中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。
時期は、スタンダードには西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもOK。
地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアと
ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。
時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じでマターリと。
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードと思えるところを参照用目安として。
中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)
前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)
初期中世:大まかに5〜10世紀
盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。
末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀
【過去スレ】
中世ヨーロッパの暮らし (4)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1152097937/l50 中世ヨーロッパの暮らし(3)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1091594814/
3 :
世界@名無史さん:2007/04/02(月) 16:12:58 0
このスレも五代目。
中世にファンタジックな幻想抱いていた初代スレの1は、真実を知ってグレました。
4 :
世界@名無史さん:2007/04/02(月) 17:31:06 0
>>3 おれはその初代1がどんどん打ちひしがれていく姿をリアルタイムで眺めておりました
このスレも本当に面白いスレですね
>>3 >>4 今見たが滅茶苦茶レベルが低いスレだな。
中世暗黒時代説を大真面目に唱えてるバカが大量にいて誰もそれに突っ込まない。
前スレ
>>976 >洗濯物なんて週に1回洗えばいいじゃないというあの感覚
向うの洗濯機ってヒーターが付いてるよね。あれにはちょっと驚いた。
反対に知り合いの腐乱西人は、日本にはあんだけ洗濯機の種類が
沢山あるのに、ヒーター付きのは一つも無いと嘆いてた。
これって、お鍋で煮る洗濯方法ってのが由来だよね?
煮洗いって中世ヨーロッパでも行われたの?
7 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 02:30:12 0
そういや西洋の洗剤は「水では溶けない」んだったな。
朝鮮でも煮洗いをする。一時期、「洗濯しながらゆで卵が作れる!」がキャッチフレーズの
煮洗い専用電気洗濯機が開発されたことがある。
しかしグラグラ煮立っているのが異様だったためか、すぐお蔵入りになったが。
以前は、大釜で洗濯物を洗濯ソーダとともに煮ていた。
へー、向こうの洗濯機ってそういう仕組みなんだ。
やっぱりお湯の方が汚れが落ちやすいのかな?
温度が高いほど粒子の動きは活発になるからね
10 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 08:57:53 0
日本の場合はヒーター付きといっても単に乾燥機付きという意味だしなあ
洗濯板でゴシゴシという感覚がないのかねえ
>>8-9 汚れの種類にもよる。
タンパク質なんかはあんまり高温だと固まるからオススメでないが、
脂質や油分は高温の方が落ちやすいと思う。
日本は伝統的に肉をあんまり食べないから、煮洗いするほど高温が必要なかった
だけかも知れない。
で、戦後になって肉食べるようになったけど、煮洗いという発想がないもんだから、
合成洗剤が発達したと仮説を立ててみる。
>>10 洗濯板は近代に入ってからだし。
12 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 11:26:24 0
日本の昔は洗濯板ないの?
石かなんかでゴシゴシ?
あとは川辺で、岩にビタンビタンとぶっつける
洗濯板というとそれそのものよりもペッタンコの貧乳を思い浮かべてしまう…
15 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 12:21:57 0
漫画「いじわるばあさん」で、漫画家である三男が婆さんに「ヌードモデル」を頼み、
当然断られる。
そこで三男が「洗濯板に垂れ乳に見立てた三角形の紙二枚張り付けて」代用品に使ったら
婆さんが「人をブジョクしおって!」と怒りまくる話があったな。
16 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 12:33:04 0
>>12 川辺の平らの石の上に洗濯物を置いて、足で、踏み洗いするのもあった。
『絵巻物による日本常民生活絵引』で見た覚えが。
昭和38年生まれの俺が赤ん坊の時の写真を観ると、
俺を背負ったおかんが井戸端でタライに洗濯板で洗濯してるよ。
でも物心付いたときには洗濯機があったな。手回し脱水機付きとか。
>むしろ日本の方が怪しい
>よほど水利が良くて金銭に余裕がなければ風呂なぞ作れるはずがない
>そんなに豊富に水を利用できるなら、なぜ便所はくみ取りなんだ?
糞尿を肥料として利用していたからじゃないのか?(´・ω・`)
また長屋のようなところでは大家が農家と契約して売買していたって話も聞いた事あるし
金儲けのタネを流して捨てる阿呆は居ないと思うけど・・・。
近年まで汲み取り式が残っていたのはその名残ってだけじゃないのかと。
19 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 13:35:06 0
20 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 13:45:21 0
中世欧州だと栄養事情がどうなんだろう?
女性は貧乳が多かったのかな?
21 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 15:29:10 0
上流階級婦人の胸を極端に強調した服装とか、胸元が大きく開いたドレスなんかは
中世からあったの?
あったとしたら、貧乳女性にはつらい時代だっただろうな。
パットとかまだ発達してなさそうだし。
22 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 15:40:51 O
あんたら大事な事忘れている。
羊毛は水で洗ったら縮むんだ。
お湯じゃなきゃダメなんだ。
主婦はいないのか!
ムートンとかクリーニングに出すと買うより高くつくよね
毛織物か
>>21 少なくとも16世紀末のガブリエル・デストレ姉妹は貧乳
26 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 16:19:47 0
絵はなあ、表現方法として大きく書かないかもしれないしねえ
古代の地母神は巨乳と相場が決まっているが
28 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 17:47:12 0
近代の女性画なんかもふくよかで豊乳な絵が多いような気がしますが
中世って確か絵って規制バリバリなんでしたっけ?
女性画は盛期ルネサンス以後アールヌーボーまで
デブ大行進だから正直つらい
なんというか・・・髪の毛が日清のチキンラーメンみたい。
>>22 思わず「アァ!」と声を上げてしまいました。
家事力・・・身に付けなきゃ。
33 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 19:36:10 0
>>8 遅レスですが
ヨーロッパの洗濯機では摂氏95度で洗う設定があります
白いテーブルクロスから赤ワインのしみを落とすには煮るしかない
食習慣に根ざしたものですね
タオルやシーツは60度で洗ってさっぱり除菌です
35 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 20:44:03 0
洗濯機が発明される以前、「洗濯女」という女性の職業ジャンルが確立していたようだが、
日本にはないよね。
>>11が言うように、それだけ、汚れが落ちにくく洗濯が大変な作業だったからかな。
>>16 多分、16世紀の『洛中洛外図屏風』の風景でしょう。
少なくとも12世紀には存在していた洗い方は、岩にたたきつけ、足で揉ん
で柄杓の水をかけて洗ったものです。
洗濯板がないまま洗濯機に移行した地域も多い筈。ついこの間までの光景。
>日本にはないよね。
一応、近世には洗濯女というものがいました。
船乗りを顧客にして、娼婦も兼ねていた洗濯女というジャンルも存在してい
ましたが、垢をこすっていた湯女や飯盛女といい、男の出来ない分を女がや
る仕事は娼婦業になりやすかったようです。
中世には独り者が適当な下働きの女に声をかけて洗濯をしてもらったという
話もありますが、やはり洗濯をしてもらっていたのは未婚の男。
なお、洛中洛外図の時代までは数年間着たきり雀ということも珍しくありま
せんでしたが、佐藤賢一先生が同時代のフランスでようやく着替えが簡単に
出来るようになったことを書いておいでだったような。
水質の問題もあるわけで
石けんしかなかった時代に硬水の冷たい水じゃ溶けないよ
今でも激硬水地域に住んでいる家の洗濯機の洗剤受けには
洗剤が溶けないでべっとり残っているよ
洗剤の使用規定量も硬水じゃ2倍になっている
38 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 22:29:09 0
川田順造が、フランスの洗濯女の姿勢について、身体技法の観点から興味を示している。
川辺で、四つん這いになって、膝で体重を支える体勢で洗濯をしているのだが、
あの姿勢での洗濯姿は、歴史的にどの程度、遡れるだろうか。
また、その時の膝当ての道具(木製の枠)の出現はいつ頃なのだろうか?
>>28 発注者が聖職者が多かったので限界がある
ルネサンス以降は裕福な市民層も加わる
40 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 22:56:37 0
洗濯女の絵が描かれているのは平安末期の「扇面古写経」じゃないのか?
あれに井戸端で足踏み洗いしている女が描かれている。
>>21 別のスレで見たことだが、
昔の欧州や中国では胸が大きいのは悪く見られていて、巨乳の人は必死に抑えていた。
中世欧州がどうだったかは俺には分からない
43 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 09:26:50 0
中世欧州は美術的には面白くない時代ではあるかも
宗教画が主流なのもあるんだけど
その反動でその後の芸術界が一気に勢いを得るわけだが
ああいう宗教的な絵が好きな人が好きな人には申し訳ない限りのオレ的見解
44 :
30:2007/04/04(水) 10:25:40 0
中世のパースとれてない素人じみた絵が好きなんだなあ。
絵物語なのかなんなのかわからん感じが。
ルネサンスになって一気に小賢しくなっちゃう。
んだからラファエロ前派までは地獄の黙示録ですわ。
デブ大行進を別にしても。
例外的にネーデルラントの写実派は好きかな。
お湯で、しかも高温で洗濯するというが、
そんなに誰もが貴重な薪や水をふんだんに使えたとは思えないわけだが。
庶民レベルではむしろ洗濯はほとんどしなかったのでは?
というか、みんな毛織物来てたわけじゃないだろうし。
46 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 14:33:02 0
羊毛は「ぬるま湯」で洗うこと。
熱湯で洗ったらかえって縮んでしまいます。
>>45 毛織物じゃなければ何を着てたというんだ。
49 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 19:19:34 0
毛織物以外では、絹に亜麻か。
しかし絹は中国やビザンチンからの舶来ものだから、庶民にはとても手が届かない。
やはり亜麻だな。
中世では、綿織物はどれだけ普及していたんだろうか。
ヨーロッパで木綿が使われるようになるのって、インド産の綿布が入ってくるルネッサンス期以降じゃなかったか?
キャラコ
綿は低〜中緯度地帯の作物だから無理だな
53 :
世界@名無史さん:2007/04/04(水) 20:09:24 0
病院なんかの布団部屋を、なぜ「リネン室」というの?
寝具は亜麻製品のみとは限らない。
>>53 元々、というか現在でも欧州ではリネンは非常に一般的な衣料繊維。
麻といっても粗い物から精製された上質の物まである。
麻は丈夫で通気性のよい繊維。
肌触りのよい上質のリネンの寝具、衣類などはとても高級品。
現在でも高級ホテルなら上質のリネンのシーツ、枕カバーを使っている。
だからリネン以外を使っていても、寝具、衣料の保管庫をリネン室というのはその名残。
55 :
◆ALSPlGAxzM :2007/04/04(水) 22:13:50 0
Linen と Hemp (カナビス)は違うもん。
庶民はHemp素材を使っていたのでは?河原でどんどん延びるし。
最近オーガニック繊維製品としてHempがよみがえりつつある。
リネンは熱に強い。煮洗い可能。
しかし一回洗うとアイロンがけが大変。
高級ホテルの寝具がリネンなのも
「アイロンがけなどに人件費惜しんでません」の自己表現方法のひとつである。
>>40 上で12世紀と申し上げたのはそのことです。どちらにも出て来る。
『今昔物語集』の久米の仙人譚にもそれらしき記述があります。
『信貴山縁起絵巻』、『西行物語絵巻』、『融通念仏縁起』にも。
津山市などでは、足を使っての洗濯は近代まで見られた光景でした。
水場以外で盥に入れた布を揉み洗いしている情景も描かれています。
話は遡りますが、エラスムスの『対話集』(1523年)によれば、梅毒が
流行してからブラバントの大衆浴場は廃れたということです。
実際には燃料の高騰や一揆の相談場としての公衆浴場への弾圧などの複数の
原因が絡み合って衰退に至ったそうですが、しかし梅毒流行の早いこと。
公衆浴場はしばしば、売春の場でもあったそうだからね
>>49 絹織物商組合が成立するぐらいには儲かっていたんだろうな。
Hempは大麻
60 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 00:35:45 0
>>44 ラファエロ前派っていうと普通は、19世紀イギリス絵画の
ロセッティとかを思い浮かべるのだが
そういう手合いは無視しとくのが一番でないの
>>61 以前、狭山丘陵の土壌は密林が成立するには適しておらず、ジブリ映画の風景
は理想化されたものだという話を民俗学の研究者から聞いたことがあります。
関東からならともかく、武蔵野からとなると、確かに疑問が浮かびますね。
鎌倉の大仏建立以前では、とりあえず『更級日記』に背の高い草が生い茂った
土地であったと書かれています。歌でも同様のイメージ。
なお、私は無視が一番だと考えております。
出来ればこのレスの転載もご無用に願いたく(燃料になるだけですよ)。
今後は雑談スレにご提示下さい。お話いたしますので。
64 :
世界@名無史さん:2007/04/09(月) 12:19:02 0
欧州での売春は日本のように街道沿いの宿場町とかでやってたの?
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
66 :
世界@名無史さん:2007/04/09(月) 17:46:59 0
法政大学出版局「ものと人の文化史 食具」によれば、前スレ後半の話題
「中世ヨーロッパではテーブルのくぼみに料理を盛り付けた」は紛れも無く事実であり、
しかもフランスの田舎では19世紀でも行われていた、ということです。
また、1950年頃のポーランドの農村では、大鍋で煮たじゃが芋を古ぼけた亜麻のテーブルクロスの上に
直にドサッとぶちまけ、燻製ニシンをおかずに手つかみでワシワシと食っていたとか・・・
>>64 市壁の外から程近いところにあったらしい。
んで、その盛り付けた料理はシチューと言うか汁物でしたか?
69 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 10:25:39 0
下にパンというか下敷きをひかずにどかっと??
70 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 10:48:56 0
テーブルの窪みに汁物を流し込んでパンと食べるっていうスタイルは
昔世界不思議発見でローマの特集でもやっていた気がするんだけど
この習慣って古代ローマから続いていた物なのかな?
ボッシュートです
寝っ転がって食べるから器とか要らないんだよ。
って、あれはギリシャ人か。
ローマ人も寝転がって食べてました
食ってすぐ寝るからミノタウロスなんか生まれたのか
75 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 15:54:53 0
誰が上手い事言えと・・・
76 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 16:47:32 0
77 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 17:03:58 0
>>66 ・大鍋や大皿から各自がスプーンや手でとって食べる。フォークは使わない。
・各自に皿が用意されておらず、とったものはそのまま食卓の上に置くため、
大皿から食卓についている人数分、汁で席まで線が引かれている。
・スプーンは共用。各自に用意されていない。
こうした食事法は、ドイツ南西部の農村では1960年代になっても見られ
たそうです。北部では19世紀末にはほとんど廃れていましたが。
16世紀まではスプーンすらほとんど使われず、仮にあったとしてもスプー
ンはナイフ(切り分け専用)同様各自が持参したそうですね。
16世紀以降、各自のために食卓に置かれるようになった。
パン、敷板、錫の円盤に代わって個人用の皿が出て来るのは17世紀で、定
着したのが18世紀(フォークの定着と同時期)。
ルイ14世はほとんど手を使って食べていたそうで、フォークの使い方を教
わっていた孫たちと食事をした際、手を使うように命じたとか。
初代スレの>1氏のイメージは今でも世間で信じられているものだと思いま
すが、これはこれで面白い。
>大鍋で煮たじゃが芋を古ぼけた亜麻のテーブルクロスの上に
個人用のナプキンが登場する以前、中世にはテーブルクロスで食事に使った
手を拭いたということです。
これで体をかいたり、鼻をかんだりする不心得者もいたそうですが。
なお、戦国時代に来日した宣教師は用意された膳の上にナプキンを置き、手
で食べて拭いた後、汚れたナプキンを膳の上に戻すということをして、手を
汚さずに箸で食べていた日本人たちに嫌悪されたということを本国に報告し
ています。
この宣教師の出身はポルトガルでしたが、イタリア出身の宣教師はフォーク
を使ってみせたのでしょうか。
イタリアで道具が使われるようになったのは比較的早かったはず。
ヴェネツィアとかジェノヴァとかオスマン朝と接触が多かった都市からだったかと。
食器類も16世紀頃からはオスマン朝から陶器なんかを輸入。
銀製のワイン用コップ(グラスじゃないw)は、「毒除け」として中世でも利用されていましたよね?
こういった関係で、これらは銀の皿などの器に移行するのは早かった。
しかし、明や清、そして日本からの陶磁器、漆器が入ってくるとそっちが持て囃されるように・・・。
(貴族なんかの富裕層に限定されるかも知れないけれど。)
とまあ、こんな流れじゃなかったっけ?
フォークは11世紀にビザンツから伝わったそうで(定着は遙か後)。
フォークといえば、来日した宣教師がイタリアの麺料理は熱いが日本の麺料
理は冷たいとしています。
おそらく、冷やした饂飩や素麺のことでしょうが、熱い麺類はフォークで食
べられた筈。欧州の麺料理の歴史とは、いかなるものであったのでしょう。
マヨリカ陶器は14世紀にスペインからイタリアに伝わり、16世紀以降は
北にも伝わった筈ですが、どうでしたかね。いずれにせよイスラーム起源?
銀食器はローマ時代から毒に反応すると言われて使われていたかと。
どなたか、明確なソースをお持ちの方はいらっしゃいませんか。
書き忘れましたが、エラスムスの著作にフォークが登場しており、16世紀
前期にはドイツやフランスにもイタリアからフォークが伝わっています。
しかし、16世紀後半にはまだイタリアのものというイメージが強かった。
イングランドに伝わったのはスチュアート朝の初期。当時は思い切り馬鹿に
され、風刺劇のネタにまでされました。
83 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 13:51:48 0
なんだこのアジアに及びもしない低レベルな文化は。。。
>>1以上のショックを今俺は感じている
手づかみ=野蛮という概念自体がまちがってるのかも。
某大手料理漫画によると
食材を、指で直に触れる事により、口に入れる前から
全身の味蕾が勃起して、味わいの感度が増すそうだ。
更に、スプーンやフォークは、電気工事の道具みたいで
テーブル上でガチャガチャ動かしてる姿の方が、野蛮に見えるとか。
欧米では依然、東洋人が箸を使う様は滑稽に映り、しばしば
物笑いの種になるらしい。
木の箸はあまりに原始的な道具であり、道具を覚えたての
類人猿の姿を喚起させるとも聞く。
85 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 14:55:32 0
>>84 欧か米か、どのような階層の人々なのかを明確にしていただきたいものだ
おれの中の狭い経験で申し訳ないが米の胡散臭いと言われる自称日本料理屋では
普通にチョップスティックを使いこなしている現地人がたくさんいるんだが
フォークで食べていた友人もおれに一生懸命使い方を習ってたりするんだがなあ
>>85 アナタの見聞した環境がすでに特殊だから、説明の必要がないように思える。
欧米人は基本的に理知的だが、潜在的には緩やかなレイシズムの持ち主も多い。
その中で、日本料理店に好んで通うような人は、元々アジア蔑視観のない
マイノリティであり、それを引き合いに出して問われても、
「そういう偏見を持たない大らかな白人もいる」としか答えられないよ。
87 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 15:23:35 0
荒れる予感
鉄製の箸を使うウリナラは、日本より文明国ニダ!
イルボンは箸のみニダ。
ウリナラは鉄箸のみならず、匙まで使うニダ!
90 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 15:56:12 0
>>84 おいしんぼなんかソースにしてんじゃねーよw
あの漫画は、逆にインド人がナイフとフォークを使い、
欧米人が手づかみだったら
「インド人は清潔で文明的ね。手づかみの白人は本当に野蛮で愚かだわ」
と書くようなマンガだぞw
初代スレ
>>1も問題外だが
>>1に応対してた連中も問題外。
中世暗黒史観をマジメに信じてる輩ばかり。
現在の研究家の間では中世暗黒史観は完全に破棄されてるっていうのに。
まあ中世暗黒史観もローマ・ギリシャを無条件でマンセーしたルネッサンス期の「進歩的文化人」によって始まった物なんだけどな。
このスレも「清潔で文明的な古代ローマに比べて中世ヨーロッパ(ry」な奴が多そうだ。
>>83 手づかみ=野蛮というのは、というか何が野蛮で何がそうでないかなんて何の根拠も無い一方的なレッテル貼りでしかない。
善悪でしか物事を判断できない狭視野だからそういう意見になる。
是非を問うならば、全ては是であり尚且つ非である。
93 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 16:30:08 0
自国の文化に対し敬意を払えない人間は
他国の文化に対し敬意を払えない人間になる
蛸喰う文化にも敬意を払って欲しいものだ
ウヨとは
自国の文化に対し敬意を払い
他国の文化に対し敬意を払わない
96 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 17:58:57 0
鯨を食うことでブツブツ言う団体がいるわけだが
犬を食う国のことをブツブツいう俺らもいるわけで
でも他の視点からみれば牛を食うことが信じられない人たちもいるし
ブタを食うことが許せない宗教の人たちだっているのさ
永遠にわかりあえないだろうから認め合う努力くらいはしようやと
右翼は異文化に対し「すみわけ」を認める
左翼は異文化に対し「すみわけ」を認めない
98 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 18:11:50 0
アナーキストでグローバリストなんぞに文化の妙などわからんのです
おいしんぼは「宗教関係は認めるが、それ以外の好き嫌いは絶対認めない」だからうざいんだよ。
嫌がる富井副部長に東南アジアの「孵りかけの卵」を「現地の文化を冒涜するのか!」などと言って
無理やり食わせる場面にはウンザリ。
ウヨサヨはともかく、こんな奴が周囲にいたら大変だ。
三国志演義の張飛みたいなもんか?
傍目に見てる分には面白いが、実際に自分の周りにいたら大変w
物語の登場人物としては面白いが不用
トラブルメーカー・トリックスターなどなど
トリックスターで中世ヨーロッパといえばティル・オイレンシュピーゲル
>>66 本に書いてさえあればそれは紛れも無く事実になるんだよな。
103に読解力がないのはわかる
>>99
君が美味しんぼ嫌いなのはわかったから読まないでいいよ
そして消えろ
>>94 何時始まったのか知りませんが、イタリア、スペイン、ギリシャ、それにフ
ランスでも地中海側では食べられていたかと。旧ユーゴはどうでしょう。
>>102 現在確認出来る最古の木版本は1515年のものですが、それ以前に成立し
ていた話のようですね。1350年にペストで死んだということになっては
いますが、実在していたという確証はないらしい。
ただ、成立した時代の職人たちの精神や彼らに対するまなざしを知る手がか
りにはなる(前者は職人たちの間で生まれた話、後者は本にした人物によっ
て創作された話に対して言えること)。
問題は、1500年前後が中世かということですが、今は中世は何時までと
言われているのでしょうか。
108 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 22:51:36 0
ルネサンス期までです
いえ、ルネサンス期も入れるという説があったと思ったので。
以前はこのスレでは1453年までとされていた筈で、それがよく聞かれる
説明だと思いますが。
ティル・オイレンシュピーゲルって誰ざんすか?
不勉強なもので。
>>110 ググればいっぱい出てくるよ*^ー゚)ノ
ググレカ!ググレカ!
オイレンシュピーゲル=ケツを拭け
家名自体は当時すでに存在していたもので、現存もしているそうです。
ただ、語呂合わせも当然行われていますが。貴族にも存在したというオイレ
ンシュピーゲルさんたちは、苦い顔をしていたことでしょう。
ベルサイユ宮殿では、どんな優雅な手づかみの食事をしてたんだろ。
特にゆで卵の食べ方が気になる。
117 :
世界@名無史さん:2007/04/12(木) 11:04:37 0
欧州の貴族がそもそも優雅な生活などしていたのかどうかから語らないとなあ
119 :
世界@名無史さん:2007/04/12(木) 21:00:55 0
ガリバー旅行記で、ガリバーが小人の国で戦争に巻き込まれる話があった。
戦争の原因は、
「ウチの国は、ゆで卵は尖ったほうから剥く!これが正しい!」
「とんでもない!ウチの国は丸いほうから剥く!これが正しい!」
だったな。
>>91 原初が完全で時代が下るにつれて堕落するというのは古代からある歴史観だ。
たとえばオウィディウス等が伝えるところのサトゥルヌスの治世は黄金時代だが現在は鉄の時代であるとか。
あるいは「ダニエル書」の頭が黄金の像であるとか。
進歩史観というのは、その正反対だ。
何が「現在の研究家」だ。40年近く前に刊行された『岩波講座世界歴史10 中世』の月報を読め。
ヴァザーリのどこが「進歩的文化人」だ。
それと、手づかみは衛生上野蛮なんだよ。
まあ、ばい菌の概念がない時代だからね
概念や価値観の違う時代に対して野蛮というのもどうかと思うけどな
>>120 ルネッサンス期の知識人の認識は「野蛮で堕落した暗黒の中世」から「文明的で進んだ輝かしいローマ・ギリシャ」の知識で再びヨーロッパを「文明的」にしたって事だろう?
あまり「進歩的文化人」と言うのを額面通りに受け取らないでいい。
あと衛生上不健康な事なんて世界中のどこでも行われてた事だが。
古代ローマでもね。
なら近代以前の文明は全て野蛮になるね。
古代ローマでは、腐らせた人尿を洗剤として使っていました。
日本では怪我人の傷口に小便をかけたり煮た馬糞を飲ませたりしてました。
近世ヨーロッパでは、傷口に焼き鏝や熱した油をかけて消毒していました。
余計に酷い火傷につながることも多かったのです。
>>124 ローマに限らず行われてたことだと聞いたが。
尿素にはタンパク質を溶かす力があるから別に変なことじゃない。
>>126 それは止血のためだ。当時に消毒の概念なんてない。
手術のときは、とにかく酒を飲ませて麻酔の代わりにした
>>123 今更マルクス主義でも言いたいのか?
例えば服一つ見ても植物性の地中海と動物性の北方では別の文化。
ヨーロッパ文明の一言で一直線に繋がっているものではない。
誰もルネッサンス時代の中世感で話してなど居ないのに、
妄想決め付けで「なら近代以前の文明は全て野蛮になるね。」とは驚きだな。
また始まったよ
132 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 10:53:30 0
歯医者とかってどうしてたんだろ?
虫歯とかになったり親不知がうずいたりしただろうに
とにかく抜く。 酒を飲ませて、やっとこで抜いてました。
歯磨きってしてたんだろうか?
日本なら塩と房楊枝みたいな。
清涼感や薬効のある木の小枝をしがむとかもあるけど。
135 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 14:05:13 0
>>133 感染症にかかりそうな抜き方ですね
現代に生まれててよかった。。。
136 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 19:52:14 0
疫病といえばペストというのを間違ってペニスと言ってしまったことがある
>>137 歴史を変えたペニス。ありそうだ。歴史を変えた鼻もあったのだから。
139 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 20:37:06 0
ロウアイに道鏡、ラスプーチンか。
ルイ16世なんかペニスがマトモだったら革命起こらなかったかもしれないもんな
>>134 江戸中期にはには白い歯が大流行した歯磨をするだけではなく、
白くなるために土の上で寝ると白くなるとされて寝たりしたんだよな
142 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 00:08:50 0
>話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアと
>ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
>>1 東ローマはヨーロッパ扱いしてくれないのね・・・・・
14世紀ピサの詩人Fazio degli Ubertiによると
ジェノヴァの女は「歯に色を塗っていた」という。
たぶん白か。
ビザンツは西欧よりずっと進んだ別世界だからな
>>144 そのわりに十字軍のもってきた弩をみて「このようなものは我が国にはない」
とか書いてるがな。
146 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 19:58:14 0
ビザンツが西欧よりも劣っていた所は、他にもあったのか?
蛮勇
148 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 21:40:01 O
ローマ帝国最強
149 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 22:17:41 O
重騎兵の質と扱いかな。
あと攻城術。西欧が優ってたというより、イスラムの攻城技術を
瞬く間に吸収した結果追い抜いたって感じだが。
151 :
世界@名無史さん:2007/04/15(日) 13:44:15 O
西欧の攻城術はローマから引き継いだと思うが
西欧がローマから直接受け継いだ物って何がある?
東ローマかイスラム経由ばっかりじゃないか。
153 :
世界@名無史さん:2007/04/15(日) 14:15:56 O
フランクの軍制はローマのそれを引き継いでいるよ
スコラとか部隊名称もそのまんまラテン語だし
軍装に関してはイタリアに移住したランゴバルト人が一番よく引き継いだ
しかしフランクにしろ、ランゴバルトにしろ独自の法体系を敷いたけど
ローマのピラミッド型支配体制を真似たのはローマ教皇庁
築城術は中世イタリアとノルマン(狭義のノルマン、フランス化したノルマン人
)で独自に発達しました
11世紀の農業技術の発達も西欧独自のものでビザンティンを凌駕しました
>>153 嘘をつけ。
中世欧州はローマ時代から大幅に後退し、悪のキリスト教が幅を利かせる暗黒時代でルネッサンスでローマ・ギリシャの知識によってある程度文明化されるまで氷河期の様な場所だったんだぞ。
なんだその笑えるほど古いステレオタイプな史観は。
とは言え、経済的には結局18世紀までローマ帝国時代の水準には追いつけなかったから、
そこはマイナスしないと行けない。
独自の進歩や改良はあったけど、って感じか。
>>153 築城・攻城術は十字軍によって大幅に進歩したってのは間違いなの?
158 :
世界@名無史さん:2007/04/15(日) 18:51:12 O
>>157 多少はあるでしょうが、すでに11世紀には築城術はある程度完成していたのでは
ないでしょうか
無論、それ以降も発展し、いわゆるイタリア式築城として完成しますし
イングランドを征服したアングロ・ノルマンがアイルランドを征服した時、各地
ノルマン式の築城を行い、アイルランド人たちは手も足もでなかった
攻城兵器については既に5世紀の東ゴートが使用していました
攻城戦術に関してはムスリムやアヴァールなど異民族が落とすことのできなかっ
たコンスタンティノープルをいとも簡単に落としていますし
ローマ→東ローマ:租税国家
中世西欧:非租税国家
この違いは大きいな。軍事的にも。
中世っつっても約1,000年間あるわけだしなあ。
>>158 ノルマン式の築城って、元来は質より数のモット&ベイリーでしょ?
アイルランド征服も、十字軍以降の1167年からだよな。
>コンスタンティノープルをいとも簡単に落としていますし
第四回十字軍のことなら、簡単に落ちたのは内通者のおかげで、
落ちる直前まですさまじい激戦だったはずだが。
膠着しない激戦という点に、十字軍の優れた攻城術を見ることが
できるのかもしれないが。
>>159 中世の王も、一応都市からは税金取れなかったっけ?
第四回十字軍で思い出したが、そういや造船術・航海術は確実に
進歩してるな。
>>155 ステロタイプとは言い切れないところが…
>>17 昭和37年生まれの俺も
物心ついたときには手回し脱水ローラー付きの洗濯機があった。
家に洗濯板と洗濯用の大きな盥もあったけどもう使ってなかった。
たぶん俺らが物心つく直前の昭和30年代いっぱいあたりまで
洗濯板が使われてたんだろうな。
164 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 09:34:10 0
十字軍ってまあいろんな要素があるな
東西交流(かなり荒っぽい交流だが)とかは後の欧州にはかなり有益になったわな
交流なら西の欧州だけじゃなくて東にも利益がないと
単なる強奪。東にはどんな影響があったんだろう
166 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 10:42:33 0
ムスリムの医者が怪我人を治療してたらフランク人の医者がやってきて
いきなり患部をノコギリで切り出したのに驚いたとか
当然患者は死んだ
>>165 中国まで科学、化学、技術的な影響は及んでいるよ
>>167 その話には続きがあるがなぜかいつも都合よくオミットされる。
しかしながら私は、それとはきわめて異なる彼らの治療の例を見たのだった。
フランク人の王の会計官にベルナルドという騎士がいて、その男は(彼の上に神の呪いあれ!)フランク人の中で
もっとも憎むべき、邪悪な人物の一人であった。一頭の馬が彼の脚を蹴り、そこから病気に感染して四十箇所もの
別々の場所に傷口が開いてしまった。一箇所の傷口がふさがるたび、別の箇所で別の傷口が開く有様であった。
その間ずっと私は彼の堕地獄を祈っていた。そこで彼のところへフランク人の医者がやってきて、脚に塗られて
いた膏薬をすべて落とし、きつい酢で脚を洗いはじめた。この処置によって傷はすべて治り彼は再び元気になった。
彼は再び起き上がって悪魔のようになった。彼らの面白い治療をあきらかにする別の例は次のごとくである。
シャイザールにアブー・アル・ファトフという職人がいて、彼の息子は首にできた瘰癧に苦しんでいた。それの
一部がふさがるたび、決まって別の部分が開くのであった。この男はたまたま私用があり、息子とアンティオキア
にいった。一人のフランク人が少年を見て、父親にその子のことを尋ねた。アブー・アル・ファトフは「私の息子
だ」と答えた。フランク人は彼にいった。「汝は汝の宗教にかけて誓うか。もし汝の子を治す処方を教えても、
汝はそれを教えることによって何びとからも謝礼を取らぬと? そうすれば、その子を治す処方を教えてやろう」
男は誓いをたてたのでフランク人はこういった。
つぶしていないアツケシソウの葉を燃やし、灰をオリーブ油と強い酢に漬けろ。それで瘰癧を手当てすると、そこに
できていた吹き出物が消える。そこで燃やした鉛をギー油に漬けてそれで彼を手当てしろ。そうすれば治るだろう。
父親はその通りに少年を手当てし、少年は治癒した。傷はふさがり少年は元の健康な状態に戻ったのだった。
私自身、この処方でそのような病に冒された大勢の人々を治療し、病因を取り除くのに成功したのである。
一方ロシア人は鉛筆を使った
172 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 17:10:29 0
当時のアラブ人が、ヨーロッパ人を「フランク人」と言ったのは、
やはりゲルマンのフランク族からの引用?
「アラブが見た十字軍」では167だけが載っていてそのすぐ後にある筈の169は載っていなかった。
何らかのバイアスを感じる。
「十字軍大全」に載っているね
>>169のエピソードは。
175 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 22:34:28 0
だいたいゲルマン人は野蛮な後進時代が長く、近代以降になってやっと
発展したんだよ。ギリシア、ローマの直系などとほざいているが、そのころこいつ
らは周辺部の蛮族にすぎなかったんだよ。古代では武力でも強かったわけでもなくアジア系の
フン族に追い立てられていたじゃないか。
176 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 22:38:40 0
一時的にせよモンゴル人はヨーロッパの西海岸まで到達してくれれば
よかったのに。
「グラディエーター」のOPはギャートルズのようなゲルマン人を退治する場面からだからな。
断言しちゃう奴ほど知識がいい加減
>>176 実際に到達されたハンガリー・ポーランド・ルーシはどうなったよ。
180 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 08:38:11 0
ガリア人ってゲルマン人なんだ
>>179 モンゴルの遠征軍の棟梁が病死したので、軍は早めに撤退しました
モンゴル遠征軍は、大工の集まりかっ!w
とう‐りょう〔‐リヤウ〕【棟×梁】
1 建物の棟(むね)と梁(はり)。
2 《棟と梁は家を支える重要な部分であるところから》
*一族・一門の統率者。集団のかしら。頭領。また、一国を支える重職。
*仏法を守り広める重要な地位。また、その人。
*大工の親方。
「源氏の棟梁」という言葉はよく聞くな。
パオ職人の棟梁かも知れない
185 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 20:04:59 0
パオ?ああ、モンゴル人のテントか。
しかしパオは「柱、梁」を掛け渡して骨組みにする日本建築とは違うから、
棟梁と言われてもなぁ・・・
186 :
世界@名無史さん:2007/04/18(水) 08:33:13 0
パオって中国風の呼び方ですね
実際は。。。あれ、なんて言ったっけ。。。ゲルだったかな?
お国柄から中国に対しての意識は日本以上に強いので中国風に呼ばれることを
結構嫌がりますよ
187 :
世界@名無史さん:2007/04/18(水) 08:49:58 0
>>179 ポーランドとルーシの場合は南部で決戦をしたあとすぐに引き返してしまったから、あんま影響はないだろ。
バトゥの本隊はハンガリーにいた。
中国語 包
モンゴル語 ゲル
テュルク語 ユルト
>>173 世界史板でも167だけ紹介して、
イスラムの方が優れていたって事にしたい奴が多い。
よっぽど印象操作したいんだろうなw
印象操作というより、ウサーマ・ブン・ムンキズの回想録の邦訳がなく
「アラブが見た十字軍」と前嶋信次の「アラビアの医術」に
>>167の例だけ載ってるから
それで広まったんだろう。
知ってる限りでは
>>169の部分の邦訳はこの板に書き込まれたのが初。
しかしイスラムの方が色々優れていたのは事実だし。
193 :
世界@名無史さん:2007/04/18(水) 16:13:37 O
ひげ税は、今の値段に換算してイクラですか?
一瞬、ひげ税はイクラで払うものかと思った
イクラで納める地域は限定されるだろ。
196 :
世界@名無史さん:2007/04/18(水) 18:33:08 O
ちゃんと答えて
中世ヨーロッパにひげ税あったの?
198 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 02:43:32 0
て ぇ め ぇ が 調 べ ろ ☆
イクラをイラクと読んだ
200 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 08:35:24 0
まるでイラクにひげ税があったのかと思ったよ
そういえば中世欧州とは関係ないんだが
武士ってなんかひげがあって当たり前というイメージがあったんだが
江戸時代になってからすっかりひげを剃るようになったんだね
時代劇みながらいつも武士なのになんでひげないんだよと思っていたが
あれは正しい時代考証の結果だったんだなあと変なところに関心してしまった
結局個人差だろうな。
レベルの低いアホな医者はイスラムにも
たくさんいただろうし。
>「汝はそれを教えることによって何びとからも謝礼を取らぬと?
のくだりは強欲で野蛮な十字軍のイメージからは程遠く、
むしろ廉潔さすら感じさせる。
>>200 あれなんでだろうね?
幕末のサムライ達の写真を見てもヒゲってほんといない。
大名でも。
でも明治になると元勲連中はヒゲだし、軍人もヒゲが多い。
西欧化?
203 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 10:22:02 0
江戸時代はひげ禁止令って出てたような
情けないがこの点に関しては山野さん待ちかなw
髭剃り自体は仏教と共に伝来しているはずで
坊さんが頭を剃るついでにひげも剃ってます
なんで歴史は古いはずですが支配階級は出家するまでは
剃ってなかったようです
日本の歴史の中でも江戸時代だけぷっつりひげ文化がないですね
明治になったらまさに西欧化でひげ文化が復興しますがw
>ヒゲ文化
松尾芭蕉はヒゲ生やしてるから、江戸時代でも完全になくなった
というわけではないと思う。
205 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 11:10:54 0
江戸時代でもたまに若者中心でひげが流行したりしてますね
明治になってからヒゲを生やしだしたのは、脱亜入欧政策で。
なんせ明治天皇がヒゲを生やしてたからな。
東宝の「日本海大海戦」って映画見てたら、
出てくる軍人みなカイゼル髭で、なんかその濃さにくらくらくる。
207 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 12:16:26 0
欧州人がひげを剃るようになったのはいつなんだ??
>>207 肖像画見てる限りだと、ルイ十四世やフリードリヒ二世辺りはヒゲがない。
ピョートルがヒゲ税やったのが、年代で言うとルイ十四世の末期。
マザランは堂々たるヒゲを生やしてたから、ルイ十四世の親政が転機だと思う。
もっとも、コルベールにはうっすらとだがヒゲがあったから、
明確に禁止したわけではないっぽい。
ヒゲ税ってロシアだけの話じゃないの?
210 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 14:34:44 0
しかし西欧はどうか知らないが、日本の中世では髭を剃ったりきれいに整えるのは
上流階級にのみ行われていたというね。
剃刀のような、薄くて鋭い刃物は高価だったから。
>>210 まぁな、髭は剃らずに抜いてたからな
江戸の男は大変だぜ
213 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 15:20:44 0
月代も剃らずに抜いていたんでしょ?
今の額がどんどん上がる若年ハゲ層から見ればうらやましい限り。
江戸の町人階級では、女性が少ないことから
男性は女性に気に入られるために必死だった、
で、髭はNGだった、という説を聞いた。
ほお擦りする時痛いからかな。
世界史から離れてしまったスマン
215 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 15:38:55 0
言葉からみると、やはり、日本では、髭の文化は発達しなかったようだ。
英語には、mustache、beard、whisker、sideburnsなどがあり、
漢字にも、髭、鬚、髯などがあるが、日本語には「ひげ」の一語のみ。
語彙が乏しいと言うことは、その分野が未発達の証拠では?
「まげ」の種類は身分や流行で豊富なのにね。
江戸期はヘアースタイルはかなりおしゃれの重要ポイントだったはず。
小田原城が開城した時、城内にいた当時27歳の武士が、一旦三浦に隠棲し
て出家し、後年江戸に移住し、晩年に慶長年間(江戸時代は同8年から)の
社会の変化についてまとめたのが、『慶長見聞集』です。
その中に、「当世男鬚なき事」という段があります。
・昔は月代部分の髪を剃らずに抜いていたものだが、最近は剃っている。
・昔は「面にくき体、鬚男」と呼んで鬚面をほめ、望んでいたものだ。
・建久3年(1192)、牧三郎宗近は、鬚が焼け焦げるのを惜しまずに火
事場から経典を持ち出し、「昔唐の太宗は鬚を焼いて薬にして臣下に下賜
されたが、今牧三郎は鬚を焼いて経典を取り出した」と讃えられた。
・源頼義は、武士の鬚ごと首を切れる名刀「鬚切」を愛用していたという。
・天正年間、同輩を「鬚なし」と言い合って刺し違えた事件があった。
・ところが、近年は皆鬚を剃ってしまい、笠やほっかむりをしていると、僧
か男か女か分からなくなってしまっている。
鬚は野性味があり、武威を表現するものとされることが多く、戦国期と明治
期〜昭和前期に流行し、江戸期と戦後は鬚なしが流行していますね。
牧三郎の話で面白いのは、鬚を体の一部であるように扱っていることです。
死者を哀悼する表現として自らの体を傷つける習慣は世界的に見られたもの
で、中国の倭人伝や『日本書紀』に登場するほか、20世紀までニューギニ
アで行われた例などもありますが、鬚も欠損対象と考えられました。
『イリアス』の中では、アキレウスが友人が死んで鬚を剃っています。
サムソンの話のように、鬚や髪というものは生命力や霊力と結びついたもの
とされており、逆に自ら剃ることはつつしみを表していました。
武人からすればつつしんでいるように見えることは失敗で、寧ろ自らの体を
見せ付けようとしていましたから、鬚なしは嫌われたことでしょう。
クーフーリンも、鬚が薄くて軽く見られ、鬚を描いていたと思います。
秀吉も付け髭をしていた筈ですが、やはり戦国の遺風でしょうね。
アレクサンドロス大王は兵たちに鬚を剃ることを命じており、ローマ人は北
方の異民族を征服すると、髪剃りと鬚剃りを命じたということです。
スパルタでは敵前逃亡者に、日本では公然と強姦をした武士が髪を全てない
しは一部剃り落とすことが命じられました。
頼朝が亀の前絡みで部下の烏帽子をとり、髻を切り落とした話は有名ですが
髪や鬚が人並みでないということは、とんでもない恥辱だったものです。
最初に、笠やほっかむりで僧か男か女か分からなくなるという意見をご紹介
しましたが、逆に言えば、髪と鬚で社会における役割が知れたということで。
今のように、服装と髪型で男女見分けがつかないということはなかった。
今でもそう極端な例はありませんが、前近代は個性なしではっきり知れた。
髪を結い、中世なら烏帽子をつけ、戦国期以降なら月代を剃っているのが武
士をはじめとした真っ当な人間。
髪を僧侶のように剃っていたり、伸ばして簡単にまとめていたりするのが下
級の芸能民(仏教や陰陽道の宗教者も含む)で、現代のようなただのザンバ
ラ髪なら、エタや非人です(近世のまとめ役ならそれなりの格好)。
前近代の髪型や鬚というのは、身分や職業も表しましたからね。
時代漫画の主人公で、烏帽子を被っていたり、月代を剃っている人物は珍し
く、髷すら結っていないのに武士を称している例がしばしば見受けられます
が、あれでは当時の人間から差別され、ごみ拾い扱いされます。
余談ですが。
>日本では公然と強姦をした
「公然と」がひっかかったら標準的現代人、大体それと知れたら文化史オタ
クか文化史のセンスのある人だと思います。
前近代の法令の範囲が極めて限定されていたこと(役所前に殺害された死体
が転がっていても訴えがなければ捜査されず、訴えた人間が証拠を揃えない
と裁判にならない、法令に違反していても社会的秩序に影響がないなら当局
も見てみぬふり⇔逆に公然と乱されたら容赦がない、など)が一つ。
非公然=夜と解釈して、夜という時間が、昼=日常とは本質的に違うものと
されていたことが一つ。
はっきりしている訳ではありませんが、自力救済が生きる前提とされていた
中世社会では、女性が囲みを突破されて強姦されても問題にはならず、同意
の上での交接と同様に扱われたという説があり、非公然というのは、実力で
女性を奪取(屋敷から取るのでも、往来で捕まえるのでもよい。ものぐさ太
郎の辻取りが後者に該当するともいう)した場合で一つ、といった理由があ
ったものと思われます。
>山野氏
日本史だけかと思ったら古代ローマやアレクサンドロスも知っていたのね。
今後はそちら方面のレスをお願いします。
222 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 18:53:24 0
江戸時代、浪人者や学者野中には面倒がって、あるいは思想のため月代を剃らないものもいたが、
百姓町人で月代を剃らない例はあったの?
きちんとしたお店者はともかく、百姓ならそれほど身なりに気を使わなくとも
いいような気が・・・
いた違いスマソ
いい加減日本史板にでも行ったほうが
そういえばアシタカも髷を落としてムラを追われたな。
225 :
世界@名無史さん:2007/04/19(木) 20:08:05 0
時代劇で、髷を切り落とされた侍が狼狽する場面があるが、
髪型かえられた、という恥辱以外に身分をも否定されるんだから、
そりゃ狼狽するわな。
アメリカインディアンは、今でも弔いで長い髪を切る習慣を結構守ってるらしいね
リンカーンみたいな、モミアゲと髭がくっついたスタイルって、いつ頃まで流行ってたのかな。
228 :
世界@名無史さん:2007/04/20(金) 02:34:45 0
229 :
世界@名無史さん:2007/04/20(金) 02:38:30 0
ニューギニア高地には、肉親が死ねば悲しみの表現として「指を切断する」という風習があった。
鉄器が無いので石器で無理やり指をタタッ切るのだ。痛そう・・・
しかし機械文明が無ければ、手仕事、手は大切だ。
指を切断すれば、日常生活はそうとう苦労するのではなかろうか。
苦労のたびに、亡くした人を思い起こすんだってさ・・・・
肉親が10人死んだら…
精神的に極度の興奮、錯乱状態になると、
髪を引き抜く、体をかきむしるなど自傷行為が考えられるから、
そういう行動が儀礼化したんじゃないかな。
>>231 指が全部無いおばさんが、昔「なるほど!ザ・ワールド」に出てたよ・・・
234 :
世界@名無史さん:2007/04/21(土) 20:39:54 0
ちょいスレ違いだが中世の物語の王女様とか白雪姫見たいな人って存在してるの?
>>234 白雪姫の例えはどの部分を指している?
継母と折り合いが悪くて遠ざけられるとかなら
普通にありそうだけど。
236 :
世界@名無史さん:2007/04/21(土) 23:29:51 0
突然ですみませんが、分かる方がいれば教えてください。
あるサイトに次のような解説がありました。
「欧州や中国では、人前で靴を脱がされることは、刑罰のひとつであった歴史が存在する。」
これは歴史的事実でしょうか。
237 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 00:45:28 0
最近ではかなり変わってきているみたいだけど、伝統的には欧州や中国では、
他人の前では靴は脱がないよね。
日本の武家の礼法では、貴人の前に出るときには
裸足が礼儀に適っているとされていたのだけど。
前に中世欧州のテーブルマナーがかなり乱暴だったという話が出ていたが、
一応、裸足が野蛮で、靴履きが文明だとすると、
中世欧州の、靴事情はどんなものだったのでしょうね。
裸足の人も多かったのかしら。
百姓は裸足か木靴
>>237 >裸足が礼儀に適っているとされていたのだけど。
これっていつ頃からの話ですか?
足袋とか履きだしたのはけっこう新しいですよね。
240 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 01:10:57 0
>>236 靴を脱ぐと刑罰になる事例か法令を見つければ、存在を確定させる
ことができるが、その逆になかったという証明は、全ての時代の
全ての法令がチェックでき、全ての慣習法をチェックできなけれ
ばならない。よってほとんど事実かどうかを証明することはできない。
ただ、神のみぞ知る。
241 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 01:23:34 0
「プロタゴラス」だか「パイドロス」で、
君(ソクラテス)は、あいかわらず(素足)のようだね
と言われていたような内容があったと思う。
一般的には靴を履いていたと思われる。
ギリシア・ローマ人ならサンダルだな。
244 :
( ^ O ^ ):2007/04/22(日) 04:14:29 0
>>220 ワーイ!山野さんだぁ(*^▽^*)ノ
其れはカワイィ男の子を犯った場合でも適用されていたのですかぁ?
245 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 05:36:24 0
現代イタリアでは、女性が裸足になるのは「抱いてもいいのよ」という意味合いになるらしい。
ある日本人女性がイタリア旅行中、電車内で裸足になってくつろいでいた。
すると近くにいた中年男性が親しげに話しかけてくる。
女はこれも旅の体験、と気安く相手していた。
男は言った。「いくらなんだい?」
中東のイスラム教国では、足を組んで、足の裏側を人に見せれば、その人を
侮辱したことになる。特に裸足でそのようなことをすれば、とんでもないことになる。
例の香田君は、このことを知っていたのだろうか。
246 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 09:53:52 0
>>239 >裸足が礼儀に適っているとされていたのだけど。
>これっていつ頃からの話ですか?
いくつか条件が付くのですが、1.まず、武家に限られた礼法ということ
2.儀式などの公的な場での話であること。
裸足が武家の礼法(武家故実)とされたのは、室町時代。
多少の崩れはあっても、それが基本的には、幕末まで続いたと思う。
NHK大河ドラマは、武家故実の専門家の二木謙一がスタッフとして参加しているので、
時代考証がしっかりしているが、主君の前に控える家来はみんな裸足。
247 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 10:06:40 0
>>240 説明が不十分で申しわけありません。
「欧州や中国では、人前で靴を脱がされることは、刑罰のひとつであった」とは、
「靴を脱ぐと刑罰になる」のではなく、罪人に科せられる刑罰の一つとして、
靴を脱がせる処罰法があったという意味です。
つまり、欧州や中国では、人前では靴は絶対に脱がないものであり、
裸足を人に見せることは、非常な恥であるという意識があったのではないか、
ということをお尋ねしたかったのです。
248 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 10:18:02 0
>>245 欧州や中国では、伝統的には(最近は変わってきているそうですが)、
靴は、寝室やベッドに入るとき以外は脱がないため、
特に、異性の前で裸足を見せることは、男女の関係を連想させるそうです。
また、イスラムでは、足裏や靴は、不浄のものという意味づけがなされており、
聖なる場所であるモスクに入るときには、靴を脱ぎ、足を洗います。
イラクでフセイン像が引き倒されて、引きずられて運ばれていった時、
少年達が、靴でフセイン像の頭部をバチバチと叩いていましたが、
あれが、イラクでは最高の侮辱のしぐさだそうです。
249 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 12:05:50 0
靴が人格の一部であったことは間違い無いだろうね。
靴が所有を表すとか、アジールに駆け込むのに靴を投げて入れば、
その人は保護されるとかという内容の文章をどこかで読んだ
記憶がある。阿部謹也さんの著書だったかな。
靴を脱がされる刑罰というのは知らないけど、あっても
不思議じゃないよなぁ。
靴は女性器のメタファーというのもあるな。
251 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 15:07:49 0
>アジールに駆け込むのに靴を投げて入れば、その人は保護される
日本の縁切り寺に同じものがあった。その身は寺の境内に入らなくても
靴を投げ入れれば、寺に逃げ込んだものと見なされ、保護される。
西洋にもあるのであれば、とてもおもしろい。
252 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 20:49:58 0
>>235 中世の物語のお姫様と言うと可憐で清楚みたいなイメージがありますがそんな人は実在したのか?
という意味です。分かり難い説明すいません。
現代の日本では人前でパンツを脱ぐと罪になる
銭湯ではパンツをはいて湯に入るのか
/ ̄⌒ヘ⌒ヽフ
( ( ・ω・) もっふもっふ
しっし─J
256 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 22:57:22 0
>>246 日本中世の武家礼法では、貴人の前に出るときには、室内における足袋だけでなく、
野外では履き物も脱ぐのが、つまり裸足になるのが、礼儀だったようです。
257 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 23:53:16 0
『出エジプト記3-5』「ここに近づいてはいけない。足から靴を脱ぎなさい。
あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」
残念ながら、聖なる場所への敬意としての裸足は、キリスト教徒には引き継がれず、
イスラム・ヒンドゥ教徒に継承されたようです。
258 :
世界@名無史さん:2007/04/23(月) 09:25:18 0
身分制度の厳しそうな中世ですが平民から貴族になったりってあったんですか?
都市部の富裕商人層から貴族ってのはわりと。
豪農が下級貴族と婚姻関係を作りその内貴族階級に入るというのもそれ程珍しい事じゃなかった。
>>258 ドイツの騎士の家系はもともと古い貴族に隷属していた身分のものが多かった。
ロシアでも似たような例が見られる。あそこでは「騎士」というものはなかったけど。
262 :
世界@名無史さん:2007/04/23(月) 11:56:19 0
まさに江戸時代の武士みたいなもんですか
中世だとなれそうだけど
近世になるとやかましくなって無理そうだな
264 :
世界@名無史さん:2007/04/23(月) 14:36:58 0
>>261 騎士制度の東限ってどこなんでしょう?
ポーランドあたり?
265 :
世界@名無史さん:2007/04/24(火) 10:15:25 0
そもそも騎士って何?という話しからしてもいいですか?
たしか映画『ロックユー』で、6代前まで遡れないと参加資格がないトーナメントとかやってたな
267 :
世界@名無史さん:2007/04/24(火) 12:31:11 0
ロックユー自体の考証はどうなのかというレベルだと思うんだが
誰も参加できないよ
ダルタニャンの家も元は商人
>>252 逆に中世の女性の評価基準として「可憐」「清楚」という物が求められていたかという問題かと思います。
現在の童話のイメージは、本来の中世の物とは違っていて、かなり現代風のアレンジがされています。
とりあえずこの辺りを見て欲しいですが。
http://www.library.metro.tokyo.jp/14/p052-1.html 「可憐」「清楚」というのは現代的なイメージだと思います。
キリスト教の影響下で女性観は聖母マリアや聖女が女性としての理想像になります。
古ゲルマン系のブリュンヒルデのような行動的な女性は消えていきます。
結果的に、キリスト教(修道院)の貞節、清貧、服従(沈黙)といった像が出来上がります。
それを現代的にアレンジした物が、「可憐」「清楚」なお姫様像なので、
中世にはそのようなお姫様は居なかったでしょう。
んな抽象的な個人の人格なんて、当てはまるだけならどんな時代・地域でも居ただろうよ。
白雪姫が清楚で可憐ってすごく変だぞ。
あの話のラストって継母を王子様のお城まで呼び出して
拷問掛けてめでたしめでたしで終わっている。
中学の時に読んでびっくりした覚えがある。
>>247 ヨーロッパの刑罰の中に街頭で衆人環視の中、靴を脱がせて辱めるというものがあったのは事実。
日本人からしたらただの笑い話だが、このスレ読んでると耐え難いものだったんだろうねぇ。
そう考えると、シンデレラにも何らかの暗喩があったりするのかな?
単純に考えれば
「魔女に作ってもらった靴が脱げた」=「ババァの入れ知恵で処女のフリをしたあげくに王子とやっちゃった」
ということでないか?
「闇の歴史」って本では「片足」ということと何か関係があるのではとか書いてたが・・・
本が手元にない
パンチラみたいなもんだよ>靴ぬげた
ひいき客たちの「で、パンチラはあるのか?」という要求に
昔も今も語り部たちは応えざるを得ないのだった
278 :
世界@名無史さん:2007/04/25(水) 10:26:31 0
昔話って奥深いよな
日本の昔話でもかぐや姫なんかは本当に奥深くてすごいと思うよ
>>276 王子とセックスしそうになったが邪魔が入って逃げた、とか?
そもそもグリム童話ってフランス由来の話が多いという話を聞いたが、
元ネタは王子でなくてどこかの貴族の子息だったりするんだろうか?
なんでも性と結びける奴っているよね
フロイト<呼んだ?
シンデレラという名称自体が、灰+女性器という意味を持つ名称に由来して
おり、ペローの話でも気のやさしい末娘がサンドリヨン=灰かぶりと呼んで
いる以外は、継母以下「灰まみれの御尻」と呼んでいます。
それ以前にイタリアのバシレ(1575?〜1632)が記録した話の中で
は、「灰だらけの牝猫」。
欧州で採集された話で一般に囲炉裏猫と呼ばれるのは、この系統らしい。
灰だらけの女性器→灰だらけの牝猫→灰かぶりor灰だらけのお尻
現代のフランスでは、牝猫は女性器の隠語ですが、当時はどうか。
尚、性器で相手を侮辱するのは、かつての日本や南太平洋にもありました。
シンデレラの類話は南方熊楠が最初に指摘した通り唐代には記録されており
(9世紀の『酉陽雑爼』で、作者は現地の発音などをそのまま記載して忠実に
伝える傾向があり、この話も江南出身の下男が語った話だという)、インド
や日本にも似た話があって、私も江戸時代生まれの老人から聞いたという話
を明治生まれの老人から聞いたことがありますが、ヨーロッパにおいてどれ
ほどの歴史を持つのかはよく分かりません。
少なくとも、中世には記録されていないようです。
>魔女に作ってもらった靴が脱げた
援助者は鳥や植物である場合が多く、靴も必ずしも登場する訳ではない(ガ
ラスの靴はぺローの創作かともいう)ものです。
伝承について考える上で大事なことですが、現在一般に知られている話とい
うものは、大抵が改変され、まとめられたもので、各地域ごとに伝わってい
た古い話と比較すると、重要な要素が後付である場合も、少なくありません。
>そもそもグリム童話ってフランス由来の話が多いという話を聞いたが
主にドイツに来たユグノーの間で伝承されていた話で、中産階級が書籍で得
た知識であったという説もあります。
洗練されたぺローの話が、おそらくは野卑な俗語で書かれていたバシレの話
を基にしていたように、書籍を通じて民話を「読む」ことは早くから好まれ
ており、ペローの時代にはイタリアのものがよく使われ、やがてフランスで
もそうした話が教化用の本となって出回りました。
そして、新たな採録にあたっては編纂者が手を加えるのが当時の常識。
グリム兄弟も、兄はともかく弟にはその傾向があり、第七版までの間にいち
いち教育的な「ドイツ人にふさわしい」ナショナリズムとも結びついた改訂が
行われています。こうなると、益々もって原型が分からない。
その時代の改変された話からは、その時代の傾向が見てとれるので文化史を
考える上では有益ですが、それ以前(中世)は闇の中。
>>278 よく出来ていますが、民間で語られていた話ではなく、漢文の素養のある人
物が最初に漢文で書き、後に別の人物が仮名に直し、求婚者を三人から五人
に増やすなどの改変を加えたもののようですね。>『竹取物語』
>「闇の歴史」って本では「片足」ということと何か関係があるのではとか書いてたが・・・
第二章「骨と皮」に出て来ますね。
オイディプスのようなギリシャ・ローマ時代の「目が不自由で片足に障害を
負った主人公」の系譜に位置するものとしています。
また、グリム童話にも(シンデレラ以外で)類話のある、主人公がバラバラ
にされ、骨にされた後で再生する話との繋がりを推定したものです。
(しかし、出て来る民話に日本と似た話があるのに紹介がないのは残念)
>主にドイツに来たユグノーの間で伝承されていた話で、
もっとも、ユグノーの多くが国外に逃れたのは1685年で、ペローがシン
デレラなどの入った童話集を出したのは、その10年後ですが。
この辺りの解釈の詳しい説明は、調べてみないと分かりませんね。
また、ペローの記した童話の数に比べてグリム童話は数が多過ぎる。
フランス由来としても、ペロー以外の影響が相当数あったか、それ以降もフ
ランスから流入していたのか。
びっくりしたニャー びっくりしたニャー!!
確か紀伊國屋からシンデレラに関する本が一冊出てたな
288 :
世界@名無史さん:2007/04/26(木) 00:05:17 0
シンデレラの、「靴がぴったり合う」と言う話は
支那の纏足がヒントになっている、という説がある。
つーか普通に「灰+(女性)縮小辞」だろ
お尻とか女中とかわけわからん
お尻をペロー
太陽戦隊サンドリヨン
>>290 Le surnom de Cendrillon vient d'un amalgame entre les mots "cendre" et "souillon"
どこでは「普通」なんだ?
ま、君がフランス語が出来ないことはわかったよw
294 :
290:2007/04/26(木) 21:05:06 0
あ、そう書いてあるんだ
そりゃ悪かったな
295 :
世界@名無史さん:2007/04/27(金) 08:44:00 0
灰と売春婦?
296 :
世界@名無史さん:2007/04/27(金) 17:02:24 0
>>289 cucendron
cul と cendre からの造語。
298 :
世界@名無史さん:2007/04/28(土) 11:34:36 0
けっこうけだらけねこはいだらけ
いやなんでもない
299 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 23:39:00 0
前スレの最後に、
「北欧の映画で、鍋のシチューを盛り付けるのに杓子を使わず、椀で直にすくっていた。」
という話があった。
柳田国男の「遠野物語拾遺」によれば、明治時代に遠野近郊の村で、
同じように杓子を使わずに椀で直に鍋の汁をすくっていたという。
ブリューゲルの絵の農民はお皿に盛っていたな
おねだん★るかか
ケン・フォレットの小説「大聖堂」はおすすめ
303 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 13:38:53 0
日本だって食器や箸は使っていたが
最後に湯を注いで漬物で椀をなでるように掃除してから
片付けていたんだぜ
うちの婆ちゃんもそうやって食事を締めてた。
親や俺は「もうやめてよー婆ちゃーん」とか嫌がっていた。
だが、宮本常一などの著作に触れた今にして思えば、
あれは井戸水を節約し、洗いものなどの家事を楽にするという
歴史的に庶民の身体に刻み込まれてきた立派な生活文化だ。
高度成長期で「やわらかい伝統」の多くが断絶したんだなあ、ということがひしひしと解る思い出だ。
スレ違いすまん。
節水と言うより
箸や食器にまつわる宗教的な儀礼の方が関係があるんじゃないかな。
食器を洗わずにお茶でシャカシャカ。
最後にそれを飲み干すってお寺の修行でもそうだよ。
特別あらったりしない。
でも儀礼というより作業の簡略化のような。
映画版「たそがれ清兵衛」でもそうやってたな。
食べ終わった後の茶碗にお湯注いで、漬物で茶碗にくっついた御飯粒こそげ取って、お湯と一緒にズズーっとすすってた。
宗教とかそういう問題じゃなくて、単純に食べ物を大事にしていたってことなんじゃないのかな。
308 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 17:31:48 0
日本人の清潔感と言われるが
少なくとも江戸時代まではそうやって食器を洗っていたわけで
まあでも食いっぱなしじゃなくお湯ですすいでしまうっていうのが
あの時代にしては清潔だったのかな?
309 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 17:38:50 0
ヨーロッパは町中に排便を撒き散らし、ねずみが繁殖して黒死病が蔓延し滅亡しかかるほどの不潔さ。
生活はゲロはくくらいの不潔ぶり。
>食べ終わった後の茶碗にお湯注いで、漬物で茶碗にくっついた御飯粒こそげ取って、お湯と一緒にズズーっとすすってた。
うちでは今でもやっていますが・・・そんなに珍しいことでしたか。
漬物も昔はやっていましたね。漬物は昔の来客時のお茶請けでしたし。
洗い物という面では、とりあえず川が目に見える範囲内にあるような所にあ
っても、高度経済成長期までは一週間に一度しか食器をまとめて洗わずにお
いたという土地は、珍しくありませんでしたね。
節水と、今ほど頻繁に洗わねばならないという観念がなかったせいでは。
ふくのは、代わりと言えば代わりでしょうが、嫌な気にもならなかった。
風呂も毎日浸かっていたら、汲むのが大変な水と、採ってくるのが大変な薪
(現金収入)の消費が馬鹿にならない。
わざわざ汲んでいた時代と、蛇口をひねれば水が出て、ついでにお湯も出て
くるという時代では、洋の東西を問わず感覚は変わるでしょう。
湯を用意すること自体に時間と労力を費やしていた時代があった訳で。
>うちでは今でもやっていますが
失礼、漬物抜きでお茶を注いですすっています。
ご飯粒は普通に箸でとりますね。「あんたみたいにボサーッとしとっても、
米の一粒も出来んのんよ(だから一粒も残すな)」と、昔百姓出の母からよ
く言われました。
312 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 18:53:52 0
するとアレかい?
机をくりぬいたところにパンを敷いてシチューを食べて
最後はパンでキレイに拭き取って食べれば欧州とてそれほど不潔だったわけではないのでは?
313 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 18:57:23 0
>>311 ところでお前は
一 体 何 も の だ
314 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 19:49:27 0
江戸時代は、食器を洗うのは月に一度くらい。
普段は食事を済ませた後の飯碗や汁椀に茶や湯を注いで飲み、布巾で拭って
箱膳に納めて終わり。
当時は油濃い料理が無く、食器もたいして汚れなかったのでこれで充分だった。
ところで、山野様、手元に「遠野物語拾遺」無い?
もしあったら、自分が上に書いた「遠野周辺の村では、椀で直に汁をすくった」というのを
詳しく書いて下され。
手元にその本が無いもので。
日本史板でどうぞ
箱膳なんて江戸時代どころか
ほんの数十年前まで各地で現役でしたよ。
今でもそういう生活をしてきたお年寄りなら、
マイ食器を洗うのを嫌ってマイ箱膳を使ってたりします。
佐々木君の村の者が、栗橋村の話をするのに、あの辺では鍋を中心に
円座になって、めいめいが鍋から直接に椀で飯を掬って食う。
汁もその通りで、この男が豆腐だけ食って汁を残しておいたら、家の
主婦が気を利かしてそれを鍋にあけて、またその鍋の中から豆腐ばか
りを盛ってくれた。しかしいっこうに咽喉を通らなかったと。
土淵村ではそんなことはせぬが、便所で紙を使う家はまだほとんどな
い。その棒をカキ木といっている。
平安時代後期には京都では紙で尻を拭いていますが、棒の使用はこの
岩手や秋田などでは昭和初期まで見えていたようです。
この鍋の記述の前には、裸で寝ていたことが見えていますね。
318 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 00:00:50 0
家の隅っこに「納戸」という、藁や布団を敷き詰めた狭苦しい部屋の中で一家全員が寝るんだよね。
寒い東北ならではの工夫。
確か中世ヨーロッパでも、一家全員がひとつのベッドで裸で寝るんじゃなかった?
>確か中世ヨーロッパでも、一家全員がひとつのベッドで裸で寝るんじゃなかった?
岩波文庫本『狐物語』の注4にもそう書いてありますね。
裸で寝るといえばまず中世ヨーロッパが連想されるので、挙げておきました。
近年では必ずしも裸かシャツ一枚での就寝ではなかったとされているようです
が、それでも裸で就寝したかのような記述や絵が多いようですね。
暖を取るために犬とかも一緒に寝たと聞く。
それ故にペットに対する愛着も一入とか。
321 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 00:40:23 0
家畜と一緒に寝たという話を聞いたことがあるなァ。
ローマ時代もやってたんかな
323 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 02:27:01 0
>円座になって、めいめいが鍋から直接に椀で飯を掬って食う。
こんな真似すれば、椀のまわりに飯粒がベタベタひっついて収集がつかないだろう、と一瞬思った。
しかしよく考えれば、このあたりの日常食は粟か稗。
雑穀飯ならば粘りが無いからそう厄介でもないか。
324 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 04:17:43 0
>>320 平安貴族は、奴婢の幼児を湯たんぽ代わりに用いていたって、本当?
325 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 04:37:56 0
ぬこを布団に入れてあったまるのは、ぬこ好きならだれでもやっている。
326 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 05:09:21 0
>>318 ダニとかシラミの、文字通り、温床で寝ていたわけね。
なんか、昔の田舎の犬小屋のイメージだな。
寒いと死んでしまうからね
多少の虫なら我慢する
328 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 10:02:12 0
こうやって過去のスレなどを見回してみると
つくづく人間の命の価値なんて無かったんだなあって思うよな
329 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 11:19:08 0
うち、中世なんだけど・・
330 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 11:45:26 0
実際に中世どころか近代まで
一般庶民が劣悪な環境に置かれていたことに疑いはないわけだが
日本だってここ数十年だろうに
331 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 13:03:44 0
>>328 人間の死に対する「鈍感力」があったのだよ。
すべてについて「鈍感力」がないと生きていけないの。
うちの田舎では、天寿を全うすれば、それだけで葬列の先頭で小銭、撒いてたものな。
都市とかだと中世より近世の方が生活環境が悪化してるような
>>331 鈍感力というか慣れだろうよ。
昔は王侯貴族でも平均して子供の二人に一人は死んでたから、
自ずから人の死に慣れる。
平均寿命も今よりずっと若かったから、人口100人程度の村なら
多分ほぼ毎年、誰かが死んでたろうしね。
南米だったかな。子供が10歳まで成長するとあとは一人で生きて
いきなさいと親に捨てられる子が多くて、それがストリートチルドレンが
増える原因って聞いたんだけど、中世の農村部とかどうだったんだろう。
まず、キリスト教だから堕胎はできない。はなから家族計画なんて考えは
ないだろうし、新生児の死亡率はめちゃ高かっただろうけど
それでも生き残ると貧しければ捨てられたとかしたんだろうか。
中世じゃ、電車乗って都会にでてくるってわけには行かないよな。
あー、もしかして人買いとかいたとか
336 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 19:21:07 0
南米ゲリラとかって10歳だか13歳だかになると徴兵されてたんだってな
今でもそうかはしらんけど
>>324 奴婢というと差し障りがありますね。戦国期の戦争で売り買いされていた人々
も、国内なら状況次第で自由になれる権利がありましたし。
『伊曽保物語』の主人公伊曽保ことイソップの姿は、中世末期から近世初期にか
けての「下人」と主人の関係を窺わせる描写になっていて興味深い。
それはさておき、肝心の湯たんぽ代わりの少女についてですが。
『今昔物語集』の、例の「芋粥」の五位が越前の館でお世話になっています。
「御足参れ」という主人余五将軍(藤原良仁)の命で来たのは、「気配にく
からぬ」少女であったので、そのまま「風の入る所」に向けて寝たとか。
風塞ぎというのは今では分かりにくくなりましたが、かつては隙間風が入り
こんできたので、寝室に立てた屏風などで風を防いでいました。
アルミサッシの普及によってこうした寒さも消え、今時火鉢や囲炉裏を屋内
で使用したために、一酸化炭素中毒になる事態もたまに起きていますね。
少女で温まることは『沙石集』にも出て来ますが、勿論性的な意味の奉仕と
いう意味も含んでいたでしょうね。
特に五位は都の有力貴族の屋敷に仕えていた人物であり、良仁は有力貴族と
の間に地方からパイプを作ろうとして五位を「接待」したようですから。
実はあの話、都から地位のあるお偉いさんを連れてきて、財力はあるが地位
に不満のある人物が接待し、互いに利益を深めようとした話らしい。
>>334 >多分ほぼ毎年、誰かが死んでたろうしね。
中世日本における人身売買は、飢饉などで死ぬ命を救う代わりに下人化する
のだという論理に支えられていましたが、この手の文書を見て行くと、記録
上、特に「飢饉」があったとされていない年にも飢えた人々が出て来ます。
日本の過去帳や中国の族譜の研究によれば、毎年収穫の前には他の月よりも
目立って死人が増えており、明らかに平年でも餓死者を生じていたらしい。
餓死者が出ること自体は普通のことで、「飢饉」とはされていなかった。
死者に季節性がなくなるのは、日本では19世紀、中国では18世紀から。
中世ヨーロッパでも、似たような状況だったのではないかと。
>>335 >キリスト教だから堕胎はできない。
建前はともかく、実際には堕胎もあったようです。
>それでも生き残ると貧しければ捨てられたとかしたんだろうか。
中世ではありませんが、ヘンゼルとグレーテルは口減らしの話ですね。
アントナン・カレームも、10歳未満で父親に放り出されています。
欧州における「子ども」の誕生以前の話ですが、欧州りは早い日本でも多分
戦国期頃に「子ども」が誕生しており、それより前なら10歳未満で勘当さ
れて放り出された話もありましたね。
>鈍感力というか慣れだろうよ。
・11世紀の貴族の日記。屋敷の下働きをしていた女が死に、8歳の娘がそ
の辺を(食べ物も与えられず、働き口も得られず)うろついていたが、先
ごろ道端で餓死していた。その後、死体を食べた犬が娘の頭をくわえてき
たまま邸内に入ってきたので、神事に参加する予定が中止になった。
・12世紀の下級官人の回想。朝出勤する時、道端に赤ん坊がいたが、ほう
っておいたことがあった。夕方帰り道を歩きながら「もう犬に食われている
頃だろう」と思って見ると、まだ無事だった。不思議なこともあるもんだ。
慣れていますね。この時代にわざわざ助けるのは子無しか僧侶ぐらい。
教会にいくと小窓があり、そこのお盆に赤ん坊を載せてくるっと回し、
内側で尼さんがそれを受け取る。
この中世ヨーロッパのシステムを、今日本で導入する動きになってる
※赤ちゃんはシスターがおいしくいただきました
>>335 ずっと後の近世になっての話だけど、プロイセンのフリードリヒ大王が
「堕胎した女に対する凄惨な処刑方法」を廃止する勅令を即位直後に出してる。
他にも堕胎せずに済む政策を色々出していて、察するに堕胎自体がもうこの頃には
余り珍しくもない事柄ではなかったかと思う。
中世と近世の農村で避妊や医学に関するレベルがどの程度違っていたかにも寄るけれど、
洋の東西問わず中世にはレイプも多かったそうだし、やることやってりゃ子供が出来るわけで、
それが望まれない妊娠だった場合には堕胎という選択肢もあり得たと思う。
343 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 22:18:45 0
>>338-339 >平年でも餓死者が出る。
>道ばたに死にかけた人が普通に転がっている。
北朝鮮の内情を伝えるテレビ映像が思い浮かんだ。
中世史家は、北朝鮮で一年暮らすべきだ。
中世を体感できて、きっと史料が生きて見えてくると思う。
344 :
世界@名無史さん:2007/05/08(火) 23:27:51 0
失礼します。
中世ヨーロッパの人々の暮らしがわかる一般向けの文庫本を
探しています。できれば高校世界史程度の知識でも
理解できるような物であるとありがたいのですが、いかがでしょうか。
あれば是非ともご紹介願いたいです。
>>339 将来、現代日本を、幼児虐待で、一日に一食のみで餓死
とか教育のために体罰で死亡とかすごい世界と評価されるんだろうな。
>>344 河出文庫「中世の森の中で」(世界の生活歴史シリーズ6)
講談社学術文庫「中世ヨーロッパの城の生活」
辺りはどないじゃ?
阿部謹也『中世を旅する人々』とか『ハーメルンの笛吹き男』とか
迅速なレスありがとうございます。
>>346 前者の「中世ヨーロッパの森の中で」読んだ事があります。
日々のお祈り、教会の時報の回数を始め詳細な記述が良いですね。
後者は読んだことが無いので、明日にでも書店へ探しに行こうかと思います。
>>347 やはり阿部先生の名前は挙がりますか。
有名な方ですが、実はまだ一度も著書を読んだことがありません。
高校の時分、世界史の授業で先生が紹介してくれましたが、
今の今までスッカリ記憶から抜け落ちていました。こちらも明日あたってみます。
古い本だけれどアイリーン・パウア(三好洋子訳)の『中世に生きる人々』(東京大学出版会)も中々いい。
351 :
世界@名無史さん:2007/05/09(水) 10:54:03 0
>>333 漏れは新潟県民。
岐阜でも、小銭を撒いていたの?
352 :
世界@名無史さん:2007/05/09(水) 13:16:17 0
子供がそもそも丁寧に扱われるようになったのもつい最近のことですもんね
353 :
世界@名無史さん:2007/05/09(水) 13:28:51 0
>>331 話だけ聞いてると
晩年の黒沢映画のように大らかで夢幻的な光景に思えるな
>>354 だから、黒沢映画じゃなくて、
>>343の言うように北朝鮮の内情レポの映像だって。
>平年でも餓死者が出る。
>道ばたに死にかけた人が普通に転がっている。
北朝鮮の内情を伝えるテレビ映像が思い浮かんだ。
中世史家は、北朝鮮で一年暮らすべきだ。
中世を体感できて、きっと史料が生きて見えてくると思う。
356 :
世界@名無史さん:2007/05/09(水) 15:27:06 0
考えたら昔の場合、多産多死は当たり前の話だが、一人の女性が生む子供の数は
平均して何人ぐらいだったのだろう?
平均10人程度生んだとして、その内成人に無事成長するのが5人だとしたら、あっと
いう間にマルサス理論の限界に到達するな。
そりゃ飢え死にもデフォになるわ。際限なく増え続ける訳にはいかないし、戦争や飢饉、疫病が
人口調整の役割を負っていたのかもね。
あと、スコットランド地方などで、取替えっ子?とされた赤ん坊をそのまま森へ捨てる風習か何か
無かったっけ? 今の世の中に生まれてホントに幸運だと思う。
358 :
世界@名無史さん:2007/05/09(水) 15:48:32 0
子供を取替えっこして食べたどこぞの国よりもいいじゃないか
>>350 ありがとうございます。
今から本屋に寄る所なので
そちらもチェックさせていただきます。
古代の我が国には片輪の子を樹上や山中といった異界に捨てる習慣がありま
したが(説話ではその後拾っているので、擬似的な捨て子だったのかもしれ
ませんが)、取替え子の習慣はシェットランド諸島やマン島にも見られ、そ
こでは片輪の子を妖精の子扱いした虐待も見られたということです。
取替え子信仰は妖精譚の中でもとりわけ古いもので、ティルベリーのジャー
ヴァス(1150〜1235)やその友人のコギシャルのラルフといった年代
記の作者たちが記録に遺しています。
なお、ジャーヴァスは当時のイングランドには人狼がいたことを記しています
が、同時代にはロンドンに吸血鬼伝説を思わせる事件があった(近代まで東欧
に伝わっていた伝承とそっくり)ことが別に記録されています。
吸血鬼伝説と人狼伝説は東欧に広く伝わっていますが、前者に関しては古くは
西欧にも伝承されていたという説があり、人狼もそうであったのかもしれませ
ん。余談ですが、ルーマニアでは1990年代以降も吸血鬼化したという親族
の死体に杭を打ち込んだり、人狼が出たというので騒ぎになったり、政府が合
法とした魔法でサッカーの対戦チームを呪ったりしています。
(西アフリカの人々は、ワールドカップでもやっていましたが)
小人の子供は、たいてい見世物師に売られていた。
当時の版画にしばしば採りあげられている。
インドで黒魔術を使ったとされた老夫婦が火あぶりにされたらしいね
特に珍しいことでもないらしい
ドイツでも農村部では20世紀まで魔女狩りがあった。
>生命の根幹は主の維持
根幹って部分が良くわからんが、これは基本的に間違いじゃないかな。
種のために自分を犠牲にするような個体はいないし、
生命個体は基本的に利己的な存在。
同じ種でも自分の遺伝子を残すために死ぬ奴は聞くけど、
他人の遺伝子を残すために犠牲になる種なんて聞いた事無いしな。
すみません↑誤爆しました。
>366 社会性ハチ類の行動様式について子一時間(ry
.,
372 :
世界@名無史さん:2007/05/25(金) 18:04:40 0
このスレはうんことエッチと食い物の話題がないときは本当に伸びないなw
>>372 人間の欲望が歴史を作っているからさね。
食い物と女を書けたら一人前と開高健も言ってた
375 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 13:21:10 0
食べるモノの制限ってあったのかね?
上の方でじゃがいも云々はあったみたいだが
肉とかの種類とかも決められていたんですかね?
狩猟権がなかったら家畜の肉くらいしかなくね?
377 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 18:22:39 0
山野野衾 ◆CXSSL1llHI
こいついい加減にして欲しい。
なんで関係の無い世界史のスレにまで顔を出すんだ?
日本史板に篭ってろよ、カス婆あ。
>>36 なんて完全に日本史の範疇じゃないか。ふざけるな。
>>377 そう思ったら、「カス婆あ」の山野を圧倒するハイクオリチーな
中世ヨーロッパ関連の書き込みをしてくれ。
うん、君ならきっとできる、とおいらは思うぞ。
山野に及びもしないゴミが何かほざいてるぜ
婆あ養護に必死だな。
関係の無い日本史の知識をひけらかすから嫌いなんだよ。
誰も世界史関連のレスで叩いているわけではない。
少しの世界史レスに大量の日本史レスが混ざるのが婆あクオリティ。
それがむかつく。
子供みたいなやつだな
けっこう役に立つレスすると思うよ>山野
ていうか、婆って事は女だったのか
今頃になって唐突に山野さんを叩きだしたな。
こいつ、単にスレを荒らしたいだけじゃね?
384 :
よろずこ:2007/05/30(水) 23:26:01 0
山野はコテハン+トリップ。
叩きは名無しさん。
比較するのも何だかなあ。。。
>380
山野は日本史の知識をひけらかしているわけではない。
歴史の知識をひけらかしているのだ。
おたがい、がんばろうではないか。
俺もはじめて女だと知った
ウザいと思うなら読み飛ばせばいいのに
コピペ爆撃を受けた時の要領でさ
自分の劣等感を刺激されるんだろ
山野女史は旧帝大の教壇に立つお方だからね
男では?
389 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 09:32:45 0
なんで山野スレになってんだよw
390 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 14:16:10 0
東大の岸本美緒先生かと思ってた
391 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 18:18:18 0
で、肉食の規制の話なんだが
宗教的には肉食禁止期間だけかな?
392 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 21:25:54 0
「修道院内での肉食を糾弾する聖フゲ」って絵があったね。
山野が女だったとはなあ
山野さんってちょっとトウが立った感じの美女だと思うんだ
寝物語で中世日本史の話か…いいなあ
正直、一番迷惑なのは山野叩きでもなく山野自身でもなく山野のタイコ持ちどもだな。
この手の奴らがコテとスレの両方を腐らせるんだ。
コテにいちいち噛み付くアホが全て悪い
山野ゼミの学生は狂信してるからな
そろそろスレタイの話題に戻りましょう
肉屋ではギルドにより犬、猫、馬の肉を売ることが禁止されてた。
肉屋と鶏屋と魚屋は別のギルドで、お互いの物を売る事も禁止。
401 :
世界@名無史さん:2007/06/04(月) 10:26:19 0
なるほど
宗教的理由というよりギルドの理由か
大学間交流とか留学とか頻繁に行われていたの?
教授の招聘や就職、学生の入試とか編入は?
大学は象牙の塔だ。交流なんかない。
え、そうなの?
学者や教授職にもギルドがあると聞いたけど。
ギルド外の人と結婚するのも難しいほどだよ
406 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 11:22:54 0
ギルドを使ったカースト制度みたいなもん?
いわば貴族階級
408 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 13:58:08 0
未だにイギリスではこうした階級が残っている
日本は木っ端微塵に打ち壊しすぎてなんでも大衆迎合になってしまった
どっちもどっちの世界だな
409 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 20:24:56 0
>>408 打ち壊したのはアメリカ(欧米)勢力なんだけどな。
410 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 22:54:37 0
____
/ \
/ _ノ ヽ、_ \ もう、玉ねぎと少量のベーコン、汚れた塩で味付けされたスープと
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 貴族が皿として使った黒パンばかり食べるのは嫌だお
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
____
/ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ また今日もジャガイモに塩胡椒だけの夕食がはじまるお…
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
カラシもつけろよ
414 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 23:52:39 0
23時に夕食はねーよ
辛子も高いんじゃないの?
416 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 00:36:44 0
農協も一種のギルドじゃねえか。百姓ギルド。
カラシは一般的な調味料
418 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 00:43:46 0
芥子は温帯でも栽培できるものね。
唐辛子があれだけ広まったのは、温帯でも栽培できる、という利点があったから。
馬車にスプリングがついてない。 凸凹道だとひっくりかえることもあった。
長旅のときは腰を痛めたろうな。
420 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 01:23:55 0
ていうか、ゴムタイヤが無い。馬車はとにかく乗り心地が悪かった。
アメリカ西部へ向かう開拓移民が使った「幌馬車」は、荷物を載せるためのものだった。
人間は馬車の脇をついて歩いた。
馬車や馬に乗って移動した時代、痔がつき物だったそうだ。
痔ろうの手術について、色々身の毛のよだつ方法が残されている。
ろう孔に絹糸を通し、少しずつ縛っていって肉を断ち切ってしまう方法。
鉄ごてをろう孔に突き刺し、焼いてしまう方法。
メスでろう孔を切り開き、患部を切り取ってしまう方法。
なんか肛門がうずいてきた・・・
423 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 04:20:07 0
うほっ♪
424 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 09:51:40 0
ギルド=商工会
切れ痔の俺にとって戦慄の事実
医学の本場、独逸では、いぼ痔のことを「ゴルト=金鉱」という
427 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 14:36:58 0
>>419 それでも欧州のような平坦な侵食平野においては、絶大な威力を発揮したんだけどな。
馬車は。
日本の場合、山がち過ぎて陸上輸送はあまり省みられなかった。逆に島国を生かして
海運が発達したのもその所為。まあ、家畜の去勢技術が無かった、てか仏教思想やケガレ・キヨメの
思想が強くてそれらの考えが穢れた物、ってのもあるが。
精々が牛車程度が都市部で実用とされてただけ。(それも平安期以降は廃れた)
馬車でも牛車でもいいが、もし武士がそれらの乗り物で参勤交代を江戸までしたら、あまりの揺れと
衝撃に寿命を縮めただろうw てか山道だと事故が多発しそうw
ある意味、駕籠でゆらりゆらりと人に担いでもらう形式の方が安全で快適だったんだろうな。
日本は道自体狭いしね。
第一大きな馬がいない。
モーツァルトも幼少からの馬車旅行が体に障ったと言うし、馬車恐るべし。
揺れで体壊すってのが実感できない。
腰や背骨などの骨格にダメージが蓄積されるのかな。
430 :
世界@名無史さん:2007/06/08(金) 00:14:59 0
何故、「痔」はやまいだれに寺と書くか?
それは、女人禁制の寺で、ウホッな行為が行われたからである。
>>429 体はそういうダメージに対応してない。
普通に自動車に乗ってても悪路を走って快適ではないだろ?
舗装のされてない道を馬車の車輪だぞ。
骨格どころか筋肉、神経、内臓などに不調を来すよ。
ゴムタイヤって偉大な発明だよな
マウスのクリックのしすぎでも腕(指ではない)がおかしくなることがあるから気をつけよう
一般庶民は豆をよく食べてたの?
まめに暮らしていました
豆と蕪は庶民の大切な食料だお。
後は白水Uブックスの「中世のパン」でも参照してくらさい。
そういえばジャックと豆の木とか大きな蕪を引き抜く話とか
あったな。すると農夫とかには鶏じゃなくてがちょうの卵が
ごちそうなんだろうか。
>>431 中世のお姫様なんか、遠方の貴族と結婚するときは当然馬車での移動だったと思うけど、
モーツァルトみたいに年単位ならともかく、その程度なら大丈夫だったんだろうか。
それともヤバくて病気になったりした?
具体的な症例とか残ってないのかな。
440get!
>438
中世のお姫様は騎馬か川船の気がする
輿もあったんじゃね?
山野が女なわけないだろ。
444 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 01:52:08 0
>>441 お姫様は騎馬なんかしません
馬車が通れないところは騎乗することもあったらしいですけど
大半は馬車
馬車がバシャバシャと川を渡る
ひどいレスだ…。一ヶ月馬車に揺られるよりひどい。
ゴムは新大陸(南米)の物産だからな。それまでは車体のほうでどーにかするしかない(タイヤをダンロップが作るのは1888年のことだ)
普通の騎乗はПみたいになってるがお姫様座りな騎乗だと片側に両方の足を投げ出すような格好になる。ただそれだとスピードが出るとスカートがめくれてしまうから下着を着ないとブラボー!なことになる。
チャイナドレスのスリットは騎乗のためにあるのであっておっちゃんが手入れるためにあるんじゃないんだぞ
靴にかかとがない。 農民は木靴か布、もしくは裸足だった。
しかし、駕籠だって楽な物では無かったらしいぞ。庶民の乗る駕籠なんか歩いている方が楽だったそうで。
今でも車のサスペンションは大事だからなあ
タイヤがパンクしたままチャリに乗ったらケツの痛いこと痛いこと…
やめて
おしりが
いたいの
・・・甘いものってハチミツだけだっけ?
ハチミツをローション代わりに?
ローションなど!
455 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 21:50:51 0
>>429 いま、体をマシンでブルブル振るわせる10分ダイエットが流行だろ。
あれが何時間も続くようなものじゃね?
ゴムタイヤはなくとも、サスペンションぐらいはなかったのかな?
馬車というと薔薇の名前で審問官が乗ってきたのが思い出される。
薔薇・・・
痔・・・
ウホッ
ホモは沼に沈められるんだぜ
461 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 10:12:45 0
自分の愛馬と恋人関係になってしまう騎士も多かったようで・・・
スペイン宗教裁判
実は異端審問の本場はフランス
464 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 16:29:50 0
いま乗馬ダイエット?ってなのが流行っているよな。サドルが馬に揺られているように動くのw
てか、乗馬するだけでなんで疲労するのかさっぱり判らなかったのだが、あのくねくねと動く
馬上を、落ちないように体を常に維持するだけでも腰にすげー負担が掛かるのが良く判った。
馬車もサスペンションとかが発明されてなかったら、最悪の乗り心地なんだろうな・・・・・・
ロデオボーイのエロさはガチ
あれは騎乗位ガールと名を変えたほうがいいな
整体師が、あれは腰の骨を痛めるって言ってたよ
468 :
よろずこ:2007/06/10(日) 23:13:13 0
ダイエットのために、乗馬をしています、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、
>>427 >それも平安期以降は廃れた
江戸期までありましたが。荷物運搬用の牛車に人が乗っている絵はありますね。
まあ運搬のついでのようなもので、乗用ではありませんでしたが。
18世紀末に日本に馬車を導入する計画が実行されていれば・・・。
470 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 01:28:47 0
ヨーロッパみたいに道が馬糞だらけになるお
日本ならせっせと拾って肥やしにしたかも
中世の都市の貧民は半地下の家に住んでる場合が多いらしいけど、
そういった住まいの場合、窓は地面のすぐ近くに空けられているんだと。
衛生環境が劣悪な都市地域だと、やっぱり糞尿やゴミなど入ってくるのかな。
肉煮てたら窓から馬糞がドボン、とかすげえ嫌だな。
最近の「タイムライン」や「ナイツテール(ロック・ユー)」はともかく、
「モンティ・パオソン ジャバ・ワッキー」は映像的にどうでしょうか?
甲冑騎士の乗馬に起重機をつかったりなんかしてるけど。
個人的には「モンティ・パイソン ホリー・グレイル」が好きです。
モンティ・パイソンいいですね
>>472-473 要するに竪穴式住居。
イングランドやドイツ北部、東欧や北欧の農村部(ケルト系、ゲルマン系、スラブ系)でラテン系は少なかったと思ったが。
牛車は江戸期どころか戦後も農家で使われてた。
そういえばナチスのミサイルも牛車で運搬してたとか。
>>474 あれって馬の代わりにお椀でパカランパカランてやってるやつじゃなかったっけ?
>>476 1500年頃の都市風景(リューベック)に関する記述なので半地下と言っても
もっと確りした構造物を想定していたのですが、この頃の貧民住居も
竪穴式と呼ぶにふさわしいものなのでしょうか。
竪穴式というと弥生人みたいな簡素な物のイメージが沸くのですが。
竪穴みたいなのは農村とかじゃない?
>>477 ゼロ戦等も工場から飛行場まで牛車で運搬してたり
舗装されてないため、トラックが使えなかった
映画「青島要塞爆撃命令」でも、複葉機を牛車で運搬してたな。 「ハイヨ〜、ハイ!」
スレ違いかもしれませんが、ちょっとお伺いしたく。
歴史や偉人、有名人についての参考文献は星の数ほどあるのですが
当時の風俗について詳しく触れた本がなかなか見つかりません。
パリ等の有名な都市にだけスポットを当てた物ではなく
その時代の生活全体について参考になる文献はありませんか?
とりあえずこの辺りを読んどきゃ、大きな誤解はなくなるんじゃね?
といった物があれば、是非ご教示いただきたく。
>>482 最大の要因は振動対策なんだな、これが。 輸送車両でも運べない事はないが、舗装してねーので
そこを高速で移動すると折角作ったヤワな機体に損傷が起きる。
でゆっくりと無理なく運べる牛車が登場と・・・・・・・・・・
平安時代に牛車が用いられ、馬車じゃないのか? も風情やら実用性やらにどうやら理由がありそうなのだが。
486 :
世界@名無史さん:2007/06/12(火) 15:01:40 0
487 :
世界@名無史さん:2007/06/12(火) 15:23:59 0
平安時代の牛車をゆっくりまったり動くモノだと思っていられるかもしれませんが
源氏物語なんかでも出てきたりするはずですが牛車競走なんてのがありまして
それが原因で中の人が病になってしまったりもしていたはずですが
>>484 有名どころで
阿部勤也先生の著書には目を通されましたか?
阿部謹也ね
↑訂正サンクス
>>477 >牛車は江戸期どころか戦後も農家で使われてた。
江戸時代云々と申し上げたのは、貴族用の乗用の分です。
荷物運搬用であれば、確かに昭和30年代になっても見られた。
一緒に荷運び用の話までしてしまったので、誤解されたのでしょうが。
>>485 >>487 車競いのことですか。あれは見物時の場所取りのことですよ。
車同士で競争した例もなくはないですが、非常時の話です。
乗り心地はやはり慣れないときついものがあったらしく、源義仲が散々な目
に遭ったとか、坂田金時らが牛車で祭見物に出て酔って死にそうになったな
どの話があります。
暴れ馬に乗るのとはまた違った困難があったらしい。
牛車酔いとかあったんですかねえ
牛車に乗ってみたい
石垣島とか行ったら乗れるよ
牛車で死にそうになったのなら、馬車なんて話にならんな、日本の場合w
爪きりとかどうしてたんだろう
普通に生活していれば、爪は磨り減るので伸びない。
爪が伸びても、噛むなりキザギザしたところで削るなり、いくらでも方法はある。
>普通に生活していれば、爪は磨り減るので伸びない。
(´-`).。oO(…?)
爪は切るものじゃなくて、とぐものだったんじゃないかな
やすりだったら爪きりよりありそうだし
>497
爪が磨り減る普通の生活ってどんなだ
相撲取りとか
>>497 爪噛んでたら爪も指先も痛むし第一かっこ悪いだろ
それに猫みたいに爪を研ぐのか?
当時はみんなそうしてたの?
爪が伸びないのなら爪切り屋さんはみんな廃業だね
農作業について想像することすら出来ない知能のヤシが連レスするスレはここですか?
505 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 22:53:28 0
古代・中世とか未開地の自給自足生活では、さまざまな日常の手作業で爪が磨り減るんだよ。
名前忘れちゃったけど、何とか言う文化人類学者が太平洋の孤島の未開部族と一緒に
生活したときに、爪きりの必要がないことに気付いたとか何とか書いてた。
爪が伸びないっていうか、爪の伸び量と爪の磨耗量がほぼ同じになるからだとか。
507 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 23:38:34 0
>>506 爪切りしてた人もいるだろうから
全ての人間が爪を切らなかったみたいに言ってるのがおかしいんじゃない?
それとも未開地の自給自足生活限定の話題なの?
その話題もういいよ
509 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 00:12:38 0
あくせく働けば爪は磨り減って伸びない。
だから「爪を伸ばす」というのは、「あくせく働かなくていい。」ということで
一種のステータスだったんだよ。
西太后の映画見たやろ?
日常生活で磨り減るって言ってるじゃん
>506、509
足の爪はどうすんのよ
ゲラゲラ
爪切りが無いなら、普通の鋏で切ってもいい。小刀で削ってもいい。石壁に擦り付けてもいい。
「サザエさん」に、普通の鋏で爪を切る場面がある。
「夜に爪を切れば、親の死に目に会えない」という迷信が有るように、爪切りは
古くから行われていた。
中世でも爪が伸びるような境遇はいくらでもあったからね。
>>510-511 お前がこのスレがなんなのか理解できていないことは理解してやったから、さっさと消えろ。
>>512 > 「夜に爪を切れば、親の死に目に会えない」という迷信が有るように
このことわざは時代的にいつごろからあったわけ?
時代は知らんがこれって
夜に爪切りしたら怪我をしやすくそこから病原菌が入って死亡するケースが多く
親より早く死ぬから「親の死に目に会えない」って聞いたけど
爪や髪は本人の分身だから、
夜に爪を切って暗がりで回収できなくて、
他人の手に渡った場合、
それに術が掛けられるから、という説もある。
>514
で
足の爪は?
>514ごめん
>513
答えてくれたら消えるよw
まさか
答えられないから消えてくれって言ってんの?
519 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 10:57:46 0
爪を伸ばしている女は嫁に貰うな
と死んだばあちゃんが言ってたらしいです
520 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 11:38:23 O
農作業の話の流れですか?
この時代、窓ガラスっていつ頃からあったんでしょうね?動物の膀胱の革を窓枠に張ってたって、キニャールの小説で読んだんですが、寒かったろうと、変な心配してしまいました。
521 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 14:46:44 0
ロシア辺りでも使われてたようだけど>膀胱
寒いときは鎧戸でも下ろすのでは?
522 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 16:10:52 O
あの瓶の底みたいな丸ガラスの窓も、かなり後期でしょうか?もちろん農村部なんかだと、フランスあたりでも18世紀位まで、普及しなかったんでしょうね?
13世紀のロンドンのリッチな繁栄ぶりをあらわした言葉に「ガラスの家」という言葉がある。
窓ガラスを使用していた家が数多くあったみたい。
13世紀だと、イングランドの農村部はまだまだ竪穴式健在だよねぇ。
>>520 あったつーレベルなら帝政ローマ期からあったみたいだが。
525 :
520:2007/06/15(金) 18:14:36 O
>>523 早くからあったんですね。やはり丸ガラスを鉛線綴じしたようなものでしょうか。農家内は暗かったでしょうね。蝋燭なんて贅沢だし。
>>524 ローマン・グラスのゴブレットみたいなものですか?そういえば、ローマの家って、窓どうなってるんだろ。
あ、そうか。
ガラス器ならかなり古くからあるからな。
ガラスの技術はあるわけだ。
ステンドグラスもあるし。
どこだったか500年間一枚もガラスが割れたことがない教会があると読んだことがある。
生活の快適さで言えば現代からは驚くほど不便なのが当たり前だから。
ガラスを使った窓なんて枠ごと填め込み式だよ。
夏に別荘行くといっては枠ごと外して大切に運んで填め直す。
常設で填めてる訳じゃない。
それでもそれなりの貴族でようやくガラスの窓を使えるくらい。
13世紀の裕福な市民(4階建ての建物1件を丸々占有するくらいの)だと小さな窓に羊皮紙を張るくらい。
実質的な明かりは昼でも暖炉。
夜にはランプが使われる。
蝋燭は料理で出た獣脂を蝋燭職人に渡して作ってもらう。当然臭いし煤も出る。
蜜蝋を使った高価な蝋燭は教会用。
床は藁を敷いてるだけ。
壁も冷たい石が剥き出し。
絨毯が使われるようになるのは14世紀。
タペストリーが使われるようになるのは15世紀。
>>511、517
この時代靴を履かない人間は多いし、履いても木靴だったり、
普通に生活で磨り減るで問題ない。
磨り減らない生活の人間はナイフで切る。鉛筆をナイフで削るような物。
当然自分ではやらない。医者や床屋がやる。
ちなみに日本でも江戸時代には蝋燭の流れ(燃え尽きた後に残る蝋)を買い取る回収業があった。
庶民は一切爪を切らないでOK?
正式な医者は大学出、床屋は民間医くらいの感覚かと。
1292年当時でパリにいる免許を持った医師は29人
1274年当時の調査で免許を持たずに医療行為をやっていた人間は38人
こんな状況だった。
内科医と外科医で社会的な地位がかなり違うんじゃなかったっけ。
当時の西洋医学の基本思想は四体液説
人の体液には血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液の4つが有る。
そのバランスの崩れが病気になる。
例えば黄胆汁(choleric)の病気がコレラ(cholera)という具合。
精神の病気も体液の所為。
黒胆汁(melancholy)が増えすぎると憂鬱(melancholy)になる。
だから四体液のバランスを取る為に瀉血を行うというのは内科行為。
床屋は(自分自身の内科的判断に基づいて)この瀉血も行うので内科医でも有る。
大学で3年の基礎教育、5年の専門教育、1年の研修を受けた医師も同様に瀉血を行い、
ヘルニアの手術や胆石の破砕などの外科手術を行っている。
バルトロマエウス・アングリクスはマンドレークの麻酔薬としての効能について書き残しているが、
「良い医者は患者が泣くからといって切ったり焼いたりする事を思いとどまらない」とも書き残している。
だが一般的に、瀉血などは床屋でという傾向があったのも事実。
瀉血は気軽な治療なので、ちょっと調子が悪いからその辺の町医者で見てもらおうという程度に対して、
正式な医者はお金も高いし、患者も瀉血だけで済まされると納得できない。
食事療法や薬などを使った治療もしてもらわないと割に合わない。
こういった実態が床屋=外科という誤解を生んでいるのだと思う。
つまり床屋が医療行為をしていたけど医者ではないということか
535 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 15:35:28 O
医者が床屋をやってたとも言える
カット \3000
パーマ \6000
瀉血 \4000
瀉血とかは民間療法にもあるので
床屋に限らずやってたんじゃないかと思う。
ロビン・フットは、知り合いの尼さんに瀉血を頼んで殺されるんだよな
風呂屋でも爪切りとか瀉血やってなかったっけ
俺はカット1500¥のとこだな
俺なんて1000円だが
医者が風呂屋をやってたとも言える
そこらへん職種の境界が曖昧なわけだな
546 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 15:14:49 0
風呂屋ってなんかエロいイメージがあるな
なんでだろ
トルコ風呂
でも風呂は朝入るもんだし
じゃあセックスはいつするの?
あったかい季節はアオカンが基本じゃなかったか
農村部だと
そういやキリスト教がガチガチに欧州人の倫理観を縛る前は農村ではサバト状態だったらしいなw
祭りなどがあると、皆燃え上がってランコー状態だったのは、何も日本だけではない。
けっこー自然の摂理に従って皆サカッていたようだw
アオカンも多いにあるけど、納屋とか干し藁の上とか何処にでも身を隠す所なんて山ほどあるし。
貞節を守るキリスト教徒の癖に、今では欧州人の倫理は崩壊してるしなw
>>495 女房などはなんでもないように乗っていますが、乗りなれないと体をあちこ
ち揺れる度にぶつけたようです。
>牛車で死にそうになったのなら、馬車なんて話にならんな、日本の場合w
実は、話にならなかったのは、中世ヨーロッパも同じでした。
車輪による振動で尻が痛くなる上、二輪では積載重量に限りがあり、四輪で
はまっすぐにしか進めなかった。
旅の時には、馬に乗るか、女性なら前後の馬の間に渡した輿に乗ったもので、
牛に引かせる四輪牛車や馬車もありましたが、荷車でした。
馬車が使用されたのは、外国を公式訪問する時やパレードをする時ぐらいで、
好き好んで乗り回すものではなく、13世紀の初めにローマ教皇グレゴリウ
ス10世が馬車でミラノ入りした時には、「ミラノでは全く見かけない物」
だと言われています。ミラノで製作されるのは、この一世紀後。
しかし、已然として乗り心地は最低で、パレードが終わったらすぐ下りたく
なるような代物でした。
15世紀のハンガリーで、前輪が後輪より小さく、小回りがきき、安定して
おり、車体が四方から吊られているため、車輪の衝撃を直接受けずに済む新
型の馬車が開発され、1457年にはハンガリー王からフランス王妃に贈ら
れています。もっとも、今度は尻を痛めない代わりに横揺れが激しく、車酔
いに悩まされたそうですが。
しかし、一世紀経っても、パリにはこの型の馬車は三台しか無かったそうで
す(内、一台の所有者はフランス王妃のカトリーヌ)。
17世紀の初めになっても、アンリ4世は大臣宛てに「王妃が馬車を使って
いるので、見舞いに行けない」と伝えています(王は馬車で移動中崩御)。
イングランドでは、エリザベス1世の時代に紹介され、当然女王もこの馬車
を所有していましたが、女王は乗馬好きで、この馬車に乗ると「こづきまわ
されるような苦痛」があると敬遠していました。
17世紀には各地に駅馬車が出現し、18世紀には最盛期を迎えますが、上
(
>>420)でも言われている通り、開拓地では死ぬ思いであったそうです。
そもそも、西部の幌馬車も実際には幌牛車が多かった。
ところで、
>>444氏、女性の騎馬姿というのは騎士物語の挿絵(近代に描か
れたもの)にもよく出てきますし、マクシミリアンの妻のマリアも落馬し
て死んでいたように思うのですが。乗馬好きの女王もいる。
高位の女性も、旅の時は騎馬(上述の輿もあり)が多かったようですし。
山野先生の講義がネットでも拝聴できるとはありがたい話です。
日本で馬車が発達しなかったのは、平地が少ないという問題もあったが、
それ以上に馬の体格が貧弱で、役用に耐えられなかったから。
ルイス=フロイスも、
「我々の馬は体格が立派で美しい。
彼らの馬は貧弱。」と、書き残している。
フロイトは、日本の乗用馬は西洋の乗用馬より劣っていて
西洋の荷馬みたいなずんぐり体型と書いてる。
ほかに。西洋の馬はピタっと止まるが
日本の馬は暴れまくると書いてて、これが一番の問題だろ。
暴れるのはセン馬がいなかったからか?
去勢の技術が無かったからねぇ。
ヨーロッパの馬も大型化したのは中世中期以降だけどな。
ストラボンは去勢技術を遊牧民の風習と書いて、ローマでは馬の去勢はごく稀であることを
示唆してるが、古代ローマの荷駄馬や儀礼用戦車とかは大丈夫だったのかね?
561 :
世界@名無史さん:2007/06/19(火) 12:45:38 0
日本は日清戦争の時点でも大きな馬はなかったそうですね。
騎兵隊を作るために西洋の馬を繁殖させたとか。
562 :
世界@名無史さん:2007/06/19(火) 12:55:21 0
>>561 後、戦地での轟音にも驚かない様な軍馬を育てるのが
急務だったよね
563 :
世界@名無史さん:2007/06/19(火) 13:18:32 0
>>561 どこの国でもそうですが例にもれず日本も馬の育成には力を入れてました
だから競馬でも天皇杯が2回もありますし皇族のお名前のついたレースもあります
また競馬では希少種となってしまった血統も皇室の牧場には残っていたりしております
日本の戦国の騎馬軍団とかいっても、
イメージ的にはロバの方が近いだろ。
風林火山のOPみたいなサラブレッドの疾走はファンタジーだな。
中世ヨーロッパの馬が大型化したのはアラブ種が入ってきたから?
中国はどうだったんだ?
汗血馬とかアラブ種の良馬を求めていたようだが。
馬はあくまで移動用、それ以外何も意味を持たない。
大砲はおろか槍にさえ突っ込まない。
ただし、弓矢や投擲具を使えば騎乗したままでも攻撃可能。
少なくとも止まらなければならないけど。
昔は軍馬は重要な戦力だったからねえ。
イギリスから買った優秀な種馬一頭の代金は新鋭戦艦一隻分とほぼ同額だった。
「サラブレッドで騎馬突撃をしていた」とか言う無知な素人の珍説を真に受けちゃってる人もいるんだよな。
スーパーカーかっこいい!
時速500km/hもでるんだ。
これなら戦車でも跳ね飛ばせる!
574 :
世界@名無史さん:2007/06/20(水) 01:16:28 0
日本史の教科書には必ず載ってる流鏑馬・笠懸・犬追物の絵だけど、
アレ見る限りではそんな馬格が小さいようには見えないんだけどなあ。
ヨーロッパの馬は、改良の結果、14世紀には体高170cmのものも出ていますね。
日本馬(血統的にはアラブの遠縁だった気が)は、体高130cm以上が軍馬として
使用され、次第に大型化していますが、それでも150cmは超えていません。
鎌倉時代の話ですが、体高145cmもあればかなりの大物です。
流鏑馬は、江戸期に復興して横に射るようになったものの、それ以前は真正面に射た
という説があり、従者随伴の上で、敵が崩れた所に駆け入って矢を射ていることもあ
りましたね。ただ、静止騎射の方が多かったのではないかともいう。
逃げる的に追いすがる追物射もありました。
準備万端整えたところに、随伴なしで突撃などはしなかった筈です。
馬を矢で射られ、足を長刀で切られ、落馬して討死が目に見えています。
>>562 明治には、欧米の軍人から「馬に似た猛獣がいる」と笑われたそうです。
制御がきかなかったらしい。
昔は気性が荒いほど名馬とされてたからね
578 :
世界@名無史さん:2007/06/20(水) 07:05:26 0
西洋では、甲冑で身を固めた騎士を乗せるために、大型の馬の改良が進められた。
その結果うまれたのが、ブルトンやペルシュロンといった、超重量級の馬である。
ラオウや前田慶ニが乗っているような馬は、実際に存在するのだ。
以前TVで騎馬武者の再現だったか、
昔ながらの小型の馬に乗って駆ける、というのをやってたんだけど…
駆けないんだよねw
トコトコ小走りという感じ。
今見る流鏑馬って恐ろしくレベルが高いんじゃないかと思った。
騎と徒が一緒に移動するのならやっぱり脚は遅かった?
>>579 そういう実験て、使われた馬が当時のものをちゃんと再現しているかという疑問が先に来てしまう。
モウコウマや日本在来種系統のずんぐりむっくり体型か、野間馬のような雑役用の馬を基準にしてないか、
重い荷物を背負った状態でギャロップやキャンターをする調教を受けているのか、とか色々。
草鞋履いてたくらいだから無茶は出来ないんじゃね?
「馬踏飛燕」が左右の脚を完全に逆に曲げてるのを見て疑問に思ったが、
そもそもギャロップとかっていつごろ生まれた歩法なんだろう?
昔の騎兵が遅かったって話は、実は馬が原因なんじゃなくて馬術が未熟だったり
鎧付の反撞に騎乗者が耐えられなかっただけという穿った見方もできるかも。
>>577 『雑兵物語』に登場する馬の口取が、「そんな討死の原因になりそうな馬ば
かり好んでいないで、一日に長い距離を移動できる馬を飼って欲しい」とこ
ぼして、次の主人を探そう、と言っていますね。
ちなみにこの人物、戦場で追撃時に主人を探し出して馬に乗せています。
主人はそれまで徒歩で鑓を振るって戦っていたらしい。
>>579 馬の全力疾走がまずもちませんし、一度疾走させた後だとしばらく使えなく
なるそうです。黒澤明監督が、『乱』撮影時に馬を一斉に走らせて、それじ
ゃ本番だと言ったら、もう無理だから休ませると言われたという逸話あり。
蒙古あたりだと、全力ではないにせよ、馬を数十分走らせ続けて移動してい
ることもあり、現在のサラブレッドやアラブとは単純に比較できないでしょ
うが、そもそも「騎馬隊」がないのに我が国で在来馬がそんなに速く移動し
ないといけない理由もありませんでしたしね。
しかし、蒙古は馬といい、乗っている人間といい、日本や欧州からすれば規
格外という印象を受けます。大帝国を築いたのも道理。
>>580 あれは確か、ポニーを使っていましたよ。
サラブレッドなどもそうですが、5分と持たなかったはずです。
馬に蹄鉄をつけることが定着したのは明治以降で、それ以前は馬にも草鞋を
はかせていました。足場の悪い山道では滑り止めの役も果たしたらしい。
ただ、あまり無茶すると蹄が割れますね。
それと、鐙も大陸では輪鐙が使用されていましたが、我が国では舌長鐙でし
た。これだと馬上で踏ん張って太刀の一撃をくれたり、矢を狙って放つには
適していたものの、疾走が過ぎると外れ易かった。
馬の歩き方についてですが、在来馬には、右側の足と左側の足を交互に出す
という歩き方をするものが多く、逆にアラブやサラブレッドの場合、教え込
まないとなかなかできないそうです。
近世の絵馬を見ても、在来馬の足の運びは右→左→右に見えるとか。
>>579 騎士の場合、部隊の編成が従者や歩兵などとの混成であっても、
突撃時には騎士や騎乗サージェントだけが突出してしまうので、
結果的に「騎馬隊の突撃」になったそうだ。
騎馬隊が敵陣を突き崩したところにすかさず歩兵が突撃する
というのも理に適っている。
でも駆けるのは最後の数十メートルだけ
こうしてみると馬は「乗り物」の域を出ないな
589 :
世界@名無史さん:2007/06/21(木) 07:02:09 0
ヘースティングスの戦いでは馬は効果的に利用されたそうですが、
このときはアングロ・サクソン人は鐙を使うことをまだ知らなかった
そうですね。
>>84 おいおいwww 箸を非難するならまだしも非難してるのはフォークだぞ?
逆に考えれば欧米人は素晴らしき手づかみの文化を捨てて文化的に退化してるといってるんだぞ?
591 :
世界@名無史さん:2007/06/21(木) 22:48:08 0
>>585 >馬の歩き方、在来馬には、右側の足と左側の足を交互に出す歩き方
これって、右の前脚と右の後脚を同時に前に出し、
次に左の前脚と左の後脚を出して、歩行しているという意味ですか。
以前、前近代の日本人の歩き方ナンバと
馬の同側歩行が似ているとか言う話を聞いたことがあるので、
ちょっと気になるのですが。
>>591 そういうことですね。「馬踏飛燕」も交互に出しているように見えます。
>以前、前近代の日本人の歩き方ナンバと
>馬の同側歩行が似ているとか言う話を聞いたことがあるので、
私もそう思っていたところです。腕を振りながら、大きく足を左右に踏み出
すのが苦手だった。あまり過大に言う必要もないと思いますが。
異論もあるようですからね。格闘関係の方は誇張しがちですが。
手づかみの話ですが、モンテーニュはイタリアで出されたスプーンを無視し
て、わざと手づかみで食べて、テーブルクロスで拭いたそうです。
その方が上品だと考えていたらしい。上流の手づかみ野蛮視は18世紀から。
格闘系の板にナンバに関するスレがあったと思う。
ナンバの有無に関する話はどうも論争になるようです。
>腕を振りながら、大きく足を左右に踏み出すのが苦手だった。
昔の日本人は走るときには腕を組むか両手を挙げるかしないと走れなかったとか。
明治の軍事教練の導入でナンバ歩きが矯正されたとも。諸説紛々。
日本の馬はナンバ歩きだったため実は乗り心地がよかったともいわれますね。
スペアリブは今でも手づかみOKだけどな。そのためにフィンガーボウルがある
腕を振って歩く習慣がなかったから、「大きく腕振って行進しろ」って言われても
どっちの腕を上げたらいいかわからず、ナンバになる人がいたってだけじゃねえの?
ナンバは難場のことだとも聞いたけど。
昔々、NHKが「歴史への招待」って番組をやってた頃、
モンゴル騎兵の優位は、馬の同側歩による揺れの少なさ=弓の命中率UPって話を言ってたのだが、
定説化しているのであろうか。
597 :
世界@名無史さん:2007/06/22(金) 22:02:05 0
「蒙古襲来絵詞」では、武士はけっこう立派な馬に乗っている。
これは誇張表現?
それとも特別に体格のいい馬をえりすぐって乗っていたの?
>>596 側対歩の馬が好まれたという話なら聞いたことがあるが
『断腸亭日乗』の確か昭和初期の条に、今の40歳以下は、胸を張って大きく
腕を振って歩いていると、あまり感心しない顔で書かれていました。
おそらく、腕を振ると共に歩幅も大きくとっていたのでしょう。
今一般に着られている(作業着ではない)和服でこれをやると、その内着崩れ
してきて、途中で直さないといけなくなりますが。
あまり大股で歩くなと言われますね。
>597
両方でしょう。それでも130〜140cmぐらいでしょうが、鎌倉〜江戸
時代の馬の骨を調べてみると、農村部では120cm程度なのに、武家の遺
跡から出土している馬に骨はそれより大きい。
地域や階層(百姓の馬か武士の軍馬か)によって体格に差がありました。
馬の体格は普通121cmとされ、それに三寸足したものよりも大きなもの
が軍馬とされましたから、武家で代々飼養されるのは、自然大きな馬ばかり
になったらしく、これが目立って分かるのが鎌倉時代以降になります。
もっとも、江戸〜明治は人も馬も鎌倉〜戦国より小さくなっていますが。
なぜ江戸時代は人も馬も体格が小さくなったんだろう?
人間はタンパク質不足で説明がつくが、馬の餌が悪くなったとは思えないものねぇ。
戦国の世が終わり、体格のよい品種を
維持する必要も無くなってそういった品種が
廃れたためという説はどう?
人の体格が小さくなったから、それに合わせて体格の小さい馬を
飼育したんじゃね?
小柄な人が、小さいサイズの自転車を使うのと一緒で。
>>602 品種改良という概念がなかったので、体格のいい馬は優先して戦場に狩り出されて死亡、という説はどっかで見たような。
鎌倉〜戦国当時のヨーロッパ人の体格はどうだったのか
かつては戦場に赴くことを考えて奮発し、穀物などを餌として与えていたそうです。
江戸時代になり、人口と馬口は増えたものの、その分一人辺りが肉や穀物などの栄
養価の高い食品を口にする機会が減ったとか。
また、気候が温暖になって(12〜16世紀は夏でも雪が降る年があった寒冷期)
体格が小さくても生き残れるようになった・・・は流石にこじつけ過ぎか。
人に合わせて、馬の大型化に以前ほど命をかけなくなったことも考えられるか。
それでも、田舎の農耕馬より武家の馬の方が大型でしたが。
大量生産されると、品質が落ちることがあるのと一緒かなw
一品モノやオーダーメイドと比べるみたいなもんか。
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/doinaka/iq/iq-h/i081.html > 野間馬は日本在来の未改良小型馬。300年の歴史の変遷の中で生きてきました。馬島で
> 軍馬の放牧をはじめたのですが、うまくいきませんでした。そこで、現在の乃万地区の農家に
> 委託飼育させ、体高4尺(約121センチ)以上の馬を買い上げ、それ以下の馬は農家に無償で
> 払い下げました。こうして小型馬どうしの交配により日本最小の在来馬「野間馬」が誕生した
> といわれています。
大きな馬は明治時代の品種改良による混血で、日本在来馬じゃなくなってしまっただけだろう。
609 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 05:50:16 0
娘が召使とヤってて既に処女じゃなかったんで、父親が鶏の血でシーツ汚してごまかした、
って話なら千夜一夜物語にあった気がするが。
611 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 11:28:25 0
処女なんていいのかねえ
612 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 11:41:07 0
なんでストローなん?
613 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 11:46:45 0
穴開き って意味なんじゃね?
ヒント:straw
615 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 12:07:31 0
価値ないよ ってことか
破瓜の出血は悪しきものとしてこれを嫌い、
年長者など力のあるものに初交を任せるというのが初夜権の本来と聞く。
未開の部族などに広く見られた風習ともいう。
617 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 13:21:31 0
破瓜の出血を喜んでみせる習慣の地域・時代には、初夜権は消えたの?
618 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 13:35:34 0
>>617 確か初夜にて血の付いたシーツを親戚一同に見せる
風習がある部族の話もあったね。
花嫁に処女が要求されるのは子孫の種を確定するのが
第一だけど、
>>616の場合は問題にならない?
>>618 小さな部族だと血筋より子供を残すことを優先するから
村の子供として考えるんじゃないか?
社会が未成熟の状態だと家族単位より共同体単位の方が
効率的だったんだと思う。それが人口が増えるにつれて
血筋という家族単位を重要視するようになり初夜権の意味合いが
変化したと考えれば辻妻が合わないか?
ただ単に性病の問題じゃないの?
621 :
620:2007/06/26(火) 19:44:07 0
「ストロー(藁)」=「黄色信号」ってことで。
支那にはかつて
「女は生まれつき体内に元紅(ユェンホン)という血の塊を持っており、男性と接して初めて
体外に出る。それが破瓜の出血だ」という考えがあった。
婚礼の初夜には寝床に喜帕(シィパァ)という白い布を敷き、布が赤く染まれば嫁の処女が証明されたことを
嫁の実家に伝える。そして両家の一族が連れ立って嫁の純潔を祝った。
広東地方では、純潔が証明されれば婿の家から嫁の実家にチャーシューが送られた。
しかし当然身持ちの悪い娘なら、布は赤く染まらない。そのような場合は、特別な薬で出血させたという。
事情を知る人々は、そのような祝いのチャーシューを「装猪」(ツワンツゥ)と言ってからかった。
>>611 処女つーか、結婚まで貞節を守っていた=敬虔なキリスト教徒、って点が重要だったんじゃないか。
624 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 23:01:05 0
>>622 水をさすのもなんだが、チャーシューが純潔の証を知らせるアイテムとして選ばれる経緯おしえてくんろ
>624
あいにくソースとした『中国食探検』周達生 平凡社 1994年
には、そこまで書かれていませんでした。
「保存が効くご馳走」くらいの意味で、チャーシューが選ばれたのではないでしょうか。
処女=敬虔なキリスト教徒、というのはいくらなんでも実情にそぐわないのではないか。
農家にとっては子どもが産めないと嫁の値打ちがないから、
非処女のほうがありがたがったんじゃないの。
ブリューゲルの時代は近世に近いけど、農村の婚姻式での絵で
花嫁が肥ってるのは、もう受胎してるとかそういうことだって聞いたが
>>624はタレで煮る日本式チャーシューをイメージしてそうな気がする
629 :
世界@名無史さん:2007/06/30(土) 03:45:49 0
630 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 01:12:51 0
山内一豊が奥さんのへそくりで買った名馬は、どれくらいの大きさだったのだろうか。
初夜権
632 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 14:56:47 0
初夜権って別に全土にあったわけでもないんだろ?
テキ屋のショバ代みたいなもんだろ?
633 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 19:02:59 0
領主が狩りに行ったとき、農民の腹をかっさばいて、その中に足を入れて
暖める権利というのがあったらしいが、ホントかね?
殺すか半殺しにするよりも生かしたままのほうが
暖かさが持続すると思うな
中世ドイツでは、初夜権まだ残っていたらしい。
とはいえ、
>>632の言うとおりショバ代みたいなもんで
結婚式の席で
「さて新郎よ、そろそろ初夜権を行使させてもらおうと思うのだが」
「領主様、その初夜権を買い取らせてはいただけないでしょうか」
「よかろう、14ペニヒで手を打とうではないか」(場内拍手)
みたいなやり取りが行われていたんだそーな。
なんだか和やかでいいよね。
636 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 20:10:14 0
で、その金も無い農民の嫁はどーなるの
払えないほどの金額は要求されなかったようですし、地域や地位によって異
なる富裕の度合いによって、金額も変わったのではありませんか。
16世紀ドイツの例では、5シリングと4プフェニヒ。
高いのか安いのか、そもそもどんな人が対象だったのかまで書かれていませ
んが、実際に初夜が奪われたという記録は無いようです。
領主が領民を確認するための儀礼的なものであったとか。
それ以前には行使されていたのかもしれませんが、記録は無いと。
1487年の木材5シュテッケ(1シュテッケ=0.874立方m)が、24シリング。
フランクフルトの例で、1422年には5シリング、1487年に16シリングだった。
・・・やはりよく分かりませんね。パンの値段が分かればよいのですが。
638 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 21:19:28 0
>564
乗ってる人も頭身低いしどこのサーカス団員かと思ったよw
「フィガロの結婚」にエロ領主の初夜権行使の話が出てくるな。
舞台はセビリア。
当然、おいしく食べられちゃいます
>>636 貧乏人が結婚できないのは今も昔も変わりません、と
世の中貧乏人ばかりだからそのうち人類は滅びるな
何言ってんだ。結婚できなくても子供は生まれる。
インド人が人類の半分を占める時代は近い
その前に中国人のせいで人類が滅びそうだが
小麦の値段なら国富論に出てた。
価格革命以前は大体1クォータ10シリングちょっと。
価格革命以後は大体1クォータ45シリング程度。
1クォータは凡そ一人が一年で食べる量。(291リットル)
ただし革命前で標準偏差8.7、後で12.9。
特に前は平均という言葉が虚しくなる程の安定振り。
647 :
世界@名無史さん:2007/07/03(火) 07:48:01 0
領主が農民の腹に足を突っ込んで暖を取るって・・・そりゃ革命おこるわ。
>>645 順調に行けば中国以外に総人口25億人ほどの地域が今後10〜20年で中国並に経済発展する見込み
地球滅びるかもなw
地球が滅びる前に人類を滅ぼすと思う。
後進国が発展したくても資源が無いのに発展のしようが無い。
資源の再配分をするというのは結局今の先進国が自分の分を減らす必要がある。
しかし自分の取り分を減らすぐらいなら戦争してでも、というのが歴史の示すところ。
映画「ノストラダムスの大予言」を思い出すね
652 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 06:18:15 0
中世ネタから逸脱してるぞ。
ノストラダムスはルネサンス期の人だね
654 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 11:18:02 0
ちょうどこの頃って気温が低い時期だよね?
欧州なんて人が住むのに結構大変な土地柄だったんじゃないんか?
欧州といっても広いが
656 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 16:58:45 0
そりゃアルプス以北は厳しいんじゃないかな。
北極圏にも人は住んでる
中世には暖炉が発明されてるから暖房はかなり改善された。
そしてヨーロッパから森が消えた…
貴族の狩猟場として森は結構残されてたけどな
ペストなど疫病が流行ると、町や村がまるごと消えたりして、すぐ森に覆われた
王蟲の暴走によって引き起こされる大海嘯によって、すぐ腐海に覆われた
663 :
世界@名無史さん:2007/07/07(土) 03:02:33 0
>>661 リア王だったかな、「森が動く」とか「森が攻めてくる」とかいうセリフがあったが、
欧州の森林の繁茂力って、そんなに強力なの?
熱帯でアンコールワットが森林に完全に埋もれていたというのは理解できるだけどね。
664 :
世界@名無史さん:2007/07/07(土) 07:04:15 0
マヤ文明もほぼ森林に埋没していた訳だが
>>663 マクベスね。
その場合の「森が動く」は有り得ないことの喩えと取られているよ。
予言者「森が動くことがあるまではあなたは大丈夫」
マクベス「森が動くなんて有り得ないから安泰だな」
666 :
世界@名無史さん:2007/07/09(月) 09:12:00 0
その時歴史が動いた!
すまん、いいたかっただけだ
667 :
世界@名無史さん:2007/07/09(月) 12:46:11 0
貴族が狩猟のとき、足を暖めるため、農民の腹をかっさばいて、
その中に足を突っ込む特権があったそうだが・・・
またこのキチガイが湧いて出てきたか。せめてsageを覚えられる程度の知能が
あればよかったのに。
というか、sageとageを使い分ける知能があるんでない?
自分の気に入らない話題をキチガイ呼ばわりするのは、いかがなものかと。
「ソース出せボケ」でいいんじゃないの?
そーっすね
しょうゆうとおもった
wwwww
675 :
世界@名無史さん:2007/07/11(水) 14:45:04 0
はちみつって結構生産されてたんですかね?
欧州に芋類ってあったっけ?サトイモみたいなの?
真菌類の非常に高価な芋
>>675 かなり生産されていたはず。
ただ、養蜂の目的はハチミツよりも蜜蝋だった模様。
679 :
世界@名無史さん:2007/07/11(水) 17:00:29 0
上の方で甘味料の話が出てたが
甘味料としてのはちみつの需要も結構あったんじゃないの?
はちみつは保存もきくし
日本史板の「江戸時代の庶民の生活」スレの現在の話題とリンクするね。
俺も興味がある。
江戸時代、蝋燭は決して安価なものじゃなかった。
蝋と蜂蜜の生産はワン・セットと考えていいのかな。
蜂蜜酒だってあるしな
682 :
世界@名無史さん:2007/07/11(水) 17:23:26 0
日本史板の方に書いてあったが
鉄腕ダッシュを見て影響されたんだろうなw
実際に中世くらいだとそんなに甘味料を必要としてただろうか?
日本の蝋燭は主に木蝋だったと思うが。
ヨーロッパだと蜜蝋燭は超高級品。宮廷ですら気軽に使えるもんじゃなかった。
一般的には獣脂の蝋燭だな。
養蜂に関して言えば、今使われてるような巣箱だとかの技術が成立したのは19世紀になってから。
それでもまあ、砂糖なんかに比べれば身近な甘味料だったみたいだが。
あと蜂蜜といえば蜂蜜酒(ハネムーンの語源)なんかもあらあな。
>>683 勉強になるよ。
巣箱の技術が確立する前は天然の巣をかっぱらっていたの?
686 :
世界@名無史さん:2007/07/11(水) 18:02:06 0
19世紀とかなのか
採取方法などでメイプルシロップの方が優位だったのが手に取るようにわかるなw
>>683 >日本の蝋燭は主に木蝋だったと思うが。
櫨>漆でしたね。江戸時代中期には養蜂が行われて蜂蜜が賞味され、蜜蝋も
使われていましたが、微々たるものでした。
灯明の油も菜種油などは貴重品で、魚の油が多かった。だから猫が舐める。
17世紀になっても、已然として西欧では蝋燭が貴重品で、貴族の館でもそ
うは使えなかったとどこかで読みましたが、マリア・テレジアの時代にウィ
ーンを訪れた啓蒙思想家が、宿にしていた館では深夜になっても廊下の蝋燭
の火がついたままだったので、「客人に優しい土地だ」と感動していたとこ
ろ、実は先日亡くなった夫人の遺言で、贖罪のために灯していたのだという
話を聞いて、「なんという迷信だ」と愕然としたという話がありますね。
教会に蝋燭とか寄進してたようだが
そもそも養蜂していたのが修道院だったりする場合が多いしね。
なんの蜜だろ。
アカシアかな。
691 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 13:01:55 0
なんだか養蜂って蜂の取ってきた蜜を採取するだけだから簡単なように思えるんだけど
なんで流行しなかったんだろうね
蜂はアレルギーがあるからだよ
親子でも体質が違うから親の仕事を引き継ぐわけにいかない
だから修道士の仕事して定着した
693 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 14:33:18 0
修道士ってワインつくったりはちみつつくったり
忙しい人達だなw
チーズもパンもクッキーも作るぞ
ビールもな
696 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 18:08:58 0
坊さん達はワインは造らんの?
697 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 20:26:56 O
っていうか養蜂のこと、何も知らん自分に気づいた。
Wikiめぐりして来ます。
698 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 20:45:26 0
シャー・ロック・ホームズは、探偵引退後は養蜂業を始めた設定になっている。
そういや趣味の養蜂キットってのを見た事あるな
甘いものといえば、焼き梨とか焼きリンゴって甘いんだっけ。
701 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 23:48:41 0
>>700 何故そのようなわかりきったことを聞く?アップルパイ食えばわかるやろ。
果物を煮詰めたジャム食えばわかるやろ。
焼けば塩辛くなるわけでもあるまいし。
そうか。 ジャムもあるな。 いや、蜂蜜以外の甘味は?って考えてたんだよ
なんで関西人ってネットでもわざわざ関西弁で書き込むの?
704 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 00:13:28 0
焼き梨は・・・中世料理??
ヨーロッパの場合果物は干す方が一般的だと思う。
保存の関係で。
ヨーロッパってビールとかで麦芽までは作ってたわりに水飴はないんだっけ?
当時の最高の甘味はホラズムのメロンの天日干し
>>687 猫は魚の油を舐めないよ。酸化した油脂に敏感で嫌うから。「三月鯖は猫またぎ」とか言うだろ、
あれも産卵期に不飽和脂肪酸の割合が増えてたたでも酸化しやすい鯖の脂肪分がいつもよりずっと
酸化しやすくなり、字面のとおり、猫が見向きもせず股ごしてゆく。
猫が舐めるのは、本邦では菜種油や椿油。所謂「不乾性油」で酸化しにくい。
710 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 04:24:39 0
ソニー・ビーン一族が大活躍したのは中世だったよね
ソニー・ビーン一族って本当にいたのかと、今は疑問
人間を食べるあたりは、近親婚で頭のいかれた奴が産まれた
せいかもしれないが最初の夫婦から、近親婚で47人もふえるだろうか?
ソニー・ビーンを取り上げれば
一大中世エログロ映画が撮れるな
713 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 11:09:32 0
>>706 そういえば麦芽まであるから麦芽糖はあってもおかしくなさそうだよね
ただ単純に甘味としては麦芽糖による水飴を作るより蜂蜜の方が入手し易かった
だけだろう
715 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 11:32:25 0
なんか水飴こそ修道士さんたちが作ってそうなイメージなんだけどなw
716 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 11:52:40 0
えらい坊様が、水あめこっそり隠し持っているんだよね。
小坊主には「これは毒だ!」といい含めておくんだ。
毒の正体が水あめであること知っている小坊主が留守中に水あめを全部嘗めた上、
家宝の壷を割ってしまう。
帰ってきた坊様に、
「大切な壷を割ってしまいました。死んでお詫びしようと毒を全部嘗めましたが
死ねません。」
と・・・
その前に小坊主は「キリスト様が食べました」って言い訳するんだよ。
で、坊様が「嘘をつけ!」と、キリストの頭を棒でどつくと、「食わ〜〜〜〜ん」と音がして・・・
718 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 13:01:38 0
磔刑像の頭まで棒が届くのか
つ長い棒
おいおい、あんまおいたしてるとスペイン宗教裁判がやってくるぞ!
地下一階の召還サークルの上にか
722 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 02:38:37 0
青銅製のキリストさまならともかく、木製や大理石製だったら
「クワーン!」
といい音で答えてくれないなぁ。
ましてやモザイクのキリスト様だったら・・・
そこで小坊主は「いえ、確かにキリスト様が食べました」って言って、
キリスト像を鍋に入れて火にかけるんだよ。
そしたらキリストが「くた、くた、くた・・・(食た、食た、食た)」と煮えてきて・・・
724 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 22:55:54 0
仏様をどつくのは大罪でないの?
725 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 00:07:55 0
仏像をぶつぞう!
まシャカ!?
>>722 「モザイク」で、ちょっとエッチいキリスト像を思い浮かべてしまった。
728 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 02:24:02 0
キリストの青年時代は全く不明だ。
あの通りのイケメンだから、若い頃は色々エッチなことしていたんだろうか。
今なら、TVで「自ら宗教をおこし、女性信者にわいせつ容疑で
逮捕!」とかになってかもな〜
時代の違いはすごい
>>728 >イケメン
それはヨーロッパ人の勝手な想像。本当は背の低い繋がった眉毛の禿げ親父。
731 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 04:23:39 0
中世ヨーロッパの暮らし。
貴族は裕福に暮らし庶民はパンさえ食えず人肉を食い、街中には糞尿が撒き散らされ不潔すぎてたため鼠が国中に菌を撒き散らし、黒死病が蔓延したとても汚らしい生活でした。
臭く不潔で淫らな獣そのものの生活でした。
また時代遅れの論を・・・
そういう面もあっただろうけど、
それは貴族も同じ。
むしろ極論を言うことで、実際にあった衛生問題やゴミ問題を否定しようという無能君だと思う。
ちなみに黒死病の菌はインドからインドシナあたりの地方病がもとで、
モンゴルがシルクロードを整えた事で大陸全土に拡散した。
中国では海から広まったので海に面する大都市から順に広がっている。
黒死病はクリミアからイタリア商人の交易ルートでヨーロッパに広がったが、ロシアへは
バルト海を経由してやっと伝染したらしい。
アフリカの梅毒はヨーロッパ人が世界中に流行らせたけどね
アフリカ?
アフリカのHIVはアメリカ人が世界中に流行らせた
ペストの治療法は、主に瘤を切開するものだった。効かなかったろうな・・・
740 :
世界@名無史さん:2007/07/20(金) 09:54:46 0
後の大航海時代などでアフリカや南米での悲惨な話が良く出てくるが
この時代を勉強するとそれが別に彼らが特別なことをしたわけではないことがよくわかる
彼ら貴族は国内でやっていた統治方法をただ海外領土にも当てはめただけの話なんだな
で?
そんなこと今更得意げに言われても困る
>>740 コロンブスの出身地は異教徒の奴隷が異常に多い土地柄で、
それが新大陸のその後の歴史に何がしか影響したのではないかと
ジェノヴァ史の本の著者がボソッと書いていた。
>>240 イサベル女王は、コロンブスが無理やり奴隷をつれてきたことに怒って、
残虐な行為を強いられた黒人に心を痛めたそうだな
奴隷船を見慣れている市民の冒険者と、敬虔なキリスト教徒である
王族の黒人の見方の違いかもしれん
↑240じゃなくて、740だったw
荒しにマジレスしても。
歴史を知らない人間の集まりそうな板ならともかく、
この板では740はラスカサスも知らないだろうで終わりじゃないかと。
747 :
世界@名無史さん:2007/07/23(月) 10:26:26 0
人権という思想がどういう経緯で出てきたかという歴史にも通じるので是非とも奴隷制については
深く論議をしていただきたいところではあるが
ここのスレでは少々スレ違いなのかも知れんな
そもそも
>>740よ
そんな甘い話ではない
彼らからしてみたら現地人など犬猫と同じ扱いなんだ
これは何も当時だけではなく今でも心の奥底ではそう思っているフシが多々あるのだよ
だから人種差別には敏感になるわけだ
日本人だからと言って差別されないわけではないぞ
差別ってのは日本の左翼の唱える目の色や肌の色なんかでという甘いモノではない
本当に人間扱いしてないんだ
>>747 中公文庫「アーロン収容所」を読めば彼らの感覚が分かる。少なくとも日本人は
あんな感覚はないし、虐殺の多いシナ人もああいう精神構造はしてないんじゃないか。
>ここのスレでは少々スレ違いなのかも
何故
750 :
世界@名無史さん:2007/07/23(月) 21:43:13 0
中国人は今アフリカで現地人を犬猫扱いして、暴動起こってるけど。
白人は基本的に無知で傲慢でつ。
>>750 確かにそうですが、白人のほうが徹底してる感がありますよ。
前シナの人肉食についてある人が本で書いていたのですが、シナ人は白人と違って
動物に自分たちと連続した感覚があるので動物≒人間と言う感じで人肉に対する
ハードルが低いのだと。そして白人は動物と人間が断絶しているので、人肉を食べる
風習がないのだと言っていました。だからシナ人は白人より差別意識が少ないのじゃ
ないかと思うのです。
根底にあるのは階級宗教のキリスト教だな
白人に対する差別意識まるだしだな
>>752 それをいうなら差別意識が少ないじゃなくて質が違うんだと思う。
究極のところの誰かに危害を加えても社会的、法的心理的な面で
自分を安全圏におけるなら、そうしてしまいたいという衝動を
持っている人たちが一定数いて、それが抑制されるかどうかで
差別という行動が表面化するのだと思う。
差別主義者の白人の場合はキリスト教が大いに影響している。
動物は人間が支配するために神が与えたもので人間のために
存在するものなんだよ。>752で書いているけど連続していない。
支配者と被支配者がきっちり別れている。
同じ人間という考え方は通じないのはその所為。
一端動物扱いされると動物から人間に格上げなんてありえない。
奴隷に優しい人がいたとしても、それは支配者とは被支配者に
憐れみを持たなくてはいけないという考え方が根拠であって
同じ人間だと思っているわけじゃない。>747が指摘しているのは
そのあたりのことで肌の色とか眼の色は表面的な事でしかない。
最初は単なる異質なものに対する恐怖感とか嫌悪感、劣等感と
いったものが宗教観や歴史を経ていろいろ変質した結果が
今の状態じゃないかな。
中国人の差別は自分たちの方が優れているから相手が
従うべしといった中華思想的なもので、相手が人間じゃないから
という根拠じゃない。
だんだん白人が憎らしくなってきた。
つーかマジ日本が第二次大戦で戦ってなかったら、
未だに当然のこととして人種差別が続いてたわけだろ?
758 :
ななしさん:2007/07/24(火) 00:33:20 0
中世イギリスあたりのイングランド軍一般歩兵の軍装が、
カラーでわかるサイトってないでしょうか。本でもいいんですが。
ロングボウもったヨーマンが活躍してるあたりの時代です。
その頃の兵士の人形を作る用事ができてしまいまして、その服に色を塗るんですが
だいたいどんな感じで服や装備に色をつけてたかな、と思いまして。
詳しい方がおられましたらよろしくお願いします。
>>758 海外サイトで検索すればあるんじゃないかな
ヨーロッパで人間と動物が連続してない? 思いっきり逆だろ。
存在の大いなる連鎖があって、不連続は許されないことだった(だから絶滅という考え方も浸透しにくかった)
人間と猿が連続するものという考えは「当たり前だ」と思うが、
人間と犬猫が連続するものなんていわれても「ハァ?」だな、俺の場合。
766 :
世界@名無史さん:2007/07/24(火) 08:42:59 0
十字軍の時に大きく価値観が変えられてる気がするんだよね
異教徒は人間じゃないから殺してもOKみたいな
オスプレイの"English Longbowman"によると14世紀のイングランド
下級兵士の服のカラーリングで分かってるのはフリント、チェシャー地方の
兵士のもの(右半分が緑、左半分が白)しかないらしい。
768 :
758:2007/07/24(火) 10:03:18 0
大量の情報をありがとうございました。
アマゾンでオスプレイのマンアットアームズシリーズを見たんですが
お目あての奴だけプレミアついて1000円→5000円になってたりしたんで
途方にくれていたんです。
>767さんのオスプレイ、まだ日本語版が出てないかもしれないけど探して見ます。
色を塗って完成したららうPしてみますね。
みなさんありがとうございました。
"English Longbowman"はアマゾンだと今は何故か2千8百円もします。
以前は2千円切ってたのに・・・
770 :
世界@名無史さん:2007/07/30(月) 22:14:24 O
中世後期っていつぐらいから?
末期と同じですか?
後期は普通14〜16世紀ぐらいを指す。
末期というとほんとに最後の100年とか50年とかだと思うけど、文脈によって変わるかもしれない。
ここで聞くより検索するなり本を読むなりする方がちゃんとした知識がつくよ。
いや、ヨーロッパの16世紀は普通に中世には入れないんじゃないか。
シャルル8世終了の1498年が中世の終わりだとされてるね。
ただ、以後100年程は特に歴史的変化がないので16世紀も中世後期だとする意見もある。
774 :
770:2007/07/30(月) 22:46:30 0
模試の範囲に『中世後期〜ルネサンス・宗教改革』
ってあったから聞いてみたんだけど、14世紀でOK?
>>774 それなら教科書の区切りのいい場所で判断すればいい。
学生じゃないから分からんが。
777 :
770:2007/07/30(月) 22:55:15 0
>>731 石鹸屋ギルドが複数存在した事実について。
>>748 >>752 こう言う奴って自分がレイシストであると言う事には全く気付いてないんだろうな。
白人に対する偏見・差別は差別ではないと思ってるんだろう。
その内「アジア人こそは世界に冠たる優良人種」だとか言い出しても驚かない。
俺は驚かないな
781 :
世界@名無史さん:2007/07/31(火) 19:17:22 0
私は驚いちゃう!キャッホ〜ゥ★
>>779 それを書いたのは私ですが、私はレイシスト呼ばわりされても構いませんよ。
実際生理的に受け付けませんから。もっとも恐怖を感じるのと自分たちを優良
人種と思うのは別物です。
日本人に対する偏見・差別は差別ではないと思ってる人も多いけどねw
>>782 「生理的に受け付けない」というのは人が数日風呂に入らないと言うのを「生理的」に受け付けないと言うのと同様、人間の妄想だ。
君のその感情は後天的であり個人的な物だ。自分自身の至らなさをレイシズムの正当化理由にしない様に。
ついでに言うと「生理的に受け付けない」とか「とにかく怖い」というのがありとあらゆる差別の根本原因、そして正当化理由になってる事を考えてみてくれ。
あと君は自分自身をレイシストだと認めたんだから、もう未来永劫他のレイシストを非難してはいけないよ。自己撞着になるから。
レイシスト同士KKKやStormfrontの連中と宜しくやってくれ。
ああ、あと仮に「生理的にうけつけない」や「怖い」と言う理由で日本人を差別する白人がいるとしよう(仮定しなくてもいるだろう)。
当然君はそれに異議はないんだろう?
君の白人へのレイシズムと全く同じ構造を持つんだから不快感を持つ理由は無い筈だ。
それとも「自分はするが自分がされるのは御免こうむる」と言う訳か?
最後に、「中公文庫「アーロン収容所」を読めば彼らの感覚が分かる。」と言う発言だが、戦時における一つの捕虜収容所と言う例ははたして妥当か?
日本も捕虜に対しては一部相当酷い事をやっているし逆に日本兵捕虜がとてつもなく寛大な扱いを受けている例(阪神の松木選手の手記)も多々ある。
それ以前に白人は人肉食の風習が無いとか言っちゃう時点で学問板に来るなと言いたい。
白人に対して恐怖を感じるって…
一体何が怖いのか解らん。
白人と話した事が無いか、何かトラウマでもあるのか?
自分はある、いわゆる白人国家に10年以上住んでるけど別に恐怖なんて感じないし人種差別なんてのも一回位しか受けた事がないし、
自分が知っている人間の中で日本に関して無知な人間はいても日本人に差別意識を持ってる奴は一人もいない。
見た目や考え方に多少違いがあろうとも所詮ただの人間なんだから堂々としてりゃあ良い。
>>784 >>自分自身の至らなさをレイシズムの正当化理由にしない様に。
少なくとも私は「(人間とそれ以外に厳然とした区別があり)人間とみなしていない
相手を冷静に殺せる」(アーロン収容所より)人間とは付き合いたくありません。
自分の存在を否定しつくされる訳ですから。
>>788 既に書いたが。
>戦時における一つの捕虜収容所と言う例ははたして妥当か?
>日本も捕虜に対しては一部相当酷い事をやっているし逆に日本兵捕虜がとてつもなく寛大な扱いを受けている例(阪神の松木選手の手記)も多々ある。
つまり戦争と言う一種の異常状態の中で起こった一つのエピソードを10億人以上の人間に当てはめるのは明らかに異常じゃないか?
黒人の犯罪の(相対的)多さへの恐怖やアラブ系のテロへの恐怖からの人種差別と全く同じだ。
>>789 ただ、日本人の場合「相手を人間と見做さず冷静に殺せる」心理になるのかと思うのです。あと捕虜の前で平気で裸になれるとか、何人ものとの性交を見せ付けるとか。
あと、東南アジアを旅行している白人嫌いの人のブログがあるのですが、なぜか
そこで書かれる白人の行動とアーロン収容所の行動が被って見えるのです。
ただ、私は欧米で生活をしたことがないので、実体験としてひどい目にあった事は
ありません。
何が偏見で何が正当な感情か、それを見極めるにはそれこそ何千年もかかるのでしょう。
あらゆる差別は必ず正当化する為のもっともらしい理由づけが成される。
「黒人は知能が低く野蛮ですぐ暴力に訴える」
「ゲイは自然に反する存在であり変質者」などだ。場合によっては「科学的」な、例えば「黒人はIQが低い」「ゲイはエイズを撒き散らす」の様な理由も使われる。
だから「これは差別ではなく区別だ」「これは身を守る為の正当な行為、だから悪くない」等になる。
君も同じじゃないか?「白人は相手を人間と見做さず冷静に殺せる」だから「これは身を守る為の正当な行為、だから悪くない」と感じるんだろう?
>>790 >ただ、日本人の場合「相手を人間と見做さず冷静に殺せる」心理になるのかと思うのです。
エスパーじゃないから知らんが、出来るだろう。
残虐な殺人事件なんて日本でも幾らでも起こってる。女子高生コンクリート詰め事件とか母親の首を切断した高校生とか。
ましてや戦争だ。
むしろ何で「日本人なら出来ない」などと言う結論に達したのかが不思議でならない。
そもそも「(人間とそれ以外に厳然とした区別があり)人間とみなしていない
相手を冷静に殺せる」と言う事自体捕虜の人が感じた印象だろう。
その様な人間がいなかったとはいわないが、人間が感じる印象なんて大してあてにならないし、参考以上にはならない。
>あと捕虜の前で平気で裸になれるとか、
>何人ものとの性交を見せ付けるとか
人によるとしか言いようが無いな。
女子大生を酒で酔わせて集団レイプする大学生の集団やらスタジオで全裸になるタレントがいるんだからそう言うのが兵隊になればいてもおかしくないんじゃないか。
>あと、東南アジアを旅行している白人嫌いの人のブログがあるのですが、
ああ、白人をストーキングして写真撮影してるibrahimとか言う奴か?
ありゃ単なる偏執狂だろう。
もういい加減スレ違いになってきたが、参考までに。
http://mltr.free100.tv/faq08k02.html >沖縄戦の日本兵捕虜の手記(なんと阪神の松木選手だ)では食い物たっぷりくれるし、
>シャワーやらトイレやらの設備もちゃんとしてるし、退屈で暇をもあましてるようだと用具や景品を支給して野球大会やなんかのレクリエーションもしてくれるし、
>労働力として使役する時はちゃんと代価を払ってくれるし、脱走を試みて捕まっても殴ったり蹴ったりされるわけじゃなし。
>みんな暇をもてあまして支給された煙草(収容所内ではこれが通貨代わり)を賭け,カブや麻雀したり。
>印象に残ってるのが,彼が使役された時にアメリカ将校から直接言われた言葉で,
>「自分はドイツ兵捕虜の収容所にも勤務した経験があるが、ドイツ兵は文句ばかり言ってちっとも働かないのには閉口した。
>日本兵は文句も言わずによく働いてくれるが,コソ泥を働くのには困ったものだ」
>なにせ日本軍では,他の自軍部隊から盗んで
>「員数を合わせる(装備の定数を確保すること.足りていないと班長にブン殴られる)」
>ことには慣れてるし、コソ泥やっても米軍は追求甘いから滅多に捕まらないし、捕まっても大して厳しい処分されるわけじゃなし。
>ことに,釈放されて日本へ帰国する日が近づくと土産品調達のため,泥棒は一層盛大になったそうで。
>米兵の腕時計なんかは格好の標的で、それをチェックを潜り抜けて持ち出す手口なんかも紹介されています。
いいかげんスレ違いですよオマイラ
「白人のデカマラにガンガン掘られてアナルローズが大出血」まで読んだ
795 :
787:2007/07/31(火) 23:59:01 0
>あと捕虜の前で平気で裸になれるとか
796 :
787:2007/08/01(水) 00:00:21 0
>あと捕虜の前で平気で裸になれるとか
生活習慣、羞恥心の違いであり他人を家畜視しているとかしていない等とは関係の無い事だと思います。
799 :
世界@名無史さん:2007/08/01(水) 10:33:03 0
中世欧州でこれだけは食べておきたいというオススメの食べ物はなに?
カッチカチのパンと肉野菜スープ
鳥のパイ包み
パイを開けると飛び出します
手抜きで乾燥工程を省いたので酸っぱくてドロドロになってウジがわいてる塩漬け肉
「ブライ」っていう乳粥
よく振舞われるという水で割ったワイン
生肉って食ってたのかな?
タルタルステーキ?
豆の薄いスープ
808 :
世界@名無史さん:2007/08/02(木) 12:20:51 0
朝から薄いエール(ホップ未添加)、副食無し。
昼も薄いエール、副食無し。
晩は混合麦の堅いパンを湯冷ましで喰ったら、さっさと寝ろ。
809 :
世界@名無史さん:2007/08/02(木) 12:52:10 0
>>779 なにいってんだこの童貞野郎め!!!
他人に難癖つけるよりも、早く包茎を直しとけっ!!!!!
あっ!!でも包茎の意味がわからないかwwwwwwwwwwwww
レイシズムより、おまえはレイプシズムのほうが、あってるだろwwwwwwww
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)
811 :
世界@名無史さん:2007/08/03(金) 09:54:20 0
ホットケーキみたいのは中世にはないの?
高価な砂糖の代わりに蜂蜜を使ったようなものならあったみたい。
ただあまりパンとの区別はされてなかったらしい。
パイやウエハースの方が一般的だと言われてる。
813 :
世界@名無史さん:2007/08/03(金) 12:26:04 0
中世のパイ皮は中身を保存する密閉容器としての役目が主だったそうな。
弁当のふた代わりみたいな感じで使われたりしてた様だね
815 :
世界@名無史さん:2007/08/03(金) 19:48:12 0
中世ヨーロッパの暮らしなんて不潔過ぎてゲロ吐く
美化してる奴は死んでほしいね
問題は
>>815が学校の教科書やネットのお手軽サイト以上の知識を持ってるのかだが。
815みたいなのに限って自分が食べてる物がどこでどんな風に作られてるか知らなかったりな。
じゃあいざ自分が中世に行ったとして、どうすればどの程度の衛生が確保できるのかとか想像もできないんだな。
>>817 大丈夫。>815は中世に行かなくてなま水飲んで
一発で腹下すから衛生状態以前の問題。
賞味期限に挑戦しているような奴等なら
中世にいってもなにごともなく過ごすかもしれん。
とりあえず中国産の食品は食べる前に自前の検査キットで調べましょう
問題は国産と偽られている時だな
今の時代危険を冒してわざわざ食べ物食べてるやつが池沼
じゃあなに食べてんの?
うんこ
824 :
世界@名無史さん:2007/08/06(月) 17:22:43 0
今も昔も食い物は危険だったと
国産なら安心です。国産なら問題ありません。
何国産だよw
昨日中国から仕入れ一日いけすで育てたので当然日本国産です
828 :
世界@名無史さん:2007/08/17(金) 07:59:24 0
なんか止まってるな、ageとく
829 :
世界@名無史さん:2007/08/22(水) 17:10:30 0
休日って日曜日だけだったんかな?
830 :
世界@名無史さん:2007/08/22(水) 17:52:47 O
スツェレーネの肉入りパイ
土曜日は半ドン。月曜日も実質半ドンだったようよ。
都市の職人の話ね。
832 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 13:04:23 0
結婚とかは自由にできたんかね?
833 :
扶桑@名無史さん:2007/08/28(火) 13:11:52 0
初夜権行使。
834 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 13:48:25 0
>>831 月曜日は日曜日に飲みまくるから、二日酔いで休みだと聞いたが
安息日の安息日だな
土曜日は午後が休みで月曜は午前が休み?
838 :
世界@名無史さん:2007/08/30(木) 08:59:12 0
おれは毎日が休日だけどな
839 :
世界@名無史さん:2007/08/30(木) 20:27:47 0
840 :
世界@名無史さん:2007/09/04(火) 17:12:33 0
841 :
世界@名無史さん:2007/09/05(水) 08:07:59 0
>>831-837 毎日のように仕事があったかどうかもわからん時代だよね
戦前の日本の大工も、暇でぐうたら過ごしていることが多かったそうだ
にしても、当時、貧乏人に酒の費用負担は重かったろうな
お尻はどうやって拭いてたんでしょうか?
草じゃないのか?拭かないとは思えないが
844 :
世界@名無史さん:2007/09/05(水) 15:31:18 0
中世の絵画を見ると色とりどりのタイツを着用している人が
階級にかかわらず多く見受けられますが、その理由はなんでしょうか?
また材質はなんですか。いまあるタイツのように伸び縮みしないと
描かれているようにラインが出ないと思います。
ウール
ジャックリーの反乱の絵ではタイツ着た農民がナイトと馬をたこ殴り
農民ならパッチとか股引みたいなものじゃない?
実用本位の生地で。防寒もあるか。
貴族ならおしゃれで生地も上等そうだよな。
メリヤス
850 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 19:28:19 0
「ハーメルンの笛吹き男」を読んでるんだけどさ、
女の子は8才で嫁に行くって本当なのか?
ただ婚約者がいるってだけの意味じゃないの?
嫁に行く=相手の家で家事見習い
基本的に中世は6歳まで幼児。7歳から大人。
子供の発見は中世を抜けてから。
ここで言う大人は仕事を始めるという意味。
性的な成熟と言う意味では14歳から大人。
グリム童話の白雪姫は森に捨てられたのは7歳の時。
その後りんごを食べて倒れた後、14歳で目覚めて結婚する。
ロミオとジュリエットも14歳。
ジュリエットはまだ13歳だったと思うが。
日本でも七歳までは神の子と言うな
14歳以下とセクロスすると少女陵辱?とりあえずタイーホされる。ゲーテもファウストで書いてるやん、グレーテたんは14歳以上だから無問題だって
快楽のためのセックスが禁止だったのかな
当時14歳が初潮の平均年齢だったとすると
カトリックだと、建前上そうだな。
どの時代でも娼婦はいるしな
修道院や教会にだって生殖者もいるしな。
チェーザレ・ボルジアの父とか。
聖職者が堕落してた時代には
司祭達が普通に妻帯してたり娼婦館に通ったりしてたみたいだな。
娼婦が教皇選出にさえ口出しするようになり、私生児が教皇になったりした時代もあった
聖職者が堕落してたというより(まあ堕落してたんだが)
金や権力のあるヤツがそういう権威の中枢に入り込んでいった
つーか、当時の教皇は大領主であり、欧州最大の組織の首領であり、大規模な直属軍も持ち、
権威、権力、財力、並ぶものの無い存在だったからな。
しかしその絶頂も長くは続かなかったのです
大概の諸侯諸王が没落してるなかでしぶとく生き残ってンじゃん。
比叡山延暦寺みたい
スレ違いゴメン
延暦寺というより本願寺だね
此処の皆様に質問です。
最近、中世ヨーロッパの産業(製鉄や皮の鞣し、織物など)に興味を持ったのですが、
いざ、自分で調べようとしても中々(寧ろ全くと言っていい程)
詳しい資料が見つかりません、どなたかご存知ないでしょうか?
文献、HPなど、媒体は問いません。宜しくお願いします。
>>868 ありきたりだけど阿部謹也『中世の窓から』かなぁ
もうちょっと絞ってくれれば答えやすいかも
時代とか、地域とか、職域とか、産業についての何を知りたいのかとか
870 :
868:2007/09/14(金) 22:52:53 O
>>869 言葉が足りなくて申し訳ありません…
一応、年代ですと10世紀のヴァイキングが跳梁跋扈していた辺りから
ルネッサンスにかけて…と我ながら幅がありすぎて申し訳ないのですが。
それと、産業の特に何が知りたいかと言うと、例えば高炉の無い当時に
鉄はどのように精練され、鋼は何時から造られるようになったのか、
皮はどのように鞣されて革になったのか、etc…
つまりは、当時の工業品の製法とその様子と言えばいいのでしょうか…
後は細かい図解があれば言う事は無いのですが。
すいません、一つ知りたい事があるのですが、
中世ヨーロッパでは職業の概念はどのような物だったのでしょう?
「あなたの職業は何?」と聞かれて普通に受け答えするのは自然でしょうか?
とあるスレで、中世ヨーロッパの田舎の村では職業の概念が乏しいからそんな訊き方はおかしいと言われまして。
服装である程度職業はわかったんじゃ?
いつも思うんだが中世ってひとくくりにされてもな。
約1,000年間の中でかなり変化があるわけで。
ひとくくりに「中世」という奴は大抵中世後期、しかも末期しか想定してない場合が多い。
どころか、近世あたりの話だったりする。
講談社学術文庫の「中世ヨーロッパの都市の生活」がおもしろかったよ。
1250年ごろのフランス・シャンパーニュ地方のだけど。
市民・主婦・職人・豪商・医師・教会・学校・政治など。
製鉄
>ほぼすべての鉄鉱石は、地表近くに層を成している沼鉄鉱から得られており、
>深い所から採掘されているされているものはほとんどなかった。
>イングランド、スコットランド、ザール、リエージュ、エクス・ラ・シャペル(アーヘン)、
>>アンジューなどでは石炭も採掘されていたが、鉄の精錬のさいにはもっぱら木炭が
>利用されていた。鉄の精錬は風の強い丘の上に穴を掘って鉄を引き出すための
>管をさし込み、木炭と鉄鉱石を交互に穴のなかに積み上げていき、一番上に土で
>ふたをするという方法でおこなわれた。こうして作られた鉄にはいくらかの炭素が
>混じるという利点があった。つまり、一種の鋼を生産していたわけである。
>中世の冶金学者たちはなぜ鉄に炭素が混じるのか、原理を正確には理解して
>いなかった。この「軟鋼」(低炭素鋼)は塊のまま、鍛冶屋へと運ばれた。
皮なめし
>皮なめし、または「みょうばんと塩の溶液でなめす」という古来から伝わる方法によって
>皮革を寝かせる作業は、刺激臭を伴った。親方や徒弟たちは屋外で、横材に獣皮を掛け、
>凹型の道具の刃の鈍い部分を使って、毛や表皮をこすり落とした。皮の下側にくっついて
>いる肉は刃の鋭い部分で、こそぎ落とした。次に冷えた家禽類の肉か鳩の糞、または犬の
>暖かい糞で皮をこすって柔らかくする。それから、発酵させた「ふすま」(小麦を粉にする
>ときに出る皮のくず)で作った弱酸性の液体に浸け、糞のカルシウム分を洗い落とした。
>特に柔らかい革が必要な場合は――靴の甲革、貴重品箱や鞘、バグパイプ、ふいごの
>カバーなどに使うとき――皮をもう一度、横材に掛け、ハンドルが二つついた専用の
>ナイフでそいでいく。それから水槽に入れて、なめし用の溶液を一杯に入れては
>排水するという作業を繰り返す。最初は古くてなれた溶液を、最後は新しくて生硬な
>溶液を入れる。溶液の香りはオークの樹皮、えい瘤(菌類や昆虫による植物の異常増殖
>部分)、アカシアの豆果、そのほかのなめし作用をする物質から出ていた。最後に、
>皮を水槽に浸けて、数週間寝かせる。皮と皮の間には樹皮を細かくしたものが入れられた。
>皮なめしの全工程は数ヶ月、いや実際には一年以上かかることが多かった。もう少し
>あとになるが、十三世紀中には、熱湯を使う新方式が採用されるようになる。これだと
>十日間という短期間で作業が終了した。
粉引きに鍛冶屋、木こり(猟師)に農奴(小作人)、奴隷・・・そして領主(領主のいない土地はない!)とその護衛に聖職者。
中世の農村部と言ってもそれなりに職能分化しているもんだよナ。
でまた地方、民族や時代によってかなり違うと。
都市部ならギルドがある訳だから職業ははっきり分かれてるな。
市が開かれる時商人が集まり、売買をする為に周辺の農民も集まる。
そして市では何商人は何を扱っても良いとか、いつどこで買って良いとか決まってる。
農作物を売りに来た農民にもこの規則は適用される。
だから農村だからといって職業という概念が無い訳は無い。
ただ都市のようにギルドによる束縛は無いだろう。
その代わり粉挽きとかは領主が許可を与えていて、
個人で石臼で挽いたりすると犯罪になったとか、
農村は農村の規則がある。
879 :
868:2007/09/16(日) 11:16:25 0
>>875 情報、ありがとうございます。
自分の知りたかったこと、まさにそれです!
しかし、この時期において「木炭と鉄鉱石を交互に穴のなかに積み上げていき・・・」と、高炉と似た発想が
既にあったことに驚きです・・・ますます興味が沸いて来ました、早速買いにいきます!
製鉄炉としては最も原始的なもんじゃね?
たたら炉も同じだし。
881 :
世界@名無史さん:2007/09/16(日) 22:16:20 0
結婚するとき新郎新婦は人前でセックスしないといけない
(契約社会なので確かに結婚したという証人が必要)
王妃は子供をうむのも人前で股を開いてやる
(取替え子やうそ出産をふせぐため)
そのあいだ、広間に誰でも出入りできて庶民も王妃の
秘所をじっくり拝める。
だから大砲に女性の名前をつけることが流行した
(赤ちゃんの頭が9センチ、大砲のタマも9センチなので
女性と大砲の穴のサイズがおなじというわけ)
特別な大砲は、願いをこめて王妃の名がつけられた。
接続詞は「だから」でいいのかw?
しかし女性は凄いな
へそだしや見せパンみたいなもんで、
皆がやってて常識だったら案外平気なのかもしれんぞ。
貴族の女性は子供の頃から使用人に裸見られるのに慣れているから、
裸になることを恥ずかしがらないと聞いたような。
ベルベル人だかの結婚では、処女の証明として式場で父親に指で処女幕破ってもらうだとか、
結婚初夜の破瓜の血が滲んだ寝具を公開するだとかそんなしきたりがあるとか。
ムスリムでこれはさぞ恥ずかしいだろうな
885 :
世界@名無史さん:2007/09/16(日) 23:12:57 0
白人は野蛮なんだよ・・
少女漫画でタイムスリップしてヨーロッパの王妃になるヒロインがよくいるが
人前で強姦されたり
農民にマンコ指差されながらやんやと囃され、子を産む生活は耐えられないでしょうね。
しかも避妊がないので(キリスト教徒はうめよふやせよで)毎年うみつづけて死んだ女性も多い
世界に白人が多いのも、白人女の尻がでかいのもナットク
それにたいして日本は上流の姫様になるとセックスする必要も子を産む必要もない
やりたくなければぜんぶ代わりに妾がやる。なんとも優雅
>少女漫画でタイムスリップしてヨーロッパの王妃になるヒロインがよくいるが
よく・・・いるか?
アフリカ黒人は野蛮とされてるが、食事をひとににみられるのも恥ずかしいという習慣もある
ズールー人が、大王シャカを中心にズールー王国をつくったがこの王が人を殺す戦争を
発明したとされる。
つまり、それいぜんの黒人の戦争は一切人を頃さないという平和なものだったようだ。
文明の洗練では黒人のほうが白人より上だった。
>食事をひとににみられるのも恥ずかしいという習慣もある
たしか中央アジアのイラン系民族でもあったような
>少女漫画でタイムスリップしてヨーロッパの王妃になるヒロインがよくいるが
脳内で中世ヨーロッパ万歳ファンタジー女子を設定して勝手に上から目線で見下して
優越感に浸りたい年頃なのでそっとしておいてやってください。
中世ヨーロッパの騎士たちのやった槍試合ってのは凄いな。もう野蛮そのもの。
槍試合って名前なのにやってることは模擬戦争、つーかほぼ戦争w
二手に分かれた騎士たちが会場に指定された土地の村落を破壊しながらルール無用人死にOKの
合戦を繰り広げる。スポーツとしてw
これだけ生々しく野蛮な連中ってのはあまり世界史にも見られないのではないだろうか?
王家のモンショウとかあるじゃんw
伸びてると思ったら変な人湧いてたのね
>>891 聞いたことない・・・
てかその作品一つで少女漫画全般がそうなるのか?
誰も「『王家の紋章』の舞台は古代エジプトだろ!」と突っ込まないもまいらの優しさが好き
>てかその作品一つで少女漫画全般がそうなるのか?
30年も連載され5000万部も売れてるじゃん
「よくいる」わりには中世でもヨーロッパでもない例が一つしか出てないのはなんで?
>少女漫画でタイムスリップしてヨーロッパの王妃になるヒロインがよくいるが
中世とかヨーロッパとか関係無しに「王家の紋章」しか思い浮かばないw
少年マンガで三国時代や日本の戦国時代にタイムスリップするネタや、
少年マンガ・少女マンガでファンタジー世界に行くネタだと、
それこそ枚挙に暇がないけどね。
>>890 中世は人の死に鈍感だからな。(餓死、凍死、病死等が日常であるため
これは欧州に限らないが。
他の少女漫画でも「天は赤い河のほとり」もヒッタイトだから中世でもヨーロッパでもないな。
現代人が史実の中世ヨーロッパに飛ばされるような話ってラノベなら昔あったな。
異次元騎士カズマだっけ
王領寺 静=藤本ひとみ
リーンの翼とか
……マノン……(ノ_・。)
革命前のフランスにタイムスリップしてマリーと恋に落ちる少女漫画ならあったな。
パタリロだが。
忠誠の木かよ。
実写映画じゃTimelineとかぐらい?
王族と結婚ってわけじゃないけど。
>>907 タイムラインだと中世人が意外と清潔だったので驚いたりする描写があるな。
中世だか近世だかに沈んだ軍用船を引き上げてみたら遺骨の歯並びは皆完全にそろっており、虫歯ひとつなく健康そのものだった、とかね。
>>875の本では中世は栄養事情が悪く、歯周病等が原因でよく歯が抜けたりしてたらしい。
>>909の話は大航海時代〜ナポレオン戦争時代ぐらいの軍船だったとおもう(チョット曖昧モード)
この頃のイギリスを訪問したフランス人は、イギリスの農奴が割と良い生活していることに驚いてた筈。
(てかどんだけ搾取してんだ大陸人は、て話ですが)
>>911 そう言えば朝鮮通信使が、日本の農民がいい暮らししてるって驚いてるな。
どんだけ搾取してるんだ大陸(ry
日本も東北や九州の貧乏藩は農民に過酷なお上があった。
取れた米の半分は税で持っていかれるわけで、それを船で大阪に持っていってしまうのですが
ほとんどは潰してお酒にされたそうです。重税が悪ばかりではない。それで商売が潤う人や
毎日酒を飲んだりする人もいたので、日本全部で見たら必ずしも不幸ばかりではなかった。
大阪では庶民・商人や僧が、田舎武士を軽蔑していたとさえいわれてる。
で、ロシアの農奴から搾り取った金でロシア皇帝が贅沢三昧してイギリスやフランスから
装飾品を取り寄せれば、ヨーロッパ全体で見れば必ずしも不幸ばかりではないし
朝鮮王が農民から取り立てた税も、まわりまわって中国が潤うのだ。
中国かよ。
中世ではなく江戸以降だが、東北の貧困は米本位制のせい
>>915 雑穀を作ってればあんな大飢饉にならなかったとかいう話ですか?
米はやっぱ合わんよ・・・。
幕府としては、東北以北は大名の罰ゲーム、いやさ移封というか陸の島流しの場所だからとことん貧しくて良いんだけどな。
>>913 江戸時代の東北で生産された米の半分は酒米だったの?
ヨーロッパに比べたら遙かに豊かな日本の食料事情について
「飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの
(ヨーロッパの)人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。」
「日本には外国人が有するその他の物――食物やら衣服やら便利さゆえに必要な他のすべての物――はあり余るほどにあるということは、既に
述べたことから十分にお分かりいただけよう。
そして他のほとんどの国々において、しばしば多かれ少なかれ、その年の凶作や深刻な飢饉が嘆かれている時でも、人口の多いのにもかかわらず、
日本で同じようなことがあったという話はほとんど聞かない」
ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫
> (それでも何回かは飢饉があった――という話がこのあとにありますが、江戸時代の飢饉についての戦後の教育は、あまりにも大げさです。
> たしかに飢饉の記録はありますが、それは当時の人にとっても異常だったからこそ記録に残されているのであって、その記録の無い期間や
> 無い地方は、ずっと食物は豊富で平穏だったわけです。
> そういう眼で見ますと、江戸時代は世界の水準に比べて、じつに飢饉が少なかったと言える――と、石川英輔さんはじめ、正統史観の研究者が述べています。
>
ttp://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/edo_sanpu.htm
将軍綱吉のころは、将軍家が家来に二万石の領地与えるという言葉はせいぜい
二千石の領地、実質は10分の1だったらしい。
勲章みたいなもので名誉優先らしいが
大藩の内情も同じことで、江戸屋敷でお人よしの藩主が浪人を取立てたりするので
家老はたいへんだったみたい。まあ、藩主の見栄はあるし、土地は限りがあるしで
さいごは順番に処罰したりお家断絶にしないといけない。政治的に
椅子取りゲームだな
江戸前期までは毎年飢饉が常態だったって知らないのかね。
さすがに毎年飢饉だったら、人口激減してると思うのだが
江戸時代の生産高は3000万石だから、人口3000万人くらいは養える分量
まあ、八月に雪が三尺積もった、とか例年のやませどころでない異常気象がくるともはやどうにもならんのだけどな。
平時と飢饉の年じゃあ死亡者の増える季節が違うそうで
平時は寒い冬に死者が増えるのに飢饉の年は食べ物が取れない春夏に増える
それで戦国〜江戸前期まで飢饉が毎年起こってることがわかる。
でも飢饉で全国民の何割も死ぬってのはなかったんじゃない?
平均すれば気候温暖、豊かな自然と勤勉な国民。
これだけでもヨーロッパから見れば脅威かも知れない。
人口や都市の規模も整然としてかなり大きい。
飢饉だからといって欧州の国単位に比する地域規模で難民が出たなんて話もないんじゃない?
脅威ってか、鎖国してたからねえ・・・
ちなみに戦国時代は、なぜか順調に人口が増え続けたなんて話もあったり。
米の半分を年貢で持っていかれるのは当時は普通だろ。
ネトウヨだかなんだかしらないけど日本の話は板違いです
いいかたがまったく気に喰わない。
「板違い」と不平を言うよりも、進んで話題を書きましょう。
中世1000年って日本じゃ飛鳥から江戸に至るまでだから幅広すぎ
日本ならその間上古、中古、中世と区分してるけど、
ヨーロッパが中世一括りなのは(初、中、後などの区別はあるが)、
あんまり体制的に変わらなかったから?
ひとえに近代史家が「ローマ崩壊〜ルネサンス間なんて暗黒時代」ってひとくくりにして考えたせい。
変わらなかったというより、変わらなかったことにされた時代区分。
>>885 庶子って言葉を聞いた事が無いのか?
死ね。
>935、そこはバスタード!!と罵るのですよ♪
つまんねネタだな。
>>934 >>935 死ね死ね言うような奴の味方なんて誰もしないよ。
いつ言われる立場に立たされるか分かったもんじゃないもん。
差別主義者の味方も誰もしないがな
中世ヨーロッパ野暮らし
「薔薇の名前」を見たときは中世ヨーロッパで暮らしたいとは思わなかった。寒くて
食料もなさそうだし、異端審問は怖いし。
教皇派に与して栄達を図ろう
農奴にゃなりたかねーな。
農奴に生まれてしまったら、なんとかして都市に紛れ込んで1年と1日過ごすしか。
シナは農民戸籍と都市戸籍と分かれて農民は都市サービスが受けられないから
シナは中世レベルだな。
946 :
世界@名無史さん:2007/09/23(日) 18:18:58 0
>945
中華人民共和国
>>944 そういう感じで盗賊やお貰いさん、傭兵が増えて社会問題化するのよな。
鷹の団とか
>>944 むしろ都市部の方がマズイ
物流がまだ未発達だから食糧不足になりやすい
>>949 当時の人達にも「備蓄」という概念はあってね、キチンと蓄えていたんだよ。
無論、飢饉だけじゃなく、篭城戦にも備えていたんだね。
だから、農村部よりも財力のある都市部の方が飢饉に強かったみたい。
飢饉と言っても、普段と変わらぬ生活を送っていた人もいたわけだしな。
どこかの都市では、食料の供給が0になったとしても
市民を1年半養えるだけの食料が蓄えられていたそうな。
逆に農民は備蓄を許されてなかった。
中世の都市だと、市民ってのは都市の住人とイコールじゃないからなぁ。
じゃあボクは司教座聖堂参事会員になる!
悪名高いロシアの旅券制度
農民が移動できないようにするもので、べつの地方へ行くにも役人の許可がいる。
もし強引にモスクワに住もうとしても、許可がなければ仕事につけず子供は学校に行けない。
土地を放棄して一斉に豊かな都市に押しかけたらどうなる?これを防ぐ必要があった。
旅券制度は農奴制度とともに帝政ロシア、ソ連、ロシアとさらに強化され引きつがれてきた。
露出身のプレイボーイ嬢が出国するために役人に乳房を触らせる必要があったと告白してる。
これはロシアだけでなく現代の中国でもおなじ、身分証明に農民と刷られると都市に住めず
人間扱いされず一生差別される。中国の娘さんが日本人と結婚したがるのはそれが理由だ。
外国人と結婚すれば農民の身分から逃れることができる。
ソ連時代、モスクワ駅は青少年のたまり場であった。なんとかモスクワ市民と寝て結婚して
都市居住権を手に入れようとするのだ。
イスラエルがソ連から移民をうけいれたとき「女は全員売春婦になり男は全員泥棒になる」
と抗議された。ロシア人はそれしか生きる道を知らなかったのだ。
モスクワのアパートはせまく、子供がふえると独立して市外に住む必要がある。
それをきらって狭いボロアパートに何世代何十人もすむ家族がふえた
「モスクワ(北京)以外に住むなら死んだほうがマシ」というのが農民の認識だった。
しかしヨーロッパもロシアの旅券制度を笑えない。
ドイツは無数の諸侯国に分裂していたとき、もちろん農民は移動禁止だった。
30年戦争の終わりのウェストファリア条約では「領主の信じる宗教が領民の宗教」ときめた。
農民は完全に領主の所有物だったわけだ。
七年戦争でイギリス帝国は、戦争に功労のあった百人の貴族に植民地カナダを百分割して与えた。
朝鮮征伐で800万石と計算して太閤秀吉が、「そちに百万石、そちに五十万石」と恩賞を与えたが
それとおなじだ。王様は貴族へ大盤振舞いしたかったのだろう。
これはカナダ政府にとって災難というほかなく、多くの貴族は交渉に応じて土地を売却したが
なかには最近までもめた土地もある。名目上の君主は英国王だから簡単ではない。
中世貴族や身分制度は過去のものではなくロシアでも西洋でも、今も尾を引き続いているのだ。
都市住民が流民と食料や安全を分かち合うって話しも聞いたことがないが。
マキャベリ先生も言ってたな。ドイツの都市は一年間は仕事と食料を与えて軍事訓練やってるから激しく強いとか
聖地巡礼は農民に許されたの?
自由民ならな。 農奴?領主の気まぐれか、あるいは教会/宗教裁判所から何らかの懲罰で巡礼行を義務付けられ、領主の許しが出ればな。
牛に引かれてサンチャゴデコンポステラ参り
そっか。農民は旅も出来ないのか。ひえー
柄杓を持ってええじゃないかと言うわけにはいかないのだな
旅に出るのは可能。
連れ戻されれば最悪見せしめに殺されたり、肉が裂け背骨が露出するほど鞭打たれたり、額かどこかに焼き鏝あてられるってだけで。
>>960 農民、というと語弊があるかと。
農民と言っても自由農民(ヨーマン等)と農奴は違うわけだし
阿部勤也の『中世を旅する人々』にその辺りの話が詳しく載ってたな。
>>960 そもそも治安もへったくれもないんで、一度旅に出て無事戻ってこれる確率は非常に低い。
領主自らが野盗率いてるような時代だからな。
確かトラベルはトラブルと同じ語源だと聞いたことが。
質問
白人男性は日本男性より優しいよね?レイプやDV率ってどんな感じ?
回答
http://www.diplo.jp/articles04/0407.html >女性に対するドメスティック・バイオレンスが深刻なヨーロッパの国として、筆頭に挙がるのはルーマニアだ。
>毎年平均して100万人あたり12.62人の女性が男性のパートナーに殺されている。
>しかし、この忌まわしい女性殺しの国別ランキングで、ルーマニアの次に続くのは、むしろ女性の権利が最も尊重されている国々である。
>フィンランドでは、毎年100万人に8.65人が家庭という閉ざされた空間で殺害されている。
>以下、ノルウェー(6.58人)、ルクセンブルク(5.56人)、デンマーク(5.42人)、スウェーデン(4.59人)と続く。
因みにDV殺人率は日本が(1人)、(女性の男性殺しは0.8人で急接近)。
レイプ発生率もDV殺人率でもそうだけど、欧州諸国ってみんな日本より高い。
印象はみんな優しい優しいって言うんだけどさ。 レイプ率は
http://www.independent.org/pdf/working_papers/50_prostitution.pdf 先進国であるはずの北欧と西欧がこんなにヤバイというのは初めて知った。
スウェーデン、オランダ、ノルウェー、フィンランド、フランス、ドイツ最悪。
日本人がレディーファーストがどうのと夢を見てる白人の本質はレイプ獣 ・・・
ルーマニアがバイオレンスなのはあの方以来の伝統だな
コピペっぽいのに反応するのもなんだが、
北欧諸国(等)はレイプの定義が日本より遥かに広いから気をつけろよ
州によっちゃちょっと手がケツに触れただけでも重犯罪になるぜ
しかも回数で刑が加算される
つまり日本で1人レイプしたら何回入れようが1件だが、向こうでやったら下手すると1人で50件とかになる
970 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 12:22:01 0
中世でもレイプって。。。普通にありましたよね
挨拶代わりってほどではなかったと思うよ
病気は憑き物って考えなのか、性病など他人に移せば治るという迷信があり、
近代に至るまでフランス農村部における処女(幼女含む)のレイプ率は
非常に高かった・・・と昔聞いた。
こういう迷信は日本でも近いものがあったが、黒柳徹子さんだかによると
現代アフリカのエイズ罹患率の高い国でも(近代までのフランス農村部と)
まるっきり同じ事例があるとのこと。
ルネサンスの頃の銀行の利率ってどのぐらいだったんだろう?
江戸時代の日本とかを見ると今よりは貸付も預金も
ハイリスクに対応して高金利ってイメージだけど
975 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 21:37:40 O
その時代の喪男たちは悶々とした思いをどうやって解消していたのか興味あるよね。男にも見向きもされない奴もいただろう。
今みたいに極上のネタも無かっただろうし、便利なティッシュペーパーもない。水辺で立ち小便すると見せかけて…とかなのかねぇ。手もすぐ洗えるからね。
羊とかが相手か。獣姦にはじまり、獣姦に終わる奴もいたのかもしれないね。
オナニーくらいで手は洗わないと思う
娼婦はいつの時代にもいる
ちゅぱちゅぱ