謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!39

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1神奈川県民
三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 倭人伝
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入
居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛

女王卑弥呼とはどんな人物か?
そして、邪馬壹國とは何処にあったのか?
日本建国と天皇家との関わり合い、日本古代史最大の謎に挑もう!
2改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/01(木) 22:20:08
どこかで邪馬台国=別府湾岸説を唱えてる人いるね。
別府タワーですか・・・その社長知ってるんですが・・・

それはさておき、大分県別府の考古がらみの話ですが、
たとえば、高いタワーのモデルというか、土器にそのような高い建物が描かれてる
ということもないし、九州北部に比べカメカンボもしょぼいし、古墳になってからの
前方後円墳も規模で劣る。
そして、別府といえば縄文遺跡ですね。
実ソウ寺付近にも弥生時代のものもあるんですが、基本的に出土されてるのは縄文時代の遺跡が多い。
そして、卑弥呼の宮殿があったとすると、その実ソウ寺か扇山の麓(自衛隊付近)でしょうか?
そこらへんは、すでに甕棺墓が出土されていまして、そのような宮殿跡とかはみつかってないはず。
3日本@名無史さん:2009/10/01(木) 22:33:45

トヨタンは? トヨタンは? トヨタンは?


トヨタン・・・・・・・・・・
4日本@名無史さん:2009/10/01(木) 22:34:45
歴史は神社の下から
5改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/01(木) 22:42:29
>>993 前スレ
>じゃ、「国家論」でもやりますか?
>女王卑弥呼とは如何なる体制のもとに立てられた存在か、とかですね。
>l当時の倭人社会の状況を整理しておくと
>1 倭人の国々は、ある程度まとまった政治体制を構築し、中国王朝へ朝貢まで出来る社会であった。
> 例えば、これは同時期の馬韓諸国などよりは政治的統合の進んだ社会と見られる。

大陸へ献上したのは、魏の時代だけではありません。
何百年前からも行っており、かなりの政治体制が整ってたとわたしは考えてる。
もちろん、半島よりも政治体制は進んでおり、それを証明するのが
アノ有名な「漢委奴国王印」出土と「親魏倭王印」を授けられたこと。
朝鮮半島は貰ってないのが現実。
ここからみても分かるだろう。

>2 「尊卑有差」 当然、尊卑の差も発生しており、「大人」と記された権力層から「財物」扱いの生口まで存在している。

そうです、そうです。

>3 「收租賦」 税のような制度が存在し、富の集積、再分配システムが存在している。

吉野ヶ里でもですね、「收租賦」のいまでいう、税を収めたといわれる
”邸閣”の跡と思われる穴が発見されている。
吉野ヶ里は邪馬台国ではないので、かなりの政治体制が整っていた証拠といえるだろう。

>4 「倭王」の立場は脆弱で、共立される存在。 と、こんなところでしょうか。

二段階国家か、三段階国家のはなしでしょうか?
6改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/01(木) 22:49:13
>>993 前スレ続き
>「倭王」の「支配」領域は、邪馬台国の所在地をどこと考えるかによって変わってしまいますが、
>最小でも北部九州、最大でも瀬戸内をコアとした西日本レベルかと思われます。

うん、うん、そうですよね、同意します。

>都出比呂志等伝統史学の重鎮層の考えでは、前方後円墳体制の確立をもって国家が成立したとし、
>卑弥呼の時代は、弥生的首長制度から古代国家制度への過渡期とされる。

巨大な前方後円墳の誕生から古代国家誕生とする考えが多いようですが、
九州規模の集合体といいますか、九州を統一したのは、それより、ずっと前と考えます。
そうですね、紀元前二世紀〜三世紀ぐらいには、九州連合国家なるものがあったのかもしれません。

>他方、弥生後期の大規模集落をコアとした地域集団に擁立され、特別な葬送儀礼の対象となるような首長の存在をもって
>国家、地方王権の成立とするような考えもありますね。
>卑弥呼は、いったいどちらのタイプの「女王」だったのでしょうかね?

畿内説は前者、九州説はかならず、後者というに決まってる(笑)
7改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/01(木) 22:51:25
<訂正> m(__)m

「訂正前」
紀元前二世紀〜三世紀ぐらいには

「訂正後」
紀元前一世紀〜二世紀ぐらいには
8日本@名無史さん:2009/10/02(金) 00:12:45
改め氏が近畿説に鞍替えした理由って何?
教えて
9:2009/10/02(金) 00:28:37
>>989
>> 卑弥呼の冢の徑百餘歩は卑弥呼の墓本体のものか、それとも徇葬者達の墓も含めた(墓群)のものか。
>> 大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人 という文章では何れとも決められない。
>>998
>単独葬か複数葬(一つの墓域に埋葬主体が複数)かは決められないかもしれないが、
>「卑弥呼の冢」が「徑百餘歩」であることに変わりは無い。
>「徇葬者達の墓も含めた(墓群)」であれば、複数の「冢」が存在したか、一つの冢と複数の平墓があったことになる。

「倭人伝」
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人 

卑弥呼すでに死し、大いに冢を造る、径百歩余り。
徇葬する者、男女のシモベ百人余り。

「徇葬する者、男女のシモベ百人余り。」は、「冢」に対しての付属といいますか、
その「冢」の円部の径が144メートルというのをあらわしてる。
ここで、大きな霊園を言ってるという人もいますが、この文章からはそのようには読めません。

>>994
>昭和天皇のように、墓づくりの行事が大がかりであった。

「大いに」の解釈はそれでいいと思いますよ。

>>999
>大=副詞(大いに) 作=動詞  冢=名詞  大は作を修飾している。
>だから 大いに では  失礼。

だから何???w



10:2009/10/02(金) 00:32:36
>>8
>改め氏が近畿説に鞍替えした理由って何? 教えて

文献、考古学 両方からですよ。
全体的にといいますが、どうみても九州とは思えなくなったということです。
特にここがこうだから替えたというんではなく、総合的にと受け止めてください。

というか、またレスがとまってたね。
誰かネタ出し宜しくです。
11:2009/10/02(金) 00:50:51
>>974-975
>古漢籍では確かに数は少ないが、
>一舉足謂之足圭再舉足謂之歩歩射者履物不過一足圭故知以三尺為限也  こういうのもある。
>数+足圭の用例が少ない理由は、
>百歩と書けばすむものを、二百足圭と書く必要はないというあたりだろう。
>足圭でなければならないのは、歩より短い場合。
>だから一足圭の用例がいくつか残っているのだろう。

あ〜それも一つあるでしょうね。
周の時代「足圭=半歩、3尺」というのがあって、漢字に詳しいであろう、
陳寿さんもこの用例を知っていたはずである。
しかし、皆さんもご存じのように、「歩」を用いているところをみると
二足歩行というのは間違いなさそうだ。
ちなみに、「足圭」というのは後の時代(清)から距離として制度が定まった
とかいう馬鹿がいるかもしれませんが、それをいうなら「歩」「里」もそうだろうと言いたい。
もちろん、「足圭」だけではなく、「歩」、「里」の長さも周時代からありましたけどね。
12:2009/10/02(金) 01:02:47
オイ、オイ、・・・あんた考古学専門じゃなかったのか。
縦目氏は、邪馬台国南方系説というのを知らないのかい?
(超能力、霊能力関係なしにあるよ)

余所スレでみたんだけど、
霊的透視によるトンデモ説って〜これ考古学の話なんですけど・・・。

では寝るーー 河童さんか、縦目さんか、誰かさん〜スレ回してて下さいね。
13愛知県民:2009/10/02(金) 06:46:13
銅鏡の多数埋納・巨大化は倭人・越人に共通らしい。
14縦目仮面:2009/10/02(金) 06:47:13
??考古学的に南方系というのは意味がわかりません。俺は畿内説なので、もちろん邪馬台国
は複数のクニのゆるやかな連合ww。
15日本@名無史さん:2009/10/02(金) 07:42:17
一説では、卑弥呼の墓は約150m程度あると言われている。
帯方郡から約5000q彼方の地にある、約150mの墓って、
地球上のいったいどこ?
当然日本ではない。
16日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:40:40
さすがに毎日邪馬台国はどこかと不毛すぎる議論を
繰り返すのはヲタを通り越して気味が悪い。
立花隆もある時点で不毛だと悟り、それ以降は完全にノータッチ。
それが正解だよ。
17日本@名無史さん:2009/10/02(金) 09:10:26
>>16
その立花隆をものさしにする理由はいったいなに?
18日本@名無史さん:2009/10/02(金) 11:36:06
邪馬台国にのめりこむやつはカルト宗教と同じで
気持ち悪い。いい加減目を覚ますべき。
19日本@名無史さん:2009/10/02(金) 11:56:12
>>18

嫌よ嫌よも、好きのうち
20日本@名無史さん:2009/10/02(金) 14:04:51
国の始まりを研究するのは
至極当然のこと。
21唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/02(金) 18:11:09
>畿内説なので、
畿内説なら書紀との整合性を教えて下さい。
22:2009/10/02(金) 19:58:55
帶方          「邪馬台国までの行程記事」
↓→(七千餘里)
 ↓→狗邪韓國
    ↓(千餘里)
   對馬國
    ↓(千餘里)
   一大國
    ↓(千餘里)
   末盧國
    ↓→伊都國(陸五百里)
       ↓→奴國(百里)→不彌國(百里)
                 ↓
                 ↓(水行二十日)
                投馬國
                 ↓(水行十日)
                 ↓
                 ↓
                 ↓(陸行一月)
                邪馬壹國【女王之所都】
23:2009/10/02(金) 20:14:27
↑沖縄付近?こんなところに大きな国はないので間違いだろう。

帶方          
↓→(七千餘里)
 ↓→狗邪韓國
    ↓(千餘里)
   對馬國
    ↓(千餘里)
   一大國
    ↓(千餘里)       「畿内説」
   末盧國
    ↓→伊都國(陸五百里)        (水行二十日)(水行十日、陸行一月) 
       ↓→奴國(百里)→不彌國(百里) →→→→投馬國→→→→→→→→邪馬壹國【女王之所都】

「九州説」 伊都國(陸五百里)→(百里)不彌國
      ↓ ↓↓→(百里)奴國
      ↓ ↓
      ↓(水行二十日)
      ↓ 投馬國
      ↓
      ↓(水行十日) (陸行一月)
     邪馬壹國【女王之所都】 どっちかだろう。


24:2009/10/02(金) 20:21:05
>>14
邪馬台国南方系説・・・×

卑弥呼の先祖は南方系説・・・○

>何をもって南方とするのか基準はよくわからない。

この列島の南のほうと言えばどこでしょう?
沖縄とか、奄美大島ですよね?
25日本@名無史さん:2009/10/02(金) 20:59:57
おっ ヤフー荒れてるね・・・おれも参加してこよっとww
26日本@名無史さん:2009/10/03(土) 04:14:32
タイトルが・・・・
27日本@名無史さん:2009/10/03(土) 06:11:33
>>11
「跬」ぐらいちゃんと書けよ。だせないなら、コピーしろ。
28愛知県民:2009/10/03(土) 07:53:37
伊勢神宮の鏡は伊都国で作られたのか?
29縦目仮面:2009/10/03(土) 08:15:33
平原遺跡で出土した、倣製とされる大型内行花文鏡と類似のものという説もありますが、
どうだか。径46.5cmという鏡の径を八咫とみての推定でしょうか。内行花文の文様は太陽
信仰を表すという説もありますね。
30日本@名無史さん:2009/10/03(土) 08:49:37
>>27
「足頃」、「走圭」もお願いしますw

>>29
ソレを入れているケースのサイズではぴったりですよね。
31me←ミーじゃねーよw:2009/10/03(土) 11:13:33
南京紫金山天文台蔵、明時代の銅製のモノサシを使っても
全然話にならんわなw
32me←ミーじゃねーよw:2009/10/03(土) 11:20:09
>>28-29
>伊勢神宮の鏡は伊都国で作られたのか?

鋳型が発見されてないのでなんともいえませんね。
33me←ミーじゃねーよw:2009/10/03(土) 11:21:26
えんりゃこりゃ♪えんりゃ サッサっ 暇だな・・・w
誰かネタだし宜しく〜(^^)
34愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 13:24:10
『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』に、伊勢神宮の宝鏡について以下の注が付いている。

一名日像八咫鏡是也。八咫。古語八頭也。八頭花崎八葉形也。故名八咫也。中臺圓形座也。圓外日天八座。

八花の内行花文鏡は四葉座が普通であるから、平原の超大型内行花文鏡の八花八葉座は例がない。
原田大六氏は平原鏡と八咫鏡は同一の可能性があると主張し、森浩一氏が次のように支持している。
「否定しがたい共通性をもっている。それは、学問的に無関心をよそおってすむような問題ではない」
(日本神話の考古学)
35縦目仮面:2009/10/03(土) 13:39:57
まあねえ、しかし現存するとされる八咫の鏡が、まずどれほど古来から伝えられてるかが
疑問ですね。伊勢神宮も御所も何度も火災に遭ってるし、例の壇ノ浦の話もある。まあ、 
文様は再現されてるとしても、鏡そのものは後代のレプリカかもしれない。
36愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 13:46:38
平原の内行花文鏡
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/19kagami.jpg
もっといい画像もあるかもしれませんが。
37愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 14:01:37
平原遺跡と日向(ひなた)峠の関連も言われていますが、平原1号墓の年代について
原田大六氏は2世紀半ば、寺沢薫氏は200年ごろ、森浩一氏は2世紀半ばから
半世紀〜1世紀下る可能性もあるとしている。
都と墓は一致しない場合もあるので、卑彌呼の墓が伊都国にあってもよいのかもしれないが?
38愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 14:11:36
記紀に即して言えば、神武東征に草薙剣も八咫鏡も出てこないのは不思議な気がします。
八咫烏は出てくるが・・・
39改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/03(土) 14:23:00
>>37
私は1世紀と考えてます。
40愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 16:11:07
>>39
>私は1世紀と考えてます。

それは平原でなく、近くの三雲南小路(紀元前後)と井原(1世紀後半)の年代でしょう。
現地に行ったことはないですが、調べれば分かりますよ。

なお平原1号墓については、大型内行花文鏡の破片復元が4面から5面に訂正され、
鏡の総数も39面から40面に訂正されたとのことです。
41ローガン:2009/10/03(土) 16:29:07
>>38
こんにちは!それについては神皇正統記が割と丁寧に解釈してますね。
後鳥羽条「三種の神器の事は所々に侍しけれども、まず内侍所は神鏡なり。八咫鏡と申。正体は皇太神宮にいわい奉る。内侍所にましますは崇神天皇の御代に鋳かえられたり神鏡なり。」
神武条「天照大神より伝給える三種の神器を大殿に安置し、床を同じくします。」
崇神条「ようやく神威を恐れ給いて即位六年己丑年、神代の鏡造の石凝姥の神のはつこをめして鏡をうつし鋳せしめ…」と
紀の崇神六年「先是天照大神倭大国魂二神並祭於天皇大殿之内」の「この先」を神武以来と解釈してるのでしょう。
42愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 17:04:14
>>41
こんにちは。古語拾遺にもその辺りは書かれていますが、私の疑問はそういうことではなくて、
神武天皇が三種の神器を持っていたなら、高倉下から霊剣を受け取ったり、金の鵄に助けられたりしているのは何故か?ということ。
神武東征はそのままの史実とは思えませんが、「一柱騰宮」は古代の江南に原型があると見られること、物語が河内の古い地形に合うことなど
全くの創作ではなく、古い伝承を反映している部分もありそうです。
しかし神武は神器を持って移動してはいないように思われる?
43ローガン:2009/10/03(土) 18:20:22
>>42
> しかし神武は神器を持って移動してはいないように思われる?

そもそも、なかったんでしょう。 神武四年榛原に皇祖天神を祀る際にも触れていません。
前レスには続きがあって北畠親房は西海に沈んだ三種の神器は、オリジナルではないと力説してます。
44縦目仮面:2009/10/03(土) 18:23:25
うわー、時おりのぞいてみるんですが、伊勢県民さんは難しいことを考えてますね。神武帝が
三種の神器を所持していた形跡がないということですか。単に伝承としてつじつまの合わない
部分ではダメなんですかね。

・・・あえてレスをすれば、八咫烏(三本足?)は、中国神話では、太陽に住む三本足の烏
は火烏とかいって、元は10個(匹)の太陽となっていたが暑いため九個まで射落とされた
ということで、明らかに太陽の象徴。

後代の「神道集」の熊野権現縁起譚には、漁師の前で八咫烏が三枚の金の鏡に化身した
というような説話が乗ってます。この話は後ずけでしょうが、つまりは、八咫の烏も鏡も太陽
信仰として結びつくのかもしれません。あるいは熊野の地に太陽信仰の素地があったか・・・。
いやしかし、これは浅学な俺にはわかんないですね。
45:2009/10/03(土) 18:43:54
>>40
>三雲南小路(紀元前後)と井原(1世紀後半)

三雲南小路一号墓、二号墓=紀元前一世紀
いわら鑓溝、平原遺跡=紀元後一世紀

>なお平原1号墓については、大型内行花文鏡の破片復元が4面から5面に訂正され、
>鏡の総数も39面から40面に訂正されたとのことです。

10号、11号鏡はヒビ割れのみ
12号鏡は約半分が残ってる。
13号、14号鏡は欠片のみw

14号鏡と比べ10号、13号鏡は多少青っぽいので区別できると思うんですけどね。



46愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 19:08:48
>>43
>そもそも、なかったんでしょう。

おやまあ、あっさりと(笑)
八尺瓊勾玉も含めて、天孫ニニギ降臨時には確かに授けられているのですが・・
草薙剣など、ヤマトタケルでなく神武東征でこそ大活躍すべきなのに。

>>44
>伊勢県民さん

伊勢県民になっちゃった(笑)
昔、スレ主の神奈川県民さんが三重県民になると言って「神奈川県民改め三重県民」略して改めさんになり、
今もスレを立てるときは神奈川県民さんを名乗っておられます。
八咫烏は八咫鏡の化身?そんなことは書いてないですが、そうも考えたくなります。
伊勢神宮の鏡は明治初年に明治天皇が天覧された後、あらためて内宮の奥深くに奉置されたという。
ヘブライ語が書いてあるというのはトンデモで、やはり平原が怪しそうだ。
47日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:13:14
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
48愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 19:13:22
>>45
>いわら鑓溝、平原遺跡=紀元後一世紀

平原遺跡=紀元後一世紀ですか。少数説ですね。根拠はありますか?
49:2009/10/03(土) 19:30:03
>平原遺跡=紀元後一世紀ですか。
>少数説ですね。

いえ、逆でしょ。

>根拠はありますか?

三雲は「前漢の境」、
いわら鑓溝、平原は「後漢の鏡」です。
両遺跡には「差」がありますね。
50日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:35:20
ニニギ神は書記だと 誰と比定する?

畿内説だけど、応神かなと考えています。
51ローガン:2009/10/03(土) 19:36:43
>>48

伊勢県民さんに同意。(すんません)
ヤクルト戦終わったら覗きますので、貴説の根拠よろしく。
52縦目仮面:2009/10/03(土) 19:39:02
>>46
あらー愛知県民さんすみません。なんか、伊勢神宮が頭にあったんで。まあ平原遺跡(1号墓)
の年代は諸説ある現状なんでおいとくとして、確かにここからは青銅鏡、素環頭大刀 、ガラス製
勾玉はじめ大量の玉類が出土してます。三種の神器といってよいかもしれません。被葬者は女性
とする説が強いようですが、実際は性別は不明です。
ところで、愛知県民さんは、ヤマトの古墳の鏡や剣の副葬は北九州からもたらされたものとお考え
ですか。
53:2009/10/03(土) 19:53:20
>>52
>実際は性別は不明です。

おい、おい、・・・・女性でほぼ確定してますよ。

>>48
あとは方墳の形状でしょうか。
この形状が作られる時期は一世紀に集中してると聞いています。
なぜ、二世紀、三世紀なのかこっちのほうが謎dせすわ。
たぶん割竹形木棺ですか、古墳時代初期の形状の棺が出土してるので
古墳時代に近づけようとしているとしか思えない。
54:2009/10/03(土) 19:56:44
>>51
ほう、なぜ同意なのか説明宜しくです。
あ、中日戦終わってからでいいので。
55縦目仮面:2009/10/03(土) 20:03:37
うーん、俺は1号墓は弥生終末前後と思いますけどね。柳田康雄氏によれば、年代を下げる
根拠として以下のようなものをあげてます。「平原王墓の性格」

・ ガラス勾玉のガラスは、弥生時代を通じて鉛ガラスであるのに対し、平原一号墓の勾玉
 のガラスは鉛ガラスでない可能性が高い。

・ ガラス管玉の形態は、後期後半から終末の出土例と類似する。
・ ガラス連玉は、弥生時代に例がない。

・ 瑪瑙管玉は、高度な熱加工技術が要求されるが、このような例は前期古墳にも例がなく、
  朝鮮半島や中国でも漢代には例がない。同類の管玉が朝鮮半島で多量に出土しているが、
供伴土器や鉄器は、三世紀前半から四世紀と考えられているものである。

・ 周溝内出土の鉄鏃は、弥生時代には例がなく、弥生終末以後の銅鏃に類例がある。
・ 周溝内出土の鑿状鉄器は、他の出土例は弥生終末から庄内式に限定されている。
56:2009/10/03(土) 20:07:15
>>55
それは柳田康雄氏の考えですよね?
貴方自身はどのように考えてるのでしょうか?
57愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 20:17:29
>>52
>ところで、愛知県民さんは、ヤマトの古墳の鏡や剣の副葬は北九州からもたらされたものとお考え
>ですか。

ヤマトの古墳は北九州、出雲、吉備、播磨、讃岐などさまざまな地域の墓制が影響しており、大和の弥生時代との連続性は薄いようです。
ただ、鏡の大量副葬や大型化は東アジアでも珍しく、広州の南越王墓や金海(狗邪韓国)の良洞里など限られているようなので、
南越→北九州→大和の影響は否定できないと思われます。
58縦目仮面:2009/10/03(土) 20:26:12
確か1号墓そのものからは土器は出ていなかったと思いますが、周溝がやや埋まった段階
に掘り込まれたと判断される6号土壙墓の供献土器(丸底鉢)が、弥生終末から古墳初頭な
んで、これより古いということですが、周溝出土土器でもっとも新しいのは弥生終末の大甕口
縁片です。周溝を共有、ないし切りあう2号周溝墓からは、平成10年の調査で古墳初頭の古
式土師器が出ています。

あと上の柳田氏の判断はうなずけるものが多く、これらから総合的に判断して、まあ弥生終末
前後と考えます。

>>57 ありがとうございます。北九州→ヤマトはそう思います。
59愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 20:27:12
>>53
>あとは方墳の形状でしょうか。
>この形状が作られる時期は一世紀に集中してると聞いています。

方形周溝墓(方形低墳丘墓)
弥生時代前期中頃に出現し、前期の間に伊勢湾に達した。その後中期中頃に南関東、後期には北関東・東北南部へと拡がった。
最近では、方形低墳丘墓(ほうけいていふんきゅうぼ)と呼ばれることも多くなっている。
また、従来、古墳時代初頭まで続く墓制とされた方形周溝墓について、近年の土器編年などの研究の進展によって、
初期古墳や前期群集墳としてとらえる考え方が出てきたのに伴って、方形墳(ほうけいふん)と呼ぶ研究者も現れるようになった。

ウィキペディア「弥生時代の墓制」によると、むしろ最近は時代を下げる傾向にあるようですが。
60縦目仮面:2009/10/03(土) 20:35:21
本来、九州の方形周溝墓は ほとんど古墳時代なんですけどね。
61:2009/10/03(土) 20:40:16
縦目さんが言ってる土器が、溝のどの方角から出土されたのか知りませんが
その王墓といわれる東北方向でしょうか、三世紀の古墳があるんですよね。
古式土師器ですから、それに関わるかもしれない。
そして弥生中期の工房跡もあるそうです。
それにしても、今年みてきたんだけど、カマの痕とか置く四角のやつとかみなかったが...。
62:2009/10/03(土) 20:42:23
>北九州→ヤマト

同意です。
畿内自発説の意見もきいてみたいですが・・・。
63愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 20:46:33
>>49
>三雲は「前漢の境」、
>いわら鑓溝、平原は「後漢の鏡」です。
>両遺跡には「差」がありますね。

平原では、井原に見られない内行花文鏡が含まれ、後漢でも晩期に出現する「長宜子孫」の銘のある鏡も含まれます。
この「長宜子孫」銘の内行花文鏡が超大型鏡のモデルになったといわれます。
64縦目仮面:2009/10/03(土) 20:46:38
ちょっと考古レスが多すぎた(反省)んで、改めさんも出してたけど前スレの993なんか、
実に俺的には興味ある話題なんですけどね

名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 21:42:25
>ネタだし
じゃ、「国家論」でもやりますか?
女王卑弥呼とは如何なる体制のもとに立てられた存在か、とかですね。
当時の倭人社会の状況を整理しておくと

1 倭人の国々は、ある程度まとまった政治体制を構築し、中国王朝へ朝貢まで出来る社会であった。
  例えば、これは同時期の馬韓諸国などよりは政治的統合の進んだ社会と見られる。

2 「尊卑有差」 当然、尊卑の差も発生しており、「大人」と記された権力層から「財物」扱いの生口まで存在している。

3 「收租賦」 税のような制度が存在し、富の集積、再分配システムが存在している。

4 「倭王」の立場は脆弱で、共立される存在。

と、こんなところでしょうか。 (後略)

65:2009/10/03(土) 20:53:26
>>63
「模様」が全然ちがいますね。
モデルとされたモノは、繊細というか細かく模様が描かれてて、
有名な超大型鏡は明らかにぼう製鏡と分かる。

>>64のレスに対して、お二人はどのように考えてるのでしょうか。
私の考えは>>1-20に載せましたけど〜

66縦目仮面:2009/10/03(土) 21:02:13
いやあ、専門外で いかもんなんですが、倭人伝の、

> 下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、あるいは蹲り
  あるいは跪き、両手は地に拠り、これが恭敬を為す。対応の声を噫という、比するに然諾
  の如し。

というのは、かなり強硬な身分制度であって、短い年月で固定するようなものではないという
感じがします。社会学とかに詳しい人の意見を聞いてみたいです。
67愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 21:08:39
>>64
後漢書 卷八十五 東夷列傳第七十五 (三韓)
初 朝鮮王準爲衞滿所破 乃將其餘衆數千人走入海 攻馬韓 破之 自立爲韓王 準後滅絶 馬韓人復自立爲辰王 
建武二十年 韓人廉斯人蘇馬ィ等詣樂浪貢獻 光武封蘇馬ィ爲漢廉斯邑君 使屬樂浪郡 四時朝謁 
靈帝末 韓・濊並盛 郡縣不能制 百姓苦亂 多流亡入韓者

建武二十年(西暦44年)光武帝は韓人の蘇馬ィを「漢廉斯邑君」に封じました。
これは西暦57年の「漢倭奴国王」より13年早いですが、半島と列島の人口の差が待遇の違いに現れたようです。
魏の時代も月支国に「辰王」がいたので、あまり差は無いように思えます。
68:2009/10/03(土) 21:17:22
>後漢でも晩期に出現する「長宜子孫」の銘のある鏡も含まれます

こっちの列島でいえば、弥生後期から出土される鏡ですよね。
弥生後期というのは、そうですね、AC50年ぐらいからでしょうか。
だから「一世紀」。

>>66
魏の使いは、ある程度身分の高い大人の案内で倭地を散策したことが想像できる。
大人というのは、身分の高い人で、身分の低い人は道を譲った。

江戸時代もですね、偉いお侍さんが通ると道を開け、その道を譲ったというのは聞いたことがある。
弥生も、江戸時代もあまり変わりないってことではなかろうか。

というよりも、弥生末期からすでに強力な政治力を持った国が誕生していたことが伺える。
69縦目仮面:2009/10/03(土) 21:22:29
水田耕作は共同作業になるので、リーダーは必要でしょう、それだけでここまで強大な権力
が発生するかは俺は疑問です。倭国乱というのは、ムラ程度の集落がクニに進化していく過
程で起こったのではないでしょうか。生口が生まれた原因は単なる貧富の差というより、倭国
乱による戦争捕虜、被征服民に対する身分格下げが主要因であるという気がします。

だから、この社会構造の研究によってクニの文明発展度、規模などが推定できないでしょ
うかね。
70愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 21:23:51
>>68
>弥生後期というのは、そうですね、AC50年ぐらいからでしょうか。
>だから「一世紀」。

後漢晩期は2〜3世紀ですが?
71:2009/10/03(土) 21:26:17
>>70
わたしはAC50年ぐらいからと考えてます。
72縦目仮面:2009/10/03(土) 21:27:04
ただ、後漢書の倭国王帥升等が生口160人の記事を見れば、かなり早い段階から身分差が
広がっていたということになるんですよね。
73:2009/10/03(土) 21:29:16
ああ〜晩期?
晩期というのはですね、ここまでが弥生時代で〜ここからが古墳時代という
”線”があるとします。
その議論の対象となっているところを晩期と読んでるんですよ。

「長宜子孫」というのは晩期というよりも「弥生後期」。
よって、なんらおかしくはない。
74日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:35:27
>>69
>水田耕作は共同作業になるので、リーダーは必要でしょう、それだけでここまで強大な権力
>が発生するかは俺は疑問です。倭国乱というのは、ムラ程度の集落がクニに進化していく過
>程で起こったのではないでしょうか。生口が生まれた原因は単なる貧富の差というより、倭国
>乱による戦争捕虜、被征服民に対する身分格下げが主要因であるという気がします。

生口に関しては、たんなる捕虜とはおもっていません。
優秀な技術職人だった可能性があります。
しかし、身分が低いのは確か。
身分だけで考えると、今よりも古代のがもっと差が激しかったのではないでしょうか。

>だから、この社会構造の研究によってクニの文明発展度、規模などが推定できないでしょ
>うかね。

自分も専門家じゃないので詳しくはわかりません。
75日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:37:37
実は弥生中期から、ある程度国家の形が出来ていた。
76:2009/10/03(土) 21:42:07
ん〜だいたいですね、晩期と言われてるのは190〜250年ぐらいですよ。
庄内土器もそのへんでしょうか、九州説の人はもっと後というと思うが・・・。
77縦目仮面:2009/10/03(土) 21:49:58
>>74
確かに、生口=特殊技能者説もありますね。
78愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 21:55:45
>>73
「長宜子孫」内行花文鏡はホケノ山古墳からも出ており、弥生後期と限定はできません。
他の要素も考慮して年代を決める必要があります。
しかし、この問題は結論が出そうにない気もします。
79縦目仮面:2009/10/03(土) 21:58:25
まあ、中国には殷代からずっと奴隷制度はありましたが、例えば漢代の官奴婢は、重罪犯
人の家族、戦争捕虜などで、私奴婢としては、破産した農民、債務奴隷、誘拐されて売られ
たもの、もと官奴婢で恩賞として与えられたものとかですね。
80:2009/10/03(土) 21:59:15
「長宜子孫」というのは二世紀からですか・・・
しかし、実は一世紀からだったw 完成品第一号かもしれんww
ていうか、愛知県民さんは「後漢末期」とあるね。
一生懸命、弥生時代を説明してましたわw

あ、それとグリーン名無しさんとブルー名無しさんが来やすいように
たまにネーム消しますが気にしないで下さいね。
81ローガン:2009/10/03(土) 22:35:23
ヤクルトに負けた…

平原1号はイ方製鏡に目がいきますが、4期キ龍文鏡もあります。岡村編年なら紀元頃。
二百年位の鏡の伝世ですな。
82愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 23:05:27
>>81
出ました! 岡村編年・・・
しかし、岡村さんは平原1号墓も1世紀後半から大きく下らない時期としていたような?
墓の年代では岡村氏の見解とは違うんですね?
83日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:08:19
ニニギの話題はスルー?
俺も応神だと思うぜ
84:2009/10/03(土) 23:30:57
>>83
>ニニギの話題はスルー? 俺も応神だと思うぜ

応神→八幡大神
八幡大神→戦いの神
戦いの神→ニニギ? ウ〜ン てかんじですかw
どうしてニニギ=応神としたのか聞きたい。

というかレス進んでないな・・・ヤクルトは負けたんだ
85愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 23:31:10
>>83
ニニギ=應神?
頭が悪いので意味が分かりません。
たぶん神功=アマテラス、仲哀=スサノヲ、武内宿禰=タカミムスヒ?
それならアメノオシホミミは?
全然違う話の似た要素だけを取り出して同一だというのは乱暴な議論と思われる。
他にも神武=應神説とか、持統=アマテラス説とかもあります。
86日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:35:36
弁天様=アマテラスということではいかがでしょう?
87:2009/10/03(土) 23:39:18
赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり

豊玉姫が、夫である「天つ神(山幸彦)」への歌を妹の玉依姫に預けた場面ででてくる歌です。
平原出土のメノウ管玉が歌われてる と私は思っています。
88愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/03(土) 23:39:19
>>84
>ヤクルトは負けたんだ

横ですが・・・助詞が違います。
ヤクルト「に」負けたんです。
ローガンさんは阪神ファンらしいです。

>>86
弁天様はイチキシマヒメと同一視されています。
89:2009/10/03(土) 23:41:38
>ヤクルト

あらら、間違えてましたか
いつもテキトーにうってるのがバレテしまうw
90日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:57:53
成田でジャンケンに勝って、機内でペーパーしながらグァムに行きてー
91縦目仮面:2009/10/03(土) 23:58:18
>>88
>弁天様はイチキシマヒメと同一視されています。

これだと宇佐説になりませんか。

92愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 00:02:48
>>87
玉といえば、糸魚川は縄文以来の硬玉ヒスイの原産地。
八千矛神が求婚した越のヌナカハヒメは、その「ヒスイ(=ヌ)の川」の女神であった。
93うましか:2009/10/04(日) 00:04:25
>>81

> 平原1号はイ方製鏡に目がいきますが、4期キ龍文鏡もあります。岡村編年なら紀元頃。
> 二百年位の鏡の伝世ですな。

伝世では無く、踏み返しではないですか?


> ヤクルトに負けた…

嗚呼・・・・・
94:2009/10/04(日) 00:13:40
>>92
ヒスイは緑色です。
丸っきり関係ないと思われ・・・。

日本全土で出土されてる「玉」を本などで確認すると
赤色の玉といえるのは、この平原だけのはず。
他のモノはアズキ色をしていたり、すこし色が濃いですね。
見栄えも全然違う。
まあ、日本全土をまわったわけではないので私が知らないだけなのかもしれませんが。

>>93
うましかさんは平原遺跡をどのようにみてるのでしょうか。
良かったら、年代やら、誰の墓とか書き込んでくれませんか。
95愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 00:13:41
>>91
ん? マジレスですか?
神仏習合の話なので、卑彌呼とは無関係かと?
ZZZ・・・
96ローガン:2009/10/04(日) 00:22:16
>>93

> 伝世では無く、踏み返しではないですか?

あまりよく知りませんが、40枚のうち二枚が舶載、そのうちの一枚がキ龍文鏡。
平原一号の年代を下げれば下げる程、鏡の伝世期間というものを、長く考えましょう。 というスタイルですね。
97縦目仮面:2009/10/04(日) 00:30:19
>>95
いや、弁天様は冗談でしょうが、市杵嶋姫命=比売大神の一柱が本地垂迹して弁財天と
なるというのは、けっこうつながってるんだなあと思って。面白いですね。

98縦目仮面:2009/10/04(日) 00:33:34
>>96
大型内向花文は何に用いていたと思いますか。やはり太陽信仰ですか。(なんか八咫鏡に
戻ってきた。)
99日本@名無史さん:2009/10/04(日) 00:51:01
ニニギ=応神は九州説論者や東遷説論者に多いと思う

天孫降臨ニニギ神は大和に向かう
神功皇后の子、応神は日向に生まれ大和に向かう
100ローガン:2009/10/04(日) 01:07:59
>>98
なんでしょうね。ただの青銅器の大型化と捉えたらどうでしょう。
仮に大型化を太陽信仰と繋げるともっと各地に多数見られてもよいような…
平原と下池山、あと三代実録の記事くらいしかありませんね。 おっと、八咫鏡もかな?
101うましか:2009/10/04(日) 01:27:21
>>94

> 平原遺跡をどのようにみてるのでしょうか。

被葬者は考えたこともないですw
普通に伊都の王族じゃないんですかね。
年代は、つい大量の銅鏡に目が行ってしまうので、鏡の様式論ベースで年代観が異なるみたいですね。
ただ、ガラス製品などにもかなり新しい技術を用いたものがあると聞いています。
弥生終末〜古墳草創期あたりでもおかしくないのではありませんか?
102うましか:2009/10/04(日) 01:31:10
>>96

> あまりよく知りませんが、40枚のうち二枚が舶載、そのうちの一枚がキ龍文鏡。
> 平原一号の年代を下げれば下げる程、鏡の伝世期間というものを、長く考えましょう。 というスタイルですね。

まあ、「伝世」と言ってもいろいろあります。
200年物も大陸の墓荒しからが流出元と言うオチがあるかもしれません。
103縦目仮面:2009/10/04(日) 01:31:13
>>100
なるほど、ありがとうございます。まあ、仮説ともいえない話ですが、北九州にはある種の
太陽信仰があって、それが畿内にも入ってきたが、結局三輪山祭祀などの土着信仰と相
容れずに移された、というような可能性はあるのかもと思ってます。
104日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:37:50
ヤマタイ国は九州にあって、近畿地方でずっと勢力をたもっていた大王権というのは
ニギハヤヒとナガスネヒコであったとすれば、九州説と近畿説の両方に矛盾しないんじゃね?
105愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 05:51:28
>>97
因みにアマテラスは初めは観音菩薩、後で大日如来。
観音様は俗に女性と見る向きが多い。

>>99
ニニギは大和に向かっていない。
應神は日向で生まれていない。
106日本@名無史さん:2009/10/04(日) 08:11:15
>>105
はて?神功は何処で応神を生んだんでしょ?
107日本@名無史さん:2009/10/04(日) 08:23:57
>>101
原田あたりはだいぶ古い墓だとみていたようですが、何を根拠にしていたのか、
何で原田の見方が否定されるようになったのかはご存じですか?
108愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 08:50:37
>>106
九年十二月戊戌朔辛亥。生譽田天皇於筑紫。故時人號其産處曰宇瀰也。(神功紀)
天皇以皇后討新羅之年。歳次庚辰冬十二月。生於筑紫之蚊田。(應神紀)
109日本@名無史さん:2009/10/04(日) 09:03:31
筑紫島って九州のことでしょ。宇瀰とか蚊田は日向にあったのでは?
110縦目仮面:2009/10/04(日) 09:14:18
神功皇后が応神天皇を産んだ地なので宇美という地名になった話は有名ですね。あと、 
志免でお紙目を代えたとか、神功皇后に由来する地名は各地に多いです。ただ、これは
後代に地名を二字の良字に変えたことと関係あるのかもしれません。
111愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 11:06:11
>>109
だから何? 似ている要素だけ取り出しても駄目です。
ニニギは大和に向かっていない。
112日本@名無史さん:2009/10/04(日) 12:36:36
>>111
では奈良に居たってことで良いんですねw
113縦目仮面:2009/10/04(日) 12:48:23
他スレ見てたんだけど、もん太君はすごいなあ。
114愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 12:52:40
>>112
誰が?
115愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 12:57:03
>>113
美濃もん太氏専用のスレが出来てたとは・・・
116日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:10:40
>>114
読めよ(笑)
117日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:22:52
ミノムシの勘違いファンタジーワールドはいつも笑える
118日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:28:08
もん太、わざわざスレまで立ててもらって、隔離されたのかw
至れり尽くせりだな(笑)
119縦目仮面:2009/10/04(日) 14:09:22
まあ、人のこというのもなんだけど、もん太君の知識量はすごい。ただ、恐竜ー人類同時生存説とか
間違いなくムーの読者だね。あとは美濃に対する郷土愛。まあ、本人のいうように携帯から書いてるん 
なら、レスの速さは文句なく凄い。
120日本@名無史さん:2009/10/04(日) 14:34:56
もんた曰く
「平安時代の平は 平氏の平なんだよ」→平氏が隆盛する前から平安京だったというのに
「飛鳥は美濃にあったんだよ」→近つ飛鳥は難波京、遠つ飛鳥は飛鳥京
121縦目仮面:2009/10/04(日) 15:01:24
彼にとっては時間も空間もどちらも並列的で、因果律はあまり考慮されてない。物事の順序や正確な
座標は重大事項ではないらしい。
122愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/04(日) 15:13:35
>>99
>>112
>>116
この人は何が言いたいのか、頭の悪い私にはよく分からない。
ニニギ=応神でなければ畿内説、と言いたいようですが?
自説を認めてもらいたければ説明宜しく。
GRRR・・・
123日本@名無史さん:2009/10/04(日) 15:23:31
>>122
お前なんぞに認められる必要はない











ってのが、河童。
無視して持論を展開するのがミノムシ
124日本@名無史さん:2009/10/04(日) 16:17:13
河童は単なる暇つぶし、
もん太は引きこもりのSOS、
太国は独居老人のストレス解消、
ドツボは真正の○○のような気がす。
125日本@名無史さん:2009/10/04(日) 16:20:49
もん太、隔離先でもボコられてる(笑)
126日本@名無史さん:2009/10/04(日) 17:27:01
>>124

じゃあ他のコテや名無しは?
127日本@名無史さん:2009/10/04(日) 18:21:35
分析お任せします
128唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/04(日) 19:31:15
>>121
>彼にとっては時間も空間もどちらも並列的で、因果律はあまり考慮されてない。

貴方の場合は?
129縦目仮面:2009/10/04(日) 20:28:00
>>128
俺の立場は、倭人伝・・・労作だと思うが、どんだけ「素直に」読んだとしても、必ず違う読みをする人が
いて、お互い相手を納得させる根拠を出すのは極めて困難・・・なので、倭人伝の読みの議論にはあま
り参加しない。別に非難してるわけではないのでやりたい人はどんどんやってください。

記紀・・・作為や誤謬、混乱は当然あるだろうが、歴史の真実も多数含まれている。ただし、錆ついた銅鏡
のように、はっきりは見えないので、磨いてみることが必要。俺的には、少なくとも漢籍よりは読んでいて
面白い。

考古学・・・遺跡・遺物は嘘をいわないが、恣意的に解釈される場合も多いので厳に慎みたい。ただし邪馬
台国問題は考古学的にではなく、文献史学的に解決されるべきだとは思います。

その他、系図とか・・・ほとんどわからないので少し勉強中。人類学・民俗学等・・・俺は卑弥呼の鬼道など
日本史の宗教的・呪術的側面に興味があるので、勉強したいのだが稽古やバイトもあってなかなか専
外の本が読めない。ホツマとか・・・読みました。詩的で美しい文章ですが、これをもとに歴史を組み立て
ていくのは危険でしょうってことで、君子危うきに近寄らず。俺が君子ということはないですけどね。
長レス スマソ。
130唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/04(日) 20:54:14
畿内説なら 少しは記紀と整合性を取らないと話にならないが…

私は考古学と記紀は整合性がとれると思っています。
131縦目仮面:2009/10/04(日) 21:11:43
そうですね、四道将軍その他、なるほどなあと思わせる事例は多々ありますね。
132日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:23:52
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
133唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/04(日) 21:48:44
崇神12年異族多帰は四道将軍の結果であり
巻向に急に各地の土器が集まるが、考古学

これを同じ物とするか?別に考えるか?
楽しみにしています。
134日本@名無史さん:2009/10/04(日) 22:18:39
最近河童さんの書き込みが少ないのが気になる
135日本@名無史さん:2009/10/04(日) 22:26:18
>>134
全然気にならない。
河童の書き込みが見たけりゃ、ヤフー掲示板に行けばいい。
136日本@名無史さん:2009/10/04(日) 22:32:16
もん太専用スレが立ってる(笑)
やはりレイプされとるな(笑)
長文で抵抗はしてるが…ボロボロ。はてさて(笑)
137日本@名無史さん:2009/10/04(日) 22:54:38
>>135
そうかあ、最近おもろないし見てくるわ
138縦目仮面:2009/10/04(日) 23:09:24
俺的には、同じ畿内説として www が姿を見せないのが気になるね。逝去してなければよいが。wwww
139日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:09:39
>>136
おいおい、もん太の奴、
神道は明治に作られた信仰だとかまで言い始めたぞww

止まんねーなw名無しもよく付き合ってるなw
140日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:17:47
邪馬台国なんたらかんたらってスレタイに書いてあったけど、ここで俺に
倭人伝というやつの読み方教えてくれないか?
だめなら他を当たってみるけど、どうなん?
141日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:20:43
>>140
教える・・・・どうやって?
142日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:30:46
>>141
漢字ばかりで意味不明だし、たとえば倭人って何?とか
最初からわからないものばかりで
143日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:34:53
まずは漢字源の辞典がないと話にならん。
話はそれから。

144日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:37:56
>>143話しにならないんならレスするなって。
俺は話しの出来る人を探しているんだから
145日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:42:06
146日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:44:04
>>144

ここに貴方と話の出来るひとは居ないと思います。
確か、次の↓スレの主さんが親切かつ閑人なので紹介します。

    魏志倭人伝等を読む『New2』
    http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1249819708/

貴方が真面目な態度で臨めば、きっと親切に対応してくることでしょう。
147日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:50:26
>>146
なんで、初心者によりによって河童虫を紹介するんだ?
トンデモ電波の道に引き入れるとか、悪意があるとしか思えんが。
148日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:57:28
>>147

拙いか?
149日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:58:21
>>146

ありがとね
150日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:04:48
国家観とか日本の歴史を逆転させられるこんなスレも
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254389691/

多少の悪意ありw
151日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:12:33
倭人って何?
誰か教えてやれよ
152日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:15:54
誰かプラムを至急呼び出ししろよ!
お客さんですよ〜〜〜〜って。
153日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:16:57
>>151
人に振らずに自分で教えてやれよ
154改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/05(月) 00:25:21
う〜ん、さすがに河童くんを紹介するのはあまりに>>142さんが可哀想。
古代史を知らない彼に聞いても意味ないので、>>142さん〜ここで良ければ質問して言って下さいよ。

わたしも知らないことばかりですが、少しぐらいなら答えれるかも知れません。
又、他の人もいますし。

155日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:29:54
>>154
自分の宣伝はどうでもいいから早く答えてやれよ。
156改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/05(月) 00:36:04
ああ、倭人ですね。
では、まずは私から〜(ロムしてるかたもお願いします)

倭人というのは、ワジンと読み、倭に住む人々を指します。
なぜ、倭人といわれるのかは、
列島に住む人が自ら(自分のことを)を「ワレ」とか「ワ」と言ったので
ワ人→倭人となったという説があります。


157改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/05(月) 00:41:44
又、辞書なんかを開くと「やまとの意」とかありますよね。
やまとというのは、我々、日本人の祖先を指した言葉でしょう。
大和朝廷とか有名ですけど、ここの場合は、そうゆう指導者的な人を
指して言ってるのではなく、この列島に住む昔の人々と思って結構です。

倭人=日本人の祖先 でいいと思いますけど、参考になったでしょうか。
又、違うよという人が居れば、理由とどう違うのか書き込んでほしいですね。
158日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:50:12
>>157
倭人伝は四世紀の作品だよな。四世紀に日本人の先祖なんて意識あったのか?
倭人伝が現代の作品ならその考えも有りかも知れんけど。
159日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:53:13
>>157
あまり参考になりそうもないけど


答えてくれてありがとな
160:2009/10/05(月) 00:56:04
>>158
>142の「倭人って何?」 の質問に対しては、
倭人=日本人の祖先 という言葉が分かり易く尚且つ、ふさわしく思えます。

>>159
いえ、いえ、未熟者の答え方で申し訳ないですm(__)m
161:2009/10/05(月) 01:10:47
ちなみに魏志倭人伝というのは、三國志 卷三十 魏書 東夷傳 の一部分を指し、
倭人というのは、初っ端から出てきますよね。

<魏志倭人伝>
倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑

これを今、訳してみましょうか。

倭人は帶方の東南大海之中に在りて山島依りて(寄りあって)国・村を為す。

倭人・・・日本人の祖先
在・・・在り
帶方・・・現在の朝鮮辺りにあった魏の拠点
東南大海・・・半島より東南高校にある大きな海
之中・・・の中に
依・・・寄り添って
山島・・・山・島
為・・・なす、する
國邑・・・国・村
162日本@名無史さん:2009/10/05(月) 21:29:36
age
163日本@名無史さん:2009/10/05(月) 22:40:16
笑いがとまらんw

なにが〜歩=尺だwww
164日本@名無史さん:2009/10/05(月) 22:50:22
完璧論破してると思うんですけど・・・審判どう思う?

165日本@名無史さん:2009/10/06(火) 07:31:58
>>161
×依・・・寄り添って
○依・・・依拠する
166日本@名無史さん:2009/10/06(火) 10:38:32
>>165

「依」を 依拠とするのは間違いです。
依拠は内面的な意味に使用するので、倭を外側からの視点で見た地勢に使用するものではありません。
167日本@名無史さん:2009/10/06(火) 15:08:42
>>166
かってな思い込みだな。
168日本@名無史さん:2009/10/06(火) 15:27:47
169日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:33:29
ドン来いの中学生くんか・・・・ダメポとか言うやつw

邪馬台国ばかり、してないで宿題は終わったのか?w

170日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:23:29
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
171日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:37:29
こっちもネタ出し宜しく!
172日本@名無史さん:2009/10/07(水) 00:13:04
台風が近づいていると言うのに、のんびり邪馬台国だなんて
お前ら頭狂っているんじゃね?正気じゃねえよww
173日本@名無史さん:2009/10/07(水) 00:20:01
陵:君、王、皇帝の墓
墓:死体を埋める施設
墳:土で盛った墓に限定
冢:土で盛ったモノ(埋葬施設を持たない盛土又は墓)

こんなかんじかな?
174日本@名無史さん:2009/10/07(水) 07:40:01
>>173

墳と墳墓の違いはなに?
墳と丘墳の違いはなに?
175日本@名無史さん:2009/10/07(水) 07:44:19
>>172
奈良は台風はあまり影響しませんよ。
山に囲まれてるから、
大阪が暴風雨でも奈良は小雨っていうのが多い。
最後に直撃喰らったのは14年か15年前。

昔の人が山の神を信仰するのも当然か。
176日本@名無史さん:2009/10/07(水) 09:32:06
>>175
言ってる意味がわかりません。
奈良が余り台風の影響をうけない事をどのように知るのです?
ましてや他の地域で、正に今台風が通過している事をどのように情報収集するのか?
台風が、山によって避けた事を知る手段は?
177九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/10/07(水) 12:06:06
>>176
台風の巨大な直撃を受けたのは第二室戸台風が最後。
直撃されるのは台風の目が紀伊水道と大阪湾を通過するときだけ。
今回の台風目が室戸岬を通るコースを取れば危険。
でも通過時の中心気圧が950ヘクトパスカル以上ならたいしたことはない。

奈良に住めば>>175の言っていることが実感できる。
だけど、通り雨の小雨は大阪に比べてよく降る。

当方は奈良出身、今でも奈良には所用でよく行く。
178日本@名無史さん:2009/10/07(水) 12:13:29
>>177
それは現代のはなしで、古代はどうなんだ?と言う話し。
179九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/10/07(水) 12:32:34
>>178
古代でも気象条件は現代と同じである。
河内に比べて大和には暴風雨が稀であることは古代人でもわかる。
河内と大和は同一文化経済圏で人の交流が多かった。
明治に最初に県を設置したときも、大和、河内、和泉は堺県であった。
180日本@名無史さん:2009/10/07(水) 12:51:04
>>174
墳と墳墓の違いはなに?
墳と丘墳の違いはなに?

墳墓は墳と墓
丘墳は丘と墳
181日本@名無史さん:2009/10/07(水) 13:07:07
>>175
奈良は山に囲まれた盆地であるから、風の害は少なかったと考えられる。しかし、大和川の整備が進んで
いなかった弥生時代には地震などによる亀の瀬辺りの地滑りで排水路が塞がり盆地は水浸しという状態が
たびたび起ったと推定される。唐古・鍵遺跡の環濠の埋没はそのような水害によるものであろう。
182日本@名無史さん:2009/10/07(水) 13:28:21
>>179
現代と同じだとかの問題じゃなく、古代に
まわりの環境と比較出来る知識があったのかと言う話し。
183日本@名無史さん:2009/10/07(水) 13:29:44
>>180
昼休みの小学生乙です。
184九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/10/07(水) 13:45:57
>>182
>>179の説明をもっとよく読め。
大和と河内は同一生活圏だから古代でも比較できると書いたんだ。
大和と河内の人は、隣村同士の人が嵐の被害を聞き比べるようなものだ。

洪水で水に浸かるのも河内湖と奈良湖跡で同じだ。
185日本@名無史さん:2009/10/07(水) 13:51:46
>>178
昔なら尚更
今より、山の木は覆い繁ってただろうし、
温暖化が進んでないだろうから、
台風自体、今よりあまり発生してないだろう
186日本@名無史さん:2009/10/07(水) 14:09:12
>>184

交易が多い少ないなんて関係ない。
行き来しても、その原因や要因がわからないのだし、それほどグローバルな視野は持ち合わせていない。

そこに住んでる者は、他地域よりも荒らしが多くても、それが当たり前の生活だから、少ない地域があることすら知らないし、他地域の者との話題にもならない。
187日本@名無史さん:2009/10/07(水) 14:19:12
第一古代の民が、他の地域と比べなければならない目的はなんなの?
毎日環境のいい地域を妬み、自分よりも悪い地域を蔑みながら生活しているわけじゃなかろう。
目の前にある環境と向かい合って生活していく事が精一杯の古代人だ。

台風がそれるだって?
何処で台風であった事を知るんだ? 紀伊山地が台風をそらす事をどうやってしるんだ?

古代の民は各地と協力して、気象データーでもとっていたのか?
188九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/10/07(水) 14:20:36
>>186
大和と河内は他地域ではない。
大和と河内は同一地域だ。
大和と河内は他地域とと思うのは、あなたの思い込み。
それはあなたの大間違い。
189日本@名無史さん:2009/10/07(水) 14:25:43
>>188
大和から河内には、移動せずに行けるのですか?
初めて聞きました。
190九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/10/07(水) 14:28:39
>>189
隣の家に行くのも移動だろう。
大和と河内は隣家のようなものだ。
191日本@名無史さん:2009/10/07(水) 14:38:50
>>190
では、大和は河内に比べて嵐が少ないと言う事は
言えませんね

同地域なら、河内の出来事は大和の出来事、大和の出来事は河内の出来事ですから
192九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/10/07(水) 14:48:01
>>191
あなたは脳に障害があるようですね。
193日本@名無史さん:2009/10/07(水) 15:10:01
>>192
自分の都合に合わせていないだけです。
学問板と言う所は、どうやら相手の身体的な機能障害を指摘し蔑む所のようですね?医者でもない貴方が、医師のように公の場にて障害の可能性を指摘する

これは許される行動なのでしょうか?出来れば医師の資格証をうpしてもらえませんか。
公の場所で脳外科まがいの行為が行われている事は、大問題だと思いますので。
194日本@名無史さん:2009/10/07(水) 15:32:26
>あなたは脳に障害があるようですね。

正に医師の判断のようだ。
195日本@名無史さん:2009/10/07(水) 16:50:19
>>186
横からだが、君は3世紀の倭人の生活を見てきたの?
原因や要因がわからないとか、少ない地域があることすら知らないとか、
他地域の者との話題にもならないって、どうやって知ったの?

なんらかの根拠がなければ、思い込み、決め付けということになるけれど。
196日本@名無史さん:2009/10/07(水) 17:10:20
>>195
私はどうやら
脳に障害があるようだから、そんな奴の戯言に横を入れてもしかたなかろう。

197日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:20:02
それは正論であるな。
198二 ◆.L.MXSPOgc :2009/10/07(水) 18:32:58
しかし、今年の18号は奈良も直撃しそうであるので、お気をつけください♪
199日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:47:27
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
200日本@名無史さん:2009/10/07(水) 19:16:55
奈良県は台風が少ないというのは常識だろ

しかし、今回は直撃らしいな ざまーみろw
201日本@名無史さん:2009/10/07(水) 20:11:13
こんばんは、奈良県民です。
さて、奈良の台風の影響についてですが、
毎年のように一応、台風は真上を通るようですが、普通の雨だけだったり、どんよりした曇りだったりで
学校に行ってた頃は警報がすぐ解除になったりしてがっかりしたものです。

ニュースでよく見る
車がひっくり返るような凄い風が吹いたり、
浸水した道路とか、奈良では見たことがありませんね。
202縦目仮面:2009/10/07(水) 21:02:56
古代と台風というのも難しいお題だね。弥生時代の台風に関する気象学的な本というのは見たことがない。
考古学的には、洪水で埋まったムラの例はけっこうあり、有名どころでは安倍川の氾濫で埋まった静岡県
の登呂遺跡などもそうだったと思うが、台風のせいかはわからない。

昔は野分と表現していたのかな。これなら確か枕草子などにも出てくるね。
203日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:47:30
菅原道真の祟りだと言われた、
大極殿の落雷も台風とか夕立だったんかな?

お、奈良県防風警報。
ほぼ無風なんだがな…ちょっと雨降ってる
204縦目仮面:2009/10/07(水) 22:52:00
えーと、日本では風の神は志那都比古(シナツヒコ)神で、イザナギ・イザナミの神産みのさい生まれた
とされる。以前、伊勢の太陽信仰の話題になった際に調べた。(シナ)とは(息が長い)という意味らしい。
ずっとマイナーな立場だったようだが、弘安の役の際、神風を吹かせたとして伊勢神宮では別宮に格上
げになった。
205ゴジンム:2009/10/07(水) 22:56:04
神州ハ不滅ナリ
206日本@名無史さん:2009/10/07(水) 22:56:53
そうすると学級閉鎖もなかったわけだな
207日本@名無史さん:2009/10/07(水) 23:04:04
奈良は暴風域に入ってるの?
当方、奈良だけどそんな激しくないんだけど…
208縦目仮面:2009/10/07(水) 23:09:55
志那都比古神は後代、風邪を治す神としても信仰されているね。あとは・・・弥生時代の古代の稲は1
50cmくらいの高さだったとする説もあって、これだと台風などの際倒れやすいので、品種改良で現在
の高さになったともいわれる。
209唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/07(水) 23:30:31
▼御所・玉手

 御所市玉手の京奈和自動車道予定地で、県内最古級となる弥生時代前期(約2500年前)から後期(約1900年前)
までの水田跡が見つかった。同市教委が1日、発表した。水田跡はあぜで細かく区切られ、同中期(約2200年前)
になると区画が大きくなるなど、約700〜800年間の弥生時代を通しての水田の変遷を示す貴重な遺跡とわかった。
210唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/07(水) 23:37:57
>弥生時代の古代の稲は150cmくらいの高さだったとする説もあって

この稲の長所は、丈の長いことであり、大和湖の湖畔に植えても水没しない。
大雨は大和湖の水位を上げても稲は水没せず、かえって豊作になることもあった。
211縦目仮面:2009/10/07(水) 23:47:37
>>209
まあ、その水田跡を見ても、整地と引水に苦労してるようで、最古の層は一辺が2mもない小区画水田。
その後、引水の利便性が良い多角形になり、さらに1枚ずつが大きく整った区画へと変遷するようです。
まあ、中国漢代あたりでも、掛け流し式の梯田が多いですね。てか、中国では今でもあります。

http://www.chikyu.ac.jp/sato-project/news_letter/news_letter_24.pdf この下の方の写真参照。
212縦目仮面:2009/10/08(木) 00:08:55
>>210
御所市玉手といえば孝安天皇の御陵がありますが、この天皇も事績がほとんどなく、俺には系図の
つなぎ役にしか思えません。治世が異様に長いことと、長子相続でないこと・・・なにか他に面白い話
がありますかね。
213唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 00:18:31
>最古の層は一辺が2mもない小区画水田。
この水田は、水の少ない北方系の区画です。

http://iseki.blog5.fc2.com/blog-entry-1512.html
自動車道建設に伴い約6800平方メートルを発掘。水田跡は洪水で運ばれた砂で4層にわたりパックされた
状態で見つかり、弥生前、中、後期の各時期の水田 が確認できた。前期は長辺約3・5〜5・5メートル、
短辺約1・5メートルの長方形で、農作業の人の足跡も検出した。中期は長辺が3〜10メートルと区画 が
やや大きくなる。後期は長辺が4〜8メートルで面積は同程度だが、水路に沿って規則正しく造られ、
水路には護岸のためのくいも打たれていた。こうした変 化は稲作の本格化によるものとみられる。
214唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 00:27:33
書き込めない?

http://iseki.blog5.fc2.com/blog-entry-1512.html
自動車道建設に伴い約6800平方メートルを発掘。水田跡は洪水で運ばれた砂で4層にわたり
パックされた状態で見つかり、弥生前、中、後期の各時期の水田 が確認できた。
前期は長辺約3・5〜5・5メートル、短辺約1・5メートルの長方形で、
農作業の人の足跡も検出した。中期は長辺が3〜10メートルと区画 がやや大きくなる。
後期は長辺が4〜8メートルで面積は同程度だが、水路に沿って規則正しく造られ、
水路には護岸のためのくいも打たれていた。こうした変 化は稲作の本格化によるものとみられる。
215縦目仮面:2009/10/08(木) 00:28:22
>前期は長辺約3・5〜5・5メートル、短辺約1・5メートルの長方形で

これは傾斜地の等高線にそって作られたもので、整地が難しかったからでしょう。最古層はさらに畦で
区切られてるようです。
216日本@名無史さん:2009/10/08(木) 00:43:35
玉手(笑)
懐かしい。御所工業高校があるとこやな。
あそこも葛城領なんだよね。
「考」の付く大王って葛城領内に御陵があるよね。
葛城氏の大王なんだろうか?
217日本@名無史さん:2009/10/08(木) 00:55:03
台風18号

皇居の真上を通過すればいいのに(笑)
218日本@名無史さん:2009/10/08(木) 02:15:31
てすと
219日本@名無史さん:2009/10/08(木) 06:47:47
ほらね、ご覧のように台風は
奈良を避けて行きましたとさ。
220日本@名無史さん:2009/10/08(木) 09:26:34
つーか、古代大和の人は、台風が大和を避けた事をどのように知るんだ?
つー前に、台風が避けたなら、台風が近くを通り過ぎたことすら気付かないのでは?
つー事は、台風自体を知らない。
221日本@名無史さん:2009/10/08(木) 09:46:59
昨年、本年と九州は台風来てないなあ。

かなりみんな慣れてるから、対策と行っても
仕事出るときに、風で飛びそうなものを玄関に入れておくだけだが。
222日本@名無史さん:2009/10/08(木) 10:08:42
>>219
9807で直撃したはずだが。
223日本@名無史さん:2009/10/08(木) 13:20:38
今回の台風は 綺麗に避けたな(笑)
紀伊山地ありがとう
224日本@名無史さん:2009/10/08(木) 13:38:12
>>220
目と口と足があれば、知ることは可能。

例えば、
河内で被害→家失う→違う土地に移動
→大和は被害が少ないと知る→皆に報告

とかね。
225日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:14:35
>>224

>大和は被害が少ない。

河内は被害が多い
と言う事は、河内で家を失っても何度かその地にて建て直した事の裏付け
すると>>224での
家を失う→大和に移動は矛盾するし、
大和に移動しても河内よりも安全が確保されるか不明のままの移動こそ考えられない行動。

よって、全て河内よりも大和が安全とする前提がありきの話しの流れ。
226日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:21:04
>>225
河内にも大和にも住民がいて、彼らが交流を持ってたとは考えないのかね。
227日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:28:06
>>226

事象に対するデータの比較と交流は別物です。
大和と河内の自然災害に対する比較は、全体像で見なければならない客観性を伴うものです。
228日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:36:37
河内が大和に比べて自然災害が少なく、河内で災害に見舞われ
家を失い大和に転居し、大和で自然災害の少ない穏やかな生活が営めるのなら
災害の度に
河内から人が移動し、結果人の住まない地域になりますね?
229日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:07:15
>>227 
主題からずれた話が続いているので、言葉遊びに加わえてもらおうかな。
「事象に対するデータの比較」とは何を意味するか?
対する=向かい合う、対立する、反対する。 事象の対極にあるデータの比較?
「大和と河内の自然災害に対する比較」は「(大和と河内)が(自然災害に対して)(比較する)」という
意味(大和と河内が主語)なのか、(大和の自然災害と河内の自然災害)(の)(比較)なのか判然としな
い。
「全体像で見なければならない客観性を伴うものです」も難解な文章である。
(全体像で見なければならない)は(客観性)の修飾語ともとれるが、「全体像で見なければならない客観
性」とはどういうものか見えてこない。「全体像をみる必要があり、かつ客観的でなければならない」と言
っているのだろうか。
230日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:12:56
>>229
主題からズレたって?
最初から主題なんて存在したか?
231日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:17:35
たしか謎の女王卑弥呼は誰か?が主題だったような・・・
232日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:23:53
>>231

うっそ〜
初めて知った。

あったんだあ〜
233日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:47:21

卑弥呼=モモソヒメ

よって卑弥呼の墓は箸墓古墳
邪馬台国は畿内

これにてスレ終了
みなさん乙枯れ
234日本@名無史さん:2009/10/08(木) 16:11:36
一般的にはそれで決着ついてるよね。
自称研究家が認めないだけで。
235日本@名無史さん:2009/10/08(木) 16:14:24
>>233からの要望により、このスレの削除依頼を出してきます。
236太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 16:25:40
記紀に(伝から借り物でない)独立して卑弥呼の記事が無いという
ことは、また当時の崇神前後に卑弥呼という女天皇が皇統譜にないと
いうことは〜大相撲の番付に載ってなければ大相撲の協会の力士に
籍がないということと同然で、番付にそういう力士名がなければ
両国等でやる本来の相撲取りの力士ではないことを意味する。記紀の
当時の皇統譜に女王(女天皇)が無いということは大相撲の番付での
女横綱が存在しないことを意味しており、そういう女横綱がいて
大相撲の協会のの番付にその名が無いということは、別の女相撲の
団体の横綱だということなのだ。

だから卑弥呼は畿内の女天皇(女王)ではなく、日本の別の地域の
女王だったというのが合理的考察なのである。ということは卑弥呼
は畿内でない九州の女王だったと観るのが賢察なのだ。
237日本@名無史さん:2009/10/08(木) 17:18:35
>>233 >>234
おまえらコドモか?又は馬鹿か?あるいはボケ老人か?それとも知恵遅れか?
238日本@名無史さん:2009/10/08(木) 17:56:02
>>233 お待たせいたしました。
只今スレッドの削除依頼を提出してきました。

http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1125573948/


327 :"削除"依頼人:09/10/08 17:51 HOST:softbank221052122136.bbtec.net<8080><3128><8000><1080>
削除対象アドレス:
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254400875/201-300

削除理由・詳細・その他:
既にスレッドとして問題も片付き、存続させる意義も無くなったので
住人からも終了の意見も出された。
サーバーの負担軽減を考えると、一つでも無駄なスレッドの早期削除を
お願いしいたします。
なお、関連した議題のスレッドは、他にもありますので
ここがどうしても必要であるとする理由はありません。
239日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:10:35
そんなこと言ったら2ちゃんねるがなりたたないだろ。
240神奈川県民:2009/10/08(木) 18:15:54
>>238
却下

softbankの河童虫くん 
一度、精神科にでも観てもらったほうがいいんじゃないの?

241日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:25:36
>>239

>>233が終了宣言したからです。終了宣言しなければ、削除依頼を出す事はなかったでしょう。

後の判断は削除人に委ねるだけです。
242神奈川県民:2009/10/08(木) 18:36:09
>>241

余所へ行って下さい m(__)m

243日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:53:45
>>237
ファビョるなおっさんw
事実なんだから仕方ないでしょ。
244愛知県民:2009/10/08(木) 19:48:33
歴史教科書は両論併記と思ったが?
学生諸君、今の教科書は違うの?
245唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 20:16:21
>>233
モモソ媛の箸墓は築造に何年ぐらい要しましたか?
246日本@名無史さん:2009/10/08(木) 20:33:52
>>227
河内東部から奈良西山間部は
葛城氏の領地です。
自分の領地の被害を把握してないとでも?
247日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:42:06
>>246

いつの時代の話をしているの?
248日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:47:44
>>247
卑弥呼・祟神の時代ですが、何か?
なんだったらそれ以前でも良いですよ。

スレに沿っての話してるのに何をほざいてるの?
249唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 22:53:57
卑弥呼は崇神時代では無い。
これが問題なんだ。
250日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:56:17
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
251日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:01:58
>>246
>河内東部から奈良西山間部は
葛城氏の領地です

証明してください。
252太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 23:15:14
卑弥呼は崇神年代だ。景行は無関係。唐松山の言い分は殆どが
デタラメである。日食が数日間続くんだそうで、その不合理を〜
こちらが不合理なようないい草で「日本書紀の年代を考える」のスレ
ではぐらかしをし、そのの抗弁に余念がない。ww
253太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 23:20:33
>>252
同スレ等で幾回も解説してきたが卑弥呼の活躍は崇神の年代であり

 崇神即位元年=237年=景初元年

である。このことと倍暦計算で崇神没年が259年を得ており、これは
菅政友と橋本増吉の同没年258年説がほぼ真であることを物語って
いるの。
254縦目仮面:2009/10/08(木) 23:29:21
「日本書紀の年代を考える」は見てますけど、すごいバトルですよね。しかし俺には理解できない記述が
多々あります。特に、「天津神算木(天津金木)」というのは、延喜式祝詞にあるやつですよね。檜で作られ
た四分角ニ寸の角柱とかいう。あれをどう使うんですか?
255太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 23:33:16
それは確か水谷清著の「三種の神器」に解説があったな。これと
翁のは、真物へのイザナイ物。
256縦目仮面:2009/10/08(木) 23:56:29
古神道の秘儀ですか・・・「大石凝霊学全集」とか、時間があれば図書館で読んでみます。

少し倭人伝でもやりますか。風俗記事の、 >男子は大小と無く、皆黥面文身す。
黥面は顔のイレズミ、文身は体のイレズミでいいのかな。

>文身は亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、あるいは左にし
  あるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。

このイレズミの風習は改めさんのいうように南方系を思わせますね。ポリネシアでは、3000年ほど前
の入れ墨用の道具類が出土してます。ただ、ポリネシアあたりだと女性のイレズミも多い。日本ではかな
り古い縄文土器にもイレズミらしき文様が見られます。

もとは鮫などの害を避けるためにしていたイレズミが、やがて飾りとなり、地域やその人物の尊卑によっ
て異なっている・・・上レスで少し書きましたが、身分によって別種のイレズミをしていたとしたら、倭人の
身分制というのは、かなり早い段階から固定されてきているといえそうです。

257日本@名無史さん:2009/10/09(金) 00:15:46
お前ら!河童虫が此処に来たら追い出しコールしろよ。
絶対中に入れるな
あいつは人間の屑だゴミだばい菌だ。
258縦目仮面:2009/10/09(金) 00:19:20
ただポリネシアというのは比較対象で、倭人のイレズミは、魏略をみても太白や夏后小康の子という
中国起源のイレズミ譚と関連付けて語られている。

ところで、記紀ではあまりイレズミの記述は出てこないんですが、神武東征の記述に、配下である大
久米命は「黥利目(さけるとめ)」(おそらく目尻のイレズミ)をしていて、神武帝の皇后となる女性が驚い
たというような記述があり、久米氏の戦闘歌である「久米舞」が現在でも古代舞踊として残っているが、
このあたりを考えると、イレズミに関しては九州説に有利なのかなという気もするね。

259日本@名無史さん:2009/10/09(金) 00:24:56
>>257
スレ違い

260縦目仮面:2009/10/09(金) 00:33:38
>王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、
  辞を伝え居処に出入す。

一般人が見ることができない王というのは世界的に類例が見られるが、このあたりは、森浩一氏が面
白いことを書いている。ラグビーのウオー・クライで有名なマオリ族の王には、自分で飲食をせず両手を
後ろに回して、かしずく女性に食事を食べさせてもらうという風習(王が食物に触れると神聖さを失う)と
を紹介していて、「飲食を給し」の部分がそれにあたるというもの。まあ、この当否はわからないが、卑弥
呼が、弥生時代によく見られる大量の貝の腕輪などをしていたとしたら、自分で日常の用はできなかった
可能性はあるかもしれない。

261縦目仮面:2009/10/09(金) 00:48:11
>年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む。

この「男弟」というのを、260の  >ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。
の「男子一人」と同一視するむきもあるようだが、俺にはそうは思えない。「男弟」には戦闘のほか、お
そらく治水や集団農耕の指揮、新田開発等の仕事があり、そうそう卑弥呼にひっついてもいられない
と思うからだ。これは、祭祀を担当する巫女王と実務面を担当する男性との「ヒメ・ヒコ体制」といえる
のかもしれない。そして、俺には三角縁神獣鏡等に見られる東王父と西王母の画像がどうしても連想
されてしまう。
262縦目仮面:2009/10/09(金) 01:01:47
>婢千人を以て自ら侍せしむ。

侍女千人というのはかなりの数で、まあ江戸時代の大奥の女性が最大三千人という話もあるけど、この
人数が一つ所で生活するとすれば、かなりの規模の神殿が必要とされるだろう。このあたりも倭人伝には
誇張があるのかなあと考えてる部分なんだけど、どうですかね?
263日本@名無史さん:2009/10/09(金) 02:49:45
>>262 縦目
>侍女千人というのはかなりの数で

まあ普通に考えて誇張なんじゃないのかな?

数もさる事ながらその役目が気になるところ。

単なる農耕作業にも従事する下戸のような人間なのか?
それとも宗教儀式だけに従事していた人間なのか?

畿内説なら後者で各地から纏向にやってきた
有力者の血縁女性と言う見方も出来るだろう。

まさに
『 ヤマトだ!三輪だ!女だらけの纏向だっ!!』
だなwwwwwwwwwww
264日本@名無史さん:2009/10/09(金) 07:44:21
>>262
何も、千人が同じとこに住む必要ない。
必要な人材だけ宮殿に住めば
壁や濠で囲った中の住民であれば、家から通えばいい。
または別の下宿施設があれば問題ない
265日本@名無史さん:2009/10/09(金) 12:41:58
六尺一歩は公式だ。とすると
帯方郡から3000q先の對海国って何処だ?
末廬国はその800q先だ。
266ローガン:2009/10/09(金) 16:33:23
>>265
如淳注 在帯方東南萬里、 後漢書 於〇〇倭韓萬里朝献
萬里って遠いくらいの意味ですよ。 魏志では二千餘里を付加しているんだから、こちらが新しい知見によりえられたものでしょう。
金印の奴國から、800km程、離れて一月位歩ける所に女王都があったんでしょう。
267日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:55:16
>>266
だから九州内。
九州は島だから、一月歩こうが一年歩こうが、島の中からはでられない。
SF忍者なら、海の上でも歩くのでしょうが
268日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:59:21
>>266
遠いに二千余里付加しても、やはり遠い。
都合で萬里を遠いとしないでください。
269日本@名無史さん:2009/10/09(金) 17:08:33
萬里が遠いの意味ならば、何処が遠いのかを示す名詞が
萬里の後にくるのではありませんか?>>266
270日本@名無史さん:2009/10/09(金) 19:29:09
未だに九州説を言ってる人っているんだね(笑)
271日本@名無史さん:2009/10/09(金) 20:47:03
>>270
おまえさんは時代の進歩について行けない哀れな人だね。畿内説は最後のあがきをしている段階なんよ。
272日本@名無史さん:2009/10/09(金) 21:46:06
>>271
釣り針デカすぎワロタwww
273日本@名無史さん:2009/10/09(金) 21:59:10
>>272
考古学者の「倭人伝はともかく」ってのはみるけど、文献史学者の畿内説の本て
最近みたことないなあ。もう、駄目だって諦めてんだろ。
274日本@名無史さん:2009/10/09(金) 21:59:34
>>260
>婢千人を以て自ら侍せしむ。

あまり深く考察したわけではないが、この婢というのは、恐らく
記紀万葉などに出てくる采女(うねめ)と関係があるような気がする。

■采女  (提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%87%E5%A5%B3

■古代の三重から多くの「采女」  (三重県庁サイト「県史あれこれ」)
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=49

なぜそう思うかというと、律令官制では主水司や内膳司に采女が配されているから。

采女は、隋・唐を真似た律令制度で初めて取り入れたものなんかでは決してあるまい。
律令以前からあったわが国古来の天皇家(大王家)〜地方豪族間の風習が元になっており、
それを令制の中で制度化けしていったものと思われる。

とりわけ主水司(もいとりのつかさ、もんどのつかさ)の職務は浄水の管理ということで
近年の考古学の成果である「水のまつり」(聖泉・井戸、湧水、導水施設、導水埴輪など)との関連が気になる。
「はそう」を捧げ持つ巫女埴輪の存在もまた然り。

■郷ヶ平古墳出土人物埴輪  (文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=135601
275日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:15:41
>>273
確かに妄想で書ける
小説家は九州説論者だね(笑)
276日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:21:10
>>273
当てにならない物だと判断したからね。
今は、巻向が発掘調査解禁になって
何かが発見されるたびに
畿内説が有利になってるんだよ。

九州に何かある?
277日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:28:12
>>273
考古学ならまだしも、文献やってる人は、邪馬台国じゃあ業績にならんのじゃない。
オレの印象だけど。
お年を召してリタイアしたとか、
業績を気にせず趣味としてやれる方でないと手を出せないような気がするが。
278日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:31:32
>>264
一つ所というのは、一つ屋根の下という意味とは限るまい。
電車は無いんだから、家から通うには、
家は卑彌呼の住まいの周辺にかたまってないとね。
そんで、千人が出仕するわけだから、
三交代制としても、300人くらいが働ける施設が必要になるね。
279日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:31:58
>>276
そういえば、木のお面が出てきたとか言ってたな。邪馬台国があったという
有力な証拠になりそうだね。
280太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/09(金) 22:32:04
卑弥呼が畿内朝廷の女でしかも女王だとなれば、彼女の活躍当時の
時代相当の記紀の個所に、女天皇(女王)として皇籍に明確に載る。
それが全く(伝からの仮もの以外)女王らしき記事が相当の時代
(崇神世あたり)の記紀の条に無いんだから、彼女は朝廷の女王(女
天皇)ではない。

日本相撲協会の番付に力士の名として無けりゃぁ、同協会の力士で
ないことは一目瞭然で分かる。しかも現今の番付には女横綱が無いん
だから、女横綱だと何かの現今の情報にあるのなら、これは両国で
大相撲をやる日本相撲協会の力士ではない。こういう女横綱の現今
での存在情報があるんなら、それは例えば日本相撲協会の女横綱
ではなく。別の相撲団体の女横綱だということだ。

だから卑弥呼は畿内朝廷の女王ではなく、どこか別の国の女王だと
いうことになる。ならば畿内でない他の国となれば、これは九州に
女王国があったということが容易に分かる。畿内に卑弥呼の女王国は
存在しない。
281日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:33:40
>>277
業績にならんのは、まともなことを書きようがないからだよ。
282日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:34:29
九州説の倭人伝はもはやアナグラム
283日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:42:26
>>280
前から言ってるが、
ホントにアホですね。
284太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/09(金) 22:47:19
>>283
フフン〜オマエも盲象が強いな。あくまで天皇と女天皇(女王卑弥呼)
とチチクリアイをさせたいのか? pp

それは歓喜天ベッタリ盲象だぞ。ブハハハ・・・・・ww
ヒミコは九州の女だよ。第九♪でもい聞いてろ。wwwww
285縦目仮面:2009/10/09(金) 22:47:38
>>274
采女とすれば、祭祀を受け持つほか、地方豪族からの人質的要素もあるということでしょうかね。
ところで、この記述と関係ありそうなのが、

>国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。

これは長年の倭国乱で、男が少ない状況を表しているのですかね?
286縦目仮面:2009/10/09(金) 22:58:12
例えばイスラムの一夫多妻制度の確立は、正統カリフ時代、戦争が相次ぎ女性は寡婦となることも多く、
この際の経済的扶助手段として導入された。また教義的に結婚と社会的再生産を奨励するため、女性の
結婚する権利を重視するが、戦時など一時的に男女の数の不均衡が起こった際に女性の結婚権を保障
するために導入されたなどと説明されることが多い。

しかしこれも確証ある話ではないし、なんとなく制度の正当化くさくもある。
287縦目仮面:2009/10/09(金) 23:18:14
まあしかし、倭国乱のせいで男が少ないとすれば、婢千人というのは意外にも女性の救済事業と見る
こともできるかも。w
288日本@名無史さん:2009/10/10(土) 02:13:48
>>282
>九州説の倭人伝はもはやアナグラム

まあそのうちコンピューターに全文打ち込んで
何文字かおきに文字をピックアップすると
暗号文が浮かび上がってくるとか言い出す奴が出てくるんじゃないかな?w

もっとも今更そんなネタじゃあ誰も見向きもしないだろうがwwwwwwwww



289日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:13:39
>>288
 
まるで南を東に変えたり、墓の中を透視する畿内説見たいだな
290日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:25:17
帯方郡から約3000qの道程を経る對海国って何処だ?
291日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:27:18
對海国から約400q離れた一大国とは何処なんだ?
292日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:29:13
一大国から約400q、帯方郡から約4000q離れた末廬国って何処なんだ?
293日本@名無史さん:2009/10/10(土) 08:33:34
つまり1里を400m強として計算するのが間違いだということですよ。
邪馬台国論争ではまずこのことをおさえるのがだいじです。
294日本@名無史さん:2009/10/10(土) 08:58:39
>>293
しかしここでは念仏のように、「公式公式」と手を合わせて拝んでいるぞ?
だから卑弥呼の墓は144m だと騒いでいる人もいたな。
295日本@名無史さん:2009/10/10(土) 09:16:43
百歩なんて誇大宣伝であって、本当は十歩程度の粗末なものを分掛けしたのかもしれないし。
そうだとしたら、今まで神の様に崇めてきた箸墓信者は、日本代表クラスの間抜けだなコリャw
296日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:16:17
>>295
虚しい願望ですね、まあ証明できるよう頑張ってくださいw
現実は箸墓が卑弥呼の墓の有力候補に間違いないですから。
297日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:26:22
>>292
松浦
298日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:31:05
>>297
帯方郡から松浦まで4000キロあるか?
299日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:54:26
>>292
>一大国から約400q、帯方郡から約4000q離れた末廬国って何処なんだ?
よくぞ聞いてくれました。
末廬国とは舞鶴。京都府ですよ、京都。。
敗戦で日本に引き揚げてきた満州開拓民の帰港地。
海流の速い朝鮮海峡を渡るより安全な航路なのです。

卑弥呼の時代から使われていたことは間違いありません。
300日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:01:26
>>299
舞鶴まで帯方郡から4000qか?
301日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:16:58
>一大国から約400q、帯方郡から約4000q離れた末廬国って何処なんだ?
一大国とは台湾、末廬国とは中国大陸に戻って香港にあったとすれば距離的には合いそうだな。
302日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:21:22
>>300
君はもしかして、一大国都はニューギニア、末廬国はオーストラリア大陸にあった。
とでも言いたいのか?
303日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:21:40
本当に4000kmなら
九州説は破綻
304太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/10(土) 13:37:46
>>296
それは間違いだね。卑弥呼が畿内の女なら、金印は天皇のほうが
もらってるぜ。むなしいのは君の願望だぜ。
305改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/10(土) 13:39:32
あいつに同意(彼、泣いてないかい?w)。

狗邪韓國は倭の一部はもちろん、

對馬國〜邪馬壹國、
諸国二十一国、
狗奴國、侏儒國、裸國、K齒國、 全て「倭」(倭種含む)。

「倭の北岸ではない」とかいう彼等(コテ連中)は、倭人伝読めてないだけなんだから〜
1:数名で議論してる日本@名無史さんくんには、「自信を持て」と言いたい。
306日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:40:40
>>303
九州に限らず畿内も同じ。
全て撃沈。
「公式公式」と念仏唱えてるんだからしかたない。
皆で撃沈されましょう。
ハワイまでは無理だけど、最東端の南鳥島や小笠原ならいい具合か?
307日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:43:02
>>301

香港じゃ東夷にならないから失格だろ
308日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:53:57
>>302
ニューギニアかラバウルか知らないけど帯方郡から4000qは事実として受け止めよう。
309日本@名無史さん:2009/10/10(土) 14:39:20
卑弥呼と言う女王は、帯方郡から5000q離れた都に住んでいたんだ。
卑弥呼とは、日付変更線の女王かな?
310日本@名無史さん:2009/10/10(土) 14:42:22
島の女王として
連合国って何処なんだよwwww
311日本@名無史さん:2009/10/10(土) 17:32:20
>>304
君は相変わらず進歩がないね。
卑弥呼の時代に畿内の天皇?誰だよそれw
312日本@名無史さん:2009/10/10(土) 17:58:48
卑弥呼は帯方郡か約5000q離れたところに居たので、畿内とは
別の世界での話しです。
畿内は帯方郡からせいぜい2000q
全然別世界であることがこれでわかります。
313日本@名無史さん:2009/10/10(土) 18:27:38
使者が来日したことが明らかな隋書ですら
1万2千里の記述が生き残ってるところを見ると、
中国人は距離の正確さにはさほど関心が
無かったのだろうな。
314日本@名無史さん:2009/10/10(土) 19:22:36
萬二千とは遠方表現なだけです。
315日本@名無史さん:2009/10/10(土) 19:26:18
>>314
違います。

萬二千餘里が遠方である意味なら、その後に名詞が続きます。
316日本@名無史さん:2009/10/10(土) 19:35:12
>>315
遠方の意味だと、その後に名詞が続くなんてルールは無い!
あるというのなら、沢山あるはずだから、沢山紹介してくれ。
317太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/10(土) 19:52:20
>>311
オマエの言ってることは史離滅裂で、何がなんだか分からんぞ??
もっともっと研究するんだな。ww
318日本@名無史さん:2009/10/10(土) 19:53:43
>>315
ルールがないと言う人に説明しても水掛け論。
ルールがないとするならば、それはそれでいいのではありませんか。
くだらない水掛け論は時間の無駄ですからよしましょう。
319日本@名無史さん:2009/10/10(土) 20:00:57
>>318
あなたが河童ならやめましょう。
河童でないなら、論拠は示せるでしょう。
水掛け論とは、ある・ないだけを繰り返すこと。
あなたが論拠を示せば、それについての議論となるので、水掛け論にはなりません。
自説を主張するなら論拠を示すことが必要な事はわかるでしょう。
論拠無しでこうだと決め付けるのは、オレ様のいうことは信じとけ、というオレ様論です。
320日本@名無史さん:2009/10/10(土) 20:14:10
>>319
私が河童さんであろうがなかろうが、私はこう言うスタイルです。
それを貴方達がどう捉えようが、それは貴方達の勝手です。私は私のやりたいようにしているだけですから、私が水掛け論になると判断したから止めるのです。貴方が河童なら止めると判断したように。
321日本@名無史さん:2009/10/10(土) 20:27:23
>>317
こいつアホだ(笑)
名無しは一人しかいないと思ってるwww

因みに俺は>>311ではない
322名無す:2009/10/10(土) 20:33:15
>>321
名無しはアンタしかいないじゃん。
323日本@名無史さん:2009/10/10(土) 20:33:28
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
324太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/10(土) 20:50:38
>>321
負けたくなかったら論で来るんだな。オマエの盲象をいつでも
聞いてやるぜ。ppp
325日本@名無史さん:2009/10/10(土) 21:40:22
>>322
名前欄に何も書かずに
書き込んでる奴が一人しかいないと思ってんのか(笑)

デブと二人でホモってろ、チンカス
326日本@名無史さん:2009/10/10(土) 21:41:48
>>322
無知
327日本@名無史さん:2009/10/10(土) 21:49:58
>>325
最初は誰でも無知。もう許してやれよwww
328太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/10(土) 21:52:06
ブルってて、有コテにしたい勇気もないんだねぇ。ww
329日本@名無史さん:2009/10/10(土) 22:11:52
米のコピペを見ると、三足土器のコピペを思い出す。
330日本@名無史さん:2009/10/10(土) 22:20:24
鬼無里村に山大やまだい
ってところあるから、
そこがヤマダイ国だったのでは?

♪悪を限りの邪馬台王国、全滅だ!
331唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/10(土) 22:39:54
では、米のコピペに反論しようか。
>かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
>適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった

倭国の鉄の大部分は、半島から輸入していた。
対価として一番考えられるのが「米、籾」になる。
米では、水や雨が大敵、籾での輸出が考えられるが、MR1遺伝子が半島にない。
籾の輸出は、否定されます。
では何が残るか?
任那です。
任那は、倭国(大和)の領土で、自由に「鉄」を倭国に送ることが出来た。
MR1遺伝子の不在は、任那の存在を肯定する。

どや
332日本@名無史さん:2009/10/10(土) 23:22:13
「チンカス」と叫びながら優越感に浸っている保護者付きのガキが居ると聞いて
すっ飛んで参りました。
333日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:10:41
>>331
>では、米のコピペに反論しようか

アハハ 何故か笑えてしまったw
334日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:16:25
>>317
スサノヲが新羅に降りた事を、日本書記に記述がある事すら
知らなかった奴が、人の事を勉強不足などと言ってはいけないw
335日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:26:44
>>328
コテは総じてバカ
336日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:29:29
>>332の書き込みで名無しが複数いると証明されたな(笑)
337日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:34:50
長江文明
黄河文明



 春秋時代
 戦国時代

 前漢
 新
 後漢
三国時代(魏、呉、蜀)

 西晋
 東晋
 五胡十六国時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
338日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:38:39
いや、改め、河童が騒いでると名無しは減少し
彼等が居なくなると増殖する(笑)

皆、分かってないな
339日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:45:00
もう、北岸、里、歩、墓は後回しでいいよ
卑弥呼が朝献した中国大陸でもやるか?
漢書とか、中国史もいいべよ たまにはテーマを替えようか

始皇帝陵とか行ったことある奴イネーの??
340日本@名無史さん:2009/10/11(日) 01:47:41
向こうでは北岸。
こっちでは、漢書、中国史、始皇帝陵

テーマ替えてやろうか
341美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/11(日) 02:26:11
>>339
つかさ卑弥呼が貢朝したのは中国(ちゅうごく)の朝廷じゃなく、中国(なかつくに)の朝廷じゃないの?

卑弥呼って「倭(日本)」何でしょ?
それとも卑弥呼の邪馬壹国ってのは「中国(ちゅうごく)」に属してた国なのか?



342銀河 秋彩:2009/10/11(日) 03:29:45
2ちゃんには、賢者が居ないらしいな。(笑)

★太伯後の、共立された女王・卑弥呼(物部氏)の「邪馬壹(連合国)・筑紫平野」
但し、卑弥呼の都【卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)隼人町姫城」が記載されている】・「★倭国は極南界」
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/761d&.dnm=ac0e.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
=卑弥呼の「以死」・西暦247年崩壊
   別国の、
●季歴後の、臺与(蘇我氏)の「邪馬臺(連合国)」
=西暦248年成立。
  当時の臺与の都は、京都郡香春=現京都郡みやこ町御所ケ谷(神籠石あり)
http://www.yado.co.jp/tiiki/tikuhou/gosyogatani/gosyogatani.htm
343日本@名無史さん:2009/10/11(日) 06:59:09
>>342も賢者では無いことを理解した。
344日本@名無史さん:2009/10/11(日) 08:38:46
>>341
中国は中華民国や、中華人民共和国の略称。

はいはい、隔離スレに帰りなさい。

もん太、ハウス!!!
345日本@名無史さん:2009/10/11(日) 10:40:14
中国(ちゅうごく)という語は、中国の古典である『詩経』で「地理的中心部」
と言う意味で初めて用いられた。(wikiより)
倭人伝にも、渡海詣中国とあるな。
346日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:13:32
日本の『九州』だけど中国の支配ゾーンていう説もあるらしいね。
『中つ国』も中国が関係あるのかな
347日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:16:19
>>341
卑弥呼って「倭(日本)」何でしょ?
それとも卑弥呼の邪馬壹国ってのは「中国(ちゅうごく)」に属してた国なのか?

倭から日本へ
漢、三国から中国へ

日本人の祖先は中国人の祖先に属してましたとさっ!
348日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:20:24
三国の後は 晋です。
中国なんて呼んでません
349日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:29:00
日本は中国に直接は属してないが
日本人の祖先は
       中国人の祖先に当たる漢、魏(三国時代)に属していた。
350日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:33:56
一部だけだろ
351日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:39:45
<宋史>
倭國者 本倭奴國也

<新唐書>
日本古倭奴也

中国史ていうのは、列島の人に聞いた記録だからね。
この辺をみて王朝交代論とかいうんだろうが、我々の日本は昔から天皇家の祖先が君臨しており
1度も王朝交代なんてしてない。
しいていえば、天皇家一族内で「北」か「南」かやりありあったぐらいじゃないか

352沖縄・北海道に住む人:2009/10/11(日) 12:41:01
>>350
私たちには関係ない

といってるようなもんだよ
353銀河 秋彩:2009/10/11(日) 12:43:28
351 :日本@名無史さんに聞くけど、その天皇家って、どの氏族?

判るかな。(笑)
354日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:44:29
少なくともアイヌ族のアテルイやモレは
天皇が長だとは思ってなかっただろうなwww
355日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:47:45
>>352
そう。北海道や沖縄には何の関係もない話。
九州説論者にとっても、大王や天皇はどうでもいい話。
356日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:48:18
祖先は中国人だってさ
357日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:49:17
中国史を信用しすぎる日本人って・・・どうかしてるよな。
今、君らの日本列島に住んでいてどう思う?
王朝交代なんてあったか?

中国史を読んで、ではなく。
君らが住んでてどう感じるてことだ。
神社の伝承、各地に広がる云われ、方便、古書。
いずれも、王朝交代ていうより、天皇家内の交代だ。

大陸というのはだな、自分らの住む大陸については詳しいが
外国の倭(日本)に関してはさほど関心がないというか詳しくはない。
ほとんどが聞いた情報が主だったというか、日本人のなれないペキン語が
ちゃんと伝わったのか疑問に感じるところがある。
日本人って「うん、うん」てすぐうなづくところがあるし、
全ての中国倭伝を信用してしまうと、自分らの国の歴史が分からなくなってしまうぞ。
358日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:55:53
祖先は中国人だってさ
359日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:55:54
日本を知らない外国人が
巫女が信託をしてる間、跪いてる大王見たら誰でも
巫女が上に見える。巫女と大王の関係を聞いたら姉弟だという。
実際の政治は弟がやってた。

だからあんな書き方になったんだろ。
360日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:00:53
>>353
現在の天皇は象徴天皇といわれてる。
その昔は国家元首、古代でいえば君とか大王(おほきみ)。

現在の天皇はキンジョウ天皇だが、その天皇一族の始まりは神武天皇と言われる
カンヤマトノイワレヒコでこの偉い人が氏神。
アマテラスオホミカミはこの五代前にあたり現在では神とされてる。

そして答えだが、天皇家とはこの天照大神、神武天皇を祖先にする氏が
天皇家になるかな。
途中で違う氏神を持ちその枠組みからはずれてることはあるが。
361日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:07:08
>>259
現在で言うツートップ体制ではなかっただろうか?
大王のが上で巫女のが下というわけではないだろう。
同列というかだな
現在の天皇と総理大臣の関係ではなかろうか。
巫女は権威を担当し大王は権力を担当していた。

邪馬台国の時代は、
巫女であり象徴でもある卑弥呼が権威を担当し、弟が権力を握っていた。

362日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:09:00
>祖先は中国人だってさ

日本人の祖先は猿だろ
中国人の祖先も猿w
363日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:10:13
祖先は中国人だってさ
364日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:11:34
北海道や沖縄

くそ田舎が何いうちょるのー?
365日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:13:10
祖先は中国人だってさ
366日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:16:41
虫氏の話では
大国主一族は北ぇーっ北ぇーーっと追いやられたらしいよw
ほとんどマンガですけどwwwwwwwwwwwww

367日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:19:24
玄海難の荒波とは逆流に沿ってテク、テク、テクテク調査船が九州一周したとさw
368日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:20:06
中国、建国60週年おめでとうございます
369日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:23:16
日本では建国してから2600年とかいわれてるよな。
中国、建国60週年か、王朝がバカみたいに入れ替わった国だけあるわw
日本はそれにひきかえ王朝交代はなかった。
2600年とかいわれてるのが分かるだろ?
370日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:23:43
>>361
それでは『女王』と書いた意味がわからない。

巫女の神託は神の言葉。
神の言葉をいかに俗世の大王だろうと、
ひざまずき、礼をして聞かねばなるまい。

無知な他の国の人間が見たら、
誰だって巫女に忠誠を誓ってるように見えるだろ。
371日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:28:00
中国60年の歴史
372日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:28:28
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼

あくまでも最上位は男王ではなく女王ヒミコ様
魏志倭人伝にももともとは男の王様だったが女王を共立したとかいてるだろ
君の言うことも一理あるがヒミコ様の場合はそれとは違う。
373日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:29:34
一発で論破したねw
374太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 13:33:45
女王だから巫女ではないな。文字通り女王。大相撲の番付に女横綱が
ないということは記紀の皇籍に景初のころの天皇あたりに女天皇の
記事がないのと同様であり、これは両国国技館で大相撲をやる日本
相撲協会の力士ではないということになり、女王卑弥呼が畿内朝廷の
女王ではないことを意味する。この女横綱がいれば、これは日本相撲
協会でなく他の相撲団体の女横綱と観るべきで、卑弥呼が畿内朝廷と
無関係だという事が歴然とし、そうなると畿内でない別の地域の女王
だと考えるのが賢察であって、ならば女王国は畿内でない九州に
あったと考えるのが合理的に当然だと分かるのだ。
375日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:35:35
>>373
それはどうだろう。
神託をする日巫女を国々が共立したのなら、つじつまが合う。

共立しないと一つの国が優位になり、
また大乱の引き金になるからね
376日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:39:42
>>374
またそれかw
相手しねーんだから、割り込んでくるな。
空気嫁
377改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 13:46:59
「梁書」
彌呼無夫婿 挾鬼道 能惑衆 故國人立之

卑彌呼の「彌呼」ですが、これは「巫女」と言えるのではなかろうか?
「卑」というのは上下関係が絡んでいて太陽の意味をなす「日」は「卑しい」とされた。
卑彌呼というのは、本来は「日の巫女」であり、
卑彌呼とは『太陽を象徴する巫女』であることがわかる。
はたして、この太陽を象徴する巫女とする卑彌呼とは誰だったのか?
378日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:52:08
>>377
モモソだと思います。

蛇見てビックリしてホト突いて死んだ
ただの1皇女の為に
あんな堀が二重にされている
馬鹿でかい古墳を造るとは思えません
379改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 14:00:20
>>374 太国さん
>女王だから巫女ではないな。

巫女ではないという証明は?
377への反論宜しく〜!

>>342 銀河 秋彩さん
どっかで見覚えあるレスだな〜思ってたら・・・w
なぜ、そうなるのかここに書き込み宜しく。


380太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 14:01:16
まぁ非巫女ではなく日巫女だということは否定し難い。だから>>374
の本論最上段の主張は冗談だと考えこれに関しては再冗談は止めに
しよう。w

となると、巫女が女王になったということなんだろうが、これが記紀
を観たとき卑弥呼らしき女王(女天皇)の皇籍が、景初相当の時代の
天皇あたりに全く見られないから、譬えて言えばこの女横綱相当の
女王卑弥呼は日本相撲協会の番付に載ってないように、同協会の
女横綱であるわけがないから当然別の相撲団体とか女相撲団体の
女横綱だということが容易に分かるのだ。

ということは女王は無籍の畿内朝廷の女ではないから当然畿内で
ない別の国の女王だということになる。当時畿内と九州は別国状態で
あり、卑弥呼が無籍の畿内ではない九州の女王だと考えるのが
賢察なのである。さらに改め氏は遣使が休憩、観光もしてはいないと
軽く嘲笑していながら遣使が女と寝るのは大陸の皇帝が肯定して
るそうでwwwww全くもって恣意的説明に終始していることが
分かるが、こういうことは彼が毎回説を【改め】〜盲像の激しい男
だということを遠回しに表現していると観るべきである。www
381日本@名無史さん:2009/10/11(日) 14:05:27
>>380
別国だという証拠を示して書け。
382太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 14:06:52
>>381
オマエこそ当時一国だったということの証拠を出せ。
なお逃げないように、コテハンを付けろ。
383改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 14:09:19
ちと、ヤフーに行ってたんだけど、ハイエナのバカが何かいってたな。
俺、あの人嫌いなんだけどw クダランことはよく知ってるwww

たとえば、周髀算經の計算によると、この古田氏のホームページでは
里=76mになるらしい。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku14/atogaki.html

>夏至の日には、八尺の周髀の影は一尺六寸であり、冬至の日には、影は一丈三尺五寸である(一丈=十尺、一尺=十寸)。
>よって、夏至の日に太陽は観測地より南一万六千里の地の真上にあり、冬至の日には、太陽は南十三万五千里の地の真上にあることになる。

は分かるんだが、
>夏至以後、股八尺勾六尺であるから弦は十尺である。
>したがって一寸千里の法により、観測地から太陽の真下の地まで六万里、太陽の高さは八万里、観測地から斜めに十万里のかなたに太陽がある。

なんで、観測地から太陽の真下の地まで「六万里」になるんだろうね?
分かる人いる?
384日本@名無史さん:2009/10/11(日) 14:16:40
>>382
一大率wiki

一大率は、卑弥呼の王権によって任命された派遣官である。倭国の官人である。
その官名は城郭の四方を守る将軍である大率に由来する(道教の古典とされる『墨子』の「迎敵祠」条)。
魏志倭人伝には、次のように書かれている。

自女王國以北、特置一大率、検察諸國、諸國畏揮之。
常治伊都國、於國中有如刺史。王遣使詣京都・帯方郡・諸韓國、及郡使倭國、皆臨津捜露、
傳邊文書・賜遣之物詣女王、不得差錯。
原文のおよその意味は、「女王国より北には、
特別に一人の大率(たいすい、だいそつ)を置いて諸国を監察させており、
諸国はこれを畏(おそ)れている。大率はいつも伊都国で政務を執り、
それぞれの国にとって中国の刺史(しし)のような役割をもっている。
王が帝都や帯方郡や諸韓国に使者を派遣したり、帯方郡が倭国へ使者を遺わすときは、
いつも津(しん・水上交通上の関)で、文書や賜与された物品を点検して、
伝送して女王のもとへ到着する時に、間違いがないようにする」ということである。
この地域が伝統的に朝鮮・中国との交流の拠点として重要な意味を持っていた。
そのため一大率は、伊都国に常駐して北部九州を行政的・軍事的にも統括する任務や
女王の行う外交の実務を厳格に監督し
実行する任務をもっており、女王の命を受けてすべての外交実務を伊都国で掌握していた。

385改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 14:26:51
なぜ、周髀算經という数学の古文が、この邪馬台国、卑彌呼に関係するかといえば、
卑彌呼の墓が倭人伝には「卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」とあり、
この「百餘歩」の大きさだけど、九州説の人は里=76mなので百餘歩もこれにならい、
24〜30mクラスではなかろうか?その証拠として「周髀算經」をあげてるというわけ。
私が学生時代、授業をふけて遊んでたせいか、上のHP内の図1〜2は分かったとしても
図3の計算式は覚えてないな〜谷本氏による計算では、現在の地球の大きさが分かっていて
その半径は6357kmといわれている。
ここから、計算式によると千里=76kmになるらしいが、まず、その千里というのは
実測ではないのではなかろうか?
それと、夏至の日ではなく、夏至以後の三角形が八尺、六尺、十尺になった時の「影の長さ」を
測らないと意味ないと思うんですが如何?

386日本@名無史さん:2009/10/11(日) 14:27:40
>>384
これって、共立したという記述と矛盾するよな。
共立した国=同盟国を何故監視し、ビビらせる必要があったのか?
387うましか:2009/10/11(日) 14:50:26
>>386

一大率は倭人伝の記述では「特置女王國以北」と書かれています。
畿内説に立って考えるとその所管域はやや実効性に欠ける広さかなと思います。
なので、一大率の所管域は、実際には玄海諸国だけなのではと。
そして、その職能の根源は伊都国王の持つものではないかと。
対馬、一支、奴、不彌等は伊都の間接支配下にあり、卑狗、卑奴母離などが直接統治する諸国。
つまり、「共立」とは、30カ国が対等の立場で行われたものでは無く、
伊都を中心とした玄海諸国グループ、投馬國グループ、邪馬台国グループ等、
大まかなブロック単位の諸勢力間で行われたのではないかと。
以上、妄想モードですが。
388改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 14:51:36
>>380 太国さん
>まぁ非巫女ではなく日巫女だということは否定し難い。だから>>374
>の本論最上段の主張は冗談だと考えこれに関しては再冗談は止めにしよう。w
・改めたということかな?w

>となると、巫女が女王になったということなんだろうが、これが記紀
>を観たとき卑弥呼らしき女王(女天皇)の皇籍が、景初相当の時代の
>天皇あたりに全く見られないから、譬えて言えばこの女横綱相当の
>女王卑弥呼は日本相撲協会の番付に載ってないように、同協会の
>女横綱であるわけがないから当然別の相撲団体とか女相撲団体の
>女横綱だということが容易に分かるのだ。
・文献の日本書紀は、720年成立でしょう。
その時の記憶、記録とで約500年前の事柄を全て載せることが出来たのか?
疑問とはおもいませんか?
そして、分権ばかり取り上げてるが、考古側、すなわち倭迹迹日百襲姫命の太市墓で知られる
箸墓は天皇クラスではなかろうか?ここからみて倭迹迹日百襲姫命=女王とみてとれるのではなかろうか。

>ということは女王は無籍の畿内朝廷の女ではないから当然畿内で
>ない別の国の女王だということになる。当時畿内と九州は別国状態で
>あり、卑弥呼が無籍の畿内ではない九州の女王だと考えるのが賢察なのである。
・日本書紀オンリーではなく、あらゆる角度から古代史を観てはいかがだろうか。
日本書紀だけでは補えない部分もアルと思う。
卑彌呼の献上記事を嫌がって記載しなかったという見方もできるし・・。

>さらに改め氏は遣使が休憩、観光もしてはいないと
>軽く嘲笑していながら遣使が女と寝るのは大陸の皇帝が肯定してるそうでwwwww
・人間は休憩するだろ、しなかったとか言った覚えはないなあ。

>全くもって恣意的説明に終始していることが
>分かるが、こういうことは彼が毎回説を【改め】〜盲像の激しい男
>だということを遠回しに表現していると観るべきである。www
・進化して言ってると言ってほしいなw
389改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 14:56:05
>>387 大卒と思われる、うましかさん

周髀算經 ←これどう思いますか?

谷本計算によると千里は約76kmですがこんな計算ってありうるのでしょうか?
わたし数学苦手でして・・・・w
390太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 15:04:39
>>388
それはそれがしも考えを改めて訂正することは確かだが、君のは毎回
クルクル説が変わりすぎるほど替わっているではないか? 編年の時
なんぞ、卑弥呼の時代を数回も短期間に変更してこれで相手を論破
したことになるのかね? 虚勢は見事すぎるほど見事だが、変更訂正
はやるに越したことはないが、ただこれがくるくるくるくる目まぐ
るしく替わるのも信用がドカ落ちスル態度だと言えるぞ。

卑弥呼の先出は紀ではなく倭人伝だろうが。違うのか? モモソヒメ
が天皇級の墓になってるのは首肯できるが、だからといって彼女が
女天皇にはなってはいない。その文証として、彼女が記紀の天皇に
即位した記載はなく、こういう墓が国王級でその墓の埋葬者が必ず
しも国王女王だとは言えないし、例がある。たとえばタージ・マハル
も国王が后か姫だったかのために王級の建物としたのだし、かの
エジプトの古代の国王も后か姫だったか、同女のために国王級の神殿
を国王が建築させた事例があるから、箸墓もそんなところだよ。
391日本@名無史さん:2009/10/11(日) 15:12:13
>>390
旦那も持たず、弟に大王がいて神託し、山城の反乱を鎮めてる
そして何より天皇級いや、二重掘の天皇級以上の墓を持つモモソ。
普通に考えればこの人が卑弥呼だろう
392太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 15:13:19
かように后、姫を可愛さあまりに大王級以上に墓、神殿をデカくして
建造してるが、それでその后、姫を女王に担ぎ上げてるわけでもない。

だから箸墓は記紀に卑弥呼女王が無籍である以上、いくだデカいから
といってそれが卑弥呼女王の墓だとはならないだろう。それに畿内の
女だと卑弥呼を考えるなら、金印は卑弥呼でなく天皇がもらうのが
当然だ。金メダルは1位優勝者がもらうべきものだ。それは
ボクシングの場合は1位のことではなくチャンピオンのことだぞ。
この場合はチャンピオン・ベルトが金印にあたり、大陸の皇帝が
審判長のようなものであり、天皇は優勝選手に相当するだろう。
393改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 15:13:23
>>390
>卑弥呼の時代を数回も短期間に変更して

証拠だせ、証拠を〜www

>それはそれがしも考えを改めて訂正することは確か

おや、改めたのかw、このスレで証明できるなw

>国王が建築させた事例があるから、箸墓もそんなところだよ。

それは古代帝国エジプトのはなしでしょw
日本ではそんな例があるとおもってるの?ないよww
そんなのより、500年も後にでいた日本書紀を疑うべきと思う。

394改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 15:21:32
>>392
金印(メダル)は2位だって教えただろw
ふつうは玉だよ、「玉」。
395太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 15:21:55
大震国本紀がどうのとか言ってただろう? とぼけるなよ。当時論説
がそれがしのほうに接近してきて、盲象訂正を毎回毎回繰り返して
たくせに何を言う。それがしだって訂正は確かにやっている、例えば
編年も神武即位を前130年とかで主張したことがあったが、これで
相手に論破したなどと空威張りはしてないぞ。それから時を経て変更
を今1度だったかやったと思ったが、3回目からは現今通りだ。

君のはもっと短期間に変更ばっかりだな。九州説だったんだろう?
これは1回変更だが、変わるのは君の言う進化に相当するが、前例
のは毎回毎回論が間違ってたことになるから、遠回しに君は論破され
通しだったということだぞ。
396改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 15:22:55
>>395
証拠がありませんなw
大震国本紀?何それ??w
397太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 15:24:17
>>394
中国オリンピックで金メダル以上に玉はないだろ。
それは当時天皇が玉印をもらって卑弥呼が金印をもらってたとか
なら君の言い分は通るかも知れないが、君は裏を取れまいが?
398改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 15:28:43
旦那も持たず、弟に大王がいて神託し、山城の反乱を鎮めてる
そして何より天皇級いや、二重掘の天皇級以上の墓を持つモモソ。
普通に考えればこの人が卑弥呼だろう


399改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/11(日) 15:34:20
失敗〜!

>>391
>旦那も持たず、弟に大王がいて神託し、山城の反乱を鎮めてる
>そして何より天皇級いや、二重掘の天皇級以上の墓を持つモモソ。
>普通に考えればこの人が卑弥呼だろう

今、箸墓の二重掘が発見されたんですが、その他の古墳にも同じような
二重掘があるのいではなかろうか?
他の古墳にはなくて、箸墓だけが二重掘と言える?

>>397
当時の倭では、卑弥呼が王者なんですよ。
金印どまりで、金印以上なんてでてくるわけない。
400日本@名無史さん:2009/10/11(日) 15:36:43
>>399
あとの古墳は堀がない(埋め立てられた?)
もしくは、広く大きな堀で水があり侵入しにくいようになっている(いた)
401日本@名無史さん:2009/10/11(日) 15:41:31
「山海経」
青丘國在其北 其狐四足九尾 一曰在朝陽北 帝命豎亥歩 自東極至于西極 
五億十選九千八百歩 豎亥右手把算 左手指青丘北 一曰禹令豎亥 一曰五億十萬九千八百歩

歩=○○メートルになるのやら...。
チト一度オチ↓ 
402太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 15:44:39
>>399
当時の倭で卑弥呼が王者で、記紀のどこに大王になった皇籍が
載ってるのかね?
日本相撲協会の出す番付に女横綱があったというなら、こちらのほう
を証拠として出してもいいんんだよ。大震国本紀君!ww
それに遣使に観光はダメで女と寝るのはいいというのは、どの証拠
に基づくのかね?ppp
ついでに言うが、来年あたりまた九州説に改め丸か〜?bbb www
403縦目仮面:2009/10/11(日) 15:50:23
周髀算經の計算は簡単なもので、それ自体は合っていますが、なぜ影の長さ一寸を千里にとるのかは
よくわかりませんね。

箸墓古墳は、盛り土を取るために周濠はどうしても必要だったでしょう。ただし、内濠の堤は元々の地盤
をあえて取り残し、その上にさらに土を盛って造られているようなので、もともとの計画段階から堤を想定
して造っていったんでしょう。
404日本@名無史さん:2009/10/11(日) 15:52:25
tombo1268 対 師匠 いい勝負(実力では互角)!

tombo1268さん、ここにいた人じぁないかな。
405日本@名無史さん:2009/10/11(日) 15:55:21
>なぜ影の長さ一寸を千里にとるのかはよくわかりませんね。

千里離れた場所では一寸消えるから(1尺六寸→1尺五寸)になる。

406日本@名無史さん:2009/10/11(日) 16:02:05
おれは、夏至の日:観測地より南一万六千里が太陽の真下は分かっても
三角形の角度が太陽と一致した時、六万里になるのかが分からん。
たぶん、計算式でだしたんだろうが初めっから、この時に影長を測れば・・・と思う。
407縦目仮面:2009/10/11(日) 16:17:23
>>405
それはわかるんですが、別に単なる数学的基準だったら一寸が五百里でもいいじゃないかと思うん
ですけどね。
408太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/11(日) 16:22:45
とぼけ野郎の 改め 逃亡〜。ww
409日本@名無史さん:2009/10/11(日) 16:23:17
>>406
角度があったときじゃなくて、
影が6尺になるときじゃないの?
考え方が逆かと。
410日本@名無史さん:2009/10/11(日) 16:48:45
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
411日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:07:45
>>398
日本書紀が伝える年代をみると、モモソ姫って紀元前の人間だね。
普通に考えたら、卑弥呼とは別人だね。
412愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 17:11:26
モモソヒメは卑彌呼ではない。
モモソヒメは大物主神の妻である。
大物主神は太陽神ではない。

まだ考えは纏まらないが、臺與=豊鍬入姫命の可能性はあると見ている。
413日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:37:41
>>411
ほう!記載の年代を西暦に正確に直せるのですか。
是非、教えていただきたいものですな(笑)
414縦目仮面:2009/10/11(日) 17:41:36
>>412  >大物主神は太陽神ではない。

箸墓古墳=倭迹迹日百襲媛命の墓とするなら、同時代の纏向遺跡に太陽信仰を思わせる遺物は
ほとんどありません。土坑等でみられるのは、農耕や共食儀礼に関わると考えられるものです。
ところで、卑弥呼の鬼道は太陽信仰ですか?
415日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:42:42
>>405
逆だっつーに。
影の長さが一寸違う地点間を千里としたの。
だから緯度によって同じ千里でも距離が違ってくんの。
416日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:52:05
終止符スレで議論する人へ武器の贈呈

ハイ!
【周髀算經、漢書】
http://chinese.dsturgeon.net/index_gb.html

ハイ!
【太平御覧、魏志倭人伝、魏略】
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/wacomp.html
417愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 18:03:41
>>414
平原の八咫鏡?発掘を見ると、やはり太陽信仰かと思える。
伊都・斯馬と伊勢・志摩の類似も気になる。
ただ、方形周溝墓は魏志の卑彌呼の墓に合わない。
八咫鏡が筑紫から大和・伊勢にもたらされたとすると、誰がいつ?が問題・・・
418縦目仮面:2009/10/11(日) 18:07:32
倭迹迹日百襲媛命を卑弥呼に比定するなら面白い説があります。それは、
百襲媛の同母弟の「彦五十狭芹彦命」(吉備津彦命)が、倭人伝の「伊声耆」とするもの。つまり「イサセリ」
が「イセキ?」になった。

それから、同じく異母弟である「稚武彦命」を「掖邪狗」とする。これはわかりにくいが、別名の若日子を赤子の
ように若々しい男子として、「ややこ(赤子)」が「エヤク?」になったとするもの。

まあ、単なる語呂合わせだと思いますが。





419愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 18:20:06
日本書紀卷第六 活目入彦五十狹茅天皇 垂仁天皇
八十七年(石上神宮の神宝管理の話)
「昔」丹波國桑田村有人。名曰甕襲。則甕襲家有犬。名曰足徃。是犬咋山獸名牟士那而殺之。
則獸腹有八尺瓊勾玉。因以獻之。是玉今有石上神宮。
この「昔」がいつかが分かりませんが、獣の腹に八尺瓊勾玉があったという話は、草薙剣が
ヤマタノオロチの体内にあったとする伝承と似ています。
時期はともかく、八咫鏡は筑紫から、草薙剣は出雲から、八尺瓊勾玉は丹波から来たようです。
420縦目仮面:2009/10/11(日) 18:21:00
>>417
>誰がいつ?が問題・・・  これは立場によって違うんでないですかね。畿内説であれば、古墳時代前期に
ヤマト政権によって、で全然OKなんですが、もちろん東征の証左という人もいます。ただ、伊勢神宮の八咫鏡
が、現存のものが真物か後代のレプリカかは別問題として、いつ頃から世に現れたのかは疑問のあるところで
すね。
421唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/11(日) 18:26:15
狗邪韓国は「カヤカンコク」と読める。
ならば掖邪狗 の「狗 」は「カ」が正解?
422唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/11(日) 18:42:36
>>419
ホ37158 タニハミカソが イヱのイヌ ナはアシユキが くひころす ムジナのハラに ヤサカニの タマありをさむ
イソノカミ ヤソヤフミソカ ミコトのり

垂仁88年文月30日? これ以前の話になります、
ムジナのハラに … この「ムジナ」は人間か?例えば泥棒とか。

423愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 18:44:41
景行・仲哀・神功の九州遠征のとき、神夏磯媛・熊鰐・五十迹手は「三種の神器」を掲げて迎えている。
神夏磯媛は「八握釼、八咫鏡、八尺瓊」、熊鰐・五十迹手は「白銅鏡、八尺瓊、十握釼」である。
ただ書紀の記事によると、崇神・垂仁朝で天照大神を大和から伊勢に移したとあるが、「八咫鏡」と明記はされてない。
424縦目仮面:2009/10/11(日) 18:50:08
ということで、俺は伊勢神宮の八咫鏡は未調査でありなんともいえないのでパス。

内向花文鏡は、一説には女性に好まれる文様ともいわれ、またこの鏡にしばしば見られる「長宜子孫」
の銘文も女性におめでたい吉祥句と考えるむきもあります。

ちなみに平原ほどの大型鏡ではありませんが、面径約37cmの倣製大型内行花文鏡が出土した、大和
古墳群の下池山古墳は、年代は4世紀初頭頃。鏡は、四葉座、八弧花文ですが、縞模様のある絹織物
などでできた袋に包まれ、さらに羅を表面貼りした鏡筐に収められていました。また、出土の状況も埋葬
主体部から独立した小石室から見つかるなどきわめて異例で、これは副葬品というより、鏡自体に特別
の価値を置いているとみることもできそうです。
425日本@名無史さん:2009/10/11(日) 18:55:59
>>409>>415
そーとー突っ込まれてしまったなw
地球は丸いんだから影の長さも場所によって変わるてことだよね?
426:2009/10/11(日) 19:05:27
>>407
>それはわかるんですが、別に単なる数学的基準だったら一寸が
>五百里でもいいじゃないかと思うんですけどね。

【南に千里の地においては影は一尺五寸、北に千里の地においては影は一尺七寸】

だから、
南に五百里の地だと影は一尺五寸五分、北に五百里の地においては影は一尺六寸五分
になるのでは?


427縦目仮面:2009/10/11(日) 19:09:51
>>421
ところで、他スレにちょっと面白い(自分としては)説を書いたんだが全然反響がないんで、こっちにも
書きます。俺は、倭人伝は倭語を、原則一字一音で音写していて、(華奴蘇奴=カナソナとか)それか
ら外れる「一大卒」のようなのには何か意味があると考えてるんですが、「末盧国」も一字一音ではお
そらくなく、東夷伝韓伝に >その涜盧国倭と界を接す。 とある「弁辰涜盧国」と何か関係があるんで
はないかと考えてるんですが、まだちょっと形にはなってません。
428縦目仮面:2009/10/11(日) 19:13:27
>>426
いや、周髀算経自体読んでないので間違ってるかもしれないんですが、数学的に一寸=100里と仮定
するなら、1里=約760mになりますよね。1000里としなければならない理由は何だろうということです。
429:2009/10/11(日) 19:16:23
影が一寸変わるというのは、あくまでも夏至(南中時)に千里離れた地。
「夏至以後(影(勾)が六尺の時)」千里離れた地の影を測定しても一寸変わるかというのも疑問。

まあ、図3が間違いなければ、周代にこの千里離れた地を測定した人は
観測地から76.6m離れた地で影を測ったことになるのかな...。
430日本@名無史さん:2009/10/11(日) 19:20:33
>>428
ただ単に、倭語に似せながら漢語で書かれているからですよ。
431美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/11(日) 19:26:03
>>423
日本書紀って調べたらさ
田中家蔵、田中書
熱田宮蔵、熱田書
唐書、漢書、百済帝王本紀、釈日本紀、、
などの書物を元に幕末〜明治頃に「日本書記」として書かれたのが日本書記だよ

暦の書き方は唐書から抜粋したり、一書にあった○○天皇と言う諱を付け加えたりとか

だから日本書記の記述や暦や文法や呼び名てのは、様々な書物から抜粋したりそれを自らの解釈にそうように組み立てたりとか、、、

えっと三種の神器の話であれば、これは多分、伊勢なんとか記とか言う書物の内容を抜粋してるんじゃないかな?
そもそも伊勢神宮てのも伊勢宮なんとかって書物を元に三重の志麻を伊勢として、明治時代に建立された神宮だけど
伊勢に天照が建立されてるのも、そういう記述から勝手に解釈して、建立されたから天照まで祀ったりされてるんでしょ?
三種の神器って鏡作連のウズメが作ったりとかそういうやつでしょ?
432縦目仮面:2009/10/11(日) 19:32:03
>>430
ただねえ、涜盧国だって漢語ではなく古代朝鮮語だったんではないですかね。俺的には弁辰涜盧国
は巨済島、勒島あたりの島嶼部を含む地域と考えてるんで、末盧国と何か関連があっても不思議では
ない気もするんですけどね。
433愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 19:33:44
>>431
>三種の神器って鏡作連のウズメが作ったりとかそういうやつでしょ?

ウズメは踊る人で、鏡は作ってないと思うけど。
434:2009/10/11(日) 19:36:18
>>428
仮定ですか・・少し考えさせて下さい...。

>>429の76.6mは76.6kmに訂正

これ読んでいる人で、何処のことか迷ってる人へ
「周髀算經 卷上8」
周髀長八尺,夏至之日晷一尺六寸。髀者,股也。正晷者,句也。正南千里,句一尺五寸。正北千里,句一尺七寸。
http://chinese.dsturgeon.net/text.pl?node=59428&if=gb  とか、

古田氏のホームページ
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku14/atogaki.html です。
435縦目仮面:2009/10/11(日) 19:40:44
いやあ、もん太君の専用スレも見てるけど、

> 240 名前:美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI [] 投稿日:2009/10/11(日) 18:23:58
> 古事記がそもそも尾張の興福寺の風土記な訳だから・・・
 
このレスも凄いね。最強w
436日本@名無史さん:2009/10/11(日) 19:46:26
>>431
>唐書、漢書、百済帝王本紀、釈日本紀、、
>などの書物を元に幕末〜明治頃に「日本書記」として書かれたのが日本書記だよ

アハハ 河童君と似たようなことを言ってる。
実は兄弟だったりして。
437美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/11(日) 19:52:28
>>433
いや、書や地域によって色んな呼び方されてるだけだよ

例えば西母王仙人の話とかをくぐると、彼女がサルタヒコの行く手を塞ぎマンコを剥き出して狂ったように踊り、道案内案内させる話があるけど、あれもウズメだろうし
西母王仙人てのも数十枚の鏡を持ってたしウズメにしても、鬼道の儀式の際にマンコを剥き出して踊ったりでしょ? その儀式でマガダマと鏡てのは使われてるんだよ
鏡作連とか玉作連て呼び名もあるし
一緒にいた手刀男ての調べてみ?
多分、三種の神器の剣はヤマタノオロチの時の剣じゃなく、岩戸の時に関連してる剣の事と思うよ
道案内がサルタヒコで、ニニギ、ウズメ、、、って五人がいたんじゃ無かったっけ?
つかスサノオが天つ国へ進軍した時の話にも似てるから同じ話なのかもしれないし、スサノオの後にその子孫のニニギが、、って話なのかも知れない
まあこの勢力が後の公家の天皇なんだとは思うけどね

一方の武家はニギハヤヒを祖とした物部氏達が武家なんじゃないのかな?


岩戸を開けたって事は天照に対して敵対してたって意味だと思うんだけどなあ


438日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:00:23
>>437
マンガ版は面白くしてるからねえ
439日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:02:26
>>437
こら!もん太、外に出ちゃダメって言ったでしょ!!ハウス!!!

すみませんでした皆さん。
440美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/11(日) 20:07:27
>>435
調べてみってば
興福寺て名前は間違ってるかもだけど、尾張の寺にあった風土記が古事記だよ
古事記てか今ある古事記の原本と言うか
基本的には日本書記と古事記て、まんま原本や原本からの写本が残ってた本じゃないし
そういう書物も各地の藩や寺に沢山あったけど、日本書記以外は偽書として焼却されたりが多いんだよ

てもまあどんな書物であっても、読み手の解釈次第でそれぞれ都合よく解釈されるだろうからそんなに拘る必要も無いかもだけどさ

ただ違う側からの視点からみたら、この話はこう伝えられてる、、見たいな違いとかがよりハッキリわかるだろうから、それらの違いとかいろいろ面白い気がするよ
441美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/11(日) 20:12:08
>>438
マンガなの?
てかこのサルタヒコが西王母仙人を天竺(あまのなんとか)に連れてく話をモデルとして、後に西遊記が作られたような気がするし
三國志演義なんてのも三國史からの創作だしさ
442縦目仮面:2009/10/11(日) 20:14:05
なんか、三種の神器と周髀と倭人伝の地理と、話題があっちゃこっちゃで申し訳ないけれど、三種の神器
でいえば、九州北部では鏡と剣の副葬はポピュラーで、勾玉は平原からは出てるけどあまり一般的ではな
い気がする。

三種の神器象徴説というのもあって、これによると、天照大神…太陽神…鏡。素盞嗚尊…武神……剣。
月読尊……月神……勾玉。で、確かに勾玉は新月とみても不自然ではないかも。これは、もともと副葬
の習慣があったところに、ヤマト政権により古墳時代になって象徴化されたということらしい。
443うましか:2009/10/11(日) 20:14:49
>>389

> 周髀算經 ←これどう思いますか?

「周髀」と題に有りますが、実際には前漢代の完成らしいですね。
当時の技術で一尺六寸の影を測るのは簡単なのですが、
第二観測点である洛陽から直線千里の地をどのように求めるのか、
こちらの方にトリックが有りそうですよ。

444日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:15:28
>>441
天竺(てんじく)。インドのことな。
445:2009/10/11(日) 20:20:45
三種の神器?

豊国、行橋の豪族を束ねる姫様がいて、景行天皇に歯向かわない印として
三種の神器を見せたとかいう話があったはず。
三種の神器といえばヤマトの象徴というイメージがある。
446:2009/10/11(日) 20:23:17
>>443
ん?成立は後漢時代のはずですよ。
西暦220年ぐらいかかな。
その測定は周代のものを記録してあるとか・・・
447日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:23:44
>>443
どこでもいいから影の長さ測って、その差を何里とするだけ。
(洛陽からなら)北に行って、影の長さが一尺五寸になったら、そこまでが千里。
一尺四寸五分になったら、そこまでが千五百里。
448日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:25:36
それじゃあ東西方向が測れないよ〜
449日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:31:39
なんか縦目のいいたいことはわかる気がする。一寸千里の法は周髀算経で蓋天説を進めていくための本の中
だけの数学的弁法で、実際に用いられていた単位とは違うということではないかな。
450うましか:2009/10/11(日) 20:38:36
>>446

> 成立は後漢時代のはずですよ。

あ、そうですか?
じゃ、後漢だったかもしれませんね。
ただ、一寸千里の測定が周代に行われたものかどうかは疑問ですね。
周代の話に仮託して、というのはよく有る話ですよ。

>>447

> 影の長さが一尺五寸になったら、そこまでが千里。

そう、正しくそのとおりです。
千里の距離は予め判っていなければ測定出来なかったでしょうね。
451:2009/10/11(日) 20:41:03
漢代といえば「礼記」がありますね。
「禮記」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BC%E8%A8%98

昨晩、違う掲示板で話した内容で申し訳ないんですが、
この「禮記」王制(71)に
自恒山至於南河,千里而近;自南河至於江,千里而近。自江至於衡山,千里而遙;自東河至於東海,千里而遙。
自東河至於西河,千里而近;自西河至於流沙,千里而遙。西不盡流沙,南不盡衡山,東不近東海,北不盡恒山,凡四海之內,斷長補短,方三千里,為田八十萬億一萬億畝。
http://chinese.dsturgeon.net/text.pl?node=9740&if=gb   

とあり、恒山というのは(山西省大同市)でして、
衡山というのは、(湖南省長沙市)で、約1200〜1500km離れてますね。
ここからみると里=76mとはいえず、里=400m以上 と言える。

だから〜周代に測ったという「周髀算經」の不可解な里は、
短里があったというよりも何か測定方法に間違いがあったのではなかろうかと思うんです。
452縦目仮面:2009/10/11(日) 20:44:37
>>449
そこまでも言いませんが、本の中の計算が正しいことと、それが実際に制度として用いられていたこと
とでは、その間に大きなハードルがあるだろうと思うんです。
453:2009/10/11(日) 20:46:33
>>447>>450
というと、周代に「短里」があったと言うことでしょうか?
454日本@名無史さん:2009/10/11(日) 20:47:16
ググると、「魏志倭人伝の里程単位」という論文(その1から4まである)
を見る事が出来るのだけれど、皆さん、これはどう思う?
古田説への批判的検証のような内容。
455:2009/10/11(日) 20:50:49
>>454
話によると古田氏のみならず、
安本氏もその根拠として「周髀算經」を持ち出してるらしいですね。
456愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 21:01:32
>>442
確かに、勾玉は縄文時代からありますし、鏡・剣ほど重要視されていない感はあります。
勾玉=新月説は面白いですね。
あと、「マガ玉」の表記は書紀の神代ではすべて「曲玉」となっていて、
垂仁紀では「勾玉」というのも注意です。
457日本@名無史さん:2009/10/11(日) 21:06:15
>>383
ちと、ヤフーに行ってたんだけど、


ずっと行ってたらいいのに
458:2009/10/11(日) 21:07:38
ん?縦目さんと愛知県民さんは
三種の神器は古墳時代から〜とか考えてるんですか?
459縦目仮面:2009/10/11(日) 21:22:38
三種の神器は伝承ではもちろん神代からのもので、天照大神の神代として天孫降臨の際に天照大神
より瓊瓊杵尊に授けられたとされてはいるんですが・・・ただ俺的には、王権が固まらなければ、その象徴
というものはできないだろうと思うし・・・難しいところですね。
460愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 21:26:35
>>458
ウィキペディア「三種の神器」に日本書紀で孝徳天皇までの即位儀礼記事が纏められていますが、
「璽・璽符・璽印という漠然とした書き方をしており、鏡と剣との名をあげているのは、継体紀と宣化紀の2つのみである。
宝物は元は2つであったのではないかという疑問が出てくる。」
これも厄介な問題のようです。
461日本@名無史さん:2009/10/11(日) 21:30:29
檀の浦で安徳天皇が入水自殺した際に、
草薙の剣は行方不明になったね。
462:2009/10/11(日) 21:33:15
>>442
>三種の神器でいえば、九州北部では鏡と剣の副葬はポピュラーで、
>勾玉は平原からは出てるけどあまり一般的ではない気がする。

ハイ、九州で出土されるのは、鏡と剣のセットまたは勾玉のみ、剣のみ、または鏡と勾玉のセットとかありますね。
わたしはこれを身分の違いにより決められたのではなかろうか?と考えてます。
ストレートに言わせてもらえば、鏡、剣、勾玉のセットというのは、いわゆる王クラスのみが持ちえたというかですね。
この福葬されたモノによってどれだけ偉いのかが分かるのではないだろうか。
たとえば、この三種の神器ですが平原遺跡以外にもスグ岡本遺跡、それから〜三雲遺跡。

王墓のみ許された福葬品だったのではないだろうか?
463うましか:2009/10/11(日) 21:33:46
>>453

> というと、周代に「短里」があったと言うことでしょうか?

私は周髀算經の「一寸千里」が周代の知見だとは信じていませんし、短里なるものの存在も信じていません。
また、一寸千里を正しく観測するには、正しく「直線千里」の地が算定される測量法が必要ですが、
>>447氏の言うように予め一寸が千里と言う定義が有って、逆算により千里の地が求められているようです。
周髀算經の世界では太陽高度は八万里と与件されています。
後は測定に使われる周髀(八尺)と髀影(尺六寸)の長さ、夏至における太陽の輻射角が判れば
千里の地は産出できる話ですから。

周里なるものが存在したとなると一里とは当時の世界観による太陽高度を基に算術的に定められた単位になります。
しかし、「里」と言う文字が使われているように、このような単位はもう少し生活に密着したものをベースに定められる
ものじゃないですかね、と私は思っています。


464愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 21:36:38
>>461
草薙剣の本体は尾張の熱田神宮にあり、行方不明になったのはレプリカです。
鏡も伊勢神宮にあるもののレプリカで、玉だけは本体が宮中にあります。
後醍醐天皇の時代にも、いくつものニセ神器が使われたらしい。
465日本@名無史さん:2009/10/11(日) 21:45:06
>>463
>短里なるものの存在も信じていません。
それでは、倭人伝の里が普通言われる1里よりもだいぶ短いことについては
どう考えるのですか? それとも、短くはないとか?
466日本@名無史さん:2009/10/11(日) 21:46:21
確かに後醍醐天皇は北朝に引き渡したのは
偽物だ言ったと太平記にありますね。

レプリカ…、というより予備なのでしょうね。
467:2009/10/11(日) 21:47:29
462誤字

副葬→副葬 です。
468美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/11(日) 21:48:34


http://www.google.co.jp/gwt/x?site=universal&q=%E6%89%8B%E5%88%80+%E5%89%A3+%E7%A5%9E%E5%99%A8&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=Ys_RSqDIHI_66wP89q2HAw&cd=6&resnum=6&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww3.ocn.ne.jp%2F%7Emh23%2Fhizi.htm

神器の剣てのはなんか沢山あるね

あとアマテラスを移したってのは、天戸を開けた時の儀式の鏡を移したって事みたい
つかあの鏡の中にアマテラスの御霊を封じ込めた見たいな事なんかなあ?
469日本@名無史さん:2009/10/11(日) 21:51:52
鏡は天照、剣はスサノオ、勾玉はツクヨミ
470縦目仮面:2009/10/11(日) 21:53:40
周髀の話題は俺は自信のない分野なんですが、中国の単位が混乱していることは事実です。この間
中国語の建築史の論文を読んだんですが、漢代での官尺(城郭建築など公共物の建造に用いる)は、
一尺約42cmくらいで、民間の尺とはとがいます。また、4・5尺を1歩として、約190cmとも書かれて
いました。また、調度品などを作るときの尺も違っています。・・・だから、短里がなかったとはいいきれ
ませんが、周髀の計算から導き出され制度として確立したとは思っていません。あれはあくまで数学
ではないですかね。
471うましか:2009/10/11(日) 21:54:05
>>465

> それでは、倭人伝の里が普通言われる1里よりもだいぶ短いことについては
> どう考えるのですか? それとも、短くはないとか?

どう考えるかと言うことについてお答えするなら、それは実測に基づかない数値なのだと、なりますね。
その根拠は「短里なるものは存在しないと信じているから」です。
つまり信仰上の問題ですw
472縦目仮面:2009/10/11(日) 21:55:44
あらま、470の3行目。  ×とがいます。  ○違います。
473:2009/10/11(日) 22:00:13
>>463
谷本氏の計算によると千里=76.3とか76.9kmという結果が出ていますね。
この計算された値に関してはどのように考えてるのでしょうか。
短りがないということは、測定した人が間違えてしまったのか?
それともこの計算式が違うのか?ということですよ。
474うましか:2009/10/11(日) 22:02:11
>>469
> 鏡は天照、剣はスサノオ、勾玉はツクヨミ

天照と素戔嗚はイメージどおりですが、月読は存在感が希薄なので勾玉っぽいのかどうかw
475うましか:2009/10/11(日) 22:05:04
>>473
直線千里は実測では無いと考えています。
実測では無いので、間違えとかも起きないかと。
476:2009/10/11(日) 22:09:49
>>470
>漢代での官尺(城郭建築など公共物の建造に用いる)は、一尺約42cmくらいで、
>民間の尺とはとがいます。また、4・5尺を1歩として、約190cmとも書かれて
>いました。

漢代の出土物、ようは、考古的にはそのような物差は発見されてませんよね?
少し調べたのですが、一貫して23〜24cmのモノが出土(墓とかから)されてるようです。
漢代の物差しというのは1尺約23cmぐらいの物差に10か所の線(ようは10寸)が刻まれてますよね。
その42cmぐらいの物差は実際にみたのでしょうか?本当に漢代の品?
477縦目仮面:2009/10/11(日) 22:14:15
>>476
木官尺というらしいです。この基準で柱跡があるかどうか検証するというような論文でしたが、結果は
微妙と俺は感じましたね。公尺が約23cmなのはそのとおりですが、建築用はまた違うようです。
曲尺でググってみてください。
478:2009/10/11(日) 22:15:15
>>475
では、お尋ねしますが・・・
どうして「短里なるものの存在も信じていません」となるのでしょうか。
古田氏HP内の図3の計算によると千里=76〜77kmというのが証明されてます。

実測による間違いでもない、だけど式は正しい、ではなんなんでしょうか?
479日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:27:58
>>474
月読は闇の神。影が薄いのは本望ではないでしょうかw?
480:2009/10/11(日) 22:31:18
ググってませんが・・・w
曲尺というのは、一尺四寸を一尺とし、古文献により自己流に竹木に示してるようですね。
1.4倍・・・ややこしいですねw
481うましか:2009/10/11(日) 22:37:15
>>478

> どうして「短里なるものの存在も信じていません」となるのでしょうか。
> 古田氏HP内の図3の計算によると千里=76〜77kmというのが証明されてます。
>
> 実測による間違いでもない、だけど式は正しい、ではなんなんでしょうか?

計算は正しいでしょう。

丁度、髀影が尺5寸となる地を選んで、そこを洛陽から直線千里とすればいいのですから。
ただ、それが正しく千里離れた地かどうかは実測されていないでしょう、と申し上げています。
つまり計算によって求められた「千里の地」です。

当時の一里が、この一寸千里の計算を基にその千分の一と定められていたならともかく、
周髀算經の計算が合っているからと言って、実際にそこが千里の地かどうかは判らないわけです。
生活に密着した単位を定めるのに天文学的距離をベースにするなんて、まるで現代のメートル法並のセンスでしょう。

482:2009/10/11(日) 22:41:57
>>481
>つまり計算によって求められた「千里の地」です。

ですから、短里「も」あった ということでしょ?

483日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:44:51
>>432

>涜盧国だって漢語ではなく古代朝鮮語だったんではないですかね


「涜盧国]というのは漢字ですから文字からの表現は漢語表現でしょう。
484日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:45:41
>>471
>それは実測に基づかない数値なのだと、なりますね。
倭人伝の資料は使者らの報告でしょう。使者らは、どうして実測に基づかない
数値を書いたのか、どのように考えるのですか?
485縦目仮面:2009/10/11(日) 22:48:10
>生活に密着した単位を定めるのに天文学的距離をベースにするなんて・・・

俺も うましかさんに基本的に同意です。短里の存在はおいとくとしても、周代に周髀の計算をもとに
1里=約76mが採用され、公的に用いられたとするにはやはり論拠が薄いですよ。
486縦目仮面:2009/10/11(日) 22:57:26
>>483
もちろんそうですが、末盧国も倭語の漢語表記ですよね。俺は半島南部の古代朝鮮語と倭語の共通
性を考えてます。で、前に書いたとおり東夷伝韓伝には、涜盧国は倭と界を接するとあり、九州本土の
倭の記述が末盧国から始まってる。何かあるかもと考えたってそれほどおかしくはないと思いますが。
ま、楽浪土器や三韓土器、半島の弥生土器の流れを少し調べてみます。何かわかったら書き込みま
しょう。
487日本@名無史さん:2009/10/11(日) 23:17:53
>>486

>涜盧国は倭と界を接するとあり、九州本土の
倭の記述が末盧国から始まってる。何かあるかもと考えたってそれほどおかしくはないと思いますが。


涜盧国は倭と接しているのではなく、界を接している。
大変面白い表現ですね
界だったら日本とオランダでも接する事が出来ますから

この界が文化なのか?地理的な界なのか? 先ずはそれからですね。
488日本@名無史さん:2009/10/11(日) 23:21:18
>>487

一つだけ申し上げておけば「界」という文字は、決して混ざり合った曖昧な世界は表現しないとする
文字の構成になっています。
489:2009/10/11(日) 23:27:44
>俺も うましかさんに基本的に同意です。

縦目さんは同意ですか。
では、貴方も短里なるものを認めてしまうのでしょうか。
490日本@名無史さん:2009/10/11(日) 23:32:37
>>489
貴方は認めないのですか?
491愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/11(日) 23:32:43
>>464 補足
草薙剣については諸説あるようですね。
名前についても、ナギはウナギに通じ蛇を表すとか、奇稲田姫に通じるとか・・・
492うましか:2009/10/11(日) 23:39:56
>>482

> ですから、短里「も」あった ということでしょ?

「有った」と言ってるように読めましたか?
「髀影尺5寸の地」が実際に一里の千倍の地であったかどうかは、当時実証されていないのですよ。
単に算術上の例によりその地が「千里の地」とされていただけで、現実の千里が何メートルだったかは判らないこと。
実証されたのは、現代の測量において髀影一寸の差が約76キロだということだけ。
貴方が紀元前の人だとして、正南北76キロの直線距離をどうやって測りますか?
493縦目仮面:2009/10/11(日) 23:43:07
>>488
河童さんですか?w 俺は細かい字義にこだわるほうではないので、「界」の解釈はなんとも。考古資料を
追って何も出なければそれまでです。・・・この字は田んぼが畦ではっきり分かれるというような意味ですか
ね。で、「介」が形声の音を表す?

>>489
三国志全体に関しては短里ということはないでしょう。東夷伝が短里だったとしても、その理由がわからない
んで、俺はこの手のことは守備範囲にしません。

494うましか:2009/10/11(日) 23:45:48
>>484

> 倭人伝の資料は使者らの報告でしょう。使者らは、どうして実測に基づかない
> 数値を書いたのか、どのように考えるのですか?

貴方の言う「使者」が何を指しているのか判りませんが、
その人たちは「実測に基づかない数値」を書いてはいけないのですか?
知らなかったな。
あー、きっとそれも信仰上の問題なんでしょうね。
495日本@名無史さん:2009/10/11(日) 23:50:02
>>493
字義にこだわる気は全然ありません。あくまでも補足程度に受け止めて下さい。
私が今興味あるのは>>487の方です。
496日本@名無史さん:2009/10/11(日) 23:51:54
>>453
実際に棒を持って回って測量していたかどうかは、
資料的な裏付けを検討しないとわかりませんね。
また、一寸千里の法が広く一般に認知されたか、
あるいは公的に採択されたか、これも検討課題でしょう。
誰かが既にそれを証明しているのかどうかは知りません。
497日本@名無史さん:2009/10/11(日) 23:53:08
>>489
だんまりなら短里の存在を認めるんだな?
498縦目仮面:2009/10/11(日) 23:59:00
うーん、文化ねえ。ただ、界を接すると見るのは中国人であって、倭人や半島南部の人々もそうだったか
疑問はありますね。
499縦目仮面:2009/10/12(月) 00:00:48
>>497
493の下に書いてありますが、俺は守備範囲にしない。つまり結論は出ないだろうと考えてる。
500日本@名無史さん:2009/10/12(月) 00:06:44
>>498

>界を接すると見るのは中国人であって、倭人や半島南部の人々もそうだったか
疑問はありますね。

それは関係のない話でしょう。倭人や半島南部の人がどう疑問に感じようが
扱っている書物は古代の漢人が書いた書物を扱っているから
現在の視点での歴史は、漢人から見た歴史です。

もし、倭人や半島南部の視点からを捉えた歴史を考えたいのであれば、そのような視点から描いた
書物にて検討すべきかと考えます。

「倭接界]と記載したのは漢人です。
501:2009/10/12(月) 00:06:46
>>489
ん?何がだんまりなの?ワケ分からんww
502:2009/10/12(月) 00:10:00
>489ではなく>490か・・・。

>>490
>貴方は認めないのですか?

何を?おめーさんはどうなの??

>>497
>だんまりなら短里の存在を認めるんだな?

もう一ぺん、勉強してこいw
503日本@名無史さん:2009/10/12(月) 00:15:34
>>502
>もう一ぺん、勉強してこいw

勉強してこいと指示するのであるなら、どこをどのように勉強するのか
指示項目を書かなければ勉強する側は何も手につけることができないだろう?


>>502

>何を?おめーさんはどうなの??

千里は千里だろう。
504改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/12(月) 00:20:53
>>492
>> ですから、短里「も」あった ということでしょ?

>「有った」と言ってるように読めましたか?

読めますよ。

「つまり計算によって求められた「千里の地」です。」

無かったとは読めませんね。

>「髀影尺5寸の地」が実際に一里の千倍の地であったかどうかは、当時実証されていないのですよ。
>単に算術上の例によりその地が「千里の地」とされていただけで、現実の千里が何メートルだったかは判らないこと。
>実証されたのは、現代の測量において髀影一寸の差が約76キロだということだけ。

え?うましかさん〜そうなの?
私が所有しているモノには、唐代に「実測によって確かめた」とありますが、
どっちがウソツキで、どっちが正しいのでしょうか。

>貴方が紀元前の人だとして、正南北76キロの直線距離をどうやって測りますか?

そんなもの決まってるでしょ。
答えは一つナリ〜 処で、貴方の場合は、どうやって測ると思いますか?w
505改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/12(月) 00:28:04
「当時」実証でしたね〜しつれい
506縦目仮面:2009/10/12(月) 00:28:26
>>500
上の方のレスを読んでもらえればえわかると思うが、俺は倭人伝の記述は考察のきっかけにしてる
だけで、そこに書いてることが真か偽かは、考古学や人類学等の他学問を用いて(たいしたことはない
が)裏付けたいと考えてる。だから、わからないままのことは多い。しかし、そこは魚がいなかったと考え
て次に進む。そんな方法論だからね。
507うましか:2009/10/12(月) 00:29:14
>>496

> 実際に棒を持って回って測量していたかどうかは、
> 資料的な裏付けを検討しないとわかりませんね。

観測器具として「圭表」と言うものが有ります。
↓このサイトにやや詳しい説明があります。
http://www2.nkfust.edu.tw/~jochi/j4.htm

単純な機械ですので、周髀算經の時代にも同じようなものが有ったかと思います。
太陽を主とした天文観測のための機械であって、距離測定のためのものではありません。
また、二点間の距離を求める方法として、周髀算經(もしかしたら「九章算術」かもしれませんが)では、
「三角測量」のような事例も挙げられていますが、算術書と言う体裁から判断して、
計算上の例題のようなもので、実測に基づくものでは無いと考えています。
508改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/12(月) 00:33:53
>>506 よこですが
北岸ですか?
貴方が考察のきっかけにしてるだけの古文にはしっかりと明記されてますよね?
509縦目仮面:2009/10/12(月) 00:41:08
>>508
狗邪韓国ではなくて、韓伝の涜盧国のことですよ。
510うましか:2009/10/12(月) 00:43:37
>>504

> 「つまり計算によって求められた「千里の地」です。」
> ↑
> 無かったとは読めませんね。

実測に基づく千里では無いと言うことです。
当時の一里が540mなら540km先と認識するだけです。
それも算術計算上の話としてですがね。

> 答えは一つナリ〜 処で、貴方の場合は、どうやって測ると思いますか?w

私なら測ったりしようとも思いません。
それは、算数の問題で10桁の足し算を解くのに正の字を積み重ねるような作業です。
511日本@名無史さん:2009/10/12(月) 00:47:58
>>507
ありがとうございます。ご紹介のサイトについて検討させてもらいます。
周髀算經によると、方角を八方向に定めて(東南、南東とかに限定して)
ピタゴラスの定理で距離を算定するらしいですね。
512改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/12(月) 00:49:39
>>509
しかし北岸がらみですよね?
半島の一部が倭かどうかの。

現在ですね、竹島の領土をめぐって、日本と韓国が言い合いをしていますよね。

その昔、竹島のみならず、半島の一部分は、倭の領土だったんですよ。
これは、古文にも明記されてることでして、疑いのよちはないですね。
わたしもですね、初めは対馬=倭という考えでいたんですよ。
結局は、それは間違いで、半島の一部分という事実があります。
513美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/12(月) 00:50:44
>>500
古代漢人と今の漢人ってのは言葉も文化も違う民族だよ


つか他の24史とかも見てみれば?
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ceres.dti.ne.jp%2F%7Ealex-x%2Fkanseki%2Fmenu01.html%23MOKJI&_gwt_noimg=1&hl=ja&source=m#MOKJI#MOKJI#MOKJI

邪馬壹国も卑弥呼も、別に書いてある通りの場所を探せば簡単に見つかるよ

あと卑弥呼の貢朝の話なんかもどう読んだら中国の皇帝に貢いだ話となるのかが良く解らないけど、中国の皇帝とかって言う何処にも書いてない人物とかをもちださなけりゃ、記紀にもある話だって解りそうなもんだけどなあ

514改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/12(月) 01:05:51
>>510
>実測に基づく千里では無いと言うことです。
>当時の一里が540mなら540km先と認識するだけです。
>それも算術計算上の話としてですがね。

では、わたしと同じく、「間違った里」という考えでしょうか?

>私なら測ったりしようとも思いません。
>それは、算数の問題で10桁の足し算を解くのに正の字を積み重ねるような作業です。

「里」というのはですね、「歩」が基準になっているんです。
その「歩」というのもですね、「尺」が基準ですね。

漢志
古者建歩立畝 六尺為歩 歩百為畝 畝百為丈 丈三為屋 屋三為井 井方一里

というのがありまして、いわゆる、里は1800尺というてるわけです。
この「里は1800尺」
というのは、歴代変わっていません。
ですから、漢代とか古代においてもこの定義が使われてるということです。

何を言ってるかというと、
天文上における「里」などありえないわけですよ。

太陽までの距離を知るために「周髀算經」の計算を用いて割り出したのはいいですが
76km地点で千里としてしまった、ようは間違えたということですよ。
「里」を使うときは、尺が基準ですから徒歩でしょう。
短里など無かったのではなかろうか。
515改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/12(月) 01:12:31
周髀算経 ←これが原因だろうな〜 たぶんw
516日本@名無史さん:2009/10/12(月) 01:24:43
銀河 秋彩 さん
ここでもスルーされとるwww
かわされてるやん
517うましか:2009/10/12(月) 01:34:07
>>514

> では、わたしと同じく、「間違った里」という考えでしょうか?

「間違った」と言う意味がよくわかりませんが、もともとの与件である太陽高度8万里が間違いなわけです。

> 短里など無かったのではなかろうか。

そうです。
518改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/12(月) 01:50:39
>「間違った」と言う意味がよくわかりませんが、もともとの与件である太陽高度8万里が間違いなわけです。

そうです、8万里のみならず、6万里もデタラメ。
しかし、当人はそう思い込んでいた(間違えてしまった)ということ。

では、おちます〜zzz・・・・・
519ローガン:2009/10/13(火) 00:08:31
下がったのであげときましょう。

隋書志十四天文上に「蓋天之説即周ヒ是也」とあるので蓋天説なんでしょう。
であれば、大地3万里。当然地中は万5千里。 万5千里で高度8万里と、尺5寸の影に8尺の棒との△の相似でしょう。
尺5寸が万5千里なら一寸は千里と云うだけの事では?ただこの千里、どこからどこまでか書いてない。つまり実際に測った訳では無いでしょう。
隋書には、開皇年間に洛陽で影を測った記述があります。
「夏至影一寸四寸五分周官以土圭之法正日影日之影尺有五寸…短於旧影五分」
周ヒが周公に基づくものなら、地中は陽城でしょう。北にある洛陽の影が短いと云うのはおかしい。
まあどちらが正しいのか知りませんが、測った地点を明記していない周ヒが机上の計算の産物と考え良いのでは?
いずれにせよそのようなものと、実際の地球の半径を使った計算で出た数字に意味は無いでしょう。
520日本@名無史さん:2009/10/13(火) 00:51:30
まあ、太陽の直径なんて計っている時点で変ではある。
季節によって地上から見える直径が変化するなんて聞いた事がない。
ということは、少なくとも他の時点での計測を行っていないことをうかがわせる。
これは実際に計測したかどうか自体を疑わせる話だ。
前提の間違った思考実験に過ぎなかったと考えられるな。
521日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:20:42
だめだ、師匠の書き込み読んでるとどうしても吹き出してしまう。
河童氏もよく真面目な顔して聞けるもんだね。
おれだったら実際お会いしたと仮定して、新聞紙丸めて叩いてしまいそう。
そのままトンズラして逃げるけどね(笑)
522日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:32:55
後漢書で愛想尽かされた「周髀」なんて
よく取り上げるよ。
時間の無駄無駄
末廬は、帯方郡から約4000qの所にある事は、動かす事の出来ない公式なんだぜ。
そして卑弥呼は、帯方郡から約5000q離れた所に住んでいたのも公式なんだぜ。
523日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:40:00
邪馬台国はオーストラリアだった。
524日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:49:14
宣伝すみませんm(__)m

兄弟スレのこちらも宜しく
邪馬台国、大和朝廷成立前夜の日本について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1231491589/l50x
日本人どこから来たんだ?9
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252776454/
邪馬台国は奈良県に存在した!!!!
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1237557885/
『親魏倭王』の金印は福岡県?奈良県?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1122273667/
525日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:51:46
兄弟スレ×
姉妹スレ○
526日本@名無史さん:2009/10/13(火) 12:59:11
>>523
ソウルからシドニーまで直行便出てるだろうから、邪馬台国がオーストラリアだって
不便じゃないな
仮に直行便なくても、関空や成田経由すればいいし
527日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:03:31
>>526
水行十日でオーストラリア着
陸行一月はオーストラリア内をひたすら歩く
邪馬台国はシドニー・キャンベラ辺りか?
528日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:08:56
マジレスすれば
手漕ぎの船で10日でオーストラリアは無理過ぎる。
529日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:15:03
>>528
連続式なら問題なし
狗邪韓國はフィリピン
對馬國・一大國はどこと思う?
530日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:30:40
百歩譲って、卑弥呼が畿内にいたとしても
中国の書物に書いてあるにもかかわらず、
金印の存在を知らない記紀を書いた勢力は
卑弥呼とは繋がっていないのは確実。

存在を知っていれば、今持ってないとしても
無くしたとか返したとか何か書くはずだが
そもそも、そんなモノの記述がない。
531日本@名無史さん:2009/10/13(火) 15:14:36
>>528
皇帝が十日で行けと言えば行くんじゃない?
なにしろ中国四千年の歴史と言われているくらいだから
強靭な肉体の持ち主ぐらいは出てくるよ

だからオーストラリアで決定だな
中国人だって、コアラと戯れ、グレートバリアリーフ辺りでサメと格闘しながらダイブしたいじゃん。
532日本@名無史さん:2009/10/13(火) 15:17:33
卑弥呼の墓って、あのエアーズロックだろ?
1700年ほったらかしだったから、砂漠の土砂や岩が張り付いてあそこまで成長してしまった。
533日本@名無史さん:2009/10/13(火) 15:35:42
>>530
当時の日本には紙がない。
あって木簡だろう。
木は湿度の高い日本では朽ちてしまう。埋まってればなおさら。
さらに大化の改新時に書物や木簡が燃やされている

中国は砂漠地帯の木簡は結構残っていたりするし、
なにより、故事を書き写す
仕事があったから、書物が残っている。
534日本@名無史さん:2009/10/13(火) 16:14:23
>>533
そういうことじゃなく、
日本書紀を書いた王朝は、その祖先伝承の中に卑弥呼がいないってことだろ。
卑弥呼の王朝と近畿天皇家とはつながってないってこと
535太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 16:26:11
だから、こういうことは以下の譬えを考えて判断の参考してほしい。

卑弥呼の記事は伝からの借り物以外独立した記事は記紀にはない。要
するに当時のころの皇籍には女天皇(女王)がいないということだ。

これは日本相撲協会の番付の横綱の名に女横綱の記載が無いことを
思えばよい。これだと誰でも両国国技館で相撲をとる同協会の横綱に
女横綱はいないですよと言うだろう。この皇籍が番付に相当するわけ
であり、当時のころの皇籍に女天皇(女王)がいないんだから、
女王卑弥呼は畿内朝廷の女だとは言えない。現今で女横綱がいたと
すれば、同女は日本相撲協会の女横綱ではなく、別の相撲団体の
女横綱だということになる。これと同様なわけであり、女王卑弥呼は
畿内の女王ではなく、畿内とは別の九州の女王だということが明快
、合理的に考察できうる。
536日本@名無史さん:2009/10/13(火) 16:46:46

日本相撲協会の番付・・・・などと、卑近なものを出してくるのは
素人ゴマカシが常套手段の香具師、詐欺師の手口。

そんなことで「ナルホド」なんて思うようでは、古代の真実は何も判らない。
537太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 17:09:21
>>536
オマエの書きこみには具体的反論がなく、中傷に終始している。
これはオマエが余の説に対抗できないから、そんな口うをたたいて
いるわけさ。じゃ〜いつの日本相撲協会の番付に女横綱がいたのか、
できるなら例示してみるんだな。pp
538日本@名無史さん:2009/10/13(火) 17:18:01
>>535
大体理屈になってないw
畿内じゃなければ九州という事にはならないでしょ?
2〜3世紀なら出雲に吉備や丹波にだって
それなりの王権はあるからね。
539日本@名無史さん:2009/10/13(火) 17:19:30

日本相撲協会は女子の入門を認めていないので
横綱はもちろんのこと、過去に女性力士が掲載された例は皆無。

そんな譬えでは、古代の歴史を考察する材料にはならない、ということだ。
540太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 17:31:13
>>538
オマエの言う出雲等では畿内に近く、女王国の情報が畿内に入り
やすい位置にあるから、そこに卑弥呼の女王国があるんなら、これは
畿内に情報が入りやすい地域ということになり、また
大陸から金印を受けた女王なんだから、当然記紀にその
情報が載るはずだ。だからそんな畿内に近距離の地域には女王国は
ない。九州でも北九州では大陸半島からの遣使により畿内に途中
卑弥呼の国があったよ〜との遣使の情報が畿内に入るから、記紀に
載ってない以上、そこでもない。だから遣使らのあまり通ることの
ない九州のある地域に女王国があったことになる。ただ北九州でも
遣使のあまり通行してない所はあろうから、そういう所なら女王国が
あった可能性はいささかあろうがね・・・。
とにかく皇籍にないという厳然とした事実に目をそむけると、盲象の
畿内説がまかり通る。オマエもそれに脳内が冒されている。ww

>>539
卑弥呼は皇籍に入文した形跡が記紀にないから、これは畿内朝廷に
入文した女王ではない。ww
541遊び心:2009/10/13(火) 19:35:58
名探偵コナンの黒装束のやつで何人名前を上げれるか。
スタート!
ジンだろ、ベルモット、うおっか、カルバトス、
ライフルを持ってる2人ってなんていうんだろーねw
542日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:02:49
ゲンコ虫のレスみとったらやる気なくしたwww
543日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:20:23
見てやる気なくすのなら、見なければいいだけじゃないの?
544日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:28:33
何故かみてしまう〜ww もう癖になってるよ はははw
545日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:42:57
おい、河童さん 尺が何故「人の歩幅」になるのか答えろよwww
546日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:54:35
畿内、伊勢、出雲、越後、鹿児島、沖縄、台湾、フィリピン、ニューギニア、オーストラリア、メキシコと
あらゆる可能性を検討したのですが、やはりいずれの候補地も無理があるようです。
結局、邪馬台国の候補地は、松浦半島から熊本の菊池の間ということになりそうです。
有明海沿岸から筑紫川の河岸に幾つもの国があって、その中の一つが当時「邪馬台国」
と呼ばれていたとみてまず間違いないでしょう。
現在の唐津線のルートを通って佐賀平野に抜けた。問題はそこからです。
547日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:58:43
どんと来いさんごめんね。
ぼくは「北岸」とか「伊都国」とかさんざんやってるし
いまさら、そんな課題にはついていけぬ、
おれ一人でもここに居させてもらうわwwwwww
548日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:00:49
>>546
じゃぁ早い話、魏志倭人伝の行程記事は、
間違っているということですよね?
549日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:04:36
>>546
長崎本線のルートということもありますね。
550日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:04:45
「尺」とか「歩」をやりたいんだけど河童氏ぐらいしかいないんだよね・・・。

551日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:09:26
距離についてはスレで議論されているように諸説あるが、
方向については当時どんなにでたらめな地図を見ていたとしても
現地での東西南北を間違える可能性は低い。

基本的に東南にしか行かない。
552日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:09:36
>>548全部が間違っているというのではなく、一部に間違いがあるため、そのまま解釈するとコースを外れてしまうと考えてください。
一部が間違っているだけで、魏志倭人伝は全部嘘だと決め付けるのは物事の本質を見誤ることになります。
553日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:13:17
東南に出発しても曲がりくねった道を進むと方向が分からなくなってしまうものです。
現在のようにコンパスがあるわけではないし、いつも晴れているわけではないので、
使者の感触だけで書けば、方向も間違って記述される場合もあると思います。
道案内の倭人の言葉がわからなければ、方向を聞くこともできません。
554日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:15:19
むしろ日数が問題になりますが、これも潮待ち、険しい山、川止め・・など不確定要因は多いと思います。
555日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:15:36
>>551
福岡県前原市が地元の原田氏は、
魏志倭人伝の使者は夏の暑い時期に倭の地へ訪れただろうと考えて
夏至のちょうど東から45ドずれるのを指摘してますね。
しかも雨の日は太陽の位置が正確にはつかめず方向感覚も見失う可能性もある。
この辺の指摘についてどのように考えてるのでしょうか。
556日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:16:32
それより、松浦半島から菊池の間として、邪馬台国にふさわしい場所を特定し、
発掘してみる以外にありません。
557日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:20:03
>>552
又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 ですが、
正確にいうとま南ではなく少し東にむいてるのではなかろうか?
一部というよりも全体としてみたほうがいいかと思うのですが。

558日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:23:11
太陽による方角は正午の太陽の方向をみるだけで良いのでは?
見づらければ棒の一本も立てて影みればいい。

いくらなんでも季節によって日の出日の入りの方向がずれるのを
中国人が知らないとは思えない。
559日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:28:21
水行二十日 そして、水行十日 陸行一月 ですが、
水行及び陸行では、同じ日数で表記されてる為、
SPEEDは同じような扱いではなかろうか。

たとえば、一日でどれだけ進むのかを検討する必要があると思う。
私が実際に歩いた経験で言わせてもらえば、休日の朝に9kmぐらいは余裕で歩いたり、走ったりしてる。
一日にどれだけ歩けるかを考えると18kmぐらいが適当ではなかろうか。
魏使の行程ルートがどこを通ったのか知りませんが、現在のアスファルトで整備された道路と違い、
当時の道と言えば道無きところを進み山や川や、急な坂道を登ったりしたのかもしれない。
560日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:33:01
重い荷物を背負って進まないといけない魏使は、一日でどれだけの距離を進んだのだろうか?
雨の日もあるし、台風だって来たかもしれない。
これらを考えると12kmないし、上限は18kmぐらいではなかろうか。
561日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:34:11
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
562日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:35:04
二 ◆.L.MXSPOgc さんは銀河にバカにされてるってことに、まだ気付いてないようだw
563太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 21:35:40
遣使をロボットと勘違いしてる奴がうんといるようだ。
ロボットはほぼ単純計算で距離を進む。wwwww
564日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:40:57
>遣使をロボットと勘違いしてる奴がうんといるようだ。
>ロボットはほぼ単純計算で距離を進む。wwwww

同意、一人で進むのと団体で進むのとでは差が歴然。
下限は12km、上限は18kmぐらいではなかろうか。
それにしても「遣使」という呼び方いいね。
魏使だと違和感があるw
565太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 21:43:45
だから陸行一月とかを言い張って南の海中に沈むとか言い出す考え
が浅い連中が多いという意味だ。歩くロボットは休まず進行して
行けるから一月後はノンストップで海の中だ。www
566日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:45:30
いえ、18kmと言ったのは一日でどれだけ進むかを計算したのです。
結果:九州ではおさまらずw
567日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:46:47
九州の南海上に飛び出てしまうとしても
東北はあり得ない。
568日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:57:18
俺の計算では愛知か静岡あたりがふさわしいように思える。
569日本@名無史さん:2009/10/13(火) 21:58:08
>>550

>「尺」とか「歩」をやりたいんだけど河童氏ぐらいしかいないんだよね・・・。

やってもつまんないぞ

「歩」=動  

「尺」=静
570日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:06:21
>>569
いえ、それだけだと分かりません。
あの師匠の説明だけで理解できるの?w
571日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:08:21
>>569
美濃もん太くん
君とおなじこと言ってるやんw
572日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:11:38
「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ

その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」
573日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:13:01
(ノ ̄┏Д┓ ̄)ノ ウオオォォォォォォォー!! 俺と同じだ!!

今の心境を表した顔文字w
574日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:13:14
>>570
十分すぎるほど
575太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 22:15:41
唐松山は論述において、一手で一マスしか前進できない将棋の歩を〜
一手で数マスも進ませる手を打つようなことを平気の兵で強行する。
576日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:15:54
えええーー 驚いた!
おめーさん、ある意味すごいわww

んじゃ、あのもん太くんが言ってることも君には理解出来るでしょ?w
577日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:18:54
ぬぬぬぬ 太国も参戦か
1:2じゃ分が悪い、誰かきておくれ
578日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:24:30
>>576

>んじゃ、あのもん太くんが言ってることも君には理解出来るでしょ?w

言ってることがめちゃくちゃな時も多々あるけど
彼いい感性しているよ
579日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:31:12
誰か来てもついてこれないだろうし、一人で反論するかw

>>>575
>将棋の歩を〜

将棋は日本だけだろう。
それとも象棋にも「歩」があるのかな?

>>572
>「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ
>その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」

歩の由来は身体尺で言う「足幅」 尺は「手(他:腕説あり)」というのをご存じではないのかな?
580日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:37:09
>>572
ちなみに「尺」 という字を解体するとどうなるのでしょうか?
どこがどう「足」とつながるのでしょうか。

581太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 22:37:49
チャトランガとか言ったかな?
582日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:38:59
>言ってることがめちゃくちゃな時も多々あるけど
彼いい感性しているよ <

どこが〜 たんなる無知だろうw
583日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:40:27
>>581
どうして「歩」が一歩になるのですか?とお聞きしたんですよ。
この考えは、日本だけであり、中国にそんなもんあるのか?と聞いてるんです。
584日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:40:57
将棋の歩も成金になって活躍することもあるのです。
585太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 22:46:19
どうしてだと? それがしは将棋の専門家ではないぞ。通常の日本
将棋の指し手を譬えて言ってるんだ。唐松山の盲象を折伏するため
だ。チャトランガには歩兵があることがWikiに解説がある。中国
将棋のことは本で読んだことがあるが、もう忘れた。ググれ。

あ、そうそうチャトランガには象の駒があるそうだ。日本将棋の銀と
同じ動きだとある。w 盲象唐松山は、論で象もヨコに動かすよう
な手を打つ。
586日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:51:48
>>579

>歩の由来は身体尺で言う「足幅」

だから「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」
とかいたろう

尺は「“尸”象人卧的形象」と書いてあるわな
587日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:52:18
>583の一歩は一足に訂正

>>585
わたしはインドの国のゲームの話をしているのではない。
魏志倭人伝に記載される「徑百餘歩」この「歩」についてお尋ねしている。

わたしが知るところによると「将棋」というのは日本のゲームでしょう。
中国の単位である「歩」について説明してください。
588太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 22:54:39
歩の話は関連でしているが、オマエと直接論の対戦をしてるんではない。美濃
もん太にでも聞け。
589日本@名無史さん:2009/10/13(火) 22:56:49
>>580

>ちなみに「尺」 という字を解体するとどうなるのでしょうか?
どこがどう「足」とつながるのでしょうか。

尺は人の体そのものだよ だったらわかるよね?
590日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:00:10
>>586
>だから「歩」は動によって生まれる一瞬の長さ その一瞬の長さを永久的に残したのが「尺」
>とかいたろう

尺がどうして「足」と関係するのか説明して下さい。

>尺は「“尸”象人卧的形象」と書いてあるわな

どこからの引用でしょうか。
“尸”というのは人ですよね?これにノを逆にしたのを加えて「尺」ですよね?
これは、肘〜動脈の距離といわれていますよね?
591日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:02:23
そうやって一生言葉遊び文献いじりで過ごすのですか?
592日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:03:34
>>589
>尺は人の体そのものだよ だったらわかるよね?

意味分かりません
人の体がなぜ足になるのか説明をお願いします。

>>588
>美濃もん太にでも聞け。

逃げると言えww


593太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 23:08:01
>>592
オマエと論戦してないのに、なんで逃げになるのか?
なんで余に矛先を向けるのか? 余は唐松山の盲象をどうのこうの
言ってるんだよ。オマエと直接対戦してないぞ。した野郎に噛み
つけよ。それともこの前、余にやりこめられたんか?pp

オマエ改めか〜?ww
594日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:10:33
>>593
素晴らしい逃げ方だなwww
595太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 23:13:08
なるほど〜どうやら改めらしいな。bb
先日逃亡したから絡んで来たようだな。ww
596日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:14:08
>>590

>肘〜動脈の距離といわれていますよね?

それは寸口
『人手却十分动脉为寸口。十寸为尺』 
十寸を尺とする。尺を十等分したのが寸じゃなく、手の中心から十分下がったところを基準として
十寸目が尺だよと言ってるだけです。
決してうでの一部を尺としたわけではありません。


>どこからの引用でしょうか

辞書からの引用です。一般の辞書に掲載されています。

『“尸”象人卧的形象。“乙”是个标识』= 人のからだ(尸)からこうせいされ、乙はしるし

597太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 23:14:55
改め丸こと大震国本紀君よ〜。とぼけるのはもうやめにしようぜ〜。
598日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:18:52
>>591

>そうやって一生言葉遊び文献いじりで過ごすのですか?

他人の生き方に対して口をはさむののか?
599日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:21:42
>>596
>それは寸口『人手却十分动脉为寸口。十寸为尺』 
>十寸を尺とする。尺を十等分したのが寸じゃなく、手の中心から十分下がったところを基準として
>十寸目が尺だよと言ってるだけです。
>決してうでの一部を尺としたわけではありません。

ほう、太国よりはマシなことを言う。
しかし、「寸」を調べてるんでしょうね?
「寸」というのは、「手首から動脈」というのはご存じだろう。
「十寸为尺」ですので、それだと「尺」は約10倍の「肘〜動脈」の長さになりますね?
これを測ると、18cmぐらいになるのではなかろうか?
そして、歩は6尺ですので、かなり長い距離となってしまいますよ?

>辞書からの引用です。一般の辞書に掲載されています。
>『“尸”象人卧的形象。“乙”是个标识』= 人のからだ(尸)からこうせいされ、乙はしるし

はいはい〜よく調べてますねw
600日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:23:45
>>597
>大震国本紀

まずは、なんて書かれてるのか調べてから「大震国本紀」といってはどうですか?
601太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 23:25:47
それより有コテで来い。怖いのか〜?pp
602日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:27:38
>>599

>「寸」を調べてるんでしょうね?


ほら

“一”指下手腕一寸之处
“寸”是汉字部首之一,从“寸”的字往往与“手”有关
本义:中医切脉,称距离手腕一寸长的部位为“寸口”,简称“寸”

調べているよ
603太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 23:28:17
大震国本紀君よ〜。
コテハンが怖いのか〜? デカい口を叩くなら、コテハンをつけて
からにするんだな。ww
604日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:30:09
>>602
なら、それの10倍の「尺」 6倍の「歩」がなぜ、「尺」と同じ長さになるんですか?
605日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:30:45
>>599

>歩は6尺ですので、かなり長い距離となってしまいますよ?

だから帯方郡から末盧国まで約4000km離れているんだよね
606太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 23:32:42
>>600
どうしたんだい〜?こちらに注文つけるなら、まずオマエのほうから
こちらの注文を受けたらどうだい? コテハンはどうした?

オイ! ドウなんだよ?
607日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:33:32
>>605
文献でいう魏志倭人伝を読むとそうなります。
しかし、そんなところには日本列島はありません
イコール
魏志倭人伝の里数は間違いもしくはデタラメということが分かるよね?

>>603
反論もできないやつがよく言うよw
608日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:34:28
>>604

>なら、それの10倍の「尺」 6倍の「歩」がなぜ、「尺」と同じ長さになるんですか?

だからさっきから言ってるだろう

「歩」は動から生まれた一瞬の長さで、「尺」は一瞬の長さを未来永劫形として残したものだと
609日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:35:45
>>608
尺は足とは関係ありません
610日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:40:59
>>609

足もからだの一部だぞ 

ほれ
“尸”象人卧的形象

尺はからだで構成されているだろう
611日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:41:12
>「尺」は一瞬の長さを未来永劫形として残したものだと

何処の部分を?足というなら、尺が足の部分だという証明は?
612日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:43:05
“尸”象人卧的形象 ? これが、どう足と関係するの?
613日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:43:58
>>611

>足の部分だという証明は?

>>610を参照
614太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/13(火) 23:45:52
フ〜ン、コテハンもつけられない大弱虫なんだねえ〜。ppp

となると改めではないな? 口ほどにもない野郎だな。
コテハンつけられずに逃げか〜〜。ww 消えろ!
615日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:46:02
>>612

>“尸”象人卧的形象 ? これが、どう足と関係するの?

足はからだの一部だよ  それとも東京タワーの一部か?
616日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:49:17
>>607

>魏志倭人伝の里数は間違いもしくはデタラメということが分かるよね?

じゃあ、百余歩も出鱈目だね
617日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:50:40
ちと本開く
618日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:54:39
>>615
そのまえに「尺」の起源は知ってるかな?
なんで尺なる単位が必要なのか?
619日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:56:43
>じゃあ、百余歩も出鱈目だね

これは、改めとうましかの議論(周髀算經)を読むことだね。
620日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:57:02
尺は足を利用した足の歩幅を文字の形にしたの
だから「“尸”象人卧的形象」
621日本@名無史さん:2009/10/13(火) 23:58:34
>>619

>これは、改めとうましかの議論(周髀算經)を読むことだね。

周髀算經なんて後漢書で否定されているジャン
622日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:00:01
「尺」が足を開いてる姿だって?ははは
いかにも虫流だねw 
623日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:01:11
後漢書のどこで?何ページのどの漢文で??
624日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:02:34
>>618

>そのまえに「尺」の起源は知ってるかな?

尺の文字を作った人にでも聞いてきたの?  教えて?


>なんで尺なる単位が必要なのか?

必要だったからだろう。必要なければいらないから
625日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:03:53
チト待ってくれよw 
おれもすべて暗記してここにレスしてるわけではない(ほとんど暗記だけどね)w
626日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:04:05
>>623

>後漢書のどこで?何ページのどの漢文で??

自分で調べろよ  めんどくせいから
627日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:12:36
“尸”ではないもう一つのほうを調べてみ
ノの逆みたいなのは、曲げた肱(ひじ)の象形。
ていうことで尺は、足ではない。
628日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:13:10
>>623

めんどくさいけど、ほいな

新校本後漢書/列傳/卷五十九 張衡列傳第四十九 - 1898 -

「周髀術數具存、考驗天状、多所違失、故史官不用」


和訳は自分でしてよ
629日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:14:23
>>628 サンクス〜♪
630日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:21:02
尺の起源は「手幅」だけど、次元が言ってるとおり、
中国の手幅が起源ではなく、エジプトの「肘〜動脈」が期限といわれいる(六十進法とか知ってる?)。
この「肘〜動脈」が手幅と同じ長さから、中国では手幅としているのであろう。
この手幅だが、商骨尺16.95cmという記録が残ってるらしい。
631日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:24:10
「訂正」
次元 → 字源
632日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:24:26
>>627

説文にはそんなこと書いてないよ

因みに「肱」は古文の「ム(最後の点がないやつ)」から構成されているよ
633日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:27:29
>>630

中国とエジプトの因果関係を示してくれ
634日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:29:33
最近の名無し河童はやけに出典だすなあ
635日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:33:02
>説文にはそんなこと書いてないよ

君がどの辞書を使っているか知りませんが、もっと詳しく書いてるやつじゃないと駄目ですよ。

>因みに「肱」は古文の「ム(最後の点がないやつ)」から構成されているよ

肱は肘と違って「肩から肘」部分ですね。
それから、肱の象形文字「ノ(の逆)」を調べたら分かると思いますよ。

では、もう遅いので寝ます zzz・・・・
636日本@名無史さん:2009/10/14(水) 00:34:14
>>633
>中国とエジプトの因果関係を示してくれ

エジプトのが古い ていうか早い それだけの話。
637日本@名無史さん:2009/10/14(水) 07:48:19
>>635

肘は 腕の間接部分だけの意味ですが

肱は、二の腕だけじゃなく、腕全体を表す意味もありますね
638唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/14(水) 17:48:48
>余は唐松山の盲象をどうのこうの言ってるんだよ。

そんな暇があったら、自分の思考を固めて書き込んで下さい。
それとも”否定する”しか能のない3倍年ですか?
639太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/14(水) 19:36:05
倍年の論はオマエの「盲増年」よりずっとマシだ。ww
640唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/14(水) 19:58:26
>>639
他人様の論を否定するためには、倍年の論はオマエの「盲増年」よりずっとマシだ。ww
ということ?
歴史は読めない3倍年?
641太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/14(水) 20:51:07
余に暦を作れないとはちゃんちゃらおかしい。こちらのやってること
は紀年だよ。神武即位が西暦何年で崇神が同何年なのか、仁徳即位
は幾年なのかとか〜こういう研究をしてるのが余だとか倉西女史だと
かサガミハラハラ氏等、オマエを除く面々なんだよ。

暦が完全に造れると思ったら大間違い。いまの古文献の量じゃぁ、
ととてもじゃないが不足すぎて暦なんか編めっこはない。それがこの
条件でできたというなら、そいつは大ウソ野郎だと観て間違いは
な〜い。1円の金で空港を造れとか要求してるようなもんで、こんな
過大な要求をする唐松山という野郎の大アマな脳内が考える甘ったれ
行為なわけだ。ww
642日本@名無史さん:2009/10/14(水) 20:59:52
まぁ、ぶっちゃけ大和だけどw
643日本@名無史さん:2009/10/14(水) 21:19:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
644日本@名無史さん:2009/10/14(水) 23:20:57
>>641
> 余に暦を作れないとはちゃんちゃらおかしい。

> とてもじゃないが不足すぎて暦なんか編めっこはない。

この人何逝ってるの? 頭おかしいのでは?? 気味が悪い。
645日本@名無史さん:2009/10/15(木) 06:43:22
邪馬台国は筑紫君磐井だとする説はないのですか?
江田船山付近に巨大な環濠集落がありますが、それが邪馬台国だったのではありませんか?
646美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/15(木) 09:32:43
>>645
そう思ったらまず、その地域に伝わる伝承や神話や古い地名とかを調べようよ

そこに卑弥呼の話と似た伝承があるのかないのか
647美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/15(木) 09:42:13
>>645
トンカラリン
冠岳(かんむりたけ)
鳥子神社
姫伝説


とかだってさ
調べてみ?
648太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/15(木) 10:40:36
>>644
そんならオマエ暦を編めるのか? 記紀等の情報だけでは、古代の何年何月何日
何があったかという詳細正確な事実は完全または十二分には把握できないと
いうことを言ってるんだよ。おおまかには記紀等で掴む可能性がある。

これをあいつは完全にしろということを言うわけで、だれも不可能な事なのに、
出来ないことの注文の手を緩めないわけだよ。オマエだって1円で新築住宅が
買えないことくらい分かるだろうが? ところがあいつはこういう過大な要求を
改めないから、ああいうことを言ったまでのことよ。

それともオマエはそういう暦を編めるのか? 出来るんなら、聞いてやろうが、
大嘘なら、唐松山同様、徹底して突くぞ。
649日本@名無史さん:2009/10/15(木) 18:07:37
神武東征は2世紀末(倭国大乱の頃)のことだね。日本書紀には九州から畿内に進出した勢力が居て
これが後の大和王権の礎を築いたことが書かれている。但し、日本書紀には史実を反映した事柄は書
かれているが年代を知ることは難しい。崇神は畿内とその周辺に支配権を確立して初めて国家らしい
統治状態を齎した人物であろうが、これも4世紀以降のことであろう。3世紀の畿内には繁栄した国
らしいものの遺跡や出土物がない。
650日本@名無史さん:2009/10/15(木) 18:28:42
>>649
纏向遺跡は?
651日本@名無史さん:2009/10/15(木) 18:42:22
>>650
纏向遺跡を知らないのか?箸墓などの古墳は4世紀以降(下手したら5世紀以降)のものだ。その他の
出土物だって貧しいものばかりだ。
652日本@名無史さん:2009/10/15(木) 19:44:14
>>651
>箸墓などの古墳は4世紀以降(下手したら5世紀以降)のものだ。

根拠、理由を書いていただけませんか。
653日本@名無史さん:2009/10/15(木) 19:51:16
ムダだよ、その人は縄文人といって根拠のないことで有名なコテなんだ。
654日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:09:12
都合の悪い科学的知見は全て恣意的な
操作と考えているみたいだからな。
655日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:16:42
箸墓の外堀からは、布留0式土器が発掘されているよ(1998年の調査)。
昔の編年でも、三世紀末〜四世紀初くらいか。
656日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:21:02
>>646,647
江田船山古墳は、磐井の乱で勝利した近江毛野が支配した。
だから、群馬県の稲荷山鉄剣と同様に獲加多支鹵大王の名を刻んだ遺物が残ったのです。
九州と関東をつなぐカギも毛野氏でした。
一方、当時の最高権力者大伴金村はどうしたかというと、筑紫君磐井の支配していた任那国の
上多利(多は口偏に多、利は 口偏に利)・下多利・娑陀・牟婁の四県の支配権を得る。
しかし、遠方ということで百済に譲渡してしまい、後に失脚の原因となる。

上記の牟婁の地名は、大村に通ずるのではないかというのが私の見解です。
磐井は九州だけではなく、朝鮮半島にも支配地を持っていて新羅と友好関係にあった。
だからこそ、帯方郡や魏ともつながりがあり、使者を送ることができたのです。
もともとは、中国山東省に住んでいたのですから当然です。
(そのルーツはまだ調査中、きょ(草冠に呂)の人か?)

だんだん邪馬台国の謎が解けてきましたね?!
657日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:29:20
>>651
>箸墓などの古墳は4世紀以降(下手したら5世紀以降)のものだ。

この「下手したら5世紀以降」という年代は、どうやって導いたの?
658日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:39:27
>>655
>昔の編年でも、三世紀末〜四世紀初くらいか

その実年代を与える根拠、理由を書いてくださいよ。

それと、今の編年だと、どうなんですか。
659日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:39:28
縄文人は、これまで反論されたら罵倒でごまかしてきたからまともな議論をする力はまったくないんだよ。ヤフーはそんなとこだしね。
660日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:55:22
>>658
土器編年を云々するのは素人の領域じゃないので、↓を参照して
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/makimuku/makimuku.html

現在の編年は、近年の歴博の発表以来「少しさかのぼることになる」のが
常識的判断です。ま、数十年は早くなる。
661日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:56:10
>>647
加えて、牟婁「むろ」と御諸山の「みもろ」、大村の「むら」は語源が同じではないかと思うのです。
つまり、筑紫と巻向は、どちらも磐井が支配していた土地だったのではないだろうか?
662日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:57:45
失礼、貼り付けるURLを間違えた
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html
663日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:31:10
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
664日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:40:57
どうやら、邪馬台国は筑紫で決まりみたいです。
665日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:51:19
>>661
バーカ、バーカ
666日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:39:29
>>653>>659
縄文人は考古資料が嫌いだとか言う人がいるようだけど、彼のレスを読む限り遺跡や出土物の価値を否定
しているようには思えないな。遺跡や出土物について恣意的な解釈をしている論を嫌っているだけだと思
うね。最近酷いからね。年輪年代法なんていかさまだよ。同じ土地でも山の尾根筋と谷筋では年輪のパタ
ーンは違うよ。木の成長には日照量、養分、水、温度が重要だが、特に日照量と水分の影響が大きいので、
日照量が多い尾根筋でも雨の少ない年は年輪幅が小さく、同じ土地の日照量の多い谷筋では雨が少なくて
も年輪幅は大きいよ。土地によって随分違うよ。そんなもので、しかも1500年以上前の素性のはっきりし
たサンプルも得られないのに年代の測定に使えるわけがないのだよ。炭素14を使った年代測定法だって難
しい問題があるよ。炭素14は炭素12より中性子が2個多いが陽子と電子の数が同じだから化学的性質も
ほとんど同じだけれど、燃焼での酸素との反応で全く差がないかどうかは分っていないよ。土器に付着し
ている煤は木材などの有機物が燃えたた場合に不完全燃焼で遊離した炭素の微粒子だけれど、炭素14と炭
素12の燃焼性に差があればおかしなことになるよ。そこのところの検証もなされてないね。
そんな年輪年代法や炭素14年代測定法による遺跡年代の繰り上げが行われていて多くの人が騙されている。
箸墓の築造年代を3世紀半ばとした歴博の発表などを信じている人が未だいるようだけど、情けない話では
ある。あの辺りの調査で馬具(木製鐙)が出土したことは不問に付されているが、これが古墳築造時に埋ま
ったものなら3世紀ではなくずっと後世のものであろう。5世紀以降かも知れない。布留0式土器だって3
世紀に埋められたものかどうか分らない。誰が証明できるのだろう。
667日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:41:31
>誰が証明できるのだろう。
いい年をして自演している縄文人ではないな。
668日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:48:00
自分の不利な年代査定は全部捏造ですよねー(笑)
669日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:49:11
別に縄文人に限らず、コテのほとんどはアフォとしか思えんが。
670日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:54:47
>>666 
ああ、その馬具は張政のものだよ。船に愛馬を積んできたんだ。ww

671日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:00:07
>>669
そのアホ説はおおむね正しいと思いますが、どっちかといえば九州説におおいんじゃないかな。
九州王朝、太国、唐松山、縄文人、河童虫・・・
672日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:04:41
なるほどな。

1回目の梯シュンの遣使のとき、倭には馬がいないことが判り
梯シュンらは難儀した。
で、そのことを申し送りされた2回目の張政は
用意周到に馬も一緒に帯方郡から連れて来た・・・・・

これはあり得るし、倭人伝の牛馬無しの記述とも矛盾しない。
673縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 00:11:51
しばらく留守していたが、一向に進んでいないようだ。なんだ?私の名前がでているな。それにしても
箸墓だとかまだ議論しているのか。巻向地域が大きな国の都なんかであるわけないだろ。墓場だし宮殿
らしき建物跡や大きな住居跡もないし。いろんな地域の土器が出土すると言ったって、古墳造営のため
に各地からかり集められた人夫が持ち込んだものだろうよ。奈良の弥生遺跡はとても大国があったとは
思えぬ貧弱さだね。そんなところにあんな大きな古墳を作れるような国が突然に出来るかね。箸墓など
は4世紀以降に作られたと見るのが自然だね。
674日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:13:59
しらじらしいwwwwwwwwww
675日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:14:38
wwwwwwww
見え見えwww
676日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:16:33
ドサ回りの旅役者の方が遥かに上wwwww
677日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:18:22
あー面白いwwwwwwwww
678日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:19:13
wwwwwwwwwwwwwww
679ローガン:2009/10/16(金) 00:39:36
>>666
>箸墓の築造年代を3世紀半ばとした歴博の発表などを信じている人が未だいるようだけど、情けない話ではある。

こんな場末の掲示板なんかで、つべこべ云わずに直接歴博に云えば?
自身の想像するような年代を、歴博が言ってくれない怨み節にしか聞こえないねえ、縄文人さん。

だいいち、九州説なんだったら箸墓なんか全く関係ないでしょう?縄文人さん。

>あの辺りの調査で馬具(木製鐙)が出土したことは不問に付されているが、

そんなの今まで散々話題になった事。「不問に付されてる」ようにしたがっても駄目です。
だいいち、伊作さんとだったかあなたとだったか、曲学さんとこで議論したでしょ。
当時、「冷静な閲覧者」とか名乗って常駐してたんだから、覚えてるでしょ?
680日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:58:08
週間文春で安本美典が歴博はインチキだと吠えてた。
科学の分析にまでケチつけてるし。
681日本@名無史さん:2009/10/16(金) 00:58:57
温厚な老顔氏も、ついに怒ったか…
682日本@名無史さん:2009/10/16(金) 09:57:06
>>680
いんちきなんだからしょうがない。
あれだけ批判されても自説の検証もしようとしない。
マスコミ頼みのプロパガンダに北條まで激怒とかいう状況だしな。
683縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 11:28:38
>>679
私は箸墓なんか邪馬台国に無関係だと思っているからこちらから話題にしてはいないよ。巻向地域の遺跡
を持ち出したのは畿内説派の方でしょ。変な文句をつけないでほしいね。
>>680
あなたは科学とはどういうものだと考えていますか?年輪年代法が科学的であるという論拠を示してみて
くれませんか。科学的だと見せかけた論が批判されるのは当然ですよ。
684日本@名無史さん:2009/10/16(金) 13:11:37
>>683
現実を素直に受け止め、対処しろ。
685日本@名無史さん:2009/10/16(金) 13:46:04
私も、箸墓はモモソヒメの墓であってヒミコの墓ではないと思う。
ただ、三世紀築造の可能性は多いにありうると思うが。

年輪年代法は、確かにまだ危ない感じがあるのも事実。
でも、従来の土器編年に比べたら、「科学的」であり今後期待が持てると思うが。
686縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 13:52:58
>>684
意味不明な書き込みだな。現実とはなんだ?どう対処しろと言うのだ?科学的でない方法で測定された
年代を率直に受け入れろと言うのか?科学的な方法というのは誰にでも(能力のない者は別として)検
証可能なものだ。年輪年代法が科学的だと言えない理由は「使用した木材サンプルや年輪パターンをつ
なぎ合わせた過程などが公開されておらず検証しようにもできない」というのが一つだ。「これは自分で
発明した方法で絶対に正しいから信用してくれ」というのは科学的ではないのだ。さらに、年輪年代法の
原理に関する根本的な問題がある(長くなるので省略するが)ので信用できないのだ。そういうことを分
ってものを言っているのか?
687日本@名無史さん:2009/10/16(金) 14:17:20
>>686縄文人
あんたはそもそも遺跡や出土品を重要視しない立場なんだろう?
ドンと来いの何スレ前かに確かそう書いてたではないか。
遺跡や出土品は大半が破壊。消滅してるから
ごく一部残って出てきたそれら遺跡や出土品を重要視してる考古学では
古代史は少しも分からん・・・・・これがあんたの立場だった筈。

だったら年代測定にイチャモンつける前に、遺跡や出土品は徹底して無視しろよ。
688ローガン:2009/10/16(金) 14:51:25
>>686
>科学的な方法というのは誰にでも(能力のない者は別として)検証可能なものだ。

その通りだ。検証可能なものだ。否定したいなら自分で検証すればいい。したのか?

>年輪年代法が科学的だと言えない理由は「使用した木材サンプルや年輪パターンをつなぎ合わせた過程などが公開されておらず検証しようにもできない」というのが一つだ。

甘ったれるな。自分の目の前に提示してもらえないのが、科学的でない理由だと?
じゃあ科学的に否定してみろよ。杉でも桧でもいい、標準パターンのどの辺りがおかしかったかね?
標準パターンのグラフなど、公開されている。否定する君のグラフとどうちがうだい?

>「これは自分で発明した方法で絶対に正しいから信用してくれ」というのは科学的ではないのだ。

誰が「これは自分が発明した方法」だと言っているのかね?教えてくれるかい。
689日本@名無史さん:2009/10/16(金) 15:19:31
老眼、キレたぞ…
690日本@名無史さん:2009/10/16(金) 15:54:39
他人の研究に熱くなっても仕方なかんべ。
691日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:00:50
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今こそ、草莽ひとりひとりが立ち上がるときです! 多くの皆様のご参集をお待ちしております!

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             http://www.ch-sakura.jp/topix/1290.html

■場所 : 砂防会館別館 「シェーンバッハサボー」 大会議室(東京メトロ「永田町」駅 徒歩1分)
  地図はこちら http://www.sabo.or.jp/map.htm
■登壇予定 [敬称略・順不同]
  城内 実、平沼赳夫、山谷えり子、稲田朋美、西田昌司、中山成彬、
  西村眞悟、赤池誠章、馬渡龍治、渡部昇一、日下公人、大高未貴、
  田母神俊雄、百地 章、花岡信昭、伊藤哲夫、三輪和雄、平田文昭、
  西尾幹二、藤井厳喜、西村幸祐、井上和彦、水間政憲、村田春樹、
  増元照明、永山英樹、松浦芳子、土屋たかゆき、三宅 博ほか ※ 10/13 追記
■VTR 登壇 : 【安倍晋三】 ※ 10/9 追記
■司会 : 水島 総、高清水有子  ※ 10/9 追記

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  http://www.ch-sakura.jp/sakura/savenippon-meeting1017_flyer.pdf
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692縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 18:08:48
>>688
ローガンさん
あのね、年輪パターンをつなぎ合わせて年代のモノサシを作って、年代を調べたい試料の年輪パターン
がそのモノサシのどこに一致するかを調べるのが年輪年代法と言われるものだ。これは欧米ではかなり
成功している。ところが、我が国ではかなり古くから試みられたがうまくゆかなかった。樹木の個体差
や地域差が原因だろうとされたが、光谷氏は独自の方法で(統計的方法を取り入れた標準化など)モノ
サシの作成に成功したという。この点を少し褒めて彼が発明した方法と言ったのだ。だが、本人も認め
ているように、年輪パターンを比較するには少なくとも100年輪が必要だ。10年くらいのスパンだと気
象条件が一致する10年間はここ2千年の間にいくらでもあるだろう。100年のスパンだとそれはないだ
ろうと考えるわけだ。それはよいだろう。そこからが問題だ。モノサシを作るには200年輪以上で素性
の分った(伐採年が明確な)試料木が必要だ。樹齢2千5百年のスギやヒノキが利用できるならばよい。
だが、それは無理だろう。千年前の木材試料は得られるかも知れないが、千5百年以上前の木材試料は
得られるのか?遺跡からの出土品はあるだろうが、それの伐採年代は記録がなければ不明だ。しかも1
個の試料では個体差の問題がある。そのような状況でモノサシをどのように作ったか。その木材試料と
方法が提示されているかね。出来上がったモノサシが示されていてもそれが正しいか否かの検証ができ
ないではないか。私が言っていることが分ったかね。
693日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:24:20
>>692
>モノサシを作るには200年輪以上で素性
>の分った(伐採年が明確な)試料木が必要だ。

カッコ内は意味不明。
というか年輪年代法にまるで無知と思われ。
694日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:56:45
河童虫さん、年輪年代法てどうゆう測定方法なの?
少し説明してください。

695日本@名無史さん:2009/10/16(金) 19:01:07
太国さん、C14、測定方法てどうゆう測定方法なの?

古代史歴の長い2人に聞いてみよう。
696縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 19:47:33
>>693
おまえが無知なのだ。伐採年代の分らない木材の年輪パターンが(それまでに伸ばされてきた)モノサシと
一致する部分を見つけてそこを重ねてつないで行くというのは机上では可能だが、実際は難しくまた過誤を
避けられない。おまえは年輪パターンの作成過程を見たことがあるのか?同じ伐採年で同じ樹齢の年輪パタ
ーンがどの程度一致するか見たことがあるか?完全に一致するのは稀だぞ。どれくらい近似しているかを数
値化して見なければよくわからないほどだ。過ちはいくらでも起こり得る。実際に年代の明確な木材試料で
モノサシを作らなければ正しいという確信が得られないだろが。モノサシというからには誤りがあってはな
らぬのだ。
697ローガン:2009/10/16(金) 19:49:35
>>693
> というか年輪年代法にまるで無知と思われ。

そのようですね。ツッコミ入れた自分が恥ずかしい…
698縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 20:14:09
>>697
己の不勉強を恥じているならよろしい。
699日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:14:42
辛抱強い弄玩氏もついに見限ったか・・・・
700日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:15:14
そうは言うものの、水谷拓実氏が、長年の地道な努力の末に完成させた方法であることは
尊重すべきで、それなりの信頼も既にある。確かに複数人が検証できないうらみはあるが、
それはこれから。一素人に簡単に否定される程度のものでもない。
701日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:21:05
しまった、水谷→光谷ね
702ローガン:2009/10/16(金) 20:26:50
>>696
>机上では可能だが、実際は難しくまた過誤を避けられない。

それで、具体的にどの部分にどのような過誤が見つかったのかね?
703縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 20:30:51
>>700
私も水谷氏の業績の全てを否定しているのではない。千五百年前までくらいなら試料木の入手が可能かも
知れない(実際は知らないが)から、それくらいの年代以降の出土木材の年代鑑定は間違っていないかも
知れないと思う。それどころか、千五百年前の木材の年代が分るのは立派であると思う。だが、それ以前
についてはモノサシを作るための試料入手が困難であると考えられるから、モノサシの信頼性を世に明ら
かにすることが先決だと思う。
704日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:32:50
正確に言うと、「複数人が検証できない」のではなく、検証が大変な作業だということ。
第三者が検証しようとすれば、光谷氏と同じようなデータ作りを何十年か
かけてやらなくちゃいけない。あるいは木材サンプルだけは借りて、
数値化データは独自に作成しなくちゃいけない。
705縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 20:33:13
私も間違えた。水谷氏は光谷氏に訂正。
706もうね、こんな話何回言ったかwww:2009/10/16(金) 20:34:17
>>666
>そんな年輪年代法や炭素14年代測定法による遺跡年代の繰り上げが行われていて多くの人が騙されている。

そもそもこの理屈がおかしいw

年輪年代やC14と言った理化学的年代測定が信用性が乏しいと言うのなら
実年代についてのお話を一旦棚上げにすべき。

「繰上げ」が間違いと言うのなら、その繰り上げ前の数字の正しさを担保すべきものを出せと言う話w

結局、九州説の連中はある時期の一番有力だった数字が自説に都合が良いからと
それに固執しているだけの話wwww

まあはっきり言えば三角舶載を前提にした小林理論なわけだがwwwwwwwwww

昔の教科書にも
「古墳時代は3世紀末から4世紀初頭に始まる」
と書かれていたのもそれに由来する。

で、実年代を一切棚上げしてもどうやら九州には卑弥呼の共立に繋がるような
『統合の動き』と言ったものが無いというのが大方の見方で

理化学的手段による年代の算出はそれこそ駄目の駄目押しで
実年代の話とは関係なく九州説なんて省みられなくなっているのが現状だと思うがwwwwwwwwwwwwwwww
707縦目仮面:2009/10/16(金) 20:46:18
おや、www復活したか。まあ、俺も年輪やC14は棚上げでいいと思うよ。どちらも方法論としては
間違ってないが、一方向からの情報なので根拠として全面的によりかかるには危険が大きいという
のは確かにあるんだが、いずれ時間が解決するだろう。特にC14は、歴博以来この分野は話題に
なるってことがわかって、邪馬台国とはかかわりのない純理系からの参加も増えてきてるようだし、
年代の絞り込みは大変だろうが、将来的には大いに楽しみだね。
708ローガン:2009/10/16(金) 20:48:26
>>703

いや、標準パターンは公開されている。それ間違いであるとするからには、当然具体的な数値が必要さ。
それを求めているだけ。否定するんだから、ここでそれを書けばいい。簡単な事だ。
709wwwwwwwww:2009/10/16(金) 20:50:33
>>707
てか、”www”を付けずに書き込んだりしているw

まあその時の気分しだいwwwwwwww
710日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:59:26
>>701名無史さん
>しまった、水谷→光谷ね

>>705縄文人
>私も間違えた。水谷氏は光谷氏に訂正。


wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
白々しいというか、バレバレというかwww
711河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/16(金) 21:02:00
>>694

>年輪年代法


それって旨い?
JR名古屋駅タカシマヤにある、クラブハリエが人気No1らしいよ
712日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:03:29
縄文人ハンはほんまに笑わせてくれはるなあwwwww
713日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:24:11
書けば書くほどバカが出る、ってか。www
714日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:29:14
ここは笑い声いっぱいの楽しいスレのようですね、善き哉、善き哉
715日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:30:53
www
716日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:33:51
まあついでに縄文人の主張について少し論評しておくと…

コイツが考えている邪馬台国は確か熊本から
九州をほぼ横断して宮崎に至ると言う一大帝国だったと思うがw

熊本と宮崎とでは鉄器や銅鏡の出土傾向が違う。
いやその前に広形銅矛にも分布の違いがあったと思うが・・・

はっきり言っておよそ一つのクニであったと言う状況証拠は無いんじゃないのかな?

三世紀の奈良盆地湖のお話と同じで全くの根拠なしwww

まあ広大なクニの西と東で文化の様相が違うと言う事もありうるとして
(連邦国家とか?w)
理論上はその可能性はゼロでは無いというところか?wwwww

717日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:38:52
>>711
逃げずに答えよう
718縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 22:02:44
>>716
大きな口を叩くじゃね〜か。おまえは何ものだ?
熊本と宮崎では遺跡に違いはあるがそれが一つの国ではない証拠になるか?現在の福岡市だって中洲辺り
と天神町はごく近いが風俗はまるで違うぞ(特に夜は)。熊本と宮崎のように山を挟んで東と西にあれば
文化だって多少の違いがあって当然だ。
奈良盆地湖の根拠は地勢と低地に遺跡がないことだと言ってるだろ。おまえとは根拠の考え方が違うのだ。
719日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:04:07
>>717
なんでも頼るのはやめよう
720日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:09:34
なんだ? ウケ狙い? >718は。
721日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:16:47
発掘物は根拠にならないといい、
推測は根拠になる不思議ワールド。
722日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:33:07
>>718
>奈良盆地湖の根拠は地勢と低地に遺跡がないことだ

遺跡や遺物はあてになりません。
天災や人災、また後世の移住や開発などで跡形もなく破壊され
遺跡や遺物が残らないのが普通なのです、

と誰かさんが言ってたお。ww
723日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:36:11
>>719
目をそらしてるのかな?逃げ腰なのかな?
724縦目仮面:2009/10/16(金) 22:54:35
まあ、縄文人にしても大和盆地湖は面白かったし、地質学的に調べ直すよいきっかけになった。
しかしC14批判とかは、それこそやっても学者の受け売りにしかならんだろうし、歴博のやり方に
は批判的な畿内説も多い。これは持ちネタとしてはつまらないと思うね。あと、河童さんには漢文
解釈で挑むべきだと思うけど。w
725日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:55:12
>>718 縄文人

馬鹿か?

一つのクニであった事の蓋然性を示すべきは
それを主張しているお前の方だw

少しは頭使えクズwwwww

それに奈良湖の件について言えば
4世紀に陸地化してそこに田畑や集落が
爆発的に増えてなきゃおかしいがそれはどうした?って話で
詰めが甘いぞドアホw

キサマの話は何処から何処までも妄想だけw


以前から思っているんだがお前・・・

年輪年代やその他の理化学的年代測定に対する批判をすれば
自説が補強されると勘違いしていないか?w

理化学的年代測定に対する批判は結構だが
自説をもう少しまともなものにする事にも努めようなw




726ローガン:2009/10/16(金) 23:01:36
>>718

書けば書くほど恥の上塗りだな。
それより、上から読んでみろ。ここにはデンドロを「金科玉条」とする人は誰もいない。
君が勝手に「年輪年代法は間違いないものだ!」という仮想論敵を生み出し勝手に否定しているだけだ。
しかし、標準パターンは公開されている。それを否定するんだから、当然具体的な数値を求められる。
否定する君が提示する必要があるんだよ。さっさと書けばいい。
727日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:10:15
浪岩ついに怒り狂った…
728日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:39:45
河童さんって、色んな話題に顔出すけど
こう言う話題には絶対口出さないね。不思議なくらい
729日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:54:16
例のコテが後先考えずに(つまり条件と結果)大国邪馬台を創り出したのは、
そもそも七万戸のせい。
なんか、これはウソっ!と言ってしまえばすむことなんだが。
あっちのスレでも深刻な?議論が続いているし。
おかしいだろ、大陸の戸数と比べても。
730日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:55:08
>>728
>711 河童虫 ◆EY2wfgakAQ
>年輪年代法
>それって旨い?
>JR名古屋駅タカシマヤにある、クラブハリエが人気No1らしいよ

>718 縄文人 ◆cM49xEAzX6
>現在の福岡市だって中洲辺り
>と天神町はごく近いが風俗はまるで違うぞ(特に夜は)。

2人とも面白いことを言って逃げてるのか。
分からないんなら、分からないと言えばいいのに〜

人によっては苦手な分野もあるだろうし、
誤魔化して→目を逸らし→逃げる という行為には賛成出来ないな。
731日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:56:28
>>726
>標準パターンは公開されている。

嘘ですね。
光谷さんは基準グラフも測定グラフも一度も公開していませんよ。
何が何でも絶対に正しいので他者の検証は絶対に不要なのです。

これは科学がどうとかの問題ではなく信じるかどうかの問題です。
732縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/16(金) 23:59:38
>>725
おまえとは考え方が違うわい。おまえ若しかしたら奈良湖の水面が年間5〜10cm低下するような大和川
の浚渫工事をやったら河内平野が洪水の被害を受けると言って騒いでいた奴か?科学的な考え方も計算も
できぬくせに大きな口を叩きやがって。いい気になるな。俺の邪馬壹国比定地は倭人伝の行程記事と戸数
7万餘から割り出したものだ。箸墓なんかを論じて補強する必要は何もない。
ローガンさんよ
恥の上塗りはおまえさんじゃないかね。私は千五百年以上前の(年代の明確な)木材試料の入手が困難で
あること、年輪パターンのモノサシをつないで行く作業は非常に難しいこと、そして、年代の明確でない
木材試料の年輪パターンをつなぐ場合には過誤は避けられない(「間違いは起らない」の否定の意)とい
うことを述べたのだが、おまえさんは「光谷氏の示した標準パターンのどこが間違いだ」などと見当違い
の質問をしてくる。揚げ足取りみたいな幼稚なことを言ってないで本質的な話で来なさいよ。だが、今夜
はもう遅いから明日にしてくれ。
733ローガン:2009/10/17(土) 00:12:31
>>706
> それに固執しているだけの話wwww
> まあはっきり言えば三角舶載を前提にした小林理論なわけだがwwwwwwwwww

そうでしたかね?確か小林氏は概説で「古墳前期の始まりは3世紀中を甚だ下るものでない」と。
年代を下げたのは、その後に出された佐原編年でしょう。9年後に本人が撤回したのにも関わらす、九州説では大事にされているんですね。
734日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:46:11
>>7327 縄文人
一つ言っておくが下流域の洪水被害と言うのは
湖から抜いた水が下流域を襲うという話じゃないぞ?

天然のダム( 一体高さが何十メートルになるか知らんがwwww )
による保水能力と言うか
巨大湖が一種のバッファみたいになっていると言う話だ。

(正弦波をその周期はそのままに振幅を小さくしてフラットに近づけるイメージ
 …と言えば分かりやすいか?wwwww)

奇しくも今連日ダムの建設をやるやらないがニュースで喧伝されているが
ダムの必要性に川の氾濫を防ぐ治水対策と言うのは良く聴く話www

で、結局誤魔化しているが

標高40m以下に4世紀以降、爆発的に増えた田畑や集落も無い
ならば普通に考えて川の氾濫により水没するリスクが高く
4世紀以前も以後も田畑や集落はあまり造られなかったとするのが
妥当だろうなww
それでも巨大古墳は造られているんだから
元々その地力はあったと見るべきだなwww

「戸数7万戸」からはじき出した?はあ?w
一体それは実数でどれくらいの数字なんだ?w

笑えるわドアホwwwwwwwwwww




735日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:47:02
>>706
C14は歴博に対する多方面からの批判により、すでに歴博の誤りが明白と言わざるを得ない。

春成は弥生前期の鉄を中期のものが混入したと否定したが、発掘担当者は混入の可能性すら
明確に否定した。しかし、歴博は反論できず無視・放置。

甕棺の編年を前期・中期を長くすることは不可能という問題も、歴博は反論できず無視・放置。

桃核のC14が約100年新しい年代となるという批判も、歴博は反論できず無視・放置。

C14が海岸近くでは古く出る傾向があるという指摘も、歴博は反論できず無視・放置。

エジプトではC14が古く出ているという世界的問題ですら、歴博は無視・放置。

ついには北條がブチ切れてブログで批判したがこれも、無視・放置。


このように多方面からの集中砲火をあびて、ボロボロの状態になりながらも、マスコミに都合の
情報を流し続けることで体面を保とうとするやり方も限界を超えたと言わざるを得ない。
736日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:50:33
>>731
“公開”の定義が問題だけど、
現に私は書籍で基準グラフと測定グラフを見ましたけど。
737日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:50:50
>>628
>周髀術數具存、考驗天状、多所違失、故史官不用

不用とた人と必要とした人がいたのではなかろうか?
たとえば、陳寿さんは必要としたとか。

>>637
>肘は 腕の間接部分だけの意味ですが
>肱は、二の腕だけじゃなく、腕全体を表す意味もありますね

エジプトの50cmのことを言ってるのかな?


738日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:56:28
>>736
ソース希望ww
遠目からのグラフの写真だけ出して、測定値を出さなかったら
公開とは言わないよ。


この問題があるから、年輪年代をあえて無視する学者も少なからず居る。
というか最近はその傾向がさらに強まっている。
739日本@名無史さん:2009/10/17(土) 00:56:30

 邪馬台国は筑紫の磐井

740日本@名無史さん:2009/10/17(土) 01:06:05
>>733 ローガン

小林は椿井大塚を最古級と考え
その椿井大塚からはT〜Zに分類した三角のうち
T〜Wまでの物が出土。

最古のTタイプは240年頃とし
新しいタイプのものと一緒に副葬されるまでは
一世代(30年)は伝世されたと言う理屈じゃなかったっけ?

そこに祟神陵を祟神の没年を318年とし
あれの前にはもう少し前段階のものがあったはずと言うものが加わると

まあ古墳時代の始まりは大体が3世紀末から4世紀初頭と言う事になる・・・

無論小林先生だからそんな単純な話だけで済むはずも無いがw

基本的には今の今までそう理解しているんだけど
違ったかな?wwwww



741日本@名無史さん:2009/10/17(土) 01:10:13
ん〜ケイクンへ
年輪年代法だけど、おれも詳しく説明するまでは知識がない。
しかし、今、彼等が、ここで話してることは、どの本にも載ってることで
そんなにレベルが高いことを話してるとは思えないよ。
742日本@名無史さん:2009/10/17(土) 01:30:34
www
743日本@名無史さん:2009/10/17(土) 02:29:03
>>729
縄文人の領域設定が正しいかどうかは検討の要があるが、戸数7万戸を疑うべき
理由は何もないよ。北九州の奴国や伊都国は倭国の乱で敗れた国々だ。
それらと比べれば、勝者の側である投馬国5万、邪馬台国7万は自然な数字とい
ってよい。狭い範囲にそれだけの戸数があったなんて考えるのがトンデモなんだ
よ。戸数が多いのは、それだけ支配領域が広かったと考えればいいんだ。
その意味では、縄文人の考え方は基本的に正しい。
744河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 07:45:21
>>741
そんな何処の本にも掲載されている話しを蒸し返してもしょうがないし、
結局本の中に書いてあることの知識比べだろ?
ここでペチャクチャ喋るような興味はないよ

あの話題で素人が、本に掲載されている内容を超える事は絶対に有り得ないから
興味があれば一人静かに本を読めば良いだけの話しでして、ここで喋るような
話題でもない。
バームクーヘンの話しの方が、ヨダレもので有意義だ。
745日本@名無史さん:2009/10/17(土) 09:53:49
>>744
ローガンさんや縦目仮面さんや他の人よりも
古代史歴ながーいけど分かりませんだろww
746美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 09:57:08
【炭素14測定法】
「炭素14の半減期は5730年周期」「その物質に含まれる炭素14の放射性率は、その物質の形成と同時に形成され、一定のスピードで崩壊していく」
と言う「2つの仮定」を大前提に、その物質に含まれる炭素14の放射性率を調べる測定法

「年代測定」と言っても、単にその物質の炭素14の放射性率を調べてるだけであり、仮にその2つの仮定が正しかったとした場合にも得られる数値は
「その物質に含まれる炭素14の放射性の崩壊が始まった年数」が得られるに過ぎない


年輪年代法も幾つもの仮定を前提とした上で、その年輪の形から、その年輪が作られた時代を勝手に定めたってだけのものだよ
747日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:06:08
>>744
目を逸らすな!河童虫さん
一つ言わせて貰えば、「能力」とは「実行力の差」だ。
ビジネス社会でまず新人さんが覚える言葉なんだが、
貴方は能力ののばし方を知らないというか、たとえば美濃もんた君のが知ってるというか。
748河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 10:07:50
>>745

それはどうかな?
掲示板の知識なんて、コピペすれば装う事なんていくらでも可能だけど
ただそれをすれば、コピペを超えない事も確かだ。
749日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:08:06
>>744
貴方の話題なんてあの方のホームページを読めば分かることジャンw
750美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 10:11:08
>>741
詳しく説明するだけの知識なんて必要無いでしょ?
炭素14にしろ、年輪測定法にしろ、地質年代法にしろ、「何を根拠にその年代を特定してるのか?」ってのを自分で調べれば良いだけなんだから


どのみち「年代を特定出来る」なんて方法は無いよ
それら測定法の全てが「○○は○○だと考えられるから」って 言う、幾つもの仮定を前提とした上で、得られた数値などから、年代を推測するって方法でしか無いよ

だから本当は「○○法で年代が得られた」なんて言い方は間違いだし、もしこんな言い方をしてる学者がいれば、その人はそれぞれがどんな方法で年代を推測する方法なのかすら理解してない学者

「○○年代法て年代が特定されてる」なんて言い方してるような学者がもし存在するのなら、嘘を付いてるのか、俺でもちょっと調べれば解る事すら解ってない学者だよ

まあ、まさかそんな主張しちゃう学者なんていないだろうけどねー
もしんな奴が万が一いたらバカにしてやった方が良いよ
751日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:13:54
>>750
いやw
今、君の能力を上げるためにやってるんじゃなくってw
河童虫さんが、たまにトンチンカンなことを言うので
それで能力をのばしてやろうと思って氏tもんしてるんだが・・・
君じゃないってw 君はどーでも良いwww
752太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 10:17:24
>>695
それがしはC14測定方法に関しては研究番外の人物ですよ。ですから
その方法等については、他の方にでも質問して下さい。
けれども関連見解は述べられますね。5月でしたか、千葉の国立歴史
民族博物館の研究班の箸墓の同測定結果については、おおむね正解に
近いと観ております。

同班の測定結果が240〜260年との値であったということですが、箸墓
が百襲媛の墓であるならば当然媛の没年と合致して矛盾不合理が
ないはずです。勿論測定物が媛の死亡後100年後に埋められたものとか
等の特殊な状況があったという主張があれば抜け道的に測定値が誤で
ある可能性は言えますが、そういう例外的うっちゃり反論は別と
して、媛の真の死亡年が判明し、測定値内であれば、この歴博班の
測定主張は正解であろうという事が自ずと固まることになりましょう。
                               〜続く
753河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 10:18:00
>>749
当たり前の事だろう。
君が学校教育過程を超えない事と同じ
私は虫さんの弟子ですから。

だからコテにも「虫」が付いているし、彼の弟子である事に誇りを持っている。そして何時か超えてやるという希望も。
たかだか糞にもならない県立高校出のカスが、ここまで知識を身についたのも彼あってだからね。
754日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:19:16
>>753
いや〜おれ彼はたんなる無知と思うんだけどね・・・
755唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 10:20:24
太国 「こちらのやってることは紀年だよ。神武即位が西暦何年で崇神が同何年なのか、仁徳即位
は幾年なのかとか〜こういう研究をしてるのが余だとか」

巻向の開発は、考古学で2世紀末と出ている。
新羅本記もそれを肯定している。
よって 崇神時代は,2世紀末〜3世紀初め。
箸墓に崇神時代を合わせるのは間違い。
756日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:21:33
>>752
いや、C14測定方法なるものがどんなものなのか?
聞いてるんですよ。
古代史歴の長〜い人に
757美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 10:23:30
確か放射性測定法では位山の遺跡は数億年前のものだし
イカの石も大半は4000年〜数万年前のものだし
アメリカのハンマーの化石も10万年前の物だしなあ


まあ別に年代測定法での年代を信じると言うのなら、ちゃんと年代測定法で得られたこれらの遺跡も、人類の歴史上の出来事に加えなくちゃね
まず人類てのは10万年前に既に鉄を作る技術があり、数万年前には臓器移植などの医学を持ってたよ
年代測定法を前提とするなら、人類の歴史はこうなるよ
758河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 10:24:59
古代史歴のナガーイ人が対象なら
俺も圏外だわ 2ちゃん歴と比例だから
759日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:25:03
美濃もん太くんの良いところは能力ののばし方を知ってるところかな。
書き込みすることによって覚えていってる。
760日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:26:32
>>758
縦目よりは長いでしょ?縦目基準で、
761美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 10:31:06
>>755
唐松さんはいまだに唐松さんが主張する年代計算法が間違ってるって事に気付いて無いの?
俺があれだけ説明したのにさ


もう一度、簡単な問題だしてあげよか?
で、本当にその計算で俺の出す超簡単な年代の問題と答えが一致するかやって見ますか?
本当に唐松さんの言ってる計算で時代が特定出来るかどうか、、、って前、それで無理だった事とか忘れたの?

762太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 10:32:18
>>695 >>752
それには百襲媛の没年を調べて考える必要があります。紀によれば
媛は崇神即位十年没だから、この年代が現今使用の西暦で何年のこと
だったのかを見つけられれば、歴博グループの測定範囲240〜260年
の合否が分かるということになります。

当時は倍暦を行使していたためにそれを知らぬ紀の編者らが真の年代
に合わせられず紀の編纂をしたために、佛伝以前の実年代が不明と
なってしまったものですが、それがしの積み上げ倍暦逆算での紀の
媛没年(崇神十年)は240年を得ていますから、同グループの測定の
240年〜260年内にギリギリで入るため、この公表結果はほぼ信用
できうるものと考えております。

なお卑弥呼の死亡は247年(あるいは248年)ですから百襲媛との没年
と7,8年のズレがあるのが分かり、このことから両女はほぼ同年代
に生存していたとは言えますが、ズレから双方は別人であるという
ことが判明します。
763日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:32:32
>唐松さんはいまだに唐松さんが主張する年代計算法が間違ってるって事に気付いて無いの?
>俺があれだけ説明したのにさ


ほら、ほら、唐さん〜言われてるよw

>もう一度、簡単な問題だしてあげよか?

唐さん・・・・

764河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 10:34:03
>>760
それはどうだろう?
彼は確か学生だったよね

株歴は間違いなく長いが、古代史歴は知らない。
私も腰入れたのが三年前だし
765日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:35:54
で、本当は古代史歴なん年なの?
766河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 10:40:20
>>754
私は彼に公私に渡り、親子二代で世話になっているけど
相当の逸材だよ
767太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 10:42:44
唐松山の言うことは、その殆どがデタラメだよ。この前の編年表を
やつは終わってる日本書紀のスレの末ころに書きこんでいたが、まず
梁書の顯宗(乙祁)の499年の記事から奴のデタラメが解かるし、
120年の断層から仁徳3年に相当する旧事本紀大成経のアンタレス星
附近の393年超新星☆記事とも、奴のは全然合っておらず、デタラメ
がこれでも発覚している。

おまけに後付けの多量の朔を観測だと思ってるようで、これも奴の
脳ミソのデタラメ判断である。ww なおホツマの八代の表でも
2倍暦使用が確認できるから、古史古伝のスレを見られたい。
768日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:44:02
>親子二代

ええ、それって娘さん入隊させたの??w
769河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 10:44:35
>>765
始めて五年、腰入れ三年。
私の2ちゃんデビューの頃を知ってる人なら
解るはず
770美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 10:44:58
年代測定法やら地質年代法やらの考古学的な測定法での年代を前提にしよっか?

まず、世界最古の遺跡は飛騨の位山の磐座遺跡
(アフリカにも数億年前の原発の化石があるけど、これは自然に出来たものと解釈されてしまってる)
また恐竜時代の地層からは恐竜の化石や足跡と共に二人連れと見られる人類の足跡や、三洋虫を踏み潰した靴底の化石も同時に発見されてる事から、この時代には既に靴を履いた人類がいた事が特定出来る
アメリカ大陸では10万年前に既に鉄を造る技術があり、10万年も前の鉄製のハンマーも発見されており、既にその時代に製鉄の技術があった事が解っている


年代測定法を前提とすると、人類の歴史ってこんな感じになるね

ちなみに俺は「あれらの測定法は幾つもの仮定の上に推測してる年代であって、年代が特定されたとしてる学者がもしいるのならその学者はバカ」って意見ですよ


まあ年代測定法を信じる信じないは自由ですよ
771日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:45:49
>>766
>私は彼に公私に渡り、親子二代で世話になっているけど
>相当の逸材だよ

おれも彼は凄いと思ってるよ
しかし、それは邪馬台国とは関係ないこと
たとえば、わたしは自動車に関しては詳しいと思う
これと一緒だなw
772日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:46:36
>>769
娘さんを輿入れって、マジですか?
773日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:50:22
>古代史歴

…これってなんか意味あるのか?

ドツボはじめ好んでこの言葉を使う奴が多いがw

例えば野球の巨人ファンなら

「ワシは現役時代のONを球場で生で見たことがある
 お前らとは年季が違う!」

…とか言うノリなのか?wwww

実に下らない。
774日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:50:44
>>769
4年前に1日か2日で彼にやられとったやんw
YAHOO読んだぞw
775太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 10:53:15
今回の歴博グループの測定基準値から50年もズレている唐松山の
主張は、そこでもドでかいうっちゃりを余儀なくされている。
だいたいああいう機械測定が誤差が50も離れてるとなれば、こんな
ものは全く役立たずのデクの坊の機械だということになる。

だったら考古臥海はとうの昔にこのC14測定法を遺棄して然り
だろう? あいつは合わないことばかりだから、ほぼ全部うっちゃり
に終始しているのだ。wwwww 奴はうっちゃりを繰り返すしか
能がない。wwwww
776日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:54:54
>>773
いや、いや、たとえばサガミハラハラさんは、9年目で本を出版したよな。
そうゆうプランみたいなのはないのか?
777日本@名無史さん:2009/10/17(土) 10:59:16
本を売らんがために歴史に脚色を施してしまう。
読者を意識して読者に色目を使ってしまう。
本を出す人が陥ってしまう罠だ。
司馬遼太郎もそうだった。
778美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 11:05:07
良く「○○遺跡は考古学では、、」なんて考古学上での年代を根拠にしてる人いるけど、、

考古学って言えばオーパーツってオモシロイよなあ

つか考古学上での年代測定法ではそれらのオーパーツも歴史に加えると人類誕生は遥か数億年前になってしまう

けどこれはおかしいから、今までの考古学上で流布されてきた年代の謝りを認めてしまうと、ジュラ期だの氷河期だの、これら全ての年代も改める事となり、その年代を元に成り立ってきた考古学そのものが成り立たなくなる
そら考古学上ではオーパーツは「無視」するしか無いんだよね


恐竜の地層からは鎖でつながれた犬の化石や人類の化石も過去には発見されてるけど、全て無視されて来てるしさ
779日本@名無史さん:2009/10/17(土) 11:34:27
あっはは 君は「邪馬壹国(投馬国も)」なんて言ってたのかw
そりゃやられるわなw(No.8722)
8651で始めて、8783ではすでに弱気w
10557で変身、10870で完成てかんじなのかな?w何度読んでも笑えるw
780日本@名無史さん:2009/10/17(土) 11:38:08
>>772

> 娘さんを輿入れって、マジですか?

竿入れの間違えでは?
781日本@名無史さん:2009/10/17(土) 11:43:58
そういえば「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!」スレも3周年
おれはあと3、4か月もうすぐで歴4年かな。

けっこう、ここ続いてるよな〜。
1000レス×39だから39000レス。
ヤフーいつのまにかヌカシうてたんだな
782日本@名無史さん:2009/10/17(土) 11:52:26
>>781しかし、貯まるのはごみレスばかりなりw
783河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 11:52:40
>>780

息子だよ
俺が虫さんに会う時は何時も着いてくるから、虫さんに遊んでもらってる。
784日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:02:59
何処何処の遺跡を一緒に調査しようとかなら分かるが・・・
よく男同士で会うよな。

おれがもxっと若い時に女の子呼んで遊んだりはしてたけどなw
785日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:06:06
失敗w
786河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 12:19:33
>>774
「見切り千両」

自分の無知に二日で気付いたからね
気付けば後は相場と同じで、天井まで買って買って買いまくるだけ
787美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 12:32:19
>>786
>自分の無知に気付いた

これ一番大事な事だね
俺も例えば唐松さんに「年数を出せ」って言われても「解らない。特定出きるだけの根拠がない」って答えるよ
んなもん、歴史なんて年数にしろ内容にしろ、まだまだ沢山調べなきゃ、解るわけ無いし、調べたところで解らない事なんて多いよ

「自分は良くわかってない」「自分は無知だから知らない」って言う事を理解してるから、色々調べたりする訳で、
もう何でも知ってる気になっちゃってる人は、ただ自分の中の知識を「これが歴史だ。だからお前の話は違う」ってやってるだけだもん
788河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 12:37:18
>>787

それが掲示板。
ある意味、言った者勝ちのところが掲示板にはあるから、本当に歴史が好きなら掲示板でやっちゃ駄目だよ。
789日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:39:35
>>786
で、4年前と何処が変わったの?
彼について、年輪年代法ぐらい覚えた?
790日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:43:35
>本当に歴史が好きなら掲示板でやっちゃ駄目だよ。

ようは、暇つぶしでやってるつーことねww
791河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 12:44:20
>>789

>年輪年代法


それって美味しい?
792日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:46:44
知らないでどうやって畿内説へ反論とかできるの?
「邪馬台国」だよ
793河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 12:47:06
>>790
当たり前だよ

掲示板で飯が食えるか?
794河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 12:53:26
>>792
なんで畿内説に反論しなくちゃならないの?
畿内も九州も、同じ日本じゃん

反論するのも馬鹿らしいよ
795日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:56:52
gengomushiてソートー無知なんだろーねえ・・・
796日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:00:04
>>795

弟子と違って無知ではない。
ものごとの道理を判った上で、敢えてそれを無視している。
言うなれば「高等な遊び」だ。
これを馬鹿がマネすると悲惨なことになるが・・・・
797美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 13:18:04
>>788
古来の日本の文化や風習や、古来より続く長い歴史の中で培われてきた日本人特有の道徳心や美徳などの民族性てのは、俺は世界中の何よりも素晴らしいと思うし、そうした古来日本人の民族性ってのを尊敬してる

ても、俺が外国のどんな文化や民族よりも、古来の日本人の文化や民族性に憧れを持つのも
俺が古来の日本人ではなく、欧米文化の元に産まれた現代の日本人だからだろうと思うよ
俺を含め今の日本は古来日本人のように道徳心や美徳心や先祖崇拝などの信仰心を持ち、それらの文化や風習を大切にしてる国じゃないし

俺は歴史が好きってより、まずは「古来の日本人の民族性が好き」なんだと思うよ
もう90才にもなる、オレの田舎のじいちゃんやバアちゃんを比べても、ジイちゃん達見たいに対して金も無く、糞質素な暮らししてる彼らの方がよっぽど人として立派に見えるし
嘘は付かないし毎日畑で働くし家族や親戚は大事にするし近所付き合いも大事にするし、、、
なんつーか立派
それ以前の日本人がどんなだったのか知らないけど、子を見れば親が解るって奴でしょ?
798河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 13:18:05
>>796

部外者はなんとでも言えるのも世の中だし、掲示板ならでは


で、こんなとこまで出張する? というか
引越しですか?
799日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:21:22
古代史(教員)やってる女の子がいるけど
gengomushi、河童虫なんて彼女の足元にも及ばないかと・・・^^;
800日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:24:36
>>796
君の目線からみたらそのように映るんだろう...
801河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/17(土) 13:36:39
>>799
世の中広いから
上には上がいるものだよ

つーか
ここに参加していない人の話題出してどうするの?
文句あるなら直接本人の目の前で言ってあげなよ
802美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 13:39:31
>>797
俺がすぐに「民族民族」言うのも、俺は侍とか武士とか、その侍や武士を育てた日本の女性とか、、、
ああした道徳心だの美徳だの信仰心だのが培われてきたのは、それまでの日本が、それらを培う社会だったからで、
その幕府や潘主が民を治める日本の社会制度が滅んで、欧米の社会観念になって以降、それまでの日本社会にあった日本人の精神や文化は滅んで
俺ら見たいなそれまでの日本の歴史も文化も信仰も精神も知らない、アメリカ文化系の民族の国になっちゃってるんだと思うよ



「日本の本来の歴史を知りたい」って思うのも、少しでも尊敬する古来の日本人が認識してた歴史や文化や風習や信仰とかを理解して、その頃の日本人が伝えて来てた歴史と同じ認識の歴史や文化の上に立ち
これからの日本が少しでも昔の立派な日本人に近付いて欲しいと思うからだよ



それが聞いてりゃ「中国の皇帝に貢いだ」だの「日本人は大陸からの渡来人」だの「その頃はまだ縄文人だった」だの、、
そんな事がなんかの歴史書に書いてあるならまだしも、んな根拠も無いような話をされても、単に古来の日本や日本人を馬鹿にしたいだけにしか聞こえないっての
803日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:43:37
>>795
言語虫は、かなりの知識を持ってるけど、
基礎の部分がスコンと抜けた状態で自説を作ってしまったから、
以降、知識を得れば得るほど、変な方向に突き進んでるね。
804日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:51:30
>>803
お前さんはそんなに知識無いの?
仕事柄、専門分野なら、誰にだって素人さんには負けないようなモノは持ってるだろ
805美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 13:53:51
>歴史好きなら掲示板で話すな


こんな事言われても、俺みたいに古来の日本の社会や文化や道徳や民族性を、世界中のどんな社会や民族より、最も尊敬し
「日本はかつてこんな素晴らしく立派な民族だった」なんていう話は現代の日本社会では
「民族主義だ!」「帝国主義だ!」「血統差別だ!」「人種差別だ!」って言われるよ
今の現代日本社会は、昔の日本の社会を人権を無視した差別社会であり、民主主義を導入したお陰で、その悪し昔の日本の社会から、国民の主権による欧米と同じ素晴らしい民主主義の国となった、、、
って言う社会が今の日本社会だし

806日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:55:00
>>737
漢名臣奏に曰く,
蔡ヨウ曰く、天体を言う者に三家有り。一に曰く周髀,二に曰く宣夜,三に曰く渾天.
宣夜の学は絶え,師法無し。
周髀の術數はそなわり存するも,天の状に考験するに,違失する所多し,故に史官用いず.
唯だ渾天なる者のみ,其の情を得るに近し,
今、史官の用いる所の候臺銅儀は,則ち其の法なり.

この文では、実際の天の状況と違う所が多いから用いないとあります。
必要とした人なんていたのでしょうかね。
807日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:56:41
>>804
何を反論しているのか、意味不明だなあ。
808日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:57:43
>>806
んー>737は分からないから聞いてるのでは?
君が逆に質問してどーすんの?
809日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:07:10
>>808
婉曲的な否定。
810美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2009/10/17(土) 14:09:14
俺みたいな意見や歴史の解釈は、今の日本社会の中ではゴキブリと一緒
日本に焚かれたバルサンの煙に追いやられて、こうしたネットの掲示板なんて言う薄暗い洗面台のハジッコでカサカサやるしか無いだけだよ

戦後教育や戦後の歴史観を否定するような歴史の解釈なんて、今の日本で話せる場所なんて無いよ
こんな掲示板みたいな場所で自分の勝手な解釈だって断った上で話してるにも関わらず、ここでも俺の解釈なんてゴキブリ程度の扱いなんだし

811日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:10:16
>>804
言語虫がかなりの知識を持っていると言ったのは、素人、アマチュア歴史家としてはという意味で、
専門家・プロという意味では全然ない。
812日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:13:24
しかし、素人、アマチュア歴史家としては言語学の知識があったとしても、
邪馬台国とはなんら関係が無い。
自動車に詳しいと言った彼と同じ事だ。
813日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:14:49
CS楽天vsソフトバンクの試合を見ながらわしも考えた。
眼の下の刺青、あれは照り返しから目を守る狩猟民族の知恵。
邪馬台国も農耕民ではなく、狩猟民族だった可能性が高い。
814日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:18:38
>>813
魚類、海類を獲るためだって書いてるだろwww
815日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:20:00
>>813
漁労民族だと書いてあるじゃないか。
海で襲われるのを避けるために刺青してたのが装飾になったと。
816日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:28:40
ヘム・ケイ・ポー33歳
817日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:36:28
お前さんの目線からみた時に、詳しい人に映るだけだな。
たんなる無知と思われ・・・
818日本@名無史さん:2009/10/17(土) 15:53:17
>>811
と言う事は、君はプロの目線で物事を見られると
言うわけだね?
で、何処の大学教授ですか?
819日本@名無史さん:2009/10/17(土) 15:53:32
>>817
言語虫なんて、詳しかろうが無知だろうが、どうでもいいよ。
ただ、惑わされて無駄な努力をする犠牲者が哀れ。
820日本@名無史さん:2009/10/17(土) 15:56:04
>>813
因みに葛城は狩猟民族
821日本@名無史さん:2009/10/17(土) 15:56:10

               ∧_∧        ROM専の方へ
              ( ´・ω・`)       2chの全てのレスは、いくつかの高度なプログラムによって
              /   \       まるで複数の人間の書き込みのように見せかけています。
             /    / ̄ ̄ ̄ ̄/  十分なデータも取れましたので、ここでバラさせていただきます。
           __(__ニつ /       /_, だませれてやんのm9(^Д^)プギャー
               \/____/   長い間お付き合い、ありがとうございました。
                                                    2ch運営
822ローガン:2009/10/17(土) 16:01:40
>>740
wwwさん。
>大体が3世紀末から4世紀初頭と言う事になる・・・
> 無論小林先生だからそんな単純な話だけで済むはずも無いがw

昨夜全く繋がらなくなって、遅くなりました。検索してみたらちょうど良さそうなのが…
http://www.lbm.go.jp/mappie/00seminor.html
用田氏の真面目なページです。
823日本@名無史さん:2009/10/17(土) 16:10:57
>用田氏の真面目なページです。

のようだな。
824日本@名無史さん:2009/10/17(土) 17:31:18
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
825日本@名無史さん:2009/10/17(土) 18:14:33
>>822 ローガン

ううむ、、小林といえば伝世でw

>740で言った椿井大塚の三角の副葬時期については
そう言う主張であった事に間違いは無いと思うが

239(朝貢)+30(伝世期間)≒270年

と言うのは
「古墳前期の始まりは3世紀中を甚だ下るものでない」
としても矛盾は無いか・・・

ただ紹介のサイト見るに

>弥生時代の最終記事を紀元248年ごろの卑弥呼の死と台与が女王になったこととしている

邪馬台国を畿内にあったとしても邪馬台国は弥生時代のクニであり
卑弥呼や台与は弥生時代の人物と言う認識なのかな?

そこら辺が今の考古学と言うか畿内説と大きく違うところかな?

ちなみに>740の内容は主に小林の弟子の都出比呂志の解説からねwww



826日本@名無史さん:2009/10/17(土) 18:42:32
wwwの奴 ローガン氏相手だとどうして、こう、
おとなしいレスになるのかねw
827日本@名無史さん:2009/10/17(土) 18:52:50
>>826

叩く要素が無いからなwwwww

無論、何から何まで同じと言うわけじゃないが
むしろその違いを楽しめるレベルw

この板の九州説の多くはもう異世界の歴史。

なにがなんやらサッパリワカリマセンwwwwwwwwww
828縦目仮面:2009/10/17(土) 18:52:54
それは、同じ畿内説で当然じゃん。ww

小林行雄氏は、終戦直後は古墳時代開始を3世紀半ばに採っていたと思う。ところがだんだんに
4世紀から、に変わっていったのは、考古資料もそうだが、やはり崇神帝没年に対する考え方の
変化が大きいんじゃないかな。
829日本@名無史さん:2009/10/17(土) 18:58:58
ああ、お互い畿内説で一致してるからか。
崇神帝没年は四世紀?もっと早いんじゃない?
倭乱れが二世紀だし
830日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:00:06
失敗
倭乱れが二世紀だし ・・・×
倭国乱れが二世紀だし・・・○

831唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 19:02:08
>崇神帝没年に対する考え方の変化が大きいんじゃないかな。

崇神時代の出来事として
5,6年の凶作から巻向に各地の土器が集まる。
832日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:06:01
唐松山さん土器好きだねw
土器なんてあっち行ったりこっちに入ってたりするんだから
そんなに調べてどうなるのやら。
833日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:11:41
>>827
>この板の九州説の多くはもう異世界の歴史。
>なにがなんやらサッパリワカリマセンwwwwwwwwww

九州説なんて話にならん とかいうやつですか?

834日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:24:32
畿内説の最大の問題点は、水行十日、陸行一月。
こんな遠いところにあって、伊都国その他を本当に支配できるのか?
だいたい「水行十日、陸行一月」の間にある諸国を何故詳述しないの?
女王国はポツンと孤立しているのか?
835愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/17(土) 19:28:08
日本書紀を「八咫鏡」で検索すると、神代を除き、神武以後では景行天皇12年・雄略天皇9年の2箇所のみ。
日本書紀卷第七 大足彦忍代別天皇 景行天皇
十二年九月甲子朔戊辰。到周芳娑麼。時天皇南望之。詔羣卿曰。於南方烟氣多起。必賊將在。則留之。先遣多臣祖武諸木。國前臣祖菟名手。物部君祖夏花。令察其状。
爰有女人。曰神夏磯媛。其徒衆甚多。一國之魁帥也。聆天皇之使者至。則拔磯津山之賢木。以上枝挂八握釼中枝挂八咫鏡。下枝挂八尺瓊。亦素幡樹于船舳。
參向而啓之曰。願無下兵。我之屬類。必不有違者。今將歸徳矣。

これは女王国が纏向に服属した記録であろう。
836日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:45:31
>>813-815

刺青の風習なんてアイヌにも琉球にもあったと思うが…

そういえば宮崎アニメの「もののけ姫」のポスターでヒロインの少女が
その口の周りに血がベッタリ付いている絵があったと思うが

あれってアイヌ女性の刺青の風習の暗喩かか何かだろうか?
(アイヌ女性も口の周りに刺青をしていたと記憶しているが・・・)


837縦目仮面:2009/10/17(土) 19:56:55
アイヌのイレズミは女性もしていて、手や口の周りだったと思う。これは、本土人に連れて行かれない
ためのものという説もあるが、まあ違うだろ。おそらく宗教的なもので、死後、共通の国へいくための
条件といったものでないかな。
838日本@名無史さん:2009/10/17(土) 20:07:26
>>834
遠くないだろう。
同じ島内なんだから
839太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 20:09:46
>>834
いい点を突いてるねぇ〜。
840唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 20:15:06
>>834
シノギが種貸しから屯倉経営に成ったことを考慮すれば、遠くない。
841うましか:2009/10/17(土) 20:24:45
手甲への入れ墨風習は、近世琉球や台湾原住民族の女性にも同じようなものが有りますよね。
女性に限らず、古アジア、オーストロネシア系の基盤を為す、共通の風俗なんでしょうかね。
これらの入れ墨の意味はよくわかりません。
まあ、女性のおしゃれ感覚なんで、男には理解できなくて当然かもしれませんが。
842うましか:2009/10/17(土) 20:27:19
>>840
種貸し=籾貸しと言うことですか?
だったら、屯倉経営でも同じようなことではないですかね。
843唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 20:27:30
>>832
では古墳の始まりは、2世紀末から3世紀初めである。
書紀に於いてはモモソ媛の箸墓より、
今云うところの「箸墓」は半世紀以上後の築造。
844縦目仮面:2009/10/17(土) 20:31:26
>女性のおしゃれ感覚

これは言い得てますね。アイヌの古文献にも年少の女の子が、早くイレズミを入れられるようになりたい
などというのあります。アイヌ民族博物館の昔のパンフに、

>初回は7-8歳から14-5歳のあいだから、数回にわけて手術をして完成させる。
入墨をすれば、3つの徳があるものと信じていた。
シレトク(美しくなる)ー額の入墨
パエトク(話がじょうずになる)−口の入墨
男はラメトク(勇気ある男になる)、女はテケトク(手芸がじょうずになる)−手の入墨

とかあります。イレズミを完成しないと結婚の資格がなかったともいわれますね。



845うましか:2009/10/17(土) 20:55:50
>>844
近世女性の入れ墨ですが、写真なんかを見る限り文様はアイヌも琉球・台湾も似たような幾何学紋でしょう。
幾何文様系装飾古墳の壁面文様などとも共通していそうです。
倭人伝のころは九州〜本州でも同じような習俗が行われていたのは間違いないですね。
846縦目仮面:2009/10/17(土) 21:04:55
うん、前にも引いたけど

>後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大
  にあるいは小に、尊卑差あり。

地域差はともかく、尊卑の差というのは気になる。これがイレズミにまで表れるにはかなり長い時
間が必要だと思う。帥升の生口160人などを考えても、倭人社会はかなり早くから身分制度が固
定していたかもしれない。例えば三内丸山あたりから、分業体制などについて社会進化論的に追っ
ていくことはできないだろうかと考えてるが、難しい。
847日本@名無史さん:2009/10/17(土) 21:08:48
>>826
二人とも頭が硬くて想像力が貧弱だから同病相哀れむ状態だろう。遺跡や遺物の絶対年代や弥生時代や
古墳時代の始まりの時期を何時にするか、明確な根拠をもって示せる考古学者はいないにも拘らず、定
説があるかの如き幻想を抱いている。
848唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 21:22:32
種貸しの場合籾を返すが
屯倉経営は、屯倉より人足等別の形で収める場合が多くなる、
遠い関東から籾を徴収するより、人足として徴収した方が理にかなう。
九州に30国有ったとしたら、種貸しで良いが、倭国が大倭国として存在するには
屯倉経営の方が効率がよい。
屯倉経営の欠点は、時代が下がるにつれ、帰属意識が低下すること。
古墳時代がそれです。
律令時代を待たねば、再統一ができない。
849うましか:2009/10/17(土) 21:26:44
>>846

> 例えば三内丸山あたりから

おそろしく遠大な変遷を追いかけるライフ・ワークになりそうですねw
米作普及前とそれ以後では、食料生産、集積力に違いがあるので、
社会構造的に大きな変化があった「はず」ですが、
考古的には集落の構造の変化などから読み取れるかどうか・・・
社会学的にアプローチするなら、南・東アジアやメソアメリカの奴隷制度を題材にするのかな。
850縦目仮面:2009/10/17(土) 21:34:36
>>849
そうですね、水田耕作の前後ではかなり違うでしょう。水田耕作の集団作業にはやはりリーダーが
必要でしょうし、剰余生産や私有財産などのマルクス史観も参考にはなるでしょう。あとは戦争。

851うましか:2009/10/17(土) 21:39:00
>>848

> 倭国が大倭国として存在するには
> 屯倉経営の方が効率がよい。

「効率」と言うより「直接的」経営と言う意味でしょうか?

> 屯倉経営の欠点は、時代が下がるにつれ、帰属意識が低下すること。
> 古墳時代がそれです。
> 律令時代を待たねば、再統一ができない。

古墳時代に在ったかもしれない遠隔地から直接収奪が可能な制度と、
律令的国家の成立ではレベルの違う話かと。
屯倉制度の原型もどこまで遡れるか・・・
852縦目仮面:2009/10/17(土) 21:50:59
唐松山さんの考えは俺と似てないことはないんですが、遠隔地への種貸しは非現実的ではない
ですかね。それは収穫管理であり実質的な武力支配が必要だと思います。

ところで唐松山さんは、その種貸しをするような権力はどこからきたかとお考えですか?

853日本@名無史さん:2009/10/17(土) 21:54:14
>>850
水田耕作の導入は革命的であったとさえ言えるだろう。これほど効率のよい穀物生産の方法はないからね。
ただし、貴君の言うとおり共同作業が必須だ。水田の開墾から田植え、稲刈り、脱穀は村中で共同して行わ
れただろう。そしてリーダーが必要だ。技術知識を持ち、人を動かす才能と人望が要求される。この過程で
政治が生まれる。
854me←ミーじゃないからw:2009/10/17(土) 21:57:00
唐松山さんは箸墓の構築を二世紀〜三世紀初頭か。
うましかさんと縦目さんは、250年頃と考えてるんでしょうか。
855me←ミーじゃないからw:2009/10/17(土) 22:15:17
>>834
>水行十日、陸行一月

いや、九州説の問題点ではないでしょうか。

>こんな遠いところにあって、伊都国その他を本当に支配できるのか?

近畿連合国家が強靭な関係で結ばれていただろう、ことが伺えます。

>だいたい「水行十日、陸行一月」の間にある諸国を何故詳述しないの?

諸国をどこに当てるかによりますが、これは著者に聞いてみないと分かりませんね。

>女王国はポツンと孤立しているのか?

イメージが違うかと思われ・・・








だいたい「水行十日、陸行一月」の間にある諸国を何故詳述しないの?
女王国はポツンと孤立しているのか?



、中国でもそう、農業が広まり、
856うましか:2009/10/17(土) 22:16:29
>>854

> 250年頃と考えてるんでしょうか。

箸墓=布留0ならその頃でもおかしくないですね。
考古学には詳しくはないので何なんですが、訊ねられればそのように答えます。
857縦目仮面:2009/10/17(土) 22:17:43
>>853
縄文人かな。まあ、水田耕作から耕地や水利を巡る争いが起き、だんだんにムラからクニへと推移
していく、その段階で部族社会から首長社会へと変化していくのではないですかね。で、それにとも
なって宗教文化も変異する。
858改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/17(土) 22:21:48
>>856
>> 250年頃と考えてるんでしょうか。
>箸墓=布留0ならその頃でもおかしくないですね。

もっと全体的に早まるのではなかろうか。

>考古学には詳しくはないので何なんですが、訊ねられればそのように答えます。

では、ここで質問ですが、倭国乱れの時期は二世紀後半ですよね。
50〜100年も政権が続いたということは考えられるのでしょうか?
859唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 22:24:57
種貸しの始まりは、天照大神(暦の編纂者)以来の天皇家のシノギ
天照大神の上に大物主がいたが、崇神時代に国譲りがあり、
倭国乱(卑弥呼の時代)に景行が魏国の政治を学び「屯倉」を導入。
景行の子供80人の殆どは屯倉経営の為の養子だと思います。
血族経営は、血族間のいがみあいで直ぐに分裂、神功、応神、仁徳時代は、その象徴。

種貸しからの脱却は崇神時代に人足や機織りまで拡張されたが、まだ畿内中心で大倭国とまではいかない。
この拡張も大国主の国譲りがあればこそ、
>遠隔地への種貸しは非現実的ではないですかね。
だから景行が武力で大倭国統一、屯倉経営となる。
860改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/17(土) 22:26:55
>>835 九州説の愛知県民さんへ
>これは女王国が纏向に服属した記録であろう。

え・・・と その文のどの部分がでしょうか?

861唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 22:28:12
>>858
崇神5,6年の記事は、新羅192,3年の記事と同等であると考えています。
よってこれ以上年代が俎上する事は無い。
862縦目仮面:2009/10/17(土) 22:28:19
で、ある程度クニの規模が大きくなると、弥生時代の武力では支配しきれない。このため倭国乱が
長く続き、各クニは疲弊し、その結果が卑弥呼の共立ではないかと考えています。もちろん鉄器を
輸入ルートをめぐる争いなどの側面もあったでしょうが。
863太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 22:28:23
唐松山は盲増が多いから警戒しなよ。
864太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 22:33:16
同等にはならない。当時まだ畿内には船舶が無い。百姓千人が腹ペコ
の餓鬼群で半島に渡海の経験も訓練も受けておらず、操縦も出来まい
し、危険海域も知るわけもない。
漁師でないから船舶なんぞ所有もしておるまい。こういうデタラメが
唐松山の盲象得意技なのであ〜る。
865日本@名無史さん:2009/10/17(土) 22:34:52
漢末の混乱で奴国王の権威が薄れたので
倭国乱が起こったに決まっておろうが。
866改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/17(土) 22:38:30
>>848>>859 唐松山さん
>種貸し

卑弥呼の時代にそのようなモノがあったのでしょうか。
証拠は?

>>861
>崇神5,6年の記事は、新羅192,3年の記事と同等であると考えています。
>よってこれ以上年代が俎上する事は無い。

はあ、どこでしょう・・・。
良かったら貼り付けてくれませんか。
867縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/17(土) 22:38:44
縦目仮面はさすがだね。857、862の書き込みは良い線を行っていると思うよ。君が畿内説を支持して
いるのが不思議だ。
868唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 22:39:10
崇神11年異族多帰が2世紀末、時を置かずに巻向で古墳が造られ始める。

この古墳が今の「箸墓」では半世紀のズレが生じる。
箸墓と現崇神陵がほぼ同じ時代の築造なら、260年に死亡した「景行」の時代となる。
869太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 22:39:57
大震国本紀君が登場したぞぅ〜。
870日本@名無史さん:2009/10/17(土) 22:41:11
>>867
いや、彼が言ってることは、どの本にも書いてると思われ・・・w
君、本を読んでないな?ww
871縦目仮面:2009/10/17(土) 22:42:21
>>859
レスありがとうございます。屯倉重視の立場と言うことですね。少し調べてみます。

で、ここからは妄想と呼ばれてもいいんですが、各クニが卑弥呼を共立した段階で、九州説からは
嫌われる「ゆるやかな首長連合」内では、各クニ独自の宗教があったと思います。この段階では
アニミズムから、首長の権力を正当化する方向に宗教概念が進化していたのではないでしょうか。

で、それと矛盾せず、かつその上位概念として連合を統合する祭祀が必要だった。それが卑弥呼の
鬼道ではないでしょうか。その象徴が大規模前方後円墳による祀り。

これで改めさんへの答えになるでしょうか。
872太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 22:45:29
258年説(それがしは259年説)が崇神没年のほぼ正解の年代で
あるから、その2年後は垂仁即位年ころであり、景行は無関係
である。菅政友と橋本増吉の主張した258年説がほぼ真なのである。

カルト・ホツマ教に狂うと、盲増の景行ご本尊さまとなる。ww
873改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/17(土) 22:49:10
>>871
>これで改めさんへの答えになるでしょうか。

ん?私のどのレスに対して、どの部分が答え?にあたるのでしょうか。
874縦目仮面:2009/10/17(土) 22:51:51
>>873

>>854ですよ。もう。
875縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/17(土) 22:52:08
太国ちゃん、唐松ちゃん。
あんたらの年代は間違ってるよ。神武は2世紀末に東征したんだよ。崇神は4世紀初に畿内に王権を建て
たんだよ。これは4世紀末の倭による半島侵攻が日本書紀の神功皇后の事績に相当することからの推定に
よるものだ。当然、崇神は卑弥呼より半世紀も後の人物だ。モモソ姫もそうだ。
876改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/17(土) 22:54:30
縦目さんは、うましかさんと同様に
箸墓の構築を250年頃と考えてるんでしょうか?
877太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 22:58:41
縄文人氏の神武東征2世紀末説は間違いだよ。東征はB.C.7年だよ。
この年神武は九州を出発したのだ。
878縦目仮面:2009/10/17(土) 23:04:04
>>865
東大寺山古墳の中平銘鉄刀が真物なら、それも倭国乱の原因の一つでしょう。

>>876
卑弥呼または台与の墓と考えます。
879唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/17(土) 23:05:05
三國史記 卷第二 新羅本紀第二  伐休尼師今 
 九年 春正月 拜國良爲阿 述明爲一吉 三月 京都雪 深三尺 夏五月 大水 山崩十餘所

 十年 春正月甲寅朔 日有食之 三月 漢祇部女 一産四男一女 六月 倭人大饑 來求食者千餘人

↑が192、3年の記事、正月が倭国より1月遅れ。
太国さんは、この記事を説明出来ますか?
880太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 23:09:18
391年広開土王即位年は仁徳即位ねんだよ。碑文の倭兵とやらは九州
王朝、九州王権等の兵であり、畿内朝廷の兵ではない。
393年にアンタレス星の超新星☆の記事が三国史記の120年のズレと
同様、120年のズレで應神四年の記事と間違えて先代旧事本紀大成経
に記載がある。これは應神四年ではなく、120年後の仁徳3年=393年
の記事なのだ。
倍暦計算から應神四年はみかけの273年であり、実年代は393年で
ある。

 273+120=393年

393年 さそり −1等 中国記録 (星の古記録 斎藤国治著)
881太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 23:13:01
そんなものは北九州の半島がうっすらと見える経験のある農民だよ。
畿内の農民ではないぜ。
船舶の操縦訓練など腹ペコで受けてる言うのか?
してないだろうがねぇ〜。wwwww
882太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 23:18:27
>>880 訂正
× アンタレス星の超新星
○ アンタレス星付近の超新星
883改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/17(土) 23:19:01
>>879
>倭人大饑 來求食者千餘人

日本書紀では、
「五年 國内多疾疫 民有死亡者 且大半矣」
「六年 百姓流離 或有背叛 其勢難以コ治之 是以 晨興夕タ 請罪~祗 
先是 天照大~ 倭大國魂二~ 並祭於天皇大殿之内 然畏其~勢 共住不安 故以天照大~ 託豐鍬入姫命...」

可能性ありますよね・・・。

>>878
>卑弥呼または台与の墓と考えます。

おや、縦目さんから「台与の墓」というのは初めてお聞きしました。
もし、その場合は、徑百餘歩の卑弥呼の墓はどこになるんでしょうね。
884愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/17(土) 23:21:30
>>860
>え・・・と その文のどの部分がでしょうか?

後ろ2行ですね。八咫鏡を所持する九州北部の女王が、景行に帰順したわけです。
平原古墓の女王が卑彌呼の先代ならば、神夏磯媛は壹與(臺與)の後継と考えられます。
壹與本人かもしれないが、少し年とりすぎか?
885太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 23:25:41
崇神当時は朝廷の勢力は畿内までだ。それで畿内の外に四道将軍に
よる偵察を行ったのだ。北九州は関連はうっすらあるが、当時は
外国だから国内ではない。その記事は紀無い農民ではなく、北九州
沿岸の漁師と付き合いのありそうな農民の連中さ。だから渡れ
たのさ。

腹すかして畿内から九州へ行くまで野垂れ死に等で殆ど全滅して
しまうのがオチさ。ww
886縦目仮面:2009/10/17(土) 23:27:10
ちょっと舌足らずだったんで、東大寺山古墳は、奈良県天理市の4世紀後半頃とされる推定140m
の前方後円墳で、このあたりは和邇氏の本拠地といわれてる。副葬品の中に、鉄刀20本、鉄剣9本
などの一本として、中平刀があるんだが、中平とは後漢の霊帝の年号で184〜189年。これは倭国
乱終結の時期とも考えられ、卑弥呼共立の記念に下賜されたとの説もある。

だから、漢末の混乱というのも否定するものではないが、この刀には問題点も多い。
887太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/17(土) 23:33:10
畿内からハラペコで北九州に至るということは、今日のニュースの
少年の気球飛行同然無謀極まりない行為であり、それこそ命は
なおさら危険にさらされる。こういう危機感を全く考慮しないで
古文献を解釈する男が、盲増の唐松山という男だ。

もっとも当時気球1台があれば、数人は畿内から半島に行ける可能性
はあろうが・・・?www
888日本@名無史さん:2009/10/17(土) 23:35:51
>>828
崇神の没年干支が258年か318年かで、水野祐の318年説が戦後に多数説に
なったことが大きいね。
つまり、
1、崇神が318年頃に没した。
2、箸墓は崇神稜とほぼ同時期か少し古く、3C末から4C初頭である。
  ちなみに森浩一は3C末説。
3、箸墓は最古級の古墳であるので、古墳時代は3C末から4C初頭の開始。

というように、崇神没年干支が大きく影響している。
889縦目仮面:2009/10/17(土) 23:53:00
>>888
そうですね。今は本に崇神没年を取り上げる考古学者も少ないんですが、当時は・・・。

>>883
俺は考古学専攻なんで、基本土器編年で考えます。で、それには幅があるんで。

>>887
ナスカの地上絵は、古代人が熱気球から見ていたとする説をムーで読みました。ww
(こういうレスは書かなきゃいいんだろうが・・・信用されない原因を自ら作ってしまう。)
890改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/17(土) 23:55:15
>>884
>後ろ2行ですね。八咫鏡を所持する九州北部の女王が、景行に帰順したわけです。
>平原古墓の女王が卑彌呼の先代ならば、神夏磯媛は壹與(臺與)の後継と考えられます。
>壹與本人かもしれないが、少し年とりすぎか?

神夏磯媛というのは、豊前辺りの首長ではなかろうか。
平原遺跡といえば前原市ですよね。
離れすぎと思うんですが、「平原古墓」と「神夏磯媛」のつながりは
どこを見ていったのでしょうか。
891愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/18(日) 00:05:42
>>890
>「平原古墓」と「神夏磯媛」のつながりはどこを見ていったのでしょうか。

もちろん「八咫鏡」です。
先週に書き込んだように、平原古墓の超大型内行花文鏡は八咫鏡である可能性が高い。

景行天皇が子湯縣の丹裳小野で詠んだといわれる「思邦歌」
波辭枳豫辭。和藝幣能伽多由。區毛位多知區暮。夜摩苔波。區珥能摩保邏摩。多多儺豆久。阿烏伽枳夜摩。許莽例屡。夜摩苔之。于屡破試。
異能知能摩會祁務比苔破。多多濔許莽。幣遇利能夜摩能。志邏伽之餓延塢。于受珥左勢。許能固。
森浩一氏は「記紀の考古学」で、この歌はヤマトとはどのような場所かを日向に眠る先祖に報告する歌だったのではないか?と述べている。
妥当な考えかもしれません。
892日本@名無史さん:2009/10/18(日) 00:07:31
>>889
今の年代論の根拠はC14だろうね。
布留0の古墳の土器付着物が3C半ば頃ということで、約100年それまでより
古くした

しかし、同じ布留0の遺跡から出た桃核のC14が4C半ばということはなぜか無視だね。
土器付着物よりも精度が高い桃核の方が重要なのにね。

893改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 00:10:08
>>884 愛知県民さん
少し考古的というか、遺跡の話になりますが、
大分県北部〜福岡一部というのは、玄海難側の博多、唐津、前原とか、
筑紫平野が広がる、佐賀、久留米、筑後、それから平野ではないですが、日田、
ここら辺と文化が明らかに違うんですよね。
たとえば、埋葬方法にしてもですね、大分県北部〜福岡一部というのは、AC180年ごろまで
乳児用の甕棺墓が出土されて、大人はというと土こう墓がメインです。
かたや、福岡平野や筑紫平野というのは、乳児・大人関係なく甕棺墓だったり、
石棺とかですよね。
そして、ここらへんでは、くっ葬という習慣もあります。
大分なんかで言わせてもらえば、このくっ葬というのはありません。
少し文化が違うように思えますが、如何でしょうか。
894唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/18(日) 00:12:23
>881 そんなものは北九州の半島がうっすらと見える経験のある農民だよ。 畿内の農民ではないぜ。

畿内の農民が渡海したとは言っていない、
日本全体が凶作であったろう、渡海には日本海側の農民も含まれているであろう。
書紀の記事からはその程度しか読めない。
大彦の「越」への派遣もこの離散農民の畿内への流入を阻止するため。北ほど被害が大きかった。
この時代は、大陸、半島でも凶作で不安定な時代。
九州には半島方面から流入者があったであろう。
倭国乱の糸口。

>>880太国さんの数字では、下記の数字が説明出来るか?
高句麗に大敗直後では、説明出来ない。
神功の渡海で説明しようとするには、倭兵を大量に用意しないとなら無いが、
倭国乱から100年以上が経過している。倭国乱の少し後に

『通典』邊防 東夷上 百濟 新羅 倭國 より
晉武帝咸寧中 咸寧(275年-280年)、馬韓王來朝、自是無聞。三韓蓋爲百濟、新羅所呑并。
新羅、百済の独立がある。このままでは、「任那」の存在もあやうい。

新羅364 倭兵が大挙して侵入
仁徳天皇五三年(乙丑三六五)◆五十三年。新羅不朝貢。 ◆夏五月。遣上毛野君祖竹葉瀬。
仁徳天皇五八年(庚午三七〇)十月◆冬十月。呉國。高麗國並朝貢。

895唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/18(日) 00:15:36
>もっとも当時気球1台があれば、数人は畿内から半島に行ける可能性
はあろうが・・・?www

風の向きも読めない人間に書紀の数字は読めない。
896縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/18(日) 00:20:38
私は古代の文化文明の全てが遺跡や遺物として残ってはいないと思うし、遺跡も全て発見されてはいない
と考えるから、考古学的資料にものを言わせることは控えてきたが、少しばかり言ってみよう。
弥生時代の出土物と思われる鉄鏃などの鉄器の出土量は九州が圧倒的に多い。奈良の唐古・鍵遺跡などか
らは石の道具が多く、弥生時代の奈良は後進地域であることが推定される。地勢的に見ても大陸からの先
進技術や文物は直接入るにしても半島を経由するにしても先ず九州に入る。九州が先進地域で畿内は後進
地域である。半島から出雲や丹波に人や文物が入ったかも知れないがそれは九州に入るものと比べればは
るかに少ないであろう。舟での交通では九州北部から壱岐、対馬を経て半島南部に至る経路が当時最も安
全だったのである。これはずっと後世の豊臣秀吉の朝鮮征伐が松浦半島に拠点をおいて行われたことから
も分る。中国地方あるいは近畿、北陸の日本海側からの航路が安全で便利であれば秀吉がわざわざ九州の
僻地に城まで築く必要はない。3世紀半ばに箸墓や崇神陵などの大型前方後円墳を築けるような力が畿内
にあったとは考え難い。それまで後進地域であったところに突然強大な権力が出来上がる筈がない。九州
から先進技術や鉄器などを持って入ってきた指導者および技術集団が畿内の開発を進め、各地から人が集
まって大きな勢力に成長したのは4世紀に入ってからであろう。
897改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 00:25:03
>>885
>崇神当時は朝廷の勢力は畿内までだ。それで畿内の外に四道将軍に
>よる偵察を行ったのだ。北九州は関連はうっすらあるが、当時は
>外国だから国内ではない。

九州から来た天皇家が外国?面白いですねw

>>889
ん?箸墓は台与の墓と考えた場合、徑百餘歩の卑弥呼の墓はどこでしょうか?

>>891
>もちろん「八咫鏡」です。
>先週に書き込んだように、平原古墓の超大型内行花文鏡は八咫鏡である可能性が高い。

わたしも八咫鏡=超大型内行花文鏡 という考えには賛成ですが、
日本書紀のこの神夏磯媛の場合はふつうサイズの内行花文鏡というふうには考えれないでしょうか。
現に、行橋市京都郡付近から、そのような巨大な大型内行花文鏡が出土されてませんし...。

>森浩一氏は「記紀の考古学」で、この歌はヤマトとはどのような場所かを日向に眠る先祖に報告する歌だったのではないか?と述べている。
>妥当な考えかもしれません。

この場合の「日向」は大分県海部郡より向こうの宮崎でしょう。
福岡県と宮崎県は別と思いますが・・・。
898唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/18(日) 00:26:29
>>888 崇神の没年干支が258年か318年かで、

この数字では、巻向遺跡の説明が出来ない。
899愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/18(日) 00:27:40
>>893
文化に違いがあるから、連合国家を形成するのはおかしいという趣旨ですかね。
それをいうなら、より広範囲の畿内説はいっそう成立しないのではないですか?

>>891 補足
景行天皇の歌を漢文として読んでも、全く意味が取れませんね。狂人の文章になってしまう。
漢字を表音文字として使った編者の苦労がしのばれます。
900縦目仮面:2009/10/18(日) 00:32:07
>>897
それに先行する纏向の前方後円墳のどれか。ただ、俺はずっと書いてるように邪馬台国の位置や
卑弥呼の墓よりも、弥生時代の社会構造や精神文化により興味があるんですよ。
901愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/18(日) 00:35:56
>>897
>日本書紀のこの神夏磯媛の場合はふつうサイズの内行花文鏡というふうには考えれないでしょうか。

ふつうサイズ?
「八咫鏡」と明記されているのに?

>現に、行橋市京都郡付近から、そのような巨大な大型内行花文鏡が出土されてませんし...。

はい、だから景行天皇が大和、あるいは伊勢に持っていったのでしょう。

>福岡県と宮崎県は別と思いますが・・・。

はい、別です。それが何か?
902日本@名無史さん:2009/10/18(日) 00:39:49
改めは読解力がないな。
903日本@名無史さん:2009/10/18(日) 00:45:55
>>896
石器しかないから
邪馬台国じゃないってのは早計。

まぁ、巻向には鉄を精製してた可能性のある
遺跡が最近見つかったけどね
904改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 00:49:22
>>896 縄文人さんいも突っ込んでみよう
>弥生時代の出土物と思われる鉄鏃などの鉄器の出土量は九州が圧倒的に多い。奈良の唐古・鍵遺跡などか
>らは石の道具が多く、弥生時代の奈良は後進地域であることが推定される。地勢的に見ても大陸からの先

それは弥生中期までの話でしょう。
そうですね、九州と比べた場合、約100年ぐらい遅れてると言われていますよね。
そして、弥生後期ぐらいから「石」ではなく「鉄」が使用される。
これに伴って農業能力も高まったことが予想される。

>地勢的に見ても大陸からの先進技術や文物は直接入るにしても半島を経由するにしても先ず九州に入る。
>九州が先進地域で畿内は後進地域である。
>半島から出雲や丹波に人や文物が入ったかも知れないがそれは九州に入るものと比べればはるかに少ないであろう

九州に住む人等は、畿内のパシリだったのでは?w

>3世紀半ばに箸墓や崇神陵などの大型前方後円墳を築けるような力が畿内にあったとは考え難い。
>それまで後進地域であったところに突然強大な権力が出来上がる筈がない。
>九州から先進技術や鉄器などを持って入ってきた指導者および技術集団が畿内の開発を進め、各地から人が集
>まって大きな勢力に成長したのは4世紀に入ってからであろう。

うーん たとえば、大きな国があったであろう証明するものに「鉄刀」や「その他の武器」
とかありますよね。
今ここですぐには出てきませんが、一〜二世紀ぐらいのそうゆう遺物が畿内からも出土されてるはずですよ。
905改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 00:55:12
>>899
>文化に違いがあるから、連合国家を形成するのはおかしいという趣旨ですかね。
>それをいうなら、より広範囲の畿内説はいっそう成立しないのではないですか?

その辺りから、当時、王者が居た様な「遺物」は発見されてるのでしょうか?
出土されてませんよね?
玄海難と比べ、明らかに見劣ります。

>>900
>それに先行する纏向の前方後円墳のどれか。ただ、俺はずっと書いてるように邪馬台国の位置や
>卑弥呼の墓よりも、弥生時代の社会構造や精神文化により興味があるんですよ。

社会構造や精神文化に興味があるというのは分かりましたが、
箸墓に先行する「徑百餘歩」の墓とかあるんでしょうか?
何処??
906縦目仮面:2009/10/18(日) 01:02:17
倭人伝の数値は鵜呑みにしてないです、畿内説に有利と思われるものでも。だから読解には加わ
らないんですよ。あと、俺は2世紀末とされる卑弥呼共立時から纏向が王都とは考えてないんです
が、これについては考えがまだまとまらないんで、少し待ってください。
907改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 01:03:21
>>901
>ふつうサイズ? 「八咫鏡」と明記されているのに?

四咫鏡という言葉は聞いたことがありません。
基本、八咫鏡といえば、大型内行花文鏡と思われますが、
「内行花文鏡」自体、そうよばれたのではないだろうかと考えたんです。

>はい、だから景行天皇が大和、あるいは伊勢に持っていったのでしょう。

八尺瓊勾玉、天叢雲剣もどこかへ持っていったのでしょうか。
それ以外で、高価なモノは出土されてます?
そこに「王」クラスがいたといえる証明が出来るのか、出来ないのか
お聞きしたいです。

>>福岡県と宮崎県は別と思いますが・・・。
>はい、別です。それが何か?

景行天皇の歌は宮崎県を指して歌ってるのであり、
行橋京都郡を指して歌ってるのではないということです。




908日本@名無史さん:2009/10/18(日) 01:03:54
改めはあんがい勉強してるようだな
彼が謎の女王スレ1を立てた当初からすれば雲泥の差だ

それに比べ…
909改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 01:20:27
アッハハ  私が1スレ立てたってよww
910愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/18(日) 01:22:35
>>905
>その辺りから、当時、王者が居た様な「遺物」は発見されてるのでしょうか?

その辺り、というのは豊前のことでしょうか。
石塚山古墳や御所山古墳などの巨大古墳もあるし、「京都(みやこ)」という地名も残っています。
仲哀紀で、岡縣主の祖・熊鰐、伊覩縣主の祖・五十迹手はいずれも「白銅鏡」を掲げており、
神夏磯媛が掲げた「八咫鏡」は持っていない。
この当時の九州倭国の都は豊前に移っていたと見られます。

>>907
>景行天皇の歌は宮崎県を指して歌ってるのであり、
>行橋京都郡を指して歌ってるのではないということです。

天皇家の先祖の地と、4世紀初め?の九州倭国の都が同じとは限りません。
911日本@名無史さん:2009/10/18(日) 01:29:38
なんだ、別人か…
912改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 01:30:21
神社明細帳(じんしゃめいさいちょう)

↑みなさん、これ憶えといたほうがいいよ。
たとえば、神社を調べたい時に「神社辞典」でもある程度は間に合うんだが、
ちゃんとした原紙がみたいときはこれをお勧めする。
どこでみれるかといえば、各県立図書館まで行かないと観られませんが...。

ちなみに、大きな神宮クラスのを観たい時はこの「神社明細帳」ではなく、
神宮記とかになるのかな。
これも、各県立図書館で観られるはず。
以前、神宮を調べるのに「神社明細帳」で調べたことがあるんですが、
半日探し回った記憶がある。
神社明細帳には、神宮とか載ってないというの知らないで
無駄な労力を費やしたという苦い経験があるし・・・(><)
913うましか:2009/10/18(日) 01:35:24
>>903

年代観の問題ですが、例えばホケノ山古墳が三世紀前葉のものであれば、
当時の纏向には相当程度の鉄器があったことになります。
私自身は、九州東遷説などは認めませんが、大和勢力自生説とかも成立しないと思う立場です。
914改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 01:59:26
>>910
>京都郡

たしかK師匠もそこをさしてるんですよね。
愛知県民さんもソコと考えたんですか、いいかげんに返答したくないので
一度調べてみます。
では、今日はおち・・・・zzz
915改め ◆qexCkQtLcY :2009/10/18(日) 02:03:14
>>913
>私自身は、九州東遷説などは認めませんが、大和勢力自生説とかも成立しないと思う立場です。

「東遷」でもなければ、「自生」でも無い。
じゃ〜いったい、なんなんですか?って突っ込みたくなる(笑) 
では、落ち...zzz
916日本@名無史さん:2009/10/18(日) 08:10:20
>>915
だったら西征じゃないのか?
関東、東海の勇が、畿内を征した。
917日本@名無史さん:2009/10/18(日) 08:18:19
>>906
倭人伝の数値を鵜呑みにしなかったら、一体何を頼りに当時を紐とくのですか?文字と言葉以外に、歴史を知る手掛かりはありませんよ。
たとえ書かれた数値が出鱈目であっても、それが歴史です。書が黒なら歴史も黒です。
918太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 09:28:41
>>894
飢饉なんかなにもオマエの古代史を誇大視の新羅192.193年とか崇神5,6年とか
に限らないんだよ。こんなことは有史以来数限りなく起きてるんだから、オマエ
が双方をイコールと主張したって、そう簡単にはイコールにはならないんだよ。w

よ〜く考えてみろ。崇神当時の朝廷の勢力範囲は畿内までだよ。それで四道将軍を
四方へ派遣し、畿内外周以上は外国だから、その状況を把握したかったわけだ。

だから半島は勿論外国だが、北九州だって少しの関与は否定出来ないが新幹線も
ない飛行機もない時代であり、北九州も遠い遠い外国だったのだから、そんな
所の飢饉がどうのなんて記紀に載せるまでもないことだ。だから双方は無関係
なのさ。オマエのここの同年説は妄想だよ。

畿内から当時北九州は外国だよ。そんな所の記事は王級同士の付き合いとか戦争
だとかだったら書かれる可能性はあるわけだが、一般農民の外国の腹ペコ記事
なんて記紀からすれば書くまでもないことであり、おまけに船舶のない朝廷に
所有できっこない農民が大量千人も餓鬼をして危険海域も知らぬ経験0で操縦訓練
もしていないのに、な〜んで畿内から北九州より遠方の半島に渡海が千人も出来
うるのか? 数人命からがら奇跡の渡海はできえても、そんな事は不可能に近い。
919太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 09:38:51
>>894
>説明出来るか
こんなんでは説明不足で意味不明だね? どうことで説明出来ないのか、それを
具体的に指摘できないんでは、こちらも回答なんかできっこないぜ。

オマエはいつもいつも書きこみが具体性薄く中途半端なんだよ。どうせそんな
ことは、必ず説明できる。いまのいままでどれも説明がついている。オマエの
主観で説明できないと言ってるだけさ。三国史記と日本書紀の120年差の断層で
実年代が把握でき、その片方は何らかの事由にて120年設定を間違えざるを
得なかったのさ。これは故意に舎人親王らが年代を誤魔化したのではないことは、
先代旧事本紀大成経の應神四年(みかけ273年)の120年のズレがあることから、
裏が取れる。この場合も真の年代は393年であったわけであり、この記事は
その393年のアンタレス星付近の超新星爆発見聞の記事なわけだよ。これをオマエ
が否定すると、もうデタラメ盲象編年を猿のオナニーも如く繰り返すだけ。ww
920太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 09:41:49
>>895
オマエの農民千人半島渡海との主張は、まるで風が吹けば桶屋が儲かる式の
正確な判断操作ができないオマエの脳の活動にある。人のことを言う前に、景行
ご本尊の盲象をなんとかするのがオマエのやるべき本筋だ。www
921太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 09:43:35
>>898
説明が何故できないのか、相変わらず具体性がない。そんなのはいくらでも
説明がつくものだ。www
922日本@名無史さん:2009/10/18(日) 09:53:16
こういうのは相手を罵っている方が議論に負けているように見えるな。
923太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 09:57:36
こちらは無コテのほうが負けてるように見えるがねぇ〜。
924うましか:2009/10/18(日) 11:09:06
>>916
ハズレ。
「東遷」であることに違いはありませんが、
その主体が九州勢では無い、「河内」勢力東遷説です。
925日本@名無史さん:2009/10/18(日) 11:41:14
東遷とは国ごと移することではない。
まず「イリ」。これは、大王の子を婿や嫁として入れることで友好関係を結び実質的に支配する方法だ。
次に「ワケ」。これは、大王の支配地を分け与えることだ。
926縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/18(日) 11:44:33
がはは。太国ちゃんも唐松ちゃんも(それからかなり多くの畿内説派の諸君も)箸墓などの巻向地域の
遺跡を説明する(3世紀のものとする)ために崇神318年没を認めたくないわけだ。フオッフオッフォ。
未だ完成していない年輪年代法や炭素14年代測定法を用いて軽率な発表をした連中は罪なことをしたも
のだ。布留0式土器の年代だって誰にも分らぬのに、画文帯神獣鏡やその他の鏡だっていつ作られいつ埋
葬されたか誰にも分らぬのに、これらを証拠に箸墓などの古墳を3世紀半ばの築造とする。それをもとに
崇神没年を決める。己の願望に合うように歴史を作っているね。
927縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/18(日) 11:49:03
926の訂正
「鏡がいつ埋葬されたか」は適切な表現でないので「鏡がいつ埋められたか」に訂正。
928太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 12:28:55
>>875 >>926 縄文人さんよ
4世紀末の倭の半島侵攻っていうのは、あんたは広開土王即位碑での391年
(同王即位)のことを言ってるんだろう? これは神功とは直接は無関係だよ。

先述どおり、三国史記と日本書紀での関係記事はかなりが120年ピタリの段差が
あるわけで、紀は倍暦を知らぬため間違えて120年違う天皇らの世代にもって
行って書きこんでしまったのだ。同様に先代旧事本紀大成経の編者らもそれを
知らずに120年ズレて393年のアンタレス星近隣の超新星爆発記事を273年(みかけ
の應神四年)に記載してしまったもので(みかけの270年=應神即位)、実年代は

 273+120=393年=仁徳3年

で仁徳年代のことなのだ。広開土王即位 391年 の2年後のことなのである。
だから碑は神功のことではないぜ。仁徳が高臺に登って煙雲のないという意味は、
快晴だと夜間天体が廃気ガスのない時代なので美麗に観測できるわけで、これで
仁徳は天体の観測に使ってたんだよ。つまり超新星☆を見ていたことの話だよ。
929日本@名無史さん:2009/10/18(日) 12:42:47
布留T以降の土器様式の変化はかなり緩慢なので、
箸中山三世紀中、向山三世紀末、行灯山四世紀前半でも、
畿内説には問題はありません。
古墳の巨大化は王権の発達過程を示すものであって、
発祥を示すものは、西日本各地の祭祀の融合が纏向に現れたことにあります。
庄内三世紀初くらいの設定であれば、前述の条件はクリアしてしまう。
なので、論点とするならこの辺りの年代観がどうかところでしょう。
930縦目仮面:2009/10/18(日) 13:44:43
>>906
だから、やりたい人は倭人伝読みをどんどんやっておくれ。俺は水掛け論は避けたいし、細かい
漢文解釈も嫌いなんで参加しない。できたら、他の学問分野から3世紀の日本像を組み立ててたい。

>>929
各地葬制の習合は重要ですね。纏向遺跡は「首長連合」によって建都されたと考えています。
931日本@名無史さん:2009/10/18(日) 13:55:10
しかし、手がかりが広開土王碑だけというのもなぁ・・
歴史というものは、互いに干渉を受けていない複数の証拠をそろえて初めて実史として認定されるものだ。
932太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 14:01:09
そこまで行けばすごいじゃないか。w
それができないから皆、こうやって議論を重ねて真偽を取捨しようと
してるんだよ。広開土王碑の倭兵っていうのは、これは九州王朝、
九州王権の兵だよ。391年の仁徳即位年に畿内から半島に兵を送っ
た記事はない。こんなことが朝廷であったんなら、記紀が落とさず
記載するはずだと想う。だから畿内の兵隊ではないな。
933縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/18(日) 14:36:01
>>928
太国ちゃん。
仁徳天皇は5世紀の人だと思うよ。日本書紀のあの辺りの記事は年代(干支)が操作されているね。もっとも
その当時の記録文書があったかどうか分らないし、編纂チームが苦心して干支をつけたんだろうがね。神功皇
后が4世紀末、仁徳天皇は5世紀が自然だね。あんたの言うように仁徳天皇には半島に兵を送った事績はない
しね。
934日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:45:41
>>931
そんな事を言えば邪馬台国も・・・
935日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:58:08
>>934
その通り。邪馬台国の手がかりは、魏志倭人伝のみ。
その魏志倭人伝がどうも胡散臭い代物なのに、
それだけの証拠で語ろうとするからとんでもないことになってしまう。
邪馬台国は歴史ではない。神話です。
古事記と同じ。
936愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/10/18(日) 14:59:07
>>928
>仁徳が高臺に登って

高臺は天文台というよりは、港に設けられた見張り台のようなものでしょう。
(高津宮=高い津)
組織的な天文観測を当時していたとは思えませんが、特殊な天体現象には注意したと思われる。
後に高津宮とほぼ同じ場所に石山本願寺→大坂城が築かれ、豊臣秀吉の正室・ねねは「高臺院」と号した。
その墓所が京都東山の「高臺寺」である。
937神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/10/18(日) 15:33:26
>>932
朝鮮半島に侵攻したのが九州王朝・九州王権の兵だって!ビックリ!タマゲタ!
九州王朝も九州王権も日本の歴史上に存在しないのだから朝鮮半島に九州の王が
兵を送ることはない。熊襲・土蜘蛛が朝鮮に侵攻したのか?馬〜〜〜鹿みたい!
938太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 15:38:26
>>933
仁徳も神功も広開土王碑の倭兵とは無関係だよ。当時畿内と九州とは
まだ別国状況であり、この倭兵を神功と即考えたのは分からんわけ
でもないが、早計だったということだ。紀の神功のころは畿内から
外周へと朝廷の勢力が拡大してたころであるも〜それは三韓に兵を
挙げたわけだが、途中通過の北九州あたりは朝廷と関係が濃厚に
なってきたとはいえ、本来の朝廷の勢力下ではなかったということだ。

北九州が勢力下になったのは雄略のころだよ。あなたは九州も畿内領
の考えでいるから、間違えたわけさ。神功ころから仁徳前後は倭の
五王からわかるように、九州王朝あるいは九州王権が九州に
あったわけで、当時朝廷は九州を従えてはいない。だから畿内と
九州とは外国同士として九州を三韓征伐とかは別として、朝廷と一緒
にしないことだ。

仁徳は391年即位で崩御は419年だから、またがっていて5世紀の
人物だと言っても間違いではないがね。広開土王碑の倭兵は九州王朝
とか九州王権とかの兵なのさ。
939太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 15:43:21
>>937
あんたの妄想だよ。五王は九州王朝あるいは九州王権の王達であっ
て、天皇ではない。五王の即位年と当時の天皇の即位年が一致
したならば、これは天皇だということになるが、今の今まで合理的
に一致した論者はいないだろうが。つまり五王と天皇の編年が一致
できないということだよ。これは五王が天皇ではないことを物語って
いるのだ。それでも天皇だと言い張るなら、どのように年代がピタリ
と一致したのか提示されたい。
940唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/18(日) 17:47:12
弥生時代より「種貸し」は有りました。
1年の行事より抜粋
ミ07033 ヒモロゲの アブキのカユに  ヱヤミよけ ササオケトンド モチやきて カユハシラなす
カミアリの カユフトマニや キサラギは メヲほぼやわし キサシおふ タネかしまつる
ヰナルカミ ノリユミひらき  …

941ラブ・レター:2009/10/18(日) 18:11:13
太国太観は、自分の住処である山中の古社に帰って、さてと考えた。このまま無益な論争を続けても
しかたあるまい、と。そこで怨敵を呪詛すべく、算板に天津金木を組み始めた。言うまでもなく、これは
古神道において秘中の秘とされるものだ。百目蝋燭の灯りで、てらてらと光った太国太観の顔に、思わ
ず知らず、蛇のような笑みが張りついた。
942太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 18:24:24
一部そのとおり、天津神算木は古神道の秘義です。唐松山の盲象が
ひどいので、彼の脳内治療目的でほんの秘義の一端を見せたもの
です。
蛇が自身の尻尾を喰う形状のリングが、三輪に違背する主張だと
いうことになります。天津金木の数字に違えてる意味が、蛇リング
であります。
943神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/10/18(日) 18:25:27
>>939
「倭の五王」讃=仁徳天皇、珍=反正天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇、武=雄略天皇と
年表に書いてあります。これを覆す材料でも持っているのですか?持ってないでしょう。
九州王朝・九州王権のことが古事記・日本書紀にでも書いてあるのですか?
書いてないでしょう。九州王朝・九州王権などと言う説は自虐的歴史観に過ぎません。
944ラブ・レター:2009/10/18(日) 18:28:01
太国太観は、幼少の頃、大石凝真素美翁のもとで精神治療を受けたことがあった。そして、そのときに後に翁が大成
する言霊学を学んでいる。今でこそ、2chでオカルトと呼ばれるような身ではあるが、実は古神道界においては、一つの
地所を占める存在といってよい。古神道の失われた秘儀を用いて、邪馬台国女王卑弥呼の容貌を幻視した事実は、宗
教界で大きな話題となったばかりだ。

「この金木と、言挙げを用いた呪詛を返せるものは、この世にはおるまいて。」太国太観の笑みは、ますます大きく広がっ
ていった。
945太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 18:35:33
>>943
書いてあるという抽象的言い訳でなく、例えば讃王が仁徳で即位年
が西暦×××年で双方即位年が一致しさらに・・・・・と五王が
各天皇の即位年がこういう合理的事由で一致したという論拠が
具体的になけりゃダメだね。

今の今まで、研究家学者等で一致した話は聞いたことがない。
オマエの完全な盲象だよ。当時畿内と九州は別国だったのさ。
946太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 18:37:40
それがしは大石凝とは無関係ですよ。
947ラブ・レター:2009/10/18(日) 18:51:00
さて、金木であるが、組数字の上で逆祝詞を唱え始めると、少しずつ金色の煙が立ち上ってきた。そして金色の煙は、渦巻き
ながら、縦に細長い形を取りつつある。これは、返封じの破魔矢である。破魔矢が十分に形を成したところで、裂帛の気合を
込めると、矢は天空に向かい飛び立った。太国太観は、低い声で言挙げを始めた。

「この矢禍れ、この矢過がれ、・・・・」
948日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:51:55
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
949唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/18(日) 18:56:01
私の年代感と考古学の接点
崇神5,6年=新羅192,3年
崇神11,12年=巻向の土器と古墳築造のはじまり=2世紀末
垂仁崩御=ホケノ山古墳の半島式墳墓=田道間守=240年
景行の九州遠征=卑弥呼の死亡と五百野姫の下向
神功前紀の渡海と日食=272年、273年
筑紫、前原遺跡の半島式住居=田道間守の子孫等と任那の関係
神功52年 七支刀=326年
仁徳53年= 364 新羅 倭兵が大挙して侵入
950日本@名無史さん:2009/10/18(日) 19:00:00
>>949
石上神宮の七支刀は別物との見解なのか。
951ラブ・レター:2009/10/18(日) 19:23:34
一方、唐松山はその頃、呆然とテレビニュースを見ながら菓子パンを食べていた。彼の生活は質素なものである。しかし
ふと、不吉な予感に襲われて、よっこらと立ち上がり、神棚に置いてある「香具御機」を手に取った。これは失われた書物
として有名であるが、八方手を尽くして探し出したものだ。その古書の表紙に、鮮明に金色の破魔矢の図像が浮かび上が
った。呪詛である。
「しえやっ!!」唐松山は瞬時に結界を張った。間に合うのか?
952日本@名無史さん:2009/10/18(日) 19:29:22
↑ 何これ、小説なの?
953ラブ・レター:2009/10/18(日) 19:44:13
その瞬間、大きな地鳴りがして、地震のように家全体が揺れた。唐松山は身を固くし、柱に抱きついて耐えた。揺れは数分
も続いたろうか。箪笥が倒れ、書物が散乱し、食器類が割れた。しかし被害はそれだけである。どうやら呪詛は雲散鳥没
させることができたようだ。

「危なかったが・・・私の勘もまだ鈍ってはいないか。」唐松山は、大きくため息をつくと顔をあげ、キッと目を?いた。
このようなことをするのは論敵であり、また怨敵である太国太観しかおるまい。しかし強力な呪詛である、気を抜いていたら
黄泉の国まで飛ばされていたかもしれない。大祓を唱えながら、家の周囲に結界を張り直した。
「おのれ、太国め。」
954ラブ・レター:2009/10/18(日) 20:04:41
そもそも論争の発端は、記紀の紀年に関することである。唐松山の干支研究と、太国太観の2・3倍暦併用論がまっこうから
ぶつかり合った。当然である、両者は元々けっして相容れないものだ。論争が論争を呼び、憎しみに怨念が塗り重ねられる。
そして、困ったことに この二人とも現代においては有数の幻視者であり、秘教の験を現す力をたずさえている。言葉による
戦いを超えて、呪詛合戦に発展するのは事の必然といってよい。

たとえて言えば、平安期における安倍晴明と蘆屋道満。鎌倉期における弘法大師と守敏大徳のようなものであろうか。
そしてほぼその力は互角である。
955ラブ・レター:2009/10/18(日) 20:08:26
間違えた。954の「鎌倉期における」→削除

956太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 20:14:44
>>944
当方はマクモニーグル氏らではありませんので、幻視は当方の範疇
にはありません。
957ラブ・レター:2009/10/18(日) 20:22:12
太国は、呪詛の行方をしばらく気にしていたが、大きな衝撃に前にのめって倒れた。見えない大槌で頭をどやされたよう
な打撃を感じた。
「呪詛がつぶされた、まずいぞ。」立ち上がりながら、思わず口にした。幸い入念に呪詛返しは封じてあるが、これで唐松山
はこちらが実力行使に出たとわかっただろう。唐松山は、外見上は虫も殺さぬ好々爺であるが、実際は心底怖ろしい男で
ある。太国もまた、社の周りに結界を巡らした。
「やつもまた、古神道に通じた男だ。これからはおちおち眠られぬ日々が続くだろう・・・強力な術を手に入れなくてはならぬ。」
太国には、ひとつ心当たりがあった。
958太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 20:26:41
唐松山は古神道の最高機密は把握してないと観ております。
これは当方のみです。
959日本@名無史さん:2009/10/18(日) 20:29:15

◇ヤマト国の神話の天照大神の伝聞だろ!
日本に記録が無いのはそのせい。
960唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/18(日) 20:29:26
>>950
七支刀と神功
 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
これを満たす西暦は、326年5月辛卯朔 
東晉明帝太寧4年5月16日丙午、
273年 神功前紀 日食
326年 神功52年 七支刀 ←1年の狂いあり
961太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 20:33:56
唐松山の論は非科学的個所が見え隠れしており、彼の主張はその殆ど
が盲象デタラメの産物です。
なお彼は古神道の悪口を言ってましたので、古神道外の人物と
観るべき男です。
962日本@名無史さん:2009/10/18(日) 20:34:52
ラブ・レターって、こんなことを書く(書ける)やつは一人しかいないな。
963ラブ・レター:2009/10/18(日) 20:45:04
そもそも、呪術として有名なものに、蠱毒・厭魅があるがこれは古来より行われ、養老律令などにも厳しく禁じた条文が
みられる。蠱毒とは、広義には犬や猫など様々な動物を用いた呪いを総称するが、一般的に「器の中に多数の虫を入れ
て共食いをさせ、最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いをする」という術式が知られている。

また、厭魅とは、いうなれば丑の刻参りであり、「念を込めた人形には魂が宿る」と言った思想から、「相手に見立てた人形
を作れば、念が相手に届く」と変化し、ついに「人形を憎い相手に見立て、念を送って呪う」という、方式が確立されたもので
ある。考古学的にも、平城京跡の発掘現場の古井戸の底から両目と心臓部に釘の打ち込まれた木製人形が発見されている。

しかし、今、太国が思いついたのはそのようなありきたりの呪法ではなかった。
964ラブ・レター:2009/10/18(日) 21:00:29
太国は倍暦研究に関連して、マヤ文明に強い関心を持っていた。マヤ暦の精緻さは世界的に有名であるが、また血生
臭い生贄の儀式でも知られている。そして、太国はユカタン半島への修験の旅において、生贄の祭壇から欠き取った、
一欠片の石を日本に持ち帰っていた。これは、あまりに多くの血を吸った危険なもので、厳重に封印を施してある。

「あれがあるじゃないか、マヤの祭壇石を用いてブードゥー風にアレンジした呪いをかけてやろう。唐松山は日本の呪詛
のことしかわかるまいて。」太国はほくそ笑んだ。
965日本@名無史さん:2009/10/18(日) 21:03:33
>>964
縦目さんでしょう?
966神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/10/18(日) 21:06:49
>>960
西暦326年???東晋・成帝、咸和元年丙戌って書いてある。ウソツキ!年表を見ましょう。
967太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 21:16:20
倭の五王が天皇なら、当然即位年が誤認とも天皇と一致するはずだ。
それが今の今まで合理的に一致した学者研究家は聞いたことがない。
客観的合理的になるほどという説明で一致すれば、これは五王が
天皇だということになる。それが合わないで来てるんだから、五王
は天皇にあらず。なお五王が記紀に載ってないのは、当時九州が畿内
の勢力下にない九州が外国だったからで、紀は国内のことを
原則として(遣使とか戦争だとかは別)書くものだから、これが
載ってないわけである。不合理はない。

唐松山のはX線検査に違う非科学的論説であり、臥海に出せば大きい
嘲笑で大恥をかくのがオチ。wwwwwwwwwwwwwww
968ラブ・レター:2009/10/18(日) 21:18:38
>>965 うるさい、違う!!

唐松山もまた、太国は葬り去らなくてはならぬという決心を固めた。「・・・目には目ということですよ。」
唐松山には、太国の動静は予期できるものがあった。

「やつは異国かぶれのある男だ、どのような呪法を使ってくるかわからない。やられる前にやってしまわねばならぬ。温情
はいらない。」
唐松山が考えついたのは、意外にも禁呪を用いた中国道教呪術であった。
969唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/18(日) 21:19:26
4. 太寧(323年-326年)
5. 咸和(326年-334年)
970太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 21:24:17
X線検査では■はノギヘンだから、唐松山のは非科学的故意からの
デタラメである。これでは臥海で大恥の嘲笑をあびせられる。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
971ラブ・レター:2009/10/18(日) 21:32:42
禁呪とは、呪禁道ともいい、禹歩などが有名である。これは、中国古代の夏朝の創始者である禹が、黄河の治水に打ち込んで
半身不随になったという故事から取られたもので、よろめくように、または片脚で跳ぶように歩く身体技法のことを言う。禹歩は道
教や中国の民間信仰の儀式において巫者が実践したやり方であり、これによって雨を降らすことができるとか岩を動かすことが
できるとか伝えられている。この他にも、呪禁道には多くの方式があるが、どれも道教の現世利益の教えに基づいた、世の役に
立つ、白魔術的要素を備えている。しかし、裏に使えば必殺の呪法となるだけの力を秘めている。

「・・・改めを?屍(キョンシー、おそらくこの字は出ないな)として使ってやろう。いなくて困るやつもおるまい。」
972日本@名無史さん:2009/10/18(日) 21:33:17
>>968

借金取り立てやさんですか?
973日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:01:38
次スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!40
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255870802/
974ラブ・レター:2009/10/18(日) 22:03:22
>>972 あの馬鹿学生とは違う。

唐松山が描いた絵図はこうである。まず「終止符!」スレにいつものように書き込みをする。これは普段からのことあり、常駐
している改めは見るだろうが、どうせいつもの電波と思って気に留めることはないだろう。しかし、このレスには仕掛けが施し
てあって、一見無意味に見える漢籍引用の文字配列は、特定の人物が視野に入れることによってその人物をボット化させる、
つまり操り人形として使役できるようにする、道教系の文字秘術なのである。

こうして、かたやマヤの怨石を用いたブードゥーの術、かたや道教秘儀による使鬼術と、異国の呪詛がぶつかり合うとになった
のであるが、その勝敗やいかに。
975神奈川県民:2009/10/18(日) 22:04:07
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謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!40
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255870802/

ここが終了次第、書き込んでください。
976日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:19:38
トンカラリンは邪馬台国から外界へ抜けるの唯一の抜け道、つまり鬼道。
磐井の乱で邪馬台国が滅んで伝承を伝えるものもなくなったけれど、
狭い穴は鬼を通させないための仕掛けだったのだ。
977アイ・ラブ・ユー:2009/10/18(日) 22:22:52
ハッケよーい スレった、スレった
978日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:36:51
>>974
改行パターンが縄文人になってるぞw
979日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:48:08
いや、改行パターンから見て、ズバリ愛知県人だ。
980太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/18(日) 22:53:33
wwwwwwwww

zzzzzzzzzzz・・・・・
981日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:58:15
>>978-979
別に誰でもいいじゃないか。
余所から遊びに来たぐらいどうってことないだろう?
うろたえるな、もっと堂々としてろ!普段通りしてろよ
まったく2CHは田舎者だな・・・
982日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:12:59
サガミハラハラこっちから片付けましょう。
教育者なのに・・・
983日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:18:03
サガミハラハラさん
九州国立博物館のホームページ読んでも邪馬台国寸論会のイベントなんてありません。
どこのこといってるの?
http://www.kyuhaku.jp/event/event_091011.html
984ラブ・レター:2009/10/18(日) 23:23:48
寝たか。よしよし。

太国はねぐらとしている古社の御神体である古鏡を不敬にもたたき割ると、その破片を持ってマヤの祭壇石を削り、薬研に入れて
摺り始めた。むろん、ブードゥーであるので、西アフリカのフォン語による呪言を唱えながらである。普段のレスでは感じられないが、
太国には実は隠された教養を多く持っている。そして、この他に必要な鹿の血、蝙蝠の皮膜、ネズミの尾などを適宜調合すると(こ
のあたり、まねする者がいては危険なので詳細は省く)完成した血泥のような液体を、懐から取り出した歓喜仏に塗り始めた。どう
やら密教系の要素も混じっているようだが、この程度のアレンジは裏文化を極めた太国には朝飯前のことである。
985日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:25:51
>>982

>サガミハラハラこっちから片付けましょう。

オメーいきなり何頓珍漢な事言ってんだよ?頭大丈夫か?
986ラブ・レター:2009/10/18(日) 23:37:43
一方、肉体労働で疲れ果てながらも、スレ主としての役目を果たすべく今晩もパソコンに向かう改めドツボであったが、

「あれ、やけに唐松山さんのレスが多いな、漢字ばかりで意味不明だけど、それはいつもそうだし・・・しかし・・・同じ内容ばっかりで
ついにボケたかな・・・。ん、なんかめまいがする、私は病気ではなかろうか・・・はうううう、gすdlwdbdkんsxkdkl;っp09いうjs」

がっくりとキーボード上に落ちた改めドツボの頭が、ゆっくりとゆっくりと持ち上がり始めた・・・腐った鯖のような目をしている。

「ふいいいいい、きひひひひひい・・・・・・・・・・寂滅せん、寂滅せんと・・・」そして、首が一回転して後ろを向いた。これで使鬼術は
完成である。


そのころ、太国は褌姿となってマヤのダンスを踊っていた。夜が更けてゆく・・・・・・。
987日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:38:25
>>984
いまいちマニアック過ぎてつまらねえ。
988サガミハラハラ:2009/10/18(日) 23:42:26
九州国博の件ですが、H氏のかきこみからあるのだろうと判断してのせました。
おっしゃる通り、HPにはそのことはのっておりませんです。
Hさん、みておりましたら、詳細をおしらせください。
989サガミハラハラ:2009/10/19(月) 00:10:22
井上筑前守の邪馬台国大研究のHPのおもしろ古代史の掲示板の2の10月12日10:52分の書き込み、
筑前守様 福島雅彦
*九国博開館4周年記念イベントのシンポジウムご出演おめでとうございます。

とあります。
990日本@名無史さん:2009/10/19(月) 08:06:17
おわった・・・
991日本@名無史さん:2009/10/19(月) 08:07:07
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謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!40
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255870802/
992日本@名無史さん:2009/10/19(月) 08:14:24
しかし、こんな呪術とかに異様に詳しいのはやはり縦目だよな。
993太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/19(月) 10:35:33
縦目氏みたいだな?ww
ブードゥーの薬研式の薬調合は、数日前のニチスポだったか? サッカーの試合
の相手チームへの呪いの術法としてわりと具体的に大きく掲載されたな。w
これでも読んでたんだろうな?w
994日本@名無史さん:2009/10/19(月) 13:06:54
上から読んでみたが、俺は結構面白いぞ。特に、唐松山が「しえやっ!!」と言って結界を張るところなんか。ww
995日本@名無史さん:2009/10/19(月) 13:24:18
ラブ・レターのレス読んでて、
夢枕獏のサイコダイバーシリーズを思い出したぞ。
あれから、夢枕獏を愛読し始めたんだ。
996日本@名無史さん:2009/10/19(月) 14:19:26
賛否両論だな
おれは殺人事件のが面白かったぞ

残り4枚〜
997縦目仮面:2009/10/19(月) 16:01:22
今大学の図書館で「大石凝霊学全集」(もちろん復刻版)を読んでるんですが、いやこれは読みにくい本で
すね。中国語の考古論文より百倍難しい。やっと第一巻の、三種の神器と大和三山の関係のところまできま
したが、これは一代の奇書としかいいようがないです。第三巻真訓古事記までたどりつけるかどうか。しかし、
この学問的にはムダとしか思えないことも、いずれ考え方の幅を広げるには役立つでしょう。

「ラブ・レター」の意味は、太国さんと唐松山さんの、論争レスの応酬が、なんか相聞歌のやりとりに見えた
もんで。まあ、互いの論が相容れないのはわかりますが、仲良くやってください。ww

内容は太国さんのレスに出てくる、天津金木やその他のカルトな用語に触発されて書きました。夢枕獏は、陰
陽師など読んでますが、短編オムニバスはともかく、魔獣刈り系や格闘系の話はいつまでも終わらないのが
難点ですね。

998日本@名無史さん:2009/10/19(月) 18:12:03
チラ見も合わせて20冊しか読んだことが無い○○さん〜
一言どうぞw

あと17冊読まれたら同じ数だ・・・
999愛知県民:2009/10/19(月) 18:12:27
やはり縦目さん、傑作でしたよ。
関係ないですが、偉大な音楽家・加藤和彦氏の冥福を祈り、歌舞飲酒に就きます。
♪オラは死んじまっただ〜
♪天国に行っただ〜
1000太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/19(月) 18:19:04
縦目仮面さん
大石凝翁のは長すぎませんか? それがしも持ってはいませんが、
水谷清著の「古事記大講」(全30巻)と同著の「三種の神器」は
持っています。後者は1冊で、天津金木の内容のありますので、これ
のほうが早くあらましを知れると思います。
東京神田の原書店あたりでたまには売っていると思います。
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