を唱えとらんし、世界的北方民族移動期の4世紀に
モンゴル系すら騎馬民族化されとらんと考えとるよ。
>>665
倭の始まりは、『山海怪』の倭は燕に属すからじゃろう。蘇我氏
高句麗系説は坂口安吾氏説に近いのう。まあ、蘇我氏が天皇じゃったかも
知れん。「記紀」は後世の王朝の書物じゃけぇのう。
>>667
韓族が新羅を建国した根拠もあるまあ。積石木槨墓から新羅の支配層は
北方民族云うことになろうし、伽耶の支配層も北方木槨墓人で、
韓人や倭人は被支配層に過ぎんよ。元来西戎牧畜民じゃった秦は、
漢族じゃのうてチベット羌族。
680出土地不明:2009/10/13(火) 02:40:36 ID:WKYSZHTS
[偽書とされる書における檀君]  <清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え>
                     <20世紀に入ってから作られた男女平等、父権などの用語が使用されている>

『桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編[2]によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。
しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、
「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。
このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。
681出土地不明:2009/10/13(火) 06:20:58 ID:TosK4BIT
Haplogroup C (M130, M216) Found in eastern Eurasia, Oceania, Japan, and North America

Haplogroup C1 (M8, M105, M131) Found in Japan

Haplogroup C3a (M93) Found in Japan

Haplogroup D (M174) Found in Tibet, Japan, the Andaman Islands

Haplogroup D2 Found at high frequencies among the Ainu, Japanese, and Ryukyuans

Haplogroup M12 small clade found in Japan

Haplogroup M7 found in East Asia, especially in Japan

Haplogroup O2a (M95) Found in Japan, southern China, Southeast Asia, and the Indian subcontinent,
especially among Austro-Asiatic peoples, Tai-Kadai peoples, Malays, and Indonesians
682出土地不明:2009/10/13(火) 07:10:47 ID:C1nA3cmC
>>679
>考古学で出土するんはごく一部で、証明にはならんし、そもそも学問に
>「証明」は出来んよ。

ならばおまえの脳内妄想ということでいいな?
2ちゃんとはいえ脳内妄想を撒き散らすなと言ってるんだ。
わかったか卑怯者のクズ野郎。
何が「そもそも学問に「証明」は出来んよ」なんて逃げてるんだ。
Y染色体は男系遺伝すると証明されてますが?
反論あるなら遺伝しないと証明してみろ。
59回もスル〜してる情けないなおまえには無理だろうがなw
683出土地不明:2009/10/13(火) 12:02:18 ID:qNbvnC6N
倭国人は魚を採るのが上手いから、
鮮卑族に連れ去られて現地で魚を採る役割を与えられていたんだったな。
684出土地不明:2009/10/13(火) 13:11:08 ID:r10j6Ae2
「弁韓」「馬韓」の地の倭人は苦労したのですね。
685出土地不明:2009/10/13(火) 13:20:45 ID:+NKwUBgY
>>677
竃が陶器って!!
686出土地不明:2009/10/13(火) 13:30:59 ID:oTSQfK65
>>678
渡来式の竈の記録で最も古いのが3世紀後半。
http://inoues.net/ruins/nishijin.html
しかし、普及するのは5世紀。
竈をマネするのか簡単だと思うが、100年以上日本では無視されている。
これは当時の人が竈に魅力を感じなかった事を意味している
しかも普及するのは渡来風竈では無く炉穴に似た竈

古墳時代に竈が普及するのは、竈が伝わったからでは無く(とっくに伝わっている)
生活習慣が大きく変わったからと考えた方がいいと思う。
弥生時代はまだ共同生活をしていたが、古墳時代で家族単位の生活が増える。
687出土地不明:2009/10/13(火) 13:54:08 ID:P8Dr6xZU
>>684
弁韓や辰韓は「倭人に似てる」から倭人では無いよ。
まぁ魚を採るのが上手い人種が北方出身では無い罠
688出土地不明:2009/10/13(火) 14:31:23 ID:r10j6Ae2
>弁韓や辰韓は「倭人に似てる」から倭人では無いよ。
>まぁ魚を採るのが上手い人種が北方出身では無い罠

弁韓や辰韓には、倭人がいなかったのですか?
689bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/13(火) 16:31:59 ID:FhPW6hXK BE:428620829-2BP(352)
半島南部の日本隣接地帯には百済という百越に似たネーミングの国があって、現在も済州という島があるから、
この「済」という扶余やワイなどの主流派と対立している概念が、倭人に似ているという魚を摂る集団とかぶるんじゃないかと思う


あと、半島など北東アジアにおいての倭人や漢人の存在が中華の古文書に良く書いてあるから、まだ半島に殆ど人がいなかった時期に植民はあったんじゃないかな

半島は政治的に北方民族と中華がイニシアチブをとり続けたのに、男系でDが数%あるわけだし、あと、半島は越・倭と同じくジャポニカ米
690出土地不明:2009/10/13(火) 16:54:56 ID:nWBZXwhb
韓国のはD1だし(実は1%以下だとか)、百越人にD系は無いよ。
691出土地不明:2009/10/13(火) 17:27:54 ID:NOvHqxOb
百済は蝦夷と違って正式な大和朝廷の構成国だったからねえ
朝廷も頑張って軍事的にも応援した。結局は唐から完敗したが。
これ以降朝廷は朝鮮から手を引き、中国様々の政治をする
仏教導入も中国からマトモな国と認められたいからだろう

古代百済は姓名も日本風だった、言葉も日本語を話してたぽい
滅亡した百済の王族は、日本に亡命して子孫が天皇に嫁いでいるし
高麗王族も日本に亡命して来てる
韓国の地域ごとの遺伝子調査が有ればおもしろそうだけど
首を突っ込まない方が無難だw

だから全羅南道は、歴史的に激しく朝鮮から差別されたのだろう
692出土地不明:2009/10/13(火) 17:32:47 ID:OFOHY65O
天皇に嫁いだやつなんかいないだろ
693出土地不明:2009/10/13(火) 17:35:28 ID:NOvHqxOb
琉球語も2千年前ほどに日本語の元になった言語と分岐したという研究も有るから
古代の日本では、朝鮮南部、琉球、九州、ヤマトが
同じ言語だったのかも知れない
694出土地不明:2009/10/13(火) 17:43:04 ID:i6U0Ksck
このスレには支那人がいるなーと前々から思ってた
695出土地不明:2009/10/13(火) 17:45:11 ID:FFOGis/j
>>691 >>古代百済は姓名も日本風だった

・・・百済渡来人の姓名は日本語と全然違うがな。
696出土地不明:2009/10/13(火) 18:10:21 ID:kd/HRd9n
古代シュメールから来た
697出土地不明:2009/10/13(火) 18:20:17 ID:NOvHqxOb
>>692
ごめん、天皇の母親だった。
桓武天皇の母親が百済王族の末裔の帰化人

>>695
そうか?
漢字で名字2文字に名前2文字は、日本風だと思うが
有名な「金剛重光」とか
698出土地不明:2009/10/13(火) 19:42:28 ID:sB+UGUan
>>697
まだ微妙に違うな
桓武天皇の母親が、亡命帰化した百済王族の子孫であるので
日本人だけど百済王の末裔だと言える
百済王の子孫は今も日本に居るし、高句麗王の子孫も居るらしい
699出土地不明:2009/10/13(火) 20:26:36 ID:bpgEkKF/
>>697 新羅王族,稲飯命の子孫「新良貴氏」の子孫忘れてないか!!

今,右京に居る[新良貴氏]は稲飯命の後也。是新羅国に出ず!
>稲飯命本人じゃなく子孫の新良貴氏は新羅出身だと言う事<

┌──────────「原文」
新良貴彦波瀲武{盧鳥}{↑茲↓鳥}草葺不合尊男稲飯命之後也。是出於新良国。
即為国主。稲飯命出於新羅国王者組合。日本紀不見。
└──────────
┌──────────「現代訳」
新良貴[しらき](氏)は、彦波瀲武[盧鳥][↑茲↓鳥]草葺不合尊[ひこなぎさた
け・うがやふきあえずのみこと]の男[むすこ]である稲飯命[いなひのみこと]
の後[のち]也。是[これ]新羅国に出ず。即[すなわ]ち国主なり。
稲飯命は新羅国に出て、王は祖合す。日本紀[やまとのふみ]には見えず。
└──────────
700出土地不明:2009/10/13(火) 22:01:22 ID:7+mOTfHk
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
701出土地不明:2009/10/13(火) 22:07:31 ID:5d+Rfjiq
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
702出土地不明:2009/10/13(火) 22:10:34 ID:PB8xyhN5
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
703出土地不明:2009/10/13(火) 22:20:04 ID:CjTJ0iry
論破され、鬱火病の再発ですか、お大事に。
704出土地不明:2009/10/13(火) 22:28:24 ID:HhQkmVai
>>697 >>有名な「金剛重光」とか

・・・その百済人はコンゴウ・シゲミツと読むのか?
705出土地不明:2009/10/13(火) 23:22:23 ID:8iaiR9Er
三足土器人はどっちだ?
統合失調症と妄想性障害
http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec07/ch107/ch107a.html
706出土地不明:2009/10/13(火) 23:37:30 ID:sB+UGUan
>>704
知らんww
1500年前の発音はどうだろね。知ってる人教えて

まさか今の韓国語読みと同じはずは無いし
古代の百済とヤマトは同じ言葉だと韓国人研究者も言ってるから
当時の日本風の読みの方が近い気がするけど
ま、文字数に注目しただけだw
707出土地不明:2009/10/13(火) 23:48:21 ID:aw/qde6J
安曇族は BC5世紀に呉から渡来
 『魏志・倭人伝』や『晋書』『梁書』など中国史書にある倭人は 
 入墨などの習俗から会稽地方(現在の浙江省から江蘇省)と共通している。
 また AD57年に洛陽へ行った奴国の使者は 呉の祖といわれている太伯の後裔と述べた 
 と記述されている。 
 一方 中国大陸では春秋時代(BC770〜403年)に 呉は越と30年ほど戦って 
 BC473年に亡ぼされた。長年の戦争に船を駆使して戦って 
 すぐれた航海術をもっていた呉人が 日本列島へ亡命してきた可能性は大きい。
 以上記した 習俗 呉の後裔 呉人の亡命の3点から 奴国の使者は 
 呉が亡びたときに日本列島へ亡命した呉人の子孫であると考えた。
http://www2.odn.ne.jp/~nov.hechima/
708出土地不明:2009/10/13(火) 23:57:30 ID:aw/qde6J
海人(あま)
 「あま」は 海人・海女・海士・蜑・白水郎・海部などと書く。
 岩波書店の広辞苑に「海で魚や貝をとり、藻塩などを焼くことを業とする者。
 漁夫。(海女と書いて)海に入って貝・海藻などをとる女性。」とあるように 
 現在は 潜って魚介類を獲る人で 女性を海女 男性を海士と書く例が多い。
 ここでは 塩の生産 魚介類を獲る漁労 獲ったアワビを干すなどの加工 
 水路を航海しての交易 それに水軍も含めて 
 河川・湖沼や海で活躍する人たちの総称とする。

 彼らは 太陽や星を見ながら船の位置を知り 風や海流をとらえて 
 たくみに操船する航海術を身に着けていて 東シナ海や黄海を舞台に活動し 
 中国大陸や朝鮮半島との交易に従事し その一方で日本列島内においても 
 河川を伝わって内陸部に入り交易や新たな渡来人の受け入れにも関与し
 弥生時代を築いた主役を担っていた。

安曇族
 狭義と広義のとらえ方ができる。狭義は 中国春秋時代の呉出身で
 博多湾の入り口にある志賀島を根拠地に活動した海人集団。
 広義は 狭義の安曇族の手助けで中国大陸から日本列島へ渡って来た水田稲作や
 金属器に関わる技術・技能をもって 弥生の産業改革を担った人たち。
 特に断らない限り 単に安曇族と称した場合 狭義の安曇族を指す。

http://kouinequal.arrow.jp/
709出土地不明:2009/10/14(水) 00:13:08 ID:9m0Lyocv
>中国大陸から日本列島へ渡って来た水田稲作や
>金属器に関わる技術・技能をもって 弥生の産業改革を担った人たち。



ほーんw

じゃあ何で呉の長江稲作も中国土器も中国金属器も伝わってねえんだよw

笑うところかこれ?w



710白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/14(水) 01:26:31 ID:gyiNeM7/
>>682
卑怯者と他者を罵倒するんは日本人のすべき事じゃないとの自負心すら
無いらしい。妄想の典型は、>>687よ。
>>687
おいおい、北方民族は魚を捕るんが下手じゃったんか?
倭人は三上次男氏の云われる北東アジアの水辺民じゃし、鮮卑は内陸アジア
の牧畜民化しとるが、後の契丹は漁撈もしとる。モンゴル系の室韋も
漁撈を生業とする水室韋もおったし、ツングースは元来漁撈を生業と
しとった。近年でもナナイ(ホジェン)やウデゲものう。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7526/udege2.htm
ウデゲ人は「狩りや漁に適した場所をよく知っており」や「ウデゲ人の
食物として特に大きな役割を演じたのは魚だった。魚は生魚、煮魚、
冷凍魚、干し魚、燻製で食された。」「オロチョン人やゴリド人(ナナイ人)
も同様の刺身を最高のご馳走としている。」
獣肉や魚肉を「細長くスライス」する処も、日本人が猪肉をスライスして
食べると戦国時代ルイス・フロイス氏が指摘するよう、日本人も獣肉や
魚肉をスライスして食す伝統で似とる。逆に江南は刺身を食う伝統が無い。
華南では華北からの流れた客家系や広東の一部に刺身を食う習慣もあるが、
刺身を食うんは、北方民族の伝統で、極北のイヌイットもネィティブ
アメリカンから海獣の生肉を食う輩の名称エスキモーと呼ばれとった。
日本の刺身文化は北方民族のおかげじゃ。
話がそれたが、辰韓は刺青して倭に近いじゃの倭と韓は、朝鮮では
内陸で農耕の比重が高いものが韓で、沿岸で漁撈の比重が高いものが倭で
元来同族で生業の違いで分類しとるんじゃないか。
711白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/14(水) 01:41:49 ID:gyiNeM7/
>>689
百済は夫餘が南下して支配した夫餘族の国じゃ。まあ庶民層は越や縄文系と
同様エラの張った形質は多かったじゃろう。現代の韓国でも、南方形質は
旧百済地域の西南部に多いし。
穢も倭も北東アジアの水辺民じゃ。狛と穢の違いも山地で狩猟牧畜焼畑の
比重が強いんが狛で、漁撈の比重が強いんが穢で同族の生業による
比重の違いじゃ。
>>707-708
安曇族が呉国云うて、その呉人とは高句麗のクリ、クレじゃろう。
712出土地不明:2009/10/14(水) 01:48:16 ID:lxXh3/jn
>>710
>卑怯者と他者を罵倒するんは日本人のすべき事じゃないとの自負心すら
>無いらしい。妄想の典型は

てめぇが妄想で根拠無く日本人を侮蔑してるくせに偉そうに抜かすなヘタレお釜が。
713出土地不明:2009/10/14(水) 04:27:42 ID:pS5sMVy2
>>706
>古代の百済とヤマトは同じ言葉だと韓国人研究者も言ってるから
>古代の百済とヤマトは同じ言葉だと韓国人研究者も言ってるから
>古代の百済とヤマトは同じ言葉だと韓国人研究者も言ってるから

韓国人研究者ねえ・・・
なんでID:sB+UGUanからID:NOvHqxObにID変えたの?


714出土地不明:2009/10/14(水) 04:55:16 ID:Qt6a5ppB
》706
古代の百済とヤマトが、同じ言葉を使っていた。
そんな事は、絶対にない。
『日本書紀』に朝鮮語のことは、「韓語(からさひづり)」と書かれているからね。
また、「訳語(をさ=通訳)」という言葉もでてくるぐらいだし。
715出土地不明:2009/10/14(水) 05:16:13 ID:eZj62C/u
>>710
北東アジアの水辺民を、
「倭国の風俗・習慣・産物・武器類などは海南島(越の領域)のものと同じだ」
と言い切る不思議
716出土地不明:2009/10/14(水) 08:55:58 ID:vuGDKxD8
>>713
最近本も出したみたいだぞ。
まあ、それはアリだと思うが、日本語は朝鮮起源!とか言い始めるからなアイツら
ID変わるのは、勝手に切れるから

>>714
それって百済の事?
朝鮮と百済は別もんだと思うが、その時代日本書紀に"朝鮮"は全く出てないはず
もし出てたとすればそれは遼東半島付近かな
717出土地不明:2009/10/14(水) 09:14:59 ID:dKP+NWC7
日本語と朝鮮語が仮に同じ源から別れたとしても、
その分裂の時期とは今から約7000年から10000年も昔のことであります。

3000年くらい前の時点においてこれら両者は完全な別の言語になっていたという事なのです。
日本語と朝鮮語が独立した別言語であるということは
これらの間には類似性よりも差異の方が遙かにあるという事でもあります。
718出土地不明:2009/10/14(水) 19:23:43 ID:MlMgV/Ey
>>716 百済と同じ夫余系の高句麗地名語が日本語に40%程度類似していることから
百済語も同じ程度のものだろう。

 日本語=英語とすると百済語=オランダ語、高句麗語=ドイツ語程度の類似ではないか?

 英蘭、英独が類似するといっても通じ合うほどではないように百済語も高句麗語も通じなかっただろう。

 新羅語(朝鮮語)ならなおさら通じない。新羅は奈良時代には日本へ語学留学生を派遣してきていた。
719出土地不明:2009/10/14(水) 21:25:23 ID:fQiqz4vq
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




720出土地不明:2009/10/14(水) 21:53:23 ID:r1pp490G
日本人の核DNAのマイクロサテライトを比較した研究では、
日本人や沖縄人は、北方中国人より南方中国人のほうが近かった(Hum Genet [2006] 118: 695?707)。
これは南部中国からの人と稲の直接伝搬を示す証拠かもしれない。
721出土地不明:2009/10/14(水) 23:23:04 ID:kOV58SKy
だったら何で平安期まで沖縄に稲作遺構がねえんだ馬鹿
722出土地不明:2009/10/14(水) 23:50:54 ID:Fbb+2DnM
直通だからでは
723出土地不明:2009/10/15(木) 00:13:19 ID:VkrzYfGC
南部中国の稲作は石鋤での耕作に釜か三足土器で炊飯するんだろ。

日本にはそんな稲作は伝わってねえよ。
724白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/15(木) 00:51:09 ID:qzRfw1U2
>>712
わしゃあ我が日本人を侮辱したこたぁ無いど。日本人の特に上層部の
他国民蔑視の特徴を云うたら日本人蔑視になるんかいのう。
あんたの卑怯者言こそ、日本人の誇りを失わせる自負心の欠如を
あらわしとるものじゃないか。
>>715
穢と倭は同音weiの同族と見なされたろうし、武器も穢の矛長と倭の大鉾の
類似もあろう。倭が越なら越と銘記するよ。
725出土地不明:2009/10/15(木) 01:01:26 ID:cuhYO/R4
少ない人口の北方民なんかが、わざわざ海を押し渡って列島に
根付いたとは思えん。
726出土地不明:2009/10/15(木) 06:08:57 ID:OLJBX3Pd
鳩山幸のスレに書き込んで下さい
鳩山幸の先祖が特殊すぎるんです
20世紀初頭にアメリカに渡ったり、戦後に外人相手の旅館をしたり、テーラーしたり

>37の週刊文春10月8日号が一番詳しいかと
>2の週間新潮9月24日号と >9の週間文春9月24日号も参考にどうぞ
ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 7
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/
web魚拓http://s02.megalodon.jp/2009-1015-0546-57/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/
727出土地不明:2009/10/15(木) 06:58:59 ID:mhHo80zN
>>724
>あんたの卑怯者言こそ、日本人の誇りを失わせる自負心の欠如を
>あらわしとるものじゃないか

おまえはその程度で誇り失うのかよ、大笑いのハゲだなw
自分で卑怯者という自覚があるから、
卑怯者と呼ばれたら傷口に針を刺されたように過敏に反応するのだなw
728出土地不明:2009/10/15(木) 08:08:12 ID:8QdBJgj5
魏もweiですが。
「穢の風俗・習慣・産物・武器類などは海南島(越の領域)のものと同じだ」
…これはおかしいでしょ。北方民族が海南島と同じとは書きませんよね
729出土地不明:2009/10/15(木) 08:39:38 ID:YDDuv6iy
単に海南島のものと同じく原始的だと言いたかっただけだろ。
730出土地不明:2009/10/15(木) 09:34:00 ID:o2c88anM
氷河期が終わり、スンダランドが水没し、そこに住んでた民族が北上した。
海洋民族だったので、海沿い川沿いに生活範囲を広げ、アムール川や長江上流まで遡上し、
遠くは南米まで到達した。
彼らは魚を食べ採取農耕を好み、獣食は余りしなかった。
その性格は普通は温厚だが、土地を守る事には異常な執着を見せる。一度定着したらなかなか
その土地を離れようとしない。

また氷河期には、北方対応した民族も居た。
彼らは温暖化により生活圏が狭くなり、しかたなく南下した。
元が狩猟民族であったので、平原でも遊牧生活をした。そして肉食であり生き物を殺すのは得意だった。
彼らは元スンダランドの民を軽く駆逐しながら、東アジア平原に広く広まった。
同族の争いも多く、負けた物は海を超え山を超えて逃げた。
その過程で農業も憶えた。
生き物がもだえ苦しむのを見ると快感を憶える。これは狩猟民族の本能である。
しかも敵が攻めて来るとすぐ逃げる。これも狩猟民族の本能である。

こうして、東アジアにルーツが異なるモンゴロイドの2重構造が生まれた。
こんなところだろう
731出土地不明:2009/10/15(木) 09:51:08 ID:DG3NulI5
>>724 >>穢と倭は同音weiの同族と見なされたろうし、武器も穢の矛長と倭の大鉾の
類似もあろう。倭が越なら越と銘記するよ。

・・・それなら穢も倭と明記するんではないか?

732出土地不明:2009/10/15(木) 09:56:57 ID:+RYXoQSZ
わざわざ海南島の名前を出すだけじゃなく、奴国王印の蛇鈕も雲南省や南方民族用だし、
中国は倭国を南方民族だと思ってたみたいだな
733出土地不明:2009/10/15(木) 13:02:07 ID:o2c88anM
そういえば邪馬台国へのルートも有り得ない南方だったな。

まあ紀元後は中国強過ぎだから、周りの国への影響が大きかったね
日本も仏教を国教にしたのは、唐から普通の国と認めてもらう為だろう
その前から大陸マンセー派と保守派がもめて、結局西日本を中心とする大陸マンセー派が勝ったようだ

明治維新と同じ様な構図だなあ、歴史は繰り返すね
となると次は、中央が腐敗により権力が弱体化し、地方が台頭し
その中から家康みたいな、全国のクニを統べる者が出てくるのだろう。
734出土地不明:2009/10/15(木) 13:14:50 ID:uBC6MUak
>>730
>その性格は普通は温厚だが、土地を守る事には異常な執着を見せる。一度定着したらなかなか
>その土地を離れようとしない。

これは完全に妄想だな(^o^)
735出土地不明:2009/10/15(木) 13:42:39 ID:dosINali
後漢滅亡後に漢人も滅亡したんだっけ。歴史は繰り返すか…
736出土地不明:2009/10/15(木) 13:45:43 ID:o2c88anM
>>734
妄想では無いw
だから国を守る為とか言われると、打って変わってどんな残虐行為でもする。

追い詰めると逃げる国民性と、追い詰めると逆襲する国民性が有って、
日本やベトナムや朝鮮海南部は逆襲する方w
737出土地不明:2009/10/15(木) 18:36:18 ID:DzbUIi07
自己分析ご苦労様です

科学的根拠がない妄想だけど
738出土地不明:2009/10/15(木) 21:42:02 ID:JDhjzeoK
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
739出土地不明:2009/10/15(木) 21:42:43 ID:DE9YcId4
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
740出土地不明:2009/10/15(木) 23:17:00 ID:Go6o7hlv
ウリナラ技術でやれば、いいんじゃない?
741白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/16(金) 00:05:19 ID:aGPc5vbN
>>725
北方民族の人口が少ない根拠はなんなら?世界的北方民族移動期に
大陸からイギリスへ渡来したアングロ・サクソンが多かったけぇ
現代のイギリス人は北欧型主流になったし、日本も北方新モンゴロイド
型主流になった。寒冷期の人口減少は、豊かな農村地域に起こったけぇ、
世界的に北方民族移動の同時現象になったんじゃ。
>>727
わしのどこが日本人蔑視をしたんかも提示せえ云うたんど。あんた回答
せずで、誤魔化すなや。
>>728
海南島に近いとは、倭人伝に出とらんが。「計其道里」つまり出鱈目な
距離から中国南部に近い云うことじゃろうに。
>>730
狩猟民族や遊牧民族は温厚じゃし、漁撈民族も殺しが好きなわけも無い。
まあ、港町や沿岸部の気性が荒いことは洋の東西を問わんじゃろう。
あんたのナチズム偏見は馬鹿げなのう。
シロコゴルフ氏は「残虐なことはどんな種類でもツングースは嫌う。
彼等は決して動物や子供を苛めないで、動物を必要なく殺すことを悪と
見做す。病獣や傷つける獣を見逃してやることはもっとも好まれる話題で
ある。」と。日本人猟師が「窮鳥懐に入れば、猟師もこれを殺さず」と同じ
精神じゃ。狩猟民族蔑視偏見も甚だしい。
742白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/16(金) 00:42:03 ID:aGPc5vbN
>>731
穢と倭の違いは、日本海側が穢で、黄海側が倭か、漢に従順な連中を
人偏の倭としたかも知れんが、両者とも水辺民と表現しとる。
そういやあ、穢よりも列島に住まう倭の方が農耕の記述が無いのう。
>>732
じゃが雲南のテン国の支配層は北方から南下したチベット羌系牧畜民で、
テン国の場合は、列島の「漢委奴国」と違い「漢」が頭に付いとらん。
列島の倭は漢の直属属州で雲南は独立国と云えよう。
>>733
家康が築いた江戸幕府は朱子学国家じゃけぇ大陸マンセーになるじゃ
ないか。江戸期は日本人の精神が朱子学化した時代じゃし、関東は
朱子学の影響で水戸学が生まれたことは無視か。
東日本の方が西日本より大陸マンセーじゃろう。鎌倉の宋学の影響から
江戸期に到っても。
>>736
戦前、日本統治時代朝鮮南部は日本人を内面で憎んだとしても外面は
良かったよ。北朝鮮の北部の連中は直情的に日本人に石を投げたり、
実力行使をいとわん激しい気性じゃったよ。じゃが北朝鮮北部の人間の
方が暴力好きじゃがあっさりした気性で、朝鮮南部の人間は、
暴力よりも口で恨みごとを繰り返すそうじゃ。
日本人でも地域によってじゃが、朱子学の影響の強い土地柄は、
真面目で思想正義感が強いけぇ残酷になるのう。
あんたの妄想見識は間違うとるよ。
743出土地不明:2009/10/16(金) 00:55:50 ID:l7npiJwR
>>741
>わしのどこが日本人蔑視をしたんかも提示せえ云うたんど。あんた回答
>せずで、誤魔化すなや。

Y染色体での男系のルーツを無視して、
4世紀の北方民族が日本人のルーツであるとアホな意見こそ蔑視だ。
Y染色体は男系遺伝しないと言う学者をたった1人もも言えず
逃げ回ってる卑怯者のおまえこそ誤魔化すなや。

どたまかち割るぞ。
744出土地不明:2009/10/16(金) 00:56:56 ID:MNETIPK+

   ツンキーデ   XYZ   渡来系京都人
      ∧_∧  ∧_∧   ∧_∧
     < `∀´ >-< `∀´ >- < `∀´ >ヽ
    (_)    (_) 日本人 |  |    (_)
     | |     | |  ↓  |  ∧_∧ | |
     | |    |  |  ∧_∧| < `∀´ > |沿海州土器萌え
     .| |∧_∧  (´・ω・`)/´  (___)
  牛  | <ヽ`∀´>∪    ヽ|     / )
     (_/   ヽ | |___.(⌒\___/ /
      |     ヽ、\   ~\______ノ|
   ____|    |ヽ、二⌒)        \
   |\ .|    ヽ\..|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
   |  \ヽ、__  .|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
745出土地不明:2009/10/16(金) 02:09:39 ID:d21xJraa
>>52-53-54   >>幾ら人の往来があっても技能の伝達は困難!!
遼東半島南部には紀元前2600〜前1650年頃竜山文化の黒陶、灰陶が出土するがすぐ南隣(僅か200k程)の朝鮮楽浪地域に黒灰陶器が出現するのは
紀元前100年頃に成ってから、どうしてかな?まさか人の往来が一切無かった?そんな訳ないよね。!!!

山東竜山文化は、山東省を中心に北は河北省から遼東半島南部に、南は江蘇省中部に分布する。基本的には大?口文化を継承して発展させた黒陶文化といえる。
ロクロ成型により焼成温度もあがって硬質となった黒陶は、器壁がうすく独特の光沢をもつ。初期には灰陶もあったが、のちに黒陶が主体となった。
単耳坏・烏頭足鼎・高柄足坏など特殊な器もある。文様には弦文・竹節文・透かし孔などがあり、一部に商(殷)周時代の青銅器にある雲雷文や饕餮(とうてつ)文などに似たものもある。
習俗として抜歯・頭骨変形・卜占(ぼくせん)など、大?口文化からひきついだものがみられる。年代は炭素14法でおよそ前2600〜前1650年。後続する遼東半島新石器文化にも大きな影響をあたえた。
黒陶. 前2500〜前2000年の山東竜山文化の高脚坏(こうきゃくはい)。高質な黒陶は、ろくろで成形され、土器表面はみがかれているものが多い。
746出土地不明:2009/10/16(金) 03:14:33 ID:VbGGGknW
>>745
そうだよな遼東半島と朝鮮とは行き来が有ったはずだし
支石墓なんかも遼東からの文化
それなのに僅か200キロほどの距離に2000年もかかるとは陶器おそるべし

って事は長江との往来が有って土器類の伝達が無くても不思議じゃないんだ。
747出土地不明:2009/10/16(金) 08:39:40 ID:n+9F+l5m
朝鮮半島で黒色磨研土器が登場するのは無文土器時代に入った頃だと思ったが。
748出土地不明:2009/10/16(金) 08:47:04 ID:wnJe2eZk
>>741
書いてますよー
749出土地不明:2009/10/16(金) 08:58:12 ID:l7npiJwR
>>741
>北方民族の人口が少ない根拠はなんなら?

Y染色体。
750出土地不明:2009/10/16(金) 09:57:43 ID:huWBZk4N
日本に稲作が伝わったの6700年くらい前。

日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで遡ることが判明しています。
中国政府が東北地方(旧満州)で20年以上費やした稲の品種調査と、
最近の遺伝子工学的な取り組みが決定的な成果をあげ、朝鮮半島経由の可能性はまず無くなったと言えます。

朝鮮半島の稲は遺伝子学的に日本の古代米に中国から伝来した稲の遺伝子が交雑したものと考えられ、
水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は中国経由で朝鮮半島へ伝わったことをこれらの研究が示しています。
中国の研究機関でも同じ結論が出ているそうです。
ttp://www.in-ava.com/genmai.html
751出土地不明:2009/10/16(金) 11:08:50 ID:jFU8/FcS
>>746
往来は無かっただろ、無理が有りすぎる。
恐らく漂流民だと思うよ。
752出土地不明:2009/10/16(金) 11:15:20 ID:iDG+/ne3
その稲作6000年前の根拠がこれwwww



【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった


【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
753出土地不明:2009/10/16(金) 11:21:01 ID:I7cbqzBt
>>752
なんでそんなに笑ってんの?
754出土地不明:2009/10/16(金) 11:33:39 ID:MEdSZbDh
メンヘラいじっちゃダメ。
同じコピペ張らずにいられないんだから。
もうデンパとキチガイばかり頑張っちゃっていやだよ、このスレ。
755出土地不明:2009/10/16(金) 11:43:03 ID:iDG+/ne3
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
756出土地不明:2009/10/16(金) 12:11:57 ID:aSBch7Vd
>>745
無文土器時代(BC15C頃〜)から朝鮮で黒色磨研土器は登場しているが。


紀元前1000年紀には、無文土器が主流となった。この時代は、朝鮮半島における青銅器時代とほぼ一致する。
文様がないか、あるいはあってもごく少ない赤褐色の平底の土器である。成形にはまだ轆轤の使用は見られず、
手捏ねか輪積みによるものがほとんどである。分布は、中国の東北地方、西は遼河から東は黒龍江・松花江に
またがる地方と深いつながりを持ち、櫛目文土器文化とは違った文化圏が形成されていたことがわかる。
そしてこの無文土器は、さらに東に伝わり、わが国の弥生土器の母胎ともなった。

無文土器の遺跡からは、しばしば中国の影響を受けた黒色磨研土器と丹塗磨研土器が出土する。
前者は、龍山文化の影響を受けたもので、咸鏡北道を中心として半島中部・南部でも発見され、
ある程度分布はひろがっている。
http://www.moco.or.jp/intro/history_k.html
757出土地不明:2009/10/16(金) 16:58:04 ID:vgqhsHph
>>756
>>ハイ,ハイ,ハイ遼東経由の「黒陶,擬似,擬似,擬似」の黒色磨研土器ね。

日本の縄文後期遺跡(BC15C前後)や朝鮮半島の無文土器遺跡では黒色磨研土器や丹塗磨研土器がよく出土する。

朝鮮北部と遼東は可なりの往来が有ったはずなのに、なぜ北隣遼東の、黒陶,灰陶じゃなく黒色磨研土器なのか?
中国土器の代表器形である三足器形も見つかって無い。

それに甑や豆などの器形も無い。

>>まっ、技術とか技能とかは幾ら人の往来が有っても簡単には伝達しない証明だね土器人チャン。

758bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/16(金) 18:18:55 ID:OtbK4Cvt BE:142873632-2BP(352)
>大陸からイギリスへ渡来したアングロ・サクソンが多かったけぇ
アングロサクソンは現デンマークが原住地。むしろブリテン島のほうが古い北方型が残っており、
南方や東方の影響を受けた多数派ノルディーデに駆逐された形


>日本も北方新モンゴロイド型主流になった。
それは日本じゃなくてお前の話。
日本はシニーデが主流で、西日本ではパレモンゴリーデが傍流派。
東日本では旧石器時代の影響を残すシパンギーデやアイニーデ、北方系(樺太ルート)のツンギーデが少数派

ツンギーデなんて学年に1人もいないレベル


>狩猟民族や遊牧民族は温厚
狩猟民族が温厚には同意するが、遊牧民族に関して、
遊牧民族と農耕民族がユーラシア人の9割なんだから、遊牧民族が「温厚」というには、
遊牧民族が農耕民族と比べてそん色ないぐらい温厚である必要がある

>港町や沿岸部の気性が荒い
気性が荒いことと残虐であることは別問題。むしろアメリカ人や昔の高知人のように気性が荒い連中ほど残虐性がみられない


>>736,742
話がかみ合ってない。牛はとにかく他人を否定するのをやめろ。
自分だけが「特別」という朝鮮人特有の幼児性があると思われるぞ
759出土地不明:2009/10/16(金) 20:08:01 ID:8DH7afCa
日本人はアフリカから来たことが判明している。
760出土地不明:2009/10/17(土) 02:06:08 ID:7ke31DCg
>>757
じゃあその朝鮮黒色磨研土器は一体どこからの影響で出現したんだ?w

朝鮮独自で生まれて出現したのか?w

だいたいおまえは文物の直接伝達と間接伝達さえも分からない考古学の素質の
カケラもない人間だという事を自ら曝け出してるじゃないかw

朝鮮半島に三足土器が伝わってない(実際は豆満江にある)のはそれまでに交流は
あっても直接中国からの人の渡来定着が無かった、つまり渡来定着による文物の
直接伝達をしていない事を示し、黒色磨研土器は直接伝達のあった遼東半島から
人から人へとリレーで半島に伝播してきた間接伝達だと言う事が自ずと分かるじゃないか。

そもそも無文土器に甑も豆(高坏)もある事も知らない馬鹿が考古学なんか語るなよw
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8/
761白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/17(土) 02:18:30 ID:FJ/03vlf
>>743-749
結局Y染色体に還元するカルトじゃのう。D型の多いチベット人は、
高顔北方新モンゴロイド形質じゃし、Y染色体で北方、南方も決めれん
精度の低い単一遺伝標識じゃと認めとるようなもんじゃ。
>>744
逆説図か。エラが張っとるんは南方や縄文の古モンゴロイド形質じゃ。
じゃが、日本人とした小鼻が横に広がった部分は、南方形質に表現しとる
けぇ可笑しいわいのう。日本人は関東や太平洋側、南九州を除いて、
小鼻が横に広がった形質は少ないど。
>>758
アングロ族はデンマークじゃが、サクソン族は北ドイツじゃ。ブリテン島の
方に古い北方型?夢でも見よるんか?イギリスの東部、アングロ渡来系が
多かった地域は、北欧人種で、ウェールズやスコットランド高地地方に
中欧アルプス型、ケルト系以前の古い住民の地中海人種(大西洋地中海人種)
が残っとるんじゃ。イギリスで東から西へ行くほど髪の毛が濃くなり、
ウェールズ山地やスコットランド高地地方で最も黒髪に近い人たちが増える
ことからも解ろうに。
北方蒙古人種のシベリアも中央蒙古人種の華北やチベットも、
北方新モンゴロイドに分類され、華南や縄文系のようなエラの張った低顔を
古モンゴロイド云うんじゃ。あんた妄想ばっかしじゃのう。
遊牧民族のモンゴル人なんか温厚の典型じゃないか。純遊牧地帯では
武器類がほとんど無いことは、江上波夫も出土品から云われること。
モンゴル遊牧民はアルタイ地方や満洲の狩猟、漁撈、牧畜、農耕と多角的に
営みを持つ連中に支配されたんが歴史じゃ。遊牧系でもチベット遊牧民は
気性が荒い。山地が多い風土の影響もあろう。
港町や沿岸部は気性が荒いだけで残虐じゃ云うたことは無いど。
西日本の沿岸部は西日本の内陸部や東日本と違うて間引きをする習慣が
無い。
おいおい、アメリカ人が気性が荒いか?オーストラリア人の方が余程
気性が荒かろう。四国でも高知より愛媛の方が気性が荒いし、最後まで
トンチンカンじゃのう。朝鮮人特有の幼児性たぁ具体的どがぁな
もんかのう?嫌韓厨の挙げる朝鮮人の性質なんか日本人の性質を表した
もんが多い。日本軍も戦前自民族を「特別」と思い込んで敵状軽視して
自滅したんじゃに、幼稚じゃ無かったんか?他民族にだけ幼児性を
押し付ける処がナチスドイツ崇拝君らしい処じゃ。
762出土地不明:2009/10/17(土) 03:11:30 ID:ozwu6Q0E
>>760
<遼東半島南部のBC2600〜BC1650年頃に有った黒陶、灰陶、三足土器、それに甑や豆>

ようは朝鮮半島にはBC1600年以前、黒陶、灰陶、三足土器、甑や豆がどうして同時代に隣の遼東から
人の往来が有るにも関わらず伝播しなかったかが問題で、
青銅器(Wiki説BC700年),鉄器時代(Wiki説BC300年)はずっと後世だし黒色磨研土器は関係無い。

>同時代のすぐお隣に黒灰陶等々が有るのに、購入、模造品を作る成りがなぜ出来なかったのか?
 それだけ技術とか技能の伝達は難しいって事を言いたいんだよ。
 だから長江辺りの人達が九州に渡ったが、立派な土器の技術とか技能を伝える事が出来なかったって話。
763出土地不明:2009/10/17(土) 14:24:38 ID:Tc/c6Gu5
>ようは朝鮮半島にはBC1600年以前、黒陶、灰陶、三足土器、甑や豆がどうして同時代に隣の遼東から
>人の往来が有るにも関わらず伝播しなかったかが問題で、



だから、ただ単純に遼東人の定着が無かったからに過ぎない。

間接伝達は遠方に向けて伝播していく際、文物の形状変化や
取捨選択がどんどん行われていくのは言うまでも無い。



>青銅器(Wiki説BC700年),鉄器時代(Wiki説BC300年)は
>ずっと後世だし黒色磨研土器は関係無い。



じゃあその朝鮮黒色磨研土器は遼東の影響で出現したものではなく、
朝鮮独自に開発されて生まれたものなんだな?w



>長江辺りの人達が九州に渡ったが、立派な土器の技術とか技能を伝える事が出来なかった



遼東半島の件もそうだし、弥生開始時の九州北部や古墳期の半島人の帰化と同じく、
人の渡来定着あれば直接伝達でおおよその文物は確実に伝わっている。
764出土地不明:2009/10/17(土) 15:31:55 ID:voANSZID
>>761
>精度の低い単一遺伝標識じゃと認めとるようなもんじゃ

親子間で100%遺伝するのに精度が低いとはどういうことだ?
おまえのいう精度の意味を言え。
まぁどうせいつものように言葉で言いくるめて逃げるのだろうけど。

おまえって【逃げ芸】だけは一人前だね。
765出土地不明:2009/10/17(土) 15:45:25 ID:aOiYKGn7
土器って、その土地に元からあるものより優れて(機能的にか美術的
にか)なくても伝わる物なの?
韓国車なんて乗る理由ないじゃん。
766出土地不明:2009/10/17(土) 17:09:31 ID:bm6qy2Cu
あれ〜遼東半島が中心地と云われる
支石墓コインドル、朝鮮半島には無かったっけ?
767出土地不明:2009/10/17(土) 17:56:33 ID:3sUjR2XF
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.htm
768出土地不明:2009/10/17(土) 17:57:13 ID:3sUjR2XF
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
769出土地不明:2009/10/17(土) 18:25:54 ID:awx3ijFt
・雲南省博物館長・李昆声氏の論文 ”百越と弥生文化 ”百越の習俗・・・お歯黒と文身(いれずみ)

お歯黒の風習はベトナムでは古代からあり、
その他日本、マレーシアとインドネシアの一部住民のみに見られる風習らしい。
日本でお歯黒というと、江戸時代の女性達のお歯黒をまず思い浮かべるが、
雲南省博物館長・李昆声氏の論文 ”百越と弥生文化 ”(『倭と越―日本文化の原郷をさぐる』掲載、
東アジア文化交流史研究会刊)には、日本のお歯黒の風習について次の通り記述されている。

「日本の九州沿海地方において、古代では歯を染める習俗が存在していた。
したがって、中国古代文献は古代日本の九州沿海地方の住民が「皆以 鉄水浸烏■子末、悉染黒歯」
(皆錆びた鉄分を持つ水に烏■子の粉末を入れ、それを使って歯を悉く黒く染める)と記載しているのである。」
770出土地不明:2009/10/17(土) 19:59:20 ID:N4rpSw4Z
>>769
お歯黒をした弥生人骨なんか無いけど何か?w

お歯黒(鉄漿)は古墳期の人骨、埴輪から見られ、鉄を使うところから、
やはり鉄資源を委ねていた加羅を含めた朝鮮半島から伝わったと見るべきだろう。
771出土地不明:2009/10/17(土) 21:08:16 ID:l+IQjlGZ
>>770 朝鮮でお歯黒した人骨が出ているのか?
772出土地不明:2009/10/17(土) 22:08:55 ID:f+5zBfiy
>>770
朝鮮からベトナム、マレーシアとインドネシアにも伝わったんですか?
773出土地不明:2009/10/17(土) 22:17:56 ID:33NEE3Xm
分身やお歯黒はアフリカ発。
なのでD系の文化かなという気もします。
774出土地不明:2009/10/17(土) 22:41:24 ID:vPEwXcsx

いま牛さんはレス用作文を必死になって

思案中、少々お待ちを。
775白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/18(日) 00:31:57 ID:nGrvtPfr
>>764
親子間云うんなら、Y染色体と同様に精度の低い、人種の起源に有効性に
乏しいABO式血液型もYの父系と違い両親の子が継続するど。Y染色体同様
太古まで証明出来んけど。100%は仮説に過ぎん。太古まで遡って
遺伝子が変容しとるかも知れんけぇのう。
>>774
この板にそがあに必死になりよらんよ。他板にも書くことがえっと(多く)
あるけぇのう。
776出土地不明:2009/10/18(日) 00:50:17 ID:JJm2Zqhv
>>775
>親子間云うんなら、Y染色体と同様に精度の低い、人種の起源に有効性に
>乏しいABO式血液型もYの父系と違い両親の子が継続するど。

おまえ日本語からやり直せ。
まったく意味が分からない。
ABO式血液型も親子間で遺伝すると言うことか?
だから何なんだ。
同じB型だからと言って親子と判定できるのかよ。

おまえ本当にアホだなwww
777出土地不明:2009/10/18(日) 02:26:06 ID:C2rSW001
>この板にそがあに必死になりよらんよ。他板にも書くことがえっと(多く)
>あるけぇのう。

さすがですね!!!!

610 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/05(月) 01:07:08
>>602
女も男も抱くんは、もち肌の方がええね。
>>608-609
心配せんでも、武家の婦女子は尻が軽いけぇ抱ける機会は多かろう。
特に参勤交代で亭主が江戸に行ったら、性欲に飢えた武家の
婦女子は落とせる機会が増えるじゃろうに。
参勤交代は武家の婦女子の失楽園じゃのう。


616 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/06(火) 01:52:46
>>611
基本的に一人の女性でええけど、契りを結んだ愛する女性に
兄弟がおったら、男性に生まれてきたら彼女の兄か弟のような
かったんか。と、それなら異性、同性ゆう先入観に捉われず、
彼女と血を分け合った兄弟にも愛を注ぎたい気分になるんは
わしの個人的見解じゃけど。わしも基本的に女が好きじゃ。
丸いオッパイに丸いお尻は美しい。男性には無い美があるねえ。
>>615
確かにわしに関しては、くだらん人間じゃのう。と、自覚しとるよ。



犯された女の歴史
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1203576249/l50
778出土地不明:2009/10/18(日) 02:51:17 ID:kU7MS5uh
>>776
おそらく、Y染色体とABO式血液型が日本人が血統的に半島・北方アジアと
全く違うのを判り易く示してしまうので、両方とも先祖とのつながりを否定しようと頭を絞ったのだとw

先祖の系統が最もはっきり判るのはY染色体ですね。(正確には父系一系の先祖が判る。)
血液型は家族でも違いが出るとはいえ、父母のそれぞれ半分ずつを受け継ぐのは確かで、
地域や民族グループ間の頻度の差はルーツの良い参考になると思う。

先祖の数は代を遡るごとに(重複はあるが)ねずみ算式に増えるので、
個人レベルで、Y染色体ならD系統の日本人でも華中・華南由来の血も入っているし、逆にO系統の日本人でも
ユーラシア南縁経由できた縄文系の血が多く入っているわけで、特に差があるわけではない。
ABO式血液型でも同じで、例えば個人レベルでは日本人のB型でもほとんど全員が
先祖はA型の数の方が多く、遊牧民でなはなく農耕・採集を生業にしてきた先祖が多い。

しかし日本人とツングース人諸民族の間のように、民族グループ間で頻度の違いが非常に大きければ、
ルーツが全く異なることを明確に表わしていることになる。
779出土地不明:2009/10/18(日) 03:25:28 ID:grW8uimP
縄文人はアムール川流域と交易してたんだけど

おまえら、弥生を語る前に縄文を勉強しろ
見てるとハズカシすぎる
780出土地不明:2009/10/18(日) 03:32:13 ID:dYtWCa3r
華中・華南由来の血なんか入っていないね。

縄文系は中央アジアから大陸北部経由で入ってきただけだしな。

むしろ華中・華南の方が華北以北の大陸北部経由の血が入ってるんだろうが。

遺伝子も血液型も頻度は地域によって環境変化や経年変化で
変わるから頻度においては全く意味がない。

同じ本州でも頻度に地域差があるのはそのため。
781出土地不明:2009/10/18(日) 04:37:53 ID:TezB+KML
「雲南省の少数民族の村を訪ねて」−2日目 雲南民族村、雲南民族博物館観光のページです。

「驚いたことに石垣島のアンガマ面と瓜二つの仮面があった。
ミャオ族には昔数百人の男女が日本に渡ったという伝説があるが、この伝説を裏付けるものかもしれない。」とあり、
アンガマそっくりの写真があります。

又、「特別展の会場に入ると少数民族の古書が展示されていた。ヤオ族の古書に象形文字があって興味を引かれた。
先月貴州省で水族の象形文字を見たが、少数民族の文字には象形文字がいろいろ残っている。」
とあり、ヤオ族の象形文字の写真がありました。

4月30日掲載の竹富島に伝わる象形文字「カイダー文字」、
4月1日掲載の古代からの建築様式「我部祖河の高倉」にも書いているように、
やはり八重山に残る文化には長江文明の流れがあるようです。

ttp://blog.goo.ne.jp/tako_888k/e/3c2882ab16949bf856c458b1d7b10478
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

八重山にO2bは67%もあるんだったな
782778:2009/10/18(日) 09:06:06 ID:kU7MS5uh
>>780
> むしろ華中・華南の方が華北以北の大陸北部経由の血が入ってるんだろうが。
これはある程度はその通り。
だから弥生人は大陸北部の血があまり入る前に日本に渡来しているわけで、
現在の北方系とも混血した華中・華南とは差異も大きい。

> 縄文系は中央アジアから大陸北部経由で入ってきただけだしな。
これは完全に間違っている。
そもそも日本人を構成している縄文人(旧石器人)と弥生人は、先祖の系統も渡来時期も全く異なる。
そして3万5千年前の気候・地理的条件と弥生時代のそれが全然違うことを考えれば、
前者が特に中央アジア・北アジアから来るのが不自然なことは容易に判る筈だな。

中央アジアから来たアジアのステップ地域は最近(数千年以内)になって、東西の高速道路のようになったわけで、
対岸の朝鮮半島の付け根はこの東端に位置する。この地域や北アジアが日本人と血統的に異質なのは、
シベリアに近かったことだけでなく、この要因もあるだろうね。

それと一応補足。
アジアのO系統も大きなグループとしては、コーカサスあたり発祥の大系統に含まれ、
内陸部をD系統より後の氷河期が終わって以降に西進した種族ではあるが、
O系統の先祖がヒマラヤの北を通ってきたのかは微妙らしい。
それくらい寒地適応する前の元々の人類にとって、ヒマラヤより北は環境が厳しかったわけだ。
783出土地不明:2009/10/18(日) 11:29:18 ID:fgcG/ftj
>だから弥生人は大陸北部の血があまり入る前に日本に渡来しているわけで、
>現在の北方系とも混血した華中・華南とは差異も大きい。


だからこういう珍説やめてくれないかなあ。

環境や経年などで頻度が消えたり増えたり変化したりする遺伝子なんか
確証にならんぞ。

遺伝子以外でその確証を出してみ。
784出土地不明:2009/10/18(日) 11:57:59 ID:oxJx/zA7
新日本人の起源(崎谷満 勉誠出版)の感想
結論 
買う価値なし。
図書館にあれば借りてもいいが、図書館に購入依頼する価値なし。
著者の主張を概観したいという人にだけ向けられたコレクション用。

(理由)
薄い本なのに言語にまで章を割いている。
ほとんどの部分で、著者の主張の結論のみを述べるにとどまり、
その理由付けは、著者の別著書、論文の名前を引用するにとどめている。
まるで、論文のアブストラクト集であるかのごとき印象。
読んでて非常にいらいらする。

本文が150頁ほどで2500円は、高すぎる。
785出土地不明:2009/10/18(日) 12:31:39 ID:pdBZPLAM
崎谷満なんて恥ずかしくて見てらんないよ。

Yを使ったただのサイエンスデムパなだけだし。
786出土地不明:2009/10/18(日) 13:25:15 ID:mDRo+IW6
だからよ、D2、O2bで同じ民族集団を形成した場所があんのよ。
787出土地不明:2009/10/18(日) 14:57:31 ID:1syMlLMo
D2とO2bは発生時期が全然ちがうだろ
788出土地不明:2009/10/18(日) 16:01:02 ID:+rYWzylP
O2bは先島諸島→九州だな
789出土地不明:2009/10/18(日) 19:30:52 ID:dOZtHBnD
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
790白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/19(月) 01:53:30 ID:LJjlpGRh
>>776
ABO式は、父系母系のどっちかか、両方を継続する点では、Yの父系限定より
精度が高い解釈も成り立つわけじゃし。そのABO型でも、人種の起源に有効
では無い。新大陸では、O型が多数を占め増える傾向のあることを、
親子間は継続するのでO型民族が新大陸に移住した云うたら、電波に
なるんと同様じゃ。
>>777
わしが、歴史難民板ばっかし書いとるわけあるまあ。まあ日本の
ホモセクシシャル同性愛文化は西高東低の傾向にある。
西日本は年齢階梯制社会で、年長者尊重で、東日本は、土地所有者と
隷属小作人の社会身分で序列を決めるけぇのう。
西日本の戦士年齢階梯制は新羅的でもあるが、英国の紳士が通う
パブリック・スクールは年齢階梯制じゃのう。
ただし英国の場合は紳士階級限定で村落まで戦士年齢階梯制になっとらん。
>>778
ABO式血液型はアジアでは北へ行くほど、B型が増える傾向を人種の起源論に
結びつけたら電波になるわい。新大陸特に南米や現地のネイテイブ・
アメリカンに多く、北米ヨーロッパ移民も新大陸に移住した連中はO型が
増える傾向にある。その事例をもって北米のヨーロッパ移民は原住民と
混血した根拠にならんわけじゃが。
日本でも東日本の方がB型が多いけぇ、ツングース系が西日本よりも
多く移住したわけでも無いんは形質人類学や耳垢から総合的に判断したら
明らかじゃ。一つの遺伝情報にダボハゼが如く喰らいつき、他の遺伝情報
には、無視を決め込む姿勢は、旧軍の敗戦を招いた連中を同じ思考法じゃ
のう。血統主義のナチス風ドイツ式大陸思考と云うべきか。
791白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/19(月) 02:12:44 ID:LJjlpGRh
>>778
忘れとった。Y染色体のD型はチベットや中国西北の民族に多いのに、
華中、華南たぁ可笑しかろうに。精度の低いY染色体ですら捏造工作して
来たんか。
>>781
長江文明云うより長江文化人は、ヤオ、ミャオの畑作半狩猟民と違うて、
稲作のタイ文化に近い、越文化じゃ。
>>782
弥生期少数派の渡来系弥生人にしても、北方新モンゴロイド形質じゃ。
現代の華中、華南よりも現代日本人の方が北方形質じゃし、
特に華南は、同地域の少数民族と近い遺伝子や形質で、日本人や朝鮮人、
華北人、チベット人は、HLAでも形質でも北方系じゃ。
ほいで縄文人はmtDNAでは朝鮮人に近いけぇのう。
792出土地不明:2009/10/19(月) 03:07:14 ID:hRdyXw1N
朝鮮人なんて民族は存在しない
あそこは民族も言語もバラバラ
済州島は日本、百済新羅も日本由来。
しかし、李王朝は今の北朝鮮より酷かったから悲惨だのう
793出土地不明:2009/10/19(月) 05:40:46 ID:stBYyk6Z
>>790
>ABO式は、父系母系のどっちかか、両方を継続する点では、Yの父系限定より
>精度が高い解釈も成り立つわけじゃし。

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794出土地不明:2009/10/19(月) 08:04:02 ID:+BVU5dEI

百済の住人の多くは倭人でしたからね

【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。

「そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。」
795出土地不明:2009/10/19(月) 08:05:33 ID:+BVU5dEI

[梁書,百済伝] >その国は倭に近く、身体に刺青を施している者がとても多い。

其國有二十二檐魯、皆以子弟宗族分據之。其人形長、衣服淨潔。其國近倭、頗有文身者。
今言語服章略與高驪同、行不張拱、拜不申足則異。呼帽曰冠、襦曰複衫、○曰褌。其言參諸夏、亦秦、韓之遺俗云。

その国には二十二の檐魯があり、いずれも子弟や宗族にこれを分与している。人の姿形は身長があり、衣服は清潔に洗っている。
その国は倭に近く、身体に刺青を施している者がとても多い。今も言語、服装、規約などはほぼ高句麗と同じだが、道では大仰な拱手はせず、
拝礼は述べずとも足りる則りが異なる。呼称では冠を帽、複衫を襦、褌を○という。その言葉には中華諸国や秦(の方言)が加わっており、韓に遺された習俗だという。
796出土地不明:2009/10/19(月) 10:48:46 ID:OxGKv2BN
・篠田謙一&爆笑問題

番組では爆笑問題の二人にDNA検査を実施。

「僕も自腹を切ってDNA検査を受検してみましたが、
「M7b2」というグループに当てはまることがわかりました。
ということは母方の先祖をたどって行けば「M7a1a」の太田さんの先祖とまず重なり、
その後「D4a」の田中さんと重なるわけです。
そしてさらにさかのぼっていくと「N9a」の篠田先生と重なる。」

「僕のDNAはM9a1でした。日本人の中ではかなり少ないらしく、南方ルートで日本に入ってきました。」

ttp://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20080722.html

爆笑問題の二人も、唾液を採取され、それぞれミトコンドリアDNAの型を調べられていた。
田中はD4aというアジア人に最も多いタイプ。
大田はM7a1aというタイプで、おそらく縄文人に多く、
沖縄など南方から日本に入ってきたタイプではないかとのことだった。

これらの研究を通して篠田氏がおっしゃっていた中で印象的だったのは、
「これらの研究をしていても、国という概念が全く出てこない」ということ。
つまり、国を規定するような生物学的根拠というものは存在せず、
あくまでも人間の頭の中で勝手に線引きされているに過ぎない、ということになる。
797出土地不明:2009/10/19(月) 11:14:00 ID:UW3Q7dkS
>>794 百済など首都名までクマナリという日本語だから倭人の勢力圏だったんだろう。
798出土地不明:2009/10/19(月) 13:15:35 ID:++VvLoO+
>>796
だから、コア民族血統集団はそれらのDNAグループ構成だろがよw
大教授先生のコピペになんだがなw

まあ、おめぇら土人俺ら何たら民族のセンズリ民族がほとんどだがな。
799出土地不明:2009/10/19(月) 14:11:15 ID:yWY/KQDQ
>>798
日本語でおk
800出土地不明:2009/10/19(月) 14:29:25 ID:nDzoYDUa
>>793
考古学以前に国語の勉強をして貰いたいね(^o^)
801出土地不明:2009/10/19(月) 22:40:12 ID:ejJcwFIc
「入れ墨」は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
802出土地不明:2009/10/19(月) 22:41:17 ID:ejJcwFIc
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
803出土地不明:2009/10/19(月) 22:42:03 ID:ejJcwFIc



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


804出土地不明:2009/10/19(月) 22:59:03 ID:/x75VQXW
同じコピペを張り続ける人ってなにが目的なんだろ?
どういう心理状態なんだろ?
805出土地不明:2009/10/20(火) 00:43:24 ID:yp/TlwaZ
みんなをアナザーワールドに連れて行ってやるだけじゃねえか。ヘッヘッ
806白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/20(火) 00:43:47 ID:evcMeYJk
>>792
室町時代は李氏朝鮮に新しい王が即位する度に西日本の有力豪族は祝賀
に使節を派遣しとったけえ、李氏朝鮮は小国じゃないし、今の北朝鮮より
豊かじゃったろう。
>>793
そういう側面もあるんが事実じゃ。
>>794-795
百済の支配層は北方から南下した夫餘じゃが、被支配層の奴隷は韓人や
倭人じゃろう。新羅も支配層ぱ北方から南下した積石木槨墓人で、
被支配層はエラの張った縄文形質の韓人や倭人。
秦人はチベット羌系牧畜民で漢人とは違う。まあ、秦も新羅も
西日本の戦士年齢階梯社会に影響を与えたけど。
>>797
クマナリのクマ、コムは北アジア系の言語影響じゃのう。
807出土地不明:2009/10/20(火) 01:00:00 ID:v9f7MBEe
【レス抽出】
対象スレ:日本人どこから来たんだ?9
キーワード:エラの張った

抽出レス数:6

エラが張ってるのが侮辱って思ってるんだねこの人
808出土地不明:2009/10/20(火) 01:13:37 ID:7L2I1ojP
【考古学】不思議な山、出羽三山は日本のピラミッド? 山形

日本にある三角錐型の山は特に東北地方に集中して存在するようだ。
出羽三山の付近には、ストーンサークルや神社などが多く見られるという。
日本のピラミッドと呼ばれる山はすべて自然の山を利用したケースが多いが
今回の調査で、古代の階段型ピラミッドであることが判明した。
さらに、内部に通路が確認されクフ王のピラミッドと構造が似ており
入口もクフ王のピラミッドとほぼ同じ位置にある。
また、サイズがエジプト王国時代第3-第6王朝ギザの三大ピラミッド
「湯殿山・クフ王のピラミッド、月山・カフラー王のピラミッド、
羽黒山・メンカウラー王のピラミッド」とまったく同じであることがわかった。
さらに山形まで行かなくても、Yahoo!地図「衛星写真」からもハッキリとピラミッドで
あることが確認できることが驚きだ。

出羽三山の位置 - Yahoo!地図「衛星写真」
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/river/1254659839/
発掘調査写真
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/toilet/1209655510/
記事全文
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/aniki/1220216906/
809出土地不明:2009/10/20(火) 01:18:33 ID:henIzgs9
有稜石斧の分布は、東南アジアのマレー半島からジャワ、スマトラ地域に分布し、
日本では琉球列島に特徴的に認められている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/oda2.jpg
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/oda9.jpg
810出土地不明:2009/10/20(火) 01:25:07 ID:8MalfFzJ
ところで縄文人からY遺伝子を抽出分析した証拠はあるの?
811出土地不明:2009/10/20(火) 08:00:19 ID:6L+F70m1
>>806
>そういう側面もあるんが事実じゃ。

ABO血液型で親子判定でもできるのかドアホ。
812出土地不明:2009/10/20(火) 15:52:04 ID:uLbarbNB
白馬の妄言親父まだ居るのか
相変わらず頭の中は狂ってるw
813bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/20(火) 20:39:00 ID:2NjOYiRM BE:142873632-2BP(352)
>李氏朝鮮は小国じゃない
小国です。中央集権の併合直前大韓帝国政府で封建制の江戸幕府と同規模の財政です

>今の北朝鮮より豊かじゃったろう。
極端な嘘をつくのはやめなさい
極端な嘘は妙に信憑性があって信じる人がいる

>そういう側面もあるんが事実じゃ。
ないです。詳細は出身の小学校の先生に教えてもらいなさい

>被支配層の奴隷は韓人や倭人じゃろう。
認識が甘すぎる。公式の文献で当時の半島住民は漢人が非常に多いと表現されている。
あと韓というのは国名

>新羅も支配層ぱ北方から南下した積石木槨墓人で、被支配層はエラの張った縄文形質の韓人や倭人。
新羅はワイ族の領域。北方は沃祖族と接する。

>まあ、秦も新羅も西日本の戦士年齢階梯社会に影響を与えたけど。
日本列島は人間の8割が農民の社会ですが、武士だの在日だの部落だの少数派閥の様式で日本を語らない
814出土地不明:2009/10/20(火) 20:48:58 ID:gcQZI/Bx
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
815出土地不明:2009/10/20(火) 20:49:43 ID:gcQZI/Bx
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
816出土地不明:2009/10/20(火) 20:53:27 ID:gcQZI/Bx
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



817出土地不明:2009/10/20(火) 20:54:22 ID:nnse6YyG
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
818出土地不明:2009/10/20(火) 21:46:10 ID:ZHmOe9pb
キムチくせーなー
819出土地不明:2009/10/20(火) 22:28:38 ID:uZBsnKTq
トンスルくせーなー
820778:2009/10/20(火) 22:31:10 ID:fnNRXHRC
>>791
> 忘れとった。Y染色体のD型はチベットや中国西北の民族に多いのに、
> 華中、華南たぁ可笑しかろうに。精度の低いY染色体ですら捏造工作して
> 来たんか。

D系統自体が華中・華南から来たとは全く書いていない。
Y染色体D2系統(縄文人)はユーラシア南縁・スンダランドを通って3万5千年頃の
日本に来た最古の日本人で、これが日本人の基盤・中心であり続けた。
>778では個人としてはたとえY染色体がD系統ではなくO系統である日本人の多くもであっても、
父系一系ではO系統の華中・華南から来た先祖以外に、スンダランドから来たD系統の先祖も
同様に多いということを言った。逆も同じことが言えるってことだ。
そして種族集団全般としてこそ、これらの系統や頻度が非常に明確な意味があるってことを言っている。

古代チベットにはO3系統の鮮卑族が入って支配した歴史があり、同じ鮮卑系の唐との姻戚関係もあった。
今でもD系統とともにO3系統も多く遊牧民的な性格がある。
まるで北アジアの遊牧民(O3やC3の種族)にD系統が多いかのように錯覚させるような操作で悪質すぎる。
それからY染色体の意義を否定しながら、このような日本人を太古から現代まで代表する
Y染色体D系統のルーツを捏造する印象操作は非常にずるい。
あなたは日本人のルーツを北アジア人に誘導できれば、どんな理屈でも互いに整合性が無くても
気にしないのだろう。矛盾した論理を何重にもこうした目的のために積み重ねた文を書く。
821出土地不明:2009/10/20(火) 22:50:25 ID:u+usxDSp


ホンタクくせーなー


822出土地不明:2009/10/20(火) 22:53:00 ID:e+V0DHAJ
と、もはや涙目でセン人認定するしかない台湾褐色広鼻土人なのあった(爆
823出土地不明:2009/10/20(火) 22:54:52 ID:YqOizwKh
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



824出土地不明:2009/10/20(火) 22:55:37 ID:YqOizwKh
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
825出土地不明:2009/10/20(火) 22:57:00 ID:twNx/32U


ケコギくせーなー


826出土地不明:2009/10/20(火) 22:59:43 ID:ZHmOe9pb

鍬は、台湾(卑南遺跡)から出土している。
長江・江南稲作の時代は、釜で炊飯していた。
※鼎は漢族が中国北部から侵攻して伝えた。
>6000年以上前の長江江南の釜(炊飯器)は、さてどれでしょうか。
>(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/img/k0009-1.jpg
>(2) http://www.uq.edu.au/news/images/media/9202.002.jpg
>(3) http://inoues.net/museum/torihama81.jpg
>ヒント
>(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/
>(2) http://www.spf.org/spinf/news/pdf/wop8.pdf
>(3) http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
827出土地不明:2009/10/20(火) 23:16:47 ID:Om51Xmyl


ポシンタンくせーなー


828出土地不明:2009/10/20(火) 23:37:23 ID:7x+aDien
>>821-827
都合が悪くなると荒らしだすからわかりやすいわ
829出土地不明:2009/10/20(火) 23:40:51 ID:21w+moch
━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E コピペ荒らしでレス流し    .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
830白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/21(水) 00:31:27 ID:PEvj+UHM
>>807
縄文形質がエラが張っとる事実を指摘したら都合が悪いんか?
>>811
mtDNA以前の頃はABO式血液型が親子関係の判断材料にされとったよ。
今でもABO式の方が父系、母系の両方の鑑定で有効じゃし。じゃが、ABO式
だけで人種の起源に迫ろうとしたら電波になるんは云うまでも無い。
>>813
じゃけぇ何で室町期の西日本の大名クラスが祝賀使節を派遣したんか、
あんた説明しとらんじゃないか。公式の文献たぁ何なら?韓が国名である
と云う説明書きは東夷伝に無いど。新羅はワイ族の領域云う記述も無い。
日本列島の8割が農民云う根拠も提示しとらんか。廻船業者が水呑百姓と
記述されとったら、商人たぁ農民に分類されるだけで、生業は百姓じゃ
ないんど。歴史を知らん嫌韓Yカルトは馬鹿げな言を繰り返すのう。
>>820
現代日本人の主流は北方形質の新モンゴロイドで南方系は少数派じゃ。
共産主義者や大アジア主義者が信奉した柳田国男氏の南島論じゃのう。
ほいでY染色体のD型が中国西北部に多いことの説明が無い。
鮮卑なんかトルコ系、モンゴル系、ツングース系の諸種族が混じっとる
んに、O3系とYカルトの単一種族電波解釈しても意味があるまあ。
D系の多いチベット羌系は元来牧畜民で、牧畜民じゃ無かったら、「羌」
云う名称が付くわけあるまあ。わしゃは柳田氏の南島論親派のあんたの
ような大アジア主義でも無いけぇのう。アングロ・サクソンのルーツが
ゲルマンであるよう、4世紀の世界的北方民族移動が、日本人の主流じゃ。
イギリスの連中も北方誘導しとるんか?珍説で誤魔化しよるんは
大アジア主義君のあんたど。
大アジア主義君は歴史のお勉強が必要じゃのう。
831出土地不明:2009/10/21(水) 01:57:31 ID:Q+VN5T/P
・Haplogroup O2b1 Place of origin perhaps the Japanese archipelago(日本列島で発生)

Haplogroup O2b1-47z
Found frequently among Japanese and Ryukyuans,
with a moderate distribution among Indonesians,
Koreans, Manchus, Thais, and Vietnamese.

Haplogroup O2b-M176
Found frequently among Koreans, with a moderate distribution among Buryats,
Beijing Chinese, Daurs, Chinese
Evenks, Hezhe, Indonesians, Japanese, Manchus,
Micronesians, Ryukyuans, Sibe, Thais, and Vietnamese.

832出土地不明:2009/10/21(水) 02:06:19 ID:XVnxzUUJ
>>830
>mtDNA以前の頃はABO式血液型が親子関係の判断材料にされとったよ

アホにもほどがあるw
おまえ脳病院に行け。

例えばB型の子供が数人いて、
どの子がB型の八百屋のおっさんの子と分かるのだ?
こんな恥ずかしいレスしてて自分で気がつかないのなら消えうせろ。
833出土地不明:2009/10/21(水) 02:22:51 ID:dX6W+gsX
ところで、とっても重要な文化である
「漢字」は半島経由で伝わったのかな?
834出土地不明:2009/10/21(水) 02:29:10 ID:aOgg1tXY
D2もO2b1も日本で発生となると日本人って結構オリジナルなDNAだね
あとC1も日本オリジナルだから70%以上は日本固定ということになる
835出土地不明:2009/10/21(水) 03:03:23 ID:miT0blYR
 >>832
おっさんの血液型Bとしたら、同じB型でもさらにBb、Boタイプと岐れる。
子供も同じ。
子供が、B型指定なので
かぁちゃんの血液型がA型としたら、Aoタイプなら子供はBo。
かぁちゃんが、BならBb、Bo。
OならBoもしくはBb。
この場合子供の血液型は、Bo、Bbかのどちらか。
子供の一人だけが、どちらかのタイプだとしたら確定。複数人いたら血液型による判定はお手上げ。
でも当時は、他に方法無かったんだからしょうがない。
836出土地不明:2009/10/21(水) 08:33:17 ID:XVnxzUUJ
>>835
それがY染色体より精度が高いとも言えるなどと言ってる広島のおっさんに一言お願い。
837出土地不明:2009/10/21(水) 08:52:21 ID:e2IX9bzw
漢字も百済。王仁(わに)が伝える。
838出土地不明:2009/10/21(水) 08:53:51 ID:ecGcKRZ7
>>835
OならBo
当時Bb、Boを判別する方法あったのか?

親父B 母親O 子供A
こういう場合に父子間に血縁関係がないと判定してたんじゃないか?
839出土地不明:2009/10/21(水) 10:16:59 ID:miT0blYR
一番わかりやすいのは、親父A 母親Bの場合
単なるA、B、AB、Oだけの判別だとAB型以外は、他人の子供になるが、実際A、B、AB、Oのすべての血液型の子供が生まれるんだよ。
いつからかは、知らないけれどこの判別方は、だいぶ前から有った事はたしかだよ。
840出土地不明:2009/10/21(水) 10:50:03 ID:QRqmFgnQ
>>837
王仁ということは、中華系で百済人じゃ無いな
百済にもこいつが伝えたのかな
百済には何時漢字が伝わったと言う記録は有るのだろうか

それ以前に大量に日本に来た渡来人は漢字を知らなかった事になるが
漢字が有る事は知っていたが、読み書きできなかったと見るべきか
841出土地不明:2009/10/21(水) 10:53:42 ID:w8DEMAb/
>>832
間違っては無いよ、親子関係を否定する材料にはなり得たんだから。
極まれにAB遺伝子の連鎖でAB×OでAB型の子が産まれる可能性は有るが・・・
今の水準は「肯定も出きる」までに精度が上がったと言うことなんだけどね。
842出土地不明:2009/10/21(水) 10:56:14 ID:3+O+O2UM
>>830
お馬さんよw
やけに形質に拘るが、寒冷地適応した新モンゴロイド形質は強烈なのよ
其の少量の血で東アジア全体の形質をシベリア方向に今後も変え続けるw

赤の他人の著名人一族の形質変化を追ってみろw
843出土地不明:2009/10/21(水) 11:47:17 ID:RLMAKXPw
>>840 百済の前は楽浪郡、帯方郡というシナの植民地だったので

 日本より先に朝鮮に漢字が伝わったのは当たり前だろう。
844出土地不明:2009/10/21(水) 12:29:56 ID:dZ+2QsMm
続日本紀によると、子孫である左大史・正六位上の文忌寸(ふみのいみき)最弟(もおと)らが先祖の王仁は
漢の項羽の末裔と桓武天皇に奏上したという記述がある。
このことから王仁は楽浪郡出身で百済にやってきた漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる。
845出土地不明:2009/10/21(水) 13:05:19 ID:ecGcKRZ7
>>839
Bb、Boがあるのは当初から知られていたが、
違いを調べる方法があったのか?

なければ↓のようなことは行われていなかったことになる

835 :出土地不明:2009/10/21(水) 03:03:23 ID:miT0blYR
 >>832
おっさんの血液型Bとしたら、同じB型でもさらにBb、Boタイプと岐れる。
子供も同じ。
子供が、B型指定なので
かぁちゃんの血液型がA型としたら、Aoタイプなら子供はBo。
かぁちゃんが、BならBb、Bo。
OならBoもしくはBb。
この場合子供の血液型は、Bo、Bbかのどちらか。
子供の一人だけが、どちらかのタイプだとしたら確定。複数人いたら血液型による判定はお手上げ。
でも当時は、他に方法無かったんだからしょうがない。
846出土地不明:2009/10/21(水) 19:34:23 ID:CnYRZw0D
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
847出土地不明:2009/10/22(木) 00:18:05 ID:JrorkcqP
ベトナム人には長江流域にいた少数民族が南下したあかしの遺伝子が入っているという。
そしてベトナムの遺伝子は、インドシナ半島を南下し、
琉球列島南部の八重山諸島にまで上がっているのである。
沖縄南部八重山、ベトナム、中国少数民、長江文明という遡るコースがここに想定できる。
水耕稲作が長江から発して日本に来るルートとして、
ダイレクトな沖縄北上コースが否定できないで存在している。
848出土地不明:2009/10/22(木) 00:44:58 ID:Rxcl3nQn
はい、台湾うじ虫は日本から出てけ出てけ!
849出土地不明:2009/10/22(木) 00:46:54 ID:Rxcl3nQn
はい、台湾便所虫は日本から出ていけ出ていけ!
850白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/22(木) 01:00:38 ID:66TlCnrj
>>832
昔は、親子鑑定や裁判でもABO式血液型が使われとったよ。そがぁな事も
知らずにY染色体からかじるけぇ可笑しげなことを云うようになるんど。
>>836
Y染色体は父系しか継続せんが、ABO式は父系か母系か父系母系の両者を
受け継ぐけぇのう。昔オッテンバーグがABO血液型だけで、世界民族の
六大別を想定したが、現代でも生物学者がY染色体やmtDNAだけで、
人種の起源を探ろうじゃの手法は昔から変わっとらんよ。
所詮単一遺伝標識に過ぎんのに。
>>840-844
王仁が中華系云う根拠も無いが。鮮卑系の王朝の唐の王族も李氏を名乗り
漢籍になったように。日本の源平藤橘も出鱈目じゃし、江戸幕府を築いた
徳川氏も賤民出身でも、加茂氏、藤原氏、源氏と姓を変えとる。
系図や文書にかかれた出自なんか出鱈目なものじゃが、系図を辿ることが
好きなYカルトは偽装系図まで考えんけぇのう。
>>847
航海の軸線から外れたルートの渡来妄想。
851出土地不明:2009/10/22(木) 01:12:06 ID:Zo2ABf2C
もうここまで来るとコピペだな。
荒らし認定、以後スルー。
852出土地不明:2009/10/22(木) 01:27:44 ID:Rxcl3nQn
はい、長江江南肥溜めの台湾汚物は日本から、出てけ出てけ出てけ出てけ出てけーーーーー
853出土地不明:2009/10/22(木) 07:12:59 ID:6hlIXD4b
>>850
>昔は、親子鑑定や裁判でもABO式血液型が使われとったよ

だから何なんだアホ。
それがY染色体より精度が高いとなるのかよ、ハゲ痴呆爺。
854出土地不明:2009/10/22(木) 08:54:38 ID:vVocLLmj
白馬青牛の特徴

1:事実に対して仮定を持ち出す   
2:ごくまれな反例をとりあげる
3:自分に有利な将来像を予想する
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する
8:知能障害を起こす
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13:勝利宣言をする
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
855出土地不明:2009/10/22(木) 14:24:03 ID:/j4wHtou
日本語には畳語、つまり「グラグラ」するというように、同じことを二度くりかえす 言葉が多いが、
南方語、取り分けマレー半島やジャワ、スマトラ、
セレベスなどで使われているマレー=インドネシア語にも、この畳語が非常にたくさんある。
このことから、 日本語とマレー=インドネシア語との間には、
何かつながりがあるのではないかという 疑問が生まれてくるが、マレー=インドネシア語をよく調べてみると、
日本人がそれと は気づかずに、日常の会話で使っている畳語の多くが、マレー=インドネシア語から
きているということがわかってきた。例えば、最初の「グラグラする」のグラは、
これ だけでは何のことかわからないが、マレー=インドネシア語の「動く」というgerak
(グラック)の語尾子音kがきえたものである。

2具体的な例
[畳  語][マレ・イン語][原  語  の  意  味]  [変化 や 脱落]
 マゴマゴ  mangu  驚きの為呆然となる意         u→o  n落
 クヨクヨ  kuyu  思いに悩む、悲しげなの意       u→o
 スゴスゴ  sungot 不平をいう意 いやいやながらの意   n落 語尾t落
 ボヤボヤ  boyak  香りのぬけた、うまみのない意        語尾k落
 シクシク  sik   ささやくの意、(すすりなきの様な場合)
 メソメソ  mesoh  悪態をつく意、(だだをこねる様な場合)   語尾h落
 クスクス  kuskus ささやく意
 ゲラゲラ  gelak  高笑いの意              ■→e語尾k落
 ヒソヒソ  bisu  おしの、という意           b→h、u→o
 パキパキ  pakik  金切声や大声をだす、叫ぶ、の意       語尾k落
 ハキハキ  pekik  上に同じ               ■→a語尾k落
 ペラペラ  perat  意味のわからぬことをいう意         語尾t落
 ペコペコ  pekok  湾曲した意                 語尾k落
 ベロベロ  belok  進みつつあるものが方向をかえる意      語尾k落
 トロトロ  tolo  頭など、鈍いぼんゆりした愚かなの意
 ウトウト  antok  ねむたい意              n→u、ak落
856出土地不明:2009/10/22(木) 14:24:57 ID:/j4wHtou
 シラジラ  silap  人の目をごまかす、目をくらますの意     語尾p落
 カサカサ  kasar  地のあらい、粗野な、の意          語尾r落
 スガスガ  sekar  壮快な、気持ちよい、の意   e→u,k→g語尾r落
 クラクラ  kelam  暗い、朦朧としたの意、(目がくらむ) ■→u語尾m落
 ブヨブヨ  buyut  ふとった、でぶでぶの意        u→o語尾t落
 ムクムク  gemuk  ふとったの意               語頭g■落
 ボロボロ  borok  みにくい、ボロボロの、意            k落
       buruk  上に同じ               u→o語尾k落
 ボロボロ  borot  したたるの意                語尾t楽
 ボチョボチョbochor もる意                   語尾r落
 ガブガブ  gabur  ほとばしり出るの意             語尾r楽
 ガツガツ  gatus  かむ、かみつく、の意            語尾s楽
 ゴロゴロ  guroh  雷、雷鳴の意             u→o語尾h落
 ガリガリ  garis  かく、の意                 語尾s落
 グルグル  gulun  たたむ、まく、の意             語尾n落
 クルクル  kurung 包む、くるむ、とりまくの意         語尾ng落
 バラバラ  balan  切断する、裂く、意             語尾n落
       belah  上に同じ               e→a語尾h落
857出土地不明:2009/10/22(木) 15:52:24 ID:HlAIMO6n
ベトナム人には長江流域にいた少数民族が南下したあかしの遺伝子が入っているという。
そしてベトナムの遺伝子は、インドシナ半島を南下し、
琉球列島南部の八重山諸島にまで上がっているのである。
沖縄南部八重山、ベトナム、中国少数民、長江文明という遡るコースがここに想定できる。
水耕稲作が長江から発して日本に来るルートとして、
ダイレクトな沖縄北上コースが否定できないで存在している。
858出土地不明:2009/10/22(木) 19:09:03 ID:ArwshIkG
こっちもあげないといけないかな?

日本人どこから来たんだ?8
日本人どこから来たんだ?9 どっちが正規スレッドですか?

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!40
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255870802/
859出土地不明:2009/10/22(木) 20:29:49 ID:tRMm+o8Z
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm


860bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/22(木) 20:32:04 ID:VebIumjF BE:333370872-2BP(352)
>>830
おまえの水掛け論に反論するのは本当に疲れる

>じゃけぇ何で室町期の西日本の大名クラスが祝賀使節を派遣したんか、あんた説明しとらんじゃないか。
説明?祝賀使節を派遣するレベルの友好性があったんじゃないか。それだけの話だろ。
他人がウリナラにしてくれた一つ一つにいちいち箔をつけるなんてみっともなくて小国丸出しだぞ


>韓が国名であると云う説明書きは東夷伝に無いど。
説明が期がなくても国名は国名だろ。いまの現代社会の教科書に「関西は民族名ではなく地域名です」なんて説明がきがあるか?
ウリナラに対して他国がしたことをいちいち過大評価しようとする姿勢が気持ち悪いぞ辺境民族


>新羅はワイ族の領域云う記述も無い。
これは俺の思い込みだったな。
新羅は百済人と倭人が建国したと新羅の神話では伝えているんだな。
ありがとう白馬青牛!新羅は倭人と百済人の国だと認識を改めるよ!


>日本列島の8割が農民云う根拠も提示しとらんか。廻船業者が水呑百姓と
記述されとったら、商人たぁ農民に分類されるだけで、生業は百姓じゃ
ないんど。

廻船業者は日本人の1割も2割もいるのか?中学校に戻れ。江戸時代農民85%だが、初期から江戸末期まで基本的に斬減し続けた
861出土地不明:2009/10/23(金) 00:05:12 ID:a+RmH2CW
>>855 そういう擬態語、擬声語は各国語で類似するケースが多いので
単語の比較からは除外するというのが言語学上のルールらしい。

 しかし畳語が多いというのは南島語系なんだろうな。一方でシナ語、朝鮮語にも多い。


862出土地不明:2009/10/23(金) 00:11:14 ID:/CIxcHIz
シナと朝鮮には多くはないよ
863出土地不明:2009/10/23(金) 00:49:33 ID:a+RmH2CW
>>862 侃々諤々、喧々囂々、堂々、淡々、深々、転々、粛々、丁々発止、
微々、戦々恐々、etc.
864出土地不明:2009/10/23(金) 01:18:42 ID:k12VDTnB
隼人=インドネシア人説
865白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/23(金) 02:04:47 ID:BUB90ehC
>>854
わしじゃのうて、Yカルトの特徴じゃないか。
>>855-856及び>>857
オーストロネシア語との共通性は極北のイヌイット語すら見られ、南島語
云うより古代南北アジアに広く分布した言語で古アジア語と表現した方が
えかろう。
航海の軸線でも無い南方経由を妄想すること自体、海洋思考より陸の内陸
思考が強いのう。
>>860
朝鮮と友好云うより朝鮮王に朝貢云うた方が的を得とるんじゃろう。
韓は国名じゃのうて朝鮮南部の住民、民族のことで。
新羅の神話で倭が建国した云うとらんけど。昔氏が財宝と奴隷を満載して
きたけぇ王に推挙しただけで、その倭の日本じゃのうて伽耶地方の倭じゃ
ろう。
廻船業者だけじゃのうて、そもそも百姓なんか農民だけを指した言葉じゃ
無いんじゃ。あんたが戦後マルクス史観の生産形態の社会進化論の
農本主義の歴史を学んで、ドイツ流大陸思想で農民85%と思い込んどる
だけじゃ。
http://www.horagai.com/www/txt/amino.htm
漁民や猟師も百姓じゃが農民じゃないし、文中の「江戸時代、農民は人口の
八割以上といわれてきたが、実際は六割以下だったらしい。」
「農業民とは堅気の仕事についていない人のことである。職人や商人、
船乗り、猟師、宗教者は、山賊、海賊、芸人、娼婦、博打打ちと紙一重
だったし、ヤクザというかアウトローの世界ともつながっていた。」
まあ、江戸期役人になる前の武士もカタギじゃ無い。共産主義史観の
教科書や教師の説を鵜呑みにしとる処、洗脳され易いんじゃのう。
866出土地不明:2009/10/23(金) 02:10:35 ID:DNjCJHxU
有稜石斧の分布は、東南アジアのマレー半島からジャワ、スマトラ地域に分布し、
日本では琉球列島に特徴的に認められている。
ピック・アッズは禰津によれば、マレー、東・西ジャワ、南スマトラに分布しているが、
その源流はマレーであり、刃部だけに稜のある磨製石斧の発達したものと考えている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/oda2.jpg
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/oda9.jpg
867出土地不明:2009/10/23(金) 09:09:18 ID:EpUVqXL/
>>865
>わしじゃのうて、Yカルトの特徴じゃないか。

Y染色体が男系遺伝するというのは、
いつどこで実験しても証明される事実でありカルトではない。

それをカルト呼ばわりするおまえこそカルトであり、
Y染色体が男系遺伝しないという学者の名前さえ一人も出せず、
62回も質問をスルーしつづける卑怯極まりない変態である。
清廉潔白な日本人とは正反対に位置する最低クズ男が君だ。

まぁ君の卑怯さは親父譲りなのだろうけども。
868出土地不明:2009/10/23(金) 14:35:31 ID:TiQOhUNM
この大林の考察は、有名な言語学者の村山七郎から賛同を得ているが、
そうなるとなかんずく熊襲と呼ばれた人たちは
インドネシア系の言語をしゃべっていたことになる。

いっぽう、隼人もまた、記紀にある海幸山幸の神話と同モチーフのそれが
インドネシアに分布すること、『大隅国風土記』逸文にみられる隼人の語彙が
マレイ語として解釈できること、褌(ふんどし)等の習俗もインドネシアに見られるものであること等から、
その出自がインドネシア系ではなかったかとする説がある。
この説は戦前から唱えられ、極めて有力なのだ。
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/hayato_gesshin/02kayanohime_hayato/02kayanohime_hayato.html
869出土地不明:2009/10/23(金) 14:44:13 ID:k7+WqYU7
>>867
こいつ血液型の意味すら判ってないよ(^o^)
870出土地不明:2009/10/23(金) 15:05:57 ID:4cULxSlu
>>868
まあ、「はえ」は南だからなw
871出土地不明:2009/10/23(金) 15:45:35 ID:a+RmH2CW
>>864 インドネシア、ハイアット・ホテルのハイアット=隼人という説か。
872出土地不明:2009/10/23(金) 16:07:21 ID:Z9tX+aiC
隼人が南方系なのは確実だけどね
873出土地不明:2009/10/23(金) 16:22:32 ID:Llzt2uhE
ソース
874出土地不明:2009/10/23(金) 21:52:33 ID:fg0+nKge
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
875出土地不明:2009/10/23(金) 21:57:47 ID:fg0+nKge
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
876出土地不明:2009/10/23(金) 23:14:37 ID:ZMgDSvUa
鬱火病も症状が重くなってきたね。
877出土地不明:2009/10/23(金) 23:39:18 ID:DzIaLSG4
>>875
こんな所で吠えてないで韓国自身で炭化米のDNA調査して新聞発表すれば済む話
それ位の技術は有るだろ自称先進国なんだから、中国は自分ところでDNA調査してるだろ。
878白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/24(土) 00:23:36 ID:texLnms5
>>872
隼人が南方系云う根拠も薄いのう。縄文系じゃないか。
まあ豊前から南下した秦氏が隼人を支配して、北方渡来系要素が強う
なったんじゃないか。
879出土地不明:2009/10/24(土) 00:33:54 ID:nMdZj+NN
>>878
大好きな島津はどうしたw

首突っ込むな北に行け北に。
880出土地不明:2009/10/24(土) 11:57:30 ID:y5a72hzT
森進一のような口元、唇をもつ人間が東南アジアに多いのは確かだ。
881出土地不明:2009/10/24(土) 13:05:10 ID:jGcTjeQ0
モンゴロイドの前歯がでかくて平たいのは
生肉に食らいつき噛みちぎるため
縄文人は雑食のため噛みちぎる必要が無く前歯が小さい

弥生人は肉食人が農耕を憶えた民族だと言えるし
大陸系は肉食が基本の民族だと言える
882出土地不明:2009/10/24(土) 13:15:23 ID:Vof/pN/2
>>881
形質人類学では
モンゴロイドの前歯がでかくて平たいのは
前歯がでかくて平たい北京原人の形質を受け継いでいるとされている

YDNAカルト、mtDNAカルトに騙されないように

ネアンデルタール人→コーカソイド(鼻が高い)
北京原人(前歯が大きい)→モンゴロイド(前歯が大きい)
ジャワ原人(眉毛上隆起)→オーストラロイド(眉毛上隆起)
883出土地不明:2009/10/24(土) 13:16:40 ID:Vof/pN/2
>>882
訂正

ネアンデルタール人(鼻が高い)→コーカソイド(鼻が高い)

北京原人(前歯が大きい)→モンゴロイド(前歯が大きい)

ジャワ原人(眉毛上隆起)→オーストラロイド(眉毛上隆起)
884出土地不明:2009/10/24(土) 13:39:48 ID:jGcTjeQ0
>>882
現在はアフリカ起源説が主流であり、ほぼ定説になっている

北京原人やジャワ原人は断絶し、現世人類の先祖では無い
またネアンデルタール人との混血の可能性も見つかっていない
この分野では形質人類学は意味が無い
なぜなら、北京原人もジャワ原人もネアンデルタール人も人類では無い
885出土地不明:2009/10/24(土) 13:56:20 ID:0iFO6f6z
>>884
アファレンシスもガルヒもハビリスも人類です。
ま、言いたいことは判るが。
886出土地不明:2009/10/24(土) 14:36:01 ID:GJxrUOet
>>887
ここは妄想を楽しみ、話し合うところですから論理的な
発想は排除されます。あしからず・・・W



887出土地不明:2009/10/24(土) 15:12:09 ID:HksRHGAN
ハヤヒト
888出土地不明:2009/10/24(土) 16:44:49 ID:bEI2DrqA
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
889出土地不明:2009/10/24(土) 16:45:38 ID:bEI2DrqA
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
890出土地不明:2009/10/24(土) 16:46:32 ID:W0B0MKUr
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
891出土地不明:2009/10/24(土) 16:50:47 ID:rR5GaEE5
日本人ができたのは日本列島にきまっておろうが。
892出土地不明:2009/10/24(土) 19:29:54 ID:r6RjZEtw
鋤先骨耜「骨製の鋤,骨耜」 日本にも時代は下るが全国に有ったのでは西日本、関東では火山灰ローム層の酸性土壌の為、
骨製の物は大部分消滅したと思われるが一部東北,北海道の貝塚等で出土する、地方なので土器同様時代がかなり下る。

北海道根室(弁天貝塚) 骨鍬,骨耜
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-2.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-6.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-3.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/index28.html

「骨製の鋤,骨耜」 7000〜5000年前 長江,河姆渡遺跡出土 浙江省博物館蔵
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_24_04.jpg
http://www.geocities.jp/room_fai/s-kouko-china.html稲作農業
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-24.html
893出土地不明:2009/10/24(土) 20:03:19 ID:TR6BpeNx
単に日本海交易で土器やその他文物で東北・北海道南部と一致している
沿海州南岸方面から入ってきたものだろ。

長江江南なら九州・西日本からわんさか出土しないとおかしいからな。
894出土地不明:2009/10/24(土) 20:28:34 ID:Vof/pN/2
>>884
考古学板だから考古学で説明して

>北京原人やジャワ原人は断絶し、現世人類の先祖では無い
>またネアンデルタール人との混血の可能性も見つかっていない

考古学、形質人類学では見つかっている

ネアンデルタール人(鼻が高い)→コーカソイド(鼻が高い)

北京原人(前歯が大きい)→モンゴロイド(前歯が大きい)

ジャワ原人(眉毛上隆起)→オーストラロイド(眉毛上隆起)
895出土地不明:2009/10/24(土) 22:39:40 ID:0iFO6f6z
>>894
おまえ真のアホだな、それは人類学の分野だよ。
で、今時君のようなアホな理論は誰も相手にしないのだが・・・
896白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/24(土) 22:57:06 ID:texLnms5
>>879
島津氏は秦(惟宗)氏じゃけぇのう。
>>880
唇が厚い形質は東南アジアに多いいのう。日本では西日本よりも東日本や
九州南部に多い。
>>884
アフリカ起源説は、mtDNAやY染色体論者の見解であって、聖書伝説の
見解で定説たぁ違うよ。
897出土地不明:2009/10/25(日) 02:52:09 ID:vehd47ZI
歴史発見】
       中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は江南地方か

※ 江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、
江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)
の頭や太ももの骨、 歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、
福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。
結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、
江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、
福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。

「文化的にも江南から影響有」という記事も見られる。
吉野ヶ里で発見された絹は、遺伝子分析により前2世紀頃中国江南に飼われていた四眠蚕の絹であることが分かった。
当時の中国は蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じており、
世界で最初に国外に持ち出された場所が、日本の北部九州であり、考古学的に証明された。

中国江蘇省無錫市の越時代の貴族墓から出土した鐸(共同)右日本の銅鐸(弥生時代)
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、
原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、
日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。中国側研究者からは
「日本の銅鐸は越から伝わった可能性があるのでは」との声が出ている。

ただし中国南部とは、地図上でそういうのであって、その民族は中国人(漢民族)ではない。
ttp://sawyer.exblog.jp/7178292/

稲作のルート
朝日新聞(2001.6.23)によると、弥生時代の遺跡、「池上曽根遺跡」と「唐古・鍵遺跡」の炭化米のDNA分析で、
朝鮮半島には存在せず、中国に広く分布する温帯ジャポニカ米が発見された。
http://www.iza.ne.jp/images/user/20090917/613712.jpg
898出土地不明:2009/10/25(日) 02:55:36 ID:5P8JDmNz
その弥生人骨と一致したという江蘇省の弥生時代開始期の出土物はこの有り様(嘲笑)


江蘇句容・金壇周代土トン(土+敦)(盛り土、小山)墓群:考古学者たちは、
土トン墓の埋蔵の特色に合わせ、一層ずつ剥がしていく整理方法を採用し、
青銅器時代の江南の土トン墓造営の全過程を明らかにした。計40の土トンを
発掘し、233基の墓、229組の祭祀器物群、14カ所の墓葬建築遺物を整理、
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に、江南地方の
特色をもつ各種文物3800点余りが出土した。
http://www.china-news.co.jp/culture/2006/05/cul06051302.htm
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に
899出土地不明:2009/10/25(日) 02:57:26 ID:5P8JDmNz
【江蘇】徐州市で周代の器物を修復、2800年前の生活が明らかに
http://j.people.com.cn/2003/06/13/jp20030613_29739.html
>東側から陶鬲(とうれき・陶製の鼎に似たもの)などの炊事用具が
>見つかったことから厨房、西側では陶罐や陶甕(とうおう・陶製のかめ)など
>大型の容器が出土したため、貯蔵部屋だったのではないかと考えられている。
>最も完全な姿をみせているのが大型の陶鬲で、直径42センチ、高さ38センチ。



鬲?????鬲?????鬲?????鬲?????鬲?????


いやあ、弥生人骨と一致したという江蘇省徐州の弥生時代開始頃の遺跡からは
弥生遺跡からはさーっぱり出土しない摩訶不思議なものが出土するんですねえ(嘲笑)
900出土地不明:2009/10/25(日) 11:25:29 ID:GjhabM4w
>>899
鬲は中国でも漢代には衰退してる
効率が悪い物は導入しない。
当然だろ
901出土地不明:2009/10/25(日) 16:19:01 ID:qPwbjK4A
衰退後、何になったか知ってるか?

竈だ。

竈も古墳期の半島帰化人時代になるまでありませんから。
902出土地不明:2009/10/25(日) 16:19:42 ID:X553ogdx
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
903出土地不明:2009/10/25(日) 16:20:36 ID:X553ogdx
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
904出土地不明:2009/10/25(日) 17:10:44 ID:rbrSX6fp
>>903
随は北方民族国家だからね、当然でしょ。
905出土地不明:2009/10/25(日) 17:40:08 ID:GjhabM4w
>>901
生活習慣を知らないとダメだな
縄文弥生時代は本格的な調理設備は住居の外に作り共同使用していた
住居内に竈が無いのは当然

古墳期以降に竈が住戸内に出来たのは、その習慣が廃れたからだろう
そして危ないから住居その物も変わったのだろう
あんな小さな竪穴式住居で、炉を使って本格的な煮炊きしたら危なくてしょうがない
火の粉が飛んだらどうする、すぐ火事だぞ
縄文期には協同炉穴跡、古墳初期にも協同竈跡の例が有る
906出土地不明:2009/10/25(日) 18:03:58 ID:GjhabM4w
炉穴も色んな種類が有って、これだと竈に似てる事を否定できないだろ
http://f.hatena.ne.jp/PANALI/20080906023956

愛知県田原市の雁合遺跡で縄文初期、拾い元 http://d.hatena.ne.jp/PANALI/20080905/
中国で竈を使い出す8000年ぐらい前かなwww

他には薫製用とか連結型も有るらしい
協同で煮炊きは効率いいぞ、火事の不安も少ないし
もうちょっと炉穴に注目して欲しいな
907出土地不明:2009/10/25(日) 18:11:29 ID:GjhabM4w
このページの下の方にも縄文時代の炉穴の模型が有る
http://www.keiyogas.co.jp/cont/park/hureai/museum/6/index.html

これが竈と同じ機能を持つ事は疑いようが無い
朝鮮から竈が伝わる1万年以上前から縄文式竈が日本に存在していた
もんくあっかw
908出土地不明:2009/10/25(日) 19:10:25 ID:jt5Xjphg
ハイ、全部詭弁。

竈は古墳期に半島帰化人が伝えている。


古墳時代中期に、いわゆる登り窯(窖窯)に似た構造から、おそらく須恵器の
焼成技術とともに伝来したと推定されている。この時期に朝鮮半島からの伝播を
うかがわせる遺物としては、「韓竈(からかま)」と呼ばれる移動式の模型の
ような「カマド」[1]が遺跡から出土することで、まさしく古墳時代中期である
5世紀に渡来人によって持ち込まれたと考えられている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%88
909出土地不明:2009/10/25(日) 19:44:23 ID:H2uQIyBL

「倭」の始まりは「弁韓」「馬韓」の小国の集まりが九州に移民をしたのが始まり。
その後、「馬韓」は「百済」となり、家族付き合いを続けており、
最終的に「百済」消滅後、「倭」と統合し、現在の「日本」となる。
卑弥呼はプヨから派遣された巫女。

大和王朝 … 扶余系高句麗人の騎馬軍団(蘇我氏など)が日本に渡り倭国に王朝を建てたのが始まり

第四代新羅王「脱解尼師今」の血筋が継体天皇。
つまり今の天皇は高句麗、百済、新羅の三国の王家の血を引く王様と言う事だろう。
蘇我氏の努力。

910出土地不明:2009/10/25(日) 19:55:44 ID:3cDk/efg
>>908
そのwiki間違ってるよ、竈が渡来してるの3世紀
http://inoues.net/museum2/ikesone11.jpg
911出土地不明:2009/10/25(日) 20:25:30 ID:zd9P4em3
THX

ただ西新町に多くの渡来人が住んでいたという記述は感心しないなあ。

何でかまどにかける甕が朝鮮半島の甕じゃなくて日本の甕だったのか。

それは国際貿易港だった西新町遺跡の住人が半島人じゃないからだろうに。

西地区と東地区で輸入土器が違っているのも単に半島における貿易エリアを
西地区と東地区で区切って別々の貿易していたからだろうに。
912出土地不明:2009/10/25(日) 21:33:02 ID:WBnxHPwQ
>>909
ソースは?
913出土地不明:2009/10/25(日) 21:48:55 ID:KEjwGQlB
炉が竈に変わったと言うのが考古学では常識かも知れないけど
しかしそれは疑問だ
何故なら日本の家屋では、炉と竈はずっと別の地位を占めていて重要な存在であった。

ちょっと前までは、
炉は囲炉裏として相変わらず部屋の真ん中に有り、その廻りの一番いい場所に家長が座った。
竈は家の端に有り女どもが担当した、竈は家の中に有ったが
家の外の様な扱いであった、むろん神聖な場所であった

炉が竈に変わったのなら、竪穴式住居の真ん中で煮炊きをしたのは女どもで
炉は女の聖域だったはずである。竈も家の真ん中に作ったはずだ
炉も竈も男が口を出せない女の聖域だったはずだ

しかし炉は長く男の聖域で有った。
炉が竈に変わったという常識は、まったくもって疑問である
914出土地不明:2009/10/25(日) 21:56:56 ID:KEjwGQlB
エライ人には実際に竪穴式住居の中の炉でコメや魚を煮炊きもらいたい
きっとケムくて死ねると思うw
915出土地不明:2009/10/25(日) 22:13:19 ID:xvhDF2vS
>>909

そういうことにしたいニダ。
916出土地不明:2009/10/25(日) 22:50:10 ID:wCo13vMB
>>909
日本が朝鮮を統治する根拠?
917出土地不明:2009/10/25(日) 23:00:32 ID:ztsC/yRW
日本には「オカマを掘る」という言葉が有るけど
昔は本当に、お釜(カマド)を掘っていたのかも知れない
そのカマド穴として横穴を掘る様子が男同士のナニを連想させ
オカマ=男性同性愛者
オカマを掘る=後から突っ込む、になったのかも・・・
以上新説w
918出土地不明:2009/10/25(日) 23:53:15 ID:kxv1TRro
>>909 百済人名・地名は日本語と全然ちがう異民族語であり、高句麗語地名も日本語に類似するものがあるが、一致していない。

 つまり、百済も高句麗も異民族である。新羅はいうまでもない。
919出土地不明:2009/10/26(月) 00:03:05 ID:b3Is1JqE
909は朝鮮人を熱演するいつもの台湾人工作員だろw

だったら日本で須恵器が焼かれるのが秦氏渡来の4C後半まで
待つ必要がないじゃないかw
920白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/10/26(月) 01:24:56 ID:OipkUQ3t
>>897-898
江南沿岸部は華北系の北方新モンゴロイドがおったけぇ江南と日本が
直接結びつく根拠にならんのう。しかも江南沿岸部じゃのうて内陸や
華南全体は渡来系弥生人とも全く似とらん南方系じゃ。
>>918
高句麗語よりも上代日本語に似た言語が同時代に無いど。
つまり高句麗が日本に一番近い言語になろうに。
921出土地不明:2009/10/26(月) 01:38:19 ID:+vVflB8+
見てきたのかおまえは
922出土地不明:2009/10/26(月) 01:52:38 ID:1AZyW02x
Y染色体は男系遺伝しないと言ってる学者が多くいる、と嘘つくような奴だからw
923出土地不明:2009/10/26(月) 08:47:44 ID:VweqC+Dg
上古高句麗語自体、断片的しか残っていないのによく断言できますね。
言語学者のなかでも、意見別れているのに。
924出土地不明:2009/10/26(月) 08:57:39 ID:7MRFATIB
蘇我氏の本拠地は?大化の改新で粛清されたから渡来系と思っている人が多い。或は新宗教の仏教派で神道の物部氏を倒したから…。
925出土地不明:2009/10/26(月) 09:59:41 ID:sgrqaIAE
ツングース諸語≠高句麗語

高句麗語≠新羅語

百済支配者層使用言語≠百済被支配者言語

高句麗語≒上代日本語
926出土地不明:2009/10/26(月) 10:46:26 ID:sgrqaIAE
            数詞対照表

  古代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語

1   Φi1to2    −−  hっtっn hっtっn   hΛnah    hana
                 (一等)  (河屯)
2   Φuta    −−  tu¨pっ¨l tuβっr   tulh      tu:l
                 (二尸)  (途孛)
3    mi1     mil    siet    sei     s∂ih     se:s
            (密)    (悉)   (洒)
4    'jo2     −−   −−   nei     n∂ih     ne:s
                       (廼)
5    'itu     'utsu   −−   ta∫us   tasΛs    tasっs
           (于次)        (打戍)
6    mu    −−   −−  'jul∫us  'jっsΛs    'jっsっs
                       (逸戍)
7   nana    nanun  −−  'ilkup    nilgub    'ilgob
            (難隠)        (一急)
8    'ja     −−   −−  'jultap   'jっdщlp    'jっdっl
                       (逸答)
9  ko2ko2no2  −−   −−  'ahop    'ahob     'ahob
                       (鴉好)
10   to2'wo    t∂k   −−   'jっl     'jっlh     'jっ:l
            (徳)         (噎)

※古代日本語の[i1]はイ列甲類、[o2]はオ列乙類。[っ]は母音[?]の代用。
 高句麗語の数詞「5」については村山説を挙げたが、李基文や板橋義三は
 再構語形を[uc]としている。
927出土地不明:2009/10/26(月) 10:50:16 ID:sgrqaIAE
魏志東夷伝によると
3世紀ごろ満洲から半島には6種族がいたとある。

「夫余、高句麗、沃沮、穢」の4種族は似た言葉を話していたが
「邑婁」はそれらとは言語が異なる、とあり、
また「辰韓、弁韓」は中国語の一種を話していたとある。

「邑婁」がツングース(後の女真族やオロチョン族)であることは歴史的に明白なので
「夫余、高句麗、沃沮、穢」の4種族の言語はツングース語ではないことになる。
実際、わずかに残っている高句麗語の単語は、日本語(倭語)にそっくりなことから、
「夫余系」の言語は案外、日本語と同系だったと思われます。
つまり「夫余系」の諸言語がほろんでしまったので、現在の言語地図でみると
日本語が孤立しているように見えるのです。

また高句麗は半牧半農の民で、ちゃんと農耕をおこなっており、
かなり後世まで狩猟民だったツングース族とは生活形態も異なります。
928出土地不明:2009/10/26(月) 11:09:42 ID:VweqC+Dg
「日本書紀」欽明末年、越に来着した高句麗の使節は、磯城訳語田宮で国書と貢物を奉納。
ところが、この国書を読める者が宮廷にはいなかった。
と有るが、どうなんでしょうか?
929出土地不明:2009/10/26(月) 11:12:36 ID:sgrqaIAE
新羅語━━━━━→高麗語━━→朝鮮語
(韓系)   ↑一部の語彙
        │
高句麗語━┷┓
(夫余系)   ┣→渤海語…消滅
靺鞨語━━━┛
(ツングース系)
930出土地不明:2009/10/26(月) 11:21:23 ID:qWClc8Tf
>>920 高句麗語地名80数語に日本語類似の単語が38個あるが、類似=同一ではなくて多少異なる。

 同一なら日本語だが、多少異なる(方言以上)なら英独語のような姉妹語の可能性あるが別言語だろう。

 また高句麗語は中期朝鮮語とも40数語、類似している。ツングース語とは数語程度だった。
931出土地不明:2009/10/26(月) 11:36:39 ID:sgrqaIAE
>>930
>高句麗語は中期朝鮮語とも40数語、類似している
ソースは?

一致率は
上代日本語>中期朝鮮語>新羅語

中期朝鮮語>新羅語と時代が経るにつれて一致率が上がるということは借用の可能性が高い
932出土地不明:2009/10/26(月) 11:52:48 ID:qWClc8Tf
>>931 「韓国語の形成」ソウル大学校教授 李基文 成甲書房

 韓国文化選書6 1983初版
933出土地不明
>>931 高句麗語というより高句麗地名というのが適切だ。