159 :
世界@名無史さん:01/10/31 07:48
>>158 「十字軍」スレからのコピペ
49 :世界@名無史さん :2001/03/29(木) 15:20
第4次十字軍。
もともとはエジプトと戦って聖地エルサレムを奪回するために立ち上がった
はずの十字軍で、フランス貴族中心のこの十字軍には教皇も多大な期待を
抱いていた。第3回の時に、国王の十字軍は政治的な理由でなかなか教会の
言うことを聞いてくれないと思い知っていたからだ。ところが、貴族の十字
軍はもっと統制がとれなかった。
そもそものつまづきは、彼らにエジプトまでの渡航費用を捻出できなかった
こと。ヨーロッパは契約社会である。騎士たちは、ヴェネツィアに契約して
渡航用の船を用意させたのに、肝心のその代金が払えない。ちゃんと彼らの
ための船を用意して待っていたヴィネツィアにしてみれば、彼らを運んでも、
運ぶのを拒んでも大損だ。だが、そこはしたたかな商業国家ヴェネツィア。
「じゃ、うちの国がハンガリーに取られた港町ザラを取り返してくれれば、
運んであげましょう」
ってなことになる。ハンガリーは、教皇のおぼえもめでたいカトリックの国。
東方正教ですらない。そのハンガリーを十字軍が攻めるという、もはや十字
軍だかなんだかわからない逸脱になってしまった。
教皇もカンカンに怒って一度は彼らを破門してしまう。
一方そのころ、ビザンティン帝国は、この国の悪いくせ、権力闘争で揺れて
いた。クーデターで失脚した皇帝の皇子アレクシオスは国外に脱出し、復帰
の機会をうかがっていた。そのアレクシオスが、十字軍を見て、これは使え
ると考える。自分を皇帝に復帰させてくれたら、聖地への渡航費用ぐらい出
してやるさ、ともちかけた。
ヴェネツィアのドゥーチェのダンドロがこれに乗って、十字軍を帝都コンス
タンティノープルに運ぶ。
かくして逸脱しまくりの十字軍はコンスタンティノープルに向かい、アレク
シオス4世を皇帝につけた。だが、皇帝になってみると、帝国の国庫は空っ
ぽで、約束した金など払えない。その上、市民は邪魔者、侵略者という目で
十字軍を見る。十字軍も、イスラム教徒と仲良く暮らしてるギリシャ人を
理解できない。怒った十字軍はコンスタンティノープルを攻略してしまった
のである。
長い苦労で、もはや十字軍は、聖地に行こうという気もうせ、ビザンティン
帝国をヴェネツィアと分割し、ラテン帝国を建てて居座った。
長年対立していた東方正教の総本山を落としたので、以前破門を宣告したは
ずなのに、教皇も機嫌を直して、これを正規の十字軍として認めたのである。
十字軍のダメぶりを象徴する十字軍であった。
50 :47 :2001/03/29(木) 18:52
>>49 詳しい説明サンクス。
まあダンドロが他の連中とは役者がちがったってことだな。
今の日本の総理もこのぐらい頼もしい人だったら・・・
51 :世界@名無史さん :2001/03/30(金) 03:24
すごい指導者だよね。エンリコ・ダンドロ。
十字軍とビザンツの亡命皇子を完璧に利用し、ヴェネツィアに最大限の
利益をもたらした。
その時点では高齢でほとんど目が不自由だったってのもすごい。
160 :
アヤソフィア大好き:01/10/31 11:49
第四回の十字軍が、エルサレムに行けない腹いせにコンスタンチノープル在住のトルコ人を虐殺しようとことがあったらしいですよね。
その時、ビザンツ人、すなはちギリシア人たちはトルコ人に同情して、トルコ人ともに十字軍と戦ったとか。
>159氏
わざわざありがとうございました。
結局は権力闘争の産物なんですね。
でもこのあとのビザンツ帝国ってすっごく悲しい。
唯一の千年帝国なのに・・・。
我が日本も何気に1000年は確実に生きとるんじゃがのぅ。。。
163 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/31 20:15
モンテスキューやボルテールなど啓蒙思想家は、
古代ギリシアを称える一方、ビザンティンのことは
クソみそに貶していました。啓蒙思想家の多くは
キリスト教がよほど嫌いだったんですね。
理神論者共め!
>>162 確実なところで1400年ほどは続いてますなあ、日本帝國。
ビザンツを千年帝国と称するのなら、万世一系の皇統が続いている
必要は無いので、結構条件ゆるいといえるかも?
>>162 エチオピア帝国はそれ以上続いていたかな?
>>164 日本は壬申の乱で不透明部分があるので、1300年といっておいたほうが
安全かな?
166 :
世界@名無史さん:01/11/23 03:44
「ビザンツ帝国滅亡の要因」スレの1はドキュソなのであげ
167 :
世界@名無史さん:01/11/23 07:39
テオドシウス朝
ユスティニアヌス朝
ヘラクレイオス朝
イサウロス朝
マケドニア朝
コムネノスおよびアンゲロス朝
ニケーア帝国
パラエオロゴス朝
168 :
世界@名無史さん:01/11/23 14:17
167は、皇統が千何百年続いているという162や164の話題は、
王朝が何度も変わっているビザンティン帝国の千年とは関係ないと
言いたいのかな? いや、別にそれに反対する気はないけど。
ちなみに、これが中国だったら、王朝が変わるたびに国号が変わって
国が変わったってことになるんだけど。
ビザンツの場合、どんなに王朝が変わってもあくまで「ローマ帝国」
なんだよね。ローマ帝国の皇帝って、必ずしも世襲じゃないから。
169 :
世界@名無史さん:01/11/30 00:47
>>120 アンジュー家って,ハチャメチャですよね。15世紀のルネ・ダンジュー
なんか,幾つ称号を持ってたことか。シチリアって,でもやっぱり
スペイン時代の方が支配は厳しかったんでしょうかね? シチリアで
制作された文化財のかなりのものがマドリーにあるような印象。
スキリティス年代記にしても然り。
最近おもしろいと思ってるのは,シャルル6世時代のブシコー元帥ジャン・
ル・マングル。ニコポリスの戦いに参加してハンガリー王ジキスムントと
共にオスマン=トルコのベヤズット1世と戦うが1396年に大敗。1399年には
トルコ軍のコンスタンティノポリス封鎖を解除して,ビザンティン皇帝
マヌイル2世をひきつれてフランスへドサ周りさせている。
170 :
世界@名無史さん:01/11/30 00:58
>>27,
>>42 「グルジア帝国」とはきいたことないですが,ギオルギ3世なんか「シャー」
を名乗ってるし,そんなところから来てるかもですね。
タマールはどうだったか忘れましたが。
超亀レスすいません。
>>170 うわっ、まだこのスレあったんだ。
情報ありがとうございます。
びっくりした〜。
173 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:01/12/04 19:27
オスマン帝国晒し上げ!
>シチリアって,でもやっぱり
>スペイン時代の方が支配は厳しかったんでしょうかね? シチリアで
>制作された文化財のかなりのものがマドリーにあるような印象。
ビザンツとは関係ないが、シチリアも興味あるので。
アンジュー家とスペインの支配を比べるならば、
スペインの方がまだしも寛容であったと思われる。
そもそも、アンジュー家がシチリアを上手く治められなかった理由は、
シチリアが多文化・多宗教地域であったのに、
アンジュー家の統治理念はキリスト教を第一とする姿勢であったことによる。
一方のスペインはこちらもまた多文化・多宗教地域であって、
アル・アンダルス(イベリア半島のムスリムのこと)とキリスト教徒は
相互に影響しあい、融合していた。
シチリアのパレルモが地中海世界有数の大都市であったように、
イベリア半島のコルドバもまた有数の大都市として栄えた。
スペインとシチリアは、フランスとシチリアに比べてはるかに環境的に近く、
よって、とられていた政策もまた無理の少ないものであったと思う。
176 :
世界@名無史さん:01/12/12 17:22
>172
ご苦労様です。感謝。
177 :
世界@名無史さん:01/12/23 17:11
178 :
世界@名無史さん:01/12/23 22:57
>3
超遅レスで申し訳ございません。講談社新書に寄れば、ロシアが
ギリシャ正教を選択したのは以下の理由です。
キエフのウラジミール公は国を治めるに当たり、ロシア元来の自然崇拝
から教義の整った宗教に改宗する事を考え、各宗教を学びました。
その結果解った各宗教の欠点。
イスラム教=一夫多妻はありがたいが、禁酒は辛い。
ユダヤ教=亡国の民が信仰する宗教、有り難く思えない。
そこでとりあえずキリスト教を選択しました。で、カトリックと
ギリシア正教とでは後者の方が「ミサの光景が美しい」ので
ロシアはギリシア正教の国になったのだとか。
179 :
世界@名無史さん:01/12/24 20:37
ロシアの改宗については『ロシア原初年代記』を参照するとおもしろい。
181 :
ヨハンネス・ダマスケノス:01/12/26 04:49
182 :
世界@名無史さん:01/12/26 09:42
>>178 年代記ではそういうことになってますが、年代記を書いたのは当時唯一のインテリ
階級である修道士ですから、たぶん「ギリシャ正教はこんなに素晴らしい」と自画
自賛的にでっちあげたエピソードでしょう。
もっとも、イスラム教拒否の理由が「禁酒は嫌だ」というのは国民性を表していて
なかなか面白い。(今でもロシア人のウォッカ好きは有名。)
実際には、キエフを中心とした当時のルーシ人にとって主要な交易相手は、ビザン
ティン帝国だったのですから、次第に東方正教徒が増えたのは必然というものです。
183 :
世界@名無史さん:01/12/28 22:22
184 :
世界@名無史さん:02/01/15 14:14
キエフ公国聖界の初期の指導者たちはギリシア人ばっかりだった。
185 :
世界@名無史さん:02/01/15 15:08
ビザンチン帝国とラテン帝国(第四回十字軍)の歴史的和解?
ビザンチン皇室てのと、ラテン帝国の末裔の領事とやらが
一緒に写真写ってるが・・・?????
一応ここのメルマガ取ってるんだが、なんかそのことを
書いてたような・・・
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfahy603 でも法王の東欧訪問見てると到底和解なんてあり得なさそう
な気がする。
186 :
世界@名無史さん:02/01/27 12:07
コンスdティノープル
187 :
世界@名無史さん:02/01/27 13:25
外出ならごめん。
他のスレでパライオロゴス家の子孫が
まだ皇帝を名乗っていると書いてあったんだけど。
だれか教えて!
188 :
世界@名無史さん:02/01/28 21:41
パライオロゴスPalaeologosって「古い言葉」って意味ですか?
189 :
世界@名無史さん:02/01/28 23:37
バシレイオス2世らマケドニア朝の全盛時代(10〜11世紀)ビザンティン帝国
の南東、今のトルコ領クルディスタンにはクルド系王朝マルワーン朝があった。
バグダードのブワイフ朝より独立、ビザンティンやファーティマ朝エジプト
と関係を維持しつつ周辺のアラブ系王朝などと争ったりした。
それなりに領土も広がり繁栄したが1085年にはセルジューク朝によって滅亡。
周辺の現イラク・イラン方面のクルド系王朝やアラブ系王朝やイラン系王朝も
ことごとく併合され、ビザンティン帝国も小アジアの大半を失陥した。
190 :
世界@名無史さん:02/02/11 17:34
コムネノス朝ヨハネス2世ってどんな人だったんですか?
有能な皇帝で、しかも美男だったそうですが。
191 :
世界@名無史さん:02/02/11 20:01
>>190 綽名のカロ(美男)っていうのは皮肉だったらしいが……(なんせビザンツ)。
素人は何読めばいい?やっぱり中公文庫?
194 :
世界@名無史さん:02/03/13 00:13
アンナ・コムネナを主人公にした小説「緋色の皇女アンナ」を読みました。
中学生向けの本ですが、小説としてはなかなか良く出来てて、面白かった。
…でもこれだと、アレクシオス帝がちょっと情けないような気が。
詳しい史実を知りたくなってきました。ここを参考にして勉強しよ。
195 :
世界@名無史さん:02/03/26 08:14
新紀元社のオスプレイ・メンアットアームズ・シリーズの
『ビザンティン帝国の軍隊 886-1118 ローマ帝国の継承者』
を買った。それはいいのだが……
「ビザンティン軍の装備については、以下の説明やカラーイラストにあるようなものが実際
によく用いられていたかどうかは疑わしい。」
だってさ。
何のための本だよ、これ。
表紙は、いかにも野蛮人っぽいヴァリャーグ傭兵だし。
196 :
世界@名無史さん:02/05/12 22:34
age
197 :
世界@名無史さん:02/05/27 00:38
age
空アゲ反対
199 :
世界@名無史さん:02/05/27 00:43
メンアットアームズのカバーは無意味だ。
あんな薄い本にカバーなんていらねえよ。
200 :
世界@名無史さん:02/05/27 00:51
>199
>あんな薄い本にカバーなんていらねえよ。
そうそう。
カバー無くしてもっと安くしろ
ビザンツの最後の数十年って、もはやコンスタンティノープル周辺を確保しているだけで
周りはずううっと異教徒のオスマン帝国に囲まれていたんですよね。
救いの手も無く、ビザンツ国民は正気でいられたのでしょうか?
202 :
世界@名無史さん:02/05/27 08:00
>>201 西欧から援軍を仰ぐためカトリックと合同してでも生き残ろうとする連中と
正教の信仰を捨てるくらいなら援軍などいらないという連中が
抗争したりと大変なことになってました。
203 :
世界@名無史さん:02/05/28 01:43
内紛はこの国の宿痾ですからな。
204 :
世界@名無史さん:02/05/28 02:14
サビル人って?
>>203 関係無いからsageるけど、宿痾(の痾)って、文字コードにあったんだ。
で今かな漢字変換してみたらATOK12では出ない。
辞書登録しておくか。
206 :
世界@名無史さん:02/06/06 01:19
207 :
世界@名無史さん:02/06/21 23:53
あげ
208 :
世界@名無史さん:
ビザンチンの場合、日本では古代スラブ史の研究者が少なすぎるのが致命的で、
どうしても偏ってしまう。