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4 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2006/10/07(土) 09:56:16 0
>>1さん、ありがとうございます!
なかなか寿命の長いスレになって来て、参加者の1人として嬉しいです。
スレが立つたびに今度こそ1000行かないだろなと
考えてしまう自分の先祖は杞の国の人かも
上手いこと騙されて国権を宰相に渡してしまった王様がいたような気がするが、実話のはずないよな。
7 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 20:26:09 0
ちくま学芸文庫の「史記」が入っていませんが、アレは良くないのでしょうか?
良くないです。
なんで?もう買っちゃってるけど。(まだ読んでない)
10 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 23:39:26 0
2巻の「表」以外持ってるけど、
註が見易く日本語も平易な表現で非常に読みやすいのですが、
翻訳が間違ってるとか、何か問題点があるのでしょうか?
11 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 12:30:14 0
岩波文庫の「史記」をすすめるのでは?
>>6 斉の平公と田常か、燕の王カイと子之の例か?
宋の辟公(桓公)と司城子罕の例もある。
その司城子罕って何者なの?韓非子の注釈をみると、春秋期の賢臣として有名な楽喜ではなく、
もっと後の時代の皇喜という人物のことだと書いてあったけど。
15 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 22:24:34 0
ちくま文庫の史記が駄目な理由はないってコトでOKですか?
アンチちくまの住人が巣食ってるってことですかね。
司城子罕というと、楽喜を最初に思い浮かべてしまう・・・。
223 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:04/07/01 20:43
筑摩のは正直あまりお勧めできない。
注釈がまったくついてないし、難しい言葉はほとんど言い換えられちゃってるから
カタカナ言葉も入ってるしね
18 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 23:54:12 0
>>16 注釈は付いていますよ。
本文の中に括弧書きで書かれているんです。
だから初心者読者にとっては非常に便利です。いちいち注釈のページまで飛ぶ必要がないから。
また、難しい言葉が言い換えられているという点については、日本語訳なので当然ではないでしょうか。
言い換えられてるのが不満なら漢文の原書を読めばいい。
カタカナ語が入ってるのは、岩波の春秋左氏伝が酷いかも・・・。
( ´_ゝ`)アッソ
20 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 00:10:10 0
?
22 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 00:21:07 0
>>14 蘇時學という人は、宋を乗っ取ったのは子氏ではなく、多分鄭の公孫喜、字は子罕ではなかろうか?
と結論付けているそうだ。
でも、左伝では宋戴族の楽氏のことを司城氏だの戴氏だのと書いてあったり、
襄公29年で「楽氏は宋の盛衰を共にする」とあるので司城子罕は楽氏じゃ無いのかな、と思ってしまう。
24 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 12:14:49 0
25 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2006/10/12(木) 17:40:24 0
昨日本屋で講談社学術文庫の「戦国策」を眺めてきましたが、国ごとに
記述してあるんじゃなくて、「権謀」とかいうような項目ごとに分類して
掲載されてるんですね。普通に全訳してほしかった・・・
26 :
世界@名無史さん:2006/10/18(水) 17:28:31 0
27 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 00:19:59 0
>>26 すげーーー。
ちゃんと日本語字幕ついてる!!!!
春秋時代を扱った作品って殆どないから、貴重な映像ですね。
中国ではこういう時代劇もあるんですねぇ。
28 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 02:12:25 0
誰が字幕つけたの?
29 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 02:23:16 0
アナル男爵かな
中国語できるやつが羨ましい
話せなくても読めるようになりたい
そういや、昔NHKで孔子やってたな。アニメだけど
結構すきだった
そんなんあったなw アニメらしくない奴
子路が死ぬシーンがちょっとかっこよかった
>>30 読めるようになりたいなら漢文覚えた方が早くないか?
鄭問の『東周英雄伝』のエピソードとキャラクタデザインだったね。
ラストの鄭問による孔子の絵は良かった。アニメーションは韓国の制作
だったかな?
出崎統のヤツつはちゃうのか?
>>34だけど、見たのは確か随分前の文化の日に放送したやつ。
10年ぐらい前の奴か?
孔子博というタイトルの
なんかビデオが残ってた。孔子の声が風間杜夫
そんな昔のよくもってるな
しかし最近春秋戦国関連の本・小説がでないなぁ〜
宮城谷昌光の「香乱記」が最近かな。
いま吉川三国志読んでるんですが、中国の歴史に興味がわいてきました。
終わったら春秋戦国時代の小説を読みたいと思ってます。
大まかな流れをつかむためにはどの小説を読んだらいいでしょうか?
宮城谷氏の小説はある程度知識がついてから読もうと思ってます。
陳の小説十八史略
42 :
40:2006/10/22(日) 01:39:12 O
>>41 ありがとうございます。
探してみますね。
春秋よんだことないなら安能の春秋左氏伝もいいと思うけどな。
安能 春秋戦国志
45 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2006/10/23(月) 19:02:14 0
陳さんのは、「小説十八史略」よりも「中国の歴史」第1巻、第2巻の
方が良いんじゃないですかね?
>>45 40は小説を希望したんだから普通に十八史略でよいかと思う。
47 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2006/10/24(火) 17:48:14 0
たはっ、わたしゃマヌケだ、やっぱり・・・
河出書房の「新十八史略」が読みやすいと思う。
小説?かと聞かれると微妙だが
安能のは三国志読んだばっかりの相手を対象にした入門書としては癖が強すぎるかもな。
お話としてはオーソドックスだけど、いきなり物語本文中で「パンフェ」とか展開する安能解説に耐えられるか?
中国史を一通り通史で齧ったあとで読むのは面白いと思うけど。
>>49 >>40じゃないけど、
安能三国志で慣れてたから、ファースト春秋戦国が安能版だったけど問題なく楽しめたよ。
「始皇帝」「韓非子」も面白かった。ドライな安能節、けっこう好きだ。
流れをぶった切ってすみませんが、春秋戦国時代に始まったという諸子百家の一つ、小説家というのはいかなるものなのでしょうか。
ググっても調べても出てこないのです。
誰か教えてください。
漢書芸文志に「小説家者流、蓋出於稗官。街談巷語、道聴塗説者之所造也。」とある。
町の噂話なんかを集めて記録した人たちってことかね?
中文Wikipediaによると、小説家に属する書物は今はほとんど失われて学説などを考察するのが困難なそうだ。
おお……ありがとうございます!
中文wikってのがあるのか。漢文読めるようになりてーっ!
>>53 wikipediaをwikiと略すな、バカ
55 :
世界@名無史さん:2006/10/31(火) 13:59:13 0
57 :
53:2006/11/02(木) 01:26:24 O
うん
まぁ
だいたいは
でも違うんだよな
悪かった
どんまい
59 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 14:41:10 0
漢文って、文法が整理されてなくて人によって解釈が正反対になる場合も多いけど
否定語がどの言葉にかかってるのか曖昧だったり、
句読点がないのでどこまでが一つの単語か判別できなかったり、
主語や述語、動詞を省略したり。
当時の人はまともに会話できていたのだろうか・・・。
61 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 01:37:53 0
前秦の時代はどうやって意思疎通を図っていたのだろう・・・。
62 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2006/11/06(月) 17:45:16 0
白川静さん、亡くなったんですね。
黄泉で母親ならぬ藤堂明保氏と出くわして、やり残した論争をおっぱじめてる
頃合いでしょう。合掌。
64 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 22:17:29 0
質問です。
趙の武霊王はなぜに「武」と「霊」という正反対の諡号を一緒につけられたのですか?
諡号の「武」には盛んに野心を誇るという意味もある。
盛んに野心を誇って(武)、国を乱したが滅ぼさずにすんだ(霊)
とまさに趙雍にぴったり。
67 :
世界@名無史さん:2006/11/09(木) 02:04:23 0
主父主父。
68 :
世界@名無史さん:2006/11/09(木) 02:07:08 0
懿って女性らしい優しさ、とあるけど、どういうことだろ?
>>68 優柔不断ってことじゃね?若しくは婦人の情け、というような意味か。
衛の懿公を見ればそんなところかと。
70 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 01:35:14 0
意味なって意味無い。
功績と必ずしも合致していないしね。
諡号って明らかに皮肉で贈ってるだろってのもあるよね
宮城谷昌光ってどうっすか?4〜黄河編
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1160667178/ 156 名前:集計役 [sage] 投稿日:2006/11/07(火) 01:02:25
【1】好きな作品ベスト3
テンプレの
>>2-7を参考に好きな宮城谷作品を3つ挙げてください。
単行本内の作品や現在連載中の作品でもかまいません。
(例)
1.楽毅
2.買われた宰相
3.三国志 (1位3P、2位2P、3位1Pで集計します)
【2】最初に読んだ作品
あなたが最初に読んだ宮城谷作品を挙げてください。
【3】最も好きな登場人物
宮城谷作品に登場する人物の中で最も好きな人物を1人挙げてください。
名前のある人物であれば史実、架空は問いません。
また、その人物の登場する作品(複数の作品に登場する場合は
その中で好きな作品)を併記してください。
諡号はどこのだれであるか識別できるように書いてください。
(例)
斉の桓公(『管仲』)
※集計期間は2週間の予定ですが丸2日投票がない場合は集計を打ち切ります。
投票は1人1回が原則です。
明らかに同一人物によるとみられる連投がされた場合
それら投票をすべて無効とすることがあります。
宮城谷読者は投票よろ
宮城谷は嫌い
つうかスレ違い
講談社学術文庫から「中国古代書簡集」ってのが出てたんで買ってみた
主に春秋〜後漢までの書簡を題材にした本なんだけど、知ってる書簡や
名前が多く出てきて面白いかも
トップは鄭の子家から晋の趙盾に送られた書簡
他にも子産から士カイ(士会の孫・宣子の方)へとか
冒頓単于から呂后への書簡なんてのも載ってるみたい
77 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2006/11/14(火) 19:59:14 0
お、それは面白そうですね。
買ってみようかな。
78 :
世界@名無史さん:2006/11/26(日) 01:06:59 0
>>76 俺もアーーマーーゾーーーーォォォン
で今注文した。
有名な樂毅と燕の恵王の間で取り交わされた書簡も載ってるよ
たぶん後漢時代までを知ってる人ならサクサク読めると思う
楚漢動乱時代のことについて研究しているのですが、
以下の中国史の疑問・謎への回答をご存知の先達がおられましたらお教え下さい。
1.中国では春秋・戦国〜楚漢の時代には戦争に投石(スリング)戦術(攻城兵器ではない)は使われていなかったのでしょうか(西洋では使われていた記録があるようですが、中国の史書類には見た限り登場しません)。
2.距鹿の戦いで項羽軍7万が20万の秦・章邯軍に勝てたのはなぜでしょうか。
3.張耳と陳余は挙兵した陳勝に合流した後、なぜ故郷の魏ではなく趙の平定へ向かったのでしょうか。
4.当時、民間の占い師はどのような占いをしていたのでしょうか。また、権力者お抱えの占い師はどのような方法で占いをしていたのでしょうか。大事なことについては複数で占って多数決で決めていたというのは本当でしょうか。
5.標鎗という投げ槍(←水滸伝に出て来ます)が中国の武器として使われ出すのはいつの時代からでしょうか。
もしご存知の方がおられましたらお教え下さい。よろしくお願いいたします。
わかる範囲だけ
1.左伝桓公五年の儒葛の戦いで、
「命二拒曰、カイ(unicode0x65dd: 旗の其が曾)動而鼓。蔡衛陳皆奔、王卒乱。鄭師合以攻之、王卒大敗。」
という文あって、賈陸や許慎という漢代の学者は「カイ」は投石器だといっているそうだ。
4.春秋時代は亀甲を焼く卜、易者が使う筮、それと天文占いが多かった。
占いを行うのは、史官や権力者本人。
春秋の後期ごろになると左伝で卜で占おうとして失敗するという記事も出てくるので、
そのころには卜は廃れ始めていたんだろう。
戦国時代になると人相占いが出てくる。唐挙が有名だが在野の人物だったので、
民間ではそれ以前から人相占いがあったかも。
1.「カイ」は大将旗という説もある。
ただし
>>81の言うとおり確かに発石という解釈も。
2.兵書を好んだ項羽としては、大軍は分断して各個に撃破する事が有効だと
理解していたはず。
史料を信じるなら楚兵が異常に勇猛だったのかもしれないけど、数の論理が
必ずしも通用しない事も戦史のなかではままある事。
3.陳余の妻の実家が趙の富豪で、趙で活動するには都合がいいと踏んだのかも。
張耳と陳余は天下に名の知れた士で、農民あがりで諌言も容れないで王に
即位した陳勝に対して内心は苦いものがあったのかも。
それに史料をみるとどうも陳勝からさほど重用されていたようでもないので、
それなら河北で武臣のような凡庸な大将を操って自由に活動した方が好都合と
計算した可能性もある。
「旝」
章邯は趙の鉅鹿を包囲していた。
項羽軍がいたって挟撃される危険が生じた。
章邯は麾下の秦軍二十余万の全力を項羽に振り向けたわけではないという憶測…というのはどうでせうか。
>>84 鉅鹿を実際に包囲していたのは王離、渉間、蘇角で、章邯が駐屯していた地は
南方の棘原。
86 :
世界@名無史さん:2006/12/11(月) 02:34:57 0
ヤングジャンプのキングダムを読んで春秋戦国時代にはまりました。
楊端和様萌え〜
>>81 左氏伝文公元年に襄王の内史叔服が孟文子と孟恵叔の人相観をしている。
孟文子は顔が下膨れだから必ず魯で子孫が続くと言っている。
それ以外で、昭公二年に韓宣子が斉の子雅、子尾の息子たちをみて、
「家を保てる人間ではない」と言っているけど、これも人相観に入るのかな。
風角っていうのなかった?
89 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 01:22:40 0
春秋戦国時代を舞台にした作品ってないかなぁ。
キングダムだけ?
90 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 17:30:53 0
横山光輝の史記って原文に忠実?
読んだことが無いか分からん。
ただ、漫画だし多少デフォルメはされているのではないかな?
三国志で官渡の戦いから袁氏滅亡までをすっ飛ばした人だしな。
>>90 呉起が妻を殺さずに離縁して実家に帰らせていたよ
集英社 学習まんが世界の歴史 3
「ブッダと秦の始皇帝・古代アジアと漢帝国」
監修 平勢隆郎 2002年 全面新装
95 :
世界@名無史さん:2006/12/28(木) 00:08:23 0
>>90 史記に忠実ではない。脚色してる。
基本的には、物語として受け入れやすいように改変してる。
>>90 一応、史記の体裁をなしているがメジャーな人物しか取り上げてないのと
秦の昭王辺りの話に偏っているのが難点。
まあ、これで史記に興味を持って原典を購入(或いは図書館で借りる)して
マイナーな時代・人物まで眼を通すのが吉。
烏余は結局何がしたかったんだろう。
奪った邑を封地として与えるといったらノコノコ出てくる辺り
晋に仕える諸侯になりたかったのかな?
98 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2006/12/29(金) 17:21:02 0
皆様、私は会社からのレスなので、今年はこれで失礼します。
(そのうちこっぴどく叱られるやろうなあ)
皆様、良いお年を!
同じく職場から。
良いお年を。
100 :
世界@名無史さん:2006/12/30(土) 00:28:30 0
100ゲット!
101 :
世界@名無史さん:2006/12/31(日) 21:08:59 O
良いお年を。
102 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/01/05(金) 17:31:19 0
皆様、空けましておめでとうございます。
今年も楽しい、ためになるレス、期待しております。
最近人いないな。
30じゃないけど、そんな簡単なの?
今更論語の参考書をみて勉強してるけど、結構覚えること大変なんだけど
自を自分の自らという意味ではなく 〜よりと読んだりとか色々難しい。
105 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/01/15(月) 14:49:28 0
最近確かに過疎ってますね。
何か面白いネタはないものでしょうか?
大体こんな感じかな
新刊がでない
中国英雄スレができて人が分散
議論がつきた
そりゃ漢文の勉強でもしようかなという人がいるのもわかるきがする
>議論がつきた
尽きたというより挙がってないだけだと思う
経済とか貨幣とか、制度や習慣とか、この辺は興味のない人やわからんまま
スルーって人も多いだろうし
個人的には興味深いけど、手間と時間がきつい
中国英雄板を初めて覗いてみた。
気楽に書き込み出来そうで、ここより活発だったな。
それじゃ、ってわけじゃないけど、質問。
この時代の邑の遺跡とか復元とか模型とかの画像があるところ知らないですか?
俺専用メモ
短命な諡
懐 〜29歳?
殤 生後三ヶ月〜19歳
悼 〜29歳
幼いときに即位した諡
哀
幽
112 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 23:16:53 0
113 :
世界@名無史さん:2007/01/20(土) 17:13:53 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた
蓋(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
114 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 12:06:50 0
知ってるよ。
ボッコーだろ!
115 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 15:41:02 O
>>111 楚の懐王って二十代で死んだのか?もっとジジイだった気がする。
紂とか桀とか煬とかはどういう意味なんだろな
>>115 そのまんま、暴君・乱暴な人物を表す文字。
>>115 紂王の本名は「受」であり、即位して「受王」となりました。
即位する前からの頭脳明晰で好戦的な印象から
馬具の「紂」をとって「(受王→)紂王」と呼ばれるようになたようです。
がしかし、明晰過ぎたせいか自身を人にあらず「帝」であるとし、「帝辛」と名乗ります。
(先代から「帝」を名乗り始めていましたが。)
それからは暴虐非道の暴君となっていきます。
と「王家の風日」(宮城谷昌光著)を読んでこのように解釈しています。
あまり関係ないレスになってしまいました。スマン
>>115 懐は「義を執り、善を揚げる」ともある。
楚の懐王はこっちの方だろう。
煬の意味は「内を好み、政を怠ける」「気ままに振る舞い、くたびれる」など。
紂と桀は参考にした逸周書謚法解には出てこない。
史記集解で、
桀→賊、人を多く殺す。
紂→義を損ない、善を損なう。
と出てくるけど、眉唾ものだ。
119 :
世界@名無史さん:2007/01/27(土) 22:48:12 0
120 :
世界@名無史さん:2007/02/15(木) 02:50:21 0
あげ
121 :
世界@名無史さん:2007/02/15(木) 10:14:30 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
漫画作品を当初から好きだったオレとしては革離は竹中直人に演じてほしかった。
123 :
世界@名無史さん:2007/02/18(日) 23:21:53 0
??
竹中直人じゃないの??
ありえん。
見に行く気がなくなった・・・。
124 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/02/28(水) 18:37:37 0
漫画作品を知らないと、全く想像がつきませんなー。
126 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/03/12(月) 21:16:53 0
うへっ、ずるずる下がりまくっていますので、とりあえず上げときます。
最近寂れてますねえ。
ところで、秦の統一って「商君の変法」が最大の要因だと思ってるんですが、
間違ってますでしょうか?
呉起の改革を投げ捨てた楚と違って、秦は法家思想を維持し続けたからねぇ
秦の統一は商君がいなくとも成し遂げていたと思うけどな。
実際献公の代には周王から伯を授けられていたわけだし。
蜀方面の平定も大きいだろ
130 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/03/15(木) 18:18:57 0
>>129 張儀が韓攻略を、司馬錯が蜀攻略を主張したんでしたっけ。
戦乱に明け暮れて疲弊した中原の一国ではなくて
険阻な地形に守られ古代から独自の文化を保ち
天府の国と呼ばれるほど豊かな独立国家を築いてきていた
蜀の併呑と李冰父子に代表されるような占領統治の成功が
後の統一への足がかりになってると思われる
巴は楚と戦争もしたが大体は親密だったようで、戦国期には楚と通婚したり、王を称したりしている。
秦の巴蜀を征服は楚に圧力をかけるのも兼ねていたかも。
巴と楚の関係ってなにげに長いよな。左氏伝の始めの方でも協力してケを攻めてる。
婚姻関係とかですか
135 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 11:43:00 0
136 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 17:20:52 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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137 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/04/25(水) 18:36:19 0
うわっ、過疎ってますねえ・・・
138 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 10:18:05 0
春秋戦国時代の人を孔子、荘子、孫子、老子など「子」が付きますが
どんな意味があるんでしょうか?
先生
140 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/06/04(月) 18:39:46 0
1ヶ月ほども書き込みなしとは悲しいですなあ。
初代スレみたいに、「春秋戦国の名○○は誰だ?」でもやりますか。
ってか、名相について皆さんのお考えをお聞きしたいなあ。
名将だと三戦板っぽいですが、名相ならこの板でもおkな気が
するのですが、どうでしょうか?
中国英雄板、歴史難民板ができてから、ゲーム/ノベルス/
マンガ系の人はみんなそっち行ったみたいだから。
下らないレスが消えたのはいいけど、中国史ファンの大半が
そっち系の人ってのもなんか情けない。
学問のカテゴリと趣味のカテゴリで比べたら、そりゃ趣味の方が多いに決まってるでしょ。
学問カテだと推測でモノが言いづらいからそりゃ過疎るよ
ピラセセンセの本から封地の資料出しただけで「そんな電波イラネ」だしさ。
偏狭なんだよな
>中国史ファンの大半が そっち系の人ってのもなんか情けない。
こんなこと言う人がいるようなところは、そりゃ人が減るっつの。
学問的な話以外厳禁とするなら(俺は反対だけどね)過疎るのも我慢するしかない。
145 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/06/05(火) 20:12:28 0
「にぎやかし」のネタとして「春秋戦国の名相は誰だ?」って
ダメですかね?
べつに特別なネタはいい気も
それはそうと、以外にも中英板に良スレが一本立ってる
六卿スレはかなりの良スレ
されど盛り上がらないのはここと同じだよ。
150 :
世界@名無史さん:2007/07/07(土) 08:04:55 0
春秋時代は資料が少ないらしいので
シュミレーションゲームを作れるほど人物を登場させれる時期は戦国の中期頃ですか?
>>150 KOEIゲームに毒されすぎ
武将が全然登場しなくてもシミュレーションは作れる
『左伝』があるから春秋のほうがまし。
武将とかになると、戦国時代のほうが資料少ないんじゃね?
>>151 KOEIというか戦国史というゲームを作るのに人物を調べてるけど
それほど資料がなくて
>>150の様な意見って、この時代のゲーム化に関する話題の際に出やすいけど
史記や左伝だけじゃなく多くの史料を洗っていけば実は驚くくらい多かったりする。
時代が長くて登場する人物の密度に偏りがあるからコーエーの三國志みたいな
システムじゃ無理だろうけど、ショートシナリオを何十本と設ければ面白そう。
兵法三國志のシステムは春秋向きだと思う
>>128 そもそも法治への転換は大分前から各国で行われてたしね
衛鞅がいなくても誰かが「商君」となって富国強兵したと思うよ
ただ、統一まで行くかはわからないな
戦国末期の政治的状況を作り出したのは間違いなく范雎
こっちの謀略戦は結構個人の資質が物を言うから誰かが「応侯」になるとは限らないから
157 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 11:19:33 0
>>151 三国志みたいなキャラゲーをやりたいんじゃない?
春秋戦国期は三国志程、
キャラの立った人物がいないから難しいと。
>>157 戦国史のシステムでキャラゲーはない。
戦国史の従属・臣従システムを生かそうとすると大量の武将が必要。
だが、戦国史のシステムに必要なだけの武将を
春秋・(本家)戦国全時代通してそろえるのは難しいだろうな。
さらに言えば、六卿の封地ですらよく分らんくらいなのに、
陪臣の領地をどう設定するのかと。
TGLで昔春秋戦国のSLG出たよね、確か
>>158 シヴィラゼーション4の拡張パックに戦国シナリオがあったわ
あれいい感じだぞ
161 :
世界@名無史さん:2007/07/26(木) 07:28:08 0
何でこの時代に思想がこんなに発達したんだろね
もっと後の時代なら理解できるんだけど
>>161 強力な統一権力が無く、思想統制がさほどおこなわれなかったからだろ。
古代ギリシャのポリス社会と一緒だよ。
古代的な「自由」社会で、比較的のびのびと物が言えたからだろう。
後世の儒教優位の社会じゃ、それは無理なお話。
むろん思想的な深化は後世のほうがあるけど、制約はより大きいからね。
163 :
世界@名無史さん:2007/07/26(木) 11:13:02 0
>>162 今も反日思想で凝り固まって自由に語れないしね
『春秋事語』って面白い?
買う価値ある?
>>161 競争してたからでしょ
モチベーションってのは能力に関わらず結果を出し易くしてくれるもんだし
166 :
世界@名無史さん:2007/08/10(金) 14:54:15 0
史記の登場人物の人数は何人ですか?
167 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/08/31(金) 18:08:20 0
168 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 23:00:35 0
春秋戦国時代を体系的に書いたわかりやすい入門書はありますか?
169 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/09/16(日) 00:42:52 0
>>168 やっぱり陳先生の「中国の歴史」第1巻、第2巻でしょうか?
170 :
世界@名無史さん:2007/09/17(月) 04:22:28 0
「山林藪沢」とは何ですか?
自然生態系の残っていた土地のことですか?
雲夢が縮小して名残が洞庭湖。
趙の鉅鹿というのは何の産地だったのですか?
171 :
世界@名無史さん:2007/09/17(月) 04:30:28 0
越の具区が縮小して名残が太湖。
172 :
世界@名無史さん:2007/09/17(月) 05:46:21 0
山林藪沢=大湿地帯:魚、矢にする鳥の羽の産地
173 :
世界@名無史さん:2007/09/17(月) 05:46:53 0
趙の鉅鹿も湿地
174 :
世界@名無史さん:2007/09/17(月) 21:59:52 0
孟諸も湿地
趙は首都以外を失地
176 :
世界@名無史さん:2007/10/19(金) 21:41:28 0
あげ
177 :
世界@名無史さん:2007/10/20(土) 15:02:25 0
楚みたいに最初「公」を名乗りながら、突如周に不満を抱き「王」を名乗ったりして
朝敵として諸侯に討伐されなかったのは何で?
もし日本で突然長州藩主が将軍を名乗ったら間違いなく征討されるよね。
180 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 12:09:03 0
驪戎も男爵だったから異民族にも爵位は与えられたんだろう。
楚や呉は王号を名乗ったけど天子(=周王)に公然と反旗を翻したわけではない。
日本でいえば
天子=京のミカド
覇者=公方
王=外様
公=一門
ってとこか。
181 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/10/31(水) 17:42:02 0
ところで「箱根の山は天下の険 函谷関もものならず」って歌がありますが、
本当のところはどうなんでしょうかねえ。
函谷関を実際に見に行った方って、いらっしゃいますか?
182 :
世界@名無史さん:2007/11/20(火) 19:59:16 0
箱根では、南北朝時代の幕開けとなる「箱根・竹ノ下の戦い」が
ありましたが、この時は守る側の足利軍が勝ちましたね。
もっとも、純粋な勝利ではなく裏切りによるものでしたが。
183 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/11/30(金) 12:05:59 0
守る側が強いってことですか。
184 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2007/12/11(火) 17:38:34 0
本当に過疎ってますねえ(泣
185 :
世界@名無史さん:2007/12/14(金) 00:09:15 0
多分中国史関連の需要は、殆ど中英板の方に行っちゃったのではないでしょうか?
かく言う自分も、最近は殆ど世界史板に訪れなく成りましたから。
話題ですか、うーん。最近『荘子』を読んでるけど、文がめちゃめちゃ
難しいですね、これ。省文(「淡」を「炎」とする類い)がやたらに多
い上に、手許の漢和にも中日辞典にも載ってない漢字だらけ。
福田首相が曲阜に訪れたらしいけど
これが泰山だったら猛反発されるのかな?
別に構わんだろ。
勝手に天を祀る儀式を始めたら知らんがw
189 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/01/03(木) 20:49:43 0
皆様、明けましておめでとうございます。
って、
>>102に昨年の私の同じレスが・・・
ここも過疎ってしまって悲しい。白起さん、こんなになってしまって
ごめんなさい。
>186
それより『詩経』を初めて読んだときは愕然とした。
書き下し文になっても何にもわかんないんだから。
それ考えると、一応読めちゃう『書経』なんかは
やっぱ後世の偽作が多いんだな、と実感した。
191 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 00:20:20 0
>>190 国風とかはほのぼのしていていいよね。
これぞ 「原始」ってかんじで。
192 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 11:31:51 0
193 :
世界@名無史さん:2008/02/19(火) 20:41:47 0
age
194 :
世界@名無史さん:2008/02/21(木) 12:15:32 0
>>189の田単さんは何をあやまってるの?
白起ってだれ?
楽毅の行動についてお伺いしてよろしいでしょうか
五国連合軍で斉軍に勝利した後、燕軍の騎兵隊だけで
臨淄に捨て身の奇襲を敢行し、陥落させた、という記述をネットでみかけたのですが
攻城戦になるはずの都市に、捨て身の奇襲とはこれいかに??なのです
はしごをかけて一斉に登らせたのでしょうか?
臨淄を陥落させた様子を教えていただけると嬉しいです
>>195 そのサイトのURL書いてよ。
たぶん創作だとおもうけど。
軽率鋭兵で長駆して臨シを攻めたことは史記にも戦国策にもあるよ。
「捨て身の奇襲」ってのは「軽率鋭兵」で攻めたことから
そこのサイトの人か宮城谷氏が推測で補ったんだろうと思われる。
もちろん史記にも戦国策にも詳細までは書いてない。
>>198 なるほど、ありがとうございます
「軽卒鋭兵、長躯して斉に至る」は戦国策で見つけられました
詳細までは書いて無いのもおっしゃるとおりでした
戦国時代の騎兵戦力の発展についてお伺いしてよろしいでしょうか
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/rekisi/heisei/ss3.htm >趙襄子から武霊王までの百余年の間に、趙国の騎兵にはとても大きな発展があり
>すでに重要な戦力になっていた(中略)
>戦国時代後期になると、秦、趙、楚はすでに「騎兵一万」をもっており
>燕は「騎兵六千」をもっており、魏も「騎兵五千」をもっていました。
塩野七生氏によれば、ポエニ戦役以後においては(特にハンニバルの戦術から)
会戦で騎兵が決定的な役割を果たすことがわかったものの
鐙の無かった時代、騎乗は特殊技能であり
日常的に乗っていた騎馬民族か、飼育・訓練にコストをかけられる富裕層に騎兵は限られたため
その確保にスキピオを始めローマの将軍達は心を砕いたようなのですが
中華の戦国では、いかにして五千〜一万の騎兵を確保したのでしょうか?
中国で鐙を使用するようになったのは三国の後、晋あたりとのことですので
事情はローマと変わらないとは思われます
(
ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa2727559.html)
カンネの戦いのローマ軍は歩兵7万に対し騎兵6千であり
長平の戦いで45万の動員が可能だった趙(同時期に1万程度?)を鑑みれば
戦国時代中国においても騎兵戦力は騎馬民族(?)及び富裕層で確保されていた、と見てよろしいでしょうか?
こうした話に当たれる書籍、HP等教えていただけると嬉しいです
201 :
世界@名無史さん:2008/02/29(金) 21:07:49 0
こうして見ると宮城谷氏の影響ってすごいな。
楽毅が中山国のため武霊王と戦ったと信じている人間もかなり多いし。
宮城谷史観とか言われ、世間に創作と歴史の違いを勘違いさせる日も近いな
203 :
世界@名無史さん:2008/03/03(月) 10:06:28 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
204 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/03/13(木) 20:13:43 0
吉川「三国志」とか、司馬「坂の上の雲」とか、そのまんま歴史として
信じている人って、結構いますよね。
それとNHKの大河ドラマも、結構影響力が大きいですね。
それに比べると、宮城谷氏などはまだまだ、という感じもしますがw
…昔、廉頗と藺相如の話で、廉頗が「もし(藺相如)に逢ったら辱めてやる」と
言ったところを読んだとき、衆人環視の中で藺相如を掘っちゃう廉頗を想像して
吐きかけたことがある…。
いや、当時の自分は辱めるを「顔に泥を塗る」ではなく、「レイープする」だと
思っていたんで…。
おかげで、刎頸の交わりがトラウマになってたりする。
自業自得だけどなorz
エロゲやりすぎw
BL脳って言うのかな
210 :
世界@名無史さん:2008/04/30(水) 00:50:14 0
DSでBL脳トレーニング。
>>200 戦国策に若干みえるね
たしか趙の武霊王の頃の記事
212 :
世界@名無史さん:2008/06/17(火) 16:43:01 0
どっかの覇者から自国の領土内まで送ってもらって、その分の領土を気前よくあげちゃった人って誰だっけ
斉の桓公。
燕の荘公に自国の領内まで送ってもらったので、
「諸侯が諸侯を送る場合は国境を出ないもの」と言って
燕に領土を割譲した。
>>213 礼の失われていない時代だからこその美談だよね
下手したら宋襄の仁に匹敵する馬鹿話だなw
>>214 割譲しても斉が傾かない自信もあったからだろ。管仲も認めた訳だし。
この場合はポトラッチみたいなもんだな。
恐らくは領土割譲しといてその後燕がその領土を貢物にしてると思うけどな
219 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/06/27(金) 18:05:24 0
しかし、春秋時代の燕って、ほんとに地味ですよね。
そりゃ、あんなド辺境だし、民族的にも華人かどうか怪しいんだし。
突撃隊
>>213 斉燕国境って黄河下流域の大氾濫原だが、
その開発が進むのは鉄器の普及した春秋後期以降のはず。
春秋初期には洪水の度に地図の変わる人影まばらな池沼地帯で、
どうでもよかったんじゃないか?
223 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/07/15(火) 19:08:12 0
氾濫が肥沃な土をもたらしたってことはないんですか?
農作物は安定供給が大事。
いくら豊作が多くても洪水で1年間食べるものがありませんでは駄目。
このスレは今は盛り上がってないけど5まで来てるので
昔は流れが速かったんですか?
226 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/07/20(日) 20:10:38 0
>>225 以前はいろんなコテの方が、活発に議論をかわしておられたんです。
スレ主の白起さんが海外勤務になり、不肖田単に後を任せていかれたんですが、
何せ学が浅く、皆様に適切な話題提供もままならず、落ちぶれた旧家の趣に
なってしまった次第で(泣
中国英雄板に客を取られてるのもあるかもね。
228 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/07/24(木) 00:04:36 0
今日、会社帰りに立ち寄る旭屋書店で岩波の春秋左氏伝全3巻を発見。
辻邦生の「春の戴冠」文庫版の1〜2巻とどちらを買おうかさんざん迷った
挙句、左伝をgetしてしまいました。
今読んでる「ローマ帝国衰亡史」を読み終わったら、次の通勤の友にする
予定です。
>>228 それでこそ、このスレの主代理
岩波版は人名等の索引が付いているから以外に侮れない
明治書院版ですらないしね
魯と三桓について
哀公亡命以降も三桓の権力は絶大であったが、穆公の代に君主側のクーデターが成功、
国政から三桓を追放し、博士であった公儀休を宰相に据えた。
追放された三桓のうちの季孫氏は費、卞、東野の三邑を持って独立、費を都邑とした。
孟子に出てくる費恵公は季孫氏の末裔といわれている。
また、泗上十二諸侯の中の費も季孫氏の費と思われる。
戦国時代末期。
大将、大将とおだてられて諸国に軍を派遣し続けて滅んだ国、呉。
そこはかとなく今のアメリカとイメージが被る。
>>231 斉楚秦韓魏趙燕で戦国七雄だから、呉が滅んだのは戦国末期じゃネェな。言いたい事は判るが、
呉よりも秦に例えろよ。戦国末期に1強6弱の状態から順当に天下を統一したのに、始皇帝が死ん
だらあっさり滅んだ。
末期じゃなかったか。
それはともかく秦とは違うと思う。
アフガンで釘付けになり、イラク、ソマリア、
今度はグルジア。近い将来北朝鮮。
大将気取りでことごとく介入。
その隙に中国ロシアは着々と力を蓄え・・・・
>>233 じゃぁ、斉の桓公はどうだ。名宰相管仲の補佐を受けて春秋五覇の筆頭に数えられるまでに
なったが、管仲が死んだら悪臣に権力を与えてボロボロ。死んだ後はウジ虫がわくまで葬式
もしてもらえないで放ったらかし。
なんか話がかみ合わないな
カリスマ大将が死んで滅んだという話じゃなくて、
相次ぐ出兵で国力が疲弊して滅んだという話なのだが。
>>235 だから秦に例えたのに。カリスマ始皇帝が死んで簡単に滅んだのはそれまでの無理が一気
に吹き出して、自己崩壊した面もあるんだよ。帝国時の出兵は対匈奴くらいかもしれんが、
それまでに全天下に出兵してるし、道路や宮殿などの土木工事しまくりで疲弊したから、各地
で起きた反乱に対処出来なかった。
だって、アメリカはまだ世界を統一してるわけじゃないもの。
で、秦は内部崩壊だから、本質的に違う。
そもそも秦が崩壊した原因は、統一に伴う無理があったにせよ、
始皇帝の死後、趙高に実験を握られてしまったのが一番で、
これがまともに国家運営されていたらおそらく崩壊しなかった。
>>237 >だって、アメリカはまだ世界を統一してるわけじゃないもの。
だから統一過程に例えて、やがて崩壊する予言とするんだろ。
>これがまともに国家運営されていたらおそらく崩壊しなかった。
道路・宮殿・陵墓などの大土木工事が国力を疲弊しないとでも?
じゃぁあれだ。むしろローマ帝国に例えろ。「ローマ市民になった方が幸せ」という論理で対外
戦争しまくりで国力が疲弊したところに蛮族の侵入を受けて滅んだ。スレ違いだな。
素直に呉でいいじゃんか。何でそんなに拒否するんだ?
>>238 >だから統一過程に例えて、やがて崩壊する予言とするんだろ。
サブプライムもあって、すでにかなりやばいんですけど。
>道路・宮殿・陵墓などの大土木工事が国力を疲弊しないとでも?
出兵じゃないよね。話が通じないひとだなぁ。
>>239 からかってんだよ。w
まじめに言うと、呉は越の策略にやられたんで、例えにふさわしくない。
>出兵じゃないよね。
それを言うなら呉が傾いたのは出兵したからじゃなくて、女にうつつを抜かしたからだ。
趙高や西施で国が滅んだつってんのは、小説か漫画の知識かいな?w
>>243 昔から傾国の美女って云うんだから傾けたのは確かだろう。それだけで滅んだわけじゃなかろうが。
久々に伸びてると思ったら・・・
ちなみに呉は春秋時代の末期なら合ってる。
246 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/08/17(日) 13:48:20 0
スレが伸びるのは良いことですね。
スレ違いな話題でもないし。
>>247 勾践が作った剣と夫差が作った矛なのか?
どっちも青銅製で、剣の方はたしか錆一つ出てないんだっけ
呉越地方の冶金技術は高かったらしいね
字が独特で面白い
>>248 そうらしい。出土地はどちらも楚の領内。剣の方は越の公女
が嫁入りに持ち込んだものという説が有力らしい。夫差の銘
がある剣も出土してるけど、もっと素っ気ない作り。夫差が
伍子胥に死を賜ったときに送った屬鏤の剣てのも、剣の名前
じゃなくて、こういう華麗な装飾を施された剣のことなんじゃ
ないかと個人的に思ったりする。字は虫鳥文という南方特有
のやつだね。
250 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/09/05(金) 19:14:12 0
その時代はやっぱりまだ青銅製だったのですか?
呉越あたりは製鉄が早くから行われていたように何かで読んだような気が
するのですが・・・
252 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 00:04:19 0
孔子のことを、欧語(ラテン語表記を踏襲)ではConfuciusなんていう
けったいな訳語で呼んでいることを最近知った。
どうも「孔夫子」の転写らしいが、そんな言葉あんまり聞いたことないなあ。
「孔夫子」は漢文でどれくらい使うか知らないが、白話ではよく使う。
有名なシャレ言葉に「孔夫子搬家」というのがある。
たとえばマージャンか何か勝負事をしていて
「ああまったく今日はついてない、『孔夫子搬家』(孔子が引越し)だ!」
みたいに使う。
その心は「竟是輸(=書)」、「負けてばっかり(本ばかり)」。
輸shu1と書shu1をかけている。
孔子廟のことを現代中国で孔廟kong3miao4と言うが、夫子廟ともいう。
北京でよく使う前者の代わりに後者を、南京で観光名所の後者の
代わりに前者を言って道を尋ねても通じる。夫子は日本ではフウシと読む。
>>253がどこまで知っているかわからないのでやや詳しく書いた。
空海が、欧米でたとえば「Daishisan」とかで呼ばれちゃうみたいな話か。
256 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/09/09(火) 18:08:29 0
>>254 極めて初心者的なことをお伺いしますが、shu1とかkong3とかの末尾の数字は
四声を表しているんですか?
258 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/10/06(月) 18:19:54 0
だいぶ落ちておりますのでageておきます。
259 :
世界@名無史さん:2008/10/08(水) 09:45:50 0
アメリカは秦に似てるよ。辺境から最強国に成り上がったところが。
ロシアはまさに半蛮貪欲の楚。ドイツは中原の強国斉。フランスイタリアは文化の中心趙魏韓あたりだろう
>>259 ロシアまでは全く同意だけど、ドイツは、むしろ趙だと思う。両者とも強力な陸軍国だし、国家の形態をなしていない東方の異民族に(趙の場合北方だったが)接していたのも似ている。
フランス、イタリアは魏、韓ってのは同意。フランク王国が晋で三つに分裂したって考えればしっくりくる。
斉は海にちかい強国と考えればイギリスか
第1次大戦〜第2次大戦の間に
文明論やらヨーロッパ社会の世界覇権の崩壊を論じたスペインの哲学者が
「ヨーロッパはイギリス、フランス、ドイツが作った。後は追従したに過ぎない…」と。
イギリスは商業的に成功し、
フランスは文化・芸術面で功をなし、
ドイツは哲学と科学の発展に貢献した。
スペイン人とイタリア人は酒を飲みながら踊っていただけだと…。
春秋期だと文化芸術(学術)は魯・斉か?
商業という点ではどんな感じだったんだろうな?
商人は蔑視されていたようだけど、
実際ものを動かして食糧とか武器やら融通しないと
強国も強国たりえないわけで。
イメージ的にはこんな感じ
伝統・文化…魯(曲阜)
経済・科学…斉(臨?)
軍事・文化…趙(邯鄲)
商業・伝統…宋(商丘)
263 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/11/06(木) 18:20:27 0
過疎ってますねえorz
ageておきます
歴史小説メインの趣味な人ですまないが、疑問があったのでちとカキコ。
名は体を現すというけれど。
恵文王>>>>>>恵王
だと思うんですわ。
一文字違いで大違いと言うか。
天皇への諡号と同じで、「文」があるだけでかなり意味が違うのでしょうか?
ググレカスと言われたらそれまでで、あいすみませんとしか言いようが無いですが。
諡号って何か分かってる?
君主が死んだ後に生前の業績に応じて付けられるのが諡号
生前は恵王とも恵文王とも呼ばれないから、名が体を表すとは違うんじゃない?
文は諡号の中で最高で、業績の大きかった王に付けられる
例:周 文王、晋 文公、魏 文侯
教えて頂いてありがとう。
私の「名が体を表す」と言う言い方は、逆と言うか間違った使い方でしたね。
ご指摘まですみません。
「文は諡号の中で最高で、業績の大きかった王に付けられる」
納得です。
斉は海洋国家のイメージもあるが
どの辺が?
>>268 言い過ぎたが
塩が取れる、漁業をしてたところ
271 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2008/12/12(金) 08:16:25 0
諡号の1番が「文」ですが、2番は何ですか?
っていうか、2.3.4・・・ってキレイに序列になるのかな?
>>271 象徴的な周の文王、武王がいるから文武が2トップに見えちゃうかもしれないけど
一応一番は「神」だと思うよ
逸周書だと「一人無名曰神」
オンリーワンで特に名前なんか付けなくてもその人だって判る、そんな最高の人が神君
というような意味
273 :
世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:33:02 0
まあ一般に、文がナンバー1、武がナンバー2っていうイメージはあるね
あと、なんかわからんけど穆と桓は子孫が栄えてる印象がある
荘も美称だったような
荘、桓、襄とかは武功があったり領土を拡大した君主で多く使われて
成、恵、孝とかは文徳があったり人柄がよく臣下に慕われた君主に使われるような印象があるな
他にもいろいろあるとは思うけど
平は「(統治による)平穏」と「(軍事的に)平らげた」の両方の意味で美諡だな
あと最初は美諡だったのに後に悪諡になっちゃったのもあるっぽい
>「(軍事的に)平らげた」
諡法を勝手な想像で変えん方が良いぞ。
治而清省曰平(治而無眚曰平)
執事有制曰平
布綱治紀曰平
()内は史記正義諡法解
ありゃ、今確認したら確かに軍事的の方がないな
昔読んだ時はあったような気がしたんだけど勘違いしてしたようだ
勝手な想像で変えたわけじゃないことだけは弁明しとく
いくら何でも諡号の意味を想像して変えたりはせんよ
279 :
世界@名無史さん:2008/12/17(水) 23:27:56 0
春秋戦国・・・
ロマンがあるね
>>279 資料がなくて分かってることが少ないけど、その分想像が広がるよね
伝説と史実が曖昧なところが魅力かな
歴史は好きなんだけど、時代が下って来るにつれて興味がなくなってくるなオレは
春秋戦国と近代西洋は似てると思う人は俺だけではなかったか
孫子と戦争論なんかモロだもんな
春秋から戦国にかけては、すごい人口や生産力が増えてるのか
戦争に参加する人数の規模が激増してるな
晋の文公の時代(紀元前7世紀後半)は大国同士での大会戦でも3万とか5万くらいなのに
秦の白起(紀元前3世紀前半)は斬首何十万とか平気でしてるし
3万でもすごいと思うけど
10万単位なら正規兵だけでなく農民も多いんじゃないかな
>>282 おいおい、世界史板なんだからせめて教科書レベルの記述くらいは押さえてから書き込もうぜ…
>>283 農民というより輜重隊とかその請負だろうけどな
>>283 輜重隊や工作隊含むだろうから非戦闘人員は多いぞ
多分
>>284がつっこんでるのは常備兵(職業軍人)って意味だろうがな
>>286 そこじゃない
>春秋から戦国にかけては、すごい人口や生産力が増えてるのか
という部分だが、鉄製の農具が広まって戦国時代に飛躍的に生産力が高まり
人口が増えたというのは中学教科書レベルの世界史でも中国古代の最重要ポイントでしょ
またそれによって都市国家から領土国家へと移り変わっていくとかも教科書によっては記載されている
これらは歴史上大事なイベントなのに「増えてるのか」なんていう低レベルな書き方に失望してる
400年間で軍事力の規模10倍≒人口10倍?
しかも戦乱の時代に…っていうのは結構な増加の度合いだ
>>288 人口は増えたけど、それ以上に動員兵力が増えた。
それは戦争のやり方が変わったから。
春秋時代は戦車メインで歩兵は補助戦力。
戦国時代は歩兵がメイン。
春秋時代の争いは源平合戦みたいなもんですか?
>>288 七百諸侯が戦国時代では戦国七雄になるわけだ
実際は戦国時代でも七カ国程度じゃない数あるけど、国の数が1/100になったんだから
それだけ大国が増えたってことだよ
292 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2009/01/04(日) 08:00:10 0
皆様、あけましておめでとうございます。
保守。
カキコミ少なくて寂しいけどスレなくなるとまた欲しくなる病が…
最近春秋左氏伝を読み始めて疑問に思ったんですが、
文中に「秋七月」としか書かれていない時ってのは、
特にイベントが無かったという解釈でいいのでしょうか?
ネタ投下
今年のセンター試験の漢文で呉越のことが問題になってた
呉がなぜ滅びたかってことに言及した内容だった
試しに解いてみたら全問正解w
予備知識があるってことは強みだね
296 :
世界@名無史さん:2009/01/18(日) 20:05:05 0
講談社学術文庫の方を読んだことがあるけど、日本語がそんなに古くさくなく、
変な癖もなくて、わりと読みやすかったように思う
>>296 講談社学術文庫版は読みやすいとは思うけど、個人的に本音を言わせて
もらうなら断然に明治書院版
299 :
世界@名無史さん:2009/01/20(火) 23:53:59 0
>>297-298 明治書院は値段的に厳しかったのでとりあえず講談社のほうを読んでみます。
ありがとうございました!
>>299 値段も大事だよな。
3000円近く出してハズレを買った時のくやしさと言ったら…。
そんな俺は目ぼしい本をアマゾンで探して図書館や本やで中身をある程度読んで
買う値打があるかどうか見極めてから買っている。
>>294 YES
楊伯峻「春秋左傳注」(中華書局)より:
李廉春秋諸傳會通云:「無事書『春正月』者二十四,自隱元年始;書『夏四
月』者十一,自桓九年始;書『秋七月』者十七,自隱六年始;書『冬十月』
者十一,自桓元年始。」舊説,春秋雖某一季度無事,亦必書時與其首月。但
亦有不如此者,如桓四年及七年不書秋七月,成十年不書冬十月,桓十七年直
書五月不書夏,昭十年直書十月不書冬。其所以不具者,杜預以爲史之闕文。
春秋は一季節何事も無くとも、必ず季節とその先頭月を書く。
但し、何も書かれてなかったり、季節が書かれてない年もあり、杜預は欠文
としている。
暦をさかのぼれるのは前770年までですか?
303 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2009/01/28(水) 18:17:08 0
>>299 明治書院のは高いですからねえ。
ちょっと買っとこうか・・・というようにはいかないですな。
304 :
294:2009/01/31(土) 20:58:10 0
>>301 ありがとうございます。
これで心おきなく読み進めれます。
ほっしゅ
ほしゅります
どこが適切な場所かわからないので、燃料投下も兼ねてここで。
種類の多さは世界トップクラス!?“名字大国”日本のルーツとは?
ttp://r25.jp/b/honshi/a/ranking_review_details/id/1112009030508 >日本と中国文化圏では名前の成り立ちが異なります。日本が“名字”を使用しているのに対し、
>中国文化圏で使われているのは“姓”です。
>日本では名字と姓がごちゃ混ぜになっていますが、本来は別々の意味を有するもの。
>たとえば姓は、その一族の先祖を指し示すもので、古代の中国では皇帝から授けられました。
>自分たちの先祖を敬う中国文化圏では、代々その姓を名乗り続けているため、種類が少ない。
中国で使われてるのが「姓」だとか、古代では皇帝が授けていたとか酷すぎ。
森岡浩って人、これでよく姓氏研究家なんて名乗れるな。
この記事、R25から、Yahooニュース、amebloニュース、livedoorニュース他
大量のサイトに転載されてて酷いことに。
記事名でググってビビった。
ちゅーか古代で“皇帝”て。
そうだよな、封建制度のできた周代から中世だから・・・
312 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2009/04/01(水) 18:39:27 0
在庫していた本を読み終わったので、岩波文庫の「春秋左氏伝」に
取り掛かりましたが、この岩波文庫版は地図や系図などの資料が
適切で、読みやすいですね。
お持ちでない方にはお勧めです。
>>311 中国人の説だよね
大和朝廷も親族や地方豪族を取り込んだ
領地は豪族の政策が自由な封建制に近かったと思うんだけどな
いつに間にか、ピラセスレが落ちていた。
315 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2009/05/16(土) 00:43:39 0
ageておきます
316 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 20:14:35 0
私は都内のIT企業に勤務する30歳の男性です。
優しい台湾人か中国人の恋人を募集します。
条件は特に設けません。興味があったらコメントをお願いします。
317 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2009/05/31(日) 09:54:23 0
岩波の春秋左氏伝をあとちょっとで読み終わるのですが、名君の時代とか、
名臣の時代、というのがありますよね。
たとえば斉の桓公、晋の文公のあたりが名君の時代、晋の叔向、鄭の子産の
あたりが名臣の時代、といえないでしょうか。
おやじ、春秋戦国時代のお勧めの料理を出してくれ。
宮廷でも庶民でもいっこうに構わん
>>317 その移り変わりこそが春秋ー戦国期なんでしょうな。
国政の担い手(実権)が王から重臣へ、更に陪臣・軍人へと移り変わる。
320 :
世界@名無史さん:2009/06/01(月) 08:00:15 0
>>319 その過程で君主権は強くなってるんだよな。
戦国時代に殺された君主も春秋時代に比べれば激減してる。
有名どころで武霊王ぐらか。
>>321 君主権が強くなるのと実権が下位に降りたのはツジツマが合わないと思うんですが?
もう少しお考えを聞かせて頂いて宜しいですか?
春秋戦国を経て統一した中国を見ると
西洋もEUで統一するのかな
324 :
世界@名無史さん:2009/06/19(金) 10:23:56 0
ところでチミたち、ゴシショを知っているかな
国は無問題だが
>>323 春秋末期の、中華ぐらいで終わるんじゃないかな?
アメリカが呉みたいなものだろうが、
それを滅ぼす越がいない
しいていえば日本だろうが、
とても臥薪嘗胆しているとは思えない
で、戦国時代に移行しないと
>>326 アメリカを呉に例える理由を教えて欲しい
色んな国から人が集まるっていういみでは秦がアメリカっぽいけどな
>>327 第一に、当然の大前提であるが、覇者であること
第二に、世界情勢と春秋時代の情勢との類似
第一の理由だけなら、
>>328氏がいうように秦こそふさわしい
こういう反論が考えられるが、アメリカは唯一の超大国といっても、
中原のようなヨーロッパ、軍事大国のロシア、人口の上で世界を圧する中国、
それ以外にも、紛争の種の中東があり、
戦国時代(末期)の秦とその他の国よりは、
春秋末期の、呉とその他の国の関係に近いかなと
第三に、
>>328氏の理由を借用するようだが、
いろいろな国、特に中原から人が集まっている点
呉王家は、周王室から分かれたというのはフィクションだとしても、
中原からの移民によって、急激に文明化し、
その移民たちが支配層を占めることになったことは確かだろう
天地人ということで、三つの理由を挙げてみた
晋がイギリスで初期の覇者
その後連邦解体で新興国秦が台頭して覇者に
中国は隅っこで独自の勢力を築いている呉とか楚みたいなイメージ。
共産党体制が牛耳ってるところも辺境国っぽいしw
>>331 > 晋がイギリスで初期の覇者
しいて他にあげれば、斉かな
自然発生的に資本主義社会が成立したのは、
イギリスとフランスしかないわけだから
ちょうど2国で都合がいい。
ちなみに、宋はイタリア(半島)だろうな
殷(商)は敬意を払われるが、
宋は、軽蔑の対象だったという点が
ローマとイタリアの関係ににているかと
> 中国は隅っこで独自の勢力を築いている呉とか楚みたいなイメージ。
呉とか楚は、特に呉は隅っこにいれば延命できたろうにとおもう
アメリカがモンロー主義を捨てて、世界の覇者になったのが良かったのか悪かったのか
という点に、似ているかな
>共産党体制が牛耳ってるところも辺境国っぽいしw
商鞅以後の秦が、生産重視の徹底した管理社会という点で、
共産党体制によく似ているような気がするな
保守。
春秋・論語・孟子・荀子・韓非子・戦国策は色んな出版社から出版されてるけど管子はほとんどないね。
政治論としては面白いんだけどなんでかな?
「国語」って翻訳でてるんですかね?
明治書院版で出てる
>>335 ありがとうございます。流石に岩波とかの文庫ではこれからも
でないでしょうかね
部分訳で戦国策や呂氏春秋を出してきた講談社の学術文庫なら出すかもしれんけど
高くても明治書院版を素直に買った方が間違いはないだろう
保守
339 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 00:31:48 O
趙の祖先がわからん。遊牧民じゃないだろうな?
趙の祖先は秦の祖先と同じく殷の紂王の家臣の蜚廉だというから秦と同じく遊牧民じゃね。
伝説の上ではだけど。
341 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 00:13:37 O
造父より前にどこにいたのかがわからん
342 :
世界@名無史さん:2009/12/01(火) 18:17:26 0
戦国の各国は、それぞれ民族が違うのですか?
343 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 13:49:35 O
民族も言葉も文字も違う。
344 :
世界@名無史さん:2009/12/05(土) 14:40:44 O
同じ民族が分かれてたり、一つの国に複数の民族がいたりするだろ
韓魏趙のように一国から分裂したケースもありますからのう。
秦の蜀巴併合とか楚の越併合とか併合することもよくありますし。
346 :
世界@名無史さん:2010/01/03(日) 01:05:03 0
今の日本って子産がいた頃の鄭と状況が似ていると思いませんか?
中国とアメリカのどっちが晋でどっちが楚ということは別にして。
そのうち、子産みたいな人が出てくるのかなあ?
子皮の様な大器がいないのに現れるわけがない
348 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2010/01/14(木) 18:31:03 0
>>346 そんな人が現れてくれたらいいんですが…現実はあれですからねえ
349 :
世界@名無史さん:2010/01/14(木) 21:55:37 0
春秋戦国時代がやっぱ一番面白い
350 :
世界@名無史さん:2010/02/02(火) 06:14:44 0
351 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2010/02/10(水) 18:12:08 0
>>350 確か抜粋でしたよね。全文を読もうと思うと、やはり明治書院の大きいヤツ
でないとだめなんですよねえ。
私は平凡社の訳だけの本を古本屋で手に入れましたが…
易牙と掛けて民主党と解く
その心は、どちらも子供を利用して伸し上がりはするものの無能
354 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 20:43:40 0
>>351 分量が膨大なのが比較的廉価な全訳がない原因なのかな?
抜粋本に何冊も手を出して後悔するくらいなら、素直に明治書院版を買うのを勧めるな
ひと昔前に俺はいきなり明治書院版をAmazonで一括購入したけど、その後に講談社学術文庫を
はじめとした抜粋本を何冊か書店でみかけたが、迷わずに購入して正解だったと思えたもんだ
最終巻末には人物毎の索引なんかも付いてるしたしかに高いかもしれんが、けしてミーハーな
気分ではないのなら…ね