†††キリスト教総合スレ4†††

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1世界@名無史さん
誰も次スレを立てる人がいないので立てました。

過去スレ

◎●◎キリスト教総合スレ◎●◎
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1012622120/
†††キリスト教総合スレ2†††
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1069605876/
†††キリスト教総合スレ3†††
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1112104390/
2世界@名無史さん:2007/11/09(金) 11:12:01 0
前スレ
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1187601272/l50#tag794
†††キリスト教総合スレ3†††
3世界@名無史さん:2007/11/10(土) 00:48:49 0
KG◆XK9DTM1U/氏はもう戻ってこないのかな。
4世界@名無史さん:2007/11/10(土) 06:14:35 O
>>3
いーじゃん、戻って来なくて。
電波だし、スレ荒れるだけだろ。
5世界@名無史さん:2007/11/10(土) 06:43:21 O
>>4
電波&荒らし乙www
6世界@名無史さん:2007/11/10(土) 08:07:15 0
ウェルギリウスの『アエネイス』で、ユピテルが、

「私はローマ人に対しては、国家の境界線も、支配する期限も定めては
いない。際限なき支配権を与えてあるからだ」

と答える場面があるけど、これはキリスト教徒の世界観に影響を与えて
いるの?
7世界@名無史さん:2007/11/10(土) 10:28:16 0
「クリスチャン」の語は元々は他称で軽蔑的な意味があったが、のちにキリスト教徒の自称になった、とウィキペディアにあった。
他称としての「クリスチャン」の語の意味合いは「救世主狂い」といったところかな?
8世界@名無史さん:2007/11/11(日) 03:01:59 0
このスレは批判ばかりが多くて、学際的ではない。
以前にあった元修道士の人が質問に答えてくれるスレは楽しかった。
9世界@名無史さん:2007/11/11(日) 12:54:50 0
>>7
ttp://www.christ-ch.or.jp/2_sekkyou/koukai/shito/shito_50.html
元にもどって、「クリスティアノス」とは、キリストに従う者、キリストにつく者、
キリストのために身命を投げ打つ者、「キリスト野郎」というあだ名だと思えば
良いでしょう。とにかく、アンテオケの弟子たちは、どこへ行っても、だれに
対しても「イエス様はキリスト様です」としゃべって歩いたからです。だから、
彼らはキリストを宿す人、キリストを運ぶ人、キリストを触れまわる人、キリスト
気違い、ミスター・アンド・ミセス・キリストだったわけです。
10世界@名無史さん:2007/11/11(日) 16:36:59 0
2chに巣くってる特定の作品や人物のみを妄信する信者の類を見ればキリスト教徒がうざかったのが理解できるな。
これは気持ち悪い。
話通じねえ。少し話を聞いてやるフリしたら目を輝かせながら布教しだす。意見の相違者に対する攻撃性は異常。
客観性やモラルなんて思考の外。なぜなら俺理論で自動的に脳内で自己正当化を図ってるから。
こりゃ迫害したくもなるわ・・
批判してるわけではないので悪しからず。
11世界@名無史さん:2007/11/11(日) 23:09:23 0
>>10
参考までにうざいキリスト教徒のスレを教えてください。
12世界@名無史さん:2007/11/12(月) 00:31:34 0
うざいキリスト教徒ではなく、たとえば小説や映画、アニメなどの特定作品に盲目的なファンのことを
一神教のキリスト教徒の特徴と同一視してるのでは?
13世界@名無史さん:2007/11/12(月) 00:34:31 0
クリもアンチクリも論旨が学問板に相応しくない頑迷ちゃんだからなぁ。
どっちが出てきてもスレてきにはつまらなくなる。

ついでに、生半可なのがご講釈も何だが
14KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/12(月) 04:19:34 0
>>6
その影響を確かめるためには、初期キリスト教の文書(場合によっては典礼をも)を調べることが一番だと思います。
前のスレでも述べましたが、ウェルギリウスは、中世以降もキリスト教徒の著作からに引用され続けているので、影響はあると思います。
と同時に、そうした世界観(おそらく貴殿が仰っているのは、支配領域を膨張拡大させる「帝国主義的思想」だと思われますが)が、
ウェルギリウスを引用し始める前のキリスト教に、萌芽としてあるいは土壌として、すでに存在していたかどうかも調べる必要があるでしょう。
それがあったからこそキリスト教は、ウェルギリウスの君主の誕生の讃歌(?)を、キリストの誕生の予言と読み替えることができたのかもしれません。

キリスト教徒はその初期から、権力のあり方にこだわっていたので、古代や同時代の君主像から多くのヒントを得て、キリスト像を思い描いたと思われます。
ローマ時代に発展したキリスト教が、皇帝アウグストゥスのような統治者のイメージから何らかのヒントを得て、キリスト像を構築したとしても何ら不思議ではありません。
ですから、そうしたキリスト教内の帝国主義思想は初期段階から独自に存在しており、ウェルギリウスによって今さら開眼させられたのではないかもしれません。
そう仮定すると、ではウェルギリウスの与えた影響とは“具体的には”何だったのか?という疑問が湧きます。
これは面白い課題で、私ならば、紀元前後の正典外のユダヤ教文書にまであたって、その影響の痕跡を調べることをオススメします。

とまあ、ラテン語にもラテン文学にもサッパリな私がお答えできるはこれくらいのものです。
15KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/12(月) 08:22:45 0
キリスト教について語ることがデリケートな問題を孕んでいるのは、
キリスト教が依然として(現在進行形で)、一部の人々の間で、「神話」としての機能を果たしているからだと思います。
キリスト教が伝統的に教えてきた歴史、キリスト教の倫理・道徳観、キリスト教の未来像、キリスト教が作り上げたシステム。
それらが未だに、機能しているがゆえに、それへの批判はできる限り回避されるのではないでしょうか?

神話は、その人が属する共同体の起源を物語り、その共同体でのあるべき行動の規範を説き、共同体が向かうべき理想像を提出します。
古代においては、エジプトやメソポタミアの叙事詩などが、そういった機能を果たして“いた”と思われます。
キリスト教は、今まさに、一部の人々の間で、未だに生きて“いる”のです。
キリスト様と、キリストの神話は、ご存命中なのです。
キリスト教の歴史は、今現在生きている人々の歴史でもあるのです。

我々にとっては、アレクサンドロス大王がアル中で命を落とした可能性を指摘されても、痛くも痒くもありません。
それは、我々が、アレクサンドロスを自分たちの起源としておらず、彼の影響外に位置しているからです。
ところが、ある時代の、一部の文化圏では、アレクサンドロスは偉大な英雄として崇め奉られていました。
それは、彼が“優れた”西洋文明の始祖・伝道師として、西洋文明に属する(と自らを見なしていた)人々の現実の歴史の一部を構成していたらかです。
そうした場合、アレクサンドロスを控えめに評価することは“挑戦的・挑発的”と見なされました。
しかし現在では、彼の実像は、かつてより差し引いて評価されるようになりました。
それはおそらく、西洋・ギリシア文明、「ヘレニズム」なるもの見直され、彼が、現在進行形の歴史から切り離されるようになったからでしょう。

キリスト教はまだ(虫の息とはいえ)生きています。
とくに、聖書を研究する者たち(彼らの多くはクリスチャン)の間で息づいています。
キリストは、それらの者たちにとって、自分たちの歴史であり、規範であり、世界であり、未来です。
キリスト教は、いまだ、生きた神話なのです。
16世界@名無史さん:2007/11/12(月) 08:27:10 0
現代では第二次世界大戦の戦勝国とユダヤ人に関することが“神話化”されて
いるように思えるけどな。
まあ、実際にあの戦争を戦った世代がまだ生きているから冷静に語ることは
難しいだろうね。
17KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/12(月) 09:16:51 0
>>16
現代の自称ユダヤ人が、2000年前のパレスチナにいたユダヤ人と血統的繋がりを持っているかどうかは、疑ってかかれるものです。
ましてや、バビロン捕囚期前のユダ王国の民や、青銅器・鉄器時代のパレスチナ人との連続性などは、皆無に等しいのではないかとも思えます。
今となっては、もはや純粋なユダヤ人など存在せず、過去の歴史を持ち出して「約束の地(郷土)への再定住」を訴えるのは、ナンセンスです。
たまに書店で『ユダヤ民族、ウン千年の智慧』などという安っぽい題名の本を見かけますが、あれもいかがなものかと思います。

よく、「ナチスによるユダヤ人600万人の殺戮なしに、イスラエル建国はなかった」と言われます。
ホロコーストは、ユダヤ人にとって、「受難」というアイデンティティの拠り所となっています。
実際のホロコーストの規模がどうであれ、それは、出エジプト、バビロン捕囚、ユダヤ戦争というユダヤ人の神話の最終段階を構成しています。
彼らはそれをもってして、自分たちの国家建設の正当性(=現在の利害)を主張しているのです。
それを盾にして、国際社会からの批判を回避しているのです。
こうした場合、ユダヤ民族の定義や彼らの受難の歴史に少しでも疑問を差し挟むのは、良からぬこととされます。
18KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/12(月) 09:27:32 0
>>15
宗教版(http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193835522/)で、下記のような書き込みを見つけました(史実かどうかは保証できません)。

>369 :神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 08:37:28 ID:sK/zx6eF
>同志社大学の創始者新島襄が 生まれて初めてバイブルを開き、
>創世記一章一節 「初めに、神が天と地を創造した」を読み、…感動と歓喜で号泣したそうです。
>彼は思いました。 ──そうなのか!この世界は 神がつくったのか!
>宇宙をつくり、日本をつくり、俺をつくったのも神なのか!
>一瞬で聖書とは何なのか奥深い意味を悟った彼は、全力全生涯を賭けてキリストに帰依し、内村鑑三と並び、明治のキリスト者の父と呼ばれました。

これぞまさに、神話としてのキリスト教の一側面を体現しているといえるでしょう。
特に、「日本をつくり、俺をつくったのも神なのか!」のくだりなんか、聖書がクリスチャンたちの血となり肉となっていることの証拠です。
彼らは、聖書の歴史の中に、自分自身を据えているのです。
最近では韓国のキリスト教徒が、「神は韓国をつくった」と考えるようになっているのではないでしょうか?
19世界@名無史さん:2007/11/12(月) 12:37:57 0
下衆の勘ぐり乙。
20世界@名無史さん:2007/11/12(月) 16:08:02 0
1989年に英国で、昭和天皇の大喪の礼にエジンバラ公が出席することになった
とき、英国国教会の最有力者の一人であるオックスフォード教会のリチャード・
ハリス司教が、
「これは戦争犯罪人に対する安易な寛容である。自ら受けた拷問に許しを与える
ことのできるのは当のウォー・ベテラン(退役軍人)だけであり、エジンバラ公は
間違った時期に間違ったジェスチャーをしている」
とコメントしましたが、やっぱりプロテスタントは国家権力や大衆の感情に
大して従順なのでしょうか?

これに対してローマ・カトリック教会は、
「容赦を躊躇するということはまったく過ちです。容赦するということと邪悪を
非難するということはまったく異なることで、また不正を忘れるという意味を
含むものでも絶対にありませんが、私たちはキリスト教徒として国際的平和を
促進し、不協和音の発生を防ぐためのあらゆる関係を支持しなければなりません」
と語っていました。
21世界@名無史さん:2007/11/12(月) 16:57:38 0
>>20
このコピペの元はどこにあるの?
22御隠居拠点:2007/11/13(火) 14:20:20 0
,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|  < こちらがキリスト精神病説の本拠地
.iiiiiiiiiiiii》|             :::      |iiiii|    | ご隠居信者以外全て精神病である!
 iiiiiiiiiiiiiiii|,                     |iii|    \_______________
..iiiiiiiiiiiiiiiiii,         ( ● ● )      .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii       》━━━━《       |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《    《《 \ ̄ ̄/ 》》   |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》   ̄ ̄  《《 》》》》》iiiii|
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii

http://religion.bbs.thebbs.jp/1188973384/e100
23世界@名無史さん:2007/11/15(木) 22:13:15 0
世界宣教指令の停止なしに宗教間対話なぞ不可能と思うのはオレだけか?
24世界@名無史さん:2007/11/16(金) 04:02:49 0
覚醒剤でハイになっている時に聖書を読みながら尿道オナニーを経験した人はいますか?
必要な物:ビニールシート、下痢糞を入れる洗面器、アナルプラグ、水溶性ローション
尿道オナニーに使うための細いガラス棒で出来た温度計、ガラス棒消毒用アルコール、
覚せい剤0.5g、注射器,又はスプーンとライター

デリヘルに電話しまつ
トイレでおしっこをし、膀胱を空にしまつ
水を約300ccを飲みます(いくときに尿意があると気持ちが良いでつ)
下痢うんこをこぼしてもカーペットが汚れないようにビニールシートを広げまつ
エロビデオを見てオマンチックなムードになりまつ
デリヘルが到着する直前に覚せい剤をやりまつ
やけど防止の為にスプーンの柄の端をハンカチで包みまつ
スプーンに水を入れ覚せい剤を溶かしスプーンごとライターであぶり、蒸気を何度も深呼吸で吸いまつ
ハイになりデリヘル嬢が到着
69、セックス、パイズリ、尿道オナニーヘルプ、寸止め、浣腸、
下痢がチューッと出てこないようにアナルプラグを差しまつ
前立腺を刺激してもらい、別の手は尿道温度計の出し入れをじらしスローモードで
いく直前に洗面器にまたがりアナルプラグを外し射精同時に温度計を抜き脱糞しまつ
脳みそがとろけるような快感でつ
25世界@名無史さん:2007/11/16(金) 06:12:59 O
>>24
よう、兄ちゃん、朝っぱらからご苦労なこった。あんた、キリスト教憎しで、キリスト教スレ荒らしやってるんかい?
それなら安心せい。このスレにはアンチしかおらんのだよ。
クリの度肝抜かせたかったら、宗教板に行きな。あんたのお目当てがいっぱいおるぞ。
26世界@名無史さん:2007/11/17(土) 04:12:38 0
>23
それは1つの宗派がやめるだけでは?
大体今一番宣教に力と金を注ぎ込んでるのはほとんどがバラバラのグループだよな。
27世界@名無史さん:2007/11/17(土) 04:13:27 0
>25

というか、アンチもシンパも学問板には不要だろ。
28KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/17(土) 05:50:07 0
>>23
世界宣教と世界のキリスト教化への飽くなき渇望は、マタイ28章18節の言葉が、キリスト教徒たちの間で一定の権威を持っている以上、なくなることはないでしょうね。
そこでは、天と地において全権を託されている人物(=イエス!)が、弟子たちに向かって、
「行って、すべての国々(の人々)を弟子とし、私が教えたことを守らせよ!」と檄を飛ばし、ケツを叩いているのです。
このイエスの命令(もちろん歴史のイエスはこんなことは語っていない)が、キリスト教徒の頭の中で残響している限り、世界のキリスト教化という欲望は消えることはないでしょう。

あのときに弟子たちが、「また先生、冗談おっしゃい」と軽く聞き流しておいてくれればよかったものの、
『使徒行伝』のフィクショナルな伝承によれば、疑うことを知らない彼らは、イエスのこのブッ飛んだ指令を真に受けて、世界に飛び出していってしまうのです。
まあ、天地の絶対的な権威を持ったお方の命令ですから、逆らったら何されるか分かりません、聞き従う他なかったのでしょう…。
もちろん、これらの物語は完全なるフィクションなのですが、厄介なことに、現代のキリスト教徒はそれらを歴史的事実だと鵜呑みにしてしまっているのです。
この辺りの思い込みも払拭されないと、キリスト教徒たちは、いつまでたっても、世界征服の野望を抱き続けるでしょう。

「世界はキリストの愛によって救われる」とかいう、夢幻的な優越主義こそが、世界宣教の動機となっていますから、基本的に>>23の願いは果たされないでしょう。
この間タリバンに拉致されて世界に醜態を晒した韓国の教会みたいに具体的に行動するのが、別に、世界宣教なのではありません。
「世界はキリストによって支配されるべき」とか、「人類はキリストの恩恵を受けるべき」とかいう発想そのものが、すでに世界宣教への萌芽となっているのです。
前スレでも書きましたが、キリスト教の本質は、その初期から「帝国主義」です。
これを拭い去ることはなかなかできないでしょう。





29世界@名無史さん:2007/11/17(土) 06:34:07 O
何かこのスレ見てると、まるで「キリスト教」って言う一枚岩の勢力が有るような妄想が多いね。
30世界@名無史さん:2007/11/17(土) 06:46:34 O
>>29
キリスト教はキリスト教で一つぬ括れるだろうよ
31世界@名無史さん:2007/11/17(土) 13:46:34 0
総合スレって言うからにはキリスト教を一括りにするのが大前提なんだろう
それに何の意味があるかは判らんが
32世界@名無史さん:2007/11/17(土) 13:53:53 0
GoinKyo
ひっくり返してKG
33世界@名無史さん:2007/11/18(日) 08:39:35 0
キリスト教というか聖書において想定されている政治形態は古風な君主制のみでしょうか?
現代の多くの国で採用されている共和制はもとより、日本や英国などのような実権に乏しい君主ってのも定義していない気がします。

誰もが一国の代表になりうるという可能性がある選挙制度って、現世においては階級制度を前提としているように見える聖書世界の想像を超えるものだし、
誰もが権威を備えられることは唯一絶対神の宗教的にどうなんでしょう。。
34世界@名無史さん:2007/11/18(日) 09:13:45 0
>>33
ビザンツ帝国の場合、専制君主制だけど、下の階層から皇帝に
成り上がった人々もいる。
35世界@名無史さん:2007/11/18(日) 09:51:21 O
>>33
建前上、万民遍く神の僕なので何の問題も無い。
36世界@名無史さん:2007/11/18(日) 13:35:36 0
就任時に大統領が聖書に手をおいて宣誓する国もある
37世界@名無史さん:2007/11/18(日) 17:36:32 0
>>36
アメリカだな。ちなみに聖書を持って宣誓しなかった大統領にセオドア・ルーズヴェルトがいる。
38KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/19(月) 07:15:31 0
>>33
なかなか難しい問いですね。

聖書で前提とされている君主のモデルは、当時の政治システムを参考にしていたということは容易に考えられます。
ペルシア、ヘレニズム、ローマなどです。
この中でも特に、ペルシアの支配体制が、キリスト教の思い描いていた君主像と重なるといわれています。
それは、属州総督のような代理人が、「隠れた絶対的統治者」から権威を与えられ支配するという体制です。

なぜこのモデルが必要とされたのかというと、ヘレニズム・ローマ時代によってもたらされた文化の細分化によって破壊された社会を、一つにまとめたいという願望があったからだそうです。
これは、我々もよくやる、一種の“現状批判”といえるものでしょう。
しかし、このモデルはあまりに理想的・空想的であり、とても現実化できるものではありませんでした。
その破綻の一端が、『黙示録』の奇妙奇天烈な世界観に現れています。
クリスチャンの思い描いた世界観は理想が高すぎたために、どんどん空想化していったのです。
で、このままではイカンということで、妥協策を模索し始め、コンスタンティヌスのときに、帝国を地上の王国と仮定して、その中で立ち回ることに方向転換したのです。
39世界@名無史さん:2007/11/19(月) 20:26:16 0
聖家族の映画
2007年12月1日よりシャンテ シネ、テアトルタイムズスクエアほか全国にて公開

マリア
http://maryandjoseph.jp/index.html
40KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/19(月) 22:54:06 0
>>39
この映画、まさか、史実として描こうとしているわけではありませんよね?
こういう類の作品の宣伝広告にはよく、「専門家・学者らのアドバイスも得て…」みたいな一文が載せられますが、一体どの学者の意見を参考にしたら、こんなおとぎ話が出来上がるのでしょか?
たとえ福音書を基にしたとしても、妄想でも働かせない限り、マリアとヨハネについて多くを語ることはできません。
こういう映画作品とはほどほどにお付き合いしておくのが賢明でしょう。
まあ、これを史実だと鵜呑みにする観客はいないと思いますが…(いたら衝撃です)。
サンタクロースを信じるのと寝小便は、小学校に上がる前にやめておきたいものです。

とはいえ、かくいう私も、映画『パッション』を見て、作品としてはよくできているなと思いました。
『ブレイブハート』しかり、メル・ギブソンのドラマチックな演出には毎度感心してしまいます。
ただし、あれが史実を再現しているとは到底思えず、福音書の筋書きに沿っているとも思えません。
あくまで、フィクションとして楽しむのが、“オトナのたしなみ”です。
映画は世相を反映するとも言われますし、その意味では見る価値はあるかもしれません。
実際、新約学者らが『パッション』について論じた研究書も出版されています。
そこでは、『パッション』を西欧キリスト教文化における反ユダヤ主義の流れの中に位置付けて、その意義が論じられています。

なぜこういう映画に多大の資金が投入され、人々はそれを見るためにお金を払うのか?
また、こうした作品を宣伝するために、どのようなプロモーション戦略がとられているのか?
そういった視点から評価してみると面白いかもしれません。
41世界@名無史さん:2007/11/20(火) 09:32:57 0
カザンザキス原作の「キリスト最後の誘惑」ってどうですか?
自分は未見ですが・・・
42KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/22(木) 00:28:54 0
>>41
ウィレム・デフォーがイエス役を演じたやつですよね?
マグダラのマリアと駆け落ちしようか葛藤に悩むイエスでしたっけ?
昔、WOWOWで放映されていたのを、一場面しか見ておらず、全く観ていないに等しいのです。
「ハリウッドにおけるイエス」というコラムには次のように書いてありました。

マーティン・スコッセッシ監督の『キリスト最後の誘惑』(1988)も、また、福音書を自由に解釈している。
スコセッシが、作品冒頭のスクローリング・テクストで観客に知らせているように、『最後の誘惑』は、新約聖書を脚色したものではなく、ニコス・カザンザキスの有名小説を脚色したものである。
『モントリオールのジーザス』※に登場するピラトのように、スコセッシのピラト(デイビッド・ボウイ!)も、「ユダヤ人の王」と会話する機会を、束の間ではあるが楽しんでいる。
ピラトが見せるようにとせがんだ奇跡をイエスが拒絶すると、ピラトは、「ただのユダヤ人政治家ではないか」と言って、イエスを退散させる。
実は、福音書によれば、奇跡をせがむのは「ヘロデ」であって、ピラトではない(ルカ23:8)。
この映画に大祭司カヤファは登場しない。
スコセッシの描くピラトは、冷戦沈着で上品、超然としており、そして孤独である。
このローマ総督は、イエスがエルサレムの権威者たちを悩ませていることを知らないし気に掛けてもいない。
彼にとって、イエスはただのユダヤ人のトラブルメーカーなのである。
そしてピラトは、恒例の措置として、磔刑を採用することにする。
劇中で、イエスの弾劾裁判にユダヤ人は参加していない。
ゆえに、この映画に対するユダヤ人側の抗議行動はなかったのである。

※1989年のカンヌ国際映画祭で批評家賞を受賞した、ドゥニ・アルカン監督による人間ドラマ。
43世界@名無史さん:2007/11/24(土) 00:01:00 0
ttp://www.47news.jp/CN/200711/CN2007112301000047.html
万能細胞の成功を称賛 ローマ法王庁立アカデミー

【ローマ23日共同】京都大と米ウィスコンシン大がそれぞれ人の皮膚から万能細胞をつくったことについて、
ローマ法王庁(バチカン)の生命科学アカデミー所長でカトリック聖職者のスグレッチャ氏は
「人(受精卵)を殺さず、たくさんの病気を治すことにつながる重要な発見だ」と称賛した。
22日、ウェブ版バチカン放送が伝えた。

法王庁は、生命は卵子が受精したときに始まるという考え方に立ち、
受精卵を壊してつくる胚性幹細胞(ES細胞)による研究に強く反対してきた。
法王庁の公的機関の長が、今回の研究を論評するのは初めて。

スグレッチャ氏は「(受精卵を壊す)これまでの研究方法は
『人を助けるために人を殺す』という考え方に立った、誤った科学と言える」とした上で
「日本人と米国人はわれわれの声を聞いてくれ、研究に成功した」と話し、科学者たちの努力をたたえた。

2007/11/23 08:46 【共同通信】
44KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/24(土) 04:49:24 0
>>43
バチカンが、畑違いの科学や医学に首を突っ込むのは至極当然のことです。
宗教の目指す所は、人間社会をコントロールすることです。
だから、宗教の多くは、社会の根本である、家族関係、さらに突き詰めて、男女間の性関係にまで首を突っ込みます。
また生殺与奪の権も掌握しようとします。
宗教組織は、人間社会を自分たちに有利になるように、一定に方向付けます。
教会が、他人の人生の誕生から死にまで関わるのはそのためです。
バチカンのこうしたコメントは、そうした意図の延長線上にあると思います。
45世界@名無史さん:2007/11/24(土) 09:58:02 0
>>39-42
「キリスト頼みでヒットを狙え」〜パッションから3年、マリアのような良作でハリウッドは宗教オンチを抜け出すか〜
これまでハリウッドにはキリスト教徒の大半は右翼でバカというステレオタイプなイメージがあり、
「最後の誘惑」のようなむしろキリスト教徒の感情を逆撫でするような作品もあった。
宗教的にはリベラルであり、作品も性や暴力が描かれるハリウッドは非キリスト的でもあった。
しかし、20世紀フォックスが年10本程度のキリスト教関連の映画を製作していくなど
マーケティングとして無視していたキリスト教徒に注目していく。
問題はキリスト教徒の側にもあった。テレビ伝道師を別にすると、キリスト教右派はマスメディアを
抱き込むことも映画を自分の利益に使うこともしなかった。(ニューズウィーク誌より)

これからはキリスト教のプロパガンダみたいな映画が増えそうですね。
46KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/24(土) 11:53:56 0
>>45
映画などの芸術作品は、常に、反体制的なメッセージを発することを、世論から期待されています。
コンサヴェイティヴな作品に、観客は金を払おうとは思いません。
これまで、リベラルな作風が受けてきたのは、それが多勢的なキリスト教文化への反発だったからです。
しかし、今回の『マリア』はかなり保守的な作風となっています。
これはつまり、もはやリベラルな作風では客は満足できなくなっていると言うことを示唆しているのかもしれません。
肩の力を抜いて、聖書をおとぎ話として楽しもうという心意気の現れでしょうか。

今回の『マリア』は、イエスそのものが題材ではないというのがミソであるような気がします。
おそらく、イエスを題材にした作品は、メルの『パッション』で頂点に達したと見なされているのでしょう。
さらに、『ダ・ヴィンチ・コード』がイエスのセックス・ライフに挑んだことで、それ以上の問題提起はできないと考えられたのかもしれません。
『マリア』は、アメリカのプロテスタント信仰にとってはタブーにはなりえないので、反発なしに、多くの観客を取り込める可能性はあります。
また、イエスの誕生という舞台設定は、クリスマスの背景を説明するものでありながら、キリスト教の神学に抵触しません。
こうしたことを観察すると、映画『マリア』は、もっともポピュラーで、もっとも無難なテーマを選んでいると言えます。

言われるとおり、挑発的なイエス像は出尽くしたので、今後は聖書の記述に則した映画が多くなるかもしれません。
しかしだからといって、ハリウッドのキリスト教徒へのステレオタイプは変わらないと思います。
「キリスト教徒は右翼でバカ」という前提のもとで、おとぎ話としての聖書が語られていくのでしょう。

以前、メル・ギブソンが『マカベア書』を題材にした映画を撮るのではないか、という噂が流れました。
個人的には、70年のユダヤ戦争をテーマにした映画が絶対面白いと思うのです。
たぶん、これまでに映画化の案が出ているはずです(マサダ篭城の映画はすでにあります)。
ユダヤ人側から猛反発を喰らうと思いますが、ユダヤ人側の人物を美化して主人公にしたらおとなしくなるかもしれません。
47世界@名無史さん:2007/11/24(土) 15:07:15 0
カトリックの場合、マリアの「無原罪の御宿り」という教義があるよな。
もともとビザンツ文化圏から入ってきたものだけど。
48KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/25(日) 00:24:43 0
世界最古のマリア像ってどこにあるんでしょうかね?
やはり、教会の堂内に鎮座しているんでしょうか?
また、その像はどういう経緯で造られ、崇められることになったんでしょ?

49世界@名無史さん:2007/11/27(火) 20:08:25 0
テックス・マーズ主宰の「パワー・オブ・プロフェシー」、2007年1月号。
ここに、「ユダヤはキリスト教の聖書を攻撃の標的とする」と言う記事がある。
ここで、テックス・マーズは二冊の本を批判の対象とする。

(1)ANTISEMITISM in the NEW TESTAMENT by Lillian C. Freudmann
   (リリアン・C・フロイドマン著『新約聖書の中の反セム主義』)
(2)Never Again? The Threat of the New Anti. Semitism by Abraham Foxman
   (A・フォックスマン著『もう二度と起こらないのか? 新しい反セム主義の脅威』)

A・フォックスマンは、あのADL(ユダヤ名誉毀損阻止連盟)の会長である。
これら二冊の本で何が言われているか。記事に基づいて、次のように要約する。

(1)キリスト教の新約聖書は、嘘偽であり、増悪をかき立てる、有害な書物である。
  そしてそれは、第二次世界大戦中の、六百万人のユダヤ人の死に、究極的
  責任を負うべき書物である(A・フォックスマン)。

(2)新約聖書の中の反セム的部分をすべて、削除すべきである(L・C・フロイドマン)。

(3)「ユダヤ人はキリスト教の書籍、とりわけ、新約聖書をデストロイ(破壞、抹殺)
   すべきである。」(ユダヤのタルムード、Shabbath 116a)

(4)米国内の「キリスト教会」の圧倒的大部分は、このようなシオニスト・ユダヤの
   主張に同意している!!

テックス・マーズは触れていないが前出の如き状況は、アルバート・パイクの
一八七一年八月十五日付、マッチーニ宛ての書簡の中の、第三次世界大戦の
第一局面、即ち、シオニストユダヤとイスラムの全面衝突。このアジェンダ(日程)
を実現するための、必須の前提條件である。

即ち、キリスト教会の全部もしくは圧倒的大部分を、シオニスト・ユダヤの手先
とすることによって、「シオニスト・ユダヤ+キリスト教」を、「イスラム世界全体」と、
衝突せしめる如く誘導するのである。
50世界@名無史さん:2007/11/27(火) 21:44:26 0
教育を教会の独占事業にした戦略は恐れ入る。
社会のインフラを抑えていたわけで。
政教一致、そして宗教と教育も一致。支配システムとして秀逸だ。
日本のキリスト教徒は政教分離が好きだけど、宗教と教育をセットにしたがるし。
51KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/28(水) 02:15:45 0
>>50
中世においては、スコラ哲学が大学で発展しましたが、大学は教会に支配されていましたから、スコラ哲学は、教会の擁護に奉仕していました。
宗教革命後も、やはり、神学者が教授を勤めるべきという考えが圧倒的で、キリスト教教義の刷り込みが重要視されました。
ラテン語やギリシア語の教育も、聖書解釈と、神学の雄弁術を目的としていました。
カトリックとプロテスタントは、学校制度についても争い、有名な16世紀のトリエント会議では、司教が教育に率先すべきであることが定められました。
女学校が、当初は、修道女を志した者たちにのみ門戸が開かれていたというのも、象徴的です。
自然科学が学校教育に組み入れられるのは、17世紀からのことです。
ですから、教育というのは、本来的には、キリスト教のインスティテューションとして発展してきたのです。
52KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/28(水) 22:39:25 0
『ヴァチカンの頭痛の種』―ニューズウィーク誌より

カトリックはアジアで大盛況。
だが、司教にとって、「すべての“救い”の道はローマに通ず」。

ジョーゼフ・ラッツィンガーは、教皇に選任されるまで、約四半世紀にわたって、“正統の”ローマ・カトリック教会の管区長を務めていた。
そして、「解放神学」(※1)として知られる、マルクス主義運動を潰すためのキャンペーンを張って、厳格者としての評判を得ていた。
その“聖戦”における、管区長ラッツィンガーの成功は、ラテンアメリカで拍手喝采を浴びた。
当時、ラテンアメリカは、解放神学の揺籃の地であり、そこには、世界の約11億のカトリック信者の半数が住んでいた。
2005年4月に彼が教皇ベネディクト16世として世界に紹介されたとき、多くの人が、最悪の事態を恐れた。
だがその代わりに、ラテンアメリカの「人民教会」(※2)に押し付けるようラッツィンガーが支援した“パクス・ロマーナ”(※3)は、ソ連の共産主義崩壊に伴って、ヴァチカンの増長する圧力を不要なもの、ありえないものにした。

しかし今や、ベネディクト―そしてバチカンの強制力―の目下の懸念は、アジアへと切り替わった。
そこは、カトリックの、もっとも巨大な、まだ手のつけられていない“マーケット”である。
ローマにとっての懸念事項とは、あまりに多くのアジアのカトリック教徒が、他宗教を、真理の“運び手”としてだけでなく、救いと精神的洞察への“一つの経路”だと見なしてしまっていることである。
ローマが、カトリックの排他主義を強調している一方で、アジアには、神や神々が、そこいら中にいる。
ベネディクトには、アジア系の神学者や教会指導者らは、西洋の宗教―つまりキリスト教―を東洋風に変換することによって、改宗者獲得を企てているように見えているのだ。
イエスを、ブッダやヒンズーの神々といった他の宗教の指導者たちの“中”の、一人の宗教指導者に変形させている、と彼はコメントしている。

※1.マルクス主義を援用したカトリック神学。
※2.ラテンアメリカで政治革命を支持したカトリック系グループ。
※3.公権力によってもたらされる強制的な平和の揶揄表現。

下につづく。
53KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/28(水) 22:47:02 0
>>52のつづき。

『アジアにおけるペンテコステ』の著者トーマス・C・フォックスによれば、ヴァチカンの聖職者らは、“新しい教会のあり方”というそれら神学者たちの教えを明らかに容認せず、ましてや理解することすらできていないという。
こうした“アジア風味”に対する、最近のベネディクトの姿勢の徴候は、今年9月、信仰教義集会(CDF)が、C・ファン神父を調査していたという新事実によって、表面化した。
ファン神父は、ヨーロッパ中心主義的な教会に異を唱えていたのである。
ファン神父に対する、そのような調査は、不吉な様相を呈している。

CDFの一連の行動は、秘密裏に行なわれており、ファン神父は、彼の著作が異端かどうかを審査する“専門家たち”に対面することを禁じられている。
ファン神父の挽回への道のりは、遠い。
9月に「国際カトリック通信」が入手した極秘文書によれば、CDFは、今年の初めに、彼の有名な著作の幾つかを、「カトリック教義の多くの点を著しく混乱させている」と宣言した。
そのような告発は、彼を、カトリック世界での神学教授活動から締め出していることになる。
ファン神父は、ローマに説明を求めたが、彼の不運についてのコメントは今のところ届いていない。

下につづく。
54KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/28(水) 22:53:23 0
>>52-53のつづき。

中国は長い間、興味をそそる機会と、頑なな挑戦の両方を、呈示してきた。
フランシスコ会の宣教師が、1200年に中国に教会を創設するものの、残忍な将軍や気紛れな皇帝のせいで、その教会員は、ローマの権威者から疑いの目で見られてきた。
ローマは、彼らが、教会の“ローマ”と“カトリック”の要素を、貶めようとしているのだと考えていたのだ。
それでも、“アジアの”カトリックは生き延びてきた。

現に、今日、アジアのカトリックは、ヨーロッパのキリスト教世界が震え上がるほどまでに繁盛している。
アジアのカトリック教徒は、世界のカトリック教徒の10%以上を占め、そして、世界中の新人司祭と神学生の約4分の1を占めている。
ヨーロッパと北アメリカの司祭が着実に下降に向かっているにもかかわらず、である。
アジアのいくつかの国は、アメリカの教区の支柱となる司祭を“輸出”することまでしている。
ほとんどのカトリック教徒は、現在すでに、南半球に住んでおり、2050年までには、その総計は80%にもなるだろう。
ファン神父は、「目を覚ませ!これはもはや避けることのできない現実なのだ」と言っている。

しかしベネディクトにとっては、もし彼らが、教会のヨーロッパ的な遺産を犠牲にするようになったら、アジアでのいかなる利得も無意味となる。
また、救いのための唯一の手段としてのキリスト、また、その信仰の唯一の調停者としてのローマ・カトリックへの妥協のどんなわずかな気配もあり得ない。
何年もかけて、彼は、瞑想やヨガといった東洋的な精神的慣行への西洋側の心酔を警告してきた。
彼は、ヒンズー教の輪廻のことを“道徳的にあこぎ”だと呼び、仏教の精神世界を“自己性愛”だと嘲笑い、そして両者をカトリックの脅威としてマルクス主義に例えた。

下につづく
55KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/28(水) 22:57:34 0
>>52-54

枢機卿としてのラッツィンガーの1997年の仕事は、神父ティッサ・バラスリアの破門であった。
彼は、メシアの処女降誕といったような観念を、アジア人が理解できるような仕方で西洋神学を再構築しようと試みたことで、アジアにおける最も有名な神学者の一人であった。
結局、その破門は解除されたが、翌年、ラッツィンガーのオフィスは、既に死んだインドのイエズス会士アンソニー・デ・メロをけん責した。
デ・メロが、カトリックの教義を説明するために、東洋の観念を用いていたからである。
同様に、ベルギーのイエズス会士ジャック・デュピュイの長期調査も、宗教の多元主義的な見方に集中した。
その見方は、36年におよぶ、インドにおけるデュピュイの神学教授の成果であった。

法王として、ベネディクトは、カトリックにおけるヨーロッパ中心主義的な役割を復興しようと試みている。
例えば、彼は、古ラテン的なミサや、他の1960年代に置き去りにされた儀式を復興させている。
そして彼は、外国旅行においてすら、見事にヨーロッパ圏内を通り過ぎるのである。
今年7月、オーストラリアを訪問するため、アジアを飛び越したが、その地域に戻ってくる予定を組まなかった。
それは、多くの人にとって、明らかな興味の欠如として印象づけられた。

下につづく。
56KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/28(水) 23:00:06 0
>>52-55のつづき

アジアの教会員は、彼らが、既婚司祭やローマ権力の地方配分のようなリフォームへ前進すべき時に、もう到達しているのではないかと感じてきた。
ローマ教皇庁で仕える、数少ないアジア人の高位聖職者の一人、日本人枢機卿ステファノ=ハマノ・フミオは、常日頃、教会の“過度な西洋化”反対論をぶってきた。
しかし、2006年3月、ベネディクトが教皇に選出されたちょうど一ヵ月後、ハマノのバチカンでの役職は、突如、他の課と合併させられてしまった。
もしこれがまさに“報復”でないというのなら、ハマノが飛ばされることはなかっただろう。
ハマノは、バチカンの上級ポストにアジア人を残さずに引退し、11月8日、死んだ。

11月24日、ベネディクトは、18人に新たな枢機卿位を授けた。
彼らは、いずれ、80歳の教皇の後継者を選ぶことになる“コンクラーベ”において投票するのに適正な者たちである。
その中でただ一人、62歳のムンバイ出身のインド人の大司教オズワルド・グラシアスだけが、アジア人である。
これは、枢機卿の集団を、これまでの数十年よりも、よりいっそう西洋化し、そして教会の西洋一点主義が、近いうちには終わりそうにないことを示している。

おわり。
57世界@名無史さん:2007/11/28(水) 23:01:26 0
ネタ投下〜 みたいな
でもどこかの誰かの言ったことの切り張り〜
本人から出たものは雀の涙ほどで的外れ〜
58KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/28(水) 23:16:04 0
>>57
大正解です。
>>52-56は、『ニューズウィーク』の記事からの引用です。
>>52の冒頭で断っているとおりです。
でも、なかなかいいネタだと思います。
59世界@名無史さん:2007/11/28(水) 23:22:24 0
>>54
>何年もかけて、彼は、瞑想やヨガといった東洋的な精神的慣行への西洋側の心酔を警告してきた。

そこで霊操(byイグナティウス・ロヨラ)ですよ。
60世界@名無史さん:2007/11/29(木) 22:53:58 0
どうやらそれほど関心を引かないネタだったようで。
61KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/30(金) 12:50:55 0
>>60
まあでも、もともとここはそれほど繁盛するようなスレッドではないようですし、こんなもんでいいんじゃないですかね。
http://ime.nu/religion.bbs.thebbs.jp/1188973384/e100
↑キリスト教がらみだと、こういうタイプの議論の方が盛り上がるんだと思います。

>>52-56の記事で面白いのは、“ローマ・カトリック教会”の“ローマ”の部分をハイライトしている点です。
この記事では、“ローマ”というのはつまり、“西洋”のことであり、カトリックは、西洋(ローマ)中心主義を貫いて初めて“カトリック”なのだ、とこの記事は指摘しています。
それはどういうことから分かるのか?というのがこの記事の主眼であって、例えば、
(1)東洋的観念を援用してキリスト教神学を説くことが異端視されたり、
(2)ベネディクトが、東洋の宗教を蔑視したり、
(3)西洋教会を、アジア人が支えているにもかかわらず、アジアを無視したり、
(4)西洋中心主義に反対していた日本人司教に“制裁”が加えられた、
といったことが挙げられています。
そしてこの記事のライターは、そうした傾向は、ラッツィンガーが教皇に即位してから、より顕著になったと見ています。
それは、アジアでのカトリック勢力伸張という昨今の動向に、明らかに逆流しており、バチカンの姿勢は異様に見えます。
しかし、バチカンへの権力集中という観点から見れば、アジアに発言権を与えるわけには行かない、というバチカンの焦りも見え隠れします。

キリスト教(特にカトリック)は、西洋社会の根幹を成すものです。
ヨーロッパやEUという地理的広がりも、実は中世カトリック圏の投影なのです。
そのカトリックが、今、アジアに乗っ取られようとしている。
これは、カトリックの危機であると同時に、ヨーロッパの危機なのかもしれない。
ヨーロッパのアイデンティティの最後の砦であるカトリックを、ヴァチカンは守りきれるのか?
…そういことを、この記事は、言っているのではないかなと思うのです。
それで、この記事は、ベネディクトの息のかかった枢機卿の任命のニュースで締めくくられています。




62世界@名無史さん:2007/12/01(土) 08:08:49 0
解説乙でございます。
全然興味無い話でしたけど。
63KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 13:18:25 0
>>62
どうもお粗末さまでした。
でも、レスしているということは、興味があるのでしょうね。
興味がなければ、読みもしませんでしょうし、ましてや、わざわざ書き込むこともしないでしょう。
ありがとうございました。
64世界@名無史さん:2007/12/01(土) 13:36:32 0
>>52
>ベネディクトには、アジア系の神学者や教会指導者らは、西洋の宗教―つまり
>キリスト教―を東洋風に変換することによって、改宗者獲得を企てているように見えているのだ。
>イエスを、ブッダやヒンズーの神々といった他の宗教の指導者たちの“中”の、
>一人の宗教指導者に変形させている、と彼はコメントしている。

キリスト教だって、中東からヨーロッパに移植される過程で変形しているんだけどな。
聖人崇敬だの、ローマ教皇だの、聖書主義だの、イエスの時代には存在しなかった
要素がてんこもり。
65世界@名無史さん:2007/12/01(土) 13:54:28 0
だから何なわけ?
66世界@名無史さん:2007/12/01(土) 13:59:04 0
EU加盟国でカトリック信仰の国なんて半数もないだろ
67KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 13:59:48 0
>>64
>キリスト教だって…。

この記事は、そうしたローマ・カトリックの“思い上がり”を皮肉っているのだと思います。
なぜ、これまで自分たちがしてきたことを、今度はアジア人がやろうとすると、遮ろうとするのか…。
東洋人にキリスト教神学を説明するのに、どうして、東洋的な観念を援用してはいけないのか…。
ベネディクトの方針は矛盾だらけであると、この記事は指摘しています。
68KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 14:07:03 0
>>66
現在のカトリック勢力が問題なのではありません。
中世のカトリック圏の名残として、“EU”はヨーロッパ人にイメージされています。
彼らは、その名残を引きずって、いまだにヨーロッパという地理的広がりを想像しています。
ですから、彼らにとって、トルコなどがヨーロッパの枠組みに参入してくることには違和感を覚えるのです。
いわゆる「何となくヨーロッパ」の「何となく」を構成しているのが、カトリック文化なのです。
そこに「イスラム文化」が割り込んでくると、彼らは、「何となく」違和感を覚えます。
69世界@名無史さん:2007/12/01(土) 14:13:05 0
>>68
イギリスや北欧諸国はトルコのEU加盟に反対してはいないけどね。
逆にフランスやドイツなど、ヨーロッパ大陸諸国は強硬に反対している。
70KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 14:16:13 0
>>65
>だから何なわけ?

その「何」を考えるのは、人それぞれでしょう。
私などは、こうしたヴァチカンの対応から、キリスト教の歴史認識の甘さを読み取れると思います。
自分たちが作り上げてきたキリスト教文化が、雑多な文化の寄せ集めであることを差し置いて、
アジアのクリスチャンたちの多様なキリスト教理解を妨害するということは、
ヴァチカンが、自己認識において無頓着であるか、無頓着を装っているかのどちらかです。

しかし、そうした思い上がりこそが、これまでのキリスト教勢力拡大を可能にしてきた一因とも言えます。
「オレたちは、オンリーワンで、ナンバーワンだ」という、ジャイアン的(?)思考回路が、キリスト教の世界征服(異文化の破壊)を手助けしてきました。
彼らの言っていることは結局、「オレたちには許されても、お前たちには許されない」ということなのです。
これはキリスト教体質の一つであり、こうした体質を見抜くことは、キリスト教理解の一助になるでしょう。
71世界@名無史さん:2007/12/01(土) 14:20:43 0
実利的な行動に宗教で言い訳付けて来ただけだろ
本当にキリスト教がナンバーワンと思っているなら
わざわざアフリカや新大陸を侵略せず
眼前の異教徒トルコを是が非でも滅ぼすはずだ
結局トルコは勝てない相手だから弱いところを侵略にいっただけ
72KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 14:25:20 0
>>71
キリスト教神学に忠実であろうとするなら、世界征服を押しとどめるものはありません。
何と言っても。彼らには、戦士であり王である正義の味方キリスト様が付いていますから、もしその手に剣が握られれば、それを振り回すのを留める理由はないのです。
彼らが侵略しない場合があるなら、それは単に、現実的に侵略できないからです。
73世界@名無史さん:2007/12/01(土) 14:28:49 0
>>72
自分で言ってるじゃないか
現実的理由>宗教的理由って
キリスト教の行動理由なんざ現実の前には無力
74KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 14:31:56 0
>>73
その通りです。
キリスト教神学には、現実を乗り越えさせる力はありません。
キリスト教神学は、魔法ではないのです。
75世界@名無史さん:2007/12/01(土) 14:41:08 0
うむ…
俺としてはキリスト教は行動の大義名分にはなりえても
原動力としてはやや弱い(=現実的判断が先に来る)
と考えているんだが
そっちはまずキリスト教的価値観ありきで
その後に行動可能かどうか判断するって捉え方なんだよな?
76KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 15:04:44 0
>>75
帝国主義とか独裁主義、という理念は、キリスト教と関係なく存在します。
ペルシア帝国やローマ帝国は、キリスト教の教理を援用することなく野望を抱きました。
ですから、帝国主義の原動力がキリスト教であるとは思いません。
しかし、初期のキリスト教徒たちは、そうした帝国主義の独裁者の像をモデルとして、支配者なるキリストを想像しました。
そして、次第にそれが、理想の統治体制として受け容れられ、それを骨格としてキリスト教のユートピアが完成されます。
しかし、妄想を膨らませすぎた初期キリスト教徒の理想世界は、結局ユートピアで頓挫してしまいます。
その破綻の一端が、新約の『黙示録』表れています。

ところが、キリスト教が、コンスタンティヌスのローマと手を組んだ時、そのユートピアは、俄然、現実味を帯び始めます。
もともと帝国主義を理想としていたキリスト教は、それを実行に移すだけの力を持つ皇帝と寝床をともにして、世界征服に乗り出します。
彼ら(司教たち)はそのために、皇帝に帝国主義の理念の枠組みを提供し、皇帝の軍事征服を神聖化して正当化し、皇帝の支配をくまなく行き渡らされために奔走します。
こうして、キリスト教は、世界征服の夢を実現することができました。
ですから、ヨーロッパ圏の統治理念・征服理念の底流には、キリスト教的価値観が常に流れています。
77世界@名無史さん:2007/12/01(土) 15:27:28 0
>>76
統治者側にとってキリスト教が便利な道具だっただけとも取れる、
というかそれが俺の考えかな
確かに各時代のヨーロッパの覇者はローマ教皇のお墨付きを貰うのが大好きだったが
それは信仰心というよりそれが権力への近道だったからだろう
ナポレオンも世界制服の夢を抱いていたが宗教は道具としか見ていなかった
まあそれすらもキリスト教的価値観が源流にあるとか言われるかもしれないが

取り止めもなくなってきたんでそろそろ止める
KGさんの言ってることも理解できなくもない、同意は少し難しいが
78世界@名無史さん:2007/12/01(土) 15:30:17 0
>>77
×制服
○征服
なんというお約束typo
あと>>71で書いた「新大陸」もヨーロッパ的、引いてはキリスト教的言い分かもな
79KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 15:31:56 0
>>75
この前のスレッドにも書いたのですが、
ヨーロッパ帝国主義における、キリスト教の使命と役割を端的に示しているのは、
ピサロがアタワルパ王を捕縛した時の、ある修道士の振る舞いです。
そこでの彼の振る舞いは、侵略者にとってキリスト教がどうして必要だったのかを教えてくれます。
侵略者とキリスト教は、持ちつ持たれつの関係であり、どちらにとっても“鴨ネギ”なのです。
8062:2007/12/01(土) 15:49:21 0
>>63
いえいえ、どういたしまして。
あなたが嫌いなのでケチをつけてるだけですよ。(笑)
私の目の黒い内はずっとコケにさせてもらいます。
81KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 15:55:37 0
>>77
キリスト教と皇帝の癒着は、「キリスト教というのは、イエスという一人の偉大な思想家によって、ビッグバン的に始まった創唱宗教である」と思い込んでいると、見落としてしまいます。
キリスト教というのは、一人の男のカリスマ的資質によって生み出されたのではなく、ヘレニズム・ローマ時代に生きた“人々”の社会批判として生み出されました。
ですから、初期キリスト教徒の念頭にあったのは、集団としての生き方・振る舞い方なのです。
新約聖書とは、そんな彼らの、社会的実験のプログラム・シナリオ・台本と言えるかもしれません。

彼らは、理想の社会の形態を模索する中で、ペルシア帝国やヘレニズムの王たちやローマ皇帝たちの統治者像を模倣したり改良したりしながら、キリストという独裁者像を練り上げます。
そして、膨らむ理想世界を、「王国」という不明瞭な用語の中に押し込んでいきます。
しかし、問題は、彼らにはそれを実行に移すだけの現実的な力を持っていなかったことでした。
「王国」とは何か?
それを空想的理念に置き換えるべきか?
終末という非現実的な時間に据えるべきか?
彼らの社会実験は暗礁に乗り上げかけていました。

そこに颯爽と現れたのがコンスタンティヌスです。
キリスト教徒は、彼の力に頼って、「王国」を現実の理念にシフトし、帝国を「地上の王国」と想像したのです。
ここに、初期のキリスト教徒の社会批判が実を結びます。

そうした時代に、聖書が今の形に整えられたのには、重要な意味があります。
しかも、聖書編纂作業には、コンスタンティヌスが一枚も二枚も噛んでいるのです。
そして以後、キリスト教徒は、ヨーロッパの支配者たちに理想の独裁者の理念を注ぎ込み、彼らに奉仕することによって「地上の王国」の完成を目指します。
聖書は、西洋世界の統治者たちの典礼となり、彼らの即位には司教が立ち会います。
アメリカ新大陸での新国家建設を正当化したのも、聖書です。
彼らは王室の歴史を持たない代わりに、聖書の歴史の流れの中に、新国家を据えたのです。
あの国の大統領が、就任の宣誓の際に、聖書に手を置くのは偶然ではありません。
82KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 16:00:19 0
>>80
まあ、何であれ、追っかけがいるのは嬉しいことですけどね…。
でも、こんな私をコケにするより、キリスト教史について何か含蓄のある意見を書いたほうがためになると思いますよ。
私みたいな雑魚は放っておくに越したことはありません。
83世界@名無史さん:2007/12/01(土) 16:50:40 0
森元総理が、「日本は天皇を中心とした神の国」と発言したことがあるが、
これはキリスト教の影響なのかな。
84KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/01(土) 17:11:13 0
>>83
まさか!

でも、「神の国」という用語や概念が、日本史に跡付けることが一切できず、ただキリスト教にのみ見られる場合、
加えて、「天皇」や「日本」という用語や概念が、キリスト教にも見られる場合、
森元総理の発言はキリスト教の影響と言えるんじゃないですかね?
あとは、日本をキリスト教文化圏に組み入れてもいいものか…。

…とまあ、そういう風に考えていけば、おのずと、彼の発言がキリスト教を前提としていない可能性のほうが高いと言えるんじゃないですかね。
85世界@名無史さん:2007/12/01(土) 21:59:04 0
無神論者の人たちって、何を心のよりどころとして生きているんですか?

逆に神など超常的な存在を信じる人たち、たとえばキリスト教徒やイスラム教徒は死後に天国に行くことを希望として、もしくは地獄に落ちることを恐れて日々善行に努めます。
仏教徒は同じく死後に仏になることを目的として生きています。地獄に落ちると舌を引っこ抜かれたりさいころ切りにされますし。
儒教徒は「怪力乱神を語らず」と言ってはいますが、徳を高め名を残すことを目的としています。
ヒンズー教徒は現世において不遇なカーストにあろうとも、来世により高いカーストに登れることを夢みています。

一方、無神論者たちには何があるのでしょうか?
「人生は一度きり、死んだらそれまで」というのでは必然的に動物のように快楽を求めることに一生を費やしてしまうのではないのでしょうか。
きわどい選択を迫られた際、信仰心あるものたちが人の道に踏みとどまるのに対し、無神論者は自分本位がために踏み外してしまう気がします。
86世界@名無史さん:2007/12/01(土) 22:28:29 0
>>85
たとえばさー、他人が喜ばせるのと自分も嬉しくなって、
一方、他人を悲しませると心が痛むのって人間共通の感覚だと思うよ。宗教や神仏を信じてなくっても。
だから、無神論者が自分本位ってのはステレオタイプにもなんない完全な間違い。
むしろ宗教中毒の人の方が、宗教熱心な自分に酔ってる自分本位の人間に感じるけどね・・・。
でもって、きわどい選択(犯罪?自殺?)のときに神の代わりに家族を意識して
人の道に踏みとどまる人っているんじゃないの。

あと愛とか道徳は宗教の独占物ではないよ。
87世界@名無史さん:2007/12/01(土) 22:37:22 0
>>86
そうそう
それを言ったら、現在の欧州なんて、
ローマ法王のお膝元のイタリアでも、教会が廃屋化しているのだが
88世界@名無史さん:2007/12/01(土) 22:47:17 0
>>86
宗教心がなくとも、思想信条良心に殉じる人はいます
89KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/02(日) 00:30:33 0
>>88-84
とは言ったものの、明治時代に“作り上げられた”天皇のイメージには、キリスト教の一神教のイメージが援用されている、という説もあり、
一概に、キリスト教とは無関係だとも速断できません。
もっとも、その説には、異論があるでしょうが、そういう可能性も視野に入れる必要があるかもしれません。
90世界@名無史さん:2007/12/02(日) 01:14:10 0
>>85
無心論のすべての人が、自分本位とは限らないだろ

宗教って共同体を維持するための道具でしょ
キリスト教にしても、共通の信仰を通じて信者どおしの
連帯を強化し、スムーズに社会生活をするための道具

宗教が善悪を決め、それを守れば幸福になる
と言うのは、集団生活をスムーズに行うための知恵だし
人は社会的な動物だから、集団生活がスムーズにいった方が幸福にきまってる
宗教は、それだけのものでしょ

現代社会は、宗教に頼らなくても
国家による法秩序があるから、集団生活をスムーズに行うことは可能だし
特定の宗教にこだわる必要などないように思うが?
特定に宗派の教義にこだわって、それとは違う人々との社会生活を
破綻させる方が問題だと思う。宗教は、現代社会には必要ないだろ
91世界@名無史さん:2007/12/02(日) 01:19:31 0
>>90
>宗教は、現代社会には必要ないだろ
それはそれで宗教を破壊する行為だとも言える。
まあ今まで宗教が他の文化を破壊してきたことが
自身に降りかかっただけとも言えるが。
ただこの因果応報的な考え方がすでに
仏教的価値観に囚われているかもしれない。
92KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/02(日) 01:25:43 0
>>90
>宗教って共同体を維持するための道具でしょ。
>キリスト教にしても…スムーズに社会生活をするための道具。
>>85
>必然的に動物のように快楽を求めることに一生を費やしてしまうのではないのでしょうか。

上の二つの意見は相反しないと思います。
つまるところキリスト教とは、人間の基本的な欲求を満たすための道具であり、手段です。
その本能的な枠組みの中で、帝国主義という理念も発達し、キリスト教という宗教も発達しました。
社会という構成も、種としての人間、あるいは個としての人間の生存・繁栄の達成の手段かもしれません。
その延長線上に、法律も、行政も、宗教も、戦争も、経済も成り立っているのでしょう。


93世界@名無史さん:2007/12/02(日) 01:26:42 0
>>91
現代社会は、価値中立的な国家を軸に
社会生活をするしくみになっているし
特定の価値観をかかげて、それを共有することによって
社会的連帯を志向する宗教は、あきらかに邪魔だろ

個人が信者団体に参加しつつ、他の価値観を持った人々と
国家を通じて繋がることができるなら問題ないけど
必ずしもそうでないから問題になる

宗教は、個人の信仰や思想と違って
多数の人々が信仰を同じくしてはじめて成立する
信者どうしで信仰しているうちはいいけど
進化論を学校で教えるなとか、堕胎はダメとか、
アラーを冒涜する表現は許さないとか
妥協の余地のないことを言い出すから、国家を軸にする社会にとって邪魔な存在
宗教は、撲滅すべき人類の病だな
94世界@名無史さん:2007/12/02(日) 01:32:34 0
>>92
宗教を社会生活のための道具と認めるなら
道具としての優劣があってしかるべきだ

カソリックやイスラム教のように、盲目的に聖典に従って
妥協しないような宗教は、どうみても社会生活を
スムーズにする道具としては劣っている

現代社会は、人々の多様な価値観を認めた上で
社会連帯を行うしくみになっているから
アプリオリに決まった価値観を前提にして
社会共同体を組み立てようとする宗教は邪魔な存在と言えるね
95KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/02(日) 01:43:55 0
>>93

>>76>>81で既に述べましたが、キリスト教という宗教は、元来、帝国主義を理想としています。
そして帝国主義の中で、自分たちの世界観と価値観を磨き上げてきました。
しかし、現在、キリスト教は帝国主義の中には置かれていません。
世界を一様化させようとする帝国主義の時代は終わったのです。

むしろ現在、世界は、多様化を前提としていて、一つの価値観が優位を占めることは歓迎されていません。
その中で、キリスト教は生き残りの道を模索しているかのようです。
>>61>>70のようなヴァチカンの振る舞いは、時代に取り残されたキリスト教の焦りを象徴しています。
世界が多様化し、様々な価値観の共存が理想とされる風潮にあって、かつてのキリスト教的価値観は無用のものとなりつつあります。
かすかに居場所らしいところと言えば、アメリカくらいではないでしょうか。
96世界@名無史さん:2007/12/02(日) 10:01:25 0
>>85
>必然的に動物のように快楽を求めることに一生を費やしてしまうのではないのでしょうか。

キリスト教の教義からは利他心の臭いがプンプンしますね。
イエス先生も世界の人間すべてを教化せよとおっしゃられておりますし。
神指令で理論武装された征服欲の自己正当化は脅威。
97世界@名無史さん:2007/12/02(日) 10:21:46 0
>>85
宗教の提供する善悪の価値観だけが、人間の価値観の指標ではない。
あなたの言っていること聞いていると、宗教者以外は動物同然と言っているように思える。道徳と宗教以外のことは動物の所行と言っているようにさえ。
死後の世界が無いから、刹那的になると思ったら大間違いである。人によっては死が最大の恐怖とは限らない。むしろ死後の世界が無いからこそ、限りある人生を大切に生き抜こうとさえするのである。
98KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/02(日) 12:54:23 0
>>97
>宗教者以外は動物同然と言っているように思える。
>道徳と宗教以外のことは動物の所行と言っているようにさえ。

ところが、これこそがキリスト教徒の判断指標なんです。
キリスト教に従わない者は、野蛮で愛に欠ける。
キリストの教えなしでは、人間は殺戮を繰り返す動物である。
キリストが史上初めて、愛を説いた人物である。
キリスト出現以前に、人間は、他人を思いやる心を持っていなかった。
キリストの教えこそが、平和と和解に至る、唯一の道である。
キリスト教だけが、野蛮人を人間へと昇華させられるのである。
どうやら、キリスト様は、人類の啓蒙主義者なようです…。

とまあ、こんな調子で、キリスト教徒は長らく、キリスト教圏に属さない民族や文化を“値踏み”してきました。
だから彼らは、キリストの「教え」とか「法・掟」とか「命令」という高慢な用語を撒き散らしながら布教するのです。
キリスト教に属さない、倫理観や宗教観、世界観、歴史観に対する彼らの見方は、実に残酷で冷徹です。
例えば、次のような歴史観も、キリスト教の体質を表しています。

>865 :世界@名無史さん:2007/12/02(日) 12:24:39 0
>宗教を人々が社会生活を円滑に行うための道具として見た場合
>キリスト教やイスラム教は、神道や仏教よりあきらかに優れている
>だからこそ、世界中にこれらの宗教が広まっているわけだし
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1187332719/l50

歴史を振り返る限り、キリスト教は、その教えが優秀であるから、世界に広まったのではありません。
広まったのは、彼らが、軍事力をもった帝国主義の支配者らと寝床を共にしたからです。
軍事侵略者をパトロンとしなければ、キリスト教はここまで世界に広まることはなかったでしょう。
しかし、キリスト教徒は、そのような歴史認識を持っていません。
彼らは、自分たちの教えの優秀さが、世界の人々に受け容れられた最大の要因であるとうそぶくのです。
こうした誤認をもたらしているのも、おそらく、上で述べたような、独善主義的な価値観のせいだと思います。
99世界@名無史さん:2007/12/02(日) 18:16:53 0
すげー
キチガイ2匹が相互に反応し合って盛り上がってるー
100世界@名無史さん:2007/12/02(日) 18:39:43 O
>>99
まあここは盛り上がる場だからね