オスマン朝・オスマン帝国(02)

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1世界@名無史さん
最大領域を100年以上も維持した3大陸に跨る大帝国(1299年-1922年)。イスラムの盟主。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD

前スレ
オスマン朝
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008047030/
2世界@名無史さん:2006/10/15(日) 03:40:50 0
>>1乙ですー
関連スレ
トルコの歴史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1124980232/
トルコ民族の諸王朝について
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1128923035/
トルコ料理の歴史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1080197510/
鮮卑はトルコ民族か?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1108895458/

〜トルコ語・3〜
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1140959524/
トルコ共和国(土耳古)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1131901303/
★★★★★ トルコ旅行 PART12 ★★★★★
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1155997711/

前スレ以前のオスマン朝の過去スレッド

】】】】】】オスマン・トルコ【【【【【【 (50)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1000/10003/1000382189.html
>オスマン・トルコ< (41)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/975/975185222.html
3世界@名無史さん:2006/10/15(日) 10:31:05 0
最盛期の人口ってどれくらいですか
4世界@名無史さん:2006/10/15(日) 15:05:01 0
>>1
スレ立て乙でした。
前スレも長寿スレでしたね。
引き続き伸ばしていきましょう。
5世界@名無史さん:2006/10/16(月) 17:12:34 0
オスマン朝を世界帝国にしたのはセリム1世と言ってみるテスト。
6世界@名無史さん:2006/10/16(月) 20:56:42 0
オスマンによるエジプト・シリア領有−はそれまで決して多数派ではなかった
ムスリムを多数派へとした。
7世界@名無史さん:2006/10/16(月) 21:03:06 0
穀倉地帯のエジプトを支配したことによりオスマン朝の食糧問題と
アレクサンドリア経由の地中海貿易を解決・発展させた事は重要だ。
8世界@名無史さん:2006/10/16(月) 21:49:18 0
>>3
18世紀まで人口調査自体やってないから難しいと思われ。
9世界@名無史さん:2006/10/16(月) 21:50:21 0
>>5
テストどころか鈴木センセがまさに言ってることジャマイカ?
10世界@名無史さん:2006/10/18(水) 02:08:15 0
オスマン帝国衰亡史読んだ人いる?いたら感想プリーズ
11世界@名無史さん:2006/10/19(木) 22:04:59 0
>>3
永田雄三はスレイマン1世の頃のオスマン朝の総人口は推定三千万としている。
尤も、正確な統計でなく推論で出した数字だが。
12世界@名無史さん:2006/10/20(金) 09:29:32 0
>>11
詳しく読んでみたいので出典を教えてください。
13世界@名無史さん:2006/10/20(金) 11:13:35 0
ノーベル文学賞を受賞したパムクの2冊、
「わたしの名は紅」と「雪」を注文しました。
ちょっと高かったけど、今から届くのが楽しみ。
16世紀末のイスタンブールと人々がよく描かれて
いるらしい。
14世界@名無史さん:2006/10/20(金) 13:17:33 0
>>13
「わたしの名は紅」は以前読んだが、16世紀のトルコ人があんなに西洋を意識していたのかどうか疑問に感じた。
15世界@名無史さん:2006/10/20(金) 13:19:19 0
オスマン朝研究で「Pamuk」といったら、ノーベル文学賞を受賞した
Orhan Pamukじゃなくて、兄貴でオスマン史家のŞevket Pamukの方の事だけどな。
16世界@名無史さん:2006/10/20(金) 15:50:56 O
ヤリマン帝国死亡wwwwwwちゅどーんwwwちゅどーんwwwwwwww
17世界@名無史さん:2006/10/20(金) 21:00:00 0
>>14
んーおもしろくなさそう・・・
18世界@名無史さん:2006/10/21(土) 09:49:45 0
トルコ語分からないので共和国の学者の本は
ハリル・イナルジュクぐらいしか読んだことない・・・
19世界@名無史さん:2006/10/21(土) 16:44:07 0
Halil İnalcıkも以前はトルコを離れてシカゴ大学とかアメリカの大学で教えていたが、
Suraiya Faroqhi、Şerif Mardin、Şevket Pamuk、Cemal Kafadar、
Metin Kunt、Gülru Necipoğlu、Huri İslamoğlu-İnan、Salih Özbaran・・・などなど
トルコ人の研究者でも(欧米に留学したり、欧米の大学で教えている研究者は特に)、
普通に英語で研究書を出してるけどな。
20世界@名無史さん:2006/10/21(土) 22:00:24 0
Faroqiはドイツ生まれみたい。Born October 2, 1941, Berlinってあった
ドイツのトルコ系移民なんだろうか
その影響で、ドイツ語でも研究書を出しているのか
ミュンヘン大学で教えてるし

あと、永田雄三みたいにトルコ語で論文出している非トルコ人もいるな
参考文献のところに、Nagata Yuzo〜ってトルコ語の論文があった
日本語版も出してくれないのかな
21世界@名無史さん:2006/10/23(月) 02:05:45 0
>>14
長い間想いを寄せていた女と逢引していきなり
口でしてもらおうとする主人公もどうなのかと
22世界@名無史さん:2006/10/29(日) 23:28:06 0
>>21
いま、ちょうどそこを読んだところ。
内容的にはかなり面白くなってきた。
1590年代のイスタンブルって、けっこう
暮らしやすそうだね。
23世界@名無史さん:2006/10/30(月) 21:18:38 0
1590年代のイスタンブルか。
暇さえあればコーヒーハウスで世間話に興じて
後は公衆浴場でマターリする生活が想像できる。
24世界@名無史さん:2006/10/30(月) 21:36:44 0
その頃だったら文化的にもヨーロッパよりも上かな
25世界@名無史さん:2006/10/30(月) 21:39:18 0
衛生観念&識字率では圧倒的に西欧東欧より上だったろう。
26世界@名無史さん:2006/10/30(月) 22:48:37 0
ブダペストのキラーイ温泉は・・・もう出来ている頃か。>1590年代
この頃だったか、もう一度ドイツとかイタリアあたりで銭湯が流行るんだっけ。
27世界@名無史さん:2006/11/01(水) 23:11:49 0
1571年のレパントの海戦に敗れて斜陽に
なりはじめた時期?
敗戦の影響はあまり無かったようにも聞くが・・。
28世界@名無史さん:2006/11/01(水) 23:32:51 0
>23
宮廷は女人政治で混乱してても
民間はマターリとしていたのか?
29世界@名無史さん:2006/11/02(木) 01:40:02 0
ジェラーリーの乱とかなかったっけ?
30世界@名無史さん:2006/11/02(木) 11:42:23 0
>>27
その後にウイーン包囲をするくらいだから、国力が
そう衰えたとはいえないんじゃない?
ハプスブルク王朝は、その後もずっとオスマントルコ
対策に頭を悩ませていたわけだし。
31世界@名無史さん:2006/11/02(木) 17:12:55 0
>>27
影響がないわけじゃなかった
多くの艦隊を損失したんだから、それなりにダメージはあった
とはいえ、冬の間に造船してほぼ復旧できたみたいだけど
以前ほどの力はなくなりつつあったかもしれないけど
その時点ではヨーロッパ諸国に脅かされるほどではなかったと思う
32世界@名無史さん:2006/11/02(木) 19:45:42 0
艦隊云々では無く、その頃から交易の重要地としての地中海の存在意義が薄れて
その結果、大西洋航路を支配した西欧諸国に脅かされたと見るべきでは?

東欧では依然、大国であったけど。
33世界@名無史さん:2006/11/03(金) 19:42:39 0
16世紀後半になると押し切れなくなるのは確かだけどね
16世紀末のハプスブルクやペルシャとの10年以上にわたる戦いも不毛な消耗戦で
決着つかなかった
34世界@名無史さん:2006/11/03(金) 20:02:41 0
>>24
ルネサンスの圧勝だろ
35世界@名無史さん:2006/11/03(金) 21:10:22 0
ウイーンがもし陥落していたら、その後の展開も
また変わっていただろう。
どうなっていたんだろうか?
36世界@名無史さん:2006/11/03(金) 22:32:29 0
押すマンチョ、引くマンチョ
37世界@名無史さん:2006/11/04(土) 00:06:21 0
>>35
ウィーンが陥落していたら、フランスあたりがローマ皇帝になってウィーン奪還十字軍を行ったのでは?
オスマントルコは本拠地から遠いから、ウィーンはすぐに奪還されただろう。
それに人口が400万人の大国のハンガリーも独立運動が本格化し、すぐに独立してしまう可能性がある。
ハンガリーが支配されていたのはハプスブルク帝国とオスマン帝国に分割されていたからだし。
38世界@名無史さん:2006/11/04(土) 17:08:17 0
>>37
>ウィーンが陥落していたら、フランスあたりがローマ皇帝になってウィーン奪還十字軍を行ったのでは?

フランスはこの当時、オスマンと反ハプスブルク同盟を結んで友好関係にあったのでその可能性は低いと思われ。
39世界@名無史さん:2006/11/04(土) 21:14:13 0
コンスタンティノープルが奪還されなかったわけだから、
ウィーンも大丈夫だったかも・・・。
40世界@名無史さん:2006/11/04(土) 21:58:51 0
そっすねー、ウィーン陥落したら
フランスはここぞとばかりにネーデルラントやラインラントを奪いに出ていた様に思えちゃいますねー
ローマ皇帝は選定侯じゃないからなれんと思うのね
41世界@名無史さん:2006/11/05(日) 00:31:45 0
>>38
>反ハプスブルク同盟を結んで友好関係にあったのでその可能性は低いと思われ。

まったく脳天気な世界史好きだな。
緩衝地や互いの敵が無くなったら旧来の条約も同盟も自然消滅するのは定石だろ。
42世界@名無史さん:2006/11/06(月) 05:15:31 0
日本語で読めるオスマン朝の歴史書を教えて下さい。
43世界@名無史さん:2006/11/07(火) 23:17:48 0
パムクの「わたしの名は紅」を読了しました。とても面白かった。
ヨーロッパ芸術(ルネッサンス絵画)に対するイスタンブルの細密画師
たちの苦悩や葛藤を描いているわけだけど、そもそもイスタンブルには
ビザンツ文化が色濃く残っていたはずなのに、なんで主人公たちはあれほ
どヨーロッパの絵画に衝撃を受けたのだろうか?ちょっと気になる。
ちなみに時代は16世紀末。
44世界@名無史さん:2006/11/07(火) 23:37:19 0
>>42
鈴木董・三橋冨治男・林佳世子・新井政美・永田雄三
この辺りの研究者の著書に当たればいいかと

「オスマン朝の歴史書」というのが「オスマン朝時代に書かれた
歴史書の日本語訳」という意味だと、あまり思い当たらないけど
45世界@名無史さん:2006/11/08(水) 09:41:38 0
ビザンツ絵画も平面的な感じがするけど
46世界@名無史さん:2006/11/08(水) 13:11:49 0
そういやアヤソフィアの壁画はずっと漆喰で埋めてあったんだっけ。
47世界@名無史さん:2006/11/08(水) 13:14:08 0
>>43
コンスタンティノープルを陥落させたからといっても、
ローマ時代から続くビザンツ文化を吸収しようなんて
考えは微塵も無かったんじゃない?
イスラム文化やペルシャ文化こそが神(アラー)につながる
唯一のものであるという考えだったはずだから・・。
48世界@名無史さん:2006/11/08(水) 13:20:56 0
ティマール制度はビザンツのプロノイアの影響があるとか何かで読んだような・・・
でもプロノイアもイクター制の影響だったりするのかな?
49世界@名無史さん:2006/11/08(水) 21:42:16 0
>>46
>アヤソフィアの壁画はずっと漆喰で埋めてあった
漆喰のおかげで外気にさらされず、結果的に壁画の保存状態が良かったという皮肉。
50世界@名無史さん:2006/11/10(金) 14:02:15 0
>>40
選帝侯以外は皇帝になれないなんて規則あったか?
51世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:06:52 0
無いな。
イングランド王ヘンリー三世の弟は、大空位時代に一応は皇帝になっている?けど、どう見ても選帝侯関係無いし。
ハプスブルク家も選帝侯とはほぼ無関係だし。
52世界@名無史さん:2006/11/11(土) 00:02:39 0
選帝侯は選定する権利を持っているだけで
選定される側は別に選帝侯である必要はなかったと思う
選定されるには巨額の選挙資金が必要だったらしいw
53世界@名無史さん:2006/11/11(土) 12:42:25 0
公職選挙法もないからやりたい放題じゃねーか。
54世界@名無史さん:2006/11/11(土) 21:06:25 0
選挙結果が気に入らなきゃ実力行使。
5542:2006/11/13(月) 03:51:55 0
>>44
レス有難うございます。
取り敢えず近所の本屋にあった鈴木董の
『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』を購入して
今、読んでいますが奥の深い王朝なんですね。
56世界@名無史さん:2006/11/13(月) 20:43:25 0
>>43
現代の欧州とトルコを意識し杉なんでねーの
ルネッサンス時期のヨーロッパなんかまだまだ大したことねーと思うが
57世界@名無史さん:2006/11/13(月) 23:38:28 0
>>56
まあ確かに今の欧州とトルコを前提に見ちゃっているからかな。
あの時代のオスマン帝国は、もっと自信を持っていたはず
だからね。
58世界@名無史さん:2006/11/14(火) 10:37:29 0
「わたしの名は紅」ちらっと読んだけど、登場するオスマンル達がイタリア絵画に
インパクトを感じていたのは、主に「立体的」という点のようだった。
モスクより巨大な豚を描いて「ただの遠近法です」と言い張るとかいうネタがあったw

あと細密画師が内職で春画を描いてるとかいう話がちらっと出てきたけど
そういうものは実際にあったんでしょうか? 現存するなら見てみたいが・・・
59世界@名無史さん:2006/11/14(火) 20:05:29 0
たしかに春画が現存しているのなら見てみたいですね。
その絵だけがやけに立体的で写実的だったりしたら、
ビックリしてしまいますよね。
60世界@名無史さん:2006/11/22(水) 14:41:48 0
アタチュルクが登場しなかったら、今でもスルタンがいたのだろうか?
それともトルコという国自体がもう無くなっていたのか・・?
ビザンチンの皇帝やオスマンのスルタンのように、政教一致の元首が
いるような国がこの時代にも一つくらい残っていて欲しかった。
61世界@名無史さん:2006/11/22(水) 20:09:21 0
サウジアラビア
62世界@名無史さん:2006/11/22(水) 20:17:49 0
>>60
「トルコという国自体がもう無くなっていた」でたぶん正しいかと。
当時のアナトリアは列強諸国による分割寸前で、それを救ったのがアタテュルク(と軍隊)だった。
トルコ国民がアタテュルクをいまだに国父(アタテュルク=トルコの父)として崇めているのはこのため。

個人崇拝として批判するのもいいが、彼がいないとトルコ自体がなかったのだから、
崇めてしまうのもそれなりに理解できると俺は思う。
63世界@名無史さん:2006/11/22(水) 23:33:46 0
そうだな。確かにアタテュルクは国の英雄だ。
ただイスラムを排斥しようとしたために、最近では
イスラム過激派を産む温床にもなっているようだが。

15〜16世紀のオスマン時代は今のトルコ人にとっても
大切な時代だろうからな。そこまで否定してしまうと、
反動も起きよう。
64世界@名無史さん:2006/11/24(金) 01:30:56 0
>>63
過激派に関しては、まわりの国に比べたら相当ましだと思うけど。
イスラム原理主義者から見れば、トルコ人てとんでもない偶像崇拝者だろうね。
65世界@名無史さん:2006/11/29(水) 22:14:16 0
>>60-64
「雪」が参考になる。オルハン・パムク作。
66世界@名無史さん:2006/11/30(木) 18:24:03 0
「雪」はいま読んでいる途中だけど、現代トルコでの
アタチュルク崇拝が強いことがよく分かる。
逆に、オスマン帝国時代に郷愁やを感じているトルコ
人って少ないのかなという印象。
トルコ人はもっとオスマン帝国を誇りに思ったらいいのに。
あれだけの偉業を成し遂げたわけだからね。
67世界@名無史さん:2006/11/30(木) 18:28:04 O
アラビアはトルコに征服してもらった方がいいんじゃないか
68世界@名無史さん:2006/11/30(木) 18:45:05 0
そういえばオスマン朝はマッカとメディナ以外のアラビア半島は
放置状態だったね。
69世界@名無史さん:2006/11/30(木) 19:25:50 0
16世紀初めから、ザイド派の反撃に遭って放棄する17世紀初めまでイエメンを100年程度支配し、
19世紀後半には再びイエメンを取り返してるし、ペルシア湾岸のハサーはオスマン領だろ。
70世界@名無史さん:2006/11/30(木) 20:09:34 0
イエメンと言えば先週のTBSの世界遺産で取りあげてたな。
如何にもイスラーム都市らしい感じがしてよかったよ。
71世界@名無史さん:2006/11/30(木) 23:02:01 0
オスマン帝国があまり西側に目を向けず、
アナトリアとアラビア半島を中心に内政を
固めていたら、帝国はまだ続いていたかも
しれない。
72世界@名無史さん:2006/12/01(金) 15:23:01 0
>>71
それはありえないような・・。
トルコはアラブ系のイスラムではなくて、
ペルシャ系のイスラムなんじゃないの?
そういう区分があるのかどうか、よく分からないけど・・。
73世界@名無史さん:2006/12/01(金) 18:51:11 0
収入の面ではルメリ側領地の方が圧倒的に多かった
ハンガリーは肥沃な穀倉地帯だし、ルメリ側がないと
収入面の利点がなくなるからな
むしろ、ウィーンを奪取して、ウィーンを西の拠点として
支配を固められたら続いてかもしれない
ヨーロッパがまとまって対抗してくるかもしれないけど
十字軍みたいにグダグダになる可能性も十分にある
所詮、今となってはどうとでも言えるんだろうが

ペルシア系のイスラームとかアラブ系のイスラームって言い方は
何となくニュアンスはわからないでもないような気はするけど・・・
原初のオスマン朝は中央アジアで主流だったスーフィズムに近い
歴代君主は、スンナ派のハナフィー派を擁護する立場だった
とはいえ、アラビア半島などでは、ハンバル派(後のワッハーブ派の源流)
のカーディーも採用されていた。

オスマン帝国の瓦解の要因としては、宗教よりも民族運動の隆盛が強い気がする
微妙なバランスで保たれていた多民族国家の中で
各民族が強固なナショナリズムを掲げれば瓦解も仕方ない
「オスマン人」としてのナショナリズムが確立されていたとすれば
話は別だったかもしれないが
あと、イェニチェリの増加などによる財政圧迫を解決できなかったことも要因だと思う
ヨーロッパは新大陸・アジア・アフリカ貿易で潤沢な資金を確保できたのに対して
オスマン朝は地中海利権やシルクロード利権の旨みが減っていった
他にも、技術革新の差など色々な要因が複合された結果とするのが無難な答えだろうな
74世界@名無史さん:2006/12/01(金) 21:26:54 0
イスラームは政教分離しにくい。イスラームの中心たるオスマン帝国が
政教分離するなど絵空事であったのでトルコ共和国にとってかわるしかなかった。
75世界@名無史さん:2006/12/05(火) 15:53:42 0
>>72
詳細な説明さんきゅ。
そうか、オスマン帝国内の人々って「オスマン人」と
してのナショナリズムが確立していなかったのか・・。
だったら瓦解も仕方がないな。
ウィーンを支配していたらという話もたしかにあるが、
でも、今現在イスタンブルを死守しているということが
考えてみれば凄いことなのかもしれない。
76世界@名無史さん:2006/12/06(水) 04:32:26 0
ケマルさえ現れなければ今頃コンスタンティノポリスに戻ってたというのに
77世界@名無史さん:2006/12/06(水) 10:07:05 0
>>76
(ギリシャ人のつぶやき)
78世界@名無史さん:2006/12/06(水) 19:37:50 0
まだギリシャはトルコの諸都市を旧ギリシャ名で呼んでいるんだろうか?
故大島直政氏の著作にギリシャから航空機に乗る時に混乱したと記述があった
79世界@名無史さん:2006/12/06(水) 23:55:13 0
アテネから飛行機乗ったが、イスタンブール逝きの逝き先表示が
「ΚΩΝΣΤ.ΠΟΛΗ/ISTANBUL」だった。
80世界@名無史さん:2006/12/07(木) 16:20:47 0
>>79
へえ、そうなんだ。
コンスタンティノポリとでも発音するのかな?
ギリシャ人にとっては、1453年以前のままってことなんだね。
もし可能なら、ビザンチン帝国を復古させたいのだろうか?
王朝の血を引く人物が存命しているのかは疑問だが・・・。
逆にオスマン朝なら、血を引く人物がまだいるかもしれないね。
でもケマルに全部消されたかな?
81世界@名無史さん:2006/12/07(木) 16:39:05 0
オスマン家の人なら国外追放後、アメリカに亡命して
子孫が在住していると聞いたけど。

パライオロゴス家の子孫は全く情報無し。
82世界@名無史さん:2006/12/07(木) 18:02:43 0
ビザンツ帝室の子孫はデヴィ夫人と一緒にパーティーしてたような。
83世界@名無史さん:2006/12/07(木) 18:07:03 0
インドネシアとビザンツの関連性が不明なんだが>>82
まさか子孫(傍流含む)が日本在住とか?
84世界@名無史さん:2006/12/07(木) 18:12:11 0
85世界@名無史さん:2006/12/07(木) 18:49:44 0
ビザンチン皇室慈善舞踏晩餐会なんてあったのか。
しかもパライオロゴス家の直系の子孫まで居たとは知らなかった。
86世界@名無史さん:2006/12/07(木) 22:33:43 0
87世界@名無史さん:2006/12/07(木) 22:41:17 0
へえ、よく残ってたな。
この人って、コンスタンティヌス11世の末裔になるの?
それとも別の皇帝の?
88世界@名無史さん:2006/12/07(木) 23:53:06 0
>>87
多分モレアにいた傍系の末裔だと思う。
コンスタンティノス11世に子供はいなかったはず。
89世界@名無史さん:2006/12/08(金) 02:44:15 0
>>84
どうでもいいけど、最後を疑問形で締めくくるなんて酷い項目だなw
90世界@名無史さん:2006/12/08(金) 12:31:29 0
ちょっと素朴な疑問なんですが、
トルコはアタチュルクが英雄視されているのはよく
分かるのですが、今のトルコ人にとってメフメット2世
やスレイマン大帝ってどういう存在なんでしょう?
誇りに思っているのでしょうか?
91世界@名無史さん:2006/12/08(金) 15:19:33 0
実はオスマン家はビザンツ帝国から嫁を貰ってるから
一応、オスマン家の血筋=ビザンツ帝国の血筋でもある
第2代のオルハンがヨハネス6世の娘テオドラを嫁に貰ってる
コンスタンティノス11世の祖母ヘレネの姉妹がテオドラ
ヘレネと、コンスタンティノス11世の祖父ヨハネス5世は親同士が再従兄弟の関係
言い換えれば、ヘレネとヨハネス5世は、ミカエル8世を共通の高祖父として持つ関係
または、ミカエル8世にとって、ヘレネとヨハネス5世は両方玄孫になる
92世界@名無史さん:2006/12/08(金) 19:37:21 0
>>91
オルハンとテオドラとの間にはハリルという子が生まれているが、オルハンの跡を
継いだのは異母兄弟のムラト(1世、母のニリュフェルはヤルヒサルのギリシア系領主の娘と
言われるが、「ニリュフェル」(蓮の花)という名から女奴隷だった可能性も高い)であって、
オスマン家の主流にはビザンツの支配層との血縁関係はない。
オスマン家の初期にはバルカンやアナトリアの領主たちの家系と数多く婚姻関係を結んでいるが、
多くは全くの政略結婚で、結婚しても子どもがいないか、子どもがいても世継にはならず、
世継の大部分は女奴隷から生まれている。
スルタンの母親が自由身分の女性だったとはっきり分かるのは、セリム1世の母のアイシェ・ハトゥン
(ズルガドゥル侯国の王女)と、スレイマンの母のハフサ・ハトゥン(クリム・ハン国の王女)
ぐらいしかいないのではないかと思われる。
93世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:28:45 0
>>91-92
詳細な説明、乙。
博識な人がいてくれると、スレが締まってよいね。
94世界@名無史さん:2006/12/09(土) 02:10:57 0
>>92
オルハンとテオドラの子供の血統が、その後も引き継がれていったかを
きちんと考えていなかった。家系図を見て単純に判断してしまった
そういえば、立法者スレイマン辺りまではそれなりに由緒のある令嬢が
母親ってことになってるけど、やはり……な部分も否めないか
当時なんてDNA鑑定どころか血液型検査すらないし
ただ、ハレムの宦官が黒人だったことを考えると
本当に君主の子供化かを結構きにかけてるみたいだけど
訂正及びさらなる解説をありがとう
95世界@名無史さん:2006/12/10(日) 02:33:00 0
>>92
スレイマン1世の母アイシェ・ハフサ・ハトゥンが
クリミア王女の出自という説はよく見る気がしますが、
どうも万人の支持を受けていないようで、
王女のほうはアイシェ・ハフサと別人のアイシェ・ハトゥンいう王妃だったという説もあります。
そうであれば、やっぱり奴隷身分出自ということらしい。

関係して、手元の本と関係するサイトをいくつか見てみましたが、
メフメット1世の母デヴレット・ハトゥン(デヴレットシャー・ハトゥン)がゲルミヤン君侯国、
ムラト2世の母エミネ・ハトゥンがドゥルカドゥル君侯国の王女、という説もある模様。
ただ異教徒出身としている本もあったので、よくわからない。

結局、諸書一致して自由身分出自としているのは
セリム1世の母(アイシェ・ハトゥンまたはギュルバハル・ハトゥン)だけでした。
96世界@名無史さん:2006/12/10(日) 11:16:17 0
>>79
ロシア史スレで聞いた話だが、ブルガリアでは今でもイスタンブールを
「ツァーリグラード」と呼んでいるとか・・・
97世界@名無史さん:2006/12/10(日) 23:25:31 0
ttp://bg.wikipedia.org/wiki/%D0%98%D1%81%D1%82%D0%B0%D0%BD%D0%B1%D1%83%D0%BB
>Истанбул, наричан още Цариград
だそうだ。
98世界@名無史さん:2006/12/11(月) 07:03:58 0
英語の地図だと旅順がポートアーサーだったりするし、そんなもんでしょ

特にバルカン諸国ってのはその辺拘るからな
ギリシャなど、公の場で迂闊なことを口走ると拘束される場合もある
99世界@名無史さん:2006/12/14(木) 00:57:49 0
西洋ではそれぞれの王家が断絶してるようで
ローマ皇帝の後継者をイメージしてたり、古代から綿々とイメージは連なっている。
オスマン皇帝の場合、ビザンチン皇帝(つまり正統なローマ皇帝)と
ペルシア世界のシャーとイスラムのカリフを兼ねていると考えた方がわかりやすい。
(これにチュルク系遊牧民のハーンも重なってくる)
さらにスレイマンあたりはギリシアとペルシアアレキサンダー帝国の再来とも自負していた。
100世界@名無史さん:2006/12/14(木) 09:07:46 0
オスマン朝の皇帝の子孫は今ニューヨークにいるんだよな。
101世界@名無史さん:2006/12/14(木) 14:48:22 0
後宮に妾腹の諸子がゴチャゴチャ居て運が良ければ領地を封ぜられて貴族に列せられたり
母親の出身氏族に養子に迎えられて家督を継いだり、或いは臣下に加えられてそれなりに
成功したり、外国に人質代わりに出されていたら先方の王様に気に入られて姫さん貰って
向こうの爵位を貰ったり、そういうことは無いの?
102世界@名無史さん:2006/12/15(金) 22:10:38 0
ギュンドゥズ・アルプ時代のトルコ族の外交関係はどうなってたのでしょうか?
ビザンツ帝国、ルーム=セルジューク朝との関係を知りたいです。
103世界@名無史さん:2006/12/16(土) 07:31:52 0
>>102
何年頃よ?
104世界@名無史さん:2006/12/16(土) 11:35:03 0
12世紀末から13世紀始めころです。
105世界@名無史さん:2006/12/16(土) 18:07:01 0
ムスタファ皇子死後のスレイマン大帝の後継者争いについて
詳細をご存知の方の書き込みキボン
106世界@名無史さん:2006/12/16(土) 23:48:31 0
>>105
バヤジット皇子が無頼の徒に武器弾薬をばら撒いて
軍団を作ろうとしたというのは読んだことがありますが
107世界@名無史さん:2006/12/17(日) 01:05:32 0
>>105
スレイマン大帝の後継者争いはビュスベックの『トルコ書簡』に詳しい
108世界@名無史さん:2006/12/18(月) 09:05:29 0
何故かムスタファ皇子のそっくりさんを探し出し
そいつを旗印にしてスレイマン大帝に対する謀反を起こしたんだよね>バャジット皇子
セリム皇子相手に挙兵するならまだ理解できんるだが・・・。
「オスマン・トルコの栄光とスレイマン大帝」は
偽皇子ムスタファ事件を簡単に記しているだけで
詳細が不明なのが歯がゆい
109世界@名無史さん:2006/12/18(月) 20:56:01 0
オスマン朝は軍事力だけが取り柄で文化面では他のイスラーム王朝に
(例・アッバース朝、後ウマイヤ朝)
大きく劣ると大学の教授が言っていたけど、その点どう思います?
110世界@名無史さん:2006/12/18(月) 22:08:52 0
>>108
アンドレ・クローの「スレイマン大帝とその時代」では
簡単な記述すらなかったような。
111世界@名無史さん:2006/12/18(月) 22:09:53 0
>>109
細密画はペルシャに比べるとなんか雑なような・・・
112世界@名無史さん:2006/12/19(火) 20:36:19 0
トプカプ宮殿はアル・ハンブラ宮殿に比べると見劣りするな。
モスクは他のイスラム帝国並みの傑作がたくさんあるが。
アッバース朝や後ウマイヤ朝の方が、
ギリシャ・ローマ文明を保存・伝達してルネサンスの元を作った功績がある分
輝かしく見えるのかもな。
113世界@名無史さん:2006/12/20(水) 23:02:56 0
>>108
うん、そのことが残念に思う。
オスマン文化にいい所は無いのかな?
114世界@名無史さん:2006/12/20(水) 23:25:16 0
フズーリー、ネフイー、ネディーム、ニギャーリー、レヴニー、カラーヒサーリー、
ミマル・スィナンなどなど、オスマン時代の文化人・芸術家の名が一人も挙げられていない件。
115世界@名無史さん:2006/12/21(木) 02:42:19 0
>>109
オスマンは軍事力だけ=軍事面でしかオスマンのこと知らない
116世界@名無史さん:2006/12/21(木) 12:30:08 0
細密画はペルシャの伝統を受けて、かなりの
高レベルであったはずだが・・。
117世界@名無史さん:2006/12/21(木) 17:10:52 0
日本じゃオスマン=コンスタンチノープル陥落のイメージが強いからね。
文化面だと余程の専門書じゃないと人名すら出てこない。
118世界@名無史さん:2006/12/22(金) 23:27:36 0
昨日のNHKでやっていたが、最近はアタチュルクの革命
以前、すなわちオスマン帝国時代を懐かしむ国民が増えている
らしい。
119世界@名無史さん:2006/12/23(土) 12:43:10 0
オスマントルコの祖先って突厥とはつながりあるの?
120世界@名無史さん:2006/12/23(土) 15:46:59 0
>>119
基本的に同じ言語(テュルク語)を話す人たちです。
121120:2006/12/23(土) 15:51:14 0
補足
テュルク諸語ってのは、おおざっぱに言えばトルコ語の方言みたいなもんです。
どちらも文字史料を多く残しているので、少なくとも支配階級は同じ系統の言語を使っていたことがわかります。
122世界@名無史さん:2006/12/23(土) 16:17:03 0
>>118
いったい何年前だと思ってるんだよ。
123世界@名無史さん:2006/12/23(土) 16:59:25 0
懐古趣味が嵩じているだけだと思うが。
124世界@名無史さん:2006/12/23(土) 17:22:58 0
以前にもどこかに書いたことなのだが
トルコ人と話をしていて俺が「オットマン・エンパイアでは」と
言うと相手は「オットマン・ステーツでは」と言う
オスマン帝国を地方分権の進んだ合衆国と見ているらしい
125世界@名無史さん:2006/12/23(土) 18:51:46 0
>>119-121
マラーズギルドの戦い以降にアナトリアに入植したセルジューク朝傘下のオグズ系の
諸集団が起源だというのはまず間違い無い。>オスマン家その他

ただ、『セルジューク・ナーメ』やカーシュガリーの『テュルク語事典』で
語られるトゥグズグズこと中央アジアのオグズ系諸集団と突厥やウイグル碑文群で
語られるトグズ=オグズがイコールなのかは疑問視されている。
特にカーシュガリーの伝える伝説的始祖であるオグズ・ハンから分岐した24の部族集団の
リストとウイグル碑文の部族リストとでは殆ど一致しないのが問題で、両者は音が似かよった
全く違う集団ではないかとも言われる。

オスマン朝の祖先である「オグズ」と突厥時代のテュルク系諸部族との接点については
実は中央ユーラシアの古代史では大問題のひとつだったりするけど、結局の所今に至るまで
その関係については結論が出ていない。ともにテュルク系だということは間違い無いけど。
つまるところ、オスマン朝など(セルジューク朝含む)オグズ系集団と突厥との関係は、
「直接的な関係があるのかも知れないけど、よく分らない」というのが実情のようだ。
126世界@名無史さん:2006/12/23(土) 19:53:13 0
中央集権か地方分権かと言われれば、明らかに地方分権
127世界@名無史さん:2006/12/23(土) 23:33:11 0
>>126
サンジャクベイなどが地方のボスみたいな感じなんですか?
128世界@名無史さん:2006/12/24(日) 00:42:10 0
ていうか、オスマン家の権威を認めて、上納金さえ納めていれば、後は感知しない、って感じ。
だから、オスマン朝が衰えてくると、地方領主が続々と自立するんだけど、これは要するに上納金を
納めなくなるだけなんだよな。
129世界@名無史さん:2006/12/24(日) 01:03:23 0
他の君候国やビザンツ領の土着勢力も上納すれば温存されたのですか?
130世界@名無史さん:2006/12/24(日) 03:19:15 0
>>124
Ottoman stateと言ったのならトルコ語のOsmanli Devletiの直訳のつもりだと思うけど。
その人は、Ottoman statesと発音していたのですか?
131世界@名無史さん:2006/12/25(月) 15:12:43 O
>>75
亀だが
ルメリでの後退が続く中、1900年前後にアラブ諸部族に「オスマン人」としてナショナリズムを認識させるためにイスタンブルに部族学校を作った。
そしてアラブ人側もトルコ人に対して敵対意識でなくある程度は「オスマン人」であるという誇りを持っていた。
ルメリ、アナトリアの人間がアラブ人を見下してはいたが。
結局第一次世界大戦の時にひっかきまわされておじゃんになるのだが
わずかな期間の動きを見逃すと誤認をしてしまうよ。
アラブ側に目を向けるのが遅かったのは確かであるが
132世界@名無史さん:2006/12/26(火) 13:43:55 0
元オスマン人(イラン)が大絶賛されてる

【野球】日本ハム・ダルビッシュのファッションに会場溜息…報知プロスポーツ大賞表彰式(画像あり)
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1167084145/
133世界@名無史さん:2006/12/26(火) 23:34:12 0
>>132
世界史の授業は受験に役に立たなくてもきちんと受けたほうがいいですよ?
恥ずかしいから。
134世界@名無史さん:2006/12/27(水) 14:54:30 0
_臭じゃね?
135世界@名無史さん:2006/12/28(木) 00:48:51 O
>>129
デウシルメ制>ミッレト制ではあるが、そういうケースもあり得るわな
136世界@名無史さん:2006/12/28(木) 10:17:17 0
http://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0001815/

トルコのミイラ特集
モンゴルに捕まったミイラ等 Vol.19
137世界@名無史さん:2006/12/28(木) 10:20:30 0
オスマン朝の隆盛期には、版図内の多様な民族に対して
宗教面も含めて非常に寛容だったというイメージがある。
いい意味での合衆国だったんだろうな。見習うべき点が
多いのではと思う。



138世界@名無史さん:2006/12/30(土) 03:23:19 0
>>127
サンジャク・ベイはあくまでティマール制の下でにおいて
県を単位とするスィパーヒー軍団の軍事的指揮官であって、
公的には任地とするサンジャク内に対しては軍事権しか持っていません。
ただし、シリアなどではティマール制による支配体制の埒外で
土着の名家が地方政治に影響力を持っていたようです。

>>129
征服当初において在地の支配層がそのままオスマン朝に服属した形跡はみられますが、
時代が下るとバルカン、アナトリアの大部分はティマール制が施行され、
オスマン朝の支配体制に統合されています。
こうした地域では在地の支配層もティマールを授与され、
外来のトルコ系支配層に統合されていったようです。
それでもラグーザ、モンテネグロ、ワラキア、
モルダヴィア、トランシルヴァニアなどは
後の時代まで、在来の支配体制が温存されていましたが、
これらは最前線だったり辺境だったりしたため残ったものと思います。
139世界@名無史さん:2007/01/01(月) 13:42:51 0
モンテネグロは正教の主教が支配してたんだっけ
140世界@名無史さん:2007/01/01(月) 14:01:51 0
http://www.asahi.com/international/update/1231/013.html
EU、27カ国に拡大 ブルガリアとルーマニア加盟

オスマンの一地方でしかなかった両国が加盟してトルコが加盟できない不思議。
白人国家とキリスト教による差別ひどすぎる。
141世界@名無史さん:2007/01/01(月) 17:11:07 0
>>130
そうです。

その人はエディルネ出身のビジネスマンで学生時代はレスリングをやって
いたというので油を塗ってやるターキッシュ・レスリングかと訊いたら俺の
顔がよほど興奮して見えたらしく笑いながら違うよオリンピック競技の
レスリングだよと言ってたのを思い出した。
142世界@名無史さん:2007/01/03(水) 22:07:03 0
>>141
そうですか。
トルコ語では
合衆国(the United States)はBirlesik Devletleri
オスマン帝国(the Ottoman state)はOsmanli Devleti
と国家(devlet)の単数形と複数形はきっちり区別しているはずなので、
間違えるとも思えないけど…。
143世界@名無史さん:2007/01/05(金) 16:14:52 0
ローマは属州に対して寛容で、市民権も与えていたけど
オスマン帝国はどうだったの?そもそも市民権みたいな
ものはあったのですか?
144世界@名無史さん:2007/01/05(金) 16:43:49 0
アメリカという国は移民を許容したが先住民に市民権を与えたのは20世紀になってからだ。
つまり虐殺し、独立運動をおこせないほど殲滅した上ではじめて「与えた」
145世界@名無史さん:2007/01/05(金) 22:37:50 0
>>142
なるほどオットマン・ステートと言ってたのかもしれませんね。
発音としてはtもtsも「ステイ(ト)」「ステイ(ツ)」でしょうから。
米国の場合はステイッツォヴァメーリカで「ツ」がはっきり現れますが。
146世界@名無史さん:2007/01/05(金) 22:53:10 0
トルコ語も日本語同様、単数複数の使い分けについてはいい加減な言語。
147世界@名無史さん:2007/01/06(土) 13:05:47 0
明らかに複数の時は-ler/-larつけなかったりするしな。第一文法数ないし。
148世界@名無史さん:2007/01/07(日) 00:59:17 0
いやそうなんだけど。
Birlesik Devletleriは英語からの直訳語だからきちんと-lerがついてるじゃないですか。
149世界@名無史さん:2007/01/07(日) 11:49:31 0
そもそも、トルコ語では「Osmanli」の1語だけで「オスマン帝国」を表せる。
後ろにゃ何もイラン。
150世界@名無史さん:2007/01/08(月) 00:44:14 0
そりゃそうですが。

いまは、Ottoman stateあるいはOttoman statesと言うのであれば
当然トルコ語のOsmanli Devletiの訳のつもりでいったと想像したのですが、
それがなにかおかしかったですか?
それで、United Statesの訳はBirlesik Devletleriとして認識しているはずだから
オスマン帝国を指すのに使うDevletと
英語のUnited Statesを混同するとは思えないという話をしてたのですけど。
151世界@名無史さん:2007/01/08(月) 05:10:48 0
何でそんなに直訳に拘ってんの。よく考えなくても意味ないわな。

トルコ語話者にとって「Osmanli」1語が普通なんだから、英語でオスマン帝国を
話す際にどんな表現があっても不思議でも驚くことでもない。
152世界@名無史さん:2007/01/08(月) 15:53:58 0
そうですね。
もちろんどんな英語表現を使っても表現自体に意味はないことはわかってます。
直訳にこだわったのは、Ottoman statesという表現を
合衆国を意識して意図的に使用したとは思えないということを
理屈を付けて説明しようとしただけです。
言われてみればまったくその説明の組み立ては失敗ですが…。
153世界@名無史さん:2007/01/10(水) 13:10:29 0
トルコ軍が戦争で掲げてたという「預言者の旗」
というのはどんなものだったんでしょうか?
154世界@名無史さん:2007/01/15(月) 14:07:57 0
>>105-108
ムスタファが後継者になっていれば、レパントで負けることも
なかっただろう。もうちょっと、帝国の繁栄は続いていたので
はないだろうか。
ロッサーナがスレイマンをやりこめなかったら、と想像してしまう。
155世界@名無史さん:2007/01/15(月) 22:11:38 0
スレイマンをやりこめたとは?
156世界@名無史さん:2007/01/15(月) 22:16:45 0
まったく本筋と関係ありませんが、普段ステイッツォヴァメーリカって
いいます? ユナイテッ(ド)ステー(ッ)といいません? うっかりすると
聞き落とします。外国人の外国語の学習では、日本人みたいにテキストから
入るよりも、耳から入ることが結構あるので、くだんのトルコ人は、
耳で聞いている感じそのままに、ツかトか拘らずに発音したのではないでしょうか。
英語は、発音とスペルが完全一致することの殆どない言語ですので、
彼がstatesのスペルを知っていても、聞いたままに発音した可能性は高いでしょう。
なので、今回の場合、オスマン帝国がstate かstatesか、を議論するネタには
つかえないのではないかと思います。
157世界@名無史さん:2007/01/16(火) 22:44:29 0
はいはい
158世界@名無史さん:2007/01/17(水) 09:46:18 0
【105】我々はフランス人の千倍もビザンチンの子孫である【ラディカル紙】
ttp://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00105.html
159世界@名無史さん:2007/01/17(水) 12:27:14 0
>>155
ロッサーナにほれ込んだスレイマンは
彼女の要求に従って他の愛妾を臣下に払い下げた
子供を産んだ女性は臣下にやれないが
性交渉を絶った
周囲の反感を押し切ってロッサーナと正式な結婚もした
後継者問題に関してはスレイマンはロッサーナの言いなりで
彼女の陰謀を見破れずムスタファの処刑した
160世界@名無史さん:2007/01/17(水) 12:59:43 0
>>158
正しい主張だけど、ヨーロッパ人以上にトルコ人はそのことを知らないのか…
161世界@名無史さん:2007/01/17(水) 22:33:13 0
>>158
興味深い記事だな
でも、トルコ人を頑なにさせたのは、
ビザンツ復興を目指したギリシア人のせいでもあるんじゃないか・・・
162世界@名無史さん:2007/01/17(水) 23:29:30 0
>>158
これは面白い!よく見つけました。
たしかにケマルの改革からはもう80年が経過している。
そろそろ、「トルコはビザンチンの後継者」であるという
教育を始めてもいいのではと思う。メフメト2世が本当に
そう思っていたのかどうかは興味があるところだ。
163世界@名無史さん:2007/01/17(水) 23:36:44 0
よく見たら、ここからの引用か。いいサイトがあったもんだ。
ttp://www.neo-pro.jp/makoto/
164世界@名無史さん:2007/01/18(木) 17:52:05 0
十字軍とラテン帝国で散々ビザンツ荒らしたフランスに言われたくないな。
165世界@名無史さん:2007/01/18(木) 22:09:03 0
>158
でもそれだとニケーア帝国じゃなくてラテン帝国が正統ということになりかねないな。
166世界@名無史さん:2007/01/19(金) 13:12:13 0
コンスタンティノス11世の後継者って処刑されなかったっけ?と思ったが
トラブゾン皇帝と勘違いしてたようだ・・・
167世界@名無史さん:2007/01/19(金) 22:43:05 0
>>159
サンクス!やっぱり、女は歴史を動かすんだな。
168世界@名無史さん:2007/01/20(土) 19:36:29 0
ムスタファ処刑直後
ロクセラーナの息子ジハンギル皇子が
後継者争いのプレッシャーに耐えられず自殺あるいはショック死した
生き残ったセリムとバヤジットもロクセラーナの息子で
2人が後継者の地位をめぐって激しく対立するなかロクセラーナは病死した
ロクセラーナが生きていれば後継者争いに敗れた
バヤジット皇子とその息子たちが処刑されるのは少なくとも阻止されたろう
ロクセラーナは最も死にたくない時期に苦しみながら死んだ


169世界@名無史さん:2007/01/20(土) 19:40:50 0
ロクセラーナが苦しみながら死んだのは
ロクセラーナが大嫌いな俺にとってせめてもの慰み
萌えの対象であるオスマン帝国衰退のきっかけを作った性悪女だからな
塩婆のイタリア異聞に収録されているロクセラーナを
テーマにしたエッセイを読めば
ロクセラーナは新スルタンの兄弟殺しの習慣がなくても
悪辣な陰謀をめぐらしてムスタファを
抹殺しようとした糞女であることが理解できる
170世界@名無史さん:2007/01/20(土) 21:51:09 0
ロクセラーナ = ロッサーナ ?
171世界@名無史さん:2007/01/21(日) 02:37:27 0
自殺とショック死ってぜんぜんちがうぞ
172世界@名無史さん:2007/01/21(日) 13:39:04 0
ジハンギルの死因については自殺説とショック死説がある
イスラム教では自殺は神に対する反逆行為
本当は自殺したのにショック死と
ロクセラーナ(ロッサーナ)が取繕ったか
ショック死したのにロクセラーナを憎む者達が自殺説を流した結果
ジハンギルの死因がはっきりしないと俺は推測している
173世界@名無史さん:2007/01/25(木) 16:07:57 0
「オスマン 世界帝国の野望」というようなタイトルの
本に書いてあったが、ギリシャ正教はオスマン帝国の保護
があったからこそ生き延びたのであって、もしそれがなかっ
たら、今ではギリシャ正教もギリシャ語も無くなっていただ
ろうとのこと。
本当ですか?もしそうだとすれば、ギリシャ人はそんなに
トルコを怨めないのでは?
174世界@名無史さん:2007/01/25(木) 16:10:59 0
意味不明。 
175世界@名無史さん:2007/01/25(木) 16:13:11 0
まあメフメト2世が正教保護しなかったらギリシャ正教は埋没して
ロシア正教が正統になっただろう。
176世界@名無史さん:2007/01/25(木) 21:01:04 0
シャルル・ダンジューまがいの
ローマ・カトリックの基地外にやられるよりは良かったかもな。


実際「カトリックの帽子見るぐらいならターバン見るほうがマシ」なんてことを宰相が言ってるぐらいだったし。
177世界@名無史さん:2007/01/25(木) 21:53:53 0
14世紀のビザンツはセルビアに馬鹿にされベネチアからは借金の督促に追われ
挙句にオスマンの属国だものな。
頼りの対トルコ十字軍もバヤジット1世に負かされ・・・
178世界@名無史さん:2007/01/26(金) 08:16:08 0
トルコはハギア・ソフィア(アヤ・ソフィア)くらいギリシャに返還してやれよ
コンスタンティノープル(イスタンブール)を返還するのは不可能だが
ハギア・ソフィアの敷地を返還するくらいはできるだろ
179世界@名無史さん:2007/01/26(金) 14:27:53 0
もともとギリシャ自体トルコの一部だが、返したらギリシャの主権をトルコに返上してくれるのかw?
180世界@名無史さん:2007/01/26(金) 14:31:47 0
スレイマン後に優秀なスルタンが登場していたら、
ギリシャは今でもトルコの領土だったかもしれない。

逆に言うと、スレイマン以降は駄目なスルタンばかり
だったのに、いまだにトルコという国が存続している
ことも驚きだ。
181世界@名無史さん:2007/01/26(金) 15:00:23 0
歴代宰相がどえらく優秀だったからな。

キョプリュリュ一族は ネ申
182世界@名無史さん:2007/01/26(金) 15:46:17 0
>>180
今トルコが存続しているのはケマル・アタチュルクが世俗政権を樹立し、オスマン朝を倒し列強をアナトリアから
たたき出したからだろう。 オスマン朝の子孫は国外追放処分をうけて今ニューヨークで暮らしているんじゃなかったか
183世界@名無史さん:2007/01/27(土) 02:22:15 0
>>179
それを言うならトルコの全域が元ギリシャ(ビザンツ)領
184世界@名無史さん:2007/01/27(土) 08:39:50 0
>>173
そんな強引なイスラム化政策したら
反乱だらけで世界帝国作れなくなる
世界帝国はだいたい宗教には寛容、民族の自主性をある程度認めないと
国は大きくならない
逆に帝国の欠点は近代化には不向きということだ
185世界@名無史さん:2007/01/27(土) 10:07:45 0
オスマン朝支配下のスラヴ系住民はスルタンのことを「ツァーリ」と呼んでたんですかね?
「軛の下で」ってブルガリアの小説ではイスタンブールを「ツァーリグラード」といってましたが
186世界@名無史さん:2007/01/27(土) 10:49:24 0
スルタンの末裔がニューヨークでタクシーの運転手やセールスマンか。

みじめだな。
187世界@名無史さん:2007/01/27(土) 21:33:15 0
遊んで暮らせるくらいの財産は持ってんじゃね?
188世界@名無史さん:2007/01/28(日) 00:42:46 0
もう80年近く前の話だろ? 今どの程度財産あるのかな
王族の金銭感覚は庶民とは違うだろうし生活レベルは
なかなかおとせないお
189世界@名無史さん:2007/01/28(日) 00:45:18 0
スイスの銀行に預金とかしてたんじゃない?
190世界@名無史さん:2007/01/28(日) 06:17:41 0
富裕な人もいれば貧乏な人もいるでしょ
ハーレムで子作りをしていたんだから
オスマン家の旧皇族は山ほどいるだろう
191世界@名無史さん:2007/01/31(水) 03:50:15 0
>>183
ギリシア≠ビザンツ
192世界@名無史さん:2007/01/31(水) 10:49:16 0
徳川なんかも、傍流の次男坊三男坊なんかは相当みじめだったろう。
193世界@名無史さん:2007/01/31(水) 13:45:15 0
>>178
そういう無責任な事いうとキプロス辺りで火を噴く
大体、今博物館だしそれでいいじゃん。
194世界@名無史さん:2007/02/01(木) 09:30:03 0
>>176
スレ違いですがシャルルってそんな狂信的でしたっけ?
195世界@名無史さん:2007/02/01(木) 10:19:33 0
カトリック教徒としてはそうでもないかもな。
でも、誇大妄想狂気味だったのは事実。
ローマ、もとい地中海帝国の再現を試みるって一体…。
196世界@名無史さん:2007/02/01(木) 14:24:17 0
一番上の兄貴はエジプトに侵攻するし
二番目の兄貴はマンスーラに突入して全滅するし
197世界@名無史さん:2007/02/01(木) 23:36:04 0
ビザンツも時代の流れに沿ってイスラムに改宗すれば良かったのに。
もともとは多神教の国なんだから、それを考えればイスラム改宗は
ハードル低いでしょう。
198世界@名無史さん:2007/02/03(土) 08:22:08 0
民衆がそれを認めんだろうから無理。
199世界@名無史さん:2007/02/09(金) 12:43:29 0
>>197
無茶言うな(笑
カトリックとすらあれだけ揉めたのに。
200世界@名無史さん:2007/02/15(木) 23:22:41 0
 北海道武蔵女子短大(札幌市)は12日、前日の11日に実施した入試で、英文学科と
経済学科の選択科目「世界史」に出題ミスがあったと発表した。設問の中で、オスマン
帝国のスルタン(皇帝)アフメト三世を、誤って「アメフト三世」と表記した。
 受験した312人のうち、8人が世界史を選択しており、全員正解にするという。試験終了
後に受験生の指摘でミスが分かった。
ttp://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070212/gkk070212000.htm
201世界@名無史さん:2007/02/17(土) 00:57:39 0
なかなかセンスのある間違いだな、アメフトかよ
202世界@名無史さん:2007/02/26(月) 16:39:33 0
お、人大杉が終わったのか・・?
記念アゲ。
203世界@名無史さん:2007/03/01(木) 19:14:19 0
イスタンブールに観光に行ってきましたが
ガイドの人が説明してくれたスルタンはメフメト2世とセリム1世と
スレイマン1世の三人だけでした。
やはり全盛期の人物が現地でも人気のようです。
後、建築家のシナン
204世界@名無史さん:2007/03/04(日) 05:07:10 0
流れぶったぎってすまん

エルトゥールル号事件って、けっこう昔から、
日本の教科書でも紹介されてたよな?
なんで最近になって広く知られるようになった話ってなってるんだ
205世界@名無史さん:2007/03/05(月) 22:16:18 0
スルタンとしては最初の10人(スレイマンまで)は合格。
その後は全員不合格。
こうもハッキリと出来、不出来が分かれている例も珍しい。
206世界@名無史さん:2007/03/06(火) 02:21:56 0
>>205
セリム三世とかマフムート二世とかアブデュルハミト二世とか
それなりに成果を収めたスルタンもいただろ。
207世界@名無史さん:2007/03/06(火) 15:26:34 0
>>206
たしかにな。斜陽期の皇帝やスルタンはなかなか評価され
ないから辛いよな。興隆期にスルタンになっていれば、英雄
として名を残せたかもしれないのに。
これはどの帝国も例外では無いね。傾きかけた帝国を立て直して
再び隆盛を築いたって例はあるのかな?
208世界@名無史さん:2007/03/06(火) 16:01:18 0
>>207
バヤズィト1世がティムールにぼろ負けし、その後の後継者争いで分裂した帝国を
まとめあげたメフメト1世。父メフメト1世の死後内政干渉してきたビザンツを打ち破った
ムラト2世なんてどうよ。

あと、ビザンツのマケドニア朝も傾いた帝国を立て直したいい例かな。
209世界@名無史さん:2007/03/06(火) 22:08:12 0
>>207
後漢の光武帝…は新王朝のようなもんだからちょと違うか。
ローマやオスマンみたいな長命な帝国は浮き沈みを繰り返しますな。
210世界@名無史さん:2007/03/06(火) 22:31:08 0
スレイマン大帝より後の時代はサドラザム(直訳すれば「偉大胸心」か)が
事実上の最高君主っぽいな。
平安日本における関白に近いかも。「世襲」も有りだし。
211世界@名無史さん:2007/03/06(火) 23:14:34 0
>>207
そういえばオスマン帝国と対決したサファヴィー朝も内政が混乱したり
オスマン朝とシャイバニ朝に挟撃されてやばいところにアッバース大帝
が出て全盛時代になったんじゃった。

そういえばシャイバニ朝も初代アブルハイルが西トルキスタンを支配
したがカザフに分離されたりティムールに滅ぼされたりしたが
ムハンマド・シャイバーニーが再び西トルキスタンを支配したが今度は
サファビー朝初代イスマーイールに倒されたがなお存続して
アブドゥッラー2世の時にブハラに遷都してブハラ汗国となり西トルキスタン
を支配…と波乱万丈。
212世界@名無史さん:2007/03/08(木) 17:39:57 0
>>211
>ムハンマド・シャイバーニー
ああ、イスマーイール1世に負けて頭蓋骨を酒杯にされた人ですね。
シャーマニズムと過激シーア派の合成は怖いと思った。
213世界@名無史さん:2007/03/15(木) 18:00:32 0
イマイチレスがつかないね。
やはり日本人にとってオスマン帝国史は縁遠いものなのかな?
214世界@名無史さん:2007/03/16(金) 01:08:12 0
サファヴィー朝とかに比べれば邦語文献が多いだけまし・・・
215世界@名無史さん:2007/03/16(金) 10:22:32 0
オスマン帝国史は十分に興味があるよ。
ただ、何かキッカケが無いと入っていきずらいよね。
そういう意味では塩野七生の貢献は大きいな。
「コンスタンティノープルの陥落」以降の3部作を書いた
からな。
216世界@名無史さん:2007/03/16(金) 13:40:56 O
>204
俺の頃は教科書にのってないや
217世界@名無史さん:2007/03/16(金) 15:34:08 0
トルコってモンゴロイドは結構混じってるの?
何%くらい?知り合いのトルコ人を見る限り本当に一部だけで混じってるから5%にもみたないんじゃないかな?
218世界@名無史さん:2007/03/16(金) 15:39:56 0
 ∧∧      ∧_∧
(,,゚Д゚) ∧∧ (・∀・ ) 日本は世界史をつくる力をもっているのだ。
⊂  ⊃*゚ー゚)⊂   つ    
〜|  | /   || |  |  「わたしは最近、すこし大きめの地球儀を買いました」  
  し`J(__,,UU(_(_)                        by 不破 哲三
219世界@名無史さん:2007/03/17(土) 19:12:19 0
レスくれ。アゲ
220世界@名無史さん:2007/03/17(土) 19:52:40 0
人種的には混血していると思われる
221世界@名無史さん:2007/03/18(日) 02:53:42 0
中央アジアのテュルク系諸民族もモンゴロイド-コーカソイド混血で
しかも西に行けば行くほどコーカソイド率高いので西の果てのテュルク系
であるトルコ人の大半は殆どコーカソイドに見える。
222世界@名無史さん:2007/03/18(日) 19:19:08 0
どの位のパーセンテージで混じってるんだろう?
恐らくごく一部しか混じってないんじゃないか?
223世界@名無史さん:2007/03/19(月) 11:30:12 0
何度もスマン。↑について誰か知らない?↑みたいな事はどこ又は誰に聞くのがいい?
224世界@名無史さん:2007/03/23(金) 13:00:31 0
なぜ、そこまで知りたい?
225世界@名無史さん:2007/03/23(金) 19:02:12 0
前トルコに行ったのですがそこで日本人に似てる人を見て以来どの位のパーセンテージでトルコ人にモンゴロイドが混じってるのか気になってしまいまして、、、、、、
226世界@名無史さん:2007/03/24(土) 09:57:31 0
コーカソイドが混じってるというべきではないのか

アナトリアにベイリクが乱立してた頃は
土着の住民(ギリシャ人とか)も頭を剃って「トルコ兵」として
遠征に参加してたとか。戦利品目当てに。
227世界@名無史さん:2007/03/26(月) 09:46:45 0
明確なパーセンテージで表すことは出来ないでしょ。
そもそも、モンゴロイドとかコーカソイドとか言ったって
何か科学的な定義づけがあるわけではないはずだし・・。
まあ、>>221が言っているような感じで理解しておけば
いいんじゃないか。それで満足しようや。
それと、オスマン帝国は中央アジアから勃興したことをお忘れなく。
228世界@名無史さん:2007/03/26(月) 15:38:59 0
トルコ猛反発 米のアルメニア人虐殺非難決議案 「穏健な日本」と対極
http://www.sankei.co.jp/kokusai/world/070311/wld070311000.htm
229世界@名無史さん:2007/03/26(月) 19:57:16 0
>>227
前5%ってのを見たけどどうなんだろう?>>221を見るとトルコ人はモンゴロイドの影響は皆無と言っていいかも?
230世界@名無史さん:2007/03/26(月) 20:29:32 O
でもトルコの人は日本は同胞である、と思ってるみたいだ。
何でも、モンゴル高原に暮らしていた民族が東西に分かれ、
東に移動したのが日本人で、西に移動したのがトルコ人なんだとか。
この説が本当だとしたら日本人もトルコ人もモンゴロイドなんだろうね。
で、混血をしたのがトルコ人でしなかったのが日本人…。
231世界@名無史さん:2007/03/27(火) 03:11:44 0
前にもどこかに書いたことあるんだけどトルコ人に
「万里の長城はトルコ人が作った」と言われたことがある。
匈奴(彼はフン族と言ったが)はトルコ人で
屈強な匈奴に悩んだ中国の皇帝が作ったのが万里の長城だから
トルコ人が作ったと言えるというスゴイ理論。
232世界@名無史さん:2007/03/27(火) 03:19:13 0
日本には案外多くの「トルコ人」が住んでいて
神戸に日本初のモスクを建てたのも「トルコ人」だ。
司会者ロイ・ジェームスやプロレスのユセフ・トルコも「トルコ人」。

しかし彼らはアナトリアのトルコ人とは違う。
ウラルとボルガの間にいてロシア革命から逃れてきたタタール人だ。
233世界@名無史さん:2007/03/27(火) 12:05:13 O
トルコの人はモンゴルの事も同民族だと思ってるんだっけ…。
だから、「自分たちは世界を征服したことがある」(モンゴル帝国のこと)
と言う人もいるんだとか。
234世界@名無史さん:2007/03/27(火) 13:26:41 0
フラッシュ constantinopolis
http://www.geocities.jp/whis_shosin/bizan.html
235世界@名無史さん:2007/03/27(火) 19:13:59 0
>>234
見た、すごいね。あなたが作ったの?
保存版にするため、お気に入りしたよ。
236世界@名無史さん:2007/03/27(火) 19:51:35 0
モンゴルは、チンギスの頃からテュルク系の遊牧民や商業民を傘下に組み入れて
「準モンゴル人」みたいな扱いをしてきたし、特に、帝国の西半分では移住した
少数のモンゴル人が短期間にテュルク化してしまったわけで、あながち間違いでもないだろう。
237世界@名無史さん:2007/03/27(火) 20:37:40 0
>230 日本人も混血だよ?
238世界@名無史さん:2007/03/27(火) 21:52:55 O
>>230に付け加え
「コーカソイド」と混血したのがトルコ人。
239世界@名無史さん:2007/03/28(水) 10:07:17 0
元々はモンゴロイドの割合が高かったが、
混血が進むにつれて次第にコーカソイド化
されていったというのが正しい説明か?
1299年の時点で、見た目がモンゴロイドっぽい
顔だったのかコーカソイドっぽい顔だったのか
はちょっと興味あるかな・・。誰か知らんか?
240世界@名無史さん:2007/03/28(水) 10:57:14 0
モンゴロイド・コーカソイドなどの区別がすでにアナクロなのに気付かないのか?
241世界@名無史さん:2007/03/28(水) 12:50:10 0
合州国大統領にモンゴロイドかネグロイドがなったら時代錯誤じゃないだろうね。
現実を見たまえ。
242世界@名無史さん:2007/03/28(水) 14:00:05 0
メキシコ合州国の大統領だったら、そうでもないんじゃない?w
243世界@名無史さん:2007/03/28(水) 21:09:01 0
>>239
質問した自分が言うのもなんだが
中央アジアの時点で混血していてさらに土着のトルコ人は殆ど中央アジアから来たトルコ人と混血してない?みたいだから1299年の段階でもコーカソイドじゃないかな?
中央アジアから来た本当のトルコ人はハーフっぽい顔じゃない?

244世界@名無史さん:2007/03/28(水) 21:46:37 O
昔のオスマン帝国の皇帝の肖像画を見る限り、
皆見かけはコーカソイドだね。1300〜1400年頃には
コーカソイドもかなり定着していると思う。
245世界@名無史さん:2007/03/29(木) 00:21:08 O
ハーレムのねーちゃん達はコーカサスあたりの奴隷多いからな
オスマン皇帝は血統的には完璧、白人だろ
246世界@名無史さん:2007/03/29(木) 00:42:52 0
カフカス(コーカサス)人、スラヴ人、アルバニア人が
多かったらしいね>オスマン皇帝の母親
メフメト2世のお袋さんもアルバニア人

そもそもアナトリアに移住する前に既に・・・

247世界@名無史さん:2007/03/29(木) 00:56:48 0
俺はオスマン萌え〜じゃないが、ビザンティンは愚かだ
いくら十字軍に侵略された過去があるとはいえ
ローマ・カトリックと合同すれば良かったものの

ティムールの侵略でオスマンが壊滅状態になっている時こそ
ローマと「合同」してオスマンをバルカン半島から叩き出す
チャンスだったのに
248世界@名無史さん:2007/03/29(木) 04:03:38 O
オスマン帝国からトルコになってから何でコーカサス方面に領土が少し広がっているの?
他にも第一次世界大戦で手放したシリア沿岸部の領土もいつの間にかに少しだけトルコに返還されているし、何があったの?
249世界@名無史さん:2007/03/29(木) 07:21:47 0
>>233
一応、『集史』とかで説明されてるモンゴル帝国時代の「民族概念」からすると、
キヤト氏族とかタイチュウト氏族、コンギラト部族みたいなモンゴル部族集団も
ケレイト、ナイマン、ウイグル、キプチャク、ブルガル、オグズ(テュルクメン)
などを含めた「テュルク系」という巨大民族カテゴリーのなかに包括されちゃって
いるんだけれど、現在の「トルコ共和国」の「トルコ人」はモンゴルに先行する
「セルジューク朝系」のテュルクの人々(オグズ=テュルクメン系)なので、
モンゴル帝国それ自体の起源とは直接関係していない。

一応、ルーム・セルジューク朝はモンゴル帝国のイラン鎮守軍司令バイジュ・ノヤンに
敗れて1240年代に帝国に臣従しているんだけど、アナトリア周辺のセルジューク系の
テュルク諸部族はモンゴル帝国の征服活動にはほとんど参加していない。(フレグの
遠征にはスルターン・クルチ=アルスラーン4世自身も参加しているが、これはフレグ
の遠征がかれらの「地元」で行われたから)

だから「自分たちは世界を征服したことがある」(モンゴル帝国のこと) ってのは一応
臣従してモンゴル帝国傘下にはなったけど、ちとミスリードに近い。
「モンゴルはテュルク系だから俺たちテュルク系民族はかつて世界を征服したんだ」
ならまあ分るけど、
「モンゴルはテュルク系だから俺たち『トルコ共和国の民族』はかつて世界を・・・」
とかいうんだった凄い論理の飛躍になっちゃう。
もしかしたら、オスマン朝時代の『集史』研究とかが影響でもしてるんだろうか。
250世界@名無史さん:2007/03/29(木) 16:26:14 0
>>248
ケマルの功績じゃないの?
多分調べてみたら分かると思うよ。

モンゴロイド、コーカソイドの話題は一息かな?
自分としては、匈奴とオスマンが本当につながっているのか
どうかの方が、興味深い。
251世界@名無史さん:2007/03/29(木) 16:45:55 0
突厥じゃない?オスマンの先祖は。
252世界@名無史さん:2007/03/29(木) 18:25:49 0
匈奴とオスマンじゃ時代が離れすぎていて、つながっているかどうかなんて
あまり意味を持たない気がするぞ。
253世界@名無史さん:2007/03/29(木) 19:58:46 0
>>248
カルス アルダハン トルコ ロシア
とか、
ハタイ トルコ フランス
のキーワードで検索したら、解ると思う。
254世界@名無史さん:2007/03/29(木) 20:48:39 0
モンゴロイド、コーカソイドの話題は今のトルコ人は土着のトルコ人でモンゴロイドとの混血はしてない方が多い。
混じってる人も中央アジアにいた時代に少し混じってる程度でOK?
255世界@名無史さん:2007/03/29(木) 21:29:11 0
そういう人種論は具体的な答えが無いから堂々巡りになるんだよな。
256世界@名無史さん:2007/03/29(木) 21:51:40 0
雄マントルコ
257世界@名無史さん:2007/03/29(木) 22:02:05 0
トルコ語の「türk」は、日本語の「トルコ」と「テュルク」、英語の「turkish」と「turkic」
みたいな使い分けをしないから話がややこしくなるんだろ。
258世界@名無史さん:2007/03/30(金) 09:15:58 0
突厥って匈奴の流れをくんでいるんだっけ?
259世界@名無史さん:2007/03/30(金) 10:36:10 0
>>255
でもこれが正しくないか?
260世界@名無史さん:2007/03/30(金) 12:01:02 0
>>251-252
セルジューク朝の名祖であるトゥグリル・ベクの祖父セルジュークは、オグズ諸部族の
首長家クヌク氏族の出身なんだそうだ。彼自身はサーマーン朝に麾下の諸部族を率いて
仕えているが、彼の数代前の先祖はハザル王国にも出仕していたとかいう伝承がある
そうだ。時期的な問題から伝承だけで本当じゃあないだろうとは言われているけど。

ハザルは突厥王家である阿史那氏族の系統の家系が築いた政権らしいが、セルジューク家や
オスマン朝、カラマン君侯国などのアナトリアに展開していた勢力はオグズ諸部族の系統。
オグズは「タグズグズ」ともいわれるが、これはウイグル帝国を輩出した「九姓オグズ」
(トグズ=オグズ、九姓回鶻)集団と関係あるのでは、と言われている。(有力説だが異論も根強い)

そのため、もし「タグズグズ」=「九姓回鶻」説が正しいとするなら、オスマン朝はセルジューク朝
経由で、突厥と言うよりもウイグル帝国となら関係していそうだ。

ただ、オスマン朝で広く読まれていた、『集史』あたりのオグズ・ハン伝承に基づく『オグズ・ナーメ』
などを見ると、突厥やウイグルなどの史実とは全然関係なさそうなのが問題だが。
261世界@名無史さん:2007/03/30(金) 14:28:58 0
公=ヴォイエヴォダはスラヴ圏では軍事指導者ぐらいの意味だが
ルーマニア語でのニュアンスはわからん
262261:2007/03/30(金) 14:29:52 0
すいません誤爆です・・・
263世界@名無史さん:2007/03/30(金) 21:16:50 0
>>255
似たようなレスすまん。
ただ>>254で正しくないか?
264世界@名無史さん:2007/03/31(土) 19:10:30 0
EUやアメリカの非難で、アルメニア人虐殺が話題になっているけど、
オスマントルコでは、永いこと多民族多宗教が上手く共存していたんだよね。
じゃあなぜ虐殺が起こったかといえば、それはヨーロッパから入ってきた
近代主義の悪しき部分がそうさせたのだろうと考えられる。だからこの事件で
トルコだけを非難するのは、問題の根本解決にはならないと思う。
265世界@名無史さん:2007/04/01(日) 01:17:32 0
そうだな。
266世界@名無史さん:2007/04/01(日) 08:30:17 0
>>254について誰か解説してください。自分では合ってると思うのだが、、、、、、
267世界@名無史さん:2007/04/01(日) 10:32:11 0
>>266
>>254の言わんとしている事は、恐らくアナトリアで起った実際の現象は
ルーム・セルジューク朝の支配とその崩壊、オグズ系の地方政権の分立と、
その後のオスマン朝によるアナトリア全土の統一など影響で、ギリシア語、
アナトリア諸語、その他諸々の言語を話していたこの地域の住民の言語が、
今のようにテュルク語化していったんであって、混血とは違うんだろう。
ということ?
268世界@名無史さん:2007/04/01(日) 22:43:15 0
オグズ(グズ、グッズ)の歴史ですが
8XX年代初めにシルダリア下流・アラル海沿岸を占領
8XX年代末にハザールと同盟してカスピ海北東沿岸に広がる
9XX年代前半に全盛
9XX年代後半にセルジューク分離
10XX年代に入る頃から残りの勢力は不安定になり、やがて
分裂してキプチャク等テュルク系諸勢力に組み込まれたりした。

で、分離したセルジュークは西アジア、中央アジアに跨る大帝国を形成、
1071年にはマラズギルトの戦い後、小アジアに入りルーム・セルジューク朝を形成。
1299年にオスマン朝開始。

さてアラル海とか居た時以前のオグズですが恐らく
7XX年代半ばにモンゴリアだかアルタイだかセミレチエだかその辺から
出来たばかりのウイグル帝国かカルルクにでも追われて移動してきたんじゃないかと。

ちなみにオグズはok(矢、種族)に由来する言葉だそうで、それ自体は特定種族
を指すとは限らないとか。

オグズ
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Oghuz_Turks
ttp://www.ozturkler.com/data_english/0001/0001_10.htm
269世界@名無史さん:2007/04/01(日) 22:43:33 0
オスマンの源流がモンゴリア、アルタイにあったとしても開始時点で
既に500年以上経過。
その間、数多のコーカソイドの居る西方を通過。
ハーレムにカフカズ諸民族とかフランス人とかイタリア人とか居たり、
同じくテュルク系のポロベツ(クマン)がルーシと政略結婚したとか
そんな話を見るとあんまり混血に抵抗少ないのかも。
支配下の民族からはテュルク化するものも大勢いるだろうし
今のトルコ人の大半がまるでコーカソイドに見えるのに不思議は無い。

テュルク化が進んだと言っても第一次世界大戦前のオスマン帝国は
1852万人ほどだそうで、戦後分離したアラブ諸国を除いても
クルド人、アルメニア人、ギリシャ人は各々7ケタは居たでしょう。
アルメニア人やギリシャ人は虐殺やら住民交換やらなんやらで壊滅
しましたがクルド人は相変わらず大勢。
6889万人ほどの内、8ケタは占めるでしょう。あとチェルケス人や
ザザ人や7ケタは居るでしょう。テュルク系ですがクリミア起源の
人も恐らく7ケタ。
270世界@名無史さん:2007/04/01(日) 23:46:59 0
オスマン家はセルジューク家と同じオグズ=トゥルクマーン部族に属する
(オスマン家はカユ氏族、セルジューク家はクヌク氏族)といっても、
伝承によれば、オスマンの父のエルトゥールルがモンゴルの攻撃から
逃れて中央アジアからアナトリアに移住したのは1227年というから、
マラーズギルドからは150年も後だし、モンゴル軍がアナトリアに
侵入してくるたった15、6年前というタイミング。

歴史上、繰り返されたテュルク系民族のアナトリア流入という視点から見ると、
オスマン家のアナトリア移住は、ルーム・セルジューク朝などのもとで進んだ
マラーズギルド以降の第一波の流入ではなく、モンゴルの急速な拡大によって
引き起こされた第二波の流入期に当たるもの。
271世界@名無史さん:2007/04/02(月) 00:52:35 0
そういえばルーム・セルジューク朝は住民の大半がギリシャ人というし。
一回や二回の移住ではテュルク化があそこまで進行せんか。
272世界@名無史さん:2007/04/02(月) 01:35:12 0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%AE%B6
エルトゥールルの記事があった。
中央アジア(アムダリア以北)だかホラーサーンに居ったのは
初代オスマン・ベイの爺さんの(スレイマン・シャー)ギュンドゥズ・アルプ
だそうな。
モンゴル帝国を避けてルーム・セルジューク朝の保護下に入ったとな。
モンゴル帝国侵攻が収まった後、スレイマン・シャーは帰ろうとしたが
事故死、一族の一部はホラーサーンに帰還したが、エルトゥールルは
アナトリアに残ってルーム・セルジューク朝に仕えてたとな。んで
跡を継いだオスマン・ベイが独立。まー伝説なんだけど。

伝説では遊牧してたともあるし、キリスト教徒出身者まで含む軍事集団で
あるようにも読めるし、なもんでオスマン朝の起源を
・血縁集団のテュルク系遊牧部族
・多様な出自からなるガーズィー(ジハードに従事する戦士)
とする二つの立場で論争になったりしたんだと。
273世界@名無史さん:2007/04/02(月) 10:20:33 0
>>272
ときどきそういうものすごい距離の移住をする遊牧部族っているよね

要するに途中で住み着ける土地がなかったんだろうけど
274世界@名無史さん:2007/04/02(月) 10:44:25 0
図書館で「灰色の狼―ムスタファ・ケマル」という本を借りてきた。
フランス人が書いた日本語訳の本で初版が1965年。
これの第1章では紀元前から帝国成立までの動きが、簡潔かつ端的に
まとめられていてとても面白い。オスマン帝国が人種的にどんな人
たちによって作られたかに興味がある人は、是非ご一読を。
275世界@名無史さん:2007/04/02(月) 17:52:56 0
ケマルはサロニカ出身だから
自分の故郷はトルコに残せなかったんだな
276世界@名無史さん:2007/04/03(火) 16:45:44 0
話の流れからはそれるが、チムールがアンカラでオスマン軍を
撃退した後に、アナトリアにはたいした興味を示さずに東に帰って
しまったわけだが、あのままアナトリアを制圧していたら
オスマン帝国はあそこで終わっていたのか?コンスタンティノープル
もチムールが陥落させたのか?
277世界@名無史さん:2007/04/03(火) 19:15:46 0
>>267-272
ありがとう。じゃあやっぱりごく一部の人達しか混血してないんだね。それにトルコに来た時でさえ混血してたみたいだし
中央アジアだとハーフっぽい人がいるけどトルコでは皆無だもんな。人種はアナトリアの土着人で言語だけテュルク化したんだね。
278世界@名無史さん:2007/04/03(火) 20:41:13 0
>>276
ティムールは占領した地域を保持するのにたいした興味はなかったらしいよ。
反乱がおきたらまた軍を率いて出動すればいいぐらいの感覚。
279世界@名無史さん:2007/04/03(火) 22:10:17 0
>>277
ちょっと理解が違うんじゃね?
今までの流れからは、「アナトリアの土着人」という結論に
はならないんじゃないの?
280世界@名無史さん:2007/04/05(木) 18:14:51 0
>>279
そうなるんじゃない?>>269とか見るとオスマン家でさえトルコに来る前に混血してるらしいし。
混血してるのは極々一部じゃないかな?
281世界@名無史さん:2007/04/05(木) 19:24:32 0
今のところ日本語で読めるオスマン帝国史の本でお勧めのてある?
282世界@名無史さん:2007/04/05(木) 20:51:26 0
『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」 』(講談社現代新書)鈴木董
『オスマン帝国とイスラム世界』(東京大学出版会)鈴木董
『イスラムの家からバベルの塔へ―オスマン帝国における諸民族の統合と共存』(リブロポート)鈴木董
『オスマン帝国の権力とエリート』 (東京大学出版会)鈴木董
『オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家』(ちくま新書)鈴木董
『図説 イスタンブル歴史散歩』(河出書房新社)鈴木董、大村次郷

『トルコの歴史―オスマン帝国を中心に』 (紀伊国屋書店)三橋富治男
『オスマン帝国の栄光とスレイマン大帝』(清水書院)三橋富治男
『オスマン=トルコ史論』(吉川弘文館)三橋富治男

『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15・中央公論社)永田雄三、羽田正
『西アジア史〈2〉イラン・トルコ』(世界各国史9・山川出版社) 永田雄三編
『西アジア』(地域からの世界史8・朝日新聞社)永田雄三、加藤博
『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット19・山川出版社)林佳世子
283世界@名無史さん:2007/04/05(木) 20:52:38 0
『スレイマン大帝とその時代』(法政大学出版局)アンドレ・クロー、浜田正美訳
『メフメト二世―トルコの征服王』(法政大学出版局)アンドレ・クロー、岩永博・佐藤夏生訳
『トプカプ宮殿の光と影』(法政大学出版局)N.M.・ペンザー、岩永博訳

『トルコ近現代史―イスラム国家から国民国家へ』(みすず書房)新井政美
『オスマンvs.ヨーロッパ―〈トルコの脅威〉とは何だったのか』(講談社選書メチエ)新井政美

『オスマン帝国の近代と海軍』(世界史リブレット79・山川出版社)小松香織
『オスマン帝国の海運と海軍』(山川出版社)小松香織

『オスマン帝国衰亡史』(中央公論社)アラン・パーマー、白須英子訳
『オスマン帝国の栄光』(創元社)テレーズ・ビタール、富樫瓔子訳、鈴木董監修
『コンスタンティノープル陥落す』(みすず書房)スティーヴン・ランシマン、護雅夫訳
『イスタンブール―三つの顔をもつ帝都 』(NTT出版)ジョン・フリーリ、長縄忠訳、鈴木董監修
284世界@名無史さん:2007/04/05(木) 20:53:49 0
>>277,>>279,>>280
現地人が混血しないままテュルク化した場合、移住してきたテュルク系と
混血しやすくなるのではないだろうか。なにしろどっちもテュルク系なんだし。
285281:2007/04/05(木) 21:03:21 0
>>282-283
有難うございます。
アマゾンと古本屋で探して購入して見ます。
286世界@名無史さん:2007/04/05(木) 21:17:42 0
それにひきかえサファヴィー朝などを扱った本はゼロに近い・・・(邦語では)
287世界@名無史さん:2007/04/05(木) 21:35:14 0
『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15・中央公論社)永田雄三、羽田正
『物語 イランの歴史―誇り高きペルシアの系譜』(中央公論新社)宮田律

日本語でサファヴィー朝を扱った本だと上記の二冊しか知らん。
後は三日月の世紀くらいだが絶版なので読んだ事無い。
イスマーイール1世マンセー
288世界@名無史さん:2007/04/05(木) 22:44:40 0
まだ他にもあるぞ、日本語で読めるサファヴィー朝関係の文献は。
世界各国史の『西アジア史〈2〉イラン・トルコ』(山川出版社)や、
『パクス・イスラミカの世紀』(講談社現代新書)の中の羽田先生の執筆部分とか。
あとは、ジャン・シャルダン関係で羽田先生が書かれた、
『シャルダン「イスファハーン誌」研究―17世紀イスラム圏都市の肖像 』(東京大学出版会)と
『勲爵士シャルダンの生涯―十七世紀のヨーロッパとイスラーム世界』(中央公論新社)に、
シャルダンの著書の邦訳としては『ペルシア紀行』(岩波書店)、『ペルシア見聞記』(平凡社東洋文庫)、
『ペルシア王スレイマーンの戴冠』(平凡社東洋文庫)といくつか出版されてるし、
羽田先生や杉山先生の師匠の本田實信先生が執筆された『イスラム世界の発展』
(ビジュアル版世界の歴史6)(講談社)では、サファヴィー朝に関する記述が普通の
イスラーム史の概説書よりは充実してる。
289世界@名無史さん:2007/04/07(土) 08:38:20 0
石原慎太郎がよく「日本がアジア諸国の中では欧州に初めて勝った」
みたいなことをいっているけど
トルコとかモンゴルを完全に忘れているようだね。
モンゴルは一過性だったけど
トルコは長年にわたり欧州の最大の脅威だったからね。
あの全盛期のハプスブルク家もロシアのピョートル大帝もトルコには歯が立たなかったから。
290世界@名無史さん:2007/04/07(土) 09:59:37 0
>>289
日露戦争を持ち上げる文脈だと帝国主義時代以降では?
291世界@名無史さん:2007/04/07(土) 12:13:23 O
前後の文脈を取っ払ってそこだけ批判してもね。

ていうか、そもそもオスマン帝国ってアジアなの?
292世界@名無史さん:2007/04/07(土) 21:19:19 0
>>291
アナトリアがアジアでなくて、ほかのどこがアジアなのかと。
293世界@名無史さん:2007/04/07(土) 21:24:09 0
オスマン皇帝の子孫ってニューヨークでタクシーの運転手らしいな。
294世界@名無史さん:2007/04/07(土) 22:04:47 0
大日本帝国憲法が「アジアで最初の憲法」だと言いたい日本人は
ミドハト憲法の存在を持ち出されると困るのでトルコはアジアに入れない。
295世界@名無史さん:2007/04/07(土) 22:31:14 0
サッカーではトルコは欧州サッカーにふくまれますが何か?
296世界@名無史さん:2007/04/07(土) 23:38:58 0
それ言うなら、イスラエルもカザフスタンも欧州。
297世界@名無史さん:2007/04/08(日) 00:26:51 0
思えば、「世界初の火器の集団運用」の座もオスマン朝に持っていかれてるな。
298世界@名無史さん:2007/04/08(日) 00:35:12 0
トルコはまだ「ヨーロッパ側の領土」があるが
イスラエルやカザフスタンはどーみてもアジア
299世界@名無史さん:2007/04/08(日) 01:06:03 0
>>296
イスラエルもカザフスタンもEUに加盟申請などしていまんよw
300世界@名無史さん:2007/04/08(日) 04:50:05 0
>>294
ミドハト憲法は、発布後すぐに停止されて実際には機能しなかったでしょう。
それに、日本がトルコをアジアに含めようが含めなかろうが、トルコ政府自身がトルコはヨーロッパだと自認しているわけだから、その主張は当を得たものとはいえませんよね。
301世界@名無史さん:2007/04/08(日) 07:15:21 0
それは詭弁というものだw
302世界@名無史さん:2007/04/08(日) 08:56:27 0
カザフスタンってサッカーではアジア予選だったよな
303世界@名無史さん:2007/04/08(日) 11:52:52 0
>>284
言語だけ変わり人種は混血しない例は結構ある。混血はしたけど極々一部でしょ。
知り合いのトルコ人はまったく混血には見えん。
304世界@名無史さん:2007/04/09(月) 10:13:12 0
アジアとアラブと欧州の全ての要素を持つ国。
305世界@名無史さん:2007/04/09(月) 13:16:41 0
混血がどうのこうのうるさいヤツは、講談社現代新書の鈴木董の
「オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」」くらい嫁。

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html

307世界@名無史さん:2007/04/09(月) 18:44:00 0
>>305
内容はどういう事が書いてあるの?
308世界@名無史さん:2007/04/09(月) 21:26:22 0
>>307
本のタイトルそのままで検索すれば、すぐ分かる。
たしかにお勧めの本だ。
309世界@名無史さん:2007/04/10(火) 06:10:10 0
アフリカ分割のベルリン会議にもちゃんと呼ばれてるし欧州でいいんじゃないの?

まぁアジア・欧州どっちでもいえるから、石原は間違ってるとも言えるし正しいとも言える
310世界@名無史さん:2007/04/11(水) 09:44:51 0
秀吉が刀狩令によって兵農分離を進めていた頃
トルコでは内乱の影響で民間に兵器が流出し
その辺の盗賊や農民まで火縄銃で武装していた。
よって秀吉>>>>>>>>トルコのスルタン
311世界@名無史さん:2007/04/11(水) 18:13:36 0
秀吉の子孫は断絶したが、スルタンの子孫はNYでタクシードライバーやってるから、
スルタンの勝ちだな。
312世界@名無史さん:2007/04/11(水) 21:07:08 0
>>305-308
読んでみたけどやっぱり今のトルコ人は土着のアナトリア人種みたい。
多少は混じったらしいがオスマン家とか極一部で。
313世界@名無史さん:2007/04/11(水) 21:40:31 0
へえ、その「土着のアナトリア人種」というのは中央アジア
に起源を持つ人々じゃないってこと?土着という言葉をどう
いう意味で使っているのか、気になるが。
314世界@名無史さん:2007/04/11(水) 23:37:24 0
現在のトルコ共和国の国民の祖先の大部分(クルド人を除く)は
中央アジアからアナトリアに移住したトルコ系の遊牧民ではなく、
アナトリアに元から住んでいたギリシア人やアルメニア人たちが
数百年にわたるプロセスの中でトルコ語を話し、イスラームを
信仰するようになった人々だ、ということだろう。
315世界@名無史さん:2007/04/12(木) 10:54:33 0
>>314
なるほど。
だから「我々はフランス人よりも1000倍もビザンチンの子孫である」
となるわけか。 
316世界@名無史さん:2007/04/12(木) 18:54:31 0
フランス人なんかビザンツの敵じゃないか。
第四回十字軍の恨みは未だに尾を引いているぞ。
東方正教会を認めたオスマンの方が遥かにビザンツの後継者を名乗るに相応しい。
317世界@名無史さん:2007/04/12(木) 19:14:16 0
オスマン・トルコの君侯で最も男色を好んだのは誰ですか?
318世界@名無史さん:2007/04/12(木) 19:29:25 0
デヴシルメで登用した小姓を男色相手と見たら
少なくともムラト1世以降のスルタンは皆、男色家だ。
319世界@名無史さん:2007/04/12(木) 20:10:04 0
カスティリャの使節クラヴィホの旅行記の中で、オスマン朝がティムールに敗戦した直後の
アナトリアの様子が描かれてるけど、トルコ人の領主の領民がギリシャ人だったり
ギリシャ人の領主の兵隊がトルコ人だったりとややこしかったようですね。
320世界@名無史さん:2007/04/13(金) 10:33:19 0
>>319
そうだよな。アナトリアはローマとビザンチンの
領地の時代が長かったわけだからね。
ギリシャ人にしてみれば、自分たちの土地という
意識が強いだろうな。
321世界@名無史さん:2007/04/14(土) 03:56:16 0
>>310
それは極めて日本的な価値判断じゃないか

アメリカ人なら逆向きにする
322世界@名無史さん:2007/04/14(土) 09:26:24 0
>>321
つ 「鉄砲を捨てた日本人」

というかマジレスすると刀狩令で没収されたのは刀や槍で
鉄砲は害獣駆除のため必要なので百姓の手元に残された
323312:2007/04/14(土) 18:32:33 0
>>313
だいたい>>314さんの意見が正しいです。
補足として文化だけ変わり人種は混血しないという例は結構あります。
ちょっと違いますが今の日本もそれに近いです。
洋服を着て西洋料理を良く口にするけど人種はモンゴロイドのまま。混血は極一部で起こる。
324世界@名無史さん:2007/04/14(土) 19:31:56 0
>>322
その刀狩り令も結構適当で、いっぱい武器が残ったままだった。
325山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/04/14(土) 20:48:06 0
刀狩り令というのは、中世には農民でも武器を携帯して中世を象徴する精神
である「自力救済」の思想を示していたのを、表向き捨てるように命じて太平
の世であることを宣言したものです(近世に入る過程)。
中世の自力救済とか、帯剣する農民というのは、日欧で共通していますね。
実際には、武器の所有自体が廃れた訳ではなく、街中では流石に無理だった
ものの、近世になっても地方では農民も脇差ぐらいは挿していました。
町人でも旅行中は脇差を携帯しており、度々禁止されても止まなかった。
どうしても携帯したければ、抜け道を行けばよく、旅行者にはどこにそうし
たルートがあるかは、周知のこと。関所破りは重罪云々は建前。

近世の禁令というものは、「派手でなければ見て見ぬふりをしておいてやる
から、こちらの面子を立てて見えないところでやれ」というぐらいのものが
普通で、実際には農民でも鑓・刀・鉄炮を所有している場合があり、仮に見
つかっても、うやむやに済まされていることが多かった。
刀狩り令も、「今後はお上の見ているところで帯刀するなよ」程度のもの。
実際問題、日本中の家屋を捜索して武器を出せというのは無理な話です。

なお、戦国の遺風が残されていた17世紀には、店中皆殺しにする盗賊団な
どの荒っぽい例がまだあり、農村の水争いや山争いでも武器が持ち出され、
弓矢や鉄炮を使うなと禁令が出ています(それでも止まないのが実情)。
時たま持ち出されての問題化は、それ以後もありました。

それと、『鉄砲を捨てた日本人』は事実誤認や解釈の間違いが多く、そもそ
も銃規制派の著者が「進んだ戦争用の技術を捨てても国として発展した例」
として日本を取り上げて書いたものなので、理想化し過ぎています。
日本史研究者の間では、トンデモ本とは言われないまでも、「困った本」扱
いされている本で、日本人まであれを鵜呑みにすると困り者です。
326世界@名無史さん:2007/04/15(日) 18:05:15 0
>>281-283>>286-288
オスマン帝国史を研究するには、どんな言語が必要でしょうか?
なにはなくとも英語は必須でしょう。
327世界@名無史さん:2007/04/15(日) 21:24:54 0
原典史料の解読のために…オスマン語+(アラビア語、ペルシア語)。
先行研究の参照のために…現代トルコ語、英語、フランス語、ドイツ語など。
あとは研究する地域・時代によって、ギリシア語、ラテン語、アルメニア語、
古代教会スラヴ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、バルカン諸語などの
中で幾つか他の言語の習得が必要となる場合がある、という感じだろうか。
328世界@名無史さん:2007/04/16(月) 10:12:00 0
>それと、『鉄砲を捨てた日本人』は事実誤認や解釈の間違いが多く、そもそ
>も銃規制派の著者が「進んだ戦争用の技術を捨てても国として発展した例」
>として日本を取り上げて書いたものなので、理想化し過ぎています。

それゆえ>>321へのレスとして適当かなと思ったわけです。
329世界@名無史さん:2007/04/16(月) 20:40:46 0
>>327
ありがとうございます。
330世界@名無史さん:2007/04/16(月) 22:16:44 0
メフメト2世はイタリア侵攻計画前に毒殺されたという俗説があるが
本当のところどうかね?
331世界@名無史さん:2007/04/17(火) 12:56:56 0
>>330
初めて聞いたんですが・・・詳しく
332330じゃないが:2007/04/17(火) 19:10:23 0
>>331
鈴木董『オスマン帝国――イスラム世界の「柔らかい専制」』、講談社現代新書より

中には毒殺説をとなえる者さえいる。

メフメット二世の最後の遠征の真の目的はイタリアであり、それを恐れたヴェネツィア勢力が
彼の侍医の一人を利用したというのである。

その当否は、にわかに決定しえない。(115頁)
333世界@名無史さん:2007/04/18(水) 12:55:19 0
>>332
ありがとうございます
334世界@名無史さん:2007/04/18(水) 15:06:06 0
法王も逃げ出す準備をしていたからな。
イタリア半島までもがトルコの手に落ちていたら、
まさに第2のローマ帝国になっていたかもな。
335山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/04/18(水) 22:13:24 0
>>328
申し訳御座いません。アメリカ人云々をよく考えるべきでした。
336世界@名無史さん:2007/04/19(木) 20:55:00 0
今のトルコ人は元々の土着人が殆どだと言ったけど今日テレビでモンゴロイドっぽいトルコ人が居たな。
337世界@名無史さん:2007/04/19(木) 20:56:38 0
↑追加。
見たのは偶然かも。混血っぽい人はトルコ系ではなくウクライナから来たモンゴル系らしいし。
テレビで見たのは多分ウクライナから来た人の末裔かな?イルハンなんかと同じ。
338世界@名無史さん:2007/04/19(木) 20:59:59 0
自分が観光旅行に行った際のイスタンブールのトルコ人は
見た目白人と変わらなかったな。
339世界@名無史さん:2007/04/19(木) 21:54:44 0
トルコで聖書出版社襲撃、3人殺害

2007年04月19日01時17分

 トルコからの報道によると、同国南東部の都市マラティヤで18日、
キリスト教聖書の出版社が襲われ、同社の関係者とみられる3人が死亡した。
市長によると、1人はドイツ人で、ドイツ大使館も確認した。

 3人は手足を縛られ、首を刃物で切りつけられたという。
国民の大半がイスラム教徒のトルコで、同社はキリスト教の改宗を
人々に勧めていたとして脅迫を受けていたという。
治安当局は容疑者4人を拘束した。マラティヤは民族主義的傾向の
強い町として知られる。

http://www.asahi.com/international/update/0419/TKY200704180363.html

恐ろしいなあ。
340世界@名無史さん:2007/04/20(金) 00:18:49 0
一瞬、「目白人」に見えた。

>>336
ウイグルやキルギス・アゼルバイジャンとか中央アジアの人が商取引で多数
訪れていたりするので、所謂「アジアっぽい」顔の人がいてもな〜〜〜〜〜ん
の不思議でもないよ。
東京の中央通りを何の気なしに歩いてても外国人に出会うのとさほど感覚は
変わらないかも。
341世界@名無史さん:2007/04/20(金) 19:32:47 0
>>338-340
うん。殆どは純コーカソイドだからね。モンゴロイドとの混血は一部だけで東の方に住んでるみたい。
中央アジアはモンゴロイド的な人が多いけどトルコは違う。モンゴロイドっぽい人はクリミア・ハン
の末裔みたい。
342世界@名無史さん:2007/04/22(日) 20:42:04 0
age
343世界@名無史さん:2007/04/22(日) 22:10:46 0
コーカだのモンゴだのウゼェェェ。
そんな用語で全て説明しきってる気になってるってのがもう(ry
344世界@名無史さん:2007/04/23(月) 08:09:30 0
じゃあオマエはどう説明するの?
345世界@名無史さん:2007/04/23(月) 22:44:21 0
久しぶりに覗いたが、まだこの話題が続いていたのか・・。
346世界@名無史さん:2007/04/24(火) 07:58:37 0
前提がおかしいから結論なんて出ないのにな。
347世界@名無史さん:2007/04/24(火) 09:20:01 0
近代のオスマン・トルコ軍は宗教的な理由から制帽に庇をつけなかったそうですが
日光を遮るのはイスラム教では何か問題になるんですか?
348世界@名無史さん:2007/04/24(火) 10:09:35 0
>>343
 じゃ、白い椰子、黄色い椰子、なら満足か?
349世界@名無史さん:2007/04/24(火) 20:06:49 0
>>348
同意。もう結論は出てるのにな。
350世界@名無史さん:2007/04/25(水) 00:21:39 0
民族を単純に特定の人種に当てはめると無理が出ると言う結論がね。
そんなことこのスレが出来る前からの常識なのに。
351世界@名無史さん:2007/04/25(水) 13:54:41 0
>>347
「キリスト教徒がツバ付き帽子を被ってるのはやましい性根を隠すためだ」
というような主張を当時のイスラム法学者が言い出したのが原因
元々トルコ帽にはツバなんてついてないし、末期のオスマン帝国は西洋に押されまくった結果
余裕と寛容性が無くなっていたからこの種の異文化批判がトルコ人ムスリムに強く支持されちゃった

ってお向かいの奥さんが言ってた
352世界@名無史さん:2007/04/26(木) 09:55:29 0
>>351
サンクス。すばらしいご近所さんですねw
353世界@名無史さん:2007/04/27(金) 20:29:18 0
>>350
無理にというかそれが妥当じゃない?実際トルコは混じってない訳だし。
354世界@名無史さん:2007/04/27(金) 21:32:31 0
オスマンはトルコではない
355世界@名無史さん:2007/04/28(土) 00:04:02 0
>>354
「帝国」に嫌気がさしてトルコ人の国を作ろうとして今があるわけだしね。
それに中世以降ペルシャを支配してたアゼル人はトルコ系だし、
独立国家を持たない「悲劇のクルド人」は実際には古代ペルシャ人の末裔なのに
トルコに同化されずに踏ん張ってたらいつの間にか少数民族クルド人に分類されちゃってたし。

人種だの民族だの、ものすげーいい加減なもの。
356世界@名無史さん:2007/04/29(日) 19:38:02 0
そういういい加減なのを調べるのが考古学者とかの仕事だけどね。
357世界@名無史さん:2007/05/04(金) 20:44:35 0
>>327
先生に聞いてみたが、学部生の段階ではオスマン語は難しいそうだ。
オスマン語のテキストは大学院生にでもならないと使わないらしい。
358世界@名無史さん:2007/05/05(土) 14:15:17 0
地中海のギリシャ・アルメニア人→トルコ化
中近東のペルシャ人→中央の砂漠地帯以外は奪われ、長年被支配階級に
イラン高原〜カスピ海周辺に侵入したテュルク族→ペルシャ・オスマン国境で分断
→ペルシャ側では実権掌握、トルコ側ではギリシャ・アルメニア系と同化
山岳地帯にいたペルシャ人→テュルク侵入による動乱でペルシャ・オスマン境界の辺境下
いつのまにやら差別対象のクルド人に転落

こうしてみるとペルシャ人だけ酷い目にあってるな、逆にトルコはうまくやった
359世界@名無史さん:2007/05/08(火) 12:39:03 0
アフリカをルーツとするトルコ人もいるぞ。
http://www.neo-pro.jp/makoto/
360世界@名無史さん:2007/05/08(火) 17:21:56 0
しかし、何故そんなにトルコ人?をコーカソイドにしたがるのか。
よく分からん。。。
361世界@名無史さん:2007/05/08(火) 19:39:54 0
トルコ人がモンゴロイドに見えんのかよ
362世界@名無史さん:2007/05/08(火) 20:10:46 0
トルコ共和国のトルコ人ね
363世界@名無史さん:2007/05/08(火) 22:15:42 0
トルコ人やイランのアゼル人はどう見ても白人だからね。
テュルク族の血統的な末裔というにはちと苦しい。

やはりどちらも、テュルク族の席巻する歴史の中で現地のギリシャ人や
イラン人がトルコ(テュルク)化したと見るのが妥当だと思う。
364世界@名無史さん:2007/05/11(金) 19:42:04 0
話ぶったぎりで申し訳ないけど
ウィーン包囲について詳しい本って何かあるかな…
365世界@名無史さん:2007/05/11(金) 22:46:41 0
>>364
いや、そろそろ話題を変える頃だろう。
本なら、図書館でまず調べたら。いっぱいあるよ。
366世界@名無史さん:2007/05/11(金) 22:55:32 0
>>364
『オスマン帝国衰亡史』アラン・パーマー著、白須英子訳 (中央公論新社)
367世界@名無史さん:2007/05/12(土) 01:34:15 0
>>364
「ウィーン都市地図集成」って本にトルコ軍の掘った塹壕のラインとか載ってる
368世界@名無史さん:2007/05/13(日) 01:28:45 0
>>365
>>366
>>367

ありがとう!!
頑張る!
369世界@名無史さん:2007/05/13(日) 10:08:30 0
アラン・パーマーの本に詳しく書いてあるのは、
第一次じゃなくて、第二次のウィーン包囲の方だけどな。
370世界@名無史さん:2007/05/13(日) 21:51:50 0
>>360は363見るといいよ。
371世界@名無史さん:2007/05/14(月) 16:46:44 0
>>370
どうでもいいよ。
372世界@名無史さん:2007/05/14(月) 21:31:06 0
>>367
アマゾンで見たが18万って・・・
373世界@名無史さん:2007/05/15(火) 08:49:04 0
>>371
じゃあ変なこと言うなよ。
374世界@名無史さん:2007/05/15(火) 09:25:01 0
オスマン帝国史を学びに東京外語大行くのってアリ?
375世界@名無史さん:2007/05/16(水) 09:12:52 0
イスタンブールの大学に行く方が良くね?
376世界@名無史さん:2007/05/20(日) 01:34:31 0
>>374
アリだと思うよ。オスマン史を学ぶには、トルコ語だけじゃなく、
アラビア語やイタリア語、ギリシア語まで知ってたほうがいいから。
確か東京外語では、第五外国語まで勉強できるはず。

もっとも「自分が勉強したいのは歴史」という目標を忘れると、
ただの「外国語がしゃべれる人」で終わるリスクもあるが。
377世界@名無史さん:2007/05/20(日) 13:00:59 0
>>374>>376
立教大学には、史学科の専門基礎言語として現代トルコ語の科目があるよ。
また早稲田大学には、ペルシア語の科目が開講されているよ。
378世界@名無史さん:2007/05/24(木) 22:07:00 0
現段階では本気でやるかどうかは分からないんですよね。実家も裕福じゃないし。
とりあえずオスマン関係の日本語本を読んで興味持ってるだけかもしれない。
379世界@名無史さん:2007/05/25(金) 10:28:46 0
オスマンやトルコ関係に本気で取り組む専門家が増えてくれるとありがたい。
今は翻訳本も少ないしね。ノーベル賞作家のパムクの本ですら、日本語訳は
ごく一部しかないからね。是非頑張って現地の専門的な文献や情報を日本に
提供して欲しい。
380世界@名無史さん:2007/05/25(金) 14:47:15 O
東大はイスラム圏ダメだな

明治法政千葉のHPで教員について調べると良いと思われ
慶大も著作が多いから調べた方が良いと思う
明治はシンポジウムが多いな
ただ、明大生じゃなくても参加できるからね

381374 378:2007/05/25(金) 18:44:15 0
>>379
翻訳……日本語力が足りていないので難しい…… 興味はありますが。
>>380
講談社現代新書のオスマン帝国という本は東大の鈴木ただし教授でした。イスラーム関係は弱いのでしょうか?
明治は成熟のイスラーム世界を書かれた……誰でしたっけ?
法制千葉慶応にもいるとは知りませんでした。調べてみます
382世界@名無史さん:2007/05/25(金) 20:30:03 0
>>381
中央公論社の『世界の歴史』シリーズの『成熟のイスラーム社会』を
書かれたのは永田雄三教授。
383世界@名無史さん:2007/05/25(金) 22:35:29 0
>>377
早稲田のペルシア語今履修してるけど
すごい初心者向けなんで取っ掛かり以上のものにはならないと思う
ただバックパッカーが多いんでそういう面では参考になる
384世界@名無史さん:2007/05/26(土) 16:19:55 0
385世界@名無史さん:2007/05/27(日) 01:11:23 0
>>384
個人的にデリ兵とか欲しいな
386世界@名無史さん:2007/05/27(日) 15:29:02 0
>>380
東大には、鈴木董、小松久男、羽田正、加藤博、山内昌之とそうそうたる
教授陣がそろっているぞ。
387世界@名無史さん:2007/05/31(木) 15:02:33 0
トルコはイスラム勢力が7月の総選挙で勝てば、大統領職まで
獲得しそうな勢いらしい。イスラムが掌握する国家に戻ったならば、
オスマン朝復活の動きなどが始まるのだろうか?
388世界@名無史さん:2007/06/01(金) 01:53:10 0
あるわけない。
389世界@名無史さん:2007/06/01(金) 23:36:33 0
あったら面白い。
390世界@名無史さん:2007/06/02(土) 02:22:34 0
オスマン朝が現代まで存続してるIF小説とかないですかね。
391世界@名無史さん:2007/06/02(土) 02:43:44 0
最近「やわらかい専制」などと言われて妙に持ち上げられてるオスマン朝だけど、
やわらかかろうが硬かろうが、専制は専制だよなあ。
392世界@名無史さん:2007/06/02(土) 06:23:40 0
鈴木董のあれって持ち上げてたのか?
393世界@名無史さん:2007/06/02(土) 10:38:25 0
サドラザムって鎌倉幕府に於ける執権っぽい?
394世界@名無史さん:2007/06/02(土) 21:48:22 0
オスマン帝国って、ヨーロッパや北アフリカにさんざん侵略しているのに
なんで東南アジアや東アフリカに侵略しなかったのですか?
395世界@名無史さん:2007/06/03(日) 01:00:30 0
>>394
遠いから、ってのは駄目?
396世界@名無史さん:2007/06/03(日) 01:14:11 0
>>395
スペインやポルトガルのほうが東南アジアから遠いじゃないですか?
397世界@名無史さん:2007/06/03(日) 01:21:24 0
>>396
なるほど。じゃ、少しだけ仮説ができた。
「オスマン帝国は交通の要衝を抑えていたから(そんな遠くまで攻めるモチベーションが無かった)」
これでどうだ。

東方とヨーロッパとの貿易、陸路だと、どうやってもオスマン帝国を通る。
スペインやポルトガルは、東南アジアと直接交易をしたかったから、アフリカ周りで東南アジアまで行った。

これでどうだ。
398世界@名無史さん:2007/06/03(日) 02:11:50 0
>>396
本当にそう思うのか?地図をよーくみろ、3倍は遠いぞ

あと東アフリカなら今のエリトリアやソマリア北部の沿岸を支配してた時期があるよ
399世界@名無史さん:2007/06/03(日) 02:15:24 0
スマソ
東南アジア「から」だったか

ちなみにスペインはフィリピンにアメリカ経由の西回りで到達した
遠いなんてもんじゃないw
400世界@名無史さん:2007/06/03(日) 06:58:39 0
オスマン海軍がマレーシアかインドネシアまで行ったことがあったような・・・
401世界@名無史さん:2007/06/03(日) 11:45:27 0
インドネシアまで行ったっていうのは、16世紀の半ばに
ポルトガルの艦隊に海上封鎖されたスマトラ島北端の
アチェ王国のスルタンに救援を求められたために
オスマン海軍が派遣されたって話で、交易路の維持が主眼の遠征で
領土的に恒久的な支配とかを狙ったものではないな。

オスマン帝国は16世紀半ば以降は東ヨーロッパ方面やクレタ島などで
若干の新しい領土の獲得はあるものの、新たな領土の獲得よりも
支配下にある領土をきめ細かく統治する方針に転換してるし。
地中海を主戦場とするオスマン海軍は昔ながらのガレー船が主力で、
スペインやポルトガルのように外洋船のガレオン船の導入は遅れたため、
インド洋や大西洋のような外洋では外洋船のカラベル船に性能の良い
大砲を装備したヨーロッパ諸国の船隊には不利だったと思われる。

オスマン海軍がインドやインドネシア方面以外に遠方で
一時的に占領したとか襲撃をかけたとかいうのなら、
16世紀末には大西洋上のカナリア諸島のランサローテ島、
17世紀の初めにはイギリスのブリストル海峡の入り口にあるランディ島、
アイスランドのすぐ南のヴェストマンナエイヤ諸島、
アイルランドの西南端に近いボルティモアなどを占領し、
英国の北のシェトランド諸島、フェロー諸島、さらに大西洋を渡って
今のカナダのニューファンドランドまで攻撃したこともあったらしいが。
402世界@名無史さん:2007/06/03(日) 13:21:48 0
大西洋方面での活動についてkwsk
バルバリア海賊みたいな連中でしょうか
403世界@名無史さん:2007/06/05(火) 23:36:45 0
>>392
持ち上げてはないよな。
404世界@名無史さん:2007/06/06(水) 02:49:51 0
オスマン支配以降は東欧はろくな事ないね
405世界@名無史さん:2007/06/07(木) 20:30:06 0
>>380
法政は日本史が中心だった気がするんだが‥‥。
明治の永田教授のゼミでは、オスマン語のテキストを使っているそうだが。
406世界@名無史さん:2007/06/07(木) 21:53:17 0
>>379
最近、いろいろな大学の史学科で刊行されている雑誌を読んでいるが、
卒業論文の題名の一覧が載っているページで、オスマン帝国に関係するような
ものをチラホラ見かけるようになったぞ。
407世界@名無史さん:2007/06/07(木) 23:29:08 0
永田先生だったら、ジェヴデト・パシャの『ジェヴデト史』とか『覚書』とか読ませるんだろか。
408世界@名無史さん:2007/06/08(金) 22:19:42 0
遊牧民の支配層は、船戦に関心が薄いのよ。
たとえば、さ、日本に攻めてきた大モンゴル帝国も、よりもよって高麗なんかに船を作らせるから、
侵攻計画大失敗だったろ。
409世界@名無史さん:2007/06/08(金) 23:06:53 0
>>408
つ 崖山の戦い
参考 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%96%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

あと、オスマンが地中海を制覇していたことぐらい知っておいたほうが
恥をかかなくてすむよ
410世界@名無史さん:2007/06/09(土) 00:24:37 0
黒海も制覇していた。
これ、結構すごいことだと思うけど、あまり騒がれないよね。
411世界@名無史さん:2007/06/09(土) 00:43:12 0
408って歴史の授業で元寇の事を聞いたリアル中学生かせいぜい高校生だろ。
412世界@名無史さん:2007/06/09(土) 01:47:35 0
>>410
このページによると
ttp://www.geocities.com/unavy/aCossack1.html
17世紀初頭にコサックの船団がクリミアやアナトリアの沿岸都市を次々と襲っていて
討伐に向かったオスマン朝の艦隊を2度も撃破していたらしい。
1625年にはイスタンブールまで襲撃してスルタンが宮殿から避難する騒ぎになったそうだ。
413世界@名無史さん:2007/06/09(土) 05:28:34 0
リア中リア高で「よりにもよって高麗」なんて嫌韓やってるんじゃ終わってる
414世界@名無史さん:2007/06/10(日) 07:11:55 0
オスマン朝が帝国になる以前にもアイディン候国のウムル・ベイなんかが
大規模な艦隊をもってましたよ。
ハリル・イナルジュクがそれを含めトルコ系君候国の海軍について何か書いてた。
415世界@名無史さん:2007/06/11(月) 23:07:49 0
>>409
南宋滅亡後で正規の戦争じゃあない残党狩りレベルのもので、
船を用立てし残党狩りを買って出たのは泉州の商人じゃん。
泉州の商人ちゃあ、平戸や博多や琉球やら東南アジア各所にまで船で出張って商いをする
人たちじゃん。
416世界@名無史さん:2007/06/12(火) 09:56:27 0
オスマン帝国を想像しながらオナニーすると激しくイケマス
417世界@名無史さん:2007/06/14(木) 00:19:07 0
>>401
アチェ救援には軍旗をつけて数十人ばかりのトルコ兵を遣すというアリバイ的「援軍」
418世界@名無史さん:2007/06/15(金) 11:00:17 0
イェニチェリの一部がウズベキスタンあたりに派遣させられたことがあったらしいけど
ルーミ銃を銅製の銃と無理やり交換させられたりさんざんな目にあったようですね。

対サファヴィー朝政策の一環だったのか。
419世界@名無史さん:2007/06/15(金) 12:01:31 0
しかしすげーな。アメリカ大陸まで遠征したイスラーム国家なんてほかにありえないだろ。

陸上で東はブハラ、海上ではスマトラ、南はソマリア、北はアイスランド、西はカナダ!!
420世界@名無史さん:2007/06/15(金) 14:48:18 0
西の方は国家主導じゃなく海賊まがいの連中だと思う
421世界@名無史さん:2007/06/15(金) 20:03:43 0
トルコはイスラムと少し違う勢力というか
あとから来た感じだからね
422世界@名無史さん:2007/06/21(木) 19:44:10 0
トルコ民族の国家ではしばしば「イスラーム」とうアイデンティティよりも遊牧民
としての「チンギス・ハン」の血統を重視する。だからトルコ系の人は酒や豚もオッケーって
場合が多い。
423世界@名無史さん:2007/06/21(木) 20:43:08 0
酒に関しては他のイスラーム王朝でも大目に見られていたね。
ウマル・ハイヤームやハーフィズも飲酒推奨と取れる詩を多く書いている。
ペルシャ文学を愛好したオスマン朝でも言わずもがな。
424世界@名無史さん:2007/06/22(金) 05:43:17 0
日本酒って厳密にはコーランで言うところの「酒」に該当しないんだな。
425世界@名無史さん:2007/06/22(金) 06:24:45 O
「ぶどうの精」ですね>クルアーン。そういえばセリム二世の二つ名が「酩酊者」なのは、暗愚だったからなのか実際アル中だったからなのか。
426世界@名無史さん:2007/06/23(土) 01:46:47 0
キプロス島を征服したのはワインの名産地だったからとか言われてたらしいな>セリム二世
427世界@名無史さん:2007/06/26(火) 09:20:44 0
宮殿から通行人を銃で狙って撃ったりしたスルタンっていませんでした?
428世界@名無史さん:2007/06/26(火) 15:04:19 0
オスマン海軍提督は南極大陸の地図までつくっていたのだあああああ
429世界@名無史さん:2007/06/26(火) 18:02:49 0
大西洋の海賊の話は面白いが、
オスマン自体とはあまり関係無し。倭冦みたいなもんだな。
430世界@名無史さん:2007/06/26(火) 22:05:21 0
興亡の世界史の「オスマン帝国500年の平和」を書かれる予定の
林佳世子教授ってオスマン帝国研究で有名なの? 全然著作知らないんだが。
431世界@名無史さん:2007/06/26(火) 22:12:51 0
>>430
山川出版社『世界史リブレット』の『オスマン帝国の時代』
432世界@名無史さん:2007/06/27(水) 23:59:36 0
NHK-Eの高校講座でもチョクチョク見るね。
433世界@名無史さん:2007/06/28(木) 19:11:25 0
なるほど。美人ですか?
434世界@名無史さん:2007/06/28(木) 19:45:39 0
興亡の世界史は今のところ駄目駄目なのばかりだな。
オスマンには多少の期待はしているが
果たしてどこまで詳述できるか心配だ。
435世界@名無史さん:2007/06/29(金) 03:46:37 0
>>434
そう? イスラームもムハンマド時代の記述が多くて面白かったし、
唐も著者の意気込みが感じられてし、
ロシアも概説書としてかなり読みやすかったし、
大英帝国もあったし、
遊牧民のも興味深かったし、
結構好きなシリーズなんだが。
436世界@名無史さん:2007/07/02(月) 19:09:13 0
>>434
多分、こんな構成

エルトゥルル・オスマン時代→バヤジット1世とアンカラの戦い
→メフメト1世の帝国再建→メフメト2世のコンスタンチノープル陥落
→セリム1世のエジプト戦役→スレイマン1世の治世→ムハンマド=アリーのエジプト独立
→WWTと帝国解体
437世界@名無史さん:2007/07/03(火) 23:47:12 0
汚い雄マンだなぁ
438世界@名無史さん:2007/07/06(金) 07:42:25 0
オスマン朝歴代スルタンで最も男色を愛好したのは誰でしょうか?
またスルタン以外の著名なトルコ帝国臣民で男色好きで名高いのは
誰と誰ですか?
ちなみに、メフメト2世やスレイマン大帝に関しては誰でも知っている
でしょうから、出来れば彼ら以外の人々に就いて教えて下さい。
439世界@名無史さん:2007/07/06(金) 12:40:53 0
氏ね
440世界@名無史さん:2007/07/06(金) 19:42:51 0
オスマンの軍事に詳しい本って何かあるかなあ…
気になってきた
441世界@名無史さん:2007/07/07(土) 18:55:03 0
オスマン海軍提督は南極大陸の地図までつくっていたのだあああああ


442世界@名無史さん:2007/07/10(火) 20:23:55 0
でも、末裔はNYでタクシードライバー
443世界@名無史さん:2007/07/11(水) 01:06:13 0
オスマンはなぜ衰退したのか?
444世界@名無史さん:2007/07/11(水) 16:37:49 0
>>443
スレイマンが結婚なんかしたから・・
445世界@名無史さん:2007/07/11(水) 22:48:48 0
スレイマン大帝のハンガリー征服からカルロヴィッツ条約までの
トルコとハプスブルクの戦争について詳しい本ってありますか?
446世界@名無史さん:2007/07/12(木) 05:29:21 0
タクシードライバーってよく聞くけどソースを見たことが無い
447世界@名無史さん:2007/07/12(木) 15:27:29 0
>>446
そういや、そうだね
448世界@名無史さん:2007/07/12(木) 19:55:30 0
>>446
俺、商社マンやってるっつうの読んだけどな。
ソース不確かな奴だけど
449世界@名無史さん:2007/07/14(土) 19:58:44 0
男系子孫は絶えたという
450世界@名無史さん:2007/07/16(月) 06:14:59 0
エルトゥールル・オスマン5世の後継者はアブデュルメジド1世の子孫になるらしい
451世界@名無史さん:2007/07/17(火) 14:58:34 0
オスマンは非西洋で唯一西洋に対抗出来た
偉大なる帝国。
452世界@名無史さん:2007/07/17(火) 15:50:32 0
>>451
おまえがアケメネス朝やイスラム各王朝どころかモンゴルすら知らないのはわかったから、
もう二度と湧いて出ないように。
453世界@名無史さん:2007/07/18(水) 02:45:32 0
>>446-448
ここ数年前だったか、一度トルコに行っているはずなので、
そのときの新聞記事などを探ってみては?
454世界@名無史さん:2007/07/18(水) 10:13:16 0
>>453
どうやって?興味あるけど・・。
455世界@名無史さん:2007/07/20(金) 09:44:07 0
>>442-448
『講座イスラム2 イスラム・転変の歴史』(筑摩書房、1985年)の中の
設樂國廣「現代のトルコ ―イスラムと世俗主義の問題点― 」によると、
国家秩序党(のち国家救済党)が連立内閣をつくった1974年、1975年、
1977年にはイスラム政策が進められ、ケマル主義の擁護者であるべき共和人民党
にさえ譲歩を求め、オスマン一族の帰国許可を実施させた、
とあるぞ。
456世界@名無史さん:2007/08/04(土) 05:08:14 0
他の王子を皆殺しにして(後には幽閉)スルタンに即位するのでオスマンには王族なし。
457世界@名無史さん:2007/08/09(木) 17:51:36 0
>>456
そのせいで中〜後期オスマン朝では王子は宮中に軟禁状態で
麻薬中毒やらアル中患者ばかりだったそうな。
458世界@名無史さん:2007/08/09(木) 18:08:15 0
一生オナニーで宮中に監禁
459世界@名無史さん:2007/08/09(木) 18:09:53 0
オスマン王朝崩壊後。亡命したスルタン一家のほかの、宮中に居た女、宦官、王子は野垂れ死に?
460世界@名無史さん:2007/08/09(木) 18:13:53 0
>>459
女=実家(祖国)に帰って普通に結婚して普通に生活した。
宦官=記録は無いが、ヒゲが無い為差別されて不遇だったと思う。
王子=オスマン王家は全員、国外追放されました。
461世界@名無史さん:2007/08/11(土) 21:48:39 0
音楽、料理、人々の容姿・・
ギリシャとトルコは、実は、同じビザンチンの後継者らしいね

462世界@名無史さん:2007/08/17(金) 15:18:16 0
>>461
そりゃそうだろ。ビザンチンはギリシャ人の国家だったわけだし、
オスマン帝国はビザンチンを受け継いだわけだから。征服という形
ではあったにせよね。トルコ人は、自分たちはビザンチンの子孫だと
考えているようだよ。
463世界@名無史さん:2007/08/21(火) 04:16:15 0
>>462
皇帝からにして「ルーム・カイセリ(ローマ皇帝)」を自称してたわけですし。
464世界@名無史さん:2007/08/21(火) 08:45:25 0
それ、よく聞くけど
ロシアの「ツァガン・ハーン」と同じぐらい要出典な感じが
465世界@名無史さん:2007/08/22(水) 07:28:27 0
>>462
考えていた、が正しい
オスマン帝国を否定的に捉えがちな今の共和国でそんなこという人間は殆どいない
466世界@名無史さん:2007/08/29(水) 21:04:25 0
パーディシャーって「主人たる王」って意味なんだな。
日本語ウィキペには「大王」とが説明されてたけど
あてになんねーな。
467世界@名無史さん:2007/08/29(水) 22:34:13 0
>>465
なので、「我々はフランス人の千倍もビザンチンの子孫である」
なんていう当たり前の新聞記事が、なぜか注目されたりするわけですな。
ttp://www.neo-pro.jp/makoto/shinbun/honbun/00105.html

>>466
そりゃ、直訳すれば「王の中の王」なのに「皇帝」と訳すことがあったりするわけだし、
誤訳ではなく意訳の範疇でしょ。
468世界@名無史さん:2007/08/30(木) 02:19:08 0
オスマン朝関係の本で皇帝を指す言葉として
「ヒュンキャール」ってのも載ってた気がしますが
これもペルシア語ですかね
469世界@名無史さん:2007/08/30(木) 19:53:13 0
ぐぐってもよくわからん。
アルファベットの綴り教えて…。
470世界@名無史さん:2007/08/31(金) 01:11:26 0
多分hunkar
471世界@名無史さん:2007/08/31(金) 05:02:59 0
ウムラウトとかつくんじゃないの?
472世界@名無史さん:2007/08/31(金) 22:24:00 0
単に支配者って意味っぽいな。
473世界@名無史さん:2007/08/31(金) 22:37:05 0
hunkar ruler
でググったらなんか出てきたな。
でも、そこのサイトもちょっと(´・ω・`)なんだが。
パーディシャーを主権者とか呼んでるし
あまつさえスルタンはプリンス(多分「公」」の意)
…少なくともマリクより上位の称号なんですけどw
474世界@名無史さん:2007/09/01(土) 21:26:09 0
ベイ、べクとマリクはどっちが上位ですか?
475世界@名無史さん:2007/09/01(土) 23:31:52 0
>>468
勝田茂『オスマン語文法読本』(大学書林、2002年)では、
hukum-dar(uはいずれもウムラウトがつく)は、統治者、王
という意味になっていた。
476世界@名無史さん:2007/09/15(土) 08:10:44 0
>>427
1980年代、内戦中のレバノンのベイルートへ行く「銃を撃ってみませんか?」ツアーが
欧州で募集されていた。

安全な建物から射撃し放題だったそうだ。参加者には女性もいたそう。
477世界@名無史さん:2007/09/15(土) 11:15:06 0
壮麗者スレイマン大帝は地中海世界+オリエント世界の皇帝で
アレクサンドロスの後継者を意識してたらしい。
ローマ皇帝とペルシア皇帝を足したようなもんか。
478世界@名無史さん:2007/09/15(土) 19:36:29 0
その「アレクサンドロス」は欧米人が想像するような「マケドニアの王アレクサンドロス3世」
じゃなくて、「イスカンダル・ズルカルナイン」の方になるはず。>スルタン・スレイマン1世

イスカンダルは「ルームとイーラーン(ファールス、アジャム etc.)の帝王」と名乗っているから、
その後継者を名乗るとなると、図らずも「ローマ皇帝とペルシア皇帝を足したようなもん」に
なっちゃうけど。
479世界@名無史さん:2007/09/15(土) 21:28:07 0
アレクサンドロス大王は
「マケドニア王」としか名乗ってないよな?
480世界@名無史さん:2007/09/16(日) 15:51:36 0
てか同一人物じゃんw
481世界@名無史さん:2007/09/17(月) 06:23:00 0
志村ー!文脈文脈!
482世界@名無史さん:2007/09/23(日) 16:42:15 0
サロニカ(テッサロニキ)は、現在はギリシャ領であり、ギリシャ第二の
都市である。ギリシャ領であるけれども、それは、マケドニアの都市である。

オスマン・トルコ帝国時代には、サロニカは、トルコ領であり、
イスラム世界の都市である。

しかし、二十世紀初頭、サロニカの人口14万人。
そのうち、ユダヤ人が8万人。サバタイ派の隠れユダヤが2万人。
つまり14万人中、10万人は公然たるユダヤと、隠れユダヤ。

このサロニカを基地として、オスマン・トルコ帝国の転覆を目的とする
青年トルコ党の運動が組織された。そしてその青年トルコ党の正体は、
サバタイ派隠れユダヤであった。

C・J・ビェルクネスの「アルメニア人キリスト教徒に対するユダヤ人
による皆殺し的大量虐殺」は、このサバタイ派隠れユダヤ教と、
そのメシアとしてのロスチャイルドの問題を真正面から取り上げる。

483世界@名無史さん:2007/10/03(水) 19:40:25 0
オスマン家は本当に中央アジアから来たんだろうか?土着の山賊みたいのが
オスマン家になったという説もあるのだがどっちが本当だろう?
484世界@名無史さん:2007/10/04(木) 01:19:09 0
>土着の山賊みたいのがオスマン家になったという説

詳しく
485世界@名無史さん:2007/10/04(木) 10:03:34 0
>>483
エルトゥールルだったら、中央アジアから来たはずだが・・。
アナトリアの土着の山賊とは聞いたことがない。
どこで聞いた説よ?
486世界@名無史さん:2007/10/04(木) 12:09:49 0
>>283
オスマン家は、セルジュークではなく、ペチェネッグやクマン起源であるかもしれませんな。
オスマン家が、元来はビザンツ側で、機を見て独立した可能性は、ないとは言えませんな。
487世界@名無史さん:2007/10/04(木) 14:12:06 0
どっちかというとモンゴル側では?
14世紀の「書記典範」という本にイルハン朝に臣従する小アジアの諸侯のひとりに
「オルハン」という名があり、オスマン朝第二代のオルハンじゃないかと言われてるらしいが。

ドゥルカドル君候国かどっかはもろ山賊の出身だったような。
488483:2007/10/04(木) 19:07:38 0
>>484-485
>>486-487を参照。エルトゥールルが中央アジアから来たってのも伝説であって史実かどうか分からないんだよな。
だからといってそく山賊だとは言わないけどそっちのが可能性が高いというのを本で見た。
まぁ確実なことは誰もよく分からないんじゃないか?ただ自分もビザンツ側の人間が周りが弱体化した隙を見て独立したと思う。
489487:2007/10/04(木) 19:17:19 0
484も自分なんだが・・・

某君候国が山賊といってもルーム・セルジューク朝の枠内での話
490世界@名無史さん:2007/10/05(金) 11:45:45 0
山賊だったのはドゥルカドルじゃなくてカラマン君候国でした。
ルーム・セルジューク朝によってアルメニアの旧領に配されたトゥルクメンの出自で
炭焼き業を営んでいたが山賊を組織してのちにルーム・セルジューク朝に
用いられた。
491世界@名無史さん:2007/10/07(日) 08:30:53 0
あげ
492世界@名無史さん:2007/10/14(日) 08:11:12 0
あげ
493世界@名無史さん:2007/10/15(月) 17:11:23 0
イスラム武装組織が皇帝になるようなもんか
494世界@名無史さん:2007/10/15(月) 19:54:07 0
アルメニア人虐殺の話あんまり話題になっていないね。
オスマン帝国でジェノサイドって、凄いスキャンダラスな気がするけど。
495世界@名無史さん:2007/10/16(火) 01:32:15 0
アンドレ・クローの「メフメト2世」なんか読むと
小規模な殺戮は珍しくなかったようだが
496世界@名無史さん:2007/10/16(火) 03:14:24 0
セリム一世なんかシーア派の粛正してるしな。
隣国のサファヴィー朝がプロパガンタ攻勢(オスマン国内のシーア派勢力を扇動)に出たからカウンターで。

文明「間」の衝突より、文明「内」の亀裂の方がよっぽど先鋭だという見本。
497世界@名無史さん:2007/10/16(火) 14:27:31 0
>>494
アメリカ人の祖先によるアメリカ大陸先住民の大虐殺にくらべれば
たいしたことないんじゃね?だから、今のトルコも怒っているので
はないか?
498世界@名無史さん:2007/10/16(火) 14:29:41 0
雄マンコ帝国wwwwwwwwwwwwwwwwwww
499世界@名無史さん:2007/10/16(火) 20:44:08 0
正直、オスマン帝国については、ヨーロッパの啓蒙主義者によるちょっと理想化
されたイメージをそのまま受け取っていた。

現在非常に殺伐としたイメージのある旧ユーゴスラビアやイスラエル、イラクを
300年以上にわたって統治していたっていう実績もあったし。

滅亡直前とは言え、オスマン帝国でもジェノサイドはやっていたのか…という
感想を抱く。

「オスマン帝国にだってジェノサイドはあった。別にアメリカやヨーロッパだけが
野蛮なわけじゃない。」みたいな思いがアメリカ側にはあったのか。
500世界@名無史さん:2007/10/16(火) 22:40:23 0
ていうか、オスマン帝国が次第に行き詰まり、民族間の軋轢が生じ、
民族主義が高じてさらに軋轢が深まり、帝国はさらに行き詰まり…
その果てにアルメニア人虐殺とかギリシャとの戦争とかが起こり…

その結果とっても民族主義で我が国万歳なトルコ人やギリシャ人や
アルメニア人やその他バルカンや中東諸民族が現存するわけで。
501世界@名無史さん:2007/10/16(火) 22:53:03 0
>>499
とりあえず、青年トルコについて30秒程度調べてからモノを言ってくれ。
502世界@名無史さん:2007/10/16(火) 22:57:01 0
アルメニア人虐殺の真相や規模についての議論はともかく、
「野蛮なイスラム教徒のトルコ人」の支配下で呻吟している
キリスト教徒の同胞(ギリシア人の場合はヨーロッパ文明の
生みの親でもある)を救え!とか言って、バルカン・中東進出の
格好の口実を得た18世紀とか19世紀のヨーロッパ列強と重なる罠。
503世界@名無史さん:2007/10/17(水) 09:39:08 0
アルメニア人の虐殺って、ケマル以前の話?
それともケマルも関わっている?
504世界@名無史さん:2007/10/17(水) 11:55:05 0
何でそんな話題にと思ったらアメリカがそんな避難決議をしてたのかw

オスマン皇帝に限って言えば後期の皇帝は無能のオンパレードでズブズブgdgdだよな。
オスマン帝国は初期の栄光を何百年ももたせたって意味で凄かったんだと思う。
それだけ初期のシステムがすごかったというか、
あの地域であの規模を近代まで良く維持できたと思うよ。
505世界@名無史さん:2007/10/17(水) 18:41:01 0
>>499

>>482 で、虐殺の主犯はユダヤ人であることが暴露されている。
506世界@名無史さん:2007/10/17(水) 20:25:16 0
>>504
>>206

いつの時代の概説書読んでるんだチミは…
507世界@名無史さん:2007/10/18(木) 20:23:10 0
>>504
そのシステムは、封建制度=イクター制、ビザンツ式官僚制、双方に負うものが大きかったのかな
508世界@名無史さん:2007/10/23(火) 11:51:31 0
【開戦前夜】10万の兵力と戦車などを国境に展開。数日中にイラクへ侵攻【トルコ軍】
http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1193104828/

トルコのエルドアン首相は22日夜、オックスフォード・ユニオンで講演し、イラク北部を拠点とする
トルコの非合法武装組織、クルド労働者党(PKK)について「数日中に期待する発展が見られないなら、
われわれの置かれている状況に対処しなければならない」と述べて、米国やイラク政府がPKKの
越境攻撃を阻止しない場合、数日中にイラク北部に侵攻する考えを示した。

首相は、軍人の叔父をPKKとの戦闘で亡くしたというオックスフォード大学のトルコ人女性留学生の
質問に答え、「これ以上、テロ組織にトルコ兵が殺されるのを容赦できない。忍耐の限界に来ている」として、
PKKを放置しているイラク政府を厳しく批判。その一方で、最後まで外交努力を続け、
イラク駐留米軍やイラク政府の対応を待つ姿勢もにじませた。

ロイター通信によると、トルコ軍はすでにイラク北部の国境沿いに戦車や戦闘機、戦闘ヘリなど
10万人の部隊を展開しているが、首相は講演のなかで、侵攻は国際法に基づく個別的自衛権の
行使に当たり、地上部隊による侵攻ではなくPKKの拠点だけを狙って空爆する考えを示唆した。

トルコ政府は、21日にPKKがトルコ軍を攻撃、トルコ兵12人が死亡したことから態度を
一層硬化させている。

同首相は23日、ブラウン英首相と会談する予定で、PKKに対処するよう米国やイラク政府への
働きかけを要請する。

「PKKへの対処なければイラク北部に侵攻」 トルコ首相 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/071023/erp0710231012002-n1.htm
509世界@名無史さん:2007/10/23(火) 15:26:46 O
雄マントルコ
510世界@名無史さん:2007/10/24(水) 00:15:50 0
現トルコ軍にイェニチェリという名のエリート部隊がいるだけで志気が凄く上がりそうだと思うのは俺だけか・・
511世界@名無史さん:2007/10/24(水) 04:13:10 0
現トルコは共和国とケマルマンセーでオスマンは半ば黒歴史じゃない?
512世界@名無史さん:2007/10/24(水) 04:14:23 0
特に軍部は
513世界@名無史さん:2007/10/24(水) 16:03:16 0
これを機にウィーン包囲にまで発展したらワクワクするのだが・・。
514世界@名無史さん:2007/10/24(水) 17:51:54 0
トルコの英字紙 Turkish Daily Newsは、北イラクのクルド地域への越境
攻撃問題、米国下院のアルメニア人虐殺非難決議案問題、北キプロス
問題に関する三本の記事を載せている。

この三つの問題ではトルコは非常に強硬であり、一切譲歩の姿勢を
示していない。それどころか、米国に対しては制裁を検討している。
イラク情勢混迷で弱体化したとは言え、超大国である米国に制裁を行う
とは夜郎自大も甚だしいのだが、トルコ政府は姿勢を変更するつもりは
ないようだ。トルコ国民も恐らく対米制裁に賛成していることだろう。

イラク北部のクルド人地域への越境攻撃問題でもトルコの姿勢には
問題がある。トルコはイラク北部のクルド人自治地域を承認しておらず、
バグダッドのイラク政府だけを相手に交渉している。しかし、バグダッド
の中央政府がクルド人自治地域に行使できる影響力は限界がある。

クルド人自治地域の大統領がトルコ軍が侵入したら反撃すると述べた
ことはTurkish Daily NewsとBBCが報道しており、情報の信頼性は高い
だろう。トルコ軍の侵入は確実に、トルコ対クルド人の全面戦争を引き
起こすのだ。それによって、従来はトルコの国内問題であったクルド人
迫害問題は、一挙に国際問題に格上げされてしまう。トルコにとっては
有利とは言えない事態である。

北キプロス問題でも、北キプロス・トルコ共和国のMehmet Ali Talat
大統領は非常に強硬であり、常にEU側、キプロス共和国側の譲歩を
要求している。これはトルコ政府の意志の反映と見て間違いないだろう。
しかし、トルコ側にはEU側を譲歩させるための交換条件が何もないのだ。

トルコ側が強硬姿勢を貫けばEUは折れてくるという甘い考えは、実際には
成り立たないであろう事は賢明な人なら理解できると思うが、トルコ国内
ではそれに気付く人は少ないか、居ても気付かない振りをしているのだろう。
そして、政府の強硬姿勢に国民は大喝采を送っているのだろう。
515世界@名無史さん:2007/10/24(水) 17:52:48 0

米国下院でアルメニア人虐殺非難決議案の審議が延期されたことは
トルコの強硬姿勢の勝利であり、トルコ国民は「超大国米国でもトルコが
脅迫すれば譲歩するのだから、EUにも強硬姿勢を貫けばきっと譲歩して
くるだろう」と考えているのかもしれない。

私は、トルコ外交に見られるこれらの強硬姿勢はトルコを破滅的大戦争に
突入させ滅亡させることになると想像する。そして、自国を滅亡させることで
北キプロスのトルコ系住民・イスラム原理主義的で所得の低いアナトリア
高原のトルコ人・所得の低いトルコ東部のクルド人などの不良資産を一挙に
切り捨てて、世俗主義的で所得の高いイスタンブール地区やイズミル地区に
住む支配階層だけから成る小国を成立させることをトルコ政府は狙っており、
その為にマスコミを通じて対外強硬論を国民に植え付けているのではないか。

この事態は、事大主義的で集団の利益のために自己犠牲を払うという精神
のない朝鮮人や、国際金融資本の支配に迎合するばかりの漢民族といった
大東亜共栄圏の不良資産を敗戦によって一挙に切り捨てて日本人だけから
成る国家を作るためにマスコミを通じて対米・対中強硬論を国民に植え付けた
(と私は想像している)第二次大戦直前の日本とそっくりである。

「強硬姿勢をとれば米国は譲歩する」と主張した当時の松岡外相と、
「強硬姿勢をとればEUは譲歩する」というMehmet Ali Talat大統領の主張
(北キプロスがトルコの傀儡国家であることを考えると、トルコの主張とも言える)
はあまりに似通っている。また、イラク北部クルド人国家の存在を認めず、
従って交渉相手としても認めないトルコ政府の姿勢は、1938年1月16日に
「爾後国民政府ヲ対手トセズ」と宣言して日中戦争での交渉相手を失うことに
なった第1次近衛文麿内閣の再現である。

そして、第二次大戦での日本の悲惨な敗北と、近未来のトルコが被る破滅的
敗北もまた似通ったものになるだろうと私は想像する。日中戦争が英国から
米国への世界覇権の移動時期に当たっていたのと同様に現在は米国から
EUへの世界覇権の移動時期であることも類似点であろう。
516世界@名無史さん:2007/10/25(木) 04:34:37 0
電波な陰謀論乙

とはいえ、トルコの状況は確かに30年代の日本とよく似ている
517世界@名無史さん:2007/10/25(木) 11:39:11 0
トルコ軍のイラク空爆が始まったぞー
http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1193256722/

トルコ軍、イラク国境付近を空爆

トルコ軍は24日、イラク国境沿いのトルコ南部にあるクルド人武装組織
「クルド労働者党(Kurdistan Workers' Party、PKK)の拠点を空爆した。
半国営アナトリア(Anatolia)通信が伝えた。

 報道によると、空爆は山岳地帯の拠点を中心に実施されている。

 今回の掃討作戦は、イラクに隣接するシュルナク(Sirnak)とハッカリ(Hakkari)、
およびイランと隣接するシイルト(Siirt)とバン(Van)の4県で実施された。

 なおPKK掃討作戦は現在、空軍の援護を受けて、トゥンジェリ(Tunceli)で実施されているという。(c)AFP

ttp://www.afpbb.com/article/war-unrest/2302469/2278774


クルド人がこっちにクルドー!
518世界@名無史さん:2007/10/25(木) 11:43:10 0
おお、始まったか!
あの太鼓の笛の有名な曲を演奏して出撃したのかな?
オスマン時代みたいに。
519世界@名無史さん:2007/10/25(木) 16:21:41 0
>>517
ん? 越境はしていないような
520世界@名無史さん:2007/10/25(木) 18:11:58 0
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/greece/index.html
地図見て思ったけど、ギリシャってトルコ沿岸の島まで領有していて、トルコにしたら
出口を塞がれているようで目障りでしょうがないだろうな。
521世界@名無史さん:2007/10/25(木) 18:47:13 0
まあ、アナトリア半島からギリシャ人を追い出し、イスタンブールと
その後背地の東トラキアを確保できただけでもよしとすべきじゃない?

非常に重要なダーダネルス海峡、ボスポラス海峡のどちらも確保
できているわけだし。
522世界@名無史さん:2007/10/25(木) 22:14:52 0
【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ
   \ <!>+\ 『ポーランド侵攻直前の 1939年8月22日の演説』より

「我々の強さは我々の迅速さと残忍さにある。
チンギス・ハンは、何百万もの女子供を、意図的にためらうことなく死に追いやった。
(しかし)歴史はただ彼を偉大な建国者と見るだけだ。

弱腰の西欧文明諸国が私について言っていることなど、意に介す必要があろうか。
私は命令を下したのであり、一言でも批判を口にするものは誰でも射殺する。
なぜなら、この戦争で達成すべき目標は、特定のラインに到達することではなく
敵の肉体的抹殺だからだ。それゆえ私は目下東方においてのみ、SS (ナチ親衛隊)
の髑髏部隊 (Totenkopfverbande der SS) を投入し、容赦なく無慈悲にポーランドの
血統や言語をもつ多くの女子供を殺すよう命じた。

それによってのみ、我々は必要な生存圏を獲得することができる。
結局のところ、今日誰がアルメニア人の虐殺について口にするだろうか ?」
523世界@名無史さん:2007/10/26(金) 08:02:10 0
>>522
これは総統が?ハーンの名前を出すなんて意外だ
524世界@名無史さん:2007/10/26(金) 09:03:24 0
Cuneyt Ulsever コラム:クルド労働者党(PKK)の背後にいるもの
2007年10月23日付 Hurriyet紙

専門家たちは、PKKのこの前の野蛮な攻撃が大規模な計画を練り、技術的装備と後方支援(の水準)が高く、
非常にしっかりとした教育を受けているテロリストたちによって行われたと言っている。
彼らを誰かが支援し、食べ物を与え、育成しているのは明らかだ。
テロ組織に関連して、世界で例外なく当てはまる1つの法則がある。テロ組織が基地を長期間維持できているなら、
必ずやその背後には1つ、さらには複数の国の存在がある、ということだ。
誰かがPKKを通じて我々をイラクに引っ張り出したがっている。
PKKの背後にいるのは誰なのか?

* * *

トルコでまず初めに思い浮かぶ国はアメリカだ。
2番目に怪しいのが北イラクのクルド人政府。
アメリカがあれやこれやの理由によりPKKの北イラクにある基地(の存在に)目をつむっているのは事実だ。
北イラクのクルド人政府も、トルコに自分たちとの交渉の席に着かせるために「PKKという武器」を使い、トルコに
「我々と直接関係を築き、我々に脅威を与えるのをやめるなら、我々の側もPKKのテロをどのように止めるかご覧あれ!」
という意味のメッセージを送ったのもまた事実だ。
しかし!
トルコ軍が北イラクに侵攻し、地域をところどころ吹き飛ばし、ペシュメルガ(クルド人民兵組織)とにらみ合いをし、
他方でアメリカ軍と敵対状態となることは、アメリカあるいは北イラク政府の仕事ということになろうか?
アメリカは、中東における唯一の強固で強力な同盟国と、PKKを扇動しながら敵対することができるだろうか?
アメリカが地域から撤退した後、イラクのシーア派、スンナ派、さらにアルカイダのようなテロ組織からさえも共通の
標的とされるであろうことを知っているクルド人政府は、味方にはつけられないにせよ、トルコを完全に失いたいと思うだろうか?
私の考えではアメリカも、北イラク地域政府もこれほど愚かであるはずはない!
525世界@名無史さん:2007/10/26(金) 09:03:56 0
話を反対側から取り上げよう。
トルコは、誰とも同盟せずに北イラクに長期間侵攻すれば、我々の誰もが知っているように 

i)アメリカは地域における強固で強力な唯一の同盟国を失い、イスラエルを除いて地域で孤立する、

ii)トルコは中東で、発言力のある有力国ではなく、望まれず孤立した国となる。例えば、12月の初めに
イスタンブルで開かれる予定の「イラク隣接国会議」は完全に無意味なものとなる。

こうしたことを(1つ、あるい複数の)誰が望むのか?

* * *

1)(中東)地域におけるアメリカの広がりに欠く政策から最も利益を得たのはイランであることは誰でも知っている。
個人的に大きな関心を払って見ているイランは、中東の地域帝国となるために非常に巧みな政策をとっている。
その目的は、アメリカが最後の最後に中東の泥沼から抜け出すのにその深みにはまり込むことである。イランは、
シリアを直接に、レバノンの指導者の一部をシリア経由で、またヒズブッラーとイラクの一部民兵組織、さらに
スンナ派のハマスを地域で指揮している。

2)ロシアと中国はといえば、世界で急速に力をつけ、新たに(再度)輝いている、そしてアメリカのポジションに目を
つけている、世界帝国の候補国である。いま1つ力をつけている巨大国インドがどちらの側につくかはまだ明らか
ではない。

しかし、中国+ロシア+インドの経済は、2025〜30年ごろにはアメリカ+EUの経済を追い抜くことが可能であることが
知られている。我々が慣れ親しんだ西洋中心の世界は、東洋中心の世界に変わりうる。そもそもアメリカは、
中東でのエネルギー資源に目をつけている一方で、北方におけるエネルギー資源とロシア・中国の双方を
アフガニスタン経由で押さえ込もうとし、(ロシア・中国の)同様の算段をひっくり返そうと努めている。

* * *

個人的には、PKKの等式をこの視点からも見ることが必要だと考えている。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20071025_034457.html
526世界@名無史さん:2007/10/26(金) 18:10:19 0
普通のレスにして、普通に進めようや。
527世界@名無史さん:2007/10/31(水) 17:04:40 0
昨日のNHK BSでトルコの特集をやっていた。
越境攻撃、本当にありそうですね。
528世界@名無史さん:2007/11/03(土) 00:36:20 0
うむ、どーだかな。
529世界@名無史さん:2007/11/03(土) 00:42:53 0
オスマンって元々はモンゴルのトルコ系諸侯だったのね。
530世界@名無史さん:2007/11/03(土) 21:45:05 0
>>529
アラブやクルド人は部族社会なのに、トルコ人はなぜそうじゃないんだろ?
531世界@名無史さん:2007/11/03(土) 22:27:58 0
西遷するにつれ混血したからだろ。
それに奴隷をずいぶん東欧やロシアから入れて、彼らが成り上がったりしたし。
他民族国家の最たる国だ
532世界@名無史さん:2007/11/03(土) 22:30:33 0
イスタンブールのトルコ人は特に混血が進んでて、真っ青な目やエメラルドのような
緑の目の人がよくいてビックリする。
白人の場合色素が薄いから青い目っていっても、本物の青じゃないんだけど
トルコ人の場合、色素が濃いので青や緑の色が本当に濃い。
宝石みたいな目だ。ほかの国であんな風な混血のしかたはあまりみないなあ。
欧米、いろんな国に行ったけど。
533世界@名無史さん:2007/11/03(土) 22:33:47 0
カラーコンタクトじゃないの?
534世界@名無史さん:2007/11/03(土) 22:40:34 0
混血うんぬんよりも
オスマン朝創設期に遊牧民的な部族連合からビザンティンを模倣した国家への転身を図ったのがあって
アナトリアの他のチュルク系の民もオスマン朝に吸収されていくうちに部族が解体されていったのでは?
535世界@名無史さん:2007/11/03(土) 23:06:00 0
オスマン朝はある意味ビザンティン帝国の後継者だからな
そう考えるとイタリアを初めヨーロッパ支配を目指してたというのは旧ローマ帝国領内再統一の意味をも含んでたんじゃない?
ビザンティン帝国を滅ぼしたのではなく、その後を継いだと解釈できる
536世界@名無史さん:2007/11/04(日) 00:31:53 0
イスタンブールとその他のアジア側地域では人種構成もけっこう
違うんじゃね?
537世界@名無史さん:2007/11/04(日) 00:33:35 0
トルコは内陸に行けば行くほど、住人の顔がモンゴル顔になる。
538世界@名無史さん:2007/11/04(日) 00:53:38 0
>>537
東はクルド人
539世界@名無史さん:2007/11/04(日) 00:55:58 0
>>538
クルドは一部地域以外はトルコ国内どこでも少数派だっつーの。だいたい首都のアンカラだって相当内陸なのに
あそこに住んでるのはクルド人だとでも言いたいのかw
540世界@名無史さん:2007/11/04(日) 01:07:50 0
クルド人がクルドー
541世界@名無史さん:2007/11/04(日) 01:18:40 O
>>532
スルタンの孫がヨーロッパでトルコ人ですって言ったら
ギリシャ系トルコ人なのねと勘違いされてる
外見は白人にしか見えんかったらしい
542世界@名無史さん:2007/11/04(日) 01:23:46 0
スルタンは別格じゃないかな
ほぼ代々ヨーロッパ人奴隷が母親でしょ
543世界@名無史さん:2007/11/04(日) 01:24:34 0
オスマン家は今はどこに住んでるんですか?
544世界@名無史さん:2007/11/04(日) 01:38:29 0
アナトリアではトルコ化した元ビザンツ臣民がかなり多かったらしい。
それと>>587の内陸の話とどう繋がるのかはわからないが。
(内陸だけでなく沿海部もトルコ系諸侯国が押さえていた訳だが)
545世界@名無史さん:2007/11/04(日) 02:10:47 O
>>543
だいぶ昔に聞いた話だけどニューヨーク
546世界@名無史さん:2007/11/04(日) 02:24:27 0
>>545
ニューヨークだと白人と同じと見なされて生活をしてるんでしょうね
547世界@名無史さん:2007/11/04(日) 06:15:13 0
アナトリアのトルコ人自体、土着の人がトルコ語話すようになってトルコ化したのが主流でしょ
548世界@名無史さん:2007/11/04(日) 12:15:08 0
>>547
ついでにいうと今のギリシアのギリシア人の主流と言うのは、土着したスラブ人がギリシア語を話すようになって
ギリシア化した連中だったりする。
549世界@名無史さん:2007/11/04(日) 13:05:25 0
>533
6才くらいのガキでそういう目の香具師を見た。
つーかイズミルで取らせてもらった現地の子供たちの写真の中に写ってる。

ちょっとびっくりしたよ。
550世界@名無史さん:2007/11/04(日) 13:40:23 0
要するに今のトルコ人=トルコ族ではないということだね
首都アンカラとイスタンブールの人とでは顔が違うと思う
イスタンブールはどちらかというと肌の色が白く、髪の毛は茶または金髪で、目の色はブルーもしくは緑の人が多い気がする
だが地理的にはアジアだからカザフスタンやイスラエルと同じだから、EUには加盟出来ないのは無理も無い。
ブルガリアやギリシアやキプロスがEUに加盟できるのはギリギリ、ヨーロッパだから
551世界@名無史さん:2007/11/04(日) 14:14:40 0
>>550
つーか、トルコ族ってのは騎馬民族なんだから、それこそ古代から民族的にはハイブリットな存在だよ。
終始一貫して「トルコ語を喋り自分をトルコだと思っている」人間がトルコ人。
人種論的考え方は全く当を得ない。
552世界@名無史さん:2007/11/05(月) 00:59:56 0
>>548
ペロポネソス半島だと移住してきたスラヴ人は先住民とは別に「スクラヴォニア」
と呼ばれる居留地を作って暮らしてたようですが、バルカン半島の多くの地域のように
住民構成を入れ替えるところまではいかなかったのではないでしょうか?
553世界@名無史さん:2007/11/05(月) 16:23:30 0
>>552
ビザンツ時代にはペロポネソスの人口が希薄になってスラブ人殖民が行われたぐらいなんだから、
入れ替わっていないとは思えないけどなぁ。
554世界@名無史さん:2007/11/06(火) 01:12:53 0
そうだとするとスラヴ語の優勢な地域とギリシャ語の優勢な地域がどういう要因で分かれたんでしょうか?
ビザンツ帝国の政策なんかと関係あったりするのかな?
555世界@名無史さん:2007/11/06(火) 05:58:35 0
ギリシャ人が煙のように消えるとも考えがたく、近代ギリシャ人は土着ギリシャ人とスラブの混血なのでは?
現代だとさらにトルコを追放されたキリスト教徒(素性は多様)の血が混じって
訳のわからないことになってるはずだが。
556世界@名無史さん:2007/11/06(火) 08:56:38 0
しかしほぼ完全にスラヴ化してしまったブルガリアやマケドニア、ユーゴスラヴィアの
先住民も煙のように消えたとも考えにくい

>キリスト教徒(素性は多様)

サラディンなんかは十字軍のトルコプル部隊を背教者と間違えて全員処刑したらしいけど
ドブルジャあたりにいたというテュルク系キリスト教徒とか迫害されなかったんだろうか
557世界@名無史さん:2007/11/10(土) 18:12:57 0
ageておく
558世界@名無史さん:2007/11/10(土) 18:45:30 0
>>548
あなたギリシャ行ったことある?
今のギリシャ人はコマネチみたいなスラブ人では全然ないよ。
明らかにイタリア人なんかと共通する地中海人種。
559世界@名無史さん:2007/11/10(土) 19:10:28 0
>>538
クルド人はインドヨーロッパ語族でモンゴル顔ではない
あまり混血が進まずにモンゴル顔のままのトルコ人の村というのも田舎の方にはあるそうだ
560世界@名無史さん:2007/11/11(日) 04:25:44 0
山がちな地形の田舎というのはそういうのが残りやすいな
561世界@名無史さん:2007/11/11(日) 11:44:21 0
クルド人自体が山岳地帯に分断的に居住してきたために領域国家化に取り残された
イラン系と近縁なインドヨーロッパ語族系民族ということらしいからね
だからクルド人クルド語と一括りに言っても方言差が激しくて相互に通じないことが多くて
クルド人同士でもトルコ語を使わないとコミュニケーションが成立しなかったりするそうだ
562世界@名無史さん:2007/11/13(火) 00:39:53 0
ギリシア・ブルガリア教会問題と「オスマン国民」理念
ttp://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/slavic-studies/51/fujinami.pdf

オスマン領内において、血とか民族とかっていう概念がいかに
「後付け」に過ぎないものだったか、しかし19世紀以降いかに重視
されるようになったかがよくわかる。
563世界@名無史さん:2007/11/13(火) 00:45:13 0
「青年トルコ革命の時点で帝国の総人口の約3割を非ムスリムが占め」って意外と少ないんですね
564世界@名無史さん:2007/11/13(火) 01:02:19 0
その時点ではバルカン半島の領土が以前に比べて大幅に縮小してるから。
565世界@名無史さん:2007/11/13(火) 01:21:25 0
「例えばペトコプロという名前で、しかし『カリメラ(こんにちは) 』という
以外には一言もギリシア語を知らない人間は、今日ではなくとも
明日には自らがブルガリア人であることを認め、ブルガリア人に
なることだろう」

「今日ではなく」つーことは、20世紀になっても自分の事を「ブルガリア語を
話すルーム人」と思っていた人がたくさんいたってことなんだろうな
566世界@名無史さん:2007/11/13(火) 18:40:49 0
なんせブルガリアが独立したのは1908年だもの。
567アッー!:2007/12/28(金) 13:12:13 O
雄マン
568世界@名無史さん:2008/01/05(土) 12:53:22 0
【文化】オスマントルコ皇帝の勲章見つかる 軍艦「エルトゥールル号」遭難事故救出
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1199500484/

 118年前に和歌山県串本町沖で遭難・沈没し、600人近い犠牲者を出したトルコの軍艦
「エルトゥールル号」(エ号)遭難事故。その生存者を日本が母国に送り届けた功績をたたえ、
当時のオスマン・トルコ皇帝から海軍士官に贈られた勲章やメダルが、東京都内の士官の
親族宅に保管されていることがわかった。親族は今月から同町で始まるエ号の調査に合わ
せて、これらを町に寄付する意向だ。

 保管されていることがわかったのは、当時のオスマン・トルコ皇帝アブデュル・ハミト2世が
岸榮太郎・海軍大尉(のちに大佐、1925年没)に贈った「勲四等メヂヂヤ勲章」と
「イムチェール銀章」。岸氏のおいで東京都武蔵野市に住む眞田茂夫さん(80)が保管していた。

 旧海軍の記録などによると、日本政府は1890年9月の遭難事故直後、生存者69人をトルコ
に送り届けるために海軍の軍艦「金剛」と「比叡」をトルコに派遣することを決めた。2隻は同年
10月に日本をたち、翌91年1月にイスタンブールに到着した。岸氏は比叡に乗り組んでいた
士官の一人で、勲章などは、士官らが皇帝に謁見(えっけん)した際に贈られたものだという。

 岸氏は生涯、トルコ訪問の体験を誇りにしていたといい、51年に亡くなった妻美代さんは生前
「榮太郎は艦上で生存者からトルコ語を教わり、皇帝にお目にかかったときにトルコ語であいさつ
すると、皇帝が驚き『どこで勉強したのか』と尋ねられたそうだ」などと、岸氏から聞いた話を
周囲によく語っていたという。

 眞田さんは「遭難事故ゆかりの串本で、勲章をきちっと保管・展示してもらえるなら、榮太郎も
寄付を喜ぶでしょう」と話している。エ号調査のトルコ人責任者で、米国・海洋考古学研究所の
トゥファン・トゥランル氏は、「エ号にまつわる貴重な史料で、エピソードも非常に興味深い」と関心を
寄せている。

http://www.asahi.com/culture/update/0104/OSK200801040046.html
岸榮太郎氏に贈られ、保管されていた勲章(右)とメダル
http://www.asahi.com/culture/update/0104/images/OSK200801040047.jpg
569世界@名無史さん:2008/01/06(日) 08:29:39 0
オスマンのスルタンって直接的に皇帝(カイセリ?)とは呼ばれなかったんかいな。
日本の天皇は明治時代には「皇帝」とも呼ばれてたわけだが。
570世界@名無史さん:2008/01/06(日) 09:37:08 0
バルカンのスラヴ人はコンスタンティノープルを「ツァーリグラード」と呼び続けたらしいが・・・
571世界@名無史さん:2008/01/09(水) 18:30:42 0
スルタンとカリフが分離してれば立憲君主制もアリだっただろうが。
スルタン=カリフってやっぱりギリシアの皇帝教皇制と関係あるのかね?
572世界@名無史さん:2008/01/13(日) 23:59:58 0
ヴェネチア貴族の娘のチェチリア・バッホはセリム2世の妃となりヌール・バヌと呼ばれ、ムラト3世の母になった
サフィエ・スルタンはアルバニア系のムラト3世の妃
で合ってる?
Wikipediaだとサフィエ・スルタンがヴェネチア出身だったことになってるけどこれは間違ってるの?
573世界@名無史さん:2008/01/18(金) 11:49:50 O
サフィエもヴェネチア出身てどっかで読んだ気がする

どこだったかな…
574世界@名無史さん:2008/01/18(金) 20:56:12 0
>>573
あ、そうなの?

ウィキだとサフィエ・スルタン=セシリア・バッフォになってるが…
575世界@名無史さん:2008/01/20(日) 18:08:14 0
オスマンって人気あるのかな?
576世界@名無史さん:2008/01/22(火) 15:13:15 0
>>575
イッコンニコンサンコ〜ンでお茶の間にも有名だな。
577世界@名無史さん:2008/01/24(木) 11:51:00 0
【快挙】ギリシャ首相、トルコ公式訪問 緊張の中、49年ぶり
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1201143025/
578世界@名無史さん:2008/01/30(水) 20:32:51 0
ヨーロッパが後進地域だった時代にはスラブ系の白人女性がオスマン帝国に奴隷として送られていたと聞くが
579世界@名無史さん:2008/01/30(水) 23:10:54 0
従軍慰安婦の始まりである
580世界@名無史さん:2008/01/31(木) 02:10:04 0
>>578
オスマン朝が大帝国になった頃にはもうヨーロッパは後進地域とは言いがたいと思う。
十字軍の頃ならまだわかるが。
581世界@名無史さん:2008/01/31(木) 20:25:18 0
そういやスレイマン大帝の奥さんもロシア系の人だね
582世界@名無史さん:2008/02/01(金) 09:26:20 0
オルハンの母親もビザンツ系諸侯の娘
583世界@名無史さん:2008/02/03(日) 04:40:51 0
イスタンブールの群狼
ハヤカワ・ミステリ文庫 HM 347−1
ジェイソン・グッドウィン/著 和爾桃子/訳
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031997032&Action_id=121&Sza_id=A0

> オスマントルコ帝国近衛新軍に衝撃が走った。四人の士官が突然姿を消し、次々に惨殺死体で
> 発見されたのだ。スルタン臨席の閲兵式を間近に控え、早期解決をもくろむ司令官は、聡明で鳴る
> 宦官ヤシムに調査を託す。死体が指し示すのは、近代化のために抹殺されたかつての最強軍団
> イェニチェリの残党だった。背後には不穏な動きが見え隠れする…見事にアメリカ探偵作家クラブ賞
> 最優秀長篇賞を射止めた、歴史ミステリの傑作。

読み終わった。正直ミステリとしてはさほど面白いとは思わなかったw のだが
マフムート2世時代のイスタンブールを、人情まで含めて非常に良く描かれていると思う。
584世界@名無史さん:2008/02/03(日) 14:57:08 0
>>583
マフムート2世時代とはまたマニアックな。
近現代史に関心のある奴じゃないと、まず見向きもされない時期だろうに。
585世界@名無史さん:2008/02/03(日) 23:01:24 0
Janissary Treeの日本語訳?
最近アマゾンで存在を知ってあやうく原書買うところだったw
ありがとう。
586世界@名無史さん:2008/02/04(月) 00:05:59 0
>>583
その「司令官」って、ベイレルベイか何かですか?
587世界@名無史さん:2008/02/04(月) 00:31:42 0
>>586
司令官は「司令官」とだけ表記されてます。
588世界@名無史さん:2008/02/04(月) 07:50:19 0
今オスマン帝国の外交に関するレポートを書いているのですが、資料が集まら
ず苦戦しています。助言して頂けないでしょうか?

論題は
1.オスマン帝国の外交原理の特徴について
2.18世紀におけるオスマン・ロシアの国際関係の変化について

の二つです。
どうかよろしくお願いします。
589世界@名無史さん:2008/02/04(月) 13:21:08 0
>1.オスマン帝国の外交原理の特徴について

カピチュレーションを知ってれば普通に書けると思うけど・・・
もっとひねった答えが期待されてるとか?
590世界@名無史さん:2008/02/04(月) 15:25:17 0
>>589
ありがとうございます。他に無いのかなーって思ったんですけど、やっぱり
カピチュレーションについて書いていけばいいんですね。
591世界@名無史さん:2008/02/04(月) 19:08:59 0
2は簡単じゃないか?
592世界@名無史さん:2008/02/22(金) 20:48:02 0
【世界終了】トルコ軍、イラク北部への地上戦を開始
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1203676128/
593世界@名無史さん:2008/02/26(火) 00:15:22 0
オスマン帝国時代のほうが平和だったよね今よりも
594世界@名無史さん:2008/02/26(火) 00:15:50 0
イギリスが余計だった
595世界@名無史さん:2008/02/26(火) 00:21:20 0
>>593
オスマン帝国時代はイラクの辺で、イランとしょっちゅう戦争していた訳だが。
596世界@名無史さん:2008/02/26(火) 02:21:53 0
あと、ウィーン・ハンガリー・ポーランド方面はスレイマン大帝以降の
最大領域時代もちょくちょく領域が変わってましたな。押し合いへし合い。
597世界@名無史さん:2008/02/28(木) 21:06:21 0
>>595
チャルディラーンの戦いの際にサファヴィー朝壊滅できなかったのは痛いな。
尤も、兵站問題その他でペルシャ方面は大軍動因に不適当だったし
仕方ないと言えば仕方ないか。
598世界@名無史さん:2008/03/24(月) 15:05:08 0
age
599世界@名無史さん:2008/03/25(火) 02:17:31 0
遊牧系の出自の集団では、それまでの敵対勢力と和睦するときには、支配層の女の交換が
まるで手続のように必ずある。
支那史でもよく出てくる、突厥とか匈奴とか吐蕃に差し出された和蕃公主も、それだ。
生母が誰であれ、後宮で生まれ育てば、王位継承権のある者とみなされる訳で、その中の
最有力者が継承をするというのも、また、これまた普遍的。
勿論、生母の一族が時代の王位継承に介入することはあるので、もともとの勢力圏下の
有力家系の出自の娘から生まれる王子が継承に有利だったりはするんだがな。
600世界@名無史さん:2008/03/25(火) 08:54:50 0
トルコ系で王位継承が平和的だったのはオスマンぐらいか。
601世界@名無史さん:2008/03/25(火) 10:31:33 0
久しぶりに来たんで、ちょっと貼っておく。
たまに原点に戻るのは、いいこと。
http://www.geocities.jp/whis_shosin/bizan.html
602世界@名無史さん:2008/03/27(木) 17:24:06 0
>>601
この時のコンスタンチノープルて総人口が五万人以下になるほど零落していたな。
603世界@名無史さん:2008/03/29(土) 12:49:10 0
これがオスマンとヒッタイトの要素を取り入れた学校建築デザイン
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080325_233910.html
画像
http://www.radikal.com.tr/veriler/2008/03/25/hit.gif

何故にヒッタイトまで?
604世界@名無史さん:2008/03/30(日) 18:47:35 0
オスマンとサファヴィーの戦いは覇権をめぐるトルコ同士の戦い
605世界@名無史さん:2008/03/31(月) 18:42:23 0
>>604
「トルコ」なんて言葉が政治的な意味を持つのって近代辺りじゃね?

コンスタンチノープル征服後、オスマンの高級官僚どもはおしなべて異教徒奴隷出身だし、
使ってた言葉も中東三言語をミックスしたオスマン語だったから、トルコ人研究者ですら四苦八苦する始末。
(現地の研究者も苦労するという意味では日本の古典も似たようなものだが)

手元の教科書見たが、オスマン=トルコなんて言い方は載ってない(2005年発行『詳説世界史』山川出版社、165頁など)。
606世界@名無史さん:2008/03/31(月) 19:14:57 0
オスマントルコはセルジュークトルコと区別するための俗称。
オスマン朝(もしくは帝国)が今のポピュラーな呼び名。
607世界@名無史さん:2008/03/31(月) 20:17:33 0
英文献では他のトルコ系勢力と区別するためにOttoman Turksとか書いたりする。
その直訳じゃないの。
608世界@名無史さん:2008/04/01(火) 05:24:01 0
オスマントルコって言い方はオスマン研究が進む前のオスマン帝国をトルコ人国家として捉えていたころの産物
609世界@名無史さん:2008/04/01(火) 10:18:24 0
ドイツ語ウィキペじゃカイゼルライヒじゃ無くて単にライヒだな。
610世界@名無史さん:2008/04/01(火) 10:24:41 0
オスマン朝をトルコ人国家と言うのは、清朝を満州族国家と言うのと同じだな。
611世界@名無史さん:2008/04/02(水) 00:15:24 0
こんな形の「暴力」がウィーンの城門の前に立ちはだかることなど、
恐ろしく長い間絶えて無かったことを思うと、
本当に不気味に感じられてきます

ドイツの最後の大哲学者っていわれたガダマーが
9.11テロのときに述べた感想
オスマンのウィーン包囲の西欧史における位置づけがわかる
612世界@名無史さん:2008/04/02(水) 01:03:26 0
コンスタンティノープルやブダペシュトはどうでもいいのか
613世界@名無史さん:2008/04/30(水) 12:56:19 0

オスマン朝スルタンの末裔、トルコ国籍取得の喜び
2008年04月27日付 Yeni Safak紙

オスマン朝スルタンのメフメト5世の子孫であるアイシェ・ギュルネヴ・オスマンオウルさん(37歳)が、トルコ国籍を
取得し、同時にトルコ共和国の旅券を取得した。

ロンドンで暮らすオスマンオウルさんは旅券を在土英国大使館で受け取る際、トルコ政府に感謝の意を示した。

彼女は「これからは毎年休暇をトルコで過ごします。わたしも子供たちももっとしっかりトルコ語を勉強してトルコの
文化と共に生きていくつもりです」と述べた。

また、イギリス人の夫と5人の子供たちが自動車レースフォーミュラ1のファンであることも明らかにし、5月に
イスタンブルで開催されるグランプリを観戦するため、今から友人らと大勢のグループで観戦することを計画して
いると説明した。

オスマンオウルさんは昨年のイスタンブル・グランプリチャンピオン、フェリペ・マッサ選手のファンであることも
明らかにした。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080427_151354.html
614世界@名無史さん:2008/05/03(土) 15:13:05 0
>>603
民族じゃなくて「国土」を国是んいしてるからだろ
民族基準だと大変なことが起きるw
615世界@名無史さん:2008/05/04(日) 18:30:37 0
新ロンドン市長は、オスマン帝国のアリ・ケマル内務大臣の子孫
2008年05月03日付 Zaman紙

オスマン帝国末期の内務大臣だったアリ・ケマルの子孫、ボリス・ジョンソン氏は、ロンドンで一昨日(5月1日)行われた
市長選挙で、労働党公認の現職のケン・リヴィングストン氏に勝利した。

116万8千738票を獲得したジョンソン氏に対し、8年間ロンドン市長を務め、「赤顔のケン」の愛称をもつケン・リヴィング
ストン氏の得票数は102万8千966票だった。ロンドン市長選挙の投票率は45パーセントで、ここ数年で最高の投票率
となった。

ジョンソン氏は当選後に行った会見で、ケン・リヴィングストン氏のこれまでの功績に感謝の意を示したいっぽうで、
リヴィングストン氏へ市政への協力を求めることを示唆した。ジョンソン氏はリヴィングストン氏が多くの重要な功績を
残したと述べ、特にロンドンに対するテロ攻撃の際に彼がとった行為に関して賞賛した。

いっぽうリヴィングストン氏は会見で、選挙活動で自分を支援してくれた全ての労働党員に感謝していると語った。
敗北の責任を一人で負ったリヴィングストン氏は「敗北の全ての責任は私にあります。そして応援してくださった
みなさんに勝利をもたらせなかったことをお詫びしたい」とコメントした。

自由民主党候補ビラン・パディック氏は3位、緑の党候補スィアン・ベリー氏は4位だった。選挙が終わり、市長の座を
勝ち取ったジョンソン氏は、議員(ヘンリー選出)を辞職する予定だ。そのためヘンリーでは補欠選挙がおこなわれる
ことになる。

オスマン帝国末期の内務大臣で新聞記者でもあったアリ・ケマル氏の子孫、ボリス・ジョンソン氏は、ロンドン市長を
4年務めることになる。ジョンソン氏は 1964年ニューヨーク生まれ。オスマン帝国末期に内務大臣を務めた
アリ・ケマル氏の孫、スタンレイ・ジョンソン氏の息子である。

選挙前、ロンドンのトルコ人コミュニティーへ何度も足を運んだジョンソン氏は、トルコ系であることを誇りに
思っていると公言していた。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080503_175514.html
616世界@名無史さん:2008/05/11(日) 18:06:36 0
中公文庫 2008年5月25日刊
[世界の歴史15] 世界の歴史15
成熟のイスラーム社会

永田雄三/羽田正 著

十六、七世紀、世界の人々が行き交うイスタンブルとイスファハーンの繁栄。イスラーム世界に花咲いた
オスマン帝国とイラン高原サファヴィー朝の全貌を示す。
http://www.chuko.co.jp/new/2008/05/205030.html
617世界@名無史さん:2008/06/29(日) 12:37:51 0
トルコ料理店:トルコ人シェフの本場の味、味わって 来月オープン−−串本 /和歌山

 ◇オスマン・コナック
 串本町串本に7月、トルコ料理店「オスマン・コナック」がオープンする。トルコで
15年間、飲食店を経営していたフェーミ・チナールさんがシェフ。トルコ人自らが腕を
振るうトルコ料理店は県内では珍しいという。日ト友好の発祥の地に、また一つ友好の証
しが誕生する。

 オーナーは、同町樫野でトルコ民芸品店を6年間営むトルコ人のイスメット・シュケリ
さん。姉の紹介で、出身地のコンヤからチナールさんを招いた。出店は前から計画してい
たが、今月7日のトルコ大統領訪問を機に早めた。

 チナールさんは、ドルネケバブやシシケバブなどの肉料理など、50種類以上の料理が
作れるという。店内には、トルコ原産のチューリップの模様が描かれたタイルが敷き詰め
られ、コンヤを首都とした13世紀ごろのセルジューク朝の栄華を伝えている。

 シュケリさんは「大好きな串本とトルコの友好のために、徐々にメニューを増やして頑
張っていきたい」と話す。
http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20080626ddlk30040445000c.html
618世界@名無史さん:2008/06/29(日) 12:39:42 0
> トルコ原産のチューリップの模様が描かれたタイルが敷き詰め
> られ、コンヤを首都とした13世紀ごろのセルジューク朝の栄華を伝えている。

セルジュークじゃないか。
619世界@名無史さん:2008/06/30(月) 05:20:26 0
セルジューク朝にオスマンて名前の君主は居ないみたいだな。
…どういった由来で「オスマン」なんだろうか?
620世界@名無史さん:2008/06/30(月) 13:58:35 0
↑意味不明w
621世界@名無史さん:2008/08/04(月) 11:02:17 0
保守age。

それにしても、19世紀のオスマン帝国にまつわる話が少ないな。
今研究が盛んになっているというのに。
622世界@名無史さん:2008/08/04(月) 17:51:19 0
>>621
清末期と一緒で、ぐちゃぐちゃすぎて理解しづらいしね。
623世界@名無史さん:2008/08/18(月) 12:41:22 0
林佳世子氏の『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史10)が発売される
のはいつだっけ?
早く発売されないかなあ。
624世界@名無史さん:2008/08/29(金) 11:26:50 0
دولت عالیه عثمانیه
625世界@名無史さん:2008/08/29(金) 14:11:40 0
>>597
軍事面以外にも宗派の違いもあったんじゃないの。
イランの住民はシーア派だしね。
シーア派とスンニー派の軋轢は想像以上に深い。

>>595
実際、イランとオスマン帝国は、その後イラクで何度も争ってるけど、
イランにしてみれば、イラクにあるシーア派の聖地アタバートを何としても、
取り戻そうとしただけだし。
626世界@名無史さん:2008/08/29(金) 20:30:31 0
>>624
乙。
Devlet-i Aliye-i Osmaniyye、
つまり、「オスマン家の崇高なる国家」か。
627世界@名無史さん:2008/08/29(金) 23:51:55 O
オスマントルコって日本の鎌倉〜大正の期間にあたるけど
いつの時代と比較しても経済文化軍事全てにおいて日本の方が上だったね
しかもスルタンなんか英帝が多い歴代天皇や歴代将軍と比べると小さく見える
最盛期のセリムとスレイマンの軍と当時の室町や織豊期の日本軍が戦ったら日本勝利だよね
628世界@名無史さん:2008/08/29(金) 23:52:54 0
  |   |  | |   |    |  | |   |   |   || | |
  |   |  | レ  |    |  | |   |  J   || | |
  |   |  |     J    |  | |  し     || | |
  |   レ |      |  レ|       || J |
 J      し         |     |       ||   J
             |    し         J|
             J                レ
     /V\
    /◎;;;,;,,,,ヽ
 _ ム::::(l|l゚Д゚)| …うわぁ
ヽツ.(ノ::::::::::.:::::.:..|)
  ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
   ` ー U'"U'
629世界@名無史さん:2008/08/30(土) 08:31:01 0
>>627
スルタンは確かにスレイマン1世以降無能スルタンばかりだったな。
近代化も失敗しロシアやセルビア、ギリシアごときに負けるし。
逆に天皇と比較すると孝明帝は幕末を収めきり明治帝は近代化成功。
大正帝と昭和帝は日本を最強国にし尚且つ世界一平和な経済大国を
築いた英帝。

サムライ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>イエニチェリ
日本軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>トルコ軍
自衛隊>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>トルコ軍
630世界@名無史さん:2008/08/30(土) 10:51:09 0
スレイマン1世まではよかったけどそれ以後はダメだったな。
無能スルタン・メンヘルスルタンばかりだった。
しかし当時の大宰相や官僚や軍がまともで何とか持ったが
官僚や軍も腐敗して始めてからボロボロになった。
631世界@名無史さん:2008/08/30(土) 11:04:10 0
>無能スルタン・メンヘルスルタンばかりだった。
>しかし当時の大宰相や官僚や軍がまともで何とか持ったが
無能首相ばっかり無能政治家、無能官僚ばかりの今の日本は
オスマン帝国以下だなw
632世界@名無史さん:2008/08/30(土) 11:16:38 0
まんまと釣られている人間がいる驚き
633世界@名無史さん:2008/08/30(土) 12:11:30 0
世界帝国と一島国を同列にしても仕方がない
634世界@名無史さん:2008/08/30(土) 13:21:09 0
>>629
>孝明帝は幕末を収めきり
孝明天皇は幕末で攘夷しか言えない無能天皇だったろうが。
仮に孝明天皇の言うとおり幕府も頑として攘夷決行していたら
日本も李氏チョンより先に植民地でホロコーストだったよ

お前は釣りじゃなくて無学を晒しただけw残念wwwwwww
635世界@名無史さん:2008/08/30(土) 13:25:48 0
>>634

こう言うのを自作自演って言うのか
636世界@名無史さん:2008/08/30(土) 13:31:45 0
もうじき夏休みも終わるんだけどな・・・・
637世界@名無史さん:2008/08/30(土) 14:09:12 0
メンヘルスルタンってなんですか?
638世界@名無史さん:2008/08/30(土) 20:51:09 0
>>633
最盛期のオスマン帝国の領土と
大日本帝国の領土はほぼ同じ。
一島国というのはお前のショボイ脳内
639世界@名無史さん:2008/08/31(日) 01:52:47 0
>>619
>どういった由来で「オスマン」なんだろうか?

アラビア語の人名「ウスマーン」のトルコ語化したのじゃない?
ちなみにウスマーンは第3代カリフの名前でもあるから、それにあやかったのかも。
亀レスですまんけど
640世界@名無史さん:2008/08/31(日) 01:58:37 0
>>638
オスマン帝国の最大領域は100年以上維持されたけど
日本の最大勢力圏が維持された期間は短かった。
641世界@名無史さん:2008/08/31(日) 02:33:25 0
スレイマン大帝の名前もソロモン王が由来なんだよな
あちらの世界は歴史が違うと思うわ
642世界@名無史さん:2008/08/31(日) 14:33:25 0
でも最近になって和書でもオスマン帝国について書かれたものって
出てきたけどそれでもあまりいいのないな。。。
643世界@名無史さん:2008/09/01(月) 19:16:14 0
そもそも日本でトルコ史の研究者なんていないだろ
644世界@名無史さん:2008/09/01(月) 19:19:44 0
「日本でトルコ史の研究者なんていないだろ」などと寝言を言うゆとり君は一人います
何のお役にも立ちませんが
645世界@名無史さん:2008/09/01(月) 21:00:09 0
>>642
とりあえず、
小杉泰・林佳世子・東長靖編『イスラーム世界研究マニュアル』(名古屋大学出版会、2008年)
に挙げられている文献にひととおり当たってみろ。
646世界@名無史さん:2008/09/01(月) 21:21:16 0
ムラト3世:ヤリチンで性病で崩御
ムスタファ1世:メンヘル
イブラヒム:キティ

トルコ帝国の皇帝に限らずマムルーク朝には読み書きも出来ない
奴がスルタンになったというから

日本国>>>>>>>>>>>>>>>イスラム諸国でおk
647世界@名無史さん:2008/09/01(月) 21:22:33 0
変なの住み着いちゃったなあ。

反応しないようにしましょうや。
648世界@名無史さん:2008/09/01(月) 21:35:33 0
メンヘルやキチガイがスルタンに即位しても大宰相やイエニチェリ以下有能だった。
しかしそれらが世襲化・腐敗化して後退し改革しようとしても潰されるの繰り返し。
オスマン帝国って外的要因のほかにも内的要因も多分にある。少なくとも何らかの
形で帝政は今日まで残っていたはず。
649世界@名無史さん:2008/09/01(月) 22:27:41 O
リアル工房なんですが先生が言うには日本は朝廷のもとで幕府を
否定し旧態を壊して行けたから近代化出来たと言っていました
だとするとトルコの場合は江戸日本以上に進んだものがあったのにそれができなかったのですか
650世界@名無史さん:2008/09/01(月) 23:10:50 0
>>649
何があろうとも
ドイツと組んでWWTを戦ったんじゃどうにもならん
651世界@名無史さん:2008/09/02(火) 00:15:55 0
インドとアラブのムスリムにもそっぽ向かれたしな。
ジハードの宣言なんて何の役にも立たん。
トルコ世俗化の遠因。
インドはトルコのカリフ廃止に抗議したが、後の祭り。
652世界@名無史さん:2008/09/02(火) 21:29:01 0
>>649
日本には逆に幕府に対峙する朝廷と言う勢力があり
その古来からの権威をうま〜く利用して国をまとめた。
だから明治天皇が英帝・大帝と言うのは少々違う。
逆にトルコにはそういう対比し得るものがなかった。

もし仮にトルコがエジプトを滅ぼした時にカイロにいた
アッバース朝カリフを拉致してイスタンブルとかに置いて置いたら
「スルタンじゃだめ。今こそカリフ」とか言ってアッバース朝トルコカリフ国が
出来ていたかもしれない。
653世界@名無史さん:2008/09/03(水) 08:38:18 0
仮にカリフ中心でまとまったとしてもドイツにくっついて敗戦して
経済不況や国民意識・民主主義・社会主義が芽を吹き出してきた
中では旧態権力スルタンも宗教的権力カリフも潰されていたはず
654世界@名無史さん:2008/09/04(木) 06:29:54 O
中国の清も似た感じ
655世界@名無史さん:2008/09/04(木) 21:03:08 0
清とオスマンのどこが一緒なんだよ?
656世界@名無史さん:2008/09/04(木) 22:50:08 0
オスマン帝国の官僚はヨーロッパを知っているからな
フランス革命知っているし
657世界@名無史さん:2008/09/04(木) 22:51:30 0
アッバース朝カリフなきあとは
ハーシム家の末裔のヨルダン国王がカリフになったらいいんじゃないのか?
血筋も問題無いし
658世界@名無史さん:2008/09/05(金) 08:17:05 0
オスマン崩壊に乗じてカリフを名乗ったら総叩きにあって、挙句ヘジャーズをワッハーブ派に追い出されたのだが
659世界@名無史さん:2008/09/05(金) 08:51:36 0
>オスマン帝国の官僚はヨーロッパを知っているからな
>フランス革命知っているし

江戸時代〜明治初期の日本もヨーロッパを知り
ヨーロッパ並みの軍事・文明を持っていましたが何か?
660世界@名無史さん:2008/09/05(金) 17:00:19 O
オマンコ朝スペルマとか やめてくれないか ここは学問板だぞ
誰だこんなふざけたスレ立てしたの
でてこい
661世界@名無史さん:2008/09/05(金) 17:23:17 0
気が狂うのはどういう気分?
662世界@名無史さん:2008/09/05(金) 20:06:07 0
>>659
おまえ、世界史板全般に粘着している日本厨だろw
663世界@名無史さん:2008/09/05(金) 21:22:27 O
>>661
サーセンm(_ _)m
664世界@名無史さん:2008/09/06(土) 10:47:12 0
>>656
日本だって、明の滅亡やら国姓爺やら知ってたじゃないか。
665世界@名無史さん:2008/09/06(土) 10:55:20 0
なんでヒジャーズ王国のカリフは反発されたの
666世界@名無史さん:2008/09/06(土) 15:28:27 0
>>665
オスマンのカリフが消滅したとたんに宣言するアホは、そりゃ反発される罠。
667世界@名無史さん:2008/09/16(火) 22:03:25 0
サウジアラビア王がカリフだよ
668世界@名無史さん:2008/09/17(水) 04:09:50 0
ワッハーブ派じゃ駄目でしょ。
しかも非クライシュ族(それはオスマン家も同じだけど)
669世界@名無史さん:2008/09/23(火) 12:59:28 0
うん
670世界@名無史さん:2008/09/23(火) 13:37:56 0
(平成20年度 男女平等推進委員会 標語)

    みんなの力で男性差別のない明るい社会を築こう


      (この標語を読んだ人は3回他のスレッドに貼り付けて下さい。)
671世界@名無史さん:2008/09/25(木) 07:25:59 0
オスマン帝国下のイスタンブルでは排泄物の処理はどうしていたのですか?
日本は肥料にしていましたが
672世界@名無史さん:2008/09/25(木) 15:13:00 0
>>671
くだらねーこと聞いてるんじゃねーよボケ!おまえ今すぐ死ねよ!
673世界@名無史さん:2008/09/25(木) 15:27:33 0
なぜファビョる

ローマ人の当然の習性として、
コンスタンティノポリス建設当時に上下水道は作られた
その後ビザンツ帝国時代になってもそのまま利用したが、
衰退に伴う整備能力の低下から機能しなくなったりもした

肝心のオスマン支配以降は…ごめん、資料ないや
トルコ人のインフラに対する意識次第だな
674世界@名無史さん:2008/09/25(木) 15:59:55 0
十字軍時代のコンスタンティノープルやバグダッドが中世西欧のようにうんこまみれという
話は聞いたことないから、オスマン時代も下水道使って、最終的に海に流していたんじゃない?
675世界@名無史さん:2008/09/25(木) 19:07:16 0
異教徒の旗、デジタル処理によってカイセリ要塞に掲げられることに
2008年09月20日付 Hurriyet紙

アナトリア文明を取り上げた「アナトリア」というドキュメンタリー制作中に、カイセリ要塞に掲げられ、
一部のカイセリ住民を激昂させたビザンツの旗が、再びデジタル処理によってカイセリ要塞に
掲げられることになった。

ドキュメンタリー撮影は四日ぶりに再開された。歴史的な時計塔の前での撮影を多くの人々が見物していた。
しかしカイセリ要塞の城壁には、十字架の描かれたビザンツの旗の代わりに、トルコ国旗とアタテュルクの
ポスターが掲げられた。監督のタンヨラチュ・テュルクベンは、カイセリ要塞での撮影は取りやめて、旗を
デジタル処理し、合成する予定であると語った。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080920_152438.html

色々大変なんだねえ
676世界@名無史さん:2008/09/25(木) 19:23:11 0
竹島に日の丸立てたら激昂しすぎて憤死しそうな人々を知ってる日本人なら理解できる話だろ
677世界@名無史さん:2008/09/27(土) 13:36:07 0
この場合、竹島に大極旗の方が近いな。
678世界@名無史さん:2008/09/29(月) 12:55:49 0
なんか変な事になってるのね

最後のオスマン帝国スルタンの写真が初等学校に飾られると・・
2008年09月28日付 Hurriyet紙

アタテュルクが「売国奴」として位置づけたオスマン帝国最後のスルタンであるワヒデッティンの写真が、
ブルドゥル県チャブドュル郡のデンゲレ初等学校に「トルコの偉人」として掲げられていた。ブルドュル県
国民教育長レジェップ・イート氏は、「知らなかった。必要な措置を取る」と述べた。

オスマン帝国最後のスルタンであり、独立戦争開始後にハリントン・イスタンブル占領軍総司令官に頼み込んで、
イギリス戦艦で逃亡したワヒデッティン(メフメト6世)の写真が、ブルドゥル県チャブドュル郡のデンゲレ初等学校に
「トルコの偉人」として掲げられていた。

(中略

「大演説でアタテュルクは、ワヒデッティンを『品を欠き、下劣で売国奴』と位置づけた。特に、1922年11月の
トルコ大国民議会(TBMM)で、ワヒデッティンは裏切り者であるとの決議があり、ワヒデッティンを英雄視するには
ある目的がある。これをいまだにわかっていない。アタテュルクの成功に影を落とし、貶めることなのだ。
長年アブデュルハミッド(2世)を賞賛して、次にワヒデッティンへと続いた。デンゲレ小学校で起きたこの事件に、
あらゆる市民社会的組織が反発するよう呼びかけている。責任者も関係者に必要な措置を取るよう求めている。」

■同じような学校は多い

トルコ大国民議会教育委員会の元メンバーのムスタファ・ガザルジュ氏は、事件が例外的なものではなく、
多くの学校でこれと似た事件が起きていると指摘した。そして学校にワヒデッティンの写真を掲げることは、
公正発展党(AKP)政権が醸成した環境の結果であるとして、以下のように話した。

「学校での人事、教科書と資料の内容の変更、国民教育の原則から離れることなどが、これらの事件を生み出した。
ある学校では一隅(に掲示したもの)で、ある学校においてはインターネットのサイトでワヒデッティンを褒め称えている。
そのうえ、革命史の書籍の内容を変えてこういうことをおこなっている。すなわち、魚は頭から腐るのだ(悪事は
責任ある地位にある者から始まる)。」
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080928_154408.html
679世界@名無史さん:2008/09/29(月) 14:46:49 0
別に変なことじゃない。極めて正常。

「救国の英雄」ケマルについては賞賛しかしてはいけない
スルタン以下オスマン皇室は売国奴、ってこれまでの正邪二元論がおかしかったんだよ。

トルコもEU入りしたいなら、いい加減言論と思想の自由を名実共に認めろ。
680世界@名無史さん:2008/11/04(火) 13:06:25 0
イスラム原理派が思想の自由?
アホか・・・
681世界@名無史さん:2008/11/14(金) 19:52:25 0
ケマルを神聖視するのもわからんではないがなあ
ケマルいなかったらギリシア領だろう
682世界@名無史さん:2008/11/14(金) 21:01:13 0
今や国民の大多数がイスラム系与党支持で
ケマル万能派は軍と司法が最後の砦だから
検察当局も必死なんだろ
683世界@名無史さん:2008/11/14(金) 21:09:55 0
イスラム与党支持が自然だろう
684世界@名無史さん:2008/11/15(土) 15:40:53 0
オスマン帝国はものすごい人気なんですね…
ティムール帝国との差はどこにあるのでしょう?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1217088124/

あっちはもうずっと過疎ってる(> <)
685世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:23:37 0
ティムールはモンゴルだからだろ
キプチャクハン国もイルハン国も人気ないだろ
あの平坦な顔気持ち悪いし
686世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:30:01 0
オスマン帝国はイスラム化したローマ帝国っていう感じだしな
687世界@名無史さん:2008/11/16(日) 07:10:03 0
ティムールはすぐ滅んだし欧州史と縁遠いせいで知名度無いから
688世界@名無史さん:2008/11/17(月) 03:35:49 0
 米人気映画シリーズ「バットマン」で市名を無断で利用されたとして、トルコ南東部にある
バトマン市のカルカン市長は5日、映画製作者を相手取り訴訟を起こす意向を明らかにした。

 トルコからの報道によると、カルカン市長は「世界でバトマンはひとつしかない。米映画
『バットマン』の製作者はわれわれに通告なく、われわれの地域の名を利用した」と訴え、
必要ならば、提訴のため、渡米するとも話したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081106-00000525-san-ent

こりゃひどいな
もう土人と変わらん
689世界@名無史さん:2008/11/17(月) 14:23:09 0
だって土耳古人だし
690世界@名無史さん:2008/11/18(火) 13:15:49 0
小浜もたいして変わらんと思うが
691世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:07:51 0
メフメト六世がダメなら二世を貼ればいいじゃない
692世界@名無史さん:2008/11/20(木) 18:39:32 O
植民地にならなかったのは日本とタイだけだという話だけど、トルコも植民地になってないよね?
693世界@名無史さん:2008/11/21(金) 02:00:43 0
>>692
イギリスが保護してくれてたからね
まぁ半ばイギリスの植民地だが
694世界@名無史さん:2008/11/21(金) 07:59:09 0
アフリカ分割ベルリン会議にも参加してるし一応植民地を持つ側として認められてたんじゃないか?
695世界@名無史さん:2008/11/21(金) 23:32:05 0
フランスと意見が対立してたイギリスが
自分側の舎弟として参加させたんじゃないの
696世界@名無史さん:2008/11/24(月) 00:31:41 0
オスマンはねぇ・・・
闘えば負ける、特にロシア相手にさっぱりだったよね。
でも
ロシア相手に何度も戦った歴史は誇れるものだよ。

闘わずして強国の庇護に入るのを無上の喜びとしてる
事大国家だってあるんだから。
697世界@名無史さん:2008/11/24(月) 00:33:43 0
アジア最初の近代憲法は
トルコのミドハト憲法である。

トルコはアジアの誇りなのだ。
698世界@名無史さん:2008/11/24(月) 00:34:35 0
大韓帝国国制(1899)を忘れてもらっちゃ困るニダ
アジア第三の憲法ニダっ。
699世界@名無史さん:2008/11/24(月) 00:58:33 0
>>696
オスマン帝国はウィーン包囲失敗でごそっと削られるまで大体膨張し続けた
超大国・強国意識バリバリの国だと思うけど。その後は一寸は押し返した
こともあったけどズルズル後退を続けて流石にこれは不味いてな具合に
なったが。
700世界@名無史さん:2008/11/24(月) 07:06:43 0
アジアなんていったらトルコ人は怒るよ
701世界@名無史さん:2008/11/24(月) 10:37:30 0
トルコはアジアでせう。

トルコが欧州ならばインドだって欧州でいいと思ふ。
702世界@名無史さん:2008/11/24(月) 15:41:03 0
まあアナトリアの端っこが小アジアとか言われてたしね。
アジアってのは文化圏じゃなくてあくまでも地理的な括りだから。
703世界@名無史さん:2008/11/24(月) 19:11:41 0
トルコは弱体化してもそれなりに強いと思っていた。
1912年にイタリアに敗れるまでは・・・
704世界@名無史さん:2008/11/24(月) 20:43:59 0
地理的には小アジアだからアジアだけど
西洋か東洋かってくくりになったら間違いなく西洋だよ
705世界@名無史さん:2008/11/24(月) 21:22:25 0
>>703
クルド人やアルメニア人にはめっぽう強いぜ!
自国民だけどな!
706世界@名無史さん:2008/11/25(火) 00:44:41 0
ギリシャ相手にも連戦戦勝だな。
707世界@名無史さん:2008/11/25(火) 01:56:14 0
モンテネグロに苦戦したのがちょっと信じられないな
流石に瀕死の重病人のあだ名は伊達じゃない
708世界@名無史さん:2008/11/25(火) 20:34:54 0
バルカン戦争は仕方なかった。
雑魚でも群れて襲い掛かって来たからな。

英仏連合軍相手に互角異常の戦いをした
ガリポリの戦いもある。

オスマンってモンゴルに比類する非西欧の雄じゃね?
709世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:02:11 0
どんな国にも最盛期と衰退期があるからね
オスマン帝国の衰退期はその点幸運だったかな
国自体は後進的でどうしようもなくなってたけど
イギリスのおかげで生きながらえることができたしね
710世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:33:53 0
日本がロスケに勝った事も忘れてもらっちゃア困るぜ
711世界@名無史さん:2008/11/26(水) 02:21:58 0
日本ヲタはすっこんどれ。
712世界@名無史さん:2008/11/26(水) 02:37:18 0
既に19世紀初頭に
ナポレオンを退けるほど列強だったロシア帝国相手に勝利した
大日本帝国は世界史の奇跡だろ。

オスマンなんて5回くらい戦って
全て敗北している>露土戦争

19世紀中ごろにトルコイギリスフランス連合で
漸く優勢勝ちしたほどにロシアは強かった>クリミア戦争
713世界@名無史さん:2008/11/26(水) 02:39:48 0
シノープの虐殺ワロタ。
オスマンはロシアに分が悪い。

第一次世界大戦のコーカサス戦線で
オスマンがバクーまで占領できたのは
エンヴィルパシャがそれだけ優秀だったから?
714世界@名無史さん:2008/11/26(水) 02:42:06 0
大戦直前
ドイツ帝国も大英帝国も必死にトルコを味方につけようと工作した。

つまりオスマントルコには「無視できない程度」の力はあったわけだ。
第2次大戦の趨勢もトルコが枢軸で参加していたら変わってたかも・・・
715世界@名無史さん:2008/11/26(水) 02:45:26 0
ベルリン会議の模様を描いた絵では
列席した列強諸国の面々が描かれている。

すると明らかにトルコ代表と思われるフェズ帽の一団が居る事に気が付く。
トルコは欧州の病人と言われた19世紀においてさえ
それなりの地位を維持していた。

同時代の清朝よりも明らかに格上である。
716世界@名無史さん:2008/11/27(木) 19:58:21 0
>>715
ただまぁ、これは名目上エジプトの宗主国だったから一応呼ばれただけだろう
実質イギリスのおまけだね

1878年のほうのベルリン会議は露土戦争の当事国だから呼ばれなきゃおかしいしね

あとどちらのベルリン会議にしても議題に全く関係ない清と比べるのはちょっと筋違いだよ
717世界@名無史さん:2008/11/27(木) 20:47:28 0
なんてぇの?
列強のみが参加を許される特別な社交場に
参加してたという事実が
オスマンの強大さを示している。

世界中の有象無象の小国なんて歯牙にもかけられてないからな。
718世界@名無史さん:2008/11/27(木) 21:31:26 0
オーストリアハンガリー二重帝国・イタリア王国・オスマントルコ帝国

これらは全てなんちゃって列強である。
本当に一流の国は
大日本帝国
アメリカ合衆国
大英帝国
フランス共和国
ドイツ第三帝国
ソビエト連邦

以上の国だけである。
二線級の列強などスペインやポーランドに近い。
719世界@名無史さん:2008/11/28(金) 01:15:15 0
>>717
うーん
しかし当事国ならポルトガルやらスウェーデン
果てはギリシャやモンテネグロまで代表団を送り込んでいるからなぁ・・・
720世界@名無史さん:2008/11/28(金) 01:20:44 0
>>718
一番上の国は前者のグループ寄りなんじゃないの?戦前は
721世界@名無史さん:2008/11/28(金) 06:26:23 0
基準を何も示さずに、なんちゃって列強と言われても。
722世界@名無史さん:2008/11/28(金) 08:52:32 0
大日本帝国は
ガチなら世界で2番目に強い国だった。

清に勝ったし(日清戦争)
ロシアに勝ったし(日露戦争)
ドイツ・オーストリアハンガリー二重帝国に勝ったし(第一次世界大戦)
イギリスに勝ったし(シンガポール要塞陥落、P.O.W撃沈、インド洋掃討・・)
オランダには楽勝(インドネシアを1週間で制圧)
フランスも敵じゃない(タイとの国境紛争をタイ有利に仲介、明号作戦)

たまたま世界で一番強いアメリカと戦ってしまったから負けただけだ。
国際連盟常任理事国で、軍事力世界No2の日本は堂々と列強と宣言できる。
723世界@名無史さん:2008/11/28(金) 08:56:29 0
オーストリアハンガリー二重帝国は
イタリア相手にしか勝てない惨めな国。

イタリアは二重帝国以下。かろうじて勝てたのは伊土戦争だけ。
後はエチオピア相手に毒ガス使って辛勝しただけ。

オスマンはギリシャにしか勝てない。
724世界@名無史さん:2008/11/28(金) 09:00:16 0
しかしまぁ
強い国とばかり戦いたがる日本人とは
まさに少年漫画の主人公のようだな。

普通は弱い国を侵略して権益を広げるものだ。
世界中の列強を敵に回して戦い続けた御先祖さまには敬服するしかない。
725世界@名無史さん:2008/11/29(土) 05:55:13 0
自演乙
726世界@名無史さん:2008/11/29(土) 13:25:27 0
レムノスの海戦ではギリシャに負けてるけどね
トルコ
727世界@名無史さん:2008/11/29(土) 13:57:16 0
トルコが海上で勝った例はあまりないんじゃない?
728世界@名無史さん:2008/11/29(土) 14:27:53 0
元々、遊牧民族だから海戦にメチャクチャ弱いのは仕方ないな
729世界@名無史さん:2008/11/29(土) 18:48:46 0
プレウェザの海戦
730世界@名無史さん:2008/11/29(土) 19:10:16 0
>>727-728
長い間地中海を支配していたというのに、なにいってんだ。
ちったぁお勉強して出直せ。
731世界@名無史さん:2008/11/29(土) 20:18:36 0
てかオスマン=トルコ人国家って考え方自体が古い。
何十年前の人ですかw
732世界@名無史さん:2008/11/29(土) 20:29:18 0
確かに海ではあまりいい所ないね
733世界@名無史さん:2008/11/29(土) 20:49:42 0
>>722
吐き気を催す夜郎自大ぶりなんだが。
734世界@名無史さん:2008/11/29(土) 21:06:59 0
735世界@名無史さん:2008/11/29(土) 21:20:15 0
嵐に反応するやつも嵐って言葉を知らんのかねおまーら
736世界@名無史さん:2008/11/29(土) 23:51:44 0
まぁ海戦はオスマン全盛期でも負けの方が目立つからね
末期になるとそれこそ目も当てられない
737世界@名無史さん:2008/11/30(日) 02:06:32 0
>>736
目立つといっても、それはあくまで西欧史観でそ。
オスマンはレパント以後でも東地中海の優位を保ち続けましたが、なにか?
738世界@名無史さん:2008/11/30(日) 02:40:07 0
そりゃ自国の御膝元の制海権すらおぼつかないんじゃどうしようもないんじゃ・・・
しかも全盛期の話だしね
オスマンの国力から言っても海軍は物足りないかな
739世界@名無史さん:2008/11/30(日) 06:20:14 0
必要充分という言葉を知らんのかね
740世界@名無史さん:2008/11/30(日) 07:07:25 0
バルバロスの存在すら知らなかったようなヤシが、事例すら挙げずに
オスマン海軍を貶めようと必死なっているなぁ。
741世界@名無史さん:2008/11/30(日) 08:23:27 0
《新刊情報》
ttp://www.shinchosha.co.jp/book/309630/
ローマ亡き後の地中海世界(上)
塩野七生/著

西ローマ帝国が滅んだ後、地中海の国々を震駭させたのは、イスラム教を信奉
する海賊の台頭だった。「右手に剣、左手にコーラン」を掲げ拉致・略奪を
繰り返す海賊たちの蛮行に、キリスト教国の人々は戦慄する。『ローマ人の
物語』の続編ともいうべき待望の歴史巨編。

発売日:2008/12/24
742世界@名無史さん:2008/11/30(日) 09:15:01 0
ドイツ帝国から供与された軍艦、ちゃんと運用できてたのか・・・
オスマンには無理か。
743エビちゃんファン:2008/11/30(日) 09:29:01 0
同じイスラムでも海軍ならオスマンよりオマーンの方が強そうだな。
海賊はあっても、オスマンやイラン、モロッコは基本は陸軍という感じがする。
イスラム国、イスラム教徒の中にも英蘭のような海系と独露のような陸系があるのではないか。
744世界@名無史さん:2008/11/30(日) 09:35:36 0
マスコミが報道しない真実

http://jp.youtube.com/watch?v=roOwlXVM-Fo
小沢一郎敗訴
745世界@名無史さん:2008/11/30(日) 14:09:28 0
そりゃあオスマンは陸軍国なんだから海軍の強さはたかが知れてるだろうし
それでいいんだよ
746世界@名無史さん:2008/11/30(日) 17:49:40 0
レパントが全然、分水嶺になってない件。
けっきょく西欧側が歓喜したってだけだな。
747世界@名無史さん:2008/11/30(日) 17:54:30 0
社会の授業ではレパント海戦でオスマントルコを打ち破ったスペインが
太陽の沈まぬ国と呼ばれる栄光の世界帝国へ飛躍云々、だったぞ。

中国で大評判を巻き起こした「大国掘起」という番組では
歴史上に出現した超大国の趨勢を取り上げてたわけだが

スペイン→オランダ→英国→フランス→ドイツ→日本→ロシア→アメリカ
の順だったそうな。

トルコは元と同じで、忘れられた大国なんでつね。
748世界@名無史さん:2008/11/30(日) 19:15:31 0
レパントを日露戦争の日本の勝利程度に強調するならいいんだが、
それ以前は西地中海まで完全にオスマン海軍が制圧してたし以後も本当の衰退期(17c末以降)まで
オスマンの優勢は当分揺らがなかったという事実を認識しないと。
海運で食ってたスペインや海軍立国のヴェネツィアを黙らせてたんだから弱いわけないだろ?
陸軍が本懐にしても
749世界@名無史さん:2008/11/30(日) 19:42:05 0
>>747
地中海を使えないから反対側(大西洋→ry)の航路を開拓したって文脈じゃないのか?
しかも「開拓」っつっても先人の既存の海路を使わせて貰っただけ。
そりゃ上手く活用した点は評価に値するが、ゼロから作り上げたもんでもないだろうに。

なんかテンプレ的な西欧中心史観だな。
750世界@名無史さん:2008/11/30(日) 19:56:27 0
陸軍国だから海軍は・・・という論旨は当を得ていない
1400年代までは事実そうだったがスレイマンの治世で百戦錬磨のバルバリア海賊が帰属して海軍を担当するわけで
それからは大幅に増強される
751世界@名無史さん:2008/12/01(月) 00:33:25 0
14世紀からトルコ船の襲撃はエーゲ海とかで恐れられていたよ。
ただ当時は海上で西欧人の船をどうこうする力はなかった。
752世界@名無史さん:2008/12/03(水) 01:44:55 0
レパント海戦ってのは、トルコによって閉鎖海(ローマ帝国がやったのと同じ)にされていた地中海を、
公海(Open Sea)にしたってだけだろ?

別に西地中海をヨーロッパが抑えたわけではない。
753世界@名無史さん:2008/12/03(水) 12:43:52 0
> したってだけだろ?

それは「だけ」とは言わんと思うが
754世界@名無史さん:2008/12/03(水) 21:34:51 0
オスマン帝国の歴史的に残した遺産はなんですか?
755世界@名無史さん:2008/12/04(木) 05:15:40 0
>>747
見る影もないもんな→トルコ
ローマもモンゴルもそうだが他民族勢力というのは覇権の座から落ちたらそれで終わりなんだろう
西蘭英仏のように支配地に下手に権利を与えず支配民は支配民として留めておけば落ちぶれても支配地及び民を切り捨てるだけでいい
ドイツ中国ロシア日本のように民族主義で成り立った勢力は何度潰され蹂躙されてもまた一致団結して甦る
特にロシアはゴキブリのようだ。
756世界@名無史さん:2008/12/04(木) 07:17:54 0
>>752
じゃあしたってことだろう?

公海になったってことは、商船が自由に航行できないってことになるんだよね。
武装したり、軍艦に守ってもらったり何かと大変。
757世界@名無史さん:2008/12/04(木) 07:20:00 0
>>747
>日本→ロシア

この辺りって、いつの時代を指してるの?
758世界@名無史さん:2008/12/04(木) 10:54:16 O
>>757
戦前→冷戦
759世界@名無史さん:2008/12/04(木) 12:04:22 0
そんだと、ロシア→アメリカがわからねぇな
760世界@名無史さん:2008/12/04(木) 16:02:25 0
ソ連は近代以降は明らかに大国だからね
761世界@名無史さん:2008/12/04(木) 20:38:00 0
今のトルコははっきり言って良い所なんて何一つとしてないけど
人口だけはそこそこ多いからそのうち返り咲くんじゃないかな
762世界@名無史さん:2008/12/04(木) 21:18:41 0
ケマルってすげぇ。
コレなら国父と言われるのもうなずける。

世には大したことしてないくせに国父と呼ばれちゃってる
恥ずかしい建国の父ばっかりだからな。
763世界@名無史さん:2008/12/05(金) 06:31:53 0
一般的なトルコ人から見ればそうだろう
しかし、クルド人やアルメニア人からすれば自民族を虐殺したヒトラーやスターリンと並ぶ悪魔
イスラム原理主義者から見れば西洋に媚を売りイスラムの伝統をぶち壊した人物と見られている
764世界@名無史さん:2008/12/05(金) 18:33:25 0
>>763
>イスラム原理主義者から見れば西洋に媚を売りイスラムの伝統をぶち壊した人物と見られている
第一次大戦でジハード宣言したのに、アラブとかインドとかからシカトされたあげく、連合国(=敵)側に付かれたし。
トルコ側からすれば、窮地に陥ったときに助けてくれなかったくせに何抜かしとんねん、なのでは。
765世界@名無史さん:2008/12/05(金) 21:15:56 0
ロシアの高官が「ソ連崩壊はオスマン帝国のように仕方なかった・・・」と
オスマンを比喩に出してた
今頃オスマンを例に出すのかと少し驚いたな
766世界@名無史さん:2008/12/05(金) 23:38:12 0
ケマルが戦を起さなければ
トルコの西部は大幅に割譲されて
アルメニアとクルドは独立して
今の半分程度の領土に縮小してただろ。

これを押しとどめたのだから本当に凄い。
日本で言えば、無条件降伏寸前で
更には国内には早期講和を求める利敵団体が跋扈してる中
不法占拠された樺太、千島、沖縄、小笠原等々を奪還するようなものだからな。
767世界@名無史さん:2008/12/06(土) 04:05:33 0
ケマルがもう少し外征を展開して
トルコの領土を広げられれば
もっと英雄として崇拝できたのに

せめてチムールぐらにの領土は欲しかったな
768世界@名無史さん:2008/12/06(土) 04:18:29 0
>>767
バカか?
帝国を否定し、大トルコ主義も否定したケマルがそんなことするわきゃないだろうが。
769世界@名無史さん:2008/12/06(土) 07:24:42 0
中国=トルコ
チベット=アルメニア
東トルキスタン=クルド
日本=ギリシャ
770世界@名無史さん:2008/12/06(土) 08:54:36 0
アゼルバイジャンは朝鮮か?
意外と合ってるな
771世界@名無史さん:2008/12/06(土) 09:54:37 0
気質的には
アルメニア人=朝鮮人っぽいが。
772世界@名無史さん:2008/12/06(土) 11:43:12 0
トルコは
アルメニア・ギリシャのような
よわっちい国を虐めただけだから
連中の抗議は一切無視してもさしつかえないが

日本の場合、よりによって
人口だけは無駄に多い中国を虐めてしまった。
我が帝国はなんて大それた事をしてしまったんだ・・・orz
773世界@名無史さん:2008/12/06(土) 11:44:19 0
北朝鮮はグルジアじゃまいか?
ほら、もうすぐ・・・
774世界@名無史さん:2008/12/06(土) 14:13:33 0
また朝鮮の話しないと何も語れないアホな方々が来たよ。
新韓だとか嫌韓だとかを問わず、まずスレタイを百万回音読しろ。
775このコピペも貼っといてやるよ。:2008/12/06(土) 14:16:12 0
また「○○の韓国」か。お前はオスマン帝国のスレにまできて韓国の話題しかないわけww?
あんな気持ち悪い国が世界に3つも4つもあってたまるかよボケ

フランスはヨーロッパの韓国です
ポーランドはヨーロッパの韓国です
ベルギーはヨーロッパの韓国です
オランダはヨーロッパの韓国です
スロヴェニアはヨーロッパの韓国です
デンマークはヨーロッパの韓国です
イタリアはヨーロッパの韓国です
チェコはヨーロッパの韓国です
スロヴァキアはヨーロッパの韓国です
アゼルバイジャンはヨーロッパの韓国です
アルメニアはヨーロッパの韓国です
ギリシャはヨーロッパの韓国です
いい加減にしてくれ。あんたみたいな奴は二度と来るな。
776世界@名無史さん:2008/12/06(土) 14:45:35 0
大体ナショナリズム・御国自慢・歴史自慢の強い国、
隣国と仲の悪い国、支配された事を恨む国が許せない、
我慢ならないというのなら世界はそんな国でいっぱいだ。
過去に遡ってもいっぱいだ。
世を儚んで世捨て人にでもなったら…ああそれで2chに居るの?
777世界@名無史さん:2008/12/06(土) 14:51:59 0
自治厨涙目(笑
778世界@名無史さん:2008/12/06(土) 18:17:59 0
大韓帝国のような
ゴミカスの国ごっこに比べ
オスマンは帝国としての力を持っていた。

竪穴式住居に住んで糞を主食にしてた100年前までの朝鮮土人とは
比べ物にならない。
779世界@名無史さん:2008/12/06(土) 19:27:30 0
韓国になってからはどうだか知らんが
金属活字とか作ってた頃の朝鮮は立派だよ
780世界@名無史さん:2008/12/06(土) 19:33:46 0
高麗の頃か・・・

李氏朝鮮になって確実に国が退化した。
モンゴルにびびって回軍し、自国に攻め入った李成桂は朝鮮史最悪の逆賊。
781世界@名無史さん:2008/12/06(土) 19:53:10 0
金属活字は「油性インク」が存在して初めて意味のあるもの。
ただ金属にしただけのものに、実用性はない。
782世界@名無史さん:2008/12/06(土) 21:13:28 0
トルコといえばアナトリアを思い起こすだろうが、
オスマンの重心はむしろバルカン側なんだよな。帝都イスタンブルもこっちだし。

その意味でもオスマン=トルコってのは不正確。
トルコ共和国の首都がなんでアンカラなのか理解できなくなるし。
783世界@名無史さん:2008/12/06(土) 21:59:19 0
ケマルがいなかったらアナトリアだけだったな
784世界@名無史さん:2008/12/06(土) 22:34:01 0
そうしたら小アジア以外の領土はどうなっていたのだろう・・・
ロシア領かな。
785世界@名無史さん:2008/12/06(土) 22:51:59 0
クルドとアルメニアでは
786世界@名無史さん:2008/12/07(日) 01:21:48 0
あと、海岸線がギリシャ領
787世界@名無史さん:2008/12/07(日) 07:05:03 0
ドイツ軍によってアナトリアまで制圧されていそうやね>オスマン帝国分割で
トルコ辺り枢軸参戦するかも知れないし
788787:2008/12/07(日) 07:10:04 0
あ、第二次世界大戦においてって事ね
789世界@名無史さん:2008/12/07(日) 08:12:58 0
それだと敗戦で今度こそ滅亡か共産化だなw
790世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:31:48 0
オスマンの末裔って今アメリカに住んでるだろ。

500年くらい続いた帝統なのに勿体無い。
ロシアみたいに新政府に皆殺しにされなかっただけでもマシか・・・
791世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:36:29 0
そういう血統を有り難がるのは日本人だけだろ
792世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:41:57 0
あの状況でスルタンが操られていたとかいう言説が通用したら
存続していたかもしれんが・・・
ちょっと厳しいよ

オスマン帝国500年の平和って本では
末裔が駐車場の管理人やってたと書いてたけど

ケマルが偉大なのは生かしておいたことだと思う
793世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:44:38 0
トルコ民族主義ってものが崩壊した場合
オスマン家を元首として多民族支配が行われる場合だってありうると思う
EU加盟拒絶された場合イスラム主義者がさらに台頭する可能性ある
現在のイスラム世界でスルタンにふさわしいのは
オスマン家になるだろ
794世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:48:39 0
セリム1世がアッバース朝のカリフの末裔の子供とかを捏造したりして
擁立しておけばよかったのに
795世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:50:36 0
ねーよw

時代の流れに逆らってまで君主を復活させる国なんかあるわけないw
796世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:57:10 0
時代の流れが民族主義だとして
今後多民族共生社会が良いという潮流がおこるかもしれんだろ
アルメニア人だってクルド人だって昔は平和にくらしてたんだから


イスラエルが消滅して中東に平和が戻ったとき
オスマン帝国のエルサレム支配が見直されると思うけどね
797世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:57:32 0
数年まえに第三十代皇位継承式を敢行した
ステキな馬鹿がいるぞ。その国は共和制なのにな。
798世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:59:45 0
UAEやサウジって傀儡国家なのに何故イランみたいなイスラム革命が起きないんだろう
あの地域を反米諸国が握ったらかなり恐ろしいことになるのに
799世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:04:33 0
国民にとっては王国だろうが帝国だろうが共和国だろうが
「食うに困らずに楽しく生活できればそれでいい」

血統を有り難がっているのは歴史マニアぐらいじゃねーの
800世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:06:43 0
同じ水準なら君主制がいいと思うよ。
801世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:08:03 0
後ウマイヤ朝はマンスールの子供がスルタン位を奪ってから
市民含め大きな混乱が生じましたが
権力の正統性っていうのは重要です
802世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:08:39 0
ドラマに感化されて
「自分トコも王室外交の舞台に立ちたい」とか夢想してる
可哀想な民がいましたね。

因みにソコの末帝は日本のホテルのトイレで孤独死しました。
803世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:11:51 0
何でそんなに共和国が嫌いなの?
804世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:12:04 0
おいおい韓国初代大統領自身が李朝末裔だろ
805世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:13:00 0
>>803
共和国嫌いなんじゃないし
ケマルは世界でも稀に見る英雄だと思うけど
トルコ民族主義が嫌いなだけ 
806世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:14:27 0
世は共和制が跋扈しており
君主制は貴重である。

北米、南米には一カ国もなく
アフリカはモロッコとレソトだけだったか・・・

立憲君主ならば民主政治に何の問題もない。
807世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:17:25 0
アラブはハーシム家が統治すればいいのでは
808世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:18:29 0
小沢一郎が天皇を廃位させて自分が天皇の座についたらどうなるよ
一般市民も大反対で大変なことになるだろ
809世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:27:00 0
そうしたら皇室に対する敬意なんて一瞬で消え去るな。
1000年以上続く重みこそ正当性最大の根拠なんだから。

徳川家や足利家の末裔になんて何も感じないし。
810世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:30:12 0
ハプスブルグ家だったら
欧州の盟主になれると思う。

EU連合王国の君主に推戴出来るのはあの血統しかない。
811世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:30:46 0
国民にとっちゃ生活が保障されりゃあどうでもいいだろ
812世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:31:55 0
欧州かどうかはともかく、バルカン半島にとってはあり難いような・・・・>ハプスブルク家
813世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:35:24 0
産油国みたいに楽してくらせてたら誰も文句言わないが
たいていは不満持ってるだろ そのはけ口になっちゃう¥
814世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:36:13 0
どっかからカエサルの子孫連れてくるしかないな。

孔子の子孫だって何万人もいるんだから
ローマの末裔だっているだろ。
815世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:38:02 0
オスマンは
ロシア帝国最高の名君といわれるピョートル大帝を捕縛した事がある。

ある一定の時期まで
スルタン>ツァーリだった。

それが19世紀の体たらく・・・目を覆うより他ない。
816世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:40:36 0
オスマンの西洋化改革もタイのチャックリー改革も
清朝の洋務運動も
明治維新ほどの成果はあげていない。

君主の質が改革の成否に影響している。
明治大帝はスレイマン2世を凌ぐ名君である。
817世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:45:46 0
まーたはじまった
818世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:48:00 0
日本がアナトリアの位置にあったら西欧化など成功していないよ
819世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:49:02 0
偉大なる帝国元首陛下。
大帝のお力で悪鬼ロシア帝国を完膚なきまでに叩き潰せました。

トルコ人も大喜びです。
820世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:50:50 0
>>818

西欧に近いので19世紀初頭には産業革命を成し遂げて
ウィーン会議に列席していたと思われ。
821世界@名無史さん:2008/12/07(日) 11:13:26 0
王室スレの共和脳が荒らしているのか
822世界@名無史さん:2008/12/07(日) 11:26:38 0
http://image.blog.livedoor.jp/jordan_cafe/imgs/e/3/e3b8b603.jpg
ハーシム王子イケメンだよ
カリフになってくれないかね
823世界@名無史さん:2008/12/07(日) 14:52:56 0
大日本帝国憲法(1890)
ミドハト憲法(1884)
大韓帝国国制(1899)

アジアが誇る19世紀の近代成文憲法である!
824世界@名無史さん:2008/12/07(日) 14:54:20 0
第一条

皇帝陛下は無限の大権を有す(笑

これって何処の絶対王政の憲法?
825世界@名無史さん:2008/12/07(日) 14:55:01 0
たった13条からなる近代成文憲法があるそうなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
826世界@名無史さん:2008/12/07(日) 14:59:39 0
ケマルの後を継いだ二代目も優秀だったんだよな、確か。
エンヴィルパシャとかいう面白い奴もいたしオスマンは興味の尽きない国だぜ。
827世界@名無史さん:2008/12/07(日) 15:16:30 0
現ロンドン市長もオスマン帝国内務大臣の子孫
828世界@名無史さん:2008/12/07(日) 16:03:54 0
実はオバマも・・・
829世界@名無史さん:2008/12/07(日) 16:20:21 0
オスマン帝国復活
830世界@名無史さん:2008/12/07(日) 16:39:24 0
NYでタクシードライバー
831世界@名無史さん:2008/12/07(日) 19:51:07 0
李朝の末裔は棺桶に片足突っ込んだ婆ぁと
ホームセンター勤務のリーマンが王位継承争いしてるな。
832世界@名無史さん:2008/12/07(日) 19:58:02 0
その女皇帝の息子もアメリカでタクシードライバーらしい。
833世界@名無史さん:2008/12/07(日) 20:11:01 0
いのにゅはけまるの忠実な片腕だったから
王制復古なんて考えもしなかった。
834世界@名無史さん:2008/12/07(日) 23:41:33 0
訂正
オスマン帝国500年の平和によるとオスマン家末裔は墓守をしてたらしい
835世界@名無史さん:2008/12/08(月) 09:44:22 0
>>821
「眠族主義」とか書かれたせいでザイちョン君達のレス検に引っ掛かったな
國籍法改正キャンペーン中だから血統とか眠族とか文字通りに書くと召集されちゃうんだよ
836世界@名無史さん:2008/12/08(月) 10:57:44 0
オスマンってペルシャとどんな関係があんの?
837世界@名無史さん:2008/12/08(月) 16:10:19 O
>>825
そんな近代憲法あるかよwww
聖徳太子の時代でさえ憲法は17条もあったんだぞ
838世界@名無史さん:2008/12/08(月) 20:56:27 0
それがあったんだよ・・・
それを作った奴はエラが張っていて、糞が好物・・・
839世界@名無史さん:2008/12/08(月) 21:06:11 0
十二表法は名の通りです
840世界@名無史さん:2008/12/09(火) 00:01:14 0
知名度が微妙なトルコ料理を世界三大料理の一つと言い切って定着させたのは立派だと思うw
841世界@名無史さん:2008/12/09(火) 00:20:28 0
韓国も統一したら皇帝でも復活させたらええねん
842世界@名無史さん:2008/12/09(火) 14:57:47 0
オスマン帝国で最も男色好きで有名な人々って、どんな人物がいますか?
スルタンや政治家、軍人だけでなく、文人や学者らも含めると、かなり大勢
いると思うのですが。
843世界@名無史さん:2008/12/14(日) 07:08:25 0
誰ひとり返答が出来ぬと申すのかゑ
844世界@名無史さん:2008/12/14(日) 07:35:47 0
韓国ネタではあれだけ盛り上がっていたのに…
お前ら本当は韓国のことが好きなんだろ
845世界@名無史さん:2008/12/14(日) 08:21:10 0
ホモ吉は嫌いだけどな
846世界@名無史さん:2008/12/14(日) 09:19:22 0
第7代君主・メフメト2世
だだし、男色家ではなく両刀使い
847世界@名無史さん:2008/12/14(日) 09:36:08 0
壮麗王だけが傑出していて
後は暗君ばかり・・・

そういえば明王朝も最悪な君主ばかりだった。

李朝は言わずもがな(業績を挙げたのはせいぜいハングル大王一人)

日本の徳川将軍家は暗君はいない。日本は偉大な国だ。
848世界@名無史さん:2008/12/14(日) 09:44:08 0
>>847
お前が知らんだけ。>壮麗王だけ傑出〜
一般人ならともかく、このスレに顔出しといてその体たらくかw
849世界@名無史さん:2008/12/14(日) 09:49:20 0
露骨な釣りに嬉々としてレスを返す不思議
850世界@名無史さん:2008/12/14(日) 11:29:44 0
メフト2世の後は救い難い暗君が続き
ソコルルメフトパシャ宰相の力で帝国はなんとか国力を保った。

しかしその死後は17世紀、18世紀と没落の一途。
18世紀には欧州の病人呼ばわりされ、領土は割譲し続け
20世紀には崩壊した。

オスマンの中でも
優秀な君主なんてビザンツ帝国滅ぼした奴だけでしょ。
851世界@名無史さん:2008/12/14(日) 11:43:22 0
>>850
そこまでは流石に思わんが
イギリスの庇護が無かったら速攻滅ぼされてただろうね
852世界@名無史さん:2008/12/14(日) 11:51:42 0
イブラヒム・パシャ
853世界@名無史さん:2008/12/14(日) 12:00:53 0
>>850
17-20世紀まで「何とか」?w
えらく長いなw

>優秀な君主が〜
ソコルルry宰相に言及してるように、
君主に頼らなくとも国家を運営できる体制だったと認識すべきでは。
権威とか正統(当?)性とかは君主に由来するにしても。
854世界@名無史さん:2008/12/14(日) 12:05:58 0
いちばん優秀なのはセリム1世だと思うんだがな
855世界@名無史さん:2008/12/14(日) 15:43:07 0
>>852

オスマン最悪の暴君じゃねーか。
856世界@名無史さん:2008/12/14(日) 15:46:32 0
タンジマートが成功していれば・・・

何もせずただ列強の餌食になる馬鹿な国揃いの中で
改革しようとした事は誉れだが・・・
857世界@名無史さん:2008/12/14(日) 18:16:47 0
だいたいここの住人はわかっていないが確かにトルコは植民地になるどころか
ベルリン会議にも出ているような国だし1884年のミドハト憲法はアジア初とかいう。
しかし日本は明治・大正・昭和と名君が続き世界有数の国になった。それを理解できない
奴が中世の亡霊のようなオスマントルコなんかをああだこうだと評価するんだ。勉強しろ。
858世界@名無史さん:2008/12/14(日) 18:25:55 0
>>857
大正天皇が何をしたのかkwsk
859世界@名無史さん:2008/12/14(日) 18:30:30 0
日本の話はスレ違い
他に語る場所なんていくらでもあろうに
860世界@名無史さん:2008/12/14(日) 18:59:50 0
>>857
たしかにw
西洋化してもそれを潰すような低脳土人のトルコ人。
日本は神の国の民族だから万事をうまくやってのけた。
861世界@名無史さん:2008/12/14(日) 22:04:49 0
明治天皇の凄さはスレイマンや康熙帝を遥かに超えている。
人類史上でもぶっちぎりNo1の名君だろ。
862世界@名無史さん:2008/12/14(日) 22:18:29 0
ハリル・パシャとヌリ・パシャが
ロシア帝国の重要拠点だったバクーを再占領した時が
オスマンの絶頂期だった。
863世界@名無史さん:2008/12/14(日) 22:44:35 0
なんたってケマルのオジキだからな・・・
864世界@名無史さん:2008/12/15(月) 03:45:14 O
>>861
明治天皇は確かに有能な名君だったが、あの時代も天皇個人の能力で国が変化・発展したわけじゃないろうが。
いくら明治帝が有能でも西郷、大久保、岩倉たちがいなければ王政復古はなし、
大村、板垣、西郷、黒田、山田らがいなければ旧幕府軍に対する勝利なし。
大久保、木戸、大隈、江藤、西郷、板垣、岩倉、後藤、副島と優秀な官僚・テクノクラート(旧幕臣を含む)たちがいなければ
明治初年の大変革も西南戦争・自由民権運動を経ての立憲化も殖産興業成功も不可能だった。
日清戦争勝利も条約改正も日露戦争勝利も全て優れた政治家、官僚・テクノクラート、軍人があってのこと。
まさか、彼らを産み出したのも「英明なる明治帝の御力」なんて話なら宗教板でしてくれよ。
865世界@名無史さん:2008/12/15(月) 20:07:19 0
国の大事に
税金を食い潰しまくった劣悪な王が近隣に2人いたな・・・

明治帝は海軍増強の為、帝室財産さえ寄付した。
ここら辺の危機意識が全く違うぜ。
866世界@名無史さん:2008/12/15(月) 20:13:58 0
そう考えたらケマルってホント凄いよな。
最も彼「だけ」の力で成し遂げたってわけでも無いけど。
867世界@名無史さん:2008/12/15(月) 20:33:08 0
>>866
巻き返しの先陣を切ったカラベキルとかはもっと注目されるべき。
868世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:01:24 0
エンヴェル・パシャも忘れないであげて下さい・・・
869世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:06:24 0
>>868
アルメニア人は民族が滅亡するまで忘れないと思う
870世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:10:36 0
>>868
コイツがアルメニア人を虐殺した悪名高いアレか
871世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:36:21 0
アルメニアとかギリシャのような雑魚相手に勝ってもな。

矢張り帝政ロシアとか大英帝国相手に勝利せねば・・・
トルコって何度も戦争してるけど列強に勝った事あるのか?

トルコが大国相手にそこそこ戦ったのって
黄金期のウィーン包囲くらいで

近代ではイタリア王国にすら遅れをとっている(1912)。
なんとも寂しい限り。
872世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:52:30 0
盛時のオスマン帝国が対決した盛時の大国といったらサファヴィー帝国じゃね?
873世界@名無史さん:2008/12/15(月) 22:11:06 0
>>871
一度はプルート戦役でピョートルを虜にしたことあるじゃん…>帝政ロシア
874世界@名無史さん:2008/12/15(月) 22:14:16 0
クートの戦いでは大英帝国陸軍を壊滅させてるぞ。
弱い言うても一方的にやられるほど弱くないトルコ軍。
875世界@名無史さん:2008/12/15(月) 22:20:43 0
大韓帝国軍もゼネラルシャーマン号事件で
盛況なアメリカ軍を撃退したニダ。

キルレシオは300対3ニダ
876世界@名無史さん:2008/12/15(月) 23:38:38 0
>>871
エリの海戦では劣勢のギリシャ海軍に負けてるけどね
そもそも自国民の虐殺は勝ちとか言うレベルじゃないんじゃ
877世界@名無史さん:2008/12/15(月) 23:47:02 0
大日本帝国から優秀な軍艦を購入して
海軍を増強したタイ王国も列強末席のフランスに圧倒された。

列強に勝つというのは並大抵の事ではない。トルコは恥じる事はない。
日本国が凄すぎるだけだ。
878世界@名無史さん:2008/12/15(月) 23:57:32 0
アドワ高原でハイレセラシエ皇帝、タイトゥ皇后率いる
エチオピア帝国陸軍がイタリア王国陸軍を駆逐した事があるが
あれは何十万のエチオピア兵が数万のイタリア兵を物量で
押し切ったに過ぎない。

別に航空艦隊同士、空母同士の壮烈な戦いがあったわけじゃない。
帝国は白人列強以外で唯一、近代兵器を自力で作り操り互して戦った。

これは人類史上に連綿と煌く栄光の軌跡である。
オスマントルコなぞ、秋山観戦武官に言わせれば「老いた老大国」である。
帝国政府は彼の国に不平等条約を突きつけている。

つまり19世紀末の時点で帝国>オスマン、である。
879世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:00:17 0
オスマンの上司のドイツ帝国を
日本は青島でボコっちゃってるからな・・・やっぱ帝国は凄いぜ。
880世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:01:14 0
新撰組>ムハンマド常勝軍
881世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:01:17 0
>>878
>帝国政府は彼の国に不平等条約を突きつけている。
不平等条約って、元はオスマンが付与したカピチュレーションだろ?
恩を仇で返す帝国乙w
882881:2008/12/16(火) 00:03:05 0
>>881
おっと帝国と言うから英国だと早合点してしまった。
日本のことなのね。>帝国
失敬失敬
883世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:05:00 0
大英帝国は産業革命前に既にオスマンを追い抜いてる気がする・・
884世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:07:26 0
>>878

オスマンにはついぞ産業革命は起こらなかったからな。
中世のウルバン砲が唯一と言っていい発明。
軍艦も戦車も航空機も作れなかった・・
885世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:12:38 O
>>865
そもそも日本には天皇も征夷大将軍(幕府)も清や李朝と違って無意味な大浪費をする習慣がなかった。
まして財政赤字だは国難だはの時に西太后みたいなことは思いつきもしない。
彼女の場合は国(清朝・王家)の危機だからこそ、ありったけのカネをつぎ込んで宗教儀式をやって、
神仏にすがり、清朝・愛新覚羅家・我が身の安泰を祈ったのだろう。
李朝のびん妃(←ケータイだと漢字が出ない)も似たようなもんだったんじゃないの?

しかも、あの2人に限らず、皇帝・国王でも、馬鹿なことに大金を使い込んだのが中国や朝鮮には歴史上数え切れないほどいて、
結局、クーデター、民衆反乱、異民族侵入で滅亡した例もあるし。
886世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:13:33 0
ドイツ帝国が危険を冒しながら貸与した2隻の最新鋭軍艦、ゲーベン。
それまでどっちに付くか風見鶏のトルコはこれで
中央同盟軍についた。

土人に良いモン与えるとどうなるかは清朝を見れば分かる。
ドイツから定遠、鎮遠をもらった清は
大威張りで日本や朝鮮に見せびらかし威圧したが
実際に戦ってみるとどうという事はなかった。

使う奴が土人じゃ最新鋭の軍艦も意味ない。
887世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:27:00 0
>>885
犬将軍が浪費しまくったせいで、
それ以降、幕府は倹約政策に頭を悩まされっぱなしだったんじゃあ…
888世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:45:58 0
当時の日本がそんなご大層なものかは分からんがWW1の時点では既に日本>トルコ
だったと思うよ
889世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:51:00 0
日本はトルコが逆立ちしても勝てない帝政ロシアを
ガチンコで倒しました。

20世紀に入った時点で日本が上でせう。
890世界@名無史さん:2008/12/16(火) 01:04:38 0
>>887
税金が安いからな、当時の日本は。
それに浪費ってほどの浪費はしておらん。
単純に世の中が豊かになって幕府も武士も出費がかさむようになり、
それが財政を圧迫しただけの話。
891世界@名無史さん:2008/12/16(火) 01:06:34 0
抵抗史観のもと
江戸時代は封建社会による農民の搾取が酷く
この世の地獄・・と学校では教わったのに。騙された。
892世界@名無史さん:2008/12/16(火) 01:17:59 O
>>887
犬公方は特別だよ。ただし、それ以前に幕府は、大規模な天災が起きると積極財政で大々的な救民政策をやった。
特に三代将軍家光の死後に初代会津藩主保科正之らが中心になって。
大地震だったか大火災だったか忘れたけれど、
それで壊れた江戸城の天守閣も建て直さなかったし、そういう点は緊縮財政だったのだけど、
それで貯まったカネを被災民や窮民にばらまき過ぎたし、天領における農民の年貢を引き下げたりした。
それには幕閣からも相殺になるからと反対論も根強かったが、やってしまった。
それは民衆にとっては、その当時の幕閣は「良いお上」だったろうが、
その後を引き継ぐ幕閣が頭を抱えることになるし、現にそうなった。
諸藩は諸藩で三勤交代だけで莫大なカネがかかるのに、幕府に命じられた普請事業も全て自腹でやらなきゃならない。
それに加えて、不作が何年か続いたり、殿様に少しでも浪費癖(科学・技術が大好きな「蘭癖」を含む)があると、
火の車になり大商人からの借金まみれ。よく、薩摩と肥前佐賀は財政を立て直したと言われるけど、
膨大な借金を踏み倒したからね(笑)貯金出来るようになったのは、薩摩も佐賀も密貿易。
893世界@名無史さん:2008/12/16(火) 01:25:41 O
結局、何を言いたいのかわからなくなってしまったが、幕府・諸藩も浪費はあったが、たかがしれていたってことと、
明治政府・明治天皇が下らんことに大金をつぎ込まなかったのは明治になる前からの伝統?もあるんじゃないかな?ってこと。

私がうだうだ書いてる間に説明してくれた人がいた、ありがとう。
風邪ひいて寝ながらケータイでカキコしてるもんだから、
自分が書いたもんを含めてカキコ中はレスを読めないんだ。すまん。
894世界@名無史さん:2008/12/16(火) 02:05:52 0
世界的に日本人の考え方・身の処し方は特殊なんだよ。
慎ましいというか謙虚というか・・
895893:2008/12/16(火) 06:13:42 O
>>894
同感。そういう意味です。

良いか悪いかは別として俺もその典型らしく、
昔、台湾で現地の人から奇異な目で見られた。
「隅っこが好きだね」と言われたことがあれば、
お世辞で「正直だし紳士的だ」とも、ずばり「はっきり言ってもらわなきゃ困る」とも言われた。
俺の場合、内向的で風変わりな性格+中国語が超下手ってこともあるけど、外向的+中国語が得意な他の日本人も同じようなことを言われていた。
台湾人Lさんが約束の時間を守らないことを「はっきり」批判したら、逆ギレされ喧嘩になったこともあったし(笑)、実際あんまし言えないよ。

台湾には2年しかいなかったから、国民性がわかったとはいえないけれど、
自己主張が強い。決して悪いことじゃないが、性格の問題以前に日本であそこまでだったら嫌がられる。
かといって西欧人とも全然違って、時間など約束事に概してルーズ。
私も今より15年以上は若かったし、社会人になって何年かしか経ってなかったから、
「同じ東アジア人でこうも違うの!?」と驚いたけれど、中国人や韓国人と接することが増えてから驚かなくなった。
私が「東アジア人」と一括りに考えていたのが間違いないだっただけ。
896世界@名無史さん:2008/12/16(火) 08:23:17 0
>>894
2chねらはそんな日本人の風上にも置けない連中だな
897世界@名無史さん:2008/12/16(火) 23:46:48 0
>>894
2chねらはそんな日本人の風上にも置けない連中だな
898世界@名無史さん:2008/12/17(水) 22:37:57 0
>>855
さすがに暴君は言いすぎだろ
899世界@名無史さん:2008/12/21(日) 22:56:17 0
三日月の世紀だとセリムは1509年と1511年にクーデターを起こした
1509のは負けたらしくクリミアのほうに引っ込んだとか
おとんはクーデターを起こした息子に処刑令とか出さなかったのかな?
そんときにぼこっときゃお気に入りの長男がスルタンになれたかもしれない
それで魔性の美少年率いるサファヴィーにやられちゃったかもしれないけど

詳しいこと知ってる人がいたら教えてください
900世界@名無史さん:2008/12/24(水) 13:52:14 0
スレタイに『トルコ』を入れなかった>>1は賞賛に値する。
901世界@名無史さん:2008/12/26(金) 02:01:10 0
メフメット・タラートも忘れないで。
近年評価が上がっているようだから。
(内政面で)
902世界@名無史さん:2008/12/28(日) 13:13:08 0
>>884
ウルバンはハンガリー人で最初にビザンツに発明を売り込んだけど拒絶されたので
次にオスマンに売りこんだってだけだから
オスマンの発明とは言えないな

903世界@名無史さん:2008/12/28(日) 20:33:38 0
>>902
オスマンが存在しなければ実現出来ないものだったんだからオスマンの発明でいいだろ。
904世界@名無史さん:2008/12/28(日) 21:18:44 0
それは見解のわかれるところだな
905世界@名無史さん:2008/12/31(水) 22:38:11 0
オスマン朝が続いていたら
1000年近く続く世界で二番目に古い君主国だったのに。

第一次大戦の時、オスマンも迷ってたんだよな。
最期はドイツ戦艦の入港で中央同盟に加わったけど
あれがなければ・・・・
906世界@名無史さん:2008/12/31(水) 22:39:35 0
それを言うなら
日本が支配しなければウリ民族の王統は600年で
欧州最古のデンマークよりも古いニダ
907世界@名無史さん:2009/01/01(木) 08:33:44 0
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/

2チャン寝るは「■とう■■■一■教■■会■」が 運■■■営して「個人じョうホう」を収集してる。
駅前で「■手■■■相を見せてください」 と「カンユウ」してるのが「■とう■■■一■教■■会■」。(カ■■■ルト宗■教)  
カ■■■ルト宗■教の下にいる人と、上にいる奴を分けて考えないといけない。
下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。

ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=「とう★■■一■教★■★会」上層部=層化上層部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝■鮮■人ハーフの政治家=金■ 正■■日(キ■ム・ジ■ョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン

毎■日■■■新聞スレを荒らしてる奴らも「■とう■■■一■教■■■会■」。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1230363385/
908世界@名無史さん:2009/01/01(木) 21:39:25 O
ニコポリスで叩いていればあそこまでのさばれなかったんだろうな…
総司令の神聖ローマ皇帝にカリスマ性、統率力が無かったかな?ジギスムント君w
909世界@名無史さん:2009/01/02(金) 10:15:31 0
ムスタファ王子が即位してたらどうなってたかも
わからんけどね

母ちゃんかわいそ
910世界@名無史さん:2009/01/04(日) 19:50:01 0
ムスタファ皇子とその生母の方がずっとかわいそうなのに
日本の小説家はその点をスルーして
人によってはムスタファ皇子の生母を実際よりも悪く書き
ロクセラーナを悲劇のヒロイン扱いするのでムカつく
セリム2世よりも長生きした
ムスタファ皇子の生母をヒロインにした歴史小説が読んでみたいよ
911世界@名無史さん:2009/01/04(日) 21:48:16 0
ヒュッレムたんには華があるからな
912世界@名無史さん:2009/01/05(月) 17:50:23 0
日本でオスマン時代の小説って夢枕のシナンしか読んだ事ないけど
他は知らないな…

オスマンの小説が増えればいいのにイスラムってとっつきにくいのかな
913世界@名無史さん:2009/01/05(月) 19:30:31 0
そういえば最近、新聞にアルバニアのことが載ってたな。
オスマン時代にみんなムスリムに改宗したけど、平気でクリスマス祝ってたとか。
そんでオスマンのほうからも特にお咎めはなかったらしい。
柔かい専制というかそういうことに関してゆるかったんだなあ。

ところでヒュッレムの息子のバヤゼットってどんなんだったんだろう。
ソコルルもいたことだし、正当にスルタン位をついでればムスタファ+イブラヒム以上に
よい結果を残して……いたかなあ?

>>912
難しいんじゃない?そもそも「帝国」という言葉自体にアレルギーある人も少なくないと思う。

ttp://homepage1.nifty.com/Woodnote/novel/wind_of_rodos/rodos_index.htm
↑こういう認識の人もまだまだ世の中には多そうだしね。塩○め……
914世界@名無史さん:2009/01/05(月) 19:57:35 0
>>912
下手に書くと暗殺されるからね・・・
915世界@名無史さん:2009/01/06(火) 12:59:02 0
>>913
アリーの功績を記念する祝日があるんだから、イーサーの祝日があってもいいじゃないか。
アリーはイマームだったけれど、言っちゃあ我々と同じただの人。
イーサーはマホメットに劣るものの、神の声を賜った預言者だ。
916世界@名無史さん:2009/01/06(火) 17:49:07 0
ジーザスも預言者だってイスラムは認めているから
クリスマスは別段問題視されなかったんじゃないかな
緩い時代は


バヤジットについては最近出た林佳代子氏の概説書に
スレイマンに宛てたセリムを扱き下ろした手紙が抜粋されてた
何かヒュッレムの息子って感じ

バヤジット+ソコルルだったらまだましになったんじゃないかな
917世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:39:55 0
ムスタファは陽気で社交的な性格だったそうだ
あの生育環境でこういう性格に育ったのは凄いな
イェニチェリに人気があったのは
父親と引き裂かれるような境遇だったのも一因だろうね
918世界@名無史さん:2009/01/06(火) 21:07:45 0
王子の伝記とかあったらおもしろそうだ
後味は悪いだろうけど…
919世界@名無史さん:2009/01/06(火) 22:28:53 0
プロローグ……聡明な父・スレイマンの長子として誕生
父の寵臣で親友でもあった大宰相イブラヒムより英才教育を受ける
そのイブラヒムがかつて父に献上したヒュッレム、その増長と暗躍
父とイブラヒムの間に少しずつ広がっていく溝
ハレムを追放された失意の母を伴い、マニサへ
マニサでの日々。悩み苦しみながらも成長していくムスタファ
母太后、そしてイブラヒムの死
異母兄弟たちとの確執、ヒュッレムの策謀
ムスタファと長子ムラード、最期のとき
エピローグ……帝国の混乱、ヨーロッパの安堵と反撃

メインイベントはこんなとこだろうか。
あんまりボロクソに書くのもなんだし、ヒュッレムにもフォロー入れんとまずいかね。
あの人はごく個人的な感情を国政に持ち込んだのがダメなわけで、悪気はなかったんだろうけど……
……でもそこんとこの分別が付いてなかったってのはやっぱりダメダメだなあ。
920世界@名無史さん:2009/01/06(火) 22:53:47 0
異母兄弟とはそんなに仲は悪くなかったとどっかで読んだ気がする
末っ子なんかショック死してるし
…でも命かかってるから疑心暗鬼はあっただろうね

ヒュッレムは皇家じゃないスレイマン(みたいな人)に見初められていれば
幸せだったかもしれない
増長を抑えられなかったのか抑えなかったのか
スレイマンの怠慢にも罪はあるはず

もし、スレイマン、ムスタファ、イブラヒム、ソコルルが国政に
勢ぞろいする時代なんかあったらすごいことになってそうだw
921世界@名無史さん:2009/01/07(水) 19:27:12 0
名著の評価を得ている
スレイマンの伝記が翻訳・発売されれば
ヒュッレムとムスタファの生涯も詳しく述べられるね
日本で発売されているスレイマンの
伝記やオスマン・トルコの歴史書は
スレイマンの私生活や後継者争いはほとんどスルーしている
お堅いものばっかりでつまんね
922世界@名無史さん:2009/01/07(水) 19:36:04 0
宮廷の下らない御世継ぎ制度がなければヒュッレムも鬼にならずに
一人の女性として穏やかな生涯を迎えられただろうに
923世界@名無史さん:2009/01/07(水) 21:40:40 0
>>921何かオススメある?
英語辺りだと嬉しい…
924世界@名無史さん:2009/01/08(木) 22:03:23 0
>>920
フッレムが小梨もしくは娘しか産まなかったら
スレイマン・イブラヒム・ムスタファはまずは幸福に暮らせたろう

フッレムはスレイマンの愛を独占し
マヒデヴランは未来の皇太后の座を確保で女の争いも痛みわけ

>>922
勝気で強気なフッレムは自分の息子が
他の女が産んだ皇子の下風に立つのを
甘受するとは思えないから兄弟殺しの習慣が無くても
男子を産んだら息子を次期スルタンにしようと画策したと思う
925世界@名無史さん:2009/01/08(木) 22:22:43 0
うーんどうだろう
926世界@名無史さん:2009/01/09(金) 23:23:14 0
娘のみ、だったら理想的だったかもね
でもどうしてもマヒデブラン妃との確執は避けられなかっただろうけど

927世界@名無史さん:2009/01/10(土) 06:17:16 0
>>921
>名著の評価を得ているスレイマンの伝記が翻訳・発売されれば

なんて本?
928世界@名無史さん:2009/01/10(土) 06:18:40 0
>>914
悪魔の詩は、殺してくれと言わんばかりの作品。
下手に書いたぐらいでは殺されない。
929世界@名無史さん:2009/01/10(土) 22:03:11 0
オスマン帝国が世界に与えた影響は何になるんですか?
930世界@名無史さん:2009/01/10(土) 22:46:47 0
トルコ風呂だろうな
931世界@名無史さん:2009/01/10(土) 22:50:50 0
>>930
それ日本以外で流行ってるの?
932世界@名無史さん:2009/01/11(日) 00:59:48 0
>>931
トルコ式風呂を知らんのか。
933世界@名無史さん:2009/01/11(日) 06:12:58 0
トルコライスはおいしいよ
934世界@名無史さん:2009/01/11(日) 10:06:02 0
やっぱハーレムだろう
935世界@名無史さん:2009/01/11(日) 15:04:52 0
ヨーグルト
936世界@名無史さん:2009/01/11(日) 15:16:05 0
中央集権政治、常備軍の強さ
軍楽隊
(衰退期にて)他民族・多文化の共生、言うなれば内政的帝国主義の限界

ってとこかな?
最後のはハプスブルクにも当てはまりそうだけど
937世界@名無史さん:2009/01/11(日) 18:44:15 0
近代の中央集権とオスマンの中央集権は違いすぎるだろ
ものすごく大雑把にいうと
オスマンの中央集権は古代ローマからの継続で
専制君主がひとうひとう独立している諸勢力を軍事力によってたばねるものだからゆるいつながり
西欧の近代中央集権は封建制のヒエラルキー体制を
より合理的な形で強化したものだから国内に強大な諸勢力が存在せず
より均一化した国民国家を作ることができる
米国も多民族国家で一見ローマやオスマンに似ているけど政体は近代国民国家、
もし米国内でそれぞれの民族が独立した諸勢力でそれを中央政府が統括する政体なら
ローマやオスマン型国家になるね

938世界@名無史さん:2009/01/11(日) 18:45:57 0
訂正
×専制君主がひとうひとう独立している諸勢力を

○専制君主がひとつひとつ独立している諸勢力を軍事力によってたばねるものだからゆるいつながり
939世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:49:19 0
>>937
でもさ。「連邦」じゃん

事の成り行きによっては独立しうるんじゃないの?
940世界@名無史さん:2009/01/13(火) 01:05:02 0
>>939
南北戦争を知っているか?
941世界@名無史さん:2009/01/13(火) 10:41:11 0
連邦制と帝国は違うと思うけどな
州自体に民族や部族みたいな強烈なアイデンティティーがない
あくまで機関の一つにすぎないし
江戸幕府の方がまだ連邦制に似てると思うけど

近代でいえばソ連や中国の方がローマやオスマンのような帝国に近いな
まぁアメリカも国外に兵を駐在して間接的に諸外国を支配してるわけだから
外交的には帝国的だな、かつての英仏もそうだね
ただ西欧の帝国主義は本国と植民地が切り離されていて
資本主義原理で運営されていて帝国をひとつにまとめようという意思がほとんど働いてない
そこが古代の帝国と大きく違うな
942世界@名無史さん:2009/01/13(火) 14:24:03 0
図書館で「オスマントルコ帝国の税金のあつめ方について知りたいんです」とたずねたぼくに、老人の目がきらりと光った。
案内された地下の閲覧室。
階段をおりた奥から、羊男が現れて…。
943世界@名無史さん:2009/01/14(水) 15:42:00 0
おまぃのいう「帝国」と「連邦制」の違いはなんだ?
944世界@名無史さん:2009/01/14(水) 22:06:40 0
例外もあるが大雑把にいうと
帝国とは複数の国家や複数の民族を力でたばねる巨大組織だな
連邦制は地方政府にある程度強力な自治権が許されてる制度
前者は抽象的な概念だが、後者は制度面だね
そうなると941の最初の段落に書いたことは間違いだね
連邦制は単に制度面のことだから別に帝国が連邦制採用しても構わないわけだ


945世界@名無史さん:2009/01/14(水) 23:06:22 0
皇帝がいるかいないかの違いじゃんw
946世界@名無史さん:2009/01/15(木) 09:25:59 0
共和制でも帝国という場合があるからな

947世界@名無史さん:2009/01/15(木) 13:08:35 0
フランス第三共和政とかナチスドイツとかな。
今のロシアも典型的な帝国だ。
948世界@名無史さん:2009/01/15(木) 19:27:42 0
カルタゴ滅亡させた後の古代ローマもだな。
949世界@名無史さん:2009/01/15(木) 19:56:21 0
アメリカ帝国だろ
950世界@名無史さん:2009/01/15(木) 23:51:36 O
ナベツネ読売帝国
951世界@名無史さん:2009/01/16(金) 02:54:29 0
中国も帝国か。

直轄か委任かの違いでもなさそうだなー
てか、帝国スレ無かったっけ?
前もこの流れ見た気がする
952世界@名無史さん:2009/01/16(金) 02:59:36 0
書きたかった事と脱線した・・・
どうでもいいけど、ダブリーズっていい匂いしそうだよな
953世界@名無史さん:2009/01/16(金) 06:00:32 0
>>921
>名著の評価を得ているスレイマンの伝記が翻訳・発売されれば

kwsk
954世界@名無史さん:2009/01/16(金) 14:06:32 0
言葉の定義もせずに議論するのは空しいね。
955世界@名無史さん:2009/01/18(日) 01:54:26 0
>>953
921じゃないけど、これのことかな?(違ったらスマン

ttp://www.amazon.co.jp/Suleiman-Magnificent-Man-Life-Epoch/dp/0863561268
956世界@名無史さん:2009/01/18(日) 21:24:13 0
おお、なんか面白そうだ……読んでみたいなあ

本といえば、去年出た「オスマン帝国の500年」読んだ人いる?
957世界@名無史さん:2009/01/19(月) 15:00:42 0
>>955
邦訳のスレイマン大帝とその時代、とは中身違うのかなあ…

>>956
林佳代子さんのだっけ、
けっこう面白かったよ、綺麗にまとまってある感じ
958世界@名無史さん:2009/01/19(月) 16:20:33 0
>>955
それは『スレイマン大帝とその時代』だよ。
既に翻訳済み。
959香川のトリッピー:2009/01/19(月) 23:18:18 0
すいません、今現在16世紀(1584年開始)の世界戦略ゲームを
個人的に作っているんですが、この時期のオスマン朝の政治家・外交官
武将データを発見できる本が少なくて困っています。 後5〜10名は
人物が欲しいんですが...。 情報を知っているか、これを調べるのに
いい本があったら教えてくださいませ。(日本/USAのwiki等は既に
見ました。)

一応テスト途中のゲームはこちら
http://soresuta.com/WORLD_CONQUEST/game.html
EXCELシナリオデータ(現時点でのオスマン朝のデータを含む)
http://soresuta.com/WORLD_CONQUEST/SCENARIO1.html
です。

この後は、ティムール時代(バヤジット1世統治時)のシナリオも作成
したいと考えているので、その時代のお勧め情報・本があれば、そちらも
お教えください。 
960香川のトリッピー:2009/01/20(火) 08:56:14 0
すいません、シナリオデータのURL間違ってました。 m(_ _)m
こちらです。
http://soresuta.com/WORLD_CONQUEST/SCENARIO1.xls

961世界@名無史さん:2009/01/20(火) 11:45:39 0
日本のオスマンオタは
自分が興味のある時期や人物を
詳しく書いたノンフィクションや伝記が
日本語で出版されていないのを嘆いているよ

オスマン帝国関連の出版物は
勃興期から滅亡までを広く浅く書いた書籍が大半
スレイマン大帝の伝記も後継者争いは具体的な記述に乏しい
962世界@名無史さん:2009/01/22(木) 19:46:17 0
>>961
人物伝といえば、山内昌之先生の『納得しなかった男:エンヴェル・パシャ、
中東から中央アジアへ』(岩波書店、1999年)(トルコ語版 : 『Hosnut Olamamis
Adam - Enver Pasa: Turkiye'den Turkistan'a』, Istanbul, 1995)もあるぞ。
963世界@名無史さん:2009/01/23(金) 19:28:23 0
キョプリュリュ家列伝とかたぶん出ないだろうな
964香川のトリッピー:2009/01/23(金) 20:12:32 0
英語文献ですが見つけました。 オーストラリア
ハプスブルグ家との13年戦争に関連して、複数のパシャ(将軍)が見つかりました。
これで10名ぐらい追加できたので、今のテスト版ではCOM担当のオスマン軍団
もかなり勢力を伸長しております。
965世界@名無史さん:2009/01/23(金) 20:46:57 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%90%8E%E5%A6%83

Wikiのオスマン帝国の后の項目が改定されて以前より詳しくなっている
ヌール・バヌとサフィエは親戚
塩婆が「海の都の物語」で2人を混同したわけだ
966世界@名無史さん:2009/01/24(土) 00:15:47 0
>>964
お役に立てなくてスマンね。
出来上がったらぜひさせてくれ!応援してる
967香川のトリッピー:2009/01/24(土) 00:55:03 0
>>966 どうもありがとうございます。
一応更新版データはこちらです。
http://soresuta.com/WORLD_CONQUEST/SCENARIO1.xls
完成したら、こちらのサイトで無料でできるようになりますので、
その時はお知らせします。
http://soresuta.jp/
968世界@名無史さん:2009/01/24(土) 23:32:21 0
>>961-962
人物伝と言えるかどうかはわからんけど、
設樂國廣「アブデュル・ハミド2世の専制政治構造」『日本中東学会年報』3 1988年
というのもある。

人物伝はオスマン朝近代史のほうが多い感じだな。
969世界@名無史さん:2009/01/30(金) 16:33:10 0
《新刊情報》
ローマ亡き後の地中海世界 (下)

キリスト教連合艦隊vs「海賊」率いるトルコ海軍。地中海の命運を決する、
男達のスリリングな海戦が幕を開ける。制海権をめぐる1000年の攻防を
描く歴史巨編。
970世界@名無史さん:2009/01/30(金) 19:12:02 O
>>969
塩婆厨乙!
971世界@名無史さん:2009/01/30(金) 22:17:58 0
アフガニスタンに派遣される予定だったフランス軍のイスラム教徒の兵士が昨年、
「同じイスラム教徒を 相手に戦うのは忍びない」と現地入りを拒み、除隊処分になった。

オスマン帝国末期、ナショナリズムに目覚めた帝国各地の民族が叛旗を翻したが、
ヨーロッパ諸国の場合、国内のムスリム住民がこれからどう出るか。
972世界@名無史さん:2009/02/01(日) 17:01:59 0
帰属が国ではないなら、国に保護される理由もないわな。
追い出されてしゃあないよ。
973世界@名無史さん:2009/02/05(木) 05:45:44 0
英雄!エルドアン首相―退席事件で中東諸国から大賛辞

> ハマスの指導者の一人、ハリル・エル・ハヤ氏は、エルドアン首相を「征服王スルタン・メフメト」と
> 「アブドゥルハミド」になぞらえ、「彼は、偉大な指導者だ。我々は彼を賞賛する。我々の勝利は、
> 彼の勝利だ。アラブの指導者らは、指導者というものがどのように歴史を紡ぐのか、エルドアン
> 首相から学ぶべきだ」と語った。
> ハヤ氏は、エルドアン首相を、「オスマン朝のスルタンの後継だ」と述べた。

http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20090131_142551.html


こういうの見ると、トルコがアラブから距離をとりたがるのもわかる気がする。
974世界@名無史さん:2009/02/05(木) 05:52:59 0
日本だって戦国時代の武将をなにかと言うと引き合いに出す。
同じ様なものだ。
975世界@名無史さん:2009/02/08(日) 01:18:36 0
そうか? 東トルキスタンあたりの反政府勢力の指導者が、
「麻生総理は太閤秀吉の後継だ。我々は彼を賞賛する。我々の勝利は……」
なんて言い出したら、きっとおまえも距離を置きたくなるはずだ。
976世界@名無史さん:2009/02/08(日) 06:21:51 0
太閤秀吉じゃ人物的にインパクト足りなくね?
977世界@名無史さん:2009/02/08(日) 09:24:59 0
イベリア人辺りには「恐怖の(何故か)皇帝」と呼ばれてたって話もあるが。
978世界@名無史さん:2009/02/08(日) 10:27:23 0
>>977
マニラ辺りが大公閣下に攻撃される可能性もあったらしいですから
979世界@名無史さん:2009/02/11(水) 05:18:45 0
末期のハフス朝はめちゃくちゃ政情不安定だよな。
ハサン・ムハンマド6世は惨殺された兄弟44人の死骸を踏み越えて王座に登った。
彼に対抗して王位を主張した人物が、“赤ひげ”ことバルバロス・ハイレディンに
侵入の口実をお膳立てしてやった。
まだハイレディンが上陸してこないうちにハサンは都を捨てて逃げ出した。
若干のアラブ部族の加勢を得たけれども、オスマン軍の砲列の前にはひとたまりもない。
こうしてチュニスはアルジェ同様にオスマン帝国に加えられてしまった。
980世界@名無史さん:2009/02/11(水) 17:27:57 0
そして貧乏なドイツ皇帝兼スペイン王に取り返されてしまい
ラ・グーレットはスペインの要塞となった
981世界@名無史さん:2009/02/11(水) 18:04:18 0
ハサンはカール5世の力を借りて復位したものの、1540年になって、
その子ハミードによって投獄され、盲目にされてしまいましたとさ。
カール5世はこの記念に「チュニスの十字架」とい新しい騎士団を創設し、
「バルバリア」をその盾の銘句としたが、その後この騎士団がどうなったのか
定かでない。

しかし赤ひげのほうはミノルカ島にスペインの旗を掲げて侵入し、
マオン港に入ってポルトガルのガリオン戦を捕らえ、街を劫略してアルジェに
ひきあげた。
982世界@名無史さん:2009/02/11(水) 22:34:01 0
次スレは?
983世界@名無史さん:2009/02/11(水) 22:48:49 0
もう世界史板自体ダメだからなあ・・・
このスレを使い切ったら、もう次スレを立てる必要はないかも。
984世界@名無史さん:2009/02/12(木) 19:19:04 0
それはそれで寂しい
985世界@名無史さん:2009/02/12(木) 22:13:55 0
雄饅艇穀
986世界@名無史さん:2009/02/13(金) 22:01:33 0
987世界@名無史さん:2009/02/13(金) 22:57:30 0
今までにこのスレで出た話題って、ほとんどが16世紀の古典期のことと、
現代のトルコ共和国に関することばかりな感じなんだが。
その間の時期である、オスマン朝近代史に関する話題がごくわずかなのが寂しい。
近年研究が盛んにすすめられている分野だというのに。
988世界@名無史さん:2009/02/13(金) 23:03:26 0
オスマンスレはまともなのに、何故トルコスレはあんななんだろ。
989世界@名無史さん:2009/02/13(金) 23:28:56 0
他国のことをやたら親日・反日で語りたがる連中が来ているから。
990世界@名無史さん:2009/02/14(土) 00:57:38 O
>>987
同時期の近代イランや近代モロッコなんて研究が進んでないのみならず語られもしないからそれに比べればマシさ
991世界@名無史さん:2009/02/14(土) 01:55:44 0
ナーディル・シャーとか一般向けでも結構詳しい本が出てるが・・・
992世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:06:11 0
次スレ立てました。
オスマン朝・オスマン帝国(03)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1234609506/
993世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:08:34 0
>>992


埋めるか
994世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:38:28 0
995世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:39:54 0
996世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:40:32 0
997世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:41:11 0
998世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:41:50 0
999世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:42:27 0
1000世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:42:57 0
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