中世ヨーロッパの暮らし(2)

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1世界@名無史さん
前スレ:中世ヨーロッパ人の暮らし
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/981129811/

中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。

(2)を建てたのは、前スレ建てた人とは別人です。
前スレの主旨文は>>2にコピペ。

中世西欧と言っても、時期や地域によって随分違うようです。

時期は、スタンダードに西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもまぁOK。

地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。
話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアとか、ギリシア(ビザンツ)とかもOK。

庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。
農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。

前スレは「中世ヨーロッパ人の暮らし」だったけど、あえて「中世ヨーロッパの暮らし」に代えました。
中世のユダヤ人の暮らし、中世のヴァイキングの暮らし、中世のケルト系の暮らしなどでもOK。

時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じで。

ジャンプタグ
前スレの主旨文:>>2
中世西欧の時代細分(参照):>>3
タグ1:>>1-100 >>101-200 >>201-300 >>301-400 >>401-500
タグ2:>>501-600 >>601-700 >>701-800 >>801-900 >>901-1000
2前スレの主旨文:02/05/31 00:12
前スレ:中世ヨーロッパ人の暮らし
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/981129811/

>>1 :世界@名無史さん :2001/02/03(土) 01:03
>中世ヨーロッパを舞台にした歴史物小説が好きで、あの時代に生まれて暮らしたいなと昔から思ってました。
>だけど、登場するのは王族や貴族の話が多くて、一般庶民の生活ってどんなものだったかわかんないんですよ。
>どなたか詳しい方いらっしゃいませんか?
3中世西欧の時代細分(参照):02/05/31 00:13
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードなところを参照用目安として。

中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)

前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)

初期中世:大まかに5〜10世紀

盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。

末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀
4世界@名無史さん:02/05/31 00:21
スレ立てお疲れ様です。
このスレは本当に勉強になりますね。

あと、前スレのリンクの訂正です。

中世ヨーロッパ人の暮らし
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/981129811/
5名無し見学者:02/06/07 02:44
保守
6世界@名無史さん:02/06/16 12:48
革新
※前スレからのコピペ
※コピペ分の参照スレは前スレのレス番号
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/981129811/

>312 :衣食住 :2001/06/09(土) 00:37
>(衣)
>パジャマが存在しない。寝るときは裸(>12)。

>(食)
>食器がなかった(>27)(異説あり>308)
>肉食は盛んだった(>140-141)
>食べ物はマズかった(>142)

>(住)
>城よりはマシかも(>8)
>トイレはなかった(多数:つーか常識)
>廊下がなかった?(>83)
>風呂は入らない(>73)(異説あり>167-168.>204)
>石造りが一般的で、照明は暗い(>234)

さて、この衣食住を>>3の初期/盛期/末期で整理でもしてみようか。
8世界@名無史さん:02/06/17 04:00
中世西欧の衣

前スレの>>8
>パジャマというものが存在していなかったのか、全裸で寝ていた。
>たまに寒いので下着を着て寝ている人がいると、「具合でも悪いんですか?」
>と聞かれたらしい。

これはいつ頃まで続いたのであろうか?
パジャマが登場したのは19世紀後半とか言う説もあるようだ。
ttp://www.hpskikaku.com/osyare/study/history.html

が、イスラムから寝間着の風習が伝わったという話もあったのではなかったか(?)。
イスラムから伝わった説が正しいとすると、盛期中世に大商人や貴族の間から広まったパターンがありそうなものだが??
9中世西欧の衣:02/06/18 19:26
>>8のパジャマの話はちょいおいといて。
※前スレからコピペ(コピペ分の参照スレは前スレのレス番号)
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/981129811/

>800 :世界@名無史さん :02/04/01 12:43
>中世って衣料用繊維が乏しいんじゃないかなあ。
>絹は中国圏、綿は寒いところでは採れない。
>ヨーロッパやイスラムの衣服って毛織物中心ですか?

>801 :世界@名無史さん :02/04/01 12:53
>>800
>麻もメジャー。
>つか麻にとってかわったのが綿。

>806 :世界@名無史さん :02/04/01 16:23
>未亡人は子供がいなければ糸つむぎなどで生計を立てた、
>(それでも生活は貧しい)子供がいると命を削る重労働の洗濯女に
>なるか絹のドレスをきた売春婦になるかしかなかった・・・
>(女性の職業がとぼしかった)
>よって女性はできることなら再婚をしたがったので
>子持ちの中年男性でもすぐに若い後妻をもらうことができた

>昔読んだヨーロッパの中世についての本でこんなようなことが
>書いてあった、
>いつ頃のどの国のことか細かいことは忘れちゃったけど

>807 :世界@名無史さん :02/04/01 21:45
>>806
>中世じゃなく、近代西欧の都市生活での話では。女性の職業がとぼしかったどころか、
>近代以前では、娼婦以外の職業などなかったのでは。

10中世西欧の衣:02/06/18 19:29
前スレで絹の話が出てたけど(>>8

絹ははじめは東方貿易で西欧に入ってくるもの、
中世の途中から、ビザンツの主要産業になって、ビザンツから西欧入ってくるものになったんだよね。
どっちにしても西欧からしてみれば東方貿易の交易品だし、

絹の衣服なんか着れるのは上層にすぎないけど。
11世界@名無史さん:02/06/18 23:55
いまどき、コンスタンティノープル陥落を中世の終わりに据える
区分なんて流行らない、というか誰も言わない気が

些末なことなんでsage
12このスレの>>1:02/06/18 23:59
>>11
まぁ、目安ということで1つ。
別の区分とその考え方はいろいろご紹介くださいまし。
13中世西欧の食:02/06/19 22:09
※とりあえず、前スレのあちこちに書かれた事を整理してみる。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/981129811/

>中世西欧には食器がなかった(>>7

皿や椀の類はもちろんあった、
フォークが普及したのは17世紀頃からとのこと(>>前スレの300)

スプーンは当初からあったとも言うが、これはどうなのかな
配膳用の大匙の類は当然あっただろうけど、これをスプーンのように使ってたものだろうか?
ローマ時代は食事は手掴みだったはずなので、もしかしたら使ってはいなかったかもしれない。
14世界@名無史さん:02/06/20 17:58
スプーンがなかったとすると、スープは皿から直接すすったのだろうか?
15世界@名無史さん:02/06/20 18:08
>>14
中世西欧では、パンに浸して食べたらしい。

古代ローマでどうだったかは知らない。
あんがい椀みたいなもので直説呑んでたかも。
16世界@名無史さん :02/06/20 19:36
中近東では取っ手の無いマグカップのような物でやぎの乳やコーヒーを飲んでいたが、
暖かい飲み物ならば深い器のほうが、冷めにくく飲みやすい。

スープに肉などの具が入ってシチューのようになってから、食べやすいように
スプーンが出現したのではないか。

目の検診?
17世界@名無史さん:02/06/24 10:32
スプーンは、16世紀頃イタリアで使われ始めた。とは、フィリップ・アリエス
の言。次いで、ナイフ、フォークと使われるようになったということ。
(あれ、15世紀かな?いずれにせよ、中世盛期にはなかったし、
一般庶民には、なかなか浸透しないのだから中世にはない、と言い切って
いいと思う)
その都度テーブルマナーが出来ていったらしい。
なんか、これ随分前に書いた気がするけど、どこに書いたか忘れちゃったから
もう一度。
18アマノウヅメ:02/06/24 14:54
前スレの300です。
スプーンというのは、結構古いもので、日本にも箸と一緒に伝来してますよ。
配膳用のオタマしか普及しなかったけど。

今ちょっとわからないけど、スープ皿にスプーンをいれた絵を見たことがあります。
14世紀頃の下手な絵です。オタマかもしれませんが。
15世紀の貴族の食卓には皿やカップと並べてナイフが乗ってるのがあります。こちらは
『服装史2万年』です。

ついでに、トイレはあったと言い張ってるのも私です。
12世紀以降の城、都市の中流以上の市民の住宅には大体あったようです。
17〜18世紀の住宅にはまずトイレはありませんが。
19世界@名無史さん:02/06/24 15:31
             ∧_∧
            ( ´−` )
           ⊂    つ
━━┯┌───────────.┐━━┯━
  ...|│     ウ ヅ メ に      │  ...|
━━┷│                .│━━┷━
    .│      エ サ を     ..│
    .│                .│
    .│    与えないでください   .│
    .└───────────.┘
20世界@名無史さん:02/06/24 15:39
>>17
>一般庶民には、なかなか浸透しないのだから中世にはない、と言い切っていいと思う)
>その都度テーブルマナーが出来ていったらしい。

今、知られるような、スプーン、ナイフ、フォークのような食器の用い方は「テーブルマナー」と並行して成立した、というところかと思います。

極論になりますが、例えば中世の宴会で、小刀を用いて肉を切り口に運ぶようなことがあっても、それは、今知られるナイフとは別物だ、というところでしょうか(?)

ところで、仮に
「スプーン、ナイフ、フォークのような食器の用い方は『テーブルマナー』と並行して成立した」と言えるならば、
イタリア料理の洗練とその西欧への伝播が、「食器の用い方」の成立に関係してきそうな気がします、が。

アリエスはその辺、何か言っていないでしょうか?
212ちゃんねる銀行頭取:02/06/28 01:05
床屋さんが手術していたってホント?お医者さんは手術台の横で指示をするだけとか…
22世界@名無史さん:02/06/28 01:19
床屋=死刑執行人=医者

でした。
23世界@名無史さん:02/06/28 01:34
24世界@名無史さん:02/06/28 12:55
この頃の女性ってワキ毛反ってないだろーなー。
やっぱボーボーか。ジャンヌも…
25世界@名無史さん:02/06/28 17:59
つか、ヨーロッパの人って今でも剃らない人が多いような・・・
26アマノウヅメ:02/06/29 21:21
>>24
脱毛はイスラムの習慣だから、キリスト教徒は意地でもしないでしょう。
第一、中世には腋毛その他の見える服ないし。
27世界@名無史さん:02/06/29 22:15
ウゼえ消えろ
      ∧_∧          _ _     .'  , .. .∧_∧
     ( ´_ゝ`)   _ .- ― .= ̄  ̄`:, .∴ '     ( ウヅメ)
    /     '' ̄      __ ヽ´=', ・,‘ r⌒> _/ /
   / /\   / ̄\-―  ̄ ̄   ̄"'" .   ’ | y'⌒  ⌒\i
 _| ̄ ̄ \ /  ヽ \_              |  /  ノ |
 \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__)              , ー'  /´ヾ_ノ
  ||\            \          / ,  ノ
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄          / / /
  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||          / / ,'
  ||  ||           ||       /  /|  |
                       !、_/ /   〉
28121:02/06/29 22:31
http://sports-reports.com/buruma
ロリはここに逝ってよい!ゴラァ!サンプルだけでも最高!
  iii■∧  /
━ (,, ゜Д゜) / ━━━━━ ∧∧━━    ∧∧
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   |  |┌─┐   /⊂   ヽ    /⊂  ヽ
 〜|  ||□|  √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜
   ∪∪ |   |  ||   ━┳┛  ||   ━┳┛
 ̄ ̄ ̄ ̄|   | ====∧==========
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |  すげー!!サンプルだけで抜けるよ!!!
29世界@名無史さん:02/06/29 22:45
>>25
全く剃らないということはないですが、日本ほどマメにお手入れする習慣は
ないようですね。

一応剃るのは向こうでも「毛深い」というフェチのジャンルが存在することから
わかります(欧米でも腋毛とかのマニアさんがいるのです)
30世界@名無史さん:02/06/29 22:50
>24
腋毛ボーボーどころか、XXXの臭いもキツいことを覚悟しましょう(w
31世界@名無史さん:02/06/29 22:55
白人は産毛もけっこうこいからわきげなんか気にしてもしょうがない
32迷探偵ナコン:02/06/29 23:36
中世の国に国歌ってあったの??あるいは国王の歌というものでしょうか。
3325:02/06/29 23:55
腋毛については昔ネーナの衝撃があったのよねぇ(藁

惜しげなく晒すふさふさの・・・
34世界@名無史さん:02/06/30 04:12
正直、民家の窓ってどうなってたんでしょうか。

ガラスの歴史みたいなページを見ると、
ガラス自体は4000年前からあって金と等価であったガラスは
2000年前の鉄パイプの発見以後銅貨一枚程度になったらしい
ですが、いわゆる中世の庶民は当時ガラス窓だったんでしょうか。

ブリューゲルの絵を見てもガラスなんだか穴なんだか
いまいちわかんないんですがなんとなく十字の窓枠からみて
ガラスっぽいんですが、どうなんでしょう。
35世界@名無史さん:02/06/30 07:23
>>34
庶民は板か皮。
金持ちはほんのちょびっとだけガラス。
薄く加工したアラバスターという手もある。
その絵の十字は窓枠なのかも知れないが、単なる鉄格子の可能性が高い。
3634:02/06/30 15:21
>>35
ありがとうございます。
板はやっぱり単にはめておいて取り外すんでしょうか。
皮だと上からロールカーテンみたいに垂らすようなのでしょうか。

件の絵はここの「子供の遊戯」というのなんですが、
これって庶民ではないですよね・・・2階建てだし・・・
ttp://www.ne.jp/asahi/art/dorian/B/Brueghel/Brueghel.htm
37世界@名無史さん:02/07/01 04:09
貴族の城でさえ、ガラスは滅多に使えなかったそうで。

ガラスは教会の窓にはすでに用いられていたが、それが個人の住居に使われるようになったのは、
十二世紀も末になっての事で、ガラスの使用は長いあいだ特別な贅沢とされていた。
だから、あまり豊かでない城では、窓の風を防ぐには雨戸を閉ざすしかなかった。
つまり、寒い季節には彼等は窓を開いたまま凍えているか、雨戸を閉め切って凍えずには済むが
暗闇に明かりをともして座っているか、いずれかを選ばざるを得なかったのである。
(『中世への旅−騎士と城』抜粋)

貴族でこの体たらくですから。
38世界@名無史さん:02/07/01 18:37
39世界@名無史さん:02/07/02 19:03
薄くなめした革を油につけて半透明にした物も有ったはず。
40世界@名無史さん:02/07/12 07:40
中世で(日本人の多くから見て)いちばんおいしい料理は何なのかな?
41世界@名無史さん:02/07/12 08:28
>>40
やっぱり、地中海の海辺の地域の魚料理じゃない?
42 :02/07/12 12:15
>>40
そばパスタかもね
43世界@名無史さん:02/07/12 12:32
野菜と肉を一緒に煮込んでスープと具を別々にいただくってのは汎ヨーロッパ的な料理法なのかな?
カスティーリャじゃあ壺料理としてよく出るんだけど。
44 :02/07/12 13:06
>>43
土瓶蒸
45JANGO FETT:02/07/12 13:09
魚といえばこんな話があります。
キリスト教徒は断食期に、一切の肉類の摂取を止めますよね。
でもなぜか魚は例外なんだそうです。
なぜかというと、魚は神が創造したものではなく、
自然発生的に生じたモノであると、
認識されていたからなんだそうです。
つまり、勝手にぽっとどっかからか湧いて出てきたものであるのであり、
それは当然肉類ではないわけだから、食べたって問題ないでしょう。
という考えです。
面白いですよね☆
46:02/07/12 23:59
>>45
それって、ノアの箱舟に魚が乗ってなかったからかしらん

じゃあ鯨やイルカも食っていいのかな
47世界@名無史さん:02/07/13 01:25
>>45
魚を複数形で数えない理由でそんなのを聞いた気がする
・・・・でも、羊はどうなんだろ?

板違いスマソ
48世界@名無史さん:02/07/13 08:56
水の中にいる生き物は神の怒りを買って(呪われて)いないからという
話なら聞いたことある。
49世界@名無史さん:02/07/13 14:23
>>32
>中世の国に国歌ってあったの??あるいは国王の歌というものでしょうか。

ないんじゃないかなぁ。
吟遊詩人がいたくらいでは?

シャルルマーニュ大帝は民衆歌というか俗謡を収拾してたんですってね。
跡を継いだルードヴィヒ敬虐王(?)が、破棄しちゃってもったいねー、て話らしいです。
50世界@名無史さん:02/07/15 01:14
19世紀くらいまでのフランスを中心としたヨーロッパの歴史に興味があります。
時代の流れを把握する為に、年表のようなものを見たいのですが、
分かりやすい、お勧めのサイトとか・本ってありますか?

中・高校の歴史の教科書を入手して読んでみたら、把握できるかな?

 
51世界@名無史さん:02/07/15 01:29
>>50は誤爆??

ここは中世ヨーロッパスレだから、
世界史なんでも質問コーナー3
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1022151987/
あたりで聞いてみた方がいいかと。

それとも、中世からはじめて19世紀まで、
フランスを中心としたヨーロッパの歴史を
時代の流れを把握する為に、年表のようなものを見たい
って話かな???
52世界@名無史さん:02/07/15 01:38
>>32
英国国歌ゴッド・セイヴ・ザ・キング(またはクイーン)の初演奏が
1745年。
フランス国歌ラ・マルセイエーズの作曲が1792年。
そもそも中世には国家という概念があいまいだから、国歌もない。
5350:02/07/15 02:09
>>51
確かにちょっぴりスレ違いかな?と思いつつではありましたが、
ここスレのタイトルどおり、中世ヨーロッパの暮らしに興味を持つようになり、
数珠繋ぎで色々な事に興味を持つようになりました。

王族や貴族の生活だけでなく、庶民の生活を知るのにも、誰がこの時代
王制を握っていたのかな?
などを知るために年表のような物を見てみたくなった次第であります。
54世界@名無史さん:02/07/18 13:37
>>45
修道院について書いた本を読んでいると、鳥類の肉は獣の肉より冒涜度が
低いとして食べられていたらしいです。
初期の修道士の飲み物は水だけでしたが、そのうち一日半パイントの葡萄酒が
割り当てられ、北ヨーロッパではビールやリンゴ酒をそれに替えて飲んでいたとか。
55JANGO FETT:02/07/18 17:14
ふんふん、それで鳥類の肉はなにゆえ獣の肉より
冒涜度が低いと考えられていたのかな。
56世界@名無史さん:02/07/18 20:26
>>55
ヤパーリ修道士たちが肉を食べたいので勝手に作り出した言い訳じゃ
ないでしょうか?
最初は肉類の使用は病人と外来客だけに許されていたのですが。
57JANGO FETT:02/07/19 15:52
生臭坊主達の虚構だったってわけか。
神の教えもくそもないな。
58世界@名無史さん:02/07/19 16:00
でもでもイエスは律法からの自由としての新約を解いた事になってて、
新約では特に食物規定は語られてないよ。

だから、肉を食べちゃいかんという根拠は新約にはない(w)。
59世界@名無史さん:02/07/20 15:59
>41,42 サンクス。 
60???:02/07/20 18:24
>54
酒といえば、
修道院でワインが作られてたのは有名な話。
テレビの旅行番組でよく放映されてるの見て、一度飲んでみたいと思ったよ。
61世界@名無史さん:02/07/20 20:12
やっぱり修道院では同性愛が続出だったのだろうか?
62世界@名無史さん:02/07/20 23:00
現代でもな。
この前アメリカでカトリック聖職者が大勢ぺドフィリアかなんかで捕まってたし。
枢機卿も捕まったそうだねぇ。
12世紀、アベラールとエロイーズまでは「恋愛」なる概念が無く、
ギリシア以来の「少年愛」(非性愛)しかなかったってホント?
63世界@名無史さん:02/07/20 23:47
>>62
>ギリシア以来の「少年愛」(非性愛)しかなかったってホント?
いや、それはちょっと違うと思うぞ。

12世紀まで恋愛の概念がなかった、
というのは、性愛と一体化した閨閥関係と別次元で女性を個人として見る、
個人としての女性を尊重するという高級な考えがゲルマンの蛮族にはピンとこなかった
みたいな話だな。

『アベラールとエロイーズ』も画期だが、
騎士道叙事詩が流行ってプラトニック・ラブみたいな宮廷愛が理想化されたりした。
64世界@名無史さん:02/07/21 11:52
>>61
4〜5世紀の、エジプトのパコミウスの修道院では、同性愛関係が生ずるのを
防ぐために、個々の修道士は一人ずつわかれて暮らしていました。

ついでにいうと、トンスラ(坊さんが頭のてっぺんの毛を剃る)というのは
エジプトが起源です。
65世界@名無史さん:02/07/21 13:19
66世界@名無史さん:02/07/22 16:54
>65
すごいルブリクだね。格好良し。
67世界@名無史さん:02/07/22 20:21
女性のウエストにコルセットをギュウギュウに締めて
細く見せようとしたり、胸のでかさを強調しようとしたのは
いつぐらいからなんだ?
現在の女性の美しさってのは中世に確立されたもんなのだろ?
68世界@名無史さん:02/07/22 21:23
中世ってぽっちゃり系が良しとされたんじゃなかったっけ?
69世界@名無史さん:02/07/22 21:58
中世の大工って歌が上手くないと出世できなかったの?
70世界@名無史さん:02/07/23 13:38
ぽっちゃりはギリシア、ローマ時代とかじゃないかなぁ?
71世界@名無史さん:02/07/23 14:28
>>67
コルセットはむしろ近世じゃないか?
72世界@名無史さん:02/07/23 16:48
>>71
一般化したのは19世紀ですが、ウェストを細く見せるための器具は
それ以前からありました。
http://homepage1.nifty.com/sale/corset/roman5.html
↑のサイトでは16世紀フランスの鉄製コルセットの写真があります。
いたそ〜。
73世界@名無史さん:02/07/23 17:45
>>68
中世はほっそりした女性が美しいとされていたようです。
いわゆる少女の美。
ルネサンス時代になると、成熟した女性に好みが変化して、ヴェネツィア派
の絵画に見られるような豊満な女性が美しいとされました。
(ただ、地方によっても差があったようで、ミラノなどでは、ほっそりした
女性のほうに人気があったとか)
もっとも中世の服は体の線が出るような服ではありませんでしたが。

http://users.aol.com/muaddib721/tresrch2.gif
↑ベリー公のいとも豪華なる時祷書
74世界@名無史さん:02/07/23 18:28
アイリーン・パウア「中世に生きる人々」
まずはこれ読もう
古い本だが
75世界@名無史さん:02/07/23 19:09
中世のドレスはシュミーズの上に長上着を羽織ってウェストベルトで
締めるデザインのものだったようですね。
でシュミーズは見せるものでデザインに凝ったとか。
体型矯正するのはルネサンス以降でしょうかね、やっぱ。
76世界@名無史さん:02/07/31 03:25
激しくどうでもいいことですが、
モノホンのフランスパンはぶん殴られたら卒倒するほど固いそうですな。

あ、中世にフランスパンなんてないのか…
77世界@名無史さん:02/08/04 10:06
中世の美女の基準というのは、「髪は金髪、肌は百合か雪を思わせる白さ、
頬と唇は赤く、額は広く、眉は褐色で弓形、鼻は筋が通って細く整っている」
というものだったらしいです。
身体については美の基準も曖昧になっていました。
78世界@名無史さん:02/08/04 18:35
 ちくま書房だか、岩波だか中世ヨーロッパが舞台の小説を多く出してます。
あと、大き目のCD店(H●Vとかヴァーメガ、タワレコあたり)なら
 クラシックのコーナーの音楽史のところに中世の音楽CDがおいてたりします。
 ただ、なんか大昔の曲というのは、なんか味気ないかんじです。
 ちょっと、エスニックぽいかな。
79世界@名無史さん:02/08/06 10:10
>77
そうそう、おでこ広くみせるために剃っていたらしい。
80 :02/08/06 11:08
そういえば、中世のどこかの国で、社交界で女性が胸を露出するのが流行り
あまりのことに、国王が規制したって話を聞いた事が有るのですか、本当ですか?
81世界@名無史さん:02/08/06 11:12
>>80
ルネサンス時代のヴェネツィアで、女性が胸を乳首が見えそうなほど
開けていたっていうのはよくききますけど・・・
(絵画にも残っている)
中世の場合、そういう流行はあったのかな?
82世界@名無史さん:02/08/07 16:14
靴の先がどんどん長くなって、奢侈禁止令が出たって事も。
83世界@名無史さん:02/08/07 17:23
>>81
むしろ男性の服装が露出的になって教会の顰蹙をかったりしたようです。
でも肌の露出じゃなくて、身体の線の露出ね。
当時の文書を読むと、「上着の丈が短すぎて尻が丸見えでみっともない」「脚の線がむきだしのタイツはいかがか」なんて記述がけっこうあります。
ブリューゲルの絵なんかみてると身分の低い男性もコッドピースつけていたようだしね。
84世界@名無史さん:02/08/08 23:39
加えて肌色のズボンと言うかタイツに近かったから、遠目には裸に見えたそうな。
85世界@名無史さん:02/08/08 23:46
>>77
絵画をみてると、わりにふくよかな女性が多いような。
86世界@名無史さん:02/08/09 00:56
>83
あれってコッドピースっていうんだ。勉強になる。
今のバレエ・ダンサーもサポーターの中にわざわざ詰め物してるって聞いたこと
あるけど、いつの時代も男性は、一物誇示が重要なんだね。(と断定。)
87世界@名無史さん:02/08/09 17:46
>>80
チョーサーの「カンタベリー物語」のなかに、
「丈の短いジャケットなどはあまり短くて、みっともない手足を丸出しにします」
「なかには身体の突出している部分や恐ろしくもり上がっっている部分を
見せて、まるで長靴下をはいた脱腸患者よろしくといった格好」
「しりの格好といったら、満月の後半分といったところ」
などという記述があるので、中世にも身体を露出した服を着る人たちは
いたのでしょう。
88世界@名無史さん:02/08/18 13:46
>>85
ふくよかなのは、文藝復興の後期以降じゃないかな。「愛の寓話」あたりが典型的か。
同時代でもヤンの描く女性は、青白くて細身細面で、生気がない。
89世界@名無史さん:02/08/18 13:55
9/16夜NHKで、荻野目慶子が案内人で「王家の指輪物語」が放映されていた。
中で、キリスト教受容期の12世紀創建で現存するノルウェーの教会が紹介されていた。
同時代のフランスやドイツの教会とは全く異風なデザインの木造の教会だった。
セントフッターブ教会だったかな?
90世界@名無史さん:02/08/18 20:11
>>89
木造の教会は、北欧だけでなく、ロシアやルーマニアなどにも残っています。
91世界@名無史さん:02/08/21 18:21
スレ違いかもしれないですけど質問させてください。

http://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1029920979.jpg
http://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1029921017.jpg
上の画像は甲冑のバックショットなんですけど、肩当の部分が
肩甲骨の辺りまで覆っていますよね。これだと剣を振り上げるような
動作が出来ないんじゃないかと思うんですけど、こんな構造で
戦いに支障はなかったんでしょうか? それとも、写真ではわからないけど
何か工夫された仕組みになっているのでしょうか?
92世界@名無史さん:02/08/22 01:57
これは騎馬槍試合用のものじゃないかな?
馬に乗って小脇に槍をかかえて突進するあれ
真相は知らんよ
93世界@名無史さん:02/08/22 08:04
つーか中世にフルプレートは存在しないし。
そんな重い装備つけてたら戦えないし。
基本は鎖鎧&サー・コート。フルプレートは近世のお飾りだと聞く。
94世界@名無史さん:02/08/22 22:35
 港町オンフルールのセント・カトリーヌ教会は、フランスでは唯一と言われる
木造建築の教会で、船大工が作ったと言われている。その屋根は舟を2艘逆さに
伏せた形に成っており、500年の歴史を持っている。
9591:02/08/22 22:55
>>92
騎馬槍試合用っていうとこんな感じになります。
http://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1030023462.jpg
左右の非対称化がより顕著で、試合に特化しているみたいです。

>>93
すいません、スレ違いかとは思ったんですけど他に質問の内容に近い
スレが見つからず、わざわざスレを立てるほどでもなかったので。
96通りすがり:02/08/23 01:57
教会に関してですが、
同時代のと言う表現を使用していることから考えてですが、
ちょっと不用意な発言かと思われます。
まあ、現存するということを主とするならその通りでしょうけど。

基本的には、当時の司教座聖堂は12世紀においてはほぼ石造のものとなっていたが、
12世紀の時点でと考えるなら教区教会のかなりの数がいまだ木造であったはずです。

基本的に都市内の建物も大半が木造でしたし、
城においても、12世紀前半と考えるなら木造がまだ主流でしたしね。
97世界@名無史さん:02/08/24 21:36
中世ヨーロッパの武勲詩の内容をちょっと紹介します。
まず『ガラン・ル・ロレーン』のなかで、ベゴン侯は殺したばかりの敵の
はらわたに手を突っ込みながら贓物を引きずり出し、
「下郎、お前の仲間の心臓だ。煮るなり焼くなり好きなようにしろ」
といって、ギヨーム・ド・モンクランの顔にそれを投げつけます。
主人公のガランは、
「心臓と肺と肝臓をつかみ出した戦友のエルノーがかたわらから心臓を奪い、
四つに切りきざみ、二人はまだピクピク動いている肉片を道の真ん中に
まき散らすのであった」
98世界@名無史さん:02/08/25 02:10
>>97
贓物ですか。(w
99世界@名無史さん:02/08/26 07:00
 ドイツ農民戦争について書かれた本を探しているのですが、何か面白い
本は無いでしょうか。
100世界@名無史さん:02/08/26 09:47
100ゲット。
101初2ちゃんねる:02/08/26 13:30
中世では山羊やブタなどは魔女(悪魔?)のお供だということでよく訴えられた魔女と一緒に死刑に
晒されたとか聞いたことがあります。でも山羊はともかくブタって人間の排泄物とかの処理のために
街などで放し飼いにしてあったんですよね?日常的にこんなに役立っているのにそれを恩を仇で返すとは・・。

えと、それとは話がズレるんですけど質問です。中世の人は寝るときは全裸だと聞いたのですが
それは民衆だけの慣わしでしょうか?
偉い土地を占めている領主や高位の聖職者なども関係なく全裸になったんですか?
領主はさておき聖職者は色々とマズイんじゃないですか?宗教の管轄下に置かれているし・・関係無い??
102世界@名無史さん:02/08/26 14:09
>99
エンゲルス
103世界@名無史さん:02/08/26 16:40
>>101
アダムとイブは全裸でしたよ!
10497:02/08/26 20:37
>>98
×贓物→○臓物
なに書いてんだろ・・・
「贓物」だと「盗んで手に入れた品物」という意味になっちゃうじゃないか。
われながら呆れる・・・
105世界@名無史さん:02/08/27 00:34
>101
聖職者はまずいってのがよくわからん…。わかるような気もするが

服着て寝てると「あんた具合悪いの?」って聞かれたらしいくらいだ
からねー。聖職者でもたとえば旅先の宿屋なんかじゃ裸だったのでわ?
106初2ちゃんねる:02/08/27 03:41
>105
聖職者は肌みせてはいけない決まり事とかあるとおもって・・。全共通みたいですねハダカ。



107105:02/08/28 00:43
>106
あー、でも国王や貴族なんかはいざってときに備えて
寝る時も上半身起こした体勢で寝ていた(そういう短いベッドが
残っている)っつーから、服も着ていたのかも
108世界@名無史さん:02/08/28 14:39
いざというときの為に鎧もつけていそうだなw
109アマノウヅメ:02/08/28 22:32
>>101
聖職者は修道服のまま寝てました。
現在でもそうだとのことです。
夜中に何度も起きてお祈りするから、着替える暇もないでしょうし。

14〜5世紀の聖人のご臨終の図が結構残っていますが、修道服のままです。
110105:02/08/29 01:33
>109
あ、なるほど。105を書くとき「薔薇の名前」ではどうだったっけ?
と思い出そうとして思い出せませんでした…
111世界@名無史さん:02/08/29 19:35
貴族はチュニック着て寝てたんじゃ?
聖職者は会派によって違うだろうけど。
厳密には修道服着たまんまかな?
3時間おきに祈りの時間あるし。。。

あと、現代では人や会によるだろうが
ちゃんと寝巻き着てるよ。知り合いの修道司祭がそうだった。
チェックのパジャマ着てて藁たよ。

ところで、なんか面白い中世が舞台になった小説あったら教えて。
112世界@名無史さん:02/08/29 23:37
>111
ノートルダム・ド・パリとかどう?暗いけどさ。あとレ・ミゼラブル。
これらしか知らん・・・(死
113世界@名無史さん:02/08/30 00:01
>>112
そりゃ両方とも近代フランス・・・・
114世界@名無史さん:02/08/30 13:30
>113
ゑ!これ中世の話じゃないの??
115世界@名無史さん:02/08/30 14:21
>>114
・・・・・・・・歴史を一から勉強せい!
中世はルネッサンスまでじゃ。
フランスなら、ルイ王室はすでに近代だぞ。
116世界@名無史さん:02/08/30 14:29
115>じゃあ15世紀も近代なのか?
117世界@名無史さん:02/08/30 14:33
1482年ってかいてんだけど。中世じゃないのか?
騙された気分だ・・・
118世界@名無史さん:02/08/30 15:08
>>117
通りすがりだけど、その年ならもうルネッサンスだよね??
ルネッサンスは中世じゃないよね??
やっぱり歴史をもっと勉強しないとね。

中世にはまだ小説はなかった。。そういう意味じゃないんだろうけど。
119世界@名無史さん:02/08/30 15:13
>118
はい、そうすね。もっと勉強します。
中世が舞台だと記されていたんで。ってことはあれは誤文だったというわけすか。
見事勘違いしてしまた。。。(泣)
120世界@名無史さん:02/08/30 15:24
>117
ノートルダム・ド・パリですね>1482年
結構微妙な時代かも。イタリア・ルネサンスはもう始まっていたのかな。
ちなみにレ・ミゼラブルは18世紀末〜19世紀前半を舞台とした話。
121120:02/08/30 15:26
リロードすれば良かった・・・・゚・(ノД`)・゚・。
122世界@名無史さん:02/08/30 15:34
余談でルネサンスの話とかはされてたような。。。
でも曖昧す。

ちなみにこの時代はルイ11世がいた頃でした。
123アマノウヅメ:02/08/30 16:26
『ノートルダム・ド・パリ』は中世にいれてもいいんじゃないですか?
庶民の生活レベルは中世だし、百年戦争は終わっていたけど
ブルゴーニュ公領を併合したのはルイ11世のときだから
やっと中央集権になったばかりです。

中世ものならスコットの『アイバンホー』がありますよ。
私はあまり面白くなかったけど、イギリスの歴史小説の
傑作といわれています。
124世界@名無史さん:02/08/30 16:32
ルネッサンスは微妙ですね。中世の秋、近代のあけぼの。
レ・ミゼラブルは完全に近代。

「アイバンホー」ですか。まだ読んでないので探してみます。ありがとうございます。
最近の娯楽小説でなにかありませんか?
「薔薇の名前」「修道士カドフェル」佐藤賢一あたりのは読んだんですが。
125アマノウヅメ:02/08/30 17:10
ばら戦争の時代だから中世に入るかどうかですが・・・
ジョセフィン・テイの『時の娘』は文句無しに面白い。
推理小説仕立てです。
126Krt:02/08/30 21:38
>>91
もう91に張られている画像を見ることが出来ないので想像で答えることになるが、
そもそもフル・プレートにおいて肩をカヴァーするのはPauldronと呼ばれる部分で、
ここは下半分が何枚もの小さな鋼板を鋲でつないで作られ、腕を持ち上げた時など
これが重なり合うように動くことで関節部が自由に動かせるようになっているはずだ。
91の見た画像が不鮮明なため、Pauldronが芸もなく肩を覆うだけの鉄のお椀のように
写っているだけではないだろうか。

>>94
フルプレートの登場は十四世紀末だから中世にはなかったというのはその通りだが、
もう一つの、フルプレートが全く実用性のないお飾りだ、というのはどうだろうか。
というのもフルプレートは、斬りつけ攻撃には強いが突きや打撃に弱い鎖鎧が弩や長弓、
さらには銃砲の出現によって実用性を失った時に、これに漸次追加装甲を加えていった
結果として出現したものだからで、具体的な戦闘の状況にもよるとはいえ、少なくとも
十五世紀のある時点までは、ある程度の実用性はあったと思われるからだ。
というのもフルプレートは、製造の先進地域であったミラノにおいては十五世紀末まで、
アウグスブルクやインスブルックにおいては十六世紀半ばまで、最も肝腎な性能である
強度の向上が鍛造方法や鋼の熱処理技術の進展によって絶えることなく計られており、
当初ヴィッカース硬度にして200台前半だった甲冑の硬度は最終的に500〜600にまで達し、
それによって重量も軽減されているからだ(甲冑後進国だったイギリスは更に遅れる)。
もしフルプレートが単なる飾りだったら、これは無用の努力だということになろう。
cf: Williams,Alan & de Reuck,Anthony:The Royal Armoury at Greenwitch 1515-1649:
p,25: Royal Armouries Monograph 4: 1995
 またフルプレートは鎖鎧と比べ重いように見えるが、鎖鎧がその構造上両肩に重量の
大半がかかるのと、強打されたり突かれたりした時に鎖が肉に食い込むのを避けるため、
下に厚い服を着なくてはならず、盾も必要だったのに対し、前者にはそれらも不要で、
少なくとも鎖鎧(20Kgはあったという)との比較ならば鈍重にすぎるものではなかった。
だからフルプレートが実用性を失ったのは、銃器の進歩と、鎧では銃器に抵抗できない
と割り切った軽装甲の歩兵が活躍しうる戦闘局面でこれに対抗できなくなってからだし、
十五世紀以後の戦闘の全てが例外なくそういう性格だったわけではなかったのである。
127Krt:02/08/30 21:40
>>101
これは良く問題になることなのだが、結論から言うと「中世の人は寝るときは全裸だ」
という認識は正確とは言い難いと思う。この「全裸」説というのは決して俗説ではなく、
例えばノルベルト・エリアスの「文明化の過程」上下(法政大学出版局)のような
極めて影響力の強い古典的な文献でも主張されたがために、以前は専門家ですら
しばしばこのような見解を採っていたのだが、このエリアスの見解を痛烈に批判した
H.P.デュル「裸体と恥じらいの文化史」(文明化の過程の神話T)(法政大学出版局)
が出た現時点においては、もはや到底無条件では支持しがたい説となったと思う。

例えばエリアスは同書で「衣服を着たまま寝るのでなければ、人々は素っ裸になった。
一般に世俗社会では裸で眠り、教団においては戒律の厳しさに応じて、完全に衣服を
つけたままか、ないしは素っ裸で眠った」p327 と書いているが、
先に挙げたデュルの本の第十一章を読むと、古代と同様中世の人々も夜は下着を付けて
寝ていた場合が多いこと、また「裸で寝ている」という表現が為されていても現実には
下着を着ている場合があることが絵画資料や文献の慎重な読みから見えてくるのである。
 また、敬虔な女性達の間には既婚者でも下腹部の部分だけ性交用のスリットが開いた
寝間着を着て寝る習慣があったし、十四世紀の田舎においてすら下着を付けて寝ていた
という資料があるという。
 要するに文字通り全裸で寝ている男女の図像などというのは決して中世人の無邪気さを
示すものなどではなく、彼らなりの方法においてあからさまにエロティックな関係を表現
している特別な状況を描いたものが殆どなのである。

こうしてみると、十六世紀の初めにベットから引きずり出されて陵辱された女性に関する
記述における「すべての衣類の替わりに肌着しか身につけていなかった」といった部分に、
あるいは中世の歌の「彼はおずおずと私の身体に手を伸ばした、彼は言った。お前を女に
してやる。お前はあの口も素晴らしい。彼は私の肌着の上に裸の身を投げた。彼は私の
密やかな城にこわばった槍を突き刺した」などという部分を読んだ際にも真っ先に「肌着」
という語に反応することこそが優れた文化史家としての才能なのだと気づかされる(笑)
(引用は上記のデュルの本の第十一章より)
128世界@名無史さん:02/08/31 00:31
>127
まじすか。なんだ・・服着てたのか。というかすごい詳しいですね!
良スレありがとございます。参考になりました!
129世界@名無史さん:02/08/31 02:46
>118
>通りすがりだけど、その年ならもうルネッサンスだよね??
>ルネッサンスは中世じゃないよね??
そんな風に簡単にはとても言えないよ
130世界@名無史さん:02/08/31 12:45
ほとんどの記述はノートルダムを中世だと言っていたっすよ。
131世界@名無史さん:02/09/01 18:18
ふと思ったのだが、ニーベルングの指輪とか、あの辺の話は
中世話になるのだろうか?
132世界@名無史さん:02/09/02 00:12
ニーベルングの指輪のもとになった伝説では神は出てこないし、ブリュンヒルドも
気性の荒い女王でワルキューレなんて関係ない。
133世界@名無史さん:02/09/02 00:35
フランス中世滑稽譚・処世譚
あっこれ社会思想社じゃねえか。
うあーん艶笑譚手に入れてねえ。
坊主か好色な話が多いッスね。
134世界@名無史さん:02/09/05 02:16
フレッド・ヴァルガスの「死者を起こせ」。失業中の3人の歴史学者が自分の
専門を生かすわけでもなく、謎を解く話。失業中、三五歳の中世史家という設定
だけで充分価値のある一冊。(身につまされるが)
135世界@名無史さん:02/09/07 11:15
>>126
14世紀末と言う事は1300年代ですよね。まだ中世だと思うのですが?
136世界@名無史さん:02/09/07 23:23
講談社現代新書の「傭兵の世界史」は既出?
たしか中世の傭兵のことも結構あったよね。
不潔で暗くて野蛮で(略
137世界@名無史さん:02/09/07 23:27
中世の頃、隠者生活してる人がいたと聞きます(クラウスナーとかいう人々)。
修道院の敷地内とか、橋の下とか。そこから一歩も出ずに生活してたとか。
そういう人達の生活を詳しく書いた本ってあります?
(私はビンゲンのヒルデガルド関係の本でそういう存在を知りました、でも生活
内容まで詳しく書いてなかった)
138Krt:02/09/08 00:26
>>135
普通、14-16(17)世紀は中世ではなく、ルネッサンス時代だろう。
特にミラノ周辺のような北イタリアは。

こういう時代区分にも流行はあるが、ブルクハルトあたりを持ち出すまでもなく、
近年、英米のルネッサンス専門家が結集して作ったとかいうふれこみで出た

Grendler,Paul F.(ed.):Encyclopedia of The Renaissance 6Vols.:Scribners:

もルネッサンスは14世紀(厳密には後半)から、という立場から書かれている。
139世界@名無史さん:02/09/08 00:48
>>138
イタリア以外はまだ中世という罠。
140世界@名無史さん:02/09/08 01:29
ルネッサンスなんてイタリアの一部の都市だけでのささやかな出来事にすぎない。
ヨーロッパ全体から見れば取るに足りないことでしかない。
本格的に近世が始まったのはやはり宗教改革からだろう。
141Krt:02/09/08 02:26
まあ、ルネッサンスをどう取るかは個人の歴史観にもよるだろうが、
このグレンドラーの事典などは英米系ということもあって、ウイクリフの聖書英訳や
チョーサーの活躍といった十四世紀の英語圏の文化活動を重視する立場をとっている。
十四世紀ですらルネッサンスはイタリアばかりではない、というのが現代の見方である。

あと、ルネッサンスではなく、宗教改革こそが近世を云々という主張だが、
140には是非リュシアン・フェーブル&アンリ=ジャン・マルタンの「書物の出現」(筑摩)
といった本を読んで貰いたい。ルネッサンスの古典復興とは「ギリシャ、ローマ」ではなく、
「ギリシャ、ローマ、ヘブライ」の古典復興であり、これが「古典古代復興」と「聖書翻訳」
「社会における識字率の向上に起因する、出来たら俗語で読みたいというニーズの発生」
といった、しばしば別々のこととして捉えられがちだが実際には同一の根を持つ現象を産み、
こういった志向が活版印刷術の登場によって一気に活性化していった結果が宗教改革なのだ。
従って理念上はともかくルネッサンスと宗教改革を切り離すことは実際には難しいのである。

(下世話な話をすれば、樺山紘一の皮肉ではないがイタリアルネッサンスの大建造物の費用を
主にドイツにおける免罪符販売で補った結果が何につながったのか、ということもある)
142Krt:02/09/08 02:46

「イタリアルネッサンスの大建造物」というのはもちろんローマのそれ、
なかんずくサンピエトロ寺院である。
cf.:樺山紘一「ルネッサンス」講談社学術文庫:U−9「三つの革命」
143世界@名無史さん:02/09/08 05:05
>>141
自分が目を通してきた資料では、少なくとも15世紀までは中世に区分
されていて、14世紀から近世と言っている例は取合えず見つからない。

あと、中世→ルネッサンス→近世と言う分け方をするわけではないので
「中世ではなくルネッサンス時代」と言ういい方は少々強引だと思う。

最後に、ご存知だろうが活版印刷術が生まれたのは15世紀に半ばであり、
それが欧州全土に広がるのは15世紀末期から16世紀初期だ。それを
踏まえればルネッサンスと宗教改革はある程度切り離して良いと思う。
144世界@名無史さん:02/09/08 05:15
>>143
×15世紀に半ば  ○15世紀の半ば

それと、
>それが欧州全土に広がるのは15世紀末期から16世紀初期だ。
この部分は間違ってるかもしれない。スマソ。
145Krt:02/09/08 17:25
>>143
私は126以後、140氏の発言の間接引用を除くと、一度も近世という言葉を使っていないよ。
強いて近世という言葉を使うなら私自身は(不正確さを覚悟の上であえて言うと時期的には)
ルネッサンス⊃近世、と考えており、「中世→ルネッサンス→近世」と考えているわけではない。
まあ、14,15世紀を中世とし、ルネッサンスを中世の秋における文化的社会的現象という風に
考えるのが学会の主流だと言うのなら、別にその信念に干渉はしないが。

ルネサンスと宗教改革だが、書き手ではなく読み手と出版業者に目を転じれば別の結論も出る。
活版印刷術以前には既に写本の出版業者とその組織化された写本の大量複製システムがあったし、
そして活版印刷術は彼ら出版業者にも、その延長上の技術として歓迎され、またルネッサンスの
文化伝達もこれら両方の技術によって可能になった。だが新規参入業者が増え競争が激化した結果
(1480-90年頃には既に印刷術は欧州全土に広がった:「書物の出現」巻末地図参照)、設備過剰に
苦しむ印刷(出版)業者は売れるものを求めて、聖書解説、俗語小説、政治文書や俗語聖書出版へと
乗り出して行く。そして表では政府や教会に忠誠を誓いながら、地下や国外では翻訳聖書のみならず
(当の出版人の信条とは無関係に)売れ行きの良いプロテスタントの過激な文書を印刷し、これを
密輸し行商人を通じて売りまくるというマッチポンプによって宗教改革を煽る役割を担ったのである。
146世界@名無史さん:02/09/08 21:32
>>145
いや、Krt氏が中世→ルネッサンス→近世と考えていると思ったわけでは無いが、
誤解を招くような書き方になってしまったみたいだ。すまない。
自分はルネッサンスを中世と近世との明確な線引きとは考えていないので、
143のような言い方になってしまった。
活版印刷に付いてはうろ覚えだったので詳しい説明サンクス。

…考えてみれば>>1に

>(中世は)西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。

と書いてあるので見事にスレ違いの話題だったね。皆さんスマソ。
147世界@名無史さん:02/09/08 21:35
と言う訳でスレにあった話題と言う事でひとつ質問良いですか?
中世の庶民の娯楽にはどんなものがあったのでしょうか。
少し前に見た映画では木の札を使った賭け事をしている場面がありましたが。
148Krt:02/09/09 22:52
中世庶民の娯楽というのは案外難しいテーマだと思う。スポーツ系(サッカーの原形)等に
ついては私も教えて欲しいし、「酒と女、見世物」系の娯楽はテーマがでかすぎるんで(笑)
ま、とりあえず遠慮しておく。となると146氏の関心対象である室内ゲーム、就中カードゲーム
ということになるが、これも正確なことを語るのは難しい。というのは「重要なことではない」
と同時代人に見なされた事というのは、案外記録に残らないからなんだと思う。

例えばボードゲーム系だと、バックギャモン、ソリティア、チェス等は起源の古いゲームだが
(特に前者はギリシャ・ローマ、その類似ゲームにいたってはは古代エジプトにまで遡れる)、
欧州で明確な記録が残っているのはチェスが11世紀、他は13世紀頃かららしい(参:増川宏一
「盤上遊戯」法政大学出版局)。ということは地域的同一性に基づく文化的継続性を考えると、
「記録に現れる」=その時点頃から始まった、ではなく「記録に現れる」=既にかなり流行、
と見た方が良いと思う(中東その他からの流入によるリバイバルもその原因として含めて)。

そういった視点からカードゲームを見てみると、これに言及している一番古い記録というのは
現時点では1329年の中部ドイツでカード賭博らしきものが修道士と修道尼に対して禁じられた、
というものらしいことがまずわかる(増川宏一「賭博U」法政大学出版局:1982:p188)。
149Krt:02/09/09 22:53
だが「禁じられた」ということは既にこの時点で流行っていたことで、調べればより以前の
記録も出てくる可能性は高い(現に増川の「賭博T1980」の方では最古の記録を1377年
としている程だ)。多分カードの伝来自体も「実際には13世紀にフランスに達している」
というトリジャルスキーの見解(「賭博U」ibid)が妥当な所だろう。

さて、ここで一つ問題になるのは、どのようなカードが使われていたのか、ということだ。
西洋のカードには大きく分けて現在我々が使っているトランプ系と、もう一つタロット系
という二系統のカードがあり、どちらが源流をなしているのか、という問題である。実は
タロットカードの使用記録は意外と新しく、現時点で最も古い資料でも15世紀初めまでしか
遡れない。だがタロットカードに関しては、十字軍遠征と共に東方から入ってきた、とか
ジプシーが中世に持ち込んだといった伝説が唱えられることも多いのである。
 増川氏もこの問題については明確な回答を与えていないが、幸い近年においてこの問題に
関するある程度明確な見解が生まれ、次第に定説化しつつある。それは、様々な神話伝説
にもかかわらず、タロット(tarocco/tarocchi pl.伊)は16世紀になってからの名称であり、
15世紀には単にcarte da trionfi(=cards with trumps 切り札付きカード)と呼ばれており、
実体としてもトランプ系カードの後に出来たものである、という説である。
150Krt:02/09/09 22:55
さらにこの説の論者達は、我々のタロットカードに関するイメージとは、かなりかけ離れた
結論をも併せて主張する。それは、タロットはその登場以後の最初の三世紀間はもっぱら
ゲーム専用の単なる(playing cards)であり、これが神秘めかした占いに使われるように
なったのは18世紀のフランスにおけるオカルトブームの中でだ、というものだ。
この説は英国におけるタロット研究の第一人者(?)マイケル・ダメットが最初に主張した
ものであり、現在では広範な支持を集めている。なお、マイケル・ダメットという名前で
同姓同名の哲学者(時には「天才」とも呼ばれる現代イギリスにおける言語哲学の重鎮)
を連想する人が居るかもしれないが、何を隠そう、実は同一人物なんである(笑)

彼はその大著(The Game of Tarot:Duckworth 1980)においてそれを主張し、この文字通りの
大著(なにせ、四折版600ページで持つと腕が痛くなる)における約200ページを費やして、
拾い集めた、タロットを使って行うゲームのルール解説を行っているのだが、これを見ると
タロットは本来ゲーム用、という彼の主張が正しいことはまず疑いないように思われる。
恐らく中世の人々はトランプカードを用いて様々な形で遊び、これに飽き足らなくなった
マニアが、さらなる楽しみを求めて上位互換性を持ったタロットカードを産んだのだろう。
ただその絵札デザインのあまりの蠱惑性が後世人を惑わす結果につながったのである。
151世界@名無史さん:02/09/10 21:26
>>Krt氏
なるほど。チェスにカードゲームですか。それにしてもタロットがゲームだったとは
知らなかった。なかなか面白い話を聞かせていただき感謝。

中世のサッカーは、まだラグビーと分かれる前なので手の使用が当り前だったし、
厳密なルールは無かった為、危険プレーも当り前で死人も良く出たとか。
街全体を使って数百人単位で行われたそうだ。この頃の球の材質は動物の膀胱を
膨らませ、革で包んだものが使われた。他にも戦争などで勝利した時に殺した相手の
頭をボールにしたらしいが、これは特殊な例かと。
余談だけどラグビーボールの形状は膀胱でなく胃袋を使ったためにあのような形に
なったと聞いた事がある。

他にも球技ではボーリングに近いケーゲル倒しと言うスポーツがある。
これは棍棒を悪魔に見たてて倒す遊びらしい。

一番興味があるのは当時の子供の遊びや、日常的に行われていたであろう、
専用の道具を使わない娯楽なのだけど、この辺は本当に資料が見つからない。
152世界@名無史さん:02/09/11 00:09
みんな何時に起きて何時に寝てたのでしょう?
王侯貴族と農民では違うかもしれないけど。
153世界@名無史さん:02/09/11 00:21
>>152
夜、明りを灯すことが大変な浪費だったから、基本的に
朝日と共に起きて、夕日と共に寝る。
154152:02/09/11 10:44
>>153 多謝。
155Krt:02/09/12 17:02
>>151 やっぱりサッカーというのは一種の疑似戦争というか荒っぽいものなんだね。
井野瀬久美恵の「フーリガンと呼ばれた少年たち」とかを読むと、フーリガン自体は
ヴィクトリア朝の産物らしいのだけれど、サッカーをやる以上、死人が多少出るぐらい
仕方がない、という社会的文化的了解はこういう起源からくるんだろうか(苦笑)。
もっともこんなこと、岸和田の「だんじり」とかで毎回のように死傷者を出している
国民が言えた義理じゃないのかもしれないけれどね。でも、どうもありがとう。

子供の遊びについては、阿部謹也氏が「中世の窓から」朝日新聞社、で少し書いている。
コガネ虫やクワガタを糸の先に結んで飛ばして遊ぶ(古典古代からある遊びだそうだ)
とか、葦笛を吹き鳴らすとか、花輪を作ったり藁しべをぬいてその長さで占いをしたり
と現代の日本でも身近に自然のある地方の子供ならやっていそうなものが多い。

この本の子供の遊びを論じた部分は、鬼ごっことペスト流行の関係とか、アジール論
との関係など興味深い話が多いし、参考文献についても言及されている。このテーマに
興味があるなら一読されてはいかがだろう。それにしても舞踏会(ball)の語源が舞踏を
伴う若い男女のボール投げ遊びに関係がある、というこの本の指摘には驚かされた。
156Krt:02/09/12 17:03
>>152
昔の庶民が日光を最大限活用するために夜明け前に起き、暗くなると仕事をやめ、
贅沢品だった蝋燭の節約の為、さっさと寝る「超早寝・超早起き」だったのは間違いない。
基本的に彼らは教会の鐘で告げられる時間に縛られた規則正しい生活をおくっていた。
ただ注意すべきことは、南欧では午睡の習慣があったこと、それと関連して就寝時刻にも
身分による違いが大きかったことだろう。聖職者は定刻ごとに捧げられる祈りのため、
俗人とは異なった時間帯に寝起きしていたし、労働の必要もなく、蝋燭代を気にかける
必要もない身分の人間は、庶民と比べてやや宵っ張りだったらしいのである。

例えば「デカメロン」で、疫病禍から逃れてフィレンツェ郊外の別荘にやってきた人々の
生活時間を見てみると、日によって少し違うとはいえ、もう少し遅い時刻に起きている
ようにみえる。一例を挙げると、物語の三日目の冒頭に(岩波文庫:三巻)、
「紅色になっていた暁は太陽が昇るにつれて橙黄色となり、日曜日が始まりました。
女王は床を離れて仲間の人たちを起こさせました」とあるが、太陽が紅色から橙黄色に
なるのは夜明けからかなり経った時点だろうし、一方この日は一同の移動日だったため
召使い達は遥か前に起きて、この時点で既に様々な準備を終えているのである。
157Krt:02/09/12 17:05
そしてこの「デカメロン」の話者達は昼食後、その多くが午後三時頃までの午睡を取り、
夜の就寝時刻も日暮れ後すぐではなく、夕食後しばらく「王はその後で草や花の上に、
多くの大きな蝋燭をともさせて、昇っていた星が落ち始めるまで」歌をうたったりして
楽しんだ後のことなのだ。(同三巻:三日目の終わりの部分)
私も天文に詳しい訳ではないのでこの「昇っていた星が落ち始める」のが何時頃なのか
詳しいことはわからないのだが、起床時間があまり早くないこと、午睡を取っていること、
等を考えるとそれほど早寝だとは思えない。むしろ現在の我々と余り変わらない時刻に
寝ていたんではないかとすら思えるのである。(ただ彼らも次の日曜には教会に行くため
夜明けとともに起きたりしているのだが)

まあ、長々と私見を書いてきたが、一般的な中世庶民の生活時間がどんなものであったか
ということなら、手近なところで、「生活の世界史6・中世の森の中で」河出文庫
の初めの方にかなり詳しく描かれているように思える。参照してはいかが?

ところでなに気にsage進行になっているが、それでいいのか?
現在そう板が荒れているとも思えないんだが。
158アマノウヅメ:02/09/13 00:09
探し物してたら『ロンドン庶民生活史』という本が出てきました。
また、食べ物や食器やトイレやお風呂の話がかけそうです。
159こんなん出てます:02/09/15 22:11
Stronghold
http://stronghold.godgames.com/
レビュー
http://www.japan.cnet.com/Games/News/2002/Item/020726-4.html
http://www.4gamer.net/previews/pre_str.html
stronghold -ストロングホールド- #3
http://game2.2ch.net/test/read.cgi/game/1025451794/l50

猟師やエール職人など住人のちまちました動きがたまらなくそそる箱庭Simです。
地方の小さな城で貧乏騎士生活を送りたい人におすすめ。

160世界@名無史さん:02/09/15 22:31

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http://www.kanpouya.com/
161:02/09/15 23:34
話の腰を折るようでなんなのですが
週刊「中世の世界を作ろう!」って
誰か買った人います?

#こういうくだらないの結構好きなんだよな
162世界@名無史さん:02/09/15 23:41
>>152-

緯度が高い場所だと「夜明け」「日没」も季節によって大差ありますよね
どう調整していたのだろう。教会の鐘?
163世界@名無史さん:02/09/16 00:27
>161
私も本屋で今日見かけました。
全部買うかどうかはわかりませんが、気に入ったジオラマがあれば
買ってしまいそうだ・・・。
でも作るの大変そう。工作苦手なのよね。
164Krt:02/09/16 02:10
>>162
教会は基本的に「祈り」という自分たちの勤めのために鐘を鳴らしていたわけで、
日本の江戸時代のように世俗社会のために鐘で時間を告げていたわけではない。
だから日本の江戸時代は季節によって打つ時間を変える不定時法だったが、
教会の鐘は原則としてはそうではない。ただし、これは原則であって、実際には
冬と夏とでは一時間程度鐘を鳴らす時間を変えていた(同時に祈りの時間も)
という。絶対時間で言うと夏の方が早く鳴らしていたそうである。
サマータイムの先駆けだろうか(笑)。

なお鐘を鳴らすための絶対時間は、ローソク、水(砂)時計などで知ったらしい。
ただ、十四世紀頃から、大都市では市庁舎の鐘楼に機械時計が設置され始める。
なお日本も要所要所には機械式和時計や香時計など絶対時間を計る装置があった。
165世界@名無史さん:02/09/16 13:36
硬い本から引っこ抜いてきた文体で長々書かずに簡潔に纏めれ。
166世界@名無史さん:02/09/16 17:59
(;・∀・)
167世界@名無史さん:02/09/17 16:04
>161さん、163さん

買いました。怖くてまだ開けてません。なぜなら無くしそうだから。
しかし、なぜ今、中世ジオラマ。今来てるんですか?中世。
うれしいけど。
168世界@名無史さん:02/09/17 16:13
>>167
そんなあなたに
DOMUS KITS
http://www.elleemmeshop.com/model1/miniatures/domus/domus_kit.htm
煉瓦バラ売りは
http://www.elleemmeshop.com/model1/miniatures/domus/part_000.htm

ちなみにネタ元は>>159の2chリンク先w
169:02/09/17 19:13
>>167
それって「帆船」みたいに何年も作り続けるものなの?
その、なんというか、知識的にうる物がありそうですか?

臆病る
170アマノウヅメ:02/09/17 21:38
>>168
へえ、面白そうですね。
この程度のものなら作れる図面あるし、私は工作は得意なんですが。
はまると時間もお金も大変なことになりそう。
171世界@名無史さん:02/09/17 22:59
中世ヨーロッパを作ろう、買ったよ。作ったよ。
第一回は教会の台座部分だよ。
えーと、紙で基本の壁立てて、壁の二面をちょっと貼って終わりです。
ううむ、なんともいえん。次回は窓とか扉だろうか。
172世界@名無史さん:02/09/17 23:15
ま、週刊デルプラド城だしね
173世界@名無史さん:02/09/18 01:02
とりあえず置く場所に困る。ゴシックじゃなくてロマネスクだってとこが、グー
174:02/09/18 01:04
明日の朝買って、職場で組み立てようかな
175アマノウヅメ:02/09/18 01:37
紙よりレンガ(状の木片?)のほうが好みです。
それから、出来上がったらゲームですか?
ゲーム苦手なんですよ。昔「スーパーキャッスル」とかいうのやったら、
反乱起きるやら、敵が攻めてくるやらで大忙し。
ちっとも遊んでる気分になれなかった。
176:02/09/19 17:35
買った。これ、100号続くのね。
建物は写真に載ってるやつだけで完結なのだろうか?
一冊800円?くらいとして8万円・・・・
ちょいと悩みますね。とりあえず一ヶ月くらい、様子見購入の予定。

僕としては、お城や教会よりも雑然とした都市のジオラマ作りたいのだが。
「釣りをする猫通り」とか。
177世界@名無史さん:02/09/19 18:29
通常価格は1029円となっているので全部買えばで約10万です。
178真実:02/09/19 18:47
支那屋日本の古典を読むと
痔の話し、仇敵に己の痔婁を舐めさす故事があるけど
欧州にもこのような古事が有るのかな?
179世界@名無史さん:02/09/22 02:17
"kiss my ass!"
180世界@名無史さん:02/09/22 22:58
すいません。
中世ヨーロッパの実際の文化と世に出ている中世ファンタジー作品それのの違いを
明確に記述した書物やサイトってあるでしょうか?
図書館など数カ所探しましたが、みつからないですね・・・
181アマノウヅメ ◆/knRokaQ :02/09/22 23:05
そんなものあれば、こんなスレ立たないような気が・・・
182山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/22 23:08
読み比べながら出鱈目を指摘した方が面白い。RPGやライトノベルの
印象だけで欧州が進んでいたなどと言う人間がなんと多い事か。
同時代でも(自分が日本中世史をやっていたせいか)日本の方がいい。
183世界@名無史さん:02/09/22 23:39
>>180ここにそれっぽいのが載ってた様な気が…。資料室だったかな?
ttp://member.nifty.ne.jp/bintaro/
184180:02/09/22 23:44
>>181
そうですよね。
やっぱり既存のファンタジー作品でしか中世を知らないってのがほとんどですよね、
世界史を勉強している人でも、中世の文化までは深くやらないだろうし・・・
だから、その辺を調べて指摘しているものはあってもよいのではと思ったんです。

>>183
ありがとうございます!
すごいですね、このページ。今じっくり見てます。
185世界@名無史さん:02/09/22 23:56
>180
中世ファンタジー作品って無数にあるからなかなか
網羅するのは難しいだろうし、だいいちそんな本
出版できるのか?という気がする。
186世界@名無史さん:02/09/23 04:38
>>185
とりあえず、元祖中の元祖の指輪物語、古典のエルリックサーガとかゲド戦記
あたりをやってみるのが面白いかと。
187世界@名無史さん:02/09/23 18:22
>186
指輪とゲドは中世ヨーロッパと違いすぎる(エルリックは
読んだことない)。
やるならもっと不用意に××騎士団とかランスロットなどの
固有名詞をちりばめたDQNなのがいいと思うぞ。
188世界@名無史さん:02/09/23 22:26
>>187
それじゃロードス島以降雨後の竹の子のように出てきた
いやはや和製ファンタジーが対象になるやん…
189世界@名無史さん:02/09/24 01:23
>>180
安田均のエッセイシリーズはどうだ?
ファンタジーの矛盾とかリアリティーについて語ってる著作があったけど
190世界@名無史さん:02/09/24 22:53
ここのスレのイメージとは真っ向異なる中世世界かもしれないが
マイクル・クライトンのタイムラインとか,もうちょっとこのスレの
雰囲気に近い中世ならコニー・ウィリスのドゥームズデイ・ブックは
いかがか
191世界@名無史さん:02/09/29 20:41
一応、保守しとこ。
192世界@名無史さん:02/10/04 20:20
age
193世界@名無史さん:02/10/04 20:59
何故、中世は暗黒時代と呼ばれていたのですか?
194世界@名無史さん:02/10/04 21:29
>>193
漏れ的な解釈では、キリスト教原理主義に根ざした閉鎖的社会という固定観念
によるものと考えているが実際は遥かにダイナミックな人間臭い、語るに値する
魅力的な時代(反発必死なことばかもしれない)であったと思う。
195世界@名無史さん:02/10/04 22:58
>>193
文明レベルや文化レベルがそれ以前に比べ衰退した時期だからです。
196アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/06 16:22
『ロンドン庶民生活史』(ミッチェル、リーズ共著。みすず書房)によると、
中世のロンドンの道路事情はおそるべきものだったようです。
街路の中央に溝が掘られていて、家の汚水や汚物を集めて溝に捨てるのは戸主の義務でした。
しかし、2階以上に住んでいる連中は面倒なので窓から汚水をぶちまけるので安心して歩けない。
広い街路には、両側に溝が掘られていましたが、溝が詰まると1階では扉から汚水が流れ込んで
きたとか。
この蓋の無い下水溝は台所のゴミや業者がこっそりすてるくず肉や売れ残りの魚や
建築資材の廃物でしょっちゅう詰まり、鳶や烏が肉類を食ってくれなかったら、係りの
役人はお手上げだったそうです。鳥が食ってくれないものは廃物運搬車に積んで郊外の
ゴミ捨て場に捨てに行き、かろうじて溝が流れるようにできたというから、暗黒時代と
よばれても仕方がないでしょう。
ローマ時代にも、アラブ社会にも下水道あったもの。
197世界@名無史さん:02/10/06 16:53
>しかし、2階以上に住んでいる連中は面倒なので窓から汚水をぶちまけるので安心して歩けない。

「☆☆☆l'eau!」(水に注意!という意味)と大声で叫んで
窓から汚水を投げ捨ててたというのをどっかで読んだ事あるよ。
でも、これフランス語ですね
198世界@名無史さん:02/10/06 17:45
>>180
>中世ヨーロッパの実際の文化と世に出ている中世ファンタジー作品それのの違いを
>明確に記述した書物やサイト

前スレとこのスレだけで充分すぎるほど充分だと思うが。
前スレのはじめの方で>>1の幻想が汚されていく姿がなんとも悩ましい。
199世界@名無史さん:02/10/06 22:31
>196
この話(ロンドン)は都市成立後のことでしょ。
ってことはつまり、少なくとも11世紀以降の話。
都市衛生に関しては、中世後期になってようやく、
都市条例の中にちらほら現れてくるようになるわけだから、
不衛生な環境だったことは前スレでも散々指摘された通り、明らかなわけだけど。
いずれにせよ、通常、暗黒時代という用語が指していたのは、
それ以前の時代、つまり西ローマ帝国滅亡から、メロヴィング、
カロリング朝とカロリング朝後の政治的混乱期までのいわゆる中世初期という
認識が一般的。
暗黒時代というのは、195の指摘通り、文化水準の急激な低下を表わす
言葉として理解されていたはず。(心配になって思わず本で確かめちゃったよ)
その間古典ローマ文化を継承し、また当時の宮廷文化を支えていたのが教会関係者だったわけ。

第一不衛生が「暗黒時代」の基準だったら、中世のみならず、近世を通しても
そう改善されたわけではないんだから、17、8世紀ぐらいまで暗黒ってことに
なっちゃうでしょ。

長文失礼。
200アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/06 22:41
>>196は13〜14世紀です。
しかし、もっと古いのって言うと文献あるかな?
無いから暗黒時代だったりして。
201世界@名無史さん:02/10/06 22:44
>>199
よく読まなくても>>196が「暗黒時代」の例として出されたわけじゃないのは
わかるはず。
カキコのタイミングの問題でそう誤解するのはある意味しょうがないかもしれませんが…
202201:02/10/06 22:47
って本人がいらっしゃった上によく読んでいなかったのは私の方でしたね…
(「暗黒時代とよばれても仕方がないでしょう。」ってあった)

大変失礼しました>>199
203世界@名無史さん:02/10/06 23:22
>200
当時の年代記はいろいろあるけど…
トゥールのグレゴリウス?だったかの、とか。
204世界@名無史さん:02/10/06 23:44
>196-197
フランスなんて中世どころかオスマン大改造まで(いや、もう少し後か?)
ろくに水道完備してなかったよ。
205世界@名無史さん:02/10/07 04:08
鹿島しげるさんの「自由・平等・清潔」を読むと、
ヨーロッパ特にフランスはつい最近と言ってイイ程まで
一般に衛生観念は乏しかったみたい。
19世紀にならんとする頃ある男爵婦人が「入浴などと言う野蛮な
事は体に良くない」と書いたそうだし。
特に世紀を洗ったりするのはそういう職業に付いてる女だけだったらしい。
それでてフランスなんてオーラル系の行為が好きだったんでしょう?
オエ!!
206205:02/10/07 04:29
いや。。。
男爵婦人の指南書は、なんと19世紀末のものだったようで。
また、別の女性はこうも書き残した。
「何はともあれ、一年に四回以上髪を洗ってはいけません。
一年に四回、これで十分です!」

中世から外れたのでさげ
207199:02/10/07 11:52
>200
>しかし、もっと古いのって言うと文献あるかな?
>無いから暗黒時代だったりして。

そう。そうです。私もそう書きたかった。というかそう書いたつもり。
トゥールのグレゴリウスなんて例外っすよ。そして数少ない史料のほとんど
すべては彼のような聖職者によるものばかり。結局中世初期研究が、
遅々として進まないのは、まさにこの時代の史料が圧倒的に少ないから。
その史料の信憑性さえ議論されるし。(傍証史料がないから)
名大の某S.S.先生は、昔西洋史学会の部会発表者を、完膚無きまでに
やっつけたけど、決めぜりふは、「使われている史料の信憑性」だった。
どうせいっちゅうーんじゃい。
だから今の学会のはやりは、洋の東西を問わず(って中世西洋史研究における)、
中世末期から近世初期なんどす。
208アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/07 16:53
>>199さん
で、私はまた、食事がどーだの、トイレがどーだのって話書きますよ。
これが趣味なモノでして。よそじゃ発散できないんです。
209199:02/10/07 22:32
どうぞ。お書き下さいませ。
なにしろスレタイトル、「暮らし」ですからな。
って私が許可することでもないか・・・。
210世界@名無史さん:02/10/08 00:40
>>208
是非!
211世界@名無史さん:02/10/08 01:12
>>137

 青土社 『英国畸人伝』に記述がありますが、これは金持ちの道楽で隠者役を雇って
やらせた話が中心ですね。

 http://www.seidosha.co.jp/isbn/ISBN4-7917-5885-4.htm
212世界@名無史さん:02/10/08 02:39
>207
>トゥールのグレゴリウスなんて例外っすよ。そして数少ない史料のほとんど
>すべては彼のような聖職者によるものばかり。結局中世初期研究が、
>遅々として進まないのは、まさにこの時代の史料が圧倒的に少ないから。

だって当時文字書けたのって聖職者くらいだし…。
ほかには考古学っぽいのに頼るしか思いつかない…。
213199:02/10/08 10:18
>だって当時文字書けたのって聖職者くらいだし…。

自己レスを引くけど、初期中世においては
>古典ローマ文化を継承し、また当時の宮廷文化を支えていたのが教会
>関係者だったわけ。(199)
と書いた通り、もし当時の史料を使って研究するとするならほとんどの場合、
書き手が聖職者であったことは基本的に大前提です。

私は、史料が少なくそれが聖職者の手による物だから、「中世初期のことは
わかりません」と書いたのではなく、「研究がしにくい」と書いたのです。つまり、情報はあるけど(だからまるでわからないわけではない)、
その情報がどの程度正確か、その史料自体信憑性があるかどうか、
といった史料批判をするのが、それを裏付ける違う立場の人達による史料が
不足しているため、大変難しいわけです。
214世界@名無史さん:02/10/12 21:24
ほしゅ
215アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/13 13:05
13〜4世紀のロンドンっ子というのは実に乱暴だったようです。
若い職人や徒弟、まだ奉公にも出ていない子供や騎士見習の少年まで含めて
ムアフィールドという競技場でレスリングや拳闘や弓術の稽古をしたとか。
特に弓は大人の参加者が多かったそうです。
死傷者が出るのはしょっちゅうで、当たり前すぎてほとんど記録にも
残っていないとのことです。
しかし、死人が出ると死因裁判があるので公文書が残っています。
弩の稽古を見物していたウィリアムなる人物に的を外れた矢があたってしまい
落命。矢を射たジョン・バートンは偶発事故でお構いなし。

その他、馬に乗って槍で的を突く競技で馬に踏み殺された少女も
ホッケーをしていて当たり所が悪くて死んだ10歳の少年も、みんな偶発事故。
216アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/13 13:14
ロンドン(シティ)とウェストミンスターの若者達は特に仲が悪かったそうです。
1222年のレスリングの試合では、ロンドン側が勝ち、1週間後に再試合が
決められました。ところが、ウェストミンスター聖堂の執事が余計な事をして
味方を武装させたので、ロンドン側は殴られっぱなしで死傷者多数。
怒ったロンドンっ子達は徒等を組んでウェストミンスターに押しかけ
執事の家をぶち壊し、聖堂院長がシティまで苦情を言いにくると馬を捕まえ、
召使を殴り倒し、石を投げて院長様を追い返したとか。
さすがにこのときはただでは済まず、首謀者三人は絞首刑、後何人かは、
手や足の切断刑に処されたとか。
217アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/14 17:20
ロンドンでは争い事があると、すぐに武器に飛びつくため、1281年には夜は剣と盾を持って
出歩いてはならないという法律ができましたが何かというと武器(と言っても商売道具)
で戦う習性は中々抜けず、1327年の昇天祭にはシティの馬具師・指物師・塗装工の間で
大喧嘩になり、チープサイドで「男らしく戦い」他の地区や他の商売の人々も参加して
多数の死傷者を出して、やっと収まったとか。
イギリスのフーリガン騒ぎの死傷事故の高さは、この時代からの伝統かも。
218世界@名無史さん:02/10/14 19:12
イギリスって庶民はこんなに粗野だったんですねえ
219世界@名無史さん:02/10/14 22:55
イギリスにかぎらねぇよ。そして庶民だけでなく、中世の学生の粗暴なことは、
つとに有名だった(はず、確か)。
ところで、細かいことで申し訳ないが、ウェストミンスター聖堂はいいとして、
聖堂院長は、ちょっと気になる。というかなんのことだかいまいちわかりにくい。
おそらく聖堂参事会(canon)の主席司祭(Decan)か、プロープスト(Propst)と思われる。
また、執事もおそらく役職付きの聖堂参事会員のことでしょう。
なぜかしらねど、未だcanonという役職は英国国教会でも残っているので、
もしかしたら普通の辞書にも載っているかも。
まぁ、これはアマノウヅメさんのせいというより、訳した人のせい。
220アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/15 13:33
>>219
訳した人のせいです。責任転嫁して悪いけど。
ウェストミンスター聖堂についてはろくに調べてなかったので、間違いがあったら
ごめんなさい。
221219:02/10/15 14:59
アマノウヅメさん、
お気を悪くなさったら申し訳ない。
研究対象の一つが聖堂参事会なもので、つい。(大陸だけど)
細かいことは気にせず、じゃんじゃんレスして下さい。
222世界@名無史さん:02/10/16 02:33
イギリスのフーリガンて何げに金持ちが多いらしい、何せ追っかけには金がかかる。
サッカーのフーリガンでは、矢張り伝統が長いイギリスが最強と言われて居る。しかし
連中も暴徒の極北とも言うべきドイツのフーリガンには一目置いているそうな、インタ
ビュー記事に依れば、彼らはネオナチだけに強いが「紳士」とは呼べないって!。
223世界@名無史さん:02/10/17 22:21
先生、質問です!
中世の人々の衣服類についてかなり疑問。洗濯はどーしてたかとか何着てたかとか
詳しく教えてくれると助かるっす。既出ならスマヌ。
他にも服の生地とか値段とか。清潔さの度合いとか。
224世界@名無史さん:02/10/17 23:47
麻と毛(ウール)が主体、麻は万年雪から見つかったアイスマンの死体からも
発見されておりかなり古くから使われていた。ウールもローマのトーガ等に
広く使われており、牧畜の始まりと同程度の起源が有るだろう。
225世界@名無史さん:02/10/18 00:43
>>180
クロちゃんのRPG見聞録はどうでしょう?
ブックオフで結構見かけるので導入としてはいいのでは。
226223:02/10/18 14:16
>224
なるほど。で、その麻って繊維の目とかはどんな感じだったのでしょーか。
やっぱ作りが荒かったのかな?
227世界@名無史さん:02/10/18 17:43
 当然初期の麻織物は荒い作りだったでしょうね、ただ歴史が古いだけにきちんとした
衣類も相当昔から作られています。例えば有名な十二単も麻織物でした、辺境の島国
でもそんな昔から出来たのですから、他はおして知るべしでしょう。
 詳しくは此方をご覧下さい、此方の説明に依れば麻は紀元前7000年から使用されて
いたそうですから、人類とは実に9000年の付き合いに成ります。

「日本麻紡績協会」http://www.asabo.com/
228コピペ:02/10/18 18:59
NHK教育 10/25 後10・00〜10・45
 ドキュメント地球時間「イギリス・16世紀 グルメ王の食卓」

 16世紀、イギリス・チューダー朝。2代目の王として君臨した
ヘンリー8世は絶対的な権力を誇示し、贅の限りを尽くした
食生活を謳歌したことで知られる。
 番組では、王の食卓にのぼった豪華な食事の数々を細部に
わたって再現する。また、当時の食材の流通経路や食文化など
食にまつわる興味深いエピソードの数々を紹介する。
229アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/18 21:08
ウールの服は洗濯が難しいので、ほとんど洗えず、庶民は着たきり雀で、服を脱いで
床に置くとそのまま立ってたと言う話をどこかで呼んだことがあります。
230世界@名無史さん:02/10/18 21:24
入浴の習慣は16〜18世紀あたりのヨーロッパより、
中世ヨーロッパの方が盛んであったと聞いておりますが。
2311:02/10/18 21:27
何かの本で読んだ覚えがあるのですが、中世の人は枕元に
チーズやパンを置いておいて、適当に腹が空いたら食べて、
そのまま寝るという話は本当なのでしょうか?

裸or肌着かつ歯磨きと入浴無し、そして食べ物のかずがボ
ロボロと…。
232231:02/10/18 21:28
ごめんなさい。HNが残ったままでした…。
漏れはこのスレの1ではありません。
233アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/18 21:46
>>230
中世ヨーロッパには風呂屋も公衆トイレもあったという記録があります。
室内で入浴している絵も残ってます。(持ち運びのできる桶です)
風呂屋は梅毒の流行で廃れたらしいとのことなので、いかがわしい店も
あったんじゃ?
234世界@名無史さん:02/10/18 21:54
>>230
黒死病の影響で、公衆浴場はすたれたとか。
それ以前に、キリスト教的立場からの圧力もあったのでは?
幕末期や鎖国の時に、日本の公衆浴場を見た人達は倫理観
の欠如を感じたようですし。
235Krt:02/10/19 22:05
前スレの最初の方の影響か、中世は不潔だったという説が根強く残っているようだが
少なくとも中世後期(及びそれ以後、十六世紀のある時点まで)はヨーロッパ人も
比較的風呂好きだったのである。ヨーロッパ人の入浴習慣の変遷をおおざっぱに言うと、

(0)古典古代(極めて清潔で風呂好き。ギリシャ人もそうだがローマ人はもっと風呂好き)
(1)中世初期〜十一世紀まで(良くわからないのだが恐らく不潔、入浴の習慣あまりなし?)
(2)十二世紀〜十六世紀のある時点まで(かなり風呂好き、公衆浴場も内風呂もあり)
(3)十六世紀のある時点〜十九世紀半ば(かなり、あるいは極めて不潔、入浴習慣衰退)
(4)十九世紀後半以後(衛生学的見地からの清潔尊重の時代がくる。入浴習慣復活)
ということになる。またその変遷の原因も、

(0)から(1)への変化は都市インフラの崩壊とキリスト教的禁欲の浸透。
(1)から(2)への変化はローマ文化を継承したイスラム入浴文化との十字軍等での接触の結果。
(2)から(3)への変化は梅毒や黒死病の影響と木材高騰や公衆浴場の風俗産業化に対する弾圧。
(3)から(4)への変化は病原菌の発見により、「清潔」の概念が衛生尊重へと変化したこと。
によって、もたらされた言われているし、それも大筋では正しいのだと思う。
236Krt:02/10/19 22:07
 例えば(2)の時期において、ヨーロッパ人が比較的清潔で風呂好きでもあった証拠として、
ウラディミール・クリチェクは「世界温泉文化史」(国文社)において十二・十三世紀の
多くの文書記録に公衆浴場に関する記載があることを挙げる(p107)。彼によるとこのころの
多くの都市で市民たちは毎土曜日と祝日には公衆浴場に行く習慣があったらしい。

「デカメロン」でも、物語の語り手の女性達が土曜日ごとに髪を洗う習慣をもっていた
ことが記述されているし、夏だったこともあって、彼らが裾をからげ、冷たい水に足を入れて
はしゃぎまくる、といった場面も描かれている。彼らは決して水嫌いではないのである。
 さらにデカメロンの説話部分では、人々が公衆浴場ではなく内風呂を利用している場面
までもが描かれているのだ。例えば二日目第二話でよからぬ旅の道連れに身ぐるみ剥がれて
雪空の下で震えていた商人を内風呂に入れて介抱してくれたのは、その夜、旦那が来るはず
だったので風呂を立てて入ろうとしていたのに急用ですっぽかされた気のいいお妾さんだし、
二日目第四話で「貧しい女」が溺れて冷え切った男を「温かい風呂に入れて摩擦してやり、
それから熱い湯で身体を洗って」やったのも、状況からしてどうも内風呂っぽいのである。
 これは物語だけれど、物語というのは大きな嘘はつけるが、生活上のデティールに関する
小さな嘘をつくことは出来ないものである。恐らく当時の現実もそうだったのだろう。
237Krt:02/10/19 22:08
さて問題は(3)の期間である。実はこの時代の正確な実情と言う奴が一番厄介なのである。
たしかに十六世紀の前半から当局により徐々に公衆浴場が閉鎖されていくことは事実だし、
モンテーニュなども彼のエセーで「(古代人は)われわれが水で手を洗うのと同じぐらいに、
しょっちゅう入浴した」(第一巻四十九章)として彼の時代と比較しているのだが、他方で
彼は結石を直すための湯治が好きで「だいたい私は入浴は健康によいものだと思っているし、
毎日身体を洗うという、昔はほとんどの国で守られ、現在でもいくつかの国で守られている
習慣が失われたためにわれわれの健康に少なからぬ損害をこうむったと考えている。また、
あんなに皮膚を垢でかさかさにして毛穴をふさいでおくことが大して体に毒でないなどとも
考えることができない」(第二巻三十七章)という意見の持ち主でもあった。

 というか彼の書いていることから、この時代(十六世紀末)においては入浴習慣もまだ
全ヨーロッパ的に廃れていたわけではなかったことが明かである。なるほど公衆浴場なら
徐々に廃止されていったろうが、温泉地における湯治という名の入浴習慣はその後も持続
したし(ただ、瀉血、吸血ヒルの使用、そして血だらけの大浴槽における共同入浴といった
非衛生の極みとも言うべきこの習慣は健康人よりも病人を創り出すことが多かったろうが)
それ以外にも部分浴をも含めた家庭内での入浴は必ずしも全廃されたわけではなかった。
238Krt:02/10/19 22:09
これは微妙な例だが、かつてバートランド・ラッセルが彼の大著「西洋哲学史」において
ライプニッツが吝嗇な人間だったことの証拠として、彼が結婚を控えた娘に対して贈り物
ではなく、有名な格言を書いたカードを贈った、というエピソードを挙げ、その中に、
「夫を確保したからといて、洗うことを止めないように」というものがあったことを
述べている(ラッセルは優れたライプニッツ研究家でもあった)。実はこの場合の
「洗う」には、洗濯の意味だけではなく性行為後の「洗浄」というもう一つの意味があり、
従ってこの「格言」はかなりきわどい内容のものなのだが、そのような局部洗浄の習慣が
存在する文化圏において、はたして「洗う」のが性行為後だけに限られていたのだろうか、
という疑問が湧くのは自然なことだろう。後にビデという独創的な機器を産む生活習慣が
既にここに現れている、と考えるのは、さほどうがちすぎでは無いと思うのだが。
 即ち(3)での入浴習慣は地域、階級のみならず個人の嗜好によるものが大きかったのだ。
例えば十八世紀においてもルイ十五世紀のような、ヴェルサイユに近代最初の水洗トイレ
を設置しただけではなく、延べ236もの浴室を作った(自分専用のものだけでも七つ!)
風呂道楽とも言うべき人物もいたのだ。これは盥に湯を汲むのではなく、湯と水のパイプ
が別々にあり、カランから浴槽に注ぐ本格的なものであり、彼の時代には、王も貴族も
夜会や外国使節との謁見の前には必ず入浴して出席するのがマナーだったそうである。
239世界@名無史さん:02/10/20 21:26
ケビン・コスナー主演の「ロビン・フット」は比較的、時代考証を真面目にやった映画らしい。
(時代は十二世紀末のイングランドですな。)
それを見ると、当時の農民は藁ぶきのテントのような家に住んでいたようにみえる。
(調べてみると当時はそんなものだったらしい。)
実を言うと、これとほぼ同じ構造の住居は昔の日本にもあった。
そう、「縦穴式住居」である。
十三世紀頃までは、こういった住居が(イングランドでは)一般的だったようだ。
(寒冷地ではけっこう合理的な建築物、と日本の考古学専攻の学生に小一時間…。)

一方、大陸では一般的なイメージの家屋が普及していたようであるが、作りそのものはかなり粗末なものだったようだ。
(窓ガラスの普及は、・・・近世以降の事でしょうな。)

パン焼窯と水車小屋は、領主が「使用料」を取る為に独占していた事も少なくないので、一般家庭にはカマドがあったくらいであろう。
尚、「縦穴式」の場合はイロリ型のようだ。
(ケルト系&/orゲルマン系がイロリ型で、ラテン系がカマド型になるのだろうか?)
240世界@名無史さん:02/10/20 22:26
欧州各地を日本やその近辺に持ってきて、緯度の比較をしてみよう。
南仏マルセイユと札幌は、ほぼ同緯度。
フランス、ドイツは、北海道北部から樺太とほぼ同緯度。
大ブリテン島は、カムチャッカ半島とほぼ同緯度。

中部以南のイタリア辺りはともかく、他の地域は(海流の関係で温暖だとは言え)農業で生計を立てようとするには絶望的な緯度である。

麦の種1につき収穫が2〜3というのは、当時の未熟な農業技術だけが理由では無く、緯度の問題も多分にあると思われる。
中世盛期といわれる十三世紀は比較的温暖な気候であった為、収穫量は二倍近くになっている。
(最近の日本では1993年の冷害による不作があるが、この年の収穫量は江戸時代の大飢饉と呼ばれた年のものと比較してもそう大きな違いは無い、といわれる。
ちなみに、この1993年でも米の種1につき10程度らしい。
これと比較すると、やはり当時の欧州の収穫量は絶望的な数値といわざるをえない。)

農業技術の未熟さもあったであろう。
『種まく人』等で有名なミレーの絵画は、十九世紀半ばのフランスの農村風景を描いたものと言われる。
あのような種の蒔き方で植物がまともに育つかどうかは、現代では小学校の理科の問題である。
これ以前は、推して知るべし、であろうか。
241世界@名無史さん:02/10/20 23:15
>>240の続き

農業に活路を見いだせない以上、他が重点的になってくる。
酪農や漁業がそれに当たる。
(北海のニシン漁は現代でも盛んである。
また、テームズ川のウナギは、当時のロンドンの人々にとっては「食い飽きたもの」の代名詞のような扱いにもなっていた。)

緯度的に針葉樹林帯が主である以上、自然のものを採集するということは難しい。
(実のなる木は少ないから。)
それでも、フランスのビスケー湾付近の地域ではクリやドングリが主食になっていた時期もある、という資料もあるので地域によっては可能だった場合も考えられる。

搾乳は牛よりも羊や山羊が主体であった。
現代のホルスタイン種では、一頭につき一日に30リットル強の牛乳が生産可能であるが、当時のそれは現代のものの六分の一程度だったというから、仔牛の分だけで余剰はほとんど無いであろうと思われる。
(山羊の乳と乳製品だと「アルプスの少女ハイジ」の世界ですか?
まあ、アレは十九世紀末から二十世紀初頭の時代設定ですが。)

余談ではあるが、羊は自らの尿を飲む。
塩分の確保が難しい地域でも生存可能な動物であるが故の習性なのであろうが、肉や乳がアンモニア臭くなるのは…。
242世界@名無史さん:02/10/20 23:17
>>240
あのー、大陸性気候の日本と海洋性のヨーロッパを緯度を基準として
気候と農業を比較するのはちょっと無理があるかと..
北海道は気候区分では冷帯に属し、ヨーロッパでは北欧に近い。

北緯 都市名     年平均気温 最寒月の平均気温 最暖月の平均気温
 43   釧路        5.7度     −6.1度(1月)    17.8度(8月)
 59 ストックホルム     6.5度  −3.0度(2月) 17.1度(7月)
 43   札幌        8.2度     −4.6度(1月)    21.7度(8月)
 55   コペンハーゲン    8.7度       0.6度(1月)    17.2度(8月)
 43   マルセイユ    14.5度       6.4度(1月)    23.7度(8月)
 34   大島       14.8度      6.0度(2月)  24.5度(8月)

                     1997年版理科年表(国立天文台編より)
>>242
おおっ、ツッコミ感謝(笑)

気温も関係あるが、日照の問題もあるのでこのようなものを持ち出した次第。
(一応、「海流の関係で云々」と言い訳は書いたつもりだが。)
日本でも北海道と東京では「陽の強さ」が違いますな?
野の草の伸び方は、それらの要因も無関係では無い。

「稲作」の北限が北海道やフランス南部というのは、単に気温だけの問題では無いと思うが、さて?
244世界@名無史さん:02/10/23 02:06
>>90
木造の教会建築は、10/13夜のTBS「世界遺産」でも放映されてた。ロシアの。
245世界@名無史さん:02/10/23 02:21
ほほう。これが噂のNHK板ヨーロッパの古城スレ軍団の面々ですか
246世界@名無史さん:02/10/23 02:33
>>240
11世紀の農業革命を無視してませんか?
小麦の収穫量の少なさは最初期のメソポタミアからそんなものだったはず。
247世界@名無史さん:02/10/23 04:47
中世ヨーロッパで栽培可能だった植物を教えてくれるとすごい助かる。穀物だけで
なく果物とかも。
リンゴってあったよね?
248世界@名無史さん:02/10/23 07:59
>>247
ヨーロッパっても広いんだから地域を指定してくださいよー
249世界@名無史さん:02/10/23 10:52
250世界@名無史さん:02/10/23 11:03
>248
えーと、西側諸国? それくらいで頼んます。
麦以外に何食ってたとか。
251世界@名無史さん:02/10/23 12:16
農業革命後、13世紀で3〜4倍・・・ 麦って効率悪いねぇ。
山間や海岸近くなんかで、ほんの2、3坪くらいしかないところに
田んぼが作られていたりするけど、米を作れる地域じゃできるだけ
米を作ろうとするわけだ。
252世界@名無史さん:02/10/23 14:21
生長の傍系右翼団体の末端構成員は
毎月新聞代やら書籍代・その他練成会合宿費用
その他でいくら教団に貢いでることか

喪家その他と同様、書籍・機関紙代だけで
月5、6万になるとも聞くが
生長系の右翼団体には青少年が多いって話だけど、
そんなフリーターみたいな生活してる人たちが
そんだけ貢いでたら生活苦しくないわけがない

団体の親方は連れて来た構成員が教団に払う
会費・書籍代からいくらバックがあるのかしらんが
街宣ならぬ一日中パソコンに張り付いて
本の宣伝をしたりコピペを貼ってる末端には
果たしてどんな明日があるのやら


253世界@名無史さん:02/10/23 17:28
>>247
とりあえず大航海時代まではジャガイモ、トマト、トウモロコシはなかったよね。
254世界@名無史さん:02/10/23 20:15
そうそう。確かジャガイモは新大陸で、トマトは……南米だっけ?
そう言えばこないだ中世ヨーロッパものの小説読んでて、作中にイモが出てきて笑った。
時代考証は大事だねー。

カボチャは……なかったか。大根はあったっけか?
>>246
ツッコミ感謝(笑)
十一世紀のそれは、実質的に「連作障害の排除」というもので、収穫量の増加は微々たるものである。
(それでもかなり重要。)
収穫量の増加は、十五世紀頃のもので八倍程度。
十八世紀以降は十倍を越えるようになる。
意外と知られていない事実だが、十九世紀半ばに日本や中国から農業技術、器械類が輸入された後、収穫量がかなり増大した。
(東洋の方が農業先進国だった、ってこれはスレ違い。スマソ)

尚、中世の「穀倉地帯」はポーランドで彼の国の主要輸出産物だったが、収穫量は他の地域と変わりはない。
しかし、二圃制だった為に十六世紀以降収穫量は激減。
(連作障害によるものらしい。)

古代を例に取れば、ローマ帝国の属州となっていた地域でも、地中海沿岸の中東やエジプト等は小麦等を納めていた模様。
確とした資料は乏しい(スマソ)が、それらは二十倍から三十倍程度の収穫量はあったのではないかと推測されている。
(中世欧州の場合、教会の十分の一税の関係で僧侶らが収穫量の記録を残した模様。)
>>246
主なものは、だいたい以下の通りかと。
尚、十七世紀以前のアルプス以北の地域では、夏と冬の二つの季節だけ。
(四季ならぬ二季が一般的だった模様。)

冬蒔きの麦 小麦 ライ麦 大麦
夏蒔きの麦 燕麦 大麦
他の農作物 豆類(空豆、エンドウ豆、レンズ豆)
      亜麻 麻 油脂植物類(なずな、ケシ等)
野菜類   蕪 ラディッシュ セロリ 人参 キャベツ
      玉ねぎ 各種薬味用植物 (東部で)キュウリ 
      (後期以降)レタス ホウレン草
      (資料によっては、カボチャも有り)
果樹    ブドウ リンゴ 梨 プラム 胡桃 栗
      (資料によっては、サクランボも有り)
      イチゴが大粒のものになるのは近代以降で、
      それ以前は、小粒の野イチゴ

ブドウはワインの醸造に不可欠だが、北欧では栽培不可能だった為、ワインは輸入に頼っていた。
何故、輸入してまでワインを必要とするのか?というと、教会のミサ(儀式)で必要だから。
257世界@名無史さん:02/10/23 23:12
>>256のつづき(というか、書き忘れ 藁)

欧州のような寒冷地では『養蜂』も盛んで、事実上唯一の『甘味料』の採集方法だった。
(砂糖は温暖な地方の栽培植物『さとうきび』から作られるものなので、高価な輸入品であり、庶民が口にする事はほとんど無かったであろう。
値段は、砂糖>>>>>>>>>>>ハチミツ。)

蜂蜜からは、蜜酒、蜜蝋(高価なロウソク)も作られた。
(蜜酒は飲んでみた事あるが、…。
まあ、ウマイ酒なら現代でも有名な輸出品になっていただろう、という事で察してくれ。)

ちなみに、安いロウソクは動物の油脂から作られた『油脂ロウソク』。
でも、庶民にはこれでも高価なもの。
258世界@名無史さん:02/10/24 00:19
確かメソポタミアの古代王朝では筋蒔き農法のお陰で、中世ヨーロッパより
収穫が多かったんじゃ無いか?5倍くらい違っていたそうだが。
259世界@名無史さん:02/10/24 00:44
>>258
だいたい播種量の50〜100倍の収穫があったそうだ。
良くて5倍程の収穫量だった中世ヨーロッパの10〜20倍の生産量になる。
ヘロドトスは例の如く300倍という数字をあげているけどね。
260山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/24 00:49
>259
今でも50〜100倍なんて出せない。何か技術か環境面で恵まれた
点があったのでしょうか。
261世界@名無史さん:02/10/24 00:52
>>259
でも塩害でどんどん収穫量が下がっていったんだよね。
特に塩害に弱い小麦から大麦やナツメヤシ中心に変わっていった。
262世界@名無史さん:02/10/24 01:04
ナツメ食べてみたい
263世界@名無史さん:02/10/24 01:06
現在の収穫量が少ないのは知らないけど、
前24世紀のラガシュの記録では76.1倍となっている。
漏斗状の特殊な条播器を使って幅を広くとった溝に一定幅で条播したとか。
264世界@名無史さん:02/10/24 05:20
>256・257
ものすげえ感謝。超助かる。ウルトラやっぴー! と叫びたい(訳わからん)。
なんにせよ、非常にありがたい。

しっかしろくなもん食べてなかったのだな……中世の人間は。
トウモロコシって新大陸からだっけ?
265世界@名無史さん:02/10/24 09:02
>264
yes. とうもろこし・じゃがいも・トマト。
266世界@名無史さん:02/10/24 17:16
>>257
油脂ロウソクのなかでは羊脂製がいちばん上等だったらしい。
次が牛脂製。一番数の多い豚脂製は燃やすと嫌な匂いを放つために
嫌われていたそうだ。
ちなみに今と違い、芯は燃えても黒コゲになって残るので
芯切りバサミは必須。
267世界@名無史さん:02/10/24 18:01
>>256 >>257の補足、追加
上はフランスとかドイツのもの。

南欧だと、オリーブが加わる。
オリーブオイルは、古代から地中海名産品?だったし。
果樹類だと柑橘系が加わる。
オレンジ、レモン、ライムとか。
逆にリンゴとかは少なくなるはず。
イチヂクあたりもあってよさそうだが…。

梨は無論ヨウナシ。
リンゴは果実を食う場合も多いが、リンゴ酒(シードル)の材料としても使う。

「薬味用」と書くよりは「ハーブ類」と書いた方がわかりやすかったか。
肉の臭い消しとか、色々な用途に使われていたはず。
栽培していた種類はいちいち書いてられない位多い。
ハーブ関係の本でも読んでくれ。

>>259
漏れの資料はヘロドトスの記述を十分の一にしただけかも。
意外とこれはこれで正解のような気もする。(藁)

>>261
古代からの潅漑の技術が失われてから塩害が出てきた模様。
モンゴル軍が破壊したとかいうが、単に悪い事は全部モンゴルの所為にしているような。
壊れても修理すれば良いような気がするが、修理再構築の技術も失ってしまったんだろうかね。
資料の図面だと地下何層にもなった潅漑施設だったが。

>>264
礼には及ばぬ。
こんなもん何に使うのかそっちの方に興味アリ。(藁)
268いたりや金融道:02/10/24 23:36
日本人にとって一番解りづらいのが、当時の「徴税請負人制度」かな。類似した制度が身近に無い/無かったから、理解しづらい事この上無い。

大抵は、イタリアの商人達がこの「請負人」として活動していたようだが、本来は「商人組合」とか大手の「会社」の「社員」として、商取引の為に派遣されていただけだった。
その彼らが「徴税請負人」となったのは、やはり各地の封建領主との取引を通じて、その御用商人となってからだろうか。

領主ジャイアン「というわけで、今度野球のチームを作ることにした。
場所とか道具とか用意しろよ。」
商人スネ夫「はい。球場とかユニフォームとかですね。
で、代金はどうしましょう?」
ジャイアン「そうだな、のび太の小遣いとお年玉を5年分でどうだ?」
スネ夫「わかりましたー。」

スネ夫「というわけで、お前達の小遣いとお年玉5年分はボクのものになった。」
農民のび太(複数)「ええっ!?」
スネ夫「文句言うな。ジャイアン様の許可証もあるんだからな。
わかったら、さっさと並んで出すもの出せ。」

渋々とならんでスネ夫に金を払うのび太(たち)。
のび太「ううっ(TT) これじゃ何も買えないよー」
スネ夫「そうか、お前もかわいそうだな。」
優しいスネ夫の声に、一瞬、のび太の目が輝く。
スネ夫「お金、貸してあげるよ。利子は月一割ね。」

スネ夫に小遣いを巻き上げられた上に借金までさせられたのび太(たち)に僧侶出来杉が声をかける。
出来杉「大変だったね。ところで今日は教会の十分の一税の支払日なんだけど…。」

つづく、かも。
269世界@名無史さん:02/10/25 00:27
続けろ。ってーか続けてください面白いから。
270世界@名無史さん:02/10/25 11:05
おもろい。age
271世界@名無史さん:02/10/25 11:06
続きまだー?
272いたりや金融道:02/10/25 23:38
>>268 のつづき???
領主ジャイアン「今度はアメフトのチームを作って、NFLでローズボールを目指すことにした。」
商人スネ夫「あのー、確かローズボールは大学リーグの方で…」
ジャイアン「なにぃ!おまえ、オレ様の言うことにケチつけんのか!?」
と、言うよりも先に殴り倒されたスネ夫。
スネ夫「あー、いえいえそんなことないです(TT)」
ジャイアン「ふん、わかればいい。」
スネ夫「で、代金の方は?」
ジャイアン「ん?この前ので足りるだろ。」

実は、前からかなり多めに取っていたスネ夫だが、
スネ夫「というわけで、今回から負担金が増える。いいな!」
農民のび太(たち)「ええっ!そんなぁ」
スネ夫「のび太のくせに文句言うな! さっさと並んで出すもの出せ!」

渋々と並んで金を支払うのび太(たち)。
スネ夫「なにぃ、これしかないだと!?」
バシバシとのび太を棒で打ちつけるスネ夫。
のび太「ああっ、ごめんなさいごめんなさい(TT)」
スネ夫「ふん、仕方無いな。
今回はこの前の利子だけにしてやるから、このボクに感謝しろ。
そのかわり、今度の支払いは倍になるんだからな!」
のび太「ううっ、ありがとう、スネ夫くん。」

スネ夫にまた小遣いを巻き上げられた上に、更なる借金を背負わされて、ケガまでさせられたのび太(たち)の前に…。
僧侶出来杉「やあ、のび太くん。今日は教会の十分の一税の支払日なんだけど。」
のび太(たち)「ええっ、この前払ったはずじゃ?」
出来杉「やだなぁ、この前のは『お小遣いの十分の一税』だよ。
今日は『おやつの十分の一税』の日なんだ。
中身も色々さ。『どら焼の十分の一税』とか『ドーナツの十分の一税』『ケーキの十分の一税』…」

つづく、でいいのか?
273YP:02/10/26 00:33
ガイシュツカナ?

ベギナージュについて、修道院とは違うとの事ですが、
解釈の相違はあるだろうけど、未婚の女性ばかりを集め完全自給自足生活を目指し
たベギン会。
云ってみればこれは現代のヤマギシズムみたいなモノですかね?

と、書いたには書いたが中世欧州サパーリ。
これを機会に覚えようかな。と。

274YP:02/10/26 00:37
十字軍で借り出された旦那の後家さん達が集まる街ベギナージュ
275世界@名無史さん:02/10/26 18:31
ベギーヌ(beguine)13世紀頃オランダに発する乞食僧団べガールの尼僧
を意味するが、本来は部屋に籠もって祈りに耽る熱心な宗徒であった。いつ
のころからか托鉢の代わりに男の袖を引いたりするようになった。
*及川茂訳『夜のガスパール』訳注より引用
276いたりや金融道:02/10/26 23:40
所詮は一発ネタではあったが、当時の人間関係は大体把握できたのではないかと思う。
というか、問題は人間関係ではなく「徴税請負人制度」だよな。

ただ、配役の関係でああなったが、現実は僧侶もジャイアンやスネ夫だった場合が多々あった、という事は明記しておかなくてはならないだろう。
何故なら、当時最大の金融業者(&高利貸し)とは、ユダヤ人でも無く、イタリア人でも無く、ローマカトリック教会だったりするからだ。
高利貸しを非難しながら自ら高利貸しを行う。
なんと素晴らしいダブルスタンダード。
権力者とはかくあるべきである、という見本市のような世界がそこに存在していた。(笑)
(自分以外の「同業者」が非難対象になるのだね。>教会)

277いたりや金融道:02/10/26 23:44
当時の通過単位
(ローマ帝国の貨幣単位の名残ですな。)

1デナリウス(最小貨幣、銀貨 ペニー ペニヒ 単位d)
 重さ約4g程度、銀含有率は各地によって異なるが1g程度。
1ソリドゥス=12デナリウス(通常この単位の貨幣は無い) 
 (スー シリング シュテーバー 単位s)
1リブラ=20ソリドゥス=240デナリウス(この貨幣も無い)
 (リーブル ポンド マルク グルテン 単位£)

主要通貨
リューベック貨=マルク バルト海沿岸、中欧、東欧
ライン貨=ソブリン ライン河沿岸
パリ貨=リーブル フランス イングランド
ジェノヴァ=ジェノビーノ金貨
フィレンツェ=フィオリーノ金貨
ヴェネツィア=ダカット金貨
(貨幣レートは時代々々により大きく異なる。)

イタリア各都市の金貨はソリドゥスに相当。
他は最小貨幣のデナリウスに相当。
要するに、「小銭」しか存在しない世界。
(十万円を全部十円玉にしてみるとかなり重いぞ。(笑))

一般市民や農民が使用する際は、貨幣を割って使うことも多かった。
(半分に割ったり、1/4に割ったり。)
278世界@名無史さん:02/10/27 20:41
勉強になります。
279世界@名無史さん:02/10/28 20:48
ルーブルは?
280世界@名無史さん:02/10/29 17:10
age
281いたりや金融道:02/10/29 22:10
>>279
1)ルーブルって言やぁ、パリの美術館だよね。
 と、ボケで返してみる。

2)ロシアに関しては手元に資料が無いので、申し訳無いが憶測でしか語れない。
正教会なので東ローマ帝国の通貨を使用していた可能性もあるし、バルト海貿易の延長でリューベック貨が流通していた可能性もあるし、イスラムのものだったのかも知れない。
近代まで農奴制が続いていたのだから、庶民が通貨を使用すること自体がまれな事だったのは確かなようだが。

ただし、13世紀にはモンゴルの支配下になり、属国化したのでモンゴルの通貨も使用されていたはず。
ルーブルがリブラのロシア語風発音?だというのは今更ですな。
 と、マジレスで返してみる。

某ゲームが忙しくなってきたので(笑)、「市場ネタ」誰か書いてくれ〜。
「守護聖人ネタ」とか「お祭りネタ」とか「巡礼ネタ」とか「遍歴職人ネタ」もあるが…。
282世界@名無史さん:02/10/30 03:43
いたりや金融道さんおもしろいっ!最高。
そして勉強になりますた。多謝。
283世界@名無史さん:02/11/01 00:50
中世初期の農奴の家ってどんなものだったのでしょうか。
縄文人のような竪穴式とか聞いた事はあるのですが。
284世界@名無史さん:02/11/01 22:12
>>283
ドイツや北欧、イングランド等々では、古代から十二世紀か十三世紀頃までは、仰るように「縦穴式住居」だったようですね。
(「ケルト系」や「ゲルマン系の一部」。)

囲炉裏系の資料図(日本のにそっくり)と、縦穴式+暖炉&煙突の資料図とあるのですが、初期と後期に分けて考えて良いのか、ちょっと解りかねますね。

ラテン系は、藁葺き屋根の昔の日本の農家の様な造りの家だったようですね。
馬小屋とか牛小屋兼用で、家畜と一緒に居んでいたようです。
285世界@名無史さん:02/11/03 21:22
>>284
囲炉裏型といっても、日本と違い履物を脱いで床に上がらないのでイメージしにくいですね。
286世界@名無史さん:02/11/04 17:30
ただ単に縄文時代の縦穴式を思い浮かべれば良いよ、インディアンのティピィも
そうだけれど、あの形は意外に合理的なんだそうな。
287アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/04 17:54
日本でも、奈良時代までは残ってますから。意外に住みやすいらしいんですね。
山上憶良の「貧窮問答歌」のより貧乏な方の家は、竪穴式住居のようです。
当時は、貴族も履物を脱がなかったから(中国式)違和感はないと思います。
288山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/04 17:57
>287
平地式住居の普及する平安中期までは残っていたそうですよ。ただ時代
が下る中で「竪穴式住居」の様式も全国的に似通っていたようです。
289天之御名無主:02/11/07 01:44
>>284
縦穴式住居の家屋部分は、何材料が使われていたのですか。
萱やヨシの類の枯草ですか?
290284:02/11/07 21:25
>>289
「縦穴式」の壁の部分は石垣の様に、石を環状に積み重ねていた形跡があります。
(地域の積雪量、根雪の高さによって、壁の高さも若干変化していたようですね。)

屋根の部分は、基本的には枯草系です。
ただ、屋根材に利用していた植物の詳細までは解りません。
(不勉強につき。)

尚、降水量が少ない為なのか、住居の周りに環溝は無かったよう.です。
291くすり屋@中世欧州:02/11/08 22:59
N「うわぁぁぁん、ドラえもーん!
 またジャイアンに殴られたよー(TT)」
D「うわっ、ひどいケガだね、のび太くん。」
N「うううっ、仕返ししたいよー。」
D「それよりもまず、ケガの手当をしなくちゃ。」
N「(TT)そうだね。」
D「ちょっと待っててね。
 えーと、クスリ、クスリ…っと、あった!」
ジャジャーン!(ファンファーレ)
D「マスタード!」

N「ちょ ちょっとまってよ!
 それってカラシじゃないのー?」
D「そうだよ。(あっさり)
 古代ローマから中世ヨーロッパで使われていた、代表的な傷グ スリなんだ。」
N「えっ、そうなの?」
D「カラシって言っても、日本のほど辛くないから大丈夫。」
N「でも、そこに『和風ねりからし』って書いてあるよ?」
D「ダメじゃないか、のび太くん!
 君は中世の農民なんだから、文字なんて読めないよ。」
N「あ、そっか。ごめんごめん。」
D「じゃあ、塗るね。」
N「うん。」

Don`t try this at home.(決して真似しないように。)

誰かまともな解説してくれ、頼む。
292世界@名無史さん:02/11/09 03:29
からしって塗り薬だったの?((;゚Д゚)ガクガクブルブル
からしはよく採れたのかな?
293天之御名無主:02/11/10 13:55
>>284,>>290
>住居の周りに環溝は無かった...
ドイツや北欧、イングランド等で、降水量が少ないとは思えないが。
生活排水の処理も必要だったろうし。
294284:02/11/10 19:32
>>293
正直な話、その辺は同じ思いなので、敢えてそう書いたんですけどね。(笑)
この辺が謎なので、誰かつっこみ入れて解説してくれるものと期待していますが。

ロシアにあるフン族の縦穴式住居(長方形型+暖炉+低煙突)跡の資料にもそれらしきものも無いし。
(屋根材は牧草利用らしい。)

単に向こうの学者が環溝を無視して、図面書いたってオチなら嫌ですね。(笑)
295くすり屋@中世欧州:02/11/11 23:51
>>292
カラシはアブラナ科の越年草で、アジア原産のものと南欧原産の白カラシ、イングランド原産の黒カラシがありやす。
一般に「マスタード」いうのは、南欧の白カラシのようで、湿布、塗り薬としても利用されていたようで。
日本のカラシも湿布、塗り薬として利用されていたって某植物事典にあるんでやすが…。
ちなみに、トウガラシはナス科で南米原産ね。


<ペスト予防?>
中世欧州と言えば、ペストでアポーン。
十九世紀以降のノミの研究でわかった事らしいが、ノミを媒介とするペスト(腺ペスト?)の場合について。
この種類のノミは「馬の臭いを嫌う」事が判明。
そのため、常に馬と接している職業の人々は馬の臭いが染み着いていた為、ノミが移ってこず、ペストに患りづらかったとか。
(100%という訳では無いが。)

という訳で、ペスト予防に一家に一頭の馬を。(無茶)
貴方の部屋にも馬一頭。
296世界@名無史さん:02/11/17 08:58
>>295

えっと、アメリカの本から引いて見る。

Why People use Mustard:
Fluid retension
Intestinal gas
Muscle aches and pain
........

アメリカのハーブ信者が作った本だから、中世以来の民間療法の
影響もあるものと思われ。

297世界@名無史さん:02/11/17 09:21
辛子は湿布薬とか打ち身に塗る薬だから、
上記のドラえもんみたいに生傷には塗ったりしないと思う。
298アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/17 17:34
知り合いの元庄屋サンの家伝の筋肉痛の薬を父が習っています。
焼酎に樟脳と唐辛子を漬け込むんですが、凄い効果です。サロンパスよりずっと効きます。
中世でもこの程度の薬は作れたはずですから、打ち身、捻挫、筋肉痛系の薬はけっこう
発達してたんじゃないでしょうか。
299世界@名無史さん:02/11/17 19:59
ルネサンスって、もう近世だよね?
300 :02/11/17 20:00
中世は働くのは罪だったら椎名
301世界@名無史さん:02/11/17 20:13
近世という括りがあるのは日本史だけときいたが。
302くすり屋@中世欧州:02/11/17 20:44
>>296
なるほどー。
>>297
なるほどー。
って、ジャイアソに殴られると・・・。
1)切り傷が出来る
2)擦り傷が出来る
3)打撲傷(うちみ)ができる
4)捻挫になる
5)ヒコウを突かれて逝ってきます
>>298
なるほどー。
って、焼酎のように度数が高いのは十七世紀以降。
クスノキはもう少し南の方の樹木。
樟脳は薩摩藩の主要輸出品目だった位だから(以下略)。
トウガラシは南米原産だってば。と、ツッコミいれてみやす。

『中世の薬の作り方講座』
効果抜群!<超有名:ベケットウォーター>の作り方
ヘンリー2世に殺されたカンタベリー大司教の聖トマス・ベケットの死体を用意します。
大きな鍋に入れて煮ます。
どんくらい煮るんだったっけ?
まあいいや。
肉と骨が分離するまで煮ます。
煮えたら、中身は取り出してください。
煮汁を千倍位に薄めたものを信者さんや巡礼さん達にお薬だと言って渡してください。

あれ?脳の煮たものだったような気もしたなぁ…。
まあいいや。
えっ、取り出した中身?
気にしない方がいいと思いますよ?
303世界@名無史さん:02/11/17 20:45
いや、15−18世紀あたりを Early Modern と言うことがあって、
それを最近じゃ「近世」と訳すことが多いんだよ。
政治・経済史的にはそれなりに意味がある分け方なんだろうけど、
文化史的には、これ、ちょっと嫌な分け方なんだな。
だからよく、**** in Late Medieval & Early Modern Europe
なんていう本が出るんだが、要するにルネッサンス期の話だったりする。
304世界@名無史さん:02/11/17 23:48
>>303
なるほど最近じゃそうなってきてるんですね。勉強になります。
305世界@名無史さん:02/11/18 15:07
昔しもやけで足が腫れたので針で刺して血を抜いてたんだけど
中世でも血を抜いた治療ってしてたんですよね。
効果はあったのかなぁ。
306世界@名無史さん:02/11/18 15:13
瀉血は死期をはやめるだけだったと、佐原真が『騎馬民族は来なかった』で
述べていたぞ。医学的には、体内の血液を4分の3抜くと死ぬんじゃなかったっけ。
けっこうたくさん抜いていたみたいだから、自殺行為だな。
307世界@名無史さん:02/11/18 15:46
>306
死に致る出血量は30%〜40%くらいから。
だいたい体重の7〜8%が血液でその1/3だから体格にもよりますが2リットルも血が
流れたらもうあぼーんでしょう。
参考資料http://homepage1.nifty.com/tamako/Q1.htm

瀉血の場合、ろくに洗浄していない病原菌うようよのメス使ったりしたのも死期を早めた
元凶でしょう
308アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/18 16:31
>>302
これは、日本の江戸時代の処方で、同じ物が中世ヨーロッパにあったと
主張しているわけじゃないので、突っ込まないで下さいね。
でも、ヨーロッパだってそうひどくはなかったと思うんですが。
中世の魔女(魔女狩り最盛期のじゃなく)は、薬草を集めていたと聞きますし。
309世界@名無史さん:02/11/18 17:39
セクースはおもに青姦だったらしい。
310スラヴァ:02/11/18 18:55
>>279
キエフルーシ時代に流通していた銀一ポンドの固まりを「グリブナ」と呼んだ
んですわ。ただ、グリブナだと単位が大きくて不便なのでそれを切り取って使
わはったんです。それが「刻んだもの」つまり「ルーブリ」と呼ばれましてん。
リブラはLではじまりますけど、ルーブルはRからなんで参考までに。
ついでにウクライナの貨幣が「グリブナ」で、ロシアの貨幣が「ルーブリ」、
いまでも「グリブナ」の方が高うおます。
311アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/18 18:59
>>309
庶民レベルではそうです。家では寝るだけ。
王侯貴族もラビリンスとかアズマヤを利用して浮気していたらしい。
312アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/18 19:02
訂正します。
庶民(誤)⇒農民(正)
313世界@名無史さん:02/11/18 19:05
中世ヨーロッパの人々は貴族だろうが、農民だろうがみんな食べ物を手づかみで食べていたのだ。
紳士面した、ヨーロッパ人よりも、中国・朝鮮・日本のほうがはやくから
ハシをつかって大変衛生的だったのです。すごいだろヨーロピアン。
314世界@名無史さん:02/11/19 01:05
>>309
何か「も〜りへ〜ゆき〜ましょおおむ〜すめ〜さん〜」という呼びかけについていったら
処女を失うという話を聞いたことがある。

たしか夏至の祭の話だったか・・・・・
315世界@名無史さん:02/11/19 10:58
>>312
市民もそうだったらしい。
なんでも「藁の寝床」がノミと南京虫だらけで到底セクース
どころじゃないのが原因とか・・・
それぐらいなら野外のほうがまだ清潔だったらしい。

>>314
グリム童話の赤ずきんも、その系列の話だったとか。
316世界@名無史さん:02/11/19 11:00
>>312
あ、それと町屋は狭くて家族全員がひとつ藁で寝るので
むしろ市民のほうが青姦率が高かったらすぃ
317くすり屋@中世欧州:02/11/19 19:35
>>308
了解! /(−_−)

医学が『医学』としてマトモになった?のは、歴史的にみれば極めて最近の事かと。
古代、中世は医学≒呪術と考えても大きな間違いではないよね?
ショク罪規定書 第65章
「お前は、薬草を集める時に、主の祈り、つまり『主なる神を信じる』と主祷文を唱えるのではなく、悪魔の呪文を唱えなかったか? もし唱えたならパンと水だけで過ごす10日間のショク罪を果たさねばならない。」
薬草を摘む時は、何等かの呪文を唱えるのが普通だったようで。
しかも、摘む時の日にちとか月齢とか月と星座の位置関係とか…色々とあったようで。
でも、「パンと水だけ」で済む分だけ中世の方がマシかも。

電車の中で(ネタのような実話(意訳))
女子高生?が何やら会話中。
「この前○○行った時、四つ葉のクローバー見つけたよ。」
「いつ見つけたの?」
「○月○日だったかな?」
「四つ葉のクローバーは×月×日のじゃないと効果無いよ。」
…異教の伝統は今も残って…。
318いたりや金融道:02/11/19 19:49
>>310
ツッコミ感謝!
勉強になりますた。
できれば書いてあった本教えてくだされ。
中世のロシアっつーと「タタールのくびき」ばっかりなので、それ以外の本も読みたいので、おぬがいします。m(_ _)m

尚、ロシア語は読めませんので、日本語のを。
319世界@名無史さん:02/11/19 20:43
320世界@名無史さん:02/11/19 20:45
古代ローマ時代の水道橋などの施設が、中世まで使われていた例は
あるのだろうか?
321世界@名無史さん:02/11/19 20:56
>>320
河川の橋は利用されていましたね。
中世に造られた「新しい橋」が洪水によって破壊されても、同じ川の100m位しか離れていないローマ帝国時代の橋は(現在に至るまで)壊れずに残っていたり…。
322アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/19 21:29
>>320
共和制ローマの下水施設なんか今でもそのまま使ってるそうです。
ローマ帝国になると数知れず、じゃないですか。
323アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/19 21:38
>>317くすり屋@中世欧州さん
あなたのお話はいつも面白いし、いい説を出してくださって有り難いんですが。
もう少し短くするか、2部に分けるかしていただけませんか?
肝心の面白い所がいつも略されてしまうんです。
324世界@名無史さん:02/11/19 21:50
>>323
2ch専用ブラウザかちゅーしゃを使ってみてはいかが?
省略されないし、ログを自動で保存してくれますので結構便利。
325世界@名無史さん:02/11/19 22:21
あの瀉血という奴はどこから出てきて、何であれだけ長く続いたのか不思議だ。
死にかけの病人にやれば、息を止めるようなものだと経験から
わかりそうなものだと思うのだが。
効果があった例もほとんど無いだろうに。
326OpenJane派:02/11/19 23:08
2chブラウザはいろいろあるから

http://www.monazilla.org/

いって自分に合うのを探すのが(・∀・)イイ!!
327世界@名無史さん:02/11/19 23:12
>325
病気は悪くなった血が身体に淀むから、という考え方があったそうです。

なので悪い血を身体から出せば直る、と。

イスラムの医学が入ってくるまではヨーロッパの医者はシャーマンに毛がはえたような
レベルでしかなかったようです。
328世界@名無史さん:02/11/19 23:33
>>325
少しは効果があったんじゃないの?
医学的にはどうなんだろ。
「アラブが見た十字軍」よりウサーマ・イブン・ムンキズの記録

 ある日、レバノン山脈にあるムナイトラのフランク人領主が私の伯父のスルタ
ンに手紙をよこし、急患の手当てのために医者を送ってくれと頼んで来た。伯父
はわれわれの間から、サービトという名のキリスト教徒の医者を選んだ。彼は数
日留守しただけで戻って来た。われわれは皆ふしぎに思い、どうしてこんなに早
く病人をなおすことができたか知りたくて質問攻めにすると、彼の答えはこうだっ
た。

 足におできができた騎士と肺病の女が私の前に連れて来られました。騎士には
膏薬をつけてやると傷口が開き、だいぶよくなりました。女には体質の回復のた
めの食餌療法の処方をしました。ところが、フランクの医者が入って来ていうの
です。「この男は手当てのしかたを知らん!」。そして騎士の方を向いて尋ねま
した。「足が一本で生きるのと、二本のままで死ぬのと、どっちがいいか」。患
者が、一本の足で生きる方がましだと答えると、医者は命令しました。「元気な
騎士とよくといだ斧をここへ」。やがて斧を持った騎士が来るのが見えました。
フランク人の医者はくだんの足を薪割り台の上に乗せ、今来た男にいいます。「い
いか、その斧ですぱっ、とやるんだ」。私の目の前で、その男は一撃を加えまし
たが、足はまだくっついたままだったので、第二撃です、骨髄がとび散り、患者
は即死しました。女の方はといえば、フランクの医者は診断してからいいました。
「頭の中に悪魔がいてこの女に惚れよる。髪の毛を刈れ!」。毛が刈られました。
女はそれから、にんにくと辛しの利いた食事に戻ったので病状が悪化しました。
「悪魔が頭のなかに入っておるからじゃ」と医者は断言し、かみそりをとると、
十字形に切開して頭蓋骨をむき出しにさせ、塩でごしごしもむのです。女はすぐ
死にました。そこで私はきいたのです。「ほかに御用はありませんか?」。ない
というので戻って来た次第ですが、フランクの医学について、これまで知らなかっ
たことを、ずいぶん勉強したものですよ。
330くすり屋@中世欧州:02/11/19 23:54
>>323
そういうキャラなのよ。(藁
スレ、ネタが変わればHNも変わる浮き草のような存在。
>>325
二十世紀初頭まで残っていたみたいだね。
それだという写真が残っていて、全裸の少女が(以下略)。
ホンモノなのかな?>写真

『病院の設立』
悪口やネタは山ほどあるが、良い点もあげねば駄目ですな。
最初は「聖地への巡礼者の為の施設」だったものが、聖ヨハネ騎士団の勢力拡大と共にヨーロッパ各地に病院が設立された。
以前は、修道院がその役割を担ってもいたが、アラブ系の優れた医学の直輸入施設という面もあったようなので、少しはマシになったかもしれない。(良い医者に当たる確率、ね。)

貧者も富者も分け隔てなく入院可能な施設が、この中世から始まったという点は特記すべき事だと思う。
墓場直行に等しい施設だったとしても、だよ。
331世界@名無史さん:02/11/20 00:12
>全裸の少女が(以下略)。
 ホンモノなのかな?>写真

(;´Д`)ハァハァ
332325:02/11/20 01:29
>>328
数年前の新聞で、元脳こうそくの患者から定期的に献血程度の量の血液を取ると再発が防げる
とかいう記事を見た事がある。新しい血液が作られるかららしい(うろ覚え
でも、脳梗塞を起こしてる最中にやる治療って訳じゃないし。
スパシーボ効果(w はあったんだろうけど。
>>327
なるほど。ちゃんと理屈はあるんですね。
333くすり屋@中世欧州:02/11/20 20:08
>>332
現代でも一部「瀉血療法」を使用しているようで。

西のほうでは、古代ギリシャのヒポクラテスが瀉血を始めたのが中世以降まで残ったようで。
中国、インド等でも瀉血療法はあったようで、一概に効果無しとは言えないのかも。

中世ヨーロッパの場合、12世紀に外科治療の施療師が正式な医師ではなくなってしまったので、逆にどんどん酷い事になっていってしまったのが、大きいのではないかと。
(床屋とかが外科を担当したのは有名。)
なんでもかんでも「瀉血しろ」ってな訳ではないようで、年4回(冬至、春分、夏至、秋分)というキマリはあった模様。
334スラヴァ:02/11/21 16:32
>>318
出典は中公新書の「物語ウクライナの歴史」でおます。ウクライナゆうても、
タタールのくびき以前はロシアと同義語なんで、ご心配なく。
スキタイからウクライナ独立後まではばひろくとりあげられとります。
335いたりや金融道:02/11/21 18:10
>>334
どうも、おおきに。
早速探してみます。
ありがとう。m(_ _)m
336今日は聖カタリナの日:02/11/25 18:46
クリスマスも近づいてきたので、お祭りネタを。

中世欧州の場合、キリスト教の祝祭日が「お祭り」なのは言うまでもありません。
一年365日(+閏1日)全てが守護聖人の祝祭日となっており、特に聖母マリア関係の祭日、キリストの祭日、そして街や村の守護聖人(大抵複数)の日に「お祭り」があったようです。
一年の祭日数は、その場所場所によって異なるのですが、おおよそ百十日強というものですから、かなり多いように感じます。

「お祭り」は一週間から三日間という期間のものが多く、初日が祭日の場合と最終日が祭日のパターンがあったようです。
(↑は、祭日によって異なります。)

基本的には宗教的祝祭日なので、教会ではミサが行われます。
都市部のお祭りの内容は、山車(聖遺物搭載)を中心としたたパレードや演劇(守護聖人に関するもの)、旅芸人の芸や縁日が主な内容です。
農村部では、山車を中心としたパレードや歌とダンスです。

貴族→富裕層→一般市民層、という文化の流れが多いと思われますが、ダンスに関しては、農民→貴族、という珍しいパターンですね。
(貴族のダンスパーティは、もう少し後の時代のはず。)
337山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/25 18:51
お祭りと言えるかどうかは微妙なところですが、
若い男女が宿に集まってダンスをして交際する事に対してはしばしば
お上からのお咎めがあったそうで。洋の東西を問わず無粋なものです。
なお私が聞いた禁止令が出されたのは16世紀末。その頃にはまだあっ
たようですね。
338今日は聖カタリナの日:02/11/25 20:26
>>337
なるほど。
中世のフランスとかの田舎村で多かったのは、
「教会の中でダンスパーティすんな! ゴルァ!!」
という主旨の禁令のようですね。

当時の教会の中にはイスとかは置いてませんでしたから、ダンスホールとして使用するのにはちょうど良かったのかも知れません。
(現代では、教会主催のダンパとかありますが。)
339山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/25 21:57
>338
似た事が日本には戦後までありました。日本と欧州の中世文化はよく似ている。
340世界@名無史さん:02/11/25 22:02
>>338
えっ?教会に椅子なっかったんですか?
それじゃあどうしてたんですか?ジベタリアン?
341今日は聖カタリナの日:02/11/25 22:25
>>339
ええ、奇妙なほどよく似てます。
中世盛期までの記述を見ると、自然崇拝やシャーマニズム等が根強く残っていたようなので、その頃のものに関しては、現代欧州人よりも日本人の方が理解しやすいかも知れません。
クリスマスツリーだって、ケルト系やゲルマン系の樹木信仰の名残ですからね。
(そもそもキリスト教とは関係無いでしょ?>ツリー
ルター派が始めたものなんですけどね。)

>>340
領主や貴族、富裕層(の中の足腰の弱い人、老人)にイスが用意される事はあったようですが、庶民は全てタチンボです。
礼拝時には、カーテンのような仕切で男女別々に分けられるくらいですかね。
342山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/25 22:28
クリスマスツリーの最古の記録はエルザスで1605年に飾られたも
のですね。勿論それ以前の信仰が根底にありましたが。
あのころまでは北欧神話系の民俗信仰も残っていたらしい。麦穂をヴ
ォータンらに奉げたりしたそうです。
343今日は聖カタリナの日:02/11/25 23:28
>>342
十三世紀頃の北欧の教会の司祭が「キリスト=オーディン」という主旨の落書き?が残っていたりするのも面白いな、と。
司祭本人がそのように解釈していたのか、庶民にそのように説明して布教する為のメモだったのかは解りかねますが…。
しかし、落書きなんぞ出来るほど安価なものでもなかったろうに。
>羊皮紙

341 の訂正。
>奇妙なほどよく似ています。を
「奇妙なほどよく似ていると感じられるものが多いです。」に。
(微妙な違いですが、こっちの方が適切かも知れません。)
344山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/25 23:31
>343
安価では無かったからこそ、書ける事を隅に書いておいたのでは無い
かと。ジャンヌ・ダルクの存命時に書かれた肖像は役人がノートの隅
に記した落書きであった筈。
日本でも文書を裏返して閉じなおして日記などを書いていた。
345今日はアレキサンドリアの聖ペトルスの日:02/11/26 00:00
>>344
なるほど、そうかも知れません。
現代人から見れば意味不明なもの(落書き)も残っていたりするのは、ご愛敬と言う事で。

酔っているのか、日本語が変に。(欝
十三世紀の北欧の教会の司祭が書いた「キリスト=オーディン」という主旨の落書き?…、に脳内変換してください。
346山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/26 00:08
>345
芸が細かいですね。クリスマスが待ち遠しい。
347今日はアレキサンドリアの聖ペトルスの日:02/11/26 20:13
一年の始まりは、と、こう改めて書くと奇妙な感じがしますが、中世欧州には「一年の始まり」の日が三つありました。

ひとつ目は、12月25日、「クリスマス」。
イエス・キリストの誕生日とされている日です。
二つ目は、春の「復活祭」。
十字架にかけられて死んだキリストが復活したとされている日です。
三つ目は、9月1日「世界創造の日」。
ギリシャ正教会では、この日に世界が創造されたとして、一年の始まりの日になっています。
(この関係で、「学年の始まり」は現在でも9月1日ですね。)

カトリック教会圏では、「クリスマス」か「復活祭」のどちらかになっていたのですが、地域地域によってバラバラで、同じ王国内でも異なっていたりします。
(現在の欧州では、クリスマスが一般的でしょうか。)

尚、「復活祭」の日にちは「春分の日の後の最初の満月の夜の直後の日曜日」で、毎年変動します。
これはユダヤ教(太陰暦採用)の「過越の祭」に関連する祭日だからなのです。
348今日はアレキサンドリアの聖ペトルスの日:02/11/26 21:34
>>347 のつづき
で、とりあえずは、一般的な一年の始まりであるクリスマスから。

クリスマスは、「待降節」(又は「降臨節」)から「始まり」ます。
これは、クリスマス直前の日曜日から数えて四つ前の日曜日から始まるもので、祈りと断食、苦行の期間です。
十三世紀からは「教会暦の一年の始まり」になります。
(あぁ、こんなところに四つ目も…。)

クリスマスそのものは、今更特記するような事は無いかと。
「民間のお祭り」としては、1月6日の「公現祭」までの12日間続きます。

基本的には「冬至の祭」で、参考としてはローマ帝国時代の「太陽神ソルの祭(12月11日)」や「サトゥルヌスの祭(12月17日)」
「供儀アゴーニア(1月9日のヤヌス神の祭儀)」、そして「ミトラの祭(12月25日)」「オシリスの祭(1月6日)」等々との関連が考えられます。

12月24日 クリスマス・イヴ
   25日 クリスマス
   26日 聖ステパノの日
   27日 使徒聖ヨハネの日
   28日 幼子殉教の日
   31日 聖シルベストロの日
 1月 1日 キリスト割礼の日
    6日 公現祭

だんだんと板違いになりつつある。
349世界@名無史さん:02/11/27 02:20
いいや、面白いですよ。
350聖バルラームと聖ヨサファトの日:02/11/27 20:18
>>349 気休めだったとしてもありがとう。

「公現祭」(1月6日)
日本ではあまり馴染みの無い祭日ですが、欧米では大きな見本市が現在でも開催されたりする日になっています。
まあ、商売人にとっては「仕事始めの日」といった位置付けの日でしょうか。
「見本市=メッセ」という言葉は現代日本でも定着したようですが、これはドイツ語での「ミサ」=教会での儀式の事です。
つまり、こういった祭日に開催されたのが語源になっているようです。
ドイツ語が由来になっているのは、おそらくハンザ同盟かその前身が関わっていたからでしょうね。

この祭日は、生まれたばかりのキリストの元に、東方から三人の博士がお祝いにやってきた、という聖書の記述を元につくられました。
東方の三博士とは、某アニメで有名になったアレです。(笑)>マギ
その為、この日はその三博士の祭日にもなっています。

中世欧州では、「三博士」では無く「東方の三人の王」だった、と一般民衆には信じられていたらしく、「三王礼拝の日」とも言われていたようです。
(白人の王、黒人の王、黄色人種の王、の三人として描かれた絵画もあります。)
351世界@名無史さん:02/11/28 13:53
え〜ふーん勉強になるなぁ。
なんでヨーロッパとかで年明け早々
見本市とかするのかわかったよ。。
352くろねこ:02/11/28 14:10
               / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∧黒∧     < 封建時代があったのは、
     ミ,,゚Д゚彡     \ 「ヨーロッパ」と「日本」だけ。不思議な。
     / つつ  ∬     \_______________
  *・・(,,_,,)  凵
353世界@名無史さん:02/11/28 14:12
>>352
中国には周時代からおもいっきり封建制度があったと思うんだが・・・
354くろねこ:02/11/28 14:27
長く続いた事があったかな?
355世界@名無史さん:02/11/28 19:23
ヨーロッパを一まとめにして「だけ」とか言うのはどうか。
356今日は聖サトゥルニウスの日:02/11/29 21:51
>>351
「何故この日にするのか?」は、結局よく解らないのですけどね。

「謝肉祭=カーニバル」
全裸に近い女性の踊りで有名なリオのカーニバルも、中世欧州では寒い季節の仮装行列と無礼講になってしまいます。
無論、ダンス等もあったでしょうが、季節も季節ですし、時代も時代ですからあんな風にはならなかったでしょうね。

この謝肉祭の期日は、四旬節の始まる1週間前で、復活祭の53日前になります。
(復活祭の期日によって決まるので、このお祭りの期日も毎年変動します。)

「謝肉祭」という訳語の由来は日本的解釈かと思われます。
(動物達の霊を慰めるとか、そういうものではありません。)
このお祭りでは肉料理がメインとなり、その後の四旬節では祭日以外の肉食は禁じられるようになります。
(魚はOK。
当時は農業生産能力が低く、肉食がメインになりがちなので、通風予防の意味合いもあったようです。)

お祭りの由来としては、ローマ帝国時代の「サトゥルヌスの祭日」との関連が考えられています。
サトゥルヌスの祭日は、本来はクリスマスの時にも書いたように12月のお祭りだったのですが、どういう訳か年末から年始後に移動して謝肉祭の前身になった、と伝えられています。
(現在のサトゥルヌスの祭日は、4月1日のエイプリルフールです。)
357今日は聖サトゥルニウスの日:02/11/29 22:14
>>356のつづき
「謝肉祭」の最終日は「告解の火曜日」と言い、お祭りというよりも、主に教会でこれまでの事を告解(懺悔)する日になっています。

その翌日が「灰の水曜日」で、この日から「四旬節」が始まります。
(「灰の水曜日」という名称には『あーあ、今日からしばらく肉食えねーよ』という感情が篭っているような…。)
これは、「復活祭」から数えて日曜日を除いた40日前=46日前から始まるもので、「お祭り」ではなく、僧侶にとっては節制、済戒、断食の期間であり、一般でも(前述のように)肉食が禁じられる期間です。
しかし、この四旬節の最初の日曜日も「派手なお祭り」を行う場合が多かったようです。

「喜びの主日」(「バラの主日」とも言われます。)
四旬節の真ん中の日曜日で、この日も派手なお祭りを行ったようです。
358今日は聖サトゥルニウスの日:02/11/29 22:38
「四旬節」と「復活祭」の間にも色々とお祭りがあるんですが、とりあえず飛ばします。(笑)

上で書くのを忘れた事を。
「灰の水曜日」ですが、これは本当は「樹木を燃やした後の灰」の事で、6世紀頃のガリア教会から始まったもので、樹木信仰との関連が指摘されます。

「枝の主日」
復活祭直前の日曜日の事で、僧侶は復活祭前日まで瞑想、断食等を行うよう指導されます。
(ここでも「枝」という樹木信仰の影が…。)

「聖木曜日」(「洗足木曜日」とも言います。)
いわゆる「最後の晩餐」の日です。
この日の夕方から、ユダヤ教の「過越祭」が始まります。
この日に関するネタがあるのですが、それは後述します。

「聖金曜日」
キリスト受難の日です。

「聖土曜日」&「復活祭」
一緒にしたのは、徹夜でのドンチャン騒ぎが丸々二日間続くからです。
肉食禁止期間が終わり、鬱憤が一気に解放される、といった感じでしょうか。
359今日は聖サトゥルニウスの日:02/11/29 23:02
「聖木曜日」(「過越祭」)に起きた出来事。

12世紀頃から欧州各地で都市化が進み、異教徒であるユダヤ人との接触が日常的になってきたその頃に起き始めたのは、ユダヤ人への良くない噂話や中傷でした。
それは「ユダヤ人達は過越祭の生贄としてキリスト教徒の少年を殺す」というものです。
その為、この「聖木曜日」に反ユダヤ人暴動が頻発し、多数のユダヤ人が欧州各地で虐殺されたようです。

教会側は認定していませんが、この日にユダヤ人によって殺されたという少年が(民間で)「殉教者」として扱われ、「聖人」として祭られるようになりました。
●聖リシャール(パリ)
●聖ウィリアム(ノリッジ)
●聖ヴェルナー(オーベルヴェーゼ)
等々が記録に残されています。
「復活祭」の後、「五旬節」というのがあるのですが、とりあえず置いておきます。

「聖母マリア受胎告知の日」(3月25日)
復活祭の前後に「聖母マリア受胎告知の日」というお祭りがあります。
これは、聖母マリアの元に天使が現れ、子供を身ごもった事を伝えた、という聖書の記述に由来するお祭りです。
(「クリスマス」の十月十日前が「聖ヴァレンタインの日」の前身である「ルペルカーリア」で、その一月と十日後がこの日ですね。
まあ、太陰暦と太陽暦の違いはご愛敬?)

中世欧州の場合、キリスト本人よりも聖母マリアのお祭りの方が(民間では特に)派手なお祭りになる場合が多く、このお祭りも例外では無かったようです。
(特に復活祭前だと節制が強要されたので。)

十四世紀からは、この日に「蚤の市」が開催されたようです。
361今日は聖アンデレの日:02/11/30 19:15
「蚤の市」
まあ本来は「市場ネタ」であって「お祭り」というものとも違うようですが。

「聖母マリア受胎告知の日」の3月25日は「善き盗賊の日」という祭日にもなっています。
伝承では「聖デュスマス」という人物となっていますが、名前の由来は不明です。
この「聖デュスマス」は、キリストが十字架で処刑された際、一緒に処刑された罪人の一人で、キリストを弁護し「天国へ行くだろう」と言われた人です。
(キリスト教世界では、間違い無く天国にいった、筈の人物になりますね。
「受難の日」が3月25日だった日に決められたのでしょう。)

この「聖デュスマス」が「善き盗賊」で「蚤の市」の守護聖人になっています。
他には、盗賊、改心した罪人、古着商、古物商の守護聖人となっているのですが、まるで「盗品の流通ルート」の説明をしているような存在です。(笑)
つまり、「蚤の市」=「泥棒市」というのが、その実態だったのではないかとも考えられますが、はたして?
(当時の僧侶が残した記録では「貧しい人々への施しの為…」とかなっていたような気はしますが。)
362 :02/11/30 19:57
25歳。
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「春の祭」をいくつか。

「聖ゲオルギウスの日」(4月23日)
農村では「家畜放牧開始の目安となる日」です。
聖ゲオルギウスはドラゴン(ワーム)退治で有名で、中世欧州では人気のあった守護聖人です。

「福音の聖マルコの日」(4月25日)
「マルコによる福音書」の作者である聖マルコの祭日です。
船乗り、航海の守護聖人です。

「使徒聖ピリポと使徒聖小ヤコブの日」(5月1日)
メインはこの人達のはずだけど印象は薄い…。

「聖ヴァルプルギスの日」(5月1日)
前夜祭が「ワルプルギスの夜」として知られています。
ドイツ等ゲルマン系のお祭り。

「メーデー」(5月1日)
イングランド等でのお祭り。
元は「地母神マイアの祭日」でした。(五月=MAYの語源ですね。)

「聖十字架発見の日」(5月3日)
コンスタンティヌス大帝が母と共にエルサレムに巡礼した際、キリストの処刑に使用された十字架を発見したのを記念して作られた日。
第4次十字軍の際、ローマにその聖十字架が移されてしまったので、それ以降はカトリックでも祭日となりました。
(ツッコミ所の多い話ですが。)
364世界@名無史さん:02/12/01 23:12
モンサンミッシェルカッコイイ
よく考えたら「冬のお祭り」を飛ばしていた…。(欝

「シャルルマーニュの日」(1月28日)
パリ大学の守護聖人で、パリの学生達のお祭りの日です。
(列聖されていた訳では無いので「聖人」と言えるか…。
ただ、シャルルマーニュを守護者とする際、大学側と教会側とで悶着はあったようです。)

「聖母マリア 潔めの祝日」(2月2日)
「キャンドルマス」の別名で知られるお祭りです。
どちらかと言えば「光のミサ」とも呼ばれる祭儀が中心。
(ローマ時代の「フェルブリア」(2月5日)という浄めの儀式が原型かも。)

「聖アガタの日」(2月5日)
「女性だけのお祭り」の日で、女性はこの日は一切の仕事をしなくても良い、というキマリがありました。

「聖ユリアヌスの日」(2月12日)
旅人、渡し守、商人、旅芸人、吟遊詩人の守護聖人です。
特にフランスで人気のあった守護聖人で、フランス革命前には約八百の聖ジュリアン教会がありました。

「聖ヴァレンティヌスの日」(2月14日)
前述のように、元は「ルペルカーリア」という多産祈願のお祭りです。

「聖ジークフリードの日」(2月15日)
ゲルマン系の国で人気のあった守護聖人です。
英雄物語の主人公の名前にも使用されるようになりましたが、元々はただの修道士です。
スウェーデン王国の守護聖人で、フリードリヒ一世の時代にドイツ王国の守護聖人とされました。
(ローマ教会側はこれを認めず、一悶着あったと記録にあります。)

「聖グレゴリウスの日」(3月12日)
教皇グレゴリウス一世。教師、音楽家、学生の守護聖人です。
ユリウス暦の「春分の日」として扱われていたようです。
366世界@名無史さん:02/12/02 03:15
無知ですまそ。
聖人ってどうやったらなれるの?
伝道上の酷い死に方とか、奇跡を起こしたらなれるん?
今はヴァチカンが認定するんだろうけど、
当時(中世以前)はどうしてたんでしょうか?
367世界@名無史さん:02/12/02 04:36
確か聖人になる前に段階があるんだよね?
福者とか。
368世界@名無史さん:02/12/02 19:29
カトリックの聖人って何人居るの?
ギリシャ正教の聖人と比べてどちらが多いの?
プロテスタントには聖人居ないの?
今も聖人は発生しているの?
369世界@名無史さん:02/12/02 19:34
列聖は誰がするの?
推薦?
いったん聖人とされて、資格剥奪された御仁は居るの?
やっぱり本人の死後じゃないと駄目?
370世界@名無史さん:02/12/02 21:21
>368
今も聖人審査は継続的にやってるようですね。
マザー・テレサもたしか列聖されるとかなんとか今年のニュースでありました。
371世界@名無史さん:02/12/02 21:24
たしか枢機卿クラスの人達の会議で列聖、列福を決めるんじゃなかった?
聖人の数は5500強です。
(細かい数は失念。
アジアやアフリカ等での殉教者も列聖されていたりします。)
東と西の数の比較は、殉教者→列聖の数の差から考えると 西>東 となるでしょうね。
(東西分裂後の違いですね。
第四次十字軍で、東の聖遺物の大半は西の方に持ち去られてしまったので、それ以降に西で始まった崇拝、祭日も多いようです。)
基本的には、「天国へ行ってから」の事なので、生きている内にという訳にはいかないのでしょうね。

古代から近代にかけては、やはり「奇跡」が起きた、とか天使に助けられたとか、そういった「聖人伝」が殆どですから、そういったものが列聖の基準の一つだったはずです。
(細かい規定があります。)
また、神学に貢献があった聖アベラルドゥスや聖トマス・アクィナスとして列聖されています。
(「アベラールとエロイーズ」の聖アベラルドゥス。
他にも「教会博士」という聖人が何十人か。)
十字軍の頃には、戦意高揚の為、ローマ時代の軍人や架空の騎士も聖人の列に加えられていたりします。
(「ローランの歌」の主人公の聖ロランドゥスとか。)
他には、ローマ教会が正式に列聖していなくても、その都市や同業者組合等だけで「聖人」としている例も少なくはありません。
(その地の司教は認めているのかも知れませんが。(????)
「現在審議中」という扱いでしょう。)

現代では、政治的な要因で決定される場合もあります。
1990年代にローマ教会とルター派が和解した際、ローマ側からルターを列聖したいという申し出があったのですが、ルター派はこれを断っています。

1969年の教会会議で、幾人かの聖人が「実在した人物である可能性が低い」という理由で削除されています。
(でも、民間では残っていたり、とか…。
聖クリストフォルスが、その典型的な例ですね。)
>>372のつづき

プロテスタントの場合、宗派によっても異なるのですが、宗教改革当初は諸聖人の祭日を廃止するような方向で進んでいましたが、やはり聖人崇拝の根強い地域も多く、取り入れるようになっていきました。
しかし、カトリックのように「毎日のように」というのでは無く、月に一度という感じでまとめられたりしました。
(聖ニコラウス=サンタクロースの日は12月6日ですが、ルター派等はクリスマスにまとめた為、クリスマスイヴの夜に…、となってしまいましたね。
しかし、カトリックでは従来通り12月6日のままですが。
もっとも、一部例外もあるのですが…。)

「聖人崇拝」の意味は、
「教会は聖人の記念日に際して、キリスト共に苦しみ、ともに栄光を受けた聖人において、復活秘儀を告げ知らせ、キリストを通して御父のもとに、すべての信者が引き寄せられる模範を信者に示し、聖人の功徳(meritum)によって、神の恵みを願うのである」
(日本司教団秘書局訳「典礼憲章」104)
だそうです。

他は、>367さん、>370さん、>371さんの仰る通りかと思います。
どうも、ありがとうございました。
374世界@名無史さん:02/12/03 02:46
みなさんどうも詳しく教えてくれてありがとう。
殉職したから聖人になれるって訳でもないんですね。
勘違いしてた。

全然関係ない話題なんですが、キリストの聖遺物って
もちろん本物はないんでしょうけど(W
包まれてた布とかって中世頃の作じゃなかった?
あのころ聖遺物贋作が流行ってたのでしょうか?
十字軍で持って帰りましたのパターン?
375世界@名無史さん:02/12/03 16:55
>>374
s/殉職/殉教/
376世界@名無史さん:02/12/03 19:13
カトリックの場合教会で洗礼受けたら聖人の名前しか、赤ん坊につけることできない?
377世界@名無史さん:02/12/03 20:55
キリスト生誕以前の人物は聖人とはされないの?カエサルとかアレクサンドロスとか・・・
378山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/03 20:59
>377
異教徒じゃありませんか。軍神扱いではあったそうですが・・・。
379世界@名無史さん:02/12/03 22:07
旧約聖書に出てくる人物は聖人にはされないの?
380今日は聖サバスの日:02/12/05 21:05
>374 >376 >377 >379
トリノの聖骸布については、1988年の科学的調査で後世の偽作であると断定され、枢機卿側の教授達もそれを認めた、と当時の新聞にも載っていましたね。
(測定の誤差を含めて考えた場合でも、古くて十三世紀頃とか。)
「聖遺物贋作」は中世欧州の一大産業だった筈ですが、あまり詳しい資料は残されていないようですね。
(教会側で荷担していた者もいたとも考えられますが、裏の世界のモノは秘密が多いのでしょうね。)
十字軍で持ち帰ったとされるものも、殆どが贋作だったと考えられますね。

名前に関しては、特に禁止されていたと云う感じはありませんが、現代でも一般的では無いようです。
聖フランチェスコの「フランチェスコ」という名前は、十二〜十三世紀当時としてはかなり変わった名前でした。
(フランス人、とかそんな意味ですから。)
一般の資料では、本名がジョヴァンニであだ名がフランチェスコだったとなっていますが、現代のカトリック側の出版物では本名がジョヴァンニ→フランチェスコ、となっていますね。
(赤ん坊の頃に名前を変えたとか。)

山野氏の仰る通りなのですが、アリストテレスだけは別です。(笑
神学者からは「聖人」扱いされていましたから。
(結局、「聖人」にはなっていないようですが。)

旧訳聖書の人物に関しては、ダンテの神曲に「私がこの辺獄にきて間もない頃、クリストがここに降って、(中略)その他旧訳聖書にのっている多くの魂を連れ出して天堂界へ伴ったことがあったが、…」
とありますから、彼らも聖人の列に加えられたと考えるべきでしょう。
(この辺に関しては、ダンテ個人の見解では無いでしょうから。)

「冬の期間の宗教的祭日」(書き忘れ 欝)
1月13日 主の洗礼の祝日(現代は、「公現祭」直後の日曜日)
  25日 使徒聖パウロ「回心の祝日」
2月22日 聖ペテロ「教皇座の祝日」
381今日は聖サバスの日:02/12/05 21:48
「祈願祭」
昇天祭直前の三日間。(豊熟祈願祭、とも言います。)

「昇天祭」
復活祭から40日目の木曜日。
ヴェネツィアの「海との結婚式」もこの日でしたね。(十二世紀から)
古くは「雷神トゥールの祭日」だったようです。

「聖霊降臨祭」(五旬節 ペンテコステ)
復活祭前日から50日目のの日曜日。
ユダヤ教の「五旬節」(収穫祭)は、「過越祭」から50日目。
新教では、復活祭から50日目。

「三位一体の主日」
聖霊降臨祭の次の日曜日。以降、待降節開始まで「三位一体節」。

「聖体祭」
聖霊降臨祭の11日後の木曜日。(1264年認可、1311年制定)

「聖体降福祭」
聖体祭から8日間。

「中世ヨーロッパってのは、もっと殺伐としているべきなんだよ!」
というツッコミは、今のところありませんね…。(笑
主要なもの一年分は書かせて下さいね。
382世界@名無史さん:02/12/06 19:57
サラジン、アビセンナ、アベロエスはムスリムだけど聖人にしてもよいと思われ
383世界@名無史さん:02/12/06 20:45
イブン・スィ-ナーは医者で科学者で哲学者。
イブン・ルシュドは文献学者で基本的に哲学者。(やっぱり侍医ではあったけど)
イスラムの神学者からは辛い批評にさらされたりするけど(今では違う)
(キリスト教圏の)聖人・・・になれるのかなぁ?
>382 >383
イスラム教徒であった彼らが、キリスト教の聖人になりたがるとは思えませんが…。
それはキリスト教中心主義かと…。

夏のお祭り
「全ての聖人と聖母マリアの日」(5月13日)
旧万聖節 610〜834年まで。

「聖ヨハネ降誕祭」(6月24日)
バプティスマの聖ヨハネの生誕日とされています。
職工、仕立て屋、皮なめし、毛皮屋、レンガ職人の守護聖人。
「夏至のお祭り」で、本来はドルイドのお祭りでした。
中世には火祭りの形態が多く、12匹の黒い動物、黒猫や黒山羊を悪魔に見立てて、(生贄として?)焼き殺す事が多かったようです。

「聖ペテロと聖パウロの日」(6月29日)
聖ペテロは初代ローマ教皇とされていて、漁師、船乗り、鍛冶屋の守護聖人となっています。

「聖母マリアのエリザベツ訪問祭」(7月2日)
現行教会暦では、5月31日。
十四世紀からのお祭りです。

「聖マグダレーナの日」(7月22日)
マグダラの聖マリアの事で、十二世紀以降の中世で最も人気のあった守護聖人の一人。
偽典の「ピリポ福音書」では「イエスの最愛の女性」とされ、異端のカタリ派は彼女を「イエスの妻」としていました。
プロヴァンスの伝説では、イエスの死後マルセイユに舟で辿り着いた彼女は一人の男子(イエスの子)を産み、その子孫がシャルルマーニュであったと…。
(そう信じられていた伝説がありました。)
384の続き
「聖クリストフォルスの日」(7月25日)
中世欧州で最も人気のあった守護聖人の一人で、交通関係全般の守護聖人でもあります。
犬頭人身(エジプトのアヌビス神に似ています)で描かれる事が多く、街の出入口や渡し場や橋などに多く祭られていました。
(「道祖神」的な存在ですね。)
異教的な外見と伝説等から、現行教会暦からは削除されています。
(今でも「聖クリストファー」のお守りとかはあるらしいですが。)

「聖ヤコブの日」(7月25日)
使徒聖大ヤコブの事で、九世紀以降の巡礼地となるサンチアゴ・デ・コンポストラで遺体が発見された、とされています。
レコンキスタの精神的支柱というべき存在でした。
現行教会暦では、こちらがメインです。

「聖ヨアキムと聖アンナの日」(7月26日)
聖母マリアの父母、つまりキリストの祖父母の事です。
カトリックでは、第四次十字軍以降に盛んになったお祭りですが、ギリシャ正教会では古くからのお祭りです。

「聖母マリア被昇天の日」(8月15日)
中世欧州で最も派手なお祭りで、クリスマスや復活祭よりも大きなお祭りになっていた地域も少なくありません。
以後、「聖母降誕祭」(9月8日から)までを「女の三十日間」と呼んでいました。

「聖ヨハネ斬首の日」(8月29日)

「聖母降誕祭」(9月8日)
上述の「聖母被昇天祭」と並んで、最も大きなお祭りの一つです。
(期間は一週間程度が多かったようです。)

「聖十字架称賛の日」(9月14日)
「聖ミカエルの日」(9月29日)
中世欧州で最も人気のあった守護天使。
この日は、天使カブリエルと天使ラファエルの祭日でもあります。
「収穫祭」「歳市」の日。
「秋分の日」という扱いの日でもありました。
(春の歳市の日は「聖ゲオルギウスの日」でした。抜けています。欝)
現在では日本国の守護天使でもあります。=聖ミカエル

「万聖節」(11月1日)
「諸聖人の祝日」("Hallowmas")とも言います。
前夜祭が、いわゆるハロウィンです。
835年制定。
元々は、ケルト系の「正月」といわれています。
「冬のはじまりの日」という扱いの日です。

「万霊節」(11月2日)
「全殉教者の祝日」で、お祭りとしては、後に「万聖節」と統合されました。
十一世紀制定。

「聖マルティヌスの日」(11月11日)
中世欧州で最も人気のあった守護聖人の一人。(←こればっか)
フランスだけでも、約3600市町村の守護聖人になっています。
マルティンマスとも言い、家畜屠殺の日という位置付けでした。
(冬の飼料が乏しいので、必要な家畜以外は冬の前に屠殺する習慣がありました。)
「ガチョウの丸焼きを食べる日だ」とドイツ人の先生が言っていましたが、当時もそうでしょうか?(謎
「聖母マリア 神殿参りの祝日」(11月21日)
第四次十字軍以降、カトリック教会圏で広まりましたが、正教会では古くからのお祭りです。
1371年制定。

「聖カタリナの日」(11月25日)
中世欧州で最も人気のあった守護聖人の一人。
これも、第四次十字軍以降にカトリック教会圏で広まりましたが、正教会では古くからのお祭りです。

「聖アンデレの日」(11月30日)

「聖ニコラウスの日」(12月6日)
子供、船乗り、盗賊、商人等々の守護聖人です。
別スレに詳しくあります。(笑

「聖母マリア 無原罪の御宿りの祝日」(12月8日)
これも、第四次十字軍以降のパターンです。
1854年公認。

長々と大変失礼致しました。
以上が、中世欧州の主要なお祭り、宗教行事でした。
(抜けているものも多々あると思われますが。)
リクエストがあれば、マイナーなもの、イロモノ?に移行しますが、無ければ撤退致します。

尚、現行の教会暦は「聖人のカレンダー」で検索すれば簡単に見つかると思います。

それでわー。(一旦撤収)
388世界@名無史さん:02/12/08 19:34
日本人の聖人は居ないの?
389山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/08 20:15
>388
所謂「二十六聖人」のうち20人が日本人。
390アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/08 21:15
>>388
あと、1622年に殉教して福者に挙げられたた55名の中で46名は日本人です。
高村右近の列福運動は1970年代からやってますが(もっと前か)まだ実現していない。
マザー・テレサは来年にも福女になるらしいとのことですから、聖人の前段階の福者で
止まってる人は聖人は難しいかも。
391山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/08 21:20
(あれほど受けそうなのに)天草四郎が認定されていないのは不思議。
高村右近のような運動も聞かない。
392アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/08 21:20
>>390
間違った。ごめんなさい。高山右近です。
393山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/08 21:22
私もつられて間違ってしまった!
394アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/08 21:27
>>391
島原の乱は、本質的には百姓一揆でキリシタンの一部が利用したと、現代の
カトリック教会からは捉えているとのことです。
395山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/08 21:28
>394
冷静な。奇跡と悲劇が重なっていて人気はあるのに。(悪役として登場
する小説が多いのはやはり日本人の怨霊志向ゆえか)
396世界@名無史さん:02/12/09 01:12
マザーテレサはもう列福するのか。はやいね。
生前の事跡が広く知れ渡ってるから審査の手間が少なくて済むのかな?
397世界@名無史さん:02/12/09 03:29
でもテレサが奇跡を起こす・・等々
こじつけなんだよね?
398世界@名無史さん:02/12/11 00:52
今年のニュースで、イタリアでちょっと前になくなった神父さんを
聖人に認定したらしい。
399世界@名無史さん:02/12/11 02:14
>397
奇跡を起こしたというよりは、あの献身的な活動を「奇跡」と認定したとかなんとか

#でもよく考えるとマザーへの侮辱のような気がしなくもない
400世界@名無史さん:02/12/12 19:36
奇跡と言えばピオ神父はあまりに有名だ
401アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/13 11:45
>>397
カトリックでは今でも奇跡が列聖の絶対条件です。
要するに一般の信者が直接神様に祈っても、数が多すぎて届かないだろうから
(この辺妙に中世的)生前徳の高かった人に「神様にお取次ぎ願います」と祈って
かなえられれば、その人は現在神の傍近くにいるという理屈です。
マザー・テレサもすでにお取次ぎを願ったら胃がんの女性が全快したなど、いくつもの
奇跡が認められています。
ついでですが、汚職で捕まっているフィリピンのエストラダ元大統領が、最近、病気で
聖アグネスの泉に治療に行きたいと申し立てた所、裁判所は「泉の水を取り寄せろ」と
命じたそうです。
死亡→列聖の早かった人(中世欧州限定)でも並べてみましょうか。
比較として中世欧州の著名人も少し。

聖トマス・ベケット 1170没 1173列聖
聖トマス・アクィナス 1274没 1323列聖
聖ジャンヌ・ダルク 1431没 1920列聖
パドヴァの聖アントニウス 1231没 1232列聖
聖ボナヴェントゥーラ 1274没 1482列聖
聖ドミニクス 1222没 1234列聖
アッシジの聖キアラ 1253没 1255列聖
アッシジの聖フランチェスコ 1226没 1228列聖
フランス王ルイIX 1270没 1298列聖
アンジュー家のルイ・ド・トゥールーズ 1297没 1317列聖
ハンガリー王妃エリザベート 1231没 1235列聖
403世界@名無史さん:02/12/15 12:45
404アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/15 14:39
カンタベリー大司教聖トーマス・ベケット 1170年没 1173年列聖
も、早いですね。2年が最速ですか。

皇帝、国王、皇后、王妃、王子で列聖された人が結構いますね。
神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ2世 1024年没 1046年列聖
この人は曾祖母のハインリッヒ1世の皇后マチルドも聖人。
カスティーリア王フェルディナンド3世 1252年没も聖人。ルイ9世のいとこ。
イギリス王エドワード2世 1066年没とスコットランド王妃マーガレット1093年没
は親子で聖人。
ハンガリー王家は5人くらいいます。
>>404
ごめんなさい。トーマス・ベケット見落としていました。

それから、403は、別に見ても害は無いけど、「明治ブルガリア・ヨーグルト」です。
406世界@名無史さん:02/12/16 12:49
 アレなロシア人
http://nanikaya.jp/itsuki_diary.html
407チンギスハーン:02/12/23 22:29
蒙古騎兵age
408世界@名無史さん:02/12/27 17:19
「聖人」は独身もしくは処女童貞であることが資格要件ですか?
409アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/27 17:39
>>408
既婚者はたくさんいますよ。
夫婦や親子で聖人の例もあるし。
コンスタンティヌス帝の母の聖へレナ皇太后はどうも、コンスタンティウス帝の
側室だったようです。
独身でも若い頃は散々放蕩していて、後に悔い改めた聖人の有名人は多い。
410世界@名無史さん:02/12/28 00:37
>コンスタンティヌス帝の母の聖へレナ皇太后はどうも、コンスタンティウス帝の側室だったようです。
コンスタンティヌス帝とコンスタンティウス帝が同じ字に見えてびっくりしました。
411世界@名無史さん:02/12/30 10:40
412世界@名無史さん:02/12/30 13:18
>>411
これなに?何処?
413世界@名無史さん:02/12/30 18:57
>>412 画像名にワルシャワって書いてあるよ……
414世界@名無史さん:03/01/03 02:54
カルミナ・ブラーナっててっきり中世の音楽だと思ってたら
(詩自体はミュンヒェンの南数キロのボイレンにあるベネディクト会大修道院で1803年に教会財産の調査に訪れた人が13
世紀初めの詩の手写本を発見し、高い価値を認め、持ち出してミュンヒェン・バイエルン王立(現・州立)
図書館に納めた。これを編纂し1847年に全集版を刊行したアンドレアス・シュメラーが〈カルミナ・ブラー
ナ(ボイレンの歌の意)〉と名づけた。中世の社会生活を反映し、すこぶる露骨な表現もあるが、恋愛詩・
飲酒遊戯詩・道徳詩・風刺詩・宗教詩等、抒情詩約300が収められ、譜線なしネウマによって旋律の付
されたものもある。オルフは「カルミナ・ブラーナ」の手写本をテキストとして24の詩に作曲したのである)


オルフは1930年代の人だったんだね。

嗚呼、おのれの無知を恥じるよ。
415世界@名無史さん:03/01/03 11:46
聖アガタの日(2/5)には氷が張っていても玉葱を蒔け。
聖ウルバヌスの日(3/1)には羊の毛を刈れ。
聖キリアヌスの日(3/1)には蕪を蒔け。
聖グレゴリウスの日(3/12)にはエンドウ豆を蒔け。
聖ベネディクトゥスの日(3/21)はオート麦、大麦を蒔け。
聖ゲオルギウスの日(4/23)に大麦を蒔け、
聖マルコの日(4/25)ではもう遅い。
聖ピリポと聖ヤコブの日(5/1)にはレンズ豆を蒔け。
聖ウルバヌスの日(5/25)には亜麻と麻を蒔け。
聖バルナバの日(6/11)には牧場の草を刈れ。
聖ウィトゥスの日(6/15)には菜っ葉を蒔け。
聖エギウスの日(9/1)になったらライ麦を蒔け。
聖フランチェスコの日(10/4)になったら、小麦を蒔いても良いが、
聖クレメンスの日(11/23)が過ぎたら、もう小麦は蒔くな。
聖ヴァリエの日(10/22)に梨の下を耕せ。
万聖節(11/1)が来たら、鋤を手放せ。

「農耕用カレンダー」というべきものでしょうか?
日にちが不明瞭なものもありますが、原文のまま、です。(冷汗)
作られた時代的が「中世」から外れているものもありそうですが、その辺はご了承下さい。

ようやく「暮らし」らしい事が書けた、かな?(笑)
417世界@名無史さん:03/01/08 08:55
ぎょうさんある聖人の日を、覚えていたの?カレンダーは庶民も持っていたのですか?
418世界@名無史さん:03/01/08 09:12
教会いけば分かるじゃん。
419世界@名無史さん:03/01/08 17:13
教会にはそんな細かいカレンダーがあるの?
どこの教会行っても?
教会って市役所みたいなもん?
420世界@名無史さん:03/01/10 02:07
協会の無い辺境もあったの?
421世界@名無史さん:03/01/10 02:19
>419
どこの教会も、とは言いませんが教会には暦に関して衆知する機能がありますね。
市役所とは違います。
422世界@名無史さん:03/01/10 03:52
423世界@名無史さん:03/01/10 03:59
ハンガーは、あったのでしょうか?服に使う。木製でしょうか。
424山崎渉:03/01/11 12:52
(^^)
425世界@名無史さん:03/01/11 13:38
カレンダーって毎年変えるものではなかったようですね。
中世のではなく、17世紀あたり(だったか)の現存するカレンダー
というのを本で見たことがあるけど、絵でたくさん行事の説明が
してあった。
まわりには聖書の場面も描いてあったような。
あれはずーっと貼って飾っておくものだったらしいです。値段を思えば当然か。
>404
亀レスですみませんが。
聖人の最速記録は、パドゥアの聖アントニウスかと思われます。

没  1231年6月13日 
列聖 1232年5月30日(1232年のペンテコステの日)

となっていますので、一年足らずで列聖されています。
(教会博士に任じられていたり、生前に死者の復活という奇跡をおこしたりしていますので、RPGの高レベル賢者クラスですね。(笑))

生まれがポルトガルのリスボンなので、リスボンでは現在でも大きなお祭りの日になっています。

他に一年以下という「記録」は見当たらないようですので、それが「最短記録」かと思われます。
>419
教会が「役所」のような機能を持っていたのは事実です。
欧州最大の封建領主であったのも事実(教皇領、司教領、修道会領等々の合計)ですから、それらの維持や集税の為のノウハウを持っていたはずですね。
僧侶の識字率は他のどの職業よりも高かったのですから、教会領以外ではそういった役割を担わされていたようです。
(江戸時代の寺社のように、戸籍の管理も行っていたようです。
当時の記録から、女性の初潮の平均年令も割り出せるほどですから、その記録、管理の能力が理解できるでしょう。)

後世のフランス革命などで多数の教会が破壊されたのは、こうした支配者としての背景もあったはずでしょうね。
(そこまで深くないかも…。)
428世界@名無史さん:03/01/12 10:28
教会の破壊についての考察、おもしろいですね。
そうしてそれまでのシステムを破壊したからこそ、民主化がそれなりに
成功したのかな。

そういえば、騎士団なども「騎士」とは思えない役目を果たしてたり
してたとか。聞いたところでは「為替の振り出し」。
商人などが現金を送るのは危険なので、騎士団に為替を出してもらい、
それを遠地へ送る→その地の騎士団が為替を換金 というシステムが
あったらしい。まさに銀行ですね。
429世界@名無史さん:03/01/12 17:12
>423
ハンガーは4000年の歴史があるらしいw
↓は英語のHPだけど、ハンガー博物館だそうで。
ttp://homepage.mac.com/marchesbaugh/moch/intro.html
430いたりや金融道:03/01/12 23:34
>>428
実は「高利貸し」もやっていますた。 > テンプル騎士団
欧州各地に点在していた所領から、軍資金等々を効率良く輸送する為に考案されたのね、きっと。

まあ、為替振替とかはイスラム起源と考えた方が無難なのかも知れませぬが。
(十字軍系はイスラムからヒント貰ったもの多いから。
…根拠は無いけど。)
431世界@名無史さん:03/01/13 12:06
  おにぎりワッショイ!!
       \\  おにぎりワッショイ!! //
   +   + \\ おにぎりワッショイ!!/+
                              +
.      +   /■\  /■\  /■\  +
         ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´ー`)
    +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
          ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
          (_)し' し(_)  (_)_)
http://www.asahi-net.or.jp/~zi2s-nr/photo/b0055.jpg
432世界@名無史さん:03/01/14 04:32
上で話題になっているのは教区台帳のことね。
洗礼、結婚、死者、埋葬は教会で記録されるからね。
10分の1税も関係してくるしね。

教会には暦がないと、
ミサをするときに非常に困ることになるから、
普通はあるはずでしょうね。

何せ、人々は教会や修道院の鐘の音で、
生活をしていたんでしょうから。
433世界@名無史さん:03/01/14 04:54
テンプル騎士団の秘密ってなんなんでしょう。
ホモみたいなこと?結局。
434世界@名無史さん:03/01/14 14:05
財宝じゃないっけ?結局フィリップ4世がみつけられなかったっていう。
435世界@名無史さん:03/01/14 15:25
それほしさに騎士団をひでえやりかたで
つぶしちゃったっていうやつですか‥‥

騎士団といえばマルタ騎士団が好きさー
436今日は聖マルケルスの日:03/01/16 18:47
>432
そうでしたね。
「戸籍」ではなく「教区台帳」でしたね。
すっかりド忘れしていました。m(_ _)m

>433
これに関しては、外国のDQNな説を出して説明致しましょう。(笑
(どう思うかはお任せします。)
時代は十字軍の頃、テンプル騎士団は数十名の騎士をエチオピアに派遣したといわれます。
その一団の目的は、シバの女王が持ち去ったといわれる「契約の箱」。
そう、モーセが神から授かった十戒が納められているというアレです。

そして騎士団は、その「契約の箱」奪い、彼らの本拠地であるフランスに持ち去っていった…。
というものです。(滝汗

まあ、そういう伝説もあった(今もある?)、という事で。
437世界@名無史さん:03/01/17 18:08
>>1
ギリシア(ビザンツ)はヨーロッパ文化として扱わないの?

いや、なんか「話題に関係あれば」とか書かれてるからさぁ・・・。
438世界@名無史さん:03/01/19 11:56
>437
自分は聞きたい。
「むかしのあのへん」の話であれば‥‥(すげえ大雑把)

でもビザンツって文化的にはどっちに分類されるんでしょう?
439世界@名無史さん:03/01/21 01:43
「ヨーロッパ文化圏」って、普通は「カトリックだった地域、国」だって聞いた事があるんだけど。
(そうなると、東ローマ帝国やロシアは入りませんね。)
まあ、日本から見ればウラル以西、アナトリア以西は「ヨーロッパ」って感じだけど。

ところで、このスレの1はいなくなったの?
440マルカヴ:03/01/21 01:51
いきなりですが、釘うち税(結婚直前の処女強奪)という独特の税が領主社会では浸透していたらしいのですが、その背景や過程を知りません。
どなたか、存じていらしたら教えていただけませんか。
441世界@名無史さん:03/01/21 16:27
そうそう、気軽に中世ヨーロッパの生活を知りたいなら
マンガ「魔法陣グルグル」がおすすめ。
高校時代、世界史の先生から薦められたほど
中世ヨーロッパの文化描写がなされてる。
架空の世界の話なんだけどね。
442山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/21 17:09
>441
釣り師?
443世界@名無史さん:03/01/21 18:54
て言うか、微妙なコピペだな‥‥
444世界@名無史さん:03/01/21 19:57
これ、前にこのスレで「ベルセルク」と入れてあった書き込みだと思う。
445世界@名無史さん:03/01/21 23:54
しかし「魔方陣グルグル」のような中世ヨーロッパ・・・どんなんやろ。
446世界@名無史さん:03/01/21 23:59
ほのぼのしていてけっこういい中世ヨーロッパかもしれない。
つーてもグルグルは連載はじめのころしか読んでないけど‥‥

ベルセルクの中世より住みやすそうですね。
447世界@名無史さん:03/01/22 01:09
ベルセルクのいいところと思ったのは服関連かな。

ライトファンタジーの影響にそまらず厚めでごわごわとしたような生地の感じをちゃんと
描こうとしていたのが気に入った。

食べ物もいわゆるフランス料理みたいなのが出てないところとかはよし。
448世界@名無史さん:03/01/22 07:12
フランス料理は素材が中世的で素敵w
カエルとかデンデン虫とか
新大陸産の素材を廃して、なんとかソースとかが無くて、素材だけの料理だったら尚ヨシ
中世の料理ならイギリス料理が近いのかも
最悪の料理と言われる由縁はこの辺なのか
449世界@名無史さん:03/01/23 17:14
           おにぎりワッショイ!!
       \\  おにぎりワッショイ!! //
   +   + \\ おにぎりワッショイ!!/+
                              +
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         ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´ー`)
    +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
          ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
          (_)し' し(_)  (_)_)
http://www.kakehashi.or.jp/photo/b0055.jpg
450アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/01/23 18:45
ポトフーは、田舎の庶民の料理の基本なんだそうで、朝から鍋を火にかけて
肉の塊を入れ、暇を見ては、玉葱、ニンジン、ジャガイモ(これは皮をむくらしい)
キャベツ、などを放り込んで食事時には自動的に出来上がっているという
便利なものだけど、新大陸が発見されなかったら何を入れるんだろうか?
うちでも手抜き料理で時々作るけど、玉葱とじゃがいもがなかったら誰も
たべてくれないだろう。あ、玉葱はあったか。
451世界@名無史さん:03/01/23 20:38
豆をお忘れなく。
豆のスープ、豆のパン、煎り豆、煮豆、・・・と豆だらけにしよう。
452世界@名無史さん:03/01/23 20:45
豆さえ食ってれば人は死なねぇ!てマッコイ爺さんも言ってたしな。
まあPCヲタにはMAMEさえあれば!という奴もいそうだが。
453世界@名無史さん:03/01/23 20:56
問題は、ピーナッツとかアーモンドとかの「おいしいおつまみ」ではなく、エンドウ豆だけってところが痛いよな。>中世ヨーロッパ
(他にはあってもレンズ豆とかか。)
454世界@名無史さん:03/01/23 21:01
そういえばコメはいつごろ欧州に伝来したのでしょう?
ギリシア語・ラテン語ですでに英語「ライス」の語源となる単語が早くもあるようですが・・・
455世界@名無史さん:03/01/24 02:51
もともとあったのかな?
んなことないか・・・
ポー川周辺とかにさ
456世界@名無史さん:03/01/24 19:28
水稲と陸稲の問題もあるよなあ。>米
457世界@名無史さん:03/01/26 14:55
>440

遅レスですが、阿部謹也氏の「中世を旅する人々」には
「初夜権」として載っています。
16世紀のドイツの資料二件によると、新郎が貢納をおさめて
新婦に対する領主の初夜権を買い取っていたそうです。
これより昔、実質的に(言葉通りの)権利行使があったかどうかは
わからないと。むしろ結婚の承認料としての貢納と、領主の支配力の
シンボリックなあらわれではないか‥‥みたいな感じでした。

ようわからんみたいですね。
458世界@名無史さん:03/01/31 19:58
「世界風俗史」だと「初夜権」+「結婚税」という表現になっているから、地域々々、領主の趣味や年齢、体力等々によっても変化すると考えられるね。
ただ、中世ヨーロッパはDQNな税制が多いから、金で済ませようと感じも多かったのかも知れない。

DQNな税金制度(『フィリップ・オーギュストの時代』から)

シャンパーニュ伯は財政難に陥っていた。
伯「新しい税制を取りたいか、何か無いか?」
僧「お日様に税金を掛けましょう」
伯「ハァ? ナニ訳のわからん事を言ってんだ?」
僧「村々では毎日々々お祭りの飾りのように洗濯物が干してあります。
 それに税金を掛けるのです」
伯「おお、なるほど!」

瞬く間に財政難は解決した。
しかし、中世ヨーロッパは、こうして不潔になっていった…。
459アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/01/31 20:09
窓税、かまど税なんてのもありましたね。税金と膏薬はどこにでもくっつく・・・
460山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/31 22:32
日本でも窓銭、棚銭、穴銭(墓穴)、頭銭(人頭税)などをとった事が島原の乱に
繋がりましたね。なんにでも税をかけるから・・・。
461とてた:03/01/31 22:59
洋の東西を問わずに、酷い…。

反乱したくもなりますわな。
462アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/01/31 23:00
なんとかいう新しい税金を反対派が「人頭税」と言い換えて反発を煽ったのが
サッチャー政権の没落のきっかけでしたよね。
よっぽど恨みのこもった税だったんでしょう。
紀州あたりでは、家の間口に対して税をかけたそうです。だから、豪商や富農の
家では奥に行くほど広くなっていてそういう家がまだ残っていると聞きました。
463山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/31 23:07
「生類憐みの令」が出された時、1万以上の犬の餌代は間口税で賄われました。
464山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/31 23:08
それとイングランドには今でも(税のかけられた)窓を塗り込めた跡の残る
家があります。元々は16世紀にガラスの張られた贅沢な窓にのみ適用され
た一種の贅沢税だったものが後に広げられた。
465世界@名無史さん:03/02/01 00:14
扉の大きさか窓の大きさにかけられた税もあったような。
10分の1税だけじゃたりんと‥‥
医療保険も雇用保険もないのに。組合入ってなければ失業保険もないし。。

「流れ者」の人たちはまた通行税とかがっちり
取られるんだろうなあ。
中世って村も街も排他的で流れ者は生きづらい感じがするのですが、
そのあたりはどうだったんでしょう。
流れの傭兵とか流れの騎士とか流れの鍛冶屋とか‥‥
466世界@名無史さん:03/02/01 03:33
前にドイツの大工さんをテレビで見たのですが、
彼ら今でもすごい昔な格好して仕事してて
そんでもって今でもドイツ国内を放浪して仕事するんだって。
流れ流れていろんな地方の親方に付いて仕事を覚えるらしい。
これは中世からの伝統だと言っていました。
467世界@名無史さん:03/02/01 13:43
>>438
まさか、イスラム圏に分類されるとでも?
468世界@名無史さん:03/02/01 16:26
>>466
ドイツは学生達も『遍歴学生』ってな感じであちこち移動して勉強していたらしいね。
昔は移動だけでも金と時間が掛かって大変だったろうに。
通行税免除の特権とかでも無ければやってられないね。
(こういうのってあったの?)

思いっきり近代だけど、シューベルトの「冬の旅」っていう歌曲は、ギルドだかツンフトだったかから抜け出したor追い出された人物についてのものらしいね。
「俺はもう人間じゃ無いんだ」という悲哀に満ちた歌曲集だそうで。
469世界@名無史さん:03/02/01 16:46
シューベルトの冬の旅かあ。
あれは寂しい歌だよね・・泣ける。
今も昔もあまり変わらないのかなぁ。ドイツは。

中世の頃は遍歴学生なんかが身を持ち崩して?
吟遊詩人やら道化師になっちゃったらしいねぇ。
”中世・ルネサンスの社会と音楽”という本で斜め読みした。
470アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/02/02 00:19
元学生の大物にはフランソワ・ヴィヨンがいますね。大詩人で大泥棒。
32歳以後消息不明なのでおそらく殺されたのだろうといわれています。
これ以後、詩人と泥棒を両立させたのはジャン・ジュネだけとか。
471世界@名無史さん:03/02/08 05:36
age
472世界@名無史さん:03/02/19 00:06
あげー
473世界@名無史さん:03/02/19 00:29
>>469
身につまされる・・
474世界@名無史さん:03/02/19 16:55
475世界@名無史さん:03/02/21 19:26
02/21 22:00〜22:45 ドキュメント地球時間 「イギリス・16世紀 グルメ王の食卓」
http://cgi2.nhk.or.jp/pr/bangumi/omoban/o0221.shtml#08

中世には入らないかも知れないが、再放送。
476世界@名無史さん:03/02/21 20:34
>475
サンクス!
前も見れなかったし、今回も気づいてなかったからありがたいっす。
477世界@名無史さん:03/02/21 23:05
>475
一応お礼age
478世界@名無史さん:03/02/24 15:12
02/24 24:15〜25:05 NHK総合
NHKスペシャル再放送「ギリシャ正教 秘められた聖地アトス」
http://www.nhk.or.jp/special/rerun.html
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/03/l0002/l0208.html

> 女人禁制を貫きユリウス暦を用いるなど修道士の自治のもと
> 中世さながらの信仰の生活が行われている。

これもお薦め。
479世界@名無史さん:03/02/24 15:19
480世界@名無史さん:03/02/24 20:54
BS1で現代版馬上槍試合やってたよ
481世界@名無史さん:03/02/24 21:06
>>480
馬上槍試合というともとTAKE THATのロビー・ウィリアムズのミュージックビデオでもやってたな
あれは何かの映画のサントラだったのだろうか?
クィーンのカバーでした
482世界@名無史さん:03/02/24 21:13
483世界@名無史さん:03/02/25 00:49
>>478
これって、2月上旬の土曜か日曜の21時に放映されたのの再放送ですね。
脱世間の隠遁修道士生活へ憧憬されておられるのですか。女人禁制と聖母マリアのICONは
どう両立するのだろう。
484世界@名無史さん:03/03/05 05:53
あげときます
485世界@名無史さん:03/03/05 13:50
ギリシャ正教じゃなくて
ギリシャ・カトリック
486世界@名無史さん:03/03/05 14:21
487世界@名無史さん:03/03/07 01:39
アルメニアってどんな国?
488世界@名無史さん:03/03/07 15:00
カスピ海近くのキリスト教徒の国。
白人に見えるが、有色コーカソイド(白人亜種には入る)らしい。
489世界@名無史さん:03/03/11 18:06
>>488
ありがとう。
アルメニアってノアの方舟のところって本当なのかなぁ。
490世界@名無史さん:03/03/11 23:49
>>489
アララト山? 本気になって探していた&いまでも探しているヤシは山のようにい
るぞ。
491世界@名無史さん:03/03/13 12:33
492山崎渉:03/03/13 12:41
(^^)
493世界@名無史さん:03/03/15 01:33
一応age
494世界@名無史さん:03/03/15 13:20
>>438
ビザンツ帝国は
キリスト教(ギリシャ正教)
ギリシャ語公用
本領はあくまでヨーロッパ側

なので普通にヨーロッパ文化圏に入るとしか考えられない。
495世界@名無史さん:03/03/15 17:02
誰も「東ローマ帝国」って言ってくれない(T△T)
496世界@名無史さん:03/03/15 18:02
中世ローマ帝国
497世界@名無史さん:03/03/15 18:20
ギリシア人の帝国
498世界@名無史さん:03/03/23 19:21
最近、ネタが無いなぁage
499世界@名無史さん:03/03/24 09:54
ブルガリアの田舎は本当に田舎
500世界@名無史さん:03/03/24 17:43
サッコ・ディ・ローマ(1527)に関する資料とか本とかあったら
教えてください
501世界@名無史さん:03/03/26 11:51
>494
ビザンツってよくビザンツだけで取りだされて論じられてますね。
まあ二極のどっちって言えばヨーロッパにちがいないんだろうけども。
502世界@名無史さん:03/03/26 18:12
エフハリスト
503世界@名無史さん:03/04/05 21:28
age
504世界@名無史さん:03/04/06 00:01
最近オンラインカジノでよく遊んでるよ!
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505山崎渉:03/04/17 09:45
(^^)
506山崎渉:03/04/20 04:52
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
507世界@名無史さん:03/04/21 18:16
イースターマンデーage
508世界@名無史さん:03/04/24 23:26
old merry Englandとは
具体的に何時の頃ですか?
509世界@名無史さん:03/04/24 23:32
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510(つ゚∀゚)つ:03/05/08 21:42
  ほしゅ
511世界@名無史さん:03/05/11 11:22
ダンチヒage
512世界@名無史さん:03/05/11 17:27
しかし、医学の都に居続けると子供が増えすぎる・・・。

どっか途中で打ち止めにするか、さっさと世界制覇してしまわないとw
513512:03/05/11 20:49
別スレの暴発w
514世界@名無史さん:03/05/21 17:01
今回のSARS騒ぎを見てると14世紀欧州におけるペスト流行を髣髴とさせる
将来このSARS騒ぎも教科書に載るかな?
515山崎渉:03/05/21 21:50
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
516世界@名無史さん:03/05/22 08:59
危険なんでアゲとく
517世界@名無史さん:03/05/27 20:32
あげるでー
518山崎渉:03/05/28 14:57
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
519世界@名無史さん:03/05/29 16:26
山崎のおかげで保全もままならない。
520世界@名無史さん:03/05/31 17:52
あげ
521名無し:03/05/31 21:55
英国のお城で当時の騎馬武者の競技を見た。
地上に転がるボールを槍でつくのだが、ボールは、処刑された敵の
生首だ。もちろんプラスチック製だが。
522世界@名無史さん:03/06/02 08:36
 以前はゲルマン民族って狩猟民族といわれてたけど、最近は遊牧民族と
されてるのかな?
523アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/06/02 10:12
今、仕事の合間にスコットランドの歴史の本読んでますが、読み終えたら
何か書きます。いやぁ、すごいすごい。まともな死に方した王様いないんです。
524世界@名無史さん:03/06/02 11:00
>>439

結構すごいねソレ
525世界@名無史さん:03/06/02 18:02
ウィリアム1世(在位1165〜1214)はマトモな死に方かな?
526アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/06/02 22:57
>>525
マルコム3世(「マクベス」にでてくる王子です)と聖マーガレットの開いたカンモー王朝は
長子相続制で、最後のアレクザンダー3世が、馬ごと崖から落ちて事故死したほかは大体
病死のようです。
ウィリアム1世は、イングランドを攻撃して捕虜になって、両手足をくくられて(カチカチ山
のタヌキみたい)馬に腹にぶらさげてさらし者にされたり、監禁されたり、いろいろ
ひどい目にあってますが、死に方については何も書いてないから、多分まともな死に方でしょう。
527世界@名無史さん:03/06/03 19:09
>>526
どーもです。
うちの本には、イングランド攻撃して負けて屈辱的な臣従を強いられた、みたいな事しか書いていなくてw
一歩間違えれば、「非業の死を遂げたスコットランド国王」の仲間入りしていましたね。
もっとも、あの当時で70まで生きたからOKかも。>ウィリアム1世
528例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/06/04 01:15
中世の娼婦
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/afr_2000/baishun.htm
>1140−1190年の調査(ボケールにて、241組の夫婦対象)によると、夫が妻よりも年上が
>85.5%にのぼり、年齢の開きは平均7.9歳、30代男性と8〜16歳若い妻との結婚は20%、
>40代・50代男性と20〜34歳若い妻との結婚は15%でした。これは30〜50代男性が、若い
>男性の相手となるべき適齢期に達した女性の三分の一を嫁にしているということです。

うひょう!!幼妻マンセー!
529世界@名無史さん:03/06/08 01:25
 アルバイト人生まっしぐらの私ですが、疑問があります。現在のアルバイトや派遣
は、ヨーロッパ中世の傭兵と似たようなものだと思うのですが、例えば、30年戦争
時代の傭兵たち、もしくはその家族たちは、安定した生活をおくっていたのでしょうか?
高齢者で指揮官クラス以下、すなわち平民クラスの人達の将来はどのようなものだっ
たのでしょうか?
530世界@名無史さん:03/06/08 08:46
その日暮らし。
まっとうな家族など抱えているはずも無し。
531世界@名無史さん:03/06/08 13:25
日本でも欧州でも中世に家族抱えられるのは、ある意味恵まれた者のみ。
いや、最近の社会でも、キチンと家族抱えられる人の割合が低下しつつあるような・・・。
532アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/06/08 14:30
>>528
若い男は、持参金付の後家さんと結婚していたようです。
アイリーン・パウアの『中世に生きる人々』によると、15歳くらいの
妻を貰った中年男は(どうせ先に死ぬんだから)奥さんが再婚して
立派な主婦になれないと恥だから、教育熱心だったとか。
533世界@名無史さん:03/06/08 15:01
>>529
当時の傭兵の給料は確かに一般の職人などよりは高かったようなのですが、武
器のレンタル料などの名目でピンハネされるうえ、酒や博打で右から左へと消
えていってしまい、手元に残るお金などありません。
酒などは傭兵隊についてくる輜重隊の商人から買うのですが、値段はボッタク
リ価格です。また、輜重隊には洗濯や炊事などをする女たちがいて、セクースも彼
女たちが提供するのですが、これまた花代はボッタクリ価格です。
なにしろ、傭兵というのは数もまともに数えられないような無教養な連中がほ
とんどですから、いいカモにされてしまうのです。

しかも、当時の傭兵隊は略奪の常習犯でした。傭兵隊を維持する財源を略奪で
得ていたわけです。しかも略奪の時には殺人や強姦もガンガンやっていくわけ
で、世間からは軽蔑され、恐れられていました。
戦争が終わって傭兵隊が解隊されても、そんな連中を世間の人々は相手にしま
せんし、故郷からも締め出されます。元傭兵のほうでもまっとうな生活の術な
ど知りません。

そのため、一度傭兵隊に入ったら、死ぬまでどん底の傭兵生活を続けるしかな
かったわけです。
534世界@名無史さん:03/06/08 15:03
ベルセルクという漫画を知っているなら、「鷹の団」よりも「黒犬騎士団」のほうが
(イメージ的に)実態に近いといえば、わかってもらえると思います。
535世界@名無史さん:03/06/08 17:23
佐藤賢一の「傭兵ピエール」読め。
536世界@名無史さん:03/06/08 18:15
戦が終わって解雇された傭兵二人。
さぁて、食い扶持も無く再就職のあても無い。

A「乞食でもやるか?」
B「いいけど、ただガタイのでかいのが二人並んでたって何も貰えねぇぞ」
A「そうだな」
B「そうだ、片方が盲で片方がその手引き役ってぇのならどうだ?」
A「お前、頭いいな それならいいかも知れねぇ」
B「どっちが盲になる?」
A「くじ引きで決めようや」
B「そうだな」
当たりを引いたAは、その場で眼を潰され、Bに手びかれ教会で物乞いを始めた。

その後、二人がどうなったのかは詳しく記されていない・・・。
537世界@名無史さん:03/06/09 00:29
>>509
氏ね!こんなところにまで
そんな話題もって来んな!
538529:03/06/09 23:45
ありがとうございます。
現代でもそんな生き方してる人もいますよね。

今失業者が増えているのも戦争が減ったせいなのかも?
539世界@名無史さん:03/06/10 18:01
old merry Englandとは
具体的に何時の頃ですか?
540世界@名無史さん:03/06/10 18:15
>529
ところで30年戦争の時代はすでに中世ではありません。
17世紀は、「近世」(近年使われるように)という区分です。
どうでもいいことですが。しかしこのスレは一応中世なので。
541  :03/06/10 19:42
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8 
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html

583 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/03/05 15:33 ID:A9o87Nml
フジテレビの10時からの番組は、この一つ前の
『どうなってるの』の時からして最悪。私の個人情報を使って、
丸一本「恐怖のサイテー女」とかいった特集を組みやがった。

素人投稿を騙っては、そのもの自体は必ずしも私とは
言いかねるようなものに、同じ名前、同じイニシャルを当てはめたり、
盗聴・盗撮をしているから分かるのであろう様子のほのめかしを
所どころに散りばめては、出演者総出で「サイテー、サイテー」を
連呼していた。

あざとさ極まったことをしながらも、司会者のY・Tと掛け合って、
私の個人情報をボロクソにこけ落としながら大笑いしていた
局アナのN・K(かな?)のけたたましい声が今でも耳から離れない。
仕事だから仕方がないのかも知れないけれど、
ここに出ている者はサイテー最悪の盗聴者。

でもここでの書き込みが筒抜けだからか、
最近は一頃の悪意に満ちたほのめかしが少なくなっている。
しかも明日の項目は「心の〜」だって。

この枠での私への盗聴ほのめかしは、とりあえずのところ
「許せない、とんだ賠償請求」みたいな感じの特集が最後となっている。    
賠償を意識せざるを得ないほどに、本当はヤバい盗聴・盗撮と、 
そこから得られる個人情報の悪用ですものね。
542世界@名無史さん:03/06/10 21:08
>>539
常識的にはエリザベス一世のころ。
543非529:03/06/10 21:47
>540
まあね。でも三十年戦争の頃の傭兵が中世のと
どれくらい違っていたんでしょうね。
544世界@名無史さん:03/06/10 22:29
520年頃、ユーラシアの西で人類史上最悪の天変地異がおこったらしいのですが、
その時欧州やオリエントはどんな様子だったのでしょうか?
「太陽が隠れた」、という記録もあり、核の冬が起きたのでしょうか?
545世界@名無史さん:03/06/10 22:40
火山噴火で滅びた文明
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1023497723/

ここよめ。
546世界@名無史さん:03/06/10 22:41
核じゃなくて火山の噴火だよ。
てか核と言う発想はどこから出てくんの?
547とてた:03/06/10 23:14
>>544
「西暦535年の大噴火」ですね。
ちょっと牽強付会なところがありますが、けっこう面白かったです。
548世界@名無史さん:03/06/12 10:44
>543
さあ、私も傭兵に関してくわしくないので断言はできない。
でもたとえそれほど変わらなくても、
それは、近世における庸兵を取り巻く情況は、
中世のそれとそれほど変わりはなかった、という話になるのであって、
中世の傭兵達の情況とは、すなわち近世における傭兵の情況を参照すると
理解できる、というのとは違う。
(うーん。私文章力ないな)
とはいえ、中世の、なんて書く時点で超アバウトなわけだから、
どうでもいいっちゃどうでもいいか。
549世界@名無史さん:03/06/27 05:59
揚げ
550ますたーべーしょん:03/06/27 06:11
“ヘ( ̄- ̄ )また〜りカモォーン♪
http://homepage3.nifty.com/coco-nut/
551世界@名無史さん:03/07/10 14:20
こんな時
552しおん:03/07/10 17:36
十字軍関係に興味があるので調べたいのですが、良い資料を知っている方、教えて下さい。
(教えてチャンですみませんが、自分では本格的な資料は見付けられなかったので……)

・当時のイェルサレムの市街地図
・キリスト教徒とイスラム教徒との住み分けの実態
・両者に日常の交流はあったのか
・両者の混血児はいなかったのか、いたとしたらその児に対する社会の目は?

特に、両者和解の時期(サラディン時代?ウロ覚えでし)に興味があります。
553世界@名無史さん:03/07/10 18:16
>>552
「図説 イェルサレムの歴史」 ダン・バハト著 高橋正男訳 東京書籍 初版1993
「アラブが見た十字軍」 アミン・マアルーフ著 牟田口義郎・新川雅子訳 リプロポート 初版1986

今、漏れの手元にあるものだと、こんな程度ですが参考になれば・・・。
554しおん:03/07/10 19:15
>>553
ありがとうございます。
「アラブが見た十字軍」は昔読みましたが、「図説 …」の方は知らなかったので、
次のお休みに大きめの書店に行って探してみます♪

他にもあったら、ぜひ教えて下さいませ。
m(__)m
555世界@名無史さん:03/07/11 04:25
AGE
556世界@名無史さん:03/07/11 17:19
>552 THE ATLAS OF THE CRUSADES edited by Jonathan Riley-Smith
この本に12世紀のエルサレムの地図は載ってた。すべての十字軍を地図
を多用して、ルートなどを克明に書いてある。$40.
557世界@名無史さん:03/07/12 03:42
最近、ベルセルクというマンガを読んだのですが
この物語の中に、森の奥で暮らす魔女(仙人みたいだったな)とか
出てきました。
さて、中世にいわゆる魔法使いはいなかったとしても、ああいう
森の奥で人知れず隠者のような暮らしとかする人っていたのでしょうか?
いたとして、どうやって日々の生活をなりたたせていたのでしょう。

このスレの皆さんだったら、森の奥の一軒屋で暮らさざるをえなくなったら
どうやって生活していきますか?
>>557
修道院は、はじめ「俗世から離れて福音書に従って生活をし、祈りと瞑想によって神の意に近づく」といった事を目的として設立されました。
「隠者たちの家」として人気の無い山中や荒野につくられたものだったのです。(5世紀頃)

中世初期の迷信の中には「修道士に出会ったら来た道を引き返せ」といった内容のものがありました。
例えれば、「黒猫が目の前を横切る」のような不吉な意味です。

12世紀には修道院の建設ブームがあり、所領の寄進等によって「封建領主」としての面が強くなってくると、単なる「宗教施設」だけでは済まなくなってきます。
修道士の増加もまた、変化の一要因でした。
「街に行けば修道士に会う」「祭りに行けば修道士に会う」「騎馬槍試合に行けば修道士に会う」等々・・・。
戒律が殆ど守られていない事を多くの人々が知り始めたのも、この頃でしょうか?

こういった時代の中、純粋に信仰を追い求めて深い森の中に小屋を建て、ひとりで暮らし始めた修道士の記録も幾つかあります。
(元の修道院院長の許可を得た上で。)
しかし、それは「隠者」になる為のものというよりも、「即身仏」になる為の苦行でしかありませんでした。
欧州の自然環境は、彼らを容易く死に追いやるだけのものでしかなかったのです。

つづく(眠いから)
559世界@名無史さん:03/07/13 12:45
>>558
おお!レスありがとうございます。
即身仏になる為って・・・。
中世にもそういう概念があったのですか。そうなると
日々の糧などそうそう考えるものではなかったのでしょうか。
う〜む。

>>559
大変失礼しました。
「即身仏」は「あの世への急行」の意味であって、それ以外の日本の歴史上の「即身仏」とは無関係です。
不適切な用語の使用をお詫びいたします。


この「隠者」として更に辺鄙な場所に赴いた人々(といってもかなり少数)は、大抵は高齢で病がち、明日をも知れぬ身の最期の願い、といった感じの修道士だったようですから。
食料はある程度の備蓄、そして定期的に修道院から見回りが来る、といった状況で、完全な隠遁生活という訳ではありません。
(状況が状況ですから。)

何よりも自力で食料を確保するのが難しいのが、欧州の森林地帯です。
「下北半島が野生のサルの自生地の北限」だという事は、多くの日本人が知っています。
これは、集団で採集生活を行う人間に近い生き物が生きていける北限だという事でもあります。
青森市とローマがかなり緯度的に近い場所であるという事は、欧州の殆どの地域が採集生活に不適切である事も意味していますね。
(修道士は肉食を禁じられているので、狩猟生活は除外。
山羊など、乳製品が利用可能な動物と牧畜しながら、なら可能でしょうが。)
事実、欧州の森林のかなりのものが針葉樹林である事は、この厳しい現実を表しています。
針葉樹は栄養価の高い木の実が実る事はあっても、広葉樹のような果物類はありませんね。
広葉樹はあってもブナなどがメインで、せいぜいドングリ。
果実類はベリー系とか、後はキノコ類・・・。

欧州の森林では、何よりも恐ろしいのがオオカミ。
民話に登場するオオカミが、人の家の中まで入り込むのは現実を反映したものに過ぎません。
(漫画のように「結界」でもつくれたら話しは別ですが。)
たしか「シートン動物記」には、「パリの街中でオオカミに食い殺された子供」に関する話しがあったと記憶しています。
(14世紀頃で、ペストによって街中が荒廃していた時期かと。)

まあ、こういった肉食獣に関する被害については、過大評価する向きと過小評価する向きがありますので、注意が必要かもしれません。
(わたしは過大評価する方(笑))

しかし、(漫画のような)女性の隠者は、それこそ魔法でも使えなければ極めて難しいでしょう。
理由の大きな点は、月経の血にあります。
近現代の女性冒険者の記述によれば、やはり月経時に肉食獣が接近して来ているという内容の事柄が見られます。
イヌ科に限らず、それらの嗅覚は人間よりも優れており、特に血の臭いに反応します。
(日本の山に「女人禁制」のものがあるのは、オオカミ、ヤマイヌ、クマ等が「山の神の使い」だったと考えれば、むしろ妥当なものでしょう。
まあこの辺は、日本の民俗や俗習に詳しい山野氏にでもツッコミをいれて頂ければいいのですが。(笑))

欧州の場合、これらの肉食獣の被害については、被害の8割以上が子供、更にその8割以上が女子だったという調査結果もありますので・・・。
(被害の具体的数値が載っているのが、中世ではなく19世紀頃だったりするのが、逆にそれ以前の時代の状況をより悲惨に見せているのかもしれません。)
562世界@名無史さん:03/07/13 22:02
平均気温(1996年理科年表)

ローマ:1月(年最低)8.0 8月(年最高)23.8 (年平均)15.5
青森:1月(年最低)-1.8  8月(年最高)22.9 (年平均)11.1

参考
東京:1月(年最低)5.2  8月(年最高)27.1 (年平均)15.6

ちなみに、各地の1月の平均気温(年最低気温)

札幌:-4.6 仙台:1.0 新潟:2.1 静岡:6.1 福岡:5.8 鹿児島:7.2 
ストックホルム:-2.9 ベルリン:-0.2 パリ:3.5 ロンドン:3.8 

緯度だけで気温は決まらない。理科年表のデータぐらい調べるべし。 
>>557
結局現実的なのは、炭焼き職人か、薬師、樵のような人種でしょうな。
>>562
主に「植生」に関してなので、平均気温だけでは無く、年間平均降水量なども考慮して下さると大変助かりますが。

年間平均降水量
札幌 1130mm    ロンドン  754mm
東京 1405mm パリ    647mm
福岡 1604mm マドリード 461mm
青森 1289mm ローマ   744mm
那覇 2037mm    リスボン  768mm
          ベルリン  585mm
          ウイーン  627mm
          モスクワ  638mm
          イスタンブール 697mm
あらら、ズレまくってしまってすみません。
566世界@名無史さん :03/07/15 00:15
>>564
>>565 漏れも>>242で文字ズレまくったカキコをしてしまいました。(´Д`;)
自分は、中世ヨーロッパは広大な森という大海の中に都市や村という島が点在す
るようなイメージを持っており、>>557さんの質問に対し、教会の腐敗とシトー修道会等を
結びつけて説明しようと文を用意していたのですが、貴殿の適切な説明が書き込まれて
おり自分のカキコは控えさせて貰いました。
貴殿には、このスレで様様な興味深い話題でいろいろと勉強させてもらっております。
自分は>>562さんと別人ですが、気分を害されるのを承知で指摘させていただきます。

緯度を基準にしてヨーロッパと日本を関係付けるのはちょっと無理があると思います。
同緯度において、ヨーロッパと日本を比較すると降水量が数百ミリと1000ミリ以上と倍
以上違いますが、それ以上に気温が違いすぎます。(>>242のマルセイユと釧路を比べて
見てください。どちらもの低地ようですが。日本とアメリカ東海岸沿いを関連付けるのなら
わかるのですが....網走市などは年降水量が815mmでヨーロッパと大差ありません)

野生猿の生育については、人間の自然界に対する関与「等」植生以外の環境によるもので
あり、寧ろリスとか熊などを対象にして採集環境を検討したほうが適当かと考えます。
567世界@名無史さん:03/07/15 01:44
ユーラシア大陸の東側は、降水量が多いので水を多く必要とする米(生産効率がいい)
を主食とし、西側は降水量が少なくても育つ麦(ただし生産量は少ない)を主食としたため、
じゃがいもが新大陸経由でやってくるまで、人口はあまり増えなかったということでしょう。
568世界@名無史さん:03/07/15 02:02
569山崎 渉:03/07/15 12:28

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
570世界@名無史さん:03/07/15 17:52
唐揚げ
571シュレーディンガーの猫:03/07/15 18:15
>>561
>肉食獣に関する被害については、過大評価する向きと過小評
価する向きがありますので、注意が必要かもしれません。

おっしゃる通りで、私は過小評価(?)の方。
オオカミに関して言えば、本来、それほど人間を襲う動物では
ありません。
欧米でオオカミに凶暴なイメージが定着しているのは、羊など
の家畜を襲うためです。
572今日は聖マウルスの日:03/07/15 19:58
>>566 >>571
了解です。(^^)
自然環境と生態系の歴史に関しては、もっと勉強が必要なようです。
精進します。
573世界@名無史さん:03/07/15 20:58
>>558
「修道士になれば食うのに困らない」「修道士になれば旨いものが食える」「修道士になれば出世できる」etc.
12世紀の修道院建築ブームの頃の風潮で、修道士増加。
「修道士」を「隠者」に置き換えたら(w
574世界@名無史さん:03/07/15 21:56
【╋】修道士ってどんな生活をしてるの?【╋】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1058266759/l50
575世界@名無史さん :03/07/15 23:01
>>573
クリューニーにしても、ドミニコにしても、シトーにしても当初は
俗世間から逃れて自給自足の戒律に忠実で質素で清貧な宗
教的生活を送って多くから尊敬を集めていたんだけど、名声を
博するにつれ、民衆も修道院の周辺に移住して集落や村を形
成し、王侯貴族から寄進をうけてどんどん裕福になって結局腐
敗してしまった。人間の欲というものは宗教的・政治的理想を
凌駕してしまうものなのかな。托鉢僧の出現も納得できるね。
(その托鉢僧の集団ですら権力になってしまったようだが...)
576第20軍団兵:03/07/16 00:40
>575
残念ながら正しくないと思います。
(これが日本での大多数の理解なんだよなー、漏れも最初は同じ理解をしていた)
クリューニーとシトーは「隠修修道会」、ドメニコ会は「托鉢修道会」で両者は全く違う。
一緒にすべきでない。
ベネディクト会-->クリュニー会の設立には必ず王もしくは大諸侯が設立に関わり、
寄進をおこなうことで成立するので、最初から大領主としての性格を持っている。
シトー会もその設立には貴族が関わっているが中小貴族がその設立の主体になっている。
(ただし、人里離れた条件の良くない所領を寄進)だから、あとから裕福になるというのは間違い。
修道院の周りに都市ができるというのは、ベネディクト会大修道院の場合のみ有功に見える。
しかしベネディクト会の場合も川と道路が交わる所、あるいは2つの道路が交わる所、を望んで設立された。
という事が、中世都市の設置条件と同じだったということであって、修道院が門前町成立の役割を果たしたというのは正しくない。
その役割は司教座都市が果たしたといえる。(ル・ゴフのプロジェクトが失敗して逆説的に分かった事なんだけど...)
「昔は質素な生活を送っていたのに、今は...(だから昔に戻らないといけない)」
という言説は右肩下がりの世界観をもっていた中世-近世の定番で、この言説を使って何かを始めなければならなかった。
ある意味定型文ですね。

詳しい事は >574 に誘導されちゃってから行いませんか?

>563
製鉄業も忘れちゃいけません。これ重要(笑


577第20軍団兵:03/07/16 02:44
>552
日常生活のからみで
「テンプル騎士団の謎」レジーヌ・ペルヌー 創元社\1400- 2002 p107-116
「十字軍」ジョルジュ・タート 創元社 \1400- 1993 p67-79、p164-p168

日常生活、両者の混血について
Jean Richard:L'esprit de la croisade,Les Editions du Cef 1969(「十字軍の精神」 ジャン・リシャール)
ジョワンヴィル(=聖ルイ王の重臣)の1次史料がついてくるので必見
日本語訳は存在しますが、ある大学の紀要なので手に入らないと思います。
578世界@名無史さん:03/07/16 12:05
一応ですが。
第20軍団兵さんへ

シトー会修道院においては寄進により富裕化する傾向は確かに少ないでしょうが、
その修道士の労働による開墾から、
実質的に富を蓄積していった例はあったと思われのですが。

また、紀要は、自分の大学なら図書館(卒業生の方は出身の)
にあるかもしれませんし、国会図書館にはありますから、
コピーでよかったら手にはいるのではないですか?

タイトルがわかっているみたいなので、
NCSISとかで検索かけるといいのでしょうけど。
579あい:03/07/16 12:16

無修正画像サイトの入り口♪

http://angely.h.fc2.com/page004.html
580第20軍団兵:03/07/16 18:45
>578
たぶんシトー会(他の修道会は働かないから問題外)も関わった"土地開拓運動1050-1250"
の頃の状態をいわれていると思うのですが、
例えばイングランド全体で修道士というのは当時15,000人で、しかも1個所の修道院の構成人数は
ほぼ20人未満。
これは標準的な三圃制を実施している村にも劣る人数ですから、"設立時にどのような状態であったか?"
でほぼ経済状態は決定されてしまうと思います。
東方植民も加えたこの運動では既存の大土地所有の修道会の方が大きく、"大領主"の一部として加わり、
領民を植民させました。しかし、修道院内の生活水準という点で見ればそう変わった事もなかったようです。

>577 関連なのですが、国会図書館まですぐ行けるような人なら良いですが、地方在住者ならチト苦しいですね。
本体を持っている大学はこれまた田舎の大学だし。
しおん氏は卒論でも書くのかな?レポートなら、この論文はなくてもいいと思う。
卒論以上なら、ぜひ目を通しといた方が良いと思う。
581山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/16 19:22
>>576
中世日本の都市は寺院等の境内(敷地内ではなく、勢力範囲)とその
境界に存在する町(境界となっている道の両側に家々が並んだ)から
生じたといいますが、
>川と道路が交わる所、あるいは2つの道路が交わる所
というのは面白いですね。
582世界@名無史さん:03/07/16 19:25
『十字』を意識しているんでしょうか?
583世界@名無史さん :03/07/16 23:31
>>580
>例えばイングランド全体で修道士というのは当時15,000人で、しかも1個所の修道院の構成人>数は
>ほぼ20人未満。
>これは標準的な三圃制を実施している村にも劣る人数ですから、"設立時にどのような状態で>あったか?"
>でほぼ経済状態は決定されてしまうと思います。

ひとつ確認しておきたいのですが、シトー会修道院では修道士以外により多くの助修士(さまざまな階層出身の労働修士)がおり共住生活をおくっていたのではないでしょうか。
彼ら助修士は、本質的には修道士の下僕であり、下働きの役目を果たしていて、下界との接触を任されていた。特に農場経営では職人、管理人、商人、経営者の役割を果たし、一部農場では
余剰生産物と適切な作物収穫政策のために模範農園へと変わり、中世盛期の農業経済の進歩
と改革に、重要な関わりを持っていた。修道院の構成員は修道士だけではなくこれら助修士の存在が無視できないのでは?
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
585世界@名無史さん:03/07/18 21:07
MAGIC TREE HOUSE RESEARCH GUIDE #2
Knight and Castles
という本を読んでみたのだが、児童書のわりに結構よく出来てて面白かった。
586世界@名無史さん:03/07/21 19:52
パゾリーニの「デカメロン」はナマの中世イタリアですか?
「王女メディア」のようなイケニエ制の祭祀国家は本当にあったのですか?
587第20軍団兵:03/07/23 03:30
>583
まずconversi(=助修士)の人数ですが、大修道院と呼ばれるほど大規模な修道院の場合で
だいたい200人前後で、修道士:助修士=1:2もしくは1:3の割合だったようです。
13cイングランドの場合、平均的なシトー修道院は修道士36人、助修士50人で、
イングランド全体のシトー修道士の数は3200人なので、比を1:2にとった場合、助修士は6400。
ただし、修道士は"手仕事"に集中するので農業生産には直接関与しないと判断できると思います。

同時期の三圃制農村の場合、父-母、もしくは父-長男で1家族あたり働き手を2人と見積もった場合。
平均60人の働き手がいることになりますから、1つの典型的な農村で、農業労働者はほぼ修道院と等しい
ことになります。
また、シトー修道会は自称"荒野"で生活を送る建前ですから、寄進地に付近に農村があった場合、代替地を提供して
立ち退いてもらうので、農民への農業生産法の伝道者、および近くの農民が見習った。という見通しは立てられないと思います。

つまり、農業生産者の数と他者との接触の点で『開拓者"シトー会"』は否定されるわけです。
しかし、なぜ ">模範農園へと変わり、中世盛期の農業経済の進歩 と改革"に力があったと後世みなされたのか?
という疑問は残ります。
588世界@名無史さん:03/07/23 06:02
>>587
かなり見解にバイアスかかってない?
だからわからないんだと思う。
589583:03/07/23 23:50
>>587
 中世ヨーロッパのシトー修道会の農業、経済的役割について見解の相違があるようですね。
英国の事例を多用しているようですが、シトー修道会はクリュニー系のモレーム修道院長、聖
ロベールら12名の修道士が現在のフランス・ブルゴーニュのシトーに修道会を創設しことに
始まる。(1098年) その後、セーヌ、ソーヌ、マースに囲まれた中核地域から、急速にヨーロ
ッパ全土に勢力を伸ばしていった。これまでの自分の
>中世盛期の農業経済の進歩と改革に、重要な関わりを持っていた。
を初め、多くの記述は以下の文献を参照してのものです。
     中世の日常生活(中央公論社) ハンス・ヴェルナー・ゲッツ著〜修道院と修道士の生活

 他に、中世ヨーロッパを解説した初歩的な文献より引用します。
「シトー教団は、クリュニーの例に鑑み、極端な簡素主義であった。(中略)聖ベルナールは、
修道院を十字架以外の装飾で飾ることを禁じた。しかし彼が死んで半世紀もたたぬ12世紀末
には、もうシトー派修道院の奢侈は目をみはらせるものがあった。(中略)ドイツのシトー派
副修道院ハイステルバッハの院長ツェザリウスは、1217年のある日1万5千個のパンを一日
で施与したと書いている。」
          世界の歴史 3.中世ヨーロッパ(中公文庫)〜中世社会のパノラマ より

 中世当時の記述は誇張したものが多いが、豊かでないと上の例はとても無理であろう。

 あと、カトリック中央協議会の http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/dogma/dog11.htm
 カトリック教会の歴史   II-5 修道院の隆盛 より
「たとえば、10世紀初頭のフランスのクリュニー改革をはじめ、多くの刷新運動は政治や社会
にも多大の影響を及ぼした。また、11世紀末期に創設されたシトー修道会は、優れた農業技
術をもって当時の農業革命にはかり知れない貢献をした。一方、13世紀に創設されたフランシ
スコ会、ドミニコ会の両托鉢修道会は徹底した清貧の実践と説教、学問の活動によって教会の
霊的刷新を展開した。」

他にググるとワイン生産へのシトー修道会の貢献について記載したHPも散見されます。
(中世に始まるかどうか詳しく見ておりませんが...)
590世界@名無史さん:03/07/24 00:03
>>589
カトリック教会の史料はあてにならないと思われ。
しかし、>>589 の見解もバイアスはあると思われ。

ドイツ、フランスにおける修道会の役割はあながちバカに出来るものでもない。
国別に論じないとダメということか?
591世界@名無史さん:03/07/24 00:09
ヨーロッパに行くと人里離れた場所にシトー派の修道院が建っていて、
禁域の周りに小さな村落が出来上がっているという光景も多々ある。
たいていはものすごい田舎だが。
現代も、その村の農夫と修道会とが協力して農業を営んでいるところを見たが、
ああいう光景も中世にはあったと思われるが。
それに農業技術などは修道会の中で研究する学者もいただろうから、寄与していた
と言える。全ての修道院がそうでなくとも、部分的には寄与していたところもあると
見做すのが普通では?
592583:03/07/24 00:55
>カトリック教会の史料はあてにならないと思われ。
 書いているとき、その点は意識していた。自らの功績を過大評価する傾向があるからね。
 カトリック教会の見解の例を示したまでだ。

>ドイツ、フランスにおける修道会の役割はあながちバカに出来るものでもない。
>国別に論じないとダメということか?
 現在で言う英国人スティーブン・ハーディングの役割は大きかったのはわかるが、
 シトー修道会について語る場合、現在のフランスの地域は「あながちバカに出来るものでも
ない」というより、欠くことのできないものかと考えるが如何?

>しかし、>>589 の見解もバイアスはあると思われ。
 具体的に、どういうところがバイアスがかかっているか指摘してくれないだろうか。
 カトリック教会の史料を引用したことか?
 それとも、中世社会におけるシトー修道会の農業、経済的役割は軽いものであったという考え
 が主流っていうこと?
593世界@名無史さん:03/07/24 01:22
>>592
あースマソ。>>587と打とうとして、間違えた。
カトリック教会の史料はあてにならないまでも>>583さんのいうことに同意したかった
だけなんす。
フランスにおけるシトー(それ以前のクリュニーも)フランスの農業、(流通の発展)
には大いに貢献したと思われ。ただ、イギリスでは事情が違うのかということで、
疑問を投げ掛けてみた。というのもアナール学派のことについて>>587が触れていたので。
こちとら素人なので、聞いてみたいと思ったんす。混乱させて正直スマンかった。
594583:03/07/24 01:35
>>593
そういうことでしたか。
了解。
595世界@名無史さん:03/07/25 15:02
>>587さんは来ないんですか?
意見をききたいのに。
596THE ONE:03/07/25 17:09
アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQさんの打ち身薬の処方を知りたいのは自分だけ?

樟脳の分量や、唐辛子の重量。焼酎の銘柄なども教えて欲しい。

最近、フィットネスに行くと数日間辛くて辛くて・・・年かな。・゜・(ノД`)・゜・。
597_:03/07/25 17:23
598世界@名無史さん:03/07/25 19:28
>>596 漏れも胴衣。
599世界@名無史さん:03/08/02 14:43
この時代とか病気になったときとかどうしてたの?
薬ぐらいあるんだろうけど効くのか?
600世界@名無史さん:03/08/05 05:40
漏れも質問
Q:歯磨きとかどうしてたの?
601第20軍団兵:03/08/06 15:10
このところ忙しかったのでレスできず失礼しました。

>592
小麦の支出から計算すると、1個のパンの大きさはコンビニ等で売っているロールパンの大きさ
になるそうです(全然腹の足しにならんところがミソ。)それを1人につき2個づつ配るとすると、
3点疑問が出てきます。

1.いったいどこにそれだけの貧民がいたのか?
単純に6,000人の貧民に配ると考えて、超ド級の都市でないとそれ程の貧民はいない。
2.人里はなれた場所に設置されるシトー会修道院の門前にどうやって貧民は集まるのか?
3.どうやって配るのか?(委託すれば解決するけれど。)
以上から、大市が開催されるような期間に実施された例外的な喜捨行為だ
とみなすのが妥当なところでしょう。

土地開墾はレ・デューヌとチューリンゲンのバジンが特筆されますが、他では特に目新しいことは
やってないような気がします。
それよりも、修道院が安定した後に村落ごと寄進されても、修道士たちはその新しい土地に対して
何ら操作していない点に注目すべきだと思います。
つまり世俗領主が旧式な農業を行っていた訳ではなく。シトー会も全ヨーロッパ的に進んでいた
"封建革命"の上潮の一部だった。というのが私の意見ですね。
602世界@名無史さん:03/08/06 15:58
>>599
迷信的な治療も多かったと思いますね。
まともな薬は、主にハーブ。
修道院では、病人を治療するためのハーブが栽培されて
ました。首尾よく治せれば「奇跡」ということになって
修道院の評判が上がるわけですから、それなりに経験的に
薬効を研究してたんでしょう。
まあ、近代になってワクチンができるまではどうしようも
なかった病気も多いですが。

あと、ユダヤ人の医者は当時の医学を学んでいました。
特殊技能を身につけることで生きのびようとした彼らの
知恵でしょう。
603590:03/08/06 16:54
中世の修道院はシトーだけではない罠。
中世の修道会は封建領主的であるのは当たり前で、それが中世世界。
農民とは別の階級だから言うまでもいなく当然、2つの支配者階級がある。
戦争が起きれば、そういう修道会のある土地に農民が身を寄せるなんてこともあったんじゃね?
そういう土地では完全な隔絶とまでいかないだろうよ。なんらの共同作業はあったと思われ。
素人考えだからなんともいえんけどよ。あっちの国行くとそういう村もあるし。

つか、他のスレの発言読んでいて思ったんだが、あんた、もしやカルヴァン派のキリスト教徒?
中世世界自体に対する批判的スタンスが根底にあるようだ。
ところでアナール学派のことについて解説キボンヌ。
604第20軍団兵:03/08/07 02:52
>603
盛期中世で経済的な意味を持ち得たのは、ベネディクト会系の大修道院、クリュニー、シトー、
修道士ではないが、微妙な所で司教座聖堂参事会だと思う。

ベネディクト、クリュニーが荘園領主として、シトーが領主と商品作物栽培において、
聖堂参事会が聖職禄のからみで、経済活動に関わることになるのだけれども、
それ以外の事では修道士は普通の人間、自分達の出身階級である貴族以外には無関心という事。

>戦争が起きれば、そういう修道会...
戦争が起こってからジタバタするような目端の利かない人間は中世では生きていけない。
戦争が起きる時には自分が属する組織がどっちに味方するのかはとっくに決まっている。

>あっちの国行くとそういう村もあるし。
その村が中世から連続していない罠。ペストと小氷期への突入で、『中世の秋』の期間に
40%-26%の村が廃村になっている。
17Cにも大きな後退があるし、現在の景色は必ずしも昨日の世界そのままではない。
(つづく)
605第20軍団兵:03/08/07 03:18
>604 つづき

>カルヴァン派のキリスト教徒?
今は只のローマ厨。西洋中世史を専攻していたら、カトリックの教義と、
異端のひとつふたつぐらいは解説できると思うよ(よっぽど特殊なことをしてたら別だけど。)
"修道士はどんな〜"スレのレスだって『世界史リブレット』の孫引きだから。

>中世世界自体に対する批判的スタンス
そりゃ五階。暗黒時代でも黄金時代でもなく、経済成長の時代なんだから色々矛盾を抱え込むのは仕方の無い所では?
日本の高度経済成長も矛盾なしで達成できたわけでなし。

>ところでアナール学派のことについて解説キボンヌ。
今までのレスは強いて言うなら計量経済学に属することで、全くアナール派じゃない。
registr(=法務官僚)もまだいない時代だから。アナール派の主流は『中世の秋』以降の時代じゃないかな?
漏れは技術/経済交流は、貴族<-->修道士間であったんじゃないかと思うのだけどね。
アナール学派の真似事をちょっとやってみると...

修道士の出身母体は貴族だし、そもそも修道院は一族の霊的救済のために作られる物で、
そこに次男坊や娘を送り込むのは婚資を減らすのにも、領地を分散させないためにも有功という、
うれしいおまけも付いてくる。
冬のヒマな時に訪ねていって、この前死んだ十字軍に行かず終いの叔父の魂が、
煉獄で引っかからずにさっさと天国に行けるようにミサを頼みに行ったら、
シトー会の年次総会に出てきた弟が
「どこそこの大修道院ではおかしな機械を使っていて、川に車輪を据えておくと、
ほっといても粉が挽けるようになっていて、領民も使用料を払うんだってさ。
うちも導入するから兄さんもどうだい?」
とか言われたら、試してみるか?って気になると思う。

どこがアナール学派かというのは今日はカンベン、もう眠い。
606世界@名無史さん:03/08/09 14:12
歯とかどうやって磨いてたんだろうな
607世界@名無史さん:03/08/09 18:07
歯磨きの話は聞いた(読んだ)事が無いなあ・・・。
つまようじの話なら何度か読んだ事があるけど。
608世界@名無史さん:03/08/22 23:15
保守。
609世界@名無史さん:03/08/26 19:06
資料として使うので保守。
610世界@名無史さん:03/09/02 21:33
唐揚げ
611世界@名無史さん:03/09/02 21:35
>606
日本だと江戸時代には、先をほぐした爪楊枝に塩つけて水でゆすぎながら磨いていたな。
>>606
歯は磨かなかったんじゃない? 虫歯が富の象徴として尊ばれていたぐらいだから。
613Krt:03/09/03 18:05
西洋における歯磨きの起源の問題だが、春山行夫「化粧−おしゃれの文化史1」平凡社、
によると、これはローマ人が一般化した習慣らしく、ギリシャ人が歯を磨きだしたのは
ローマ人による征服後、その影響によってだという。

だがこの説には少々疑問がないわけではない。というのは、春山によればローマによる
征服後ギリシャ人がどうやって歯を磨くようになったかというと、確かにカリストスの
ディオクレスのように「毎朝こまかい粉にしたハッカを指につけて歯と歯ぐきの外側と
内側をこすり、食べ物のクズを取り去る」ことを勧める文化的な人物も、この時代に
登場はしたらしい。だが同時代の多くのギリシャ人は、軽石、タルカム、金剛砂、
アラバスター粉、珊瑚の粉、鉄の錆、といったいかにも歯を傷つけそうなもので磨いて
いたのだという。だがこのやり方は後述するローマ人の歯の磨き方とはあまりにも異なり、
むしろローマ人の征服以前から、ギリシャ人はこうして磨いていたのではないのか、
という疑問を抱かせるのである。
春山も、ヒポクラテスが野ウサギの頭と三匹のハツカネズミを焼いたもので歯を磨けと
教えた、という話を書いており(残念ながら手元に本がなく該当箇所を確認できなかった)
このことからも古典期のギリシャ人が全く歯を磨かなかったとは考えにくいのだ。
614Krt:03/09/03 18:06
またアリストテレスが「小品集」における「機械学」第二十一巻において、医者が抜歯に
使うやっとこ状の器具の仕組みについて詳説している(854a)ことからも、ギリシャ人が
歯科治療において特に稚拙だった訳ではないことがあらためて窺える。
 他方、アリストテレスは「問題集」第十三巻「悪臭に関する諸問題」において(1)、
他の悪臭と並んで口臭の原因についても考察していながら(907b,908b)、歯を磨かない
ことが口臭の重大な原因であり、虫歯の原因でもあるという主張はしていないのだ(2)。
卓抜な自然観察者であり、また「気息」という概念を重視したアリストテレスにしては
これは奇妙なことだが、このことからは、多くのギリシャ人がうがいや、砂などによる
歯磨きの習慣を持ち普段はあまりひどい口臭がなかったのか、という推測も、また逆に
誰も磨かなかったので普通の口臭は当然だったのか、という推測も両方可能になる。
古い時代の卑俗な事柄について決定的なことを言うのはなかなか難しいのである。

(1)簡単のため、このレスではアリストテレス本人の著作か、アリストテレス学派の著作
かは問題とせず、すべて「アリストテレス」で通すことにする。
(2)彼が口臭の原因としてあげるのは、悪臭のあるものを食べたときや空腹時、運動時
それに体が折れ曲がったり腰が曲がったりしていることである。
615Krt:03/09/03 18:07
では本家であるローマはどうだったのかというと、プリニウスが歯をきれいにする方法
としてキジムシロ属の葉を焼いた灰で歯を磨くやり方を「博物誌」で挙げているほか、
春山によればスクリボニウス・ラルグスが、牝鹿の角を焼いた灰と乳香とアンモニア塩の
混合物をクローディウス帝の妻メッサリーナが使っていたことを報告しているという。
 ただ、これらは一般庶民には高価すぎ、普通の人間は実は尿で歯を磨いていたらしい。
ローマ人は石鹸代わりに尿で洗濯をしたりしていたから、抵抗感も薄かったのだろうが、
春山によればこれに関する記述がディオドロスやアプレウスのテキストにあるという。
もっとも尿にもピンからキリまであり、普通人は自分の尿を用いたのだが、高級品(?)
とされたスペイン産のものなどはアバラスターの瓶に入れられて売られていたそうだ。
また笠原浩「入れ歯の文化史」文春新書、によればガレノスも虫歯予防のため起床後よく
口を漱ぐことを奨励していたほどで、ローマ人の口腔衛生の意識は高かったと言えよう。

なお、この歯磨きに尿を用いるやり方は、その後も中世を通じて長く行われたらしく、
エラスムスの書いた物のなかにもそのことに関する同時代の記述があるという。しかも、
春山によれば現在でも!ヨーロッパの東部や中部には、朝、自分の尿で歯を磨き、その後、
水、酢、ブランデーなどで口をすすぐ、という風習が残ってるところがあるという。
616Krt:03/09/03 18:08
だが既に西欧では、より洗練された作法が始まっていたのかもしれない。ブルクハルトが
指摘したように、おそらく身だしなみと清潔の気持ちよさに一番最初に気づいてこれを
尊重するようになったルネッサンス期のイタリア人は、最初の内こそ「まつ毛から歯に至る
まで顔中あらゆる部分のためのーー略ーー化粧水やクリームや紅おしろいの武器庫」(3)
でごてごて飾っていたとはいえ、やがて十六世紀前半に至ると、ジョヴァンニ・デラ・
カーサの「作法」が、食卓でそれをやるのはみっともないと叱ったような、ナプキンで
しょっちゅう歯をこすってきれいにする、という作業に熱中するようになるのである。

(3)「イタリアルネッサンスの文化」第五章:社交と祝祭

このような習慣はヨーロッパの上流階級にも広がり、例えばおしゃれだったエリザベス一世
のために、宮廷の洗濯婦ツイスト夫人が歯磨き用の黒い絹糸で縫った布を献上したことが、
記録に残っているという。この時代の布以外の磨き道具としては、相変わらず指を使ったり
アラバスターの粉と樹脂を練って棒状にしたもので歯をこすったり、理髪師兼業の歯医者で
軽石、煉瓦、珊瑚などの粉で歯の汚れをこすり落としたりしたというが、これでは歯の
琺瑯質を傷つけ、かえって虫歯を促進しただろうことは容易に想像できよう。
617Krt:03/09/03 18:09
だがエリザベス朝のイギリスでは歯磨き道具こそ未発達だったが、歯磨き粉については
人に「漱石!」を強いるそのような野蛮なものばかりではなかった。例えば、桃の花や
ザクロの皮、蜂蜜と塩を焼いた灰やなどが利用されており、また兎の頭を焼いた灰なども
使われたらしい。もっとも一番人気があったのは砂糖に蜂蜜を混ぜた物だったそうだが、
これが虫歯予防に役立つことはなかったろう。春山によれば高級品は、ローズマリーの
頭と枝を焼いた灰に焼き明礬を混ぜたもので、これは上流階級向きの品だったらしい。

では歯磨き器具の発達はどうなっていたのだろうか?どうも、我々が使っているブラシの
前にスポンジを用いた時代があったらしい。前記の笠原によると、ワシントンは歯が悪く、
スポンジをつけた歯磨き器で熱心に歯の手入れをしていたにもかかわらず、歯を全て失い、
しかも当時の総入れ歯は強いスプリングが入っているため、それがとびださないよう口を
閉じている必要があったため、ろくに演説もできなくなり、もしかするとそれが原因で
政治家を引退せざるを得なくなったのかもしれないのだそうだ。また十八世紀には楊枝も
使われるようになったが、歯ブラシはもう少し後だったようだ。とはいえ、手元にある
Montgomery Ward & Co.という(昔の?)アメリカの大手通販会社の1895版カタログでは、
(Unabridged Facsimile: Dover: 1969)既に口腔清掃器具は歯ブラシしか載っていない。
618Krt:03/09/03 18:10
しかしここで大きな問題が出てくる。つまり古代においては、ヒポクラテスやガレノスの
例からもわかるように、歯磨きは口腔衛生と美容・エチケットの両面をもった行為だった。
これは現代とも共通する考えだが、中世から近世にかけては、これらのうち、衛生という
面が大きく後退していたように思えるのだ。

実際、中原泉「近代歯科医学史の顔」学建書院、によれば、中世以後近代以前に口腔衛生の
重要性を訴えていたのは、伝統的に歯科の患者に直接接する機会が多かった床屋医者出身の
アンブロワーズ・パレぐらいで、これが学問的に定式化されるには結局、近代歯科医学の父、
と呼ばれるピエール・フォシャールの登場を待たなければならなかった、とされている。
これはもう十八世紀前半のことであるし、歯科医学者ならぬ一般にこの思想が浸透するのは
さらに後のことだったらしい。殊にイギリスに比べ衛生思想面で遅れをとっていたフランス
では、衛生学者が全ての歯を毎日磨くよう(フランスでは前歯だけ磨く習慣もあったという)
声高に唱え始めるのは十九世紀になってからだという(4)。もっともこの世紀の後半には
歯ブラシも歯磨き粉も出そろい、20世紀にはハミガキも一大産業となってはいくのだが。

(4)アラン・コルバン「においの歴史」藤原書店:P.241
619世界@名無史さん:03/09/03 22:52
Krt氏だー!

アリガタヤ〜アリガタヤ〜
620世界@名無史さん:03/09/04 20:20
うわ〜、すごい詳しく……。
606でも607でもないですが、興味あったんで嬉しいです。

一つすっごく気になる文があるんですが、
アラバスター入りのスペイン産って……、
いったい何の尿なんですか?
まさか、全く知らない他人の尿???
621世界@名無史さん:03/09/04 20:35
>>620
そりゃそうでしょ。
622世界@名無史さん:03/09/04 22:03
生尿ではなく加工尿だったんではないでしょうか。
あとふと疑問に思ったんですが、生尿って瓶詰めしても腐らないんですか?
623Krt:03/09/04 23:05
この「スペイン産の尿」のあたりは春山の本にあった部分なんだが、そこを引用すると
(灰と乳香とアンモニア塩を混ぜた上等なハミガキは)「誰もが使用できるものではなく、
一般には尿を用いていて、ディオドルスやアプレウスの書いた物に、毎朝、その前夜の
尿で歯を洗ったと記されている。一説によると、尿は小児のものがよいともいわれ、
特に高級なのはスペイン産のもので、それが香油を入れるアラバスター(雪花石膏)の
瓶につめられていた書いた物もある」春山 ibid. p.37

とある。具体的に何に載っていたのか書いてほしかったが(春山は大蔵書家ゆえに、
自分の本を持ちきれなかった人で)この本の関連書目も資生堂春山コレクションの
カタログ「化粧と生活文化史の本」に書名と内容の解説があり、その実物は資生堂
ビューティサイエンス研究所(東京品川区)の図書室に展示されているそうである。
だからまあ、人間の尿であることは間違いないだろう。尿は出た直後は無菌状態だから、
それを使用するなら衛生上あまり問題はないのだろうが、いくら飲む訳ではないにせよ、
口に含むための尿を瓶詰めにして、わざわざスペインから持ってくるなんて、その間に
細菌が繁殖して有毒化していないか気になるところだ。もしかしたら622氏の言うように
加工尿というか、何か防腐剤のような物が添加されていたのかもしれないね。
624世界@名無史さん:03/09/04 23:52
ぐぐってみました。やっぱり腐るようです。
尿腐らせる→アンモニア(アルカリ)→洗濯に使用
http://www.live-science.com/honkan/qanda/basic11.html
http://free6.webdos.net/~b-mountain/siryo/sekken/sekken.htm

比べ物にならないくらいKrt氏のレスの方が詳しいのですが、一応。
http://www.tv-asahi.co.jp/davinci/1999/991218.html
http://www.hf.rim.or.jp/~shino518/frame789405.html
625Krt:03/09/05 00:46
そうか、むしろ腐ることに意味があるのか。
本来、人間の肝機能・腎臓機能が高度に発達しているのは
アミノ酸が分解してできる有毒なアンモニアを血液中に出さないように
毒性の低い尿素やアンモニウムにして排出するためだと思うんだが、
その結果、新しい尿はアンモニアの濃度が低く洗浄機能が今ひとつなので、
再び腐敗させることで高アンモニアの液体を作る、ということなんだね。
先人の生活の知恵というのは凄い、というべきなんだろうか?
626世界@名無史さん:03/09/05 21:15
発酵製品(食品とは言えないw)の一種だったのか・・・。
納得はしないが、理解はした。
627620:03/09/07 20:42
そ、そうですか……。

わずかばかりの希望というか、望みを込めて質問したんですが。
やっぱり人の尿なんですね。
いくら洗濯に使用していて免疫があるとは言っても、
服を洗うのと口にするのでは全く違う気がして。

アタッ○やボー○ドで歯は磨きたくないなぁ。

>Krtさん

丁寧なレスをありがとうございました。
とても勉強になります。
624さんも、感謝です。
628世界@名無史さん:03/09/07 22:01
>623 >毎朝、その前夜の尿で歯を洗ったと記されている
朝一の尿じゃなくて前の晩の尿、というのは、一晩置いたくらいが
口をすすぐのにちょうどいいアルカリぐあい、なんでしょうね。たぶん。
629世界@名無史さん:03/09/08 00:28
久しぶりにインパクトのある話でつた>尿
しかし、せめて美少女の尿とかにしてほしかつたでつ。
630世界@名無史さん:03/09/12 22:36
たぶん、もしかしたら、きっと、おそらく、そういう触れ込みで売っていた香具師もいるかもしれなかったかもしれない可能性は無いわけではなさそうだね。
631世界@名無史さん:03/09/15 00:04
age
632世界@名無史さん:03/09/16 11:33
中世全般についてや魔女狩りなど、そういったことがよくわかるおすすめの本ってありませんか?
うちの地元の本屋や図書館には>>74で紹介されてた本もなかったので、お願いします。
633世界@名無史さん:03/09/16 20:07
魔女狩りは近世な罠
634世界@名無史さん:03/09/17 15:08
ファンタジーやRPGに出てくる「武器屋」。
作品によっては鍛冶屋と一緒になっていることも多いけど、
実際の中世の鍛冶屋または武器屋ってどんな感じだったのだろう…

都市部と農村の鍛冶屋ではまた違うはずだし。
とりあえず、普段は農機具とかの製造・修理とか馬の蹄鉄作ったりとかで、
戦争の時とか、騎士や貴族から注文があったときは武器を作るのだろうか?

あと、貴金属の細工をする職人もどうなのか知りたいねえ。
635世界@名無史さん:03/09/17 15:15
>632
ロバート・ダーントン『猫の大虐殺』(岩波同時代ライブラリー)は
12〜18Cの民衆の日常生活について結構面白く読めますよ。
636世界@名無史さん:03/09/17 18:43
>>634
西欧の冶金技術が発達し始めたのが12〜13世紀頃らしい。
(十字軍の影響か?)
その頃になって剣に「芯」を入れる事を覚えたりしているようだね。
これは剣の刃部分と中心部分の鉄の強度を異なるものにして、折れにくくしたりしているんだけど、日本だと日本刀の作り方のサイトなんかあれば詳しく載っているはず。
まあ、一般の鍛冶屋なんかだと、こういう高度な技術は必要としない筈(と思われる)だから、一般の鍛冶屋と刀剣製作者が分岐したのもこの頃かと。
(農具にも「焼き」を入れる場合が多々あったので、この辺は共通かな?)
あとは鎧兜だけど、鎖帷子→プレートメイルとか、バケツ型兜→流線型兜とか、そんな流れの中で変化していったのではないかと。
637世界@名無史さん:03/09/17 21:26
なぜ、中世の西洋人は王侯貴族も含めて、ほとんど風呂に入らなかったの。
 夏なんか体臭が強くてたまらんだろうに。
 今でも西洋人は毎日風呂に入る奴は少ないそうだが。(富裕層含む)
 ロシア人とフィンランド人だけは、西洋人にしては珍しく、サウナに毎日入って
清潔らしいが。
 そう言えば、ロシア人の肌がきれいなのはサウナのせいか。
638世界@名無史さん:03/09/17 21:36
中世初期はまだローマ時代の習慣が残っていて、まめに風呂に入ったようだが
(公衆浴場も多かったらしい)。それが廃れてくると、入らなくなったらしいね。
ルイ15世が産まれて初めて顔を洗ったのが6才だったか7歳だったか。
そのあたりの公衆浴場の歴史と、外科医(というか床屋)による瀉血の関係について
知りたいですね。
639世界@名無史さん:03/09/17 21:44
 西洋人は体臭強いのに、毎日風呂入らないとは、恐ろしい世界だな。
 中世ヨーロッパ。
 ナポレオンは多いときは1日3回風呂に入っていたが。
 最低、1日1回。
 これって、当時のフランス人から見ると変人なのか?
640世界@名無史さん:03/09/17 21:52
>>639
フランス人は今でもフロに入りたがらない
641世界@名無史さん:03/09/17 21:57
 西洋人っってなんでそんなに風呂嫌い多いの?
 一日、風呂に入らないと、体中脂ぎって、かゆくなってたまらんが。
 日本人とは身体の構造が違うのか?
 ロシア人はサウナ好きだから、ある意味日本人以上の風呂好きだけど。
642世界@名無史さん:03/09/17 21:59
 石鹸は西洋で発明されたものだよね。
 中世に発明されたの?
 風呂嫌いの西洋人にはあまり需要がないと思われ。
 日本では戦国時代にポルトガル人が伝えたけど。
 
643世界@名無史さん:03/09/17 22:52
体臭がきついほどセクシーだったらすぃからな>ヨーロッパ

あ、でもこれは近世の話か?
644山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/09/17 23:01
忌避が極端になったのは15,16世紀ごろからだったかと。ルイ13
世の頃の宮廷に仕えていた老婦人の訓戒書には「せめて月に一度は髪を
洗うこと。年に一度は入浴すること。」と書いてあったそうです。
健康に悪いものとされていたようでルイ14世が即位後入浴したのは二
回だけ。しかも一回は気分を悪くして途中で止めている。
ロシア・フィンランドのサウナですが、民俗信仰の場でもありました。
というか今でもそうらしい。
645世界@名無史さん:03/09/17 23:07
「石鹸、歴史、発明」でグクッてみたが、驚く勿れ石鹸は既に古代メソポタミアの
粘土板に記録がある。
南欧では八世紀に石鹸製造が定着したが、獣脂と灰を原料にしたもので異臭がした。
12世紀からイタリアのサボナでオリーブ油と海藻灰を原料とした異臭のしない
石鹸が発明され、各地に広まった。
サボナが、シャボンの語源である。
646世界@名無史さん:03/09/17 23:11
場所にもよるとは思うけど、西ヨーロッパって日本と比べて空気が乾燥していて、
汗もあまりかかない感じだ。
だから湿度の高い日本のように毎日風呂に入らなくても意外に平気だったりする。
アメリカの西海岸でも同じ様な感じだ。
風呂に入る習慣が無かったってのも、気候も関係しているんじゃないかな。
647世界@名無史さん:03/09/17 23:18
 >>646
 でも、雨の日は湿度高いでしょ、ヨーロッパでも。
 そんな日は体が痒くてしょうがないと思われ。
 >>644
 宮廷に仕える女官でも、年1回入浴か。
 外国の使節が来た時とかどうするんだ。悪臭の世界だぞ。
 
648世界@名無史さん:03/09/17 23:20
まあ、それで香水とかが発達したんだろうw
649世界@名無史さん:03/09/17 23:24
蚤虱常駐の世界で、いまさら風呂に入らないくらいで痛い痒いも無いかと。
650山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/09/17 23:31
>>647
まあ当たり前でしたから。ルイ14世の場合、歯無しのせいで垂れ流し
になっておまるを手放せなかったからますます酷かった。
それと入浴は16世紀までは行われたようですがペスト流行などの後に
廃れたようです。逆に体に悪いとされるとは・・・。
「われわれの間では、全く人目を避けて、家で入浴する。日本では男も
女も坊主も公衆浴場で、また夜に門口で入浴する。」とルイス・フロイ
スも『日欧文化比較』の中で記しています。
永享2年(1430)に来日した朝鮮の特使朴瑞生も公衆浴場について
好意的に記しています。
651山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/09/17 23:34
>>648
一般的にはそう言われておりますね。日本でも年に二度(+物詣の前)
しか上流階級の女性が洗髪をしなかった平安朝の頃には香の文化がか
なり発達しました。
652世界@名無史さん:03/09/18 09:24
>>646
インドネシアとかベトナムの人はマメにシャワー浴びるらしいね
1日に3回とか
湿度の問題か、やっぱり
653世界@名無史さん:03/09/21 07:57
昨晩NHKでツンフト制度を知り、ぐぐって来ました
そんだけ
654世界@名無史さん:03/09/21 07:58
昨晩のN○Kの放送を見てツンフトでぐぐって来ました
655世界@名無史さん:03/09/21 07:59
二重書き込みになってスマソ
656世界@名無史さん:03/09/21 08:07
    >>646
でも、ヨーロッパも18世紀辺りまでは、森が多くて、湿度も今より高かった
はずだ
657世界@名無史さん:03/09/21 13:07
>>656
日本の湿気は世界でもかなり高い方。
 漏れは夏にタイに観光旅行に行って、1週間後に日本に帰ってきた時、
日本の方が湿度が高いように思えた。
 熱帯の国より湿度が高い国、日本。
658世界@名無史さん:03/09/21 13:41
6月にノルウェーに行ったとき、主観ではあるけど、
ずっと雨が降っているのにぜんぜんじめじめした感じがなくて驚いた。
湿度が高くなるといっても、日本で考えているのと程度が違うんじゃないかな。
とかまあ、生活習慣には多かれ少なかれ気候は関係していると思うわけで。
659世界@名無史さん:03/09/21 19:20
日本の場合、家を建てる時には最初に屋根をつけるが、外国の場合だとそうとは限らないようだ。
660世界@名無史さん:03/09/28 01:36
>>658

湿度が同じでも気温が違うと、絶対的な水分保持料が変わってくる。
当然気温が高い方が単位体積当たりの水分量は多くなる。
661世界@名無史さん:03/09/30 20:38
初夜権ってあったよね?

日本にも昔あったけど、それは主に「処女は忌み事なので舅か花嫁の父が初夜前に張り型などで破っておく」
というものだったらしい。 生理の血が穢れたものとするのと関連があるのかも。
民間信仰の一種?だったようだ。

中国では「試し腹」といって、嫁が子供を産めない体では困るから、結婚前にそういう事を専門に行なう男性に
孕ましてもらって、ちゃんと子供を産めると証明してから嫁に行くのだそうだ。
ちなみに、孕んだ子供はそのまま嫁入り先の家に連れて行くのだが、その家の血の子供では無いので、一生従僕扱いなんだとか。

ヨーロッパでの初夜権というのはどんな理由で行なわれていたのだろうか?
やはり、領主の特権?
662世界@名無史さん:03/10/01 18:55
>>661
過去ログにもあったが、基本的には「結婚税」という税金の一種、と考えていいのかも。

しかし、中国の「試し腹」っていつの時代のどの身分層の事なの?
そっちの方が興味あるw
663世界@名無史さん:03/10/01 20:03
>662
割と近年まで残っていた風習らしい。
そして、一般的な風習だったとか。

ちなみにこの風習が行なわれていたのが雲南省の辺り。
今でも一部残っているかもしれないとかどうとか…
664世界@名無史さん:03/10/02 00:36
>>663
漢族の一般的な習俗ではないんだねw
なんだかしらんが安心した
665世界@名無史さん:03/10/02 18:13
>664
どちらかというと満族の習俗だったとかも聞いた。
何にせよ今のところこれ以上の詳細な資料が無いので…
666世界@名無史さん:03/10/04 20:50
満族の奇習といえば「頭蓋変工」。
文化大革命の弾圧でようやく絶えるまで続けられた「高貴な新生児の頭蓋骨を
縦長に変形させる」というもの。
ってことは今もビリケン様がいるはずか・・・見たいw
667世界@名無史さん:03/10/04 20:54
中国の某博物館に展示されてた「寿星老人」の頭蓋骨思い出したw
668世界@名無史さん:03/10/13 16:53
保守
669世界@名無史さん:03/10/17 01:37
ヨーロッパでもナメクジは居るだろう
670世界@名無史さん:03/10/17 03:40
>>638
オソレスだが
それはルイ15世ではなくてルイ13世じゃ。
ちなみ、13世は産湯以外で初めて風呂に入ったのが14歳だったハズ。
671世界@名無史さん:03/10/17 03:48
>>646
イギリス(ホームステイ)留学したひとの話によると
「家族は風呂は週1だったので、それに従った」
とか。ヨーロッパには階級や裕福度や国柄にもよろうが
今でもあまり風呂に入らない習慣がありそうだ。節約なのか?

しかしマリー・アントワネットは朝夕風呂に入ってた大の風呂好きだそうで。
672世界@名無史さん:03/10/17 05:24
中世ではないが、
フランソワ1世とアンリ2世の愛妾で60歳になっても
不老の美肌をもつ化け物、ディアンヌ・ド・ポワティエは
毎朝、早朝に乗馬をしたあと、冷水浴をして美と健康を保ったそうな。
(真冬でも冷水あびてたそうだから凄い)
なんで、昔ってこんな個人差極端なんだ!?

あ、中世のころは入浴は一般的だったらしいです。
でも、大衆浴場が混浴だったため、いろんなエッチイことが起きていて、
当局が見逃すはずもなく、それで銭湯が少なくなっていったらしいが。
673世界@名無史さん:03/10/17 06:06
>>666
インカ帝国でもあった習慣だね
674世界@名無史さん:03/10/17 06:23
西洋の城に付いてる魔除けの石像って何と呼ぶんでしょうか?
ぐぐりたくても名称が分からず困ってます。
先生教えてください。
675世界@名無史さん:03/10/17 06:45
>>674
その城の名前はなんという?
676世界@名無史さん:03/10/17 12:20
>>674
ガーゴイルでは無いかと思われ(要確認)。
677山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/17 21:56
>>676
もう民俗・神話学板で回答がありました・・・。
678674:03/10/18 00:19
>>675
うーん、城によって石像の怪獣も違うのでしょうか?
676さんに「ガーゴイル」というきっかけを戴いたので調べてみたいと思います。
>>676
助かりました。ありがとうございます。
679世界@名無史さん:03/10/18 18:29
・・・「城」じゃなくて「教会」じゃないのか? と訊いてみるテスト
680世界@名無史さん:03/10/18 23:34
>678

何で読んだか忘れちゃったけど、神聖なものよりも
魔に属するもののほうが、製作者たちがイマジネーションを
ふくらませて作っている感じがする(=ガーゴイルたちが
とても生き生きとしている)、という文章を読んだことが
あります。
681674:03/10/19 01:22
>>679
679さんが仰るとおり、城にはガーゴイルは付いていないようで、
中世ヨーロッパのゴシック建築物、教会や大聖堂、寺院に付いているものの
ようです。すみません。
>>680
確かに活き活きしていて魅了されます。
石像が売ってたら買ってしまいそうです。
家の瓦屋根に取り付けたら似合わないでしょうけど・・・。
682世界@名無史さん:03/10/19 19:58
>>680
>魔に属するもののほうが、製作者たちがイマジネーションを
>ふくらませて作っている感じがする(=ガーゴイルたちが
>とても生き生きとしている)、

AA板に逝ってみると実感できますな(w
魔物たち(藁)とか虐待虐殺AAの職人たちのレベルの高いこと高いこと
683世界@名無史さん:03/10/26 11:21
↑異教の残存?
684世界@名無史さん:03/10/26 19:51
>683
そうとも言えるかも。
ガーゴイルは元々水と豊穣の神様だったらしいし。
民間信仰レベルでは、キリスト教以前の土着の宗教とか残ったし。

現在のハロウィンとかなんか。
685世界@名無史さん:03/10/27 18:39
今のキリスト教は、ローマ人が得意の「異文化吸収」で自分のものにした結果の合成宗教だしね。




なんて放言してみる。
686世界@名無史さん:03/10/27 19:35
中世ヨーロッパというと、痩せた平地に住む貧しい人々というイメージだな。
天敵である筈のイスラム教徒や、同じキリスト教徒なのに、どっちつかずの態度をとる
ヴェネチア、ナポリを通して、法外な値段に膨れ上がった東方からの交易品への憧れは、
ついには自殺行為的な道の海への決死の冒険を試み、大航海時代を花開かせる。
687誤字:03/10/27 19:36
道の海 ×
未知の海 ○
でした。
688:03/10/27 19:38
大土地所有って何ヘクタールぐらいを言うの?
689世界@名無史さん:03/10/28 11:04
自分とその家族の労働力(季節労働者、臨時的労働者、家内奴隷的奉公人は除く)
だけでは、耕作できないくらいの土地所有では??
690世界@名無史さん:03/10/28 20:26
現代のアメリカの農家なんか、家族だけでもものすごい土地で耕作するよね。
機械力って凄いと感心する。
691世界@名無史さん:03/10/29 10:15
>>688
中世中国の集約的な乾燥地農業で15haと聞いた
でもヨーロッパは粗放的な農業だったからねえ
耨耕作や茎葉作だって普及していなかっただろうし
かなり広かったと思われ

この頃は西アジアが農業の中心地だったのかな?
現在のヨーロッパの農地も、いずれは疲弊する可能性がある
692世界@名無史さん:03/10/29 18:01
冷害の今年の米は、種1粒あたり20〜30程度らしい。(東北の米農家談)
ちなみに、10年前=1993年の大冷害で10〜20程度だったとのこと。

参考として。
693世界@名無史さん:03/10/29 23:04
>686

でも、キリスト教徒がイスラム教徒をどう思っていたかはともかく、
中世(少なくとも12世紀までは確実に)はイスラム圏のほうが
科学技術も進んでいたワケだし……。

イスラム教徒は、イエスも預言者であることを認めていたから、
キリスト教徒を迫害することはなかったはず。

十字軍でエルサレムを目指したキリスト教徒たちは、
イスラム圏のすすんだ社会にびっくりしたんじゃなかったっけ?
694世界@名無史さん:03/11/06 22:23
「栄光のローマ」の対義語は「暗黒の中世」。
実際にイタリアではそうであったろうが、
ローマ時代は辺境だったブリタニア、ガリア、ゲルマニアなどでも
ローマ時代より中世イギリスフランスドイツのほうが「暗黒」だったのだろうか?

695世界@名無史さん:03/11/06 22:26
   ☆彡■■■ 田中康夫はインチキの改革ゴロ ■■■☆彡
マスコミにない情報満載 田中康夫が恐れをなし、リンク拒否する「田中県政追撃コラム」
http://members.goo.ne.jp/home/tuigeki
菅直人は、田中康夫を大臣にだなんて言ってるけどオオ痛い!改革派だの市民派だのって言ってるけど、
あんなのぜんぜんインチキ、まるでダメ。「改革」をネタに売名してるだけの新タイプのゴロつきだね。
それに気付かない菅直人は大馬鹿。こんな具合だからいつまでたっても野党なんだ。
田中康夫は一ツ橋大学時代に学内誌の部費数百万円を横領して停学喰らい就職もフイ。プ〜タローして
いるときに書いた小説がたまたま、文藝賞の「なんとなくクリスタル」。ところが、受賞騒ぎで横領事件
が世間にバレルのでは?と受賞辞退までしていた、なんて知ってた?こんなのが大臣?
私は昔ロッキード事件なんてのを取材したこともある元記者で、こんな質問を会見で訊いたけどバックレ
られちゃって田中康夫の正体モロ見え。
この有様、長野県HP http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/20011228n.htm で確認できます。
今やってるのはメルマガだけど取材のほうはバッチリでマスコ゛ミの上を行く情報沢山出してます。長野県庁では大評判。
マスコミって言ったって、長野県辺りにいる連中はオイラから見れば出来の悪い大学生ぐらいにしか見え
ないんだけど、やってることは目茶苦茶でこんなんでよく・・・と今更ながら思う今日この頃。
うわべだけの田中康夫と、程度の低い新聞印刷会社の文案係が織り成す、ドタバタ長野県政物語を読
みたい方は読者登録の上お読みください、なんてね。みたい方は読者登録の上お読みください、なんてね。
696世界@名無史さん:03/11/06 23:34
でも、中世ヨーロッパの残虐な刑罰や拷問のについての本は大きい書店に行けばやたら沢山あるよね。何であんなに沢山あるんだろう?
あれ読んでると気分悪くなるよ。現代に生まれて良かったと思うよ。
697世界@名無史さん:03/11/07 00:33
中世の精神というのはそういうもので、自ら(と、自らに属すもの(民族))
が生き残るためには、利益を同じくしないものに対しては非情で居ざるを得ない。
それは、中世ヨーロッパの土地に起因する貧しさや医学や他の学問の未熟さに因る、
避けられぬ不幸からの可能な限りの自衛だから。結局の所、譲り合う精神、博愛なんてものは、
ゆとりある生き方のできる人間の余裕から出る、自己満足の占める割合が多いといえる。
698世界@名無史さん:03/11/07 01:21
衣食足りて礼節を知る・・・ちと違うか。ところで土地と言うのはやはり土壌とか気候とかを意味するのだろうか?
699世界@名無史さん:03/11/07 02:18
自然と共存するとか自然を征服するとかは、土壌とか気候に関係するのでは?
他者から何かを奪わなければ生きていけないのがヨーロッパ。
他者を征服し支配していかなければ生きていけないのがヨーロッパ。
700世界@名無史さん:03/11/07 13:18
ただね、中世盛期の頃のヨーロッパというのは今と比べてもずっと温暖で
当時の農業技術でもイギリスあたりで葡萄栽培が可能だったぐらいなのよ。
この恵まれた気候循環に助けられて、ヨーロッパは次第に力を蓄えていったわけ。
農業生産増加→人口増→さらなる開墾による人口増と都市や商業の復活、って感じ。
で、寒冷化が始まったころには、もうそれに対処できるところまで
文明水準が上がってたっていう流れかな。だから最初は内発的発展だと思う。
701世界@名無史さん:03/11/07 20:45
>>700
それは大航海時代以降ぐらいの歴史じゃないかな?
それ以前には、ヨーロッパのほぼ全域が慢性的な食糧不足で、温暖な豊かな南方、東方との
交易ルートはイスラム圏に阻まれ、中世ヨーロッパ人って言うのはいわば包囲された状態で、
飢餓や病気で人がばたばた死んでいった時代が大分長かったと聞いてるよ。12世紀のフランス
穀倉地帯でも毎年4人に一人は餓死したらしいし。
702世界@名無史さん:03/11/07 20:55
しかし、その貧弱な土地であれだけの優れた文化を獲得したのはどうしてなのだろう?
ヨーロッパ人はやっぱり優秀なのか?それともキリスト教が良かったのか?
それに加えて、むしろ逆にその厳しい条件が却って良かったのか。温暖な恵まれた土地でのほほんと暮らしていたらあれだけの文化は作れなかったかもね。
703世界@名無史さん:03/11/07 21:19
それは貧富の差というか、厳しい階級の差があったから。優れた文化に見えて、
特権階級の虚飾に満ちた飾り物の文化に過ぎない。近代化されていない文化で、
もっとも優れていたのは日本の江戸文化。
704世界@名無史さん:03/11/07 21:26
しかし、例えば芸術で比較すると、ラファエロやミケランジェロ等の絵画や彫刻は非常に美しいよ。
恐らくあの時代では世界一だし。現在でも輝きは失っていないよね。そこに行くと日本の浮世絵なんて一部のマニアの嗜好品に過ぎないよな。
やはり、公平な立場で比較するとヨーロッパの美術の方が優れているとしか言いようがない。
705世界@名無史さん:03/11/07 21:36
でも江戸時代には既にヨーロッパは近代だという罠。
706世界@名無史さん:03/11/07 21:43
>>704
釣ってますか?芸術をよく知らずに馬鹿なこと言わんでください。
写実画と浮世絵のどちらが優れているかだなんてナンセンスです。
707世界@名無史さん:03/11/07 21:45
いや、いや、美術、特に絵画に関してだけは日本は優秀、
ヨーロッパ一国で日本に対抗できる国があるかな、とさえ思う。
浮世絵なんて日本絵画のごく一部でしかないわけで。

芸術分野でヨーロッパが圧倒的なのはやはり音楽でしょ。
708世界@名無史さん:03/11/07 23:30
ヨーロッパというくくりで一まとめにされるのはまた心外だな。
709山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/11/07 23:33
日本だって琵琶・三味線・琴から小唄・義太夫・都都逸と・・・まあ主観の問題でしょう。
絵画でいえば伊藤若冲も狩野・土佐・藤原の面々もいるんですから。
710704:03/11/07 23:41
そうですね。皆さんのおっしゃる事も尤もです。ただ>>703が余りにも失礼なこと言うからつい乗せられちゃいました。
711世界@名無史さん:03/11/07 23:55
君のレスは失礼なところがないとでも?慇懃無礼とはあなたのことだよ。
712704:03/11/08 00:11
>>711 そうだった?ごめん。つい感情的になっちゃって。
713世界@名無史さん:03/11/08 12:22
まあ、このスレで話題になっている中世を考える上で忘れてはならないのは、
年代記的なものにせよ文化的なものにせよ、現在残る資料は、当時の人口の
ごく一部の人(富裕層)たちの手によるものだ、ということですね。もうだいぶ
以前から言われていることですが。

と書いたところで、全然話がつながってないですね……
714世界@名無史さん:03/11/08 14:56
>>713
いや、どんどん新しい議論のテーマを設定していって下さい。議論の活性化のためにはそれが必要ですから。

確かに、あなたが言うような面はありますね。ただ、それは西欧中世に限った事ではないと思いますが。
まあタイムマシンでも発明されない限り、その限界はありますね。
715世界@名無史さん:03/11/08 17:52
ヨーロッパ中世におけるヴァイキングの位置付けと
世界史におけるヨーロッパ各国の位置付けって似てますよね?

海の向こうから略奪と征服にやってくる、という感じで。
716世界@名無史さん:03/11/08 18:08
>>715
先にヨーロッパを略奪・征服したイスラム勢力やモンゴル族のことを忘れてはだめでしょ。
717世界@名無史さん:03/11/16 05:54
age
718世界@名無史さん:03/11/19 09:19
ロシアでは日本と同じく稗や粟、コウリャンのような低価格の穀物をたべたそうだが。
欧州はどうだったのかな?
719世界@名無史さん:03/11/19 09:57
>718
農奴よりはマシだが基本的にはほぼ同じ。肉を食べられるのは秋の収穫期の感謝祭時のみ。
R.ダーントン「猫の大虐殺」あたりで少し、当時の農民の生活が説明されている。
720世界@名無史さん:03/11/19 20:31
実際、パンと麦粥の比率はどんなものだったんだろう?
「中世のパン」という書物だと、それなりに高い比率で小麦のパンが食べられていたという記述になっているけれど・・・。
水車とかの粉引き小屋を使うにしても、パン焼き釜を使うにしても結構な使用量をふんだくられたわけだし。
しかし、貸し出す領主側にしても無理矢理使わせようとしていたわけだし・・・。
721世界@名無史さん:03/11/20 18:09
やはり一番は豆のスープだろうか?
(香りだけで具が無い。)
722世界@名無史さん:03/11/21 08:51
エン麦はローマ時代、人間の食い物じゃなかったそうな。
刈り取ってそのまま飼料として牛馬に与えられてた。
しかしブリテンとかヨーロッパ北方では他に食べるものがなく、
刈り取ったエン麦を脱穀してお粥にして食べた。

…確かに粥はウマイと思えんが、
クッキーに入れたのは好きだ。オートミール。
723世界@名無史さん:03/11/29 07:25
保守
724世界@名無史さん:03/11/30 20:58
「古代ギリシア・ローマ何でも質問室」でも質問している者ですが、マルチではありません。
古代〜中世の頃の「火の起こし方」について調べています。
検索したのですがいっこうに分からず途方にくれています。
中世ヨーロッパでは、いったいどんな方法で火を起こしていたのでしょうか?
どなたかご存知の方がいらしたら、お教えください。お願いします。
>>724
ヨーロッパでは伝統的に製鉄法が稚拙だったため、火打ち石に使う
上質な鋼鉄が得られず、そのため長い間木板に木棒を擦りつけて
発火させる火溝式発火法か、木の錐に弓の弦を巻き付けて、その
復元によって錐を急激に回転させ、それを木の板に擦りつけて発火
させる弓錐式発火法が主流でした。

14〜15世紀のドイツで高炉を使った製鉄技術が発明されてからは、
火花式着火法(火打石発火法、衝撃法、撞撃法とも)に。
いわゆる火打ち石、鉄片と石英を打ち付けて火花を散らせ、それで
「火口」と呼ばれる糸屑や乾いた木の葉などの燃えやすいモノに
引火させて火を付ける、という方法に変わった。これは16世紀には
だいたい新式の製鉄法の伝播と共にヨーロッパ中に普及したようで。


あと、マルポというのは自己申告でやるものじゃないぞ(w
この火打ち石を使わない、摩擦式発火法と呼ばれる木と木を摺り合わせて発火させる
方法は、(熟練者なら容易いと聞きますが)なかなか成功せず、そのうえ非常に体力を
消耗するので、熾火を灰に埋めて火を保存してました。
中世ヨーロッパの家屋は基本的に木製だったため、火事は非常に危険でしたので、
防火のために金属製の網を掛けていましたが、それでもやはり危険であるため、夜には
消すのが好ましいとされており、そのための法も公布されもしたようですが、ほとんど
の家庭では火を保存したまんまだったようで。
727世界@名無史さん:03/12/01 00:52
中世ヨーロッパに流行したと言われている麦角中毒の詳細を
知りたいのですが、なかなか良い資料が見つかりません。
麦角中毒が当時の農民に与えた影響や、またそれらが詳しく
描写されている小説、資料などを知って居られる方が
いらっしゃいましたら、教えて下さると嬉しいです。
どうび宜しくお願いします。
728世界@名無史さん:03/12/01 11:33
>>725-724
「古代ギリシア〜」でお答えくださった方と同じ方ですね。
大変お詳しいようで頭が下がります。
火打ち石はヨーロッパでも使用されていたのですね。

本当に本当にありがとうございました。


p.s.
古代ギリシアと中世ヨーロッパ、両方での方法を聞きたかったのですが
断っておかないとマ○チ扱いされてしまうんじゃないかと思いまして。。。
729世界@名無史さん:03/12/01 22:16
>>727
麦角中毒は、11世紀に流行した「聖アントニウスの火」という疫病と同じものと考えられています。
この「聖アントニウス」(祭日1月17日)は、この疫病治癒の守護聖人で、疫病自体の原因などと考えられていたわけではありません。(念のため)
(しかし、「お前なんか聖アントニウスに焼かれてしまえ!」とか、そういう類の悪口もあったみたいです・・・。)
また、中世には盛んに信仰された守護聖人だったようですから、そういう面から考えると、すがるものが他に無かったその時代の深刻さをもあらわしているかも知れません。
この疫病の診療施設(当時は教会、修道院)の殆どには、この「聖アントニウス」の名前が冠してありましたので、そちらの面から資料を探してもよいでしょう。

資料に関しては、幾つか学術論文があるようですが、一般には手に入りづらいものばかりのようです。

以下は「聖アントニウスの火」関係の美術史の本
『ヒエロニムス・ボスの図像学ー阿呆と楽園に見る中世ー』 神原正明著 1997年6月 人文書院
730世界@名無史さん:03/12/08 19:05
age
731世界@名無史さん:03/12/09 20:04
昔は避妊方法ってあったの?そんなのおかまいなしに、セックスやってたのかな?
732世界@名無史さん:03/12/09 20:09
>731
豚や牛の腸とか、布でサックというかコンドーム作ってやってたらしい。

あとは、殺精子薬みたいなのとかを作ったと何かで読んだ。(ただし猛毒なので危険だとか…)
733世界@名無史さん:03/12/09 20:25
コンドームって、18世紀の医者の名前じゃなかったかな?発明者の名前が製品名になったんだよ。
日本では、芸者がガマの穂を乾燥させたのを膣に入れて、タンポンにしたり、その成分で避妊をしていたとか。
734731:03/12/09 21:33
>>732>>733 ありがとうございます。でも効果的ではないような・・・
だから昔は、世界的にも中絶が簡単におこなわれ、さらに非衛生なため
死亡する女性が多かったんですね。
735山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/10 19:40
>>733
チャールズ二世の侍医で近衛歩兵連隊大佐でもあったコンドン博士の発明品
という説と、同時期にフランスのコンドン村で発明されたという二つの説が
あります。材料は羊の盲腸で、日本にも少数ながら輸入されていました。
市販される様になったのは明治になってからの事でしたが。
736世界@名無史さん:03/12/10 20:26
麦角中毒と避妊は関係が密接で、
麦角の毒は、今でも分娩促進剤に使われている成分と、幻覚剤のLSDとが
水酸基を介して繋がった構造。
加水分解で簡単に、分離する。

分娩促進剤は、難産のときの即効薬であり、且つ、妊娠中絶や受胎阻害に
も効果がある。
実際に近世まで麦角は分娩促進や受胎調整に用いられていた。

麦角中毒の症状はLSDでの薬物中毒と同じ症状。
737Krt:03/12/10 20:55
今とても忙しくて、きちんと文献を調べている暇がないんだが、実は、この問題
(古代から中世、近世に至る避妊と中絶の歴史)というのは、途方もなく深い問題に
つながるかもしれない課題なんだ。ヒントだけ言おう。Riddle,John M.:Eve's Herbs:
A History of Contraception & Abortion in the West:Harvard UP:1997 、によると、

(1)古代から近代前期あたりまでにかけて、ヨーロッパには主に「女達の秘密」として
一部の「賢い女たち」に代々伝えられた、避妊(行為前だけでなく行為後にも出来る)
や中絶を可能にする薬草、その他の様々な避妊・中絶の方法が知られていた。
736氏が挙げた麦角もその一つで、これの持つ子宮収縮作用も古代から知られていた。

(2)ところがこの女達がある時から「魔女」として迫害されたり、その他様々な理由で
この避妊・中絶に関する知識とそれを許容する社会的伝統が断絶する。もしかすると
このことと近代ヨーロッパにおける出生率上昇とは相当な関係があるのかも知れない。

(3)なおこの秘密の避妊薬はアメリカ奥地(アパラチア)などでは今なお保たれている。
(Queen Anne's lace などは性交後摂取で避妊可能な、英国では17Cで忘れられた薬草)
738世界@名無史さん:03/12/10 22:18
>英国では17Cで忘れられた薬草

ピューリタン革命が絡んでいそうですな。
739Krt:03/12/11 22:22
>>738
その辺は難しいところだけど、ある時期、「何らかの理由で」ヨーロッパを脱出した、
あるいはせざるを得なかった人間達のなかで古の知識が保たれていたことは確かだし
その「何らかの理由」の一つに、ピューリタン革命があった可能性はあると思う。
ただ、魔女狩りをやめさせるのにもっとも力のあったのはチャールズ二世だから、
(やはり彼は心の底から女が好きだったんだと思う)一概にいえないけれども。

(なお、このアパラチアに住む旧友の妻が、まさに未だこの薬草を使っている
「賢い女」の末裔だったことを知って仰天する、という部分がこの本の中にあった)

とにかくペスト災害以後ヨーロッパの人口は順調に回復し、特に十五世紀末以後の
人口の増加による食料需要増大は、新大陸からの銀の流入と並んで物価騰貴を起こす
わけだけど、この人口増加が何によって引き起こされたのかが、問題なわけだ
結局この人口増加がヨーロッパを次のステージに進ませるわけだから、
春秋の筆法を以てすれば、魔女狩りが世界に冠たる近代ヨーロッパを生んだ、
などという妄想を時として抱きたくなるね(笑)。
740世界@名無史さん:03/12/17 00:19
おお、ロマンだ……。
741世界@名無史さん:03/12/20 11:31
魔女狩りはヨーロッパにおける、出産の苦しみ、タロットカードの死神、
ルーン文字のEOH、はたまた生贄の子羊だったわけか。
742世界@名無史さん:04/01/10 21:07
遅レスで申し訳ありませんが・・・。
中世ヨーロッパの守護聖人(Patron)や聖人(Saint)は、基本的に「祟るもの」でもあると考えた方が良いかと思われます。
ネット上で検索してみたところ、日本語のサイトでは諸聖人の「祟り」については触れられていないようですが、海外のサイトや書物(邦訳含む)では「祟り」について多数記載されています。
無論、これらは「祟り」では無く「奇跡」と記載されているのですが、日本人にとっては「祟り」と言った方が理解しやすい「奇跡」なのです。

これらは「殉教聖人の奇跡」として記載されている場合がほとんどで、聖人伝には
●殺そうとしたが、何故か殺そうとした側が死ぬ。
●殉教者の死後、手を下した者が不慮の事故などで死ぬ。

前者はローマ帝国時代の殉教者の聖人譚に多く見うけられます。
後者の代表的なものでは、聖バーバラ、聖ジークフリード等。
聖ジークフリードの場合、殉教直後に下手人が次々と死んでいった「奇跡」によって、当時のスウェーデン王がキリスト教への改宗を決断した、となっています。

わたしも最初は「聖人」=「恩恵を与えてくれるもの」というイメージが強かったのですが、現実では、信仰厚い者には恩恵と試練を与え、不敬な者、不信心な者に対しては罰を下す存在だったというものだったと考えて間違い無いようです。
743世界@名無史さん:04/01/10 21:11
742は>>729へのレスです。
744例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/10 21:30
中世初〜中期には、修道士が守護聖人を罵ったり聖遺物を辱めるなどして、恫喝的に奇跡を願う
ことがあったとか。「こんなことをヒドイ扱いを受けてまだ奇跡を起こす気にならないか!」な感じで。
745世界@名無史さん:04/01/26 01:51
聖遺物は時を経るごとに「奇跡を発する放射性物質」として、教会、ついには
信仰そのものから乖離して、民衆の想像力の中で俗化していったと仄聞。
トマス・アクィナスの遺体は、死亡直後、その民衆の強奪から防ぐために頭部を切断し、
煮て骨に加工し保管したとか。
746世界@名無史さん:04/01/26 04:00
それって煮汁も瓶につめてなかったっけ
747世界@名無史さん:04/02/01 00:02
おいおい。モンテ・カシーノ修道院が1944年の戦闘で破壊され再建されたのは
知ってたけど、青銅製の大扉浮き彫りに、蛮族のほかに飛行士のレリーフも
いれたって本当?
748世界@名無史さん:04/02/11 18:47
中世ヨーロッパの農民や騎士など人口の割合について誰か教えてくれませんか?
749世界@名無史さん:04/02/11 18:51

バルカンはヨーロッパに含まれますか?
750世界@名無史さん:04/02/26 16:21
前スレが消えた!
751世界@名無史さん:04/02/26 21:54
そういや、ディスカバリーチャンネルの「都市の歴史」という番組でパリの街の歴史やってた。
中世から近世までは、ずっと水不足だったそうな。>パリ
セーヌ川とかあるのになんで?と思っていたら、夏場はよく干上がっていたらしい。
あと、生活廃水なんか川に捨てまくりだったんで、それが生活用水の不足につながっていたとか。
13世紀から14世紀に井戸+水路が作られてある程度は改善されたみたいだけど、人口増加でまた水不足。
そして、近代になって運河で水を引っ張ってきたとか・・・。

フィリップ2世が建築した城壁の跡が今でも残っていたのにはビクーリ。
752世界@名無史さん:04/02/26 23:30
>>749
ヨーロッパではありません
>>751
そうみたいですね、セーヌ川は上流の集落からすでに汚染されているので、パリに
きてさらに汚染されてしまう。井戸は大抵は5m以下の深さしかないので、掘るのは
容易で無数にはあった。しかし、浅すぎるためかえって汚染されやすい結果を引き起
こした。井戸は、飲み水以外にも利用できるので、1870年の調査では約3万個の井戸
があったという。
これらに加えて、12世紀末から近郊の水源の水を水路を通じて引きはじめて公共の水道
のような、給水泉をもうけはじめる。13世紀までに4(5)箇所。中世末期には12
(11)箇所、近郊に7箇所設置される。その後もぞくぞく作られた。ナポレオンは、
新たに15箇所設置するように命じた。その後は、水道栓の登場で、給水泉はその役目を
終えた。その水道栓がしだいに増え1830年に146箇所、1848には2000箇所
に達したが、これも家庭の水道の普及によりすぐに消滅。
マクシム・デュ・カンの「パリ、その器官、機能、および生命」では、道路のために
水道栓がほとんどつぶされてしまったことを嘆いている。とはいえ貧民街などには
かなり残っていた。
運河は19世紀に入ると建設を開始し水を供給した。

ロンドンでも、時代は違えど、貴族や裕福な家は近所に井戸を使わせてあげていたが、
汚染されているので閉鎖してしまう話が出てくるので、飲み水の確保は、都会では
難しかったらしい。
754世界@名無史さん:04/02/28 21:25
風呂に入らなくなったのも水不足と関係あるの?
755世界@名無史さん:04/02/28 22:07
疫病(代表的なのは6世紀や14世紀のペスト)の大流行による
風評とかもあるんじゃないの
756世界@名無史さん:04/02/29 01:44
>>754
あっちが乾燥しているからじゃない?
東南アジアとかになると、一日に何回もシャワーやら水浴びやらしてたけど

どっかの誰かの旅行記だが、スペインのとある農村で急に用を足したくなった
ところがどこの家に行っても便所が無い、旅行者は困った
泊まっていた農家の人に聞くと、裏の軒先で用を足せと言う
仕方なく用を足し、日中はそこら辺をぶらりと歩いて見て回ったそうだ
夕方帰ってくると、便は既に乾燥してカラカラだったらしい
…つまりヘタすりゃ便所も無い
確かこの話は、古い中世の面影を残した田舎の村を来訪するという感じの筋書きであったが

でもよくよく考えれば、南欧と欧州の他の地域もまた気候は違うよな
757世界@名無史さん:04/03/22 01:02
a
758世界@名無史さん:04/03/22 02:01
日本では水の確保はどのようにしてたのだい?上にあるようにパリほど
困ることはなさそうだが。
井戸が中心なのかそれとも川の水を利用してたのか。
誰か詳しい人の降臨を期待する。
759世界@名無史さん:04/03/23 20:49
やはり前スレ消えたのか・・・
760世界@名無史さん:04/03/31 19:23
761世界@名無史さん:04/04/04 20:18
ありがとー、>>760
ほんとにありがとー、>>760
762世界@名無史さん:04/04/05 07:32
欧州で子供を出産したんですけど
ベビの入浴は週2〜3回、ケアオイルを入れて、
石鹸でごしごし洗わず、できるだけ烏の行水で汚れをさっと流す
そして入浴後はクリームたっぷりケアする
というのに驚きました。

日本式入浴法にすると、気候と水質の都合であっという間にお肌がカサカサ
カサカサ過ぎて湿疹ができました。

ヨーロッパ人はあまり風呂に入らないというのも、納得できました。
763世界@名無史さん:04/04/15 18:22
あげとかんと、他に中世欧州スレが立てられてしまうのか。
764世界@名無史さん:04/04/18 15:48
ここはすばらしいですな。いろいろ参考にさせていただいております。

最近の疑問に意見をいただけるとありがたいのですが。
中世ヨーロッパに限りませんが、戦争の際、馬を徴収するはずです。
この馬なのですが、具体的に平時はどういう扱いをされていたのでしょうか。
兵力としては人間以上の価値を見出されていたらしいから、
軍にきちんと管理されていたのですかね。
近辺の村から徴収される、なんて描写や話を聞いたりもするのですが、
そんなので戦争の役に立つのだろうかと。
軍馬の育成方法なんかも不思議。競走馬よりも難しいのでは。
765世界@名無史さん:04/04/19 02:35
馬に乗るのが誰で、その人たちが平時はどうしていたのか、
がポイントなのではないかな
766世界@名無史さん:04/04/19 19:00
ってことで764にヒント
・騎士は領主である
・騎士以外は基本的に馬に乗らない

あと、軍ってなに?
767世界@名無史さん:04/04/19 21:09
そうか。中世ヨーロッパの戦争だと騎馬部隊なんてのは実働していませんでしたっけ。
イメージ的に指輪物語でやっていたような騎馬による突撃、なんて戦法は
現実的に行っていた軍隊はないのかな?
あれだけの馬をどうやって養っていたのかと疑問でしてね。
兵士に対する馬の割合ってのはどの程度だったのでしょう。
特に限定した時代は気にしていないので、年代ごとにわかれば最良ですが。
768世界@名無史さん:04/04/20 20:05
映画の「指輪物語」は見てないのでなんとも言えんが、騎馬突撃やら騎馬での殺陣程度なら多少訓練すればすぐにできるよ。
歴史系は文系ヲタ多いから難しいと考えがちだけど、漏れみたいな体育系上がりのドキュソだと簡単に考えがち。
体を使う作業は頭を使っている人よりも体を使っている人にやらせてみせた方が現実的だと思うんだが。
769世界@名無史さん:04/04/20 23:07
そうなんですなぁ。資料や文献漁ってデータ揃えるより、実際できるかどうかを実践できればベストなのですが、
なにぶん馬もなければ鎧も武器も揃えられませんしねぇ。
上の方で軍馬といったのは、つまりそういうことに慣らしておかないと
並みの馬では突撃なんて真似はできないのではないかと思ったからです。
生来臆病な生き物らしいですからな、馬。
中世ごろだと今いる競走馬とも構造からして多少違うでしょうし。
どーも中世ヨーロッパの世界で牧場運営なんかはやっていたイメージが湧かないんですわ。
盗賊夜盗の格好の的になりそうだし。
こういう歴史的事実はあったのかなぁと。
770山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/21 00:19
去勢していないと暴れまくって難しい。近代まで去勢の行われなかった我が国
には秋山好古の頃までまともな「騎兵」とか「騎馬隊」というものが無く、寧
ろ暴れ馬を乗りこなす事がもてはやされていた鎌倉時代には蒙古軍の「てつは
う」相手に馬が大暴れして苦戦している。
>中世ヨーロッパの牧場風景
『狐物語』とかどうでしょうね。金ぬき鶏が狐にかっぱらわれる場面などが出て
来ますが。
771世界@名無史さん:04/04/21 05:09
中世ヨーロッパの某巡礼観光案内パンフレットだと、雌馬に貞操帯つけていないとどこぞの人に(馬が)レイプされるとか書いてあったような・・・。
772世界@名無史さん:04/04/21 19:06
中世の城日誌って絵本は中世の生活がよくかけてた。
モデルはイギリス。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4001108674/250-6288844-1234632

主人公の少年が城で小姓生活を送る。
麦の刈りいれ、トイレの話、騎馬試合などあれこれ楽しい。
773世界@名無史さん:04/04/21 19:44
あ、直リンクしてしまった・・・スマソ
774世界@名無史さん:04/04/21 20:52
競馬と歴史好きな者からひとこと。
人類の歴史と最も関係が深く生死を共にした動物のNo1は馬でしょう。
移動時間を著しく短縮し、戦争の戦術にも革命的な変化をもたらしたのですから。

古代メソポタミアやエジプトの浮き彫りには、既に戦車で活躍する馬が描かれて
おります。馬という動物は、馬鹿ということばとは反対に臆病であるものの大変
賢い動物です。古代ヒッタイトにおいて馬の調教について論じた書籍(粘土板?)
が出土しており、この馬書は前15世紀ミタンニ人キクリが著したものとされています。
アレクサンダーとダリウスの有名なモザイクや古代秦の兵「馬」桶でも馬がどれだけ
重宝されていたかがわかりますね。古代ローマの戦車競争でも然り。
滅亡した古代のカルタゴ金貨にも馬が彫られております。
馬の調教については、中世ヨーロッパにまで下るとほぼ完成の域に近づい
ていたと推測されます。(馬具の完成は若干遅れますが)

さて、ヨーロッパ中世の時代に話を移すと、北西スペインのサンチャゴ・デ・コンポス
テラへの巡礼の道の近辺では、9世紀の大聖堂や修道院の記録によれば、馬産活
動でにぎわっていたようです。また、8世紀半ばに始まるカロリング朝期には、フラ
ンスのノリマンジー地方に、「種牡馬繁養場」が設けられており、最盛期のシャルル
マーニュ大帝は、馬産を振興し種牡馬輸出を禁止したことが知られています。
農耕馬の普及については、馬具(頚木)の改良と三圃農法の普及によってカラス麦
が増産された11・12世紀頃から急速に普及し動力としても馬が牛よりも活用され始
めました。
775世界@名無史さん:04/04/21 21:39
いやぁ、ありがとうございます。
城日記はともかく狐物語は図書館でも借りれそうですな。
探して読んでみることにします。

774さんは馬に詳しそうですな。
機動性の面から考えても軍隊における騎馬は優位であったことは即座に理解できますが、
この手の常としてコストは凄まじくかかるであろうことも予想されます。
それにこのスレをみただけでも中世ヨーロッパの市民生活は
自分の想像以上に苦しかったようですしねぇ。
農耕に使われていたのは領主から貸し与えられていたのかな。
財産としての価値は相当に高かったでしょうし。
776世界@名無史さん:04/05/07 15:43
ネタは無いがあげておく
>>758
江戸の話?

鯖田豊之『水道の思想』によると、京都では浅井戸、大阪では淀川の水
を利用していたが、江戸は海岸や沼地の埋め立てで造成された市街地が
多く、浅井戸は役に立たなかった。埋め立て地以外の地下水も技術的に
利用が困難であったため上水を利用したとしている。

上水は日本では弥生時代などの灌漑水路で綺麗な用水であれば生活用水
として利用されていたと考えられ、これを起源とし、生活用水としての
水路(上水)は江戸時代初期に始まる。
天正18年(1590年)の神田上水は下町の低地にしか配水ができなかった。
また人口増加に伴い給水量がさらに必要となり、承応3年(1654年)の
玉川上水をはじめ、万治・寛文年間(1658-1672)につぎつぎ上水が完成
した。江戸以外では諸藩の40余りの城下町においても飲料用ないし防火
用の水を確保するために水道が設けられた。
水道は「自然流下式」という高低差を利用して上から下へ流す方法
で地理・地形的制約をもっていた。明治に入ってから濾過やポンプによる
送水がはじまり、「近代水道」へと変身した。

一方、浅井戸ではなく掘抜井戸(深く掘った井戸)を利用する手もあった
が、渡辺信一郎『江戸の女たちの湯浴み』によれば、費用がかかったため
少なかった。上方から安価に井戸を掘る技術が伝わり、文化期(1800年代
初期)には普及し始めた。江戸の中期までは自宅に風呂場があったのは、
屋敷内に井戸がある高禄の武家か、裕福な商家だけだったとしている。
778世界@名無史さん:04/05/08 09:45
>>772
その本、絵も良かったし、子供向け?とは思えない本だったよ。
本格的だな。

森の魚を勝手にとったら罰を・・・のくだりなんか面白かった。
779世界@名無史さん:04/05/08 13:45
中世ポーランドでは魔女狩りもユダヤ人迫害もなかったって本当ですか?
そのために多くのユダヤ人がポーランドに移住してきたとか。
ペストの被害も殆どなかったとかいうのも聞きました。
780世界@名無史さん:04/05/08 20:38
・・・そう書くと理想郷だったかのような勘違いをする香具師がボウフラの如く沸いて出そうな。
>>779
魔女狩りについては、
「魔女狩りが魔女狩りとして本格化するのは異端狩りが下火になった
十六世紀にはいってからであり、その中心舞台は、異端狩りの中心で
あった南フランスやスペインではなくて、ドイツ、北フランス、
スコットランドなどの主として北西ヨーロッパであった。だから魔女狩り
を異端狩りと同じものとして、あるいはその延長として、説明することは
できない。異端狩りとからみあう部分はあるにしても、魔女狩りは独自の
歴史的事件として説明されなければならない(浜林正夫、井上正美
『魔女狩り』ニュートンプレス)」
したがって、中世では魔女とされた女性たちが迫害されることはあっても、
それが大規模な形での社会現象となっていない。それがいわゆる
「魔女狩り」として本格化したのは16世紀ないし15世紀末にはいって
からで、中世の魔女と異端審問と魔女狩りはその内容として区別されること
が多い。したがって、時間の区分としての「中世」の魔女狩りという
いいまわしはとりにくい。しかし、一般的に魔女狩りが中世的要素を
多分に含んでいると認識をされることが多いことからも、違和感がある
人がいるかも知れない。
これを「近代」における「中世」的要素として捉え、近代とは「中世」
からの変転期とその転換過程をその初期に含むものとして見ることも
できるが、
一般に、中世とはルネッサンス以前までとすることが多いが、中世とは
宗教改革以前までと宗教改革にその境を求めることもある。
さらに踏み込んで、
「宗教改革と宗派対立の時代とされるこの十六世紀と十七世紀の前半は、
最近の研究成果によれば、実は宗教観だけではなく、社会のどの局面を
みても、中世と近代の境目に位置する重要な時期であったといわれる(
永田諒一『宗教改革の真実』講談社現代新書)」
「民衆に焦点を当て、宗教改革とその対立を近代の始まりとしてではなく、
中世の終わりとして捉えてる。また、16から17世紀前半までを一続き
に捉えている(同上書)」
「近年、歴史学界では、近代は十七世紀の後半以降に成立してきたという
考え方が支配的である(同上書)」
というように宗教改革を中世末としてとらえる見方がある。
時代区分の境がどこにあるのかという議論自体はしないしする気もないが、
こうした視点で「中世の魔女狩り」として捉えるならば、こうした違和感が
解消されるかも知れない。

それはともかくとして、ポーランドの魔女狩りについてになるが
(すでにスレ違い?)、
「死者の割合は、ドイツ語圏の地域と隣接地域とりわけポーランドで
きわめて高い(アン・ルーエリン・バーストウ『魔女狩りという狂気』
創元社)」としている。さらに被害者数は、同書の
「付録 魔女裁判の犠牲者数」において約15000+としている。
ユダヤ人迫害とペストについては、
中世のユダヤ人の迫害・大量虐殺は、ペストの大流行(1348-49)
のときにピークを向かえる。フランス、スイス、ドイツで大迫害が
生じとくにライン河畔一帯が大規模だった(浜本隆志『魔女とカルトの
ドイツ史』)。これらの迫害により、東欧やヨーロッパ周辺部へ迫害を
逃れて移住した。ポーランドもそのひとつということでしょう。

中世のユダヤ人が迫害を逃れてポーランドに移住したという内容と
魔女狩りが微妙に混ざってしまっているような気がします。
784世界@名無史さん:04/05/16 00:07
>>762
実体験乙です。
勉強になるな。知識を使う機会はないけど_| ̄|○
785Krt:04/05/17 01:04
>>764もちろん戦時において、駄馬として使う馬が不足している場合には徴発もあった。
とはいえ、駄馬なども戦時に備えてあらかじめかなりの数がその地域の防衛に責任を持つ
君侯の牧場で飼われていたし、ましてやこれらとは体格も血統も全く異なる騎士用の軍馬は
当時の最重要戦略兵器として、上記の牧場で個体ごとに厳重に管理されつつ育てられていた。
 後者の繁殖用には一つの牧場ごとに数頭の種牡馬に対してその数十倍の牝馬が保持され、
例えばドイツ騎士団領の場合1400年ごろにはこういった牧場が領内に数十箇所あって、
計7200頭の軍馬とそれと同数の他の用途の馬が飼われていたというし、さらには敵に馬が
奪われないように、重要な種牡馬と牝馬とは違った場所で飼われていた事も多かったらしい)
また両者はコスト的にも大違いで、駄馬と比べ軍馬の値段は数倍から十倍にもなり、
これは飾りなどのない普及品のフルプレート鎧などよりもずっと高価だったという。

(これは「例のにゃあにゃあ氏」から教えてもらったサイトだが)
ttp://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/ekdahl.htm
値段についてはWilliam,Alan & de Reuck,Anthony:The Royal Armory at Greenwitch
1515-1649: p.3:Royal Armories Monograph 4:1955:0-948092-22-X
786Krt:04/05/17 01:06
>>770
その認識にはやや問題があると思う。去勢馬が重要になったのは乗り手が重い鎧を捨て、
馬に求められる性質がもっぱら機動力と取り回し易さに限られてきた、近代もかなり後に
なってからのことで、西洋でも、重い鎧を着た騎士を乗せて縦横に走り回る筋力と骨格、
さらには敵にひるまぬ強く荒い気性が馬に要求された中世においては、軍馬として主に
使われていたのは男性ホルモン(?)豊かな牡馬であって去勢馬ではないんだね。

 ただこれは睾丸を持っている牡馬だけれど種牡馬ではなく、輸精管を縛ったり、カット
したりして生殖能力だけを奪った牡馬なわけだ。なぜこんな面倒な事をしたのかというと、
敵の手に優秀な種牡馬が渡ってしまっては困るかららしい。もちろん駄馬や普通の乗馬用
の馬の場合は去勢馬を用いていたし例外的には去勢馬や牝馬を軍馬として用いた例も有る
わけだが、これはあくまで少数例にとどまるという(上記のurlの論文を参照のこと)。

こういった事情は当然、重い鎧をつけた武者を乗せていた時代の日本にもあてはまるわけで、
去勢されていない牡馬の乗りにくさはあっても鎧武者が牝馬にはない牡馬の筋力等の強靱さ
気性の強さを選択したのは馬に命を賭ける身として十分理由のある事だったろうと思う。
787世界@名無史さん:04/05/17 23:29
「平家物語」に出てくる軍馬は、馬を食ったり人を食ったり・・・みたいに表現される気性の荒っぽいのばっかりでしたね。
788世界@名無史さん:04/05/20 19:30
>>786
なかなか参考になる書き込みサンクス!
789:04/05/21 16:43
 庶民や騎士の生活を書いたものは多くありますが、中世の宮廷(貴婦人の子供時代や王の私生活など)に関する本が見つかりません。
良い本があればご紹介願えませんか?
790世界@名無史さん:04/05/21 20:54
>>789
アインハルト『カール大帝伝』は…?

僕も興味あるけど全然ソース知らないからどなたかご教示下され。
791山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/21 20:55
>>786
成る程。言われてみればその通り。日本で軍馬として用いられたのは近代ま
では雄馬ばかりであったようですし。
>>786
名前が「生喰(いけづき)」ですからね。説教で有名な小栗判官の愛馬「鬼
鹿毛」も、ギリシャ神話に出て来たような人食い馬です。
792世界@名無史さん:04/05/21 21:05
中世欧州(実は近世近く?)の吟遊詩人の騎士道物語の中に「雌馬を軍馬として扱い、そんなものに乗るのは騎士の恥」のような詩歌もあったと記憶していますが・・・・。
793世界@名無史さん:04/05/22 00:34
>>783
>中世のユダヤ人の迫害・大量虐殺は、ペストの大流行(1348-49)
>のときにピークを向かえる。フランス、スイス、ドイツで大迫害が
>生じとくにライン河畔一帯が大規模だった(浜本隆志『魔女とカルトの
>ドイツ史』)。これらの迫害により、東欧やヨーロッパ周辺部へ迫害を
>逃れて移住した。ポーランドもそのひとつということでしょう。

ちょうどその頃がカジミェシュ大王の治世で、彼はユダヤ人を大量にポーランドに受け入れたそうですが。。。
794793:04/05/22 00:36
今調べたら、大王の在位が1333〜70ということですから、ちょうど一致していると思います。
795世界@名無史さん:04/05/22 00:43
>>793
ポーランド東南部にユダヤ人が多かった理由はそれだよ。
796世界@名無史さん:04/05/22 03:55
ユダヤ人受け入れの目的はコレを真似ようと?

216 :例のにゃあにゃあ :04/05/15 18:29
>>197
だから、続く王様達が真似するんだニャ。
ヘンリー3世は修道会やテンプル、聖ヨハネ騎士団から金を借りまくって返さなかったし、

エドワード1世はユダヤ人から金を借りまくって冤罪着せて追放するし、
イタリアのリカルディ商会からも金を借りまくって倒産に追い込んで財産没収するし、

エドワード2世はテンプル騎士団を全員逮捕して借金帳消しにして財産没収して、
イタリアのフレスコバルディ商会からも金を借りまくって追放するし、

エドワード3世なんか貿易特権を餌にたくさんのイギリス商人から莫大な金をだまし取ったし、
イギリスの大商人ウィリアム・ド・ラ・ポールを財務長官に付けて金を引き出しまくって横領の罪をかぶせて追放するし、
イタリアのバルディとペルッチ商会からも借金したけど、ぜんぜん返さなくて、両方の商会は倒産に追い込まれたニャ。

ほんと、イギリスの王様は借金を踏み倒すのが好きだニャ。
797世界@名無史さん:04/05/23 22:13
別の板から来たのですが、ここの人の知識を借りたいです。
今までのレスでも充分役には立つわけですが、
「一六世紀初期の」と明確にわけて教えてほしいのです。
それは庶民においてですが、服装、靴、家(様式など)、窓、鍵、寝室、職業、祭り、明かり(ランプ?)、
特別な制度や法、通貨や距離や速度など(の呼び方)、乗り物、思想、などの詳細を教えてください。
田舎のほうと少なからず大きな町とである違いも。
具体的な地域などは別段気にしてないので、
一六世紀初期ヨーロッパにおいてのものならどんなものでもいいです(というかよく知らないので…)。
現時点で知っていることのみでいいのでお願いします。
798山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 23:34
また虫のいい・・・まあいいか。とりあえずどこの国・地域かにもよりますよ。
16世紀の英仏文化史に関するいい本がありましたが、日本語訳があったかな。
とりあえず阿部謹也先生の御本は如何。
799世界@名無史さん:04/05/24 01:56
>>796
14世紀のユダヤ人で大富豪はいなかったから関係ないと思う
800世界@名無史さん:04/05/24 13:49
>>798
レスをどうもです。イギリスかスペインでお願いします。
本は「刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活」とかよさそうですね。
801世界@名無史さん:04/05/25 18:19
16世紀初期と言うのはスペインで言うとハプスブルグ家の下、
シグロ・デ・オロ(黄金時代)と呼ばれた時代で、文化的にも経済的にも繁栄し、
一方新大陸ではコルテスが暴れていた頃。
イギリスではヘンリー8世が離婚問題からローマと揉めて宗教問題を引き起こし、
エンクロージャーが起きてトマス=モアが「ユートピア」を書き、
農村を追われた農民が都市に流れ込み犯罪が増加していた時代。
変化の激しい時代でしかも既に近世なのでこのスレの状況とはだいぶ違うかと。
802世界@名無史さん:04/05/25 20:51
てか、16世紀前半に「何故、阿部きんや?」って感じ。
803山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/26 00:06
>>802
一般向けの概説書で書いてらっしゃったような・・・違ったかな。
>>793
1264年に、大ポーランド公国王ボレスワフ敬虔王がカリシュの規約を公布した。
これはのちのユダヤ人の保護令の基礎となる。ユダヤ人は諸侯に金を払い諸侯は
これを保護し、自由な経済活動を保証した。また、ボレスワフは自治を行うことを
容認しユダヤ人に対する不当な攻撃や告発などを厳しく罰した。1334年には
カジミェシュ3世(1310-1370)によってこの規約の有効性を確認し適用範囲を
全支配地域へ拡大した。その後もこれらの特権が継承されていく。だがこうした
状況においても迫害がなかったわけでもない。
とはいえ、もちろんこうした状況でも西欧における状態よりは比較的自由であり、
民衆のユダヤ人の迫害はあっても、都市の発展など経済的に利用したい王や諸侯に
よって保護されていた点が大きい。
1500年頃には、約1万8000人がポーランドに、約6000人がリトアニアに生活していた
とされ、それが1648年にはおよそ50万人になったという。これは全人口の増加もある
ものの比率からすると1%弱から5%にと急増したことをあらわす。
こうした意味では中世末期に起源をゆうし、16世紀から17世紀半ばまでの近代初期に
「黄金時代」があった(ハイコ・ハウマン『東方ユダヤ人の歴史』鳥影社)という。
それは同時にポーランドの「黄金時代」でもあった。とはいえ、ポーランド
のユダヤ人が西欧からの流入によるものだったのかについては、
「アシュケナジーにおけるハザル人滅亡したハザル・カガン国のハザル人がウクライナや
東欧に離散した結果、東欧ユダヤ人(アシュケナジム)の先祖になった、という仮説が
根強く存在している。…(中略)…アーサー・ケストラーの著書『第十三の士族』(1976)で
一般に広く知られるようになった。…(中略)…ハザル人の末裔がキエフ・ルーシや
ポーランドなどに移住した可能性は否定しがたく、ロシア・東欧のユダヤ人の一部が
ハザル起源であることは十分に考えられる(『[新版]ロシアを知る事典』ハザル[人]の項目
 沼野充義 平凡社)」として、これらハザルの役割により従来の見解によって修正される
かも知れない。
詳細は、ポーランド系スレかユダヤ人・民族スレで展開したほうがよいかと思う。
このスレおもしろいなぁ
806ボカサ万歳:04/06/04 18:34
 月経のときはどーやって処置してたんでしょうか。
昔だから高分子吸収体なんてないし、布ナプキンも金持ち
のお嬢さんしか使えなかったと思うし・・・
807世界@名無史さん:04/06/04 20:04
基本的には垂れ流しだよ。
808チェルノブ:04/06/04 21:51
>基本的には垂れ流しだよ
えっ?!でも、ニオイがするのでは?!
809世界@名無史さん:04/06/04 22:27
常に妊娠してるとかね
810世界@名無史さん:04/06/04 23:59
>>804
ポーランドスレでやると、常住している気の狂ったアンチポーランドがまた荒らしまくって
荒涼としてしまうんだよな。
811世界@名無史さん:04/06/05 18:23
>>804
仮説は仮説に過ぎないよ。
その説(ハザール起源説)では、ポーランドにいたユダヤ人がドイツ語の方言ともいえるイディッシュ語を日常語としていた事実の理由が説明できない。
812世界@名無史さん:04/06/05 21:49
>>810
自分自身が異常だとは思わないんだろうな、こういう人って。
813世界@名無史さん:04/06/05 23:30
>>811
>ドイツ語の方言ともいえるイディッシュ語

嘘は止めましょう。
814世界@名無史さん:04/06/06 01:34
方言かどうかは兎も角イディッシュ語が文字以外はドイツ語類似なのは事実だと思うが。
しかし流入したあとでイディッシュ化したと考えればいい話では?
815世界@名無史さん:04/06/07 00:13
手塚治虫のリボンの騎士って、中世ヨーロッパが舞台なの?
近世なのかな
816世界@名無史さん:04/06/07 01:22
アニメのほうだけど、船乗りが「セントエルモの火」の正体を電気だと知ってたから、
かなり最近の話と違うかな
817世界@名無史さん:04/06/07 02:13
小さい頃、兄の持っていたマンガ本のリボンの騎士に夢中になって
すごく憧れたんだよな。
小学校の頃の自由時間で、図書室で好きな本を勝手に読んで良い
時間があったんだけど、自分は歴史の本にあたったんだ。
すると、ある図鑑の、中世あたりのヨーロッパの風景がピッタリ一致
したように思ったんだ。
騎士とか攻城戦とかの絵を見て。
高校時代に、イギリス史という分厚い本を借りたんだけど、難しすぎて
挫折したりしたが・・・_| ̄|○
818世界@名無史さん:04/06/21 18:03
あげておく
819世界@名無史さん:04/06/23 06:43
age
820世界@名無史さん:04/06/25 20:11
以前どこかでドイツのソーセージが日本の羊羹の起源になったと読んだ気が
するのですが、詳しく知りたいのです。ご存じの方いらっしゃいますか?
821山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/25 20:30
>>797
もう見てらっしゃらないでしょうね・・・。『近世の文化と日常生活』という良書
を見つけたのですが。
>>820
「羊羹」という名称通り、元々は羊の肉の羹でした。南北朝時代に禅僧が伝えたも
ので、肉食は出来なかったために豆などでつくられてお菓子になりました。
因みに饅頭が伝えられたのもこの頃ですが、これまた肉を除いてしまいましたね。
当初は蒸し羊羹で、茶道に伴って発展した結果、練り羊羹が出来たのは安土桃山
時代になってからの事です。ドイツ云々は眉唾では?
822世界@名無史さん:04/06/25 20:33
なるほど、やはり眉唾ですかね。
ロマンチックな話なんですが。。
823Krt:04/06/25 22:19
羊羹のことなんだが、これを菓子のヨーカンに用いるというのは本来当て字であって、
菓子のヨーカンはその形からもともと「羊肝」と書いたのだという説が有力だと思う。
例えば、享保年間の辞書「書言字考節用集」には「羊羹本字羊肝」とあるし、
また「嬉遊笑覧:十上」には、宋書毛脩之傳などに羊羹とあるのは羊肉の羮のことで
菓子のそれではなく明人は菓子のヨーカンのことを豆沙羔(これに米編:意味としては
モチに近い)と言う、といったことを書いてある。さらに同書は、菓子の羊羹は本来
羊肝「羔」(これに米編)と書くのであり、求肥が元来牛皮羔(米編)だったのと
同様だとし、もとの字を書き改めた理由として、恐らく獣を不潔としたのだろうが、
それにしては前者に「羊」の字が残っているのは変で、あるいは羮と羔(これに米編)
は両方とも同じ発音(コウ)なので間違えたのかもしれない、としている。
つまり、もともと羊の肝と色や形が似たモチ菓子だったのが、いつの間にか音の似た、
(しかも日本においてはその実物がないため羊の肉の羮と誤解される可能性が低い?)
「羊羹」と書かれるようになってしまったということらしい。
とはいえ、その辺の食物本とか見ると、羊羹は元来、羊の羮の煮こごりだった、
なんて書いてすましてるのが結構あるけどね(笑)。
824世界@名無史さん:04/06/25 22:38
羹ってシナでは人肉のあつものの意だったりするね
孔子の好物。
825山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/26 15:20
「その辺の食物本」で済ませたかのように思われるのは心外ですので、付け加え
させて頂くと、『和漢三才図絵』や『大言海』などでも羊肝説です。
ただドイツ起源の否定にそこまで言う必要は無いと思って省略しました。
「元来」云々も一応一説として存在していますし。
『嬉遊笑覧』には糕(こなもち)とすべきところを同音ゆえ誤って羹としたとある。
「羊羹」や「猪羹」というものは『庭訓往来』にも出て来た筈です。
826世界@名無史さん:04/06/27 17:13
中世末期の城塞都市で、町の外に出たい場合って
監守というかなんというか、警備の人に何か証明書みたいなの見せるの?
ほら、城壁があるじゃん、あそこって住民は普通に通れるのか?
いや、ほとんどの人は外に出たことないってのは知ってるけどサ
教えてくれー
827世界@名無史さん:04/06/27 17:30
町それぞれだが大抵は門限が決まってて遅れたら翌日まで入れなかった
24時間コンビニエンスな城門なんて意味ないだろ?
828世界@名無史さん:04/06/27 18:05
>>827
それはわかるんだけど(閉門の鐘でそ)、
中から外には何の手間もなく出られるの? それが知りたいっす
城塞都市は城を中心とし、その周りに住居や店が存在し、
一番外側を城壁が囲むといった形だけど、
その城壁をこえて外に出るために何かしなきゃいけないことがあるんなら、
いろいろ書きなおす部分があるんで・・・・
googleでどうやって検索していいのかわからんのでお願いしまつ
829世界@名無史さん:04/06/27 19:01
ほとんどの人は外に出たことがないという認識をまず改めるべきでは。
壁の外にはみ出して市街が広がっているのが普通だったし、
周囲の農村地帯にまるきり用がない人なんていなかっただろうし。
830世界@名無史さん:04/06/27 20:41
城門のすぐ外には、安い売春宿とかソッチ系の人間が住む場所があった都市も。
まあ一般的には、処刑された死体がぶら下がっているのが普通だったのかな。>城門のすぐ外

あれ、入市税とかは普通に取られたりしたよね。
831世界@名無史さん:04/06/27 20:44
え? でも資料には
「都市に住む人々の多くはその人生のほとんどをその城塞の中でおくった」
とあるよ
ああ、でも外に出たことがないってのは言いすぎか・・
とにかくサンクスコ!
832世界@名無史さん:04/06/28 01:37
裏をとったわけじゃないけど、住民なら顔パスなんじゃないかなあ。
たいがいの都市は人口数千人〜一万人以下だったんだから、
顔と身なり見りゃ住民かどうかなんて見分けつく
833世界@名無史さん:04/06/28 05:32
ドイツの例で行けば都市の80%は人口500人以下。一割強が500〜1000人。
イタリアはもっと大規模な都市が多かったけど、当時の都市なんてそんなもの。

そもそも大抵の内陸都市の場合、都市で消費される食料を周辺の農村から運び込む訳だけど、
冷蔵技術も無ければ、荷馬車でさえそれなりにコストの掛かる輸送手段で、
背中に大量の野菜を担いだ農民が集まってくるのが普通と言うようなレベルの生活だから、
支えられる人口なんてたかが知れているからね。
834世界@名無史さん:04/06/28 13:08
都市の排泄物問題は、どうだったのかな。疫病流行とも関連してくるし。
川に捨ててたのがイッパイイッパイになったりとかは聞いたことあるけど

日本みたいに都市の排泄物を農民が米と交換して持ってかえって
肥料にするようなシステムは機能してなかったんかな。
835世界@名無史さん:04/06/28 16:06
>>834
基本的に垂れ流し…って、自分で答え出しとるやん。

いちおうパリには14世紀に下水道ができてはいるけど、フランス革命の時代に
なっても窓から道路や庭へ投げ捨てていたわけで。
836世界@名無史さん:04/06/28 17:35
>>833
各自治都市は、あらかじめ多めに食料を買って備蓄しておくのも普通。
戦争になれば都市=城砦になるわけだから、篭城戦に備えておくものですよ。
(しょっちゅう戦争してたし。)

それが幸いしてか、大飢饉の年でも農村部では大量の餓死者が出ていても、都市部は割と平気だったりします。
837834:04/06/28 18:47
>>835
いや、日本のようにウ○コを肥料にするシステムは全然なかったのかな、と思ってさ。
牛という身近な肥料生産者がいたので、人間のは用がなかったのかしらん?
むこうで肥溜めってのもあんまり聞かないしな〜
838世界@名無史さん:04/06/28 23:45
欧州では馬糞を肥料とし、人糞をゴミとしているが、
日本では馬糞をゴミとし、人糞を肥料としている。
という事をルイス・フロイスが書いている。
我々は糞を処理する為に金を払うが、日本人はそれを米と金で買う。
とも書いている。
ルイス・フロイスの言う通りなら人糞はゴミだったと言う事ですね。
>>797
イギリスというかイングランドは
エイザ・ブリッグズ『イングランド社会史』 筑摩書房
2004年6月の新刊です。16世紀で1章あります。

モリー・ハリスン『こどもの歴史』法政大学出版局
「こども」とその環境、家族・暮らし・教育などに
ついて、こちらも16世紀で1章割り当てている。
840834:04/06/29 19:56
>>838
サンクス! なるほど、捨てるだけしかなかったのか

中世の刑罰に、ウ○コのたっぷり入った巨大な桶を街頭に置き、
その上に罪を犯した職人をゆるい檻に入れてつるす、というのがあって、
もうどうしようもなくなってドボンと落ちるのをみんなが見て大笑いしたとか。
これは一応有効利用なのかな
841世界@名無史さん:04/06/29 19:59
ヨーロッパとかじゃウ○コはブタの飼料のひとつじゃなかったっけ?
(ウ○コが一発変換できんとはw)
842世界@名無史さん:04/06/30 12:48
そのころの豚は道中に散らばったウンコを掃除させるために放されていた
843世界@名無史さん:04/06/30 18:36
その野放し豚が原因でフランスの王子様もお亡くなりに。
844世界@名無史さん:04/06/30 18:58
ユゴーもレ・ミゼラブルの中でフランスは年間5億フランを水に捨てているって書いてるよね。
845世界@名無史さん:04/07/01 19:54
肉食文化でのウ○コがそこらじゅうに散らばってるんだから、町中臭かったろうな〜
846世界@名無史さん:04/07/01 21:28
唐突にすみませんが、中世ヨーロッパのの学生の暮らしについてのいい資料とかあります?
847世界@名無史さん:04/07/01 21:55
ジャック・ベルジュ著、大高順雄訳、『中世の大学』、みすず書房、1979年 なんかどうだい?
学生の暮らしは、アシル・リュシェール著、木村尚三郎、福本直之訳、『フランス中世の社会・フィリップ=オーギュストの時代』、東京書籍、1990年 とか。

・・・絶版かも知れんが・・・。
848846:04/07/01 22:24
おお!即レス感謝。
つうか俺恥ずかしい間違いしてるし。ののって…
849世界@名無史さん:04/07/14 21:48
このスレざーっと見た感じ、
家の作りが「木」と「石」と「煉瓦」と「藁葺き屋根のテント(12世紀のイングランド)」って四つ出てきてるんです。

「都市部の民家」と「農村部の民家」は何でできてたんでしょうか。
850世界@名無史さん:04/07/14 22:15
女性が恋の告白をするとき、腋臭をしみ込ませたりんごを与えていたらしい(ソースはトリビア)。
これは病原菌満載。そんなことも知らなかった中世ヨーロッパ。魔女狩りをしていたヨーロッパ。
世界でもっとも遅れていた地域がヨーロッパだよ。
851世界@名無史さん:04/07/14 22:22
都市部の民家は、近代以前はほとんどが木造のはずだよ。
もっとも、地域差大きいから一概には言えないかも知れないけれど。
852世界@名無史さん:04/07/17 13:15
>>843
暴れ豚?
853世界@名無史さん:04/07/17 21:34
>>852
矢吹ジョーが乗ってたのかな?
854世界@名無史さん:04/07/20 09:26
城壁があるのが都市で、ないのが村と考えていいの?
村にあった職業とか知りたい
ほとんどが農民?てか農奴かな
855世界@名無史さん:04/07/20 09:58
村にあった職業・・・ 村の鍛冶屋
            水車小屋(粉屋)←賤民
            皮剥ぎ人     ←賤民  あと何かあったっけ
856世界@名無史さん:04/07/20 16:34
城壁のまわりに遺体をつるしておくわけですよ。
そうするとだね、いいの。
857世界@名無史さん:04/07/20 19:29
領主一族以外は賤民と農奴しかいないのかよw
858世界@名無史さん:04/07/20 20:05
荘園と農村は別物か
859世界@名無史さん:04/07/20 21:35
書き忘れたけど、教会が必ずあって、坊主どもがいるな。これは職業なのかな?
それと寺男とか、坊主どもの世話をするやつらがいてるね。
860例のにゃあにゃあ:04/07/20 23:38
>>859
教会の司祭は司祭やってることで聖職録っていう給料みたいな物をもらってそれで食ってるんだから職業だと思うニャ。
そういう意味だと、大学の学生の一部も聖職録をもらっていたとか言うから学生も職業って事になりそうだニャ。
861世界@名無史さん:04/07/21 00:04
でもキリシタン坊主は労働は罰だとか言って、労働者見下ろしてたし。
実際労働してない 搾取する側じゃん
>>861
下級聖職者は冠婚葬祭や各種典礼、鐘突き徴税などで農民に負けず劣らず忙しい。

>>861
修道士は清貧の精神の実践として、耕作や手工業などの労働に積極的に取り組んで
いたが、それをもって一般聖職者が修道士を見下すことがあろうか。

当時肉体労働を卑しむ気風があったことは確かのようだが、飛躍しすぎ。
863世界@名無史さん:04/07/21 17:05
>当時肉体労働を卑しむ気風があったことは確かのようだが、飛躍しすぎ。

中世ヨーロッパと言っても長い時代だし広い地域だから、土地や国、民族とか時代によって変化はあるでしょうね。
ブームとアンチは同じ海の波に乗って交互にやってくるパターンもあるから、その時々によりけりかも。
少なくとも、托鉢修道会が設立された直後の時代は、清貧や謙虚さ、労働がもてはやされた時代だったと思われますね。
864例のにゃあにゃあ:04/07/21 21:17
>>861
なにか、マルクスおじさんが叫びそうな台詞だニャ。
司祭クラスの下級聖職者は農民や商人の子息だらけだったから、搾取する側とは限らないし、
当時の聖職者の役割を現代に置き直すと地方役人って感じだから、働かないって事はないよ。

役人の具体例だと、イングランド王に直属したキングス・クラークなんて呼ばれた坊主達もいるニャ。
(クラークの語源はクレリック、要するに坊主だから、訳すと「王の坊主」)
この人達はみんな王直属の役人で、国庫の管理だとか証書作りに従事してて、
キングス・クラークの出身で一番多いのは農民と言われてて、
運と実力次第で高位聖職者や高位の役人になることもできたみたいだニャ。
865世界@名無史さん:04/07/21 22:59
具体的に農民の子がどういう風に出世するの?
聖職者以外でも聞きたい
866世界@名無史さん:04/07/22 00:30
ドプシュの「ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎」なんつー大著を衝動買いで買ってしまった・・。
おもそろうな記述を見つけたら、報告します。
867例のにゃあにゃあ:04/07/22 01:00
>>865
聖職者以外だと、職人か商人のところで丁稚奉公して独り立ちしてから金を儲けるとか、
戦争にいって略奪とかで一儲けするとか、色々あるみたい。
誰かの例を出すとなると難しいニャ。
商人だとメディチ家が有名だけど、元はなにをしていたかは諸説あって不明だから例にできないニャ。
戦争で立身出世した例だとスフォルツァ家かニャ。
傭兵隊長からミラノ公になった、スフォルツァの祖父はただの農民だとか。
868世界@名無史さん:04/07/22 04:43
村の職業
精麦と、パン焼き屋も無かったっけ?
869世界@名無史さん:04/07/22 07:50
>>868 パン焼き屋はあったね。しかし都市のパン焼き屋より一段と低く
   見られてたみたいだね。村の職業といえるかどうか分からないけど、
   渡し守や牧人も村には居ただろうし、居酒屋などもあったんじゃない
   かな。
870世界@名無史さん:04/07/22 08:31
 農民というと農業しかしてないと思う人も居るかも知れないけど、家内制手工業による
生産物も無視できない。
 農閑期に作られる衣服や家具からアクセサリーに至る各種製品は自分達の需要だけでなく
都市の下層市民の需要も満たしていた。

 イギリスの場合だと酒造業者が生まれるのは12世紀で、それ以前はエールやワインは
自家製であったし、酒造業者製の酒が庶民にまで広まるのはもっと後の事だっただろう。
 居酒屋の原点は寺院への巡礼にエールを提供するエール・ハウスで、元々は農家の婦人の
副業だった。9世紀頃には随分増えていたらしい。
そのエール・ハウスに食事と宿泊の機能が付いたインが生まれるのは12世紀末。
リチャード2世が宿屋に看板をつける事を命じたのが14世紀後半。
871世界@名無史さん:04/07/22 10:20
ビールなんか、各修道院製のが、そこのブランドみたいになってるよね。
パンなんて各農家で焼くものだから、あんまり必要なかったでしょ
あと、靴屋もあったかな
872世界@名無史さん:04/07/22 19:19
>>871
パン焼き窯を作るのに税金がかかったみたいだね。

あと防火上の視点からおいそれとパン焼き窯つくれなかったみたい。
街中では。
873世界@名無史さん:04/07/22 20:22
>>871 粉引き強制などもあったし、パン焼き強制もあったと記憶しているんだが。
   詳しくは分からないけど自由にパンを焼ける農家は特別なんじゃないかな?
874世界@名無史さん:04/07/22 20:48
粉引きもパン焼き窯も、ほとんどの場合、封建領主所有の施設。
領民にこれらの施設を(強制的に)使用させ、使用料(使用税)を取った。
875871:04/07/22 21:38
そうだったね。 ちょっと勘違いしてた。ゴメソ、ゴメソ
粉屋(水車小屋)は、とかく粉の目減りを誤解されて恨まれてたんだってね
876世界@名無史さん:04/07/22 22:01
麦作る人→粉引く人→パン焼く人
って分業されてたのか

そういやストロングホールドでやったな

あと質問なんだけど住居と仕事場は別って考えていい?
結構離れてるのかな距離
877世界@名無史さん:04/07/23 07:29
>>876 都市では一階に仕事場、二回以上に住居って構造だな。もちろん
   それは親方の場合だけどね。職人や徒弟は住み込みだからちょっと
   話は違うんだろうけど。
878世界@名無史さん:04/07/23 18:29
街から街へ移動するのにかかる時間ってどれくらいだったの?
野宿とかした?
集団で護衛しながらとか?
馬車?馬?歩き?
教えてEUROい人
879世界@名無史さん:04/07/23 19:37
庶民は歩き。 夜は物騒だから絶対旅籠に泊まる。
でもゴマのハエも多かった。部屋は大部屋。
880世界@名無史さん:04/07/23 19:39
>>878
それは世界共通ではないかな。
野宿あり、護衛あり、馬あり、歩きあり、馬車あり。
全部あるよ。
881世界@名無史さん:04/07/23 21:48
>878
馬車が多いのでは?(金さえ持ってれば)

馬車は定期便で走ってます。
(中世でも、世紀によるけど)
882世界@名無史さん:04/07/23 22:45
馬車なんてかなり最近の乗り物だと思うが
荷車みたいなやつならあったが
883世界@名無史さん:04/07/23 22:51
道がすごく悪いから、あまり快適な旅はできなかったらしいね。
車輪も衝撃緩和材みたいなのはついてない。もうがたがた
884世界@名無史さん:04/07/24 09:33
商人なら水運という手段もあるよな。飛べば渡れるような小さな川でさえ、船が
商品を運んでさかのぼって来たとハイネの「ハルツ紀行」に出てくるらしい(確か
川の名はライネ川だったと記憶しているが)。
885世界@名無史さん:04/07/24 11:51
>車輪も衝撃緩和材

草なんかを紐状にしたものを、車輪に巻き付けていたようです。

>商人なら水運という手段もあるよな

ヴェネチアなんて有名ですね。
交通渋滞にならないように、貴族でもゴンドラの大きさが決められていた。
886世界@名無史さん:04/07/24 18:50
水運といえば、欧州って驚くほどたくさん運河があるよね。これも流量が
安定している大河川が多いから出来るんだな。
887世界@名無史さん:04/07/24 18:53
ポーランド東部からロシアにかけての平原地帯には中国人もびっくりの巨大な運河網がある
888世界@名無史さん:04/07/25 08:01
日本はあまり運河がないようだけど、水運が重視されていなかったのかな
889世界@名無史さん:04/07/25 08:26
>>888
江戸も運河として利用していましたよ。
日本各地でも、運搬には川を利用しています。
890世界@名無史さん:04/07/25 08:32
>>888

こんな感じ。

 江戸の商業地、「日本橋の様子」
 商品の輸送を容易にするため、川沿いに倉を造っていた。
 (千石船から小型の船に移して、運んでくる)
http://www.depo.jp/shop/work/?cid=11&aid=117&wid=160&mode=enlarge

冨嶽三十六景「深川万年橋下」
http://www.tvz.com/nishiki-e/nishiki2/36/v26.html
891世界@名無史さん:04/07/25 16:34
890は都市内部での水運だね。

日本ではヨーロッパみたいに都市と都市、地方と地方を結ぶ運河は作られなかったみたいだけど、
やはり地形の起伏が激しいからだったのだろうか。
892世界@名無史さん:04/07/25 17:03
運河が無くても普通に海運ができるから。
大陸国家なら大運河も必要だろうけど、島国の日本で大運河は要らない。
893世界@名無史さん:04/07/25 18:41
 関西の場合などは淀川の水運が重要な役割を果たしていたが、大阪〜京都〜琵琶湖
まで来て、それより北は陸路を使った。欧州的な発想なら敦賀あたりまで運河を
つくるんじゃないかな。日本海と瀬戸内海・太平洋が繋がるわけだから利用価値は
大と思うんだけどね。891さんの言うように地形的な問題があるのかもしれないが。
894世界@名無史さん:04/07/25 20:59
運河なんて作れる地形じゃないような>琵琶湖〜敦賀
895世界@名無史さん:04/07/25 22:35
現代以前の技術力じゃ、運河作るなんて、平地以外ほぼ不可能なような。
896世界@名無史さん:04/07/26 02:05
>>893
お前が、琵琶湖と敦賀との間にはスキー場があるぐらいに険しいところ
ということすら知らないのはわかったから、勉強しなおせ。
897世界@名無史さん:04/07/26 11:58
今ニュースで、中世の拷問道具が出てる!
イラクのサカーチームが負けたときのお仕置きに使ってたんだって・・・・・
フセイン政権下じゃ現役だったんだな、鉄の処女・・・・
898世界@名無史さん:04/07/26 13:35
>>888-896
日本の話題を出すな。駄スレになる。
899世界@名無史さん:04/07/26 15:43
鉄の女ならイギリスにも現存するけどな
900世界@名無史さん:04/07/26 18:12
時代を先どる、ニューパワー
901世界@名無史さん:04/07/26 19:00
鉄の女は、異端や魔女とみなされた者を拷問する道具として、
ヨーロッパ中世末期から近世にかけて使われていたようだね。
普通に使ったら、串刺し人間の出来上がりだ。
昔のキリスト教徒は本当に残忍だ。十字軍で見せた残虐性も
身の毛もよだつものであった。

今は、人間的ぶっているけど。
902世界@名無史さん:04/07/26 19:12
>>898 西洋との比較においてなら良いんじゃない?日本が世界のうちに
   入らないというなら話は別だけどさ。
903世界@名無史さん:04/07/26 21:03
>>902
いくない。ここは中世ヨーロッパのスレ。日本のことなど一切必要無し。
904世界@名無史さん:04/07/26 21:14
なんか痛いヤシが湧いて出てきたぞ
905世界@名無史さん:04/07/26 23:02
>>904
痛いヤシは日本のことを語り出すヤシのことだろ。
とりあえずスレを元の状態へ戻そうや。
906世界@名無史さん:04/07/27 01:18
アメ国のどこかの州には、未だにリンチを認める法律があるそうな
つまり、かの国は中世の世界にまだいてるってことになるそうな
907世界@名無史さん:04/07/27 02:43
>>906
アメリカは原始ゲルマン的精神によって作られているのです。
908世界@名無史さん:04/07/27 10:08
じゃあネタ振りで、中世の坊さんの生活。
中世と言っても広いけど、一般的なイメージとして清貧な修道院の生活、更にそれを推し進めた隠者、
逆に世俗にまみれてデカメロンに出てくるような放蕩な生活の町の僧侶、そしてそのキリスト教界の
出世競争から脱落した教養も無く迷信深い村の僧侶。
こんなイメージじゃないかと思うけど、実際はどうだったの?
909世界@名無史さん:04/07/27 10:38
回転盤が修道院の小窓にあって、赤ん坊をそれに乗せるとくるっと回して内側へ。
村々で、そうやって捨て子を貰い受けてたって話は読んだな
堕胎、嬰児殺しは死刑必至だったから救済策だったんだろうけど・・・
910世界@名無史さん:04/07/27 11:14
>>908
教会の堕落は当然あった。やっぱ中世からだろうか。
それでもまだ後世に較べたらマシだったろう。
911世界@名無史さん:04/07/27 11:21
武装した僧侶は?
912世界@名無史さん:04/07/27 11:48
何かというとカネカネ言う坊主の姿は、ロビンフットを始め独逸とかの
中世民衆本でも絶対出てくるね 平気で戒律破ってる
913世界@名無史さん:04/07/27 12:22
中世には叙任権闘争があったわけで、
俗人君主が事実上の叙任をしてた教区聖職者には、
破戒僧も多カタて言うよね。
イメージ的には、君主の兄弟とかが叙任されて。

それで、教皇庁が修道院の力を導入していろいろ教会内改革にも取り組んだて話だと思う。
914世界@名無史さん:04/07/27 12:39
>>911
普段は武装なんかしてなかったんじゃないか。
メイスを使ったのは知られているけど。
915世界@名無史さん:04/07/27 12:55
>>909
そんなにポコポコ産んでたのか・・・・・・って、避妊が教義で禁止されてたんだっけ。
916世界@名無史さん:04/07/27 13:06
そう。ポコポコ生んでたのは日本の農村でも同じだけど、日本は水子供養の方向へ
欧州では、堕胎はほぼ例外なく死刑。 袋に入れて、川に沈める溺死刑。
逆に、死刑囚が懐妊していれば、刑は延期された。
917世界@名無史さん:04/07/27 14:15
>>909
今のドイツにも似たようなのがある。
大都市にそういう捨て子貰い受け施設みたいのがあって、
シングルマザーとかでどうしても育てられなくなった母親が、
建物の中に直結してる引き出しの中に子供を入れていくんだと。
引き出しの中には「本当にそれでいいのか?」みたいな
パンフレットとかいろんな救済機関の連絡先とかが入ってるんだけど、
それでもやっぱりたまに子供を入れていく人がいるんだって。
918世界@名無史さん:04/07/27 16:20
>>910 というより中世以前の教会の状況ってのは史料が乏しすぎるのではっきり
  分からないんだろうな。近代の教会の堕落って具体的には何なのでしょう?
919世界@名無史さん:04/07/27 16:31
>>918
近代というより現代ではアメリカ、カトリック教会で起きた性的虐待スキャンダル。
これだけでも相当な衝撃であろう。
920世界@名無史さん:04/07/27 16:54
中世ヨーロッパは宗教的にはいい時代だったと思う。
921ところで:04/07/27 17:01
このスレのペースなら、新スレおこしは
970くらいで楽々余裕と思うが
どーよ?
922世界@名無史さん:04/07/27 17:14
>>921
オッケー。
923世界@名無史さん:04/07/27 19:29
>>919 あまり衝撃的でもないなぁ・・・
924世界@名無史さん:04/07/27 19:32
>>923
アメリカじゃ大ニュースだぞ。
925世界@名無史さん:04/07/27 19:54
>>924 アメリカは中世を経験してないからだよ
926世界@名無史さん:04/07/27 21:20
ボコボコ産んでも、出生時〜幼児期にボコボコ死んでいたからな。
中世ヨーロッパ社会で、堕胎が、厳しく罰せられたのは、宗教と社会両面から
考えると、必然的な対応だと思うね。
今の途上国でもそうだけど、子供を多くつくって、働き手が増えれば、
家が裕福になるという考えは、中世ヨーロッパでも同じじゃないのかな。
子供が増えれば、経済的な負担が増えるから生まないという考えは、
どちらかと言えば、裕福な社会に見られることだと思うんだけど。
>>895
1398年ドイツで既に、エルベ川=リューベック間にヨーロッパ最古の頂区運河
シュテックニッツ運河が開通している。この運河は北側4.8m南側13mの高度差を
堰・水門を組み合わせて解決している。
この技術は、水と常に対決し続けていたオランダあたりからのものである。

ついでに、斜面に運河作るには船を通せる水門や放堰が造れれば十分。
ヨーロッパでは13世紀後半以前に既に存在してたという。

>>908
>一般的なイメージとして清貧な修道院の生活、更にそれを推し進めた隠者、
逆じゃよ。隠者生活は発狂してアレな方向に進みかねない、ということで
集団生活するようになったのが修道院の始まり。
928世界@名無史さん:04/07/28 12:59
日本も西洋も、農村の働き手は貴重だろうに。

だから日本は堕胎容認で、水子供養という形で嫁を保護してる
西洋の場合は堕胎禁止のおかげで、女手に不足しなかったということなのか?
929世界@名無史さん:04/07/28 16:10
キリスト教でも教会は学問の中心であったと思うけど、それが社会に反映はされたの?
例えば日本では僧侶が橋の建設などで建築技術者として指導したりしたけど、
そういうような実際的な形で学問の成果が社会に生きていたのかという意味でね。
930世界@名無史さん:04/07/28 17:19
>>928
大丈夫?
931世界@名無史さん:04/07/28 20:14
>>926 「子供を多くつくって、働き手が増えれば、家が裕福になるという
考えは、中世ヨーロッパでも同じじゃないのかな」というのは面白いね。
これは南欧的な園芸作物体系ではそういうことが言えそうな気がする。一方
ドイツなどの主穀農業と牧畜農業が融合している地域では、それほど人手が
必要だったかが問題になるのではないかな。特にこの地域の農業革命以前の
世界では多すぎる子供は逆に家族の負担になると思われ。
932世界@名無史さん:04/07/28 20:18
>>931
温帯と熱帯ではかなり労働事情が違う。
働き手が多ければ多いほど広い焼畑(=大きな収穫)が得られる熱帯と
限られた耕地で生きていかなければならない温帯では
「間引き」に対する理解が天と地ほども違う
933931:04/07/28 20:25
>>932 でしょうね。食糧事情と農業の形態が大きく関わるものと思います。

>>929 建設関連はツンフトの役割だと思いますね。農業などでは修道院など
   が果たした役割はあるとおもうけど。
934928:04/07/28 20:59
>>930
いや、大丈夫だと思いますw
ようするに堕胎禁止→子沢山になる→女手が不足しない ということなのかと
駄目? 意味分からん?
935世界@名無史さん:04/07/28 22:56
そういえば、同性愛も見つかり次第、死刑だったんだよな。それも火刑
宗教タブーがそのまま刑罰になってるんだな
936世界@名無史さん:04/07/28 23:12
>>934
農村で女だけができる仕事ってあるか?
937世界@名無史さん:04/07/28 23:18
>928
何で女手なの。
農業で欲しいのは男手でしょ。
938世界@名無史さん:04/07/28 23:29
>>936
>>937
男手も女手も必要だけど、日本は堕胎しても女性を殺さず、西洋は女性を殺す。
そんなことで女性を殺してくと、共働きが基本の農村の労働力不足にならないかな、と思ったの。

でも、堕胎を禁止することでポコポコ子供が生まれれば、結果人口が増えて
人手不足にはならないのかな、と思いなおしたんです。正しいかどうかは分からんけど。

分かりにくいレスをして、皆さんを混乱させて申し訳ない。車裂きの刑で逝ってきまつ
939世界@名無史さん:04/07/28 23:48
>>938
死ぬか出産だったら出産を選ぶだろ。

そういや中世で堕胎ってどうやるんだ?
940世界@名無史さん:04/07/28 23:49
堕胎に対する認識は背景となる宗教にも影響を受けていそうですね。
人口に関しては、養えるだけの生産力がないと、増えるだけでも困るでしょう。
基本的に被支配階級の人間の扱いは家畜と同じようなもので考えられていた感じがしますし。
死にやすい分、数を増やすことで全滅しないようにした。
人権なんて考え方は医療が発達してからの概念なのかなと思ったり。
941世界@名無史さん:04/07/29 00:12
でも、使用人が不義の子を生み、処置に困っての結果嬰児殺しって多かったみたい
どっちにしろ男性優位だよね 男が罰せられることはほとんどなかったみたいだから
942世界@名無史さん:04/07/29 01:21
嬰児殺しの話しを見聞きすると「ファウスト 第一部」を思い出すなぁ・・・
943世界@名無史さん:04/07/29 12:23
>>942 グレートヒェンね。
>>929 修道院と手工業者の関わりと言うのは深いものがあったらしい。
   具体的に技術者を育てるというのでなく、技術者を保護するという
   形だけど。エッセンの女修道院長のマチルダなどはそういう手工業者
   保護をした事で有名なんだそうだ。
>>929
中世初期において、書物を保護≒学問を保存
12世紀ルネサンスでは、各種アラビア語・ギリシャ語の書物を手当たり次第に翻訳
癩病患者への隔離・施療のノウハウがその後各種疫病対策に生かされる
etcetc...
945世界@名無史さん:04/08/01 15:02
age
946世界@名無史さん:04/08/01 19:16
鉄腕ダッシュで作物が豊作だとなんとなく嬉しくなる今日この頃(笑)
今回は食べ物ネタをぶり返してみます。
中世の頃は乾燥させて保存できるものが主であったと思われますが、
(小麦とか豆とか)
逆にトマトやナスのような保存が必要そうなものはいつぐらいから
都市部庶民の口に入るようになったんでしょうかね。
缶詰みたいな保存技術か、交通網と交通機関が発達してからか。
生産地であればそれほど珍しくもないんだろうけど、生ものは保存が難しそうだ。
少々スレ違いかもしれませんが、まぁよろしくです。
947世界@名無史さん:04/08/01 23:34
トマトは南米からの新作物だから、早くても16世紀だよね。 これは中世?
948世界@名無史さん:04/08/01 23:47
保存食だと北海産のニシンの塩漬けが有名でしたね。
949世界@名無史さん:04/08/01 23:47
>>947
ルネサンス
950世界@名無史さん:04/08/02 18:51
ドイツ地方などはソーセージとか保存食が発達してそうだな。
北欧などは魚類の保存食が多そう
>>946
野菜類は、朝市で近隣の農民が持ち込んでくれてたハズ。
で、牛乳のように本当に鮮度が必要な食品は確か16世紀頃から。
952世界@名無史さん:04/08/03 03:29
チーズなどの乳製品としてなら入ってきたけどね。
953世界@名無史さん:04/08/03 03:49
サラダが宮廷料理で出されるようになったのは14世紀らしいから
その頃には生野菜も入ってきてたのかな。
954世界@名無史さん:04/08/03 09:04
オランダはニシンをナマで食う。
それで寄生虫対策に冷凍するんだよね。
955世界@名無史さん:04/08/03 09:10
>>951
ヨーグルトも保存食。

ところで、トマトソースはどうしていたのですか?
南イタリアでは必需品だが。
956世界@名無史さん:04/08/03 09:17
そういえば、魚のソースは、古代ローマ以来ですね。
どうやって保存したんだ?
957世界@名無史さん:04/08/03 09:51
トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシは南米産だと(ry
958世界@名無史さん:04/08/03 11:44
世界中の食生活変えましたよね。
959世界@名無史さん:04/08/03 12:04
>>950
意外かもしれないが、ソーセージが最も発達しているのはポーランド。
960世界@名無史さん:04/08/03 13:01
>>959 種類が多いって事?
961世界@名無史さん:04/08/03 17:18
>956
基本的に保存は干物塩漬け酢漬け。
でも8世紀頃から彼方此方に貯水池ができて養殖が始まっていたから、
実は新鮮な魚も(淡水魚だけど)内陸でも結構食べられた。
鯉や鰻はヨーロッパでも良く食べられた魚。
962世界@名無史さん:04/08/03 21:57
>>961 その場合、一般庶民も食べられたのでしょうか?中世では河川などの
   川魚漁は領主の特権と聞いたのですが。
963山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/03 22:27
十四世紀末に書かれた詩『四旬節と肉の日の戦い』では、エイがチーズと、
鰻がソーセージと食卓の主導権を争う様子が語られていますね。
四旬節中には肉に代わって魚が食べられましたが、中にはビーバーなど
のこじつけも入っていたようです(我が国の兎や野衾に似ています)。
鰻も含めた魚を取ることについては『狐物語』にも描写あり。
964世界@名無史さん:04/08/04 00:34
航海用のパンは二度焼きで保存期間が長くなるようにしていましたね。
二度焼きのパン=ビスキュイ→ビスケット
965山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/04 01:00
穴を開けたのは割れにくくするためだそうですね。中には三〜四度焼きもあったとか。
966世界@名無史さん:04/08/04 08:47
ちなみに鯉は箱に詰めて運ぶ時にえらに水を掛けてぬらしてやれば生きたまま町まで運べたそうです。
鱒も物語などでよく出てきますね。
その他にも今では絶滅してしまいましたが、フランスの河川にはチョウザメが居たとか。
967世界@名無史さん:04/08/04 11:03
謝肉祭前の四旬節は、肉といえば魚しか食えなかったんだよな
でもブリューゲルの絵なんか観てると、当時の人たちは魚に怪物的な
イメージを持ってたんじゃないかと思わされるね。
968山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/04 12:36
>でもブリューゲルの絵なんか観てると
四旬節が告解火曜日と戦う絵を描いたのは、何もブリューゲルの頭が狂って
いたからではなく、擬人化という当時一般に見られた手法によるものであっ
たようです。ホイジンガの受け売りですが。
969世界@名無史さん:04/08/04 13:06
>>968
わしゃブリューゲルの頭は疑っとらんよw
でも魚に対するイメージは、日本人とかとはだいぶ違うでしょうな。
中世ヨーロッパの暮らし(3)
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1091594814/

以降、こっちのスレの残り活用はsage推賞と提案してみる
971世界@名無史さん
乙華麗。