スワヒリ語圏の歴史、文化について語るスレです。
対象地域は現在スワヒリ語使われている地域、 かつて使われていた地域です。
また、スワヒリ語圏だけだとネタが少ないので、他のバントゥー語群(ショナ語や
ズールー語など)の話もあっていいかと思います。
主な対象国、地域:
タンザニア、ケニア、ウガンダ、紅海南部、アラビア半島南岸、ペルシャ湾岸、コンゴ民主共和国、
ルワンダ、ブルンジ、ソマリア、コモロ、モザンビーク、マラウイ、マヨット島等
2 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:04:22.37 0
今じゃ、中東側はスワヒリ語まったく使われて無いんだよね?
ソコトラ島辺りで話されていたらおもしろかったんだけど。
3 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:10:46.72 0
スワヒリ語って、使用人口増えてるの?減ってるの?
4 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:13:46.24 0
オツガイが来るとスレが伸び、こないと伸び悩む法則
5 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:28:57.67 0
スワヒリ文明って、ブラックアフリカでは珍しく文字があったんだから、
ヨーロッパ人が来る前の記録もいろいろ残ってて良さそうなもんなんだが、
アフリカ史の本読むと、他の地域と同じぐらい大雑把なことしか書いてないよね?
あんまり研究が進んで無いだけなのかな。
6 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:36:59.51 0
7 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:48:13.19 0
>>5 長期的に記録を残したいような場合は、アラビア語で書いたんじゃないの?
スワヒリ語って商業言語だし。
16Cのキルワ年代記だってアラビア語で書かれてるしね。
東アフリカはえらい人口爆発地帯のようですが、スワヒリ語も増えるのだろうか
9 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:53:13.48 0
そうなの?
どの国の人口が増えてる?
スワヒリ首都たるザンジバルのあるタンザニアは増加率2-3%、近年でも下がらない状態
なのでこのままだと数十年で2億とか3億になっちまうとか
11 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 10:19:41.60 0
先頭に立ってスワヒリ語を普及させているタンザニアの人口が増えてるんなら、
当然スワヒリ語人口は拡大だろうな。
12 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 10:39:49.14 0
13 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 11:51:18.05 0
14 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 11:57:33.87 0
イスラム世界って南はどこまで知られてたん?
喜望峰を周航したのは本当にヴァスコ・ダ・ガマが最初なのか?
15 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 12:31:09.78 0
ヴァスコ・ダ・ガマは単に、キリスト教徒で最初ってだけ。
16 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 15:08:45.39 0
17 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 15:17:16.18 0
>>11 あとは、スワヒリ語を積極的に採用する国が増えるかどうか。
18 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 16:22:06.39 0
19 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 14:07:16.54 0
気
あ を
の 付
民 け
元 主 .ろ
朝 党
鮮 .員
人
圖
∧_∧
( ´∀`)
( ○ )
280 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:26:01.31 ID:sGoAT50E
三年前ごみんすに投票した連中、今どんな気持ち?
287 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:27:00.18 ID:P8V2Yy+50
>>280 橋下様なら何とかしてくれるとお経上げてるよ。
09年の選挙では 民主なら誰でもよかった
今度の選挙では 維新なら誰でもよかった
幾らB層でも流石にこうはならないな
20 :
世界@名無史さん:2012/03/26(月) 16:29:39.05 O
オツガイ流石に守備範囲外か
21 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 10:06:31.61 0
>>7 >長期的に記録を残したいような場合は、アラビア語で書いたんじゃないの?
>スワヒリ語って商業言語だし。
やはり表現力でだいぶ劣るのかねぇ。
22 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 10:32:49.11 0
571 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/01/27(金) 21:38:12.17 0
イスラーム化した海岸諸民族は、他の民族と区別されアラブ人と同一の社会を構成した。
その場合14?15世紀に薄いスワヒリ語を媒介とした連帯が16世紀に完成したと見なす。
23 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 13:37:44.96 0
スワヒリ文明って言い方もあるんだねぇ。
初めて知った。
24 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 16:07:41.79 0
単に言語だけでは無い、共通の文明基盤があるってことなのかな?
25 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 19:17:07.35 0
26 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 21:15:05.68 0
>>24 文明基盤とまではいかなくても、いろいろと共通点は多かったのだろうね。
27 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 10:00:01.61 0
>>1 ショナ語と言うと、ジンバブエ、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ
ズールー語というと、 南アフリカ共和国、ジンバブエ、レソト、マラウイ、モザンビーク、スワジランド
だから、かなり広範囲だね。
28 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 15:33:37.56 0
29 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 18:44:07.55 0
81 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/02/02(水) 12:20:26 0
それとオマーンは半島起源だが、一時期はザンジバルの方が栄えていたらしい。
1960年代のアラブ人追方騒動以来はアラブの影響激減したろうとおもうけど。
85 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/02/02(水) 13:39:03 0
>>81 サイイド・サイードの時代には、ザンジバルを拠点とし、ソマリアの南部からケニア、
タンザニアにかけての沿岸部を支配していたな。
この時期の東アフリカでは、沿岸部の港町と内陸を結ぶ通商がいっそう盛んになった。
またサイードは、通商以外の経済の育成にも熱心で、クローブの木を導入して
栽培させ、これが輸出されて多くの利益をもたらした。
1834年のイギリスの報告書によれば、サイードの歳入は年25万ドル(マリア・テレジア銀貨)で、
うち15万ドルがザンジバルからのものであり、本国マスカトからのものは10万ドルでしかなかった。
30 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 19:57:40.69 0
>>21 スワヒリ文化の土台は、12〜13世紀に形成されたと考えられているけど、
スワヒリ語の文献で現存しているものは18C以降なんだよね。
大体その時代に、アラブ人とアフリカ人の間のコミュニケーション言語
としてスワヒリ語は重要度を急激に増してきた。
31 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 20:15:07.87 0
現存している最古のスワヒリ語文献は、インドのゴアで発見された書簡文。
1711年〜1728年にキルワから送られたものと推定されていて、アラビア文字で書かれている。
32 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 20:23:52.52 0
タンザニアでも、ケニアでも、スワヒリ語人口と言うのは少数派なんだよね。
少し古くて1972年の資料(Black Africa A comparative Handbook)だけど
タンザニア:
スクマ語 141万
ヤオ語 123万
ジグア語 69万
スワヒリ語 64万
ケニア:
ギクユ語 189万
ルオ語: 139万
ルヒヤ語: 129万
カンバ語: 109万
スワヒリ語(海岸地域その他のバンツー語を含む): 50万
33 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 20:44:54.47 0
『エリュトゥラー海案内記』にも、この地域のことは結構出てくるよね。
34 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 23:29:14.04 0
エリュトゥラー海案内記があるのはありがたいとして、そのあとは15世紀まで何も記録が無いのが寂しい。
35 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 23:36:35.62 0
三大陸周遊記が、14Cのキルワについて書いてくれてるだろ。
36 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 09:41:12.57 0
37 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 11:48:29.22 0
スワヒリ語は商業用語としてだけではなく、文学にもかなり盛んに使われてるよ。
現存するスワヒリ詩の最古の写本は、『タブクの戦いの書』(1728年)
38 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 11:55:35.80 0
フレディー・マーキューリーがいなかったら、ザンジバルは今ほど有名な地名じゃなかったかもな
39 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 12:05:25.66 0
>>34 鄭和の艦隊が遠征したときの記録もあるし。
40 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 13:45:24.80 0
ザンジバルって、元々はポルトガルの拠点だったってことでいいんだろうか?
それがどのようにしてオマーンの拠点に移り変わったり、またイギリスのものになったのか、
ざっくり流れを語ってくれる人がいるとありがたいんだが。
>>38 パールシー(在印ゾロアスター教徒)がイギリス統治の後ろ盾でザンジバルいってただけだからなぁ。
当人はどれくらい郷土意識があったものなのか・・・
42 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/29(木) 20:32:27.93 0
43 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 21:37:48.26 0
四十五分戦争に燃えるな!
44 :
世界@名無史さん:2012/03/30(金) 16:57:32.70 O
45 :
世界@名無史さん:2012/04/01(日) 09:15:36.90 0
マーチンは、ラム群島の歴史案内書『過去の探求』の中で、10Cの
ペルシャ湾の船乗りの伝承として次の話を紹介している。
ある船乗りがオマーンから船出し、恐るべき嵐にあって黒人国(ジンジ)の浜辺に打ち上げられ、
黒人たちによって彼らの王のもとへ連れて行かれた。
姿のよい王は船乗りたちの話を聞き、難破船の荷を自分の土地で商うようにとすすめる。
そして船の修理も終わり、船乗りたちが立ち去る日に、別れを告げるためにみずから船を訪れた。
そこで王の立派な装束が奴隷ひとりの値よりもずっと高いことに気づいた船乗りたちは、
欲心をおこして彼を連れ去ってしまう。
それから何年かの後、くだんの船乗りの船はふたたび漂流し、ジンジの土地にたどり着き、
自分たちが奴隷として売ってしまった
あの王を玉座に見出して仰天し、もはや命はないものと覚悟をした。
ところが、王は憎むべき誘拐者たちを、前にも増して歓待するのだった。
王は、メッカ巡礼者の従僕に売られた後、カイロへ行く隊商に加わり、そこで逃亡してナイルを遡り、
ジンジの国へ戻ったのだと話す。
そして、自分がイスラムに改宗したことを告げて言った。
「アラーはわしに微笑を給うた。ジンジの国で、わしほどアラーの恵みに浴したものはいないだろう。」
46 :
世界@名無史さん:2012/04/01(日) 09:26:52.87 0
シンドバットの話のなかで、この地方のことを伝えた話ってどれになるんだろうね?
47 :
世界@名無史さん:2012/04/01(日) 14:11:04.99 0
>>41 港湾都市の住人って、どこでもそんなもんでしょ?
48 :
世界@名無史さん:2012/04/04(水) 17:36:18.32 0
ザンジバルは交易が盛んってきくけど商品は何を扱ってたの?
奴隷?
香辛料の丁子(クローブ)でしょう。
さすがに20世紀に奴隷貿易を大々的にはやっとらんて。
51 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/04(水) 23:48:17.52 0
>>49-50 オマーン領だった時代は奴隷と象牙が主な交易品だったらしいね。
イギリス領になってからは奴隷制も廃止されたらしいけど。
>奴隷と象牙が主な交易品
いかにもアフリカって感じの品目だなぁ・・・
マダガスカルって旨味の無い土地なのかなあ
近代までどの国も領有しなかったし。
ヒットラーがその気になればユダヤ人の島になったかもだけど
54 :
世界@名無史さん:2012/04/05(木) 19:33:16.58 0
ユダヤ人も結構その気になって狙ってたろう
55 :
世界@名無史さん:2012/04/05(木) 23:28:06.54 0
オマーン海上帝国ってなかなか惹かれるけど、なんせ期間が短いんだよなぁ。
56 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 09:02:24.39 0
>>53 いや、アフリカの大半は1870年ぐらいまで(欧米の)どの国にも領有されてなかったんだが。。。
>>55 ティムール帝国なみの一代の徒花だからなぁ・・・
シャー・ルフのいないティムール帝国みたいなもん。
59 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 17:48:41.15 0
オマーンの歴史自体はそれなりに長い。
ただ最盛期が短かったということで、ポルトガルに近いものを感じる。
オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 [イスラム情勢板]
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/134 134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/03/06(火) 02:19:14.33 ID:6SJQ9Uxr
Oman–United States relations - Wikipedia, the free encyclopedia (オマーン-アメリカ合衆国関係)
http://en.wikipedia.org/wiki/Oman%E2%80%93United_States_relations > Oman was the first Arab nation to recognize the United States, sending an envoy in 1841.
オマーンは、アメリカ合衆国を承認した最初のアラブ国家であり、1841年に使節を送っている。
> The United States has maintained relations with the Sultanate since the early years of
> American independence. A treaty of friendship and navigation, one of the first agreements
> of its kind with an Arab state, was concluded between the United States and Muscat in 1833.
アメリカ合衆国は、独立して間もない頃から、このスルタンの統べる国との関係を持ち続けている。
1833年には、アラブの国と結ぶ条約としては初めてとなる和親と航海に関する条約が、合衆国と
マスカット政府との間に締結された。
> This treaty was replaced by the Treaty of Amity, Economic Relations, and Consular Rights
> signed at Salalah on December 20, 1958.
1958年12月20日、「親善、経済交流、領事権に関する条約」がサラーラで署名され、前述の
和親と航海に関する条約に取って代わった。
> External links (外部リンク)
> * Embassy of Oman - Washington, DC 在米オマーン大使館 [
http://omanembassy.net/] > * Embassy of U.S.A. - Muscat 在オマーン米大使館 [
http://oman.usembassy.gov/]
61 :
60:2012/04/06(金) 20:17:10.50 0
オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 [イスラム情勢板]
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/135 135 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/06(火) 02:36:17.10 ID:???
>>134 欧米列強からの開国要求をオマーン全盛期の頃の君主
サイード・ビン=スルタンの治世に迎えられたというのは、
幕末で混乱していた日本とは違って、実に運が良いな。
サイード・ビン=スルタンの死後、後継者問題で揉めて、
マスカット政府とザンジバル政府が分離してしまったが、
もしそうならずに済んでいたら、日本よりも先に列強の
仲間入りを果たしていたかも知れない。
62 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 20:21:16.50 0
まさか、スワヒリスレがこんなに盛り上がるとは思わなかったw
63 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 20:30:16.62 0
131 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 19:27:02.10 0
ザンビアの伝承ではカルルという兎がいて、狡猾なキャラとして描かれている。
アメリカでも一部地域では兎を見かけることは不吉とされているが、黒人奴隷
からアフリカの俗信が伝わったから、という説がある。
>>62 しかも、ケニアとタンザニア以外の話題の多さにもビックリwww
65 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 21:35:07.81 0
以外っても、ほとんどオマーンじゃね?
そう言えばそうだなwww
67 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 21:53:01.60 0
>また、スワヒリ語圏だけだとネタが少ないので、他のバントゥー語群(ショナ語や
>ズールー語など)の話もあっていいかと思います。
と言ってるのに、そっちは全くレスが無いw
68 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 22:28:03.18 0
なんと、いつの間にかイタリアスレをレス数で抜いていたw
アラブの航海者イブン・マジードもスワヒリ語を話せたのかな?
70 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 22:45:00.50 0
時代的に見て微妙かな。
17Cなら確実に話せたと思うが、16C初頭だと、そこまでポピュラーじゃなかったかも。
>>69 著作はアラビア語ばかりだから、片言くらいじゃないかな?
72 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 09:09:55.71 0
その時代、スワヒリ語は文章を書くための言語として確立していなかったから、
著作がアラビア語かどうかは判断材料にならないよ。
73 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 10:04:11.40 0
>>68 イタリアが過疎り過ぎなんだよ。
イタリアの古代はローマ帝国になってしまう分、他のヨーロッパの国に比べて歴史が短くなってしまうせいかもしれんが。
>>73 他のヨーロッパの国だって歴史短いよ。それぞれようやく国家としての態をなしたのは、
西ローマ帝国崩壊以後にフランク王国矢なんかが台頭しはじめたころだろ。
それ以前でローマが健在なころは、ゲルマン人やローマ化が進んでないケルト人など、
奴隷市場で牛馬より安く売られる存在だろ。
75 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 10:38:40.67 0
76 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 12:49:31.33 0
77 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 12:55:29.13 0
>>32 ただ、ザンジバル人はほとんど全員がスワヒリ語が母語。
大陸の言葉とはちょっと違うらしく、ザンジバル・スワヒリ語と呼ばれる。
日本でも浜言葉と村言葉と町言葉は近い地域でも随分違うじゃないか。
79 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 15:02:07.37 0
なんでそんな微妙な例をw
距離感が違いすぎだろ。
江戸弁と長崎弁の差くらいのものか?
81 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 17:47:36.91 0
ヴァスコ・ダ・ガマとその乗組員は、荒涼たる地、せいぜいギネア海岸や
コンゴでのポルトガル人の経験の繰り返しを予想してやってきたので
あるが、彼らがぶつかったのは、堅固な石造の町と海運でにぎわう港であった。
彼らが出会った人びとは、東方の海を航海し、彼ら自身よりも多く航海のことを知っていた。
彼らが見出した都市国家や政府は、ヨーロッパで彼らが見た
どれにもおとらず、富裕で洗練されたものであった。
「この地に二日か三日滞在したとき」とダ・ガマの旗艦サン・ガブリエル号
(全長75フィート)の航海日誌は記録している。
「この国の紳士二名がわれわれに会いにやってきた。彼らはひじょうに高慢で、
われわれがあたえたものには目もくれなかった。彼らの国の一青年は
--手まねから理解したところでは--遠い国の出身であり、すでにわれわれの
船のような大きな船を見ていた。」
実をいえば、この東方の旅行者はずっと大きな船を見ていたに違いない。
彼はマストのたくさんあるインドやセイロンの船で航海したであろうし、その帆が
「空の大きな雲」のようだといわれた中国の大型外洋船さえ知っていたかもしれない。
この東海岸の文明の多くは破壊されてしまった。海岸地方の北の一部を
除けば、その物質的繁栄は、全然といっていいほど残っていない。
サン・ガブリエル号の航海日誌に記録された「高慢な紳士たち」の都市は、
おそらく今日のモザンビックのクェリマーネであったろう。
約四世紀のち、クェリマーネを訪れた一イギリス紳士は、それが荒涼とした
絶望の地であるとみて、「地上もっとも恐るべき場所」と名付けたのである。
デビッドソン著『ブラック・マザー』
82 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 17:57:23.40 0
83 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 18:07:52.32 0
>>81 モザンビークって、航海時代のポルトガル植民地時代の街並みが、世界で一番よく残ってるところ
らしいけど、ってことはつまり、それ以前の街並みが破壊されたってことなのか?
84 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 23:06:51.68 0
>>81 クェリマーネってどこ?
ぐぐっても全然ヒットしないんだが。
85 :
世界@名無史さん:2012/04/08(日) 00:05:36.43 0
下手にカタカナにされると、ぐぐりようがないよなぁ。
元のスペルが分かると、まったくヒットしないってことは無いと思うんだが
86 :
世界@名無史さん:2012/04/08(日) 00:08:54.97 0
>>84 ケリマネ(Quelimane)の誤訳・読み間違いだろう。
近代海岸?
>>86 訳者や校正担当者は、誰もポルトガル語やスペイン語が分からなかったのか?
ひどい話だね・・・
89 :
世界@名無史さん:2012/04/08(日) 07:26:44.63 0
>>81の文章自体、イマイチぎこちない日本語だから、あまりレベルが高い翻訳者じゃないんだろうな。
90 :
世界@名無史さん:2012/04/08(日) 07:52:51.32 0
>>81 公開術の先生は、イスラムじゃなくてインドだったんだな。
専門外だったら、ポルトガル語やスペイン語が分からなくても仕方ないけれど、
分からないものを当てずっぽうで訳してしまうのは、翻訳者としてどうかと思う。
92 :
世界@名無史さん:2012/04/09(月) 19:51:39.50 0
ただ、一昔前の翻訳って、かなりいい加減だったりするよ。
93 :
世界@名無史さん:2012/04/09(月) 20:23:28.07 0
94 :
世界@名無史さん:2012/04/11(水) 19:59:26.36 0
素朴な疑問なんだけど、なんでケニア、ナイロビって20Cになってあんなに栄えてたの?
95 :
世界@名無史さん:2012/04/11(水) 22:36:00.45 0
ケニアッタのお陰?
96 :
世界@名無史さん:2012/04/12(木) 21:59:21.52 0
マウマウ団の乱に惹かれる。
名前だけだけど。
98 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 14:18:56.73 0
だから、単語で書くなって。
何がしたいんだよ。
>>94-95 ケニアッタが親米・親西側諸国の政策を貫いて、
ケニアッタ以降もそれを踏襲したからだろうね。
100 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 18:03:25.13 0
アフリカの日本と言ったところだな
101 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 21:54:54.28 0
アフリカの日本ってマダガスカルだろ。
ヨーロッパの日本がイギリスな。
102 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 22:09:24.52 0
島国って以外、なんの共通点もない。
103 :
世界@名無史さん:2012/04/15(日) 22:19:22.80 0
キルワって、失楽園にも出てくるぐらいだから、ヨーロッパではかなり知られていたんだな
マダガスカルはオーストロネシア語族だから、民族で判別するとまったくのアウトサイダー
ブリテン島や日本列島どころの話じゃない
105 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 21:32:38.80 0
初めてオマーンに行った日本人は、江戸初期のペトロ岐部らしい。
ほー、喜望峰経由の小西行長の孫らとは別れて、一人ホルムズ経由の陸路を選んだんだ
この人が日本人初踏破の場所って山ほどありそうだな
107 :
世界@名無史さん:2012/04/16(月) 22:30:49.88 0
はっきりと記録には残ってないらしいが、状況証拠では可能性が高いらしい。
108 :
世界@名無史さん:2012/04/19(木) 22:30:27.57 0
>>106 日本人初のエルサレム巡礼者だよ。
イラクを北上、ダマスカスから南下してエルサレムに入り
エルサレムを南下してアレクサンドリアから海路イタリアへという道のりだったらしい
>>96 『大帝国』ってゲームでアフリカに「マウマウ」ってキャラが出てるんだけど、
マウマウ団の乱から取ったのかな? って、いま初めて思ったぜー
112 :
世界@名無史さん:2012/04/21(土) 14:54:26.21 0
だろうな。
偶然ってことはないだろう。
113 :
世界@名無史さん:2012/04/21(土) 18:42:45.09 0
>>94 簡単に言うと、開発の時期がアフリカの中でもかなり早い方だったからだと思う。
ケニアに初めて定住したヨーロッパ人は、ドイツの宣教師クラップ。
(1年遅れてレープマン)
1848年にレープマンがキリマンジャロを、1849年にはクラップがケニア山を、ヨーロッパ人として初めて目にした。
リビングストン等がアフリカ内陸を探検したのは、意外に遅くて19世紀後半になってから。
それもケニア周辺だった。
探検ブームのあと、欧州諸国は陣取り合戦を始めた。
1888年までのアフリカには、ほとんど欧州人が支配する土地はなかったが、それから1902年までの
間に欧州5カ国にほとんどの場所が統治されることになった。
114 :
世界@名無史さん:2012/04/21(土) 18:46:50.42 0
イギリスは1888年に東アフリカ会社を作り、1896年にはモンバサから
ビクトリア湖に向けて鉄道敷設(ウガンダ鉄道)工事を始めた。
1899年には現在のナイロビ近郊に達した。
ウガンダ鉄道完成後、多額の出費を行なったイギリス政府は、採算を取るため鉄道の有効利用を図り
移民を呼びかけた。
ケニアは高地なので気候もよくて、土地も肥えていて、ヨーロッパや南アから次々人が押し寄せた。
115 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 09:09:42.62 0
ウガンダとケニアとタンザニアって、なんで3つの国に別れたんだろう。
どれも同じようにコモンウェルスで、東アフリカとして開発されたのに。
116 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 18:53:33.42 0
ウガンダは保護領、ケニアは直轄植民地、タンザニア(タンガニーカ)は信託統治領と、それぞれ異なる形態でイギリスの支配下にあった。
117 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 20:10:51.30 0
で、その違いってどういう経緯から出てきたの?
タンザニアは第一次世界大戦前はドイツ領東アフリカだった
119 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 22:31:13.24 0
そこから国際連盟の委任統治領という形でイギリスの統治に移管し、国際連合の信託統治時代を経て独立時にイギリス保護領のザンジバルと合邦。
ウガンダにはイギリス人が現れる以前からかなり集権的な黒人国家が存在していて、基本的にその版図がイギリス領時代の行政区分に引き継がれている。
120 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 22:31:55.72 0
ほー、詳しい解説サンクス
121 :
世界@名無史さん:2012/04/24(火) 22:17:40.45 0
マウマウというのは、部外者(多分イギリス人)がつけた名前。
自分達では、ケニア土地自由軍KLFAと呼んでいた。
>>99 ケニア人からアメリカの大統領も輩出しているしな
123 :
世界@名無史さん:2012/04/28(土) 21:21:16.31 O
安楽死合法化
エチオピアやソマリアは立地条件はオマーンとそう変わらない気がするが何故貿易大国になれなかったのか
125 :
世界@名無史さん:2012/04/29(日) 20:11:23.00 0
126 :
世界@名無史さん:2012/04/29(日) 22:09:50.74 0
>>124 ソマリアは元から各部族が争いあった状態で統一国家でなかった。
エチオピアは本拠地が内陸の方にあって沿岸部(現エリトリア)はイスラムのティグレ人やアファール人の領域。
都市単独としての貿易拠点はあったが、そもそも貿易大「国」になるには国でなければならない。
127 :
世界@名無史さん:2012/04/29(日) 22:51:19.10 0
香港とかシンガポールみたいな貿易都市が出来ればよかったんだけど、
そもそも後背地が無いとなぁ。
128 :
世界@名無史さん:2012/05/02(水) 20:10:12.15 0
スワヒリ語のベースは、バンツー語系の話し言葉。
そこにアラビア語(ペルシャ語も少し)の語彙が加わって成立した。
数字の6、7、9はアラビア語と同じ(シタ、サバ、ティサ)。
もう少し複雑な数、20〜90と1000、1/4、半分もそう。
129 :
世界@名無史さん:2012/05/02(水) 20:19:58.79 0
>他のバントゥー語群(ショナ語やズールー語など)の話もあっていいかと思います。
ショナ語って、ジンバブエのショナ族が使ってた言葉?
130 :
世界@名無史さん:2012/05/02(水) 20:48:52.63 0
11世紀から15世紀まで、東アフリカ沿岸でもっとも重要な交易地となったのは、キルワであった。
・・・・・・キルワは黄金の交易を支配し、また貨幣を鋳造した。1350年まではモガディシオを除けば
キルワの富と力に対抗できる都市はなかった。
ギデオン・ウェレ・デレック・ウィルソン
>>107 アラビア半島側にも上陸していたのか。
イラン側を沿岸航行したあと、現在のクウェート辺りに上陸したかと思ってた。
132 :
世界@名無史さん:2012/05/02(水) 22:50:34.14 0
133 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 09:45:49.21 0
134 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 12:28:49.24 0
ジンバブエからモザンビークまでを支配した、カランガ族のモノモタパ王国は、
完全にこのスレ対象だと思うんだけど、誰か書き込まないかな。
135 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 15:35:51.51 0
モノモタパ王国が教科書にまで載っているのは、グレート・ジンバブエとの関連だろうけど、
今では関係が無かったってことになってるんだよね?
136 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 22:25:03.96 0
>>134 俺も興味あるけど、詳しくないのでwww
139 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 07:40:03.44 0
凄いな。
ツワナ語なんて勉強している人いたのか。
140 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 09:59:28.81 0
30 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2011/12/20(火) 20:45:25.37
アフリカのほとんどの国は、英語・アラビア語・フランス語・ポルトガル語の
いずれかが公用語で、一見して言語のバリエーションが少ないように見えるが、
土着の現地語は結構ある。スワヒリ語とか、アムハラ語とか、ヨルバ語とか…
31 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2011/12/23(金) 17:42:37.08
>>30 割と多いのは、
公用語:英仏、アフリカーンス、西、葡、アラビア
ピジン:英語系、ジュバ・アラビア語なんてのもある
土着共通語:スワヒリ、ウォロフ、ニャンジャ、ショナ
土着語:ハウサ、ヨルバ、ルンダ、ベンバ、ズールー、コーサ、マンディンカ、フラet
で、土着語がそのまま公用語ってのは少ないね
比較的最近公用語になったのはティグレ、ティグリニャ
8 名前:何語で名無しますか?[sage] 投稿日:2011/12/11(日) 23:25:25.27
伝統的な政治と社会秩序: 民主主義と協議会の伝統
ttp://www.botswanaembassy.or.jp/japanese/culture/index2_1.html > ボツワナ社会の「生活様式」は、協議会と民主主義の実践において確立された信念です。
> この「生活様式」は、セツワナのことわざ“戦争の最高形態は対話である(ウトワ コロ ケヤ
> モロモ:ntwa kgolo ke molomo)”に要約されます。対立的見解に対しての寛容さは長い間に
> 確立された伝統で、植民地時代以前からあります。そして、話し合いはいくらやっても決して
> やり過ぎはないと一般に考えられています。この特質は、今日のボツワナがなぜ世界で
> 最も民主的な国のひとつであるかを表わしています。
信仰、価値観、風習: モレロ(Morero: 話し合いと合意形成)
ttp://www.botswanaembassy.or.jp/japanese/culture/index3.html > ツワナの人々は、社会における話し合いの大切さを固く信じています。個人同士、家族、
> 地域社会でのモレロ(話し合い)は、合意を形成し、それを持続させる力をもち、とても貴重な
> 財産と考えられています。
> 国家レベルでは、大統領を含め公務員や政治家は、常に国中を旅行し、各種政府事業や
> 国家的課題、地域的問題について普通の人々に意見を聞いてまわります。このやり方により、
> 国家の意思決定過程から疎外されていると感じている人はほとんどいません。
> 話し合いをしないと、自分たちは当てにされていない、劣っている、家族の中では話し合う
> 価値もない人間だと間接的に言っていると解釈され、否定的な反応を引き起こしかねません。
> 話し合いには時間がかかりますが、話し合いがもたらす合意は、家庭内でも社会全体としても
> 大きな調和を創出します。ボツワナの近代的政治制度は、モレロの文化から多大な恩恵を
> 得ています。
世界史板住人も、外国語板に行って書き込みしてみるか!
143 :
世界@名無史さん:2012/05/05(土) 01:22:03.30 0
144 :
世界@名無史さん:2012/05/12(土) 10:37:18.60 0
50 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/09/30 15:13
NYでコーヒーは健康に悪いから飲まないの時代があったな
ネッスル社がアフリカでコーヒーが栄養万点みたいな不当広告して、赤ん坊が大勢死んだこともあった
ネッスルてwww 普通にネスレでいいじゃんかwwww
ネスレって確かネッスルから社名変更したんじゃなかったか?
>ネスレって確かネッスルから社名変更したんじゃなかったか?
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
149 :
世界@名無史さん:2012/05/19(土) 14:19:19.90 0
945 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/20(月) 14:49:52.08 0
南アフリカの場合は土着の民族は東部のスワジ族とかズール族とかくらいで
あとは北の方から流れてきた流民や白人やインド商人に連れてこられた奴隷で
ルーツとしての民族集団を持たないのが問題
アメリカ大陸に連れ去られた奴隷と同じ立場
150 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 00:49:18.03 0
151 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 11:46:41.86 0
153 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 18:34:28.31 0
877 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/03(日) 17:31:33.25 0
旧ドイツ領のタンガニーカではイギリスの委任統治に移行してからもドイツの苛烈ながらも
公正な統治を懐かしがる黒人なんてのがいたんだよ。
878 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/03(日) 17:33:44.52 0
イギリスの支配がよほど酷かったと見える。
154 :
世界@名無史さん:2012/06/14(木) 23:11:28.19 0
155 :
世界@名無史さん:2012/06/21(木) 22:17:00.51 0
156 :
世界@名無史さん:2012/07/06(金) 22:47:44.46 0
542 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/06(金) 05:21:48.85 0
ソマリア政府―というものが有れば、のことだが―に貨幣発行能力あるのか?
544 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/06(金) 15:02:30.96 0
一応誰がどのような権限で発行しているのか知らんが
ソマリア・シリングというのがあるみたいだ
ただし、偽札が横行したため、今ではドルやサウジアラビア・リアルが主流とのこと、
それとソマリランド・シリングのほうは比較的安定した価値を保っているそうだ
157 :
世界@名無史さん:2012/07/10(火) 23:25:16.16 0
先日BS1でやっていたが、タンザニアは今ゴールドラッシュで、アフリカ第3位の金の産出国らしい。
で、貧富の差が広まった結果、呪術師が大流行だとか。
158 :
世界@名無史さん:2012/07/16(月) 19:35:31.44 0
ケニアとエチオピアばっかりマラソン強いのは、人種的なもの?
159 :
世界@名無史さん:2012/07/16(月) 22:21:04.67 0
どうだろう。
確かにケニアは、マサイ族の血をひいている選手もいたりしそうだけど。
それより、国土全体の標高が高いので、自然と高地トレーニングになっているという点が大きいかも。
160 :
世界@名無史さん:2012/07/19(木) 10:42:22.77 0
>>67 そういう相手探してるんだが、やっぱいないもんだなw
ちなみにベンバ語とショナ語やってる
162 :
世界@名無史さん:2012/07/19(木) 20:38:09.74 0
601 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/13(金) 22:09:49.77 0
スーダン中央部では、19C半ばまで盛んに布貨が使われていた。
布貨と言っても、額の大きさによってざっくり3種類に分けられた。
一番高額なのは衣服。
次がちょっとうろ覚えだけど、確か筒状にした布
一番安いのが、短冊状に切った布。
衣服は分かると思うが、2番目の筒状の布というのは、服を作る部品のようなもので、
その地方では衣服は筒状の布を縫い合わせて?作られる。
3番目の短冊状の布は、布としての実用性は無いが、小銭のように使われていた。
19C以前、宝貝、金属貨幣などが外から入ってきたが、布のメリット(軽くて丈夫で、
希少性が高い)が大きかったので、結局定着しなかったらしい。
163 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 00:30:22.35 0
中央部というとアラブ人地域かな?それとも19世紀半ばまでだとまだその辺もナイル系などの別言語が話されてたのかな
>>162 布貨というのがあるのは初めて知った
いろいろあるもんだ
紙幣の古形態
ひょっとして世界最古の貨幣なのかも
165 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 12:04:59.46 0
>>157 アフリカでは結構、真光が流行ってるらしい。
166 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 12:19:33.24 0
ブラジル経由で、アンゴラに強固な信仰集団を形成しているね>真光
真光だけでなく多くの日本の新宗教教団が一部は戦前から、多くは1960年代からブラジルでの布教を開始、成功し
アフリカ系宗教やカソリックから入信してくるものが絶えない。
彼らブラジル人が経済成長著しいアンゴラに内戦時代から布教に入って、強固な集団を形成していた。
経済成長著しい今のアンゴラで爆発的に広がる兆しと、アンゴラを拠点にアフリカ全土に布教線を拡大していこうとしている。
すでに数年前から、研究書や論文がいくつも日本語でもでていますね。
167 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 12:34:57.19 0
>>164 その話、嶋田 義仁の『黒アフリカ・イスラーム文明論』で紹介されているよ。
168 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 12:47:41.26 0
>>164 >紙幣の古形態
別に紙幣の古形態なわけじゃないだろ。
衣服はそれ自体に実用価値があり、かつ貴重品であることから通貨に選ばれたんだよ。
(当然、耐久性もあり、軽くて運搬しやすいというメリットも大きいが。)
>>166 金光かと思ったらそういう宗教もあるんだ
昔、オームのロシア布教がニュースになっていた
韓国の統一協会は南米でやっていてパラグアイだっけでは
国を乗っ取るくらい拡大してらしい
171 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 17:51:19.03 0
>>169 真光は、昭和初期に大本教から分かれた新興宗教。
手かざしという気功のような方法で、病気治しをすることから、
貧しい人々を中心に人気が集まった。
それが病院に通う金も、薬代も無く、呪術とか、呪術的医療の人気が
根強いアフリカで受けてるんだろう。
オウムとか統一協会のようなカルトでは無いから、特に規制を受けたりすることも無い。
172 :
世界@名無史さん:2012/07/20(金) 20:15:00.70 0
>>158 陸上競技板から
42 名前:ゼッケン774さん@ラストコール 投稿日:2012/04/26(木) 20:54:17.62
なぜケニアは強いのか。決定的な理由が謎のままなのがいやらしい。
43 名前:ゼッケン774さん@ラストコール 投稿日:2012/04/26(木) 21:43:40.82
単一的な要因から生まれたものでなく遺伝的、環境的な要因が輻輳的にからんで生まれた強さなわけでしょ?
決め手ってのは無いと思う
44 名前:ゼッケン774さん@ラストコール 投稿日:2012/04/30(月) 15:31:58.77
高地に住んでいる種族が強いしね
173 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 05:26:24.48 0
174 :
世界@名無史さん:2012/07/31(火) 21:01:20.10 0
ウガンダでエボラがアウトブレイク。
首都にまで
175 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 03:29:05.08 0
エイズを抑え込めたと思ったら。神の解放軍とやらはまだ暗躍してるのかな
>>164 半島にも布貨はあった
最初は公定通りの糸数で作られてたけど、やがて粗悪になって衰退
でも結構長いこと使われてた
177 :
世界@名無史さん:2012/09/19(水) 06:21:40.86 0
178 :
世界@名無史さん:2012/09/19(水) 09:56:49.17 0
Googleマップで日本語表示チェックをoffにすると、
なぜかコンゴとタンザニアが中国語表記になる。
中国資本となんか関係あるのかな?
中央アフリカがフランス語、ソマリアとコモロがアラビア語なのは分かるけど。
179 :
世界@名無史さん:2012/09/20(木) 08:50:12.76 0
よく見つけたなこんなの
180 :
世界@名無史さん:2012/09/20(木) 15:54:12.07 0
中国はタンザニアには昔から鉄道引いたりして恩を売ってるからな
アフリカ諸国への援助で台湾を追い出して国連に加盟できた
181 :
世界@名無史さん:2012/09/22(土) 03:27:56.90 0
だからって、中国語が公用語になってるわけでもなし
182 :
世界@名無史さん:2012/09/22(土) 21:13:55.73 0
>>180 >アフリカ諸国への援助で台湾を追い出して国連に加盟できた
なんのこっちゃ?
183 :
世界@名無史さん:2012/09/23(日) 04:21:55.24 0
184 :
世界@名無史さん:2012/09/23(日) 05:58:54.71 0
185 :
世界@名無史さん:2012/09/23(日) 08:36:21.29 0
それは、中国の布貨に過ぎないから。
スーダンのは布なんだよ。
186 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 12:52:08.29 0
187 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 20:47:58.02 0
だから、無言でリンクを張るな
188 :
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 00:00:53.45 0
189 :
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 00:38:07.80 0
アラビア半島でもスワヒリ語があるの?
190 :
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 01:04:27.17 0
南の方はスワヒリ語圏だったよ
191 :
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 21:22:54.86 0
>>183 味だけで判断するならイギリス料理より上かも。
>>190 オマーンがそうらしいな。当事者の民族認識はどうなってるんだろう
マサイ族
ライオンを素手で狩るほどの勇者として知られていますが、このたび6名がイギリスに旅立つことになりました。
このマサイの戦士たちは、アフリカ・タンザニアの自然に囲まれた村を出て、ロンドンマラソンに参加します。
彼らの文化があまりにイギリスのものと異なることから、文化ギャップによる混乱が起きないよう、
4ページにわたる旅行ガイドが手渡されました。
http://labaq.com/archives/50958125.html
193 :
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 11:03:45.07 0
歴史上、在位期間最長の国家元首はムソマ・カニヨ(西タンザニア・ンゼガ地方の族長)
98年以上在位したとされる(1864年 〜 1963年2月)
194 :
世界@名無史さん:2012/10/02(火) 07:07:12.95 0
ダウ船が現役でたくさん使用されているところを見に行きたいんですが、
西インド洋でどっかいい場所ないもんですかね?
できたら観光用でいいからちょっと乗ってみたいんですが。
195 :
世界@名無史さん:2012/10/02(火) 12:05:52.62 0
ドバイのマリーナに遊覧船があった記憶が。
196 :
世界@名無史さん:2012/10/02(火) 12:06:52.35 0
ダウの遊覧船?
197 :
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 00:51:36.97 0
198 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 00:26:36.32 0
高学歴でスポーツ万能のイケメンの精子ならば引く手あまただろうな。
でも室伏は何で結婚しないんだろうか。
結婚する気が無くても、精子を売り出せばいいのに。
室伏の子供を欲しがる女はいくらでもいるだろ?
スレ違い
201 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 06:43:17.19 0
202 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 18:02:59.60 0
ダウっていかにもチャチなつくりにみえるけど、インド洋はあんなのでも航海できるほど穏やかな海なの?
203 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 18:06:11.16 0
ダウ平均株価は、インド洋を航行するムスリムの船乗りがイスラームの掟で禁ぜられた株取引を洋上で密かに行なっていた事に由来する。
204 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 19:30:35.79 0
出典:民明書房刊「ここが変だよイスラーム金融」アブドゥッラー・アルハズラト著、増田きも訳
205 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 06:17:57.47 0
>>202 太平洋よりはだいぶ荒いぞ
ダウがちゃちって、例えばどういう部分が?
206 :
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 07:01:03.82 0
207 :
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 07:44:03.54 0
強風が来る前に、急いで帆を下ろすんだが。
>>202 インド洋の真ん中を突っ切るのではなく、沿岸沿いを行く
基本、風待ち天気待ちしていい日だけ出る
日本の北前船と同じ
日本の面積は小さいが、細長いので航路距離は大きい
北前船航路距離X2〜4倍 = ダウ船航路距離
>>202 ゾウやキリンだって運んだりする大型船もあるよ。
大体よインド洋を突っ切って航海ってそれこそ紀元前からやってるわな。
季節風が頼りだから、一往復は半年以上かかるけれどね。
210 :
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 11:46:53.01 0
211 :
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 12:29:14.98 0
マダガスカルに航海し移民してきたマレー人は神!
>>210 209がダウについて小舟しかないような誤解してるだけだろ
沿岸航路用の小舟もあれば、外洋を横切って帆走する大型船もあるわな。
213 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 22:30:46.65 0
>>211 生きて故郷に帰ることなど考えず根性で新天地を目指したのだろう。
214 :
世界@名無史さん:2012/10/17(水) 00:04:03.93 0
右のポッケに種もみを、左のポッケに夢を詰めて、か
215 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 05:48:46.85 0
215 名前:異邦人さん 投稿日:2012/05/10(木) 22:30:57.51 ID:HaNU/d7q0
モザンビーク行ってきた。
アジア系の観光客、見かけなかった(白人はたくさんいたが)。
完全に個人で動いてモザンビーク島とマプトを観光した。
島ごと古い建物ばかりで趣があった。
216 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 09:31:14.95 0
ダウの船底も浅そう。積荷が多く運べたのか?
217 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 09:33:43.22 0
ダウの船乗り達にとっも季節風が明確に認識される4世紀までは霊感のような勘に頼る者であったのが現実である。ダウジングの語源でもある。
与太話は、食物スレの中だけでやれよ
219 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 20:19:01.02 0
972 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/18(木) 15:46:26.47 0
パトリック・マカウってどこの部族に属していたの?
983 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/18(木) 17:29:11.24 0
>>972 Wikiで調べたらケニア東部州出身となっていたが、
ナイロビからキリマンジャロを背にして、モンバサや海岸地域に向かう東側地域は平原地帯で気候も温暖な地域だ。
イギリス人が最初に入植した地域でもありキクユ族の居住地と重なり、彼らは英語の教育を受けキリスト教徒も多くアフリカでも文化度が高い地域だ。
マカウが英語を日常的に話しているのなら、日本でも有名なワイナイナと同様にキクユ族と考えて良いだろう。
985 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/18(木) 17:35:51.02 0
モーゼス・モソップはどこの部族出身だ?
996 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/18(木) 17:55:38.74 0
>>985 この人の事は、あまり良く知らないが、
名前からして英語をしゃべるキリスト教徒と考えて間違いない。
しかもナイロビとかモンバサとかの大都会の裕福なキリスト教徒の家庭で育った2世とか3世でしょう。
この人も早くから白人の支配を受けたキクユ族の末裔でしょう。
221 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 14:48:26.01 0
アフリカはアラブからも奴隷扱い?
222 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 23:45:23.39 0
からもっていうより、もともとアラブだろ、黒人奴隷を買っていたのは。
223 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 14:36:34.14 0
はるかパキスタンにまでアラブが奴隷として連れて行った黒人の子孫がいるそうだな(マクラニ人)
一方ポルトガル人が連れてきた黒人奴隷の子孫がスリランカにいるらしい
224 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 18:31:57.52 0
アラブは労働拒否者?
>>223 スリランカ人なんて原住民も黒人みたいなものだしなあ。
226 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 10:21:36.46 0
スワヒリ語はオマーン領だったときの公用語だったのですか?
227 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 20:51:55.90 0
どこの話かをはっきりしないと、質問の意味が無いよ。
228 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 20:52:55.89 0
スワヒリ語本場のザンジバルに決まってるじゃありませんか。
229 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 21:12:22.38 0
スワヒリ語を公用語にしていたら戦後スワヒリ語ザンジバル島民が暴動を起こしてアラブ系を全員追放することはなかっただろう。
231 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 23:07:19.84 0
ザンジバルがスワヒリ語の本場じゃないのか?初耳。
232 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 23:08:25.82 0
オマーン帝国の手先の奴隷商人が東アフリカ内陸部にまでスワヒリ語を広めた。
>>231 決まってる、てことがだろ。
質問者の意図がどこにあるのか、なんて本人の頭の中にしかないよ。
それを逆切れする神経が分からん、
234 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 23:34:45.29 0
ザンジバルがオマーン領だったことは初歩的常識
235 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 23:50:01.23 0
スワヒリ語話者はかつて北はモガディシュまで広がっており、
紅海南部の港市やアラビア半島南岸、ペルシャ湾岸でも通用した。
しかし、20世紀半ばまでにソマリアにおけるスワヒリ語の範囲は
キスマヨ、バラワおよび周辺の海岸沿いと沖合の小島のみへと狭まり、
1990年にはスワヒリ語話者を含む多くのバントゥー系が内戦を避けてケニアへ流れた。
現在ソマリアに残っているスワヒリ語話者の人口は定かでない。
236 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 23:51:54.21 0
なお「ジャンボ」は、スワヒリ語住人の挨拶を、西洋人が(この商品は)「大きい」と誤解したことから始まる。
237 :
世界@名無史さん:2012/10/22(月) 00:11:40.81 0
>>234 オマーン領はザンジバルだけじゃないというのも初歩的常識。
みっともないから開き直るのはよせ。
239 :
世界@名無史さん:2012/10/22(月) 10:43:05.30 0
ザンジバルって「奴隷の島」という意味のアラビア語だろ?いいのか?独立後もこのような馬鹿にしやがったような地名で。
240 :
世界@名無史さん:2012/10/22(月) 10:45:58.52 0
>>236 それほど嘘っぽくない。「ジャンボ」は、スワヒリ語住人の挨拶だ。
241 :
世界@名無史さん:2012/10/22(月) 11:25:13.26 0
サーカスか動物園でアフリカゾウに名前を付けるときに、アフリカっぽい名前と言うことで、よく耳にしていたスワヒリ語のあいさつを
名前にして、その象が大人気になったことがジャンボ=象=大きいと言うことにつながったんじゃなかったっけ
カナで書いて4文字で、3番が「ン」で、濁音が多いと、アフリカっぽい
243 :
世界@名無史さん:2012/10/22(月) 22:44:15.80 0
244 :
世界@名無史さん:2012/10/23(火) 10:08:17.78 0
「ン」で始まる地名人名って、実際に使うときは接頭辞がついてもっと言いやすくなるよね
>>244 子音のmだけnだけの接頭辞というのもあるんだが。
それに、日本語の発音に慣れてるから言いにくいだけで、生まれて最初に聴くのが
スワヒリ語なりバントゥー諸語のどれかだったりだと、「ン」から始まる語句も普通に
言いやすい部類なんだよ。
母音に直結しないnやmで始まる単語は、
別にアフリカの言語だけじゃない。
スラヴ系の言語にもかなりある。
247 :
世界@名無史さん:2012/10/24(水) 02:48:12.83 0
んだ。んだ。
248 :
世界@名無史さん:2012/10/28(日) 00:31:19.66 0
249 :
世界@名無史さん:2012/11/01(木) 11:23:48.76 0
この本なかなか面白そうだ
『人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか』
250 :
世界@名無史さん:2012/11/05(月) 12:36:22.36 0
251 :
世界@名無史さん:2012/11/20(火) 07:52:25.28 0
中洋って、結局学術用語としては使われず仕舞いで、ビジネスで多少もてはやされているみたいだね。
そして考えてみれば、スワヒリ文化圏は中洋の中心。
中洋って概念、どれぐらい意味があるんだろうね。
結局、梅棹のおっさんの思いつきに過ぎないんだろうか。
253 :
世界@名無史さん:2012/11/20(火) 11:00:44.19 0
ハクナ・マタタってスワヒリ語?
254 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 06:40:30.98 0
255 :
世界@名無史さん:2013/03/30(土) 01:31:48.33 0
あげ
>>253 スワヒリ語で、No Problemという意味。
9世紀までにイスラム教が伝来
258 :
世界@名無史さん:2013/12/02(月) 01:42:12.92 0
>>239 >ザンジバルって「奴隷の島」という意味のアラビア語だろ?
サラッと大嘘を書き込むなwww
ペルシャ語で「黒人の海岸」を意味する言葉だっての!
259 :
世界@名無史さん:2013/12/02(月) 16:01:29.08 0
ゾロアスター教徒が古くから使っている言葉では黒は邪悪や下衆を意味し、海岸は島と同じ意味になる
>>193 341 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2013/12/08(日) 11:19:57.70 0
>>336 英字スペルは Musoma Kanijo だな。
1864年は和暦だと文久3年/元治元年で、池田屋事件や
禁門の変(蛤御門の変)、第一次長州征伐があった年だ。
アメリカでは南北戦争で血みどろの戦いを繰り広げていて、
南軍がアトランタを北軍に奪われ、敗色濃厚になった頃。
(南北戦争の終結は翌1865年の4月。)
その時代から、戦後初の東京オリンピックの前年まで在位
していたと言うのだから驚かされる。