歴史は科学ではない

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1解釈初心者
 いまだに歴史は科学であるという論者がいるが、こういう人たちは
少数になってきています。歴史は、どこにでも普遍的に妥当する客観
的法則でなりたってはおりません。英語のサイエンスなどをそのまま
「科学」と訳してしまうと、「社会科学」「人文科学」などのように
「自然科学」の「科学」と同じ「科学」が存在するのでやっかいです。
 歴史学を専攻する皆さんで、「歴史は科学」だという時代錯誤の説
をとなえる人たちを論破しましょう。

 参考文献・ディルタイ『精神科学序説』上下(以文社)(創元社?)
 K.ポッパー『<歴史主義>の貧困』(中央公論社)
 G.ガダマー『真理と方法』第一部(法政大学出版会)
 小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)(新潮文庫)
2世界@名無史さん:01/11/18 17:05
歴史科学協議会とかってあるね。
3世界@名無史さん:01/11/18 17:10
歴史家に科学ができる程のおつむの人はそんなにいません。
4世界@名無史さん:01/11/18 20:11
>>3
意味わかってる?
5世界@名無史さん:01/11/18 20:38
>1
とりあえず、「歴史」と「科学」の定義しといてよ。
じゃないといずれ議論は収拾つかなくなる。
6世界@名無史さん:01/11/18 21:19
オモシロソウなスレだ
とりあえず>>5に同意
7世界@名無史さん:01/11/18 21:21
「歴史は捏造だ!」 by ゴッドハンド
8世界@名無史さん:01/11/18 21:22
これとっくに論破されたのでは?
9世界@名無史さん:01/11/18 21:27
>8
いつ、どこで、誰が、どうやって?
10世界@名無史さん:01/11/18 21:31
>>9
おのれは小学生か。(藁
11世界@名無史さん:01/11/18 21:34
>9
いや、論破されてないの?
12世界@名無史さん:01/11/18 21:48
歴史学が「ヒストロジー」と名乗っていないからって科学的ではない、
というわけではない。
しかし、自然科学を基準にして、
「歴史学は科学だ」というのもおそらく妥当ではない。
13世界@名無史さん:01/11/18 22:33
どうも定義が出てこないのでこちらから意見

「科学」は事実を観察し仮説を導き出しソレを実証する・・という過程を経るワケだが
「歴史」も同様に文献、遺跡を調査し、事実関係を立証して行く・・ということで

「歴史は科学」ではナイかと思うのだがどんなもんだろう。
14世界@名無史さん:01/11/18 22:36
普遍的法則性が見いだせない(と思われる)から科学ではない(と思われる)
ってことか?
15世界@名無史さん:01/11/18 22:40
普遍的法則性がなければ科学ではない、という主張のほうが荒唐無稽だと思うが。
16世界@名無史さん:01/11/18 22:43
社会科学系の学問の場合、実験不可能なことをいいことに客観的事実より
自分の感情や思想を優先させる人が蔓延るから訳がわからなくなる。
そもそも客観的事実があったとして、それを人間が一切のフィルター
をかけずに見ることができるのかという問題もある。

人間の頭と同じ働きをする人工知能(感情は抜き)と仮想社会を
コンピューター上に構築する技術が完成するまで社会科学は不完全
なままでしょう。
17世界@名無史さん:01/11/18 22:44
科学は仮説を作って実験でやってみて、違うなら
その仮説が間違っている事を客観的に証明できますが、

歴史の仮説がそういうことできますか?
18世界@名無史さん:01/11/18 22:51
>>17
ビッグバン説や進化論,構造地形学は科学ではないということ?
19世界@名無史さん:01/11/18 22:51
普遍的な法則としてマルクス主義史家の「発展段階論」なんていうのが
あったが、まったくのインチキであることが歴史的に証明されている。
20世界@名無史さん:01/11/18 22:52
ビックバンとか進化論とかは歴史学の対象じゃないだろ。
21世界@名無史さん:01/11/18 22:55
>>13
事実関係の検証って言うけど、歴史学は解釈が重要なんだろ。
22発展段階論批判:01/11/18 23:00
 「ところでいまや地球の三分の一が共産国となったことは、人類の歴史が奴隷制
  封建制、資本主義、社会主義と必然的に発展して行くというマルクス主義の理
  論を立証するもののように思われた。そして事実マルクス主義者は当時そのよ
  うに揚言していたのであるが、歴史をよく観察すると、この主張には少なから
  ぬ問題があった。というのは、マルクスが右のような発展段階論を述べている
  『経済学批判』の序文には、一つの歴史段階(社会構成)が次のものに転化す
  るのは、その前の社会が十分に発展しきらない中は決して起こるものではない
  とも書かれているのである。ところが、ソ連にしても中国にしても、社会主義
  化した地域は決して資本主義がもっとも発達したところではなく、かえってそ
  の発達のはなはだおくれた地帯であった。そして資本主義のもっとも発達した
  西ヨーロッパやアメリカ合衆国では、共産革命も社会主義社会の出現も起こっ
  てはいないのである。

    林健太郎 「倨傲の宗教」の終焉  1990年1月
23世界@名無史さん:01/11/18 23:02
人間の行動を完全に予測するなど不可能。
24世界@名無史さん:01/11/18 23:03
歴史とは人間のドラマだ!
25世界@名無史さん:01/11/18 23:05
「科学」は予言と違うと思われ。
26世界@名無史さん:01/11/18 23:05
歴史に対して馬鹿がたいそうな理想を掲げるから、
政治に利用されるんじゃないの?
27世界@名無史さん:01/11/18 23:07
天気予報は?
28世界@名無史さん:01/11/18 23:10
歴史学は科学であるという主張が論破されたとしよう。
しかし、我々はどうやってそのことを知ることができるのか?
おそらく、その論争の当事者が書き記したものによってであろう。
しかしそれでは、その論争の結末を知っているという我々の認識は
「科学的」でも「客観的」でもないことになってしまう。
29世界@名無史さん:01/11/18 23:13
「発展段階論」という一つの論が否定されたからといって
 歴史≠科学
は、短絡的と思われる。

科学でも長いこと支持されてきた論が現在否定されていることはある。
「地動説」とか極小世界での「ニュートン力学」とか
30世界@名無史さん:01/11/18 23:20
科学なら因果性があるんじゃないの?
31世界@名無史さん:01/11/19 00:08
>17
俗流ポッパー?
「反証可能性」ってのは、その程度の意味なのか?
32世界@名無史さん:01/11/19 03:52
>23
予測したところでその予測が公になったら、予測した
内容が人の行動に影響を与えてしまうからね。
「世の中は共産主義になります」
「そんなのヤだからやめよう」
33 :01/11/19 04:22
わざと自分の主張に方に誘導しようとして予測を発表することもある。
「来年は〜が売れます」とか。
みんなが〜だからって思考の日本人にはよく効く。
34世界@名無史さん:01/11/19 05:40
>>32-33が書くように
「歴史の法則」なるもの自体が歴史に影響してしまう。
だから法則性の話になれば、その分歴史学は科学的でない。
でも、法則性だけが科学的かどうかの判断基準ではないはず。
国語辞典の定義はこの考えを支持してくれないが。
35世界@名無史さん:01/11/19 06:04
>>1
たしかに歴史は科学ではないかもしれない。
歴史は人類の営みの通時態であって、
おそろしくカオシックなので
他の社会科学や人文科学のアプローチとは
異ならざるをえない。(だからマルクスのように
理論化すると必ず破綻する)

となると意味論として大系化するのではなく
具体的な個々の現象面から学んでいくほかない。

あとガダマーはともかく
カールポパーは莫迦である。
36普遍的な法則が                    :01/11/19 07:07
あるかどうかと言う事は前も出た話題だな。
らしきものは民族毎に地域毎にある。
民族の底辺に流れている「なにか」は
形を変えて時代毎に出てくる。
自然環境に因るところが多いようだ。
確かに言える事は、他の学問分野より
遥かに個人や社会の相関関係が具体的に理解し易い学問であり、
そう言う意味では最も「人間」が理解し易い学問だ、と言う事。
哲学では観念的であり、自然科学では無機的であり、
文学や芸術では個人的に過ぎ、
軍事、政治、経済学等では一面的に過ぎるが
そう言う意味では最も総合的な学問である。
故に矛盾も多いと言う意味では、最も人間的な学問とも言える。
歴史学が科学で無いと言うことは
歴史学が最も人間的な学問だとも言える。人間の人生と似ている。
文学や芸術に近かろうが、社会性がある。
諸民族の織り成す人生そのものだ。
文化や文明の理解と言う意味では、古典と類似し、
諸学問の教養の基礎をなす。
37世界@名無史さん:01/11/19 08:56
ドイツでも「自然科学」と「文化科学・精神科学」の違いについて
数十年にもわたって論争が続いていたそうだ。19世紀後半から
20世紀にかけて。
38世界@名無史さん:01/11/19 08:59
カール・ポッパーは、歴史の「法則」とされるものは自然科学の
「法則」とは異なり、それはたかだか「傾向」とか「趨勢」と呼ぶべきだ、
と言っていますね。
39参考までに:01/11/19 09:01
G・ガダマーは、歴史が人間の精神性と生にかかわり、それは解釈によって
のみ表現される、と述べています。
40世界@名無史さん:01/11/19 09:04
W・ディルタイは、科学を自然科学と精神科学に分け、歴史などの
「精神科学」は、あくまでも数理的な議論によらない人間の「生」
を基礎に構築されるがゆえに、自然科学とは区別されると論じます。
41世界@名無史さん:01/11/19 09:07
発展段階説ってだいぶ前から批判されていたね。
42小室哲学:01/11/19 09:25
今年はレイヴが来ます。
43東京地裁は役立たず!:01/11/19 09:29
日本生命の削除依頼公開スレッド

1 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 15:49 ID:???
「削除依頼は公開」の原則に従って削除したものを公開してますー。
ソース。
http://www.dd.iij4u.or.jp/~cap/nissei/

14 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/11/01 15:59 ID:I8TSGCyI
むしろこのGIFを保存しといてそこらにミラー作りまくるのが
2chねらの使命かと

15 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/11/01 16:00 ID:pX4yzwVD
>>10 つか、それがひろゆきのねらいだろ

16 :名無しさん :01/11/01 16:00 ID:4XQtcOuc
オイラはとりあえず保存しといたよ

17 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 16:01 ID:???
いやぁ、削除依頼は公開って原則ですから、、
( ̄ー ̄)ニヤリ

18 :va :01/11/01 16:01 ID:+W2rWnl4
同じこと書き込んだら、速攻で削除されるのかな?

19 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 16:03 ID:???
削除依頼がくるまで放置っす。
44世界@名無史さん:01/11/19 09:32
携帯でも見れるブッシュの画像プリーズ
45世界@名無史さん:01/11/19 09:32
>>13
歴史学は科学では無く、解釈学の1ジャンルだと思われ
ます。

根拠は、実験によって万人が同じ結果を確認できる内容
ではないからです。
>>39にある通り。

考古学研究(含む歴史考古学)には、実験手法も重要です
けど。
最終的には実験結果による推論も解釈の材料にしないと
歴史学論述としては完成しません。
46象の鼻はウナギだ:01/11/20 01:21
>実験によって万人が同じ結果を確認できる内容
>ではないからです。

実在するある史料を、客観的に解析して得ることができる情報は、万人に共通。ある時代の、ある歴史事象を描写するにあたって、そのような情報を十全に得られる場合がすくないから、その隙間は「仮設」「推論」で埋める。

新たな史料の発見にともない、その史料より獲得できる「情報」の内容に応じてそれらの「仮説」や「推論」は修正をうける。

その「修正」が、ある「定説」のカナメとなっていた「仮説」や「推論」に及んだ場合には、その「定説」は過去のものとなる。

*******************

現代歴史学は、充分に科学的である。
4745:01/11/20 02:39
>>46
文字史料の解釈結果に実験科学のような客観性は認められません。
言語はもともと、文化の所産であり、人間間の約束事であり
多様な解釈を産出する構造態だからです。

従って、歴史学は、自然科学のような意味での「科学」ではなく、
精神分析学や、心理学(実験心理学は除く)のような解釈学の
一ジャンルです。
48世界@名無史さん:01/11/20 02:48
>47
同意。
でも考古学は割と科学かもね。

私にとって科学はモノを対象にするもの。人もモノに還元してしまう。
人を人として扱う限り歴史学は科学じゃないと思う。
意味不明な物言いかもしれんが。
49 :01/11/20 02:51
まあ、もうちょっと待ちなさい。この俺様が人工社会シミュレーター
を作ってやるから。
50世界@名無し:01/11/20 04:31
>49
期待age
51象の鼻はウナギだ:01/11/20 08:08
>文字史料の解釈結果に実験科学のような客観性は認められません。

この部分は、俺様のいう、
>ある時代の、ある歴史事象を描写するにあたって、そのような情報を十全に得ら
>れる場合がすくないから、その隙間は「仮設」「推論」で埋める。

に該当する。

しかしある史料を、歴史家たちが客観的に解析する場合に獲得できる「情報」は、君のいう「万人共通」であり、この段階においては「実験科学のような客観性」が存在する。

ある史料より情報を取り出すにあたって、この「客観性」に欠けることのないよう慎重に注意しつつ自説を構築するのが、現代歴史学である。
52象の鼻はウナギだ:01/11/20 08:22
現代歴史学は、「史料」から「客観的な科学的分析」に基づいて取
り出した「情報」に基づいて「自説」を展開し、新たに発見される
「史料」から獲得される「情報」に基づきそれを不断に修正してゆ
く、きわめて「科学的」な学問である。
5345=47:01/11/20 09:16
>>51>>52
納得できません。

文字史料が典型なのですが、解釈は数量化可能な情報の抽出
だけでは完了しません。
かならず、史料を残した主体の動機、社会性、文化背景といった
主観的要素の読解が含まれます。

この部分は「仮説」「推論」と言っても解釈者(研究者)の側の
文化背景、社会性、主体性に拘束されざるを得ません。

この部分の読解に要請されるのは「客観性」ではなく「解釈の公正さ」
です。

ゆえに、歴史学は解釈学の一ジャンルなのです。
5445=47=53:01/11/20 09:51
>>48
考古学の分野でも、古代建設の設計思想・建築意図みたいな
部分は「解釈」入ってくると思われます。

それは研究は、都市プランなどの客観的データを踏まえるわけ
ですが「動機」にあたる要素の解釈は決して客観的にはいかない。
客観的って言うのは、万人に再現可能って意味ですので。

考古学手法は、客観的データの分量比率、種類ともに豊富ですが
最終的には解釈になると思われます。
科学的手法が多用されるだけで、学問方法全体としては
考古学も、自然科学が科学であるような意味で科学であるわけでは
ないと思われます。

てゆーか、文献史学/考古学って分け方ももう旧弊ですよね。
歴史考古学や史料(文字史料に限りません)の科学的分析方法が
発達してると。
55世界@名無史さん:01/11/20 09:53
解釈学は科学ではないの?
ないのなら、納得するが。

ところで、あなたの解釈(歴史は科学ではない)の客観性は
どのように証明するんですか?
それから「純粋理性批判」でいう「客観性」と
ふつうに使う意味での「客観性」とに線引きがあって
しかるべきだと思ふ。
5647=53=54:01/11/20 10:25
>>55
言っているのは「解釈学は自然科学が『科学』であるように
『科学』であるわけではない」ということにすぎません。

すでに>>5で言われているように「科学」の定義が変更されれば
解釈学の中にも「科学・的」と位置づけられる分野もあるでしょう。
(例えば現代記号論など)

ただ、そうした新しい「科学の定義」は特にこの国の社会では
まだ一般的に認知されていないのではないかな、と思います。

そうした社会環境の内で、「歴史学は客観的な科学である」と言われ
ますと、諸々の歴史学的言説の“客観性”がイデオロギー的に機能
してしまうことが懸念されます。

さて、
>あなたの解釈(歴史は科学ではない)の客観性は
>どのように証明するんですか?

解釈学は、科学ではありませんので、客観性は証明されません。
(解釈材料の評価に関する客観的分析はもちろん重要です)

解釈の妥当性は、異なる立場に立つ解釈者(研究者)間の公正な
対話によってのみ、より・妥当なもの、として更新されます。

また、解釈の公正さは、これは知識社会学的なメカニズムで
チェックされていくしかありません。
57世界@名無史さん:01/11/20 10:30
科学じゃないという意味が・・・
「科学ではないが学問だ!」
というのとも違うのか?
58世界@名無史さん:01/11/20 10:49
現状を見る限り,諸々の歴史学的言説の“主観性”が
イデオロギー的に機能してしまうことを懸念した方がいい.
59科学とは:01/11/20 11:01
■[科学]の大辞林第二版からの検索結果 

かがく くわ― 【科学】

〔science〕
(1)学問的知識。学。個別の専門分野から成る学問の総称。
 「分科の学」ないしは「百科の学術」に由来する。
(2)自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を
  目指す合理的知識の体系または探究の営み。実験や観察
  に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合
  性をその特徴とする。研究の対象と方法の違いに応じて
  自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義
  には自然科学を指す。
60へたれへ:01/11/20 11:11
自然科学も「科学」とはいえないでしょう。
自然科学の根本的な前提となっているニュートン的普遍性は、単純極まりない、
西洋中心的世界観による特殊な事例でしょう。
それを「科学」と前提にするところから、1さんは間違えている。
近代西洋のパラダイムを前提にしている時点で、
議論が破綻するのは目に見えているよ。
繰り返すが、西洋近代的認識論を前提にして、「人文科学」なるものの
「科学性」」を問うことじたいが、すでに誤っている、とはいえませんか?
61世界@名無史さん:01/11/20 12:05
>>60
つまり科学自体が科学でないのですな
6253=54=56:01/11/20 12:08
>>57
いえ、もちろん、それで結構です。
歴史学は「科学」では無いですが学問でなければなりません。

ではどんな性質の学問なのか?ということが即、問題になりますね。
で、とりあえず大枠としては、論理実証主義的な実験科学では無い
解釈学の一ジャンルだ、という捉え方を提示しているわけなんです。
63世界@名無史さん:01/11/20 12:30
>自然科学も「科学」とはいえないでしょう。
(゚Д゚)ハァ? 何か自己撞着してるね。普通英語でscienceと言っ
たらnatural scienceのことだが...。
それはさておき、ギリシャ哲学→イスラム神学→近代西洋科学
という大まかな(ほんと大まかでスマソ)という流れの外にい
る日本人には科学の何たるかが判ってないのは事実。
辞書的な意味でない「科学」の定義をし直す必要はあるのでは?
64そうね:01/11/20 12:35
まずは「科学」の定義からということ
だってそうじゃなければ1の意図がみえない

>>1
なぜ歴史を科学から分離させたいの?
6554=56=62:01/11/20 12:51
>>60
>自然科学の根本的な前提となっているニュートン的普遍性は、
>単純極まりない、西洋中心的世界観による特殊な事例でしょう。
>それを「科学」と前提にするところから、1さんは間違えている。

そこは>>60さんの言われること、全否定はしませんけど、1さんは
間違えてる、という断定は少しまずいように考えます。

ここで歴史哲学と科学哲学をクロスオーバーさせた議論を追求するのは、
平たく言って「場にそぐわない」と思うんですね。
#哲学板なら「そぐう」のではないでしょうか、程度の意味です。

少なくとも、通念的な「科学」の用法に準拠して、歴史学と科学は
違うじゃないか(?)、とかってあたりから出発する方が場に即して
いるように考えています。

もちろん、言うならある程度緻密化する必要はあるんですけど。

歴史学は論理実証主義の実験科学とは違う性質の学問である、

ここまでは論理的にも説明できるし妥当な主張だろうと思っています。
66世界@名無史さん:01/11/20 13:00
単純に言って、

国家や民族の立場が入るために主観的にならざる得ない
物的証拠が少ない

という二つの理由により「客観性のある学問(=科学?)」になりづらい
これぐらいしか思い浮かばない
この話は興味があるけど
また論争になりそう
67世界@名無史さん:01/11/20 13:09
シミュレーターがあれば共産主義の実験で何千万もの死者を出さなくて
済んだのに。
68世界@名無史さん:01/11/20 14:03
アメリカ建国の父・ワシントンはアメリカでは英雄であるが、イギリスから見れば反逆者。
69世界@名無史さん:01/11/20 14:08
伊藤博文を暗殺した安重根は日本ではテロリストだが、韓国では英雄。
70世界@名無史さん:01/11/20 14:09
オサマ・ビンラディンもなんとやら
71世界@名無史さん:01/11/20 14:23
>67
生産に従事する民衆の勤労意欲の低下と管理者の怠慢とか
抵抗値の設定がむずかしそうですね
72世界@名無史さん:01/11/20 14:38
>>67
量子力学によるとこの世界は
結局は決定論的ではないので
どんなに精密にシミューレーションしても
確率的にしか結果は出せないでしょう。
いわゆる「ラプラスの悪魔」は
存在できないわけです。
73象の鼻はウナギだ:01/11/20 14:56
>文字史料が典型なのですが、解釈は数量化可能な情報の抽出
>だけでは完了しません。

君が抽象的にしか語らないから、具体例の提示には踏み込まないが、ある史料を利用
するにあたり、その史料を利用する歴史家の目的と、その史料が含有する「情報」次
第では、その史料から抽出される、君のいう「数量化可能な情報の抽出」を行うだけ
で、わざわざ「主観的要素の読解」など必要がない場合もありうる。

>ゆえに、歴史学は解釈学の一ジャンルなのです。
史料より抽出した「情報」の解釈は必要だから「解釈学」である、という君のレッテ
ル貼りを間違いだとはいわないが、史料より「情報」を獲得する際の姿勢、史料より
抽出された「情報」に対する姿勢に「科学性」「客観性」を絶対的に必要とするのが
現代歴史学である。
74世界@名無史さん:01/11/20 15:32
>史料より「情報」を獲得する際の姿勢、
>史料より 抽出された「情報」に対する姿勢に
>「科学性」「客観性」を絶対的に必要とするのが
>現代歴史学である。

やっぱり解釈学ではないか。
ハーバーマスが嫌いそうな考えだ(笑)
7556=62=65:01/11/20 15:58
>>73
>抽出された「情報」に対する姿勢に「科学性」「客観性」を絶対的に必要とするのが
>現代歴史学である。

誰も必要が無い、なんて言ってませんが。
再三、必要ではあるが充分ではない、って意味のことを言っています。
76象の鼻はウナギだ:01/11/20 17:21
>>75
>誰も必要が無い、なんて言ってませんが。

一方、私のほうは、
 1.ある特定の史料に対する「客観的な解析」より獲得できる「情報」は
   「万人に共通」であること、  
 2.史料に対する「科学的な解析」に基づいて自説を展開するのが現代歴史
   学である、
と述べているだけです。
7755:01/11/20 17:39
>>55に対する>>56の答えは、普通にいう意味で十分「客観的」ですよん。

しかし、通念的な「科学」、「科学的」という意味なら
歴史学にも妥当すると思うよ。
このスレでの議論が噛み合わないのは
「歴史学は科学ではない」の科学の用法が当事者間で異なっているから。
「歴史学は自然科学ではない」と言えば大抵は納得するでしょう。
通念的な「科学的」という言葉の含みには
「論理的」、「客観的」、「合理的」、「近代的」……
といったものが存在していると思う。
通念的な科学を狭義に、つまり「自然科学」に
限定させている人の方が少数でしょう。

>必要ではあるが充分ではない
こういった箴言は史学科に入れば毎日聞かされそうだが、
中には理解できない人もいる。
そういう人は「歴史は科学ではない」という言葉を
「歴史は非論理的でも非客観的でも不合理でも迷信でもいい」
「いや、どうせ歴史が客観的でないなら主観を優先させた方がいい」
などと、誤解・曲解してしまう。
歴史家が科学性にこだわるのはそういった輩を跋扈させないため。
ちなみ「つくる会教科書」には検定でぼつになったが
「歴史は科学ではない」との一節があったとか、、、
78象の鼻はウナギだ:01/11/20 17:59
>>1
>いまだに歴史は科学であるという論者がいるが、こういう人たち
>は少数になってきています。

歴史家を自認する人で、史料に対する「科学的解析」を行わないひ
とはいないよ。

ただし歴史家のなかに、「歴史は科学である」という命題に本気で
とりくむ人が「少数になってきている(てゆーか、むしろ絶無?)」
のは間違いないだろう。歴史家の課題は、もっと個別的・具体的な
ものだからだ。
79世界@名無史さん:01/11/20 18:00
作る会は歴史教育は科学ではないって書けばよかったのかも。
8056=62=65=75:01/11/20 18:06
>>55=75
>>55に対する>>56の答えは、普通にいう意味で十分「客観的」ですよん。

それはそうでなくては困ると思います。

>通念的な「科学的」という言葉の含みには
>「論理的」、「客観的」、「合理的」、「近代的」……
>といったものが存在していると思う。

えぇ。そうですね、そうした通念の曖昧さが問題だと思っています。

例えば歴史学が扱うのは「客観的」なものだけではない。

ある社会に共通な「間主観的」なものについても扱う。
「ある社会にとって『客観的』と誤認されるものが、
他の尺度からみれば『間主観的』なものであると、
明白であることもある」

一例、こうした関連は、通念的で曖昧な「科学」のイメージでは
見落とされがちと思います。
ですので「歴史学は科学か科学でないか」の場合は、科学の定義を
タイトにしたいと思います。
※科学・的、ということでいい、というのならば、
※フロイト理論は、ユング理論よりはるかに「科学・的」です。
※(ユング理論はより臨床的)しかし、そんな差違を実験心理学者は
※50歩100歩として問題にしないでしょう。

以下は事例として挙げるだけですが。
例えば、南京の話題でも、アウシュビッツの話題でも、あるいは
クメール・ルージュの話題でも構わないのですが。

「実際には何人殺された?」という統計的調査「虐殺の有無判断」に
直結されるような議論は空しいと考えています。
「実際には何人殺された?」たかという客観的事実確認「も」歴史研究
には不可欠ですが、しかし、「虐殺」である、との認定は
死体の数のボディ・カウントだけで決せられるものではないし、
決せられてはいけないと思われます。

以上は事例として挙げただけですので、南京、アウシュビッツ、
カンボジアでの歴史的出来事について、「虐殺の有無」の個別検討は
このスレでは希望しません。

「歴史学は科学か解釈学か、はたまた何か別の学問か」を検討する
ための例示程度の検討に止めたいと思います。
8160:01/11/20 18:30
>>63
わたしのいったことの意味が、まったくわかっていないようですね。
あなたには、クーンのパラダイム論とウォーラーステインの社会科学批判を
よく読んだ上で、複雑系研究の初歩を頭に入れる必要がありますね。
その点、さすがに>>65さんは、きちんと考えておられますね。

ここの議論に、言語論的展開のはなしが出てこないのが、解せません。
エッセンスは出てきていますけどね。みなさん、「言語」と「事実(現実)」の関係を
考えた上で、議論するのも悪くはないと思いますよ。
8255:01/11/20 18:49
>ここの議論に、言語論的展開のはなしが出てこないのが、解せません。

俺も書こうと思っていたところなんだけど、
覆面座談会スレもその話題で持ちきりのようだ。
もちろん、ここでやってもいいん構わない。
その前に、ここは少し別の角度からちょっと質問してみたい。

1、天文学は科学だろうか?
2、歴史書と歴史小説はどのように区別すべきか?
8362=65=75=80:01/11/20 19:01
>>81=60
あなたの言いたいことがわかってない、のではなく
ある意味、この場では、わかる気がないのです。

そんな専門研究者間の議論はどっかの学会の掲示板
でやってほしい。と示唆しています。

「言語と事実の関係」についてならば、それなりに言及して
おりますが。
8462=65=75=80:01/11/20 19:05
>>82=55
>1、天文学は科学だろうか?
科学であると考えます。

>2、歴史書と歴史小説はどのように区別すべきか?
とりえあえず、大まかな点から。
歴史小説は「ロマンとしての歴史」であり、単純な意味での物語りでしょう。
一例。そこでは自文化中心主義であっても、価値が是認されるものもあり得
ます。

歴史学論述は、少なくともロマンチックな物語であってはならないと考えられ
ます。
事実の評価論述には妥当で公正なものが求められます。
自文化中心観点の類は、論者に可能な限り相対化が試みられるべきです。
85>>78:01/11/20 20:50
>歴史家を自認する人で、史料に対する「科学的解析」を行わないひ
>とはいないよ。

あんたはこのスレの「科学」の意味が「科学的解析」だと思ってるの?
86世界@名無史さん:01/11/20 20:52
資料を厳密に批判・検証するのはあたりまえの話だろ。
大前提だよ。
87世界@名無史さん:01/11/20 20:58
科学的解析ってたとえばどういうことですか?
88世界@名無史さん:01/11/20 21:07
放射線同位体をどうにかして炭素の残量をどうにかするみたいなことかしら・・・?
山川出版とか、法政大学出版局とかの本、全部、調査しなきゃ・・・
89世界@名無史さん:01/11/20 21:08
資料批判の手段が科学的だからって、歴史が科学であるっていうことになるのか?
90世界@名無史さん:01/11/20 21:09
>>88
それは考古学じゃ・・・。
91世界@名無史さん:01/11/20 21:11
資料批判を徹底的に行っても、みんながみんな同じ解釈するとは限らんね。
わかんないものは永遠にわからんし。
9288:01/11/20 21:13
いやトンデモです。
わたしは各社の出版物の炭素を全部調べろと申し上げているのれす。
ついでに教授の人体も
93世界@名無史さん:01/11/20 21:17
歴史が科学でないことの理由に「歴史は予見することができない」ってなかった?
94あぁ・・>>5の言う通りに:01/11/20 21:19

「科学」「歴史」の定義は?
95世界@名無史さん:01/11/20 21:20
>>88
それでは「歴史的事実」の発見にはならないのでは?
96世界@名無史さん:01/11/20 21:26
歴史叙述の問題がある。叙述は結局、書き手の主観だろ。
97歴史とは何か:01/11/20 21:27
「歴史とは現在と過去との対話である」E.H.カー
9888:01/11/20 21:27
歴史が科学か否か神学論争をするより有益なのれす。
教授も調べれば、早期に病気を発見できるかもしれませんし、人道的にも
有効です
99世界@名無史さん:01/11/20 21:34
きみみたいな冷たい奴、みたことないよ!
逝ってよし!!
100世界@名無史さん:01/11/20 21:34
歴史の法則なんてあるの?
101関係ないかもしれんけど:01/11/20 21:37
日韓・日中の歴史認識の共有なんて危険だね。
102象の鼻はウナギだ:01/11/20 21:59
>>89
>資料批判の手段が科学的だからって、歴史が科学であるっていうことになるのか?

「歴史が科学」かどうかはともかく「歴史学は科学」である。

>>91
>資料批判を徹底的に行っても、みんながみんな同じ解釈するとは限らんね。
>わかんないものは永遠にわからんし。

たしかに「同じ解釈するとは限らん」よ。
しかしある史料に対して「客観的」かつ「科学的」解析を加えることによって
取り出すことのできる「情報」は、その時代の「科学」の水準に応じて、「万人に共通」だよ。

例えば「邪馬台国の所在」なんてのは、「情報」に隙間がありすぎるから「学説」が分かれているけど、現在の科学水準で史料「魏志」の特定の版本(例えば中華書局版・百納本・etc.)から抽出しうる「情報」は、九州説の論者であれ、近畿説の論者であれ、共通。

 >わかんないものは永遠にわからんし。
突然、新出史料が出現し、明瞭に分かるようになることがあるのが歴史学である。
103世界@名無史さん:01/11/20 22:40
科学は歴史学ですか?
104世界@名無史さん:01/11/20 22:43
>>102
>しかしある史料に対して「客観的」かつ「科学的」解析を加えることによって
>取り出すことのできる「情報」は、その時代の「科学」の水準に応じて、「万人に共通」だよ。

具体的にいってくんない?たとえあげてさ。
105世界@名無史さん:01/11/20 22:46
近代史の例で。専攻がそっちだから。
106世界@名無史さん:01/11/20 22:47
科学の水準って?
107世界@名無史さん:01/11/20 22:49
歴史と歴史学の違いは?
108世界@名無史さん:01/11/20 22:52
天使は針の頭の上で踊れるか?
109世界@名無史さん:01/11/20 22:58
科学を学問の総称とするなら歴史学も科学だろうが、スレ違いだな。
110世界@名無史さん:01/11/20 23:04
法則の観念の問題をみないといかんだろ。
111世界@名無史さん:01/11/20 23:05
解釈の妥当性と客観性を混同してるる限り、歴史学は、
聖書学がの−−例えば荒井献や田川健三が扱ってる
ような領域にはたどり着けないでしょう。

そういう堅実/狭量な研究者もいてくれないと困るのですが
(上は皮肉ではなく、堅実であることと狭量であることが裏腹
だ、と言っています)
歴史学というジャンルがいつまでもソレでは困ります。

日本でもヴェンヤミンのような歴史哲学にもとづいた歴史学者
の誕生を望みます。

言語論的転回などとのたまうなら、とっとと論理的限界点まで
到達して自己解体してほしーと思います。
112世界@名無史さん:01/11/20 23:07
>>102
>抽出しうる「情報」
ってどういう意味ですか?

それと、「科学水準」って歴史学で普通そんな言葉使いますか?
113世界@名無史さん:01/11/20 23:10
歴史学が科学だとすると、歴史学は過去の事実を認定して、
それをもとに「法則」の発見を行うということですか?
114世界@名無史さん:01/11/20 23:15
事実認定っていうけど、自然科学の領域みたいに実際には確認できるわけじゃないんだよねえ。
本当は、おそらくそうなんだろうなあって推測してるだけでしょ。タイムマシンないんだからさ。
115世界@名無史さん:01/11/20 23:17
わかんないものはわかんないさ。資料がなくなったり、改ざんされてつくられたりするしね。
116猫電波:01/11/20 23:22
歴史に法則性がないってのはどう言う意味?
因果関係が関係が認められず、完全にランダムであるってことじゃないでしょ。
単にマルクスの発展段階モデルが否定されたってことと、法則性がないとは別のことだと思うけどな。
生活習慣と文化との関係みたいなのも人類学者は研究してるんでしょ?

科学論リンク
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/introPS.html
http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/demarcation2.pdf
http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/reliabilism1.html
117世界@名無史さん:01/11/20 23:22
客観的っていうけど、なにをもって客観的だって判断するの?
118>116:01/11/20 23:25
38 :世界@名無史さん :01/11/19 08:59
カール・ポッパーは、歴史の「法則」とされるものは自然科学の
「法則」とは異なり、それはたかだか「傾向」とか「趨勢」と呼ぶべきだ、
と言っていますね。
119世界@名無史さん:01/11/20 23:27
>>117
結局、自分で勝手に客観的だっていってるんだろ。きっとみんなそういうんだ。
120あ、猫電波さんだ☆:01/11/20 23:34
>生活習慣と文化との関係みたいなのも人類学者は研究してるんでしょ?

うん。んで「エティック/エミック」とかはもーずっと昔から言われてる
わけじゃないですか。
客観性云々言うんなら、純粋理性批判がみたいなことばっかじゃなくて
そーゆー「エティック/エミック」みたいな問題も視野に入れて論じて
ほしーと思うんですよね。
121猫電波:01/11/20 23:41
>>118
例えば、「寒い地方の動物ほど体が大きくなる傾向がある」は自然科学だけど、これは傾向でしょ。
それに数学的モデルを社会に適用して威力が発揮される場合も少なくない。経済学に限った話じゃなくて
たとえば1916年に作られたランチェスターのモデルを硫黄島の戦いに適用したグラフを見たことがありますが怖いくらい一致してました。
(ブラウン『微分方程式』(シュプリンガー・フェアラーク東京)下巻のp186で見れます)
122サンリオ:01/11/20 23:41
ありゃ?
SF板で見かけましたよ?
123世界@名無史さん:01/11/20 23:44
>>121
普遍的な歴史の法則を挙げられますか?
124猫電波:01/11/20 23:46
>>120
なるほど。
アナール派とか言う学派はそう言うことやってると聞いたんですが、どうなんでしょう。
『地中海』暇があったら読んでみたいと思ってるんですが…
>>122
ここでも良くROMってマス。で、こう言うくだらない神学論争には首を突っ込むと
125象の鼻はウナギだ:01/11/20 23:54
>>104
 > 具体的にいってくんない?たとえあげてさ。
具体例は102で提示済み。

>>111
 > 解釈の妥当性と客観性を混同してる限り、
俺様が言っているのは、
 現代歴史学において、
 1「史料」より「情報」を抽出する作業は「客観的」「科学的」に行われるべきであること
 2「解釈」は、「史料」より「客観的」「科学的」に抽出された「情報」に基づいて行われるべきであること
の2点だね。この2点の実践は、「解釈の妥当性と客観性を混同」することとは違うよ。

>>112
>『抽出しうる「情報」』ってどういう意味ですか?
ある特定の史料に含まれているデータのうち、その史料の解析を行う時代において最先端の科学的水準による解析によって取り出すことのできるもののこと。

 >「科学水準」って歴史学で普通そんな言葉使いますか?
たとえば歴史学者がある漢文史料を解析する場合、たとえば分析に使用する漢文法の知見は2001年11月の段階で達成されている最新の水準に依って解析すべきことをいう。

 >事実認定っていうけど、自然科学の領域みたいに実際には確認できるわけじゃないんだよねえ。
ある史料の中に含まれているデータは、その時々の科学的水準に応じ、抽出・確認できる。

> わかんないものはわかんないさ。資料がなくなったり、改ざんされてつくられたりするしね。
存在しない史料については解析できないが、ある史料の解析が別の史料の「改竄」の発見につながることもあるし、また「改竄された史料」が提示する情報もまた、「歴史学」の研究材料の一つである。
126世界@名無史さん:01/11/20 23:56
>>125
「客観的」「科学的」であるって誰が判断するわけ?
127世界@名無史さん:01/11/20 23:58
>125
歴史学で「科学的」水準なんて言葉つかわねえよ。
128猫電波:01/11/20 23:59
>>123
と言いますか、普遍的な歴史の法則のイメージがつかめないんですよ。
「外部」から攻撃されると結束が強まる(または発生する)。
「強大な文明」と「弱小文明」との文化交流では前者から後者への影響の方が強い。
みたいなものはどうなんでしょうか?
それとも発展段階みたいのじゃないとダメでしょうか?
これも最近勢力を盛り返しつつあるようですが。
129象の鼻はウナギだ:01/11/21 00:02
>>127
>歴史学で「科学的」水準なんて言葉つかわねえよ。

うん、「歴史学」業界の内部では、つかわないね。
130世界@名無史さん:01/11/21 00:07
そうだよな。科学的で客観的だって、誰がどうやって判断するんだよ?
131世界@名無史さん:01/11/21 00:07
>>125
これ読んでみ、面白い。歴史学は科学だね。
http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/demarcation2.pdf
132131:01/11/21 00:08
×>>125
>>126
133象の鼻はウナギだ:01/11/21 00:08
>>126
史学科の四年間は、歴史学における「客観的」「科学的」な史料解析の方法をたたき込まれる年月である。

「誰が判断」ということではなくて、史料解析に対するそのような態度を身に
つけることが要求されるのである。
134世界@名無史さん:01/11/21 00:11
>>131
ここで問題になってるのは「歴史」だからね。「歴史学」じゃなくて。
135世界@名無史さん:01/11/21 00:13
>>133
「である調」やめろよ。馬鹿みたい。
136世界@名無史さん:01/11/21 00:16
>>133
で、結局、どういった理由で歴史が科学なんですか?
137猫電波:01/11/21 00:18
>>134
>>133さんが言ってるのは歴史学だと思いますが
それと凄い厨房な質問でごめんなさい。
歴史って何ですか?
歴史学の成果?それとも歴史学の対象?それとも私の思いもつかない何かですか?
対象だとしたら、化学物質や生物、物理現象が科学で無いように歴史も科学ではないってことですか?
138134:01/11/21 00:20
ここっていうのはこのスレのこと。
139猫電波:01/11/21 00:23
>>138
あ、つまり法則性の有無ってことですか。
140世界@名無史さん:01/11/21 00:24
「象の鼻はウナギだ」がこのスレを混乱させてるな。
歴史が科学かどうかが話題なのに、関係ない話持ち込むなよ。
141世界@名無史さん:01/11/21 00:27
>>140
俺も今までみてたけど、そう思った。資料考証に話題摩り替えて
「科学的」とかなんとかいって、混乱させてる愉快犯とみた。
・・・じゃないの?
143犬電波:01/11/21 00:30
呼んだ?
144猫電波:01/11/21 00:31
>>142
ちゃいます。私は工学部だし。
あんなレベル高いレスは出来ないっす。
うざがられてるようなので落ちます
145世界@名無史さん:01/11/21 00:33
歴史の定義は基本的に「事件」と「事件の記述」の2つの意味でしょうね。
146世界@名無史さん:01/11/21 00:35
 歴史学って資料批判だけじゃないぞ。勘違いすんなや。
147世界@名無史さん:01/11/21 00:39
何も材料は資料だけじゃないけどさ。オーラルとか。
148世界@名無史さん:01/11/21 00:40
オーラルも史料だろ!
149世界@名無史さん:01/11/21 00:40
文学は科学ですか?
150世界@名無史さん:01/11/21 00:40
遺跡も史料だろ!
151世界@名無史さん:01/11/21 00:41
神の啓示もも史料だろ!
152147:01/11/21 00:42
物的(沈黙)資料とでもしとけばよかったかな。
153世界@名無史さん:01/11/21 00:46
学ぶアプローチによって科学的になったり、ただの空想になったり
するだけっしょ
154世界@名無史さん:01/11/21 00:47
本題に戻りましょうや。
155世界@名無史さん:01/11/21 01:03
このスレのタイトルって「歴史学は〜」じゃなくて
「歴史は〜」だったのね。今ごろ気づいた。
156世界@名無史さん:01/11/21 01:15
でも「歴史学」だとしても自然科学のような「科学」ではないっしょ。
15755:01/11/21 01:21
うたた寝してしまった。
「歴史」はカーの定義でいくと
1、歴史家の行う研究
2、歴史家が研究する対象
ということになりますな。

しかし、その昔、歴史学は科学と異なった独特の学問体系であることを
誇りにしていた人もいたが、
今はそうでもないらしい。
15855:01/11/21 01:48
>>84
>>1、天文学は科学だろうか?
>科学であると考えます。

天文学は実験によって結果を確かめられるようなものではない。
専ら観測による学問によるが、肉眼で確認できない惑星や恒星を
どのような方法で確認するんだろうか?
様々な資料の解釈や推量によるのではないんでしょうか?
だとしたら、どういう意味で「科学」なんだろう。

>事実の評価論述には妥当で公正なものが求められます。

妥当で公正であることは客観的であることとは本当に関係ないんだろうか?
僕は歴史学はゆるやかな意味で科学だと考えている。

さて歴史学が科学でないとしたら、どういうことが起こるだろうか?
159世界@名無史さん:01/11/21 02:03
84ではないが
>>158
天文学は「結果を試す」学問ではないので実験によらないのは当然であると考えます。
観測された現象を元に事象を次々と予測していく物です。
基本的には現実に確認されない事は全て仮説として扱われます。
肉眼(観測機器)で確認できない惑星や恒星は、推測によって存在するとは思われても仮説です
従って科学的に証明されない物は事実として扱われない以上、科学であると私も思います。
最も天文学において「科学的に証明される」と言うのは
「現実に観測される」と言う事でしかありませんが。
160世界@名無史さん:01/11/21 02:10
>159
>科学的に証明されない物は事実として扱われない以上、科学であると

どうでもいい突っ込みだけど、ちょっと同語反復的かもね。
主張には同意。
161世界@名無史さん:01/11/21 05:31
しかし、天文学の質問を設定したのは頭がいいというか意地が悪いというか・・・

>>159
・天文学は「結果を試す」学問ではないので実験によらないのは当然であると考えます。
少なくとも、今までの書き込みでは、実験結果をもって普遍的結果を担保するかどうかが
科学かどうかの分かれ目というスタンスみたいだけど・・・これで科学と言えるの?

・観測された現象を元に事象を次々と予測していく物です。
これは歴史学といっしょ

・基本的には現実に確認されない事は全て仮説として扱われます。
これも歴史学といっしょ(資料の多寡でぶれるが)

・肉眼(観測機器)で確認できない惑星や恒星は、推測によって存在するとは思われても仮説です
これまた歴史学といっしょですね

・従って科学的に証明されない物は事実として扱われない以上、科学であると私も思います。
ここだけ突飛な印象ですね。上で科学的な証明手法が提示されていないのに、突然「科学である」
という結論だけ出ている。

・最も天文学において「科学的に証明される」と言うのは
・「現実に観測される」と言う事でしかありませんが。
これも歴史学といっしょですね(最終的には、ですが)

私には、歴史学というのはきわめて不完全な科学の一形態であると考えます。
56さんが思うほど、解釈の世界と科学の世界が遠いとは思えません。
16256=65=75=80=83 :01/11/21 07:03
>>161
いや、天文学は対象に対して「解釈学的循環」とよばれる事態が生じません。
その代わり特殊解⇒一般解と進みますが、結果も数式で表現されます。
(結果に対しても解釈は生じません)

※「解釈学的循環」=自然言語の構成態であるテクストにおいて、「部分の意味
は全体から決せられる」が「全体の意味は部分の構成を通じてしか解釈され得な
い」という理論上の全体
16365=75=80=83=162:01/11/21 07:09
>>162の訂正
×>理論上の全体
◎>理論上の前提

>>161
>・最も天文学において「科学的に証明される」と言うのは
>「現実に観測される」と言う事でしかありませんが。
>これも歴史学といっしょですね(最終的には、ですが)

おわかりと思われますが、ここ、厳密に言うならば
「痕跡」を研究した結果最終的に事実が推定再構成
される、わけですよね。

で、その推定再構成の過程で歴史学では「解釈学的
循環」を避け難いですし、天文学では「解釈学的循環」
なんて事態にはハマラないで済みます。
164象の鼻はウナギだ:01/11/21 08:17
>神の啓示も史料だろ!

「神の啓示」として書き留められた記録は、ある時代の、ある地域の人々の歴
史を研究するための貴重な「史料」となります。
165哲学って                   :01/11/21 08:52
科学なの?
16665=75=80=83=162:01/11/21 08:57
あぁ、寝てたから、見落としてたわ。

>>125=164
>俺様が言っているのは、
>現代歴史学において、
>1「史料」より「情報」を抽出する作業は「客観的」「科学的」に行われるべきであること
>2「解釈」は、「史料」より「客観的」「科学的」に抽出された「情報」に基づいて行われるべきであること
>の2点だね。この2点の実践は、「解釈の妥当性と客観性を混同」することとは違うよ。

だからさ、アタシが言ってるのは、そんなレベルにとどまってる限り、いっくら
>「神の啓示」として書き留められた記録は、ある時代の、ある地域の人々の歴
>史を研究するための貴重な「史料」となります。

とか言っても、日本って文化背景の内で思考してるから「こそ」、世界的水準の
研究を達成できてる聖書学(文献学の一種で解釈学の一種)荒井献や荒川章三みたい
なレベルの達成は期待できない、って理論的推測なのよ。

一例「編集史的視座」なんて研究手法は、解釈学独自のもので、
「『史料』より『客観的』『科学的』に抽出された『情報』」なんかで
完結しないわけ。

「情報」を構成する際の解釈手法が「編集史的視座」なわけね。
167 歴史という「妖怪」                  :01/11/21 09:19
科学とは、歴史のなかで相対化される一つの文化にすぎない。
島国のユダヤ人ニュートンの力学体系はイギリス島の風土に影響を受けているとも言
われている。
かの「りんごが落ちた事から万有引力を発想した」と言うエピソードはまことにイギ
リス的である。
古典的都市文明の影響が少なく田舎の自然をこよなく愛した民族は、ある事象の観察
から法
則性を抽出すると言う帰納的思考に傾いた。
実験や観察と言う古典科学に不足していた実証性を補い得た所以である。
一方、大陸のユダヤ人アインシュタインは演繹的思考に頑なほどこだわった。
この、ショーペンハウェルを愛読した者の力学体系はまことに観念的であった。
観察や実証は後に島国イギリスの観測隊や古典的都市文明とは程遠い米国の空軍の計測に任
せることになる。
敵意があるかのように帰納法を退けたこの科学者は実証の前に仮説を説きその整合性
と合理性にこだわった。
同時代の双璧ハイゼンベルクは言う、
「古典ギリシャ哲学を理解しないものに現代物理学は理解できない」。
しかし、嘗てゲーテはいった
「ドイツ人は足元にあるものを常に雲の上にあるが如く考えすぎる」。
これも中原の国ドイツの鬱蒼とした曇天の賜物だろうか。
力学体系のイギリス的解釈が先ず先進国イギリスから、次にドイツ的解釈が後発国ドイツから生まれたのは偶然であろうか?
歴史とは普遍的な科学の法則でさえもその民族性と風土に基づいて時系列の中で「文
化」という形で相対
化してしまうものなのである。
168世界@名無史さん:01/11/21 09:30
>>162
ホーリズムまたはクワイン=デュエムのテーゼって知ってる?
169象の鼻はウナギだ:01/11/21 09:35
>>155
> このスレのタイトルって「歴史学は〜」じゃなくて
>「歴史は〜」だったのね。今ごろ気づいた。

うんにゃ。トピ主たちが「歴史」=「人々の日々の営みの積み重ね」が科学ではない、といっているだけなら、放置だったけど、このトピのやりとりはそうなってないよ。歴史学が科学ではない、という主旨の発言があるから、読み返してみな。

>>141
>資料考証に話題摩り替えて「科学的」とかなんとかいって、混乱させてる

「混乱させてる」ですと?
ここは「学問・文系」(→趣味・娯楽・哲学・創作文芸etc. じゃないぞ)の「世界史」コーナですぞ。「〜論破しましょう」と挑発的なトピを立てて乗り込んできたトピ主の挑戦に「まっこうから応じてやっている」の!。「論破」してみろ!ってね。

※歴史学の研究材料は「資料」ではなく「史料」と書く。

現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の科学水準に応じて「万人に共通の結果」がでる。

すなわち歴史学は科学である、といえる。

歴史学で「説」を立てるためには、「情報」の隙間をうめる「推測」「仮説」や、こうして得られた「情報」に対して「解釈」を加えることが欠かせないから、誰やらが「歴史学」に対して貼っている「解釈学」とやらのレッテルを否定はしないけどね。

>>166
そんなこたあ、わかってるよ。
上記の主旨ともかぶってるね。
170世界@名無史さん:01/11/21 09:50
>>165 名前:哲学って                    :01/11/21 08:52
> 科学なの?

哲学は科学には分類されないのが普通です。おもしろいことに、
科学の主要な道具として使われる数学も科学に入らないです。
数学は哲学の一種として分類されている模様。
171世界@名無史さん:01/11/21 10:07
>>165
えーと、この板にそぐわない気がするので大まかに

20世紀の動向ということで。
西欧・欧米の制度的思考では、哲学は科学には分類されないです。
が19世紀的な主流の見方として、「諸学の認識の枠組み検討」を哲学の
責務と考える考え方がありました。
この考え方は、19世紀のように静的なヒエラルキー秩序ではイメージされ
ないと思われますが、なお有効でしょう。
一例「歴史哲学」といえば、「歴史とはどのような認識過程に基づくか」が
論考されます。

数学は哲学の一分野である論理学と近親性が高いとみなされます。

ここで、20世紀中に哲学にも論理学にも「言語論的転回」が生じまして。
注意すべきは、20世紀中の展開には大陸系といわれるトレンドと
英米系といわれるトレンドがほぼ同時発生した点です。

英米系は比較的論理的で、数学とも近親性高いです。
大陸系は論理的とされる言説の権力性――「知の権力性」を問題意識に
取り込んでます。
勢い、論理性の絶対視を疑う性格になります。数学との近親性は薄い
です。

大陸系のトレンドと英米系のトレンドの統合は(なされるとしたら)
今世紀の課題と思われます。

ちなみに、「解釈学」は、本来は大陸的なトレンドの内から生じました。
172だれやら(ワラ):01/11/21 10:13
>>169
>そんなこたあ、わかってるよ。

どうわかってるのかな?
そこが聞きたい。
「世界的水準の研究なんて出なくていい」と言ってるなら、
それはそれ、中にはそーゆースタンスの研究者がいても
いーでしょー。
でも、ジャンル全体がおーであるべきって主張には首肯できない。

科学的情報抽出が準備段階での必要にすぎない、完結するには
解釈が必要ってわかってるって話なら、「歴史学は科学だ」は
レトリックだし、厳密に言えば「強弁」だよね。

キミが最初は「科学・的」と言ってたのは気づいてるよ。
173 :01/11/21 11:03
500光年はなれた星から500光年先を見れる望遠鏡で日本をのぞいてみよう
174象は鼻がウナギだ:01/11/21 14:14
>>172
 >どうわかってるのかな?
 >そこが聞きたい。
ここ→>>169 の下から二段落目を再読。

>「世界的水準の研究なんて出なくていい」と言ってるなら、・・ジャンル全体がおーである
>べきって主張には首肯できない。

この部分も俺様にむかってしゃべっている箇所のようだが、こんなことは「言っていない」し、そんな「べき」の主張もしとらんぞ。
過去レスにも見あたらん(激藁)。

>科学的情報抽出が準備段階での必要にすぎない、完結するには解釈が必要

史料の質によっては、そこからの「科学的情報抽出」のみで「史実の確定」を「完結」することもできる。「解釈を必要とする」かどうかは、あくまでも依拠する史料の質による。

>キミが最初は「科学・的」と言ってたのは気づいてるよ。
「科学的」だといったのは、「歴史学の手法」に対してだ。
「歴史学の手法は科学的だ」と「歴史学は科学だ」とは、全く別個の命題。
175象の鼻はウナギだ:01/11/21 14:15
>>172
> だからさ、アタシが言ってるのは、そんなレベルにとどまってる限り、いっくら
> >「神の啓示」として書き留められた記録は、ある時代の、ある地域の人々の歴
> >史を研究するための貴重な「史料」となります。
> とか言っても、日本って文化背景の内で思考してるから「こそ」、世界的水準の 研究
>を達成できてる聖書学(文献学の一種で解釈学の一種)荒井献や荒川章三みたいなレベル
>の達成は期待できない、って理論的推測なのよ。

まとはずれな「理論的推測」だね。俺様が念頭においているのは、下記の様な事例だ。

某国の某時代、各地に割拠する領主達が、自己の信仰心の発露として、ある宗教の聖典を
単独で、またはセットで開刻出版することが盛んに行われた。

部分出版なら巻末に、セット出版なら特別巻が編纂されて開版縁起が記され、その開版に
当たってどこの誰兵衛が布施したとか、場合によってはその誰兵衛の一族が代々いかに信
仰深かったかの歴史とか、例は少ないが隣接する大国の「皇帝」への遣使や領主本人の拝
謁などまで記されているものがある。

某国の正史には概説書みたいのしか無いし、「隣接する大国」の記録にも断片的記述しか
でてこないから、現時点ではこの某宗教の聖典がこの某国史の根本史料となっている一面
が見られる。

>>172
 >聖書学(文献学の一種で解釈学の一種)荒井献や荒川章三みたいなレベルの達成
某宗教の経典の文面そのものの解析は宗教学者の仕事であり、君のいう誰やら「みたいな
レベルの達成」を目指すのは、歴史学の課題ではない。
176象の鼻はウナギだ:01/11/21 14:20
※補足
 某宗教の聖典は、伝わった国の数え方によって500巻〜数万巻に
 区分されている。
177=172:01/11/21 14:32
>>175
>某宗教の経典の文面そのものの解析は宗教学者の仕事であり、
>君のいう誰やら「みたいなレベルの達成」を目指すのは、
>歴史学の課題ではない。

あー、ハイハイ。やっとわかりました。
要するに狭量な職人さん気質の考え方ってことで。

わかったから、もーいーです。
178=172:01/11/21 14:34
ちなみに「宗教学」と「聖書学」は分類基準がまったく異なります。
「宗教学」には「宗教社会学」とか「宗教民俗学」とかいろいろが
含まれますが、
「聖書学」は厳密な意味での文献学です。

歴史研究者だったら、この程度はわきまえといてほしーな。
179象の鼻はウナギだ:01/11/21 14:50
>歴史研究者だったら、この程度はわきまえといてほしーな。

「某宗教」とは仏教のことだけどね、「経典の文面そのもの」に対する「文献学」的研究をメインとしているのは仏教学者であって、東洋史学のほうでは、その成果を利用する程度だよ。
180=172:01/11/21 15:11
>「某宗教」とは仏教のことだけどね、「経典の文面そのもの」に対する「文献学」的
>研究をメインとしているのは仏教学者であって、東洋史学のほうでは、その成果
>を利用する程度だよ。

それは、日本の学会ローカルの因習的制度観念でしょ。

サンスクリット研究とか、アヴェスタ語研究とかは
ワールド・ワイドには、言語学者、宗教学者、文献学者、歴史学者
入り乱れてやってるじゃん。

パンヴェニストが『ゾロアスター教論考』編んだりさ。
181象の鼻はウナギだ:01/11/21 16:29
>それは、日本の学会ローカルの因習的制度観念でしょ。

「如是我聞」ではじまる「経典の文面そのもの」は、東洋各国の政治・社会・経済・・の解明には、殆ど役だたない。

思想史・文化史方面からのアプローチにおいては又別だが。
182世界@名無史さん:01/11/21 19:45
「歴史学」=「史料批判」だと勘違いしている馬鹿がいる。
183世界@名無史さん:01/11/21 19:53
日露戦争の原因は万人に共通か?
184世界@名無史さん:01/11/21 20:01
歴史学が科学だとすると、歴史叙述はどういう意味で科学なのか説明してほしい。
185世界@名無史さん:01/11/21 20:26
>>181
君のいう「歴史学」は単なる年表を書くことか?
186世界@名無史さん:01/11/21 20:51
叙述が問題なんだよね。今、日韓で共通の歴史教科書かなんか作ろうとしているみたいだけど、
喧嘩別れに終わるだろう。
187 :01/11/21 21:01
歴史学が科学ではないとしても、それはそれで別に構わないのではないですか?
科学的でないから歴史学の価値が落ちる、なんてことはないはずです。
188世界@名無史さん:01/11/21 21:04
>>186
そうだね。まあ、歴史教科書なんてドグマチックにしか書きようがないからね。
歴史の共通認識なんていう幻想は追わない方がいいね。
互いに検証するとすれば明らかな事実(真実じゃなくて)誤認があるかどうかの
チェックをする程度でしょう。それでも喧嘩になるだろうが...。
をする程度だろうね。
189世界@名無史さん:01/11/21 21:11
科学的=科学ではないからねえ
190名無し:01/11/21 21:13
科学というのは、文字通り、分類すると言う意味だ。
中世の知識を分類して、明らかにした。
自然科学は分類学だった。それが実験するように発展した。

さて、「歴史は科学ではない」という言い方には、歴史は自然科学ではないという
意味があるように思う。たしかに実験できないので、自然科学ではない。

では社会科学と言うのはなんだろうか。
これも分類は出来るが、それだけで、自然科学的な発展は難しい。

19世紀では科学という言葉はそれ自体啓蒙を意味して、価値のある言葉だった。
そこでマルクスが共産主義の名称を「科学的」社会主義などと化粧をしたのだ。
実態は、ユダヤ教を基礎にした千年王国論だったが。

ということで「歴史が科学か」と言う場合は、どう言う意味で科学なのか、確認する
必要があると思う。
191世界@名無史さん:01/11/21 23:34
>科学というのは、文字通り、分類すると言う意味だ。

ヘロドトスのイストリアというのは、ギリシア語では「調査」
サーベイといった意味しかない、って話もありますが、
こうしたレトリックは話題を曖昧化するばかりであまり意味は
ないと思います。
問題は、歴史学がどういう学問かの方でしょう。

少なくとも論理実証主義でも要素還元主義でもあり得ない。
これはもう近代的な意味では科学ではないと言った方がすっきりします。
192世界@名無史さん:01/11/21 23:54
>少なくとも論理実証主義でも要素還元主義でもあり得ない。
>これはもう近代的な意味では科学ではないと言った方がすっきりします

それだと人文科学・社会科学諸分野の多くも、科学ではなくなりますね。
「近代的な意味」というのもややこしい問題を含みますし。
むしろ言わんとされていることは、
「歴史学は自然科学的な意味での科学ではない」、ということでは?
いずれにせよ、問題の所在は依然として「科学とはなんぞや」ですね
193世界@名無史さん:01/11/22 00:05
>192
どうせ「人文科学」という呼称がそもそも日本独特なんじゃない?
社会科学はそうでもないだろうけど(よく知らないで書くなって?)
194世界@名無史さん:01/11/22 00:52
そもそも人文と社会の違いは?
195言語学って                 :01/11/22 03:26
科学なの?
196象の鼻はウナギだ:01/11/22 05:53
>>186
「歴史学」=「史料批判」だと勘違いしている馬鹿がいる。

「馬鹿」は、〈「歴史学」=「史料批判」〉などと他人の主張を勝手にでっち
上げるお前。

俺様の実際の文面。
>>169
>代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するとい
>う作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時
>代の科学水準に応じて「万人に共通の結果」がでる。

この作業が欠落・またはきわめて乏しいにも関わらず、なおかつ「現代歴史学の成果」と認められているという実例があるなら挙げて見ろ。
197象の鼻はウナギだ:01/11/22 06:05
>>178
日本の場合、仏典の文面そのものに対する研究は、各宗派の宗門系大学が、自
らの存在意義を賭けて極めて精密・精緻に行い、高度な成果を挙げているか
ら、東洋史の方から割り込む余地は、非常に少ないんじゃ(岡山弁)。
必要があれば彼らの成果を利用すれば、大抵の場合それで事足りる。

それを「日本の学会ローカルの因習的制度観念」とは、君は日本の東洋史学の
事情には相当昏いようだな(プププ
198世界@名無史さん:01/11/22 06:16
>>178
>科学的=科学ではないからねえ
「科学的手法」に基づく研究を行わない学問は科学ではない。
199世界@名無史さん:01/11/22 07:45
>>197
>某宗教の経典の文面そのものの解析は宗教学者の仕事であり、君のいう誰やら「みたいな
>レベルの達成」を目指すのは、歴史学の課題ではない。

こんなこと言ってる人間が(プププ、とか言って、門外漢見下してもな。
聞き苦しいだけだな。
200=172=178:01/11/22 08:05
>>197
別に東洋史学がどうこうではなく、歴史学は科学ではないという話だと思いましたが。
「日本の学会ローカルの因習的制度観念」は何も東洋史学や歴史学だけのことでは
ありませんし。一般的傾向としてみられます。
ex)歴史学/考古学、人類学(自然人類学)/民族学(文化人類学)の断絶など
201世界@名無史さん:01/11/22 08:10
東洋史学とかが遅れてるから、ことさらに科学って
言い張らなきゃいけねー、とかじゃねーの?(ワラ
202世界@名無史さん:01/11/22 08:14
>>194
>そもそも人文と社会の違いは?

西欧の大学史だとフマニスタス(=人文、人文学)の系譜があったわけ。
自然科学が分離してって、社会学/社会科学が分離したのは19〜20世紀
のことだよね。

人文科学が日本語独自の表現だよね。
ヒューマン・サイエンスって人文学とは別のカテゴリだしね。
203昭和大帝:01/11/22 08:20
そういう文学的な答えはちょっと・・・

陛下がいうから間違いない
204世界@名無史さん:01/11/22 08:46
>>195
>言語学って
>科学なの?

現代言語学は実験もするし、論理実証主義だし、要素還元主義(音韻論)でも
あるので科学でしょう。

より正確に言えば、言語を対象にする学問に、科学のジャンルと
科学には成り得ないジャンル(例えば社会言語学とか歴史言語学とか詩学とか)
が両方あるし、それぞれに必要って話と思われます。
205世界@名無史さん:01/11/22 13:38
>東洋史学とかが遅れてるから、ことさらに科学って
>言い張らなきゃいけねー、とかじゃねーの?(ワラ

中国史(とくに前近代)やモンゴル時代史の研究は、日本が世界最先端だよ。
206世界@名無史さん:01/11/22 14:26
>>196
君に聞きたいんだけどさ、近代ドイツについて、例えばテイラー説とフィッシャー説
はどうして対立しているか説明できる?
207象の鼻はウナギだ:01/11/22 14:31
>こんなこと言ってる人間が(プププ、とか言って、門外漢見下し>てもな。聞き苦しいだけだな。

そんなこといってもだな、>>198で紹介したように、経文の文面そのものの文献学的研究は、仏教学者が極めて高度にやっているからだな、東洋史学者がわざわざ割り込む余地はあまりないんだな。

版本学とか、開版史など「文化史」の範疇に属する方面は別だが(ギャハハ
208世界@名無史さん:01/11/22 14:41
>>196
>現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を
>抽出するという作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客
>観的」であり、その時代の科学水準に応じて「万人に共通の結果」
>がでる。すなわち歴史学は科学である、といえる。

あんたこう書いているだろ。史料批判しか頭にねえからだろ。
歴史学が科学なら、どうして叙述に違いが出るのか論じてくれよ。
209猫電波:01/11/22 14:42
フォーグル&エンガマン『苦難のとき―アメリカ・ニグロ奴隷制の経済学』(創文社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4423850400
とか過去の歴史に経済学を適用したりすることを、このスレの人はどう思ってますか?

>>165
アメリカではそう考える人が主流だそうです。
ところで、歴史学は論理実証主義でない、ってのはどう言う意味でしょうか?
210猫電波:01/11/22 14:44
>歴史学が科学なら、どうして叙述に違いが出るのか論じてくれよ。
自然科学でも出ますよ。
歴史学じゃどっちが正しいって問題じゃない、って意味でしょうか?
211世界@名無史さん:01/11/22 14:46
テイラーの話が出てるが、第二次世界大戦の原因を究明したところで
万人に共通の結論なんか出るわけない。
212世界@名無史さん:01/11/22 14:48
>>210
自然科学と歴史学の叙述は違うような気がするけど・・・
213世界@名無史さん:01/11/22 14:51
歴史学じゃどっちが正しいっていわれても、確認できないからねえ。
実験がまったく不可。みんな憶測。
214世界@名無史さん:01/11/22 14:53
>>196
>現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を
>抽出するという作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客
>観的」であり、その時代の科学水準に応じて「万人に共通の結果」
>がでる。すなわち歴史学は科学である、といえる。

あんたこう書いているだろ。史料批判しか頭にねえからだろ。
歴史学が科学なら、どうして叙述に違いが出るのか論じてくれよ。
215世界@名無史さん:01/11/22 14:55
歴史学は「化学」ではありません
216ナポレオン:01/11/22 14:58
>>211
私は>>206じゃないけど、彼は
「史料」より「情報」を抽出するという作業が、
その時代の科学水準に応じて行われているのに、
「万人に共通の結果」が出ない、
ということに対してウナギ氏の見解を聞きたいんじゃないのかな。
私は日本の東洋史学にお詳しいウナギ氏が、
欧米のドイツ史学にどれほど詳しいか興味があるな。
全然知らなくても「プププ」とか「ギャハハ」とか書かないから、
是非知見を披露してもらいたい。
21754=56=62=65:01/11/22 15:08
>>210=猫電波さんへ
>歴史学は論理実証主義でない、ってのはどう言う意味でしょうか?

単純に言えば、構築された理論(=論理=仮説)を実験で検証するという
手法が原理的に採れない、という意味です。

歴史学などの解釈学でも「優れた推論は事実を予想する」と言われますし、
そうあるべきです。
例えば聖書学のいわゆる「Q資料」「言の葉文書」は19世紀までは作業仮説
だったわけです。
20世紀に、ナグ=ハマディ文書などが発見されたため、仮説の妥当性が確認された。

ここが問題なのですが「Q資料」にせよ「言の葉文書」は理論上の仮説存在で、
いわば理念型なわけです。

つまり、後に発見されたナグ=ハマディ文書内のドキュメンツを「既知のものよ
りQ資料に近いものとみなす(解釈する)」「これはQ資料に限りなく近いもの
とみなす(解釈する)」という解釈が必ず介在します。

そろそろここらではっきりさせておいた方がよいと思いますが、いわゆる「科学
的な情報」には解釈の問題は介在しません。そこにあるのは、判断の問題です。
左記の議論自体抽象的なレベルで論じていますが。

総じて、歴史学では、「科学性」がタイトに拘られれば拘られるほど「優れた
推論は事実を予想する」といった機能が弱くなる傾向がみられます。
なぜなら「論証不明な事項」――例えば史的イエスの実在などには、言及すま
いといった規制が意識的、前意識的に生じるからです。
218世界@名無史さん:01/11/22 15:35
歴史学の場合、違っているのは叙述だけじゃないでしょ。
人物論なんか見るとよくわかる。昭和天皇とかさ。
219象は鼻がウナギだ:01/11/23 06:15
>>214
 >あんたこう書いているだろ。史料批判しか頭にねえからだろ。
「根幹・基礎・土台」だとゆーておる。「しか・・ねえ」ではない。

>>214
 >歴史学が科学なら、どうして叙述に違いが出るのか論じてくれよ。
すでに論じておる。>>102>>169の後ろから二番目の段落をみれ。

>>216ナポレオン氏
 >「史料」より「情報」を抽出するという作業が、その時代の科学水準に応じて行われて
 >いるのに、「万人に共通の結果」が出ない、ということに対してウナギ氏の見解を聞き
 >たい
回答して進ぜよう。
ある史実を解明するために利用できる史料、そしてそれらの史料からその時代の技術によって抽出できる「情報」の内容は(実際には研究者のおかれた立場・環境などによって相違するのだが一応)「万人に共通」だとしても、それらの「情報」には「隙間」があるためなのじゃ。
たとえば >>102でも触れた「邪馬台国の所在」の場合、現時点では、その「隙間」の多さや大きさが甚だしいために「九州説」「近畿説」という著しく相違する仮説がいずれも「妥当な仮説」として存立する余地が残っておるのだ。
220世界@名無史さん:01/11/23 06:19
研究の蓄積にともない、そのような「情報の隙間」は次第に埋められてゆく。これが歴史学の進歩じゃ。

「卑弥呼の墓」なり「親魏倭王」の金印なんかが出土したら一発で確定じゃ。
221象は鼻がウナギだ:01/11/23 06:35
>構築された理論(=論理=仮説)を実験で検証するという
>手法が原理的に採れない

そのかわり、新たな史料が発見され、または従来の史料に含有されていながら今まで
の研究者が見落としていた「情報」が発見されうことによって、その史実の解明の為
に利用できる「情報」の状況が変化したなら、ただちにその「史実」に関して提示
されている「理論(=論理=仮説)」の検証がおこなわれ、修正されるべき所は修正さ
れ、撤回されるものは撤回されるのである。
22256=62=65=215:01/11/23 08:47
>>221
>そのかわり、新たな史料が発見され、または従来の史料に含有されていながら今まで
の研究者が見落としていた「情報」が発見されうことによって

詭弁だ(大笑)。
そんなものは「代わり」にはならない。
なぜなら、歴史学は、論理実証主義ではないのと同様に、
やはり原理的に要素還元主義ではないから。(>>191)

遺伝子科学における遺伝子とその構造、物理学における素粒子やクォーク、
言語学における言語記号、こうした要素が歴史学で抽出されることはない。

「人間」や「個人」はこの場合、単位要素にはならない。
それは単位ではなくユニークな存在だからである。
「社会」もやはりユニークな存在であり、単位要素にはならない。

さて、実験とは、関与する諸条件を調整した上での操作である。
科学において論理実証主義と要素還元主義はここで密接に関る。

薬物学などで使われる、実験体マウスは長年の交配により実験に関しては
ユニークネスを近似として無視し得るところまで均一化された存在である。
歴史ではこういう実験手法も望めない。

厳密に言えば、遺伝子の実体が発見されるまで、遺伝子説は仮説にすぎなかった。
遺伝子の実体構造が発見され、操作が可能になるまで、厳密には遺伝子説は
科学ではなかった。
しかし、一般にはメンデル以来の遺伝子説も遺伝子科学の前史とみなされる。
なぜか?
それは、仮説理論が正しければ、いずれ要素単位の実体(または実態)が確定される
はずであり、確定されねばならない、との信念が受入れらているからだ。

歴史学は、要素単位を確定できない。それがゆえに、常に複数の仮説間での
妥当性検討が永遠に続くのが宿命である。

>歴史学が科学なら、どうして叙述に違いが出るのか
要素単位を確定することが原理的にできないからであり、資料分析の
技術的な問題などではない。(ここにも詭弁がある:苦笑)

このように歴史学は科学ではない。
223某専攻:01/11/23 10:32
理系でいわゆる「科学」に属することをやってる友達に
聞いたんだけど、そっちの分野では、雑誌に投稿した論文は
載せる前に何人もの同じ分野の研究者(地位が上とは
限らない)に読んでもらって、載せてもいいのかどうかの
判定と、「ここをこう書き直せ」とかの意見を書いてもらう
んだそうだ。そして、その指示に基づいて論文を修正しない
と、載せてもらえない…
あと、世界中の人に読んでもらうため、基本的に英語オンリー
だと言っていた。(これは分野によるらしい)

こんなやり方が受け入れられるわけがないよな。ここまで
やらなきゃならないのだったら、「科学」と名乗ろうなんて、
端で見てて痛々しい。
知らずだった
224世界@名無史さん:01/11/23 13:05
>>223
それは「科学」云々とはあまり関係がない。
査読は歴史学の学会誌でも付くものがあるし、英語は雑誌の採用言語の問題。
225世界@名無史さん:01/11/23 13:15
>>219
あんたねえ、「邪馬台国がどこにあったか」と「第二次世界大戦の原因」
を同じ次元で考えるなよ。それなら、「第二次世界大戦の原因」も万人が
共通の認識に至るのか?
226世界@名無史さん:01/11/23 13:24
邪馬台国の論争なんて、単に「あった」か「なかった」かの問題。
事実認定することだけを歴史学だと思い違いしている厨房発見。
227象は鼻がウナギだ:01/11/23 13:28
>>222
>詭弁だ(大笑)。
「詭弁」とはヘンなコメントだね。
これが歴史学における仮説と検証のプロセスさ。

ある史実が後世に残した痕跡(=史料)は、時の経過にともなって風化・劣化を免れない。歴史学においては、史料に対し、自分の仮説に都合のよい傾向の「情報」がとれるまで資料をとっかえひっかえしながら「実験」を繰り返す、などというゼイタクは許されない。

キミのいう「科学ではない」というのは、仮説の検証手続きが「理系の場合と内容が違う」というだけのことだ。

歴史学の研究者たちは、その時点までに利用できる史料が含有する「情報」だけで自説の構築に取り組む。新たな史料の出現は「情報の隙間」を大いに埋めるが、そのような「出現」は、研究者が注ぐ努力の量に比例して発生するという性質のものではない。

歴史学者は、ある史実に対する自説の提示にあたり、その時点で得られるかぎの史料を収集し、可能な限りの「情報」を抽出したうえで、それらの「情報」を自説の「基礎・土台・根本」に据える。

その際には、他の研究者による追試が可能なように、
 ・その「情報」の抽出元である史料の種類や所在
 ・その「情報」の抽出の手順
 ・「情報」を解釈した場合にはその「解釈」の手順
がかならず明示される。

ああ、なんと「科学的な手順」であろうか(ワラ

そして(以下>>221に戻る)
228象は鼻がウナギだ:01/11/23 13:43
>>225
 >あんたねえ、「邪馬台国がどこにあったか」と「第二次世界大戦の原因」
 >を同じ次元で考えるなよ。
おれ様の文章を読んで『「邪馬台国がどこにあったか」と「第二次世界大戦の原因」
を同じ次元で考え』ているように見えるとしたらお前の脳ミソは腐っとるな。
原文再読。

>>225
 >それなら、「第二次世界大戦の原因」も万人が共通の認識に至るのか?
あほ。
「万人に共通」なのは、ある史実の解明の為に、「その時代に利用可能な史料群」と、それらの史料からその時代の技術で抽出できる「情報」の段階までじゃ。
原文再読。

>>226
>事実認定することだけを歴史学だと思い違いしている厨房発見。
1のようなドキュソをあしらうには歴史学における「事実認定すること」の手順をつきつければ十分だからな(ブヒャヒャ
「厨房」はお前。
229世界@名無史さん:01/11/23 13:45
>>228
>「万人に共通」なのは、ある史実の解明の為に、「その時代に利用
>可能な史料群」と、それらの史料からその時代の技術で抽出できる
>「情報」の段階までじゃ。

それなら、その段階までが君のいう「歴史学」なんだな?
230世界@名無史さん:01/11/23 13:48
>>228
>1のようなドキュソをあしらうには歴史学における「事実認定する
>こと」の手順をつきつければ十分だからな(ブヒャヒャ 「厨房」はお前。

厨房はやはりおまえだな。どうして事実認定することの手順を示せば
歴史が科学だと証明できるんだよ。
231世界@名無史さん:01/11/23 13:54
科学は諸事実を認定・分析してある種の法則を発見していくわけだが、
歴史学が科学だとすると、過去の歴史的事実を認定して、どういう法則を
発見していくわけ?
232世界@名無史さん:01/11/23 13:57
>>231
マルクスとかE.H.カーなんかは「歴史は科学」だと言ってるね。
一応、歴史の法則に関しても反論してるよ。
233世界@名無史さん:01/11/23 14:00
>>232
それはカーの『歴史とは何か』(岩波新書)のことだな。
だけれども、あの「歴史における法則の観念」はかなり強引だと思うね。
23462=65=215=222:01/11/23 14:14
>>227
>これが歴史学における仮説と検証のプロセスさ。

だからキミの言ってるその「(歴史学的な)仮説と検証」は
科学のそれとは異質なプロセスだ、と指摘してるんだけど。

要素還元主義を徹底できないが為に論理実証主義として
常に不十分だってことね(>>222)。
問題点が理解できていないご様子(困笑)。

さらに新たな観点を導入するならば、研究対象の対象領域
を概念規定/限定しきれない点も科学的にならないところなんだけど。
なかなかそっちの話に移れないね。困った、困った。
235世界@名無史さん:01/11/23 14:20
カーの要約によると、「歴史は科学ではない」という説は、主として
@歴史は主として特殊的なものを取り扱うが、科学は一般的、普遍的
なものを取り扱う。
A歴史は何の教訓も与えない
B歴史は予見することができない
C人間が自己を観察するものであるから、歴史はどうしても主観的になる
D科学と違って、歴史は宗教上および、道徳上の問題を含む

以上のようにまとめられるようですが、カーは逐一これに反論しています。
23662=65=215=222:01/11/23 14:23
>>227
別に「情報の隙間」のことなんか問題にしてないんだよ。
そんなものは歴史学においては当然の問題だからね。

仮定・思考実験としてあらゆる「情報の隙間」が埋められた
としても、万人に共通する結論が抽出されることがないのが
歴史学なんだね。

なぜならば、分析の為の要素単位を原理的に特定できないから、
ゆえに、理論は常に仮説モデルしかあり得ない。
がゆえに万人に検証可能な結論は導き出されない、
常に解釈妥当性を対話検証することしかできない、

これは理系/文系なんて制度的因習の問題とはまったく違う。
思考スタイルの哲学的問題なんだけどね。

常に解釈妥当性を対話検証することしかできない、
が、ゆえに歴史学は科学ではあり得ない。
解釈学とみなすのが妥当なんだね。
23765=215=222=236 :01/11/23 14:37
>>235
故・堀米庸三先生のお弟子さん筋にあたる
堀越孝一氏は、コリングウッドの歴史論・歴史哲学に言及し
英語のサイエンティフィック・ヒストリーは
「知識」「学問」としての歴史程度の意味であり、
「科学」などと訳すべきではない、と言っていますが。
カーの論術についても同じことが言えます。
238世界@名無史さん:01/11/23 14:39
バカー
239世界@名無史さん:01/11/23 15:21
>>223-224
でも、相互批判とそれを支える制度は科学にとって本質的ともされてますね。
科学に限った話じゃないし、レフェリー制度だけが唯一の方法でもないだろうけど
http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r2-2-6/
240世界@名無史さん:01/11/23 15:28
堀米庸三『歴史をみる目』(NHKブックス)

これ読まなきゃあ。
241世界@名無史さん:01/11/23 15:32
私も>236あたりと全く同意見だな。

ウナギ氏は史料さえあれば、「歴史」が書けるとでも思っているのか?
歴史家の仕事は史料を読むことではない。
242>240:01/11/23 15:39
堀米庸三『歴史をみる眼』(NHKブックス)
243世界@名無史さん:01/11/23 16:06
>>241
歴史を叙述することだろ?
好き勝手書いて言い訳じゃない。妄想を学問とは言わん。
科学じゃないなら歴史学なんてイラン
244世界@名無史さん:01/11/23 16:13
>>243
はあ?
245世界@名無史さん :01/11/23 16:32
私は役割の違いだと思います。自然科学は「なぜ?」に答える
ことはできない。宇宙はなぜあるのか。人間はなぜいるのか。
宇宙の誕生や人間の成り立ちには答えられても、この問いの前
に自然科学は沈黙する。

こうした「なぜ?」に答えようとするのが宗教であり政治思想で
あり歴史学であり人文科学なのではないでしょうか。そして歴史
学を科学という営みから排除しようとする意図はどこにあるかと
いうと客観性の神話によるのだと思います。裸のデータの前には
いかなる価値判断も意味を失う、という科学の純粋志向です。
だが人間は、価値判断から自由では入られない。「なぜ?」と
いう疑問に真っ向から立ち向かわずにはいられない。
歴史学の役割は、自然科学が答え得ないところにあるんだと思う。


歴史学は自然科学とは役割を異にする諸科学の一体系である。
246 :01/11/23 17:16
>>245
このスレのテーマは「歴史は科学かどうか」で、自然科学と役割が違うのは
皆認めている事と思いますが。
247世界@名無史さん:01/11/23 17:59
248世界@名無史さん:01/11/23 18:00
理系全般板
歴史学はどこまで科学か?
http://ebi.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1006505943/l50
249世界@名無史さん:01/11/23 18:23
笑えるサイトをハケーン

「あらゆる事件、あらゆる出来事、あらゆる人物や英雄、そして歴史上の諸問題は、すべて宇宙科学、人類
史をふくめた地球上の物理学的発展法則、つまり科学思想と歴史科学によってのみ正しい認識と評価が獲
得できるのであり、ここにすべての真実発見の基本原理がある!」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/new_page_22.htm

「ここで決定的なことは歴史を科学としてみないご都合主義(ミーイズム)である。科学的でないものがこの世
にあるだろうか。科学を否定すれば宇宙も、地球も、人類も、われわれ自身も存在しないであろう。人類社会
は永遠の過去から永遠の未来に向って発展し、前進するのだ。そうであるかぎり、資本主義制度だけがただ
ひとり、永遠に不変であるはずがない。そして社会主義もまた絶対性と相対性を通じて完成する。」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/new_page_12.htm
250世界@名無史さん:01/11/23 18:56
科学たるには証明可能性と法則による予測性がポイント
歴史学が科学だというなら,この2点を完璧に論破して欲しい
251世界@名無史さん :01/11/23 20:29
歴史にだって法則性はあるよ。

たとえば、ヘーゲルによれば、
歴史は『自由主義的民主主義が自己の正当性を証明してゆく過程』とされている。
世界中のファシズム国家や共産主義国家は崩壊し、
これからもどんどん民主主義国家が増えていくでしょう。
この歴史の流れはだれにも否定できないだろうし、
その流れに沿って未来は予測できるはず。
それは真摯に歴史を学んできた結果に得られたものだ。

もちろん歴史とその未来を決定論的に取り扱うことはできないけど、
そんなことを言ったら自然科学も複雑系や量子力学の世界では決定論的に取り扱うことはできないでしょ?

証明可能性については……ちょっと弱いな……あははっ。
まあ、人間は5分前の出来事すら完璧には証明できないって言うしね(いいわけ)。
252215=222=236=237:01/11/23 20:37
>>251
いや。
ですから、ヘーゲルのそれなんか科学的法則の名に値しません。
なぜかというと、論述を構成してる下位概念がユニークだからです。

世界観を共有できない立場からは、下位概念からして受入れ難い
ってことはあり得ます。

歴史学では、「情報の隙間」が埋まったとしても、だからといって
あらゆる立場から承服される概念が構築されるとは限りません。
限りませんと言うより、到達できないんです。
なぜかと言えば、研究対象の要素単位を特定できないからです。

要素単位以前の次元で、事象の概念化の妥当性から検討されるのが
歴史学。

特に歴史概念の理念型についての検討などの場合が顕著でしょう。
253世界@名無史さん:01/11/23 20:41
科学じゃないとありがたみがなくなるだろ。歴史学の教授たちは既得権益の権化
なんだよ。だから当為あれこれじゃなくてとにかく科学なんだよ。
254>>251:01/11/23 22:33
それこそ、「法則」というべきものじゃなくて、「傾向」「趨勢」だろ。
255世界@名無史さん:01/11/23 22:48
>>253
私の感じでは、たいていの歴史学者は自分を科学者だと思っていないと思うよ。
256ワダパルキー:01/11/23 22:58
>>255
マルクス主義は科学です。
257世界@名無史さん:01/11/23 22:59
>>256
マルクス主義史家はインチキ学者です。
258ルイセンコー:01/11/23 23:05
>>257
君は間違っている。ワダパルキーが正しい。
259クレタ人:01/11/23 23:08
わたしは嘘吐きだ
260世界@名無史さん:01/11/23 23:10
テロ国家の弁護人は黙りなさい。
261世界@名無史さん:01/11/23 23:11
唯物史観のインチキ性については、小泉信三が述べているとおりです。
262世界@名無史さん:01/11/24 02:51
もう、議論も出尽くしたみたいだね。
263唯物史観は                :01/11/24 07:06
解釈論なのか?
264世界@名無史さん:01/11/24 08:08
>>263
だって、旧ソ連じゃ党が、どの説が科学的でどの説が科学的じゃないか
決めてたジャン。
スターリンの著作によれば、みたいな根拠付けだったし。

これって方法論が妥当でない解釈論の特徴だよね。

ってゆーか、本来、解釈の問題であるものを科学的事実とか言い出すと
多かれ少なかれ同様の事態が生じます。
265名無し象は鼻がウナギだ:01/11/24 08:43
>>234
>だからキミの言ってるその「(歴史学的な)仮説と検証」は
>科学のそれとは異質なプロセスだ、と指摘してるんだけど。
>要素還元主義を徹底できないが為に論理実証主義として
>常に不十分だってことね(>>222)。

「君の言う科学のそれ」とは異質のプロセスだ、と俺さまも指摘しているぞ。
>>227
>ある史実が後世に残した痕跡(=史料)は、時の経過にともなって風化・劣化を免れない。
>歴史学においては、史料に対し、自分の仮説に都合のよい傾向の「情報」がとれるまで資
>料をとっかえひっかえしながら「実験」を繰り返す、などというゼイタクは許されない。
>キミのいう「科学ではない」というのは、仮説の検証手続きが「理系の場合と内容が違う」
>というだけのことだ。

>>230
>どうして事実認定することの手順を示せば歴史が科学だと証明できるんだよ。
俺様は「歴史学が科学だ」という命題にしか付き合わんと以前にも述べたはずだ。
おまえのその「証明」は別のヤツ(アマでもいいぞ)に頼むんだな。

>仮定・思考実験としてあらゆる「情報の隙間」が埋められた
>としても、万人に共通する結論が抽出されることがないのが
>歴史学なんだね。

あほか。
もしある史実を解明するための『あらゆる「情報の隙間」が埋められた』のなら、もはや論者間に「解釈の余地」などなく、
史実は確定じゃ。

>>241
>ウナギ氏は史料さえあれば、「歴史」が書けるとでも思っているのか?
俺様の実際の文面。
>>169
>代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するとい
>う作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時
>代の科学水準に応じて「万人に共通の結果」がでる。

>>241
>歴史家の仕事は史料を読むことではない。
あほか。「史料を読んで「情報」を抽出する」という作業が欠落・またはきわめて乏しいにも関わらず、なおかつ「現代歴史
学の成果」と認められているという実例があるなら挙げて見ろ。
266世界@名無史さん:01/11/24 09:04
>>234
>もしある史実を解明するための『あらゆる「情報の隙間」が埋められた』
>のなら、もはや論者間に「解釈の余地」などなく、史実は確定じゃ。

この無根拠な自己絶対化、野郎時代さが、科学論者の欠点だね。

いい加減に理系だとか文型だとかそういった次元の低いところに
問題があるのではないと理解を示したまえ。

もし「『あらゆる「情報の隙間」が埋められた』のなら、
もはや論者間に「解釈の余地」などない」のが事実ならば
国際政治などはさぞかし平穏だろうが

そんなことはまったくない。
267222=236=237=252 :01/11/24 09:10
後、どんな傾向のビギナーさん向けか、にも応じた選択ができると一番よいでしょうね。

>>265
>キミのいう「科学ではない」というのは、仮説の検証手続きが「理系の場合と内容が
>違う」というだけのことだ。

あいかわらず問題の性質を理解する能力が無いようだが、
単に内容が違うだけではない。
歴史学では、“理系”のような達成は、未達成になるんだね。
これは「史料の隙間」といった状況的な問題ではない。
また、「史料抽出技術」といった技術的な問題でもない。

すでに確認されたように、理論を構築する要素単位が確定できない
という原理的な問題なんだね。(>>222)

だから「歴史学は科学ではない」んだね。
科学にはなれないのだよ。
268236=237=252=267:01/11/24 09:12
>>267の最初の1文は不手際でゴミが入った。
最初の1文のみ無視されたし。
269象の鼻はウナギだ:01/11/24 10:37
>>266
 > もし「『あらゆる「情報の隙間」が埋められた』のなら、 もはや論者間に「解釈の余地」など
 > ない」のが事実ならば国際政治などはさぞかし平穏だろうが
他人の発言を改竄するアホ。

俺様の発言の原文。
>>234
>もしある史実を解明するための『あらゆる「情報の隙間」が埋められた』
>のなら、もはや論者間に「解釈の余地」などなく、史実は確定じゃ。

俺様が話している「情報の隙間」云々は、「史実の解明における」場合じゃ。

「国際政治における」情報の隙間のことには責任もたんぞ。
270象の鼻はウナギだ:01/11/24 10:39
>>267
> だから「歴史学は科学ではない」んだね。
> 科学にはなれないのだよ。

たしかに「ボクちゃんのいう科学」とは違っているね。そのことは俺様も認めているよ。 >>265を再読。
271世界@名無史さん:01/11/24 11:01
いまどき、歴史学が科学だなんていってる学者がそんなにいるのかよ?
272世界@名無史さん:01/11/24 11:10
>>265
>俺様は「歴史学が科学だ」という命題にしか付き合わんと以前にも述べたはずだ。
>おまえのその「証明」は別のヤツ(アマでもいいぞ)に頼むんだな。

>1のようなドキュソをあしらうには歴史学における
>「事実認定すること」の手順をつきつければ十分だからな

って>>228でおまえ書いているじゃねえか。
273世界@名無史さん:01/11/24 11:11
>>271
学者どうかはわからんが、
しつこく言い張ってるアホがこのスレに
一人(ワラ
274世界@名無史さん:01/11/24 11:16
ログにもあるが、結局、法則の発見に尽きていると思う。
歴史学が科学だとすると、歴史学者は歴史的事実を認定
して、それを一般化し、法則の発見を行うことを究極の
目的にするんだろうが、マルキスト以外はそんなことや
っていないはず。
275世界@名無史さん:01/11/24 11:17
>>269
>俺様が話している「情報の隙間」云々は、「史実の解明における」場合じゃ。

つまり、方法論は科学的だが、学問トータルは科学とは言えない、ということですな。

>「国際政治における」情報の隙間のことには責任もたんぞ。
どうも>>269氏は文脈を妥当に解釈するセンスが無いようですな。
わざと曲解している可能性は、善意に解釈して排除しましょう。

>>265で書かれているのは、
「国際政治−−政治学を含めてもよいでしょう−−をみても
史料の隙間がすべて埋まった場合を仮定しても社会的な事象の
解釈が一致するなどとはみなせない」って判断の表明にすぎない
と思われますな。

つまるところは
歴史学は「方法論は科学的だが、学問トータルは科学とは言えない」
ということで。
276世界@名無史さん:01/11/24 11:23
あらゆる史料が、ある歴史的事実を指していても、タイムマシンがない限りは
「絶対その事実があった」なんてわかんないんだよね。
277222=236=237=252=267:01/11/24 11:24
>>270
>たしかに「ボクちゃんのいう科学」とは違っているね。そのことは俺様も認めているよ。

要するに、歴史学の科学性は、
生物学(遺伝子学)や、天文学、言語学には劣ると認められている、と。

では結局、科学ではないと言うことで。

実は、経済学と比較してどうか?って大きなイシューが
つみのこされているのですが。(>>209、他)
あなたがいつまでもダダをこねてるとそっちに話題を
進めづらいのですがね(苦笑)。
278西尾幹二曰く:01/11/24 11:26
歴史は言葉の世界である。言葉によって支えられた不確かな知恵の集積であり、
未来への希望や不安や欲求と切り離せない人間的解釈の世界である。
279象の鼻はウナギだ:01/11/24 19:11
> 要するに、歴史学の科学性は、生物学(遺伝子学)や、天文学、言語学には劣
>ると認められている、と。

ふーん、ボクちゃんの基準では「劣っている」のか。
勝手にいってろ、ボケ。

ボクちゃんが何を力説しようと、歴史学の科学性は揺るがない(ガハハ

>では結局、科学ではないと言うことで。

あっそ。
しかしボクちゃんがいかに必死に青筋たてて「科学ではない!」と叫ぼうとも、
>>169
>現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するとい
>う作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時
>代の科学水準に応じて「万人に共通の結果」がでる。
280名無し象の鼻はウナギだ:01/11/24 19:26
>>275
>つまるところは
>歴史学は「方法論は科学的だが、学問トータルは科学とは言えない」
>ということで。

フフン!1のドキュソとくらべてかなり言うことはマシになっているが、まだ不十分じゃな。
キミのいう「科学とはいえない」という部分を、『仮説の検証手続きが「理系の場合とは内容が違う」』と訂正せよ。


歴史学が研究の素材とする「史料」とは、ある史実が後世に残した痕跡である。それは時の経過にともなって風化・劣化を免れない。

したがって歴史学においては、史料に対し、自分の仮説に都合のよい傾向の「情報」がとれるまで資料をとっかえひっかえしながら「実験」を繰り返す、などというゼイタクは許されない。

歴史学の研究者たちは、その時点までに利用できる史料が含有する「情報」だけで自説の構築に取り組む。新たな史料の出現は「情報の隙間」を大いに埋めるが、そのような「出現」は、研究者が注ぐ努力の量に比例して発生するという性質のものではない。

歴史学者は、ある史実に対する自説の提示にあたり、その時点で得られるかぎの史料を収集し、可能な限りの「情報」を抽出したうえで、それらの「情報」を自説の「基礎・土台・根本」に据える。
281世界@名無史さん:01/11/24 19:35
>>280
ドキュソはおまえだろ。1のどこがおかしいのか説明しろ。
282280:01/11/24 19:37
>>281
俺様の投稿がすべて完全な説明になっておる。
過去ログよんどけ。
283世界@名無史さん:01/11/24 19:39
>>282
お前は馬鹿か?
1は「歴史は科学ではない」といってるんだぞ。
284世界@名無史さん:01/11/24 19:40
>282
それなら、普遍的な歴史の法則を説明してくれよ。
285気になったんですけど:01/11/24 19:42
歴史の叙述で主観を排するなんて可能なんですか?
286世界@名無史さん:01/11/24 19:44
岡田英弘『歴史とは何か』(文春新書)を読みましょう
287ボクちゃん(藁):01/11/24 19:45
>> 要するに、歴史学の科学性は、生物学(遺伝子学)や、天文学、言語学には劣
>>ると認められている、と。
>ふーん、ボクちゃんの基準では「劣っている」のか。(>>279)

クスクス
なんだか、文脈曲解するのが得意な人がいるんで書いておきます。

歴史学は科学ではなく解釈学の一ジャンルなので、
科学性が劣っているのは当然なのです。

歴史学は科学では扱えない対象を論じることができる解釈学ですので、
科学性など劣っていても構いません。

ま、そーゆーことです。
288世界@名無史さん:01/11/24 19:47
>>286
岡田氏も「歴史は科学ではない」って言ってるでしょ。何かでみた。
289世界@名無史さん:01/11/24 19:50
>>280のようなドキュンが科学的とかを振りかざすと怖いんだよな。

ソ連の歴史理論しかり、ナチの人種理論しかり。

本来科学でない分野で科学的が振りかざされてロクなことになったこたぁない。
290世界@名無史さん:01/11/24 19:55
>>280
>歴史学の研究者たちは、その時点までに利用できる史料が含有する「情報」
>だけで自説の構築に取り組む。

一般に歴史学では他の諸学以上の研究史を学ぶことが推奨されるが
この事実は「その時点までに利用できる史料が含有する『情報』
だけで自説の構築に取り組む」の主張との関連を150文字以内で述べよ。

>新たな史料の出現は「情報の隙間」を大いに埋めるが、そのような「出現」は、
>研究者が注ぐ努力の量に比例して発生するという性質のものではない。

「一般に考古学では優れた推論は事実を予想」すると言われ、研究者は闇雲に
発掘調査をするわけではないが、このことと「そのような『出現』は、
研究者が注ぐ努力の量に比例して発生するという性質のものではない」
の主張との関連を150文字以内で述べよ。
291世界@名無史さん:01/11/24 19:58
>それなら、普遍的な歴史の法則を説明してくれよ。

説明してやろう(ワラ

「一日分時間が経過すると、世界人類の日々の営みは一日分蓄積される。」

>歴史の叙述で主観を排するなんて可能なんですか?

「情報の隙間」を除く部分では可能です。
292251:01/11/24 19:58
>254
たしかに「傾向」とか「趨勢」とか言うべきだけど、
それは歴史が完全に無秩序じゃないっていう証明にならない?

完全に無秩序ならそこには科学性なんて求められないけど、
ぎりぎり確率論的に(傾向性として)取り扱えるということはやはり重要なんじゃないかな?
そこには最低限度の共通了解性があるのだから。
293世界@名無史さん:01/11/24 19:59
過去ログに、カーの「歴史とは何か」について書いてあるけど、
堀米庸三教授がこれに疑問を呈しているよ。
294世界@名無史さん:01/11/24 20:04
>>291
>一日分時間が経過すると、世界人類の日々の営みは一日分蓄積される

まさか本気で書いているとは思わないが、一応レスすると、
それは歴史学の対象ではないよ。
295世界@名無史さん:01/11/24 20:07
>>291
聞きたいんだけど、主観を完全に排することが可能ならば、
その「主観を廃した学術書」を一冊あげてもらえませんか?
296≠254:01/11/24 20:10
横レスですが。

仮に、歴史学が取り扱う対象をSocio-culuturalな諸社会システム複合の遷移、
変動と規定します。
そうすると、諸社会システムは、解放恒常系として相互に作用しつつ、
複合した総体として自然環境に対してもリソースが解放恒常系として維持され
ようとする、と近似が推測されます。

おそらくは、こうしたシステム論的把握が歴史学を最も科学に近づける方法なのですが。

仮にこうしたパースペクティヴで捉えると、
「歴史が完全に無秩序じゃないか/それとも無秩序か」という問いの建て方自体が
ナンセンスになります。
確率論での取り扱いも不十分と言えるでしょう。

Socio-culuturalな諸社会システムの複合は、内部に小さな無秩序を内包しつつ、
個別システムとしてのホメオスタシスを維持しようとし、
結果として自然環境との間で無秩序に陥る、複雑系
と予想されます。
297名無し象の鼻はウナギだ:01/11/24 20:10
>一般に歴史学では他の諸学以上の研究史を学ぶことが推奨されるが
> この事実は「その時点までに利用できる史料が含有する『情報』
> だけで自説の構築に取り組む」の主張との関連を150文字以内で
> 述べよ。

ある史実に関して、「その時点までに利用できる史料」としていかなるものが存在するの
かを把握するためには、「研究史を学ぶこと」が大変に効率よく、有益である(ワラ。(77字)

> 「一般に考古学では優れた推論は事実を予想」すると言われ、研究者は闇雲に 発掘調
> 査をするわけではないが、このことと「そのような『出現』は、 研究者が注ぐ努力の
> 量に比例して発生するという性質のものではない」 の主張との関連を150文字以内で
> 述べよ。

考古学における「予想」は、遺憾なことには必ずしも常に的中させることはできず、大変な努力をはらって発掘にこぎ着けても成果なし、という事態が起こりがちである、という状況を指す。 (86字)
298世界@名無史さん:01/11/24 20:14
>>295
そんなものは「学術書」じゃねえだろ。
299世界@名無史さん:01/11/24 20:18
>>291
欧州や日韓、日中での共通の歴史認識ができる為には、
「情報の共有」を行えばいいのですか?
300名無し象の鼻はウナギだ:01/11/24 20:32
>>294
> >>291
> >一日分時間が経過すると、世界人類の日々の営みは一日分蓄積される
> まさか本気で書いているとは思わないが、一応レスすると、
> それは歴史学の対象ではないよ。

ところがどっこい。
大きな政治的事件とかじゃなくて、一般庶民のごく日常の営みが「歴史学の対象」になっ
てるんですなあ。後世に詳細な史料が遺されて、「史料に基づく再現が可能な場合」は。
あんまり詳しくないけど、例えば、火砕流の下からほぼそっくり出現した古代ローマ都
市・ポンペイとか、宋代の首都の庶民の暮らしなど。だから親父には、じーちゃんが死ん
で、母親(俺様のばーちゃん)と弟の為に親戚の農家(=じーちゃんの実家)に米を貰い
にいくたびに悔しい目にあわされた敗戦後のすさんだ世相とか、高度経済成長の企業戦士
として最前線で頑張った状況とか、ぜひまとめてくれ、っていってるんだけどね。

>>295
 > 聞きたいんだけど、主観を完全に排することが可能ならば、
 > その「主観を廃した学術書」を一冊あげてもらえませんか?
まじめそうな質問だから「あほ」とは言わないけれど、他人の発言のキーワードの部分を
勝手に省いて改竄するなよな。俺様の原文。
 >>291
 > >歴史の叙述で主観を排するなんて可能なんですか?
 >「情報の隙間」を除く部分では可能です。
俺様の原文に則って回答してつかわす。
歴史を叙述する際に、「情報の隙間」を除く部分で「主観を排した」文章なんて、「学術
論文」ならみんなそうだ。それが出来ていないものは「学術論文」とは言い難い。
301世界@名無史さん:01/11/24 20:36
>>300
>一日分時間が経過すると、世界人類の日々の営みは一日分蓄積される

これは、「1日過ぎれば人は1日過ごす」って事か?
302塩々爺:01/11/24 20:38
>>299
意味づけの相互理解も必要じゃろう。
ひらたく言えば「あんたらの悔しい気持ちはわかる」ゆう態度の表明やな。
だから政治家は戦没者に花を捧げ祈るのだ。
自分家の有権者向けにしかそれをやらん政治家しかおらんうちは駄目じゃ。
303世界@名無史さん:01/11/24 20:41
>>300
>一日分時間が経過すると、世界人類の日々の営みは一日分蓄積される

これが歴史学の扱う「普遍的的法則」か?
いいかげんにしろ。
304世界@名無史さん:01/11/24 20:43
論文書く際には、独自性を出すようにいわれるのが普通だと思うが。
305>300:01/11/24 20:46
>歴史を叙述する際に、「情報の隙間」を除く部分で「主観を排した」文章なんて、「学術
>論文」ならみんなそうだ。それが出来ていないものは「学術論文」とは言い難い。

主観を排してるかどうかなんて、誰が認定するんだよ?君か?
306世界@名無史さん:01/11/24 20:47
>>300
>勝手に省いて改竄するなよな。俺様の原文。

「中略」とか入ればいいのかな?(藁

“改竄”されたくなかったら、もっと論旨の通った文章書くんだな。
今のところ一人よがりが多すぎます。

 
307世界@名無史さん:01/11/24 20:50
自分の見解入れないで論文なんか書いたら、単なる事実の羅列。
年表書いてるんじゃないんだから。
308名無し象は鼻がウナギだ:01/11/24 20:51
>>299
 >欧州や日韓、日中での共通の歴史認識ができる為には、
 >「情報の共有」を行えばいいのですか?
俺様のいう「情報」というのは、ある史実に関して、その史実の解明のために利用可能な
史料群から抽出可能な「情報」のことだから、「情報の共有」といった場合にも君の言う
のとは違うよ。

俺様が力説していることとも関係ないし、スレ違いだからざっとしか述べないけど、その
時代の歴史学の水準によって確定できる史実については「共有」が可能だし、やるべきだ
と思う。しかし「その史実にいかなる意味を与えるか」(=すなわち「歴史認識」だな)
については「共有」する必要なんかないと思う。

>>301
 >これは、「1日過ぎれば人は1日過ごす」って事か?
世界人類の個々のメンバーについていえば、そういうことになる。
309世界@名無史さん:01/11/24 20:58
>>308
>一日分時間が経過すると、世界人類の日々の営みは一日分蓄積される
>「1日過ぎれば人は1日過ごす」

これはやはり歴史学の「普遍的な法則」とはいえないな。
310世界@名無史さん:01/11/24 20:59
>>308
>しかし「その史実にいかなる意味を与えるか」(=すなわち「歴史認識」だな)
>については「共有」する必要なんかないと思う。

だからみんな納得しねーんだろーが。

普通そういうのは「科学的」とか言わんわな。
ある民族が血統にどんな歴史認識を抱こうと、
遺伝子解析の結果は変わらん。

ところで、歴史学っていうのは、ある民族の内部で
いかにして民族意識を形成されてきたかも論じるよな。

民族意識ってのは主観も含まれるからな。
遺伝子解析だけでどうこうなるもんじゃねーだろ。
311世界@名無史さん:01/11/24 21:00
>>308
歴史が科学なら、「その史実にいかなる意味を与えるか」も共有可能だろ?
312名無し象は鼻がウナギだ:01/11/24 21:13
>>303
 >これが歴史学の扱う「普遍的的法則」か?
 >いいかげんにしろ。
284は「歴史学の扱う普遍的法則」を質問したのではないぞ(ワラ

>>304
 >論文書く際には、独自性を出すようにいわれるのが普通だと思うが。
もちろんそうじゃ。
1.その論文で初めて利用される「史料」より抽出された「情報」
2.先行研究ですでに利用されている史料から抽出されたものではあるが、先行研究にお
  いてまだ利用されていない「情報」
3.先行研究において利用されている史料から、1・2の情報との突き合わせなどにより
  新たに抽出する「情報」
などによって、その論文の独自性が生ずる。

>>305
 > > 歴史を叙述する際に、「情報の隙間」を除く部分で「主観を排した」文章なん
 > >て、「学術論文」ならみんなそうだ。それが出来ていないものは「学術論文」と
 > > は言い難い。
 >主観を排してるかどうかなんて、誰が認定するんだよ?君か?
俺様のいう『「情報の隙間」を除く部分で「主観を排」』する、というのは、Aという史実に関してBという史料に「五千人」と書いてあったら、必ず『「Bという史料には五千人と書いてある」と認識する』というレベルの話だぞ。

「誰が認定する」かといえば、その論文を読む人すべてだ。

Bの記述にもかかわらず「五千人」ではなく例えば「三千人」が史実だという立場をとるなら、B以外のその他の証拠によってそれを裏付けねばならない。それをせず、あたかもBに「三千人」という記載があるかのように装ったら、それはもう「学術論文」ではない、ということだ。

>>305
 >自分の見解入れないで論文なんか書いたら、単なる事実の羅列。
 >年表書いてるんじゃないんだから。
史料から抽出できる「情報」には隙間があるから、「単なる事実」について自説を述べるにも、「自分の見解を入れる」ことが必要な場合が殆ど。
313世界@名無史さん:01/11/24 21:15
>>308
>しかし「その史実にいかなる意味を与えるか」(=すなわち「歴史認識」だな)
>については「共有」する必要なんかないと思う。

歴史的事実の意義付けが歴史学のポイントだろ。歴史学が科学なら、どうして
共有する必要がないんだよ?
314名無し象は那覇がウナギだ:01/11/24 21:26
>>308
 >ある民族が血統にどんな歴史認識を抱こうと、
 >遺伝子解析の結果は変わらん。
 >ところで、歴史学っていうのは、ある民族の内部で
 >いかにして民族意識を形成されてきたかも論じるよな。
 >民族意識ってのは主観も含まれるからな。
 >遺伝子解析だけでどうこうなるもんじゃねーだろ。
ある民族が、ある時代にいかなる「歴史認識を抱いていたか」については、史料がととのってさえいれば、その史料が含有する「情報」を「科学的」かつ「客観的」に抽出して、再構成することが可能である。

そのようにして再構成されたその民族のある時代の「歴史認識」は、抽出された「情報」に隙間がすくなければすくないほど、解釈の余地がすくないものとなる。
315=308:01/11/24 21:31
>>314
>ある民族が、ある時代にいかなる「歴史認識を抱いていたか」に
>ついては、史料がととのってさえいれば、その史料が含有する
>「情報」を「科学的」かつ「客観的」に抽出して、
>再構成することが可能である。

いいや。その程度の再構成で、綴られた歴史では不満だね。
不充分だ。
一例、神話の解釈、宗教の解釈、習俗の解釈なども
落されてはならないね。

やはり歴史学は科学としては完結しない。
解釈学になって始めて充分に完結する。
316名無し象は鼻がウナギだ:01/11/24 21:34
>>313
「他国と歴史認識を共有すること」にするかどうか、とか、「共有する」と定めるとして、『共有
する「認識」の中身をどんなものにさだめるか』などは、政治の問題であって、歴史学が扱う対象
ではない。歴史学の仕事は、それらの「認識」の土台となる「史実」を可能な限り精緻に提示す
ることだ。
317名無し象は鼻がウナギだ:01/11/24 21:38
>一例、神話の解釈、宗教の解釈、習俗の解釈なども
>落されてはならないね。

ある民族の、ある時代における上記の各「解釈」も、史料がととのってさえいれば、その史料が
含有する「情報」を「科学的」かつ「客観的」に抽出して、再構成することが可能である。

そのようにして再構成されたその民族のある時代の上記の各「解釈」は、抽出された「情報」に
隙間がすくなければすくないほど、解釈の余地がすくないものとなる。


***********

熱烈なるリクエストに答えて、入れてやったぞ。
318世界@名無史さん:01/11/24 21:42
>>317
>>一例、神話の解釈、宗教の解釈、習俗の解釈なども
>>落されてはならないね。 >ある民族の、ある時代における上記の各「解釈」も、史料がととのってさえいれば、
>その史料が
>含有する「情報」を「科学的」かつ「客観的」に抽出して、
>再構成することが可能である。

エティックとエミックって概念理解していますか?
319世界@名無史さん:01/11/24 21:42
>>316
歴史学は事実を提供するだけではない。年表だけ書けばいいのか?
320世界@名無史さん:01/11/24 21:43
>そのようにして再構成されたその民族のある時代の上記の各「解釈」は、
>抽出された「情報」に
>隙間がすくなければすくないほど、解釈の余地がすくないものとなる。
(>>317)

なんでー、結局どこまで行っても科学にはなりきれねー
中途半端なもんだ、って告白してるだけじゃねーか(藁
321世界@名無史さん:01/11/24 21:45
>>316
>歴史学の仕事は、それらの「認識」の土台となる「史実」を可能な限り精緻に提示することだ。

あなたは学術論文読んだことありますか?
322世界@名無史さん:01/11/24 21:47
>>316
歴史学者は事実認定して、解釈・分析を行い自分の意見を言うのが仕事だろ。
323世界@名無史さん:01/11/24 21:52
歴史が科学なわけないだろ。そんなことまだ言ってる学者いるのか?
324世界@名無史さん:01/11/24 21:53
>>323
学者かどうかはわからんけど、しつこく言い張ってるアホなら
このスレに一人(苦笑)。
325世界@名無史さん:01/11/24 21:55
人間が書いた史料を人間が読んで、それをもとに人間が叙述をするんだぞ。
それが妥当かどうかを判断するのも人間。
326世界@名無史さん:01/11/24 21:58
>>324
二人だろ。あ、同一人物か(笑
327世界@名無史さん:01/11/24 21:59
歴史が科学なら、第二次世界大戦の原因や日韓併合の原因、あるいは
日露戦争の原因なども、万人に妥当する解釈が生まれるでしょう。
それまで皆さん待ちましょう。
328 :01/11/24 22:07
チョト質問・・・・ 歴史が科学じゃないとして、だからどうだと言いたいのかな?
研究する意味がない?
有力な学説も単なる意見のひとつで、デムパさんのうわごとと等価?
自然科学の方がエライから、小さくなってろ?
329世界@名無史さん:01/11/24 22:09
>>318

>>317がエティック、エミックなんて微妙な概念理解してるとは
思えねー(苦笑)。

漏れが思うに、それ以前に共同主観とか間主観とかの概念も
理解できてねーみてー。
結局、素朴実体論の範囲で客観云々言ってるだけ。

19世紀レベルの脳ミソな(藁
330世界@名無史さん:01/11/24 22:11
科学の場合だと、同じ条件が整えば同じ現象が起きるのでしょうが、
歴史における因果関係はどうでしょうか?一回こっきりでは?
331世界@名無史さん:01/11/24 22:11
>>328
歴史が科学ではないなら、科学とは異なり、科学においては
不要な研究倫理なり理解姿勢なりが要請されます。
スレの内ですでに出されているものとして
公正な解釈、対話精神などが挙げられています。
332世界@名無史さん:01/11/24 22:17
>>328
「歴史は科学でない」というのは否定的な意味で使っているわけじゃないんだよ。
333世界@名無史さん:01/11/24 22:21
>>328
ガイシュツネタだと
本来科学ではない分野でカガクテキが言われるとロクなことに
なんねー、ってのもあったな。

旧ソのカガクテキ歴史とか、ナチのカガクテキ人種論とか。
334271:01/11/24 22:22
名無し象は鼻がウナギだ=猫電波=251=120だとして、さらに=56だと楽しいんだが
335世界@名無史さん:01/11/24 22:24
文化圏ごとの異なる歴史意識を克服するために、近代になって世界中
どこでも妥当する法則はないかと登場したのが、マルクス主義でしょ。
33656ですけど:01/11/24 22:24
猫電波さんは、ウナギじゃないと思いますよ。
いや、よその板でしばらくつきあった感触からそう思うだけだけど。

でもウナギと一緒にされちゃ、たまんないなー(藁)。
337 :01/11/24 22:26
>>331-333
理系マンセーの人の「科学的じゃない」とは違う意味なのねん。
わかりまいたあ!(本当はよく分かってないけど)
338世界@名無史さん:01/11/24 22:27
名無し象は鼻がウナギだ==56はないっすよね(賞
339世界@名無史さん:01/11/24 22:28
>>335
それはちょっと違うのでは?

マルクス本来の「科学的」は19世紀の水準で
諸々の宗教的だたったり理想論的だった社会主義思想に
対して「科学的」が主張されたに過ぎません。

別に「文化圏ごとの異なる歴史意識を克服するため」とかでは
ないと思われます。

「文化圏ごとの異なる歴史意識を克服するため」とかは
もうスターリン的なプロパガンダかと。
340世界@名無史さん:01/11/24 22:38
>>339
そうかなあ。マルクスがいう「唯物史観」なんていうのは、
そういうイデオロギーだと思うけどな。
341世界@名無史さん:01/11/24 22:53
>>339
うーん、そうだねぇ。
「唯物史観」に関しては、それ以前の史観がどんなものだったか
考えないと、マルクスの狙いを見誤ると思うんだよね。

彼は経済構造を下部構造、文化価値などを上部構造と整理した
わけだ。
このとき仮想敵に想定されてたのは、まず王権神授などの
キリスト教的史観だし、次に、貧民救済などの人道主義で
補完されたブルジョワの史観(やっぱりキリスト教的ヒューマ
ニズムを隠蔽したそれ)だと思う。

「文化圏ごとの異なる歴史意識を克服するため」を
イデオロギーだったり、プロパガンダって判断するのは
構わないんだけど。
裏を読まないと、敵の術中にハマるって感じかな。

ちなみにマルクス本人はホントは結構悩んでたと思うけど、
特に「アジア的」なんて概念は、今から観ると、ほとんど
苦し紛れだよね。
342世界@名無史さん:01/11/24 23:20
マルクス曰く「従来のすべての社会歴史は階級闘争の歴史である」
343世界@名無史さん:01/11/24 23:31
>>342
だから階級分化してない社会にはメチャクチャあてはまんない(笑)。
344世界@名無史さん:01/11/24 23:44
結局、歴史=科学という幻想はマルクス主義史観の残滓であるということで
決着つきましたな。はい、終了。
345Gao:01/11/25 00:18
Science=(Logical)positivism. There have been lots
of social scientists who attempted to apply Hempel's
deductive-nomological model to social sciences in
the U.S.(e.g. behavioralism)
346世界@名無史さん:01/11/25 01:26
神とゴッドの違いを述べよ。
347猫電波:01/11/25 02:09
>名無し象は鼻がウナギだ=猫電波=251=120だとして、
ちゃいます。
歴史学の具体的な営みが解らないとレスが出来なくなってきたんで引っ込んでました。
少なくともうなぎ氏(言語学板のデフォルトなんだけどさ)は歴史学の訓練を受けているようですし、別人です。
ついでにお返事を
>>217
正直、複数の仮説が有りつづけても、真実は一つだよ、または、語り方の違いに過ぎないよ的な「神の視点」から
歴史を考えてしまいがちな身としては釈然としないのですが(これは手際が良けりゃ怖いくらい理論どおりの実験結果が得られる理系「学部生」だからかも)、
反論する言葉は思いつきません(理解できてない部分が多い所為もある)。
あと、上で言語学の要素を音素としてるのを見て「え、そうなの?」と思ったのですが、つまり、これも同一性の保証として捉えさせて構わないでしょうか?
>実は、経済学と比較してどうか?って大きなイシューが
経済学や社会学も科学じゃない、以上となるかと思ったのですが、そうはお考えに成ってはいないと言うことですか?
生態学と社会心理学は個体差を考慮に入れているとみなしてもいいかな?
歴史の普遍法則についてですが、行動科学の法則=歴史学の法則にはならないでしょうか?

長文ですが、駄レスですので無視して結構です。
348猫電波:01/11/25 02:22
>>251
量子力学は波動方程式自体は決定論的です。統計力学とかのが適切かと
>>331
>公正な解釈、対話精神などが挙げられています。
科学に限らずどんな場合にも大切かと
>旧ソのカガクテキ歴史とか、ナチのカガクテキ人種論とか。
人種に関する研究自体は非科学的じゃありませんよ。ヤバイ社会的影響があり得るのは事実ですが
それにルイセンコなんかは研究対象自体が非科学とはいえないでしょう。
349世界@名無史さん:01/11/25 02:22
>>347
せっかくだから、堀米庸三『歴史をみる眼』(NHKブックス)と
岡田英弘『歴史とは何か』(文春新書)でも読んでみたら?
2冊とも安いし。
350猫電波:01/11/25 02:25
>>349
ありがとうございます、読んでみます。でも新書で埋められるもんなんでしょうか?
実際に史料批判とかの訓練とか受けないとドキュンは直らないような不安感が
351世界@名無史さん:01/11/25 02:39
>>350
「史料批判」っていうのは大体「外的批判と内的批判」に定型化してる
けど(意識しているとは思わないが)、結局、それを訓練するには、
多くの1次史料を読み込むことじゃない?
歴史概論をちょっと読んだところで身につくものじゃないはず。

ちなみに上記紹介の2冊は「史料批判」の方法論を説いたものではないので・・・。
352=217:01/11/25 03:22
>>347=猫電波さんへ
>上で言語学の要素を音素としてるのを見て「え、そうなの?」と思ったのですが、
いえ、ちょっと誤解があると思います。
先に言った、「言語記号」はソシュール的なソレを指していて、音素だけを意味
したわけではないです。

経済学はもちろん科学ではないのですが、如何に科学ではないかの性質が違います。
経済学が如何に科学ではないかは、歴史学が如何に科学ではないかの説明
バイパスに用いられるかもしれません。

もちろん経済学といっても種種のトレンドがあるのですが、ここでは数理モデル
を近代社会の経済現象の説明原理に用いる、いわゆる近代経済学を考えます。

近代経済学は、歴史学より大分科学的です。
歴史学が科学では無い理由として、私はこれまで、
a)要素単位が特定されないこと
b)実験手法が用いられないこと
をあげ、科学の実践では、aとbが密接に関連していることも指摘しました。(>>222)

ところで、科学には他にも条件があります、それはc「対象の性質と対象領域を
限定すること」です。(これもaと密接に関連します)

余談になりますが、言語学はソシュール以降、科学になりました。
それはソシュールが言語記号の、概念を特定すると同時に、言語学の対象をラングと
特定したためです。同時にソシュール的言語学のメイン・トレンドからは、
一旦、パロールと意味生成作用が排除されました。このため、その後の言語学には
幾つかのトレンドが生じたわけですが、それでも科学としては前進です。

で、経済学ですが、数理モデルを経済現象の説明原理に用いられる範囲に対象
領域が限定されます。ところが、この経済学の数理モデルは常に対象領域外に
開放系となります。リソースに関して開放系、ですし、ルールに関しても開放系
なんですよね。これが、経済学が科学にはなれない根本的理由です。

生物学が生物種を対象とするとき、各個体は環境に対してリソースが開放系
ですけど、生物個体のホメオスタシスは概ね一定でゆるやかに変動します。
ですから、種の平均値に関して科学的な理論を構築することができます。

この件に関しては、>>296で、「歴史学が最も科学に近づく可能性」に言及して
みました。
>>296の路線でも、現況で歴史学は科学になりきらない方がよいのですが。
それは、歴史上のSocio-Culuturalシステムが担った歴史上の意味生成作用も
歴史学が取り扱うべきだからです。

私としては、もし、歴史学が科学になるとしたら、少なくともU・エーコらの一派が
試みている記号学の再統合が成功し、意味生成作用が科学されてから、と思います。
別の立場の方は、認知科学がもっと発達しないと意味生成作用は解明されない、
と言うでしょう
どちらにしても21世紀の課題です。

舌足らずで済みませんが、歴史学は科学ではない、とは概ねこうしたことと
考えられます。
実は、ここに書いたこと、専門に研究されてる方からは、議論に見合ったレベル
でもいろいろな反発があると思われます。

が、別のスレで言及されている「言語論的転回」をラディカルに推し進めると
ここに書いたようなことが言えます。
353世界@名無史さん :01/11/25 04:11
ソシュールって表意文字を知らなかったドキュソってホント?
文字そのものに意味が無いというところから考えはじめたけど日本語はそうじゃないよね。
354世界@名無史さん:01/11/25 04:24
>353
日本語にだって表音文字はあるだろというのはおいといて
やっぱり漢字そのものには意味ないんじゃない?
どこにあるのかと問いたい(以下略)
355=331:01/11/25 04:24
>>348
>>公正な解釈、対話精神などが挙げられています。
>科学に限らずどんな場合にも大切かと

いや、「科学的知識」は万人に共通ですから、解釈の余地はなく
正確に情報伝達をすればすむので、互いの立場を了解してゆく
対話も不要、ということを示唆しています。

公正な解釈や対話精神が要請されるのは、歴史が科学ではないから、
なんです。
356世界@名無史さん:01/11/25 04:28
>>353
>ソシュールって表意文字を知らなかったドキュソってホント?

その話ははじめて聞いたけど多分ガセ。

>文字そのものに意味が無いというところから考えはじめたけど

いや。ちょっと違う。
意味とは記号間の関係性が示すものなので、文字自体が担うわけでは
ない、と考えた。

これは日本語だろうと表意文字だろうと実は一緒。
−−と言ってもわかりづらいだろうな(困)。

ソシュールが論じた「意味」は辞書的な意味ではないんだよ。
357世界@名無しさん:01/11/25 04:44
>>352
>言語学はソシュール以降、科学になりました。
これは、嘘だろ。
正確には、科学志向だというにすぎない。
解釈を推論に置き換えただけ。
358ワダパルキー:01/11/25 04:46
歴史学はマルクス以後、科学になりました。
359傍観者:01/11/25 05:27
ほーら。20年前のフランス現代哲学論争スレになった(笑)
このスレ書きこんでるのって、結局、日本史板の網野善彦論争とおなじで
不毛なんだよなあ・・・。

論争のインフレ現象おこすの、はなからわかってたけど・・・
360そりゃそうだ               :01/11/25 05:42
主観と客観の相克なんぞ大昔からあるよな。
「では、ナ−ガセーナ先生、主観とは如何に?」
なーーんて始めたら一生掛かるな。
361世界@名無史さん:01/11/25 07:20
歴史学と研究者自身の政治性を切り離すことはできないのかな?
362=352:01/11/25 08:00
>>357
うんにゃ。言語学は科学になったよ。
要素単位も特定されたし、対象の性質も対象領域も限定されて
実験もおこなわれるようになった。

まぁ正確に言えば、科学になったのは音韻学だけどね。
363世界@名無史さん :01/11/25 08:19
>>362
ちょっとよくわからないのですが、音韻論にはどのような証明可能性
と法則による予測性が認められるのでしょうか。
364世界@名無史さん:01/11/25 08:43
>>363
法則性や予測性を科学の条件として挙げているのは、私ではありません。
他の方ですので、悪しからず。

私が挙げている科学の条件は「単位要素の確定」「対象の性質対象領域
の限定」「実験を伴う論理実証」です。

例えば、ソシュールは言語記号はラングによって分節構造が異なると予
想しました。
(論理仮説)
これは人工的に発音をアナログに変えていく音の聞き取り実験で確認さ
れます。
(実験)

例えば、r→lと発音がアナログに変化する音の連鎖を人工的に作り
被験者に聞かせます。
英米語を母語にする被験者は本来アナログな変化をアナログと認知しま
せん。
(実証)

こうした実験で認知構造が文化ごと(ラングごと)に異なる、と証明され
ます。

ほかにもいくつも事例がありますが。
つまり論理実証主義なわけです。
そして、要素単位と対象の性質対象領域も限定されたから構築された
理論なわけです。
365=364:01/11/25 09:40
>>363
あ、音韻学の予測性と言えば一つ思い出しました。
「音韻変化の予想」ということは言われると思います。

残念ですが、私は信じていませんが(困笑)。

個人的には、音韻変化の実態を示すのは社会言語学だと
考えています。
けれど、社会言語学はこれまた科学ではないと思われます。
位相は歴史学に似ています。
科学的方法論を活用したコミュニケーションの解釈学です。
366世界@名無史さん:01/11/25 09:49
>>352
> 生物学が生物種を対象とするとき、各個体は環境に対してリソースが開放系
> ですけど、生物個体のホメオスタシスは概ね一定でゆるやかに変動します。
> ですから、種の平均値に関して科学的な理論を構築することができます。

おっしゃりたいことはわかりますが、
現代では生物種を要素単位と認定しない立場もそれなりに有力ですので、
もう少し別の例を挙げられた方がよろしいのでは?
どーでもいいことですが…
367名無し象は鼻がウナギだ:01/11/25 10:59
>>330
 >科学の場合だと、同じ条件が整えば同じ現象が起きるのでしょうが、
 >歴史における因果関係はどうでしょうか?一回こっきりでは?
ある史実の解明に利用しうる史料の種類は、その時代においては「万人に共通」です。そ
して、それらの史料群が含有する「情報」のうち、その時代の「科学水準」で抽出しうる
範囲も「万人に共通」です。

「史料から情報を抽出する段階」においては「同じ条件が整えば同じ現象が起き」ます。

実際に「利用可能な史料」をすべて利用し、「抽出しうる限りの情報」のすべてを抽出で
きるかどうかとは、また別の問題です(例えば、金のない貧乏院生が、ロシアの旧都の公
文書館の奥深くに秘蔵されている希覯書の原本を見に行くことは困難だから、刊行本で我
慢するしかない(泣;;)。
いやいや。言語学も音韻なんたらも科学では・・・(泣)
ご本尊たちがそう、わめいているだけで、いわゆる学会や大学の権力機構
と密接に結びつこうとしてるだけ。


「だからスコラ哲学してるだけ」と思ったほうが、まーだ、いいよ。
ああ。世界史板がまーた、政治と言説の偏屈の袋小路にはいってく・・・(泣)
369世界@名無史さん:01/11/25 12:38
放っとけば?
結局は外野がレッテルを貼りたがってるだけなんだから。
370世界@名無史さん:01/11/25 12:41
>いわゆる学会や大学の権力機構
>と密接に結びつこうとしてるだけ。

いや。そんなことはどんな分野でもあり得ることなので
このスレの議論にはあまり関係ありません。

大事なのは、科学だ、と主張する方も科学でないと主張する者も
では科学とは何かの条件を明示した上で論じることです。

この議論方法は「スコラ哲学」とは言えないと思われます。
371世界@名無史さん:01/11/25 13:16
>>367
>ある史実の解明に利用しうる史料の種類は、その時代においては「万人に共通」です。そ
>して、それらの史料群が含有する「情報」のうち、その時代の「科学水準」で抽出しうる
>範囲も「万人に共通」です。

意味わかっているの?史料の話なんかしてないだろ。
372世界@名無史さん:01/11/25 13:21
>>371
てゆーか、せっかくの史料から「万人に共通な情報」・だけ・抽出して
その情報・だけ・で構成された歴史なんてつまんない、って意味のこと
言ってる人多いはずなんだけど、通じてないみたい(苦笑)。
373世界@名無史さん:01/11/25 13:21
>>367
>ある史実の解明に利用しうる史料の種類は、その時代においては「万人に共通」です。そ
>して、それらの史料群が含有する「情報」のうち、その時代の「科学水準」で抽出しうる
>範囲も「万人に共通」です。「史料から情報を抽出する段階」においては「同じ条件が整えば同じ現象が起き」ます。

たとえば、「昭和天皇独白録」を読んで、腹立ててる学者もいれば、反対に昭和天皇に
好意をいだい学者もいるが、これはどういうわけ?
374世界@名無史さん:01/11/25 13:25
日米開戦の原因を探ったって、書き手の価値観・歴史認識が色濃く出る。
「新しい歴史教科書」見ればわかる。
375世界@名無史さん:01/11/25 13:27
だいたい歴史が科学なら、どうしてこんなに歴史認識でもめてるんだよ。
376世界@名無史さん:01/11/25 13:33
「史料」だけの話なら「史料学」といったほうがいいでしょうね。
歴史の場合は、史料を解釈して表現されるものですから。
377世界@名無史さん:01/11/25 13:36
現に「文献学」といわれるものがありますが、これは「歴史学」と同様の意味ではありません。
378世界@名無史さん:01/11/25 13:41
>>367
ちょっと聞きたいんだけど、文学は科学ですか?
379世界@名無史さん:01/11/25 13:44
歴史上で同じ条件が調うなんてことはありません。
仮に、似た現象があったとしてもどっかが違う。
380世界@名無史さん:01/11/25 14:13
理工学部史学科なんて、おらやだあ。
381ところで:01/11/25 14:22
ハリ・セルダンの「心理歴史学」の話題はもう出ましたか?
これなら科学と認めてもいいです。
382世界@名無史さん:01/11/25 14:26
第2ファウンデーションって、汗をかいても溶けないんですってね
383猫電波:01/11/25 14:49
>>351
当然、そうですよね。
>>352
ア、すみません。構造主義言語学について理解できたと思ったことが無いもので(恥)
経済学に関してはスティグリッツの教科書程度の理解しかないのですが、制度に関しても経済学で説明しようと言う傾向が在る様に思います。
基本的には、心理学や経済学は呼び方はともかく説明としてかなり成功していると思いますが、歴史学も呼び方はともかくそうであると考えて宜しいでしょうか?
>>うなぎさん
門外漢にはイメージがつかめないので、質問よろしいでしょうか?
現代の日本についての「史料」はどれくらい隙が無いんでしょうか?
行動諸科学が完成していなくても、解釈は一意的に定まるんでしょうか?
>>373
歴史学ではそれはどうでも良くないことなんでしょうか?
384世界@名無史さん:01/11/25 17:01
>>383
どうでもよくないんじゃない?
どうでもよかったら人物論なんて意味ないじゃん。
385世界@名無史さん:01/11/25 17:51
ここは「歴史は科学」バカと「歴史は解釈学」バカがものすごい勢いで論争するスレか?
386世界@名無史さん:01/11/25 18:03
>385
ちなみにお前は単なるバカ(ワラ
387世界@名無史さん:01/11/25 18:39
とりあえずさ、ここらへんの水準まで達したら科学と認定できるというコンセンサス
を形成しようよ。そうしたら証拠の提示が楽になるだろ。
388=352:01/11/25 19:06
>>383
>経済学に関してはスティグリッツの教科書程度の理解しかないのですが、
>制度に関しても経済学で説明しようと言う傾向が在る様に思います。

〔歴史学では〕制度に関しても経済で〜の意味と、解釈しました。
私、そういう歴史学には不満を感じてまして。
互酬や集合-再分配といった非・近代的な経済システムが当時の
社会に持っていた意味が相対的に軽視される仕組みににって
いますので。
こうした点も科学的な歴史学を評価しない遠因になっています。

>基本的には、心理学や経済学は呼び方はともかく説明としてかなり
>成功していると思いますが、歴史学も呼び方はともかくそうである
>と考えて宜しいでしょうか?
えぇとこちらも「歴史学も呼び方はともかく〔説明理論〕としては
成功している」の意味でしょうか?
はい、そうですね。

例えば、わかり易く極論を言うと、過去の出来事は大抵並行現象
−−鶏が先か卵が先か、だと思うとまず間違いが無くって(笑)。

広範な事象を説明できる因果関係を、並行現象の群れの中から
見つけだして納得行くように説明してくれる歴史がよい歴史と
思います。

ダメな歴史書にダマサレない読み方の一つに(笑)、ある歴史書で
因果関係として論じられる事象連関は並行現象にすぎないの
ではないか?と疑ってチェックしてく読み方があって。
私、ときどきやってみます(笑)。
389世界@名無史さん:01/11/25 19:21
>広範な事象を説明できる因果関係を、並行現象の群れの中から
>見つけだして納得行くように説明してくれる歴史がよい歴史と
>思います。

そうですか?
よい歴史研究の条件は事象間の因果関係の蓋然性であって、
因果関係の説明範囲が広範な事象であるかどうかは
本質的な問題ではないと思いますが。
390=388:01/11/25 19:41
>>389
そうですね。因果関係の蓋然性が高いことは前提として、
そのうえで、説明範囲が広範な方がよい、の意味と
解してください。

>ダメな歴史書にダマサレない読み方の一つに(笑)〜
以下参照(>>388)
391世界@名無史さん:01/11/25 20:26
書き方が不明瞭でしたね。ごめんなさい
ある事象の原因の説明として複数の要因が考えられる場合、
各々の要因が与えたインパクトの軽重が問われることがあります。
その際に、広範な事象を説明可能だが相対的に軽いと考えられる
要因と、説明範囲は狭いがその事象に関しては重要な要因の
どちらを重視するのが「よい歴史」の研究か、ということです。
この点は研究のフレームワークによって違って当然ですが。

適当な例ではないかもしれませんが、ある商家の没落の研究で、
経済の動向と当主の放漫な経営方針の二つが考えられるとして、
主要因としてどちらを重視するのが適当かなど。
まぁ、アーティフィシャルな例で議論してもしかたありませんが。

# 本題と無関係なのでsageときます
392名無し象の那覇はウナギだ:01/11/25 23:06
>>371
> >ある史実の解明に利用しうる史料の種類は、その時代においては「万人に共通」で
> >す。そして、それらの史料群が含有する「情報」のうち、その時代の「科学水準」で
> >抽出しうる範囲も「万人に共通」です。
>意味わかっているの?史料の話なんかしてないだろ。

お前こそ、俺様がドキュソのスレ主とそのトリマキにむかって何を力説・強調している点
がわかってないようだな。

お前、俺様の話が「史料の話」に見えないのか。
俺様は 手を変え品を換え「史料の話」を繰り返し懸命に行っているのだが?
ノウミソの検査をやったほうがいいな。

このスレの初期のやりとりの流れを見ていると、無知なものにはもっともらしく聞こえる
が現場の作業には全然あてはまらぬ「抽象論」で「歴史学の手法」を解析したつもりに
なっているボクチャンたちがしたり顔でのさばっていたからな。

アホどもの突っ込みが甘いからまだ充分には展開しきれていないが、歴史学における史料
操作がいかに「客観的」「科学的」であり、その仮説の提示にあたっては万人が「追試可
能」なよう、史料と、史料から情報を抽出するプロセスと、抽出した情報を解釈するプロ
セスを「基礎・土台・根幹」として、情報+解釈に基づく「史実に対する仮説」が提示さ
れる過程を、ありがたくも紹介してやろうというのじゃ。

これからもココロして聴け(ウヒャヒャ

>>373
 > たとえば、「昭和天皇独白録」を読んで、腹立ててる学者もいれば、反対に昭和天皇
 > に 好意をいだい学者もいるが、これはどういうわけ?
「昭和天皇独白録」という史料に含有されている「情報」、その時代の学問水準によって
抽出しうる「情報」は万人に共通である。歴史学者は、史料と、その史料が含有する「情
報」に対して冷徹なる解析者としてのみ接するべきであって、「腹を立て」たり「好意を
抱いた」りするのはおかしいな。そんなことをやる「歴史学者」がホントに実在するとす
れば、それは自分の支持する政党とか何とかの関係だろうな。

>>379
 > 歴史上で同じ条件が調うなんてことはありません。
 > 仮に、似た現象があったとしてもどっかが違う。
ある一つの史実に対し、利用しうる史料の種類とか、それらの史料群より抽出しうる「情
報」に関しては、「同じ条件が整うこと」は大いにあります。
393名無し象の鼻はウナギだ:01/11/25 23:23
>>372
 > てゆーか、せっかくの史料から「万人に共通な情報」・だけ・抽出して
 > その情報・だけ・で構成された歴史なんてつまんない、って意味のこと
 > 言ってる人多いはずなんだけど、通じてないみたい(苦笑)。
>> 376
 >「史料」だけの話なら「史料学」といったほうがいいでしょうね。
 >歴史の場合は、史料を解釈して表現されるものですから。
>>372 お前は他人の発言を実際の主旨とは全く反対に捏造するアホだ。>>227でも見れ。
>>376  おれ様自身がとっっくに同じ主旨のことを述べているよ。>>219-221とかね。
394世界@名無史さん:01/11/25 23:39
>>392
おまえこそ脳みその検査しろよ。

>科学の場合だと、同じ条件が整えば同じ現象が起きるのでしょうが、
>歴史における因果関係はどうでしょうか?一回こっきりでは?

これのどこが史料の話なんだよ?
395世界@名無史さん:01/11/25 23:41
>>393
>「史料」だけの話なら「史料学」といったほうがいいでしょうね。
>歴史の場合は、史料を解釈して表現されるものですから。

>おれ様自身がとっっくに同じ主旨のことを述べているよ

それなら、「歴史は科学」だなんて言うなよ。
396世界@名無史さん:01/11/25 23:43
>>393
「歴史学」=「史料学」なんですか?
397世界@名無史さん:01/11/25 23:47
        _____________
        ||                。 ∧_∧
        ||・歴史はしぃ的       \(゚ー゚*) 分かりましたね。
        ||                  ⊂⊂ |
         ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄|
  .∧ ∧     .∧ ∧    .∧ ∧      .|____|
  (・,, ∧ ∧  (  ∧ ∧ (  ∧ ∧
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__ミ・д・∧ ∧
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧
    〜(__(,,・∀・)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      @(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ

     /   は〜い、先生。   \
398世界@名無史さん:01/11/25 23:50
>>392

1がおかしいなら、どこにでも普遍的に妥当する歴史の客観的法則
を説明してからにしてくれよ。「1日過ごすと〜〜」なんていう低脳の回答は勘弁。
399世界@名無史さん:01/11/25 23:51
「歴史学」=「文献学」だと勘違いしている馬鹿がいます。
400世界@名無史さん:01/11/25 23:58
>>392
「どこにでも普遍的に妥当する歴史の客観的法則」を君は発見したのか。
それは凄いことだ。さっそく論文にまとめて『史学雑誌』にでも発表してくれ。
それだけすごい発見ならば査読で落とされることもないと思う。
学会でも注目されて、一躍有名人の仲間入りだぞ。
401世界@名無史さん:01/11/26 00:05
西洋史の大家である元東大総長・林健太郎氏がいわれるが如く、
「史料学」「文献学」というものは歴史学の基礎ではあるが、
それは歴史学研究の技術論であって、歴史学の本質ではありません。
402名無し象は鼻がウナギじゃ:01/11/26 04:01
>>400
 >「どこにでも普遍的に妥当する歴史の客観的法則」を君は発見したのか。
おれさまの原文↓。>>392
 >「昭和天皇独白録」という史料に含有されている「情報」、その時代の学問水準に
 > よって抽出しうる「情報」は万人に共通である
脳が腐っとるのか、お前?
俺様には到底はかりしれぬ「脳内変換」能力をもっとるようだな(ワラ

>>400
 >それは凄いことだ。さっそく論文にまとめて『史学雑誌』にでも発表してくれ。
 >それだけすごい発見ならば査読で落とされることもないと思う。
 >学会でも注目されて、一躍有名人の仲間入りだぞ。
あほか。
史料からの情報抽出とその処理は、史学科の学部生が「研究入門」「演習」
「史料購読」などで初歩からたたき込まれる初歩的な「手順」じゃ。
お前、歴史学の「学会」や『史学雑誌』をなめとるな。

>>401
 >「史料学」「文献学」というものは歴史学の基礎ではあるが、
 > それは歴史学研究の技術論であって、
東大元総長氏も歴史学者であるからには、↑このようなおれさまと同じ主旨の発言をする
のは当然じゃ。>>169>>227あたりをみよ。
403名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 04:09
>>399
 >「歴史学」=「文献学」だと勘違いしている馬鹿がいます。
お前の芸術的歪曲を生み出す「脳内変換能力」も、爆笑モンだな。

俺様の原文↓。
>>169
 > 代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという作業にあ
 >る。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の科学水準に応じて  >「万人に共通の結果」がでる。

 > 歴史学で「説」を立てるためには、「情報」の隙間をうめる「推測」「仮説」や、こう
 >して得られた「情報」に対して「解釈」を加えることが欠かせないから、誰やらが「歴
 >史学」に対して貼っている「解釈学」とやらのレッテルを否定はしないけどね。

俺様は「基礎・土台・根幹」と述べておるのだな、これが。
404世界@名無史さん:01/11/26 04:09
>>402さんあなたは「サムライ十字軍」さんですか?言葉がキツイです。
405世界@名無史さん:01/11/26 04:13
>>404の訂正>402ではなく>>403への質問でした。
>402さんすいません。
406名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 04:18
>>398
「どこにでも普遍的に妥当」して、かつ「一日過ごすと・・」とは違う「歴史
の客観法則」をお望みなのだな。では紹介してやろう。

「2日時間が経過すると、世界人類の日々の営みは2日分蓄積される。」
407世界@名無史さん:01/11/26 04:22
>>406の「名無し象の鼻はウナギださん」一応質問に答えてください。
あなたは「サムライ十字軍」さんですか?
408名無し象は鼻がウナギだ:01/11/26 04:34
>>383 :猫電波さん
>門外漢にはイメージがつかめないので、質問よろしいでしょうか?
>現代の日本についての「史料」はどれくらい隙が無いんでしょうか?
>行動諸科学が完成していなくても、解釈は一意的に定まるんでしょうか?

まじレスしますね。
私のいう「隙間」とは、『ある史実の解明の為に現時点で利用できる史料群から現時点で
抽出しうる「情報」の隙間』です。

『現代の日本についての「史料」はどれくらい隙が無いんでしょうか?』というお尋ねで
すが、現代日本におけるいかなる史実なのか、その史実の解明のために利用しうる史料と
していかなる性質・形態のものが存在しているか、によって、回答はまったくことなって
きます。

「解釈は一意的に定まるんでしょうか?」というお尋ねですが、それも「史実」の種類や
性質、あるいは現時点で抽出しうる「情報」の質・量によって違ってきます。
409名無し象は鼻がウナギだ:01/11/26 04:39
>>407
このスレッドにおいては、このスレッドのテーマに沿った内容もしくは俺様の投稿の文面に関
する内容で、なおかつ俺様が回答したいあるいは回答せねばならぬと思うような質問以外に回答する
必要を認めない。

以上をもって回答といたします。
410世界@名無史さん:01/11/26 05:18
>>409「名無し象は鼻がウナギだ」さんの
専攻は日本古代史ですか?(別に答えなくてもけっこうです)もしそうだとしたら日本史板でも議論をしてくださいね。
411=388=390:01/11/26 07:20
>>391
>適当な例ではないかもしれませんが、ある商家の没落の研究で、
>経済の動向と当主の放漫な経営方針の二つが考えられるとして、
>主要因としてどちらを重視するのが適当かなど。
>まぁ、アーティフィシャルな例で議論してもしかたありませんが。
># 本題と無関係なのでsageときます

いえ。
実は歴史学がどういう性質の「学問」かを考えるにはよいアプローチかも
しれません。

あくまでケース・スタディとしてのお応えですが。
「ある商家の没落の研究」という主題である場合、「当主の放漫な経営方針」
という「インパクトが重く特殊な」因が重視されるでしょう。

が、その場合でも「経済の動向」という「インパクトが軽くとも広範で一般的
な因」にも言及された方が、「ある商家の没落の歴史」についての論術内容
が「深まる」と思われます。

例えば「この当主の放漫経営もこの時期でなければ没落はもうしばらく後の
ことになったはずだが」など。

これは、「対象領域」を限定しても、限定された対象領域がより広範な領域に
対して解放恒常系であるとみなさざるを得ない(解釈せざるを得ない)
歴史学ならではの事態で、
このように歴史学は科学ではありません。

科学ならば、設定された対象領域の範囲内で、完結する理論が構築されるべき
ですので。
412ウナギ:01/11/26 09:25
「重視されるでしょう」
「深まると思われます」
「・・なったはずだが」

(プププ

うん、『君の考える「歴史」』は、「科学」でなくてもいいよ。
413=388=390=411:01/11/26 09:52
>>412
クスクス

いぃえぇ、あなたが科学とみなす歴史が

歴史学の内で「解釈の材料を抽出整理する下ごしらえ
の部分にすぎない」と言うことで結構です。

土台の一部ですし、基礎の一部ですし、
それはそれは大事ですよねぇ(藁)
414世界@名無史さん:01/11/26 14:19
>>406
>「2日時間が経過すると、世界人類の日々の営みは2日分蓄積される。」

これは「歴史的事実」でも、1のいうような「法則」でもありません。
あなたは素人ですか?
415世界@名無史さん:01/11/26 14:44
>>414
せっかくだから、もうちょっと説明してよ。
416世界@名無史さん:01/11/26 14:54
>>412
>「重視されるでしょう」
>「深まると思われます」
>「・・なったはずだが」

こう書いていない歴史書が「科学的」だと思ってるのかあ?
「知と権力」について考えさせられる。
417世界@名無史さん:01/11/26 15:05
>>415
歴史学が対象とする個々の「歴史的事件」を一般化出来て、初めて「普遍的法則」
といえます。様様な問題を含んでいますが、発展段階説を考えればわかりやすい
と思います。そしてこの「法則」は将来、未来に渡って貫かれていなければなり
ません。たとえば、自然科学の分野では同じ条件が整えば、同じ現象が発生する
わけで、実験をすることによってこれを確認することができます。しかし、歴史
の分野では同じ条件が整うということはありえませんし、仮に整ったとしてもお
なじ「歴史的事件」が発生するとは限りません。また実験によって確認すること
も出来ません。
418=412:01/11/26 15:05
>>416
えーと、私は歴史学は科学ではなく解釈だ、とみなす立場ですので。

>こう書いていない歴史書が「科学的」だと思ってるのかあ?

いいえ、そんなこと思っていません。
419=418:01/11/26 15:13
>>416
むむ、誤爆ししてしまいました。

418≠412で
412≠歴史学は科学ではなく解釈だ、とみなす立場

です。多謝。
質問に関しては――「こう書いていない歴史書が「科学的」だと思ってるのかあ?」
思ってるんじゃないでしょうか?
何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られるそうですから。
示唆される通り「知の権力」の体現かと思われます。
私に言わせてもらえば、「最悪の型の『知の権力』」です。
420象は鼻がウナギだ:01/11/26 16:02
〉何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られるそうですから。
〉示唆される通り「知の権力」の体現かと思われます。

またまた「芸術的歪曲の脳内変換」の妙技を披露しているな(ワラ

おれ様が述べた内容は下記の如し。
 「科学的に分析すると万人に共通の結果が得られる」のは「史料から抽出しうる情報」。
 ある史実に対し「その史実の解明に使用しうる史料群より抽出した情報」に隙間が多い
 場合、その隙間は推測・解釈・仮説で埋めねばならないから、その隙間の幅だけその史
 実に対する学説に幅が生じる余地が発生する。

>示唆される通り「知の権力」の体現かと思われます。
>私に言わせてもらえば、「最悪の型の『知の権力』」です。

>むむ、誤爆ししてしまいました。

はは、自分でわかっとるようじゃのぉ。
421=418:01/11/26 16:09
>>420
>「科学的に分析すると万人に共通の結果が得られる」
>のは「史料から抽出しうる情報」。

あなたは史料に関する解釈学的循環を否認している型
(単に理解する能力がないだけと思えてきましたが)ですので、

>何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られる
>そうですから。
と要約してもあまり変わりません。
変わらないという以上に問題の所在を限定するという意味で
優れた要約と言えましょう。

どちらにしろあなたの唱える、科学的歴史は「知の権力」の
最悪形態を準備するはた迷惑な思想です。
422ナポレオン:01/11/26 16:16
ずっとROMってますが、おもしろいっすね。
が、最近どんどんウナギ氏の柄が悪くなってますね。
そんなあなたに質問です。
私は「史料解析には科学的手続きが必要」だが、
記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される、
よって歴史は科学であって科学にあらず、
芸術にあって芸術にあらずと教えられたものですが、
それに関してご意見を。
411(便宜上)氏のご意見も承りたい。
423猫電波:01/11/26 18:45
>>388さん
悪文、申し訳ありません。
>〔歴史学では〕制度に関しても経済で〜の意味と、解釈しました。
すみません。経済学では差別等も文化的背景に「逃げ」ず、
経済学の内部で説明しようとする傾向が有る様に感じた、と言う意味です。
しかし、>388の御答えはこれについても適用することが出来ますね。
ただ、>209を読んだ印象としては文化を軽視しているとは感じませんでした。
>えぇとこちらも「歴史学も呼び方はともかく〔説明理論〕としては
>成功している」の意味でしょうか?
>はい、そうですね。
はい、そう通りの意味です。
解釈学と仰っているのは、精神分析の人が「心理学」の人に反論するような意味でのものかどうかが良く解らなかったもので質問しました。
基本的には、実在探求のモチベーションがある、と理解させていただきます。(内部実在論とかそう言う話は置いておいて)。
424猫電波:01/11/26 18:57
>>408(うなぎさん
では、日本人のアメリカ観と言うお題でお願いします。
地域差、階層、ジェンダー、世代によって違うでしょうが、史料がどのクラスを反映しているかも歴史学ですよね?
これでも、頓珍漢な質問ではあるだろうと思いますが、御容赦下さい。
>423
文化を軽視しているとは→文化を重視する見方と相反するとは
425=411:01/11/26 19:05
>>422=ナポレオンさん
>歴史は科学であって科学にあらず、
>芸術にあって芸術にあらず

私は「歴史学は科学ではなく解釈学だ」の立場ですので、
「科学にあらず」は、もちろん構わないのですが、
「芸術にあって芸術にあらず」は、レトリックとしては許容できても
文字どおりの命題としては同意しかねます。

「解釈学」と言いますのは、西欧の文献学のメイントレンドだった
「古典解釈学」に、ガダマーが哲学的基礎をつけた分野、と一応は
されています。
それは批評文芸――文芸批評ではなく、社会批評や思想・哲学批評を
含んだジャンルで、自覚的で高度な方法論を駆使するものを意味し
ます。
必要に応じて科学的手法も活用される分野です。

従って、「解釈学⊃歴史学」の立場では、歴史学は芸術とは
みなしません。
「高度な方法論を自覚的に用いる批評文芸」の一類となります。

ちなみに、私は>>1の人でもありませんで、ガダマーの唱える
解釈学はそれはそれで保守的で問題が多いと考えています。
強いて言うならば、M.フーコーの言うエピステーメーを解剖する
学として解釈学をこうちくしてゆくべきと考えています。
426=411=425:01/11/26 19:09
>>422=ナポレオンさん
>「史料解析には科学的手続きが必要」だが、
>記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される、

〔歴史論述の〕記述には解釈が必要であり、の意味と解釈します。

残念ですが「歴史学は科学か解釈学か」の問題焦点の表明としてはやや
不明瞭と思われます。

ここで、ある、古代シリア語で書かれた未知の内容が記された古文書の
断片が発見されたとします。
考古学的手法で、古文書の媒体が作成された時期、文章が記された時期
は限定されます(情報の抽出)

また、歴史言語学的手法により、語彙からおおよその執筆時期が推測さ
れます。(情報の抽出)
同様に文体研究から、筆者の思想背景もおおよその推測がなされます
(情報の抽出)。

さて、「古文書媒体の作成時期限定」、「文章が記された時期限定」、
「語彙解析」、「文体解析」がすめば、歴史学の論術にとりかかれるか。
とりかかれはしないですね。記された文書の内容吟味が必要です。

文章の内容吟味を経ずに「科学的に分析すると万人に共通の結果が得ら
れる」情報とやらでだけ満足のゆく歴史論述ができるか? と言うと
そんなものもできはしません。

ところで、このシリア語古文書には、初期グノーシス的な語彙が、全体
の25〜30%というかなりの頻度で含有されていたとしてます。
ユダヤ教の教養が豊富な研究者とキリスト教の教養が豊富な研究者と
(どちらにせよ信徒という意味ではありません)文書を解釈した内容は
同じになるでしょうか?
なりはしません。

仮に、断章のない古文書のすべてが発見されたとしても、文書内容の
吟味は「科学的に抽出された情報」などでは完了しません。文献の内容
吟味自体に解釈学の方法論が必要です。

批評の学としての解釈学の手法を駆使して、より妥当な解釈を提出し、
異なる視座にもとづく解釈の間で対話を重ね、さらに妥当な解釈を
検討してゆくしかありません。

問題の焦点を強調するために、「宗教古文書」の事例を挙げましたが、
事情は、政治家の私文書(日記類、書簡類)であろうと、外交文書であろ
うと大差ありません。
強いて言えば、歴史的な統計類(納税記録や倉庫の帳簿)の類が、情報だ
けで評価し得る古文書でしょうか。
この類は、歴史学が取り扱う史料の一部にすぎません。

というわけで「史料解析には科学的手続きが必要」だが、それだけでな
く「史料解析にすら解釈学の方法論も必要なのです」

ウナギ式科学的手法は、あくまで科学・的であるにすぎず
解釈学たる歴史学の土台・基礎の一部にしかすぎない所以です。
427世界@名無史さん:01/11/26 19:21
科学ではないからといって歴史学の魅力が失われるといったわけでもなし、
科学ではないからといって出鱈目な論述をしていいわけでもないんだが、
歴史の科学性にこだわる歴史家というのはなにか僻みっぽいんだよね。

(ただし、ある論者はどのような解釈も妥当とし、
ある論者は解釈に回収し得ない客観的事実があるはずだという、その種の論争はあるが)
428ナポレオン:01/11/26 19:23
丁寧なレス、ありがとうございます。
>>426の途中からは、何というか、
ごく普通の内的批判の話に近い内容だったように思いますが、
確かに内的批判は解釈に関わる事柄ですからね。

芸術にあって芸術にあらずというのは、
叙述の問題に関連することでしょう。
おっしゃる通り、一種のレトリックだと私は受け取っています。
429名無し象は鼻がウナギだ:01/11/26 22:25
ある史実の解明に対して、ある史料が含有する「情報」は万人に共通であり、その時代に
おいてその史料より「抽出しうる情報」も万人に共通。「その時代において抽出しうる情
報」の中から、その時代のある歴史学者が「実際に抽出」できる情報は、その学者の素
養・力量にかかっている。
**************
という主旨は何度もくりかえしているが、
 >ところで、このシリア語古文書には、初期グノーシス的な語彙が、全体
 >の25〜30%というかなりの頻度で含有されていたとしてます。
 >ユダヤ教の教養が豊富な研究者とキリスト教の教養が豊富な研究者と
 >(どちらにせよ信徒という意味ではありません)文書を解釈した内容は
 >同じになるでしょうか?
 >なりはしません。
これ俺様への「反論」のつもりか?(ププ
俺様が上記で述べていることが別の表現で言い換えられているただけだね。
その「シリア語古文書」とやらを解読する訓練を受けたものと受けていないものでは、「解釈」以前に「実際に抽出できる情報」の内容は全然異なるからね。

古代シリア語とやらの訓練を受けていない中国史の碩学が、その「シリア語古文書」とや
らより「情報を抽出」したり、その「情報を解釈」する能力は、古代シリア語とやらの訓
練を受けた出来の悪い学部生にも劣る、ということは充分にありうる。
430=411=425=426 :01/11/26 22:30
>>429
>俺様が上記で述べていることが
>別の表現で言い換えられているただけだね。

まったく違います。
この違いが理解できない点があなたの限界と判断しましたので
別にあなたの惰説への反論を意図したものでもありません。
431世界@名無史さん:01/11/26 22:33
歴史の一般法則を発見しました。

どの民族も成文あるいは不文のルール(法律)を持つ。
432名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 22:46
※「史実」と「史料」の関係に関する俺様の発言↓。
>>227
 >ある史実が後世に残した痕跡(=史料)は、(後略)

※俺様が「万人に共通」と述べる対象
>>169
 > 現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという作業にあ
 >る。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の科学水準に応じて
 >「万人に共通の結果」がでる。

※俺様の発言を要約したと称するバカの記述
  >>421
>何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られる
>そうですから。
と要約してもあまり変わりません。

バカにとっては「史実」と、「史料からの情報の抽出」が「あまり変わりません」だ
そうな(ププ

>変わらないという以上に問題の所在を限定するという意味で
>優れた要約と言えましょう。

自分のバカさを「優れた」だとさ(ギャハハ

>どちらにしろあなたの唱える、科学的歴史は「知の権力」の
>最悪形態を準備するはた迷惑な思想です。

俺様が唱えたとされている「科学的歴史・・はた迷惑な思想」とやらは、俺様の発言に対
しバカが「優れた要約」を加えてでっち上げた、バカちゃんの創作物。
433名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 22:55
>>426
「史料に対する科学的解析」には、とうぜん「文章の内容吟味」も含まれておる(ギャハハ
434世界@名無史さん:01/11/26 22:58
象の鼻はウナギだ=arasi
435世界@名無史さん:01/11/26 23:00
>>433
>「史料に対する科学的解析」には、
>とうぜん「文章の内容吟味」も含まれておる

ほう、そうすると、文章の内容吟味の結果も
客観的で万人に共通だとウナギ殿は言われるわけですな。

その辺が知の権力ではた迷惑と言われるところでしょうな。
436世界@名無史さん:01/11/26 23:45
>>431
それは「歴史学」じゃなくて「社会学」のテリトリーじゃないの?
437世界@名無史さん:01/11/27 00:04
>>431
>どの民族も成文あるいは不文のルール(法律)を持つ

これもやはり「歴史学」でいうところの「普遍的法則」ではありません。
また、歴史のように人間の「生」に着目されるものは、やはり「傾向」「趨勢」
と解しておくのが妥当でありましょう。
438世界@名無史さん:01/11/27 00:09
>>436
でも歴史学でも重要だと思うぞ。
漏れは≠431だけどな。
だいたい歴史的過去なんてみんな異文化みたいな
もんだろー。
その辺も科学的に情報が抽出できるとかコカれても
そんなもんじゃおっつかねーだろ、とか思うとこだわな。

ちなみに「普遍的法則」ではあんめーって>>437には、
まー賛成かな。
439世界@名無史さん :01/11/27 00:10
>>437
わからないなあ。なんで普遍的法則じゃないの?「社会あるところに法あり」
という言葉があるけど、これは傾向や趨勢なんていうレベルの浸透性じゃないよ。
440世界@名無史さん:01/11/27 00:17
質問!どんなものならば普遍法則となるんでしょうか?
441世界@名無史さん:01/11/27 00:22
>>440
万有引力の法則とかじゃない?
442猫電波:01/11/27 00:25
>>441
統計的なものはダメってことですか。熱力学第ニ法則は?
それとも還元可能なものですか?
心理学なんかの法則はどうですか?
443世界@名無史さん:01/11/27 00:28
歴史学は人文科学なのか社会科学なのか?
うまく説明できるひといます?
444猫電波:01/11/27 00:30
失敬、統計的はちょっと違うか。
445世界@名無史さん:01/11/27 00:31
>>443
人文科学などというものはなぁい(藁)。
んなのは、翻訳語の混乱で生じた日本語的幻想。
446世界@名無史さん:01/11/27 00:32
>>439
歴史学が対象とする普遍的法則とするならば、まさしく、カーの
いうように「歴史的事実」に着目されなければなりません。

「絶対的権力は絶対的に腐敗する」「歴史は繰り返す」などの
格言がありますが、仮にこれらが「法則」とされているのならば、
それは比喩的に「法則」とされているのではないでしょうか。
447世界@名無史さん:01/11/27 00:35
>>439=431
多分ね、文化人類学で言う「親族の構造」みたいに
基本的なパターンからあらゆるヴァリエーションを
キレイに説明できると「普遍的法則」って呼ばれると
思うな。

「社会あるところに法あり」は間違いじゃないけど、
では、どんな社会ならどんな法があるでしょうか?
と問うても「いろいろでんがね」としか言えないだろ?

それは法則って言うより諺っぽい。
448世界@名無史さん:01/11/27 00:42
「社会あるところに法あり」って言うよりむしろ法が
あるところを社会というような。
449439:01/11/27 00:57
>>447
>基本的なパターンからあらゆるヴァリエーションを
>キレイに説明できると「普遍的法則」って呼ばれると
>思うな。

法制史の役割は十分にそのヴァリエーションを説明しているの
ではないですか。ともかく未開民族にすら慣習に基づくルール(ノルム)
があったことは「歴史的事実」であったし、3歳の子供ですら
自分の玩具を取られたらこれを取り戻そうとします。所有権や法意識
が人類社会に存在していることは歴史上の一般原則だといって差し支え
ないと思いますが。
450名無しさん:01/11/27 01:07
>>443
人も社会も両方、研究対象になるから、
半々じゃない?
ウチの教授は、そういってる
451普遍性って             :01/11/27 01:17
なんぞや?芸術にも普遍性ってあるらしいな。
時間的空間的に遍く通用するものか?
分野によってちがうのか?同じか?
452世界@名無史さん:01/11/27 01:19
>>449
「とられたものを取り返えそうとする」って歴史学の対象じゃなの?
453名無し象は鼻がウナギだ:01/11/27 01:27
>>432
>考古学的手法で、古文書の媒体が作成された時期、文章が記された時期
>は限定されます(情報の抽出)
>また、歴史言語学的手法により、語彙からおおよその執筆時期が推測さ
>れます。(情報の抽出)
>同様に文体研究から、筆者の思想背景もおおよその推測がなされます (情報の抽出)。
>さて、「古文書媒体の作成時期限定」、「文章が記された時期限定」、「語彙解析」、
>「文体解析」

こーゆーのも、俺様のいう「史料に対する科学的解析」に含まれておる。

>>435
 > >>433
 > >「史料に対する科学的解析」には、
 > >とうぜん「文章の内容吟味」も含まれておる
 > ほう、そうすると、文章の内容吟味の結果も
 > 客観的で万人に共通だとウナギ殿は言われるわけですな。
 >その辺が知の権力ではた迷惑と言われるところでしょうな。

※俺様が「万人に共通」と述べる対象
  >>429
>ある史実の解明に対して、ある史料が含有する「情報」は万人に共通であり、その時代に
>おいてその史料より「抽出しうる情報」も万人に共通。「その時代において抽出しうる情
>報」の中から、その時代のある歴史学者が「実際に抽出」できる情報は、その学者の素
>養・力量にかかっている。

※ここで俺様の発言と称して提示したバカの文章をあらためて吟味してみよう。
事例1:「文章の内容吟味の結果も客観的で万人に共通だとウナギ殿は言われる
     わけですな」。
 あほ。
 ある漢文史料に対し、中国史の碩学と、お前のようなバカちゃんが「文章の内容を
 吟味した結果」は当然いっしょにはならんわい。

事例2:その辺が知の権力ではた迷惑と言われるところでしょうな。
 バカちゃんのいう「はた迷惑」な「その辺が知の権力」なるものは、これも俺様の発言に対
 しバカが「優れた要約」を加えてでっち上げた、バカちゃんの創作物。
454象の鼻はウナギじゃ:01/11/27 01:49
こちらはまじレスモードで。

>>429
 > 私は「史料解析には科学的手続きが必要」だが、
 > 記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される、
 > よって歴史は科学であって科学にあらず、
 > 芸術にあって芸術にあらずと教えられたものですが、
 > それに関してご意見を。

「記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される」という部分に異存はありません。
ある史実に対し、その史実の解明のために使用しうる史料群より抽出しうる「情報」には隙間が存在し、その隙間を埋めるために推測・仮説・解釈が必要である、とは私自身も繰り返し述べているところであります。

>>449 =439
>ともかく未開民族にすら慣習に基づくルール(ノルム)
>があったことは「歴史的事実」であったし、3歳の子供ですら
>自分の玩具を取られたらこれを取り戻そうとします。所有権や法意識
>が人類社会に存在していることは歴史上の一般原則だといって差し支え
>ないと思いますが。
「所有権や法意識が人類社会に存在していること」が「歴史的事実」であり、「人類社会の一般原則」というのには異存はありませんが、「歴史の一般法則」とよぶのはいかがなものかと。
455世界@名無史さん:01/11/27 02:30
>>449
結論から申しますと、人間の「生」を基礎にしている限り、歴史学の対象とする
「歴史的事実」を一般化して歴史の普遍的法則として統一することは、
形而上学か信仰において他ないと思います。これが伝統的に説かれている
歴史と自然科学の大きな違いなのです。ただし注意しなければならない
のは、このとき使われている「法則」という言葉の概念が「自然科学」
でいうところのものであるということです。そういう意味で言えば、
さきほど挙げられた「社会あるところに法あり」というものも極めて
不完全といえます。といいますのも、歴史上、同じ社会、同じ法が
過去・現在・未来とわたって存在するわけがないからです。
我々はまず、歴史上、同じ現象が生じるということはない、と考える
べきではないでしょうか。
456439:01/11/27 03:17
>>455
私は歴史というものは人間と世界との関わりあいの中で起こった出来事を記録
に残し叙述していくということだと思います。もしそこに法則があるかと問われた
ならば、やはりその叙述してきた出来事の中から人間一般に当てはまるような普遍的
な物や事、制度や文化等を挙げるほかありません。自然科学にいう純粋な法則を
歴史の中から抽出するという営みは今のところ私の想像の範囲外のことです。
ともかく455さんの説明はよくわかりました。そのことには感謝します。
457名無し象は鼻がウナギだ:01/11/27 03:21
猫電波さん
>>383
 >門外漢にはイメージがつかめないので、質問よろしいでしょうか?
 >現代の日本についての「史料」はどれくらい隙が無いんでしょうか?
 >行動諸科学が完成していなくても、解釈は一意的に定まるんでしょうか?
>>424
 >では、日本人のアメリカ観と言うお題でお願いします。
 >地域差、階層、ジェンダー、世代によって違うでしょうが、史料がどのクラスを反映
 >しているかも歴史学ですよね?
上記の二つのご質問を綜合して、
*******************
「現代の日本におけるアメリカ観」というテーマにおける「史料」が含有する「情報」に
はどの程度の隙間が存在するか、その情報に対する「解釈」は「一意的に定まる」かどう
か。
*******************
をお尋ねになっているものと理解して、回答いたします。

 ※前おき
「現代の日本におけるアメリカ観」というのは、現代歴史学のテーマになることは殆どな
さそうなのですが、未来の歴史学においては「21世紀初頭の日本におけるアメリカ観」
が研究対象になることはあるかもしれません。そんなテーマのための史料ですが、日々発
行されている新聞・雑誌・書籍に加え、日々製作し放送されているラジオ・テレビの諸番
組、映画・テレビ等の諸作品などが史料になります。

そして後世に史料として伝えられることなく消える確立が極めて高そうですが、私やあな
たなど、現代日本にいきる一人一人が抱いている「アメリカ観」も、「21世紀初頭の日
本におけるアメリカ観」というテーマの史料といえます。

文献化されていない個々人の「体験」も歴史学の研究素材であって「史料」としての呼称
としては、「オーラルヒストリー」とか「体験史」等が提唱されています。
458名無し象は鼻がウナギだ:01/11/27 03:22
猫電波さん。
回答に入ります。

  ※回答1:「情報の隙間」について
「21世紀初頭の日本におけるアメリカ観」というテーマに関して「史料より抽出しうる
情報」の「隙間」は、現時点では極めて少ないといえると思います。ただし量的には膨大
であり、偏ることなく抽出し、整理・提示することは大変に難しいでしょうが。

  ※回答2:情報に対する「解釈」について
「ある史実における個別的・具体的項目」ならともかく、「21世紀初頭の日本における
アメリカ観」というテーマの場合、客観的にいえることは「21世紀初頭の日本人の間に
は様々なアメリカ観が存在する」ということであって、「史料」より「情報」として抽出
した「各種のアメリカ観」に対していかなる「解釈」を加えるかは、どのような立場から
「21世紀初頭の日本におけるアメリカ観」というテーマに取り組むか、によって、いろいろに存在しると思います。

*****************
ご質問が抽象的だったので漠然としかお答えできませんでした。
猫さんのお尋ねになっているポイントとずれているようでしたら、またご質問ください。
459名無し象の鼻はウナギだ:01/11/27 03:41
>>399
 >「歴史学」=「文献学」だと勘違いしている馬鹿がいます。
「馬鹿」はお前。
歴史学における史料操作の対象は「文献」だけではないぞよ。
漢代の墓から出土した貴婦人の胃の内容物とか、寄生虫とか、リュウマチによ
る骨の変形、髪・骨などの水銀の含有量。
あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ。
これらの物品も歴史学の「貴重な史料」じゃ。

俺様はこのスレで「史料からの情報の抽出」について懸命に語っておるが、
「史料」=「文献」と等号で結んだことは一度もないぞ。

お前にとっては寄生虫やウンコも「文献」なのか?
460世界@名無史さん:01/11/27 03:45
>>459
>あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ

これがなんで「歴史学」の史料なわけ?
461世界@名無史さん:01/11/27 03:48
>>459
それなら「史料学」=「歴史学」ですか?
462旅人:01/11/27 03:57
考古学の話題ならこちらへどうぞ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1005483632/l50
463=447:01/11/27 06:38
>>439
>>基本的なパターンからあらゆるヴァリエーションを
>>キレイに説明できると「普遍的法則」って呼ばれると
>>思うな。
>法制史の役割は十分にそのヴァリエーションを説明しているの
>ではないですか。

残念ですが、法制史は不充分です。
「親族の基本構造」(←これが正式な用語です)は、単純な群論の
数式で表され、数学的な変換手順で、無数のヴァリエーションが
構造的に同一であることが示されています。

こういうのが「科学的」ですね。
比喩的にいって、法制史が示すヴァリエーション間の関係は
“キレイ”でない。

>>454
>「所有権や法意識が人類社会に存在していること」が「歴史的事実」であり、
>「人類社会の一般原則」というのには異存はありませんが、
>「歴史の一般法則」とよぶのはいかがなものかと。

歴史とは、人類社会の遷移の様相の再構成であるはず。
従って、歴史の一般法則は、人類社会の一般法則を内包するもの
であるべきでしょう。

こーね、せせこましい、区分は止めてよね、カガクテキなんでしょ?
だったら一般的に言ってみてちょーだい(藁)
464≠459:01/11/27 06:45
>>460
>あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ
これは人類学の資料ではあるでしょ。
ということは人類史の史料にはなりますよね。

考古学/歴史学って旧弊な区分にもハンターイ(>>54)
465象は鼻がウナギだ:01/11/27 06:51
>>460
中国の史書には弥生人を指して「倭人は沈没して貝やサカナを獲る」という記述が
ある。弥生人のウンコを分析した結果、そのウンコが貝やサカナに由来することが
証明されたなら、中国の史書の記述を裏付ける証拠となる。

>>461
等号では結べないな。

>>462
文献史料と考古史料は相補って史実解明の証拠になるんだよ。
466世界@名無史さん:01/11/27 06:51
>>464
>あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ

たとえばどういった史料として用いられるんですか?
467世界@名無史さん:01/11/27 06:59
>>465
「史料学」と「歴史学」は何が違うんですか?
468世界@名無史さん:01/11/27 07:02
>>465
歴史学者が縄文時代・弥生時代のウンコを調べているんですか?
469世界@名無史さん:01/11/27 07:18
>>465
>中国の史書には弥生人を指して「倭人は沈没して貝やサカナを獲る」という記述が
>ある。弥生人のウンコを分析した結果、そのウンコが貝やサカナに由来することが
>証明されたなら、中国の史書の記述を裏付ける証拠となる。

ちょっと気になったんだけどさ、どうしてウンコ調べて「沈没して貝や魚を獲る」
って証明されるわけ?
470464:01/11/27 07:18
>>466
例えば、縄文人の食性や健康状態を推定する史料になります。
471世界@名無史さん:01/11/27 07:21
>>470
縄文人のウンコはどこで見学できますか?
472464=470:01/11/27 07:22
>>469
>ちょっと気になったんだけどさ、どうしてウンコ調べて「沈没して貝や魚を獲る」
>って証明されるわけ?

横レス失礼。
私は、「歴史学は解釈学だ」の方なんですけど。
ウナギが言ってるのはこうゆうことです。
人類学的な手法で推定された縄文人の食性は
文献資料の記述の正確さを推し量る「傍証」「状況証拠」になる。

ウナギ式カガクテキ情報だの、文献の内容吟味だのってのは
所詮その程度の、状況証拠を史料から抽出するって作業にすぎません。

一連の議論で言われている史料内在的批判(批評)とは別レベルなんです。
473世界@名無史さん:01/11/27 07:28
>>472
いや、私が知りたいのは、@縄文人のうんこが残っているのか。
A本当に当時のうんこを調べているのか。Bうんこを調べて
どうして「沈没して貝や魚を獲った」とわかるのか。
素朴に気になったまでです。
474世界@名無史さん:01/11/27 07:46
>>473
化石になったやつならあると思いますが、「沈没して〜」
がわかるかどうかはちょっと・・・。
475=464=470=472:01/11/27 07:50
>>473
なるほど。

えーと、実は私は縄文人の排泄物についての事例は知りません。
けれど、古生物の排泄物についての学術的な論術を参照すると
次のようなことあるだろうと推定して構わないと考えます。

(1)縄文人の糞石が残っていた場合(仮定)

(2)成分の分析や出土環境の分析から、脱糞された凡その年代は
一定の誤差の範囲内から限定される。
(本当に当時のうんこを調べているのかはわかる)

(3)糞石の内容分析から、何を食していたかはわかる。
(貝や魚を食していたかどうかはわかる)

「沈没して貝や魚を獲った」かどうかは糞石からだけはわからない
はずですね。
そこで「所詮その程度の、状況証拠を史料から抽出するって作業」
ってことになります。

一応書いておくと、糞石が出土した集落から潜水用と推定される
錘石などが発見されれば「沈没して貝や魚を獲った」との推定
精度もグッとあがりはするでしょう。

しかし、ウナギが理解していない、一連の議論の焦点は
そんなところにはないんです。

「カガクテキに抽出される情報」は状況証拠であり
「文献内在批判(批評)」に関しては、どこまで行っても傍証にしか
ならない、ってとこですね、焦点は。
476世界@名無史さん:01/11/27 07:51
糞石っていうんですよね。考古学ですけど。
477世界@名無史さん:01/11/27 07:53
>>475
それって考古学ジャン。
478=464=470=472=475:01/11/27 07:58
考古学ですけどね。

考古学と歴史学を別ジャンルとして区別するのなんてもう旧弊だから
止めた方がいいですよ。
歴史考古学の手法がこれだけ発展してるんだから。

文献史家も考古学的手法で抽出される傍証、状況証拠は無視できないし、
無視すべきではない。

それどころか、状況証拠・傍証の類も積極的に文献解釈の材料として
活用すべきと思われます。
479世界@名無史さん:01/11/27 08:03
時代が近いならそういうところがあるかもしれないけど、一般的にはどうなのかな?
480世界@名無史さん:01/11/27 08:07
ちょっと確認したいんですけど、「過去の事実」と
「歴史学が対象とする歴史的事実」は違いますよね?
481=470=472=475=478:01/11/27 08:12
>>480
えーと、私でしょうか?

(ご質問の意図がよくわからないのですが)
「過去の事実」一般と、「歴史学が対象とする歴史的事実」
そうですね、質が違うとは思います。
482象の鼻はウナギだ:01/11/27 14:39
>状況証拠・傍証の類も積極的に文献解釈の材料として
>活用すべきと思われます。

文献も非文献も、歴史学の対象となる情報を含有するものは全て「史料」であり、
キミのいう「活用」は、おれさまのいう「科学的史料解析」の1手法に含まれて
おるのぢゃ。

>「過去の事実」と
>「歴史学が対象とする歴史的事実」は違いますよね?

ちがいます。
過去の「事実」群のうち、後世になんらかの形で「痕跡(=史料)」を残したものしか、
「歴史学」の対象にはなりません、というかできません。
483象の鼻はウナギだ:01/11/27 14:48
俺様の>>465につまらない揚げ足とりが入ったから、下記のごとく修正しておく。

>>460
中国の史書には弥生人を指して「倭人は沈没して貝やサカナを獲る」という記述が
ある。弥生人のウンコを分析した結果、そのウンコが「沈没しないと採取できない
場所に生息している貝やサカナ」に由来することが証明された場合、あるいはその
弥生人の集落のゴミ捨て場から「沈没しないと採取できない場所に生息している貝
やサカナ」の骨やカイガラがでてきたなら、中国の史書のその記述を裏付ける証拠
となる。

まとめは訂正の必要がないから単に繰り返すにとどめる。

※「史料」は「文献」だけではないぞ。

以上。
484>>475:01/11/27 14:51
>>482
>キミのいう「活用」は、おれさまのいう「科学的史料解析」の
>1手法に含まれておるのぢゃ。

ハイハイ。私の方もあなたが含めていることはとっくにわかってますし。
そんなことは当然なので、問題にはしてないんですよ。
問題の焦点は別のところにあるんですから。

いつまでもつまんないダダこねてないで(苦笑)。
485世界史板最大のなぞ:01/11/27 14:53
「象の鼻はウナギだ」氏の職業。
486世界@名無史さん :01/11/27 17:30
万古不易の歴史法則

歴史事象は一回である。(一回性の法則)過去において、また未来に
わたって同一の歴史事象が起こることはあり得ない。

歴史の観察において、過去・現在・未来にわたって、いかなる場所に
おいても、均質に時間が流れる。(均質時間の法則)
それゆえに、ある事件とある事件が起きた時間を相対的に較べることができる。
487こんなのもあるか:01/11/27 17:38
(因果性の法則)ある事件は、時間的にそれより前にさかのぼった時点で
起きた事件の原因となることはない。時間的に後の事件にのみ影響
しうる。

---
しかし、歴史学でこういう理論体系を考案すると、業績として評価
されるの?
488世界@名無史さん:01/11/27 18:05
>>486
>歴史の観察において、過去・現在・未来にわたって、いかなる場所に
>おいても、均質に時間が流れる。(均質時間の法則)
>それゆえに、ある事件とある事件が起きた時間を相対的に較べることができる。

「均質時間の法則」は否定しません。
が、歴史研究においては、「均質時間の法則」だけでは
研究結果が一面的になる、ならざるを得ない、との指摘をします。

物理的時間流は、均質ですが、実は時間感覚は文化に
よって異なると推定されます。
すなわち、同じ言語を共有する異文化の社会システムは
現代型社会とは異なる時間感覚を前提として運営される。

具体的には、ある言語共同体が共有する言語の文法(時制)や
語彙によって推定されます。

一般に歴史学では、現代の尺度だけで過去の社会的事象の
価値判断をするべきではない、とされますが、同様に、
「均質時間」だけで、異文化たる歴史的過去の社会的事象を
裁断しますと、事象生成のメカニズムが見誤れます。

すなわち、より、公正な歴史理解のためには、「均質時間の法則」を
補完する別の法則、方法論が必要とされる所以です。

この件は、具体的にはアフリカ史などの研究において問題と
されています。
489世界@名無史さん:01/11/27 19:13
>>486
それって「法則」じゃないんじゃない?
同じ条件が整えば同じ現象が起こらなきゃ「法則」になんないじゃん。
490世界@名無史さん:01/11/27 19:15
>>486
「均一に時間が流れる」なんて歴史学の対象なの?
491 :01/11/27 19:22
例えば西暦と中国の暦を換算するときには、確かに
「均一に時間が流れる」という「原理」を使ってる。
492世界@名無史さん:01/11/27 19:26
「均一に時間が流れる」って「歴史学での歴史的事実」なの?
そこがよくわかんない。
493世界@名無史さん:01/11/27 19:28
>>482
そもそも「痕跡」が残っている過去の事実ならば、すべてが「歴史学
での歴史的事実」になるんですか?
494世界@名無史さん:01/11/27 19:43
物理の時間ですか。
495世界@名無史さん:01/11/27 23:56
>486
>歴史事象は一回である。(一回性の法則)過去において、また未来に
>わたって同一の歴史事象が起こることはあり得ない。

それが適当なモノサシを使えば同一と見なしていいということに
なれば万々歳なんでしょ
496≠427:01/11/28 00:48
>科学ではないからといって歴史学の魅力が失われるといったわけでもなし、
>科学ではないからといって出鱈目な論述をしていいわけでもないんだが、(>>427)
まずはこれを前提にするとよいと思います。

例えば、臨床医学は科学に基づいているけど、科学だけでは割り切るべきでない、
と言われて怒るお医者さんは、いるのかもしれないけど、そんなに多いと思えないし。
怒るお医者さんは、いてもやっぱりエキセントリックだと思う。

次に、科学っていうのは、設定された対象領域の範囲内で一貫するもので、
ニュートン力学は、ニュートン力学の前提の下で絶対正しい。
もっと別の力学の下では、ニュートン力学は特殊解になる。
これに対して歴史学の成果には「例外が多すぎる」。

また、分析手法(の一部)が科学的だからと言って、学問全体が科学になるわけではない。
これは「科学」と言うものの基本的な性格です。

一方、解釈学の方は分析手法が科学的だって全然構わない。
貪欲に活用するだけ。
497世界@名無史さん:01/11/28 07:18
アプローチの仕方と方としてアルチュセールの理論は如何かな?
498           :01/11/28 09:37
「設定された対象領域の範囲内」とは?
或る限定された時間的空間的範囲内か?
特殊解とは或る限定された時間的空間的範囲内での法則のことか?
499名無し象は鼻がウナギだ:01/11/28 09:39
>>493
>そもそも「痕跡」が残っている過去の事実ならば、すべてが「歴史学
>での歴史的事実」になるんですか?

はい。「史料という史実の痕跡」が残っている過去の事実は、すべてが「歴史学の
分析対象となる歴史的事実」になります。

>>463
>歴史とは、人類社会の遷移の様相の再構成であるはず。
>従って、歴史の一般法則は、人類社会の一般法則を内包するもの
>であるべきでしょう。

「歴史の一般法則」とやらに対する君のべき論として、別に否定はしないが、歴史
学の「基礎・土台・根幹」たる成果から帰納的に構築され、かつ世界史のいかなる
事象にも「普遍的に適応可能な」「歴史の一般法則」なるものが提示されたような
ことは、寡聞にしてしらないな。演繹的に構築され、歴史学者に大きな影響と、歴
史学に大きな混乱・ひずみ・歪曲・ムダな労力の浪費etc.をもたらした挙句、10年
ほどまえに破綻が世界的に露呈されたものについては、おぼろげに知識はあるが。
500=463:01/11/28 10:03
>「歴史の一般法則」とやらに対する君のべき論として、別に否定はしないが、
>歴史学の「基礎・土台・根幹」たる成果から帰納的に構築され、かつ
>世界史のいかなる事象にも「普遍的に適応可能な」「歴史の一般法則」
>なるものが提示されたようなことは、寡聞にしてしらないな。
〔中略〕
に大きな影響と、歴
>10年ほどまえに破綻が世界的に露呈されたものについては、
>おぼろげに知識はあるが。

要するに、あなたの知識では、歴史学は科学として完遂されることに
失敗している、ということですね。

ところで>>463で言及している「親族の基本構造」についてはどうで
しょうか?
これは歴史学の「基本・土台」には据えられないのですか?
また据えられないとしたらなぜなのでしょうね??

#私の方は、基本・土台が根幹であるという考え方は
#とってないことにご注意ください。
#根幹は歴史哲学だと考えていますので
#あなたが方法論を基本であり、土台であり、同時に根幹であると
#考えるのはあなたの思想の自由ですが、別の立場もあり得ることに
#想像力を働かせるように。
501世界@名無史さん:01/11/28 10:13
>>497
個人的には、アルチュセールは、「認識論的切断」の方法論(というか考え方)と、
ヒューマニズム批判が、歴史学をより公正なもとして有益活用可能だと思います。

上記の考え方は、アルチュセールの理論を全面的に解釈するものではないので、
その意味では中途半端な意見です。

では、アルチュセール自体はどうか?といいますと、アプローチの選択肢と
してはあるのかもしれませんが。私にはよくわかりません。

私としては、ヒューマニズム批判ひとつにしても、フーコーのそれの方が
興味深いものがありますので、理解が偏っていると思います。

ガダマーの解釈学ですが、乱暴に要約して、解釈妥当性の根拠を
将来的な文化共同態の共同性にもとめる(かに読める)ような部分がありまして、
これはこれで、素朴実体論客観主義同様に、異文化との対話を阻害し
知の権力に陥る思想ではないか、と懸念されます。

この点を自覚的に批判していくのに、フーコーの「知の考古学」の考え方=方法論
が有効だと考えていまして、それでフーコーに偏っています。
502七史象は鼻がウナギだ:01/11/28 11:15
>あなたの知識では、歴史学は科学として完遂されることに
>失敗している、ということですね。

おれ様の>>499は、
かつて「歴史の一般法則」と銘うって提出された「法則」なるものは、歴史学の「基礎・土台・根幹」たる
成果から帰納的に構築され、かつ世界史のいかなる事象にも「普遍的に適応可能な」ものではなかった、と
いう事実を描写したのみ。

『「ボクちゃんのいう科学」の完遂』とやらを、いま現在、自身の主たる研究課題としているような歴史学
者が存在するとは、寡聞にして聴いたことがないな。もしそんなヤツが存在するのなら、大変興味があるか
ら、ぜひそいつの名前やその著作についてあげてみろ。読んでコメントしてやるから。

>根幹は歴史哲学だと考えていますので
とりあえず承っておこう。
このあとキミがこの「考え」に基づいて何を囀るか、楽しみにしているぞ。
503世界@名無史さん:01/11/28 11:48
>『「ボクちゃんのいう科学」の完遂』とやらを、いま現在、自身の主たる研究課題としているような歴史学
者が存在するとは、寡聞にして聴いたことがないな。

何あったりまえのこと言ってるのかな〜?(藁)。
こっちは、そういう学者はいない(現状ではありえない)
だから
歴史学は科学になってない
って言ってるんだから(藁)。

いたら、その人は単なるカガクテキではなく
真の歴史科学者ってことで。
504世界@名無史さん:01/11/28 11:50
歴史はさんざん既出のように、科学ではないでしょう。
科学ではないと不満なのだろうか。立派な学問だ。

学問の中でも、現在の自らの国家の在り様を最大限肯定する、
国家を支える基本要素の1つとも言える学問とも言える。
昨今の状況を見れば、歴史解釈とは非常に政治的な意味合いを有することが
わかるだろう。
ホンの少し前の韓国併合の合法性についての学会を見ても。

歴史学を志す者はここも理解すべきであると考える。

逆に純粋な科学と考える方がある意味危険である。
それは歴史解釈に自らのイデオロギーが必然的に含まれていることを
自覚すらしていないと考えられるからである。
505名無し象は鼻がウナギだ:01/11/28 16:46
>>503
いま、ボクちゃんは「歴史の普遍的法則」を発見した、とか、「その発見を自身の研究課題にしている」という
やつがいたら、そいつは歴史学者でないか、さもなくばエセかどっちかだな(ワラ

>歴史学は科学になってない
>って言ってるんだから(藁)。

あっそ。
しかしながら、(以下>>227に戻って繰り返し)。
506=503:01/11/28 16:49
>>505
もー、脳ミソ石化してる魚類の相手は疲れるな。

>その際には、他の研究者による追試が可能なように、
>・その「情報」の抽出元である史料の種類や所在
>・その「情報」の抽出の手順
>・「情報」を解釈した場合にはその「解釈」の手順
>がかならず明示される。

>ああ、なんと「科学的な手順」であろうか(ワラ

いくら手順がカガクテキだからといって
それだけで体系が科学になるとは限らない。

トレーニングだけならプロレスだってカガクテキだったり
するのである(藁)
507名無し象は鼻がウナギだ:01/11/28 17:01
>>506
>もー、脳ミソ石化してる魚類
オマエガナー。
SF作品(>>381)の中にしか存在しない、実在しない「法則」にむけて、必死に
「ボクちゃんのいう「科学」じゃない」とわめきつづける哀れなお前の脳みそ。
創作・文芸板にでもいけば、キミを歓呼で迎えてくれる連中がいるかもね。

>いくら手順がカガクテキだからといって
>それだけで体系が科学になるとは限らない。

あっそ。
しかしながら、(以下>>227に戻って繰り返し)。
508=506:01/11/28 17:13
>>507
以下は>>227からなので
>その際には、他の研究者による追試が可能なように、
>・その「情報」の抽出元である史料の種類や所在
>・その「情報」の抽出の手順
>・「情報」を解釈した場合にはその「解釈」の手順
>がかならず明示される。

>ああ、なんと「科学的な手順」であろうか(ワラ

繰り返し>>506に戻って繰り返し(爆)

ウナギがいくら繰り返しても、このスレには納得してる人
出て来てないんだけどね。
いつまでも繰り返してるとバカの一つ覚えって言われるよ。
509世界@名無史さん:01/11/28 17:21
>>508
彼は放置しようよ。
510=508:01/11/28 17:31
>>509
放置してもいいんですけど。(多少ウザイかな)

そうするとあまりお話することも残ってないってことで
このスレ終了でしょうか?(ワラ

なんか、積み残しの検討項目ってありましたっけ??

あ、猫電波さんの行動科学の件とかが残ってたかな。
ほかに、なんかあります?
もちろん、新規でもいいんですけど。
511世界@名無史さん:01/11/28 19:19
僕はポール・ヴェルヌを理論を押したい!!
512世界@名無史さん:01/11/28 19:39
>>504
禿同

歴史学が科学か否かよりも、こちらの方が重要。
国家の基礎を形成し支える重要な学問の1つだね。
513世界@名無史さん:01/11/28 20:27
>512,504
言いたいことはわかるけど、スレ趣旨を逸脱してるよ。
514世界@名無史さん:01/11/28 20:37
>学問の中でも、現在の自らの国家の在り様を最大限肯定する、
>国家を支える基本要素の1つとも言える学問とも言える。

これはいくらなんでも変だよ。
(すまん513)
515512:01/11/28 20:40
>>514
そうかなー。なぜ?
そもそも学問って国益の為に存在するんでしょ、
学者の自己満足のためにあるモノではなくさ。
(すまん513)
516世界@名無史さん:01/11/28 20:41
>>514
支那の正史なんてのはまさにそれじゃないかな。
517世界@名無史さん:01/11/28 20:43
>言いたいことはわかるけど、スレ趣旨を逸脱してるよ。

一概にそうは言えない。
「歴史学は客観的事実を追い求める科学である」という言説の対極にあるのが
こういうタイプ(>>504)の言説だと思うね。
518世界@名無史さん:01/11/28 20:50
>>512
>そもそも学問って国益の為に存在するんでしょ

違うと思います。
国家と社会は別レベルの存在ですので。

歴史学も国家主義を相対化するためにも使えるでしょう。
「国家の在り様を最大限肯定するための歴史学」なんて

それでは19世紀以前の王家の物語的歴史と大差ありませんし
学問的とも言えないと思います。
519世界@名無史さん:01/11/28 20:54
>そもそも学問って国益の為に存在するんでしょ

なんかの利益のために学問をするなら、
別に国ごとの単位にとどめておく必要はないと思うが。
(でっかく人類全体のため、と言ってももいいし、
反対にかなり小さなコミュニティのためでもいい)
そして、国益に反する歴史事実は研究する必要はないんだろうか?
あるいはその事実を国益にかなう物にするために
重大な史料を無視したり、場合によっては捏造してもいいだろうか?

ちなみに上のような行動をとるとした場合にも、それ以前に
「国益とは何か?」ということについて十分な議論を尽くしておく必要があるが
その結論を出すのも難しそうだ。
>>504
>逆に純粋な科学と考える方がある意味危険である。
>それは歴史解釈に自らのイデオロギーが必然的に含まれていることを
>自覚すらしていないと考えられるからである。

かつては「歴史学者」の中には、自身の信奉する何がしかのイデオロギーの裏
付けを求めて「史実の解明」に従事している者がたくさんいたな(いまでも残
党はいる)。

師匠がいままでに発表した論文を著作にまとめる作業を手伝っているけど、師
匠が解明した史実の部分は、その後発見された史料によっても、より詳しく明
らかになることはあってもひっくり返ることはないが、その中に登場する人物
の思想や行動を「発展段階論」とかナントカに依拠しながら批判的コメントを
加えたり、「意味づけ」していた部分は、今となってはまったく時代遅れにな
っている。
521名無し象は鼻がウナギだ:01/11/29 00:30
>>510
 >そうするとあまりお話することも残ってないってことで
 >このスレ終了でしょうか?(ワラ
「SF作品(>>381)の中にしか存在しない、実在しない法則」について云々する
のは、「学問」コーナーの一角にあるこの場所には相応しくありません。「創
作・文芸」コーナーか、「ライトノベル」のSFコーナーあたりへいらっしゃ
るのがよろしいでしょう(ワラワラ
522猫電波:01/11/29 00:33
>>458(ウナギさん)
>ご質問が抽象的だったので漠然としかお答えできませんでした。
>猫さんのお尋ねになっているポイントとずれているようでしたら、またご質問ください。
ありがとうございます。適切な領域の答えがいただけたと思います。
523猫電波:01/11/29 00:41
>>522の続き(途中で転送してしまいました)
この方向でもう少し詳しく理解するためには、やはり研究雑誌とかに目を通すしかないんでしょうかね。
それとも、素人は下手に首突っ込むとトンデモの方向にいってしまう危険性があるかな?

で、結局のところウナギ氏とそれ以外の人達との間で、「科学」と言う言葉を使わないとしたら何が対立しているんでしょうか?
何か科学という言葉の定義の問題に過ぎないように見えるのですが。
「知の権力」ですか?でも、それでしたら自然科学においてもあると思うのですが
524猫電波:01/11/29 00:46
いや、「自然科学」が必ずしも科学ではないってのも有りか
525世界@名無史さん:01/11/29 02:14
>>519
>国益に反する歴史事実は研究する必要はないんだろうか?
>あるいはその事実を国益にかなう物にするために
>重大な史料を無視したり、場合によっては捏造してもいいだろうか?

『国益』とかその手の言葉が出てくると
すぐに極論に走るドキュン左翼。
だれもそんなこと言ってないよ。
まあ、『国益に反する研究』というよりは
『国益に貢献しようがない研究』といったほうがいいね。
それは単なる学者のお遊びだよ。
血税使ってそんなくだらねえことやるなってことだ。
526世界@名無史さん:01/11/29 02:31
>>525 それ言うと史学以前に残りの文学部が全滅する。
527 :01/11/29 03:07
>>525
きみは何を熱くなってるんだ。またーりいこうよ。(・∀・)
528世界@名無史さん:01/11/29 03:11
スレとは関係ないんだけど、
言語学って多変量解析とかいうやつを使うこともあるのかな?
529世界@名無史さん:01/11/29 05:40
>まあ、『国益に反する研究』というよりは
>『国益に貢献しようがない研究』といったほうがいいね。
>それは単なる学者のお遊びだよ。
>血税使ってそんなくだらねえことやるなってことだ。

>>519にはこのような事も書いてる。
>「国益とは何か?」ということについて十分な議論を尽くしておく必要がある

「国益に貢献しようがない研究」って何?
「糊と鋏の歴史」ですか(藁?
530世界@名無史さん:01/11/29 06:02
>>525
>『国益』とかその手の言葉が出てくると
>すぐに極論に走るドキュン左翼。
>だれもそんなこと言ってないよ。

>>504
>学問の中でも、現在の自らの国家の在り様を最大限肯定する、
>国家を支える基本要素の1つとも言える学問とも言える。

と言っている。
「最大限」がどれくらいなのか?
しかし、不利な証拠は採用しないくらいのことはやりそうだ。
531世界@名無史さん:01/11/29 06:05
過去ログにもあったけど、
「歴史は科学である」と対をなす主張が
「歴史は歴史家(のイデオロギー)に従属する」という言説だね。
532世界@名無史さん:01/11/29 08:57
>>523=猫電波さんへ
>で、結局のところウナギ氏とそれ以外の人達との間で、「科学」と
>言う言葉を使わないとしたら何が対立しているんでしょうか?
>何か科学という言葉の定義の問題に過ぎないように見えるのですが。

えーと。
実は「科学の定義」ではなくて。結局「歴史(学)とは何か」って歴史哲学の
問題が隠微(苦笑)に争われてる型です。

ウナギは「歴史学はカガクだ」の立場をとっていますので、
みようによっては巧妙に「歴史哲学」の話題に言及するのを避けているか
にもみえます(文言をよむ限りそうも解釈可能、という話ですので、実は
魚類には「歴史哲学」なんて問題領域を理解する能力がない、ってだけの
話かもしれません)

例えば、このスレではE.H.カーの『歴史とは何か』を踏まえた発言が多いの
ですが。(一例>>446)
>>480の質問に対するウナギの解答>>482
>過去の「事実」群のうち、後世になんらかの形で「痕跡(=史料)」を残した
>ものしか、「歴史学」の対象にはなりません、というかできません。

上記引用では、カーなどが提唱して来ていた歴史学に伝統的な「歴史的事実」の
概念を破壊しているにも関らず「歴史的事実」の用語はウナギ流の新用法が用い
られています。
――その事自体は思想の自由なので構わないのですが、にもかかわらず、なぜその
ような破壊が必要なのかとか、「ウナギ流カガクテキな『歴史的事実』概念」は
「カー式伝統的な『歴史的事実』概念」より優れているのか? などなどの「歴史
哲学」的な話題領域への言及を回避した発言になっています。

結果として>>480の質問意図を巧妙にはぐらかし、自説の結論だけを強弁する無責任
な放言が構成されています。
ウナギの発言には、ほかにも2、3同質の問題点がみられるのですが、ウザイので
指摘は避けます。

>「知の権力」ですか?でも、それでしたら自然科学においてもあると思うのですが
歴史学という分野では「知の権力」が社会にもたらす影響力の様態が自然科学とは
また異なる、ということだと思います。

私の問題意識にひきつけて言わせていただくと、例えば、カガクテキ歴史学は、
19世紀的な人類学が異文化に対して振るった「知の権力性」(カガクテキである
ことによる自己正統化、自己絶対視)に陥り易い、などが懸念されます。
533世界@名無史さん:01/11/29 09:52
>>525
>『国益に反する研究』というよりは
>『国益に貢献しようがない研究』といったほうがいいね。
>それは単なる学者のお遊びだよ。
>血税使ってそんなくだらねえことやるなってことだ。

貧乏性だなぁ(藁)。
基礎研究なんてのはどんな学問分野でも
国益とやらに貢献するやらしないやら、
当初はあやふやなもんなんだよ。

かつては、大英帝国のお貴族様の趣味だったりな。
そういう役に立つかどうかもわからん研究の広範な
積み重ねないと優れた達成なんて望めないのも確か
なんだよ。
534世界@名無史さん:01/11/29 10:00
>>517
>一概にそうは言えない。
>「歴史学は客観的事実を追い求める科学である」という言説の対極にあるのが
>こういうタイプ(>>504)の言説だと思うね。

「歴史学は解釈学だ」の立場から言わせていただくと
「歴史学は客観的事実を追い求める科学である」という言説ち「>>540タイプ」の
言説は対極ではなく同類か、せいぜい言って50歩100歩だと思われます。

国家主義の部分にカガク主義が入るだけですので。
少なくとも異文化との公正な対話、相互了解が阻害される、との問題点は同質です。
535名無し象は鼻がウナギじゃ:01/11/29 11:52
>>532
 >上記引用では、カーなどが提唱して来ていた歴史学に伝統的な「歴史的事実」の
 >概念を破壊しているにも関らず「歴史的事実」の用語はウナギ流の新用法が用い
 >られています。

ボクちゃんが「破壊した」と称する「上記引用」の原文
>>480
 > ちょっと確認したいんですけど、「過去の事実」と
 >「歴史学が対象とする歴史的事実」は違いますよね?
どこがじゃ。

>>532
 >結果として>>480の質問意図を巧妙にはぐらかし、・・・
 >・・などなどの「歴史哲学」的な話題領域への言及を回避した発言になっています。
おれ様は「はぐらかし」たり、「回避」したりなんかしてないぞ。
 >自説の結論だけを強弁する無責任な放言が構成されています。
自分の文面の不備を俺様の「無責任」に仕立てるこの卑劣。
脳の働きがあまりよくないとかどうとかの以前に、人格的に問題がでてきたな。
以前から他人の発言を勝手に製造はしていたが。

まず「ボクちゃんが理解した「カー式伝統的な『歴史的事実』概念」」やその「破壊」と
やらについて、ちゃんと語ってみれ。真っ向からコメントしてやるからよ。

>>480に対する俺様の取りあえずの回答は >>482
536世界@名無史さん:01/11/29 12:05
>>535
もう少し、お行儀よくしません?外野から見てても罵倒句だけで
内容がありませんよ。
537ウナギじゃ:01/11/29 12:13
>>523=猫電波さん
>で、結局のところウナギ氏とそれ以外の人達との間で、「科学」と
>言う言葉を使わないとしたら何が対立しているんでしょうか?
>何か科学という言葉の定義の問題に過ぎないように見えるのですが。

>>532=ボクちゃん
>実は「科学の定義」ではなくて。結局「歴史(学)とは何か」って歴史哲学の
>問題が隠微(苦笑)に争われてる型です。

俺様の発言は、歴史研究の最前線の一角で(ごく狭いながらも)自分の担当正面の開拓を
すすめている、という現場にいる立場からのものだよ。

理系の立場からみた「歴史の法則」とか「歴史の哲学」を真っ向から提示してくる、とい
う人に対してなら、歴史プロパーとして敬意をもって応対していたところだけど、ボク
ちゃんたちの態度はそうではないからね。

※「隠微」だって(プププ
 ボクチャンの「歴史哲学」とやらを述べてみ。

お相手するのはウナギのキャラで十分じゃ。
538お節介:01/11/29 12:25
スレ違いだったので

180 名前:ボクチャン(藁) :01/11/29 12:21
>>537
>ボクチャンの「歴史哲学」とやらを述べてみ。

今更ダダこねられても、すでに再三述べていますが。
>>425>>501、他。

要約するなら、
ガダマーの解釈学(>>1参照)を批判的に克服するものとして
M.フーコーの「知の考古学」を(解釈学の発展型)として
捉える、です。

理解する能力がないと思われる魚類のお相手するのはメンド
クサイので、疑問があるならお行儀よく願いたいです。
539ボクチャン(藁):01/11/29 12:28
>>537
>ボクチャンの「歴史哲学」とやらを述べてみ。

すでに再三述べているので、今更そんなダダをこねられても
つきあいきれません。
(まぁ、魚類には理解する能力がのいのでダダをこねるのかもしれませんが)

>>425>>501
要約するならば、
ガダマーの解釈学(>>1参照)を批判的に克服するものとして
M.フーコーの「知の考古学」をとらえる(解釈学の発展型
とみなす)です。

理解する能力がないのは、あなたのせいとも言えないのかもしれないので
同情すべきなのかもしれませんが。
つきあう方はカッタルイので、もし、疑問があるならお行儀よく願います。
540=539:01/11/29 12:30
>>538
あ、どうもお手数おかけして、申し訳ありませんでした。
541世界@名無史さん:01/11/29 12:44
>ウナギ氏へ
>俺様の発言は、歴史研究の最前線の一角で(ごく狭いながらも)
>自分の担当正面の開拓をすすめている、という現場にいる立場
>からのものだよ。

ですから、あなたのそういう姿勢が、僻みっぽいと示唆されている
わけですな。(例えば>>427)

「ごく狭いながらも」の体験論を「歴史学プロパー」を代表するか
のように主張されているので冷笑をかっているでしょう。(例えば>>111)

>理系の立場からみた「歴史の法則」とか「歴史の哲学」を真っ向から提示してくる、
この辺にもウナギ氏の偏見がうかがえて興味深い。
どちらかと言うと、「文献史学」の立場からの疑問提起の方が
目立つと思えますが。
542猫電波:01/11/29 13:46
>>532
>結果として>>480の質問意図を巧妙にはぐらかし、
480さんの質問意図とはどのようなものだったのでしょうか?
歴史という動きを叙述する上で重要なものと単なる無関係なものと言うことでしょうか?
それとも、現代の人類学的データ等からの推測で直接史料にない部分も推測するなどの子とでしょうか?
申し訳有りませんが、結局、双方の違いが良く解らなかったもので今度、カーを読んでみます。

>例えば、カガクテキ歴史学は、19世紀的な人類学が異文化に対して振るった
>「知の権力性」(カガクテキであることによる自己正統化、自己絶対視)に陥り易い、などが懸念されます。
「オリエンタリズム」問題とかでしょうか?そこら辺のことは理解できるつもりなのですが(偉そうに講釈したこともあります(恥))
しかし、過剰な科学主義同様、何でも有り的な過剰なシャカイコウチク主義が、相対主義−断絶主義−異質主義となって
居直り、無関心等の「暴力」に成ることも有り得るのではないでしょうか?
543猫電波:01/11/29 13:47
双方の→ウナギ氏と批判者の
544世界@名無史さん:01/11/29 18:23
>>534
>「歴史学は解釈学だ」の立場から言わせていただくと
>「歴史学は客観的事実を追い求める科学である」という言説と「>>504タイプ」の
>言説は対極ではなく同類か、せいぜい言って50歩100歩だと思われます。
(引用部分の誤リンクを訂正しました)

客観的な事実が存在するという言説と
如何なる解釈も妥当であるという言説
(だからこそ政治目的の如何によって選択的な解釈を行うべきだとする)という意味で
対極においてみました。
猫電波さん>>542の後段に近い意見だと思います。
人類学では、人類学者は異文化を正確に書くことができるのか、という問題があります。
しかし、ここで単純に「書けない」とするならば、
ある異文化に対する酷い偏見に対して反論することも不可能になってしまいます。
歴史学でもよく似た側面はあるでしょう。
(つづく)
545世界@名無史さん:01/11/29 18:29
しかし、わたしも歴史学は解釈学だと思いますんで、
問題は歴史学における「解釈」とは何か、ということだと思います。
それはさんざん言われてるように、公正なものでないといけません。
(だから歴史学をかじる人はせっせとレフリー誌に投稿する)
そして解釈だからこそ、定説を踏まえることが重要だと思います。
しかし、このへんを誤解して、解釈をむなしいものだと考える人が多いようです。
546世界@名無史さん:01/11/29 18:32
>(だから歴史学をかじる人はせっせとレフリー誌に投稿する)
いっぽう、独り善がりな解釈を行う人は
自分の政治演説や、小説、ホームページやBBSで
歴史観を開陳するだけ。
547=532:01/11/29 18:36
>>542=猫電波さんへ
>480さんの質問意図とはどのようなものだったのでしょうか?
>歴史という動きを叙述する上で重要なものと単なる無関係なものと
>言うことでしょうか?
>それとも、現代の人類学的データ等からの推測で直接史料にない
>部分も推測するなどの子とでしょうか?

この件に関しては、前者です。カーの提唱する「歴史的事実」を要約
的に理解すると、「無数の過去の事実の内、(重要な)歴史的出来事に
関連の密なもの」、と理解した方がわかりがよいのですが。
(無関係なものとは、さすがにカーは言ってないです、関係が疎な事実
と理解した方がよいでしょう)

まぁ、「>>480さんの質問意図」と断定してもマズいので、「>>1
ルート話題及び議論の文脈から推定される論点」、と修正させてい
ただきましょう。

で、カー式伝統的な「歴史的事実」にみられるのは「解釈学的循環」
(>>162)と構造的に同型な認識方法です。
カーが唱えているSceinseが、日本語に翻訳語の「科学」とイコール
ではなく、解釈学的である、と言える重要根拠となります。

で、ウナギ説はさておいて、伝統的歴史学的な「歴史的事実」の概念
にも問題点はあることはかねてから認識されています。
異論提起や様々な研究アプローチもある。
例えば、猫電波さんが言及していたアナール学派もその有力学派の
ひとつです。

問題点として概ね共有されているのは「何を(重要な)歴史的出来事」
とみなすかのいわば「予断」の部分に、研究者が属す時代のエピス
テーメーが関与し、意図せぬイデオロギー性に拘束される可能性です。
(フーコーのエピステーメーを持ち出すのではなく、“パラダイム”
あたりを使った方が通りがいいかもしれません。が、“パラダイム”
は提唱者のクーンが撤回した後も一人歩きしちゃった不幸な概念です
ので、やはりエピステーメーの方がよいと思います)。

最後に、フーコーを押す立場としては「科学主義」もエピステーメー
の一種である、と主張しておきます。
548=532:01/11/29 18:39
>>542=猫電波さんへ
>しかし、過剰な科学主義同様、何でも有り的な過剰なシャカイコウチク
>主義が、相対主義−断絶主義−異質主義となって
>居直り、無関心等の「暴力」に成ることも有り得るのではないでしょうか?

それは、解釈が「なんでもあり」であるとみなす誤謬に陥った場合の
ことです。
解釈多様性も相対主義も本来は、「なんでもあり」ではありません。

例えば、文化相対論は「なんでもあり」ではない。
文化相対論が「なんでもあり」であるかにとる誤解が広まったのは
リビジョニストが喧伝したプロパガンダの影響です。

図式的に整理すると「公正な異文化了解」の後に対話精神が重要、
となります。
実際は、「解釈学的研究」自体が、「公正な異文化了解」の過程になら
ねばならないという話ですが。

もちろんこれは口で言うほどた易いことであるはずがない。
だからこそ専門家が必要なわけでしょう。
549=534:01/11/29 19:24
>>545
>問題は歴史学における「解釈」とは何か、ということだと思います。

そうですね。
これには現状で、すでに、いくつかのアプローチが試みられています。

まず、ルート話題との関連で言うと、素朴実体論的な客観主義はダメ。
(理由は、もういいですよね)

次にやはりアナール流の社会史が最有力アプローチでしょう。
過去の出来事を、異文化たるSocio-Culuturalな文脈で捉えようとする
のが歴史学における解釈ですので。
客観的データはこうした解釈の材料、傍証となります。

アナールの社会史は、総体としては、環境史、歴史人類学、推計人口学、
女性史などの総合ですので。大変有望です。

後、アナールほどメジャーではありませんが、システム社会論を応用した
仮説モデルの構築による事実予測の手法もなかな有望と思います。
例えば、橋爪大三郎による「仏教の言説戦略」などは小品ですし、本人は
「これは歴史学ではない」的にと断わっていますが、秀逸です。

最後にやはりフーコーの「知の考古学(≒エピステーメーの解剖学)」を挙げ
ておきます。『監獄の誕生』を挙げればよいでしょう。
(『性の歴史』もあげたいのですが、私はちょっとまだ充分理解できてる気が
していないのでサイドに挙げておきます)。

ちなみに、現在論証する用意がないので私見とさせていただきますが、
カーの唱える「過去と現在の対話」は、フーコーの「エピステーメーの解剖」
と大変近いのではないか、と思います。

将来的な話題としては、>>352で、歴史学が最も科学に近づく可能性を素描した
のですが。
エーコ流の記号学の統合、または認知科学の発展、を歴史解釈に応用する可能性
が考えられるべきでしょう。
認知科学の成果と人類学的知見を併用して、歴史人類学を掘り下げるアプローチ
などを専門研究者に期待したいところです。
(余談になりますが、個人的には、猫電波さんが言及されていた行動科学よりは、
認知科学の方が将来性有望と思います。現代のエピステーメーによる“汚染”
度合が認知科学より行動科学の方が多いと思うんですね)
550名無し:01/11/29 22:42
歴史は学者があれこれいう以前から存在している。
歴史の方が迷惑しているよ。
おまえら,すぐ死ぬくせにうるさいよ。

古事記は立派な歴史だ。
稗田阿礼に科学か聞いてみなさい。
551猫電波:01/11/29 23:23
>>547
丁寧にありがとうございます。
理解できない部分も多いのですが、それについては質問してお手を煩わせるより本を読んでみようと思います(大分先になりそうですが)。
>>548
>解釈多様性も相対主義も本来は、「なんでもあり」ではありません。
本来は、と言うことであれば科学主義もまた同じことが言えるだろうと思います。
>もちろんこれは口で言うほどた易いことであるはずがない。
はい、仰る通りだと思います。
>>549
>システム社会論を応用した仮説モデルの構築による事実予測の手法もなかな有望と思います。
えーと、ルーマンとかですか?大庭健≪自己組織化の倫理学≫(剄草書房)経由でしか知らないのですが、
なんて言いますか、あれって真に受けて宜しいんでしょうか?
>猫電波さんが言及されていた行動科学よりは、
もし勘違いしていたなら、認知科学ではなく認知心理学を挙げると思うので、勘違いなさっていることはないと思いますが、
行動科学と行動主義心理学はは別種のものです。ここでは心理学、社会学、経済学等の総称として使用しました(厳密には間違った用法らしいです)。
552世界@名無史さん:01/11/29 23:47
ログにあった、堀米庸三『歴史をみる眼』(NHKブックス)読んだ人いますか?
553世界@名無史さん:01/11/30 00:03
>>552
昔読んだな。
今、本棚みたら、ちゃんとカーの隣りにあった。
>>
>「ごく狭いながらも」の体験論を「歴史学プロパー」を代表するか
>のように主張されているので冷笑をかっているでしょう。

「冷笑をかっている」のはお前。
俺は「歴史プロパー」だと述べたことはあるが「歴史プロパーの代表」を自称したこと
なんかいちどもないぞ。
お前にとって例えば「国民」と「国民の代表」は、ロジック的に等価なのか。

俺様の発言を歪曲した珍妙な説をいくらやりだまにあげても、俺様を批判したことにはならんよ(ワラワラ

>>532
 >上記引用では、カーなどが提唱して来ていた歴史学に伝統的な「歴史的事実」の
 >概念を破壊しているにも関らず「歴史的事実」の用語はウナギ流の新用法が用い
 >られています。
ボクちゃんのレスの続きレスを読み直すと、「カー」とやらの「概念」を「破壊」したというのは、
ボクちゃんがやったよ、スゴイダロ、といっているのではなく、俺様が「破壊」したことになって
るようだね(ワラワラ

これを客観的に言い直すと
 >ボクチャンがお勉強した「カー」と俺様とでは、「歴史事実」の定義にに違いがある。
となる。
ボクちゃんの>>532のつづき
 >――その事自体は思想の自由なので構わないのですが、にもかかわらず、なぜその
 >ような破壊が必要なのかとか、「ウナギ流カガクテキな『歴史的事実』概念」は
 >「カー式伝統的な『歴史的事実』概念」より優れているのか?

※「なぜそのような破壊が必要なのか」
おれ様とカーとやらである事項に対する定義が違うと、おれ様が「破壊した」と思い込む
ボクちゃんの思考がおかしい。

※>「ウナギ流カガクテキな『歴史的事実』概念」は
>「カー式伝統的な『歴史的事実』概念」より優れているのか?
キミが勝手にでっち上げた珍なる命題におれ様が言及しないからといって、
 >結果として>>480の質問意図を巧妙にはぐらかし、・・・
 >・・などなどの「歴史哲学」的な話題領域への言及を回避した発言になっています。
なんていうなよな。
キミのいう「優れている」の基準を明らかにしつつ、まずボクちゃん自身の回答を出したまへ。
コメントしてやるからさ。


>客観的な事実が存在するという言説と
>如何なる解釈も妥当であるという言説
>(だからこそ政治目的の如何によって選択的な解釈を行うべきだとする)という意味で
>「対極においてみました。

「歴史的事実」とは、過去に発生したある一つの出来事である。
しかしその史実が残した痕跡=史料は、ややもすれば断片的であり、その史料より抽出しうる
情報には隙間がある。隙間でない部分と整合性があるかぎり、「いかなる解釈も妥当である。」
ので、
555名無し象は鼻がウナギだ:01/11/30 12:00
文末の「ので、」を削除。
556世界@名無史さん:01/11/30 12:19
>>554
>※「なぜそのような破壊が必要なのか」
>おれ様とカーとやらである事項に対する定義が違うと、おれ様が「破壊した」と思い込む
>ボクちゃんの思考がおかしい。

−−などと言うウナギの思考がおかしい。
ウナギは歴史研究の専門家であるという姿勢で自己の説を強弁して
きているのだから、これまで議論の文脈上カーが前提にされていた、
「歴史的事実」の概念は知っていて当然とみなされる。(素人の厨房
ではないはずなのだから)

にもかかわらず、今ごろになって、ぬけぬけと
>おれ様とカーとやらである事項に対する定義が違うと

などとホザク厚顔無恥さは魚類ならではのもので人知を
越える(苦笑)。

また
>>「カー式伝統的な『歴史的事実』概念」より優れているのか?
>キミが勝手にでっち上げた珍なる命題におれ様が言及しないから
>といって、
>>結果として>>480の質問意図を巧妙にはぐらかし、・・・
>>・・などなどの「歴史哲学」的な話題領域への言及を
>回避した発言になっています。
>なんていうなよな。

では上記の理由で議論を混乱させた責任をまったく自覚していない
ことが伺える

さらに、
>キミのいう「優れている」の基準を明らかにしつつ、まずボクちゃん自身の回答を出したまへ。
>コメントしてやるからさ。

というのも脳ミソのネジレ加減がうかがえて憫笑を誘うコメントである。

まず、議論の流れから前提になっていたカーの概念を先に無視したのは
ウナギなのだから、自己定義の必要性を先に説明するのは論者としての
ウナギの責任である。

次に、
>キミのいう「優れている」の基準を明らかにしつつ、
>まずボクちゃん自身の回答を出したまへ

も噴飯もの。
>>547の内容を理解する能力が魚類にはないことがよくわかる。
>>547ではカーの定義の問題点がしてきされ、それを克服する
解釈学アプローも言及されている。
さらに>>549でも敷延されているのだが、にもかかわらず
>まずボクちゃん自身の回答を出したまへ

などとノタマウところが魚類の浅ましさとしていと哀れを誘う。
557=548=547:01/11/30 12:47
>>551=猫電波さん
>>解釈多様性も相対主義も本来は、「なんでもあり」ではありません。
>本来は、と言うことであれば科学主義もまた同じことが言えるだろうと思います。

それはそうなのですが、素朴実体論の客観主義は異文化研究に際しては
内在批判(批評)の面で決定的に劣る、との事情があります。
(猫電波さんには説明の必要はないはずですが、歴史学の対象である
歴史的過去の社会は異文化である、との前提を含んでいます)

>えーと、ルーマンとかですか?大庭健≪自己組織化の倫理学≫
>(剄草書房)経由でしか知らないのですが、
>なんて言いますか、あれって真に受けて宜しいんでしょうか?

えぇ、ルーマン、ハートなどのアレですが。
ただ、大庭健の挙げられた本は読んでいません。
題名から類推するに、橋爪大三郎の前掲書とはかなり異なるアプ
ローチではないかと想像します。

>もし勘違いしていたなら、認知科学ではなく認知心理学を挙げると
>思うので、勘違いなさっていることはないと思いますが、
>行動科学と行動主義心理学はは別種のものです。
いや、勘違いしていました。
認知科学と認知心理学はプロパーに区別していますが。
行動科学とは行動主義心理学のことと勘違いしていました。
教えていただけてよかったです。
ただ、過去の異文化理解にはやはり心理学より認知科学のアプ
ローチの方が適してるのではないかな、と思っていますが。
558象の鼻はウナギだ:01/11/30 13:08
>>556
ぐう。
559sora:01/11/30 13:39
全然流れとは関係ないのですみません。が、もしよければ教えてください。
岡田英弘さんは,その世界でどのように認知されているのでしょう。
私はまったく違うところに属しているのですが、
「文字化されたものを歴史というのだ。だから文字化されていない
ところに“歴史”などというものは存在しない」
というのが、その世界での常識なのですか?

自分の中での「歴史」という言葉が行き場を失って少し困っています。
単に「歴史」という言葉上の問題なのでしょうか。
560世界@名無史さん:01/11/30 15:31
>>559
個人的には岡田英弘さんは興味深い知見を世間に提供される
立派な歴史家だと思います。

が、「文字化されたものを歴史というのだ。だから文字化されて
いない ところに“歴史”などというものは存在しない」 は、
一種の極論程度に捉えられても構わないかと思います。

まず、岡田氏が言わんとしているのは「『歴史』というものは個別の
歴史的過去の社会が有する文化だ」ということです。

この点は、単に言葉上の問題として捉えるのではなく、岡田氏の歴史
哲学の表明として捉え、氏の著作を読まれるとより興味深く読める
と思います。

次に「文字化されていないところに“歴史”などというものは存在
しない」が歴史学の常識か?と問われれば、「それは旧い常識です」
とお応えできます。

19世紀までは「先史時代」と呼ばれていた時代を「無文字時代」と
捉え直して旧来の歴史学と、人類学的な人類史の統合を試みようと
するトレンドは20世紀の歴史学に生じた大きなトレンドの1つです。

例えば文献史家でも西欧近世史(ルネッサンス史)の樺山紘一氏は
「文字がない社会にも文明はある」「文字がない社会にも歴史はある」
を繰り返しコメントしています。

そちらの世界がどちらの世界かはわかりませんが。
どの世界にもあるように、歴史学も決して一枚岩ではなく
実態はいくつものトレンドが影響し合いながら常に変動している
とこのように考えられてはいかがでしょうか。

ですので、歴史学会全般での岡田氏の評価、または日本の東洋史
学会での岡田氏の評価などは、私の応える任ではありません。
が、「文字化されていないところに“歴史”などというものは存在
しない」は決して20世紀の歴史学の常識とは言えない、は責任を
持ってお応えできます。
561sora:01/11/30 15:55
ほんとにどうもありがとうございます。答えてもらえてうれしいです。

でも、歴史ってすごいですよね。ほんとうに。
そこに誰かが確かにいた、ということがなんだか自分に勇気を与えて
くれるような気がしています。

それにしても、世界で最初に「文字」を作り出したのはいったいどんな
人だったのでしょうね。そして、最初に「何」を表したいと思ったので
しょうか。最初の抽象思考でしょう。なんだろう。どれだけ地面を掘
ってもこれだけは想像してみるしかありませんね。

誰に何を伝えたかったのでしょう。
562世界@名無史さん:01/11/30 15:59
抽象思考は言葉が先じゃないの。時間の観念ができて記録をとどめておく必要が
できたから文字ができたんだと思うよ。言葉→絵→絵文字→文字だと推測する。
563世界@名無史さん:01/11/30 16:29
カー『歴史とは何か』の第3章
「19世紀に西洋諸国はアジアおよびアフリカを植民地にしましたが、
歴史家たちは、その世界経済に対する直接の影響という理由だけでなく、
これらの大陸の後れた諸民族に対する長期的な結果ということも理由にして、
この植民地化を許容しております。つまり、現代インドはイギリスの支配の
子供であり……」って何回読んでも引っかかるなー。
彼自身の言葉にしたがって
歴史研究の前に歴史家(とそれを取り巻く環境)を研究するなら、
真に受ける必要はないとは思いますが。
564世界@名無史さん:01/11/30 16:37
>>563
んー、なんか空しいな。日本人が完全に思想面で欧化してたらカーみたいに
植民地にしたことを罪悪感なんか感じずにいられたのにね。
565世界@名無史さん:01/11/30 16:41
いまだに影響力のある本だけど、
40年前に書かれた本ってこともお忘れなく。
566=541:01/11/30 18:33
>>554
>ウナギ氏へ
>俺は「歴史プロパー」だと述べたことはあるが「歴史プロパーの代表」
>を自称したことなんかいちどもないぞ。
>お前にとって例えば「国民」と「国民の代表」は、ロジック的に等価なのか。

少なくとも、極狭い体験論を国民の総意を代弁しているかにとれる言辞を
弄する輩は片腹いたいですな。まま見かけますが。

面倒ですが、指摘がない点を挙げておきますか。

>>76
>ある特定の史料に対する「客観的な解析」より獲得できる「情報」は
>「万人に共通」である

上のウナギ氏の説に困惑した方は、文献史や解釈学の立場に立つ方に多
いでしょう。
それが証拠に何度か質問も寄せられたが、ウナギ氏は適確な返答をして
いない。そのことも自覚が無い様子。

ウナギ氏の主張は、少なくとも2通りに意味がとれる。

i「文献資料も十分な傍証が揃えば、どんな文献資料の内容も解釈の
余地無く真偽が判定される」つまり、将来的には内容も万人に対して
客観的となると期待してよい。
ii「歴史学も科学であるのだから、どのような文献資料についても、
解釈が多様にわかれる部分については沈黙すべきである」つまり、
どのような文献資料からも、情報として客観的に抽出可能なデータ
だけを使って歴史論述がなされるべきだ。

もしくは将来的にはiと期待しつつ、科学としてはiiの態度を堅持
すべき、との主張ととることもできる。

iは、体験的事実に反すると、思う人が多いでしょう
iiは、そんな歴史学では不充分だと、思う人も多いでしょう
実際、こうした意味の反論も寄せられているが。
これまたウナギ氏は頓珍漢な受け答えを繰り返している。

こんな主張を歴史学プロパーのものと言われてはまったく片腹痛い。
歴史学の一部に、こうした考え方もあるとの主張ならば差し障りも
ないものを。

まぁ、科学的だの万人に共通だの言われるウナギ氏が、少なくとも
2通りに捉えられる主張をしているのが愉快ですが。
567猫電波:01/11/30 18:49
>557
>内在批判(批評)の面で決定的に劣る、との事情があります。
内在批判と言うのは、異文化の内面の理解という意味でしょうか、それとも、異文化研究の内部でしょうか?
前者として理解させていただきます。確かにそうだろうと思います。
それに関する「科学的」アプローチが十分に発達したとしても、そう言った視点の重要性は薄れることはないだろうと妄想します。

あと、≪自己組織化の倫理学≫→≪自己組織システムの倫理学≫でした。
568歴史は科学です。:01/11/30 22:00
歴史は科学です。
569ウナギです:01/11/30 22:08
以降の投稿は>>556に対する私の回答>>558を踏まえ、発言モードを変更して行ないます。

********
>>566
まず申し上げますが「私の現実の主張」と「アナタが私の主張を読んで連想したこと」と
は、まったく別個の存在です。もしこの両者の主旨・内容に相違があるばあい、「アナタ
の連想」がいくら支離滅裂であっても「私の現実の主張」が「支離滅裂」かどうかの証拠
にはまったくなりませんし、アナタがどんなに「アナタの連想」の内容に批判を加えよう
と、それは『「私の現実の主張」に対する批判』とはなりません。

まず第一。
私は貴稿が引用した
>>76
 >ある特定の史料に対する「客観的な解析」より獲得できる「情報」は
 >「万人に共通」である
に対し、誤解の生じないよう充分な補足をおこなっています。
にもかかわらず、なおかつ「困惑」したと称する人は、日本語の読解力が低いか、読解できないフリをしているか、どちらかでしょうな。
以下、>>435への回答>>453より。****人称に使用する用語を修正。
 (引用開始)
*******************************
  >>429 (→ここは、ウナギの文章を自分で引用)
>ある史実の解明に対して、ある史料が含有する「情報」は万人に共通であり、その時代
>においてその史料より「抽出しうる情報」も万人に共通。「その時代において抽出しう
>る情報」の中から、その時代のある歴史学者が「実際に抽出」できる情報は、その学者
>の素養・力量にかかっている。

※ここで私の発言と称して提示した彼の>>435の文章をあらためて吟味してみよう。
事例1:「文章の内容吟味の結果も客観的で万人に共通だとウナギ殿は言われる
     わけですな」。
 違います。
 例えばある漢文史料に対し、中国史の碩学と、漢文読解の訓練をうけていない者が「文
 章の内容を 吟味した結果」は当然いっしょにはなりません。
*******************************************
 (引用終了)


>>566氏が提示したiとiiの内容は、私の実際の発言とはまったくかけ離れた内容であり、従って>>566氏によるiとiiに対する批判は、私への批判とはなりえません。
せいぜい「自作自演」ですな。(続く)
570ウナギである:01/11/30 22:08
>>566氏が「ウナギへの批判」のツモリで提示した文章が「自作自演」にしか過ぎないという理由を、もう少し詳しく解説しよう。

>>566氏は「私の主張」を読解したと称して次のような文面を提示した。
***************
>ウナギ氏の主張は、少なくとも2通りに意味がとれる。
 >i「文献資料も十分な傍証が揃えば、どんな文献資料の内容も解釈の
 >余地無く真偽が判定される」つまり、将来的には内容も万人に対して
 >客観的となると期待してよい。
 >ii「歴史学も科学であるのだから、どのような文献資料についても、
 >解釈が多様にわかれる部分については沈黙すべきである」つまり、
 >どのような文献資料からも、情報として客観的に抽出可能なデータ
 >だけを使って歴史論述がなされるべきだ。
*****************

まず iについて。
私自身は「史料」に関して次のような定義を行なっている。
***********
>>280
 >歴史学が研究の素材とする「史料」とは、ある史実が後世に残した痕跡である。それ
 >は時の経過にともなって風化・劣化を免れない。 歴史学の研究者たちは、その時点ま
 >でに利用できる史料が含有する「情報」だけで自説の構築に取り組む。・・・新たな
 >史料の出現は「情報の隙間」を大いに埋めるが、そのような「出現」は、研究者が注
 >ぐ努力の量に比例して発生するという性質のものではない。
*************
アナタのいう「どんな文献資料の内容も解釈の余地無く真偽が判定される」つまり、将来
的には内容も万人に対して客観的となるととなる」ことには、私自身は著しく悲観的であ
り、そんなことを自分の主張として提示するなど、まったく思いもよりません。

この立場を踏まえ、あなたが私の主張として提示した文面に使用されている用語をなるべ
く使用しながら「史実の解明」に対する私の見解を提示しなおすと、次のようになります。
*************************
ある史実におけるある事項において「隙間なく」情報が抽出できる場合には、「解釈の余
地無く真偽が判定される」。その場合、 その史実のその事項は「万人に対して客観的」
であるということができる。
*************************
あなたの提示したiの主旨とは、全然ちがいますぞ。
571ウナギじゃ:01/11/30 22:09
次に >>566の iiに対して。

こちらに対しては、以前に「歴史学における仮説の立て方」について紹介した拙文を引用
しておこう。
*************************
>>280
歴史学においては、史料に対し、自分の仮説に都合のよい傾向の「情報」がとれるまで資
料をとっかえひっかえ しながら「実験」を繰り返す、などというゼイタクは許されない。
歴史学の研究者たちは、その時点までに利用できる史料が含有する「情報」だけで自説の
構築に取り組む。・・・ ・・・歴史学者は、ある史実に対する自説の提示にあたり、そ
の時点で得られるかぎの史料を収集し、可能な限り の「情報」を抽出したうえで、それ
らの「情報」を自説の「基礎・土台・根本」に据える。
********************
あなたのいう「解釈が多様にわかれる部分については沈黙すべきである」の「べき」を、
私自分の主張として提示することなど、まったく思いもよりませんな。
572ウナギじゃ!!:01/11/30 22:10
以下は、>>566氏が、純然たるご自身の創作物にトヤカクいって、私を批判したつもりになっている記述。

>>566
>ウナギ氏は適確な返答をして
>いない。そのことも自覚が無い様子。
私は自分の文面に対しては「責任をもって自覚」していますが、あなたが製造なさった、
私の本来の主張とはかけ離れたiやiiのごとき「要約」に対してはまったく責任を負いか
ねます。

>>566
 >>iは、体験的事実に反すると、思う人が多いでしょう
 >>iiは、そんな歴史学では不充分だと、思う人も多いでしょう
iやiiのような主張をする人が実際に現れたなら、私もそのように思います。

>>566
 >>これまたウナギ氏は頓珍漢な受け答えを繰り返している。
そりゃあ、私は自分の主張に対し、自分の主張に基づいて「受け答え」してますから。
私の主張をiやiiのように脳内変換なさるかたには、頓珍漢に聞こえるでしょう。

 >こんな主張を歴史学プロパーのものと言われてはまったく片腹痛い。
あなたのいう「こんな主張」(= iやii)を歴史プロパーたる私の主張として提示するな
ど、私自身も全く思いもよりません。

>>566
 >まぁ、科学的だの万人に共通だの言われるウナギ氏が、少なくとも
 >2通りに捉えられる主張をしているのが愉快ですが。
あなたが「愉快」だと思っている「2通りに捉えられる主張」なるものは、私の実際の主
張 とは主旨・内容が著しく相違しています。
573世界@名無史さん:01/11/30 22:25
>>562
>抽象思考は言葉が先じゃないの。時間の観念ができて記録をとどめて
>おく必要ができたから文字ができたんだと思うよ。
>言葉→絵→絵文字→文字だと推測する。

前段は全面的に賛成です。

言葉→絵→絵文字→文字だとの推測は難しい問題ですよね。
それこそ、現状ではカガク的な検証不能。
認知科学の発展と、人類化石の分析がないと科学的にはならない
ですよね。

ただ、ラスコーの洞窟壁画に含まれる、指を折った手型が、
なんらかの抽象概念を示す記号の類だ、とする解釈説があります。
絵と同時に“手話”があったかもしれないって解釈説で興味深い。

ラスコー当時に絵と同時に「言葉」(オーラルコミュニケーション)が
あったかなかったか、これまた科学的検証は現状では不能ですが。

にもかかわらず、抽象概念の形成には「言葉」(オーラルコミュニ
ケーション)以前に「身振り」(ジェスチャー)の果たしただろう役割も
考慮するのは妥当です。
これも現状では、カガク的ではあり得ない解釈論ですが。
そうした可能性も考えられるべきです。

ラスコーの手指記号は、かつては、プリミティヴ社会に時として見られ
る、指を切除するイニシエーションの痕跡、と「解釈」されていたそう
ですが。

指を折った手型を記号とみなす「解釈」は、洞窟空間の構成と、遺物の
出土配置とから出土された情報を元に過去の洞窟利用状況を科学的に
推定し、その上で科学的推定を材料としてある空間の壁画と別の空間の
壁画が製作主体(旧石器人)に示した重要度を推定し、さらにその推定を
材料として構築された「解釈」です。

このように考古学の分野でも、過去の異文化に内在的な研究をしよう
とするなら「解釈」は必要になります。

歴史学は最終的には解釈学にならなくてはならないのです。
少なくとも過去の歴史社会がどのような異文化であるかを解明しようと
する限りにおいては。
574ウナギ:01/11/30 23:50
>例えば文献史家でも西欧近世史(ルネッサンス史)の樺山紘一氏は
>「文字がない社会にも文明はある」「文字がない社会にも歴史はある」
>を繰り返しコメントしています。

樺山紘一氏が念頭に置いていたものと合致しているかどうかは
不明ですが、例えば南米のインカ帝国。
575世界@名無史さん:01/12/01 00:07
>563
カーが英国によるインド支配を正当化しているかどうかは別として、
良かれ悪しかれ、現インドが英国支配下当時の影響を残していることは
間違いないでしょう。

ただ現在においては、西欧的進歩、近代化という概念に対して
かなりの疑義が生じていることから考えれば、西欧的価値観だけが
すべてではないし、むしろその問題点を指摘し、新たな方向性を
模索しているのが現代の歴史学でしょうね。
576世界@名無史さん:01/12/01 00:24
まあスレ題名の結論はこの板見ればわかるわな。

大方の学問の板では厨房スレもあっても、結構なかなか
その学問を学んでいる人にある方法論、思考の進め方、
不特定多数だろうと意見が一致する議論の方向等が見られるものなんだが、
この板は情報タイプとしても雑学を超えず、解釈、意見の出し方も
特に素人と峻別されるような点は見出せないところが大きいね。
577世界@名無史さん:01/12/01 00:31
>特に素人と峻別されるような点は見出せないところが大きいね。
素人なんて書きこんでないだろう。
578sora:01/12/01 01:35
576様

でも、「その道」は開いておいてください。
だって、「部外者立ち入り禁止」みたいになってしまったら何のための「学問」
かわからないではありませんか。
「雑学」は軽蔑を含んでいる言葉なのですか?きちんと系統だっていないと?
改めて垣根を立てられてしまうと、寂しく感じます。

それに「その道のプロフェッショナル」とは、「その道」のなかで認められるだけではなく
その成果は、いずれ時が来れば一般人にも分け与えられるはずのものでしょう?
それに「学問」というのは、そういう風に前に歩いた人たちの財産を受け継いで進化
してきたものですよね。

「聞きかじりの知ったかぶりでわかってもいないことわかった風に言ってんじゃないよ」
「片腹痛いんだよ」
といいたくなるのは私もわかるような気がします。でも、風通しはよくしておいてくださいね。
すべての人にとって、歴史はその人自身へと続く道なのだと思っていたい。
ごちゃごちゃと、ごめんなさい。
大丈夫。横から余計な茶々いれて邪魔したりはしませんから。
579世界@名無史さん:01/12/01 01:38
>577
私は歴史専攻の院生だけどこのテの話では自分が素人である
という感じが拭えないね。
580世界@名無史さん:01/12/01 01:54
>>576
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1006808421/l50
の245ではないかな?
そして、このスレの過去ログ(>>504)にも、リンク先の過去ログにも
歴史は科学ではない、歴史は現国家の正当化に尽くすべき、と書いた人がいる。
どうも同一人物の匂いがする。
(ただし、そうだとしても彼の意見の妥当性とは関係無い。それについては別に書こう)
581世界@名無史さん:01/12/01 02:08
>579
院試にすら落ちた学部生の私には
議論の内容を理解するだけで精一杯です・・・
582世界@名無史さん:01/12/01 02:10
いや、プロの歴史学者でも歴史理論や歴史哲学については
確固たる見識を持ってるとは限らないよ。
583世界@名無史さん:01/12/01 02:28
>>580
>どうも同一人物の匂いがする。

たぶん大正解。(藁
関係ないんでさげ。
584579:01/12/01 03:16
>582
学部入試の面接で、「歴史学は過去の事実の確定(ある出来事が起きたか起き
なかったか)を追究するのですか、それとも事実の因果関係を追求するの
ですか(後者だとしたら主観を排除できないような気が)」という
意味のことを尋ねたら「その辺のことは入ってから勉強してね」という
返事だった。
あれは本心なのか逃げなのか、はたまた私の質問のしかたが不明瞭だったのか
いまだに気になっている…。

結局入ってからは目先のレポートその他に追われて歴史哲学とかの勉強は
全然しなかったけどね。しなくても、目先のことを解決するのには
あまり困らない。本当はそれじゃよくないんだけど。
585世界@名無史さん:01/12/01 03:30
>584
まぁそれは、他の多くの研究者も似たり寄ったりでしょ。
目先のことに追われているのは。

研究もあるし講義もあるし。ただ本を読んで
それについて考えることは無駄じゃないでしょうね。
歴史哲学の本はいろいろ出てるし。

とりあえず自分が勧めるのは
小谷汪之(ひろゆき)『歴史の方法について』(東大出版会)かな。
読みやすくて良くまとまってると思う。
586具体的にいこうぜ          :01/12/01 06:11
シュペングラーの「西洋の没落」は解釈学として妥当か?
科学なのか?歴史哲学か?文明論か?
587歴史学は解釈学です:01/12/01 07:18
>>586
『西洋の没落』は、「歴史とは何か」が方法的に論考されてるわけではないですよね。
歴史哲学ではないと思います。
文明論としては、(これは時代的制約と言ってもよいかもしれませんが)使用概念は特殊西欧的なものばかりではないですか?(言われるまで検討したことないので左記は印象論ですけど)
解釈学だとしても、強いて言えば、社会批評かなぁ。
588ウナギ:01/12/01 07:35
>>582
 >いや、プロの歴史学者でも歴史理論や歴史哲学については
 >確固たる見識を持ってるとは限らないよ。

史学科のほやほやの学部生だった時、ある種の「歴史理論」や「歴史哲学」の
存在感を支えていた政治体制がガラガラと崩壊し、その「理論」や「哲学」を
裏付ける手段として「史実の解明」に取り組んでいたような「歴史学者」が右往左往するのをリアルタイムで体験しました。
589歴史学は解釈学です :01/12/01 07:36
>>586
あ、小賢しい言い方を思いついた(笑)。
特殊西欧的な文明批評。
590ウナギ:01/12/01 07:40
そのような体験をふまえ、
*****************
「史実の解明」が「歴史学の基礎・土台・根幹」であり、「史料より情報を
抽出すること」が「史実の解明の基礎・土台・根幹」であある。

これらの「基礎・土台・根幹」のない、あるいは乏しい「法則」「理論」
「哲学」etc.の類は価値がない、あるいは乏しい。
*****************
という結論に達しています。
591歴史学は解釈学です:01/12/01 08:05
ちょっと確認してみると、
『西洋の没落』の刊行は1918年。

ガダマーの『真理と方法』(>>1)の刊行が1960年、
これは氏のハデルベルグ大学着任頃から着手された、と言うので
1949年頃から。

ちなみに、カーの『歴史とは何か』は1961年刊行。
フーコーの『知の考古学』は1969年刊行ですけど、
『歴史とは何か』の刊行年と同年に『狂気の歴史』が刊行されてます。

だからどうした、って感じはあるでしょうけど。
592世界@名無史さん:01/12/01 13:50
新聞配達のように、毎朝郵便受けに史料を届けてくれる人がいるのなら、
>>590のようなことは実行できるでしょう。
しかし、普通の歴史家は史料配達員を雇うほど裕福ではない。
そして、図書館や史料館に閉じこもることになるんですが、
そのときでさえ、史料が手の中に跳び込んでくることはない。

こう書けば、歴史理論・歴史哲学の必要なのかどうか、どう思います?
593ウナギ:01/12/01 14:32
>>592
 >新聞配達のように、毎朝郵便受けに史料を届けてくれる人がいる
 >のなら、>>590のようなことは実行できるでしょう。
その「新聞配達」屋さんに「郵便受けに史料を届けてくれる」よう
頼むにも、少なくとも「どんな史料が欲しいか」を考える程度の主
体性は欠かせません。

なぜ、歴史研究に取り組むのか、なぜそのテーマを選ぶのか、につ
いて、なにがしかの「動機」が存在することが「必要である」のは
間違いありません。さもなければ「歴史に取り組む」こと自体が行
えない。

ただしその動機を「歴史理論」とか「歴史哲学」、「歴史の法則」
云々にまで体系化せねばならない、ということまでは必要ないと思
います。
594世界@名無史さん:01/12/01 17:06
歴史学は予測の学問です。こうだったのではないか、という。

予測は科学的なデーターに基づいて行われる予想なので、歴史学は科学的な部分をかなりの程度持っているといえます
595世界@名無史さん:01/12/01 18:23
>>594
予測って将来のことを予想する事だyo。
こうだったのだはないか、だったら推測とか推定とか類推だyo。
596世界@名無史さん:01/12/01 18:59
>>594
その件ガイシュツ>>506
597世界@名無史さん:01/12/01 19:11
>>594
こうだったのではないか、って予測だったんすか・・・
598歴史学は解釈学です:01/12/01 20:10
>>592
結論から言うと、歴史理論の密度や必要性は、研究者個人ではなく学派(school)
によって異なるはずです。
これに対して、歴史哲学は歴史学というジャンル総体にとっての必要性があります。

だから、>>592で挙げられた研究者の研究環境は、歴史理論、歴史哲学、どちの
必要性とも直接は関係しないと言えます。

「歴史理論」の用法は、このスレの議論を通じて曖昧なまま来てますね。
仕方ない事情は推測されますが。多義的なまま用いられてます。

歴史理論=歴史研究・分析の方法論体系なのか、
歴史理論=モデル化された歴史像なのか、
それ以外の何か――例えば“歴史法則”の体系なのか、
曖昧です。

学派によっては二分し難いものもあるので議論での用法にも曖昧さが混入して
いるのでしょう。
(二分し難いとされる場合の是非は学派ごとに検討されないと事情が異なるはず
です)
599歴史学は解釈学です:01/12/01 20:12
>>592
結論から言うと、歴史理論の密度や必要性は、研究者個人ではなく
学派(school)によって異なるはずです。
これに対して、歴史哲学は歴史学というジャンル総体にとっての
必要性があります。

だから、>>592で挙げられた研究者の研究環境は、歴史理論、歴史
哲学、どちの必要性とも直接は関係しないと言えます。

「歴史理論」の用法は、このスレの議論を通じて曖昧なまま来てま
すね。
仕方ない事情は推測されますが。多義的なまま用いられてます。

歴史理論=歴史研究・分析の方法論体系なのか、
歴史理論=モデル化された歴史像なのか、
それ以外の何か――例えば“歴史法則”の体系なのか、
曖昧です。

学派によっては二分し難いものもあるので議論での用法にも曖昧
さが混入してくるのでしょう。
(二分し難いとされる場合の是非は学派ごとに検討されないと事情
が異なるはずです)
600歴史学は解釈学です:01/12/01 20:14
>>592
一方、「歴史哲学」は「歴史認識の前提となる認識枠組みの検討を
する営み」と要約できます。
例えばE.H.カーやM.フーコーの歴史哲学と呼ばれる著作は、
上のように要約できます。
また「科学哲学」「宗教哲学」といった類似用法も同じように「◎◎
認識の前提となる認識枠組みの検討をする試み」です。

そうすると、歴史理論・歴史哲学と並記した場合でも、両者の違いは
明白になります。
(もちろん論旨によっては併記されても構わないです)
歴史哲学の方は「学問ジャンルとしての歴史学全体にとっては必要」
と言えますす。

ただ、>>559にあるように「岡田弘明氏の歴史哲学」というような
場合は、特定研究者の歴史論述を解釈することで読み取れるものを
さすわけで。
こうした類は哲学的論述の体裁をとっているわけでも、とる必要が
あるわけでもない。
その意味では研究者個人にとっての「歴史哲学」は「必ずしも体系化
される必要はない」とは言えます。

が、学問ジャンルの総体にとっては必要である。
601=599=598:01/12/01 20:15
あれ、二重書込みになってしまいました。
理由は分からないですけど、送信のミスだったはずです。
すみません。
602西国のアズマ帰依者:01/12/01 21:14
ウナギさんのストイックさが消えて悲しい。
603世界@名無史さん:01/12/02 00:06
ダント以降、歴史に関する哲学と言えば、
分析哲学的なもんになったと断言していいんじゃないか?

それ以前、特に19世紀的な歴史哲学って、
<<600が言うようなものというよりもむしろ
「歴史の自然」「自然史」とでも言うべきものだっただろう。
(もちろんここで言う「自然」は古代ギリシャの「フュシス」から来る概念)
この意味では史的唯物論もばっちり歴史哲学なわけだ。

フーコーの名前が出たからついでに言うけど、
認識枠組の歴史性を分析するってのは、20世紀思想の大きな成果だったと思う。
それをアルケオロジーなんて呼んじゃうところもカコイイ!!
604歴史学は解釈学です:01/12/02 00:33
>>603
あぁ、やっとこ。
歴史は科学ではない、
ではいかなる性質の学問か、
のお話のとっかかりになる歴史哲学的な話題が。

私は、「歴史は解釈学だ」の立場で
ガダマーを批判的に克服するものとしてフーコーを置いています。

ですので、とりあえず>>600のように歴史哲学と歴史学の関係を位置
付けてみました。

歴史学プロパーの方で言うと、社会史・歴史人類学に重点がかかる型
になっています。
それから、>>575で言われている「西欧的進歩、近代化という概念に
対してかなりの疑義が生じている〔私としてはここに当然近代的科学
主義も入ります〕ことから考えれば、西欧的価値観だけがすべてでは
ないし、むしろその問題点を指摘し、新たな方向性を模索しているの
が現代の歴史学」としてフーコーを押したいです。(604≠575)
605歴史学は解釈学です:01/12/02 00:36
>>603
さて、「ダントの『物語としての歴史』」を哲学に据えるとしたら、
歴史学はどのようなアプローチが重視されてゆくと考えられるで
しょうか?

それから、よろしければ「フィシスとしての自然」については、
「歴史の自然」「自然史」との関連で、少し概説をお願いした
いと思います。
606ジャレル:01/12/02 06:47
ウナギさん頑張れ。
607世界@名無史さん:01/12/03 01:18
じゃあ、とりあえず、「歴史は科学ではない」という結論にしときますか。
608世界@名無史さん:01/12/03 04:18
>>607
終了ですかね。
それなりにおもしろい話も出てましたし。
感想としては、>>1の設問に振り回された観はありますね。

歴史学/科学というと、いまだにマルクス主義歴史学の件が尾をひくのか
と思いました。

いろいろな考え方はあるでしょうが。
マルクス主義は科学的社会主義を主張したわけで。
主義者でない者が、マルクス主義歴史学を科学的と認める必要もないでしょう。

マルクス主義歴史学など科学ではないが、歴史学はもっとちゃんと科学的だと
いう意見と、歴史学は科学とは別種の学問なので、もちろんマルクス主義
歴史学も科学でない、という意見の議論が、延々噛み合わなかったところが見物
でした(藁)。
609世界@名無史さん:01/12/03 11:33
ベンヤミンってもう出てきた?
610歴史学は解釈学です:01/12/03 11:53
>>609
名前のみ、ちらりと。
>>111です。

ベンヤミンむずかしいですよね。
個人的には好きなんですけど。
611世界@名無史さん:01/12/03 23:22
>>610
君も好き。
僕はあの単子論的歴史解釈って数学的で好きなのよね。
612ウナギ:01/12/04 21:27
>>607
  >じゃあ、とりあえず、「歴史は科学ではない」という結論にしときますか。
『「ボクチャンのいう歴史」は「ボクチャンのいう科学」ではないという結
論』なら、異議なし。
613ウナギ:01/12/04 22:16
他の諸氏のやりとりは一段落したようなので、落ち穂拾いを。

>>252
 > 歴史学では、「情報の隙間」が埋まったとしても、だからといって
 > あらゆる立場から承服される概念が構築されるとは限りません。
 > 限りませんと言うより、到達できないんです。
 > なぜかと言えば、研究対象の要素単位を特定できないからです。

これ↑、抽象論としてはもっともらしいが、史学研究の現場感覚にはまったく当てはまら
ない空論。↓これも同様。

>>236
 > 仮定・思考実験としてあらゆる「情報の隙間」が埋められた
 > としても、万人に共通する結論が抽出されることがないのが
 > 歴史学なんだね。
 > なぜならば、分析の為の要素単位を原理的に特定できないから、
 > ゆえに、理論は常に仮説モデルしかあり得ない。
 > がゆえに万人に検証可能な結論は導き出されない、
 > 常に解釈妥当性を対話検証することしかできない、

「あらゆる「情報の隙間」が埋められた」場合を「仮定・思考実験として」想定するな
ら、むろん「万人に共通する結論が抽出される」よ。だから「歴史学は科学」だと主張し
ている。

ある史実のある事項の解明に際し、その史実の解明の為に利用しうる史料群から抽出しう
る情報が、その史実のその事項に関する「情報の隙間」を質的・量的に埋めるに足るもの
であり、かつ研究者たちによって実際にその『「情報の隙間」が埋められた』場合には、
その史実のその事項にかんしては「あらゆる立場から承服される概念が構築される」とい
えます。

「情報の隙間が埋まる」とはそういうことです。
614603:01/12/04 23:28
>>604
ピンポイントで受けがよかったみたいだな。
ちなみに俺は歴史プロパーで、この手の議論は専門ではないのです。

フュシス論はニスベットの受け売り。
俺の説明なんかよりもそっち読んだ方が早い
ロバート・ニスベット『歴史とメタファー 社会変化の諸相』紀伊国屋書店
これ。

ごく軽く説明しておくと、フュシスってのは萌芽だがなんだかって原義があって
古代ギリシャから近代に至る西洋思想を貫く基本的思想モチーフのひとつ。
あるエッセンシャルな一点があって、そこから広がっていくイメージ。
ラテン語に翻訳されたのがナトゥーラ。これが英語のネイチャーの語源。
漸進的進歩史観とかってのはこれを元にしていて、アウグスティヌスの昔から
マルクスに至るまで基本モチーフは変わっていないわけだ。

日本語だと「自然」て訳されるからなんか勘違いしやすいんだけど、
西洋思想史の文脈で「自然」と言った場合、
それは「放っておけばそうなるもの」という意味になる。
だから「自然史」ってのは「当然そうであるべき歴史」ってこと。
つまりそれは過去に対して整合的な意味を与え、
さらには未来に対してすら一定のビジョンを与える。
「歴史とは〜〜である」という命題で語ることができる歴史哲学ってのは
そもそもが自然史として構想されたものだったと言える。
〜〜に入るところが、ある思想家にとっては
「神の国へのプロセス」(いや森首相でなく)だったり
「民族精神の拡張」であったり、「生産関係の矛盾による階級闘争」
だったりするわけだが結局のところ構図は同じ。

あなたが、こういう「近代的進歩」とか「近代化」の
基盤になっている思想(当然科学思想も含まれる)を批判したいと思うなら
少しは役に立つ話だったかもね。

んでこういう歴史哲学は19世紀まで
20世紀の歴史哲学は分析哲学だ、って俺は言いたいわけなんだけど、
なんか疲れたのでまた。

>>ウナギさん
俺も歴史畑だからわかるけど、あなたみたいに考えるのが普通なんだよね。
しっかりとランケ式に訓練されてきたのが見て取れます。
俺の周りもあなたみたいな人ばっかりです。
みんな優秀な研究者だけど、思想的は19世紀止まりなんだよな。
でも歴史畑だけに居続ける限り、特にそれで問題ないと思う。
615世界@名無史さん:01/12/05 01:06
おいおい、2時間以上かけて頭から読んでみたら、もう決着ついてるよ!!!
616世界@名無史さん:01/12/05 01:17
>>613
あなたのいう「歴史」って何ですか?
617世界@名無史さん:01/12/05 01:29
「結局のところ、史料を読むとは距離の測定であろう。史料に書かれていることと
 歴史的「事実」の距離、歴史的対象とそれを叙述しようとする我々自身との距離、
 これらをどう測定するかである」(石井進編『歴史家の読書案内』吉川弘文館 1998年)
618世界@名無史さん:01/12/05 01:39
>>612
史料の話ばかり出てますけど、「歴史は科学」だとすると、当然に
歴史叙述も科学だと考えていいわけですね?
619世界@名無史さん:01/12/05 01:55
>>613
>「あらゆる「情報の隙間」が埋められた」場合を「仮定・思考実験として」想定するな
>ら、むろん「万人に共通する結論が抽出される」よ。だから「歴史学は科学」だと主張し
>ている。

ちょうど別スレで日韓併合の原因・責任についてやってますけど、どうすれば万人に共通の結論に至ります?
なんかいい知恵ありませんか。
620世界@名無史さん:01/12/05 02:54
とりあえず、「ルーズベルトは知らなかった」という結論で。
621なるへそ         :01/12/05 03:00
19世紀の思想と20世紀世紀の思想ってどうちがうんですか?
どこの国の思想ですか?進歩とかがあるんですか?
その思想史の解釈学的?妥当性は何ですか?
622世界@名無史さん:01/12/05 03:08
また繰り返しか・
623歴史学は解釈学です:01/12/05 03:36
>>612
>>じゃあ、とりあえず、「歴史は科学ではない」という結論にしときますか。
>『「ボクチャンのいう歴史」は「ボクチャンのいう科学」ではないという結
論』なら、異議なし。

違います。
ウナギの言うカガクは、世間一般で言う科学ではない
という意味でなら、歴史学はカガク的ではある、です。
624歴史学は解釈学です:01/12/05 03:43
>>614
えーと。
一応お話はわかりました。
>ごく軽く説明しておくと、フュシスってのは萌芽だがなんだかって原義があって
古代ギリシャから近代に至る西洋思想を貫く基本的思想モチーフのひとつ。
あるエッセンシャルな一点があって、そこから広がっていくイメージ。
ラテン語に翻訳されたのがナトゥーラ。これが英語のネイチャーの語源。

日本語で言う自然〔ジネン〕としての歴史、という理解でよいようですね。
しかし、それは前近代的な歴史観ではないでしょうか。

私は、マルクス主義歴史学は、基本の前提に過ちがいくつもあるので
(例えば水や空気は無限ではないことは既に自明であるとか、原始乱婚性
仮説の誤りであるとか)、歴史的限界において間違っている、の結論で
構わないんですが。

感想としては、マルクス主義歴史学をジネンとしての歴史であるというのは
それもそれで偏っているように思えます。
(でも、別に擁護する気もないので、このお話は私の方からはここまでにさせ
ていただきます)
625世界@名無史さん:01/12/05 03:47
普通に考えて、
「隙間がない情報」が想像しえないんですが。
そういうものがあって、なおかつ、
それは万人に共通する結論を出した、という具体例はあるんでしょうか?
(過去ログにあったらご免)
しかし、これは何が「隙間の無い情報か」というメタレベルの議論を惹起しそうですから、
現実には存在しなさそう……
626歴史学は解釈学です:01/12/05 03:54
>>621
>19世紀の思想と20世紀世紀の思想ってどうちがうんですか?
>どこの国の思想ですか?進歩とかがあるんですか?

よく言われることとしては、
19世紀の思想と20世紀の思想の違いは次の2点です。
a「素朴実体論から関係論への展開」
b「言語論的展開」

aの代表は様々な思想・学問ジャンルを横断した構造論
bの代表はウィトゲンシュタンからはじまったもの
ハートやルーマンの言語行為論などに波及しています。
(>>549>>551>>557)

※分析哲学はこのbの思想的文脈のお話と思いますが(?)(>>614)

aは主に大陸系の思想トレンド、bは主に英米系の思想トレンドです。(>>171)

a、b、総合して「客観的」の意味が大きく問い直されたのが20世紀思想の達成です。

これが進歩かどうかといえば、言語論や記号論のような分野では、19世紀的な素朴実体論が言うような「客観」はあり得ない、と明確にされた点は進歩です。


aは主に
627世界@名無史さん:01/12/05 03:54
回廊か、同道巡りか、科学的記述とは何か?
628歴史学は解釈学です:01/12/05 03:58
>>625
>普通に考えて、
>「隙間がない情報」が想像しえないんですが。

言っても通じないですよ。
「あらゆる「情報の隙間」が埋められた」場合を仮定すれば
「万人に共通する結論が抽出される」はずで、だから、その場合には
「歴史学も科学」と言える

ってだけの信仰箇条にすぎませんから。
629歴史学は解釈学です:01/12/05 04:02
>>627
>>222、他で整理していますが。

要素還元主義で対象領域の性質と取り扱う範囲を限定した
論理実証主義の言説体系で
手法としては実験を用い、勝野是非の検証が万人に共通な
もの。

これが科学の記述です。

従って、将来的には万人に共通になるだろうなんてもものは
科学の記述ではあり得ません。
630=629の訂正:01/12/05 04:18
×>手法としては実験を用い、勝野是非の検証が万人に共通な
もの。

◎>手法としては実験を用い、仮定の是非の検証が万人に共通な
もの。
631世界@名無史さん:01/12/05 04:20
でもさ、第二次世界大戦は何年に起きたとか、徳川家康はいつ死んだとかって共通じゃない?
632世界@名無史さん:01/12/05 04:24
歴史学の対象は過去の歴史的事実であって、史料はその媒介に過ぎませんよね?
633アガスティア:01/12/05 04:31
歴史は予め決まっている
634歴史学は解釈学です:01/12/05 04:37
>>631
まず「第二次世界大戦は何年に起きた」これは客観的事実ではありません。
共同主観的判断です。
孤立した山岳少数民族には意味を成さない命題です。

「徳川家康はいつ死んだ」これは、徳川家康と呼ばれる故人の遺体が特定
されれば客観的事実にはなるでしょうね。
ですから「徳川家康は1616年に死んだ、なぜならどこそこに埋葬された遺体
を司法医学的かつ、遺伝子学的に検証したところ云々かんぬん」という記述
ならば、科学の記述ですし、客観的ですし、万人に共通と言って構わないで
しょう。

どこが違うかといえば「どういう事象を第二次大戦と総括するか」の判断に
了解がとれるかどうかが違うのです。

でポイントは「徳川家康は1616年に死んだ、なぜなら〜」のような
科学の記述だけが歴史学だ、と断定されるとしたら、私たちの社会も
文明もそんな歴史学には満足できない、ということなんです。

歴史学の部分としては必要でしょうし、重要と言ってもいい。
が、歴史学は科学の記述では完結しない。
635歴史学は解釈学です:01/12/05 04:41
>>632
>歴史学の対象は過去の歴史的事実であって、史料はその媒介に過ぎませんよね?

それは違うと言うか、命題として不明瞭なんだと思います。

歴史学の研究対象は、過去の出来事の痕跡で、過去の歴史的事実は
研究を通じて再構成されるものですから、対象ではなくて過程、と
こう言った方が正確になるでしょう。

過程として過去の歴史的事実を再構成し、そのの事実を解釈して
歴史的評価を論述することが歴史学の論術でしょう。
636世界@名無史さん:01/12/05 05:42
そうかねえ。俺はやっぱり歴史学の対象は過去の歴史的事実だと思うけどな。
637615:01/12/05 09:52
みなさんは無視したと思うんだけど、

>531 :世界@名無史さん :01/11/29 06:05
>過去ログにもあったけど、
>「歴史は科学である」と対をなす主張が
>「歴史は歴史家(のイデオロギー)に従属する」という言説だね。

というこの指摘には重要だと思う。

それとはズレますが、「歴史学が科学ではない」と言うことによって、
歴史学の価値を低めようとする試みがこの議論の中に混在している。
65氏(65だけじゃなくてその後のレスも)は、
「歴史学が科学ではない」ということを述べており、そしてそのことは
歴史学の価値とは関係無いということを言ってはいるが、
一方で「歴史は科学にはなれないんだよ」というようなことも言っている。
65氏はまっとうなことを言っていると思うが、この発言は不用意な失言だったと思う。

「科学」であることが学問の条件である、との勘違いがまだ往々にしてある。
65氏とともにウナギ氏はその観念によって反論するが、この勘違いが
(65氏はその観念を意識されてはいるが、本当に脱してはいない気がする)

私は歴史学が科学か科学でないかは、なんの意味もないと思う。
個々人の概念規定によって異なるからです。
そして、科学という語に付随する観念(学問としての価値を高めるという思いこみ)が
あるかぎり、歴史学は科学か否かという無意味な論争は続くであろう。

私は科学史の人間であって、手前味噌になるかもしれないが、
科学は歴史に負うところが大きい。
議論になっていた天文学については、その法則は更新されうるし、更新される。
ある意味天文学は歴史学である。
量子力学は、その研究史を踏まえて分析することが不可欠である。
他の科学においても、同様である。

歴史学の性質について、
私は歴史学は他の学問に必要不可欠な「ツール」としての役割が大きいと思う。

かなりまとまってません(w
それと、喧嘩を売っているわけではないので、まったり批判してくださいな。
638615:01/12/05 09:53
sageちった(w
639ウナギ:01/12/05 11:58
私は、一貫して1の提示した珍命題
 【「歴史」は「科学ではない」】
に対して
 【『「歴史は科学ではない」にしても「歴史学は科学である」』】
と力説する立場をとっています。これは、ロジック的には
 【『「原油」は「技術」ではない』にしても『「原油掘削技術」は「技術」である」』】
と言っているのと等価です。>>432でこれを区別できないカワイソウな人を「温かく教え導いて」さしあげているので、ぜひご観賞ください。

>>616
 >あなたのいう「歴史」って何ですか?
>>169にて定義ずみ。

*******************************
>>619
>ちょうど別スレで日韓併合の原因・責任についてやってますけど、どうすれば万人に共
>通の結論に至ります?
> なんかいい知恵ありませんか。

どうすれば、というおたずねなのであえて答えますが、「日韓併合の原因・責任」という
テーマのために利用しうる
 ・現存の史料をすべて揃える
 ・未発見の史料をすべて発見する
 ・亡失した史料をすべて復元・再生する
などによって「この史実の解明に際し、この史実の解明の為に利用しうる史料群から抽出
しうる情報」「情報の隙間」をことごとく埋めることができたら、このテーマでも「万人
に共通の結論に至ります」。

原理的には簡潔・明瞭ですが問題は「万人に共通の結論に至る」ために必要な史料が、現
時点では存在しないこと。
640ウナギ(一部「名無し象の鼻」モード)」:01/12/05 12:01
あやや、訂正。
639の最後の行を、      。。。。。。  。 。。。
・・必要な史料が、現時点ではまだそろって存在はしてはいないこ

***************


このヒト↓だけには「名無し象の鼻」モードで。
 >>628 :歴史学は解釈学です
  >言っても通じないですよ。・・
  >ってだけの信仰箇条にすぎませんから。
ププ
どれが誰の発言なのか区別もできないアホ。
引用元へのジャンプタグもつけてるのに。

「仮定・思考実験」として『「情報の隙間」が埋まった場合』を云々しだしたのは」
>>236>>252。この仮定・思考実験の条件が満たされた場合には、こうなる、と述べたのがオレ様の >>613
誰がだれやら区別できないから「信仰箇条」だとさ。この「仮定・思考実験の条件」に対するオレ様の実際の考えは下記の↓>>625氏へのレスにて。

>>625(以下はまたウナギ・モードで)
 > 普通に考えて、
 >「隙間がない情報」が想像しえないんですが。
私自身も、>>570で同じ主旨を
***********
>歴史学が研究の素材とする「史料」とは、ある史実が後世に残した痕跡である。それ
>は時の経過にともなって風化・劣化を免れない。 歴史学の研究者たちは、その時点ま
>でに利用できる史料が含有する「情報」だけで自説の構築に取り組む。・・・新たな
>史料の出現は「情報の隙間」を大いに埋めるが、そのような「出現」は、研究者が注
>ぐ努力の量に比例して発生するという性質のものではない。

アナタ(= >>566)のいう「どんな文献資料の内容も解釈の余地無く真偽が判定される」
つまり、将来 的には内容も万人に対して客観的となるととなる」ことには、私自身は著
しく悲観的であ り、そんなことを自分の主張として提示するなど、まったく思いもより
ません。
*************
と述べています。
641603=614:01/12/05 12:04
>>624
>日本語で言う自然〔ジネン〕としての歴史、という理解でよいようですね。
>しかし、それは前近代的な歴史観ではないでしょうか。

もちろん前近代的なものですよ。
でもそれが近代的な価値体系の中にも通底しているわけで。
俺の立場はこういうフュシス概念を批判する立場にあります。
20世紀の思想的成果として、例えばここで言うフュシスの
歴史性を追うことで、その脱本質化に成功したことがあげられるでしょう。

>感想としては、マルクス主義歴史学をジネンとしての歴史であるというのは
>それもそれで偏っているように思えます。

日本語のジネンという概念についてはよくわかってないのですが、
それでも「偏ってる」なんて言い方しないでくれよ。
フュシス(=ジネン?)論から見ればそう解釈できる、ってことなんだから。
「偏ってる」って言い方に引っかかったのは、
それに「偏ってない何か」を前提にしてる臭いを感じたからです。
あなたの立場からすると、そういう考え方こそ批判したいわけでしょ?

>>626
>※分析哲学はこのbの思想的文脈のお話と思いますが(?)

そう、言語論的転回以降の歴史学のありかた、てのが、
このスレッドの理想的なテーマ(俺にとって、ですがw)だと思うのです。
>>637さんの言うように、俺も歴史は科学か科学でないかはどうでもいいです。
642名無し象の鼻:01/12/05 12:11
>>634:歴史学は解釈学です
 >まず「第二次世界大戦は何年に起きた」これは客観的事実ではありません。
 >共同主観的判断です。
 >孤立した山岳少数民族には意味を成さない命題です。
ボクちゃんのいう「客観的事実」ではないかもしれないが、「確定した史実」です。

「孤立した山岳少数民族」のメンバーが、「第二次世界大戦」の勃発年につい
てしらべるため、諸研究・諸史料の分析にとりくみはじめれば、同じ結論に達
します。

彼らの暦で「第235アハウのナナイロマンドリルの年」という呼称にでも変
換されるかもしれませんが。
643:01/12/05 12:33
>>637
いいたいことはわかるが、文章がちょっと…ね。

>私は歴史学が科学か科学でないかは、なんの意味もないと思う。
>個々人の概念規定によって異なるからです。
>そして、科学という語に付随する観念(学問としての価値を高めるという思いこみ)が
>あるかぎり、歴史学は科学か否かという無意味な論争は続くであろう。

これだけ言うのなら全く同意。

ただ、65氏云々やウナギ氏云々はちょっと違うんじゃないかな。
第一、65氏は

>だから「歴史学は科学ではない」んだね。
>科学にはなれないのだよ(267)

とは言っているが、これは別に不用意な発言ではないんじゃないの?

>歴史学は科学では扱えない対象を論じることができる解釈学ですので、
>科学性など劣っていても構いません。

>ま、そーゆーことです。(287)

とも言ってるしさ。(この二つの文章の最後の一文はいずれも余計だとは思うが)
ようするに、問題なのは、

>歴史家に科学ができる程のおつむの人はそんなにいません。

という3の記述に始まる一連の記述に見える、学問の一元的な観念だろう。
644:01/12/05 12:47
「学問の一元的な観念」を
「学問を一元的に評価する観念」に訂正。

>歴史学の性質について、
>私は歴史学は他の学問に必要不可欠な「ツール」としての役割が大きいと思う。

確かにこうなってくるだろうね。
歴史学の領域が広がってきて、他の学問との境界がなくなってきているという状況があるからこそ、
今歴史学が存亡の危機にあるわけだから。

一番思うのが、歴史オタクな「科学者」がいる意外と一方で、
歴史を軽視している「科学者」があまりに多いということ。
実際物理学者がやってることが、
歴史学みたいなものだったりすることもあるらしいし。
もっと貪欲に使うべきだと思うんだけど。
645歴史学は解釈学です:01/12/05 12:57
>>637=615

いえ。その>>531は無視されてはいないはずと思います。
例えば、>>534です。

>「歴史学は解釈学だ」の立場から言わせていただくと
>「歴史学は客観的事実を追い求める科学である」という言説ち「>>540タイプ」の
>言説は対極ではなく同類か、せいぜい言って50歩100歩だと思われます。
>国家主義の部分にカガク主義が入るだけですので。
>少なくとも異文化との公正な対話、相互了解が阻害される、との問題点は同質です。

私は、「歴史学が科学か科学でないかは、なんの意味もない」とは思えません。
19世紀レベルの思想で、客観と、共同主観の区別もつけれない人がいますので、積極的に言いたいと思います。

レヴィ=ストロースが『人種と科学』を公刊したのは1952年ですが。
歴史学が客観的な問題だけを扱うのならば、歴史学は民族問題の理解になんの貢献もできないことになります。
それどころか、民族問題に関る問題が素朴実体論の客観を信憑するカガクテキだけで裁断される場合害悪の方が多いと言えます。

繰り返しますが、私たちの社会も私たちの文明もそんな歴史学に満足するわけにはいきません。(>>634)
646歴史学は解釈学です:01/12/05 12:58
>>637=615
>一方で「歴史は科学にはなれないんだよ」というようなことも言っている。
>65氏はまっとうなことを言っていると思うが、この発言は不用意な失言だったと思う。
私は失言だとは思っていません。
歴史学の内でも、過程として科学的な検証が含まれることは重要、と認めていますので。
が、歴史的過去の社会を異文化と認知するならば(当方の立場としては、認知すべきであるとの前提を含んでいます)、歴史学は科学であることに満足していてはならない、考えます。

この考えは決して「歴史学の価値を低めようとする試み」ではないはずです。
※少なくとも、客観と共同主観といった基本概念にまつわる問題を理解しようともせず
※解釈学について見当違いな誹謗を繰り返す、愚かな言説よりはよほど建設的なはずです。
647歴史学は解釈学です:01/12/05 13:06
>>637=615
また見当違いな揶揄が入るとうっとしいので、いわずもがななことを書いておきます。

まずレヴィ=ストロースの『人種と歴史』は、ユネスコのプロジェクトの一環として受けた要請にストローズが応じた著作です。
原著題名は“RACE ET HISTOIRE”

素朴実体論客観主義(カガク主義)ゆえの人種主義の論理的欺瞞をあばく意図が読んでとれます。
この文脈で人種主義といわれているのは、科学的な分析対象である人種と、帰属意識といった主観的要因が含まれざるを得ない国民性(Nationality)と民族性(Ethnicity)を混同するような、言説「も」含まれています。

が、もっと根根本的に、国民性や民族性は素朴実体論客観主義(カガク主義)の思想で裁断されるべきではない、というまっとうな批判も含まれています。

歴史学が素朴実体論客観主義のカガク的で留まるものだ、との主張は、この種のまっとうな批判に応える意志も方法論ももたない歴史学に留まらざるを得ません。
648歴史学は解釈学です:01/12/05 13:14
>>603=614
>もちろん前近代的なものですよ。
>でもそれが近代的な価値体系の中にも通底しているわけで。
>俺の立場はこういうフュシス概念を批判する立場にあります。

なるほど。
わかりました。
ついては、
>それでも「偏ってる」なんて言い方しないでくれよ。
>フュシス(=ジネン?)論から見ればそう解釈できる、ってことなんだから。
――の件はお詫びします。

ただ、
>「偏ってる」って言い方に引っかかったのは、
>それに「偏ってない何か」を前提にしてる臭いを感じたからです。
――については、言わんとしたのは次のようなことです。

マルクス主義の思想体系の内に、通底しているフュシスの思想については、マルクス主義内在的な批判検討・克服の試みも多々為されたかに聞いています。
私は、主義者ではないので、詳しくはしりません。
が、もし、マルクス主義に通底する19世紀的思想が批判対象にされる場合は、理論体系内在的な批判的克服の試みの妥当性も検証されないと、片手落ちになるかと思います。
――というようなことを言いたかったのです。

>それに「偏ってない何か」を前提にしてる臭いを感じたからです。
>あなたの立場からすると、そういう考え方こそ批判したいわけでしょ?
そうですね。それは言われる通りです。

追記:
自然〔ジネン〕については簡単に説明できます。
自然を「自ズカラ成ル」もの、動きと観る日本語に固有の思想のことです。
649名無し象の鼻:01/12/05 17:00
ボクちゃん
 >19世紀レベルの思想で、客観と、共同主観の区別もつけれない人
 >がいますので、

他人の発言を勝手に脳内変換しちゃうボクちゃんの眼が歪んでいるから、そう見えるだけ。

オレ様がここで力説・反復紹介している、歴史学における『史料・
史料からの情報抽出・情報解釈』の「手法」に対して『ボクちゃん
的には「19世紀レベル」だい』といっても、別に否定しないけどね。20世紀を風靡したある種の「法則」や「哲学」などより、よほ
どしっかりした基盤を有しているんだから。

政治・イデオロギーその他の動機から演繹的に史実を歪曲しようという圧力や、その圧力から生み出される「歴史の歪曲」と対決してゆくには、この手法を厳格に行使実践するだけで必要充分じゃ。

ボクちゃん
 >歴史学が客観的な問題だけを扱うのならば、歴史学は民族問題
 >の理解になんの貢献もできないことになります。

オレ様は『歴史学が「科学的かつ 客観的に」問題をあつかうべきだ』
という立場だから、ボクちゃんのこの記述を、今回は珍しくも否定
しないよ。

某国がある民族を支配し、その支配を正当化するためにある民族の
歴史をことさら醜く歪めて歪曲したプロパガンダを世界に垂れ流し
ている時。さらにそのプロパガンダが世界の人々の常識を歪めてい
る時。

 ・科学的・客観的な史料からの情報抽出。
 ・厳密な情報のつきあわせ
 ・上記に基づく史実の提示

などの手法で、歴史学が「科学的かつ客観的に」問題をあつかうことは、「民族問題の理解」に大きく貢献する。

X最近読んだ本でみつけたのだが、ボクちゃんが「19世紀的」だとバ
カにする手法によって挙げられた偉大なる歴史学の成果を紹介して
おこう。

 北村稔
  『「南京事件」の探求 その実像をもとめて』
 文春新書(2001.11.20)

この問題では、従来の論客たちはそれぞれの立場から「初めに結論
ありき」の不毛な水掛け論を繰り返すだけだったが、この本ではボ
クちゃんが「十九世紀的」だとバカにする「素朴実体論の客観」的
手法により、この問題を考察しようとする人々が以後もはや決して
無視して通れない『認識の「基礎・土台・根本」』を提示すること
に成功している。


要は「科学的・客観的」な手法で何を明らかにするかだからね(オレ様はこのスレでは自分の「立場」をまだ語ってはいないがね)。こーんな揶揄は片腹痛いだけ(プププププ

ボクちゃん
>歴史学が素朴実体論客観主義のカガク的で留まるものだ、との主
>張は、この種のまっとうな批判に応える意志も方法論ももたない>歴史学に留まらざるを得ません。
650ウナギ:01/12/05 17:16
>>646
>歴史学の内でも、過程として科学的な検証が含まれることは重要、
>と認めていますので。が、歴史的過去の社会を異文化と認知する
>ならば(当方の立場としては、認知すべきであるとの前提を含んで
>います)、

東洋史学者が扱う文献史料には、外国のもので、かつ過去のものであることが非常におおい。

過去の人々が書き残した文献に含有される「情報」を、なるべく原
型に近い形で抽出するためには「歴史的過去の社会を異文化と認知
する」ことなど、不可欠の前提です。

そのような基本的認識を欠いたまま外国の過去の文献にとりくんで
いる例を、私はしりません。

 >少なくとも、客観と共同主観といった基本概念にまつわる問題
 >を理解しようともせず

あなたも歴史学の現場における「史実の確定」の手順について少しは理解してください。
651世界@名無史さん:01/12/05 17:45
>>646>>650
>客観と共同主観といった基本概念

キーワードみたいですけど、どのような意味ですか
652歴史学は解釈学です:01/12/05 18:43
>>651
共同主観というのは、ある文化、特に言語を共有する人間集団に
共有される主観的な判断のことです。

極、単純な事例を挙げれば、
例えば、普通日本人は虹を七色と認知するが、欧米人は絵画などの
特別の訓練を受けていない限り、四〜五色にしか認知しない。
(日本人だろうと欧米人だろうと特別な訓練を受けた人間は七色
以上の色相に虹を認知します)。
このような判断は、客観的な判断ではありません。
653歴史学は解釈学です:01/12/05 18:43
>>651
例えば、太平洋戦争時の海戦を、島嶼部の先住民が目撃し、
神話の型で伝えている場合。

彼らには第二次大戦という歴史概念は意味を持ちません。
理解できないから神話の型で伝えたのですね。

「彼らは第二次大戦を目撃しその驚きを神話の型で伝えた」
これは客観的な記述と言ってよいでしょう。

しかし、こうした記述だけからでは、
彼らの共同主観的な出来事の認知が、彼らの社会行動に及ぼした
影響は決して了解することはできません。

海戦を目撃した後の彼らの行動を客観的に再構成しても
同じことです。異文化内在的批判(批評)が欠けているからです。
654歴史学は解釈学です:01/12/05 18:45
>>650
>あなたも歴史学の現場における「史実の確定」の手順について少しは理解してください。

ですから、そんな下準備は、カガク的で構わないし、いくらでもカガク的にしてくれ、
と何度も言ってるでしょうが。

これ以上何を理解しろと言うのですか?
655世界@名無史さん:01/12/05 19:44
認識論的障害を以下に克服するか?
656:01/12/05 20:27
おれは615ではないので、横槍になるかもしれないけど、

>>645
>私は、「歴史学が科学か科学でないかは、なんの意味もない」とは思えません。
>19世紀レベルの思想で、客観と、共同主観の区別もつけれない人がいますので、積極的に言いたいと思います。

というのは違うんじゃないかい?
こんな人ほとんどいないんじゃないだろうか。(このスレにはいるかもしれないが)

このスレではこの「歴史学が科学か科学でないか」が意味のあるものかもしれないが、
一般的に(というタームには突っ込まないでね(w))そんな人がいなければ、
一般的には意味が無いことになるよね?
>>645から>>647における「歴史学は解釈学ですさん」がいっていることは、
まさに「いわずもがな」(>>647)のことであって、
>>637はそれを踏まえた上で、
それがもはや常識となっているから、
「科学か科学でないか」は意味がないと言っているんではないかな。

少なくともおれはそういう文脈において、>>637の言う、
「意味がない」ということを捉えると、それは妥当だと思うんだけど。
657651:01/12/05 20:51
>>652-653
ご解説ありがとうございます。

私は史学科なので、ウナギ氏のいう「確定した史実」、「史実が確定する」云々について
はすっとわかるのですが、「確定した史実」に対してあなたが「客観的事実ではなく共同
主観である(634)」とおっしゃるのが今ひとつわかりません。

例として挙げられた「虹の色」の説明はよくわかりましたが、これと「確定した史実」と
どのように繋がるのでしょうか。

確定した史実(631ででた第二次世界大戦の勃発日時などの類)など存在しない、とおっ
しゃっているのではなさそうですが、例えば「日米戦争の勃発日時を日本側の暦で昭和
16年12月8日である」と認識することは「共同主観」であって「客観的事実」ではない、
というのは、どのような意味になりますか。

「孤立した山岳少数民族」にとって「意味」があろうとなかろうと、あるいは「太平洋戦
争時の海戦を、島嶼部の先住民が目撃し、神話の型で伝えている」というのは、ポリネシ
アの人々のことを指しているようですが、彼らがその「神話」が現に生じた日時につてぼ
んやりとした観念しかもっていないとしても、そのようなことに関係なく、日本艦隊がハ
ワイ・真珠湾の米軍基地に第一撃を加えた日時は、諸史料間の記述に解釈の余地なく確定
していると思いますが。
658:01/12/05 20:57
ちょっと>>637を好意的に解釈しすぎたかも(w
少なくともおれはそう思う、と訂正しておきます。

>>「歴史学は解釈学ださん」
むしろ「科学か科学でないか」という議論はもう「検討済み」のもので、
その先の(歴史学=解釈学)という文脈で論じつづけているのが
「歴史学は解釈学ださん」だと思うんだけど。

そこで、>>603で歴史学の性質の問題が出てると思うんだけど、
あなたが挙げた民族問題以外に、歴史学がどのようなものを対象とするのか、
個人的にはそれを聞きたいな(スレ違いか)
659歴史学は解釈学です:01/12/05 21:27
>>651
>例えば「日米戦争の勃発日時を日本側の暦で昭和16年12月8日である」と認識することは「共同主観」であって「客観的事実」ではない、というのは、どのような意味になりますか。

いいえ。残念ですが「日米開戦の勃発時の認識」が共同主観だ、などということは私は言っていません。
それは客観的な事実の範疇であり、「第235アハウのナナイロマンドリルの年」(>>642)でも構わないんです。

私が言っていますのは、一例、例えば、太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた歴史的影響を理解しようとしたら、その場合には、客観的な事実の確定だけでは完了しない、ということです。

>こうした記述だけからでは、
>彼らの共同主観的な出来事の認知が、彼らの社会行動に及ぼした
>影響は決して了解することはできません。(>>653)

確定された客観的な事実をも材料として、自覚的な方法論を伴った解釈が必要だ、ということを申し上げています。
660歴史学は解釈学です:01/12/05 21:31
>>651
つまり
>まず「第二次世界大戦は何年に起きた」これは客観的事実ではありません。
>共同主観的判断です。
>孤立した山岳少数民族には意味を成さない命題です。(>>634)

ここで言っているは、「第二次世界大戦」と「島嶼民の神話」とでは
事実連鎖の受け止め方が違うということなのです。
その受け止め方の違いは客観的な誤謬などではなく、
エピステーメーの相違による、世界了解の仕方の違いだ、ということです。
661歴史学は解釈学です:01/12/05 21:39
>>658
>そこで、>>603で歴史学の性質の問題が出てると思うんだけど、
あなたが挙げた民族問題以外に、歴史学がどのようなものを対象とするのか、
個人的にはそれを聞きたいな(スレ違いか)

私は、「歴史学は解釈学だ」の立場ですので、
民族問題以外に歴史学がどのようなものを対象とするかについても
解釈学の観点からしか述べられないです。

おそらく>>603の方が言ってられる分析哲学の視点は、解釈学の立場と
また別の可能性と問題を歴史学の課題にするだろう、と推測しています。

解釈学の立場からでよければ、民族問題、と一口で言っても
例えば、アメリカ黒人史のようなマイノリティーの歴史ですね、
こうした領域はカガク的で完結してはいけない。
社会史的な意味での心性の研究までが必要で、
カガク的研究で自己満足されては害悪の方が大きい。

同じような問題のある領域に、女性史もあります。
あるいはゲイ・ヒストリーであるとか。
※フーコーが『性の歴史』に取り組んだのは、思いつきや洒落ではないはず、と考えています。
662:01/12/05 22:19
>>661
>>603に関しては私が誤読、というか思い込みで発言してしまいました、
すみません。ただたんに歴史の性質について聞きたかっただけかも(w

>>603の議論を進めるのも面白そうですね。

>※フーコーが『性の歴史』に取り組んだのは、思いつきや洒落ではないはず、と考えています。
そうですね。おれもそれは同意。

ただ、
>解釈学の立場からでよければ、民族問題、と一口で言っても
>例えば、アメリカ黒人史のようなマイノリティーの歴史ですね、
>こうした領域はカガク的で完結してはいけない。
>社会史的な意味での心性の研究までが必要で、
>カガク的研究で自己満足されては害悪の方が大きい。
というのは同意しかねます。
いや、同意しかねるというか、非常に妥当だと思うのですが、
そのような「カガク的研究」というのは、現在、現実的には全く無いのでは?
わたしの視野が狭いか、そういった研究があまりにくだらないため無意識的に排除していただけかもしれないんですけど。

現実に目を向けるなら、カガク的に完結してはいけないということと
別の次元で、
様々な学問に歴史学が吸収される、という、
>>637が言っていた、「ツール」としての性質が強くなっていくと思うんだけど。
ちょっと話が飛んでるかな。
663歴史学は解釈学です:01/12/05 23:07
>>662
>現実に目を向けるなら、カガク的に完結してはいけないということと
>別の次元で、
>様々な学問に歴史学が吸収される、という、
>>637が言っていた、「ツール」としての性質が強くなっていくと思うんだけど。

えーと。それならそれで、私たちの社会や文明は一向に困らないわけですが。
歴史学の方はそれでいいのか?って言うのは逆に興味が湧きますね。

趨勢として、資料検証学に縮退しつつ諸学の補助学に甘んじるという方向ではないのでしょうか?

私個人は、社会史や歴史人類学は、独自の解釈学分野として継続してゆくと思っていますが。
664:01/12/05 23:36
>>663
>えーと。それならそれで、私たちの社会や文明は一向に困らないわけですが。
「私たちの社会や文明」とは何ですか?

>歴史学の方はそれでいいのか?って言うのは逆に興味が湧きますね。
そうですね。わたしはそれでいいと思いますよ。
というかそれこそ(形態はどうであれ)歴史学が生き残る道だと思っています。
逆にいえば、どのような学問にも進出できる機会があるわけですから。
恐らくほとんどの人は反対すると思いますけど(w

>趨勢として、資料検証学に縮退しつつ諸学の補助学に甘んじるという方向ではないのでしょうか?
>私個人は、社会史や歴史人類学は、独自の解釈学分野として継続してゆくと思っていますが。
わたしが個人的に、学問の分類にあまり意義を与えていないことがあるかもしれませんが、
たとえば社会史は社会学が含んでいる場合がありますし、逆もまたしかり。
補助学というよりは、それ自体が他の諸学の要素である、という観点です。
現在、「歴史学」という形態を残そうと必死になっていますが、
その試み自体どうかと思います。
わたしの基本にはケネス・バークが棲息しているようで、
かなり偏ってますね(w

「独自の解釈学分野」というのはどのようなことですか?
それは明らかに他の諸学と分け隔てられるものですか?
665世界@名無史さん:01/12/06 03:05
ログ見て思ったんだけど、「ワシントンは英雄・建国の父」か、それとも「反逆者」か
どうかなんて共通の歴史認識に至るの?
666世界@名無史さん:01/12/06 03:09
>>665
至るわけねえじゃん。
667世界@名無史さん:01/12/06 03:15
皆さんは、「本当に過去にあった歴史的事実」と「史料から読み取れる事実」の距離をどのように考えていますか?
668世界@名無史さん:01/12/06 03:36
昔の話だが、実証的研究で知られる歴史学者が、
満州事変は日本に1分、日中戦争は3分、日米戦争では4分の
理があると言ってるが。
669世界@名無史さん:01/12/06 03:38
>>668
各々、2分、4分、5分じゃ駄目ですか?
670歴史学は解釈学です:01/12/06 05:56
>>667
>皆さんは、「本当に過去にあった歴史的事実」と「史料から読み取れる事実」の距離をどのように考えていますか?

多分、「歴史的事実」と「事実」を、うえのような用法で用いると話が混乱する
かと思います。

単純な事実――例えば、いつ、どこで誰が死んだ、その死因は、とか。
ある飛行機が、いつ、どこへ、どれくらいの威力の爆弾を落した、とか。
そういうことは、結構わかるものです。
文献史料から読み取れる事実は、それこそ科学的に再構成された事実から検証される。

で「歴史的事実」ですけど。
これは表層は事実の連鎖として理解されるわけですけど
実態は事実の連鎖ではない。
つまり、ある事実が当時の社会に持った意味、影響を異文化の文脈で
理解しなくては「本当に過去にあった歴史的事実」にならない。
だから「本当に過去にあった歴史的事実」は「史料から読み取れる事実」に
よって検証されるばかりではないです。

史料の集積を解釈することで再構成された異文化のSocio-Culuturalシステム
をコードに用いて、さらに事実の連鎖が解釈されなくてはなりません。

ですから、当然「本当に過去にあった歴史的事実」と「史料の集積から解釈される
歴史的事実」の間には距離がありますし、永遠になくなりません。
それは観測者・解釈者と過去の出来事(=単純な事実の社会的連鎖)の間の距離です。
671歴史学は解釈学です:01/12/06 05:58
>>667
どうせ、具体的でないといわれるから、具体例も挙げておきましょう。

例えば、歴史的過去に異文化が隣接していた場合。
中世スコットランドにおけるマクベスの主殺しを事例に採りますが。
マクベスが社会的上位者を殺害した、ということは事実としてかなりの精度で推定
されます。例えダンカンの遺体が発掘されなくても、かなりの精度で推定される。
同時代イングランドの方はこの殺害を自分たちの文化の文脈で「大逆」と評価し
そのように記録します。

この出来事は、当時のスコットランドの方の文化的コードでは「大逆」とは評価さ
れなかった、と解釈されます。
まず、この解釈自体客観的判断などではあり得ない。
方法的な解釈が必要になります。

さらに、同時代でどういう社会的意味を持っていたと解釈するのか。
このレベルでも異文化内在批評が必要になります。
歴史家が事実の集積を解釈してゆかなくては「本当に過去にあった歴史的事実」に
肉薄できない領域です。

いくら情報が増えても、解釈の方法がヘボだと、いくらでも頓珍漢な結論が
導き出されるのが、この最後の部分です。
672歴史学は解釈学です:01/12/06 06:07
>>664
>「私たちの社会や文明」とは何ですか?

「私たちの社会」とは、この場合私たちが生活している現代の日本国の社会です。
「私たちの文明」とは、刻一刻と変化している私たちの社会の社会秩序を意味しています。
これはボーダーレスな連動もあるので、強いて「私たちの社会」と別に言及しています。

>「独自の解釈学分野」というのはどのようなことですか?
>それは明らかに他の諸学と分け隔てられるものですか?

そうですね「独自の解釈学分野」という括り方は不正確かもしれません。
明らかに他の諸学と分け隔てられるわけでもないですから。

例えば、アンダーソンの『想像の共同体』ですけど。
ある論者はあれを政治学の研究書といい、別の論者は現代社会思想史と
位置づける、同様に社会人類学の研究書と言う論者もいる。

これらの評価は、どれが客観的に正しいかを問うことがナンセンスです。
評価は『想像の共同体』の成果をどのような文脈上で用いようとするかで
変わって当然だし、変わって構わない。

ですから、「独自の解釈学分野」は次のように言い換えることにします。
>私個人は、社会史や歴史人類学は、解釈学の間の太いトレンドとして
>継続してゆくと思っていますが。
673世界@名無史さん:01/12/06 07:19
関係ないかもしれませんが、何かの原因だとか責任だとかを研究して、
その結果、人間同士がまったく同じ認識になるってことがありえるんですか?
674専門用語        :01/12/06 08:56
要は一種の価値相対主義を言いたいんでないの?
でもそう言うとなると19世紀だの20世紀だの
進歩だのと思想史を判断するのはかえってむずかしくなるね。
例えば、こんな厳密さが要求されるかもよ?
解釈学は趨勢か、それとも単なる「傾向」なのか?
で、それは空間的時間的に普遍的に継続していくものなのか、
それともある一定の「認識の場」で限定されるものか?
こんな感じで19世紀だの20世紀だの大陸系だの英米系だのも
言わなければならなくなるね?
歴史か科学であると言うことを批判する手法と自らの解釈学を根拠付ける手法に
整合性がないとね。
解釈学の根拠付けをエピステ−メーと言う概念で批判的に検討したかな?
解釈学の正当化に科学的進歩主義の手法の臭いがするね。
当然思想史も歴史学の「解釈」対象だよね?
解釈学だとも科学だとも言いたいのはわかるが厳密に検討しすぎても
行き付く先はあまり意味はないんでないかな?
厳密にやればやるほど最後はドグマだよ。じゃなければ矛盾の放置かな。
あと大衆掲示板ではなるべくジャーゴンは避けたほうがいい。
675ウナギ:01/12/06 14:53
>>651
 > >客観と共同主観といった基本概念
 >キーワードみたいですけど、どのような意味ですか

「解釈学」氏が賢明に列挙している例から察するに、
***************
ある一つの出来事にたいし、ある一つの集団は、その集団と異なる文化や認識体系を有する集団とはことなる切り口でその「出来事」を認識する。

史料は、その集団ごとに特有の「共同主観」に立脚して存在する。
***************
ということを言っているようです。

この人の言う「客観」とは何か、とか、この人が「確定した史実」と『ご自分のいう「客
観的事実」』との一致・相違をいかに認識しながら一連の発言を行っているのかについて
は、私にはまだよくわかりません。ご自身が解説してく ださるのを(私の発言を歪曲し
た箇所に対しては訂正やツッコミをいれながら)、引き続き観察しようとおもいます。

ただ「解釈学」氏の一連の発言を概観するに、一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞ
れことなる切り取り方で認識し、切り取り方の相違を反映した史料を後生に残すことなど、
トックノムカシ(→「解釈学」氏によれば19世紀)から常識であるのに、なにをいまさ
ら力説しているのだろうかと思います。この人が「ウナギ式カガク」とは違う、と主張す
るご自分の「科学」の独自性をいかに提示なさるのか、興味深く拝聴してゆきます。
676ウナギ:01/12/06 16:34
>>665
 >ログ見て思ったんだけど、「ワシントンは英雄・建国の父」か、それとも「反逆
 >者」かどうかなんて共通の歴史認識に至るの?

「英雄か反逆か」という類の価値判断は「歴史学の研究対象」ではありません。「解釈学」氏が中世スコットランドにおける社会的上位者の殺害を例に語っている事例(>>667
も同様。

氏が『同時代イングランドの方はこの殺害を自分たちの文化の文脈で「大逆」と評価しそ
のように記録し』、『当時のスコットランドの方の文化的コードでは「大逆」とは評価さ
れなかった、と解釈されます』というのが事実だとして、その場合はその通りに認識する
のが歴史学(少なくとも現代の歴史学)。

 > まず、この解釈自体客観的判断などではあり得ない。
 > 方法的な解釈が必要になります。
なにがしかの史料により、イングランドでは「大逆」と見なされ、スコットランドではそ
うではない、と確認できるなら、「大逆」とみなすのとみなさないのとどちらが「客観的
か」などの類の価値判断には踏み込まないのが歴史学。

>>667
>皆さんは、「本当に過去にあった歴史的事実」と「史料から読み取れる事実」の距離
>をどのように考えていますか?

回答します。
ある史実と、その史実について「史料から読み取れる事実」との距離は、その史実の解
明のために有益な「情報」を含有する史料群の質と量によって規定され、個々の事例毎
に相違している。従って一律に述べることは不可能である。

>>668
> 昔の話だが、実証的研究で知られる歴史学者が、
> 満州事変は日本に1分、日中戦争は3分、日米戦争では4分の
> 理があると言ってるが。

この種の「理」は歴史学の実証的分析にはそぐわないテーマなので、その学者のこの発
言は日頃の「実証的研究」の成果に基づいたものではない、「政治的発言」であったと
推定される。
677651:01/12/06 18:37
>>659
ご回答ありがとうございます。
ただ、長文のご解説をいただいたにもかかわらず、まだよくお考えがわかりません。
(659)
> 私が言っていますのは、一例、例えば、太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に
> 与えた歴史的影響を理解しようしたら、その場合には、客観的な事実の確定だけでは
> 完了しない、ということです。

「太平洋戦争」を研究することと、「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた
歴史的影響」を研究することとは全く別個のテーマなはずですが、>>653などのご回答の
文面をみると、それらを混同しておられるように見えます。

「太平洋戦争」の研究にとっては、「ポリネシア島嶼民」が「神話」として理解し、書き
残したり口伝えで伝承して残した彼らの「共同主観(→この用法は正しいですか?)」が
史料として有益さを発揮することはあまりないでしょう。逆に、このテーマで研究して
「確定した史実」のうち、ポリネシアと全く関係ないものは「太平洋戦争がポリネシア島
嶼民の社会生活に与えた歴史的影響」の理解にはほどんど役立たないでしょう。

しかし「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた歴史的影響」をテーマとして
研究するのであれば、その時点時点で分析調査の対象とする個別具体的な島を選び、日米
その他による軍事・非軍事の活動に関する史実のうちその島に影響を及ぼしたものを個別
的具体的に把握し、それらの「日米その他による軍事・非軍事の活動」が島の自然環境や
住民の側に及ぼした変動を個別的具体的に把握する・・・という段取りを踏みながらその
島における「史実」を「客観的に確定」させ、ついには「完了」に至ることは十分に可能
であると思いますが。
678651:01/12/06 18:38
(660)
 > ここで言っているは、「第二次世界大戦」と「島嶼民の神話」とでは
 >事実連鎖の受け止め方が違うということなのです。
 >その受け止め方の違いは客観的な誤謬などではなく、
 >エピステーメーの相違による、世界了解の仕方の違いだ、ということです。
たとえば我々が「第二次世界大戦」と呼ぶ戦争に対する認識や「事実連鎖の受け止め方」
が、日本人と「島嶼民」とで相違するというのは、おっしゃる通りだと思います。ただ
し、歴史学の方でその相違を「客観的な誤謬」だといったりする例は、聞いたことがあ
りません。ある集団がある出来事をどのように認識したか、ことなる集団間で認識にど
んな相違が生じたか、というのはそのまま歴史研究の材料となりますから。
679651:01/12/06 18:39
>>675
コメントありがとうございました
680歴史学は解釈学です:01/12/06 19:14
>>677=678
>「太平洋戦争」を研究することと、「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた
歴史的影響」を研究することとは全く別個のテーマなはずですが、>>653などのご回答の
文面をみると、それらを混同しておられるように見えます。

いいえ。混同しているわけではないのです。

>>631>>634をご覧ください。
どこにも、「太平洋戦争を研究する」場合とも、、「太平洋戦争〔とよばれるできごとが〕がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた歴史的影響を研究する」場合とも、余条件は明記されていません。

議論の流れを通じて一貫して私が主張してきているのは次のようなことです。
まず、太平洋戦争、第二次世界大戦、あるいは大東亜戦争、もしくは
ポリネシア島嶼部民の神話、これらの概念はすべて、単純な客観的事実
ではないし、客観的事実が機械的に集積されたものでもない。

また、「これらは同じ客観的できごとが異なる文化コードに応じて翻訳される」と
いった素朴客観の実在ですらありません。

「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方で認識し、切り取り方の相違を反映した史料を後生に残すこと」などではないのです。
虹の認知構造の喩話を例示しましたが、事実の連鎖・複合が持つ意味自体が
関る主体によって異なるのですから。
「太平洋戦争」「第二次世界大戦」「あるいは大東亜戦争」「ポリネシア島嶼部民の神話」
それぞれは、歴史上おこったある出来事(事実連鎖、または複合)を共同主観的に理解した了解像となります。

すなわち、いずれも単純な客観的事実ではない。
また、客観的事実の切り取り方が違うわけでもありません。
文化ごとに、存在様態が異なるので、それぞれの文化帰属者にとって事実連鎖の意味自体が異なるのです。
681歴史学は解釈学です:01/12/06 19:15
>>677=678
>しかし「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた歴史的影響」を
>テーマとして研究するのであれば、その時点時点で分析調査の対象とする
>個別具体的な島を選び、日米その他による軍事・非軍事の活動に関する
>史実のうちその島に影響を及ぼしたものを個別的具体的に把握し、それらの
>「日米その他による軍事・非軍事の活動」が島の自然環境や住民の側に及ぼした
>変動を個別的具体的に把握する・・・という段取りを踏みながらその島における
>「史実」を「客観的に確定」させ、ついには「完了」に至ることは十分に可能
>であると思いますが。
問題はそこです。
上のご説明には実は私は異論はありません。

歴史学の内には、そうした研究もありますし、そうした研究も必要ですし、重要です。
が、ご説明の研究手法で客観的に解明されるのは、あくまで
「日米その他による軍事・非軍事の活動」が島の自然環境や住民の側に及ぼした
変動の外形的な整理です。

変動の社会的メカニズムを現地の文化システムに即して理解しようとしたら、
客観的確定だけでは完了しません。
神話・習俗・宗教などを体系的に解釈した現地の価値体系の了解が必要になります。
あくまで観察者による解釈ですが、この解釈フィルターを通さなければ、
ある刺激に対して現地の社会がどうしてある反応を反したかの理解が誤たれること
になります。

>そういう堅実/狭量な研究者もいてくれないと困るのですが
>(上は皮肉ではなく、堅実であることと狭量であることが裏腹
>だ、と言っています)
>歴史学というジャンルがいつまでもソレでは困ります。(>>111)
>>111=歴史学は解釈学です。

私としては、素朴実態主義客観論の科学的歴史学も歴史学で結構なのですが。
歴史学ジャンルのすべてを意味する論理形式で、客観主義に徹したものだけが歴史学だ
といわれれば、強く反対せざるを得ません。

歴史人類学は?
女性史は?
黒人史は?
社会史は?
これらは外形的変動の論術では完結しない歴史学の分野です。
682世界@名無史さん:01/12/06 19:31
ウナギは現代のランケだね。一種、尊敬に値するよ。
683歴史学は解釈学です:01/12/06 19:36
>>677=678
>ただし、歴史学の方でその相違を「客観的な誤謬」だといったりする例は、聞いたことがありません。ある集団がある出来事をどのように認識したか、ことなる集団間で認識にどんな相違が生じたか、というのはそのまま歴史研究の材料となりますから。

まず「ことなる集団間で認識にどんな相違が生じたか、というのはそのまま歴史研究の材料となる」

これは客観主義の手法「だけ」で研究される限り、常に一面的なものにしかなりません。

この件は人類学・民族学の分野でエティック/エミック問題として20世紀の両大戦戦間期
から理論的に追求された問題です。
(19世紀から知られた問題であるとの野次が外野からありますが、体系的に研究方法論が整備されるようになったのは、20世紀に入ってからです)

ジャーゴンに頼るな、とのアドヴァイスがありました。
ここでは、おおまかにエティックとは、おおまかには解釈される内容(それは主観的でしかあり得ない)
エミック(イーミック)とは、客観的に確定されうる要素還元的な記述、と考えてください。
ただし、イーミックは構造論を前提とした概念なので、機械論的な要素単位ではないのですが、ここでの論旨にそこまでの精密化は不要と考えます。
詳細な概念については、文化人類学関係の辞書類をご参照いただければ助かります。

人類学・民族学では、異文化の価値体系を科学的に理解する方法論が追求されてきましたし、今も追求されています。が、その方法論は未だ確立していません。
>>352で言及していますが、その方法論の確立は21世紀の課題と考えられています。

>私としては、もし、歴史学が科学になるとしたら、少なくともU・エーコらの一派が
試みている記号学の再統合が成功し、意味生成作用が科学されてから、と思います。
>別の立場の方は、認知科学がもっと発達しないと意味生成作用は解明されない、と言うでしょう
>どちらにしても21世紀の課題です。(>>352=歴史学は解釈学です)
つまり現状では、異文化の価値体系を客観的に解明する科学的手法はあらゆる人文学にまだ無い。

こうした前提に立ちますと。きつい言い方になるのは承知していますが。
「異文化の価値観ごとにことなる世界了解の仕方を客観的に解明できるものがすべてだ」と主張する論理は、「客観的に正しいとされる理解を受け容れられない文化は誤謬である」という主張と論理的に等値となります。
論者にその意図がなくとも、そうした結論が論理的に導き出されます。

もしくは、客観的に確定され得ない異文化の価値問題は歴史学の扱う対象にあらず、と
切り捨てるか。
どちらかにしかなりません。

前者は、ドグマチックな科学主義になり、後者は異文化理解の放棄になります。
684歴史学は解釈学です:01/12/06 19:54
>>674=専門用語さん
ご指摘の件は、概ね理解可能です。

が、このスレでは歴史学の方法論とその考え方(歴史哲学)についての検討が続いている
と考えています。
もし、言われるような厳密さが要求されるとしたら、まだまだ先の話と思っています。

>解釈学の根拠付けをエピステ−メーと言う概念で批判的に検討したかな?
>解釈学の正当化に科学的進歩主義の手法の臭いがするね。
>当然思想史も歴史学の「解釈」対象だよね?

これは痛いところを衝かれたと思っていますが。
現状では、方法論の検討に重点が移りつつある、ということで、当面
際どい線をやっていこうかと思います。

>あと大衆掲示板ではなるべくジャーゴンは避けたほうがいい。
これは、まぁ、できるだけ避けた方がよいとは私も思います。
が「歴史的事実」などというジャーゴンらしからぬジャーゴンもどうしても出て来てしますのもスレの話題から言って仕方ないの面もある、との事情も申し上げたいと思います。
685世界@名無史さん:01/12/06 23:11
価値判断も歴史家の仕事だろ。
686世界@名無史さん:01/12/06 23:23
そもそも、人間の歴史認識がまったく共通になることが形而上学を抜きにして、
実際にあるのでしょうか。言葉を使うことである程度の一般化が試みられては
いますが。
687世界@名無史さん:01/12/06 23:31
>>676
>「英雄か反逆か」という類の価値判断は「歴史学の研究対象」ではありません。

じゃあ、どんな価値判断は「歴史学の研究対象」になるわけ?
688世界@名無史さん:01/12/06 23:52
価値判断も歴史家の仕事なの?
689世界@名無史さん:01/12/07 00:41
価値判断なしで論文なんか書けないでしょ。
690:01/12/07 00:43
>>674
>解釈学の根拠付けをエピステ−メーと言う概念で批判的に検討したかな?
>解釈学の正当化に科学的進歩主義の手法の臭いがするね。
>当然思想史も歴史学の「解釈」対象だよね?
なるほど。頭いいっすね(w

おれは頭よくないので、こうは言えなかったけど、
感覚的にそう思ったので、>>537に乗っかってみたり、
【歴史学=解釈学】の対象や性質を聞いてみたりしたのだけど(調子いいヤツ)

エピステーメーが出てきたけど、
歴史家はエピステーメーの移行と断絶はどう捉えてるんだろう(これまたスレ違い?)

>>684
>が、このスレでは歴史学の方法論とその考え方(歴史哲学)についての検討が続いている
>と考えています。
>もし、言われるような厳密さが要求されるとしたら、まだまだ先の話と思っています。
そうでしょうか。歴史学の方法論とその考え方(歴史哲学)と>>674の指摘は、
充分リンクすると思うんですが。

…と言って議論を個人的な興味の方へ誘導してみたりして(w
691世界@名無史さん:01/12/07 01:42
だいぶ前の話だけど、日本のある歴史教科書が、安重根を「壮士」と記載
したところ、韓国の歴史学者がクレームをつけて、日本の歴史学者と論争
してたね。ほかにも「日韓併合は仕方なかったかどうか」なんかでも激論
してて、そのうち韓国の学者が怒って帰っちゃうのは呆れたが。
確か、「文芸春秋」で見たな。
692世界@名無史さん:01/12/07 05:49
「先の大戦が自衛であったか侵略であったかは後世の歴史家が判断します」
某国会議員の談
693歴史学は解釈学です:01/12/07 10:02
>>690=あ さん
>エピステーメーが出てきたけど、
>歴史家はエピステーメーの移行と断絶はどう捉えてるんだろう(これまたスレ違い?)

いえ、私は、このスレの話題は「歴史学の方法論とその考え方(歴史哲学)についての検討」と認識していますので(笑)。
決してスレ違いではないという立場から。

歴史家と言っても、いろいろな立場のSchool(学派)があるのは事実なので。
歴史家がどう考えているか、一括するのも無理があるのですが。

理論的に考えると、通時態/共時態という構造論の基本概念が、
何かの変動のメカニズムを追求する、といった歴史学の研究自体と相性が悪い、
という面は結構影響していると思われます。

アナールの、特にブローデルが構造歴史学と呼ばれることがありますが。
長期変動/中期変動/短期変動の重層で、歴史を再構成するという手法が
“構造”的だ、と言われれば、それはそうなのですが。
通事態/共時態という認識手法との関連は、必ずしも明瞭に理論整理されてない
のではないか(?)と思っています。

――と、あくまで、キワドイ線に拘ってみる(笑)

またジャーゴンに頼ってしまった(苦笑)。
通事態/共時態の一般的理解について。
言わずもがなとは思うのですが。
世間では通事態と歴史変化を混同する言説が結構見られます。
が、「歴史学は科学か?」という類の話題では、通事態と歴史変化の概念上の区別は
キッチリつけられないと話がいたずらに混迷するばかりです。

大まかな話、通事態は、微細な変動は内包していても、全体としてバランスを保った
自律的な構造がモデル化されて理解されたもの、という概念で捉えるとよいでしょう。

共時態は、断続した通事態から通事態への、変動の相で、構造は一挙に変化する
と理解されます。
ある通事態の構造が共時的に変化する際の変動が「揺らぎ」と定義されます。
694=693の訂正・改訂:01/12/07 10:18
【通時態/共時態の一般的理解について。】
×>大まかな話、通事態は、微細な変動は内包していても、全体としてバランスを保った
>自律的な構造がモデル化されて理解されたもの、という概念で捉えるとよいでしょう。
>共時態は、断続した通事態から通事態への、変動の相で、構造は一挙に変化する
と理解されます。
>ある通事態の構造が共時的に変化する際の変動が「揺らぎ」と定義されます。

改訂
◎>大まかな話、「共時態」は、微細な変動は内包していても、全体としてバランスを保った
自律的な構造がモデル化されて理解されたもの、という概念で捉えるとよいでしょう。

>「通事態」は、断続した「共時態」から「共時態」への、変動の相で、構造は一挙に変化する
と理解されます。
>ある「共時態」の構造が「通時的」に変化する際の変動が「揺らぎ」と定義されます。

>>693ではケアレスででたらめを書いてしましました。すみません。
695世界@名無史さん:01/12/07 10:21
歴史学かじりかけてる立ち場なんで素朴に疑問。既出だったらすんません

自然科学って、解釈は入らないのですか?主観は入らないのですか?
実験の結果に対して、常に万人が同じ評価をして同じ認識をするのですか?

あと、科学的手法(史料による実証)を踏まえた作業も、それに対する解釈も、
叙述も、みんな含まれて「歴史学」なんですよね?
どれか一つだけ取り出すって、できないですよね。
696世界@名無史さん:01/12/07 10:27
>687
ご本人でないので違うかも知れませんが、
それは「この人はいい人か悪い人か」という判断ですよね。

例えば「この人の行動は何に対してどんな役割を果たしたか」
そういう判断はするでしょうけど
「こんな行動をとったこの人はいい人だったでしょうか」
なんて判断は、少なくとも現在の歴史学ではしないでしょう。
697世界@名無史さん:01/12/07 10:33
>691
ここでこういうレスつけるのはスレ外れだと思うけど
誤解を避けるためにいっとくね。
その話の出典は知らないけど、最近では日韓の歴史学者
同志による共同研究、歴史認識に対する議論はちゃんと
進められています。いろんな大学単位でやってたり、
学会単位でやってたりね。
きわどい論争になる所もあるみたいだけど、おおかたは
うまくいってるみたいだよ。韓国もガチガチの国家主義
の御大がどんどん少なくなってきたから、時代が進めば
また状況も変わってくるよ。
698世界@名無史さん:01/12/07 10:37
>691
あ、一言
「日韓併合は仕方なかったかどうか」
こんな話、まともな学者同志の議論の論題としては
ありえないと思うので、学者同士の話ではないかもね。
699「ごーまん」かまされた:01/12/07 10:59
>698
韓国国立最高学府・ソウル大学名誉教授が、学習院大学のセミナーで
「日本の植民地支配は我々の骨身にしみている二ダー!」としきりに
悪態を吐いていた。あの国に「まともな学者」がいるのだろうか?
700ナポレオン:01/12/07 11:14
>>699
このスレをまじめに読んでいる人はイッパイいるのです。
お願いですから変な煽りはよそでやってください。
701歴史学は解釈学です:01/12/07 11:39
>>695
>自然科学って、解釈は入らないのですか?主観は入らないのですか?
>実験の結果に対して、常に万人が同じ評価をして同じ認識をするのですか?

あちこちのレスに分散されているので、一括して整理します。

自然科学を、論理実証主義の実験自然科学とします。

仮説論理構築の過程では、解釈も主観も入るでしょう。

理論は、実験で検証されます。
実験とは、条件を制御された再現可能な検証操作のことです。

実験手法が確立されれば、仮説理論は検証されることになります。
この段階に進んではじめて、客観的になり得ます。

実験に再現性があれば、「万人が同じ評価をして同じ認識をする」
ことになります。

が、これは自然科学の体系では、普通、理論を構成する要素単位が
共有概念として確定されているためです。

また、自然科学では、理論上モデル化されるシステム構造が多くの場合、
近似的に閉鎖系として構築される、との事情もあります。
702歴史学は解釈学です:01/12/07 11:46
>>696
>例えば「この人の行動は何に対してどんな役割を果たしたか」
>そういう判断はするでしょうけど
>「こんな行動をとったこの人はいい人だったでしょうか」
>なんて判断は、少なくとも現在の歴史学ではしないでしょう。

しかし、
ある状況である人物がとった言動が、当時の文化コードからは
どう評価されるか、
そして周囲からどのように評価されたと思われるか、
結果としてどのような出来事の連鎖を生んだか

などなどを検討する歴史学もありますよね。

そうした解釈がなければ、社会思想史などは構築できないはずですが。
703世界@名無史さん:01/12/07 12:30
>702
はいそうですよ。
「例えば」として上に一例をあげたにすぎず、「当時の評価」等も
検討するのは当然です。

だから、私は「その人はいい人か悪い人か」(英雄かどうか)
などという人物評価は歴史学ではしないでしょう、といってるんですが。
704=702:01/12/07 12:33
>>703
「その人は英雄かどうか」の検討には、
「その人が当時英雄とみなされたかかどうか」の検討も
含まれるはずですので、確認しました。
705695:01/12/07 12:44
あ、703も私です。
実験手法って言うのは、
歴史学では史料によって実証、仮説の証明
というような作業と同じ様なことに思えるのですがー・・・
他に別の事例を示す史料(サンプルですかね)が発見されたり
すると、仮説は万人が共有できるものにはなりませんしー・・・
決定的にどう違うのですか?

あ、自然科学と歴史学が同じだと言ってるわけではないですよ。
なんか、自然科学でなければ科学ではない、と言う感じの主張
が結構頑張っていたんで、自然科学が科学たりえるのは何故か
お尋ねしたかったんで。

あと、
>近似的に閉鎖系として構築される、との事情もあります。
など、できれば素人にもわかるようにお話しして欲しいのですがー
(歴史板ですし・・・)
706世界@名無史さん:01/12/07 12:49
>704
そうでしたか。
もとの書き込み(>>665ですか)からの流れで行くと、人物評価
という意味合いのものだと思ったんで。
すんません
707世界@名無史さん:01/12/07 12:57
>699
あおりだと思うけど真面目に答えとくね。
確かにそういう学者もいるよ。特に「御大」の年代に多い。
むこうは家父長制がいまだ根強いせいか、御大がそう言うと
若い人が反対意見を言いづらい状況にあるみたい。
ナショナリズムバリバリの歴史認識をしているお年寄りが
いるのは、日本だって同じでしょ。韓国は国の事情もあって
いまだそれから抜け出せない人が多いらしい、学者でさえも。

だけど、時代も世代も変わってきてるのよ。
708歴史学は解釈学です:01/12/07 13:12
>>705
多分、私の主張を「自然科学でなければ科学ではない、と言う感じの主張」
と思われている人は少なくないと思います。
が、私としては科学認識論の分野での、知見を踏まえて歴史学は科学でなく
解釈学だと主張しているつもりです。(科学認識論でも一部に偏ってはいますが)
併せて歴史学がどこまで科学か、どこまで科学足り得るか、も考えられると
よいとは思っています。

>実験手法って言うのは、 歴史学では史料によって実証、仮説の証明
というような作業と同じ様なことに思えるのですがー・・・
〔中略〕
>決定的にどう違うのですか?

決定的に違うことの一は、要素単位の確定です。
スレログで「天文学は科学かどうか?」との命題が思考実験的に提起されたことがありましたが。
天文学では、分子、原子、素粒子などの要素単位の系の性質は、全宇宙を通じて
同じで、条件さえ同じなら、同じ振る舞いをする、との前提で理論が構築されます。

従って、遠距離にある、天体を観測しても、至近の実験結果と比較して理論が構築
されます。
また、観測で特異な振る舞いが確認されれば、なにか条件の変動が生じたと
仮定され、やはり理論が構築されます。

これに対して、歴史学では理論構築のための要素単位が未整備です。
社会を要素単位にすることも国家を要素単位にすることも家族を要素単位にすることも
試みはあっても共有概念にまで整備されていません。
これが決定的な違いの一です。
709歴史学は解釈学です:01/12/07 13:22
>>705
>近似的に閉鎖系として構築される、との事情

おおまかに言って、閉鎖系/開放系とは、あるシステムが自律している度合を
モデル化した考えるための方法論と思ってください。

複雑系という概念をお聞きになったことがあると思いますが。その関連です。

現実に存在するあらゆる事象は解放恒常型のシステムの重層として理解される、はず、と予想することは可能です。

やはりスレログで、経済学は科学か、と言った主旨の話題が出ていた事がありますが。
私は、経済学は科学に成りきらないと主張しています。

ここで経済学と言っているのは、数理モデルで経済現象を説明しようとする
近代経済学のトレンドを大まかに指していますが。

こうして構築される数理的なシステムモデルは、必ず、リソースが環境に対して開放系であり、
ルールが社会に対して開放系にしかならないんです。
変数を用いても限界があります。
近似としても閉鎖系にならない。
そこで経済学は科学ではない、となるわけですが。

歴史学が理論構築してモデル化する対象を、仮に歴史的過去の社会と一括すると、
そこで社会システムのモデルを構築しようとしても、現状では経済学以上に
重層的なモデルが必要になりますし、経済学以上に開放系のモデルにしかならない
と予想されます。

これが歴史学が科学とは決定的に異なる別の一面です。
710651:01/12/07 13:31
>>631>>634をご覧ください。
> どこにも、-----余条件は明記されていません。

私が(677)で
> 「太平洋戦争」を研究することと、「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与
> えた歴史的影響」を研究することとは全く別個のテーマなはずです
と申し上げましたのは、「素朴実態主義客観論によるカガク」によるのと、あなたのおっ
しゃる「科学」によるのとで、同一の史実に対する切り口がどのように相違するかを明ら
かにしていただくためのものです。後者の「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に
与えた歴史的影響」は659であなた御自身が挙げられた例ですので、この例を素材にひき
つづき伺います。よろしくお願いします。

(680)
> 議論の流れを通じて一貫して私が主張してきているのは次のようなことです。
> まず、太平洋戦争、第二次世界大戦、あるいは大東亜戦争、もしくは
> ポリネシア島嶼部民の神話、これらの概念はすべて、単純な客観的事実
> ではないし、客観的事実が機械的に集積されたものでもない。

「・・、これらの概念が客観的事実ではない」というのはおっしゃるとおりですね。
「概念」は「概念」であって、事実でも史実それ自体でもない。またその「概念」が「客
観的事実が機械的に集積され」て出来上がったのではない、という点も理解できます。「史
実」または「史実に関する仮説」は認識されてはじめて「概念」に転化するものですから。

上記の「これらの概念」については、世界各地の人類の諸集団のそれぞれに対して形成せ
しめた一連の諸史実の集積は実在したはずだとおもいますが。たとえば日米戦争の過程で
日本の軍艦が一隻沈んだことを、日本人は「戦艦ムサシ」の沈没と認識し、あなたのいう
島嶼民が「神話」を構成する「神々の大戦争」の一部と認識したというような事例。
711651:01/12/07 13:35
>>680
> また、「これらは同じ客観的できごとが異なる文化コードに応じて翻訳される」と
> いった素朴客観の実在ですらありません。・・虹の認知構造の喩話を例示しました
> が、事実の連鎖・複合が持つ意味自体が関る主体によって異なるのですから。

「虹の認知構造」の例は、ことなる文化コードの持ち主たちが同一の虹をみた場合にそれ
ぞれの保有する文化コードによって異なる型式で色彩を認識する、という事例にしかみえ
ないんですけど。

あとあなたが下記のように述べておられることと、
(680)
> また、客観的事実の切り取り方が違うわけでもありません。文化ごとに、存在様態が
> 異なるので、それぞれの文化帰属者にとって事実連鎖の意味自体が異なるのです。
(681)
>神話・習俗・宗教などを体系的に解釈した現地の価値体系の了解が必要になります。
> あくまで観察者による解釈ですが、この解釈フィルターを通さなければ、
> ある刺激に対して現地の社会がどうしてある反応を反したかの理解が誤たれること
> になります。

ウナギ氏が「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方で認識し、
切り取り方の相違を反映した史料を後生に残すことなど、トックノムカシ(→「解釈学」
氏によれば19世紀)から常識である(675)」と述べているのと、どこがどう違うので
しょうか。
712歴史学は解釈学です:01/12/07 20:58
>>677=651
>「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた歴史的影響」をテーマとして
研究するのであれば、その時点時点で分析調査の対象とする個別具体的な島を選び、日米
その他による軍事・非軍事の活動に関する史実のうちその島に影響を及ぼしたものを個別
的具体的に把握し、それらの「日米その他による軍事・非軍事の活動」が島の自然環境や
住民の側に及ぼした変動を個別的具体的に把握する・・・という段取りを踏みながらその
島における「史実」を「客観的に確定」させ、ついには「完了」に至ることは十分に可能
であると思いますが。

>>659のくり返しにならざるを得ないのが恐縮ですが。
「島における『史実』を『客観的に確定』させ、ついには『完了』に至ることは十分に可能」です。その件は既に認めています(>>681)。

>歴史学の内には、そうした研究もありますし、そうした研究も必要ですし、重要です。
が、ご説明の研究手法で客観的に解明されるのは、あくまで「日米その他による軍事・非軍事の活動」が島の自然環境や住民の側に及ぼした変動の外形的な整理です。(>>681)

例えば、事件史と呼ばれる切り口ならば客観的に確定させ完了に至ることも可能でしょう。

しかし、異文化の文化コードを通して、出来事が異文化システムに及ぼした意味・影響を追求する場合は、方法的な解釈が加わらなければ完了しません。
なぜなら、異文化の価値体系を客観的に整理する方法論は、いろいろなアプローチは
なされているものの、現状では確立されていないからです。

例えば、日本人は「戦艦ムサシ」の沈没と認識した出来事を、島嶼民が「神話」を構成する「神々の大戦争」の一部と認識した場合。

ここから先は仮定の話になることをお断りしますが。
島嶼民の神話理解では、「神々の大戦争」は、丁度中世西欧の普遍史のように、私たちが当然の前提としている物理的時間とはまったく隔絶し時間の経過すら異質な異界の出来事の反映、と考えられるかもしれません。
この場合「戦艦ムサシが沈没した出来事」の客観的定位は、異文化の神話的理解を解釈ずる材料の整理にしかなりません。

また、神話理解では「太古から連綿と続いていた神々の大戦争」がついに、自分達の身近に波及した、と理解されるかもしれません。
この場合も「戦艦ムサシが沈没した時間」の客観的定位は、異文化の神話理解を解釈する材料の整理にしかなりません。

また、神話理解では「神々の大戦」の結果、世界がまったく新しく変化してしまった、と理解されるかもしれません。
この場合は特に「戦艦ムサシが沈没した出来事」の客観的定位は、異文化の神話理解を解釈する材料の整理にしかなりません。

ここで挙げたような、異文化の神話理解がどのような性質のものであるかは、
a)まず、異言語の文法を解析(科学的)した上で、異文化の時間感覚を解釈しなくては不可能です。(>>488参照)。

さらに、b)異文化の神話的理解の了解は、語られた神話の全体から解釈されなくては完結しません。解釈学的循環を方法的に整理してゆく必要があります(>>162、他、参照)

この書込みの冒頭で「異文化の価値体系を客観的に整理する方法論は、いろいろなアプローチはなされているものの、現状では確立されていない」と断定的に述べましたが、

異文化の価値体系の了解は、a)、b)の作業をサブルーチンに含んだ、さらに大きな
解釈学的循環のループを整理しなければ探求され得ないのが現状です。
こうした探求を経なければ「太平洋戦争がポリネシア島嶼民の社会生活に与えた歴史的影響」の研究は完了しません。

なぜなら、「異文化の社会生活とは、独自の了解体系によって受けとめられる意味の連鎖を含む」からです。
この場合「独自の了解体系」とは共時態として理解されるSocio-Culturalシステムの構造であり、客観的情報の集積などではありません。
「独自の了解体系(= Socio-Culturalシステム)」を客観的には定位する方法は、現状ではあらゆる人文諸学や諸社会学、社会科学で確立されていません。

例外は、言語学の一部門である音韻学であり、タイトに判定して現状では音韻学だけが「人文科学」と呼べる分野です。(>>362>>364参照)
(やはり言語学の一学派である、変形生成文法の研究者からは強く異義が唱えられるでしょう。私としては変形生成文法の科学性は、認知科学、特に認知言語学が発展しないと定かではないと考えています)
713歴史学は解釈学です:01/12/07 21:06
>>711=651
>「虹の認知構造」の例は、ことなる文化コードの持ち主たちが
>同一の虹をみた場合にそれぞれの保有する文化コードによって
>異なる型式で色彩を認識する、という事例にしかみえないんですけど。

>>652では「虹の認知構造」の件は「極、単純な事例」としてご紹介しました。
「異文化の文化コード」と呼ばれるものには、仮説として、性質が異なる
いくつかの層が想定されます。

まず、a「ヒト(人類の個体)に共通な認知構造」、b「人種によって
異なる認知構造」、c「文化ごとに成長過程で形成される認知構造」
ここまでが厳密な意味での認知構造になります。
さらに、d「文化ごとに成長過程で身体化――ここでは大まかに、いわ
ゆる刷り込みのようなものと理解してください――される価値観(だい
たいにおいて習俗が含む価値観)」、e「文化ごと、あるいは文化を越え
て、後天的に学習される価値観」
(古典的な意味での「教養」に近似と理解してください)

文化コードと簡単に言われる複合態の内、a〜cに関しては科学的な
把握・整理は現状で整備中です。
虹の例や、音韻学の達成が例外的に客観把握の方法論整理がなされて
いる部分ですが。トータルな科学的解明は現在途上です。
具体的に言えば認知科学が発展しなければ科学的に解明されない領域です(>>352参照)。

d〜eに関しても、客観的な整理方法は現状ではできていません。
eの極特殊な部分だけが、客観的な知識、および科学的な知識の体系
です。
d〜eを総括した客観的な整理体系の追求がなされているのは、一般
意味論と統合記号論の分野です(>>352参照)。

「文化コード」というのは便利な用語ですが、異文化を科学することを
考えるなら「文化コード」の概念内容もよく考えられるべきでしょう。

「文化コード」とは、例えば制度史で言われるような明文化された箇条
では尽きません。
「明文化された箇条」は、文化コードのサブシステムであるeの性質の
ものにすぎません。
歴史学や民族学などで、「明文化された箇条」と「習俗の体系」を複合
させ、外形的に観測することもなされていますが。
それでも文化コードのサブシステムであるdとcの一部を外形から整理
し、そのメカニズムを推測することしかできないでいます。

その為、現状では、文化コードは共時態(>>694参照)として了解される
異文化システム(Socio-Culuturalシステム)の内で独自の意味を持つ
体系として観念されざるを得ません。

明文化された箇条は「文化コード」の表層にすぎず。
深層には、習俗・身体性・認知構造が複合したメカニズムが想定されます。
そして、「文化コード」の深層を科学的に解明する方法論は現在探求中
です。

客観的な情報の集積・整理が現状では外形的な整理にしかならない、と
断じられる所以です。

ではどうすればよいか、というと、当面は科学的な手法による客観的で外形的な整理と方法的な解釈を併用、複合させること。
この手法でなければ、異文化の文化コードの内容了解などおぼつかないのが現状です。
714歴史学は解釈学です:01/12/07 21:14
>>711=651
>「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方で
>認識し、切り取り方の相違を反映した史料を後生に残すことなど、
>トックノムカシ(→「解釈学氏によれば19世紀」から常識である(>>675))どこがどう違うのでしょうか。

19世紀の旧弊な常識と20世紀に人文諸学・種種の社会学・社会科学でなされた
達成との間には、まず問題に対する認識のフレーム自体の相違があります、
方法論も、方法論の考え方(哲学)も異なります。

特に異文化研究に関しては、「情報を集積すれば万人に共通する理解が
得られる」という素朴な信念は、私に言わせれば19世紀的というよりも
18世紀的です。
まるで、「人間は理性的な思考を追求すればフランス語で思考するよう
になる」と主張された18世紀的普遍文法のようだと思います。

まず、観測される情報の自体>>713で言及した、観測者の認知構造(a〜c
の狭義のそれ)に拘束されざるを得ないのですが。
今の論旨では「客観的に定位された情報」が前提とされているようなの
で、そこの検討は飛ばしましょう。
※実は、狭義の認知構造による拘束が考慮されなくては、「客観的」と
※信憑される“情報”の内にも「共同主観的」な判断が混入するのです
※が。今はその辺の検討は割愛します
※(>>683で言及した「エティック/エミック(イーミック)問題」は
※この件に深く関ります)

19世紀には客観的な情報さえ集積されれば、万人に共通(正確には
理性ある人間にとって共通)な世界理解に到達できる、と素朴に
信じられていました。

が、20世紀には、情報を整理する認識者の方のフレームによって、
理解は異なるし、異なって当然だし、異ならざるを得ない、と認識
されました。

また方法論の面でも、現状で真実科学的に整理可能な情報と、科学的
な整理に必要な理論体系や方法論が確立されていない、あるいは探求
途上である領域が、徐々に整備されたのが20世紀の人文諸学の達成です。

補足しておくと、19世紀的な旧弊な学問常識と20世紀の達成の相違は
普通次のようなものが言われます(が、今のところはまだ論旨に直接
関ってきていないので、詳細な言及は避けます)
a「素朴実体論から関係論(構造論)への転回」
b「言語論的転回」
c「不確定性のジレンマ」
主要なものだけでこれだけの認識フレームの変質がありました。
715=714追加書き込み:01/12/07 21:18
>>711=615
>>714の末尾「補足しておくと〜」前段ラストに追加してお読みください。

例えば>>713で言及した、文化コードの概念、あるいは何度か言及して
いるエティック/エミック(イーミック)問題の追求で整理された部分的
な要素単位――同時に、現状では部分的な要素単位しか定位されていない
ので、異文化の体系的な研究は、科学「的」な手法と方法論的解釈の
併用でしか研究され得い、との明瞭な認識。

これらが19世紀的な諸学問の旧弊な常識が知らず、20世紀に達成され、
現在も探求されている課題の一部です。
716世界@名無史さん:01/12/08 02:49
多様な歴史観があったっていいじゃないか。
717世界@名無史さん:01/12/08 03:39
>716
そうですよ。多様な歴史観を認められるようにならなくてはね。
しかし多様な歴史観を認めるために必要なのは何かな。
目指すべき方向性はなにかな。
718世界@名無史さん:01/12/08 09:35
韓国の国定歴史教科書をぜひご覧ください。
719651:01/12/08 11:49
>>712
長文のご回答ありがとうございました。
お考えを、シロウトにもわかるよう随分わかりやすくご呈示いただけたと思います。

ただし、ご意見を拝見しますと、『人類の諸集団に各種の「認識」を発生させる体験をも
たらす「史実」』と、「歴史学研究」の重要作業である『「史実」が後生に残した痕跡=
「史料」から「史実」を再構成する試み』とを混同しておられる節が見受けられます。た
とえば
>>711=651
>「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方で認識し、切り
>取り方の相違を反映した史料を後生に残すことなど、トックノムカシ(→「解釈学
> 氏によれば19世紀」)から常識である(>>675)」とどこがどう違うのでしょうか。

という質問に対する下記のお答え。
> 特に異文化研究に関しては、「情報を集積すれば万人に共通する理解が
> 得られる」という素朴な信念は、私に言わせれば19世紀的というよりも
> 18世紀的です。
> まるで、「人間は理性的な思考を追求すればフランス語で思考するよう
> になる」と主張された18世紀的普遍文法のようだと思います。

という記述。

以下に、私の認識する「史実」と「史料」の関係および、「実証的歴史研究の手続き」を
述べます(ウナギ氏の見解とは相違するかもしれませんが、なるべく「ウナギ用語」を用
いながら)。
720651:01/12/08 11:50
 ※「史実」と「史料」
(史実の発生)→┬→諸集団による認識=(集団の成員=オーラル史料) → その
        │  │  ↓                     時点
        │  │ 文献・碑文その他               で利
        │  │ 言語で記述された史料→ 時間の経       用可
        │  ↓             過に伴う    →  能な
        └→各種考古史料───────→ 風化・劣化      史料


 ※「実証的歴史研究の手続き」
史料に対する解析→「情報の抽出」
           ↓
         「情報」──→ 史実の再構成       左記作業を踏まえ     
           ↓     *仮説の提示   ・・・→た何らかの歴史叙
         解釈・推測─→ *可能なら「確定」    述・歴史像の提示

「万人に共通」の結果を出しうるのは、個別具体的な個々の史料から「情報を抽出」
する段階までで、史料の質・量がきわめて恵まれている場合には、さらに、具体的な
「史実の確定」にまですすみうる場合もあるけれど、それ以上(ウナギ氏がいままで
踏み込むのをさけている・・・より右側の部分)は無理だとおもいます。

ウナギ氏も>>228>>570をみるかぎり、『「情報を集積すれば万人に共通する理解
が得られる」という素朴な信念』とは逆の主張をしているように見えます。
721651:01/12/08 11:52
改めておたずねします。
 >「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方で認識し、切り
 >取り方の相違を反映した史料を後生に残す(>>675)」
という文面における「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方
で認識し」という記述と、たとえばあなたの(>>660
 >その受け止め方の違いは客観的な誤謬などではなく、エピステーメーの相違による、
 >世界了解の仕方の違いだ、ということです。
「エピステーメーの相違による世界了解の仕方の違いだ」という記述とは矛盾や食い違
いがあるのかないのか、あるとすればどのように相違するのかについて、よろしくお願
いします。

※675はウナギ氏の文面が原典ですが、「史実」の定義については私が720で述べたもので
お願いします。
722世界@名無史さん:01/12/08 11:53
韓国人がトンデモなのは解釈ではなく科学的事実です。
723ハングル板住民:01/12/08 12:39
>>707
スレ違いですが、気になるのでちょっとだけ。
若い世代になれば、日韓の歴史学者相互で客観的な歴史観のすり
合わせが出来るようになるのでは、とお考えのようですが、現実的で
はありませんね。

日本側でいえば、御大の年代の歴史学者は戦前は怪しげでも戦後
も歴史学者として一家をなしていたのであれば、ナショナリズムでは
なく、マルクス史観バリバリのお方のほうが、圧倒的多数として存在
しているのではありませんか?

また、韓国側について言えば、御大の年代は日本の高等教育を受け
た世代ですから、実証史学の立場からは比較的まともです。ただし
専門外の発言であれば、反日を打ち出しておかないと親日派と見ら
れるのであえて声を大にしているケースも多いようです。

中堅以降の反日・観念的な自民族万歳で教育を受けた世代の方が、
はるかに問題があります。
さらに若手になると、割とまともなようですが、韓国の大学教授は日
本と異なり、政府権力と密接に結びついていますから、その言動に
ついてはそのぶんの政治的偏向があると考える必要があるのです。
724世界@名無史さん:01/12/08 14:45
思ったんですが、歴史学は解釈学だ氏が言ってることは(>>712とか)、
歴史学ですか?
歴史学=解釈学についての検討はすでに行われていると思いますが、
歴史学=解釈学だから、解釈学の説明をすればいいというものでもないと思います。
なぜそれが歴史学なのか、その関係性を明らかにしてほしい。
725ウナギ:01/12/08 17:07
>>682
 > ウナギは現代のランケだね。一種、尊敬に値するよ。
『「切り捨てごめん」の世界史』のランケと一緒にされたくはありません。

>>685
 >価値判断も歴史家の仕事だろ。
山内昌之氏が毎日新聞日曜日版の連載で米のアフガン政策や米の政策に対する日本政府の
政策について解説し、「妥当なものだ」という「価値判断」を示していたね。
イスラム圏に深い造詣を有する歴史学者が、今回のような情勢に応じて世論に情報発信す
るのはある意味で義務ともいえる。ただし彼のこれらの「判断」は、「歴史学の実証研
究」から帰納的に分析提示だれたものではなかった。

>>686
 >そもそも、人間の歴史認識がまったく共通になることが形而上学を抜きにして、
 >実際にあるのでしょうか。言葉を使うことである程度の一般化が試みられては
 >いますが。
史料より抽出した情報に基づく「史実の再現の試み」の結果については、その史実に関す
る史料の質・量によっては「認識がまったく共通になること」すなわち「史実が確定する
こと」は十分にありうるのであり、それはしばしば生じてもおります。ただし歴史学が提
示する「確定した史実」「史実に対する仮説」の上に築かれる「歴史認識」については、
「まったく共通になること」は難しいでしょうね。

>>687
 >じゃあ、どんな価値判断は「歴史学の研究対象」になるわけ?
>>688
 >価値判断も歴史家の仕事なの?
>>689
 >価値判断なしで論文なんか書けないでしょ。
たとえば(>>46)を参照。

>>696=>>703
フォローありがとう。
あなたのご記述どおりでよいです。
 >だから、私は「その人はいい人か悪い人か」(英雄かどうか)
  >などという人物評価は歴史学ではしないでしょう、といってるんですが。
「いい人か悪い人か」という類の評価は、史料に見えるとおりに認識し、現在の価値観で
批評しなおしたりしないのが現代の歴史学。

>>723:ハングル板住民
> スレ違いですが、気になるのでちょっとだけ。
> 若い世代になれば、日韓の歴史学者相互で客観的な歴史観のすり
> 合わせが出来るようになるのでは、とお考えのようですが、現実的で
> はありませんね。

横レスだけど、「史実」に関する「客観的なすりあわせ」はできますが、「歴史観」はム
リです。
726世界@名無史さん:01/12/08 17:07
>>724
歴史人類学って知ってる?
727ウナギ:01/12/08 17:08
>>651
私の「史実」の定義は、過去レスのものも含めすべて >>720でまとめてくださったものでいいです。

おかげさまで、解釈学氏の頓珍漢ぶりの由来もハッキリしてきた。
より鋭いツッコミを入れられるようになりました。
引き続きがんばってください。

>>654(解釈学氏)
 >これ以上何を理解しろというのですか。
「史実」と、その史実に対する人間集団による「認識」「概念」と、その史実に関する
「史料」が発生する時間的順序。

たとえば>>651氏の質問(>>711
 >上記の「これらの概念」については、世界各地の人類の諸集団のそれぞれに対して形
 >成せしめた一連の諸史実の集積は実在したはずだとおもいますが。
の一節は、この時の質問の核になる部分だと思われるが、あなたには、まず「一連の諸史
実の集積」が発生し、「世界各地の人類の諸集団のそれぞれ」がそれらを「体験」し、そ
の結果として「これらの概念」が形成される、という順序への理解が乏しいため、まった
く頓珍漢な回答になっている。

>>719
 >ただし、ご意見を拝見しますと、『人類の諸集団に各種の「認識」を発生させる体験
 >をもたらす「史実」』と、「歴史学研究」の重要作業である『「史実」が後生に残し
 > た痕跡=「史料」から「史実」を再構成する試み』とを混同しておられる節が見受け
 >られます
この人のこのような頓珍漢ぶりは、>>419>>421以来一貫している。>>420>>432
注意したけど全然なおさない。この人が「ウナギ式カガク」といっているものと、私が科
学として提示しているものの中身は違うからね。
728歴史学は解釈学です:01/12/08 17:45
>>719=720=651
まず、ご質問からお応えします。
a「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方で認識し、
切り取り方の相違を反映した史料を後生に残す(>>675)」

b「〔史実自体が〕エピステーメーの相違による世界了解の仕方の違いだ
〔違いを含む〕」(>>660)
※自己発言ですので〔 〕内、捕捉をさせていただきます。

>矛盾や食い違いがあるのかないのか、あるとすればどのように相違するのか

食い違いについて。
微妙な点で決定的に異なります。

「一つの史実に対し、ことなる集団がそれぞれことなる切り取り方で認識し」では
まず、客観的に定位可能な世界の内部で、客観的に定位可能な出来事がおき、それ
を集団がことなるフィルターを通して、ヴァリエーションが異なる、あるいはそれ
ぞれに傾向の異なる痕跡を残す、といった認識が前提されていると解釈されます。
表現からそうとしか思われません。

これに対して「エピステーメーの相違による世界了解の仕方の違いだ」は、そもそ
も異なる文化共同態の帰属者にとって、史実(再構成される歴史像ではなく)の在り
方自体が異なっている、という認識が前提に含まれています。
例えば、同じ歴史的出来事に立ち会っても、文化が異なれば、史実自体の在り方が
異なる、といった事態も含みます。

ここで、申し訳ないんですけど「エピステーメー」の概念をあまり安易に使うなと
いった主旨(と私は受けとめています)のご指摘をもらっていますので(>>674)

「エピステーメーの相違による世界了解の仕方の違いだ」を「(広義の)認知構造(ま
たは文化コード)の相違による世界了解の仕方の違いだ」って話もさせてください。
(せっかく>>712-716で長文を書かせてもらいましたので)

「エピステーメー」は、おおまかには「ある歴史社会の共時態において前提されて
いる認識の枠組み」と要約できます。
つまり「(広義の)認知構造」にさらに特殊な限定条件がついたものが「エピステー
メー」と言えます。

で、同じ歴史的出来事に立ち会っても、身体性が異なれば、史実時代の在り方が異
なるといったこともおきます。
卑近な例を挙げれば、身体性の異なる大人と幼児にとって、世界の在り方は違うと
言えます。「客観的」な事物の在り方も違えば、社会的な約束事の意味も違う。
これは身体性の異なる男性と女性についても同様に言えます。

身体性が異なれ者たちにとっては、世界の在り方自体が異なるはずだ、と論理的に
推測できますが。
では、どのように異なるだろうか、といえば、現状では、これはいろいろな解釈を
動員するしかない。
異性が記した歴史テクストを吟味する際にも解釈は動員されなければなりません。
729歴史学は解釈学です:01/12/08 17:51
>>719=651
>ただし、ご意見を拝見しますと、『人類の諸集団に各種の「認識」を
>発生させる体験をもたらす「史実」』と、「歴史学研究」の重要作業
>である『「史実」が後生に残した痕跡=「史料」から「史実」を再構成
>する試み』とを混同しておられる節が見受けられます。(>>651)

そうではありません。(>>670参照)
>当然「本当に過去にあった歴史的事実」と「史料の集積から解釈され
>る歴史的事実」の間には距離がありますし、永遠になくなりません。

(>>651)
>「万人に共通」の結果を出しうるのは、個別具体的な個々の史料から
>「情報を抽出」する段階までで、史料の質・量がきわめて恵まれてい
>る場合には、さらに、具体的な「史実の確定」にまですすみうる場合
>もあるけれど、それ以上〔中略〕は無理だとおもいます。

この件に関しては、情報抽出に自己規制している限り「右側の部分に進
むのが無理」という結論にならざるを得ないのは当然だと思われます。

だからこそ、他の諸学の知見も動員し、解釈学的アプローチで、より右側
に進むよう取り組むのが当然だと考えます。
例えば、明瞭に解釈学である聖書学の知見を活用しない、西アジア古代史
があってもよいのですが。
それだけが歴史学だ、と言われたら随分狭量でつまらない話だと考えます。

「ポリネシア島嶼民神話」のような事例を対象とするとき、人類学や民族学
の知見を動員しない歴史学があっても構いませんが、それだけが歴史学
だと言われたら随分狭量な話だとも考えます。

「ことなる集団間で認識にどんな相違が生じたか、というのはそのまま
歴史研究の材料となる」とのお話でしたが(>>678=651)

「右側には進めない」と言われている歴史哲学がすべてでしたら、歴史
学は「異文化集団間で認識にどんな相違が生じたか」のような研究には
手を出さない方がよいでしょう。原理的に取り扱い不可能、となります
ので手を出す資格がなくなる、とも言える。

もちろん私は、そんなことではつまらないし。そんなはずはないと考えて
いるので「歴史学は解釈学です」と主張しているわけです。

※それから、このお返事では、>>719=720=615さんのお話にお応えして
※いるので、言及していませんが、史料から情報を抽出するだけに自己
※規制するという考え方についても、それだけが歴史学の格率だ、と断
※定される意見には解釈学の立場から強く異を唱えます。
※理由は、そんな姿勢では聖書考古学も、実のある女性史も社会史も、
※充分満足な構築されないからです。
730歴史学は解釈学です:01/12/08 18:07
>>719=720=651
たまには、うっとうしい外野も役にたつこともあるということで(苦笑)。
>>728の捕捉に丁度よい妄言が出ていますので。
利用して補足説明をします。

(>>728)
b「〔史実自体が〕エピステーメーの相違による世界了解の仕方の違い
だ〔違いを含む〕」(>>660に捕捉)
――についてですが。

>まず「一連の諸史実の集積」が発生し、「世界各地の人類の諸集団の
>それぞれ」がそれらを「体験」し、その結果として「これらの概念」
>が形成される、という順序への理解が乏しい(>>727)

上記の因果関係理解は、まず、人類諸集団が、他の集団とは異なる、
認知構造-身体性(文化システム)を獲得するのが先と見なされなくては
なりません。
もちろん実態では並行関係を通じて高度化されてきたと推測されるので
すが、過去の実態を再構成するための理論フィルターとしては「認知
構造-身体性(文化システム)を獲得が先行する」とみなされなくては
ならない。

なぜなら、各人類集団の個性というもの、それぞれの集団に固有の
認知構造-身体性(文化システム)の現われにすぎないのだから。

「一連の諸史実(再構成される歴史像ではない)」は、文化システムの
認知フィルターを通してしか体験-認識されません。
「その結果として『これらの概念』が形成される」という認識は、高度
化した文化の表層だけがSocio-Culuturalシステムの全てだ、との誤認
または偏見を抱いている者が陥り易い誤謬なんです。
この認識の食い違いが、>>728でお応えを試みた決定的な食い違いです。
731歴史学は解釈学です:01/12/08 19:09
>>724
>歴史学=解釈学だから、解釈学の説明をすればいいというものでもないと思います。
>なぜそれが歴史学なのか、その関係性を明らかにしてほしい。

質問に応える型で細かな理論検証の議論になっているのは事実なので。
議論の間に埋没しているいくつかの事例を抜書きしておきます。

例えば――
聖書学の知見や手法を聖書考古学に用いる場合。
科学的な資料分析手法と、解釈学の方法が併用されます。

科学というのは一貫した理論でモデル化(解明)できる範疇の事柄
だけを解明する営みですので。
解釈学の方法が併用されれば、聖書考古学は科学ではなく解釈学
になります。

例えば――
女性史の研究では、当時の社会に支配的なイデオロギー(左記を男性原理
と一括する考え方は私は疑問を持っています)に抑圧された女性の体験-認識
を女性が残した史料から解釈し読み取る作業がなければ、上っ面だけの
解明しかなされません。

科学というのは一貫した理論体系でモデル化(解明)できる範疇の事柄
だけを解明する営みですので。
解釈学の方法が併用されれば、女性史研究は科学ではなく解釈学
になります。

例えば――
中世西欧の習俗・土俗――民衆の祝祭などが当時の為政者の政治支配に
及ぼした影響などを研究する場合には(社会史ではそうした研究もなさ
れていますが)、歴史像の再構成に人類学、民俗学などの知見が動員され
ます。動員されなければ、再構成される歴史像は、実態としての史実に
肉薄するものではなくなります。

科学というのは一貫した理論体系でモデル化(解明)できる範疇の事柄
だけを解明する営みですので。
解釈学の方法が併用されれば、社会史研究は科学ではなく解釈学
になります。

ちなみに「歴史学は解釈学です」は上記のような意味で言っています
ので、歴史学=解釈学」と主張しているととられるとそれはそれで
困ります。

私が主張しているのは――
解釈学⊃《歴史学⊃{(解釈学手法*科学手法)+科学的手法}》といった
内容です。

例えば、大まかには――
解釈学⊃《文芸批評={解釈学⊃(解釈学手法+意味論手法+言語学手法)}》
――といった感じになりますので。
歴史学は解釈学です、と言っても、当然、歴史学=解釈学ではあり得ませんし。
「歴史学=解釈学」と主張しているわけでもありません。
732世界@名無史さん:01/12/08 19:22
>この人が「ウナギ式カガク」といっているものと、私が科
>学として提示しているものの中身は違うからね。

だったら、チミが科学と呼んでるものの
条件、内容、方法などを整理して説明したらどうよ(藁)。

少なくとも「解釈学氏」はやってるな。
(よくわからんとこもあるが)

それができないならすっこんでてくれねーかな。
それなりにおもしろい話もあるからさ。
733世界@名無史さん:01/12/08 20:00
>『「切り捨てごめん」の世界史』のランケと一緒にされたくはありません。
ダイジョブダーヨ。
カワランカワラン。
734世界@名無史さん:01/12/08 20:14
732=733
>少なくとも「解釈学氏」はやってるな。
自分に「氏」だって(ワラ
ジサクジエン
735世界@名無史さん:01/12/08 20:58
>>725
 >『「切り捨てごめん」の世界史』
とはなんぞや?
736世界@名無史さん:01/12/08 23:40
>>731
>解釈学⊃《歴史学⊃{(解釈学手法*科学手法)+科学的手法}》
この図式は本当に成り立つと思ってる?問題あるんじゃないの?
いまだにこんなこと言ってると笑われるよ。
737世界@名無史さん:01/12/09 00:03
久しぶりにきてみた。
同じことの繰り返しで面白くない。
いくつか新しい検討を示唆するレスがあるにも関わらず、
解釈学だ、はそれを無視して新規発言者にレベルの低いおはなしを説いている。
解釈学だ、は肝心な点を検討せずに、同じ議論を重複して行っている。
いままでも、ウナギとの議論の構造を分析することくらいしか面白いことはなかったが、
もはやその娯楽も失われた。
現在の勝者は解釈学だ、であるから、解釈学だ、は新しい検討にできるだけ早く
取りかかるべきであろう。
さもなくば、まもなくこのスレは下がっていくだろう。
738世界@名無史さん:01/12/09 00:23
>>737
ええと、いくつか新しい検討を示唆するレスとは何番でしょう?
739世界@名無史さん:01/12/09 00:35
>「いい人か悪い人か」という類の評価は、史料に見えるとおりに認識し、現在の価値観で
>批評しなおしたりしないのが現代の歴史学。

そんなことねえだろ。歴史家の書いている人物論を読んだことある?
740ワダパルキー:01/12/09 00:38
スターリン氏は優しいおじさんとして子供たちに親しまれていた。
741世界@名無史さん:01/12/09 00:41
>>725
何かの歴史的事実に対する評価がまったく同じ認識であるという歴史学者を具体的にあげてください。
742世界@名無史さん:01/12/09 00:43
>740
あんたの言うとおり、「スターリンはやさしいおじさん」として意義付けるの
も歴史家の仕事です。
743世界@名無史さん:01/12/09 01:17
>現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという
>作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の科
>学水準に応じて「万人に共通の結果」がでる

ここからどうして「歴史学は科学」だっていう結論が出るんですか?
744横レス:01/12/09 02:02
 >何かの歴史的事実に対する評価がまったく同じ認識であるという歴史学者を具体的にあげてください。
ハワイ・真珠湾の米軍基地に対する日本軍の奇襲が1941年に発生したという認識を持っていない歴史学差が
いたら具体的に挙げてください。
745横レス:01/12/09 02:04
>そんなことねえだろ。歴史家の書いている人物論を読んだことある?

お前の読んだ「歴史家の書いてる人物論」とは何だ。
著者と書名を挙げて見れ。
746横レス:01/12/09 02:06
742
>あんたの言うとおり、「スターリンはやさしいおじさん」として意義付けるの
>も歴史家の仕事です。

「やさしいおじさんとして意義づける」?
メルヘン板へでも逝け(ワラ
747フンダ・ベク:01/12/09 02:09
>ジサクジエン
お父っぁん、それは言わない約束でしょ!
748世界@名無史さん:01/12/09 02:29
>744
それは評価とは言わないと思われ
749世界@名無史さん:01/12/09 06:49
>>744得意になってるみたいだけど
過去ログぐらい読もうや(>>634以降)
750世界@名無史さん:01/12/09 06:57
戦後間もない頃、宮崎市定のところへ元将校が現われてこう言ったそうな。
「先生、年号をいくつ覚えたら博士になれますか?」
751724=736:01/12/09 10:53
>>604
>あぁ、やっとこ。
>歴史は科学ではない、
>ではいかなる性質の学問か、
>のお話のとっかかりになる歴史哲学的な話題が。
>私は、「歴史は解釈学だ」の立場で
>ガダマーを批判的に克服するものとしてフーコーを置いています。

>歴史学プロパーの方で言うと、社会史・歴史人類学に重点がかかる型
>になっています。
>それから、>>575で言われている「西欧的進歩、近代化という概念に
>対してかなりの疑義が生じている〔私としてはここに当然近代的科学
>主義も入ります〕ことから考えれば、西欧的価値観だけがすべてでは
>ないし、むしろその問題点を指摘し、新たな方向性を模索しているの
>が現代の歴史学」としてフーコーを押したいです。(604≠575)

まじですか?

>西欧的価値観だけがすべてではないし、

こういうのウザイね。こういうの削ったら文章残んねえんじゃねえの(w

>むしろその問題点を指摘し、新たな方向性を模索しているの
>が現代の歴史学」としてフーコーを押したいです。

で、
>解釈学⊃《歴史学⊃{(解釈学手法*科学手法)+科学的手法}》

なわけ?おかしくないか、それ。

まえにさ、ウナギに対して、
「そういう下準備はいくらでも科学的にやってくれ」っていってたよね。
それがおかしいんだよ。
まあ、ウナギはウナギでおかしいがな。

君は下準備として史料学を置いているみたいだけど、
フーコーは、はっきりいって、その下準備すらできてないよ。
意図が別にあるからと言って、無視していいものではないのはわかるね。
中途半端に理論に偏重しているから、(解釈学手法*科学手法)と(科学的手法)を完全に
分けてるしね。
752724=736:01/12/09 11:00
>例えば――
>女性史の研究では、当時の社会に支配的なイデオロギー(左記を男性原理
>と一括する考え方は私は疑問を持っています)に抑圧された女性の体験-認識
>を女性が残した史料から解釈し読み取る作業がなければ、上っ面だけの
>解明しかなされません。

>科学というのは一貫した理論体系でモデル化(解明)できる範疇の事柄
>だけを解明する営みですので。
>解釈学の方法が併用されれば、女性史研究は科学ではなく解釈学
>になります。
(以下略)

だからさあ、こんな前近代みてえなことの繰り返しをしてんじゃねえって>>737もいってんだろうが。
こんな意図で聞いたんじゃないの。
これが何で歴史学なのかって訊いてんだよ。
歴史学はそもそも何なんだって訊いてんだよ。
ちょっとはわかってくれ。

>解釈学⊃《歴史学⊃{(解釈学手法*科学手法)+科学的手法}》

「*」って何?「+」って何?え?
「史料の科学的解釈」の時点で、既に何らかの理論と結合してるんだよ。
その結合について論じなきゃ、それこそ繰り返しだっつってんの。
君は歴史やったことないだろ。
753724=736:01/12/09 11:05
あ、それともうひとつ。
いままでこの点に関しては必ず「具体的でない」言葉で逃げてきたけど、
そういうの意味無いからやめて。
ジャーゴンでもなんでも使っていいから。
754歴史学は解釈学です:01/12/09 12:04
>>752=724=736
>>むしろその問題点を指摘し、新たな方向性を模索しているの
>>が現代の歴史学」としてフーコーを押したいです。
>で、
>解釈学⊃《歴史学⊃{(解釈学手法*科学手法)+科学的手法}》
>なわけ?おかしくないか、それ。

そうですね。おかしいかもしれないです。

このスレでの話題についての私の意見としては「ガダマーの解釈学
だけでは問題がある(>>501)」ということの方が重要なので、
「フーコーを押したい」の件は撤回させてもらっても構わないです。
755歴史学は解釈学です:01/12/09 12:05
>>752=724=736
>こんな意図で聞いたんじゃないの。
>これが何で歴史学なのかって訊いてんだよ。

すみませんが、質問意図がよくわかりません。
>>731で例示したような試みが歴史学になるか、どうか?
が尋ねられているのですか?
例示のような試みで、どのような条件が満たされれば
歴史学と呼べるか?ってあたりが質問意図ですか??

>歴史学はそもそも何なんだって訊いてんだよ。

質問意図がわからないので、簡単なところから応えます。

過去の人間が関った行為の痕跡(群)を解釈することで、異文化
である歴史的過去の社会のSocio-Culuturalシステムが、
現代社会のそれと、いかに異質なものであったかを解明してゆく、
あるいは、解明に寄与するあらゆる論述の試み。
――としています。

「具体的でない」と言われると思います。
もう少し質問意図を分かり易くしてもらえませんか?
756歴史学は解釈学です:01/12/09 12:10
>レベルの低い話をしている(>>737)

って不満がある方は、どうか、新しい話題を投じてください。
歴史学は科学だ(科学とは「解釈学」が言ってるようなものではない)、でも
歴史学は分析哲学だ(歴史学とは「解釈学」が言ってるようなものでもない)
でも構わないじゃないですか。

私は、行きがかり上スレ専用コテハンまで建てちゃいましたので。
まっとうな質問をもらったら、応えたいと思っています。
757歴史学は解釈学です:01/12/09 12:25
>>752
>解釈学⊃《歴史学⊃{(解釈学手法*科学手法)+科学的手法}》
>「*」って何?「+」って何?え?

あぁ。「*」は「解釈学手法と科学的手法の併用」を示唆したつもりでした。

「+」は「∪」のつもりでした。

何度か書いてる「科学的史料解析手法で完結してる歴史学も、その
手法で取り扱える領域のことを論述している限りでは歴史学」を
示唆しただけです。

>>751
>中途半端に理論に偏重しているから、(解釈学手法*科学手法)と
>(科学的手法)を完全に分けてるしね。

これについては図式化と説明の便宜ってことで勘弁してください。
758世界@名無史さん:01/12/09 14:59
「スターリンはやさしいおじさん」って確か、某全国紙が書いたんだよね。
さすがに反省しているとは思うが。
759玉虫色:01/12/09 16:08
760世界@名無史さん:01/12/09 16:23
本誌記載の各論文は執筆者個人の見解であり、当研究所の意向を代表するものではありません
761世界@名無史さん:01/12/10 02:52
じゃあ、「歴史は科学ではない」と考える人が多いが、
そうではないと考える人も少しいる、ということで。
762世界@名無しさん:01/12/11 01:32
たとえば、
科学史を歴史的解釈学から解釈してみよう
という動きはないのでしょうか?

歴史学=解釈学
だというのは、権威ある歴史家が言ってるということなので、
そういうものだとすれば、
歴史学という分野が科学に侵食され始めているということは
その歴史家は認めているわけでしょう。
じゃあ、逆に
科学を歴史すればいいんじゃないでしょうか?

あと、
普通、歴史と言ったときは人間の歴史でしょう。
ここ5000年ぐらいの間の、しかも地球上の、しかも人間の。
科学は、150億年前から未来まで、さらに
10のマイナス34乗のミクロの世界から150億光年の宇宙全体まででしょう。
もちろん人間も含みます。

ただ、科学では、
その5000年の間、人間が何を考えていたのか
ということは、興味がありません。
人が何を考えていたかより、自然は何を考えているのか
と問い掛けるのが科学です。
763世界@名無史さん:01/12/11 02:06
科学史は、既に歴史学の一環でしょ。
技術史も。

もしかして科学史と自然史(地球史)とかごっちゃにしてる?
なこたないよね??

どーなん??

ちなみに、いわゆる歴史学に環境史を統合するのは重要課題だよね。
ってゆーか、世界各国で試みられてるし。

>自然は何を考えているのかと問い掛けるのが科学です。

あまり聞きませんが。
何かのレトリックでは?
764世界@名無しさん:01/12/11 02:25
指摘したところ以外は
認めているということだとして、
レトリックという意味がよくわからないけれども、
>>763さんは
じゃあ、どういうものが科学だと思ってるんでしょうか?
765世界@名無史さん:01/12/11 17:40
>>764
めんどくさいから>>701>>708で言われてるの、ってことでいいです。

ちなみに>指摘したところ以外は認めているということ

ってわけでもないです。
判断保留くらいにしてると思ってください。
766世界@名無しさん:01/12/12 01:00
スレを上げさせて頂きますが、(゚д゚)マズイ?
>>765
ん〜、
701,708さんの意見は、
よく言われるものなので、
できれば違った意見を言おうと思ったまでですが・・・。

科学は自然を直接見るものだと思うんですよ。
科学の歴史からも(!)、
科学と神は関係してるし。
神の視点から、人間も含めた自然界がどう見えるのか
という追求の仕方をしてる
と言っていいんでしょうか。
歴史はあくまでも人間の立場から見てるし、敢えて言えば、
現在の人間が過去の人間を見てる
という感じでしょうか。

あと、
歴史では多様性を美しいとするところがあるけど、
科学では単純性を美しいとするところも違うと思います。

だから、
対話してる関係も違えば、媒介してるものも違うし、
美的感覚も違う。

逆説的に言えば、科学者の方が神を信じている
かもしれないですねぇ。
767豆板醤:01/12/12 12:04
たまにしかこない身としてはこのスレの流れは異常なまでに速い
俺は>>603=>>614=>>641です。
めんどいので(今後書き込むかどうかもわかりませんが)
本スレ用にハンドルをつけました。

>>766
概ね同意ですが、スレテーマに関連してちょっと補足

>歴史では多様性を美しいとするところがあるけど、
>科学では単純性を美しいとするところも違うと思います。

一時期(相当昔ですが)、歴史でも単純性を標榜したことがあったでしょう。
それが「歴史学は科学である」というテーゼにつながっている。
まあ、これがポシャったことは明白であって今に至るわけなんだけども。

1さんはその辺の歴史的経緯を知的煽りも込めて「歴史は科学ではない」と
言ったのだと思われる。再度引用しますが、
>歴史では多様性を美しいとするところがあるけど、
このことが特に問題なくこのスレのみなさんに共有された考えになってるとしたら
もうこのスレタイトルで議論することもないんじゃないだろうか?

解釈学さんは然るべきタイトルの新スレ立てるべき。
(えっと、1=解釈学さんなんですよね?)
さっき「その辺の歴史的経緯を知的煽りも込めて」と言いましたが
多くは煽りの方にしか反応してないようなので。

(新スレ立て提案なのでsageときました)
768歴史学は解釈学です:01/12/12 14:42
>>767=豆板醤さん
>解釈学さんは然るべきタイトルの新スレ立てるべき。
>(えっと、1=解釈学さんなんですよね?)

私は、>>1の方とは別人なんです
>>425(←私です)
>ちなみに、私は>>1の人でもありませんで、ガダマーの唱える
解釈学はそれはそれで保守的で問題が多いと考えています。

このあと、>>425フーコーに言及しているのですが、鋭い批判を受けたので
撤回しています(>>754)

それから、>>35>あとガダマーはともかくカールポパーは莫迦である。
にもまぁ賛成(苦笑)。(私は>>35の方でもありません)

ポパーの科学I・II・IIIってのは、議論を韜晦するための戯れ言としか
思えません。
そんな感じですね。

私も、たとえば「歴史学はどこまで科学(的)か?どこまで科学(的)足り得るか?」
みたいなスレだったらもっとよかったと(ずっと)思っています。
769世界@名無史さん:01/12/12 20:43
「歴史は科学ではない」っていうのは昔からそういう風にいわれてますよね。
「歴史は自然科学ではない」という意味で主に用いられているようですけど。
なにもわざわざ「歴史学」ってする必要はないんじゃないかな。
ベルンハイム『歴史とは何ぞや』(岩波書店)なんかが参考になります。
770豆板醤:01/12/13 23:31
>>解釈学さん
人違いでしたか、失礼しました。
ま、どっちにしても新スレ立てよろしくお願いしますよ。
771世界@名無しさん:01/12/15 03:46
sageで書きますが、>>762>>764>>766です。

なんか、議論が終わってしまったみたいですが、
もう1つ。

よく思い出す言葉があるんですが、
ガリレオ=ガリレイの言葉に、
「何物をも発見することなく長々と大問題について議論するよりも、私はむしろ、
 たとえ小さなことでもいいから1つの事実を発見する方がいいと思う。」
というのがあります。
まぁ、この言葉を聞いて科学に対する考え方が変わったんですが、
この”1つの小さな事実”を見つけることが大切なんだといまだに思ってます。

ただこれは、歴史でもいえる事でしょう?
だと思ったので、このことはとりあえず伏せてました。
が、やはりこの精神が科学の基本じゃないかと。

ところで、私の発言は
「歴史は科学ではない」という意味になってるんでしょうか?
772横レスですけど:01/12/15 17:11
「歴史は科学ではない」というのは昔からそういう話があるっていうのはログにも
ありますけど、そのときの「科学」は「自然科学」の意味であって、その場合には
当然、「普遍的な法則性を探究する」というのが「科学」の基本だと思います。
773世界@名無史さん:01/12/15 18:45
まあ、「個々の事実を確認する」だけじゃあ「科学」にならんからねえ。
774世界@名無しさん:01/12/16 00:49
>>773
誰も知らない世界に行こうとするときは、この”一つの小さな事実”が
非常に大切になります。何でもそうかもしれないですが、先例のあることを
学んだり経験したりしているときには、解答があるもんだと思っています。
しかし、他の人も知らないこととなったときには、解答があるのかどうか
ということはあまり気にならなくなるんですよ。解答が見つかった
という安心感というよりも、何かよくわからないが発見したという恐怖感
というような感覚と言っていいのでしょうか・・・。

まぁ、そういうことを云いたかったわけです。
775あんたの意見は :01/12/17 04:37
科学に広がりをもたせていて興味深い。
芸術的感性で科学を見ているような感じだ。
確かに原子の世界などミクロの世界にはある種独特の美しさがある。
カントは学問より芸術を上位に考えるようなこと言ってたね。
芸術家が自然に美を見出す感性と科学者が自然に法を見出す直観は
究極的には似ているのだろうか?
近代の科学者や数学者や医者で音楽家の者も多いね。
そういやぁ古代ギリシャのある学派は密教団のようで
神秘主義的なところがあったと言う。
あげくに門外不出のある学説を知らしめてしまった者を
暗殺までしたらしい。
科学と芸術と宗教はあまり遠くないのではないか?
776世界@名無史さん:01/12/17 19:47
もう別スレの話題だね。
777世界@名無史さん:01/12/17 22:18
>>776
うん、古代みたいに科学と芸術と宗教とが哲学の名の元に未分化だった
時代に遡行すれば、あまり遠くは「なかった」のもあたりまえ。
問題は現在はどうか、と将来はどうなるか、どうあるとよいか、
なんだから。
778世界@名無史さん:01/12/18 01:33
>>775
2chで褒められたのは初めてですが(ワラ

新しいスレを立ててもらえないでしょうか? >>解釈学さん
私からも、お願いします。
779歴史学は解釈学です:01/12/18 09:09
えーと、、、質問です。

新スレを希望されている方は、何を期待されていますか?
このスレの続き?
このスレではできなかった話?
だとしたら、どんな方向性ですか??

それともこのスレのやり直し???

私としては>>761の仮結論でいいように思っているのですが、

新スレを希望される方の期待するものを一応お聞かせください。
780猫電波@『歴史を見る目』読み途中:01/12/18 11:28
>歴史学は解釈学ですさん
解釈学という言葉の意味がわかる簡単な本を教えていただけませんか?
781歴史学は解釈学です:01/12/18 15:21
>>780=猫電波さん
塚本正明『現代の解釈学的哲学 ディルタイおよびそれ以後の新展開』(世界思想ゼミナール)世界思想社
ISBN4-7907-0576-5 C3310

丸山高司『ガダマー 地平の融合』(現代思想の冒険者たち12)講談社
ISBN4-06-265912-3 C0010

渡邊二郎『構造と解釈』(ちくま学芸文庫)築摩書房
ISBN4-480-08161-5 C0110

このあたりでいかがでしょうか。

私のお勧めは最初の『現代の解釈学的哲学』ですが。
やはりガダマーを主題にした本(2冊目)ははずせないとは思います。

最後の『構造と解釈』はもっささりした内容で、特に1〜5章は私は退屈でした。
後半の解釈学についての論考は整理されていると思いますので一応挙げました。
782世界@名無史さん:01/12/21 09:48
>>1

歴史馬鹿、学が無い?
783世界@名無史さん:01/12/21 20:43
>>782
意味不明
784経済学徒:01/12/22 17:02
プッ 史学などをやっている奴の低脳ぶりはこのスレッドを見ると良くわかるね。(ワラ

20世紀半ば、大量の数学者の卵たちがケインズの影響を受けて
経済学徒を志しました。
彼らアメリカケインジアンはポパーなどの影響を受け、新古典派と
ケインズ経済学を折衷し、徹底した数学的モデルとして彫刻し
新古典派総合という学問を作り上げました。
ここで始めて経済学は、科学と呼べる段階まで達したといえましょう。

そのころ、低脳がやる学問として有名な史学は、
マルクスの発展段階説などのカルト宗教を盲信し、
マルクスは科学だ=マルクスの発展段階説を適用すれば史学は科学だ
などと、低脳振りをあからさまに見せ付けるロジックを使って
史学は科学であるなどと珍説をほざいておりました。
もちろん、ポパーなどの優れた哲学者は、そういった
低脳どもを徹底批判しましたが、低脳は反省せず
逆に、ポパーは馬鹿だ、などの根拠のない罵倒を繰り返したのです。
史学をやっている奴は低脳なだけでなく、人間的にも卑劣ということですね(ワラ

しかし、現実という優れた判定者は、マルクスの権威を粉々に砕きました。
今日日マルクスを信奉している奴はただの馬鹿とみなされます。
逆にポパーの評価は年々高まるばかり。20世紀を代表する哲学者とも言われます。
785世界@名無しさん :01/12/22 17:50
>>784
ふるいな〜あんた。今ごろそんな話ししてるのか。
経済学の人間がつくる経済史が、経済学でしかつかえないので、
社会史の人間が、経済史を多面的に研究している
現状を無視してんの?だいたい、マルクスに関して経済学の人間
ががたがたぬかすなっての。大学からマル経の人間を排除してからいえ。


>ケインズ経済学を折衷し、徹底した数学的モデルとして彫刻し
>新古典派総合という学問を作り上げました。
>ここで始めて経済学は、科学と呼べる段階まで達したといえましょう。
再現性がいっつも問題にされてるくせにずいぶんデカイ面してるじゃないか。
786経済学徒:01/12/22 18:12
>>785

>
> >ケインズ経済学を折衷し、徹底した数学的モデルとして彫刻し
> >新古典派総合という学問を作り上げました。
> >ここで始めて経済学は、科学と呼べる段階まで達したといえましょう。
> 再現性がいっつも問題にされてるくせにずいぶんデカイ面してるじゃないか。
>
モデルすら作れない史学の一兆倍はまし(ワラ
787世界@名無しさん:01/12/22 19:33
>>786
ほほう。なら数理モデルで近代化理論をしあげてほしいですね。
結局役にたたないものを作るんだったら、現状の研究の方が
はるかに参考になる。
だいたい、経済学者が歴史に手出すとろくなことないよな〜。
人的要素を無視しまくり。データだけで理論が作れるのなら
とっくに完成してるよ。それとも何?最近の数理モデルは、
人的または事象的要因も考慮できんの?いや〜すごいな〜。
そしたら、アメリカの経済学者は、景気の悪化時に起こった
今回の戦争を予想できていたことになりますね〜。
預言者なみだな〜。(w
788世界@名無史さん:01/12/22 19:51
>>784
はっきりいって、現在、歴史は科学だなどと言っている歴史学者はほとんどいないよ。
789経済学徒:01/12/22 21:00
>>787
>>>786
> ほほう。なら数理モデルで近代化理論をしあげてほしいですね。
> 結局役にたたないものを作るんだったら、現状の研究の方が
> はるかに参考になる。
> だいたい、経済学者が歴史に手出すとろくなことないよな〜。
> 人的要素を無視しまくり。データだけで理論が作れるのなら
> とっくに完成してるよ。それとも何?最近の数理モデルは、
> 人的または事象的要因も考慮できんの?いや〜すごいな〜。

モデルが、現実と異なる所があるのは当たり前
『無視』しているのではない。『捨象』しているのだ。
そしてそれをすることは、科学性を否定することにはならない。
サムエルソンらが、数理経済学を創始し始めたころは
経済活動は人間の活動だから人的要素を除外するのはおかしい。
と言った批判が強かった。
しかし、たいていの経済学者は利口なので、モデル化には
捨象は必要であるという当然のことを理解した。

>>786を読む限りにおいて、歴史をやっている奴はいまだに
こういったことすら理解できないようだ。(ププッ
790世界@名無史さん:01/12/22 21:02
 議題が噛み合ってないね。
791世界@名無史さん:01/12/22 21:43
スレ違いだし板違いだよ。
経済学徒のワガママ。
792世界@名無しさん:01/12/22 22:33
>>789
まったく、アホが何しに来てるんだ?
経済史は、現状では歴史学が内包している。
それは、まぎれもない事実だし、
(数理ではないが)モデル化なんて歴史学者でもやっている。
マルクス理論が崩壊したことにより、
俺らは「不動の法則」なんて信じてないから、
歴史が科学なんて主張もしていない。(一部の人間はしらんが。
経済学で歴史理論を作ってから、歴史学に文句いいにこい。
ああ、スレ違いという批判もあるから、この際新スレたてたら
どうだ?
「経済学は、歴史学よりすばらしい」
なんて題がいいんじゃないか?(w
793豆板醤:01/12/22 23:09
提案:
新スレは「歴史学の今日的あり方を考える」がよいと思う。
ちょっと曖昧すぎるかもしれないが。

他の人の意見はどんなもんだろう?
794経済学徒:01/12/22 23:27
>>792
>>>789
> まったく、アホが何しに来てるんだ?
> 経済史は、現状では歴史学が内包している。
> それは、まぎれもない事実だし、
> (数理ではないが)モデル化なんて歴史学者でもやっている。

あーあ、そういえばなんか本屋で立ち読みしたことあるわ
歴史学者の社会システム理論の本。
ぱらぱらとよんでみたら、前半部分でいろいろな事象を2元マトリックス化
してるわけ。具体的に数式がでてこねえなあと思っていたら
しばらくすると、ちらちらとゲーム理論の概説のようなのが書いてあって
オー、数学できない文学部卒の癖にがんばるなあと思って
感心してみていたら、そのままゲーム理論の一通りの説明で終わってやんの(ワラ
もう爆笑したね。今にして思えば書名を控えておくべきだったよ
795世界@名無しさん:01/12/22 23:40
>>794
おまえ、経済学の卵ごときが、
歴史学に喧嘩売るとはいい根性してるな。
しかし、とりあえず少々スレ違いなので
新スレたてろ。
このままじゃ真面目に議論する気のない
あらしとかわらん。
796歴史学は解釈学です:01/12/22 23:55
>>793=豆板醤さん
なるほど
>「歴史学の今日的あり方を考える」
ですね。
では、
私は「歴史学はどこまで科学的足り得るか?」を提案します。
他の方のご意見もいただきたいと思います。
797世界@名無史さん:01/12/25 01:28
別に理論構築だけが歴史学じゃねえだろ
798豆板醤:01/12/25 14:04
>>解釈学さん
>私は「歴史学はどこまで科学的足り得るか?」を提案します。

それもいいかもしれんのだが、
「じゃ科学的って何よ?」みたいなところから始めなくてはいけないようで、
歴史学を科学にしたい人、したくない人が
しょうもない泥沼的論争を始めるような気がするのだが。

ま、焦って決めるようなことでもないし、のんびりいきましょう。
799歴史学は解釈学です:01/12/25 17:43
>>798=豆板醤さん
>ま、焦って決めるようなことでもないし、のんびりいきましょう。

そーですねー。
えーと……、
>>779 :歴史学は解釈学です :01/12/18 09:09
で質問をしたわけですが。

とりあえず1月の第一週くらいまで様子みようかと思ってますけど。
でも、やっぱ希望者少ないみたいだし、反対意見(>>797)も出されたし。
今のところ、私的には、新スレたて、ちと消極的方向の感じです。
800世界@名無史さん:01/12/26 19:09
西尾幹二『歴史と科学』(PHP文庫)って結構面白いですよ。
801世界@名無史さん:01/12/27 00:05
轢死、墓が、苦ではない。

以上、本スレッド終了!
802世界@名無史さん:01/12/27 00:08
解釈学=西尾派
うなぎ=カー派
803世界@名無史さん:01/12/27 00:17
>>802
いや、それはカーに対してとても失礼。
うなぎは「過去と現在の対話」でカーが示そうとしている姿勢理解できてないし。
(もし理解してるつもりだとしたら一面的理解だね)
804西国のアズマ帰依者:01/12/27 01:09
>しかし、現実という優れた判定者は、マルクスの権威を粉々に砕きました。
>今日日マルクスを信奉している奴はただの馬鹿とみなされます。

しかし経済史の中核中の中核、経済学にとってもっとも重要な
【金融史】は、いまだに近代的銀行制度の理論はマルクスの理論を
援用しているのが現状です。
新古典派に国家の理論が欠如していたから。

経済学って低脳だね〜
805?????:01/12/27 14:55
私は経済史を専攻しておりますが、

>しかし経済史の中核中の中核、経済学にとってもっとも重要な
>【金融史】は、いまだに近代的銀行制度の理論はマルクスの理論を
>援用しているのが現状です。

は、ちょっとひどいですね。あまりにも事実が誤認されております。
@「経済史の中核中の中核・・・・金融史」というところ、何をもって
「中核」というんですか? また、百歩譲って、かりに「経済史」に「中核」なるものが
あるとしても、それは「金融史」じゃないでしょう。

A>【金融史】は、いまだに近代的銀行制度の理論はマルクスの理論を
>援用しているのが現状です。
日本語が変ですが、それは置いといて、近代銀行理論の理論をマルクスに求めている
というのは、言いすぎでしょう。おそらく、あなたは●系の経済史しか読んでいないんじゃ
ないと思われる。現在では、●系以外の枠組みが、ほとんど大部分を占めています。

B>新古典派に国家の理論が欠如していたから。(だから体制論=●系が必要といいたいのかな?)
あなたの議論の根拠がこれだとすれば、それは、非常に一面的なものの見方です。
ダグラス・ノースなどの新制度経済学を、あなたは、どう考えますか?

わたしは、経済学が万能とは思わないし、ましてや、歴史学と「学問としての優劣を測る」ことは、意味がないと思います。
しかし、経済学側からの発言に対して、このような非常に偏った(しかも誤った)根拠で反論するのは、経済学の「優位」を主張する声に対して有効ではないだけでなく、
歴史学にとって、かえって有害だと思います。
806西国のアズマ帰依者:01/12/27 19:40
お答えします
@単なる挑発です(藁
A総ざらいして近代銀行制度成立に関する金融史の議論を読んでも
 あっち系の議論しかでてこないのは何故でしょう?資本論読み返すたびに
 どう違うんだろうと疑問の毎日です。
 (ソーントンの議論とか旧来の議論を含めていっています)
Bダグラス・ノースの本は1冊読んだだけですのでお答えできませんが、
 非常に読み応えのある議論で、参考にしております。ただ、支配者とかに関する
 定義とか、経済成長うんぬんはなんとかならんかと思っております
807猫電波:02/01/06 00:24
>>781
ありがとうございます.

ところで「論理実証主義」が指しているものは、ウィーン学団のそれとは違うものなのですよね。
808世界@名無史さん:02/01/06 01:15
カー命
809東京特許許可局:02/01/08 04:35
↓を読むと歴史が科学でないのがよくわかる。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1009258323/
810世界@名無史さん:02/01/08 05:13
参考文献・ディルタイ『精神科学序説』上下(以文社)(創元社?)
 K.ポッパー『<歴史主義>の貧困』(中央公論社)
 G.ガダマー『真理と方法』第一部(法政大学出版会)
 小泉信三『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)(新潮文庫)
こーいうのを踏まえて 歴史は科学では無い
と言ってるのだとしても、やはり中学の教科書には不適切だな。
そこまで考えられる中学生はまずいない(w
教師にも。
言葉尻を捉えられて終わり。

あの教科書は段階を間違えてるね。
仮想敵としての左翼教科書を意識して書いていると理解して読めば
よく分かるが、一般読者には
そこまでの想像力は働かない。
811世界@名無史さん:02/01/08 05:25
ageんなオェェ!!
812ななし:02/01/08 05:44
>>809
科学的でないのは宮地正人という人物であって歴史学そのものではない。
813世界@名無史さん:02/01/08 05:54
原点に戻って論破しろよ
論破神の交隣を疾く請う!!
814_:02/01/14 04:46
歴史学が科学でないのは、歴史学が善悪の
価値判断を伴う性質のものだからでは?

ちなみに合理的(rational)というのは善悪の
価値判断を取り除いている、という意味です。
815814:02/01/14 04:55
このスレで解釈学と言われてるものは人文学(humanities)のことですよね。
816世界@名無史さん:02/01/27 00:47
とりあえず結論としては、「歴史は科学ではない」ということで。
817世界@名無史さん:02/02/14 11:47
age

ついでに。
「歴史は科学ではない」という解釈は可能でも、
「歴史学の方法は科学的である」と言えるんでしょ?
818世界@名無史さん:02/02/14 12:02
歴史学者は科学的ではない
819世界@名無史さん:02/02/14 12:08
>> 818

それ証明してヨ!(ぜーーーったいにできるワケないけどね)
そーしたら、キミのことばに少しは耳かたむけてあげるネ。
820世界@名無史さん:02/02/14 12:58
ここまでの流れを見てきますと、
どうも科学という訳語が悪いように思うのですけど。

もともとの欧米文化のものと考えた上で、
語源のscioを考えるのなら、
知識の集積という意味でなら妥当なはずですし。
科学と言ってしまうと、
どうしても自然科学のイメージと方法論がついて回りますから。
821世界@名無史さん:02/03/03 09:56
歴史を科学的に考えてはいけないのでしょうか?
822世界@名無史さん:02/03/18 23:47
みんな「科学的」に考えてるでしょ。
ちなみにセンセイの話によると、現在では、一般的に歴史は「科学」
でないとされているみたいよ。まあ、人それぞれだけど。
823世界@名無史さん:02/03/19 00:01
歴史は厳密な史料批判にもとづく史実の確定を前提としつつ、
その事実をどのように評価し、組み合わせるかという科学を
超えた次元を含んでおり、私たちはその点を重く見ています。

824ウナギ:02/04/23 17:04
>>823
 >歴史は厳密な史料批判にもとづく史実の確定を前提

この部分が科学ね。
825いいじゃねえか:02/04/26 06:46
どっちだって
826世界@名無史さん:02/04/26 07:07
>>824
部分的にだろ
827世界@名無史さん:02/04/26 07:12
大前提となる「歴史的事実」の抽出自体、極めて主観的行為といわねばならない。
828世界@名無史さん:02/04/26 07:17
歴史は実験ができません。
829世界@名無史さん:02/04/26 07:24
科学的手法が一部に用いられていたところで、それだけでは「歴史」が自然科学のようなものとはいえない。
830世界@名無史さん:02/04/26 07:24
まだこれやってるのかよ。
歴史学が他の自然科学と大きく違うのは当然の話だろ。
隔ててるのは信頼できるデータを集める段階ではなく、それをもとにして行う叙述。
「歴史は科学」なんて馬鹿なこと言ってるやつはもういないよ。
831世界@名無史さん:02/04/26 07:25
「科学」の定義は?
832世界@名無史さん:02/04/26 07:30
>>831
このスレで使われている「科学」は、この過去ログ読めばわかるが、
「学問的知識」のことではなくて、法則の探求という意味での「科学」。
833世界@名無史さん:02/04/26 07:58
なんかの「法則」で歴史が動いてるとしたら嫌だなあ。
834世界@名無史さん:02/04/26 07:59
別にどっちだっていいじゃない?
別に歴史学が科学でなかったとしても何かが変わるわけじゃないし。
科学的な手段を使う事は必要だと思うけど、科学になる必要は無いとおもわれ

歴史学は、歴史学である事に意義がある。
835世界@名無史さん:02/04/26 10:36
科学的かどうかはどっちでもよいのかも知れないが、
歴史は一般的に成り立つ法則に従っているとか、
その法則を見出すのが歴史学の役割である、
などの考え方が間違っている、ということが重要。
こういう考え方が過去においてどれほど大きな災禍を招いたかを
現代の私たちは知っている。少しは賢くなったのだと信じたい。
836ウナギ:02/04/26 12:07
>>827
史料は、過去に生起した「歴史的事実」が現在に残した「痕跡」である。

ひとつの史料から、ある史実にかんする情報を抽出する作業は、再現可能な手
順にのっとり、追試も可能であるという点で、まったく客観的であり、「主観
的行為」が介在する余地は非常にすくない。
837世界@名無史さん:02/04/26 19:51
>>836
はあ?
それなら「史料批判」は「科学」だと書いたら?

838世界@名無史さん:02/04/26 19:54
「史料批判」は「科学」なのかねえ?
839世界@名無史さん:02/04/26 20:01
>>836

 827が書いてるのはそういう意味ではない。
「歴史的事実」というものは数ある過去の事実の中から歴史家が選択したものだということだろ。
840世界@名無史さん:02/04/26 20:04
>>838
>「史料批判」は「科学」なのかねえ?

科学的でないとまずくはあるでしょうな

まじめな話「史料批判」も叙述が関る場合
ロジックやレトリックが公正でないとまずいとは言えるでしょうな
史料批判をするものの自己言及的批評(自己批評)が必要なわけで

つまりは、史料批判は科学とは限らない
だから科学的であろうとする(藁
841世界@名無史さん:02/04/26 20:10
842世界@名無史さん:02/04/26 20:29
「昭和天皇独白録」とかを読んで、昭和天皇は平和主義者
だったっていう人もいれば、反対に読み取る人もいるじゃん。
843世界@名無史さん:02/04/26 20:34
>>840
自然現象相手ならともかくも、史料自体が人間によって叙述されたもの
じゃないですか。それに史料批判をいくらやったところで、自然科学以外
の領域では実験によっての確認が出来ませんよ。
844世界@名無史さん:02/04/26 20:44
>>842
誰かの日記とかを読んでも、特に親しい人だけしかわからないニュアンスみたいなものも
あるわけよ。そこに何か云々書いてあっても、彼はこういう意味で云々を書いたって、
その人(例えば奥さんとか)しか読み取れないこともある。
歴史家が奥さんからの聞き取り(いわゆるオーラルヒストリーか)なんかを総合して判断しても、
また別の反証を持ち出す者もいたりして、例えば「絶対に彼は云々するつもりだった」なんて
論証ができないこともあるのさ。
845世界@名無史さん:02/04/26 22:13
>>784から続いてる二人の議論が、一人芝居だったらかなり面白いと思いました。
以上。
846ウナギ:02/04/28 00:20
>>843
 >自然現象相手ならともかくも、史料自体が人間によって叙述されたもの
 >じゃないですか。

だから

 史料は、過去に生起した「歴史的事実」が現在に残した「痕跡」である。

とゆーておる。

>>843
 >>それに史料批判をいくらやったところで、自然科学以外
 >>の領域では実験によっての確認が出来ませんよ。

まともな史学論文なら、ある史実について、一つの史料から情報を抽出する際
の手順は、読者にも追試が可能なようにきちんと提示してあるよ。
847世界@名無史さん:02/04/28 19:01
>>846
あいかわらず、疑問に正面からこたえない権威主義者だな
ヴァカのひとつ覚え
848世界@名無史さん:02/04/30 06:43
>>846
>史料は、過去に生起した「歴史的事実」が現在に残した「痕跡」である

あんたは本当に馬鹿だな。史料に書いてあればそれが「歴史的事実」だとは限らない。
「過去の事実」と「歴史的事実」の区別もつかないようでは語る資格ないよ。
849世界@名無史さん:02/04/30 06:59
>>846
>まともな史学論文なら、ある史実について、一つの史料から情報を抽出する際
>の手順は、読者にも追試が可能なようにきちんと提示してあるよ。

あまりにも馬鹿馬鹿しいが、歴史学の対象は「歴史的事実」であって「史料」というものは
単なる媒介にすぎない。歴史学に自然科学的な実験が可能ということであれば、それは
タイムマシンでもできない限りは不可能。
850世界@名無史さん:02/04/30 16:03
まあ、実験が出来ないわけだから、自然科学での証明は無理でしょうが、
過去のある事実は常識的な範囲での証明は可能でしょうね。
とはいえ、それだけでは歴史とはいえないのはあたりまえの話であって、
その影響だとか分析が重要なわけで、それはやはり自然科学での分析だとか
っていうのはちょっと出来ない相談。
851ウナギ:02/05/02 14:45
>>847
 お前の「疑問」なんか知らん。

>>848
おまえこそ、日本語が理解できないアホだな。

 >史料に書いてあればそれが「歴史的事実」だとは限らない。
ただし、史料の記述は、なにがしかの歴史的事実の「痕跡」であることはまちがいない。

 >「過去の事実」と「歴史的事実」の区別もつかないようでは語る資格ないよ。
お前は「歴史的事実」と「歴史的事実が現代にのこした痕跡」の違いがわからない脳たりん。


>>849
 >歴史学の対象は「歴史的事実」であって「史料」というものは単なる媒介にすぎない。

キミが「単なる媒介に過ぎない」といっていることを指して、「史料とは、過去の歴史的事
実が現代に残した「痕跡」だ」といってるの。

 >歴史学に自然科学的な実験が可能ということであれば、それはタイムマシンでもできない
 >限りは不可能。
まともな史学論文なら、ある史実について、一つの史料から情報を抽出する際の手順は、読者
にも追試が可能なようにきちんと提示してある。
852世界@名無史さん:02/05/02 15:56
「歴史的事実が過去に残した痕跡」って
そこには、記録者の主観が関与する場合があんだよ
いわゆる「人間の精神的活動の痕跡」ってヤツだ

>まともな史学論文なら、ある史実について、一つの史料から情報を抽出する際の手順は、読者
>にも追試が可能なようにきちんと提示してある。

従って「歴史的事実」はいわゆる「史実」とイコールになるとは限らない(藁
ゆえに歴史は科学にはならない
853世界@名無史さん:02/05/04 23:41
>>851
それならキチンと論理的に「歴史は科学」だと説明しろよ。
どこをどう読めば科学だと読めるんだよ?
854世界@名無史さん:02/05/04 23:45
>>851
>ただし、史料の記述は、なにがしかの歴史的事実の「痕跡」であることはまちがいない

さすがは馬鹿。またやってくれたよ。カーでも読んで「歴史的事実」の意味を勉強しろ。
855世界@名無史さん:02/05/04 23:46
>>851
っていうか、どうしてそれが歴史は科学っていうことになるわけ?
856世界@名無史さん:02/05/04 23:49
>「史料とは、過去の歴史的事実が現代に残した「痕跡」だ」といってるの

はあ?
857世界@名無史さん:02/05/04 23:56
>>851 
>まともな史学論文なら、ある史実について、一つの史料から情報を抽出する際の手順は、読者
>にも追試が可能なようにきちんと提示してある

あんたさあ、頭悪いねえ。 「史料」は媒介に過ぎないってログにあるだろ。
「史料」をいくら確認したところで、それが本当にあったかどうかを自然科学
のように「実験」するなんてタイムマシンでもない限りできるわけないだろ。
あんたが言ってるのは、「史料」からそう読み取れるというだけの話。
858世界@名無史さん:02/05/04 23:59
>ただし、史料の記述は、なにがしかの歴史的事実の「痕跡」であることはまちがいない

なんで「歴史的事実」の「痕跡」であることに間違いないわけ?
「歴史的事実」の意味をわかってないんじゃないの?
859世界@名無史さん:02/05/05 00:00
書き込み集中しとるな
860世界@名無史さん:02/05/05 00:03
なんで嘘吐きウナギの相手をするかな?
861太郎次郎:02/05/05 00:04
>まともな史学論文なら、ある史実について、一つの史料から情報を抽出する際の手順は、読者
>にも追試が可能なようにきちんと提示してある

これが「歴史は科学」だという理由だとするならば、相当な低脳だと断じてもよいでしょう。
862世界@名無史さん:02/05/05 00:06
単なる歴史的事実の羅列は歴史ではありませんので。
863ウナギ:02/05/05 08:39
史実の解明は、歴史学の重要テーマのひとつです。
864世界@名無史さん:02/05/05 08:59
馬鹿ウナギよ 「史料」書いてあることをどうやって「実験」「確認」するのかな?
865世界@名無史さん:02/05/05 09:02
>まともな史学論文なら、ある史実について、一つの史料から情報を抽出する際の手順は、
>読者にも追試が可能なようにきちんと提示してある

これをどう解釈すれば「歴史は科学」ということになるのか、ちゃんと説明しろよな。
866世界@名無史さん:02/05/05 09:15
>>863
>史実の解明は、歴史学の重要テーマのひとつです。

そんなことに異論は出てねーだろーがよ
なんでそれが科学だと決まってるのか、ってお前さんの主張に
皆さんの疑問が集中してんだろーが

論点すり替えヤロウ(藁
867世界@名無史さん:02/05/05 09:17
「歴史は科学ではない」の
「科学」を厳密に定義して下さい。
868世界@名無史さん:02/05/05 09:39
>>867
タリーだろがスレログ読んでや
このスレでは概ね2つの意見が出てる

a)Scienseの語源に近い意味で、知識を総合した判断
b)実験による論理実証を伴った命題

b)の意見からはa)の意見では「○○は科学だ」という命題は広範すぎて意味を成さないとの指摘が出たこともある

が、このスレのもんだいは
「歴史は科学だ」を主張してる論者が「科学」をどういう定義で使ってるかとか、その定義の妥当性については意味のあることをほとんど言わずにヴァカの1つ覚えを繰り返して来ている展開にある
869ウナギ:02/05/05 14:58
>>864
史料からの情報抽出については、詳細に解説済み。
過去ログ読めや(ワラ
870ウナギ:02/05/05 15:00
>>868
c)「歴史学は科学である」

というのも足しとけ(ワラ
871=868:02/05/05 17:15
>>878
相変わらず平然とヴァカさらしとるな(藁

>>868>>867さんのリクエストにお応えした
このスレで提出されてた科学の定義だ

c)「歴史学は科学である」では定義が循環するので、定義の体裁をなしとらんわ。
とっととてめーの「科学の定義」を開陳しくされ、アフォ。
872世界@名無史さん:02/05/05 17:39
>>869

ほう。過去ログのどこに「史料」書いてあることが実際にあったかどうかを
「実験」「確認」する方法が書いてあるのかな?
番号出してみな。
873世界@名無史さん:02/05/05 17:41
「歴史的事実」の意味も分からない低脳ウナギがいまだに低脳さを見せ付つけてるのか。
874世界@名無史さん:02/05/05 17:44
>>869
歴史学が科学なら歴史的事実の分析まで普遍的意味を持たねばならないが・・・。
875世界@名無史さん:02/05/05 17:47
>>871
ウナギの脳みそでは「科学」の定義に「歴史学は科学」であるというトンデモ定義があるんだよ。
人間並みの脳を持ち合わせていないのだから、いまさら怒ることもない。
876ウナギ:02/05/06 14:05
>>872
史料から情報を抽出する方法の客観性については既出。
よみなおせ。

>>875
歴史学は「人文科学」のれっきとした一分野(ワラ
低脳はおまえら

877世界@名無史さん:02/05/06 15:29
>>876
日本語もまともに読めない奴は黙ってろよ。恥晒すだけだぞ。

878世界@名無史さん:02/05/06 15:33
>>876

馬鹿じゃねーの。「科学」と「人文科学」との違いもわからないとはさすがはクズ。
879世界@名無史さん:02/05/06 15:35
>>876
>史料から情報を抽出する方法の客観性については既出

「史料」に書いてあることが実際にあったかどうかを「実験」「確認」
する方法を聞いているのであって、そんなことは聞いてないと思うが。
880世界@名無史さん:02/05/06 15:37
>>878
いや、俺はヴァカウナギの捻じれた脳ミソで科学と人文科学がどう定義されてるか聞きた気もするな。(藁
悪趣味だが、笑えそうだ。

ウナギセンセ、人文科学とHuman Scienceがどー違うんですか?
笑わせてください。
881ウナギ:02/05/06 16:44
>>848
 >「過去の事実」と「歴史的事実」の区別もつかないようでは語る資格ないよ。

いかなる「過去の事実」も、史実解明のための史料たりうる。

>>878
馬鹿はおまえ。
自然科学も人文科学も科学(ギャハハ
882ウナギ:02/05/06 16:53
>>879
おれさまが書いているのは
 ●史料から情報を抽出する方法の客観性
についてだ。
883≠879:02/05/06 17:02
>>882
>おれさまが書いているのは
>史料から情報を抽出する方法の客観性

あらら?ウナギセンセのご意見は、
史料から客観的に抽出される情報からだけ史実を構築するのが歴史学だ
ゆえに
歴史学は客観的な科学である

ではなかったのですか?
意見変更ですかな?(藁
884ウナギ:02/05/06 17:34
>>883
ほかにもいろいろ書いてるよ。

>あらら?ウナギセンセのご意見は、
> 史料から客観的に抽出される情報からだけ史実を構築するのが歴史学だ
> ゆえに
> 歴史学は客観的な科学である
> ではなかったのですか?

これは、「体脳」「馬鹿」「カーちゃん」などの語彙が大好きな
ボクちゃんが、おれ様の文章と、おれ様の文章を呼んで連想したこと
を混合してでっち上げた妄想。

文責はボクちゃんにあり。

 >>868が提起した「このスレのもんだい」にもう一点つけくわえると、

妄想ボクちゃんが、自分の妄想を自分で攻撃するジサクジエンの投稿を繰り返す

点だな(ワラ
885ウナギ:02/05/06 17:35
訂正
「体脳」→「低脳」
「おれ様の文章を呼んで」→「おれ様の文章を読んで」
886=883:02/05/06 17:57
>>884
ははぁ、なるほど
そうするとウナギセンセは>>1の話題を無視し
歴史が科学かどうかと言う話題とは無関係に

「歴史学は『人文科学』のれっきとした一分野」という主張を無意味に繰り返し

なおかつ、「人文科学」のご自分なりの前提定義を提示する気はまったくないと。
やはりあなたはアフォですな。
887世界@名無史さん:02/05/06 18:35
>>881
>自然科学も人文科学も科学

はあ?
「科学」の定義について論じているのに、意味わかってるの?
888世界@名無史さん:02/05/06 18:36
低脳ウナギには「過去の事実」と「歴史的事実」の区別はつきません。
単なる馬鹿ですから。
889横レスだが:02/05/06 18:40
>>882
バーカ。元レスの>>864に自分でなんとレスしてるのかも分からないとは・・・。
890888:02/05/06 18:44
なんていっても、低脳ウナギによる「科学」の定義には「歴史学は科学」であるというトンデモ定義があるのですから。
電気ウナギならぬ電波ウナギですなあ。
891世界@名無史さん:02/05/06 18:54
ウナギよ。コテハンを電波ウナギにしろ。
892世界@名無史さん:02/05/06 19:05
歴史が科学なんていうことはありえない。歴史家の叙述においては当然に
因果関係の説明やその影響についてのなどを検討するわけであるが、これは
歴史家によって異なるのはあたりまえの話であって、そんなことはないと
考えるのはどこかの全体主義国と一緒。そんなの通用しない。
「史料」から抽出した云々言ってるのがいるが、過去の事実の羅列をもって
「歴史は科学」であるとするのは大間違いと言っておこう。
893世界@名無史さん:02/05/06 19:05
ウナギ!ハッタリをもういっちょうかませ!
894世界@名無史さん:02/05/06 19:41
「歴史学は科学」だと一生懸命叫んでいるのもいるが、「歴史学」の意味自体を認識しているのであろうか。
「歴史学」とは、それは「歴史を対象とする学問」であると定義できようが、これでは何にも説明になっていない。
「歴史学」の説明をするのは「歴史」の定義からはじめる必要がある。

「歴史」とは何かと問われれば、それは「過去の事件およびその叙述」との定義がなされるのが常識である。
ドイツ語のゲシヒテも、もとはその2つの意味を持っている。
歴史学においては、歴史理論や方法論があるが、それは歴史叙述の中において始めて自己の妥当性を主張できる。
歴史学は「歴史叙述」をして自己を完成するのである。歴史家の最終目的は「歴史叙述」であるため、
理論や方法をそれ自体独立して切り離しては、それは歴史学とはいわない。

私が驚いたのは、おそらくは歴史を専門に学んだ者ではないとは思うが、どうも史料によって得られるもの
は普遍であるから、「歴史学は科学」であるとする主張がなされていることだ。
これは大変な思い違いで、歴史学というものは前述したとおり歴史叙述をもって完結する学問である。
史料から得たものをそれぞれの歴史家が自らの価値観に基づいて叙述をしなければならない。
もしも「歴史学は科学」だとするのならば、この叙述も普遍的なものにならねばならないのである。
895世界@名無史さん:02/05/06 19:56
ログに「歴史的事実」についての話題があるが、これについて少し述べるとすると、
「過去の事実」というものはすぐさま「歴史的事実」になるかというとそういうわけでもなく、
歴史家が歴史的事実としての意義を与えることによって歴史的事実となるのはあたりまえの話である。
一例ではナポレオンが「いついつの朝にくしゃみを何回した」などは歴史学が対象とする歴史的事実
とはならない。そこでは当然に歴史家による取捨選択がなされているのである。
年表なども単なる事実の羅列のように見て取れるが、年表に上げられている歴史的事実もそれぞれの
歴史家の判断によって選択されたものであることを忘れていけない。
896世界@名無史さん:02/05/06 20:04
電波ウナギの論理でいくと「文学も科学」ということになるのかな?
897世界@名無史さん:02/05/06 20:54
誰一人として味方するやつが出ないとは、やっぱり説得力なんだろう。
一人にさせてやれ。
898ウナギ:02/05/06 23:47
 >「史料」から抽出した云々言ってるのがいるが、過去の事実の羅列をもっ
 > て「歴史は科学」であるとするのは大間違いと言っておこう。

いってない、いってない。

 >一人にさせてやれ。
ボクちゃんもヒトリ(ワラ
899世界@名無史さん:02/05/07 00:07
電波ウナギがガンバッテル!
900ウナギ:02/05/07 00:15
900ゲットォ!
901世界@名無史さん:02/05/07 07:36
>電波ウナギ

自作自演じゃねえよ
902世界@名無史さん:02/05/07 09:56
>>902
せっぱつまって、妄想が高じてるんだよ(藁
903ウナギ:02/05/07 14:10
>自作自演じゃねえよ

はいはい、そうかね。よかったね。

>>902
このスレで、どうやって「せっぱつまる」んだい(ワラ

「妄想が高じてる」のは、妄想ボクチャン。

自分の空想と、相手の発言は、しっかり区別しようね。
904認定:02/05/07 22:06
ウナギの敗北を認定すると同時にこのスレは終了いたしました。
905世界@名無史さん:02/05/07 23:02
電波ウナギ晒しあげ
906世界@名無史さん:02/05/07 23:04
猫電波はどこいった?
907世界@名無史さん:02/05/07 23:18
英米圏では「ヒストリカル・サイエンス」なんて言葉はまず使いませんね。
1の書き込みの通り、日本語の「科学」という言葉をつけるとやはり紛らわしいのは確かだと思います。
908世界@名無史さん:02/05/07 23:37
クローチェの言葉「文献学的歴史は多分正しくはあるが、決して真ではない」
909世界@名無史さん:02/05/07 23:43
そもそも史料を論じて「歴史学は科学」だとするのはあまりにもお粗末な話ですね。
910907:02/05/07 23:49
だから結局のところは歴史的事実を検証して、法則を発見するということにならないと
これスレッドでいう「科学」にならないんじゃないですか?
そういう意味では発展段階論なんていうのはわかりやすいですよ。
911世界@名無史さん:02/05/07 23:52
>>909
ログを少し読んだんですけど、私も理解に苦しみます。
912世界@名無史さん:02/05/07 23:52
>>909
いや、>>884によれば、「科学かどうかなんて関係ないが、ともかく歴史は客観的なもの」らしーです(藁
要するにスレの話題を手前勝手に無視した、自説ごり押しネンチャクくんだったわけです。
913世界@名無史さん:02/05/07 23:56
ただ、確かに昔は歴史が科学かどうかめぐって大論戦があったことは事実ですよ。
もう絶版かもしれませんが、メイヤーとかの共著だったか『歴史は科学か』(みすず書房)
なんていう本も刊行されてました。
914世界@名無史さん:02/05/08 00:02
>>910
確かにかれらの唯物史観というか、マルクス主義史観の
法則にしたがって叙述ということになるから「科学」となるのかな?
915世界@名無史さん:02/05/08 01:02
>>910
>歴史的事実を検証して、法則を発見するということにならないと
>これスレッドでいう「科学」にならないんじゃないですか?

このスレの検討では、「歴史の法則」にはいろいろ疑問が出され、否定的だと思います。
要約的意見で「歴史の法則」というものは「大まかな傾向にすぎない」という意見が出されています。

「大まかな傾向」の抽出でよいのでしたら、「体系化された知識」のScienseでもフォローできる分野と思います。
客観性も実験も、必ずしも必須とは言えないでしょう。
古代ギリシアの思想家のような経験論と思弁でもフォローできるからです。

916ウナギ:02/05/08 08:08
>>912
キミのその要約は、半分はあっているけど、半分はキミの創作。
917世界@名無史さん:02/05/08 08:27
「スレの話題を手前勝手に無視した、自説ごり押しネンチャクくん」てとだな<半分はあっている(藁
918メキシコ彦蔵:02/05/08 09:05
あらゆる学問を「科学」として見ていくというのは、極めて示唆的だと思います。
つまり、あらゆる事象を「もの」としてとらえていこうとする行為だからです。
しかし、「科学」に全幅の信頼が置けなくなってしまったのも、また事実ですね。
歴史=科学というのは、今日の我々が言うのと、20世初頭の人々が言うのとでは意味合いが違ってきますね。
その辺を考えるのが歴史学なんですよね。
社会科学とか、人文科学が探求する真理というのは、当然のことですが、人間の価値観に関わってくるので、絶対的な客観性は持ち得ないのでしょう。
イギリスなどはその辺の所がわかっているので、人文科学に真理などありはしないとはなから放棄しているのでしょう。
その意味で、不可知論に立った上で歴史学を展開しているのでしょう。
アメリカはそこにプラグマティックな体系を持ちもむので、ちょっとイヤなんですけれども。
多くの学説を戦わせることが、健全な学問として歴史学が成立しうる条件であって、その基準となるのが、史料でしょうし。
徹底したテクストクリティークでしょうね。余りににも当然のことでしょうけど。
919世界@名無史さん:02/05/08 09:10
>>918
人文科学と言う概念がよくわからないのですが。
個人的には無意味だと思います。
なぜ「人文学」ではいけないのですか?

再三いわれていますが、なんでも科学をつければよいというものではないでしょう。
「社会科学」に関しては、科学的手法だけで成立する「社会科学」と、そうはいかない学問分野と並立すると思うので、疑問は感じないのですが。
920世界@名無史さん:02/05/08 09:15
>>918
>多くの学説を戦わせることが、健全な学問として歴史学が成立しうる条件であって、その基準となるのが、史料でしょうし。
>徹底したテクストクリティークでしょうね。余りににも当然のことでしょうけど。

上意見には疑問も異論もないのですが。
このスレでは、テクストクリティークの結果、抽出できる客観的情報とやらのみで歴史叙述は構成されるべきだ、との意見が出され、多くの反論が出されています。
この件についてはいかがでしょうか?

テクストクリティークでしたら、その結果は客観的なものなどではあり得ないと思われますが。
>人文(科)学に真理などありはしない
、と、言ったところと思います。

921ウナギ:02/05/08 18:19
>抽出できる客観的情報とやらのみで歴史叙述は構成されるべきだ、との意見
>が出され、多くの反論が出されています。

ほお、、そんなヤツがいるのかい。

おれ様じゃないぞ。

妄想ボクチャンよ。
922ウナギ:02/05/08 18:48
 >抽出できる客観的情報とやらのみで歴史叙述は構成されるべきだ、との意見

妄想ボクチャンよ、こんな「意見」が載ってるおれ様のレス番号あげてみ?

かけへんやろ(ワラ

だからお前は「妄想ボクチャン」
923世界@名無史さん:02/05/08 20:04
>>895、他をみれば、件の意見がこのスレで主張されていたことは明白

誰とは言わないが、他に読解のしようのない意見を繰り返してるアフォがいる。

それとも誰かさんは、読解力だけでなく、文章表現力も滅裂なのかも(藁
924世界@名無史さん:02/05/08 23:10
スレの結論としては「歴史は科学ではない」ということで。
925世界@名無史さん:02/05/08 23:18
(既出かも知れないが)科学の定義を反証可能性、つまり再現性におくなら、歴史に厳密な意義での再現性はないんだから、科学とは言えないだろう
しかし歴史学が学問であることも事実
科学的ではない学問も当然あるということだよね
むしろ人々が歴史から何を学べるのかということが問題じゃないのか?
926世界@名無史さん:02/05/08 23:29
>925

やっぱり法則の問題だと思うけどな。
927世界@名無史さん:02/05/09 01:09
 >誰とは言わないが、他に読解のしようのない意見を繰り返してるアフォがいる。

 プププ。挙げられないんだ(ワラ

 だから「妄想ボクチャン」
928世界@名無史さん:02/05/09 01:28
>>859
 > 書き込み集中しとるな

妄想ボクチャンが一生懸命がんばってるからね
929世界@名無史さん:02/05/09 08:49
>>929
>妄想ボクチャンが一生懸命がんばってるからね

もっと言って。
書込みしてる多数の人にネンチャクくんのアフォさがよくわかるから(藁
930世界@名無史さん:02/05/09 11:52
ウナギと妄想ボクちゃん(自称・多数)が激しく1000ゲットをめざしているス
レとは、ここですか?
931世界@名無史さん:02/05/09 12:04
>>930
なんかそんな感じ(W
932世界@名無史さん:02/05/09 12:29
長文多いので1000までいかないに1000点
933世界@名無史さん:02/05/09 22:05
なんで下げてかく
934世界@名無史さん:02/05/10 00:02
>>933
だって、すでに罵倒スレと化しているから。

妄想ボクちゃんの罵倒レスと嘘吐きウナギの一行レスの応酬
をアゲたって何の意味もない。
935世界@名無史さん:02/05/10 00:25
>>934
悪いけど少なくとも2名以上はいるんだけど。
936世界@名無史さん:02/05/10 00:36
嘘吐きウナギがいろんな質問にまともに答えないのが悪い
937ウナギ:02/05/10 07:30
>>936

妄想ボクチャンが捏造した「ウナギの主張」の文責は、妄想ボクチャンにある。

おれ様とは関係ないね。
938ウナギ:02/05/10 07:31
>>935
お友達ができてよかったね、ボクチャン。
939世界@名無史さん:02/05/10 10:19
>電波ウナギ
どうでもいいから科学の定義答えてみろよ。
人文科学の定義でもいいぞ。
940世界@名無史さん:02/05/10 16:16
>>937
「歴史学」がなんで「科学」になるのか説明してください。
ログを読んでもさっぱり理解できない。
941世界@名無史さん:02/05/10 16:21
>>169
>現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を
>抽出するという作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ
>「客観的」であり、その時代の科学水準に応じて「万人に共通の結果」
>がでる。すなわち歴史学は科学である、といえる。

これをどう読めば「歴史学」が「科学」といえるのでしょうか?
942世界@名無史さん:02/05/10 16:33
>>941
もうとっくに結論出てるんだけど。
943世界@名無史さん:02/05/10 16:38
いずれにしても、「歴史」「歴史学」「科学」の定義を明らかにしないと話にならないね。
944世界@名無史さん:02/05/10 17:05
>>941
なんだよそれ。それなら史料に書いてあることが本当にあったかどうかを
タイムマシンかなんかで確認してきてくれよ。叙述うんぬんはそれからだろ。
945世界@名無史さん:02/05/10 17:05
>>941
なんだよそれ。それなら史料に書いてあることが本当にあったかどうかを
タイムマシンかなんかで確認してきてくれよ。叙述うんぬんはそれからだろ。
946世界@名無史さん:02/05/10 17:07
2重カキコすまん
947世界@名無史さん:02/05/10 17:09
ちなみに「観念論哲学」は「科学」なのか?
948世界@名無史さん:02/05/10 21:06
結論は「歴史は科学ではない」ということで。
949世界@名無史さん:02/05/10 21:18
歴史は科学だとすると、自由意志との関係はどうなんですか?
950947:02/05/10 21:56
誰か答えてくれよ
951ウナギ:02/05/11 01:48
>>944
「史料」とは、歴史的事実が現代に残した痕跡である。
「タイムマシン」を持ち出すとは、なんと「非科学的」な(プププ

>>948
 しかし「歴史学」は「科学の一分野」である。
952名無しさん:02/05/11 03:06

この馬鹿がいってる「科学的」ってのは、
独語のwissenschaftlichを念頭においてんだろ?
他の人間は普通「科学的」っていったら、
scientific(あるいは、naturwissenschaftlich)
を念頭に置くんだよ。



953一般史家:02/05/11 03:45
本日初めてこのスレを最初から読む。ウナギ氏の説に賛成。
歴史学の専門家なら分かる筈。
解釈氏の云う異文化理解の問題は、史料の読解に際して、歴史家は無意識の裡
に行っている(でなければ史料の解釈がそもそも不可能)。
また科学性を基準とする自然科学>社会科学>人文科学(歴史学)という
序列も無意味。人間は、自然の一部として存在し社会を形成しており、そうした
人間が自然・社会・人間自身を意識の裡で対象化することが科学の前提。
それゆえ問題は、自然科学と社会・人文科学の対立を前提とした科学性の
優劣ではなく、これら三者の区別と連関ではないか(三者ともにそれぞれ
固有の真理をもつ)。
954一般史家:02/05/11 06:01
「歴史学は解釈学です」氏への一疑問。
 例えば以下の714の記述。
>19世紀の旧弊な常識と20世紀に人文諸学・種種の社会学・社会科学でなさ
>れた達成との間には、まず問題に対する認識のフレーム自体の相違があり
>ます、方法論も、方法論の考え方(哲学)も異なります。
>特に異文化研究に関しては、「情報を集積すれば万人に共通する理解が
>得られる」という素朴な信念は、私に言わせれば19世紀的というよりも
>18世紀的です。
>まるで、「人間は理性的な思考を追求すればフランス語で思考するよう
>になる」と主張された18世紀的普遍文法のようだと思います。

このウナギ氏の主張を批判する文脈で、「異文化研究」は「18世紀的普遍文法
」「19世紀の旧弊な常識」「20世紀に人文諸学・種種の社会学・社会科学でな
された達成」と表記。20世紀>19世紀>18世紀という価値序列を前提。
時間的な過去もそれぞれに異文化=考察対象として等価である筈。
「異文化研究」の内容も、まずそれぞれの段階での学問・思想動向や政治・
社会体制との関連性の検討を経て、思想の系譜学として提示されるべき(簡単
に発展と云えるのか?)。
でないと、新しいもの(=最新流行)ほど良いという傾向性(日本に
おける外来思想摂取の特徴)と区別がつかない。
955世界@名無史さん:02/05/11 06:14
>歴史学の専門家なら分かる筈。

わからん。
しかしアマチュア歴史家が好きそうな話だと思う。
956歴史学は解釈学です:02/05/11 09:05
>「異文化研究」は「18世紀的普遍文法」「19世紀の旧弊な常識」「20世紀に人文諸学・種種の社会学・社会科学でなされた達成」と表記。20世紀>19世紀>18世紀という価値序列を前提。
>時間的な過去もそれぞれに異文化=考察対象として等価である筈。
まず「時間的な過去もそれぞれに異文化=考察対象として等価である筈。」の文意が曖昧で何通りかにとれます。

私が、異文化研究に20世紀>19世紀>18世紀という価値序列を前提しているのは、異文化研究を歴史学に包摂する部門においては、
a「研究対象領域が明らかに拡大していること」、
b「研究領域対象の拡大にともなって、前提となる研究フレームが変化していること」を意味しています。
例えば、「口承伝承をも(主題に応じて必要があれば)研究対象に含める」(研究対象領域の拡大)
そして「口承伝承を研究対象に含める」フィールド・ワークの場合、ヴァカウナギが言ってるような18世紀的素朴客観主義の認識フレームでは、有意な情報も獲得できない、と言ったことです。

>「異文化研究」の内容も、まずそれぞれの段階での学問・思想動向や政治・社会体制との関連性の検討を経て、思想の系譜学として提示されるべき(簡単に発展と云えるのか?)。
私は、系譜的発展とは言っていませんが。
それよりも近隣諸学の包摂(歴史学中心観点で記述すれば)、または、近隣諸学とのクロスオーバー、ハイブリッド(歴史学中心観点で記述しなければ)の結果の断続と考えます。

>新しいもの(=最新流行)ほど良いという傾向性(日本における外来思想摂取の特徴)と区別がつかない。
と思われるのはそちらの自由です。
ただし、その場合は、口承伝承採集のフィールドワークによる研究などは歴史学には無関係と明確に明言してください。
957世界@名無史さん:02/05/11 09:27
>>953
>自然科学と社会・人文科学の対立を前提とした科学性の優劣ではなく、これら三者の区別と連関ではないか(三者ともにそれぞれ
固有の真理をもつ)。

まず、このスレでは、自然科学、社会科学、人文学(人文科学)の間の優劣は論じられていないと思いますが。
三者の連関も論じられてはいません。

>三者ともにそれぞれ固有の真理をもつ
のだとしたら、それこそ科学の語の元に一括するのは不適当と言えるはずと思われますが。
いかがでしょうか。

それから、人文科学の定義は未だこのスレでは挙げられていません。
科学=自然科学の定義は充分挙げられていると思われます。
まぜ定義を挙げてください。


958947:02/05/11 11:08
どうなんだよ!!
959世界@名無史さん:02/05/11 12:20
>>951

あんたさあ、科学なら絶対にそういう事実があったっていう根拠がまず必要だろ。
それになんで史料から話が始まるんだよ。
960世界@名無史さん:02/05/11 12:21
>>954
わけわかんないこと言う前に、「歴史」と「科学」の定義をしたら?
961世界@名無史さん:02/05/11 12:23
「文献学的歴史は多分正しい、しかしけっして真ではない」というヘーゲルの言葉を覆せますか?
962世界@名無史さん:02/05/11 12:27
パートUが必要かな?
963世界@名無史さん:02/05/11 12:30
自然科学のようなものであれば、当然にその法則が一定の条件のもとならば
過去でも未来でも普遍で妥当するわけで、その確認が可能になってくるが、
歴史的事実を法則でもって確認することはできない。
従って歴史は科学とはいえない。
964世界@名無史さん:02/05/11 12:32
従って歴史は科学とはいえない。
965世界@名無史さん:02/05/11 12:34
観念論哲学は科学とはいえない。
966世界@名無史さん:02/05/11 12:38
「史料」を残すのはおおむね人間。
967世界@名無史さん:02/05/11 13:18
「ヒストリー」はあくまでも「ヒストリー」
968世界@名無史さん:02/05/11 13:31
まったく意味不明瞭というほかない。歴史学がこのスレでいうところの
「科学」ということであれば、個々の歴史的事実から歴史的法則を探求しなければならない。
それなのに「史料から情報を抽出」して話が終わっているのでは片手落ちではあるまいか。
969ウナギ:02/05/11 14:44
>>953
ご議論、つつしんで拝聴させていただきます。

妄想ボクちゃんも、あなた相手には、罵倒・曲解・捏造を慎むようですから(ジサクジエンはトモカク・・・)、「やりとり」が「議論」になるかもしれないことを、僅かに期待しつつ、拝聴させていただきます。

>>961
 >「文献学的歴史は多分正しい、しかしけっして真ではない」というヘーゲル
 > の言葉を覆せますか?

俺様が「史料(文献・非文献・・)は史実が現代に残した痕跡である」述べたことと符合するね。
妄想解釈学ボクちゃんは、「何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られるそうです(>>419)」などと、おれ様の説を勝手にでっちあげるが、とんでもないことだ。

>>968
  >それなのに「史料から情報を抽出」して話が終わっている

「妄想ボクチャンのデッチ挙げ」と、「おれ様の実際の発言」を混同するなよ。

おれ様はそんな段階で「話を終わらせ」てはいないからな。

たとえばおれ様の>>169

 > 代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという作業にあ
 >る。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の科学水準に応じて
 >「万人に共通の結果」がでる。

 > 歴史学で「説」を立てるためには、「情報」の隙間をうめる「推測」「仮説」や、こう
 >して得られた「情報」に対して「解釈」を加えることが欠かせないから、誰やらが「歴
 >史学」に対して貼っている「解釈学」とやらのレッテルを否定はしないけどね。

俺様は「基礎・土台・根幹」と述べておるのだな、これが。

研究者が自説を提示するためには、これらの「基礎・土台・根幹」を踏まえた
つぎなるステップを要するのは、歴史研究者にとっては自明なこと。
970猫電波:02/05/11 14:56
哲学板にも立ってた。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1021088467/l50

科学なんてない、ただ解決されるべき問題があるだけだ。

971世界@名無史さん:02/05/11 15:09
電波ウナギは人文科学のオレ定義を述べてから偉そうなことをヌカセ!!
972世界@名無史さん:02/05/11 19:56
>>969
君はかなしい男だねえ。「すなわち歴史学は科学である」と自分で書いているのもわからないとはねえ。
973972:02/05/11 19:59
いずれにせよ、一般史家=ウナギでないことを祈るのみ。
974世界@名無史さん:02/05/11 20:09
そもそも史料から話が始まっている自体、終わってる。
975世界@名無史さん:02/05/11 20:10
猫電波が戻ってきた。
976世界@名無史さん:02/05/11 20:14
>>169>>969
>すなわち歴史学は科学である、といえる。

これだけは削除してコピペとは・・・恥ずかしすぎるぞ。
977世界@名無史さん:02/05/11 20:17
>「史料(文献・非文献・・)は史実が現代に残した痕跡である

史実が史料を残しますか?
978世界@名無史さん:02/05/11 20:18
>>976
ワラタヨ
979世界@名無史さん:02/05/11 20:20
まずは「歴史」「歴史学」「科学」の定義をきちんとすべきでしょう。
980気になる:02/05/11 20:22
「けっして真ではないもの」が「科学」なんですか?
981世界@名無史さん:02/05/11 20:24
981
982世界@名無史さん:02/05/11 20:43
ウナギのインチキな書き込みが一番悪いが、それを相手しているおまえらも悪い。
983世界@名無史さん:02/05/11 20:46
歴史は科学じゃないっていうの!
984世界@名無史さん:02/05/11 20:47
このやろう
985世界@名無史さん:02/05/11 20:47
ヘーゲルに従えば歴史は科学ではない。
986ウナギの発言>>169より:02/05/11 20:49
>現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという
>作業にある。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の
>科学水準に応じて「万人に共通の結果」がでる。
>すなわち歴史学は科学である、といえる
987世界@名無史さん:02/05/11 20:50
まったく奇怪な論理。どうして「すなわち」なんていう言葉が使えるのか?
988世界@名無史さん:02/05/11 20:53
だいたい、ヘーゲルはウナギのいっているようなことはいっていない。
何が「符号する」だよ(ワラ
989世界@名無史さん:02/05/11 20:53
1000いきそう
990890:02/05/11 20:54
なんていっても、低脳ウナギによる「科学」の定義には「歴史学は科学」であるというトンデモ定義があるのですから。
電気ウナギならぬ電波ウナギですなあ。


991世界@名無史さん:02/05/11 20:55
アメリカ・イギリスでは「ヒストリー」は「ヒストリー」であって、「サイエンス」ではありません。
992世界@名無史さん:02/05/11 20:57
結論は「歴史は科学ではない」ということで。
993世界@名無史さん:02/05/11 20:58
993
994世界@名無史さん:02/05/11 20:59
大体最後のほうになると、書き込みが続くのが常だが
995復習:02/05/11 21:00
「歴史」とは「過去の事件」と「その叙述」の2つの意味がある。
996復習:02/05/11 21:01
このスレでは「科学」の意味はサイエンスというか、法則の発見の意味で使われた。
997復習:02/05/11 21:02
歴史に普遍的歴史法則の存在はない
998復習:02/05/11 21:02
歴史学は歴史を対象とする学問である
999復習:02/05/11 21:03
歴史は科学ではない
1000復習:02/05/11 21:03
歴史学も科学ではない
10011001
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