長篠合戦 武田の敗因

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54無名武将@お腹せっぷく
最近の説だと織田が武田の陣を攻撃。それを打ち破った武田勢が追撃を行った後,鉄砲に撃たれてしまった。その後鳶の巣山を落とした軍勢が背後に迫ってきたので穴山が反転迎撃しようとした時前線で戦っていた兵が逃げたと思い我先に逃げ総崩れに陥った。
>>53
自分のバカさを喧伝してでも、釣りたいのか?
>>54
まじ?
それはじめて聞いた。
ちょっと面白そうだね。
57無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 17:53
>>54
そうそう。
緒戦では武田側が圧倒的に優勢だったらしいよね。
各史料や文献をあわせていくと、長篠の戦いって、日数経過上に奇妙な
点があるそうだし。
58無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 17:56
>>54
誰の説?
ソースは
59無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:00
腹背に敵がおるならまず勝てまい
60YAMA♪:03/03/02 18:07
長篠合戦の両軍の被害ってどんくらいだったの?
武田が鉄砲で500騎ぐらいと聞いたけど…。
61無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:08
>>58
確か学研の雑誌だったが何に載っていたか忘れてしまった。
織田勢の攻撃で一日、その途中の戦闘で一日、そして鉄砲三弾撃ちで合計三日間の戦闘だった。ちなみに武田陣を攻撃した織田勢は
羽柴、丹羽、滝川、徳川の諸隊
>>60
>>8辺りのが一般的じゃないかな
63無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:16
>>61
ちなみに真ん中の一日は鉄砲射撃の良い条件を確保するための時間稼ぎ
穴山は別に悪いことをしたわけでもないのに避難にさらされ、裏切りの要因となった
64無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:28
なぜこんなに勝頼の評価はひどいのかな?
悲運の将じゃん。
生まれがあんなだから、生まれた当時から 呪われた子 って言われてたらしいし、
義信の政治劇で勝頼に対しての反発はさらに強くなったらしいし。
それを不安に感じた信玄も、実質の後継者は信勝にして、勝頼は陣代に留めてる。
甲陽軍艦には勝頼のことを いかにも物静かで奥深そう と書いてるらしい。
勝頼は信玄の負の遺産を受け継いだんだよ。信頼を回復するためにあんな無茶な
ことをしただけ。時間的余裕もなかったわけだし仕方ない
65YAMA♪:03/03/02 18:38
確かに長篠の敗北がなくても武田は滅ろんでたと思う。
時が経てば経つほど織田と武田の実力差は開いてしまうし…。
>>64
>なぜこんなに勝頼の評価はひどいのかな?
ごもっとも。武田の領域は勝頼の代にさらに増えている。信玄をあまりに名将と
もてはやすために勝頼が貶められている。
67無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:40
>>61
書き忘れがありました。二日目と三日目の間に鳶の巣山陥落、武田勢は退却を行うために現在組み合って戦っている織田勢を引き離すため一旦撃破しようとして鉄砲の的になってしまった。
68無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:45
ナガシノでの武田軍の充実ぶりを考えると十分に勝てた戦いだということが解る。
勝頼の突撃は無謀な策でもなんでもなく、当時の状況を考えればむしろ彼の名
将ぶりを伺える采配である。いくつかの不運が重なって敗れ去った。
なんだか抽象的になってるぞ
長篠三日大戦のことをもっと探ってみてよ
70無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:49
つまり勝頼馬鹿、信君神で良いよね。
71無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:52
勝頼の自画像…。
かっこ良くない?
戦上手でかっこいい…。天下を取ってもいいよなぁ。
72無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:53
>>69
一万五千という兵力があり、歴戦の猛将が顔を揃えている。
そして敵の城は陥落寸前で士気も上がりきっている。
この状況で尻尾をまいて逃げ出すというのは愚将のする行動じゃないのか?
73YAMA♪:03/03/02 18:53
てゆーか、信君って名将だったの?
7461:03/03/02 18:58
あと有名な話でみなさんご存じのことと思うけど連吾川の両岸の丘は織田勢側、武田勢側とも加工され巨大な堀上になっており、その間は鉄砲の射程距離内なので一旦崖をおりてしまった武田勢は逃げるのが非常に困難でした
ちょっと物珍しい新説が出てくると、すぐにそれが真実と思い込む
76無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:59
有史以来のバカ>>73
77無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 18:59
チョコレートとココアは親戚のようなもの。同じカカオ豆から作られる。厳密
に言えば、油分を絞って粉末にしたものがココアで、まるごと使えばチョコレ
ート。実は液状のチョコレート(ココア)の方が古くて、固形のチョコレート
はせいぜい140〜150年くらいの歴史しかない。昔はカカオ豆をすり潰して、水
やお湯で割って飲む「チョコレート」だけだった。でも、昔ながらのチョコを
試してみたことがあるけど、砂糖も入っていないから、とにかく苦くて飲めた
ものじゃなかった。嗜好品というよりは、むしろ薬だったらしい。有名なとこ
ろで、アステカのモンテスマ王は、そのチョコレートが大好きだったと伝えら
れている。精力剤というか、飲んで元気が出るものと考えられていて、王様や
貴族しか手に入らないものだったとか。それをヨーロッパに持ち帰ったのは、
アステカを滅ぼしたスペイン人、フェルナン・コルテスだった。だからヨーロ
ッパで最初にチョコレートが普及したのはスペイン。そして17世紀になって、
チョコレートに砂糖を入れるようになって、修道院を中心として徐々にヨーロ
ッパ中に普及し始めた。爆発的に人気になったのは、フランスが最初。マリア
・テレサも大好きだったらしいし、ナポレオンも遠征のときは必ず携行したら
しい。それでもチョコはずっと薬として扱われていて、嗜好品になったのは19
世紀になってからだった。日本人で最初にチョコレートを食べたのは、文献上
では、出島の外国人からチョコをもらった長崎の遊女、ということになってい
る。ただ支倉常長なら、どうもヨーロッパに渡った時に食べたらしい…のだけ
ど、残念ながら証拠がない。本当は、長崎の遊女や支倉常長が食べたチョコレ
ートというのは、時代的に液状のココアだったはず。では固形のチョコレート
を最初に食べたのは誰かというと、明治の元勲、岩倉具視。フランスに行った
時に「スズの紙に包んだおいしいモノを食べました」と書き残している。これ
が固形のチョコレートだった。
78無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:01
>>72
実際は一進一退の攻防だったようだ。
ぎりぎりのところで鉄砲有利の地形が勝頼に災いしたらしい。
5月18日 家康軍(8千)、信長軍(3万)長篠・設楽郷に到着。馬防柵を作る。
5月19日 勝頼、軍議を開く。
5月20日 勝頼、長篠城から清井田に進出。総勢4千の兵が鳶ヶ巣山に布陣。
5月21日 両軍、設楽ヶ原に布陣。午前6時、山県昌景隊が大久保忠世隊に攻撃。戦闘開始。

これが

5月18日 家康軍(8千)、信長軍(3万)長篠・設楽郷に到着。
5月19日 織田徳川、武田を攻撃するも敗退。武田は追撃を織田の鉄砲に阻まれる。
5月20日 総勢4千の兵が鳶ヶ巣山に布陣。
5月21日 鳶ヶ巣山を攻撃しようと転進した穴山をみて武田崩れる。総退却のために織田に突撃。

こうだというのか?>>54>>67を足すと、武田は2回も織田鉄砲に突撃ということになるが。。
やっぱりネタか?
>>72
なんでそんなレスがつくのは分からんが、敵の援軍が来てるんだぞ。
別にとっとと逃げるだけが策ではないが、結果として惨敗してる。
81無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:10
後の世で平和ボケしてる奴らが結果論いってもしゃーない
82無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:10
19日は羽柴や徳川たちの普通鉄砲隊
21日こそがこの合戦の本命前田、金森、佐々たちの旗本鉄砲隊
>>82
武田2度鉄砲戦で敗退ということは、武田は馬鹿じゃないのか?

一度なら状況が予想外だったという従来の説だが、
二度ということは、敵に一度当って、
性懲りもなくもう一度繰り返したってことだろ。
84無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:15
戦果があったものを一度で諦める方が馬鹿。
しかも二度目の突撃は、退却のためなら遊撃・かく乱でいいのに
大将がどんどん死ぬまで突撃したのか?
で、その作戦は大失敗で、追撃されて大損害ってか?

勝頼馬鹿すぎ説じゃないか。
>>84
戦果があったのは、織田徳川の突撃を防いだ時で、
その後の追撃は敵の鉄砲で阻まれたのなら、追撃は戦果にならない。
つまり戦果があったのを繰り返したとはいえない。
もっとも2度説の詳細が分からないとなんともいえないが
88無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:21
時間稼ぎの二十日の戦闘は武田の圧勝
十九日は織田勢の鉄砲は陣にこもっての攻撃ではなく武田陣を攻撃しての小規模な足留め程度の銃撃
>>88
なんのことだ?
二十日に敵の鳶ヶ巣山を再び奪い返して圧勝したということか?
貴方が思う長篠の戦いを自由にドゾー

5月18日
5月19日
5月20日
5月21日
>>88
つうか、十九日は武田陣を銃撃したんじゃなくて、
追撃してきた武田軍を銃撃で撃退したんだろ。>>54参照
92無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:32
>44
これらの合戦で守備側が勝利した理由はちゃんとある。

>1541年吉田郡山城の戦い(毛利対尼子)
途中で大内の援軍が到着して形勢逆転した。

>1543年月山富田城の戦い(尼子対大内・毛利)
吉川興経らの内応により、やはり形勢逆転した。攻撃側は退却に必死で
とても城攻めどころではなかった。

>1570年佐嘉城の戦い(竜造寺対大友)
篭城一辺倒ではなく、鍋島直茂の奇襲により総大将・大友親貞を討ち取る。
だから厳密な意味での篭城戦とは異なる。

これらは別に特殊な例というわけではない。篭城戦に関しては真田幸村が定義している
よう「援軍の期待できない状況下での篭城一辺倒は100%敗北」しかない。
つまり援軍(または内応)があったり、篭城しながらも機を見て出撃するような篭城戦
ならば、必ずしも守備側が負けるとは限らない。
例外とされている楠木正成の千早城の戦い(赤坂城は1度兵糧攻めで落ちている)も、
千早城自体への援軍はなかったものの、奇襲攻撃も交え敵を翻弄しつつ持ちこたえて
いる間に、に包囲側の本拠地である鎌倉が陥落し幕府が滅亡したのだから、厳密な意味での
「援軍なき篭城」ではない。
反対に援軍のない篭城では、小田原城、大阪城を含め、ほぼ確実に篭城側が負けている。
どんなに守備力の高い城でも、包囲側の持久力(補給線)が続く限り最後は兵糧攻めで
落ちることが明白だからである。大抵はその前に守備側の士気喪失で落ちるが。
93無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:32
改めて整理すると
19日織田勢、武田陣おびき出しのため攻撃、連吾川陣地設営中
20日連吾川陣地設営中のため時間稼ぎの織田勢武田勢と白兵戦、総崩れ武田軍圧勝
21日早朝までに鳶の巣山陥落、武田軍20日から戦闘中の織田勢を追い  散らして引き離すために突撃、旗本鉄砲隊の銃撃にさらされ苦戦
穴山勢迎撃のため反転、前線崩壊
94無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:39
>>92
結局何が言いたいの?
>>93
なるほど、纏まってきたが、
>>54で言う穴山が転進したから武田が崩れたんじゃなくて、
21日の段階で武田は総退却のための大突撃をして失敗し、
その後突然穴山が鳶ヶ巣山に転進したのを退却だと皆思って総崩れ
ってことか?
ちょっと混乱しすぎじゃないか?
いや>>95は読み違えたかな。

20日の戦果拡大のため、織田徳川を総退却させるために大突撃を
敢行したってことかな?
で、それがちょっと無理っぽい時に、穴山が転進して、武田大慌てってことか?
いわゆるミッドウェイ海戦って事だな
長篠城攻略か後詰の織田・徳川勢撃退か、目的が明確じゃなかったってこった
>>92
武田も篭城なり睨み合いなりをしつつチャンスを窺えってことだろ。
篭城しつつチャンスを掴みとった例は篭城戦でないと言うのは苦しすぎるぞ。
99無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 19:50
>>95
21日まだ真田、小幡の外様衆が前線で銃撃にさらされつつも踏んばっている時に鳶の巣山を落とした酒井勢などが長篠の奥平勢と合流して武田本隊の後方を遮断しようと迫ってきたのを迎え撃つために穴山を中心とした武田親類衆が反転、一陣の外様衆が我先に逃げ出し総崩れとなり
二陣の武田譜代衆が踏み止まって織田徳川の追撃を食い止め多数の犠牲を出しました。したがって譜代衆の連吾川から離れた地域での戦死が多かったようです。
5月18日 家康軍(8千)、信長軍(3万)長篠・設楽郷に到着。
5月19日 織田徳川が武田を攻撃するも敗退。武田は追撃を織田の鉄砲に阻まれる。
5月20日 織田徳川が武田攻撃するも大敗北。翌朝までに総勢4千の兵が鳶ヶ巣山に布陣。
5月21日 武田、織田を総攻撃するも鉄砲に阻まれる。
鳶ヶ巣山を攻撃しようと転進した穴山をみて武田崩れる。
総退却のために織田に突撃。>>67

こうか?
>>100の場合は、3回も鉄砲にやられたってことになるのか?
102無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 20:04
鳶ヶ巣山別働隊の目的は、一説によると連合軍本隊を手薄にするための
信長の策略だったらしい。つまりそのままだと連合軍兵力は40000以上も
あるので、いくら強気の勝頼でも出てこない可能性がある。
それで勝頼をおびき出すために、わざと兵力を分散させて本隊を狙いやすく
したそうな。
もっとも、かなり怪しげな説ではあるが。
103無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 20:18
5月18日 家康軍(8千)、信長軍(3万)長篠・設楽郷に到着。
5月19日 織田徳川が武田を攻撃するも敗退。武田は追撃を織田の鉄砲に阻まれる。
5月20日 織田徳川が武田攻撃するも大敗北。翌朝までに総勢4千の兵が鳶ヶ巣山に布陣。
5月21日 武田鳶の巣山陥落を受けて退却決断、総退却のために織田に突撃総攻撃するも鉄砲に阻まれる。
鳶ヶ巣山から武田本隊攻撃しようと転進した酒井、佐久間を穴山が反転迎撃武田崩れる。
>>103
なるほど、纏まってきたね。
あとは考証かな。
しかし従来像とかなり違うな。。
孫子より
臆病は勇猛より生まれる

少し調子に乗りすぎたとかか?
とりあえず>>97に同意
上手く表現できなくてスマソ。
106無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 20:28
ソースは?
いや、総退却のための総突撃なら、
関ヶ原の島津みたいに高評価されてもおかしくないと思うよ。
尤も大失敗なので駄目駄目かもしれないけど、
従来の"自信過剰&状況認識不足"よりはマシかもしれない。
300人の撤退とは規模が違うので、融通が利かなかったか?
109無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 20:59
従来の織田の一方的勝利でありながら織田に戦死者が多い理由は
二十日の織田の大敗北で説明がつく。また鉄砲の数は諸隊総数が三千で
本戦で主力になった旗本鉄砲隊のみで一千
110無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:01
>>107
大失敗??
勝頼は無事に甲斐に帰り着いたが?
島津と比べてどこが駄目というのかね?
島津なんてほぼ全滅だろ?
111無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:04
>>110
重鎮がほとんど戦死。
>>110
いや、島津と比べて失敗といってるんじゃなくて、
作戦が失敗だったということ。
武田の目的が勝頼だけを落ち延びさせるのなら達成ともいえるが、
そうだったのかね。
損害の多くは追撃時だったというのが従来から変わらないなら、
作戦は大失敗だったとしかいえない。
113無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:09
>>111
島津も島津豊久・阿多盛淳が戦死しとる。
114無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:13
>>112
21日の最終局面の作戦は勝頼の無事撤退が目的だろ。
損害の多くが撤退時というのは、長篠だけじゃなく当時の戦全般の常識。
命がけで敵を食い止めなくてはならないので戦死者が多く出るのは当然。
何か問題でも?
2千で10万近いを敵を相手にして退却したのと、
1万そこそこで、3万から退却するのを一緒にしても・・・

そもそも、関ヶ原の島津とは全然状況が違うし。
>>114
ほぅ、、ならば>>103は"総退却のために織田に突撃総攻撃"ではなく
"勝頼を落ち延びさせるために織田に突撃総攻撃"となるな。
つまり既に武田はそこまで追い詰められていたってことになる。

名将とは退却戦も上手いもの。
しかし総大将一人を落としてよかったなどと喜ぶ武田は既に死亡寸前だったということ。
これもまた従来の説とは異なるな。
117無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:18
>>113
島津家の、島津豊久・阿多盛淳と、
武田家の、馬場、内藤、山県、真田では
批准が違う
118郭図公則 ◆2getuRmEIU :03/03/02 21:22
なあ、どの文献を元にして議論してるんだ?
>>115
いや、島津は300程度だよ。家康の目の前を通った時点では。
東軍も他の部隊の追撃に全力を上げていて10万ではない。
120無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:24
>>116
全く逆。
滅亡寸前なら勝頼一人落ち延びても仕方ない。
犠牲を払っても勝頼を落ち延びさせる理由は武田にまだ力が残ってた証拠。
121無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:26
うむ。
長篠の後、武田滅亡まで7年ほどかかってるな。
鳶ヶ巣山を取られた時点で退却を決断したというのは、
従来よりましな勝頼説。そのための突撃もわからなくもない。

それを総退却ではなく勝頼落とし作戦というのなら、
武田の軍容も従来より悪くなり、退却決断も遅かったとしかいえない。
つまり勝頼擁護などにはならない。

ついでに言うと、2度鉄砲遭遇説も、従来より勝頼の評価を落とすことになる。
贔屓の引き倒しみたいだ。
123無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:28
>>117
批准?意味がわからないが。
>>120
つまり、そこまで追い詰められたあとの決断なら、評価にならない。

しかし、総退却のため、損害を少なくするための突撃なら、
それは失敗したとはいえ、いろいろ擁護もできる。
>>120
死亡寸前とは長篠の武田軍のこと。
武田自体の滅亡ということではない。
126無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:31
>>122
信長の戦術プランが、武田を退却に追い込むことだったとしたら。
遭遇戦での戦果はどうでもよく、追撃戦に的をしぼった布陣を最初から布いていたとしたら。
127無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:35
>116
>名将とは退却戦も上手いもの。
>しかし総大将一人を落としてよかったなどと喜ぶ武田は既に死亡寸前だったということ。

馬場、内藤、山県らの突撃は、勝頼を逃がすためというより勝頼に対する
あてつけの意味が強い。元々老臣達は出撃に反対だったが(さすがに3倍差の
兵力では勝てると思う方がおかしい)、側近らにおだてられた勝頼が出撃を決定
した時点で、敗北そして武田家の滅亡まで予測できたに違いない。
だから生き延びても次がないと覚悟し(>8でもあるが兵の補充ができないので)、
せめて自分の死を以って勝頼の戦略ミスを非難すべく(あるいは勝頼の出撃を
止められなかった事を信玄に詫びる意味で)、敢えて死に場所を求めたような気がする。
一種の諫死だな。
>>126
追撃戦の効果のことを言っているのではない。
鳶ヶ巣山を取られた時点での勝頼の決断は、
従来よりもましだったのか、それとも遅すぎだったのかということ。

総退却を意図したものなら、つまり意図するだけの余裕があり、
勝頼の決断は早かった=有能ということ。
しかし大将を落ち延びさせるだけしか出来ない状況だったら
その決断も遅かった=無能ということ。

それほど武田軍が追い詰められていたというなら、
前日の勝利なども実にむなしく、やはり織田の手の上で踊っていたということになる。
129無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:37
>>122
当時は鉄砲の能力はあまり高く評価されていない。
19日の戦闘は陣地戦でなく鉄砲の効果はあまりなかった。
20日は天候が悪く織田も白兵戦を挑んだため大損害をだす。
21日はついに馬防柵の登場と統率の最もよくとれた旗本鉄砲隊
の威力が発揮され、初めて鉄砲が大戦果をあげた。
結局、20日の勝利の分だけ、従来よりはましな勝頼ってことか。
とりあえず考証も少しは欲しいな。
のんびり進めましょう。
131無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:43
age
132無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:46
武田勝頼は総大将。自らの意思で長篠にやってきた。
島津は一武将。西軍の駒のひとつに過ぎない。

大違い。
133無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 21:47
前日までの戦では織田徳川を圧倒していた筈が、
気が付けば包囲陣の中に追い込まれていたのは武田軍であった。
信玄以来の老臣たちは死を賭しても勝頼を甲斐に逃がそうと悲壮な決断をした。

武田軍はほとんど被害もないまま(むしろ勝利を重ねていた)「詰み」の状況に追
い込まれていたのであり、これは勝頼や老臣達が油断していたというより、信長の
戦術が彼らより上手だったにすぎない。
信長は桶狭間においても、勝利を重ねていたはずの今川義元を、一瞬のタイミン
グで地獄に落としている。
ぎりぎりのところまで刃を隠しで見せないのが信長という男のやりかたである。

戦力を残しながらも退却を決断した勝頼と、身を張って彼の命を護りきった老臣達
は奮闘したと言える。
134無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 22:11
評価としては納得できる気もしますが、
やはり考証はほしいですね。
135無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 22:13
スレタイにあわせて結論をいうと、
敵軍に後方への機動を許したのが敗因ってことですか?
136 :03/03/02 22:20
つーか騎馬隊て何?そんな物あったのか?
137無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 22:23
織田徳川方としては、武田方を追い返すのに十分な戦力があった
だが、ここで武田方に壊滅的な打撃を与えておきたいという信長の戦略が
有ったのではないか?
緒戦での敗退は武田方を勢いづかせ、戦いに誘い込む策略で
138無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 22:50
老臣たちが勝頼へのあてつけに突撃していったというのは従来の小説等
の影響を受けすぎじゃないかな。
両軍合わせて5万を超える軍勢なわけで、とにかくこれだけの大会戦は
日本史上なかったことでしょう。それは兵たちもわかっていたと思う。
それに天下統一へひたすら膨張し続ける信長を、ここで食い止めねば、
いずれこれ以上の大軍と戦うかもしれない、といった意識は武田軍の、
ほぼ全員にあったと思うのですが。だから意志の不統一という従来の
話は考えにくいような気もします。あくまでも個人的な意見ですけど。

最後の撤退のための突撃は、死に場所を求めた決死の戦いというよりも、
それまでの武田軍の軍法にのっとった、あくまでも戦術上の一策だった
のではないでしょうか。
ただそれが、天候が味方しなかったこと、つまり予想以上の鉄砲の威力
に完全に目算が狂ったということでは?

単に、鳶ヶ巣山を取られたことで、この戦いは信長・家康連合軍の勝利
が決定したということでしょう。突撃による大損害や、穴山隊への勘違い
による敗走がなくとも、倍以上の大軍相手に損害なしに撤退するなど、
ほとんど不可能だったでしょうから。

この説が新事実とすれば、長篠合戦の勝敗を決めたポイントは鳶ヶ巣山
にあったといえるような気もしますが、いかがでしょうか。
>>132
勝頼の一存でそう行動できるもんではない
140武田信玄大好き:03/03/02 23:07
>>85
というか霧が深くて前線の様子がわからず、味方が有利に展開中と誤認
した部隊がどんどこ突撃。鉄砲の硝煙でよけいわからなくなる。
俺ら勝ってるっぽくない?オッケー手柄立てようぜ!わあわあ
そして空掘と馬防柵&土塁にはばまれ潰滅状態。
という説がある。
名和弓雄「長篠・設楽原合戦の真実」て本だよ。糞本って言ってた人もいたから
たいした説じゃないのかな?
141無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 23:09
>>140
とんでもな内容じゃないか
>>140
それであなたはいつコテハンをおやめになられるのでしょうか?
143無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 23:32
このスレおもろい。
もっと話し合ってくれ。
144武田信玄大好き:03/03/02 23:37
やめないでいいじゃん。
別に貴方方も、「何が武田信玄大好きだよw」で済ませてください。
>>144
何が武田信玄大好きだよw
この包茎野郎w
146無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 00:51
>>129
その説はなんという資料が元になっているのかな?
147無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 00:57
つまりは、比較的冷静な判断ができたのは穴山一人だけ?
穴山は最後野垂れ死にしたのと武田を裏切ったことで
ずいぶん損してるよな。
ゲームでも凡人だし
149無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 01:21
>>145
その説はなんという資料が元になっているのかな?
>>149
日本人男性の7割は仮性という説かな
真性は一割らしいよ
152無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 02:17
織田徳川と書きこみが多いが正しくは
徳川(主戦)織田(加勢)
153無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 02:32
義信が東光寺でしぼーんしたからだろ!
義信生きてたら勝ってたと思いたい
しぼーんってのは始めて見た。
なぜか大爆笑した。
155無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 03:07
どいつもこいつも無知ばかりだな(藁
従来の小説、俗説の影響を受けすぎている
藤本正行「信長の戦国軍事学」、鈴木真哉「鉄砲と日本人」
でも読め。
「家臣の殉死」、「騎馬隊対足軽鉄砲隊」、「勝頼の独断専行」
など、君たちが力説していることは簡単に一蹴されてるよ
詳しく述べると長くなるから長篠合戦の真相について簡単に言うと、
@信長・勝頼は直前まで合戦回避を望んでいた→陣地を構築し、持久戦を想定
A勝頼が織田軍を攻撃したのは長篠城の包囲を解かれたから→挟み撃ちになり、
攻撃するしか手段がなかった
B武田軍は鉄砲・弓の援護射撃の元、陣地に篭る織田軍を攻撃
 →騎馬兵も下馬して、ほとんど歩兵中心の編成
C織田軍は鉄砲だけでなく弓も多用した→鉄砲の命中精度は低く、それほど
 信頼せれていなかった
D「家臣の殉死」の記述が載っているのは信玄マンセーの『甲陽軍鑑』。
  それに殉死という発想自体が儒教思想が広まった江戸時代のもの。
  当時の主従関係などドライそのもの。主は自分達を守ってくれさえすれば
  誰でも良かった。当時の人々の思想については藤木久志の著作に詳しい。
  それに戦国大名は何処(織田は除く)も合議制。主の一念で戦のような重大事が決定できるか
  疑問。
  

156無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 03:14
信長の戦術で鉄砲の三段構えは、鎌倉時代以来の昔からの横矢を
踏襲したもので、矢を鉄砲に変えたアイデアはすごいけど
当時の鉄砲は殺傷能力は弱く、効果だ無かった。
だから武田軍は徳川軍より織田軍側を攻めて一時的に圧倒したが
側面からの徳川軍の槍を主体とした部隊に一方的にやられ背走。
このまま甲斐に攻めていけば、武田はこの時点で滅亡してたかも
知れないが、家康・秀吉・利家が信長に攻めようと進言しても、
「疲れたから休みたい」とか言って帰った。
結局、武田が滅びるのに7年かかる事になる。
信長の失敗は歴然。
結局お前も本の受け売りでしかないわけか
トンデモ学者信仰者の学力はすごいね(w
158155:03/03/03 03:53
>>157俺と156は別人。
一緒にするな。

159155:03/03/03 03:55
>>157
じゃあ、あなたの「オリジナルな」考えを教えてください(藁
>>155
A攻撃するしかなくなったとしても、真正面に仕掛けたのはなぜ?
 包囲を解いたのは武田だし、また後ろが薄いんなら後ろを開こうとするのでは?
C命中精度は鉄砲が上なのでは? ついでに殺傷能力も上なのでは?
D殉死じゃなくて諫死・あてつけの一種って上に出てるんだけど、、、
>>156
失敗ということは、そのまま甲斐を攻めれば
7年も時間かけるよりも効果的だったということだとなるが、
全体的にみてそう判断したの?
藤本氏の説はある程度の評価を受けてるが
それがそのまま真実ではないんだが…

注目されてる新説なんですよ?論の構築を理解してなく受け売りだけで偉そうにいうのも珍しい
ドライそのものといえば、ドライなんだけど、
実は戦国時代に最も重視されるのは
1に社稷、2に名誉、3に勇気、4に忠義、5に武士道ってとこでしょ。
武田のためじゃなくて名誉のために死んだってのが先の諫死なんじゃない?
つまり、止めたのにやはり負けた、俺は死んで証明するって気持ち。
社稷は国だったなw
社稷じゃなくて、家。
165155:03/03/03 04:28
>>160
A自分もよく分からない。以下は自分の想像だが、
(1)武田軍は奇襲を受けて混乱した。
(2)そして、よく分からない長篠城救援部隊を
  攻撃するよりも前方の敵を攻撃することを第一目標
  とした。

C銃の命中精度は1800年代になっても3パーセント前後。そう
 高いとはいえない。弓の方は資料が残っていないから不明。
 殺傷能力は勿論鉄砲の方が上だが、1590年になっても鉄砲・弓矢
 優劣論争があったくらいだから両者の間には大差がなかったと思う
D諌死自体が儒教思想の影響を受けている証左。
 平手の自殺も諌死ではないことは有名。
 第一、有力家臣には養うべき者がたくさんいるはずだから
 むざむざ死に行くとは考えにくい。
 諌死・あてつけ説は武田軍が攻撃した理由がよく分からないから
 できた説だと思う。辻褄を合わせるように。
166無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 04:36
>>165
1800年代ワラタ
軍事技術が江戸時代、いかに停滞していたかが分かるよね
167155:03/03/03 04:37
>163
実は戦国時代に最も重視されるのは
1に社稷、2に名誉、3に勇気、4に忠義、5に武士道ってとこでしょ。
武田のためじゃなくて名誉のために死んだってのが先の諫死なんじゃない?
つまり、止めたのにやはり負けた、俺は死んで証明するって気持ち。


何を根拠に言っているんですか?新渡戸稲造の『武士道』の影響
丸受けの文章ですね(藁
それにあなたは「家」を一番重視するものにしていますよね、
「家」を守る主が自分の「名誉」のために
「家」の一族郎党を巻きぞえにして玉砕するものですか?
>>165
優劣論争があったなどと言っても、実際に文献上の死傷率を
だしたら鉄砲傷がうなぎのぼりだったってことを出されると、どう答えるの?
優劣論争は費用対効果と伝統の問題じゃないの?
169155:03/03/03 04:41
>166
1800年代の銃の命中精度は外国の最新式のライフルのデータです。
どの戦役のものかは忘れましたが、既述の鈴木氏の著作に
載ってました。あと、軍事板に行けばそのへんの事情に精通
している人がいると思うので、聞いてみてください。
170無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 04:44
             ∩
        ∧_∧   | |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       (  ´Д`)//  < 先生!こんなのを発見シマスタ!
      /       /    |
     / /|    /      \  http://saitama.gasuki.com/hiroyuki/
  __| | .|    |         \
  \   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     \_____________
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171155:03/03/03 04:46
>168
戦傷を研究した鈴木氏によると、
全体の負傷数に占める鉄砲出現以前の飛び道具による負傷数
と鉄砲出現後の飛び道具による負傷数(鉄砲含)は大差は
なかったそうです。
>>167
確かに武士道は軽く目を通したが、戦国時代のモラルじゃないだろ。
だから最後に持ってきた。

家が一番大事なのは間違いないだろ。それがドライの根拠。
しかし次には名誉や勇気が問題視され、時にはこれが優先される。
また名誉や勇気は無償ではなく、それは家として恩恵を受ける。
だから外様大名の方が譜代よりも頑張ったりする時もある。

家ごと玉砕すると家を失い、それは最も情けない行為だとされるけど、
しかし戦場で死ぬことは家を失うことではありませんよ。
むしろ盛り立てることも多い。
>>171
その比較は、飛び道具と近接攻撃の比較でしょ。
174無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 04:49
結局は20日の戦闘の結果が武田勢に決定的不利をもたらしたのだろ。
天候が悪く接近戦になり勝利の結果織田陣まで肉薄してしまった。
敵の目前からので引こうとする武田勢に織田勢が陣から出て攻撃それを押し戻した所を鉄砲で狙われる。これを何度か繰り返すうちに兵力を消耗し、ジリ貧だと感じた心ある武田の名将たちが見方の退却を成功させるため自らを犠牲にすることを決断。突撃アボーン
>>169
最新式が最も命中精度が高いとは限らないよ。
撃鉄でガチッて発火するやつは火縄銃より命中精度が低いと幕末に文句言われてる。
ガチッと衝撃があるのと、直接火をつけるのは違うから、精度も違うだろうしね。
>>167
ついでに言うと、名誉も、個人の名誉だけではなく、家の名誉もある。
つか家存続が一番でないとするなら、なにが一番だと思うのですか?
武士の一所懸命の思想=家存続と、後世の武士道こそ乖離してますよ。
家というのは自分の家ね。武田の臣すべてが武田の家をってことじゃないよ。
177155:03/03/03 05:09
>>173
失礼。間違えた。数じゃなくて%だった。
飛び道具の負傷数の%が鉄砲の出現前後
で大差がないことを考えれば、鉄砲の威力など
大した事が無かった証拠だろ。
命中精度が高かったならば、飛び道具による負傷率も
上がるはず。
>172

家ごと玉砕すると家を失い、それは最も情けない行為だとされるけど、
しかし戦場で死ぬことは家を失うことではありませんよ。
むしろ盛り立てることも多い。


確かにあなたが言うように、「家」の主を戦で失ったあとに遺族が
主君から何らかの援助を受けた場合はありました。
しかし、死んだ人間はそれが目的で戦死する場合は少ない
と思う。
また、武田家の場合重臣そろって討ち死にです。そうすれば、
武田家の屋台骨が揺らぐことになります。
そして、弱体化した武田家から遺族は何らかの援助を受けられるでしょうか?
一族を盛り立てる為の名誉の討ち死が、かえって一族を苦しめる
ことになりかねません


178155:03/03/03 05:13
>176
戦国武将が自分の「家の存続」を第一
にしていたことには同意。
179155:03/03/03 05:16
落ちます。
返答は明日以後
>>177
だから、それは間接攻撃と近接攻撃の比率でしょ。
実際に弓傷より鉄砲傷が増加しているなら、
鉄砲が弓より優れていた&優先されたってことでしょ。
>>155は鉄砲と弓の比較のはず。

もしも間接攻撃と直接攻撃の違いを言いたいなら>>155では
>織田軍は弓鉄砲だけでなく槍刀も多用した→弓鉄砲の命中精度は低く、
>それほど信頼せれていなかった
となるはず。しかし鈴木だか誰かが言うように、ほとんど(70%くらいか)は
間接攻撃で死傷させているんだから、これもおかしくなる。

鉄砲が命中精度だけではなく、弓並みの連射能力の運用幅を持ってからこそ
飛び道具による死傷比率自体も上がるんじゃない?
もともと「ほとんどが飛び道具の%」を押し上げるのには、弓がそのまま
命中精度を上げることになるでしょ。それも70→80だけでも凄すぎる。
>>155は命中精度じゃなくて、鉄砲の効果自体と置き換えたいんじゃないかな?
>>177
>一族を盛り立てる為の名誉の討ち死が、かえって一族を苦しめる
>ことになりかねません

家と名誉と勇気などは、すごく利害関係があるでしょ。
単に家の存続だけの行動をしても、それだけでは家のためにならない。
尤もそのために家を失う羽目になると恥だと思うので、難しいところだと思うけど。

立派っぽく死んだ人を、あれは無償の忠義だ=忠義は江戸時代だ=だからオカシイ、
という考えこそ忠義を無償化させている江戸期の考えなんじゃないかな?
忠義や勇気や名誉に付随するメリットのための死だと思えば、おかしくないと思うよ。
つうか無理して死ぬ人は、これがほとんどなんじゃないかな?

国家のためでも、家のためでも、個人のためでもないとしたら、
単に作戦遂行上の戦死だったということになるが、結局その作戦の意図が不明だし。
182大一大万大吉:03/03/03 06:49
155あたりからやっとマトモな話になってきた感じ。

結局明暗を分けたのは「戦争の大家信長」と「いくさの名人勝頼」の格の違いから
だろう。

当時鉄砲は兵器として信頼性が薄く、また絶対数足らなかったと思う(長篠におけ
る3000丁と言う数は眉唾らしい)
実際主力となり得たのは秀吉時代以降からとか。

信長は鉄砲を試作兵器として長篠で用いたに過ぎず、よく言われる「鉄砲対騎馬」
とか、もしくは「鉄砲の有効距離」云々を勝因敗因のネタとして持ち出し論じ合う
はもはやナンセンスだろう。

信長はほんの短期間で戦場に「砦」とも言える規模の陣地を構築し、野戦決戦の
そぶりを見せながら、その実は武田軍に対し「攻城戦」をさせたのだと思う。

「野戦陣地構築」と言う発想は画期的であり、これを可能たらしめた織田軍は当時
「戦争」が出来た日本唯一の最強戦闘集団だったと言える。
旧態依然の「いくさ」しか知らない勝頼の常識を遥かに凌駕するモノだったのでは
ないか。

徹底防御体勢にして、かつ倍する敵を相手に勝てるはずがない。信長は時代を超え
た天才であり、この点勝頼は不運だったと言える。

勝頼の敗因の大まかな理由として、まあこう考えるが一番無理がないと思う。
いつもの結論ならつまらんだろ。
ソース無しの話のソースを待った方が面白そうだ。
>>182
>155あたりからやっとマトモな話になってきた感じ。

そうか?
>>155が上げてる「家臣の殉死」、「騎馬隊対足軽鉄砲隊」、「勝頼の独断専行」
なんてこのスレでは力説してるヤツはほとんどいないし、不当に相手を貶めてるとしか思えない、
不用意に反感買ってるだけでは?

言ってることについてはさほど目新しくもないし概ね同意するけど、
     /;;;γ'⌒゙ヽ、
 ハニャーン!! /     ヽ
 ハニャーン!!   ◎   l ))
   。∧∧、      /,.;
 (( と(>O<ll);ヾ、__, /彡・,
   ゚・ し'"γ'⌒;ヽ、`ミ゚;`'.
    /,;;;;;;;'/     ヽ;'∵‘
 (( i;;;;;;;;;;i  ◎  ゙i ;'
    ヾ;;;;;;;,ヽ、   ノ
     `ー--=ニ-ー'
>>185
サンシャインみたいだな
187無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 12:15
>>186
地獄のローラーか?
評論としては良いが、もっと文献をもとに語って欲しい。
188156:03/03/03 12:15
155さん心配しなくてもトンデモ扱いされているのは私でしょう。
しかし、何を根拠にトンデモなのか指摘して下さい。
一応、ソースは
「日本外史」「東遷基業」「徳川実記」
なんですが、これもトンデモと言われたら....
189無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 12:19
鉄砲の命中率と殺傷力が低いといってる香具師は痛いな。
近年行われた種子島の射撃実験しらんのか・・・

もちろん鉄砲が長篠の勝因と主張するわけではない。
190無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 13:24
>>189
長島の勝因はなんだろう
メイクミラクル
192無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 14:22
>>188
中国の歴史教科書では秦檜がいまだに叩かれてるし、
韓国の歴史教科書では義兵がソウルに大挙侵攻したと書いてある。

感情的な記述は信用しないに限るよ
193無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 17:39
鉄砲についてだけど、長篠以前の鉄砲の使い道ってのは、それで敵軍を
直接打撃するのを目的とするのでなくて、相手をびびらせ、士気を落とす
ことにあったのでは?
それが長篠における信長が、その鉄砲を数多く用いることによって、前者
の直接打撃の方法として使ったってことじゃないの?
まあ、実際に効果があったのかどうかはわからないけど、このときはじめて
鉄砲が会戦における主要武器として認知されたということじゃないのかな。
       ミンナナカヨクシャザイシル〜♪
                  ∧ ∧
ダッコシナイト謝罪ト賠償ヲ(ry (<,`∀´,>)     (⌒⌒)ファビョーソ!
    ∧ ∧___       ヽ   ノ     ∧|l|∧
   <#`Д´> /\    ⊂   ⊃   (''<`Д´#/'')ニダー!!ダッコシル!!!
 /| ̄∪∪ ̄|\/       ̄      ヽ    ノ
   |  しぃ   |/       ∧_∧     と   i゙~
    ̄ ̄ ̄ ̄        (; ´Д`;)       ヽ,)
     ∧ ∧         (  >1 )    ∧ ∧
    <*`∀´>チョパーリハダッコシル!, |   <`∀´*>ウエー、ハッハッハ!
    ノ つつ        (_Y_)   (|   |)
  〜(   ノ                 と   )~
    し'`J     ∧ ∧            `J
           <,,  ('')ウリナラマンセー!
           (|    ノ     ∧∧
          〜(   |     <´  ,,>誇ラシイデスネ、サ、サ、サ
            U"U      (__〜
>156さん

>「日本外史」「東遷基業」「徳川実記」

「東遷基業」はともかく、他の二つはアテにならないホンですよ・・

「日本外史」・・話を面白くするために捏造を平気でやるので有名。
上杉謙信の漢詩など、創作が混じっている。また戦国関係の史料は
作者が余りよく集められなかったらしく、妙な記述が多い。
私が読んだ中では、雑賀三緘(さいがみからみ=雑賀の三つの惣村の連合)
を雑賀三緘(さいがさんかん)という人物名だと勘違いしている
記述があった。

「徳川実記」・・編纂が遅すぎる。

>信長の戦術で鉄砲の三段構え

この「三段構え」という話が最近疑問視されています。
196無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 17:57
倍の兵力で臨みながら緒戦でことごとく敗れてるのはなぜ?
もちろん総兵力の比率がそっくりそのまま戦場に反映されるとは思ってない
けど、有利なのは間違いないだろうし。
197無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 18:25
武田に腰を据えさせる罠・・・とまではいかんが、緒戦で下手に勝負をかけて
勝つにしろ負けるにしろ、そこそこの戦果で撤退されてはもともこもない、と考
えたのは確かだろう>信長
198YAMA♪:03/03/03 19:04
質問良いですか。
合戦時の武田の鉄砲は何丁ぐらいだったの?
1000丁ぐらい?
199:03/03/03 19:20
長篠合戦に至までの経路について…
自分は時間が武田に味方せず、時間が経つほど国力差が開いていくと判断したからだと思う。
織田の国力の基盤は商業で、武田の経済基盤は農業と鉱業にあったという認識は間違いないと思う。
商業の成長が累乗的なのに対して農業は領土の拡大の比例でしか増加しない。
累乗と比例は時間の経過とともに増加率は開いていくその結果が織田と武田の国力差となっていったのだと思う。
200禰公 ◆GcmBTMA7rc :03/03/03 20:06
200
201無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 20:30
勝頼ははめられたんだ
長篠で武田が敗れたとか言ってる奴は厨!
長篠後も武田は遠江、東美濃で蠢いてますが何か?
203無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 20:35

山県は鉄砲で死んだんだよね
204無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 20:43
>>202
(゚Д゚)ハァ?
ショウガクセイハモウネロ!
205無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 20:50
>>202
翌年に北条領へ進入してるけど
氏政が鉄砲を前面に並べたら撤退したらしい
長篠で勝頼は精神的に敗れたのでは?
これいこう高天神城攻めのような
積極性が見れなくなる
206無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 20:59
ジェフリー・パーカーによると、ヨーロッパ人が銃の装填しなおし時間を
短縮することに努力を重ねたのにたいして、日本人は命中精度をあげることに
専念した。
一概に欧州と比較できないように思う
207無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 21:10
武田はゲリラ戦法
騎馬隊は荷物運び
これ常識
>>205
というより積極的に行動できるだけの戦力がないんだろう。
なんつーか,新しい説が出てきたから議論してるのに,
「どいつもこいつも無知ばかりだな(藁 」
と,いままでの説のソースだされてもなぁ
210無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 21:24
もりあがってるねえ。
現地に行ってみたけど長篠は小山が連なる土地で長篠城も
川と山に挟まれた小城。
設楽が原はかなり平野で本当は設楽が原合戦というべきかもしれない。
211無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 21:39
この時期勝頼が出陣したのはなぜ?
212無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 21:41
徳川家臣大賀弥四郎の内通
213205:03/03/03 21:43
ごめん勘違い
このころ氏政と勝頼は同盟中だったね
このスレで話されている

19日、20日目は武田の勝ち
21日に織田が逆転勝ち

というこの説の載ってた本はなんてやつなのですか?
誰が唱えてるのですか?


今、読んできた限りでは
>>54>>57が、学研かなんかの本に書いてあったようなと
言っただけで、ここまで来てるみたいなんで。

知ってる人は教えください。
215無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 21:46
歴史群像NO.50
歴史群像・・・・?


燃やせそんなモン
学研は「Megamiマガジン」しか認めん!!

学研は「Megamiマガジン」しか認めん!!
>214
それは隠し玉だろう
219214:03/03/03 23:05
>>215
さんくす
220 :03/03/04 10:05
スレタイ通りに敗因を挙げるとすれば
やっぱり鳶の巣山の砦が落とされた
というのが敗因じゃないかな。
挟み撃ちにされたら撤退を考えるのは
正しいことなんだろうし。
但し、織田・徳川も黙って返すはずもなく
撤退時の損害がヒドイんじゃないかな。

川を挟んでの対峙なので、相手を上手く動かすこと
ができれば接戦に持ち込むことは可能でしょう。
勝頼もかなり柵などを作っていることだし、そういう
意図があったとは思う。
まぁこれはこっちの脳内での勝手な妄想だけど。


221無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 15:18
あらすじ旧
鳶ノ巣山陥落により不利な状況となったのにもかかわらず、バカ勝頼は
重臣たちの反対を押し切って無謀にも鉄砲に突撃敗退。穴山はそんな
勝頼に愛想を尽かし戦場離脱、残された武田勢は苦戦に陥って損害が
増大した。
あらすじ新
織田勢と優勢に戦闘中の武田は鳶ノ巣山陥落により危機的状況に陥た。
これを見た勝頼は総退却を決断、織田はこの機を逃すまいと攻勢にでる
武田勢は突撃しこれを粉砕するも柵内よりの鉄砲攻撃により損害を出す
再び引こうとする武田に織田勢は執拗にくいさがり、これを振払うべく
再度突撃、以降無限ループ。時間が無為に過ぎてしまいついに背後に
鳶ノ巣山攻略隊が迫り退路遮断の危機に陥った。味方を助けるべく
信玄取り立ての重臣たちは無理な突撃をかけ自ら犠牲にして他の味方を
敵から引き離そうとする。穴山は退路を確保すべく反転、
鳶ノ巣山攻略隊を打ち破り血路切り開き武田勢はかろうじて全滅を免れた
222無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 15:25
結論
勝頼、穴山、山県たちみんな良く頑張った。
三倍の敵に包囲される危機に陥りながら損害を一万にとどめ
逆に六千の敵を葬り織田徳川に武田の恐ろしさを認識させた
戦術で大勢が決まる事はまれ
戦略が一番大事
224無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 15:55
>>221
あらすじ新のほうが泣ける話になってるな。
225無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 17:40
とすると論点は鳶の巣山砦の攻防戦に移るわけか。
たしか一条信龍に一千の兵で守らせてたんだっけ?
山城型の砦を落とすってのはけっこう大変な話だよね。
高天神城の例もあるし。まあ、あれほど堅固でないとしても。
武田方の守備に抜かりがあったのか、はたまた徳川・織田方
の攻略がすばらしかったからか。
もしくはもともとポイントと考えられていなかったのか?
どんなものでしょう。
226無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 17:53
巣山砦守備隊は浪人中心の一千人。
対する織田徳川連合軍は四千人。
数の上では守備側の武田勢の善戦が期待できるが
武田勢鉄砲100に対して織田500徳川300合計800で
その火力比8:1が勝敗を決したのではないだろうか。
227無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 19:18
武田の敗因はそもそも長篠を攻略しようとしたことか?
今日もいそいそ嘘はき嘘はき
229無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 19:20
猪木 「ハローゴッチさん!
 で どんな顔ぶれの大物レスラーをよこしてくれますか?」
ゴッチ 「それが………
 いいかイノキ冷静にきけよ。
 誰ひとりきみの新日本プロレスに参加するのをオーケーしない。
 テレビ中継もない新団体では不安だ。
 それに新日本プロレスにあがったら最後、
 もう二度と日本プロレスによんでもらえんという」
猪木 「ウ〜〜〜ヌ!!
 日本プロレスのワル幹部どもが
 アメリカのレスラーたちに手をまわし圧力をかけたな!」
ゴッチ 「どうやらそのようだが
 感情的になったら負けだぞイノキ。
 新日本プロレスの旗あげ興行は立派にやれるッ!
 一人の超大物レスラーが日本へ行き、きみと戦うからな!」
猪木 「エッ……そ その超大物とは!?」
ゴッチ 「わたしだよ。
 それともカール・ゴッチは超大物ではないかな?」
猪木 「ゴ……ゴッチさん!(涙)」
230無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 19:47
一条信龍の刀は庄内藩の所有になり
深夜零時半に警報装置を鳴らします
>>225
一条信龍じゃなかったはず。
守ってたのは武田信実。
232無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 22:22

イ ソ ッ プ 
233無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 22:41
>>231
そだそだ
思い出した
ちょっとうろ覚えだったのでスマソ
234無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 23:27
&縄無理之助とか浪人さん
235無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 01:25
>>225
兵力四倍火力七倍で攻められたら持たんだろうね。
確認されてるだけでも砦は四つあるが、1000を四つにわけたら
250ずつ。一つずつ落としたらあっという間だろう。
250では砦を出て戦える数ではないし。

>>227
信長が来たことだろう。
あるいは、謙信が春日山にいたこと。
236無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 01:32
>>235
長篠城は何倍の兵力の攻撃に何日耐えた?
言ってみろ。あ〜ん?
きっとそれほど堅固には作られていなかったんだろうね
238無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 02:19
>>236
崖端城と比べるとは頭が悪すぎるな。たかだか砦なんだぞw
239無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 02:35
鳶の巣山がそれほど堅固な砦ではないとすると、
やはり武田軍の戦略に問題があったことになるのかな。
あるいは長篠城を落とすのに、思いのほか時間がかかった
ということだろうか。
城と倍以上の大軍を相手に戦うなど、やはり無理だったのでは。
信玄なら、信長軍来援の報を聞いたとたんに兵を退いていた
かもしれない。
となると結局、勝頼の判断ミスということに戻ってしまうのか。
240無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 02:42
>>238
人を貶す前にまず質問に答えろ。
できないお前は所詮負け犬。
>>236

>>235じゃないが
500と15000で60日だろ?
こんなつまらん質問する前にさっさと数字出せば済む事だろうに
器の小さい奴だね
だいたい、いきなり飛び出てきてなんでけんか腰なんだか
弱い犬ほどよく吠えるって奴ですか(w
243無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 03:42
今日もいそいそ嘘はき嘘はき
244無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 04:29
長篠城に篭った人数に関する確たる史料などないけどね。
せいぜい数百だろってところだ。

>>241
60日はやりすぎだw
4月21日には包囲しているが南下して家康を挑発したりと忙しく、
結局本格的な攻撃は5月8日から。5月18日には信長が現れた
わけだから、持ち堪えたのは11日間ということになるかな。
245無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 04:34
>>239
信玄なら、というか、一旦引いても次に勝てるだけの態勢を
整えられる保証は全く無いんだけどね。信長の動員力を考えれば。
だからその場で決戦に臨むというのも選択肢として間違いとも
言えないだろう。
明確な判断ミス、どう考えてもダメダメってんなら、重臣も同意せず
勝頼がいくら吼えても軍勢は動かせない。
246無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 07:44
濃いスレですな・・

>>44

遅レスだが、小田原城攻防戦(上杉vs北条)のやつもあれも援助ありだったね。
氏康が信玄に頼んで、兵糧とか送ってくれって頼んでたし、信玄も要請に応じてたし。
まあ、氏康の外交作戦が成功したと言うことになるのだろうか・・。
ただ小田原城は地改修しまくって、かなり堅い城にしてもいただろうが・・
248 :03/03/05 10:15
長篠城を落とさないことはむしろ作戦だったんじゃないか。
信長を引っ張り出すための。

美濃の砦(18城だったかな)を攻略したのも信長を後詰め
に出させて戦うつもりだったという見方もできるし。
で、ようやく長篠の時に信長が出てきたわけだが、既に
信長のほうはうるさい長島が片付いていたので、そこに
割いていた人数もことらに回せたのであの兵力差になった。

勝頼としてはこれ以上決戦が遅くなると不利になるだけなので
イチかバチかという面もあったと思う。
但し負けないように地形を利用して最大限の工夫はしたのでは。
柵や鉄砲よけの竹束も作ったようだしね。
でも鳶ノ巣山が攻略され挟み撃ちになってしまうために退却する
しかなかったという気がする。

で、長篠城が武田方のものになっていた場合は信長も家康も
出てこないという読みはあったと思う。
249scipio:03/03/05 10:34
信長方の鉄砲の三段撃ちに破れ去ったんじゃないんですか?
学校ではそうないましたが?
>>248
単に攻めあぐねたんだろ
>>248
長篠城の縄張りと、当時の攻城戦の実態を鑑みれば、攻めあぐんでいたのがわかる。

そもそも城を築く場合、防衛に有利となるように敵方の(自軍を上回るであろう)戦力展開
を制限させ、戦闘に可能な領域を限定させる設計とするのはあたりまえ。
二本の川の合流地点に築かれているから、一度見ればよくわかるはず。

城攻めは野戦と異なり、>>241にあるような単なる数の勝負とはいい難い。
だいいち、武田軍一万五千とひとくちにいっても、総がかりで城を攻められるわけでは
ないし、実質的に城攻めを行ったのは馬場と内藤らの上州勢のみで、これでは総兵力は
五千にも達しないはず(温存していたとも聞くが)

城兵は通説では五百人らしいけど、それよりも鉄砲の数が二百前後ほどもあったらしく、
これはかなり脅威。
この戦いに先んじて、長篠城は家康によってかなりの改築がなされ、防衛に際して火器の
威力を十二分に発揮できる設計がとられていた。
252無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 11:35
>>251
その鉄砲の数が事実とすれば、佐久間隊、酒井隊、奥平隊併せて千梃
の鉄砲かすごいな。
前方には前田たちの千梃があるわけだし、挟み撃ちにあったらひとたまりもないね。
金ヶ崎退き陣の秀吉勢も五百人で鉄砲五百だから、信長は重点と思える
所に惜し気もなく鉄砲を投入してくるね
253248:03/03/05 12:03
>>251
攻めあぐねたのは確かだと思う。相手も必死だろうし。
ただ、長篠城の攻略目的での動員にしては多すぎる
というように思えてしまうのと、仮に目的がそれだと
したら全兵力を(一気にではなく)投入していないのが
どうも腑に落ちなくて。

例えば2時間交代で延々攻めつづけ篭城側を疲労で
動けなくするとかというようなことも可能なわけで。
ちょっと篭城したことがないので城兵の心理状態等が
わからないから(殺されるとなった時はその状態でも
頑張れるものなのかもしれない)上手くできるかは
わからないが。
武田軍全部がDQNとは思えないし。

>ちょっと篭城したことがないので

ワラタ。ちょっとじゃねぇだろ。
255無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 14:21
徳川勢の迂回部隊は酒井忠次以下およそ三〇〇〇には東三河衆の大半が顔を揃えており、
織田勢から鉄砲数百を携える金森長近以下一〇〇〇余りを加勢されていた。
彼らはまず長篠城南の鳶ケ巣山に拠る武田信実、三枝守友らおよそ一〇〇〇を打ち破り、
信実、守友は敗死する。
迂回部隊はさらに呼応した長篠城に籠城してきた奥平貞昌以下およそ五〇〇とともに
長篠城西側に陣する小山田昌行、甘利信康、高坂昌澄、跡部勝資、室賀信俊ら二〇〇〇と
激戦を繰り広げている。城の包囲に必要な兵力を考えると、彼らも長篠城攻囲の一翼で
あるとみなすべきだろう。
後詰戦の肝としての長篠城解囲戦は、籠城勢を含めた徳川・織田勢およそ四五〇〇と、
長篠城包囲の武田勢およそ三〇〇〇の思いのほか大規模な戦闘であり、深溝松平の当主
松平伊忠が討死するなど東三河衆にとっても相応の覚悟を持った強襲であることが伺える。
一方、武田勢包囲部隊も武田勢全軍の包囲が完成するのを阻止すべく必死に抗戦し、
甘利信康(甘利虎泰の子)、高坂昌澄(高坂昌信のの子)らがさらに討死している。

なお小山田昌行は小山田信茂とは違う譜代衆(でも恐らく同族)で信濃国尼飾城代に在り、
信濃国高遠城へ仁科盛信の救援に加わり討死した猛将である。
256厨房:03/03/05 14:53
あの、宝川合戦についてはどうなんですか?
織田&徳川の迂回部隊ばかり話にでますが、あいつらだって頑張った
ではないですか。
>ちょっと篭城したことがないので
じゃあ、野戦や城攻めは経験したのかよと言ってみるだけ
258無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 15:00
このスレによって長篠合戦の全貌が見えてきたな。

織田徳川の目的はあくまで包囲の完成であって、
数と鉄砲を頼みにした正面決戦ではなかったようだな。
鉄砲を揃えて大規模な野戦陣地を築いたのも、包囲を強固にするための策であると。
長篠城に大量の鉄砲を配備していたことからも伺えるな。

さて、武田方が、織田徳川の包囲作戦を察知したタイミングであるが、

1.早い段階に察知していたが、攻防を繰り広げた結果、不利な体勢に追い込まれてしまった。
2.鳶ケ巣山を取られるまで、織田徳川方の意図に気がつかず、みすみす包囲を許してしまった。

どちらなんでしょうな。
どちらにせよ従来の「鉄砲の待ち受ける堅陣に突撃した間抜けな勝頼」像は壊れますね。
259無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 15:05
>>256
三河戦物語って不確かな資料なんでしょ?
まあ、あってもおかしくない戦いだけど、武田方の戦略として重要視されてたか
どうかは不明。戦を有利に導くために講じた策のひとつ、って感じでは。
260:03/03/05 15:26
自分は長篠城はわざと生かしておいたと思う。
経済力で劣る武田は信長を討つ(もしくは大打撃を与える。)必要があった。
長篠後も勝頼は大井川をたびたび渡って家康と対峙してるけど決戦には至ってない。
やはり信長を待ってたと思う。
勝頼はホームラン狙いの大振りばかりしてチームに迷惑がられる4番?
262248:03/03/05 15:59
>>257
刀や槍まではなかったけど野戦の経験なら若いころに
一応あるといえばある

鳶ノ巣山は写真でしか見たことはないが、とても4千人で
攻めに行けるようなところには見えなかった。
学校の遠足でも行けないかもしれない。
砦守備は千人で足りると判断しても変ではないと思う。
そういうところに大人数を投入してしまうほうが何枚も
上手なだけなのかも。
263無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 16:22
>>262
つまり勝頼が劣っていたのではなくて信長が天才だっただけ。
264無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 17:45
長篠城をわざと生かしたってのはどうかなあ
新田次郎の小説に影響されてないか?
ただ、結果的に信長が出てきたことによって、
あわよくば、という気持ちはあったとは思う。
無敵の武田軍だけに、いくら多勢とはいえ、
新興勢力の信長に負けるとは思わなかった
だろうし。
265無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 19:56
負けると思わなかったというのは言い過ぎだろ。
あわよくば信長に一泡ふかせてやれる、もし手ごわい相手なら頃合を見計らって
退却すればいいか、くらいに考えていたのではなかろうか。
それがあんなことになるなんて・・・
いや過信してたんじゃないの?
勝頼はそれまで連戦連勝だし。
そこで諌めきれない老臣も無能
だね。
でも勝頼ひとりが盲信していたわけじゃない。
信長の快進撃については、桶狭間のまぐれあたり、みたいな
印象が、まわりの大名に強かったんじゃないかな。
だから本気で戦えば、兵力は少なくても、勝てると考えては
いたんじゃないかとオレも思う。
悪くても、川中島のように引き分けぐらいとか。
軍神上杉謙信と、名人戦といってもいい戦いを経験している
武田軍団が、出来星大名の信長を軽視するのも無理からぬ
ことだと思う。
信長出陣を聞いたときに、信玄なら兵を退いていたとオレも
思う。
それでも信長が信州まで追いかけてくれば、勝って知ったる
山あいの土地だし、山岳戦、ゲリラ戦みたいにして、さんざん
な目にあわせることも可能だっただろう。
もっとも武田が兵を退いたら、信長も深追いなんかしないと
は思うけどね。
まあそのへんが信玄、信長と勝頼の違いだろうか。
268267:03/03/05 22:29
勝って知ったる→勝手知ったる
269無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 22:47
信長は謙信と違って本気だった。
270無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 22:54
謙信は信長と違って呑気だった。
漏れ達は徳川に勝ってる(三方ヶ原、高天神など)。
織田は徳川より弱い。

武田>徳川>織田というのはあったと思う。(同じくらいの数で)

ただ、数が違いすぎるので
勝てるとまでは思ってなかったんじゃないかな。


ところで、
相手側の数をどのくらい正確に把握していたんだろうか?
>>271
何を基準に徳川>織田と判断したんだ。
三河兵>尾張兵だとしても、信長>>>>>>家康だと思うが。
三河の小大名にすぎない家康より信長を軽みることはないだろう。
273無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 01:43
>>267
信玄は基本的に敵より多い兵を揃えようとするが、信長相手には
それは絶対不可能だからね。
274無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 02:31
他の大名との連携如何によっては可能
275無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 03:35
毛利や長宗我部と共同してももう無理ぽ
276無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 04:53
武田家の経済力が貧困だったというのはかなり怪しいらしい。
甲斐にはかなりの京の物品が入ってきたらしい。
ソース『武田勝頼と新府城』

>>260 わざと生かしておいてメリットはないだろ。
   ただ甲斐に攻め入る余力がなかっただけ。
>273 敵より常に多くの兵を集めるのは信玄に
    限ったことでない。軍人の常識。敵より多くの兵
    を集めたら優位に立つのは馬鹿でも分かる。
     
   織田軍の戦術
   謀略で敵誘降→付け城を作る・敵城を鹿垣などで包囲
   →敵城兵疲弊→敵降伏
   ソース『信長公記』
   これが当時オーソドックスな城攻めの方法だろう。
   
   
277無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 06:12
>>276
問題は相対的に信長には全く敵わんということだろう。
278無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 07:33
尾張兵は弱兵で有名だったと聞く。
浅井朝倉を破った姉川の合戦も数で勝る尾張兵は押され気味だったっていうし
強靭で忠義モノの三河兵>>>>>尾張兵ぐらいの差はある。

騎馬隊の事を知り尽くした武田家老臣達が
馬防柵を築き、多数の鉄砲を構える織田徳川連合軍に
正面から突撃する愚に気付かないはずが無い事はよく語られてるね。
武田の老臣達は死に場所を求めて突撃したって言うがどうやら違うようだ。
将兵の士気低下を抑えるため長篠の合戦に敗れて敗走してきた武田勝頼に装束を着せ、
まるで勝ち戦から帰還し凱旋を行っているかのように仕立てたのは高坂昌信だっけ?
279無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 08:09
>>278
>将兵の士気低下を抑えるため長篠の合戦に敗れて敗走してきた武田勝頼に装束を着せ、
>まるで勝ち戦から帰還し凱旋を行っているかのように仕立てたのは高坂昌信だっけ?

そう。自分の息子も討死しているのに偉いよ。
280無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 10:22
>>278
印象だけで強い弱いを決め付けないように。
姉川でも織田軍はきっちりと浅井を破ってる。
浅井は織田の本陣を脅かすことはできなかった。
281無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 10:44
>280
だってあれだけ兵力差があるわけで・・

尾張兵が弱いていうのは、当時の言説だから、事実の一端をつかんでいるのでは?
例えば太平洋戦争では、日本軍の大阪出身の師団は弱くて有名だった。
(儲からないことに命懸けるみたいな文化がないから)
反対に強くかったのは熊本とか、東北とか、純朴な田舎の人。
282無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 10:50
熊本は弱かったぞ。
ノモンハン、ニューギニア、フィリピン。負けてばかり
、『また負けたか8聯隊、それでは勲章9聯隊』
2849連隊:03/03/06 11:06
>282
そなの? 熊本第六師団は旧軍最強じゃなかったの?

日露の時も、東京下町の職人とかは塹壕からわざと足を出して、
「撃ってくれ撃ってくれ」と敵に頼んでたとか。
弾を食らえば後方に送って貰えるし、座り仕事系の職人は両手さえ動けば
足がなくても生きていける、という、命>足、という計算があったそう。
285無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 11:31
旧軍は板違い
286無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:17
まだ、武田騎馬隊という創作上のものを持ち出している香具師がいるスレですか?
287無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:34
>>281
兵力に差のない戦いのほうが稀少だと思うが。
そもそも兵が強い弱いというのは主観でしかないわけだろ。
客観的な情報というものは誰がどう戦ってどう勝利したか、または敗北したかということ。
総合的な大名の強さ、軍隊の強さというものはそれでしか推測できないはずである。

姉川で敗北したのは浅井。
長篠で敗北したのは武田。
以上は純然たる事実。
これをもって織田より武田や浅井のほうが強いなどと主張するのは、判官贔屓で言って
るのでないならば、いわゆる現実と空想の区別のついてない妄言の類であろう。
288無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:38
武田軍は道に迷って帰れなかったんだよ

そこにおだ軍が現われたから道を教えてもらおうとして慌てて近づいたんだ

そうとは知らない織田軍はビックリして殺しちゃったんだ
289無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:41
↑それは違う戦いだろ。
>>287
勝敗で兵の強弱を判断すると矛盾が生じるぞ。
要は尾張兵は弱兵だった。
が、巨大な経済力を作り上げ
大量の兵、武具を揃える事の出来た信長軍は他を圧倒したって事でいいのかな?
292無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:02
>>290
兵の強弱を論じているわけではない。
戦争の強弱を論じているのだ。
兵の強弱論にいったいどんな意義があるんだ?
また兵の強弱の証明は、主観によるものしか不可能だろうといってるのだが。
>>292
当時の兵の強弱の比較が話題になっているんじゃないの?
294無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:43
>>287
姉川も長篠も結果を分けた最大の要因は兵力差。
極論しちまえば、どっちも別働隊の活躍で勝ったようなものだし。
要は正面で敵軍を受けとめつつ、横腹を突く余剰兵力があったから勝った。
兵卒の強弱とは全く無関係。むしろ、その過程において織田軍が兵力差の
割に犠牲が大きかったとか、陣形を突き崩されたとかっていう純然たる事実
から客観的に判断して、尾張兵が弱いと判断されていると思われ。
ていうか、弱兵じゃなきゃ、長篠でも陣地に篭ったりしねーだろw
>292
>兵の強弱論にいったいどんな意義があるんだ?

自分の兵隊のほうが強いと思ってたら、
多少戦力差があっても、うまく戦えば勝てると判断することもある。

ということで、兵質の話をしてるんだけど。
(何で、勝頼が兵を引かなかったのかの理由としてね。)

つーか、お前さんがえらく力説してるのはやった後の結果に基づいた話だろ。

そうじゃなくて、勝頼とかが「戦争前に」どう感じていたのかを話してるわけ。




297無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:51
>>294
川中島みたいなものだね
298無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:57
>>297
川中島はかなり事実関係が曖昧でなんとも・・・
299無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:58
基礎知識なさすぎ
300無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 18:05
301以降は299が基礎知識を披露するスレとなります
301無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 18:06
兵の強さってのは、やっぱりそれまでにその大名が
積み重ねた実績から推定していたんだろうね、当時は。

だからたとえば朝倉教景、宗滴の越前兵とか、長尾為景、景虎の越後兵
武田信虎、晴信の甲州兵ってのは、噂にものぼるだろう。
そういう噂を耳にしていれば、敵方も引き腰になる可能性もあるだろうし、
実際、三方原でいちはやく逃げ出した織田軍なんかは、士気が低い
というか、そういう意味では弱いといえるかも。
ただ、長篠に関しては、武田方の方に、敵をあなどる気持ちがあったかもね。
鳶ヶ巣への奇襲と牛久保への奇襲のそれぞれの成否が明暗を分けたっつーことですか?
基礎知識
上杉謙信:聖将
武田信玄:忍人
織田信長:天魔
豊臣秀吉:猿
徳川家康:狸

でいいっすか?
>>303
それでよければそれでどうぞ。
305無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 18:28
姉川も突破されたのか引き入れたのか最近では微妙に定説が
揺れてるしねぇ。

武田は自分の方が強兵と思ってた、くらいでいいんじゃないかな。
戦の強さ=宣伝効果

つまり中央を治めた大名や
情報収集 伝達が優れたいた大名が
適当な情報をばらまいた

長篠合戦の勝敗なんて関係なく
戦った事実があれば
情報操作でどうにでもなる。
>>306
それでよければそれでどうぞ。
>>306
ならば中央を押さえていた尾張兵が弱兵と言われるはずがない。
309無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 20:29
尾張は強兵です
長い槍を振り回せたので、強兵です
310無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 20:55
勝ち戦の長篠でさえ6000人も逃げ出す弱兵を使っている信長は根気強いよ。
>>309
訓練を積んだ上での事。
種子島の重さといい、当時では当たり前。
312無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 21:48
それぞれの主観から色んな憶測・推理・考察が生まれていて
なかなか為になる+考えさせられる。
とても良いスレの臭いがしますゾ!
どんどん熱く語ってくれ!!
313無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 22:08
でも、こうしてつぶさに見ていくと、やはり信長のすごさが
よくわかるね。
こうして見ていくと長篠の戦いでは、どうも武田方の勝機が
見つからないような気もするんだけど、どうだろう。
まあ、数のうえで圧倒的不利なんだから仕方ないんだろうけど。
314waiwai:03/03/06 22:09
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数に差をつけた事が信長勝利の大きな要因にはなってるね。
あとは何だろ、天候か?
兵に差がついたのは信玄亡き後、巨大なカリスマがいなくなった武田家に対し
地方の武田方の豪族達は離反しだしていたと思われ。
逆に、信長が先に死んで信玄が生きていれば
織田家の方が大きなカリスマを失い、やばかったんじゃないか?
寿命は大事だからね。。
しかし信玄は信長より長生きしたんだから、
信長程度に勢力を大成長させるべきだったといわれるかもしれないけど。。
>>315
信玄が生きてる頃から兵力的には
信長>>信玄なのよ。
318無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 23:49
>>316
長尾と朝倉の差だと思われ
319無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 23:51
>>315
信長が信玄より先に死んでいたら・・・。
IFの世界は大きく広がるねw
兵力的に劣勢でも北条を押し込んでいる罠
321 :03/03/07 00:02
関ヶ原の合戦までの戦場での死因のランキング知っていますか?
一位は投げ石ですよ 投げ石。 武田軍はきっと投げ石の物量作戦で
壊滅したに違いない
322無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 00:04
しかし、最強騎馬軍団とは言うものの、騎馬隊だからが強かったのかな?
>>322
馬が手に入りやすいってことは、今で言うとエンジンの大量生産だから、
輸送や畑仕事など色々使えるだろうし、輸出もできるかも。。

実際は信玄の軍が神出鬼没で長足などと恐れられたから、
それ繋がりの勇名なんじゃないかな?
東海一の弓取りとかと同じようなもんだと思う。
324無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 00:45
信長と勝頼という二人の男が死力を尽くして戦い、結果信長が勝利した。

これ以上語ることはあるのかね?
325無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 01:29
兵質の話なんてナンセンス。
トンデモ説に過ぎない。
大体当時の戦で兵質の差が問われる白兵戦なんて
ほとんど稀。
大概、鉄砲弓矢の撃ち合いで勝負が着いた。
その証拠に当時の軍は敵が白兵戦を挑んでくると簡単に敗走した。
『信長公記』を読むと、そういう場面がよく登場する
326 :03/03/07 01:36
馬は多かったが騎馬隊という編成はなかったんじゃないかと。
設楽原の戦場も田園地帯なので騎馬での突撃は無理そう。
両軍間の連吾川も農業用水路のような川だけどそれでも
かなりの障害になるでしょう。

戦場の北側と南側に道があるので馬を使うならばそのルート
だと思うが、そこに兵力を集中されたらひとたまりもない。
武田方がそういう地形を利用して戦いたかったのだろうが
挟まれることになりそんなこと言ってる場合じゃなくなったのでは。
>>323石油
>>325
>その証拠に当時の軍は敵が白兵戦を挑んでくると簡単に敗走した。

この一文は逆に兵質の差を現してるんじゃないかな?
双方同じ戦闘能力だとして、片方は弓鉄砲、しかし片方は突撃してきた、
突撃されたほうは敗走するってことなら、兵質の差といえると思うが。
他のは同意だが、この一文は意味不明。
329無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 01:45
>>325
キミの書き込みがそもそもナンセ(ry
>>327
マグサはどこでも生産できるだろ。
石油みたいに限定されているわけではない。
331無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 01:55
>>325
誰も証明したことがなく、勝敗にも影響もしない「兵質」なんていう架空の評価項目を、
まるで当然のように主張する人って、ゲーム厨っていうか、言説をまともに信じちゃう
純情君といいうか・・・

だいたい兵の質って何よ。
武器や防具によっても変わってくるだろうし。
丸裸の時の能力か?戦場で相撲でもとるのか?
ボブサップがいくら強くても種子島持った俺相手ならタイマンでも負けるだろ。
332無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 02:04
武器防具で優っていても寡兵に押されまくる尾張兵
相当のヘタレ軍団だったんだねw
>>331
種子島持った331>>>>>>>>>>ボブサップ
兵の質ってのは、総合的な能力だろう。
軍の規律や法・訓練や経験・忠誠心や敵愾心・個人の能力などなど、
指導者によって一変するのは良くある話じゃん。
>>325は人間そのものは違わないって言ってるんだろうから、
それはこの場合は間違っていないとは思うけど。
331は種子島の打ち方がわからず、弾丸命中以前にサップにボコられるに違いない




これが現実
そこらの飼い犬には負けない自信はあるが
訓練された犬には普通の人は勝てない。これが質。

そこらの小型犬には勝てる自信があるが、
でかくて獰猛な犬には勝てると思えない。これも質。

同じ装備をしてもプロには勝てるとは思えない。
昔の人の我慢強さや忍耐力は凄いと思う。
公家のボンボンより武家や百姓の方が個々には強そうだ。
しかし尾張と甲斐の違いは知らない。
ボブサップに「殺すぞ!」と睨まれたら、腰が抜けそうです。
338無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 02:29
>>334
じゃあ、総合的に見て、武田軍に勝った織田軍は兵の質でも上ってことで良いですね!
>>338
兵数や装備や指導者が違うなら、比較は難しいだろう。
その比較を考慮しないのか?
ただ織田厨だったようで・・・
341無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 02:45
そもそもスレタイからしてなあ・・・

織田の勝因:数が多かったこと
武田の敗因:数が少なかったこと

に集約されそうだけどなー結局。
立場が逆で武田軍が織田軍の三倍だったら陣城も抜かれてあぼーんでしょ。
だが数の少ないほうが陣地を固める相手に攻め込んで勝てる道理がない。

勝頼はそもそも信長が来るとは思ってなかったんじゃないかな。
勝頼が出陣した頃には信長は三好と戦ってたような気がするし。
信長が西にいる間に三河を固めようと思ったんでしょう。
だが実際信長が出てきてしまった以上、何もしないで引き返すってわけにも
いかなかったんだろうて。
確かに、信長自身が来とは思ってなかったからこそ、
実際に来たのを見て、あいつさえ殺せばって思ったのかも知れないな。
343無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 02:56
>>339
兵数や装備や指導者ってのは違うのが普通じゃないのですか?
他にも、年齢や、お腹の空き具合や、体調や、いろんなものが変わってくると思います!
公平に比較した例などあるんですか?そういう統計などがあったら是非教えてください!
あそこで簡単に帰ると、信長VS勝頼で勝頼の負けって言われそうだな。
そんなの気にしないって程には、勝頼の指導力は確立していなかったのか、
それとも本気で一発逆転を狙ったのか。。

同じように惨敗したけど勇名となったという家康との違いは何だろうか。
まぁ徳川は後で大成功してるしなぁ。。。
そういう条件で有利のはずの織田軍が白兵戦で弱かったという事実
>>343
何を知りたいのか分からんが、勝ち負けを質だけで決めても仕方あるまい。
似たようなのは国力と労働者に見出せるんじゃないかな?

労働基準が一定の国際会社などで、各国の労働者の質などはよく出てくる。
また、生産力最強の米国が、労働者の質も世界一だとは限らない。
質というものはあるし、質だけで勝敗が決まるというものでもないでしょ。
347無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:03
>>341
にしても倍の敵勢を撃退するには策がなさすぎたってことだろ
新説好きの勝頼厨がいくら擁護してもここは覆らないと思うが
348無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:08
信玄死後の戦略的外交的失敗が長篠の敗北へと導いたのです

と、外交官風に言ってみる信玄餅。
そーいえば、新説の話はどうなったんだ?
350無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:13
>>346
だからその質を判断した根拠を教えて欲しいのです!
アメリカ労働者と日本労働者の質の違いというのは我々は見聞きして知ってますし、
生産力はともかく、その質の違いが製品の質の違いなど、形として確認できるわけです。
それと同じでおよそ400年前の大名それぞれの兵の質の違いを確認する方法を教えて
いただきたいのです!
351無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:15
そーいえば、諏訪四郎は正当な後継ではないんじゃなかった?
たしか孫だっけ。
352無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:19
>>350
適当な「資料」が要るだろうねぇ…
>>350
俺は、質というものはある、質というものはこんなものだろうとは言ったが、
地域それぞれに質の違いが見出せるなどとは言ってない。つまり知らない。

質の違いを出したいなら、装備や指導者の数値を仮定して、
マンチェスターの法則でも利用して逆算していったらどうかな?
まぁそれで数値が出ても過程の積み重ねの話でしかなくなるが。

つまり、どこどこの戦争の結果はこうだから、装備の係数はこう、指導者は無視など、
その他色々数値化して、それでも逆算値と違う場合、兵質という数値を加えて
なんとか法則に沿わせる。こんなこと頑張ってみてよ。
354無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:24
じゃあ二度と「織田は弱兵、武田は強兵」などというそのへらず口は叩くな。
355無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:26
>>350
ああ、現代の労働者の質というのは勤務状況などでも判断するんじゃないかな?
http://book.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1046764511/l50
このおっさんに聞いてみるとか。
356353や355:03/03/07 03:30
>>354
それは、そんなことを言っている人へレスつけないと、返事は来ないぞ。
その人は某かの根拠を持っているかもしれないので、一人で結論つけるなよ。。
357348-351-352:03/03/07 03:34
∧_∧   
( ´・ω・) 宇治茶が入りましたよ。マタ-リしる!
( つ旦O 旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
と_)_)

荒れそうな時は、レス番付けて自分の言に責任もとうや…
358無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:35
結論:兵士数・装備・指揮能力・作戦などに比べれば、兵の地域差などは、勝ち負けにはほとんど影響ナシ。

あきらかに兵質で強いな〜っていえるのは一向一揆のみ!!
>>358
確かに、信仰心を持ってると強いかも。連帯感もあるし。
360無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:41
一向一揆なんてそれこそ数と飛び道具を頼みに押しまくってるだけだろ(プ
尾張裕福論や村社会に縛られない傭兵多用論が尾張弱兵のもとネタなのかな?
362無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:47
>>347
策はあったと思うよ。勝頼にも。
例えば本隊を前面に押し出して睨み合いながら長篠城を落とし、
持久戦に持ち込む。その間に本願寺あたりを動かす。
で、退却に移る信長を追撃するとかね。
だがまあ、兵で勝るのは信長だから、どうにも信長に主導権を握られて
しまうが。それは擁護できるとかできないとかじゃなく、
どうにもならんことだと思うがね。
363無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:47
>>353
ランチェスターの公式だと思う。
364無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:49
>>361
尾張は甲斐や信濃に比べて耕地面積も広いし交通の便も良いし
裕福なのは確かだろうけどね・・・
それが兵の強弱と関係有るかといえば、ほとんど無いだろうね。

傭兵多用論なんてのは与太話だし。
織田が毛利に行けば、こちらが出て行く
織田がこっちにくれば、毛利に頑張ってもらう・・・

しかし信玄時代の織田包囲が瓦解して結局織田が大成長したんだから、
やっぱり自分の手で何とかしたいと思ったのだろうか。。
366無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:51
>>365
毛利の明確な敵対は翌年からじゃないかな
367無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:52
でぶ信玄のつけを払わされた悲運の将>バカ頼
368無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:53
>>367
それはそれで言い掛りだな。
369無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:54
基本的に兵質はあったと思うが
摂津や大和の兵はヘタレで相手が少しでも強いと思えば
すぐ崩壊して離散したと言う話もあるし

薩摩や甲斐、越後の兵は強いだろう
370無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:55
>>369
信忠が攻め込んだらあっという間に崩壊した甲斐信濃の兵なわけだが・・・
>>364
国民所得が違うと戦争意欲も違ってくるというのはあると思うけど、
それと尾張甲斐の違いというのは関係ないだろうね。。
関係あるなら尾張兵は戦争反対を叫びそうなものだけど、
それとは逆に織田の中核として戦争しまくったんだからね。
372無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 03:59
>>371
戦争反対なんて観念はなかったんじゃないかなあw
兵質は、風評も大きかったんじゃないかな?

「越後兵は強い!怖い!何するか分からない!!」
なーんて風評を流して、色々活用すると。

不良の喧嘩でも「あっちのグループは強い!怖い!」って聞こえてきたら
ちょっと萎縮したり譲歩しそうだ。。
意外と「尾張弱兵 甲斐強兵」なんてのは信玄が作った風評だったりして。
374無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:02
>>370
もう勝頼に忠誠を誓おうと思う農民兵も豪族もほとんどいなかったんだろう
ひたすら出兵を繰り返していたため、相当な重税や兵役をかけていたようだから
375無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:02
戦争反対と言えば、『妙法寺記』などによればむしろ甲斐の人間たちの
方が言ってたいたな。「年に二度も戦に行くなんてやってられない」ってね。
ツライのは戦そのものではなく兵器・食料・戦費の負担。
だから豊かな国の方が戦争をたくさんできるわけだな。
>>372
確かに、発言権があるのは有力者以上だけだから、
ここでは百姓兵などの話だろうから、関係なかったですね。
377無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:03
>>374
つまり兵質なんぞ語るだけ無駄っちゅうことだ。
378無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:07
>>377
んなことない。
兵質×兵数×戦闘力=破壊力
379無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:08
基本的に、
裕福なところ、自由なところの兵は弱い
豊かな暮らしに帰りたいため命を惜しむし
逃げたところで、どうにかやっていける

基本的に
貧しいところ、閉鎖的なところの兵は強い
逃げ帰ったところで貧しい暮らし、手柄首を挙げて楽に暮らしたい
逃げたりすると、村八分にされて暮らしていけない
380無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:09
>>378
そのバキみたいな謎の計算はなんだw
381無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:09
兵は強くても貧乏で戦争に勝てないんじゃしょうがねえよなあ・・・
382無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:09
>>379
足軽や雑兵が逃げたからといって村八分になったなんてことはない。
やっぱり、ちまちま兵質など語っても埒が明かないし、
兵数だけでは夢がない。指導者論だけではつまらない。

武田騎馬軍団!!、、ってのは、いっぱい夢がつまっている。
384無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:10
>>378 >>380
藁ta
385無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:10

兵質以外の面で、そのときの織田と武田には圧倒的な差があった.からだろう
なんか今出てる「兵質」のハナシは近代〜現代の
「必ず所定の訓練を受けた」歩兵を前提としたハナシみたいだな。
地侍、在郷の農民、陣借りする流れ者とかで構成された近世以前の
軍の場合、個人能力(士気、忠誠度込み)の差はかなりばらつくと
思われるので、それなりに合戦結果に影響を与えると思うが、どーだろ?

>>382
昭和の時代でも、村の縛りはきついぞ。家族も大変。
当時もあったんじゃないかな?
388無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:13
>>382
どれだけ戦争でサボろうが逃げようが、村の中では何の影響もなかったわけ?
そういうのってどの文書に載ってるの?
しかしそれが本当だとすると、俺なら戦になんか出ないで適当にしてるだろうな
389無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:13
>>386
そんな細かいレベルの話を何万人分も計算するのか?
390無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:15
>>385
霊能力以外の面で、そのときの織田と武田には圧倒的な差があったのだろう

平均身長以外の面で、そのときの織田と武田には圧倒的な差があったのだろう

心の裕福さ以外の面で、そのときの織田と武田には圧倒的な差があったのだろう

大将の顔の良さ以外の面で、そのときの織田と武田には圧倒的な差があったのだろう

しょんべんの飛距離以外の面で、そのときの織田と武田には圧倒的な差があったのだろう
391無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:17
なんで武田と織田の戦争の話になったらみんなムキになるの?
かっこわるいよ。特に武田信者。
392無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:17
丸っきり阿呆な話を振るけど、徴兵、傭兵に限らず
一年あたりで合戦を経験した回数が多いと、それだけ
戦慣れしているというか、兵として熟練されている
と見ることが出来ないだろうか。

織田勢は上洛以来さらに合戦の回数が増えて風評ほどは
弱兵ともいなえいタフさを持ってきていたとか。
三戦板の伝統だから。
394無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:18
>>387
兵とは劣勢になればすぐ逃げるものなわけだが。
「裏崩れ」だの「共崩れ」だのはまさに兵が勝手に逃げる結果なわけだ。
だがまあ、劣勢の中踏みとどまって戦ったとして、兵(普段は村人だ)を
余計に死なせて、地元豪族に何か利があるかな?
戦国大名の軍勢が地元領主の集合体であること、
地元領主の大多数はその時々で強い奴に従うことで生き延びていること、
領民を死なせても何の保証もなく全ては自腹であること
を考えればすぐわかるだろう。
ダメだと思ったら逃げる。その方が兵本人も領主も得だ。

>>388
むしろ罰せられたちゅう史料を教えてくれ。
「あったこと」の証明の方が簡単だろ?
395無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:19
>>392
その通り。織田は最強軍団。
戦で勝ち取った最大版図がそれを証明している。
武田などは織田の倍の時間かけて十分の一くらいしか領地を獲得していない。
396無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:20
>>395
兵数・経済力・装備なども含めての「最強」ではあるが。
「兵質」厨房には通用しない理論だな。
397無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:21
つか経験で言えば、勝頼も毎年遠征してるから、武田側も戦慣れはしてると思うが
398無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:25
>>395
信長は家督相続(1552)から本能寺の変(1582)まで30年。
得た領土は600万石ぐらいか?

信玄は家督相続(1541)から病死(1573)まで32年。
得た領土は100万石ほど。

二倍の時間で10分の1とは、酷い認識だなw
>>394
確かに村八分は村の自治権の行使・私刑の一種だから、
お上の裁定とは関係ない。だから村八分にはならないってことか?
400無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:32
村八分って江戸期じゃないかい?
軍役拒否した農民は逃亡した場合が多いと思うが…
武田の史料に軍役が多くて逃亡する農民がいるから、逃げないように云々とあったような
401無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:36
>>400
軍役から逃げてるんじゃないんだよ。たぶん甲州法度のこと言ってる
んだろうけど。
永禄年間は東国で異常気象や飢饉が続き、農民が生活苦から土地を捨てて
逃げることが多かったから逃げないようにせいっちゅう話。
402無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:38
武田はやっぱ地理的な条件と信虎の悲劇が足を引っ張りすぎ。
信虎が家臣団を強引に押さえつけるのに失敗した反動で
晴信が新守護に擁立されたけれど、そのため晴信も強権発動できず、
織田みたいに柔軟な体制や戦略をとれなかったし、
上洛しようにも信濃が固まらないし、もうかわいそ。
403無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:39
>>394
いや、逃げたりサボったりしてれば中傷などがあるのは
当然の事だと思っていたので、資料はない
でも、村八分がなかったときっぱり言い切れるぐらいだから
そっちには資料はあるんだろ?


むしろ罰せられたちゅう史料を教えてくれ。
「あったこと」の証明の方が簡単だろ?
村八分の成立は江戸期だけど、そのもとのような制度はあったと思うよ。

しかし豪族のためだと言っても、村の損にはなるんじゃないかな<逃亡
とくに敵侵入のようなときに逃げるようなやつは白眼視されて当然。

尤も大戦で逃げた皆を村八分にして生産性を落とすようなことは
村の利益から考えても執行しないと思うけど。
405無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:42
>>401
あ、そーなのか
妙法寺記のは違うのかいな?
406無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:42
>>403
同じ言い方で返せば
逃げたりサボったりしても領主の損にはならないから
罰さないのが当然の事だと考えているわけでね。

だいたい「なかったこと」そのものズバリを証明する史料ってのは
ありえるのかのう?
いや、江戸期成立は五人組だったかな。。
408無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:45
>>404
大名のためにわざわざどこぞで戦をするのに、律儀に戦い抜く必要もない。
村そのものを守るってんなら別の話になると思うがね。

第二次川中島合戦は200日にも及んだが双方勝手に帰り出す連中が
相次いだ。だがそれで誰かを罰したとは聞かんけど。
409無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:46
>>405
妙法寺記には軍役拒否して逃げたとか書いてあるの?
   ,.´ / Vヽヽ
    ! i iノノリ)) 〉
    i l l.´ヮ`ノリ <先生!こんなのがありました!
    l く/_只ヽ    
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
http://saitama.gasuki.com/aomori/
>>410
URLからして面白過ぎるw
412無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:48
俺は400と405ね
妙法寺記
皆々なげき申し候事言説に及ばず
地下衆難儀無申計候、皆々所をあけ申し候
>>408
まぁ、武士ー百姓、というのは縦構造のように見えて
かなり横構造だからね。その点では一君万民の昭和期とは違うね。
だから大名のために律儀に戦わないってのは分かる。

しかし村八分のような社会共同体の精神で縛らないなら、
軍法で縛るしかなく、結局脱走兵は懲罰を受けるのだろうか?
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脱走兵と言っても、負け戦で逃げるのと、軍から逃げるのはまた違うね。
よく考えたら、軍から逃げたら、
その村落は代わりに他の人を出す羽目になるんだから、
やっぱり村八分よろしく逃げたやつは許せないと思うよ。
また軍に戻るのならまだしも。

負け戦で一時的に逃げるのは、それはある程度仕方ないのかもね。
416無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:55
つーか戦わなくても何の罪もないなら、
農民はわざわざ殺しあいなんかしないだろう

適当にその辺の村襲って、金や食い物や女だけさらって
大名ほったらかして村に帰ればいい
417無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:56
で、誰も412に疑問を持たない訳だが…
418無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 04:59
部隊が壊滅した=ここで部隊としての機能は終わり、離散して村に変える
部隊も壊滅してないのに勝手に逃げた=部隊の中の一員という役割を放棄した
現代訳ないとわからん
420無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:01
>>412は色んなもの含めて生活苦ってことでしょうな。
例えば越後じゃ春先には餓死者も出たというが、遠征に従事すること
そのものは関東で略奪でもすりゃ稼ぎになるってんで進んで加わる奴も
いたってな話があるぐらいで。
普通の戦で個人的に臆病なまねをする→村の恥・・・村からの威圧。
軍から個人的に逃げる→村の損害・・・村の威圧。
負け戦で皆逃げる→軍法会議か、止む無しなのか・・・軍の威圧。

こういうこと?
422無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:04
戦で劣勢になることそのものが大名自身の責任でもあり、
そのことで各領主をいびるわけにもいかんでしょうな。
思い余って内通でもされりゃ一大事だし。
優勢な戦なら勝ち馬に乗って手柄立てようとする連中の方が普通は
多いだろうし。
423無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:05
>>420
妙法寺記のは
今まで軍役にかかってなかった地下衆、所謂普通に税を納めてた武田家の農民に
軍役に出るか、それとも過料を払うかでの話だよ
424無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:09
過料、過料銭と言うのは、罪科を犯した場合に、それに対して課せられる財産刑の事ね
足軽が勝手に逃げれば、足軽頭が組頭に怒られ、
組頭が侍大将に怒られ、侍大将が部隊長に怒られる。
部下のへまは自分のへまだから締め付けには必死になったと思うがな

まあ現代のヒラ-係長-課長-部長-重役と同じようなもんで
426無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:10
確か天文20年の記事だったか?
軍役に触れてたっけ?
427無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:11
>>424
武田家の過料は本来の意味を外れて単なる臨時課税
428無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:14
>>426
天文18年と20年と22年の三回ほど、似たような事書かれてるけど、これは天文22年
軍役負担の話ですが?
429無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:14
基本生活苦しいんだからさらに税金払えと言われりゃ逃げるかと。
やっぱり、負け戦で一時的に皆が逃げるのは、罰するのも難しいと思うけど、
普通の軍役に出てる間に、村の恥になるような行為も出来ないだろうし、
軍役を途中で投げ出して村に帰ってくるなどは、絶対に許されないと思うよ。

その点では色々な共同体意識の縛りはあったと思う。
431無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:16
>>427
?初めて聞きましたが
432無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:20
>>431
『甲陽軍鑑』などに罰金としての過銭は出て来るが、
ここで話題になってるやつはどう考えても地域を決めて広く出家だの
禰宜だの地下だのにかけられているわけだが……臨時課税以外の何だと?
433無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:24
>>432
禰←自分も字を探して見つからなかったからこれ使おうかと思った。

だから軍役負担がかけられて、それを拒否した際に払えというのに
なぜ臨時課税なんですか?
軍役か過料の選択を迫られて、皆々所をあけ申し候となった訳ですけど
434無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:34
>>433
18年・20年・22年という掛け方からして臨時課税だが?
435無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:41
>>434
?妙法寺記の記載や今までの話をちゃんと読んでるんですか?
この時に、今まで軍役負担がない地下衆(村落の上層民)や出家や禰宜のまで
軍役負担を要求して拒否したら過料を払えという話ですが

ついでに何故軍役負担をいきなりかけたかと言うと
天文18年は上田原敗戦の翌年、20年は砥石崩れの翌年、22年は第一次川中島合戦の後
理解できましたでしょうか?
436無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:43
だから臨時の戦費補填だろ。
437無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:44
軍役負担は読めないようですね
438無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:45
そもそもそんなことが書いてあったという覚えがない。
439無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:46
じゃあ話になりませんね
440無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:59
天文18年は都留郡浅間神社下社の拝殿造営につき、妙法寺と
談合して地下人に過銭料を課すとかなんとか。軍役????
441無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 06:05
>>440
ネタで言ってるんですか?
442無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 06:08
http://www.pink-angel.jp/betu/index.html
★いらっしゃいませ!!ようこそココへ★
443無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 06:16
ちなみに>>440のお馬鹿さんが持ち出したのは、武田家との主従関係が複雑な小山田信有が課した過料です
今までの話とぜーんぜん関係無いです
>>440
( ´,_ゝ`)プッ
445無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 10:49
織田は弱兵
島津・上杉・武田・徳川は強兵

これが定説
定説かどうか知らんが、武田の軍制が優れていたのは確かだろうと思う。
家康は織田式ではなく武田式を選んだわけだし。戦争マニアの謙信もその辺は
しきりと誉めてたみたいだし。信長タンがあれだけ遜ったのも脅威に感じてた
からじゃないかな。冷静に分析すれば当時の武田が美濃に進出する余裕はない
って結論になるはずだけど、万が一でも衝突は避けたかったのだろう。
分かりきったことだが厨房多すぎだな、ここ。
武田と徳川の戦いで
武田の兵数も徳川戦を見越したもの




>>447
きみを筆頭にな
450無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 15:02
>>449
オマエモナー
451無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 16:08
>>402
武田家の歴史を信虎以前も勉強せい。
まさか10何代もまっとうに甲斐の当主できていたなどと思っているのではあるまいか?
452無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 16:11
>晴信が新守護に擁立されたけれど、そのため晴信も強権発動できず、
>織田みたいに柔軟な体制や戦略をとれなかったし、

よく聞く話だけど、誰か具体的に教えて
453無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 16:20
強権発動できないってのは曖昧な言い方だけど、概ね当時の大名はその部類
に当てはまると思われ。織田が異端なだけ。
あくまで異端なだけで、一概に優れているとは言えない。
どっちもどっちじゃないかな。
武田の軍制が優れていたのは確か
家康は織田式ではなく武田式を選んだわけだし。
戦争マニアの謙信もその辺はしきりと誉めてた
   ↑
んな話は武田マンセーな江戸期の創作話もイイトコ
455無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 18:48
甲斐の国はそもそも豪族主体。
信玄からさかのぼること数代前に甲斐から武田家が追われたことがあってな。南朝の
味方をしたからなんだが。
その時安芸武田氏が大活躍で甲斐守護を任じられそこからお話は始まります。

その時以来、守護代の跡部らが取り仕切っており国主の入国拒否なんてされたりして。
応仁の乱の前に信昌が諏訪氏の援助の元、やっとこさ跡部を討伐できますた。
その後も小反乱が相次ぎ信昌はそれらを鎮圧、安心して家督を譲ろうとしたらそこで
後継ぎ問題発生。

信縄とその弟信恵が争ったわけだが信昌が弟の信恵に家督を譲ろうとしてそれを察知
した信縄がクーデターを起こしましたと。
信恵は小山田氏を取り込んで反抗、ついに今川まで引き入れての大争乱となりまして
さらに伊豆で起こった問題を元に北条早雲まで甲斐に乱入、オールスターみたいな
状態になりました。

そんな時に信縄は死亡、14歳だった信虎が後を継ぎましたと。
あとはご存知の通りですかね。
456無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 19:00
ふーん
なるほどね
まあ信虎の乱暴話もちょっと眉唾な感じもするしね
いつでもどこでもお家騒動は絶えないということか
457無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 19:12
ちょっとまてよ。
信長が最初から強権を発動できる家督を相続したみたいな言い方だな。
458無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 19:42
>>457
信長のついていた事は、妹のお市があまりにも美しかったこと!
だから家臣団は、お市とやりたいから兄の信長には逆らえませんでした(プ
459無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 20:00
>>458
センスねーなw
>>458
ウゼーな厨房は
461無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 20:09
扇子はセンスがあると天皇が宣すと扇子を撰す輩や扇子を僭す団扇も現われた


俺ってセンスありすぎだろ? 好物はコロッケ
時代の流れ・・・・
463無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 20:29
>>454
>んな話は武田マンセーな江戸期の創作話もイイトコ

それよく聞くけど、創作話であるっていう明確な根拠でもあるの?
>>463
軍記物がみんなそうじゃん?同時代の資料が少ない上に、
天下の徳川を破った武田=最強説がでてもおかしくないと考えるのが普通でしょう
>>463
誰もリアルタイムではない
>>454 の戸期の創作話もイイトコ

なら、
平成の創作話でもイイじゃん!
466無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 20:58
信長は例の過酷な家督争いで、親族、弟を討ち、
勝家らの家臣団を力で屈服させてるからね。
他の大名のように、家老や兄弟、親族連中に気兼ね
することなく強権を発動できる状況だったとは思うよ。
467無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 20:59
>>464
つまり憶測、もしくは推論でしかないということなんですか?
ま、どっちでもいいんですけどね 武田が強兵かそうでないかってのは
どっちかはっきりしないっていうか 
どっちも力説する人がいて、傍からみて信憑性はどっちもどっちなんでw
468無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 21:02
武田が強兵かどーかの話じゃなくて
武田の軍制が優れていたかどーかの話のはずだが
469無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 21:04
>>468
あ、ごめんなさい。
そうでしたね。さっきこのスレ一気に読んで、その中でよく「強兵・弱兵」
という言葉が出てたんで、勘違いしますた。
470無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 21:18
>>466
ということは根本的な実力として信長>>>>晴信ってことですね。
>根本的な実力

このへんが厨臭さ満点だなw 春休みまでは我慢してくれよ・・
472無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 21:48
>>471
ひきこもり?( ´,_ゝ`)プッ
( ´,_ゝ`)プッ

このAA使ってんのは初心者の証。
474武田勝頼:03/03/07 22:29
まさかこんな結果になろうとは思いもしませんでした・・・
>>473
( ´,_ゝ`)プッ 馬鹿がつれたw

>>473
( ´,_ゝ`)プッ

でも一番バカがつれるAAじゃないか?
>>475
( ´_ゝ`)
>476
( ´_ゝ`) フーンそう?
>>466
力で屈服させることがそれほど優れた解決策であるとは思わないし、
そのことにより遺恨も残るのが普通だと思う。
一家の命運はより本人の度量に左右され、自由度は高いかわりにリスクが
とても大きい。ま、信長みてりゃ当たり前だが一番よくわかるよね。
480無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 22:57
信長でも常時強権発動というわけにはいかない。
実際に家中掌握を一代で成し遂げ右肩上がりの成長を続けても人の集団というのは
強権で動かされるものではない。

信長がそれでも他の大名に比べ強権と思しきことができていたのは右肩上がりの
成長によるところが大きい。
項羽と劉邦みたいなもんか
信長の方が時運に恵まれていた
後は長期戦略の立て方がうまい
483無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 23:02
釣れたっつーのは厨房の逃げ口上。これ2ちゃんの定説。
>>483
普通の話になりつつあるところにそんなレスをするお前が一番厨房だろ
ウザイから消えろボケ
>>483
( ´,_ゝ`)プッ さっきに方ですか?w
あのとき武田は大動員できなかったものなんだろうか?
>>484
おまえが厨房だろ。うぜーから2ちゃんから消えうせろ。
>>486
だから消えろって。
↓消えろボケ
470 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/07 21:18
>>466
ということは根本的な実力として信長>>>>晴信ってことですね。


ログ見たら、始まりはこのレスか。
いつものパターンだな。どっちかの狂信的ヲタが現われて、叩かれる。
あとは不毛な煽り合戦。。。
486は別に消えなくてもいいのでは・・いや本人じゃないけどさ
せっかく煽るんなら、お前らスレが伸びるような煽りをしようよ
けっこういい話題だと思うんだけどなあ
>491
さっきから( ´,_ゝ`)プッな方が一人で暴れてらっしゃるのです
>>492
どの話題が?
>>494

話題というか、流れが面白いと思う
普段は知識のさらし合いと揚げ足取りなんだけど
デンパや真性が来ると協力して排除したり説明したりするでしょ?

長篠を知らない人にとっては、これほどいい流れはないと思うんだけどね
496無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 00:38
兵質なんて後付けに決まってるじゃん。
497無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 00:43
>>1
勝頼がアフォなだけ


以上


終了
498無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 00:44
否定派の意見も後付け
結論:結果がすべて いくら語ったとこで歴史は変わらない
ということで張り切って語ろうぜ!
>>491
( ´,_ゝ`)プッ
501無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 00:56
>>498
じゃあさ、今、この現代では、どこの都道府県民が強いの?
兵質の強弱が戦う前にわかるなら(後付けじゃないなら)、わかるでしょw?
>>501
興奮すんなよ( ´,_ゝ`)プッ
織田兵が弱いというのは当時からそう情報操作されて
いた、なんて書いてた本みたことあるな。
504無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 01:20
>>502
逃げカコワルイ(;´Д`)
505無名武将@お腹せっぷく :03/03/08 01:23
3年前に家康をぶち殺しておけば良かったものを・・・
506無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 01:34
>>501
日本語読めないの?
別にそれは否定してないんだけど
507無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 01:35
>>505
それはある意味、正しい答えといえるかもね
とにかく信玄は確実にやろうとしすぎた感がある。
勝ちすぎはよくない、てなことも言ってるけど、
ひとつの城に何度も繰り返して遠征したりとかね。
その点、信長は徹底的にやるでしょう。
信玄は、そういう点が戦争職人というか、謙信ほど
じゃないけど、自分の技に酔っているようなところ
があると思う。
信長は、そうでなくて戦争は彼の目標の一手段
にすぎない、という感じか。
勝ちすぎなんて無関係で、合理的で、屈服すればOK。
刃向かう者は死あるのみ。
これの方が早いわけね、結局。
信玄も志賀城だっけ、残酷なことしたのは。
あれで少し反省したんだろうね。これではうまくいかないと。
まあ、結局、信長も自分から転んでしまうわけだが。
508無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 01:56
>>507
じゃあなんで長篠の後に武田領になだれ込まなかったんだ?

ていうか、家康を殺しとけばよかったって、あたかも殺せたのに殺さなかった
みたいな言い方はどうかと。
509無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 02:16
早速のレスにちょっとビックリだが・・
>>507
>とにかく信玄は確実にやろうとしすぎた感がある。
>勝ちすぎはよくない、
確かにその通りだと思う。それが信玄のやり方だったし。

>信長は、そうでなくて戦争は彼の目標の一手段
>にすぎない、という感じか。

やり過ぎな面は多々あったと思うが、信長の思想は個人的に素晴らしいと
思う面もある。

>勝ちすぎなんて無関係で、合理的で、屈服すればOK。
秀吉的のやり方ね。それは楽だね。自分の損害も少なくすむし。

>508
個人的にはいろいろ文献を読んだ上で、三方ヶ原での出来事では、
滅ぼそうと思えば、8割ぐらいは徳川を滅ぼせたと考えてる。
そしたら、東京はこんなに栄えてなかっただろうね。
そういう意味で、歴史はおもしろいと思う。
510無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 02:22
まだ兵質の話してる奴がいるな・・・
ところでさ。
石川数正が出奔したため徳川式の用兵が秀吉にだだ漏れの恐れが出てきた
わけで、家康が軍法を改めて武田式にしたのは本当だったような。
>>510
武将ファイルでつか
512無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 02:41
>510
だったらしいね。この前、本で読んだ。
水野藤十郎勝成がキレてたらしい。
513無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 02:46
>>507
>とにかく信玄は確実にやろうとしすぎた感がある。

敗北は外様の離反を招くし人的・経済的な負担も大きい。
だからまず負けないことを重視する。
そりゃ経済力によほど余裕があれば別だろうけど、
余裕があれば大兵力を揃えられるからやっぱり負けないわけでね。
信長だって濃尾を固めて磐石の基盤ができるまでは、小出しの戦が
多いですよ。

>勝ちすぎはよくない、てなことも言ってるけど、

それは慢心を戒めたわけでしょう。慢心は負けのもとです。

>ひとつの城に何度も繰り返して遠征したりとかね。
>その点、信長は徹底的にやるでしょう。

一度に倒すのが難しい相手なら、それが普通でしょう。
無理に攻め続ければ損害ばかり大きくなり、最後に勝てたとしても、
他の相手に攻め込まれて負けることになるでしょう。
信長だって長島を一度に落とすことはできませんでしたね。
どうも対比のしかたが変ですね。

>信玄は、そういう点が戦争職人というか、謙信ほど
>じゃないけど、自分の技に酔っているようなところ
>があると思う。

技に酔って中途半端に終わる?どんなところがですか?
514無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 02:47
>信長は、そうでなくて戦争は彼の目標の一手段
>にすぎない、という感じか。

大名というものは、単なる軍人ではなくて政治家でもあるわけでしてね。
戦争は現在でも外交の延長、一つの手段であるわけですが、
それは当時でも同じことですよ。
目的もなく戦争を仕掛ける奴はまずいない。
領土を取るために戦争をする、というだけのことだって、戦争が自己目的化
するようになれば利益に対して損害が増えて結局身を滅ぼすわけでね。

>勝ちすぎなんて無関係で、合理的で、屈服すればOK。
>刃向かう者は死あるのみ。
>これの方が早いわけね、結局。

従うならそれでいい、というのは皆同じでは?
従いますという相手をわざわざ滅ぼしたなんて話は聞かないし
従わない相手だけどそのままにしておきますという話も聞きませんが……

>信玄も志賀城だっけ、残酷なことしたのは。
>あれで少し反省したんだろうね。これではうまくいかないと。
>まあ、結局、信長も自分から転んでしまうわけだが。

信長が転んだのは一向一揆を根切りにしたことなんかとは関係ないと
思いますが……
残酷な戦をやったから転んだんですか?信長は。
515無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 03:11
信長が転んだのは 梟 雄 だったからです!(『半蔵の門』より)

どんな群雄であれ、戦は堅実にやらないとナー
516無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 03:18
梟雄ってのは松永久秀のような奴ちゃうか
きょうゆう けう― 0 【▼梟雄】

残忍で強い人。
「乱世の―」「僅(わず)か一人(いちにん)の―をおぢ畏れて/自由太刀余波鋭鋒(逍遥)」

確かに信長は残忍だと言われるけど、なんというか、
幼児性を可愛く思えたり、颯爽としてたり、毅然としていたり、
とかなんとかで一般的には梟雄と言われないような気がする。
英雄視が強いからね。。。
518無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 03:24
>516
梟雄にも様々な意味が御座れば…
519無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 03:29
勇猛な武将という意味もありまつ(おもに漢文)。
520無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 03:31
『半蔵の門』て半蔵門とはなんだネタかこの野郎と思って調べたら
ホントにあったよ・・・・
確かに、曹操は乱世の梟雄って月旦で評されたんだっけ?

あんたは乱世になると暴れるだろう! っては言うかもしれないが、
あんたは乱世になると残忍に暴れるだろう! とは
いきなり言うとは思えないしなw
522無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 03:35
姦雄じゃなかったっけ
確かに、調べたら姦雄だった。適当でスマソ

かんゆう 0 【▼奸雄/▼姦雄】
奸知にたけた英雄。 「乱世の―」

梟雄とはだいぶん違うな・・・
524515:03/03/08 03:39
>>520
ひ、ひでぇ

>>521
姦雄では?
525無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 03:45
>>512
軍制を再編したのは事実だが、武田式には変えてない
526無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:12
武田厨が出てから一気にこのスレのレベルが落ちた感じ。
もっと資料とか出して系統だてて語れんのかなあ・・・はぁ・・・・
527無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:21
甲州流軍学が江戸時代流行ったのは採用されたからじゃなかったっけ?
528無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:24
公衆流軍楽はただの歴史小説
529無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:27
>>526
あなたが出してくれればノープロブレム
530無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:32
>>527
甲州流軍学が流行ったのは甲陽軍鑑末書と信玄全集末書で注目集め
武田三代軍記や甲越軍記でブーム到来という感じ
531無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:33
もっとレベルの高い議論しろよ!!!!
そんな難しいことか!!!!!
スレタイが「長篠合戦 武田の敗因」ってことなんだけど、
半分以下の兵力では大抵の場合負けるような。
普通敗因を分析するのは勝てる状況で負けてしまった場合でしょ。
「長篠合戦 信長の勝因」の方がまだマシだと思う。
533無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:37
勝因と敗因は表裏一体だろ。頭わりーなー。
534無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:38
勝因無き勝利はあっても、敗因無き敗北は有り得ない
535無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:41
姉川合戦の浅井朝倉の敗因を語ったらこんなにレスはつかないだろう。
武田家人気だな。
甲州流軍学が流行ったのは、日本最初の軍学だからじゃないの?
つまり、従来の易学や中国の兵法書での学問が故実礼典のように
扱われてきた、各家の法度や家訓は諸々過ぎる、
だからなにか新しいのはないのかという欲求が軍学を生んで、
皆がそれを学びだしたってことで。
軍学の先駆けだったから甲州流軍学が流行ったんだと思う。
徳川家の家臣に武田の旧臣が多かったから流行っただけだろ。
538宇佐美定行:03/03/08 04:45
越流軍学も御忘れなく…
539無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:46
>>534
思いっきり自己矛盾した文章だな。
540無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:47
>>539
533のバカにはそう思えるだろう
541無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:48
>>534
理由無く負けることが有り得ないなら理由無く勝つことも有り得ない。
勝者の勝因と敗者の敗因は表裏を成すものだろ。
542無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:49
>>541
そのとおり!
>>540は単なる愚者。
「兵力は少なかったが見事に勝ちました」なら面白いけどな。桶狭間とか。
兵力が少なくてやっぱり負けました、では普通過ぎる・・・
544無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:51
バカには理解出来んよ
545無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:52
表裏一体なら敗因は裏を返せば勝因となるが、そうはなってない。
あれだな、ネタスレの
武田軍は織田軍の○倍の戦闘能力なので、総合戦闘力では
長篠でも勝つのが当然だったが、なぜか負けてしまった。なぜか。
という考えから始めないと面白くないな。
547無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:53
>>544
「兵力の差」とか「偶然の積み重なり」とか「相手のミス」とかだって
立派な勝因になるよね。
相手に敗因があるのに勝因が存在しないことってあるの?
548無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:54
>>546
兵質議論に戻るわけだな。
549無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:56
偶然の積み重なりは勝因じゃない
相手のミスは敗因だが、そこに付け込んだのが偶然か否かで違う
550無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:56
>>546
そうだな。
「甲州兵は三河兵の三倍、尾張兵の九倍の強さ」で
「武田の騎馬隊は精強無比」で
「本来なら長篠でも勝って当然」だったのに
「信長の天才的発想」と
「馬鹿な勝頼の判断ミス」によって無残にも負けたのである・・・・
という大前提があるから面白いんだよな。このネタは。
>>548
ここで兵質議論に戻っても仕方ないな。やめとこ。

次のネタはなにかな。最初の頃のソースなし話は終了?
552無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:57
>>549
偶然が勝因でもいいじゃん。
553無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 04:58
>>549
駄々ッ子みたいなレスだな。
>>550
そう冷静にいわれると、やはり面白いなw
555無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:00
武田軍は数で負けてたから敗北しただけで、
織田軍よりも数で勝っていれば勝利していたはず。
というわけで武田軍は織田軍よりも強い。
織田徳川連合軍3万8000、武田軍1万5000。
兵力比は38:15である。
この場合、ランチェスターの公式を適用するならば双方の勝率は
連合軍91.9%、武田軍8.1%である・・・・




全然面白くないw
557無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:03
>>556
それが実際は五分五分だった。
つまり武田軍は連合軍の10倍強いと言える。
>>555
おもいっきり変だぞw
559無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:04
>>558
別に変なところはないと思うけど。
兵の多寡は重要だろう。
560無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:05
富士川合戦が良い例だ
平家側には兵糧不足や撤退中だったと色々敗因が多々あるが
それが翻って、源氏の勝因足り得てない

バカは歴史から学ばない
>>557
ランチェスターの公式は戦力の二乗で計算するから、
武田軍が織田軍の2.5倍強ければ互角の戦いになる。
562無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:06
>>561
つまりランチェスターの法則で武田軍は連合軍の2.5倍強いと証明されたわけですな?
ランチェスター方式なんて過去の遺物を(ry
564無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:06
>>560
日本語もできない馬鹿はひっこめ。
>武田軍は数で負けてたから敗北しただけで、
>織田軍よりも数で勝っていれば勝利していたはず。
これから
>というわけで武田軍は織田軍よりも強い。
を導き出す根性が勝頼にもあれば、長篠でも負けなかった。
このすれ面白いなあ。馬鹿が山盛りだw
>>559
「兵が少なくても戦に勝った」なら「武田軍の方が強い」という理屈も
成り立つが、「兵が少なくて戦にも負けた」だけで、どうやったら
武田軍が強いと言えるんだ?
>>555は「織田軍よりも数で勝っていれば勝利していたはず。」とは
書いているが、それでは証明にならんだろう。
568無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:08
未だに織田徳川連合が6千もの損害を出したと言うつもりなのだろうか?
4万近い軍勢で6千も損害出したら敗走してるのだが。
>>567
では「織田軍よりも兵が多くても武田軍が負けた」と君が主張する理由を書いてください。
戦争の常識として、兵の多い方が有利なのは動きませんが。
570無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:09
>>564
罵倒しか出来ない厨はさよなら
>>568
織田徳川の損害が6000だと主張する奴は
武田の損害が1万だの1万2000だのと主張する奴だろうから大丈夫。
1万5000のうち1万2000が死ぬまで戦う軍隊がある世界なら
3万8000のうち6000が死ぬぐらいどうってことはない。
>>567って鉄砲無敵論者?
573567:03/03/08 05:10
>>572
論理展開がよくわからんぞw
数の話しかしてないのに。
>>573
数が多くても武田軍が負けたとかいう奴って、
旧来の騎馬では新兵器の鉄砲にかなわないとか言い出すハードウェア厨だろ。
参加人数と被害数からランチャスターの公式を使って
兵の強弱というのを出せるんじゃないか?
その他の要因は一切無視ということで。

38000×1と15000×?(兵の固有的強さ)の勝負で、
被害が6000と10000になるとかの計算式
だれか出して
576無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:12
「バカは歴史から学ばない」とか言ってロクに説明もできない奴は
罵倒しかできない厨ではないのだろうか?
>>576
禿銅
578無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:13
厨は説明しろと叫ぶだけ
バカは学校でわかりませんとしか叫ばないのと一緒
579567・573:03/03/08 05:14
>>574
武田軍が数が多くても負けるだろう、とは一言も言っていない。
織田軍ですら数が多ければ勝つのだから、数で勝れば勝てるというのは
普通すぎて武田軍が強いという理由にならない。
せめて数が同程度で勝てるということを提示しなければな。
ワンパターン
俺の考えた公式
兵の強さ×兵の数×武器の強さ×武将の戦闘力×士気=攻撃力
>武田軍は数で負けてたから敗北しただけで、
>織田軍よりも数で勝っていれば勝利していたはず。
これから導かれるのは兵の強弱はないって結論、もしくはそれが前提なんだから、
>というわけで武田軍は織田軍よりも強い。
という兵の強弱の結論は導き出せないってことでしょ。
>>579
だからそれを証明してくださいと言っている。
勝った方が強いというのは天地創生以来の究極の摂理だろ。
数値化出来んものをどうやって公式化(ry
585無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 05:17
>>581
ウォーズマンじゃないんだぞ
>>581
地形が考慮されてない厨房公式
587567・573・579:03/03/08 05:19
>>583
証明すべきは>>555だろ。俺に言うな。
>>586
陣構えも計算に入れてくれ
>>575
単純な正面衝突という状況なら、

38000 vs 25000

ぐらいじゃないかな。



破壊力 = 体重 × 速度 × 握力




                         
>>589
武田が2万5千も動員したと?
家康が小牧長久手で動員したのが3万にも満たないのにか?
この時は三河で根こそぎ動員してるんだが
城を力攻めにするには三倍の兵力が必要だとされている。
すなわち、城に篭るということは戦力指数が三倍になるということだ。
だとすれば、武田軍は実質10万の敵と戦ったのと同じだ。
不思議な事に、徳川の史料である『三河物語』ではこの時の
連合軍の兵力を10万と記述している。これこそ、大久保が
戦理論を理解していたという証左である。
>>591
つまり武田軍は15000の人数でありながら25000に
相当する戦闘能力を発揮したということだ。
(なんかこのネタもどうしょうもなくなってきたな…)


ところで三河で根こそぎ動員って?
>>592
織田が数日で作った陣を城と同じ能力とするのは無茶だろ。
2.8倍くらいにしとけ。
>>594
『三河物語』にある「10万」を実際の人数「38000」で割った所、
2.63という結果を得ました。
よって信長の陣地の効果を2.6倍と認定します!
>>593
小牧長久手の時に根こそぎ動員したという事では?
>>589では、その被害数に相当するのは武田は25000程度
(つまり兵の強さは織田1に対して武田1.6@ランチェスター)
ということらしいが、
>>595
またややこしいことを言い出すな!1.6倍でもいいじゃないか!!
>>593
『信長公記』連合三万、武田一万五千
『武功夜話』連合三万有余、武田二万有余
『甲陽軍鑑』連合七万余、武田一万八千
『四戰紀聞』織田五万余、武田二万七千余
『長篠日記』連合五万八千余、武田数万

>相当する戦闘能力を発揮したということだ
紛らわしいネタ止めろ
三河の根こそぎ動員は、何かの史料(確か禁制で)15歳以上から60歳以下までの健康な男子は参陣しろとあった
>>597
589なんて単純な正面衝突が前提での計算に過ぎないだろ!
陣地と鉄砲の効果が計算されていないじゃないか!!
武田軍が織田軍の1・6倍強くてもこれらの効果を計算にいれると
織田軍の損害はずっと少なくなってしまう。
つまり総合的に判断するなら、武田軍はもっと強いんだYO!
なんだ基地外か
>>598
『三河物語』は本当に10万と書いてある。
『甲陽軍鑑』は長篠の描写が二箇所あるけど、連合軍が10万と書かれている
箇所もあるし、武田軍が1万5000と書かれている箇所もある。

ちなみに城を力攻めにするには3倍から10倍の兵力が必要だとというのは
別にネタじゃないよ〜
甲州兵は三河兵の3倍、尾張兵の9倍強いという事実を忘れてもらっちゃ困る。
まず実際の人数を戦力に換算すべし。

織田軍 3万 → 3万
徳川軍 8千 → 2万4千
武田軍 1万5千 → 13万5千

つまり戦力的には 5万4千 対 13万5千 だったということだな。
劣勢はむしろ信長の方だ。
この劣勢をひっくり返すために信長が考え出したのが堅固な陣地に篭り、
鉄砲の三段撃ちで迎撃するという戦術だ。
三段撃ちというのは外国では実に第一次世界大戦の頃になってようやく
考え出された戦術であり、信長がいかに天才であったかということが
よくわかるな。
ネタスレだな
WEBに計算してくれると子あったので、試しに数値入れてみた。

38000×1と15000×1.5だと3ターン目に33691と4366になった。
こんなもんだろ。

武田は1.5倍強かったということで・・・。

>>599
すきに試してきてみてくれ・・。
一匹紛れ込んでるからな
606601:03/03/08 05:52
ありゃ、598は592じゃなく593に対するレスか。
間違いスマソ。
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい…
武田は4千になるまで戦ったってのか?
勘弁してくれ
>>604
損害6000と10000にこだわるなら
1.8330302779823360026352188774912倍ですね。
>>607
マジレスすると『大須賀記』によれば討ち取った武田兵は2000ぐらいらしい。

スレ汚しスマソ。
今日の結論

武田は科学的に1.8330302779823360026352188774912倍つおかった。
この数字の羅列に武田軍学の謎が隠されている。
ううむ科学的だな
なんだなんだ、じゃあ織田被害5000と武田被害2000くらいで計算しろってのか。
本当に9倍とか強くなるんじゃないか?
>>609
マジレスあんがと

2000も討ち取られたとしたら、武田は多くても2万弱と思うので
1割強も死者をだしたとなると、凄まじい負け方だね
>>612
マジレスでいくなら織田の被害は数百程度だろう。
追撃時に武田の有名武将が数多く討ち取られているが、つまりそれだけ
踏みとどまって戦う者が多かったということになる。
織田軍も追撃戦で多少の被害は出たはずだ。
馬場美濃守の働きなんかも特筆したぐらいだし。

スレ汚しスマソ。
>>613
当時としては大敗だね。
>>614
そりゃあそうだな。
9倍も強くなると、武田はランチェスター上で勝ってしまうし。
松平尹忠が死んでるから長篠籠城組にも多少の被害が出てるだろうね。
>>616
陣城の効果が3倍なので織田が勝ちますw
もうわけわからんw
結論として偶然は勝因として認めないってことで。
孔明は神!
>>621
スレ違い
>>598
秀吉が北条攻めた時、北条は15歳から70歳までの男子全部に軍役かけてた。
まだまだ甘いな。

しかし三河の人口を石高から29万人ぐらいだと考えて、
15〜60歳の男子が全体の5分の1ぐらいだとしても5万以上の
兵力になるよな。
北条家もとんでもない兵力が集まっちゃう気がするし。
この辺、文面の実際の数の差についてはどうなんだろうねえ?
>>623
動員が兵数とは限らないって事は?

つまり動員をかけて実際は一部は矢銭だけを徴収したとか、
黒鍬や後方輸送などの軍属・陣構築などの労働力提供など・・
つまり兵としてじゃないけど動員されたり徴収されたりってことで。
といっても、矢銭や賦役って、軍役というより税かな・・。
軍事行動に当たっての人足役みたいなものは普段からあるしね。
627無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 07:32
無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知
無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知
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無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知
無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知
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無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知
無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知
無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知無知
628無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 07:35
無知?
無知無知?
ムチムチ?

このスレはえろいな
単純な数字計算で戦争ができるかね…。
ランチェスター? …戦国時代の戦争に用いる自体、無意味では?

631無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 11:14
穴山梅雪の反転がもう少し早ければ武田勢の混乱が少なくて済み、退却が容易だったかもしれない
632無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 11:30
穴山梅雪の側転がもう少し早ければ武田勢の混乱が少なくて済み、退却が容易だったかもしれない
633無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 11:48
穴山梅雪の側転がもう少し早ければ武田勢の混乱が少なくて済み、退却が容易だったかもしれない
穴山梅雪のバック転がもう少し早ければ武田勢の混乱が少なくて済み、退却が容易だったかもしれない
穴山梅雪の前転がもう少し早ければ武田勢の混乱が少なくて済み、退却が容易だったかもしれない
636無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 12:44
ランチェスターを戦国時代、しかもこの合戦に用いるのは使い方が間違ってる。
ランカスターを戦国時代、しかもこの合戦に用いるのは使い方が間違ってる。
( ´,_ゝ`)プッ 論破されたからってお前ら必死すぎ
639無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 14:00
      ♪ マ○コ! ♪
   ,, -,,    ,, -,,  
   ;;, ,,ミ∧∧ミ,, ,;; 
    "(ヽ*゚ヮ゚ノ)"   
      |  |       
     ⊂__(i)__⊃    
       ) 
640無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 14:00
ランカスターは薔薇戦争で断絶しました
641無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 14:46
で、結局両軍の動員数と損傷率はどんなもんなの?
基礎知識ないとかレベル低いとか言ってる方々に是非答えていただきたく
642無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 14:58
>>641
そんなものはない
大まかな記録は残っているが当時どの勢力がどれだけの人数を動員して実際に
設楽が原に展開した人数は何人で戦闘終了後点呼して数えた人数が何人で敵に
何人殺されて他何人が逃亡したなど細かい記録は残っていない、というかとっても
ないだろう。
643無名武将@お腹せっぷく :03/03/08 15:01
織田軍が武田軍より強かったから
644無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 15:06
>>642
誰もそこまでは求めてないでしょう(笑)
どれも概算なのは大前提で、その大まかな記録の中でも信憑性がピンキリ
だろうし、どの説が妥当なのかってことですが。
>>641
『三河物語』、『甲陽軍鑑』は、特に数字に関しては信頼性は低い。
こういった当事者側に極端に偏った人間の書いたものほど、サバ読む傾向が大きい。
>>609の『大須賀記』の「二千」や、『多聞院日記』の国人層以上で一千、『兼見卿記』
での雑兵を併せて数千、とかある。
誇張はよくある事だが、一千人以上であるのは、揺るがない事実かと。
でなければ、喧伝されるほどの大敗北の説明がつかないし、戦死者数に比べて将領級の
戦死者の数があまりにも多すぎる事になり、これでは異常。
殉死したから…なんてのは、自分は否定してるし。
646無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 15:25
>>645
どれが信頼性が低いというか、一番信頼性のあると思われる説をその根拠と共に
知りたいんですけどねぇ。もちろん二つの資料が信頼性にかけるというのは
その根拠の一部にはなるんでしょうが。
647無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 15:54
( ´,_ゝ`)プッ
648無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 16:07
>>646
おまえ童貞っぽい発想だな
649無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 16:14
信玄が日本最強の軍団といわれるまで育て上げた
武田軍団がどうしてこんなに簡単に滅んでいったのか
勝頼が悪かったのか 御親類衆がわるかったのか
それとも 側近が悪かったのか
それを見つづけていた甲斐の山々は今も黙して語らない
650無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 16:30
だいだらぼっち
>>649
信玄が悪い。 家督は孫に継がせて、勝頼はそれまでの代理ですなんて
ことすれば、ただでさえ豪族色の強い家臣団から勝頼がリーダーシップを
とれるわけがない。
>>651
歴史群像でまったく似たような文を読んだ記憶が・・・
653無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 17:46
信玄が悪いっていうより義信が悪いと思われ
654無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 17:59
>>649
横山「武田勝頼」のパクリ
655無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 18:03
穴山信君!御前川累!
>>653
( ´,_ゝ`)プッ
>630
 んなこたあ皆わかってるよ。
 たのしい祭りにわざわざマジレスしてんじゃねえ。
>>657
( ´,_ゝ`)プッ 必死すぎ
659無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 18:19
重臣どもが悪い。
武田の将来を悲観がって勝頼が攻撃中止を決意するまで
諌め尽くさず集団で憤死のような死に方をして
悲劇のヒロイン気取りで満足してる。
武田の家風は合議制だろ?勝頼の独断制じゃなくて。
>>659
こんどは光栄本で見た文だ・・・
信長も名将。勝頼も名将。それでいいじゃないか。疑問とかあるか?
ない。ここのやつらはくだらない理屈こねすぎ。
おたくなんだからしょうがない
信長も名将つーか
尾張 美濃 だけで100万石
いくわけだが

ここおさえりゃだれでも天下狙えたでしょ

665無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 19:49
旧暦5月21日=今の7月初頭くらいで梅雨の真っ最中。
なのに雨が上がったのが悪いということで。
雨が上がったタイミングで突っ込むというのは

織田軍の誘いがよほど巧妙だったのか
もともと敵の鉄砲など眼中になかったのか
騎馬隊でも活かそうとしたのか(しかしぬかるみは一緒か)
予定の日時だっただけで天候など考慮せずとも良かったのか
武田も青空のもとでの決戦を望んでいたのか
武田の陣は雨降ってたのに、ちょっと先の織田の陣は晴れていたのか
織田が魔法でも使って一時的に雨を降らせたのか、天佑か、
>>664
三好だって石高も京も抑えたんじゃないか?
まぁ、その時点で天下様ということだけどね。
668無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 20:07
>>664
( ´,_ゝ`)プッ バカすぎw
>>668
キミ、大活躍だね。
>>667
もろスレ違いは承知だが・・・。
三好は天下様として権力振るおうにも長慶とその兄弟達が早く死にすぎた。
そもそも長慶は松永のキャラが立ちすぎて影が薄いし善人にすら思えてくる。
最後には病むほど神経も細かいみたいだし。
松永に踊らされていただけなのかもしれない。
>>669
                    , - 、
               __ _/∠二、   ☆ キラッ!!
             , -<ヾ.{ .∠二_ ̄_`マ__
           ,ィ'´   ,、` ´, - 、  ` ー-|\≧、
        /′  / , , .    、\  .|  \  ̄`マ__
       ∠, '/  / , ' ,   ! . 、、ヽ ヽ、 |   | ` ー-.∠ ̄`'ー-、
        //,'  / /--ヽ_  ト、` _ヽ_-'ヽ._|   |` 、 、 ___> __..ヽ
       /! i  /,T! / \! ヽヾ / ヽ 、.|   |\`ー¬ ’ ̄
    , ' │l   ! { !レ |   | `   |  |丶|___|y、\ `<
  r‐'"     | | ト、ヽト'  ヽ__/     ヽ__/'..| | |∧ナ、 `、ー-ヽ_
   `゙''ー─ 1'|/.ヽト、 ""  ヽ――/  "ノ.| |,ヘ` 、`ニヌ ̄
      l ̄ ‐、'v─-、>‐、   ヽ,/   イ ,‐‐K _∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
     _.└─-〈    l  ニl` T l //l l lニ  l \ __
      l  ̄ニ,-`ー一l   -!ヽヽl_//┴'‐ !-  l <   l / __ |     |    |      | |
.    └‐ ̄ l  ,‐  `ー,‐'l ̄`ロ'´ ̄l `ー‐' <  /      | ̄ ヤ| ̄ ヤ| ̄ ヤ !!
         〉'   /  / └─´ `┬┘     <          ̄    ̄   ̄
         ヽ./     ̄ー一 ̄ー''ヽ、_       ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
         ヽ./  /   l  l   l   !
     ☆    \, ヘ _, へ ,ヘ_, ヘ_/    ☆
            l_,-─l l_,-─l
   ☆     ☆    l  _l l  __l_    ☆    ☆
            ┌ ~l><l,┌ ~l><l,
            l`ー'二ヽ.l`ー'二ヽ.
            ト,-‐─‐|ト,-‐─‐|
一匹の厨が必死にスレの流れを操作しているスレはここですか?
>>672
負け犬必死だなw
>>673
(´゚ c_,゚`)
675無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 23:42
>666
>雨が上がったタイミングで突っ込むというのは

横山「武田勝頼」では、武田方の農民(農作業の都合上、ある程度
気象予測ができる)を買収し、武田軍にニセの天気予報を流したと
されている。もちろん織田方は正しい情報をつかんだ上で、ちょうど
雨が上がった頃に合戦が始まるよう武田軍を誘導したとある。
たぶんフィクションだとは思うが。
676無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 23:50
つーか、君たちこのスレ読んだうえでの発言?
>>630
>>636
ネタにマジレス厳禁
ネタにマジレスする場合は、内容を発展させて欲しいよね。
>>651
勝頼が陣代で当主は信勝だとかいうこと自体、胡散臭い話です。
勝頼は当主として動いてます。
勝頼に責任を押し付けるための創作と見るべき。
>>659
武田の家風は合議制。その通り。だから勝頼に決戦を強行する権限など
ないし、重臣達も自殺だの殉死だのしたわけではない。
それならば退却戦で死ぬより前にとっとと死んでいるはずだろう。
>>666
武田軍が雨が上がったから突撃をしたのではなくて
織田軍が21日の早朝に鳶ノ巣山を落としたから
武田軍は開戦か撤退かを迫られる状況となり、開戦に及んだのでは?

20日夜半に雨が止んだから信長は翌日の決戦を意図して別働隊を編成し
送り出した。天候を気にしていたのは信長である。
>>664
格言に「美濃を制する者は天下を制す」と言うようですな。
>>681
なるほど、、そうだな。
>>682
架空
685無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 00:54
美濃を収めていた土岐氏はいうまでもなく応仁の乱で主役をはれるほどの
財力と兵力を持っていた。
美濃を取るもの天下を取ると言われるくらい交通の要所であり経済の要所
であり肥沃な土地が広がっていた。
ましてやさらに交通の要所である尾張を持っている織田家であればなおのこと
天下に近かっただろうね。
686無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 00:58
そんなことを言うと「謙信なんて放置して美濃を攻めなかった
信玄は無能」とか言い出す厨房が集まってくるぞ。
甲斐なんて放置して美濃に産まれなかった信玄は無能
688無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 01:10
駿遠参の太守の今川は(ry
中国を治めてた毛利は、海上航路の要所である瀬戸内・日本海航路と銀を(ry
今川はともかく、毛利は頑張ってたと思うが
>>687
斬新な意見だ
信玄勝頼と二代もかけて国内統一すら出来なかった武田は無能。
信長に負けてしかるべし。
国内って、甲斐国内?
一応統一してたのでは・・・。
日本国内のことなら、信長だって統一できてないし。。
甲斐統一は信虎の仕事だから三代だ
今川義元は頑張っていたね。
氏真は頑張るとか頑張らないとかのレベルを超越している。
その偉大にして崇高な思考回路は常人である我々には理解できない。
695無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 01:17
秀吉を除く全ての武将が無能という理論だな。
>>695
家康
>>692
家中統一
氏真公は信玄や信長より崇高じゃボケが
なんか知らんが盛況だな
>>697
家中統一は、織田家のやばいんじゃないか?
信長は家臣に殺されたんだぞ。。。
701無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 01:21
>>696
三河松平氏の系譜として考えれば何代もかかってやっと統一したに過ぎん。

秀吉>>>>>超えられない壁>>>>>>>>家康>その他
702無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 01:21
氏真って時勢を読むのに長けてたの?
織田家も、だった
704無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 01:21
>>702
読んだんじゃない。時代は氏真公が創ったのだ。
>>700
そういう話をしてるんじゃない。
家中をまとめ強固な軍団を作れたかどうかなのだ。
今日の人のネタは高尚過ぎて付いていけそうにない。
もっと初心者向きで頼むよ。。
>>701
知障?w
信玄や信長と違って親の遺産は負ばっかだが
信長もどちかってーと負債の方が多かったがな
>>707
白痴?
スレの流れも日本語も読めないらしいな。
>>708
信長は普通に利が大きい遺産を受け継いだんじゃないかな?
ただしその遺産を一部捨てて自分で土台を作っていった面もあると思うけど。。
711無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 02:41
初期の家康を支えてくれた家臣団はこの上なく立派な遺産だと思うが・・・
老舗で、既に銀行の抵当にも入ってて、老従業員の忠節も重荷、、、
こんな家業を継ぐくらいなら一人で一からやりなおしたい!!
って気持ちじゃないかな?
まぁ武士的構造を考えると現代と違い
人と人の繋がりは大きな遺産だと思うけど。。
推測論が飛び交っております
>>712は、家康の気持ちという意味ではなくて、遺産は負だ論者の気持ちね
信長は粛清しつつ強力な権力を手に入れてる
織田家で権力を握って強力な存在だった平手家は、政秀の切腹という形で粛清
それから弟、本家等々…、今川家からの防御壁だった水野家も粛清
上手く生き残った、織田家での最大勢力だった佐久間家も周知の通り
そして次なる粛清の対象かと恐れた部下によってあぼーん。

ダメダメ独裁者の典型的パターンですか?
717無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 03:37
美濃は応仁の乱の時にも活躍するくらい京に近い
本来は朝倉家も応仁の乱で主役を張っていただけにもっと活躍できていたに
違いないが一向一揆に手間取ってしまった感がある。
毛利の支配地域もまた応仁の乱の主役大内氏の支配地域と重なり瀬戸内海を
行けば京まで近いにもかかわらず中央にはあまり興味がなかったようだ。
今川や武田は京までの距離が遠かった分不利だね。
三好氏以降中央政界に打って出れたのは実力的に毛利・朝倉・六角・織田
くらいだろうが結果中央政界に興味深々で将軍擁立をして中央に出たのは織田だったという話だろ。
独裁的権力集中は良い面もあるけど、それが最も効率的かどうかは疑問。
家康は家臣任せを上手く利用したといわれるね。
どっちも使う人しだいかと。
だから武田は独裁を布けなかったから駄目だとは一概には言えない。
まぁ程度と運用の問題だけど。
言うことを聞かない家臣というのはまた別になってくるが。。
>>717みたいな厨が現れるようでは(ry
要するにあれですか、決戦兵力として進んでいた穴山隊が謎の反転をしてしまったために
囮になっていた他の部隊の努力も水の泡ということで?
721無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 05:34
決戦兵力も何も穴山隊はただの後備で兵力はせいぜい数百だろ。
722無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 06:05

戦闘中に数百人が急に反転したところで戦況にはなんら影響ない
















わけねー
723無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 06:49
それ以前に穴山信君が勝手に戦場を離脱したという話からして
疑わしいわけだが・・・
724無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 06:58
兵力の差と野戦築城が敗因だよ。
どっちにしろ数倍の陣地を作って待ちかまえている
敵軍に突撃するのは無謀。
725無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 07:15
つーか結論は出てるんだけどね。
穴山がどうしたこうしたなんて言うヤシは、武田軍が
信長の陣城&鉄砲の鉄壁の構えを相手に善戦できたという
前提がなきゃ無意味ということに気付いちゃいない。
そして多分、そんなことは有り得ないわけで。
もはや長篠突撃も失敗に終わったことを悟った勝頼は、
単騎織田本陣に斬り込み、見事信長を討ち取りました。
さらに信玄時代から影武者が得意な武田は、
素早く信長を埋めて影武者織田信長にすり帰ることに成功。
こうして武田は織田家を意のままに操り、数年の安全を得るのでした。

が、影武者織田信長に野心が芽生え、武田は滅亡の危機に瀕します。
滅亡直前に敵臣ながら源氏の明智光秀にすべてを打ち明け、
影武者への仇討ちを託しました。       〜長篠顛末記 終〜
727無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 09:43
騎馬の時代が終わった?鉄砲の時代の到来?
どうも歴史の糸を繋ぎにくいな。

その後平和な江戸時代が到来することを踏まえると、
長篠の戦はどういうポジションなんだ?さっぱりわからない。
>>727
そもそも日本史に騎馬の時代ってあったのかよっていいたくなるよな。
729無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 10:41
日本の戦国時代に騎馬の時代も鉄砲の時代も来なかったわけで。
敵陣めがけて突撃するのが戦の華ですよ。
その証拠に300年たった後もピケットチャージやらなんやら・・・
もうアフォかと。
何をもって真性というか知らんが
>>729
  ,,=-- 、       
 @ 彡" ヽ》       
 ノノノ ´ ゝ`l   ,)    情けない人ね。
 ((巛  ゚_ノ 〜 '' ∫
 _,ノ /_   ,,m━・ 
(  \__) ヽ ( /     
ヽ ヾ   )∨/
>>729
騎馬の時代はなかったが鉄砲の時代はあった。
関ヶ原の鉄砲装備率など異常。
734無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 14:38
長篠で武田もたくさん鉄砲持ってたよ。
ただ、当時の鉄砲は攻撃には使いにくく防衛戦で真価を発揮したからね。
しかも織田側の鉄砲兵は野戦陣地と多数の足軽に守られてるわけで、
それで織田家の鉄砲が突撃してくる武田に対し威力を発揮し
後世に「鉄砲の威力で勝った」喧伝されたんだろうね。
735無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 14:44
>>733
「あった」という過去形はおかしいかも、
現代も鉄砲の時代だし。
736無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 14:45
日本史において鉄砲が戦場で真価を発揮したのは西南戦争がはじめてかもしれません。
737無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 14:47
>>736
いや、違うね
>>735
その後300年くらい戦争が無くなるから

現代はレーザーとミサイルの時代。
その前は大砲と機関銃の時代。
739無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 14:48
レーザー光線だぞぉビビビビビ
740無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 14:54
>>733
関ヶ原の鉄砲装備率が異常?

のちに鉄砲装備率100%の戦いなどいくらでもあるけどなあ。
現代戦は勿論、そうだが、
欧米ではどんどん現代戦のような鉄砲装備率100%の戦闘が主流になっていき
ナポレオンの争乱の頃はそれが当たり前になってたけど、
日本では何故か大阪の陣で「鉄砲が多すぎて苦戦した」とかいう理由で鉄砲に重きを置くのがはばかられた。
俺が思うに大阪の陣のは単に武将が運用上のミスで苦戦したのを「鉄砲が多すぎた」せいにしただけだと思うな。
鉄砲装備率は多ければ多い程良いのであって100%がベストなんだと思うが。
>>740
その当時でってことに決まってるだろ?
アホか
742無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 15:23
>>740晒しage
743無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 15:31
鉄砲の有益性というのはなかなか数字にしにくいところではあるのだが。
高価な鉄砲を競うように装備していったわけだからそれなりに効果があった
わけだろ?
関が原や大阪の陣辺りでは長篠の時と比べ物にならないくらい装備されてる
わけだし。

しかし鉄砲が役立ったという話はあまり残ってないのだがなんでだ?
現代戦と戦国時代を混同するアホがいるスレはここですか?

(っ´▽`)b シカトが一番
746無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 21:33
>>743
それが"長篠の戦い"なのでは?
最近、長篠の戦いは鉄砲で勝ったわけではなかったという説が出てきてはいるんだけど、
戦国時代の戦いでこれだけ鉄砲の威力が喧伝されている戦いはないのでやはり暴威をふるったんだろうと思われ。

まあ、わさわざ少勢で相手が万全の備えをしている野戦陣地に突撃を繰り返すようなバカな事をした武田がイカンのだが。
747無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 21:43
>>743
島左近の突撃を阻止し負傷させたのが黒田の鉄砲。
島津から井伊隊への反撃が鉄砲だな。

当時はすでに鉄砲は常識の域まで達していたのかも。
748無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 21:46
>>747
つうか鉄砲に威力が無ければ、あんな高くて生産の手間のかかるものを
戦国大名が買うわけないよね?
749無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 22:00
>>747
本田忠勝(落馬のみ)と
松平忠吉(最近負傷の原因が変わった・戦い振りも)も。


115 :無名武将@お腹せっぷく :02/08/31 13:52
松平忠吉はこの戦いで島津の松井三郎兵衛に手傷を負わされたというのが通説であった。
このため松井の活躍は脚色され、ある講談では松井が一人で
東軍に切込みかけ、東軍を「前後ではなく左右に」100-200メートル
追い回すという冗談にもならない話さえ存在する。
しかし最近は忠吉の負傷も直正と同じ鉄砲の狙撃であるという認識に変わり
ドラマでもこれが採用された。
750適当長文:03/03/09 22:59
真に鉄砲の有効性が認識されたのは朝鮮出兵だろうね。
もちろんそれ以前から鉄砲は重要だったが、お互いに同じような装備と
編成だった国内の戦にとどまっている間は、鉄砲は緒戦のうちに戦の
趨勢を決せしめ得る重要なファクターではあったが、逆にいえばそこで
止まっていたと言えるだろう。火力の優勢を以って敵の飛び道具を沈黙させ
陣形を乱す、――この段階で勝負はほぼ決まっているのだが――この後
長柄隊や騎馬武者を突撃させて敵を追い散らし追撃に移るという局面に
おいて鑓という兵器もまだ必要とされていた。
しかしながら装備も軍の編成も用兵もまるで違う朝鮮での戦いにおいて、
長柄だの騎馬武者だのといった兵科はその有用性を著しく低下させた。
万国共通で通用し得たのはただ“火力”のみ、すなわち鉄砲だけであった。
ここにおいて日本における鉄砲熱は再燃、従来以上のペースで生産と
配備が行われるようになったのである。
751無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 23:02
んで大坂陣で鉄砲装備率を縮小って訳?
752無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 23:11
長柄持って隊列組んだ集団同士がべしべし叩き合う、そんなある種の
予定調和さえ感じさせるような戦が海外で通用しなかったというのは
ありえるんじゃないかと。
753無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 00:00
>>752
そういう戦闘シーンって時代劇で槍で突くと危ないからやってるもんだと思ってた。
実際にやってたのか?
754無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 00:13
長槍ってのは二間半〜三間半ぐらいの長さでさ。
割り竹を束ねて麻布で巻き漆で固めて作る「打柄」がメジャーだね。
槍衾のように構えている所に向こうから突っ込んでくるならまだしも、
普通の槍術のようにエイヤッと突き出しても、柄がしなってまともに
突けません。
長槍は集団戦闘において「叩き合う」ための武器ですね。
もちろん、武士が使う持鑓は「突く」ための武器ですが。
755無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 00:18
もっとも、古流の槍術では「叩く」ことも相当に重視するというね。
鎧を着た相手には、叩く攻撃はかなり有効。
鉄板は刃を受け止めることはできても衝撃は下に伝えてしまうからね。

一方、突く攻撃は角度次第では鎧で流されるし
深く刺さりすぎると今度は抜けない。
756無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 21:29
勝頼公は神
757武田先生:03/03/10 23:11
      \∧_ヘ     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ,,、,、,,, / \〇ノゝ   < 家に帰るまでが合戦です       ,,、,、,,,
    /三√ ゚Д゚)     \____________  ,,、,、,,,
     /三/| ゚U゚|\      ,,、,、,,,                       ,,、,、,,,
 ,,、,、,,, U (:::::::::::)  ,,、,、,,,   \バナナはおやつに入るのですか?/
      //三/|三|\     ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
      ∪  ∪       (    )    (     )   (    )    )
 ,,、,、,,,       ,,、,、,,,  ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
      ,,、,、,,,       (    )    (    )    (´ー` )    (    )
 ,,、,、,,,       ,,、,、,,,  ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
      ,,、,、,,,       (    )    (    )    (    )    (    )
758無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 10:23
戦国の現実が見えてきて厨房がなっかりした模様

そして寂れていくスレ
759無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 10:31
ゲームで長嶋の一向宗相手に果てしない突撃を繰り返し、信長戦死で後継者を
決めねばならなくなったことがある。勝頼の気持ちはわからなくもない。
760無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 14:32
そうか、長槍は叩くための道具だったのか
>>760
クレヨンしんちゃんの映画でも見て勉強しろ
762無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 20:57
鉄砲>弓>石>長槍>槍>日本刀
ということでよろしいか?
763無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 21:05
>>92
つまり

ガンダルフが用意したエオメルの援軍が無くても
オークの本拠地のアイゼンガルドがエントによって滅ばされたから
あのまま戦い続けてたら勝てたってこと?
764無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 21:11
信長の野望では
槍>騎馬
騎馬>足軽(日本刀)、弓
足軽(日本刀)>槍
765無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 21:13
ごばく か?

三戦板的に語る指輪物語(ロードオブザリング)
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1046610355/l20
766無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 22:51
>>762
『甲陽軍鑑』に曰く、間合いによって変えろ、だな。銃剣が無い時代だし。
767無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 23:48
長篠の戦の後、それでも勝頼はしきりに兵を出して近隣を窺ってますよね。
でも織田軍侵攻のとき、高遠城での奮戦のほかはもろくも壊走もしくは
降伏で、勝頼ももはや防戦不能と見ての逃走の末、天目山で
亡くなります。
どうしてこのように武田家の終焉は、脆かったのでしょうか?
768無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:00
なぜって防戦不可能だと家中一同悟ったからでしょ。
勝つ見込みが全く無いならほとんどは保身に走るだろうねえ。
意地で戦った奴が少しいただけでもマシちゃうか。
769無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:04
もうだめぽと思っても最後まで頑張るようなやつは
どこの家でも少数だから。

勝てそうなやつに負け続けて少しずつ侵食される場合は急激崩壊し難く、
すんごい敵が迫ってきたら中核以外は逃げるので大崩壊。
770無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:06
武田騎馬軍団も滅亡したしな
そーいえば、無敵の武田騎馬軍団は最後はどこ行ったんだ?
長篠で壊滅したってことになってるのか?
772無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:09
そもそもそんなものはない<騎馬軍団
いや、居なくなってたではつまらないので、
また勝頼が判断を誤って、無敵騎馬軍団を馬から下ろして
城防御させたから、真価を発揮できないまま死に絶えたってことにしとこう。
774767:03/03/12 00:17
なるほど。
では、御館の乱のため北条氏と敵対するが、かわりに甲越の
関係が良化したわけで、逃走先を小山田のところではなく
真田の所にしていたらどうなったろう。
もしそこで敗れても、越後に逃げるという手段も
とれたはず。
旧北信の豪族は微妙な気持ちだろうが、受け入れては
くれただろうに。
775無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:26
武田の本領である甲斐を捨てたらそれはただの浪人じゃん〜
そして武田の本領とは国中であって郡内ではない〜
小山田信茂の所に逃げたというのも変な話だね〜
なんでだろ〜なんでだろ〜
776無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:26
777無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:28
>>773
「居なくなってた」じゃなくて「居なかった」
778767:03/03/12 00:29
新府や要害山城での籠城戦は無理だったろうね。
そもそも後詰がないんだから。

最後に高遠あたりで決戦とは行かなかったかな。
>>774
別に逃げても構わないと思うけど、
逃げ切るためには真っ先に逃げ出すほどのことしなきゃならないし、
上杉に逃げて、上杉が織田と和を結ぶなどという流れになって
差し出して甲斐信濃安土京引き回しのうえ斬首などされたら、
死んでも死に切れない。
信勝を落とした上で最後まで徹底抗戦というのが普通かな。

>>777
>>555
780無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:31
>>779
>>777
>>555

ネタですか?
まちがえた
>>777
>>550
>>781
つまりマジレス禁止ということでしね。
>>782
混合進行が面白い
784無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 00:36
一旦甲斐に戻る→信濃が織田のものになる→越後に行く道ふさがれる
ムカデ戦旗の長篠戦が好きだ。
決戦の前に情報戦で決着がついていたってくだり。
786無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 01:05
木曾討伐に出立した頃→2万人
穴山降伏し甲斐に戻った頃→3千人
高遠城が落ちた頃→数百人
小山田が裏切った頃→数十人
一酸化炭素中毒なのか?割腹自殺によるショック死なのか?それとも焼死なのか?
意外や意外、森乱との最中の腹上死なのか?
識者の見解を乞う!!!!
↑なんだおまえは!?
789無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 02:05
>>786
急送な瓦解だな。
穴山の離反を見ての、士気喪失といったところか。
790無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 03:19
軍団の構成要員のほとんどは地侍たちと彼らが連れてきた兵。
落ち行く主君について行くよりも村に帰るわな。
791無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 03:59
じゃあ姉川以降もちょこまかと兵を繰り出していた朝倉が
ろくに戦わないうちにいきなり崩壊したのも、それと
同じことか。
792無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 04:04
当時の大名なんていかに周辺豪族・農民を説得できるかどうか。
だから嫌われると手勢だけになる。こうなると悲惨。
関ヶ原の東軍西軍の関係を小規模にしたようなもんを想像せよ。
三成や家康は必死に諸大名を説得しただろ?
それぞれの大名の下にもさらに城主や豪族がいて説得しないといけないのだ!
793無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 04:08
有力家臣の内応→離反をきっかけに下っ端が次々脱落。
よくあるパターンだ。
794無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 04:27
俺はあんまり経験ないけど、そうやって離反されるパターンもあるみたい。
>>774
その小山田ではなく真田のとこに行けば?
という問いも多くみられるけど、
その問いは真田が小山田と同じ事をするかもしれない
という考えが抜け落ちてるね。
真田とて自分たちの存亡を懸けてまで
勝頼を守る必要はないよね。

ちなみに当時の真田は北条と織田に連絡を取った形跡があり、
勝頼一行が行こうものなら
途端に討たれるか捕らえられただけじゃない?
796無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 08:54
>>778
決戦したかったが兵が集まらなかった
797bloom:03/03/12 09:05
798無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 12:43
どこに逃げても笑顔で信長にクビを差し出されるってば
崩壊の始まった大名ほどむごい仕打ちを受ける立場はない
豪族達にとっては新しい支配者に対するいい手土産なわけだからな

日本の戦国時代、大名は結構殺されているが豪族はそうでもない。
たまに豪族のトップだけ殺されるがその弟や息子がちゃんと跡を継いでいる。
799無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 13:13
真田昌幸の親父は
武田を利用したっぽい
800無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 13:25
>>795
そりゃそうなんだけど。

素直に降伏したらどうなっただろう、って、やはり
晒し首にされたんだろうな。
801無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 18:09
>800
信長にほられていた
802フケ野郎:03/03/12 19:37
馬鹿だから負けた武田勝頼、真治、鉄矢一族 
803無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 22:01
穴山の離反というよりは単純に攻めてきた敵軍が誰の目にも100%勝ち目が
ないと分かるほどの大軍だったからだよね。もちろんそれが穴山離反の理由に
もなっているわけで。
804無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 23:45
穴山信君が駿河で時間を稼げば稼いだだけ、家康の南方からの甲斐侵攻は
遅れる。新府城は信濃から甲斐国中への侵攻を防ぐ為の城だから、
穴山信君が寝返らなければ、高遠・諏訪と敵を引き込みながら漸減せしめ、
新府城の北で最終決戦ということはできたかもしれない。
新府と駿河が抜かれなければ甲斐国中も郡内も河内も安全だし、甲斐から
直接行き来できる佐久や佐久に近い北信濃諸郡の兵も集められて
1万ぐらいの兵を確保しつつ新府城とその周辺の防御施設を活かした
戦いができれば一度の戦闘には勝つことすら可能だったかも。
まあ最終的にジリ貧という結論は変わらないけどね。
805無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 00:18
早いうちに北条となんとか和睦して、後詰の軍を送ってもらえれば
穴山の離反もなく新府での籠城も成功したかもな。
806無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 00:31
北条は関東を安堵してくれる相手と結ぶだけ。
武田が危なくなれば織田徳川と結んで関東を維持しようとする。
807無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 01:37
>>806
しかし武田滅亡後は織田と事を構えているわけだし、ここは今川を
後詰したときのように、府中に後詰していれば、どうなったか
わからんぞ。
武田が先細りというのはどうしようもないけど、当座の滅亡は
避けられたのでは?
信長も対陣を長引かせるわけにはいかなかったろうし。
808無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 02:54
今 思ったけど
兵質って 士気で計算すればいいだけじゃん
809無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 03:02
北条は武田攻めに参加してますけど・・・
810三河武士:03/03/13 03:04
>>807 そこは、武士の意地って言うその当時いきてた人しか判らないもんなんじゃ無いですか。
>>805 氏康様は、和睦に賛成のようだったが、あのボンクラ氏政
が、パアにしやがったんですよ。
811無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 03:05
805に書いたように、北条となんとか和睦してはどうだったろうか。
勝頼の正室も氏政の娘だし、縁はある。
812無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 03:05
三郎殺しといて何を言うか!!!
813無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 04:48
いや、責任の半分はあんたが・・・
814無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 06:33
>>807
織田と北条が事を構えたちゅう明確な証拠はござんせん。
北条の参戦が遅かったことに信長は腹を立てていたけれども、
表面的には平穏なまま。
北条家の態度が豹変したのは信長の死後・・・
815無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 09:43
>>799
なぜ〜〜のオヤジという言い回しなのだろう
816無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 10:47
>>811
そんなことは勝頼たちもとっくに模索したとおもうよ
817無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 15:02
結論:穴山が悪い

ってことでつか?
結論:穴が悪い

ってことでつか?

結論:穴

ってことでつか?
820フケ野郎:03/03/13 16:03
一日フケは5グラム出る豆知識
821無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 16:57
結論:設楽が原では穴山は悪くなかったが武田家滅亡の時は穴山が悪かった
822無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 17:26
穴山が離反しなくても、西から織田があの人数で侵攻した時点で結果は
大差ないと思うわけだが。
823無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 18:16
すでに長篠合戦とは関係なくどうすれば武田家が生き残れるかスレになっちまったな
824無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 19:17
>>816
だねえ。勝頼も圧倒的に不利な状況の中で滅亡回避のための方法をいろいろ模索したんだろうけど、
無駄な努力に終わったとみるべきだろうね。
何もせず滅んでいったわけではないだろう。
825無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 19:19
なんか武田軍って太鼓が鳴っている間はなにがあっても
引いちゃいけなかったてマジ?
もしそうなら長篠の時の武田兵って悲惨だよね。
826無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 19:20
思えば長篠の戦い自体が武田にとっては生き残りを懸けた戦いだったんだろうね。
おそらく、織田・徳川が設楽原の合戦で負けたとしても、信長・家康さえ健在ならたいした事はなかったろうね。
827無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 20:10
>>824>>826
そう考えると、勝頼の代の武田家は膨張する織田に対抗すべく打った手が、
結果的に功を奏さなかったとなるかな。
織田が順調に所領を増やしているのに対し、武田は美濃や遠江で城を一つ、二つ、
と攻め落とすくらいで、度重なる出兵で領国が疲弊する元になったし。
景勝に味方すれば、北条を敵に回すし。
もがいても、それが裏目に出てしまったということか。
828無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 21:14
信玄は勝頼に対し
1.自分の死を3年間伏せること
2.信勝を当主とし、勝頼はその後見人とする
3.上杉と和睦すること。できれば同盟を組むこと
と遺言したと言われが、結果的に勝頼はすべて背いている。
まあ当時の織田の情報力を以ってすれば、1は初めから無理な話だが
(むしろ足利義昭の方が信玄の死を知らず、援軍をアテにして決起したら
あっさり信長に鎮圧されている)、のこり2つ、特に3を実施していたなら
後の長篠合戦の状況は相当変わっていたに違いない。

まず御館の乱以降ではなく謙信在世中に和睦するので、北条との関係を
悪化させることなく上杉と組むことができる。できればかつての三国同盟
のような形になれば、上杉は北方から織田領へ、北条は南方から徳川領へ
攻め込むので、武田としては非常に有利になる。
829無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 21:14
また信玄上洛時の兵力は約25000。それに対し長篠の時には15000。
しかしこれは武田軍の総兵力が減少したのではなく、上杉対策として後方に
兵を割かなければならなかったため、動員可能数が減ったのである。
もし上杉との講和が成立していたなら、25000の全兵力を長篠に動員
できたはずなので、兵の士気を考えれば十分勝機はあったはずである。
もっともその場合にはむしろ信長の方が決戦を避けるかも知れないが、
そうなると取り残された形の徳川が降参したかも知れない。
織田が相討ち覚悟で消耗戦を挑んだ時のみ、兵の補充の問題から
武田方の苦戦が予想されるが、信長の経済力とて無尽蔵ではないので、
史実よりははるかにマシな戦い方が出来たと考えられる。

それでも武田凋落が防げなかった場合。史実では小山田領経由で
北条へ落ち延びようとして失敗したが、上杉と誼を結んでおけば、
真田領経由で上杉へ落ち延びる選択肢がより現実的となるので、
滅亡だけは防げたかも知れない。
>>794
なんの経験?
831無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 22:48
>>828・829
もしそれが実現できたら・・・.。..。.:*・(゚∀゚)゚・*:.。. .。.キャァァ

でも・・・果たしてそううまくいくかな?
現実はそううまくはいかないものだぞ!!
832無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 23:17
織田の膨張を脅威と感じたなら、甲・越・相同盟が成立してという
展開もあったかも。
だが、北条はなぜか上野に異常な執着を示しているので、そういう共同歩調は
ないような気がする。
北条って関八州には執着するのに、ちょっとそこから外れた地域(甲斐とか)
には淡白なんだよな。
滅亡のきっかけを作った真田領占拠とか、どうしてそこまで
と思ってしまう。
833無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 00:04
謙信は信長に篭絡されてるからな
834無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 00:11
>謙信在世中に和睦するので、北条との関係を悪化させることなく上杉と組むことができる。
上杉との同盟は北条との関係悪化に繋がるのでは?当時の上杉と北条との関係は最悪なんだが。
御館の乱の際に勝頼が景勝に味方したのは、金だけじゃなく、織田・徳川との脅威を避ける為に
北条との関係を重視し影虎支援をしたら、今度は関東から越後にかけての後背が
一気に北条の影響下となり、それは武田が左右前後を強力な勢力に囲まれる結果となって
結局は自分の首を絞めるようになる。

それに武田の動員数が減ったのは、連年の出兵に対して従っていた上野衆なんかが
上方への遠征赦免を願い出て許可されてる。それぐらい家臣に負担がかかって、その不満が多かった。
金山収入も「於金山黄金無出来」と書かれてるぐらい枯渇している。
それらから武田家の経済事情はギリギリだったと思われる。
よって、この時の1万5千前後の動員は、武田家にとって事情が許す限りの動員だったのでは?
835無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 00:41
連年の出兵で不満がたまり、最後の時にそっぽを向かれたか。
では、内政重視していれば?
やっぱ織田に押されてジリ貧かな。
836無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 01:22
織田家を討ちたいのなら、まずは徳川を完全に滅亡させるか、
時節到来まで小さな戦を避けて、信長に乾坤一滴の勝負を挑むしかない。
徳川を討つのなら長篠の戦いで長篠城を保持した状態で切り上げるのが条件。
でなきゃ、それこそ3年間国力を増強して毛利本願寺と呼応するしかない。
荒木謀反時とか、うまく大軍を起こすことができれば勝機はあっただろうに。
>>836
あなたが考えてたようなことを勝頼が考えなかったと思いますか?
世の中はそんな脳内妄想のように都合の良い展開ばかりではありませんよ!
838無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 01:47
>>837
いや、だから三年秘喪は歴史を知ってる後世の創作・・・といいたいのが半分。
勝頼が徳川との戦争を泥沼化させて国力を衰退させたのも事実でしょ。
839無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 02:23
まず信玄の遺言自体が信用ならんちゅうわけなんだが・・・
840無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 02:29
信玄の遺言のうち本当にあったと言えるのは、その死を三年の間
隠すということだけ。実際、信玄の葬儀がその死から三年後に営まれた
ことから確認できる。
841無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 08:41
>>829
あのね信玄の西上作戦はあくまで渾身一滴の戦いで相当、無理な数の兵を同意難したの。
それに対して、長篠は基本的に決戦を目論んだ戦いではない。
それに15000ではなく8000だという説が有力になりつつあるけどね。
長篠城を陥とかにはそれくらいで十分。
「渾身一滴」って、新たな2ch用語?
843841:03/03/14 09:08
悪い悪い、書き間違いだ。
844無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 09:22
どう書き間違えても
渾身(こんしん)乾坤(けんこん)を間違える訳ないねw

それ以前に
>15000ではなく8000だという説が有力になりつつある
こんな書き方するヤシは大抵嘘八百野郎だが。
説が有力なら今までの説を否定し、なおかつきちんと論証されてるんでしょう。
楽しみ楽しみ。
845無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 09:51
>>841皿仕上
>こんな書き方するヤシは大抵嘘八百野郎だが。

確かにw
逆説厨にありがちなパターン
847無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 10:53
なんにせよ武田は長篠城を落とすために出陣したのであって、
織田、徳川と決戦するために出陣したのではない。
848無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 11:01
細かい戦と書かれているが意味のない戦は一つもない
そもそも勝頼が自己満足のために兵を動かせるわけでもないしそれなりの理由が
ある、それらを無視していればそれこそ武田家にほころびができていただろうに

なにをもって細かい戦はしなくてもよいと結論つけるのやら
849841:03/03/14 11:04
一応、小兵説のソース書いとくね。
設楽原にはそんな大軍が動きまわるスペースはないんだよ。
別動隊と併せても八千程度

http://www15.cds.ne.jp/~eagle/moto/1575ngsn.html

>>844
いろいろ文章を書き替えていくうちに、そうなったの。
戦国最強の武田騎馬隊とかいっちゃってるサイトをソースに
もってこられてもなぁw
>>849
「一滴」もおかしいです
乾坤一擲な
>>849
それのドコが有力説と証明するソースなんだよw
設楽原に動き回るスペースがない?設楽原だけに展開してた訳じゃないんだが。
まともに論証されてないんだが?詳しく論証してくれよ。
まさか受け売りの鵜呑み…じゃないよね。
ネットで有力なソース見つけるのは難しいんだよな
どっかのおっさんの趣味のサイトばっかだし
そもそもネットで見つけたのお有力なソースというほうがどうかしてる。
そこらへん論文書く時には注意しろよって教授が口すっぱくして言ってた。
ネットで見つけた文章は参考文献に載っけちゃダメよって。
855J,W.ブッシュ:03/03/14 22:00
千載一遇
856無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 00:16
大体な

関が原だって両軍合わせて数十万人が展開できるスペースがあると思ってんのかよ

と思うわけだ
歴史はネットで起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ
一度いってみれ
857無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 01:16
勝頼は少なくとも家康との決戦は考えていた。
そうでなければ、長篠城を囲んだ後で吉田あたりまで南下して家康を
挑発したことの説明がつかぬ。
そんなことに10日もの時間をかけていなければ、信長到着以前に
長篠城が落ちていた公算が高い。

武田軍を7、8000、織田徳川軍を1万7、8000と書いたのは
確かどこかの寺の記録だったと思ったが。
それを書いた人間が双方の兵力を把握し得る立場だったかどうかを
検証してみた人はいたのか?という問題だな。
858無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 01:26
>>849のサイトおもしれー
通説俗説のほとんどを盛り込んでネタ山盛り。
こんなところで「〜〜が有力である」と言われてもなあw
三段撃ちだの佐久間寝返りだのも事実だと強弁するしかないかww
859無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 09:05
>>849のサイト、たしかにおもしろいね
あれだけ膨大なネタをこつこつ書き込んでいった
努力にはマジ、敬服します
このスレの論争について誰か教えてやったら?
北条氏直 1562年〜1591年(永禄5年〜天正19年) 30歳
源三・陸奥守・北条氏康の二男 下総栗橋・下野小山祇園城主

武蔵滝山城主大石定久の養子となり,大石源三或いは由比源三と称す.
天正年間(1573年〜1592年)には北条氏の北関東侵出を主導する役割を果たし,
古河公方関係の抑えとして栗橋に入り,ついで下野小山氏を追って祇園城も領した.
天正16年(1588年)八王子城に移る.
同18年小田原開城後,兄北条氏政と共に豊臣秀吉から切腹を命ぜられ,
7月17日自刃した.印文『如意成就』や印文未詳の印判を使用

>>849のトコ参照
さすが有力説が書いてあるトコは一味違いますね
書きながら時系列がおかしいと気付かなかったのか?
861無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 10:33
>>859
いや>>849のサイトの文章自体は
ちゃんとした歴史学者が一般向けに書いた「戦国合戦事典」(題名うろ覚え)と
いう本のまる写しだよ(オリジナルの付加とか写し間違いはあるかもしれない)

小和田さんなんかでもそうだけど、歴史学者はテレビとか読み物的な本など一般向けには
意図的に話しのレベルを落として書くからね。
「桶狭間の奇襲」とか「三段鉄砲」とかいう史実ではないとわかっている事でも話したりするんだよね。
前に日本史板にあったスレだけど、とある有名な史学教授が今後の日本をどうするといった内容の講演で、
「日本は信長のように革新的かつ合理的でなくてはならない。
信長は長篠の戦いで三千丁の鉄砲を揃え戦国最強の武田騎馬軍団を打ち破った。
三千丁の鉄砲を揃えるには領内で楽市楽座などをおこなって経済利欲を伸長させ・・・」
といった内容の講演をしたのをたたくスレだったんだが。
結論はこの史学教授はこういう事が事実ではないとわかってて、あえて例えとして使ったという事で落着した。
他にも例を上げると、
かなり意図的でおかしな事間違った事を言っている「知ってるつもり」でも
歴史上の人物の特集でゲストとして呼ばれた歴史学者は
決して番組の流れに逆らわすニコニコ笑いながら相槌打ってるよね。そんなもんなんだよね。
862無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 10:42
>>857
どうかなあ・・・・
普通に「勝頼は離反した奥平に激怒し長篠城を奪うために八千程度の兵で攻めました」で良いんじゃない?
長篠は大きな城でもないから、人海戦術は意味ないから、少しくらい兵をさいても変わらないよ。

なんにせよ、あなたの説が正しいとしても>>834の勝頼は織田・徳川との決戦のために出兵したという考えはどうかなあ?
ありゃ、あくまで長篠城の奪取が主目的で、あわよくば家康を叩こう程度に思ってたんじゃない?
863無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 10:49
>>858-860
意識して俗説・異説てんこもりで面白おかしく書いたんだろうけど、
その中でも長篠の少兵説は歴史学者としてそれなりの説を主張を展開した部分だと思うよ。
>>857の言う通り、一応のソースはあるわけだし、現場検証や研究を行ったうえでの説だよ。
864無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 11:04
戦国合戦事典の著者って小和田さんじゃん。
タレント教授してるなあ。
テレビで引っ張りだこだし。
865無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 11:14
その中でも長篠の少兵説は歴史学者としてそれなりの説を主張を展開した部分だと思うよ。
>>857の言う通り、一応のソースはあるわけだし、現場検証や研究を行ったうえでの説だよ。

おーーーーーーーーーーい、どこに現場検証や研究が書いてあるんだよ
「戦国合戦事典」にも現場検証すら書いてないぞー
ドコの誰がどんな検証して構築された説なのかが、さっぱり書いてないんだけどさ
>>861-863はソースにもならんものじゃなくて、きちんと論証されてるソースを示してくれよ
まあ自分サイドの『講談・武勇伝』の類を
「この数字が正しい。ただし対決した他大名の記した『記録』は正しくない」
とまで言切る島津信者に比べれば、全然ラクチンな世界ではある。
867無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 12:19
>>865
( ´,_ゝ`)プッ
ついに煽り逃げが発生しました。
ぶっちゃけ
武田は第四次川中島の合戦から
弱ってるがな。
いや武田は鎌倉時代から弱ってる
いや武田鉄也は頭も顔もすべてが弱っている
日ハムの武田は今はどうなったかわからん
ベルデの武田は今夜もチンポコ絶好調(・∀・)
867 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/15 12:19
>>865
( ´,_ゝ`)プッ


こいつが発生するとスレが急激に劣化するなw
>>874
わかってるなら下らんレスつけるな知障
876無名武将@お腹せっぷく:03/03/15 15:08
>>865
いいじゃないか、小和田教授が一般向きの本にあえて定説とは逆の事を書いたんだから、
これはもう静岡大学史学科の研究成果なんだろ。彼らが研究し検証した結果なんだろ。

確かに前提を疑い出したらキリはないとは言うものの、
あんまり何でもかんでも疑って自分で確認できるソース出せと言ってたらキリがないんだよ。
実際、私は相対性理論を理解できないけど、正しいとは思ってるぞ。
>>874
( ´,_ゝ`)プッ よっぽど相手してほしいみたいですねw
>>876
何言ってんの?確認出来るソースもないのに正しいとは言わんだろ?
つか相対性理論と同じ扱いにすんの?そういうのを言葉のロジックでごまかしたって言うのだよ
特にこの板は捏造する人間が多いからね
つかこの説の論証を何一つ解説すらしていないんだけどねぇ
結局、あれだな、>>841は何一つ答えず逃げたって訳だ
本能寺スレにも似たようなのがいたからなぁ
もしも、始めから決戦するつもりだった説が正しいとしたら、八千であるにしろ一万五千にであるにしろ、
数倍の兵力を動員してくるであろう、織田・徳川勢を正面攻撃で撃破するつもりだったのかな? 勝頼と宿老は?
もし、そうだとしたら彼らは所詮その程度の連中だったという事だ。
そんな戦バカどもは、いずれは負けて歴史から消えさる宿命にあった連中だよ。
>>878
まぁ落ち着け、出し惜しみかもしれんだろ。

信玄の死去1年後、勝頼は1月から美濃に侵攻し4月に信濃へ帰還。
その足で駿河へ侵攻、6月に高天神城を攻略し駿河へ帰還。
8月に駿河から再侵攻し、三河を縦断して信濃へ帰還。
翌年、信濃から三河へ侵攻開始し、長篠を包囲。
とこんな感じなんだが、これから言えば勝頼は(織田とは知らないが)徳川との決戦を望んでいたのではないだろうか?
三河・遠江を信玄死後1年たってから荒らしまわっている。
なのに家康は全く主力を差し向けずに、篭城策を取って反撃すらしていない。
これは織田は畿内がある程度安定するまで決戦を避け、十分な戦力を三河・遠江に差し向けられるまで
家康に防御に徹しさせたのではないかと思う。
家康も自力での武田対抗が不可能だと判断していたので、それを受け入れあえて決戦を避けてたと思う。
武田も、それを十分に理解していたので畿内が信長に完全に制圧される前に徳川を完全に叩いておきたかったのだが
信長が予想以上に早く畿内を抑えてしまった為に、格差が今以上に開かないうちに
決戦に持ち込む必要を迫られたのではないかと思うんだけど。
881無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 00:41
浅井・六角・長島・足利・松永等々の敵対勢力を倒した後の信長が、
武田との決戦に一万数千の兵しか率いていかなかったとする方が
おかしいと思うわけだが。
滝川・丹羽・羽柴といった武将を連れ、信長・信忠が親子で出陣して、
たったそれだけですか?と。
882無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 08:42
>>881
考えられるのは、あんまり大軍で行くと勝頼が逃げるかと思ったという所だろうか?
そのかわり機内で鉄砲を借用しまくったというとこか。
883無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 09:05
徳川は織田家の援助を待って武田を潰したかったんだろうね。
単独では決して武田を相手にせず、我慢の一手というわけだった。
織田も武田が怖いので徳川勢をできるだけ活用し、
機内で鉄砲を集めまくり野戦築城を周到に行い武田勢を待ちかまえた。
勝頼も退けば良かったのだが、鳶ノ巣砦の陥落で逆包囲されたのが痛かったか。

しかし、それでも勝頼は突撃せず退く事はできなかったのか?
織田も決戦の必要は感じてなかったのでは?
博打的要素が高い決戦を選ばずとも、経済・外交政策で武田は弱っていくだけだし。
だから長篠に後詰に赴いた時も、武田の倍以上の戦力を集めたにもかかわらず
入念に陣地を構築して重深陣を敷いて、戦っても良し、退かれても良しという風に考えたのではないかと思う。

武田とすれば大軍を率いての遠征は過重な負担となってたようだし
ここで織田と勝負出来ずに退けば、領内統制にも影響は出てくるであろうし、
織田との勢力差は開く一方になってしまう。
そうなれば長篠以上に苦しい状況での決戦になってしまうので
戦況が思わしくない長篠での決戦を選ばざるをえなかったのではないかと思う。

確か勝頼が高天神城攻略した時に、信長は後詰に来てるんだけど
高天神城が落ちたのを聞いて、信長は岐阜へ戻ってるね。
この時の勝頼の行動が知りたいんだけど、信長が後詰に来たのを聞いてどういう行動取ったんだろうか?
長篠合戦が、信長が出てきたら決戦に持ち込む気だったかどうかを判断する格好の材料と思うんだけど。
普通にできただろ
勝頼がDQNなだけ
886無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 09:59
>>885
同意、倍以上の敵に野戦で正面から突っ込んで勝てると思った勝頼は俺らよりバカ。
>>883
過去ログ読め。
888無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 10:49
過去ログ読め
>>884
城が落ちたら後詰は引くのが当然。
長篠が落ちなかったから決戦とあいなった。
戦争は有利な状態で始めるのが王道であり、信長は戦争の天才であるからして。
んだね
有利な状況だから信長が勝のは当然に見えても
その有利な状況を作り出すのが信長のすごいところ
891無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 16:27
2倍以上の敵を相手にする場合というと、仕方なく出陣せざるを得なくなった
というイメージがある。
劣勢な方が自分から仕掛ける場合は、工夫を凝らして(厳島みたく)から
仕掛けると思う。
この場合、劣勢な方が自分から仕掛けてしかも工夫がなかった、
と言うイメージがあるんですが。
高天神城のときは、信長が見殺しにしたという説があると思うんだけど
長篠城攻めでも、信長は出てこないという読みが勝頼にあったのでは?
>>885・886
わらわせる連中だな
そんな下らんことはそこらの奴でもいえるだろ
( ´,_ゝ`)プッ まあ所詮ゲーム厨か
894無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 19:32
>>893
だから勝頼って俺らより馬鹿だなって言ってるんだよ。
895無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 20:07
>>891
劣勢の側から仕掛けて工夫がなかったどころか、
織田・徳川の側に入念な工夫があったんだよ。

織田・徳川の側に大量の損害が出たというのも嘘だろうね。
確か「六千」だったかな?
これが死者ではなく負傷者なども含めての数字だったとしても、誇張も良いとこでろ。
主要な武将が死んでも負傷してもいないし、織徳側に大きく崩れたといった記述もない。
だいたい、それだけの損害を出したのなら織徳に何らかの記述があるはずだが、さらりと記してるし。
また、武田側の「一万」の損害の数字もいくらなんでも滅茶苦茶だろう。
896無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 21:01
武田は一万くらいは死傷者を出しただろう。 そうでないとその後の武田の衰退ぶりと
つじつまが合わない。
当時の武田の総動員力が三万余としても二千や三千の損害ではその後の東海方面での
徳川相手の苦戦が、これまたつじつまが合わない。
まだ武田が最大版図の三分の二程度だった川中島合戦時でも四千人の死者を出しながら
その後も激烈な戦争を約十年間続けた事を考えると、長篠で戦死した数は少なくとも
一万は超え、またその一万は三万余の武田軍の中でも中核を成す部隊で、本国から
動員されてない残りの一万五千はそれこそ各地の農民兵のような予備兵力程度の
ものだったのではないかと思う。
897無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 21:18
>>896
お前アホだろ
一万も死傷者でる戦い?現代戦やってるとでも思ってんのか
川中島で4千も死者だしてたら武田は崩壊してるっつーの

つか予備兵力の農民兵?兵農分離でもしてるんか?
898無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 21:54
だよね。
合戦というのは我々が思ってる程、死者はでない。
実際、激戦と言われた戦いでも兵力の10%程度がいい所。
関ヶ原なんてあんなに長時間、大軍が戦って両軍併せて二千程度と推測されてる。
899無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 21:59
武田の衰退は兵士の大量死などではなく、
有力武将の死亡と流れが武田から織田に傾いたからだろ。
長篠以後も武田は兵の大量動員自体はできたよ。
実際の戦国を見たこともないやつが「当時の合戦は・・・」などとちゃんちゃら可笑しい。
さすがに関ヶ原は二千じゃすまないと思うが。
>>900
あのさ、そんなこと言ってたらこの板の意味がなくなるだろ。
関ヶ原二千はいいすぎだよな。
まあ、戦争は思ったより死者が出ないのは同意。
>>902
ここは別に妄言を語り合う板じゃないだろ?
905無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:18
>>904
妄言じゃないよ。
見たこともないこと・根拠のない決め付け・脳内シミュ=妄言
907無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:26
荒らすな
当時の戦争で死傷者が少なかったとする根拠は?
少なくとも一万人死傷者、六千人死傷者などは書物に残っているデーターなのだが・・・(汗
909無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:31
>>908
書物ね…何に書いてあるものか知っていますか?
910無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:32
三河物語
911無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:36
…駄目だコイツ
912無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:38
武功夜話
出直せ
914無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:43
書物に残っているデータねえ・・・
『多門院日記』→1000ばかりも討ち取った
『大須賀記』→川岸に追い詰めて2000を討ち取った
「大敗」でもこのぐらいが現実的数字。
『信長公記』の「一万ばかり」だの信長書状の「数万を切り捨てた」だのは
あまりにも白々しい。
つーか過去ログ読め。
915無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:48
信長公記は一級資料なわけだが・・・
916無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:49
書いてやっとくか

「信長公記」一万余
「武徳編年集成」一万二千余
「多聞院日記」千余
後は何か他にも書いてあったが忘れた

織田徳川の被害について、書き残された史料は俺は知らない。
是非教えて欲しいね
六千というのは「大日本戦史」だから参謀部の算出した数字だと思ってたがね
917無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:51
>910
三河物語は、数値とか割り引いて読んだ方がいい。何しろ織田・徳川連合軍の
動員数を「十万余」、武田軍でさえ「二万余」と書いているくらいだから。

実際のところ総戦力の20%も損害が出たら、その時点で疲労や士気が限界に
達しておりそれ以上戦闘継続はほぼ不可能。だから武田方にしても、
総戦力を15000と仮定すると、そのうち10000の損害を出すまで突撃を繰り返せる
はずはない。だいたい3000程度の損害を出した時点で壊走し、追撃戦で2000程度の
追加ダメージを受けたというのが妥当かな。
918無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:51
信長公記は信頼出来る記述が多い一級史料だな
全て正しい、信じられる訳じゃないんだがね
これ常識、笑わせるね
919無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:53
じゃあ君らは損害がどの程度だと思ってるわけ?
数字とそれを算出した数式を提示しなさい。
三河物語信者もな!!
920無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:53
三河物語に損害の数字は書いてないぞ
921無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:54
>>917
近代の軍隊でもない限り3000の損害を出すまで突撃なんて
できるはずもなく。その前に瓦解しますよw
922無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:57
信長公記の記述をそのまま信頼するなら
死傷者一万じゃないな、討死一万余だな
一万人も死んでます
923無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:58
>>921
3000人というのは絶対数値なの?
軍勢総数の何割の犠牲という相対的な数値ではなくて
924無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:58
>>921
だから妄言は良いんだよ。
その根拠を語れよ。
3000の損害を出すまで突撃が出来ないって何か信頼できる根拠あるのかよ?
925無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:00
>>924
( ´,_ゝ`)プッ
おめでたい脳味噌だね
926無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:01
一万の損害を出すまで突撃が出来ないって何か信頼できる根拠あるのかよ?
927無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:02
>>924
お前は>>908>>910>>915>>919の内のどれだ?
928無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:03
旅順要塞の第一回攻撃では31%の損害が出るまで六昼夜の突撃が続いております。
929無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:04
で、突撃してきたの?どうやって?>>924>>926
930無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:07
で、突撃してきたの?どうやって?>>924>>926

で、旅順要塞のような現代戦だったの?>>928
931無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:07
たかが半日で機関銃も大砲も無くどれほどのことができるのだ?
しかも、兵は領主が自腹で率いてくるもの。そんな損害を出すまで
戦おうという酔狂な奴はほとんどいない。紙切れ一枚で補充できる
ものではない。
932無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:09
>>928は信頼できるデータだな。
それを元に算出するなら武田軍一万五千として五千まで損耗してもまだ
攻撃能力があるということになる。
933無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:12
『信長公記』あたりだとさも鉄砲だけで敵をばたばたと倒したかの
ように書いているが、実際そんな戦はできるはずもない。
「千挺計」の鉄砲を織田軍だけで1キロに渡る戦線に配備した
ところで、何千何万の戦果は挙げようもない。
しかも相手は始めて鉄砲を見た蛮族ではないのである。
いつまでも無謀な突撃を繰り返したと考える方がどうかしている。
当時の軍は各領主が自腹で軍備を整え率いてきたものだ。
兵の損害は全て自分の懐から補充せねばならない。紙切れ一枚で
補充できる時代ではない。無用の損害を好んで出す者がどれほど
いたというのだ。
せいぜい武田軍は竹束構えて突き進んだがどうにも攻めあぐねた、
ぐらいのことだっただろう。
『信長公記』の記述を信じようとすればどこかで矛盾が出る。
つまりどこかに虚飾があるからだ。
とすればやたらと威勢のいい記述、やたらと多い数字から疑うべきは
当然である。
934無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:12
>>908が誤魔化してスレ潰して逃げにはいったね
織田徳川連合軍には機関銃を装備して、武田は日本陸軍並の軍統制だったって事かw
935無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:15
>>931
旅順要塞攻略よりも無防備な状態におかれていたといえます。
なんせ至近距離から陣地の弓矢鉄砲でズドンですから。

高橋紹運の篭る岩屋城に攻めかかった日向勢などは一日で千人あまりの
兵がほぼ全滅しています。損害率からいうと90%を超えています。こういう
例もあるわけです。
 本拠地に戻ってきたとき確認できなかった兵の数を
全て「戦死者」として扱えば、かなり上乗せされて
一万とかいう大きな数字が出てくるかもしれないが、
実際に戦場で死んだ兵数としては大きすぎるよなあ。
937無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:18
>>935
長篠ですらこれほど議論になるのにその数字を素直に信じてよい
根拠はあるのですか?
らいむいろ戦記譚というアニメで旅順攻略について、やってます。





原作はエロゲだが
939無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:21
武田軍は陣地に篭る敵を攻めるのに竹束の一つすら用意しなかった。
なぜなら、鉄砲を軽視しきっていたからである。
こんなのは常識だろ。
940無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:22
旅順攻撃 第1回総攻撃(明治37年8月19日〜24日)
織田徳川の野戦陣地はロシアの近代要塞旅順と比べ物にならない

岩屋城攻略は一日かけて数万の大軍が千人前後の岩屋城を包囲し攻撃
脱出も出来ない

バカだなマジで
941無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:24
次スレたてて、バカレスは晒します。
942無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:25
旅順要塞と野戦陣地は比較できないかもしれんが
武田軍も近代装備の日本軍と比較できん罠
943無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:31
>>942
ロシアは最新兵器の機関銃を導入してますねw
確かに農兵の武田軍と近代装備で軍統制のとれた専業軍人の日本陸軍と比較したらまずいですねw
五日で30%の被害出した旅順攻撃と、半日に60〜70%の被害をだした長篠合戦を同列に扱うのはまずいですねw
944無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:32
馬鹿は戦争に勝てない。
945無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:38
実は旅順戦の際に双方が所有していた機関銃の数だけなら日本が数倍にも
なるのだが、何しろ当時の機関銃は動かすのが大変。
据え付けて迎撃に使ったロシアは機関銃を最大限に有効利用でき、
歩兵を突撃させ続けた日本は全く役に立てられませんでしたとさ。
946無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:40
武田軍も一応鉄砲を持ってたが・・・という話に通ずるな。
947無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:40
むしろ通信手段の発達していない昔の戦闘ほど各小部隊間の連絡が取れなくなり
乱戦に突入するともう陣形と言う組織自体が完全に崩壊して両軍がミックス状態に
なってただの殺戮戦になる。 そのためポエニ戦争のカンネーの戦いのように
四万のカルタゴ軍が七万のローマ軍を完全包囲しその過半数の四万近くを殺戮し、
ローマは国民バランスまでもが崩れかけるという信じ難い事もあった。
それを考えると通信手段の面でその時代と大して変わらない戦国時代の戦争で
軍隊は20%を失うと崩壊で〜・・・などと理論的なことを言っても無意味な
場合も有るという事を認識すべきだと思う。 数万人が入り乱れた状態では
どちらの方向が逃げ道なのかを見つけること自体が難しいし、それが分かっても
その方向にも入り乱れた状態で敵兵が多く存在しているのだから。
948無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:40
>>945
マジで?
日本軍って機関銃持っていたの?
ソースは?
949無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:42
>>947
「織田軍は陣地に篭って鉄砲で迎撃した」という前提で話している以上、
その話は今回はあまり役に立たないね。
950無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:44
戦国時代は死傷者が少ないという理論にしがみつく奴に何を言っても無駄。
ふとしたことである理論を手に入れると、それにずっと縛られるのが歴史オタなのだから。
951無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:47
>>949
武田は背後の鳶ヶ巣山を取られて、最終的には包囲殲滅に近い形になったわけだが?
むしろ被害のほとんどはその時点のものだろ。
過去レスよめよ。
952無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:47
第三軍 兵力五万七千七百、軽砲一七八、重砲五二、機関銃四八
>>945フーンw
953無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:48
>>951
陣地に突撃した時点で何十パーセントもの死傷者を出したんだと主張して
おられる方がいるようですが・・・・
954無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:48
>>952
旅順要塞の機関銃は12だった筈だが
955無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:53
>>954
旅順要塞の前進陣地のロシア軍 兵力一万八千、砲七十、機関銃三十
これより旅順要塞の機関銃は少ないと
ほほぉ
956無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:53
>>951
別働隊は川の向こうだから大して働いてないのでは?
伊那街道は川の手前だし。
現に、早々に離脱を図ったっちゅう穴山など一門の連中はちゃんと
生き残ってるじゃあないかw
退路が封鎖されたというわけではないようだ。
957無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:54
>>949
勝手に前提を作るな。
そんな話は小学生にでもしてろw
958無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:54
句読点からスペースまでとあるサイトにそっくりだな
959無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:55
>>957
え?陣地に突撃して20%はどこいったの?
960無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:58
武田軍は包囲殲滅された。


終了
961無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 00:59
>>959
そりゃ、死んだんだよ。
962無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:00
950 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/17 00:44
戦国時代は死傷者が少ないという理論にしがみつく奴に何を言っても無駄。
ふとしたことである理論を手に入れると、それにずっと縛られるのが歴史オタなのだから

↑都合の悪い事は何一つ答えてなく逃げる厨
春到来です
963無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:02
長篠の後にも勝頼は大井川を越えて遠征してるんだが…
1万人も死んだのに、凄いですね
964無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:02
>>961
馬鹿な回答すんなよ
965無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:05
俺は逆に大軍相手に乱戦包囲状態に陥った軍勢がなぜそれでも死者の数があまり多くない
のかを教えて欲しい。
966無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:05
無謀な突撃で鉄砲に撃たれて3000人が死んだってことでいいじゃん。
>>917が全面的に正しいよ。
967無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:08
細かいことにこだわるなよ。
武田は弱いから負けたでいいじゃないか?
968無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:08
鉄砲は千丁程度
乱戦状態に陥ったなんて初耳
969無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:11
>>965
『大須賀記』が明確に答えているじゃないか。
川岸に追い詰めて2000人を討ち取ったと。

北側で川と台地に挟まれて狭くなっている伊那街道を逃げようと
ごった返しているうちに織田軍本隊が後尾に追いついて討ち取りまくり。
ただし馬場などに代表されるように武田軍もそれなりの抵抗もしたので
その間に(殿に残った有名武将たちが討ち取られている間に)残りの
連中は逃げおおせることができましたとさ。

長篠城に入った別働隊は川を渡って退路を塞いでいたのか?という問題だが、
穴山だのは普通に逃げられたwんだから、それはないようだ。
970無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:13
千丁程度の火縄銃で一万以上の突撃してくる敵を2〜3回撃ってもせいぜい
致命傷与えられるのは数百人だと思うが。
そうなると後は白兵戦しかないんじゃない?
971無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:17
>>970
あんな狭い場所で1万もの人間が同時に攻めてくる事はできないし、
どの史料も各部隊が交代しながら攻撃してきた様子を描いているよね。
972無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:18
連吾川を挟んで、連合軍の陣地に対して攻撃したいたが
長篠城包囲していた一角の鳶ノ巣砦が落とされた報を聞いて
後詰の連合軍と決戦する理由がなくなったので撤退しようとして
追撃くらった

こんなオチだと思うけどな
973無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 01:20
鳶ノ巣山砦強襲の方が先では?
975無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 06:52
織田の鉄砲千丁説も逆に批判されてるよ。
何故なら戦国時代、武田や上杉ですら7〜10%の鉄砲を持っていたという軍役帳が残っているのに対して、
もしも織田の総兵力d)小説説二万、大兵説三万八千で鉄砲千丁だとしたら、当時としてもあまりにも少なすぎる。元々、総兵力の2%〜5%しか鉄砲を持ってなかったことになる。
しかも信長は長篠の戦いの前に近畿で細川から三百丁、
筒井から百丁というように鉄砲を確認されただけで約九百丁借りている記述があり、
これをふまえると織田の通常編成軍の鉄砲ははじめはほとんど無かったのか? ということになりかねない。

信長公記の「千丁」はあくまで近畿で鉄砲の借用し佐々成正や原田直政に指揮させた直属の鉄砲隊という事らしい。
つまり信長の軍の通常軍役の鉄砲+長篠の前に近畿で急遽集めた鉄砲隊千丁というわけだな。
鳶ノ巣砦攻略の織田勢も鉄砲を四百丁持っていったし、
さらに織田のほかに徳川軍も別に随分、鉄砲を持ってそうだ。

つまり織田、徳川勢はやはり豊富な鉄砲を持っていたらしいんだな。
976無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:05
>>971
そんなんだな。
武田勢は山県隊が突っ込み、武田信廉隊が突っ込み、真田隊が突っ込みといった繰り返しを各隊順番にひたすら続けたわけで、
これって、武田の方が小勢なのにもかかわらず、戦術的には小勢で大軍を相手にして各個撃破され続けたわけなんだ。

兵法的には「兵力の逐次投入」という最も避けるべき行動を実行したわけなんだよね。
977無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:23
>>975
それまでの戦国時代に「鉄砲のみ」が集められた部隊がどのくらい
あったか?という問題だと思うが。
3万いりゃデフォルトで3000挺ぐらいは全体として装備してた
はず。しかし集中運用できたのは旗本鉄砲隊の500挺程度が限度
だった。それを各部隊からの引き抜きで1000挺も増やせたなら、
作戦行動に幅が出てくる。
ちなみに長岡藤孝からは100挺、筒井順慶からは50挺しか
借りていない。
978無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:27
>>976
織田軍も横に広い布陣をしていたんだから、一つの部隊を全軍で
相手できたわけじゃなし。
一点突破を狙って交代しながら攻め続けたんだろ。
979無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:35
横に広い「面」である陣地に対して、半分以下の兵力では
全軍で「面」を構成して戦ってもそもそも勝ち目がないので
「点」での攻略を企図した。そして一部隊が延々と攻め続けたのでは
疲弊してしまうから、交代しながら攻撃を続けたってところでしょう。
>>976
味方の部隊とすぐに交代できる状況で戦うことを兵力の逐次投入とは言わない。
981無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:43
結論
武田が弱いのだ
そして織田が強い
982無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:47
春だねえ
983無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 07:57
うむ 春だねえ
984無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:01
そして 春だねえ
985無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:24
>>978-980
武田オタは長篠の戦いが時間がかかったのは武田が善戦したからだという事にしているが、
実際はそういう突撃が長時間続き、織田側も無理せず陣地を生かした防御に徹し続け、
打って出なかったから時間がかかっただけだろう。
そして、ついに武田の攻撃能力が尽きた所で一気に反撃に出たという理解で良いわけかな?

武田の突撃が長時間続いたのも何となくわかる、戦というのは攻撃してる側が有利だという錯覚に陥るものなので、
武田側も「あと一息で敵は崩れる」という判断ミスをし続けたのだと思う。
986無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:28
春なのにねえ

もういいかんかよ・・・
武田は負けたんだ
987無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:29
春ですな
988無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:29
春一番
そもそも設楽が原での戦いの最中、前線の将らは、幾度か本陣に集まって
いたんじゃなかった?
安易に突撃とはいうが、武田側とて鉄砲を用いてもいる。
開戦から終始、鉄砲への対処を改めずに戦い続けるわけないんだし。
990無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 08:58
陣地を攻めるなら最初から鉄砲対策ぐらいするだろ普通。

>戦というのは攻撃してる側が有利だという錯覚に陥るものなので、

野戦で攻勢に出ているわけでもなく、陣地を突破できずにいて
有利だと錯覚する奴なんているのかあ?
何度か突破を試みてその度に攻めあぐね、自分の陣地に帰って
撤退を決め、後列から退却開始。多分、ここまででは大した時間は
かかっていない。
むしろ長引いたのは退却戦(織田側からすれば追撃戦)。
退却戦で数千もの死者が出たのだとしたら、退却戦は相当な時間が
かかっただろう。織田軍三万とは言え、全員が全員同時に戦闘に
参加できるわけではない。何千の人間を殺すにはそれなりの時間が
必要。例え一方的な殺戮になったとしてもね。
まして馬場や内藤など殿の将が奮戦したとすれば、簡単ではないだろう。

 次スレ

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長篠合戦 武田の敗因 U
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1047832129/l50


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992無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:16
んなもんどーでもいいじゃないか

春だしさ
993bloom:03/03/17 09:19
994無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:24
武田が負けたかどうかも怪しいぜ
歴史って勝った方の都合のいいように塗り替えられるからなぁ
 
勝った方の都合で書かれるんならやっぱ武田は負けたんじゃねぇか。
996無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:51
>>994
そりゃいくらなんでも言いすぎだぞ。
武田側は武将が大量に討たれ、混乱して敗走したんだし。
997無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:56
>>963
だから「死傷者」だろ。
死者はせいぜい二、三千ってとこだろうな。
さらに負傷者三倍の法則から言うとこんなもんだろ。

負傷者って言ってもバカにできない。
当時の医学水準では負傷兵が戦場に復帰できる程回復できる確率は高くなく、
復帰できたとしても相当の年月がかかるだろ。
998無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:57
>>990
確かに不利な状況での退却戦は地獄だったとは思う。
999無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:58
馬場とか本当に強かったのか
1000無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 09:58
エンドーーー
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。