服装とか食事とか文化とか
語れたらいいんじゃないかな
2 :
世界@名無史さん:2011/04/08(金) 10:24:54.81 0
この前初めて欧州(バイエルン州)行ったけど
そんな巨漢だらけじゃなかったな
近世ではチビも相当多かったんじゃないか?
じゃがいもはなかった
オナニーは禁止だった
西洋人って近代に入るまでは基本的に手掴みで飯食ってたよね
5 :
世界@名無史さん:2011/04/10(日) 16:20:58.60 0
ポーランドが最強だった
>>2 南部の方が小さく、北部の方が大きいと聞いたのですが、どうなのでしょう。
>>4 北ドイツの田舎では、1950年代までテーブル中央の大鍋・大皿から杓子
で銘々の皿にとり、手づかみでとって食べる習俗が残っていたそうです。
テーブル中央から、たれた汁が線となるのがお決まりの光景であったとか。
基本的に、オーストリアに近いほど各自の皿に最初から取分けておくことと
フォークの使用率が高かった。
当時の民俗学会で明らかにされた際、まだまだ文化の尊卑に敏感な時代であ
ったので、地元出身の学者は「未開」扱いされて怒ったりもしたそうです。
しかし、ドイツや北欧では主食(という概念が共通するとして)といえばパ
ンよりジャガイモだそうですが、これより前はどうであったのでしょうか。
手づかみといえば、かならず、引き合いに出されるのがルイ14世。
他の例を見てみたい。
8 :
世界@名無史さん:2011/04/13(水) 21:11:59.94 0
ウンベルト・エーコの小説「バウドリーノ」で
コンスタンティノープルを攻撃する十字軍兵士が
「ギリシャ人に向かって親指を人差し指と中指の間から出したり、
右手で左腕を叩いたり卑猥な仕草をしてみせた」
という描写があったんですが、前者は現代日本でもあるから
意味が分かるんですけど、後者はどの辺が卑猥なんですか?
日本なんか、現代でも、お寿司やおにぎりを手づかみで食べる
わけだけど。外国人から見たら、手づかみで食べる習俗が
いつまでも残っていると思われているんだろうね。
欧米だってパンやドーナツを手づかみで食べるだろ
ヨーロッパの宮廷の貴族は、塩入れなんか拘っていたけど。
東洋はどうなんだろ。
日本の場合醤油差しとかありましたがな。
14 :
世界@名無史さん:2011/05/17(火) 02:55:21.86 0
庶民の衣生活には興味津々
財産目録ってまじ面白いと思う
中世ヨーロッパって文明の後退地域だけど庶民の着ている服
ってなんだったんだろう、麻かしら?
>>15 肌着は麻だな。ちょびっと裕福なら、亜麻。
で、毛織物の上着を着る。
>>17 回答ありがとう。
麻かー、現代日本だと夏向けの素材という印象だな、後はロープ。
中世ヨーロッパの農村の料理には塩って使われてたんだろうか。
砂糖はムリと思うんだが、塩くらいなら買える金額で流通してた?
海沿いの国なら海塩で内陸国だと岩塩かな
>>20 海沿いでも岩塩じゃない? 海塩ってとんでもなく燃料必要だもの。
>>21 んなわきゃない
北ヨーロッパでもノルマンディーからデーンにいたるまでローマ式の塩田で塩を生産していた
ビスケー湾の塩は特に有名で広く普及していたが、微量のゴミにより色が悪く低質とみなされていた
岩塩の乏しい北ドイツなどでは、塩分濃度が海水と同じか薄いくらいの塩泉からも塩を生産していた
煮詰める前に吊り下げたいばらや麦わらの束に塩水をたらすなどして水分を揮発させている
ヨーロッパじゃないが、中国では各種岩塩・塩泉・塩湖などがあったにもかかわらず
1935年の時点で塩生産の8割が海塩だったという
ほうほう、主として海塩が生産されていたと。
その次段階、沿岸地から都市だけじゃなく農村まで流通してたのかな?
中世西欧で専売制はないと思うが、塩商人の販売網は成立していたか・・・
古代ローマ帝国の時代には兵士への給料として塩を配っていた
というのは高校の時世界史の先生から聞いたな。
イタリア・シエナにボンシニョーリ家という銀行屋がおってな。
13世紀初頭、トスカーナ・グロッセート産の塩の専売業から家業が始まっておる。
>>24 いやないから海水より薄い塩泉からも塩を作ってたわけで…
もっとも、それ以上に単純に製塩業が儲かる産業だったという理由のほうが大きいようにも思える
塩そのものが生命に必要ってだけでなく保存料としても
使われていたしな>塩
んで、食料保存のために塩漬け肉や魚の臭い消しと風味づけ
のために香辛料が高値で取引される時代になってってなる。
タイムスリップして中世の欧州、東欧世界に行ったとしたら
SBの赤缶カレー粉なんてのは香辛料のミックスだから高値
で買い取ってくれる貿易商人なんているかもしれん。
ダイショーとかSBやハチ食品の味塩コショウの大瓶や袋
なんかも商品価値がありそうだ。
>>29 うまくやれば、Youがロスチャイルド家になれるYo!
>>28 ニシンの塩漬けってのは、重要な食料だったみたいだね。
北海沿岸の国々にとって、食えない時代の貴重なタンパク源だったとか。
そういう意味では、塩が大事なのは調味料というより保存料としてだな。
塩漬けニシンの主産地であったスカンジナビアではほとんど製塩がされてなかったようだ
良い鉱床がなく、海水から作るには高すぎる緯度が障害にもなったなどの理由もあるだろうが
それ以前にそのニシンを買い付けに来るハンザ商人が質の良く安い塩を供給してくれたのだから
製塩の必要がなかったのだろう
>>32 ニシンを売って出る利益が塩の価格を軽く上回るから
出来ていたんだろうな。
>>31 そういう意味も何も、古代から塩は保存の為に使われていた。
食料だけでなく、遺体などにもね。
塩漬けの食料に飽きたので、多少腐ってても誤魔化せる香辛料を求める旅が始まったし、
またフランス宮廷料理でも今日見られるような腐敗を誤魔化せる多様なソースが発達した。
「中世」も「ヨーロッパ」も色々だからねぇ・・・
そいつをいっちゃあおしめえよ
ヨーロッパと言っても広いし、中世〜近世だと長すぎる。
5世紀のロカ岬と18世紀のクリミアでは同じ扱いはできない。
干タラの匂いをおかずにじゃがいもを食う貧民
落語の話みたいだよな
童話日高山伏で梅干の匂いをおかずにする話あったが
エアーおかずが干タラかよ・・・・
じゃがいもとイマイチあわないし、胃酸がでてこねーなぁ。
40 :
世界@名無史さん:2011/06/21(火) 05:48:56.86 I
塩にしてもそうだけど、生活品とかの当時の物価が詳しくわかると、面白いんだけどなあ。なんかそういう史料ッてないのだろうか
>>37 だから、例えを言う時は
時と場所を明確にして書きこんでねって話だわな
43 :
世界@名無史さん:2011/06/21(火) 16:49:25.42 I
「中世ヨーロッパの農村の暮らし」買った。
1300年くらいの英の農村ッでの話が中心
牛乳は1ガロンにつき2分の1ペニーだったそうな。
牛一頭からは年に120〜150ガロン搾り取れたらしく
農民にとってはバカにならない資金源だった。
だからなんでバキなんだよw
>>43 はて、その時代では流通網と鮮度の問題で牛乳そのものを売ったり都市民が飲んだりするのは難しかったと聞いたが…
(確か16世紀ごろから都市でも牛乳が飲めるようになった)
都市近郊の話か、それとも修道院などの加工元へ売り払ったりしたのかな?
チーズにするんじゃないの?
決してケチをつけるわけではないから誤解なきよう
一種類の本だけでそれが正しいと思わない方がよろしい
偏向した知識が必要となる専門書・専門分野は特に
一応、北欧やノルマンディーではラードよりバターが好まれるようになり
食習慣の変化で14,5世紀から牛の飼育が拡大した。
豚の飼育に必要な森が少しずつ減少したのも理由の一つだろうね。
イギリスではどうだったろう?
この頃は、ブリテンの島だけで言えばスコットランドとイギリスの二つで長期安定していた時期だね。
>>45の言うように、原料としての牛乳を卸してたのかな?
>>46 牛からで英と言えばチェダーや青カビになると思うけれど
それはもっと後、17,8世紀じゃなかったかな?記憶あいまいだが。
この頃の基本チーズは山羊・羊やヤクだと思うよ。
中国チベットインドモンゴルの方が盛んだった、ろうね。たぶん。
昨日テレビ見ていて知ったのだけれどモッツアレラチーズって水牛の
乳から作ったものが正式なモッツアレラチーズだと言っていたな。
ただ、モッツアレラチーズも18世紀ごろからの物らしいんで、中世には
無いよね・・・。
英国だとチェダーチーズは12世紀ごろにはあったから生乳としてより
加工品として扱われていたんじゃないの。
後はバターとしての使い方が多かった気もする。
元々バターは貧乏人の食べ物と扱われていた時代もあったようだし。
バターは塩さえあれば作れるしね・・・・。
>>48 ロマーノチーズはローマ時代からあってそれも山羊の乳を材料にしていた
はずだから「チベットインドモンゴルの方が盛ん」というのは必ずしも
正しいとは言い切れない気がするよ。
ペコリーノ・ロマーノなんかは塩味が効いているので保存性には優れている
し元々ローマ帝国時代に広まった物でもあるから英国にも伝わっていそうなんだが
英国は辺境の1つだったしなぁ。
発生と普及はまた別だしな。
ローマを伝いガリアでは(ということは一世紀とかくらい)農耕が強化されつつある頃、
未開のゲルマン民族はまだ「集落」の概念も乏しかった、とされる。
一説では、ゲルマン人の消費カロリーの三分の二近くをチーズやバターの畜産品や肉で消費していた。
そしてフランク人がガリアに定着し始めた五世紀末〜十世紀にかけて
畜産と農業が混じり合い、
中世ヨーロッパ(どこからどこまで指すんだかわからんが)の農業スタイルが確立した。
メロヴィング期(5末‐8半)のフランドルのブルビエールの発掘では
豚が39%、牛22、羊17、山羊4、馬6という割合で動物の骨が出土したらしい。
ほぼ全てが「家畜」ってとこがポイントなのかな。
豚を潰すのは一般的(それでも1家族が年に一頭とか)だが、牛の使い所について細かい史料が少ない。
ついでにイギリス自体の史料も、7王国(八世紀半ばくらいまで)以前のものは少な目。
なんにせよ、農民庶民の暮らしの史料ってのは、上流階級に比べて
圧倒的に少ないから、色んな所から掻き集めて統合して考えるしか無いんだよねぇ。
ふと今思ったが、ケルトは口伝を好んだってことも史料が少ない要因なのかもね。
特にブリテン島のケルトは、所謂特殊ケルトだから。
神話の方から民衆の考え方や文化を探っていくやり方が
他の地域や年代よりも有効かもしれない。
>>50 >チーズやバターの畜産品や肉で消費していた。
チーズやバター作る為にカロリー消費してたのか?畜産品や肉で賄ってた、だろ。
推敲してない。文章下手。意訳超訳推奨よろしく。
>>43からの流れでイギリスの金銭価値。
近世メインの本だが、イギリス文化史入門から。
16世紀に都市の参政権を得る条件が年40シリング以上の税金。
事実上ジェントリが唯一の為政者階級、と言われるお値段。
1719年国王令状による陸軍将校任命書では
騎兵連隊の大佐で9kポンド、中尉でも1,2k。
歩兵隊大佐で6k、中尉で300ポンド。
買官制という、要は将校の地位は原則的に金で買う時代、のお値段。
1832年に製陶工が朝5,6時〜夜6,7,8時まで働いて、週1シリング。
工業化初期の劣悪な環境でのお給料。
54 :
世界@名無史さん:2011/06/23(木) 01:19:38.99 0
ジャガイモなかったら、まともな食いものないだろ、あのへん。
人なんてほとんどいなかったんじゃないの。
あの辺ってどこの話だよ
佐藤んちの隣のガススタの向かいだよ
57 :
世界@名無史さん:2011/06/23(木) 17:05:44.62 0
佐藤んち=仏蘭西、ガススタ=英蘭、あの辺り=独逸ってことでしょ、たぶん
58 :
世界@名無史さん:2011/06/23(木) 17:09:39.16 0
ガススタ=ロイヤルダッチシェル→阿蘭陀
ガススタ=北海ガス田→英蘭
微妙だよね、英蘭じゃなくて阿蘭陀に修正ね
>>45 牛乳入れた革袋をロバの背に吊るして村から都市へ
すると、あら不思議
牛乳だったものがバターに大変身ッ
ロバが歩くたびに革袋に入った牛乳が揺さぶられ、脂肪と水分が分離
浮き上がった脂肪をすくいあげたのがバターなんだよね
それが暑い日だったら発酵してチーズになる
だからw なんでバキなんだよッッ
ほんと、なんでバキになるんだ?
バキ辞書でも入れてんのか
>>59 全然違う
バターは乳を攪拌して脂肪分を固めたものだがチーズは酸や胃の酵素で固めたもの
作る際に乳を発酵させたら発酵バターになるだけだ
それで、確認しておきたいんだが
>>43の本にも、そのような方法でバターに加工して
売り払った結果の額として書かれていたということか?
輸送の際に水分はかさばるしバターミルクは無駄になる、ずいぶんと不自然なやり方に思えるが…
真実は一つじゃないし真実なんてわからない。
それは前提として捉えるのが、「事実を知りたい」人間の姿勢なんじゃね。
何いってんだコイツ
バターとチーズの製法に関して主流となる物はどのみちそう多くはないはずだから
>>63の言い方は真実味の薄いただのはぐらかしだろう。
おおっとw
いい感じに荒れてきましたね
チーズにはレンネットが必要だな
68 :
世界@名無史さん:2011/06/27(月) 05:09:17.12 i
43だよ。
イギリスの村中心っていったけど、
モノの値段はエルトンって村の帳簿を元にしてる
ネーネ川の沿岸にあった村らしい。ていうか今もあるのかな
チーズがどうとかって記述は特にない。
ていうかなんでこんな濃厚なチーズスレになッてんだ?
だからなんでお前はバキなんだよ
まずそこを説明しろよ
庶民の性生活が知りたいです
>>70 ベッドは「裸で雑魚寝」が多かったので間違いも多かったし
また、「秘密の営み」が難しかったので、夫婦はアオカンが普通だったとか
特に麦畑は格好のまぐわい場所だったそうな
それを念頭に置いて「麦畑」の「誰かさんと誰かさんが麦畑♪」の歌詞を見ると、また違った印象が
74 :
世界@名無史さん:2011/06/30(木) 11:47:20.26 0
性生活といえば、
>>16 の方法はどれくらい普及していたのだろうか。
英国では食事はパンと紅茶という質素なものだった。
しかし、大事なときにはその前の食事にベーコンエッグが加えられた。
卵黄とベーコンは中世から貴重品であり、マトンのような臭みがないベーコンは豚肉が原材料とするが、牛肉、鯨肉も使われることがあった。
77 :
世界@名無史さん:2011/07/01(金) 11:34:20.30 0
紅茶は近世になるまでかなりの貴重品だぞ?
likejav.com
そもそも紅茶が生まれたのが18世紀後半、もろ近代
それ以前ヨーロッパで飲まれていたのは緑茶か烏龍茶
中世ヨーロッパの下層民(農奴、小作農や徒弟)が出家して僧侶になる事って出来たんでしょうか?
出来るとしたらどんな待遇だったんでしょうか?
あと彼等のドクオ(相手が居なかったり経済的な理由で結婚出来ず子孫を残せない人間)
の割合はどのくらいだったんでしょうか?
詳しい人教えてください。
出家って修道士になることって理解でいいのかな?
当然、熊谷直実や武田信玄みたいに剃髪することじゃないよね?
カタリ派とかワルド派って司祭を送り込んで布教してたし、自由説教だったよね
実際に修道士になるためにはどうしてたんだろ?
修道士って比叡山なんかみたいに一般に学があるような気もする
俺も知りたいので詳しい人に聞きたい
多分一生召使レベルの僧侶
四つん這いになれば役職をいただけるかもw
ヨーロッパの都市って糞だらけだったってよく聞くけど
江戸時代の農民みたく肥料にしたりはしなかったの?
>>83 下肥はほどよく醗酵させないと植物が負けるので、
気温の低い欧州では普及しなかったのでは。
畑は水田ほどに肥料を必要としないでしょ確か
水田は窒素やリンが水に溶けて流れてしまい土地が痩せやすいという欠点が
ある。その代り連作障害や塩害が無いって言う利点もある。ヨーロッパでも南欧
のスペインやイタリアでは米作が行われてたんだから下肥農法でイタリアやスペイン
の人口が史実より増加してたら世界史ももう少し変わってたかもしれんとは思う。
>>83 自分の家の家畜の糞があるのでわざわざ集めるのは無駄
ちなみに人糞も一部では利用。日本みたいなメインの肥料ではないだけ
イタリアはともかくスペインはカルロス1世時代にそれが出来てたら
黄金世紀も長く続いたかもね
90 :
世界@名無史さん:2011/07/05(火) 14:37:25.89 0
ゲルマン民族の大移動が、現代経済の概念を造ったって
話を聞いてけど、だれか詳しく解説してください
それはよくわからん
貨幣なんて紀元前7〜5世紀のリディア王国の時代から存在してる
つーことは貨幣経済はその時から存在していたし、
貨幣なくても、物々交換や金とか塩とか貝の交換で経済成り立っていただろう
現代の経済と言うなら、アダム・スミスあたりじゃないのかと思う
とりあえずゲルマン民族が現代経済の概念を作ったと言うのは理解出来ない
ヴァイキングはイギリスやイタリア、北アフリカだけでなく、
ドニエプル川やヴォルガ川を南下してアラビアまで行って押売りしてたけどw
93 :
世界@名無史さん:2011/07/05(火) 15:10:17.61 0
なんでも、民族が移動をして交易が云々って
どういう話だったのか詳しく説明出来ないなら寝言扱いで終わり。
95 :
世界@名無史さん:2011/07/05(火) 15:57:19.50 0
んじゃ、おわりだ
96 :
世界@名無史さん:2011/07/05(火) 16:03:54.12 0
>>93 異民族間の交易なら別に民族移動が伴わなくても出来てた
ゲルマン人がローマに持ち込んだ最大の特産品は傭兵だし
97 :
91-92:2011/07/05(火) 16:30:24.43 0
まぁ喧嘩しないで仲良くやろう
とりあえず、現代経済には影響ないとは思う
経済とはずれるけどゲルマン系なら、岩波あたりからでてるタキトゥスのゲルマニア読むと面白いよ
神様への表現が直接的過ぎて笑えるからw
>>86 これだから答えはこれ!ってわけじゃないけどさ、一応俺も一例。
中世欧州というと、ざっくりとだけど、
文化的にも生活基盤的にもアルプス以北以南で二分出来るんだよね。
現代でこそ平野が増えたが、以北では10世紀を過ぎても森が多く文化レベルは低い。
以南はローマ以前より開発が盛んで土地が痩せていることと、
ローマ文化としてパンとワインを中心とする食文化がある。
現在との気候変化の違いはちょっと長くなるから省略する。
これもざっくりとだと、以北は湿潤、以南は乾燥って土地柄。
乾燥に強い食物栽培をしていたこととパンとワインの繋がりは理解して頂けると思う。
でもまー、色んな要素が混じり合い、農業形態も目まぐるしく変化していたから
詳しく語るのは無理なんだけどさ。
大事なのは同時期の日本はどうだったのかということ。欧州の白人より蛮族だったのかどうか
江戸時代なら日本のが町並みも綺麗で清潔で茶屋なども整備されてるしマシな気がするけど
101 :
世界@名無史さん:2011/07/08(金) 00:07:35.15 0
>>100 >江戸時代なら日本のが町並みも綺麗で清潔で茶屋なども整備されてるしマシな気がするけど
さすがにそれは夢見すぎ
今でいう江戸時代のイメージは経済やインフラが発達した18世紀元禄期以降のこと
17世紀の初頭ならまだ戦国の名残が残ってた時代
でも西洋に夢見るのも如何と思うぞ
排泄物は下水に垂れ流しだし、誰でも知ってるようにニ階から目薬ならぬ、二階からウンコじゃん
ベルサイユ宮殿なんてウンコだらけの街から逃げるための宮殿だし
ぶっちゃけベルサイユ宮殿意外にトイレはなかったよ(それでもおまるは持参してたけど)
一方日本は昔から雪隠、厠があった
しかし石造りというだけ外見は清潔に感じたりする
逆に木造の藁葺き屋根というだけで不潔に感じたりする
それは気のせいだ。
105 :
世界@名無史さん:2011/07/08(金) 06:17:38.47 0
>>102 それはベルサイユの場合
ロンドンタワーや他の中世の城をみればわかるが、ちゃんとトイレが設置されてた
トイレから敵が侵入したりしてたからな
ちなみに、都市や城でも風呂はあったし
農民も水浴びや体を拭く文化はちゃんとあったからな・・・
城も石造りのものばかりじゃない。
石造りということは、かなりの金持ちだったと考えて良い。
近年のサブカル常識は間違い多いままだから
鵜呑みにしちゃ駄目だぞ。
ねらーってのはなんか有ると見下したくなるからな。欧州人見て糞尿垂れ流しやろうとか思わない事だね。ちゃんと排泄設備はあったのだから
まぁあくまでも割合の話で、全部が全部こうだった、って話じゃないしな。
でも、建築・宗教・農業・気候・商業・食事・道路・地形、その他もろもろ
こういうものも合わせてお勉強しないと。
ひとつの事例だけ見てそれを暗記するだけじゃ意味ないし、
お脳が間違った知識箱になっちゃうからね。
欧州人が風呂あまり入らんのは乾燥してるという気候も理由だからな
日本と状況が違う
その排泄設備ってのが壁の穴から外のどぶ川へってヤツだったんじゃなかったっけ。
気候に関しては不衛生になりがちだったからこそ日本では衛生への関心が高まって、
逆にそうではない欧州はおざなりだったから結果的に不衛生になるってのはおもしろい。
欧州は人権や経済の格差が酷かったって事も理由、貴族達はそれなりに綺麗にしてても
都市部はその他の人口が多すぎたし市民、貧民のためのインフラ整備が不充分だった。
欧州を見下すわけではないがその点で
江戸の町人まで対象にした上水道と人肥回収システムは先進的と言えると思う。
でも、日本は江戸時代中期以降になっても度々コレラや赤痢が
流行してるし衛生意識が高いといってもなぁ。
>>111 人糞に関しては家畜をあまり飼育せず、肥料としての人糞の価値が高かったという側面があるな
家畜を飼育しなかったのは、雨が多い日本では開墾の対象地が多かったからだろう。
そして階級差があまりないのは異民族支配がないからだろうね。
気候の話と同じくやはり背景がある。
ただし誇っていいとは思う。
日本を持ち上げたい。ヨーロッパを持ち上げたい。
今持っている自分の知識だけで何かを評価・決定し、
その確定された評価によって同時に自分の知識レベルを高く見てもらいたい。
まず結論ありきの自分の心を無くさんと。
免疫のない渡来の伝染病は爆発的に流行するからな。
それで壊滅する民族も居たんだしまだマシな方じゃないか。
>>114 どうでもいいが君の理屈だと評価は永遠にできないぞ
>今持っている自分の知識だけで何かを評価・決定し
新たに知識を得てもそれは「今」の知識だからな
なんか知った風な評論家風情の上から目線をやめたほうがいい。
よく考えた言葉じゃないだろ。
そういう喧嘩、余所でやってくれないかな?
まずは自分の知識で意見なり質問してみて他の人の反論を聞くって事でいいんじゃないか?
ネットはいろんな人の意見が聞けるのが一番の利点でしょ。
評価って言うか結論が出ないのは当然だし。
俺なんて基本日本マンセーだけど知らん知識で反論されたらうれしいぞ。
>>102 日本も大雨のたびにトイレの肥溜めから流れだした汚物が道路や街中に流れだしていたのだが。
雨があがるとまずは井戸の浄化だった。
問題なのは、きちんと反論されてぐうの音も出ない状態であるにも関わらず、
論点のすり替えや荒しとかわらん罵詈を延々と続けるやつが多数派だということ。
まあ、2ちゃんだと思ってあきらめてスルーするけどね。
最近そういうのが増えたなあとは思う
勉強にも反省にも使えないレスが何と多きことか
少し時代は下るが、オーストリアなんかでは馬車をメインに使っていた関係で街中馬糞まみれで
自動車が登場したときは、街を汚さないクリーンな発明、として歓迎されたとか
また、都市計画という面ではパリ大改造のナポレオン3世も見逃せない
逆に言えばそれ以前のパリは、湿気やら日照やら衛生面で劣悪な街区が存在した訳で
衛生とか景観などの問題に上がってくるのは、19世紀後半なんだなあ
大砲の威力や距離が飛躍的に伸びて都市の城壁が不要(維持するだけ無駄)になっていった時代にようやく広々とした道路や衛生面のインフラに使えるスペースが出てきたという感があるな。
古代ローマ時代でも貧民街どころか中産層の住宅でさえ窮屈で不衛生な状態に耐えるしかなかった。
>>121 オランダの地方都市だと、景観は今と17世紀の黄金時代とでそんな変わってないね。
絵画が多いからわりと比較しやすい。下水はなかろうから衛生面は不十分だったろうけど。
>122
城壁が自由市民と農民を別ける物理的にも観念的にも壁だったらしい、
城壁内の住民は町を作った子孫って事で市民の権利を代々継いでたんだそうだ。
そこら辺はローマ時代からの都市国家の部分を継いできてたから市民とそれ以外の権利格差が大きかったとも聞く。
そう考えると火器が欧州にもたらされたのは近世への歴史の突破点だな。
>>107 城って13世紀あたりからはほとんど石造りな気がするけど違うの?
木造のは残ってないだけ
立地だけが「城」っぽい館も城と呼ばれた
淘汰されて金持ちが残った=後世は石造りの城ばっかになった
うーん、微妙に噛み合ってないな
石造りが主流になった頃にも変わらず木造の城は作られてのかという質問だよ
期待すべきではないかもしれないけど、
勉強に使えるレスというなら出典は欲しいね
自分の知識や意見といっても、
史料を独自に発見してきて研究しているのは学者かよっぽどのマニアくらい。
大体は本や論文からの二次的なものなんだから、
「俺は〜と思う」ではなく「○○には〜と書いてある」の方が無駄な争いにもならなくて良い
>>125 陣地とか砦も城なら明らかに木の柵や木造の建物あるし、そもそも屋根は木で作られている城がほとんどだし
堀うがってあるのも城なら木造いっぱいあるし
>>127 ならそう書くべきかと。
城は早々と、それこそ東西ローマの頃から石主流になったって説明の専門書は多いけれど
詳しい説明が載っているのってあまり無いかもね。
賦役こそ昔むかしからあったものだろ
>>133の賦役ってのが
>>132の農民兵についてなら
火器の登場の前後では影響力が雲泥の差だ
以前の農民兵なんて人足と肉壁程度の役割だったのが火器の登場で重要な戦力になり
騎士よりマスケットで武装した農民兵の方が優位なった。
よって圧政に対して農民や都市市民が反乱を起し騎士を追い負かすことが出来るようになった。
支配者側からも兵の集団運用と訓練の都合から職業兵の地位が上がり、
兵器生産力の観点からも人口の増加、インフラと教育の重要性が増した。
農奴制から啓蒙主義に変わっていったのは君主が平等博愛に目覚めたわけじゃなく
そういった血なまぐさい実利があってこそだし人権や階級の歴史に火器が果たした意味は大きいよ。
ただしその人権思想のいきつく先は他民族を奴隷化することだったんだけどさ。
>>134 農民を飴と鞭で一端の戦列歩兵に仕立て上げれば戦力になるからねぇ。
戦列・段列を組まなければ命中率に難が生じるとはいえマスケット銃兵
の投射火力は騎兵にとっては脅威だからこその農民兵の地位向上も
あるのかも。
136 :
世界@名無史さん:2011/07/13(水) 13:04:52.25 0
>>134 ウェールズの自由農民弓兵は実質イングランドの主力だったけど
>>134 大筋では間違ってないけど間違ってる、って感じだろそれ。
決して煽ってるわけでなく、なぜそう単純に言い切り口調になれるのか不思議だぞ。
年代言おうぜ、年代
140 :
世界@名無史さん:2011/07/13(水) 18:50:00.29 0
農民の待遇が変わったのは火器というよりもペストの影響だろう
地域限定せず総体で言えば、
農民の待遇が変わったわけじゃなく、農民自体が変わったからだと思うけど。
あと、富農が出てくる頃には免役や軍隊宿泊の免除も多かったわけだし、
銃と直接の関係は薄目だと思うんだけどな。
>>136 英国長弓兵って元農奴が訓練を条件に自由民化したってのと
元々自由農民が職業兵化したって二通りの記述を見るんだけど定説って決まってないの?
143 :
世界@名無史さん:2011/07/14(木) 12:24:55.46 0
>>142 両方あるじゃない?
イングランドがウェールズに侵攻した時にウェールズのロングボウ兵にかなり苦しまれたけど
この時はウェールズの自由農民がメイン
その後イングランドがロングボウを取り入れたときに農奴を弓兵に仕立てて戦力化した
正直、中世及びフランス革命以前のヨーロッパにおける軍隊の主力は傭兵
だろ。
映画で中世の農村が野盗に襲われて女性や食料奪われても村民はみんな泣き寝入りってシーンが東西問わずよくあるけど
日本見ても農民は戦に駆り出されたりしてたから半農半兵で戦う力はあるはずなんだよね
盗賊に奪われても楽々冬越せますってほど食糧事情よくもなかっただろうから農民も必死だっただろうし
ここら辺実際どうなんだろ
野盗が村を襲うことはよくあることだったのか
中世の農民は戦う力があったのか
戦う力があったのなら野盗のねぐら襲えば食料も金もガッポリだったと思うんだが
盗賊騎士と言われる輩が居て、重武装の、時に領地も持つ騎士が盗賊行為を働いていた。
やり過ぎて討伐される場合もあるが、そういう場合でも周囲の何人もの領主が同盟を組んで攻め込む位。
一方洋ゲーのRPGで出てくるハイウェイマンとかその類の逃亡農民なんかが徒党を組んで盗賊をやる場合は、
装備も練度も低いのでゲリラ戦。例を挙げればロビンフッド。
そして傭兵。最初の盗賊騎士と重なるが、領地経営とすっぱり切れているのが傭兵だ。
一例として鉄腕ゲッツという奴を調べてみると面白いが、こういうのは結構強いのでやりたい放題。
変形でイスラム海賊もある。地中海のヨーロッパ側の村を襲って略奪して引き上げる。
(1/2)
傭兵の場合は単純に領主や村の農民などより数が多い。
100人の村に500人の盗賊が襲いかかれば抵抗もできない。
100人が一冬過ごす積もりだった食料を食い尽くして次の村を襲う。
その傭兵どもは元々その国の王が雇っていたのを解雇したものだから王も手が出しにくい。
食い尽くして移動するイナゴみたいなものだから、拠点があるわけでもない。
金を払って自分の領地から出て行ってもらうなんて対応をする事もあった。
百年戦争から20年程の頃、領主が領民を守れない事から反乱が起きた。ジャックリーの乱だ。
そしてジャックリーの乱の8年後、フランス軍の総大将であるデュ・ゲクランは邪魔になった傭兵隊を国外に追い出すために
カスティリアに遠征し、現地で傭兵を解散するというはた迷惑な事をやっている。
(2/2)
>>145 ディスカバリーだかヒストリーチャンネルだか忘れたけど、傭兵が村を襲ったとき
村人が武装して抵抗したけどまったく相手にならず、一方的に殺されて略奪された
って話があった
村人が持ってた武具は先祖伝来の旧式なのと、戦いの経験が少なく真っ先に膝が斬
られて身動きとれなくなるところ止めを刺されたらしい
日本の農民はバイトで落ち武者狩りやってたから即戦力になれたけど、そうでないと
やはり難しいだろう
>>147 500人の傭兵団ってのは、一般論としてはちと数が多すぎなんでないかい?
百年戦争の頃にそれだけの兵団もってたら、隊長は軍内で相当いいポジはれるぞ。
で、100人未満の傭兵団が大勢を占めたと思うが、それでも農民が武力対抗するとしたら、
住民の4人に一人が壮健男子として、最低限400人程度の人口が必要だったことになるね。
当時の村としてはそこそこ大きいほうになりそうだ。大多数の村落にとっては難しかったろう。
鉄腕の自伝はおもしろいから読むと良いね
傭兵関係もチョロチョロと本がでているし
>>149 確かに一傭兵団の規模としては500人は多いが、複数の傭兵団を組み込んだ大部隊が纏めて解雇される事になる。
解雇された傭兵も、あまり小規模では地元の正規軍にやられるし、うまみの多い場所は襲えない。
その結果略奪に走るのはかなりの大集団になる。
例えば、1360年のブレティニーの和約の結果あぶれてアルザス地方を荒らしまわったイギリス人傭兵は、
その規模は資料によっても色々だが「12000の騎士を含む無数の兵」「婦女子を除いても2万人の大所帯」等と記されている。
その人数で都市さえも襲ったし、そこから分遣隊として農村も襲うわけだから、
別に100人でも500人でも、必要な数で襲えたので、例としての数字は何人でも良いと思う。
(1/2)
盗賊団=複数の傭兵団の寄り合い所帯、なので、抜け駆けとかもあるし、抜け駆けの小集団も自分達だけで失敗したら
大人数で再襲撃するというような状態になる。
そうすると農村側もこいつらさえ追い返せば安全だと思えない。
そういう理由もあって農村側も命がけで守ろうと言う気持ちになれない。
そりゃあ「勝手に戦争して終わったらこんなのそのまま放置かよ!」と反乱を起こすのも当然だろうなと思う。
(2/2)
> 鉄腕ゲッツ
へー、鋼鉄の義手か。錬金術も使えたのかな・・・
>>鉄腕ゲッツ
自分的には大砲仕やボウガン仕込んでたのかなとか
ドラゴン殺しもってたのかなだな
名前は似てるだけで作者は知らなかったそうだけど
>>146-
>>152 ありがとう、勉強になるよ
何か忍法帳とやらのせいで3レスになるけど許してくれ
資料を元に言ってることに憶測で反論するのは申し訳ないんだが
それなりに中世について調べてるんだけど、当時の村の人口さえ資料が見当たらないんだよね
だから
>>151さんの12k人の野盗の話みたいに、資料に残っているのって当時のスタンダードな話じゃなくて
驚くような話だったから資料に残ったんじゃないかなと
野盗も何百〜何万人が標準じゃなくて
ある程度のなわばりを持っててその範囲内で村を襲う数十人規模の集団が各地にってのが
一般的だったんじゃないかなと考えてるんだ
つまり傭兵メインで各地を転々としながら野盗もしていたという集団じゃなくて
その地で野盗メインでやってたならず者のことなんだ
仮に野盗を50人とすると、50人+馬が同程度+婦女子も同程度=150近くの集団
当時の村の人口は分からないけど
さすがに100人規模じゃ村を持続的に維持していくことは無理だと思うから、一般的に2〜300人くらいだったとする
そうなると5つくらいの村を勢力の範囲に収めておけば150程度の規模なら維持できたと思う
>>149さんの人口の1/4が戦えたとすると多くても70人くらい
周囲の村と協力すれば100〜150人で野盗の実数50人を軽く越える
>>148さんの練度の差で戦いにならなかったのか、臆病で戦おうとしなかったのか
それともそもそも戦う力がなかったのか、ずっと疑問だったんだ
まあオール憶測なんでね、ほんと申し訳ないんだけど
間違ってるところがあれば教えてくれ
ちなみに俺の中で中世ヨーロッパのモデルは地中海あたりの賑やかな国じゃなくて、北欧辺りの田舎の国
158 :
148:2011/07/15(金) 20:24:35.97 0
>>157 >
>>148さんの練度の差で戦いにならなかったのか、臆病で戦おうとしなかったのか
錬度の差かな
発掘された遺体では100体以上は古い鎧をつけてたけど、一体だけ新しいものつけてたから
旧式鎧=村人、新しい鎧=傭兵と推測したとか
で、古い鎧つけてた村民の大半は大腿骨に武器に斬りつけられて骨折した痕跡がある
調査した学者によると、村人は戦いに慣れてないから、傭兵が剣を振り上げると
反射的に盾を持ち上げて上半身を守ろうとするが、逆に下半身がむき出しになるから
傭兵に足を狙われてやられたのではと
その番組すげえ見たいんだが何てタイトル?
>>157 たった3倍じゃ素人がプロの強盗団に敵うわけないだろ
実戦経験ある人間が少ない上にロクに訓練もしてないだろうし
>>157 戦えるかもしんないが、友人や家族が死ぬのは大変なこと
冬を越せる食料がのこれば、多少の余剰食は分けたほうがいいと考える人が多いんでは
生きるか死ぬかになれば戦うだろうが。
50騎の騎馬盗賊団が一地域に居座り略奪を繰り返すって
アメリカ西部開拓時代ならともかく、中世ヨーロッパじゃ有り得ない設定じゃないか
ダンジョンの一室で冒険者が来るまでじっと待って生活するモンスターのようだ
略奪と言っても実際に農民を殺して強奪するんじゃなくて
まず脅し相手からみかじめを取るような形で差し出すようにしてたんじゃないか、
平時の傭兵団も護衛や警備の押し売りを収入源にしてたそうだ
もちろん断られたら強盗に早変わりするらしい
脅したら農民は骨折して死んだわけですね、わかります
南ドイツのシュトラスブルクに生れた貧しい農民ヤーコプ・ロートの例
傭兵になり、解雇されてから
1522年春 南独 ネルトリンゲン
市場で財布を盗む。中には3バッツェン(24000円)が入っていた
商人の鞄をひったくる。中には3グルデン9バッツェン(43万2000円)が入っていた
鞄は3バッツェンで売る。
雑貨屋の香辛料を盗み、2グルデン(24万円)で売る
馬1頭を盗み、3グルデン(36万円)で売る。
1522年8月 南独 イスニ
仲間3人と肉屋を殺し3グルデンを奪う
1522年8月 オーストリー 北東地方
20人の強盗団に入り、トレントの商人を襲い、500グルデン(6000万円)を得る
但し、新米のため、分け前は5バッツェン(4万円)。
1524年9月 南独 ネッセンバンク
森の中で女性を殺し7グルデン(84万円)奪う
1525年2月 パヴィア
再び傭兵となり、武器庫の槍4本と短剣2本を盗み1.5グルデン(18万円)で売る
1526年8月 ラーフェンスブルクにて死刑
中世ドイツの日常風景っすなあ
さりげにストラスブール出身なんだな。
171 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 13:47:53.15 0
三十年戦争のあたり?
>>166-168 リスクとリターンを考えたら、香辛料窃盗で2グルデンの1択だな。
ネッセンバンクの女性は、どうして森の中で7グルデンも携えていたのだろう?
イタリア戦争のあたりだろう
174 :
世界@名無史さん:2011/07/17(日) 20:54:22.57 0
ああそうか。
三十年戦争だったらもっとひどいだろうし
>>175 これベルセルクのネタ本じゃないのか
そっくりな場面みたことあんぞ
著作権きれてるから無問題だが。
当然と言えば当然なのかもしれないが
食事や服の細かい部分の史料って少ないよな・・・
特に平民農民の
新大陸からの新しい食物が入ってくる前の食生活は悲惨だからなあ。
ジャガイモもトウモロコシも無し、トマトもないじゃんw
麦は伝播率異常に低いし・・・土塊でもくってたんかい?
頑張って麦食ってたんだべ、それ以外主食ないし
中世の北イタリアでは今みたいに米食ってたの?
豆は?
ヨーロッパに大豆が持ち込まれたのは、17世紀に宣教師が持ち込んだのが初。
でも栽培が広まったのは19世紀で動物の飼料用。米がヨーロッパに持ち込まれた
のは中世。パエリアとかライスシャワーとかそれなりにヨーロッパ文化に根ずいて
るけど、やっぱヨーロッパは麦文化だわなあ。
イギリス料理でもライスプディングとかあるが、中世はなかったみたいね
西洋では米食は時代が下るほど一般化する傾向だね。バレンシア名物だったパエリアがスペイン各地でよく食べられるようになったり、米が主食化した地域が徐々に広がってる
>>184 稲は水稲の場合莫大な水がいるし、陸稲は収穫量の割に連作障害などトラブルが大きい。
熱帯植物なので温帯では夏場の1期作がメインでそれも寒冷地では育たず不作の可能性が高い。
じゃがいもが入るまでのドイツ・ポーランド・ロシア・スカンジナビアなどではほんとうに食料調達が大変だった。
麦は麦でも貧農が食べていたのはオート麦とかじゃないかな。
一般人(貧農以外の)は大麦を食べていたはず。
ギリシャ・ローマ時代に大麦は広まったけれど温和な気候が必要
だから南イタリアとかでないと無理だよね。
後はライ麦くらいか。
ちなみにジャガイモの保存は低温保存だけだったのかな?
>>155 >当時の村の人口さえ資料が見当たらないんだよね
イギリスのエルトンという村が、1279年の王の調査で、113人の保有農が世帯主として登録されていて、
そこから村の総人口が5~600人くらいだろうと推定されている。
また、R・H・ヒルトンは、当時のウエスト・ミッドランド地方の村の45%が総人口4~600人の村で、
それより人口の多い村が10%、残りはより人口が少なかったという説を唱えているとのこと。
ジョゼフ・ギース フランシス・ギース著『中世ヨーロッパの農村の生活』(講談社学術文庫)60頁
同じく講談社学術文庫の都市の生活と城の生活も手に取りやすいよ
>>179 例えば、ノルマンディー地方の修道院が賦役奉仕の人々に支給した一日分の食料は、
パン1つ、ポタージュ用えんどう、卵3つとチーズ100g前後(あるいはその代わりに卵6つ)、十分なだけの修道院醸造ビール。
また、中世農民の一日当たり平均食物摂取量を、小麦6〜700g、ハムや家畜、鳥などの肉類80〜100g、
卵2つ、酸っぱい安葡萄酒1リットルと推定する見方もある。
堀米庸三編『生活の世界歴史6 中世の森の中で』(河出書房新社)60-61頁
>>177 坂井洲二『年貢を納めていた人々 西洋近世農民の暮らし』(法政大学出版局)なんかが面白いと思う
>>189 賦役も完全ただ働きではなかったのか。
助郷も年貢免除だった記憶があるし、バーターでないと人は動かないのだな。
食い物くらいは出さんと
やっぱり肉類が多くてビタミンが少ないな。
>>192 パンを大量に食べているということに続いてこういう記述がある
このような食事はもちろんバランスを欠いていた。
脂質が不足しているうえに、様々な病気を引きおこすビタミン欠乏症になる危険があった。
ビタミンAはもっぱら動物性食品によって供給されていたが、これが不足すると目の角膜の病気にかかり、失明にいたることもある。
皮膚病のペラグラ(ニコチン酸欠乏症候群)にかかるのは日常茶飯である。
なぜなら白パンはふすまが除かれているため、ビタミンB3がまったくとれないからである。
一般に脂のある魚や乳製品を十分にとっていないので、骨の成長を助けるビタミンDが不足し、
そのため多くの子どもがくる病になった。
ブリュノ・ロリウー著吉田春美訳『中世ヨーロッパ 食の生活史』(原書房)56頁
白人はくる病になりにくいんじゃないの?
日本も脚気で苦しんだからなあ。日露戦争なんか国の命運かかってるのに兵士
がバタバタ脚気で倒れた。栄養学って大事だな。
脚気は細菌が原因 by森林太郎
ビタミンC不足から来る壊血病にイギリスがライムを使い始めたのがようやく16世紀だしね
>>195 なりやすいのが淘汰された結果と考えることもできる。
ペスト等も何度か流行しているが、その度に罹り難い人間が生き延びて…という説もあるみたい。
白人が白いのは、くる病に弱い黒い人間が淘汰されたため
ヨーロッパに移民した黒人やインド系移民の子にはくる病が高確率で発症する
変な言い方だな
低緯度地方では日射量が少なく紫外線を取り込みやすい白い肌のほうがビタミンDを作りやすく
黒い肌では作りにくいからくる病になりやすい
逆に高緯度地方では紫外線を取り込みやすい白い肌は癌になりやすくなる
適応してきた地方意外だと病気になりやすいって事だ
>>199の書き方は過不足無いけど
>>200の書き方は事実と異なる。それに低緯度と高緯度が逆っていう
>>200 低緯度って赤道に近いってことだよ、何で日射量が減るんだよw
>>187 中世「には」ジャガイモ無いんだけどね。
中世の穀物で忘れていたけれどソバもあったな。
ソバなら痩せた土地でも育つからオート麦並に役立ちそうだ。
問題は気候が多少は温暖でないと駄目な点か。
ロシアの蕎麦くってみたいな
小麦、大麦、ライ麦、蕎麦、きび(フランス南西部とか)
>>45 13世紀の詩人、ギヨーム・ド・ラ・ヴィルヌーヴの『パリの物売りの声』には、
ミルクを売る物売りの声も書かれているな。
『中世ヨーロッパ 食の生活史』102頁
ロシアなら挽き割りとかで
ダンプリング類は昔からあったのかもしれないが
ガレットなんかの普及率はどんなもんだったのかねぇ・・・
時代と場所限定で知りたいわ
そば湯を飲む週間は日本だけなのかな。
中世のころだと日本の蕎麦の食べ方はそばがきが主流で茹で汁
もとれたはずなので似たような食べ方していたならその汁も利用
できそうなんだけれど。
210 :
世界@名無史さん:2011/07/31(日) 13:33:49.33 0
パスタの汁を飲まないのは塩を入れるからだと思うが向こうの人
はそばがき作るときにも塩入れるのか?
パスタの湯汁を飲んだりはしないけど、一応ソースにいれて使うよ
基本乳化させる為だとは思うが。
ま、つなぎに塩使うものだってあるし、ご家庭や地方、手に入るモノによってコロコロ変わるだろう。
欧州でそばを麺状にするって話もとりあえず聞いたことないし。
そば湯云々を知りたいなら、まずはソバのメイン料理を知ることが大事じゃないかな。
ソバに関してはそもそも文献が残るほどに普及していたかどうかもよくわかんね。
>乳化
絶望のパスタなペペロンチーノですか。
ハンザ同盟の有力な輸出品がニシンの塩漬け、年間数十万トンも輸出された。
中世ヨーロッパ人も結構魚喰ってんだよな。
ニシンとタラは基本だ
あとハンザって言え
キリスト教だからね
それはギリシャ語を知らない北欧の人間にわかる事なのだろうか
中世欧州で食べられていた魚だとあとはうなぎ(ヨーロッパウナギ)か。
うなぎのパイ(お菓子じゃないよ)とか色々食べてたはず。
221 :
世界@名無史さん:2011/08/06(土) 10:11:19.66 0
当時は魚の一種だったイルカは?
シーシェパードが華麗に阻止
北海では鮭や金目鯛も食べてた
地中海は烏賊、蛸も食べてたし
ニシンの塩漬けの記述が出るたびに美味しそうに感じるんだが
実際食べると凄く塩辛いんだよな・・・
>>224 昔の塩漬けはゆでたりスープに入れたりして塩分を薄めて食べた。
それに塩が少ないと腐敗するしね。
韓国料理でよくアミの塩辛使うけど
あれもほとんど塩の塊みたいなもんだよな
日本も昔はシャケの切り身はそのままではとても塩辛くて食べられない位のものだった
今は保存技術や減塩ブームなどの影響で大分薄くなったけどね
今でも昔のまんまの濃度で塩漬けしたものを売ってるところもあるよ
むしろ減塩の漬物とか、なんじゃそらって感じだからな。
昔のまんまが良いわけではなかろうが、
健康意識してやり過ぎ→意味ないコンボになってるものが多い。
なんだかんだで、先人が数百年数千年かけて体感・・・
というか人体実験だわな、してきたものは案外理に適ってるものだ。
塩漬けされた物は調理前に塩抜きをするのが普通だろう?
保存技術の低かった昔はそりゃ塩が濃いけど、そのまま食べてたわけじゃないし。
そのまま食うって話は出てなくね?
そのまま食うものだとばかり思い込んで
今の今まで煮物とか鍋物にしか使ってなかったわw
ごめんごめん。
>>227の
>日本も昔はシャケの切り身はそのままではとても塩辛くて食べられない位のものだった
に宛てたレスだった。
アンカー付けるの忘れてた。
燻製も文献では大抵「燻製」としか出てないよな。
保存なら冷燻だろうけど、塩漬けと複合したものが多かったのか
単に塩漬けが主流なだけだったのか。
そういやスレタイの「庶民」も、都市の中の人間なのか
農民も庶民と言うのかわかり辛いかもねぇ。
やっぱり時と場所とどのような立場の人間が何をどうした、までレスに入れないと
話が上手く噛み合わないのかも。
>>233 21世紀初頭アジア、庶民の暮らしってスレが1000年後にあったとして
「ケソンの住宅地で飢餓のため人肉を食べていた」も
「札幌の歓楽街でジンギスカン鍋と称した羊のバーベキューを食べながら携帯電話でニュース見ていた」も
「カブール郊外の農村で電話回線でつないだインターネットでメールを打っていた」も
正しいレスにはなるだろう。
嘘は言わないが本当のことは絶対に言わない
現代の新聞みたいなことすんなw
現代のマスコミは嘘も平気で言うけどさ・・・・
このスレだってヨーロッパ内の区別できてないからな
アジアはみんな同レベルでくくられてても不思議じゃない
「2011年、大地震と台風被害が重なり米不足に陥った日本では深刻な米不足になった」
「そういえば北朝鮮の対岸の国だっけ」
「やっぱり人間の死体食って他のかな」
とか言われるかも知れん
庶民なんてどうとでもとれる言葉なんだから、
各人が「庶民」だと思うものについて語れば良いよ
でも「庶民」の対象で共通認識を作るなんて無理じゃない?
農民もある程度以上の豊かさがあれば「庶民」じゃないとかあるんだろ?
貴族、僧侶、軍人、ブルジョア以外は庶民って感じかな
単語の定義をしたいわけじゃなくて
その時に自分が分かる範囲で対象を限定できる言葉があるなら使ってね
くらいの気持ちだったから、あんま気にしないでくれ。
別にこの話題を盛り上げるつもりも無いけれど、便乗すると。
俺としては低所得の市民が庶民って印象かな。
「市民」より収入が多くても、皮剥や首切りは別モノ。
だから、低所得、市民、職業の自由、旅の自由があるのを庶民と、個人的に。
小作・農奴は農民って言っちゃう。
豪農豪商はそのまんま。
ブルジョア以外はピンキリだからね
そこらの農民と同じレベルやら更に貧しい奴やらもいるから
ジプシーやユダヤ人みたいな庶民からも差別されてた民族も
場合によっては庶民の内だしね
各人が「庶民」だと思うものについて語れば良い。
但し他の人がその認識を共有しているわけではないので、
可能な限り詳細に情報を書いて限定しましょう って感じだな
>>244 その線で行くしか無いな。
どの道同意形成なんて無理だし。
246 :
245:2011/08/10(水) 12:02:11.88 0
同意じゃねぇ「合意形成」だよorz
くそ、MS-IMEめ。
247 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 03:05:24.87 0
中世は異様に大食いだった、という資料があんだよな。
イタリア、富裕層だけど。
248 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 04:20:35.46 O
中世なら
日常は麦を粉食してない=庶民だろ
近世なら
食事がジャガイモ中心=庶民
現代なら
カロリーコントロール概念なし=庶民
日本人の場合
カロリーコントロール概念無し=庶民
が成立するとは言い難い
250 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 12:18:46.50 0
>>247 そりゃ、食べるくらいしか楽しみなんてないだろう
書物も碌にない
ジプシーの音楽を聴く
旅回りのドサまわり芸人の演劇を見る
酒はかなり高い
タイコもちや商売人から土産話を聞く
坊主からいろいろと話を聞く
あとはSEXww
その中で、一番気楽なのは食べることくらいだな
酒は高くない。
水の代わりとして庶民から貴族まで
それぞれに相応しいものを飲んでいた。
252 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 19:11:10.38 0
無きゃ無いで、やれることは色々あるさ。
王族・領主等の富裕層なら猟も出来るだろうけど
庶民は基本無理だね。
ちなみに魚捕りも領主に権限あるから自由には出来ないよ。
254 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 21:01:20.72 O
水の代わりに酒のむって
飲料水が酒より高いって事か
夏死ぬわ
ドン・キホーテでサンチョがオニオンをそのまま食ってたけど普通なの?
256 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 21:24:38.16 0
今にくらべれば祭りがおおい。
その準備期間もけっこうある。
>>254 現代でも酒より水のが高い地域はあるだろ。
つーか水がタダなんて国、そう無いぞ。
中世で言えば、煮沸がデフォだから薪代が必要。
井戸なんてポンポン作れるもんでないしね。
井戸掘る代金が石造りの城の建築費用に匹敵するなんて当たり前らしいし。
>>255 生玉ねぎは普通に食わね?
>>254 いや、中世欧州に限って言えば当時は水質汚染が多々あったので生水が
飲めなかったのよ。
水質汚染の原因の一つとしてはローマ帝国崩壊による水道システムの維持が
不可能となったためもあるとか(他の要因もある)。
あと水が硬水なので引用にはやや不向きなのもある。
煮沸したら高くつくので非常にアルコール度の低いビールなどを飲んでいたよ。
ヨーロッパ人の肝機能はアジア人のそれと比べると高いので多少なら低いアルコール
度数の飲料を若年齢でも飲むことが出来る。
低アルコールのお陰で多少は殺菌効果(当時は殺菌という概念は無かったが)が保て
ていたため多少不衛生な環境でも飲用できたし。
後水が高い国の話は
>>257の言うとおり。
現代でも独逸とかだと地ビールはコーラより安く売られているし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ビール#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
>>254 >夏死ぬわ
?
ヨーロッパの夏は日本より乾燥しているから暑いことは暑いけれど蒸し暑くは
無いから言うほど水が欲しくなるわけでもないよ。
感覚としては高めの温度に設定されたエアコンが効いた部屋にいるみたいな物。
260 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 01:12:19.38 0
なんかいまひとつ信憑性にかけるような。
シエナだど、中央広場の井戸が、
飲食用、洗濯用、その他みたいなかんじで
三種類くらいに別れてなかったかな。
朝一の井戸からの大量の水汲みは
女たちの仕事だったよね。
イタリアの都市の話だけど。
一部の上層階級は自宅内に井戸あったけど。
信ぴょう性も糞も、中世での一般的で平均の話してんじゃねーの?
ワインに手の届かないブルターニュ人は祭日以外は水しか飲まないという話を紹介した後で、
パリ市民について1447年当時の日記の作者による説明として、以下の文を紹介している。
『中世ヨーロッパ 食の生活史』50頁
パリではワインの値段が非常に高かったので、貧しい人々はもっぱらセルヴォワーズ[エール]、ボシュ、
ビエール(ビール)、シードル(リンゴ酒)、ポワレ(梨酒)を飲んでいた。
Wikiの中世料理の飲料の項目でも見てこい
>>255 南欧〜西欧のタマネギは辛味が少なく、そのまま丸かじりできる
日本のタマネギは中東〜東欧系の辛味が強い種
水質汚染って工場もないのに汚染源は何なんだろう。
農業やってるぐらいだから水はあるんでしょ。それ本当に飲めないの?
あとアフリカとかバングラディシュとか途上国で汚染された泥水を飲んでいるという
話はよく聞くけど、その代わりにビール飲んでるとか聞いたこと無いんだけど。
汚染水の代わりに庶民が日常的にお酒飲んでいるってヨーロッパの特有の事情
なのかね。
それくらいは自分で考えろ、もしくはググれ
って言われる程度の質問はやめとこうよ
あと、中世欧で水が汚染されてたってのは誤解を招く表現だからな
大小差はあれど、どこの世界であろうと生水は危険
ググれっつーか、デマ流しておいてそれはないでしょ。
汚染うんぬん言ったのは俺じゃねーよ
あと、誰だって間違うんだから、間違いは間違いとして
それ以上無駄に突っ込むなっての
269 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 05:42:40.64 0
英語版のWikiの中世料理の飲料の項目だと、
「食事時の飲み物は」
水よりアルコール飲料が好まれた、
とも読めるんだよね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Medieval_cuisine#Drink 他の言語のバージョンも、
英語版がもとになってるような気がするけど。
「中世」も「ヨーロッパ」も枠が広いんだから、
>>262 みたいな回答が一つの模範例だよね。
なんか引っかかるから、
自分ももう少し一次資料を探してみるよ。
子供の飲料はどうなのか?
貧乏人の飲料はどうなのか?
そもそも人間一定量の水は必要だろ。
酒ばっかじゃ酔っ払うだろ?
270 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 05:57:14.37 0
『イタリア都市社会史入門 --- 12世紀から16世紀まで』昭和堂 2008年 p.154 に
フィレンツェ人のワインの平均年間消費量は、260から270リットル
とある。(貧乏人は、ピケットというブドウの搾りかす+水)
すると、
一日だいたい、720ml から 750ml。
だいたいペットボトル一本と半分。
一日の飲み物がこれだけですむとは考えにくい。
残りは何か?
・酒が飲料のメイン
・殆んど酒しか飲まない
これらを混同して話す必要はあるのか?
常識的に考えて酒だけで水分摂取してるわけないよな。
273 :
148:2011/08/15(月) 11:43:19.17 0
>>270 >残りは何か?
普通に水だろう
そもそも噴水は元々町に清潔な水を提供する為に出来たものだから
飲んでないって言い張るのに無理がある
要するに水の信頼性が低かったってことだろう。
水は本来非常に雑菌がわきやすい。
塩素での殺菌がなければ普通に微生物や雑菌が湧くし、寄生虫だっている。
また当時は衛生管理に対する意識が低かった。
例えば人糞、馬糞が道に垂れ流されてたということだけでもそれがよく伺える。、
知らずに糞に触れた手で井戸の桶を触ったら井戸が汚染され
飲んだ人は腹痛や病気になるだろう。
例えるなら今の中国製食品みたいなもの。
しょっちゅう大当たりするわけではないができれば避けたい、そんな感じだろう。
人口まばらな中世でそんなに汚染されていたら驚く。
人糞・馬糞ごときでそんなに汚染されねーよ。適当にいってるでしょ?
せいぜい、パリとかロンドンとかの大都市だけだろ。
276 :
148:2011/08/15(月) 14:05:30.36 0
>>274 現代の途上国を見ればわかるが、水道システムが整備されてない地域なら
飲用水をそこら辺の川からとってるのは当たり前
しかも濾過、沸騰や殺菌などの処置なし
現代の基準で「昔はこんな水を飲んでなかったはず」を決めつけるのは
そもそも間違い
適当に決まってんだろ。
資料があったら断定系で書いてるわ。
無いから各自想像するしか無いんだろうが。
あと糞はただの例だとしか言ってない。
俺が言ってるのは衛生管理の低い水は安全ではないってことだ。
278 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 14:16:11.76 0
平均寿命の短さ、
子供の死亡率の異常な高さの原因を
そのへんに求めることも可能かもね。
279 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 14:23:59.62 0
311前の自分の水分摂取方法を考えると、
水そのものはほとんどなかった。
お茶、コーヒー、紅茶の形でとっていた。
子供の頃は、運動量が多かったこともあるのか、
水道水をそのままのむことも多かった。
西欧中世の水分の摂取方法も、
案外、いろいろあるかもしれん。
すこしずれるが、健康のために温泉の水を
飲むとかはあったし。
>>257 石造りの城つったって、日本の武士が住んでた館と一緒で
一家+数人が住めるくらいの広さだけどな
281 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 14:59:35.02 O
葡萄のとれない地域は輸入しなくちゃならないよな
高温多湿の逆が欧州でしょ
水を一杯恵んでってあつかましい願いなの?
>>281 あつかましいとは言わないけどヨーロッパ中世ならワインを薄めた物かビール
か山羊や牛の乳だろうな。
水の衛生管理基準が低いってのはありうる話だと思う。
公衆衛生の概念が本格的に普及する前だからこそペスト(黒死病)が
流行したんだろうし。
ヨーロッパは緑豊かだし、万年水不足で悩んでいるなんて話も聞いたことがない。
そりゃ日本だって真夏の四国は水不足になる年もあるから、
絶対に水不足になったことはないとは言わないが、基本的には水不足ってことはないと思う。
問題は水の質でしょ。
どんなに綺麗な川でも生水は腹を壊すし、寄生虫がいるから飲まないほうがいい。
上下水道が整備されていなかったのなら、生活排水で汚れた水が直に流されていき、
それを特別濾過や殺菌せずに飲んでいたはず。
当時石鹸は普通に使われていたし、糞尿だって混ざっていただろう。
飲めば即何かあるわけではなく、
今のガンジス川の状態から見てもたまに当たったり病気になる程度だったんだろう。
だけど誰だって飲んで病気になったり腹を壊す経験を2〜3度すれば、
できるならそれを飲みたくなくなる。
水は安かった、もしくはタダだったかも知れないが、
水はたまに当たるため酒が好まれるようになったんだと思う。
どうしても酒の方がよく飲むという話にもっていきたい人がいるけど
>>270の数字はどう見ても酒より水の方が多い
そもそも現代の基準できれいとか汚いとか決めつけてる時点でおかしい
ガンジス川じゃなくても南米やアフリカ、東南アジアの後進国に行けば
川の水をそのまま飲用する例はいくらでもある
いい加減現代日本の衛生基準を中世に当てるのやめてほしい
アホすぎて話にならない
水には雑菌が多く、消毒しなければいけない、というのは現代の常識だけど
昔の人間にとって水は泥くさくなく、あるいは泥を沈殿させたり取り除けば飲めるものだから
いちいち現代の知識を当てはめて「水飲んだら病気のなるからみんなが避ける」
というのは違うだろう
ちょっと分野が違うけど、20世紀の初頭の実験発生学では水道の水を使った実験では
実験用の動物胚がよく死ぬが、沸騰した水を使えば動物胚の死亡率が大幅に下がる
という報告があったぐらいだから、中世の人間にとって水の衛生基準は現代とまったく
違う
酒が好きなのは単に水はおいしくないだけ
お茶やコーヒーが無いから酒を飲んだだけか
288 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 00:48:47.43 0
治安上の理由から、
都市が小高い丘の上に建設されること
はよくあって、
そのために都市の水が不足する、
という現象は珍しくなかった。
人は水のないところに住居を構えないし、水不足ってのは都市の人口が増えた後の話
館や城が小山や山に築かれることはあっても
都市が丘の上に築かれたことは無いよね
丘陵台地にしても川の近くで水利と水捌けが良い場所の2点を満たすからだし
291 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 01:55:12.45 Q
資料や文献無しでやりあっても徒労だぞ
水分補給に酒を飲んでたというトンデモ説の辻褄合わせのためにアレコレ言いだすから
293 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 03:32:59.39 0
294 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 03:36:04.29 0
ちょっとずれるがエルサレムも小丘の上。
いちおう水源はあった。
>>293 シエナを出すなら七丘の都市も出してほしかったな
>>280 このスレでドラクエやFFみたいな城を想像してる奴はいないだろ
なんにしても、基本生水は飲まんよ。
風邪引いても軽く腹下しても死に直結する。
水分補給は酒で、ってのも間違いは無い。
沸かした後でも、現代日本の水道水と違って、ちょっと放置すりゃ腐るんだから。
299 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 11:31:31.74 0
『中世の産業革命』J・キャンペル著、坂本賢三訳、岩波書店、1978(原著 1975)
この本の4章「環境と汚染」の中に、
「飲料水を求めて」という部分がある(pp.101-106)。
まず、
・屠殺場となめし革工場が、水質汚染の元凶と見られていた。
・各都市は、この2つをより川下を移動させようと努力した。
-- パリ 1366年9月7日付フランス最高法院の政令
-- エセックス州コルチェスター 1425年
で、こういった工場が市民に多大の害を与えた、とあるので、
やはり川の水を飲んでいたんだろうと推測される。
その他、こんな記述も。
・「この種の法令のききめのほどはともかくとして、中世人は井戸水によって
渇きをいやすことのほうに信を置いていた。」(p. 103)
・その他、ローマ式水道を修理したり、新たに地中に水道管を通したりした。
1167年カンタベリー大聖堂につくられた精巧な給水システムの図もあり(pp. 104-105)。
この訳書は2010年に再版されてるけど、数ページ増えてる。
300 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 12:40:13.68 0
>>296 川沿いであることは、
丘の上にあることの否定にはならんよな。
それにフィレンツエやローマならまだしも、
シエナを「川沿い」というのはちょっときつくないか?
あと中世シエナの水不足問題は、
いぜんNHKの世界遺産番組で取り上げられていた。
結局
前提
ヨーロッパの水は川水であれ井戸水であれ大部分が硬水だった。
結論
一時硬水しか手に入らない場所では必要の都度、あるいはまとめて煮沸し水を軟化させていた。もしくはエールやワインで代わりに水分をとった。
一部に直接引用可能な水が手に入る地域もあったが、衛生観念や知識の欠如で
水質に問題がある場合が多かった。
という理解でいいんだろうか?
Q.いきなり硬水の話が出てきた?
いや基本的に水は煮沸してから飲用s
ゴメン。抜けた。
いや基本的に水は煮沸してから飲用って話があったでしょ?
でヨーロッパの水はほとんどが硬水で煮沸してからじゃないと
飲めないって話を聞いたことがあったのでその話かと思った訳。
305 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 15:21:37.57 0
中世医学で、水は体によろしくないとされてた
だから庶民も、選択肢がある限りは安ワインやシードル、ビールなどを飲んだ
Terence Scully「The Art of Cookery in the Middle Ages」
307 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 16:04:00.90 0
『中世の産業革命』J・キャンペル著 にまたあった。
もういらないか?
1381年6月13日(13日は推定)
イングランド田舎の司祭ジョン・ポールの演説
「われわれがライ麦はフスマや藁しか食べず 水 しか飲めないのに、
彼らはブドウ酒を飲み香料とうまいパンを食べている。」p. 244
・司祭ジョン・ポール
「アダムが耕しイヴが紡いでいたとき、貴族はどこにいたか」という言葉で有名。
ワット・タイラーみたいな人。
・引用文中の「われわれ」:農奴
・引用文中の「彼ら」:貴族
階級で分ける必要があるかもね。
当時は農奴制があったから、聖職者と貴族、農奴と市民(農奴制に含まれない人)
などとでは食べ物や飲み物は確実に違っただろうなぁ。
>>307 あれ?
「われわれがライ麦はフスマや藁しか食べず 水 しか飲めないのに、
彼らはブドウ酒を飲み香料とうまいパンを食べている。」p. 244
とあるがオート麦ってオートミールにしてこの時代でも食べられていたんじゃないのか。
それともフスマがオートミールのことなのか?
確か凶作への備えとして、貧民対策としてオート麦は栽培されていた気がする。
現代ではフスマって言ったら小麦の外皮の部分のことだよな?
>>307 いやいや、有難いですよ。
ライ麦パンは発酵が進んでいたということは日持ちするってことなのかな。
何日かごとにしかパンを焼かなくても日持ちがするから(味は別として)
農民向けで、白パンは日持ちがしないから貴族が食べていたとか?
>>300 もともとの話が飲料水の話で、丘の上の都市の話が出たときにも
丘陵台地の端に集落が創られるのは水捌けと水利を両立できるからと注釈したよね
もちろん読んでると思うけど
水にもワインにもピンキリってもんがあったし
地域によっても手に入るものは違った。
蜂蜜、胡椒を大量に入れたワインやシードルは勿論下級の飲み物だったけれど
少し時代や地域が違えば胡椒は高級品だろ?
クアスやエールがワインより上等な場合もあるし、都市に住んでいてさえ
物価や供給が安定する時代は少なかった。
そのまま飲める井戸もあれば飲めない井戸もあるし
二流職人の掘った井戸はすぐ枯渇する恐れもあったし
井戸工事を頼むのは領主でさえかなりのギャンブルだ。
飲める井戸でも少し病気が流行れば煮沸はされた。
>>311 引用部分では「ライ麦は」と前置きがあるのに、なぜオート麦の話になるん?
>>304 硬水は煮沸しても軟水にはならないよ。煮詰まったら余計に硬度が上がる。
煮沸することで雑菌が消えるって話じゃないの?
中世人に細菌学の知識は無くても経験則で煮沸させた方が当たりにくい
って事くらいは分かると思うけどな。
319 :
148:2011/08/16(火) 22:31:24.12 0
硬水軟水や雑菌という概念は19世紀末以降にできたものなのに
それを前提に中世の生活を語るヤツが多過ぎて話にならない
同じ人が自説を延々と垂れ流してるだけかもしれんが、中世の常識を
前提に論理を展開しないと話にならない
「沸騰させれば安全」=「透き通って見えても何か見えないものが体に悪い」
という概念が存在しての前提
生水は絶対飲まないと言い張る人間は世の中を知らず、日本の常識で世界を
語ってるとしか思えない
>>319みたいな人が一番厄介に見えるんですが・・・
まあでも研究者としては基本的な態度でしょ
当時の社会通念を考慮しないとトンでもが増える
失礼
>>320 中世でも「そのまま飲める水」 と「飲んだら腹壊すから飲めない水」
の区別ぐらいはさすがに経験からわかると思う。
でイギリスのぞいたヨーロッパ地域とくにドイツ当たりはほとんどが硬水なんで
そのまま飲めるの水源のほうが珍しい。
なら基本的に煮沸して飲んでいたか、代わりにエールやワインで水源補給してたんじゃね。
と考えた。無論推論なんで反論、反証等あればよろしくお願いする。
325 :
世界@名無史さん:2011/08/16(火) 23:15:23.91 I
>>319 経験で分かるだろ。硬水と軟水の区別はつかなくとも、沸騰させれば腹を下さないとか飲みやすいとかそういう経験で。
水で思ったんだが、農奴とかって風呂入ってたのか?
風呂でなくとも水浴びとか定期的にしていたのだろうか?
12,13世紀あたりでは都市に風呂屋、地方の村には水浴びの習慣があったそうだ。
ところが当時の風呂屋は混浴だったので風紀上不味いとか、
水が病気を媒介すると信じられた、etcな理由で体を水や風呂で洗う習慣は
廃れていったそうな。
>>324 だからドイツはワインじゃなくてビールだと前の方にもあったし、320のリンク先にも書いてある。
>>308 それは「湯」だから
水が健康に良くないとされたのは、当時の河川や池などの衛生事情と、四体液説に基づいた医学が理由
水を使う時は、温泉水等の湧水が推進されてた
331 :
世界@名無史さん:2011/08/17(水) 01:13:51.98 0
ローマの風呂屋は、水道技術と奴隷の無償労働で支えられていた。
だから水道が破壊され社会が混乱したのちの時代では立ち行かないんだな。
江戸時代、銭湯の下働きといえばとんでもない重労働だった。
神田や玉川の上水の無い場所では、深い井戸から何度も水をくみ上げ、浴槽を満たさなければならない。
江戸中の普請場を廻って、燃料の木っ端を集めてこなくてはならない。
洗い場も木製だから、砂を使って綺麗に磨かなくてはいけない…
庶民は煮沸する薪代も払えないから、生水の代わりに安価なお酒を飲んでいるって
話だったと思うが、薪より安いお酒って何だ。
そもそも貨幣経済はそれほど発展していなくて大部分は自給自足だからワインは
無いだろう。
そうすると麦で作れるビールっぽいお酒?
でもさ、生で飲めない汚染された水を原料にして、本当に安全なお酒ができるんだろうか。
過去レスぐらい嫁
334 :
世界@名無史さん:2011/08/17(水) 05:34:17.13 0
>>319みたいなのがいなかったのが救いだったスレなのに…
336 :
世界@名無史さん:2011/08/17(水) 07:41:46.89 0
ん? 別に 319 の内容は普通だろ。何がそんなにおかしいのか。
まともなのは二行目までだな
エラスムスがドイツ方面に行った時に、ライン川での浄めの沐浴について記録していたのがあったはずだが…。
最初、インド???かと思って混乱したよ。
>>328 じゃあ、あの時代の農奴とか貴族、聖職者以外の市民って何を使って体を
洗っていたんだ?
あと、水を主体として洗う風呂って日本でも欧州でも少ないんじゃないか?
どちらかというと蒸し風呂の方が水を節約できるし、大掛かりな水周りも
必要ないからどこでも敷設できるはずだ。
フィンランドとかの北欧地帯では水を使った風呂よりサウナの方が昔から
普及してたろ?
340 :
339:2011/08/17(水) 14:17:30.60 0
×水を主体として洗う風呂って日本でも欧州でも少ないんじゃないか
○当時は水を主として使い体を洗う風呂って日本でも欧州でも少ないんじゃないか
341 :
世界@名無史さん:2011/08/17(水) 15:08:46.20 0
>>331 いまの温泉宿みたいのが作られたのっていつ頃?ローマ風呂より日本の和式風呂のがなんかいいよなー
ローマ風呂はプールみたい。疲れが取れ無そう
入浴中の絵画、中世欧州のヘタクソな絵が結構残ってるけど見たこと無いのかな?
本でも資料として載せてたりするけど。
ヨーロッパの入浴は14世紀のペスト流行以降と以前でがらりと変わって
しまうからねえ。かなり大雑把に分けると以前はまだ大衆的、入浴ついでに宴会
や売春もあり。以降は個人的、禁欲的でいいかな。
日本みたいな高温多湿の夏でなければ、それほど必要なもんでもないでしょ。
ドイツ、チェコ、ハンガリー辺りの史料の記憶で風呂事情ってことになると。
都市なら公衆浴場があればまぁ良い方。蒸し風呂だけのが浴槽あるより多目。
小金持ちの領主なら旅の客人に桶に湯を貯めて出すくらいはする。
亜麻布なら洗濯は月一度程度、革なら無し。
水に神秘性や恐怖心を感じていたというのもあるが、まぁその度合いも人や地域次第。
でも水に対する全体としての印象は、森に対する畏怖と通ずるものがあるように感じるね。
ま、史料つっても、それが真実かどうかはわからんし
確実と言えるほど大量の史料が残ってるわけでもなし。
自分が勉強したものが全てだと勘違いしない方がいいんでねーの。
現在のドイツ語圏では、浴場が南欧以上に人気施設だったから、廃れた時期も遅かった
ウィーンやフランクフルト、バンベルクなど、ペストが流行る度に浴場を閉鎖した町もあれば、
普通に営業してた町もあった
この地域の浴場が決定的に廃れた理由は、三十年戦争と、薪不足による経営難
ん?
薪を木炭にする発想は無かったのか?
木炭では火力が足りないのかな?
カルボナーラなんて言葉があるんだからそりゃあるに決まってるだろ
そもそも薪が不足してりゃ木炭も作れんわい
ここでいう「中世」は具体的にはいつまで?
地域によるよ、イベリアや現フランス地方やイタリアは16世紀後半
イギリスやネーデルランドや北欧は16世紀末、東欧は1500年前後だし
以前の類似スレでは、コンスタンティノープル陥落までが大まかな基準だった
ビザンチン終了のお知らせ
靴、というか中世なら履物だな、の詳しい歴史と構造を知りたいんだが、なかなか意に適った書物が無い。
そんな貴方は木靴をどうぞ。
木靴を知っているというだけでちょっと調子乗っちゃった?
>>360 あ、その本持ってる。もう一度見なおしてみるわ。
靴底の補強や強度、こういう靴は誰がどこで作っているのかとか
歴史表や分布図が載ってる本とかあればいいんだけどな。
>>361 多分、靴の材質によって中世欧州でもそれぞれの国によって変わっている
部分があるかもなので材質を皮革なら皮革でとかで分けたほうがいいかも。
農民反乱が起きる前までは農奴が狩りをするにも税金を掛けていた国も
あったから皮革の供給先は限られるだろうからね。
あとはサンダルのような履物自体の歴史を調べられたらいいんだが
靴というより服飾史のほうになるのかも。
そんな貴方はハイヒールをどうぞ。
364 :
世界@名無史さん:2011/08/22(月) 21:36:48.67 0
靴制作のギルドの規約なんか残ってないのかね。
記録は残っているだろうが、本として読める形で翻訳されているかどうかは不明。
366 :
世界@名無史さん:2011/08/23(火) 15:07:23.85 0
最近色々な種類のはちみつを買うのに凝っているんだが養蜂業って
古代からあるよね。
中世の頃の天然の甘味料といえばはちみつやカンゾウの類だろうけれど
当時、はちみつは盛んに作られていたんだろうか?
アルコール作っていたのは修道士が多いイメージがあるので時間と手間
のかかる作業が伴うから中世の養蜂家は修道士も多かったんだろうか。
ギリシャやスペインのはちみつ食べ比べているけれど同じアカシア蜜なのに
微妙に風味や味が違うのな。
中世の教会の養蜂はむしろ密蝋が主でハチミツが従
ビザンツは甘藷とか甜菜から砂糖くらい造ってたんじゃないの?
サツマイモは南米原産、砂糖大根から砂糖が生産されたのは1745〜。
近代養蜂は1850年〜それまではいちいち巣を壊さねばならず効率が悪かった。
養蜂とは言っても、潰した巣を次の年に来訪するのも養蜂と呼ばれていたこともあるし
色んな書物を総合してみるに、実際は言うほど養蜂が盛んだったわけじゃなさそうだよ。
キリスト教では必須過ぎるキャンドルを筆頭として、艶出し剤、ケーラ、化粧品なんかにも
蜜蝋は大活躍。時代場所により、索具にも多く用いられた。
植物蝋だとハゼやウルシがメインで、
日本のものも和蝋、ジャパニーズワックスとして九州四国では名産だから
地元では今でもその名残があるんじゃない?
カルナバ、砂糖黍、パームは西欧東欧ではあまり使用されなかったかもね。
クジラや虫の蝋も学んでみると面白いよ。
蝋の値段や、融点による我が国日本と西欧の室内の明度に対する認識や建物の構造まで変わってくるし。
現在でも、食料の保存にも蝋は使われる。酒呑みで、多少凝り性な人ならすぐ分かるかも。
誤字ね、甘藷じゃなく甘蔗
砂糖くらいふつうに作ってたと思うけど
おにく
>>374 ギルドが現代でも残っているとは胸熱だな。
フリーストーンの石工さん達を忘れたか
>>376 フリーメイソンだろ。消されるぞ(笑)。今でもヨーロッパでは組合や自治会
の形で残ってるのは多いな。
>>377 バカおまえ、だから直接書かなかったんじゃねーか。
ガチで探知されそうで怖いわ。
中世の偉い人達もそうだけれど
庶民の暮らしはもっとわかんねぇなぁ。
朝起きて〜、の朝起きる部分からもう細かい想像するのが難しいもの
断片の知識と妄想で埋め合わせながらの空想なら出来るけれども。
まあ場所を現代に置き換えても、隣人の暮らしっぷりとかよくわかんねーけどな。
380 :
世界@名無史さん:2011/08/29(月) 01:27:15.32 Q
>>357 Footwear of the Middle Ages というサイトはどう?
381 :
世界@名無史さん:2011/08/29(月) 01:47:40.51 0
>>379 正直、あんまりくだらないこと、
恥ずかしいことは記録に残らないからな
実際糞をしたあと、手でふき取っていたのか?
ウォシュレットがあったのかさえ、いまいち不明なところがあるからな
フリーメイソン=テンプル騎士団の残党説ってのが前世紀末頃から欧州での定説になりそうだったんだけど、どうなったかなあ。
ノルウェーの銃撃惨殺犯はテンプル騎士団を崇拝してたらしい
あの辺りはプロテスタントがメインだったような気がしたがなw
わすぷ様をディスるとケツに鉛弾ぶち込むぞ
塩って地域によっていくらくらいだったんだろ
産地は今と同じくらいだったんだろうか
行商人が何ヶ月もかけて運ぶような場所じゃ
人件費考えるとものすごい値段になりそうだが
貧乏人が買えない値段だと貧乏人全員死ぬしか無いよね
>>387 感謝
でもそこでも価格についての質問はスルーされてたね
どうやら資料が無いようで、残念
13世紀仏でそこそこ大規模に塩の生産されてたらしいけど
価格は記録残ってないのかな?
塩どころか、他の一般日用品も含めた「物価」自体、
把握するのがチョイムズなんだよ。
海の塩は採れる範囲がかなり狭まるから一応除外するとして。
岩塩、地下水塩、塩湖からの距離も関係するし
流通経路や手段の発達具合によっても差が出るし。
知りたい時と場所の価格を自分で調べた方がはえーと思う。
12~15世紀の船で交易が盛んになり始めた頃の西欧の「一般的」で言うなら
第一に思い浮かぶ積み替え市場、シャンパーニュの大市で
ラニーシェルマルヌ、バルシュルオーブ、トロワ、プロヴァンなんかでググってみれば?
答えが出るかどうかは知らんが。
スレを私物化してごめんよ
厳密に知りたかったのは塩が高価だったのなら
庶民はどうやって生きていたのかだったんだけど
考えてみたら中世より遥か以前から人は住んでいたわけだし
動物も普通に生きてるわけだし
塩の流通がなくても問題ないんだね
個人的な結論としては
少なくとも船を使うような大規模な交易が主になる以前
塩の生産地から遠い地域限定の話だけど
塩は高価だった
でも一般的な庶民は生きるのに必要な塩分は食品からとれるので必要としていなかった
塩を買うのは貴族のような一部の人間だった
ただむしろ塩の生産地に近い地域って方が少ないだろうから
塩漬けは保存食として案外マイナーだったり
高級品という位置づけだったのかも知れない
393 :
世界@名無史さん:2011/09/01(木) 01:53:26.09 0
ついでだけど
14C後半フィレンツェの大商人ファランチェスコ・ダティーニの家庭では、
塩は高価だが大量に使用された、
とのこと。
『プラートの商人』イリス・オリーゴ白水社
394 :
392:2011/09/01(木) 01:56:14.14 0
☓ファランチェスコ
◯フランチェスコ
395 :
393:2011/09/01(木) 01:57:19.42 0
上の394 は 393 が書いた。
396 :
世界@名無史さん:2011/09/01(木) 19:51:57.95 0
勉強になるスレですね。
>>392 >一般的な庶民は生きるのに必要な塩分は食品からとれるので必要としていなかった
中国なんかでは塩の専売制度によって民衆が苦しんでたと記憶してるんですが、
ヨーロッパと中国の民衆には違う点があったんでしょうか。
それから、ちょっと話は違うんですが、ヨーロッパには塩の専売制度ってなかったんですかね?
中世のはよく知らんけど、昔読んだヴォルテールの「ルイ14世の世紀」の中に、ノルマンディの塩田&塩の専売(?)
による収入が国庫の相当な部分を占めていた云々という記述があったと記憶しているが…。
一番生産量の多かった中世後期15世紀の生産量が日産2dだっけ
同じ頃の中国の塩価格は1`10文で米と同じくらいだから
価格が同じだとすると結構な収入じゃね、1億円くらい?
欧州近世中期あたりで塩商が過当競争して、塩では儲からなくなり
貿易商は香辛料にこぞって手を出したと聞いたことあるけど。
401 :
世界@名無史さん:2011/09/01(木) 21:41:37.42 0
396です。
フランスにはガベルと呼ばれる塩税があったことを思い出しまして、
調べたところ、この制度は国による塩の専売制も伴っていたようです。
やっぱり洋の東西問わず塩は儲かるんでしょうね。
中国と変わらず民衆はこの税金に苦しんでたようです。
値段としては、『パリの一住民の日記』1417年10月の記事で、
「この月10月、塩に重税がかけられた。(略)
塩はスチエ〔約156リットル〕あたり18スー・パリジスのエキュ貨四枚した。」とある。
あとは、ガベルの話やら、ブルゴーニュ候フィリップが候国に塩の専売制度を導入しようとした話などもある。
堀越孝一『ブルゴーニュ家 中世の秋の歴史』、講談社、1996年、7章
403 :
世界@名無史さん:2011/09/01(木) 22:47:25.74 0
>>402 ありがとうございます。
読んでみます。
昔読んだ河出文庫か何かで、中世の庶民はマッパで寝てた、とあったけど、
これは、肌着姿的な物もマッパ扱いしてたってだけだよね?
たしか、貴族の上着が短くなった時代の事も
「尻が丸出しだった」
と表現してあった
あくまで塩が買えない人たちはどうしていたのかってことで考えてるから
前に言った一般的な庶民ってのは塩を買うことができない人たちで
個人的には主に農奴になるんじゃないかなと考えてる
恐らく普通の人達が考える、一般市民にまで当てはまるかどうかは知らないから注意してね
中国との違いについてだけど、単純に人口の違いだと思う
古代から塩が手に入らない地域の人たちは何でまかなっていたかと考えると
俺の知識では動物の血しか思いつかない
俺がモデルとして考えているのはドイツだけど
資料では11世紀のドイツは都市でも80%くらいが人口500人以下だった
200人以下の都市もあったらしいから、村もそんなもんだったはず
この規模の集落なら古代でも普通にあったろうし家畜もいたから
動物の血だけで塩分をまかなえていたと考えても無理はないと思う
ただこんな方法で維持できるのはあくまで小さい規模だけだろうね
中国は興味ないから知らないけど三国志の時代から何万対何万で戦ってたんでしょ
そんな人口密度ならとっくに塩に依存した文化になってたはず
まあ前にも書いたけど、あくまで俺の個人的な結論でしか無いからね
ほとんどが仮定を前提にしてるから、鵜呑みにはしない方がいいよ
そもそもガリアやゲルマニアの古代人は塩(塩分じゃなく)を
日常的に入手出来てたんだろうか?
生活の必需品になっていたなら専売制が維持出来れば大儲けだろうけど
内陸にある塩湖とか塩水泉を利用していた・・・とかでもないのかな。
いくら何でも土器すら持たない部族だとは思えんし。
仮に土器が無くてもなんか代用するだろうし。
>>404 「中世の森の中で」か?
あれは何か微妙だった
410 :
世界@名無史さん:2011/09/06(火) 01:52:22.09 0
たしかスイスには岩塩の鉱山があったはずだが。
英国にも、岩塩鉱山もある。
ウェールズには26パーセントという猛烈に濃い塩水が湧く場所があり、
この水を煮立てての製塩も行われていた。
東大の本は結構興味深く、参考になるものが多いぞ。
参考文献の広がりが一番の旨味だが。
東大出版はちょっと専門かじった素人向けの「専門書」出すよな
それでいいんだよ。
参考文献からの引用は間違いが少ないし、元読めばいいだけだから。
勿論ハズレも多いがなw 立ち読みで分かるじゃん。
>>412 史学科卒じゃないから事情は分からないけど、それは学部生向けじゃないのか?
そこらへんの5000円を切る「専門書」がなかったら手が出ねーわ
勿論学部生向けもあるんだろうが、東大はちょっと違う気がする
多分だけど哲学書が何年か前、一般人によく売れただろ。
あれの二匹目狙ってそう
東大のブランドも一般人に受けるし。
そこまで穿って見てるのって、なんか鬼女みたいでキモいぞ・・・
いや装丁とか内容から見て一般人向けかなと思っただけ
素人を啓蒙する意思もあるかも
ハイハイw
少し日和ったレスになったねw
?無意味に煽っているがお前が勝手な妄想してたからそう感じたんでは
一貫して素人むけかもなぁ、という感想を述べているだけだが。
そもそも「一般」と「専門」を分けて、
「専門」を上にしたがるその心がなんか哀しい
基礎知識がちがうんだから当たり前
上下問題ではなく本を読む上での常識の量の問題
専門用語を使うかつかわないかとかいう技術的な問題。
『中世ヨーロッパを生きる』みたいなのはあきらかに一般向けだろし、
『西洋中世史料集』みたいなのは学部生向けだろうけど、
ちょっと専門かじった素人向けの「専門書」 って微妙だな
まあ、注釈やら参考文献やらがきっちりしてたらいいよ
なんか必死だな
>>422 中世ヨーロッパを生きる の参考文献教えてー。
『中世ヨーロッパを生きる』の場合は、一般読者というものを明確に意識しているので、
参考文献も各論考ごとに「羅針盤」という名称の読書案内として書かれている。
紹介されているのは基本的に日本語で読める物で、欧文文献は少ない。
例えば、池上俊一の「フォーク誕生の秘密」では、
・池上俊一『世界の食文化 第15巻――イタリア』(農文協、2003年)
・ブリュノ・ロリウー『中世ヨーロッパ 食の生活史』(原書房、2003年)
・マッシモ・モンタナーリ『ヨーロッパの食文化』(平凡社、1999年)
>>425 それ何ページに出てる?
参考文献は少し漁った記憶あるが、それらを覚えてないや
425で出したのは132頁だけど、巻末にまとめてあるんじゃなくて、
15ほどある各論考毎に書かれている
それぞれについて知りたいなら買うなり図書館で見るなりしてくれ
不思議に思ったけれど、なんで一般向けの本買ってるの?
まとめスレに載ったぞw
哲学ニュースからきすた!!o(^-^)o
みんな難しいこと知ってますね\(◎o◎)/
これから毎日きます( ̄ー+ ̄)ニヤリ
いろいろ教えてくださいねーo(`へ')○☆パンチ!
では今日はこの辺でしつれいしまつ(≧ω≦)b
431 :
世界@名無史さん:2011/09/19(月) 13:48:38.70 0
あそう
庶民は一体どのような一日を送っていたのかな
ネズミ食ってたりしてたよ。ウイーン包囲中は一匹の丸焼き1グルデンだったか
ネズミ一匹が今で言えば10万位か?籠城中の食糧価格は天井知らずだな。
>>435 籠城中にオスマンがこっそり食料売りに行ってたらボロ儲けできたんじゃないの?
437 :
世界@名無史さん:2011/09/23(金) 09:42:04.01 0
没収されて殺されるのが落ち
肌でわかるし
いや、そもそもウィーン陥落させれば略奪ヒャッハー!でやりたい放題でしょw
>>437 17世紀のオスマン軍にキリスト教徒が結構いるよ
440 :
世界@名無史さん:2011/09/25(日) 10:24:08.71 0
>>437 昔の戦争では意外とそういう話はあった。
基本儲かればいいというスタンス。
>439
ボルゴミール派から多数改宗したスラブ系イスラム
バルカンからイエニチェリにリクルート改宗させてエリート軍人
金髪碧眼のイスラムも一杯いたしな
この時代って袋はどんなものを使ってたの?
買い物行って紙袋にフランスパンーみたいなのってこの時代にあったの?それとももっと後の時代かな
使い捨て出来る紙なんて、そもそもこの時代のヨーロッパには無いでしょ
麻袋は輸送に使われてたな
皮袋や麻袋に肩掛けをつけたバックパックや、ツタを編んでつくったカゴなんかを買い物に使ってたんじゃないかな。
447 :
忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/09/29(木) 17:04:39.20 0
ヨーロッパってああいう今に残る古い建物に当時でも住んでたの?
国や地域にもよるんだが・・・・。
区画整理などが行われていない都市や地域で無ければ場合によっては
16〜18世紀ぐらいの街並みやもっと昔の街並みが残っている場合もある。
多くは近代に入ってからのゴシック建築(ゴシック・リヴァイヴァル建築)による
物もあるんで全てが完全に元のままであるとは言い切れんけどね。
>>447 実はヨーロッパの古そうな旧市街も大正時代の日本のハリボテ商店街や80年代前半の表面だけレンガビル同様に表面だけ中世風ビル・アパートが多かったりする。
特にWWI/IIで廃墟になったところはそう。窓とかよく見ると色をつけたアルミサッシだったり。
〜が伝来してないから利用してないとかではなく、
〜ほど優秀ではないが似たような在来のものは利用してたと考えるのが妥当だと思われる。
なんにせよ
>>447 449がすでに指摘しているけれど戦災を免れた地域でもない限り
ハリボテな所の方がほとんど。
だから、ポーランドの首都ワルシャワのようにドイツ軍のポーランド侵攻
によってボコボコに破壊された街並みを「壁のヒビ1つまで」完璧に
再現した地域が世界遺産に登録されるほど欧州、東欧地域においては
中世〜近世の街並みというのは完全に残っている物はとても少ない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ワルシャワ歴史地区 それほどまでに第一次世界大戦と第二次世界大戦が欧州と東欧、極東地域
に与えた影響は大きかったんだよ。
欧州は両大戦で徹底的に破壊しつくされた地域もあったからね。
ニコニコ動画で悪いんだが第一次世界大戦時に取られたフランスの貴重な
カラー写真によるスライドショー動画があるので参考にしてくれ。
ジャガイモ澱粉を利用した特殊な乾板を利用して撮影しているので着色写真
では出ないような発色になっている。
http://www.nicovideo.jp/watch/nm2814217
>>443 現代だけど、パンを買うときに、新聞紙みたいな紙に包まれそうになったので、
きちんとした紙に包んでくれというと、誰かにプレゼントするのかと質問されたと
いう話がったような。鹿島茂?小池滋?だれだっけ?
453 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 21:53:30.13 0
フッシュアンドチップスを買うと新聞紙に包まれるね。
だからかもしれないが、以前ミニストップで売り出したとき、
わざわざ英字新聞風の印刷をした紙に包んでいたw
454 :
世界@名無史さん:2011/12/25(日) 10:05:31.05 0
>>451 そういえばドレスデンはケンチャナヨで修復したから世界遺産登録を剥奪されたなw
SONY涙目w
橋作ったから取り消しじゃなかったっけ
ポーランドって、糞真面目に修復したのはワルシャワ歴史地区だけじゃないらしいよ。
ヴロツワフ歴史地区やグダンスク歴史地区(=ダンチヒのアルトマルク)も、超糞真面目に修復した。
そのほかにもシュチェチン歴史地区など。
だから街の一等地のはずなのに住むのに開発規制が多すぎて不便だと言う不満の声もある。
インターネットのブロードバンドの線引くだけでもあちこちで許可取らないといけないらしい。
世界遺産で、日本の都市が登録された例ってないよね。
何でだろう。残っていないからか。
米帝国とその出先機関のNATOに属さない属国にある都市を登録するわけないよね
京都も大分変わっちゃったしなあ
木造建築は残りにくいのも理由か
>>459 京都は建設当時の建造物が何も残ってないからな。
>>460 そもそも、そのあたりの時代の建造物って世界中探しても
法隆寺西院伽藍ぐらいしかないのだから、しょうがない
あ、そのあたりの時代の「木造」建造物ね
奈良の薬師寺の東塔は天平年間だぞ。
唐招提寺の金堂や講堂も奈良時代の物だし、京都の街自体よりも古い建造物は少なくない。
465 :
91.195.247.200:2011/12/30(金) 22:25:54.00 0
あくまで塩が買えない人たちはどうしていたのかってことで考えてるから
恐らく普通の人達が考える、一般市民にまで当てはまるかどうかは知らないから注意してね
古代から塩が手に入らない地域の人たちは何でまかなっていたかと考えると
この規模の集落なら古代でも普通にあったろうし家畜もいたから
そんな人口密度ならとっくに塩に依存した文化になってたはず
ほとんどが仮定を前提にしてるから、鵜呑みにはしない方がいいですよ
>>458 例がたまたまないだけだろw
そんなことをするなら、
米帝国とその出先機関のNATOに属さない属国にあるもの以外世界遺産に登録しなければいい。
>>458 中国は登録されている自治体があったはずだが。
世界遺産に登録すると空爆とかしづらい
ブッシュ「んなこたぁ〜ないよ〜」
オバマ「だよね〜」
470 :
世界@名無史さん:2012/02/17(金) 15:04:50.66 0
良スレ上げ
471 :
世界@名無史さん:2012/02/18(土) 18:03:49.07 0
そりゃそうだ。
幕末にきた外国人の印象から、江戸はきれいというイメージを
作り上げているけど、実際は、都合の悪いところは見せるわけがない。
最近読み始めた中世ヨーロッパの本
があるんだけど、あまりにもわからない単語が
多すぎて、一回で4ページしか進まない。
あまりにも困りすぎているので、
わかんないこととか、知らんことは
ここでどんどん聞いてもいいか?
アルプレヒト賢公とか。いきなり言われても知らんわ。
ここで聞くよりも大抵の事柄はぐぐった方が早いし詳しい。
質問です。
そもそも「この規模の村ならこれくらいの塩が毎年必要でそのために荷車何台分必要」
といった事がどうにもわかりません。計算して見ようとも思いましたが基礎知識が無く玉砕。
どなたか、よい資料とかの載った特集ページとかのお勧めがあったらお教えくださいませんか?
人一人が摂らないと死ぬ量から計算してみれば?
栄養学のこと書いてあるサイトでも適当に巡れば数字もある程度わかるでしょ
>>479 最低摂取量はカリウム摂取量にかなり依存するから、一概には言えない。
>>471 江戸は、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」で犬の糞だからけ。
人間のうんちは回収していたけど、小便は回収していなかったから適当。
きれいと言っても、ヨーロッパよりはまし、ヨーロッパより優れている、ヨーロッパよりは
という意味でしかない。
人糞がないのなら驚くべき清潔さだろ
農村に関してはイザベラ・バードの時代ですら
汚泥を生活用水に使って皮膚病は蔓延してそりゃひどいもんだったらしいけどな
>>482 大雨で肥溜めから流れでて町でも村でも雨上がりには消毒しないとまずい状況だったよ。
ヨーロッパと違って目立たないから綺麗に見えるぶんマシだが。
近代下水は日本でも英仏独でも19世紀にやっと整備だから大差ないといえば大差ない。
>>483 公衆衛生くらいしっとるけど、
英仏の18世紀〜19世紀初頭の不衛生さを舐めたらあかんで?
あれはイスラムとか江戸の比では無い。
産業革命の過渡期において労働者や庶民の生活環境は犠牲にされたんだよ
生活用水と下水と工業排水が全部一緒。
18世紀の英仏は中近世的な衛生観念と公害の合わせ技だ。
>>484 イスラム教国でもマレーやスマトラは半端無く不衛生だった気がする。
話のすり替えとは当にこのこと
>>478-481 塩について答えたいけど俺もわからんから答えられん、と思っていたが
昨日ちと情報を仕入れ、遅レスでもかまわないらしいと安心したので計算して見る。
今の日本国が目安として発表している、一日食塩摂取目標量が20グラム。
これ以下にして欲しいなという数字で、実際にはもっと多く摂取されている。
肉体労働の多かった昔は更に多く摂取されていた。といった前提があって。
20g×365日=7300グラム/年 の塩が一人当たりに必要。100人の村なら
730キログラムが必要。一頭立ての荷馬車で約200キロの運搬が可能なので、
おおよそ荷馬車4台の弱が必要。
1000人の都市なら7.3トン、荷馬車36.5台の塩が必要。
これに、家畜用の塩の量が加わり、過去の食塩を多量に摂取していた分の修正を
加味することで、おおよその必要食塩量が計算できる。
さて、楽しい軍隊の兵站の時間だ。
(やはり物語には派手な戦闘があったほうが盛り上がりやすい)
1000人という、巨大な常備戦力を保有していたような大領主を例にしよう。
中世ヨーロッパでは常備兵力(戦闘をその主たる職業として居た人たち)の限界は
おおよそ1%程度だったとされる。限界ということは、1%も騎士や従者、
兵士を雇用していたら領地の経営はかつかつでちょっとした不作で破綻しかねないということ。
1%よりは少ない比率にしたほうが無難でしょう。
都市人口も人口の1割が限界とされますので、1万人の都市人口、10万人の農村人口とします。
常備兵力が千人、人口11万人ならば、おおよそ803トン、荷馬車4015台の塩。
昔だから倍の量をとっていたとして、家畜にも同じ量が必要とすると、
3212トン、16060台の荷馬車分の塩が必要になる。
街道を、一日あたり塩だけで44台の荷馬車が必要。
復路(塩の代価商品輸送)も考えると、街道を往復あわせて88台の馬車が行きかう。
塩だけですげえ交易量が必要なんだな。これに年貢の運搬、人の行き来、
その他の交易品なんかも入るだろうし、街道はかなりにぎわっていそうだ。
…いやまて。人口1万以上の都市って中世後期もかなり後になったドイツでさえ
15しかなかったからな。常備戦力千にんとなるとかなりの大領地だ、こりゃ。
基準に見る事は出来んか。
追記。
これは海のある領地から陸地を奥にひとつ分の領地のみを元に計算しています。
ですから、例えば、奥に3つ目の領地(海沿い、一つ離れた、奥、最奥)を想定すると、
一つ離れた領地を行きかう塩馬車の数は三倍の132台になります。
往復264台の馬車が12時間の間に行きかう=1時間に22台の馬車が通過(塩の往復交易分だけ)
となります。3分未満ごとに馬車が街道を通り過ぎるわけですね。
ちなみに人口密度的に言うと、ドイツ面積が357,021km2で、
McEvedy & Jones (1978)による各地域別人口推定値 (単位: 千人)
が13世紀で6,000 14世紀で9,000 15世紀で6,500
ですから、1平方キロあたり16.8人−25.2人−18.2人となります。
人口11万人の領地の平均的面積は6043平方キロ、77.7キロ×77.7キロくらいです。
…海から311キロも内陸までという想定だったら、そりゃ、多くもなりますか。失礼しました!
>>478 計算結果から得られたイメージは、恐らく乖離しています。
1.
なぜなら、食品に含まれる塩分が考慮されていない。
添加物・保存剤としての塩が入っていないからです。
2.大規模な輸送手段は、荷車ではなくて、川船です。
川の勾配が非常に緩いので遡るのが非常に容易です。
そこから小分けで荷車です。
都市部なら塩漬け物とか多かっただろうしね
>食品に含まれる塩分が考慮されていない。
了解、総量を少し減らして再計算して見ます。
>添加物・保存剤としての塩が入っていな
了解、総量を少し増やして再計算して見ます。
…
……
………あのう。
少なく修正と多く修正とがセットなら大幅な差は出ないのでは!?
>大規模な輸送手段は、荷車ではなくて、川船です。そこから小分けで荷車です。
河港から荷馬車輸送なら街道を行きかう荷車の数は同じような(ただし単独)
数になるので、乖離というほどでは無いのではないでしょうか?
主食の輸送は別個にあるわけで、むしろ主流は主食や燃料(薪、泥炭)など等なのですし。
勘違いをしていると思う。
必要な塩分摂取量とは、
1.食品中に含まれていれば、その分塩を必要としない。
2.保存用に塩漬けになっていれば、その塩を利用できるので
塩を単独で輸送する量がかなり減る。
食品中の塩+保存料の塩は、概念としては輸送されていると考えられますが、
あくまでも、輸送される塩を、調味料の塩だけです。
適当ですが。
港町で魚を塩漬けにして船で川を上り都市に売ります。また、塩のみを樽に入れて都市に塩を売ります。
都市でも食品を加工(塩漬け)するために大量に塩を使うほか、調味料として塩を使用します。
加工するための食品は、農村とのやりとりで生まれます。
農村では農作物を都市に売りに来ます。また、逆に都市の肉屋は農村に肉を買い付けに回ったりします。
農村の人は、農作物を売りに行った帰りに、少量の塩を買って帰る場合もあります。
港町と都市との輸送は、主に舟・船です。塩の輸送は、都市でほとんどストップします。
都市と農村を塩を樽に入れて運ぶことはほとんどないと思います。
都市と農村は街道でつながっていません。都市と都市とが街道でつながっています。
A.港町1=>都市1−>都市周辺の農村
B.港町2=>都市2−>都市周辺の農村
C. 都市3−>都市周辺の農村(近くに水系がない場合)
都市1と都市2の間に街道がありますが、主な流通はA系とB系の流れです。
都市2と都市3の間に街道がありますが、ここが唯一の荷車が定期的に輸送する必要があるルートです。
そしてこの場合、都市3はほとんど食料加工産業は発展していないはずです。加工品を都市2から
買うはずです。
間違えた
×1日の平均摂取量は12〜13g
○1日の平均摂取量は11〜12g
>都市と農村は街道でつながっていません。
これは間違いだな。
農村⇔間道⇔街道⇔都市⇔河港(都市に河港が付随する場合もあり)
というつながりがあるから、どのみち農村から都市に行くには街道を通る。
都市から農村へ塩が流れないというのも間違いですね。
食品の加工はむしろ農村でよく行われます。
腸詰や塩漬け肉、漬物などを都市から買ってくるなんて農村はまずありえません。
都市で食品加工業が発達というのも間違いですね。上記のように農村が主です。
高級品、例えばお菓子などは都市部での食品加工業としてありえますが。
巨大でガチガチに硬いチーズを街に売りに行ったりしてたんだよね
>>499 そうですね。
ものは違いますがハイジでオンジがチーズを売りに行っていたのを思い出しました。
あと、
>>488はすでに村に必要な塩の量への回答ではなく、
軍隊の兵站、ならびにその兵站に使用される街道と輸送能力等についてを計算しております。
塩を例に出しているのは「塩ですらこんなににぎやかになる」という話です。
必須ではあるが量はあまり必要ない、一人当たりの消費量が比較的少ない塩ですら大量に必要だという。
これが小麦や干し草、飼料用の燕麦、薪や泥炭などの一人当たり消費量が多いものを数え上げたら、
まさしく桁違いの荷馬車が街道を行きかうことになります。
たった千人の常備兵力を維持するために必要な日常での兵站の話です。
これが、他領に、ましてや他国に遠征するなどとなったら、おっそろしい事になるでしょう。
中世ヨーロパ(風)の小説やらなんやら見ていて、万単位の軍隊とかを気軽に出されると
げんなりするようになっちゃいましたね、このあたり知っちゃってから。
これだけ動員が大変だと人命惜しんで同宗派同士だとあまり殺さなくなっていったのも当然か。
逆によそ者の異宗派・異教徒だと殺したほうが生存に有利になるんだろうな。
そういえばそんな時期もありましたね〜
インディジョーンズでもやってるけど、古代ヘブライ人は十戒の石板を収めた聖櫃を戦場に引き出せば
どんな敵にも勝ったらしいからな。中世の人も真似するだろう。
古代ヘブライ人は実は”戦闘民族”で、エジプトにいたのも傭兵として雇われてた
…ってな説も最近でたぞ
一神教とか言うときながら事実上多神教であるヤーヴェ教。
主神を共通にするなら誰をあがめてもいいですよってか。
実際には偶像禁止条項があるから聖人の像なんぞありえんかったはずなんだが。
あるのは聖遺物ね。聖人に関するあらゆるものが聖異物になる。
使っていた箸、使っていた茶碗、洟をかんだちり紙、捨てた使用済みタンポンなど、
あらゆるものが聖遺物になります。
え?
アイドル追っかけのヘビーユーザーにしか見えん?
偶像(アイドル)崇拝ですから多分同じですYO!
よし!!聖ニコラスの遺骨を奪ってクルース!!
ここにもびょーきが・・・
殆どの国で古代からの伝統的な塩の名産地があるよ
そっからどう塩が流通していったか逆算したほうが早い
ごめん、その国ってどの時代のどのレベルを指すの?
絶対王政で広大な版図を誇った頃だと地方自治体にしかならない伯爵領も、
戦乱期であれば立派な独立国だったなんてのはどこの地域にも当てはまるんだけど。
古代からというからには古代から近世まで網羅して同じ版図の国として話してる、
なんて事は無いよね? まずは国名のリストと、その全ての国について国土がどの範囲なのか明示してくれ。
あー分かった分かった国じゃなく地域って言い換えるわ
世界史板でそんな低レベルで感情的で杓子定規な返し方されると絶望的だわ
まず国境とか実在し得ないものはどうでもいいから
地球儀でも買って来い
ま、大体どっかに目立つ塩産地あるわな
>>511 日本語の勉強からしたら?
国境は実在するよ。
杓子定規も何もあなたがどうとでも解釈できるアホな言い方しただけじゃないですか。
>>512 てうか、普通に現代の国でいいんじゃないかと
「古代からの伝統的な塩の名産地」がどの位置にあるのかって話だし
ところでこの人ナニが言いたいの?
村の必要塩量なら人数×必要量×期間で割り出せるからすでに各人計算しろ、って状況だし。
塩の流通経路なら河運と荷車でこれもまた知りたい地域ごとに調べてみろで終わる話しだし。
あれか、塩が都市で止まるとか都市で食品加工して村に下ろしているとかアホ言った奴が何とか反論したいだけか?
反論にも何にもなっていないが。
517 :
世界@名無史さん:2012/05/18(金) 21:20:39.13 0
中世のヨーロッパは街中ウンコだらけだったんだろ
図星を指されたのか露骨な話のそらし方だな。
変なのに居憑かれちゃったな…
520 :
ひとみ:2012/05/19(土) 23:20:02.37 0
ヨーロッパでフランスの事
中世かわかんないけどw、昔のフランス料理では取り皿などなく、
大皿に乗ってるのを手掴みや、パンの上に乗せて食べてた。
肉は、自分の持っている短刀などで切って、食べてた。
飲み物やスープも、皆で使う入れ物?に口つけてた。
食事のルールも、
「裸で食事しないでね」
って感じのルールが、あったらしいw
521 :
ひとみ:2012/05/19(土) 23:27:01.15 0
↑続き
でも、1533年に、カトリーヌ・ド・メディシスが、
オルレアン公アンリに嫁いだとき
メディチ家の
食のノウハウを持ち込み、その後フランス宮廷料理になっていつたようです。
>>520 中世フランスに限らずドイツ、イギリスでも同じだね。
ミンネザンクに良く謡われたこと。
硬いパンを皿代わりにし、食べても食べなくてもOKだった。
時には盾すら皿代わりに使われた。
ゴブレットでの回し飲みがデフォであったので、ワインを飲む際は
「口をぬぐう」ってのが基本マナー。
ワインには、生姜や蜂蜜を入れて飲んだ。
ちなみにフランスではローマ帝国時代から現在に至るまで、
ワインの造り方が全く変わっていない。
プロヴァンスにいけば、ローマ時代そのままの耕作が見られる。
↑鬼頭えん 注意
質問というか素朴な疑問なんだけど、ヨーロッパでは鉄製の農具はどれくらいの時期から普及したのかな?
ローマ時代は青銅が主力だったはずだから中世以降だとは思うんだけど。
さすがに近世中ごろ以降は全部鉄製農具と思っていいよね?
1078年、中国は11万4000トンの銑鉄を製造していて、
これは700年後のヨーロッパの総生産量の2倍にあたる。
推して知るべし
え、ええ!?
いやその、いくらなんでも嘘…だよね!?
嘘といってよバーニィ!!!
マジカよ・・・
>>527 数量ではなくて数量比ならほとんど普及してなかった。
理由は石炭(コークス)と鉄鉱石の組み合わせの近代製鉄法が解明されてなかったので、
(その前段階の反射炉自体も量産に向かない事を理解して欲しい)
木炭を大量に使う前史的手法で細々としか行われてなかった。
(たたらで製鉄するやり方は深刻な自然破壊を伴った)
中世だと領主が鉄製農具を下賜したり貸し与えるような貴重品で
普通の農民は木の棒の先っちょ焼いて焦がした(少し硬く丈夫になる)棒で耕してたみたいよ。
そんなこんなだから鉄製農具が普及するまで
欧州は表土を深く耕作出来なかったので土地特性もあり
(大氷河期に表土が削られ土地が痩せてる)
収穫効率が極端に悪かったようです<おまけに三圃制のWパンチ
うわあ…そんなとんでもない状態だったのですか!?
どうりで農業効率が悪かったわけですね。
しかし木製農具とは。
せめて石製農具とか使わなかったのかなぁ。
なんだか中世ヨーロッパのイメージが別物になってしまいました。
植林とかしなかったのかね?
表土が削れたのならうんこと泥炭とやせた土(砂?)を混ぜてやれば増えるんだし。
泥炭が名物だったということはそれなりに寒い地域で有機物はそれなりに長期間
残りやすいんだから土地を肥やすのは簡単だと思うんだがなあ。
植林してたら、たった1000年で森林が95%以上消失したりせんわな
まさに蛮族
あ〜〜、そういやそんな話もあったか。
で、かなりあとになってからようやく植林しだして森をある程度復活、だったか。
詳しい国や時期は忘れた。
植林は平和で安定した政権が積極的にしなければ無利なのかもね
日本もかつては禿山だらけだったし
かつてというか戦時中に一度禿山だらけになった。
木を切り倒しただけなので草は生えていたし、切り株から次代の木は育っていただろうが。
知ってて言ってるようにしか見えんが
戦後、政府が植林しまくった。
植林せずに放置だった山も沢山あるんだよ。
当然の話だが予算の関係で、放置しても良さそうなところは放置だ。
そのままだと回復しそうにないようなとこだけ植林。
あとは、林業者が多少の優遇措置や奨励金もらって、基本自腹植林。
中世末〜に風呂の習慣が無くなったのは入浴すると身体に悪いというデマが
広がった後にペストが流行って本当だと信じられたから、という理由があるそうだ。
同時に、森を切り倒しすぎて都市の近場で薪を取りにくくなったからという
世知辛いほど現実的な理由もあるそうだ。
日本の場合、山がちだから木を切ってもまた森にするしかほとんど使い道がないって言うのもあるんだろ。
ヨーロッパはほとんど平地かなだらかな山地だから、木を切ったら畑とかで利用できるし。
逆に人間がいなくなったりすると すぐ畑が森に戻ったりしたらしい
てかフランスの人口みていると 十字軍の頃とルイ14世の頃と大差なかったりする
フランスは革命後の戦争祭りとWW1で成人男性がごっそり逝ったから。
WW1でもドイツは戦後出生率ダメージ少なかったのに対して
フランスは明らかにダメージがあったそうなので、お国柄なのかも知れない。
???
お国柄??
542-543の話の流れが読めない。
>>540-541 なるほど、畑を薪取り用の森にしたいと思う人は少数派だよね。
すごく納得した。
となると、果樹園にして剪定枝を薪にするしかないのかな。
>>537-539 言い争う(?)理由というかなんと言うか、そのあたりの話の流れが見えない。
日本では大名家が森林での薪や下草を採る権利や分量を定め
開発には開発手形が必要だったけど、向こうはやり放題だったのかね
>>545 たしか 森は領主の財産で 許可無し侵入はアウトだったハズ
薪とったり家畜の餌にしたり 狩りしたりするのは税金払うハズ
森番って商売もある
じゃ領主が開発に熱心なら、、、、どーにもならんか
これってただの入相権の話のような?
548 :
世界@名無史さん:2012/06/12(火) 01:10:42.11 0
【高知】 「県内各地で、ご神木など大木が人為的に枯らされる被害が相次いでいる。いったい誰が、何のために…謎は深まる」★3
1 :再チャレンジホテルφ ★:2012/06/11(月) 22:43:48.43 ID:???0
いつごろ、何で読んだのかは忘れてしまったが、米国の初代大統領ジョージ・ワシントンの少年時代の話は記憶の底に残っている。
桜の木を切り、怒った父親に「自分がやりました」と正直に告白、逆に褒められたという逸話だ。
多くの人々の心を打った誠実な少年の話は、いまでは伝記作家の創作とされている。
それでも先年、ワシントンが少年時代を過ごした住居跡が発掘された際、桜の木の切り株を捜したのは、神話が生き続けている証しといえる。
県内各地で、クスノキやヒノキ、スギの大木が人為的に枯らされる被害が相次いでいる。
ワシントン少年はおのを使ったが、こちらはドリルで根元に十数カ所の穴を開け、薬剤を注入するという悪質さ。
樹木医の懸命の治療でも回復しなかったようだ。
神社の「ご神木」として、地域の住民らに古くから親しまれてきた大木も含まれている。
「罰当たり」というほかないが、手間をいとわない周到な手口からみて、単純ないたずらとは考えにくい。いったい誰が、何のために…謎は深まる。
日本樹木医会県支部はボランティアの協力を得て、早急に見守り体制をつくるという。
広い県土ゆえに難しさはあるだろうが、地道な努力が再発防止につながればと願う。むろん、警察の捜査にも期待したい。
大地に根を張った巨木は、その地域の自然や歴史などを体現したような存在だろう。これ以上、悲しませないで。
高知新聞 2012年06月10日07時59分
http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=289484&nwIW=1&nwVt=knd 犯人は間違いなくチョンだな。
551 :
世界@名無史さん:2012/06/15(金) 10:58:28.41 O
11世紀の大開墾時代は、修道院も混じって、
大伐採、大開墾だよ。
開墾地に村つくって、開墾民には数年の賦役、税金免除とかで。
領主、教会(シトー会)は長期的にはブラスの収支になるし
農民、指導者がWinWinの関係が多かった
世はまさに大開墾時代
ワンピースが必要だな。
湿地の干拓とかやりまくりだったろうから、当時ラムサール条約とかあったら大問題だな。
百姓王。
それはどれくらいの農地を持っているんだろうか?
いや、そもそも中世〜近世の農家はどれくらいの農地を保有(小作含む)していたのだろうか?
百姓って農家のことじゃないのに農地に限定すんなよ
百姓は農民以外の様々な職業の者をも含む概念だとかいうアレでしょ?
開墾王に俺はなる
>百姓
生半可な知識の奴が嬉しそうにこういう事をいうんだよなあ。
中学生の時はよくこんなこと俺もいってたわ。
全然、貴様、憮然、一揆なんぞを普段原語通りに使ってんのか?
それぞれ元々の意味と慣用表現は違う。
なんか子供みたいな突っ込みやのう。
知識増えたら元々の意味に突っ込みいれる無意味さがわかるからこんな突っ込みはしない。
ちなみにひらがな自体にも元々の意味はあるな。
こいつはひらがなも元々の意味と違うとか喚くのかな?
どうして「世界史板」の「中近世ヨーロッパ関連」のスレで日本史の百姓になるんだよ
せめて同じ世界史枠の中国史の用法だろ、そこは
江戸時代までの百姓は中国の百姓とほぼ同じ意味だけど
ルフィー達が荒地を開墾するのか。
トナカイ野郎は犁引かされるの確定だなw
面積について誰も答えてくれない(´・ω・`)ショボーン
ざっと見て見た。
面積的には今の日本の10倍くらいは必要だったんじゃないかな。
放牧地を含めれば数十倍くらい?
その程度で済むのか?
太閤検地の頃(西洋なら大航海時代始まってかなりたってから)から見てすら、
今の日本の収穫高は4倍になっていて、大方の時代において麦の面積あたり収穫量は
水稲の半分程度だったんだぞ。三圃式農業と考え合わせれば、同じだけの収穫を得るには
4×2×1.5+放牧地分の農地が必要だ。
いやまて、麦は種に数割必要に対して米はごくわずかと考えると、
4×2×1.5×1.5+放牧地 になるかな。作付け農地だけで18倍必要だ。
放牧地が作付け農地の3倍あるとしたら54倍の農地が必要になる計算だぞ。
すまん、54倍じゃなくて72倍だった。
まあ、肉や乳があるから、米と同じだけの目方の麦が必要というわけでもないんでは
新大陸からジャガイモやトウモロコシが入ってくる前と後とではかなり違うんだろうね。
72倍って。
いや、いくらなんでもそれは多すぎじゃねえか?
播種器が欧州に普及したのはいつごろだっけ
>>572 麦の種まきは割と早くから播種器が普及してたよ
手元に本がないからソース引っ張れなくてゴメン
>>571 >72倍って。
>いや、いくらなんでもそれは多すぎじゃねえか?
いや、これ多分 数値的に合ってるよ。
江戸時代中期の元禄の頃の稲の種もみからの収穫率と
中世ヨーロッパの頃の小麦の種もみからの収穫率の単純数値比較してる資料があるが、
(記録が少ないので時期がかなりズレてるのは勘弁してね)
おおよそ80倍ぐらい収穫効率が違うとの数値結果が出てた。
理由としては
・水田稲作だと連作障害がほぼない(小麦の安定連作には灌漑などの技術が不可欠)
・干鰯などの肥料を使う技術革新が稲作では研究開発が進んでた
・農業技術書なども江戸時代は進んでいた
・上のresにもあるが、鉄製農具などが欧州では普及してなかった
etc
驚くべきぐらい中世欧州の農業効率は悪いですね
ただ、ヨーロッパの方が貿易などが盛んでしたから一概に経済効率が悪いとも言えません
>>574 追記するとエジプトのナイル川の氾濫を利用した肥沃な農地利用での
小麦の種もみ収穫率だと中世の200倍くらいは効率が良かったみたいです。
古代文明が灌漑農法進めてるのも当然ですね。
治水行うには強力な中央集権国家が必須になる訳で
古代文明が単純に文明進歩が遅いから中央集権国家になっていたのとは違う事が判ります。
>>565 > 面積について誰も答えてくれない(´・ω・`)ショボーン
カルバン派・ルター派などのプロテスタンティズムが展開されるまで
資本主義の倫理概念が明確になってないから個人土地所有の概念が明確化されてないよ。
基本的にフランス人権思想とかまで行かないと荘園経営みたいに領主所有になってる。
貨幣経済がほとんど停滞してるような状況だから
日本史で言うところの室町幕府より以前ぐらいな感じで銭の流動化がないから
信用経済すら構築されてない感じ。
土地は農民の物じゃなくて領主が支配管理してて使役だけやってた。
2割の物納(1/10税が領主と教会それぞれ10%ずつで計20%)が苦しいとか記録が残ってるし、
牛7頭・豚10頭程度(鶏は頭数判らん)ぐらい程度だと思う。
1年の3割ぐらいの期間は領主のお手伝いさせられてました。
都市部住民は比較的豊かですが農村部は貨幣経済なんか縁がほど遠い生活でした。
一説によれば中世欧州の場合
種籾1に対し収穫量3ぐらいだったらしい
というのを聞いたことがある
これじゃあなあ
都市部の生活
産業革命前夜ぐらいで、農村人口が爆発して都市部に流入してた時代の前などは
比較的都市部の生活も安定してなぁなぁで生活出来てたようです。
親方と職人はブルーマンデイとか言って月曜日は安息日の次の日だから酔っぱらっても御咎めなし、
火曜日だって似たようなもんさ ってな感じで火曜日も仕事は適当です。
朝の6時くらいから晩の20時ぐらいまで働きます。(間に休憩入れながらです)
親方と職人は仕事に集中してればよかったのですが、
徒弟さんたちは牧拾いや蝋燭の調達(教会に忍び込んで盗む)などをやらされます。
ノルマが集められなかったら酷く怒られます。徒弟さんは22時ぐらいまで雑用させられます。
親方は職人と徒弟を食わす毎日の日銭のやりくりが大変です。
職人はある程度の技量に達すると別の都市を流しで廻って研鑽を積み
自分の故郷のギルドに戻ったら課題作を提出して
技量が水準以上だと認められたら親方になれました。
農村部から都市部への流入が段々激しくなると都市部の生活も厳しくなっていきました
579 :
世界@名無史さん:2012/06/26(火) 15:58:27.36 O
中世ヨーロッパの慢性的な赤字経済は、イスラムからの金の流入による。
>>577 1戸当たりにだだっ広い農地が必要で
その代わりに手を掛けない粗雑な農法だしな
収奪なり征服なりしないとやってられない
その分家畜での+αの割合が大きそうですが。
日本で米≒お金だった様に、家畜≒お金でしたので乳製品以外は余り食べなかったみたいで。
家畜の土地利用効率は乾地の粗雑な麦栽培と比べても宜しくない
583 :
世界@名無史さん:2012/06/27(水) 02:05:57.48 O
食生活は野菜不足に
ならなかったのかな?
壊血病とか有ったの?
>>572-573播種機
後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホの色彩家としての才能が
顕著に示される傑作『種まく人(種をまく人、農夫)』。
本作は、強烈な陽光の輝きを求め訪れた南仏アルル滞在期(1888年2月-1889年5月)
に制作された作品
手で耕した畑にばら撒く形で種をまいています。
19世紀のフランスでこうということは、普及したのは20世紀くらい?
それとも、麦の播種機でなく、その他の作物は条撒きではなかったのかな?
>>574-575 >>577 >>580 確かに、単位面積あたりの投入労働量が桁違いですね。面積当たり収穫量が低くても当然かも。
>>583 キャベツを良く食べていたらしい。
他にも野草を食べていたようです。
ただ、やっぱり栄養学の未発達で栄養の偏りなどは多かったようです。
エンドウマメ
欧州と言えば小麦だが、マメ類は根粒菌が窒素固定してくれるので作物の輪作に強くなる。
その為古くから小麦とセット状態で普及した。
ジャックと豆の木のイメージのように奇跡の作物。
元々が中近東原産で寒冷地に向かず欧州の土地は根粒菌の生育に向かない。
人間の品種改良への情熱はすごいですね
587 :
世界@名無史さん:2012/06/28(木) 14:15:08.64 O
とりあえず村落共同体と別世界の境界に属する職業は差別された。粉引き業者とか。
ユダヤ人はもちろん。
浴場主も何故か差別されたらしいな。
589 :
世界@名無史さん:2012/06/29(金) 15:35:16.19 O
ゲルマン民族ってある意味人間として強いよなと思った。理想的な人間の姿かもしれない。
ヨーロッパの歴史で気付くのは、覇権をかけた戦争での勝負と文化的水準や知的水準、経済的水準の目覚ましい向上がという点だけど…
歴史をみても明らかだ。その国の人間の集合体、民族としての内省を踏まえた進化という点に視点を置いてみるとゲルマン民族はやはり一枚も二枚も上手で優れている事に気付かされる。
まずヨーロッパでは植民地を求め大陸に進出するものの大飢饉が発生してしまう。
飢饉や地震等の天災の影響によりポルトガルやアイルランド等が覇権をかけた競争社会から脱落。
以降〜現代にかけて世界においても目立った活躍は果してあっただろうか?
ゲルマン民族は過去の2つの世界大戦で先頭にたち世界を先導し大敗を喫した事。大火傷を負ってしまっているという苦渋を強いられた過去を持つ。
世界から猛烈に批難されたナチスの蛮行を反面教師の時代と捉え、そこから理想的な民主国家へ驚くべきスピードで生まれ変わった。自らの力で。
プライドをかけて戦もするが、いざ反省となっても真摯に考える熟考を忘れはしない。流石、優れた発明家と哲学家を生み出した国だ。
ドイツはナチス時代を反面教師の時代とし、新たな善き価値観をきちんと生み出している。恥を重んじるが故のプライドの高さをそこに感じる。
更に復興の早さとはマイナスからの返り咲き。新たな理想的な秩序の創造に関してはは民族としての適応力の高さとディテールの深さ、メンタルのレスポンスの良さ、打たれ強さを表している。
確かに戦争には負けたが、人として重要な内省機能を有しているが為、著しい復興という点に関しては世界でも類をみない成長ぶりは目を見張るものがある。
590 :
世界@名無史さん:2012/06/29(金) 15:38:52.85 O
続き…多大なる賠償金を支払った敗戦国が今やEUを支える主要な先進国なんだからね。強いモノに依存するのは…ギリシャ(笑)。調子の良いフランス…いやいや調子が良いのはEUのドイツ以外の他の諸国かもしれない。
特にドイツのお家芸ともいえる工業製品の品質の良さ、機能性重視という洗練された機能美から見受けられるユニーク発想においては傑出した素晴らしいものがある。
BOSCH、ケルヒャー、フォルクスワーゲン、ベンツ、BMW、アパレルでもヒューゴ・ボス、adidas…どれもがその道のプロが愛用するというブランドになっている。
内容ありきの美しさ。これはゲルマン民族の民族としての深さを正に象徴するものではなかろうか。
しかし食い物だけはいただけない。温いビール。ジャガイモが主食って…orz
食べ物も美味しいのは断トツ日本ね!やっぱ何だかんだ日本はイイよ!外人が言うんだからね。間違いない。
ゲルマン土人乙!イタリアに負けて悔しいのうw
592 :
世界@名無史さん:2012/06/29(金) 20:19:48.72 O
アパルトヘイトとアーミッシュは正反対のように見えるけど、彼らの心理の核にあるのはオランダ〜ザクセン辺りの村落共同体を理想としている事。中世のあの辺りの村落共同体もアーミッシュも、都市=雑多な人種・考えが出入りする所として嫌悪している。
中世において、ユダヤ人は土地所有を禁じられていたので当然「都市的なもの」の象徴として差別された。
593 :
世界@名無史さん:2012/06/29(金) 21:41:52.08 O
ドイツは何か日本と似ている気がする。
先の大戦も、あともう一歩及ばなかった境遇。世界を主導出来なかった立場。
頑張り屋がアングロサクソン率いる一枚上手な財と資源を持つ狡猾な連中に凌駕され監視される立場。
ゲルマン魂や大和魂など精神論的な部分も文化として根付いていて発達した。プライドが高いけど、行動も伴う事を忘れない。過酷な鍛練も忘れないし、思慮深く真理を求める辺りも似ているよ。
あと、わびさびを知っている哀愁のある辺りも共鳴出来るポイントだ。
わさびを知っている、に見えた。
595 :
世界@名無史さん:2012/06/29(金) 22:33:24.00 O
>>593 「思慮深く真理を求める辺りも似ている」って、他の民族に失礼だろ(笑)
まあいいや、スレの趣旨とずれるからこの話は打ち切り。
596 :
世界@名無史さん:2012/06/30(土) 00:01:26.38 O
>>593 失礼。確かに。浅はかでした。訂正します。学術的に真理を求めたり、高度な信用社会を築いた上でのより合理的な経済活動をして発展、進化するのが…
=ある意味文明国家の中でも先進国にあたるのかもしれないです。
597 :
世界@名無史さん:2012/06/30(土) 07:18:09.04 O
「中世〜近世ヨーロッパ庶民の暮らし」というスレに
>>589がいきなり「ゲルマン民族の強さ」について超長文を書いてきた事にぶったまげた。酒にでも酔っ払ってるのかと思った。
もしもしの長文はよみにくいんだよな
行間の空け方をおぼえて欲しい
599 :
世界@名無史さん:2012/07/01(日) 13:20:59.59 O
ヨーロッパにしても日本にしても中世はやたら差別や拷問が凄まじいよね。
粉引き業者が差別されたのはなんでだろう。
600 :
世界@名無史さん:2012/07/01(日) 13:24:48.61 O
あと、日本でもヨーロッパでも革なめし業者は差別されたよね。なんでだろう。
差別というか嫌われてただけやろ
小麦は製粉する過程でどうしても目減りする
その際目減り分と偽って横領する奴が多かった
法令で目減り分の容認量を決めた国もあったな
つかこのこと知って話題ふってそうw
粉引きが差別された逸話ってなんだ?
>>600 単純に臭いし水を汚しまくるからだよ(´・ω・`)
603 :
世界@名無史さん:2012/07/01(日) 17:15:14.97 O
殺生とくっせーのと水を大量に使うことの三連コンボは
差別されるに十分過ぎる理由だは
日本の皮業者は「ケガレ」の思想あるから寺社に嫌われてたな
地元ではある古刹周辺8里から追放された話がある
一方軍事物資であったため一種の特権として各藩に保護された
独占企業やね
中世の皮なめしはなめし剤に鳥類や犬の糞を使う
そしてそれを川に流す
でもそれ程差別はされてない
差別されたのは皮剥ぎ
皮剥ぎは一般の農民や町人には許されない動物の死体の処理の特権を持ち、それ故に憎まれる
いわゆる被差別民と特権は表裏の関係にある
それは日本でも同じ
607 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 12:44:53.82 0
仏教て差別宗教だね、前世とか罪とかでカースト制度を生み、肉食厳禁で部落差別を生んだ。
奴隷制度と農奴制度の基督教ほどじゃないな
カーストはバラモンとヒンズーだし
>>607 バラモン教が作った前世の報いでカーストが決まる枠組みから解脱するのが仏教だ。
>>607 カーストのあるヒンズー教嫌がって釈迦は仏教作ったのに、この言われよう!
まあヨーロッパとは関係ないけどね
ふむん。
となると中世〜近世ヨーロッパにおける差別の話題とかにするといいのか?
薀蓄
歯科医療技術の発展が魔女裁判をなくした!
という説がある。
歯の無くなった老婆の顔を観測すると、口を閉じるときに歯がつっかい棒をしていたのに、
歯がなくなったために歯茎同士が接触するほどに口が閉じるようになる。
そうするとあご先と鼻先の距離がぐんと近くなる。
鼻が長く伸び、あごに付かんばかりになるあの異様な魔女の容姿そっくりになるのだ。
男の場合、ひげによってこれらは覆い隠されるが、女性はいずれもこうなる。
歯科医療が発展していなかった頃は。
そして、民間医療、薬草での治療は昔、年を取った経験深いものが主として行った。
体が利かないために薬草治療の臨時収入が無いと食うにも困る家族の居なくなった老婆。
薬草を煮込むなべから漂う異様な匂い。加齢臭。
歯が無いため言葉は不明瞭で何を言っているのかよくわからず、未知の魔法言語でもしゃべっているかのよう。
これらが魔女のイメージの元になっているのである!
しかし歯の治療、もしくは歯ブラシの登場による虫歯予防技術の発達。
これによって、魔女裁判の原因の一つが解消されたのだ!
すばらしきかな技術の発達!
…ハイラインだっけ?
やっぱり、「薬草治療」=「民間医療」ってイメージが強いのかなあ
薬草学研究や薬草栽培の中心って、修道院だったと思うんだけど
…「魔女裁判」っていうけど、被告に老若男女区別なかったと思うんだ……
>>613 全ての村に修道院があるならそれでもOKだと思うよ。
けど普通の村には存在しない。ただの民家にかろうじて聖書の一部を読める
というだけのおっさんが住んでいて教会でございってのがせいぜいの村が大多数だった。
教会すらない村すら。それでどーせいと。
>>614 異端審問と間違えていない?
魔女に味方した奴を異端審問で火あぶりってのは良く聞くけど。
>>615 魔女ってのは悪魔と契約した者のこと、だから普通に「男性の魔女」ってのも存在するよ
例えばフランスのアラスの裁判記録(1460)の被告は老人の画家だし
基本的に(火刑直前に命を買い戻す財産を持ってる)金持ちが狙われたから女性に限らないんだよ
つか魔女裁判のシステムってカタリ派への異端審問から発展?したものだよねぇ……
ウィッチを魔女って訳しちゃったのが悪かったのかね。
う〜〜ん、そのあたりの詳しいことがいまいちわかんない。
しかしそういえばウィッチが魔女のみを指すのではないという話を
以前聴いたこともあるような無いような…?
詳しくお願いできませんか?
普通に辞書引けば、witch@鬼婆A魔女B魔法使い って出てくるような
宗教裁判(the Inquisition)の一つである魔女裁判(witch trials)ではBの意味で使われてるだけの話
…同じくwitchがつくのにwitch docterはなぜか女性限定って思われてないよね……
「魔女裁判」の語呂の良さに負けたんじゃないだろうか
女呪術師を生かしておいてはならない(出エジプト記22章18節)
古英語では男に使うwiccaと女に使うwicceが性別なしのwitchになっただけだから、
本来なら魔法使いと訳した方が適切だった
ただお話なんかでは女のwitchが良く出てくるのに対し、男のwitchは見ないから
wicthは女なんだろうと思い込んで魔女という訳語を作ったのだろう
なんにせよ語源を更に遡ると中世低地ドイツ語のwicken、「魅惑する者」と言うような意味になる
何でwitchが女のイメージになったのかというと、やはり医療と関係する
613の言うように、修道院が医療の最先端だったのは確かだけど、修道院が無視した分野がある
産婦人科だ
男ばかりの修道院にしろ、処女ばかりの女子修道院にしろ、出産とは程遠い
(まあ実際には堕落した僧や尼僧は珍しくなかったにせよ、表向きは)
しかも中世キリスト教は、生みの苦しみはイブへの罰だから苦しんで当然という見解だった
そこで産婆のように出産経験のある老いた女性が出産を担う事になる
そして産婦人科には堕胎という現代でもキリスト教的に許されざる罪も関わる事になる
産婆は陣痛に麦角、強心剤のジギタリスなど薬草を使うし、薬草は夜摘むと良いとされていた
特に夏至祭の前夜に摘んだ薬草は効果がある
しかし夏至祭は異教の祭り、キリスト教はこれを聖ヨハネの日として取り込むと同時に、
聖ヨハネ祭の前夜には、魔女や精霊が現れるという形で民間医療=異端として分離しようとするようになる
そのような流れの先にシェークスピアの『真夏の夜の夢』が生まれる
ワルプルギスの夜なんつーのもあったね
ファウストの該当箇所は時事ネタばっかりで意味不明だった
>>623 >聖ヨハネ祭の前夜には、魔女や精霊が現れるという形で民間医療=異端として分離しようとするようになる
ごめん、この1文の意味が全く分からない。
キリスト教が聖ヨハネの祭日前夜の伝説を主張したの?
魔女や精霊のような土着の民衆信仰の要素もって「異端」としたの?
キリスト教はユールをクリスマス、サムハインをハロウィーン、マイアの祭りを復活祭というように
ケルトやゲルマンなどに元々あった祭りを乗っ取って、信仰のすり替えを行って来た。
例えば夏至祭というのは太陽信仰と結びついていて、夏至の日以降昼が短くなる、
つまり太陽の力が衰えるので、その太陽に力を与える為に火を炊くという行事だった。
しかし太陽信仰は異端であるので、祭りをキリスト教の祭りにするため、太陽信仰と切り離す必要がある。
そのように祭りの形をキリスト教に適う部分と、異端に属する部分とが切り分けられた。
五月祭の許されなかった部分がヴァルプルギスの夜になり、
夏至祭の許されなかった部分が魔女の人形を焼く行事になる。
ところで魔女のサバトは祭日の前夜に行われる事になっている。
これは、元々ケルトの一日が夜から始まる為だ。
それを一日を朝から始めるキリスト教時間で前夜と祭日に切り分けた。
もっとも切り分けても切り分けきれなかったような部分も多く残っていて、
復活祭の英語名であるイースターという名前そのものがゲルマン語の春の月名ないし春の女神の名前から来ているし、
キリストと何の関係もないイースターエッグやイースターバニーなどを残していたりする。
キリスト教は産婆を嫌う。例えば「魔女への鉄槌」でも産婆は悪魔崇拝者だと執拗に主張している。
学問でも教会の管理外にあるものはすべからく悪魔に由来するものと主張するのがキリスト教なので、
教会の管理外にある民間医療も悪魔に由来するものという発想なのだと思うが、
何れにせよ産婆は異端の側に振り分けられ、夏至の前夜に薬草を摘む行為はサバトとして扱われる様になる。
ウィッチはキリスト教的観点から言うとやっぱり魔女って意味が強いのね。
なるほどなるほど。
サムハイン祭は日本のお盆みたいなもので、祖先の霊が妖精の住む丘を通って地上に戻ってくるが、
この戻ってきた祖霊をキリスト教ではサバトに参加するデーモンと呼んでいる。
それに参加すればウィッチなので、この場合だと男でも女でもウィッチになる。
>>628 この流れでそういう認識になるのか? 全然逆だろ
中世英国では、もともとwitchに性別はなかったし
キリスト教(宗教)上で使われてる意味は「悪魔と契約を結んで得た力をもって災いをなす存在」ってだけ
女性蔑視で産婆や占い師や白魔女が魔女裁判の犠牲になった、ってのも今残る裁判録上からは読み取れない仮説
(これは地域差が大きいので断言はしないけど、北欧なんて被告の8割が男性)
つか現在の一般的な魔女(witch)のイメージは20世紀以降作られたものだしなぁ
それをもって昔の「魔女」語るのは……
魔女のイメージは20世紀よりは古いよ。
グリム(民話収集)、アンデルセン(自作童話)あたりで既に魔女は老婆か美女に固まっている。
20世紀で言うならむしろマーリンのイメージの再生であるガンダウルフのような
男の魔法使い(まあwitchではなくwarlockが使われる事が多いにしろ)の復権、
もしくは悪役を男にも振り分けようというフェミニズム的発想による男のwitchの登場だと思う。
近代の話になるけど、19世紀頃に降霊術などのオカルティズムが流行し、witchも盛んになる。
このwitchは流行で生み出されたものなので、古来のケルト信仰などの系譜ではなく、
ルーン文字を使ってみたり、中世の錬金術の知識を使ってみたり、ごった煮なwitchだが、
ヴィクトル・ユーゴーだとかコナン・ドイルだとか有名人が布教しているスピリチュアリズムを背景に、
実存主義による反キリストを民衆にもわかりやすい反キリスト=教会からの解放の象徴として、
逆に近代的自由の象徴になる。
おそらくはその流れからオズの魔法使いの「善き魔女」という中世からしたら言語的矛盾のようなものも出てきたり、
ガンダウルフのようなヒッピー的自由の象徴としての魔法使いが生まれてくるのだと思う。
一方日本では魔女が少女化していたという落ちも付きそうだが。
ギリシア英雄説話のメディアはどう?影響力的に
>>612 それハインラインじゃなくてアシモフの科学エッセイだよ
アシモフの科学エッセーと言えば、単位についてのエッセーを思い出す。
>>634 おお、アシモフでしたか。ありがとうございます!
今日も暑くてスイカがうまい。
朝夕はだいぶ涼しくなったけど。
とそこで思ったのだが、なんか西洋ヨーロッパでスイカを食っている様を思い描けない。
アメリカなら想像できる。けど、なぜか西洋ヨーロッパだと想像できない。
確か、スイカってエジプトで食われていたから無いはずは無いと思うんだが、なんでだろう?
西瓜の原産は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯。つまり暑いとこなんだな。
寒いとこには向かないべ
代わりに蕪やビート(砂糖大根・甜菜)が近世ぐらいから品種改良で欧州で作られるようになった。
あとローマとかにもあるように葡萄が古くから好まれたから、
スイカが向くような耕作地は葡萄栽培が占めるようになったので西瓜は広まらなかったんじゃないかな
日本でもスイカは暑い夏に食べるイメージがあるし、北海道や東北とはあまり結びつかないね。
スイカがないならメロンを食べればいいじゃない!
>北海道や東北とはあまり結びつかないね。
謝れ!
東北は山形の尾花沢スイカに謝れ!
名産品なんだぞ!
高校の夏休みの推奨アルバイトなんだぞ、スイカ運び!
>>638 え?
西洋ヨーロッパってそんな寒かったっけ?
と突っ込もうとして、ふと不安になり地図を見て見た。
地中海沿岸はともかく、ほとんどが北海道以北の緯度だったorz
そこまでとは思わなかったYO!
すごく納得できたYO!!
気付いていなかった自分が情けないYO!!!
教えてくれてありがとうorz
東北は冬寒いわりに夏暑い所があって、そういう土地でスイカが育つのでは。山形市内の夏なんて死ぬかと思った。
>>644 なるほど。
ヨーロッパでもそういう地域ってあちこちにあるんですかね?
そういった地域のリストなんかがあれば、小説のネタとかに色々使えそう。
果物が美味しくなるのは昼夜の温度差じゃないの?
昼間が死ぬほど糞暑くても夜に冷え込む気候が良いらしいよ。
>東北は冬寒いわりに夏暑い所があって
節子、それフェーン現象や
冬、日本海側が豪雪なんも、おんなじ理屈やさかい覚えときや
>>643 緯度が高いから昼が短く、夜が長い。
気温は緯度の割には高い。理由はメキシコ湾の暖流。
これがたまに不調を来して寒波になり、テムズ川が凍ったりする。
???
651 :
世界@名無史さん:2012/11/18(日) 12:28:49.16 0
ほしゅ
653 :
世界@名無史さん:
テムズが凍ったのは小氷期のせいだな。