パリ万博〜第一次大戦くらいまでのパリについて

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1ナナシーヌ名無し
1900年から1914年くらいまでのパリについて、
「あんなエピソードが好き……」「こんな小話が好き……」「あの建物最高……」などなど
どんなことでもかまいませんので、語りませんか。
2ナナシーヌ名無し:2006/12/23(土) 20:58:26 0
1937年のパリ万博はお呼びじゃないか・・・・
3フランスが死ぬほど嫌いな人:2006/12/23(土) 21:47:36 0
この時代ぐらいのパリが本当のパリ、フランスだろうね。
今のパリは欧州でもっとも欧州らしくない、「アメリカ化した街」の一つだね。

『旧東ヨーロッパは遅れているから昔ながらの欧州らしさが残っているんだ!』

なんていう人がいるけど、たとえそうであっても
本当の欧州の街が見たい人はドイツより東に行った方がいい。
「コーラ、ハンバーガー、」「下品なポルノ、」「ストリップ劇場、」「レイプ等、性犯罪、」「強盗とかっぱらい、」
「黒人、アラブ人、中国人、ベトナム人、‥‥多様な人種、」
パリは半分アメリカだなwww。
4世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:15:44 0
美術ではキュビズム、素朴派のアンリ・ルソー

詩人だとアポリネール
5世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:19:57 0
モーリス・ルブランの怪盗ルパンもの

自動車、電話、バイクの普及

6世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:23:30 0
映画が娯楽として広まり始めた
7世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:25:24 0

  像
    の
      世
        紀
8世界@名無史さん:2006/12/24(日) 03:23:12 0
>>3
当時のパリを美化しすぎ
「下品なポルノ、」「ストリップ劇場、」「強盗とかっぱらい、」
これらは別にアメリカ’的でもなければ現代都市特有のものでもない

まあこの時期のパリを始めとした欧州都市が、
現在とくらべ遥かに華やかに煌いて輝いて見えるのは同意だけど。
9フランスが死ぬほど嫌いな人:2006/12/24(日) 03:47:00 0
>>8

少なくとも今のパリみたいに街のあちこちにコーラ、ハンバーガーショップなどはなかったはず。

パリは近年まで毎年10万人も移民を受け入れていた。

「黒人、アラブ人、中国人、ベトナム人、‥‥多様な人種、」

ここアメリカ?って思う程多様な人種がいて100年前のフランス人がみたらビックリするだろうなwww。

>「下品なポルノ、」・・現代都市特有のものでもない

少なくとも今のパリみたいに街のお土産コーナーにおちん○んが2本並んだ生写真なんて売っていないだろwwwww

現在のパリは十分過ぎる程にアメリカ化しているよ。あんな街、欧州じゃあないよwww





10世界@名無史さん:2006/12/24(日) 09:36:34 0
まあベル・エポックだもんな
11世界@名無史さん:2006/12/24(日) 12:54:50 0
フランスってユグノー戦争で泥沼になったり、ナントの勅令廃止したり、
主流派以外には非寛容のイメージがあるのですが、何故に今は寛容?
12世界@名無史さん:2006/12/24(日) 14:13:10 0
>>9
当時だって欧州的じゃねーだろ。
外人が大正浪漫な東京と現代の東京を比べて、現代の東京は
日本的じゃないって言ってるようなもんだ。
13世界@名無史さん:2006/12/24(日) 20:42:42 0
>>12
アール・ヌーボーのデザインの元ネタのひとつは日本の浮世絵なくらい

ピカソにしても、キュビスム(立体主義)とかいうけど、
アフリカ彫刻の影響が強い。
14世界@名無史さん:2006/12/24(日) 20:47:19 0
エコールドパリについて語ろうっていうのか?
15世界@名無史さん:2006/12/24(日) 20:51:07 0
>>11
この時代のフランスの場合、英語の使用禁止なんぞする必要なかったの!!
外交官の世界の共通語がフランス語だったくらいだから

パリには、他の欧州からの移住者が来ていた。

シャガールやスーチンみたいな貧しいユダヤ系の画家がロシアからやってきたりして、
パリでもっとも貧しく不潔な家畜屠殺場の近くのバラック(と言っていい)共同住宅に住んでいた。
スペインから来たピカソにしても、貧民の出でないにもかかわらず、
パリでは当初暖色系の絵の具を買えなかった。

移民のスラム街もあった。

16世界@名無史さん:2006/12/24(日) 20:56:17 0
>>14
画商の名前で「〜スキー」ってのが目立っていたような。
画家でも外国から来たユダヤ系が多数住んでいた。



17世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:01:28 0
>>8
>「強盗とかっぱらい、」
ジャン・ジュネを連想した。

この当時、ヤクザや泥棒を呼ぶ呼称は…(-_-)ゞ゛
(「ギャング」ではない)

>「下品なポルノ、」「ストリップ劇場、」
地下出版だけど印刷されて流通してました。
ムーランルージュの踊り子なんて、紳士相手の娼婦も兼ねていた。

18世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:12:02 0
>>6-7
フランス映画史
http://www.rose.ne.jp/~french/history/history.html

初期は見世物小屋的だったのは、何処も同じみたい。

アメリカの映画屋にしても、サーカスなどの興行師のユダヤ人が転業したものだった。
サーカスなら、フランスでも盛んだったよね?

ちなみに、サーカス屋の踊り子などの女も売春をすることが多かった。
19世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:15:55 0
マルセイユが、悪徳の巣窟みたいに言われてのにしても、この当時にもあてはまります。
薄暗い酒場でストリップ・ショーもやっていた。

移民のスラム街があった(当時はイタリア系が主。同国人ではコルシカ人。)。
20世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:25:01 0
>>19
イヴ・モンタンも、北イタリアからの移民の子で、
まずマルセイユで歌手として売り出した。
21世界@名無史さん:2006/12/24(日) 21:34:38 0
>>16 >>19
詐欺師などの犯罪組織にしても、この時代のフランスでは
コルシカ人、東欧や南欧出身の外国人風の名前が目立つ。

なんだ、アメリカと大差ないじゃん!
228:2006/12/24(日) 23:00:43 0
>>17
いや自分もそう言いたかったんだけど。なんか勘違いされてるかな
>これらは別にアメリカ’的でもなければ現代都市特有のものでもない
>(当時のパリから既にあった)
  ↑この一文を書くべきだったかね
23世界@名無史さん:2006/12/24(日) 23:09:36 0
>>16 モディリアニの絵にもズボロフスキーがあるくらいだからな
24世界@名無史さん:2006/12/24(日) 23:11:04 0
印象派でもマネは浮いてる
25世界@名無史さん:2006/12/24(日) 23:13:47 0
http://www.forumkaya.co.jp/images2004/index-doga.jpg

 ドガの踊り子の左上には、パトロンがいる
26世界@名無史さん:2006/12/25(月) 00:11:50 0
>>25
19世紀後半期のバレリーナはそんなのばかりだったらしい
27世界@名無史さん:2006/12/25(月) 01:47:32 0
以前それTVで見たなと思ったら、あった
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/001118.htm
28世界@名無史さん:2006/12/25(月) 07:53:47 0
>>25-27
こんにちでも、映画監督と愛人だのそういう話はあるけど、
この頃はそれどころじゃない状態。

まあ、現代日本の芸能事務所もやくざまがいが牛耳ってるから、
売春まがいは多いだろうな。
森本レオみたいにローティーンの処女買いしてる人間までいる。
29世界@名無史さん:2006/12/25(月) 07:58:40 0
>>27
>ドガはそれまで集めてきた絵画や屋敷を売り払い、懸命に返済資金を作りました。
>そして一枚でも多く、売れる絵を描くことにしたのです。
>乾くまで待たなければならない油絵具に代え、パステルを使えば短い時間で多くの絵がかける!困窮した画家がたどり着いた、絵を売りさばくための知恵。さまざまな画材や技法を試みたドガ。
>けれども、パステルはその後も使い続けました。

晩年視力が低下してからも、パステルは使い続けた。
人間、何が役に立つかわからん。

それにしても、モネだって一瞬の光線を把握して描いたはずなのに、
なぜか油絵なんだよな。
30世界@名無史さん:2006/12/25(月) 08:03:40 0
>>27
>ドガは裕福な銀行家の長男でした。
>ところが1874年、その父親が死んでしまったのです。
>残されたのは債務と、容赦ない取り立て。

戦前の日本でも、銀行は倒産するのが当たり前だった。
この当時のフランスでは、銀行開業した後、預金集めてどろんぱする
頭取までいたようだ。

かと思えば、破産しても免責はなく、まっとうな人間には過酷な時代。
31世界@名無史さん:2006/12/25(月) 08:12:33 0
>>30
戦後のパリの破産管財人も、ハイエナ呼ばわりされることが多かったようだ。
(現在、改善されたかどうかは知らない。)
任意整理の整理屋のように、残った会社財産の大半を頂いたらしい。

公証人もフランス社会では大きな比重を持った職業で、
結婚から遺産相続、アパートの賃貸借、何から何まで関与して
手数料を稼いだ。
バルザックは、「金に汚い」「どぶねずみ」とか呼んでいたはず。
そういう本人は、慣れない事業に手を出して借金背負った挙句、
ロシアの貴婦人(金持ち未亡人)を口説いて、結婚しているが。
32世界@名無史さん:2006/12/25(月) 08:20:44 0
映画「パピヨン」
http://www.actv.ne.jp/~yappi/movies/papillon.html

フランス大革命期の政治犯や、パリコミューンの反乱者も、ここに流された。
ドレフュス大尉も、冤罪でここに流されていた(よく生き延びられたと思う)。
ここの監獄の廃止は、1942年。


33世界@名無史さん:2006/12/25(月) 08:26:05 0
ユトリロがルノワールの隠し子だと聞いたのですが
34世界@名無史さん:2006/12/25(月) 08:26:34 0
>>32
>悪魔島での獄中生活はドレフュスの健康を害し、彼は1907年10月に軍を退役した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%A5%E3%82%B9

健康を害するくらいで済んだのが凄い。
1年以内に死ぬ囚人が多かったというのに・・
35世界@名無史さん:2006/12/25(月) 08:32:26 0
>>33
ありえない話じゃない
当時のモデルは、半ば娼婦扱いで、画家の愛人になることが多かった。
ユトリロの母親ももともとモデルだよね。
36世界@名無史さん:2006/12/25(月) 15:14:34 0
ピカソも、モデルの女に手をつけまくった。
37フランスが死ぬほど嫌いな人:2006/12/26(火) 04:02:43 0
>>17さん、18さん、気持ちはわかるよ、気持ちはw

>地下出版だけど印刷されて流通してました。

この時代にはどの国にも地下ポルノなんてあったさ、公の場に出さねば良いだけのこと。

少なくとも今のパリみたいに朝刊を駅の売店に買いに行くとペニスの写真が掲載されているような下品なパリではなかった。

今はアメリカだよアメリカw。
38世界@名無史さん:2006/12/27(水) 07:59:58 0
>>37
確かに、欧米の白人って羞恥心ないですね
39世界@名無史さん:2006/12/27(水) 08:50:10 0
ドゥミ・モンドとかちんこたつね
40世界@名無史さん:2006/12/27(水) 09:20:01 0
ああ 巨大UFOとか大変だったよね
41世界@名無史さん:2006/12/27(水) 14:24:45 0
>>38
本邦も負けず劣らず。
42世界@名無史さん:2006/12/27(水) 23:53:25 0
>>41
中国もそうだお
43世界@名無史さん:2006/12/28(木) 06:37:01 0
フランスの地下鉄は、1900年に開催されたパリ世界万国博覧会に合わせて開通した。
1863年に世界で最初に開通したロンドンに遅れること37年、パリ・メトロポリタン鉄道会社
(CMP:Compagnie du chemin de fer Metropolitain de Paris)が1号線をポルト・マイヨー
(Porte Maollot)〜ポルト・ド・ヴァンセンヌ(Porte de vincennes)間で運行したのが最初である。
http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/life/177/
44世界@名無史さん:2006/12/28(木) 06:48:06 0
ブローニュの森が汽車で日帰りで行けるようになって、
男たちが日曜日に来るようになった。
スーラが新印象派で描いた光景だ。
ただし、ここに来ていた日傘の女性は娼婦と見て間違いない。

良家の婦女子には外出の自由のなかった時代。
45世界@名無史さん:2006/12/28(木) 06:54:20 0
イル=ド=フランス地域圏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%89%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%9C%8F

パリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA

モンマントルとモンパルナスといえば、現在では観光名所だろうな
もともとは貧民、難民の暮らす貧民街
46世界@名無史さん:2006/12/28(木) 06:59:51 0
このころには、ナポレオン3世の近代パリ市になってから半世紀も経っていなかった。
古い建物の大半が取り壊された現代都市だったわけだ
オスマン知事の功績は大きいよな
上下水道と広い道路、緑地公園の整備
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3#.E7.AC.AC.E4.B8.89.E5.85.B1.E5.92.8C.E6.94.BF.E6.9C.9F

47世界@名無史さん:2006/12/28(木) 07:01:53 0
>>42
中国女は、日中戦争の時代から羞恥心ゼロ
48世界@名無史さん:2006/12/28(木) 08:56:25 0
スレ違いは政治死相板にカエレや
49世界@名無史さん:2006/12/28(木) 18:53:06 0
戦前の日本伊にあった警察代執行による身柄留置
犯罪捜査での任意宿泊

あれはフランスで既に行われていた法制度や実務運用を模倣したもの
50世界@名無史さん:2006/12/29(金) 17:14:49 0
50ゲット
51世界@名無史さん:2006/12/29(金) 18:41:23 0
>>49
刑事たちは、庶民を取り調べるときは高圧的だったが、
上流階級には手が出せなかったようだ。
52世界@名無史さん:2006/12/29(金) 22:58:41 0
Jean Valjeanを追ってた刑事は立派だ
53世界@名無史さん:2006/12/30(土) 08:22:24 0
>>52
なぜか監獄の看守(憲兵隊?)、地方の都市警察、パリ警視庁と、
組織系統の異なる警察組織を転々としているがw

ユゴーはフランスの警察組織について無知だったようだ
54世界@名無史さん:2006/12/30(土) 08:27:53 0
鉄道ストライキの労働者を予備役招集して、社会党の入った内閣がスト潰しをしたのもこの頃。
55世界@名無史さん:2006/12/30(土) 21:55:54 0
ジャベールの最期の言葉
「お前を解放しよう。だが法は私に慈悲を行うことを許さない。私は法を守る一生を全うする」
56世界@名無史さん:2006/12/30(土) 21:58:46 0

ユトリロはアル中 モディリアニはヤク中
ロートレックは身障者 ゴッホは基地外

57世界@名無史さん:2006/12/31(日) 07:32:16 0
>>56
同時代の一般のフランス人から見れば、ニートみたいな扱いだったろうな

現にゴッホはアルルで排斥されてる
ロートレックも余生は廃人
58世界@名無史さん:2006/12/31(日) 07:34:25 0
>>55
こんな人、実際にはどれくらいいたんだかね

大戦直後の日本の裁判官で闇米食わんと餓死した裁判官は一人だけだった
59世界@名無史さん:2006/12/31(日) 07:41:45 0
>>56
ゴーギャンは、そのどれでもないけど、逆境の中で己を貫いたな

パナマ運河では、白人なのに奴隷並みの労働体験
60世界@名無史さん:2006/12/31(日) 12:25:06 0
ウイーンの世紀末芸術が終わってからパリの時代に
なったのだろうか
61世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:19:51 0
>>60
パリのほうも同時期アールヌーヴォーの流行はあったけどね。
その後、野獣派、キュビズム。

他方、20世紀初頭ドイツのミュンヘンでは、表現主義勃興の時代。
62世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:28:29 0
>>60-61
20世紀初頭といえば、1902年2月20日、詩人マリネッティ、パリの新聞「フィガロ」に「未来派宣言」
http://www.tanken.com/miraiha.html

北イタリア出身の芸術家が多かった。
63世界@名無史さん:2007/01/01(月) 06:31:00 0
【居酒屋】仏文豪 エミール・ゾラ【ジェルミナル】
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1101877655/l50

自然主義最後の文豪
この人の後は、心理分析のポール・ブールジェや、人道主義のアナトール・フランス、
自我礼賛のモーリス・バレス

ドレフュス事件のおかげで信念の人という印象があります。
64世界@名無史さん:2007/01/01(月) 11:57:32 0
欧米住宅物語 : 人は住むためにいかに闘っているか
http://shinshomap.info/book/4106003902.html

>日本人は欧米の住宅や街や公園の豊かさを羨むが、それは住む闘いの成果だ。
>私費を投じて労働者住宅を作ったナポレオン3世、2万人が家賃ストライキに入ったグラスゴウの借家人、低家賃住宅を寄付したロスアンゼルスの不動産会社…。
65世界@名無史さん:2007/01/01(月) 12:03:51 0
>>58 ジャベール警部も、冤罪事故を起こして
    その意味では、法を過信しすぎていたワケだが
66世界@名無史さん:2007/01/01(月) 12:04:08 0
ナポレオン3世が作らせたパリの労働者住宅 前ページも次ページも。
http://tenplusone.inax.co.jp/archives/fieldwork/photoarchives/0408/018.html
衛生環境に配慮した設備も作らせた
http://tenplusone.inax.co.jp/archives/fieldwork/photoarchives/0408/019.html
67世界@名無史さん:2007/01/01(月) 12:15:21 0
>ルイ・ナポレオンが大統領に当選したのは、フランスの田舎に住む人々の大半が読み書きができず、
>ただ耳から入った候補者の名前が親しみのあるものかどうかだけで選ばれたということによる。
>これにもびっくりします。まるで今日のイメージ選挙と同じです。

>ルイ・ナポレオンの反対派は普通選挙の廃止を狙った。
>直接的にそれをしたのでは民衆が暴動を起こすので、骨抜きにする方法を考え出した。
>左翼的な都市部の労働者からのみ選挙権を取り上げるために、
>有権者の資格を定住期間3年以上の者に限るとした。
>都市部の労働者の多くは出稼ぎの季節労働者だったから、
>これによって1000万人の有権者のうち300万人が参政権を失った。
>パリでは有権者の63%が資格をなくした。


> ルイ・ナポレオンはナポレオン3世になってから、労働者階級に向けた政策を実施していきました。
>労働者共同住宅をつくり、親が授業料を支払えない子どもへの無償教育の保障、
>困窮者への裁判費用の免除と官選弁護人の選任、などです。
http://www.fben.jp/bookcolumn/archives/2005/04/post_681.html
68世界@名無史さん:2007/01/01(月) 20:11:50 0
>>67
>労働者共同住宅をつくり、親が授業料を支払えない子どもへの無償教育の保障、
>困窮者への裁判費用の免除と官選弁護人の選任、などです。

20世紀の「人権」の基礎になる制度ですね。
69世界@名無史さん:2007/01/01(月) 20:43:07 0
>>68 

逆だろ。インフラ整備によって、刑罰や租税の正当性を
確保したんよ。つまり「貧しいから・・」「差別されてるから・・」と
いえないようにした    
70世界@名無史さん:2007/01/01(月) 20:44:28 0
パリがよかったのはオスマンの改造が行われる前までさ。
71世界@名無史さん:2007/01/01(月) 21:01:29 0
>>70
ボードレールは、何のつもりでそういったんですかね?

本人はブルジョワジー階級なのに、二月革命の熱狂?

旧来の狭くて汚水まみれの道路を懐かしむというのもねぇ
治安だって悪かったみたいだし・・
72世界@名無史さん:2007/01/01(月) 21:08:45 0
ブルジョワジー以上と、労働者階級以下では、入る刑務所も違っていたようです。
空想的社会主義者の連中は、割と快適に読書をしてすごしたらしい。
戦後のイタリアの女優ソフィア・ローレンの服役もそうだった。

戦後フランスでも、デビ夫人が同じような刑務所にいたと聞いたことがある。
73世界@名無史さん:2007/01/01(月) 23:32:40 0
>>72
ああ、ナポレオン3世を忘れていた
74世界@名無史さん:2007/01/02(火) 16:10:46 0
19世紀フランス事件簿
http://www.asahi-net.or.jp/hechima/report/hechirep_bn.shtml#169

インターポール設立の沿革も出てきます。

http://www.asahi-net.or.jp/hechima/report/hechirep_bn.shtml#157

アメリカに高飛びした犯罪者はかなりいたようですね
75世界@名無史さん:2007/01/02(火) 16:22:57 0
76世界@名無史さん:2007/01/02(火) 16:29:25 0
>>75
1902年頃に当時の新聞が街の不良たちを指して、ひわ的に使ったのがはじまり。

※アパッシュ・スカーフ
アパッシュというのは不良ですから、
女持ちのハンカチーフなんかを取ったりする。
で、これを自分の首に巻く。
20世紀はじめにはさぞかし下品な風俗であったのでしょうが、
いつの間にか粋なスタイルとされるようになる。

ごく一般的には細長く畳んで、首に巻き、前で結ぶ。
http://www.9393.co.jp/izuishi/kako_izuishi/2005/05_0727_izuishi.html

77世界@名無史さん:2007/01/02(火) 16:54:18 0
これも19世紀の事件簿だが、20世紀に連なる事件が多い。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30738512

マリー・ラファルジュMARIE LAFARGE 夫に砒素を盛ったのか?
毒物鑑定が裁判で用いられた。18世紀までは毒殺で鑑定という捜査方法はなかった。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/lafarge.html

一家八人を手にかけた若き殺人鬼(トロップマン事件)
ジャン=バプティスト・トロップマンJEAN-BAPTISTE TROPPMANN 
現代じゃ珍しくもないが
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text2/troppmann.html

78世界@名無史さん:2007/01/02(火) 17:55:24 0
第一次大戦前夜の大臣夫人のフィガロ編集長射殺事件
カイヨー事件CAILLAUX CASE
明白に夫人が編集長を射殺した。
しかし、重罪法院の陪審員の評決は無罪

戦前の日本で陪審制導入の賛否をめぐり、裁判記録が参考資料にされた。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/caillaux.html
79世界@名無史さん:2007/01/03(水) 12:43:29 0
パリにホームレス用のテントが多数出現 - フランス

【パリ/フランス 19日 AFP】
パリ10区のサンマルタン(Saint Martin)運河沿いに16日、
ホームレスの人たちのためのテントが多数設営された。
これは慈善団体「Enfants de Don Quichotte(ドンキホーテの子どもたち)」が、
パリの住宅不足に関する実情を知ってもらい、長期的な解決策を求めるために、
設営したもの。

写真(画像が転載できないため、ソースを参照してください)は18日、
ずらりと並んだテントを背に立つ、同団体のメンバー。
(c)AFP/ERIC FEFERBERG

2006年12月19日 02:25:17 AFP BB News
http://www.afpbb.com/article/1185551?lsc=1&lc=11


80世界@名無史さん:2007/01/03(水) 12:46:05 0
>>79
アルセーヌ・ルパンでも、浮浪者が登場したな。

81世界@名無史さん:2007/01/03(水) 13:00:57 0
グランゼコール(Grandes Ecoles)
美術学校のボザールや音楽学校のコンセルヴァトワールなどが有名。
http://www.alc.co.jp/sabrd/voc/fr/

生粋のフランス人の有名画家は、なんのかんのいっても、国立美術学校出身が多いね。

音楽家では、ドビュッシーくらいしか知らない。

文学にいたっては、文学部出身なんてほとんどいないような・・
なぜか法学部出が多い。
82世界@名無史さん:2007/01/03(水) 13:04:13 0
>>81
ちなみに国の文学賞受賞者の文豪というのも1人しかいないそうな。

レジョン・ドヌール勲章受賞者なら山のようにいるが、
成功後受けるものなので、これは当たり前。
83世界@名無史さん:2007/01/03(水) 13:16:57 0
>>81

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E9%AB%98%E7%AD%89%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%83%BB%E8%88%9E%E8%B8%8A%E5%AD%A6%E6%A0%A1

国立音楽学校、くそみそだなw
やはり、世界的に有名な音楽家は、ここの出身者ではあまりいないということで
84世界@名無史さん:2007/01/03(水) 15:10:17 0
>>83
のだめが入学するとこやね。
てか、そこのリストにあるクラシック音楽家メチャメチャ豪華やん。
リストにはないけど「幻想交響曲」で有名なエクトール・ベルリオーズもそこの生徒で
教授だったはず。
あと、パリ音の卒業生菅野よう子はアニソン板ではネ申。
菅野よう子 PART17
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/asong/1166878587/l50
85世界@名無史さん:2007/01/04(木) 13:12:22 0
age
86世界@名無史さん:2007/01/04(木) 19:17:19 0
19世紀以降、小説家で文学部でない人が多いのは、
いわゆる「純文学」が主流ではなかったからかもしれない。
(逆に、19世紀初頭までは、韻文や詩でない文学は軽視されがちであった。)

ボヴァリー夫人にしても、現実の事件が元ネタで、
薬剤師が繁盛し、医師が破産するのも、同時代の社会現象だった。
87世界@名無史さん:2007/01/05(金) 18:58:06 0
>>76
昔のオートバイのりのマフラーみたいな感じかな
88世界@名無史さん:2007/01/06(土) 20:17:15 0
>>80
ジャン・ジュネがそうだった
パリの風物みたいな描き方の文章も見かけるよね
今でも物乞いは多い

イギリスだと、チャップリンのイメージ=山高帽にダボダボズボン
フランスだと、ジャンバルジャンのように鳥打帽?
89世界@名無史さん:2007/01/06(土) 22:14:04 0
>>15
そういやモディリアーニは生前大して売れてもいないのに、カフェになんかいるところを
写真に撮られてるな

仕送りのおかげ?それともモデルの女と待ち合わせか?
90世界@名無史さん:2007/01/07(日) 15:38:38 0
予備審問(よびしんもん)とは、
刑事訴訟における正式の裁判に先立って当該案件を審理するに足りる証拠があるか否かを判断する手続き。
予審(よしん)とも。

公訴の提起(起訴)を私人が行う「私人訴追」を原則とするイギリスにおいて濫訴を防止するために採用。
その後、イギリス法を継受したアメリカや一部の大陸法国においても行われるようになり現在に至っている。
予備審問で証拠が不十分とされた場合、被疑者は起訴されないが、
後日の追加捜査により証拠が整った場合には再度、予備審問が開かれる可能性はある。

フランスでは、重罪事件のときとそれ以外のときに分けられている。
重罪事件の場合、予審判事による予審と、控訴院の弾劾部(重罪公訴部・予審部とも訳される)
による予審を経て、重罪院の審理に付される。
それ以外の事件については、必ずしも予審は必要な手続きではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%82%99%E5%AF%A9%E5%95%8F

フランスの刑事訴訟手続きにおいて、予審判事は真実発見の主導的地位にある
建前である。
小説でも頻繁に登場する。
91世界@名無史さん:2007/01/07(日) 15:53:31 0
>>90
向こうの新聞では、犯罪報道で予審判事の実名を掲載している。
20世紀初頭にもそうであったはずである。

当初のナポレオン刑事訴訟法では、3人の裁判官が地方裁判所予審部を
構成し、うち1人が取調べを担当した。
しかし、取調べ担当判事の主張がそのまま通ることが多かった。
そこで、単独の予審判事の制度に移行した。

他方、控訴院の弾劾部は現在に至るも、一貫して存続している。
92世界@名無史さん:2007/01/07(日) 16:02:07 0
>>91
http://www2s.biglobe.ne.jp/~reijo/data/opnion/hakudatu2.html

ちなみに、フランスの方では、つい2005年にも
予審過誤による冤罪事件が起きたばかりである。

あまり美化できる制度でもない。
93世界@名無史さん:2007/01/07(日) 16:16:51 0
>>90
もっとも、被害者の告訴に基づいて、控訴院の弾劾部が捜査開始を決定する
という制度は、透明度は高いかも知れない。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~z-chida/2k1019-1025.html#10/20%2020:40%20共

20世紀初頭には、貴族の邸宅には初動捜査から、予審判事と検事が赴いたようである。
94世界@名無史さん:2007/01/08(月) 22:38:39 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【防音】ピアノ愛好家の住宅事情Part1【補強】 [piano]
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/piano/1115569506/l50
確かブーニン(スタニスラフ・ブーニン)あたりは狭苦しいアパートでピアノ弾きまくって
何度も住居を追い出されてたと思うんだが。
某若手ピアニストがヨーロッパ留学先で
ピアノの音がうるさいと言われたと言っていたな
日本よりもはっきりと物事をいうお国柄だから
よくあるみたいと

20世紀前半までの駆け出しの音楽家は何処でピアノを弾いていたんだろうか?
音楽学校に泊まっていたのだろうか
95世界@名無史さん:2007/01/08(月) 22:46:59 0
>>94
貧乏人は、絵描き志す以上に、音楽家を志すの難しかったろうな。
96世界@名無史さん:2007/01/09(火) 18:19:23 0
>>95
貧乏絵描きでも、寒色系絵の具は買えたらしいから。

ピアノはそうはいかなかったでしょう。
現代日本でも、スタニスラフ・ブーニンが電子オルガン推奨した途端、
ピアノ産業が行き詰まったくらい。やっぱり金持ち向け。

97世界@名無史さん:2007/01/09(火) 22:10:45 0
>>96
バイオリンこそ機種によって価格差すさまじいな。
絵の具やカンバスにここまでの差はない。
近代では美術館に貧乏人でも出入りできたし(モナリザ盗んだイタリア人のように)。
同じ芸術といっても、絵画と出費が違いすぎ。



98世界@名無史さん:2007/01/09(火) 22:30:40 0
アルセーヌ・ルパンものの『水晶の栓』では、悪玉がマルセイユ選出の代議士になっていた。
どうも、この頃から悪の巣、犯罪組織と政治家や役人の結託の温床と思われていたようだ。
警官殺しは欧米じゃ重罪なのに、未だに警官や判事が殺害される事件も起きている。
イタリアと違い、被害者は腐敗警官の類のようだが。

アルザス出身者を田舎者扱いしたエジプト探検ものもあった。
バルザックの『従妹ベット』もそうだった。
ドーデの『最後の授業』の同調者のアルザス人って、ドレフュス大佐以外
どれだけいたのやら。
シュバイツァーは、明らかにドイツ語中心教育のおかげで
神学、医学双方の博士号を獲得できたわけだからな
(アフリカでの医療活動の際に、第一次大戦中、フランスの憲兵に拘留されたりもしているが)。
99世界@名無史さん:2007/01/10(水) 20:32:45 0
今でこそヨーロッパといえば、旧い街並みの景観重視だけど、
19世紀には大なり小なり旧い建物を取り壊しているんだよな。

イタリア王国の首都になったローマも、
壮麗なヴィラと広い庭園のあった区画に、官庁街などを建設した。


100世界@名無史さん:2007/01/10(水) 20:57:25 0
>>99
旧きパリを懐かしんだのは、観光客(金持ち外国人?)と一部のインテリだったでしょうね。

大多数のパリ住民は、快適に暮らせるようになったと喜んでたんじゃないか?
101世界@名無史さん:2007/01/10(水) 21:05:09 0
>>99
ローマの場合、観光と農業からの収益が主だった街で、
統一当初は人口も少なかった。
旧パリほどには不衛生ではなかったかも知れない。

ローマの名門のとった立場は、色々だったようだ。
ローマ教皇とイタリア国王の間でうまくバランスをとって、もっと裕福になった家もあったという。
102世界@名無史さん:2007/01/11(木) 21:41:03 0
中近東から来た人間が、軍人や銀行家として成功することもあったらしい。

外人部隊があったのと、当時の銀行家というのは高利貸し兼投資信託だったからだろうか。

103世界@名無史さん:2007/01/11(木) 21:55:13 0
>>102
白人の外見だったかによっただろうな。

アルメニア人やトルコ人、レバノン人なら活躍できただろう。
104世界@名無史さん:2007/01/11(木) 22:19:50 0
切り裂きジャックの模倣犯登場。
新聞記事に触発されて、とか至って現代的。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text2/vacher.html
105世界@名無史さん:2007/01/13(土) 18:10:54 0
シリアルキラーはくずばっかりって、早くからわかっていたんだね

なのに、切り裂きジャックは大げさなイメージ
なんでだろ?
106世界@名無史さん:2007/01/13(土) 18:18:19 0
この時代のフランスは、美術も映画もでてくるわ
科学捜査も文明の利器も普及するわ
アフリカに植民地広げるわ




なかなかの盛況ぶり
107世界@名無史さん:2007/01/13(土) 19:58:05 0
この頃のフランスは、純粋文化主義じゃなく、海外の文物取り入れるのに抵抗なかったようだ。

哲学は、敵国のドイツの影響が強かったようだ。
第二次大戦後でも、ドイツよりハイデッガーの影響が残っていたくらい。
108世界@名無史さん:2007/01/14(日) 21:19:27 0
ルーアンのあるノルマンディー地方
モーリス・ルブランの故郷

ルブラン自身は、同郷のモーパッサンのような文豪になりたかったんだ
109世界@名無史さん:2007/01/14(日) 22:41:56 0
>>108
古代のブリトン人をネタにしたルパンものも書いている。
奇岩城の舞台も、ここ。

実際に昼間に見たらみすぼらしい岩があるだけだが
110世界@名無史さん:2007/01/15(月) 06:34:13 0
5 名前:世界@名無史さん :2007/01/14(日) 05:34:21 0
ヨーロッパ諸国によるアフリカ分割とかの根回しの巧妙さは神レベル。

6 名前:世界@名無史さん :2007/01/15(月) 04:50:41 O
しかしフランスは領土考えて取れって言いたくなるな。拡げればいいってもんじゃなかろうに……サハラ砂漠取って嬉しかったのだろうか
111世界@名無史さん:2007/01/15(月) 06:36:04 0
>>109
イギリスもドルイド教ブームだっけ
ストーンサークルも、『テス』に出てくるな
112世界@名無史さん:2007/01/15(月) 20:12:01 0
ナポレオンは、フランス人について、「ガリア人のように誇り高く移り気」
「名誉心のみ」とか描いてたな。

ドイツで、ゲルマン神話が盛り上がった時勢に、フランスではブリトン人のみってことはなかった?
113世界@名無史さん:2007/01/16(火) 19:23:05 0
キュリー夫人がラジウム発見したせいか、
『三十棺桶島』では、放射能物質がネタにされていました。

キュリー夫人って、偉人伝ではなぜか良妻賢母扱い。
実情は旦那の父親に子供の養育は任せきりだった模様。
旦那の死後は妻子ある紳士と不倫疑惑まであった。
114世界@名無史さん:2007/01/19(金) 17:09:25 0
当時の労働者の娯楽は、どんなものだったのでしょうか?

映画はまだまだ普及していなかった?
115世界@名無史さん:2007/01/20(土) 00:43:22 0
映画は大衆的な娯楽として親しまれてましたよ。
20世紀始めの映画は5〜10分程度の短いものでした。
30分もあれば大長編。
それでもメリエスなんかが特撮を使っておもしろい映像を作って
喜ばれてました。
ついでに、フランスに弁士はいません。弁士がいるのは日本だけ。
116世界@名無史さん:2007/01/22(月) 11:05:53 0
117世界@名無史さん:2007/01/22(月) 11:11:40 0
マックス・ジャコブ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/uranai/yakobumax.htm

ピカソは釈放嘆願運動に参加しなかったそうだ。
118世界@名無史さん:2007/01/22(月) 11:49:55 0
話の種提供
1981から1983の間にK谷市H陽中にてS間K里N田5XXの
7某茂木家系二郎の子栄二とその仲間たちは
4弱者を旅行中に自殺に見せかける計画と
2もしくは視覚障害者にする計画を
7実行しようとしていたが弱者不在により
0未遂に終わった
8こういう類は親族ともども不幸とは無縁の
 社会的信用を得たお金持ちの生活をしている
 永久に評判良し
119世界@名無史さん:2007/01/22(月) 14:35:19 0
>>114-115
もっと昔でも大道芸や見世物小屋はあったわけですしね。
120世界@名無史さん:2007/01/24(水) 10:38:09 0
121世界@名無史さん:2007/01/24(水) 16:08:07 0
>>103
『黄金三角』には、銀行家と将校で登場していた。
現在ならカルロス・ゴーン。
アルメニア人の成功者も多いようだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.83.A8.E3.83.BC.E3.83.AD.E3.83.83.E3.83.91
122世界@名無史さん:2007/01/27(土) 20:39:54 0
当時のフランスのアパルトマンって、荷物の受け取りも客の取次ぎも、まず門番を経るんだけど、
今で言うマンション管理人のさきがけ?
123世界@名無史さん:2007/02/25(日) 16:57:09 0
age
124世界@名無史さん:2007/02/27(火) 17:29:54 0
浮浪児がいなくなったのはいつごろでしょうか
20世紀初頭には、国が補助金出して里親募集していたので、
村ぐるみの里親村が存在したそうですが。
(里子には、実子と違う木靴を履かせていたという。)
125世界@名無史さん:2007/03/14(水) 11:58:18 0
解決の鍵となるのは多くの場合、自白やタレ込みで、
だからこそ冤罪の危険が常につきまとう。
しかし、名推理が解決に導いた例もないことはない。
本件がその一つだ。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text2/voirbo.html
126世界@名無史さん:2007/03/17(土) 20:35:46 0
精神分析はどれくらい当てになるのかな
一時期ワイドショーに出ていた元FBIの外れっぷり見てると信用できん
127世界@名無史さん:2007/03/19(月) 10:36:55 0
>>125
常識的な推理だけどな
128世界@名無史さん:2007/03/19(月) 10:45:03 0
もしエッフェル塔が石で覆われたら
その後の世界史はめちゃくちゃ改変されたかもしれない
というネタはどうか
129世界@名無史さん:2007/03/24(土) 21:55:28 0
>>128
鉄骨ガラス張りのビルはなかったってこと?
ありうるね
130世界@名無史さん:2007/03/31(土) 17:40:31 0
たしかに鉄骨ビル多すぎだな
131世界@名無史さん:2007/04/07(土) 21:37:58 0
フランス映画って昔から犯罪ものが多いんだってね
132世界@名無史さん:2007/04/08(日) 07:20:03 0
エラ・ベッサラボ
HERA BESSARABO (フランス)

1904年に夫妻はパリへと戻る。幼い頃から感受性が豊かだったエラは自費で詩集を出版し、いっぱしの芸術家きどりでサロンを開き、若いツバメをズラリとまわりに侍らせた。その費用はすべて旦那が稼いだ金であり、当然のことながら夫婦仲は険悪になって行く。
 1914年3月、20年間続いた夫婦生活は終りを迎える。旦那のポールが自宅で変死体となって発見されたのだ。足元には拳銃が転がっている。どこを撃たれていたのかは、いずれの文献にも書かれていないので事情がよく判らないが、とにかく、死因審問は自殺と判定。
「奥様は旦那様に毒を盛っておりました」
 との女中の証言はどういうわけか無視された。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text2/bessarabo.html

予審判事を丸め込んだのでしょうか
133世界@名無史さん:2007/04/11(水) 21:20:47 0
当時の警察なんて金持ちには弱腰だったんでしょ
司法官も
134世界@名無史さん:2007/04/20(金) 20:18:20 0
身分制社会だからな
お針子なんて学生どもの餌食
コゼットのおふくろさんみたいに
135世界@名無史さん:2007/04/26(木) 20:08:18 0
現在でも映画界とかでは
二キータ女優が妊娠したままリュック・べっそんとお別れしたり


まあ、元犯罪者とかがウヨウヨしてる業界ですが

「天井桟敷の人々」の時代から犯罪が映画の大きなファクターの国

「悪の道は多々あれど、善の道は少ない」バルザック
136世界@名無史さん:2007/05/02(水) 09:26:48 0
137世界@名無史さん:2007/05/08(火) 12:28:39 0
.
138世界@名無史さん:2007/05/08(火) 12:36:14 0
88 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/08(火) 01:55:11 ID:P419cDn7
ジャべ一味の間抜け加減には脱帽しちゃう展開だよな
やっぱり誤認逮捕や家宅捜索令状不備が怖いんだろうなぁー


101 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/08(火) 09:06:42 ID:TKIXiQjY
>>88
まー間抜けは間抜けだが

誤認逮捕をおそれるくだりは原作にもある
当時のフランス警察だと誤認逮捕したら免職だったらしい

> 家宅捜索令状不備が怖い
当時のフランスの法律がどうなってたか知らんが、
もし令状が必要なら無理に踏み込めないのは当たり前だろ
警察が法律守らなくてどうする
139世界@名無史さん:2007/05/08(火) 12:58:29 0
>>121
カルロス・ゴーンはレバノン系ブラジル人だったはず。
140世界@名無史さん:2007/05/14(月) 20:21:01 0
>>139
母親がレバノン系フランス人だったはず
141世界@名無史さん:2007/05/17(木) 06:52:29 0
603 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/16(水) 21:17:44 ID:y8y7gt8+
>>598
フランス人ってなぜか中年紳士と小娘の話が多いよね
ラマンとかサガンとかレオンとか
604 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/16(水) 22:50:11 ID:TRqSzmg6
ロリコンが多いのは確実だな>フランス
ロリ映画の本場だし
605 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/16(水) 22:53:18 ID:EMaZw9IF
ちょっくらフランスへ行って…こようと思ったが、二次元なら日本が一番だな
606 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/16(水) 23:09:19 ID:AIpe9acL
白人の幼女って可愛いよな(変な意味ではなく
大人は駄目だが。 ・・・だからロリコンになったのか?フランス男は。
607 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/16(水) 23:19:48 ID:YuPgkHFY
コゼットみたいな可愛い娘がいたら女子高生になったら毎日レイプするよ
608 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/16(水) 23:20:43 ID:/dZqhwPZ
アメリカだと完全にアウトなロリ物もフランスなら出来るしな。
フランス人の方がこの点では気が合いそうw
609 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2007/05/16(水) 23:25:32 ID:mD5VbOdg
>>604
そういえば「禁じられた遊び」の主人公も幼女だったな・・・。
142世界@名無史さん:2007/05/28(月) 18:26:10 0
パリ
www.pref.osaka.jp/osaka-pref/gikai/kaigai/PDF/314.pdf
143世界@名無史さん:2007/06/02(土) 12:53:30 0
144世界@名無史さん :2007/06/02(土) 13:00:43 0
現代のパリの話をするところじゃないんだけれど。
145世界@名無史さん:2007/06/06(水) 08:19:58 0
この時代としては、パリは典型的な現代都市だったんだよ
鉄骨の一見無粋な塔が建っていたくらいだから
146世界@名無史さん:2007/06/06(水) 08:31:16 0
共和制の大統領に選ばれたルイ・ナポレオンが、やがて軍事クーデターを成功させ
皇帝ナポレオン3世となると、オスマン男爵(写真左)をセーヌ県知事に任命して、
街を囲む城壁を取り除き本格的な下水道を完成させて、近代的な都市を造るインフラを
整えさせました。

次に労働者大衆の住宅を郊外に築いて強制移住させ、狭くてゴミゴミした街路を一掃して、ブールバール(幅の広い街路)や並木道を縦横に通しました。
新しい広い街路には、5,6階建ての美しい石造りの建築を街路沿いに整然と並べ、
富裕階級を豪華なアパルトマンに招き入れました。
凱旋門を中心としてブールバールが360度、12筋に分かれて走り、
至る所に公園、庭園、噴水、大理石の彫像、池、森を造って街路を美しく見せることに
専念しました。
セーヌ川には芸術性豊かな橋が幾筋も渡され、大建築の中央市場も建設されました。
また、シャルル・ガルニエに命じて、資産家や富裕階級の社交の場として、
大理石と彫像と壁画と金箔の世界屈指のオペラ座も完成させました。
http://www.geocities.jp/yujiwatari/PARIS/HanaParis.htm
鉄骨技師グスターブ・エッフェルによって建設されたパリの象徴エッフェル塔も、この時代に設計が始まりました。
つまり、今日のパリに現存する建築や街並みは、殆ど全部この時代に造られたのです。そして「ドロのパリ」から【花のパリ】へと生まれ変わったのです。

147世界@名無史さん:2007/06/06(水) 08:35:08 0
>>146
「郊外」といえば
アラブや黒人の居住するさらなる「郊外」が現在ではできている。

アナーキストの暗躍していたドレフュス事件前夜には、
労働者は他の社会から隔離状態だったようだ
第二帝政の後、労働者の権利救済が図られたのは、
ドレフュス事件をめぐる政争以降
148世界@名無史さん :2007/06/06(水) 18:30:23 0
>この時代としては、パリは典型的な現代都市だったんだよ

優れて現代的だった、というのなら分かるけれど、意味不明…。
パリだろうとどこだろうと、
その時代の人間にとっては、どこでも「現代」だろうに。
149世界@名無史さん:2007/06/06(水) 19:08:00 0
>>148
当時に「今の人間」を住ませて一番違和感がない場所ってことだろ。
もう少し考えた方がいいぞ。
きみの脳みそが可哀相だ。
150世界@名無史さん :2007/06/06(水) 19:38:34 0
>>149
そういう意味なら、その文章はないな。
典型的な現代都市って、「典型的」の使い方を間違っている。
151世界@名無史さん:2007/06/06(水) 21:38:45 0
>>150
じゃあ多分きみの解釈であっとるということになる。
>>148の含意は>>149の通りだろうから。
煽ってスマソm()m
152世界@名無史さん:2007/06/23(土) 05:25:05 0
それ以前の古い建物のほとんどが取り壊されたようですね
同時に道路が広くなり舗装された
18世紀にはウィーンの方がはるかに清潔で美しい街だった
153世界@名無史さん:2007/06/24(日) 06:48:56 0
第三共和制時代の議会って、実質総与党体制だったともいわれる
王党派や反共和派標榜でも、やることは同じで、
だから代議士にとっては居心地のいいシステムだった。

その代わり、「代議士の共和国」に対する国民大衆の不満のガス抜きとして
短命内閣が続いた
154世界@名無史さん:2007/06/24(日) 07:03:17 0
>>152
リンク・シュトラッセは例外として、
ウィーンの街はたしかに道路が狭いね。
車が離合できないような狭い路地に、
全貌も捉えられないくらい巨大な
18世紀に建てられた貴族の邸館が聳えていたりして吃驚する。
155世界@名無史さん:2007/07/05(木) 13:18:31 0
もう観光都市ですね
156世界@名無史さん:2007/07/07(土) 18:53:19 0
サンテ刑務所は当時衛生面で評価高かったようだね
http://opoponax.mo-blog.jp/curiositesphysinomiques/2007/02/post_6370.html
157世界@名無史さん:2007/07/08(日) 19:18:45 0
庶民でも、株券を買えるようになった時代

158世界@名無史さん:2007/07/14(土) 08:48:43 0
age
159世界@名無史さん:2007/07/18(水) 00:07:27 0
ドレフュス事件って、世間では大騒ぎしても院内で取り上げられるのは嫌がられたそうです。
議場で演説した代議士は落選したとか

院内じゃ実質総与党体制か
なんのかんの言っても、第二帝政期あればこその第三共和制だな
ちゃんと産業革命と義務教育の無償化、それなりのモラルと秩序ある資本主義の確立
ができればこその70年間の安定

160世界@名無史さん:2007/07/26(木) 16:07:13 0
ルパン・シリーズじゃ貴族がけっこう美化されているけど
これもむしろ政治的経済的影響力なくしたことからくるノスタルジーだな

20世紀初頭のブールジュの「伝統主義」もそう
批判せんがための「存在しない過去」幻想
161世界@名無史さん:2007/08/05(日) 22:12:39 0
カトリック教会は、1905年の政教分離法を境に、影響力を減退させて、今日に至っている

162世界@名無史さん:2007/08/06(月) 11:21:03 0
ファシズムはフランス文化と無縁ではないどころか、フランス・ヨーロッパ文化の必然的産物であるというのである。
 第三共和制の初期を揺るがしたブーランジスムにはすでに「ファシズムの萌芽」があり、
その後のモーリス・バレスその他の系譜をたどればフランスはまさにファシズムの宝庫である。
「ヴィシー政権」は第三共和制末期の議会のもとで「正統性」を付与され、「国民革命」の旗印の下に
「大衆」とともに「知識人」の積極的な関わりのなかで誕生した。
 これらの二つの時期の研究をまとめてとらえるならば、
その初期から末期にいたるまでフランスの第三共和制はファシズムに彩られていたことになる。
しかもそれは「共和国の精神」(一七八九年のイデオロギー)との関連で誕生、発展してきたのである。
ゼーフ・ステルネルの「フランス・ファシズム論」の要諦はその「自生論」にあるが、
それにもまして重要な側面は、「左翼/右翼」という図式を疑問視しながら、
ファシズムを左翼的伝統との関連において論じたことにあった。
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/paper9.html
163世界@名無史さん:2007/08/06(月) 11:29:39 0
近代市民憲法史上たぐいまれな「強い議会と弱い政府」を実現させたフランス第三共和制前半期は、
同時に利益誘導型政治の典型でもありました
http://www.koubundou.co.jp/books/pages/35154.html

より現実に即してみれば、「統合の共和制モデル」なる概念は結局のところ、
民主的社会の基本的原理の実現に向けて共和制国家が用いた手法を意味している。
フランス独特の事情を理解するには、第三共和制(1870-1940年)が果たした
決定的な役割を思い起こす必要がある。
19世紀末に第三共和制の指導者が腐心したのは、人民階級をいかにして国民国家に
統合するかということだった。
この目標は、二つの種類の改革によって数十年のうちに達成されることになる。
 まず、彼らの政治参加(市民性)が促進された。選挙法が改正され、
相当数の人民階級出身者が(主に市町村レベルで)公職に就くようになった。
出版と集会の自由を認める法律が施行され、この傾向をさらに強めた。
こうして労働者と農民は、集団となって政治に介入する権力を手にし、
産業資本主義の発展による変化(過疎やプロレタリア化など)に有効に対処できるようになった。

 第三共和制はその一方で、「社会保障」政策の展開によって人民の統合を促進し、
資本主義の拡大に伴う社会変動の破壊的影響を和らげようとした。
国家への帰属(言い換えればフランス国籍の保持)が、社会的権利の獲得に直結するようになったのである。
移民(この言葉が政治的に用いられ始めたのはこの時期である)の増加は、
こうした民主化の直接的な帰結だった。
http://www.diplo.jp/articles02/0201-3.html

164世界@名無史さん:2007/08/10(金) 13:26:20 0
フランスは、完全比例代表制だったことないんですよね?

代議士が、下院だけで500名以上いるのは、フランスの人口から見て、多すぎとも思う
小党分立を招きやすいし
165世界@名無史さん:2007/08/10(金) 13:53:23 0
411 :吾輩は名無しである:2007/08/05(日) 18:17:58
百科事典調べたら、
サン・シモン、シャルル・フーリエ、ピエール・プルードン、ルイ・ブラン
などが社会主義の先駆者って書いてあった。
フランス文学って奥が深いのねん。


412 :吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 17:42:03
>>410
ゾラは自然主義作家であると同時に、社会派でもあると思うよ。
「ジェルミナール」は炭鉱労働者のストライキ(軍隊まで出動する)
を描いているし、「獣人」は蒸気機関車の運転手が主人公だ。
「パリの胃袋」では大都市の食品市場をルポルタージュ風に描き、
「ダーム百貨店」ではデパートで働く人々を生き生きと描くといった具合。
166世界@名無史さん:2007/08/12(日) 09:31:17 0
>>165

パリの売り子さんて、10年前までは、態度横柄って聞いたけど、
現在は改善されたかな?
最近は大手量販店が増えたらしいね
出、小さな店はつぶれる
167世界@名無史さん:2007/08/12(日) 18:07:57 0
168世界@名無史さん:2007/08/12(日) 18:55:56 0
>>76にある「ひわ的」って何だろう。
169世界@名無史さん:2007/08/17(金) 19:59:54 0
ジョルジユ・ヴァロワによれば,ファシズムという言葉がまだ存在しない十九世紀末に,
ファシズム思想はすでにフランスに誕生していた。
イタリア・ファシズムに着想を与えたのはフランスの先例である。
二つの対立する思想潮流,ナショナリズムと社会主義を融合させたファシズム思想の生成において,
われわれは多くをモーリス・バレスに負っている(ジョルジユ・ヴァロワ『ファシズム』(1927年)*1),
『人と金』(1928年)*2))。

ルネ・レモンの古典的著作『フランスの右翼』(1968年)*9)で提出されていた古典的図式
(正統王朝派,オルレアン派,ポナパルト派という三つの右翼)の無効性を主張する。
なぜなら,十九世紀末の十年前後に新しい右翼が出現したからである。
この新しい右翼は,ドリュモンに鼓舞された反ユダヤ主義とブーランジェによって体現された
人民投票を求める大衆運動とを特徴としている。十九世紀末には右翼は二つにすぎない。
すなわち,一方に議会主義に加担する自由主義的な保守的右翼と,他方に反ブルジョワ的右翼,
議会共和制の打倒を夢見る革命的右翼である。そして,この新しい右翼がその理論家とは
言わないまでも詩人としてあがめ,その精神的支柱となった人物が,ブーランジェ派の代議士
(1889年初当選)にして『ラ・コカルド』(1894年創刊)のジャーナリスト,
若きモーリス・バレスであった*10)。
http://ha1.seikyou.ne.jp/home/jiro/paper5.html


170世界@名無史さん:2007/08/17(金) 20:40:14 0
バレスの『自我礼拝』がアンドレ・ブルトンのような根っからの反国家主義者まで
魅了したのはそのためだが、バレスはやがてポジションを変える。
すなわち「個人を守る最良の手段は社会そのものであることを悟る」に至り、
国土、民族、国家、宗教という「社会の土壌」を断固擁護するようになる。
ドレフュス事件に際して、バレスが反ドレフュス派に与(くみ)したのは、
ドレフュスが有罪だったか否かという「些細(ささい)な問題」ではなく、
国民の団結の根幹である陸軍の保持という大問題が先決であると考えたからである。
ドレフュス派の知識人は矮小(わいしょう)な真実にこだわって大きな真実を歪(ゆが)
める売国奴として扱われる。
こうしたバレスの態度が国民の半分の支持を集めたのは今日からすると不可解だが、
おそらく原因はバレスの散文の官能的な美しさにあったのだろう。
バレスは内容よりも文章で人々を魅了する「右派のヴィクトル・ユゴー」だったのである。
http://hondana.mainichi.co.jp/2007/06/post_ee0d.html
171世界@名無史さん:2007/08/22(水) 02:31:13 0
帝国主義の時代だしね
172世界@名無史さん:2007/08/26(日) 11:45:22 0
モーリス・バレス、アナトール・フランス、ピエール・ロチ

いずれも、19世紀の自然主義作家より古臭く感じる
173世界@名無史さん:2007/08/29(水) 11:33:03 0
給与生活というのは、長い間、労働の世界で最も不安定な身分のひとつだった。
雇われ者の境涯に落ちるのは、食い詰めた農民や職人、親方になり損ねた徒弟と相場が決まっていた。
第三共和制時代の1922年、政府の主翼だった急進党はマルセイユの党大会で、その選挙綱領に
「奴隷制の遺物たる賃金労働制の廃止」を掲げていた。
http://www.diplo.jp/articles06/0603-3.html
174世界@名無史さん:2007/08/30(木) 02:02:12 0
>>168
文脈から想像するに、比喩的の間違いなのでは?
枇杷的(意味不明)でも卑猥的でもなさそうに思える。
175世界@名無史さん:2007/09/02(日) 19:18:59 0
映画では、フランスの銀行預金金利が1%から1.5%であったときに、
ロミー・シュナイダー演ずる女銀行家の銀行だけが「8%」という預金金利によって
庶民の小口資金を大量に集めたために、既成の金融業界の激しい反発を被り、
彼女は、さしたる根拠もないまま詐欺の嫌疑をかけられて獄中生活を送ることになる。
「フランス経済を支配する二百家族」と言われ、実際には婚姻などにより200家族を
さらに下回る寡占状態にあったフランスの金融資本家たちが預金金利を不当に低く抑えて
暴利をむさぼっていたのに対し、
ヒロインの女銀行家は「8%」によって庶民に夢を与えたというお定まりの図式なのだが、
現実の金融・経済がそんなに単純であるはずはない。
一体全体、1%が「不当に低い」のだろうか、
それとも8%が「不当に高い」のだろうか。
そもそも、同一通貨でのこのような著しい金利差は、現実に可能なのだろうか。
http://www.cs-trans.biz/J-Romy-bankiere1.htm
176世界@名無史さん:2007/09/02(日) 19:25:58 0
Deux Cents familles [ビジネス] 二百家族(戦前のフランス産業・金融界を牛耳っていた)
http://homepage3.nifty.com/k_tomita~s/romarin/data/french/French_D.txt

ここではフランスの石油産業と、フランス銀行と、
フランスの大富豪のただならぬ関係について述べよう。
驚くべきこの成金の系図は、石油支配者がそのままそっくり二百家族を形成し、
同時にフランス銀行の理事であることを明らかにしている。
http://www.trend-review.net/blog/2007/08/000381.html

177世界@名無史さん:2007/09/02(日) 19:34:06 0
東京朝日新聞 1936.7.18(昭和11)


--------------------------------------------------------------------------------

仏銀改組案下院を通過

【パリ十六日発同盟】
財政委員会報告委員ルネ・ブリュネ氏は十六日午後フランス下院にフランス銀行改組法案を
提出したが蔵相ヴァンサン・トリオル氏は法案の趣旨を詳細説明し特に新法案により
従来フランス銀行を牛耳って来た所謂
「 二百家族」(ドウサン・ファミーユ)の専制は終焉を告げ、
一切の株主は今後一様に銀行幹部の選挙に参加出来る旨強調した、
次いで表決に移ったが同案は四百三十票対百十一票の圧倒的多数で可決された、
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00755361&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00755361
178世界@名無史さん:2007/09/02(日) 19:41:14 0
ことにスイスとフランスの関係は、鉄道王ジェームズが台頭して以来、
切っても切れない金融同盟を結び、ここから一大兵器輸出国としてのフランスが生まれた。

したがってスイスの銀行家の源流はフランスの銀行家にあり、
逆にフランスの大資産家の先祖には、スイス人が多い。

フランス銀行の総会では、二百人の株主だけが投票権を持っていたため、
のちにこの重役会議が有名な「二百家族」と呼ばれる一握りの富豪に握られ、
今日まで続く独裁支配のメカニズムを不動のものにしてきた。

二百家族と呼ばれた支配集団は、
第二次大戦前夜に解体されたと最近では報告されている。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/comment?date=20070613

179世界@名無史さん:2007/09/02(日) 21:27:25 0
つーか、スイスの今に残る全ての産業は、フランスから逃げてきたユグノーが作ったものだろ。
それまでは傭兵しか売るものがなかった国だし。
180世界@名無史さん:2007/09/05(水) 07:54:56 0
>>161
このとき、学校教員も教員免許が必要になった
それまでは、町村の神父が教員をしていることが多かった

>>179
ユグノーは、プロイセンの勃興にも貢献したね

スイスは、他国の税金問題といい、他所の尾家事情で漁夫の利をせしめるのが
得意な国ですね
181世界@名無史さん:2007/09/09(日) 13:57:55 0
1871年に起こった民衆の反乱(パリ=コミューン)をマルクスはどのように評価したのでしょうか?
簡単に言うと、初めは反対(成功率が低いから)だったが、蜂起した後は熱烈に応援した。鎮圧後はコミューンの意義を極めて高く評価した。詳しくは『フランスにおける内乱』を読むがよろし。
04/07/04 04:54
プロレタリアートによる政府のさきがけと評価したが、あくまで過渡的なものに過ぎないという評価。
マルクスはパリ・コミューンで幅を利かせたブランキ派、ジャコバン派が大嫌いだったので、
発言が時期によって揺れてる。
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/fran02.html#0564

182世界@名無史さん:2007/09/09(日) 13:58:52 0
19世紀の王党派や戦後のドゴール派が保守派ってのは分かるんだけど、
第3共和政後期の議会内右翼ってのは、よく分からない。
タルデューなんて講和会議でクレマンソーの子分だったんだろ。
クレマンソーとポワンカレも大戦中は、そんなに差がないと思うし・・・

「左翼」といっても急進派とかは、日本の自民党みたいなものだろ。
政策的にもハト派ってわけでもないし、「右翼」との争点は何?
反強権主義くらいしか思い当たらない。
政治的には共和主義を擁護して左翼、経済的には社会主義に反対して右翼、
そういう政治的沼沢をはいずりまわるのが第三共和制の中間派(急進派)なのである。 とデュベルジェは言ってるが

>第3共和政後期の議会内右翼ってのは、よく分からない。
そうですか?
議会内左翼政党が存在するのですから、議会内右翼政党が存在しても、
問題ではないでしょう。第三共和制は、成立時には議員の大多数が王党派だったという、恐るべき議会を有していたのですから。
>タルデューなんて講和会議でクレマンソーの子分だったんだろ。
>クレマンソーとポワンカレも大戦中は、そんなに差がないと思うし・・・
クレマンソーは内相になってから、急速に右旋回し、
労働争議に軍隊を投入して鎮圧したり、軍備の拡張に励んだりしています。
ですから、内相就任以後はポワンカレやタルデューと大きなスタンスの違いは無いと考えてください。

183世界@名無史さん:2007/09/09(日) 14:01:18 0
>「左翼」といっても急進派とかは、日本の自民党みたいなものだろ。
急進社会党は本来は左派政党でしたが、やがて中道化し、
中産階級を基盤とする中道政党となりました。ですから、
左派というよりは中道派と言った方が適切です。

>政策的にもハト派ってわけでもないし、上にあげたような事情で、
状況によって政策が右にも左にもぶれるのです。
>「右翼」との争点は何?
フランスの第三共和制は党派が乱立した時代で、極右、右派、中道右派、中道派、中道左派、左派、
極左など、まるで党派のデパートみたいな状況でした。
そういうわけで、左翼と右翼に二分して定義することは困難なのですが、
あえて代表的な争点を挙げてみると、
議会内右翼→大国主義・ブルジョア優遇政策・社会秩序優先
議会内左翼→融和主義・小農民や労働者の地位向上政策・社会改革優先

この国は、時代によって右翼や左翼の定義がコロコロ変わりますので、
「第三共和制中期以降から、ナチス台頭まではこうだった」としか言えません。
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/fran02.html#0092
184世界@名無史さん:2007/09/13(木) 06:05:06 0
フランス人一般の美術センスは、パリ万博以降
185世界@名無史さん:2007/09/19(水) 20:23:45 0
ミルザの意図は,ナポレオン3世を史実に反して美化することではなく,
共和国の正統性強化のために利用されてきた「暗黒伝説」,
すなわち反ナポレオン3世・反第二帝制イデオロギーから脱却し,
そこからあらためて関連する歴史を見なおしてみようということだ。
そうすると何がみえてくるか。それは,普通選挙制を定着させた体制であり,
それゆえフランス革命以来の歴史的進展に寄与する体制であり,
フランスの経済発展に貢献する体制であり,ヨーロッパ諸地域のナショナリズムに対して貢献する
外交政策である等々,と彼はいう。
つまり,ナポレオン3世の体制は,共和制賛美のイデオロギーにもとづいて主張されたような
歴史の断絶を意味するどころか,その逆で,フランスの進歩に貢献したのだ,と。
http://www.intcul.tohoku.ac.jp/european/kenkyu_jouhou/nomura/2005_02.html
186世界@名無史さん:2007/09/23(日) 16:44:40 0
建設業は、19世紀を通して全産業生産の1割前後を占めており、
成長率は約3パーセントだった。ところが、鉄道と道路の需要のため、
1815年には建設生産の1割強を占めるのみだった公共事業は、1850年を境に
急成長し3割を越えるようになった。特にパリにおけるオスマンの都市改造計画と地下鉄整備は、
国家技師主導の技術革新を進めると同時に、政府と大企業の関係を深めた。
鉄道・道路建設では、建設省および国立土木学校所蔵の文書が示すように、
同校出身技師の役割が非常に大きかった。

機械化の進展により、1人の雇用者あたりの労働者数は、1866年から1911年で
20人から13人に減少していった。19世紀末時点で1企業平均4、5人だった他産業と比べて、
機械化が遅く、労働集約的な産業だったといわれる。
しかし、調査資料による企業分析により、1880年代には公共事業を受注する
近代的な大企業と伝統的な中小企業の二重構造が生じていたことが明らかになった。
すなわち、20人以上の企業に勤める労働者は建設労働者の30パーセントに過ぎず、
全体の半数は10人以下の中小企業で働いていた。
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~takai/DEA.html
187世界@名無史さん:2007/09/23(日) 16:55:02 0
188世界@名無史さん:2007/09/27(木) 21:57:42 0
第三共和制の代議士の共和国では、小商人や農民の意思が反映しやすかった。

第五共和制の下、ワリを食ったのは、労働者層よりも、彼らだという。
189世界@名無史さん:2007/09/28(金) 06:00:05 0
まずは、「ドレフュス事件」[26]である。ドレフュス事件は1895年に起こった。
そしてこの事件は、ドレフュスが冤罪かどうかということではなく、
自分達がドレフュス擁護派なのか、反ドレフュス派なのか、という事に、
問題の重点が移動していき、フランス中を巻き込んだ大論争の引き金になっていく。
右翼諸党派の立場は、勿論半ドレフュス側であり、更に彼らは、
それを「ナショナリズム」や、「反ユダヤ主義」というイデオロギーに換言していく事になる。
ここでいうナショナリズムとは、「教義的ナショナリズム」である。
[27]これは、ドレフュス事件をきっかけに創造された極右的ナショナリズムである。
このイデオロギーは非常に排外的であり、反ユダヤ主義的であり、
そして反資本主義的な思想であった為、低所得労働者の支持を得ていた。

二つ目は、この教義的ナショナリズムの考えを最も体現化した組織である「アクシオン・フランセーズ」である。
アクシオン・フランセーズは、1898年にアンリ・ブジョワ、モーリス・プジョーの両名によって設立される事になる。
この運動は、もともと同名の新聞から始まった運動である。そして、そこに、
シャルル・モーリスが参加する事で、新王党主義、権威主義、不平等主義、反ユダヤ主義、
在留外国人排斥といったイデオロギーが、アクシオン・フランセーズ内に浸透していく事となる。
[28]

この運動は1925年から26年にかけて、絶頂期に達する。
[29]しかし、1926年にはローマ法王庁によって「アクシオン・フランセーズ紙」は禁書とされ、
更には、1937年には、王位継承者である、パリ伯からも同紙は、否認され、この運動は衰退していく
事となる。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~seminair/memoire/00front.nat.htm


190世界@名無史さん:2007/09/28(金) 06:03:04 0
1871年に起こった民衆の反乱(パリ=コミューン)をマルクスはどのように評価したのでしょうか?

簡単に言うと、初めは反対(成功率が低いから)だったが、蜂起した後は熱烈に応援した。
鎮圧後はコミューンの意義を極めて高く評価した。詳しくは『フランスにおける内乱』を読むがよろし。

プロレタリアートによる政府のさきがけと評価したが、あくまで過渡的なものに過ぎないという評価。
マルクスはパリ・コミューンで幅を利かせたブランキ派、ジャコバン派が大嫌いだったので、
発言が時期によって揺れてる。
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/fran02.html#0564
191世界@名無史さん:2007/09/28(金) 06:32:56 0
[編集] 急進党
正式名称を共和主義急進派・急進社会党(きょうわしゅぎきゅうしんは・きゅうしんしゃかいとう)といい、
急進社会党ともよばれている。

1901年に「猛虎」とあだ名されたジョルジュ・クレマンソーによって結党され
誕生した急進的な共和政党。党名から社会主義政党と考えられがちだが、実態は中南部の農民層を支持基盤
とする中道政党である。
第三共和政下では中心的な政党として君臨し、1905年に政教分離法を成立させローマ・カトリックの影響を
政治介入から排除、社会党・共産党を中心とした人民戦線内閣に加わるなど、フランスの政治に与えた影響は大きい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%B0%91%E4%B8%BB%E9%80%A3%E5%90%88
192世界@名無史さん:2007/10/06(土) 22:48:35 0
>>191
>実態は中南部の農民層を支持基盤 とする中道政党である。

第五共和制下で冷遇されてそうな層ですね
193世界@名無史さん:2007/10/08(月) 20:38:05 0
【フランス】美術館に酔った若者が侵入 評価額算定困難とされるモネの名画をこぶしで殴って傷つける
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1191812813/l50

絵の価値って書いた人が存命中は価値なくて、死んだら価値上がるらしいね

価値がないわけじゃないけどな w
制作者が死ぬと新作がなくなるから有名どこなら二倍くらいには確実に価格は上がるよ

警備が悪いのか?
美術館が多いから、警備に予算がさけないのか?
修理費用と絵を目的とした来館者の見込みを算定すればアホガキに掛かってくる賠償額もわかるんじゃね?

オルセーは昼間でも美術員の数が少ないよ。
入り口には屈強な白人のガードマンがいるけどね。
正面のガラス戸を割る→そのまま階段を昇ってモネの絵画の場所まで行く→殴る
入ってすぐのとこにある彫刻に目もくれずアルジャントゥイユの橋だけを殴るって不思議だわ。
194世界@名無史さん:2007/10/08(月) 20:41:01 0
別に修復部門が修復するから問題ないだろ。
昔の絵なんて100%書き換え修復されてる。
修復計画が早まっただけ。 問題茄子。

モネって、ヴぇルノンにすんでいて、ラサール駅を描いてるね
今も駅舎はそのまんまだ
第三共和制の頃から、あるいは、第二帝政期から、同じなんだろう
195世界@名無史さん:2007/10/10(水) 20:47:10 0
>>193
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007101000860
2007/10/10-19:19 モネの絵画破損で4人起訴へ=仏

【パリ10日時事】パリのオルセー美術館で印象派の画家モネの絵画「アルジャントゥイユの橋」が傷つけられた事件で、
仏警察当局は10日、容疑者4人の身柄を拘束していることを明らかにした。4人は起訴される見通し。

警察は8日の事件後に自首してきた空調会社の会社員の男(19)を含む若者計5人を9日にパリ郊外で拘束。
このうち女性1人は犯行にかかわっていないことが分かり、釈放された。
会社員の男は自分が絵を傷つけたと供述。ほかの3人も美術館の扉をこじ開けて侵入したことを認めている。

196世界@名無史さん:2007/10/12(金) 19:53:58 0
第サン共和制を支えた小商人や農民層が苦境に立たされているのが、
現在の重税国家フランス
197世界@名無史さん:2007/10/12(金) 20:54:10 0
元老院、2003年の改革
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/218/021801.pdf

第3共和制以来の上院。
フランスを単一の共和国としながら、地方公共団体を代表する機関。
選挙人団の95%が市町村代表。そのため、農村部に偏る傾向があった。

198世界@名無史さん:2007/10/21(日) 18:58:47 0
>>197
にしても、組織的法律に対する必要的合憲性審査が余計だな

コルシカ自治法案にも、憲法院は違憲表決だしてた

今度は、人口比例の原則に違憲表決とはな
199世界@名無史さん:2007/10/24(水) 16:28:54 0
1.Metro de Paris, nomenclature
  http://www.ratp.info/orienter/plans.php#

 パリの地下鉄の駅には随分と不思議な名前がある。そこで1号線からその起源を辿ってみたい。

1900年7月19日パリ市の最初の地下鉄として開通した。当時はPorte Maillotが始発(終点)であった。 
トンネルや橋などの工事はパリ市が負担したが運営はベルギーのアンパン男爵Baron Edouard Empainの会社CMP(Compagnie de chemin de fer Metropolitain de Paris)があたった。
建設計画は1897年に始まった。工事責任者はポリテク出身のエンジニアで今日「地下鉄の父」と言われるビアンヴニュFulgence Bienvenue(1852-1936)である。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~davidyt/log228.htm
200世界@名無史さん:2007/10/24(水) 20:42:51 0
19世紀末のアナーキズムは、社会階層の中にまったく支持基盤をもたないテロ行為だった
201世界@名無史さん:2007/10/27(土) 09:37:22 0
エディット・ピアフのシャンソンのような大衆歌謡は、いつごろから広まりだしたの?
202世界@名無史さん:2007/10/27(土) 10:55:20 0
どこの国でも大衆歌謡が全国民的な人気になったのはレコードとラジオの普及から。
203世界@名無史さん:2007/10/27(土) 21:00:11 0
>>201-202
ということは、20世紀に入ってからか・・
204世界@名無史さん:2007/10/27(土) 21:08:06 0

<マオリ戦士の首>故郷NZへの返還に仏政府が「待った」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071027-00000066-mai-int

遠洋のミイラ収集といえば、大英博物館も、似たようなことしていたよな
やっぱり、19世紀に購入?
205世界@名無史さん:2007/10/28(日) 10:56:30 0
ヴァイオレット・ノジェール
VIOLETTE NOZIERE (フランス)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text2/noziere.html

Violette Nozière (1978)
http://www.imdb.com/title/tt0078467/
http://www.amazon.com/Violette-Nozi%C3%A8re-Bernard-Alane/dp/B00005JOBL
http://movies.nytimes.com/movie/52839/Violette-Nozi-232-re/overview

>18歳の時にジャン・ダバンという法学部の学生と出会ったことで、彼女の人生は大きく変わる。
>良い方向にではない。最悪の方向にである。
>このハンサムな貧乏学生に彼女は貢いだ。
>私はいいところのお嬢さまだと偽って。

…(−−;フランスってこんな話多いのか?
206世界@名無史さん:2007/10/28(日) 14:25:22 0
宣伝乙です岸田さん
207世界@名無史さん:2007/11/02(金) 09:17:50 0
アクシオン・フランセーズは、低所得労働者、今で言うフリーターや契約社員に人気があったらしい
208世界@名無史さん:2007/11/02(金) 22:39:20 0
セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg, 1928年4月2日 - 1991年3月2日)はフランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優である。
両親は帝政ロシア(現在のウクライナのハリコフ)出身のユダヤ人で、パリ生まれ。
幼名はリュシヤン・ギンスブルグ(Lucien Ginsburg)といった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB

亡命ロシア人の子孫の芸能人、多いな
209世界@名無史さん:2007/11/03(土) 11:30:56 0
1852年にブーシコーがパリに開店したオ・ボンマルシェが、フランスに
おける本格的なデパートの始まり。
(それ以前から大型総合小売店は少しずつ姿を現していた)

19世紀前半までのフランスの商店では、入店自由の原則がなかったばかりか、
出店自由の原則もなかった。つまり、いったん商店の敷居を跨いだら最後、
何も商品を買わずに出てくるということは許されなかったのである。
おまけに、商品には値段がついていなかったから、客は、できるかぎり
高く売りつけようとする商人と渡りあって、値段の交渉までしなければ
ならなかった。

しかしブーシコーは、ウィンドーショッピング・薄利多売方式・バーゲンセール・
展覧会・カタログによる通信販売といった現代まで続いている方法を考案した。
210世界@名無史さん:2007/11/03(土) 14:13:13 0
ベル・エポックの街頭美術 街頭ポスターに登場した殺菌牛乳
「バンジヤンヌの殺菌牛乳」 テオフイール アレクサンドル スタンラン 作
ルーブル装飾美術館  蔵
レ プウル ド ラ バンジャンヌ ステリリゼ  1894年   制作
19世紀末のパリの街頭を彩ったポスター。猫を好んで題材にした社会主義者で
画家のスタンラン。その彼の傑作のひとつがこの殺菌牛乳の宜伝ポスター。
当時、牛乳から伝染する恐ろしい病気のひとつに結核があった。しかし、結核歯は
細菌学の租パスツールが1864年に考案した「低温殺菌」で殺菌できることが
分かり、牛乳の殺菌に実用化されるようになった。この絵の少女はスタンランの
愛娘コレツト、そして可愛がっていた猫三匹。殺菌牛乳なら安心、という絵である。

ttp://tsei.gooside.com/gif/lait.gif
211世界@名無史さん:2007/11/03(土) 14:28:38 0
1890, Scene plage (ビーチシーン)
撮影者不詳、1890年おそらくフランスのビーチサイドの風景です。
この当時の人は海で遊ぶのもエレガント。
もっと身軽な服装でもいいのに、と思うのは現代人の利便性を追い求める心故
でしょうか。
後ろの紳士とワンちゃんがステキ。

ttp://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/d/p166.jpg
212世界@名無史さん:2007/11/03(土) 17:18:05 0
田原俊彦と行くパリツアーが人気 29万9000円
http://news.ameba.jp/hl/2007/11/8253.html
213世界@名無史さん:2007/11/03(土) 21:43:00 0
>>209
ナポレオン3世のクーデターの年だっけ?

それ以前のパリは、不潔なうえに、商人もハイエナだったんだな
214世界@名無史さん:2007/11/04(日) 10:49:41 0
ttp://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/celebrations2002/img/bm.jpg
1852年に開業した当時のボンマルシェ

ブシコーはたんに目玉商品やバーゲン・セールといった商品の力で消費者に
足を運ばせるだけでは満足せず、新しい〈ボン・マルシェ〉という建物それ
自体の魅力、デパートというイメージの力によって消費者を誘惑しようと
考えたのである。いいかえれば、消費者が、とくに何を買うという目的が
なくとも、無料のスペクタクルを見物するような軽い気持ちで〈ボン・マルシェ〉
にやってくること、これこそがブシコーが新店舗を設計するにあたってもっとも
重要な眼目とみなしたものだった。

ディスプレイの基本は、店内に一歩足を踏みいれた客が思わずハッと息を呑む
ような、不意撃ちによる驚異(メルヴェーユ)の喚起にあった。すなわち、
必ずしも、洗練された趣味のよさや色彩の調和などには囚われない、人の意表を
つく仕掛けが〈ボン・マルシェ〉の大売り出しのときの特徴だった。
215世界@名無史さん:2007/11/04(日) 11:50:14 0
質問
一番接客態度がいいフランスのお店はどこ?

日本人が多く行くブランドショップ

日本のカルフール・・・・
216世界@名無史さん:2007/11/04(日) 15:14:25 0
>>215
接客態度のいい店なんて、現在のフランスにあるの?
ほんと旧共産主義国みたいな態度だぞ
217世界@名無史さん:2007/11/04(日) 15:15:38 0
【20世紀】近代フランス音楽総合スレ2
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/classical/1171006858/l50

ミヨーは好き嫌いが分かれるね。
しかし、9番の弦楽四重奏は大傑作。
ミヨーの弦四、面白い曲は他にもあると思うけど
クラシック名曲としての堂々たる風格を備えているのは、これだけでしょう。
フランス弦楽四重奏曲の、ラヴェルの次の世代を代表する傑作だと言っても過言ではない(と、個人的にはそう思う)。

218世界@名無史さん:2007/11/04(日) 15:17:59 0
サティは、その時代とても革新的な作曲家だったと思うし、
6人組の大半が影響を受けたと発言してるが、
なぜかどうしても好きになれない…
ミヨーなんかはかなり好きなんだがなあ
でも、ミヨーは玉石混交というの。 多作家=駄作家 になりやすいの典型。
219世界@名無史さん:2007/11/04(日) 15:20:34 0
フランス音楽の雑種性、ある種の猥雑さ、率直さ、即興性、音色とリズムの愉悦、軽薄なエキゾチシズム
それらをすべて踏まえた上で尚、偉大なフランス人は弦楽四重奏を一曲書いて死ぬ。
現代でも、2曲以上弦楽四重奏書いてる人はフランス以外のヨーロッパでもめずらしい。
シャリーノ、リームくらいじゃないかな?
220世界@名無史さん:2007/11/04(日) 15:23:03 0
フランスの作曲家達は明らかに意識している
ブレーズもアミも弦楽四重奏は一曲だけ。

メシアンの絶筆はピアノと弦楽四重奏のための小品。
死期を悟ってフランスの伝統に連なろうとしたのだろう。

221世界@名無史さん:2007/11/04(日) 15:38:55 0
ドイツの技師ダイムラーがガソリンエンジンの四輪自動車を完成させたのは
1886年だったが、本格的に利用可能な自動車は90年代に入って、まず
ドイツとフランスで改良製作されていった。
1895年にドイツのベンツは135台、フランスのプジョーは72台を生産している。
同年における保有台数となると、ドイツは75台、フランスは350台で、
どうやらフランス市場のほうが、新しいスピード装置に関心が強かったようだ。
222世界@名無史さん:2007/11/05(月) 13:15:36 0
オペラ・ガルニエは19世紀ブルジョワの成金趣味の象徴。
彼らは音楽を格別に愛していたからオペラ座に行ったのではなく、かつての
貴族のように燕尾服やイヴニング・ドレスでめかしこんで、豪華な馬車を
仕立ててシャンデリアの輝く劇場に乗りつけることがステータスシンボル
だからオペラ座に通った。

19世紀において、オペラ座通いと並ぶステータスシンボルだったのが、ピアノ
である。
この時代には、ピアノは上流階級に必須の家具のひとつであり、「良き家庭」
の象徴そのものであった。
居間にとびきり高価なグランドピアノを置き、娘にそれを習わせない上流家庭は
皆無だったといってもいい。
特に耳が肥えているわけでもなく、とびきり音楽を愛しているわけでもないが
夕食後は必ず居間の安楽椅子に腰をかけ、葉巻をくゆらせながら娘が弾くピアノに
耳を傾けて悦に入るというタイプの音楽愛好家が登場した。
223世界@名無史さん:2007/11/06(火) 22:22:33 0
>>221
怪盗紳士ルパン・シリーズは、流行に敏感でした
224世界@名無史さん:2007/11/08(木) 19:53:45 0
1891年当時、車はあった。蒸気自動車ですが。
英国やフランスでは今のバスのように広く利用されていた。
石炭ではなく油で動く車が発明されたのが1900ねんごろ
225世界@名無史さん:2007/11/08(木) 20:35:06 0
ヴァイオレット・ノジェールVIOLETTE NOZIERE
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text2/noziere.html
http://www.affaires-criminelles.com/bio_20.php
http://www.trussel.com/maig/noziere.htm

親殺しの動機の浅はかさは、現在の日本と大差なし
この当時、こういう化粧が流行だったことは、
映画、望郷のヒロインのメイクに近いのでわかる。 
226世界@名無史さん:2007/11/08(木) 21:01:03 0
1895年にはフランス自動車クラブが結成され、98年には最初の自動車展示会が
パリで開催され、1900年にはタイヤ会社ミシュランによる有名なガイドブック
の刊行が始められている。
227世界@名無史さん:2007/11/09(金) 02:06:09 0
なぜかこの時期の風俗に関して荒俣宏がやたら詳しくてびっくりした覚えがある。
228世界@名無史さん:2007/11/12(月) 20:01:59 0
フランス歴代大統領の写真
http://www.afpbb.com/article/1572861
229世界@名無史さん:2007/11/12(月) 20:17:16 0
>>228
ドゴールの2人前の暢気な父さんみたいな人オリオルかな
230世界@名無史さん:2007/11/15(木) 21:08:17 0
>>228
2人目はティエールだね
3人目がマクマオン元帥

現在のフランス国民の3人に1人は、外国人を先祖に持つという
でも、歴代大統領の大半は、生粋のフランス人っぽい
そうじゃないの、初代と現役くらいじゃね?

231世界@名無史さん:2007/11/15(木) 21:20:20 0
事は1968年10月1日、ステェファン.マルコビッチ ( 31歳 ) というユーゴスラビア人の射殺死体が、
ヴェルサイユ近くのエランクールの公衆ゴミ捨て場で念入りに縛った大きな麻袋の中から発見されたことから始まる。
彼 ( ステェファン ) は1964年から1968年まで、ドロンとナタリーの第一ボディーガード兼召使兼ドロンのスタンド.インで、
68年1月までパリ8区メッシーヌ通りのドロン邸に二部屋をあてがわれ、月2千フランの小遣いをもらっていた。
(ここで注意すべき点はステェファンがドロンとナタリーが結婚した年に召使になっていることである。
一説にはこの男はナタリーがドロンと結婚する前から彼女と愛人関係にあったといわれ、
ナタリーをドロンに紹介したのも彼だという)

警察の捜査が進むにつれて、マルコビッチという男がエトワールに近いポール.ヴァレリー街 ( パリ16区 )
にある高級売春宿 ( マダム.クロードの店、一説にはゲイバーともいわれる ) を経営し、
そこでしばしば、政界の要人や芸能界の有名人を集めて、秘密の乱交パーティーを催し、
その現場を写真に撮るなどして、それをネタ
( レラック警視率いる犯罪捜査課は、マルコビッチが生前大事に持ち歩いていたといわれる一冊の住所録を入手した。
その住所録には、フランスやユーゴの政界の要人や芸能界の有名人の名前が記入されていた。)
に客をゆすっていたことが判明した。
ところが顧客の中に元首相で次期大統領候補のポンピドー氏とその夫人の名前が浮かんできた時、
政界の圧力だろうが、捜査はいったん打ち切りのかたちとなった。

http://www32.ocn.ne.jp/~whitewine/anaffairmarkovic.htm
232世界@名無史さん:2007/11/15(木) 21:25:07 0
>>231
ここの

> その現場を写真に撮るなどして、それをネタ
> ( レラック警視率いる犯罪捜査課は、マルコビッチが生前大事に持ち歩いていたといわれる一冊の住所録を入手した。
> その住所録には、フランスやユーゴの政界の要人や芸能界の有名人の名前が記入されていた。)
> に客をゆすっていたことが判明した。

ものすごい変なところに括弧は入っているのが不思議に思った。
233世界@名無史さん:2007/11/15(木) 21:25:09 0
>>231
マルコビッチは昨1月にボディガードを解雇されていた。
この件では先にマルカントニが逮捕されていたが、マルカントニはコルシカ生まれでマフィアの一員、
大物政治家とも交流があり、
仲間割れをしたマルコビッチを口封じに殺害したと思われていた。
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/topics44a.html
234世界@名無史さん:2007/11/17(土) 00:39:47 0
フランス・ファシズムの発祥の地といえば、フランスのラ・ヴィレットですか。
パリ郊外のこの街は、19世紀末から20世紀なかばにかけて、
極右の政治運動の拠点でした。モレス侯爵の
「世界最初のファシスト武装集団」モレス盟友団の根拠地でありました。

侯爵は、ここの屠殺人たちに紫色のシャツとソンブレロをかぶせて、
パリの街路を行進させ、ブルジョワたちは、それを恐々とみつめながら、
そこに漂う、血と暴力の匂いにひそかに魅了されたのであります。
235世界@名無史さん:2007/11/17(土) 00:43:06 0
>>271
ドロンの先祖は、コルシカだそうです。
それもあってか、コルシカ・マフィアのボスの一人とも親しかった。

236世界@名無史さん:2007/11/17(土) 00:52:25 0
>>234
フランスの「レッドネック」というか「プア・ホワイト」というか、要するにLa France profonde と呼ばれる社会階層(無知で暴力的で利己的で排外主義的なボンクラたち)の出口のないバカさが活写されている。

歴史が教えるところでは、この階層が19世紀末から大戦間期にかけて、フランスにおける反ユダヤ主義とファシズムの培養基となった
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/otoboke6.html


237世界@名無史さん:2007/11/17(土) 10:06:19 0
>>234
「ノース・ダコタでモレス侯爵が起業した食肉ビジネスは、
牧畜から輸送までのプロセスに中間業者を入れず生産者と消費者を直結することで高品質低価格の牛肉を提供することを
目指していた。これは食肉の流通を支配し、価格を操作していた鉄道会社と食肉業者に対する野心的な挑戦であった。
モレス侯爵自身はこの戦いにおいて、農民の側に立って、「悪徳商人」たちの収奪に抗する「勇敢で寛大な騎士」におのれを擬していた。
私利私欲のためではなく、貧しい農民を搾取から救うために戦ったあげくに、
団結した資本家たちの策謀によって破産に追いつめられた不運な騎士として破産の自己史を総括したときに、
モレスは19世紀的な(やや歪んだ)意味での「社会主義者」になっていた。」
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50748355.html
238世界@名無史さん:2007/11/17(土) 10:49:11 0
パリ万博で、既に動く歩道が御披露目されてたそうですね。
239世界@名無史さん:2007/11/17(土) 10:52:44 0
>>238
あんなもの、床下に滑車を備え付けて、床板を回していけばいいだけ
エスカレーターよりも簡単
エレベーターがすでにあった時勢なら、あっても不思議はない。
240世界@名無史さん:2007/11/17(土) 15:03:41 0
つーか動く歩道なんて、古代ローマの時代にはすでにアレクサンドリアに存在した。
241世界@名無史さん:2007/11/17(土) 17:35:48 0
>>240
古代ローマ最大の都市だね
当時は、まだ図書館が健在だっけ?
242世界@名無史さん:2007/11/17(土) 18:25:12 0
イギリスで、地主議会の時代から、選挙戦の乱痴気騒ぎで、ゴロツキが動いたらしいから、
フランスでも、同様だったのかな?

ヤンヌ・ピア暗殺疑惑
http://www.ilyfunet.com/ovni/1997/405/apropos.php

怪盗ルパン・シリーズでも、お屋敷の召使が、実は主人(パトロン)の手下のゴロツキ
とか、よく出てきた
243世界@名無史さん:2007/11/18(日) 12:14:10 0
>>201-203
エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1190136982/l50

「枯葉」、エディットも英語/仏語で歌っててそれぞれ味があるよね。
彼女の英語は仏訛りがあるんだけどホント聞き取りやすくて
分かりがいい。大好きな曲です。

「エド・サリバン・ショウ」で「ミロール」を披露した時に
まずは英語で歌詞を女優のように語り、それから仏語で歌ってたけど
その英語にも色気と実感が篭ってて素敵だった。
彼女は確固たる歌の世界観を持ってるから伝わってくる。

ニュアンスや声に合った言語という点は仏語に軍配上がるし、
英詞は元歌の語の響きとニュアンスをバッサリやっちゃてて
分かりやすすぎて勿体無いって思いはするけど、
それでもエディットの英語版は魅力がある。
244世界@名無史さん:2007/11/21(水) 20:51:58 0
農民にとっては幸運だった
労働者にとっても前の時代よりは幸運だった

芸人にとっては、現代より幸運だった時代では?
245世界@名無史さん:2007/11/23(金) 08:23:31 0
【訃報】20世紀最大のバレエ振付家モーリス・ベジャールさん死去 80歳 「春の祭典」「ボレロ」など斬新な作品を発表
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1195736948/l50

【訃報】「20世紀最高の振付家」フランスのモーリス・ベジャールさん死去 80歳…「春の祭典」「ボレロ」「M」などを手がける
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1195736651/l50
246世界@名無史さん:2007/11/25(日) 19:24:32 0
247世界@名無史さん:2007/11/25(日) 19:28:50 0
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh53.htm
オスマン化以前の、狭くてじめじめしたパリの裏通りの写真
248世界@名無史さん:2007/11/25(日) 21:03:53 0
>>247
なるほどこれは中世都市だ。
249世界@名無史さん:2007/11/25(日) 21:20:28 0
>>248
田舎町が大きくなっただけだったんだろう
ウィーンの方は、当時から舗装された道路だった
250世界@名無史さん:2007/11/25(日) 21:22:28 0
やせた女が美しいという考えはここ100年ほどの間に定着してきたもの。たいして歴史があるわけではない。
かつて世紀末の女優サラ・ベルナール(1844-1923)がやせた身体で人気を博したのも、
少年のように見えるという、いわば倒錯の美による人気だった。
ミュシャのポスターだとそれほどでもないが、愛犬ハムレットとともに描かれた肖像画を見ると
やせた女であることを強調しているようにも見える。
当時一般の絵画に描かれていた女たちやヌード写真のモデルたちは、今からすれば太った女ばかり。
当時はぽっちゃりタイプが理想だったわけだ。

サラの後に出てきたジョセフィン・ベーカー(1906-75)もやせた女(若いうちは)だったが、
このころからやせた女の市民権が(あるのか!)得られていったようだ。
働く女が増え始め、シャネル・スーツが人気を呼ぶようになると、
ぽっちゃり女のよちよち歩きよりすらっとした女のスタスタ歩きを理想とする考えが定着していく。
http://walk.gonna.jp/blog/archives/2006/09/index.html
251世界@名無史さん:2007/11/25(日) 21:36:44 0
「痩せてて巨乳」という、人間としてはある意味奇形と言っていい体型を美しいと言い出したのはアメリカ人だそうで。
252世界@名無史さん:2007/11/25(日) 21:56:06 0
>>251
ポパイのオリーブね

現在では、アメリカでも巨乳崇拝は廃れてそうだ
253世界@名無史さん:2007/11/29(木) 20:15:37 0
ほんと、当時の白黒フィルムで見る女性のおでぶぶりは凄い
254世界@名無史さん:2007/11/30(金) 11:00:25 0
金髪デブが19世紀の人気だった
255世界@名無史さん:2007/11/30(金) 11:17:30 0
アメリカ人は痩せた女と太った本が好きとか言われてるな
256世界@名無史さん:2007/12/04(火) 15:44:07 0
太った本?
漫画や雑誌?
257世界@名無史さん:2007/12/04(火) 17:12:45 0
ベネズエラ国民は愚かではない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071203-00000109-mai-int
<ベネズエラ>国民投票で「改憲反対」勝利 チャベス打撃 

12月3日20時12分配信 毎日新聞

 【カラカス庭田学】南米ベネズエラで2日、社会主義国家建設を明示した
憲法改正の是非を問う国民投票が実施され、「改憲反対」が勝利した。反米
左派、チャベス大統領が選挙・国民投票で敗北したのは初めてで、同大統領
が掲げる「21世紀の社会主義」は否決された形だ。チャベス政権にとって
は予想外の打撃で、従来の強気の急進姿勢の見直しを迫られそうだ。

 中央選挙管理委員会の3日未明の集計によると、反対51%、賛成49%
の小差。チャベス大統領は「反対派を祝福する」と投票結果を受け入れた。

 大統領は貧困層の厚い支持を受け、当初、改憲案は承認されるとみられて
いたが、その急進的な内容に対する国民の拒否反応が直前になって拡大。野
党ではなく、学生たちが反対運動の中核となる新しい現象が国民の注目を集
めたことも、大統領には逆風になった。

 改憲案は、大統領任期を現行の6年から7年に延長し、無期限再選を可能
にする項目もあった。今年3期目に入ったチャベス大統領の任期は2013
年1月まで。「2050年まで職務を続ける」と、改憲で事実上の終身大統
領を目指した同氏の狙いは挫折した。

 改正憲法案には、社会主義経済建設を明記するなど、随所に「社会主義」
の文言が盛り込まれていた。チャベス大統領は3日未明の会見で、「今回の
提案はまだ生きている」と述べ、憲法改正を断念していないことを示唆した。

258世界@名無史さん:2007/12/05(水) 01:17:04 0
「やせた女性」が美の基準になったのは
オードリー・ヘプバーンから
259世界@名無史さん:2007/12/05(水) 01:33:33 0
90年代くらいまで、あまり痩せた女の子は「トリガラ」って呼ばれて敬遠されてたって記憶がある。
260世界@名無史さん:2007/12/07(金) 11:04:34 0
age
261世界@名無史さん:2007/12/09(日) 11:00:08 0
 フランス南東部のリヨン(Lyon)では5日、翌日から開かれる「第9回光の祭典(Fete
des Lumieres)」を前に、町全体で光のショーが繰り広げられた。

ソース(AFP BB News)※ソース元に写真多数あり
http://feeds.afpbb.com/~r/afpbbnews/~3/622292/2431521
262世界@名無史さん:2007/12/09(日) 11:32:11 0
セザンヌをどう論じますか第2部
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1077256368/l50

マティスの他には何もいらない
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1073580059/l50

ゴッホってなんで生きてる間に売れなかったの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/994952308/l50

この時代のフランスが、美術の一大拠点だったのは、
美術を購入できるくらい財力に余裕のある金持ちが大勢いたからでしょうね。
263世界@名無史さん:2007/12/09(日) 11:37:32 0
862 :わたしはダリ?名無しさん?:2007/11/15(木) 18:24:51
そりゃ普通の人・・・図工3みたいな・・・よりはうまいけど、まあその程度ってこと。
ただゴッホの絵は素晴らしいよ。
でも彼の人生、精神障害が往復書簡という形で世にでなければ3流画家で終わってたのは間違いないね。
その証拠にその往復書簡がまず「文字=本」として出版され、後にブームとなり絵も着目されたわけだから。
つまり意図したか否かは別として、絶妙なプロモーションがあって初めて認められたのは否めない。
864 :わたしはダリ?名無しさん?:2007/11/15(木) 21:17:52
ゴッホの時代は 上手い下手で支配されてたからどう売り込んでも無理だろ。
早く生まれすぎたんだよ。
867 :855:2007/11/16(金) 17:36:01
確かにピカソみたいなアカデミーのエリート的デッサンとはまた違うけど、図工3の君達よりは上手いよ。
油もアカデミー的ではないが相当感覚が良いと思うし、単純に上手い、頭いいと感じる。
ゴッホはどっちみち有名になってたと思うな。
それよりセザンヌの方が理解できない…
868 :862:2007/11/16(金) 17:55:41
俺、有名美大出身で絵で食ってた磁器もあります。
でも技能才能共に並みと自覚してる。
けど、ゴッホより技術(感性じゃないぞ)は間違いなく上。
あの初期の水彩風景画なんてだーれでも描けるわね。

264世界@名無史さん:2007/12/09(日) 21:11:38 0
【フランス】パリのビルで小包爆弾爆発、1人死亡5人負傷 1階にはサルコジ大統領が以前勤務していた事務所[12/06]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1196953070/1-100

建築家って、フランスじゃめちゃくちゃ評価高い職業なんだが、・・
エッフェルが投獄されてるからな
265世界@名無史さん:2007/12/11(火) 16:07:30 0
実はパリはめっさ汚い街。加えて臭い街
信じられんことだが、21世紀に入った現在ですら、まだ下水が整備されてない区域もあるくらいだ
そのくせ、街並みの外観を壊さすからと人間の生活感を催すものは一切出してはならんとか、
まぁトコトンイメージ先行というか、アホな街でもある
266世界@名無史さん:2007/12/11(火) 21:08:49 0
国民自体の衛生意識や清潔度は元々低いですし、それは今もあまり変っていない気がします。
虚飾の美ですね。
街並の美しさと民度の乖離が、面白いといえば面白いですが・・・。
267世界@名無史さん:2007/12/11(火) 21:20:34 0
フランスで建築家、演劇関係者、料理人は異様に高い評価をされるな。
2,3年前有名な料理人が死んで、各ニュースがその追悼一色になってたのは驚いた。
268世界@名無史さん:2007/12/12(水) 11:26:59 0
1895年、フランスのリュミエール兄弟は、自分たちが開発したシネマトグラフ
という動く画像を、史上初めて一般の観客に公開した。活動写真機は、すでに
エジソンが発明していたが、これは一人で見る覗きからくりのような装置でしか
なかった。リュミエール兄弟は、動く画像を映写できる装置を開発したのである。
リュミエールの公開映画会は、驚嘆の声をあげさせたが、しかし映画が、新しい
表現メディアとしておもしろい可能性をもっていることを見抜いたのは、ジョルジュ・
メリエスであった。彼は、現実の情景を記録したリュミエールとは違って、
スタジオでセットを組んで撮影する方式を考案した。劇映画の誕生である。
269世界@名無史さん:2007/12/17(月) 21:38:09 0
>>267
でも、たしかに、あの国の政治家なんかより、よほど知名度高いからな
少なくとも、業界では
270世界@名無史さん:2007/12/18(火) 00:55:27 0
リュミエールは「現実の情景を記録した」と思われてるけど、
実はセットだったり演出されていたりする映像が多い。
当時はとにかく「動く映像」が珍しかったので、観客が喜ぶような
「動く映像」を作ったわけ。「散水夫」なんかは明らかにコントだし
食事の場面は日本のホームドラマのように、カメラの側には人は座っていない。
271世界@名無史さん:2007/12/22(土) 09:58:10 0
272世界@名無史さん:2007/12/22(土) 09:59:21 0
>>271
TVGは在来線走っているからな。当然。
273世界@名無史さん:2007/12/22(土) 11:04:06 0
>>272
高架線にするなり、車の通るトンネルを掘るべきだな
フランスって、実はかなり杜撰?
274世界@名無史さん:2007/12/22(土) 17:54:32 0
確かに 国民性は ずさん ざんすね
この事故は ずさんさ以外の問題もあるかと 思うざんすが
275世界@名無史さん:2007/12/24(月) 21:31:23 0
踏み切りを無視するトラック運転手
276世界@名無史さん:2007/12/30(日) 07:57:17 0
277世界@名無史さん:2008/01/09(水) 08:54:09 0
パリ
278世界@名無史さん:2008/01/10(木) 08:15:10 0
馬肉屋とかと殺者の仕事は、長らく自営業でやれたけど、
今日では大手に席巻されてるんでしょうね

貧乏芸術家と同じ地区で営業していたわけだ
279世界@名無史さん:2008/01/12(土) 15:58:34 0
フェルディナンド・ブュイッソン Ferdinand Buisson(1841-1932)が一九〇二年の急進党の党大会で述べたことは
四五年後になっても真実であった。彼はこう言った。
「もし人がわれわれを軽蔑的にオメー Homais(『ボヴァリー夫人』に登場する薬剤師の共和主義者)呼ばわりするのだったら、
われわれは微笑し低い声でこう呟くだろう。『オメーのような人がいなかったら共和制は一体どうなるのだろう?(9)』」。

しかしながら、フランスの政治はマティニョンやエリゼよりもホワイトハウスやクレムリンで決まる時代になって来た
(10)のである。とはいえ、第四共和制の始まる一九四六年のフランスの政治文化は、フランス革命の記憶に満ちた、
国民主権の原則に適切な制度的表現である議会主義優位の、個人権力と行政権強化への不信を持った、
第三共和制を引き継いだ共和制的なものであった。

第四共和制の危機が重大になってはじめて、フランスはこれまでと違った一八五八年の第五共和制を迎えることになる(11)。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/00-6/tokura.htm
280世界@名無史さん:2008/01/12(土) 16:18:07 0
ギュスターヴ・フローベール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB

この人のボヴァリー夫人は、娯楽小説としては非常につまらん(週刊新潮の黒い白書、隣の晩ごはん)。
でも、同郷の後輩モーリス・ルブランは、彼やモーパッサンに、
滅茶苦茶コンプレックスを感じていたようだ。
281世界@名無史さん:2008/01/23(水) 20:45:18 0
芸術ではフランスの全盛期
282世界@名無史さん:2008/01/28(月) 20:39:50 0
70年代までのフランスの農村部は、大正期の日本の行政と大差ない状態だったという
283世界@名無史さん:2008/02/07(木) 18:59:36 0
第三共和政下でも、第一次大戦以前は、館のだんなは女中に手をつけまくり
284世界@名無史さん:2008/02/08(金) 20:11:54 0
ビッチがファーストレディだなんてフランス人はどう
思ってるのかな?国の威信もなにもあったもんじゃねぇ〜w
鼻を整形してると読んだことあるが、たしかに不自然な形。
インフレや失業対策そっちのけでは、 いくら芸能ニュースでにぎわしても、
支持ポイントを稼げない事態にやっと気付き、
さすがにハネムーンは出かけずに、 結婚から2日で公務に復帰し、必死になり始めたが、
サルコジの支持率は「フリーフォール」のように下がり続けている。
285世界@名無史さん:2008/02/10(日) 12:20:31 0
382 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/01/26(土) 17:30:10 ID:njQXAlVN0
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第1回 大富豪 カーンの“夢” The Wonderful World of Albert Kahn:Vision of the World (暫定 Xvid 704x396) .avi orz動画4CwKG2I06e 396,662,218 84766c463f1b3a9a0e076a1f50112af3806808e3
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第2回 激動の世紀への胎動 The Wonderful World of Albert Kahn:Men of the World (暫定 Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 487,731,872 8be6c5ecce9e5ddd6898adc40017769a255b8e83
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第3回 かげりゆく共存の輝き The Wonderful World of Albert Kahn:Europe on the Blink (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 259,001,536 19a244781ed9b739f53a7932da298b63a59e9589
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第4回 塹壕から見た人類初の大戦 The Wonderful World of Albert Kahn:Soldier’s Story (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 413,940,188 1c1981ef82c5ed6351c233f350ed5737ab929674
286世界@名無史さん:2008/02/10(日) 12:21:07 0
384 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/01/26(土) 17:31:10 ID:njQXAlVN0
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第5回 市民たちの大戦 The Wonderful World of Albert Kahn:Civilian’s Story (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 359,662,828 f464e8a4251b70e4f7ad8fc8065851909722cf63
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第6回 勝者と敗者 The Wonderful World of Albert Kahn:Europe after the Fire (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 406,365,420 e981d5883fbec0611bf0f1ad82c9a82767930555
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第7回 中東 分割の悲劇 The Wonderful World of Albert Kahn:Middle East :The Birth of Nations (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 508,917,046 51bf8812974f82eeb64e971d1b61d7fe5ab832db
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第8回 東洋 不思議の世界 The Wonderful World of Albert Kahn:Expeditions to Empires (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 480,446,958 44e2f408023b5b0a1e2558460d520408bae72fdd
[NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第9回 カーンの死 “夢”の終わり The Wonderful World of Albert Kahn:The End of the World (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 431,536,218 fdcdf689bb10fefba3eb5666ef2d1a64509e273b
287世界@名無史さん:2008/02/17(日) 21:40:48 0
人材輩出の点では、大いに自慢できる時代だな
政治家よりも芸術家や科学者だが
288世界@名無史さん:2008/03/05(水) 21:12:45 0
どうも日本の国歌は和歌オタクが
自分の好きな歌を採用したのがきっかけみたいね
フランスみたいなスパークした歌詞を作れば良かったのに
289世界@名無史さん:2008/03/13(木) 08:12:46 0
110歳の軍人死去
---
第一次世界大戦(1914〜18年)に従軍した
最後のフランスの軍人、ラザール・ポンティセリさんが12日、110歳で亡くなった。
エリゼ宮(仏大統領府)が同日、発表した。

サルコジ大統領は声明で、「深い感動と無限の悲しみ」を述べた。
ポンティセリさんはイタリアからの移民。
第一次大戦が勃発した1914年8月に「祖国を防御するため」に16歳で外人部隊に入隊した。

当初は政府が提案していた国葬を拒否したが、
最近、「第一次大戦で亡くなったすべての男女の名において」国葬を受理した。
(パリ 山口昌子)
(03/12 23:26)

★ ソースは、産経新聞 [日本] とか。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080312/erp0803122325005-n1.htm

★ 画像。
http://newsimg.bbc.co.uk/media/images/44368000/jpg/_44368420_ponticelli_ap203body.jpg (AP => BBC)

移民で外人部隊か。複雑だな。
使い捨て部隊なのに長生きしたな。

多国籍企業の大株主だったって、本当?
290世界@名無史さん:2008/03/13(木) 08:14:44 0


19 :七つの海の名無しさん:2008/03/13(木) 07:30:12 ID:4Sb+L4dG
大企業の創業者だぞ、この人。会社のHPあげとく。
http://www.ponticelli.com/


291世界@名無史さん:2008/03/13(木) 21:13:06 0
ttp://www.cnn.co.jp/world/CNN200803130029.html
第一次世界大戦に従軍した最後の仏兵士が死去、110歳

パリ(AP) 第一次世界大戦に従軍したフランス兵士が12日、パリ郊外の自宅で亡くなったと、
退役軍人当局が発表した。110歳だった。フランス政府は17日に、国葬を予定している。

亡くなったラザール・ポンティセリさんは、1897年12月、イタリア北部ベットラ生まれ。
辛い幼少時代から逃れるため、9歳の時に1人で近くの駅から列車に乗り、兄のいるフランスへわたった。

首都パリで、煙突掃除や新聞配達などの仕事についたが、16歳の時に第一次世界大戦が勃発。
自分を受け入れてくれたフランスのために戦うと決め、年齢を偽って軍隊入りを志願したという。
2005年の仏紙ル・モンドとのインタビューで、「(志願が)感謝を示す自分なりの方法だった」と語っている。

フランス軍の外国人部隊に加わり、アルゴンヌ地方で任務に。
しかし、イタリアが参戦した1915年に、イタリアのアルプス連隊との連合部隊へ召集がかかり、
隠れようとしたが見つかって、オーストリア戦線に送られた。

1921年にフランスへ戻り、兄と産業用煙突を作る企業を設立した、
この会社は、フランスでも大手の重工業機器会社に成長。
1939年にフランスの市民権を獲得し、それ以来、ずっとフランスで暮らしてきた。

サルコジ大統領は、国葬は「現在の欧州の平和を築いた、
ポンティセリ氏とその世代の人々に、敬意を示すもの」と述べている。

イタリアのナポリターノ大統領も、最初はフランスのために、そしてイタリアのために戦ったポンティセリ氏は
「義務を果たすことの重要さと、生まれ祖国と第2の祖国に献身した」と称え、その死を悼んだ。

一方、家族は国葬には戸惑いを見せている。「個人的な出来事にしておきたかった」と反しているが、
ポンティセリ氏が生前、国葬に同意していたという。

ttp://www.cnn.co.jp/world/images/CNN200803130028.jpg
第一次世界大戦に従軍したラザール・ポンティセリさん
292世界@名無史さん:2008/03/25(火) 22:13:23 0
こんな風に複数の知名度ある人もいるんだ
日本では無名だけどw
293世界@名無史さん:2008/04/02(水) 07:44:44 0
フランスの偉人の多くは、政治家じゃないんだな

科学とい、シャンパンといい
294世界@名無史さん:2008/04/08(火) 23:05:42 0
結局、本当の大統領制は無理な国
295世界@名無史さん:2008/04/15(火) 08:09:41 0
アフリカ芸術や日本の浮世絵参照した時期と、エッフェル塔建築された時期は重なるね

ミッテラン政権移行の極端な国粋文化政策とはえらい違い
296世界@名無史さん:2008/04/15(火) 21:58:46 0
今日の「血みどろ映画=スプラッター・ムービー」の起源としてまず挙げられるのが、
19世紀末にフランスはパリで人気を博した「グラン・ギニョール」である。
大衆紙の三面記事から材を得た残酷な人形劇で、血糊もふんだんに使われていた。
ブピューッと血しぶきが上がるや観客はやんややんや。いつの時代でも大衆は血を好むのだ。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/chronology/text/execution.html
297世界@名無史さん:2008/04/24(木) 22:48:52 0
処刑を無料見物して喜んでいたのが庶民だよ
298世界@名無史さん:2008/04/30(水) 21:37:36 0
19世紀の風俗画には、お鼻の大きい貴婦人がよくでてくるけど、気持ち悪いね
現在のフランスでは、ブスの扱いかな
299世界@名無史さん:2008/05/21(水) 16:30:48 0
>>267
フランスで建築家というのは、実用面と美術センス双方要求される
また、最初から建築家を志した人間ほど挫折しやすい
ほかの分野からの鞍替え組の方が有利という
300世界@名無史さん:2008/05/21(水) 16:49:40 0
イギリスのこの人
http://en.wikipedia.org/wiki/Ellen_Terry
イタリアのこの人
http://en.wikipedia.org/wiki/Eleonora_Duse
に並んで
フランスのサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB

この3人が近代の三大女優だそうな
(岩田豊雄、脚のある巴里風景)
301世界@名無史さん:2008/06/05(木) 08:44:06 0
>>288
国歌は国旗より歴史浅いし、欧州じゃあまり歌われないようになっている
豪州でも

君が代強制騒動は、腑に落ちない
あんなくだらない問題で、対立していられるほど教育の現場はうまくいっているのか
302世界@名無史さん:2008/06/05(木) 09:29:53 0
あっちの女優を含む有名人は普段はブランド物なんてかっこ悪くて持たないらしい
303世界@名無史さん:2008/06/05(木) 09:35:40 0
先ずはあんなくだらないことにすら反対する極左教師の排除から始めないとな。教育再生は。
あれは実にいいあぶり出しだ。
304追放:2008/07/18(金) 11:35:58 0
テレサ・テンは大統領選挙勝利の日死んだ

http://love.45.kg/mo0202/5/143.html

フランスには、対外保安総局(DGSE)という
特務機関がある。日本の公安警察と似て、
情報がほとんど公開されない。
305世界@名無史さん:2008/07/18(金) 11:57:06 0
怪盗ルパン・シリーズの『緑の目の少女』に登場する、内務大臣直属の「国際秘密探偵」
現在の名称は何でしょうか?
306世界@名無史さん:2008/07/20(日) 01:08:11 0
307世界@名無史さん:2008/07/31(木) 08:15:48 0
パリもロンドンも、全部の終着駅・発射駅をひとつにまとめたターミナル駅がないのか
軍事上の理由からですか?
308世界@名無史さん:2008/07/31(木) 13:07:05 0
>>307
単純に歴史的経緯からだよ。
309世界@名無史さん:2008/08/02(土) 19:56:41 0
なるほど。一般市民の平時に交通には不便なんですがねぇ
310世界@名無史さん:2008/08/02(土) 19:59:17 0
スレタイ、パリ万博以降なんて期間短すぎるじゃん
せめてナポレオン三世時代のパリ市街の改造くらいの時期からに
すべきだったんだよ
311世界@名無史さん:2008/08/02(土) 20:09:49 0
大衆芸能盛んになって、シャンソン誕生したのも、
3世時代から出てきた庶民の盛り場のおかげ


せめて世紀末からにしてくれないと
312世界@名無史さん:2008/08/02(土) 20:13:49 0
スレ立てた人が馬鹿だったんだ
313世界@名無史さん:2008/08/09(土) 00:22:32 0
パリ万博も2回なかったっけ?
314世界@名無史さん:2008/08/09(土) 01:19:50 0
>>309
列車は長距離の旅行用。
市民の日常生活にそういった駅は必用ないんで。
315世界@名無史さん:2008/08/09(土) 08:56:25 0
もっと時代をさかのぼると、駅馬車
316世界@名無史さん:2008/08/16(土) 22:28:20 0
19世紀末には地下鉄もできた。

とはいえ、日本の東京では日常で必需品みたいになってるのに、
向こうの人には不要なんですか?
317世界@名無史さん:2008/08/16(土) 22:42:21 0
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=325866

パリ警視庁は設立以来一貫して、現在の所在地にある。
フランスって、こういうことが多いです。
チュイルリー宮殿は、パリコミューンの際炎上して現在公園ですが。

元傭兵の強盗団なんて、1980年前後にしか、フランスでいなかったのが
むしろ異常なような・・
徴兵制のもとで、銃器の使用はお手のものだったから、
戦後のメスリーヌhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/mesrine.html
みたいな犯罪者が、
なぜ第二次大戦以前にいなかったのか?
の方が、疑問点である。

もっとも、裏切り者を殺してその血で手を洗う決まりの暴力団は、
第一次大戦前にも、存在していたようだが。
318世界@名無史さん:2008/08/16(土) 23:30:03 0
マルセイユは、アルセーヌ・ルパンの時代(「水晶の栓」参照)には、
すでに悪徳代議士の当選する政治風土と思われていたようだ。

「ルパン最後の冒険」で、コルシカ人の復習・仇討ちの習慣が語られている。

後のヴィシー政府は、ユニオン・コルス(コルシカ・ギャング)に支えられて南仏に存立していた。
319世界@名無史さん:2008/08/17(日) 00:12:29 0
>>316
地下鉄は日常用。
鉄道のターミナル駅と混同しないように。
320世界@名無史さん:2008/09/09(火) 08:28:47 0
321世界@名無史さん:2008/09/12(金) 16:33:52 0
ナポレオン三世のパリ改造について調べた本はありませんか?
322世界@名無史さん:2008/09/12(金) 16:36:42 0
>>321
ナポレオン三世側の視点からなら、鹿島茂の「怪帝ナポレオン3世」に、結構詳しく書いてあった。
323世界@名無史さん:2008/09/12(金) 18:37:54 0
>>322
ありがとう。
324世界@名無史さん:2008/09/12(金) 22:16:33 0
http://www.mizuho-ir.co.jp/meme/200210/column3.html
フランソワ・ギゾーについての興味深い考察があるけれど、
唯一邦訳されているらしい著作のヨーロッパ文明史ってどんなものなの
だろうか?
325世界@名無史さん:2008/09/14(日) 11:56:05 0
>>324
>実際第二次世界大戦まで、あるいはもう少し厳しくすれば第一次世界大戦までは、
>回想録といった類ではなく、政治、経済、歴史について重厚な著作をものする政治家や高級官僚はけして珍しくなく、
>むしろそのような著述に携わることが指導層に留まることの必須条件とみなされてきた

「指導層」なら当然かな。麻生さんは祖父の吉田栄作に比べ、
学歴も言動も心許ないが
326世界@名無史さん:2008/09/14(日) 14:47:01 0
はいはい栄作栄作
327世界@名無史さん:2008/09/16(火) 00:18:27 0
吉田茂の著作って高坂正顕とかゴーストライターが書いているんでしょ?
328世界@名無史さん:2008/09/25(木) 22:05:33 0
age
329世界@名無史さん:2008/10/01(水) 20:39:40 0
100年前のフランスの出来事
http://france100.exblog.jp/

チュイルリー公園の音楽会での惨劇(ベルエポック事件簿) 1908年8月9日(日)
http://france100.exblog.jp/9225111/

ファリエール大統領令嬢の結婚 1908年8月10日(月)
http://france100.exblog.jp/i37/

現代ではまったく振り返られないニュース
330世界@名無史さん:2008/10/20(月) 17:39:19 0
飛行機の記録競争は、高額の懸賞金もかけられていてちょうどこの数年間が大いに盛り上がった時代でした。
競争相手も沢山いて、ライト兄弟にとっては張り合いがあったと思います。
http://france100.exblog.jp/9397320/

白人の全盛期。のどかだなあ
331世界@名無史さん:2008/10/20(月) 17:45:17 0
モン・ド・ピエテ(Mont de Piété = 公益質屋)は中世から高利貸に苦しめられる人々のためにイタリアの修道士が始めた質屋の仕組みである。
パリではこの数年後にクレディ・ミュニシパル・ド・パリ(Crédit municipal de Paris = パリ公営信用組合)という金融機関となった。
http://france100.exblog.jp/9322422/

ヴェルサイユは今でも金持ちの住宅街だったような
332世界@名無史さん:2008/11/03(月) 20:52:42 0
ヴェルサイユには、駅が三つあったはず
333世界@名無史さん:2008/11/11(火) 21:59:41 0
レミゼラブルの宿屋のあったモンフィル名湯は、イル・ド・フランス地域圏の東北のはずれにある
334世界@名無史さん:2008/11/11(火) 22:01:38 0
舞台俳優の養老院に劇場開設
http://france100.exblog.jp/2925058/

慈善事業の一環だったのでしょうね
335世界@名無史さん:2008/12/02(火) 20:44:12 0
336世界@名無史さん:2008/12/05(金) 12:45:25 0
337世界@名無史さん:2008/12/29(月) 21:50:39 0
http://www.j-wave.co.jp/blog/moda2/main20081220.html

19世紀以降のフランスの大衆音楽は、イタリア移民のもたらしたものだったのか。
シャンソンのイヴモンタンもイタリア出身だったな

考えてみれば、演劇も、17世紀にイタリアからもたらされたわけで。
338世界@名無史さん:2009/01/09(金) 22:59:55 0
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081105/p1

モーリス・バレスなど極右知識人
339世界@名無史さん:2009/01/18(日) 21:39:38 0
教育改革要求デモ
http://france100.exblog.jp/4188179/

当時からあったらしい
340世界@名無史さん:2009/01/19(月) 16:21:22 0
Elan Vital (エラン・ビタール)
http://ww1.m78.com/topix-2/elan.html

精神論と方法論を組み合わせた軍事学

でも、外交上の同盟を重視している点、戦前のドイツや日本より賢明
341世界@名無史さん:2009/01/21(水) 12:33:53 0
貧困と共和国―社会的連帯の誕生 (単行本)
田中 拓道 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4409230379?linkCode=as2&tag=rzl-22
342世界@名無史さん:2009/01/26(月) 13:46:02 0
古代以来の伝説と、神秘的・オカルトなギミックが飛び交う『三十棺桶島』だが、ルパンによるその謎ときは徹頭徹尾、合理的かつ科学的なものだ。
15世紀に予言詩を残したトマ修道士についてもケチョンケチョンな言い方をしていて、その批判ぶりは
100年後の今日でも相変わらず流行する予言だの占いだののオカルトに対する批判にそのまま再利用できるほど。
「ノストラダムスばり」という表現も出てくるが、これは言うまでもなく16世紀フランスに生きた有名なあの占星術師のことで、
当然ルパンはそんなものを全く信用していない。
 あくまで僕の勝手な想像なのだが、第一次世界大戦が勃発し、それが長引くなかで不安を覚えたフランス人のなかには
ノストラダムスのような予言詩やら終末論にひかれるような人も出たのかもしれない。
『三十棺桶島』の予言詩が「14と3の年…」となっているあたり、当時実際にそういう「予言」を主張する人がいたような気もするのだ。

 当時の(だけでなく、今日の)読者にとって圧巻なのは、「人を生かしもし、殺しもする神の石」の正体が
「強力な放射能をもつラジウムの結晶」と解明される場面だろう。
放射性物質が放つ「放射線」を初めて発見したのがフランスの物理学者アンリ=ベクレル(Henri Becquerel、1852-1908)だ。ベクレルは1896年に蛍光を研究するうちウラン塩と写真乾板を暗室に一緒にしまっておいたら
いつの間にか乾板が感光していたことから偶然ながら放射線の発見者となった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/lupin/kanoke3.html

ベル・エポック
343世界@名無史さん:2009/02/16(月) 01:17:27 0
デュマ=フィスは、特に写実的な風俗劇を得意とし、当時のパリでもてはやされていた、
単に面白いだけの空疎な芝居とは一線を画す作風によって、フランス近代劇の基礎を築きました。
彼の作品には社会的・道徳的なテーマがあり、その中で彼は、家族制度の欠陥や社会の腐敗を鋭く衝いたのです。
彼の攻撃対象は、殆ど常に男性の利己的な行為であり、それを助長させる金の力であり、
それを黙認する世間の慣習でした。このスタンスには、多分に彼自身の生い立ちが影響を及ぼしていると思われますが、
契機となったものが何であれ、彼はモラリストとしてその生涯を貫いたのです。
http://homepage1.nifty.com/Woodnote/books/literature/tsubakihime.htm
344世界@名無史さん:2009/02/23(月) 22:50:43 0
2009年 02月 22日
柔道パリ国際の応援に行った話 @ Paris Bercy
http://ephemere.exblog.jp/
345世界@名無史さん:2009/02/24(火) 16:45:59 0
ミシア・セール。大胆なスケーター姿のミシアをロートレックが描いた。
ディアギレフはミシアにはなんでも相談できた。そのディアギレフはコクトーの才能を「ワインのようだ」と見抜いていたが、
「俺を驚かせてみろ」と言って、コクトーを発奮させた。そのディアギレフをコクトーに紹介したのがミシアなのである。
コクトーはミシアを「何ひとつ月並みのものがない女性」「空気のような才能をもっている」と称えた。

 ヴァレンティンヌ・ユゴー。エリック・サティを紹介した。これでミシア、コクトー、ヴァレンティンヌ、サティが4人組になった。
そこにピカソが加わり、ここから暴発劇『パラード』が生まれた。
ディアギレフがついに兜を脱いだバレエ雑音劇だ。


 浪漫の毛皮を気取って着ていたコクトー、サティ、ピカソを、まるで少年を扱うようにあっというまに
手なづけてしまった女がいた。コルセットをはずし、髪をシャム猫のように短く切っていた。
彼女こそは、ギャルソンヌ(男のような娘)と呼ばれたココ・シャネルだ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0912.html
346世界@名無史さん:2009/02/24(火) 16:47:49 0
マリーが紹介したナタリー・パレは、そのとき27歳。
婦人服デザイナーのリュシアン・ルロンの妻だったが、やはり血が凄かった。
父親はロシア皇帝アレクサンドル3世の弟だ。しかも皇帝と弟(ナタリの父)はともにボルシェビキによって暗殺されていた。
高貴な家柄が没落して美しい。コクトーはこういう条件には、もう、なにがなんでも目がなかった。マリーは絶世の美女で、肌が透き通っていた。
コクトーは夢中になり、たちまち妊娠させ、堕ろさせた。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0912.html
347世界@名無史さん:2009/02/25(水) 22:14:31 0
「シオンの議定書」と呼ばれる偽書
実際には1864年にフランスで出版された「マキャベリとモンテスキューの地獄対話」という創作のまったくの焼き直しであり、帝政ロシアの秘密警察の手による偽作だったことは、すでに証明されている。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/jew2.htm
348世界@名無史さん:2009/02/26(木) 21:29:21 0
鉄道建設は1846年には全長1049キロにすぎなかったが、10年後の56年には5852キロになり、
パリを中心とする放射線状の幹線網ができあがった。さらに、
帝政期末の69年には1万6465キロとなり、ほぼ現状に近いものとなった

これらの建設事業は、いずれも巨額の資金を必要としたが、
政府の援助のもとにペレールPreire兄弟が1852年に設立したクレディ・モビリエ(動産銀行)や、
同じく政府の補助金を得てつくられたクレディ・フォンシエ(不動産銀行)が、
有力個人銀行であるロートシルト(ロスチャイルド)銀行などと競争しながら、建設を援助した。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%B8%9D%E6%94%BF/
349世界@名無史さん:2009/02/26(木) 21:47:33 0
1852年、歴史上初めて起業家支援を目的として設立された銀行の名前である"Credit Mobilier(クレディ・モビリエ)"からとったものである。
この銀行の存在は、今日まで続く金融資本主義の土台となっている。
 それまでの銀行は、王侯の徴税権など100%確実な担保の範囲でカネ貸しをするだけの存在であった。
クレディ・モビリエは初めてリスクを取って"キギョウ家(=無理矢理、起業家と企業家の両方をまとめて略してみた)"を支援した。
この先人(=個人ではなく法人だが)の様に、資金調達の分野で今日も苦労を続けている数多くの"キギョウ家"を支援していきたいという志を込めて、
名前を冠することとした。
 さらにこのネーミングには、反面教師の意味もある。
このクレディ・モビリエは歴史的な意義は大きかったが、企業としては長続きしなかった。
今日風にいえばコンプライアンス(=内部管理体制!?)に問題を抱えていたのだろうか。
事実、単にその場でカネを間に合わす(収支及び勘定を)だけでは、企業の永続的発展にはつながらない。
http://www.conseil-mobilier.jp/diary/january.htm
350世界@名無史さん:2009/03/11(水) 22:50:42 0
ベル・エポック
351世界@名無史さん:2009/04/11(土) 16:16:54 0
ドイツに敗れてからも、科学や文明の利器の発達は盛んでした
352世界@名無史さん:2009/04/11(土) 18:23:20 0
モンテクリスト伯で主人公が「わたしはルーテル派です」と告白して
周りが仰天するシーンあるけど
貴族の間ではいつまで「まずカトリックであること」が当り前だったのでしょうか?
いまでもそんなところあるのでしょうか?
353世界@名無史さん:2009/04/11(土) 22:31:51 0
フランスでは今でもカトリックが多数派。
幼児洗礼をするから改宗しない限りいつまでも代々カトリック。
354世界@名無史さん:2009/06/06(土) 12:57:49 0
>>234,236,237
つい最近まで日本では知名度が無かったのはなんかの政治的配慮なのか?
355世界@名無史さん:2009/06/06(土) 14:00:29 0
フランスに限らず戦間期欧州でファシズムが猖獗を極めていたことは
割と一般的に知られていたかと。
356354:2009/06/06(土) 14:22:21 0
>>355
いやそうじゃ無くて
日本ではモレス盟友団なんて殆ど知られて無かったでしょ? と言う事。
357世界@名無史さん:2009/06/06(土) 14:42:27 0
かかわりが無いからだろ
358世界@名無史さん:2009/08/03(月) 14:33:39 0
いろいろ前触れあったけど、日本の教科書じゃ教えんね
359世界@名無史さん:2009/08/19(水) 22:44:11 0
モッブの時代というのは、大衆の時代がほとんど暴徒の時代を意味していたということかな?

資本家を悪玉にするかユダヤ人を悪玉にするか
360世界@名無史さん:2009/08/20(木) 15:14:03 0
1908年12月7日(月)

一連の突発的な出来事や裁判所の判決のあとで、オクターヴ・ミルボー氏とタデ・ナタンソン氏の
3幕劇『学寮』が12月7日、ようやく初演の日の目を見た。
その次の日の8日(火)の予約会員向けの公演では、「無礼講」の王者を標榜する王党派闘士(カメロ・デュ・ロワ)の若者たちによる
妨害で混乱した。しかしながらその後、人々の評価はこの辛辣な現代悲劇を演ずる出演者たち、
バルテ嬢、ユグネ氏、ド・フェローディ氏などを賞賛するばかりの方向となっている。
http://france100.exblog.jp/11731722/

無線通信の技術競争
http://france100.exblog.jp/i44/
361世界@名無史さん:2009/09/09(水) 13:41:15 0
ストラスブルジョワが糞な点について
ストラスブルジョワってアルザスに住むお金持ちのクラスのこと。

金持ち四天王の残りの3大金持ちといえば、
シェルブルジョワ、リュクサンブルジョワ、アンブルジョワだな。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/world/1139044398/

362世界@名無史さん:2009/09/14(月) 20:44:33 0
>>346
ナタリー・パレは自分の意思で堕胎したよ。
理由は旦那がいたのと、コクトーの血とロマノフ家の血が混じった子など
生みたくなかったから。
ナタリーって人はロシアを脱出するとき、父と兄は革命軍に殺されたけど、
彼女は母と姉と共に、命は助けてやる代わりにということで数え切れない
ほどのソ連の人間に13歳のときにレイプされた。
彼女が後年、男性関係(有名な人だと作曲家コール・ポーターとか作家サン
・デグジュペリなどの愛人になった)に奔放だったのは、美人モデル・女優
というだけでなく、そのせいかもしれない。
363世界@名無史さん:2009/10/03(土) 08:31:47 0
第三共和政下のフランスでは、小党分立の議会で必要な法整備ができないとき、
一定期間政府に授権する法律を定めて解決してきた。

それが、デクレ・ロワ。
現行の第五共和政下のオルドナンスに相当。
364世界@名無史さん:2009/10/13(火) 08:50:43 0
【フランス】サルコジ大統領に銃弾入りの脅迫状を送りつけていた51歳無職男が逮捕[09/09/21]

捜査当局が20日、仏南部エレピアン(Herepian)の銃愛好クラブに所属
する容疑者宅を捜索したところ、男が「Cell 34」のメンバーであることを示す
文書や、脅迫状に使われたものと似た封筒が見つかったという。サルコジ
大統領とほかの閣僚に送りつけられた4通の手紙から採取した資料のDNA
鑑定からこの男が捜査線上に浮上していた。容疑者の名前は「ティエリ・J
(Thierry J.)」とのみ明かされている。
同容疑者の身柄は近くパリ(Paris)にあるテロ対策機関に送られる見込み。
サルコジ大統領は今月に入り、捜査当局にこの事件の徹底捜査を命じて
いた。一方で捜査における警察の強圧的な尋問を批判する声も上がって
いる。
■ソース:AFP(写真あります)
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2644244/4636477
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1253498462/1-100

情報収集どうしてるんかな
個人のプライバシー侵害は当然やってるだろ
365世界@名無史さん:2009/10/13(火) 13:26:41 0
天才エミール・ガレを語ろう
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1099204172/

アール・ヌーボーの蛍光灯
366世界@名無史さん:2009/11/24(火) 09:43:40 0
リヨンで消えた現金輸送車の現金の行方
DATE : 2009-11-20-Fri

リヨンで現金護送車が1100万ユーロ(約15億円)とともに行方不明になり、
運転していた警備員、トニ・ミュスランが指名手配になったことを、
興奮ぎみに書いたのは11月7日のこと。
これだけの大金を、誰にも危害を加えず、単独犯(共犯者が浮かんでこない)で
くすねた人は前例がないそう。彼は「世紀の銀行強盗」と名づけられ、
ネット上で人気が上昇し、ファンクラブまでできてしまった。
ところが、数日後パーキングに乗り捨てられたレンタカーから900万ユーロが発見され、
車を借りたのがトニ・ミュスランであることがわかった。
不可解な行動。よく計算したら、これから生きていくのに1100万ユーロもいらないことが
わかったので、必要なだけとって返したとか?
367世界@名無史さん:2009/12/09(水) 23:01:12 0
この時代はまだ録音装置も開発途上にあって、一般的な普及はまだ先の話であった。音楽は水泡のように現れては消え、もう一度聞き返すには演奏会に通い続けるしかなかった。音楽家もそれに応えるため、肉体労働者のように身体を動かすのが当然であった。
368世界@名無史さん:2009/12/25(金) 13:45:37 0
ということは、音楽家の働き口は今より多かった
369世界@名無史さん:2009/12/31(木) 09:35:21 0
この惨劇は芸術的かつ上品な環境で起きたゆえに恐ろしさが強められ、
被害者スタンネル氏の知名度ゆえに人々の興味が高まっている。
彼は展覧会で何度か賞を取り、叙勲も受けた高名な画家であるが、
パリ15区ヴォージラール地区のロンサン小路の自邸で、夜間何者かによって絞殺されたのである。
義母にあたる未亡人のジャピィ夫人も彼と同じように絞殺体で発見された。
一方、画家の妻、若く魅力的なスタンネル夫人は猿轡でベッドに縛り付けられたものの生き延びたのは幸運としか言いようがなかった
http://france100.exblog.jp/8793179/

整形器。
どんな場合でも、細めたり、整えたり、低くしたりするあらゆる用途の器具があります。

S.G.D.G. という略号は、「政府の品質保証なし」(Sans Garantie Du Gouvernement)という意味で、今で言うと「JIS」マークなしに近いかも。
http://france100.exblog.jp/2790743/
370世界@名無史さん:2010/01/15(金) 17:59:25 0
ガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」の刊行1907年12月

わが書籍出版部はガストン・ルルー氏による「黄色い部屋の謎」を刊行したところである。
この本は、若く洞察力のある新聞記者ジョゼフ・ルールタビーユの最初の事件であり、
読者にとっては初出誌に掲載されたときと同じように、
かなりの成功作に出会ったように思うだろう。
この犯罪捜査の物語は単行本という形をとって、並外れた器用さと知性を兼ね備えた若き素人探偵が、
黄色い部屋の苦悶に満ちた謎を解明する活躍を描き、多くの読者に息つく隙も与えないだろうと
思われる。最後の1ページまで結果が予測できない、かくも風変わりで夢中にさせるこの作品は、
今や大いに売り出されている。
別掲にあるような色刷りの表紙で1冊3フラン50である。
http://france100.exblog.jp/7105312/
371世界@名無史さん:2010/02/20(土) 12:00:13 0
労働者は図書館で読書できたんだろうか
372世界@名無史さん:2010/02/21(日) 05:29:01 0
ttp://wolf.ok.ac.kr/~annyg/japan/image/pic_5.gif
1910年パリに開店した犬肉精肉店
373世界@名無史さん:2010/02/26(金) 18:56:15 0
"⌒ヾ                     ∠パリースへ進撃だ〜〜〜!
⌒)::、从       ,__,___lニニニl__                         .|
:::ソ=  0ニニニニニニ)二) (;;il  8l`l  .;1 ̄|                    |
(_::'::W     _ゞー‐ゞi|___`-'卍,;;;|--'                      |
_;)ノ"     _,,_|l==ll ̄l==ll| l==l二 ̄□二|              .,___、  |
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374世界@名無史さん:2010/02/27(土) 08:35:26 0
南フランス、カルカッソンヌ地方の世界遺産である、
歴史的城塞都 市カルカソンヌ 内に位置する唯一の4つ星ホテル、オテル・ド・ラ・シテの公式映 像です。
2009年に100周年を迎えたこのホテルは、フランス 重要建造物に指定された建物を利用
http://www.youtube.com/watch?v=7KOg9CfsARs
375世界@名無史さん:2010/03/18(木) 23:21:00 0
ほしゅ
376世界@名無史さん:2010/03/30(火) 21:15:39 0
>>372

フランス人も何でも食うほうだから
377世界@名無史さん:2010/03/30(火) 22:00:06 0
>>372

違うぞ、その写真はフェイクCMポスターだ。
昔、フランス人は馬を食う奴がおってな、馬は犬猫と同じだという
その反撃デモのやつだ。
フランス人は何でも食うわけじゃない。日本人のほうが何でも食うだろう。
378世界@名無史さん:2010/03/31(水) 06:12:09 0
>>377
専門版で嘘付いても騙されるやつはいない
379世界@名無史さん:2010/03/31(水) 06:53:49 0
ttp://openlibrary.org/b/OL1207852M/Histoire_des_festins_insolites_et_de_la_goinfrerie
ttp://openlibrary.org/b/OL12398880M/L'ABCdaire_du_chien
ここらの本だな
話題になったからな
フランス語読めないでこのスレ来てる奴は知らないんだろうが
380世界@名無史さん:2010/03/31(水) 07:58:27 0
フランスに対する愛情が無いのか。
381世界@名無史さん:2010/04/30(金) 09:14:03 0
羊の腎臓は小便くさいそうね

それでも食えるという
382世界@名無史さん:2010/04/30(金) 21:52:48 0
牛乳で煮込んで臭い取ったりしてたんかね
383世界@名無史さん:2010/05/19(水) 22:10:29 0
内臓の臭みを抜く手段
384世界@名無史さん:2010/05/19(水) 22:11:36 0

プロヴァンスお宝発掘記
http://af-otakara.hp.infoseek.co.jp/index.html
385世界@名無史さん:2010/06/14(月) 06:48:13 P
保守
386世界@名無史さん:2010/06/21(月) 19:35:11 0

「パリ祭」の本来の語源

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/02/2/20.html

実は、フランスの建国記念日が起源だった。
387世界@名無史さん:2010/07/17(土) 13:12:25 0
保守
388世界@名無史さん:2010/09/01(水) 15:09:14 0
自動投票集計機の考案http://france100.exblog.jp/14478844/

389世界@名無史さん
ジュールベルヌ