中世ヨーロッパの暮らし(3)

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。

中世ヨーロッパと言っても、時期や地域によって随分違うようです。時期は、スタンダードには西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもまぁOK。

地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアとか、ギリシア(ビザンツ)とかもOK。

庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。

時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じでマターリと。

【参照用】中世西欧の時代細分(一例):>>2

【前スレ】中世ヨーロッパ人の暮らし
http://mentai.2ch.net/whis/kako/981/981129811.html

中世ヨーロッパの暮らし(2)
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1022771504/

【関連スレ】中世の職業
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1076231719/

欧州の民族史
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045631245/

近世(初期近代)ヨーロッパの暮らし
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1091017968/

◎◎◎西洋古代史を語るスレ vol.1◎◎◎
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1088522623/
2世界@名無史さん:04/08/04 13:47
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードと思えるところを参照用目安として。

中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)

前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)

初期中世:大まかに5〜10世紀

盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。

末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀
3世界@名無史さん:04/08/04 14:45
スレ立てお疲れ様です。
4世界@名無史さん:04/08/04 17:45
期待アゲ
5世界@名無史さん:04/08/04 19:01
前スレの続き

>ブリューゲルの絵なんか観てると、当時の人たちは魚に怪物的な
 イメージを持ってたんじゃないかと思わされるね。

そうかな?キリスト教的には魚のイメージは悪いものではない
と思うんだけど。蛙とかは悪魔の手先的なイメージだけど。
6世界@名無史さん:04/08/04 19:19
ビザンチン帝国関連ならば、スラブ人移動も話題から外せない。
7世界@名無史さん:04/08/04 20:32
「昔のギリシャ人と中身別か?」
・・・アテネオリンピックの報道に関して、あるおぢさんの感想w
8世界@名無史さん:04/08/04 20:37
中世においてはチェコとポーランドのポジションも西欧史の一部として重要。
9世界@名無史さん:04/08/04 20:46
このスレもついに三代目か。
初代スレの1は夢壊されてグレたんだろーなw
10世界@名無史さん:04/08/05 00:57
むしろ変にどろどろの中世にはまっているかもしれん。
それをグレたというのかもしれないが…
11世界@名無史さん:04/08/05 01:03
今頃は「中世の庶民生活における寄生虫の影響」とか研究してたりして。
12世界@名無史さん:04/08/05 16:35
まぁ、夢壊して喜んでるほうにも同情するが・・・
13世界@名無史さん:04/08/05 20:09
>>1が貼り忘れてるので追加

Paradox公式サイト Crusader Kings
http://www.paradoxplaza.com/crusaderkings.asp

Crusader Kings レヴュー
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040601/ck.htm

Paradox スレ
http://game8.2ch.net/test/read.cgi/game/1087850964/

Crusader Kings Wiki
http://cgi.f41.aaacafe.ne.jp/~ckwiki/pukiwiki.php?FrontPage

以上です。ヨロ〜。
14世界@名無史さん:04/08/06 12:17
生活の世界歴史の「中世の森の中で」買って来て読みはじめたんだけど。
古代から中世に続いてたっていう、ヨーロッパの原生林って、
今の温帯気候の地域ってイメージでいいのかな?

地中海性気候のあたりは原生林なかった??
南仏とかは?
15世界@名無史さん:04/08/06 23:34
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/mondo/m_06/m06_3.html

フェラチオは、教会が禁止していたのですよね?
16世界@名無史さん:04/08/07 11:07
>>15
中世ヨーロッパの話な。

カソリック教会が禁止してた。
ただし、フェラやオナニーくらいだと、ふつうは、断食何日とか、無言の業何日とかだったはずだから。
今の刑法とかのイメージでの禁止とはちょっと違う。
※もっとも地域や時期によっては、禁止がもっときついこともあったそうだ。

フェラもオナニーもアナルセックスも同性愛も禁止はしてた。
いまでも、公式には罪とされてるけどね。避妊もいけないこととしてるわけだから。
※同性愛は、英国教会などに、同性愛者の聖職者を認めるかどうかとか、最近ごたごたがあるみたいだが。
17世界@名無史さん:04/08/07 11:10
イギリスで、黒人の同性愛者が、主教に任命された。
ケニアとかは猛反対だった。
18世界@名無史さん:04/08/07 11:13
missionaryたちはmissionary positionを奨励しました。
19世界@名無史さん:04/08/07 11:35
前スレ埋まらんね・・・・・
20世界@名無史さん:04/08/07 12:55
膣外射精も禁止だ<中世ヨーロッパ
21世界@名無史さん:04/08/08 00:00
>>13 の人が紹介しているゲームすごい面白そうなんで
買ってみようと思うんすけど、これってカードじゃないと買えないの?

それと、漏れ英語あまり得意じゃないんだけど大丈夫かな?
22世界@名無史さん:04/08/08 00:06
>>14
>地中海性気候のあたりは原生林なかった??
>南仏とかは?

うーん、ギリシアやローマのあたりは造船で随分伐採されてたと聞くけど。
南仏辺は、内陸部と植生の違う原生林があったのでは?
23山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/08 00:15
>>20
近世の事になりますが、コンドームも禁止でしたね。
24世界@名無史さん:04/08/08 00:31
今もギリシアに続くオーソドックス(正教)のアトス山。
男子禁制なのだが、家畜も雄しか入山できない禁制が伝わってるそうだ。

とゆーことは、野には獣姦するヤシもいたってことだらう(w
獣姦も、当然禁止。
25世界@名無史さん:04/08/08 00:34
近親相姦、オーラルセックス、獣姦、肛門性交、同性愛、オナニー、
全部禁止だったな。
26世界@名無史さん:04/08/08 00:38
その辺まとめて火あぶりの刑だったからな〜 キツいわ
27世界@名無史さん:04/08/08 00:40
なぜだれも24の「男子禁制」というところにつっこまんの打
28世界@名無史さん:04/08/08 00:40
いや、オナニーくらいは、火あぶりってこたないよ。
29=24:04/08/08 00:42
>>27
しまつた、女子禁制で津
30世界@名無史さん:04/08/08 00:45
>>26
>>16ぐらい嫁
31世界@名無史さん:04/08/08 01:28
アトスの修道士には、かつては「母親の産道と乳房」以外の女を知らない者もいたそうだね。
32世界@名無史さん:04/08/08 20:22
それって、物心つく前にアトス山にあげられて、
一生、外に出たことない修道士がいたって意味だよね。

「女を知らない」っつても、生涯童貞ってことでなくて(w)。
33世界@名無史さん:04/08/09 08:09
文字通り女を知らない。というか見たことないと。
34世界@名無史さん:04/08/10 00:32
>>23
一つだけ許された避妊法がオギノ式、てのはかなりきついっすよね。
35世界@名無史さん:04/08/10 12:38
「法王庁の避妊法」ってね
って、オギノ式は何で許されるんだろ、
これ見つかるまで避妊は許可されていなかったってこと?
36世界@名無史さん:04/08/10 13:12
オギノ式なんて知識は中世にはないだろ。

(ケルトの)石塚に盛ると妊娠し易い、とか、
そーゆー俗信が盛んだった時代だぜ。
37世界@名無史さん:04/08/10 15:50
>>35 あれは基本的に装具や薬品を使わない方法だからね。
38山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/11 00:54
結果は逆ですが、授乳期間が短いと次の妊娠が早くなるそうです。乳母の役割
の一つをそこに求める見解もある。
前スレで、文献の一覧がでていたと思うけど、そこから一冊(二冊だけど)紹介。
オットー・ボルスト『中世ヨーロッパ生活誌』白水社は、1985年が初版で、
1998年に新装復刊Otto Borst;Alltagsleben im Mittelalter 1983の全訳で、
対象は中世ドイツが主、参考文献は訳書では省かれています。
『中世ヨーロッパ生活誌1』『中世ヨーロッパ生活誌2』と二冊に分かれてます。
>>849(前スレ)
>「都市部の民家」と「農村部の民家」は何でできてたんでしょうか。
に対して、本書が関連しているのは1巻第4章「無邪気な農民」と
第7章「市民の家にて」です。
農家については、北のザクセン型と南のフランケン型に大きく分類し、フリース型、
上部ドイツ型、アレマン型などは過渡期的なものであるとして、ザクセン型と
フランケン型の構造を取りあげている。ザクセン型は居室と仕事部屋が一体と
なっていて、フランケン型は居間と仕事小屋が分離して独立している。
「このような丸太小屋や木組み家屋の屋根は、わらやアシ、あるいはこけら板で
葺いている。こけら板には、落雷を防ぐというので好んで家ネギが植えてあった」
という。
戸の固定は蝶番ではなく皮紐で、床は堅く踏み固められた粘土で、板張りの床は
まれだったといった感じで述べている。
また、村の構造にもふれている。ときとして隣家どうしの距離が遠かったり、
全体が柵で、それどころか壁で囲まれていたこともあり、小都市の観を呈すること
もあったとしている。
市民の家については、初期の市民の構造物は簡素な一階建ての細長い長方形で、
構造は農家の造りを基本としている。最も普及したのは木組み家屋で、「石の家」は
特別な名前で呼ばれることがあり、教会、領主、少数の貴族用に限られていたとする。
とはいえ市民の石造りの家屋の初期のものも取りあげている。
中世後期のものとして、デューラーハウスやヘルマン・ペックの家について述べ、
家財などについてもふれている。瓦屋根が高価でこけら葺きが多かったことに
ついて述べ、ウィーンでは瓦に見せかける「こけら板に赤い塗料を塗る」ことが
15世紀に多いに流行したとする。

なお、本書では、
「したがって、注意深く見ようとする者は、中世の都市は絶望的なほど不潔だった、
などと一括して判断することに慎重にならざるをえないであろう」として、
あくまでも旅行者などが都市でゴミや汚物などを見かけた時にわざわざ記述している
ことを例にあげて、中世の都市は汚かったと一括して判断せず、人口過密化が
始まるまでは「中世の町といえども農場以上に不快な匂いをしていたわけではなかった」
という見方をしている。
また前スレで紹介した モリー・ハリスン『こどもの歴史』法政大学出版局 では、
農村の住居について、湾曲したオーク材を対にして、これを固定するため水平に棟木
を設け「A」の形を組み合わせて、これをならべてといった形で、住居を自分たちで
構築する順番で紹介している。屋根は泥炭の塊(ターフ)か、わら葺き。
また、その周辺の地域で手に入る材料で作ったので、「海岸近くの家では、フリント石か
海岸や依然ぬ身であった以前海であった場所の小石が使われた」「森林地方では家の
骨組みを木材で組み立て」た、このため村や町では似たような造りのものが多く、
場所によって石の色が異なるため、地域によってその地方独特の色の家となった
とする。中世以降は16・17世紀、18世紀、19世紀と章ごとに分かれているので、
時代ごとの変遷がつかめるはず。
42世界@名無史さん:04/08/19 08:02
良スレあげ
43世界@名無史さん:04/08/23 20:36
アジールについてはすでに語られたのかな?
教会・家・森・山・古木・泉、以外にはどんな場所があったのでしょう?
44世界@名無史さん:04/08/24 20:00
橋とか
>>43
水車小屋・市場とか
46世界@名無史さん:04/08/27 18:17
>>35
それまでは外出しでしょ。もっともオーソドックスだったのは。
建前上は快楽を求める性行が禁止されていたわけだから
外出しも荻野式もだめだと思うんだけど。建前ではね。
47世界@名無史さん:04/08/28 17:24
>>46
どうでもいいけどこのタイミングでオーソドックスというと混乱招きかねないんじゃないかねw
48世界@名無史さん:04/08/29 08:51
>>43
微妙なところで渡し舟
49世界@名無史さん:04/08/30 11:59
渡し舟といえば…ヨーロッパの橋ってどういうのがメインだったのかな?
中国だと結構早い段階から橋梁建築が発達してて
盧溝橋みたいに1000年近く実用に耐えてる橋があるみたいだけど、
同時代のヨーロッパ…
ローマ崩壊以降、ルネサンス以前、中世ヨーロッパの橋梁ってどんなんだったんだろうか。
50世界@名無史さん:04/08/31 12:03
ルツェルンの橋なんて、数年前に火災で焼失したけど、500年くらいもってたんだよな
51世界@名無史さん:04/08/31 13:14
>>43
「アジール」でぐぐって見ましたがどうにも要領を得ません
よろしければ何の事か教えていただけますでしょうか
52世界@名無史さん:04/08/31 18:20
にゅーたいぷようのもびるあーまー
53世界@名無史さん:04/08/31 19:21
>>51 子供の鬼ごっこで、地面に円を描き、「ここから中はバーリア!」ってやるでしょ?
これの大人版で、司法が介入できない一時避難場所みたいなもの。
日本で言うところの「駆け込み寺」を思い浮かべてみるとよろし。
54世界@名無史さん:04/09/03 00:04
>>53
やりませんがわかりました。教えてくださってありがとうございます。
55世界@名無史さん:04/09/20 17:37:12
>>49
アビニオンの橋を架けた親方はたしか聖人になっているはず。
それくらい奇跡的だったようだ。今も廃墟が残っている。
ロンドン橋を架けたときは、あまりにも工事が難航するので人柱を立てたらしい。
どちらも歌が残っている。
56世界@名無史さん:04/09/20 17:54:51
アヴィニョンと宇都宮は姉妹都市。



全然似てないのに。
57世界@名無史さん:04/09/20 17:55:51
>>53
アジールに逃げ込んで、それからどうしたの?
まさか一生そこに籠ってる訳にもいかないし。
58山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/20 18:53:56
>>49
橋を建てるのに人柱として捕虜・犯罪者が使われたといい、倫敦橋の土台か
らは人骨の代りに多数の硬貨が発見されたそうです。
第二次大戦中に古い石橋が空爆で破壊されて判明したところでは、石橋であ
ってもまず木枠を用意してその中に石を詰めて土台としていた様です。
橋の建設には表向き宗教的な理由が言われ、1220年以降は贖宥符が発行
されて資金作りに貢献しています。
なお渡し守に払うお金はほとんど強制的な交通費の様なもので、漁師などが
客を渡したり、川が凍っていても勝手に渡ると制裁が加えられました。
>>54
ギリシア語の「不可侵」が語源。日欧ともに私的な権威・権力が規制される様
になった16世紀以降は縮小・消滅を余儀なくされています。
59世界@名無史さん:04/09/20 20:51:17
>>57
場所にもよるが、だいたい14日ごとに3回開かれる裁判にあわせて
6週間と3日間は保護されたんだそうだ。それを過ぎるとアジールから
出なけりゃならない。中世都市をアジールと考える場合は従者が1年と
1日間都市に留まると主従の関係が清算されるとか。日本の駆け込み寺
などは3年間寺に留まって奉仕すれば主従関係が清算されるらしい。
60世界@名無史さん:04/09/20 21:00:16
>>49
バイエルン州のニュルンベルクなどは都市の橋が1480年にすべて石橋に
なったんだそうだ。それ以前は木の橋もあったんだろうね。橋と言えば
刑場にもなっていたそうで、罪人を縛って橋から落として岸にたどり
つけば無罪だったとか。神明裁判で水にほうりなげて沈めば無罪とか言う
のもあるけど、それも橋から行なわれたのかもね。
61山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/20 21:10:53
子殺しをした母親などの重罪人を特に縄で縛り、特定の門の前などに来たところ
で引き上げ、生きていれば無罪とした例もありました。
ところが意外と生存者が多いので斬首刑に変更された土地もあります。
絞首刑の場合、三度も縄が切れて命拾いしたのに、結局四度目の正直で殺され
てしまったという気の毒(?)な例もありました。
62世界@名無史さん:04/09/20 21:17:14
>>61 
生きていれば無罪という所が中世らしいですねw
63山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/20 21:22:25
「罪」自体の認識も問題です。
行なわれた事自体が罪(という属性)なのであって、過失でも罪に問
われた代りに、計画倒れは不問とされたという事が『中世の秋』にあ
りました。まあ程度の問題であったでしょうが。
我が国では盗まれたものは盗んだ者の属性がついてしまっており、
返しても「弁償」にならなかったのではないかという説があります。
(もっとも、私はいささか懐疑的ですが)
64世界@名無史さん:04/09/20 21:28:55
>>59
なるほど。
65世界@名無史さん:04/09/21 03:24:46
豚や牛、鶏なんかも、ご丁寧に裁判にかけていますね。
アレは、どういった意味があるのでしょうか?
神前裁判の一種ですか?
66世界@名無史さん:04/09/21 12:41:13
>>63 行為そのものに問題があるとされたわけですね。ただ、そういう状況も
   告解が一般化され、人々の内面まで教会が掌握しようとした12世紀以降は
   変化してきたように思うのですが、どうでしょう?

>>65 鶏や犬や屋根の藁なども証人(?)として裁判に持っていったとか。
   あと家の死刑ってのもありますよね。一種のアニミズムの名残のような
   印象を受けますね。
67山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/21 18:01:59
>>66
上手く言えないのですが、人が犯す「罪」と社会の中での「犯罪」はまた
異なるものとされていたのではないかと。
罰せられようが、罰せられまいが残るのが罪。何らかの社会的制裁が
必要とされるのがここでいう犯罪で・・・やはり上手くない。
68世界@名無史さん:04/09/21 18:22:00
カラスやイナゴも破門されてますよね。
いつからキリスト教徒に認定されていたのかは知りませんが・・・・(w

それとも、教徒異教徒関係無く破門の対象になっていたのか・・・。
69世界@名無史さん:04/09/21 19:26:45
法の厳密適用の精神かな?
”動物であっても、神の前では罪を免れることは出来ない” とか?
70世界@名無史さん:04/09/22 10:26:21
70
71世界@名無史さん:04/09/22 16:19:08
>>49
彼岸と此岸を結ぶモノのイメージもあったが、都市の発展とともに無くなって
ゆく。橋の建設は都市が率先して建設する傾向にあり、法人格をもつ橋もあった。
刑場の名残としての小聖堂をもつ橋は現在でも多数見られる。また、宗教的建前を
かかげるのも中世におけるお約束。
72世界@名無史さん:04/09/22 19:09:02
>>67
なんとなく、霊的な罪と俗的な罪のデュアルな関係がイメージできる気がします。
「罪」は「許される」もので「犯罪」は「罰せられるべきもの」、という感じで
しょうか。ただ、この2つの概念を中世の人々は明確に区別したのでしょうか。
現在から中世を振り返った場合には区別できるのですが、当時としては???と
いう感じもします。
73例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/09/22 23:26:49
>>49
資料がないのでこの以前はよく分かってないらしいが、12世紀ごろから
しっかりとした石橋が建てられるようになったという。
アヴィニヨンの橋とか、ロンドン橋もこの世紀に建てられてる。


ちなみに、脚の土台の作り方は大きく分けて二通り。

・川底に石とか砂利とか砂利混ぜ土とか敷き固めて、”小島を”作り、
そこに脚を立てる方法
簡単に作れるのが利点で、ロンドン橋もこの方法で建造されたが、
小島が余計な面積とって川の流れが悪くなり、潮の満ち引き時には
橋の上流下流の水位が大きくなりすぎて船が通れなくなったり、
おまけに水車やら何やら作るせいでもっと悪化して終いには
橋の下が激流と化して土台が掘られて危うく倒壊寸前とか何とか。

・杭で土台を作る場所を囲ってその中を排水し杭の間をふさぎ、
川底より低い高さから土台を立てる方法
こちらの方が段違いに頑丈でトラブルも少ない建て方だが、
なんと20世紀になって鋼鉄杭が使われるまで一般的にはならなかったとか。
74世界@名無史さん:04/09/23 13:36:13
age
75世界@名無史さん:04/09/23 14:06:19
中世では、現在と違い、刑事事件と民事事件の差が無いためかも。
殺人事件でも、告発者がいないと、事件にならない。
76世界@名無史さん:04/09/23 14:14:18
裁判するまえに自力救済権を発して被害者の親族が復讐しちゃうもんね。
もし殺人事件が過失によるものだった場合は加害者が裁判で釈明したり
被害者の関係者と和議が成立する時間的余裕がいるためにアジールが必要
になる。
77山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/23 20:16:41
>>72
とりあえず、参考までに阿部謹也先生の『中世を旅する人々』から。
「ヴィクトール・アハターが述べているように、中世、とくに一三世紀以前
における「刑罰」は近代法のそれと違い、命をとることに目的があったのでは
なく、「犯罪」によってけがされた世界の秩序を回復するための儀式であった
から、一定の処置(儀式)が終れば犯人も助けられたのである。この意味で多
くの「処刑」は偶然に左右される「不十分」なものでよしとされた。」
犯罪を「穢れ」(非日常的なもの)と見做したのは日欧共通の様です。
78山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/23 20:26:34
>>75
横レスですみませんが、それも当時の日本と同じですよ(76も)。
「獄前の死人、訴えなければ検断なし」という法諺があったぐらいですが、
見た目はともかく精神面ではよく似ています。
79世界@名無史さん:04/09/24 02:31:04
イギリスの古典物の推理小説読んでて、殺人事件がおきると必ず予審があって
「殺人」「自殺」「殺人のように見えるがただの事故か病死」の3つに分けるのは
どういう訳だと思っていたが、中世からの伝統だった。
自殺だと墓地に埋められないし、葬式出せないし、財産の没収たら何やらでややこしい。
日本なら「殺人」「自殺か事故か病死」で済むが。
もっとも、江戸時代の武家はよほどのことがないと、すべて「病死」で済ませる。
80世界@名無史さん:04/09/24 06:44:39
>>79
今は、自殺でも財産没収にはならないよね?
81世界@名無史さん:04/09/24 11:52:11
イギリスでは、ホモも昔は死刑。
82世界@名無史さん:04/09/24 12:16:28
オスカー・ワイルドの頃はもう違ったね
83世界@名無史さん:04/09/25 00:28:41
>>78
喧嘩両成敗は江戸時代からでつか?
84世界@名無史さん:04/09/25 03:40:14
>>83
喧嘩両成敗は、非常時のやり方です。
戦場でどちらが正しいのどうのと言っていたら、戦にならない。
領地争いの喧嘩を裁くのが、鎌倉幕府の役目ですから。
「忠臣蔵」のおかげで、江戸時代は喧嘩両成敗という固定観念ができてしまったが、
本来、殿中で刀抜いて大名や旗本に切りつけたら、その場で殺されます。
斬られたほうはお咎めなし。まあ、大体死んでるし。
浅野内匠頭はへタレでなければ基地外(最近こちらの説が強い)
85世界@名無史さん:04/09/25 06:58:08
>>84
にもかかわらず浅野内匠頭の処分は乱心扱いでなかったので、
大石はお家の存続、そして武家としての付き合いができるよう処分を求めて、
その見通しが絶たれたので討ち入ったと聞いたような。
86世界@名無史さん:04/09/25 08:31:33
前スレ見てませんが、中世ヨーロッパ庶民はほとんど裸だったというのは常識?
インド等に比べ寒冷な地域だったので、食物生産が精一杯で、麻の生産まで手が回らなかった。
(綿花の生産は近代以降。当時庶民は「羊が成る木」として綿花に興奮した)
中世の聖書の挿絵とか見ると、裸の人をたくさん描いている。アダムとイブをモチーフにして、
というより、当時の庶民の実態を描いたと解釈する方が自然。
西欧人が服を着るようになったのは産業革命以降。布地の大量生産で普及した。
87世界@名無史さん:04/09/25 08:43:19
>>86
≧∀)(≧∀≦)ブッハハハハ━!!!!!
ランブール兄弟やブリューゲルの絵では着てますよ。
ドイツや北フランスの冬は、いくら脂肪豊かな白人でも、裸で暮らせません。
88& ◆oMCOYq7N06 :04/09/25 09:24:25
>>16 >フェラもオナニーもアナルセックスも同性愛も禁止はしてた。

この辺の伝統を皮肉って、英の有名なコメディアングループ Monty Python が
「精子は一個一個が聖なる存在だ」なんて歌を作りましたね。
ttp://www.metrolyrics.com/lyrics/13236/Monty_Python/Every_sperm_is_sacred
曲も聞ける。
ttp://www.mwscomp.com/sound.html
89山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/25 11:17:44
>>86
寝ている時は裸かシャツだけという描写が多いですが、寝巻きもあったそうです。
普段から裸というのは極端ですが、16世紀からリンネルの生産量が増加して、
その結果それまでの皮に比べて洗濯が簡単に出来るようになり、入浴の重要
性が減少したとか。
90世界@名無史さん:04/09/25 14:52:27
>>87
前スレ落ちてますが、最初のは過去ログで見られます。
服装史のの本が色々出ていて、昔の絵や彫刻の写真が載っているが、中世ヨーロッパで
裸でいられるはずはない。
ボロッちくても、ちゃんと着てます。
ただし、王侯貴族でもたいしたものは着ていなかったらしい。
「ニーベルンゲンの歌」に衣装の話が出てくるが「今まで誰もそれほど豪華なもの
は見たことがなかった」「色とりどりの絹の衣装を着ていた」とか、抽象表現ばかりで
詩人はあまり立派な絹織物は見たことがなかった、と推定される。
たまに具体的な描写が出てくると「真っ白なアラビア絹」程度で、日本の貴族は下着に
着てましたがね、二重織物は普段着、ヨーロッパは衣装貧乏だったんか、という感じ。
91世界@名無史さん:04/09/25 16:09:39
「中世ヨーロッパ」という枠組みからははみ出るだろうけど、アウステルリッツ三帝会戦時にフランス軍軍使がロシア軍の陣営を訪れて、当時のロシア軍兵士の対寒能力(?)に驚いていたはず。
真冬で雪が降りしきる中、ロシア軍兵士は皆半袖の軍服を着ていて、屋外の焚き火の周りでイビキをかいて寝ていた、とかそういう感じのがあったと思ったけど。
92世界@名無史さん:04/09/25 18:04:08
白人でも、北欧の人間だと日光というか紫外線に極端に弱いのも多いみたいですね。
夏にマルセイユとかにヴァカンスに来て、日光浴で日焼けじゃなくて皮膚の炎症おこす人も。
(中には重症患者も。)
93世界@名無史さん:04/09/25 22:19:52
>>92
中世じゃないけど、大英帝国時代にインドあたりで役人やってた人は皮膚癌が多くて
平均寿命が一般のイギリス人より低かったという話なら読んだ記憶があります。
94世界@名無史さん:04/09/26 19:26:14
あげておこう
95& ◆Qh0BhBlaBg :04/09/27 14:26:30
>>92
ああた、北欧と地中海の日光をいっしょにしちゃいけませんぜ。
♯日本中を沖縄だと思ってるアメ公が短パンサンダルで11月北海道行くようなもんだ。
96世界@名無史さん:04/09/28 13:35:04
ヨーロッパ人は裸だった!の話。
全員、常に裸だったとは主張してない。紀元前後、地中海沿岸のローマ人はトーガを着てたし、
5300年前の冬のアルプスの狩人もこんなの着てた。(左下の写真)
ttp://www.wilderdom.com/evolution/OtziIcemanAlpsPictures.htm

話を15世紀以前に限ろう。王族でもトーガのちょっとましなのしか着てなかった時代。
服飾史は「服を着ていた人は、どんなものを着ていたか」を論ずる。裸が何割いたかの資料にはならない。
絵画も彫刻も芸術なのだから、「絵になる」人を題材にする。服を着た絵画があっても、
その時代に裸の人間がそこらじゅう居た、ということの論駁にはならない。

狩りに出る時、長旅に出る時は何か着た。しかし家に居る時、家の周りに居る時、庶民は
ほとんど裸だったのではないか?北欧で今でも夏に裸で日光浴する習慣があり、恥かしがらないが、
夏だから、日光浴するからわざわざ裸になるのか?もともと年がら年中、裸だったのではないか?
漏れのイメージとしては、『指輪物語』ゴーレムみたいのがたくさん居た感じ。
97世界@名無史さん:04/09/28 13:58:18

ファンタジーへの反発心から、中世ヨーロッパの生活を
過剰なまでに貶めるのはやめよう。
何でも悲惨に書けばリアルになる考えは、もう古い。
アジアの方がよっぽどみすぼらしい。

98世界@名無史さん:04/09/28 19:34:38
>>95
マチガエテルのは漏れじゃなくて、北欧の中の人。
そういえば、故会田雄次先生の本の中に「日本で『西日の入る部屋』を喜んで借りていく北欧出身者・・・」という話しもあったなぁ。
なんでも、北欧では『西日の入る部屋』というのが最上の部屋だということらしい。
(夏場は陽が長い、または白夜なので、いつまでも日差しが注ぐ西向きの部屋がいいらしい。)

日本の夏、そんな部屋は地獄に等しい。
99Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/09/28 21:55:39
(2)読めないので1だけ読んだんですが、分からないことがあるので。
中世にも12世紀ルネサンスってのがあったと聞きますが、
実際には何が変わったんですか? 商業圏の拡大とかは知ってますが、
具体的な生活レベルで。

あと、中世における農業技術の改良で、結局どこまで生産量が増えたのか。
何か中世は小麦は二粒くらいしか取れなかったと過去スレで読んだんですが、
中世末期〜近世初期にはどれくらい取れたんでしょう?
100世界@名無史さん:04/09/28 22:43:29
中世ヨーロッパというと華やかなイメージのある僕は
このスレを読むのがこわいんです。
101世界@名無史さん:04/09/28 22:51:46
中世末期〜近世初期のフランスあたりで、種1粒→実4〜6粒程度。(三圃制)
ちなみに、畑の「畝」の採用、除草が行われたのは、1731年、農業技術普及家のジェスロ・タルの指導によるとされています。
(アジアからの技術輸入で「馬耕農業」の一環。)

「畝で作物を育てると、互いに成長を妨げることがないので実りが早い。
 横の畝は上手に、縦の畝はきれいに作らなければならない。
 列がまっすぐになれば風が静かに通り抜けるからである。」(『呂氏春秋』より)
102世界@名無史さん:04/09/28 23:42:08
>>99
ローマ時代における小麦100キロの生産に使われる農業労働時間は、
およそ300時間。
現在は、20時間くらいだから、ローマ時代にくらべて10倍以上
よいのだが、じゃあ18世紀とかはどうかというと、実はローマ時代
と同じ300時間程度なのだ。
だったら、ローマ時代からずっと300時間かというと、実は、12
世紀とか13世紀ごろには、60時間程度になる。
これは、現在の水準のせいぜい3倍。
なぜこのような高い水準の生産効率があったかというと、中世は、
農民が実質90%以上だった。全員が、それぞれの土地で、かつかつ
に喰っていける程度の労働しかしなかった。むちゃくちゃさぼりたい!
と思う心が、ここまで効率的な農業を実現したらしい。
当時、週休5日とか6日とかそういう時代。
ちなみに、中世の12世紀とかそのあたりのフランスでは、絶対量
で現在と同じ量のワインが生産されていた。当時のフランス人がいかに
飲んでいたか、ということだ(人口は現在よりもそうとう少ないはず)。
なお、ワインのかなりの部分がアラブの王侯貴族にむけて輸出されて
いたらしい。
ということで、>>101 が書いているように、粒からの実の数などでは
シュメール時代の中近東よりもひどい(あっちは1つぶで70つぶ?)
のだが、実はかなり効率的な農業をやっていたのが中世ヨーロッパ
なのだ。
103世界@名無史さん:04/09/29 12:08:22
>>100
華やかなイメージって、具体的には?
104世界@名無史さん:04/09/29 13:53:02
>>102
18世紀のばあいも「小麦100キロの生産に使われる農業労働時間」が
300時間という訳ではないですよね? あとドイツなどの場合でも18世紀
の農民は人口の80%以上という記述を読んだことがあるのですが(フランスも
同じくらいの割合だそうです)、そうすると18世紀の場合はなぜ300時間も
農民は働かなければならなかったのでしょうか?
105世界@名無史さん:04/09/29 19:55:46
>>104
たぶん、18世紀は農民がもう少し少ないはずだ。
そもそも、なぜ、15世紀以降に、急激に農業生産効率が悪くなるのか、
というと、近代化なのだ。
近代化は、まず、都市の発達から始まり、結果として、農民が都市に
出てくるようになる。結果として、農村が過疎地域になってくる。
そうすると、いきなり農業が重労働になる。
都市の手工業のようなものが発達すると、労働者としての農民が、さらに
都市部に集まる。で、農業従事者が急激に減り、そして、農村が荒廃する。
そこでは、農民一人あたりの労働時間が増える。さらに、一人が担当する
土地も増えるので、中世のきめ細かい農業が不可能になる。
どんどん生産効率が落ちる。そうすると、農民が農業をやめていなくなる、
あるいは、都市に出てきてスラムのようなところに住むようになる。
そこで、これをやめさせるためには、農奴として農民が都市に出てくること
を禁止するしかない。農奴となると、自由意志による農業ではないので、
実質、ローマの奴隷制農業に近くなり、やる気がなくなる。さらに労働
効率がわるくなる、という悪循環なんだね。
106Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/09/29 21:28:16
私の質問から盛り上がってますね。お答えどうもです。

>>105
工場制手工業辺りは、エリザベス朝のイギリスの話ですね。
でも>>101によると、品種改良で種一粒当たりの生産は増えたはずだから、
その分100kg辺りの労働時間は減っていてもおかしくない・・・と
思うんですが、どうでしょう?
フランス辺りはペストの流行と戦争で、実際に総人口が減った
というのも大きいんではないかと。
都市化がどの程度進んだか(15世紀の100年間で都市数がどれくらい
増えたかなど)が具体的に分かればいいんですがね。
パリの城壁を一部壊して市域を拡大したのも、都市化の一環でしょうか?
107世界@名無史さん:04/09/30 01:23:32
小麦は連作をすると、土地が荒れるので、何年かごとに農地を放棄したらしい。
記憶モードでは、放置して7年たったら、また小麦が作れるようになるまで
地味が回復するらしいのだが・・・。
中世の生産率の悪さは、この辺も関係あるかと思われます。
後に、土地が荒れたら、豆を植えたらしい。 
豆は空気中の窒素を吸収して、土地を肥やすそうな。
108世界@名無史さん:04/09/30 14:15:42
コピペですが ↓ なんだそうです。
マメ科の植物というのは空気中の窒素を固定する。根瘤(こんりゅう)という
根っこにできたコブで空気中の窒素を取り込み、それをアミノ酸やタンパク質に
合成する。大豆を「畑の肉」などと表現するのは、大豆の根瘤と根瘤菌つまり
根瘤に住む細菌で、これが実は空気中の窒素を固体化するのだが、これがが効率
よく窒素を固定し、上質のタンパク質を合成するからである。
109世界@名無史さん:04/09/30 15:37:52
>>108
牧草として休耕地にマメ科のクローバーを植えることが多かったそうな。
いつ頃から始まったかは不明だが。
田んぼのレンゲ草も似たようなものか。
110世界@名無史さん:04/09/30 19:45:10
>>109
蓮華草もクローバー(シロツメグサ)も同じマメ科だから同じなんだろうね。
こういうのを緑肥作物と言い、レンゲソウ・ウマゴヤシ・アブラナ・クローバー・
青刈り大豆などがあるらしい(アブラナはマメ科じゃないかも)。
111世界@名無史さん:04/09/30 19:52:11
しかし、考えてみると日本の農業ってのは凄まじいな。
水田は偉く進んだ技術だし、室町には二毛作もやってたわけだし。
千枚田なんてものまで作ってる。
平安末期辺りから鉄製の農具も民間に普及して、平野部の開拓も進んだようだし。
112世界@名無史さん:04/09/30 20:52:07
え?
日本本土では、古墳時代には鉄製農具が普及していたんじゃなかった?
「信州の山間部では、古墳時代でも石の鍬使っていた」なんていう話は聞いたことあるが。

沖縄では、室町頃にようやく鉄製の農具が普及したそうだが。
113山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/30 21:29:16
二毛作の誕生と、鉄製農具の普及は鎌倉時代の事です。
肥しの出現は13世紀と見られていますが、考古学の成果の中では16世紀
までしか遡れませんね。
114世界@名無史さん:04/09/30 21:32:23
中国で鉄製農具が普及したのは、漢代だったね。
115世界@名無史さん:04/09/30 21:35:49
それから、下肥が肥やしに使われるようになったのは「桶の普及以後」と聞いたことある。
古代に一般的だった曲げ物の桶では強度が無く、重い下肥を入れて運べない。
しかし丈夫な箍で締めた桶の普及で下肥が持ち運べるようになり、
使用が広まった。
116世界@名無史さん:04/09/30 21:36:19
昔の人は肥えも無く農業やってたの!?
どうやって畑を肥やすのよ??
117世界@名無史さん:04/09/30 21:37:27
焼畑だ
118世界@名無史さん:04/09/30 21:39:09
>>112
弥生時代は、鉄器時代だよ。石器時代は、縄文時代で終わり。
もっとも、鉄器利用は九州中心で、製鉄の本格化は6世紀以降だと思うが。
だから、古墳時代末までには、鉄器はそうとう普及していたってことになる。
119山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/30 21:54:59
>>116
ここで「肥し」と言ったのは人糞肥料の事ですが、藁や草木の灰なら確実に
ありましたよ。「笥」なら『日本霊異記』に、「桶」なら『倭名類聚抄』に出
ているのが確認出来ます。
120世界@名無史さん:04/09/30 22:09:15
肥やしといえば、「刈敷」を忘れてはいけないね。
山から草を刈ってきて、そのまま田んぼに踏み込む。少しずつ腐って、
ジワジワ効いてくる。
江戸初期の「慶安の御触書」に「百姓は朝は草を刈り・・・」とあるが、
この草とは家畜の飼料のみならず、刈敷用でもある。
121山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/09/30 22:13:24
>江戸初期の「慶安の御触書」
『徳川実記』に挿入されたものの、実は幕末に美濃の某藩で布告されたもの
で、早い話が捏造されたものであった筈では。草盗人なら平安時代から存
在した様ですが。

話を中世欧州に戻すと。草で思い出しましたが、かつて旅人は馬や驢馬の
首が届く範囲内の畑の草や麦は食べさせても良かったそうですね。
122世界@名無史さん:04/09/30 22:15:52
中国には昔マメンチサウルスがいたらしいから、原始時代の農家は大変だろうな。
根こそぎ食われる。
123世界@名無史さん:04/10/01 08:05:53
>>112
>>118
鉄器の普及のイメージが違うな。
鉄器が存在していたのと、それが庶民の所有物として普及したのは全く別の時期。

豪族や権力者は鉄器を保有して使わせていたのだろうが、庶民の所有物ではない。

>>113
で山野氏が言ってるが、12世紀後半の機内の名主クラスの財産目録に鉄製農具が出てくる。
小百姓も鉄製農具をもてるようになって、開墾や農業生産が発展した。

中国は製鉄によって森林が減少し、製鉄の開始こそ早かったが農具の発展はその後停滞した。
124世界@名無史さん:04/10/01 11:02:52
すると日本では、豪族は庶民に鉄製農具を使わせて、使用料徴収していたの?
しかし土を掘る鍬や鋤は木製でも何とかなるが、鉈や鎌、斧は鉄でなくてはならない。
このような「刃物」は、古代には一般に普及していなかったのかな?

ちなみに鉄の製造には大量の森林資源が必要。ローマ時代、ブリテン島のサセックスは
鉄の製造が盛んだったが、そのために大量のオークが伐られた。
一世紀にブリテン島にローマが進出し、五世紀に撤退するまでに9万dの鉄が生産され、
そのために破壊された森林面積は300〜800平方km。
中世の停滞期は多少は回復したらしいが、英国の国力が増すごとに今度は軍艦用に伐られ、
産業革命でまた製鉄などのために伐られた。
こうして英国の森林資源は破壊されていった。
125山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 11:39:10
>124
まず斧について。『宇治拾遺物語』にある、「よきをとられてわれいかにせん」
の説話は教科書でも御馴染みですが、同説話集にある「瘤取り爺さん」の話
によれば、翁は柑子程の瘤が顔にあったので人と交われず、止むを得ず山
に入っては樵をやっていたそうです。
『梁塵秘抄』には、樵を異人と見做した例もあり、どちらかといえば都人に
は遠い存在であったらしい。
『沙石集』には山中に住まう僧侶のもとを訪れた薪売りの話もありますし、
今の様に製品があれば普及しているという訳では無かったとお考え下さい。
『今昔物語集』には、「草刈鎌と云ふ物」を使用した出雲路寺の僧侶の話もあ
ありますが、「と云ふ物」という表現は、『枕草子』の「稲と云ふ物」と同様に、
その存在が、少なくとも想定されていた読者には知られていなかった事を
示唆していると言えるでしょう。
他に多くの田を経営していた男が、「馬歯・辛鋤・鎌・鍬・斧」などを所有
していた話、人に雇われた男が鎌で蘆を刈っていた話、客間のある様な田
舎の大きな家の子が木の枝を刈っていて死んだ話もありますが、財力が無
い人間にとっては、専門的な貴重品であったとしていいのでは。
『日本霊異記』中−16には、山中で薪拾いをしていて枯れた松から転落し
た使用人の話がありますが、鎌の有無は不明。持たされていたかもしれま
せんが。「竹取の翁」は当然鉈を使用したでしょうが、それが飯の種。
126Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/10/01 11:56:39
手元に小学館の漫画日本史があるが、それによると
いわゆる三つ叉の備中鍬は古墳時代から刃の部分は全部鉄製。
唐鍬とも呼ばれていたらしい。
が、そうでない普通の鍬や鋤は刃の先端部だけ鉄製で
他の部分は木製だった。
で、ずっと見ていくと、それが奈良時代にはある程度普及していたと思われる。

収穫時は石包丁で穂先を刈り取るのがその頃まで主流だったから、
農機具としての鎌は大分後で普及したと思う。
鉈や斧は普通、開墾時なんかに使うものだろうから、
そもそも開墾するような有力農民しか持っていなくて、
それ以外の時に使う場合には貸し出したと考えられる。
127世界@名無史さん:04/10/01 12:32:42
しかし鉈や斧は、日常の薪割にも必需品。
いちいち借りて使っていたとすれば大変だな。
128山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 13:03:29
>日常の薪割にも必需品。
割られた状態で売っていたと思いますが。燃料といえば、私の田舎では基本的
に落ち葉と小枝を使用していました。山から切り出して売る人もいたそうです
が、日常はこれで十分。『慕帰絵』では、囲炉裏に小枝・木片を入れている。
『今昔物語集』でも、『日本霊異記』でも基本的に薪は「拾う」ものです。
ただ面白い事に、『霊異記』では「拾う」となっていたのが『今昔物語集』において
「刈る」となっている例があり、両者の時代差を感じさせてくれます。
129世界@名無史さん:04/10/01 13:06:37
炊事用の包丁は?
これくらいは各家庭に無かったの?
130世界@名無史さん:04/10/01 14:06:03
>>129
ぐぐったら出てきたよ。
包丁の歴史
ttp://www.ichimonji.co.jp/hanasi/rekishi.html

やはり庶民普及は江戸からなのかな?
131世界@名無史さん:04/10/01 14:20:14
庶民の暮らしにどれくらい鉄製品があったかというのは実は割と分かりにくい。
特に鎌倉以前。
鉄は錆びるので残りにくいし、古鉄は新しい鉄製品の材料にされてしまう。
いきおい、記録や史料と付き合わせて、と言う話になるが、
これも庶民の暮らしの詳細については記述が少ない。
132世界@名無史さん:04/10/01 14:32:16
ちょっくらタイムマシンで見てきてやってもいいぞ。
愛機ファインピックスで写してきてやろうか?
133世界@名無史さん:04/10/01 15:24:08
水田の場合は、畑に比べて、水が養分を運んでくるので、土地が荒れないようです。
ヨーロッパの場合、気温が低いので、有機物の分解が遅い。
134世界@名無史さん:04/10/01 17:53:14
水田は、水のおかげで連作障害も無いんだよな。
135世界@名無史さん:04/10/01 17:57:54
逆に言えば、維持管理が大変なのも水田。
水を御さなければならないし。
日本で農業土木が発達したのも当然と言えば当然。
136世界@名無史さん:04/10/01 18:07:07
そういえば古代ローマの港町、エフェソスは周辺の山々を過度に開墾して
畑なり牧草地にしたため、土壌流出で港が埋まって港湾都市としての機能を失い、
滅びた。

日本だったらこんなことも無かったろうに。そして土壌流出で海が埋まったとしても、
埋まった三角州が新たな水田として開墾され、それなりに栄えた気が。
137世界@名無史さん:04/10/01 18:30:26
植物が育ちやすい気候に加えて、燃料、肥料の供給源としての里山の管理が
結果的に生態系や水田周りの環境の維持を行っていたということはあると思う。

戦後になって、山が荒廃すると川の洪水や海の環境変化が起こるようになったけれども。
138山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 20:54:15
>>131
『日本霊異記』には美作の鉄山が登場しますが、鎌倉時代になっても火事場
から釘などの鉄製品を拾って再利用していました。
139世界@名無史さん:04/10/01 21:25:46
福沢諭吉がアメリカにわたって驚いたのは
「道端に捨てられた空き缶に、誰も気を留めない。日本ならば火事の後は焼け跡の釘広いで大騒ぎなのに」
ということだったな。当時の日本を貧しいと見るか、エコロジイ社会と見るか・・・

しかし江戸期になってようやく包丁が普及したとは驚き。
それではそれ以前の庶民は、どうやって料理の材料を切り刻んでいたのか?

あと、西洋に話を戻せば、中世ヨーロッパの鉄製品の普及具合はどの程度?
140山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/01 22:07:22
包丁というか、細い小刀と菜箸を利用して俎の上で調理していましたよ。
腰刀は中世の成人男子の標準装備で、大小を問わずなんらかの刃物を身に
つけていた点はヨーロッパでも同じ。
男子たるものの社会的地位を表したという点では、ネクタイに相当。
『今昔物語集』の中山神社の生贄譚では、大猿の化物が俎・刀・酢・塩・酒
で人を調理しようとしていました。
日常的なものですから、鎌や斧よりは普及していた筈ですが。そもそも、
ほんの一昔前までは実際に貴重品でしたね。
141世界@名無史さん:04/10/01 22:14:25
台湾原住民の蕃刀のようなものか
142世界@名無史さん:04/10/02 14:50:47
>>140
町人でも、黒紋付に袴という正装のときは脇差さすから、ネクタイより格上かも
143山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/02 20:31:47
町中で携帯する訳にも行かなかったのでしょうが、脇差なら農民は特別な事
が無くても腰に挿していましたよ。軟禁状態にあったレザノフですら、『日本滞
在記』の中で、農民の腰に脇差を認めたと記しています。
『北越雪譜』には、遠出をして山中で「異獣」と出くわした男が用心の為に山刀
を挿していた事が記されています。
144世界@名無史さん:04/10/03 20:49:12
>>99
「十二世紀ルネッサンス」については、この手のスレで全てを語るのは無理なので、かなり端折って。
(全てを理解しているわけでもありませんがw)
基本的には、十字軍で中東やイベリア半島とのイスラム諸国からの文化流入から始まった、という形でしょうか。
『文芸復興』という意味で捉えると、詩作と音楽の結びつき→南仏のトゥルバドール等の宮廷歌人の恋歌に代表されるものでしょうね。

この前段階で流入したものに『ギリシア哲学』があります。
中世欧州の修道士や神学者たちは、なぜかアリストテレスに傾倒し、これを中世キリスト教神学と融合(?)させ、スコラ哲学(十三世紀)へと変化させていきました。
(逆に蛇蝎の如く嫌われたのがプラトン。ダンテの神曲では地獄の最下層に落とされています。)

この時代に最も重要で、現代にまで影響を与え続けているものを挙げるとすれば、『大学』の設立があります。
これもイスラム圏からの流入という形ですね。
(当時既に、バグダートやダマスカスにはイスラム教神学や医学の大学がありました。
まあ、それよりも前に神学ならぬ仏学の大学がインドにありましたが。)

とりあえず、そういったもの以外でこの時代に欧州で使用開始されたと言われているもの。
風車(十二〜十三世紀 古い文献だと「サラセン式風車」という名称もあり。)
アラビア数字(インド数字)、天文学、弩(中国発)、手押し車(地味だけど意外に重要。諸葛亮発明w)

・・・と、まあこんな感じになるんでしょうか?
145世界@名無史さん:04/10/07 18:51:43
類似の新スレ出来ました。
「欧州中世の政治と軍事〜教権か帝権か〜」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1097133983/1-100
146世界@名無史さん:04/10/07 21:56:38
age
147世界@名無史さん:04/10/07 22:19:50
>>144
スコトゥスやアラヴェルトゥスもアリストテレスの影響を受けてたんですかね。
だいたい中世の普遍論争ってアリストテレスと関係あるんですか?アリストテ
レス自身は唯名論者じゃないし
148世界@名無史さん:04/10/07 23:15:14
ドゥンス・スコトゥス(1266-1308)
トマス=アクィナス以後、実在論を主張したイギリス人。パリ大学で教えていた時、教皇ボニファティウス8世と仏王フィリップ4世の争いに際してボニファティウス8世を支持し、パリから追放されている。
彼の学説はそれまで絶対的権威とされていたアリストテレスとトマス=アクィナスを批判するものであり、実証的な学問への道を開いた。
(ヨハネス・スコトゥスの方は多分関係無いと思う。)

普遍論争とアリストテレスは直接的には関係無いのでは?
「弁論術」の愛読者たちが活躍したかもしれませんが。
149世界@名無史さん:04/10/07 23:39:10
そうですよね。アリストテレスは当時は今のノーベル賞みたいな権威だっ
たけど、普遍論争とは直接関係ないですよね。だけど千年以上続いた論争
のわりに誰が嚆矢かはっきりしなかったんで。やっぱアウグスティヌスあ
たりから始まったんでしょうか?
150世界@名無史さん:04/10/07 23:40:14
普遍論争とアリストテレス、「直接的」関係は難しいとは思いますが。

思想史の方では、唯名論の論陣は、アリストテレスの内から博物学的世界整理と反プラトニズムを受容した的な説も聞くことはありますよね。
151世界@名無史さん:04/10/07 23:50:32
ただ、それ専門の教育を受けてそれ専門の教養を積んでいないと、何について論争しているのか何が論点なのか、さっぱりワカラナイと思うんですよ。
>普通の日本人にとって、中世欧州の普遍論争というものは。
152≠144:04/10/08 00:48:04
>>147
>だいたい中世の普遍論争ってアリストテレスと関係あるんですか?

普遍論争の中味自体は、オレもチンプンカンプンだが(スマソ)。

ローマで国教になった古代からすでに、プラトンはキリスト教神学にとって、東西問わず、頭痛のタネだったみたいだよね。
イデア論は魅力なんだけど、新プラトニズムやグノーシス系の流出説は異端だってとこで。
153世界@名無史さん:04/10/08 10:29:24
だけどさ、その反対の唯名論って、つまるところ無神論じゃん。西ローマ帝国が
崩壊して農奴制が崩壊して、政治的にも経済的にも今のスーダンみたいに混乱し
てたヨーロッパで、唯名論が僧侶のあいだで議論されてたってとこに、ヨーロッ
パって特異だなあと感じるわけで。普通なら苦しいときの神頼みで、いっそう信
仰心が篤くなるもんだが
154世界@名無史さん:04/10/08 12:48:37
おそらくは、プラトンvsアリストテレスの対立の図式が、
中世になって実在論vs唯名論の形で再燃したのではないかと。
155世界@名無史さん:04/10/08 13:06:17
>>153
>唯名論って、つまるところ無神論

そんな単純ではないと思うよ。
教会が教化をはかった中世西欧中〜下層は、アニミズムと言うか汎神論と言うかが優勢な状況が続いてたわけでさ。
要するに、巨木とか巨石とかにそれぞれに霊威が信じられていたし、川の精霊、森の精霊なんかも信じられていた。
で教会はこれらの土俗信仰を迷信として退ける教線を戦ってた。ここまではOK?

キリスト教的には、世界には神が計画(ロゴス)を持って創造した秩序がある、って信念が対アニミズム教線の武器だったわけで、
こっち関係では、アリストテレス的世界観は(少なくともプラトン的世界観より)有益だった。
古代ギリシア思想を集大成したアリストテレスは、4大の発想も(ソクラテス・プラトン以降に)再興してるので、4大精霊なんて“迷信”がキリスト教世界でも生き延びちゃったけどね。
156世界@名無史さん:04/10/08 18:30:41
キリスト教ってヨーロッパにとって外来宗教でしょ。よく中世建築のレリーフに
得体の知れない化け物を見かけるけど、あれってキリスト教に抹殺された神のデ
フォルメされた姿じゃない?そういった神殺しの後ろめたさがあるから、キリス
ト教の言う神の存在をすなおに信じれないし、普遍論争なんてのを延々と続けた
んじゃないの?


  ┃┃┃┃|‖ |  |  |  |  |  | ┃┃┃┃┃┃┃┃
  ┃┃┃┃|‖ |  |  |  |  |  | ┃┃┃┃┃┃┃┃
  ○○○○|‖ :ニニ"◇ ̄◇ ̄◇| ○○○○○○○○
  ○○○/|‖:::: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\○○○○○○○○
  ○○/  /|‖        ○○○○○○○○ 
      l:::::::| |‖                | 
      |/ ̄\  (●)     (●)   |
    r┤    ト::   \___/     |  とおもう光武帝であった
    /  \_/ ヽ::.  \/     ノ
   |   _( ̄ l―---oo-――'"
   |   _)_ノ    ハ
   ヽ____)ノ
157世界@名無史さん:04/10/09 06:22:31
でも結局は自然崇拝って残っちゃうんだよなぁ。それほど自然にはパワーがある。
科学でもってその全容を明らかにされるまである種の自然崇拝は残るだろうね。
158世界@名無史さん:04/10/09 17:04:32
そうね、山とか登ると、雄大な風景に神の存在を信じてしまいそうになるな。
昔の修行僧の山岳信仰とは、その様な物なんだと、妙に納得した。
159世界@名無史さん:04/10/09 17:44:36
「輪廻転生」信じてる欧州人キリスト教徒も意外と多いんだよね。
キリスト教じゃ否定しているはずなんだけど。
160山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/10/09 18:31:13
仏教の概念から言えば、幽霊やお盆に帰還する魂も無い筈なのですが(笑)。
現に庶民に定着して間もない12世紀には、大寺の僧侶で盆の帰還を俗信と
する者もいました。本来は地獄に堕ちた母の霊を救済するものでしたから。
民間の信仰とは、えてしてそういうものなのかも知れません。
161世界@名無史さん:04/10/09 23:52:12
赤ん坊とか、洗礼の前に死んでしまうと、キリスト教徒じゃないから、
天国に行けないらしいし、母親としたら精神衛生上、何らかの救いがほしいのかも。
日本にキリスト教が広まらなかった理由の一つに、「キリスト教徒以外は地獄に落ちる」
と言う教えが受け入れられなかったから、だそうな・・。
キリシタンじゃなかった、爺さん婆さんが地獄にいるんじゃ、可哀想だから、オラも
地獄にお供せねば・・・、と言う考えに成ってしまうらしい。
162世界@名無史さん:04/10/10 02:01:28
>>156
どんなに飾ってもこのAAは大ちゃんにしか見えない
163世界@名無史さん:04/10/10 07:51:58
>>157>>158
マクロコスモスとミクロコスモスという発想も西欧にはあったよね。都市の外に広がる大自然は
人間の力の及ばない外宇宙というもの。阿部謹也さんの”嵐の日に鐘をガンガン打ち
鳴らしてそれに対抗した”という話は妙にリアルに感じられるものだったよ。
164世界@名無史さん:04/10/10 10:07:03
>>163
warata
165例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/10/10 22:13:19
>>161
いつもその説聞く度に思うんだが、もともとゲルマン人やスラブ人への布教のために
考え出されたという煉獄はどこいったんだろう。
166ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :04/10/10 23:22:33
煉獄の再発見は、12世紀に文書化されて登場し、美術では13世紀
からみられる。13世紀後半になってから教会が煉獄を認め、押し
つけるようになり、公的に承認されたのは1274年の第2リヨン
公会議において。
ジャック・シフォローは、死骸が解体して白骨化するまでの期間、
つまり喪の期間、死者はまだ本当に死んではいないと考えた古来
の民衆文化を、煉獄によって教会はこの期間を掌握しようと努力
したのだという。
167世界@名無史さん:04/10/11 08:06:47
>>166
とすると”ゲルマン人やスラブ人への布教のために考え出された”という説明も
あやしいんじゃねーの?
168世界@名無史さん:04/10/11 08:48:14
>>167
あやしいと思う。大体、人間を天国行きと地獄行きのふたつにわけてしまうのは無茶苦茶だ。
「神曲」だと、キリスト教徒でない以外には罪のない人(キリスト以前の偉人や善良な異教徒
洗礼前の幼児)は地獄の最上層でとても地獄とはいえないようないい暮らしをしているし、
地獄に落ちるほどではないが、まっすぐ天国には行けない人は煉獄で修行という感じだし。
こちらのほうが、受け入れやすい。
天国と地獄しかないプロテスタントは考え狭くていやだ。
169世界@名無史さん:04/10/11 08:54:07
>>163 その話は”中世の風景”でもなさってたよね。梢を渡る風の音とかにも
   怖れを感じていたとか。個人的には夜になるとマクロコスモスが家の戸口
   までやってくる、という記述が興味深かった。
170世界@名無史さん:04/10/11 10:41:31
>>168
その点カトリックは民心をよく汲み取っていたということになるのかな。
171Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/10/11 11:07:56
その辺は時代の差という気がする。
12〜13世紀はまだエルベ以東は異教徒が多くて、
ドイツ騎士団辺りが布教をするに当たって、煉獄という存在は
必ずしも不利なものではなかったと思う。

ところが宗教改革の頃は「全員キリスト教徒」だから。
煉獄やら何やらの存在価値が薄れて、代わってキリスト教徒内部の
宗教的不安(蓄財とかの問題)が特に都市では出てきつつあった。
それにどう対応するかで、宗教改革が起きたんだと思う。
172世界@名無史さん:04/10/11 11:14:19
鎌倉新仏教みたいなもんか。
173世界@名無史さん:04/10/11 11:51:34
>>170
カトリックは、乞食だろうと売春婦だろうと召使だろうと泥棒だろうと信仰心さえあれば、聖者に列せられて天国にいけるが、プロテスタントは・・・宗派次第かな?
174世界@名無史さん:04/10/11 15:26:59
煉獄がキリスト教徒の商人の聖化に役立ったと言う面もある。
175Krt:04/10/11 18:05:58
中世におけるプラトンとアリストテレスの影響、及びそれと普遍論争の絡みについてだが、
これはとても複雑である。特に後者に関しては私も十分理解しているとは言い難いけれど、
ここまで出ているレスに関していくつか気がついた点があるのでそれについて書いてみる。
 まず中世におけるプラトン観についてだが、>>144氏の、
>中世欧州の修道士や神学者たちは、なぜかアリストテレスに傾倒し、これを中世キリスト
>教神学と融合(?)させ、スコラ哲学(十三世紀)へと変化させていきました。
(逆に蛇蝎の如く嫌われたのがプラトン。ダンテの神曲では地獄の最下層に落とされています)

というのは誤解だろう。普通「スコラ哲学」の成立はもっと前(十一世紀末から十二世紀)
だとされてるし、それに中世においてプラトン当人のテキストは殆ど知られていなかった。
十二世紀までに確実にラテン訳があったのは「ティマイオス」ぐらい(それも抄訳)で、
天地創造を扱ったこの作品は初期スコラ哲学を代表するシャルトル学派においてはむしろ
極めて尊重されていたし、他にはせいぜい「メノン」「パイドン」とプロクロスによる
「パルメニデス注解」によってテキストの一部が知られていたぐらいである。(もっとも
新プラトン主義哲学はプロクロスや偽ディオニュシウス・アレオパギテスを通じて流入し、
後者の思想は中世の神学・政治思想におけるヒエラルキー論に多大な影響を与えているが)
176Krt:04/10/11 18:06:45
ダンテの神曲「地獄編」におけるプラトンの居住地も「徳はあるがキリスト教の洗礼を
受けなかった者」の住まう、地獄の第一圏(リンポ)であり、ここでも彼は他のギリシャ
ラテンの英雄や文化人たちとともに特別に優遇されている。即ち、その居住地は緑豊かな
広野の中の美しい川に守られた威厳ある城であり、ここで彼はホメロス他の詩人(案内役
のウェルギリウスも本来ここの住人)、ヘクトールやアエネアス、のような伝説の英雄、
カエサル、ルクレツィアその他ローマの英傑・貞女らと並んで一連の学者らとともに名を
挙げられているからだ(ここでも主役は「賢者の師匠」アリストテレスではあるが)。
なお興味深いのは、彼らの中にアヴィケンナ、アヴェロエスの名があるだけでなく、
なんとイスラムの英雄サラディンの名まであることで、当時の彼の名声が忍ばれる。

それともう一つ、>>155氏のようにアリストテレスを「古代ギリシア思想を集大成した」
というふうに理解するのも実は少しまずいと思う。実際問題として、アリストテレスの
生前公開されていた著作はその死後(BC322)徐々に散逸してしまい、現在彼の主要著作と
みなされている部分を含む未公開草稿も、これを秘蔵していたアペリコンの蔵書がスラの
アテナイ征服によってローマに持ち込まれ、前一世紀後半にアンドロニコスによって
校訂されて世に出るまでは知られていなかったからだ。このことはD=ラエルティウスの
挙げるアリストテレスの著書目録(恐らくアレキサンドリア図書館の目録に基づく)に
今は伝わっていない物が多いのに、逆に現在主要著作とみなされているものが殆ど入って
いないことからも窺える。(「ギリシャ哲学者列伝」(中)岩波文庫、p.29ff.)
177Krt:04/10/11 18:07:29
もちろん弟子のテオフラストスやエウデモスが師の遺稿の一部を校訂して出した可能性
はあり、その痕跡はエピクロスが書簡でアリストテレスの論理学等に触れているという
事実からも推測されるが、このような例が見いだされるのは希で、アンドロニコス以前に
知られていたアリストテレスは、主に彼が初期に書いて生前に出版されていた文学的な
対話編、即ち現在ではむしろその大半が失われている通俗的作品によってなのである。
またヘレニズム初期の哲学の本流はなんといってもストア学派だったから、ある時期まで
古代哲学に対するアリストテレスの影響力は、エウデモスを通じこの学派に受け継がれた
論理学その他の限定的な内容によってでしかない。従って少なくとも古代的文脈から見た
哲学や他の学問の本流にはアリストテレスの思想とは無関係に展開した部分が多いと思う。
(現在ではそれらの内のかなりの部分が失われているので現代人からはそう見えないが)

だが紀元二世紀ごろからアリストテレスの影響力は徐々に高まり、精密な註釈も為される
ようになってきた。実はあとで普遍論争に関して問題となる三世紀のポルフュリオスも
これらの注釈者の一人である。とはいえ、古代世界滅亡後、ラテン訳されて西欧に残った
アリストテレスの著作はボエティウスによる論理学関係のテキスト(の一部)でしかなく
著作の主要部分は主に十二世紀以後、シリア語→アラビア語を経由して西欧に入ってきた
こと、それが十二世紀ルネッサンスの原因の一つだったことは、ご承知の通りである。
178Krt:04/10/11 18:08:11
さて、ここで普遍論争の問題に入るが、元々この論争のきっかけになったのは先に挙げた
注釈者ポルピュリオスによる「アリストテレスのカテゴリー論への序論」である。
彼はここで類や種といった普遍は実体として存在するのか、それとも単に人の思考の内に
あるだけなのかという問題を提起した。そしてしばらく忘れられていたこの問題提起が、
十一世紀頃から議論の対象となっていったことが普遍論争の始まりだと言われている。

最初に問題となったのは、この書が何について論じているのかという点を巡って、それが
もの(res)についてであるという立場に対して、この書は音声言語について述べている
のであり、そもそも普遍はものの前には存在せず、普遍は多くのものの名称である音声の
流れにすぎない、とする音声言語論派(初期の唯名論者)の解釈が対立した。
これに対して普遍は根元的なものとして個物に先立つという反論を述べる人々が現れた。
イデア論、新プラトン主義、アウグスティヌス主義、といったプラトン主義的な見解を
根底に持つ彼らの立場は「実在論(実念論)」と呼ばれるが、これでないと三位一体論が
説明しにくく三神論になりかねないとか、人類という普遍概念が実在しないとアダムの
行為に起因する「原罪」を説明しにくいといった理由があったため、カトリック教会に
とっては、こちらの方が都合がよく、しばらくはこの立場が主流となっていた。
179Krt:04/10/11 18:08:53
十三世紀におけるトマスらドミニコ会による神学へのアリストテレス哲学の導入は
この流れを変える可能性をもっていたのかもしれないが、トマスらは「普遍はものの中に
ある」としてアリストテレス的見解を加えつつも実在論の内にとどまった。これは一方
では、実体に関する、もとからアリストテレス哲学に内在する両義性(プラトンに反発
しつつもプラトンの影響を受けていた彼の哲学の)からの帰結だが、他方においては
当時の保守的なアウグスティヌス派との闘争において、むやみに相手を刺激したくない
というドミニコ会による政治的判断があったのかも知れない。

 ともあれ唯名論の本格的復活は十四世紀のW.オッカムによってであり、彼は、普遍が
実在するならそれは創造に先立ち神の心の中にあるが、これは無からの創造という教義と
矛盾するがゆえに、普遍は単なる名辞であり実在するのは個物のみだとした。そして彼は
普遍を志向する人間の理性には限界があり、それゆえ神に関する事柄は教権に従って信仰
されるべきものだとしたが、この主張は知覚を人間の認識の根拠とすべきだとする英国
古典経験論の源泉となると同時に、本来は信仰と理性の一致を主張するカトリック本流の
立場に対して打撃を与えることになった。(なぜならこの主張の一部を入れ替えれば
「聖書のみ」「信仰のみ」というプロテスタント的立場になりかねない)
180Krt:04/10/11 18:09:44
こうしてみると、プラトンvsアリストテレスの対立図式が実在論vs唯名論の対立
によって再燃したのでは、という>>154氏の指摘は半分(プラトン主義的な傾向の持った
役割に関して)は当たっていると思うが、唯名論を単純にアリストテレス主義に帰す
わけにはいかない、という点で妥当性の限界があると思う。

それとリーゼンフーバーなども強調するように(「中世思想史」平凡社ライブラリー)
中世哲学の主題は極めて多様であり、ある時代の論争を全て「普遍論争」という鋳型に
はめて理解しようとするのは危険だと思う。例えば英語版の一巻物の哲学事典などでは
現在、普遍論争という項目を探しても立項されていない事があるぐらいで、もう中世の
哲学論争に関してはその内容の多様性を尊重し、相異なる時代における形而上学的議論
は、それぞれ個別の問題を扱っているとみなすのが現在のあり方なのかも知れない。

蛇足を加えると現在の哲学的論理学と言われる分野において実在論は決して廃れた分野
ではない。たとえばデイビッド・ルイスのように(現実の世界においては)実在しない
対象を扱う事の出来るフリー・ロジックとよばれる特殊な論理学を用いてアンセルムス
的な実在論から由来する神の性質に関する議論を再評価する試みもあったりするのだ。
(cf. D.Lewis:"Anselm and Actuality": in Philosophical Papers Vo.l.2:OUP:1986)
181Krt:04/10/11 18:10:14
あと、話は変わるが、上の方で出ていた動物裁判に関して言うと、ヨーロッパのそれは
確かに他の地域と共通するアニミズム的な感覚に基づく罪概念に基づいている部分もある
けれど、どうもそれだけでは説明のつかない、キリスト教神学固有の思想に基づく部分、
あるいはそこから発達してきた法思想に基づく要素もあるように思う。

即ちそれは、「万能の神がなぜ何も悪い事をしていない者が動物に殺されたり、害虫に
苦しめられたりといった苦しみを受ける不完全な世界を創造したようにみえるのか」
といった弁神論的問題、あるいは「もしかすると動物その他にも霊魂があり、犯罪に対し
何らかの責任を担いうるのか、いや、そもそも行為に対して責任を担いうる者とは、一体
どういう存在なのか」といった類の神学的/法哲学的問題意識である。

またそういう問題意識があるからこそ、中世どころか地域によっては十九世紀になって
からも動物裁判だの、害虫に対する破門の儀式のようなものが引き続き行われていた
ともいえる訳だ。この問題に興味がある人には、エドワード・ペイソン・エヴァンズの
「殺人罪で死刑になった豚」青弓社:4-7872-2008-X、の一読を勧める。私同様、読んで
頭がくらくらしてくる人も多いと思う(笑)。
182Krt:04/10/11 18:11:40
なお、上の方ででていた、近世における農業生産性に関する問題だが、ブローデルが
「日常性の構造」(物質文明・経済・資本主義:第一部)において参照している資料
(スリヒャーの研究)によると、十三世紀〜十九世紀の小麦、大麦、ライ麦、燕麦の
収穫率は以下である。(ローマ数字T〜Wは農業先進性の度合いによるグループ分け)

A 1200以前〜1249 種一粒に対する収穫率 3〜3.7

 T イギリス          1200-1249     3.7
 U フランス          1200以前      3

B 1250〜1820          収穫率 4.1〜4.7

 T イギリス          1250-1499     4.7
 U フランス          1300-1499     4.3
 V ドイツ、スカンジナビア   1500-1699     4.2
 W 東ヨーロッパ        1550-1820     4.1

C 1500〜1820          収穫率 6.3〜7

 T イギリス、ネーデルランド  1500-1700     7
 U フランス、スペイン、イタリア1500-1820     6.3
 V ドイツ、スカンジナビア   1700-1820     6.4

D 1750〜1820          収穫率 10以上

 T イギリス、アイルランド、ネーデルランド 1750-1820 10.6
183Krt:04/10/11 18:12:26
この数字から農業技術の進歩による大まかな収穫量の増大が見て取れるが、地域差の
大きさには驚かされるし、また史料を細かく見ていくと、おそらくは気候的、社会的
な変動による著しい落ち込みが見られる期間もある。史料の欠落のせいか、完全な
比較が出来ているわけではないようだが、減少原因にはペストと、17-8世紀の小氷期
の影響もあるのではないだろうか?

穀物収穫率の後退(1250-1750)
                収穫率   減少率(%)
イギリス    1250-1299    4.7     −
        1300-1349    4.1     16

1350-1399    5.2     −
        1400-1449    4.6     14

イギリス    1550-1599    7.3     −
ネーデルランド 1600-1649    6.5     13

ドイツ     1550-1599    4.4     −
スカンジナビア 1700-1749    3.8     18

東ヨーロッパ  1550-1599    4.5     −
        1650-1699    3.9     17

(ブローデルibid:みすず書房:第一巻、p.154f.)
184Krt:04/10/11 18:13:51
最後に煉獄の問題だけれど、これも難しいね。ル・ゴッフなんかはアウグスティヌスが
思想的な先駆者で、煉獄思想の歴史においては、天国行きの罪のない人間、いかんとも
しがたい地獄行きの重罪人という二項に対して、生者の側からの取りなしの祈りが効く、
小さな罪を犯しただけの人間、という第三分類項が彼によって考えられたのが大きいと
している。もちろんアウグスティヌス自身は、こういった三元論的な傾向をもちつつも、
結局死後の世界の明確な三元化はなしえなかったわけだけども。 

 たぶんキリスト教も布教期には、信じる者は天国行き、信ぜざる者や悪人は地獄行き、
と脅す方が信者獲得のためには効率的だったんだろうけれど、教えが行き渡ってしまうと
二元論では、大半が天国行きなら社会の規律はゆるむし、大半が地獄行きなら、みな
ニヒリズムに陥り、やはり規律がゆるむ、という重大なジレンマに陥る事になるわけだ。
しかも社会が、聖職者−一般信徒、ないし善人−悪人という二項図式的な分類よりも
聖職者−戦士−農民大衆、ないしは、完全な善人−不完全な善人と不完全な悪人−悪人
という三項図式的な人間分類が相応しいものになってしまうと、いつまでも天国−地獄
の二元論ではやっていけなくなるという事なんだと思う。まあ、こういうことはキリスト
教に詳しい人に聞いてみないとわからないけれどね。  
185世界@名無史さん:04/10/11 18:21:19
なげーよボケ。
186世界@名無史さん:04/10/11 18:22:14
                      /´/'´ _,. l,.....ヽ  ヽ
                        r''ヘ_ _ ,.r' l  lヽ  .i
                      ,r '´l _. リ !    / l.〉 l,r
                  l   、i(._`    `ー-‐'ヽ./   l`
               ,r::'::::l   !ヽ_`ヽ_,..、     '⌒r_'    興味ないね
    r‐ 、       _  i:::::;::;_;l-'´` ‐ ̄._ l   _,、_'ノ- i、._
    l    `-、..-i' ´  ヽ_,.ゞ- 、      r ' ´ ̄       /:::::::::`ヽ
   !     ,..rー、    ヽ.  ヽ     ./     _,...-::'´:::::::::::::_;/
    ヽ、   /     ,ヽ.    i.   ヽ   -r:::::'::::´:::::::::::;::::-‐::':´::::::)
      `‐/ 、__ ./ヽ,入_,ノ     l  ,r'´ ` ー ::::_::::::::::::::_;:::- ' ´
     _,/     /.  ヽ_   _,.. -ヘ-'         ̄
  r' ´      ヽ       ̄
  ヽ、      _ノ
      ` ―― ''´
187世界@名無史さん:04/10/11 18:31:53
ありがとう、krt先生。
>>185-186 帰れよ。
188世界@名無史さん:04/10/11 18:46:11
要約すると
普遍論争
プラトン主義的な傾向の役割もあるが、唯名論を単純に
アリストテレス主義に帰すわけにはいかないので限界がある

論争を全て「普遍論争」という鋳型にはめて理解しようはできない

動物裁判
キリスト教における神学的・法哲学的問題意識によるもの

農業生産性
大まかな収穫量は増大するが、地域差や気候・社会的要素などが
あり比較は難しい

煉獄の問題
アウグスティヌスが思想的な先駆者
布教には天国と地獄の方が有利、キリスト教が行き渡ったから煉獄
が登場

ってこと?
189Krt:04/10/11 19:25:37
>>188そんな感じだね。ただ、農業生産性に関して言えば、「大まかな収穫量は増大」
傾向という方に重点があると思う。

それにしてもヨーロッパ人はなんでこんな生産性の悪い麦類に執着してたのか、
あるいは執着せざるをえなかったのか、と思う。
ジャガイモが入ってきた時も、麦類に比べ面積あたり二倍以上の人口を養えるにも
かかわらず、当初の普及は遅々としていたわけで、ジャガイモ畑が戦争に際して
徴発されにくいとか、荒らされにくいといった理由で耐久力があったこと、また
当初、ジャガイモは十分の一税が免除された地域が多かったこと、といった理由が
無ければ、普及はもっと遅れたらしい。

 ブローデルにしても、なんか米とかトウモロコシを主食にしている文化圏に対し
冷ややかな視線があるんだな。中南米はほとんど放っておいてもできるトウモロコシ
なんかを作ってるから、人口も増えすぎるし、退屈して、ああいう人身御供を伴う
暴政的な神政国家ができるんだ、とか。逆に南シナなんかは収穫率は高いが超労働
集約的な米ばかり作るから、山岳地が開かれず平地に過剰人口が集中してしまったとか。
190世界@名無史さん:04/10/11 19:30:46
豚って本当に木に登るんだな。
191世界@名無史さん:04/10/11 19:31:47
>>189
日本も米に執着してたから余所のことは言えん。
東北地方で米なんかつくるから飢饉になる。
畑百姓は一段下に見られてたし。

食文化というのは結構根が深いんじゃないかねえ。
アイルランドではジャガイモ飢饉の時に餓死者が出ても海藻を食おうという発想が出なかったらしいし。
アラン島とかでは肥料にしてたのにな。
192世界@名無史さん:04/10/11 19:48:25
>>191
チャチャいれるわけじゃないけど、海藻はほとんどカロリーないんじゃない?
米についてはお説のとおりです。棚田作ってもとにかく米。稲作してこそ一人前の百姓。
うちの親戚に一軒だけ専業農家がありますが、都市近郊なので野菜専門だけど
昔は米も作っていた。昔から野菜はいいけど(今はブランド物)米はまずい地方です。
193世界@名無史さん:04/10/11 19:51:56
>>192
日本だと、飢饉の時は藁や土、下手すりゃ嬰児まで食べてるぞ。
餓死者が出るような状況なら何でも食べて当たり前。
194世界@名無史さん:04/10/11 19:55:55
http://www.shajisitu.or.tv/c4l5x1.htm

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」です。右下の小さな絵をクリックすると12月まで見られます。
195世界@名無史さん:04/10/11 21:06:12
食生活は幼少期に決まってしまうので、中々変更はきかないのかも。
我々も明日から、「タロイモ主食」 と言われても、変更する気にはなれません。
196世界@名無史さん:04/10/11 22:34:14
それに欧州のパン、ビールはキリスト教にも関係のある食物。そう簡単に
ジャガイモにシフトできるとも思えない面がある。日本の米もそうで、餅や
酒は宗教にかかわるモノだよね。
197世界@名無史さん:04/10/11 22:53:06
>>196
ビールとキリスト教はどういう関係でしたっけ?パンと葡萄酒なら肉と血ですが。
それはおいといて、戦前は餅をつくということは大変なことで、神事の他は正月。
明日をも知れない病人が「最期に餅を食べて死にたい」とか言い出したら
村中回って、事情を説明して、やっと餅がつけたとかいう話です。
198世界@名無史さん:04/10/12 00:33:53
「ビールは液体のパン」「パンはキリストの肉」だそうです
199世界@名無史さん:04/10/12 01:44:17
最近必死でこのスレ上げてる椰子がいるなw
200アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/12 02:08:38
200げと。
かつて(ローマ期)は、
ビールも蛮族の飲み物だったわけです。
では、発泡酒ばっかりの私は一体全体...
201世界@名無史さん:04/10/12 02:31:17
ローマ時代は、ワインは割って飲むものだった。
割らずに飲むのは蛮族のすることだった。
202世界@名無史さん:04/10/12 07:10:43
>>197
修道士が断食するときビールがないと困るんじゃないかと・・・
203世界@名無史さん:04/10/12 10:31:43
>>178
ポルピュリオスからロスケリヌスの間の唯名論者って誰でしょうね?私はオーク
セレのレミーとエリックしか知らないんですけど
204Krt:04/10/12 22:33:16
>>203
178では少々はしょってああいう書き方をしてしまったけれど、ポルピュリオスによる
「アリストテレスのカテゴリー論への序論」は、実際の所、ボエティウスの翻訳と
註釈によって西欧社会に伝えられたわけだ。だからポルピュリオスとボエティウスの
間において、誰が唯名論者だったか、と考えるのは少し変な気がする。強いて言えば
三位一体論との関係で、反アタナシウス派の内のだれかにそういう思想傾向を持った
人物がいただろう事は容易に想像できるけれども、私はキリスト教の教義にはあまり
詳しくなくてね。残念ながら、誰、という明確な指摘はできない。まあこの問題は
キリスト教関係の専門スレに行けば詳しい人がいて教えてくれると思う。

となると、ボエティウスからロスケリヌスの間で、という事になるだろうけれど、
この期間においては、「もし白もしくは黒がそれだけで実在し、これらの基体である
実体なしで実在すると主張しようとするなら、これらに相応するいかなる実在も指摘
する事ができず、白い人とか黒い馬とかを指し示さねばならない事になろう」と述べた
オークセレのエリック(ヘイリクス)の方は、たしかに唯名論者と言って良いと思う。
205Krt:04/10/12 22:34:30
でも他方、「種が類の<実体的部分>であり、また種たとえば人間という種は多数の
個人の実体的統一体である」と主張したオークセレのレミー(レミギウス)の方は
果たして唯名論者と呼べるのだろうか?
 ことにこの表現が「多数の個別的な人間は数的に一である共通実体を持つ」という
意味において理解されるならば、である。

私が参照しているF.コプルストンの「中世哲学史」(創文社)においてもこのような
理由から、彼はむしろ実在論者の方に分類されているし、上記の彼の言(コプルストン
の本からの孫引きだが)からしても、やはり彼は実在論的主張の持ち主だと見なすのが
自然じゃないだろうか。

まあ、この時代における、それ以外の唯名論者は? 
と問われても残念ながら私の知識の範囲には無いけどね。
206世界@名無史さん:04/10/13 12:03:18
失礼しました。オークセレのレミー(レミギウス)は唯名論者というよりは、実
在論者ですね。ちなみに初期スコラ学の唯名論はネストリオス派の影響を受けて
いるんでしょうか?ボエティウスを議論の対象とするうちに自然に生じたんでし
ょうか?
207Krt:04/10/14 00:08:11
>>206
多分後者だろうけど正確な事は知らないな。なにしろロスケリヌスにしても現在では、
彼が書いた物は手紙以外残っておらず、彼の音声言語派としての唯名論的な主張にせよ
実はアンセルムス等の彼に対する言及からわかるだけで、本当はどういう文脈において
為されているのかは完全には判らないわけだ。
 それとポルピュリオスは勿論、ボエティウスの注解(「ポルヒュリオス・イサゴーゲー
注解」平凡社:中世思想原典集成5に収録)にせよ、それ自体は完全に非キリスト教的な
テキストなわけで、普遍論争がこれの解釈に端を発する、というのがウソ偽りのない事実
なら、唯名論に対するネストリオス派の影響云々を言うのは少し大胆すぎると思う。

 ただ「注解」から穏健な実在論者だったと見なしうるボエティウス自身は、他方では
いわゆる「神学論文集」において非ネストリオス的な立場を明確にしてもいるわけだから
唯名論側、即ち反ボエティウス的立場に立つ側が逆にネストリオス派的な主張に近づくと
いうことは、そりゃ論理的にはあり得るだろうけれども。
 まあ、こういうことは「キリスト教総合スレ」あたりで聞いた方が正確な答えが
返ってくると思うよ。
208世界@名無史さん:04/10/14 00:25:50
普遍論争絡みの質問です。

質問:「実在論」の「実在」ですけど、これは「サブスタンス」と関係してますか?

私が、一般教養で中世文化史を教わったのは、もう二十年も前なので、古いでしょうし、一般教養並みのアウトラインしか知りません。

で、「実念論」はイデア論との絡みで、「普遍的実体は具体的個物とは異なる概念」と中世思想ではみなされていた、という理解を持っていました。
二十数年前の一般教養での用語では、具体的個物の方は「実存(サブスタンス)」という概念で括る整理で説明を受けましたが。

>「多数の個別的な人間は数的に一である共通実体を持つ」(>>205)、という当時の思想要約(なのですよね?)をみると、「実在」もサブスタンスの一種として、中世期に見られていたのかな?
二十年間の研究の推移で、そうした見解の推移があって、それでかつて「実念論」と呼ばれてた用語が最近は「実在論」と移行してきたのかな??

とか、気になってきました。
見当違いかもしれませんが、どんなもんでしょうか?

>中世の哲学論争に関してはその内容の多様性を尊重し、相異なる時代における形而上学的議論は、
>それぞれ個別の問題を扱っているとみなすのが現在のあり方なのかも知れない(>>180

ってお話は、説得力があり、なるほどそうなのかと思いましたが。
その上で、強いて言うなら、どちらかと言うと現在の研究フレームの問題として、
かつて「実念論」と呼ばれたものが「実在論」って用語に切り替わって来てる(と思うんですけど)背景に何か理解の推移があるのでしょうか?
209世界@名無史さん:04/10/14 08:50:06
>>207
博識な方ですね。ありがとうございます。
>>208
英語ではどちらもリアリズムで区別はないとおもうんですが、素朴実在論と混同
を避けて実念論と呼ぶんでしょうか。
210Krt:04/10/14 23:30:49
>>208 209氏が指摘しているように、実在論も実念論も英語では同じrealismである。
(1)実在論の「実在」はサブスタンスと関係しているのか、(2)なぜrealismの訳語が
「実念論」から「実在論」へと変わりつつあるのか、は順を追って説明する。

もともと「イサーゴーゲー注解」の立場はアリストテレスに寄り添う形で、個物こそが
(例えばプラトン、ソクラテスといった)まず第一次的な実体(ウーシア=サブスタンス)
であるが、アリストテレスの二次的実体たる個物を統括する類、種の概念(例えば人間)
もまた、人と馬から勝手につくられたケンタウロスのような虚偽とは異なり、物体から
抽象化された線分のように個物の中に有りつつも、そこから離れても考え得る普遍
である、というものだと思う。以後こういう考えを「穏健な実在論」と呼ぶ事にしよう。
 それに対し、二つの異なった立場が存在しうる。一つは、むしろ「人間」といった
普遍概念は、もしそれが正しい概念なら一次的な実体として精神の外部に実在するし、
個物はむしろ既に存在する実体の、偶有性においてのみ異なる所の新しい性質でしかない
という「極端な実在論」の考えである。(こう考えると原罪により悪に染まった「人間」
という実体から、性質においてのみ新しいが、やはり原罪に染まった個人が生まれてくる
という風に原罪の伝承が理解しやすいし、逆に個物しか存在しないなら、神は原罪という
悪に染まった人間を日々産みだし、世界を汚染し続けているという主張もなし得る
211Krt:04/10/14 23:31:34
これに対し、全く正反対の考えが、現在「唯名論」と呼ばれているものである。この
立場の基本的立場は、個物のみが実在するのであり、類、種のような普遍概念は実体
ではなく、単なる言葉でしかない、というものである。

さて、「イサーゴーゲー注解」の解釈を巡って「普遍論争」が活発化した十一世紀頃の
状況を言えば、議論のテーマは、そもそもイサゴーゲーが論じたことがらは音声言語
(vox)についてなのか、それとも「もの」(res)についてなのかということだった。
前者を主張した音声派(vocales<vox)からは、普遍はものの側には存在せず、多くの
ものの名称として設定された音声言語に過ぎないという唯名論的主張が生じたのに対し、
後者の陣営からは(テーマは「注解」の解釈に関しての話なのだから、アリストテレス
に寄り添う形で)実在するものは個物のみであることを認めるが、普遍も何らかの意味で
ものの側に属する、という主張が出された。彼らはもの派(reales<res)と呼ばれたが
要するにこれが現在の文脈におけるrealist「実在論者」の語源である。彼らの主張は
先の分類で言えば「穏健な実在論」者にあたるが、とにかく当初の対立点は音声vsもの、
だったのだから観念的な「極端派」だけでなくこちらをも含めて「実念論」と訳すのは
無理があるので「実在論」と訳す専門家が増えてきた、というのが(2)への回答である。
212Krt:04/10/14 23:32:23
さて、で(1)への回答だが、アリストテレス的立場ないし「穏健な実在論」の立場に
立てば、「もの」は当然、実体であるか、少なくとも実体の側に属することになる。
「極端な実在論」(この言葉が適正かどうか疑問があるが、「プラトン的立場」)に
たつならば、個物としての「もの」を実体(ウーシア=サブスタンス)とする訳には
いかない、という事になるだろう(この立場の場合、実体は普遍の方になる)。あと、

>で、「実念論」はイデア論との絡みで、「普遍的実体は具体的個物とは異なる概念」
>と中世思想ではみなされていた、という理解を持っていました。
>二十数年前の一般教養での用語では、具体的個物の方は「実存(サブスタンス)」
>という概念で括る整理で説明を受けましたが。

については、普通サブスタンスを実存と訳す事はないと思う。元来existentiaは
substantiaの対立概念なんだし。まあ「極端な実在論」の立場から、普遍を実体、
それに対して個物をexistentiaと見なすというのは筋が通っているとは思うが、
existentiaが明確に定式化されたのは13世紀以後のトマス派によってで、彼らは
決して「極端な実在論」者ではないしね。それとも「実体」の書き間違いかな?
213世界@名無史さん:04/10/15 23:18:21
>>211
これに対し、全く正反対の考えが、現在「唯名論」と呼ばれているものである。この
立場の基本的立場は、個物のみが実在するのであり、類、種のような普遍概念は実体
ではなく、単なる言葉でしかない、というものである。

うーん、たしかにうまいビールは?と聞かれても答えは人それぞれだから、うまい
ビールという普遍概念は存在しないかも。でもどんなものにも万有引力は普遍的に
働くから俺は万有引力実在論を信じる
214世界@名無史さん:04/10/16 01:59:13
中世ヨーロッパの服装は、案外地味だよね。
日本では、平安後期には庶民までもが模様入りの布地の服を着こなしているのに。
215世界@名無史さん:04/10/16 02:12:17
>>214
地味というよりみすぼらしい感じ。
ウールは科学染料でないと染まりにくいというような事情はあるでしょうが。
それに、平安時代だとちょっと金のある庶民は絹を着ていた。
ヨーロッパ中世なら、王侯貴族かよほどの大商人でないと絹は着られない。
地方領主や大商人でも普段着はウールで、絹は晴れ着。財産目録にのるくらい。
216世界@名無史さん:04/10/16 02:37:02
西洋には亜麻もあった筈だが、これも染まりにくいのかな?
217世界@名無史さん:04/10/16 11:39:54
絹といえば、ビザンチン帝国では絹織物の生産が盛んだったと聞いたことがある。
この絹織物は、中欧までは伝わらなかったんだろうか?
218世界@名無史さん:04/10/16 13:15:45
衣服規制令について一言おねがいします
219世界@名無史さん:04/10/16 18:01:37
>>217
中国から竹の杖の中にお蚕さん隠して持ち出したって伝説があるよね。
持ち出すのが見つかったら即死刑!とかそんな感じのお話しがあったと思う。
やはり高級交易品だったから、東ローマも国家機密のような感じで製法は秘密にしたんだと思う。
220=208:04/10/16 22:46:07
>>210-211=Krtさん。レス、サンキューです。

「実在論」から「実念論」への用語変化趨勢の背景、理解しました。

実在論の「実在」はサブスタンスと関係しているのか、については、
普通は、中世期に関係してるとはみなさなかった
という線で理解することにしました。
第一質量の関係は、折りがあれば自分で調べてみようと思います。

>普通サブスタンスを実存と訳す事はないと思う
については、さすがに二十年前の講義でも、質問が多出した記憶が残っておりまして、
「実体」の書き間違えではありませんです。
どうも教諭の史観だったようです。
今となっては、教諭の真意も確かめ難いのですが。2,3思い当たるふしはありますです。

ともあれ、いろいろありがとうございました。
221世界@名無史さん:04/10/17 17:05:58
>>219>中国から竹の杖の中にお蚕さん隠して持ち出したって伝説がある

景教の僧がビザンツ皇帝ユスティアヌスに、献上したって伝説ですね。
杖の頭に、蚕の卵を隠して持ち帰ったという伝説。
中国王朝は絹製品は輸出してても、蚕種の国外持ち出しは死刑に処していたとか(これも伝説なのかな?)

ちなみに、養蚕術の伝播については、桑園の痕跡を手がかりにすることが多いらしいです。
222世界@名無史さん:04/10/18 03:15:56
ちょっと興味があるので2,3の本をあたってみました。

ビザンツ帝国では、紫の絹織物の生産が国家独占だったそうです。
これは例のフェニキア紫ですね。

その他の絹織物業は、コンスタンティノープルに、生糸、糸仕上、織工程、
絹織物など、工程ごとに細分された同業組合があり、各組合間が互いの
職分を侵さぬよう、市総督が厳しく監督していた、とのこと。

製法が国家機密ということがあったかどうかまで確証はとれませんでしたが、
どちらかと言うと、一種の護送船団方式で、高度な家内制手工業の分業体制
で洗練された商品を生産していたと言う感じでしょうか。

紫織物に関しては、原料の貝から国家独占で管理してたのだろうと思われますが。

【参考】井上浩一,『生き残った帝国ビザンティン』(講談社現代新書),講談社,1990.
ミシェル・カプラン,『黄金のビザンティン帝国』,創元社,1993.
223アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/18 03:27:52
正確な時期は忘れましたけど、
ビザンツ期に入ってから、
乱獲がもとでpurpuraが絶滅したのだから、
国家管理の下とは言え、
厳しい規制はできなかったのではないでしょうか。

ちなみにpurpuraは新大陸(メキシコの辺りでしたか)で、
再発見されたそうな。
224世界@名無史さん:04/10/19 19:16:10
いわゆる皇帝紫か・・・・
新たな供給源はメキシコであってるはず。
225世界@名無史さん:04/10/20 03:07:55
日本の染色家が、その貝を使って皇帝紫を再現したら、とんでもない数の貝が
必要だったとか。
日本で古代紫と言うような赤みの強い紫です。
バチカンの映像を見ると、赤い衣の坊さんがいっぱいいるが、朱色みたいなのが
枢機卿で紫っぽいのが司教でその司教の制服?の色。
226世界@名無史さん:04/10/20 03:30:58
>>193

>「ビールは液体のパン」
出所はどこ?
聖書にはビールは出てこないが?
材料が同じだからなんて無しだぜw
227世界@名無史さん:04/10/20 15:55:53
恐らく、中世の修道院で言われていたことでは?
228世界@名無史さん:04/10/20 18:59:41
>>227 
そうだとおもう。聖書由来という訳ではないんだろうな。
229世界@名無史さん:04/10/20 19:23:34
日本の坊さんは般若湯を飲むが、
西洋の坊さんはワインやビールを仕込む。
230Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/10/20 21:13:23
ttp://www.asahibeer.co.jp/library/beer_century/europe/german3.html
↑にそれに関する記述がある。
断食中でも液体は飲んでいい、ということに始まるらしい。
231世界@名無史さん:04/10/21 11:42:18
>229

イエスはワインを飲めといったしパウロは飲んだほうがいいですよといってるから飲むのは信仰を持っている証拠になる
232世界@名無史さん:04/10/21 13:57:34
>>230
そのHPのなかで5〜6cの欧州地域の紹介に「またこの頃、キリストの誕生日を
12月25日に定めたという記録も残っています。ゲルマン民族が冬至を祝う日を
キリストの誕生日としたのです。この日にはすべての町や村で人々にただで
ビールをふるまい、人々をキリスト教に改宗させました。キリスト教の布教に
おいては、以降もヨーロッパのみならず世界各地で「神からの恵み」としての
ビールが大きな役割を果たしたようです。」という記述がありますね。
233世界@名無史さん:04/10/23 13:07:36
ところでちょっと教えてくれ。
中世後期にゴムチューブはあったのか?
234世界@名無史さん:04/10/23 14:19:28

・・・( ゚д゚)ポカーン
235世界@名無史さん:04/10/23 14:51:13
ところでちょっと教えてくれ。
中世後期にインターネットはあったのか?
236世界@名無史さん:04/10/23 17:49:38
ところでちょっと教えてくれ。
中世後期にタンクローリーはあったのか?
237アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/27 06:41:39
purpuraネタの追加。
彫像の服に塗られていた唯一の事例として、
ソンマの事例がTVで挙がっていた。

ただし、古代ネタ>サゲ
滅びたのは5世紀らしいけど。
238世界@名無史さん:04/11/07 05:18:00
すごい止まりっぷりだなおい
239世界@名無史さん:04/11/11 13:37:12
233が悪いんだよ
240世界@名無史さん:04/11/13 04:27:05
RPGによく出てくる
吟遊詩人ってどんな生活をしていたのでしょうか?
241世界@名無史さん:04/11/13 16:12:56
吟遊詩人は騎士だよね
242世界@名無史さん:04/11/13 17:26:48
え? そうなの?? マジ???<吟遊詩人は騎士
243世界@名無史さん:04/11/13 19:05:44
「吟遊詩人」と邦訳されているものには、イングランドのバード、ドイツのマイスタージンガー、北フランスのトゥルベール、南フランスのトロバドールがあるね。
ただ、訳と内容が合致しているのはイングランドのバードくらいなもので、他も同じ訳を使用するのは誤訳と言い切ってかまわないと思う。
(極論を言えば、紫式部や清少納言の職業を「ゲイシャガール」と英訳して説明するくらい無茶苦茶。)

しかし、他についても使用人くらいの身分の者もいれば、爵位持ちの者もいるといった感じで一概にどうこう言うのは難しいかもしれない。
この辺は、真実と伝説が入り混じって伝えられていたり、低い身分の者が高い身分の呼称を偽って名乗っていた場合もあったり・・・。
こういった事例が後世にそのまま伝えられたりしているので、色々とややこしい。
244世界@名無史さん:04/11/13 20:31:55
>>243
ドイツのマイスタージンガーを吟遊詩人と訳すのは見たことがないぞ。
職匠歌人とか工匠歌人とかが一般的。マイスターは親方・名人などと
いう意味だし、身分的には手工業の親方だからね。ジンガーは歌手の意。
ミンネジンガー(又はミンネゼンガー)が吟遊詩人ではないか?
245世界@名無史さん:04/11/13 20:47:31
>>242
「トル バドゥールの多くは、騎士で身分の高い人も多く、ポワティエ伯
ギョーム9世(1071-1127) は、「最初のトルバドゥール」と言われます。」
という記述が、あるホームページにあったよ。スカールドなども戦時は近衛兵の
役割を果たしたんだそうだ。ワーグナーのオペラのタンホイザーなどに出て
くるミンネジンガーの身分も騎士だしね。
246世界@名無史さん:04/11/13 22:19:54
うん、「ギョーム9世(1071-1127) は、『最初のトルバドゥール」と言われます。』」は、文学史だと通説的に言われるよね。

ただ、それは、詩人の銘が伝わる最古のトルパドゥールがギョーム9世です、ってだけで。
文学史でも、「トゥルバドールが吟じた中世武勲詩のように、技巧上の約束事が多い形式は、当然長い前史が推定される」って意見もあるらしい。

>>243氏じゃないが「色々とややこしい」。
247世界@名無史さん:04/11/13 22:31:41
奥が深いなぁ
248世界@名無史さん:04/11/13 23:56:32
>>244
ごめん、そっちと勘違いしてたみたい。
249あぼーん:あぼーん
あぼーん
250あぼーん:あぼーん
あぼーん
251世界@名無史さん:04/11/14 22:24:26
煽りに負けずにあげ
252世界@名無史さん:04/11/14 22:25:40
>>251
カラアゲイクナイ
253世界@名無史さん:04/11/23 14:13:32
トートツですがキプチャク汗国は中世ヨーロッパに入れていいですか・
254世界@名無史さん:04/11/24 02:22:55
ダメだろう・・
そのころのロシアが欧州かどうかも危ういのに。
255世界@名無史さん:04/11/24 02:24:00
そのころのロシアって言い方は変か。まぁルーシってことでいいか。
256世界@名無史さん:04/11/25 10:39:52
ロシアは欧州にきまってんだろう
257世界@名無史さん:04/11/26 00:55:38
ドイツ人曰くウィーンより東はアジア、スラブ人はアジア人
英国人曰くカレーより南はニガー
258世界@名無史さん:04/11/26 23:09:37
フランス人曰くイベリア半島はアフリカ
千葉の人曰く茨城は東北
259世界@名無史さん:04/11/29 13:02:59
ロシアが欧州に組み込まれるタイミングを何時と見るかじゃない?
キエフ公国のウラジミル1世がギリシャ正教を取り入れた時とすれば
キプチャク汗国は中世ヨーロッパに入れてもいいだろうし
モスクワ大公国イワン3世のキプチャク離脱〜イワン4世のツァーリ即位の時とするなら
駄目って事になる訳で。

宮廷の文化はそりゃモンゴル式だったろうけど、
民俗の部分では東欧に近かったんじゃない?
詳しい事は全く知らないんだけどさ…
260世界@名無史さん:04/12/07 02:40:01
>>253-259
>>1には、
>地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアとか、ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
てあるよ。
「モスクワ大公国イワン3世のキプチャク離脱〜イワン4世のツァーリ即位」(>>259)と関連付けた話題なら、いいんじゃないかな?
261世界@名無史さん:04/12/07 02:45:53
ドイツ人いわく日本はアジア
262世界@名無史さん:04/12/07 02:46:26
イギリス人いわく日本はアジア

ロシア人いわく日本はアジア
263世界@名無史さん:04/12/07 02:51:08
グルジア人いわく日本はアジア
264世界@名無史さん:04/12/07 03:19:56
>>257
下層ドイツ人と下層英国人と付き合ってますね
265世界@名無史さん:04/12/07 17:04:22
>>261-262 日本はアジアとは認識されてないかも。
アジアといえばトルコからインドにかけての一帯のことで、
インドよりも東はアジアじゃなくて「中国」w
266世界@名無史さん:04/12/07 18:38:43
中世に騒がれ大航海時代まで引きずった“プレステ・ジョアンの国”って結局なんだったの?
仮にあったとして何処の国だったのかな?
267世界@名無史さん:04/12/07 22:34:12
>>266
プレステ・ジョアンの国は、使徒トマスがインドに布教した、などの
古代末期の教会外キリスト教伝承が元になり、イスラム勃興後の西欧で、
東方にキリスト教王国があるってファンタジーが膨らんだものと考えら
れています。

ですから、仮にも実在してなかったわけですが。
モンゴル西征の頃に、教皇庁などが東方に使節を派遣したりしたきっかけ
としては、内陸アジアのネストリウス派信仰の情報に尾鰭がついて西欧に
伝わったことがあった、との説が割りとよく言われてると思います。
268世界@名無史さん:04/12/07 22:37:27
プレスター・ジョンの国はエチオピアにあった。
269世界@名無史さん:04/12/07 23:15:59
エチオピアはローマより早くキリスト教化したからね。
モンゴルについてはケレイトやナイマンはチンギス・ハーンが
生まれる前からキリスト教化していたからそれがモデルかもね。
270世界@名無史さん:04/12/08 05:28:34
モンケ・ハーン、フビライ・ハーンの母ソルコクタニはケレイト族出身のネストリウス派キリスト教徒で、
マルコ・ポーロは、父親と共に聖遺物を調達するためにエルサレムに寄ってから大都に向かったと言われてますね。
271世界@名無史さん:04/12/08 16:20:41
まあ、当時のイスラムの勢い考えれば「無茶苦茶強い友軍」が居ると信じたくなる
気持ちは判らないではないしな・・・
272世界@名無史さん:04/12/11 20:19:50
age
273世界@名無史さん:04/12/29 10:10:58
スラヴ民族自ら奴隷と名乗る意味不明な民族
274世界@名無史さん:05/01/02 10:10:42
嘗糞はなかったのか
275世界@名無史さん:05/01/06 18:32:51
ありました
276世界@名無史さん:05/01/20 15:48:38 0
あげ
277世界@名無史さん:05/01/20 17:32:37 0
>>273
元々、スラヴってのは彼らの言葉で栄光とか、そういった意味。
で、彼らが一時期大量に捕らえられては奴隷になったから
民族の名称がそのまま奴隷の代名詞になっただけ。
278世界@名無史さん:05/01/20 20:10:15 0
>>266-271
耶律大石西遷の時に、現地のイスラム王朝(失念スマソ)の敗北端緒とも
流れとしては
遼西遷、イスラム王朝敗北→「東方でムスリムが異教徒に敗れた」という話がビザンツまで伝わり、イタリア商人を介して欧州へ
>>267>>271のような事情で話が大きくなる。
→モンゴルの勃興、プレステ=ジョアンは実在した。キリスト教マンセー!!って感じでは
(なお東方見聞録によると、当時プレステ=ジョアンとされていたのはケレイト族の首長トオリル=ハーンであるとのこと)


279世界@名無史さん:05/02/05 13:31:10 0
前から思っていたんですが
南欧、地中海沿岸はけっこう地震とか津波とかあるけど、
西欧、北欧はあまりそういう話を聞いたことがありませんよね?
古代において後進地域だったこれらの地域が持続的に成長していったのは
こういった地学的な安定性というのも原因の一つなんじゃないでしょうか?
280世界@名無史さん:05/02/05 21:38:55 0
>ハンガリーの悪名高いエリザベート・バートリー嬢も中世だったかな?
 東欧の中世もドロドロしてそうだな。
281山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/05 21:47:17 0
>>279
年中地震が起きている訳でも無し。日本も地震大国ですよ。
>エリザベート・バートリー
桶狭間の合戦の年に生れて、大坂冬の陣の年に死んでいますね。
中世と言って良いのでしょうか。
282世界@名無史さん:05/02/05 23:43:52 0
どこまで本当なのか知らんが
血の風呂に入ってたというのは確かだというな。
283世界@名無史さん:05/02/06 04:01:53 0
軍板のFAQに詳しい解説がのってる>エルジェベト・バートリ
284Ryuju ◆RlujhF6VrA :05/02/06 09:56:06 0
>>279
地震との影響があるとすれば、建築の方かな。
石造りで大宮殿とか、ゴシック式の高い塔のある教会とか、
地中海地方では余り聞かないからね。
ピサの斜塔も地震が原因という話だし。
285世界@名無史さん:05/02/06 12:57:42 0
>283、サンクス!でもなんで軍板なんだ?
286世界@名無史さん:05/02/06 13:04:57 0
有名な「世界七不思議」の大半は地震であぼーんしたというからね。
トルコのエフェソス市の文明を滅ぼしたのは、最終的には地震だし。

ポルトガルのリスボン市も地震であぼーんした
287ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :05/02/06 22:07:50 0
>>279
>古代において後進地域だったこれらの地域が持続的に成長
北欧の場合、近代後期に入ってからの急成長の様な気がします。

>こういった地学的な安定性
とりあえずアイスランドは、1783年に火山が噴火し、さらにその年の厳寒も
重なって飢饉が発生し壊滅的な状況になっていたりしますが。
288世界@名無史さん:05/02/07 03:16:37 0
>>285
ハプスブルク対ハンガリーの戦史に関わるからだと思われ
289世界@名無史さん:05/02/07 21:36:59 0
>287
私の研究分野である15世紀のドイツ地域においては、地震の記載が年代記に散見されます。
ただし、どのぐらいの震度であったかは不明。
先輩は「震度1だったんじゃないの」と思わずつっこんでくれました。
290ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :05/02/12 00:00:06 0
大きな地震が頻発すれば、教会で神の罰なり、悪魔の仕業として
説教が行なわれるはずです。中世の災害の記述史料のひとつが、
説教判例集ですから。

もっとも大きな影響を与えた災害は、飢饉ではないでしょうか、
気候変動・異常気象・洪水などがその原因で、それに疫病などが
がセットとなってやってくる。
291世界@名無史さん:05/02/15 01:54:26 0
中世ヨーロッパ人が風呂に入らない臭い臭い生活していたのはむしろ中世後期以降で、
中世初期はまだ入浴習慣が残っていて、それなりに清潔だったそうだね。
292アクィラ ◆0fUIPC892c :05/02/15 02:01:27 0
>>291
ローマ水道などの施設が使えた時期は、風呂に浸かってたけど、
メンテナンス不備で、使用できなくなったら、
不潔になったということなんでしょうか?
293世界@名無史さん:05/02/15 02:06:34 0
入浴が廃れたのは、キリスト教の影響も大きかった。
極端に禁欲を強いた教義ゆえ、裸体を晒す入浴は「堕落」とみなされて
攻撃されたのだ。
294世界@名無史さん:05/02/15 02:14:33 0
風呂で病気が媒介されたんじゃなかったか?
295世界@名無史さん:05/02/15 02:16:29 0
そういえば、ペストの伝染は浴場が原因、というデマも流れたね。
296世界@名無史さん:05/02/15 08:48:54 0
あああ、この話題は何回目か。
確か本当に風呂に入らなかったのはむしろ近世だったという
結論が出てたと思う。
って、過去ログとかは専用ブラウザとか壺とかナイト
みれないのか。
詳しい話はエロい人、ドーゾ。
297世界@名無史さん:05/02/16 01:57:21 0
過去ログ2ぐらいで出てたな。
298世界@名無史さん:05/02/16 19:46:18 0
風呂がどーたらこーたらは阿部謹也先生の本に詳しく載っていたはず。
そっちを読む事をお勧めする。
299世界@名無史さん:05/02/16 19:48:01 0
>>298
その内容を要約してここに書き込むことにこのスレの意義がある。
ヨロ。
300世界@名無史さん:05/02/16 21:06:21 0
謹也センセはドイツの外側に出ると
嗅覚が働かなくなるお人だからなぁ、
と、煽ってみせる俺が加齢に300げt
301世界@名無史さん:05/02/17 10:12:43 0
> 大きな地震が頻発すれば、教会で神の罰なり、悪魔の仕業として説教が行なわれるはずです。

当時の人々にとっては「大きな地震」であったために、地震の記載がされているわけですので、
彼らにとっては十分「大きな地震」であったということができます。
(そのために、ミサがおこなわれたとか、行列が行われたとか)
えーと、私がいいたかったのは、彼らにとって大きな地震は、
必ずしも地震大国日本の我々が考えるレベルのものとは違うのじゃないかなー、ってことです。
もちろん震度1は冗談ですけど。
302世界@名無史さん:05/02/17 13:09:02 0
地震は被害は局地的だから、あんまり影響を気にする必要はないでそ。
大津波になると広い範囲を根こそぎ持ってかれるから問題になるけど、
それほどの大津波は地震が起きない場所にもやってくるからねぇ。
303世界@名無史さん:05/02/17 16:35:32 0
まえ、厨日新聞の夕刊で毎週(?)やってる海外駐在の人の話の中に、
オーストリアにいる日本人が、震度2の地震に遭遇して、その翌日
職場のオーストリア人たちが「昨日は大きい地震があった! 怖かった!
めちゃくちゃ揺れた!」 とその話題で持ちきりだったようです。
冗談ぬきで、「震度2」くらいだったかも知れんぞ。

ドイツの建設現場では、日本では考えられないほど
細い鉄筋で鉄筋コンクリート造のビルを建てているらしいし、
古い建物は改修はしてるんだろうけど、隣の建物にもたれかかってたり
傾いていたり、あの辺りの人は地震がくることをほとんど
想定していないようにおもいます。
304世界@名無史さん:05/02/17 20:32:52 0
911の時、例の二つの貿易センタービル倒壊の衝撃で、その周りのビルも倒壊したけど、推定震度4くらいの衝撃だったらしいね。
周りのビルも30階建てとかの結構な高層ビルだったはずだが・・・。
305世界@名無史さん:05/02/17 20:57:37 0
震度4って昨日の地震のうちの近所での震度だぞ。
衝撃とは違うかもしれんが流石に脆すぎないか?
306世界@名無史さん:05/02/17 21:05:20 0
マンハッタンは地震なんてほとんどない所ですから。
一生に一回有感地震があるかないか、それくらい。
地盤も岩の上にがっつり乗っかってるから極めて安定してるし。
307世界@名無史さん:05/02/18 01:34:52 0
日本の建築技術は世界一だと思う。
アメリカの家の建て方とか酷い。
柱とか梁とか言う概念が存在しない、壁4つ立てて屋根つけてお終いみたいな感じで、
基礎もしっかりしていなくて、地面平らにしてその上に直接立てるみたいな感じだし。
石材で家を建ててきたからそういう概念が発達しなかったかも。
308世界@名無史さん:05/02/18 03:02:58 0
酷いっていうかそれで十分だからな。
カリフォルニアは別だが。
309世界@名無史さん:05/02/18 03:12:13 0
>>308
>酷いっていうかそれで十分だからな。

ハリケーンやトルネードで毎年のように薙ぎ倒されていますが。
てか、お前ら飴玉やるからいい加減ビーチや崖っぷちに家建てるのを止めろと。

>カリフォルニアは別だが。

何で別?家とかかなりチャチイぞ。
310世界@名無史さん:05/02/19 03:25:47 0
>>309
米国並のトルネードが来たら日本の家でも吹っ飛ぶだろ
簡単に作り直せるほうがいい

>カリフォルニアは別
十分だから、にかかってる
311SKG ◆CStyleo4Z. :05/02/19 16:35:00 0
加州は地震があるからねn
312世界@名無史さん:05/02/20 22:05:08 0
LAはそれなりに裕福な地域だと丈夫な家が多いっていう印象が。
基礎工事は弱く見えたけど、阪神淡路大震災前の関西も基礎工事が手抜きだったんで
似たようなもんだし…
313世界@名無史さん:05/03/08 16:38:02 0
なんかスレッド整理が有りそうな時期に
あげ荒らしみたいなのが来てる予感がするので
密かに保守っておく。
314世界@名無史さん:05/03/10 19:56:22 0
ちょっと、中世ヨーロッパ時代にどんな雨着使ってたか調べてるんだけど、
参考になりそうな情報無いかね?
315世界@名無史さん:05/03/11 08:49:53 0
ウールのコート
316世界@名無史さん:05/03/11 22:06:30 0
d
317アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/15 01:16:24 0
アニメを語るスレの流れより
「ペスト塗り」について
うろ覚えなので申し訳ないですが、
疫病が流行した時に、ペストを発生させる物質を、
建物や食物に塗ったり撒いたりして、故意に感染を拡大させた、とされる人々
と記憶しております。

「魔女」同様、実在したというよりも、イメージの問題かもしれませんね。
イタリア北部で「ペスト塗り」狩りが行われたのは、
17世紀前半の流行時だったと記憶しております。
ソース...ギンズブルクの『闇の歴史』にも、
記述があった気がしますが出せません。スマソ
318世界@名無史さん:05/03/15 19:11:38 0
>>314
アイルランド人は風が強いから傘をさす風習がないとラジオでいってた。
319..:05/03/15 23:25:33 0
>>アクィラさん
誘導有難うございます。

下記のスレでブルボン朝下フランスでの衛生意識についてKrtさんが詳細な説明をしてくださっています。
Krtさんの降臨をお待ちします。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1110120263/63-88
320Krt:05/03/16 17:27:46 0
>>317
手元にある文献しか見ていないのだが、それで判ったことだけお知らせする。
最初の手がかりとして見た、最近の魔女狩り関係の研究や内外の文献紹介が豊富に
載っている、上田安敬/牟田和男「魔女狩りと悪魔学」人文書院、に示唆されて
ジャン=ミシェル・サルマンの新しい入門書「魔女狩り」創元社、を調べてみると
ユダヤ人などある種のグループが社会に害悪をもたらす、という信仰の例として
「それらの人々は井戸に毒を投げ入れたり扉の把手や壁に油を塗って病気を広め
たりすると攻撃された」とあったので、さらに当のサルマンが「魔女」の項目を
担当している、G.デュビィ、M.ペロー編「女の歴史」V(16-18世紀2)藤原書店、
の当該の箇所を読んでみたところ、次のような記述を見つけた。

「繰り返し起こる天災と魔術とを結びつける考えは、伝染病が起こるたびに
「植えつけ人」狩りや「ペストまき人」狩りが組織的に行われたことで裏付け
られよう。とりわけ、ジュネーヴがそうであったし、また、一六三〇年のミラノの
ペストの例は、十九世紀イタリアの代表的作家アレッサンドロ・マンゾーニの
歴史小説「いいなづけ」によって、有名になっている」p.679f.
321Krt:05/03/16 17:28:19 0
幸いマンゾーニの本(河出書房新社)は書庫にあったので(もちろん積ん読だが)
開いてみると、なるほど下巻の637p以後の第31及び32章が、物語の背景となっている
前年からのドイツ軍侵入に引き続いてその進入路を追って入ってきた1630年の
ミラノでのペスト流行に関する、当時の諸史料に基づく考察に割かれている。
 そしてその諸史料からの結論として作家は、当初において事態を直視せず、
十分な対処を怠った結果被害を広げてしまった市当局が、責任逃れのため無意識に
(庶民にも受け入れられやすい、ヨーロッパの民間伝承に広く存在するところの)、
ペストの原因は毒物や魔法でペストを拡めようとする連中の陰謀だ、という俗説に
逃げ込んでしまったと論じている。即ち、魔女狩りの変種と言うべき「ペスト塗り」
の話はこういった社会心理的構造から出てきたわけだ。
 なにしろそのころは、スペイン本国からミラノ総督に届いたフェリペ四世の
署名のある通知状が、前年マドリッドから逃亡した四人のフランス人に関して
「その四名は有毒のペスト性の油膏を方々に塗って廻った」容疑があること、
それゆえ彼らのミラノへの立ち寄りには注意するよう呼びかけていたぐらいで、
こういう成り行きはむしろ当時の普通の常識(学識者以外の人間が持つような)
に則った反応だったと言えるかもしれない。
322Krt:05/03/16 17:28:53 0
さてこのような背景のもと、同年5月7日の夕方、ミラノの大聖堂で何者かが板仕切
や壁に油膏を塗っているのを見た、という、さしたる根拠もない噂がもちあがり、
当局が一応用心のためこれを洗浄しようと仕切の板壁を戸外に高く積み上げたところ
それを見た群衆がショックを受けたらしい。その場はなんとか平穏に収まったものの
なんとその翌朝、市内の至る所に黄色や白っぽい色をした不潔なものがスポンジで
なすりつけるかのように塗りまくられる、という事件が発生したのである。

もっともこれは何者かのいたずらだった可能性が高く、当時まだ冷静だった役人が
犬にこの汚れを食べさせてみたところ何ともなかった、という記録もあるのだが、
実際には、役人を含む多くの人がこのことでヒステリー状態に陥ったらしい。
人々は火を使って家を清めたり、当局者によって多くの不審者、よそ者が拘束、
尋問されるという事態が発生した。
 幸いこの時の騒ぎは短期間で収束したのだが重大な後遺症が残った。即ち疫病が
猖獗を極めるようになると誰かがどこぞにペスト塗りをした、という流言飛語が
頻繁に飛び交うようになり、ついにはあちこちで市民たちによるヒステリックな
「塗り屋」狩り(リンチ)が行われるようになっていったのである。
323Krt:05/03/16 17:29:30 0
折悪しくもこの時、半世紀前の疫病流行期に患者の世話をして自らも病に倒れた
カルロ師の遺体を担ぎ市内を練り歩きたい、その御利益によって疫病を鎮めたい
という市民の要望がやっと認められ(ミラノ司教は多くの人出を誘発するだろう
この行事が疫病蔓延のきっかけになることを見越して反対していたのだが市民に
押し切られた)、これを実行したところ、当初の懸念通り、患者は爆発的に増加
した。しかも患者の増大は無力な患者宅を狙う窃盗、強盗事件をも増大させたし、
さらに当局に任命された死体処理などを行う下級吏員の多くはならず者で、賄賂を
要求したり、仕事が絶えぬよう汚染品をまき散らしたりして社会的混乱を増大させた。
 そういった状況の中、市民達はもうよそ者だけではなく、周囲の人間のだれが
「塗り屋」かわからないという疑心暗鬼の状態に陥り、当初は懐疑的だった市の
上層部や聖職者の上層部、医者といった人間達までもが次第にこういった庶民の
見解に引きずられ、当局者自身が幻の「塗り屋」狩りに没頭し、多くの逮捕者を
出していく、という典型的な魔女狩りのコースを歩むことになったらしい。
マンゾーニはここで考証を打ち切って小説の本筋に戻っているのだが、彼自身
この問題については書き足りなかったらしく、あとでこの事件をテーマにした本
La Storia della Colonna Infame を書いているという。
324Krt:05/03/16 17:31:04 0
さて残った問題の一つは、この「塗り屋」が塗ったとされたものの正体である。
もちろんこれは「塗り屋」自身の存在と同様、想像の産物である可能性が大だが、
それでも当時のミラノの市民はそれを「ヒキガエルと蛇とペスト患者の涎と膿等」
(マンゾーニ p.661)と想像したわけで、これは「ペスト患者の云々」の部分を除けば
おなじみの魔女の大釜の中身を連想させる。従って魔女と「塗り屋」との違いが人々
にどの程度意識されていたのか不明であるし、上記サルマンのように魔女狩りの原型
をワルド派のような異端に対する弾圧に求める論者なら区別はしないだろうと思う。

 ただ、一応は分けて考えるべきだという説も有力である。というのは、キース・
トマスが「宗教と魔術の衰退」法政大学出版局、で述べているようにイングランド
ではどうも、個人対個人、個人対その個人が属する小さな共同体、といった場面で
表れてくるウィッチクラフトによる小さな災害ないしは異変と、疫病、飢饉といった
国家的災害の原因とは別な次元に属するのであり、後者は神の怒りないしは「第五列
のフランス人、カトリック教徒もしくは似たような国家的敵対者」による破壊行為が
原因だ、とする考えが主流だったらしく、後者の場合必ずしもウイッチクラフト訴訟
の対象にはならなかったらしいのだ(トマス p.822f.)。
325Krt:05/03/16 17:32:02 0
もちろん、国家的敵対者の犯したとされた行為は「塗り屋」のものと類似であるし
時としては個人が自然的手段によって伝染病をばらまいたとして訴追されることは
あった(ただ必ずしも全てがウイッチとして訴追されたのではない)。例えば、
「一六三九年ニューカッスルの井戸を汚染したのは、スコットランド人だといわれた。
汚染した空気を詰めたビンが、一六六五年フランスから持ち込まれたという噂が
起きた。あるカトリック教徒のソーサリーが、一五七七年に起きたオックスフォード
の発疹チフスの原因だと考えられていたが、このカトリック教徒は一六四一年に、
ジョン・ピム宛に、封筒でペストでただれた皮膚を送りつけたと報じられた。(略)
一六四六年バーンステイプルをペストが襲ったとき、住民の中にその土地の独立派
の会衆のせいだという者がいて、彼らはそのメンバーを街から追放したいと願っ」た
(ibid)というように。だがウイッチを恐れる気持ちと、いわば目に見える敵である
カトリックやユダヤ教徒を恐れる気持ちはイングランドでは別だったらしい。即ち
「しかし疫病が、国家的な敵によって刺激されたと考えられることは時々あったが、
疫病はウイッチクラフト訴訟を促進させるのに、実質的には何も役割を果たさな
かった」(ibid)からである。もしかするとこれは大陸ともスコットランドとも異なる、
当時のイングランド社会の先進性を示す指標として理解すべきなのかもしれない。
326アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/17 00:30:19 0
>>320-325Krt氏
詳細にわたる御教示、有り難うございます。

「ペスト塗り」=「魔女」とするかどうかは兎も角として、
当時の世情を、それらに対する社会の対応から推察するのは、
手法としての厳密さの点では、問題がないとは言えませんが、
興味深い観点ではありますね。
(地域差も垣間見られますし)
私、中近世史に疎いモノで、この手の史料から心性史を扱うのが、
適切なのかどうかは分かりませんが、
同時代の諸地域の比較を通じて、
ヨーロッパ規模での考察が可能なテーマなのかもしれませんね。
327世界@名無史さん:05/03/17 00:47:03 0
「TPぼん」にペストの被害とユダヤ人迫害の話があったなあ、とアニメを語るスレを引きずってみる。

Krtさん、ご苦労様です。
私なぞはじっくり考えないと質問すら出来ないような亜話ですが、下記の一文にびっくりいたしましてお尋ねします。
>>汚染した空気を詰めたビン

この事態に空気感染という認識があったのですか?
いや、もちろん細菌なぞは存在すら知らなかったのでしょうが。

328世界@名無史さん:05/03/17 05:45:51 0
「触られるとうつる」「近寄られるとうつる」「吐いた息からうつる」はあったかも
329Krt:05/03/17 22:53:30 0
>>326
西洋における魔術とか、広義の魔女狩り(異端少数派への迫害まで含めた)というのは
通常理解されている以上に難しい問題を含むと思う。サルマンのような新しい研究では、
魔女狩りの実態は、歴史的には従来理解されていた以上に新しい現象なんだそうだけど、
そうなると(最近やたら本が出ている)古代以来の魔術(者)、妖術(者)との関係は
どうなのかといったことがますます判らなくなる。なんかキリスト教以前の土着宗教の
残滓が魔女教だ、みたいな旧来のステレオタイプな理解でいいのか、とかね。
>>327>>328
>「触られるとうつる」「近寄られるとうつる」「吐いた息からうつる」
これらの観念は全部あったし、また一部には「空気感染」だ、という認識もあった。
例えばデフォーの「ペスト(年代記)」(1722)は1665年のロンドンにおける疫病流行を
聞き書きや当時の史料を駆使しつつ活写した歴史小説(ノンフィクション・ノヴェル
と言ってもいいと思う。なお主人公のモデルは彼の叔父、なおこの事件当時デフォーは
五歳だった)の傑作だが、ここでは上記の全ての経路によって感染しうるという当時
の考えが述べられている。またこの時ロンドン当局が取った家屋閉鎖と患者隔離を
中心とする感染予防措置もこれらの可能性を前提としていた。
330Krt:05/03/17 22:54:01 0
具体的に述べると、「ペスト」の主人公の意見は「(この病気が)伝染によって蔓延
していったことが、私にとっては文句なしに明瞭になった。即ち、医者のいわゆる悪気
(エフルーヴィア=発散物、悪臭)と称するある種の臭気や、気息や、腫瘍の悪臭や、
その他医者でも判らない経路を経てこの悪疫が伝染していったことがはっきりしたので
ある。この悪気は病人の近くにある程度以上接近した健康人を冒すのであるが...」(1)
というものだったし、さらに(これは主人公は疫病の原因が神罰だというのと同様に
間違った考えだと否定しているものなのだが)当時における一部の者の考えとして、
ずばり、次のような「空気感染」による病因論も存在したのである。即ち、
「これと同じようなこと(誤り)が、病気をただ空気によってのみ起こるとする人々
についてもいえる。つまり彼らによれば、空気の中に無数の虫や目に見えない微生物
がいて、それらの生物が人間の呼吸と一緒に体内にはいるか、あるいは空気と一緒に
毛穴から体内に入る、いったん体内にはいると、その生物は猛毒もしくは毒のある卵
を生じ、これが血液と混じって遂に全身を倒すにいたるというのである」(2)という。
これは病原菌の空気感染の理論とほぼ同じだろう(実際には、線ペストはノミの媒介
によるものだが肺ペストは空気感染の一形態である飛沫感染)。ちなみに北里柴三郎
とイェルサンによる(独立した)ペスト菌の発見は1894年のことである。
331Krt:05/03/17 22:56:56 0
なお「悪気」だが、これを発するとされた存在の中には思いがけないものもあった。
それは彗星である。これが凶事の前兆を示す超自然的な徴であるとか、あるいはこの
不吉な星の接近によって悪しき発散物がもたらされ、それが疫病を含む様々な凶事の
物質的原因となる、という考えは当時の支配的迷信であり、実は「ペスト」の中にも
疫病流行以前に彗星が現れ、主人公を含む人々の恐怖心を煽るという場面がある。(3)

このような考えはヨーロッパでは極めて根強く、その後の1680年に出現した彗星に
よって生じた社会不安に対しても(彗星の出現を凶事の前兆と見るのは異教由来の
占星術に関わる迷信であり、また物理的に言っても彗星の発散物が地上に影響を
及ぼすことは考えにくく、たとえあったとしてもそれが悪いものだけをもたらすと
考えるのは根拠がない。また現に慶事凶事は彗星の出現と無関係に起こっている)
従って1665年のペストと彗星の出現の場合も両者間に因果関係はない、という主張
を述べたのがあのピエール・ベールの「彗星雑考」だったが(4)、この主張が脱線
していった結果、当初カルヴィニストとしての立場から書いていたベールが半ば
意に反して、無神論を疑われるところまで行ってしまい、当時、及び次世代の
自由思想家達に大きな影響を与えることになったのは歴史の皮肉である。

(1)ダニエル・デフォー「ペスト」中公文庫p.123
(2)ibid
(3)ibid p.35f.
ちなみに主人公によれば、彗星はロンドン大火の前にも表れ、疫病の時のは淡い色を
して飛び方も鈍重なかつ荘重なものだったのに対して、大火の前のは炎をあげ燃える
ように輝くもので速さも凄まじかったという。(恐らく通常の三倍はあったのだろう)
(4)ピエール・ベール著作集1「彗星雑考」:法政大学出版局:p.73
332世界@名無史さん:05/03/19 14:01:07 0
中世の鐘について質問があるんですけど・・・
E・リッパートさんというかたの「法慣習としての鐘つき」という本に、
「夕の鐘」は第一の鐘は18時頃に鳴り、第二の鐘は夏なら21時頃、冬は
20時頃に鳴ると書いてあるそうです。では朝の鐘は何時頃に鳴ったので
しょうか?もちろん町や国によって違いがあると思うのですが、主にドイツ
の町では何時頃に鳴らされることが多かったのでしょうか?

333世界@名無史さん:05/03/20 23:27:57 0
age
334世界@名無史さん:2005/03/22(火) 19:40:53 0
>>332
何かのホームページで朝の鐘が4時半に鳴るという記述があったけど
さすがにそれは???と思った。欧州って夜明けの時間が夏と冬で
ぜんぜん違うだろうから同じ時間に鳴らすとは限らないよね
335世界@名無史さん:2005/03/22(火) 22:11:17 0
鐘の時刻って、聖務日課の8つの時課からきてるんじゃないの?そもそも。
で、聖務日課のうち、朝課なんて2時とかだよ。4時半なんて全然不思議じゃない。
個人的な経験だけど、去年の夏フライブルクで夜更けにふらふら友達と街中を歩いていたら
教会の鐘が鳴っていた。電動式・・・てことはないんだろうなー。と感心しましたよ。
336世界@名無史さん:2005/03/23(水) 13:09:43 0
332のいうリッパート氏の著書は阿部謹也さんの本でも一部紹介されてるけど、
それによると朝の鐘は「朝の祈りを告げる、市門の開閉、公的生活・商業活動の
開始、個々の職業における労働時間の始まり、火災予防の警鐘」などの役割を
持つそうだから、朝の2時とか4時半というのはどうかと思う。特に労働時間や
商業活動が夜明け前に設定される事はないだろうし。
337世界@名無史さん:2005/03/23(水) 13:28:49 0
2時とか4時半とかは、修道院の鐘では?
聖務日課は聖職者限定で俗人には義務はありません。睡眠不足で仕事にならない。
338世界@名無史さん:2005/03/24(木) 02:44:46 0
昔は教会の鐘が時を告げる役割を果たしていたんじゃないのか。
(つか、それ以外にない)

ちなみに現代だと、
パン屋は5時に開き朝食用のパンを売る。
会社も5時〜14時の勤務のところがある。(アフター2…)
339世界@名無史さん:2005/03/24(木) 13:40:36 0
一連のレスを読んでみると、どうも世俗の鐘っぽい感じがする。
非常招集云々という記述は無かったの?
340世界@名無史さん:2005/03/24(木) 15:06:58 0
朝の鐘 → 午前0時      朝課の鐘                    
    → 午前3時      賛課の鐘                    
    → 午前6時      1時課の鐘                   

 教会の鐘のうちのどれかっぽいと思うけどね。市門を開けたり、商業を
始めたりというなら午前6時頃かな。
341世界@名無史さん:2005/03/26(土) 01:52:08 0
流れぶったぎってすまんが、教えてくだされ。
ルネサンス近い頃の人々における一般的な美意識では、
胸は小さいほうがよかったんだろうか?
それとも大きいほうが美しかったんだろうか?
342世界@名無史さん:2005/03/27(日) 00:36:08 0
そりゃ食糧事情から考えても豊満な女のほうが良かったんじゃねーの?
343世界@名無史さん:2005/03/28(月) 00:46:37 0
そうか。どうもですた。
344世界@名無史さん:2005/03/28(月) 22:10:47 0
芸術的な価値観と宗教的な価値観、あるいは世俗の価値観では違いがあるかもよ。
345世界@名無史さん:2005/03/31(木) 13:30:56 0
>>341
4月10日まで京都市美術館で「フィレンツェ・芸術都市の誕生」展が
開催されてるからその目で確かめてみると言う手もある。14〜16世紀の
絵画や彫刻などが展示されていて、婦人・女性像の絵も多数ある。もしか
すると巡回するかもしれないのでHPでご確認を。
346世界@名無史さん:2005/03/31(木) 15:40:04 0
>>341
小さい方が美しいとされた。
といっても貧乳ではなく、お椀を伏せたような形です。巨乳は下品でした。
347世界@名無史さん:2005/03/31(木) 22:07:10 0
スレの流れを読まずに書きこしてみる

魔女狩りは民間療法や代替医療を担う女性を弾圧、抹消したものであり
医療の独占体制と処方薬に関連している。

正規の医者ではないが、それに代わるような仕事を元々していて
今で言う薬(漢方など)を処方できる看護士、助産師、アンチエイジングのような分野の人材だったと推察される。
348世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 11:06:45 0
>>347
空気嫁
349世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 18:20:06 0
>>345
情報ありがとう。行ってみたいが京都市じゃ無理だわ、貧乏暇なしだし。
ネット上でいい絵画載せてるサイト探してみます。

>>346
どうもです。巨乳は下品とまで認識されていたのか……
そうした風潮が広まった理由というか、
何らかの影響があったのかどうかといった点はわかりますかね。
たとえば一般市民から拡大したのか、貴族からか、聖者からか、
階級によって認識度合が上下したのかなど、ご存知でしたら教えてください。
350世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 18:45:38 0
たぶん、揺れと垂れがまずいんじゃないかと。
351世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 19:57:49 0
念のため(勝手に)補足させてもらう。

白人女黒人女の「巨乳」は、黄色人種のそれとは


 レ ベ ル が 違 う 。
352世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 22:28:05 0
モンゴロイドの巨乳なんて、やつらにしたら普通サイズだもんねぇ。
353世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 03:10:12 0
F以上の巨乳はマジで下品だと思う
キモい。
354世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 23:45:44 0
元々貧乳こそが美なのが日本だから。。
355世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 12:19:20 0
356世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:16:47 0
巨乳を語るスレはここですか?
357世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:42:26 0
>>356
そうですがなにか?
358世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:50:46 0
>>353
ディアーヌ・ド・ポワチエやガブリエル・デストレ(中世ではなく16世紀ですが)
のヌード肖像画がありますが、Cカップというところです。
アニェス・ソレルもCカップのようです。
子どもに授乳してたとき(5ヶ月間母乳のみでミルクなし。離乳食はちびちびと)
ミルクタンク状態になりました。なにカップだか見当もつかないくらい。
359世界@名無史さん:2005/04/09(土) 21:57:25 0
日本人だとだいたい1〜2カップ増えるって言うよね。
外人はどうなんだろ。
360朱由檢:2005/04/09(土) 22:23:40 0
女性は胸ではないよ、本当に。
361358 :2005/04/09(土) 23:20:51 0
>>359
1〜2カップなんてもんじゃありませんでしたよ。乳牛状態。
362世界@名無史さん:2005/04/10(日) 01:06:31 0
>>360
そうそう乳だよ、乳w
363世界@名無史さん:2005/04/16(土) 20:51:40 0
ところで>>332さんの質問が気になる。教会の鐘以外に世俗の鐘が時を知らせた
という史実はないって事かな?それとも3時間おきの教会の鐘のうちのどれかが
市門の開閉や労働時間の始まりを意味する鐘だったということ?
364世界@名無史さん:2005/04/17(日) 00:18:14 0
世俗の鐘ってあったのかな?

無かったよね?(時計台とかができた時代ならともかく。)
365世界@名無史さん:2005/04/17(日) 20:35:26 0
裁判の判決とか非常呼集のときに鳴らされた鐘も教会の鐘なのかな?
市場が開かれるときの鐘とかも?
366世界@名無史さん:2005/04/17(日) 23:03:29 0
英国だとハンドベルふりながら諸々の告知をおこなって町を回って歩く人がいたね
367世界@名無史さん:2005/04/18(月) 13:58:44 0
市庁舎には鐘はなかったっけ?
368世界@名無史さん:2005/04/25(月) 23:25:40 0
時計ならあるけど鐘はどうかな。
369世界@名無史さん:2005/04/29(金) 00:45:47 0
確か昔ドイツ語の論文で、大聖堂の鐘を鳴らす権利、司教座聖堂参事会、
都市参事会、あともうひとつ(どこだったっけ?)の3団体が、
分有していたっていうのを読んだ気が。
ちょっと論文探してみます。
370世界@名無史さん:2005/04/29(金) 22:23:31 0
「手術の鐘」というのが有ったらしい。
麻酔がなかった時代、その鐘の音で手の空いた人を集め、
切り裂かれる痛みに暴れる患者をみんなで押さえつけたんだと。
371ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :2005/04/29(金) 23:24:06 0
>>365
1332年シュトラースブルクでは「市門の鐘」があって、2回ならして市門を開く。
1回目の鐘でひとつの市門を開き、2回目ですべての市門を開く。この市門を開く
ということは同時に商工業の営業の開始を意味するので「市門の鐘」が「市場の鐘」
の役割をしていますね。
372世界@名無史さん:2005/04/30(土) 00:16:30 0
>371
へえー。知りませんでした。
ご迷惑でなかったら、どの文献を参照なさったのか教えていただけますか?
373ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y :2005/04/30(土) 18:39:33 0
>>372
阿部謹也氏の『中世の星の下で』の「鐘の音に結ばれた世界」に登場するほか、
、『甦る中世ヨーロッパ』にも同様の内容があります。
なお、「門の鐘」なら、ヨハン・ベックマン『西洋事物起原』岩波文庫 にも、
1395年、スピラに設置された公共用の鐘付きの大時計がアルトブルク門の上に
設置されたという内容が引用されています。
374371:2005/04/30(土) 23:32:49 0
>373
ありがとうございます。
375世界@名無史さん:2005/05/02(月) 22:20:17 O
古代から中世にかけて森林伐採のしすぎで
エネルギー危機があったと読んだ記憶があるんですが、それについて詳しい本ないですか?
376世界@名無史さん:2005/05/03(火) 20:30:40 0
というか、そういう事実があったの?大開墾時代の11C〜13Cのことかと
思ったりもしたが・・・エネルギー危機というのが・・
377世界@名無史さん:2005/05/03(火) 20:47:55 0
>>357
中世ならヨーロッパは森ばかりのはずですが。森が海で都市や荘園が島というかんじ。
378世界@名無史さん:2005/05/03(火) 21:57:41 0
前々スレで生理は垂れ流し状態ということでしたが
垂れ流せるものでしょうか?女性として大変疑問です。
匂いは香水でごまかせたかも知れませんが
2日目とかって量も多いし本当に大変ですよ?(生々しくてすみません)
布ナプキンとか使ってなかったのかしら…。
379世界@名無史さん:2005/05/03(火) 22:26:08 0
>>378
この問題は真面目に研究する人が少ないのか、納得いく答えないですね。
戦後の混乱期は、脱脂綿の変わりに古綿とかいう話多いけど、垂れ流しは無理です。
私は、オムツ状態だったんじゃ、と思っていますが。
井上ひさしの初期短編に「ます女」何とか言うのがあるから、詠んでください。
380世界@名無史さん:2005/05/03(火) 23:17:41 0
>>378 さん

学術書ではないけど、20年以上前のベストセラー「スカートの下の劇場」(上野千鶴子著)に、
T字帯とタンポンのことが書いてありますね。(P34〜P37)
T字帯の方の起源の古さはわからないがタンポンについてはギリシア(時代?)にも、
タンポンの記録があるようだ、という意味のことが書いてあります。

現在でも裸に近い状態で暮らしている民族(アマゾンやアフリカの奥地とか)などの
生活がわかれば参考になると思うのですが、さすがに「生理の時はどうするか」
みたいなことまでは記録されていないでしょうね。
381世界@名無史さん:2005/05/03(火) 23:22:52 0
>>378
小野清美『アンネナプキンの社会史』宝島社
382378 :2005/05/04(水) 01:00:41 0
下世話な問いにも関わらず親切なレスありがとうございます。

今、「マリーアントワネット マリアテレジア秘密の往復書簡」を
読んでいるのですが、その中に生理の話題が出てきたので、
当時の人はどうしていたのか気になって検索をかけたら
前々スレがヒット。経血垂れ流し説に呆然。
月1とは言え、絹のドレスの下では垂れ流し、そう思うと何だかあまりにも悲しくて…。

>>379さん、381さん
「烈婦!ます女自叙伝」ですね。
「アンネナプキンの社会史」と共に図書館で探して読んでみます。

>>380
タンポンがあったのですね。ちょっと安心しました。
いつの時代かは知りませんが
昔の人は海綿を詰めていたという話を聞いたことがあるので
中世の時代にも何かしら対処する方法はあったのでは?と
不思議に思っていました。
「自叙伝スカートの下の劇場」早速amazonにて注文しました。

読みたい本が3冊も増えて嬉しいです。
皆さん、本当にありがとうございました。
383世界@名無史さん:2005/05/04(水) 02:24:55 0
>380
>現在でも裸に近い状態で暮らしている民族(アマゾンやアフリカの奥地とか)などの
>生活がわかれば参考になると思うのですが、さすがに「生理の時はどうするか」
>みたいなことまでは記録されていないでしょうね。

生理ではないが、西丸震哉『動物紳士録』中公文庫
にニューギニアの奥地の人間の排便とセックスが書かれていた。

排便のほうは大小とも、歩きながら垂れ流し→適当なところで
川に入ってすすぐ、だそうだ。(大も「慢性栄養失調状態で
ドロドロの緑便しかしない」ので垂れ流せる)

なので生理も垂れ流しかもしれん。
384世界@名無史さん:2005/05/04(水) 08:48:08 0
色黒だから目立たないだろうしなあ
385世界@名無史さん:2005/05/04(水) 12:26:47 0
生理の間は部屋から一歩も出ない、とかそういうことは無かったのでしょうか?
386375:2005/05/04(水) 15:52:28 O
岡田斗司夫の「ボクたちの洗脳社会」にそういう記述があったものですから。
勝手に「だから中世は暗黒時代と呼ばれてたのか。
燃料と建築資材が不足して停滞したに違いない。
なんか古代のローマの方が
重厚で立派な文明に見えるもんなぁ。」と合点してました。
387世界@名無史さん:2005/05/04(水) 19:12:48 0
高校の歴史の先生もよくローマの森林破壊の話をするな。
繁栄は奴隷も資源も使い捨てにしてもたらされたものだって。
たしかに風呂焚くにも、橋架けるのも木材が必要だけど、依然とヨーロッパには森林があったんだよな。
ギリシアが荒野に変わったのははるか昔だし。
アフリカはローマ時代にずっと都市が栄え、大農業地帯だったし。
388世界@名無史さん:2005/05/04(水) 19:17:10 0
>>385
月小屋(名称は地方により異なる)というのがある。
389380:2005/05/04(水) 22:45:59 0
>>383 さん

西丸震哉って、私は???な人というイメージがあるのですが・・・
それは置いておいて、生理はともかく、排便を歩きながらする、というのは
常識的に考えて必然性がないような気がするんですが。

排便については、男女ともに行うものなので、割と記録に残りやすいのでしょうが、
生理についてとなると、調査者(民俗学者や文化人類学者?)が男性の場合には、
調査がしにくいでしょうね。そもそも調査者が男性の場合、生理の時はどうするか
などという疑問自体が起きにくいのかもしれないですが。
390383:2005/05/04(水) 23:52:45 0
>389
>それは置いておいて、生理はともかく、排便を歩きながらする、というのは
>常識的に考えて必然性がないような気がするんですが。

たしかに常にそうとは書いてなかった。というかその辺に隠れて
する場合の観察例もあった。
ただまあ立ち止まるとすかさずヒルに吸い付かれるので、
なるべく避けたいらしい。

中世でもヨーロッパでもなくてスマソ
391380:2005/05/05(木) 00:27:53 0
>>390 さん

なるほど、立ち止まる事に対する危険性があるってことですね。
立ち止まるのをなるべく避けたってことは納得です。
392世界@名無史さん:2005/05/05(木) 23:34:11 0
ヨーロッパ人はジャガイモ食わないらしいね。
393世界@名無史さん:2005/05/05(木) 23:37:35 0
いわゆる「中世ヨーロッパ」にはジャガイモなる農作物は存在しなかったからね。
394世界@名無史さん:2005/05/06(金) 00:11:15 0
>>392
ジャガイモはドイツとアイルランドでは食文化の中心ですが何か?
まあ、ジャガイモが持ち込まれたのは南米が征服されて以降だが。
ただし、持ち込まれた当初は毒だと思われていたらしい。(実際に芽は有毒)
研究の結果、芽をえぐって食べれば問題ないことが分かって、
フランス王は国民にジャガイモ食を奨励したが、国民は従わなかった。
ドイツ(プロイセンだったかどこか忘れた)もジャガイモ食を広めようとして、
ジャガイモ畑を作らせて「この畑のものを盗む者は厳罰に処す」と立て札を立てた。
すると民衆は「王様が独り占めしようとするくらいだからすごく美味いものに違いない」
と思って、夜中にこっそり盗み出した。
それが広まった結果、ドイツ人はジャガイモを好んで食うようになったという。
395世界@名無史さん:2005/05/06(金) 03:32:08 0
痩せた土地でも育てられるし、ライ麦より単位面積のカロリー多いし
中世の食糧事情改善の重要な一因になってたんじゃなかったっけ。
396395:2005/05/06(金) 03:34:08 0
あ、あくまで大航海時代以後の話な。前出の通り。
397世界@名無史さん:2005/05/06(金) 03:41:03 0
イモに頼りすぎたせいでアイルランドでイモ飢饉が起こったときは大変だったけどな
中世じゃないけど
398世界@名無史さん:2005/05/06(金) 08:25:08 0
イモに頼りすぎたというか当時欧州では一種類のイモしか栽培されてなかったせいで
イモ飢饉のときに直撃を喰らったと聞いたが。
アンデスでは常時、20〜40種類のイモを混ぜて栽培してるので一種類や二種類の
イモが飢饉になっても全然大丈夫らしい。なかには日本や欧州で見られるものよりも
赤かったり真っ黄色だったり念入りに灰汁抜きしないと毒が抜けなくて食えない種類も
あるとか。
399世界@名無史さん:2005/05/06(金) 17:29:27 0
突然ですが、中世ヨーロッパの性風俗について知ることができる本で、おすすめの詳しい本、ありませんか?
華やかな世界の、裏の生々しい現実ってのにちょっと興味があるのです。
おねがいします。
400世界@名無史さん:2005/05/06(金) 19:28:56 0
>>386
今時「中世=暗黒時代」はめずらしい。
401世界@名無史さん:2005/05/07(土) 11:02:21 0
>>375
安田喜憲 『森と文明の物語 −環境考古学は語る−』(ちくま新書)
新書レベルなのでごく簡潔にですが、これに古代のレバノン杉の話やら
ローマ人風呂焚き杉の話やらが科学的分析をふまえて載ってます。
402世界@名無史さん:2005/05/07(土) 11:29:21 0
>>397
そんでアイリッシュが新大陸に着たんだよな。
アメリカは芋と金なしにかたれない。
403世界@名無史さん:2005/05/07(土) 13:52:26 0
>>399
中世ヨーロッパが華やかな時代というのはあまり聞きませんが、常連さんじゃないようですね。
一般的なものなら「中世の秋」(ホイジンガ・著中公文庫全2巻)
古典ものなら「デカメロン―十日物語」(ボッカチオ・岩波文庫 全6巻)
>華やかな世界の、裏の生々しい現実
ルネサンス以降なら「風俗の歴史」(フックス・角川文庫全9巻)が裏面史だけど絶版。
404世界@名無史さん:2005/05/07(土) 21:55:25 0
男性はみんなタイツはいて変態だったのですか?
405世界@名無史さん:2005/05/08(日) 18:00:23 0
>>404
タイツは11世紀には普及していたようですが、タイツはく男性は変態という意味ですか?
タイツは習慣なので、普通にはいていました。
406世界@名無史さん:2005/05/08(日) 22:29:51 0
ノーパンスカートヒゲ面男よりはマシ


どっかにそんな民族がいたような気もするが・・・
407世界@名無史さん:2005/05/08(日) 22:39:22 0
スコットランド人に挑戦するヤシがいるスレはここですか?
408世界@名無史さん:2005/05/09(月) 18:36:33 0
スコットランド出身の教授がキルトを着用してキャンパスを闊歩。
それを見た女子大生達が口笛を吹き鳴らしてました。。アメリカでの話です。
409375:2005/05/16(月) 15:20:29 0
>>401
ありがとうございます。
参考にします。
410世界@名無史さん:2005/05/22(日) 22:04:48 0
あげ
411世界@名無史さん:2005/06/06(月) 18:08:39 0
タイツ着用はともかく、明らかにタマキンとしか見えない股間の飾りはマズイでしょ
412世界@名無史さん:2005/06/12(日) 15:48:47 0
捕鯨
413世界@名無史さん:2005/07/04(月) 09:18:35 0
414世界@名無史さん:2005/07/05(火) 01:15:35 0
アレがなきゃ風でスカートがめくれるとか。
415世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:52:23 0
a
416世界@名無史さん:2005/07/09(土) 14:39:20 0
>>411
あれはタイツの上にズボンをはくようになってからの流行です。
16世紀から流行りだしたので、中世とは違うかと。
モンテーニュはさすがに、嘆かわしい流行だ、下品だと攻撃してますが、王侯貴族が
率先してどんどん流行らせたのでどうしようもない。
417世界@名無史さん:2005/07/12(火) 21:16:15 0
>>346
信じられん…  中世人の香具師どもはパイ揉みとかパイズリとかの楽しみをまったく見出さなかったのか。
ローマ人が聞いたら泣きそうな嗜好だ。これだと中世の裏面史も大したことはないのかな。
ただただ残酷なだけ…
418サイキックGちゃん ◆uIkI.wSAfQ :2005/07/14(木) 13:50:48 0
 いやいや、時代問わずマジョリティの文化の裏にはマイノリティの文化ってのがあるもんじゃ。
 そうじゃろう兄弟?(ニカッ
419世界@名無史さん:2005/07/15(金) 01:01:36 0
とはいえ、年取った貧乳に何の価値があるぅぅーー。
人間としての価値は別でも当時は人間の尊厳なクソの時代だったじゃねえか。


貧乏な時代だからこそ、豊満な女性に価値ありでないのか…  orz
420世界@名無史さん:2005/07/16(土) 12:00:16 0
大人貧乳のよさが分からないとは・・・
421世界@名無史さん:2005/07/28(木) 12:04:29 0
なんだ・・・この学問板とも思えぬ議論は・・・
422世界@名無史さん:2005/07/28(木) 12:12:01 0
禁欲的な中世ヨーロッパでは、女性の豊満な肉体を描くことは罪とされていた。

しかし、「淫乱ゆえに地獄に堕ちた女」を描く際は豊満に描いても良かった。
そこで坊さんたちは、嬉々として地獄絵図を描いたと言う。
423世界@名無史さん:2005/07/28(木) 13:30:14 0
いつの時代も男ってやつぁ…
424世界@名無史さん:2005/07/28(木) 15:11:22 0
中世では修道院が売春宿をひらいていたそうだけど、そこを訪れる客という
のは身分的にはどういう層だったのかな?(身分による入場規制はあった?)
425世界@名無史さん:2005/07/28(木) 15:18:46 0
>>424
破門されてない限りは千客万来なのが修道院じゃないの?
426世界@名無史さん:2005/07/29(金) 07:51:11 0
>>425
いや、修道院じゃなくて売春宿のほう。賤民とかでも行けたのかな?
427世界@名無史さん:2005/07/29(金) 14:28:55 0
>>394これは18世紀、フランス革命直前、ルイ16世の話です。パルマンティエ氏の発案で。
しかし、当時のフランスは小麦の改良が進み、上質なパンがつくられており、
えぐ味の強かったジャガイモは広がらなかったそうだ。
428世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:18:56 0
>422
その坊主達の光景の方が地獄絵図だな。
429世界@名無史さん:2005/07/30(土) 07:20:50 0
>>427
ドイツのバーデン料理などもジャガイモを奨励した領主に抵抗して麦とジャガイモを
混ぜたヌードルなどが普及したと聞いたことがある。
430世界@名無史さん:2005/07/31(日) 09:01:56 0
ageついでに。阿部謹也さんの「自伝」が発売されてたんだね。歴史と個人を
切り離せないひとつのものとして見る阿部さんならいつか自伝は出されるものと
思っていました。読まれた方いらっしゃいますか?
431世界@名無史さん:2005/08/03(水) 08:34:39 0
あげ
432世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:30:02 0
>>430
読みました。
学問の話はあまり出てこなかったかな。なぜ歴史を志すようになったのかってな話くらい。
で、印象に残った点。
・「学長」なんてのは名誉職だと思ってたけれど、実務も大変っぽい
・学者の嫉妬は恐ろしい

ところで、アベキン先生の本は読みやすいしおもしろいんだけれど、ネタの使い回しが
多いような気がする。論文はしらないけれど、一般向けの新書レベルだと。
433世界@名無史さん:2005/08/04(木) 10:29:35 0
>>432
「学者の嫉妬は恐ろしい 」←ワロタw。たしかに阿部先生の本は重複する内容が
多いね。まぁ、しかし歴史研究の成果というのは一生を費やしてもそれほど
たくさん得られるものではないのかもしれないけどね。
434世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:19:57 0
阿部さんの結婚のいきさつがアッサリしか書かれていないのが残念。
でも、なかなか面白かった。
435世界@名無史さん:2005/08/08(月) 15:22:32 0
前にペスト狩りの話がでできていましたが、当時その病気がペストだとゆう認識はあったんでしょうか?

それともそのころは病名不明で、ペストだったとゆうのは後々わかったんでしょうか。
436世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:34:44 0
ペスティレンティアという言葉がもともとあったんでは?
437世界@名無史さん:2005/08/09(火) 00:03:06 O
>>436ペスティレンティア…??
438世界@名無史さん:2005/08/09(火) 00:15:30 0
>>435
中世のペストと申しますのは、ラテン語の pestilentia あるいは pestis、すなわち流行り病のことでありまして、
今日の詞でいう一個の病名としてのペストとは違うのであります。今日の英語には pestilence として残っております。

それがペストであったのか、ほかの病であったのかは、今となっては知るすべもございません。
はっきりと言えるのは、それが流行り病であったということくらいですかね。
439世界@名無史さん:2005/08/09(火) 01:14:11 O
>それがペストであったのか、ほかの病であったのかは、今となっては知るすべもございません。

え?つまり、中世あたりで流行ったペストはいま言われているペストとは別物かもしれないと言うことですか??
440世界@名無史さん:2005/08/09(火) 05:53:59 0
>>439
中世に流行りましたペストと申すものも、患者の皮膚には黒い斑点が現れる、流行るときには鼠が増える、
といったわけで、今日の腺ペストと同じ病であることを示す記録も、確かに残っているのでございます。

しかし、なにしろ中世のことで、病理学的の検証を行ったわけではもちろんないのですね。
また、中世の人々というのは他愛のないもので、今日の人々と違って科学的の観点で観察をするという習慣が
ございませんから、いったんペストだと思い込むと、自分の目で見たのと違うことを記録に残してしまったりする。

そんなわけで、中世のペストは今日のペストとは別の病である、と主張している方もいらっしゃるのでございます。
441世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:41:07 O
>>440くわしくありがとうございます。そこまで科学の発達がなかったとは‥
442世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:48:53 0
海外のSFで、遺跡から「中世のペスト菌」が出てきて世界中が大混乱になる話があったような。
「ドゥームズデイ・ブック」だったかな?
443世界@名無史さん:2005/08/09(火) 16:35:32 O
>>442そんなことってありえるの?
444世界@名無史さん:2005/08/09(火) 18:13:51 0
SFなら何でもあり、だと思いますが、中世のペストは現在のペストと同じらしいから
ストレプトマイシンで9割くらいは治るのでは?
445世界@名無史さん:2005/08/09(火) 18:18:47 0
下げ忘れました。ごめんなさい。
現代でペストの治療薬はストレプトマイシン、というのは国立研究所のサイトに
あった話で、でたらめ書いたわけではないので、念のためおことわりしておきます。

ttp://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k01_g3/k01_51/k01_51.html
446世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:24:49 O
>>444 >>440と矛盾するんだけど‥
447世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:28:53 0
まあ要するに「ただの中世のペスト菌」でパニくるほど現代医学はヤワじゃ無いってことで。
448世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:36:29 0
え?
ストレプトマイシン、略してストマイは肺病の特効薬じゃなかった?
449世界@名無史さん:2005/08/09(火) 22:10:34 0
ペストの治療薬でございますか……

ペスト菌には特定の薬物に対する耐性は今のところありませんので、抗菌薬全般がよく効きます。
中でも特効薬と呼べるものはストレプトマイシンでございますが、仮にストレプトマイシンがなくとも
ありあわせの抗生物質で治療ができますので、今日ではまったく恐ろしい病気ではないのでございます。

ただし、日本でペストの治療薬として保険が効くのは、なぜかストレプトマイシンのみなのでございます。
日本では大正15年以来ペスト患者が出ておりませんので、法律がほったらかしになっているものだと
私などは理解しております。

いやいや、中世から離れすぎましたね。
450世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:29:26 O
でけっきょく中世といまのぺストの違いは
451世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:43:34 0
>>450
中世のペストは神の怒り。今のペストは鼠の怒り。
452世界@名無史さん:2005/08/10(水) 05:46:31 0
>>450
現代のペスト:病理学的に同定済み
中世のペスト:現代で言うところのペストもそれ以外の病気もごっちゃ
453世界@名無史さん:2005/08/10(水) 13:47:33 0
現代日本のコレラ:コレラ菌の感染による
江戸末期のコレラ:ただの食中毒や感冒性嘔吐下痢症も混じっていたかもしれないが、
         おそらく、殆どはコレラ菌の感染による発病だろう

ペストの認定もこんなものかと。ペスト以外の病気にしては、死亡率が高すぎ、
発病から死までの経過が早すぎるので、ほぼペスト。
454世界@名無史さん:2005/08/10(水) 14:57:40 0
>>453
江戸末期は例としてはあまり妥当じゃないと思われ。
455世界@名無史さん:2005/08/10(水) 18:02:43 0
>>454
どうも
たしかに、江戸末期では中世からはなれますね。
「もがさ」が適当ですか。しかし、天然痘は症状がわかっていてそれ以外の病気とは間違えないし。
「あかもがさ」は風疹のようですが、区別が付いていました。
「ことし例のもがさにはあらず、いとあかきかさのこまかなできて、老いたる若き、上下わずか
これを病み・・・(栄華物語)」
中世のペストも殆どペストだろうと思いますが。
456455:2005/08/10(水) 18:17:21 0
×上下わずか
○上下わかず
です。ごめんなさい。
457世界@名無史さん:2005/09/01(木) 23:33:49 0
458世界@名無史さん:2005/09/02(金) 09:50:54 0
..
459世界@名無史さん:2005/09/03(土) 09:21:37 0
ペストのことをウィキペディアで調べたらこのようにあったよ。

症状と病型

ペスト菌が体内に入って2〜5日たつと、全身の倦怠感に始まって寒気がし、高熱が出る。その後、ペスト菌の感染の仕方によって症状が違い、次のような病型に分類されている。


腺ペスト
ペストに感染したねずみや人についたノミに刺された場合で、まず刺された付近のリンパ節が腫れ、ついで全身のリンパ節が腫れて痛み、ペスト菌が肝臓や脾臓でも繁殖して毒素を生産するので、その毒素によって意識が混濁し心臓が衰弱して、多くは1週間ぐらいで死亡する。

ペスト敗血症
ペスト菌が血液によって全身にまわると、皮膚のあちこちに出血斑ができて、全身が黒いあざだらけになって死亡する。ペストのことを黒死病と呼ぶのはこのことに由来する。


肺ペスト
ペストに感染している人の咳によって飛散したペスト菌を吸い込んで発病した場合で、気管支炎や肺炎をおこして血痰を出し、呼吸困難となり2〜3日で死亡する。
460世界@名無史さん:2005/09/03(土) 17:42:17 0
>>459
Wikipediaは誰が書いてるかわからんし、当然素人だって含まれてるから、
眉につばつけて読んだ方が良いかもね。
私が書いてるくらいだし。
461世界@名無史さん:2005/09/21(水) 18:32:40 0
age
462世界@名無史さん:2005/09/27(火) 03:10:22 0
アゲつつ、質問

ギョーム征服王(ウィリアム一世)の娘で、
征服王とマチルダ妃の婚姻の償いのために、尼僧になった娘の名って、
セシリア? アガータ? マチルダ? 
この三人が結婚してないみたいなのですが、本には尼僧は「三女」とあるけど、
三女と四女と六女は、結婚してるみたいなので、わからん。

……or2
463世界@名無史さん:2005/09/30(金) 01:30:34 0
>>462
Father:William I the Conqueror, King of England (1027,1028-1087)
Mother:Matilda of Flanders (1031-1083)

1.Robert Curthose, Duke of Normandy (1054-1134)
2.Richard Duke of Bernay (1055-1081)
3.William II Rufus, King of England (1056,1060-1100)
4.Henry I Beauclerc, King of England (1068-1135)

1.Adeliza a nun of Normandy (1055-1065)
2.Cecilia of Holy , Abbess of Caen Trinity (1056-1126)
?.Adela of Normandy Princess of England(Married Stephen count of Blois and mother of Stephen king of England.) (106?,1062,1067-1137,1138)
?.Matilda of Normandy(Married William De Varennes) (106?,1063-????)
?.Agatha (106?,1064-????)
?.Constance of Normandy(Married Alan count of Brittany.) (1066-1090)
464世界@名無史さん:2005/09/30(金) 23:17:06 0
>Cecilia of Holy , Abbess of Caen Trinity

Cecilia of Holy=聖セシリアに由来する洗礼名
Abbess=女司教
Caen Trinity=父ウィリアム征服王と母マチルダ王妃がそれぞれ男子修道院と女子修道院を、カーンにあるセント・トリニティ教会に寄進してる
465世界@名無史さん:2005/10/03(月) 01:05:15 0
中世ヨーロッパの人口のグラフとかどっかにないですかね?
ペストで人口が激減したあたりの変動をグラフで見たいんだけど・・・
ぐぐったり本見たりしたけど見当たらず_| ̄|○
466世界@名無史さん:2005/10/03(月) 01:42:52 0
中世では、人口調査は行なっていない。ドゥームズ・デー・ブックやフィレンツェ
のカタストの記録が有名だが、人口調査のために行なわれた記録ではない。近世でも
無理。
よって、部分的な記録と全ては推定しかない。故にペストの被害で人口が1/2
とか1/3など大まかなことしか述べられない。
ヨーロッパ中世史研究会編の『西洋中世史料集』では、イギリス(イングランド)
の人口表を引用して載せている。推移は分かるか、多く見積もった場合と小さく見積
もった場合の範囲として幅を持たせて載せている。もちろん足して二で割っても意味が
ない。
467世界@名無史さん:2005/10/03(月) 07:13:13 O
プロテスタンティズムとゲルマニズムの相関関係について
468世界@名無史さん:2005/10/03(月) 11:15:34 0
>>440岩波新書 村上陽一郎著 「ペスト大流行」は面白い。
469465:2005/10/03(月) 22:22:35 0
>>466
やっぱないかー、ありがとう。
一応『西洋中世史料集』見てきます。

高校時代に授業でヨーロッパか全世界のだったか人口グラフを見た覚えがあって、
先生が「ここの下がってるとこはペストのせいですー」みたいなこと言ってたような気がしたんだけど
脳内変換してたぽいです。
470世界@名無史さん:2005/10/03(月) 23:29:05 0
14世紀頃のヨーロッパ周辺地域の人口が1億人いない程度で
黒死病(ペストだけとは限らない)で死んだのが2000〜3000万人くらいだと聞いた。
471世界@名無史さん:2005/10/04(火) 01:01:20 0
>>463&464
大変丁寧な表記を、ありがとうございました。
セシリアは次女のようですね。'66年生まれとばかり…(良かった!)
長女が10歳で亡くならなかったら、長女が差し出されてたのかな。
ウィリアム征服王の(伝記)本って、小説で発行されていませんよね? (和文で)

>>469
ペストの前に、不作による飢饉が始まっていたのは、ご存じと思いますが、
この時代は気温が低く、イングランド南部ではブドウ園が、ほぼ壊滅した記録があります。

◎手元の資料(「文明の人口史」/新評論 '99 4月発行 3600円)253Pより
          〔1340年〕   〔1500年〕 
スペイン       950万人   830万人
フランス      1900万人  1600万人
イタリア      930万人    550万人
ドイツ       1100万人   700万人
スカンディナヴィア 60万人    50万人
イギリス      530万人    400万人
 
…とありますが、ペストよりも、
人口減少の底は14世紀後半よりも、15世紀前半だったそうです。
飢饉は、シチリアからラングドック(南仏)と、ポー河流域からエブロ河流域で
地中海岸で荒れくるっていたそうな。
作者は「14,15世紀の危機を単にペストのせいにするのは、不十分」としています。
アクセス規制で、ずっと投稿できず…。 もう遅いかな。
472世界@名無史さん:2005/10/04(火) 07:21:57 0
>>469
凹んでるところに矢印ついてペストとか書いてあるグラフが
世界史の教科書に載ってたと思われ

確かこの時期の地図かなんかだと、前後の時代に比べ森の範囲が大きく
つまりその分だけ人の住む領域が狭くなってた=人が減ってたということになる
473465:2005/10/04(火) 13:27:31 0
みなさんありがとうございます。

>>471
いえいえ、遅くなんてありません。ありがとうございます。
1315年あたりの長雨などの影響からくる飢饉、ペスト、百年戦争とかのトータル的影響で
人口が激減したって事ですよね。
だから一概にペストのせいで人口が減ったとは言えないと。

で、人口がある程度回復するのが15世紀後半ってことでいいのでしょうか?

>>472
やっぱ教科書系ですかね。
昔の教科書引っ張り出したけど載ってなひ(;つД`)
もしよろしければどこの教科書か教えてもらえませんか??
森の範囲とかでもある程度わかるもんなんですねー勉強になります。
474471:2005/10/04(火) 23:53:25 0
>>473
>人口がある程度回復するのが15世紀後半ってことでいいのでしょうか?

気温は15世紀半ばを底にして、以後は上昇したそうですが、16世紀には
再び下降に転じ、17,18世紀には極度に寒冷化したらしいですよ。
この頃、テムズ河やセーヌ河が氷結した記録が残っている(と著書にあり)。
今日まで続いている人口上昇は、19世紀中期からみたいですね。

〔文明の人口史〕¥3,780 アマゾンで3日以内に発送してくれるそうなので、
大型書店には置いてあるかも。先日、池袋ジュンクにあったの見ました。
昨日改めて読み返したら、グラフ図はなくても数字出ていたり、
地域別に、わかりやすく説明されているので、資料として使えると思う。
475465:2005/10/05(水) 03:19:10 0
>>474
詳しく教えてくださってありがとうございます!
『文明の人口史』ですね。
学校の図書館にあるようなので早速明日にでも探してきます。
いい資料を教えてもらい、感謝感激あめあられです。
476世界@名無史さん:2005/10/05(水) 14:41:51 0
中世のヨーロッパの人口を見てみると、はやりヨーロッパの労働生産性というか土地の生産性は低いんだなということが
良く判るな。まあ、気候変動も大きな要因だとは思うんだけど。

これだけ貧しいんだから、外(十字軍やその後の大航海時代)へ向かっての憧れや欲望が増していったのもよく判る気がする・・・
477世界@名無史さん:2005/10/05(水) 14:44:11 0
中世のペストは、現代でいうウィルス性出血熱だったとする説
ttp://www.anex.med.tokushima-u.ac.jp/topics/zoonoses/zoonoses04-159.html
478世界@名無史さん:2005/10/05(水) 15:47:18 0
敗血症がおこる病気なんかいくらでもあるので2〜3割は流行したものとは別の病気という説もある。
479世界@名無史さん:2005/10/05(水) 22:25:08 0
炭疽菌という説もあるし、ペストの大流行自体、大したことがなかった
という説もある。
480世界@名無史さん:2005/10/06(木) 04:04:50 0
>>476
同じ土地でもローマ時代と中世じゃ雲泥の差
政治制度とか治安とか教会とか色々あるんだろうな
481世界@名無史さん:2005/10/10(月) 19:32:37 0
中世ヨーロッパの農民って税は作物で払っていたんですか?それとも貨幣ですか?
482世界@名無史さん:2005/10/10(月) 22:01:37 0
中世ヨーロッパの農民が貨幣経済で生活しているわけがなかろ…
都市住民ならともかく。
483世界@名無史さん:2005/10/11(火) 02:03:35 0
中世ヨーロッパで農民だと、基本的に「労働力(賦役)」だわな。
484世界@名無史さん:2005/10/13(木) 12:30:21 0
>>481
作物を市場で貨幣に代えて払っていたという例もあるよ
485世界@名無史さん:2005/10/20(木) 15:49:33 0
           ●●●緊急●●●

今、この歴史ある世界史板に、再びIDを導入しようとする動きがあります。
自由と自主を尊ぶ世界史板に、珍妙なローカルルールを導入しようとしているコテハン一派がいます。
壊れてもいない時計を無理やり直そうとしているのです。
以下、非国民ならぬ非世界史板住民リストです。

おぎまる
とてた

元三戦板住民の荒らし

しかしそんな現状にも、きちんと意見を言い、反対する善良な住民もいます。

山野野衾
多くの名無し

おぎまる一派は、このまま世界史板を後戻りできない状況に追い込むつもりです。
「断固としてIDを導入」するそうです。
皆さん、この世界史板を守るため、彼らと闘って下さい!

486世界@名無史さん:2005/10/23(日) 15:32:47 0
コピペにマジレスだがIP出るよりマシじゃん
487世界@名無史さん:2005/10/24(月) 04:08:08 0
IDが出て困る理由がわからん
488世界@名無史さん:2005/10/24(月) 22:49:50 0
ある日のあるスレと別のスレの書き込みが同一人物だと知れたら
なんとなく恥ずかしくなるケツの青いシャイボーイ達なのさ・・・
489世界@名無史さん:2005/10/30(日) 18:29:59 0
>>481
それは議論になっているので、どうだと言うことはできないが。
農民は農作物を都市に売りにいって、農作物などを貨幣に変えて、
その貨幣で税を納めたという見方がある。これは、農村にも
貨幣経済が浸透していたということではなくて、税の支払いのために
貨幣を利用していたという程度に留まるものの、農村と都市部との
関係に密接な繋がりがあったとする立場である。
490世界@名無史さん:2005/11/02(水) 01:20:05 0
>>476
>中世のヨーロッパの人口を見てみると、はやりヨーロッパの労働生産性と
>いうか土地の生産性は低いんだなということが 良く判るな。
人口と土地の生産性は無関係ではないもののそれだけでは判断できない。
たとえば、ロシアは人口が多いが土地の生産性が高いというわけでもない。
奉公人制度と聖職者の存在が、人口を抑制していたりもする。
491世界@名無史さん:2005/11/02(水) 18:48:04 0
質問します。
中世ヨーロッパの人達の平均的身長は、
何cmくらいだったんでしょうか?
492世界@名無史さん:2005/11/02(水) 18:53:05 0
>490
ロシアが人が多い!?
それはいつの時代をさしていっているんだろう。
また広大な国土があるんだからそりゃ土地の生産性が低くてもトータルで見れば人口は多くなるだろうよ。
意味不明だ。
493世界@名無史さん:2005/11/02(水) 22:32:17 0
人口=土地の生産性なら、
中国の土地の生産性は神だったんだなきっと。
494世界@名無史さん:2005/11/02(水) 23:08:31 0
>>492
おっと悪い。そう言えば、中世スレだったな。
495世界@名無史さん:2005/11/02(水) 23:29:26 0
ttp://www.asahi.com/international/aan/hatsu/hatsu021007f.html
1950年から2000年で土地の生産性は約3倍、最近は水の生産性で律速になってる。
496世界@名無史さん:2005/11/03(木) 22:15:43 0
>>491
年代にもよるし、民族によっても違うんだろうけど、前に見た資料だと1500年代のアングロ・サクソンで165p弱位だったはず。
497世界@名無史さん:2005/11/05(土) 09:48:52 0
ロシアが大人口といえるようになるのは、
ごく最近(少なくとも中世スレではこう言って問題なかろう)のことでしょう。
498世界@名無史さん:2005/11/06(日) 21:34:03 0
>>424
娼家をしばしば修道院と呼び、娼館の女将を女子修道院長と呼んだりもしていた。
このことを、本当の修道院とごっちゃにしてしまっていることがある。
そこで女子修道院=売春宿を開いていたという誤解を導いている。もちろん、
修道院が売春宿になってしまっているケースがあった。
499世界@名無史さん:2005/11/11(金) 22:34:14 0
>493
素でいうなら土地の生産性は技術の発達という側面よりも、その土地の気候風土によるところが多いんだけど・・・
ヨーロッパの場合、温帯気候とは分類されるものの、地中海沿岸と北海沿岸では天と地ほどの差がある。
また、栽培作物も米は不可。原則として麦系列のみだった。

ヨーロッパの場合、ジャガイモの導入以降人口が大幅に増加していることからしてもその(もともと土地にある)生産性の低さは、
技術以前にアジア諸国に較べてハンデになっていたとしかいえない。

中国の人口が多いからといって、中国の農耕技術水準にそれらを単純に当てはめて考えろとは誰も主張していないと
思うぞ。

スレの流れからして、唯でさえ気候風土が厳しく、作物が育たない土地柄で更に中世の技術停滞が追い討ちをかけ・・・
という話なのだが?
500世界@名無史さん:2005/11/12(土) 00:15:03 0
大半が高緯度地域だもんな。
イングランドのブドウ畑が壊滅したのって10世紀頃だったっけ?
501世界@名無史さん:2005/11/12(土) 01:19:19 0
暖流のお陰で、西欧は高緯度の割には穏和だけどね。
502世界@名無史さん:2005/11/12(土) 03:56:24 O
中世ヨーロッパって華麗さと同時に、オカルトなものを感じるんですが・・・初心者の気のせいでしょうか?
503世界@名無史さん:2005/11/12(土) 06:00:11 0
華麗さは無いはず。
オカルトは欧州全土を覆っていたけど。
504世界@名無史さん:2005/11/12(土) 12:56:50 0
むしろ文化的にはとても貧しい。
日本の方が華麗。
505世界@名無史さん:2005/11/12(土) 13:22:39 O
>>503>>504ありがとうございます。貴族は庶民から搾取しつつ、着飾って華麗な暮らしをしていた、と勝手に思ってました。
初心者むけの本なんてあれば教えていただけないでしょうか。買うつもりで本屋さんに行っても訳わかりません orz
506世界@名無史さん:2005/11/12(土) 14:27:47 0
ここの1スレ目が非常に参考になると思う
507世界@名無史さん:2005/11/12(土) 18:39:42 0
初心者なら、各社から出ている「世界の歴史」の何巻目かに必ず「中世ヨーロッパ」の項目のものがあるはずだから、まずはそれを読めば良いと思う。
文庫化もされているから値段もお手頃かと。

で、後は興味のある/出てきた国や時代、事象について色々と見ていけばいいんじゃないのかな?

ゲームなら「クルセイダーキング」か「チンギスハーンW」w
ゲームなので大抵は史実通りの展開にはならないけれど、ひとつの時代に世界にどういう国があってどういう歴史的な人物がいたのか?を知るのにはある意味最適。
508世界@名無史さん:2005/11/13(日) 00:44:41 0
入門書
甚野尚志、堀越宏一編『中世ヨーロッパを生きる』東京大学出版会
ジャック・ルゴフ『中世とはなにか』

主にドイツ
ハインリヒ・ブレティヒャ『中世への旅 都市と庶民』白水社
ハインリヒ・ブレティヒャ『中世への旅 騎士と城』白水社
オットー・ボルスト『中世ヨーロッパ生活誌1』白水社
オットー・ボルスト『中世ヨーロッパ生活誌2』白水社
阿部謹也『刑吏の社会史 中世ヨーロッパの庶民生活』中公新書
阿部謹也『中世を旅する人』平凡社

主にイギリス
ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース『中世ヨーロッパの城の生活』講談社学術文庫
フランソワーズ・デポルト『中世のパン』白水Uブックス


主にフランス
渡邊昌美『フランス中世史夜話』白水Uブックス
アシル・リュシェール『フランス中世の社会 フィリップ=オーギュストの時代』東京書籍

全般
堀米庸三編『生活の世界史6中世の森の中で』河出文庫
堀米庸三編『世界の歴史3 中世ヨーロッパ』中公文庫
鯖田豊之『世界の歴史9 ヨーロッパ中世』河出文庫

テーマ
レジーヌ・ペルヌー『テンプル騎士団の謎』「知の再発見」双書 創元社
ジョルジュ・タート『十字軍』「知の再発見」双書 創元社

書店に多分ないけど 
アイリン・パウア『中世に生きる人々』東京大學出版會
509世界@名無史さん:2005/11/13(日) 02:55:38 0
ヨーロッパ中世に関する書物は阿部謹也氏のを何冊か読んだ程度。
文章がお上手でとても読みやすくてわかりやすいので。
このスレでも氏は人気があるようですね。
何度かTVで見たことがありますが、わりと飄々として面白そうな方でした。
510世界@名無史さん:2005/11/13(日) 12:15:47 O
皆さんのおすすめ本を参考に買います!ありがとうございます。
511世界@名無史さん:2005/11/13(日) 16:26:24 0
CrusaderKingsとEuropaUniversalis2やっとけばいいよ。
512世界@名無史さん:2005/11/15(火) 01:12:59 0
>>508
>オットー・ボルスト『中世ヨーロッパ生活誌1』白水社
Alltagsleben im Mittelater Otto Borst
http://www.gothickleidung.de/p05087_alltagsleben_im_mittelalter_otto_borst.html
513世界@名無史さん:2005/11/15(火) 01:17:00 0
>>508
「中世の秋 上・下」 J.ホイジンハ 角川文庫 197? は絶版?
  
514世界@名無史さん:2005/11/15(火) 13:15:52 0
>>514
ホイジンガ『中世の秋』は中公クラシックでも出てたよ。
515世界@名無史さん:2005/12/11(日) 17:08:58 0
ハンス・K・シュルツェ「西欧中世史事典」ミネルヴァ書房
マルク・ブロック「封建社会」みすず書房
516世界@名無史さん:2005/12/11(日) 18:49:25 0
最近
ハンス・K・シュルツェ「西欧中世史事典U」ミネルヴァ書房
がでた。
517世界@名無史さん:2005/12/11(日) 19:01:36 0
>>509
何度か講演を聞いたが、おだやかな口調でときにユーモアを交えて
お話になる姿が印象的でした。自身の健康について少しお話になった
ことが気にかかります。
518日本人:2005/12/12(月) 20:37:58 0
修道院の絵を見ると,病院ができる前は結核とか慢性的な患者は修道院の病舎に
あずけたんだ。それであんなに大きく山の上の人里はなれたとこにあったんだ。
 金持ちは修道士に金払って預けたんだ。
519世界@名無史さん:2005/12/12(月) 21:46:14 0
>>518
マチュピチュの空中庭園は、疫病の隔離施設だったんだろ。
で、悪逆非道の野蛮人であるヨーロッパ人は、高貴で偉大で優秀な日本に
船で病人を輸送して、細菌攻撃を行なったんだろ。あとなんだっけ。
520世界@名無史さん:2005/12/12(月) 22:26:10 0
最近、
「西洋中世学入門」高山博・池上俊一編、東京大学出版会、3800円
も出た。
古書体学・古銭学・史料論等の歴史補助学の簡単な説明及び、関連文献及びサイトの紹介。
レファレンス用に一冊持っていると便利かも。
521世界@名無史さん:2005/12/14(水) 09:32:40 0
こんにちは、中世ヨーロッパの装飾や陰鬱な生活いなぜか魅了されます。
最近では「娯楽映画のバンヘルシングを観て、「そうそう、こんな雰囲気」
なんて

同じように中世の雰囲気を再現してる映画があったら、教えてもらいたいのですが。
522世界@名無史さん:2005/12/14(水) 12:13:33 0
>>521
雰囲気というなら「薔薇の名前」はどうでしょう。
中世ヨーロッパでは本は物凄く貴重だったそうなので、あんな辺境の修道院が
あれだけ本を収蔵できたのかはちょっと疑問だったりしますが。
523世界@名無史さん:2005/12/14(水) 12:54:01 0
ありがとうございます、薔薇の名前、という映画ですね。
早速観させてもらいます。
他にもお勧めがありましたらよろしくお願いします。
524世界@名無史さん:2005/12/14(水) 18:01:39 0
>>521
アンドレイ・タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」
ttp://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/andr.html
地味で陰鬱なモノクロ長編ですがお勧め。
ロシアのイコン修道画家のお話ですが、王侯や異民族、各階層の庶民が描かれています。
525世界@名無史さん:2005/12/14(水) 18:16:07 0
>>519
電波をふりまくならお花畑板で。
嵐ならお引き取りください。
526世界@名無史さん:2005/12/14(水) 18:17:09 0
>>521
キングダム・オブ・ヘブンはどうでしょう?
527521:2005/12/14(水) 18:31:18 0
皆さん、面白そうな映画の紹介ありがとうございます

レンタルビデ屋に行って、楽しい年末年始になりそうです
528世界@名無史さん:2005/12/14(水) 20:42:08 0
>>516
>最近
>ハンス・K・シュルツェ「西欧中世史事典U」ミネルヴァ書房
>がでた。

副題は「皇帝と帝国」
「帝国と王国ってどう違うの?」とか、
「皇帝と国王ってどう違うの?」とか、
「神聖ローマ帝国とドイツ王国ってどう違うの?」とか、
質問スレ等で死ぬほど外出の問題を考えるのに非常に役に立つ一冊。
この板的には必修参考図書扱いにしてもいいくらいだな。
529世界@名無史さん:2005/12/14(水) 22:24:36 0
王と皇帝は全然違うし。
530世界@名無史さん:2005/12/15(木) 15:29:55 0
皇帝になれなかったドイツ王カワイソス(´・ω・`)
531世界@名無史さん:2005/12/15(木) 19:16:00 0
ナポレオンはフランス王になれなかった
532世界@名無史さん:2005/12/15(木) 23:02:14 0
ドイツは神聖ローマ帝国
ナポレオンはフランス皇帝(自分で戴冠)では?
533世界@名無史さん:2005/12/15(木) 23:16:57 0
皇帝にはなれても王には無理
534世界@名無史さん:2005/12/15(木) 23:19:56 0
欧州の王は、民族の長、部族長の意味合いが強いからねぇ・・・
血統が確かでないとムリ。皇帝は成り上がり者でもなれる
535世界@名無史さん:2005/12/16(金) 01:42:24 0
ああそういう意味か
536世界@名無史さん:2005/12/16(金) 08:34:24 0
それもナポレオンがひっくり返した。
現スウェーデン王家の祖ジャン・ベルナドット→カール14世ユーハンとか
ナポリ王になった妹婿ジョアシャン・ミュラとその息子(ナポリ王に推す動きがあった)とか。
537世界@名無史さん:2005/12/16(金) 12:11:29 0
>>536
兄貴をスペイン王にしているしな
538世界@名無史さん:2005/12/16(金) 20:31:37 0
そこで正統主義(ウィーン会議における)の出番ですよ!
539世界@名無史さん:2005/12/19(月) 10:52:52 0
AGE
540世界@名無史さん:2005/12/25(日) 07:13:58 0
>>49
古代ローマの橋梁建設の技術や情報は伝わらず、中世ヨーロッパ特有の
ゴシック様式の大聖堂・教会建築の技術を取り込み、同時期に橋梁建築
ラッシュとなる。扁平アーチとなりスパンが広くとれるようになり、
橋脚が薄くなった、コンクリートが伝わらなかったために、橋脚保護
(洗掘防止など)のために人工島が設けられた。現存も多い。
541世界@名無史さん:2005/12/25(日) 07:28:11 0
建設には修道士たちが活躍した。「橋兄弟団」が各地で橋を建設した
とされるが、記録が少ない。修道士たち、教会関係が建設を主に行なった
ので、大工も聖人化させてしまう(イエスが大工だったことと関連している
のだろう)。異教徒的な人柱を行なったような例は知らない。
542世界@名無史さん:2005/12/26(月) 09:06:49 0
>橋兄弟団
なんだかウホッ! な響きだ
543世界@名無史さん:2005/12/28(水) 23:16:11 0
橋台兄弟団
544世界@名無史さん:2005/12/30(金) 22:39:45 0
つまり、あれか。何か採掘しに
穴に潜ってるような人たちの兄弟団があったらやっぱり

穴兄弟団?
545世界@名無史さん:2005/12/31(土) 12:10:30 0
>>509
社会史だから読みやすいわな。でも中世後期・末期が多い。
546世界@名無史さん:2005/12/31(土) 12:43:57 0
「食糧兄弟団」というのがあったが、バルト海に出没する海賊だった。
547世界@名無史さん:2005/12/31(土) 12:44:54 0
「ラファエル前派兄弟団」というのがあったが、もはやスレ違い。
548世界@名無史さん:2005/12/31(土) 14:03:07 0
19世紀イギリスを中心とした画派で、ラファエルによって固定化された
部分を打破し、ルネサンス初期に立ち戻ることを是とした……という
やつだね。知名度低いけど。
549世界@名無史さん:2005/12/31(土) 14:10:14 0
ロケット兄弟なら知ってる
550世界@名無史さん:2005/12/31(土) 14:16:54 0
シャープ兄弟なら
551世界@名無史さん:2005/12/31(土) 15:57:57 0
工藤兄弟なら
552世界@名無史さん:2006/01/01(日) 09:11:03 0
AGE
553世界@名無史さん:2006/01/06(金) 01:18:51 0
ゴチック(ゴシック)というは、ゴート風の、つまりゲルマン風の
という意味で、ロマネスクというのは、ローマ風の、という意味だ
と思うが、ロココ調とかいうのは一体何? バロックというのは何?
554世界@名無史さん:2006/01/06(金) 01:28:46 0
語源
バロック … barocco 「歪んだ真珠」(ポルトガル語) といわれる
ロココ … rocaille ロカイユ 「岩」(フランス語)
        元はバロック時代の庭園に造られた洞窟(グロッタ)に見られる岩組のこと。
        転じて1730年代に流行していた、曲線を多用する繊細なインテリア装飾を
        ロカイユ装飾(ロカイユ模様)と呼ぶようになった。
555世界@名無史さん:2006/01/06(金) 15:15:27 0
グロテスクの語源もこの洞窟装飾グロッタから。
華美かつ奇異な意匠がなされたことによるか。
556世界@名無史さん:2006/01/09(月) 05:34:05 0
ポルトガル語は全然知らないが、bar+occoなのかな
557世界@名無史さん:2006/01/12(木) 10:09:58 0
>>554
ロカイユには貝の意味もあって
ロココ装飾で貝がよく使われたからという説は違うの?
558世界@名無史さん:2006/01/12(木) 15:28:14 0
諸説紛々
559世界@名無史さん:2006/01/12(木) 20:07:14 0
>>556
barro+oco=でこぼこぐにゃぐにゃの粘土
560世界@名無史さん:2006/01/20(金) 01:33:34 0
鉄器時代の男性 整髪料を使ってモヒカンみたいにしてたことが判明 - アイルランド
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1136698466/
561世界@名無史さん:2006/01/20(金) 02:25:39 0
>>56
スレ違い
562世界@名無史さん:2006/01/20(金) 02:27:13 0
間違えた
>>560
スレ違い。というか板違い。
563世界@名無史さん:2006/01/20(金) 07:08:46 0
>>559
試しに葡英と英日でテキスト翻訳にかけてみた。
barro→adobe→アドービ煉瓦
oco→hollow→くぼみ
564世界@名無史さん:2006/01/28(土) 17:14:38 0
「バロックとは、魂を抜いたミケランジェロ主義である」
って誰の言葉だったけ?
565世界@名無史さん:2006/01/29(日) 22:07:14 0
ゴシック建築といってもゲルマンからの流れを組んでいるわけでもない。
566世界@名無史さん:2006/02/01(水) 01:18:12 0
受難兄弟団 宗教劇の上演のための兄弟団
567世界@名無史さん:2006/02/02(木) 00:13:44 0
>564
あ〜ちょっとわかる気がする
568世界@名無史さん:2006/02/04(土) 15:23:29 0
「中世ヨーロッパでは、寝る時は半身起こした状態で寝ていた」
と思われてきたが・・・
569世界@名無史さん:2006/02/04(土) 15:58:27 0
十字軍がイスラムからパジャマの習慣持ち帰るまで裸で寝てたって本当?
少年はオナヌ禁止のために手は布団の外に出して寝てた
って話もあるけど腕寒くなかったのかな?
570世界@名無史さん:2006/02/04(土) 20:26:19 0
うそ。
571世界@名無史さん:2006/02/04(土) 21:18:46 0
シスターは布団の外に手を出して寝るという話を聞いたことがあるが。
手を布団の中に入れるとオナ○ーするからって話なんだけど。
サクラ大戦3をやった後だったから、あらぬ妄想が…。
572世界@名無史さん:2006/02/04(土) 23:32:22 0
寄宿舎なんかでもそういう規則があったらしい>手を外に出す
中世以来性的快楽は最も戒められたことだからね。
ま、どれだけの人が厳格に守っていたものやら…。
573世界@名無史さん:2006/02/07(火) 10:45:57 0
ヨーロッパ中世時代は、年間平均気温が現在よりも、7-8度ばかり低い小氷河
期時代です。こう言った時代には、穀物は余剰生産できないために、強力な国
家を維持は出来ませんでした。つまり、ローマ帝国は、小氷河期の気温で、東
西に分裂して、更には小国に分裂発達したのです。

そうなんでしょうか。
574世界@名無史さん:2006/02/07(火) 11:16:40 0
7〜8℃も低かったら、小氷河期じゃなくて完全な氷河期だ。
575世界@名無史さん:2006/02/08(水) 11:10:59 O
氷河期のわりには同時期平安時代の日本建築が、やけに
風通しがいいのが気になる。
576世界@名無史さん:2006/02/08(水) 11:40:58 0
平安頃なら庶民はいまだに竪穴住居だよ。
577世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:02:12 0
だから氷河期なんかじゃないってw
むしろ9−10世紀ごろ?は温かくて
イギリスでワインが作れたり、グリーンランドに人が住めたりした。
その後低温期がくるが、それでも本当に寒かったのは中世じゃなく
近世(17−8世紀)のはず
578世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:12:17 0
土一揆の続発は寒冷化が原因だと、中世のかたちで網野先生が指摘していたような。
専門家でもない単なる歴史好きだけど、50年ぐらい非常に寒かった時期があったような。
それと17−18での寒冷期ってアイスランドの火山の噴火の影響じゃなかったかな。
579世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:21:27 0
もっと前からだと思った。
それにさらに追い打ちをかけたのが火山噴火だったかと
580世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:30:38 0
おいおい、4000万年前から今までずーっと氷河期だよ。
1万年くらい前までの寒い時期が氷期、今みたいに暖かい時期が間氷期、
間氷期なんだけど少し寒い17〜18世紀みたいな時期が小氷期。
581世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:35:12 0
17-18は島原とアイスランドのレキ火山が主な寒冷化の要素っしょ?
582世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:38:50 0
正長の土一揆をはじめとする土一揆の頻発が1400年代前半の50年間におこっていて、
不作による高利貸しの横行が原因となって徳政令が、起こったが、或る時期がすぎると
自然消滅していった。
その時期が寒冷化が過ぎ、温暖化=不作、凶作が解消された時期とほぼ一致するというのが
網野説の要旨だったかな?

要約下手だとおもうので補足・修正よろしく。
山野あたりがこのスレ覗けば書いてくれるだろうと思うけどね。
583世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:43:21 0
1783年のラキ火山の爆発が
なんで17世紀の気候に影響を及ぼすのか
と小一時間(ry
584世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:48:51 0
585世界@名無史さん:2006/02/08(水) 17:50:37 0
>>583
細かい突っ込みはスルー汁
586世界@名無史さん:2006/03/01(水) 19:00:23 0
age
587世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:50:10 0
忠誠ヨーロッパとは教会=ユダヤ人による大規模な搾取と奴隷化の時代
教会は力が無いので領主と結託して取れるだけ取った。
東ローマー帝国の首都であるイスタンブールの人口は
30%がユダヤ人で残りの60%の内の半数はユダヤ系。
588世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:57:13 0
>>587
ソースは?
589世界@名無史さん:2006/03/02(木) 15:30:55 0
>>587
なんか日本語おかしくない?
590世界@名無史さん:2006/03/02(木) 22:46:12 0
590ゲット
591世界@名無史さん:2006/03/03(金) 01:24:37 0
ローマー帝国と書くやつを初めて見た
592世界@名無史さん:2006/03/03(金) 01:32:03 0
商売のために自称ユダヤ人も多かったし、
商人=ユダヤ人とも思われていた。
のちに、ロンバルディア人=商人の代名詞
ともなった。
593世界@名無史さん:2006/03/03(金) 03:48:33 0
>>587は明らかに釣りだろう。
「忠誠ヨーロッパ」
「教会=ユダヤ人」
「東ローマー」で、首都が「イスタンブール」

ホロン部どころの話ではないなこりゃ。
594世界@名無史さん:2006/03/03(金) 14:02:30 0
Roemer 帝国
595世界@名無史さん:2006/03/03(金) 18:50:57 O
中世ヨーロッパ人は酸っぱいものが好きだった。オートミールに
酢をかけて食った。
596世界@名無史さん:2006/03/03(金) 19:10:19 0
>595
ある意味腐ったモノばかり食べていた(というか食べざるを得ない)訳だから酢〆の意味もあったのかも・・・・・・
597世界@名無史さん:2006/03/04(土) 17:35:43 0
床入れ式ww
大勢の人がいる中でするのか…当時の人は大変だ
598世界@名無史さん:2006/03/05(日) 00:59:58 0
食事の時は手掴みで食べていたんでしょ。フォーク、ナイフはいつから?
599世界@名無史さん:2006/03/05(日) 01:06:18 0
でも新鮮な食い物に恵まれてるはずの日本でも
調味料と言えば酢が多いね>中世
600世界@名無史さん:2006/03/05(日) 11:10:26 0
600ゲット
601世界@名無史さん:2006/03/05(日) 12:24:36 0
>>598
サケッティの三百話ではフォークを使用していますが何か?
602世界@名無史さん:2006/03/05(日) 12:29:49 0
>>598
ナイフは随分前からあったようだ。ナイフで食べ物を切って手づかみで食べるってのがデフォーか。
603世界@名無史さん:2006/03/05(日) 14:40:03 0
フォークはルネサンス期頃から使われ出した。
500年前までは肉でもナイフで切って手掴みで食うのがデフォ。
しかし一般への普及は200年ほど前。

汚れた手はシャツやズボンで拭いた。
タキシードのサッシュ(腹巻)もその名残。
フィンガーボール、ナプキン、テーブルクロスも汚れた手を拭うものだった。
604世界@名無史さん:2006/03/06(月) 00:26:37 0
>>603
高校英語の教科書に、欧米のフォークとナイフ使用の歴史が王族と絡めて
結構詳しめに載ってます。
605世界@名無史さん:2006/03/06(月) 01:43:43 0
この時代、お城に住んでいた人って、トイレどうしたの?
携帯用のトイレとかあったの?
606世界@名無史さん:2006/03/06(月) 01:46:24 0
>>605
城の端っこでやる。ブツはダストシュートで地上へ。
607世界@名無史さん:2006/03/06(月) 01:57:44 0
暖炉って中世中期辺りまで使われていなかったって聞いたけど
どうなの?
608世界@名無史さん:2006/03/06(月) 03:29:08 0
どこの家にも暖炉があったわけではないですね。
大方の庶民は寒さに凍えながら冬を過ごしたものと思われます。
609世界@名無史さん:2006/03/06(月) 10:10:14 0
>>603
>タキシードのサッシュ(腹巻)もその名残。
タキシードのサッシュ(カマーバンド)は、英国のインド統治時代に
考案されたものだと記憶してるけど?
本来はタキシードの下にはベストを着用するのが正式だけど、
インドは暑いので、ベストの代用として当時のインド人(支配階級のイスラム教徒)の
正装に用いられていたシルクの帯を巻くようになったとか。
610世界@名無史さん:2006/03/06(月) 10:40:36 0
今、ヒストリーチャンネルで中世ヨーロッパのペストの大流行についての番組をやってるね。
(今ではペストではなく、エボラのような出血熱だったのではという説が強くなってるらしいが)
▼ペストの大流行によって『教会の教えの通りにしても救われないじゃないか!』
『僧侶だって神の怒りを受けてペストでバタバタ死んでるじゃなないか!』
『ペストで死んだ人に対して、僧侶は逃げてばかりで懺悔や祈祷の義務を果たさないじゃないか!』
みたいな鬱憤が募り、それが教会の権威を失墜させていった。
▼また、ペスト流行末期に行なわれたユダヤ人排斥(ユダヤ人が毒をまいているという噂で、
イタリアあたりではほとんどのユダヤ人が追放されるか殺された)によって、商業/金融従事者が
いなくなり、その隙間をキリスト教徒が埋めるこでルネサンス期の大商人を生むことにつながった。
▼領主や地主もペストでなくなったため、農家一世帯当たりの所有する土地が増加し、
かつ、ペスト流行以前には需要増に追いつかなかった穀物生産が、歴史上初めて供給過剰に
なった結果、穀物以外の贅沢な農産物(オリーブやブドウ、食肉など)の生産が増加し、
食文化や食産業を豊かにした。
▼それまで祈祷や迷信が中心だった医療に対して、絶対的な不信感が広まると同時に、
否応なしに病気と向き合わされ観察させられることで、観察と実績に基づく病理学が成立し
西洋医学の発展に寄与した。
▼人口の減少で激しい労働力不足に陥ったため、貴賎意識による職業の壁が低くなり労働力に
流動性が生まれた(世襲で受け継いでいた職業への新規参入が増えた)。また、労働力不足から
水車や風車などの動力機械などの需要が高まり、船員不足解消のための船舶大型化などと相まって、
後の産業革命につながった。

など、ペスト?の大流行が、それまで他の文化圏とドングリの背比べ状態だったことろから
ヨーロッパが一歩抜きん出るきっかけを作ったという、結果的なプラス効果を論ずることが
多くなったらしい。
611世界@名無史さん:2006/03/06(月) 15:53:11 0
とはいえ人口の3割ほどを失ったのはきついと思うがね。
ヴェネツィアなんかは元々10万ほどしかいないから制海権確保に四苦八苦だったようだ。
612世界@名無史さん:2006/03/06(月) 16:31:38 0
結果的に近代に展開できたってことだよな
うまいこと旧来の社会機構をぶっ壊したというか

人口が復活するのに二百年かかってるし
プラスの面ばかりでもないのは当然だろうけど
613610:2006/03/06(月) 20:48:37 0
ヒストリチャンネルの番組でペスト大流行のマイナス面として語られていたのは、
ひとつはもちろん、直接の病害。
もうひとつは、貴族が病気から逃れるため領国を長期間放置したために
領国統治から排除されたり、農奴が病死したり逃げ出したりして激減したために、
領地からの収入がほとんど消滅してしまった貴族が続出。
仕方なく王候や貴婦人自ら鍬をもち農作業を行う例も珍しくなかった。
ただ、自ら農耕を行う貴族はいいが、中には武力に訴えて盗賊行為を働くという
貴族本来の姿に回帰した「騎士団」と称する組織が数多く結成され、
土着権力という秩序を撹乱したために戦争や略奪が多発し、直接の病害によるダメージに追い討ちをかけた。

というあらすじ。
614世界@名無史さん:2006/03/06(月) 22:48:34 0
中世の料理って、皿を使わなかったって本当?
パンを皿にしていたとか。
あと、コテコテの固形のスープを食べていたとか。
詳しいかた、教えてください。
615世界@名無史さん:2006/03/06(月) 23:10:09 0
>>614
>中世の料理って、皿を使わなかったって本当?
机を抉って皿のようにしてあり、そこにスープを盛り付けたと何かで読んだ記憶がある。
パンは1週間分をまとめて焼いておくのが普通で、
最初は柔らかいが、何日かすると次第に固くなってくる。
カチカチに固くなったパンはスープに浸して食べたり、あるいはそのパンを皿にして
スープを入れ、柔らかくして食べたとか。
固形スープについてはよく知らないが、ゼラチン質が入っていて
冷えると寒天のように固まるスープだったのかも。
616世界@名無史さん:2006/03/06(月) 23:14:44 0
しかし食卓を彫りくぼめてそこにスープを盛ったとして、食べ終わったあとにどうやって「洗った」のだろうか。
まさか食卓を持ち上げて水で流すわけにもいかないし。
布巾で拭うだけだったのだろうか。
617615:2006/03/06(月) 23:52:05 0
>>616
漏れもそれが気になってたんだが、布巾で拭く以外には考えにくいよなあ。
それに、誰かがスープを残した場合にどうしたのか気になる。
残ったスープはおたまかスプーンでかき集めて鍋に戻し、
暖めなおしてまた出したとか……。
618世界@名無史さん:2006/03/07(火) 00:17:59 0
>>594
ロエメル?
619世界@名無史さん:2006/03/07(火) 01:08:26 0
しかし何で「卓を彫りくぼめて盛る」なんていうわけの解らないことするわけ?
皿に盛ったほうがずっと食べやすいのに。
まさか皿を作る技術が無いわけでもあるまいに。
620世界@名無史さん:2006/03/07(火) 02:18:11 0
大皿に足つけて机代わりにしたから?
621世界@名無史さん:2006/03/07(火) 03:00:48 0
我々から観ると奇異に見えても当時の人には常識のこともあるからね。

鍋のスープだかシチューだかを、
お玉なんか使わずに自分のお椀ですくって入れてるというのを、
古い映画で観たことがある。
中世初期の北欧の領主の食卓の場面だったと思う。
そこら中べとべとだなあって思た。
622世界@名無史さん:2006/03/07(火) 11:19:01 0
日本だってちょっと前までは、食べたあとのお椀はふきんで拭いて、お膳にしまってただけだったじゃん
623世界@名無史さん:2006/03/07(火) 11:54:26 O
それはオマイの実家だけ
624世界@名無史さん:2006/03/07(火) 12:18:37 0
>618
ロェーマー
625世界@名無史さん:2006/03/07(火) 12:19:03 0
あほ、日本昔話でもちゃんと描写してるぞ。
626世界@名無史さん:2006/03/07(火) 12:31:13 0
>622-623
和食はもともと油が少ないですから、
使い終わったお椀にお湯かお茶を入れて、残りかす諸共飲み込み、
ふきんで拭くぐらいで十分だったのです。
627世界@名無史さん:2006/03/07(火) 16:28:30 0
そんなんだから食器(御器)にたかるゴキかブリが大量発生したんだろ
628世界@名無史さん:2006/03/07(火) 21:50:48 0
>>622
今でも禅寺とかの食事はそうだな。
ご飯を食べた後、茶碗にお茶を注いでキレイに洗って飲み干して
箱膳の中にしまう。
629世界@名無史さん:2006/03/07(火) 23:25:49 0
>599
冷蔵庫が無くて、高温多湿の日本で動物性(宗教の縛りで特に魚類に集中)食料の貯蔵に関して一体どうしろと。
昔の人達も今の寿司を食えたと思うのか?
寿司もずけ(腐敗を防ぐ為に漬け込み)がデフォルトで今みたいな生そのもので食えるようになったのも、物流革命が
あったればこそなのに。

いまの世の人間は食うということは、単に趣味や生理現象の欲求解消程度にしか考えが及ばないが、つい昔には
文字通り飢餓から逃れる為の生きる為の手段であった。
食料の貯蔵、ということに関して明らかに意識がとんでないようなカキコは、いかに今の日本が豊かな国なのか
良く判る事例といえるかも知れんな。
630世界@名無史さん:2006/03/07(火) 23:35:03 0
>615
固形スープ?というのはどうかと思うが、動物性油脂の場合、豚でも牛でも冷えると簡単に固まるので
ゼラチン状、ペースト状になるのはデフォなんじゃまいか?
自炊していてクリームシチューなんか作ると、冷えるとペースト状になるし、牛や豚肉のシチューは脂が冷えると
直ぐ白く固形化するしな。で腐敗を防ぐには炊き込む続ける必要があるわけで、固形に近いものになったことは
容易に想像出来るのだが?

あとカチカチになったパンを皿代わりにしてスープの皿としても使った、というのは結構聞く話だな。
中世の西欧では小説を読むと良くその描写がでてくるよな、外国の小説では。
631世界@名無史さん:2006/03/07(火) 23:51:47 0
>中世の西欧では小説を読むと良くその描写がでてくるよな、外国の小説では。

悪文にも程が……。
632世界@名無史さん:2006/03/08(水) 00:59:52 0
>622

たそがれ清兵衛にも出てくるね。
633世界@名無史さん:2006/03/08(水) 04:43:46 0
>>629
あなたもなにか間がすっぽ抜けたような思考の書き込みですねえ
634世界@名無史さん:2006/03/08(水) 09:04:34 0
>>615
パンで敷板を作る偉いさんの食事は手拭用にテーブルクロスをかけるから
窪みに盛る一般家庭の食事とは別だと思う。
635世界@名無史さん:2006/03/08(水) 23:46:02 0
ギリシャ神話の一節に、兵士の一団が化け物鳥に呪いをかけられ、
「皿を食らうほど飢えるまで安住の地にはたどり着けないだろう」と宣告された。
その言葉どおり一団はあちこち彷徨った挙句、食料が尽きて皿代わりの固いパンまで食らった。
そのときハッと呪いの言葉を思い出し、「皿を食ったその場所に住めということか」と、
その地に住み着いた、というのがあったな。詳細は忘れたので、誰かフォローして。
636世界@名無史さん:2006/03/09(木) 00:32:33 0
その鳥ツンデレ?
637世界@名無史さん:2006/03/09(木) 04:23:20 0
>>635
ということは、皿はパンで作ってはあるけど、
よくよくのことがない限り食べるものではないってこと?
しかしかなり硬く焼き上げたパンだね。
638世界@名無史さん:2006/03/09(木) 11:31:31 0
ハードタック(南北戦争で兵士に支給された堅パン)みたいなもんかね。
>皿代わりの固いパン

素手どころかナイフを突き立てても割れなかったそうだが。
639世界@名無史さん:2006/03/09(木) 11:58:25 0
>>637
保存食としてのパンは、スープや水につけてふやけさせないととても食べられた
もんじゃないってのをどこかで読んだ記憶があります。

麦類(小麦、ライ麦等)をイーストで膨らませて焼けば「パン」ですから、私らが
普段食べてるような食パンやアンパンとはぜんぜん違うものなのかもしれませんね。
640世界@名無史さん:2006/03/09(木) 12:30:54 0
大航海時代の帆船に積み込まれていた「ビスケット」は、現在我々がお茶菓子に食うようなものではなくて
石のようにガチガチのものだったそうな。
アステカ人が西洋人を神と間違えたのは有名な話だが、それは「1の葦の年」の来訪であるうえに
「神は石灰岩を食う」と信じられていたからだ。航海用のビスケットは石のように硬かった。
641世界@名無史さん:2006/03/09(木) 22:49:15 0
そんなクソ硬いビスケットにもコクゾウムシが湧いたんだよな。
虫を払おうと振ったら粉々になったとか。
642世界@名無史さん:2006/03/12(日) 02:33:23 0
>>639
醗酵パン製造は教会の既得権益。皿にした後で庶民に売られる平パンは無醗酵。
643世界@名無史さん:2006/03/12(日) 12:02:45 0
パン以外だと、どういうものを食べたんですか?
644世界@名無史さん:2006/03/12(日) 12:25:56 0
船乗りの食事?
半分腐敗したような塩漬け肉や干し肉。
とんでもなく塩が強いので、海水につけて塩を抜いたそうだ。
当然ビタミン不足で壊血病になる訳だが。
645世界@名無史さん:2006/03/12(日) 12:31:06 0
結局、ヨーロッパ人が世界を支配できたのは
少々腐った物を食べても大丈夫な健康な
胃腸を持っていたからなんですね
646世界@名無史さん:2006/03/12(日) 13:31:26 0
白人は「中世のペスト大流行の生き残りの子孫」なので、
ほかの人種に比べて感染症に強い、と聞いた事がある。
647世界@名無史さん:2006/03/12(日) 13:37:44 0
中世以降にもペストが流行しているのだがw
648世界@名無史さん:2006/03/12(日) 14:23:25 0
ペストって黒く変色した部分(?)の血を抜けば直るの?
649世界@名無史さん:2006/03/12(日) 16:01:38 0
ペストに強いから感染症に強いっていうのもすごい理屈だな
650世界@名無史さん:2006/03/12(日) 22:42:00 0
感染症に強いのは、中世以降の欧州の信じられないほど極めて不衛生な環境で生き延びてきた人間のDNAによる。

などと勝手に言ってみる。
651世界@名無史さん:2006/03/12(日) 23:32:02 0
つスペイン風邪
652世界@名無史さん:2006/03/12(日) 23:52:06 0
明治まで日本にはペストが伝来しなかったんだよね?
653世界@名無史さん:2006/03/13(月) 00:10:45 0
その時歴史が動いた
654世界@名無史さん:2006/03/13(月) 01:16:37 0
大学の本かなんかでみたが
当時の認識の一つとしては、地震によって地面に亀裂が走ると
そこから、悪しき気?見たいのがあふれ出てきて人に悪い影響を
与えるって考えてたらしい。
655世界@名無史さん:2006/03/13(月) 07:09:22 0
地面の下には地獄があるから、地面が割れると悪魔がそこから這い出てくるとかそんな感じかな。
656世界@名無史さん:2006/03/13(月) 14:44:15 0
日本なら鯰かな
657世界@名無史さん:2006/03/20(月) 23:50:11 0
>>654
火山性ガス?
658世界@名無史さん:2006/03/22(水) 16:34:15 0
少し質問の意味が違うかも知れませんが、

司法卿と大法官って何が違うんですか?

仕事の内容など、教えてください。
659世界@名無史さん:2006/03/22(水) 22:11:06 0
どこの国のいつの時代の話?
660世界@名無史さん:2006/03/22(水) 23:16:47 0
>>659
あ、どこの国の例でも構いませんのでお願いします。
661世界@名無史さん:2006/03/22(水) 23:41:32 0
イギリスの近代(二十世紀一杯まで)なら、
大法官=法務大臣+上院議長+(最高裁としての上院の長として)最高裁長官
    +国璽尚書ってとこか。国璽尚書は別人がなる場合もあるが。

つまりものすごく偉い。大蔵卿が後に内閣総理大臣となるまでは最重要閣僚。
(今の大蔵大臣は実は元来大蔵次官だった役職)
司法卿なんてこの時代のイギリスにはいたのかどうかわからん。

あとは詳しい人補完よろ。
    
662世界@名無史さん:2006/03/23(木) 16:04:44 0
いまデュマ筆(生島遼一*翻訳)の三銃士を読んで居るんですが、
この頃の司法卿と大法官の違いを教えてください。
663世界@名無史さん:2006/03/23(木) 16:16:48 0
>>656
江戸時代まではナマズじゃなくて龍だった
664世界@名無史さん:2006/03/23(木) 18:23:16 0
三銃士は中世じゃないじゃん
665世界@名無史さん:2006/03/23(木) 23:12:11 0
あれは17世紀か。騎士の時代は15世紀初期くらいまでだからなあ。
666世界@名無史さん:2006/03/24(金) 00:50:53 0
そーいや三十年戦争まっただなかの話なんだよね、三銃士って。
667世界@名無史さん:2006/03/24(金) 01:34:42 0
もしかしたら…。

司法卿が法務大臣で、大法官って裁判官って感じ?

15世紀以前で。
668世界@名無史さん:2006/03/24(金) 12:25:15 0
>>662
「司法卿」って無いで。たぶん。
たぶんセギエ(アンヌ王妃から手紙を取り上げるどさくさにおっぱい触ろうとした男)
の肩書きのこと聞いてんだと思うけど。

セギエは、1633年にGarde des Sceaux(=国璽尚書)、
1635年にChancelier de France(=大法官)になってるから、
1.「司法卿」=Garde des Sceaux(=国璽尚書)
2.「司法卿」=Chancelier de France(=大法官)
のどっちかだと思うよ、たぶん。
(2の場合には、セギエが作中で実質リシュリューのパシリと化しているから、「大法官」という大それた訳語を避けて「司法卿」という訳語にしたってことだろうな。)

大法官については、>>661のしている英国の説明がフランスにもだいたい当てはまる。
中世以来の高位な官職で、文官のトップ。ただこの頃にはかなり形骸化していた。
大法官はだいたい国璽尚書を兼ねるが、それぞれ別人がなることもある。
また、大法官になるにはやや貫目が不足している人物が見習い的にまず国璽尚書になることもある。
1633年のセギエの例はたぶんこれだろうな。

大法官と国璽尚書の詳しい説明は以下のサイトで。
ttp://www.furugosho.com/precurseurs/chancelier.htm
669世界@名無史さん:2006/03/24(金) 23:20:49 0
>>668
細かいご説明とURLの紹介、本当に有り難うございます。

司法卿で検索してみましたら、
「1872(明治5)年、初代司法卿 江藤新平 司法制度の確立に努めた」なる文章がありました。
この明治の解釈によって意味があやふやになってしまったのかも知れません。

他にも『首席補弼卿』 『尚璽官(国璽尚書)』なる役職も知らなかったもので、
今後の興味が尽きません。
本当にどうも有り難うございました。
670世界@名無史さん:2006/03/24(金) 23:30:01 0
>>668
もしお手数でございませんでしたら、他の役職の名などを教えて頂けますと大変助かります。

街(都市)の行政 参事や書記などの役職なども調べているのですが、どうにも勝手がわからないもので。
面倒でしたらスルーしてください。
671世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:54:02 0
>三銃士
銃士隊って総勢何人ぐらいいたんだろう。
672世界@名無史さん:2006/03/26(日) 19:16:29 0
あきらかにスレちがい
673世界@名無史さん:2006/03/27(月) 20:53:42 0
中世には遍歴の騎士ってのが居たそうだけど…。

騎士の立場(地位)で主君を捨てたり、かえることなんて出来たんですか?

674世界@名無史さん:2006/03/27(月) 22:20:42 0
>>671
近衛銃士隊(Mousquetaires de la Garde)は、
1657年に第一中隊発足
1665年に第二中隊発足
各中隊は約250名。

>>673
主従関係は維持したまま、諸国を遍歴。
675世界@名無史さん:2006/03/27(月) 22:49:47 0
中世だと珈琲も紅茶も伝わってないですよね。
この頃の温かい飲料って何だったんでしょうか。
ハーブティ(草や葉を煮出す)という概念はもうあったのですか。
日本の葛湯やアジア・アフリカで見られる、穀類や豆類を炒ったものの粉に湯を注いだ飲み物などがあったのでしょうか?
676世界@名無史さん:2006/03/27(月) 22:55:25 0
確か、イギリスで紅茶が広まったとき、
緑茶:紅茶=8:2くらいで飲む。っていう習慣(?)があるって話を聞いたことがあるけど…
ごめん、わからないのに口出した
677世界@名無史さん:2006/03/27(月) 23:17:04 0
温かい飲み物が無い?
ワインをお燗したり、ミルクを温めて飲むことはしなかったのか?
ドイツあたりの冬は寒いのに、暖かい飲み物が無いはずはないやろ。
678世界@名無史さん:2006/03/27(月) 23:51:02 0
古代ローマ人はワインのお湯割りを飲んでいたそうだが。
679世界@名無史さん:2006/03/28(火) 00:22:37 0
中世の葡萄酒は、強壮剤のようなもので、冬は胡椒をいれたりして飲む温かい飲み物だった。
680世界@名無史さん:2006/03/28(火) 00:39:24 0
動物の脂とか溶かして飲んでそうな…
681世界@名無史さん:2006/03/28(火) 01:38:25 0
>>674
有り難うございました。
682世界@名無史さん:2006/03/28(火) 18:21:23 0
ドイツならホットビールもあるよ。
683679:2006/03/28(火) 21:31:03 0
>>680 そうそう、胡椒以外にも、蜂蜜なんかも入れて飲んだそうだ。
684世界@名無史さん:2006/03/29(水) 12:18:53 0
中世ヨーロッパの時代って、温泉みたいなものはあったんですか?
685世界@名無史さん:2006/03/29(水) 23:15:14 0
あったよ。 スイスのバーデン=バーデンの「バーデン」とは温泉のこと
686世界@名無史さん:2006/03/29(水) 23:36:15 0
お風呂(bath)の語源にもなったイングランド西部の都市バースも
古くから温泉地として栄えていたんでしたっけ?
687世界@名無史さん:2006/03/29(水) 23:56:20 0
イギリスではどうですかね。 欧州本土では湯治の地はあちこちにあった。 さかんに飲用もされた。
688世界@名無史さん:2006/03/30(木) 15:46:10 0
>>685>>686>>687
参考になります
そこまでメジャーだったとは…
689世界@名無史さん:2006/03/30(木) 18:24:13 0
魔女裁判なんかが有名ですが、
中世の裁判ってみんな魔女裁判みたいな感じなんですか?
裁判官はどうやって選んでいたのですか?
免許とかあったのでしょうか?
690世界@名無史さん:2006/03/30(木) 18:47:25 0
魔女裁判つってもいろいろあるよ。
末期はほとんど民衆による私刑みたいなもんで、政府や教会は証拠もなく
死刑判決を出してはいかんとお触れを出したりとか、拷問を禁止したりとか
してたし。
691世界@名無史さん:2006/03/30(木) 18:53:08 0
中世ヨーロッパで裁判といえば決闘裁判が思い起こされる
692世界@名無史さん:2006/03/30(木) 20:14:13 0
教義上の異端審問とか
693世界@名無史さん:2006/03/30(木) 20:39:47 0
領主が裁判権を売っているとか、
大学で法律を勉強するなんて話しは聞いたことがあるのですが…。
実際のところはどうなんでしょう…。

694世界@名無史さん:2006/03/30(木) 21:50:39 0
この頃の大学は神学や法学メインなのかな
695世界@名無史さん:2006/03/31(金) 18:31:51 0
696世界@名無史さん:2006/03/31(金) 20:27:38 0
中世の裁判に関しては山内進の「決闘裁判 ヨーロッパ法精神の原風景」
が簡単な解説書としてはオススメ。
薄いから軽く読めるし、おおまかにだけど中世の法意識がわかる。
神判って今から考えれば滅茶苦茶だよなー('A`)

中世の大学は主に神学と法学がメイン。
当時は官僚になって出世するためには法律、教会で出世するためには神学が必須。
それ以外だとあとは家業を継ぐくらいしか道が無かったから、立身出世を目指す
一般人や、財産を継げない貴族の次男三男はこういった道に入っていったお。
697世界@名無史さん:2006/03/31(金) 20:31:20 0
>696
面白いですね。有り難うございます。

中世の大学ってのは、入学試験があったんですかね?
何歳ぐらいから、何年間ぐらい勉強するものなのでしょう。

法律の大学を出たら、裁判官になれるのかもご存じでしたらお願いします。
698世界@名無史さん:2006/03/31(金) 20:52:37 0
>>697
10代半ばに入学してだいたい10年くらい学ぶ。
699世界@名無史さん:2006/03/31(金) 21:39:18 0
魔女裁判などの「異端審問」は教会側の担当なので司法制度そのものとは関係ないね。

領主が裁判権を持っていたっていうのは当時の荘園制度に基づいた荘園法が法源の
年貢徴収がメインの裁判のことだね。慣習法なんだけど。
治安維持も兼ねていたけど、メインはあくまでも農民からの収奪。
色んな名目で絞り上げて、そのぶんだけ領主がウマウマできた。

ただし農奴より上の身分の農民はこれに絶対服従というわけじゃなくて、
気に入らなかったら国王の管轄下の裁判所に上訴することもできた。
とはいえ、当時は国によって仕組みが違うし、裁判権も領主だけじゃなくて
地方の長に与えられていた場所もあるから一概には言えないです。

>>697
ちょっと時代がズレるが、佐藤賢一の「カルチェ・ラタン」が1536年の
パリの学生街が舞台の小説なのでイメージを掴むだけならいいかも。
700世界@名無史さん:2006/03/32(土) 19:30:03 0
>>689の言う魔女裁判が、いわゆる「魔女狩り」だとしたら実はスレ違い。
あれは宗教改革以降の新教徒弾圧の一環で、時代区分としては近世以降になる。

中世の魔女裁判の多くは財産没収の為の口実作りという面もある。
異教の呪詛によって○○を殺そうとした罪により領地没収とかそんなのが結構ある。
701世界@名無史さん:2006/03/32(土) 19:46:06 0
『動物裁判』という本があったな
702世界@名無史さん:2006/04/02(日) 01:44:05 0
ローマ帝国の影響のある時代の辺境伯には、裁判権において強い権限があったそうだけど、
中世に入ると自称辺境泊を含めて、彼ら領主達は自分達の領内の裁判を、
雇い者の法学者に任せて裁いていたと言うことなのでしょうか?
703世界@名無史さん:2006/04/02(日) 01:45:46 0
それと領主同士の争いとなる訴訟(裁判)などは、
王権の元で裁判を行っていたのが通例でしょうか?
704703:2006/04/02(日) 01:47:35 0
すまん。
>>703の質問の答えは、699に書いてあった。orz
705世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:47:47 0
どうしても中世の魔女狩りのイメージが強いんだろうな。
706世界@名無史さん:2006/04/09(日) 00:34:26 0
経典の民のみなさんは利子を取れなかったそうだね。
ユダヤ教だけは「ただし外国人はこの限りではない」みたいな
いかにも民族宗教チックな例外事項があったせいで商売できたみたいだけど。

多少迫害されても銀行、保険辺りの業務を
リトアニア辺りの異教徒が牛耳ってたら
今ごろオギンスキ財閥やらダプクーナイテ証券やらが
幅を利かしてたんだろうか。
707世界@名無史さん:2006/04/09(日) 07:56:30 0
>>705
テンプル騎士団が高利貸し含めた銀行業務やってた事実もスルーされる。
708世界@名無史さん:2006/04/09(日) 17:02:06 0
中世といえばイスラムの脅威に怯えるヨーロッパキリスト教社会でしょう。
709世界@名無史さん:2006/04/09(日) 21:09:08 0
中世といえばヴァイキングの脅威に怯えるヨーロッパキリスト教社会でしょう。
710世界@名無史さん:2006/04/09(日) 21:10:34 0
中世といえばペストの脅威に怯えるヨーロッパキリスト教社会でしょう。
711世界@名無史さん:2006/04/09(日) 22:50:59 0
中世といえばモンゴルの脅威に怯えるヨーロッパキリスト教社会でしょう。
712世界@名無史さん:2006/04/09(日) 23:16:24 0
まさに暗黒時代
713世界@名無史さん:2006/04/10(月) 22:37:01 0
いまどき中世ヨーロッパ=ダーク・エージもw
714世界@名無史さん:2006/04/10(月) 23:41:54 0
暗黒っつーか、貧しい時代だったな。
715世界@名無史さん:2006/04/11(火) 01:08:46 0
Hする時は部屋だとノミなんかで汚いので、日中畑でしたと歴史の本で読んだ。その方が
健康的だからだと。
716世界@名無史さん:2006/04/11(火) 03:38:27 0
大家族だったり、職人なら徒弟がいたりと、
家の中ではプライバシーがないので麦畑でいたしたと。
717世界@名無史さん:2006/04/11(火) 13:09:11 0
>>714
貧しさはペスト大流行の前後でかなり違うよ。
ペスト後は、大規模な口減らし効果によって、農作物の供給が需要を上回り、
それまでの穀物生産だけで精一杯の状況から脱却でき、余剰農地でのオリーブ、ぶどう、オレンジなどの
贅沢な作物の生産が広範囲に可能になり、かなり豊かな社会に転じた。

ペスト大流行を単独でとらえると酸鼻な大惨禍だが、その後の生産インフラの余裕拡大と、
労働力減にともなう水車、風車などの機械動力の追求、馬の生産増などが、近世におけるヨーロッパの勃興、
引いては産業革命につながり、他の地域に差をつけて発展していくきっかけになった。
718世界@名無史さん:2006/04/11(火) 14:12:42 0
災い転じて福となす
719世界@名無史さん:2006/04/12(水) 04:14:15 0
漠然とした質問だけど、庶民のメインの燃料って薪? 炭?
720世界@名無史さん:2006/04/12(水) 12:01:34 0
薪です。 中世も下ると、周囲の森林が伐採で減り、盛んだった公衆浴場も
燃料不足で衰退せざるをえなくなっていった。 やがて風呂に入らない生活に・・・
721世界@名無史さん:2006/04/12(水) 12:54:24 0
昔はお風呂に入ってたの?
入浴の習慣はあっても一部のような気がする
722世界@名無史さん:2006/04/12(水) 13:27:02 0
虱がいっぱいだから風呂にはいらにゃどうしようもなかったんじゃ

公衆浴場が普及したのは11〜12世紀くらいから?
衰退したのは燃料代の高騰のほかに梅毒の流行とかがあるみたい
723世界@名無史さん:2006/04/12(水) 13:40:54 0
あとはキリスト教の厳格化とか。
公衆浴場は売春の温床だったようだし。
724世界@名無史さん:2006/04/12(水) 19:28:09 0
>>721
文書上では至る所に見られるようだけど?
725世界@名無史さん:2006/04/12(水) 22:12:55 0
仕事の疲れは風呂で癒したいのは向こうも同じ。 衣服も皮の重い物が多かったし。
夕方時になれば、「お風呂が沸いてるよ! お風呂でさっぱり、疲れを落とそう!」なんて
鐘を鳴らしながら風呂屋の使いが知らせた。
726世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:10:10 0
中世に共同浴場が衰退したのは、薪の調達が森林破壊で難しくなったのもあるが、
ローマ帝国のような「奴隷による無償労働」がなくなったので、大浴場を運営しにくくなった、
ということも大きい。
727世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:13:07 0
中世ヨーロッパの話? 中世ヨーロッパに奴隷なんかいた?
728世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:14:44 0
だから中世は奴隷がいなくなったので、ローマ帝国のような大浴場を
経営できなくなったんだよ。
729世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:21:38 0
ああ、そういう意味ね。 中世の浴場は、文献のイラストでは
一人用の浴槽が何舟か並んでる造りになってるね。
730世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:49:30 0
中世ヨーロッパの共同浴場はもともと奴隷なんか使ってなかったと思うが。
12,3世紀から発達して衰退したのは15,6世紀だぞ。
731世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:53:48 0
日本では、江戸の湯屋の下働きは大変な重労働を強いられたよ。

当時は水道もガスもタイル張りの浴室も無いから、深い井戸からいちいち水を汲んで浴槽に何回も往復して
湯を溜め、燃料の木っ端を求めて江戸中を歩き回り、木の浴槽をぬめりが出ないように砂で磨く。
さらに客の脱いだ着物や貴重品を失敬する不届き者がいるから、それにも目を配らないといけないし。
732世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:55:54 0
大浴場が出来なくなったのは奴隷がいなくなったため、
中世式の公衆浴場が出来なくなったのは燃料の薪不足と、梅毒感染の噂と
しばしば売春の場となり、教会に睨まれたため、ってことでしょ。

ちなみに、浴場主は賎民階級だった
733世界@名無史さん:2006/04/12(水) 23:58:06 0
江戸の銭湯は板をくぐって浴槽のある部屋へ入るような構造で、
中は真っ暗ってのが多かったそうだ。
734世界@名無史さん:2006/04/13(木) 00:07:13 0
そう。江戸時代はガラス窓なんかないから、湿気のこもる浴室の窓を
障子にするわけにもいかず、浴室は窓が無くまっくらだった。
湿気の中で、灯火も点せないし。

こんなわけで、暗闇の中で不届きな行為が行われたり、湯屋が客にばれない事をいいことに
湯を換えないで不潔なままにしたりした。
中で殺人事件が起こっても気付かれなかった、という話もある。
735世界@名無史さん:2006/04/13(木) 00:13:56 0
ヨーロッパでは蒸し風呂と湯を張った風呂とどっちがポピュラーだったのかな
日本では17世紀くらいまでは蒸し風呂メインだったんだっけ?
736世界@名無史さん:2006/04/13(木) 00:16:43 0
>>727
浴場の話とは別だが、いることにはいた。イスラム教徒とか。キリスト教徒はNGだが。
ガレー船の漕ぎ手や港での荷役なんかをやらせてたとか。
737世界@名無史さん:2006/04/13(木) 00:17:11 0
お湯も取り替えないし、清掃もしないのでぬるぬる。
738世界@名無史さん:2006/04/13(木) 00:27:49 0
>>736 ガレー船漕ぎってのは、比較的軽い罪人の体刑のひとつ。
一時期試されたが、経費がかかりすぎるということなどもあって、廃止された。
739世界@名無史さん:2006/04/13(木) 11:51:38 0
良スレage
740世界@名無史さん:2006/04/13(木) 14:07:12 0
>>727
ヨーロッパでの奴隷制度の廃止は19世紀になってから。
例えば、アメリカの奴隷制度がどうだったのか?とか、その廃止がヨーロッパの後追いだったとかは調べればすぐわかる。
(だいたい元々の本国に無い制度が突然生まれる分けが無い。)

中世に限らず、近世までのヨーロッパの主要輸出品目は白人奴隷。
輸出先は近代以前の先進地域であったイスラム諸国。
これは基本知識。
741世界@名無史さん:2006/04/13(木) 14:40:35 0
千一夜物語には、「白人奴隷」という言葉があちこちに出てくるよな。
742世界@名無史さん:2006/04/13(木) 16:23:08 0
質問ですがヨーロッパ入門に適した読みやすい本はありませんか?
ヨーロッパの歴史や経済なんていうのを大雑把に学習できるような
本を探しています。マンガでもいいのでとっつきやすい本がいいです
743世界@名無史さん:2006/04/13(木) 17:30:41 0
山川っていう出版社が出している『世界史B』
744世界@名無史さん:2006/04/13(木) 17:39:16 0
>>743
受験用参考書じゃねえかw
745世界@名無史さん:2006/04/13(木) 21:23:04 0
諸説世界史研究とかは?
あれはヨーロッパだけにかぎらないんだっけ
746世界@名無史さん:2006/04/13(木) 22:05:44 0
あれは世界史の教科書を詳しくした感じだな
747世界@名無史さん:2006/04/14(金) 00:04:13 0
>>727
ペストの大流行後、人口(労働力)が減少し、一時期奴隷を用いていた。
イタリアなどを経由して他のヨーロッパ諸国に拡散したが、人数的にも
規模的にも小さい。
それをのぞくと、ヴァイキングの奴隷ぐらい。
近世以降では、イスラム勢力の海賊が海岸の町や村を襲撃として、奴隷として
拉致していった。
近代では、破格の値段で買い戻したり、武器と交換に白人奴隷をヨーロッパ
に連れ帰った。そのために多くの募金や寄付などが行なわれていた。どっかの
拉致事件に似ている。とはいえ、その一方ではアフリカの黒人奴隷を新大陸に
送り込んでもいる。
748世界@名無史さん:2006/04/14(金) 00:08:32 0
近世では、貴族がトウの立ったお小姓を、アラブへ男色奴隷に売り払ってたらしいね
749世界@名無史さん:2006/04/14(金) 01:06:51 0
ブラドツェペシュはオスマントルコに人質になっていた弟が
小姓として調教され帰って来たのにショックを受けたとか・・・
750世界@名無史さん:2006/04/14(金) 01:09:57 0
事実なら、そらトルコ人を串刺しにもするわな…。

ところで、中世西欧の都市って多くが数千人程度の人口だというけど、ビザンツ圏やアラブはどうだったんだろ?
コンスタンチノープルは数十万〜100万と聞いたことがあるが。滅亡寸前の時も5万人くらいはいたとか。
751世界@名無史さん:2006/04/14(金) 03:11:44 0
アッバース朝がモンゴルに滅ぼされたとき、バグダットでは80万人が虐殺されたというが。
752世界@名無史さん:2006/04/14(金) 04:23:23 0
紀元800年ころだとバグダッド100万・コルドバ50万・コンスタンティノープル30万
くらいだったような希ガス
753世界@名無史さん:2006/04/14(金) 05:03:59 0
以前、世界都市スレに年代毎の都市人口が貼ってあったな。
754世界@名無史さん:2006/04/15(土) 16:06:02 0
征服感を満たすため、肌の白いフランク女奴隷でもアラビア語の全く話せない娘のほうが高く売れた。
買った後でアラビア語の話せる女と分かって詐欺だと怒ったという話があるとか。
755世界@名無史さん:2006/04/15(土) 19:35:29 0
>>754
イベリア半島のイスラム国家は白人奴隷の金髪青目好んだので白人になってしまったというのもあるけど。
756世界@名無史さん:2006/04/15(土) 20:42:22 0
漏れも金髪碧眼の美少女奴隷が買えるんなら頑張って働くのに
まったくやりがいのない社会ですよ
盲腸で死なないのと、今んとこ戦争がないのと
飯が豊富で餓死する危険がないのはいい世の中になったと思うが
757世界@名無史さん:2006/04/15(土) 21:36:24 0
金髪碧眼の美少女奴隷を買って13になったら寝て18になったら解放させて結婚したいあらゆる男の願望だろう。
758世界@名無史さん:2006/04/15(土) 21:40:35 0
つ[奴隷市場Renaissance]
759世界@名無史さん:2006/04/16(日) 00:27:54 0
金髪碧眼のロシア妻って最近多いらしいね
日本とかアメリカとかで
国は貧乏だから豊かな国に嫁に行こうという若い女性が増えてるらすい
760世界@名無史さん:2006/04/16(日) 02:18:17 0
中国嫁よりはいいのかな。中年時代がつらそうだけど。
761世界@名無史さん:2006/04/16(日) 06:53:40 0
中国人を嫁にすると大変だぞ。
向こうは家事は全部夫がやるらしいから。
762世界@名無史さん:2006/04/16(日) 11:27:15 0
ええっ!?
763世界@名無史さん:2006/04/16(日) 14:45:25 0
この前インシュリン注射で夫を殺した中国妻がいたけど、あれってやっぱり国籍だけ欲しかったのかな?
764世界@名無史さん:2006/04/17(月) 01:53:53 0
金だけがほしかったんだろ。
で嫁いだら貧乏農家。

そりゃ一家皆殺すわな
765世界@名無史さん:2006/04/17(月) 09:33:39 0
自分で金稼ぐようになったから、夫が邪魔になったんじゃマイカ
遺産も入ってくるし。
子作りに反対してた夫の両親も邪魔だから殺したっぽ
766世界@名無史さん:2006/04/18(火) 16:17:16 0
あれが中国人の正体ってやつだな。
日中友好とか頭悪すぎ
767世界@名無史さん:2006/04/19(水) 16:04:25 0
自分自身や自分の子供のチンチン切り取ってまで立身出世を計ろうという人たちが、赤の他人に何か良い事をすると思うのは大きな間違い。

まあそれはそれとしてスレ違い。
768世界@名無史さん:2006/04/19(水) 20:31:01 0
中世ヨーロッパって範囲が広いんだな。
769世界@名無史さん:2006/04/19(水) 23:24:32 0
最盛期にはユーラシア大陸全土を覆っていたに違いない
770世界@名無史さん:2006/04/19(水) 23:29:33 0
ビザンツ帝国にも宦官はいたっけ。大半の宦官は当代人に男とも女ともつかぬ奴ら、とか
神に逆らう不届き者、とか嫉妬深くてマジ困る、とか散々な言われようだが。
それでも下層民の中には立身出世(宦官になるだけで行政官への道が開けたらしい)を
志してあえて宦官になる奴もいたそうな。
聖職者宦官の場合は自ら性欲を断った優れた人という扱いを受けることも。
それでも嫌がる人はいたらしいが。
771世界@名無史さん:2006/04/20(木) 02:01:51 0
>>768
広義には古代ローマ帝国が滅びてからルネサンスまでだからねえ。
772世界@名無史さん:2006/04/20(木) 07:25:52 0
>>771
中国の話がしたくて仕方ない奴らへのイヤミだろw >中世ヨーロッパの範囲が広い
773世界@名無史さん:2006/04/20(木) 14:04:09 0
>>771
浅学で申し訳ないのだが、ルネサンスまで(16c?)が中世ヨーロッパ
ということになると、そのあとは近世になるの?
時代区分がよく分からなくて・・・ ('A`)
774世界@名無史さん:2006/04/20(木) 16:34:33 0
14世紀までが中世
15−18世紀が近世(初期近代)
19世紀以後が近代

というのが最近の歴史区分だと思う。
ただ伝統的に14−16世紀(広くは17世紀初頭)をルネッサンス
それ以後を近代とする区分もあったわけで文化史的には今でも無意味じゃない。

こうすると(近代以前という意味での)最広義の「中世」(?)は
ウエストファリア以前、あるいは啓蒙期以前の17世紀初頭まで含まれうるし
「純然たる近代」以前ということになれば18世紀も含まれることになる。
このスレはそういう緩い了解でいままでやってきたように思う。

だから意外と新しい時代(17−18世紀)の話が出るのはこのスレの「伝統」で
みなが学問的に17や18世紀を中世とおもってるわけじゃあない。
775771:2006/04/20(木) 23:33:31 0
>>774
詳しい解説ありがとうございます。
ルネサンス関係の本と中世西欧が舞台の小説とかでは
「中世」の言葉の指す時代区分が結構バラバラで今まで
よく分からないまま放置してました orz
学問の分野ごとの区分けの時期が微妙に違っていたんですね。
776世界@名無史さん:2006/04/21(金) 02:07:04 0
>>775
古代・中世・近代という区分を最初に言い出したのは、ルネサンス期の学者だからね。
暗黒の中世が終わり、輝かしい古代ギリシャ・ローマを復活させるという意気込みで。
777775:2006/04/21(金) 10:49:12 0
今見直したら>>773なのに番号間違えて>>771を騙ってた('A`)
ゴメンネ
778世界@名無史さん:2006/04/23(日) 09:27:12 O
フランス人の書いた「グルメの歴史」みたいな本を読んだら、
「中世人の味覚は現代フランス人とは異なっていた。中世人の
味覚の特徴は、酸味嗜好とスパイスへの執着である」とあった。
オートミールに酢をかけたりスープにヴェルジュ(葡萄汁)を
入れたりしたし、タイムやセージやオレガノ等の在来の
香草を多種ゴチャ混ぜに、しかも大量に用いるのを好んだと。
大航海時代も、この中世人のスパイス好きを抜きには
理解出来ないだろうと。
779世界@名無史さん:2006/04/23(日) 11:57:22 0
ワインにだってこしょうを投入するからな。
780世界@名無史さん:2006/04/23(日) 13:57:36 0
鮮度のいい物が無かったのかねえ
781世界@名無史さん:2006/04/23(日) 15:54:18 O
778のレス見てたら腹がへってきた
782世界@名無史さん:2006/04/23(日) 20:10:30 O
そういやルイス・フロイスの報告書にもあったな。
「日本諸島ほど食料の豊富な国は他にない」
当時のヨーロッパはよほど食料が豊富でなかったんだな。
783世界@名無史さん:2006/04/23(日) 21:04:25 0
16〜17世紀関連の資料によると、当時のフランス辺りでの麦の収穫量は種一粒につき4〜6粒。
日本の米は品種によっても異なるが、70〜100粒。
今から10年ちょっと前の「平成の大凶作」で10〜20粒。

15世紀以前のヨーロッパの場合は、麦1粒につき収穫は2〜3倍くらいだったといわれている。
784世界@名無史さん:2006/04/23(日) 21:28:15 0
ブローデルだろ。ループねた
785世界@名無史さん:2006/04/24(月) 16:34:22 0
>783
逆にそんなんで良く生活できていたよな。あっ、生活できていなかったからあの体たらくなのかwww
そう考えると新大陸からの栽培作物ってやつの偉大さが良く判るようなキガスル。
786世界@名無史さん:2006/04/24(月) 21:26:05 0
中世ヨーロッパの都市が不潔だったのは有名だが、近隣の農民が大小便を肥やしとして回収する事は無かったの?
787世界@名無史さん:2006/04/24(月) 22:04:07 0
(´-`).。oO(緑の水田がひろがるヨーロッパ…)
788世界@名無史さん:2006/04/24(月) 22:20:25 0
ハドリアヌスの長城址なんか行ってみると、平地で低地に高山植物だからな〜。
草が生えるだけマシなんだろうけど。
789世界@名無史さん:2006/04/24(月) 22:50:08 0
中世日本も不潔な都市で、そのために遷都したという説もあるしな。
790世界@名無史さん:2006/04/24(月) 23:10:48 0
>>786 大小便は、被差別民である皮剥ぎ人なんかが集めて、おもに川に捨てていた
791世界@名無史さん:2006/04/24(月) 23:22:51 0
藤原京は糞尿が原因で遷都という説もあるな
平安京は町中砂埃り、死体の山、それに群がる犬や鳥、糞尿の臭い
んでもって治安が最悪
比較的清潔だった江戸でさえ臭ったらしいからな
792世界@名無史さん:2006/04/24(月) 23:29:05 0
まあ、どこの世界でも中世は不衛生でヤバかったということだな。まあそれでも日本の場合風呂文化は廃れなかったけど。
まあ、欧州より暑いから、燃料も木の育成具合も全然違うし、風呂にはいらないとやってられないもんな。
793世界@名無史さん:2006/04/24(月) 23:30:26 0
しかしヨーロッパで風呂が廃れたのは近世
794世界@名無史さん:2006/04/24(月) 23:31:46 0
>>786
>中世ヨーロッパの都市が不潔だったのは有名だが
ループねた
795世界@名無史さん:2006/04/25(火) 08:35:48 0
>>786
低地地方周辺(ベルギー、フランス北部、オランダ、スイス、ルクセンブルク、ドイツ)では
町の人糞を肥料に使うところが結構あったみたい。
796世界@名無史さん:2006/04/25(火) 11:01:26 0
白人の肌は新陳代謝の違いから、東洋人より垢がたまりにくいので
入浴しない=不衛生という訳じゃないらしい。
日本人は3日も入浴しないとギャーのレベルだけどね。
797世界@名無史さん:2006/04/25(火) 11:16:40 0
そう単純にはいえない
ある程度汚れが進むと油で体がコーティングされてそれ以上汚れないらしい
野生動物は風呂に入らなくても生きていけるしね
体をあまりに綺麗に洗いすぎると体を保護する油まで洗い落とすから
かえってばい菌に対して弱くなると聞いた

798世界@名無史さん:2006/04/25(火) 12:57:38 0
モンゴルも服を着替えるときに垢は落ちるとかいって風呂に入らない。
まあ、遊牧生活では薪も水もままならんのだろうけど。
799世界@名無史さん:2006/04/25(火) 14:59:30 0
薪つうかモンゴルの燃料は畜糞だろう。
水はあんまりないわな。川のほとりにいない限り。
800世界@名無史さん:2006/04/25(火) 16:14:00 0
>>796
日本とヨーロッパ諸国の気候の違いもあるんじゃない?
湿度の違いでもいいけど。
801世界@名無史さん:2006/04/25(火) 17:38:41 0
>798
モンゴルの場合も正に気候だろうな。乾燥しきっているから、頻繁に風呂に入ると肌がひび割れてしまい却って
体に良くない。第一水がない。
気候風土が一番かと。
802世界@名無史さん:2006/04/25(火) 17:41:55 0
>796
基本的に間違ってると思うぞ。連中の臭さといったら想像を絶するものがある。
風呂に入らないというものあるが、基本的に体臭がきつくてあんなに香水文化が発達したってのもあるしな。
ワキガの元になる分泌液の量も半端ではないし、垢とかそういう次元じゃない。
日本人だってヨーロッパにいったらそんなに風呂に入らなくても耐える事が出来るしな。まあ周りが臭いに気にしない
というのもあるがw
803世界@名無史さん:2006/04/25(火) 17:54:22 0
>>802
だから香水がきついんだよな。
804世界@名無史さん:2006/04/25(火) 18:51:22 0
肉喰ってるからだよ、と言ってみる。
805世界@名無史さん:2006/04/26(水) 13:27:38 0
それはあるかも。
うち菜食になってから体臭が薄くなった。便や屁の臭いも薄くなった。
806世界@名無史さん:2006/04/30(日) 09:58:16 0
肉など食えなかったという話もあるのだが。
807世界@名無史さん:2006/04/30(日) 18:55:52 0
体臭=不衛生というわけでもないのだが。
808世界@名無史さん:2006/04/30(日) 20:57:27 0
>807
確かに体臭=不衛生というのは関連性がどうか?というのもうなずける話ではあるが・・・・・・・・
根本を良く考えると、臭いの元となる分泌物が大量に発生しているからこそ、体臭が強くなるのであって、老廃物の
総量もそれらと多分に比例すると考えられるからしてあながち間違いとは言えない様な気がするのだが?
809世界@名無史さん:2006/04/30(日) 21:42:32 0
確かにヨーロッパ人も昔は肉はご馳走だった
810世界@名無史さん:2006/05/01(月) 07:52:59 0
ただ、臭いってのは性的魅力とも関連するんで
アフリカ人に言わせると 「白人なんて、においもしない奴ら」 と言うこともあるみたいで。
白人すらにおわないんだったら、日本人はどう思われるやら。
811世界@名無史さん:2006/05/02(火) 04:24:03 0
肉は食わずともミルクは飲むのでは
812世界@名無史さん:2006/05/02(火) 17:49:31 0
肉と言っても「豚肉」か「鶏肉」、「羊肉」なんだよな。
「牛肉」を食い始めたのは極最近らしい。
813世界@名無史さん:2006/05/02(火) 18:40:56 0
エジプトで死体と一緒に埋葬してあった巻物に
「神様どうか死んでもパンとかビールとか牛肉とか授けておくれー」
みたいなことが描いてなかったっけ?
814世界@名無史さん:2006/05/02(火) 21:28:10 0
日本の平安時代は牛肉を食べたら罰せられるからコッソリ食べてた。
815世界@名無史さん:2006/05/02(火) 23:01:27 0
>>812
正確には当時の「牛肉」はダメになった農耕牛を潰して食べたから
今の牛肉と比べ硬くて不味かった。中華料理の牛肉千切りはその名残。
816世界@名無史さん:2006/05/02(火) 23:36:54 0
今と較べても意味がない。
現代人の感覚で歴史を考えるスレでつか。
817世界@名無史さん:2006/05/03(水) 00:16:43 0
江戸時代、精力剤として干し牛肉が隠れて食べられていた。
818世界@名無史さん:2006/05/03(水) 00:55:39 0
>>813
うろおぼえなんだけど、食べる物に困らないように、壁画に描いたんじゃなかっ
たっけ?
巻物は、死後の世界で神様のテストにクリアできるカンニング・ペーパーみたいな
もんじゃなかったっけ?
違ってたらゴメン。
819世界@名無史さん:2006/05/03(水) 01:11:29 0
中世も後期になればかなり肉食が多いんじゃないか?
メニュー的には塩漬け肉を煮込んでパンを浸して食うみたいな感じなのかな
820sage:2006/05/03(水) 19:29:09 0
よくでてくるその塩漬け肉ってどの程度の塩漬けなんだろ?
湿ってる? どれぐらい硬い? どれぐらいの分量にカットして食べる?

海水で戻すぐらいしょっぱいってことは、
まずスライスして振りかける程度に塩(+贅沢に行くならその他スパイス)、
みたいなジャーキー様のものっていうより、
樽に荒く砕いた岩塩と肉を交互に肉:岩塩=2:1ぐらいの割合で詰めて圧搾、
干からびた塩辛みたいに加工、とかなのかな?
821世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:23:12 0
海水よりも低塩の塩漬けなんてあり得るのか・・・?
822世界@名無史さん:2006/05/04(木) 00:02:53 0
ランスでは、(普通の庶民)一家で飼うのはブタ二頭までと
条例ができた。恐らくそれ以前はそれ以上飼っていて、この
条例以後も飼っていたのだろう。当時は、冬になる前に屠殺
だから、年間少なくとも一家で二頭を消費していた計算か。
さらに肉屋もあるし、地方の農村からの流入もあるだろう。
823世界@名無史さん:2006/05/04(木) 09:27:30 0
塩も高価なような気がする。
そうでもないか。
824世界@名無史さん:2006/05/04(木) 16:30:45 0
日本では塩はいちいち海水を汲んで煮立てなければいけないが、
西洋には岩塩がある。
825世界@名無史さん:2006/05/04(木) 17:43:46 0
日本の内陸にも食塩泉があるが、あれじゃ製塩できないの?
日本の場合、製塩は海頼りだから昔の内陸住人は入手に苦労したんだろうな。
826世界@名無史さん:2006/05/04(木) 17:54:56 0
肉食も時期によるんじゃないのかね。
中世中期だと、豚なんかは秋にドングリ食わせて太らせて、塩漬けにして冬の間の食料にしたそうだが。
827世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:33:53 0
>>825
つ『敵に塩を送る』
828世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:43:07 0
フランス:塩は一定量の購入を義務づけられる。
829世界@名無史さん:2006/05/05(金) 00:33:52 0
福島県の熱塩温泉では、会津藩がその名のとおり塩辛い温泉水を煮立てて製塩を行っていたよ。
しかしこのような製塩が出来るまで塩辛い温泉は滅多に無い。

日本は雨が多いので、たとえ岩塩の層があったとしてもすぐに溶けて流されてしまう。
830世界@名無史さん:2006/05/05(金) 01:50:28 0
中世では塩の専売は貴重な収入源
831世界@名無史さん:2006/05/05(金) 02:14:54 0
塩といえば今は音楽祭で有名なザルツブルクだな。

ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意で、15キロほど南のハライン (Hallein) 地区から輸送されてきた岩塩を
ノンベルク尼僧院の前で船に積みザルツァッハ川(Salzach)によってヨーロッパ各地に送っていた為にこの名があり、
塩の積載量に応じた通行税をこの地の大司教が財源にしていたと言われている。

なお、ザルツブルクに住んでいる人たちは、ザルツとにごらずサルツと発音している。
(Wikiのコピペですがご容赦願います)
832世界@名無史さん:2006/05/05(金) 02:17:31 0
中世ヨーロッパではないが、ロシアに漂流した大黒屋光太夫の記録では、
「塩は山から産する」とある。言うまでもなく岩塩のことだ。
833世界@名無史さん:2006/05/05(金) 02:37:37 0
そういえば新約聖書に出てくる「地の塩」も岩塩のことですよね。
でも
「あなたたちは地の塩である」云々という文句を、
「あなたたちは岩塩である」と言い換えたら雰囲気が壊れる気がする。
834世界@名無史さん:2006/05/05(金) 02:59:29 0
いや、「地の塩」は「土塩」だよ。土に含まれる塩。

聖書の故郷は乾燥地帯で雨が降らないので、土にもそのまま塩が大量に含まれている。
死海の沿岸には、乾燥して結晶になった塩がゴロゴロ。
835833:2006/05/05(金) 03:06:28 0
>>834
なるほど。今まで岩塩だとばかり思い込んでました。ありがとうございます。
そもそも土塩も知らなかったし。
836世界@名無史さん:2006/05/05(金) 05:38:48 0
>>831
中世なのに、製塩工場は、24時間三交代制で製造だったかな。
837世界@名無史さん:2006/05/05(金) 08:17:36 0
■塩の歴史〜中世〜
 古代ギリシャ・ローマでも塩は重要な品目であり続け、特に古代ローマでは非常に大量の塩が
 消費されたという。フェニキア人も塩を扱って繁栄し、ガリア人も塩泉を奪い合った。
 中世はあらゆる食品に塩という塩が使われた時代でもある。肉や魚、野菜を保存するのに塩漬け
 という手法が使われ、またパンを膨らませるのにやはり塩を使用された(現在の食パンにも大量の
 塩が使われている)。ビールやワインにも塩が入れられたともされる。この時代の塩は今のような
 粉状のものではなく、岩塩をそのまま切り取ったような大きな結晶状のものである。これをノミなど
 で砕き、精製して使用したという。
■ザルツブルクの塩 [オーストリア・ザルツブルク]
 鉄器時代にはザルツブルクの人々は岩塩の採掘を行っており、その後のハルシュタット文明に
 つながっている。
■ハルシュタットの塩 [オーストリア・ハルシュタット]
 この辺りには岩塩を豊富に含む鉱山があり、当時(紀元前900〜200年頃)は金にも増して貴重で
 あった塩が採掘でき、そこに目を付けたケルト人がこの地に製塩所を造ったところから、 ハルシュ
 タット文明が始まった(ちなみに「ハルシュタット」とは、ケルト語で「製塩所(ハル)の場所(シュタ
 ット)」の意) 。その後、ハルシュタットは岩塩の積み出し港となり、商業の都市として発展。
 またそれと同時に地中海など塩の搬送先の文化などがもたらされ、文明も大いに発達した。
■ヴィエリチカの塩 [ポーランド・ヴィエリチカ]
 中世のポーランドはその収入の1/3を岩塩の輸出でまかなっていました。その時の代表的な
 岩塩採掘坑がヴィエリチカにあります。
■ゲランドの塩 [フランス・ブルターニュ地方ゲランド]
 ゲランド地方における製塩業の歴史は古く、現在のような塩田技術は9世紀以前から存在して
 いたと考えられています。その後16〜18世紀には、肉や魚を塩漬けで保存していたことから
 消費も伸び、ヨーロッパ中の注文を受けて、ゲランド塩田は発展を遂げていました。
838世界@名無史さん:2006/05/05(金) 11:21:29 0
ヨーロッパ塩スゲー
839世界@名無史さん:2006/05/06(土) 12:52:23 0
個人サイトのコンテンツをコピーしてるし
840世界@名無史さん:2006/05/06(土) 14:54:36 0
>>792
>どこの世界でも中世は不衛生でヤバかったということだな。
>まあそれでも日本の場合風呂文化は廃れなかったけど・・・・
中世以前は不衛生でなかったというのは疑問だ。古代ローマが例外なだけだろ。
日本でも風呂文化なんてものが、江戸期以前からあったのか。平安時代は、
貴族でさえ入浴はむろん水浴びも日常的習慣ではなかったときくが。
841世界@名無史さん:2006/05/06(土) 18:06:57 0
経典の民の皆さんは中世でも避妊禁止だったの?
当時、ソーセージの要領でコンドーム作っても需要無いかなあ?
842世界@名無史さん:2006/05/06(土) 20:46:57 0
サイトの転載の場合、URLも書いた方が良くない?
もっと詳しく読みたいですm(_ _)m
843世界@名無史さん:2006/05/06(土) 22:02:11 0
世界最初のコンドームは、魚の浮き袋を干したものを使ったそうだが。
844世界@名無史さん:2006/05/06(土) 22:30:06 0
>>843
Wikiでは、最古はブタやヤギの盲腸や膀胱(BC3000頃エジプト)とあるな。
但し避妊具ではなく、虫害予防具でというのは新知識だった。

>>841
中世に需要があるかと言う事なら、商業的に成り立つ需要はないだろうな。
性病予防効果が認識された近世以降では、あったろうな。
845世界@名無史さん:2006/05/07(日) 02:09:56 0
>>841
腸詰めには思い至っても、灯火源が貴重で、一般民の家屋の寝所に灯火が
備わっていたか?には思い至らぬようだな。
846世界@名無史さん:2006/05/07(日) 03:06:48 0
しかし西洋には獣脂があるから、食肉がタブーで高価な植物油オンリーの日本よりは
灯火用の燃料には恵まれていたのではないか?
847世界@名無史さん:2006/05/07(日) 03:40:45 0
>>846
灯火源に獣脂は用いられていたのかな。西欧の民家って、黒く煤けていた
記憶はないんだが。農民の寝具は、干草か藁ときいた記憶も。
848世界@名無史さん:2006/05/07(日) 03:47:35 0
中世では細長く割った木片を壁に刺し、それに火を点して明かりにしていたとか。
それや、獣脂蝋燭。
849世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:05:15 0
>>846
菜種油は高価だったが、
庶民は安価な鰯油などを用いた。けど臭かった。
850世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:31:38 0
>>848
なんか、火事になりやすそうだね
851世界@名無史さん:2006/05/07(日) 14:28:28 0
>>850
石造りの家なら無問題かも?
852世界@名無史さん:2006/05/07(日) 14:42:20 0
>>848
>>850
>>851
つ【北欧のログハウス】
853世界@名無史さん:2006/05/07(日) 15:32:08 0
日本でも肥松などを手燭なんかにしてた。
854世界@名無史さん:2006/05/07(日) 15:32:37 0
夜更かしって贅沢な行為なんだなあ
855世界@名無史さん:2006/05/07(日) 15:55:35 0
天下人の徳川家康でさえ、蝋燭をつけっぱなしにした家臣を「もったいない事するな!」と
叱り付けた、というから。
856世界@名無史さん:2006/05/07(日) 18:41:46 0
当時のセクースは青姦が基本だしな
857世界@名無史さん:2006/05/07(日) 18:54:08 0
>>856
基本ではないだろ、夏場ならありでも。寒期は、じっと禁欲するのか。
独仏の農村部は、身を隠す林もない平原が多かったぞ。
858世界@名無史さん:2006/05/07(日) 23:17:23 0
そういえば中世ヨーロッパでは「寝巻き」というものがなく、
ベッドに裸でもぐりこんでいたというね。

エッチするには最適。
859世界@名無史さん:2006/05/08(月) 08:21:52 0
衛生状態最悪のベットに裸で潜り込むと南京虫やダニやノミにやられまくりだと
おもうんだけど、なんで裸でねるのかねぇ。
860世界@名無史さん:2006/05/08(月) 18:50:28 0
寒い所では裸の方が凍死しにくい
861世界@名無史さん:2006/05/08(月) 22:30:03 0
>>858
採光換気より暖気優先で、暗く通気のない家内>>859が快適最適な
訳ないだろ。
当時の農村部は、>>859の通り、屋外でかつ暗くはない時間帯に
性行為を行う方が普通と読んだ事があるぞ。
862世界@名無史さん:2006/05/08(月) 23:33:34 0
H.P.デュル「裸体とはじらいの文化史」法政大学出版局だかで、
中世ヨーロッパでは「下着のままの裸体」という表現があること。
裸でといっても完全な素っ裸の状態ではなく、着ていることがある
ことを述べていたような気がする。これが一般的に受け入れられる
ならば、裸で寝ていたかどうかには疑問符がつく。
863世界@名無史さん:2006/05/08(月) 23:42:35 0
中世の旅籠、宿屋は相部屋ならぬ相ベッドってこともあった。
で、若い尼さんとご一緒出来たラッキーなケースもあったとか。
シーツは、たいていは虱や蚤、鼻汁だらけだった。
864世界@名無史さん:2006/05/09(火) 00:03:31 0
>中世の旅籠、宿屋は相部屋ならぬ相ベッドってこともあった。
現在でも欧米の低所得層ではベッドの共有は珍しい事じゃなかったりする。
それが近親相姦の温床となっているという指摘もある。
865863:2006/05/09(火) 00:12:10 0
おお、それは知りませんでした。勉強になりますね
866世界@名無史さん:2006/05/10(水) 01:18:12 0
>>863
中世の旅人って、一般人が旅行するなんてことがあったのか?
867世界@名無史さん:2006/05/10(水) 02:32:33 0
巡礼なら結構あったんじゃない?
868世界@名無史さん:2006/05/10(水) 03:02:29 0
治安は最悪だけどなw
869世界@名無史さん:2006/05/10(水) 03:10:48 0
テンプル騎士団の創設メンバーは聖地へ向かう巡礼の保護に従事してたんだよな。
確か創設以前は長い年月やってもたった8人かそこからしか集まらなかったらしいが。
870世界@名無史さん:2006/05/10(水) 10:36:28 0
ヴェネチアを中心とした当時の海上通商国家達が聖地巡礼
の保護に乗り出してから(当然金を取る)は集団巡礼になって
安全性が格段に向上したのでかなりポピュラーになってる。
ポピュラーといってもある程度のまとまった金は必要だったけど。

今で言う観光旅行に近いものだったから関係諸国は諸手を上げて
巡礼者を歓迎したし、巡礼許可証の発行で法王庁もウハウハ。

871世界@名無史さん:2006/05/11(木) 01:43:57 0
少年十字軍は奴隷にされて売り飛ばされたそうだけど>>870のような
聖地巡礼の保護がなぜ機能しなかったのだろうか
872世界@名無史さん:2006/05/11(木) 02:41:06 0
エルサレムの場所も知らずに出て行って、フラフラ歩き回ってたから。
873世界@名無史さん:2006/05/11(木) 02:41:12 0
最初に連れ出した説教師から輸送業者まで奴隷商人の仲間だったってことでは?
ヴェネツィアが輸送に関わってたらそうはならなかったはず。
874世界@名無史さん:2006/05/11(木) 09:35:08 0
少年十字軍 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D

ヴェネツィアが巡礼の最大の窓口だったが、マルセイユからも聖地巡礼の船は出ていたはず。
第四回十字軍の後は15cにトルコ帝国が進出してくるまではベネツィア・ジェノバ等が
地中海沿岸の交易を一手に行っていたはずだから、13cの時点では聖地集団巡礼がそこまで
完備されてなかったのかな?
875世界@名無史さん:2006/05/11(木) 16:44:30 0
港に着いたら海が割れて、食糧が尽きたらマナが降るとでも思ってたんだろ。
876世界@名無史さん:2006/05/11(木) 23:13:17 0
渡航費用がない。
877世界@名無史さん:2006/05/11(木) 23:33:22 0
少年少女を乗せた船なんて財宝乗せた船と同じ。
ただでさえ狩られて奴隷にされてるのに、
こんなカモネギを見逃す手はない。
878世界@名無史さん:2006/05/12(金) 02:46:36 0
>>875
「戦わなきゃ現実と」なんてとても言えない時代だからなあ・・・
879世界@名無史さん:2006/05/12(金) 02:51:47 0
>>875
んな奇跡ネーヨwwwwwwwなんて言ったら次の週には火刑かもしれん
880世界@名無史さん:2006/05/12(金) 06:36:26 0
>>879
バチカンがこれほどまでに権威もちだしたんっていつ頃?
むかしはコンスタンチノーブルに教皇が出向くとか、
フランスに幽閉されたりいろいろあったよね。
881世界@名無史さん:2006/05/12(金) 18:20:51 0
宗教改革前後かな。
「対立教皇」が無くなったのは15世紀末らしいからね。

参考までにWikiの「対立教皇」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%AB%8B%E6%95%99%E7%9A%87
882世界@名無史さん:2006/05/12(金) 18:33:23 0
都市部はともかく農村にどれだけキリスト教が浸透していたのやら
883世界@名無史さん:2006/05/12(金) 18:47:20 0
おいおい、法皇権の頂点っていたら
普通にインノケンティウス三世(1196-1216)の頃だろ?
だからその少し前から、だよ。
884世界@名無史さん:2006/05/13(土) 12:58:02 0
15cのイタリア半島の抗争ではただの箔付けに利用されてただけだしな。
十字軍云々の宗教ネタだと注目されるけど、世俗的な影響力は衰退してた。
その辺りでローマってフランス軍に占領されなかったっけ?
885世界@名無史さん:2006/05/31(水) 19:59:21 0
 
886世界@名無史さん:2006/05/31(水) 20:40:11 0
十字軍の影響はマフィアにまで続いてる…ってことはないか
887世界@名無史さん:2006/05/31(水) 22:37:31 0
>>863
若い尼が一人で巡礼することはほぼ皆無。
巡礼する女性はいるが、大抵は裕福な商人の妻で、
夫の死後、財産を自由にできるようになって巡礼
にでかけるという場合が多い。
888863:2006/05/31(水) 23:55:14 0
舌足らずでスマンかった。 若い尼さん達、だった。
引用元は阿部謹也先生の著書。
889世界@名無史さん:2006/06/01(木) 01:42:16 0
テンプル騎士団って金融業者化していったらしいけど
ユダヤ人より早く金融業に手を出したってコトか?

フランス王に抹殺されたあと、ユダヤ人がテンプル騎士団の穴を埋めたのか。
890世界@名無史さん:2006/06/01(木) 02:01:47 0
12世紀にはユダヤ人ももう金貸しやってたんじゃなかったかな。
中世イングランド関連の研究書で、
11〜12世紀のイングランドの貨幣経済の発達を示す一例として、大陸からのユダヤ人移住者の増加を挙げていた。
891世界@名無史さん:2006/06/01(木) 02:48:48 0
ユダヤ人はすでにやってたはず。
ただ、信用やネットワーク、キリスト教徒というメリットでテンプル騎士団は儲けただろうな。
892世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:22:39 0
テンプル騎士団は金貸しで儲けるだけじゃなくて、
貴族連中からの寄進でもウハウハだったんじゃないかな?

ユダヤ、テンプルの金貸し業を過度に強調するのは歴史記述のアヤという側面が大きいらしい。
実際にはユダヤ人以外にも普通に金貸しを職業としていた集団(キリスト教徒にも)いたらしいから。
893世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:34:46 0
表向きは遅延金などの名目で利息を取っていたというし、特にイタリアあたりは半ば公然と
行われていたらしいしな。ただ、テンプル騎士団糾弾には一役買ったかもしれないが。
894世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:39:26 0
肉1£を担保にしたり
895Krt ◆zrW7aiInT6 :2006/06/01(木) 22:53:14 0
>>889
古典古代、あるいは「中世」でも社会経済がその延長線上にあった6-7世紀までのことは
勘定に入れないでの話なのかな?上記の時代なら金融業はずっと存在していたし、
またユダヤ人が主体だったとはいえ、彼らだけがそれに従事していたわけではないよ。

例えば6世紀のガリアですら、ユダヤ人だけでなくキリスト教の聖職者も利息を取って
金融業を営んでいたことは、538年のオルレアン公会議で助祭以上の聖職者が利息を取って
金を貸すことを禁じていることから明らかだと思うし(1)、また非聖職者のキリスト教徒が
金融業に関係していた例としては(ドプシュも引いている)トウールのグレゴリウスの
年代記(歴史十巻)に、584年にユダヤ人とキリスト教徒二人ずつが貸した金を取り立てに
トゥールへ来たところ、金を借りた前の伯の代理人インユリオススと前の伯エウノミウスが
借金から逃れるため彼らを食事に招いたあと殺してしまったという話が載っている(2)。

商業が再活性化し始めた11世紀以後に限っても、ドプシュは11世紀のイタリアには
すでに銀行家の業務業務の存在に関する直接的な証拠が見いだされるとしているし(3)、
それ以前の時代においてもユダヤ人が金融業に従事していたことを強調している。
896Krt ◆zrW7aiInT6 :2006/06/01(木) 22:53:50 0
だから>>891氏が指摘するようにテンプル騎士団の金融業務が特筆されるのは、伝統的に
金融機能を担っていた教会に似た組織の持つ信用に加えて、その広大な所領を背景とした
資金力、トラベラーズチェックに類似した金融商品をも可能にした広範なネットワーク
といったその「近代性」によってなのだろうね。


(1)アルフォンス・ドプシュ「ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎」創文社:p980f.
ただ非難されたのは高利をとっての貸し付けであって、教会が初期中世における重要な
金融機関、それも悪辣な高利貸したちに対抗して無産者にも金を貸す良心的金融機関(?)
であったことは記憶されるべきだろう。とはいえその場合、金を借りる側の無産者は
自分の自由を担保にして借金する訳だが、貸し手が教会の場合、一度非自由人となっても
金さえあれば再び自由を買い戻すことができるのが普通だった。cf.ドプシュ:p.680f.
(2)トゥールのグレゴリウス:歴史十巻:第七巻23節:邦訳U巻p.151f.:東海大学出版会
(3)ドプシュ:p.977
897世界@名無史さん:2006/06/01(木) 23:51:45 0
たしかにユダヤ人以外にもロンバルディア人とかカオール人とかも金貸しでは有名だな。
898世界@名無史さん:2006/06/01(木) 23:57:08 0
カートはん、あなた今の今までどこにいたの?
899世界@名無史さん:2006/06/02(金) 01:56:21 0
ユダヤ人も借金帳消しにするためにしょっちゅう抹殺されてたのかな?
900世界@名無史さん:2006/06/02(金) 09:57:38 0
村上ファンドの出資者はユダヤ資本がささやかれてるね
901世界@名無史さん:2006/06/03(土) 02:07:02 0
ユダヤ資本でない金融マフィアがいるのか?
902世界@名無史さん:2006/06/03(土) 02:44:26 0
いまやイスラム教徒までヘッジファンドを立ち上げる世の中ですよ
903Krt ◆zrW7aiInT6 :2006/06/03(土) 03:06:35 0
>>898
いや、最近ちょいと他のことにかまけていて。時折覗いてはいたんだけどもね。

>>899
個人の場合だけでなく経済の歴史ってのはある面、借金踏み倒しの歴史だから(笑)。
ただユダヤ人の場合、抹殺もあったが、迫害→追放の方が多かったんじゃないかな。
しばしばこれが一国の財政、金融状態を左右したわけで、スペインあたりと違って
イギリスなんかの場合は、追放したり受け入れたりの使い分けが巧妙だったと思う。

ところで、前の方を読んでいて食卓関係の話題でちょっと気になったことを二、三。

>614 :世界@名無史さん :2006/03/06(月) 22:48:34 0
>中世の料理って、皿を使わなかったって本当?
>パンを皿にしていたとか。
>あと、コテコテの固形のスープを食べていたとか。
904Krt ◆zrW7aiInT6 :2006/06/03(土) 03:07:20 0
まずスープについてだが、辞書を見るとわかるように13世紀半ば-17 世紀において
スープとは本来、Tranche de pain que l'on arrose de bouillon, de lait (1)
つまり切ったパンにブイヨンないしミルクをかけたもののことで(2)、(英語でも
ここから切ったパンにかけられたスープ、という意味が最初に出てくる)、さらに
14世紀頃からはこれに、切られたパン、あるいは固体の食物によって濃くされた
ポタージュないしブイヨン、という意味が付け加わる。要するに初期のスープは
固体ないし固体に近い食物だった訳で、だから本来スープは「食べる」ものであり
「飲む」ものではなかったわけだ(今の英語でもカップに入っているようなのを
除けば、×drink soupとは言わずeat soupと言うはず)。

だからゼリー状の固体のものも中世なら十分「スープ」のカテゴリーに含まれうる。
例えば14-15世紀の料理書中のゼリー状牛肉スープのレシピは以下のようなものだ。
「香辛料貯蔵室から紫色色素を2オンス取ってきて、これを良い色になるまで
ゼリーと一緒に煮る。そして、ゼリーの上に紋章の形を描く。次ぎに、ブランで
一かきしてからその上に金貨をのせる」(3)
つまり金貨を乗せられるほどコテコテのものでも当時は「スープ」だったのだね。
905Krt ◆zrW7aiInT6 :2006/06/03(土) 03:08:11 0
次に皿だが、これはもちろん使用されたし、中世でも金銀の皿とか、手の込んだ
装飾入りの陶器の皿は高価な財産だったが、地元の陶工が一般向きに作ったような
「並の陶器類は買い求められては壊され、そして驚くべき早さで再び買い求められ」
(4)る程度のものでしかなかった。とはいえ我々が考えるよりも皿の使用範囲は狭く、
多くの食べ物は個人用の敷き板の上に載せられて、その上でナイフで切られたり
して口に運ばれた。この敷き板は陶土、木、金属など色々なもので出来ていたが、
16世紀ぐらいから平に大きく切られたパンで作られることが多くなったらしい(5)。

この敷き板に使うパンは食べるパンより生地も粗く古いものだったらしいが、別に
船乗り用のビスケットほど硬かったわけではなく、食卓でその都度必要な枚数だけ
切られて用立てられるようにパン切りで自由に切れる程度のものでしかなかった。
このパンの敷き板が何枚もらえるのかというのは身分次第で、当時の手引き書だと
主人には三枚、息子には二枚、身分の低い者には一枚とか決まっていたらしい(6)。
当時の食事の様子を描いた絵画の中には、江戸時代の牢名主の畳のようにたかく
積み上げた敷き板用パンの上で肉を切っている主人が描かれているものがある。
もちろん敷き板パンは食用ではなく使用後は犬や貧者への施しものになった。
906Krt ◆zrW7aiInT6 :2006/06/03(土) 03:09:24 0
なお皿代わりにテーブルを掘り窪めてそこにスープを盛った説だが、寡聞にして
知らない。とはいえ、当時のテーブルは脚の上に木の板(ボード)をその都度
敷いてその上からテーブルクロスを掛けていたので、クロスを掛けない場合、
食後にボードは取り外して洗えるわけだから、原理的にはそこに窪みを作って
スープを直接盛るのも不可能ではないわけだけども、どうなのかねぇ。
 ただ、さきほどのパン製の敷き板を重ねて一番上のパンに窪みを付けてそこに
塩を入れたりする習慣はあったし、現存するそういうテーブルクロスの上に置く
食器代わりの木製の敷き板にも塩を入れる窪みがついているそうだから、
場合によってはその一部分を掘り窪めてスープかなにかを入れる、ぐらいは
あったかもしれないけれども、これだとそう驚くほどの習慣とは言えないね。


(1)Petit Robertよりsoupeの項
(2)これには別の液体もあり得た。14世紀の騎士物語「ガーウェン卿と緑の騎士」
に出てくる緑の騎士ベルシラックは狩りに出かけるため夜明け前に起きるのだが、
ミサに出た(祈りをした)場合に限って食事をし、それも「スープ」だけを飲んだ、
とされている。
 だがその「スープ」は「細切りにしたパンをワインや他の液体に浸したもの」
である。こういうパンをワインに浸す食べ方は古代ギリシャ以来の伝統がある。
個人的には、このワインが少し甘いのだったらやってみたいものである(笑)
cf.ブリジット・アン・ヘニッシュ「中世の食生活」:法政大学出版局:p.37f.
(3)The Penguin Book of French Verse to the Fifteenth Century pp.216-217:
in 「中世の食生活」:p.160
(4)ibid.p.276
(5)ibid.p.254
(6)ibid.p.255
(7)ibid.p.259
907世界@名無史さん:2006/06/03(土) 04:52:04 0
>>906
机にくぼみつくって更の代用にする説は不思議発見で見た。
908世界@名無史さん:2006/06/03(土) 05:52:59 0
あの番組は神々の指紋特集とかやっちゃう番組だから、信用度はちょっとなあ。
909Ryuju ◆RlujhF6VrA :2006/06/03(土) 18:16:08 0
ttp://ww2.enjoy.ne.jp/〜tteraoka/esse1.htm

このサイトによると、カール大帝の頃らしいね。>食卓にくぼみ

で、それが書いてあるコーナーの参考文献として挙げてあるのが以下の三冊。

「食卓の文化誌」(石毛直道 著/滑笏g書店)
「「食」の歴史人類学 比較文化論の地平」(山内 昶 著/人文書院 発行)
「ヨーロッパの祝祭典 中世の宴とグルメたち」
(マドレーヌ・P・コズマン 著/加藤 恭子、山田 敏子 訳/原書房 発行)

持ってる人は確認取ったらいいかも知れない。
910Krt ◆zrW7aiInT6 :2006/06/03(土) 19:42:57 0
「「食」の歴史人類学 比較文化論の地平」(山内 昶 著/人文書院 発行)
が書庫にあったので覗いてみたら、おお、確かに書いてあるね!

「まず即時の土台となるテーブルから話をはじめるが、例えば中世フランスの
有名なシャルルマーニュ大帝(ママ)の食卓は、組み立て式の長い樫の厚板で
表面に一定の間隔で窪みがつけられていた。この窪みが個人用の皿ないし鉢の
役目をし、大皿に盛った料理を手で取って一旦そこにおき、ついで両手を使って
食べていたのである。この台と板と別々の組み立て式テーブルはその後も
永く続き、フランスで固定式テーブルが勝利したのはやっと十八世紀になって
からのことだった」pp.104-105

「シャルルマーニュ大帝」には困ってしまうが、やはりテーブルが組み立て式で
その都度敷く上のボードが洗えるからこういうことが可能だったんだろうかね。

911世界@名無史さん:2006/06/03(土) 23:30:17 0
今のいわゆる「食器」が出来たのって中国なのかな?
912世界@名無史さん:2006/06/04(日) 05:15:32 0
現在のヨーロッパの食器を使った食事の起源はイスラームじゃなかったかなぁ。
913世界@名無史さん:2006/06/04(日) 21:11:03 0
中世ヨーロッパで起源がはっきりしないものは、
すべて偉大なイスラーム起源なんだよ。
914世界@名無史さん:2006/06/04(日) 23:36:55 0
ローマ時代の進んだ建築技術は絶えてしまいましたが、これは帝国滅亡時の混乱で技術者が皆殺しにされたからですか?
それとも、技術者は生きながらえたもののパトロンを失い、腕を発揮できず、技術も絶えたのですか?
915世界@名無史さん:2006/06/04(日) 23:56:28 0
>>913
ローマの遺産もあるなw
916世界@名無史さん:2006/06/05(月) 00:00:11 0
>>914
皆殺しってのは聞いたことないね。やっぱ帝国っつーでっかい組織がなくなって
公共建築が一切なくなったことが一番の原因じゃないかね
917Ryuju ◆RlujhF6VrA :2006/06/05(月) 00:45:46 0
公共建築と言えるかどうか分からんが、大きな教会(聖堂)とかは
中世初期にもそれなりにあるんだけれども、
それだけでは需要に限界があったってことだと思う。
918世界@名無史さん:2006/06/05(月) 03:58:18 0
金と機会がなきゃ職人がいくらいたってどうしようもないからね。
919世界@名無史さん:2006/06/05(月) 16:51:02 0
>>913
民明書房的には中国起源
920世界@名無史さん:2006/06/05(月) 16:54:37 0
じゃあビザンチンでは、その後も進んだ技術が維持されたのかな。
例のアヤ・ソフィアみたいに。
921世界@名無史さん:2006/06/05(月) 17:23:44 0
東は蛮族の流入もかなり抑えていたし、技術の散逸も少なかっただろうね。
ビザンティン文化は長い間西欧より先んじていたし。
922世界@名無史さん:2006/06/05(月) 17:28:13 0
>>921
長い間というか、滅びるまでだ罠。ビザンツが滅びて難民がイタリアに流出して
中世が終幕に向かったわけだから。
923世界@名無史さん:2006/06/05(月) 22:27:23 0
ローマのアーチは所詮は半円アーチ。中世ではそれを凌駕する。
924世界@名無史さん:2006/06/06(火) 09:41:36 0
ローマの文化は点の存在のような気がする
925世界@名無史さん:2006/06/06(火) 12:58:43 0
ローマでいえば初期では武勲を挙げた著名人、帝政期以降は皇帝による公共事業
として各種の建築物が建てられたしなぁ。
各都市間の街道整備、公共施設、上下水道等はやっぱりローマ帝国という一つの
でかい経済基盤があったからこそできたわけで。
国としてのローマは滅んだけど、当時からあった都市は存在し続けたわけだから
技術流出というより単に費用の問題だったんじゃないかと愚考。
926世界@名無史さん:2006/06/06(火) 13:55:19 0
ローマ市の水道は滅亡時蛮族に破壊されてしまったんだったな。
コンスタンティノープルは以後も分厚い城壁で守られ、水道が供給されていたが。
927世界@名無史さん:2006/06/06(火) 16:07:05 0
ベリサリウスが侵攻したときに水道から蛮族が入ってくる恐れがあるから封印したって
聞いたことがあるんだが、あれはガセだったんだろうか。
928世界@名無史さん:2006/06/06(火) 18:57:25 0
現代イタリアでもローマ時代の上下水道を使ってたって塩婆のエッセイにあったけど
真贋の程は如何に?
929世界@名無史さん:2006/06/06(火) 20:27:56 0
ローマの下水道は何百年かぶりに掃除したとか去年か一昨年のニュースにあった気がする。
930世界@名無史さん:2006/06/06(火) 23:20:43 0
中世ゴシック建築はオリジナルでしょ?
931世界@名無史さん:2006/06/08(木) 16:22:03 0
>930
うんにゃ。
主要な特徴はササン朝ペルシャやビザンチンに起源がある。
932世界@名無史さん:2006/06/08(木) 18:05:41 0
まあ完全なオリジナルなんて無いからな。
どれも起源を辿れば何かの模倣だったり影響を受けていたり。
933世界@名無史さん:2006/06/09(金) 01:15:32 0
イスラムは偉大。
すべてはイスラム起源。
ヨーロッパは劣っている劣っている劣っている。
934世界@名無史さん:2006/06/09(金) 01:20:43 0
ギリシャ・ローマのが巡ってイスラムへってのが多いだろ
935世界@名無史さん:2006/06/09(金) 01:38:58 0
>934
うんにゃ。ギリシャ・ローマ文化文は古代ペルシャの影響を色濃く受けている。
で、イスラムは文化的にはペルシャ文明の直系。
ギリシャ・ローマの方は帝国崩壊で衰退。
936世界@名無史さん:2006/06/09(金) 23:16:46 0
ペルシャは偉大。
すべてはペルシャ起源。
ヨーロッパは劣っている。
イスラームも劣っている。
937世界@名無史さん:2006/06/10(土) 00:55:35 0
ウリナラが一番偉大ニダ
938世界@名無史さん:2006/06/10(土) 01:08:11 0
イスラームの建築技術は凄いんだよ。
聖ソフィア大聖堂(6世紀)もブルー・モスク(17世紀)も見た目は
似ている。6世紀にすでに17世紀の水準に達していたんだよw
939世界@名無史さん:2006/06/10(土) 01:15:02 0
アヤソフィアはビザンチンの建築なんだが・・・

中東のモスクは、アヤソフィアから大いなる影響を受けたんだが・・・
940世界@名無史さん:2006/06/10(土) 03:20:18 0
アヤ・ソフィアを直接の見本にするようになるのはオスマン朝になってから。

それまでは中東に建造されたバシリカ建築方式を基本に独自に多芯円アーチを多用したり
サーサーン朝のペルシア方面の建築であったイーヴァーンを大規模に使うようになって
平面的に広いホール状の空間を作り出せるようになった。これは礼拝のために広い平面空間が
必要だったから。

シリアよりも東は石材よりも泥土の方が入手しやすく降水も殆ど無い土地なので、タイルや
泥煉瓦を使った建築が主流だった。

ドーム状の建築はイスラム時代以前からあったみたいだけど、この種の建築は廟墓とかに
用途が限定されていたのでアヤ・ソフィアレベルの規模のものは作る必要性が余り無かった。
オルジェイトゥ廟などがドーム建築としてはアヤ・ソフィアにかなり近い大きさになるが、
殆どの同種の建築は地震などで崩壊して現存していないのが難点。

941世界@名無史さん:2006/06/10(土) 09:53:14 0
聖ソフィア大聖堂は元々はキリスト教の建築じゃん。
ビザンチンが征服されてからイスラム調に改装されただけ。
942世界@名無史さん:2006/06/15(木) 18:18:14 0
トルコの建築物はヨーロッパとイスラムの折衷って感じだよね
実際、トルコはヨーロッパの建築家をかなり雇ってたというし
それとダマスクスの大聖堂はビザンツ建築の影響を受けたとか
943世界@名無史さん:2006/06/16(金) 13:32:30 0
逆にスペインあたりはイスラム文化の影響受けなかったのかねえ・・・
そこら辺詳しくないからさっぱりだ。
944世界@名無史さん:2006/06/16(金) 15:11:27 0
つアルハンブラ宮殿
945世界@名無史さん:2006/06/16(金) 16:34:22 0
>>943
受けまくり
946世界@名無史さん:2006/06/16(金) 16:47:49 0
アルハンブラ宮殿はイスラム文化の影響を受けた、ってんじゃなくて
イスラム文化そのものじゃないのか

日本が朝鮮に作った倭城を「日本文化の影響を受けた建築」とは言わんだろう
947世界@名無史さん:2006/06/16(金) 23:13:20 0
日本の五重塔とかも、どう考えても中国の文化を受けまくって
いるのに、日本古来の建築として扱っている。
948世界@名無史さん:2006/06/17(土) 00:09:42 0
ダウト。
当時の中国・朝鮮では仏教建築でも主に石造りの三重塔などのがっしりとした物で、
逆に言えば石造りで多重のものは建てられなかった。
仏教伝来の道を辿っても五重塔は木造建築に優れた日本特有のものだというのが通説です。
949世界@名無史さん:2006/06/17(土) 06:25:50 0
日本の七重塔、九重塔とかは全部崩れて、
五重塔も何十回もの補修工事を受けてなんとか存続してる。
950世界@名無史さん:2006/06/17(土) 09:26:36 0
ヨーロッパ・中国の伝統建築における最新の技術を使っての補修工事と違い、
日本古来の伝統建築はほぼ全てが宮大工による当時の技法を使った修復だけどな。
そもそもヨーロッパや中国と違って日本は世界でも有数の地震大国。
単純な劣化だけじゃなく環境の外因の影響を考えてみろよ。
951世界@名無史さん:2006/06/17(土) 09:49:33 0
サグラダファミリアも最新の建築技術使ったら数年で完成するんだっけ?
造ったそばから壊れだから大変だよな。
ちょっと前にあと○○年で完成って記事を見た気がするが。
952世界@名無史さん:2006/06/17(土) 10:59:48 0
>>936
わーのわーの
953世界@名無史さん:2006/06/17(土) 12:49:17 0
>>952 ふ、古っ!
954世界@名無史さん:2006/06/17(土) 13:01:18 0
>>952
そのペルシャかよ!ってわかる俺は…
955世界@名無史さん:2006/06/17(土) 15:11:03 0
>>950
当時の技術と言っても建立後100〜200年くらい
してからの最新技術で改修・補強されてたりするわけで。
956世界@名無史さん:2006/06/17(土) 15:28:24 0
要するに宮大工スゲェって事か。
世界一古い企業も宮大工だしな。
957世界@名無史さん:2006/06/17(土) 16:00:56 0
前に宮大工による薬師寺の補修を特集した番組見たけどすごかった
あんな古い技術を現代でも伝承し続けるなんてなー。
世界遺産の旅だかで五重塔は日本にしか存在してないってたけど
木造と石造の違いがあるとはいえやっぱ日本の技術は恐ろしいわ。
958世界@名無史さん:2006/06/17(土) 21:52:40 0
世界的に見ても木造建築の遺産っていうのも珍しいしな。
ヨーロッパは加工に適した石材が豊富&地震がないから造るのが簡単
っていう条件もあったろうけど。
959世界@名無史さん:2006/06/17(土) 22:07:22 0
木造建築の遺産っていうと、ヴァイキング教会ってのがあるよ
960世界@名無史さん:2006/06/17(土) 23:07:28 0
>ヴァイキング教会
うお、初耳なんだけど詳細を聞いてもいい?
イメージがわかねえw
961世界@名無史さん:2006/06/17(土) 23:27:30 0
962959:2006/06/17(土) 23:39:47 0
ああ、これです。  >>961さんthx!
963世界@名無史さん:2006/06/17(土) 23:42:10 0
教会なのにパーツが船っぽいなぁ。
おもしろい。
964世界@名無史さん:2006/06/18(日) 01:54:24 0
北欧といえば家具とかログハウスとか木工得意そう
965世界@名無史さん:2006/06/18(日) 06:59:47 0
世界一の長者はゲイツじゃなくてイケアの中の人だって新聞に書いてあったな。長い伝統か……。
966世界@名無史さん:2006/06/20(火) 03:01:42 0
主に盛期中世辺りの資料を探してるんですけど
人々の生活の様子や暮らしに関して、図解(イラスト等)で細かく描写してある書物やサイトってありますか?
ご存知でしたらよろしくお願いしますm(__)m
967世界@名無史さん:2006/06/20(火) 11:28:18 0
東京書籍の「世界の生活史」シリーズ。 でもアマゾンでも在庫切れだな
968世界@名無史さん:2006/06/21(水) 12:01:14 0
ヨーロッパで木造建築の世界遺産といえば、ロシアの木造教会群がある。
969世界@名無史さん:2006/06/21(水) 12:33:40 0
>>968
キジ島のやつ?
あれは中世じゃなかったと思ったから言及を控えていたんだが

それとも他にあるのかな
970世界@名無史さん:2006/06/24(土) 18:21:47 0
今日のNHK世界遺産はモンサンミシェルですよ
971世界@名無史さん:2006/06/29(木) 21:12:27 0
age
972世界@名無史さん:2006/06/30(金) 23:34:20 0
中世ロシアっていつからいつまで?
973世界@名無史さん:2006/07/01(土) 15:31:10 0
ノブゴロド〜ソ連崩壊まで。
974世界@名無史さん:2006/07/01(土) 16:47:36 0
それはアネクドートか何かか
975世界@名無史さん:2006/07/01(土) 20:14:44 0
>>948
ダウト
中国・朝鮮ももとは木造。
976世界@名無史さん:2006/07/02(日) 21:35:33 0
>>973>>974
ソ連末期のアネクドートによると「ロシアはまだ19世紀」だから中世とは言えないなw
977世界@名無史さん:2006/07/03(月) 10:22:18 0
>>975
どこの国でも初期の建築物が石造か木造の二択なのは当たり前だ。
肝心なのは世界遺産の木造建築が現存しているという事実。
978世界@名無史さん:2006/07/03(月) 11:57:34 0
日本は儀式的側面を重視して塔の中身が補強の構造があるだけの空洞。
979世界@名無史さん:2006/07/03(月) 22:05:59 0
日本古来の建築:神明造
仏教伝来の影響をうけた建築:五重塔
980世界@名無史さん:2006/07/03(月) 23:07:12 0
神明造でも仏教の影響受けてるよ。
981世界@名無史さん:2006/07/04(火) 11:59:16 0
ここはたしか980越すと24時間(?)書き込みがないと落ちるはず。
で、今は1000行かないで落ちると「にくちゃんねる」に保存されないみたい。
だから残りを大いに利用するか、いっそのこと埋めて1000にして。
982世界@名無史さん:2006/07/04(火) 13:30:01 0
なんで「中世」って聞くと心引かれるのだろう。
日本の中世も好き。
983世界@名無史さん:2006/07/04(火) 16:02:42 0
暗黒時代より中世という言葉が好きだが、ミドルエイジよりもダークエイジという言葉が好き。
984世界@名無史さん:2006/07/04(火) 17:17:21 0
騎士とか貴族とかを一番最初に思いつくからじゃね?
985世界@名無史さん:2006/07/04(火) 21:08:19 0
ミディーバルですよ
986世界@名無史さん:2006/07/04(火) 21:40:00 0
ぬるぽ
987世界@名無史さん:2006/07/04(火) 21:41:16 0
ぬるぽ
988世界@名無史さん:2006/07/04(火) 21:41:34 0
修道院や吟遊詩人のイメージだな。
アウトローな感じで。
989世界@名無史さん:2006/07/04(火) 23:53:50 0
>>986-987
遅くなったけど、ガッ

一般的によく飲まれる酒って言うと西ヨーロッパではワインか…?
っていうか、どれくらいの頻度で酒が飲めたんだろうか。
つか、昔にアルコール中毒ってあったのか?
990世界@名無史さん:2006/07/05(水) 01:31:24 0
>>982
「女子高生」に抱く幻想と同じ
991世界@名無史さん
うめ