日本人どこから来たんだ?4

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1出土地不明
2出土地不明:2008/08/05(火) 01:01:36 ID:FtQJxhFU
前スレの末端の(880-886)書き込みの写し

880 名前:出土地不明 投稿日:2008/08/02(土) 02:40:04 ID:I+i3Q0Wb
>>878
createしたいのはいつもの台湾工作土人のおまえだろが。
http://members.jcom.home.ne.jp/kaskoba/TT_SE01.htm
http://yamatai.cside.com/katudou/image/ooa.png
HLAと比較しても何ら矛盾がない。
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/thistory/1801000/20061213116596874597100400.jpg
ただし28000年くらい前に一度半島と分岐し、18000年くらい前に
再度つながり、12000年くらい前に再度分岐したという説や
18000年くらい前に半島と分岐したという説があるが、
個人的には後者を取っている。

881 名前:出土地不明 投稿日:2008/08/02(土) 07:07:52 ID:juH862Ck
要するに現代日本人と現代朝鮮人の人種はどの程度似通ってるの?(;´Д`)

882 名前:出土地不明 投稿日:2008/08/02(土) 08:49:11 ID:21K/nJZb
>>880
はあ?
台湾は通過した可能性はあっても、今の住民は日本人とはY-DNAが全く違う。
極端に古い話だと、今の人類はアフリカ起源では同じと判明してきたが、
「今の日本人」は相当過去に遡らなければ、近いものがない基本的に孤立人種。
古く遡れば、日本人に多いD系統だと、チベット人やスマトラ住民、
雲南、インパール、あたりの少数民族と一番近い。
ウェルム氷期(最後の氷期)の最寒期が2万年前くらいと今では判っていて、
この時期でも北海道からシベリアは陸続きだが、朝鮮半島とはつながっていない。
>>881
極一部に、朝鮮半島を通過して日本列島に入った祖先がいるかもしれないんだが。
遺伝学の進歩で、今では人間自体の系統分岐がはっきり判るので、
「現代日本人」と「現代朝鮮人」では、DNAでは構成が全く違うのが判明している。
だからたとえ遺跡とか土器で共通性が高いと認めたとしても、
昔の半島人と現代の朝鮮人が人種が違うことにしかならない。
「現代朝鮮人」に関していうと、「現代中国北部人」や「現代ベトナム人」と先祖が一番共通している。
他には「現代モンゴル人」や「現代台湾人」とも近い。
「現代日本人」は、「現代チベット人」と一番近い。
漢民族系のO3系統が入る前のチベット人はさらに日本人に近かった可能性が高い。
883 名前:出土地不明 投稿日:2008/08/02(土) 10:33:18 ID:YrQRJr5F
>>882
はあ?
台湾人はその人口の98%までが東南アジアの長江江南から移植した
茶色広鼻の東南アジア豚だろがスットボケ。
こんな常識も知らない人間が遺伝子なんか語るんじゃねえよカス。
それに、Yとmtだけに偏向した低級マスターベーションを見せるな、
他の遺伝学や土器や考古遺物との矛盾がない論理展開をしろ、
と言っただろが馬鹿。
他の遺伝学や土器や考古遺物との矛盾というのは具体的に
GMやHLAや中国土器や中国青銅器や古代中国楽器や古代中国服飾品や
信仰遺物などの事だぞ。
都合の悪い事は見えない聞こえない。
で、Yだけで激しく長江誘致オナニーをし、みんなもオナれと偏向フェチ癖のある
変態マスターベーションを激しく晒しまくっている恥を知らない人間。
それがおまえだよ。
それに2万年前に朝鮮半島とはつながっていないという証拠は?
Kの矛盾はどうしたんだよ?
都合の悪い事は見えない聞こえない。
3出土地不明:2008/08/05(火) 01:02:45 ID:FtQJxhFU

884 名前:出土地不明 投稿日:2008/08/02(土) 11:49:07 ID:wvQNrE9n
台湾人は漢族というか華人が来るまでの間は
精悍な顔立ちのポリネシアンと
共通するところが大きい民族がメインだよ

885 名前:出土地不明 投稿日:2008/08/02(土) 12:29:58 ID:IBRbTUOj
>>881
名前: 出土地不明 投稿日: 2008/08/02(土) 07:07:52 ID:juH862Ck
要するに現代日本人と現代朝鮮人の人種はどの程度似通ってるの?(;´Д`)

顔つきを見れば一目瞭然
日本:大きな目、太い眉→水が豊富に存在するからできる芸当
半島:細い目、尖った頬→日本と逆、水不足に悩む、そして日本と大きく違うのは「黄砂の量」
「黄砂」が日本と半島を大きく分断する重要単語
以上が外面
以下が内面(外面より重要)
内面は直接お会いになれば日本人と違う事がわかるかと。
内面の定義:思考回路、食事、いろいろあるけど大きいのは[言語]

886 名前:出土地不明 投稿日:2008/08/02(土) 14:26:23 ID:fwoHKw5n
>>883
> それに、Yとmtだけに偏向した低級マスターベーションを見せるな、
> 他の遺伝学や土器や考古遺物との矛盾がない論理展開をしろ、
> と言っただろが馬鹿。
Y-DNAの他に、先祖の系統が明確に出るものはない。
最近までは、Y-DNAの判定技術が確立されていなかったから、他のもので推測するしかなかった。

過去の文化の伝播や人については、文化や出土物は参考になるが、
「現在の」民族間の違いや近さは、Y-DNAでごまかしなく出る。
これを無視して「現在の」集団間の近さを決め付ける方が、完全に間違い・矛盾になる。
サンプルが今後さらに増えてこれば、もっと詳細な違いが判ってくるだろう。
昔は、日本人は南北のアジア人の混合くらいにしか認識されていなかったわけだから、
最近になって、主に本当の系統があからさまになってきている。

以下は「現在の」種族・住民についてだが、
台湾人は意外な事に、中国北部系(黄河文明系、漢民族系)に多いO3系統が多く、
日本人より中国人、それも華北の中国人に近い。
また日本人よりも、中国人や朝鮮人、ベトナム人のいわゆる「中華文明圏」の種族に近い。

日本人が、北も南も含めて、「今の」隣接地域の種族すべてと、かなり人種が異なってるのが、
相当にまずい、気に入らないマイノリティーがいるらしいな。

Kの矛盾というのは、何の事か説明が全くないが、何の事か詳しく。

> 都合の悪い事は見えない聞こえない。
これはお前の事だ。

501KB (512095Byte)
4出土地不明:2008/08/05(火) 01:17:14 ID:FtQJxhFU
東京大学http://www.u-tokyo.ac.jp/
東北大学http://www.tohoku.ac.jp/
大阪大学http://www.osaka-u.ac.jp/
京都大学http://www.kyoto-u.ac.jp/ja
九州大学 http://www.kyushu-u.ac.jp/
名古屋大学http://www.nagoya-u.ac.jp/
北海道大学http://www.hokudai.ac.jp/
台湾大学http://www.ntu.edu.tw/
上海大学http://www.shu.edu.cn/
Russian Academy of Sciences,ロシア科学アカデミーhttp://www.ras.ru/

USA,National Oceanic and Atmospheric Administration, NOAAアメリカ海洋大気圏局-http://www.noaa.gov/
5出土地不明:2008/08/05(火) 20:59:01 ID:k5oEGnp9
>1
スレ立て乙です。
6XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/06(水) 05:52:04 ID:lROtRuV/
突然ですがY染色体E系統の人々には、東エイジャでは
西蔵人や日本人などにしか顕著に現れないYAP+というものが
あるのですよね?
彼らはどこから日本や西蔵へ入ったのでしょうか?

また、同系のD系統は、日本や西蔵以外にはアンダマン・ニコバル諸島の
人々に高頻度で検出されるそうですが、では東南エイジャの人々などにも
それが検出されておかしくないように思われますが、そうした話は
聞きません…。北方からの人の移動・流入が多かったとはいえ、ここまで
“南からのD”が駆逐されてしまうものなのでしょうか?
7出土地不明:2008/08/06(水) 10:11:07 ID:Y3uJ5GsQ
氷河期(1万3000年前)なのは確かだが

いったいどの集団が日本列島に流れ込んだんだろう。
アラスカに流入したイヌイット、
アイヌ、ニブフ

文字の記録が発生する前だからめんどくさい。

定住しているならまだ手間は少ないからいいけど
移動しまくっているから追跡が困難。

趣味として片手間にやるには奥が深すぎ。
8出土地不明:2008/08/06(水) 14:43:14 ID:lCr7Uiqb
9月光仮面:2008/08/06(水) 17:47:04 ID:3tkxOh4Z
日本人のhaplogroupはバイナリーマーカーではC, D, Oに三大別されるが、内D2bとO2bが66%、これとは
別にY-STRで分類すると99.40%までが分類可能。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17274803
日本人251中YAP+は69人、27.5%、朝鮮人412人中YAP+は12、2.9%、中国人180人中YAP+は 4人、2.2%
http://www.genekotech.com/dnatype/lab/pdf/Shin2000.pdf
アイヌ総人口 約25,000人(調査に応じた人口)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
沖縄県人口1,318,220
全国人口126,925,843
http://www.post.japanpost.jp/dmfactory/pdf/data01.pdf
↓これはNot True
日本におけるD2の遺伝的多様性を精査すると本グループは日本国内において12,000-20,000年間隔離さ
れてきたということになる。日本においてD2の最も多いのはアイヌと琉球人である。
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD08.html
「(日本国内において)12,000-20,000年間隔離されてきたということになる。」(日本国内において)というのを
「朝鮮半島を除く東アジア東部、すなわち、バイカル湖、内モンゴルから中国東北部にかけての一帯」
と解釈するのが正しい。
10出土地不明:2008/08/06(水) 18:40:49 ID:uUIpRhhs
>6
アンダマン諸島は除いてですが、
東南アジアでYAP+は、インドネシアはスマトラ島の10%程度が最多だそうです。
あと、同じインドネシアのボルネオ島や、マレーシア、タイとかでも多少はいるらしいです。

日本人のY染色体が、O系統が支配的な東アジアでは例外として
D2ハプログループが多いと判った以上、
東南アジアの詳しいデータが欲しいところですが、
この地域のデータは本当に少ないですね。
日本語の資料は特に皆無に近いような・・・。日本人の学者さんは興味がないのかな・・・。

東南アジアでも東アジアと同じで、ベトナムは言うに及ばず、タイとかジャワとかの
人口が多い水田耕作が盛んな地域では、O系統が多いのは間違いないようだが、
D系統が多い地域とか種族がいくらかでも見つかれば、嬉しいですからね。
11出土地不明:2008/08/06(水) 18:44:37 ID:2BJivdvn
>8
スレタイの「日本人はどこから来たんだ?」と
どう関係があるの?
12出土地不明:2008/08/06(水) 19:23:06 ID:DyfGdfXo
「日本人とチョンは関係ない」という結論が気に入らない奴が荒らしてるようにしか見えない
13出土地不明:2008/08/07(木) 10:47:46 ID:JxrxfE3j
14月光仮面:2008/08/07(木) 13:50:29 ID:mgGhe3YH
>>9
半島に山戎、周の倫理的下克上を非難する孤竹guzhu、倭のようなYDNAハプロタイプD2が入らなかった
理由としては、アルタイ系の高夷、高句麗、百済となるシ歳貊/夫餘、これらが連衡的立場を取るものだか
ら、倭D2はその裏街道を行く形で日本列島への亡命を余儀なくされたのではないかと思う。会津白虎隊の
ような思想の持ち主が九州の九重guzhu山、越guzhuの国に降臨し、継体の時代からは朝廷に入る
のでないか。いずれにせよ、周に操を立てる必要なんざ聖徳太子の国にあるはずはないよなー。
さて、これらの背景には「粛慎」と言うユーラシアを横断する軍事文化があるようである。そのうちに百済も
高句麗も次から次へと日本に逃げ込む。こうしたことが世界でも稀なYDNA Dの多様性を肥大させたの
でないかと思う。そうして最後まで連衡策で日本を悩ましては粘る新羅が朝鮮を作り上げてゆくのだろう。
15月光仮面:2008/08/07(木) 16:01:22 ID:mgGhe3YH
「日本の史書は醍醐天皇の延長8年(929年)東丹国の使節が丹後国竹野浜(現・兵庫県豊岡市)に来着し
たことを伝える。使者はこれまで二度も渤海国使として来日したことのある斐「りょう」であった。何故国名
が変わったのかを問われた斐「りょう」は渤海が契丹に征服されたことを知らせ、新王の非道ぶりを訴え
た。これを聞きとがめた京都の朝廷は主君を変えたばかりか、新主の悪口を言うとは不届きであるとして
入京させず、追い返している。この史実によれば、東丹国は渤海の後継者として日本との通交を維持する
意向であったことがわかる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%B9%E5%9B%BD
叔斉伯夷の末裔は国際的にこうでなくてはならぬというのが皇室の基本理念か。
16出土地不明:2008/08/07(木) 21:06:00 ID:ThrenS9M
関東は、はっきりしている。
新羅、高句麗、百済。
歴史書に記述があるからな。それを裏付ける証拠も多数。
17出土地不明:2008/08/07(木) 23:19:22 ID:WuSg/kj+
>>16
>関東は、はっきりしている。
>新羅、高句麗、百済。
>歴史書に記述があるからな。それを裏付ける証拠も多数。
無い無い..

>歴史書に記述があるからな。
例えば?[後世の偽書]なんてオチは歴史学の常識

>それを裏付ける証拠も多数。
何を以って裏付けるのさ。
船舶でも衣服でも書物でも、まぁ大事なのは土器・土偶・埴輪だけど半島との類似性は低いって。
書物絵画で類似性が高いのは上海や福建省あたりの絵画だけどやはり違うよ(雪舟の山水画)。
どうやって関東と半島との間の線を結ぶ気なの。
「海の存在」を説明してほしい。海に対する説明の薄さが半島派のダメなところ。

生半可な海峡じゃないよ。対馬海峡って。
海峡の難しさを証明しよう。
ドーバー海峡
http://en.wikipedia.org/wiki/Strait_of_Dover

対馬海峡より短いドーバー海峡でさえ、成功率は低いのに、さらに長い対馬海峡をどう渡るつもり?
だから、半島起源の連中を支持できないんだ。

日本列島全体の海峡一覧を引っ張り出し,,数字(海峡の長さ、海峡の深さ)を拾いましょう。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Category:Straits_of_Japan

考古学に限らず[日本の海峡]を覚えておいて損は無いよ。海軍で商社で造船で地質学で「海峡,strait」はよく出る単語だから。

[海峡]と[人体の限界]の数値を比較すれば答えは出てくる。
(海峡の数字は地図から、人体の限界はオリンピックやギネス記録から持ってくる。)

答えは後は自分で出して。ここで自分の主張を書くと結論ありきと疑われるから,,手法は提供するけど、答えは書かない。
18出土地不明:2008/08/08(金) 02:36:20 ID:6z9JBXb+

【用語解説】ミトコンドリアDNA

 父親から息子にのみ伝わる男系のY染色体DNAとともに、人類や民族集団の
起源探究の有力なツール。現生人類の母方のルーツをアフリカの1人の女性
(ミトコンドリア・イブ)と導き出し、人類「アフリカ単一起源説」の支持を
高めた。日本人全体の祖先は2人の女性だが、人類の拡散途中に各地で生まれた
多様な型を持っていること、南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、
大陸方面が優勢と考えられることなどを明らかにしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080804-00000057-san-soci

南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
19XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/09(土) 03:42:50 ID:i+lKdnPz
>>10
そうですか。スマートゥラ島で10%程度…。
仮に日本のそれが北方由来だとしまして、スマートゥラ島辺りまで
行くものなのでしょうかね…。う〜ん、わからない。。
ただ、その「嬉しい」とは何なのですか…? おかしい、と言いますか
いけませんよ、その見方は。
邪道です。そうした見方は学問、ひいては世間に対する冒涜です。
控えて下さい。
20出土地不明:2008/08/09(土) 06:04:42 ID:vOUFLyuj
だからYAP+の起源地はアフリカからペルシア湾あたりまでなんだろ。

そのままインドシナ半島方面に向かった集団と中央アジアに入って
パミール高原を越えて東方に向かった集団と西に向かってヨーロッパ大陸に
向かった集団がいただけの事。

これらの人種はまだ全てオーストラロイド(原始黒人)。
21月光仮面:2008/08/09(土) 08:00:24 ID://q17Qc5
↑いや、逆にモンゴロイド的/つうか、現代的、ともいえる。アジアのネグリトと言うのが黒人形質が強い
ようだ。アフリカに後退、つうか、出戻りしたという説もある。時代はライス国務長官、小浜大統領エレクト、
ジェロの時代に入ろうとしている(w しかし、豪州アボリジニーズでも日本人よりましな経営者はいるし、
品格もある。人間に差はないよなー。



22月光仮面:2008/08/09(土) 08:03:49 ID://q17Qc5
エレクトまでいってないんだったよな。ブッシュの党もあった。
23月光仮面:2008/08/09(土) 08:23:59 ID://q17Qc5
YDNAハプログループが意味する韓国人二重起源Han-Jun Jin et al.
DE-YAPは韓国にも2.5%あり、DE-YAP北方起源を示唆している。韓国、満州にはC-RPS4Y711がかなり
あり、東南アジアよりは多く、北東アジアとしては少ないので、C-RPS4Y711の起源はおそらくモンゴルか、
シベリアだろう。東アジアYDNAの本命はO-M175。これは東南アジア起源で後に東アジア全域に拡大。
韓国のO-LINE1 (12.5%)と言うのは中国との相互関係の結果。O-SRY+465/Y-STRを見ると、中国→韓国
→日本という方向で最近遺伝子が流れたことがわかる。韓国人のYDNAは北アジアへの定着と南中国-
北中国からの領域拡大と言う要素が複合されたもの。
http://dienekes.50webs.com/blog/archives/000365.html
24月光仮面:2008/08/09(土) 08:38:04 ID://q17Qc5
日本で言えば山陰・山陽のように、沿海州・玄菟・新羅という日本海側と、燕・遼寧・帯方・楽浪といった
黄海側という2つの部分に分け、稲作は楽浪の松菊里を中心としているのでO-LINE1というのは当然
こちら側だが、O-SRY+465/Y-STRもかなりこちら側であったのではないかという感じ。しかし、DE-YAP
は沿海州の邑婁、玄菟の沃沮などが新羅経由で日本各地に入るのであろう。帯方郡の公孫氏なんていう
のは手のつけられない暴れ者なんで、スキタイ・匈奴・東胡の影響を受けた邑婁とも接触していたかも。
25月光仮面:2008/08/09(土) 08:48:37 ID://q17Qc5
DE-YAPはチベット、四川、雲南に多いが、特徴的なことは白山、白犬信仰があることで、いわゆる
山戎である。これはイラン高原ハラフのようなところに跋扈するものであり、日本においても、地形的
には丹波、阿波、吉野とか、越後の里山のようなところに住み着くようだ。瀬織津姫というのもバシコルト
語では犬・川・姫となる。
26月光仮面:2008/08/09(土) 09:12:11 ID://q17Qc5
邑婁の祖先、粛慎というのは殷王朝末期の親衛隊で、日本で言えば「新撰組」のようなもので、これが
戦後のパージのようなことで、周、その親藩である燕のお尋ね者となり、興安嶺から白頭山の山陰を
南下し、新羅、邪馬台国を建国したのではないかという気がする。更に昔はカラスク文化人だ。
27出土地不明:2008/08/09(土) 11:29:42 ID:VrfVM3Ix
マッカーサーが朝鮮人に銃やマシンガンを与えて日本の女を片っ端からレイプさせた。
終戦当時の浄化計画では良くある事だったのだが、こうして生まれた団塊とその子世代が
限りなく朝鮮人に近い特徴を有しており、我が国最大の人的不良債権となっている。
28出土地不明:2008/08/09(土) 12:14:12 ID:gUxfjYYa
>>17
関東の場合は、遺跡(馬牧跡、朝鮮由来の馬具など)、のみならず
新羅郡、高麗郡や朝鮮系渡来人に関連する地名、建物が現存する。
新座、駒、狛、高麗(こま)、高麗山、高麗神社、麻布、調布など。

出雲(新羅、高句麗系?)系神社が多いのも、出雲人の武蔵国造が入植した足跡。
29月光仮面:2008/08/09(土) 15:08:09 ID://q17Qc5
韓国はどちらかといえば高句麗文化を受容したのだが、日本人は文化と共にDNAも受容している。
稲作については日韓はDNAも文化も同様に受容しているが、高句麗文化にせよ、稲作にせよ日韓
以外の地から流入したもの。その土地に最も古くからいたものとして日本にはアイヌがいるが、これは
インディアンなどと共通するものがあるらしい。
30月光仮面:2008/08/09(土) 16:44:07 ID://q17Qc5
儒教文化の模範生、韓国、ユーラシア鏡、スキタイ文化の日本、この2点こそ日韓両文化の相違で
あろう。
31出土地不明:2008/08/09(土) 18:58:26 ID:3WQsUgQi
>>29
■3世紀のカラ半島の『民族戦争』
                                   
 3世紀以前(垂仁天皇時代よりも前)のカラ半島の民族勢力図である。
 半島北部の楽浪郡には、漢人、狛人、倭人等が住んでいた。楽浪郡の東側(日本海沿岸地方)には
ワイがあり、そこに住むワイ諸部族は、原始的な狩猟生活を送っていた。
 楽浪郡の南方は『韓』(日本名・カラ)と呼ばれ、倭人が住んでいた。『韓』の西側に馬韓があり、
古代日本人からは『クタラ』(「西の国」の意味)と呼ばれていた。
 馬韓(クタラ)の東側には、日本領・シラキがあり、ヤマトの出先機関である『シラキ日本府』が
置かれていた。
 3世紀初頭、シラキ領北部をワイ族の一派が占拠し、ワイ族酋長のキム・アルジによって『ケリン』が
建国された。このケリンが、シラキに対する侵略を繰り返し、ケリンの圧迫を受けたシラキは西方へ移動し、
3世紀中期頃に国号を『ミマナ』(任那)に改める。しかし、ケリンの侵略はその後も続き、6世紀前期、
ついにミマナ(西シラキ)は滅ぼされる。


楽浪郡(コマの国)
 ↓
○○○○○○○○○○○△▽△▽△
○○○○○○○○○○○▽△▽△▽
○○○○○○○○△▽△▽△
○○○○○○▽△▽△▽△▽←ワイ州(ワイ族の居住地。ワイ諸部族が住む)
○○○○○○△▽△▽△▽
○○○○○△▽△
○○○○○▽△▽
■■■■■▲▼▲←ケリン(ワイ族国=辰韓。元は志羅紀領)
■■■■■▼▲▼
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆    【日本海】
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆←志羅紀(倭人国・シラキ=弁韓。天日矛[天日日子]の国)
■■■■■◆◆◆
  ↑
 馬韓(日本名・クタラ。3世紀後半にシラキと合併)

32出土地不明:2008/08/09(土) 19:11:48 ID:P2DcuG5+
で、その倭人は長江江南から稲作を持ってやって来た人々だったと。

だから日本人も朝鮮人も長江江南がルーツであり、
必然的に長江江南から移民した台湾人とも同祖であると。

だから日本は同祖の台湾を支援する義務があると。

というオチなんだろ?w

で、その誘導工作ために朝鮮煙幕でゼンマイを巻いていると。

ったく美味しいところ全部総取りだな台湾国策工作員はwwww
33出土地不明:2008/08/09(土) 21:42:57 ID:3WQsUgQi
>>32
コーフンするな馬鹿(w

>日本人も朝鮮人も長江江南がルーツであり、

朝鮮人のルーツはシベリアだろ、馬鹿(嘲w

34出土地不明:2008/08/10(日) 00:36:36 ID:0hOugxjp
>28
> 新羅郡、高麗郡や朝鮮系渡来人に関連する地名、建物が現存する。
> 新座、駒、狛、高麗(こま)、高麗山、高麗神社、麻布、調布など。

高麗神社 (こまじんじゃ)は日本語になっているから無理がある気がする。
高句麗Goguryeo、高麗Goryeo、発音が違いすぎる。

越(えつ、こし、Yue)や呉(ご、くれ、Wu)の方がまだ渡来系らしい発音だ。

-----------
>武蔵国高麗郡716年、設置
時系列が甘い。[西暦716年]じゃ考古学的には後期もいいところ。

日本列島には[紀元前]から人が存在するから[紀元前]の経路を知りたい。

倭国大乱(146年〜189年)で日本人の存在が証明されている。
倭国大乱の記述が存在するから高句麗の時代(668年)より前の時代を追及するべき。

んで、新羅でも高麗でも後三国時代でも
日本とアジア大陸の間にある「海」をつなぐ、「船舶」の存在の証明がイマイチ・・・
なのは2chに限らず歴史書でも船舶史でもあるいは木材の技術史から感じること。

産業革命["前"](1800年)の時代の船舶なんて以下のようなもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Junk_%28ship%29
そして成功率が低すぎる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Imperial_embassies_to_China
そして元寇の大失敗
http://en.wikipedia.org/wiki/Mongol_invasions_of_Japan
が存在するから船舶の可能性に凄い疑問符がつく。

専門的に言わずに、簡単に言うと
(`ハ´),,
<丶`∀´>,,
(´∀`),,
顔つきが違いすぎ(水分の多寡の影響)。

だから、日本人の経路って近距離じゃなく遠距離なんだと思うんだ。
35出土地不明:2008/08/10(日) 20:33:28 ID:j3WsHvar
36出土地不明:2008/08/10(日) 20:37:39 ID:I61vz/M5
>>34
高麗郡、新羅郡は地名として実在したし
高句麗人や新羅人が住み着いた確かな痕跡があるから認めろよ。
高麗神社は遺跡ではなく現存している。
そんな明らかなことを疑うなら、他の歴史的事実にもいちいち疑って文句言え。
少なくとも和国大乱より確実。

>時系列が甘い。[西暦716年]じゃ考古学的には後期もいいところ。
>日本列島には[紀元前]から人が存在するから[紀元前]の経路を知りたい。

地域差がある。関東には朝鮮という経路を通って来た人が住んでいたということ。
37トレクワトリスタ:2008/08/10(日) 21:10:50 ID:T2Yf8QR4
日本人の先祖の多くは、最も多いD系統であれC系統であれ、
現在の人類(ホモ・サピエンス)の祖先の中では、一番古くにアフリカを出た集団に含まれている。

この一番最初のC系統・D系統の祖先の出アフリカグループは、赤道付近以外は極寒だった時代に、
スンダランド(その頃は年中、暑くもなく寒くもない人類の楽園だった)に到達して繁栄した。
今は熱帯地方のこの地域も、その頃は日差しが今ほど強くなかった。

その人々の中で、禿げしく温暖化する以前に一番初めに北上して、日本列島に到着し、
何万年もの長い間、日射は多くない中・高緯度の割りに比較的温暖だった暖流に囲まれた地である
日本列島(千島・樺太から南西諸島まで)に住んだ人たちが日本人の主な先祖(いわゆる縄文人)で、
それに後の時代に時期を分けてO2系のオーストラロイドが渡来して加わって、
日本建国の頃にはほぼ今の日本人が出来上がった。

日本人は新石器時代(日本では縄文時代)の暑い時期の熱帯に適応した、様々ないわゆる
ネグロイド系の人々や、ある時期シベリアなど極寒の地で寒地適応を受けた新しいアジア人の
いずれとも異なって、決め細やかな肌、美しい髪、はっきりした鼻筋といった
独特の特徴を保持してきた。
38出土地不明:2008/08/10(日) 21:37:52 ID:j3WsHvar
HLAやmtと矛盾する台湾中華ベトナム顔マスターベーションはやめましょう!


●縄文人の移動経路

アフリカ→アラビア半島→中央アジア→ゴビ砂漠→日本

http://yamatai.cside.com/katudou/image/ooa.png

HLAと比較しても何ら矛盾しない。

http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/thistory/1801000/20061213116596874597100400.jpg


【用語解説】ミトコンドリアDNA

 父親から息子にのみ伝わる男系のY染色体DNAとともに、人類や民族集団の
起源探究の有力なツール。現生人類の母方のルーツをアフリカの1人の女性
(ミトコンドリア・イブ)と導き出し、人類「アフリカ単一起源説」の支持を
高めた。日本人全体の祖先は2人の女性だが、人類の拡散途中に各地で生まれた
多様な型を持っていること、南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、
大陸方面が優勢と考えられることなどを明らかにしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080804-00000057-san-soci

南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面
3937続き:2008/08/10(日) 22:36:26 ID:T2Yf8QR4
日本人は、人類の中で最も長期間、気候の良い温帯のみに適応した、
旭川から那覇まで、ある意味希少な古い貴種の集まりで、
昔の考古学で言われたような、単純な南方系と北方系の混血ではない。

翻って日本の隣に位置する、朝鮮人や台湾人、中国人、ベトナム人などは、
比率の差はあれ、ネグロイド的特徴と団子鼻の南方系人種と、
地球の極寒の極であるシベリア系の偏平・寸胴・少ない汗などの北方系人種の
混血で両方の特徴を併せ持つわけで、日本人と著しく異なる。

特に、朝鮮半島南部の韓国人は、北西方向で大陸・シベリア方面に陸続きで、
南方など3方が南からの海流が流れ込む海である為に、
シベリアから歴史を通じてダイレクトに入ってくる最も激しい寒地適応をした人種と、
南方から来た土人顔のボートピープルが、著しく不調和な形で混血したために、
最も醜悪でアイデンティティが分裂的な人類集団となっている。

>>38
チョン・中国人・台湾人・ベトナム人は、北方偏平人種と、南方土人、
あるいは南方にも適応した新モンゴロイドの混血だから、日本人とは別人種だ。
だから安心していいんだ。








     お前が朝鮮人でなく日本人であればだがな。
40出土地不明:2008/08/10(日) 23:05:59 ID:j3WsHvar
ほほう、じゃあ何で楽浪以前の朝鮮南部は日本と同じく
中国土器や南方土器が伝わっていない?w
41月光仮面:2008/08/11(月) 09:10:55 ID:+PtgbRPh
>>31
>楽浪郡の東側(日本海沿岸地方)にはワイ
「正始六年(245年)、楽浪郡太守劉茂と帯方郡太守弓遵は領東で高句麗に従属していた?を討伐した。
不耐侯らは邑(国)を挙げて降伏した。 正始八年(247年)、王宮に詣でて朝貢、不耐?王は再び詔を拝
する。(王の)居所は百姓らと雑居である。四季ごとに郡に詣でて朝謁する。二郡(楽浪・帯方)に軍征が
起れば賦調として使役を供し、これを遇するに臣民の如し。 245年、前年に魏の幽州刺史毋丘倹
(かんきゅうけん)が万余の兵を率いて、高句麗王の位宮を攻めた。位宮が敗走、魏軍は峠まで追走し、
車馬を束ねて丸都山に登る。」
重要なことは
「その風俗は山川が重なり、山川には各部族がおり、みだりに干渉することはできない。同姓は婚姻でき
ない。多くの忌諱があり、(家族が)疾病で死んだときは、すぐに旧宅を廃棄し、更(通典では夏)に新居を
建てる。麻布があり、蚕糸で絹を作る。夜明けの星宿(二十八宿の占い)から、その歳の作物の豊穣を
予想する。珠玉を宝としない。」
吉林・遼寧を出発点としながらも、半島においては養蚕技術(おそらくは二郡経由)を取得していたこと。
これは雄略が導入したクレの養蚕技術というのは高句麗より分離され、「句麗」となった穢族を意味し、更に
秦族も「發」族であった可能性を意味する。つまり、穢は倭に続いて日本に移住しているということだ。
穢の淵源を辿るとパミール山岳民エフタル、ツバ付帽子を被った民族に行き着く。これは中国の北狄が
移住したものではないかとされる。しかし、このパミール地方こそYAP+のDとEの重なるところでもある。
また、河内王朝そのものが穢族であった可能性がある。雄略とはおお發瀬のワカタケル、そこには
狛川が流れ、白山神社がある。
42月光仮面:2008/08/11(月) 15:35:47 ID:+PtgbRPh
エフタルは古代山戎、移動遊牧民の元祖的な要素を持っている。
http://www.gesanmedo.or.jp/imgs/sg_bp_photo/bema.jpg
http://www12.wind.ne.jp/tomohm/img_2/a.jpg
http://karamatsu.cocolog-nifty.com/blog/images/haniwa1_23.jpg
http://chikatsu.mediajoy.com/2007_winter/images/07winter_2.jpg
雪豹を取るということは最高の狙撃能力を持つことを意味し、ラピスラズリ、その他の有用山岳鉱物資源
を生産、メソポタミア、エジプト、地中海文明への販売を太古から行っていたことを意味する。当然、優秀
な猟犬を有し、青銅・鉄を多民族に先駆けて実用化、馬を家畜化、戦闘二輪車、乗馬を生産、保有、販売し、
古代のユーラシアの歴史を築いた民族であったものが、農業文明による巨大国家成立と共に山岳部に
追いやられる。そしてアマテラスのスサノオイジメが始まるが、その結果の日本文化がオリンピックの
弱さの大きな原因となっている。
43出土地不明:2008/08/11(月) 15:51:27 ID:8u40G2Cl
>>39
おい、どうした?

いつも茶色く鼻の潰れた香港マフィア顔の台湾工作員くんw




何で楽浪以前の朝鮮南部は日本と同じく中国土器や南方土器が
伝わっていないのかね?w




44月光仮面:2008/08/11(月) 16:06:30 ID:+PtgbRPh
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/tungus/tungus-3-wai.htm
「『上古音韻』 日本語では、穢とYはともに「ワイ(wai)、またはカイ(kai)」と読むが、現代漢語では、
穢「huiフイ」、Y「huoフオ」と異なり、上古音韻でも、穢「huat」、Y「iuat」と異なっている。従って、穢は「huat→
hui」、Yは「iuat→huo」に変転したものである。」
「日本語では、上古音韻の穢(huat)の母音を「クァ」、Y(iuat)の母音を「ウァ」に発音したと思われる。
そして、「クァ→カ」「ウァ→ワ」に転化する。 穢し(kitanasi)は(クゥタナシkua tanasi→カタナシka tanasi→
キタナシki tanasi)に転化している。」
「huat」は發、ハタ、ハヤト、ホイトに通じる。日本の農耕民も中国文化の尻馬に乗って、朱に交われば
赤くなるというが、同胞の差別を行ったようである。こうしたイジメ神話の起源は銅鐸が終わり、銅鏡の始
まる時より早くはなく、当時の政策当局が牧畜文化の戦闘能力は欲しいが、牧畜が国土の環境に合わない
ので移民を厳しく管理したことの現れであろう。
時点
45月光仮面:2008/08/11(月) 16:14:58 ID:+PtgbRPh
句麗(穢)/邪馬台国は魏の臣下、冊封を受け、逆に、馬韓、辰韓が魏と果敢に戦っていたというのは
おそらく半島・列島関係史上で唯一の例外的現象であろう。歴史とは不思議なものだ。
46出土地不明:2008/08/11(月) 17:41:11 ID:dZuvAQnd



宮本長二郎・東京国立文化財研究所国際文化財保存修復協力センター長(建築学)の話。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。ただし、日本の高床建物は
祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
47出土地不明:2008/08/11(月) 21:40:24 ID:beH+P2ka
>>43
日本人は、他のアジア人とは人種が違うと

「誤 解 し よ う の な い よ う に」はっきりと書いてあるだろが。
どう朝鮮人やベトナム人や中国人のほうが近い台湾人だと思ったのか
以前も聞いたが、全く答えないな。

色白で、鼻の高い俺のような人間(日本人では別に珍しくないが・・・)に向かってでも、
ダライ派のチベット人工作員とか、地中海系工作員とは絶対に言わないんだろうな。

日本人が Y A P + の古い貴種であることがそんなに都合が悪いかね。


>>40
> ほほう、じゃあ何で楽浪以前の朝鮮南部は日本と同じく
> 中国土器や南方土器が伝わっていない?w
このスレは「朝鮮人が詳細にどこから来たのか」がメインテーマではないので、
日本人と別人種の彼らにそもそもそれほど興味などない。

あえて言えば、比較的新しい時代になるほど、朝鮮人は、
文明的なものであったり、父系の遺伝子に顕著に出る支配層は、
極めて中国の華北政権やモンゴルや満州族の影響が強いということだ。
だいたい土俗的で南方的要素が強かった原半島人が北方系に
エスニッククレンジングを受けたのが今の朝鮮人といって間違いはない。
だから、大抵の日本人より顔全体はごつごつして色グロなのに、
鼻は低く目は釣り目みたいな、三重苦の焼き芋顔なんかも発生する。

日本も飛鳥時代とかに半島からの亡命渡来人を入れないで、
D2系統が7割、C1系統・O2系統が各1割強とかの純粋性を保っていれば、
もっと理想的だったと思うと残念なんだがな。
48出土地不明:2008/08/12(火) 01:03:47 ID:8GNLY5CY
>>47
はあ?

誰がそんな事聞いたんだよこのカス。

39で朝鮮半島南部には南方から来た土人顔のボートピープルが来たんだろ?

で、原半島人は南方的要素が強いんだろ?



だから何で楽浪以前の朝鮮南部は日本と同じく中国土器や南方土器が
伝わってねえんだと聞いているんだよこのウソコキ台湾ベトナミ顔ロイドくん。




49出土地不明:2008/08/12(火) 09:59:23 ID:r12H9O7i
シベリア?アムール?

■三内丸山遺跡と同時代の新開流文化■
何枚もの魚骨が重ねて出土する貯蔵穴が
多く発見されて、魚を貯蔵する施設だと思われている。

何枚もの魚骨が重ねて出土する貯蔵穴
何枚もの魚骨が重ねて出土する貯蔵穴
何枚もの魚骨が重ねて出土する貯蔵穴
何枚もの魚骨が重ねて出土する貯蔵穴
何枚もの魚骨が重ねて出土する貯蔵穴w

穴に貯蔵ですがなにかw
50出土地不明:2008/08/12(火) 14:58:48 ID:XjbGmVoL
まぁ、徒歩であれ,,くりぬきカヌーであれ
1万3000年分は保証できるね。

/a人間の存在a/
/b海水の存在b/

[a]と[b]により、1万2000年分は100%保証できる
1万3000年分は51%保証できる。

1万4000年より前となると日本独自といっていいかどうか悩むが。

中学3年15歳の学問内容じゃ、理解できないのが悲しいところだが。

中学3年でできる調査の元手
ttp://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-16.html

だけど物資の補給(石器、土器、木器、やじり、紐ヒモ)を考えるとねぇ.
51出土地不明:2008/08/12(火) 15:25:55 ID:1s1+UuS+
「日本」と一括りにせず地域別に考えろ
52出土地不明:2008/08/12(火) 16:15:06 ID:Mh7iR24X
 シラキ(カラ)の領土は、時代と共に変化し、移動している。
そのようすを地図にしてみた。

(1)紀元前1世紀頃
楽浪郡(コマ)
  ↓
○○○○○△▽△←ワイ州(ワイ諸部族の居住地)
○○○○○▽△▽
○○○○○◆◆◆
○○○○○◆◆◆
○○○○○◆◆◆
○○○○◆◆◆◆    【日本海】
◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆←カラ(倭人国・シラキ=稲飯命が建国した国)
◆◆◆◆◆◆◆◆

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2)AD1世紀頃

楽浪郡(コマ)
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州
○○○○○▽△▽
○○○○○◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆  【日本海】
◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆←カラ(倭人国・シラキ=稲飯命の孫・天日矛の国)
◆◆◆◆◆◆◆◆     〔日本海沿岸部から東シナ海沿岸部まで領有〕
◆◆◆◆◆◆◆◆

53出土地不明:2008/08/12(火) 16:17:16 ID:Mh7iR24X
<続き>
(3)AD2世紀頃

楽浪郡
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州
○○○○○▽△▽
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆  【日本海】
■■■■■◆◆◆
■■■■◆◆◆◆←シラキ(別名・カラ=弁韓=稲飯命の孫・天日矛の国)
■■■■◆◆◆◆
■■■◆◆◆◆◆
 ↑
馬韓(日本名・クタラ。シラキから分離)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(4)AD3世紀前半頃

楽浪郡=コマ
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州(ワイ諸部族の居住地)
○○○○○▽△▽
■■■■■▲▼▲←ケリン(ワイ族国=辰韓。元はシラキ領)
■■■■■▼▲▼      〔シラキから分離〕
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆    【日本海】
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆←シラキ(倭人国=弁韓。天日矛[天日日子]の国)
■■■■■◆◆◆
  ↑
 馬韓(日本名・クタラ)

54出土地不明:2008/08/12(火) 16:19:29 ID:Mh7iR24X
<続き>
(5)AD4世紀中頃

楽浪郡(コマ)
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州(ワイ諸部族の居住地)
○○○○○▽△▽
◆◆◆◆◆▼▼▼←ケリン(ワイ族国=辰韓。元はシラキ領)
◆◆◆◆◆▼▼▼      〔シラキから分離〕
◆◆◆◆◆▼▼▼
◆◆◆◆◆▼▼▼    
◆◆◆◆◆▲▼▼
◆◆◆◆◆◆▼▼←ケリン領土となった南加羅(ありし日のカラ)
◆◆◆◆◆◆▼▼  
   ↑      【日本海】
 ミマナ(シラキから改号。3世紀後半にシラキと馬韓[クタラ]が合併)
55月光仮面:2008/08/12(火) 17:04:50 ID:Xw2qYLV5
>>52-54
ご苦労様。いずれにせよ日本への移住ともなれば日本政府の出先機関のビザ、つうか、コミットメント
なしには難しかっただろう。技術者等に限定していたような感じがする。
56出土地不明:2008/08/12(火) 18:47:36 ID:XjbGmVoL
>51
> 「日本」と一括りにせず地域別に考えろ
>
地域別の定義は?

山1つで線を引くのか
山脈として線を引くのか、
河川湖沼で線を引くのか、
定義をしないと。
------------------
んで、俺個人の定義の仕方。
火山地図volcano map
ttp://www.bosai.go.jp/library/v-hazard/location_map.html

日本列島はアジア大陸とは明らかに違う[独自の地質]を持つ。
[海の上,昭和新山,阿蘇山]を見ても[海の下,,海底火山]を見ても独自の地質。

地質的にも独立している。人間にどのような影響を与えるんだろうか。

そして地質でつないでいくと、感情的な人には不満だろうが理性で突き詰めていくと

ttp://en.wikipedia.org/wiki/Image:Sea_of_Okhotsk_map_ZI-2b.PNG
---------------
なんで半島に誘導しようとするんだ?根拠が存在するならまだしも根拠を提示しないから嫌いだ。
-----------------
http://en.wikipedia.org/wiki/Strait_of_Tartary
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%AE%AE%E6%B5%B7%E5%B3%A1

根拠を出すのがシベリア主張派の人のやり方。
根拠を出さずに口だけでねじ込めようとするのがとある場所の方方。
57出土地不明:2008/08/12(火) 20:17:23 ID:Mh7iR24X

                              
 7世紀以前のカラ半島は、大きく3つのブロックに分けて考える必要がある。
まず、紀元前から漢人が住み、半島文明の中心地だった西北部=楽浪郡地方。
そして、太白山脈の東側(半島東北部)にあり、文明とは無縁だったワイ地方。

 最後に、日本文明圏の一部であり、古代ヤマトの領土であった韓(カラ=南部)である。
これらの3つの地方は、異なる民族が住んでいたのだ。
 朝鮮人の先祖が住んでいたのは、この3ブロックのうち、文明がほとんど発達していなかった
ワイ地方(半島の東北部)であった。ワイ族が半島全域に移住するのは8世紀以降である。

 7世紀の『白村江戦争』は、半島南部の倭人連合と半島東北部を本拠地とするワイ族連合の
戦争であった。
58出土地不明:2008/08/12(火) 20:49:20 ID:jnlKDt6n
59出土地不明:2008/08/12(火) 23:45:52 ID:959wXws8
朝鮮人は日本に対するコンプレックスが凄いな
60XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/13(水) 02:21:26 ID:JP/ixIx8
>>20
ですね。
概観しますと、やはり原始時代の人々にとりましては「海」は非常に大きな
壁となってきた模様ですので、まず大陸と距離的に一番近く、早くから
大陸と繋がった樺太・北海道からの流入したサイビリア方面を経由した
人々が、Y染色体で言えばC系統の人々になりますでしょうか。これは
旧石器時代人と言われる人々ですよね。
次に、二番目に大陸と近く、またこちらも後に大陸と繋がったと言われる
朝鮮半島から流入した人々が、D・E系統の人々になりますでしょうか。
この人々の経路は、いわゆる“シルクロード(陸の)”と呼ばれる、
中央エイジャから現在の支那国の大部分を横断する形でやって来たと思われ、
彼らが縄文人と言われる人々ですね。こちらは上記の経路より気候も
厳しくないためか、それより多くの人々が流入した模様。そして彼らは
後の文明化した人々に追われ、高地の西蔵や雲南、または島になった
日本等にしかその遺伝子がほとんど残っていないわけですね。
61XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/13(水) 02:26:47 ID:JP/ixIx8
× 樺太・北海道からの
○ 樺太・北海道から
62XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/13(水) 02:28:58 ID:JP/ixIx8
最後に日本が大陸と別れてから、もしくは支那地域で文明化が始まった
時代から主に流入した人々がFR系統の人々になりますでしょうか。
このうちのO2(b)系の人々が、いわゆる弥生人と呼ばれ、支那の東部の
主に中北部から主に朝鮮半島を経由して流入した人々であった模様。
その形質は北方新モンゴロイドゥの影響を多少は受けたものであったかと。
彼らは「倭人」とも呼ばれ、その遺伝子は日本では南下して辿り着いた
と思われる、沖縄の先島諸島に、現在でも多く残っていますね。
また別のO3系の人々は、いわゆる古墳時代に流入した人々で、彼らは
もともとO2系の人々より北方に居た集団であり、彼らもまた朝鮮半島を
経由し、後に日本で水稲耕作と文明の力でもって主に関西方面で人口を
急激に増加させ、後のヤマト(大和)政権を打ち立てるわけですね。
その形質は北方新モンゴロイドゥ形質に属する形質であったと。
ただ、ここでわたしが気になる事として、FR系統の人々はもともと
どの辺りから支那方面へやって来たのだろうか?という事があります。
彼らは現在東南エイジャ方面にも多く存在しているわけですが、それは
北方から押し出された結果だと言われていますよね? ですが他方、
そのうちのN系の人々はモンゴリアやサイビリア方面にも多くあるようです。
となりますと、元来C・D系統の人々が居た位置と重なりますし、
元来FR系統の人々は、よく言われる「南方系」とは言えないと
思われますし、いったいどのような存在だったのでしょうか…?
これを明確に説明出来る人がいますでしょうか??
余談ですが、今までの話、結局のところ白馬青牛さんが言っている事が
一番正確であるように思われませんかね…。
63XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/13(水) 02:54:39 ID:JP/ixIx8
勿論、わたしは月光仮面さんや(柄は悪いですが)京都人さんの意見も
必読に値するものだと思います。^^
他方で常に「朝鮮人」「チョン」などと書き、誰も主張していない
“朝鮮半島起源論(?)”で罵る人達は、問題がありそう…。
ほとんどは「半島を経由して」としか言っていませんよ。
これは何も不思議な事ではないでしょうに…。
64出土地不明:2008/08/13(水) 04:41:25 ID:JHtQORgY
>>60
お久しぶり。

ざっと見たところ、考古遺物と他の遺伝学の知識が浅いせいか、
総合的に俯瞰できる段階にはまだないね。

YAP+がアフリカからペルシャ湾までに発生したと見るのなら、日本に人類が入って来た
最初からDがなければ矛盾してしまう訳だから、CとDはゴビ砂漠南部経由で35000年前の
地続き朝鮮経由でナイフ形石器を持って最初から同時に入って来たと見るべきだろう。

それとアラスカに人類が渡ったのが25000年くらい前だから、地続き朝鮮半島経由で
入ってきた方が先で樺太経由で入ってきたのはその間の30000年くらい前だろう。

それとO2bが弥生時代以降に入ってきたとは限らない。
日本には中華全体にあるKがないから、これも地続き時代の終盤までには
入ってきた因子だと見た方が良いのではないか?
65出土地不明:2008/08/13(水) 04:43:09 ID:JHtQORgY
それと何度も何度も口を酸っぱくして言っているが、日本には縄文時代から弥生時代に
至るまで中国土器はない。その影響土器もない。中国金属器もない。
朝鮮半島も楽浪開始頃まで中国土器はない。

弥生人が支那から朝鮮半島を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは中国土器か朝鮮無文土器のはずでしょう。

しかし、彼らが最古の水田遺構と同時に伝えたのは中国土器でも朝鮮無文土器でもなく、
口縁部に刻目を持つ当時の沿海州中南部あたりが故郷と見られる土器なのだよ。

輸入したと見られる朝鮮無文土器はわずかに見られるが生産していた集落遺跡がない。

どういう経緯で北方民族である彼らが水田稲作を持ってやって来たのかは一番最初に教えた通り。

青牛爺さんは久しくお見受けしていないが、彼も結構なデムパニストですよ。

ただ君の言う通り、例の集団よりははるかにマシだがねw
66月光仮面:2008/08/13(水) 09:22:31 ID:pvssD5D2
山辺の道にマーケットをつくり、東方山岳、辺境部と瀬戸内・玄海灘平野部との交易を図る国づくりという
のは洛東江上流方面の考えであり、これが一概に遺伝子の流れとは言えませんが、遺伝子の流れと
軌を一にする、並行する考えで、これが三内丸山時代からあったとは思えない。これは古墳時代に強く
なるものの、その始まりは遠く戦国時代の始まりの頃でしょう。この頃から遺伝子が海岸沿いにはいる
ようになった。遺伝子とプロファイリング、生業研究は関係しますね。四川、雲南とのつながりはこれで
すね。アカホヤ以降、列島は古代人に見向きもされない千年以上の年月があった。そこで山岳民遺伝子
の多様化はありえず、それをいうなら興安嶺から白頭山にかけての山間でしょうね。
67月光仮面:2008/08/13(水) 11:06:52 ID:pvssD5D2
秦の始皇帝の末裔、エジプト中近東に君臨した草原の民、秦氏、と黒竜江の鹿狩り民族、穢とはどこで
接点が出てきたのかは不思議ですが、ごく最近半島中央部の第一玄菟郡文化地帯の研究により、この
楽浪東方、すなわち、ソウルから日本海沿岸にかけた地方において黄海沿岸を南下した楽浪文化と
日本海沿岸を南下した箱式石棺墓文化である沃沮、穢の接点に発生した文化が検出された。そして、
朝日遺跡で発掘される鉄斧が沿海州沃沮・穢の輸出商品であることもわかってきた。BC4-3世紀の
ことらしい。
68月光仮面:2008/08/13(水) 15:01:22 ID:pvssD5D2
力士黒海の国、グルジアの北西沿海部アブハジアは支石墓発生のの地でもありますが、力士露鵬等の
国の攻撃を受けている。この地のコーカサス語はシノ・コーカサス語族といって中国語もその仲間に入る
言語集団に属するが、この地からヒルベト・ケラクという黒陶のような優秀な土器勢作集団と馬・馬具・馬術
集団が今のトルコに入ってはヒッタイトを建国。カザフスタンで実用化された馬・馬具・二輪車・馬術集団は
インダス、エジプトへと入る。中国で周が殷を倒したのちいち早く体制側にもぐりこむのも秦集団で、馬がらみ。
ところが、黒龍江省の沃沮・穢には室韋などと違いこうした馬の文化の形跡はない。この辺が秦集団と
穢・狛集団の大きな違いですね。
69月光仮面:2008/08/13(水) 15:06:11 ID:pvssD5D2
ただし、秦集団が立地したと見られるコーカサス、ミタンニ、アッシリア、太秦等は山岳地形であり、秦族
も沃沮、穢と同じ、ひいては、チベット、四川、雲南と同じYAP+の遺伝子を持っていた可能性がある。
YAP+の多様性とはこうした地球規模の多様性であり、箱庭のような環境で生まれるものではないと思い
ます。
70月光仮面:2008/08/13(水) 15:28:05 ID:pvssD5D2
「北方臺正東,高夷?羊,?羊者,羊而四角。獨鹿??,??善走者也。孤竹距虚。不令支玄豹。不屠何青熊。
東胡黄羆。山戎戎菽,其西般吾白虎K文。
 これは西周初年(紀元前1046年頃)、周の成王が洛邑(洛陽)を創建後、諸侯を招いて大会を催したとき
の記事の抜粋だが、ここに高夷の名が見える。 孔潁達(唐代の学者、隋書を編纂)は、王會篇の注釈に
次のように記している。「逸周書に記された会議に参加した北方台地の東の高夷とは、高句麗族の源流で
ある」 高夷氏は山東省に登場する最古の部族。大地に鵠(おおはくちょう)のトーテムを祀り、東夷族が
中原に進入するのに従い、商代には河南省北部に進入。やがて中原から東北地方に移住し、後に高句麗
と名乗ったと考察(あるいは調査の結果)したようだ。 」 sadabeさんHP
この高夷の鳥トーテムはヤマトタケル、神武等始祖的天皇の時代に出現するので、おそらくはヘロドトス
のいう王族スキタイのことで、白鳥等は天神のシンボルではないかと思います。高句麗とはこうした王族的
集団を含有する集団といった意味ではないかと。
「『契丹古伝』 燕国の衛満は、漢の武帝に「殷(箕氏朝鮮)は胡や秦の縁者を抱えており、これを滅して後患
を絶つべきだ」と言上。武帝が彼に兵を与えたので、殷王(箕準)は辰(辰国)に逃れ、殷は滅亡した。衛満
は殷を奪い、前漢は郡県を広げて徐珂(?)を阻んだ。[蘇我のことか。] 衛満は真番国をも奪い、朝鮮
(衛氏朝鮮)と号した。徐珂王の淮骨令南閭峙は殷の報復をすべく漢と謀った。漢は徐珂を郡としないこと
を誓い、『王印』を以て證とした。」sadabeさんHP 衛満の箕子朝鮮が胡や秦の縁者を抱えておりとした
情報は正しく、殷、朝鮮、大和、ヒクソス王朝、ヒッタイト、ミタンニを建国したのは同一のオークネフ・
カラスク文化人であると思います。ヒクソスの国境はクサエ、橋頭堡的国家にヤマハドがあります。
71月光仮面:2008/08/13(水) 15:32:52 ID:pvssD5D2
言いそびれたが、高夷すなわち、王族スキタイが諸族を動員しドルメン建設を行ったのではないかという
ことで、この行動パターンはセファルジムユダヤ人の西欧における足跡と一致しています。
72月光仮面:2008/08/13(水) 15:38:41 ID:pvssD5D2
時代的には、エジプトにおけるイクナートン宗教改革、スキタイより早くユダヤと言う概念はなかったと
思われますが。
73月光仮面:2008/08/13(水) 15:59:41 ID:pvssD5D2
>>67
この韓国中央東部、沃沮・穢文化の出土土器ですが「滑らかな表面の硬質破片となっている土器」と
いうことで、日本的にいえば須恵器となりましょうか。沿海州における鉄器製造技術の発達に付随して
土師器が須恵器となったってことかな。
74月光仮面:2008/08/13(水) 16:19:02 ID:pvssD5D2
>>73
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/75/Korea_rivers.svg/524px-Korea_rivers.svg.png
ソウルの東は上からイムジン、プクハン、ナムハンという漢江の支流ですが、これに囲まれたところを
Chundoという極めて誤解を生む領域名で呼んでいる。これが沃沮穢と楽浪のコンタクトゾーンです。
半島中央東方地域とでも呼んだ方がいいようだ。
75出土地不明:2008/08/13(水) 16:38:24 ID:SiQqotFF
                         
■『寛平の新羅賊』(新羅=第51代王-真聖女王の時代)

 『日本紀略』『扶桑略記』寛平五年(893年)および六年(894年)の条にみえる熊本、長崎、壱岐、対馬にかけての
入寇とその征伐の記録。
 893年5月11日、大宰府は新羅の賊を発見。
「新羅の賊、肥後国飽田郡に於いて人宅を焼亡す。また、肥前国松浦郡に於いて逃げ去る」
 翌894年4月、新羅賊が対馬島を襲ったとの報せを受ける。沿岸国に警固を命じ、参議・藤原国経を権帥として
下すなどを定めたが、新羅賊は逃げていった。
 この間、遣唐使が定められたが、一説に唐の関与を調査するためであったともいう。
 9月5日の朝、対馬守・文屋善友(文)は、郡司士卒を励まして賊徒45艘を弩をかまえた数百の軍勢で迎え撃った。
雨のように射られ逃げていく新羅賊を追撃し、220人を射殺した。また、船11、太刀50、桙1000、
弓胡?(やなぐい)各110、盾312にものぼる莫大な兵器を奪い、賊一人を生け捕った。
 その賊が言うには、新羅はここ数年、不作が続き、民は餓えに苦しみ、国庫も尽きて王城も例外ではなく、
「新羅王の命令により、日本の穀絹を奪う為に、帆を飛ばして参り来たる」という。
 王の命令による海賊行為であったと、大宰府に捕らえられた賊が証言しているのである。
                              
 この真聖女王は、たしかに無能であったが、自分の意思で女王になったわけではないであろう。
当時の政治状況の中で、女王に成らざるを得ない立場にあったというのが真実であろう。
 また、この女王が堕落した人物だったという『新羅本紀』の記録も鵜呑みにはできない。
彼女の後を継いで、第52代王となった「孝恭王」(本名は金嶢というらしい)という男が、
彼女から王位を奪ったあと、自分の王位継承の正当性をアピールする目的で、真聖女王を悪辣な女性であったと
記録する文書を、役人に書かせたのであろう。
 この孝恭王(金嶢)なる人物は、真聖女王の太子といっても真聖の子ではない。真聖の兄である憲康王の庶子、
つまり非嫡出子だと記録にあるが、これも疑問である。
 実際は、孝恭王(金嶢)はクーデターで権力を握った人物で、王位を手に入れた後に、
自分が王位継承者として相応しいとアピールするために、自分の血筋をデッチ上げたのだろう。
本当は王家の血を受け継いでいない可能性が高い。
 新羅王家・金氏は、真聖女王の代で滅びたというのが、歴史の真実であろう。
            
76月光仮面:2008/08/13(水) 16:42:58 ID:pvssD5D2
「徳島市蔵本町三丁目の徳島大蔵本キャンパスにある「庄・蔵本遺跡」を発掘調査していた徳島大埋蔵
文化財調査室(室長、北條芳隆・総合科学部助教授)は九日、弥生時代後期の集落跡の溝から鉄製の斧
の刃や鎌の刃の一部が見つかった、と発表した。県内で見つかった鉄製品としては最古。同じ場所から
鍛冶作業の際に飛び散った火花が固まったとみられる鉄くず数点も出土しており、同調査室は「農具など
の道具を鉄で作る技術がこの時期の徳島で普及していたことを物語る資料だ」としている。」
http://mai-bun.hosp.med.tokushima-u.ac.jp/iseki_no_syoukai/sinbun/sinbunkiji/981210/s-asahi981210.html
>>74 は「ポリツェ型Celt(扇形刃斧)」といっているので↑これもそうかも。これって鳴門萩原古墳の
オオアサヒコ辺りが楽浪銅鏡と一緒に導入したのちゃーうの?
77月光仮面:2008/08/13(水) 16:57:46 ID:pvssD5D2
↑楽浪と穢の蜜月時代は邪馬台国と重なる。ホケノヤマと鳴門が義兄弟の穢人であった可能性が
出てくる。後に春日に招致される阿波夷さんがこれか。
78出土地不明:2008/08/13(水) 19:12:21 ID:SiQqotFF

楽浪とワイの間に、交流はなかったでしょ。

それにワイは日本人とも交流していないし。戦争はしていたが。




79出土地不明:2008/08/14(木) 02:09:43 ID:Ek6GJEuM
日本人が朝鮮人だったのにおまえらはFFか

http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ogame/1215446578/l50#tag810

こんな所にも暴れてる朝鮮人がいるぞ?
80XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/14(木) 04:39:24 ID:UZ8F+J2Q
>>64-65
返信ありがとうございました。お久しぶり(?)です。^^
そのご批評・ご批判は、かなり的確です…。;;
毎度出しゃばってすみません。
それとわたしも確かに白馬青牛さんにはやや思い込みを感じる時はあります。
考古遺物からはそうした感じなのですね。わかりました。
これはまさに余談になりますが、
これから、わたしは人類学の中でも、考古学や民俗学、言語学などよりは
民族学、または日本では文化人類学や社会人類学と呼ばれる分野の研究で
生きていこうと思っているのですが、考古学の分野の知識も
多分に持っている必要があるかと思われます。ですからいつも非常に
助かります。
いつの日か、あなたと一緒に仕事する日が来るかもしれません…。
妄想ですが楽しみにしています。^^
まだ暑いですので、どうぞお元気で。
81XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/14(木) 04:52:00 ID:UZ8F+J2Q
一つ忘れていましたが、↑の話で人種学、または形質人類学や
自然人類学と呼ばれる、主にいわゆる理系の生物学的な知識が
必要な分野も、実はわたしはあまり本腰を入れるつもりはありません。
ですから2chで興味本位で…。
失礼しました。^^;
82月光仮面:2008/08/14(木) 07:54:33 ID:eM8OntLN
>>78 sadabe HPでは
『三国志魏書』穢伝
正始六年(245年)、楽浪郡太守劉茂と帯方郡太守弓遵は領東で高句麗に従属していた?を討伐した。
不耐侯らは邑(国)を挙げて降伏した。
正始八年(247年)、王宮に詣でて朝貢、不耐?王は再び詔を拝する。(王の)居所は百姓らと雑居である。
四季ごとに郡に詣でて朝謁する。二郡(楽浪・帯方)に軍征が起れば賦調として使役を供し、これを遇する
に臣民の如し。
[この時点で魏の兵力化した結果として神武、天日矛、オオアサヒコ/天日鷲等として日本各地に製鉄技術
を主とする授産、入植活動を展開したのであろう。]
『春秋時代』(紀元前770年−同476年)
「穢王の印璽を持つ扶余族について「体形は大柄で勇猛だが、謹厳実直で略奪をしない」と『三国志魏書』
扶余国伝を記しており、この誠実で勇敢な性質が、移住した地域に接する他の民族や部族にも好まれ、
定住農耕を伸展させていったと思われる。
 また、南シベリア地方のタガール文化(紀元前700年-前200年)が、オルドス(内蒙古自治区の南部)
地方で中国青銅器文化と融合して誕生したオルドス文化(遼寧式青銅器文化)を発展させた原動力とも
なったと推察する。 」以上sadabe HP参照。
穢、沃沮については民族は異なるものの同一集団。穢は夫与とはほぼ同一。邑婁は海人族的であり、
戦闘的で、ミシハセというのは夷貊のことではないか、つまり、邑婁ではなかったかと思う。
穢はほとんど日本にしか残らないYDNA YAP+であったのではないか。
83月光仮面:2008/08/14(木) 08:11:43 ID:eM8OntLN
↑シ歳と言うのが文字化けし?となっている。
ついでであるが、どうもこの民族は漢族によって文字によるイジメ、差別を受けている。おそらくは
言語的にツングース・アルタイ系であり、後のチュルクと共通する、つまり、五胡のようなものであり、
周・燕との間に深い歴史的わだかまりをもっているようで、日本に入っても漢族よりのグループからの
イジメ・差別は存在したはず。雄略天皇の記紀における扱われ方もその一例だ。しかし、邪馬台国、
河内王朝、継体王朝はこの穢系の築いたものに他ならない。阿波の白人神社の白は狛である証拠に
貞光の名産は三輪同様に素麺である。發瀬川、沸流川、徐珂川は大和につけられた穢族の地名で、
中津川は洛東江と同じであろう。
84月光仮面:2008/08/14(木) 08:21:53 ID:eM8OntLN
朝鮮には古朝鮮と言う実体は現存するが、漢文化の受け入れが優秀すぎて帯方郡、楽浪郡と一体化し、
かろうじて一部が松菊里の故地、馬韓に存在する形となっている。これが辰韓に残されていた古朝鮮
勢力を中心に現在の朝鮮が形成されたのであろう。しかし、漢族と決定的に異なるのは四声の声調が
取得できなかったことで、この点に日本人との共通点がある。頭隠して尻隠さずである。
85月光仮面:2008/08/14(木) 08:36:01 ID:eM8OntLN
ホケノヤマ、鳴門萩原古墳に楽浪の画文帯神獣鏡が出土するのは「正始八年(247年)、王宮に詣でて
朝貢、不耐穢王は再び詔を拝する。(王の)居所は百姓らと雑居である。 四季ごとに郡に詣でて朝謁する。
二郡(楽浪・帯方)に軍征が起れば賦調として使役を供し、これを遇するに臣民の如し。 」こうした動きと
関連する、つまり、二郡の命を受けて倭に出征したのではなかろうか。ホケノヤマの編年はもっと古いって?
その辺のご意見を伺いたい。
86月光仮面:2008/08/14(木) 14:41:35 ID:eM8OntLN
>>83
当時の中華社会の偏見を語るものとして
「東夷伝論
論に曰く。昔、箕子は命運の衰えた殷を離れ、朝鮮の地に難を避けた。初め、その国の習俗向上を耳にす
る事は無かったが、八条の適法を施すに及んで人々に禁を知らしめ、遂に邑には妄りに人の物を盗む事
が無くなり、夜に門を閉ざす事が無くなった。愚かで知識に乏しい俗を変え、柔軟で普遍性のある法に従
わせ、実践する事数百年から千年に渉った。故に東夷は総じて柔謹(温柔で慎み深い事)を風とし、三方
の者と異なっている。苟も政化の及ぶ所には、道義が存在する。仲尼は自国の現状に憤りを懐き、九夷に
住む方が良いと考えた。ある者が九夷の卑しさを問題視すると、仲尼は「君子がそこに住むなら、何を卑し
いとする事があろうか。」と言った。これは理にかなっており、事実その通りであった。九夷はその後、遂に
通接して交易を行い、次第に上国と交わるようになった。しかし、燕人の衛満がその風を乱し、これを境に
(九夷は衛満らに)従い、人の心も変わってしまった。老子は「法令が整えば整う程、盗賊が多くなる。」と
言った。箕子が条文を簡略化し、信義を用いた事などは、聖賢の立法の根本を得ていたと言えよう。」
孔子は筏に乗って九夷の国に脱出したいと言っていた。
87月光仮面:2008/08/15(金) 08:08:37 ID:2tViPYSH
「賤ヶ岳七本槍 この戦いで秀吉の武勲者として、史上に名をとどめた「賤ヶ岳の七本槍」とよばれる七人
衆がいた。大岩山にとどまっていた佐久間盛政の部隊が退却を開始したのを知り、秀吉の旗下七人衆
が、どっと斬りこみ一番槍の功をたてたのである。福島正則を隊長として、加藤清正、加藤嘉明、脇坂
安治、片桐且元、平野長泰、糟野武則の若武者たちであった。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115345966
その起源は「作矛長三丈、或數人共持之、能歩戰。樂浪檀弓出其地。其海出班魚皮、土地饒文豹、又出
果下馬、漢桓時獻之。 矛は長さ三丈に作り、あるいは数人でこれを共同で持ち、歩兵戦で巧みに使う。
楽浪檀弓は、その地から産出される。その海は斑な魚皮を産出、土地には鮮やかな文様の豹が多くいる。
また果下(馬高三尺)の馬を産出し、漢の桓帝の時に、これを献納した。
三国志魏書』高句麗伝
「矛は長さ三丈に作り、あるいは数人でこれを共同で持ち、歩兵戦で巧みに使う。楽浪檀弓はその地から
産出される」
 粛慎の朝貢での献納品は「?矢(こし)、石?(せきど)、弓」とされている。それほど有名な粛慎の名品だ
が、後には「?の檀弓、高句麗の貊弓」が知られるようになる。ここにいう三国志魏書にいう「楽浪の檀弓」
とは?の名品に他ならない。粛慎の系統だからこそ、弓矢の製作技術が優れていたのではないだろうか。」
これをもたらしたのは天日矛、それを保存してきたのが葵祭、祇園祭、今につなげたのが徳川の大名行
列だ。この粛慎淵源は殷とウクライナ、ユーラシア西南を結ぶ下図の展開を見せるセイマトゥルビノ文化。
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/figure%201%201900.jpg
88月光仮面:2008/08/15(金) 08:09:15 ID:2tViPYSH
ユーラシア草原に後期青銅期をもたらした最早期であり、最も華麗な大陸横断関係を表現するセイマ
トゥルビノ文化はアルタイ山麓からウクライナまでユーラシア森林草原を急速に横断し拡大した。
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/seima-turbino%202.jpg
これらの短剣、ビン、青銅及び銀製槍先ソケット各一点及び2点の完全ソケット付槍先は2000-1700 cal
BC年代と編年されるセイマトゥルビノ文化最西端出土地点、ウクライナドニエストル河沿岸に発見された
ボロディノ考古学宝庫のほんの一部に過ぎない。
http://users.hartwick.edu/anthonyd/images/seima-turbino.jpg
その他のセイマトゥルビノ文化出土品画像
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_23.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_24.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_25.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_26.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_27.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_28.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_29.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_32.jpg
それはこのように密集方陣として使用されたと見られている。世界最古の軍隊の誕生だ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Phalanx.png
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b5/Makedonische_phalanx.png
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9
89月光仮面:2008/08/15(金) 08:19:42 ID:2tViPYSH
他方秦氏はこうした東胡方面とは異なり、馬の飼育にかかわり、甘粛、新疆、カザフスタン、イラン、
シリア、エジプト、アナトリア方面に展開していたようであり、セイマトゥルビノ文化と並行してアンドローノ
ヴォ文化圏東部を縦断するカラスク文化と関係するところがあるのではなかろうかとおもわれるが、
これが半島中央部で楽浪と玄菟といった形で接触する、それが「チュンド」文化であり、そこから生じる
穢、これがコマ/狛として古墳初期の瀬戸内・近畿に入ってくると見ている。
90月光仮面:2008/08/15(金) 08:30:22 ID:2tViPYSH
>>70
「「『契丹古伝』 燕国の衛満は、漢の武帝に「殷(箕氏朝鮮)は胡や秦の縁者を抱えており、これを滅して
後患を絶つべきだ」と言上。武帝が彼に兵を与えたので、殷王(箕準)は辰(辰国)に逃れ、殷は滅亡した。
衛満は殷を奪い、前漢は郡県を広げて徐珂(?)を阻んだ。」・・・衛満と武帝が簡単に合意に達する中華
コンセンサスの背後には殷を敵視し連衡する中華世界の基本理念があり、これこそが穢人蔑視の淵源
で中華の劣等感に他ならない。この世界最古の軍事文化のもとで産声を挙げたのが邪馬台国で、その
軍事的側面を強調しているのが神武記であろう。
91月光仮面:2008/08/15(金) 08:46:44 ID:2tViPYSH
国破れて山河在あり
城春しろはるにして草木深そうもくふかし
時に感じては花にも涙を濺そそぎ
別れを恨うらんでは鳥にも心を驚おどろかす
烽火三月ほうかさんげつに連なり
家書万金かしょばんきんに抵あたる
白頭掻はくとうかけば更に短かく
渾すべて簪しんに勝たえざらんと欲ほっす
http://bun.dokidoki.ne.jp/users/tokiwa/1kansi3.html



92出土地不明:2008/08/15(金) 10:37:07 ID:u7TA0L5+
ここは、基地外の妄想、捏造を書くチラシの裏スレかよww
93月光仮面:2008/08/15(金) 11:36:02 ID:2tViPYSH
ヒクソスから帰還した渡来人
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1204867737/menu345-346
すれ違いの危険を回避、内側↑に車線変更。
94月光仮面:2008/08/15(金) 16:18:21 ID:2tViPYSH
YDNA D2の渡来は古墳時代前後に多かったが、 http://img438.imageshack.us/img438/5519/japan9zr.gif 他にもM122 20.1%と言うのがこの図の下のほうにある。これは三内丸山よりは遅れるであろうが縄文時代に
稲作文化を持って渡来した長江下流域の民族で、中国筋では後の半島経由弥生人に押されて圧倒された
のではないかとしている。しかし、こうした先着グループがかなり幅を利かせており、戦闘能力に抜きんじた
D2系だけでは簡単に政治は動かせなかったのではなかろうか。こうした古い渡来人はアイヌとも違うが
縄文人として存在していたはずである。
95月光仮面:2008/08/15(金) 16:31:44 ID:2tViPYSH
神武は「天神の子亦多(さわ)にあり」と言うが、
http://www3.point.ne.jp/~ama/37.html
アルタイ系の天神思想を持つD2は沖縄から本州各地に同一の神話とか地名をばらまいているようである。
と言うことは邪馬台国、狗奴国といった対立構造も普遍的に存在した可能性がある。そして、沖縄・九州
西岸の国々が独自に対中外交を展開していた可能性も否定できない。何があってもおかしくはないので
あるから邪馬台国ドコソコ議論はいい加減にしておけばいいのと違うだろうか。徳島に卑弥呼がいたって
なんちゃらおかしゅうはないのだ。えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、よいよいよい。
96出土地不明:2008/08/15(金) 22:41:29 ID:fQXjg47h
東北 関東甲信 東海 北陸 近畿 山陰 山陽 四国 九州

くらいに分けて地域ごとに議論せよ
97XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/15(金) 23:16:55 ID:Wd7LThEm
↑沖縄・北海道はもう必要なしですか…? ^^;
98月光仮面:2008/08/16(土) 07:20:39 ID:BF3s3Kkx
五輪銀メダルのアブドゥロ(<エフタル)・タングリエフ(<タングリ=天神
「トルストフによると,アム・ダリヤ両岸,シル・ダリヤ南デルタにおいて,原始期,古代期,中世期の遺跡,
文化が確認された。原始期は新石器(前4〜前3千年紀)から青銅器時代(前2〜前1千年紀)までで,とくに
アム・ダリヤ右岸におけるジャンバスカラやヤッケパルサーンなどの遺跡で代表される。」)
この青銅器時代(前2〜前1千年紀)にエジプト・小アジア・コーカサスにフルリ人として活躍したもので、
アマルナ時代にフルリ、ハビル、シャスなどエジプトからレバント(パレスチナ)・シリア方面に広がり、
ヒクソス、フルリ人は銀メダルのタングリーエフ選手のような形質で、カラスク文化に属し、その一部が
殷及び後の秦となるのであろう。ハビルの方はコーカサスからボルガ方面に展開、バシキールとして
モンゴロイド形質を留めたものと見られる。これは御物石器を伴ってボルガからドニエストルに急速展開
を見せたセイマトゥルビノ文化、その末裔の粛慎と関係しているのであろう。
99月光仮面:2008/08/16(土) 07:49:11 ID:BF3s3Kkx
夏家店上層期の黒海北岸からはスキタイ遺物が出土するが、これらは
http://annals.xlegio.ru/skif/chernenk/bow025.jpg
http://annals.xlegio.ru/skif/chernenk/bow3.htm
「独鈷石(とっこいし)」として「縄文後期〜晩期、さらには弥生時代の前期・中期の境頃まで、主に岐阜・
福島県などの東日本」と直結しており、
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/jyo6toko.JPG
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko26jyomonstone.html
更には、筒型銅器(スキタイの矢立)、角杯(敦賀を中心に出土、ケルト、ゲルマンと関連する)、巴形
銅器(ゲルマンの楯飾)等と関連する夏家店上層期のスキタイ文化の影響を受けたポリツェ・邑婁文化が
越前から木曾・阿武隈等の山岳地帯に流れたことを意味している。源氏等関東武士の淵源はスキタイに
あるとみて間違いない。
100月光仮面:2008/08/16(土) 07:57:50 ID:BF3s3Kkx
であるから、スキタイ・関東武士団とフルリ人の子孫である秦氏は一時的に数千キロも隔離されていた
ものが、安陽、半島、列島で再会する。YDNA D2に見られるハプロタイプの多様化はこのような環境に
よって発生したものと見る。配牌時に役満ができるように神が列島に遺伝子を積み込んだとする考えは
うますぎるのである(w
101月光仮面:2008/08/16(土) 08:05:44 ID:BF3s3Kkx
神武が大和盆地の地形を国見してすばらしいとしたその価値観は安陽を、二里頭を発見したユーラシア
モバイル牧畜民の発想であり、それは遠くウラルのアルカイム、シンタシュタ、トゥルクメニアのゴヌル・
デぺに遺跡を築いた時と同じ発想である。旅路の果てに青い山脈を発見したようなものなのだ。
102月光仮面:2008/08/16(土) 08:24:40 ID:BF3s3Kkx
秦氏とはシナイ銅山を経営しながら、車の売り込み、技術革新、経営戦略に徹した世界最初の
多国籍企業経営者であり、太公望を初めとして各国の政治顧問となったもの。オシホというのは
オシポ、ヨセフと同一に意味であり、ホヒというのはヒクソスファラオ、アポーピス(フイフイもか?)に
通じる。砂漠の民シャスはフルリ、ハビルに感化されてヨセフ、モーセの話を作り上げたのであろう。
カミオカンデに近い高山の匠の技は下っては三河の国を拠点とし、いまやその車を知らぬものはない。
これらは秦氏であるとか、稲葉城の斉藤道三のような人物の先天的能力によるものと見て間違いある
まい。
103月光仮面:2008/08/16(土) 08:35:45 ID:BF3s3Kkx
バシコルスタンのヨセフ的英雄、アミン・ベクはダイスを振ってエジプトファラオから国土を得た。
しかし、殷の悪王は神を相手にダイスを振って後指を指される。御日射は旱魃予防の呪いであるが
ブリャート・東海・東日本の慣習であり、殷では血で満たした皮袋を矢で射る悪逆無道の帝とされるが
これらはユーラシアモバイル牧畜民が殷の王権にあったことを物語り、秦氏が一時はエジプトに
続いて殷の政権をも握っていたことを意味する。
104出土地不明:2008/08/16(土) 18:19:24 ID:1uvRuz2m
105出土地不明:2008/08/16(土) 19:41:45 ID:tp4KvCts
                             
『日本の歴史学会は「ミマニアン・ドキュメンツ」(任那日本府-公文書群)を研究せよ』

                                 
■『三国史記』編纂の資料として使われた『ミマニアン・ドキュメンツ』(M資料)
                                                                 
 高麗時代前期(1145年)に編纂された朝鮮最古の歴史書・『三国史記』は興味深い書物である。
この書は、半島側の資料として、『古記』、『海東古記』、『三韓古記』、『本国古記』、『新羅古記』、
金大問『高僧伝』、『花郎世記』などを第一次史料として引用したとされているが、
かつて半島南部を統治していた任那日本府(シラキ日本府)によって記録され、伝承されきた古文書、
いわゆる『任那日本府-公文書群』(ミマニアン・ドキュメンツ)も、資料として使われているようだ。
 シラキ(弁韓)を建国した稲飯命とその子孫に関する記録を、『朴氏』(日子氏[ボコ氏])の歴史として
記録しているのだ。
 捏造・創作も多く見受けられるが、白村江戦争後にワイ族によって焚書されたと思われていた
『任那日本府-公文書群』が、1145年まで残っていたという事実は驚きである。
 おそらく、日本書紀にその名が記されている『百済本記』、『百済記』、『百済新撰』なども、
『三国史記』編纂の際の資料として使われた『任那日本府-公文書群』の一部であろう。
 ミマニアン・ドキュメンツは『三国史記』が完成すると同時に焚書されており、現存しない。
しかし、『三国史記』の内容を、日本側の古文書や伝説・神話と照らし合わせながら分析することで、
ミマニアン・ドキュメンツの内容を、あるていど復元することは可能である。
 聖書学者が、さまざまな古文書や考古学資料を基にして、新約聖書-福音書の資料となった
『Q資料』の内容を解明しているように、日本の歴史学者も『古事記』、『日本書紀』、『新撰姓氏録』、
『風土記』、『三国史記』などの内容を調べることで、『M資料』の内容を解明できるであろう。

106出土地不明:2008/08/17(日) 21:25:54 ID:KExhxPc1
日本人と朝鮮人は、ルーツが違うよ
どう見ても
107出土地不明:2008/08/17(日) 23:54:02 ID:v6otPd88
石家河文化の遺跡

陶器類(深腹罐、圏足盤、鼓腹罐、大口罐、鼎、釜、瓶、杯、平底鉢、竹節豆、甑、器座、擂鉢など)
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20031129.pdf
深腹罐、圏足盤、鼓腹罐、大口罐、鼎、釜、瓶、杯、平底鉢、竹節豆、甑、器座、擂鉢
深腹罐、圏足盤、鼓腹罐、大口罐、鼎、釜、瓶、杯、平底鉢、竹節豆、甑、器座、擂鉢
深腹罐、圏足盤、鼓腹罐、大口罐、鼎、釜、瓶、杯、平底鉢、竹節豆、甑、器座、擂鉢
深腹罐、圏足盤、鼓腹罐、大口罐、鼎、釜、瓶、杯、平底鉢、竹節豆、甑、器座、擂鉢
108出土地不明:2008/08/18(月) 00:01:26 ID:jbIBOBNw
良渚文化(約紀元前3100年〜前2200年)

陶器は、鼎・高杯・鉢・蓋などで、鉢から脂肪等を検出され、スープを作っていたと想像されます。
http://abc0120.net/words/abc2007031807.html
鼎・高杯・鉢・蓋
鼎・高杯・鉢・蓋
鼎・高杯・鉢・蓋
鼎・高杯・鉢・蓋
109出土地不明:2008/08/18(月) 00:04:04 ID:jbIBOBNw
ッ澤文化(B.C.3900〜B.C.3200)

上海市青浦県の東4q、太湖地区から発見され、面積は15万uです。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/13-4suutaku.htm

ッ沢遺跡

約5000年前のッ沢文化期早期(中層)では、狩猟具は少なくなり、ろ過に用いたと
思われる器(図30)や、煮炊き用と思われる鼎、こしき、釜、缶、豆、杯、鉢など
(図31)が発見されているという。
http://freett.com/yuzuruchan/soturon2.htm
鼎、こしき、釜、缶、豆、杯、鉢
鼎、こしき、釜、缶、豆、杯、鉢
鼎、こしき、釜、缶、豆、杯、鉢
鼎、こしき、釜、缶、豆、杯、鉢
110出土地不明:2008/08/18(月) 00:06:45 ID:jbIBOBNw
馬家浜文化(B.C.5000〜B.C.4000)

揚子江下流、太湖の周辺の、後の良渚文化と同一の地域に分布しています。
土器は紅陶が主で、縄紋がなくなり、鼎が出現しました。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/13-1bakahou.htm
鼎が出現しました
鼎が出現しました
鼎が出現しました
鼎が出現しました
111月光仮面:2008/08/18(月) 08:42:30 ID:TdsZfYug
「エフタルは山岳民族か、或いは、草原民族か」 1967 L.N. Gumilyov
結局、最後に問題が残る。5−6世紀にかくも広大な広がりを見せたエフタルはどこに消えたのであろ
うか?中央アジアのエフタルはチュルクの影響下に入り、インドのエフタルはラージプート
に参入、山岳に残ったものは現在アフガンと自称している。567年のチュルクのポグロムにより、彼らは
民族として存在しなくなった。 L.N. Gumilyov
http://www.gunmaibun.org/osoretoinori/kohun/img/228.jpg
「中央アジアの芸術」
この時代の特徴的なのは鍔広帽。若干の研究者は、こうした帽子を5 - 6世紀に中央アジア農耕民を
征圧した遊牧民エフタルに関係するものとしている。  
M. Dyyakonov
http://chikatsu.mediajoy.com/2007_winter/images/07winter_2.jpg
千葉県千葉市/人形塚古墳(古墳時代 約1,400年前)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Asia_565ad.jpg
「毛野における古墳の変化 大塚初重
観音山古墳の副葬品の中に銅製水瓶(すいびょう)がある。日本の古墳では唯一の出土例であるが、
中国北斉(ほくせい)の鮮卑族(せんぴぞく)の貴人・庫狄回洛墓(こてきかいらくぼ)出土例との比較
から、北斉から百済(くだら)へ百済から大和王権へ、さらに大和王権から毛野の観音山古墳被葬者
へという歴史的な脈絡を辿(たど)れるのかもしれない。実はこの古墳の副葬品の中には、直径二三・
三aの獣帯鏡が含まれているが、一九七一年に偶然に発見された韓国忠清南道公州市の武寧王陵
(ぶねいおうりょう)から出土した獣帯鏡と同笵鏡(どうはんきょう)であることを確認している。
 すなわち観音山古墳の豊富な副葬品の中には、中国(北斉)と韓国(百済)、百済と倭(わ)の大和
王権とを結ぶ古代東アジアの歴史的な関係の糸が結び合っているように思われる。さらに大和王権と
毛野の首長との間にも緊密な政治的関係があったことは間違いない。観音山古墳の出土遺物の中には
五□(ふり)の銀装刀子(とうす)や金銀で飾った頭椎大刀(かぶつちのたち)や銀象嵌(ぎんぞうがん)の
竜文をもつ捩(ねじ)り環頭大刀(かんとうたち)をはじめ、奈良県藤ノ木古墳出土の馬具とも共通する
特徴を示す馬具が出土していて、観音山古墳が東国でも超一級の内容を持つ古墳であることがわかる。」
112月光仮面:2008/08/18(月) 08:45:28 ID:TdsZfYug
「「エフタルは山岳民族か、或いは、草原民族か」 1967 L.N. Gumilyov
婚姻制度について言及されていることが特に重要。エフタルは一妻多夫制で、兄弟で妻を共有した。こうし
た婚姻制度はチベットで定着しているが、それも、定住性チベット人の間だけであって、BC3世紀にアムド
で遊牧をしていて4世紀に鮮卑に滅ぼされる羌族にはない。チベット族がブラフマプートラ河に沿って移動
しながらパミール山系の峡谷に到着するのは晩く、5世紀を早回るものではなく、かれらは一妻多夫制を
原住民から取り入れたのであり、その逆ではない。現地人との密接な交流、混血を保つ1000年間の
共存はそれなりの結果を残したようである。エフタルの一妻多夫制とそれの広がりについては衣服と言う
民族誌学的資料も取り入れる必要がある。
中国の史家は一様に女性が一本の角をつけた毛皮の帽子を被り、その角には夫の数だけの枝がある
としている。同様の帽子はカフィルスtンの女性と、まさにエフタルの主要な集合が居住していたと推定
されるインド北西の地域において見られるということは極めて重要である。インドでは古来よりこうした帽子
は知られておらず、クシャン朝の例えばフヴィシュカ王の硬貨において見られるが、これはとりもなおさず、
パミール、ヒンズークシの山国起源のこととなり、これはエフタルがこの地で形成された民族であることを
裏付けるものである。」
http://www.gesanmedo.or.jp/imgs/sg_bp_photo/bema.jpg ←白馬チベット族
113月光仮面:2008/08/18(月) 08:55:56 ID:TdsZfYug
エフタル キダラ キオン 百済 祇園 毛野 白い匈奴 狛人 つるめそ ルーペルカリア 狼僧
角隠し 花魁のかんざし 吉原・新宿の熊手 7枝刀 印欧諸族の浮気される亭主 ギデオン
一妻多夫 鵜坂神社 祇園・・・この辺がキーポイントとなろうか。
114月光仮面:2008/08/18(月) 12:36:06 ID:TdsZfYug
「大国エフタルの歴史的運命は驚くほど中世スイスの運命に似ている。どちらも好戦的山岳民が隣接君
主国の一時的凋落と国難に乗じて併合の機会を得ており、方やオーストリアとブルグンドに、方やペル
シャとインドに対して輝かしい勝利を収めた大国であるが、両方共、占領地の確保と成功を固めることに
は成功していない。そして、その後スイス傭兵はフランス王の親衛隊として耀き、エフタル戦士は崩壊した
グプタ王朝敗残兵の討伐を助けラージプートの戦列の中で拡大を見た。」1967 L.N. Gumilyov
115月光仮面:2008/08/18(月) 14:42:50 ID:TdsZfYug
「クシャン帝国を形成したが、その民族名は民衆の記憶に残らなかった民族とは異なり、エフタルはトカラ
同様地元の民族であるとする現地の慣習がある。私の知人のアリフベク・ヒイシャロフ、44才、シュグナン
族、はイスマイル僧に学んだ人物であるが、若い時に読んだ原稿について言及した。その一つで出版され
たものを見つけtのだがTa'rikh Nama-i-Haratといった。その中でヘラトの基礎作りについての伝承があり、
あるときフシャングの子タフムラシなるものがカンダハル近辺に住んでいた同民族を抑圧したという。この
ときにその民族5,000人はカブールの方に出て行き、そこに住み着いたのであるが、気候が合わず、
グールの国に移動したが、そこからさらにアウベと言うところに移動し、そこで紛争を起こし、戦争を始める
にいたり、彼らの一部はクシャン・オルヴィアン、すなわち、高クシャンと言う場所に出て行ったとされる。
このとき留まった方の指導者はHAYATLE(日本語読みにすれば隼人/疾風と読める)であった。出て行っ
たものと残ったものとの戦いの話は省略する。大事なことはそれではなく、HAYATLEという言葉に
「Haytal」及び「Heptal」という民族名を認めないわけにはならないことである。」1967 L.N. Gumilyov
隼人とは鷹匠か。

116月光仮面:2008/08/18(月) 15:05:08 ID:TdsZfYug
「エフタルの社会制度についてはこのプロコピイが述べているが、「彼らの生活は他のウンヌとはにてお
らず、彼らのように畜生同然ではなく、一人の帝王の統治下に属し、行き届いた市民社会を形成し、
同族内、及び異民族との間においてはローマ人はおろかどの国にも劣らぬ公正を遵守している。」北史
は加えて「王権は相続されることなく、身内で最も能力のあるものがこれを受け継ぐ。刑罰は極度に厳し
い。盗みの場合は量刑はなく斬首、盗品の賠償は10倍。」「都は帝王の宮殿あるのみ」「10里(5km)四方
の贅沢な城である。」1967 L.N. Gumilyov ・・・秦の法家の源流か。
117月光仮面:2008/08/18(月) 15:11:05 ID:TdsZfYug
ところがエフタルは群馬県に出現するのだ。!!!
http://www.gunmaibun.org/osoretoinori/kohun/img/228jpg
「器台・足を別個体とする大形の全身像である。「鷹匠(たかしょう)埴輪」と呼ばれているが、すでにこの
時代、「鷹匠」として専業職化していたかどうかは明らかではない。手首に手甲(てっこう)をはめ、腰に
大刀と鞆(とも)をつり下げ、頭に鍔広帽(つばひろぼう)を被っている姿は、狩猟装備をした貴人を思わ
せる。「鷹を使う盛装の男子」とする方が妥当かもしれない。涼しげな目、小さく締まった口元、鼻筋が
通り、端正で気品に満ちた顔立ちをもつ。
 髪は左・右に分けて「下げ美豆良(みずら)」に結い、三重に巻いた飾りひもでとめ胸元にたらす。装飾
品は、美豆良の下に耳環がのぞき、胸元には大玉の首飾りが見られる。腕は両方とも前方にのばし、
左上腕には内側を向いた鷹を止めている。尾羽の付け根には儀礼を目的とした鈴を付けており、これも
一つの権威の象徴と考えられる。鞆の後ろに下げられた半楕(だ)円球の袋は、鷹の餌袋かと思われる。
鷹を使う男子の埴輪は数例知られるに過ぎず、しかも群馬県に多い。中でもこれは最も全高が高い。」
聖徳太子も美豆良だからエフタルだ。
118月光仮面:2008/08/18(月) 15:17:05 ID:TdsZfYug
こうした関東の警備兵は杖刀人と呼ばれたようである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E5%89%A3%E3%83%BB%E9%89%84%E5%88%80%E9%8A%98%E6%96%87
119月光仮面:2008/08/18(月) 15:24:42 ID:TdsZfYug
天智、天武、額田王から現代に到るまで日本人は一夫/婦-多妻/夫制度と一夫一妻制度を昼と
夜で使い分けている。特に永田町、神楽坂等で多いようである(w これは祇園から来るのではなかろ
うか。エフタルの遺産であろう。
120月光仮面:2008/08/18(月) 16:12:56 ID:TdsZfYug
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1204867737/menu23-24
ヒッタイト、ミディアナイトの神殿売春の風習にはかのモーセの苦労したらしい。歴史的に
そうとうすれた民族である中近東系のイスラエルですら大問題となった神殿売春慣習とは
国際的に見て極めて異常なものであったようである。山上憶良のようなグッド・パパと言うのが
やはり国際的には良識人なんだろう。ミノさんみたいにあちこち梯子するのはエフタル的なのかな。
いずれにせよユダヤ教が生まれる前のこうしたいきさつは始めにヒクソスありきの感が否めないの
である。
121出土地不明:2008/08/18(月) 16:39:14 ID:czG4VijP
122月光仮面:2008/08/18(月) 17:17:08 ID:TdsZfYug
カラスク文化 (ロシアwiki)
カラスク文化-南シベリア・カザフスタン青銅期(前2000年紀末-前1000年紀始)考古学的文化。
ノボシビリスク州カラスク川に由来。アラル海からエニセイ上流に広がる。アンドローノヴォ文化の影響下
で発展。後、タガール文化と交替する。
生業 経済は主に農業牧畜。中国との貿易を維持する。住居は主に竪穴住居。
文化
死者は箱式石棺墓に埋葬し、盛土で覆う。
出土品は短剣、ナイフ、水掻型ペンダント http://im8-tub.yandex.net/i?id=58120680&tov=8
ネックレス、バックル、ボタン
出土埋葬遺跡は2000箇所以上。
カラスク時代は騎乗の始まる時代。
人類学的特徴
モンゴロイド遊牧民であるが、Gumilyov説では多くの地元丁霊との混血を受けていると。
言語はケト語と近縁。
中国北部が原郷。別の説ではカラスク人は南の中央アジア出自で、理由はその墓にパミールフェルガナ
系白人
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Benazir_Bhutto.jpg
頭骨があるからとする。B. O. Dolgikh, A. P. Dulzon, N. L. Chlenova, E. A. Novgorodova, M. D. Khlobystin
等はカラスク人をケト人の祖先としている。
123月光仮面:2008/08/18(月) 17:19:52 ID:TdsZfYug
秦氏がイラン人であったり、ユダヤ人であったりする理由はこうした白人系とベッドを共にしてきたという
ことで、それが秦氏の秘密結社的側面の一つではなかろうか。
124出土地不明:2008/08/18(月) 20:30:52 ID:KmtZ47nv
                           
 韓国人は今でも、狩猟民族としての性質を残しているようだ。やたらと興奮して動物を殺し、
その血を公の場で撒き散らして自分たちの感情をアピールする。
 こういった行動は、文明人というよりも、古代の原始的狩猟民の行動ですね(w
                           
YOUTUBE◆雉を殺して反日をアピールする韓国人たち
http://jp.youtube.com/watch?v=KeLYBQ1SMJ8
                     
■ワイ族−朝鮮・韓国人の先祖である狩猟民族

 古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖。
 ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人、ミマナ人、クタラ人などと敵対関係にあり、
倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
 ワイ族は3世紀初頭から、まずシラキを侵略し、シラキ領北部にケリン(鶏林)を建てた。
3世紀後半にはシラキ南部にまで軍事侵攻し、4世紀前半にはカラ半島東南部を完全に乗っ取った。
 ケリンの軍事的圧迫を受けたシラキは、3世紀後半には領土が西方に移動し、国号をミマナに改めた。
その後、ケリンは、国号を『新羅(シンラ)』に変えた。
 新羅(ケリン)は、半島東南部を拠点にして、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)に対して
侵略を何度も仕掛け、6世紀前半に、ついにミマナを滅ぼし、新羅に併合した。
 7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を
支配下においた。
                       
125月光仮面:2008/08/19(火) 11:22:16 ID:t6ZkdYrR
L.N. Gumilyovに依れば北史に「エフタル国には多くの黄金の仏教寺院、仏塔があった」との記述がある
と。」また、エフタル国「[エフタル]王は四十歩四方の大きな毛織のテントに居り、まわりはフェルトを壁面
として張りめぐらしている。王は錦衣をつけ、四つの金の鳳凰をかたどった<牀>脚をつけた金の椅子
<金牀>に坐っていた。」といった情報もある。
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site55/china8.htm
渡来人研究会
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
ここでは推古、斎明朝における都貨羅人と舎衛人の豊富な記述があるが、渡来ルートについては
http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/07/o/01.png
こうしたルートが考えられる。
126月光仮面:2008/08/19(火) 11:23:20 ID:t6ZkdYrR
が、「一方、吐谷渾は中国の華南地方とも交易の媒介をおこなっていた。南朝側の記録には、吐谷渾は
「河南国」(河南=兆水の西、甘粛省臨夏県の地方)の名で登場するが、その役割はやはり西域諸国との
中継者・案内者だったようである。『梁書』の滑国(エフタル)に関する記述には「其言語待河南人訳、
然後通」とあり、吐谷渾人がエフタルと中国の間の通訳をしていたこと、『南斉書』内内(ぜいぜい)虜伝には
「内内常由河南道而抵益州」とあり、内内(柔然、蠕蠕)が四川盆地に向かう場合は常時、吐谷渾領の
青海ルートを経由していたことが記されている。」
http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/07/
といった情報や隋書流求国伝において「隋の煬帝は、海に入り異民族を求めさせた。命を受けたものは
流求国に到ったが、言葉が通じず、一人をさらって帰った。翌年、再び使者を派遣して、流求を服属させ
ようとしたが、流求はこれに従わなかったので、その国の(麻)布製のよろいを奪って帰った。ちょうど
その時、倭国の使者(遣隋使)が来ていて、これを『夷邪久(イヤキウ)国の人が使うものである。』と
語った。
 煬帝は兵を義安郡(広東省潮安県)から派遣し、これを攻撃させた。高華嶼に至り、また東行二日で
クヘキ嶼に至り、更に一日で流求に至る。南方諸国の人を従軍させていたが、その中で崑崙人が流求の
言葉を非常に良く理解した。」
http://orange.zero.jp/kapua.boat/4/2_4.htm
ということはエフタルが本土のみならず琉球にも到来していたことを意味し、隼人の起源がエフタルでは
ないかとの観を深める。
127月光仮面:2008/08/19(火) 12:02:25 ID:t6ZkdYrR
毛野氏は崇神天皇の長子である豊城入彦命の子孫を称する。豊城入彦の孫の彦狭嶋王が東山道15国
の都督となったこと、その孫の荒田別、巫別が百済に派遣されたこと、上毛野田道が蝦夷を征討したこと
などが『日本書紀』に見えるが伝説と見られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E9%87%8E%E6%B0%8F
近江毛野
「継体21年(527年)、新羅によって奪われた南加羅・喙己呑などの諸国を奪還すべく任那への赴任を命じ
られる。しかし、その途中に筑紫国造の磐井が新羅と組んで毛野の進軍を妨害しようとしたため、渡海で
きなかった。このとき、磐井は毛野に対して「かつて同じ飯を食った仲間がなぜ命令するか」(昔は吾が伴と
して、肩摩り肘触りつつ、共器にして同食ひき)と詰問したとされるが、近江の豪族・毛野と筑紫の豪族・
磐井との間に、それ以前に交流があったかどうかは不明である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E6%AF%9B%E9%87%8E
毛野氏、近江毛野氏、磐井、隼人などはエフタルであろう。また、斎明天皇の外人饗応には異常なものが
ある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E7.9A.87.E6.A5.B5.E3.83.BB.E6.96.89.E6.98.8E.E5.A4.A9.E7.9A.87.E3.81.AE.E5.B9.B4.E8.AD.9C
斎明天皇の属する継体蘇我王朝の系図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Emperor_family_tree26-37.png
これ自体エフタルの系図ではなかろうか。
128月光仮面:2008/08/19(火) 13:04:29 ID:t6ZkdYrR
しかし、C.E. Bosworth"はペルシャ語地名をKhwar"「太陽」と"-razm"「地」から成るもので、「日出る国」を
意味するとしている。もっと正確に言うと、このイラン語成分はkhwar/kharが「低地」、zam/zemは「土、
陸地」である。Khwarezmというのは(最西端のカスピ海を除いた)中央アジアにおいてアラル海南岸アム
ダリア三角州にある。khwar/khar/khor/horといった各種変形語はペルシャ湾において干潟、沼沢地、
潮汐湾を意味している(例:Khor Musa, Khor Abdallah, Hor al-Azim, Hor al-Himar, etc.)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Khwarezm
「元々小国だった日本が倭国を併合した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
神武は日本(干潟、日の隅の本、熊本・日向)と言う小国の王(エフタル・隼人・聖徳太子のペルシャ語で
はこうなる)であったが、倭国を併合したということだ。
129月光仮面:2008/08/19(火) 15:55:12 ID:t6ZkdYrR
↑しかし、景行-仲哀、磐井、隼人の反乱や征伐の歴史は神武東遷とか日本国王説がありえるはずはない
ことを示し、考古学的に青銅器・古墳の分布からも日本の建国は畿内が中心であったことは歴然として
いる。B.C.627年秦がエフタルの滑国を討って、これを滅ぼしたコウ山の戦いと言うのがあり、秦氏とエフ
タルの関係も複雑である。有明湾の夕日であるとか、高千穂の峯であるとかは、歴史の動きとは関係が
ないだろうが、アラル海の夕日も同様に太陽崇拝の古い記憶によるものかもしれない。
130月光仮面:2008/08/19(火) 16:10:03 ID:t6ZkdYrR
他方、道昭「653年(白雉4)入唐(につとう)学問僧として遣唐使にしたがい唐にわたる。玄奘(げんじよう)を
師として業をうけた。玄奘からとくに愛され,同房に住み,禅を習い,悟るところが多かった。661年(斉明7)
帰朝にあたり,玄奘所持の舎利・経論を授けられている。」・・・パミール経由インドを旅した玄奘から同室で
現地事情などを聞いており、当然ながら斎明天皇などはエフタルの原郷がアラル海の三角州にあった
程度のことは聞いており、渡来するトカラ、舎衛(インド)人もそうした情報を裏付けたことであろう。
こうした当時としては「超現代的」情報が建国神話体系に組み込まれていったのかもしれない。
131出土地不明:2008/08/19(火) 23:12:58 ID:KuawGMEu
ちょっと電波出しすぎじゃないの?w
132出土地不明:2008/08/20(水) 03:56:55 ID:8g/HaPiZ
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで中国土器はない。その影響土器もない。
中国金属器もない。朝鮮半島も楽浪開始頃まで中国土器はない。

弥生人が支那から朝鮮半島を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは中国土器か朝鮮無文土器のはず。

しかし、彼らが最古の水田遺構と同時に伝えたのは中国土器でも朝鮮無文土器でもなく、
口縁部に刻目を持つ当時の沿海州中南部あたりが故郷と見られる土器。

輸入したと見られる朝鮮無文土器は少量見られ、その影響を受けた弥生土器も見られるが、
朝鮮無文土器そのものを生産していた集落遺跡がない。

弥生人は沿海州中南部の沿岸部にいた口縁部に刻目のある土器文化を持った
海洋的性格の強い北方蒙古人種。

沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。
133月光仮面:2008/08/20(水) 08:02:17 ID:9roUPocI
ちょっとね、んだ、んだ(w
邪馬台国/大和朝廷は魏/隋が馬韓・辰韓/琉球を侵略する緊張した、開戦直前の国際環境下に
全体戦争の軍事偵察任務を帯びた魏/隋使節団を受け入れるに当たり、開戦の際の敵水軍を長門で
迎え撃つシナリオを最悪と認識、又、出雲の危険分子との接触も回避した上、敵水軍を有明海の泥沼で
殲滅し、最悪でも阿蘇周辺、背振山系周辺の山岳ゲリラ戦で討ち取る作戦で使節団を受け入れ、これに
基本的に本隊を有明海方面に誘導すべく意図的に情報提供をした。このことは遠賀川河口での倭人伝
の戸数等差が克明なことが本来の偵察使命を物語り、逆に倭国側はそこで潮待ち、シーレーンの軍事
警戒レベルを引き上げ、船団は沖合いの対馬海流に乗って周防方面に向かい、出雲を迂回して隠岐島
から丹波・・・投馬に向かう。
134月光仮面:2008/08/20(水) 08:07:23 ID:9roUPocI
こうなると、帰路は四国北岸から宇佐経由遠賀川を下るのがいいかもね。斎明天皇のパーティーは北方
からの侵攻防止と、近隣諸国の軍事情報取得と同盟関係の強化を狙ったものと考えれば納得が行く。
135月光仮面:2008/08/20(水) 09:18:50 ID:9roUPocI
>>125-126
千光寺 玉の岩
『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来たりてこの山に
登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を我に与えよと、寺僧それに答え、
売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあやしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のある
を知らぬことを確かめ、心中欣び、ひそかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』
http://www.senkouji.jp/guidance/info008.html
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/45/Kailash_south_side.jpg
カイラス山(かいらすさん)(チベット文字:Gang Rinpoche, ワイリー方式:Gangs Rin-po-che; 蔵文?音:
カン・リンポチェ)はチベット高原西部(ンガリ)に位置する独立峰。中国名は岡仁波其峰(、ヒンディー語名
はカイラーシャー・パルヴァタ。標高6656mの未踏峰(信仰の山であるため、登頂許可は下りない。
ただし、修行僧でもあり、吟遊詩人でもあるミラレパが山頂に達したという伝説がある)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%B1%B1
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d3/MtKailash_location.png
エフタル勢力圏↓から考えればこの異国人がエフタルでない方がおかしい。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Hephthalite.png
136月光仮面:2008/08/20(水) 10:19:10 ID:9roUPocI
「推古天皇(すいこてんのう、欽明天皇15年(554年) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)『古事記』
では戊子年3月15日)は、第33代の天皇(在位:崇峻天皇5年12月8日(593年1月15日) - 推古天皇36年
3月7日(628年4月15日)36年、『古事記』では37年)。初の女帝である。 額田部皇女(ぬかたべのひめ
みこ)。 彼女が最初の天皇号を名乗ったと言う説と、天武天皇が最初の天皇号使用者との説が有る。
推古が最初なら、厳密な意味での日本の初代天皇は女性である。 『古事記』ではこの天皇までを記して
いる。」「推古天皇は頭脳明晰な人で、皇太子と大臣馬子の勢力のバランスをとり、豪族の反感を買わぬ
ように、巧みに王権の存続を図った。在位中は蘇我氏の最盛期であるが、帝は外戚で重臣の馬子に対し
ても、国家の利益を損じてまで譲歩した事がなかった。ずっと後のことではあるが、推古天皇32年
(624年)、馬子が葛城県(馬子の本居(ウブスナ)とされる)の支配権を望んだ時、女帝は、「あなたは私の
叔父ではあるが、だからといって、公の土地を私人に譲ってしまっては、後世の人には私が愚かな女だと
いわれ、一方であなたも、不忠だと謗られよう」と言って、この要求を拒絶したという。」日本の政治家は
この初代天皇に恥じない心構えを持ってもらいたい。



137出土地不明:2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。

しかし、彼らが最古の水田遺構と同時に伝えたのは貯蔵穴ではなく、
中国南部が起源である高床建築。

支那から朝鮮半島を抜けてくる最中に口縁部に刻目のある土器文化を知って
九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。
138出土地不明:2008/08/20(水) 16:11:39 ID:KpQshhcW
139出土地不明:2008/08/20(水) 23:57:31 ID:j9NnwBwS
>>137
>弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
>彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。

大間違い、
移住先の文化と難民の文化の取捨選択だから特定の文化が伝わるべきという発想は
勝手な妄想。
140出土地不明:2008/08/21(木) 01:29:18 ID:T1h0NxdQ
北方式高床式倉庫とともに貯蔵穴も伝わっていたような?
141出土地不明:2008/08/21(木) 10:52:05 ID:/MrKuDo3
>>139
>132

>>140
>北方式高床式倉庫
いつの時代のどの遺跡の話?
142出土地不明:2008/08/21(木) 12:07:14 ID:sbfqRGHD






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





143出土地不明:2008/08/21(木) 12:48:09 ID:/MrKuDo3

北方のどの遺跡から来たのかを聞いているんだが?
144出土地不明:2008/08/21(木) 12:50:52 ID:/MrKuDo3

というか貯蔵穴なんて
縄文前期のものすら発見されてるんだがw
145出土地不明:2008/08/21(木) 16:19:01 ID:W3fCOcmQ



137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。


146全然顔が違うじゃん?:2008/08/21(木) 18:07:18 ID:FvE7fLUE
日本人の二重瞼発生率はアイヌ97%・沖縄84%北海道73%・信越70%・京都67%・奈良58%(日本の全地域中最低)
韓国は42%
http://k_matsunaga.at.infoseek.co.jp/routedata.html

各国の平均顔、左から中国・韓国・タイ
http://photo-media.hanmail.net/200512/13/govpress/20051213115007.076.1.jpg

・目が一番小さい、顎の横幅が大きいことが韓国人の特徴
・韓国人は世界一目が小さい
・韓国人は東洋人の中でも目が細くて顔が平ら
・南方(旧)モンゴロイドは北方(新)モンゴロイドより目が大きく二重瞼が多い
・新モンゴロイド発生地は極寒なため平らな顔、小さな目、一重瞼、低い鼻が有利だった
http://media.daum.net/politics/administration/view.html?cateid=1017&newsid=20051213115009966&cp=govpress

韓国人:Big wide face+square on bottom、small eyes、small nose
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/81000/20070420117706556824967300.gif
147出土地不明:2008/08/21(木) 18:47:42 ID:W3fCOcmQ






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





148月光仮面:2008/08/22(金) 11:20:56 ID:HLbPPBF0
>>67 >>73 >>74 ロシア科学アカデミーシベリア支部考古学民族学研究所古代金属考古学部学位論文
に言及されるBhundo文化、これは江原道中島を中心とする中島文化と解釈される。
「東ワイは前150年から紀元400年頃まで朝鮮半島北東部を占めていた。(位置は下記[Dongokjeo(東
沃沮) Dongye(東ワイ) Ye (ワイ)Lelang (楽浪)Daifang(帯方) Baekje(伯濟)])。これは現代の北朝鮮
咸鏡南道、江原道、韓国の江原道。」
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/5a/History_of_Korea-001.png
その中心は元山市不耐ワイ城、日本神話のフツノミタマ、フツ主、ホトタタライスキヨリヒメ、倭迹迹日百
襲姫のホト(ワイ刀)参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%B1%B1
149月光仮面:2008/08/22(金) 11:26:19 ID:HLbPPBF0
「正始六年、樂浪太守劉茂、帶方太守弓遵以領東ワイ屬句麗、興師伐之、不耐侯等舉邑降。 其八年、
詣闕朝貢、詔更拜不耐ワイ王。居處雜在民間、四時詣郡朝謁。二郡有軍征賦調、供給役使、遇之如民。
 正始六年(245年)、楽浪郡太守劉茂と帯方郡太守弓遵は領東で高句麗に従属していたワイを討伐し
た。不耐侯らは邑(国)を挙げて降伏した。 正始八年(247年)、王宮に詣でて朝貢、不耐ワイ王は再び詔
を拝する。(王の)居所は百姓らと雑居である。四季ごとに郡に詣でて朝謁する。二郡(楽浪・帯方)に軍征
が起れば賦調として使役を供し、これを遇するに臣民の如し。 」この結果高句麗から独立、魏の傭兵の
立場を活用九州北部の行政機関に入り込み、九州南部に隼人として入植。大和葛城には本国同様金剛山
周辺に橋頭堡を築き邪馬台国を支えたのであろう。
150出土地不明:2008/08/22(金) 11:51:45 ID:jwO1HRQe
>>149
書いてないことは書くな。
お前の妄想はどうでも良い。
151出土地不明:2008/08/22(金) 12:19:44 ID:YBJ1oxnq
>北方式高床式倉庫
は北方のどの遺跡から来たの?

日本の高床式建築より古いアムールの教えてエロい人。
152出土地不明:2008/08/22(金) 12:57:54 ID:QZkRaoQM





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




153出土地不明:2008/08/22(金) 13:27:09 ID:YBJ1oxnq
宮本長二郎・東京国立文化財研究所国際文化財保存修復協力センター長(建築学)の話。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。ただし、日本の高床建物は
祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。
154月光仮面:2008/08/22(金) 15:26:49 ID:HLbPPBF0
>>148 スマソ。Chundo/中島だ。漏れもヨンサマに似ているとよく言われるが、あまり、冬のソナタを
見ていなかった。やはり漏れとも関係あったんだな。しかし、いつも寝る前にやってたようだったな。
155出土地不明:2008/08/22(金) 18:57:55 ID:FlbPcf/g






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





156出土地不明:2008/08/23(土) 11:08:35 ID:Egt9oA3R

日本最古の貯蔵穴発見例は縄文前期。
157出土地不明:2008/08/23(土) 11:26:15 ID:Egt9oA3R
>北方式高床式倉庫
は北方のどの遺跡から来たの?
教えてアムールw
158月光仮面:2008/08/23(土) 15:03:44 ID:wZqyz9ns
>>148-149
この金剛山周辺の中島文化、明確に墳墓としての箱式石棺墓は確認されておらず、沃沮である可能性が
高いものの、ワイも一部に含有したもの。沃沮は沿海州において既にオンドルを使用し、その鉄製短剣も
遼寧銅剣のように柄の分離するタイプ。葛城では役の行者と韓国人が待遇をめぐって争う話があるが
どう見ても現在の在日にそっくりだ。おそらく江原道中島文化の沃沮はその後大伽耶、新羅を経て朝鮮人
となるのであろう。しかし、支配階級の武人であったワイとか、養蚕技術者等については日本側がスカウト
可能性はあろう。又、難民のような連中が入ってきたこともありえる。さもないと景行-仲哀があれほど
筑紫、熊襲征伐にてこずる必要性の根拠がない。
159出土地不明:2008/08/23(土) 15:21:14 ID:EUJeF4n3





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




160月光仮面:2008/08/24(日) 10:55:14 ID:JYIfnJkg
建興元年(313)遼東へ進出した高句麗が南下して楽浪郡を占領すると、ひとり朝鮮半島南半に孤立した
帯方郡は雪崩をうって瓦解。その民や財貨、技術、文化は、近接する馬韓・弁韓・辰韓によって広く吸収
され、次の時代の百済・伽耶・新羅という新しい国々を育む豊かな土壌となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AF%E6%96%B9%E9%83%A1
こうなると >>149 不耐侯らは倭国に亡命しないことには高句麗によって処刑される。「平壌市貞柏里3号
古墳から出土した楽浪X期の鏡・画文帯同向式神獣鏡と同型式の鏡」をもった集団は阿波鳴門から、
安房、毛野へと入る。これが国譲り神話のフツ主だとすれば、狗奴国とは出雲をも含んでいたことになる。
161月光仮面:2008/08/24(日) 11:55:43 ID:JYIfnJkg
後漢書六夷伝ワイ(Ye)
「麻の栽培・養蚕・綿布の製造を知っている。星宿(星座)の観察に明るく、その年の収穫の多寡を予知
する。毎年、十月に天を祭り、昼夜に渡って酒を飲んで歌い踊り、これを舞天と呼んでいる。また虎を祀っ
て神としている。邑落に互いに侵犯する者があれば、直ちに双方を罰し、生口(奴隷)・牛馬を取り立て、
これを責禍と呼んでいる。人を殺した者は死を以て償う。略奪・窃盗は少ない。徒歩の戦闘に優れ、長さ
三丈の矛を作り、時には数人でともにこれを持つ。楽浪の檀弓はその地に産す。また文豹(斑模様の豹)
が多く、果下馬がおり、海には班魚を産し、使者は来貢の際に皆これを献じた。]
これはロシア研究者のエフタルの定義と合致している。もし、ロシア学者が認めているHAYATLEとか
HAYTALという部族称号が正しいのならば、これは磯城県主ハエ(延)に通じる。これは邪馬台国建国
当時の高霊帝と関係が深い。出雲日御碕伝承ではこのころ月支国ヒコハニの来襲があったという。
エフタルは月支国の一員として大夏で活躍している。馬韓目支国とは月支国が冒頓単于に分断され
その一部が残存したものであろう。
162月光仮面:2008/08/24(日) 12:04:19 ID:JYIfnJkg
「『先代旧事本紀』では、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり
くしたま にぎはやひ の みこと)といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)
と同一の神であるとしている。『新撰姓氏録』ではニギハヤヒは、天神(高天原出身、皇統ではない)、
天火明命(アメノホアカリ)は天孫(天照の系)とし両者を別とする。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AE%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%92
武人Ye族は物部の祖であるl
163出土地不明:2008/08/24(日) 12:53:13 ID:qKI7u7Ig
神武天皇は、やはり紀元前の天皇だね。

                             
第06代天皇=孝安天皇
(在位:AD25年〜75年2月27日=50年)
                   
第07代天皇=孝霊天皇
(在位:AD76年〜113年=37年)

第08代天皇=孝元天皇
(在位:114年〜142年10月14日=28年)

第09代天皇=開化天皇
(在位:142年〜172年4月9日=30年)

第10代天皇=崇神天皇
(在位:173年〜207年1月9日=34年)

第11代天皇=推仁天皇
(在位:207年〜256年7月14日=49年)

第12代天皇=景行天皇
(在位:257年〜286年12月24日=29年)

第13代天皇=成務天皇
(在位:287年〜316年7月30日=29年)

第14代天皇=仲哀天皇
(在位:318年〜322年3月8日=4年)

応神天皇の母=神功皇后(じんぐう皇后)
(在位:323年〜357年4月17日=34年)
                  (空位・・・・・1年)
第15代天皇=応神天皇(おうじん天皇)
(在位:358年1月1日〜378年2月15日=20年)
                  (空位・・・・・3年) 
第16代天皇=仁徳天皇(にんとく天皇)
(在位:381年1月3日〜424年1月16日=43年)

第17代天皇=履中天皇(りちゅう天皇)
(在位:425年2月1日〜428年3月15日=2年半)
                  (空位・・・・・1年)
第18代天皇=反正天皇(はんぜい天皇)
(在位:429年1月2日〜431年1月23日=2年)
                   (空位・・・・・2年)
第19代天皇=允恭天皇(いんぎょう天皇)
(在位:433年12月〜454年1月14日=20年半)

第20代天皇=安康天皇(あんこう天皇)
(在位:454年12月14日〜456年8月9日=1年半)
<生没年 ?年生〜456年没>
164月光仮面:2008/08/24(日) 13:22:26 ID:JYIfnJkg
>>161 養蚕だけはびっくりするが、沿海州・黒龍江省(スイフンヘ)でオンドルを使用しており、江原道に
入るとシベリアおろしも、赤城おろし程度になるのであろう。日本が養蚕業招致に務めたクレというのは
句麗/高霊であり、阿蘇の火抱き女伝承を考えると、先ずは温暖な肥後あたりで生産を始めたのであろう。
165出土地不明:2008/08/24(日) 14:54:31 ID:qKI7u7Ig
新羅(ケリン)は、やはり原始的な国だったな。
建国王=キム・アルジの誕生伝説の中に、ケリンがシラキを侵略した証拠がある。
なぜ、新羅の役人たちは、全員が倭人だったのか?
ケリン族は漢字の読み書きができなかったから、征服後も倭人の役人を
そのまま使うしかなかったわけだ。

新羅の古い記録には捏造が多いが、それでも、所々に日本語の証跡が見える。
貴族階級を意味する『真骨』の読み方は、「ジンピョ」ではなく、「マホネ」だろう。
マホネは日本語だよね?

166月光仮面:2008/08/24(日) 16:08:21 ID:JYIfnJkg
>>113
ロシアにおけるポリツェ文化の弓に対する軍事的評価から
「ポリツェ(邑婁)族の軍事制度はスキタイと同様、全民族が軍隊、つまり、成人男子は全員戦闘員。氏族
社会構造と軍事組織構造は一致しており、族長は指揮官であった。軍隊の内容はまだ不明。居住地から
は少々馬の骨も出土するが、騎馬隊はなく、歩兵が主力。主要兵器は弓矢。接近戦では小刀、短剣を
使用。初期鉄器時代、金属鎧には出番はなく、弓兵、槍兵の支障にならない軽い革・骨の甲冑が使用さ
れた。重い金属製甲冑が当地に全面的に登場するのははるか後の西暦紀元の頃。ポリツェ族に最も似た
装備が出土するのは朝鮮半島とスキタイである。これはポリツェ族が沿海州、日本、北朝鮮との密接な
触を保ち、その地に浸透したことを裏付ける。」同じくポリツェ族の末裔である女真武人の復元図。
http://www.vzmakh.ru/parabellum/image/n20m0501.gif
167月光仮面:2008/08/24(日) 16:13:29 ID:JYIfnJkg
神武天皇が弓を持つのはおそらくこの世界最古で最強の複合弓を発明したポリツェ族の誇りを
表すものであろう。しかしながら、仏教による殺生の禁忌、鉄砲による軍事革命により、世紀産業の
裾野を担った民族は祇園の「つるめそ」にまで落とされてしまった。
168月光仮面:2008/08/24(日) 16:17:03 ID:JYIfnJkg
ようするに物部などのYeランクと神武はメジャーと高校野球程度の差があるのだ。エフタルは皇族に
は上がったもののその出自は傭兵なのだ。
169出土地不明:2008/08/24(日) 17:29:28 ID:dwkVzMki






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





170出土地不明:2008/08/24(日) 17:49:16 ID:dwkVzMki
>>166
ポリツェ文化人は弥生開始よりも数百年あとに登場する集団で
口縁部に刻目のある土器文化を持っていなかったから弥生人ではない。

弥生人はポリツェ文化よりも数百年以上前に沿海州南部あたりにあった
口縁部に刻目のある土器文化を持ったシニガイ文化人である。
171出土地不明:2008/08/24(日) 23:35:27 ID:lwUhb3Fv
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
172出土地不明:2008/08/24(日) 23:36:39 ID:lwUhb3Fv
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
173出土地不明:2008/08/24(日) 23:39:35 ID:lwUhb3Fv
>170,171

瓜二つの紋様は決して鳥がくわえて、飛んで来たのじゃ無いからね。
174出土地不明:2008/08/24(日) 23:51:14 ID:Gw+ahHcu
>銅鐸(どうたく)に形が似た青磁器の鐸がこのほど出土
>張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性がある




青磁どころか灰陶もなけりゃ印文陶もないし、弥生土器の器形に鐸もない。
だいたい鼎の一つくらい伝えろや、このスットボケ南京博物院が(嘲笑)



175出土地不明:2008/08/24(日) 23:52:44 ID:Gw+ahHcu
>>171
だったら何で銅鼓、貯貝器という器種自体が真っ先に伝わらんのだ。

激アホだろおまえ。

つか、長江江南広鼻ブラックの台湾ウホウホ類人猿だろおまえw
176出土地不明:2008/08/25(月) 00:07:49 ID:WiMjSZIh





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




177出土地不明:2008/08/25(月) 00:15:32 ID:sr2voa6c
>>174>>175

じゃ瓜二つの紋様は鳥がくわえて飛んで来たのかね??答えてみろ。
178出土地不明:2008/08/25(月) 00:25:46 ID:WiMjSZIh
逆S字なんか世界中に見られるだろがアホ。

そういう事は雷文、トウテツ文、龍文、鳳凰文の一つくらい
伝えてから言えよ詐欺師。
179出土地不明:2008/08/25(月) 00:26:55 ID:WiMjSZIh
180出土地不明:2008/08/25(月) 00:39:35 ID:3M49n4Uu
>>178
一部を取り上げて否定しても駄目だぞ、全体的に一致点が多すぎるだろ
これらは偶然の一致か?鋸歯紋、鋸歯紋の内部の斜線、流水紋、波紋、
窓枠様の構成等々、頭に羽の羽人像、太陽、船先の鳥(イビス神)
これらは誰が伝えたって言うんだよ。答えてみろ!

>>179  馬鹿の一つ覚えみたいに同じ文章コピペすな。
181出土地不明:2008/08/25(月) 02:31:09 ID:H/Wr7mCv
182出土地不明:2008/08/25(月) 02:44:04 ID:S19+KQLm
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
183出土地不明:2008/08/25(月) 02:58:44 ID:R4EwDNsj
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
184出土地不明:2008/08/25(月) 03:06:12 ID:R4EwDNsj
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
185出土地不明:2008/08/25(月) 03:13:47 ID:S19+KQLm
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
186出土地不明:2008/08/25(月) 03:53:59 ID:S19+KQLm
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
187月光仮面:2008/08/25(月) 08:45:47 ID:u+CsINZX
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/img/02photo42.jpg
121-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ一・八cm、文学部考古学
研究室列品室
122-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ二・〇cm、文学部考古学
研究室列品室
赤峰市付近を中心として内蒙古東部に分布する夏家店上層文化の鐸である。夏家店上層文化は、初期
遊牧民文化のなかでも早い時期の文化で、スキトーシベリア動物意匠も既に見出される。(高浜)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/img/02photo28.jpg
この頃フィンランドのA・M・タールグレンは、叢書Eurasia Septentrionalis Antiqua(古代北方ユーラシア)
を創刊してユーラシア北方文化の研究に努めている(一九二六・三八年)。また南シベリアの青銅器時代
の考古学的編年も、S・A・テプロウホフによってこの時期に基本的に確立された。北方ユーラシア草原
地帯の東端に所在する中国北方において遊牧民の残した青銅器の研究も、ようやくその糸口が開かれ、
多くの研究が出始めた。
 中国北方で中原とは異なる銅器が出土することは以前から既に知られており、欧米の学者の関心を引
いていた。例えば『金石索』(一八二一年刊)には中国北方系の動物闘争紋帯飾板が著録されており、
ミンズはそれをシベリアの影響と考えている[4]。また、P・ライネッケは一八九七年に、スキタイやシベリア
の民族と古代中国との関連を指摘した[5]。
 グレゴリー・ボロフカは一九二八年に『スキタイの芸術』を著して[6]、シベリア芸術の影響がモンゴリアに
まで及んでいることを指摘している。M・ロストフツェフも一九二九年に『南ロシアと中国の動物意匠』を著
して、同様なことを述べた[7]。ハルピンで研究を進めていたトルマチェフも「マンチュリアにおける
スキタイ・シベリア文化の痕跡」と題する論文を書き[8](一九二九年)、幾つかの資料を紹介して、
スキタイ文化などと類似した文化が中国東北地方に見られることを指摘した。スウェーデンのJ・G・
アンダーソンは、ストックホルムの東アジア博物館の紀要に「草原を通る道」(一九二九年)を発表して
[9]、黒海沿岸のスキタイ文化、東ロシアのアナニノ文化、南シベリアのクルガン(タガール)文化などと
並ぶスキタイ系遊牧民文化の中心の一つが中国北方にあったことを明らかにし、「草原の道」が
きわめて古くから機能していたことを述べた。このような著作のなかで、いわゆるオルドス青銅器が少し
ずつ紹介されている。
江上波夫の内蒙古における調査とオルドス青銅器研究
高浜 秀 東京国立博物館学芸部
 中国の北には、内蒙古を中心として草原地帯が広がっている。この草原地帯はシベリアを通って
ハンガリーにまで及ぶユーラシア北方草原地帯の東端であり、ここには中原の農耕文化とは異なり牧畜
に基礎を置いた文化が栄えた。青銅器時代から初期鉄器時代にかけてこの地域の遊牧民が残した
青銅器も、ユーラシア北方草原地帯の青銅器と関連が深い。綏遠青銅器、オルドス青銅器あるいは
北方系青銅器などと呼ばれているが、日本においてこの種の青銅器の研究に先鞭をつけたのは、
江上波夫である。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html
188月光仮面:2008/08/25(月) 09:01:58 ID:u+CsINZX
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/dotaku2.jpg
右から:
3900年前 中国陶寺(レプリカ) 高さ2.6cm
3700年前 中国二里頭(レプリカ) 高さ8.4cm *
3500年前 中国殷墟 高さ9.1cm *
2400年前 韓国扶余合松里(レプリカ) 高さ15.9cm
2400年前 出土地不明(レプリカ) 高さ22.3cm
銅鈴から銅鐸へ
中国では、銅鈴は3900年前(龍山文化末)に純銅製品が現れ、3700年前(夏代、二里頭文化)から青銅
製品が普及する。世界最古の青銅鈴は高さ8cmほどの小型品で、人の腰につけて使っていた。3500年
前(殷代)には、人のほか、犬・馬の頸や馬車に銅鈴をつける。朝鮮半島には前6世紀ごろ銅鈴が伝来
する。司祭者が身体に着け、神懸かりの状態になるのを助けていたようである。前4世紀ごろ海を渡った
銅鈴は、近畿地方で高さが20cmをこす大型品に変わった。そして、鈕にも身にも文様を施した。
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/rekishi.html
* 現在カザフスタン、ウラルの調査によりこの当時のアンドローノヴォ文化圏のウラル方面と東側の二本
の安陽とカラスク、セイマトゥルビノ文化を結ぶシルクロードのようなホライゾンが想定されている。
189月光仮面:2008/08/25(月) 09:12:58 ID:u+CsINZX
>>187-188
銅鐸は朝鮮半島、日本列島の無紋・弥生文化の開始が殷・商の崩壊時期と一致し、その当時に
ユーラシア北方草原地帯の文化と長江文化の南北の二本の流れが内モンゴル、中国東北で
合流し、朝鮮半島を南下したことを物語るようでもある。
190月光仮面:2008/08/25(月) 09:21:36 ID:u+CsINZX
「吉田教授は、大国主とアドニスの物語を比較しながら、両者の死と再生をめぐる事件の類似性を
指摘し、騎馬民族であるスキタイ人によってギリシャ神話が日本にもたらされたのでないかと推測。」
http://www.nippon-bunmei.jp/seminar-houkoku18.htm
「ポリツェ族に最も似た
装備が出土するのは朝鮮半島とスキタイである。これはポリツェ族が沿海州、日本、北朝鮮との密接な
触を保ち、その地に浸透したことを裏付ける。」 >>166
191出土地不明:2008/08/25(月) 09:50:29 ID:7UlyWfL5
北方式高床倉庫が日本に伝わってなどいない、サギはやめましょう。
北方式高床倉庫が日本に伝わってなどいない、サギはやめましょう。
北方式高床倉庫が日本に伝わってなどいない、サギはやめましょう。
北方式高床倉庫が日本に伝わってなどいない、サギはやめましょう。
192月光仮面:2008/08/25(月) 11:17:03 ID:u+CsINZX
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_28.jpg
第12図 最古の葉状鎧。同じ幅の二枚の骨プレートを縫い合わせた帯からなる。鎧にはいくつかの仕立て
方があり、胸元で重ねることによって防御層を二重にする「中空」型とか、又別に、胸当てと背中当てを
分離してベルトでしっかり結ぶ式のもあり、肩ベルト縫い付け方は鎧の全体縫いつけ方法と同じ。
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_32.jpg
第14図 端っこに穴の開いた骨プレート
セイマ・トゥルビノ族「鋳物工-戦闘員」の胸部と背中を防御したもの。こんなに長いプレートは非常に不便
であり、体躯の動作を制限し、見ての通りこれも折れている。
西シベリア、オムスク州イルティシュ河沿岸ロストフカ墓地出土、前2000年紀中葉のもの。
こうした武具からセイマ・トゥルビノ青銅器文化とポリツェ文化に関連があり、それが朝日遺跡、袋状鉄斧
につながっており、
http://www.maibun.com/open/archives/001/
そしてこの朝日遺跡の遺物の中に縄文、鏡、銅鐸、スキタイ巴形楯飾と、まさに弥生文化の縮図、縄文
から弥生にかけての日本古代史の縮図を見る。
http://www.maibun.com/KihonDate/album/083asahi/index2.htm
193出土地不明:2008/08/25(月) 12:54:56 ID:M1uKpCnJ

>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
194出土地不明:2008/08/25(月) 12:56:12 ID:M1uKpCnJ
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。

195出土地不明:2008/08/25(月) 12:57:39 ID:M1uKpCnJ
196月光仮面:2008/08/25(月) 13:01:45 ID:u+CsINZX
http://history.novosibdom.ru/node/36
セイマ・トゥルビノ青銅器文化の青銅器加工技術においては裁断工程等で
鍛造に似た所作の工程が入っており、これが鉄器時代に入ったポリツェ鍛造技術とか、大和の鍛冶に
発展するのであろう。ワイはこうした鉄斧を朝日遺跡同様、アムール中流のポリツェから輸入していたよ
であるが、ポリツェもアムール沿海州、最終的には日本、に向かって移動していたようである。
197出土地不明:2008/08/25(月) 13:35:16 ID:/tllx//b
月光仮面>>195の人物絵どう思うかね。
198月光仮面:2008/08/25(月) 14:34:34 ID:u+CsINZX
>>184
「この器物は,その文様から農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現
(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・30)と酷似している。この防牌形銅器は,
朝鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から
紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現れて短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,
これらの青銅器が朝鮮半島本来のものではなく,外から入ってきた要素であること,またその製作には
そうした要素の関与があったことを暗示しているように思える。」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
この頃忠清道には対岸の山東半島から徐福の百工が到来している筈で、日本には垂仁天皇のときに
不老不死の薬を求めて旅立ったタジマモリの話が入っている。当時の倭国王はとてもそんな余裕はなか
った筈なんだが。これは後に辰韓に入って古い秦語を話したとされる秦系の人々ではなかろうか。
199月光仮面:2008/08/25(月) 14:50:07 ID:u+CsINZX
>>197
ユーラシアノマドであって、ラー神話↓
「毎日昼は昼舟で天を,夜は夜舟で天の女神ヌートの胎内または地下の冥界を航行し,翌朝再び
東天に復活するとされ,新王国時代の王墓の壁面には《アムドゥアト(冥界にあるもの)の書》をはじめ
太陽神の冥界の旅の案内書が挿絵つきで描かれた。一般民衆も好んで墓壁画にラーの舟を取り上げ,
これに同乗して復活することを願った。」の知識のあったものの手によるもの。
200月光仮面:2008/08/25(月) 14:53:42 ID:u+CsINZX
ちなみに、オシリス神話
「「オシリスは大地の神ゲブと天の女神ヌートの子で,エジプト王として善政をしくが,弟である邪神セトに
ねたまれて殺され,ばらばらにされて投げ捨てられる。しかし妹で妻であるイシスの手で身体をつなぎ合わ
され,ミイラとされて復活し,神々の法廷でセトを断罪,長子ホルスをエジプト王とし,自らは永生を得て
冥界の王となる。この神話に基づいて,ホルスの化身である王は,死んでオシリスとなり,永生を得,次の
王がホルスとして即位するとされた。したがって最初は王のみがオシリスとなるとされたが,第1中間期
以降は必要な準備さえ整えればだれでもオシリスとなれるとの信仰が広まる(葬祭の民主化)。」
これは東北地方にオシラサマ/とくにオセンダク神話として残されている。
201月光仮面:2008/08/25(月) 14:58:53 ID:u+CsINZX
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/kudoji.html
オシラサマには馬とか、蚕とか、エジプト以降にそのユーラシアモバイル牧畜民の文化履歴が
重なっており、秦氏の運命と似ている。
202出土地不明:2008/08/25(月) 15:12:38 ID:7UlyWfL5
>>200
>これは東北地方にオシラサマ/とくにオセンダク神話として残されている。

ごめん、どこに共通点があるのかさっぱりなんですが?
203月光仮面:2008/08/25(月) 15:22:50 ID:u+CsINZX
白い布、水天宮の腹帯も同じだが、これをプレゼントするのはタタール・モンゴル・チベットの風習にも
残るが、お地蔵さんに布を巻くというのがミイラ作りと同じで、米州にも伝わっているようだ。蚕というの
は自ら糸を出して自分の体を巻く。これは神様だ。おそらくエジプトに北方民族の子育て習慣をミイラ
作りの際に伝授したのは、バシコルト学者の言うようにハビル系移動遊牧民だろう。ピラミッドの原型の
サッカラだって日本の方形周溝墓と同じく東アジア起源の可能性があると思う。
204月光仮面:2008/08/25(月) 15:26:38 ID:u+CsINZX
エジプトみたいな暑いところで人間をぐるぐる巻きにすると生き返るなんて発想は基地外か、神か
であったのが、偶然にもミイラ作りに有効であったのと違うかな。本来寒帯地方の発想だ。
205出土地不明:2008/08/25(月) 15:32:34 ID:xSWy59MK
はい、はい、↑妄想も其れ位にしておきなwww
206出土地不明:2008/08/25(月) 15:44:30 ID:7UlyWfL5
白い布・ミイラは無理があると思う。

私が昔見たおしらは布がなかったし。
白い布の意味するものは馬頭の白い虫(蚕)だし。
207月光仮面:2008/08/25(月) 16:29:45 ID:u+CsINZX
馬頭観音に般若心経唱えているんだが。最近お経が脳裏に全部映っていなかった、
208月光仮面:2008/08/25(月) 16:49:27 ID:u+CsINZX
最近NHKで間宮林蔵が韃靼海峡を渡り、清国沿海州黒水下流越境する直前、樺太西岸で目撃
したイズメッコ、これはゆりかごを縄で巻いたような形だが、実用されているのを目撃したとされるが、
同じようなのが、アルタイから出土するゆりかご棺という幼児用の棺に見られる。これは再生を祈った
ものではないかと考えられ、北海道に残るとされる黒水靺鞨の猿石のような遺跡とか、アイヌに残る
YAP+とかが、エジプト思想を持つ民族の移動の痕跡ではないかと考えたんだけど。
209出土地不明:2008/08/25(月) 17:00:47 ID:7UlyWfL5
少なくとも、再生の意味合いを含んだ
オシラサマ伝説を私は知らない。

そもそも家蚕の発生は中国北部。
210出土地不明:2008/08/25(月) 17:00:49 ID:GE+WuFl/





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




211出土地不明:2008/08/25(月) 17:08:39 ID:7UlyWfL5
三内丸山巨大高床建築の頃、
アムールあたりでは未だに貯蔵穴だったらしいねw
212月光仮面:2008/08/25(月) 17:55:57 ID:u+CsINZX
>>209 伝承は蚕が中国限定なんだから再生伝承がそれに付随するのはおかしい。そして、オシラサマ
には再生伝承はない。では、その起源はなんなんだ。こう自問して、それはオシリス神話と違うかなと
考えてみた。例えば、コトシロというのはスキタイ神話でアポロンのこと。アジダカというのイラン語で
火を噴く火龍。すると、アジスキタカヒコネ、コトシロというのはどうもアチャラくさい。こうしたレベルのこと。
これからまた一寝入りするので。またあしたね。
213出土地不明:2008/08/25(月) 18:00:49 ID:7UlyWfL5
馬に嫁ぐ、って話の関連は中国・日本にあるし
遠野物語では天竺の話として伝わっている。

そこらに関連してたらまだあるかも?と思うけど。
お疲れ様でした。
214出土地不明:2008/08/25(月) 18:44:58 ID:6enirYX6






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





215月光仮面:2008/08/26(火) 08:25:53 ID:7VtZPKzz
>>198
「吉野ケ里銅鐸も含めて、九州の銅鐸関連資料は主に集落遺跡の内部や、集落からそれほど遠くない
周辺部で見つかっています。また福岡県原田(はるだ)遺跡出土小銅鐸のように、副葬品として墓から
見つかる例もあります。これは、近畿の銅鐸や、九州の銅矛・銅戈などの武器形祭器が、人里離れた
山の斜面などで発見されるのとは異なっています。」
http://museum.city.fukuoka.jp/je/html/171-180/179/je179_01.html
吉野ヶ里で始めて銅鐸を祀ったものは新参渡来人であったため、在来縄文人を含めた周辺在来
文化の中に在って行動範囲の制限を受け、絶えず包囲、襲撃の危険に曝されていたということも
考えられる。そうして銅鐸文化人は九州ではその文化を発展させることは出来ず、一方、出雲方面に
上陸したものが新天地の近畿・東海で勢力を拡大することができたとも考えられる。ただ、銅鐸文化は
二里頭・安陽の文化を受け継ぐ古い殷人の子孫が、衛満・前漢武帝の圧力を受け朝鮮半島から日本に
移住するということと関連することも考えられる。秋田五社堂は武帝の鬼伝承を伝え、同様伝承は
豊前求菩提山とか、西都原にも残る。ただ西都原を考えると後漢光武帝としても早すぎるかなとも
思われるが。
216出土地不明:2008/08/26(火) 13:25:51 ID:sv8e65ai





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




217出土地不明:2008/08/26(火) 18:01:56 ID:/IIrALmY
218出土地不明:2008/08/26(火) 19:33:55 ID:Jrb1J3r6
庭板の「セックスレスが原因での外注を語るスレ」から出来たスレだよ

SEXレスの奥様・旦那様が、不倫相手を自分達の都合の言いように外注と呼ぶ
最初は「外注の是非を問うスレ」だったのだが、最近開き直り「外注を語るスレ」へ
出会い系・チャット・近場での不倫の成功談や失敗談を語る
なかなかうまくいかない話が多い
そうだ!2ちゃんで探せばいいじゃないかとなる
普通に立てると削除対象もろ引っかかるので、ちゃんねる互換の外部板で

google→「アレ系の避難所」で検索→検索トップに出るページを開く
→スレッド検索で「レス鬼が同士を探すスレ」を検索→その後は地獄か天国へw
219出土地不明:2008/08/27(水) 11:59:13 ID:M2JJmHor
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html

220出土地不明:2008/08/27(水) 12:01:24 ID:M2JJmHor
221出土地不明:2008/08/27(水) 12:03:17 ID:M2JJmHor

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。

222出土地不明:2008/08/27(水) 12:05:05 ID:M2JJmHor

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

223出土地不明:2008/08/27(水) 12:06:15 ID:M2JJmHor

「越」あるいは「百越」と呼ばれ,多くの部. 族からなっていた。「百越」の諸族は
BC五〇〇〇年ころ長江下流域に住んでいましたが、漢族の発展とともに故郷を
追われ中国華南から南西部へ、やがて中原の. 漢民族の殷・周に吸収されたり
あるいは. 追われたりした.「越」の一部はボートピ. ープルになり海を渡り,
日本列島に渡来. して,越前・越中・越後という北陸の米作 ...

http://toshichan.be.fukui-nct.ac.jp/araki/050228.pdf
224出土地不明:2008/08/27(水) 13:06:11 ID:OXcJvaU/
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
225出土地不明:2008/08/27(水) 13:07:24 ID:OXcJvaU/
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




226出土地不明:2008/08/27(水) 13:30:01 ID:OXcJvaU/
弥生時代に印文土器、越式鼎なんて一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif


227出土地不明:2008/08/27(水) 15:28:09 ID:Stw/ExIL
北方土器人莫迦発言・こぴぺ集


 2008/03/27(木) 11:40:23 ID:LP9cUClG
 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
 http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

↑合気道同好会のページwwww
考古学でもなんでもないwwww


 131 :出土地不明:2008/06/28(土) 16:28:56 ID:yMagu+UA
 宮本長二郎・東京国立文化財研究所国際文化財保存修復協力センター長(建築学)の話。
 縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。ただし、日本の高床建物は
 祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。
 http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

 日本の高床建物は祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。
 日本の高床建物は祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。

↑「縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。」 はまるで無視wwww


 129 名前:出土地不明 投稿日:2008/06/17(火) 09:39:00 ID:sjbvkpO+
 ※エスキモーの高床式倉庫
 http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfbgx603/alaska.travel.98/851100501.jpg

 140 :出土地不明:2008/06/25(水) 20:40:59 ID:xq8YluWo
 ナナイ人の高床式食糧倉庫
 http://www.toya-kohei.jp/cgi-bin/diary/graph/20050807-1123390934.jpg

 138 :出土地不明:2008/06/23(月) 21:14:30 ID:vzIhdsGB
 高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?
 ●ブリアートの高床式の食物倉庫
 http://www.geocities.jp/putniki/siberia/ulanude/ulan08.JPG

 ウランウデ
 http://www.geocities.jp/putniki/siberia/ulanude/ulanude1.htm

最近までエヴェンキは狩猟、トナカイ飼育、採集、漁労をしていた。

高床式の食物倉庫にいたっては“現在使われている原物”wwww

真新しい高床倉庫w
考古学ですらないwwww



228出土地不明:2008/08/27(水) 15:42:29 ID:6LkEXyrG






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





229出土地不明:2008/08/27(水) 15:46:23 ID:Stw/ExIL
北方土器人莫迦発言・こぴぺ集


 2008/03/27(木) 11:40:23 ID:LP9cUClG
 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
 http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

↑合気道同好会のページwwww
考古学でもなんでもないwwww


 131 :出土地不明:2008/06/28(土) 16:28:56 ID:yMagu+UA
 宮本長二郎・東京国立文化財研究所国際文化財保存修復協力センター長(建築学)の話。
 縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。ただし、日本の高床建物は
 祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。
 http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

 日本の高床建物は祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。
 日本の高床建物は祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。

↑「縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。」 はまるで無視wwww


 129 名前:出土地不明 投稿日:2008/06/17(火) 09:39:00 ID:sjbvkpO+
 ※エスキモーの高床式倉庫
 http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfbgx603/alaska.travel.98/851100501.jpg

 140 :出土地不明:2008/06/25(水) 20:40:59 ID:xq8YluWo
 ナナイ人の高床式食糧倉庫
 http://www.toya-kohei.jp/cgi-bin/diary/graph/20050807-1123390934.jpg

 138 :出土地不明:2008/06/23(月) 21:14:30 ID:vzIhdsGB
 高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?
 ●ブリアートの高床式の食物倉庫
 http://www.geocities.jp/putniki/siberia/ulanude/ulan08.JPG

 ウランウデ
 http://www.geocities.jp/putniki/siberia/ulanude/ulanude1.htm

最近までエヴェンキは狩猟、トナカイ飼育、採集、漁労をしていた。

高床式の食物倉庫にいたっては“現在使われている原物”wwww

真新しい高床倉庫w
考古学ですらないwwww



230出土地不明:2008/08/27(水) 17:32:19 ID:JNvjrtvZ
>>224>>226

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

231出土地不明:2008/08/27(水) 17:34:20 ID:JNvjrtvZ

>224〜226

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。
232出土地不明:2008/08/27(水) 17:36:56 ID:JNvjrtvZ
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html

233出土地不明:2008/08/27(水) 17:38:39 ID:JNvjrtvZ
234出土地不明:2008/08/27(水) 17:41:15 ID:Uw3MgB42

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。

235出土地不明:2008/08/27(水) 17:43:01 ID:Uw3MgB42

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
236出土地不明:2008/08/27(水) 17:45:03 ID:Uw3MgB42

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!


じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

237出土地不明:2008/08/27(水) 18:49:41 ID:2utxtGXk
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
238出土地不明:2008/08/27(水) 18:50:44 ID:2utxtGXk
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




239出土地不明:2008/08/27(水) 18:51:58 ID:2utxtGXk
弥生時代に越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif


240出土地不明:2008/08/27(水) 21:57:00 ID:2K7H+dzP

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!


じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。
241出土地不明:2008/08/27(水) 23:09:05 ID:ePMqorup
>>239
なるほど半島も初期の住人は江南ですね。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/5402/tisanatabi/kankoku3/5kusimemomdoki.jpg
>櫛目紋土器
>紀元前4500〜3500年頃、韓半島の新石器時代を代表する土器で、点と線の幾何学模様が施されている。
>点と線の幾何学模様が施されている。
>点と線の幾何学模様が施されている。
>点と線の幾何学模様が施されている。
242出土地不明:2008/08/27(水) 23:41:12 ID:LZimola3
ほほうw

で、その幾何学模様はスタンプ方式で施されているのか?w

まれに櫛の歯による波状文をとる場合もあるが、主にスタンプ方式で
雷文・方格文・条痕文・S字文などを器全体に深々と押印した
土器が印文土器だぞw
243出土地不明:2008/08/27(水) 23:48:10 ID:LZimola3

●印文土器 いんもんどき

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国の東南没岸地帯地において新石器時代から漢代にかけて盛行した土器。
中国では印文陶と呼ばれる。焼成火度の差によって,軟陶と硬阿の二種類に
分けられるが,軟陶は前期,硬陶は後期のものになる。また,文様は型押の
印文が最も多く,20種以上の複雑な幾何学文様が器全体に施されるため,
幾何印文土器と通称される。製法には型製・手製・轆轤製のものがあるが,
轆轤製のものは少ない。器形は壺・甕の類が多い。色調は,軟陶では紅・
灰・灰白・黄白色で,硬陶ではほとんどが灰褐色で中に帯釉しているもの
がある。印文土器が最も盛行するのは春秋戦国時代においてであるが,
出土地域が広範なため,この土器の文化的位置付けはむずかしい。
http://www.tabiken.com/history/doc/B/B263C100.HTM
244出土地不明:2008/08/28(木) 01:59:40 ID:7krfFrPV

>これは同じ水軍人物像だよ!! 待てよチブサン古墳って起源前か!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」(アクセス変更の様なのでコチラヘ)
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360
245出土地不明:2008/08/28(木) 02:13:03 ID:qVeZdRO2
冠をかぶるくらいの上位層が来たなら鼎と金石文くらい残るだろが馬鹿w

それに臨しは華北だぜカスw
246出土地不明:2008/08/28(木) 02:22:49 ID:NdYlK/kI

土器人ちゃん腹に円く、白く描いてるのは小型の銅鏡じゃないか。?
247月光仮面:2008/08/28(木) 12:36:35 ID:E7ugO7ch
>>198
末房論文を今一度見てみよう。
「弥生時代の青銅器鋳造現場の性格を詳細に研究した結果によると,弥生中期前半までは日本での青銅
器の鋳造は朝鮮半島からの渡来人によって行われていたことが指摘されている。それは工人の生活跡か
ら出土した土器から導き出されている。そうすると弥生時代の銅鐸の文様の源流について南からの工人
達は,朝鮮半島で土着化し,その後渡来したことも考えられる。その場合は朝鮮半島にも痕跡がある筈で
ある。ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器に触れておきたい。この器物は,その文様から農耕
祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現(図27)は,石寨山型銅鼓等に施され
ている人物表現(図28・29・ 30)と酷似している。この防牌形銅器は,朝鮮では異形青銅器と分類される一
連の器物の一つである。これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,
突然現れて短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島本来のも
のではなく,外から入ってきた要素であること,またその製作にはそうした要素の関与があったことを暗示
しているように思える。」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
248月光仮面:2008/08/28(木) 13:04:22 ID:E7ugO7ch
>>215
銅鐸民族は冶金・探鉱民族として吉野ヶ里→出雲→近畿→東海→三河→信州→関東・東北、また、使命
である朱を求める民族としては中央構造帯沿いに東遷、神社仏閣時代に入ってはその更に外延部に
主として修験道の寺社仏閣を築いた。忠清道に新たに入った若者は金剛山周辺に山岳宗教を始め、
洛東江上流から新羅に展開する。日本では最も初期には近畿・東海銅鐸圏に入るが、寺沢薫が王権誕生
で仮説として述べている銅鐸から特殊器台・円形埴輪、首長霊崇拝への大変貌はモモソヒメ・キビツヒコ
という魏志倭人伝の時代をもたらしたのであろう。ここに鬼道宗教改革があり、古墳時代が始まるのであろう。
249出土地不明:2008/08/28(木) 15:11:34 ID:NNzWLgYf
6Cだと呉越時代と1000年以上も違うだろうがヴォケw
結局、冠も朝鮮経由で伝わっただけ。


チブサン古墳(国指定史跡)

 熊本県山鹿市にある全国的に有名な装飾古墳で、全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)
の前方後円墳です。近くにはオブサン古墳、鍋田横穴群、弁慶が穴などが点在しています。
 古墳時代6世紀頃に造られたもの。石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ている
ところから「乳の神様」として現在も信仰が続いています。羨道をくぐり抜け、玄室へ入って見ませんか。
http://www.dandl.co.jp/gold/chibusan/
250月光仮面:2008/08/28(木) 17:16:45 ID:E7ugO7ch
>>248
http://www.yu-ji.com/douken1.gif
神武開戦直前の神武軍は薄緑・銅矛、ニギハヤヒ・長髄彦は大阪湾銅戈(青・破線)、高霊・卑弥呼は
まだ赤破線・平形銅剣圏内にあり、神武軍が攻撃開始した後賭期をおかず孝霊軍が侵入するってことか。
251月光仮面:2008/08/28(木) 17:49:27 ID:E7ugO7ch
長野・柳沢遺跡で「九州型」「大阪湾型」銅戈が同時出土
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802290353.html
[長野県の下高井郡木島平村の根塚遺跡、これから大問題になるだろう遺跡の資料を載せました(図19)。]
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012f19.jpg
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012.html
建御名方
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012.html
諏訪に落ち延びる出雲軍そこに長髄彦軍の祭器がある・・・ニギハヤヒと出雲の関係が出土したのだ。
やはり神武はいたようだ。




252【流】俳人【民族】:2008/08/28(木) 17:56:38 ID:SCc4GcMA
此処で一句
「日本人、何処から現れ、何処へ行く」

失礼司まつる。(´Д`)
253出土地不明:2008/08/28(木) 23:36:30 ID:+48pxMkl
254出土地不明:2008/08/30(土) 06:56:10 ID:PM5fVf9G





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




255月光仮面:2008/08/30(土) 07:18:48 ID:vEmk2BQ0
>>248 「銅剣、銅矛、銅鐸は全部鏡に統一、首長の墓は中央指定の規格によるものとする」といった布告
を中央アジア、南西アジア、バルカン等で出した場合、蜂の巣をつついたようなテロ、戦争、虐殺が起
こり、考古学的にバーミヤン石窟爆破のような顕著な痕跡が残ったことであろう。弥生日本には恐るべき
コンセンサス作りの機能が存在したと考えなければおかしい。卑弥呼の衆を惑わす鬼道とはこうした革命
的発想転換とそれを支えた均質的基盤の存在を意味する。このことは大和纒向の首都建設に各地から
搬入された土器の種類が全土的であることからも裏付けられる。高天原クリルタイは実際に存在した。そ
れは出雲大社で毎年11月に神々が集まる集会所がいまだに残されていることから、出雲に存在し、大和
国魂となる「首長霊」の最初の具体的創造は出雲の表である吉備の楯築古墳で全国の首長の参加のもと
に行われたが、記紀には残されていない。つまり、ここにも倭国乱は発生したのであろう。
256月光仮面:2008/08/30(土) 07:30:49 ID:vEmk2BQ0
天孫と地祇、邪馬台国と狗奴国、大和と出雲の対立は高天原クリルタイが歴史的な発祥の地、出雲を
離れ、大和に移動する、つまり、京都の朝廷に対し、関東の幕府が実権を握るのと同様の意味があった。
魏の国使はまさに米国独立戦争のワシントン陣営に到着したのだ。檄を飛ばし、黄ドウという錦の御旗を
与え、銅鏡と言う資産的援助を行ったのであろう。
257月光仮面:2008/08/30(土) 07:38:34 ID:vEmk2BQ0
魏志倭人伝では投馬国を倭国第二の戸数を有する地域とするもその所在を明らかにせず、また、狗奴国
との関係も明らかではない。ここに畿内邪馬台国がまだ誕生したばかりであり、出雲にあった高天原
クリルタイが機能している状態の倭国があるのであろう。記紀は神代といえども銅鐸時代の後であり、
中央政府の語り部が存在しないために一部の大王は欠史であり、地方に立地したことを物語る。
258月光仮面:2008/08/30(土) 07:52:55 ID:vEmk2BQ0
>>251
垂仁は崇神の出雲神宝検校をいさめる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/other/suinin.htm
出雲支配者の名誉ある諏訪への撤退は上記出雲高天原クリルタイの終末であろう。
参考↓
http://shrine.s25.xrea.com/sujin4.html
出雲国造神賀詞はこうした環境下に成立したものであろう。

259月光仮面:2008/08/30(土) 10:58:02 ID:vEmk2BQ0
>>132 刻目突帯文土器
前2000年紀初頭のアルタイにあり、四隅突出型墳丘墓と類似した板石正方形の囲いの中で砂岩箱式
石棺墓に埋葬する文化。その後トゥルクメニスタン方面に進出、その三つ目神像はインダス文明ヒンドゥー
文化にも入ったようである。
http://www.nhkm.ru/imgs/ancient/okunev_cult_2.jpg
他方、アムール中流ポリツェ・邑婁文化は沿海州経由日本に向かう。その袋状鉄斧
http://www.bgpu.ru/museums/arhy/lessons/images/amur.lessons.oldhistory.files/image021.jpg
口縁に刻目を残す壺はホケノ山の二重口縁壺を想起さすものがある。五穀、豆、豚肉(食料・衣服)、
羊、馬を飼い、弓道は「俵トウタ」、「那須与一」クラスで、毒矢を使い、人間なら目を射抜く。
豚革、魚の皮を着ていて、深い穴居生活。スキタイ的な全員戦闘員社会。墓の上に小さな家を作り
豚を殺して祀る。崇神の「猪贄」がこれだろう。ヨナバリの猪飼の丘と言うのがある。こういうのは大阪、
沖縄にも在り、三輪神社のような拝観所も沖縄にあり、アマテラスのように乙女が隠れる話もある。
アルタイにはオークネフ文化とは別にコンタン節とか佐渡のツブラサシのような男根崇拝儀礼もある。

260月光仮面:2008/08/30(土) 11:06:37 ID:vEmk2BQ0
これはアムール中流ポリツェ邑婁刻目口縁壺(用途不明)、あの世の観念はあると見られる。
http://www.bgpu.ru/museums/arhy/lessons/images/amur.lessons.oldhistory.files/image022.jpg
これはホケノ山出土二重口縁壺、あの世の生活用か。
http://www2.begin.or.jp/sakura/ho1202.jpg
261出土地不明:2008/08/30(土) 11:53:44 ID:5SjV3pjZ
>二重口縁壺
そこからヤマト王権の成立に話を持っていく感じ?
262月光仮面:2008/08/30(土) 14:03:38 ID:vEmk2BQ0
↑ http://www.asahi-net.or.jp/~iy4t-ngc/shellhp/asahi/asapot.html
朝日遺跡弥生中期V期にはポリツェと似たのがあるし、朝日遺跡の鉄斧はポリツェから輸入ないしは
持ち込んだものだろう。逆に、ホケノ山の土器にはこうしたものもあるが、特殊器台などと同様に
吉備における土師集団の宗教改革の結果、何らかの意味を持って創造されたユニークなものがある。
しかし、ホケノ山の葬儀は全国的規模であったことが推定され、大和王権成立と関係することは否定でき
ない。ちなみに江原道中島の沃沮的文化はポリツェ鉄器を輸入しているという。
263月光仮面:2008/08/30(土) 14:11:26 ID:vEmk2BQ0
沃沮の農業形態は現代の北朝鮮にそのままの形で残っている。
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/HISTORY/n_ma_1.jpg
オンドルを使用するといい、ポリツェとは明らかに違う。現在の延辺自治区辺りが発祥の地らしい。
264月光仮面:2008/08/30(土) 14:29:58 ID:vEmk2BQ0
後漢書六夷伝韓伝。馬韓の西、海上の島に州胡国がある。その人々は背が小さく、頭髪を剃り、韋衣
(革の衣)を身に着けるが、上だけで下は無い。牛・豕(豚)を飼う事を好む。船に乗って往来し、韓の国内
で売買を行う。
「家畜生理科学者の田辺部雄一氏は、「犬から探る古代日本」の中で現在の日本犬といわれる犬は弥生
時代に渡ってきた朝鮮半島からの犬と縄文人に飼育された犬が交雑されてできたとし、人と共に渡来した
こと示唆しています。最近では韓国済州島いる珍島犬と秋田犬のDNAが一致していたことが判明してい
ます。」
http://www.somnet.co.jp/mindanshonan/kan-nichi.html
楽浪海中の倭人とは邑婁じんであったのかな。
265月光仮面:2008/08/30(土) 15:08:58 ID:vEmk2BQ0
>>261
『古事記』により崇神天皇の没年を干支で戊寅、これを258年、仲哀壬戌、これを362年没としてその間に
天皇を埋めていけば非常に正しい年代となる。初代天皇は崇神で間違いないのでは。
266出土地不明:2008/08/30(土) 16:28:36 ID:NQoBcly3






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





267月光仮面:2008/08/30(土) 16:39:12 ID:vEmk2BQ0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3
でなくて
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yayoi/nenpyou.jpg
でなくっちゃね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yayoi.htm
二里頭・安陽は吉備・纒向と非常に近い。青銅器箱式石棺墓、鉄器箱式石棺墓の違いで
極めてよく似たドラマのあったことが最近の鹿石図案・カラスク文化の研究でわかっている。
燕、現在の北京近辺が大和と殷の共通点だ。

268月光仮面:2008/08/30(土) 17:04:29 ID:vEmk2BQ0
「神武紀元が紀元前660年に設定されていることをもって、ただちに古事記や日本書紀の記述の荒唐無稽
さを言い立てることが、それほど当たり前のことではなくなってしまう。列島社会に紀元前7世紀に何ら
かの国家形成に向けての動きがあってもおかしなことではなくなってくる。」
国民一人一人が裁判官に立ち記紀の宝暦等の不都合一つで証拠能力無しとして記紀の証拠書類への
採用を全面的に却下するかどうか。漏れは原田常次さんの捜査員気取りの本が大好きだった。今、
プロファイリングが捜査の花形になっているが、単なる年代の表現一つで証拠採用却下のご時世には
この世にいたくない。
269出土地不明:2008/08/30(土) 19:13:27 ID:Bbm4oOuW
>>266
それ定義の間違い、
現代では水田稲作が弥生時代の定義だから弥生式土器の有無は関係ない。
270出土地不明:2008/08/30(土) 19:15:53 ID:ttogVTeb





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




271出土地不明:2008/08/30(土) 19:43:22 ID:Bbm4oOuW
>>270
定義の違い・・・
272出土地不明:2008/08/30(土) 23:14:12 ID:KXKOaRwP
273出土地不明:2008/08/31(日) 16:06:45 ID:mgn84e8F






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





274月光仮面:2008/08/31(日) 16:09:47 ID:/o+h/AkC
>>268
「列島社会に紀元前7世紀に何らかの国家形成に向けての動きがあってもおかしなことではなくなって
くる。」
王権誕生、寺澤薫P177 図 青銅のマツリの第二段階(前一世紀後半-1世紀全般)
東日本にある有角石器の分布図参照
有角石器というのは↓
http://www.sati.archaeology.nsc.ru/museum/photo/5/big/114.JPG
「考古学者の多くは、意外にも有角石器と金属器の関係を指摘しています。つまり、有角石器のいくつか
に金属製の剣を思わせる縦の稜線かみられること、刃の部分が突起部分の近くにまで及んでいること
などから、金属製や石製の剣(金属製の剣の模倣)を模倣した形で、有角石器が出現したと考えられて
いるのです。」
これはパジリク文化だが↓
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_74.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_82.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_85.jpg
どうもこれくさい。
また、「とみびこ」のような男性が、初瀬川のような谷を守ったのではないかとされる
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_77.jpg 
「何らかの国家形成に向けての動き」これはスキタイ文化が辺境の守りについていたことを物語る
のではなかろうか。
275月光仮面:2008/08/31(日) 16:12:54 ID:/o+h/AkC
失礼、日本のはこれだ↓
「考古学者の多くは、意外にも有角石器と金属器の関係を指摘しています。つまり、有角石器のいくつか
に金属製の剣を思わせる縦の稜線かみられること、刃の部分が突起部分の近くにまで及んでいることな
どから、金属製や石製の剣(金属製の剣の模倣)を模倣した形で、有角石器が出現したと考えられている
のです。」
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/kokohaku/mukasi/yayoi.htm
276月光仮面:2008/08/31(日) 16:22:53 ID:/o+h/AkC
崇神・猪贄のファミリーが上毛野、下毛野だというので、エフタルも邪馬台国時代に渡来したのでは
なんて考えていたんだが、もう少し繰り上げる必要がある。特に御物石器はセイマ・トゥルビノ青銅器文化
にも出てくるので今後検討の要あり。
277月光仮面:2008/08/31(日) 16:29:10 ID:/o+h/AkC
倭人伝では入れ墨をするのは呉の太白と漢籍中心の見方だが、刺青するのは白人とか、色白の
北方民族だ。
278月光仮面:2008/08/31(日) 18:10:22 ID:/o+h/AkC
パジリクのチャグチャグ馬コ
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_79.jpg
日本のチャグチャグ馬コ
http://takizawa-kankou.jp/umako.html
279月光仮面:2008/08/31(日) 18:18:21 ID:/o+h/AkC
蘇我馬子、聖徳太子の身元が見えてきたようだ。立件できるかな(w
280出土地不明:2008/08/31(日) 18:27:27 ID:ST9Zd6ui
アイヌや沖縄の人以外は、日本人は朝鮮や満州や漢族の地から来たんでしょ?
朝鮮や中国はモンゴル人と混血してるけど日本人はしていない。
そうでしょ?素直に考えて。
281出土地不明:2008/08/31(日) 18:43:32 ID:BCKqLOCZ
満州や漢族の地からなんて全く来ていないが。

来た証拠があるのは一貫して沿海州のみ。

この北方の渡来人の生殖率が高いために3000年かけて
日本人は北方的な要素を帯びた人種になった。

古墳時代の朝鮮帰化人は日本人口がすでに500万人くらいの時に
1万人ほどやって来ただけで日本人に人種的な影響はほとんど与えていない。
282出土地不明:2008/08/31(日) 18:59:22 ID:BCKqLOCZ





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




283出土地不明:2008/08/31(日) 19:02:43 ID:ST9Zd6ui
>>281
その沿海州の人は現在の中国人や満州人の中にも、遺伝的に影響を与えてますよね?
もしかしたら朝鮮にも与えている可能性もあるんじゃないですか?
と言う事は、混ざり方の違いだけで元は同じ系統じゃないんですか?
284出土地不明:2008/08/31(日) 21:51:26 ID:H6jB/71N
137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。


このコピペって弥生時代に
水田稲作があった事を知らない奴を馬鹿にしてるという事で良いの?
古代史詳しくないから何でコピペされてるかわからん。
285XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/09/01(月) 01:40:52 ID:WNYi6wQV
>>281
>280さんではないですが、もしあなたの言うように「一貫して沿海州のみ」
ということであれば、Y染色体でいうところのFR-O2bやO2cに属する人々も
皆沿海州方面から来た、ということなのでしょうか?
基本的にその「北方的な要素を帯びた人種」とは、Y染色体でいえば
彼らのことですよね?
え!? 彼らの起源はそれほど局地に集中するもの…??
286出土地不明:2008/09/01(月) 02:08:10 ID:a29u8uLQ
もちろん彼らもO2bを持ってきたであろうが、
O2bは前にも述べたように、拡散具合からして、地続き時代の
終焉までにはすでに入ってきていた可能性が高いと俺は見るね。

ただO2cはNとともに彼らが持ち込んだものではないかと見ている。

彼らの起源は実際はもっともっと北だろうね。

南下して沿海州に定着して何百年か何千年かの時を経て、
沿海州から船で朝鮮半島東岸沿いを水行してくる最中に水田稲作を
知って九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに当時の沿海州と同じ
口縁部に刻目のある土器、刻目突帯文土器を残したのである。
287出土地不明:2008/09/01(月) 02:09:43 ID:a29u8uLQ






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





288出土地不明:2008/09/01(月) 11:45:49 ID:JYjcKUAN
>>278
それは北方土器人の
>65
>132
に対する
>137
のオマージュ(w)を
阿呆が貼って遊んでいるだけなのでスルー推奨。


>>278
チャグチャグ馬っこの始まりは江戸時代でなかった?
289出土地不明:2008/09/01(月) 11:47:13 ID:JYjcKUAN
リンクまつがいw
×
>>278
それは北方土器人の

>>284
それは北方土器人の
290出土地不明:2008/09/01(月) 13:10:06 ID:H75VndHs





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




291月光仮面:2008/09/01(月) 14:00:38 ID:0cRiYXV6
バイカル湖南部に「グラスコフ文化」、前18-13世紀、玉勝間、マゲワッパ、お椀、イズメッコ、笈、複合弓、
大身(おおみ)の槍(黒田節のような奴)、和服、、青銅小刀、青銅釣り針等が特徴で、環境の寒冷高湿化.
により、どうも、バイカルを離れて半島に移住している。殷の崩壊で匈奴化したカラスク人とか、西方から
スキタイ文化を持ち込んでくる勢力に押されたようだ。スキタイ文化はアンドローノヴォ文化圏経由丁霊
がこれを受けたともされる。ケレクスル文化となる。カラスクは鹿石、匈奴化が進んで石板(スラブ)墓
文化となる。
292月光仮面:2008/09/01(月) 14:08:14 ID:0cRiYXV6
ただ、玉勝間、マゲワッパ、お椀、イズメッコ、笈、複合弓、 大身(おおみ)の槍(黒田節のような奴)、和服、
青銅小刀、青銅釣り針・・・どちらかと言うと朝鮮半島よりも裏日本に来たような感じがあり、朝鮮半島には
少ないYAP+かもしれない。YAP+についてはいろいろ調べてもO共々どうも中央アジア方面が起源のようだ。
http://www.geocities.com/vetinarilord/korean.pdf
http://www.genekotech.com/dnatype/lab/pdf/Shin2000.pdf
http://library.ibp.ac.cn/html/slwj/000222645600001.pdf
http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf
http://vetinari.sitesled.com/hapo3.pdf

293月光仮面:2008/09/01(月) 14:19:39 ID:0cRiYXV6
アルタイ地方ではコーカソイド/アファナシエヴォ文化、モンゴロイド/オークネフ文化、コーカソイド/
アンドローノボ文化というように、コーカソイドとモンゴロイドの文化が順繰りに現れる。そして「グラスコフ
文化」時代には、バイカルにグラスコフ文化、アルタイにオークネフ文化、ウラル・東欧にセイマ・トゥルビノ
文化とジンギスカン時代のようにモンゴロイドの世界帝国が出現したかの観がある。このころエジプトには
モンゴロイドのヒクソスが、ヒッタイトにもタタール的風貌の人種が跳梁する。
294月光仮面:2008/09/01(月) 14:42:34 ID:0cRiYXV6
「YDNAが物語る韓国人二重起源」
http://www.geocities.com/vetinarilord/korean.pdf
これによれば無紋・弥生期日韓共通YDNAは、
O-SRY+465 O-47z
韓国 13.8% 5.6%
日本 6.5% 19.4%
O-SRY+465よりO-47zが派生したとされている。この分岐は原郷で存在したとされるが、原郷は「河南省、
山西省南部黄河流域」、韓の故地を想定しているようだ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/27/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%28%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D350%E5%B9%B4%E9%A0%83%29%E4%B8%89%E6%99%8B%E5%9C%B0%E5%9B%B3.PNG
しかし、いまや、司馬遷が『史記』の中で、匈奴を夏王朝王家の子孫としているのはそれを非漢族全般と
見れば正しく、上記の日韓共通のO-SRY+465 O-47z がバイカル湖に北進したとも考えられる。
295月光仮面:2008/09/01(月) 16:26:57 ID:0cRiYXV6
阿波、安房、纒向に渡来する大麻彦、麻、鳳、五穀、鳥見彦(河内物部も同じ)、馬の首きり、素麺これら
一切はスキタイの慣習。阿波、纒向には楽浪画文帯神獣鏡を持参。
正始八年(247年)、王宮に詣でて朝貢、不耐ワイ王は再び詔を拝する。(王の)居所は百姓らと雑居で
ある。四季ごとに郡に詣でて朝謁する。二郡(楽浪・帯方)に軍征が起れば賦調として使役を供し、これ
を遇するに臣民の如し。
中国の史書の「梁書諸夷伝」・倭に「正始中(二四〇~二四八)、卑弥呼没す」とある。
フタイは魏の臣民の如くなり、軍征が起れば賦調として使役を供するも、他の三韓は魏に敵視されている。
こうした中でフタイ関係以外に誰が訪日できようか。このころ天日矛が訪日し、近江を一周、出石に入る。
笹山通れば笹ばかり、石山通れば石ばかり、猪豆食うてホーイ、ホイ、ホイ♪これは阿波踊りであるが
踊り方は沖縄とか中央アジアに似ており、「蜂須賀公」が阿波に残したはずの郡上八幡の春駒とは全く
似ていない。先にイスラエル大使がタバナクルとの類似に感心した美馬市「白人神社」は狛人ではないよう
なのでモンゴルで言うホワイトシャーマン、翁、奪衣婆の相方ではなかろうか。さて、天日矛は近江において
製鉄のデモを行っているが、阿波でもその遺跡が発見されたという。展示即売会なのかな。
296出土地不明:2008/09/01(月) 22:39:59 ID:fKDj7h0R
月光仮面のおじいちゃん面白いなぁw

ところでお馬さんのDNA分布や変遷を調べてる
論文とか何処かにないですかね。

今のところ参考書は
崎谷満著「DNAが解き明かす日本人の系譜」
でやっております。

『DNAでたどる日本人10万年の旅』
だとだいぶデータも増えて内容も更新されてるのかなぁ。
297出土地不明:2008/09/02(火) 00:52:43 ID:/zcJw5RV
298月光仮面:2008/09/02(火) 09:07:14 ID:w7RjyiLq
>>296
http://img438.imageshack.us/img438/5519/japan9zr.gif
これを念頭に入れ、後は関連ウェブ↓の更新に追随する。
http://isogg.org/tree/index.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O_(Y-DNA)
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D_(Y-DNA)
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_I_(Y-DNA)
こんなところかな。指紋同様法医学的、個人情報的側面もあり、そんなに透明性の期待される
分野でもないとは思うが。
299出土地不明:2008/09/02(火) 13:35:52 ID:Mr0iViZu






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





300月光仮面:2008/09/02(火) 16:39:21 ID:w7RjyiLq
301月光仮面:2008/09/03(水) 07:27:50 ID:Nh1PmprN
>>295
ハツクニシロス男王を目指す崇神(いにえ)が卑弥呼の死に際し、魏からの銅鏡取得との関係も
あり、この元首崩御の内外への公表につき透明性を欠いたことが次期元首の資質を共立倭国
内において問われることなったのが倭国乱の真因で、卑弥呼がもとより狗奴国と不仲であったと
いうのは崇神が勝手にスポークスマンとなって発表したのだろう。
302月光仮面:2008/09/03(水) 09:15:03 ID:Nh1PmprN
そして同8年(247)弓遵から引き継いだ太守・王斤頁は、倭の使者から邪馬台国と狗奴国との交戦の報告
を受け、自ら上洛して官の決裁を仰ぐが、魏朝から邪馬台国へ援軍が送られることはなく、魏の少帝の
詔書と黄幢を携えた塞曹掾史(外交官、軍使、軍司令副官など諸説あり)の張政が派遣されるに留まった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AF%E6%96%B9%E9%83%A1
この張政はおそらく記紀の天日矛の活動に含まれている。天日矛は張政を総司令官とするが、その実体は
>>295
正始八年(247年)、王宮に詣でて朝貢、不耐ワイ王は再び詔を拝する。(王の)居所は百姓らと雑居で
ある。四季ごとに郡に詣でて朝謁する。二郡(楽浪・帯方)に軍征が起れば賦調として使役を供し、これ
を遇するに臣民の如し。
つまり、この年不耐ワイ王は張政に従って倭国に入ったのだ。



303月光仮面:2008/09/03(水) 09:55:41 ID:Nh1PmprN
垂仁は狗奴国の乱の平定後の天日矛には出石或いは淡路を提供すると申し出て、天日矛は自分の
好きなところに行くといって近江に向かう。垂仁は陸の孤島、海の孤島に封じ込めようとしたのであり、
天日矛は出石より淡路経由阿波、安房と僻地を遍歴する。外人部隊の末路である。しかし、入国
当時は連合国、解放軍のような歓迎を受けたのであろう。祇園祭りなどにその記憶が残っているようだ。
304月光仮面:2008/09/03(水) 10:03:47 ID:Nh1PmprN
「阿部氏・中臣氏の本拠地であったこの桜井の地には、現在も多くの古墳が存在しており、先の赤坂天王
山古墳や越塚古墳等、倭国の標準的な石室墳に混じりこの地域に限定して見られる特殊な石室墳も多く
分布しています。その代表が煉瓦のような榛原石で構築された磚槨墳で、花山塚古墳群、舞谷古墳群、
そして六角形の玄室を持つ忍坂古墳群と、その数は数基に止まらず、この地域を代表とする石室形態の
一つとなっています。これらの古墳を築いた勢力は百済系の渡来系氏族であると考えられていますが、
最近赤坂天王山古墳の近くに所在するカタハラ1号墳で穹窿式の横穴式石室が確認されました。」
http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/shitenkai.htm
これは楽浪郡にあるもの。
305月光仮面:2008/09/03(水) 10:10:33 ID:Nh1PmprN
「伊勢遺跡(いせいせき)―新たに弥生後期の大型掘立柱建物2棟と方形竪穴住居跡2棟;これまで発見
された計8棟が径約210mの円周状に配置;竪穴住居跡では床を焼き固め,壁に磚を使用(青銅器工房か)
2001年12月8日(土)14:00/滋賀県守山市〜守山市教育委員会(8/Dec/2001) 」
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/dtct/fl/2001z.html
http://www.gensetsu.com/03ise/photo1.htm
壁に磚を使用(青銅器工房か) ・・・楽浪の技術、そして近江八幡に鏡神社、これは天日矛が張政の
指示に基づいて用意したものだろう。ただ円周状に配置するのはアルカイム遺跡の伝統がスキタイ
文化圏で踏襲された結果であろう。中国には客家と言う漢族文化があるが、その起源はカラスク
青銅器文化である可能性もある。彼らの住居も円周状に配置され、鉱山関係者が多いとされる。
306月光仮面:2008/09/03(水) 10:18:27 ID:Nh1PmprN
>>301
「朕は卑弥呼を死ぬまで介護し、死んだ後も岩戸開き儀式で箸墓に祀ったのであるぞ」という
崇神の言葉が響いてくるような気もする。神功皇后と応神天皇の関係だったんだろうが、一切は
崇神の実績とされている。
307月光仮面:2008/09/03(水) 10:29:36 ID:Nh1PmprN
>>305
アルカイム遺跡では円周状の青銅工房住居を毎年焼き払ったとされる。これが伊勢神宮式年遷宮の
起こりとも考えられる。
308月光仮面:2008/09/03(水) 10:44:23 ID:Nh1PmprN
物部布津命・・・不耐ワイ王がフツとなるは、邪馬台国が大和国となるに同じ。
勝部は滑部であり、秦に滅ぼされた滑国の遺民。
松明祭 - 通称「勝部の火祭り」。800年の歴史を持つ滋賀県の三大火祭りの一つ。毎年1月第2土曜日に
行われる。県選択無形民族文化財。 滑・エフタル・ソグド人のもつ拝火教に由来するもの。アナクロ
であるが兄滑・弟猾というのもある。
旧社格は郷社で、旧物部郷の総社。祭神は、主祭神の物部布津命・火明命・宇麻志間知命と、相殿神の
住吉神・猿田彦神を合わせて祀る。大化5年(649年)に物部宿禰広国が物部郷勝部村の現在地に祖神を
祀り、物部大明神と称したのが起源とされる。江戸時代初期に当地一帯に守山宿が設けられ、宿場町とと
もに隆盛した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE

309月光仮面:2008/09/03(水) 11:01:07 ID:Nh1PmprN
天日矛が何故近江に入るのかを考えると、そこに狗奴国があるからと言うのではなく、徐福の三神山
(三上山)、バイカル湖・アンガラ川/琵琶湖・瀬田川といったランドマーク(東洋広しといえどここしか
ない)にあったのではないかとも思われる。
310月光仮面:2008/09/03(水) 11:58:15 ID:Nh1PmprN
>>291
「埋葬形式 グラスコフ式埋葬は新しい方式であり、これ以前の方角に従い、屈脚姿勢としたものとは
異なり、死者は頭を川下にして埋葬され、死者がもたらす危険から生存者を防御するように遺品は意図的
に破壊された。バイカル湖東南部におけるグラスコフ時代の終わりはトゥーヴァ及びモンゴル北西部から
の民族移動によるものであり、到来した民族は特徴的なフェンス付の石積墳(ヘレクスル/ケレクスル)を
持ち込み、これは後に中央アジア全域に石板(スラブ)墳の形成をもたらし、この文化圏はユーラシアの
巨大なノマド世界の東部の一翼をになうこととなり、前一千年紀初頭にスキタイ・シベリア世界という輝かし
い文明を創出した。このトゥーヴァ及びモンゴル北西部からの到来民族はコーカソイドであった。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Glazkov_culture
311月光仮面:2008/09/03(水) 11:59:58 ID:Nh1PmprN
参考
「埋葬遺跡は伝統的文化においてあの世への旅立ちに関係する場所だけでなく、そこは再生の場所
(大地のへそ)であり、毎年儀式を行う場所でもあり(正月から始まって生活サイクルの一切の儀式、
つまり、共同体全員の誕生日、婚礼、共同葬儀と法要などが含まれ)、それらが方形あるいは矩形の
形をとることは、「石板墓」を残した民族が大地崇拝儀式を行うものの、天の崇拝は行っていなかったと
思われる。この関係で、「戎」は「野において贄の供献を行う」民族であるとされることが想起される。これ
は石板墓文化人による先住民の鹿石(鹿メンヒル)の頭頂部に籠められた聖なる太陽/火の属性破壊を
象徴するように、鹿石(鹿メンヒル)を上部からさかさまに地中に埋めることによって、鹿石(鹿メンヒル)を
再利用するということにも現れている。アルタイ語族形成地域における西部と東部の慣習への分裂は
突厥可汗諸国でも見られる。」スクルィンニコヴァ(ブリャート学会)
312月光仮面:2008/09/03(水) 12:08:27 ID:Nh1PmprN
畿内を中心に方形周溝墓が広まり、また、後には前方後方墳が近畿・東海に広がることは中国東北部で
グラスコフから石板墓に入ったものが日本に到来し、その後を追うようにケレクスルが円墳となって西都原
方面に登場、これらが吉備で習合して前方後円墳が成立したものと考えられる。倭国は「和をもって尊し」
としたのか。
313月光仮面:2008/09/03(水) 12:31:07 ID:Nh1PmprN
訳語訂正
stitched birch bark boat       白樺玉勝間
dishes of birch bark and wood   白樺樹皮マゲワッパと白樺製食器
portable cradles            イズメッコ
a sawhorse-like contraption for carrying load on the back
                      (ヤギとも言っているので)カルイ、 カリイ
composite bow             複合弓
short strong spear with a massive long tip  大身の短い槍
three-component divaricating dress that allows to dry by the fire without having to completely undress.
                       ジンベエ(3ピース前開き衣類で一部着衣のまま炉辺で乾燥できる)
copper knives              銅ナイフ
bronze fishing hooks          青銅釣り針
ceramics土器
314月光仮面:2008/09/03(水) 12:33:31 ID:Nh1PmprN
stitched birch bark boat       白樺玉勝間舟(防水性能の高い舟)
315月光仮面:2008/09/03(水) 15:45:25 ID:Nh1PmprN
>>311-312
極めて強烈な長方形・正方形優先は狗奴国
http://higashinomiya.com/kuna/index.php?plugin=attach&refer=%B6%E9%C5%DB%B9%F1%CF%C0&openfile=hennen2003.jpg
http://higashinomiya.com/kuna/index.php
東海地方に存在する。もし、卑弥呼の前方後円墳の円形部分にすら拒絶反応を示すのだとすれば
それはブリャートモンゴルにおける対立をそのまま引きずっていることになる。
「先住民の鹿石(鹿メンヒル)の頭頂部に籠められた聖なる太陽/火の属性破壊を象徴するように、
鹿石(鹿メンヒル)を上部からさかさまに地中に埋める」という考え、また、御日射はブリャートモンゴル
にもあるが、これもこの東西対立から来るものかもしれない。
316月光仮面:2008/09/03(水) 16:24:41 ID:Nh1PmprN
天日矛・不耐ワイ王部隊がバイカル湖の南岸にも似た湖南で巨大な銅鐸を目にした時、それが
はるかに昔の長江下流を彼らが持って北上した無地の銅鈴から日本人となった彼らの同胞が
作り上げたものだと気付いた時、彼らは神の姿を見たような想いであったであろう。外人部隊として
これを破壊し、三角縁神獣鏡の偽ブランドを量産するのが新使命だ言われた時の気持ちは複雑
であっただろうと思う。信楽焼でも焼いた方がいいと思ったかも。
317出土地不明:2008/09/03(水) 16:29:55 ID:l8R5pRal
おい、馬鹿www  相変わらず凄い妄想だなww

其れとも寝言か?
318月光仮面:2008/09/03(水) 16:35:53 ID:Nh1PmprN
朝青龍,、「やくさんに感謝しないとね」と上機嫌だった。 関取のやくさんはこまるがのー。
319出土地不明:2008/09/03(水) 23:25:35 ID:I+eg4y6a
320出土地不明:2008/09/04(木) 05:16:51 ID:+M816uuI
>>298
>>300
おっちゃんありがと。

色々知りたいことあったんだけど
たぶんお馬さんのDNAと借用語調べていけば早そうなんですよね。
321月光仮面:2008/09/04(木) 08:32:06 ID:Dly8vdB6
>>309
初回張政ミッションはツヌガアラシト、この際のコミットメントを実行する形で、大和朝廷の合意の
下で渡来したのが天日矛。しかし、播磨あたりでも政情は不穏になっていたということか。
322月光仮面:2008/09/04(木) 08:50:38 ID:Dly8vdB6
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/imgs/kikanshi/iseki38/5.gif
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki38.htm
これは天日矛が入った出石から出土したもの。張政訪日の日本史に対する重要性を
強調しているように見える。
323出土地不明:2008/09/04(木) 13:00:37 ID:dbvnQyA5
「地下の弥生博物館」といわれる青谷上寺遺跡から出土した木製盾から緑色顔料「緑土」が確認されたと鳥取県埋蔵文化財センターから発表がありました。
今まで東アジア最古とされてきたのは高句麗・徳興里古墳とされておりましたがそれよりもさらに200〜300年前とのことです。
やはり日本人は周→呉→日本列島だったのですね。
324出土地不明:2008/09/04(木) 13:37:31 ID:3psUWYIS
 弥生時代の顔料はこれまで朱の赤、漆の黒が知られていたが、大陸の顔料が伝来する以前の日本独自の色彩を知る貴重な史料となりそうだ。
 2008/09/03 21:06 � 【共同通信】


大陸の顔料が伝来する以前の日本独自の色彩を知る貴重な史料となりそうだ。

日本独自の色彩を知る貴重な史料
325月光仮面:2008/09/04(木) 16:21:53 ID:Dly8vdB6
>>310
前2千年紀の南シベリアは東にグラスコフ文化、西にアンドローノボ文化があり、グラスコフ文化は現在の
エベンキ、エベン、ユカギルの祖で、アムール上流域、満州北部、長城/オルドス以北のモンゴル住民の
文化に極めて近く、新石器、初期青銅器狩猟漁労文化に関連し、部族言語は相互に関連を持っていた。
グラスコフ文化は後に匈奴の祖先と合流、交じり合う。前18世紀にはアンドローノボ文化が南シベリア・ミヌ
シンスク盆地を占領し、エニセイ川流域でグラスコフ文化人と対峙する。ところが、前2千年紀、南シベリア
には土着白人である丁霊がサヤン・アルタイ山地、ミヌシンスク盆地、トクーヴァに住んでおり、グラスコフ
文化、アンドローノボ文化共にこの地方では脇役を演じた。グラスコフ文化期、グラスコフ文化とアンドロー
ノボ文化の2つの文化が南シベリア丁霊人に重なった。グラスコフ期の次に来るのはカラスク期であり、
これは匈奴の到来によって始まる。
326月光仮面:2008/09/04(木) 16:23:08 ID:Dly8vdB6
前12世紀の匈奴は匈奴帝国を築いていたことが考古学的に立証された。当時の匈奴は河北からバイ
カル湖までを占領し、既に中国を攻撃していた。中国の史書は彼らの民族的特徴を「彼らは家を持たず、
土地を耕さず、天幕に住み、・・・年長者を敬い、時に応じては集会してことを決める」と記述している。彼ら
は砂漠を通過して到来し、孤立していたグラスコフ及びアンドローノボ文化の両方の住民に対して支配権
を確立する。匈奴の移動を引き起こしたのは気候の変化による。前12世紀匈奴の移動遊牧牧畜は高度に
発達し、役畜の牽引力も増加し、牧草地を求め北方に移住した。馬には荷が過ぎおぼつかぬため、牛に
引かせた有蓋四輪車の「舟」で「砂の海」を渡る匈奴の先祖達を描いた岩面陰刻が残されている。前2千
年期末の気候変化は植生の分布に変化をもたらし、前1千年紀中葉まで続く気候の寒冷湿潤化が始ま
り、ゴビ砂漠の境界は変わった。「寒帯密林の海」は南進し、森林草原は濃い茂みに変わり、シベリア
住民の生活基盤を破壊したが、南方遊牧民には利するものであった。前3世紀、匈奴は既にゴビ砂漠から
シベリア寒帯密林に至る草原全域の主権者と化した。
327月光仮面:2008/09/04(木) 16:31:57 ID:Dly8vdB6
エニセイ・アバカン川河岸においてはグラスコフ人の丸太小屋の隣に遊牧民の円形テントが出現した。
文化の融合と共に人種の混合もあり、カラスク期の埋葬地からは細面北方華人型モンゴロイドと南方系
短頭コーカソイドが一緒に出土する。
-----------------------------------------------------------------------------------
こういう風に続いているんだが、例の秦氏と言うのもこうした下地の中で生まれた部分もあるかも。
328出土地不明:2008/09/04(木) 19:37:55 ID:6UAP4694





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




329出土地不明:2008/09/04(木) 20:18:23 ID:Cvfg26dl
>>324
共同通信は何を言ってるんだろ?
弥生時代は日本に渡来してきた弥生人の時代なのに日本独自って・・・。
縄文時代の話なら日本独自ってのも理解できるが。
それとも弥生人が発明した顔料って根拠でもあるのかな?
330出土地不明:2008/09/04(木) 22:08:04 ID:EmRdL9r7
絶対どっかでヒマラヤ系の血が入ってると思う。
レプチャ人と日本人の類似はただ事ではない。
…彼等が沖縄を経由して日本に行く際に手に入れた陸稲を持ってきたとか。
331出土地不明:2008/09/04(木) 23:08:56 ID:I5f96dBt






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





332月光仮面:2008/09/05(金) 11:07:16 ID:dzu4DngI
>>316
白石太一郎 「銅鈴から銅鐸へ
中国では、銅鈴は3900年前(龍山文化末)に純銅製品が現れ、3700年前(夏代、二里頭文化)から青銅
製品が普及する。世界最古の青銅鈴は高さ8cmほどの小型品で、人の腰につけて使っていた。3500年
前(殷代)には、人のほか、犬・馬の頸や馬車に銅鈴をつける。朝鮮半島には前6世紀ごろ銅鈴が伝来
する。司祭者が身体に着け、神懸かりの状態になるのを助けていたようである。前4世紀ごろ海を渡った
銅鈴は、近畿地方で高さが20cmをこす大型品に変わった。そして、鈕にも身にも文様を施した。」
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/dotaku2s.jpg
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/rekishi.html
333月光仮面:2008/09/05(金) 11:11:30 ID:dzu4DngI
↑右から三番目、殷の銅鐸はオルドスに移る↓
121-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ一・八cm、文学部考古学
研究室列品室
122-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ二・〇cm、文学部考古学
研究室列品室
赤峰市付近を中心として内蒙古東部に分布する夏家店上層文化の鐸である。夏家店上層文化は、初期
遊牧民文化のなかでも早い時期の文化で、スキトーシベリア動物意匠も既に見出される。(高浜)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html

334月光仮面:2008/09/05(金) 11:16:58 ID:dzu4DngI
「朝鮮では遼寧式銅剣を祖型として前3世紀ころに細形銅剣を製作しはじめた。」
「1987年に全羅北道益山郡王宮面平章里の丘陵上から細形銅剣2点・細形銅戈1点・中細形銅矛1点と
幡ち文鏡1面がいっしょに見つかりました。地元の発見者によってすでに掘り返されていましたが、全栄
来さんが調査し、土坑墓からの出土であったとみて『馬韓百済文化研究』第10輯(1987年)にその結果を
報告をしています。
高倉さんの批判があったあと、岡村さんに教示を求めたところ、平章里の幡ち文鏡はT式に属し、戦国末
から前漢代までさかのぼるとのことです。すなわち、平章里遺跡の年代は前3世紀後半を上限とする時期
と考えてよいことになります。
弥生中期中頃を北部九州の土器型式におきかえると須玖U式(古)に相当します。須玖T式は炭素年代
では、前300年〜前200年頃という結果がでています。そして、典型的な前漢鏡を副葬する中期後半〜末
の須玖U式(新)の年代は、長崎県原の辻遺跡の6点の炭素年代を測定した結果では前200年〜前40年
という測定結果がでています。」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/com2_img.jpg
335月光仮面:2008/09/05(金) 11:22:03 ID:dzu4DngI
朝鮮小銅鐸随伴出土青銅器には細形銅剣、多鈕粗文鏡、防牌型銅器、無文土器時代である。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/chtakuI.png
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku02b.html
「ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器に触れておきたい。この器物は,その文様から農耕祭祀
にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されて
いる人物表現(図28・29・30)と酷似している。この防牌形銅器は,朝鮮では異形青銅器と分類される一連
の器物の一つである。これらの異形青銅器は,紀元前4世
紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現れて短期間で消えていったとされている。これらの
諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島本来のものではなく,外から入ってきた要素であること,またその
製作にはそうした要素の関与があったことを暗示しているように思える。」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
336月光仮面:2008/09/05(金) 11:31:04 ID:dzu4DngI
「徐福時代」、殷、オルドスの銅鐸は忠清道において銅鈴型に退化し、東奈良、湖南において急速に
発展する。これは吉野ヶ里に入ったものが
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
でいわれる中国南方の出自であったことを意味し、銅鐸が近畿に入った後でオルドス(パジリクミイラ
の鬘に似ている)要素を加味したのではないかと思わせる。
337出土地不明:2008/09/05(金) 11:57:04 ID:1tp9LteW
ユダヤ人→小池栄子、井上陽水
シュメール人→小島よしお、小倉優子
スキタイ人→堂本剛、志田未来
ドラヴィダ人→相川七瀬、西川貴教
高麗人→仲間由紀恵、知念ゆうり
フビライ人→MEGUMI、笑福亭釣瓶
倭人→石原よしずみ、石原さとみ
アイヌ人→北野武、倖田來未
エジプト人→志村けん、熊田曜子
338出土地不明:2008/09/05(金) 12:07:02 ID:ggAN590i
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!

1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕
/風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕
/重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...
339出土地不明:2008/09/05(金) 12:08:21 ID:ggAN590i

1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で,
後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している.
この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器.
と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を
支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
340出土地不明:2008/09/05(金) 12:10:28 ID:ggAN590i
一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。

伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...
341出土地不明:2008/09/05(金) 12:15:12 ID:1tp9LteW
訂正

ユダヤ人→小池栄子、井上陽水
シュメール人→小島よしお、小倉優子
スキタイ人→堂本剛、志田未来
ドラヴィダ人→相川七瀬、西川貴教
高麗人→仲間由紀恵、知念ゆうり
モンゴル人→MEGUMI、笑福亭釣瓶
倭人→石原よしずみ、石原さとみ
アイヌ人→北野武、倖田來未
エジプト人→志村けん、熊田曜子
342出土地不明:2008/09/05(金) 12:19:55 ID:k07T3AGA
くぉら、ゆうこりんはこりん星人だ
343出土地不明:2008/09/05(金) 12:32:07 ID:/kvZLuC/





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




344月光仮面:2008/09/05(金) 13:50:55 ID:dzu4DngI
>>338-339
「夏家店下層文化(B.C.2410±140,B.C.1890±130)のdタイプの鬲と西団山文化(B.C.2095±100)
の鬲とが候補に挙げられる。しかも埋葬趾ではなく住居趾や包含層などの生活遺跡で出土する点も、
虚空蔵遺跡など日本の三足土器出土遺跡のありかたと一致する。」
「大洞C1式との近似を指摘するに留め・・・」
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
大体BC900年頃。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b3.gif
345月光仮面:2008/09/05(金) 13:51:48 ID:dzu4DngI
「4 雀居遺跡(図12−10)
 雀居遺跡は御笠川の東岸にあり板付遺跡と対峙する位置関係にある集落遺跡で,土坑群と溝状遺構
が検出された。溝は台地の縁辺を巡る自然流路であるが,報告者によると水田との関係はわからないと
いう。早期古段階から営まれはじめ,東北地方の晩期の土器である大洞C2式の浅鉢が出土するなど,
東日本との関係をもっていた人びとの集落である。水田は見つかっていないが,大溝から出土した大量の
木製品や農工具などからみて,水稲農耕をおこなっていたことは間違いない。彼らが晩期に居住していた
ことを示す遺構や遺物は出土していないことから,那珂・板付遺跡と同じく早期に進出してきた農耕民と考
えられる。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/fukuokaheiya/fukuoka.html
346月光仮面:2008/09/05(金) 13:53:41 ID:dzu4DngI
山形秋田県境では
「また、県境の飽海郡遊佐町女鹿地区の三崎山からの青銅刀子の発見はたの遺物から判断して紀元
前1000年頃の殷の時代の物とされている。縄文晩期の日本海側の大陸との交流があった事を示す
貴重な一品である。」
http://homepage2.nifty.com/hekisui/turuoka/thuru%20nishitagawa%2004.jpg
347月光仮面:2008/09/05(金) 14:04:31 ID:dzu4DngI
>>310
おそらく、バイカル東南部が石板(スラブ)墳に入る頃、箕子朝鮮の始まる頃、
図1:稲作拡散図(括弧内は従来の年代観)
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b1.gif
朝鮮半島の日本海側でも同様の流れがあり、このときに九州では弥生が始まったのであろう。
348出土地不明:2008/09/05(金) 15:17:53 ID:R1FhNWvR

>>344  陝西龍山文化系三足土器は何と無く弥生っぽく親しみ湧くね。

紅陶雙耳鬲(陝西龍山文化系、BC2500〜1500)
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/gallery-576.html
349月光仮面:2008/09/05(金) 15:52:29 ID:dzu4DngI
>>313
カルイ、イズメッコ、白樺樹皮マゲワッパと白樺製食器、白樺玉勝間、 能登から秋田へのナマメハギ、
ナマハゲ、鹿児島甑島トシドン、スイス・チェッゲッテ、沖縄・熊本・大和・新潟・川崎等にある陽根崇拝、
コンタン、オンダ、ツブラサシ儀式、四隅突出の結界形態とオークネフ文化、オークネフ・石板墓の結界内
埋葬、箱式石棺墓、立石型楯築墳丘墓、伊豆立石遺跡、沖縄春駒とクラコフ・ライコニク等タタール文化、
これらはスキタイ・シベリア世界と匈奴文化圏の文化の流れを抜きにしては説明できない。沖縄・鹿児島
の豚肉文化はウガンジョ・三輪神社・ヨナバリ・イニエ(猪贄=崇神)の関係を補強するもの。弥生文化は
古墳時代に変わり、エミシ、エビスとされる人々の畑作地域への移住をもたらしたものであろう。
350月光仮面:2008/09/05(金) 16:17:19 ID:dzu4DngI
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b4.gif
この図の山陰、瀬戸内の下の方に「青銅器祭器からの離脱」とある。これがこの表の下の枠外を
横ばいし、近畿の下に収まる動きを描いたのが記紀の神話と天皇記、人代であろう。
弥生時代の日本を論じるものはすべからくこのホームページにある諸表を基準とすべきであろう。
351出土地不明:2008/09/05(金) 22:01:03 ID:IRHLAqvM
>>349
琉球人としては首肯できない説だな(^o^)
沖縄に男根崇拝って何の話?
豚肉文化ってのも理解が皮相だし・・・
352出土地不明:2008/09/06(土) 01:19:11 ID:TstPNgkQ






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





353出土地不明:2008/09/06(土) 08:35:29 ID:aMVM7FV2
東アジアの陸稲栽培は、ミャンマー・インド・中国に跨る山岳地帯が起源だと言う。
当時ミャンマー北部に暮らしていたレプチャ族が縄文人に陸稲を伝えた、と言う可能性はないのだろうか。
354月光仮面:2008/09/06(土) 10:48:55 ID:AATYtOAi
民俗・神話学カテの話はそちらの各論で論ずることにしよう。
355出土地不明:2008/09/06(土) 19:31:39 ID:AeJ6LBBs
キリストのメッセージ 
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。
その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.net/jp/jiai/jiai02.htm

ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm

煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
http://www.sanpaolo-shop.com/product/4359

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

キリストの受難を目撃し体験した女性 アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.salesio.jp/web/sdb_saints/biography/alessandrina.htm
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html

病を患いながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

カトリック書店/日本国内にあるカトリック教会の住所と地図
http://www.donboscosha.com/
http://www.sanpaolo-shop.com/
http://shop-pauline.jp/
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm
356出土地不明:2008/09/06(土) 21:23:11 ID:bE9xWOik





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




357月光仮面:2008/09/07(日) 12:56:46 ID:V6yzxEIW
>>335
銅鐸は秦の始皇帝が派遣した徐福ミッションによって韓国忠清道経由日本にもたらされた。
末房由美子氏の下記結論はこれを裏付ける。
「ここで,これまでに挙げた各種の青銅器の出土地を見てみると(地図参照),殆どは万家型銅鼓及び
石寨山型石寨山系銅鼓の分布地域と重なり,また少数のものが越族青銅器の分布地域と重なっている
ことが分かる。これに上記の船文における結論を加えると,本稿の範囲からは,銅鐸の装飾は,むしろ
戦国から前漢の銅鼓の分布地域,即ち長江上流域の雲南・四川南部や東南の広西などの地の青銅器
文化と近い関係があり,また越族の青銅器文化とも共有する部分があり,沿海の中国南方地域の世界
とも無縁ではないということであろう。」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
これらの地域は始皇帝が新たに拡大、編入した版図である。弥生末、古墳時代の文化に残る「長江上
流域の雲南・四川南部や東南の広西などの地の」文化の影響ははなはだ大きいが、それは北方草原
文化、西方文化、中原文化とは違うということを明確にしなくてはならない。
358出土地不明:2008/09/07(日) 15:01:30 ID:WTqsscoO
おっさんですが首の後ろで束ねるくらいを目標に今髪を伸ばしてるんだけど黒の直毛って絶対放置できないね。
前髪が問題で前に垂らすと目を遮って口の辺りまで伸びている。日常生活では横わけにしてしのいでいる。

アフリカのコイ人サン人が毛に関しては一番進化していて巻貝みたいな渦巻き方にまとまるらしい。
日本人はせいぜい癖毛の天然パーマ程度だからご先祖はどうしていたのだろう。
当時は髪留めのゴムバンドなんてないから植物から繊維を取り出してやはり首の後ろで束ねてたりして。
359月光仮面:2008/09/07(日) 15:52:00 ID:V6yzxEIW
>>338-339 >>344
「埋葬趾ではなく住居趾や包含層などの生活遺跡で出土する点も、虚空蔵遺跡など日本の三足土器
出土遺跡のありかたと一致する。もしも虚空蔵遺跡の三足土器が東アジァの三足土器と関連があると
すれば、股末周初に始まる中国東北地区から沿海州にかけての商dタイブと関わる可能性を探らねば
ならない。」
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
古来やクーチアにおいて木、骨、金属から作る容器であり、冠婚において馬乳を入れるのに用いる
ものでチョロンと言う↓
http://www.culturemap.ru/region/65/article.html?topic=13&subtopic=44&id=71
ヤクーチアにおいても三足土器が出土するが、これにつき「研究者によれば三足土器の一種で中国の青
銅器時代にはLiという豊穣祭器である容器が普及していたことが考古学文献では知られており、このこと
は三足土器とチョロンの意味を近づけているのは興味深い。三足土器は中国からバイカル湖東部に入る
が、そこで地元の青銅器・早期鉄器時代において使用され、普及地域は石板墓文化圏に合致している。」
としている。これは日本における「三方」の使用のあり方、語源となんらかの関係が濃厚であり、本来四足
土器の文化があったところに類似の土器が到来したので、イミテーションが作られたのではあるまいか。
360出土地不明:2008/09/07(日) 16:05:00 ID:Lqi5mld4
火星
361出土地不明:2008/09/07(日) 20:37:12 ID:xwrDf4Ov






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





362出土地不明:2008/09/08(月) 00:45:23 ID:MspdHUA2
363月光仮面:2008/09/09(火) 18:17:40 ID:7T1CnilT
>>350 「青銅器祭器からの離脱」
>>357
カラスク文化を
1)天山 太陽崇拝と密接に関係する天の崇拝は南シベリア西部および中央アジアの考古学遺跡-鹿石、
ケレクスル遺跡およびクルガン(古墳)・・・ケレクスル→円墳
2)アルタイ 石板墓の起源となる基本的「供献遺跡」 ・・・コンセプトにおいては四隅突出型墳丘墓
(楯築墳丘墓上部構造に見る斜めの、鬼は外の立岩は石板墓そのもの)
3)バイカル グラスコフ文化の強烈な大地/土崇拝・・・方形周溝墓→前方後方墳
こう分ける場合、それを大陸と寸分たがわず再現したのは徐福百工の特殊器台、特殊壺、大型銅鐸に
見せた類稀なTPOによる、「青銅器祭器からの離脱」 を実現する応用技術であり、後の日本文化を生
んだ匠の技はここに秘められている。
もはや、カリスマ的神武、帥升の存在よりも、ユーラシアの歴史的慣性としか言いようがないのではなか
ろうか。カラスク文化とはモンゴロイド・ユーラシア・ノマドであり、yDNA YAP+の深い分岐はここにあるの
ではと考える次第。
364月光仮面:2008/09/09(火) 18:29:03 ID:7T1CnilT
秦始皇帝、徐福、張政に疑いの余地は少ない。帥升も神武も今後の考古学の発展によって
現実のものとなるかもしれない。今の考古学の能力だけで否定してしまうことはできない。
365出土地不明:2008/09/10(水) 00:29:06 ID:T8XwSnVW





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




366月光仮面:2008/09/10(水) 17:33:13 ID:Do0FBxbi
>>363
1) 天山 中央アジア方面・・・これはモンゴルTola川河畔Tashtyk/Yenisei Kyrgyz
ミヌシンスク盆地早期Tashtyk蒼穹古墳、土俵型マウンド、,横穴/羨道、,動物葬送石像、儀礼傘等の
中央アジア起源の要素を前漢後漢代墳墓、ノインウラ匈奴単于墳墓経由で岩戸山古墳、阿波吉野川
流域装飾古墳に持ち込む。つまり、鳴門萩原古墳の渡来人は関東にスキタイ文化を運んだがなおも
中央アジアとの間の関係を持ち続けていたのだ。こうしたユーラシア・ノマドのつながりが日本文化を
作り上げていったのであろう。
367出土地不明:2008/09/10(水) 21:33:07 ID:r6TBfV+q
>>364
帥升はいたよ。吉野ヶ里遺跡を王城として。
倭の面土(メト)国の王だろ。
旧三田(ミタ)川町の吉野ヶ里遺跡の近くには、目達(メタ)原や女多(メタ)集落がある。
368出土地不明:2008/09/11(木) 00:38:55 ID:/l3skwDm






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





369月光仮面:2008/09/11(木) 14:33:16 ID:/Dd23Coq
>>366
岩戸山古墳の単于クラス、非常に「突厥」色濃厚な墳墓形式、これはまるでマイクロソフトの
ウィンドウズ更新サポートのように阿波の萩原古墳群の継承者である美馬市方面であるとか、
ホケノヤマの横穴とかのサービスを行っている。継体朝の突厥・新羅・百済・倭・隋の複雑怪奇な
国際情勢を通り越してシルクロードの彼方の文化が流れている。阿波の蒼穹横穴墳の奥に見られる
石棚は九州にも見られるが、はるか西方ではこうした奉安殿のような構造がユダヤ、キリスト教会にも
取り入れられていたとされる。
370月光仮面:2008/09/11(木) 15:29:33 ID:/Dd23Coq
9世紀、K龍江省東南のTuanjie墓地古墳の「奥まった場所/Niche」においては豚の頭骨が出土している。
「猪贄」と呼ばれる崇神天皇の枕元からははたして何が出てくるであろうか。
371出土地不明:2008/09/12(金) 14:44:58 ID:MIrRi6Mu
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで中国土器はない。その影響土器もない。
中国金属器もない。朝鮮半島も楽浪開始頃まで中国土器はない。

弥生人が支那から直接、あるいは支那から朝鮮半島を経由して流入した人々であった
のならば、彼らが伝えるのは中国土器か朝鮮無文土器のはず。

ところが、彼らが最古の水田遺構と同時に伝えたのは中国土器でも朝鮮無文土器でもなく、
口縁部に刻目を持つ当時の沿海州中南部あたりが故郷と見られる土器。

輸入したと見られる朝鮮無文土器は少量見られ、その影響を受けた弥生土器も見られるが、
朝鮮無文土器そのものを生産していた集落遺跡はない。

結論的に弥生人は沿海州中南部の沿岸部にいた口縁部に刻目のある土器文化を持った
海洋的性格の強い北方蒙古人種。

沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。
372月光仮面:2008/09/12(金) 15:01:09 ID:ssRzdapv
そのとおり。デレヴャンコ氏によれば
「黒龍江省最古の鉄器は漢代。1977年黒龍江省Dongning county Daduchuan Tuanjie野営地遺跡に
おいて長さ18 см、幅2 смの鎌が出土。吉林省では戦国-漢代の同種鎌が出土。
1981年黒龍江省Dongning砦跡地で大型鍬が出土。Nin-an Dongkangの野営地(BC3世紀頃)に
おいては半住居1において各種サイズの投網用土器重石が山積しているのが発見された。
Wanyanghe文化はBC30-100年頃の松花江河口西側Suibing county Wanyanghe川遺跡の名前を
取ってつけられたもの。
赤褐色、薄い粘土帯、リング状の圧紋、弧状、波型畔状紋、縄文圧紋土器が特徴的であり、
1)ロウト状口縁、細い首、出っ張った胴
2)広い口縁、短い首
といった様式がある。
住居は55M3以下の竪穴住居、宅内は藁混入粘土塗り焼結仕上げで、囲炉裏は住居東壁に付き、
住居への入り口は東南角、幅1M、住居の四隅には柱穴あり。この種遺跡はLobei county Sanmaqia、
Fuyuan county Haiqingdengにもある。
この文化はロシア・ポリツェ文化と似ている。中国内のポリツェ文化は黒竜江を中流から下流まで、
西はZhangkuancailing山脈から南は牡丹江下流、穆稜河河口、興凱湖から沿海州Tetyuhe湾に広がる。」
373月光仮面:2008/09/12(金) 15:07:56 ID:ssRzdapv
374月光仮面:2008/09/12(金) 17:41:53 ID:ssRzdapv
>>291-292
デレヴャンコ氏はグラスコフ文化とポリツェ文化の関連性を説明している。
375出土地不明:2008/09/12(金) 23:55:09 ID:ds4Vovec





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




376ひらさワル:2008/09/13(土) 11:20:13 ID:Z8eGLBD3
何で沿海州から民族移動が起きたんだ?
沿海州で人が増えたのか?
377月光仮面:2008/09/13(土) 14:07:28 ID:9UNgKWQt
ヒクソスから帰還した渡来人
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1204867737/menu244
>>372
>中国内のポリツェ文化は黒竜江を中流から下流まで、
>西はZhangkuancailing山脈から南は牡丹江下流、穆稜河河口、興凱湖から沿海州Tetyuhe湾に
>広がる。」
殷の頃はバイカル湖/ブリャート共和国/グラスコフ文化、戦国期に黒竜江・アムール中流ポリツェ
文化、秦・漢時代に沿海州・咸鏡道・伽耶・日本といった動きがあるも、弥生早期からこうした気候変動
による移動があったのでは。

378月光仮面:2008/09/13(土) 14:11:27 ID:9UNgKWQt
↑ジャンプしてないね。
244 :月光仮面:2008/05/24(土) 09:50:09
ウラジオストーク極東民族歴史考古民族学研究所ユーリー・ヴォストレツォフ氏「環境
変化と民族移動-ケーススタデー」によれば、沿岸部が寒冷化海面低下、地上海中景
観の変化によって狩猟漁業基盤が破壊される一方、降水量安定化により農耕民に
便利に働く。これが内陸農耕民を沿岸部に押し出す。同様の環境変化は完新世中期
BP4,800-4,300年頃(三内丸山遺跡が約5500年前〜4000年前だ)沿海州南部ボイスマン
文化から→ザイサン文化への移行、このときに櫛目文から刻目突帯文土器に及び
完新世後期BP2,400-2,200年頃ヤンコフスカヤ文化から→クローノフスカヤ文化
(BC500-AD300)、これは沿海州では雑穀農業だが、朝鮮・西日本では無文・弥生稲作
農業の形を取るとのこと。
379月光仮面:2008/09/13(土) 14:34:52 ID:9UNgKWQt
↑これは東アジア考古学会で発表されているもの。
http://www.seaa-web.org/arc-con-dae-abs2.htm
↑をクリックし3/4ほどロールダウンすると↓
VOSTRETSOV Yuri (Institute of History, Archaeology and Ethnology of the People of the Far East Vladivostok), "Environment Changes and Migrations: A Case Study"
これが原典だ。


380月光仮面:2008/09/13(土) 15:01:39 ID:9UNgKWQt
海退による貝塚文化(沿海州Boisman/Yankovsky貝塚文化)の人口減少が内陸耕作民余剰人口を
沿岸部にひきつけた。
4.800-4.300 BP 環境激変 櫛目文から刻目突帯文へ 雑穀文化
2.400-2.200 BP 雑穀文化と大麦・小麦(Krounovsky沃沮文化500 BC - 200/300 AD) 稲作 (Yayoi
文化3 c. BC)
----------------------------------------------------------------------------------
日本人としては刻目突帯文・弥生稲作は周の頃からだと思う。ただ、大麦・小麦の導入については
Vostretsovのいう通りかもしれない;。
381出土地不明:2008/09/13(土) 18:29:17 ID:gQ/L/SZJ






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





382機械・工学@2ch掲示板:2008/09/14(日) 09:04:46 ID:yR7irpRX
 
〜 軍 需 産 業 〜      879− よりコピペ。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/kikai/1000343809/879-

879 :日本人のルーツ:2008/09/13(土) 13:55:55 ID:EdKwMDFE
    >> 757
    >   日本の人口の2/3弱が在日朝鮮帰化らしいいのですが、
    >   日本人よりなぜそんなに多くなってしまったのか、教えてくれませんか?
    >   詳しく書いてあるサイトとかないですか?

    >>759
    >   どこで聞いたのか興味有る話ですが、それは恐らく、間違った認識と

    アジア人のY染色体タイプ別。
    http://www.enjoykorea.jp/tbbs/popup/jprint.php?board_id=teconomy&nid=3719702&start_range=3719696&end_range=3719726

        アジア人のY染色体タイプ別。
        D型は日本人とチベット人に固有。チベットからの大集団の移動があったことを示す。
                             ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    h ttp://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/87000/20070717118464483769915200.png

    >  面白いことに、「 日本人 = ヘブライ人説 」なども有って、このスレの
    >  【 >> 628-677 】、あたりには、それらの話題と、リンク先のスレッド名などが

        ユーラシア大陸のYAP分布
        YAPは縄文人固有の遺伝子ではなく中東から発祥したものと分かる。
        死海の東からシルクロードを通り抜けて集団の全てが日本へ大移住したことを示している。
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
        http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/pfree/346000/20071111119475664442306800.jpg
383機械・工学@2ch掲示板:2008/09/14(日) 09:05:47 ID:yR7irpRX
 
〜 軍 需 産 業 〜      879− よりコピペ。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/kikai/1000343809/879-
882
    >> 879
    > チベットからの大集団の移動
    > 死海の東からシルクロードを通り抜けて集団の全てが日本へ


      ・  古代(現在)イスラエルの首都、【エルサレム】の緯度 : 「北緯 32度」
      ・  中華人民共和国チベットの首都、   【ラサ】の緯度 : 「北緯 39度」
      ・  神武東征の出発地、   【九州日向高千穂】の緯度 : 「北緯 32度」

    この「緯度の一致」は、偶然なのだろうか。

    それとも、「古代イスラエル」から、東へ東へと、理想の国「ヤマト」を目指した結果、
    途中、「チベット」を通過した際に、それらの民族と共に、「九州」に到達したのだと、
    そう考えた方が自然ではないのだろうか。
384ヘブライの館 2:2008/09/14(日) 10:05:45 ID:yR7irpRX
  
  ヘブライの館 2 THE HEXAGON

  ☆ 3F 古代ヘブライ研究室
  http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F/_floorA3F.html
  http://hexagon.inri.client.jp/floorA0F/_floorA0F.html

● ( ↑ ここを読めば、全ての問題が解決(?)する、超お勧めのページ。)
385月光仮面:2008/09/14(日) 11:48:41 ID:h8yEpaRu
>>380
「BC1000年頃、沿海州は気候温暖化による海侵により海面は現在より1.5高かった。この頃から海人族
ヤンコフスカヤ文化人が活動を開始、その集落痕跡は約120ヵ所、ほとんどは貝塚があり、80-95%が
牡蠣殻、集落は通年定置で、季節狩住居がこれを囲む。長距離海洋漁業を行い、マグロ他45魚種を
漁獲し、貝、山菜、鹿、猪を狩り、豚、犬を飼う。沿海部では黍を植え、内陸では大麦を栽培した。住居は
40-200M2、公共施設もある。 3期に分かれ、第1期は前5-4世紀の非貝塚時代。第2期は前4-3世紀の
気候寒冷化期で貝塚期。第3期は前3-2世紀で、生業が内陸型に変わる。現在の水面より1M海退、
寒冷化がおこり、海洋経済は劣化、ヤンコフスカヤ文化の人口は減少。」
↓このp3第2図沿海州早期鉄器-中世C14較正編年表参照。
http://eps.dvo.ru/rap/2005/4/pdf/rap-044-055.pdf
問題はこれだ→ヤンコフスカヤの豆、高坏
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/HISTORY/metasm.jpg
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/HISTORY/metal.htm
386月光仮面:2008/09/14(日) 11:56:11 ID:h8yEpaRu
「高坏形土器 西日本では西部九州の一部に偏って分布する程度で、中国地方や四国地方以東では
ほとんどみられない。また西部九州でも器種構成に占める割合はかなり少なく数%にすぎない。器形的
には鉢U類の坏部に脚がつく程度のもので形態的には台付鉢に近く、縄文時代にもとからある器種を
変容させ機能的に代用した段階にとどまっており、板付T式以降の高坏との距離は大きい。高坏の出現
について家根は北部九州て無文土器とは無関係に成立したと考えている。」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko.html
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b.html
「板付T式以降の高坏」・・・つまり第1期のヤンコフスカヤ海人族文化人は板付に到着していたのでは
ないか。
387月光仮面:2008/09/14(日) 12:11:47 ID:h8yEpaRu
海幸 ヤンコフスカヤ文化
山幸 クロウノフスカヤ/沃沮文化
神武/天孫 ポリツェ/スキタイ・匈奴文化(←ブリャート・グラスコフ文化)
記紀の神話とがっちり合うのだが。
388月光仮面:2008/09/14(日) 12:32:50 ID:h8yEpaRu
欧阿からカザフスタン、新疆、アルタイ、チベット、四川、雲南を巡って燕、楽浪へと続くもの、
ブリャート、アムール、沿海州、咸鏡道、中道、伽耶を経由して入るもの、こうしたユーラシア
ノマドの融合によって生まれたブラックホールが大和朝廷の高御位だろうか。が、古墳の中身は
「猪贄」であるのかもしれない。
389月光仮面:2008/09/14(日) 12:56:07 ID:h8yEpaRu
優れた土器文化を持ったヤンコフスカヤ人の縦穴式住居
http://gk.nakhodka-re.ru/paleovillage/?%CE%C1%DA%C5%CA%D2%DB_%CA%CE%CC%CF%CB%C5%CA%D1%C0:%C6%E8%EB%E8%F9%E5_%F0%E0%ED%ED%E5%E3%EE_%E6%E5%EB%E5%E7%ED%EE%E3%EE_%E2%E5%EA%E0
後にオンドルを持つクロウノフスカヤ/沃沮文化人が現在の朝鮮族自治区方面から進出
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/HISTORY/mar5.jpg
しかし、彼らはヤンコフスカヤ文化の土器技術を吸収することは出来なかった。彼らの住居は
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/HISTORY/n_ma_11.jpg ←これだ。
武人的なポリツェはこの後、西方アムール河中流から入ってくる。
390出土地不明:2008/09/14(日) 14:19:39 ID:MnjWjXg9
高床式倉庫の跡や形骸が出たアムール沿海州方面の古代遺跡の
報告はないかね?がいやまんくん。
391月光仮面:2008/09/14(日) 15:19:59 ID:h8yEpaRu
http://www.kkkm.ru/mnv/photos.nsf/6dd3d7a3a88dc1c6c7257073003c42bf/E07908A31A48D97CC725730C000C8B9A/$FILE/kkkm_016-002.jpg
これはエベンキの高床倉庫だが、ツングースは湖南省方面起源とするシロコゴロフ説もあるしね。
392月光仮面:2008/09/14(日) 15:54:25 ID:h8yEpaRu
http://mion.isu.ru/pub/turov/images/9_1.gif
第1図 遺伝子移動データによる北アジア民族の民族学的分布構造
1- evenki; 2 - eveny; 3 - khanty; 4 - komi; 5 - nentsy; 6 - selkupy; 7 - chukchi; 8 - eskimosy;
9 - aleuty; 10 - koryaki; 11 - ulchi; 12 - nivkhi; 13 - nanaytsy; 14 - negidaltsy; 15 - buryaty;
16 - tofalary; 17 - todzhintsy; 18 - tuvintsy; 19 - kumandintsy; 20 - tubalary; 21 - telengety;
22 - altay-kizhi; 23 - lebedintsy; 24 - shortsy
このうち19-24は移動性ノマドであり、日本に渡来している可能性が強い。
http://mion.isu.ru/pub/turov/images/9_2.gif
弟2図 北アジア民族の概括的民族言語ツリー及び民族の遺伝子地理によるその展開
http://mion.isu.ru/pub/turov/images/9_3.gif
第3図 新石器文化地図
1 - Baykal; 2 - Amur; 3 - Middle Lena; 4 - Lower Lena; 5 - Oby; 6 - Kelteminar; 7 - Ural;
8 - Sakhalin 9 - 沿海州
http://mion.isu.ru/pub/turov/images/9_4.gif
第4図 新石器時代民族文化地図
Baykal-Lena川流域;
Ural-Siberia地域;
Daur族地域.
Isakov地域
Kitoy文化
393月光仮面:2008/09/14(日) 16:20:38 ID:h8yEpaRu
この第4図の縦線部分が
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2_(Y-DNA)
ここにあるダウール族をY染色体遺伝子文化圏に相当する。日本の弥生人の相当な部分はこれであり、
ノマド的なのはYAP+であったのだと考える。

394月光仮面:2008/09/14(日) 17:09:53 ID:h8yEpaRu
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2_(Y-DNA)
これってなんだかおもしろいストーリーを作っているが、後で肉付けしてみよう。じゃーね。
395機械・工学@2ch掲示板:2008/09/14(日) 19:58:56 ID:yR7irpRX
>>383
すいません。

【ラサ】の緯度を訂正します。

      ・  古代(現在)イスラエルの首都、【エルサレム】の緯度 : 「北緯 32度」
      ・  中華人民共和国チベットの首都、   【ラサ】の緯度 : 「北緯 30度」 ← ここ訂正。
      ・  神武東征の出発地、   【九州日向高千穂】の緯度 : 「北緯 32度」
396出土地不明:2008/09/14(日) 23:33:35 ID:lZrHc22V
>>391
THXがいやまん

発見はまだ先みたいだな。

発掘するロシア人自体に高床式倉庫文化がないから、
跡があったとしても発見されづらいだろう。
397月光仮面:2008/09/15(月) 09:44:30 ID:tyE85FQe
>>394 原文直訳
この派生Haplogroup O2b* (M176)は、ツングース、朝鮮人、日本人及びProto-Mongolicと

Proto-Tungusic言語間の移行的古代方言より派生したモンゴル語を話すと考えられていた達翰爾族
(ダフール族)までも含む、Greater Manchuria全域の全民族において、低い頻度で検出されている。朝鮮と
日本の国民間では(朝鮮人ではSTR多様性がやや高いとされている)主要なクレードO2b1*

(P49)が共有されているが、この分布は北方のツングースや達翰爾族(ダフール族)には及んでいない。
最後に最も派生の先端にある分岐Haplogroup O2b1a (47z)は実質的に日本国民に限られているが

、往年の大日本帝国版図の領域内に居住する若干の個人において散発的にみられており、これはその
後数世代に各外地住民中への日本人男性兵士または一般人からの少々の遺伝子流出、又

更に古い次期のこれらの外地への日本人訪問者又は移住者の父系列子孫である可能性もあるとされて

いる。こうした「入れ子のように入り組んだ」階層及び地域別分布パターンから以下のような出来事の流れ
が想定される。
398月光仮面:2008/09/15(月) 09:46:19 ID:tyE85FQe
1)既にGreater Manchuria領域内に居住している乃至は少なくとも既に特定の"proto-Tungus-

Korean"民族に所属している一人の男性に属する先祖型O2*染色体において O2b Y染色体遺伝子

系列を決定するM176突然変異が最初に起こる。
2)proto-Korean民族がGreater Manchuria領域の他の民族から分岐した後しばらくして、一人の

proto-Korean男性においてHaplogroup O2b1*を決定するP49突然変異が起こる。
3) 一つのproto-Koreanの地域的下位集団が文化的に或いは身体的に他の集団を抜んじ、その

proto-Korean同胞集団を離脱して外部に移住する。Greater proto-Korean民族からの離脱終了後、既に
proto-Japanese民族となったものの1名の男性においてHaplogroup O2b1aを決定する47z突然変異が
起き、この人が多くの子孫を残し、Proto-Japanese民族中のO2b1a系統に頻度を高める。 この非常に
特殊であるHaplogroup O2b1a系統は現代日本人のHaplogroup O系統の約42.5%、全Y染色体遺伝子
の約22.0%を占めるが、これはおそらく日本民族の歴史において特定の緊密に張り巡らされた関係を持つ
氏族が極端に大きな覇権を握ったことを反映するものであろう。ツングース、Korean、日本諸民族の少なく
とも下位集合間には系統関係のあることが想定されるが、更に、Haplogroup O2b及びその下位クレードの
分布は歴史時代に入ってからこれら民族間に何らかの交雑

は一切起こっていないことを強く立証するものでもある。
399月光仮面:2008/09/15(月) 10:23:07 ID:tyE85FQe
他の北東アジア主要YDNAであるHaplogroup C3もこれまたツングース、Korean、日本人、また、モン
ゴル、チュルク民族、更には日本のアイヌ、北米のNa-Deneインディアンにすら見られるが、Haplogroup
C3頻度の傾斜はHaplogroup O2とは反対で、Haplogroup C3の頻度は北に向けて高く(Mongolian,
Turkic, Northern Tungusic, Koryak, Nivkh, etc.)、これに対して、Haplogroup O2の頻度は南に向けて高く
(南ツングース、Korean、日本人)、Ainu及びNa-Dene族では皆無である。
400月光仮面:2008/09/15(月) 10:37:25 ID:tyE85FQe
Haplogroup O3の典型はSino-Tibetan及び東南アジアであるが、これまたほとんどのツングース、モン
ゴル、チュルク、日本人において頻度、分岐程度に差こそあれ、共有されており、これは中国からの新石
器文化の民族随伴拡散の遺伝子的痕跡なのであろうが、Sino-Tibetan-Austronesian Haplogroup O3に
加えて、YDNA D1及び若干のチベット特有のmtDNA haplogroupが北東アジア全域で共通して低頻度に
見られることは、新石器時代の大規模な或いはより後年の中国からの影響ではない、北東アジア民族と
チベット民族の間の何らかの関係を表すものであろう。
401月光仮面:2008/09/15(月) 11:55:37 ID:tyE85FQe
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/HISTORY/n_ma_11.jpg
http://www.fegi.ru/PRIMORYE/HISTORY/mar5.jpg
じれら内陸方面は長春、チチハル、ハルピンのような旭川のような趙低温が数ヶ月も続く、ヤクーツク、
ベルホヤンスクの寒極と似た気候であるのに対し、ピョートル大帝湾、ポシエト湾等は海流の影響で
真冬でも暖かい。したがって、オンドルは朝鮮人といった区分は不可能であり、現に日本にもオンドル
は入ってきている。
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/ootu.htm
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/06/0506j0218-00001.htm
が、日本の場合は-30℃が何ヶ月も続くような住宅設計は無駄であるし、コタツ程度で用が足りる。
結論として、沃沮とされる文化圏に邑婁(スキタイ・匈奴形)、ヤンコフスカヤ(多少三内丸山文明の
影響を受けているように見える)等が入った状態で朝鮮半島の東部・中部を南下して日本に入ったと
考えるべきだろう。

402月光仮面:2008/09/15(月) 13:42:05 ID:tyE85FQe
>>392
http://mion.isu.ru/pub/turov/images/9_4.gif
第4図 新石器時代民族文化地図
\\\\\\\\   Baykal-Lena川流域;
////////   Ural-Siberia地域;
| | | | | | | | | | | | |    Daur族地域.
─ ─ ─ ─ ─ ─ ○ Isakov地域
──────── ○ Kitoy文化
403出土地不明:2008/09/15(月) 22:56:21 ID:yBMz9nha





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




404月光仮面:2008/09/16(火) 08:15:35 ID:yrSIh5m/
>3) 一つのproto-Koreanの地域的下位集団が文化的に或いは身体的に他の集団を抜んじ、その
>proto-Korean同胞集団を離脱して外部に移住する。Greater proto-Korean民族からの離脱終了後、既に
>proto-Japanese民族となったものの1名の男性においてHaplogroup O2b1aを決定する47z突然変異が
>起き、この人が多くの子孫を残し、Proto-Japanese民族中のO2b1a系統に頻度を高める。 この非常に
>特殊であるHaplogroup O2b1a系統は現代日本人のHaplogroup O系統の約42.5%、全Y染色体遺伝子
>の約22.0%を占めるが、これはおそらく日本民族の歴史において特定の緊密に張り巡らされた関係を持つ
>氏族が極端に大きな覇権を握ったことを反映するものであろう。
複合弓、毒矢、骨の鎧、刀剣でもって他を圧するポリツ族がバイカル湖グラスコフ文化を脱し、アムール
を下り、中流ポリツを中心として、スキタイ、匈奴の鍛鉄技術を身につけ、更にアムールを下り、沿海州
全域を制する。この内陸水系における水軍集団が海洋性海人族集団の後を追って瀬戸内海、琵琶湖、
大阪湾、紀伊水道、伊勢湾、相模湾を制する。この頂点に立つのが近江の息長族であり、神武・久米・
物部等の山戎系山岳戦闘部隊はその先兵のようなものであったのではなかろうか。
405月光仮面:2008/09/16(火) 10:18:40 ID:yrSIh5m/
下図の達翰爾族(ダフール族)=ダウール族地域だが、
http://mion.isu.ru/pub/turov/images/9_4.gif
第4図 新石器時代民族文化地図
\\\\\\\\   Baykal-Lena川流域;
////////   Ural-Siberia地域;
| | | | | | | | | | | | |    Daur族地域.
─ ─ ─ ─ ─ ─ ○ Isakov地域
──────── ○ Kitoy文化
そこにはバイカル湖が実線の丸枠で囲まれているが、この辺がグラスコフ文化の中心地でもある。
時代は下るが、渤海の上京龍泉府
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Largest_Area_of_Balhe.jpeg/400px-Largest_Area_of_Balhe.jpeg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BA%AC%E9%BE%8D%E6%B3%89%E5%BA%9C
これが >>404で言う「この非常に特殊であるHaplogroup O2b1a系統」の原郷であろう。そこには
白山と同じく山頂にクレーター湖をもつ白頭山がある。日本の場合この白山を基準点として東国の
寺社配列が決定されているようだ。日本の水神瀬織津姫はバシコルト語ではサが犬、レが川を意味し
、現地にはそうした女性名とか、駒ケ岳のような伝承がある。
406月光仮面:2008/09/16(火) 10:21:21 ID:yrSIh5m/
地図を見れば日本海を挟んで、白頭山から若狭・敦賀・越前・白山にポリツェ水軍が移動してきた
足跡がわかる。
407月光仮面:2008/09/16(火) 12:07:29 ID:yrSIh5m/
>>41 >42 >>98 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 >>117 >>119 >>120 >>125 >>126
>>127 >>128 >>129 >>130 >>135 >>161 >>168 >>276 >>308
白人のエフタルも雪山で雪豹をとるハンター、今で言えば、パキスタン・アフガン部族民、なので白山は
当然聖山であろうが、彼らの世界と東洋人の世界は別物。東洋人は山頂の水、流れ、滝、せせらぎに
重点があり、毛皮が何枚取れるかとということとは価値観が違ったはず。
408月光仮面:2008/09/16(火) 16:35:30 ID:yrSIh5m/
>>397 前段部分があった↓
現生人類諸民族にあって、Haplogroup O2は、その兄弟クレードであるHaplogroup O3ほど高頻度には見
られないが、その地理的分布が変わっていることは注目に値する。Haplogroup Oの全てのクレード同様、Haplogroup O2は現代の東ユーラシア民族の男性においてのみ見られる。しかし、Haplogroup O3は東ア
ジアと大洋州の多くの民族のほとんどが共有しているのとは異なり、Haplogroup O2は一般的にインド及び
バングラデシュ、インド洋ニコバル諸島のニコバル族等のAustroasiatic系民族及び北東アジアの
Korean、日本人、ツングース族等の特定民族にしか見られない。Haplogroup O2は広範で、飛び飛びに
分布しているが、もう一つ注目に値することは2つの大きな下位クレードに分けられ、それが全くばらばら
に分布していることである。下位クレードの一つであるHaplogroup O2a (M95)は南及び東南アジアの(主
に部族民の)民族とカンボジアの Khmer及びインドネシアのBali族にも見られる。Haplogroup O2aは東南
アジア内陸部のNegrito系のSemang及びSenoiとも関係するとする報告も若干あるが、これが彼らがもと
もと持っていたYDNAなのか、或いは、Bantu族がその言語とYDNA E遺伝子をアフリカのピグミー系Baka
及びMbuti族等に与えるという仮説同様、Khmer及びそれに関係する種族のAustroasiatic YDNAの東南
アジアNegrito族への侵入とそのAustroasiatic言語の提供の結果によるものなのかはわからない。これ
とは別の下位クレードHaplogroup O2b (SRY465, M176)はほとんどKorean、日本人、Manchuにしか見られ
ない。北東アジア Haplogroup O2bはツングース、Korean、日本人寒の非常に興味深い関係を示唆する。Haplogroup O2bの祖形はHaplogroup O2*であるが、これは先史時代から東アジア全域に薄く広がってい
たようである。
409月光仮面:2008/09/16(火) 16:46:00 ID:yrSIh5m/
↑YAP+の動きとほとんど同じである。O2/YAPはO3に追われたか、或いは、黄河・長江流域に
何らかの巨大な自然災害、地震、洪水、火山(喜界カルデラ)のようなものが発生しO2/YAPは
四散したのか。
410出土地不明:2008/09/17(水) 00:12:07 ID:n4DcgylH






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





411出土地不明:2008/09/17(水) 05:09:36 ID:ybyIMQnH
消防署の方から来ました。
412出土地不明:2008/09/17(水) 05:56:49 ID:viFi/l3X
蠱蟲の記録

!!!!!!   えた・ぺでぃあ    !!!!!!

連続強姦強盗殺人犯、地主薗(じぬしぞの)。 または、 連続殺人犯、地主薗(じぬしぞの)。

地主薗の祖先は、昔、蠱蟲という苗字(壬申戸籍)を照れ臭そうに、または、有り難く、頂戴した連中だったと言われ、
当初は、立派な苗字を頂戴したと、喜びに満ち溢れていたそうである。
後に、蠱蟲は、この苗字が、えた・ひにんに与えられる苗字だと分かったときには、半狂乱になり、反乱を起こしそうにな
ったと言われている。(蠱蟲の読みは、「こちゅう」と言われている。)
地主薗のほかに、獄場、赤刎、刑戮、地虫、地獄、死刑などという恐ろしい苗字があるが、不貞腐れた蠱蟲が、自分で勝
手に名乗ったと言われている。(古い墓石が現存している。)
また、女殺し、という、おぞましい苗字を使用していた蠱蟲もいたと伝えられている。
現在の戸籍上の苗字は、地主薗の他、古川、小野、都井、西口、藤原、勝田、佐川、押谷、松本、荒木、林、鈴木、坂本、
豊田、岡崎、武藤、志村、川島、川俣、代古など、数多くの苗字が存在する。
地主薗は、えた・ひにんの代表格で主に、千葉市、江戸川区に居住しているが、一部のものが、肥溜め汲み取りを生業と
するために、日本各地に転出し、現在も生息中である。
だが、かなり以前から、公務員になったりするなど、税金を汲み取り生活するものが多くなっている。
また、古くから居た、農民を、脅迫して追い出し、居座った、偽農民が、日本中、多数居ることも有名である。
そして、何が、気に入らないのか不明だが、日本各地で多くの、殺人事件を起こしている。
血液型はO型で、梅毒ビールスに感染している。淋病に感染している場合もある。
ペニシリンを用いても、梅毒ビールスを体内から根絶することは、不可能だか、根絶できたと勝手に思い込んでいるもの
もいる。
やはり、地主薗は、梅毒症状第三期(脳梅毒または、神経毒)になりつつあるのが現状であり、お迎えの日が来るのも近い
のではないかという説が、千葉市役所内で、囁かれているが、信憑性が高い。
また、白癬菌感染者も多く、股間の痒みに耐えかねて身を捩っている様をみると、笑ってしまう。
獄場、赤刎、刑戮、地獄、地虫、死刑なども、地主薗とおおむね同様である。

(注意)加筆禁止
413月光仮面:2008/09/17(水) 09:21:34 ID:LSiDUeKK
グラスコフ文化の中心地イルクーツクは聖なるバイカル湖が流れ出すところでえあり、
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/14/Irkutskmap.png
三嶋溝杭神社は日本における琵琶湖・瀬田川・淀川水系の同等に位置にあり、
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.80961683&lon=135.59144459&sc=12&mode=map&pointer=on
継体の御陵今城塚古墳もここに置けれた。rekidainohimikono
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.84665171&lon=135.59735078&sc=12&mode=map&pointer=on
卑弥呼の生まれたのはここであろう。歴代の卑弥呼は三輪神社に祀られているが、記紀に登場するもの
であって、最古のものは神武皇后とされるイスケヨリヒメである。勿論ももそひめもある。
414出土地不明:2008/09/17(水) 12:59:16 ID:KtJDZ+IV





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




415トレクワトリスタ:2008/09/17(水) 21:00:34 ID:7TYwQ7Xt
>>382,383
それって面白い意見ですね。実は日向や薩摩はエルサレムと同じ緯度と、最近教えていただきました。

同緯度は植生や気候の違いの小ささから、南北よりもはるかに移動がスムーズになるし。
(古代の沿海州で稲作は全く不可能。)

D系統全体の分布から単純に考えれば、チベットから日本にダイレクトに来たと
まず考えてみますよね。

問題の1つは、現在の分布からは、長江中・下流域を含む中国南部は、O2a系統が多いことです。

ただ、チベットから日本までは船でほぼ直線距離で、九州南部までダイレクトにつながる地理的条件にある。
長江河口がちょうど中国大陸が東に膨らんだところにあるのと、海流もここから九州南部はスムーズに走る。
チベット東部(アムド地方)や顔立ちがチベット人や日本人に似ている今でもD系統が残る長江上流(四川・雲南)から、
東に流下して長江文明の中核を担ったD系統とO2b系統の混成集団が、
漢民族(O3系統)に滅ぼされた後に、当時最先端の船舶技術で南九州中心に逃れたと考えると、
あまり無理なく説明がつきますね。

(付記)O2b系統の分布が、西日本で最大、他にはベトナムと朝鮮半島南部に分布することの説明も同時に付く。
     今は「O2系統の内で北を流れてO2b系統が朝鮮半島方面に移動した」などの説明が流されているが、
     最新のサンプルの多いデータで、西日本が分布の中心になり、O2aが多い華南より南のベトナムに、
     O2bが次いで多いことが合わない。船舶で逃れたのなら、九州を中心に一部がベトナムや朝鮮南端に逃れたと説明がつく。
     (それ以外の地域で僅かにO2b系統が確認される、ダウール人の故地も、古代燕地方で、船で移動可能。)
     D系統が、チベットと日本の間の中国大陸でほとんど無い理由も同時に説明できる。
     (D系統のほうが、O2b系統よりも集中して日本列島に入ったことになる。)
416415:2008/09/17(水) 21:20:49 ID:7TYwQ7Xt
もう一つの異論なんですが、
アメリカ中心の最新の遺伝学に基づく結果では、D系統の移動時期はかなり古く、
C系統とともにホモ・サピエンスとしては、最古の出アフリカを果たしたとされています。
これが主に何万年も前の氷河期の時期に、年中温暖だったユーラシア南縁を東に移動して、
チベットより先に、日本列島に入った可能性が高いとのことです。

(付記)インド亜大陸にD系統が見つからないから、ヒマラヤの北側を通ったとの反論が
    このスレでなされていますが、アーリア人の侵入後に、特に父系のDNAがアーリア人に
    置き換わったと判明している現在のインド亜大陸でも、「ヒマラヤの南側」のブータン、
    ネパール、シッキム、アッサム、インパールなどに、D系統そのものが多く分布しています。
    このことと、D系統祖型のほとんどが、インドの東の沖合いのアンダマン諸島でみられることから、
    もし陸上を通ったとしても、今以上の氷河に覆われたチベット高原ではなく、
    ヒマラヤの南側を通ったと考えられます。
    (この場合もチベットのD1より日本のD2が古い前提とは合わないですが。)

日本人のD2は、他にはほとんど見つからないにもかかわらず、分岐系統が多いので、
古くから日本列島にのみ住んだと考えられるのです。
そして、チベットや中央アジアのD1系統、D3系統は、海外(但し日本と韓国は除く)で考えられているように、
日本列島から北アジア経由で西進してチベットに入ったか、もしくは
ベンガル湾岸からヒマラヤ周辺にD祖型から分岐したD1、D3が後の時代に広がったと考えられます。
417415:2008/09/17(水) 21:47:13 ID:7TYwQ7Xt
連投で申し訳ありません。

D系統の分布が、日本とチベットのあたりに分かれていることについての説明で、
「元々は華北平原を中心にYAP+のD系統が分布していたとされるが、O3系統などに
 淘汰される形で島国の日本と、高原のチベットのみに残ったO2bと同様に敗者のDNAである云々・・・」
というような説が出回ってしまっているが、特に酷い説明だと言える。
まず華北平原がD系統の分布の中心だった理由が全く不明。
おそらく、昭和時代の「日本人の多くは華北あたりから朝鮮半島を通って日本にやって来た農耕民族。」
みたいな説に、引きずられて、無理やりこじつけで整合性をつけただけと思われる。
(D系統はどちらかと言えば、縄文系の狩猟・採集民。)
(また農耕民族であるO2系統(弥生人)でさえ、華北や朝鮮半島の大部分と違った、水田農耕民。)
(戦前の大東亜共栄圏の考えには都合が良かったし、戦後は韓国などとの共同研究に影響されすぎ。)

もしも華北平原がD系統分布の中心だったのであれば、日本のD2、チベットや中央アジアのD3,D1以外の
サブグループが、少ない頻度ながらもう少しは残っているはず。
もしくは、日本とチベットで共通のDのサブグループが存在してないと不思議である。
418出土地不明:2008/09/17(水) 22:39:38 ID:cOO88Ux8
  金印>銀印>銅印>泥印

日本は古代より金印(公印)>韓国は泥印(公印)銅印(私印)であり
中世の地位は琉球(金メッキ銀印)>朝鮮,銅印(公印)でしたとさ。
哀れ韓国。
http://www.geocities.com/lookeast20022002/wa.html
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfriend&page=13&nid=50586

「倭国」・・「漢委奴国王」・金印
「邪馬台国」・・「親魏倭王」・卑弥呼,金印紫綬
「クシャン朝」・・「親魏大月氏王」・ヴァースデーヴァ(波調)金印紫綬
「雲南,?王」・・「?王之印」・金印
「光武帝の子」・・「廣陵王璽」・金印
419出土地不明:2008/09/17(水) 23:49:31 ID:mUR4kGwW
確か山東半島にもYAP+は数%残っていると何かで見たがな。

それに弥生人は沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由してくる最中に
水田稲作を知って九州北部に上陸しただけ。

もともと水田農耕民だった訳ではないね。
420出土地不明:2008/09/17(水) 23:50:31 ID:mUR4kGwW






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





421出土地不明:2008/09/18(木) 01:51:17 ID:Mjc/Vs67
後漢光武帝の建武元年(25年)に復設された制度として、諸侯王には金璽綟綬(きんじれいじゅ)、
公候には金印紫綬、九卿などの中二千石・郡太守などの中二千石・校尉や中郎将などの比二千石には
銀印青綬、以下は銅印黒綬、銅印黄綬が与えられている。

「倭韓遂屬帶方」倭韓は
帯方太守の管轄下にあったはずであるが、太守の銀印青綬より位の高い金印紫綬を卑弥呼は得ており、
「難升米を以て率善中郎將となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し」ということで、彼等が
同等となり、太守の心境は複雑であったろう。

使いの者と帯方太守が同等とは、倭国の評価がそれだけ高かったと言える。
422月光仮面:2008/09/18(木) 10:23:04 ID:t4sFY2oF
>>413
八百万の神が天の安河の川原に集まり、どうすれば良いか相談をした。オモイカネの案により、様々な
儀式を行った。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を
採り、鍛冶師のアマツマラを探し、イシコリドメに命じて八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8
祭神 天御影命(天目一箇神)  古代製鉄の神を祀る。神体山の三上山を祀る。
http://kamnavi.jp/ym/mikami.htm
http://jinja-kikou.net/oumi-kotou2.html
鏡とは天目一命がこの地で鏡を作った故事によるともいわれている地。
http://jinja-kikou.net/oumi-kotou3.html
近江湖東の古社巡り
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/clm/yw0077.html
伊勢 遺跡
http://www2.city.moriyama.shiga.jp/iseiseki/ise1top.htm
伊勢 遺跡
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/iseiseki.html
423月光仮面:2008/09/18(木) 10:24:40 ID:t4sFY2oF
「紀元1世紀末頃に、この遺跡は突如出現し、紀元2世紀末に衰退し始める。つまり、邪馬台国時代前夜
に、発達を遂げた不思議な遺跡
30棟の棟持柱付大型建物が円周上に配置されていると聞いて、筆者がすぐに思い浮かべた建物が
ある。出雲大社の東と西の十九社である。我が国では、旧暦の10月を通常「神無月(かんなづき)」と呼ん
でいる。10月10日に全国の神々が出雲大社に集られ、10月11日から17日までいろいろな神議りを行
わうため、出雲以外では神々が不在になるためである。東と西の十九社は、出雲に集まった神々の
御旅社、つまり宿舎だそうだ。 」
「この住居跡から復元される建物の規模の大きさには驚くべきものがあるが、さらに注目すべきはその
床と壁にあった。住居をつくるのに、先ず深さ80cm以上掘り込み、次に厚さ約25cmの粘土を床面に
貼り、その上面を焼いて整え、さらに約8cmの精良な粘土を貼り高温で焼いて固めている。こうした床を
焼床(やきどこ)といい、従来にはなかった建築工法である。この床にはさらに、直径2cm程の穴が多数、
開けられていた。一方、壁際には40cm×30cm、厚さ約8cmのレンガと思われる建築部材が少なくとも
5個以上見つかっている。日本で出土した焼成の最古のレンガは白鳳時代の7世紀後半とされてきたが、
その歴史が500年もさかのぼることになる。」
http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/ise%20iseki.htm
424月光仮面:2008/09/18(木) 10:26:24 ID:t4sFY2oF
「野尻遺跡は、中ノ井川(なかのいがわ)水系沿いの標高96〜101m前後の地点に立地する複合遺跡(ふく
ごういせき)です。自然流路(しぜんりゅうろ)や大溝状遺構(おおみぞじょういこう)から土器や木製品がま
とまって出土しています。古墳時代には竪穴建物(たてあなたてもの)のほか、周囲に溝と柵を巡らせた
豪族居館(ごうぞくきょかん)とみられる遺構が確認されています。」
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/gakushu2/data/2052/index.html
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/gakushu2/data/2052/2052_No3.jpg
「野洲川下流で数多く見つかっている弥生時代の遺跡のうち、服部遺跡と並んで大規模なものに、
下鈎遺跡(しもまがりいせき)や伊勢遺跡(いせいせき)があります。」
http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/midori/jigyou/yasugawa/trivia/agri01.html
下之郷遺跡
http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/simonogo%20iseki.htm
425月光仮面:2008/09/18(木) 11:55:55 ID:t4sFY2oF
葦原中国平定
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AD%B2%E3%82%8A
汝(あ)は天日隅宮に住むべし、今まさにつくりまつらむ、すなわち千尋の拷縄(たくなわ)を以て結いて百
八十紐にせむ。其の宮を作る制は、柱は高く太く、板はすなわち広く厚くせん。またみ田つくらむ、また汝
がかよいて海に遊ぶ具のために、高橋(一書第二によれば天の安河にかける)、浮橋および天鳥舟また
つくらむ。『日本書紀』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E9%81%BA%E8%B7%A1
426出土地不明:2008/09/18(木) 14:20:59 ID:iMMggaT2





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




427月光仮面:2008/09/18(木) 16:28:58 ID:t4sFY2oF
2005年6月24日付けKrasnoyarskiy Rabochiy紙
グラスコフ文化はエベンキ族の祖先であり、太陽を崇拝し、
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_1?display=preview
エジプト太陽神ラーの神話に通じていた・龍が太陽を咥える絵
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_2/orig
オシホはヨセフ、ホヒはアポピスである可能性がある。これで装飾古墳の図案の起源も
わかる。
428月光仮面:2008/09/18(木) 17:36:06 ID:t4sFY2oF
>>423
「住居をつくるのに、先ず深さ80cm以上掘り込み、次に厚さ約25cmの粘土を床面に貼り、その上面を
焼いて整え、さらに約8cmの精良な粘土を貼り高温で焼いて固めている。こうした床を焼床(やきどこ)と
いい、従来にはなかった建築工法である。この床にはさらに、直径2cm程の穴が多数、開けられていた。
一方、壁際には40cm×30cm、厚さ約8cmのレンガと思われる建築部材が少なくとも5個以上見つかっ
ている。」
「ややこしい話は表にしましょう。百済熊津時代の王陵と貴族墓は,次のとおりです。
年代 熊津時代前半 熊津時代後半
磚室墓 なし 新登場→王陵
宋山里型石室 新登場→王陵 →貴族墓に転落
表井里型石室など 貴族墓 貴族墓 」
「では,いつから「熊津時代後半」なのでしょう。百済の磚室墓は武寧王陵と宋山里6号墳の2基があり(
このほかにも可能性が指摘される例はある),前後関係は解決していませんが,ここでは洪?植氏のよ
に,武寧王(462年 - 523年)陵から熊津時代後半と考えておきましょう。」
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/clm/yw0077.html
磚室墓が百済では6世紀なのに日本には焼き床は神話時代だ。
429出土地不明:2008/09/19(金) 13:28:14 ID:vOXXZkJG






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





430出土地不明:2008/09/20(土) 08:36:13 ID:eve1pOOc

三内丸山遺跡ってあれも出雲の文化ですよね?
431出土地不明:2008/09/20(土) 08:42:41 ID:6IERiMvF
up
432月光仮面:2008/09/20(土) 12:56:24 ID:6IERiMvF
現在の発掘状況ではこんなもの↓ 出雲は玉造りで有名だが、現代風に言えば産業誘致地域のような
面もあったのかなー。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/12dai1bunomatome/sannnaimaruyama_koueki.jpg
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/12dai1bunomatome/kahoku_baikaru.jpg
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_12_1nihonnjinnzou.html
433月光仮面:2008/09/20(土) 13:44:19 ID:6IERiMvF
これは三内丸山だが↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index58/002.jpg
「ロシア極東細石刃の最古のものはBP4900。沿海州Zerkalnaya川 (Suvorovo-IV及びBogopol-IV期)
出土、搬入天然石、天然六角天然石は極めて興味深い。これは遺跡の中心地に置かれ、後の日本縄文
の石棒及び太陽シンボル石組みを伴う石柱として知られる一連の遺物を伴う天然の植物の葉の形をした
バイフェイス石器という特別なものも出土している。」とされている。
三内丸山の高坏、これは沿海州ヤンコフスカヤ文化に残るし、後漢書では
ワイが使用し、邑婁は使用しないとされている。魏志倭人伝の倭人は使用した。
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index58/010.jpg
歴博 展示解説 
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index58/kaisetu.html
434月光仮面:2008/09/20(土) 14:08:17 ID:6IERiMvF
>>428
玄室表面焼結は前4-3世紀、ミヌシンスク盆地タガール文化サルガシェン期に発生、その後テシン期
(前2-1世紀)の大型蒼穹墳において一層の発展を見た。Derevyankoによれば中国領土内のポリツェ文化
である、Wanyanghe文化はBC30-100年頃、住居は55M3以下の竪穴住居、宅内は藁混入粘土塗り焼結
仕上げ。埋葬儀礼に転用され、磚室墓となったものが中国の四川から楽浪方面に広がるのが後漢で
あり、百済などはずっと遅れるのだが、近江伊勢遺跡では1-2世紀頃、更に、ポリツェ同様製鉄が重視
されている。 >>423 天の野洲川の議会を仕切ったのは(吉備を仕切った)天孫ではあるまいか。
これが河内を政略結婚等で口説く(庄内期)が、結果としては傭兵神武が先陣を切って侵攻を開始する。
435月光仮面:2008/09/20(土) 14:15:40 ID:6IERiMvF
風の祭りの盆踊り歌「二百十日の真夜中に六角へのこが飛んできて村の後家さん逃げ回る」という
六角へのこの意味が沿海州の遺跡から見えてくるようだ。
436月光仮面:2008/09/20(土) 15:37:00 ID:6IERiMvF
小河墓女性墓標は六角の柱、男性は軍配形の柱でそれぞれ異性生殖器を表すが、素材はポプラ。
驚くべきは3800年の砂嵐に耐えた六角の稜線はあたかも鉄器で製材されたが如く鋭い稜線を残し
ていること。青銅は貴重品でやっとブローチに残るだけ。これは何で加工されたかと考えると細石刃
である。牛の生皮で包まれた逆さ舟形の木棺の加工も恐るべき木工技術であった。墓標には
中近東思想を表す7本の切り溝もあった。しかし、これを加工したのはバイカル湖文化センターの
モンゴロイドではなかったであろうか。
437出土地不明:2008/09/20(土) 16:07:20 ID:vsOGVFQ5





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




438月光仮面:2008/09/21(日) 10:54:41 ID:vwc8AA9f
>>433 訂正↓これを、
>「ロシア極東細石刃の最古のものはBP4900。沿海州Zerkalnaya川 (Suvorovo-IV及びBogopol-IV期)
>出土、搬入天然石、天然六角天然石は極めて興味深い。これは遺跡の中心地に置かれ、後の日本縄文
>の石棒及び太陽シンボル石組みを伴う石柱として知られる一連の遺物を伴う天然の植物の葉の形をした
>バイフェイス石器という特別なものも出土している。」とされている。
↓このように訂正する。
(Tabarev Andrey Vladimirovich 更新世・完新世移行期における人類の環太平洋進出 Novosibirsk 2004)
「最近沿海州Zerkalnaya川遺跡で非常に興味深い搬入自然石、天然の六角石柱、の発見があった。これ
らは遺跡の中心部に配され、後に日本縄文石棒及び太陽象形石組みを伴う石柱として知られて来る一連
の遺物を伴う。Suvorovo-VI 遺跡においては植物の葉の形 が自然に残された(floral print) バイフェイス
製品という独特な発見物[Krupyanko, 1997]があるがこれは全く特別なものとして分類される。」
439月光仮面:2008/09/21(日) 11:03:58 ID:vwc8AA9f
Suvorovo-VI ではなくZerkalnaya (Suvorovo-IV/ Bogopol'-IV) [Krupyanko, Tabarev, 2001]. だった。
これだとC14Cal年代が↓
Suvorovo-4 - 15300+140 (Ki-3202)(Kuzmin, 1990, 1991; Vasilyevsky, Gladyshev, Tabarev, 1992); 15105
+110 (AA-9463)(Kuzmin, 1994); 15900+120 (AA-36626
つまり、確かに三内丸山よりは古い。するとあの三内丸山の高坏も一緒に入ってきたのかなー。
440月光仮面:2008/09/21(日) 11:15:02 ID:vwc8AA9f
>>433
http://khasan-district.narod.ru/arheol/period.htm
五列目に
Ustinovskaya
(-細石刃-)
(18170+/-150 do 10780+/-50BP) - 早期遺跡
細石刃はもっと古かったんだな。
441出土地不明:2008/09/21(日) 23:42:04 ID:iPJ30t5l






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





442月光仮面:2008/09/22(月) 13:55:30 ID:TrEcUeYY
>>379-380
上記2004年Vostretsov論は2006年に下記の通りUpdateされている。
気候寒冷化海退、(IV(縄文後期)を除き)農耕民族拡大
I ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5400―5200BP 縄文前期
II ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4700―4300BP 縄文中期
III Margaritovskaya文化* ・・・・・3600―3300BP 縄文後期
IV (戦国時代) ・・・・・・・・・・・・・ 2500―2200BP 縄文晩期
*本文化遺跡出土石器の基本的なものは(槍先、ナイフ等の)青銅器を模倣した器具の特徴が出ている
修正加工及び研磨製品。土器としては、首の広い各種押紋の付いたオーバーハングで広がる分厚い
口縁部を持つゆったりとした形状の土器 光沢のある明るい暗赤色の厚壁土器。本遺跡の特徴は
青銅器にあり、葉形槍先、平円錐形ペンダント、槍、ペンダント、組合せ鋳型、ソケット式二重スペード
形銅鏃、釣り針鋳造用組合せ鋳型。形状と寸法が現在の短剣に近い透明でやわらかい材質の石材
を使用したナイフほ本遺跡独特のもの。
殷の前の沿海州にこうした青銅器文化があったということはどえらいことになる。
443月光仮面:2008/09/22(月) 14:49:35 ID:TrEcUeYY
訂正
(IV(縄文後期)を除き→III Margaritovskaya文化* ・・・・・3600―3300BP 縄文後期 を除き
つまりこの時代は気候寒冷化海退はあったが、農耕民族の拡大はなく、特記事項としたは
Margaritovskaya文化が沿海州海岸部に到来したということ。
444月光仮面:2008/09/22(月) 16:16:09 ID:TrEcUeYY
↓このセイマトゥルビノ文化
http://users.hartwick.edu/anthonyd/opening.html
↓これを見れば一目瞭然なんだが、ちょうど、Margaritovskaya文化と同じ時期に当たっている。
http://www.metmuseum.org/toah/ht/03/nc/ht03nc.htm
つまり、カザフスタン方面から東進して太平洋岸に達したものもあった。その流れの線上でカラスク
文化が生まれたと考えられる。
445出土地不明:2008/09/22(月) 19:22:22 ID:vjQw3aR0
>>419
そこはちょうど、倭寇の攻撃を何度も受けて中国が防塁をこさえたりした場。
恐らく倭寇の略奪の痕跡だろう。
(ちなみに後期倭寇のチェジュ島は倭人系の国家、耽羅国なので、YAP+で当然)
446出土地不明:2008/09/23(火) 01:17:50 ID:BBDEyV6T





137 名前:出土地不明 :2008/08/20(水) 12:22:17 ID:BKuFXVIB
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで水田稲作はない。

弥生人が沿海州から船で朝鮮半島東岸を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは貯蔵穴のはず。




447出土地不明:2008/09/24(水) 01:00:42 ID:Tlatr51g

日本人はどこから来たのではなく、日本列島に到達したホモ・サピエンスが環境変化に
付随してホモ・サピエンスが携えた普遍的な文化上に日本列島固有の文化を生じせしめた。
(縄文時代以降顕著になる)これをもってホモ・サピエンスが日本列島の文化的特徴を伴う
こととなり、単なるホモ・サピエンスからホモ科(ヒト科)の日本人になるである。

日本人は来たのではなく、日本人になったのである。
448月光仮面:2008/09/24(水) 13:33:29 ID:Bd8RWBx5
>>374
デレヴャンコによる突帯文土器とグラスコフスカヤ文化の関連説明
デレヴャンコ「古代の道は現代に至る」より。
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000041/st008.shtml
「バイカル湖Bolshaya Chana湾から南行すると湖岸はかなりの湾によって分断されている。特に興味のあ
るのはKurla岬からSeverobaykalsk市に至る広大な湖岸平地である。距離にして15-20kmではあるが、こ
の辺では古代集落遺跡が多く発見されている。
http://maps.yahoo.com/;_ylc=X3oDMTExNmIycG51BF9TAzI3MTYxNDkEc2VjA2ZwLWJ1dHRvbgRzbGsDbGluaw--#mvt=m&lat=55.62571&lon=109.345745&zoom=6
われわれは、ここで新石器時代仮泊地及び鉄器時代早期集落と共に、複雑な層をもつ2ヶ所の遺跡発見
に成功した。この2つの遺跡間の距離は小さかった。第一の遺跡はバイカル湖岸の高い段丘にあるMalaya Kurla川の河口から300m上ったMalaya Kurla谷で発見された。芝の下の褐色砂交じり粘土層で水で磨耗
した川石の上に、表面が円滑であり、紐の痕の付いた、刷毛及びスタンプで押して刻まれた文様を持つ、
容器及び土器の砕片が集まっていた。容器表面は円滑であり、基本的には2つの形状があって、弱輪
郭、厚手ズン胴平底甕で、表面には分断貼り付け突帯があり、突帯表面に装飾があるものと、薄手で胴が
膨らんでいて、口縁に斜めの刻目があり、その下に貼り付け突帯があり、その下には紐で押した痕がはっ
きり付いているものとかあった。一つの容器は形状も装飾もバイカル湖周辺グラスコフ文化埋葬遺跡から
出土する容器と瓜二つであった。この時代はバイカル湖、アンガラ川峡谷に住み着いていた民族が銅製
品の使用を開始した時期に相当する。」
449出土地不明:2008/09/24(水) 14:20:32 ID:GbthgjgB
>>448
問題は九州北部に刻目突帯文土器が登場するBC10Cと向こう側、
つまりバイカル湖周辺の刻目突帯文土器の生産時代が一致するのかどうか。

向こう側は銅器が登場してきているから日本よりも後に登場してきた
ものの恐れはないか?がいやまん。
450月光仮面:2008/09/24(水) 15:49:09 ID:Bd8RWBx5
これをみてよ↓
前二千年紀国家・民族
1 殷・商
2 龍山文化諸族の要塞都市群
3 沿海州狩猟漁労民族(貝塚系)
4 グラスコフ狩猟漁労民族
5 アンドローノヴォ農耕民族
6 スルブナ農耕民族
7 ウラルシギル泥炭地狩猟牧畜民族
8 アバーシェボ狩猟農耕民族
9 ファチアノボ牧畜民族
10 ドニエプル中流牧畜民族
11 晩期トリポリエ農耕民族
12 ドニエストル上流農耕民族/コマロフ文化
13 ウネチツ(後のラウジッツ)農耕牧畜民族
14 スイス水上生活農耕民族
15 ドナウ河峡谷水上生活農耕民族
16 ポー河峡谷テラマール水上生活農耕民族
17 東沿ライン河民族
18 南沿バルト牧畜農耕民族
19 東バルト牧畜農業漁労民族
20 スカンジナビア農業牧畜民族
21 英国青銅器民族
22 フランス農耕牧畜クルガン民族
23 牧畜農耕青銅器鋳造文化エル・アルガール集落
24 クレタ島・南ギリシャ古代文化
25 前アジア国家群
26 トロイ
27 古代エジプト
28 トリアレチ・クルガン墳南コーカサス農耕牧畜民族
29 アナウII、III農耕集落と隣接するアンドローノヴォ系諸民族集団
30 アンドローノヴォ系農耕牧畜タザバグヤブ民族
31 ハラッパ文化圏
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000016/pic/map11.gif
弥生というのはこうしたマラソンのゴールの一つなんだね。

451月光仮面:2008/09/24(水) 16:24:31 ID:Bd8RWBx5
>>449
突帯文土器文化とは思いがけない時と場所で発生している。例えば南シベリアではスキタイ時代(日本で
言えば吉野ヶ里の頃)皮製容器、例えば皮ひも付き水筒のようなものを真似た突帯土器があり、こういう
のは黒海北岸にもあるようだ。ところが、>>448 で発見されたのは下層に狩猟文化がり、層位によって
明確にグラスコフ(上の地図参照)並行とされるところで発見されている。
刻目突帯文土器の先駆けではないかとねらんでいるのに趙宝溝がある。何らかの呪いのような意味とか
http://www.pitt.edu/~chifeng/pottery/Zhaobaogou4a.jpg
伝統があるのかもしれない。
452出土地不明:2008/09/24(水) 21:33:32 ID:SpdOJ899
>>445
耽羅国は、確かに少しは(10%程度?)YAP+が入っているかもしれないが、
縄文系ではなく、倭人系(弥生系)ということは、基本的にO2系統だと思う。

但し、現在の済州島は元の影響で、モンゴルの血もかなり濃いから、
(血液型比率で済州島は日本に似ていない。むしろ朝鮮半島では慶尚南道だけが例外で日本に近い。)
父系ならなおさらC3系統やO3系統も多いだろうと思う。
453出土地不明:2008/09/25(木) 00:22:44 ID:8v6qF9V9
元時代、済州島というか、実際に朝鮮半島に入ったのは
モンゴル人ではなく、元の支配下だった『満州人』。
454出土地不明:2008/09/25(木) 00:23:44 ID:8v6qF9V9






水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、
倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3





455出土地不明:2008/09/25(木) 03:46:08 ID:7pRfct0D
ところでお前らのy染色体は?
456月光仮面:2008/09/25(木) 09:39:23 ID:1WU1pFAN
>>442
↓この通り訂正
*Margaritovka青銅器文化とは、札幌の西の沿海州Olga、その近辺のValentin、Kiyevka、Yevstafiya及びMoryak-Rybolov湾等にある遺跡群。本文化遺跡出土石器の基本的なものは(槍先、ナイフ等の)青銅器
を模倣した器具の特徴が出ている修正加工及び研磨製品。土器としては、太首各種押紋コーニス口縁厚
手弱輪郭壺及び光沢表面の明暗赤色食器。 本遺跡の特徴は青銅器にあり、葉形槍先、平円錐形ペンダ
ント、槍、ペンダント、組合せ鋳型、ソケット式二重スペード形銅鏃、釣り針鋳造用組合せ鋳型等。 形状と
寸法が現代の短剣に近い透明でやわらかい材質の石材を使用したナイフは本遺跡独特のもの。
Margaritovka文化は多層遺跡。よく調査されているのはMoryak-Rybolov、Siniye Skaly住居跡とSinikh
Skal及びBulochka山麓の洞窟を伴う住居跡。年代は前2千年紀後半。マルガリトフカ文化の産業は多分
野のものとして復元され、原始牧畜、潜在的農業、狩猟、漁労、採集、各種家内工業、青銅器鋳造を
含む。
457月光仮面:2008/09/25(木) 11:00:30 ID:1WU1pFAN
弱輪郭というのは彫が浅いことをいい、強輪郭とは彫の深いことをいうらしい。
458月光仮面:2008/09/25(木) 13:25:58 ID:1WU1pFAN
>>451
突帯文土器だが、バイカル湖Glazkov文化、黒竜江・松花江Wanyanghe-Poltse文化、 吉林省Tubren文化、
韓国、美沙里、江原道旌善、本村里、蔚山市玉見等とか日本各地、バイカル湖Glazkov文化から裏日本
東北にかけての木製食器、竹細工、マゲワッパ等とGlazkov文化の白樺加工文化に共通のものを感じるが、
土器の起源は籠のようなものであり、突帯文とは桶のたがのようなものを真似ているのかも。ところが
沿海州ウラジオストーク後背地では紀元前4-3千年紀にこんな突帯文土器が出現している。
http://khasan-district.narod.ru/arheol/liter_1849/mis_sh8.jpg
459出土地不明:2008/09/25(木) 16:48:08 ID:a72pwVRY
引篭もり馬鹿、  そろそろ失せろ!
460出土地不明:2008/09/25(木) 22:45:13 ID:LBkTA2d4
>>455
DNA鑑定したことある香具師なんて、そんなに居ない希ガス
461出土地不明:2008/09/26(金) 00:25:02 ID:urcK6G68
>>460
DNA鑑定とY染色体測定は違うんだが・・・
462出土地不明:2008/09/26(金) 10:53:51 ID:KwZHBe5E
>>455
ハプログループCですがなにか?
463出土地不明:2008/09/26(金) 14:05:00 ID:5m46Xx1c
>>455
ハプログループD2ですがなにか?
464出土地不明:2008/09/27(土) 01:34:34 ID:yTP1npSj
>>462
C1とC3どっちですか?
465出土地不明:2008/09/27(土) 09:57:19 ID:oU8lDKwX
>>464
Genographic Projectだとサブタイプまで出ないんだよ。
466出土地不明:2008/09/27(土) 12:41:20 ID:yTP1npSj
>>465
GENETIC MARKERSにリストされているマーカーであれば
サブタイプまで出るみたいですね。C3やD2、O3などはそこまで出ます。
O2はその下のサブタイプまでは出ないようですね。
C1はリストされていないのですが、C3であればC3と出るので、
Cと出たという事は、おそらくC1でしょうね。
C1は貝文文化人の末裔であり、D2とともにオリジナル日本人です。
良かったですね。
467出土地不明:2008/09/27(土) 13:53:06 ID:/ZI966cp
YDNA Haplogroup C 2008 ISOGG tree:
C (RPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260)
C* Found especially in          South and South East Asia ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ズンダランド
C1 (M8, M105, M131, P122) Limited to a low frequency in ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Japan
                                                           (第一次)
C1*
C1a (P121)
C2 (M38) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ズンダランド
Typical of Polynesians and certain populations of eastern Indonesia and Melanesia
C2*
C2a (formerly C2b) (M208)
C2a*
C2a1 (formerly C2a) (P33)
C2a2 (P54)
C3 (M217, P44, PK2)
C3* Typical of Buryats, Mongolians, Daurs, Kalmyks, Manchus, Sibes, Oroqens, Koryaks, and Itelmens;
also found with significant frequency among other Tungusic peoples, Koreans, ・・・・・・・・・・・・Ainus,
                                                           (第二次)
Nivkhs, Altaians, Tuvinians, Uzbeks, and Han Chinese[1][2][3][4][5][6]

C3a (M93) Observed sporadically among ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Japanese[7]
       (第3次)
C3b (P39) Typical of the Na-Dene peoples of North America ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北米に渡る
C3c (M48, M77, M86) Typical of Northern Tungusic peoples, Kazakhs, Oirats, Kalmyks,
Outer Mongolians, Yukaghirs, Nivkhs, Koryaks, and Itelmens, with a moderate distribution
among Southern Tungusic peoples, Inner Mongolians, Buryats, Tuvinians, Yakuts, Chukchi,
Kyrgyz, Uyghurs, Uzbeks, Karakalpaks, and Tajiks[4][8][9]

C3d (M407) Observed sporadically among Yakuts and Han Chinese[7]
C3e (P53.1)
C3f (P62)
C4 (M347) Typical of indigenous peoples of Australia ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・豪州に渡る
C4*
C4a (formerly C4b) (M210)
C4b (formerly C4a) (DYS390.1 del)
C5 (M356) Limited to a low frequency in South Asia and the Arabian Peninsula ・・・・・アフリカに後退か
C5*
C5a (P92)
C6 (P55)
ズンダランドを最初に飛び出したものは日本列島に上陸したようだ。
468出土地不明:2008/09/27(土) 15:41:37 ID:oU8lDKwX
>>466
正確には「C(M130)」だからC1じゃないようだ。
東南アジア系?
469出土地不明:2008/09/28(日) 01:40:17 ID:vs3tO3eb
【アメリカ】祇園祭とシオン祭…「日本人とユダヤ人は共通の祖先を持つ?」 米ブロガーが「日ユ同祖論」を検証[9/27]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1222517474/l50
470出土地不明:2008/09/28(日) 12:43:57 ID:ENmDQB68
>>468
ハプログループCであればC1でもC3でもM130は共通に持ちます。
日本ではC1とC3以外は確認されていないため、C3という判定が出ないハプログループC
あればC1で間違い無いと思います。
>>467を参考にすれば、
C1はRPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260に加えて、M8, M105, M131, P122を
マーカーに持つグループ、
C3はRPS4Y [M130], M216, P184, P255, P260に「加えて」、M217, P44, PK2をマーカーに
持つグループという事になります。
Genographic Projectは安価な分析(それでも$110ですが・・・)のため、割とメジャーな
ハプログループ以外はサブタイプまでは出してくれません。(欧米白人系のR系統は細かい)
ので、ハプルグループCの場合、C3以外は全てCに分類されてしまいます。
471出土地不明:2008/09/28(日) 12:49:53 ID:ENmDQB68
ちなみにC1は今のところ日本以外では見つかっていない(痕跡が無い)ので、
どういう経路でやってきたかは謎のままです。
D2は低頻度ながら朝鮮、中国でも確認できます。
472出土地不明:2008/09/28(日) 14:45:00 ID:ENmDQB68
水稲農耕は工程が100あると言われるほど高度な熟練技術を要する、知識集約型農業です。
日本にはほぼ完成された形で持ち込まれており、水稲農耕民そのものの移動があったと考える方が自然です。

農耕民族ではない者が、移動途中に水田を見たからといって、水稲農耕の技術を日本に伝えるのは不可能です。
技術を必要とする文化が到来するには、一定数の技術者集団が移住してくる必要があります。
技術を持たない一般市民が未開の地に自動車と共に渡っても、自動車を再生産できない事と同じです。

朝鮮半島南岸から縄文土器が見つかっているため、縄文人と半島南部の交流があったのはほぼ間違いないと思われます。
そのため、日本より朝鮮半島の稲作開始が早かった場合は、縄文人が水稲農耕を学んで日本に持ち帰った可能性もありますが、
日本での試行錯誤の痕跡が無いため、今のところその可能性も少なくなります。
473出土地不明:2008/09/28(日) 15:15:28 ID:ENmDQB68
長江流域から水稲農耕民が来たのなら、当時の炊飯器が日本から見つからないのは変だ、という疑問に関しても、
水稲農耕技術を持つ者は渡来したが、炊飯器の製作技術を持つ者が渡来しなかった、と単純に説明できます。
日本の縄文時代においても、縄文土器を作る専門の技術者集団の存在が指摘されており、当時から職業分化が
進んでいたと考えても変ではありません。
炊飯器が高度であれば高度であるほど専門技術者を必要とします。
また農耕民は農耕に特化して炊飯器は自作せず、物々交換等で入手する方が効率の面から考えても有利です。
炊飯器は作れないが、水稲農耕技術を持つ民が日本にやってきた。日本には縄文土器があり、
それを薄くする等の改良を加えると十分炊飯器として使えた(弥生土器の誕生)ので、
結局元の地の炊飯器は顧みられなくなった、というストーリーは成り立ちます。
技術を要する文化の到来には、技術者の存在、原材料や環境の適合性、そして何よりも既存の技術より
圧倒的に有利な面がある必要があります。
炊飯器を作る技術者がほとんど来なかったか、来ていたとしても弥生土器の方が縄文人の既存技術者を
活用できる等で有利だったため、炊飯器が選択されなかった、とも考えられます。
長江人が来たかどうかは別として、「日本では出土しないから、その地域の人は来なかった」とは単純に言えないと思います。


474出土地不明:2008/09/29(月) 14:57:43 ID:lG/Wna1l
>473

渡来人してきた人たちが「稲作」を持ってきたにしろ、
縄文人(海人)が稲作を習得してきたにしろ、
「炊飯器の製作技術を持つ者が渡来しなかった」ことに同意。

土器を作るのって古代ではほぼ世界共通で女性の仕事ですよね。
ある意味シャーマニズムというか「生む」ことの神秘というか・・。

男性は土器製作を習得しなかったし、古代では船に女性を
乗せるのは禁忌的な風潮があったというので、連れてこなかった
といえるのではないでしょうかね。
475出土地不明:2008/09/29(月) 19:10:06 ID:iKqcgDFz
                             
 皆さん、面白い事実を教えてあげましょう!!

 実は、古代の京畿湾(黄海に面する京畿道の湾)に、倭人が住んでいたんですよ。
中国の歴史書=漢書・地理誌に、その記録があります。

「夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国を為す。歳時を以って来り献見と云ふ」
<漢書・地理志>

『楽浪郡の海の中に倭人が住んでいるよ。100ヵ国あまりの倭人国があるよ』
と、いう意味です。どうですか、面白いでしょう。
 「楽浪郡の海」っていうのは、黄海のことですね。半島中部の西側。それは京畿湾しかない。
今の江華島、永宗島、喬桐島、席毛島、霊興島、仙才島、大阜島、これらの島々に倭人が住んでいたと
記録されているんですよ。
 つまり、半島の南部はもちろん、半島中部(西側)も古代日本領土だったということです(笑
楽しい話でしょう。



476出土地不明:2008/09/29(月) 20:09:57 ID:1CjtS5/3
>>475
「倭人」が固有名詞ではなく一般名詞である可能性は?
477出土地不明:2008/09/29(月) 22:36:38 ID:bNhazwVK
>>475
楽浪海中って日本海ってのが通説でしょ。
478出土地不明:2008/09/30(火) 07:37:54 ID:cnbFDS5r
「縄文人=バイカル湖畔起源」説を最初に説いた
松本秀雄「日本民族の源流」のすごい所は、
当初大陸書房の「日本古代文明シリーズ」の一冊で在ったこと。
つまり、「日本のピラミッド」「日本の宇宙人遺跡」「古事記以前の書」
「日本の故郷はヒマラヤ山麓」等のトンデモ本と同じ扱い。
当時は「縄文人=南方起源」が定説だったからねえ。
それが今では、「縄文人=バイカル湖畔起源」と言うのが定説になった。
479月光仮面:2008/09/30(火) 10:54:19 ID:vQ3uFxFE
>>458
日本のまげわっぱ
http://www.kcb-net.ne.jp/kotan107/syouhin.html
突帯文土器の原型をよく留めるブリャートのまげわっぱ、「トゥイェース」
http://www.ivanovoweb.ru/MyGalery/albums/userpics/10001/Tueski2.jpg
ロシアではマグ、ジョッキのように柄をつけるが、土器においても同様の傾向があるようだ。
http://schools.techno.ru/ms45/create/2000_01/my_ornam5b/MTRF/MTRF.htm
480出土地不明:2008/10/01(水) 02:35:25 ID:KrXtSpaR
>>471-474
学問板で最も不自然、まさに不自然さのエベレストとでも言うべき
詭弁の長編大作を自演も兼ねてわざわざご苦労さんw

さてさて、

日本最古の水田遺構からは当時の沿海州方面の土器と特徴が一致する
土器が出土しているけど何か?

そこには縄文土器にはない新型器種、貯蔵器の壺、盛付器の高坏、
煮沸器の甕が新たに登場して加わっている。

貯蔵器の製作技術を持つ者と盛付器の製作技術を持つ者がしっかりと
やって来ているのに、どうして炊飯器の製作技術を持つ者だけが
やって来ないの?

というか、貯蔵器の製作技術を持つ者と盛付器の製作技術を
持つ者が代わりに作ればいいだけじゃないの。

単に浅鉢に棒足を三本付ければいいだけだろうが。

それに縄文土器を改良するより三足土器をさっさと作った方が早いじゃないの。

それに縄文人の既存技術者を活用するなら教えて作らせればいいだけじゃないの。

炊飯器、三足土器が伝わっていないのは、ただ単純に、



 中 国 か ら や っ て 来 て い な い か ら 。



たったそんだけの話。
481出土地不明:2008/10/01(水) 03:40:21 ID:kWTQ2HkT
>>480

471−473と474は別人です。

>日本最古の水田遺構からは当時の沿海州方面の土器と特徴が一致する
>土器が出土しているけど何か?
文献ソース求めます。既出かもしれませんが、最近このスレにやってきたので。

農耕民族でない者が何故水田を見ただけで水稲農耕技術を伝えられたかについて
現在の稲作農家(=私の実家)が納得できる説明を求めます。
これが可能であれば、水田を見た事のあるほとんどの人が水稲農耕を習得できるはずです。
現実には、土地等諸条件がそろっていても、文字情報のある現在ですら、
稲作を修得できるには短くても4、5年かかります。
貴方は、土地と水があれば、今すぐ稲作を開始できますか?
もちろん、沿海州からの移動途中に5年程度朝鮮南部に滞在したのであれば、
貴方の説は現実味を帯びます。

貴説は、現在は可能性のある1つの説にすぎません。自説を展開するのは全く問題ないと思います。
ただ、反論可能な諸説ある中で、断定調に書く事に違和感を感じる方は少なくないはずです。
少なくとも、沿海州来訪説を唱える論文なり書籍は提示すべきと思います。
(沿海州にこんな文化が栄えた、ではなく、その文化がどんな理由で、どのように日本に来て
稲作を伝えたか、がきちんと説明されているもの)
それを読んで納得できれば、今後一切の反論は致しません。

482出土地不明:2008/10/01(水) 04:09:56 ID:KrXtSpaR
全部勝手な決め付け。

おい、ニート。

俺は寝るぞ。
483出土地不明:2008/10/01(水) 09:44:27 ID:8SGAWqtA
>>479
職人の弁当は皆まげわっぱです。
「輪 二葉 来栖 三角」 形も技もとても素晴らしいですね。
けど、中仕切りの配分の割には、蓋の二色分けが逆さだと思います。
でないと若いもんに「示」が付きません。
 


面白い
484月光仮面:2008/10/01(水) 10:50:43 ID:nWLATaDH
窯業は伊万里、有田から東は益子等太平洋岸に広がりますが、製造工程の一部に乾燥が入るのでしょ
うか、裏日本では漆器、お椀、まげわっぱとなる。つまり、食器へのニーズに対応する産業であり、
日本の気候が地域的に特徴を持っているから、供給サイドのこれに対応しているッツーことでしょうね。
弁当用としては瀬戸物もありますが、もったいなさ過ぎて置き場所に困りますね。プラスチック金物では
味気ないし、ご飯のうまみが心理的になくなる。
485出土地不明:2008/10/01(水) 13:29:08 ID:2TqOz+AP
>>481
その前に弥生開始時の最古の水田遺構から出土する最古級の弥生土器が
どんな土器なのか君は知っているのかね?
486出土地不明:2008/10/02(木) 02:26:42 ID:+etRH7fK
>>480
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!

1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕
/風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕
/重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...
487出土地不明:2008/10/02(木) 02:27:33 ID:+etRH7fK
1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で,
後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している.
この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器.
と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を
支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
488出土地不明:2008/10/02(木) 02:28:52 ID:+etRH7fK
一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。

伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...
489出土地不明:2008/10/02(木) 02:30:11 ID:+etRH7fK
>>山形県から「殷の青銅刀子」が出てました。

山形県境の飽海郡遊佐町女鹿地区の三崎山からの青銅刀子の発見は他の
遺物から判断して紀元前1000年頃の殷の時代の物とされて ...杉沢出土
遮光器土偶. 吹浦出土の縄文土器, 三崎山出土 青銅刀子, 鶴岡出土の土偶 ...
http://homepage2.nifty.com/hekisui/choukaisan/choukasan%20%2004%20seidoutousu.htm
490出土地不明:2008/10/02(木) 02:37:38 ID:HgTak+X0
>>488
この重藤遺跡ってやつだけど、検索してもほとんど情報でてこないんだよな・・・
誰か詳しい人居たら教えてほしい。
491出土地不明:2008/10/02(木) 03:15:04 ID:k72u6Xe6
今日も来たのかウンコくせえ醜悪な台湾江南ベトナム顔工作部隊員。

懲りねえなオマエも。


>>486-487
青森の三足土器は三足が後付けで中国本土のものと製作方法が異なり、
沿海州南端や朝鮮北端の一部にある鬲と製作方法が一致しているので
沿海州方面から持ち帰ったもののコピーだと解決済みだろが馬鹿。


>>488
BC7Cは弥生時代だが何か?

大分の三足土器も基本的に青森と同じ沿海州南端や朝鮮北端からの
輸入物だろうね。

何で渡来人の中心地、福岡平野で出ないのかをよく考えな。


>>489
その青銅刀子の輸入先の沿海州南部はBC10C頃にはもう青銅器時代に
入っているよ。
492出土地不明:2008/10/02(木) 03:39:53 ID:Pn/eOuSe
>>491
今日も来たのかキムチくせえ醜悪な朝鮮ウジムシ工作部隊員。

懲りねえなオマエも。
493出土地不明:2008/10/02(木) 07:29:12 ID:3DMuq3Cl
>>491>>492
取り合えず、お前等二人とも黙れ。
494出土地不明:2008/10/02(木) 12:52:25 ID:iJmvFl+K
正しい事を言う邪魔な日本人の事を江南ベトナミー台湾用語で
チョン、朝鮮人と言うらしいねw
495出土地不明:2008/10/02(木) 14:12:54 ID:3DMuq3Cl
日本ミャオ族教VS日本朝鮮民族教
…お前等、自説を証明する気が無いんだな。
496出土地不明:2008/10/02(木) 14:22:40 ID:iC2BRtL5
日本朝鮮民族教??????????

北方アジア説なら俺も含めて沢山いるが、朝鮮説なんてここの誰が唱えてるの?
497出土地不明:2008/10/02(木) 15:05:45 ID:ed4ohEGR
古代人骨からの核染色体DNAの解析技術が確立すれば、
古代のY染色体ハプログループの分布が明らかとなり、
いずれはほぼ決着すること。

ネアンデルタール人の核DNAの解析結果もあと2〜3年で出るそう。
それより年代の新しい1万年前以降の古代人の解析は
ネアンデルタール人よりも容易だし、
しかもまずはY染色体のみ解析出来ればよいので、
そう遠くない将来には解析が進むと思われる。

日本の人骨は土壌が酸性のためDNAの劣化が進み、難しいかもしれないが
周辺アジアはかなり明らかになると思う。

それまで好きに議論すれば?

俺はハプログループD2だから、弥生以降の日本人がどこから来ようが興味ない。
むしろD2のルートに興味がある。
498出土地不明:2008/10/02(木) 15:26:47 ID:iC2BRtL5
ルーツ捜査において考古遺物の精度の前にDNAなど単なる子供だまし。
499出土地不明:2008/10/02(木) 15:43:41 ID:ed4ohEGR
>>498
はいはい。

では考古遺物から縄文人のルーツを教えてくれ。
別にそれでも構わんぞ。信じる信じないは俺次第だし。

500出土地不明:2008/10/02(木) 16:34:03 ID:sCF+xcq3
>>497
> 俺はハプログループD2だから、弥生以降の日本人がどこから来ようが興味ない。
浅はかな考え方だな。

100年で3世代としても、2000年で60世代だ。
ハプログループで分かる祖先なんて115京分の1でしかない。
501出土地不明:2008/10/02(木) 17:58:27 ID:ed4ohEGR
>>500
別にいいじゃねぇか。115京分の1でも。
Y染色体は混ざらないんだから、そのルーツだけでも辿れれば、
それはそれで楽しいし。
502出土地不明:2008/10/02(木) 21:31:59 ID:sCF+xcq3
>>501
いや、「それはそれで楽しい」ことは全く同意なんだが、他は興味ないってのはちょっと偏りが……。
503出土地不明:2008/10/02(木) 21:59:54 ID:HgTak+X0
で、重藤遺跡ってどうなんよ!誰もおせーてくんないし!フンだ!(´・ω・`)
504出土地不明:2008/10/02(木) 23:21:45 ID:nZG7G5+5
>>371
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。



ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


505出土地不明:2008/10/02(木) 23:46:30 ID:sR5wS13i
まあ、学者様も大変な時代になったなw
506出土地不明:2008/10/03(金) 16:06:04 ID:iGOIfTGl
>>496
いや、だから「稲が何処から来たか」と言う問題についてだよ。
頭に「日本」と付けたのは、最初「日本○○党」みたいに名づけようとしてたから。

「チョン」「ベトナム顔」…
お前等、自分の説を証明するのも忘れて、罵り合いか?
お前等どっちも馬鹿なんだよ。
507出土地不明:2008/10/03(金) 16:07:50 ID:b5fQOZUN
>>504
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf


508月光仮面:2008/10/03(金) 16:57:18 ID:xdfmO5Ob
◇◇サンカ 及び 山の民 ◇◇
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1222415855/menu41-51
パーセンテージではO2に匹敵する4株ものチベット・雲南(山岳農業牧畜)型のYAP+Dが日本に入るのは
相応する平地型農耕民O2に歩調をあわせているのであろう。多少、例えば、山東省の泰山方面等で
活躍していた連中もあったであろうが、要は、川上型適応の連中である。文化的にはアルタイのオークネフ
文化を継承しているのであろう。突瘤文、有孔列点文の甕が得意で、こけしに似たものも作る。
鬼方、エフタル/滑、發、狛、穢/シ歳・・・エフタルの前身で形質的にパミール白人と前18世紀頃にアル
タイで混血もしている。
509月光仮面:2008/10/03(金) 17:32:14 ID:xdfmO5Ob
江原道春川は牛頭州であるが、山城・高地性集落建設者であるオークネフ族は牛頭を神とする。つまり、
スサノオを祭る。神紋の巴、三ツ星は彼らの神紋である。弓の達人であり、宗教家である。南九州の
タンカンサーは服装からしてジンギスカンであり、おそらく彼らの神であろう。
510出土地不明:2008/10/03(金) 17:53:32 ID:xF1W6hac
韓国陶磁の歴史 [伊藤 郁太郎]

朝鮮半島における近年の考古学上の収穫の一つは、土器の起源に関する新資料の発見である。
いうまでもなく、陶磁の歴史は先史時代の原始土器をもって幕を開けるが、朝鮮半島の場合、
櫛目文土器を最古のものとする見解が、従来の通説であった。ところが1969年から71年にかけて
釜山市影島区東三洞貝塚における櫛目文土器の層の下から、縄文土器系の尖底・円底無文土器
や平底隆線文土器などが発見され、注目を浴びるところとなった。それらは櫛目文土器とは
明らかに異なる特徴を持ち、その層位や伴出石器などから見て、櫛目文土器より古い文化層
に属するものと考えられている。放射性炭素年代測定によると、紀元前4000年紀を示し、それを
前提とする限り、西北シベリアの影響を受けたと考えられて来た櫛目文土器より、大幅に時代を
遡ることとなった。これら先櫛目文土器と名づけられたものは、東三洞のほか、慶尚南道新岩里
や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見され、最古の土器文化がひろい地域にまたがっていた
ことが推測される。そして、それらの中に含まれていた豆粒文土器が、わが国の長崎県泉福寺洞穴
や福井洞穴などから発見される日本最古[紀元前12000年紀]と考えられている豆粒文土器と
類似することは、日本との交流の歴史を考える上できわめて興味ある間題を提出している。
511出土地不明:2008/10/03(金) 23:38:54 ID:RbmBCUqC
>>辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに
割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻す
こと)と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

当時の秦語と云えば今の西安辺りの方言で、中国の中心言語、今の北京語に相当。
その彼らが苦役を逃れて新羅に亡命、こんな中国の中心集団が多勢来てるのに

粗製灰陶で出来ている鬲、灰陶を焼く原始的な穴窯も鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も兵馬俑、土器、青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な楽器もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。

 土器人ちゃん如何してかな。中国人がウソを書いたのか、説明よろしく。
512月光仮面:2008/10/04(土) 09:22:16 ID:B61dngpq
>>510
沿海州ボイスマン湾新石器ザイサノフスカヤ期(5780±60 - 3090±35BPC14Cal)遺跡では
3710 +/- 40BP頃に、短期間に、縄目文土器が出現。バイカル湖東岸ブリャート共和国コトケリ
でも年代は不明だが出現している。この短期間の見慣れない土器と言うのがくさいね。
513月光仮面:2008/10/04(土) 11:14:58 ID:B61dngpq
>>509
オークネフ土器
http://www.nhkm.ru/imgs/ancient/okunev_cult_2_sm.jpg
オークネフこけし
http://www.nhkm.ru/imgs/ancient/okunev_cult_3.jpg
コークネフ人は惑星、恒星の衛星を始とする天体活動を観測し、数千年の過去未来を数値で描き、
その数値で画像を作成した。ロシアによって解読されたその内容は母なるMagna Materを女性の
妊娠期間で表現している。蝕が数値/画像で表現されているとのこと。彼らは夕月を天体に描かれる
牛の角とし、神を表すものとした。牛頭天王というのは天の王、天神である。彼らは大月氏国とか
エフタル国をもつくり、豹の牙を首飾りとする習慣は南米アマゾンのモホスでモンゴロイドの巨人王
として出現、ドイツの世界的研究所により形質的には弥生時代に日本東北地方人骨と同一とされ、
日本の大学によって山東、遼東方面遺伝子と確認されている。
514月光仮面:2008/10/04(土) 11:23:08 ID:B61dngpq
ターリム盆地小河墓の白人ミイラは形質的にはクロマニヨン人に類似する古欧州人であったが、
埋葬は牛の角、7本の線が無数に出現する墓標、日本の神楽面、能面の起源と思しき仮面が
出土し、以外にはいたちの毛皮等が付随しており、狩猟に長けたオークネフ人によるものであること
をにおわしていた。又、泥人形もあり、おそらくはこれは殷、周期に鬼方、土方とされたものが、西戎
を葬ったものではないかと思われる。ブローチは崑崙山系のものであり、類似の墓標は現在ビルマ
の山地で見られる。
515月光仮面:2008/10/04(土) 11:42:21 ID:B61dngpq
「星神社 坂庭神社[さかにわ]  [サカニハ] 大己貴命 配 天香香背男神 、牽牛、織姫 
國常立命、國狹槌命、天照皇大神  愛知県名古屋市西区上小田井1-172
愛知県小牧市多気東町9
由緒
  鎮座地名古屋市西区上小田井1丁目172番地、祭神、大己貴命、天香々背男神、牽 牛、織女、
  延喜式神祇巻第九尾張国山田郡19座、並小ノ内17座目、坂庭神社とある是 なり現在の坂井戸町
  にありました。尾張本国帳に従三位坂庭神社(天神)(一本に作 正四位下)とある、毎年7月7日
  (旧暦)社内に祭場を設け奥に土壇を築き酒を注ぎ 天香々背男神に牽牛、織女の二星を合せ祀る
  故に通名酒庭星社と言い伝えています。」
http://homepage2.nifty.com/vajura/J-sikinai.htm
土方と言うものが天神、月日星の巴、三ツ星・・・天香々背男神、牽 牛、織女を受ける大地國常立命、
國狹槌命であることがわかる。
516月光仮面:2008/10/04(土) 13:08:24 ID:B61dngpq
邪馬台国の卑弥呼の鬼道とは↓
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/kagura.htm
中国人にはそうとしか言いようがなかったのではなかろうか。カルチャー・ショックである。
517月光仮面:2008/10/04(土) 14:00:46 ID:B61dngpq
>>515
「封壇  ハニタンと読みます。土を台形に盛って神祭りの祭壇にしたようです。これが(1)の寛政五年の
頃にも築かれていたかどうかはこれらの資料だけからはわかりませんが、(1)のはじめに「壇高サ三尺
五寸」と記されておりますので、あるいは昔からの祭壇の造りだったかもしれません。それにしても高さ三
尺五寸とは相当大規模なものです。
青體幣帛、白體幣帛、五色幣帛  アヲトノミテグラ、シロトノミテグラ、イツイロノミテグラ 青布、白布、
5色の布を竿に付けて長く垂らしたもの。鯉幟の吹流しのようなものと考えられます。これらを立て沢山の
神饌品を捧げてお祭りをしています。
祭神
大土御祖神  大土神、土祖大神(ツチノオヤノオホカミ) 土の守り神
埴安姫神    イザナギノミコトがカグツチノ神ヲ生み給うた時に焼かれて命(いのち)死に給う。ここに
その大便が化して埴安姫となる。
倉稲魂神    スサノヲノミコトから生れ給う神。穀物の霊神。
大己貴神    大国主命の別の御名。
少名彦神    海の彼方から小船に乗って現れ、大国主命と力を合わせて国づくりをされた。
 これらの神々は、土や農業にかかわりが深い神々です。 」
http://homepage2.nifty.com/sugao/sub04.html
この辺が土方の信仰対象であろう。Magna Materである。
518出土地不明:2008/10/04(土) 14:23:27 ID:n0QBQquo

504 :出土地不明:2008/10/02(木) 23:21:45 ID:nZG7G5+5
>>371
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。



ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
519出土地不明:2008/10/04(土) 18:33:42 ID:ZenwlBGo
>>476
>「倭人」が固有名詞ではなく一般名詞である可能性は?

その可能性は十分ある。つーか、百済人や志羅紀人も倭人系だしね。
半島の倭人は日本列島の倭人に支配されていたので、彼らを日本人と呼んでもよい。

>>477
>楽浪海中って日本海ってのが通説でしょ。

そういう説が広く信じられているが、異議を唱えているわけ。
漢書が成立した時代=AD1世紀は、楽浪郡は黄海沿岸地方にあった。
今の北朝鮮・黄海道から韓国・京畿道あたりの地方。
楽浪郡は、基本的に半島の西北部に位置したシナ属領なんだよ。
だから、「楽浪郡の海」といえば、黄海に面する京畿湾と考えるのが
合理的だ。


520出土地不明:2008/10/04(土) 19:08:21 ID:ZenwlBGo
                    
■百済は日本人が建てた国である。神話は存在しない。

 朝鮮には、下記のような百済建国神話があるという。


 朱蒙には3人の息子がいた。長男の琉璃(ルリ)が高句麗の王位を継いだため、弟の沸流(プル)と温祚(オンジョ)は
国を出て南へ向かい、それぞれ国を作った。
 海辺に建国した兄の沸流は失敗し死んだが、山辺に建国した弟の温祚は成功して百済の始祖となった。


 兄弟が争い、海辺に住んでいる兄が敗北し、山辺に住んでいる弟が勝利する、というこの「朝鮮の話」は、
明らかに日本神話の『海幸彦と山幸彦の伝説』を基に創作されたものである。
 また、建国王が北から南へ向かうというストーリーも、朱蒙伝説の焼き直しである。

521出土地不明:2008/10/04(土) 21:38:35 ID:t55BBwMQ

507 :出土地不明:2008/10/03(金) 16:07:50 ID:b5fQOZUN
>>504
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf
522出土地不明:2008/10/05(日) 06:59:18 ID:DwPgDGGR
>>520
…で、日本の方が先だと言う根拠は?
523月光仮面:2008/10/05(日) 10:39:47 ID:E4y+/1dX
>>508
沿海州、朝鮮半島日本海沿岸の民族名称は多岐に渉る。東シ歳Wiki中国語版では;
東シ歳 諺文 Dongye 朝鮮漢字 東シ歳 羅馬字 Dong(-)ye 馬-ョ轉寫 Tongye
東シ歳是存在于公元前二世紀至五世紀的古代朝鮮半島東北部部落。東シ歳原為西漢時所置的臨屯郡
管轄,北与高句麗和沃沮,南与辰韓,西与楽浪郡接壤。 其領地相當於今天朝鮮的咸鏡南道和江原道
(北)以及韓国的江原道 (南)。
東シ歳在公元前108年前是衛滿朝鮮的從屬部落。朝鮮國滅后漢朝在此設立臨屯郡,後併入樂浪郡。
樂浪郡沒後成為高句麗的附属。在公元400年左右,高句麗好太王呑併東シ歳。 高句麗勢力从此深入
朝鮮半島中部。東シ歳部分南部則与新羅融合。
東シ歳与沃沮同属扶余的分支。《三國志》稱東シ歳有約2万戸,以農業耕作為生。東シ歳法律厳正占用
公用土地者。東シ歳人与高句麗人同在毎年的第十个月挙行載歌載舞,武術表演的祭天儀式。東シ歳
人視老虎為神物。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/04/%E5%89%8D%E4%B8%89%E5%9B%BD.jpg/200px-%E5%89%8D%E4%B8%89%E5%9B%BD.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/5a/History_of_Korea-001.png
524月光仮面:2008/10/05(日) 10:45:43 ID:E4y+/1dX
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/5a/History_of_Korea-001.png
南方に進路を取れば対馬海流に乗り、出雲・隠岐・能登半島に漂着する場所に位置している。
525月光仮面:2008/10/05(日) 11:03:51 ID:E4y+/1dX
>東シ歳 人視老虎為神物。
「信貴山朝護孫子寺は、全国の毘沙門天を祀る社の総本山とされる。「縁起」の概要は以下のとおり。
聖徳太子が、朝敵物部守屋を討伐しようとこの山に来て、戦勝の祈願をすると、天空遙かに毘沙門天が
出現して、必勝の秘法を授けてくれた。
その日は奇しくも《寅年、寅日、寅の刻》であった。聖徳太子は、そのご加護で敵を滅ぼすことが出来た。
用命天皇2年(587)。世が治まって後、聖徳太子自ら、毘沙門天の尊像を刻み、伽藍を創建して、信ずべ
き山尊ぶべき山「信貴山」と名づけた。延喜2年(902)、醍醐天皇から病気快癒に謝して、「朝護孫子寺」
の勅号が贈られた。以来、信貴山の毘沙門天は虎に縁のある神として信仰されている。」
http://www15.plala.or.jp/timebox/top/07sinsi/fukuda/tora/tora-1-1.html
聖徳太子は阪神タイガースのファンであったか、或いは、シ歳人であったのであろう。

526出土地不明:2008/10/05(日) 14:37:32 ID:nHKV1Y8d
アンデスには日本人と同種がいるが、これに対しての意見は?
527出土地不明:2008/10/06(月) 17:01:52 ID:QnBJzw1b
>>519
郡東部の嶺東(日本海側)7県には軍事組織として東部都尉が置かれ
528出土地不明:2008/10/06(月) 18:46:26 ID:6whDzq9i
馬鹿だろ、日本人が日本以外の何処から来るんだよ。w
529出土地不明:2008/10/06(月) 20:20:05 ID:PztzKiML

504 :出土地不明:2008/10/02(木) 23:21:45 ID:nZG7G5+5
>>371
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。



ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
530出土地不明:2008/10/06(月) 23:34:05 ID:8IawuEeT
>>辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲
したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)
と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

当時の秦語と云えば今の西安辺りの方言で、中国の中心言語、今の北京語に相当。
その彼らが苦役を逃れて後の新羅地域に亡命、こんな中国の中心集団が多勢来てるのに

粗製灰陶で出来ている鬲、灰陶を焼く原始的な穴窯も鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も兵馬俑、土器、青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な楽器もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。

出土遺物が揃って無いからと云って、渡来を全否定出来るほど確かなものでは有りません。
ただ、馬鹿で、無知で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる三足土器人の創作デムパです。
531出土地不明:2008/10/07(火) 00:35:57 ID:DrWA5Omm
>>530
言いたい事がよくわからん。
「人が多数来ているのに、元いた土地の文化や土器が伝わっていないケースがある。
 なので、三足土器が伝わっていないからといって、中国江南地方から人が来ていないとは
 全否定できない」という事か?

532出土地不明:2008/10/07(火) 00:41:46 ID:ouI3eu71
単に文献自体がデムパなんだろがw

楽浪郡遺跡からは灰陶も青銅鼎も龍信仰も中国楽器も漢字も馬車も金銀器も
傘もガッツリ出てるじゃねえかこのボケナス台湾ゴリラw
533出土地不明:2008/10/07(火) 00:45:26 ID:DrWA5Omm
>>531
スマソ。自分の文章も読み返すとよくわからん。
「人が多数来ているにもかかわらず、元いた土地の文化や土器が全く伝わっていないケースもある。
 なので、『三足土器が出土されないから、中国江南地方から人が来ていない』とは
 断言できない」という事?

うーん。分かり辛いな。俺も馬鹿の一員か。失礼した。

534出土地不明:2008/10/07(火) 00:53:45 ID:DrWA5Omm
>>526
誰か回答してやれよ。俺は馬鹿だからよくわからんが。

535出土地不明:2008/10/07(火) 01:05:52 ID:ouI3eu71
そいつは朝鮮煙幕を駆使して日本人の目を朝鮮以北に向かうのを
カットアウトして、日本人のルーツを台湾人祖郷の長江江南に
誘導工作をやっている台湾国策工作員。

注意しろよ。
536出土地不明:2008/10/07(火) 01:42:08 ID:Gc7iDEME
>>532>>535
前から何度も言うように楽浪郡と、後の新羅地域は500Kほど離れてて
日本に例えると福岡ー大阪ほど離れてるんだぞ、福岡から灰陶が出たから
大阪も灰陶文化圏だと言ってる様なもんだぞ。

少し位は少ない脳みそ使えよキムチの食べすぎか。!!!
537出土地不明:2008/10/07(火) 01:45:46 ID:DrWA5Omm
俺は別に長江江南ルーツでも沿海州ルーツでも構わんけどね。
なんか、馬鹿には分からん領域か・・・
失礼しますた。

538出土地不明:2008/10/07(火) 03:36:00 ID:ouI3eu71
>>536
だからその文献の内容自体がデムパなだけだろがこの東南アジア野郎w

楽浪郡がBC108年に設置されて粗製灰陶の楽浪瓦質土器の生産が
始まると、ほどなく南朝鮮でも楽浪瓦質土器の影響を受けた
還元焔焼成の三韓瓦質土器の生産がすでにBC1Cから始まる。

日本で灰陶、つまり須恵器の生産が始まるのが4C後半。

もちろん半島帰化人が伝えた瓦質土器をさらに高温焼成した
朝鮮陶質土器だがな。

中国からの人の定着なんて全く無かった証拠だよ。

ま、ウンコくせえ江南ベトナム顔をクシャクシャにして
泣くんだな醜悪な下等生物の台湾ゴリラw
539出土地不明:2008/10/07(火) 06:38:18 ID:qm+6ZJZg
地球外生命体スレか
540出土地不明:2008/10/07(火) 10:46:57 ID:h27J5RDH
でも日本人は遺伝子的には韓国朝鮮人や中国人とは違う訳でしょ?
文化は当時、陸がつながってた可能性もあるぐらいだし。
間の海の中まで調べると何かわかるんじゃないの?
541出土地不明:2008/10/07(火) 12:53:55 ID:iufGOAwx



507 :出土地不明:2008/10/03(金) 16:07:50 ID:b5fQOZUN
>>504
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf

542出土地不明:2008/10/07(火) 18:31:00 ID:87jR4D52
>>538
YAPマイナス偏平野郎、自分の国へ(・∀・)カエレ!
543出土地不明:2008/10/07(火) 20:19:32 ID:QcGuZVds
台湾にか?

ああ、YAPマイナス広鼻ブラック野郎だったなwwwww
544出土地不明:2008/10/07(火) 21:08:00 ID:S/vJyjEC
韓国陶磁の歴史 [伊藤 郁太郎]..朝鮮半島は縄文人の生活圏か?孔列文,突帯文,縄文系土器など。

朝鮮半島における近年の考古学上の収穫の一つは、土器の起源に関する新資料の発見である。
いうまでもなく、陶磁の歴史は先史時代の原始土器をもって幕を開けるが、朝鮮半島の場合、
櫛目文土器を最古のものとする見解が、従来の通説であった。ところが1969年から71年にかけて
釜山市影島区東三洞貝塚における櫛目文土器の層の下から、縄文土器系の尖底・円底無文土器
や平底隆線文土器などが発見され、注目を浴びるところとなった。それらは櫛目文土器とは
明らかに異なる特徴を持ち、その層位や伴出石器などから見て、櫛目文土器より古い文化層
に属するものと考えられている。放射性炭素年代測定によると、紀元前4000年紀を示し、それを
前提とする限り、西北シベリアの影響を受けたと考えられて来た櫛目文土器より、大幅に時代を
遡ることとなった。これら先櫛目文土器と名づけられたものは、東三洞のほか、慶尚南道新岩里
や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見され、最古の土器文化がひろい地域にまたがっていた
ことが推測される。そして、それらの中に含まれていた豆粒文土器が、わが国の長崎県泉福寺洞穴
や福井洞穴などから発見される日本最古[紀元前12000年紀]と考えられている豆粒文土器と
類似することは、日本との交流の歴史を考える上できわめて興味ある間題を提出している。
545出土地不明:2008/10/07(火) 22:43:32 ID:4+HrFmrl

504 :出土地不明:2008/10/02(木) 23:21:45 ID:nZG7G5+5
>>371
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。



ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
546542:2008/10/07(火) 23:16:43 ID:PtA1L00H
>>543
あのな、俺はD2だから、れっきとしたYAP+なんだな。
俺様は縄文系で色白で鼻が綺麗に高いので、台湾人には見られないなー。
似てるのは目が二重なところぐらいかな。

簡単なことなんだ。
偏平一重釣り目在日野郎が、台湾でも朝鮮の南でも北でも他のどこでも、
お好きなYAPマイナスの国に帰ってくれればみんな幸せになれる。
できれば、YAP+の多い国には移民しないでね。
547出土地不明:2008/10/07(火) 23:37:20 ID:4+HrFmrl
馬鹿。

俺はリアル日本人だし、ほとんどの朝鮮人は偏平一重釣り目をしていない。

偏平一重釣り目は北方蒙古人種の特徴。

朝鮮人は中央蒙古人種だから、あまり扁平な顔をしていない。

無知を晒しているだけw
548出土地不明:2008/10/08(水) 01:11:03 ID:bn+eE3zT
>>547

リアル日本人を名乗るなら、Y染色体を調べてからにしな。
ルーツ捜査においてDNAの精度の前に考古遺物や形態など単なる子供だまし。

549出土地不明:2008/10/08(水) 01:32:48 ID:Umio64tM
ネットの世界、いくらでもウソを吹聴できるわな台湾人クンw

だがな、もうおまえらの創作話は全て破綻しているし、
正体がバレバレなんだよ。

最初からどうとでも解釈できるものをさらにおまえら南方中国人の都合の良い
材料もにや解釈を上乗せして中国共産党方式、つまり南京虐殺方式で本当になるまで
一億回でも一兆回でも頭の弱い日本人に向かって唱え殺し、ねじり込む。

でもそこには何も考古遺物的な一致は見られず考古学会はパニックするだけ。



これ以上、凶悪な組織的外国人犯罪があろうか?


これ以上、凶悪な国際テロ活動があろうか?


550出土地不明:2008/10/08(水) 02:22:20 ID:6pc2jCR9
>偏平一重釣り目


眞子様の事か?w

おまえ眞子様は不細工か?在日か?w

http://jp.youtube.com/watch?v=bVqmVxRVcY4&feature=related
551出土地不明:2008/10/08(水) 14:42:10 ID:Q0n2lWRT



507 :出土地不明:2008/10/03(金) 16:07:50 ID:b5fQOZUN
>>504
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf

552出土地不明:2008/10/09(木) 01:46:07 ID:0qzRi6Yt
>>550
眞子様は、一重瞼っぽくはあるが、瞼の脂肪は多くなくて(なので写真によっては普通に二重瞼に見える。)
朝鮮人に良くあるような瞼が重くて全体に斜めに釣り上がった細くキツイ目はしてないので、
すっきりしていてなおかつ御可愛らしく見える。

頬骨が全く出ていないで、鼻とかほっぺたが目立つので、
全く偏平ではなくて、柔らかい印象を与えます。
553出土地不明:2008/10/09(木) 09:12:04 ID:/1Ek7Pbi
縄文人とは、三つの民族の集まりである。

すなわちシュメール、ユダヤ、スキタイである。

シュメールは最古の文明を築いた農耕民族。毛深く、ずんぐりむっくりで、口がでかい。

ユダヤはキリストを輩出した遊牧民族。毛深く、垂れ目で、鼻がでかい。

スキタイは最古の騎馬遊牧民族。毛深く、つり目で、背が低い。
554出土地不明:2008/10/09(木) 14:46:55 ID:NUSgXdun
>朝鮮人に良くあるような瞼が重くて全体に斜めに釣り上がった細くキツイ目はしてないので


大部分の朝鮮人はそんな目はしていないな。

大部分の朝鮮人の目は細くない。
555出土地不明:2008/10/09(木) 18:25:37 ID:8obpPYQ+

504 :出土地不明:2008/10/02(木) 23:21:45 ID:nZG7G5+5
>>371
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。



ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
556出土地不明:2008/10/09(木) 23:53:26 ID:2RGUwYJS
>>553
> ユダヤはキリストを輩出した遊牧民族。毛深く、垂れ目で、鼻がでかい。
いったいお前は何人のキリストを知っているんだ?
557出土地不明:2008/10/10(金) 06:23:22 ID:5q+DNHlt
有許諾。リンクを貼っておきます。
ttp://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/index.html

スミマセン、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。
たくさんの学説があるので、他のものが正しいのかは、わかりかねます……。
558出土地不明:2008/10/10(金) 17:32:59 ID:QRFV5bUO
>>556
なんにん?なにじん?
559出土地不明:2008/10/10(金) 19:30:18 ID:RJBENCJt
                            
★『高麗の日本侵略が失敗して残念だ・・・』と、韓国人が発言−
                       
【『高麗・モンゴル連合軍の日本征伐』、中世東アジア関係史に新たな光】

 モンゴルは、13世紀に世界征服を夢見て全世界の70%を征服した帝国だった。高麗軍とモンゴル軍の連合軍は
日本征伐に乗り出したが、勝利を目前に巨大台風で最強艦隊が沈没して、野望も散り失せた。
 その背後にあった歴史的真実は何だろうか。

 『高麗・モンゴル連合軍の日本征伐』(キムヨン社)は、高麗・モンゴル連合軍の日本遠征を通じて、
中世・東アジア関係史を新しい視点から見た本だ。モンゴルと高麗、日本がたどった13世紀・東アジア史を
描いている。

 歴史上の人物探求に力を注いできたフリーランサー作家の鄭スンテ氏が、2003年から1年間「月刊朝鮮」に
連載した現場検証記事を追補したものだ。
 第一回遠征時の高麗の将帥である金方慶(キム・ハンギョン)の活躍、人口200万に過ぎなかったモンゴルが
世界征服を成し遂げた秘訣、三別抄の抗争過程と意義などを詳しく説明する。
 鄭氏は、この戦争が第二次世界大戦のカミカゼ特攻隊を生み、21世紀の教科書歪曲や靖国参拝にまでつながる
『日本民族主義』の子宮だと分析する。700年前の高麗・モンゴル連合軍による日本征伐(侵略)の失敗が、
壬辰倭乱(訳注:秀吉の朝鮮出兵のこと)や、日本の韓半島強占といった痛切な現実として現われた、というのだ。
 鄭氏は、この戦争が高麗・モンゴル連合軍側の勝利で終わっていれば我が国の歴史は丸っきり変わっていたはずだ、
と口惜しがる。

▽ソース:スポーツ朝鮮(韓国語)(2007/02/25 12:16)
http://sports.chosun.com/news/news.htm?name=/news/life/200702/20070226/72z23003.htm

560出土地不明:2008/10/11(土) 13:56:53 ID:6jVoDcNt



507 :出土地不明:2008/10/03(金) 16:07:50 ID:b5fQOZUN
>>504
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf

561出土地不明:2008/10/11(土) 20:58:29 ID:amIOKd8v
アラブ系

スキタイ→堀北真希
ユダヤ→木村拓哉
シュメール→宮崎駿


アジア系

穢→仲間由紀恵
漢→新垣結衣
蒙古→MEGUMI、釣瓶
562出土地不明:2008/10/12(日) 15:35:34 ID:khvW1ZGq
                         
■古代カラ半島における『民族戦争』の歴史
                                                                 
 西暦313年に、高句麗が楽浪郡に侵攻して滅ぼした。翌314年には楽浪郡南部の帯方郡を滅ぼした。
この時、楽浪郡に居住していた漢人および倭人が難民化し、半島の南部−任那(西韓)に流入した。
 任那を支配していた任那日本府(大和朝廷が半島南部の沿岸地区に設置した総督府。大宰府の協力機関)は、
これらの難民を保護し、彼らの一部を日本に移住させ、残りの漢人・倭人を任那北部(現在の忠清道地方)で
軍事組織化し、高句麗軍と戦わせた。
 そして346年、旧帯方郡地方(今の韓国・京幾道)を高句麗から奪還すると、その地を彼らに与え、国を建てさせた。
これが『百済』(バイヂェ)の始まりである。
 つまり、百済は楽浪郡の難民たちが、大和朝廷の政治的・軍事的支援を受けて建てた国なのである。
百済建国時に、半島中部の倭人たちが任那(西韓。百済領は後世、この地に移動する)に逃げてきた事実からも
明らかなように、全羅道(古代においては任那)は半島の倭人勢力の避難場所だったのである。
 任那へ避難したのは半島中部の倭人だけではない。西暦200年代初頭に、ケリン(現在の江原道南部にあった国)が
シラキ(知ら城。現在の韓国・慶尚道地方にあった倭人国)を侵略した際にも、シラキの倭人たちは西韓(任那)へ
避難したのである。
 西暦200年代から800年代にかけて、半島中部および東南部の倭人勢力は、高句麗や新羅(ケリン)の侵略によって、
半島南西部(現在の韓国・全羅道)へ押し込められたのである。
 新羅(ケリン)を建国し、7世紀に半島を統一したワイ族は、古代から半島南西部を「倭人の地」と見なし、
敵視してきた。
 これが、韓国において全羅道人が他の地方出身者から敵視され、憎悪を受けている理由なのである。
つまり、古代ワイ族の倭人に対する憎悪が、中世にも受け継がれ、さらに現代にまで受け継がれているのである。
 もちろん、全羅道の住民を、「ワイ族ではない」と言っているわけではない。現在の半島人は全羅道人を含めて、
全員がワイ族の子孫である。ただ全羅道の住民は、韓国の他の地方の韓国人と比べて、倭人の血が濃いのは事実である。
全羅道人は、その事実をまったく自覚していないようであるが。
 現代の韓国人はワイ族の子孫であるが故に、古代ワイ族の倭人に対する「敵意」を受け継いでいるのであり、
これが、韓国における全羅道人差別と反日主義の原因なのである。
 ようするに、韓国社会の中に定着している『全羅道人差別』と『反日主義』は、実は同根なのだ。
563出土地不明:2008/10/13(月) 14:09:22 ID:faFeglMR
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
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564出土地不明:2008/10/14(火) 21:52:30 ID:tqihBQpe
>>554,562など

↓スレ違いだから、こちらのスレに書いてくれ。

朝鮮人はどこから来たか
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1190991733/
565月光仮面:2008/10/16(木) 09:39:52 ID:jomufHTM
566月光仮面:2008/10/16(木) 12:11:06 ID:jomufHTM
>現代の日本人のうち、弥生渡来人男性遺伝子は84.6%に達し、
>うち満蒙系は日本人の過半数の64.5%と言うことになる。
長江系稲作民 
O-LINE1 ..............................................................3.1%.
O-M122* ..............................................................6.6%
O-M134 .............................................................10.4% 
計........................................................................20.1%
満蒙系稲作民
O-SRY 465 * ........................................................7.7%
O-47z ..................................................................22.0%
計..........................................................................29.7%
満蒙系畑作民 
D-P37.1* ...............................................................3.9% 
D-M116.1* ...........................................................16.6% 
D-M125* ..............................................................12.0%
D-P42 ....................................................................2.3%
計 ..........................................................................34.8%
競馬の連複式にいえば、長江系稲作民は遠賀川土器人、満蒙系は突帯文土器人
であり、 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1186721165/menu115
ここにおいて分岐列の非常に長いのはユーラシア・モバイル・ノマドであったもので、
カラスク人、オークネフ人時代を経験しており、夕月の民とか、秦氏といった連中、
ホレ、昨夜のウズベキスタン・チーム的生き様の経験者であろう。逆に分岐列の、短い
ものは非常に古代から日本・朝鮮などに孤立したままであった連中と考えられる。
567月光仮面:2008/10/16(木) 12:24:14 ID:jomufHTM
「そこで土器と石器を中心に考古学的な変化を再整理し,変化を引き起こした社会背景
を検討した結果,従来からいわれているような東日本縄文文化の伝播による内的発展
だけでは説明できない部分のあることがわかり,朝鮮畑作文化の影響を受けている可
能性が考えられた。東日本からの文化伝播は集団的・組織的な人の移動を伴うので道
具・技術・精神文化の面において考古学的な変化を把握できる。しかし後者にはそのよ
うな変化がみられない。それは朝鮮畑作文化が前期から続いている大陸と縄文社会と
の情報交流の中で伝わったため,道具・技術・精神文化が体系的に伝わらなかったこと
と,母体となった朝鮮畑作文化自身が網羅的な混合農耕だったこともあって,縄文時代
の特定の生業に偏らない網羅的な食糧獲得システムとうまく適合したからと考えられ
る。道具は在来のものがわずかに変容する程度で新しい道具の出現や組成の変化
というかたちではあらわれにくかったのである。」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/seigyo/jomon.html
ここに言う↓
「それは朝鮮畑作文化が前期から続いている大陸と縄文社会との情報交流の中で伝わ
ったため,道具・技術・精神文化が体系的に伝わらなかったことと,母体となった朝鮮畑
作文化自身が網羅的な混合農耕だったこともあって,縄文時代の特定の生業に偏らな
い網羅的な食糧獲得システムとうまく適合したからと考えられる。道具は在来のものが
わずかに変容する程度で新しい道具の出現や組成の変化というかたちではあらわれに
くかったのである。」朝鮮畑作文化と弥生のそれはうまく適合し、おまけに、非常に古い
時代から共通する部分、高坏等、もあった。そのために、忍び寄るように浸透したのであ
ろう。
568月光仮面:2008/10/16(木) 12:29:08 ID:jomufHTM
↑朝鮮畑作文化と弥生のそれはうまく適合→朝鮮畑作文化と縄文のそれはうまく適合
訂正。
つまり、YAP+は痕跡ははっきりしないものの縄文時代の晩期頃から列島に渡来していた
可能性がある。
569月光仮面:2008/10/16(木) 15:35:16 ID:jomufHTM
>>448 再掲
>>374
デレヴャンコによる突帯文土器とグラスコフスカヤ文化の関連説明
デレヴャンコ「古代の道は現代に至る」より。
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000041/st008.shtml
「バイカル湖Bolshaya Chana湾から南行すると湖岸はかなりの湾によって分断されて
いる。特に興味のあるのはKurla岬からSeverobaykalsk市に至る広大な湖岸平地であ
る。距離にして15-20kmではあるが、この辺では古代集落遺跡が多く発見されている。
http://maps.yahoo.com/;_ylc=X3oDMTExNmIycG51BF9TAzI3MTYxNDkEc2VjA2ZwLWJ1dHRvbgRzbGsDbGluaw--#mvt=m&lat=55.62571&lon=109.345745&zoom=6
われわれは、ここで新石器時代仮泊地及び鉄器時代早期集落と共に、複雑な層をもつ
2ヶ所の遺跡発見に成功した。この2つの遺跡間の距離は小さかった。第一の遺跡は
バイカル湖岸の高い段丘にあるMalaya Kurla川の河口から300m上ったMalaya Kurla谷
で発見された。芝の下の褐色砂交じり粘土層で水で磨耗した川石の上に、表面が円滑
であり、紐の痕の付いた、刷毛及びスタンプで押して刻まれた文様を持つ容器及び
土器の砕片が集まっていた。容器表面は円滑であり、基本的には2つの形状があって、
弱輪郭、厚手ズン胴平底甕で、表面には分断貼り付け突帯があり、突帯表面に装飾が
あるものと、薄手で胴が膨らんでいて、口縁に斜めの刻目があり、その下に貼り付け
突帯があり、その下には紐で押した痕がはっきり付いているものとかあった。一つの
容器は形状も装飾もバイカル湖周辺グラスコフ文化埋葬遺跡から出土する容器と瓜二
つであった。この時代はバイカル湖、アンガラ川峡谷に住み着いていた民族が銅製品
の使用を開始した時期に相当する。」下図4.グラスコフ文化はバイカル湖のほとりマリタ
旧石器遺跡の跡に生まれた。
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000016/pic/map11.gif
このグラスコフ文化人が突帯文土器人として夜臼・板付1式土器時代に九州に入る。
そして長江方面から来た遠賀川土器人と共に東進する。
570出土地不明:2008/10/16(木) 20:09:10 ID:ST0EzYcf
>長江方面から来た遠賀川土器人


おいこら、がいやまん。

冗談はそれくらいにしとけよ。
571出土地不明:2008/10/16(木) 23:44:54 ID:+OjcbOha
>>566
> 弥生渡来人男性遺伝子は84.6%に達し、

「弥生系」をどのようにていぎするかにもよるけども、これはむちゃくちゃです。
全然別系統のD2を、ステップ地帯がホームランドのO3の多くのように満蒙系畑作民とするのが無理がありすぎます。
縄文時代の人工過疎地の西日本と大陸側の照葉樹林帯は少し風土が似ていますが、
縄文人が多かった東日本と満蒙地域では、一部の緯度が共通するくらいで全く風土条件が異なります。
なおかつそのデータは、D2の合計が日本の中ではかなり割合が低い地域とかの比率になっている。

主に旧石器時代人の先住系C系統と、1万年〜1万5千年前頃に日本に入っていたD2
からなる縄文人は、今日まで日本人の過半数を占め続けている可能性が非常に高い。
混血してるけど、遺伝的なわりあいとしては。

世界史でよくある先住民と征服者の関係と全く違って、
縄文人とそれ以降の渡来系で、文明的なレベルであまり差がなかった(土器などは縄文人が最先端だったけど)
(加えて、縄文人が都市生活をするなど比較的定住的で、短期間で高度な農耕技術を吸収する能力があった)ことと、
どうも軍事的には縄文系の方が強かったようなので、母系より父系の方が控えめに見ても若干縄文系の血が強いと思う。

もっとも縄文〜弥生の人口分布の変化などから、大陸に比べればある程度平和的に共存できたようなので、
弥生人等の渡来系の男性を縄文人が片っ端から殺戮したようなことは、あまりなかったようではある。
なんで、日本人が母系で父系に比べて、特別に北東アジア系の血が濃いわけではないと思う。
572571:2008/10/16(木) 23:58:19 ID:+OjcbOha
上で軍事的に縄文系の方が強かったとかかきましたが、
日本に縄文後期以降に主に渡来してきたのは、O2b系統なんで
このオーストロ・アジア系のいわゆる弥生人のほうが、操船技術などは最先端でも、
陸上の戦闘はそれほど得意ではなかったでしょう。

てゆーか、タイ系やシナ系の部族に圧迫されて、しかたなく黒潮に乗って
逃げてきたケースもあったと想像できます。
弥生系の御先祖様たちは、やってきた新天地の方が居心地が良かったことでしょうね。
573571:2008/10/17(金) 00:40:05 ID:cVyzrPbc
>>566
> 競馬の連複式にいえば、長江系稲作民は遠賀川土器人、満蒙系は突帯文土器人

陸稲栽培は縄文人が結構早くから行っていたようなのがわかっていて、
これはただし稲の品種が熱帯ジャポニカになるので、南西諸島経由で入ったと考えられている。

弥生人の十八番の水田稲作栽培−主食としての温帯ジャポニカの栽培−ですが、
長江流域が起源なんで、確かにこのあたりから持ち込まれた可能性が高いとはいわれている。
わたしもそんな気はする。

但し、渡来した人間に関して言えば、中国南部の現在のDNAデータではタイ系由来の
O2a系統が多くて、弥生人と同じO2b系統はあまりいない。
O2bが百越とか呼ばれた集団として、今の福建や長江下流域を経由して日本に来た確率がたかいんだろうけど、
弥生人は、インドシナ半島あたりが元々のホームランドのオーストロ・アジア系のO2bが
日本に渡来したまでしか、今のところ証拠がないので断言はできない。

今のベトナムはモンゴル帝国や、フランス、アメリカ、中国に勝ったくらい陸上の戦争(防衛戦)に
滅法強いイメージだけど、O2b系は2割弱程度しか残っていなくて、シナ系やタイ系の血の方が圧倒的に濃いらしい。
言語だけはなんとか、カンボジアと同じオーストロ・アジア系を保っているけど。(でも中国語やタイ語の語彙が多いとか)
O2bが南部に渡来していても、タイ系O2aも縄文系D2もいない朝鮮人は、卑怯だけど軍事的に弱い民族の代表にだな。

縄文人の十八番の土器に関しては、縄文人が当初は真似たり、炊飯用に薄くしたりしつつも、
自分らで簡単につくれただろうな。
遠賀川土器なんか、あくまでもゴテゴテ・・・いや芸術性に拘った魔改造だろあれは。w
574出土地不明:2008/10/17(金) 01:02:56 ID:/S3928NJ
>>571-573
02系をオーストロ・アジア系とするのは同意だが、ホームランドは長江流域ではないか?
黄河流域がホームランドO3系の南下に伴う圧迫を受けて、
主に南へ流れたのがO2a、北や東に行ったのがO2bだと思う。
まあ、崎谷満説の受け売りであるが。Wikipediaの「日本人」を参照。
575出土地不明:2008/10/17(金) 01:34:13 ID:+IgN2oa3
おまえら重度の知能障害か?

遠賀川土器のどこに長江・江南的要素があるんだよ?

どこに中国的要素があるんだよ?

中国土器も知らん児童級の知能で考古学を語るなよ。
576出土地不明:2008/10/17(金) 02:06:19 ID:+IgN2oa3
同時代の中国文物、つまり中国土器や中国青銅器や中国農耕具などが
さーーっぱり弥生文物に伝わっていない事は全く無視、あるいは
不自然さ極まりない詭弁でごまかし、あとは稲作の最初の起源がただ単に
長江にあったという事と遺伝学中でもとりわけ特にどうとでも解釈が
可能なYとmtだけで、たらたら、たらたらと、長江江南になぞらえた
デタラメな長編でむぱ創作を書き綴って無知者を欺罔しているサギ犯。

そういう犯罪を犯しているのがおまえらだ。
577571:2008/10/17(金) 02:16:03 ID:QJEyoO0v
>>574
崎谷満氏のその説が良く引用されているのは知ってる。
Y-DNAで日本人のルーツに詳しく触れているのが、今のところ日本語の文献では
この方の本くらいなみたいなので仕方がないとは思うけど、
>>574の部分などは苦しい説明だと思う。

あと、Wikipediaの「日本人」の中のデータだけど、
朝鮮の比率はサンプル数が少ない古いデータを参照しているようで、
O2bの比率が極端に高くなっているとことかが注意が必要かと。
エンコリで以前、向こうの人が自分の国では日本と違ってまだサンプルが少ないよと言ってました。
(水田遺跡が多い朝鮮南西部のソウル首都圏で調査したなら、ありえるかもしれない比率。)

O2bの分布で今のところ判っているのは、
日本の太平洋ベルトで約3割強で、ベトナムで10%〜20%程度、朝鮮南部で20%〜30%程度。
カンボジアとか北朝鮮のデータは判りません。
あと、沖縄の先島諸島で7割近い高頻度。(沖縄本島では全く違って、縄文系D2が多い。)

不思議なのがWikiを見て判るように、華南ではO2aが多くて、O2bがあまり見つかっていないこと。
「華南」というのが広東とかで調べたデータなら、確かに長江下流域に絶対にO2bが無いとは断言できませんが・・・。
広東とかは基層が広西のチワン族と同じタイ系で、シナ系が被さった構成なので、O2aが多くても不思議ではないです。

ただO2a/O2bが長江流域がホームランドで混じって一緒に住んでいて、
> 主に南へ流れたのがO2a、北や東に行ったのがO2bだと思う。
と綺麗に分かれたとかは、まずありえないです。
現在、O2aとO2bが両方ともいる地域がベトナム(このあたりの内陸部でO2a/O2bが分岐した可能性が高いとされる)
だけしかなく、他の流れた先のはずの地域で、O2aとO2bが全く混じっていないんです。



578出土地不明:2008/10/17(金) 02:30:24 ID:+IgN2oa3
遺伝子は経年変化する精度の低いB級材料。

いくらでも解釈ができ、いくらでもサギができる。

とりわけYなどはその筆頭。

だが、土器、金属器の器種、器形、文様は経年変化しない。

何もかも当時のままだ。

そこにおまえら台湾中華工作員のサギ工作が入り込む余地などない。

だからおまえらは一切口を封じ、ただひたすら隠蔽し続ける。
579571:2008/10/17(金) 02:41:13 ID:QJEyoO0v
>575-576
「長編」というのが聞き捨てならない。
>566氏のことを言ってるなら別だが、俺は断定せずに、端折って言えば

 現在のDNA分布からは、日本のO2bはだいたい
 ベトナム北部→南琉球→九州と入ったと推測される。

と言っているので誤解の無いように。

将来的にO2bが長江下流域まで海岸沿いに進出していたとか証拠が見つかれば
ここから来た可能性も高いが、今のところそこまでは言えない。

O2b系だけでなく、D2縄文系自体が海洋的な種族で交易を行っていたし、
土器製作技術に優れていたので、土器は大量の人間自体の移動とは
あまり関係が無いだろう。

ついでに長江文明に関わった種族の1つといわれているのに
黄河発祥で漢族に追われて南下したミャオ族もいる。
基本は同じ黄河系の漢族と同様にO3系が多いんだが、同時にYAP+も10%〜20%程度今でも保持している。
ただこれもD2じゃなくてチベットと同じD1。なので、日本に多くは入っていないだろう。
朝鮮人の荒らしがウザイので釘をさしておくが、奴らの先祖が日本に多く来た可能性はもっとありえない。
古代に九州から任那に入ったO2bなどが、飛鳥時代などに少し戻ってきた可能性があるくらいだ。
580出土地不明:2008/10/17(金) 02:42:53 ID:qGHBnYxv







             Y見たら

           サギだと思え

            土器を見ろ





581出土地不明:2008/10/17(金) 02:46:49 ID:qGHBnYxv
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
582出土地不明:2008/10/17(金) 02:48:58 ID:qGHBnYxv
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




583出土地不明:2008/10/17(金) 02:51:08 ID:qGHBnYxv
縄文から弥生を通して百越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif


584571:2008/10/17(金) 02:54:47 ID:QJEyoO0v
>>578
> とりわけYなどはその筆頭。

> 「D」は今から約5万年前のアフリカで発生したと考えられている。
> ハプログループEと共に、Dは共通の先祖を示す特徴的なYAP多型を持っている。
> 今日ではチベット、日本列島、アンダマン諸島の個体群で非常に頻繁にみられる。
> また雲南などのチベット=ビルマ語族の個体群でも控えめな頻度で見られる。

YAP+の共通祖先は、6万年以上前に現れたとされている。
YAP-がYAP+に集団で途中で変わるとか、その逆がありえるとかマジで思ってる?
585571:2008/10/17(金) 02:58:10 ID:QJEyoO0v
絶対にいかれてる。
586出土地不明:2008/10/17(金) 02:59:57 ID:qGHBnYxv
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
587出土地不明:2008/10/17(金) 03:00:46 ID:qGHBnYxv
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




588出土地不明:2008/10/17(金) 03:01:45 ID:qGHBnYxv
縄文から弥生を通して百越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif


589出土地不明:2008/10/17(金) 06:56:14 ID:y2j5yvNC
>>575,588
ID:+IgN2oa3 ID:qGHBnYxv

月光仮面が同床異夢だとわかったら、いつも以上に暴れはじめたようだねw
南方渡来をまったく認めないとは、いったい君はどこの工作員なんだい?
590月光仮面:2008/10/17(金) 10:04:07 ID:Eb+GDChr
>>569 承前
>このグラスコフ文化人が突帯文土器人として夜臼・板付1式土器時代に九州に入る。
>そして長江方面から来た遠賀川土器人と共に東進する。
「論文弥生時代の銅鐸の文様の源流について 東海大学紀要文学部 末房由美子」
「銅鐸と中国南方青銅器との装飾法や文様の意匠におけるこうした親近性の発生は,
具体的にはどのようにしたら可能であろうか。類似した文様を有する小型の青銅器の
伝来,鋳造工人の渡来などが考えられる。弥生時代の青銅器鋳造現場の性格を詳細
に研究した結果によると,弥生中期前半までは日本での青銅器の鋳造は朝鮮半島から
の渡来人によって行われていたことが指摘されている。それは工人の生活跡から出土
した土器から導き出されている。そうすると南からの工人達は,朝鮮半島で土着化し,
その後渡来したことも考えられる。その場合は朝鮮半島にも痕跡がある筈である。
ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器に触れておきたい。この器物は,その
文様から農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現
(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・ 30)と酷似している。
この防牌形銅器は,朝鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。これ
らの異形青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現れて
短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島本来
のものではなく,外 から入ってきた要素であること,またその製作にはそうした要素の
関与があったことを暗示しているように思える。」・・・これが銅鐸の起源だろう。

591月光仮面:2008/10/17(金) 10:11:48 ID:Eb+GDChr
分子レベルで見た日本人のルーツ
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html
河姆渡遺跡
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-24.html
稲の道
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-25.html
編鐘
http://www.sound.jp/yukine/hensho.html
編鐘
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/80/Bianzhong.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%9A_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)
楚と呉越の位置関係
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/36/Chunqiu_map-zh-classical.png
「紀元前473年、呉は越により滅亡する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)
「渡来弥生人の故郷を求めて
黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た人骨
があいついで見つかっています。」
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
渡来系弥生人の広がり
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-12.html
592月光仮面:2008/10/17(金) 10:26:40 ID:Eb+GDChr
「朝鮮半島北東・中央地方の鉄器時代への移行はJungdo文化と密接に関連している。
そして、今次調査の重要な総括は、集落跡と発掘された建造物、土器類、青銅器具、
鉄器、石器、粘土製品、木工品出土物及び環境事実といったその主要な構成物の分析
に基づくその詳細な内容にある。調査においてはこの文化の年代の研究が行われた。
この成果として、半島北東中央部鉄器時代の開始はJungdo文化と同時期の前4-3世紀
であることの確認が出来た。朝鮮半島北西で出土する燕鉄器も同時代である。これは
朝鮮半島北部全域において実質的に同時に鉄器時代への移行が行われたことを意味
している。同時に、朝鮮半島におけるこの過程は近隣地域各種文化圏との相互関係の
中で推移した。朝鮮半島北西部住民は中国である燕と積極的な接触を保っていた。
この時期の朝鮮半島北東中央遺跡出土品の分析に依れば、この地域の住民の文化
は、中国考古学会においてはTuanjie文化と呼ばれる、沿海州 Krounovskaya文化と
多くの共通点を有している。一連のJungdo文化遺跡出土品は漢楽浪郡からの輸入
物資であるが、鉞形状鉄斧は外見上ポリツェ文化圏起源である。この結果として
Jungdo文化の起源は沿海州及び中国東北部Krounovskaya(Tuanjie)文化にあるとする
仮説が出された。」・・・最近のロシア研究調査による。注)Jungdo=江原道中島、
欣岩里に近い。
593月光仮面:2008/10/17(金) 10:33:59 ID:Eb+GDChr
とまー、沃沮・シ歳・突帯文土器人と雲南・楚・呉・遠賀川土器人の合流地点を
冬のソナタの中島とし、雲南・楚・呉の編鐘カルトの終着点を銅鐸文化圏と見ている。
弥生後期の始まりであり、古墳時代を向かえ新たな高地性集落文化人D2の渡来が
始まり、夕月の君の渡来あたりでピークに達し、高句麗の渡来で最終的となるかなー
と見ている。
594月光仮面:2008/10/17(金) 11:15:10 ID:Eb+GDChr
しかし、「白石太一郎 「銅鈴から銅鐸へ
中国では、銅鈴は3900年前(龍山文化末)に純銅製品が現れ、3700年前(夏代、二里
頭文化)から青銅製品が普及する。世界最古の青銅鈴は高さ8cmほどの小型品で、人
の腰につけて使っていた。3500年前(殷代)には、人のほか、犬・馬の頸や馬車に銅鈴
をつける。朝鮮半島には前6世紀ごろ銅鈴が伝来する。司祭者が身体に着け、神懸かり
の状態になるのを助けていたようである。前4世紀ごろ海を渡った銅鈴は、近畿地方で高
さが20cmをこす大型品に変わった。そして、鈕にも身にも文様を施した。」
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/dotaku2s.jpg
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/rekishi.html
「121-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ一・
八cm、文学部考古学研究室列品室
122-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ二・
〇cm、文学部考古学研究室列品室
赤峰市付近を中心として内蒙古東部に分布する夏家店上層文化の鐸である。夏家店
上層文化は、初期遊牧民文化のなかでも早い時期の文化で、スキトーシベリア動物
意匠も既に見出される。(高浜) 」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html
注目すべきは、日本の銅鐸は殷及びその影響下にあった内モンゴルのものであり、
編鐘とは異なることであり、これは後の大阪湾型銅戈の九州からの東進にもよく似
た事情を想起さすが、銅鐸圏に早期に移住したものは、殷周革命の「負ければ賊軍」
である殷人であり、その後時代が下り、各種青銅器工人が時代に応じて祭器を、旧
殷人農民に供給したと考えることが出来る。彼らとしては中原の覇者からは出来るだけ
遠ざかりたく東進したのではなかろうか。
595月光仮面:2008/10/17(金) 12:29:10 ID:Eb+GDChr
>>592
中国最早期鉄器使用 The earliest use of iron in China
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFE.html
これに依れば新疆・Guo(周衛星国)・楚・呉・燕・原三国という鉄の流れが読み取れる。
もし、呉が新疆に入った鉄を半島経由日本に持ち込んだとすれば日本は東洋鉄器
文化の終着駅と言うことになる。

596月光仮面:2008/10/17(金) 12:45:56 ID:Eb+GDChr
「渡来弥生人の故郷を求めて
黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た人骨
があいついで見つかっています。」
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
↑露満朝国境付近に会寧雄墓というのがあるが、これは呉の亡民工人が燕経由沃沮の
ポリツェ鉄器人に製鉄原料を供給していた痕跡とも考えられる。一方、
「今回日中共同調査で渡来系弥生人にそっくりの江南人骨の発見も驚ききであったが
、実は江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代、紀元前5〜6世紀)から、すでに渡来
系弥生人に似た人骨が出土していたことはさらなる驚きであった。 日中共同調査団に
よる5年前(199?年)の調査で、中国の新石器時代人(4000年〜5000年前)は日本
の縄文人、弥生人いずれにも似ていないことが明らかになっていたが、今回(199?
年)の研究で、紀元前約500年の春秋時代末期に、弥生人タイプの「春秋時代人」がす
でに出現していたことが明らかになったのは、予期せぬ大きな発見であった。中国の新
石器人の形質がなぜ変化したのか?この問題には、日中共同調査団の考古学者の
中国側メンバーばかりでなく、この調査に協力いただいた日本の考古学者(菅谷文則
<滋賀県立大学教授>東アジア考古学専攻)も注目している。しかも、この春秋時代
人骨は骨の形質が渡来系弥生人にそっくりであると同時に歯も渡来系弥生人のように
大きく、抜歯風習も弥生時代の形式と一致している。梁王城遺跡の春秋時代の2体(い
ずれも男性)に見られた「上顎の側切歯を左右対称に抜く」という「抜歯の形式」は、
弥生時代に流行していた抜歯の形式とまったく同じものであった。これは今回の重要な
発見の一つであり、今後の重要な研究課題であると、中橋教授も注目している。」
http://www.asukanet.gr.jp/tataki/yayoizin2.html

597月光仮面:2008/10/17(金) 12:50:35 ID:Eb+GDChr
「日中共同調査団による5年前(199?年)の調査で、中国の新石器時代人(4000年〜
5000年前)は日本の縄文人、弥生人いずれにも似ていないことが明らかになっていた
が、今回(199?年)の研究で、紀元前約500年の春秋時代末期に、弥生人タイプの
「春秋時代人」がすでに出現していたことが明らかになったのは、予期せぬ大きな発見
であった」・・・中国新石器時代人にも似ていないということ、新疆から鉄を持ち込んで
いることが弥生人が中国北西方向起源であることを示唆している。
598出土地不明:2008/10/17(金) 12:54:16 ID:o5tTVpG8
>>590
俺も前にその三流大学のデムパ論文を読んだよ、がいやまんくん。

だが、彼女のおかしさ極まれるところは、

一番最初に触れなければいけない、一番肝心かなめである銅鼓や貯貝器の
器種、器形自体が朝鮮半島にも日本にもさーっぱり伝わっていない事には
まーったく触れず、世界中どこにも見られるような文様だけで強引に
弥生銅鐸に結び付けている点。

こんなデムパ論文を受け入れるほど考古学会は甘くはないぞ。がいやまんくん。
599月光仮面:2008/10/17(金) 13:04:42 ID:Eb+GDChr
彼女は技術を人間の脳内にあるものと考えている。あなたの危惧は人間がたとえ
何代かはそうした技術を次の世代に引き継ぐことができても、何世紀にもわたる
「長征」のような過程においては失われるはずだと言うことではないか。しかし、現実
には故郷雲南の様式が伝わっている。つまり、これは受け皿になる青銅器製作工人
団に、今で言う、スカウトされたような状態であり、倭国からも直ちに魅力的な条件
での勧誘があるような、技術者売り手市場が背後にあったのではないか。
600月光仮面:2008/10/17(金) 13:07:38 ID:Eb+GDChr
江原道にはおそらく出雲のビジネスマンが常駐していたんじゃなかろうか。
松江で芸者を総揚げで歓迎しますよなんていってたのでは(w
601出土地不明:2008/10/17(金) 13:25:54 ID:o5tTVpG8
記憶による伝達、伝播なら、なおさら銅鼓や貯貝器の
器種器形が文様なんかよりも真っ先に朝鮮半島なり日本なりに
伝わっていないとおかしいだろ?がいやまんくん。
602月光仮面:2008/10/17(金) 18:14:50 ID:Eb+GDChr
603出土地不明:2008/10/17(金) 19:12:53 ID:SYMP208/
で、朝鮮半島の一体どこで銅鼓や貯貝器、編鐘が出たというんだい?
604月光仮面:2008/10/18(土) 11:51:28 ID:b2MERGcE
末房先生より
「銅鐸の装飾は,むしろ戦国から前漢の銅鼓の分布地域,即ち長江上流域の雲南・四川南部や東南の
広西などの地の青銅器文化と近い関係があり,また越族の青銅器文化とも共有する部分があり,沿海
の中国南方地域の世界とも無縁ではないということであろう。
銅鐸と中国南方青銅器との装飾法や文様の意匠におけるこうした親近性の発生は,具体的にはどのよう
にしたら可能であろうか。類似した文様を有する小型の青銅器の伝来,鋳造工人の渡来などが考えら
れる。弥生時代の青銅器鋳造現場の性格を詳細に研究した結果によると,弥生中期前半までは日本で
の青銅器の鋳造は朝鮮半島からの渡来人によって行われていたことが指摘されている。それは工人の
生活跡から出土した土器から導き出されている。そうすると南からの工人達は,朝鮮半島で土着化し,
その後渡来したことも考えられる。その場合は朝鮮半島にも痕跡がある筈である。
ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器に触れておきたい。この器物は,その文様か
ら農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現(図27)は,石寨山
型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・ 30)と酷似している。この防牌形銅器は,朝
鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から
紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現れて短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,
これらの青銅器が朝鮮半島本来のものではなく,外 から入ってきた要素であること,またその製作には
そうした要素の関与があったことを暗示しているように思える。」
605月光仮面:2008/10/18(土) 11:56:42 ID:b2MERGcE
歴博 リリース
「斜格子文と羽状文からなる横帯は、最古銅鐸の一つである島根県神庭5号銅鐸の文様構成と共通し
ます。ただし、朝日鋳型は神庭5号銅鐸の文様構成よりも簡略化されているようですから、神庭5号銅鐸
より新しいでしょう。その一方、兵庫県中川原銅鐸の文様構成は朝日鋳型よりもさらに簡略化が進んで
いるようですから、神庭5号銅鐸→朝日銅鐸鋳型→中川原銅鐸の順に変遷したと考えることができるで
しょう。そして、出土地不明の東博35509号銅鐸が神庭5号銅鐸に先行すると考えるならば、朝日鋳型は
現状では3番目に作られた銅鐸の鋳型ということになります。
 この鋳型が埋まっていた層は弥生中期初め(期)の朝日式土器の時期です。鋳型は小破片であるけれ
ども磨滅はしていません。出土の状況からすると、時期比定に誤りはないでしょう。とすると、鋳造関連
の遺物・遺構は伴っていませんが、最古の銅鐸は中期初め、炭素14年代でいうと前4世紀中頃〜後半に
名古屋付近で鋳造された可能性がでてきます。
 問題は、朝日遺跡の鋳型に彫り込んである斜格子文と羽状文、および鈕(吊り手)や身の下辺に施して
あったと推定される鋸歯文の系譜です。これらの文様は濃尾平野の弥生前・中期の土器には皆無で、
近畿地方の前期中頃〜後半の土器にみられます。この事実は、近畿地方との関連なしには、この鋳型
の製作も銅鐸の鋳造もありえなかったことを意味しています。しかし、近畿の前期土器の文様がなぜ
中期初めの銅鐸の文様に現れるのかはまだ説明できません。
 朝日遺跡から出土した銅鐸鋳型だけでは、最古の銅鐸の鋳造が中期初めに濃尾平野で始まったとま
ではまだ断定できません。しかし、朝日遺跡発見の鋳型によって最古の銅鐸は、弥生中期初めに鋳造
され、その年代は前4世紀中頃〜後半頃であった可能性が高くなってきたことは、銅鐸の祭りの開始の
意味を考えるうえできわめて重要な事項が明らかになったといわなければなりません。
 銅鐸(銅鈴)は中国中原地方から遼寧地方、朝鮮半島を経て日本列島に伝来したものです。朝鮮半島
の銅鈴の年代を明らかにすることが次の重要な課題です。」
606月光仮面:2008/10/18(土) 12:21:25 ID:b2MERGcE
末房先生
「銅鐸の祖形は朝鮮小銅鐸(図1)であり,朝鮮小銅鐸は更に中国遼西地域の所謂遼寧青銅器文化の
鈕鐘(ちゅうしょう)に淵源があるとする説が最も有力であるが,これらの青銅器は無文であるからである。」
「これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現れて短期間で消
えていったとされている。これらの諸点は, これらの青銅器が朝鮮半島本来のものではなく,外 から
入ってきた要素であること,またその製作にはそうした要素の関与があったことを暗示しているように思
える。」
「銅鐸の装飾は,むしろ戦国から前漢の銅鼓の分布地域,即ち長江上流域の雲南・四川南部や東南の
広西などの地の青銅器文化と近い関係があり,また越族の青銅器文化とも共有する部分があり,沿海
の中国南方地域の世界とも無縁ではないということであろう。」
歴博
「銅鐸(銅鈴)は中国中原地方から遼寧地方、朝鮮半島を経て日本列島に伝来したものです。」
結論
銅鐸圏に最初に入ったのは無文の朝鮮小銅鐸であり、「銅鐸(銅鈴)は中国中原地方から遼寧地方、
朝鮮半島を経て日本列島に伝来」したものであった。これにデザイン、フォームの改良を加えたのは
半島・出雲経由近畿に入った秦始皇帝徐福百工集団であった。卑弥呼の墓とされる箸墓のクナド神
は兵主・蚩尤であり、三輪山には神農であるスクナヒコナが祀られる。これは徐福百工の守護神であ
ろう。邪馬台国は征服されて建国されたのではなく、銅鐸圏の発展的解消によるものであろう。
607出土地不明:2008/10/18(土) 13:46:46 ID:uom28CY+
>>606
だから、彼女はただのデムパだっての、がいやまんくん。

世界中に比較的どこでも見られる鋸歯文や渦巻文や格子文なんかで
強引に長江江南認定しているだけだっての。

弥生銅鐸は朝鮮無文小銅鐸が倭に入って巨大化&弥生土器の
文様仕様へと経年変化していっただけの話。

だいたい徐福が来ていたのなら銅鐸に龍文、雷文を残すだろうし、
それよか秦のシンボルの鼎を真っ先に作るだろうが。

少しは疑うという事を知りたまえよ。がいやまんくん。
608月光仮面:2008/10/18(土) 14:32:51 ID:b2MERGcE
末房先生は[南中国]銅鼓(等)と日本の銅鐸の装飾設計上の共通点として、
@先ず無文の状態に留まらなかったこと,
A無文から有文化の過程では幾何学文の入った横帯文の採用が優勢であること,
B基本的な装飾法(縦横の幾何学文帯による区画分割方式・最下段の横列の文様帯の構造),
C伝統的な中原の意匠設計法に影響されていないこと
等を挙げているが、「伝統的な中原の意匠設計法に影響」されないという点が、雲南同様
中国文化とは一線を画す倭国銅鐸圏にとっても重要なポイントだろう。卑弥呼は冊封されたようだが
朝貢を受けたような入超の国際収支だもんなー。
609出土地不明:2008/10/18(土) 15:21:32 ID:L96Nf0ca
共通点なんてのは世界中の土器青銅器にあるわけだよ。

そこだけをほじくりだして、似てる似てる、一緒だ一緒だ、
一致した一致した、だから銅鐸は江南!ってか?

アホだろ。向いてないからとっとと考古学やめろっての。

彼女は相違点については何も言及していない。

終始、相違点には一切触れず、隠し通し、隠蔽に隠蔽で押し通している。

相違点を出してしまうと彼女の論理は全て崩壊してしまうからだ。



610月光仮面:2008/10/18(土) 15:47:28 ID:b2MERGcE
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf Open page 15/18
See map 「本稿で取り上げた中国青銅器出土地点」
これら地点からBC3世紀の朝鮮半島・日本銅鐸圏に陸路・海路デザイン、形状の移転が行われ
先生はそれを吟味して同定された。世界史的に見ても類例のない技術移転だ。異常なことなんだよ。
611月光仮面:2008/10/18(土) 16:09:04 ID:b2MERGcE
で、秦始皇帝の徐福百工の渡海(当時の能力では山東-楽浪間は太平洋横断のようなもの、現在でも
東京湾の久里浜-金谷間ですら風の強い日は欠航する)があって初めてこの異常なことの説明が付く。
612出土地不明:2008/10/18(土) 17:10:27 ID:TB1k1Hvk
                     
■韓国人の先祖=ワイ族とは何か
                                 
 ワイ族は、古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族である。
 もともとは、シベリアの山岳部や森林地帯で生活していたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の
直系の先祖である。『東ワイ』とも呼ばれた。
 ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人、ミマナ人、クタラ人などと敵対関係にあり、
倭人系民族を相手に「領土戦争」を繰り返していた。
 ワイ族は3世紀初頭から、まずシラキを侵略し、シラキ領北部にケリン国(鶏林)を建てた。
3世紀後半にはシラキ南部にまで軍事侵攻し、4世紀前半にはカラ半島東南部を完全に乗っ取った。
 ケリンの軍事的圧迫を受けたシラキは、3世紀中期には領土が西方に移動した。その時代にシラキは
国号をミマナに改めた。
 そして同じ時代に、ケリンは、国号を『新羅(シンラ)』に変えた。新羅とは「シラキ」の意味である。
つまり、ケリン王家の金氏は、シラキの国号を盗んだのである。
 新羅(ケリン)の軍事的脅威に対抗するために、ミマナ(弁韓)とクタラ(馬韓)は、ヤマト朝廷の指導下で
合併した。こうして誕生したのが『大ミマナ』である。
 『大ミマナ』の領土は、東は現在の韓国・慶尚南道から西は全羅道一帯まで、北は忠清道全域という
広大なものであった。新羅(ケリン)の軍事的脅威が、半島南部の倭人系民族を連合させたのである。
 新羅(ケリン)は、半島東南部を拠点にして、西側に隣接する日本領=ミマナに対する侵略を
何度も仕掛けた。
 そして、6世紀前半にはついにミマナを滅ぼし、新羅に併合した。
 7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を
支配下においた。この新羅こそが、現在の韓国の原型国家であり、新羅を建てたワイ族こそが
現在の韓国人の先祖なのである。
 つまり、韓国人はシラキ人ではないし、ミマナ人、クタラ人でもない、ということなのだ。
シラキ人、ミマナ人、クタラ人は、いずれも韓人(からびと)と呼ばれた同一民族であり、同一文化を
共有していた。
 古代ヨーロッパに住んでいたケルト民族のようなものだ。ケルト人はヨーロッパ各地に部族共同体ごとに
分かれて生活していたが、部族の違いを超えて、同一文化を共有していた。
古代のカラ半島南部に居住していた韓人も、倭人文化を共有していたのである。

613出土地不明:2008/10/18(土) 22:07:53 ID:McJapQlp
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
614出土地不明:2008/10/18(土) 22:08:55 ID:McJapQlp
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




615出土地不明:2008/10/18(土) 22:41:59 ID:McJapQlp
縄文から弥生を通して百越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg
http://www.lsysw.cn/bbs/UpFile/UpAttachment/2008-6/200867203210.jpg


●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif
http://www.qzjci.com/Files/gcjs/27.jpg

616出土地不明:2008/10/19(日) 17:19:29 ID:43aQD1Yo
617出土地不明:2008/10/20(月) 00:08:08 ID:QEEiRrK+
いくつかの考古学会のページを見たが、お前の説などどこにも書いてないぞ。
で、お前はどこの工作員か? ロシアか? 朝鮮か?

工作員でないなら、論文なり出典を明らかにせよ。

明らかにできないのなら・・・・
そうか! ただの江南嫌いの理系音痴ニートかwww

618出土地不明:2008/10/20(月) 02:14:21 ID:VRDczxIl
海の道を利用あるいは朝鮮半島経由にしても、春秋戦国時代の争乱を逃れて、きのみ着のまま渡来した
と考えられる揚子江下流域方面の渡来人は小規模かつ散発的であると考えられるので(但し水稲耕作
技術は携えていた)中国系土器の伝播は僅かだと考えるのが普通でしょう。沿海州からの影響は朝鮮半島
を介して、あるいは海の交流での土器系伝播は地理的に考えてある程度伝播するのは妥当だろうが特定
地域が弥生文化のすべて(縄文文化が与えた影響以外)に影響を与えたという言説は信じ難い。
619出土地不明:2008/10/20(月) 14:53:32 ID:ZxYr4lUN
まーたまたオカシさ1000%、不自然さ1000%の詭弁大特集かよカンボジア顔の台湾中華w

だいたい日本に水田が伝わった弥生開始はBC10Cで、中国なら周代なんだから
春秋戦国時代になってから後からのこのこ水稲耕作技術なんておととい来やがれっての。

そもそも中国直伝と認定されている農耕具もないだろうが。

それに中国土器の伝播なんか僅かどころか縄文から弥生を通じて
さーーっぱり伝わっていないぞ。冗談は醜悪な東南アジア顔だけにしとけよ。

中国鬲とは製法の異なる沿海州南岸や朝鮮北端の一部にあった足が後付けの
鬲型土器なら鑑賞用として輸入されていたみたいだが実用には至ってないね。

だいたい長江江南は鬲よりも鼎のメッカなのに鼎が無い。

それに長江から来ていたなら紀元前から龍信仰が伝わっているはずだろうが。

春秋戦国時代の長江周辺は龍をかたどった佩び飾りがいっぱい出てくるんだ。

だいたい揚子江下流域方面から渡来人が来たという確実な証拠を提示して
みろよ?
620出土地不明:2008/10/20(月) 19:53:50 ID:thKn4C8A
>>619
>だいたい日本に水田が伝わった弥生開始はBC10C
上記の文章には、列島の水稲開始時に揚子江流域方面の渡来人が関わっていた
などということは露程にも記述していないが??揚子江方面の渡来人に触れたのは
弥生文化に波及した文化は特定地域のみから文化が波及したのではなく、色々な
地域から波及したものではないのかということを導きだすための例にすぎない。

>だいたい揚子江下流域方面から渡来人が来たという確実な証拠を提示してみろよ?
>618
>小規模かつ散発的であると考えられるので 中国系土器の伝播は僅かだと考える
>小規模かつ散発的であると考えられるので 中国系土器の伝播は僅かだと考える
断定している訳ではないので、確実な証拠を提示しなければならない謂れはない。
・争乱によって海上の道を利用した揚子江方面の渡来人が、全くいなかったという想定
 は考えづらいということ。難民が日本列島に漂着することがあるように。
・熱帯ジャポニカが日本列島に持ち込まれているという事実等々
以上の状況証拠から自らの見解を述べただけだが。

取り敢えず、文章をキチンと読むことをお奨めする。
621出土地不明:2008/10/20(月) 20:31:37 ID:uahaMFwR
だーかーらー、揚子江下流域方面から渡来人が来たんだろ?

来たなら来たという確かな証拠を出してみい。

来たなら来たという確かな証拠を出してみろや。
622出土地不明:2008/10/20(月) 20:40:34 ID:thKn4C8A
>>621
どうも君は>620を読解する能力がないみたいだね。
では。
623出土地不明:2008/10/20(月) 23:29:53 ID:gaRCqxtW
では。じゃねーだろがこのスットボケ!

このペテン!

このインチキ野郎!

来たなら来たという確たる証拠をとっとと出せこのサギ師!

このイカサマ野郎!
624出土地不明:2008/10/20(月) 23:54:10 ID:thKn4C8A
>>623
考古学は先史時代を主に対象にしたものであり、仮説が蓋然性と説得性のある説であれば
定説として取り敢えず認知されるかどうかの世界かと。「確たる証拠」と提示されている
ものでも、新しい発見があれば解釈が蓋然性を伴わぬものとなり得り「確たる証拠」足り
得なくなるものでもある。以上、では。
625出土地不明:2008/10/21(火) 00:21:37 ID:AxI9sdXu
>>624
ちと訂正
×蓋然性を伴わぬものとなり得り「確たる証拠」足り得なくなるものでもある。
○蓋然性を伴わぬものとなり得る場合もあり「確たる証拠」足り得なくなってしまうものもある。

626出土地不明:2008/10/21(火) 01:26:43 ID:AxI9sdXu
>>623
ウーム、眠たくなって来た。返答レスを待っていたが。。。
>624>625はちと脱線し過ぎたかな。
しかしながら、君のレスは威圧と罵倒のオンパレードだな。
まあ、精々思う存分罵倒してくださいなw
取り敢えず、これで最後のレスとするが>620の文章を今一度良く読んでみてよ。
では、これで。
627出土地不明:2008/10/21(火) 01:34:28 ID:r9s6RIG+
へっ、それをただ単純にサギ、風説流布と言うんだよこの台湾中華ペテン師。


現実世界において全く無かった事象を、

好き勝手な創作を一兆回も百兆回も唱え殺す事で馬鹿に刷り込み洗脳をして、

人間の脳内だけに現実にあったかのような仮想現実、

つまり脳内現実を作り出す事で現実世界を捻じ曲げる。


南京大虐殺とまーったく同じ中国共産党方式の洗脳方法じゃないか。

まさに中共はバーチャルリアリティの走りだよ。

な、台湾中華。

中華はただの国際テロリスト。

歴史考古学における国際テロリストだ。
628出土地不明:2008/10/21(火) 17:47:02 ID:jex2LPCA
江南から日本列島に入ってきたのは弥生時代と決めつけるからおかしいんですよ。
縄文時代に土器とともに日本に入植し始めた。

つまり、かなり早い段階で江南から人は渡ってきていた。

しかし、気候的に日本列島内では米の収穫量は限られていたから、
先住民である狩猟系との共存が始まった。

そして、土器は独自の発展を日本列島内で遂げた。

その交流の中で、日本列島においても水稲を作る技術を開発し。
それが広まることで収穫量が増え弥生時代が始まった。

そのころに、朝鮮半島にも倭人が渡り、温帯ジャポニカとその耕作技術を半島に持ち込み。
倭人国家が半島にできあがった。

半島にもとからあった米は列島の米とは違う。
耕作技術の開発はもちろん特定の品種と切り離すことができるわけがないので、
日本にあった品種と耕作技術が半島に同時に持ち込まれたということだろう。
629出土地不明:2008/10/21(火) 20:55:04 ID:hrZaIQ8L
縄文→陸稲、弥生→水稲、であってます?
で、最近発見されたのは、水稲が前10世紀まで遡れると。
630出土地不明:2008/10/21(火) 21:14:41 ID:jex2LPCA
>>629

http://ja.wikipedia.org/wiki/稲作
>日本の最古の水田址は縄文時代晩期水田址で、約2500年前である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/板付遺跡

あと、沖縄では狩猟系の人の率が高いから米は沖縄経由じゃないという話しもあるけれど、
沖縄には大きな水源がない。台風の通過路で収穫期に被害に遭いやすい。
土壌が稲作に適していいない。という問題があるので、農耕系はそのまま北上し、
灌漑や稲作の技術が高度になるまで水稲は発展しなかったという推定も成り立つ。
631620:2008/10/21(火) 21:17:09 ID:mpr1T8tK
>>620
ちと訂正、>628を読んでたら間違いに気付いた。スマソ
× ・熱帯ジャポニカが日本列島に持ち込まれているという事実等々
○・温帯ジャポニカが日本列島に持ち込まれているという事実等々

>>628
ウム、確かに己のレスを読むと弥生時代にこだわりすぎなような気がする。
常に視野を広く、多面・多様的な思考をということですな。
632出土地不明:2008/10/22(水) 01:06:03 ID:XZ62UBuq
>>628
日本では稲作を試行錯誤した形跡がなく、
最初から完成形で持ちこまれていた可能性が高い事と、どう折り合いをつける?
633出土地不明:2008/10/22(水) 02:09:10 ID:UVZm9y+f
その通り。

単に北方の刻目突帯文土器文化人のヴァイキングが朝鮮半島東岸の
沖合いを通過してきたときに水田稲作を知って九州北部に定着した後も
朝鮮南岸と交流をしながら日本の水田第一号を完成させていっただけの話。

台湾中華工作員どもの頼みの綱だった岡山のプラントオパールも
コムギのプラントオパールが一緒に出ていて全く話にならんの。


>>630
その通り。

弥生開始がBC10Cに繰り上がった事で縄文晩期とされていた稲作遺構も
ほとんど弥生以降の稲作遺構になってしまったの。


>>628
おいコラッ!

そこの醜悪なウンコくせえ江南カンボジーデのウソコキ台湾植民!

いつ縄文時代に江南の土器文化が入って来たんだ?

その確たる証拠を出してみい!
634出土地不明:2008/10/22(水) 02:18:32 ID:aJ0WfSV6
>>632

http://ja.wikipedia.org/wiki/稲作

>というように現代と同じ水田システムがあったとしている。すなわち水田技術は最初から完成されていた。

縄文時代にすでに現代と同じ方法で作られていた=水田技術は最初から完成されていた。

ですよ。

同じところで試行錯誤して掘り返していたら、最終形しか残らないのは当たり前。
635出土地不明:2008/10/22(水) 02:22:02 ID:aJ0WfSV6
>>633

ほう。で、日本の土器の起源は?

世界最古の土器は江南である。日本の土器の出現はそれからあまり時を得ずして出現している。
そして、初期のころの土器は下が丸く。形質的に非常ににている。

年代が新しくなるとその両者の違いが大きくなっている。

つまり、持ち込まれたころからの発展のしかたが違った。
636出土地不明:2008/10/22(水) 02:23:11 ID:aJ0WfSV6
>>633

おまえの、根拠の乏しい妄想話も見苦しいw
637出土地不明:2008/10/22(水) 02:26:33 ID:XZ62UBuq
>>633
>朝鮮南岸と交流をしながら日本の水田第一号を完成させていっただけの話。

それも試行錯誤に変わりはないが。
どこから来たかは別として、経験を積んだ稲作農耕民そのものが来ないと
どうしても試行錯誤が発生する。それほど稲作は難しい。
ヴァイキングが拉致してきたとすれば、まあ、つじつまは合うが。

ちなみに、628と630は同一人だと思うけど・・・。






638出土地不明:2008/10/22(水) 03:00:48 ID:L4zJGZpA
いい加減、そういう先入観はやめたらどうか?

弥生人が半島南部に何度か足を運んで技術輸入をする事で日本の
水田第一号を完成させたというのはあの佐藤洋一郎だって支持している。

それに初期の水田は水田としてはほとんど機能しておらず、形だけの水田であって、
その内容はほとんど陸稲であり、水田として機能するのはずいぶん後の
紀元前後くらいであったと彼は証言している。


>>635
世界最古の土器は江南??ww

で、そのソースは?w

縄文時代に江南の土器文化が入って来たという確たる証拠とともに
出してみw
639出土地不明:2008/10/22(水) 03:07:59 ID:aJ0WfSV6
>>638

日本最初の水田は縄文時代なのですが?
弥生人???。弥生人が足を運んだのは作り方を教えに行ったんでしょう。

最古の土器
http://www.jiid.or.jp/files/04public/02ardec/ardec29/key_note3.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/縄文土器
日本の土器は非常に起源が古い。
つまり、江南と同じ系統の遺伝子が存在する日本において関連性がないと考えるほうが厳しい。
640出土地不明:2008/10/22(水) 08:50:42 ID:cNcCHyUR
確かに縄文時代の土器技術は日本が最も進んでいたのと、
縄文人自体が海洋的で自ら交易を手広くやっていたのを無視すると、
何でも人と一緒に外からやって来たような誤解を招くよね。
舶来の技術も自ら取り入れて改良するのは、今に至るまで日本人の得意なことだからね。
アジアのヴァイキングっていうなら、縄文人が1番ふさわしいし。

「世界最古のものが日本にあったはずはない。」っていう
先入観とか謙虚さも、度がすぎるとかえって歴史の捏造に加担することになる。
641出土地不明:2008/10/22(水) 08:57:33 ID:cNcCHyUR
>>633
汚い奴だな。
チョソは自分達にあてはまることを他人の攻撃に使うからな。
朝鮮人は排泄物を食うとか、不衛生できつく匂うとか、起源を捏造するとか、
偽装右翼とか、全体主義とかマスゲームが好きなのに反共主義を謳うカルト教団とかそういう奴らだから。

おまえが言っていることで少しだけあっているのは、
化外の地だったはずのビン語圏の福建省とか台湾は、実は漢族系の血が濃い。
なので日本人とは遺伝的に異なる。
チョソになれば、さらに中国人やモンゴル人にエスニッククレンジングされた
日本人にとって異質な生物である。

日本人はベースが古モンゴロイドのYAP+の縄文人であって、
これに馴染めた渡来人が融合したのが今まで続く日本人だ。

犬を食うO2系統のアジア人とか、奇形的なO3とC3系統中心の新モンゴロイドとは違う。
朝鮮人はこの両方の悲惨な点を併せ持つわけで、最悪な集団だ。
元々熱帯発祥でありながら寒地適応した血を多く持つ、
いってみればハム系の血統が激しく新モンゴロイド化したのがチョソであって、
他にこんな人類集団はない。

南方要素と北方要素がある意味融合しているので、
温帯系であるとか、日本人に似てるとか勘違いする。
日本人の場合、YAP+以外のC系統とかでも寒地適応を受けていないのだが。
642出土地不明:2008/10/22(水) 15:46:14 ID:Go3SaePc
>>641
あのな、遺伝子というものはな、経年変化するからあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の器種、器形、文様は経年変化しない。

何もかも当時のままだ。


>>640
だが日本最古の水田遺構を作った人々は縄文土器人ではない。

沿海州方面に見られる刻目突帯文土器文化を持った人々である。

この刻目突帯文土器、朝鮮半島にも一時出現したようだが、
日本に伝わる数百年前にはすでに終焉を迎えており、
日本のものとは連続性がない。
643620:2008/10/22(水) 20:08:15 ID:fWIQ8SLh
取り敢えず、佐藤洋一郎氏の論文「DNA分析からみた弥生時代の稲作」から引用してみる。

『温帯ジャポニカは水田稲作という技術をともなって渡来したと思われるが、その経路については
従来から三つのルートが考えられてきた。石毛によると、そのルートとは、(1)朝鮮半島を経由して
北九州にいたるルート、(2)大陸の長江流域から九州の西部に達したルート、そして(3)南東を経由
して南九州に達したルート、である。このうち(3)のルートは柳田國男の説で長らく否定的に扱われ
てきたが、これはもしかすると熱帯ジャポニカの渡来の経路なのかもしれない。残り二者であるが
一般に考古学者の多くは(1)の半島経由説をとってきた。それは石包丁をはじめ農耕の道具や祭祀
儀礼などの類似性によるものである。しかし、(1)のルートが正しいといくら主張しても、それは(2)
の否定にはならない。おなじく、いくら(2)が正しいと主張しても、そのことがただちに(1)の否定に
はつながらない。私は、水稲の渡来経路には(1)も(2)もあったのではないかと思っている。』
644出土地不明:2008/10/22(水) 20:58:50 ID:aJ0WfSV6
>>642

遺伝子の経年変化????。老化の話ならすれ違いでしょ。


沿海州で縄文、弥生時代に水稲栽培?
http://ja.wikipedia.org/wiki/沿海地方

なかなか、驚愕の事実があるようですね。
645出土地不明:2008/10/22(水) 23:44:33 ID:UDqW5A0M
>>643
あのな、遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、
別のハプロタイプになったり、頻度が変わってしまったり、
消滅欠損したりと、経年変化するからあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の器種、器形、文様は経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
646620:2008/10/22(水) 23:55:43 ID:fWIQ8SLh
>>645
レスアンカー間違えてんじゃねえの?w
もし、間違ってないのなら佐藤洋一郎氏に主張してみたらw
647出土地不明:2008/10/23(木) 00:02:31 ID:UDqW5A0M
そんな事は分かってやってるの。

彼自身も学者なら無名の研究員で終わりたくないはず。

つまり売名も入ってるってわけだよ。

それが出世の早道だからね
648620:2008/10/23(木) 00:20:52 ID:N7O4P0qt
>>647
何いってんの?わけが解らんw
649出土地不明:2008/10/23(木) 00:56:46 ID:IjXKgd6e
都合の悪い事は全部、見えない聞こえない、訳が解らん、てなw
650620:2008/10/23(木) 01:19:54 ID:N7O4P0qt
>>649
わけが解らんっーのは>646のレスになんら関連性を見出せないので、わけが解らんって言ったまで。
個人の事情はどうでもいいから、取り敢えず主張を佐藤洋一郎氏にぶつけてみたらw
651出土地不明:2008/10/23(木) 03:05:51 ID:IjXKgd6e
あのな、遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、
別のハプロタイプになったり、頻度が変わってしまったり、
消滅欠損したりと、経年変化するからあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の器種、器形、文様は経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
652出土地不明:2008/10/23(木) 15:13:39 ID:7oM3mY4p
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
653出土地不明:2008/10/23(木) 15:14:29 ID:7oM3mY4p
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




654出土地不明:2008/10/23(木) 15:15:24 ID:7oM3mY4p
縄文から弥生を通して百越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg
http://www.lsysw.cn/bbs/UpFile/UpAttachment/2008-6/200867203210.jpg


●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif
http://www.qzjci.com/Files/gcjs/27.jpg

655出土地不明:2008/10/23(木) 15:31:08 ID:qiAycbWv
>>645
別のハプロタイプにはならないよ(^o^)
更に突然変異を追加する事は有るがね。
656出土地不明:2008/10/23(木) 19:24:50 ID:Y1PR5ZVT
B52-DR2が変化したB52-DR15はB52-DR2とは別のハプロタイプだろが。
657出土地不明:2008/10/23(木) 19:54:31 ID:LWZOEJzX
●印文土器

中国南東部で新石器時代から漢代に使われた土器。
幾何学文様のあるスタンプを打った灰色の壺などで、軟陶と硬陶の別がある。
http://makurada.com/modules/pukiwiki/75.html


長江流域では約6000年前に既に印文土器(印文陶)が登場している。


◎大渓文化( B.C.3990±260年〜B.C.3380±145年)

主要な文様には印文・水平周回文・篦描き文・貼付文・透し彫・彩絵があり、縄文は見あたりません。
このうち、印文は大渓文化の最も特徴的な文様で、円形・半円形・三日月形・三角形・長方形・方形・
工字形などの各種様式の「小型スタンプ」を器表に深々と押印しています。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/14-1taikei.htm
658出土地不明:2008/10/23(木) 23:18:53 ID:PABUI9Oa
弥生開始頃の長江江南の出土物はこんな有り様(嘲笑)



江蘇句容・金壇周代土トン(土+敦)(盛り土、小山)墓群:考古学者たちは、
土トン墓の埋蔵の特色に合わせ、一層ずつ剥がしていく整理方法を採用し、
青銅器時代の江南の土トン墓造営の全過程を明らかにした。計40の土トンを
発掘し、233基の墓、229組の祭祀器物群、14カ所の墓葬建築遺物を整理、
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に、江南地方の
特色をもつ各種文物3800点余りが出土した。

http://www.china-news.co.jp/culture/2006/05/cul06051302.htm
659出土地不明:2008/10/23(木) 23:20:38 ID:PABUI9Oa
>幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に



印紋陶?????原始青磁?????


いやあ、弥生開始頃の長江江南の遺跡からは弥生遺跡からは
さーっぱり出土しない摩訶不思議なものが出土するんですねえ(嘲笑)


660出土地不明:2008/10/24(金) 12:39:32 ID:hOB2lXbv
>>月光仮面さん此んなの見つけました一度ご覧下さい。

縄文時代の渡来文化の痕跡
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/006_1tairiku_karano_toraibunnka.html
661出土地不明:2008/10/24(金) 13:06:56 ID:to6d6tFB
東北や北陸は縄文時代から沿海州と交流していたからね。
662出土地不明:2008/10/24(金) 15:24:30 ID:uRxDxubZ
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
663出土地不明:2008/10/24(金) 15:25:36 ID:uRxDxubZ
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




664出土地不明:2008/10/24(金) 15:26:15 ID:uRxDxubZ
縄文から弥生を通して百越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg
http://www.lsysw.cn/bbs/UpFile/UpAttachment/2008-6/200867203210.jpg


●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif
http://www.qzjci.com/Files/gcjs/27.jpg

665620:2008/10/24(金) 22:21:21 ID:AND8lvAC
あー、スレ再度読んでたら>>643の変換ミスに気がついた。
再三の訂正、申し訳ない。
× (3)南東を経由して南九州に達したルート
○ (3)南島を経由 して南九州に達したルート
666出土地不明:2008/10/25(土) 01:39:17 ID:w4qpQJmE
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
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中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
667月光仮面:2008/10/25(土) 14:06:49 ID:aBOXrqqy
【始皇帝】徐福伝説から
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1059892097/menu689
多様化の進んだYAP+の集中は異常なことであり、考えられる原因の一つは夏殷への東夷諸族
の集中と、殷崩壊時の安陽東方から燕経由朝鮮半島への集中した多様な東夷諸族の移住である。
そしてこれら東夷諸族が朝鮮半島に対する衛満・前漢の圧力を受けることにより、日本列島への
移住を目指すことにより、長期的に日本列島に流れ込んだ結果でないかと考える。YAP+東夷と
共にSRY +465/47zのバイカル・黒竜江方面からの農耕民族も入ってきたのだろう。
668出土地不明:2008/10/25(土) 21:22:43 ID:InxNuQ63

■韓国人の先祖=ワイ族とは何か
                                 
 ワイ族は、古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族である。
 もともとは、シベリアの山岳部や森林地帯で生活していたツングース系民族の一派であり、
現在の朝鮮民族の直系の先祖である。『東ワイ』とも呼ばれた。
 ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人、ミマナ人、クタラ人などと敵対関係にあり、
倭人系民族を相手に「領土戦争」を繰り返していた。
 ワイ族は3世紀初頭から、まずシラキを侵略し、シラキ領北部にケリン国(鶏林)を建てた。
3世紀後半にはシラキ南部にまで軍事侵攻し、4世紀前半にはカラ半島東南部を完全に乗っ取った。
 ケリンの軍事的圧迫を受けたシラキは、3世紀中期には領土が西方に移動した。その時代にシラキは
国号をミマナに改めた。
 そして同じ時代に、ケリンは、国号を『新羅(シンラ)』に変えた。新羅とは「シラキ」の意味である。
つまり、ケリン王家の金氏は、シラキの国号を盗んだのである。
 新羅(ケリン)の軍事的脅威に対抗するために、ミマナ(弁韓)とクタラ(馬韓)は、ヤマト朝廷の指導下で
合併した。こうして誕生したのが『大ミマナ』である。
 『大ミマナ』の領土は、東は現在の韓国・慶尚南道から西は全羅道一帯まで、北は忠清道全域という
広大なものであった。新羅(ケリン)の軍事的脅威が、半島南部の倭人系民族を連合させたのである。
 新羅(ケリン)は、半島東南部を拠点にして、西側に隣接する日本領=ミマナに対する侵略を
何度も仕掛けた。
 そして、6世紀前半にはついにミマナを滅ぼし、新羅に併合した。
 7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を
支配下においた。この新羅こそが、現在の韓国の原型国家であり、新羅を建てたワイ族こそが
現在の韓国人の先祖なのである。
 つまり、韓国人はシラキ人ではないし、ミマナ人、クタラ人でもない、ということなのだ。
シラキ人、ミマナ人、クタラ人は、いずれも韓人(からびと)と呼ばれた同一民族であり、
同一文化を共有していた。
 古代ヨーロッパに住んでいたケルト民族のようなものだ。ケルト人はヨーロッパ各地に
部族共同体ごとに分かれて生活していたが、部族の違いを超えて、同一文化を共有していた。
古代のカラ半島南部に居住していた韓人も、倭人文化を共有していたのである。
669出土地不明:2008/10/26(日) 00:01:19 ID:S3rO9tqF
>>667
では何で現代華北と朝鮮半島にYAP+が無い?

で、何で衛氏朝鮮以前の朝鮮半島に中国土器や中国金属器や金石文や
龍信仰が伝達していない?
670出土地不明:2008/10/26(日) 16:04:08 ID:FsTsGFmW
あのなお馬鹿ちゃん、遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、
別のハプロタイプに変化してしまったり、頻度が激変してしまったり、
消滅欠損してしまったりと、経年変化するから全くあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の、器種、器形、文様というのは経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
671月光仮面:2008/10/27(月) 07:53:20 ID:Gv7oQ5j/
>669
>現代華北と朝鮮半島にYAP+が無いこと、衛氏朝鮮以前の朝鮮半島に中国土器や中国金属器や金石
>文や龍信仰が伝達していないということ
夏殷への東夷諸族 の集中と、殷崩壊時の安陽東方から燕経由朝鮮半島への集中した多様な東夷族の
移住と言うことはこの点から考えるとおかしい。他方、陝西省、河北省、遼寧省における殷並行期の
鹿石の調査から、当時殷の領域に入れなく、境界付近の殷系部族を仲介して殷と交易する部族が存在
したことが判明してきている。殷の婦好によって征圧された鬼方のような部族もある。他方、バイカル南
東の匈奴発祥地である石板墓文化圏には三足土器が見られる。こうしたことと燕に長城が建設されるこ
と等を勘案すると、殷の盛時において下図のようにその北部国境周辺の遼西を中心として↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b9/Bipabronze1.jpg
ノマドが集まり、そのうち殷の刀子を持つカラスク文化人等が国境を越えて域外と交易、通交していた姿
が見える。つまり、東夷が主として集結していたのは殷の国境付近、内モンゴルの遼西とか、遼寧省、吉
林省の東部であり、そこに安陽東方から莱夷、淮夷の一部も合流したが、三足土器などの殷の文化と
は決別し他の東夷の文化に入って行ったという可能性もある。
672月光仮面:2008/10/27(月) 10:44:19 ID:Gv7oQ5j/
「商王朝は夏王朝を征服したという性質を保持していたためか、その後も周辺地域に積極的に関与しま
した。商王朝の支配者達は軍事的城郭を作り、遠隔地交易を支配しようとしたのです。」
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point113.html
こうした商王朝支配者たちの遠隔地交易構想の先兵となって周辺地域に積極的に進出していたものが
殷周革命のために周に組した周辺部族の追及を受け、たとえば、「伯夷・叔斉の2人は孤竹国(遼西にあ
った国)の王子であったが,互いに王位を譲りあってともに国を出奔した。一度は殷の紂(ちゆう)王の朝廷
を訪れたが,紂王に見切りをつけて,西伯であった周の文王をたよってそのもとに身をおちつけた。文王
が死に,武王が紂王討伐の軍を起こそうとしたとき,2人は武王の馬を引きとどめて,父の死後すぐ兵を
起こすこと,また臣下でありながら主君を討伐することの不当をなじる。武王が殷を滅ぼし天下が周のも
のとなると,2人は周の粟(ぞく)を食べることを恥じ,首陽山(山西省永済県)に入って薇(わらび)をとって食
料としたがやがて餓死した。」こうした形で中原から遠ざかり、遂には日本列島最北の地にまで至り、
そこに内反り青銅刀子、三足土器を残したということも考えられる。
673出土地不明:2008/10/27(月) 13:38:09 ID:ZcyHWHHn
>>670

ハロプロが変わるというのは馬鹿をさらしてるのに等しいw
674出土地不明:2008/10/27(月) 17:04:19 ID:xnAWSoU8
ハロプロには言われたくないがなw

何度も唱えたるぞ。唱えたる。

あのな、馬鹿ども、

遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、


別のハプロタイプに変化してしまったり、

頻度が激変してしまったり、

消滅欠損してしまったりと、


経年変化するから全くあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の、器種、器形、文様というのは経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
675出土地不明:2008/10/27(月) 21:57:30 ID:ZcyHWHHn
>>674

資料を提示のうえ
ハロプロが変わる証明をお願いします。

嘘つきは何度言っても嘘つきですからw
676出土地不明:2008/10/28(火) 01:13:41 ID:KtRSx9KG
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
677出土地不明:2008/10/28(火) 01:14:25 ID:KtRSx9KG
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




678出土地不明:2008/10/28(火) 01:14:59 ID:KtRSx9KG
縄文から弥生を通して百越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg
http://www.lsysw.cn/bbs/UpFile/UpAttachment/2008-6/200867203210.jpg


●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif
http://www.qzjci.com/Files/gcjs/27.jpg

679出土地不明:2008/10/28(火) 01:18:22 ID:KtRSx9KG
>>675




B52-DR2は変化してB52-DR15という別のハプロタイプに変わってるが、
何か文句あるのか?江南チャンコロ台湾半ニグロ。



680出土地不明:2008/10/28(火) 08:17:18 ID:Wwad8oXD
>>679
資料と証明の方法をどうぞ。

嘘つきは信用されませんよ。
681出土地不明:2008/10/28(火) 16:29:15 ID:LPjslHyi
ウソと詐欺にはおまえら台湾組織には負けるがなw

で、どこが嘘なんだ?

どこが嘘かを言ってみろや。
682出土地不明:2008/10/28(火) 20:42:46 ID:Wwad8oXD
>>681

だからハロプロの資料をだせって、しっかり検証してやるからさ。

おまえの脳内資料だけではあまりにも信憑性に欠ける。
683出土地不明:2008/10/28(火) 23:40:13 ID:A7esS3Mh
ハロプロって何ですか?

日本語が分からない東南アジア江南チャンコロ台湾類人猿ですか?w

だったら、


とっとと出てけ!日本から!朝鮮人とともに!
684出土地不明:2008/10/29(水) 00:00:26 ID:Z5rwMOw6
ネットにはそのソースは無かったが、遺伝子かじってるなら、

B52-DR15がB52-DR2から変化したものである事くらい常識だがな。
685620:2008/10/29(水) 00:32:00 ID:rdTfgIjG
資料の提示ができない上、 ハプロタイプが変わる理由・証明もできない。
ということであれば、水稲耕作文化の日本列島への波及は朝鮮半島経由のみでなく、
中国渡来人からの日本列島への直接的ルート、または縄文人による中国との交流による
水稲耕作文化の波及があったという、ほぼ「確たる証拠」とやらを提示できそうですね。

↓既出済みかな?(中国から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなるRM1-b は朝鮮半島にはみられない)
稲のたどってきた道  佐藤洋一郎氏
「弥生人が朝鮮半島から伝えたとされる日本の稲作。 実は、縄文時代にも中国伝来の稲作あったんです」
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html
686出土地不明:2008/10/29(水) 02:30:09 ID:dinpZjy9
馬鹿w

日本人に一番多いハプロタイプB52-DR15は北方アジアに広がる
B52-DR2が変化したものというのは常識の常識のそのまた常識だろが大馬鹿w

単に朝鮮半島のbが消滅欠損しただけだろがw
687出土地不明:2008/10/29(水) 03:41:33 ID:dinpZjy9

中国から直接日本に伝来したとされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
688出土地不明:2008/10/29(水) 10:20:04 ID:PZO2GmUt
常識だっていうなら資料なんていくらでもあるだろ。さっさと出せ。
しかも、過去から変化したなんてどうやって証明してるのwww。


>>685
遺伝子の変化が証明できなければ、存在しなかった米は朝鮮半島には存在していないということ。
689出土地不明:2008/10/29(水) 15:23:47 ID:D/1GKgop
じゃあ、おまえが証明してくれや。

何で北方アジアに広がるB52-DR2が日本に入ったらB52-DR15に
変わったのか。
690出土地不明:2008/10/29(水) 16:14:06 ID:PZO2GmUt
>>689
もともと違ったから。

過去が同じだったという証明はどういう方法論で行ったんですか?
現在はまったく違うのだから証明の義務はそちらにあるのは当然。
691出土地不明:2008/10/29(水) 16:21:51 ID:D/1GKgop
カス杉

会話が成立しない台湾の工作外国人はとっとと日本から出ていけ。
692出土地不明:2008/10/29(水) 16:28:43 ID:D/1GKgop
◆「無理矢理つれてこられた(強制連行)」と言いながら、未だに押し寄せてくる人達!
 
国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)← 注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)← 注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)← 注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
693出土地不明:2008/10/29(水) 16:29:54 ID:D/1GKgop



在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)


694出土地不明:2008/10/29(水) 19:35:00 ID:PZO2GmUt
>>691
逃げた、朝鮮人w
695620:2008/10/29(水) 19:46:25 ID:wIk9iKad
>>688
フムフム。ということは、資料を提示して変化を証明できない限り
「RM1-b」の存在が、現時点での「確たる証拠」になりますね。
了解。
696出土地不明:2008/10/29(水) 20:09:20 ID:PZO2GmUt
>>695

>かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
>適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

こういう妄想が成立したらね。もちろんこれの証明も必要。
697620:2008/10/29(水) 20:27:33 ID:wIk9iKad
>>696
確かに。
>687のリンク先の図も何ら証明の材料になっていないしね。w
これで、620のレス番外します。お騒がせ致しました。
698出土地不明:2008/10/30(木) 01:34:57 ID:TuuoGujr
この実験では思いがけなく簡単にDNAは変化する。そして生物は進化する。

上記の実験では種が違う,DNAでも状況が許せば,DNA交換が行われる。
ましてや(同種の生物では栄養不足にしておくと合体してDNAを交換し)
従前の生物と違った特徴を持つ別の生物になる事が考えられます。

私はこの世に生物として誕生して約40億年になります。
最初はただ単に蛋白質の分子一つにしか過ぎなかったでしょうが、
現在は60兆の生命が共同して、私の人間としての体を作っています。
その時間経過の中で何があったのかは不明ですが、何らかの理由で
変化したことは考えられます。そしてそれらはDNAで支配されている以上
変化がなければなりません。

生物は変化する。生物はDNAに支配されているということになれば、
DNAは変化するとしなければ人間の存在はありえないことになります。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/siawasesan/kokoro/sinri/202.htm
699出土地不明:2008/10/30(木) 01:51:15 ID:TuuoGujr
この幅を決める遺伝子と、他の2種類の遺伝子の有無について、アジア地域の179カ所の
イネの品種を調べた。その結果、日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた。
野生イネにはこれらの遺伝子が備わっており、各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していくが、
インドネシアやフィリピンのイネの中には、この遺伝子変化が起きる前と考えられるジャポニカイネが
存在していることが分かった。
http://www.nouzai.com/news/webdir/950.html
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
700出土地不明:2008/10/30(木) 04:59:33 ID:DOJO7zKQ
>>698
DNAの変化というか、分岐だろ。しかも万年単位の話し。
ここで議論する必要があるのは、
弥生時代のはじまりのころはせいぜい2〜3千年前。
変化があっとしても、拡散の度合いは少なく。

現在の朝鮮人と日本人のDNA構成に決定的な違いがある状態までは至らない。
混在した状況でないとおかしい。


>>699
>「インドネシアなどで栽培化されたイネが中国に伝わり、そして日本に来たと推測できる」
つまり朝鮮とは無縁。
701出土地不明:2008/10/30(木) 05:02:52 ID:DOJO7zKQ
それと、死んでから死体の中でDNAのハロプロタイプが変わる証明が必要なんですよ。
馬鹿の理論を証明するには。
702情報:2008/10/30(木) 06:14:43 ID:xn6sGbrq
ここに来れば不自由しないよ。すべて解決。
http://jbbs.livedoor.jp/sports/35282/極秘情報掲示板
703出土地不明:2008/10/30(木) 07:28:43 ID:VCRHbiy3
もしかして私達は間違った見方をしてると思います。
朝鮮半島から伝わった事はすでに沖縄経由の可能性も考える必要があるのではないですか?
奄美の人間は沖縄に近い人種で、眉毛などはアラブ諸国の人々に近い感じです。
鹿児島は桜島の火山灰で地中に遺跡が埋もれてる事も考えられます。
日本は今一度、遺跡発掘に力を入れる時なのではありませんか?
704出土地不明:2008/10/30(木) 12:37:18 ID:6Z15goQN
>>700
苦しい言い訳だなw

あんまり出まかせばかり言っていると
おまえにとってドンドン悪材料が出てくるぞ。

それに朝鮮とは無縁なんて書いてないよ妄想ワンコロw


>>703
イネはな、ジャポニカに必要なもちもち感の遺伝子ともみが落ちない
遺伝子が必要なため、インドシナ、中国を経由するしかないのだよ。

それに沖縄で稲作が始まるのは11C。

つくづく残念だなw
705出土地不明:2008/10/30(木) 12:38:04 ID:6Z15goQN
米粒の大きさの変化にかかわる遺伝子(qSW5)を発見。この遺伝子が変異して
ジャポニカのもみが大きくなったことを確かめた。

この変異と、もみを穂から落ちなくする遺伝子変異、もちもちした食感にする
遺伝子変異の計3種類について、アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。

その結果、フィリピンやインドネシアの品種で、三つの遺伝子に変異のない
ものと、もみを大きくする変異のみをもつものが見つかった。このため、
この地域でイネの遺伝子が変異してもみが大きくなり、その後、インドシナ半島や
中国大陸で他の二つの変異が組み合わさって現在のジャポニカができたという。
http://native.way-nifty.com/native_heart/native_time/index.html
706出土地不明:2008/10/30(木) 12:45:14 ID:6Z15goQN
この幅を決める遺伝子と、他の2種類の遺伝子の有無について、アジア地域の179カ所の
イネの品種を調べた。その結果、日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた。
野生イネにはこれらの遺伝子が備わっており、各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していくが、
インドネシアやフィリピンのイネの中には、この遺伝子変化が起きる前と考えられるジャポニカイネが
存在していることが分かった。
http://www.nouzai.com/news/webdir/950.html
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
707出土地不明:2008/10/30(木) 12:48:32 ID:6Z15goQN



中国から直接日本に伝来したとされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が欠損消滅してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif


708出土地不明:2008/10/30(木) 14:45:07 ID:z3/ncStL
朝鮮人 スサノウからでなければ何処から来たんだ。
中国人 日本発アジチ16氏族出なければ何処からきたんだ。
709出土地不明:2008/10/30(木) 15:00:48 ID:Ki3hMfwK
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_25_01.jpg
「稲は、中国の長江中・下流域で、約1万1000年前に栽培が始まったといわれます。その後、稲作は、こ
の地域から北上して黄河流域まで一部伝わり、さらに東進して朝鮮半島には約4000年前ころに伝わりま
した。日本には、約2500年前に稲作の技術を身につけた人々が朝鮮半島から渡来して水田稲作が始ま
ったとする考えが、土器や石器あるいは人骨の研究から有力です。ただし、最近では、稲のDNAの研究
によって、中国中南部から直接渡来したという考えが提唱されています。なお、縄文時代にすでに陸稲
の稲作が一部にあったとする説が定着しつつあります。温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの混合により耐
寒性のある早生ジャポニカの品種が誕生したと考えられています。」
710出土地不明:2008/10/30(木) 15:13:21 ID:z3/ncStL
いわれますじゃ困ります。
711出土地不明:2008/10/30(木) 19:45:11 ID:NfQF9qza
レス番外した620だが、取り敢えず>>707
>かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
>対応できず遺伝子が欠損消滅してしまった可能性が十分に考えられる。

>707のリンク先の図は証明の材料になってない上、>>698>>705>>706
の資料も何ら「かつて朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の
自然環境に対応できず遺伝子が欠損消滅してしまった」を証明するための資料提示
になっていない。『朝鮮半島でRM1-b遺伝子が欠損消滅した』という資料提示と証明
が成されない限り、佐藤洋一郎氏の見解が一般的には妥当だと判断される。

佐藤洋一郎氏の見解は>>643
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html
712出土地不明:2008/10/30(木) 20:30:12 ID:eG+VfE1N
そうか。

じゃあバラまいてやろうか?w
713出土地不明:2008/10/30(木) 20:35:16 ID:NfQF9qza
>>712
意味不明。何をバラまくの?
714出土地不明:2008/10/30(木) 22:46:58 ID:u2fiXYrY
実力で分からせるまでよw
715出土地不明:2008/10/30(木) 22:51:55 ID:DOJO7zKQ
>>704
いいわけ?www。

脳内妄想を語るときは資料を提示しろや。

で、ハロプロの変化の体系は?死語も変化するのかw
716出土地不明:2008/10/30(木) 23:00:42 ID:DOJO7zKQ
>>707

>かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
>適応できず遺伝子が欠損消滅してしまった可能性が十分に考えられる。

自然環境に適応できなかったのだからもともとなかったと考えるのが妥当。
そうでないなら、適応から不適応に自然環境の変化したメカニズムを提示してください。

琉球型=D2系統、本土型=O2b
でそのO2bは東南アジア系ですよね。つまり北東アジアじゃない。
717出土地不明:2008/10/30(木) 23:09:41 ID:u2fiXYrY
必死さに藁wwwwwwwwwwwwwwwwwww
718出土地不明:2008/10/30(木) 23:29:28 ID:DOJO7zKQ
>>717
>wwwwwwwwwwwwwwwwwww
情けないやつ。
719出土地不明:2008/10/31(金) 07:31:59 ID:wzgrnTiM
日本人とチベット人は共通した遺伝子を持つ近親民族。
日本人とチベット人は、世界でも稀な古代血統とされる
Y遺伝子D系統を持つ民族である。
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg
http://www.familytreedna.com/pdf/Karafet_et_al.1997.pdf
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroups
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/89000/20070729118570733431677600.jpg
他のアジアの地域全体にはアジア系O系統が広く分布し、日本のすぐ
近くの韓国人や中国人がアジア特有のO系統であり、孤立したD系統を持つ
日本人・チベット人の異質さが際立って見える。
このY遺伝子D系統はY遺伝子YAP+型に含まれ、アジア人種よりも中東や地中海
沿岸等に分布するE系統の近親であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統の一つ
である。かつてE系統と縁が深いD系統は、漢民族属するO系統の進出により
多くが滅ぼされ、結果海に守られている日本列島を最大とし、同じく山岳の
チベットに残り、それぞれ日本人・チベット人として二つに別つ事態に追い込まれた。

ブータン人、チベット人が日本人に1番似ている!
ブータン人は顔も民族衣装も日本そっくりだよ、着物とそっくり!
720出土地不明:2008/10/31(金) 11:31:57 ID:HTMlvpyL
カラカ仙人と天孫天降りの子孫たち
721出土地不明:2008/10/31(金) 12:50:07 ID:z2Lapl63
>>719
よっ!

チベットを利用して江南誘導する極悪タイワン中華!w
722出土地不明:2008/10/31(金) 18:38:17 ID:xASVy2g3
>>721
永住権・帰化権を、日本社会に明らかにプラスになる人間以外は、
YAP+またはC1のY染色体を持たない男性から剥奪するべきだよね。

これで中国人(漢族)は、チョソとともに原則日本に住めなくできるので、
素晴らしいと思うが、賛成してくれるよね。
723出土地不明:2008/10/31(金) 19:04:27 ID:Ap6ZQkEc
YAP+でC1でも、HLAとgmが違うのはダメだろが馬鹿
724722:2008/10/31(金) 21:41:21 ID:xASVy2g3
>>723
gmとかHLAで二次条件として、さらに条件を厳しく絞り込むというなら選択肢。

Y染色体でYAP+でもC1でもない男性を、永住権・帰化権の対象から
ほぼ全員外すのが、十分条件なことには同意するのでいいのだな?
725出土地不明:2008/10/31(金) 22:25:54 ID:/E00E+va
>>722
何考えているんだ?
帰化を認めるか否かはアメリカ同様母国に銃を向けられるかが基準でしょ。
726出土地不明:2008/11/01(土) 03:38:43 ID:qPWDTbUj



経年変化しない考古遺物は一切見えない聞こえない言わないで通し、



どーとでも解釈できる一部の偏向した遺伝学のみを使って、



自人種に都合の良い解釈創作を我らが日本人種に強制的にねじり込み



欺罔しようとしてくる台湾人によく見られる南京大虐殺と同じ手口の



中国共産党仕込みの洗脳テロ活動を行う悪い在日台湾系害国人がいますねえ。


727出土地不明:2008/11/01(土) 13:51:37 ID:jtrfDvX/
>>726
Y染色体でYAP+でもC1でもない男性を、永住権・帰化権の対象から外せば
あなたの嫌いな台湾人も、ほとんど全員が帰還対象になるのは確かなので、
もちろん賛成ですね?
728月光仮面:2008/11/01(土) 13:52:22 ID:88mlE0U/
「南アメリカのコロンビア人を調査したところ、ミトコンドリアDNAは、ほぼ全ての人がモンゴロイド系の
特徴を持っていたが、Y染色体はほぼ全てがヨーロッパ系コーカソイド(特にスペイン人)に特徴的な
タイプのみであった。逆に東ヨーロッパの諸民族のミトコンドリアDNAはほぼ全てコーカソイド系であっ
たが、Y染色体及び核DNAにはモンゴロイド系の特徴を持っている人々が少なからず発見された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2DNA
チベット・朝鮮・日本を結ぶM系或いはD系mtDNA、おそらくD系はアルタイ・バイカル方面からの
移住者で後に無文・弥生水稲栽培者となるもので、M系が山岳民ではないかと思われるのだが、
......................チベット.....中国北部.....西部.............朝鮮...................日本のmtDNA
Group........... TIB........ Ch1........... Ch2............. KOR.................. JPN
M9.................. 0............ 0............... 0................. 0......................... 0
M9a.............. 10.8......... 5.63.......... 1.61............. 3.17.................... 2.44
M10................ 7.69....... 2.35.......... 1.84............. 4.66.................... 1.3
M12................ 6.15....... 0............... 0................. 0.19.................... 0.08
小計...............24.64....... 7.98.......... 3.45..............8.02.................... 3.82
D.................... 0............ 0.47.......... 0.46............. 0.19..................... 0.08
D4................ 12.3........ 12.7.......... 20.9............. 18.4..................... 18.9
D4a................ 0............. 4.23.......... 0.................. 5.77..................... 7.39
D4a1.............. 1.54........ 0.94.......... 1.38.............. 2.42..................... 0.53
D4b.............. 18.5.......... 1.41.......... 1.61.............. 0.93..................... 2.36
D4d................ 0............. 0.94.......... 0.69.............. 0.93..................... 2.67
D4k................ 3.08......... 0.............. 1.15............... 0.19..................... 0.15
D4n................ 0............. 0............... 0.23............... 0.19..................... 0.61
D5.................. 1.54......... 1.88.......... 3.22............... 2.98..................... 3.73
D5a................ 1.54......... 1.41.......... 3.91............... 0.56...................... 1.07
小計..............38.5.......... 23.98........ 33.55............. 32.56.................... 37.49
これ等の内の、あるもの、おそらくは羌系のM系統が母系遺伝子を朝鮮のmtDNAに残し、男性
Y遺伝子はYAP+としてほぼ単身で列島に移住したのではないかと考えられる。
729月光仮面:2008/11/01(土) 14:11:44 ID:88mlE0U/
つまり「東ヨーロッパの諸民族のミトコンドリアDNAはほぼ全てコーカソイド系であったが、Y染色体及
び核DNAにはモンゴロイド系の特徴を持っている人々が少なからず発見された」
コーカソイド系をアルタイ・バイカル起源の農耕民、モンゴロイド系の特徴を持っている人々をYAP+
と置き換えて考えると、朝鮮・華北にYAP+の少ない理由がわかる。
730月光仮面:2008/11/01(土) 14:41:27 ID:88mlE0U/
上記の日本人のチベット・日本系mtDNA保持者のうちほぼ34.7%が男性の場合YAP+となる。 
http://img438.imageshack.us/my.php?image=japan9zr.gif
日本人mtDNA保持者のうち上記M、Dを合わすとYAP+を上回る。すると残りは縄文人の嫁さんにでも
なったのだろうか。


731出土地不明:2008/11/01(土) 15:45:13 ID:oQ4HgxvM
んなもん来れるわきゃねーし、
そもそも確たる証拠文物が何一つとして伝わってねえだろが
この考古学不適合ジジイ!

チベットとの共通性は、単に中央アジアから東アジアに人類が
拡散した際の最も古い遺伝形態を、
海で陸封された日本列島と陸の孤島チベットで、
大陸の変化の影響を受けずに温存したからに過ぎん。
732月光仮面:2008/11/01(土) 16:04:07 ID:88mlE0U/
科学技術振興機構 / 国立科学博物館 人類研究部/関係大学2004年度研究 「東アジア・ミトコンドリア・
ゲノムのバリエーションと日本人の遺伝子構成」
関連リンク http://honda4377.hp.infoseek.co.jp/rootsofjananease.html
●日本人のバイカル湖起源説はブリャートと琉球、本土人の酷似から裏付けられる。
●朝鮮はアイヌと10%, 本土日本人と7%, 琉球人と5%,のハプロタイプを共有、日朝間には共有が限定され
ている派生遺伝子A1a, B4c1, B4f、ほぼ限定されているN9b, B4a1, B4b1, G1a, M7b2, M12があり、弥生
の遺伝子移動を物語る。
●日本人のバイカル湖起源説はブリャートと琉球、本土人の酷似から裏付けられる。
朝YAP+はチベットを含む中央アジアからの移住。mtDNA M12はYAP+のパートナー。この移住ルートは
後の時代の同種マーカーを持つ民族の移動によって消された。
●日本人のバイカル湖起源説はブリャートと琉球、本土人の酷似から裏付けられる。
朝琉球におけるM7a, M7a1, M7b2、日本におけるN9b、B5b2の極度の多様性はこの地が縄文時代から
現在に至る南北諸島、大陸への拡散の出発点であったことを意味するr。
●日本人のバイカル湖起源説はブリャートと琉球、本土人の酷似から裏付けられる。
●遺伝子マーカーの列島南北勾配は両方面からの影響を意味する。
●日本人のバイカル湖起源説はブリャートと琉球、本土人の酷似から裏付けられる。
●縄文人骨との関係の深いのは、アイヌ、琉球人、本土日本人の順。
●要約すると、日本は、その新石器時代、すなわち、縄文時代の晩期に朝鮮半島を経由して特定の
西アジア、シベリア、南方諸島からの顕著な北アジア遺伝子流入を含む、旧石器時代から続くアジア
北方、南方からの数字の母系遺伝子流入を受けていると言える。
733月光仮面:2008/11/01(土) 16:07:39 ID:88mlE0U/
↑原本リンク→  http://genome.cshlp.org/cgi/content/full/14/10a/1832
数値データ参照。
734月光仮面:2008/11/01(土) 16:17:31 ID:88mlE0U/
これは弥生初期ではなく環濠集落、青銅器以降に渡来したもので、おそらくYAP+であろうと思われるの
だが、
●朝鮮族・山東省漢族
●遼寧省・新疆地区漢族、少数民族イ族                        
●西安市漢族・サリ族(イ族の支族)
が本土渡来人の主力とされている。徐福ではないかと思われるのは愛知県mtDNA B系。
銅鐸の終着駅だな。
735出土地不明:2008/11/01(土) 16:21:32 ID:oQ4HgxvM
それがどうかしたのか?

精度の低い単一の偏向した遺伝学での妄想創作しかできねえ
考古学適合知能まではるか遠く及ばない馬鹿ジジイ。

遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、


別のハプロタイプに変化してしまったり、

頻度が激変してしまったり、

欠損消滅してしまったりと、


経年変化するから全くあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の、器種、器形、文様というのは経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
736日本@名無史さん :2008/11/01(土) 16:25:26 ID:0h7YPw70
Y染色体のD2が日本45%とチベットにあるのは、
倭人の遺伝子だ。チベットのある民族は日本人にそっくりだ。
刺青の習慣もある。
稲作文化で爆発的に日本で増加。

D2を縄文人と間違えがちだがそうではない。
日本人D245% O2b+O2a30% O316% N6% C31%
中国はO2b、O2aがあわせて100%だから、
D2は縄文人ではなく倭人である。03は黄河系、Nはヨーロッパ系、C3はチベット系、
残る2%が縄文系かもしれない。アイヌの88%がD2というのは、倭人との混血が進んだ結果
残りの12%が縄文系その他といえると思う。
本土日本人はその後渡来人によって混血して45%に減った。
それでもかなり高い確率で倭人が残っているということだ。
意外と男系では縄文人遺伝子はほぼ絶滅に近い。
母系ではミトコンドリアに縄文系と思われる遺伝子が継承されている確立は大きい。
というのは、混血が進むのは侵略者が先住民の母系によって混血同化するのが
歴史では普通だからだ。
737出土地不明:2008/11/01(土) 16:28:27 ID:0h7YPw70
訂正736
C3はチベット系→モンゴル系
738月光仮面:2008/11/01(土) 16:32:01 ID:88mlE0U/
●YAP+はチベットを含む中央アジアからの移住。mtDNA M12はYAP+のパートナー。この移住ルートは
後の時代の同種マーカーを持つ民族の移動によって消された。
これ↑重要なポイントなのにミスタイプがあったので訂正しておく。
中央アジアの後、殷・周頃から
●朝鮮族・山東省漢族
●遼寧省・新疆地区漢族、少数民族イ族                        
●西安市漢族・サリ族(イ族の支族)
この辺に中原を取り囲む形のノマドであったのが、周に追われ、燕、朝鮮へと逃げ込んだ。その頃
からの子孫が残留していたのではなかろうか。チベットへはアルタイのトゥーバから石積文化が
南下しているとされる。

739出土地不明:2008/11/01(土) 16:35:24 ID:oQ4HgxvM
>>736
単一偏向低精度遺伝学での創作はいい加減やめろこのテロ害人!

刺青は日本が最古だって何度言えばテメエの腐った脳味噌に入るんだバカヤロウ!



確たる文物を出せや!



経年変化しない100%精度に狂いのない確たる文物を出してみい!





740出土地不明:2008/11/01(土) 16:42:40 ID:jtrfDvX/
>>739
Y染色体でYAP+かC1以外の在留資格を、
原則無効にすれば、そのテロ害人をほぼ100%追放できるわけだが、
賛成してくれるよな?

国会議員とかの政治家に御願いするのも考えてよい。
741月光仮面:2008/11/01(土) 16:43:06 ID:88mlE0U/
日本発の遺伝子としては↓
「琉球におけるM7a, M7a1, M7b2、日本におけるN9b、B5b2の極度の多様性はこの地が縄文時代から
現在に至る南北諸島、大陸への拡散の出発点であったことを意味する。」
http://honda4377.hp.infoseek.co.jp/mtdna16.jpg
742出土地不明:2008/11/01(土) 16:50:59 ID:0h7YPw70
>>739
>刺青は日本が最古だって何度言えば
そうなの?
じゃあ、何がいいたいのかよくわからないけど、
倭人が日本古来の先住民族ってこと?
743出土地不明:2008/11/01(土) 16:51:45 ID:oQ4HgxvM
>>740
もっと現実的な話をしろよ狂人。


>>741
そんな精度の低いカス材料、いつまで過信しとるんだ馬鹿ジジイ!

早く科学万能信仰から解脱せい!
744出土地不明:2008/11/01(土) 17:03:45 ID:oQ4HgxvM
そもそも倭人が登場するのは1Cに編纂された漢書地理誌からだ。

すでに弥生開始から1000年も過ぎ去った後だぞ。

倭人は縄文人と弥生人がすでに混成した後の現日本人の母体だぞ。
745出土地不明:2008/11/01(土) 17:13:25 ID:jtrfDvX/
>>743
Y染色体でYAP+かC1以外の在留資格を無効にすれば、
お前がテロ害人とまで言葉を極めて言っている人間をほぼ100%追放できる。

それなのにそこまで賛成を渋って嫌がるのは、
あまりにも意外だね。どういう理由なんだろう。
746出土地不明:2008/11/01(土) 17:31:31 ID:oQ4HgxvM
>>745
そこまで遺伝学を馬鹿信用していないだけの話。

遺伝学だけで行くとロクな結果が出てこねえ。

思っているより相当精度の低い悪材料だね。特にYとmt
747出土地不明:2008/11/01(土) 19:03:44 ID:nSpMBMGm
>>746
遺伝学を馬鹿信用していない立場は私も同じだが、
考古学が馬鹿信用していい学問なのかは疑わしい。
土器編年は常に個人の主観が入り込む余地があり、
特に、藤村旧石器捏造事件以降「確たる文物」に対する
疑念は常に生じている。
認知考古学に至っては何をいわんやである。
748出土地不明:2008/11/01(土) 19:03:54 ID:OcWSRaHl
DNAについて、何も知らない二人の面白スレだな〜。
どちらも、基礎がなっとらんよ。二人とも日本人なのかね。
まず、Y染色体ハプログループD2やC以外のOetcが、日本人になって1300年以上経ってるわけだ。
証拠はO2b1の日本での割合だ。日本内でO2bが分岐してO2b1が日本ではY染色体最多なわけ。
日本の権門、名門、大名、公家にもO系統はいるだろうさ。当然一般人にも、D2の人間の母系が、
Oばかりなんて事もありえる。つまり母方の祖父、叔父、甥がすべてOなんてこともありうる。
D、Oetc全てが日本人だ。別けれる訳がないだろう。ちなみにシナはO3が中心だ。半島はO3とO2b
日本はD2とO2b1だ。

今ここに存在している日本人が、日本人だ。D2、Cだけの日本国などない。

もひとりも、日本人が、南方系と北東アジア系の混合なのは、DNA研究での定説だ。DNAも学習シナw
まともな、研究サイトも沢山ある。むきにならなくても、DNA研究はそちらの、主張に近い。
749746:2008/11/01(土) 19:06:12 ID:jtrfDvX/
Gm遺伝子のようなマラリアでの自然淘汰が働くものは
人類の系統には役に立たない。

特定の遺伝子だけで全て万能とは言っていないが、
Y染色体だけは「男性」という限定があるからこそ、父系祖先の違いについてははっきり出る。

あなたは中国人が酷く嫌いなんだろう?

ならば男性に関しては、Y染色体で中国人がほとんど持たない
YAP+とC1以外の人間に、長期在留許可を出さないだけで彼らを日本に住み着かない用にできる。
「この目的」には十分役に立つ。  (日本人の先祖が昔どの地域にいたかは他のデータも見た方がよいが)

それでも
>ロク結果が出てこねえ
というなら、下のどれかの理由か、違うならその他の理由を是非教えて欲しい。

 1.中国人や台湾人(漢族)がYAP+を実は多く持っている可能性がある。
   ※あなたがコピペで否定してまわっている日漢同祖論になり矛盾するから、これはないだろうけど・・・

 2.YAP+ではないO系統やC3系統のアジア人から、D2系統に変化するとか思っている。

 3.YAP+かC1の判別で、中国人をほぼ100%識別できるのは理解するが、
   中国人以外で、YAP+でもC1でもない外国人を同時に追放したくない。(もしくはされたくない。)

3の理由なら話を進めれるが、2の理由なら認識が完全に間違っています。
750出土地不明:2008/11/01(土) 20:16:12 ID:0h7YPw70

各地の風土記には倭人とは異なった異属の記載がある。
国栖とか黒頭とか、紀では土ぐもと呼ばれた人々。
彼らは、倭人とは違い洞穴に住んで狩猟民族で言語も違う。
また紀には蝦夷も倭人とは違う異属として記している。
ところが、アボリジニを想像すればわかるように、
大量に虐殺、病死、労役に酷使した為の過労死など、
絶滅に近いところまで追い込まれ、おそらく土ぐも、黒頭、国栖
は絶滅したと思う。母系に残った可能性もある。
蝦夷は皇命に従わず抵抗が激しかったらしいが、東北地方の蝦夷は帰順していった。
彼らがまだ8世紀まで生きていたということは驚きで、
現代に新人類が入ってくれば、絶滅せずに済んだかもしれない。
アボリジニのように。
アイヌが一番縄文系を保持。それでも混血化が進んでいるのは、
アボリジニと同じ。
751出土地不明:2008/11/01(土) 21:55:21 ID:LF2cgnCW
>>735
>別のハプロタイプに変化してしまったり、

妄想。
752出土地不明:2008/11/01(土) 23:05:54 ID:qtV4uJ0k
1.3.1 突然変異表現型

1.3.1.1 突然変異表現型によってだけ知られる遺伝子

1.3.1.2 構造遺伝子の突然変異による表現型

1.3.1.3 野生型対立遺伝子と復帰突然変異

1.3.2 変異

1.3.2.1 生化学変異

1.3.2.2 DNA 断片変異

1.3.3 量的形質,反応性,抵抗性遺伝子の変異

1.3.4 挿入ならびに誘導突然変異

1.3.4.1 構造遺伝子の突然変異

1.3.4.2 トランスジーンの挿入突然変異

1.3.5 標的破壊突然変異

http://card.medic.kumamoto-u.ac.jp/card/japanese/gyoumu/ebank/guide.html
753出土地不明:2008/11/01(土) 23:09:49 ID:qtV4uJ0k
>Gm遺伝子のようなマラリアでの自然淘汰が働くものは



大ウソ

そんなソースも証拠もどこにもない。


754745:2008/11/01(土) 23:57:55 ID:jtrfDvX/
749は746ではなく745でした。謹んで訂正させていただきます。

>>746
あなたは中国人が酷く嫌いなんだろう?

ならば男性に関しては、Y染色体で中国人がほとんど持たない
YAP+とC1以外の人間に、長期在留許可を出さないだけで彼らを日本に住み着かない用にできる。
「この目的」には十分役に立つ。  (日本人の先祖が昔どの地域にいたかは他のデータも見た方がよいが)

それでも
>ロク結果が出てこねえ
というなら、下のどれかの理由か、違うならその他の理由を是非教えて欲しい。

 1.中国人や台湾人(漢族)がYAP+を実は多く持っている可能性がある。
   ※あなたがコピペで否定してまわっている日漢同祖論になり矛盾するから、これはないだろうけど・・・

 2.YAP+ではないO系統やC3系統のアジア人から、D2系統に変化するとか思っている。

 3.YAP+かC1の判別で、中国人をほぼ100%識別できるのは理解するが、
   中国人以外で、YAP+でもC1でもない外国人を同時に追放したくない。(もしくはされたくない。)

3の理由なら話を進めれるが、2の理由なら認識が完全に間違っています。
755出土地不明:2008/11/02(日) 00:19:51 ID:LpQ+FrBW
>>754
とにかく、Yとmtは胡散臭くてダメ。

君みたいなYAP+教の狂信的信者でもあるまいし。

考古学は純粋に考古遺物だけで追及するのが最も精度が高い
というのが俺のスタンス。

むしろ骨と遺伝学こそが誤った結果を導き出し、
考古学を混乱させるだけの悪材料になってしまっている。
756出土地不明:2008/11/02(日) 01:24:15 ID:9eXtA7vT
>>754
応対または詳細は十分でないが、見解の核心にあるものは間違っていない。
757756:2008/11/02(日) 01:35:30 ID:9eXtA7vT
訂正。754に対するレスでなく>>745に対するレス
758出土地不明:2008/11/02(日) 01:54:49 ID:fuZBzi3c
月光仮面のでおおよそは良いんじゃねー。

YAP+が中央アジアというのが逆なだけで。
あれはベリンジア発生だったと思うぞ。

結論からいえば、
関西人や天皇は亡命百済人の末裔ね。
関東人はそれより早い新羅系ね。
銅鐸祀った人種の末裔の東大寺の寺社奴隷や五色の賎民
のちの被差別部落民はBC10世紀以来の古代の大陸・半島からの避難民ね。

これまでのレスの要約だね。
759出土地不明:2008/11/02(日) 03:17:06 ID:7ZcWQe3/
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数はせいぜい1万人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.25% ほどに過ぎない事が分かる。
760出土地不明:2008/11/02(日) 03:25:53 ID:7ZcWQe3/
YAP+は黒人白人にも見られるんだから、やはり起源はアフリカだろうな。


>のちの被差別部落民はBC10世紀以来の古代の大陸・半島からの避難民ね。


中国土器はもちろん、朝鮮無文土器さえ生産していた痕跡がないんだよ。

随一伝わっているのは弥生開始時に伝わった当時の沿海州南部〜内陸部方面に
見られる刻目突帯文土器ただ一つだけ。
761出土地不明:2008/11/02(日) 09:20:14 ID:ThOiVkrn
>>755
考古遺物で日本人の先祖の一部が、「ドコドコにいた可能性が高い」とか、
「ドコらへんと交流があった」と推測に使うことは問題ない。

ただ一点確認させてもらうが、
「日本人の祖先(の一部)が考古遺物によって、例えば縄文人(または弥生人等に置き換えても良い)
 スンダランド(またはシベリア、モンゴル、華北、華南、インドシナ等に置き換えても良い)にいた可能性がある。」と推測できても、
今現在のその地域の住民の多くと日本人が、同祖・同系統になるわけではない、というのは
判っていますよね?

「日本人の先祖はどの地域にいたのか?」と、
「日本人に近い民族・人種・集団はどれであるか?」は別であって、
後者は遺伝子そのものが対象になる。
⊃ 紛らわしいから次からはスレを分けた方が良いかもね。 ⊂

後者の話では、D2系統(日本人の最大で、日本人特有)とC1系統(日本人特有)の
日本人の約半数の父系血統は、少なくとも現代では他に同じ集団はいない。(D2系統はチベット人に近いが。)
今のアジア人の北方系と南方系を混ぜ合わせても、生物としての日本人にはならない。
それを前提で、日本人は何処にいたというなら問題はない。
762出土地不明:2008/11/02(日) 11:50:06 ID:m7AH8rJw
>>761
判りませーん。


Y&mt教の教祖さまは、他の都合の悪い遺伝学や考古遺物は見えない聞こえないで、


あくまでもY&mtだけをキチガイのように語り、


自人種に都合良くY&mtで創作し洗脳の檻に閉じ込めてロック。


そんな中華臭のするウサンくせえもの誰が信用するかよ。


この変態野郎!
763出土地不明:2008/11/02(日) 12:26:25 ID:ThOiVkrn
>>762
捏造するなコラ。
中国人はD2系統はほとんどいない。勝手にD2系統を大陸系にするな。
D2系統は本土の日本人・沖縄の日本人・アイヌ人だけにある神聖なDNAだ。

中華臭をさらに劣化・腐らせたO3系統のチョンは
神聖な日本列島から出て行け!

チベット人とチョンが、住む場所を入れ替わってくれたらいいのにな。



764出土地不明:2008/11/02(日) 12:40:51 ID:VlSabO8I
D2種は長江が源流。
その後戦乱によって南はチベット方面、
北は韓南部、北部九州方面に逃げる。
辺境に追いやられたため、
同じ源流であるにもかかわらず、とんでもなく離れた現在の位置で繁栄。
特に日本地は稲作農民にとって縄文人しかいない人口の少ない地、島国という好条件に恵まれ
爆発的の人口増加。
それでD2種は日本の多くを占めた。
弥生晩期に大陸、半島から異種の流入により混血化が進む。
縄文人はほとんど種を残すことが出来ず。東北北海道で蝦夷系が少数残るが混血化が進む。
明治以降、得に戦後の影響でN系ヨーロッパ系が6%も占めるように。
N系、むしろこっちの方を問題視したほうがよい。
そのうち男系はアジア系が無くなってしましまいますよ、日本は。
今度は日本は島国であるだけに、グローバル化時代、昔と逆に侵食されやすい環境にありますよ。
そう思わないですか?



765出土地不明:2008/11/02(日) 13:03:17 ID:8uYHyzQ0
あのな馬鹿ども、遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、


別のハプロタイプに変化してしまったり、

頻度が激変してしまったり、

欠損消滅してしまったりと、


経年変化するから全くあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の、器種、器形、文様というのは経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
766出土地不明:2008/11/02(日) 13:16:02 ID:VlSabO8I
チベット人とアイヌ人をD2系統にしてしまったら、
とんでもない間違いで。
だいいち、見た目も違うけど、言語が全く違う。
日本人とアイヌ人の言語が違うのがそのいい証拠。
767出土地不明:2008/11/02(日) 13:22:39 ID:VlSabO8I
だからアイヌ人のD2系が88%あるというのは日本人に同化してしまったから。
残る12%の中に本来の縄文人の系統が残っている可能性があるが現代では純粋なアイヌ人はいなくなってしまったとか。
768出土地不明:2008/11/02(日) 13:32:45 ID:rBMfV0QK
日本人と他のアジア人の遺伝的分化尺度FSTと遺伝子組み合わせ
マッチ程度(%)
.......本土日本人.........琉球人..................アイヌ
......FST Matches... FST Matches... FST Matches
RYU 0.04 0.41.......................................................琉球人
AIN 0.04 0.33..... 0.05 0.04............................アイヌ
KOR 0 1.1......... 0.04 0.57.........0.04 0.25 朝鮮
...............^^^^...................................................................^^^^
CH1 0.01 0.59... 0.04 0.11........ 0.04 0.18 中国1
CH2 0.01 0.51... 0.05 0.19....... 0.05 0.21
CH3 0.07 0.01... 0.1 0.............. 0.08 0
CH4 0.03 0.06... 0.03 0............ 0.05 0.03
CH5 0.03 0.16... 0.03 0.09....... 0.05 0.08
CH6 0.04 0.01... 0.08 0............ 0.08 0.09
TWA 0.04 0.23...0.07 0.08....... 0.08 0.04 台湾
TIB 0.04 0.36.... 0.04 0.18........0.08 0.06 チベット
CA1 0.02 0.58... 0.04 0.25....... 0.05 0.16 中央アジア
CA2 0.04 0.73... 0.07 0.2.........0.08 0.19 
ITE 0.29 0......... 0.39 0............0.4 0.26  イテルメン
FIU 0.06 0.5..... 0.08 0.32........0.1 0.1   フィン・ウグル
MAN 0.06 0.24. 0.06 0.24...... 0.08 0.04 マンシ
ALU 0.29 0.01. 0.39 0............ 0.39 0.46 アレウト
................................................................... ^^^^^^^^^^^^^
KAM 0.14 0.01. 0.16 0........... 0.15 0.45 コリャク
.......................................................................^^^^^^^^^^^^^
CHU 0.17 0.01. 0.21 0............ 0.22 0   チュクチ
TUV 0.03 0.09. 0.07 0.17........ 0.07 0.05 トゥーヴァ
BUR 0.03 0.97. 0.02 2.75....... 0.07 0.15 ブリャート
........................................^^^^^^^^....................................^^^^^^
FIL 0.03 0.11... 0.05 0.13.......0.06 0   フィリピン
IND 0.09 0.04.. 0.09 0............0.11 0   インドネシア
SAK 0.29 0..... 0.44 0............0.43 0   タイ・サカイ
SAB 0.06 0.09 0.05 0.29...... 0.08 0.12 サバ
「東アジア・ミトコンドリア・ゲノムのバリエーションと日本人の遺伝子構成」
「Mitochondrial Genome Variation in Eastern Asia
and the Peopling of Japan
2004年度 科学技術振興機構 科博 国際バイオ研 長寿医療センタ 
東工大 名大 山形大 三重大 スペイン・ラグーナ大 慶応大 順天堂大  
共同研究」より  
http://genome.cshlp.org/cgi/content/full/14/10a/1832
現代の本土日本人と現代の朝鮮人は遺伝子頻度、組合せが極めて近く、現代の沖縄人と
現代ブリャート人も近い。現代アイヌはとちらかというとアレウト、コリャクといった現代北方
民族に近い。


769月光仮面:2008/11/02(日) 13:41:43 ID:rBMfV0QK
で、日本人は半島で発生したというかといえばそうではなく、その先はアルタイ・バイカル、オルドス、
遼河等が考えられるが、悠久の歴史から見ると遠く中央アジア、また、沖縄に残る南方系の遺伝子は
インドネシア方面から来ている可能性大。
770月光仮面:2008/11/02(日) 13:47:45 ID:rBMfV0QK
半島におけるYAP+は、明治維新の日本における新撰組の生き残り、つまり、中国で言えば、
殷の残党が半島に逃げ、生き残っているようなもので、衛満、武帝等の圧力、迫害を逃れ
既に先発の弥生渡来人が西日本を占めているところを、東海・関東方面から入っていった
のでなかろうか。
771出土地不明:2008/11/02(日) 14:29:47 ID:SN3dsbjt



中国から直接日本に伝来したとされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が欠損消滅してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif


772出土地不明:2008/11/02(日) 15:09:54 ID:YKCr7oKX
>>771
それを立証しなければ、単なる妄想(思いつき)にしか成らないぞ。
773出土地不明:2008/11/02(日) 16:25:55 ID:NC613UF6

この幅を決める遺伝子と、他の2種類の遺伝子の有無について、アジア地域の
179カ所のイネの品種を調べた。その結果、日本のイネの多くは、三つもしくは
二つの遺伝子が欠損していた。

野生イネにはこれらの遺伝子が備わっており、各地でイネが栽培される過程で
遺伝子が欠損していくが、インドネシアやフィリピンのイネの中には、この遺伝子
変化が起きる前と考えられるジャポニカイネが存在していることが分かった。
http://www.nouzai.com/news/webdir/950.html
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
日本のイネの多くは、三つもしくは二つの遺伝子が欠損していた
各地でイネが栽培される過程で遺伝子が欠損していく
774月光仮面:2008/11/02(日) 17:36:26 ID:rBMfV0QK
>>769
親近度の強い度合いは↓
1.(平均P値= 0.29 ± 0.06)・・・朝鮮族・山東省漢族
2.(平均P値=0.20 ± 0.06)・・・遼寧省・新疆地区漢族、青海省トゥー族
3.(平均P値=0.15 ± 0.06)・・・陝西省西安市漢族・雲南省サリ族(イ族の一部)
つまり中原、河南省を取り囲む配置であり、東北はいわゆる東夷、サリ族も夷である。
775出土地不明:2008/11/02(日) 18:01:57 ID:NC613UF6
>沖縄に残る南方系の遺伝子はインドネシア



じゃあ何でHLAでの共通項がないんだよ?

アホぬかせ。

776出土地不明:2008/11/02(日) 19:18:55 ID:GZUxnG5p
>>752
で、日本人の大半が突然変異で特定のハロプロに変化したんですか????

馬鹿すぐるw
777出土地不明:2008/11/02(日) 19:55:59 ID:l8wqIWj7
月光仮面説も馬脚を現し始めたかな。

半島におけるYAP+は、明治維新の日本における新撰組の生き残り、つまり、中国で言えば、
殷の残党が半島に逃げ、生き残っているようなもので、衛満、武帝等の圧力、迫害を逃れ
既に先発の弥生渡来人が西日本を占めているところを、東海・関東方面から入っていった
のでなかろうか。

というが、
更に北方に逃げ五稜郭でも逃げおおせて
最後はアイヌに同化したとでも言うのかな。

義経伝説並みの面白さだ。
778出土地不明:2008/11/02(日) 21:23:30 ID:ThOiVkrn
>>762
反応が駄々っ子クソガキそのものだな。

ここは高貴な日本人様のスレなんだよ。

お前が1番、中国とか、臭いものが好きなんじゃないの?
お 前 達 の 宗 主 国 様 だ も ん な

日本は文明がお前らとは別なんで粘着しないでくれ。

チョソ VS チャン でも チョソ VS 台湾 でも チョソ VS モンゴル でも何でもいいから
YAP+を持たない人間同士で、他で好きにやってくれ(怒)

日本人がYAP+があるのが、どうチベット以外の中国に関係あるのか
答えれるもんなら答えてみろ!!!

遺伝子を信用しないのは勝手だが、日本人は中国人とも朝鮮人とも別人種と俺は言っているのに
中華臭とは意味が全くわからん! 頭膿んでるんじゃないか?

もし俺が中国人なら、東京タワーから飛び降りてやっても良い。
もし俺が日本人なら、お前は地獄に落ちるより酷く呪われよ。
日本人を侮辱する人間・集団・国家の末路は、哀れであることを思い知るがよい。
779出土地不明:2008/11/02(日) 21:47:23 ID:l8wqIWj7
いや、YAP+持ってるのは、
アイヌ人や琉球人だからYAP+持たない同士で
ってのはまずいだろう。

関西人などYAP+無いだろ。
本土のYAP+は
関東と静岡じゃなかったっけ?
780出土地不明:2008/11/02(日) 22:18:10 ID:GZUxnG5p
>>779
アホ。関西もYap+は多い。特に京都。

東京や大阪の都心部は比較的に少ないが、田舎へ行くほど多いのは全国的。
というか、当たり前だろ。外国から(チョン、シナ含む)人が多くくるのところが比較的少ないのは。
781出土地不明:2008/11/02(日) 22:20:28 ID:eFHz4dZ2
>>778
あのな馬鹿w

遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、


別のハプロタイプに変化してしまったり、

頻度が激変してしまったり、

欠損消滅してしまったりと、


経年変化するから全くあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の、器種、器形、文様というのは経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
782出土地不明:2008/11/02(日) 22:24:31 ID:GZUxnG5p
いわゆる限界集落といわれるところはD2系統の比率が高い。

都市集中政策はD2殺しの政策と言っても過言ではない。
783出土地不明:2008/11/02(日) 22:29:23 ID:GZUxnG5p
>>781
土器の模様が一緒なだけでは人まで移り住んだ証拠にはならないな。
特に朝鮮半島とは明らかにYapの系統が違うので、交易があっただけだと推定できる。

ただ、沿海州は東北日本と人的交流が多かったのになぜそれを示すという土器は西に多いわけ?
784出土地不明:2008/11/02(日) 22:36:23 ID:eFHz4dZ2
ただ単純に人の移動定着があったからに過ぎないからだろがw

弥生開始は朝鮮半島とは連続せずに沿海州南部方面から
ダイレクトに土器文化が入っている。
785出土地不明:2008/11/02(日) 22:38:24 ID:GZUxnG5p
>>784
人的交流が多かった東北に出土が少ないのはなぜ?
786出土地不明:2008/11/02(日) 22:40:58 ID:eFHz4dZ2
交流交易はしただろうが人の定着はほとんど無かったからだろう。
787出土地不明:2008/11/02(日) 22:42:11 ID:GZUxnG5p
>>784

グッチがはやったからって、欧州人が定着したなんてことにはならない。
特に土器の模様なんて著作権はないからね。単に西日本ではやっただけじゃないの。

実際、沿海州の人間が支配層についている痕跡がDNA上はないしね。
788出土地不明:2008/11/02(日) 22:48:51 ID:eFHz4dZ2
何度でも唱えたるぞw

遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、


別のハプロタイプに変化してしまったり、

頻度が激変してしまったり、

欠損消滅してしまったりと、


経年変化するから全くあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の、器種、器形、文様というのは経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
789出土地不明:2008/11/02(日) 22:50:31 ID:GZUxnG5p
>>788
>別のハプロタイプに変化してしまったり、

変化しないのが普通ですよ。沿海州の人間がそろって、D2、やO2b1に変化することはない。
790出土地不明:2008/11/02(日) 22:52:01 ID:eFHz4dZ2
1.3.1 突然変異表現型

1.3.1.1 突然変異表現型によってだけ知られる遺伝子

1.3.1.2 構造遺伝子の突然変異による表現型

1.3.1.3 野生型対立遺伝子と復帰突然変異

1.3.2 変異

1.3.2.1 生化学変異

1.3.2.2 DNA 断片変異

1.3.3 量的形質,反応性,抵抗性遺伝子の変異

1.3.4 挿入ならびに誘導突然変異

1.3.4.1 構造遺伝子の突然変異

1.3.4.2 トランスジーンの挿入突然変異

1.3.5 標的破壊突然変異

http://card.medic.kumamoto-u.ac.jp/card/japanese/gyoumu/ebank/guide.html
791出土地不明:2008/11/02(日) 22:56:29 ID:GZUxnG5p
>>790
>1.5.10.ハプロタイプ
>一つのハプロタイプは,遺伝的に連鎖した対立遺伝子の集合体である。 集合体は,
>ある種のマーカーの組合せとして認められるかもしれないし, (交配実験で)遺伝的に
>分かれるような大きな距離を持つかもしれないし, また,距離が短か過ぎて分かれることが
>ないような一つの遺伝子の場合もある。

D2とO系統は距離が離れてますからね。マーカーとしてはかなり強力な証拠になる。

突然変異は個体変異の場合は無視できるし。
分岐なら2000年オーダーは短すぎる。分岐前の遺伝子の消滅は考えられない。

お題目だけでは単なる妄想です。
792出土地不明:2008/11/02(日) 22:56:38 ID:eFHz4dZ2
>グッチがはやったからって、欧州人が定着したなんてことにはならない。


グッチジャパンに海外赴任している本社の人間がおるだろがアホウw
793出土地不明:2008/11/02(日) 22:57:57 ID:GZUxnG5p
>>792
その程度の渡来しかなかったんですか。だったら、DNAの痕跡がないことも合理的に証明できるな。
794出土地不明:2008/11/02(日) 23:00:40 ID:eFHz4dZ2
>>791
当時そのもの、当時のまんまであるかも証明できない
低級材料(プ
795出土地不明:2008/11/02(日) 23:03:51 ID:GZUxnG5p
>>794
日本の場合は証明できちゃう特殊事情がある。
796出土地不明:2008/11/02(日) 23:08:46 ID:eFHz4dZ2
当時の向こう側の事情は?w
797出土地不明:2008/11/02(日) 23:09:23 ID:ThOiVkrn
>>779
O系統がないアイヌは、D2系統が9割弱と極端に多い。
(但しC1系統はなくて、あとの1割弱は北アジア系のC3系統)

また道東の旭川では、D2系統が7割近い。これはアイヌの影響っぽいね。

沖縄は本島などでは、D2系統が日本人全体より多いが、
先島諸島では逆に、D2系統が少なく、O2系統が多い。

北海道・沖縄以外では、関東地方でD系統の比率が約半分と高い。
東京はこれよりは少し低めなので、東関東あたりが特に多いかもしれない。

D系統が少ない地域でも、3割弱程度はあり、O2系統と共に
日本人の多数を構成しているのは確か。
また、四国に多いC1系統だけでなく、東北に多いN系統も縄文系の可能性がある。

一系で遺伝するY染色体だけで見れば、縄文系の血を持つのは
日本人男性の半分程度だろうが、長い年月に混血しているので、常染色体でいっても
ほとんどの日本人の血のおおよそ半分程度は、縄文系の血統と言ってよいと思う。

例えば天皇の遺伝子の可能性が高いD2系統は、常染色体や母系DNAでは、
対応する血統が4割にも満たない可能性がある。
これと逆に、孤立語の日本語にウラル語族やアルタイ諸語の影響が少し見られるように、
旧石器人系といわれるC1系統やN系統は逆に、対応する常染色体や母系では、
1割よりもずっと多い可能性もある。
798出土地不明:2008/11/02(日) 23:11:22 ID:eFHz4dZ2
ほーら始まりましたY&mt教がwwwww
799出土地不明:2008/11/02(日) 23:11:51 ID:GZUxnG5p
D2系統が多いのは、漁業者、林業者とアイヌ、沖縄の人。
渡来系と考えられている支配者の末裔。これが問題を複雑にしている。

焼き物の里は朝鮮からの渡来者もいますよ。
秀吉の時にも高麗から連れてきたからね。彼らの末裔は現在でも焼き物に従事してます。

土器の大量生産は特定の産地(焼き物に適した土がとれる場所)でないと作れない。
つまり弥生時代はそういう時代の始まり。

>>796
百済、任那は倭人が多かったというか倭人の国だったけど、現在の朝鮮とは無関係。
800出土地不明:2008/11/02(日) 23:16:28 ID:eFHz4dZ2
バカヤロウw

誰が朝鮮なんかから渡来したと言ったよ?w

当時の大陸のどこかの故郷の事情だよw

それもY&mt教では特定できねえだろ?w

でもな、土器はそれが分かっちまうんだよw
801出土地不明:2008/11/02(日) 23:21:03 ID:GZUxnG5p

日本で最も古い焼き物の里の歴史。
http://www.the-anagama.com/Ja/kanzaki_4/j_pot_history.html
802出土地不明:2008/11/02(日) 23:21:59 ID:GZUxnG5p
>>801
日本で最も古い焼き物の里の歴史
>日本で最も古い範疇にはいる焼き物の里の歴史
803出土地不明:2008/11/02(日) 23:22:37 ID:ThOiVkrn
>>780
畿内出身でありながら、縄文形質がやたら強い私としては、京都にD系統が多めとか非常に興味深いです。
また田舎でD系統が多いというのもたまに聞きますが、何か資料があれば教えて下されればありがたいです。
(元々京都の家系ですが、四国・南九州・紀伊半島という田舎の血が濃い人間ですので・・・。)

奈良に比べて京都や三重で、二重瞼が多かったりA&O型比率が高かったり、
新モンゴロイド系の形質が弱いというデータを見たことがあります。

逆に、京都では(調査したのが半分未満の都道府県らしいですが)湿型耳垢比率が、
1番低かったというデータもあります。
804出土地不明:2008/11/02(日) 23:29:57 ID:GZUxnG5p
>>803
秦氏系統の人がD系統が多いらしい。あくまで伝聞。
805出土地不明:2008/11/02(日) 23:34:45 ID:eFHz4dZ2
Y&mt教で特定すりゃイイじゃないの?(ゲラゲラ
806出土地不明:2008/11/02(日) 23:39:22 ID:eFHz4dZ2
所詮は何も分からねえカス材料w
807出土地不明:2008/11/02(日) 23:43:42 ID:ThOiVkrn
>>800
朝鮮半島南部だと、古代の任那・新羅・百済あたりで、日本人の植民地か属国だった可能性が高い。
(慶尚南道のみ、朝鮮のの地域と全く異なり、日本並みにA型比率が高い。)

また朝鮮半島北西部だと、中国の植民地で楽浪郡・帯方郡があった地域になる。
(過短頭エリアの半島にあって、平壌周辺のこのあたりだけ中頭らしい。)

それじゃマズイから、朝鮮半島のちょっと北東部あたりに、日本人のルーツを誘導したいんだろうけど、
確かそこは・・・今の朝鮮人のルーツの穢族(絶壁頭・過短頭・釣り目寄り目・偏平顔・不衛生)の
故地でしたよね。w
808出土地不明:2008/11/02(日) 23:58:21 ID:ThOiVkrn
>>804
ありがとうございます。
京都あたりでも、丹波(これは兵庫も入る)など北部は、
何か秦氏とかD系統が多いのかなぁ。
良い焼物の里とかもあるんだけど、土器製作に優れたD系統の本領発揮かも。

関東を含む東日本にD2系統が多い(なので縄文人に多かっただろう)のは確からしいですが、
西日本は沖縄を含めて、地域ごとに比率の差異が大きいのかもですね。
809出土地不明:2008/11/03(月) 00:01:54 ID:td0HahRL
ワイが3000年前に朝鮮半島の北東部にいたという証拠もないし、
そもそもワイは刻目突帯文土器を作ってねえだろが。

残念ながらワイじゃねえな。

3000年前に沿海州南部から中部にかけての方面で
刻目突帯文土器の出土という証拠を遺した集団には違いないけどな。
810出土地不明:2008/11/03(月) 00:01:54 ID:ThOiVkrn
Y染色体はマクロに他の民族集団との比較に役立つので、振りまわしています。

各個人の常染色体で言えば、日本人のほとんど全員が天皇の子孫(ニニギ尊とかの子孫でもある)だと思われるので、
(こんな国は他にほぼ無いと思う。王室がちょっと古いイギリス人でも、国民ほとんどがアーサー王の子孫とかありえんし。)
男性でYAP+とかC1以外の古くからの日本人も、堂々と完全に日本人だと言えるのは、忘れてはならないと思います。
(私自身は、日本が大好きで愛情を持って帰化された方も、十分に日本の神々の祝福を受ける日本人だと思っています。)
811出土地不明:2008/11/03(月) 00:03:59 ID:eFHz4dZ2
またY&mt教の洗脳かよw
812出土地不明:2008/11/03(月) 00:39:13 ID:v02/mnIX
D2系統とO2b1の関係については興味深い。
ひょとしたら、D2系統が日本で残った理由がO2b1の存在に見つけられるかもしれないし。
遠い系統なのに、相性のよい部分があったのでは。

実際、信楽に行ってみれば独特の風習は残っているし。
焼き物はもともと中国から伝来したものだといってそこに起源を求めてますね。
813出土地不明:2008/11/03(月) 01:04:48 ID:JYcF9SnD
>>809
稲作の気候条件とか考えると、朝鮮半島東部ルートは条件が悪すぎるから
主要な稲作伝播ルートとしてはあまり考えられない。

ただ沿海州で刻目突帯文土器が発祥と考えてこれを重視するなら、
寒流のリマン海流に乗って南下した少人数の集団が、慶尚南道で少人数の水田耕作民と融合して、
そのまま北九州〜山陰に上陸の可能性は、全く無くもないとは思う。

ウラル系のN系統は日本人全体の中では極僅かだが、日本海に面する
青森や福岡では数パーセント程度は存在するようなので、
弥生初期にその程度は人的な移動があったかもしれない。

ただし、渡来人口はオーストロアジア系のO2b系が圧倒的に多かったことになる。
南方ルートの技術を軽視すれば、弥生時代になっても陸稲栽培が多かったのは、
O2b系稲作民の生産方法だったからではないかと。


814出土地不明:2008/11/03(月) 01:19:06 ID:td0HahRL
>実際、信楽に行ってみれば独特の風習は残っているし。
>焼き物はもともと中国から伝来したものだといってそこに起源を求めてますね。



じゃあ何でチャンコロ土器も陶磁器もねえんだよ?w


815出土地不明:2008/11/03(月) 01:27:47 ID:td0HahRL
>>813
おっ、ワンコロ、いつものウンコ臭ただようナンポー誘導が
始まったじゃねえかw

頻度は最もあてにならねえなw

ところ変われば選択されるハプロが変わる。

で、オーストロアジア系が残した確たる証拠を提示してくれやw
816813:2008/11/03(月) 01:41:09 ID:JYcF9SnD
土器についてだが、世界で最古級の土器が大量に出ているのは日本だけといって良い様で、
控えめに言っても、日本列島が縄文時代前半頃までの土器生産の先進地だったのは確かだと思われる。

沿海州の土器についても、北海道・樺太・アムール川流域に広い海峡がなく、
主に東日本に居住していた縄文人の影響が強かったのではないかと思う。

>>812
信楽といえば、私はたぬきの置物のイメージが・・・。
近江・甲賀地方は、渡来人の影響が強いので、O2b系が持ち込んだ中国や百済の影響も
あるのかもしれませんね。

中世の中国の景徳鎮とかのイメージで、土器・陶器は中国が本場と言う意識になりやすいですが、
少なくとも縄文時代頃まででは(相互交流はあったでしょうが)日本列島が先進地域で
ここから中国、遅れて西洋に伝わったのが大まかな流れでしょう。
817813:2008/11/03(月) 01:42:02 ID:JYcF9SnD
中国国内の省ごとのハプログループ分布を見ると、
華北も華南も漢民族は総じて、O3系統が非常に多いようです。
(百越の本場の福建省で特にO3系統が多いです。台湾でもこれに近い。)
(福建や台湾は、日本人と母系での共通点が見られるものの、父系では完全に漢民族のDNAです。)

チベットにD系統が多いのは別として、他にその中で面白いのは、
長江上流域の四川省のあたりで、D系統が1割弱程度と、O2b系統が3割程度ある可能性が高いことです。
(下流の江西省、江蘇省、上海でも少しですがD系統と、O2b系統の可能性が高いタイプが見られます。)
場所的にD系統はたぶんD2ではなくD1系統と思われるので、日本人の主要なルーツの可能性は低いですが、
似たような言語を使って、文化交流・交易・技術の伝播は容易だったのではないでしょうか。

何故か台湾や上海周辺は、O2bよりO1系統(フィリピンとかに多い南島系)が多かった。
やはりO2b弥生人は、「ベトナム → 先島諸島 → 九州」 と船で来たのかなあ。
818出土地不明:2008/11/03(月) 01:52:06 ID:td0HahRL
>O2b系が持ち込んだ中国や百済の影響もあるのかもしれませんね。


いつチャンコロランドから来たんだよw

そんな日本史ねえんだよ台湾中華工作員。


>>817
だから、Yしか語らないインチキチャンコロ日本人ダマシ教しか
語るのではなく、

確たるチャンコロ証拠を出せや、このペテン欺罔タイワンチャンコロ!」
819出土地不明:2008/11/03(月) 01:55:16 ID:JYcF9SnD
>>815
>>816で書いたように、今のデータを見ると、良く言われている
「D2とO2bの混成集団が長江下流域から大人数で日本に来た」という可能性は低いと言っている。

O2bはオーストロアジア系だが、君はまさかシベリア系稲作民とか思っていないよね?

>>813でわざわざ、君が執着する「刻目突帯文土器」に関連して、
リマン海流に乗って土器と一緒に、日本の人口からすれば少数だがN系統の
人間が来た可能性はあると言ってあげている。

日本人は、朝鮮人とか北アジア人とは遺伝的に差異が大きいのだが、
大体弥生初期頃に、沿海州に膨大な人口がいて、彼らが跡形をあまり残さず
全員で日本に渡ったとか、あなたは思っているわけですか?
820出土地不明:2008/11/03(月) 01:56:26 ID:td0HahRL
もう2時だと言うのにスゲエ文章能力だなw

「私は日本人を遺伝学で欺き、欺罔し、日本人を根底から殺しに入る
国家エリートの工作員です。」

と言っているようなもんじゃねえかこの中華テロリストw
821出土地不明:2008/11/03(月) 01:57:45 ID:td0HahRL
まるで、俺を待ち構えていたかのような工作ぶりw
822出土地不明:2008/11/03(月) 02:03:22 ID:td0HahRL
>>819
おえい、夜中の2時に書く文章能力じゃねえぞw

職業としてやっているようにしか見えんぞ馬鹿w

だからおまえがやっているのは、




「Yを使った日本人欺罔行為の国際サギのテロ」



以上。
823出土地不明:2008/11/03(月) 02:05:19 ID:td0HahRL
で、おまえはただの




「Yを駆使して欺罔する台湾中華テロリスト」




以上。
824出土地不明:2008/11/03(月) 02:10:40 ID:JYcF9SnD
>>818
>817で、
> やはりO2b弥生人は、「ベトナム → 先島諸島 → 九州」 と船で来たのかなあ。
のように、O2b系統は台湾や中国から来た可能性は低いと、わかり易く書いているんですが。
「台湾中華工作員」とは、日本語の読解が不自由なんですか?
ハングル語を甲高く落ち着きなく叫ぶとか、中国語の方が得意なのかもしれませんね。w

あなたは中国語のコピペを貼り付けて自己満足している人でしょう?
あなた達の半万年の宗主国様だけあって、中国への意識とか情が強いのでしょうかね。
825出土地不明:2008/11/03(月) 02:18:10 ID:td0HahRL
だからオーストロアジア系が残した確たる証拠を出してみい。

話はそれからだ台湾工作員。
826出土地不明:2008/11/03(月) 02:28:22 ID:td0HahRL
Yだけでコンコンと創作誘導しやがってバカヤロウw

でも分かるよ。その気持ち。

もうYしか欺罔材料がねえもんなw

もうYしか頼みの綱がねえもんなw

だからYだけでコンコンとやるしかねえわけだよw

つまり、おまえら台湾工作部隊はそこまで追い詰められたって事だw


アハハハハハハ
827824:2008/11/03(月) 02:29:39 ID:JYcF9SnD
日本列島の国土・自然環境などはとても日本の神様達に感謝している。
これまで各時代の最先進海洋諸国とちょうど良い距離を保てた地理的な場所も、幸運だったと思っている。

しかし、大正時代頃以降で言えば、近くほどロクでない国が多いので、
神様には恐れ多いが、ほとほと酷い場所に日本列島があるなと感じてしまう。

ロシア(コーカサス系の残虐な指導者が権力を振るったソ連時代と違って、N系統中心のマトモな国に徐々になっている)だけは
最近少しマシなのが幸いだし、アメリカとかも半分以上は親日的だが、酷い国が近くに多い。

日本列島が地球の裏側のブラジルとかアルゼンチンの沖合いに移動できたり、
YAP+の仲間が多くて産油国が集まる、アラビア半島の近くとか、ジブラルタル海峡の沖合いとかに
位置していたら理想的なのにな。
828出土地不明:2008/11/03(月) 02:34:54 ID:td0HahRL
Yサギ師w
829出土地不明:2008/11/03(月) 02:36:54 ID:JYcF9SnD
>>825
台湾はオーストロアジア系じゃないだろ。無茶苦茶言う奴だな。
台湾は約6割がO3系統(漢民族系)で、2割強が自身が発祥のオーストロネシア系(南島系)だ。

こちらが台湾の話題を(Y染色体ではそれほど日本人のルーツとは関係がないから)あまり書いていないのに、
おまえは「台湾」を話題にするのがえらく大好きだな。なにかトラウマでもあったのか?
こちらは関係がないのに巻き込まないでくれ。

830出土地不明:2008/11/03(月) 02:46:14 ID:td0HahRL
おまえは台湾を一番高いところに置いているw

台湾を出さないように、隠すように神経を使っているのが分かるw

あえて台湾を出さないようにすれするほど、

「ああ、台湾人なんだな〜。」と心に見えてくるwwwww
831出土地不明:2008/11/03(月) 02:49:24 ID:JYcF9SnD
>>825
オーストロアジア系のO2b系統が、日本人のD2系統に次ぐ2番目に多いタイプで、
分布等から稲作民の弥生系と考えられている。

言語的には、D2系統系の日本語(孤立語)に基本的に同化したようで、
ベトナムやカンボジアのように、オーストロアジア系の言語を話しているわけではないが。

ちなみに現在のベトナム人(キン族)は、血統的には漢民族系やタイ系の血が濃いけど、
言語は一応、基層のオーストロアジア系を保っている。
832出土地不明:2008/11/03(月) 02:53:38 ID:td0HahRL
そうか。

では命令する。

オーストロアジア系の確たる弥生文物の証拠を提示しろ。
833出土地不明:2008/11/03(月) 02:57:04 ID:JYcF9SnD
>>830
YAP+を強調するのが、YAP+を持っていない台湾を賛美することになるのか教えてくれ。
意味がわからん。

俺はチョンのような歪んだ選民意識はもっていないつもりだが、
好みとか日本への愛情はある。
日本人のO3系とC3系の比率が増加するのは勘弁して欲しい。

できれば、日本列島の周りが、チベットとかサウジアラビアとかイエメンとか
ギリシャとか、モロッコとかエリトリアとかソマリランドとかのYAP+の国で取り巻かれていて
DE系統共通語が広く使われているのが、個人的な理想だ。
834出土地不明:2008/11/03(月) 03:01:38 ID:td0HahRL
だから早くオーストロアジア系の確たる弥生文物の証拠を提示しろ。

命令だ。

明日の朝までに出しておけ。

おやすみ工作員。
835出土地不明:2008/11/03(月) 03:08:04 ID:JYcF9SnD
>>832
お前達は、中国とかモンゴルとか女真族の命令に従う下僕なんだろう?
8回ほど頭を床に付けて、感謝、御願いしてきた立場をわきまえろ。
ヨナヨナ、アイゴーっていってるんだろう?

日本の文明はD2縄文系があくまで中心だ。
同時に血統的に、O2b(オーストロアジア系)が最も多い国なのも事実だ。
とりあえず、O2b系統が日本に来るまでの文化に今のところはあまり関心がない。
836出土地不明:2008/11/03(月) 03:14:01 ID:JYcF9SnD
>>834
自分は全く整合性のある証拠や論理を丁寧に示さないのに、結論先にありきで勝手に断定する。
相手の言葉はワザと曲解して、自分だけ何でも人に要求するから
お前らは卑怯なんだ。

何様のつもりなんだ。たちの悪い自己愛性症候群そのものだな。
837出土地不明:2008/11/03(月) 03:18:51 ID:4obrbOCx
だから早くオーストロアジア系の確たる弥生文物の証拠を提示しろ。

命令だ。

明日の朝までに出しておけ。

おやすみ工作員。
838月光仮面:2008/11/03(月) 08:49:22 ID:ymfx/ZNC
中国のYAP+についての中国情報↓
[その一]
Human Genetics Center of Yunnan University Science in China Series C-Life Sciences
2003 Vol.46 No. 2 pp.135-140
* Primi has the highest YAP+ frequency (72.3%)
Tibetan (36.0%),
Naxi (37.5% and 25.5%),
Zhuang (21.3%),
Jingpo (12.5%),
Miao (11.8%),
Dai (11.4%, 10.0%, 3.3% and 2.0%),
Yi (8.0%),
Bai of Yunnan (6.7% and 6.0%),
Mongol of Inner Mongolia (4.3%),
Tujia of Hunan (2.6%),
Yao (2.2%) and
Nu (1.8%).
[そのニ]
Zhongguo Yi Xue Ke Xue Yuan Xue Bao. 2006 Apr
Zang       36.7%,
Tu        23.8%,
Yi        18.4%,
Pumi      11.3%,
Tajik       7.4%,
Bai        6.7%,
Jino       5.1%,
Shandong Han 4%,
Mulao      2.7%, and
Maonan     1.3%.
839月光仮面:2008/11/03(月) 08:53:45 ID:ymfx/ZNC
日本のYAP+は34.7%
http://img438.imageshack.us/my.php?image=japan9zr.gif
中国情報にあるTibetan, Zangにほぼ等しい。
840出土地不明:2008/11/03(月) 09:14:34 ID:v02/mnIX
>>814
NHKの新日本記行でも放映されてましたよ。再放送があった。
詳細については信楽の人に聞けば。
おまえより陶器や土器のことは遙かに詳しい。

>>816
そのたぬきなんですが、タールで着色している。
実は、縄文土器にもタールは使用されている。

しかも信楽の特徴は
http://www.the-anagama.com/Ja/koshigaraki/index.html
ビードロ色(火色)なんですね。

ただ、日本が先進地域というのは厳しいかも最古のものは中国だしね。
独自の発展をとげて、大量に生産したのは日本かもしれないが。
ゆえに刻目突帯文土器に関しては日本から逆ルートで伝わった可能性もあるね。
841月光仮面:2008/11/03(月) 09:24:27 ID:ymfx/ZNC
日本人と朝鮮人のYDNAの比較↓
....................................Japanese.(108)...............Koreans.(160)
RPS4Y 711...C.............98.............(90.70)........136..........(85.00)
....................T....+.......37.............(34.30).............4...........(2.50)
YAP.............+.............37.............(34.30).............4...........(2.50)
....................-..............71.............(65.70).........156..........(97.50)
M 9.............C.............47.............(43.50)............29..........(18.10)
....................G.............61.............(56.50).........131..........(81.90)
M 175..........+.............49...............(45.40)..........41..........(25.60)
....................-.............59................(54.60)........119..........(74.40)
LINE1..........+.............2..................(1.90)...........20..........(12.50)
....................-.............106.............(98.10).........140..........(87.50)
SRY +465.....C.............80.............(74.10).........129..........(80.60)
....................T.............28.............(25.90)............31..........(19.40)
47z.............Y1.............87.............(80.60)..........151..........(94.40)
....................Y2.............21...........(19.40)..............9............(5.60)
M 95.............C.............107..........(99.10)...........160.......(100.00)
....................T.................1...........(0.90)................0
朝鮮人のYAP+は2.5%と、日本人、チベット人より極めて低い。
842月光仮面:2008/11/03(月) 09:28:34 ID:ymfx/ZNC
.mtDNAでこうした日本人、チベット人に多くて、朝鮮人に少ないものはあるかを見てみると↓
.....................チベット.....中国北部.....西部.............朝鮮...................日本のmtDNA
Group........... TIB........ Ch1........... Ch2............. KOR.................. JPN
M9.................. 0............ 0............... 0................. 0......................... 0
M9a.............. 10.8......... 5.63.......... 1.61............. 3.17.................... 2.44
M10................ 7.69....... 2.35.......... 1.84............. 4.66.................... 1.3
M12................ 6.15....... 0............... 0................. 0.19.................... 0.08
小計...............24.64....... 7.98.......... 3.45..............8.02.................... 3.82
D.................... 0............ 0.47.......... 0.46............. 0.19..................... 0.08
D4................ 12.3........ 12.7.......... 20.9............. 18.4..................... 18.9
D4a................ 0............. 4.23.......... 0.................. 5.77..................... 7.39
D4a1.............. 1.54........ 0.94.......... 1.38.............. 2.42..................... 0.53
D4b.............. 18.5.......... 1.41.......... 1.61.............. 0.93..................... 2.36
D4d................ 0............. 0.94.......... 0.69.............. 0.93..................... 2.67
D4k................ 3.08......... 0.............. 1.15............... 0.19..................... 0.15
D4n................ 0............. 0............... 0.23............... 0.19..................... 0.61
D5.................. 1.54......... 1.88.......... 3.22............... 2.98..................... 3.73
D5a................ 1.54......... 1.41.......... 3.91............... 0.56...................... 1.07
小計..............38.5.......... 23.98........ 33.55............. 32.56.................... 37.49
そういうのはない。
843出土地不明:2008/11/03(月) 09:40:08 ID:JYcF9SnD
>>837
日本人のルーツの問題だから、生物としての遺伝子ほど強い証拠はないと思うが。

気に入らなくて、弥生人O2b系のルーツがまったく別とか思っているなら、納得できる内容の
カウンターロジックとして、どこから来たどういう系統なのかを論理的にあなたが示して納得させればよい。

>>833
> YAP+を強調するのが、YAP+を持っていない台湾を賛美することになるのか教えてくれ。
> 意味がわからん。
とかの簡単な質問にも、答えていただきたいものだな。

非常に特定の文物にだけ拘るようだが、マクドナルドが日本中にあるから
20世紀の日本人は白人や黒人が大量に渡来した混血とか言わないだろう。

>>813で刻目突帯文土器に関連した人間の移動も考察されているのに、
お前の場合は、縄文人でも弥生人でもなんでも弱い証拠しか示せず、
朝鮮半島の北方あたりから来た結論ありきで、まともに議論にならない。あえて嫌われたいのかな。

100歩譲って万が一日本人の主なルーツがそのあたりにあったと考えたとしよう。
日本人の先祖は、朝鮮半島は海岸沿いに通過だけして、日本に入ったので、
現代朝鮮人とはほとんど遺伝的に関係ないっていうことで宜しいですか?
844出土地不明:2008/11/03(月) 10:20:09 ID:UOXj7Jtt
>>838
プミ族のYAP+比率(たぶんD1だろうけど)高いですね。
雲南あたりのYAP+が多い少数民族女性の衣装は、ちょっと縄文ぽくて好きですね(爆)

イラストだけど、中国の少数民族衣装を描いたこんなサイトがあります。
http://www.nasuinfo.or.jp/FreeSpace/setch/olk/painting.htm
(ナシ族)
http://www.nasuinfo.or.jp/FreeSpace/setch/olk/olk69.html
845月光仮面:2008/11/03(月) 10:23:57 ID:ymfx/ZNC
>>842 他方
「南アメリカのコロンビア人を調査したところ、ミトコンドリアDNAは、ほぼ全ての人がモンゴロイド系の
特徴を持っていたが、Y染色体はほぼ全てがヨーロッパ系コーカソイド(特にスペイン人)に特徴的な
タイプのみであった。逆に東ヨーロッパの諸民族のミトコンドリアDNAはほぼ全てコーカソイド系であっ
たが、Y染色体及び核DNAにはモンゴロイド系の特徴を持っている人々が少なからず発見された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2DNA
すなわち、ミトコンドリアとY染色体は一つの人体において、必ずしもパートナーを組んでいるものでは
なく、異種のものがパートナーを組んでいてもおかしくないことがわかる。つまり、YAP+は、かのスサノオ
の如く、朝鮮に樹木を残さず、日本列島に持ち込んだ如く、朝鮮に形跡を残さずに日本列島に入った。
しかし、受け皿となった胎は、日朝双方に農耕民族として無文・弥生初期に移住してきていた民族で
上記のように日朝に共通して存在するmtDNAの宿主民族ではなかったであろうか。これが私の説である。
このことは、YAP+は何らかの事情で朝鮮をバイパスせざるを得なかったものと考えられ、それは、燕の
衛満、前漢の武帝等の政策によって殷の末裔として朝鮮を追われた箕子朝鮮のようなもの、実際のとこ
ろは、中原の民に追われたノマドであったのではなかろうかということになり、江戸末期の新撰組にたとえ
るのはこれゆえである。

846月光仮面:2008/11/03(月) 10:34:54 ID:ymfx/ZNC
>>844
プミ族羽織袴
http://photos2.flickr.com/2930161_7454043d81.jpg
プミ族はYAP+率(72.3%)が東アジア最大、原初は青海西蔵高原を遊牧、BC4世紀横断山脈、7世紀には
四川北部、14世紀には雲南北西、農民・地主(地代が収入の50%)となり、奴婢を売買する。
邪馬台国では既に上戸、下戸、生口、持衰のような概念が存在するのでこうした山椒大夫的存在が
首長層として定着していたのかも。
847出土地不明:2008/11/03(月) 10:37:45 ID:Cta8aywJ
>>840
信楽焼の興味深いお話しありがとうございます。

中国人が1万8千年前の土器を見付けたとかいってるのは、信憑性が少しアレですが、
弥生時代初め頃までには、日本と中国の間で文物交流もあり、
どちらも技術が高かったのでしょうね。

日本のそれも東北地方で、中国っぽい三足土器が出てますが、
実用の土器は自前で十分間に合っていたようで、
こういうのはインテリアみたいな感じだったようですね。
848出土地不明:2008/11/03(月) 10:39:51 ID:nJQRmvcK
>>843
俺はあなたの考え方に納得出来る。
少人数はいたとしても大概は文化だけ伝わったと思う。
今ですらアジア同士の混血も少ない…中国人や韓国人は日本人の子供は産みたがらないのだし、昔の民族の違いだって同じだと思いますよ。
849月光仮面:2008/11/03(月) 11:17:06 ID:ymfx/ZNC
2004年度JST・科博・国際バイオ研・長寿医療センタ・東工・名・山形・三重・慶応・順天堂・スペイン・ラグ
ーナ大共同研究  
「東アジア・ミトコンドリア・ゲノムのバリエーションと日本人の遺伝子構成」http://genome.cshlp.org/cgi/content/full/14/10a/1832
親近度の強い度合いは↓
1.(平均P値= 0.29 ± 0.06)・・・朝鮮族・山東省漢族
2.(平均P値=0.20 ± 0.06)・・・遼寧省・新疆地区漢族、青海省トゥー族
3.(平均P値=0.15 ± 0.06)・・・陝西省西安市漢族・雲南省サリ族(イ族の一部)
中原、河南省を焦点とした周辺のようではあるが、朝鮮は中央アジア・東アジアの北辺を横断するユーラ
シア・ベルトであり、中原周辺に劣らぬ多様なノマドを含むが、注目すべきは夕月の民の国、新疆方面で
あり、秦氏、更には、そこに存在するソグド系コーカソイド、新疆・青海にアファナシエヴォ文化人としてル
ーマニア方面から移住してきたパレオ・コーカソイドも推古・斎明朝の日本にトカラ人、インド人として入っ
て来ている可能性がある。
850出土地不明:2008/11/03(月) 13:35:08 ID:EU0Dm0iJ
ハプログループ
DE*(ナイジェリア)┬→D*(アンダマン諸島)┬→D1(チベット、イー族)
           └→E*(エチオピア)   ├→D2(アイヌ、北琉球、日本)
                           └→D3(チベット、ウイグル、ハルハ)
851出土地不明:2008/11/03(月) 14:21:51 ID:bnYdlWA7
ハプログループ                  ┌→D1(チベット、イー族)
DE*(ナイジェリア)┬→D*(アンダマン諸島)┼→D2(アイヌ、北琉球、日本)
            |              └→D3(チベット、ウイグル、ハルハ)
            └→E*(エチオピア)┬→E1、E2(北東アフリカ)
                        ├→E3a(北アフリカ〜赤道アフリカ、アフリカ系アメリカ人)
                        ├→E3b(西欧、バルカン、近東、北東・北西アフリカ)
                        └→E4
852出土地不明:2008/11/03(月) 15:06:33 ID:89K7hKkt




>>843
おえい、早くオーストロアジア系の確たる弥生文物の証拠を提示しろよ。

弥生文物のどこにオーストロアジア系があるのか教えてくれよ早く。



853出土地不明:2008/11/03(月) 15:12:21 ID:89K7hKkt
>100歩譲って万が一日本人の主なルーツがそのあたりにあったと考えたとしよう。
>日本人の先祖は、朝鮮半島は海岸沿いに通過だけして、日本に入ったので、
>現代朝鮮人とはほとんど遺伝的に関係ないっていうことで宜しいですか?




弥生人はな。

朝鮮人との関係は地続き時代にある。



854出土地不明:2008/11/03(月) 15:54:03 ID:rCLWbGwO
>>853
簡単でいいから「朝鮮人」の定義を教えてもらえないかな?
文化的なものを主な対象と見なすのか、それとも人種的(DNA的)なものを主な対象と見なすのか。
君の見解でいいから。
855出土地不明:2008/11/03(月) 16:12:17 ID:p9HHxFMR
>>853
便乗して漏れも質問。
地続きといってるのは
 A.朝鮮半島−対馬・日本  B.日本・樺太−シベリア
のどちらのことかな?
856出土地不明:2008/11/03(月) 17:35:33 ID:nJQRmvcK
俺思うんだが地上が続いてたのってさ、地殻変動だけじゃなくて、氷河期からの温暖化で水中に沈んだのもかなりあるんじゃない?
857出土地不明:2008/11/03(月) 17:57:23 ID:VmLcnzvs
>>854
文化も人種も両方に決まっとろうが。

朝鮮人は中央蒙古人種。日本人は日本人種。

遺伝子教は経年変化という時間の流れも計算できないカスだから
参るよ。

早く自己発言に責任を持って、オーストロアジア系の確たる
弥生文物の証拠を提示し皆さんに公表しなさい。



>>855
これも両方に決まっとろうが。

まーったく考古学の基礎がなっとらんぞおまえら。


そんな基礎もできていないカスがどうして考古遺伝学の
扱いができるんだ。

ちゃんちゃら可笑しい。
858出土地不明:2008/11/03(月) 18:22:42 ID:FugX2Msb
>>857
> 朝鮮人は中央蒙古人種。日本人は日本人種。
中国人と朝鮮人が同じ中央蒙古人種ってことですね。わかります。

> >現代朝鮮人とはほとんど遺伝的に関係ないっていうことで宜しいですか?
>
> 弥生人はな。
>
> 朝鮮人との関係は地続き時代にある。

弥生人が朝鮮人と別人種なのはわかりました。
先生、でも縄文人は全然朝鮮人に似てないとされていますが?
859出土地不明:2008/11/03(月) 18:39:20 ID:hbxMZWSo
そりゃ現代朝鮮人とは似んだろがw

確か朝鮮半島の古代人骨が弥生人骨とまったく一致しない
というところから弥生人の故郷は朝鮮半島ではなく大陸の
どこかだという争論に発展していったんだよ。

で、肝心の朝鮮半島の古代人骨は確か縄文人骨と顔面部はよく似ているが
縄文人骨より短頭が強く、縄文人骨よりも大柄だったと記憶している。
860出土地不明
>>851
判りやすいです。
おつかれさまです。
確かDE*の子孫がYAP+に当たるのであってますよね。

>>856
> 俺思うんだが地上が続いてたのってさ、地殻変動だけじゃなくて、氷河期からの温暖化で水中に沈んだのもかなりあるんじゃない?
日本人、特に縄文人とかって、遺伝子でも言葉でも孤立したとこが多いじゃないですか。
結構、こじつけで今の大陸とのつながりを探しているけど

水中に沈んだ昔の陸地が日本人のメインの原郷だったのかなーと。