1 :
963 :
2006/05/20(土) 23:03:18 0 | ┃彡 , -.―――--.、
| ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ
| ┃ .i;}' "ミ;;;;:}
| ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:|
| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
| ┃ | ー' | ` - ト'{
| ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
| ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / 冬季大攻勢の
バンッ!! | ┃ | ='" | <発動を命じるぞ!!
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
独ソ戦〜世界史上最も悲惨な戦争
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1072317187/ 独ソ戦〜世界史上最も悲惨な戦争2
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1099838218/ 独ソ戦〜世界史上最も悲惨な戦争〜三年目突入
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1106155832/l50 独ソ戦〜世界史上最も悲惨な戦争〜泥沼の4年目〜
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1111994273/l50 独ソ戦〜世界史上最も悲惨な戦争〜泥沼の5年目〜
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1136715411/
2 :
963 :2006/05/20(土) 23:05:31 0
前スレは無知蒙昧な輩に荒らされて1000レスになってしまった。 反論ができないとこのような卑劣な手段にしか走れない人間はいらないのだが。
3 :
世界@名無史さん :2006/05/21(日) 00:23:36 0
結局、前スレは基地外の荒らしが次スレも立てずに埋めてしまったな。
一行の負け惜しみレスしか出来ない人間は相手にしないのが一番。
具体的な数字を出してたのは最後まで
>>963 だけだったしね。
とりあえず泥沼の中、第六軍前進!
6 :
世界@名無史さん :2006/05/21(日) 17:02:37 0
>>5 うわっ何その書き込み時間w
引きこもりニート乙w
とりあえず、東部戦線でのドイツ兵の一日の日常ってのはどんなのであったろう。 >6みたいなのも混ざっていたら、パーンと後ろから撃たれる事件なんか起きないかね?
8 :
世界@名無史さん :2006/05/21(日) 19:14:18 0
延々陣地構築したり塹壕堀りだとか、
交代制で付近の巡回にいったりとか。
少なくともそういう犯罪が起こった話は聞かない。
もっとも
>>5 みたいなキモイ粘着は
兵役に耐えられない欠陥人間なので病院に送られるだろうけどね。
そしてドイツ第3帝国ではそういう人間は人間として扱われない。
そういえばT4計画あったね……それ系話は違う意味で荒れるので話変えるけど >少なくともそういう犯罪が起こった話は聞かない。 なるほど、軍紀はしっかりしていた訳だ、SS親衛軍もそうかな? 途中からはドイツ国防軍の中からもかなりいやがられたみたいだけど
>>9 >そういえばT4計画あったね……それ系話は違う意味で荒れるので話変えるけど
じゃあ持ち出すなよ。
>なるほど、軍紀はしっかりしていた訳だ、SS親衛軍もそうかな?
武装SSの特別行動隊のことか?
あれは命令に従ってやったはずだが。
>途中からはドイツ国防軍の中からもかなりいやがられたみたいだけど
基本的にSSは国防軍の外だ。
>>9 ライプシュタンダルテやダス・ライヒのような武装SSのエリート師団は軍規も厳しく、その優秀さと勇敢さで国防軍からの信頼もあつかったよ。
ただし、兵士には狂信的な人種教育を行われたために、東部戦線では現地住民に残虐行為を働く場合もあって占領地の軍政当局からクレームがついたりもしている。
犯罪者や政治犯で編成されたディルレワンガー師団や反共ロシア人のカミンスキー旅団などは士気に問題があり、ワルシャワ蜂起鎮圧では戦闘そっちのけで殺人・暴行・掠奪をしている。
あと士気や能力の点で問題があった外国人SS部隊は主にパルチザン討伐戦に投入されているが、いろいろヤバイことをしでかした部隊も多い。
そのせいで終戦時に東部戦線では武装SS隊員に対する報復が頻発している。
マナーの悪さでは、ソ連軍犯罪者部隊が最凶
14 :
世界@名無史さん :2006/05/22(月) 11:04:57 0
前スレの終わり近くは見てないのだが、 トルコに軍を送るのは北アフリカより困難だったか?って話で トルコの方が難しいっていうならああそう、意見合わないね。 で終了なんですが。 北アフリカの数字なんていくらでも詳細に出せるが、そんな話がしたいの?
あっそ
興味ねえ
同意
18 :
世界@名無史さん :2006/05/22(月) 17:22:45 0
>>14 そういいながら全く具体的な数字を出さないのか?
19 :
情けないやな… :2006/05/22(月) 17:56:06 O
∀ <_☆_> G\(〇m〇) \ ※:@*\ ♪あまり同盟国を信頼し過ぎても裏切られるからな… 我が皇軍も支那保安隊による『通州事件』以来、 ビルマ国軍の叛乱 満洲国軍の叛乱 ムアン・タイ叛乱計画 等々があったな。 …元来、独伊は対ソ戦後コーカサス近東作戦の計画あるを承知しあり。 其の発揮の時期は不明なるも我決意によりては之れに呼応せしむること可能なり。 4、現在南太平洋のみに制限しある独海軍の通商破壊戦を 自由区域に拡大せしむること可能なり。 実数は疑わしきも独海軍が利用の一手段なるべし。但し独伊の利用は飽くまで従属的ものなること論をまたず。
何、その日独伊軍事協定覚え書き臭い話
21 :
963 :2006/05/22(月) 23:14:22 0
22 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 21:01:34 0
独ソ線事態が間違っていたようにしか思えません 開戦前スターリンはヒトラーに対して好意的だったように思えるんですが あのまま中立条約を堅持していれば滅亡することはなかったのに
>>22 『わが闘争』を読むか、
当時のスターリンが親独国を占領しようとしていた史実を勉強してから発言してください。
条約とは破られるためにあるのだよ。
24 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 22:22:35 0
だよな、実際スターリンも不可侵条約は時間稼ぎってみてたし
25 :
世界@名無史さん :2006/05/28(日) 22:40:49 0
所詮外交の世界は狐と狸の馬鹿試合
スターリン書記長、食道ガンで死去との訃報。 合掌。
27 :
世界@名無史さん :2006/05/30(火) 14:16:20 0
娘さんと一緒にプリキュア見てたファンファン大佐が…
独ソ戦はファシズムVS共産主義という ならず者国家の決勝戦 勝ったソ連がキング・オブ・ならず者国家に就任しました
29 :
世界@名無史さん :2006/05/30(火) 22:04:24 0
独ソ戦で得をしたのは、米英
得した→ドイツ軍の大半をソ連が引き受けてくれたおかげで英米人の戦死者はかなり少なく済んだ 損した→東ヨーロッパがソ連圏に入ってしまった 戦後の東欧人は独ソ戦の不幸を引きずったし、ドイツ人にもロシア人にも悲惨な戦いだったが、 やっぱり英米人にとっては得の面のほうが大きかったんじゃないだろうか。 何といっても英米の死者の数はソ連の死者の数とは桁違いに少なくて済んでいるのだから。
スターリン的恩着せはともかく、 イギリス的には最大限の譲歩だったパーセンテージ協定まであっさり踏みにじられた点で損だと思うな。 開戦直前まで対独輸出をやってた連中の被害なんぞは自業自得だよ。
インドが独立しちゃった時点でイギリスの世界戦略はあぼ〜んだから、 パーセンテージ協定によりギリシャの赤化を防ぎ、インドまでの航路の 確保云々は無意味となったけどね。 世界戦略を語れる実力があると思い込んだチャーチルが哀れなんだろうけど。
独ソ戦で得をしたのはソ連だろ?
35 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 21:48:07 0
長い目で見ても短い目で見ても、米英との比較はともかく、 ソ連自体の損得は、やっぱり得もあったけど、損のほうが 大きかったんじゃないかなあ。
36 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 21:50:37 0
ソ連は得していない。
37 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 21:55:26 0
いや 東欧をまるごと支配できたのは大きかったでしょ 大体、WW2前のソ連は一国社会主義で、世界を二つにわるなんてとんでもないという感覚
38 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 21:57:56 0
独ソ戦で受けたソ連の損害には釣り合わんがね。
英連邦が崩壊した英は明らかに損をしているな。 というか純粋に得した国はアメリカぐらいではなかろうか。
対独戦で甚大な被害を受けた→二度とどこからも攻撃受けないようにしよう →今度の敵はアメリカだ→もっともっと軍備増強だ→東欧を防波堤用に保護国にしちまおう →東欧とキューバとベトナムが敵にまわらないように軍を派遣して監視して、援助もしなきゃ →国民のために軍事以外に金を使ってるヒマなんてない なんてことやってるうちにソ連の経済と国民の暮らしは崩壊したのよ。
それでも帝国をドイツよりは遥かに長く維持できたじゃないか。
>>39 アメリカにしてもさして権益を得られたわけでもなし。
世界帝国という自負と戦時需要の拡大で経済的に大発展を遂げたぐらいで。
43 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 16:43:45 0
独ソ戦という観点でいえば、英国はあきらかに得してるだろ。 ドイツの英国への圧力が弱まったのだから。ww2の全体の 話と混同していませんか?
44 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 18:22:24 0
GYAOのアレはどうなのよ? アメリカ人が作ったにしては随分ソ連マンセーしてたけど。
とりあえず東欧諸国がまったく得なく損のみなのは たしかだろうな。 ソ連にとっては・・・指導者にまともな頭があるなら、 2000万人以上の自国民が死んだ時点で、損得勘定など する以前に反省すべきで。
46 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 23:04:13 0
でも攻められた方なんだからしょうがないよ もっと初期の敗戦は指導者に責があるのは否定しないが
47 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 00:35:15 0
まぁ、どっちにしろ「先に動いたほうが負け」を証明した戦いだった
48 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 01:18:27 0
いやむしろ 「負ける方が先に咬みつく」を証明した戦い
49 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 08:41:50 0
ソ連は電撃戦をおこなうには広すぎただけ
50 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 09:31:35 0
日本は先にロシアに咬みついて勝利した罠。
体制を整える前に決着をつけてしまわないと勝てないから、 日本もドイツも奇襲攻撃でロシア・ソ連を攻撃した。
52 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 15:12:01 0
伍長も将軍たちもソビエト・ロシアは内部崩壊すると踏んでたんだろ まぁ自らそれを潰したわけだが
53 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 17:25:45 0
日本は外交も上手かったから 戦術的勝利を活かして 最終的にロシアに勝利できたが、 ドイツは伍長がアホで結局アボーン。
>日露戦争 他力本願でしか勝ちようがないあたりどう考えても無謀。
55 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 18:31:17 0
41年に日本が北進してればボリシェヴィキ国家崩壊? その場合日米開戦は避けられたのか
極東ロシア軍はモスクワ防衛戦に戦力を抽出されても50個師団を維持。しかも半数近くが戦車師団。 どう考えても北進できません。ご苦労様でした。
>>42 そもそもアメリカ参戦の大きな狙いが
ヨーロッパへの発言力よりも
満州経済圏の獲得による中国利権進出だったのが、
中ソの手腕で灰燼に帰したしな
アメリカは必ず口実を設けて参戦してくる。 それまでに日独でソビエトを挟撃しスターリン体制を崩壊させれば英米と五分五分に持ちこめるが、 ソ連が持ち堪え、アメリカが参戦した段階では日独に勝ち目は無い。
北進する仮想戦記があったが ハバロフスク寸前で膠着に陥ってたな 南進より苦しい
日独の対ソ戦が膠着状態でアメリカが参戦してきたら万事休す。
その場合、唯一の頼りは米市民の反戦世論 Uボートの無差別攻撃、真珠湾、911のような先制攻撃を受けない限り 米市民はやはり反戦的 現代戦のように短期で終わらせて国民不満をやり過ごすのさえ不可能
なに、ジャップどもが先制攻撃してきた事にしてしまえばいいじゃないか。 なあハル君。
>>60 逆に言えば膠着しなければよかったわけで。
ドイツがソ連を短期戦で片付けてしまえば、
ふたたびソ連を同盟に組み込んで四国協商が復活するからね。
64 :
世界@名無史さん :2006/06/05(月) 21:44:32 0
ドイツがソ連とガチでやりあって勝つのは無理。ソ連の民衆の大多数 を味方につけるぐらいのことができなきゃねえ。
ウクライナ……
全くもって。 もし米軍がノルマンディ揚がった途端に フランス女一斉にレイプし始めたりしたら 反独レジスタンスだって防衛側のナチスをマシだと思うだろ
67 :
世界@名無史さん :2006/06/05(月) 22:34:08 0
そもそも、ソ連を短期で片付けること自体不可能なんだけどね。 中国も含めて
伍長殿は蹴ったら崩れ落ちると豪語していたぞ。 俺達が馬鹿でした 中央軍司令官
国防軍も対ソ戦には反対してなかったしな
>>67 誰も突っ込まなかったことをw
WW2終了後でイギリスの元帥が記者会見。 記者「この戦争で得た教訓は?」 元帥「一つ、ロシアを侵略してはいけない。二つ、中国を侵略してはいけない。」
伍長はドイツがモスクワ目前まで行けばスターリン政権はクーデターが起きて自然に瓦解すると確信していた しかし、緒戦の大敗にも拘らず、スターリン政権は最後まで一枚岩だった。 多分ドイツがせめなきゃ、瓦解していたと思うがw
>>60-61 当時の軍の馬鹿っぷりを見ると、事態打開とかいって海軍が勝手に対米戦始めそう
阻止しようとする人は当然の如く中堅将校によって暗殺されるだろう。
近衛「統帥干犯になるので陸軍からは頼めない。海軍から対米戦は必敗であるといってくれ!」 山本「一年や二年はずいぶん暴れて…」 近衛「('A`)」
ほんの少し前にオランダ、ベルギー、そしてフランスがあんなに あっさりと負けたのを目の当たりにした直後だから、 リアルタイムの人たちは、近代化が遅れた(と、少なくとも思われていた) ロシアもあっさり負けると予想して不思議はないでしょう。
>>72-73 本来、山本は徹底した対米戦反対派だったが
暗殺を恐れた上官が政治の世界から艦に戻したんだよな・・・
結局、あの時代の穏健派・不拡大派はテロに怯えて万事そんな調子。
テロを背後にやりたい放題の開戦派・右翼に対抗して、
内戦も辞さない程の内部工作態勢を穏健派も整えるべきだった。
>>72-73 本来、山本は徹底した対米戦反対派だったが
暗殺を恐れた上官が政治の世界から艦に戻したんだよな・・・
無理が通れば道理引っ込むで
結局、あの時代の穏健派・不拡大派は万事そんな調子。
テロを背後にやりたい放題の開戦派・右翼に対抗して、
内戦さえ辞さない程の強力な工作態勢を穏健派も整えるべきだった。
おや重複
78 :
世界@名無史さん :2006/06/06(火) 18:53:43 0
>元帥「一つ、ロシアを侵略してはいけない。二つ、中国を侵略してはいけない。」 ロシアはともかく中国はOKだよw
>78 しかし、その元帥とは、夢想家の楽天家とドイツ軍首脳から揶揄された モンゴメリー大将ですか?マーケットガーデン、美味しゅうございました
80 :
世界@名無史さん :2006/06/06(火) 21:22:05 0
>54 局地戦での小勝利に過ぎず、結局ソ連から領土割譲や 賠償金を飲まされたフィンランドでさえ ソ連に勝ったとか表現する奴がいるんだから、 その伝でいけば一艦隊を消滅させ、重要要塞や拠点を陥落させ、 領土や権益を奪い取った日本は余裕で自力本願の勝利。 多国間のパワーバランスを利用して交渉や圧力かけるのは 外交の常道。 それが否定するならビスマルクだって外交下手になる。
いや。 中国侵略も泥沼の15年戦争に突入した時点でアウトでしょ 昭和天皇「支那と戦争をし始めて10年も経っているに決着が付かないのはどういうことか」 陸軍「いや、その‥」 昭和天皇「陸軍はこの戦争は一年で勝負が付くと申していたではないか」 陸軍「いや、支那の内陸部は思ったより広く、収拾がつかなくなってしまっているのです」 昭和天皇「太平洋は、支那の奥地よりもっと広いんだが‥」
>>「一つ、ロシアを侵略してはいけない。二つ、中国を侵略してはいけない」 ロシアと中国を征服したモンゴル帝国について。
ドイツはロシアを侵略して致命的ともいえる大打撃を受けたが、 日本の中国侵略は軍部が予想した以上の損害は受けたが、 ドイツが受けた致命的な大打撃ほどでもなかった。
84 :
世界@名無史さん :2006/06/06(火) 23:56:33 0
>>80 局地戦の小勝利といっても、その勝利がなかったらフィンランドはソ連に
併合されていたからな。多少の譲歩はあったとしてもソ連の野望を
打ち砕いたということで勝利といえなくもない。
日露戦争はほとんど他力本願じゃないないのか。戦費、武器は欧米に
依存していたし、米国の講和の仲介をしてくれなかったら日本はアウト
だった。孤立無援の独力で戦ったフィンランドと比較するのは失礼
だ。
85 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 00:11:46 0
>>84 ソ連の侵略から国を守ったという点では勝利かね?
ウクライナを占領するよりもモスクワ攻略を優先させるべきだという将軍達の意見は正しかったのか。
87 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 00:42:32 0
英仏がフィンランドへ救援軍を送る計画を表明したのが ソ連を講和の椅子につける圧力になった面もある。
>86 モスクワが陥落してもスターリンは両手を上げたりしないだろうが、 ウクライナを早期に押さえないとドイツは資源面で深刻な問題を抱える事になるぞ。 41年の「冬の危機」という言葉は東部戦線だけじゃなくて国内事情も含めての表現なんだから。 「独ソ戦とホロコースト」あたりを読むことを薦める。
90 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 06:33:20 0
通説通りソ連を攻めた時点で無理があるんだろうね 将軍の主張もマインフューラーの主張もどちらも それぞれの側面では正しい事が多かったわけで。 関係ないけどベルリン攻防戦は悲惨すぎるな ソ連コワス
91 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 11:55:35 0
ドイツは余剰人口を抱えてそのはけ口としてソビエトに侵攻したわけだから、 ドイツの兵力をブラックホールのように吸いこんでいく東部戦線はその意味では有意義だったとも言える。
>>76 日本軍でもっとも強硬な開戦派は海軍だったりするんだが。
海軍が出来ないといえば陸軍は開戦したくでもできない。
船がないからな。
ソ連があれだけ序盤で大負けしたんだったら、まあ、降伏するのが常識ってもんで、 イタリア人やフランス人ならスターリングラード戦以前に降伏してたでしょうね。 当のロシア人たちも実は負けてもいいから、とっとと戦争を終わらせてほしいと 思っている人が実は多かったんじゃないんでしょうか。
94 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 16:17:19 0
それは素直に降伏して日独ら枢軸国の一員として協力すべきだろう。 アメリカに勝たすから雨による今の一極独裁政治をまねく原因になった。
実はスターリンにとって 枢軸を利用しての自国民大粛清だった説を推す
あぁ、公称二千万は確実に自分らで殺した分もどっかに上乗せした数字だろうなぁ……
98 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 20:48:57 0
しかし実際に降伏してたら、ちょび髭とその親族どもは 一体全体、何をやらかしていたのだろうか? ドイツ占領下のキエフでは、フォルクスドイッチェ達は ロシア人の顔を痰壷と心得ていたり、ロシア人の前では 平気でうんちやおしっこしたり裸になってたみたいだから
>>98 >ロシア人の前では平気でうんちやおしっこしたり裸になってたみたいだから
どっちが優秀な民族かわからんな、確かにスラブ人は奴隷以下であり人間じゃないからな
しかし、オレは動物の前で立ションするつう恐ろしい事はできんな。
>>97 ロシアになってからは独ソ戦の犠牲者の内訳は主にスターリンの失策と粛清に帰結させている。
101 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 21:33:32 0
ヒトラーはスラブ民族を奴隷化するなんていってったからな。ソ連人は ドイツと戦って勝つしか生き残るすべがなかった。
102 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 21:57:42 0
負けても地獄、勝っても地獄だもんな。 永遠の青あたりはスターリンはだから偉大なんですと 大祖国戦争をほめていたがw
103 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 22:12:37 O
勝てば監獄 負ければ地獄 素晴らしいお国だな ソ連って
104 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 22:12:47 0
ロシアは入り口は広いが出口は狭いのだ
つまり、かっさかさの行かず後家のアソコと同じって事か
107 :
世界@名無史さん :2006/06/07(水) 23:26:34 0
行かず後家とやったことないくせに
109 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 08:01:14 0
そうだろうね
110 :
世界@名無史さん :2006/06/10(土) 23:04:40 0
>>37 5ヵ年計画の工業化も全てパーになったし農業生産もかなり減少した
111 :
世界@名無史さん :2006/06/15(木) 22:44:58 0
>多少の譲歩はあったとしてもソ連の野望を打ち砕いたということで勝利といえなくもない。 >戦費、武器は欧米に依存していたし、 フィンランドは戦費や武器はスウェーデンや イギリスなどからも援助をもらってる。 また兵站面だけでなく、軍隊も非正規兵という形で援護してもらってる。 決して孤立無援の独力の自力本願じゃない。 「援助を受けた」から他力本願になるなら、 スターリンもアメリカに武器軍需物資だけでなく、 ヨーロッパに戦線開いて独ソ戦を援護するように再三要請して 受け入れれてたぐらいだから他力本願。 第一次大戦のロシアは日本軍の武器援助に依存していたから〜とかも言える。 いくら援助受けようが、実戦で敗北してたら意味が無い、、 実戦で自力でドイツに勝利したおかげだ、とするなら 日露戦争だって実戦による圧倒的勝利による結果だから自力本願。
E-mail: sage 内容: >多少の譲歩はあったとしてもソ連の野望を打ち砕いたということで勝利といえなくもない。 開戦のきっかけとなったソ連の理不尽な要求 @ハンコ半島の海軍基地の租借 A防衛線の無力化 Bフィンランド湾諸島の割譲 ↓ 結果 ハンコ半島は30年間ソ連に租借、工業地帯の要衝であるカレリアなど当初の要求以上の土地を割譲、 防衛線は突破され首都寸前まで肉迫。 戦争しない方がましだったんじゃないかと言われるぐらい苛酷な条件飲まされる。 日露戦争の方がよっぽど野望を打ち砕いてるな。 日本の戦略的な目標=ソ連の南下と半島が勢力圏下に置かれる事を防ぐ→半島から完全駆逐。 満州や中国内陸に大陸進出の地盤構築。 その他ロシア利権を取得。完璧に戦略目標は達成。 フィンランドは英米の援軍をスウェーデンに妨害された結果、 不十分な援助しか得られず。あくまで独力を強いられただけ。 その辺の外交的折衝に失敗したから。 日本は外交的能力あったがフィンランドは不足していた。それだけ。 それに交渉に付かせ、優位な条件飲ませること自体、そう簡単にはできない。 ロシアが日本にかなり譲歩したのは実戦での日本圧勝があったから。 フィンランド戦では世界各国から仲裁されたり、 国連で圧力かけられて除名されても強行したのは自軍優位だったからじゃん。
100%自力で戦うなんて戦争あるの? 自力でやりますなんて言ってカッコつけるのはいいけど負けたら意味ないし ああ、ナチスドイツは自力かもしれんな。
日露戦争でロシアが講和に応じたのは国内の不安が大きかったからじゃないの? 長期戦が可能だったとして本気で極東陸軍を増強すれば日本にいくら海軍があっても勝てないのでは。
英米による有形無形の圧力もあったよな。
日露とも自国で戦費を調達できない悲しさ哉…嗚呼
>>113 伍長殿の戦略が自力本願かどうかは疑問が残るな。
チェコでやめておけば
118 :
世界@名無史さん :2006/06/16(金) 19:33:46 0
>戦争しない方がましだったんじゃないかと言われるぐらい苛酷な条件飲まされる。 あのさ、フィンランドが何を守ろうとしてたか知ってる? フィンランドの外交能力だの敢闘ぶりだのその結果だのを比較すべきなのは、 明治期の日本とじゃなくて、1931〜40年にかけての日本とだろ ロシアが相手という単純な池沼勘違い比較もほどほどにしといたほうがいいよ
ソ連が平時に何十師団もってようが、国力比較しようが 実戦ではどうなるか分からんだろう。 ベトナムとアメリカは比較が無意味なくらいかけ離れてるが、 他の共産勢力に平坦面でバックにつかれたり、初期の苦戦と、 国内世論の反発と国際的な反戦の風潮で結局は敗退に終わった。 戦術、同盟、外交などフルに使えば大国だって どうなるか分からんといういい例だな。 日露戦争でも革命勢力の存在と、 日本も実際に火種が広がるように後押ししてたし。 ソ連もいくら国力や軍事力があろうが、 実際では運を含めて何が起こるか分からんから、伍長がアホじゃなかったり、 国際情勢の如何によってはどうなったか分からんだろう。
>>113 アメリカ独立戦争も、建国史観を世界中が真に受けてるが
あれも実際は反英戦略としてのフランスの軍事援助が無ければ
民兵が干上がって鎮圧されてたしな
うむ、アメリカ独立戦争における裏の国際関係、思惑とかしらんのだろうな。
ただ、軍事援助した側のフランスで、その後革命があったし、 ラファイエットが両革命の英雄として祭り上げられたりしたので、 一般的な認識がそうなってしまうのもしょうがない。
要は安易に他国に干渉するなって事だね、金掛ける以前に。
その辺は「金持ち喧嘩せず」の裏返しで、貧乏国ほど現状打破を叫んで戦争に打って出る傾向があるからなぁ…… ま、とりあえず本当にただ一国で戦う国ってのはあんまりないってことで。
>>118 フィンランドって冬戦争のとき、ソ連相手にイケイケムードだったよね?
マンネルへイムが内閣に再三これ以上ソ連の相手は無理、って説得してる。
フィンランドはマンネルへイム個人が偉大なだけで政府は・・・
たとえー腐敗したぁ政府としても〜やはりぃぃぃ護って闘うのだぁ〜 がフィンランド軍人だったと言う事で
フィンランドは反共反ソが国是だったし、冬戦争ではさほどイケイケだったわけでもないよ。 継続戦争では旧国境を越えてるけど。 でもま、マンネルハイム自身も戦前は擬似ファシズム団体指導者だった時期があるわけで…… あまり神格化するのは。
128 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 20:42:36 0
「北欧空戦史」読んでやらないと、フィンランド可哀想だよ あんまり小国を苛めるなw
つーか独ソ戦スレだろここは。どっから冬戦争の話になったのだ。
一応、関連がありそうなので。 いちゃもんつけられソ連に攻められ屈辱の休戦。 その後、独ソ開戦。ここぞとばかり枢軸側で開戦。 失った領土奪還のため戦うフィンランド軍
131 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:09:11 0
冬戦争と独ソ戦はセットじゃないの??
継続戦争とならセットかもね。
で、分が悪くなり、ソ連の反撃に遭遇すると西側連合国に援助を求めるものの 枢軸に荷担している以上、援助されるはずもなく、泣く泣くフィンランドはソ連側に大幅譲歩 戦後、フィンランドは中立国となったが、それは名ばかり。 その外交政策は常にソ連、それを継承したロシアに大変な配慮をしている。 具体例は、失敗したミサイルか飛行機がフィンランド領空内で事故により墜落 普通の独立国なら、何とでも文句が言えそうだが、フィンランド政府は黙って 落ちた機体の部品を集めてソ連に(当時)引き渡しただけだった。 それをさして、峡谷のお情けで独立をを保っている国をフィンランド化した国と言う 英語でもあるね
峡谷× 強国○
135 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 00:45:11 0
>具体例は、失敗したミサイルか飛行機がフィンランド領空内で事故により墜落 >普通の独立国なら、何とでも文句が言えそうだが、フィンランド政府は黙って >落ちた機体の部品を集めてソ連に(当時)引き渡しただけだった。 それなんて日米関係
うずうず
137 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:20:27 0
フィンランド軍ってよくソ連に勝てたね 結構強い戦車とかもっていたの?
138 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 03:40:31 0
フィンランド軍 総兵力25万(但し80%は予備役) 航空機62機 野砲72門 戦車・装甲 数十両 ソ連軍 総兵力 50〜60万 航空機521機 戦車・装甲車1600両 野砲1700門 ↑ これだけ圧倒的な戦力差でw ↓なにこの損害の差。やる気あるの?ソ連軍? フィンランド軍 戦死者2万1369人 負傷者4万3557人 ソ連軍 戦死者20万〜28万 負傷者60万〜65万 捕虜5600人 ↓のぴ太でも勝てそうだ フィンランド軍が捕獲した兵器は 戦車84両 装甲車21両 航空機22機 各種火砲316門 小銃約4万丁
確かに凄いが、フィンランドは兵力の補充が利かない。 常備兵も一回限りですり潰してしまってるしな。 実際次にソ連に攻撃されたときは負けてしまった。
1940年でのフィンランドとソ連の間での戦いでは英仏がファインランドへの救援軍の派遣を表明し、 それでスターリンはフィンランドとの講和のテーブルに着いた。 それでもフィンランドがカレリアやハンコ岬を譲渡するなどの譲歩で決着された。
141 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 13:45:08 0
充分交渉する余地もあり、政治的立場も強かったのに、無謀な 戦争に訴えて結局ポチと化した過去の日本と、交渉の余地も無く 戦争に応じる以外全く選択肢がなく、それをぎりぎりの譲歩で 乗り切り、結局自由経済と民主主義のポイントを守る事に成功した フィンランドの公正な比較が出来ない人が多いね 外交姿勢なんぞその捨石に過ぎないのに
珍しくスターリンが領土交換を提案したのを蹴っとばして あのソ連に対して戦争挑んだんだから無謀極まりないだろ。 はっきり言って日本以上。
ていうか、戦後のフィンランドは赤化したも同然じゃん…。 ソヴィエトの許容する政権や政策しか選べなくなった。
144 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 14:32:14 0
>>141 乗り切ってませんから。
結局のところ戦争で負け、ソビエトが当初交換を提案していた領土を占領して冬戦争は終わった。
領土奪還に成功するのは独ソ戦が始まってから。
あのナチと手を組んでソ連に侵攻した後の話。
145 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 14:54:08 0
領土交換の提案って、その直前にバルト3国を事実上保護国化 してるんだから、単なるその先触れに過ぎないでしょ あの時点で交渉に応じてれば、次は事実上の併合が待っているのは、 バルト3国の史実で明白にトレースできる 無謀に近いのは事実だけどやむにやまれぬ応戦、日本は単なる自暴自棄 「赤化したも同然」って・・生活基盤や文化の継続が大事だったんだよ 当時のフィンランドには 政権や政策の選択性はその為の捨石だって 冬と継続の総合での話ですよ 敗戦を受け入れた後、東欧化されてない その史実が大事なポイント 最初からこれだけは守りたいと思ったものは守りきった
なんで日本のが単なる自暴自棄?
>>145 >「赤化したも同然」って・・生活基盤や文化の継続が大事だったんだよ
>当時のフィンランドには 政権や政策の選択性はその為の捨石だって
だったら領土交換に応じればいいだろ。
結局戦争で負けて取られてるもんだし。
芬ソ戦争(冬&継続)と日露戦争とを世界史的に比較するスレ?
149 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 16:34:50 0
特に冬戦争で赤軍に取り入れられ、それから独軍に流出した兵器や戦法 がかなりあったから、必ずしもスレ違いではないと思います・・ところで、 まったく人の意見を読まずに脊髄反射する方が多いので、とりあえず レスをまとめて書いてみたんだが、やっぱり無駄みたいでしたね(笑 一つだけ答えておきます >なんで日本のが単なる自暴自棄? 当時の日本は例え石油や鉄という首根っこを他人に依存していても フィンランドとは比較にもならぬ強力な陸海軍を保有しており、日本が 敢えて求めなければ、強引に戦争を仕掛けてくる相手はなかった (オレンジプランなんか引き合いに出すのは厨、どの国にもそれぞれの 国策はあって当然) 政治的イニシアティブという点では現在の日本と比較しても、はるかに 強固な立場であったということ、無論フィンランドとは比較にもならない 問題はその強みを自覚した譲歩と妥協が出来なかったという一点に尽きる 内乱のリスクはあったが、それを鎮圧して譲歩と妥協で最低限の権益を守る 事が充分可能であり、同時にメリットも大きかった 戦争がそれを全て破壊したのだから、自暴自棄以外の何者でもないと思う
150 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 16:59:36 O
陸軍に独立した作戦を展開する戦車師団と戦車軍を世界で初めて、創設したのはヒトラ-だよね。 ヒトラ-は、大半の軍事専門家や陸軍の反対を押し切って創設した。 イギリスやフランスでも同じ動きはあったが旧体制の陸軍に反対され実現しなかったみたい。 このことが、後のナチスドイツがフランスを六週間で占領する結果に繋がる。同時いくらフランスは弱体し腐りきってたとしても。 結果ヒトラ-は四年の最前線兵士時代に経験から、それなりの軍事知識を得ていたと思う。
>150 ただ、前線経験に縛られすぎ、そこから抜け出せなかった面もあると思います。 その点が彼と第三帝国にとっての不幸だったような気がします。
152 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 17:26:01 0
>>150 政府内政治の難しさを理解した上で言ってる?
ゲームじゃあるまいし完全完璧に政府内の意見を統一することなんてできません。
ヒトラーが装甲部隊の創設を後押ししたのは、国軍内部に君主制を支持しナチス支持に消極的な 保守勢力が強かったのでそれを切り崩すため。その時点では軍事的にどのくらい有効なのかを 正確に予想していたのではない。もっと端的に言えば新兵器ヲタだったからとさえ言える。 軍事指導者としてのヒトラーの能力は第1次大戦の一兵卒の経験以上のものではない。 彼が発し、数々の悲劇を招いた死守命令が十分その実例になるだろう。 ただ彼が抜擢した軍人に有能なのがたまたま多くいて、それが大戦初期〜中期の成功に つながっただけだ。
155 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 18:05:26 O
保守は銃剣しか持たない貴族軍人でしょ。 戦車が戦略上有効な兵器になるのを確信していた軍部の一部の声を拾いそれを強引に採用したのがヒトラ-。 ナチスの陸軍内の古い体質の将軍将校は最後までヒトラ-の足を引っ張っり続けた。 ク-デタ-の計画までしたたらしいしね。陸軍が防寒服無しでソビエトに進軍させたのも不思議な訳。
156 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 18:20:34 O
ベルリン死守は、ドイツがソビエトによって東側になるのを懸念してたアメリカを交渉の席に、引っ張り出す為の時間稼ぎでしょ? しかもベルリン近郊の軍を指揮する将軍は、ヒトラ-のベルリン死守の命令を無視した結果の悲劇。
バルバロッサ作戦はヒトラー個人の命令によるものだが、 冬季装備の用意がなかったのはドイツ陸軍上層部の意図的な 手抜きと言いたいのだろうか?その根拠は?
158 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 19:16:39 0
てか、バルバロッサはそもそも冬になる前に終わらせるつもりだったわけだから。 ひょっとして釣られてる?
160 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 21:54:22 O
ヒトラ-は、何かに生きずまると短絡的に自殺をほのめかす様な所があった国内で突撃隊(SA)を使ってデモを起こし失敗した時も自殺しようとした。このデモ隊の中にヒムラ-やレ-ムもいた。 モスクワ陥落が寸前の所で失敗に終わったヒトラ-は気が狂ったようにアメリカに宣戦布告する。 日本がアメリカへ宣戦布告してアメリカを欧州からとうざけた。アメリカにはドイツに宣戦布告する理由はなかったにも関わらずに自殺行為に走った。 陸軍の一部の人間はモスクワ陥落が失敗するとヒトラ-が命を絶つと思っていたのでは? ベルリンでのヒトラ-の自殺には誰も驚きもしなかったみたいだしね。
161 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 23:19:53 0
>>152 ありうる選択肢の可能性とそれに向かっての努力とその費用対効果の
話しをしてるわけ、要するに外国の歴史から何を学ぶかと言う意味
その蓋然性の高低に関する議論はしていないし、するつもりもない
そんなのはとうの昔に結論出てるんだから
162 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 00:19:57 0
で…フィンランドから日本は何を学びえたと思うの? 前提条件から国内状況までまったくと言っていいほど違うが。
>>160 枢軸版ヤルタ会談が必要だったか?
親独陸軍から話を通して、日本の対ソ宣戦と引き換えに提示しても良かったろうに。
モスクワ断念でヒトラーの何かが完全に壊れたな
極東ソ連軍はモスクワ防衛に戦力を抽出されたが、戦力比としてはほとんど変わってない。 すなわち日本軍の圧倒的不利。 仮に北進したとしてもウラジオすら落とせず立ち往生するだけ。 そんな状況で対ソ宣戦したところで何か意味が?
>160 セバスティアン・ヘフナーがいってた「ヒトラーは41年冬に敗北を確信して刹那的になっていた」説と デヴィッド・アーヴィングの「独軍首脳は開戦直後からヒトラーを敗北させようとしていた」説の奇妙な混合だな。 いやまぁ……がんばれ。
167 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 01:09:40 O
ヒトラ-は、ロシアとアメリカの不和を呼ぶ為にアメリカに宣戦布告したのか? それとも敗戦後の統治者としてアメリカを選んだのか? 結局モスクワを落とせずにイギリスとロシアを相手にするのは不可能と悟ったんだろう。
フィンランドを勝利とするならノモンハンも日本の勝利だな。 ノモンハンも一方的な敗北ではなく、 フィンランドの対ソ戦並みに善戦したのは知っての通り。 兵力差、火力、機械力装備、補給等全てにおいて フィンランド以上に不利な状況。 しかも本国からフル支援受けてたフィンランドやソ連と異なり、 日本政府は中止に追い込もうとしてたさらに厳しい条件。 優位な国境線確定は南部方面のみなど、不十分ににしか達成できなかったが、 その手の事言うならフィンランドも同じ。満州では1945まではソ連の侵入は防げたし。 中国並みに脆くボロ負けして弱いと思われてたら、 敗戦以前もっと早くか、もしくはその場でそのまま雪崩れこまれて 戦後の勢力地図も変わってたかもしれない。 あの不利な状況で自軍以上に損害を与え、ジューコフに「生涯で一番苦しい戦いだった」 と言わせるぐらい善戦してんだから、 たとえどれだけ日本軍が損害出してようが、戦後の戦略目標が不十分だろうが、 フィンランド支持者が対ソ戦での戦術面での善戦、勢力差などを考慮して、 「フィンランドの勝利」と評価するのと同じく、ノモンハンにおいて 「日本はソ連に勝利した」と判断するのが当然。 そしてこれはフィンランドの支持者が真っ先に主張すべきものだな。
169 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 08:16:30 0
「最終的に負けた」「その国家が消滅した」から敗北、無意味とするなら ソ連も冷戦に敗北して国家そのものが消滅してるから独ソ戦の勝利、 その他の事跡も敗北であり無意味。 バルト三国の併合には「一時的に成功しただけ」で結局は独立されて EU加盟されてるから当時のソ連の勝利は一時的で無意味であり結局失敗になる。 ナポレオンなんかも最後は対外戦争に失敗して対外領土は全て失い、 本国占領され帝国そのものも消滅してんだから、 あの華々しい勝利の数々も全て敗北であり無意味と評価するのが当然って事に。 独ソ戦で負けてたらどんな目にあってたか分からない、 守ろうとした国家が最後に消滅したとしても、 その時点では勝利だ、歴史の道程に影響を与えた歴史的意義を認めるなら 日本も同じ。1945以後はもはや大っぴらに勢力拡張できず、結局ソ連は東アジアに有力な地歩を 築けぬままで終わった。これはロシア時代から日本が彼らの勢力を駆逐し、 その侵略を防衛してきた歴史を結果が反映している。 ソ連化した時点で東アジアに広範に勢力占める事態になってたら 歴史上の勢力地図はどうなっててたか分からない。 日本が歴史を動かした結果だな。
じゃあ今後日本がもしロシアに占領されたらなんて言うの? 満州へのソ連の侵入を防げたのはノモンハンの結果云々以前に1941年4月の 日ソ中立条約が大きかったのでは。 ソ連だってドイツと戦っているときにいかに優勢な戦力を貼り付けてあるとはいえ 裏口の極東で騒ぎを起こされたくないし、日本だってどうせ北進しても勝ち目がないなら 南進に集中して北はしばらくおいておこう、となったわけだし。 ともに大局的に判断して局地での紛争を回避したのであって、ノモンハンを 「日本の勝利」なんて言うのは言いすぎだと思う。
歴史はまだ終わっちゃいないのだぜ…
172 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 15:11:50 O
最終的に民族の生存競争に勝つには他民族の絶滅しかないて事?
173 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 15:35:48 0
この勝負、先に動いたほうが負けってことかな
日独は常に先制機動して主導権をとっていないと負けてしまうのだが。 それに後の先を取るのはもっと難しい。
>>173 意図的な後付け厨を潰すには今は静止だ。
敵の一手を待つ、
176 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 05:14:13 O
あげ
先制短期決戦主義で大国に勝った例って何がある?
178 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 09:29:59 0
官渡大戦
逆にペロポネソス戦争は長期に渡りながらも 圧倒的小国のスパルタが…
赤壁戦では、孫呉水軍がわざわざ長江を遡っていき、 先制攻撃を加えてただ一戦で曹魏軍を撃退している。
>じゃあ今後日本がもしロシアに占領されたらなんて言うの? さあね。未来なんて誰にも分かんないんだから何とも言いようが無い。 逆にロシアが消滅したり、日本がアメリカに勝ったり再度中国に 進出したりケースもあるかもしんないけど その手の未来に関する仮想戦記は歴史板でやることじゃないしね。 あくまで過去の歴史的事実についてあれこれ述べる板だ。 >ともに大局的に判断して局地での紛争を回避したのであって、 ただの局地的紛争にするなら、同じく、日本の敗北とか惨敗とか言ってる連中も間違いになるね。 お互い勝敗なしのただの小競り合い。
182 :
世界@名無史さん :2006/06/21(水) 13:38:31 0
勝敗をつけるなら、ソ連も最終的に消滅したとしても 独ソ戦の勝利はナチの手から国を救ってて 歴史的意義あると思うし、その時点での勝利は間違いない。 ナポレオンも最期は敗残で敗残の身だが、過去のその時点での勝利は勝利であり 高く評価されてるのは周知の事実。 フィンランド(=不十分な勝利で、首都も陥落間近となって講和を受諾)でさえ 勝利という評価なんだから、日本軍も同じく、 結果が不十分だろうがなんだろうが、フィンランドに劣らず十分に善戦し、 満州国の防衛とソ連の侵入を防ぐことに成功してんだから 「日本はソ連に勝った」とするのが正しい。
ノモンハンの日本も冬戦争のフィンランドも善戦したが、 日本の奮闘は政治的に枢軸国のもので賞賛できない。 一方のフィンランドは英仏が救援軍の派遣を一時検討したほど 連合国側からも受けがよかった。
>連合国側からも受けがよかった。 ここが肝だな。やはり勝った方に支持されないと あ、ソ連も連合国か・・・・・・・二次大戦最大の失策
>>177 日清日露は?
大国という差ではないが普墺、普仏なんかも先制短期決戦主義の好例
186 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 06:24:57 0
>>183 そりゃ日本と違って利害関係がないもん。
>>186 英仏の反共主義のすごさを知らないのか?
>反共 日本帝国も満州統治の目的の半分が防共にあったというに 当時の米国はその重要性をどれだけ分かってたのか
189 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 15:47:51 0
両大洋にはさまれた米国民にとってはファシズムの恐怖も コミュニズムも恐怖も相対的にかなり対岸の火事感覚でしょう
191 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 19:17:43 0
日本のソビエト相手の善戦はファシストの醜い悪あがきであり、 フィンランドのソビエト相手の善戦は愛国的なフィンランド人の勇敢なる奮闘である。
192 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 20:07:15 0
>>88 だから最初は、東洋の猿の横暴を結構我慢してあげたんだよ アメリカとしてはかなりね
その後、日本軍仏印駐留
( ^ω^) んー…
(⊃⊂)
(^ω^;)⊃ アウアウ!!
⊂ミ⊃ )
/ ヽ
逆説的には三国同盟までは ⊂( ^ω^)⊃ セフセフ ミ⊃⊂彡
モラルとバランス的には満州事変までセーフ 国際連盟脱退でダブルプレイでアウト 南部仏印進駐でスリーアウトチェンジ。 その後延長戦にはいり 18回裏 米国の攻撃 ソ連仲介で見事なサヨラナ負け
195 :
世界@名無史さん :2006/06/23(金) 22:23:51 0
モラル的には国際聯盟脱退は正しい。 ルールを守らず脱退するほうが、脱退せずに違反を繰り返すよりモラル的にはよっぽど上等。 少なくとも聯盟に加入しなかったくせにオブザーバーとして文句つけてたアメリカなんかよりはな。
そうか?やっぱり、「日本は非難されると耳をふさいで逃げ出す、対話のできない国だ」 という見方を世界に植え付けてしまったんではないの?
>>195 確かにそうかもな、40年に大西洋憲章とかブチ挙げて事実上連盟を潰したし
連盟はすでに39年12月に活動を自主的に停止してますがなにか?
ていうかまず>40年に の部分にツッコミをいれるべきなのでわ。
200 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 16:20:03 0
ニュースの考古学/オイルショックへの想像力−東條英機と人造石油
猪瀬直樹
週刊文春 2006/06/29
↑
これによると、米国は日本がインドシナ進駐したのを口実に石油禁輸したといわれるけど、
実際には、独ソ開戦の前日に「石油製品輸出許可制」によって実質的に禁輸しており、
それ以降、一滴も石油を輸出していないらしいな。
そして、日本軍は南進。
日本軍の北進を阻止するとともに、対米開戦に引きずり込むのが狙いだったんだろう。
米国が独ソ戦前日に実質禁輸して、東條陸軍大臣らが、
南方油田占領に乗り出さざるをえないという感じの会話をしたという話は、
この本に載っているそうだ。
↓
『日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦』 猪瀬 直樹 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093942382/249-4484337-0308343
ところが米国から乳していたガソリンや重油、原油の質は良く 南方資源地帯の油質は最悪だったという話もあるな。 S19以降、油系の揮発が原因で爆沈が多いのはこのためである
×乳 ○輸入
蘭印の油田は敵が降伏前に破壊することを予期して開戦前に修理用の掘削機械を 購入しておいたんでしょ? アメリカから。
兵器を作るための工作機械も事前に大量輸入すべきだった。アメリカから。
205 :
世界@名無史さん :2006/06/26(月) 06:40:47 0
金がない。売り物もない。
たしか真空管を駆け込みで大量に輸入したんじゃなかったかな。アメリカから。 ゼロ戦についてた無線帰投装置(電波による方位指示装置)も そっくりそのままアメリカ製だった。
>206 それって何?単座の零戦にはそんなもん最後まで付いてなかったんじゃ? 新史料でも出たか?
>>207 零戦が装備した「クルシー無線帰投方位測定器」は、広い洋上を行動する上で
自分が向いている方向を探知するのに必要なものだったがこの種の艤装品も独自のものが
開発できなかったから、アメリカのフェアチャイルド社が対日禁輸令発布以前に輸出していた
クルシー式RC-4型をコピーしたものを昭和13年に制式採用して使っていた。
こちらはそれなりに使えたようだが、終戦までついに新型が現れないままであった。
スレ違いだぞ〜。にしても、戦前の日本の基礎技術のなさには唖然とするけど。
>>298 原理を知っているならなぜ新型を開発しなかったかわかると思うが。
母艦に電波を出してもらうという性質上、母艦の位置を敵にも知らせることになる。
史実でも敵に発見されることを恐れて母艦から発信しなかった、なんてことがあった。
>>210 私には戦前の日本の歴史の歩みを知らぬキミの無知の方が唖然とするけどな。
ttp://www.yokohamaradiomuseum.com/navy3.html 「1式空3号無線帰投方位測定機」
Model 1 "Ku" Mark 3 Radio Direction Finding Set
本機材は3座以下の航空機搭載用無線方向探知機である。
米国のFarchild社製の無線方向探知機を国産化したもので、
当初装備された輸入機材はクルシー式空3号無線帰投方位
測定機と呼称されていた。大戦を通し、零戦、99艦爆、97艦
攻、彩雲、天山等局地戦用航空機を除く殆ど全ての機体に
装備された。
受信周波数:長波170-460KHz,中波450-1,200KHz
受信機構成:スーパーヘテロダイン方式(13球)
電源:直流変圧器(入力12V)
空中線:枠型(ループ)回転式及び固定式(方位決定用)
役に立たなかったわけではなく、コピーで十分機能した、ということらしい。
あと、誘導電波が実際に米軍に探知されて母艦が発見されたというケースはなかったはず。
マリアナ沖の時は海戦前、 哨戒偵察に出た迷子天山1機の為に 艦隊は探照灯を空に掃射。 後世言われた小沢の深情け 米潜水艦は電波を出さない小沢艦隊の位置を潜望鏡深度で目視し追跡 五艦隊に58任務部隊に通報していた
傍受を恐れて電波を出さなかったのはダッチハーバー空襲の時の 第4航空戦隊のはなしでしょ? マリアナの時は小澤艦隊は敵潜伏在海面を行ったり来たりしてたために 発見されたのであって探照灯照射の光芒が発見されたのではない。 大体潜航して8ノットがやっとの当時の潜水艦が常用18ノットの空母機動部隊を 潜望鏡深度から追跡なんかできるわけない。いい加減な知識で書き込まないこと。
>>215 うわぉ、つっこまれた!
しかし、米潜はチームプレイをやっていたわけで
単艦で追いかけていた訳じゃないわけで。
ところで、いつから太平洋戦線に
数をそろえたところで8ノットの潜水艦隊が18ノットの機動部隊を追跡するのは無理。
219 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 13:39:21 0
小沢艦隊は集結地のタウイタウイ泊地にいたときにすでに敵潜に包囲されていた。 しかし艦隊の出撃は通報されたものの、追尾はされていない。 その後さらに敵潜に見つかってしまったのは、馬鹿正直にマリアナ諸島への直行航路を つかったため。 しかしこれもそもそもは機動部隊の燃料が十分でなかった(必要な給油船を用意できなかった) からで、要するに当時日本の戦力は艦隊決戦をおこなえないほどすでに低下していたと言うこと。
ついでに油の逆算つうのも有名か 一回こっきり、出たらやり直しが利かないし 最悪な事にマリアナ列島の東側へは行けない だから、グアムにこだわった。
221 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 18:07:40 0
| ┃彡 , -.―――--.、 | ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ | ┃ .i;}' "ミ;;;;:} | ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:| | ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ┃ | ー' | ` - ト'{ | ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ | ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / ぼまいら… バンッ!! | ┃ | ='" | < この忙しい時に!! | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ | ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \ | ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ☆
バルバロッサ作戦もう始まってたね、何周年かな?
では恒例の、もし4月にソ連侵攻を開始していれば?ってやつにいきますか ↓↓↓
六週間で制圧するんだ!
>>216 図星だからって他人を誹謗中傷するなよw
二ヶ月ずれたと言う事は天候もズレる事になるな、仮に上手く行ったとして 中央軍は冬に耐えられる?モスコー駐屯で?基本的に東方植民が目的だから 冬の装備は後方から来ると考えてよろしいか?
無理。 スモレンスク以東への十分な輸送はドイツ軍の兵站では不可能と結論が出ている。 何月になろうがモスクワは落とせないし、ドイツの負けは変わらない。 むしろスターリンが軟化して講和を結ぶ可能性を考えたほうがいい。 史実でも何度か和平を提案していたしね。ヒトラーが一蹴したが。
マイヤーの擲弾兵では、東部戦線最初期では耐寒装備が支給されなくて、 仕方ないのでソ連兵のコートや帽子をぶんどって着ていたという描写があった。
しゃにむにモスクワだけを目指す事自体無駄といえます。まずウクライナの確保に全力を挙げるべきでしょう。 42年に軍需生産を破綻させたいなら話は別ですが。 そういえば今日は青作戦が開始された日ですね。
>>227 >ヒトラーが一蹴したが。
やはり、伍長が一番悪い!
「勝っている」と思っている時には中々講和は難しい。 日本もトラウトマン工作で失敗している支那 42年の微妙な時期に成立していたら面白かったんだが。
イケイケで講和に応じる機がなさそうだw
その程度じゃ英の方が乗ってこないだろ? 肝心の太平洋戦線の方は 決戦主義を続けて米側の妥協機会を待つのが陸海軍の基本原則だった以上 一度でも米側が素振りを見せれば軍官とも飛び付いていた。 原爆投下まで遂に好機は訪れなかったが
インドが転覆しない限り、英は乗ってこない罠
インド脱落の脅威を与えるために仏印あたりに兵力を持ち込むのが一番いい
そうやって中途半端に怒らせるのが最低最悪の鬼手
仏印進駐が英米との対立を決定的にするって言う認識、どこまであったんだろう? って、ここ独ソ戦スレやんか。
松岡洋右と海軍の南進派以外ほとんど全員ない。
仮に日本が英米と講和しても単独講和で、残った独伊が連合国にボコられることに かわりないのでわ? 独伊が講和できた場合も同じようにやはりあっさり日本を見捨てそうな希ガス。
実際、三カ国とも個別に講和したしねw このスレ的には独ソ単独講和か。 フルシチョフの言葉が真実ならスターリングラード戦で押されてた時に打診したらしいが、 どういう条件で打診したのかな?
あのフルシチョフの肉声テープからのソースか?
講和なら独ソ戦開始から1943年まで何度か交渉していたけどね。 どれもそれぞれの主張がすり合わせられずに決裂しているが。
前スレかどこかで、リッベントロップがソ連との和平を提案したときに ヒトラーが「どうせソ連とはいつかは雌雄を決することになるのだから」と 拒否した話がでていたが、それにしてもとりあえず和睦して、もうちょっと 有利な時期になるまで待つというような選択肢はなかったものか。
ウクライナ資源を確保した時点でひとまず休戦?
できればそれにプラスして残存ソ連からも各種資源を輸出して欲しいね。 あと、フランスとの間に交わした「捕虜を送還するかわりに労働者を提供」協定と同じものも盛り込みたい。 対米英戦争を戦うとすれば資源と労働者は幾らあっても余るということはないし。
>しゃにむにモスクワだけを目指す事自体無駄 >首都陥落による終結 特に軍人が陥りやすい罠だな。 ビスマルクも軍人のこの志向には手を焼いた。 首都占拠したら自動的に勝ちでになるわけでもないし、 占拠しなかったからといっても敗北にもならない。 占拠しないで勝てるに越した事ないけど、軍事や戦術的価値にばかり囚われるからだろうな。 日清戦争時、日本軍は北京攻略はできたが、 伊藤博文はあえてそうしなかった。 首都陥落による清朝の瓦解や混乱による速やかな講和締結が困難になり、 長期化して戦況不利になることと列強の容喙、 首都が奪われることによる対日ナショナリズムの 激化などを慮ってあえて山縣を更迭のような形にまで追い込んで 威海衛へ目標転換させた。
その時の事態に依るだろうね<首都 アイゼンハワーのいきなりの南ドイツ進撃。 東西ドイツ分割の悲劇の根元此処に有り
250 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 21:04:35 0
既に組織的戦闘力を喪失した北洋軍閥撃破して戦術的勝利誇るよりも 戦略的、外交的に広い視野に立って決断下した伊藤は賢い。 戦略的思考の優秀さ 伊藤博文>ビスマルク>>>>大モルトケ>>>>>七三分けキ印元伍長
>>250 >既に戦闘能力を喪失した部隊は意味無し
クライゼビッツかマキャベリか孫子かで解釈が異なるな。
包囲殲滅
クライゼビッツ 肯定
孫子、マキャベリ 否定
理由 クライゼビッツの時代では大砲の威力が著しく増加した為。
252 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 22:06:39 O
カチューシャいいね ロケット戦車
スターリンのオルガンとも言うね 面制圧には効果的、シュンシュン火花上げて飛んでいく様はなかなかだが これがベルリンならお笑いだが、満州でもされたからなぁ。
ネーベルヴェルファーも忘れるな。
カチューシャといえばトラックにロケットランチャー積んだだけの車両か まさにソ連の数で勝負のスタンスを体現した兵器
256 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 07:50:55 O
なぜドイツはソ連なんかに侵攻したの?。
総統が ゲルマン人の生き延びる地は南ロシアであると訳の分からない本を書いたのが始まり
アーリア版シオニズムみたいな物?
>>259 『我が闘争』を読むべし。和訳が出ているから。
とうに読んだよ。総括すると
>>257 の通り、
他所の国を自民族の楽土としてるいかれた書物。
都合の悪いユダヤ人と共産主義は同一視して絡めてると
なんて書いてあるんですか?>我が闘争本 「木を大切にしようだ……」 「無知と偏見は人類の大敵なんだよ!」ガツゥ こういう本は再生紙で十分だ…木を倒してまで刷る本じゃない
南ロシアというとレニングラード・ウクライナあたりだが、 兵站補給を考えるならこれらの占領はまったくもって合理的で常識的な判断と言える。
我が闘争って初版が1925年。まだナチが権力取る以前に書かれた本。 どこまで信用していいやら。
とりあえず、レニングラードを「南」ロシアとはいわないと思うが、 ドイツが戦争を続けていくためには東方の資源が必要だった点には同意。
ウクライナの穀倉が重要
267 :
世界@名無史さん :2006/07/03(月) 21:54:17 0
>アメリカにはドイツに宣戦布告する理由はなかったにも関わらずに これは俺も思った。 優勢な海軍力等活かして戦術的勝利を収め、それを講和に結び付けて 懸案の中国問題から手をひかせてケリをつけるって日本の姿勢が 自暴自棄とか頭おかしいって事になるなら、 参戦義務も無いのに宣戦し、米ソという当時世界で最強の国力と 軍事力を持つ超大国両方を同時に相手にし、 しかも泥沼化してる一方とは妥協せずに 絶滅するまでやるっていうんだから 伍長ならびにドイツは世界に類例の無い、戦略性ゼロの基地外ってことになる。
目くそ鼻くそを笑うと言うことを知らなかった
>>264 当時のベストセラーになっているから、信憑性の問題ではなく、
大衆の間にユダヤ=悪という印象を流布したという点の方が問題なのでしょう。
てか、41年夏から独米は事実上戦争してるだろうに。 >269 どっちかというと反ユダヤ主義については受け売り部分が多いと聞くよ。 二十世紀はじめにウィーンで流行った東方ユダヤ人に対する反感を引き継いだみたいだね。 シェーネラーとかあの辺の連中からの流れ。それにあの本がベストセラーになったのは、 むしろ政権掌握後の「新婚家庭に一冊備える(贈る)」という圧力のせいもあるし。 買った=読んだとは限らないからね。あと、総統自身や側近も「あの本だけで判断はされたくない(できない)」と発言してるし。
ナチスの主張の大半が受け売りなのは事実で、 しかも第1次世界大戦後のドイツでは世紀転換期のウィーンに輪をかけて、 そうした大ドイツ主義や反ユダヤ主義が流布し受けいられやすい状況が 生じていたと言うことでしょう。
272 :
世界@名無史さん :2006/07/06(木) 15:27:47 0
ユダヤ=悪の印象って、それこそベニスの商人以前からあるような。 資産家だけど国家とのつながりが薄いというのは蔑まれるには充分では。
ローマ帝国、それもキリスト教以前の時代からな。 当時だと「保護は享受するが義務は果たさない」的な姿勢が嫌われた理由だったとか。
ナチスが反ユダヤ主義を流布したってw めちゃめちゃレベル落ちたな。 ●買って過去ログ漁れば。
そろそろ短縮か。 先生!東部戦線に短縮攻撃期という期間はありますか!
そういえばナチス擁護厨が徘徊してスレが荒れた時期があったかな
ま、幼い時期だとそういうのに被れて火傷しますな。 で、よしよしと同時にお尻ペンペン。 ドイツは二度されてようやく分かったらしいけど 日本はまだ一度しかされてないからなぁ。 ところで6年目つうことで点呼 おれ二年目後半より配属、レニングラードの包囲戦から 中央軍へ移動してきますた! 今度はスターリングラードつう話ですが ここなぞ一撃し陥せばスターリンを吊るし上げる決定打と 伍長殿からきいてまいりました!
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。 半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。 もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。 脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、 脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。 そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。 私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっくりした。
279 :
世界@名無史さん :2006/07/23(日) 16:50:10 0
BS世界のドキュメンタリー「ドレスデン大空襲」
〜2005年 ドイツ ブロードビューTV制作〜
第二次世界大戦末期の1945年2月13日と翌14日、ドイツ東部の古都ドレスデンに対し、
連合軍による大規模な空襲が行われた。ドレスデンを文字通り壊滅させたこの空襲を、
当事者のインタビューと再現ドラマでつづったドキュメンタリードラマをおくる。
地上や地下を逃げ惑い九死に一生を得た人々の証言と、上空から爆弾を投下した元爆撃隊員の
証言、そしてリアルな再現映像を通じて、戦争の悲惨さを浮き彫りにする
チャンネル :BS1
放送日 :2006年 7月23日(日)
放送時間 :午後10:10〜午後11:55(105分)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p/001/11-06441.html
280 :
世界@名無史さん :2006/07/24(月) 01:28:51 0
サカキバラがもっとも強く影響を受けたのはナチスドイツのヒトラー このことからもナチオタのレベルが知れるね
>>279 なんでもっと早く教えてくれなかったんだ。見逃したじゃないか。
282 :
世界@名無史さん :2006/07/24(月) 14:40:58 0
またあるよ 戦争ドキュメンタリ5-6連発の週があって そのとき再放送される それに通常の再放送もやる場合があるし
赤軍によって破壊され尽くしたドイツの街並と無差別報復による大量のドイツ人の惨殺死体、 前線から脱走する兵士を憎悪で歪んだ表情で死刑を宣告し、吊るし首に拍手する赤軍政治将校、 そして帝国議事堂に赤旗を翻す赤軍、爆破されるハーケンクロイツのエンブレム、 勝ち誇った表情でポツダム宮殿の会談に臨むスターリン・・・
284 :
世界@名無史さん :2006/08/04(金) 18:06:12 0
age
285 :
世界@名無史さん :2006/08/04(金) 18:38:27 0
初歩的なことで済まんが、独ソ戦におけるソ連の死者2千万人というのは、 正確な数字なんだろうか。 日中戦争における中国の死者について、中国政府が言う数字は、どんどん 膨れ上がり、近年では3500万人と言っているが、これはもちろん嘘。 戦争終結直後に国民政府が発表した、軍民合わせて死者130万人という数字 が事実に近いらしいという記述を読んだことがある。 ソ連の2千万人も、共産党のプロパガンダという可能性はないのかな。
286 :
世界@名無史さん :2006/08/04(金) 18:50:58 0
支那共産党政府がいう「被害者3,000万になんなんとする」ってのは彼らが起こした 大躍進や文化大革命を力ずくで抱き合わせて、全部日本のせいにしてるだけ。でソ連の は焦土作戦や無理な戦略での餓死なんでないの?大粛清の被害者なんかもいるだろうね。 で、それらをゴミ箱に捨てるゴミのように敗戦国に押し付けている。ということは政治的な 話であり、あと50年くらいは真相を知ることの出来ない歴史なんでしょうよ。
>>285 ソ連の場合グラスノスチがあったからね。
崩壊後の資料が出ているからその数は信頼に足ると思うが。
犠牲者の内訳が主にスターリンの粛清と失策に起因しており、 ロシアは独ソ戦争における被害の責任をスターリンの失策に向けている。
289 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 03:03:36 0
もっともスターリンの粛清人数5000万云々も捏造みたいだから 余談だが、ソ連が犠牲を多く払ったのは事実として 数が誇張されていたのは、戦後英米との外交を有利に進めるためにも必要だから あったと思う。でもいちいち非難することじゃない
誇張どころか実際には独ソ戦の被害を英米に対しスターリンは800万と称し、 できるだけ少なく見せて人的資源の枯渇の弱みを見せないように務めていた。 2千万を発表したフルシチョフのスターリン批判の1956年の段階では 人的資源が回復していた。
やれやれ収容所送りになった人間は死んでも利用されるってわけか。
292 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 03:27:07 0
別に死人を利用するなんて歴史的にも珍しくないがね ドイツだって、伍長が忠実に自分に仕えてきた腹心を自殺させて その死をちゃっかり利用しているしね。
293 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 18:22:18 0
スターリンも腹心の死を利用して トロッキー派を一掃したよね まあ、故意に殺してたわけじゃないからヒトラーよりマシなんだろうけど
294 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 19:51:56 0
腹心って誰 キーロフのこと? またソース厨が出るだろうけど、実際確定的証拠は無いが、 誰がどうみたって、暗殺はスターリンが指示したとしか思えんが
295 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 21:28:15 0
| ┃彡 , -.―――--.、 | ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ | ┃ .i;}' "ミ;;;;:} | ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:| | ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ┃ | ー' | ` - ト'{ | ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ | ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / あれは バンッ!! | ┃ | ='" | <わしのたくらみじゃ! | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ | ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \ | ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ☆
296 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 21:50:15 0
証拠がないんじゃ スターリンが指示したとはいえないぞ キローフって誰か知らんけど おそらく文脈から、共産党大会でポックリ逝った人のことだろうかな 演説中にハッスルしすぎたのか、毒かしらんが なんにせよスターリンにとってうまいタイミングで逝ってくれたよな でも現実的に、持続性の毒など暗殺されたとしてそううまくタイミングよく 演壇で死んでくれるのかな。 今の段階でも心臓発作かなんかがまだ主力説だと思うけどね
>持続性の毒など暗殺 まずありえん。 そんな都合のいい毒はない。心臓発作が自然
299 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 23:21:46 0
| ┃彡 , -.―――--.、
| ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ
| ┃ .i;}' "ミ;;;;:}
| ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:|
| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
| ┃ | ー' | ` - ト'{
| ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
| ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' /
>>296 バンッ!! | ┃ | ='" | <おまい…
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
300 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 23:53:56 0
味のある釣りに堪能させられました
301 :
世界@名無史さん :2006/08/12(土) 03:15:55 0
>>296 の言っているのはキローでなく
ジェルジンスキーだと思う
ジェルジンスキーの死因は心臓発作で正解
302 :
世界@名無史さん :2006/08/13(日) 00:31:32 0
俺の嫁が訪ソ青年の船で乗船したのが「ジェルジンスキー号」 キローっていう男は知らんなw
303 :
世界@名無史さん :2006/08/29(火) 00:19:29 0
俺は、グーグルマップの航空写真でクレムリンを捉えたぞ!
304 :
世界@名無史さん :2006/08/31(木) 18:59:48 0
>>303 まじで空中からの情報収集って大事なんだよな
社会主義国ソ連にあっては、人の出入りも容易ではない
1940年だったかに伍長が空中偵察の命令を出してるよな、これもかなりの冒険だったんだけど、
後の冷戦時代にアメリカがやったU2型機の偵察と似たようなことを既にドイツがやってたってわけだな
それでも独ソ開戦前、ソ連に対する情報があまりに少なかった
この敵情の不透明が、後に伍長が軍をモスクワではなくキエフに向けさせた一因だというのが個人的な見解なんだけど
どうだろう
独ソの軍事交流はけっこう活発ではなかったか?
>>305 >>304 へのレスということでよろしいでしょうか
開戦前、一定の交流があったのは事実
通商協定に基づき、巨額のマネーが行き来していた
ソ連からは軍備に不可欠な資源、ドイツからは重巡が送られたりもしていた
しかし、交流とは、自軍の編成、配置を相手国に晒すことではない
開戦時、ドイツはソ連軍の擁する正確な師団数、後に戦線の兵士を悩ますことになる
秘密兵器、T34やカチューシャの存在も知らなかった
(秘密なんだから当たり前だけど)
蓋を開けてみたら、ソ連てけっこうスゴいんじゃない?ということがわかった
ついでに言えば、ウラル以東なんてまさに未知の領域といったところだろう
それらの点で、ソ連の潜在的軍事力は計り知れないものがある
そんなの相手に突進するのが怖くなった、
というのが実情だったんじゃないだろうか
>>306 なるほど。
たしかにソ連の軍事力を甘く見過ぎていたことに
ドイツは開戦後まもなく気づいてかなりショックを受けていたからなぁ
死傷者数100万?とかいう数字も早々と出ていたし。
>>306 確か軍事交流の時はソ連使節団には、全部隠さず見せてやれとの伍長命令。
軍部は渋々、新型のW号戦車の改良型まで全部見せたが
ソ連側の軍人は不服な顔つきでこう言った「まだ全部見せて貰ってない」
ここでドイツの将校は、ソ連にW号を越える強力な戦車があるのではないかと感づいた。
時に1940年であった。
>>307 そればかりか、グデーリアンが「戦車警報」で“ソ連戦車は1万台”と報告したところ、
司令部はこれを一笑に付したとのこと
彼がわざわざ数を少なく報告したにも関わらず、信用されなかったらしい
>>308 その話はどこかで聞いた気がするなぁ
確かにソ連にはKWだのT34だのがあったということを
開戦後に知ったということで
参謀本部のソ連軍過小評価はいかがなものか
フィンランド・ソ連戦争からの判断なんだろうけどさ
補足だが、ソ連軍事使節団の挙動に不審を抱いたものの 結局、実戦に役立たれることは無かったそうな。 そんな戦車があるとは到底思えず、ブラフだろうと。 感づいたたのはほんの一部、しかも彼らもまさかねと楽観。
実際T34を見たドイツ将兵はただただ感嘆するばかりだったという もし緒戦からソ連が戦車の集中運用をしていたら…恐ろしい
>>311 泥沼にはまらず、講和できていたかもしれないよ。
しばらく覗いていなかったら、 仮にも世界史板のソ連関係スレでキーロフ暗殺事件やラッパロ条約について 論議ではなく説明がされるような状態になっているとは…… いやはやこれが夏季攻勢というものか。
314 :
世界@名無史さん :2006/09/03(日) 15:51:31 0
| ┃彡 , -.―――--.、
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| ┃ .i;}' "ミ;;;;:}
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| ┃ | ー' | ` - ト'{
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| ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' /
>>313 貴官の使命は
バンッ!! | ┃ | ='" | <敵の攻勢を阻止することである!
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
ん、もう九月だよ?
さて青作戦だべ、軽く行ってみるか。
側面が問題だけどね。
側面は同盟国軍が守ってくれるさ、多分な。 司令官『伝令!側面ルーマニア軍の後方に1個戦車大隊と1ッ娘歩兵大隊派遣!固めとけ!』
■スターリンの偉大さその一■ 敗戦直後のボロボロの日本について「30年もあれば完全に復興し再びロシアの 脅威になるであろう」と語っていた。また日本を客観的に当時分析できた数少な い人物の一人である。 ■スターリンの偉大さその弐■ ソビエトの技術者達の多くは多塔砲戦車の政策に熱心であったが、軍事的天才 であったスターリン同志は「君たちは戦車の上に百貨店をつくるつもりかね」 といい多塔砲戦車を否定した。その後の戦史を見ればスターリンの先見性が わかるというものである。 ■スターリンの偉大さその三■ 権力奪取、ヒットラーの突撃隊の粛清の話を聞いて「ヒットラーという奴は たいした奴だ!」と感心していた。イデオロギーの枠にとらわれないで人を みることのできる度量の大きな人物であったのである。 ■スターリンの偉大さその四■ スターリンは中華人民共和国の成立をあまり喜ばず、「中国は国民党政権下で 弱いままでいてほしかった。」と語ったという。スターリンとしてはロシアの 安全保障と国益を第一に考え周辺国は弱諸国ばかりあってほしかったのだ。 その後の中ソ対立の流れを見ると、スターリンの天才的な先見性が実証された 例の一つであろう。 ■スターリンの偉大さその五■ ナチスはヒットラーとデーニッツの2代で滅び、ソビエトはスターリン、マレンコフ 、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフと7代も 続いたこの差はまさにスターリンがソビエトの地盤を固めたからであり、建国者の 指導者の力量差であろう。
>1ッ娘歩兵大隊 女性部隊?
ハルダーが日記に「我々はソ連を見縊っていた。当初、ソ連の兵力を250個師団と見ていたが、 既に360個師団を確認している」とOKWの誤りを率直に認めている。
OKHな。
>>321 帝国陸軍と比べると、どっちにしてもとんでもない数に思える…
>>323 実際にはソ連軍師団の兵員数は大抵1万人前後と、日本軍師団の半分くらいしかなかったんだけどね。
まあどっちにしてもとんでもない数だし、師団どころか軍単位で壊滅しても新しい部隊が次々と編成される人的資源の豊富さは脅威だけど。
>軍単位で壊滅しても新しい部隊が これこそが真の近代型人海戦術かもな。
新編の部隊は言わずもがな、ろくに訓練もされてないが、 それでも“数の暴力”は脅威だな これはアメリカもドイツも日本もイギリスも真似することはできない
レンドリースのおかげで民需面をアメリカに大きく依存できたのが さらなる大動員を可能にしたよなぁ。まったく……あっちは「金の暴力」ってところか。
大戦末期にはソ連も人的資源に枯渇していたけどな。
329 :
ソ連情報局(SIB) 1941年9月20日夕方発表 :2006/09/21(木) 00:11:01 0
ttp://9may.ru/20.09.1941/inform/m3165 (要約)
わが軍はすべての前線で敵と交戦し続けており、とくにキエフ近郊で激戦
となっている。
ナチスは6月22日から8月31日までの東部戦線におけるドイツ航空戦力
の損失を公表した。嘘つきのファシストによると725機の航空機が失われ、
6,900人の搭乗員が死傷または行方不明となったという。だがこの情報
はそもそも矛盾を抱えている。6,900人も搭乗員を失っているのに航空
機の損失が725機で済むはずがないのだ。ナチスは航空戦力の真の損
失をドイツの国民に伝えていないので、ソ連情報局が代わりにそれを公表
しよう。戦争が始まってから3ヶ月の間に航空戦や対空砲によって、あるい
は飛行場で破壊されたドイツの航空機は8,500機以上である。これは離
着陸時の損失を含まない。
9月19日、ドイツファシストの航空機はレニングラードに対して複数の攻撃
をおこなった。ファシストの航空機がおもな攻撃目標としたのは集合住宅や
公共建造物、文化・医療・衛生施設であり、死傷者も出た。暫定的な報告
によるとわが航空機や対空砲は敵機を17機破壊した。
ファシストたちは赤軍捕虜に対して信じがたい残虐行為をおこなっている。
ロストフの村では重傷を負った5人の赤軍捕虜を情報提供を拒否したとい
う理由で吊るした。一人は逆さづりにされた。ミンスクの捕虜収容所では毎
日数十人の収容者が飢餓や虐待で死んでいる。
ウラルおよび東方の金属精錬技術者たちは業績をあげている。マグニトゴ
ルスクでは鋳鉄と鋼の製錬の効率がかなり改善された。クズネツクでは数
万トンの鉄鉱石やその他の原料が節約された。
8,500機ってのはさすがに多すぎないか?
戦争の最大の被害者それは真実だとかあるから気にしないぜ。 前進!目標ポルシェビキ人民の巣窟とその一派が収奪しているカフカスの大地!ゴゴゴゴ
332 :
世界@名無史さん :2006/09/21(木) 11:07:58 0
ロシアの泥濘について知らない者に 泥濘について語る資格はない。
333 :
世界@名無史さん :2006/09/21(木) 17:13:21 0
ハルダーってどう考えても戦争犯罪人なのに 何で戦後生き延びたの?
1944年のヒトラー暗殺未遂事件への関与を疑われて、終戦まで強制収容所(フロッセンビュルクとダッハウ)に投獄されていたから。 戦後は米軍の戦史編纂に協力しているし。 実際には計画は知っていたかもしれないが積極的には関わっていなかったし、ポーランドやロシアでのユダヤ人掃討も知っていたけど積極的に反対しなかった。 かなり過大評価されてたみたいだ。
失敗と犯罪は全部総統のせいにして生き残るのは国防軍の得意技だからな。
336 :
世界@名無史さん :2006/09/23(土) 01:45:37 0
19 December 1941,
Hitler take up Supreme Command of the Wehrmacht, Von Brauchitsch retire.
"Im Heldenkampf verloren"; 22 June till 1 Decembre.
Dead Wounded Missing
Army 158.772 573.082 31.191
Luftwaffe 3.231 8.453 2.028
Navy 310 232 115
Total 162.313 581.767 33.334
The number of Russian warprisoners are regarding this message
till now 3.806.860.
http://www.euronet.nl/users/wilfried/ww2/1941.htm
337 :
世界@名無史さん :2006/09/24(日) 12:23:33 0
Some thirty-two U.S. divisions fought in the Ardennes, where the
daily battle strength of U.S. Army forces averaged twenty-six
divisions and 610,000 men. Alsace added eleven more divisions to
the honors list, with an average battle strength of 230,000.
Additionally, separate divisional elements as well as divisions
arriving in sector at the end of the campaign granted participation
credit to three more divisions. But the cost of victory was
staggering. The final tally for the Ardennes alone totaled 41,315
casualties in December to bring the offensive to a halt and an
additional 39,672 casualties in January to retake lost ground.
The SHAEF casualty estimate presented to Eisenhower in February
1945 listed casualties for the First Army at 39,957; for the
Third Army at 35,525; and for the British 30 Corps, which helped
at the end at 1,408. Defeating Hitler's final offensive in the
Alsace was also costly; the Seventh Army recorded its January
battle losses at 11,609. Sickness and cold weather also ravaged
the fighting lines, with the First, Third, and Seventh Armies
having cold injury hospital admissions of more than 17,000 during
the entire campaign. No official German losses for the Ardennes
have been computed but they have been estimated at between 81,000
and 103,000. A recently published German scholarly source gave the
following German casualty totals: Ardennes—67,200; Alsace (not
including Colmar Pocket)—22,932. Most of the figures cited do not
differentiate between permanent losses (killed and missing),
wounded, and non-battle casualties.
http://www.45thdivision.org/CampaignsBattles/ardennes_alsace.htm Ardennes-Alsace
16 December 1944-25 January 1945
338 :
世界@名無史さん :2006/10/03(火) 19:42:37 0
やっぱり独ソ戦争の2700万という数値は戦争の死者だけでなく、スターリンの粛清やウクライナの飢饉の犠牲者も含まれてるのか?
勿論。というか膨大な犠牲の責任の大半をドイツの侵略よりも 寧ろ開戦前の無防備などスターリンの失策に帰している。
340 :
世界@名無史さん :2006/10/04(水) 13:30:32 0
>>339 スターリンの無謀な政策で無駄死した兵士は相当いるからね
実際独ソ戦争の戦死者は1600〜1700万というところか(残りは飢餓が粛清の死者)
「詳解独ソ戦全史」に掲載されている赤軍の人的損害は、 四半期毎の損害統計で戦死または行方不明の総計が1000万8434名。 原因別の損害統計で戦死・戦傷死・病死・行方不明及び捕虜の総計が1128万5057名。 統計の範囲が異なるのでこの二つの数字は一致しないが、おおむね1000万人の兵士が死ぬか行方不明か捕虜になっている。 これに負傷及び罹病による損失を乗せると 前者が総計2819万9127名。 後者が総計2962万9205名。 これに民間人の死者をどういう基準で乗せるかによって、犠牲者の数は大きく異なってくる。 また上の数字自体がソ連/ロシアの資料に基づいているので、何らかの操作が行われている可能性はある。 ただ、どちらにせよめまいがしてくるような莫大な数字だが。
何れにせよ、甚大な人的損害があったのは事実だな。 虐殺以前に、チョビ髭と鉄の男の作戦指導が……うん、外が騒がしいな
戦争に巻き込まれた非戦闘員の死者は700〜800万人に達する
革命後人肉売ってたからなぁ。>白軍VS赤軍 それはいいとして、ちゃんとソヴィエト政府は 確実に末端の人民まで掌握していたかが疑問だな。 また戦場での行方不明とは意外とどさくさ紛れの脱走が多いよ。
だいたい、補充だって奪回した村に男がいたら死んだやつの制服と銃を渡して……ってやり方だったんだろ? 軍籍の登録だってマトモにできていたかどうか怪しいのに、まして損害の正確な把握なんてできてたのかとは思うよ。
あれだ古代の戦いと同じ。 号して100万の将兵 そう言うレベルだろうな。 実際には20万前後
347 :
世界@名無史さん :2006/10/06(金) 19:19:54 0
酷い物には男が女の人口の3分の2しかいないような世代も存在した それに戦後ソ連全土で男の人口より女の方が1000万以上多かった
ソ連は戦後大量の未婚の母を出現させたというが。
何れにせよ、ある一面では生き残った男にとっては素晴らしい世界だったろうな。 買い手市場とはこの事かもな
350 :
世界@名無史さん :2006/10/06(金) 20:57:11 0
国富の3分の1を失ったので、たとえ男女比がハーレム状態でも 戦後の経済再建は苦難の連続だった。
パラグアイも国境紛争で男が殆ど死滅して やはりそういう状態だったかと>349 外国兵から妻子を守るために戦った所で、自分が死んでしまえば 健在な同胞が身寄り無くした妻子とファックしてるわけであって 何が何でも生きて帰るしかないのが兵士の本当の姿
352 :
朝日新聞より :2006/10/06(金) 21:39:04 O
【昭和十四年九月二日付】 「勝利か将た死か」ヒ総統、国会で獅子吼 【ベルリン一日発同盟】ヒトラー総統の国会演説要旨左の通り 余はドイツの要求の貫徹を期し現ポーランド政府が これを承認するか或は新ポーランド政府が出現するまで戦い抜く決心だ。 ポーランドの挑戦に対し余は忍耐を続けたが 遂に本日午前五時四十五分戦闘開始を命じた。 我が無敵陸空軍は爆撃に爆撃を敢行しつつある。 余もまた一兵卒として前線に赴くであろう 「勝利か然らずんば死か」これが余の金言である。 如何なる事態が出現しようともドイツにとって 1918年の再現は絶対に不可能なるを余は世界に向かって断言する。
それから、6年後 ベルリンの総統官邸地下壕でのはなし。 一次大戦時の屈辱はまっぴらだ!by 将軍たち 歴史は繰り返すか ・・・・
水兵の叛乱も労働者・兵士評議会も「ドイツ領内には一歩も踏み込ませてもいない」状況も再現されなかったじゃないのw
ヒトラー暗殺さえ成功してれば再現できたろ。 第一次にしたって続行してれば当然ベルリン陥落してたし
>>355 >ヒトラー暗殺さえ成功してれば再現できたろ。
無理。
あくまで無条件降伏が要求されたので。
357 :
世界@名無史さん :2006/10/07(土) 12:33:29 0
朝鮮戦争では空軍を派遣したとはいえ、地上戦は一切やらなかった 当時は独ソ戦争のダメージが余りにも大き過ぎて大規模な地上戦をやることが不可能だった
358 :
世界@名無史さん :2006/10/07(土) 13:46:54 0
軍事顧問の数は、すごかったがな。
ヒトラーがその辺で 野垂れ死にするのを嫌がって ベルリン退避を嫌がったのも原因。
確かに困るが、それは吊るしたい連中だけだな。 しかし、他のナチ高官どもも勝手気ままに後継者を自認。 やはり総統制は問題だったな。
たまに世界史板であることを疑うようなレスがつくなぁ。
独ソ戦でどうしても気になることがあります。 1 アメリカの援助がなっかた場合どちらが勝っていたか 2 ソ連はドイツを先制攻撃しようとしていたのか 3 yes→ソ連はある程度ドイツの奇襲を予測していたのになぜ「奇襲」になってしまったのか 4 no→独ソ戦が始まる前のスターリンの戦略は
1 ソ連。 アメリカの援助が回転し始めたのは、モスクワ防衛成功・反転攻勢開始より後 米製トラック等機動力が不足する分、独敗北が先伸びする可能性程度
ドイツがヒトラーのスラヴ人隷属化政策を放棄し、 ソ連国内の反ソ勢力と提携してスターリンを攻撃すれば スターリン・ソ連はかなりの確立で瓦解していた。
ところがあろ時 ドイツが提携できそうな ソ連国内に反スターリン勢力は存在しなかった 大粛正の唯一の成果だったな
ソ連内で反動資本家集団として迫害されていたユダヤ人が ナチスドイツの侵入を援助していたという超トンデモを聞いたが本当かね
ウクライナやバルト三国ではドイツ軍を「解放軍」として歓迎していたし、 ウクライナのパルチザンは当初ドイツ軍と提携していたが、 ドイツ軍は突然パルチザンの指導者達を逮捕・粛清したりして、 自分で自分の首をしめるような行為をした。
まず勝ってから、彼らを十分利用し安心させた後、 粛清でも何でもすればいいのにと思うな。 ナチは国会議事堂放火事件や、 突撃隊の突如粛清の経験があるのに 実に不思議だ。
ドイツ全体が年内に勝てると思っていたから。つまり「まず勝ってから」の予想がせいぜい数ヶ月先の話だったので、 それほど占領政策に配慮の必要を感じなかった。序盤にバンデラ派やメルニク派に好き勝手やらせていたのは、 自分たちの手を汚さずに「地元住民による自発的なポグロム」をやらせるためだったが、 バンデラ派は特に自立志向が強かったのが目障りだった。 >363 兵器や装備よりも食糧や衣料の援助の方がソ連にとってはありがたかったのでは? マクニールによると「赤軍全体の四年分に相当する食糧」だったそうだし。 その分を自前でまかなうとすれば、動員人口への影響もあったのではないだろうか。
赤軍の食料くらいならは幾らでも徴発できただろ それ以外の住民は餓死者続出だろうが。
兵隊だけ食えても工場労働者や農民が餓死したら問題だと思うぞ。
英国からの援助はいいのか? 一番危機的な時期に英国はすでに援助していた訳だが
ナチスのユダヤ人虐殺は明らかに水増しされてるけど、その死んだとされるユダヤ人は一体どこにいたんだろう? それに2700万という数値は戦争+スターリンの粛清、飢餓の死者の合計だから戦後ソ連の人口は公表された数よりも多少多かったのかな?
374 :
世界@名無史さん :2006/10/11(水) 15:37:55 0
ソ連がこの場で崩壊していたら歴史はどう変わっていたのかな?
この場ってどの時点?
>>373 数字を操作して水増ししたんだから「どこにいた」もなにも……
ソ連の人口に関してはコーソンの「フェリックスの末裔たち」こういう逸話が載ってた。
第一次大戦前のロシアの人口統計から計算した場合、
1980年代末のソ連には四億人いないとおかしいんだそうだw
377 :
世界@名無史さん :2006/10/11(水) 21:01:40 0
>>376 一次大戦、ロシア革命、スターリンの粛清、二次大戦が無ければ4億はありえたかもしれない
378 :
世界@名無史さん :2006/10/11(水) 21:53:48 0
>3 yes→ソ連はある程度ドイツの奇襲を予測していたのになぜ「奇襲」になってしまったのか バルカン作戦の後でバルバロッサを発動すると、時期的に冬将軍に引っかかる可能性が高い。 それでなくても不利な二正面作戦はしないだろうという合理的な判断。
>>378 スターリンが現場からの報告を無視していたことが一番の原因だろ。
380 :
世界@名無史さん :2006/10/11(水) 22:28:49 0
ナチスの攻撃は奇襲だったんだから騙されたのは現場も同じだと思うが。
東京からのゾルゲ電も無視してたな。
382 :
世界@名無史さん :2006/10/11(水) 22:36:36 0
う〜ん、しかし独ソ戦は何回シミュレートしても、ドイツの負けだな。 まず占領するにはソ連の領土は広すぎる。 フランス、ハンガリー、チェコ、ポーランドとわけが違うよ。 すでに同盟国の日本軍は、広大な中国大陸で泥沼化している。 広大な領土はそれだけで、強靭は防御陣になる。 ウラル以東に逃げ込まれたらもう終わり。 中国での日本軍と同様、点と線しか確保できないとは、シロウトでもわかりそうなことだ。 そのうちゲリラ戦で、その線を分断されて、孤立した点になる。 ヒトラーは何を考えて、ソ連攻撃を実行したのだろうか? あの広大な領土を長期間占領できる、具体的なビジョンがあったのだろうか?
だから、1941年にバルカンの後でソ連に手を出すと、ドイツ軍は冬将軍で壊滅する可能性大。 ドイツがそんな愚行をするはずがない、発起できるはずもない作戦をことさらに誇示するのはブラフである、 というのがスターリンや松岡の判断。 しかし伍長閣下は、本当にそんな愚行をやって見事にドイツ軍を壊滅させてしまうようなお人だったわけで。
しょせん伝令のおつむしかないからな。 軍事的な知識も一次大戦あたりでストップしたと見るのが妥当。 せいぜいテロ戦術ぐらいの感覚で作戦指導していたんじゃね?
しかしまったく勝算がなかったわけでもないというのが恐ろしいところ。 まずもってあの装備でモスクワ前面にまで迫れたのが驚異的。
>>371 戦争が始まるや否や、ウクライナの穀物を全てモスクワに運びウクライナの人を餓死させまくって
粛正と工業化で何千万の農民を殺したスターリンが今更そんな小さなことは気にしないだろ
>382 軍板とのマルチ乙w
>386 で、英米からもらえなかった食糧の分を自国民の餓死でまかなって、何年間戦い続けられるんだい? 死人は工場で働いてくれないし、農地で耕作もしてくれないと思うぞ。 それじゃ軍需も民需も先細りになっていく一方でなかなか辛いものがあるんじゃないかね。
ソ連の人的資源を考えると 耕作人が結構逝ったとしても耕す人が尽きるなんてことはあり得んとおもうが
390 :
世界@名無史さん :2006/10/12(木) 09:51:38 0
>>386 ウクライナはあっというまに占領されてしまったから穀物を運び出すヒマは無かったと思うよ
>389 だがその分をどこから持ってくる?まさか前線の兵士を減らすのかね。 それとも、戦時中のソ連では軍需にも民需にも関わってない失業者が大量にいたとでも? 赤軍の大動員を可能にしたのは、民需のほとんどを援ソ貸与に任せてその分の労働人口を 浮かせることができたからだよ?
で、労働人口はすべて前線へ。 1944年になるとソ連の東部戦線に展開していた 師団数は、ある意味何かを超えている。
ていうか、疎開し切れなかった工場の分を埋め合わせたりする機械設備だって大量に送られてなかったか。
>>388 >>391 >英米からもらえなかった食糧の分
ともかく君はこの具体的な数字を示せ。
当然対ソ供与がどのくらい行なわれたか知っていて発言しているんだろ?
航空機 14,795 タンク 7,056 ジープ 51,503 トラック 375,883 オートバイ 35,170
トラクター 8,071 砲 8,218 機関銃 131,633 爆薬 345,735トン
建物装置は評価した $10,910,000 鉄道貨物車 11,155 機関車 1,981 貨物船 90
海底ハンター 105 魚雷ボート 197
船エンジン 7,784 食糧補給 4,478,000トン 機械および装置 $1,078,965,000
非鉄金属 802,000トン 石油製品 2,670,000トン 化学薬品 842,000トン 綿 106,893,000トン
革 49,860トン タイヤ 3,786,000本 軍隊のブーツ 15,417,000組
wikiで検索して翻訳にかけたものだよ。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Lend-Lease ちなみに、スパムだけで一日あたり一千二百万人分を送って「これこそ第二戦線だ」と言われたそうだ。
ttp://www.197thguard.com/the_frontovik.html
食糧缶詰こそ勝利の原動力か。 ウォッカのみ自給かも。 酒はどうだったのだろう。
>395の内訳にある>化学薬品の中からアルコールが大量に消えるw しかし、ソ連は軍靴も送ってもらってたのか?
つまり靴も作れなかったのだろw >>海底ハンターって何かと思ったら護衛駆逐艦か駆潜艇のようだな。
399 :
世界@名無史さん :2006/10/13(金) 14:53:39 0
■スターリンの偉大さその四■ スターリンは中華人民共和国の成立をあまり喜ばず、「中国は国民党政権下で 弱いままでいてほしかった。」と語ったという。スターリンとしてはロシアの 安全保障と国益を第一に考え周辺国は弱諸国ばかりあってほしかったのだ。 その後の中ソ対立の流れを見ると、スターリンの天才的な先見性が実証された 例の一つであろう。
>>399 >周辺国は弱諸国ばかりあってほしかった
朝鮮戦争参戦前は
「アメリカという友人と直接国境を接するのにやぶさかではない」と
米韓軍事連合を過小視した発言してるが
フルシチョフウラー
マイソフさんとこでも食糧援助がなかったら労働者だけでなく兵士も農場に戻さなきゃならなかっただろうって書いてあったな。
>401 ロシア産は中身だけかいw T-34やシュトルモビクが大量にできたのも、援助のお陰でそっちの生産に特化できたということなのかな?
ロシア兵の元気の源はウォッカとキャビア ドイツ兵の元気の源は、ワインとウィンナ イタリア兵の元気の源は、ワインとスパゲティ フランス兵の元気の源は、ワインとチーズ イギリス兵の元気の源は、ビアーとベーコンエッグ アメリカ兵の元気の源は、コーヒーとタバコとコークとピザと・・・バーボンとかいろりろ。 東欧同盟軍は資料がない。 先に切れた方が負けた気がする。
>ロシア兵の元気の源はウォッカとキャビア キャビア喰ってんのかよ!
キャビアは高級食材 と学校で習ったw
赤軍に入るとキャビア食えるのか。いいなぁw
>>404 そうではないのか。トラック40万台近く送ってもらったんだ。
その分のリソースを戦車に注ぎ込んだんだろう。
>>408 後方には機関砲構えた人民委員の方々も、もれなく付いてきますよ
基本産業や軽工業も崩壊していた訳で、
その幅広い分野をレンドリースで穴埋めして、軍需に人的・物的資源を突っ込み、
その軍需の中でも輸送・通信と言った分野をさらに穴埋めしていただき、(広軌レールや貨車、野戦電話等々)
戦車や航空機、重砲に集中して突っ込んだ、と。
もちろん最初から返す気は無かっただろうけど('A`)
ありとあらゆる物を仕入れて、そのコピー品を作る事も熱心にやっていた模様。
>>407 それで思い出したが、戦争中に駐ソ英国大使がキャビア大好きなチャーチルに頼まれて大量に買い付けようとしたことがあったそうだ。
しかしそれを英国の新聞のモスクワ特派員が偶然知って記事にしようとした。
国民が耐乏生活をしている時にそんな記事が出ては困ると大使は止めようとしたんだが、
「自分は新聞記者である以上知ったことは記事にしないわけにはいかない」
と断られ、チャーチルは泣く泣くキャビアをあきらめたそうだ。
悲惨な戦場の中でまたトレビアがまた生まれた。 神よ何故我らにキャビアを与えたもうた!by スターリングラードのドイツ兵
>もちろん最初から返す気は無かっただろうけど('A`) アメリカ大損だな。イギリスも結構送ってたんだろうし。 送る量を微妙に調整して延々と戦わせてりゃよかったのに。
時間稼ぎしていると、ドイツの新式潜水艦が出てきてヤバいことに。
考えてみれば英米のレンドリースはやり過ぎだったんだろうな。 特に戦争後半の供与は戦後のスターリン体制の強化に一役かったんだろうな。 スターリンももらえるだけもらおうといつも「足りない、もっと寄こせ」といっていたらしいし。 そういえばそんなスターリンジョークもあったな。 チャーチルとスターリンの電話のやり取りが。
イギリスは流石に途中から気づいたんだろうが、アメリカがなぁ…… まぁ、当時あそこの国務省はアレだったしねぇw
内部はスパイだらけってか>国務省 アメリカはルーズベルトが自分の歳と病を、まったく考えないでやったのが遠因では。 自分が生きている内にってあるけど、ちゃんと後継者も決めてたんだろうな、親ソ的な… しかしトルーマンが……あっさりと、チャーチルに洗脳されて。
ルーズヴェルトが考えていた自分の後継者は、 1941〜45年の副大統領だったヘンリー・アガード・ウォーレスだろう。 ところが正副大統領双方が親ソ派リベラルであることに不満が出て1944年の選挙では より穏健なトルーマンに白羽の矢が立った。 ウォーレスは後にトルーマンの反共政策に反対して民主党を飛び出し、 1948年の大統領選挙で進歩党というリベラル政党をつくって立候補したが落選している。 ルーズヴェルトがもう少し早く死んでウォーレスが昇格していたら、対ソ・対日政策がどうなっていたか分からない。 それこそ日本分割占領やベルリン封鎖の放置といった対ソ宥和政策があったかも?
っていうか、片手間にソ連1つ支える米国の生産力オソロシス
419 :
世界@名無史さん :2006/10/15(日) 09:39:47 0
トルーマンも日本では嫌われてるけど、ルーズベルトに比べたら随分マシだったんだな あのままルーズベルトが大統領だったと思うとどんな悲劇が待っていたことか
420 :
世界@名無史さん :2006/10/15(日) 12:41:18 0
さすがにアメリカも片手間では無いでしょう 女と黒人が産業へ総動員されてあの生産力は維持された そしてその女と黒人の問題は戦後に顕現することとなった
今第六軍はどの編で敢闘中? スターリングラード突入。
ロシア兵の勇気の源はウォッカと督戦隊
>>421 1941年10月中旬:タイフーン作戦進行中。泥濘期の到来。ヴィヤジマ・ブリヤンスク包囲戦
1942年10月中旬:ソ連第62軍はボルガ河畔に追い詰められ、第6軍はすでにスターリングラード市街のほとんどを占領。一ヵ月後に天王星作戦。
1943年10月中旬:ソ連軍は秋季攻勢を進めてドニエプル河に到達。まもなくキエフ奪回へ。
1944年10月中旬:ドイツ軍北方軍集団はクールラントに孤立。17日にはソ連軍の先鋒がオストプロイセンに侵入。
1944年10月16日は、スコルツェニーがハンガリー王国摂政のホルティを拘束したパンツァーファウスト作戦の決行日。
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>>424 バンッ!! | ┃ | ='" | < サイトがみえないぞ…
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>>425 同志スターリン!アナタが粛正した人間の中にサイト管理者が居たのです。
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>>426 バンッ!! | ┃ | ='" | < そうか、すまん…
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そういえば、数字を示せといっていたヤツはどこいった?
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>>428 バンッ!! | ┃ | ='" | < 同志お前も行きたいか
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中国の督戦隊は日本軍の徹底抗戦のおかげで人間のクズ揃いだった証拠が山積しているが ソ連の政治将校システムの実態もあんなんだったんだろうか? 軍隊の統制システムの方向性としては割と間違ってない気がするんだ。 何で戦場において有効に機能しなかったのかが疑問で疑問で
431 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 18:08:44 0
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遂に六年目双方疲れ果てたな、共倒れか?仲直りか? チョビ髭よ。
433 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 21:40:16 0
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434 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 21:42:18 0
ああ閣下! いつの間に引き戸をドアに改装されたのですか?
しかしすげー量だな。 ソ連はアメリカの援助無しには生き残れなかったって事か。 ソ連も中国とイギリス同様、アメリカの衛星国だったって事だね。
436 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 21:47:35 0
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437 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 21:49:40 0
>>434 | ┃彡 , -.―――--.、
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バンッ!! | ┃ | ='" | < 私の中では今ドアがマイブームなんだ!!
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>>434 | ┃彡 , -.―――--.、
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バンッ!! | ┃ | ='" | < ドアノブがチャーチル供与に混じってた!
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| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
一行目がずれてますよ
>>435 >363
後、その理屈ならアメリカはフランスの衛星国って話になるw
米独立戦争自体、
仏王国からの物資援助・将校派遣が無ければ
物資窮乏・民兵の錬度の低さで鎮圧されていた。
あれあれ?>395で具体的な数字が挙がったら>401や>403-404、>408-409って話になったのに、 まだ援助なんか要らなかったと言ってる人がいますね。
>441 ん? >アメリカの援助が回転し始めたのは、モスクワ防衛成功・反転攻勢開始より後 援助論者は、それぞれの「 具 体 的 時 期 」の詳細データを開示プリーズ。 何も東部戦線開戦したその日にドッサリ米国から燃料食料供与が始まった訳ではないよなぁ。
>442 これだから赤軍信者は…。 反攻期までは代わりに英国の援助で成り立ってたんだよ。 端的に言って、チャーチルがスターリンへの供与を開始しなければ 冬季作戦成功の内にモスクワは陥落、ソ連軍はウラル以東に放逐されていた。 ヒトラーがまんまと著書通りの生存権を確保して戦争は40年時点で終わっている。 赤軍の弱さを認めなさい。
1941年12月のモスクワ攻防戦の時期はまだ供与が届いていない。 これはソ連軍が自力でドイツ軍の侵攻を食い止めたといえる。
ロシアの冬将軍最強だな。 気候が厳しい…それだけでも防御力は高くなる。 地形が厳しい、兵器装備は平均以下だったが 独立後より傭兵輸出で経済を維持…それでスイスは中立維持
>443 いや、さすがに40年だと侵攻開始より早く終わっちゃうけどw ていうか、援助なしの独力で勝てるんなら、当のソ連が援助援助、第二戦線第二戦線って騒いだ理由はなんなんだろうww
色々あるんじゃないか。
優しいファンファン大佐は連合国に「俺たちもソ連の役に立った」と誇りを持てる機会を与えてくださったのだ(w
ファンファン大佐はドイツ以上に連合国 を信用していなかった。事実、ソ連の優勢が明らかになってもドイツと和平を望んでいた。 未だにドイツに対し主立った攻勢を見せない連合国に不信があり、 このまま自国だけで押し切ると、連合国がドイツと組むんじゃないかとまで警戒していた。 確実にドイツと連合国を対峙せしめるには第二戦線の構築が不可欠 援助も、アメリカ不信からくるもので、うちらばかりドイツと戦って楽してんじゃねエよとそんな憤りから「くれくれ」になったと思う。 2000万しんでいるんだし、そりゃ誰でも怒るよなあ
ソビエトは援助に見合っただけの戦果は挙げている 中国は援助を受けるだけで戦おうとせず逃げ回っていた為 外蒙古や満州の権益をソ連が勢力下に置くことを英米は認めた。
>>446 ただで貰えるものを断わる独裁者が何処にいる?
発想が貧弱すぎ。
あれ?タダじゃなくて戦後払いじゃなかったっけ? 確かイギリスは今年いっぱいで払い終わるって話だったような。
61年払いなので今年で払い終わる>イギリス ソ連はずーっと払わなかったが70年代に入って一部を払ったと聞いた。 だから当時にしたってタダじゃないよ。>451モノを知らなさすぎ(w
スターリンはただで貰う積もりだったんじゃないか?
>452-454
72年に始まったのは支払いではなく支払い交渉。90年に妥結して今もロシアは支払い中。
ただしアメリカの要求した額の半分以下だとか。
ttp://mltr.e-city.tv/faq08a03.html 英国は戦時公債含め今年の12月31日で支払い終了。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Lend-Lease >Debate in the Commons on 28 February 2002 shows that Britain expected to complete its
>repayment of its monetary debt to the USA on 31 December 2006, over 61 years from the conclusion of World War II
51 名前: ベタ藤原 ◆94Ls6/3E 投稿日: 02/02/19 22:39
第二次世界大戦中、レンドリースの代金として、ソ連は5.5tもの金塊をイギリス
に送るとなった。
慎重を期した英海軍は、金塊を通常の輸送船には積まず、軽巡洋艦(エディンバ
ラ)に載せ、レンドリースの品物をソ連へ持ってきた輸送船と一緒に英国へ引き返
す航海に出たが、よりによって、Uボートが放った魚雷がエディンバラに命中!(w
エディンバラは沈没し、金塊5.5tは海の藻屑と消えましたとさ。
52 名前: 眠い人 ◆ikaJHtf2 投稿日: 02/02/19 22:43
>51
でも、10年くらい前に引き上げられたんでしたっけ。
配分で揉めてたような記憶が…。
53 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/19 22:49
>52
旧ソ連では、いわゆるお宝を掘り出したり、引き揚げても、
ソ連領内での場合は全て国家財産にされてしまったため、
トレジャー・ハンティングをやるだけ馬鹿馬鹿しく、
確実にあると見込めるお宝でもほったらかしの場合があったといいますね。
CISになって、どう変わったんだろう・・・。
54 名前: ベタ藤原 ◆94Ls6/3E 投稿日: 02/02/19 23:02
>>52 眠い人 さま
1981年にイギリスのサルベージ会社が引き上げてます。
45%をサルベージ会社が自分の分け前とし、残りの1/3は英国政府に納め、2/3は
ソ連に返却したそ〜っす。
55 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/20 05:40
イギリスえらい損ですな
戦時中も戦後も米英両国は「タダ」とは言ってない。 ソ連も「全額」を踏み倒したわけじゃない。
>>458 全額踏み倒したわけではないが
かといって体制が崩壊してからの支払いは事実上の踏み倒しと言えなくもない。
あれだ。徳川幕府の借金を明治政府が返したのと同じだ。
英米の軍事援助はソ連の軍需生産力の10%余りだった。 無くてもソ連は持ちこたえたという主張もあれば、 無ければソ連軍がベルリンに突入など不可能だったと説は分かれる。
>456 それだ。スパムの話題の時にちらっと読んだんだった。
>461 上の方で民需を肩代わりしてもらって自分は軍需に専念できた効果が大きいって話をしてるのに。 てか、10%のソースは?
でも冷戦時代だろ 敵国に金返す理由なんてないだろ その金で攻められたら国民にどう説明するよ? 俺なら当然踏み倒すね。
大人の付き合いって物があるんだよ。 冷戦中でもソ連と米国の穀物取引は多額に上った。 表向きは、共に世界平和を守る国連常任の盟友同士。
それに支払いを踏み倒すような国は国際市場での信用を失う。 現にロシアはアメリカ(実質国際市場)では新たな外債を起こせないという状態。 だいたい、冷戦だからといって常に殴り合っていたわけじゃない。 テーブルの下で蹴りあっても上ではにっこり握手が外交というものだ。
でも戦争一歩手前だろうに 戦前の日本も開戦前にアメリカに金返してたか お前等は、今これから自分に危害を加えようとする犯罪者に手持ちの銃を与え自分は丸腰で戦うのか そんなのは大人の付き合いというよりは福島の例の妄言みたいなものだろう。
どうやら実際に支払い中である事実を認められない人がいるようですw
ただそうなると援助というよりは戦中米英ソの対等なビジネスだな>支払い
対等かどうかは微妙では?実際、正当な代金という意味では契約違反だし、 ソ連の方がより切実にレンドリースを必要としていたという点からも双方の立場には上下差があるといえるのではないかな。
>>467 >自分に危害を加えようとする犯罪者に手持ちの銃を与え自分は丸腰で戦うのか
極論大好きっ子だね
>俺なら当然踏み倒すね。 ついでに誇大妄想のようだ。
>ソ連の方がより切実にレンドリースを必要としていた スターリンは連合国から離脱しドイツと単独和平する選択肢も捨てていない。 英米はソ連を援助する事で連合国側にソ連を止め、ドイツの人的資源をソ連との戦いで 消耗させることで、援助に見合った成果を挙げている。
ソース出せっていってるヤツはソースが出ると逃げるか話題そらすかどっちかだなw
>>456-459 乙
キミのこと?
で、>475が>454なの?
は?馬鹿? なんか証拠でもあんの?
仮にも学問板なんだからさぁ……もうちょっとこう言葉遣いとか…… しかし、ロシアが今でも(イギリスも今年まで!)払っているとは。 第二次大戦ってまだまだ過去のものじゃないんだなぁ。 でもそういえばイギリスもソ連に援助してたんだよな。アメリカの援助が桁違いだから印象うすいけど。
英国だと戦車や航空機みたいな純粋な兵器をソ連に輸出したイメージがあるね。
学問板なら
>>476 みたいな検証不可能なレスはすべきじゃないなぁ。
イギリスはアメリカより早く援助を開始しているからな。 それこそせっぱ詰まってた当時のソ連側がすぐに使える兵器類を主に要求したのではないだろうか? で、イギリスもアメリカほど懐は広くない、というか自分もアメリカに援助されてる身なので、戦時中からソ連に支払いをせっついてたんだろう。 さすがにスターリンも断りきれなくなってとりあえず金塊を送ったら>457の顛末(w きっとその後「もう一度払え」「もう払った」なやり取りがあったに違いない。
西ドイツは80年代までWW1の賠償金を英仏に払ってたな。 旧東ドイツが得してるのはズルいという話になってたような。 ソ連が革命で踏み倒したロシア帝国の債務はどうなったんだろ
482 :
世界@名無史さん :2006/10/31(火) 09:23:22 0
>>481 ナチス政権が成立してからWW1の賠償は払わなくなったと思ったけど意外だったな
>481
>なお,ソ連時代の未払い債務だけでなく,帝政ロシア時代の債務も不履行しているので,
>1934年4月13日施行の,対米戦債不払い国への融資を禁止するジョンソン債務不履行法に基づき,
>ロシアがアメリカ市場(事実上,国際市場)で起債を行うには,帝政時代の分まで返済する(若しくは外交で決着する)必要があります.
ttp://mltr.e-city.tv/faq08a03.html
>>482 ナチスは当然払っていない。戦後支払い再開。
てか、ローザンヌ会議にアメリカが参加してない時点で賠償額がウヤムヤになっちゃった (独英仏などが最終的な金額を決めたがアメリカは認めず)のもあるな。
486 :
世界@名無史さん :2006/11/02(木) 13:00:12 0
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>>486 石油が一杯出ている癖に……
あーそれはあなたが逝ってからソヴィエトが崩壊してってうわ何をする話せ…
トトトト!!!パララッラ!!ギャー シタイヲカタズケロ!
同志スターリン!インチキ占い師を粛正しました!
489 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 09:50:45 0
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バンッ!! | ┃ | ='" | <
>>487 いやだ!今苦しいんだもん。
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \
>>488 すまん!
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
同志スターリン!スターリングラードのナチ共を包囲します! スナイパーの増援をよろしく!
491 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 22:36:41 0
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………ザザッ…モスコー>491より>スターリングラードへ…ザザ!! 警戒を要す…ザザ… プチュン。
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494 :
世界@名無史さん :2006/11/05(日) 08:51:12 0
ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
http://members.at.infoseek.co.jp/utidayuki/moskow.htm モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941〜1942年
495 :
世界@名無史さん :2006/11/05(日) 08:55:21 0
496 :
世界@名無史さん :2006/11/05(日) 09:05:59 0
497 :
世界@名無史さん :2006/11/05(日) 09:09:18 0
>Balkans 103.693 1,9
こうしたイタリア軍の不甲斐なさに痺れを切らせたヒトラーは、
1941年 4月にギリシャ攻略の部隊をバルカンに展開させます。
強大なドイツ機甲部隊を前に、ギリシャ軍はメタクサス線、
アリアクモン線の防衛ラインを次々と突破され、同月 27日には
アテネが陥落します。 降伏後のギリシャにおいても、ユーゴの
『パルチザン』に相当するような共産ゲリラの抵抗組織がやがて
活動を開始します。1942年 4月より抵抗活動を開始した『ギリシャ
人民解放軍』は、ユーゴの『パルチザン』と同様に自国の地形を
巧みに利用したゲリラ戦闘を展開しながら、 枢軸軍をじわじわと
追い込んでゆきました。そしてユーゴにて『パルチザン』が
ベオグラード入城を果した1944年 10月頃には、ギリシャ全土の
約 3分の2 を解放していたのでした。
ですが、ここで『ギリシャ人民解放軍』は思わぬ敵と遭遇することに
なります。亡命中だった王室をともなってギリシャに上陸してきたイギリス
軍が、王党派と共に自分たちを制圧しにかかったのです。これは、イギリス
のギリシャに対する伝統的な支配を確約する合意が、イギリスとソ連の間
でついていたためです。 一説には、イギリスはポーランドとハンガリー
を売って、代わりにギリシャを買ったと言われています。そして、
イギリス側の要求を一方的に受け入れるような形で、1945年 2月には
イギリス軍・ギリシャ政府と左派との間で停戦協定が結ばれます。その後、
一度消えかけた内戦の炎が、イギリス軍の撤退を期に 1946年より再び燃
え上がることになるのは周知のとおりです。
http://blinda.ld.infoseek.co.jp/vkg_215.html
498 :
世界@名無史さん :2006/11/05(日) 21:30:04 0
第二次世界大戦によってドイツでは400万死んだと言われているが、どう考えてもドイツ系住民は500万以上死んでるけど
499 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 09:28:18 0
| ┃彡 , -.―――--.、 | ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ | ┃ .i;}' "ミ;;;;:} | ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:| | ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ┃ | ー' | ` - ト'{ | ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ | ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / バンッ!! | ┃ | ='" | < ケーニヒスベルクは絶対落とせ! | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \クールラントからは逃がすなよん。 | ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \ | ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ☆
500 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 21:09:52 0
500ゲット
| ┃彡 , -.―――--.、 | ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ | ┃ .i;}' "ミ;;;;:} | ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:| | ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ┃ | ー' | ` - ト'{ | ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ | ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / バンッ!! | ┃ | ='" | < 突撃せよ、同志諸君!いよいよドイツ本土だ! | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ファシストの巣窟を踏み潰せ!後を振り向く奴は銃殺だ! | ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \ | ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
502 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 22:02:26 0
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ソビエトの大祖国戦争の国民的英雄とされるジューコフ将軍だが、 赤軍将兵は彼を「大悪魔」と仇名し、敬愛どころか非常に恐れていた。 彼が前線を視察すると言う事は、前線指揮官の誰かが銃殺されることを意味し、 彼が臆病・怠惰と見なした将兵は片端から軍籍剥奪および銃殺の憂き目に遇った。 こういった過酷なテロリズム的な統率によって赤軍は膨大な損害にも怯む事無く ドイツ軍を膨大な兵力で押しつぶしたのである。
綱紀粛正してないと何やらかすかわかんなかったからな>ソ連将兵
強行軍で疲弊した赤軍将兵に対し政治将校が「ドイツ女は君等の戦利品だ」 などと「激励」して進撃スピードを維持した。
506 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 21:40:32 0
だがドイツ本土進攻後まもなく、同志スターリンから「ドイツで悪さをするな」と命令が来た。 ま、ソ連兵がそれだけ悪さをしてたってことなんだが。
507 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 21:55:43 0
スターリングラードの独軍が1週間早く降伏していたら1943年で ドイツ終了だったんだけどな。
詳しく
一部部隊の脱出とかかね? でも43年ではまだおわらんだろ。
>>506 へぇ。それは知らなかったよ。いつ、どんな形式で命令を?教えてくれ。
同志スターリン!>507がスターリングラードへの派遣命令を拒絶しマスタ!
そういえば
>>461 はまだ10%のソースを提示してくれないのかな。
513 :
世界@名無史さん :2006/11/08(水) 09:41:13 0
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バンッ!! | ┃ | ='" | <
>>511 | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ あかんがな!
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
スターリングラードの闘いは部屋の一つ一つを奪い合う激闘と言うが 実際は、市街戦程、平原で戦う機甲部隊やそれに付き従う歩兵にとっては、 非常に苦手な闘いって事だと思った。 バグダードを見て
>だがドイツ本土進攻後まもなく、同志スターリンから「ドイツで悪さをするな」と命令が来た。 >ま、ソ連兵がそれだけ悪さをしてたってことなんだが。 人道的立場からではなく、赤軍将兵が略奪強姦にうつつを抜かして進撃速度が落ちる事を危惧した為、 「お前等の任務は略奪強姦ではなくドイツ軍の粉砕及び目標拠点の制圧を期日までに実行することである」 という意味であって、ドイツ人を強姦したり略奪したりするのは人道に反するという意味ではない。
516 :
世界@名無史さん :2006/11/09(木) 00:22:30 0
つまり略奪強姦にかまけてるくらいならもっと前進汁!って意味だろ?
518 :
世界@名無史さん :2006/11/09(木) 08:35:41 0
| ┃彡 , -.―――--.、 | ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ | ┃ .i;}' "ミ;;;;:} | ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:| | ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ┃ | ー' | ` - ト'{ | ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ | ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / バンッ!! | ┃ | ='" | < 寄り道せずに進撃しなさい。 | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ | ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \ | ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ☆
>>517 ドイツ側にとっては結果的に餌で足止め出来たってこと?
本気でいってるのか? 赤軍の進撃を遅らせるために東方で市民を意図的に後置しただなんて。
「結果的に」だろ。よく読め
あくまで結果的。 確かアフガンの時は向こうが堂々とそれ使ったよね。
アメリカが時計と女もレンドリースで送っていればよかったのになw
ロシアの冬将軍というが当時の天気図は残ってないか探してくる。 ちゃんとしたのをな。
赤軍がドイツ人を人道的に考えていたのならベルリン突入の際に ベルリンに一日平均八万トンもの砲弾を浴びせるわけがなく、 スターリンはドイツ人の運命などより、英米より早くベルリンを制圧することを 第一目的としており、ジューコフはスターリンの矢のような催促に促され、 ベルリン突入の不眠不休で作戦計画を作成した。
スターリンのオルガン モロトフのカクテルという イカス名称を付けた椰子も戦死したんだろうな。 ベルリン攻防戦にてこずったのは、 ドイツ軍守備隊の兵士たちがソ連側に降伏することがどんなことか? 良く知っていたからだといわれる ソース 第二次大戦全戦域ガイド(現在絶版、再刊行されかも?)
突撃する赤軍兵士はドイツ兵の道連れ自爆攻撃で殺され後を振り向く赤軍兵士は督戦隊に射殺された。
ドイツ兵は捕虜にした赤軍兵士を射殺したし 赤軍兵士も捕虜にしたドイツ兵を戦車の前に投げ込んだ。 ドイツが死亡させた赤軍捕虜は三百万 ソ連が死亡させたドイツ軍捕虜は百七十万 スターリンが言っていたが もはや酷いとか非道とか感情的・人道の問題ではなく数字の統計の問題である。
ドキュソ戦と言われる所以である。
>525 ジューコフとコーネフを競争させたんだろ?「メーデーまでに陥落させろ」って。 記念日や祝日を目標日にするのは帝国陸海軍だけじゃないんだな(w
クリスマスまでに(ry
独立記念日までに(ry むしろ期日を祝日に限定するのはあちらさんが端緒だろ。
>>526 モロトフカクテルは冬戦争でフィンランド兵がつけた名前とされているのでは?
同志モロトフのパンを配ってるだけという、
面白い冗談に対して、ユーモアに理解が無い方達が付けた。
_,.r:::::::::::::::::::::::-、
r;r'''''''"""゛゛゛ヾミ:::ヽ ようこそ、フィンランドへ
/i' ゛ミ:::::::ヽ このモロトフ・カクテルはサービスだから、まず焼けて落ち着いてほしい
l:i' ミミ:::::::l
i:! ミ::::::l うん、「ゲリラ戦」なんだ。済まない。
,| ,,,,、_ ,,-= ,,,,, ミ:::/ ソ連は厚顔厚顔無恥って言うしね、謝っても許してくれないと思う
l",-u>゙i "ィ''Cヾ;、 ヾ"`!
l i `‐ ; ぅ ! でも、このマンネルハイム線を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
l /(_ ヽ i_,/ 「徹底抗戦」や「ウザさ」みたいなものを感じてくれたと思う
i ;彡""ミ≡ヽ イ 殺伐としてるソ連の隣で、生き残るのってムズカシイ、
ヽ  ̄ ̄゛ ,,,/lヽ そう思ってドイツと同盟を結んだんだ。
ヽi'___/ノ::::::::::l
r:::ヽ/~::::[×== ]:::l じゃあ、カレリア割譲以外の注文を聞こうか
★★★同志スターリンと語らい合うスレ【39】★★★
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1163074229/
ちょwwwwwwwww先生wwwwwwwwwwwwwwwww
>ソ連は厚顔厚顔無恥って いや連呼しなくても一回で意味通じるから。
>>514 ソ連参謀が敢えてそれを狙っただろ
ゲリラ発祥の赤軍には市街戦も対応可だが、
機甲作戦で鳴らしてきたフリッツ達は手足をもがれたも同然
ゲリラってスペイン語起源だと思ってたよ。
現在のがゲリラ戦の基本戦術や戦略を編み出したのは、アイルランド独立闘争の 英雄、マイケル・コリンズ。
>>539 IRA!IRA!IRA!
>534
ちょっと!すごい
今のバクダードはフセイングラード、サドルグラードだもんな 住民同士で毎日殺し合って、もうわけがわからん
米民主党は米軍も撤退しようとか言ってるけど 今更引き下がったら内戦即発で第二のフセインが誕生するだけね
ドキュソ戦は、一部のドイツ軍集団での撤収作戦が光ったが。 ソ連軍の不手際をも含めて一番光った撤収戦は何かなw >542 >今更引き下がった… 周辺国 トルコ<クルドがバカしないように私も! クルド<解放戦線<民族悲願成就! シリア<では、私も イラン<前戦争の復讐! ヨルダン<難民保護の為! クウェート<ルメイラ油田は我が物であるから防衛! 当事国 イラク<オレが何をした!!!
>>542 フセインは誕生せずダラダラと内戦が続くと思う。
545 :
世界@名無史さん :2006/11/23(木) 08:10:52 0
第二次世界大戦でドイツは何人犠牲が出たの
546 :
世界@名無史さん :2006/11/23(木) 12:41:07 0
, ,/"""|| ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::. ,/""" 歳|| ::::::::::::::::::::::::::::::::::: |"""" 万. || :::::::::::::::::::::::::. | 軸 || ::::::::::::::::::::::::::::::::::. | 枢 || ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: | ノ""""'|| :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::. |,,,,,,,/"" || / ) :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: / /.||. 世界の優良人種集まれ〜っ! :::::::::::::::. .. / / 偉大なヒューラーと共に 〈〉 ,-‐-、 _____ _,,,,,__ . ,-―‐-、( ( ジークハイル! ,----, ,-´`-, rr===ヽ i =☆=l__ γ_o_⊥. >====< ヽ ヽ ≦予 ̄> i三三三\ _|三三三|(彡三ミ) /___ヽ¶ il,, ´ー`)∩( ,,・ω・) /」 ´∀`)∩(,, `ー´) \\(^■^ ) n G(゚∀ ゚ ,ン,__)(・<_・ ,,,) (`llll´ ,,) (-_- ,,)|| lブルガリア/ / ビルマヽ/ 日本 ノ / タイ ヽ ヾ \ ( E)\フィンランド)/ヴィシーヽ/ インド ヽ(オーストリア ,-‐-、 r-,o-、 ___|大ドイツ /ヽ ヽ_/./,-‐-、. ,-‐-, ,ヘ、 ,__,,,,. ,-¶-、 [ ̄朝⊥ r_==‡ヽ lニニ゚ニl__ [ ̄ ̄M]. 〉二二〈| ノ \__/ /:兀:::ヽ. /::♀::ヽ /ニ0ニヽヽ=☆=/. /====ヽ ア‐@∀@) ( ,,・∀・) (,,,゚д゚) [,;・ム・].(,, ´_ゝ`) ∩(・ー・ ,,) (・Ω・ ,)G(´Д` ,,)(´ハ`,,).(`∀´ ,,) /ウヨ朝日φ/スロバキアヽ/ハンガリヽ/ イタリアヽクロアチアヽ ヽスペイン ヽ/__トルコ_ヽヽルーマニア/満州ヽ(内蒙古
>>528 つまりドイツよりソ連の方が捕虜扱いは人道的で生存率も高かったということか
ナチ公は問答無用で民族浄化だが ソ連ならスターリン万歳言ってればロマやユダヤでも最下層で生かして貰える。
>>545 一杯だ。
つくづく本土決戦何かしなくて良かったと思うぜ。
沖縄からすれば 俺達にだけ血流させといて 本土決戦前に降伏ってふざけんな、と。 まぁ広島長崎はベルリンや沖縄より酷い目にあったけど
スターリンのオルガン感動した 音も迫力あるね
>まぁ広島長崎はベルリンや沖縄より酷い目にあったけど ベルリン攻防戦では100万以上のベルリン市民が死傷した。 まあ勝ったソ連軍の損害も40万近くに上ったが。
とりあえず、ベルリン市街戦の地図を捜してくる。 ヒトラー最後の12日にもデカイマップを前に伍長殿が演説しているけど ああいう地図は欲しいよな、むしろ特典としてああいう地図をつければいいんだ
このまえベルリン戦だけを取り扱った洋書の訳書が出たよ。
ドイツ本土に突入してドイツ人に無差別報復を加えた赤兵士だが、 彼等も一方的な残忍な加害者と言うわけではなく、彼等の背後には内務人民委員の 督戦隊が控えており、後を振り向けば情容赦無く彼等には銃弾が浴びせられた。 ドイツ本土に突入した赤軍兵士は前に進んで戦いドイツ人を殺して戦死するか、 怯んで後へ下がって督戦隊に銃殺されるかの二つに一つの運命を選択せざるを得なかった。
どっちの捕虜になった方が生き残れたのかは双方の捕虜の総数と生き残りとのパーセンテージで比較するものなんじゃないのか?
いや、それは分かるが、 もし俺がドイツ兵で東部戦線でずぅーと戦っていた経験があって 運悪くベルリン防衛部隊に配属されちまったら 死んでもソ連には降伏しないだろうな。
>>558 いやま、その意見には同意するんだが
>>548 みたいに「はぁ?」な人がいるからさ。
>>528 のソースだって提示されてないのにすぐ鵜呑みにしてソ連が人道的って結論に飛びつくのはどうかなと思って。
前スレでソースあったよ 確かにソ連に捕われてた方が生存率が高かった。 ナチオタには信じられないが。 俺も捕われるならソ連選ぶ。
漏れも見た でもソースは出てたか忘れた 確か生存率は 日本(20%)<<<<<ドイツ(40%)<<ソ連(60%)<<<米英(75%以上) な感じだったと思うー ソ連は厳しい環境と強制労働はあったが、とりあえず食い物にはありつけた。 日独は強制労働有りでさらに、餓死させまくった。
日本の捕虜にはなりたくないw 兵隊も餓死させられるから嫌だけどな
563 :
世界@名無史さん :2006/11/24(金) 02:54:13 0
食い物の内容も関係あるかもしれないよ。
ドイツとソ連の場合、収容所の配給食糧の内容がそれくらい違う。
[表]
http://newsstation.info/up/img/ns15699.jpg ドイツの収容所の糧食はたんぱく質が少ないと思わないか?
もちろんこれは規定量であって、ドイツでもソ連でも実際には少量パンと
水みたいなスープのみだったという悲惨なケースも報告されているので
その辺は割り引いて考えないといけない。
だが規定量ですでに約2倍〜5倍の差がついているのは注目に値する。
たんぱく質が少ないとそれだけ筋肉の衰えが早まり、倦怠感が増すだろうと思う。
ドイツの強制収容所名物のムーゼルマン(イスラム教徒)の出来上がりである。
564 :
世界@名無史さん :2006/11/24(金) 03:45:15 0
人種的な寛容度で言えば イギリス、日本、ソ連、>>アメリカ>>>>>>>>>ドイツ かな。 日本はイギリスと似てて、植民地出身者でも 忠実で優良な帝国臣民として認められたら、軍官僚や将校や議員にもなれた。 ナチスみたいに「ユダヤ系である」「ロマである」というだけで 反逆や犯罪犯したわけでもないのに財産市民権剥奪、収容所送りで虐殺、みたいな状態、 スラブ民族の奴隷化計画みたいな状態にはならなかった。 ユダヤ人将校いたといってもアーリア系とか誤解されてたりで、おおっぴらに公表してたらなれないだろ。 民族的な偏見とかは世界中どこでもあったが、 一緒のトイレ使うの許されなかったり、結婚が公的に法律で禁じられてたり、 夜な夜な変な集団がやってきてお遊びでリンチされて木に吊るされるアメリカもナチスレベル。
>>561 戦後、米英が殺したドイツ軍捕虜を入れてないだろ
>>563 あと衛生面
日独の収容所では疫病が蔓延しまくりで最悪だったが
ソ連は比較的まともだった。ちゃんと掃除当番も決められていた。一応医者もいた
人道的かどうかはともかくソ連ではドイツ軍捕虜よりラーゲリにぶちこまれた「人民の敵」とされたソ連人民の方が大勢死んでいる。
捕虜に関しては包括的にまとめた本が出てなかったかな。 スターリングラードへの空輸開始から64周年。
569 :
世界@名無史さん :2006/11/24(金) 18:17:35 0
>>566 ソ連は衣類を高温の蒸気で蒸すというやり方でチフス対策はやっていたらしい。
いまのところドイツの強制収容所に匹敵するほどの伝染病の流行は
知られてなさそうだが、ラーゲリの歴史研究はまだまだこれからという希ガス。
>>567 両方とも110〜130万(諸説あるのであくまで目安)程度で、むしろ同じくらいに思える。
もっともあくまで収容所の犠牲者のみの話で、強制移住とかウクライナ飢饉
を入れると一桁上の数字で考えることになりそう。
死亡率だとドイツ軍捕虜の方が30%台後半〜40%程度、収容所の
ソ連人が最悪のスターリン時代で20%台前半ないし後半と別の面も見えてくる。
ドイツの強制収容所の死亡率は50〜60%(ただしユダヤ人(同95%以上)を除く)
とされるのでソ連と比べる高めといえるだろう。
強制収容所と捕虜収容所が普通に同列扱いな時点で両方ともダメ国家な希ガス
>570の意見最高。 ドイツや米、英、ソなら士官と兵の捕虜待遇は形式上でも存在しているみたいだが・・・ 日本はみな平等で捕虜に士官も糞もない。 あとで復讐された収容所長のほとんどがこれでやられている。
>>570 ドイツの国防軍の捕虜収容所は給養も衛生状態も英米並みによかったし、
強制収容所とは明確に分けられてたよ。英米軍の捕虜が収容された。
一方ソ連軍捕虜は強制収容所へ。
ドイツは東向きの顔と西向きの顔がまるで別人。たぶん伝統だな。
>>572 >英米軍の捕虜が収容された。
そして、大脱走が何度も何度も……捕虜収容所の所長カワイソス
多分、ラストで転任していく捕虜収容所所長は東部戦線送りかね
>>573 東部戦線の雪原で地雷探しをやらされるんだろう、きっと。
575 :
世界@名無史さん :2006/11/24(金) 23:21:05 0
| ┃彡 , -.―――--.、 | ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ | ┃ .i;}' "ミ;;;;:} | ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:| | ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ┃ | ー' | ` - ト'{ | ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ | ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / バンッ!! | ┃ | ='" | < 諸君、生産の新しいノルマは | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { .\ スタハーノフ的労働 | ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ .\ によって超過達成しよう! | ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー- .\ | ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ☆
>>575 同志スターリン!超過勤務奨励は報酬の格差を生むものではないでしょうか!
それは共産主義革命の敵であります!
>>572 ウンターメンシェのスラブをアングロサクソンと対等に扱うわけがない。
578 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 13:32:18 O
本当にスターリングラードが独ソ戦の転換期? 以前は1943年2〜3月の独軍のハリコフでの反撃によりソ連側は戦略守勢に移行したと思っていたが ソ連側が戦略守勢に移行したのはむしろスターリングラード反攻期と同時期、同規模に行われた1942年11〜12月の独中央軍集団ルジェフ突出部に対する『火星作戦』の失敗によるものでは? ドイツ側も大ドイツ師団の自動車化歩兵1個大隊全滅など多大な損害を受けたが ジューコフの肝いりで攻勢に出たにもかかわらず、ソ連側は35万以上の大損害を出し、ルジェフ突出部4方向に対する攻勢は1ヶ月前後でいずれも頓挫し、独軍の反攻により戦線回復 攻守を変え、8ヶ月後のクルスクに戦いの展開が酷似してるのが興味深いですね
ベルリン攻防戦でドイツ軍のフランス人兵士達は全滅するまで戦ったが 殺されて逝くフランス人にはもう帰るところが無かったが フランス人兵士を殺していくソ連兵にも後ろにNKVDの督戦隊が銃を構えており 後は無かった為フランス人兵士も赤軍兵士も互いに死に物狂いで戦ったという。 殺す側も殺される側もろくでなしでありながらも互いに過酷な境遇だったこの戦争を象徴している。
そうかヒトラーはろくでなしをまとめ上げて 米英ソ大国が合法的に抹殺できるよう仕向けたんだな。 と、トンデモなことを言ってみる。 で、このスレは完全にこう着状態だな。
スレタイからして泥濘の6年目だからな。 まぁ、一番の理由は言葉の通じない連中同士が自説を披瀝するだけで 議論の場にならなくなったせいなんだろうが……
>>581 >言葉の通じない連中同士が自説を披瀝するだけで
>議論の場にならなくなったせいなんだろうが……
それが戦争の要因なんだよな。
583 :
世界@名無史さん :2006/12/15(金) 10:57:41 0
ドイツがなぜ不用なソ連侵攻したかと言うと ゲルマンのスラブ蔑視なんだろうね。 20世紀になっても、他民族を奴隷にするつもりだったとは。 時代錯誤民族ドイツ人。
という、下手な三段論法で民衆を扇動すると戦争が起こりやすくなる。 エムス誤報事件。
>>583 ソ連侵攻を不要といっている時点でドイツのことキミが何も知らないのがわかるw
このスレで文化放送の「ケルベロス」聴いてる人いる? 独ソ戦のラジオドラマなんだけど、まじめな内容なのかどうか一回聞いただけじゃわからんので。
ソ連軍が俺らの陣地の退路を断ってしまったぞ。
キエフ発の夜行列車降りたときから ハリコフ駅は雪の中 北へ逃げる兵士たちは誰も無口で 砲声だけを聞いていた 私は一人連絡機に乗り 凍えそうな兵士見つめ泣いていました ああ スターリングラード冬景色
こっこれが!ヤポンスキーのエンカァ! ソ連軍は驚愕したw
つか、誰か歌ってようつべうp
メロディ合ってるが ソ連の物量に押し捲られて破滅するドイツ軍の方がもっと哀愁が
スターリングラードは寒い。
最下層のラーゲリーに閉じこめられて……今年は何年だ? 俺は1943年2月に捕虜になってからずぅぅーとここにいるんだが。
SSってなんだか名前が無駄にかっこいいよね SSダス・ライヒ「帝国」とか SSトーテンコップフ「髑髏」とか すげー萌えるw
それなら日本陸軍の方が格好いいわ! 第134「勾玉」師団、第133「進撃」師団、第135「真心」師団、 第138「不屈」師団、第148「富嶽」師団、第149「不撓」師団! そして1945年8月10日に編成された日本陸軍最後の師団、 その名も第158「不滅」師団! このナイスセンスには脱帽するしかないね!
現実逃避にしかみえん。
むしろ悲しくなる。 なんだよ、真心って。
599 :
世界@名無史さん :2007/02/24(土) 15:22:18 0
匂う玉?
「進撃」はダサいな。北韓みたいなセンス
おまえら、そんな事いっている間に、ソ連戦略予備が、 当てにならない同盟国軍を蹴散らしてこちらに来てますぞ?
>>598 「まごころ」と読むとほんわかした気分になるが、
多分、「しんじん」と読むんじゃないかな。
>>600 北朝鮮では漢字使用厳禁だからありえない。
あるとすれば日本社会主義人民共和国(ry
ナイスセンスというよりナンセンスだな。 海軍艦はあんなにかっこいいというに。 北や中共なんかは香ばしい師団が多そうだ SS「金正日」とか
北朝鮮軍は旧軍の悪い意味での正統後継者だから
ある意味、旧軍をカラーで見ているようなもんだよな。 白黒しか残って無いから貴重だね。 で、砲火が止んで1ヶ月以上だが、 もしかしたら伍長とスターリンとの間に休戦の話でも成ったのかね。 平和だ。。。
なんでもかんでも戦争末期の日本に結びつければいいってモンじゃないだろ。 旧日本軍と北朝鮮はほぼ無関係です。何も引き継いでません。 北では日本統治時代に教育を受けた人間は最下層に位置づけられています。
東部戦線異状なし。 もう独ソ戦なんて終結したんじゃねーか? オレ達の分隊も小隊に連絡が付かんし……全周が麦畑の地平線だし。 ここはどこだ。
おお、さすが保養地として名高いクリミア半島・・ ここに配属された俺は年中バカンスだぜ モスクワの連中には悪いがな。
おいヨハン?向こうから車が来るぜ! やけに肥えたオヤジと、痩せこけたオヤジが乗っているぜ。
時に 1945年3月21日 ヨーゼル川河畔……
612 :
世界@名無史さん :2007/03/19(月) 22:58:51 0
ソビエト兵達は、アメリカ軍の珍奇に行軍に出くわす。 中身は不明だが、コンテナを人力で担いでいるのだ。 後にベルンスドルフ事件と呼ばれるこの事件が、後に 泥沼の中東戦争に米国が介入し続けなければならなく なる原因となる。
613 :
世界@名無史さん :2007/03/19(月) 23:24:15 0
逃亡阻止部隊の設置によって何百万人が無駄死になったことか
俺の爺ちゃん七年間シベリア抑留されてた
ある意味東部戦線だからな。 一小隊 保有武装 38式小銃10丁 弾300発 手榴弾人数分×3 擲弾他少々 どないせーちゅんじゃ!満州方面軍
第9軍のハルベ脱出戦について詳述しているサイトをご存知ないですか? 英語も可ですので教えてくらさい。
>>616 ちょっとつっけんどんな回答だったな。
ごめん。
あと書籍だが「続ラスト・オブ・カンプグルッペ」の
「お巡りさんの野戦部隊 [SS第35警察擲弾兵師団]」
「1月30日は何の日か [SS第32義勇擲弾兵師団【1月30日】」
の二つの章でハルベ脱出戦についてかなり詳しく書かれている。
戦後発見されたというハルベの第9軍を撮影した貴重な写真も載っているんで探してみては。
ラスト〜は1巻(?)がイマイチだったんで続巻は食わず嫌いしてますた(紹介されていた部隊があまりにマイナー過ぎて)。高いし(資料的価値も高いけどね)。 千夜一夜師団とかSS警察師団が詳述されてるっぽいという話なら、買おうかなぁ。 第6降下猟兵関係が載ってれば即買いなんだけどなぁ。
「ベルリンの戦い」(オスプレイミリタリーシリーズ・大日本絵画)もオススメだが、9軍脱出戦はベルリン戦の一場面としてしか書かれていないので、その苦闘っぷりや全滅っぷりは完全には堪能できない。 描写もあっさり。
ハルベ脱出戦というよりも、「包囲脱出のために(一番効果的な)ハルベ方面への侵出を企図した」、というのが正確だと思われ。
>>616 同じく書籍だと、宮崎駿の「泥まみれの豚」に概略がコンパクトにまとめられている。
文章自体は「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の高橋慶史。
ザイトリッツ部隊(ドイツ人赤軍兵)についても軽く触れている。
ただ、やはりページ数が少ないのが物足りない。
野戦憲兵の即決裁判について詳述した資料ない?
ベルリン末期の巡回裁判の様子は、映画や小説なんかだとわりと出て来るんだけど、きちんとしたデータや論文は無いんじゃなかろうか。
軍板の方が詳しい人がいっぱいいると思われ
ボルゴグラード新市長は共産党出身者になったな。 大元帥閣下の思し召しか?
[|,,,★,|]∩ ( ゚∀゚)彡 ケーニヒスベルクを叩け! ( ⊂彡 プロイセンを速やかに占領せよ | | し ⌒J , -.———--.、 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ .i;}' "ミ;;;;:} |} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:| |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ー' | ` - ト'{ .「| イ_i _ >、 }〉} `{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、 .!-' | ='" | i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { ___ | \. ̄ ̄ _,ノ| /`ー---‐^ヽl:::::::\、_;;,..-"゙,i 、 、 l::: l:::|_:::;、>、_ l|||||゙!:゙、-、_ _ /,--、l::::. ノ::/:::::::\゙'' ゙||i l\>::::゙'ー、 > ,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l.;;;;\::::::::::\ .||||i|::::ヽ::::::|:::! ,/ ::: i ̄ ̄ |:::::::::\:::::::::ヽ|||||:::::/::::::::i:::| /:::::::. l::: l::::::: l::::::::::::::::\:::::゙、|||:::/::::::::::|:::i l:::::::::::. l::: !:: |::::::: l:::::::::::::::::::::\::V::/:-—-l::::! |:::::::::l:::: l::: |:: l::::: l::::::::::::::::::::::::゙''レ:::::::::::::::::!:::| |::::::::::l:::. }::: l:::::,r----- l;;;;;;;;;:::::::::::::::::|O:::::::::::::::/:::! ヽ::::::::l:::: ト:;;;;;;;/-/__........... /;;;;;;;;|;;;;;;;;;;;;;;;;;!;;;;;;;;;;;i;;;;;;;;!:::!
戦車がありません!
629 :
世界@名無史さん :2007/05/27(日) 19:35:11 0
__ __ __ _ ,r''"´ ゞ三三二ニヾ、 戦車がない? ,j,ィイ,r 彡彡三三二ニヽ、 (いイ、、-‐'''"゙ミ三三二ミヽ /"´ ミ三三ニ≡ミ! ,!,, ,,、z==- ゞ三三三ミミ! }ソ `}でゞ,,_ ミ三ニニヾjji! / 、 ``"''' 个j !ii/ ゞ='' ,! ノヘ,イソ (jiiiii!!!;:!; 、__ソ7 〉、,,,,,`` リ 〈 _ _ j| \ `` ,、-‐'"´! ``ヾ ,、-‐'"´ 」__ , ィ^y'"´ ,r<´ r'ニニ>、 , イ /! / \ r'ニニ>、 / | / | / \ _\ / |/ (b |_/ rェェュ >'"´ ̄ ``ヽ / / / ☆7 ,r'´ ! / / / / | ,/二フ /(b/ /二二 二二7 / |
はっ!同志スターリン!
戦車はありませんが、鹵獲した日本軍の軽装甲車チハならあるのですが・・・。
同志!スターリン!ナチ公のW号戦車を1個中隊分鹵獲しました!
, -─-
, -'´ `丶、
/ \
/ ヽ
/ _ ',
l -‐ --──-- _ |
| /`ヽ、 , -- 、 __,|
|__, ===─i=r === 、_, -‐'{.トl|
/f'il -=ユヾj {.l にニ=‐}} レ'´゙!
>>631 どろぼう
ヽ_}ヽ '´ ̄ / ヽ  ̄` .ノ rj/
l `=='/ ヽ= ' /
l /{,. -、_, -、j\ !
l / /lllllllllll\ ヽ l
! { llllllllllllllllllllllllllヽ } /
', '´  ̄二 ̄ ̄ ` /jヽ
\ // l
| \____/ '´ !
.__| |\ \_,. -‐'_, ‐i }─-
_,. -‐'"´ | |丑ュl | r‐'´ 。 | /
\セヨ| | | 。 °/ /
\_| ! -‐'´ -‐'´
, =、'"´
634 :
世界@名無史さん :2007/05/29(火) 21:40:49 0
>>32 >>33 開戦初年度か二年目には、もうすぐドルが尽きてアメリカから武器を買えなくなる
という報告がチャーチルに上がっている。チャーチルはかまわず全面戦争を
続けるためにアメリカに武器貸与法を認めさせるが、武器貸与法で供与されたものと
競合する製品だけでなく、その他の輸出も大幅に制限されるような内容。
これでイギリスの輸出はどの戦争中にもなかったほど落ち込み、日本との戦争が終わった
二、三日後には武器貸与法も打ち切られ、困ったイギリスがアメリカに交渉に行くと、
帝国内の優遇関税廃止など帝国解体は免れない条件を突きつけられ、その時点で
大英帝国は事実上解体した。
チャーチルがナチス殲滅と大英帝国解体を選び、アメリカが止めを刺した。
>>634 こうみると、世界中から嫌われている大帝国だった英国を、
崩壊一歩手前まで追い込んだヒトラーの立場は一体。
ボウヤだったのかw
1941 1942 1943 1944 1945 Total
(Mar. to Dec.) (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth 1,082 4,757 9,376 10,766 4,437 30,073
Aid to Russia 20 1,376 2,436? 4,074 2,764 10,670
Aid to other countries 2,872
Total lend-lease aid 43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html United States Lend-Lease Aid to the British Commonwealth ($ million)
637 :
世界@名無史さん :2007/05/31(木) 17:08:19 0
学研M文庫の独ソ戦全史っていいな。基本的な数字に一部間違いがあるようだが。 学研M文庫はなぜドイツが好きなのか。
あれは主にソ連側の資料を基に構成されてなかったっけ?
__ __ __ _
,r''"´ ゞ三三二ニヾ、
>>638 わが国側からの
,j,ィイ,r 彡彡三三二ニヽ、 資料だぞ!
(いイ、、-‐'''"゙ミ三三二ミヽ
/"´ ミ三三ニ≡ミ!
,!,, ,,、z==- ゞ三三三ミミ!
}ソ `}でゞ,,_ ミ三ニニヾjji!
/ 、 ``"''' 个j !ii/
ゞ='' ,! ノヘ,イソ
(jiiiii!!!;:!; 、__ソ7
〉、,,,,,`` リ
〈 _ _ j|
\ `` ,、-‐'"´!
``ヾ ,、-‐'"´ 」__
, ィ^y'"´ ,r<´ r'ニニ>、
, イ /! / \ r'ニニ>、
/ | / | / \ _\
/ |/ (b |_/ rェェュ >'"´ ̄ ``ヽ
/ / / ☆7 ,r'´ !
/ / / / |
,/二フ /(b/ /二二 二二7 / |
>>634 止めを刺されるべきだったんじゃね?
世界で最大の植民地持ち、世界経済に責任あるイギリスが
露骨なブロック化と帝国内部優遇やったことが、
日本とかその他持たざる国の軍国化や大陸進出の原因の一端を作ったわけだし。
大東亜共栄圏だって、イギリスのやり方の影響受けてる。
貿易に関してはアメリカはまだましだったが、そりゃ逼迫したときだけ
頼られても、大英帝国潰したくなるだろう。
641 :
世界@名無史さん :2007/06/01(金) 16:57:35 0
>>640 ブロック化のきっかけは、孤立主義者の圧力に屈したアメリカの
関税引き上げだか債券発行制限じゃないの?
どのみち迷惑この上ないな。 >639 同志スターリン!資本主義の悪魔の手先共が潜伏している模様です。 チェカに摘発、即決処理の権限を!
>>634 >帝国内の優遇関税廃止など帝国解体は免れない条件を突きつけられ、その時点で 大英帝国は事実上解体した。
>チャーチルがナチス殲滅と大英帝国解体を選び、アメリカが止めを刺した。
アメリカのウェルズ国務長官が「恐らく最善の方法は、少なくとも当分の間イギリスとオランダに植民地を継続して統治させると共に、両国は国際機関、すなわち信託統治機関のようなものを認めて、その下で責任を負うという形にすべきである。」と発言、
米国の戦後方針はこの通りでしょ?
現に、イギリスの植民地だった香港が返還されたのは1997年7月1日、その他アフリカ諸国の植民地独立も戦後だいぶ後になってからだし、英国の「植民地特恵関税制度」は例外とし認められていたし。
まぁ、各国の政治上の駆け引きがあるにせよ、アフリカ諸国よりアジア諸国が早く植民地から独立できたのも、戦中に日本軍が独立運動を煽る様な事をして直接的な支援をしていたからで、
ドイツ軍も戦中にアフリカ諸国を独立させていく予定がドイツ軍の作戦失敗でアフリカ撤退、戦後になってソ連がアフリカ諸国の独立に直接的な支援をして次々と独立。これによって、欧州の植民地支配体制の崩壊、ひいては大英帝国解体に繋がる。
戦後になって米国は間接的に関与(従来の「植民地特恵関税制度」に基づくブロック経済を認めないGATTが成立)などもするが、決め手に欠ける
間接的な関与だけでは、英仏の植民地支配体制に数十年から数百年間植民地だった国々の影響力を弱めるのは難しい。
やはり、植民地の民主達が独立したいという意思やアイデンティティが必要で、自分たちの力で独立できなかった朝鮮半島の戦後の歴史を見ればお分かりだろう
元々、イギリスの植民地だったアメリカもフランスの支援があったにせよ、自力で独立を勝ち取っている
>>640 事の発端は米国にある。
ホーリー・スムート法
アメリカの下院は、景気が絶好調だった一九二九年五月に、関税を大幅に引き上げる法案を通過させていた。
それは、外国産業が低賃金労働によって、またはダンピングによって、アメリカに安い商品を輸出することを防止し、アメリカの産業に悪影響を与えないことをめざす法案だった。アメリカには資本も資源もあり、また技術や労働力にも恵まれている。
したがって、「高度の自給自足状態」が確保できれば、経済の繁栄が持続できるという理屈だった。
米国の株式市場が崩壊した後にも、議会では、アメリカが海外経済からの悪影響を断ち切れば、国内の産業が保護され、順調に操業・雇用が維持され、経済は回復するという考えが強かった。
こうして三〇年三月には、上院でも関税引き上げ法案が通過した。三ヵ月後、両院の協議を経て、法案推進の中心となったホーリー下院議員、スムート上院議員の名前にちなんだ法律が成立した。
それは、アメリカの関税率を平均一三パーセント引き上げ、五割強にする関税法だった。ただしアメリカでは、課税品の割合が三分の一程度だったため、輸入品全体に対する税率は、四パーセント増の一六パーセントとなった。
しかしこれは、すでにアメリカが世界最大級の貿易国(二九年に世界の総輸出の一六パーセント、総輸入の一二パーセント)になっている状況に対して、近視眼的、自己中心的な政策だった。
このように関税障壁を高くすれば、ますます世界貿易が縮小し、世界経済がいっそう悪化することになるからである。
その後どの国も対抗処置として対抗的な関税を導入し世界的な保護貿易主義を巻き起こした。
それから一年も経たない内に、アメリカの輸出入も60%弱に後退し世界の貿易量も1/3に縮小してしまい世界大不況になった。
アメリカのブロック経済化
昭和9(1934)年 互恵通商法
アメリカ、互恵通商法を成立させる。これは締結相手国と相互に関税引き下げを行うものであったが、日本は対象外とされかつその対象国はラテン・アメリカ諸国が多く、事実上南北アメリカをアメリカ主導の経済ブロック化するものであった。
645 :
つづき :2007/06/07(木) 01:35:40 0
昭和7(1932)年 オタワ会議によって、イギリス帝国(イギリス本国及び自治領・植民地)はイギリス帝国外からの輸入品に対して保護関税を設けることを決定。 イギリス帝国内の諸国間の貿易は特別に安い関税もしくは無関税で、他の地域からの輸入には関税を掛けるというものである。この頃のイギリスは世界の4分の1がその帝国のメンバーであったから、世界の貿易全体はこれによっても大幅に縮小されることになった。 イギリスのブロック経済化 その後、フランス、オランダの本国及び自治領・植民地も次々とブロック経済化していき、世界はブロック経済の時代となった。 当時、イギリス、フランスは植民地保有量世界一位・二位 ホーリー・スムート法の成立から3年後、ルーズベルトがニュー・ディール政策を開始した年に、ヒトラーが首相に就任するのである。 ブロック経済打開派(日本、イタリア、ドイツ)とベルサイユ体制のフル活用によるブロック経済維持派(特にアメリカ、イギリス、フランス)との対立を発生させた。
はいはい資本主義者は、シベリアのラーゲリー送りな。
__ __ __ _
,r''"´ ゞ三三二ニヾ、
>>643-645 は矯正不可能だ
,j,ィイ,r 彡彡三三二ニヽ、 即刻、スターリングラードへ送り込め
(いイ、、-‐'''"゙ミ三三二ミヽ
/"´ ミ三三ニ≡ミ!
,!,, ,,、z==- ゞ三三三ミミ!
}ソ `}でゞ,,_ ミ三ニニヾjji!
/ 、 ``"''' 个j !ii/
ゞ='' ,! ノヘ,イソ
(jiiiii!!!;:!; 、__ソ7
〉、,,,,,`` リ
〈 _ _ j|
\ `` ,、-‐'"´!
``ヾ ,、-‐'"´ 」__
, ィ^y'"´ ,r<´ r'ニニ>、
, イ /! / \ r'ニニ>、
/ | / | / \ _\
/ |/ (b |_/ rェェュ >'"´ ̄ ``ヽ
/ / / ☆7 ,r'´ !
/ / / / |
,/二フ /(b/ /二二 二二7 / |
648 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 07:28:01 0
>>643 イギリスの植民地特恵関税制度は、アメリカが戦後融資の条件として
廃止させたと読んだけど
649 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 09:51:19 O
独ソ戦の転換期はやはり第3次ハリコフ戦後〜クルスク戦前の小休止期間である 独軍がこの期間に前年の勢力を回復できなかったのに対し ソ連軍は1943年の装甲車両の生産を20000両とし、レンドリースによる米製車両 の導入により機械化旅団数が 1943年初頭、24個旅団→ クルスク戦、39個旅団 戦車軍団数は 1943年初頭、20個軍団→ クルスク戦、24個軍団 機械化軍団数は 1943年初頭、8個軍団→ クルスク戦、13個軍団 に各々増強された クルスク戦“後”、ソ連側は独側同様、人的資源が不足が深刻になった 各狙撃兵師団は定数の半分となっていた その不足を補充するため、比較的平穏な北中部戦線の狙撃兵師団の定数を30%に引き下げ南部戦線へ転用し さらに歩兵不足分を補うため重突撃砲連隊(20個連隊に増大)を増強 旧式になったKV重戦車の独立連隊を狙撃兵師団支援に回した T-34の生産量は1943年で15000両で前年の損失を回復した KVの生産量は4分の1となったが、代わりに4000両の重突撃砲を生産した 一方、独軍は多くの装甲師団がパンター戦車に改編するため戦車1個大隊が欠除 しかも残った戦車の稼働率は1943年秋で同年春に比べ30%低下し、歩兵師団も戦 力が60%に低下していた
| ┃彡 , -.―――--.、
| ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ
| ┃ .i;}' "ミ;;;;:}
| ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:|
| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
| ┃ | ー' | ` - ト'{
| ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
| ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / ここはスターリングラードだ!
バンッ!! | ┃ | ='" | <督戦隊!
>>648 は可哀想に壊れたらしい
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \処分してやれ。
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
652 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 16:04:49 O
>>651 44年に入るとドイツ側は戦車も装甲車両も歩兵も航空機も不足している
しかしその生産量はそれまでの最高を記録している
合成石油の生産も戦前の原油輸入量をカバーしていた
連合国の戦略爆撃により合成石油の貯油施設や鉄道輸送網を徹底的に叩かれ
いくら生産しても前線に届くのが困難であり、事実上、国内での戦車、航空機等
の訓練が不可能になった
戦車も歩兵も消耗率が高い
戦車兵は歩兵より生存する確率は高いが、いかんせん戦車の修理パーツの不足等
で世界で最も優秀なドイツ軍の整備兵の能力をもってしても稼働率が悪化した
歩兵に関しては戦争中期まで活躍していた突撃工兵のようなエリート部隊が極端
に減少した
突撃工兵1名がたとえロシアの農民兵50名を倒したとしても莫大な費用と期間で
教育された突撃工兵1名の損失の方が痛い
また突撃工兵1名を補充する間にロシア側は250名農民兵を補充できるからだ
しかもソ連軍のレベルは向上し、巧みな偽装で攻勢発起点を隠蔽することは度々
あった
従って43年4月〜7月の平穏期にもう勝負は決まったと言える
>>652 そう言えば、グデーリアンだったか?
我々はソ連の前線兵力を過大評価し、戦略予備を過小評価していたとか。
>従って43年4月〜7月の平穏期
中央軍集団のクルーゲ将軍もハリコフで一応の勝利を得たが、
軍集団は損耗しきっているとから、これ以上押し出す力がないとか言ってた時期か。
ソ連軍予備は、主兵力の75%に増強………勝てないなw
654 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 17:13:27 O
>>653 43年4月のソ連側の守勢への転換はハリコフ戦での敗北だけではないよ
ジューコフは自らの回想録にはひた隠しに隠しているが、42年11〜12の月独中央
軍集団第9軍のルジェフ突出部に対する“火星”作戦の大失敗も影響している
以外に知られていないが、かなり大規模な攻勢で部隊の増強も半端じゃなかった
例えばソ連第41軍に配属された第1機械化軍団は配下に戦車5個旅団、機械化狙
撃兵5個旅団、戦車2個連隊を有する特別増強軍団だった
ソ連軍は突出した3面を4方向から攻撃した
当時、独第9軍に配属された装甲師団は各々戦車大隊1個しかなかった(南部戦
線に配属された装甲師団、自動車化歩兵師団を増強するため42年春に転出)
唯一、戦車大隊と突撃砲大隊のあった大ドイツ師団はいくつかの戦闘団に分けら
ていた
結果、独軍は大損害(大ドイツ師団の自動車化歩兵1個大隊全滅など)を被りな
がらもソ連軍を撃退した
ソ連軍の損害は甚大で
戦死傷捕虜、兵員200000
破壊捕獲された戦車1847両など
例えば第20軍は初期戦力114176名で12月12日までに戦死13329負傷41999行方不明
1596、以後24670名補充されるが、さらに10000名を失ったという具合である
655 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 17:28:17 O
ドイツがソ連に攻めこんだ時の総兵力って330万人であってる? 東欧やフィンランド軍、イタリア軍を含めたら400万人くらいになるらしいけど。
656 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 17:41:57 O
>655 合ってるよ。 ドイツ側は、兵器開発において重点を絞り切れなかったのも痛かったんじゃないかな。いろんな計画が乱立しすぎたんでは。 ときに(既出だったらすまん)独ソ戦開始前にソ連側からドイツに対して奇襲攻撃をかけるという案があった、という論文を学生時代に読んだことがあったんだが真偽の程は如何?
657 :
655 :2007/06/07(木) 18:16:42 O
>>656 どうも。
フランスやノルウェーや北アフリカにも相当な数が駐留してたのに330万人ってすごいな。
>>654 >ソ連軍の損害は甚大で
>戦死傷捕虜、兵員200000
>破壊捕獲された戦車1847両など、
叩いても叩いても、よみがえってくるゾンビの様な軍隊だからなソ連赤軍w
しかし、ある程度の損傷で済んで鹵獲された戦車って、何処まで使えたもんだろうか?w
故障した戦車からパーツをとってキープする。
あと燃料を抜き取るも追加だな。
661 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 22:38:19 O
ソ連軍は歩兵の不足を重突撃砲連隊や旧式のKV重戦車独立連隊で補強したため、 弱体化し、機動力に欠けるドイツ軍歩兵師団群には脅威となった 43年後期にはソ連側は13歳の少年を動員し、代わりに工場労働者を前線に送った 一方、ドイツは同時期になっても志願者以外の女性を動員しようとしなかった 英国でさえ女性の労働力投入をしていた時期にも関わらず同年のドイツ女性の労 働力投入は軍の後方勤務に20万、看護婦に15000、商工業労働者に75000を動員 したに過ぎない これはナチス党の党是である生活水準の維持と婦人の強制的労働力投入を躊躇っ ったためである またドイツ軍は整備上でスクラップ・アンド・ビルドは行われていたが、後退戦 が続き、損傷・故障した重装備自体を放棄することが多くなり、整備能力の低下 を招いた 他に43年秋ヒトラーはニコポリの放棄を躊躇った これはシュペーアの要請である、同地のマンガンはどうしても必要であり、死活 問題だった マンガン以外のレアメタルの不足は組織効率化により軍需品の増産を成し遂げて いたシュペーアも増産の限界を意識するに至った
662 :
\(^■^ ラ 【卍】 :2007/06/07(木) 23:30:44 O
我が国民社会主義婦人運動の綱領は、実にただ一か条しかないのである。 即ちそれは「子供」である―生まれて強く成長しなければならない、いたいけな子供である。 何故なら、いかなる、闘争もこの子供を通してのみ、その目的を達成するからである。 …この我々の盛んなる若者達、それは素晴らしい光景である。 我々はそれが未来のドイツであることを知っている。 我々の創造し建設するものを、この若者達は保全してくれるであろう。 我々はこの若者達のために働くのだ。 我々の今日におけるあらゆる努力に意義を与えてくれるものは、この事実である。 【卍】 ≦予 ̄> G\(^■^ ラ しかし、人的資源は戦力化に最低十数年掛かるからな…。 \ <!>+\ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク
>>662 ハイル!ヒットラー!ジー!ハイル!ジーハイル!
どうでもいいですけど、東部戦線に口出ししないで頂きたい。
あんたがグダグダ言って、機甲軍を北や南(青作戦の前)に移動させたり下から負けたんだ。
>>643 >アフリカ諸国よりアジア諸国が早く植民地から独立できたのも、戦中に日本軍が独立運動を煽る様な事をして直接的な支援をしていたからで、
元々、英仏の植民地支配体制に嫌気さしたアフリカ諸国やアジア諸国で独立運動が起こり、それらを聞きつけた日本が独立を支援する形になり連鎖的に植民地が相次いで独立。独立運動が世界中に広がっていく。
>>644 >事の発端は米国にある。
要は、ドミノ現象が起きて世界中がブロック経済化していた・・・。
ドミノ理論は、ある一国の政体変更を許せば、ドミノ倒しのように近隣諸国が次々と政体変更してしまうという外交政策の考え方。
「ドミノ」はひとつが倒れれば隣が倒れ、さらにその隣も倒れる…というように、すべてが連鎖的に倒れてしまうので、倒れる前に食い止めなければならない。
戦前の米国はブロック経済を誘発する様な事をして、戦後の米国はそのドミノ現象を慌てて食い止めようとしたのか・・・良くも悪くも世界中の国が村社会(ブロック経済)的すぎた。
>>645 >ホーリー・スムート法の成立から3年後、ルーズベルトがニュー・ディール政策を開始した年に、ヒトラーが首相に就任するのである。
ドイツの場合はイギリスがブロック経済になって一年後にヒトラーが首相に就任している。
日本の場合はイギリスがブロック経済になるのを前もって情報で知って、先手を打って大陸侵攻かな。日本からしたら英米が組んでブロック経済を推進して行くのではと危機感を抱いていたのかも。
>>648 第二次大戦後、覇権を手中に収めた米国は、欧州列強の植民地帝国主義に反対する立場を明確にした。特に英国の帝国主義と対峙する立場をとり、英国に「特恵関税制度」の廃止を迫った。
米国はGATT の場を経て度重なる交渉の末、英国がこれまで施行していた既存の「植民地特恵関税制度」は例外とし認めるものの、新規の制度を認めないという妥協案を英国から引出すことに成功した。
英国は、米国主導とはいえ、従来の「植民地特恵関税制度」を認めないGATT に対する苛立ちを募らせた。そのうえ、米国が支援する日本のGATT 加入問題も目前の問題として迫り、自国の通商政策に行き詰まりを感じた。
665 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 19:02:48 O
日本が植民地の独立支援した? ベトナムで米徴発で百万人近いベトナム人が餓死したんですが インドネシアで石油をオランダ以上に徴発して、“黒馬”という隠語で強制的に インドネシアの女性を慰安婦にしたんですが(因みに“白馬”は強制的に慰安婦 にさせられたオランダ人女性) フィリピンではアメリカが既に49年独立を確約していて独立準備段階であったの を阻害し、植民地化して過酷な搾取を行った日本に対し中国に次ぐ大規模な抗日 運動が起ったのを無視するのかね 日本じゃたとえ植民地各地に義勇部隊作ったとしても ドイツのベルリン攻防戦で戦ったようなノルウェー、デンマーク、フランス、ラ トビアなどの外国人義勇兵のように日本の本土決戦で帝都攻防戦が起きても一緒 に戦う義勇兵は一人もいないであろう
大日本帝国に特攻に志願してまで 命捧げるポチ国が隣にあったから無問題。
「大規模な抗日」とはいっても中国の蒋介石は英米から援助を貰うだけ貰って 日本軍とは禄に戦わずに逃げ回っていたし、毛沢東はスターリンが日本軍にもっと 攻勢をかけろと要請しても奥地に引き篭もって戦おうとしなかったし、 汪兆銘など対日協力者も多数出ており、中国のいうほどに「抗日戦争」は立派な代物ではなかった
>>665 突っ込みどころが多すぎて、米国が日本を追い込もうとして逆に犠牲者が増えたと見るべきじゃないのか?
例えて言うなら、米国が誤爆して日本兵もろともベトナム人を餓死させたと見るべきでは。
>ベトナムで米徴発で百万人近いベトナム人が餓死したんですが
その数値が正確なものか分かりませんが、当時ベトナムにいた日本軍は一個師団のはず、一万人から二万人くらい。
それでベトナム人百万人の餓死がでるものなのか?
自然現象による米の不作や日本兵を追い詰めるために米軍がベトナムの交通手段を完全に破壊したからでは?
>インドネシアで石油をオランダ以上に徴発して、“黒馬”という隠語で強制的に インドネシアの女性を慰安婦にしたんですが
>インドネシアの女性を慰安婦にしたんですが
戦争中に日本の石油を止めたのは、米国とオランダじゃないのか。
白馬事件 別名スマラン事件 インドネシアにおいてオランダ人女性が65名強制売春させられたとされる事件。
もしくは、その中に捕虜となったテロリストが入っていたので捕虜の違法取り扱い事件。
戦後の連合国側の軍法会議によって認定、実行犯は処刑される。
当時としては、オランダ拘留民団からの(強制売春だという?)クレームがついたので、日本軍上層部がクレームから二ヶ月後に慰安所を撤去しただけである。
その当時は誰も処罰されていないが、強姦許容のためか、証拠不十分のためかは不明。 処刑された日本兵は獄中日記でも犯行を否認していたそうだ。
裁判の公平性は東京裁判を考えればないに等しいと思われる。そういったこともあり、2025年に裁判記録が公開されるまでは、白馬事件の裁判の正当性がわからないとする声もある。」
元々の売春宿を日本軍が接収した、 それが気に入らないオランダが因縁をつけた、 それだけの話しでしょ
>フィリピンではアメリカが既に49年独立を確約していて独立準備段階
この当時、日本は英米が結託してブロック経済を推進していると考えていたから、フィリピンの独立なんて信用していなかった。
それに日米が既に戦争していたためフィリピンに米軍基地が作られるのではと警戒
おまえもスマランので帰れ
671 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 03:03:55 O
>>669 お前、しつこいぞ
スレ違いだろ
ちゃんと隔離スレへ帰れ
>>669 連合軍は戦争の間インドシナまで進出していない。
ただし補助的要因の一つとして、空襲による交通手段の途絶が無かったわけではない。
コメの供出はインドシナ駐留日本軍のためではなく、南方一帯の日本軍に供給するためで。ベトナム以外でも行われた。
日本軍が、蘭印の強制栽培制度類似の政策を施行し、軍服をつくるための綿花栽培などをやらせていたため、
ただでさえ生産が落ちていた。
これらの政策はフランス植民地政府を介して行われた。
インドシナ政府はヴィシー・フランス側、即ち日本にとって同盟国であったので、
日本軍はフランス人に対し占領前と同等の特権を認め、
それまで以上に厳しい統治をするよう求めた。
>>16 ジャワ島ではインドネシア独立に好意的な16軍が統治していたため穏健な占領政策が取られたが、
第25軍の占領したスマトラ、海軍の管轄だったカリマンタンでは激しい収奪が行われた
インドネシアの独立運動指導者らは大東亜会議に呼ばれることもなく、
日本の植民地とすることが決まっていた。
天皇も蘭印について日本の領土となる土地と言及している。
独立に好意的な16軍の将兵は次々左遷され、ガダルカナルなどの死地に送られた。
16軍将兵の中には、インドネシア独立運動に協力したものもいた。
彼らは逆賊とされ、家族は売国奴となった。
終戦後は、25軍将兵及び海軍将兵は、英軍やオランダ軍の指揮下でインドネシア独立派と戦うことになる。
インドネシア民兵も、日本の女性・子供を含む民間人や捕虜を人質にとり、
日本軍に武器を要求し拒否されると虐殺したり、
慰安婦施設にオランダ人女性と日本人女性を閉じ込めてレイプした。
ビルマでも戦前から独立支援工作をしていた南機関に対し、開戦直前に中央から中止命令が出た
南機関はこれを無視して支援を続け、独立を進言するが却下され、解散させられた。
その後ビルマ共和国が形式的に独立宣言するが、
新たに派遣されてきた日本兵は、ビルマ人を暴力的・屈辱的に扱い、
最後にはビルマ軍は日本軍を攻撃する。
のちにビルマ政府は南機関のメンバーにだけ勲章を与えた。
ベトナムの餓死者は30万〜200万と変動が激しく,政治に左右される。
ソビエトの犠牲者はスターリンは800万と公表したが、 西側に足下を見られるのを恐れたために、実際の損害よりかなり少なめだった。 1956年になりある程度人的資源が回復し、破壊された諸都市も復興すると フルシチョフはスターリン批判の下に犠牲者は2千万に達したと表明した。 さらにソビエトが崩壊し共産党自体が潰れるとスターリンの粛清や失策に対する 批判も強くなりロシア政府は犠牲者は2700万にものぼると表明した。 独ソ戦争の歴史評価は政治と強く結びついている。
そもそもベトナムってインディカ米でしょ?日本人の食わないベトナム米徴発して誰が食べるの?ベトナム人? パグラチオン作戦でググるとロボットゲームばっかり出て困ります。
日清日露戦争のときは、軍隊に入れば好きなだけ銀シャリ(白米)が食える と人気だったが、おかげで脚気にかかるものが続出した。 日清戦争では戦闘で死んだものより脚気で死んだもののほうが多く、 日露戦争では脚気で三万人近く死んでいる。
678 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 12:42:00 O
>676 史学の常識として、「現代の基準、常識で物事を判断しない」というのがあるんだが忘れてないか? そもそも戦時に、そんな贅沢言える訳ないだろう。 先に挙げた論文(ソ連側からの奇襲攻撃)を書いたのは守谷敬という人だった、というのを今、思い出したんだが誰か事の真偽(果たして本当にソ連側に奇襲攻撃案があったのか、否か)を教えて欲しい。
>>678 やめとけ、インパールすら知らんかもしれんぞ。
日本人は草食人種だ、このアラカンの山々を見ろ青々としている
これで食い物がないとは言わせない by 牟田口
第33師団 大隊長以下全員唖然
で、東部戦線に戻らないか?
>>673 独立宣言の発布に続き、翌18日の議会で憲法が制定され、大統領と副大統領にスカルノとハッタを選出した。
一国の独立は国際的に認知を得てはじめて成立するものであるが、インドネシアの独立宣言は国際的には無視されたに等しかった。
降伏した日本軍はビルマのラングーンに駐屯していた連合軍東南アジア方面総司令官マウントバッテン大将に呼びつけられてラングーン協定を結ばされた。
協定により日本軍は連合軍の進駐が整うまでの治安維持の責任とともに所有兵器を完全に保持して連合軍に引き渡すこと、住民の独立援助や兵器引き渡しが厳禁された。
日本軍は連合軍の命令を下部に伝えたため、インドネシア側からの武器引渡し要求に断固拒否したところでは襲われた。
スマラン事件、トゥビン・ティンギ事件など日本側に犠牲者を出した。1945年8月15日の終戦以降の日本軍の被害は2千人といわれる。この数字は日本軍が1942年にインドネシアを攻略した際の犠牲者を数倍上回る。
この中ではスラバヤでは最も円滑であった。スラバヤには岩部少将の率いる陸軍の混成旅団と柴田中将の率いる海軍司令部がおり、両者の判断が日本とインドネシアの摩擦を最小限にとどめた。
10月に設立されたインドネシア共和国軍は武器もない、弾薬もない、食糧もない、医薬品もない、あるのは兵士の愛国心だけという軍隊であった。
近代兵器で武装したオランダ正規軍に対して共和国の国軍には武器がなかった。
インドネシアは日本軍の武器は咽から手が出るほど欲しかった。日本軍は古くて使用に耐えない武器を廃棄すると称して、再組み立てが可能な程度に分解し、インドネシア側が回収しや
すいような場所に故意に捨て、かなりの日本軍の武器が密かにインドネシア軍に流れた。この過程で日本軍からインドネシアに流れた武器は6万個といわれる。日本軍の使い古した武器でも貴重品であった。
武器もさることながらインドネシアに最も不足していたのは戦闘の指揮者である。ペタ出身者だけでは不足し、約二千名の日本兵がインドネシア軍に参加したといわれる。
>>672 ベトナムというとどこも暑く、米作に適していると私たちは思いがちです。ですが、南部はどこも2毛作、ところによっては3毛作も可能ですが、ハノイを含む北部ベトナムは気温が低く、
1毛作に限られているため、南部から北部へ毎年大量のコメを南北縦貫鉄道を使って輸送していました。つまり、北部は南部からのコメ輸送に頼らなければやっていけない構造になっていたのです。
1943年末頃から、米軍機が兵営の上空を通過するようになり、あとで分かったことだが、米軍機の飛来の主目的は鉄橋の爆破 だったといいます。このため、食料輸送が途絶え、北部住民に飢餓をもたらしたというのです。
ところが、報じられたベトナム側の発表の46万8000トン(初めの3ヶ月間)が正しければ、日本軍が68年分以上 のコメを調達したことになる。また、355万トンは日本軍の消費量の518年分
ハノイの中心街にある元フランス植民地の徴税局が、いまは革命博物館に装いを変え、フランス植民地時代のギロチンや拷問道具、ベトナム戦争時代のボール爆弾など100年におよぶ戦いの記録が展示されていたといいます。
館内の「日本軍との戦い」という部屋をのぞいてみると、 「日本軍のためハノイでは200万人が餓死したり殺されたりした 」 との説明書きがあり、山積みされたガイコツの写真が掲げられていたと書きます。
でも、素朴な疑問があると高山はいいます。
〈 日本軍がベトナムを支配したのは昭和20年3月、クーデターを起こして仏植民地軍を追っ払ってから終戦までの5ヵ月間。どうやれば、そんな短期間に200万人を餓死させられたのか 〉と。
「日本はここ(ベトナム)でも残虐行為をしていた」とベトナム研究で知られる東京の某大学教授は、高山のこの疑問に「へっ」「日本の支配って5ヵ月間なの?」という話が紹介されていて、
笑ってはいけないところでしょうが、思わず笑ってしまいました。「東京の某大学教授」が日越学術調査にあたった教授と同一人物かどうか、名前が伏せられているので分かりませんでしたが。
この餓死の問題について、高山記者を案内したハノイ人民幹部は、「政治宣伝だった」とアッサリ認めたというのです。
高山記者って、ヒンドスタン・タイムズのビルマ王族に関する記事の大半を改変して広めた産経の糞記者高山正之か?
220 世界@名無史さん sage 2007/05/30(水) 06:00:33 0
>>190 その話半分ガセだから。
国王(確かその話では殺されたことになっているがw)と王妃、王女2人はボンベイ近郊ラトナギリの邸宅に住まわされて、ミャト・ファヤ・ギ王女は侍従と、ミャト・パヤ・ラト王女は父の秘書と結婚。
その後2人の王女(ミャト・ファヤ王女とマヤト・ファヤ・ガレイ王女)が産まれ、
それぞれビルマ王族、仏教僧と結婚。
一番下の王女の次男が今の当主。
なお、国王は1916年にインドで没。王妃はその3年後帰郷して1925年にラングーンで没。
長女はビルマ独立後帰国したが、
異教徒のしかも平民と結婚するとは!とボコボコに叩かれて再追放され、
それまで住んでいた屋敷に再び戻るしかなく、失意のうちに死亡。
で、「消息が明らかになった」のはファヤ王女ではなく、結婚の前に恋に落ちた門番との間に1906年に生まれた娘のツツ。
婚外子だから王女でもなんでもないというか、
父親は結構早くに死んでいて孤児となり、教育も金も何も与えられなかった。
マラーティ語を話すヒンズー教徒の完全なインド人として、技師との間に6人以上の子をもうけ、
造花を売って生計を立てている、と。
(つまり最後の行は正しい)
母親を描いた一枚の絵を持っていて、それで出自が割れ、(まぁ、DNA鑑定とかはしてないんだろうが)
95年にヒンドスタン・タイムズが報じたのだが、
某新聞のゴミ記者がアホな記事にしたのが、最近になって東亜板あたりから広まったわけだw
他のことでも東亜板で捏造を指摘されてるのを見た気がするが。 だいたい46万8000トンで68年分ってどんな計算してるんだ 1人1日500g(ちなみに3合450g)で計算しても、1年で0.1825d。 46万8000トンを68で割ると6882d、38000人分の食糧。 本気で駐留軍の分しか計算して無いらしい 戦中の日本兵が1食1合ってこたないから、賄える人数はもっと少ないだろうがな だいたい仏印政府を介して徴発したのに、なんで直接軍政を敷いた期間だけ問題にしてるんだ、この記者は。 「へっ」「日本の支配って5ヵ月間なの?」って、それ、馬鹿にされてるんじゃないのか?w まぁこの話自体あったかどうか分かったもんじゃ無いが まぁ俺も200万は誇張込みだと思うが。
>1人1日500g(ちなみに3合450g)で計算しても、 実際はもうちょっと多い。
なんかデジャヴュ 軍板あたりでもその文章について、馬鹿にされてるんだろって解釈を見た覚えがある
__ __ __ _ ,r''"´ ゞ三三二ニヾ、 コラ!戦線へ戻れ! ,j,ィイ,r 彡彡三三二ニヽ、 バグラチオン作戦が近いぞ (いイ、、-‐'''"゙ミ三三二ミヽ /"´ ミ三三ニ≡ミ! ,!,, ,,、z==- ゞ三三三ミミ! }ソ `}でゞ,,_ ミ三ニニヾjji! / 、 ``"''' 个j !ii/ ゞ='' ,! ノヘ,イソ (jiiiii!!!;:!; 、__ソ7 〉、,,,,,`` リ 〈 _ _ j| \ `` ,、-‐'"´! ``ヾ ,、-‐'"´ 」__ , ィ^y'"´ ,r<´ r'ニニ>、 , イ /! / \ r'ニニ>、 / | / | / \ _\ / |/ (b |_/ rェェュ >'"´ ̄ ``ヽ / / / ☆7 ,r'´ ! / / / / | ,/二フ /(b/ /二二 二二7 / |
>>686 同志スターリン!殺人鬼ヒトラーとその巣であったドイツは既に降伏しました。
極東のヤポンスキー共を皆殺しにして、あの屈辱の敗北の恥を注ぎませう!
>>656 旧ソ連時代の資料が明らかになっていく中で、ジューコフがスターリンに
「国境に独軍が集結しているのは対ソ攻撃を意図しているのだから先制攻撃によって
その意図をくじくべき」と進言した文書と具体的な作戦計画が見つかったらしい。
2005年にステファン・シャイルがドイツでその点に関する研究書を出版したらしいが、
未訳なのが残念だ。
689 :
656 :2007/06/13(水) 16:13:28 O
>688氏 おお!サンクス! やっぱりそういう案もあった可能性がある、ということね。学生時代に読んだものはスターリンの案と書いていたがジューコフ案だったのか。 是非読みたいなぁ、その資料。
690 :
世界@名無史さん :2007/06/13(水) 22:07:24 O
>>654 ジューコフ最大の敗北と言われる火星作戦は南方での反撃作戦である土星作戦に呼応
するため42.11.25〜行われた作戦でルジェフ突出部の東側スィチェフカ、西南側のベールィ、
西側のルチェサ渓谷、北側のモロドイに同時攻勢をかけた
◇スィチェフカ方面
★ソ連軍戦闘序列
・第20軍
第42親衛、247、251、331、354狙撃兵師団、第1親衛機械化師団(第31戦車旅団を増強)
、第20、25、80、93、240戦車旅団、第1機械化旅団
第8狙撃兵軍団(第26狙撃兵師団、第148、150狙撃兵旅団、第11、18戦車旅団)
第6戦車軍団(第22、100、200戦車旅団、第6機械化旅団)
第2親衛騎兵軍団(第3、4親衛騎兵師団、第20騎兵師団)
・第31軍
第20親衛、88、133、336狙撃兵師団、第32、145戦車旅団
・第29軍
第19、82、312、415狙撃兵師団、第120、175、213、256戦車旅団
第30親衛機械化師団
第5戦車軍団(第11、24、170戦車旅団、第5機械化旅団)
▼独軍
・第39装甲軍団
第78歩兵師団、第5装甲師団(戦車大隊1個のみ)-ソ連第20軍正面
第95、102歩兵師団-ソ連第31軍正面
第337歩兵師団-ソ連第29軍正面
※増援―第9装甲師団(戦車大隊1個のみ)
691 :
世界@名無史さん :2007/06/13(水) 22:50:55 O
[690の続き] ◇ベールィ正面 ★ソ連軍(第41軍) 第6シベリア義勇狙撃兵軍団〔別名スターリン軍団〕(第17親衛、93、134、150シベリア義勇、234 、262狙撃兵師団、第74シベリア義勇、75シベリア義勇、78シベリア義勇、91狙撃兵旅団) 第1機械化軍団(第19、35、37、47、48機械化旅団、第65、104、154、219戦車旅団、第3、4、 40、229戦車連隊) ▼独軍(第41装甲軍団)-ソ連第41軍正面 第246歩兵師団(第352歩兵連隊[クリューガー戦闘団]、第411歩兵連隊)、グロースドイチュラント 装甲軽擲弾兵(フュージリア)連隊第1、2大隊、突撃砲大隊)[カッセニッツ戦闘団]、第1装甲師 団ヴィータースハイム戦闘団(第113装甲擲弾兵連隊基幹)、第2空軍地上師団 ※増援 第19、20装甲師団(各師団とも戦車大隊1個のみ)、第8SS騎兵師団フローリアン・ガイエル
692 :
世界@名無史さん :2007/06/13(水) 23:10:20 O
◇ルチェサ渓谷方面 ★ソ連第22軍 第155、185、238、362狙撃兵師団、第114狙撃兵旅団 第3機械化軍団(軍団長カトゥコフ少将:第1、3、10機械化旅団、第1親衛、49、104戦車旅団、 第39戦車連隊) ▼独軍(第23軍団)-ソ連第22軍正面 第86歩兵師団、第110歩兵師団第215歩兵連隊、グロースドイチュラント装甲擲弾兵連隊第1、2 大隊、戦車大隊、ウォーシャワー戦闘団(グロースドイチュラント装甲工兵2個中隊基幹) ※増援 第12装甲師団(戦車大隊1個のみ)
(682の続き) ◇モロドイ方面 ★ソ連軍 ・第30軍 第16親衛、52、215、220、274、359、369、375、380狙撃兵師団、第130狙撃兵旅団、第49ス キー旅団、第10親衛、196、238戦車旅団 ・第39軍 第135、158、178、186、348、373狙撃兵師団、第100、101、1117、136狙撃兵旅団、第28、81 戦車旅団、第46機械化旅団、第28、29、32戦車連隊 ▼独軍 第206歩兵師団第301、312歩兵連隊、第253歩兵師団第473歩兵連隊―ソ連第39軍正面 第251歩兵師団、第206歩兵師団第413歩兵連隊―ソ連第30軍正面 ※増援 第14装甲擲弾兵師団、グロースドイチュラント装甲擲弾兵第3、4大隊 ∴グロースドイチュラント装甲擲弾兵連隊及び軽装甲擲弾兵連隊は第1〜3大隊各5個中隊 で編成され、第4大隊は歩兵砲、戦車猟兵、突撃工兵各中隊より編成される グロースドイチュラント師団は他に第10ロケット砲中隊を含む自動車化砲兵連隊(3個大隊)、戦 車大隊(3個中隊)、突撃砲大隊(3個中隊)、高射砲大隊(5個中隊)、装甲偵察大隊(5個 中隊)、対戦車自走砲1個中隊を含む戦車猟兵大隊(3個中隊)、架橋2個中隊を含む 自動車化工兵大隊(5個中隊)を有していた
携帯からか?
しかし、ドイツ軍は編成が混乱しているな。 再編成する時間もなかったからだろうが。
697 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 02:25:22 O
>>695 再編成と言うかソ連軍は独軍の師団境界線とかに戦力を集中した
グロースドイチュラントの各部隊は当地で各部隊再編中
しかしソ連軍はジューコフが指揮を取ったにも関わらずまだ戦力投入等には数多
くのミスを犯てくれた
上級指揮官以下一兵卒に至るまで戦闘未体験の部隊を小出しに中隊ごとに増援さ
せ、次々独軍に殲滅されたかと思うとある部隊は予備投入部隊を残置せず、全部
隊をいきなり投入し、目標を占領したが、大損害を受け維持できなかったり
編成表を見ても解る通り戦車軍団や機械化軍団が異常に増強された機甲部隊であ
ったが、狭い突破口しか啓開していないのに全力を投入して身動き取れなくなっ
たり、攻勢限界点を意識せずに走り続け、燃料・弾薬を使い果たしたりした
無論、独軍もタダではすまず、グロースドイチュラント軽装甲擲弾兵連隊の1個大隊全滅
等、甚大な損害を受けたのだが、独軍は突破口の肩部を死守してソ連軍の突出部
を根元で寸断する作戦を取り失地を回復した
南方戦線の土星作戦との違いは相手が全て独軍であり、枢軸国軍のように簡単に
は崩壊しなかったためと思われる
>>697 なるほど。
>狭い突破口しか啓開していないのに
>全力を投入して身動き取れなくなったり、
>攻勢限界点を意識せずに走り続け、燃料・弾薬を使い果たしたりした
ヒデエな、やはり同志スターリンの大粛正が響いているのかな。
699 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 06:49:37 O
>698 おそらくそうだろうね。トハチェフスキー元帥が育てた人材が健在だったらここまで無様なことにはならなかったろう。
700 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 11:20:03 0
701 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 13:36:15 0
>>699 そもそも粛清したトハチェフスキーの反乱は有り得たのか、
の疑問はあるが、総ては大祖国戦争の勝利で肯定されるのだろ
702 :
699 :2007/06/14(木) 13:48:43 O
>711 同感。勝てば官軍か・・・
>>701 大祖国戦争は絶対不可侵だからな。
>702
>711で、不振な動きあり、そうかそろそろそんな時期か。6月・・・
704 :
699 :2007/06/14(木) 16:22:22 O
訂正 誤 >711 正 >701
>>711 に期待w
>>689 ソ連の対独先制攻撃作戦案に関して日本語で探そうとするとマーザーだが、
彼はちょいと「?」がつくからなぁ。
最近だと「ヒトラーが勝利する世界」に、もしソ連が先制攻撃をかけていたら、の項があって
そこでジューコフの作戦が具体的に紹介されてる。もっともそれだけのために買うには高いが。
706 :
689 :2007/06/14(木) 16:49:19 O
>705 サンクス!探してみるよ。 ちなみに699も私・・・・統一すべきだった。申し訳ない。 あと、できたら、そのう、あのう、・・・苛めんで下さい(土下座)
707 :
690 :2007/06/14(木) 20:59:04 O
>>698 42年秋〜冬の火星作戦と43年冬〜春のハリコフ戦で苦杯を舐めたソ連軍も43年秋
のドニエプルへの戦いではかなり戦術的にも装備的にも改善されました
数値に関して前にも書いたので繰り返しませんが、改善点としては
・これまでの大損害による歩兵の不足を大量生産され始めた重突撃砲連隊や旧式
化したKV重戦車連隊で補い、かつ攻勢発起する方面軍に対して平穏な他戦区の
方面軍の狙撃兵師団の定数を落としてそれを補充した
優先的にそれは親衛称号部隊に配属され、それ以外の部隊には新兵を補充した
→親衛部隊は戦闘経験のある将兵が集まり、優れた兵器も優先配属されるため、
実質、準エリート部隊同様となった
・移動手段に問題のある間接標準の野砲部隊は軍団、師団にはあまり配属せず、
それらを砲兵師団にまとめ、攻勢開始時に集中しようし、間接砲兵の欠如を重突
撃砲や旧式重戦車で補うのと同時に比較的運搬の楽な120mm重迫部隊を配属
・突破した戦車軍団、機械化軍団が攻勢限界点に達しそうな時点で防勢に転移し
戦車部隊を後方へ撤収、代わりに狙撃兵師団群、対戦車砲連隊、重迫連隊を投入
独軍装甲部隊の反撃を重迫で歩戦分離し対戦車砲で単独になった戦車を阻止した
708 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 21:29:22 O
(707の続き) ソ連軍は水中橋、夜間行軍、徹底した無線封殺と偽の無線通信や演習などかなり 欺瞞行動も巧みになっていました ソ連軍の攻勢戦術も洗練され始め、だいたい次のような3段階に攻勢を進展させ るようになりました @砲兵師団と航空機による圧倒的攻撃準備砲爆撃後、重突撃砲、重戦車に支援さ れた狙撃兵師団が突破口を啓開し、十二分に拡大する A十二分に拡大された突破口に戦車軍団、機械化軍団を投入、単一方向ではなく 三方にその傷口を拡大し、狙撃兵師団群は側面を援護する B攻勢限界点に達しそうになったら戦車軍団、機械化軍団を後方に下げ、前述の ような防御体制を取る これらの戦術はまだ馬車と鉄道に頼るソ連軍の補給部隊の脆弱さとまだ密接な航 空支援が望めぬこと、部隊全般、特に歩兵、野砲の自動車化をカバーするためで す、しかしながら赤軍兵のレベルは確実に向上しており、狙撃兵の戦車部隊への 援護などは対フィンランド戦でのいわゆる流血の夏と言われる44年夏の攻勢で現 れています 冬戦争当時の赤軍とはまるで違う軍のように進化を遂げていました そしてもし攻勢が独軍の反撃を受けたなら他戦区で攻勢を発起し、反撃戦力を分 散させました
709 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 21:32:04 O
歩兵、野砲の自動車化→歩兵、野砲の自動車化の不足
710 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 22:09:56 O
このようにソ連軍が43年4-7月の休止期間中に装備を充実させたのに対し、独軍は 戦力的に増強に失敗します 実は独はこの時期に鉄鋼生産などではむしろソ連の倍近く生産していたのですが レンドリースで非戦車車両や航空機を大量に米から購入できるのに対し、独は全てを 自国で生産せざるを得ず、さらに石油も人造石油に全使用量の半数を頼ざるを得 なかったのが実情です また独軍の反撃もソ連軍の進化に伴い非常な代価を支払うようになりました 43年11〜12月に行われた第48装甲軍団によるジトミールでの反撃はそれを如実に語っ てくれます きっかけはソ連第290狙撃兵師団の1個分隊がキエフ北リュテシに作った小橋頭堡です 当時、ソ連軍はキエフ南方のブクリンで攻勢を開始したが、独軍が必死に抵抗したため 他戦区で攻勢を発起するためリュテシの小橋頭堡に注目し200キロの部隊移動を前述の 欺瞞行動により行軍し、独軍に察知されずにリュテシ橋頭堡に入り橋頭堡を拡大 11月に入った時点でのリュテシ橋頭堡におけるソ連軍は ・第38軍 第21狙撃兵軍団(第125、202狙撃兵師団) 第23狙撃兵軍団(第23、30、218狙撃兵師団) 第50狙撃兵軍団(第163、167、232狙撃兵師団) 第51狙撃兵軍団(第120、136、240狙撃兵師団) 第71、340狙撃兵師団 (続く)
(710の続き) ・第60軍 第30狙撃兵軍団(戦闘序列不明) 第121狙撃兵師団 第1親衛騎兵軍団(戦闘序列不明) ・第3親衛戦車軍 第5親衛戦車軍団(第20親衛、21親衛、22親衛、93戦車旅団、第6親衛自動車化狙撃兵 旅団、第48親衛重戦車連隊) 第6親衛戦車軍団(第51親衛、第52親衛、第53親衛戦車旅団、第22親衛自動車化狙撃 兵旅団) 第7親衛戦車軍団(第54親衛、第55親衛、第56親衛戦車旅団、第23親衛自動車化狙撃 兵旅団) 以上の部隊を配置、ロケット砲を含む2500門の火砲(1km当たり300門)で攻勢発起 6日キエフを占領、翌7日キエフ西60kmファストフ占領 これに対し独軍マンシュタインは完全装備の第1、25、1SS装甲師団と他戦区から第7、19、2 SS装甲師団を抽出しハリコフの再現を図った 15日に反撃を開始し19日にジトミールを奪回したが、その後のブルシロフ奪回戦からソ連 軍は前述のように対戦車砲、重迫部隊を投入し独軍に出血を強いた 独軍の損害は忽ち累積的に増加した パンター76両を含む戦車180両を有していた第1装甲師団は22日に40両に減少 パンター、ティーガーを含む戦車137両を有していた第1SS装甲師団は同日47両に減少 30日までに両装甲擲弾兵連隊は600程度に低下 22日時点の残存戦車は第7装甲4両、第25装甲3両、第2SSは連隊戦闘団程度に低下 した
712 :
ぐーてんあーべんと\(^■^ ラ 【卍】 :2007/06/14(木) 23:13:27 O
【卍】 ≦予 ̄> G\(^■^ ラ 『我が闘争』より! \ <!>+\ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク 今日我々がヨーロッパにおける新領土を云々する場合には、それはとりもなおさず、 ロシアとその所属辺境諸国を意味するの外はない。 この点で運命は我々は喜んで先導してくれているようだ。 ロシアがボルシェヴィズムの足下に降伏した時、 ロシア国民は、過去において自国を創造し、 その政治を指導していた知性を完全に喪失するにいたった。 ロシア国家はスラブ民族によって組織化されたのではなかった。 むしろこの劣等民族内に潜んだドイツ的な要素を持つ創造力によって組織化されたのである。 これまでにも数多くの大帝国が同じような行き方で創造された。 今日ではロシアの活力の源であったドイツ的要素は一掃されている。 しかもユダヤ人によって取って代わられている。 しかしながら、ユダヤ人は組織することが出来ない。 彼はただ破壊を事とし得るのみである。 それゆえにユダヤ人のロシア支配は間もなく崩壊するに決まっている。 そしてそれと共にロシア人国家も死滅するであろう。 我々は、幸いにも運命によって、この大破局を目撃する立場を与えられている。 しかもこの大ロシアの崩壊は、ナチ民族理論の正しさを最もよく例証する。
今日我々がヨーロッパにおける新革命を云々する場合には、それはとりもなおさず、 ドイツとその所属辺境諸国を意味するの外はない。 この点で運命は我々は喜んで先導してくれているようだ。 ドイツがナチズムの足下に降伏した時、 ドイツ国民は、過去において自国を創造し、 その政治を指導していた知性を完全に喪失するにいたった。 ドイツ国家はゲルマン民族によって組織化されたのではなかった。 むしろこの先進民族内に潜んだローマ的な要素を持つ創造力によって組織化されたのである。 これまでにも数多くの大帝国が同じような行き方で創造された。 今日ではドイツの活力の源であったゲルマン的要素は一掃されている。 しかもオーストリア人によって取って代わられている。 しかしながら、オーストリア人は組織することが出来ない。 彼はただ破壊を事とし得るのみである。 それゆえにオーストリア人のドイツ支配は間もなく崩壊するに決まっている。 そしてそれと共にドイツ人国家も死滅するであろう。 我々は、幸いにも運命によって、この大破局を目撃する立場を与えられている。 しかもこの大ドイツの崩壊は、社会主義革命の正しさを最もよく例証する。
ベルリンの伍長は、前線まで出てこないでいいです。 シュペーアにもっと権限を与えて、各地の州長官をちゃんと命令に従う様指導してください。
そこはボヘミア人といわなくちゃ
オーストリア人だろ? それに前線まで行ったのってウクライナのヴェアヴォルフくらいじゃなかったか?
>>716 >前線まで行ったのってウクライナのヴェアヴォルフ
ですね。
同志スターリン!西部ドイツ国境付近に展開しているドイツ軍の動きが急に静かになりました! 通信量も激減しています!警戒を発し…パーン………バタ
泥、泥、泥の海...なんて描写が独ソ戦のいたるところにありますが、 現在のロシア(ウクライナ?)はどうなんでしょうか?いまだに泥の海なんですかねえ。
独ソ戦(大祖国戦争(Великая Отечественная Войнаヴィリーカヤ・アチェーチェストヴィェンナヤ・ヴァイナー) 開始記念保守
>>719 今は道路網ははるかに整備されているから、田舎の村でもなければそういうことはないが。
第二次大戦前のソ連は西欧からの侵攻を恐れて、わずかな幹線道路(たとえばスモレンスク街道)以外の道路の整備をあえて行わなかった。
ほとんどの道路は道の両脇に溝を掘り、その土を路上に敷いて押し固めただけ。
しかもロシアの黒土(チェルノーゼム)はきめが細かく、保水力が非常に高い(だからこそ農業に向いた肥えた土なんだが)
そういう道路を春夏の降雨期に重量のあるトラックやら戦車やらがタイヤや履帯で土と水分をかき回しながら通行する。
そうなればどういう状況になるかはいうまでもない。
夏は道が乾いているから泥には悩まされない代わりにすさまじい土ぼこりが立ち、エンジンのフィルターを詰まらせる。
冬は冬で、泥が凍結してくれる代わりに非常に滑りやすくなり、速度が出せなくなる。
まあどっちにしろ道路の舗装化が進んでいた西欧の戦場とはまったく様相が異なっていたわけだ。
年産200万トンの油田というのはドイツにとってどの程度の価値があっただろうか?
ドイツ国防軍の兵士が、極寒のロシア戦線でも暖かく戦争出来る。 兵站は度外視なw
よくバクーの油田ばかりが話題になるが、ウクライナにもボリスラフ油田というのが あったのだよ。そこがピーク時で年産200万トン、バクー油田の十分の一くらいの 産出量なのだ。で、この油田はドイツにとってどの程度の価値があるものだったのか 知りたいと思ってね。
どっかの本では、ウクライナを喪わない限り、ドイツは戦争遂行の資源を喪わないとか書いてあった 第二次世界大戦全戦線ガイド。 これはいいものだw
なんならウクライナに遷都して、ドイツ本土の守りを薄くした分で 防衛構築に資金湯水のように注げば戦争長引いたんじゃない?
わぁすごいめいあんですね
>>726 いや、それめいあんかもー
工場も移転、ドイツ本土は守り難く攻め易いから西側連合軍が押し寄せてても放置。
ゲリラ戦を展開して、東から……ソ連は……どうしようかw
>722 当時はイランのアバダンでも年産八百万トン程度。
>>728 資金を湯水のように、と書いてあるれほ。
後満州軍が朝鮮にやったように
ドイツからウクライナに機甲部隊引き抜き
最終的には南ロシアに民族移住しようとしてた訳だし 構想前倒しってか? あがいても数ヶ月伸びる程度だと思う>730
そもそも殖民と移転じゃまるきりの別物だろ……釣られすぎだお前ら。
クレフェルトの補給戦を読んだが。 独ソ戦の補給兵站って……酷すぎるな。
心配するな。その本にはこうも書いてある。 >兵站の分野で犯された過ちはすべて、ハルダーおよび参謀本部にきっぱりと帰せられるべきである。
>>734 確かにそうだな。
しかし、機関車や列車が消えるとは……何処に消えたんだろうなと思ったよw
東ゴート王国やキエフ・ルーシなどを築き ナチスドイツの侵攻とゲルマン系民族はウクライナ地方にやたら拘る。
つか、今だってウクライナは二波亀甲だぞw
せめて鉄道が共用できればまだマシだったんだろうがな。
たとえ両用でも、駅の収容、集積、載積、統制能力がボトルネックだと主張してたな。 それと、ソ連領内での線路保護……ついで先鋒部隊補給に向かうトラックの道路を確保。 そういえば、マーケットガーデン作戦でも、 某川を強襲渡河しようと待機している米軍が注文した舟艇。 それ載せたトラックが、そこまでの道の渋滞のせいで遅れまくるシーンがあったな。 それでどんどん渡河時間がずれていくというシーンもあった。 あれかもな<Bridge too far
MGはアイントホーフェン攻略の段階で既に予定より遅れていたからなぁ。 個人的には南仏上陸だのなんだのやる余裕があったらモンティに思うままやらせる (南部や東部フランスを後回しにしても)というのもそう悪い結果にはならんだろうと思うけど。
>>740 >南仏上陸
当に政治的意図見えまくりだったしな。
743 :
世界@名無史さん :2007/07/14(土) 20:47:07 0
もしドイツ軍の兵器が開戦時に1段階進歩していたら... 例えばメッサーはF型、対戦車砲は75mm、戦車は4号E又はF初期という風に。
後方から来る援軍や新任の作戦参謀程、 戦線を滅茶苦茶にするって本当なんだよな
>743 兵器の性能なんかどうでもいいのでドイツ国内で資源が自給できるようにしてくれ。 ……対ソ戦の大きな目的自体がひとつ消えるけれども。
746 :
世界@名無史さん :2007/07/16(月) 19:46:57 0
743だ。 兵器の性能は重要だぞ。 単純に戦死者が減る。 攻撃や防御がより少ない兵力でも可能になる。 熟練者が使えば鬼に金棒、 新兵が使えば未熟さを補ってくれる。 モスクワは近い...
可哀想に、冬の寒さで壊れてやがる……。 おい、ライフルを貸して?え、遊底が凍っている? 仕方がないピストルを…って凍り付いてダメか。 機関銃で…あ、作動油が1ヶ月前から無いんだ…弾は腐る程有るのに。 しかし、こんな兵が暴れると士気が更に落ちる、W号戦車で踏みつぶし… おいおいガソリン切れてたな…潤滑油もない…弾は?こっちはないんだ。 仕方がない、極寒の平原に放り出せ。
熟練の兵は…あーそういえば南方軍に引き抜かれて 今スターリングラードか……どうにもならんな。 周りは新兵ばかりだ。
749 :
世界@名無史さん :2007/07/16(月) 23:41:08 0
>>699 そういえば大祖国戦争の英雄ジュコーフも彼の弟子の生き残りだったな
本当に赤軍大粛正は悔やまれるよ
元帥閣下、やっと「最強の狙撃手」を読了しますた! ホント東部戦線は地獄っすね・・・・・・ 第3山岳師団に黙祷。
グデーリアンを暗殺せよ。ウラー。
| ┃彡 , -.―――--.、 | ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ | ┃ .i;}' "ミ;;;;:} | ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:| | ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ┃ | ー' | ` - ト'{ | ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ | ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' / マテ、それは バンッ!! | ┃ | ='" | <ヒットラーの罠だ! | ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \まずは、懲罰部隊を送り込め | ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \ | ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ☆
______________ '-ニ、l, ______________ ヽ二二二二二二二二二二二二ニ) | ノ l (二二二二二二二二二二二二二ノ ヽ-------------|-----|三三 ||、 /vvvvヽ .ノ/三三|-----|--------------' \ニニニニニニニニニkニニニ-ヽ三三ヽヽ-':vvvvvv:i--'/ 三三ノ二二ノニニニニニニニニニ/ ''---、------ヽ-=ニ~-ヽニ-~/.l.>、vvvvv/;-',ヽヽ-ニノ~ニ=-ノ------,,,--'''''~ ~~~~~~~~~ヽニ-~,-',`-、// |.--vv--,|| lヽヽ/ヽニ-/''''''''''''''''' ヽ',-''ノ.// l l-l .|:::| :|--'~~lヽヽ,ヽ'~ ~'-'-ノノノ_l.|:||:|:::::|:||:|_l_lヽヽ-'^ ,,-''~||~~~'||=-、 i´` ー- 、_ |ツ `'' ー- 、 _ |メ __ `''' ー- 、_ ヾ´ ̄  ̄`''ー‐- 、 _ `''ー、 ,!≡≡≡口C三∃ `''ー 、 _,,ノ r'´~~ ̄ ̄_フ ̄`'''ー- 、._ /´ /_,,. -‐'''´ `''ー 、l モスクワを陥落できないグデーリアンはガス室行き。 (二__/;;;=- /´゙l! :::::::::/ / ',‐ ,ムノ/ :::::/ (_ノヽ 、_,ノ ::::! ■_,,, l ヽ ` _, ‐'´゙ゝ | , -'´ / \ ゝ- 、_ / / , -''ヽ `7´ / / \
第三帝国を滅ぼしたヒトラー総統は、シベリア送り。
ドイツがソ連に攻め込んだ際、たくさんの女性を絞首刑にしていましたが、なんのため?
その理由は知らんが、
>>750 の本に半乳出して顔面に穴開いた女スナイパーの死体写真が載ってるよ。
>女スナイパー スターリングラードの攻防戦では、独ソ両スナイパーが共倒れw
こう、ポッカリ穴空くのな。 入り口はもっと小さいかと思ってたけど、すごいな狙撃銃は。 あ、そうそう、下顎吹っ飛んだ味方観測員の死体写真もある。 つーかそんなん撮ってる時点で、頭おかしいよ、東部戦線の将兵は。
759 :
世界@名無史さん :2007/07/19(木) 03:29:15 0
正確には 頭がおかしくなっちゃった だけどな
写真を撮ってるのは戦場カメラマンというか報道班だろ?
>>750 違うんだな。
本書を読めばわかる。
「え〜、その戦況と部隊状況なら、撃った本人が撮ったとしかありえないじゃん」みたいな。
じゃなきゃ最悪同じ小隊の誰かだが、「生存人数は部隊定数の四分の一云々」「部隊で知った顔はほとんどいなくなってしまった云々」なんて描写読んだら、「じゃ、誰のカメラなんだよ!?wwww」と突っ込みたくなる。
PK部隊かもしれんが、「なら後半のほとんど脱走気味に故郷を目指してる主人公の写真(ジモティーからぶんどった市民の服を来て、軍服と武器を捨て意気揚々と南部ドイツを目指してる)もPKが撮影?何の為に?」という疑問もわく。
ま、俺は書店で立ち読みしただけだから読み逃しがあるかもしれん。
凄惨なレイプや人肉食の描写、無数の死体写真(平気で顔半分がふっとんでたりする)はまさに戦争の狂気だが、恐ろしいのは「主人公がまだ存命」ってところだな。
カリウスやバルクマンや何人かのエースパイロットもまだご存命だが、まさに生きた伝説。
戦中、南洋行ってた近所の爺ィもそんな伝説かもしれんと思うと、正直ちょっと引く。
762 :
世界@名無史さん :2007/07/19(木) 15:49:58 0
すべてティムール大帝の呪い ソ連が悪い
>>761 >戦中、南洋行ってた近所の爺ィもそんな伝説
結構ご存命だよ。ただ、あんまり語らん人が多い 敗軍の兵も兵を語らずだな。
ウチのばっちゃの兄さんと弟はインパールで戦死。
戦死公報も現物があるが、戦死場所がかなり後方なのが謎
第33師団隷下の某砲兵らしいが、死亡時期が7月末、
場所は現在の地図では地名が一致しない場所。
ともかくばっちゃは、牟田口のむが出るだけで悪人扱いしてたな。
764 :
世界@名無史さん :2007/08/19(日) 11:20:40 0
>>761 服は息子を戦争で失ったおばさんがくれたんだよ。
それに終戦後の脱出行ではカメラマンが同行している。
>>607 さりげなく嘘つくなw
日本で大学教育受けた労働党幹部もざらにいたよ
時期的に、スターリングラードに突入なのです! ガッツポーズで装甲車に乗って突入するドイツ兵は数ヶ月後の惨状を予測出来たのかな。 そのときのフイルムでは結構表情は明るい。 また写真がある。1943年10月前後 スターリングラード市内での一葉 W号戦車を遠景に塹壕で分隊規模の数ドイツ兵も案外表情が明るい。
意外とまともだったけど、本文のゴシック体がウザかった。
過疎スレ
ここに独ソ両国の間に休戦協定が締結されたのであった。 抱き合う独ソ両軍兵士。
極東におけるソ連軍の兵力は41年6月には約56万、42年1月には40万、45年1月に100万、そして ソ連軍が満州に侵攻する直前の8月には157万・・・
ソ連には和平の仲介を依頼してるし、 きっと野蛮なアメリカをけん制するためだね。 これで国体も安心だ。
42年1月の時点での兵力考えても宣戦布告したら逆侵攻くらいそうだなw まあそうなったら大陸経営諦めるだろうからかえっていいかもw
775 :
世界@名無史さん :2007/11/03(土) 20:54:21 0
クルト・マイヤー(擲弾兵)とパウル・カレル(バルバロッサ作戦と焦土作戦)の本 どちらか選ぶならどっちがお勧めですか? ちなみに詳解 独ソ戦全史 デビッド・M. グランツは読みました。
自己弁護が好きならクルト・マイヤー。 責任転嫁が好きならパウル・カレル。
グランツの本にもカレルの引用があるから パウル・カレル
軍板に聞いた方が適切な返事が得られるよ。 この板、低学歴の巣だから。
>>775 どっちも読み物としては抜群に面白いし、前線の兵士の姿の「一面」は生き生きと描写してる。
ただカレルの本はドイツ軍全体の、マイヤーのは武装SSの弁護の書として書かれてるので、これらだけ読んでも独ソ戦の影の部分が見えてこない。
たとえばカレルの場合はあれだけ長大な内容なのに、ドイツ軍やアインザッツ・グルッペが行った蛮行についてはほぼ一言も出てこない。
「焦土作戦」の最後の方で赤軍兵士の言葉として多少触れられているのみ。
ちなみにカレルは本名はパウル・カール・シュミットといい、SSに所属していて戦時中は外務省にスポークスマンとして勤務していた。
訴追には至らなかったがハンガリーのユダヤ人移送を正当化する作業に関わっており、後ろ暗い過去を持っている。
その点も頭に入れて読んでおいたほうがいいだろう。
カレルを読むならアントニー・ビーヴァーの「赤軍記者グロースマン」も読むことを推奨する。
この本はユダヤ系のソ連人ジャーナリストが独ソ戦開戦から終戦に至るまでに書いた取材メモや記事を元に構成されている。
たとえば将軍同士の反目や嫉妬、兵卒の勇敢な行動、それと裏腹な飲酒や暴行といった蛮行、ロシア人から見たドイツ兵のだらしなさなどなど。
パウルと同様に赤軍の将軍から一兵卒に至るまでのさまざまな人々の赤裸々な姿や発言が描かれているので、併せて読むとよりバランスが取れるだろう。
な? 陰謀論とかそういうのが大好きな連中しかいないよ、この板。
過疎スレ
ロシアの大地は広いからな。 バルバロッサ作戦で、ドイツ軍将兵を一番悩ませたのは、変わらない景色。 東西南北見渡す限り麦畑、麦畑……1ヶ月前進しても変わらない。 流石に、変調をきたす将兵も居たそうだ。
345 名前: うどん屋(福岡県)[] 投稿日:2007/11/22(木) 22:43:45 ID:1ytGP2+T0 死にたい赤軍将兵にお薦めの「ソ連人民最大の敵(スターリン曰く)」,ハンス・ウルリッヒ・ルーデル ・ベルリン突入直前なら大丈夫だろうと虎の子のJS-3を出したら,いつもと変わらずルーデルに撃破された ・Ju-87の機影を発見後,一分で重戦車が火の付いた燃料を流して撃破されていた ・足元がぐにゃりとしないので沼をさらってみたら,戦車の残骸が敷き詰められていた ・停泊中の戦艦が襲撃され,気が付いたら大破着底させられていた ・高度数百ftで爆弾を投下,というか距離100m以内で機銃をぶっ放す ・爆撃機編隊が襲撃され,爆撃機も「護衛の戦闘機も」一部撃墜された ・トラックから塹壕までの10mの間にルーデルに機銃掃射された ・装甲車の車列に合流すれば安全だろうと思ったら,車列の全車両がルーデルによって撃破済みだった ・全赤軍将兵の3/100がルーデル被撃破経験者,しかも急降下爆撃ならどんな兵器も破壊できるという彼の信念から「強力で頑丈な兵器ほど危ない」 ・「そんな奴いるわけがない」といって出撃して行った戦車兵が,五年経っても骨の一つも戻ってこない ・「赤軍将兵でなければ襲われるわけがない」と雪原に出て行ったキツネが,穴だらけの原型を止めない状態で発見された ・最近流行っているルーデルは「何が何でも出撃」.総統に止められても片足が吹っ飛んでも赤軍狩りに出て行くから ・ベルリンモスクワ間の1620kmはルーデルの襲撃にあう確率が150%.一度撃破されて撤退中にまた襲撃される確率が50%の意味 ・ルーデル中隊全体における赤軍襲撃による戦車撃破数は一日平均34輌,うち約17輌がルーデル一人のスコア
784 :
世界@名無史さん :2007/11/27(火) 21:48:07 0
785 :
世界@名無史さん :2008/02/05(火) 01:49:10 0
独ソ戦を調べてると、人間はどこまで狂うのか?を考えてしまう。 これほど残酷、無残、悲劇を集めた戦争はかつてなかった。 2000万人という死者が明らかに異常だ。そして無数の暴力、陵辱、略奪… まさに20世紀の、人類史上の汚点と言えるだろう。
なに上から目線で語ってんだwww
有史以来汚点がなかった時代なんか無いんだが。
>>785 第一次大戦終結後にも同じようなことが言われていた。
だが第二次大戦が起こった。第三次世界大戦が起こらないという保証はなにもないし、
大戦後数十年を経れば、再び全面戦争が迫ってくると考えたほうがいいかもしれない。
アメリカの凋落が言われているが、サブプライムが破裂して徐々にではあれドルが
基軸通貨の座から滑り落ちると、世界はブロック化していくのではないか。
ユーロ圏ドル圏イスラム圏などに分かれていくと仮定すると、大恐慌後の世界ブロック化、
そしてはじき出されたドイツイタリア日本がファシズムに走った繰り返しになるのではないか
という懸念をしているんだが。
789 :
世界@名無史さん :2008/02/05(火) 17:46:17 0
>>785 今アフガニスタンやイラクでこれを上回る惨状が現実に繰り広げられていますが
>>788 俺も似たような考え方してたよ。
20年前の小学生の頃な。
>>ユーロ圏ドル圏イスラム圏などに分かれていくと仮定すると、大恐慌後の世界ブロック化、
そしてはじき出されたドイツイタリア日本がファシズムに走った繰り返しになるのではないか
ドイツもイタリアもユーロ圏なんですけど。
なんでEUの中でドイツとイタリアだけはじき出されるの?ww
>>790 神童だったんだな!
>788
三行目まではまともなんだが、その後の論理展開は飽きた、
プロパガンダは、ゲッペルスのおじさんのがいい。
×ゲッペルス ○ゲッベルス
>>790 かつての日独伊のようにどっかの弾き出された国がファシズムに・・・って意味じゃないの?
とりあえずサブプライムで戦争は無いよ
中国バブルが弾けて不満逸らしで・・・ってシナリオは以前国防総省が指摘してたけど
今世紀は人口爆発の一方、気候変動や地下水枯渇で食糧生産は頭打ちか減少も予想されてるから、 場合によってはインドあたりで生存のための戦争が起きるかもしれない。
この板の連中、レベル低過ぎる。
おまえもな、そして何を今更
近現代史、戦史を知りたければ軍板の方がいいよ。 ここは底辺が集うスレだよ。
同意、独ソ両軍の将兵が低レベルの殺し合いをしている歴史を考察するスレだからな レベルも堕ちて行くさ……狂気の東部戦線に耐えられなくなったヤツから 軍板に手を出すのさ……
そしてどんなスレでも食い物の話をするようになるんですねw
悪食になるんだ。
なぜスターリングラードで史上最強のドイツ軍は歴史的な大敗を喫したか
軍板でやれ
前進できません。
そりゃあんた、最強でもなんでもなかったからに決まってるでしょうが。
| ┃彡 , -.―――--.、
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| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
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>>804 伍長!キミを空挺部隊長に任命する
バンッ!! | ┃ | ='" | <さあ、ナチのハイエナ共を殺しまくってこい
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ 目標はカネフ!
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
技術的な戦力比を上回る圧倒的人口比だろうな。 勝敗の分かれ目は。
やっぱタンクデサントだろ ヤクザがトラックの荷台に乗って抗争に行くようなものだ
ヤクザよりは押し込み強盗に近いかも?
809 :
世界@名無史さん :2008/02/17(日) 21:08:44 0
アングロサクソン(英米)がソ連についたから。
810 :
↑ :2008/02/17(日) 21:21:07 0
細かく見ると、原因としてはそれほどでもない
| ┃彡 , -.―――--.、
| ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ
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| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
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>>809 は危険思想に染まっている
バンッ!! | ┃ | ='" | < シベリアにある思想教育所送りだ。
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \__________
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
812 :
世界@名無史さん :2008/02/18(月) 02:47:33 0
くそっ。ドイツと同盟してた時期が無敵だったのに!! 冷戦時にスターリンが昔を懐かしんで吐いた言葉
>>812 荒くれナイトで青蛇がそんな台詞吐いてたな。
814 :
世界@名無史さん :2008/02/18(月) 22:14:59 0
>>665 一回韓国や台湾をの対日協力について
調べてみることだな。
どれだけ日本が洗脳やプロパガンダをはじめとする植民地統治に
長けていたか分かる。
>812 モロトフ訪独の際、あんなに吹っかけなければよかったのに。
816 :
世界@名無史さん :2008/02/18(月) 22:59:07 0
ソ連軍の強さというと物量と言うけれども、なんかでジューコフが言っていたけど 「演習の成功は兵力の重点形成と優位な奇襲地点の選択」とか言っているので、 43年からのドイツ軍の後手後手ぶりを見ると、確かにソ連軍は大軍だけれども せいぜい兵員で2倍強、兵器でも3〜4倍なので敵の強化地点をさけた地点を選び、 そこに暇そうな地域から部隊を集め大軍で大攻勢、そしてドイツ軍は主導権が 無いのでソ連軍の作戦に右往左往して後退だ包囲脱出だとかそんなのばっかり やっているようにも・・ 局地的な戦闘ではドイツの将軍が派手のように感じるけれども、ソ連の将軍って 地味だけれども総司令部からの軍事目標をたんたんとこなし、軍事目標のためだったら 自軍の死傷者や車輌の損害も補充力の範囲で済めば問題ない、という感じがします。
結局、物量の後ろ盾があったからゴリ押しできたってことじゃん。 英米のリースが無ければ冬季攻勢なんかできなかったってことっしょ、その理屈じゃ。
818 :
世界@名無史さん :2008/02/18(月) 23:59:01 0
似た者同士で四国協商が良かったんだよな 伍長がもうちょっと理性的ならばさ
>818 モロトフがベルリンを訪問した時に要求したのはフィンランド・ルーマニア・ブルガリア・トルコ・ペルシャと中東全部 あと樺太だったが、これに対するソ連側からの協力内容をモロトフは示さなかった。 このため、ドイツでは(当時ソ連からの対独輸出が削減されたことと合わせて)ソ連の協力は期待できないと判断した。 また、訪問後にソ連からドイツへ示された公式回答ではソ連の対英参戦が曖昧にされるという さらにハードルの高いものになっていた。 当時、フィンランドからのレアメタルとルーマニアの石油に大きく依存していたドイツにとってこれら二国を ソ連に引き渡すことは難しかったし、イギリス軍の反撃開始で北アフリカとギリシャ情勢が危うくなっている状態で ブルガリアとトルコがソ連の勢力下に置かれることもイタリアの反応や将来のバルカン介入を 考慮しなければならないドイツには好ましくなかった。その上さらに日本へも樺太利権を放棄するよう言わなければならない。 そこまでやってもソ連が参戦するかどうか、対独輸出が継続されるかどうかについては明確な言質がない状態で ソ連の要求を受諾できるかどうかといえば、当時のドイツには困難だっただろう。 しかし、スターリンのモロトフに対する指示の中には対独協力的な部分も含まれていたので モロトフがベルリンそれを伝えていたならドイツの反応もまた違っていたかもしれない。 実際、独ソ戦の兆候を知ったスターリンは41年の春から夏にかけて慌てて対独協力を積極的に推進している。 輸出の拡大が代表的だが外交的にもロンドンの各国亡命政府との外交関係断絶や逆にイラクでの 反英クーデター政府の承認など、これらが半年早かったらドイツ側でも対ソ関係を 見直すきっかけくらいにはなっただろうに。
ランカスターの法則をそのまま適用すると、数で4倍の差なら16倍の戦力差ということになる 質が半分だとしても8倍。 まぁ地形とか余計な要素が多い陸戦には普通適用しないけど・・・ また、数が多いからイニシアチブを取って敵を振り回すことが出来る 集中や奇襲は「当たり前」の戦術
1944年の段階では赤軍の兵力は600万を超えていたのに 独軍は150万にも満たなかった。
むしろ44年の段階で150万もいたのに驚き。 というか、正規兵じゃねーんじゃねーの。 書類上の数字だけとか。
逆に考えれば緒戦であれだけ損害受けながら赤軍の六百万も相当なもんだぞ。
そりゃぁ、非ロシア地区から根こそぎ動員してるしねぇ。 キルレシオで独軍が圧倒してても、人海戦術で来られるとな。 やっぱ人的資源(質は問わない)の差ですな。
軍需や民需に本来必要とされる分の労働力も対ソ援助のおかげで兵役にまわせたしな。
>>823 その時点だと三十〜四十代の予備役や傷病兵、ドイツ語がろくに話せないような民族ドイツ人とかをかき集めてなんとか頭数をそろえてる状態だから。
ノルマンディだったかに配備されてた師団の中には胃病持ち専用の特別糧食班がいたそうだし。
おまけにこの時期に編成された師団は一個連隊が三個大隊から二個大隊に減らされてるから、実質予備兵力無しで打たれ弱くなってる。
まあよくもまあこんな弱兵で戦ったなという感じ。
ドイツ軍の最盛期は43年のクルスク戦時に350万、 41年〜43年は250万〜300万前後で推移、 43年下期にウクライナでの大攻勢があって南方軍集団は壊滅し カルパティア山脈まで追いまくられ、250万を切るまで減少、 しかも44年はバグラチオン作戦で中央軍集団は半減とも言える 50万の損害、また西部戦線ができたことで補充が追いつかず、 44年下半期からは200万体制 実際150万くらいになるのは45年のオーデル川時点。
まぁ、その辺は資料によって微妙に違うので、言っても詮無い気もする。
末期ドイツ軍の編成の話を聞く度に、近年の陸自のことが頭をよぎる
832 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 03:43:00 0
独ソ同盟ならアメリカにも対抗できたかもな
>>831 中隊の小隊数がやたら減らされてたり、一部の小隊が定員不足と出向で書類上の存在と化してたり、
一部の連隊で重迫中隊が廃止されてたり、一部の中隊で軽迫小隊が廃止されてたり、師団対戦車隊が無くなってたり
トラックが足りないので隊員の自家用車使ってたり(これは最近改善されてきた
>>833 ああ、そう言う話か……分からんでもない_| ̄|○
ちょっと昔には、陸自の一小隊規模で、
何か土木工事のアルバイトやっている風景に出くわすことも多々あったが。
ドイツと日本じゃ同じ枢軸国といえども
戦争の経過もその後の戦後復興の過程も全部違うからなあ。
ここまで戦争アレルギーになるとは米国も思わなかっただろうなあ。
835 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 14:01:23 0
軍部はモスクワ直撃作戦を主張し、ヒットラーのウクライナ 優先作戦と激しく対立した。 軍部の言うとおりにすればドイツは勝っていたと思う
>>835 モスクワ直撃など、補給と戦力とソ連側の防衛戦力の問題から出来る状況ではなかったよ。
国防軍神話の信奉者は根強いな。まだいるのか。
早期にモスクワを攻撃すれば赤軍の体勢が整えられていないのでモスクワは攻略できた可能性はあるが、 それでスターリン体制が崩壊すれば良いが、スターリンが奥地に引き、さらにウクライナへの攻勢をしなかったとなると 代わりにウクライナ方面の赤軍が健在のままなので、東西にドイツ軍が切断されてしまう危険性を冒す事になる。
今の欧米の独ソ戦研究のトレンドは、一大トラクター生産地(トラック等のエンジンパーツの工場集積地だった)であったスターリングラード攻略決定は、過程は滅茶苦茶でもあながち間違いじゃなかったかもしれん、という空気ですよ。
840 :
\(^■^ ラ 【卍】 :2008/02/23(土) 22:33:31 O
わが民族は英雄的精神、犠牲心、それだけではなく死を恐れぬ心、 そして喜んで責任を引き受ける精神を絶えることなく発揮した後に、 打ち破られ、弱まり、戦いから身を引かなければならなかった。 千の戦場と戦闘において勝っていた。 しかしそれにもかかわらず最後には敗者たちが勝った。 開戦前および血を流して戦った四年半自体のドイツの内政、 外交への不吉な前兆があたったのだ。 【平野一郎訳《続・我が闘争》p.140より】
841 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 22:37:55 0
スターリングラードが長期の包囲戦と砲爆撃でトラクター生産どころでなく なってもドイツは負けたんだから、戦局に影響を及ぼさないところで無駄に 戦力を消耗したヒトラーの愚は変わらないね。 (そもそもヒトラーって戦車の予備部品補給を無視したことで有名じゃね)
ドイツ軍がモスクワを占領したら モスクワ付近が飛び出た格好はまさに クルスク挟撃かバグラチオン作戦 を場所を変えて再現することになりそうな悪寒
それ以前に41年中のモスクワ直進はやりたくても無理ですって話だったような。 >839 ヴォルガ河における水運拠点としての側面も結構重要視されてたと思った。
844 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 23:42:09 0
モスクワが陥落すればスターリンの威信は一挙に 失墜する。 ソ連ウクライナ方面軍の殲滅も容易だろう
845 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 00:57:59 0
普通の独裁者なら 初戦の大失態で、普通に更迭されているけどな。スターリンに関してはそれはない ヒトラーもそれを期待してたが朽ちかけた扉だったはずのスターリン政権は盤石だった モスクワ陥落でもスターリン政権の失墜はありえないな。
ウラルの山奥に首都機能を移したら、さすがにウクライナや中央アジア方面はスターリンに従わないんじゃねーの? もともと反ソ的地区だし。 というか、ウラル以東にドイツ陸軍に対抗しうる各種兵器を生産可能な拠点があったとは思えん(浦塩に海軍はいたけど)。 42年以降なら極東の人的・軍事的資源・予備兵力を根こそぎ西に送れば良いことが判明するから(ゾルゲ情報を信用していないとしても、41年末、日本陸海軍が南進・米国との対決姿勢を示すため)、しばらくは対抗できるかもしれん。 が、歴史のイフを語ってもしゃーねーわな。
847 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 02:47:08 0
赤軍大粛清の成果で反スターリン勢力は芽から潰されている ウクライナや中央アジアでスターリンに反抗しそうな有力者がまるで思いつかない あと軍需工場はウラル以東にほぼ移転が完了してたはず スターリン自身も、取り巻きもまたすでに、モスクワ陥落後と継戦についてはある程度考慮に入れている 彼らの多くはかつての帝政ロシアがナポレオンを打ち砕いた時のように、モスクワを捨てても十二分に勝算があると踏んでいた だからモスクワ陥落でスターリン政権が失墜することはありえない
>>846 ウクライナはもちろん反ソ的だったけど、ドイツの占領政策があまりにも
アレなんで反独的でもある罠。
>>846 >というか、ウラル以東にドイツ陸軍に対抗しうる各種兵器を生産可能な拠点があったとは思えん
思えん、とか言われても実際に移転してガンガン生産してるから。
1941年6月24日に早くも国家防衛委員会によって工場を東方のウラルとシベリアに
疎開させるための避難評議会が設置された。
この評議会の努力と南西部正面軍の遅滞戦術の成功が工場の移転を実現した。
8000両の貨車が一つの冶金コンビナートを移動させるために使われるなどしている。
850 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 10:56:51 0
ソ連戦争経済は米英の援助で支えられた。 モスクワが落ちれば米英も援助を躊躇しドイツとの講和を模索するだろ
ソ連がドイツを食い止めたのはレンドリース開始前。
852 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 12:09:28 0
ナポレオンの前例もあるから モスクワ焦土にして後退しても、もう駄目だとは思わんだろ
独ソ戦開始後ただちに工場疎開して、戦車作ってたって? 工場なんてそんなシムシティみたいに簡単にできねぇよ。 どんなソースだそれ。
>>853 ただちに移転の計画を始動したって意味な。
41年中は手持ち分で戦ってるよ。
それでも生産自体なら、レニングラードの戦車工場が、10月5日に疎開を開始して年末には
ウラルの移転先でKV-1を製造しはじめてる。
原野に建物だけ建てて、使える機械を片っ端から据え付けて生産開始したんだよ。
暖房も無い施設で、木に電灯を吊るし、焚き火で明るさを補ってね。
ソースはグランツの詳解 独ソ戦全史
855 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 13:32:19 0
要するにロシアみたいに無駄に馬鹿でかい国は絶対に負けない。 ドイツのような標準サイズの国がロシアに勝つことは絶対不可能ということか。
首都を落とせば自動的に敵が降伏交渉のテーブルに着く ってのは普仏戦争の圧倒的な成功体験が生み出した ドイツ参謀本部の幻想だしな むしろウクライナ制圧にもっと戦力を割くべきだった
857 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 13:41:06 0
ドイツが米英仏と友好関係で、ソ連だけに集中できる状況なら だいぶ話は変わってくるだろうけど、まあ無理な仮定だな。
858 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 14:32:48 0
モスクワ以東に設備を移転しても資源がないだろ。 政治経済の中心であり共産党の賀状であったモスクワが 落ちればソ連は脳を破壊された恐竜も同然であって 暴れまわってもいずれ死んでしまう。
>>855 それ考えるとイギリスのインドの完全支配って統治の芸術だよなw
>>855 そんなこと言い出したら満州族は絶対に清を建国できなかっただろ
ナチスの人種政策によるスラヴ人に対する過酷な奴隷化政策は 当初ドイツの侵攻を歓迎していたソビエト各地の住民を幻滅させ、 対独協力の芽をドイツ自身が摘み取ってしまう結果となり、 スターリンにとってはこの上ない「援助」にもなったともいえる。
862 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 23:43:35 0
明を滅ぼしたのは清ではなく李自成 ロシアは内乱じゃなきゃほろばないような気も 数々の征服者が失敗したようにロシア征服は不可能だと思う
ヒトラー直々にナチズムの最も強固な信奉者だった コッホをウクライナ総督に任命したからな
モスクワからの首都機能・各国外交拠点の移転は10月中からはじめられており、 ソ連にとってモスクワ陥落は「十分にありえること」として準備が進められていた。 モスクワが陥落してもソ連は降伏しようとはしなかっただろう。 米英内部での「やっぱりソ連負けるんじゃね?」論は活発になるかもしれないが、 どの道、モスクワへ直進するだけの力が(たとえウクライナへ南進しなくても) ドイツ軍にはなかったのだから、それなら手の届く方へ進んで少しでも食糧事情を 改善した方が得策。なにしろドイツ本国では「前線からの食糧要求が多すぎる。 逆に本国へもっと食糧を供出すべきだ」と尻を叩かれていたからな。陸軍は。
865 :
世界@名無史さん :2008/02/25(月) 00:54:05 0
つーか モスクワすぐ目の前まで来てたんだから モスクワ陥落はある程度想定して戦略取らないと政治家失格だろうに
>逆に本国へもっと食糧を供出すべきだ 独ソ戦の本質を言い当てているな。
>>855-856 WW1で生まれたてのソ連政府がドイツ軍にぼこぼこにやられて
ブレストリトフスク条約を、ポーランドにやられてリガ条約を
結んだことをお忘れなく。
868 :
世界@名無史さん :2008/02/25(月) 04:09:56 0
それは外交でカタをつけた場合だ 伍長のは完全なロシア征服 講和なら結べたと思うよ ヒトラーがその気になれば スターリンはかなりドイツに好意的だしね
その後の世界はさぞや複雑怪奇になるだろうな。
>868 どっちも前線でフルボッコにされた挙句の降伏ですが。
早期にモスクワを目指せばドイツ軍の力が若干不足していても 赤軍の態勢は総崩れで立ち直っていないのでモスクワ攻略だけなら不可能とは言い切れない。 その後の展開は不透明だが。
若干不足どころじゃなかったけどね。 早期に目指そうと思っても、停止せざるを得ない状況だったし。
つ補給戦 クレフェルト では、独ソ戦の展開について、補給でフルボッコされているな。
WW1やソポ戦争のときは内戦や干渉戦争に飢餓とインフルエンザでgdgdになっていたわけだしなぁ それでも誰もモスクワは陥としていない やっぱりヒトラーの見通しは甘いとしか。
876 :
世界@名無史さん :2008/02/26(火) 20:43:43 0
モスクワが持ってのは冬将軍とシベリア軍団のおかげ もう一ヶ月総攻撃が早ければ、どちらも間に合わずモスクワは陥落し 歴史は大きく替わっていた。
キエフに振り向けた戦力をモスクワ攻撃に投入すれば十月中にモスクワを攻略はできた可能性はある。 スターリンの権威が失墜しソビエト体制が崩壊すれば良いが、その為には住民の対独協力が不可欠だが、 ナチス主義が大きな障害となるだろうし、スターリンの体制が奥地で温存されれば、 キエフとシベリアの軍団によってモスクワを占領したドイツ軍は挟み撃ちにされる危険性が高い。
878 :
世界@名無史さん :2008/02/26(火) 22:31:17 0
>>877 赤軍キエフ方面軍は指揮系統が混乱しておりそんな器用な芸当は
困難だ。
また機会に乗じて日本軍がアクションを起す可能性があり
ジェーコフも動けまい
ただ住民協力に民族的偏見が障壁になると言うのは正論だ。
日本軍は何もしないだろ
>キエフに振り向けた戦力をモスクワ攻撃に投入すれば十月中にモスクワを攻略はできた可能性はある。 ない。
史実でも十月にモスクワ前面のモジャイスクで赤軍は大敗し六十万もの捕虜を出しているように赤軍の態勢が弱体であったのは隠せない事実。
882 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 22:58:39 0
モスクワ攻略に成功すれば、日本軍もウラジ攻略を目指すだろう。
883 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 23:11:26 0
>>882 日本の薄ぺら装甲戦車でソ連にケンカを売るのは無謀。
それに南方の資源確保に回す師団が無くなるので、連合艦隊も油ぎれ。
アメリカが参戦してくればすぐに負けだ。
戦後だからそう言えるだけで、 当時は赤軍は日本をかなり警戒していた。
885 :
世界@名無史さん :2008/02/29(金) 00:14:31 0
日本の出方を警戒し極東から戦力を抽出しないソ連軍。 そこへおもちゃのような戦車で攻め込む関東軍。 日本は何の資源も得ず徒に血を流すのみ。 極東からのレンドリースの荷揚げを日本が妨害してくれ ればドイツとしてはラッキーだが、まさか本当に日本が そんな奉仕活動をしてくれるとは思ってないだろう。
886 :
世界@名無史さん :2008/02/29(金) 00:15:50 0
何故、軍国日本は機械化部隊が貧相だったんだろうか?
スレ違い
60万の捕虜ってモスクワ前面でだったか?
スターリングラードでは?
キエフだろ。
ロストフか?
ドイツ軍は7月16日の段階でスモレンスクを制圧しモスクワまで320キロのベルイに達している。 ここで国防軍とヒトラーの間でモスクワかキエフかと対立があり、キエフを攻略した結果、 モスクワ攻撃は二ヶ月遅れ、赤軍が態勢を整える時間を与えてしまった。
簡単に320kmとか言うが実際に歩いてみたら?
実際にドイツ軍は6月22日の開戦からスモレンスクまでの640キロの進撃を1ヶ月足らずで完了させている。
895 :
世界@名無史さん :2008/02/29(金) 19:33:12 0
ヒットラーは、末期のベルリンも危うい状態でハンガリー油田地帯の 確保をねらった「春の目覚め」作戦を行い失敗している。 資源も大事だが固執して戦略的判断を鈍らせてはならない。 7月16日以降も、躊躇無くモスクワへ進撃すべきだった。
十月に開始されたドイツ軍のモスクワ攻勢で赤軍はモスクワの西80キロのモジャイスクで 捕虜67万を出す大敗を喫し、この大勝を聞いたヒトラーは「ソ連はもう打倒された。最早立ちあがれまい」 と断言し、もはやソビエトの予備兵力は払拭した認識していた。
機械化部隊はどんどん進む 補給部隊はまったく進めず
ジューコフはノモンハンでかなり恐怖を植えつけられてたからな。 「生涯で一番苦しい戦いだった」って言ってたぐらいだから、 さすがに日本とフルにはやりたくなかったんだろう。。
41年のソ連の疎開作業ってどれくらいの規模なんですか?何事業所?何万人くらい疎開したんですか? カフカスの石油ではなくアメリカからの援助の石油の方が比重が大きいから カフカスまで遠征するのは無駄だと知ったらブラウ作戦がやらなかったのですか? チタデレ作戦が中止になったら43年のドイツ軍は春から半年間なにをするんですか? マンシュタインが東部戦線の司令官だったら東部戦線は勝利していたのですか?
900 :
世界@名無史さん :2008/02/29(金) 22:28:04 0
ブラウ作戦は、ドイツ自身の石油確保のため ドイツ軍は春から半年間なにをするんですか>>赤軍の逆襲に備える マンシュタインが東部戦線の司令官だったら>> 司令官になる時期による。 ツィタデラの後なら無理
せめてブラウ作戦前じゃないとな。
バルバロッサ作戦時にしようぜ。
904 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 03:34:39 0
影が薄いバグラチオン作戦だけど、この戦いはギネスに載ったと聞いたけど本当? 確かに2ヶ月ちょっとで独軍50万、ソ連軍70万が死傷したから凄いけど・・・
905 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 19:36:41 0
マンシュタインの司令官になる時期 初めから ドイツ勝利確実 スターリングラード以前 ドイツ勝利の可能性高い ツイタデル以前 勝てないが負けもしない 以後 手遅れ
始めからいても、ブラウ作戦前でも勝てない。 ドイツの国力が起因する問題はマンシュタインでも解決出来ないから。
マンシュタインがww2の中で一番の衝撃的なことは 自分の作戦がヒットラーに認められたこと? チタデレ作戦の中止したこと? 軍集団司令を解任されたこと? ヒットラー暗殺計画をもちかけられたこと? たぶん息子のゲローが死んだこと
ブッシュと仲良しなマンシュタイン
>>907 >たぶん息子のゲローが死んだこと
うう……独逸の乃木大将
910 :
世界@名無史さん :2008/03/02(日) 14:15:34 0
>>906 モスクワ以西を征服すると国力派逆転する
>>910 独逸には工場があるが資源がないから負ける。
日本は資源はあるが工場がないので負ける。
ってのがあるな。
ソ連をウラル以西に追い出せばいい訳だし後は長城でも敷けばいいだろうとか思う。
ソビエト政府は放置の方向で。
でも第一次大戦はフランスの鉄鋼石地帯を占領していたにもかかわらず負けたぞ。 パリ占領目前で戦局が転換したし。モスクワ直前で負け始めたし、ドイツはこのような 失態が本当に多い。
補給だな。 必要な時必要な物を前線に送れなければ意味がないしなあ
>>910 工場疎開してますんで。
鉱山や油田設備の多くも破壊してます。
どっちにしろカフカス辺りで止められてしまう。。
工場占がたとえ無傷でも稼動には膨大な日用雑貨から資材人員の輸送が必要なんだが ただでさえ前線の補給困難に悩むドイツの国力でそれができるの?
最初の不意打ちでソ連が崩壊すればドイツが勝つ。 ソ連が態勢を立て直してしまえばドイツに勝ち目は無い。 ドイツとしてはソ連に時間を与えてはいけない。 ソ連はできるだけ時間を稼げば良い。
>>916 >ソ連はできるだけ時間を稼げば良い。
これ勝利の要因だったな。
918 :
世界@名無史さん :2008/03/02(日) 20:41:31 0
>冬戦争ではフィンランドに大苦戦したわけだし、ソ連軍を侮っても当然かと。 赤軍はフィンランドには勝利したが、ひどい有様だったもんな。 伍長がノモンハン知ってたら、「機械化しててあの程度か」って ますますソ連侵攻の野心を燃え上がらせたろうな。
919 :
世界@名無史さん :2008/03/02(日) 21:14:54 O
ノモンハンぐらい知ってるだろ。 けっこう大きな戦いだったからな
大佐以上の高級将校の65%が粛清されたなんて話聞けば誰だって赤軍は崩壊寸前って思うだろ。
ドイツ戦車もポーランド侵攻で機銃撃たれて砲塔まわらなくなったり 対戦車銃でぶち抜かれてたんだしBTよえええとか言えないだろ フィンランドと同じく目立ったのは兵器や戦略でなく戦術の拙さ 火砲の数で優位にならないと積極的な攻勢にでないソ連の伝統的な戦略、 損害を受けて躊躇うどころか勢いづく物資人員の投入などドイツ敗北を招いた要素も出てた
>>920 旧態依然の俸給泥棒を全部解雇したと言えば経営合理化と言い換えることが出来る。
大佐以上ってのがポイントだな。 逆に言えば佐官以下の実戦層が台頭することになる。
むしろ、粛正しないでおいて欲しかったな。 ジジイばかり将官が指揮してたら・・・
粛清されたのは内戦勝ち抜いた経験豊富な指揮官だらけだぞ そもそもスターリンが政治将校として内戦に参加したときの 軍事の専門家に対する猜疑心が原因の粛清だからね 開戦後の戦術的失敗は、勿論スターリンの誤判断やドイツ軍の奇襲によるところもあるが、 それが積み重ねられたのは野戦教条や編制の欠陥によるところが大きい 内戦を勝ち抜いた専門家達は新しい戦術理論に従ってそれらを改革する準備をしていた 確かに、開戦による士官学校からの繰り上げ当選組は新しい理論に基づくソ連軍を完成に導いたが、 それは大いなる遠回りだった
924 :
世界@名無史さん :2008/03/02(日) 22:40:44 0
1942年、ソ連は戦車24639輌(T-34/76だけで12533輌)生産 ドイツは戦車4278輌(ほぼ全てが1〜4号戦車) この時点でもう終わってる 1943年夏以降は雪崩の如く押し寄せるソ連戦車の前に成す術無し
ジューコフ コーネフ アントーノフ メレツコフ ウラソフ チュイコフ コヴォロフ カツコフ ロトミストロフ ポポフ ソコロフスキー ロコソフスキー ヴァシレフスキー マリノフスキー テモシェンコ エレメンコ トルブーヒン ヴァツーチン 番外:フルシチョフ、 他にまだまだ 資料が無いで、誰が誰の上司か とか、年齢や師弟関係がわかりません。集合写真を 何枚かみましたが、なんかドイツ軍がじいさんだとしたら、 ソ連の将軍はおじさんという感じで年齢はたぶんみんな 40〜50代くらいドイツはみんな痩せているような印象がします。 あとソ連の将軍は体系はがぷよっているか?ガタイがいいのが多い 感じが、みんなハゲかポマード頭・・・
赤軍大粛清の良かった点は、だれも裏切らなかったことだけだな
×裏切らなかった ○裏切れなかった 督戦隊 政治将校
そういやイランも将校殆ど粛清してたが督戦隊と人海戦術でイラクを防いだな・・・
戦いは数だよ。兄貴。
ソ連の将軍ってゲバラやトロッキーのような革命家タイプはいなくて 頑固親父タイプかインテリっぽいのが多いな。顔ね。
932 :
世界@名無史さん :2008/03/03(月) 20:38:28 0
モンゴル人の元帥がいたね
グルジア人の独裁者もいたね
| ┃彡 , -.―――--.、
| ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ
| ┃ .i;}' "ミ;;;;:}
| ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:|
| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
| ┃ | ー' | ` - ト'{
| ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
| ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' /
>>933 ワシのことか!
バンッ!! | ┃ | ='" | <!!
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \_______
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
935 :
世界@名無史さん :2008/03/06(木) 09:25:12 O
>>924 1942年ならドイツは1,0000輛以上生産してるだろ 44年に至っては2,5000輛近く生産してるし
4000ってソースなんだよ?
>>935 ドイツの戦争経済のピークが1944年ってのは常識だと思っていたんだがなぁ
938 :
世界@名無史さん :2008/03/06(木) 16:24:10 O
ドイツって44年で25000も生産しているらしいけど、 月割りだと2083両だけど、撃破されたりするのも あるけど、故障して遺棄されたり、新規編成の部隊に 配置したらそれほど多いようにも感じないないな。 ティーガーなんて数十輌、パンターだって数百両 少ないな・・・・
942 :
世界@名無史さん :2008/03/06(木) 23:22:18 O
自走砲/突撃砲含みます 装甲車は含まない と思う
943 :
世界@名無史さん :2008/03/07(金) 21:09:05 0
1941年、ナチスドイツによって行われた史上最大の超規模地上軍戦闘、バルバロッサ作戦。 二ヶ月の恐るべき速度での攻撃ののち、ドイツ軍は大きな問題に直面することとなった。 南部軍の進軍速度が鈍り、また当初の無抵抗の反動であるかのようなソ連軍の激烈な反撃に合い、当初の目標であったキエフが陥落せぬままになってしまったのである。 これに対しドイツ軍部は早急に打開策を打ち出すことが必要と判断。 モスクワ街道の要衝スモレンスクを制圧後、今後の目標を定める会議が開かれた。 北部、中央部軍が突出する形になってしまい、包囲戦すら危ぶまれたが、その先にはソ連の首都モスクワがあった。 このまま北方部隊を進軍させ、一気に首都を攻略すべし。 グデーリアン将軍を初めとする軍首脳部の意見が一致する中、総統ヒトラーだけが首を縦には振らなかった。 彼の主張は、当初の目的どおり、キエフ攻撃を優先すべきだというものであった。 「統帥危機」と呼ばれることになるこの論争は一ヶ月にもおよび、これにより作戦初期における優位性は完全に消失することとなった。 そして結果、ドイツ軍はヒトラーの名の下にキエフ攻撃を決定、ソ連はこの時間を利用して対独戦略呪術の構築を完成させることとなった。 九月四日、それは爽やかな風の吹く、穏やかな日のことであった。
しかしあの判断の時点ではあながち間違いとも。 頓挫すりゃやっぱ包囲殲滅させられる危険があったわけで。
南方軍集団に第”5”装甲集団があればよかったのか?
当初予定だと南方軍集団の装甲部隊は兵力も出撃予定地点も異なっていたんだが、 バルカン方面からの転用が結構ギリギリで赤軍を包囲殲滅できるような配置になっていなかったからな。 ちなみに、モスクワ云々という意見を主張した将軍は少なかった。 装甲部隊は当時まだ装甲「軍」ではなく装甲「集団」で補給面での独自性が弱く、 近在の「軍」に補給を依存するウェイトが大きかった。そのせいで中央軍集団では第4軍・第9軍が 「装甲部隊がウチの補給分まで食いつぶしているせいで動けない」という意見であり、 また中央軍集団全体でも補給列車の運行量が予定におよばなかったせいで 「ドニエプル以東への進撃は困難だ」とする意見が多かった。 さらに後方の補給総監部では、早くも7月14日に総監自らが「装甲部隊のスモレンスク以東への進撃は困難。 歩兵部隊もドニエプルまでが当面の限界」と通達している。 これはスモレンスク包囲網内の赤軍が頑強に抵抗したことで弾薬輸送を優先せざるを得なくなり 食糧・燃料輸送が後回しにされたため、あとでより一層深刻な問題となった。 このような状況だったため、クレフェルトの言を借りればウクライナへの転進はモスクワ攻略の延期には ほとんど影響がなかった。加えて重要だったのは、ソ連からの食糧輸入が途絶えたために ドイツ本国での食糧配給が危うくなりはじめたことだった(この食糧不足は後に絶滅政策正当化への口実となる)。 8月の段階で数個師団だけを突進させることはできたかもしれないが、それは中央軍集団全体を停止させ、 南方軍集団をさらに苦戦させていただけだろう。そして42年にはドイツ本国で深刻な食糧危機が発生し、 戦争そのものの遂行にどう影響していたことか。当時のドイツ指導層や中堅層は第一次大戦での飢餓封鎖を トラウマとしていたし。もっとも、前線では史実以下の戦果で本国の状況も危機的となれば 戦争が早く終わっていたかもしれないからドイツにとってはそれがよかったのかもなw
スレ違いで申し訳ないんだけど 連合軍がパリ解放した時、アメリカ兵がパリの女性をレイプしまくって パリの市長が「これならドイツの方がマシだった」って言ったのは本当? 本当ならなんでアメリカ兵はそんなことしたんだろう
「解放してやったんだから当然だ」と思ってたんだろ。
949 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 11:08:53 0
同盟国の女性をレイプすれば銃殺ものだよ 和姦だろ
950 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 11:23:18 0
ポーランドやハンガリーを「解放」したはずの赤軍兵士達は暴行略奪をやりたい放題。 でも将校に通報すれば内務人民委員の部隊がやってきてその兵士達へ問答無用で機銃掃射を浴びせて 「始末」してはくれたらしい。
赤軍の場合、暴行掠奪は上からのお墨付きじゃなかったか?
>>947 パリの話じゃない。
そもそもパリには自由フランス軍も入城してたから、そんなことになれば大問題になる。
ただフランスやドイツなどで連合軍兵士による略奪や暴行が頻発し、問題になったり「ドイツ軍の方が云々」の発言があったのは確か。
「バンド・オブ・ブラザース」の原作でも、ドイツに入った兵士達がほとんど何の罪悪感も持たずに民家から銀食器などを持ち出す話が出てくる。
あと赤軍も前衛のエリート部隊は非常に厳格で、暴行略奪をしていた兵士がその場で上官に射殺された場合もある。
撃ちあいやってる最中にサボってたら、そりゃ撃たれる罠。
954 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 13:49:56 0
あんまり一部のソースを鵜呑みにしない方がいいぞ
戦後、いろんな意味でバイアスがかかってまともな資料自体存在しないんだし
>>946 おまえのレスに正当性があるのならドイツは1941年夏の時点でフル戦時モードになってるはずだが
実際ドイツが他国のような戦争経済に移行したのはスターリングラード敗北後の1943年2月からだから
955 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 14:18:40 0
http://www.axishistory.com/index.php?id=3612 ドイツ軍戦線別戦死者統計
Country 1941 1942 1943 1944
USSR 34 171 179 157
France, Belgium
& Holland 38 27 42 56
Norway & Finland 13 16 16 16
Balkans 7 8 17 20
Italy 0 0 0 22
Denmark 1 1 2 3
North Africa 2 3 0 0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html 各年6月におけるドイツ軍師団数の地域分布
1941 1942 1943 1944 1945 Total
(Mar. to Dec.) (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth 1,082 4,757 9,376 10,766 4,437 30,073
Aid to Russia 20 1,376 2,436? 4,074 2,764 10,670
Aid to other countries 2,872
Total lend-lease aid 43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html アメリカが送った年代別レンドリース額とその相手国($ million)
956 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 14:21:23 0
ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
http://members.at.infoseek.co.jp/utidayuki/moskow.htm モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941〜1942年
>>954 フル戦時モードならどんな正当性がでるの?
は? 総力戦体制でないからこそ軍ではモスクワ突進などという無謀な行動を支えることは余計にできないと思うが。 そもそも、モスクワに突進できたとする見解こそ、いわゆる「国防軍神話」の類ではないのかね。 戦時配給の隘路と親衛隊民情報告記録について、永岑や栗原、矢野、オウヴァリーくらい読んだら?
>958は954宛ね。
メシの話ほど戦争をよく表すものは無しとはよく言ったものだな。
ナポレオンも軍隊は胃袋で進むと言ってるし>メシの話 モスクワ直撃については、やれたかどうかと、やったとして成功したかどうかと、 成功したとしてそれで戦争がどうなるのかって話だな。 仮想向きなのでそっち系の板なりスレなりでどうぞという気がする。 アメリカがソ連に送った援助量はよく出てくるけど、イギリスがソ連に送った援助量は どんなもんだったんだろうね?
北極海の輸送船団か……
7月の段階では赤軍は総崩れでまだ態勢を立て直していない。 8月にモスクワ攻撃を開始すれば赤軍の態勢はまだ整っておらず トゥーラを突破するのは容易だったろう。
964 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 19:54:42 0
デンマークはレジスタンスの騒乱がスゴかったんだよ。
わりと穏やかな占領統治だったはずなんだが不思議。
967 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 22:22:10 0
同じゲルマン系の北欧諸国に大しては寛大 スラブ系には過酷 ラテン系は中間
968 :
世界@名無史さん :2008/03/09(日) 22:27:44 0
ガテン系に対しては?
969 :
世界@名無史さん :2008/03/10(月) 02:07:26 0
ソ連軍はエリート部隊と中央アジアの遊牧民あがりのゴロツキ兵二つあるらしい ドイツは、最初はエリート部隊からベルリンにはいったので略奪とかは殆どなく住民は安心してたが あとからベルリンに入ったアジアの師団で一気に地獄絵図へ 日本の満州は逆で 先鋒はシベリアの囚人兵から突撃したから、いきなり地獄絵図 次に後からはいったエリート兵がそいつらを問答無用で射殺してた
スターリンは督戦隊や政治将校にマイノリティ出身者を使い突撃部隊にはロシア人を使い 互いに馴れ合いをしないよう「配慮」していたというが。
逆じゃなかったっけ?
集団投降を恐れて、少数民族をまとめて投入するなっていう報告書があったな
>>969 >後からはいったエリート兵がそいつらを問答無用で射殺してた
さらっと捏造するなw
974 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 00:18:39 0
いや事実だろ おまえこそ朝鮮人工作員の工作にまどわされてない??
975 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 00:21:48 0
資料探せばすぐ判るはずだが ロシア兵(米兵)が敗戦後にやった云々のスレは朝鮮人工作員のくだらないスレで 日本人は立ち入ってない 満州で、暴行を働いたロシアの囚人兵が 後からきたロシア兵に容赦なく射殺されていたのは証言などから事実だよ まー図書館で調べてみな
976 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 00:49:11 0
一番手っ取り早いのはその証言を引用することだと思うよ。
977 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 02:11:13 0
対日本の先鋒が シベリアの流刑囚とかで混成された犯罪者部隊だったのは事実だな 政治犯とかじゃなくて、強盗や殺人で流された超極悪犯罪者部隊だから さすがソ連。いくら人手不足だからって犯罪者まで動員するとは
ドイツにもあっただろ あとユーゴ内戦の時の各勢力とか
980 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 21:28:09 0
>>978 ユーゴのチェトニックは、「ナバロンの橋」に出てくるなw
>>980 フォーステンか!昔はよくTVであってたな。
最後のシーンが一番いい。
爆弾技術者「勲章物ですよ」
隊長「さて諸君、その勲章を貰う為に帰らねばならないが問題がある」
「まずは我々が居る場所は、パルチザン勢力圏の反対側」
「つまり独逸軍の勢力圏でド真ん中だ」
「そして、彼ら独逸軍は我々を必死なって捜すであろう亊」
「最後に、我らが頼りの爆弾神士の爆薬ストックはゼロであること」
「どうも長い帰りの道になりそうだ」
チェトニクは別に犯罪者でもなんでもなく、元は対独パルチザンだろ。 反共という共通目的で対独よりも対チトーになったけど。 いや、戦後に犯罪者認定されましたって意味なら別だが。
ソ連は三国同盟に加入してた方が良かったんじゃないか? 三国同盟に入れば欧州はイギリス以外全部アルゼンチンやタイとかもソ連の味方してた訳だし ワルシャワ条約機構よりずっと強大な勢力の一員だぜ。
>>983 独ソ不可侵条約結んでいても独ソ戦が起きたのだから、
たとえ三国同盟に加盟していても独ソ戦が起こったでそ。
正確に言えば「同盟参入の条件が折り合わなかったから」だがね。
スタはフィンランドやルーマニアなどかなり条件を吹っかけていた. チョビ髭はスタの要求を交渉次第で割り引ける駆け引きの手法とは思わず 真に受けてスタはとんでもない膨張を意図していると対ソ戦を決意。 要求を出し回答を待つスタにドイツ軍が国境に集結しつつあるとの報告を受けた スタは慌てて「ドイツの如何なる不満にも応える用意がある」と態度を一気に軟化させた。 しかしこの段階ではドイツ軍の配備は既に完了、進撃命令を待つ段だった。 ドイツとロシアの交渉失敗は言葉を額面通りに受けるドイツ人気質と 駆け引きとして最初の値段を吊り上げるロシア式交渉術の行き違いの面もある。
いつも戦争ってのは言葉の行き違いから始まるんだよな。 エムス誤報事件とか…ああ、アレは意図的だったな。
いやいきなりルーマニアやフィンランドやトルコよこせとか言われても返答しようがないだろ。 ソ連はブルガリアに衛星国化を迫ったり国境近くに大軍配備してたりした訳だし 実際膨張政策取ろうとしてたんじゃない?
前進配備は当時の状況とソ連邦成立の経緯を鑑みれば自然なもの。
990 :
世界@名無史さん :2008/03/12(水) 22:28:07 0
>>980 ナバロンの嵐 だが
パルチザンが連合軍工作員にゴサツされるシーンが後味悪いが
それを除けばレベルの高い良質な戦争映画だった。
チェトニックに007のジョーズが出てくるなw
997 :
世界@名無史さん :2008/03/12(水) 22:51:31 O
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