>>754 外人には訓読みとか書き下しの区別つかないからな。
東アジアで見れば一番日本が独自性保ってるのにね。
ラテン語とかアルファベットの由来想起させて説明させれば分かり易かったろうな。
特に口頭的な面ではそうで、儒者の一派が単語を原音で発音するのに興味を持った程度で、
ロシアみたいに外国語が日常会話になるのは
どんな高位の人間でもありえなかった。
774 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:42:37 0
>>773 >ロシアみたいに外国語が日常会話になるのは
どんな高位の人間でもありえなかった。
補足させてもらえば
ロシアみたいに【支配者も被支配者も土着の民族なのに】外国語が
日常会話になるのは、どんな高位の人間でもありえなかった。
イギリスはフランスのノルマンディ公に征服されて以降
貴族=ノルマンディからの移民=フランス語
庶民=アングロサクソン=英語
という時代が長く続いた。
そのため今の英語も軍事,法律,政治用語はフランス語起源が多い
775 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:51:16 0
>>772 >その辺はノヴゴロド共和国あたりからの伝統
その伝統、第二次大戦でも発揮されたな
ソ連軍はドイツでも満州でも略奪暴行しまくりだった。
満州では日本人が略奪暴行の被害にあったが、実は満州在住の中国人や朝鮮人も
そうとう被害を受けたようだ。見境なしだな
そして、それに対する反省や賠償が全くないのも伝統
>>775 満州で邦人が苦情を赤軍将校に言うと人民委員の部隊が飛んできて狼藉を働いた兵士達に
問答無用で機関銃の機銃掃射を浴びせ死体は腐るまで放置していたとかでその邦人はびっくりしたという話を聞いた。
赤軍兵士の暴行略奪は酷かったが一方で取り締まりも情容赦が無かったらしい。
>>775 ノヴゴロド共和国あたりからの伝統ってのは
狩猟部隊(ヴァターギ)を組織して北方の狩猟民の土地から
毛皮を収奪することをいう。
軍隊の略奪や暴行は西欧含めユーラシア規模の伝統。
778 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 07:50:53 0
ノヴゴロドもモスクワに併合されなければ白樺ノヴゴロド語が独自の言語に発展していたのに・・
>>778 よく知らんがイヴァン3世の強制移住と4世の虐殺で住民が入れ替わってるのかな?
780 :
世界@名無史さん:2008/07/12(土) 21:46:34 0
>>776 >満州で邦人が苦情を赤軍将校に言うと人民委員の部隊が飛んできて狼藉を働いた兵士達に
問答無用で機関銃の機銃掃射を浴びせ死体は腐るまで放置していたとかでその邦人はびっくりしたという話を聞いた。
赤軍兵士の暴行略奪は酷かったが一方で取り締まりも情容赦が無かったらしい。
赤軍の取り締まりも厳しいけど、逆に日本の取り締まりはゆるすぎる。
特に【責任能力がない】と判断されると罪に問われないというのは納得できない
『この男はあんたの娘さんを強姦してから殺したけど責任能力がないから
無罪釈放ね』では誰も納得できないだろう。
780はただのキチガイ
782 :
世界@名無史さん:2008/07/13(日) 08:59:06 0
オマエモナー
ロシア史ではいつまでが中世なんだ?
「スラヴ人はモンゴル人から鞭を教わった」といわれているが、
スラヴ人の以前の農耕スキタイ人とヘロドトスの記している民族は
遊牧スキタイ人に年貢を貢納していたという記述があり、
あの辺の農耕民が遊牧民に年貢を納めるという秩序は
モンゴルに始まったことではなかった。
つかヴァイキングが来る前ハザールの支配下だったよな。ポリャーネ族とか。
786 :
世界@名無史さん:2008/07/18(金) 16:24:19 0
今のシベリアに住むツングースだかなんだかは白人系の人たちを
支配してたって聞いたけど。シベリアって古代のほうが文化が発達してたって
聞いたことがある。
ミヌシンスク盆地あたりの話かねえ?
789 :
世界@名無史さん:2008/08/04(月) 03:51:41 0
信じられないとは思いますが・・私は去年の夏、バシキリア人の女性と付き合っていました・・
もうマジャールに近い言語なんか使ってないのだろうね。
792 :
世界@名無史さん:2008/08/05(火) 01:19:39 0
バシキリアの言葉はとても面白いと言っていた。
最初の方の話になるけど、2000年前スラブ民族がいたのは現在のポーランドからベラルーシとウクライナにかけて
ゴート族はヴィスワ河沿いに南下して最終的に黒海まで行ってしまって、ヴィスワ河の東西には勢力を広げていない
ベラルーシやウクライナにいたスラブ人(東スラブ人)の一部が東や北へ進んで、
ヴァイキングが混血してきてルーシとなりロシアを作った
ポーランドにいたスラブ人(西スラブ人)はゲルマン人と混血し一部ポーランドに残って最終的にポーランド人として統合し、
一部は西へ進んでデンマークのあたりではオボトリト族になり内陸のはソルブ族になり、
一部は南へ進んで最終的にチェコ人やスロバキア人となり、
一部はさらに南へ進んで南スラブ諸民族になった
794 :
世界@名無史さん:2008/08/05(火) 09:06:47 0
>>784 実態は農耕スキタイ・農民スキタイの農産物と遊牧スキタイの金属器の物々交換
遊牧スキタイが自分たちの作った金属器を馬に乗せてやってきて農作物と交換し、馬にのせて帰る
農民スキタイは遊牧スキタイに隣接し政治的に従属していたが、
その奥地にいた農耕スキタイは遊牧スキタイから独立していて遊牧スキタイとは純粋に交易をしていた
795 :
世界@名無史さん:2008/08/05(火) 09:07:58 0
>>767 あとロシアが長い間持っていたのはフィンランドな
西ヨーロッパで12世紀に起きた三圃制が中欧にいきわたったのが14世紀、
モスクワ大公国に広まったのは15世紀半ばになってから。
商業都市ができたのは16世紀になってからだった。
>商業都市
ノヴゴロドとかは違うん?
>>797 ノヴゴロドはイワン雷帝の治世に一度破壊されているし、もともとモスクワ大公国
とは別の国だった。
しかし
>>796では中世盛期まで視野に入れて語ってるようだが
十五世紀になるまで言ってみればルーシの有力ないち勢力にすぎなかった
モスクワに話を限定する必要があるのだろうか。
800 :
世界@名無史さん:2008/08/06(水) 08:56:51 0
ロシアに「古代」なんかない。
「古代」というと、スキタイ。
ロシアのオプシチナは、古代的な土地所有制といっていい?
ギリシャのメトジウス兄弟のキリスト教布教によって南スラブから東スラブとだんだんに広がっていって、今のロシアの直系の祖である東スラブ族はキリスト教受容と同時にグレゴール文字という文字言語を初めて受け入れたんだよな。
というか、むしろ信仰のための古代教会語。
いわばキリスト教によって文明がはじまった。国家とキリスト教の結び付きは、ロシアの場合すごい密接してるよね。
そのロシアでなぜロシア革命が起こり得たんだろう。
803 :
世界@名無史さん:2008/08/06(水) 19:33:05 0
ツァーリ崇拝と、神への信仰は少し違うかもな。ロシア正教にあっては、タタールのくびきから解放され、初めて第3のローマと自認することとなったツァーリはいわば法皇であり、教会の守護者のような位置付けだった。
(多少の偶像崇拝は含まれてるだろうけど)
それにしても日本軍の指揮官ってそんなに底評価なのか…
805 :
世界@名無史さん:2008/08/06(水) 22:08:58 0
>>802 キュリロス&メトディウス兄弟の聖書はモラビア王国からポーランド王国にも伝わってるが、
その両国ともカトリックになった
東スラブ系とは、文化的にだいぶ違う
>>804 ツァーリ崇拝って、異教の残滓じゃないの?
古ゲルマンの王たちも神々の子孫とされていた。
>>806 神々の血を引く王統なんてのはそれこそ世界中にあるけど
それだけでアウトクラトールのような権威を持てたわけではない。
「イーゴリ公軍記」なんかでは「ダージボーグ(東スラヴの太陽神)の子孫なるルーシの民」
などとリューリク公家に限らないような描写がされてるし。
ロシアではオリガ、ウラジーミル、ボリスとグレプ兄弟、アレクサンドル・
ネフスキーなどの公たちも列聖されている。
(商人や農民、大貴族出身の聖人はいないのか?)
16世紀の初頭には、モスクワ大公を神聖視する著作が相次いだ。
たとえばヨシフ・ヴォロツキーは『啓蒙者』で、「ツァーリの権力は神のものと
同等である」と主張した。
17世紀の総主教ニーコンは、アレクセイ帝を「聖なるツァーリ」と呼んでいる。
810 :
世界@名無史さん:2008/08/19(火) 18:26:02 0
アンドレイ・ボゴリューブスキーがウラジーミル独自の府主教の地位につけようとしたフョードルは
キエフ府主教に呼び出されて「犬の島」に連行されて舌を抜かれ、右手を切り落とされ、両眼を
えぐり出されて処刑されたそうですが、犬の島って何でしょ?
ドニエプル川の中洲か何か?
>>812 訳者の経歴見るとスラヴ語やギリシャ語が変な表記になりそうな
ビザンツ皇帝の名前を見るかぎり、ギリシャ語は大丈夫そう。
慣用表記とは違うけど。
815 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 12:14:46 0
あげ
818 :
世界@名無史さん:2009/01/16(金) 09:23:52 0
モスクワ年代記集成を編纂したキプリアン府主教って
ブルガリア貴族の出だがCamblakという割とテュルク系っぽい姓だったんですね。
↑モンゴルのロシア支配スレに書こうとして素で間違えた
別にスレ違いでないからいいか
820 :
峰:2009/01/18(日) 01:33:41 0
ルーシの洗礼って何ですか?
一定地域の住民を集めて河に入らせて「今日からお前らキリスト教徒」
>>822 近代のアーティストが描く「古ルーシ」ってたいてい甲冑がルネサンス頃の
メイルとプレートを組み合わせたような奴なんだよね。
手塚治虫のイリヤ・ムロメツとかでもそうだったけど。
824 :
世界@名無史さん:2009/01/19(月) 21:36:53 0
825 :
世界@名無史さん:2009/02/01(日) 15:19:09 0
コサックの歴史について解説したいい本はありませんか?
>>825 植田樹「コサックのロシア 戦う民族主義の先兵」って本が日本語では一番充実してるかと。
コサックの出現からロシア革命までの歴史と、ソ連崩壊後のコサックの動向にも触れてる。
>>827 たしかに怪しい記述多いですよ。
1380年のクリコヴォの戦いにコサックが参加してたとか。しかもモスクワ側で。
ドン・コサックが史料に出てくるのは15世紀かららしいんだけど・・・
あと金帳汗国のロシア兵の数がありえねえだろって程水増しされてたような気がするw
でも基本的な流れは押さえてたと思うしカザン征服やイェルマークの
シベリア遠征の詳しい記述があって面白かった。
今読むと突っ込みどころ満載なのかもしれないけどw
洋書はちょっと思いつかない。すいません。
>>828 ありがとうございます。
英語の本も探してみましたが、下の本なんかは良さそうです。
The Cossacks Shane O'Rourke
同名の書がもう一冊ありましたが、そっちの方はロシアの視点に偏っていて
ウクライナを無視しているという書き込みがありました。
チェックしてみます。
ザポロージェ・コサックはヴェルナツキーの「東西ロシアの黎明」とか
山川の「ポーランド・ウクライナ・バルト史」に詳しい記述があるけど
ドン・コサックやヴォルガ・コサックの発生について詳しいのないかなあ。
そういや何かでちらっと読んだけどクバン・コサックは
ノヴゴロドから来た河船賊の子孫だという説があったとかなかったとか・・・
"Святослав : история о великом князе-воине"
という子供向けの絵本ではスヴャトスラフ1世の「髪の房を残して剃り上げた」髪形を
思いっきりザポロージェ・カザークの髪型と同じに描いていた。
ウクライナに古来からあった髪型だとするとなぜ近世になって急に復活したか謎だが。
833 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 17:10:39 O
ほしゅ
834 :
世界@名無史さん:2009/06/09(火) 20:39:28 0
ノヴゴロド Novgorod
ロシアの最古の町のひとつ。年代記の859年の項に初めて見える。
イリメニ湖に近く、ヴォルホフ川をはさみ、ソフィア教会の建つデティネツ(内城)の
あるソフィア地区と、ヤロスラフの館のある商業地区に分かれる。
バルト・ヴォルガ・ドニェプル水路の要衝に当り、商工業の中心として繁栄。
ヴェーチェ(民会)の力が強く、封建領主と大商人は民衆の反乱に乗じてキエフから
独立、貴族共和国(1136-1478)が成立。民会は公の招致と追放、大主教・役人の選出、
裁判を行うが、貴族が実権を握る。10州からなる版図はフィンランド湾、白海、ウラル
に及ぶ。住民は農業を主とし、狩猟、漁業、養蜂、製塩を営み、多くの都市で手工業が
栄える。収奪した産物(毛皮、麻、?、蜜、脂、魚等)を国内やバルト沿岸都市に輸出、
毛織物、金属製品を輸入し、ハンザ同盟の一員として繁栄、アレクサンドル・ネフスキー
以来ドイツ騎士団、スウェーデンの侵入をよく防いだが、階級闘争が激化し、15世紀
半ばからモスクワ大公国の圧迫を受け、イヴァン3世に征服され、民会の鐘をモスクワに
運び去られた(1478)。建築、絵画の中心地として大きな位置を占める。湿地のため木材
の保存がよく、大規模な発掘が進行中で年輪年代法が確立され、白樺文書は新たな史料
を提供している。
『新編 西洋史辞典』 1983年 京大西洋史辞典編纂会 東京創元社 より
>>735の本を同じくブクオフで200円で手に入れた
836 :
735:2009/07/10(金) 03:59:47 0
>>836 どうもw
そういや石戸谷重郎著「ロシアのホロープ」を古本屋で見かけて4千円で買ったら
後で近所の大学の図書館にあるのに気づいたという苦い思い出が
スキタイやマッサゲタイは古代において重要な位置を占めたにも関わらず、
現在のロシヤやウクライナではその研究はあまりされていない。
民族的に異なるのでやっぱり黄金細工などには興味はあってもその文化には無関心なのだろうか。
「あまりされていない」って例えばどこの研究状況と比較しての話なんだろう。
ドイツとか?
840 :
世界@名無史さん:2009/09/06(日) 22:19:05 0
>>47 オットー・ハプスブルクがいうように、ユーロエイジア
歴史地図長をみてたら、リトアニアがいきなりルーシの中部〜南部を領有しててびびった。
ロシアはジュチウルスに従属してたんとちゃうの?
どうなってるのか概観してちょ?
>>841 14世紀になってゲディミナスとかの有能な君主が現れた頃に
ポロツク公国やスモレンスク公国を斬り従えてったんだよ。
んでキエフまで進出した数十年後にシニエ・ボドゥイって所で
タタール軍を破ってる。当時キプチャク汗国は内乱状態。
ちなみにクリコヴォの戦いのときはリトアニアはママイと同盟してて
モスクワ軍を挟み撃ちにする予定だったそうで。
あとドミートリー・ドンスコイの治世には永年のライバルだったトヴェリ公国と
同盟したリトアニア軍に2回もモスクワ城下まで攻め込まれてるが
当時あの辺ではまだ一般的でなかった石造りの城壁を
築いておいたおかげで助かった。
ドミートリードスコイ
イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記っていつの間にか東洋文庫で出てたんだね
846 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 18:39:00 0
良スレage
847 :
世界@名無史さん:2010/02/23(火) 12:58:38 0
「ギリシャ・ローマ」の「古代」のころは、
スキタイ人じゃ!
農耕スキタイがスラブだったろうけれど・・・
848 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 10:55:32 0
850 :
世界@名無史さん:2010/05/31(月) 21:33:43 0
バイキングが来た頃?
トインビーによるとスラヴ人の歴史がはじまったのはアヴァール族に軍事動員されてから
>>842 >14世紀になってゲディミナスとかの有能な君主が現れた頃に
>ポロツク公国やスモレンスク公国を斬り従えてったんだよ。
それちがう
リトアニア大公国の支配層の大半は実はスラブ人(ルーシ人)
つまり、大公国という枠組みでモンゴルやゴートに対抗する部族連合を組んだわけ
彼らルーシ人はロジスティックスは西や北からということで西や北のやつらに本拠を組ませて、
そこから支援してもらうのをもくろんだ
そこで原リトアニア出身者(リトアニア人)の土地に政治的中央を置き、
一方で大公国の支配層の大多数を占めていたルーシ人たちは
対モンゴル最前線を形成したわけだ
そのため大公国では公用語や政治がルーシ化(ルテニア語、ミール)した
この流れは後に大公国が西のポーランドと連合して文化がポーランド化するまで続く
>それちがう
>リトアニア大公国の支配層の大半は実はスラブ人(ルーシ人)
ソースをどうぞ
ググれ
簡単に、大量に出てくる
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国
ルーシ人豪族たちのミール(共同体)
国家自体があったわけではなく、後の歴史家が勝手に名づけたものだが
>>855 リトアニア大公国 支配層 スラブ人
リトアニア大公国 支配層 ルーシ人
で検索しても掲示板の書き込みとかWikiソースしか見当たらないんですが
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 で検索してみな
あるいは正教 教会スラブ語など関連語句で
しかし素人って面倒くさいなあw
>>858 ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 正教 教会スラブ語
で検索してもWikipediaかその引用か掲示板が目に付くばかりですね
しかもリトアニア大公国の支配層について一体どこに書いてあるんですか?
まー征服地の支配層を取り込まねば支配が立ち行かない
というのが普通でござろう。リトアニアの征服が完全破壊型では
無いのは確かかと。
861 :
世界@名無史さん:2010/06/05(土) 14:28:12 0
>>859 もとの英語版のあちこちにソース貼ってあるだろw
英語読めない情弱なの?
>>862 リトアニア人の国粋主義は精力的だからなあw
どうしようもないw
リトアニア大公国では貴族は基本的にルーシ人(ルテニア人)だった事実は
ここにさあ、書いてあるんだけど?
The Grand Duchy of Lithuania, taken as a whole, was basically a Ruthenian state,
as it was populated mainly by Ruthenians, its nobles were of Ruthenian origins,
and a variant of Old Slavonic close to Belarusian is the sole language of most
surviving official documents of the state prior to 1697.
ttp://www.knowledgerush.com/kr/encyclopedia/Ruthenia/ ソースはこのへんらしいっすよ
Carpatho-Rusin American Collection
http://www1.umn.edu/ihrc/carpatho.htm The Rusin Association Home Page
http://www.carpatho-rusyn.org/rusin.htm Carpatho-Rusyn, Rusin, Ruthenia: Cross-Index
http://feefhs.org/rusyn/indexcru.html Who Are We: Rusin, Russian, Ruthenian, Slovak ...? by John Slivka
http://www.lemko.org/lih/slivka.html Rusin Association of Minneapolis Minnesota Homepage
http://www.geocities.com/rusinmn Ethnologue site: Rusyn language
http://www.ethnologue.com
>>863 >ソースはこのへんらしいっすよ
一番目はミネソタ大学の移民史研究センターのルシン系米国移民に関する所蔵文献の紹介で、
検索してもLithuaniaという言葉すら一度たりとも使われておりません。
二番目はミネソタ・ルシン人協会のページで、サイトごと検索してもリトアニア大公国の
支配層についての記述はありません。
三番目は東欧人の家系研究会ですが、リトアニア大公国の支配層について記述なし。
四番目はルシン人のアイデンディティについての考察のようですが、これもLithuaniaという言葉すら
一度たりとも使われておりません。
五番目はこれまたルシン人協会のサイトですが、リトアニア大公国についての記述はなし。
六番目は世界中の言語のリファレンスブックのサイトですが、リトアニア大公国について記述なし。
ロシア・ベラルーシ・ウクライナではリトアニア大公国の貴族は大半が
スラヴのルテニア人だと言ってそれが定着しているから、
それが本当かどうか自分で裏取って見るといいんじゃない?
リトアニア大公国の後継国家でもある現在のポーランドではそういうのはほぼ無関心
あまり論争にはならない
そもそもそういう中世の人々の民族的統計に興味がない
というのもポーランドでは国民の民族出自(先祖)はあまり重要なことじゃない上、
実際に調査すると民族的線引きというのは難しいと考えてるらしい
とある三人兄弟
「俺はポーランド貴族として生きる」
「俺は血に従いリトアニア人として生きる」
「俺は農民達とともにベラルーシ人として生きる」
>>865 >ロシア・ベラルーシ・ウクライナではリトアニア大公国の貴族は大半が
>スラヴのルテニア人だと言ってそれが定着しているから、
>それが本当かどうか自分で裏取って見るといいんじゃない?
あなたは裏を取らずに書いたんですか?
>>866 まあどの選択を取っても子孫はポーランド語を話すカトリックになってる可能性がありますな。
>>867 >まあどの選択を取っても子孫はポーランド語を話すカトリックになってる可能性がありますな。
19世紀に民族主義化した人々はポーランド人にならなかった
「現在の」リトアニア人や西ウクライナ人など
彼らは非常に暴力的で危険な排他思想を持っていて、その矛先がポーランドに向いている
彼らは主に貧農層の子孫で19世紀に普及した公教育で過激な民族思想を脳に叩き込まれた
リトアニアでは第一次大戦まで支配していたドイツ人(の民族主義者たち)がリトアニア下層民を洗脳
まあ西ウクライナでもオーストリアのドイツ人民族主義者がウクライナ系原住民を洗脳
ステパン・バンデラなどの怪物を生み出した
「ポーランド語を話すカトリック」というのは必ずしも
「ポーランド人」という意味で書いた訳じゃないんですけどね。
まあいいや。
リトアニアの支配層の話はもうどうでもよくなったんですか?
そもそも現代のポーランド人というのは中世のポラン族(Polans)の子孫だけじゃないだろ
英語でPolansと呼ばれる部族は2つあり西のポーランドにいたのがポラン族、
東のウクライナのドニエプル川あたりにいたのがポリャーネ族
東のポリャーネ族はキエフ・ルーシの基幹となった
西のポラン族は西に広がったスラヴ人(ヴェンド人)に支配されたヴァンダル族
(そもそもヴァンダル族自体がスラヴとゲルマンの連合体だったとも言われる)