>>822 近代のアーティストが描く「古ルーシ」ってたいてい甲冑がルネサンス頃の
メイルとプレートを組み合わせたような奴なんだよね。
手塚治虫のイリヤ・ムロメツとかでもそうだったけど。
824 :
世界@名無史さん:2009/01/19(月) 21:36:53 0
825 :
世界@名無史さん:2009/02/01(日) 15:19:09 0
コサックの歴史について解説したいい本はありませんか?
>>825 植田樹「コサックのロシア 戦う民族主義の先兵」って本が日本語では一番充実してるかと。
コサックの出現からロシア革命までの歴史と、ソ連崩壊後のコサックの動向にも触れてる。
>>827 たしかに怪しい記述多いですよ。
1380年のクリコヴォの戦いにコサックが参加してたとか。しかもモスクワ側で。
ドン・コサックが史料に出てくるのは15世紀かららしいんだけど・・・
あと金帳汗国のロシア兵の数がありえねえだろって程水増しされてたような気がするw
でも基本的な流れは押さえてたと思うしカザン征服やイェルマークの
シベリア遠征の詳しい記述があって面白かった。
今読むと突っ込みどころ満載なのかもしれないけどw
洋書はちょっと思いつかない。すいません。
>>828 ありがとうございます。
英語の本も探してみましたが、下の本なんかは良さそうです。
The Cossacks Shane O'Rourke
同名の書がもう一冊ありましたが、そっちの方はロシアの視点に偏っていて
ウクライナを無視しているという書き込みがありました。
チェックしてみます。
ザポロージェ・コサックはヴェルナツキーの「東西ロシアの黎明」とか
山川の「ポーランド・ウクライナ・バルト史」に詳しい記述があるけど
ドン・コサックやヴォルガ・コサックの発生について詳しいのないかなあ。
そういや何かでちらっと読んだけどクバン・コサックは
ノヴゴロドから来た河船賊の子孫だという説があったとかなかったとか・・・
"Святослав : история о великом князе-воине"
という子供向けの絵本ではスヴャトスラフ1世の「髪の房を残して剃り上げた」髪形を
思いっきりザポロージェ・カザークの髪型と同じに描いていた。
ウクライナに古来からあった髪型だとするとなぜ近世になって急に復活したか謎だが。
833 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 17:10:39 O
ほしゅ
834 :
世界@名無史さん:2009/06/09(火) 20:39:28 0
ノヴゴロド Novgorod
ロシアの最古の町のひとつ。年代記の859年の項に初めて見える。
イリメニ湖に近く、ヴォルホフ川をはさみ、ソフィア教会の建つデティネツ(内城)の
あるソフィア地区と、ヤロスラフの館のある商業地区に分かれる。
バルト・ヴォルガ・ドニェプル水路の要衝に当り、商工業の中心として繁栄。
ヴェーチェ(民会)の力が強く、封建領主と大商人は民衆の反乱に乗じてキエフから
独立、貴族共和国(1136-1478)が成立。民会は公の招致と追放、大主教・役人の選出、
裁判を行うが、貴族が実権を握る。10州からなる版図はフィンランド湾、白海、ウラル
に及ぶ。住民は農業を主とし、狩猟、漁業、養蜂、製塩を営み、多くの都市で手工業が
栄える。収奪した産物(毛皮、麻、?、蜜、脂、魚等)を国内やバルト沿岸都市に輸出、
毛織物、金属製品を輸入し、ハンザ同盟の一員として繁栄、アレクサンドル・ネフスキー
以来ドイツ騎士団、スウェーデンの侵入をよく防いだが、階級闘争が激化し、15世紀
半ばからモスクワ大公国の圧迫を受け、イヴァン3世に征服され、民会の鐘をモスクワに
運び去られた(1478)。建築、絵画の中心地として大きな位置を占める。湿地のため木材
の保存がよく、大規模な発掘が進行中で年輪年代法が確立され、白樺文書は新たな史料
を提供している。
『新編 西洋史辞典』 1983年 京大西洋史辞典編纂会 東京創元社 より
>>735の本を同じくブクオフで200円で手に入れた
836 :
735:2009/07/10(金) 03:59:47 0
>>836 どうもw
そういや石戸谷重郎著「ロシアのホロープ」を古本屋で見かけて4千円で買ったら
後で近所の大学の図書館にあるのに気づいたという苦い思い出が
スキタイやマッサゲタイは古代において重要な位置を占めたにも関わらず、
現在のロシヤやウクライナではその研究はあまりされていない。
民族的に異なるのでやっぱり黄金細工などには興味はあってもその文化には無関心なのだろうか。
「あまりされていない」って例えばどこの研究状況と比較しての話なんだろう。
ドイツとか?
840 :
世界@名無史さん:2009/09/06(日) 22:19:05 0
>>47 オットー・ハプスブルクがいうように、ユーロエイジア
歴史地図長をみてたら、リトアニアがいきなりルーシの中部〜南部を領有しててびびった。
ロシアはジュチウルスに従属してたんとちゃうの?
どうなってるのか概観してちょ?
>>841 14世紀になってゲディミナスとかの有能な君主が現れた頃に
ポロツク公国やスモレンスク公国を斬り従えてったんだよ。
んでキエフまで進出した数十年後にシニエ・ボドゥイって所で
タタール軍を破ってる。当時キプチャク汗国は内乱状態。
ちなみにクリコヴォの戦いのときはリトアニアはママイと同盟してて
モスクワ軍を挟み撃ちにする予定だったそうで。
あとドミートリー・ドンスコイの治世には永年のライバルだったトヴェリ公国と
同盟したリトアニア軍に2回もモスクワ城下まで攻め込まれてるが
当時あの辺ではまだ一般的でなかった石造りの城壁を
築いておいたおかげで助かった。
ドミートリードスコイ
イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記っていつの間にか東洋文庫で出てたんだね
846 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 18:39:00 0
良スレage
847 :
世界@名無史さん:2010/02/23(火) 12:58:38 0
「ギリシャ・ローマ」の「古代」のころは、
スキタイ人じゃ!
農耕スキタイがスラブだったろうけれど・・・
848 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 10:55:32 0
850 :
世界@名無史さん:2010/05/31(月) 21:33:43 0
バイキングが来た頃?
トインビーによるとスラヴ人の歴史がはじまったのはアヴァール族に軍事動員されてから
>>842 >14世紀になってゲディミナスとかの有能な君主が現れた頃に
>ポロツク公国やスモレンスク公国を斬り従えてったんだよ。
それちがう
リトアニア大公国の支配層の大半は実はスラブ人(ルーシ人)
つまり、大公国という枠組みでモンゴルやゴートに対抗する部族連合を組んだわけ
彼らルーシ人はロジスティックスは西や北からということで西や北のやつらに本拠を組ませて、
そこから支援してもらうのをもくろんだ
そこで原リトアニア出身者(リトアニア人)の土地に政治的中央を置き、
一方で大公国の支配層の大多数を占めていたルーシ人たちは
対モンゴル最前線を形成したわけだ
そのため大公国では公用語や政治がルーシ化(ルテニア語、ミール)した
この流れは後に大公国が西のポーランドと連合して文化がポーランド化するまで続く
>それちがう
>リトアニア大公国の支配層の大半は実はスラブ人(ルーシ人)
ソースをどうぞ
ググれ
簡単に、大量に出てくる
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国
ルーシ人豪族たちのミール(共同体)
国家自体があったわけではなく、後の歴史家が勝手に名づけたものだが
>>855 リトアニア大公国 支配層 スラブ人
リトアニア大公国 支配層 ルーシ人
で検索しても掲示板の書き込みとかWikiソースしか見当たらないんですが
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 で検索してみな
あるいは正教 教会スラブ語など関連語句で
しかし素人って面倒くさいなあw
>>858 ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 正教 教会スラブ語
で検索してもWikipediaかその引用か掲示板が目に付くばかりですね
しかもリトアニア大公国の支配層について一体どこに書いてあるんですか?
まー征服地の支配層を取り込まねば支配が立ち行かない
というのが普通でござろう。リトアニアの征服が完全破壊型では
無いのは確かかと。
861 :
世界@名無史さん:2010/06/05(土) 14:28:12 0
>>859 もとの英語版のあちこちにソース貼ってあるだろw
英語読めない情弱なの?
>>862 リトアニア人の国粋主義は精力的だからなあw
どうしようもないw
リトアニア大公国では貴族は基本的にルーシ人(ルテニア人)だった事実は
ここにさあ、書いてあるんだけど?
The Grand Duchy of Lithuania, taken as a whole, was basically a Ruthenian state,
as it was populated mainly by Ruthenians, its nobles were of Ruthenian origins,
and a variant of Old Slavonic close to Belarusian is the sole language of most
surviving official documents of the state prior to 1697.
ttp://www.knowledgerush.com/kr/encyclopedia/Ruthenia/ ソースはこのへんらしいっすよ
Carpatho-Rusin American Collection
http://www1.umn.edu/ihrc/carpatho.htm The Rusin Association Home Page
http://www.carpatho-rusyn.org/rusin.htm Carpatho-Rusyn, Rusin, Ruthenia: Cross-Index
http://feefhs.org/rusyn/indexcru.html Who Are We: Rusin, Russian, Ruthenian, Slovak ...? by John Slivka
http://www.lemko.org/lih/slivka.html Rusin Association of Minneapolis Minnesota Homepage
http://www.geocities.com/rusinmn Ethnologue site: Rusyn language
http://www.ethnologue.com
>>863 >ソースはこのへんらしいっすよ
一番目はミネソタ大学の移民史研究センターのルシン系米国移民に関する所蔵文献の紹介で、
検索してもLithuaniaという言葉すら一度たりとも使われておりません。
二番目はミネソタ・ルシン人協会のページで、サイトごと検索してもリトアニア大公国の
支配層についての記述はありません。
三番目は東欧人の家系研究会ですが、リトアニア大公国の支配層について記述なし。
四番目はルシン人のアイデンディティについての考察のようですが、これもLithuaniaという言葉すら
一度たりとも使われておりません。
五番目はこれまたルシン人協会のサイトですが、リトアニア大公国についての記述はなし。
六番目は世界中の言語のリファレンスブックのサイトですが、リトアニア大公国について記述なし。
ロシア・ベラルーシ・ウクライナではリトアニア大公国の貴族は大半が
スラヴのルテニア人だと言ってそれが定着しているから、
それが本当かどうか自分で裏取って見るといいんじゃない?
リトアニア大公国の後継国家でもある現在のポーランドではそういうのはほぼ無関心
あまり論争にはならない
そもそもそういう中世の人々の民族的統計に興味がない
というのもポーランドでは国民の民族出自(先祖)はあまり重要なことじゃない上、
実際に調査すると民族的線引きというのは難しいと考えてるらしい
とある三人兄弟
「俺はポーランド貴族として生きる」
「俺は血に従いリトアニア人として生きる」
「俺は農民達とともにベラルーシ人として生きる」
>>865 >ロシア・ベラルーシ・ウクライナではリトアニア大公国の貴族は大半が
>スラヴのルテニア人だと言ってそれが定着しているから、
>それが本当かどうか自分で裏取って見るといいんじゃない?
あなたは裏を取らずに書いたんですか?
>>866 まあどの選択を取っても子孫はポーランド語を話すカトリックになってる可能性がありますな。
>>867 >まあどの選択を取っても子孫はポーランド語を話すカトリックになってる可能性がありますな。
19世紀に民族主義化した人々はポーランド人にならなかった
「現在の」リトアニア人や西ウクライナ人など
彼らは非常に暴力的で危険な排他思想を持っていて、その矛先がポーランドに向いている
彼らは主に貧農層の子孫で19世紀に普及した公教育で過激な民族思想を脳に叩き込まれた
リトアニアでは第一次大戦まで支配していたドイツ人(の民族主義者たち)がリトアニア下層民を洗脳
まあ西ウクライナでもオーストリアのドイツ人民族主義者がウクライナ系原住民を洗脳
ステパン・バンデラなどの怪物を生み出した
「ポーランド語を話すカトリック」というのは必ずしも
「ポーランド人」という意味で書いた訳じゃないんですけどね。
まあいいや。
リトアニアの支配層の話はもうどうでもよくなったんですか?
そもそも現代のポーランド人というのは中世のポラン族(Polans)の子孫だけじゃないだろ
英語でPolansと呼ばれる部族は2つあり西のポーランドにいたのがポラン族、
東のウクライナのドニエプル川あたりにいたのがポリャーネ族
東のポリャーネ族はキエフ・ルーシの基幹となった
西のポラン族は西に広がったスラヴ人(ヴェンド人)に支配されたヴァンダル族
(そもそもヴァンダル族自体がスラヴとゲルマンの連合体だったとも言われる)