1 :
◆1e61wUKJAM :
リアル経験者の方も、戦後生まれの方も、後世に二度と同じ惨状を繰り返してもらわない
ためにも、当時の鉄道の惨状について語っていきましょう。
情報、資料、聞いた話など、当時の鉄道の現状について語ってください。
当時の鉄道ががんばっていた話も歓迎です。
2 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 12:30:50 ID:XQDOZArx0
うんこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
3 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 12:35:23 ID:e7pGd/OZ0 BE:1282939586-2BP(50)
>>1は代行★スレッドを立てられない奴はここへ書け!328で立ててもらったな
4 :
鮫故ヒ素 ◆zj7dMwJwnU :2007/10/08(月) 12:40:19 ID:d0OWmPon0 BE:493312829-2BP(1200)
まずEF55だろ
5 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 13:11:53 ID:2SVtcnW40
脇田繁明著 電鉄日記 に詳しい事が書いてあるよ。
6 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 13:25:21 ID:UXTHI7M0O
初期型EF58は乗務拒否が出るくらい酷かったらしい
7 :
◆1e61wUKJAM :2007/10/08(月) 15:23:57 ID:dj2IOKlY0
NHK総合で、B29(?)から走行中の蒸気機関車もろとも地上を射撃連射しているカラー映像を
2度見た事がある。
旅客列車だったと思いますが、中の人に生き延びた方はいらっしゃったのでしょうか?
8 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 16:02:39 ID:EMLuDgo00
中央東線でもEF16の客レが狙われたことあったよな。
確か湯の花トンネルだっけ?
9 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 19:36:40 ID:ZIReNPLWO
戦後の混乱をうまく収拾できなかった結果が、今の組合問題
10 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 19:39:01 ID:dg1cG8Ws0
>>5 あの本の内容はどこまでノンフィクションだかわからないが、
生々しさがあるよね。
11 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 21:03:32 ID:TnisSg3W0
>7
俺もその映像見たことある。B29じゃなくて戦闘機のグラマンからだね。
非電化複線だからおそらく東海道線だね。近くに海があったような。静岡ー浜松間か
豊橋蒲郡付近かね。その映像の続きにたんぼの中に鉄筋の学校校舎が建っている
映像があった。当時、田舎で鉄筋校舎は珍しかったはずで、それからでも
場所が特定できるかもしれない。
12 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 21:16:04 ID:YK+4q6O7O
>>8 そう。
あと少しで編成が全てトンネルに納まっていたのに…
納まっていたなら亡くなられた方がもっと少なかったはず…
北総レール倶楽部のサイトに「原爆投下後、広島駅に転覆した2両のD51」みたいな記述がある。
13 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 21:41:58 ID:WWvd76670
俺の爺さんは進駐軍専用列車のボーイをやっていたらしい。
あいつらは態度は悪いが、チップはやたらくれたそうです。
6年で家が建ちました。
14 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 21:50:31 ID:RB8nmfjMO
昭和20年、帝都(井の頭)線の車庫が空襲により被災。車両が足らなくなった結果、小田原線に車両を融通してもらうことに。
この“転属”に使用した路線は、今は無き世田谷代田〜新代田間を結んでいた連絡線。
この連絡線は非電化だったので、職員が下り勾配を利用して手押しで電車を通したんだそう。
以上、大東急でのエピソードでした。
15 :
名無しでGO!:2007/10/08(月) 22:13:57 ID:RB8nmfjMO
米軍の首都圏の空襲により被災した車両は帝都線だけではなく、省線電車も多数の被害を受けた。
この省線電車の被災車両、通称“焼電”は、ニ束三文で堤康次郎率いる西武鉄道に買い叩かれ、
西武はこの焼電を自社工場にて修復して自社路線にばんばん走らせた。
おかげで西武は車両が不足して困ることはなかったそう。
因みに同時期の西武は燃料不足により都民の糞尿処理に窮していた東京都に、この処理を積極的に引き受けていたのは有名な話。
この“肥やし”のタンクがあった駅は物凄い悪臭が漂っていたということも“惨状”と言っていいのかも。
16 :
名無しでGO!:2007/10/10(水) 16:41:40 ID:0Ft1YfpLO
>>15 糞尿列車ってやつですな…
粗末な貨車から漏れるから、西武の線路脇はやたら草が生えていたとか…
17 :
名無しでGO!:2007/10/10(水) 20:23:59 ID:4ybmLRtm0
age
18 :
名無しでGO!:2007/10/10(水) 22:08:35 ID:zsDBIhLe0
>13
吉村光夫さん(元TBSアナウンサー、ロンちゃん)も終戦直後、進駐軍専用列車のボーイを
やっていた。4〜5年ほど前の鉄道ファンにでていた。
19 :
名無しでGO!:2007/10/12(金) 22:08:46 ID:NfCZtQu30
あの時代、女性はオシメをして超満員列車に乗ったんだぞ。なにしろ便所は
ヤミ米の隠し場所だったからね。中に一人入って中から鍵をかければ臨検に
会うこともなかったしね。
ホームの端でモンペを下げてオシッコしてる女性も結構いた。おばさんだけでなく
若い女の子もいたぞ。
20 :
名無しでGO!:2007/10/12(金) 22:46:59 ID:VpzRyZwp0
>>10 小田急の人間関係の悪さは、終戦直後から全く変わっていない。
創業当時からか??
21 :
名無しでGO!:2007/10/13(土) 23:01:28 ID:GE+V+8FC0
>>19 今なら性的異常者のおかずになるが、当時はそんな目でみれるものではなかったであろう
22 :
名無しでGO!:2007/10/14(日) 09:36:17 ID:3Mj+fX5c0
>19、21
腹が減っていてそんな光景見ても、なんの感情も湧かなかったよ。
23 :
名無しでGO!:2007/10/14(日) 09:45:01 ID:kXtA+PhLO
トンネルに避難していた疎開列車を、山もろとも爆撃して山を崩してしまって生き埋めにしたって話なかった?
24 :
名無しでGO!:2007/10/14(日) 10:56:10 ID:1Iuh9ZNB0
>>23 昔、青島攻略の戦争映画で、複葉の爆撃機がトンネルに
逃げ込んだ列車もろともトンネルを破壊するシーンがあったような。一回目は失敗したが、二回目で成功。
確か戦後の日本映画だったかな?
25 :
名無しでGO!:2007/10/15(月) 19:27:25 ID:nCzk/6rV0
26 :
24:2007/10/15(月) 21:29:47 ID:3Kq67MwK0
27 :
名無しでGO!:2007/10/16(火) 22:15:44 ID:7JmE7JoP0
超満員でトイレへ行けないから、停車時間の長い駅ではホームで一斉に放尿。
女性の端っこでモンペをおろしてオシッコ。白いお尻が並んでいた。あのころは
列車ダイヤなんてあってなかったようなもんだからいつ発車するかわからず。
ベルすら鳴らない(壊れていた)から駅員の発車合図があると、窓から殺到して
乗り込む。
28 :
名無しでGO!:2007/10/16(火) 22:28:11 ID:fn0UIp4i0
29 :
名無しでGO!:2007/10/18(木) 22:07:30 ID:QdirWZVZ0
あの時代の超満員列車、網棚と網棚の間にハンモックをつるし、そこに寝ていた
ヤミ屋がいた。いい気分で寝てたよ。通路までぎっしりの混雑なのに。
30 :
名無しでGO!:2007/10/19(金) 11:32:29 ID:BfcgutyQ0
宮脇俊三の時刻表昭和史に書いてあるんだが、終戦直後の一ノ関駅で常磐線経由青森行きが
到着して、見たら客車の中が人間が標本箱のようにぎっしり詰め込まれてた云々とあるけど、
いったいどんな乗り方してたんだろうね?
31 :
名無しでGO!:2007/10/19(金) 13:57:21 ID:4PA/Oy8VO
今の時代に産まれて良かった
32 :
名無しでGO!:2007/10/20(土) 07:44:19 ID:h8D1Z5dN0
この時代の客車の車内灯は1両2個程度、今の感覚ではほとんど真っ暗。だから
荷物や金が盗まれてもわからなかった。夜行列車ではすし詰めのなかで寝ていて、
夜が明けて目が覚めたら網棚の荷物がなくなってることもよくあった。だから、
夜行はなるべく敬遠したいとの気持ちはあったけど、行き先によっては夜行しか
列車がなかった。
33 :
名無しでGO!:2007/10/20(土) 12:39:33 ID:JOYXAcCT0
車内灯がないだけならまだしも、車窓にガラスが破損してないもんだから、雨風入り放題
しかも修復するにガラスがなくて板を打ち付けてるから日中でも車内が暗いなんて当たり前
東北線の長距離夜行列車には、夜ごと凶悪な窃盗団が出没と当時の新聞にも書いてあるね。
夜行列車の中で寝るなんて行為は、とんでもない自殺行為だよね。
34 :
名無しでGO!:2007/10/20(土) 22:45:24 ID:h8D1Z5dN0
>33
昼の列車でいけるのはせいぜい名古屋、仙台くらいまで。青森、秋田とか大阪、九州へ行くときは夜行しかない。だから決死の覚悟で
乗った。朝の列車に乗るにも前の晩から並んだしね。
35 :
名無しでGO!:2007/10/21(日) 00:11:37 ID:NK2chZtm0
S。22.6から運転されたとされる東北臨準8103レをご存じの方は
おられませんか?
仙台20:10 黒沢尻0:11−18 青森7:23 仙台黒沢尻間普通、
黒沢尻青森間準急(花巻・盛岡・沼宮内・一戸・尻内・野辺地・浅虫停車)
当時の時刻表にも記載が有りません。
36 :
名無しでGO!:2007/10/23(火) 23:31:54 ID:xdAAvS7M0
>35
復刻版終戦直後編1947年11月号に記載あり。
上野940仙台仙台2010盛岡140青森642。上野仙台103列車。仙台青森8103列車
だから、仙台青森は臨時列車だが原則毎日運転。ただあのころは組合のスト
とか雪害や水害で突発的運休はあったと思う。
37 :
名無しでGO!:2007/10/24(水) 09:12:13 ID:B41tvk7l0
昭和21〜22年にかけては、東北地方に限らず全国的に慢性的石炭不足で
列車の削減や末端区間の運休措置が相次いでいたんだよね。
だから、国鉄職員が炭坑に増炭のために派遣されたりとか・・・・・
38 :
名無しでGO!:2007/10/24(水) 18:30:18 ID:6j9/M1690
もしタイムマシンがあったとして、現代の廃車待ちの車両をこっそり終戦の車庫に
置いて現代に帰って来たら、鉄道の歴史は塗り替えられ、
当時の話をスピリチュアルの奇跡として今日まで受け継がれているのでしょうか?
なんなと分解改造して再利用できるでしょう?
39 :
名無しでGO!:2007/10/24(水) 19:09:21 ID:B41tvk7l0
>>38 そんなことはまずあり得ませんね。まず現代の車両を当時の運転条件にあてはめれば
物理的に可動させることは無理で、下手したら電車なんかは軒並み電装を取っ払って
サハとしてSLに牽かせるのが関の山(事実、横須賀線がそうだった。EL牽引)
2〜3日も稼働させれば、ガラスはことごとく割られ、シートのモケットは切り取られ、
つり革も蛍光灯も車内設備という設備はことごとく盗難にあい、結局は63型電車と変わらなくなるよ。
「おいおい、この前車庫にさ、進駐軍が持ち込んだような電車があってさ、車両不足で
これ幸いすぐ運用に入れたら、あのボロ63と同じになっちゃったよ。こんなことが
進駐軍に知れたら、俺達銃殺かな?」 ・・・・なんてね。
40 :
名無しでGO!:2007/10/24(水) 20:35:17 ID:95mCJhfR0
新橋の闇市。そのバックの高架線を走る半流線型の美しい(はずの)モハ60
をみて感激したよ。俺もお前も戦争をくぐり抜けて元気だったな、と言いたくなった。
戦前に一番いい時代にできたモハ60、クハ55、サハ57もあのころは荒れていた。
でも1946秋ごろからだんだん増えてきたモハ63、サハ78よりはずっとよかった。
41 :
名無しでGO!:2007/10/25(木) 11:44:37 ID:9HWHkyBk0
当時の省線電車の走行写真を見ると、破損した窓ガラスの部分には板が打ち付けられ
自動ドアは故障して開きっぱなしとか惨憺たる状態だよね。
中央線では、走行中のドアが外れて乗客が神田川に落下したり、日暮里駅の跨線橋が
抜けて走ってきた京浜電車に落下した乗客が牽かれたり、桜木町では乗客もろとも
電車が丸焼けになったり・・・・・ 電車に乗るのはとても命がけだったんだよね。
もっとも・・・・ 今でも電車に乗るのは命がけだったりするかもよ?
進駐軍専用列車の車両に涎を垂らしたとか?
43 :
名無しでGO!:2007/10/25(木) 12:38:48 ID:9HWHkyBk0
一列車に進駐軍専用の白帯が入った完全整備の車両が連結されてて連合軍関係者は
ゆったり優雅に旅行を楽しみ、一方同じ列車に連結の日本人車は窓ガラスもなく
座席も壊れ放題、乗客は窓から乗降するほどの殺人的混雑で、しかも風呂なんて
上等なものに入ってる人は稀だから、ノミ・シラミがたかり放題・・・・・
敗戦国日本が初めて味わった屈辱が、ひとつの列車に凝縮してたんだよね。
44 :
名無しでGO!:2007/10/25(木) 13:51:28 ID:P6dWnwRM0
>>13 終戦直後の時代なら英語が喋れて通訳できればそれこそ高給取りだよ。
1時間進駐軍の人間の通訳をすれば今なら1万円くらいの金や物がもらえる。
特に通訳で気に入られたら進駐軍なんて物資が豊富にあったので、砂糖やタバコと言った希少価値のある
ものをホイホイくれるという有様。
>>21 昔、といっても1960年前半なら、赤子に母乳を与えるために
ボックスの座席で向かいに男が座っていてもお乳を出していても
恥ずかしいと思っていない時代だよ。
45 :
名無しでGO!:2007/10/25(木) 19:57:59 ID:/3eFxu4M0
飢えながら超満員汽車で食糧調達に行き、子孫繁栄まで・・・
意外と体力持つんですな。
今でも飢えてる国地域の出生率が高いのでしょうけれど
46 :
名無しでGO!:2007/10/25(木) 22:48:34 ID:UYv4d5qJ0
>41
モハ63が燃えた桜木町事故は1951年(昭和26)でもう特急も復活してたし、湘南電車も
あったから、終戦直後とはいえない。
1948年(昭和23)ごろまでは国電(省電)はひどい状態。でもそのころから
窓ガラスがすべて入った「復興整備電車」が各線に1〜2編成ずつ入り始め、
たまたまそれにあたると嬉しかった。
それから20数年後、国電各線に冷房編成が数本ずつ入り始めたころ、たまたま冷房
編成がくると、終戦直後「復興整備」にあたり、嬉しかったことを思い出した。
47 :
名無しでGO!:2007/10/26(金) 01:17:09 ID:WBBTaYvM0
>5,10,19
脇田繁明さんは私の祖母の義兄です。何かお聞きしたいことありますか?
ちなみにこれは戦友の名前で、本人の名前ではありません。
本人のモデルは石井さんです。実際は1900登場直前に小田急から
某光学機器メーカーに転職されました。
伊勢原踏切事件は同僚の体験した出来事だそうです。
48 :
名無しでGO!:2007/10/26(金) 22:01:35 ID:scjanpac0
終戦直後の超満員の列車を我が物顔に占拠していたヤミ米買出し集団は
いわゆる三国人が多かった。かれらは「朝鮮人連盟」なる団体を勝手に作り
「乗車証」を見せれば列車の切符なしで乗れると主張し、タダで列車に乗っていた。
1946年の秋ごろ、GHQ(連合軍総司令部)は朝鮮人連盟発行の「乗車証」使用禁止の
指令をだした。日本の警察は彼らに手が出せなかったので、GHQの力を借りる
しかなかった。
49 :
名無しでGO!:2007/10/27(土) 07:45:32 ID:t+PVBUiL0
50 :
名無しでGO!:2007/10/27(土) 18:55:05 ID:lzAbplHc0
>>47 足柄付近でのバスとの衝突事故は実際にあった話しなのでしょうか?
あと、文中で車両形式を「300形」「600形」と呼称しているのは、
あえてそうしたのかあるいは現場で本当にそう呼んでいたのか興味があります。
51 :
名無しでGO!:2007/10/27(土) 22:18:41 ID:6+rCDXBQ0
当時の列車、電車の中は昼でも薄暗かったし、小便やウンコのにおいがした。
便所へ行けないのでもらした奴が多かったのだろう。女の子やおばさんは
オシメをして乗った。旅先で帰りの超満員列車に備えて、オシメを干したん
だろうな。赤ちゃん連れでもないのに、オシメが干してあって不思議に思われ
たんじゃないかとも思うが、女性同士ならなんとなくわかったんじゃないのかな。
あの頃、赤ちゃん連れで、子供連れで列車に乗るには大変を通り越していた。
それでも乗った。ほかに移動手段がないから。
52 :
名無しでGO!:2007/10/27(土) 23:07:57 ID:/heWRjA30
>>43 その進駐軍だけど、戦災に遭わずに残った優等車を片っ端から取り上げたけど、
一番欲しかったのはやはり1号編成だったらしい。
流石に国鉄もそれを察知して必死に隠したが。
進駐軍としては、天皇専用車を乗っ取ったことで戦争に勝ったぞという自慢をしたかった
らしい。
53 :
名無しでGO!:2007/10/28(日) 10:51:04 ID:ztVEYYTb0
書物によっては、終戦時には急行列車の運転は無かった、と書かれてますが
ほんとうのところどうなの?
54 :
名無しでGO!:2007/10/28(日) 13:57:40 ID:4gxQlhwO0
>53
1945年8月15日の敗戦時、東京ー下関の急行1,2列車はダイヤ上は運転されて
いたことになっている。8月6日に広島付近が寸断されたが、数日後にはなんとか
つながった。
元国鉄総裁磯崎叡は原爆に会った兄を見舞いに行った帰り、終戦の翌日に広島から
東京行き急行2列車に乗ったが、ほぼ定刻に東京へ着いたと日経私の履歴書に
書いていた。当時の磯崎は運輸省鉄道総局の課長だったはず。
急行が本当に1本もなかったの1947.1.4から1947.4.23まで。
55 :
名無しでGO!:2007/10/29(月) 22:09:08 ID:W+APCFAw0
>53
1945.8.15の敗戦時が日本の鉄道にとって最悪の事態と思われているがそうではない。
もっとも列車本数が少なかったのは1946.12下旬から1947.4下旬まで。このときは
急行もなかった。
56 :
名無しでGO!:2007/10/29(月) 23:35:14 ID:RhKl69AX0
急行全廃後もリミテッドやエキスプレスは存在したね。
57 :
名無しでGO!:2007/10/30(火) 00:14:47 ID:bJj8PbEq0
>50
足柄のバス事故は実話だそうです。ただ、本人が遭遇したものではないとか、
全体に直接体験したものよりも在職時の聞き書きが多いです。
車両は基本的にはサバー車(1100)とインター車(それ以外)と分けて呼ぶくらいで、
あまり厳密に形式ごとに呼ぶことはなかったそうです。
ただ、省線モハ1上がりの制御車は「ギャング」と呼んでみんなその扱いに困ったとか・・・
本人の在職時の一番の思い出は1800の入線試験だそうです。
真夜中に新宿から伊勢原まで試運転を行い、各種データを取った時のこと、
伊勢原に着いたら駅で真夜中というのにほかほかの天丼を用意してくれていたそうで、
「終戦直後の食料事情が最悪の時、ほかほかの天丼が存在すること自体が信じられなかった。
あの天丼はおいしかったねえ」とのことでした。
「あるとき、どこかの大学生の鉄道好きの一団が見学に来たなあ、
その中でやたらと質問する学生がいたよ、そいつは結局小田急に入社したっけ」
「おじさん、その人「うぶかた」という人じゃない?」
「おお!そうそう!「うぶかた」という苗字だったなあ」
なんて会話もありました。
58 :
名無しでGO!:2007/10/31(水) 22:24:30 ID:OYLi0QyB0
終戦直後の超満員夜行列車にはいわゆる三国人のヤミ米買出し集団がたくさん
乗っていた。彼らは車内では傍若無人であった。タダでさえ混む列車に米をつめた
リュックサックを次々と投げ込んでいた。ほかの客の荷物を「整理させてもらうよ」と
言っては勝手に下ろし自分たちの荷物を積み上げていた。
さらに夜行列車内では薄暗かったがこの連中は放歌高吟していた。ヤミ屋には
日本人もいたが、彼らは軍歌、演歌、エロ歌、朝鮮語の歌が次々でてきて、
一般乗客は眠れなかった。なかには高等学校(旧制)の寮歌をうたうインテリ
ヤミ屋もいた。
59 :
名無しでGO!:2007/11/01(木) 22:29:04 ID:WFiL/kGu0
敗戦直後は切符の発売制限が厳しく、前夜から並んでやっと手にいれたという
回想記?が多いが、ヤミ屋連中は切符なんかなくても勝手に乗っていたし、
途中駅からは別にホームの入り口で一人一人厳密にチェックしたわけではない
から、強引に乗ろうと思えば乗れた。
定期券さえもっていれば、容易に駅に入れた。ただ、東京、上野駅では列車別
改札だったから、簡単には乗れなかったが、切符のヤミ屋や座席取りのショバヤ
がたくさんいた。
60 :
名無しでGO!:2007/11/01(木) 23:11:05 ID:A31yEF/E0
>>57 >サバーとインター
50歳代のヲタQの社員なら使っているはず。
漏れもバイトしていた時によく話で出てきた。
>うぶかた
おそらくヲタQの事を詳しく知っている元社員さんですね。
ヲタQ関連の本には必ず登場します。
61 :
名無しでGO!:2007/11/01(木) 23:57:23 ID:uE12VBLx0
これは久々の良スレ
62 :
名無しでGO!:2007/11/02(金) 23:38:32 ID:QcQFm3D70
>59
あの時代は乗車券発売制限がきびしいといっても、乗ってしまえばこっちのもの。
途中駅、特に三ノ宮、神戸では省電と同じホームだし、強引に乗ろうと思えば乗れた。
東海道でも、品川、横浜は横須賀線と同じホームだから、同じことができた。
しかも、当時は自動ドアでもないし、目的地に着いても、反対側から飛び降りて
そのままドロンすればわからない。柵も壊れていたし、駅員が追っかけてくるわけ
でもない。
あの超満員列車で検札もできるわけがない。ただ、1947年4月に復活した急行は
17両の長大編成であったが、急行券は発売枚数に限りがあり殺人的混雑でもなかった
から、検札はあった。
63 :
名無しでGO!:2007/11/04(日) 00:04:45 ID:Z5A2rksQ0
>62
当時は汽車区間は乗車券発売枚数に制限があったが、同じ鉄道局管内と管外では
枚数に差があり、管外への発売枚数は制限が厳しかった。青森からなら白河の手前
(久田野)までは管内なので何とか買えたが、白河は東京鉄道局管内で白河以遠
東京方面は厳しかった。しかし、乗ってしまえばこっちのもの。検札で見つかって
3倍の増運賃を取られても、10倍払ってヤミ切符を買うより安く、そのまま上野まで
乗る客も結構いた。
64 :
名無しでGO!:2007/11/05(月) 21:02:44 ID:D7d/MEVW0
当時の省電はドアは閉まらない。本来自動ドアだが壊れていた。だから、ドアの
あたりにはたくさんの人がしがみついていた。
横須賀、京浜東北、山手、中央には白帯車がありGIが乗っていた。
65 :
名無しでGO!:2007/11/05(月) 21:16:50 ID:i+6LwmXw0
>>64 東急東横線、箱根登山も進駐軍専用車があった。
66 :
名無しでGO!:2007/11/06(火) 22:37:33 ID:Q2Fulilw0
終戦直後の列車は窓ガラスがほとんど壊れていた。板が張ってあったがあちこち
から風が入り、寒いの何の。しかも当時はSL、それに冬は雪。
1945年の冬と、列車が次々と削減されていた1946年の冬、冷たい風、SLの煙、
そして容赦なく入り込む雪。超満員のほとんど真っ暗に近い車内。今では想像の
限度を越えている。それでも人々は列車にしがみつくように乗っていた。
とにかく目的地にたどり着かないと「食う」ことができない。
どこかの駅でいきなり降りても、食糧など手に入らない。どこにも売っていない。
この光景は映画でもTVドラマでも絶対再現できないだろう。
67 :
名無しでGO!:2007/11/06(火) 23:56:43 ID:aBKDTCG30
省線電車の中央線だかで、側開き戸が外れて3〜4名の乗客もろとも神田川に落ちた、という話をどこかで聞いた
ことがある。昔の戸は外バメだったので、比較的簡単に脱落したとのこと。ホント?
68 :
名無しでGO!:2007/11/07(水) 11:33:53 ID:FPfnPaH/0
>>67 中央線で電車の扉が外れて乗客が神田川に落下した云々は事実のようだよ。
ただ、古文献によると扉が外バメだから簡単に脱落とか言う問題ではなく、
殺人的混雑で車内側から扉に相当の圧力がかかって、しかも戦後の荒廃した
車両で満足に整備もされていない状況だから遂に乗客の圧力に負けて
扉が破損脱落したというのが真相のようだね。
当時は、一車両に定員を遙かにオーバーする乗客が乗ったがために連結器が外れて
しまうなんて事態もあったそうで、23年の八高線事故なんかも定員オーバーで
制動が効かなくなったところに、下り勾配の曲線カーブという最悪の条件が重なって
起きた事故だったわけで、殺人的混雑というのがどれほど恐ろしいことかと。
車両の外の部分にへばり付いている客も合わせると、混雑率は500%くらいになりそうですか?
地下鉄なんかも戦後は地上を走る鉄道並に減便くらってたのかな?
民鉄の事情があまり触れられていませんが、やはり省線ほどの路線網ではなかったので
復旧が早かったのでしょうか?
70 :
名無しでGO!:2007/11/07(水) 19:53:10 ID:mvvAnAxIO
銀座線は銀座駅が爆撃で破壊されたが。
71 :
名無しでGO!:2007/11/07(水) 21:35:35 ID:jhrUFz580
>69
一般論からいうと、東京、関西の大手民鉄は電化していたので、大幅の列車削減は
なかった。しかし、車両の荒廃がひどく、動けない車両も多く、編成両数の削減や
列車の間引きはあった。
買出し客で混雑していたのは東の東武、西の近鉄。東武は伊勢崎線、東上線とも買出し客で
超満員。3200系を正面からみるとはみ出した買出し客で丸く見えるといわれた。
近鉄、とくに大阪線は伊勢方面へのイモの買出し客で超満員。名車2200、2227も
このころは荒廃していた。名張では必ず車両交換があり、それを利用し米の
一斉検問(臨検)をやっていて、ヤミ米買出し部隊から米を取り上げていた。
72 :
名無しでGO!:2007/11/07(水) 22:04:31 ID:srzlMJmvO
>>70 また、日本橋駅に落ちた爆弾により京橋駅に退避していた方に死者がでたことも
確か空襲時には地下鉄への退避は禁止だったはずだが
ついでにいうと、今の東武浅草駅では東京大空襲の際には、松屋が燃えただけでなく、留置していた電車も発火した、今の松屋も建て替えていないので基本は焼けビルです
73 :
名無しでGO!:2007/11/07(水) 22:17:24 ID:RF2tb5hi0
>>57 貴重なお話ありがとうございます。
あの本はどういった経緯で書かれ、出版されたものなのでしょうか?
自分は以前、あの「電鉄」でバイトしていたことがあり、
「日記」を読んで「うんうん、○田急じゃ確かにそういう言い方するよなぁ」
と懐かしく感じてしまうところが多くありました。(もちろん年代はずっと後なのですが)
だからとてもリアルに、あたかも実体験しているように読ませていただきました。
74 :
67:2007/11/07(水) 22:42:02 ID:0wtYtKns0
>>68 レスありがとう。なるほど、そういう状況だったのですか。あってはならない事故ですが、
当時の殺人的混雑と整備不十分な車両では止むを得ないと言った感もしますね。
75 :
名無しでGO!:2007/11/07(水) 23:00:47 ID:gVmN/AN60
>>74 あってはならない事故というか、
当時の状況からして、列車から乗客が転落する事故なんて、日常茶飯事だったと思うよ。
ただ、たまたま誰かが新聞のネタにしただけだと思う。
今ではほとんど誰も語らないし、今でこそ駅員への暴力が問題になってるけど、
当時は、駅や車内での盗難・暴行・殺人・強姦なんて、ニュースにならないほど
頻繁に起こっていたと思う。
>>72 地下鉄が防空壕になり得なかった、という点は、やはり問題では?
ロンドンやベルリンは、地下鉄が防空壕となっていたし。
もっともベルリンは、河底部分を爆破した結果、数百人の溺死者が出たらしい。
(ベルリン市街戦の末期で、ニュースにもならなかった)
76 :
名無しでGO!:2007/11/07(水) 23:21:13 ID:srzlMJmvO
>>75 確かにそうですね
ただ地下鉄が防空豪に不向きなのは、かりにトンネルまで爆風が達した場合には、トンネルないを爆風が走るので、甚大な被害がでる
そう当時のアカヒ新聞が説明していました
77 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 07:28:22 ID:2Tfap95uO
>>76 補足すると戦争末期、艦載機などによる機銃掃射の被害が大きくなると、新聞に15時以降の汽車が比較的安全であるとの記事や米軍戦闘機の識別図が掲載された
確か中央線浅川(湯の花トンネル)付近の被害も昼ごろだったような
78 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 10:54:52 ID:iv8aq+mt0
>>77 湯の花トンネルで銃撃を受けた中央線419レは新宿発車時点で既にダイヤより遅れが出て
おり、八王子空襲の後だったせいもあって更に遅れを出して走行中に遭難したんだよね。
当時は定刻運転は厳しい状況で、もし定時で当該場所を通過していればこんな災難には・・・
なんて記述があったように思うけど。
ちなみにその同じ日に、東海道線の平塚でも長距離列車が銃撃を受けてたんじゃなかったかな。
戦争末期は、列車に乗るのは相当の危険が伴ったということだよね。
79 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 13:10:26 ID:2Tfap95uO
>>78 時間どおりなら確かにそうですね、ただ逆に長崎の原爆のときは、30分遅延したため本来なら長崎駅で被爆したはずの汽車が救援列車になったはず
本当に命懸けだったみたいですね
ところで当時空襲警報がでたら鎧戸をしめるようになっていたけど、あれは何か効果があるのかな?
80 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 14:37:19 ID:iv8aq+mt0
>>79 おそらくは、銃撃により飛び散るであろうガラスの破片の危険を避けるためと思われるけどね。
あと、空襲時は窓側に座席の椅子を立てかけて、通路寄りに身を低くして目や鼻を押さえて
うずくまるベシ・・・・とかあるけど、そんなことは気休めにもならなかったようだね。
グラマンの銃弾は、蒸気機関車の分厚いボイラーすら射抜く威力があったわけだしね。
御殿場線の山北ではD52が銃撃を受けて、数百カ所にも及ぶ弾痕が残ったとか・・・・
C51の動輪に銃弾が深く突き刺さってたとか・・・・・
機関士は空襲を受けたら、とにかく煙を出して被弾したように見せかけろ、とかあった
らしいけど、実際にはもう逃げるのに精一杯だったとか・・・・・
81 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 15:26:50 ID:2Tfap95uO
>>80 トンクス
なるほど、飛散防止のためですね、しかしグラマンの弾は本当に貫通力がありますね
82 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 20:43:21 ID:CP7ya1fS0
83 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 21:12:18 ID:2Tfap95uO
>>82 トンクス
今の世の有り難さを痛感します
艦載機に狙われたらひとたまりもありませんね
84 :
名無しでGO!:2007/11/08(木) 21:18:21 ID:CP7ya1fS0
85 :
名無しでGO!:2007/11/09(金) 11:08:20 ID:LXqomGfP0
C57は、201両中4両が戦後になって戦災廃車されてるんだけど、
99号機〔梅〕が彦根で被災、162号機〔高〕が高崎空襲で被災
そして、尾久区の73号74号機の連番がいったい何処で被災したのか判らない。
資料を探してもなかなかこの手の記録は見つからないしね。
おそらくは東北線か常磐線であろうとは思うが・・・・
86 :
名無しでGO!:2007/11/09(金) 13:09:40 ID:ik9g4NgZO
>>85 東北本線では小金井駅で機銃掃射でかなりの被害がでています
ちなみに北海道の石炭を内地に運ぼうとしたが、当時は東北本線でさえ、宇都宮以北は単線であったため、思うように運べなかったらしい(つД`)
87 :
名無しでGO!:2007/11/10(土) 10:54:29 ID:cqO47Onz0
当時は、基本的に東北線上野ー岩沼は勾配が介在するため、貨物輸送の動脈としては機能せず、
もっぱら青森(東北線)仙台(常磐線)東京のルートが主流だったようで、終戦間際に
隅田川に代わる北海道炭受入れ基地として、常磐線内原に急遽操車場ができたわけで。
海岸沿いの路線は危険と承知しつつも、上野ー平間複線そして平坦線であることが
輸送力維持には大きく作用したことは間違いないようだね。
その常磐線は、東海道線、室蘭線に次ぐ艦砲による被害の多い路線だったわけで、
高萩、日立、勝田周辺の軍需工場ともどもかなり被害を受けたらしいね。
88 :
名無しでGO!:2007/11/10(土) 11:46:35 ID:3Z/kgDX4O
>>87 艦砲射撃は着弾地点が読めないことと、横穴式防空壕でも危険なのでかなり質が悪い、艦載機の機銃掃射は軸線から外れれば安全、但し軸線と合致したら伏せて弾と弾の間に体が入ることを祈るしかない
89 :
名無しでGO!:2007/11/10(土) 12:33:55 ID:gA55d1kqO
>>88 当時の米海軍の艦載機、ヘルキャットやコルセアだと一定の距離で射撃すると軸線の真ん中に集弾するようになってたから、もし狙われたら…神に祈るしかなかったかも
それに対地攻撃用に12.7ミリ以外に20ミリ機関砲を搭載した艦載機もあったから、人や車両共々、相当危険だったに違いない
ウチの爺さんの話しを聞いてると身の毛が弥立つよ
90 :
名無しでGO!:2007/11/10(土) 13:48:18 ID:cqO47Onz0
ただ、艦載機による銃撃は人心に与える恐怖心などにおいては相当に効果があったのだろうが、
設備機能に対する致命的打撃を与えるほどの効果はほとんど無かったといっても良さそうで、
銃撃を受けて小中破した機関車は相当数が戦後修理復帰してるしね。
たとえば、長万部機関区などは北海道の交通の要衝として度重なる銃撃を受けてはいても
機関区の機能が麻痺するまでには至らなかったとか、文献で読んだことあるけどね。
完全な輸送機能破壊を狙う場合は、大型機による爆撃が相当の効果を上げたようで、
終戦前日の岩国爆撃では、駅・機関区が完全に機能喪失し山陽線寸断で致命的打撃を
受けているしね。
91 :
名無しでGO!:2007/11/10(土) 14:06:04 ID:3Z/kgDX4O
>>90 確かに岩国爆撃の空中写真をみると、爆弾穴がクレーター状になっているため、あの下にいた人はほとんど助からなかったと思う
ただ一番やっかいな鉄橋爆撃はやる前に終戦
92 :
名無しでGO!:2007/11/10(土) 22:09:30 ID:PPYQLow/0
鉄橋は意外と爆撃されなかった。米軍が日本占領後、鉄橋が破壊されていると
その復旧のため相当な労力をさかねばならないため、あえてやらなかったとの
説もあるが、もし本土決戦になっていたらそんなこといってられなかっただろう。
沖縄の軽便が消滅したように。
鉄橋が爆撃され破壊されたのは近鉄名古屋線の揖斐長良川鉄橋くらいか。並行する
関西本線鉄橋は爆撃されなかった。米軍はふたつ並んだ鉄橋のうちボロイ方が近鉄、
新しい方が国鉄であることを知っていたのか。それを知った上で幹線系の関西線鉄橋を
温存したのかな。
93 :
82:2007/11/10(土) 22:55:58 ID:Z0VYUVYt0
82の映像にでてくる駅がどこなのかを調べているのですが
なかなか見つかりません
映像の冒頭にnational Archives(アメリカ国立公文書館)
収蔵のフィルムに由来する云々とかいてあるので
そこのHPでいろいろと検索してみましたが、めぼしい結果は
ありませんでした(なにせ英語なので・・・)
ただリストの中にマスタングが九州の垂水を襲った時のカラーフィルム
が存在しているようで、その映像には駅も含まれているようです。
ただyoutubeの映像と、そのリストが同じものかは分かりません。
わかったからといって何かあるわけではないがついつい気になってしまう
94 :
名無しでGO!:2007/11/10(土) 23:27:09 ID:gDtM2VHrO
トンネルに避難している列車を生き埋めにした話って本当の話か?
トンネルの前後の入口を爆破したか山そのものを爆撃で崩して列車諸とも吹っ飛ばしたとか色んな話聞いたことがある。
95 :
名無しでGO!:2007/11/11(日) 12:35:43 ID:ULd8Sn850
狂犬の戌歳=KNOPF=旧高ヶ平住人=softbank218121000172.bbtec.net
名前変えて初めて訪れたふりしているんでしょうけど
どの掲示板の過去レス見ても、その書き込みの癖などでだいたい検討つくし、
たびたびトラブル起こしているようですね・・
96 :
名無しでGO!:2007/11/11(日) 14:05:39 ID:7aW94p1IO
>>92 トレーシーでの捕虜からの聞取りで名古屋の三菱の飛行機工場の詳細な地図作ったりしてるから、それくらいは調査してたかもね
97 :
名無しでGO!:2007/11/11(日) 21:11:11 ID:tzaxevPhO
>>96 確かに、日本軍は捕虜になったあとのことを教えなかったこともあるため、以外に情報はとりやすかったみたい
機銃掃射だけで廃線に追い込むのは確かに無理
98 :
名無しでGO!:2007/11/11(日) 23:07:42 ID:hik1D9Tj0
国鉄の車内放送っていつから始まったのでしょうか?
戦前?戦後?
車内放送のチャイムはS.33の20系から、と
某ホームページにあるんですが・・・
99 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 00:18:04 ID:IMJM5nOr0
>98
これは戦後に始まった。1951年製造ののスハ43、44に「くしげた部に拡声器を
とりつける」との記述が星晃の回想の旅客車という本にある。写真でみても
スハ43、44はデッキとの仕切りドアの上に明らかに拡声器があるが、戦前の
スハ32、オハ35の製造当時の車内写真にはそれらしきものはない。
100 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 00:27:53 ID:wCVy2+aUO
>>92 以外と鉄橋へのピンポイント爆撃は難しいからな
ドイツのレマゲン鉄橋といい赤川鉄橋といい残ってる(レマゲンはそののち落ちたが)
101 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 09:56:15 ID:wjaAgF+L0
>>98 昭和23年10月急行5列車門司行にはスピーカーがついていた
東京駅でNHKの7時のニュースを聞いた、車内放送あり。
この時期急行大阪行(後の銀河)に日本人の乗れる1等寝台が連結された。
102 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 15:36:54 ID:QWkarflb0
>>92 国鉄の空襲被害による運転支障時間数で、八戸線が相当時間不通という記録があるけど、
これは途中区間の鉄橋爆撃による橋桁大破による影響ということのようだけどね。
あと、一色次郎の「日本空襲記」だと思ったけど、その中で終戦間際の鹿児島線の南部区間は
ほとんどの鉄橋が落ちていて、夜間だけその落ちた鉄橋間を列車が往復してたとかいう
記述があるよね。
103 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 17:22:10 ID:Ch+6H2MsO
しかし列車に機銃を載せたりはしてなかったのかね?
まあ本土決戦にむけてそれどころじゃないだろうが
トンネルや狭軌てのかんがえたら7,7がやっとか?
104 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 19:03:18 ID:QzecnjuQ0
>>92 少しスレ違いだが、泰緬鉄道で鉄橋(木橋)が爆撃されて復旧するとまた爆撃されるので、
壊れたままにしていたそうだ。夜間列車が通る時だけ復旧し、列車が通過すると
また壊れた状態に戻す。それで細々と運行していたと聞いたことがある。
105 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 19:42:11 ID:QMbmnNIy0
鉄橋爆撃は難しいらしいよ
ベトナム戦争でもポール・ドウマー橋を破壊するのに結局は誘導爆弾の登場を待たなくてはならなかったからね
鉄道破壊は都市破壊があらかた終わりこれからが本番という段階で終戦になったみたい、だから終戦後早い段階で復旧できたらしい
>102
そういや、鉄橋爆撃による不通が、肥薩線山ノ神第二トンネルの悲劇の遠因にもなったね。
107 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 21:08:35 ID:QWkarflb0
>>94 すくなくとも日本国内ではその記録は無いようだね。
もし実際にあったとすれば、湯ノ花トンネル以上の犠牲者が出ていただろうね。
ただ、終戦直後の20年11月に、日田彦山線の彦山の南にあった二又トンネルに
旧日本軍の弾薬を疎開隠匿していたのを、米軍が爆破処理する手筈を間違えて大爆発を起こし、
トンネルは吹き飛び山の上にあった村落が全滅して犠牲者100名以上という記録はあるけどね。
「事故の鉄道史」という本に詳しく書いてあるよ。
108 :
名無しでGO!:2007/11/12(月) 23:13:11 ID:RdHQuQJv0
>>101
非常に興味が有ります。出典をお教え下さい。
私が知る範囲では、「旅行を楽しくする運動」の一環として
駅、車内の放送指導にJOBKのアナウンサーが現場派遣される
との事と、列車内(つばめ)の放送新設による旅客の希望調査実施
という記事でした。
共にS.25.3の事です。
103・104レが7.1改正で11.12レと改番した後ですね。
110 :
名無しでGO!:2007/11/13(火) 00:46:51 ID:S82RVo09O
>>103 昭和19年に戦勝祈願で伊勢まで運行したお召しには前後に対空機銃を乗せた車両を連結してあったようにオモ
しかし鉄道橋は艦船やダムなんかに比べると的が小さいから爆撃だと難しいんだろうな
111 :
名無しでGO!:2007/11/13(火) 10:29:38 ID:D9Z+sRE40
>>108 出典もなにも自分の体験です、遠い目なので細かいことは記憶にありませんが
乗車したのは生まれて始めての2等車、広窓だったので
多分オロ36で2両連結されていました。
三等車はオハ35でスピーカーは出入り口のドアの上に付けられていました。
スピーカーの取り付けられたのは優等列車の一部だったと記憶します。
新聞にも出た記憶があります、この頃から少しづつ輸送事情が改善され
て来たようです。
この時期復活した大阪行き一等寝台は初日乗車率80%位で乗客の肩書きが
新聞に出ました、殆どが社長か重役で読売か朝日で見ました。
この時期2等寝台はまだ復活せず、もちろん特ロも有りませんでした。
たった1両の1等寝台の復活でも世の中何か明るいものが見えてきた時代でした。
112 :
24歳 ◆1e61wUKJAM :2007/11/13(火) 11:13:46 ID:X/5dfzF60
113 :
ちょっと休憩しませんか?:2007/11/13(火) 13:39:23 ID:Oz2aKy4C0
114 :
名無しでGO!:2007/11/13(火) 16:36:41 ID:g2tQU/Ds0
昭和20.8.5[日]ー東海道線二宮駅におけるP51ムスタングの機銃掃射攻撃に
より東京の有名ビルなどのシャンデリアを手掛けたことのあるガラス職人の江井
竹雄氏[47]らが死亡したが、江井氏は二宮町内の知人宅に疎開してた
娘の敏子さん[12]と共に新潟の柏崎に行くため駅にいて空襲に巻き込
まれたという。のちに助かった敏子さんは「ガラスのうさぎ」を書いて一
躍有名になったが、二宮駅前のロータリーにはガラスのうさぎの銅像があり
さらには旧駅舎も改築されるまで銃痕が残されていたが、解体の際に
その部分のみ切り取られて保存されているとか。
115 :
名無しでGO!:2007/11/13(火) 19:30:49 ID:D9Z+sRE40
>>113 戦後の混雑時記憶に残っているのは連結器に乗ってた人が多かった事です
東京の省線は非貫通だったのでラッシュ時はよく見ました。
京浜東北は桜木町方半車が進駐軍専用車であと半分が婦人子供専用車でした
ここだけは暖房つきで昼間は天国でしたがラクチョウのお姉さま方が
乗ってきたりしてブクロ、ノガミ、ダカンなどの言葉に怖かったものです。
116 :
名無しでGO!:2007/11/13(火) 23:42:52 ID:QPBcEo2g0
>101、108、111
貴重な証言に感謝します。
当時の東海道山陽線直通急行(1947.4に復活)は17両の長大編成で、うち
2等車が3両だったはず。
鉄ピク2007年1月号に中川浩一が1949.3の東京ー鹿児島間急行1列車の編成
を書いているが、16両編成。1等寝台マイネ40と料理室付き3等車マハシ49
が連結されている。
117 :
名無しでGO!:2007/11/14(水) 17:01:54 ID:JrRL3GMu0
>>116 111ですが昭和23年10月の急行5列車門司行きは編成両数はわかりません
スロ36か40が2両連結されていたのは確かですが他に大阪回転車があったかも
しれません、なにぶん遠い目の小学生の記憶ですから、
門司行きの東京発は19時か19時30分でした。NHKのニュースとスポーツニュースを車内で
聞いたことは記憶しています。考えてみるとトランジスタなどない時代
車内で受信出来る真空管のスーパーヘテロダイン受信機が搭載されていたのでしょうか
この辺詳しい方おられましたら教えてください。
118 :
名無しでGO!:2007/11/14(水) 23:03:41 ID:vnDnCEhI0
長大な復員列車ですら大阪駅3.4番ホームは
車両がはみ出すことが無かったそうな。
119 :
名無しでGO!:2007/11/15(木) 22:52:34 ID:F2g2Vtac0
復員臨時列車は17両編成。復員臨時列車の下りはチョン、チャンコロの帰還
輸送に使われた。1947.1.4〜4.23の急行が一本もなく、東海道山陽の直通
普通列車が2往復しかなかった時も、品川ー南風崎間の復員臨時は1往復あった。
一般乗客も乗せていた。
それまでイギリスやドイツの鉄道の影響を受けていた国鉄に、アメリカの鉄道の流儀が数多く入ってきた。
特別2等車、大型貨車、自動給炭機、など
しかし、最もアメリカの影響を受けたのは、他ならぬ「公共企業体・日本国有鉄道」そのもの。
121 :
名無しでGO!:2007/11/18(日) 02:42:38 ID:Xd8N1ItCO
>>120 満鐵は戦前から資本を含め影響は多大にあったのだし、敗戦により職を失った満鐵職員を大量に国鉄に再雇用したのもその色を濃くしたのだろうね
122 :
名無しでGO!:2007/11/19(月) 06:35:37 ID:S+4RjG6e0
満鉄など外地引き上げ職員の大量雇用で国鉄職員の数が一時62万まで膨れ上がった。
1949年に大量整理したが、まだまだ多かった。国鉄財政悪化の原因。
123 :
名無しでGO!:2007/11/19(月) 20:53:38 ID:opKLVPHS0
いまじゃあ大量退職に対する雇用が追いつかず、乗務員の数が足りないケースもあるそうですが
>>122 あと、年金問題も。国鉄を辞めても恩給や企業内で独自の年金があったから
その支払いも財政逼迫の原因に。
>>123 今では、機械化や合理化が進んでいるから。昔は汽車を動かすだけでも
機関士や機関助士がさらに客も車掌を最低5人くらい乗せていた
125 :
名無しでGO!:2007/11/19(月) 22:52:20 ID:gvWlsov5O
>>122 その後組合や動労が強くなったのもその影響かな?
満鐵は調査部をはじめとしてコスモポリタンや共産主義者も逃げ込んでたらしいし
機銃掃射で有名なのは、
西鉄筑紫駅空襲と大山口空襲、あと成東駅列車爆発事故あたりか。
しかし、この種の事件はよくわかってないなあ・・当然といっちゃ当然だけど。
>>126 大山口空襲って?
他に国鉄長野駅も。機関区も攻撃されて40名ほどが亡くなったそう。F6FやF4Uでよくあんな
ところまで遠征したと思う。
うちの地元の宝塚も艦載機の機銃掃射受けてるし、主だった駅はみんな攻撃されてたんだろうね。
130 :
名無しでGO!:2007/11/20(火) 08:28:51 ID:mRo1t78T0
>>128 赤十字のは、日本がそれ悪用して弾薬輸送を行ったことがあるからだろうな。
それがばれて以降は、日本は信用できないとして、本物の傷病者が犠牲になる事になった。
>>129 似たような話は結構あるからな。
東神奈川でも、線路の下を通るトンネルが、電車に直撃した爆弾の影響で崩れて多数の死者が出たって話がある。
131 :
名無しでGO!:2007/11/20(火) 20:09:29 ID:XRRxW8lT0
当時の鉄道被害をまとめたものといえば「国鉄の空襲被害記録」という
本がある。しかし鉄道省ないし国鉄がまとめたものではなく、当時
鉄道省に勤めていた筆者が、入ってきた情報をまとめたノートが基になっている
もちろん資料としては優れているが漏れている事例も多く、大山口の被害は
たしか載っていなかった。
132 :
名無しでGO!:2007/11/20(火) 20:16:14 ID:XRRxW8lT0
鉄道には直接関係ないけど、有楽町駅のガード下に爆弾がおちて
多数の死者がでたことがあるのだが、その本に爆弾でぶちぬかれ
た天井の写真が載っていて、なんともいえない気持ちになった・・・
133 :
名無しでGO!:2007/11/20(火) 23:46:14 ID:z9ynJG+T0
>>130 大阪で言えば8.14の京橋駅か。
どうでもいい話だが、漏れんとこのバァさんが当時近所に住んでて、翌日戦争が終わったから京都へ京阪で遊びに行ったらしい。
135 :
名無しでGO!:2007/11/21(水) 11:00:17 ID:c9eK2zOJ0
>>131 おそらく空襲被害に関するまとまった記録はその本くらいなんじゃないか?
神田の古書店で入手して持ってるけど、記録漏れがあるにしても大体の被害の概略は
つかめるので今では大変貴重な記録だよ。
まえがきに防衛庁にも要請があってこの記録を貸した云々の記述があるね。
>>133 このときの機関車被害は、C53・1両、D52・1両、D51・2両、C50・3両がそれぞれ大破
戦後すぐ廃車措置の記録があるね。
>130
>>赤十字のは、日本がそれ悪用して弾薬輸送
兵隊輸送も赤十字船でやっていた。
>>136 >>130では赤十字の鉄道車両を使った弾薬輸送とは書いてないようだが。
Youがおっしゃる通り、病院船などを使った兵隊・兵器・軍事資源の輸送は米軍に発覚しているし、米駆逐艦の臨検や
米潜の攻撃も受けているが、鉄道車両でそれ(悪用)をやっていたという事例を自分は知らないなぁ。
ま、日本軍ならやりかねないが。
138 :
名無しでGO!:2007/11/23(金) 03:09:35 ID:dBrI7dsi0
大宮は昭和20年の4月13〜14日に大宮工機部=大宮総合車両センター=を
B29の2機によって攻撃されたが壊滅するまでには至らなかったものの、
駅東口の現・銀座通りや一番街、北銀の平和通り付近は焼夷弾攻撃にて
230戸が被災したそうです。
139 :
名無しでGO!:2007/11/23(金) 03:55:35 ID:1DeZxrUlO
大正時代あたりから現在までの時刻表を集めている時刻表ヲタ(百冊以上)です。
やはり戦争末期から敗戦直後のダイヤと、現在のダイヤ、この2つが読んでいて面白くないですね、断然。
戦争末期のは、博多⇔東京に第一種急行(≒特急)「ふじ」1往復が目につく程度、優等列車なんかほぼ皆無に近く、あとは普通列車ばかり。
敗戦直後は、山陽東海道筋に急行1往復のみで、他は全て普通列車、これもひどいですね。
現在のも、同じように面白くないです。鹿児島山陽東海道筋優等列車は、平行新幹線のせいでスカスカ、まるで戦中みたいです。
08年3月なはあかつき銀河が廃止だから、残るは富士ぶさだけになります。
あらら、戦争末期と全く同じですなorz
最近の何かの雑誌に、米原駅に
鉄道防空壕を作る計画があったと読んだ
近所の丘に溝を掘ったところで終戦になり
計画中止,だとか
鉄道車両をそのまま収容可能な防空壕が
実際に作られた例ってこれくらい?
あとは上野の京成線に国鉄車両を引き込んだくらいか。
141 :
名無しでGO!:2007/11/23(金) 13:00:47 ID:JumLJR1jO
それでも日本の鉄道の被害は、欧州大陸に比べたら微々たるものなんだよね。
142 :
名無しでGO!:2007/11/23(金) 14:47:05 ID:pX3GbJTD0
>>140 空襲時に機関車を疎開避難させる掩体壕なら、機関区等の重要拠点では各地で作られているね。
>>141 終戦後、進駐軍は日本の鉄道は壊滅しているだろうと想定してディーゼル機関車なんかも
持ち込んだりしたけど、実際には鉄道輸送が機能していたことに驚いたそうだね。
143 :
名無しでGO!:2007/11/23(金) 17:47:32 ID:CoPYXQIW0
>>141 向こうは陸上戦だったかね。
路面電車に兵隊の棺をいくつも収められる霊柩でんしゃなんてのもあったそうだし。
144 :
名無しでGO!:2007/11/23(金) 18:07:51 ID:11M4w4H9O
>>142 原爆落ちたその日には、広島の西の玄関西広島駅から西行きは運行されていたくらいだから。
ちなみに廣島駅は駅員がみんな逃げちゃったから復活は翌日以降になったとのこと。
終戦後、旧帝国陸海軍の技術者を、研究者として国鉄が大量に採用して、
それが新幹線開発の貴重な人材になったことはよく知られているけど、
終戦から数年後、鉄道技術者を欧米に派遣して、欧米の鉄道技術を吸収させ、
それを日本に持ち帰って、その後の日本の鉄道や新幹線に生かしたことは、
技術者本人の口から話される以外は、ほとんど表面化していないんだよね。
この時に海外から持ち帰った技術が、やがて新幹線などを生み出したけど、
今では新幹線を含めて、日本の鉄道技術は全て日本人独自の努力とみなされている。
残念ながら、日本の鉄道技術は海外の鉄道技術がもとになったと言うと、自虐史観扱いされてしまう。
>>141 日本と同じ敗戦国ドイツの、ケルン大聖堂をバックに、崩れ落ちたホーヘンツォーレン橋の写真(結構有名らしい)を見ると、何か泣けてくる。
ドイツの場合、戦争だけでなく、ドイツ自身の焦土作戦や、連合国による持ち去りも大きい。
あと、ドイツは、戦時中でも、数多くの鉄道写真が残されている。
それで「戦争と鉄道」をテーマに、何冊もの本が出版されているのは、日本とは大きな違いだと思う。
なぜ海外では高速鉄道が新幹線以後も長らく生まれなかったのか?
海外に目を向けない技術者が20世紀以降存在しただろうか?
広く世界に技術を求めることは当然だし、日本での技術蓄積が相当にあったこと、先見の明で早くから
電車の可能性に目を付けていたこと、政治的困難の克服努力があったこと。
なんといっても日本の在来線が「終わっていた」から、次は新しいものが出るしかなかったから。
>>146 在来線では200km/h近い速度を出していたから。
せいぜいピークで160kmで、しかも線形もそんなによくなく、100マイル限界説という呪縛があり、
どんどん自動車と飛行機にシェアを奪われて、鉄道の斜陽が確定的だったわけだ。
つまり欧米では鉄道は過去のもの、もうさほど進歩しないものとして扱われていた。
実際、後にヨーロッパで200km/hの試験営業をやってはみたものの、在来線インフラ上での200km/h
は問題が多く、やむなく160km/hに落としたと言う経緯がある。200km/hの営業は、越えなければ
ならないハードルが非常に多かった。それをこつこつと、あるいは発想の転換で乗り越えていった
歴史が新幹線にある。
実際、日本が200km/h超を目指すと公言した際は、ヨーロッパ陣営のほとんどはハナから相手にし
ていなかった。いつかボロが出てあきらめるさ、という冷やかなものだった。
あまりこのスレには関連ない話題かな。
149 :
名無しでGO!:2007/11/24(土) 10:00:37 ID:iFb0pSzWO
弾丸列車なんて、海外からどう見られてたんだろう?
多分ほとんど知られていなかったとは思うが。
と、少し戦時中ネタに戻してみる。
150 :
名無しでGO!:2007/11/24(土) 11:19:44 ID:5ySU5BXt0
弾丸列車は蒸機での構想なんだよね。おそらく発想の根元は満鉄のパシナ型あたりに
あるんじゃないの?植民地満州にあるものが内地にないのはおかしい・・・・とかね。
戦後具体化した弾丸列車「新幹線」の車両開発には、世界屈指と謳われた零戦の技術も導入されているわけでしょ?
しかも堀かけで中断された新丹那トンネルを活用したことと言い、新幹線と太平洋戦争は密接に結びついているね。
・・・と、新幹線と戦時中ネタを強引に結びつけてみる。
良スレを通り越して出版させたいスレだ
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153 :
名無しでGO!:2007/11/24(土) 14:55:45 ID:hcWKAqc10
高い、遅い、従業員の態度が悪い、の悪評の大阪市交通局ですが、大阪大空襲中にも運行されており、猛攻撃されていたなんば本町地区から燃えていない梅田へと被災者を運んでいたそうです。
154 :
名無しでGO!:2007/11/24(土) 15:23:32 ID:kikE1ovLO
>>153 被爆者を家まで運んだ山陽本線と同じだね。
今じゃ国鉄廣島と呼ばれて、気概もやる気も資本も何もかもが無いですからww
>>150 戦争が本格化して、大陸との物資輸送を強化することが急務となり、あれだけ否定された広軌幹線を
やっぱり作ろうということでスピード着工されたんだよね。
官鉄を去った広軌派の島安次郎を呼び戻し、息子の秀雄は機関車の設計に携わった。秀雄は当時から
電車方式を推していたようだ。
156 :
名無しでGO!:2007/11/24(土) 22:14:16 ID:/i31frAj0
地下鉄への避難は原則禁止で地下出入り口封鎖してたんだっけ?
157 :
名無しでGO!:2007/11/24(土) 22:17:49 ID:1cBrFB4a0
いわゆる弾丸列車は計画時は最高160キロ程度で、電化区間は直流3000Vの予定だった。
というか、当時は交流電化が実用化されておらず直流3000Vしかなかった。
長大トンネルのある東京ー静岡は電化確定だった。もし、名古屋ー大阪が関が原
ではなく鈴鹿越えなら長大トンネルが必要でやはり電化は必須。それに神戸も
当時から市街地に通すことは困難で、六甲にトンネルを掘ることが考えられた
から、結局東京静岡と名古屋姫路が電化しただろう。あと、浜松の三方が原台地に
円形の試験線をつくり高速試験をやる構想もあった。もし実現していたら、模型の
ようにパシナや01クラスの高速SLがぐるぐる回っていただろう。
戦時設計の蒸気機関車
・日本のD52:285両/2年
・ドイツの52:6000両(推定)/3年
この差は・・・orz
>>158 すごいな、ドイツ。戦車や戦闘機や潜水艦も沢山作ってたのに機関車も
ものすごい数量だ。周辺諸国でのコピーも含めると約10,000両で世界一とのこと。
160 :
名無しでGO!:2007/11/25(日) 00:28:26 ID:Rw0N7cGmO
>>158-159 ドイツはそもそも重工業が発達していた国だし粗鋼の生産量も日本とは雲泥の差だからな
161 :
名無しでGO!:2007/11/25(日) 01:38:26 ID:+RabseSRO
>>157 弾丸列車の機関車って、どういう訳か当時本土にも満鉄にもない4-6-4とか4-8-4の超大型機を考えてたらしい。
前者、つまりハドソンは満鉄でも考えられてたらしい。
>>156 何かの回想録で読んだんだが、現場の判断(?)で開いてた地下鉄駅に避難
したら、地下鉄がやって来て皆大歓声。で梅田へ逃げたってのを読んだこと
がある。
163 :
名無しでGO!:2007/11/25(日) 14:54:43 ID:GK5Mt77M0
病客車の資料って少ないね
この前初めて写真みたけど(写真が)残っているとは思わなかった
164 :
名無しでGO!:2007/11/25(日) 14:58:43 ID:Rw0N7cGmO
>>163 ただでさえ鉄道が兵器扱いされてた時期だし傷病兵に関わるものだからねえ
165 :
名無しでGO!:2007/11/26(月) 15:01:16 ID:ditj1Q3q0
>>154 新車がないって理由だけでそこまでケチをつけるのはどうかと思う。
資本はともかく、ダイヤや現場の職員を見れば気概とやる気は十分感じるぞ
166 :
名無しでGO!:2007/11/26(月) 15:40:29 ID:ZU6xUsbTO
>>165 現場→組合活動忙しいか、設備国鉄のまんまで人だけ減らされ整備もボロボロ、ヤル気以前にみんなクタクタ。故障多発で滅茶苦茶になっているのは国鉄広島スレ見れば分かるかと。
ダイヤ→呉線の超鈍足化ダイヤ改正を知らないの?まっ、呉線乗ってその素晴らしい乗り心地を体験すれば糞西のことが理解出来るはず。
本線の快速も広島〜西条とかヤル気なくなる一方。広島〜岩国が現状を維持しているくらいか。
167 :
名無しでGO!:2007/11/26(月) 15:48:53 ID:ZU6xUsbTO
>>165 実話
夜誰も見ていないからって、車掌が窓ガラスだけ開けて顔をちょこっと出して確認するだけでドアの開け閉めしていたぜ。
しかもほんとちょこっと一瞬顔出し確認するだけで、開閉時は顔も出さないでドア扱いしてんだぜ。
こんな車掌が居てヤル気があるって言えるのかい?
国鉄時代を知るだけに、糞西はほんと情けない。
168 :
名無しでGO!:2007/11/26(月) 16:13:05 ID:ditj1Q3q0
>>166 >故障多発で滅茶苦茶
故障率のデータ出してね。他の地区の何倍あるのかな?
>国鉄広島スレ
あのクレクレ厨の巣窟のことかwwwww
>呉線の超鈍足化ダイヤ改正
そりゃ単線区間で快速増便したら行き違い発生するよね
>呉線乗ってその素晴らしい乗り心地
ローカル線なんて日本中どこでもあんなもん
>本線の快速も広島〜西条
瀬野や八本松へのサービス。そもそも快速があるだけ他地区よりマシ。
>>167 一人だけを見て全体を判断できるなんて
君はよっぽど偉いんだねwwww
明らかにスレ違いなのでこれで終わるわ
皆さん。御三家卒業の女房とはもう最後の時が来ました。いろいろ妄言で
ご不快だったでしょうけれど。どうにもならなくなりました。
では皆さん出来うれば。少しでも他府県人と上手くゆく「県民性」に
変わられる事を願っています。(難しいでしょうけれども)
お騒がせしました。ご忠告いただいた方ありがとう御座いました。ではさようなら。
170 :
名無しでGO!:2007/11/28(水) 08:28:11 ID:KZ5Q4Whj0
>>163 「鳥取県の空襲記録」に車内構造がどうなっていたかの詳細が描写されてる。
ちなみにこの書は、大山口列車空襲についての詳細が書かれた唯一の書物と
思われる。たぶん入手困難。
171 :
名無しでGO!:2007/11/28(水) 14:58:32 ID:sc1Trg2JO
>>168 スレチだが、
へぇ呉線はその要の快速が超鈍足化したのも知らないんだねww
一人だけを見てとか言うが、全国各地旅をしまくっているが、ここまで酷いのは他では見たこと無いぞww
具体的に国鉄広島スレで指摘したら「あの列車の行路が一番肉体的に辛いんだよ。許してやってくれ。」なんてレスがあった。
広島の現状を何も分かっていない癖に糞西を擁護するな。
とりあえずスレ違いのケンカをしている奴は
スヘセに乗ってどっかに消えてくれ
>>170 レスサンクス
書名なんだけど「鳥取県の戦災記録」なのでは?
空襲だと検索にひっかからないもんで…
図書館にあるみたいなんで、こんど観てみます。
174 :
名無しでGO!:2007/11/28(水) 23:20:05 ID:rVB2CsFJ0
鉄ヲタの先輩社員が、広島出張からの帰りに、
寝台特急「はやぶさ」を利用して、会社からこっぴどく怒られていた。
175 :
名無しでGO!:2007/11/29(木) 07:30:05 ID:sFDKPZ9oO
戦争中、かなりの路線や索道が不要不急路線として廃止や単線化された
たとえば東武日光線も合戦場以北が単線化され、線路や砂利はもちろんのこと、鉄製の架線柱も上半分が撤去(つД`)
今からは考えられないほど鉄にこまっていたと実感
176 :
名無しでGO!:2007/11/29(木) 09:12:15 ID:IkzYHkA60
>>175 蒸気機関車を木で造るくらいだから、それは一目瞭然。
しかし、戦時型D51やD52の写真を見てるとデフや歩み板や炭水車の上半分が木なもんだから
みすぼらしいことこの上なくて、よくあんな機関車を運転できたもんだと感心するよ。
D52はボイラー爆発が頻発したしね・・・
177 :
名無しでGO!:2007/11/29(木) 15:22:10 ID:OOTym3WH0
>>176 何かで読んだけど、除煙板が「木製」だったために、使用開始後しばらくして
反り返ってきてスカスカになったとか。
178 :
名無しでGO!:2007/11/29(木) 22:53:39 ID:FmrdjFBN0
>175
御殿場線の単線化があまりにも有名。
179 :
名無しでGO!:2007/11/30(金) 01:12:07 ID:fryZMiJCO
平和な時代に感謝。
ただし、周辺諸国にナメられないよう
防衛力は強化するべき。
防衛力じゃなくて外交力だろ。
181 :
名無しでGO!:2007/11/30(金) 01:28:03 ID:Arf9ZxmbO
>>177 生木を使ったもんだからデフがスノコみたいになったり、ランボードが反り返ったりしてた
炭水車の給水口の蓋はまるで鍋の蓋
給水温め器がないため蒸気の上がりは悪い
装備を減らした分はデッドウェイトにコンクリートブロック
缶胴のリベットも減ら水位計のガラスは磨きが足りなくてよく見えず
いやはや凄まじいですね。
182 :
名無しでGO!:2007/11/30(金) 07:19:58 ID:54S0Emv6O
>>181 トンクス、そこまで物資が困っていたなら鉄製の架線柱の上部の半分だけでももっていくわけだ
御殿場線はその後復元していない(事実上無理)からより悲劇かも、東武日光線は橋梁は残されたが、御殿場線の方がより徹底した単線化だったような気がする
御殿場線は戦争が無くてもいずれ単線化される予定だったとしか思えない。
御殿場線と二俣線と赤穂線と岩徳線は要らないだろ実際
呉線はセーフ
「どうせ灯火管制すんだから、ヘッドライトもいらんだろ」
ってなことも。
戦闘機ですら木材を使っていたからなぁ
187 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 04:38:32 ID:1ingy4cyO
188 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 09:02:05 ID:4HlR2exwO
鉄がいかに貴重品だったか、今の感覚では想像もつかん
しかし戦時に作った車両は作りが粗いので短命ですね、63系なんかは勝つまでもてばよいという発想だったみたいだが、勝ったらニューヨークから電車を接収する気だった?
189 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 10:06:35 ID:OpKjIDll0
>>188 D52は、当初から3年使用に耐えられれば良しという発想だったようだね。
それでもD52は勿論EF13あたりも大改装後は長い期間使われたから、
機関車の性能的には遜色はなかったんだろうね。ただ、工業生産力があまりに低すぎただけで・・・
190 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 17:43:29 ID:1ingy4cyO
鉄だけじゃなくて金・プラチナも回収してたはずだが、終戦時チョロまかしたヤツ絶対いそうw
191 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 19:16:17 ID:4HlR2exwO
>>189 トンクス、戦時設計の変なイメージがあるので
ちゃんと改良してあげれば長持ちするものですね
>>190 隣組、特高、憲兵の三点セットの監視をくぐれればね、ちなみに曲者は一番前者だし、盗んだのがわかれば家族は非国民で針のムシロになります
192 :
◆1e61wUKJAM :2007/12/01(土) 19:21:28 ID:e4fmRtBY0
戦中は、乗客または乗務員が「日本は絶対負ける(負けている)」と言ったら、
どうなっていたのでしょうか?
193 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 19:36:13 ID:JX6JU74iO
>>180 防衛力=外交力
両者は全く同じ意味
戦争は外交の延長線にある
防衛力なくして外交力は発揮できない
防衛力ぅpで外交力もぅp
194 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 23:23:21 ID:0ivWXytR0
>192
戦時中は列車は混んでいたが、それなりに秩序は保たれていた。車掌が巡回し
年配の男性を車内隣組の組長に指名し、その「組長」の指示で3人掛けが
励行された。窓ガラスもちゃんと入っていたし、電灯もついていた。ただ、
夜行列車は灯火管制のためブラインドかよろい戸を下ろすように言われた。
窓ガラスが割れ、惨惨たる状態になったのは、敗戦の年の秋以降。チョン、
チャンコロのヤミ米買出し集団が車両を徹底的に痛めつけた。
この戦争は負けると誰かがつぶやいたら、そんなこというもんじゃない、兵隊さんは
お国のために必死に戦っているんだぞ、との罵声が飛んだ。
ただ、特高とかそんな奴らがたまたま乗っていると途中下車させられ拷問を
受けただろう。
195 :
名無しでGO!:2007/12/01(土) 23:49:50 ID:YIWNILNbO
>>194 いやいや、意外と「この戦争はダメらしい」ってなことはヒソヒソと、しかし広く言われてたらしい。
特に本土に敵機が頻繁に来る昭和20年の春以降は。
内務省の報告にもそういった「流言飛語」が多いといった内容が書かれてあったり。
それでも大多数の国民にしたら何ともならないのが怖いところ。
ま、ともかく不特定多数のいる車内でそんなナイーブな話はわざわざせんだろうよ。
226 特攻でGO! sage 1945/04/02(月) 11:28 ID:dAwrFjJm0
もうこの戦争は勝ち目無いね。
先日の東京空襲も、ほとんど抵抗できなかったし。
227 特攻でGO! sage 1945/04/02(月) 12:38 ID:ignHTwkd0
>>226 国家反逆罪でタイ━━━━||Φ|(|´|Д|`|)|Φ||━━━━ホ!!
228 特攻でGO! sage 1945/04/02(月) 15:56 ID:Ebis4mT20
>>226 ( ・∀)人(∀・ )通報しますた!
198 :
名無しでGO!:2007/12/02(日) 02:45:58 ID:+puhahrr0
>>190 国民から集めた高価金属や宝石はGHQの接収され一部の人を戦犯免除と
引き換えに工作要員と資金として、戦後の保守合同の際に使われたとか、
下山事件に関係したと一部書籍等で指摘されている謀略機関(のダミー会社)が
入っていたところのビルに、それらの管理を業とするの特殊法人が入っていて
下山事件の工作資金との関係が噂されたりした。
あとそれらが今でも「M資金」という怪しげな隠匿資金の話として出ては消えるので
投資詐欺などの「もっともらしい話」に使われることがるので注意。
http://ja.wikipedia.org/wiki/M%E8%B3%87%E9%87%91 それらの使い道は戦後史の闇の部分である。
199 :
名無しでGO!:2007/12/02(日) 09:10:08 ID:P8cNKQXQO
>>194 トンクス、あの狭い座席に三人がけですか、三人目は通路に飛び出ますね
たぶん戦争に負ける不安が一番先に感じたのは、山本長官戦死とアッツ玉砕あたりかな、アッツ玉砕はかなりストレートに新聞も伝えているので
このころ負けるといったら罵声は当たり前、ただ殴られるのはいい方、駅の憲兵に突き出される
200 :
名無しでGO!:2007/12/02(日) 20:53:39 ID:jHVscP1I0
>194、196
宮脇俊三の時刻表昭和史にも、1942.6のミッドウエー海戦の「大本営発表」
のあたりから戦勝気分の酔いもさめた、とある。ミッドウエー海戦は大本営
発表では勝ったことになっているが、実際は大敗だったことがうわさのような
カタチで広まっていて、中学生(宮脇の行っていたのは成蹊高等学校尋常科)
でも知っていたという。
>189
>>当初から3年使用に耐えられれば良しという発想だったようだね
まるで元祖走ルンですだな>D52
>>200 4/18にはドゥーリットル隊の米軍機本土初空襲もあったからな
203 :
名無しでGO!:2007/12/03(月) 23:30:14 ID:LkLJBEIn0
>202
日本の軍部は1942.4.18のドゥーリットル隊の空襲をみて、空襲なんてあんなもの、バケツ
リレーや建物の強制疎開程度で延焼は防げると考えていたらしい。
ところが1945.3.9夜の東京大空襲はそんな甘っちょろいものではなかった。
しかし、東京大空襲でも、上野発着の列車は3月10日昼頃から運転が再開された。
山手京浜東北も3月11日には運転再開。この事実がすごい。阪神大震災でJRは2ヶ月半
運休だった。
204 :
名無しでGO!:2007/12/03(月) 23:54:19 ID:DoBFmpxX0
>184
今じゃ新快速播州赤穂行きが走ってるぞ・・。
そのうち新快速敦賀発岡山行ができるかもしれない。
>>203 地面の上っ面にある可燃物を焼き払っただけの空襲と、
地盤まるごとシェイクした震災を同じ土俵で語るなよ。
いくら何でも暴論だわ
206 :
◆1e61wUKJAM :2007/12/04(火) 19:36:38 ID:nD50MDiN0
当時の駅弁事情の話題が出てないお
207 :
名無しでGO!:2007/12/04(火) 21:26:13 ID:u2g3nyiEO
>>203 でも東武浅草駅に留置していた電車は火災の火の粉などから燃えはじめたりした、でも焼逝弾では路盤の破壊は無理
駅弁は外食券がないとかえないし、末期は外食券はあっても買えなくなる、また車内では質素なものを食べないと余計なおせっかいが
208 :
名無しでGO!:2007/12/04(火) 21:46:56 ID:FMeDkPQy0
>205
1980年頃、武蔵野線武蔵浦和駅付近の火災で武蔵野線は2週間くらい不通だった。
その時も、戦時中の空襲は1〜2日で復旧したのに、なんでそんなに時間がかかる
んだと言う声があった。線路だけでなく、各種保安装置の復旧に時間がかかった
のだろう。
東京もドレスデンみたいに通常弾と焼夷弾の混成で爆撃されてたら、
そりゃあ東京の鉄道網もズタボロにされたかもしれんね。
>>208 武蔵野線は高架だから。
激しい空襲にもかかわらず、なぜ枕木はもえなかったのか、
そりゃ多少は燃えただろうが、それが不思議でねぇ。
>>208 保安システムも通信システムも戦時中とはまるっきり違うからねぇ、
複雑化すればするほど復旧は遅れるし一概には比較できないよ。
利用者にしてみればそんなもの知ったこっちゃないだろうから何とでも言えるけどね。
>>210 丸焼けになるには太すぎたんだろうな
焼夷弾直撃ならともかく、火の粉が飛んできたぐらいじゃ芯まではなかなか燃えにくい
>>210 焼夷弾では枕木のような地中に埋まっていて表面しか出ていないような
ものまで燃やせないよ。
ひょっとしたら橋梁などでは燃えたかも知れないが。
213 :
名無しでGO!:2007/12/05(水) 09:25:26 ID:/KFv6ACa0
「国鉄の空襲被害記録」をつぶさに見ると、
○○空襲被害 ○○線・枕木焼損○○本・・・とか記載があるね。
おそらくは復旧時に必要とした枕木本数を、焼損数として計上したんだろうとは思うけど。
焼夷弾の直撃を受けた箇所は地中の枕木といえど焼損しただろうけど、延焼してきた
火には>212の指摘のように焼けるまでには至らなかったんじゃないかな。
戦災の体験記を読んでるとしばしば見るけど、枕木って炎を上げて盛大にってわけ
じゃなく、チロチロと炭火見たく燃えるそうな。だから全部丸焼けということにはなりに
くいんだろうなあ。
215 :
◆1e61wUKJAM :2007/12/05(水) 22:50:21 ID:pHxUJjfW0
ハングリー精神あげ
216 :
名無しでGO!:2007/12/05(水) 23:05:32 ID:WSlLlrMp0
>>208 確か1980年夏のことで、高架下を借りた業者が山積みにしていた古タイヤに火が着き、
なかなか鎮火しなかった事故。鉄製の架線柱が曲がってしまう程長い間火にあぶられ
たため、高架橋もかなりのダメージを受けたらしい。
あの混乱は新小平駅水没事故といい勝負と思った。
217 :
名無しでGO!:2007/12/06(木) 02:15:12 ID:l7BJkAJWO
>>203 昔トミックスのキロポストで戦時中の駅弁の掛け紙出てたな。兵隊のイラストだった。
内容は代用食だったらしい
218 :
名無しでGO!:2007/12/07(金) 09:10:00 ID:Eg+J6rqzO
>>217 確か廣島駅の駅弁?の包み紙が兜の絵
なんか不気味な雰囲気をもっていた
ちなみにドウリットル隊の初空襲は同時期のケルン等の空襲と比較したら嫌がらせ程度のレベル
ドウリットルさんもあれで東京を壊滅できるとは思っていないだろうし
219 :
名無しでGO!:2007/12/07(金) 23:09:34 ID:PU9UYytO0
焼夷弾は木と紙でできた日本の家を焼くために、アメリカが日本家屋をそっくり
そのままアメリカ国内に作って、どういう爆弾なら一番効果的かを研究して
作った。要するに日本爆撃専用。だから鉄筋や石造りの建物はせいぜい外側を
焦がす程度。
高架線や鉄橋はせいぜい枕木を焼く程度で、致命的打撃は与えられなかった。
220 :
名無しでGO!:2007/12/09(日) 07:30:03 ID:yP6T5pP/0
>217、218
鉄かぶとの絵が描いてあって、防諜とか節米とか書いてある。
戦時中の駅弁は戦争開始当初は地域によっては白米もはいっていた。駅弁研究家
林順信の文章によれば、1942年正月に姫路で食べた駅弁は白米で鯛の尾頭付きで
栗きんとんも入ったおせち料理だったそうだ。
戦争も戦況が悪化した後半はサツマイモやジャガイモが入った貧弱なものに
なってゆくがそれでも手に入ればいいほうだった。
221 :
名無しでGO!:2007/12/09(日) 18:44:27 ID:FEGXZkBEO
日本の鉄道の戦略的価値が非常に小さいことを、アメリカは知っていたと思う。
222 :
名無しでGO!:2007/12/09(日) 19:10:52 ID:FEGXZkBEO
アメリカから見れば、
全ての連絡船と桟橋
根府川、白坂の黒川、上越線の山奥の橋、餘部の橋、
親不知、
関門トンネル、
千手発電所、
新鶴見と大宮と吹田の操車場、
秋葉原駅の高架、
小樽、苫小牧、若松の石炭桟橋、
この程度を大型爆弾で完全に破壊すれば、日本の鉄道は簡単に麻痺させられる。
アメリカが本気になれば、三日あれば十分。
港湾に機雷を撒くほうを優先したんだな……
ああ・・・なんか悲しくなってくるなぁ。
終わったことを「思い出し怒り」してたらかの国の人たちと同じになっちゃうぜ
226 :
名無しでGO!:2007/12/09(日) 22:14:00 ID:mgymy2pPO
>>222 逆に鉄橋破壊し過ぎると進軍の妨げになるからそんなに狙わなかったとも
ヨーロッパ戦線じゃ有名なナイメーヘンやレマゲンとか橋の奪取で度々兵力の損害出してるし
>>222 それやると占領後の自軍の行軍に支障出るから、あえてやらなかった
アメリカの戦中記録フィルムで
米戦闘機が白い蒸気を吐きながら山中を必死で逃げて行く
旅客列車を追いかけて機銃掃射するのあったね
>>226-227 事実、米国は青函航路を空襲で壊滅させた結果、対ソ戦略のために
北海道へ大量の物資や兵士を運ぶのに相当苦労したという。
GHQは終戦時に建造中だった3隻の建造継続を認めさせてこれを
GHQ専用船に充てたが間に合わず、結果国鉄に対して異例の新造船
計画(洞爺丸形・北見丸形・紫雲丸形)許可に繋がる。
…とは言え、GHQの国鉄連絡船担当者が気まぐれな人で、ある日
突然建造中止命令が出かかって大変だったらしいが。
230 :
名無しでGO!:2007/12/10(月) 12:05:41 ID:Zvvz6Kjt0
>>222 それはどうかな?
その中で、本当に攻撃されたら国内輸送が途絶するほどの打撃を受けるのは、連絡船は別にして
根府川、関門、新鶴見と大宮と吹田の操車場くらいのもんだね。
小樽、苫小牧、若松の石炭桟橋などは、機雷敷設で船舶輸送途絶状態だからほぼ機能停止だろうし
上越線や東北線や北陸線が機能停止しても、迂回ルートは別にあったからね。
秋葉原の高架なんて戦略物資輸送になんの関連も無かったし、
ましてや餘部など攻撃しても米軍から見れば戦略的価値が何もないと思うよ。
国内鉄道輸送徹底破壊を目論むなら、東海道山陽鹿児島常磐の4線を壊滅させるのが
先決。(ちなみにこの4線は空襲被害の上位を占めている)
1位:東海道 2位:山陽 3位:鹿児島 4位:東北 5位:室蘭 6位:常磐
秋葉の高架に関しては東京大空襲後?新小岩操から新金線にかけての使用不能時に
房総向けの軍事貨物が走っている。
D51(重連?)の軸重に昌平橋の鉄橋が耐えられないと鉄道側は反対したが、軍の命令で押し通された。
当時、飯田町から緩行経由千葉方面への貨物の運転例は全くなく、
中央急行(快速)線水道橋付近から上り勾配、急行から緩行への渡りの際の速度規制、
御茶ノ水構内から秋葉にかけての上り勾配
(止まってしまうと再起動不能、重量貨物が長時間止まっていることの高架橋への悪影響など
から絶対失敗は許されない)
など無理難題も多かったが、腕利きの機関士を呼び寄せ無事にやり遂げた。
.
以上の話は「東京ゲタ電物語 / 明石孝. -- 講談社, 1984.3 」に出ていたと思う。
232 :
名無しでGO!:2007/12/10(月) 21:30:34 ID:sbQH8l2V0
>231
この話はRJ1969年12月号にもでていて、鉄橋なんて安全率が3倍くらいかかって
いるから、思い切ってやった、と明石孝がしゃべっている。秋葉原の高架上で補機のD51を切り離すが、
周りは灯火管制で真っ暗で、このほうが怖かったという。
233 :
名無しでGO!:2007/12/11(火) 07:36:35 ID:rzBGTMXBO
>>232 灯火管制かあ
そういえば鉄道の信号機にもフードをかぶせていたのかな?
一般家庭では電球にフードをかぶせ、警戒警報でフードを引き出していたと思うけど
当時は本当に真っ暗だったのですね
234 :
名無しでGO!:2007/12/11(火) 22:40:28 ID:1rZB7L2f0
>>233 信号機の電源落として有視界の無閉塞運転か?
と思ったが、確か空襲警報発令で電車は運転を中止していた
とどこかで読んだ気が。
そもそも空中に向けて光ってる鉄道信号機なんて無い訳で…
今みたいに煌々と照る電球でもなく、それでも容易に見付かるものなのかな
236 :
名無しでGO!:2007/12/12(水) 22:20:57 ID:w7kBnNRM0
>234
警戒警報で列車・電車は徐行、空襲警報で停車。駅間は危険なので、
極力駅に待機するように指示された。やむを得ない場合は山の陰とかトンネル内に
退避した。
ただ、列車無線も携帯ラジオもなかった時代に、どうやって機関士や運転士に
警報を知らせたかだが、駅に警戒を知らせる標識をだした。それしか方法が
なかった。
見れん
このスレに貼られてある、画像・写真・動画へのリンク先は怖くて踏めない私
241 :
名無しでGO!:2007/12/14(金) 21:04:28 ID:tz7npQx50
>228
このフィルムは俺も見たことある。平坦線で複線区間。周りは田んぼ。その次
のシーンに漁港?が写っている。とすると、東海道線と思われる。静岡県内か、
愛知県内ではないか。
242 :
名無しでGO!:2007/12/16(日) 19:52:53 ID:Tz9YaJF50
敗戦の年の秋から翌年はじめにかけて、大量の三国人(要するにチャンコロ、
チョン)が下関を目指した。もちろんきっぷなんか持たず、超満員列車に
強引に乗り込んで下関、門司を目指した。そのころ関門一帯は全国から三国人が
集まり、暴動が起こりかねない不穏な雰囲気だった。
243 :
名無しでGO!:2007/12/17(月) 22:55:58 ID:oqXzi3b40
今の日本人でも朝鮮人、中国人に嫌悪感を抱いている人間はかなり多い。マスコミも
政府もそういうことはうすうす気づいていても、日中友好とか日韓友好としか言えない。
でも、敗戦直後「第三国人」がいかに威張り、傍若無人な振る舞であったか。
それを知る人は少なくなりつつあるが、やはりそれをきちんと伝えていくべきだろう。
板違いだ。他所でどうぞ。
245 :
名無しでGO!:2007/12/18(火) 01:18:13 ID:dQByhk4dO
県立図書館に「連合軍専用列車の時代」って本があったので借りて読んでるが、格差がすごいな
246 :
名無しでGO!:2007/12/18(火) 08:38:03 ID:OeIN6Z9iO
>>245 連合軍が一番欲しがってた車両は何と当時の1号御料車で、アメリカは当然存在は知っているから出せと迫ってたけど日本側は必死に隠したらしい。
>>246 隠すって言っても、どこに隠したんだろな。
工場とか操車場とかじゃバレバレだろう、トンネルにでも閉じ込めて埋めたのか?
俺もそれとなく捜してるが、信憑性のある文献にはまだ出会ってない。
どうせ公には走らせられないのだから、レール上から外れた場所ではないかと予想してみる
249 :
名無しでGO!:2007/12/18(火) 22:59:06 ID:V/puKarH0
>244
スレ違いとも言えぬ。当時の超満員列車には三国人のヤミ米買出し集団が乗っていて、
満員の車内で勝手に人の肩越しに車内を動き回り、網棚の荷物を勝手に下ろし、ヤミ米
が詰まったリュックを積み上げていた。文句言おうものなら暴行をうけたり、
荷物を外へ放りなげられたりした。だから黙っているしかなかった。
>>249 もうちょっと当時の状況を勉強してから書き込めや。
251 :
名無しでGO!:2007/12/19(水) 21:52:37 ID:p4F2ixDZ0
>249、250
249に書いてあることは事実。大岡昇平のわが復員わが戦後という自伝的小説にも
敗戦直後の列車内の情景がでているが、おおよそ249のような状況。
252 :
245:2007/12/20(木) 03:17:28 ID:A4rY5IOzO
>>246ー247
前著によれば御料車1〜3号は中央線浅川駅(現在の高尾駅)の車庫に隠蔽していたらしい
さんざんせっつかれたらしいが大井にいた11号と真岡線真岡にいた10号に止めたとのこと
>>251 そうじゃなくて、集団で闇米の買い出しをしていたのは「三国人」だけ
じゃ無いって事だよ。
>>249は事実だが公平性に欠けるって事だ。1つの書物を読んだだけで全体
を知ったように言われちゃな。
ドサクサに紛れて、そのような行為をした日本人もいたのも事実。でも
みんなその日を生きるための食料を得るのに必死だった時代、誰も彼らを
現在の価値観だけで責めることは出来ない。
なぁんて書くと、俺が在日扱いされそうだが。
254 :
名無しでGO!:2007/12/22(土) 21:22:49 ID:wt1VJMN50
>249、251、253
終戦直後のヤミ米買出し集団は三国人(チャンコロ、チョン)だけでなく日本人も
たくさんいたのは当然だ。三国人、日本人を問わずヤクザみたいな連中だった。
それから結構多かったのは鉄道員のヤミ屋。なにしろ、当時の国鉄(運輸省鉄道
総局)の現場は復員者を受け入れてふくれあがっていてやたらと人が多かった。
なんといっても鉄道パスがあったし、乗車券の発売制限など関係なく列車に乗れた。
255 :
名無しでGO!:2007/12/24(月) 23:47:28 ID:HdK4DgIS0
鉄道員のヤミ屋は、副業としてそれなりにウマ味があったんだろうね。
ちなみにその当時は機関車盗難も横行していたそうで、まともに整備された機関車が
不足していたせいで、他区の状態の良い機関車に自区の機関車プレートを付けて何喰わぬ顔で
自区の機関車として運用していたとか、今では信じられないような事態もあったそうで。
関東で行方不明になった機関車を捜索したら、九州の機関区で運用されていたとか・・・・
たしか鉄道ピクトリアルに載ってたと思ったけど、C11に堂々とD51のプレートをつけて
ある写真を見てびっくりしたけどね。
256 :
名無しでGO!:2007/12/25(火) 19:40:06 ID:wrw8o4Wz0
>>255 戦後間もない頃、駅や操車場に停車中の機関車を勝手に運転して行く者がいたと言う
話を聞いたことがある。
257 :
名無しでGO!:2007/12/25(火) 20:57:48 ID:Gvhh+PHU0
258 :
名無しでGO!:2007/12/26(水) 09:37:14 ID:kkRVM/tg0
蒸気機関車の場合、自区を出庫して行き先へ付くと、必ずそこの機関区で給炭給水方向転換しなければ
ならないのはご存知のとおりだけど、つまりはその機関区が自区の区名札とナンバープレートの差替えを
して自区の機関車運用に供していたということみたいだけどね。
今のようにダイヤも機関車運用も緻密に設定されていればありえない話だろうけど、当時は列車の運休
なんて当たり前の時代だから、そのようなごまかしは可能だったんだろうね。
259 :
名無しでGO!:2007/12/26(水) 12:37:47 ID:hLGagW9/0
その頃は状態のいい電車も盗まれたようで
側面に「淀川電車区」などと大書きしてあった。
260 :
名無しでGO!:2007/12/26(水) 12:58:51 ID:3ojWkpKiO
はでまつ勝んせまりがし欲
しかし日本語は右から読む方式からなぜ左から読む方式へ変わったのだろうか。
戦前の資料を見ると1930年代は混合されているようにも思える。
262 :
名無しでGO!:2007/12/26(水) 13:23:49 ID:kkRVM/tg0
>>261 国内の西欧化が浸透すると、自然に英語表記と同じ方向に行くのは止むを得ないわけで、
終戦後、GHQにより日本語廃止論すら出る有様だから当然の成り行きであるわけで。
終戦当時、日本語を存続させるため、漢字体の簡略化(例えば、學を学にとか、辨當を弁当にとか)
文語表現を口語表現に変えたりとか改良が行われたわけよ。
263 :
名無しでGO!:2007/12/27(木) 01:27:45 ID:YHb+wbsfO
ナンバープレートを付け替えて〜ってくだりがよく出てるけど、戦中砲金製のナンバーはかなり供出させられてたから、当時のナンバーは板にペンキ書だったり車体に直にペンキ書だったから変更するのも楽だったんだろな
264 :
名無しでGO!:2007/12/29(土) 08:39:39 ID:ZfknfYRn0
敗戦直後は石炭不足で列車が大幅に削減されていたことは今でもよく知られているが、
進駐軍(占領軍)専用列車と復員引揚臨時列車はその例外で、最優先に石炭が配分
されていた。
このころ、産炭地(北海道、北九州)からの鉄道用石炭の輸送は主に船で東京、大阪、
名古屋などに運び、内陸部の機関区にはそこから貨車で運んだ。ところが、
途中の駅や操車場で石炭が抜き取られることがよくあった。付近の住民が盗むこと
もよくあった。他の機関区が貨車ごと横取りすることもあったという。
265 :
名無しでGO!:2007/12/30(日) 08:38:43 ID:JiOKYEjJ0
1947年(昭和22年)の正月明け1月4日から列車大削減で、汽車区間の乗車は
ほとんど不可能になった。ヤミ屋封じの意図もあったとされるが、あの連中は
あいかわらず長距離列車に我が物顔で乗っていた。
蒸機のナンバープレートが形式入りから形式なしに変わったのはいつ頃?
267 :
名無しでGO!:2007/12/31(月) 01:37:40 ID:McJ4wIyzO
>>266 いつということは無いが戦時中に多くの形式入りナンバープレートは供出→戦後整備の際に形式無しナンバー復旧じゃないかね?
密かに残された形式入りナンバープレートは蒸機ブームの折、珍重されてたな
一両の中に一枚だけ形式入りもあったし
268 :
名無しでGO!:2007/12/31(月) 20:10:54 ID:P1LqZVwc0
玉音放送中に鉄道に乗っていた人はどうだったんだろうね?
内地、外地含めて。
>>269 あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが
271 :
名無しでGO!:2008/01/01(火) 20:25:20 ID:LPOm+oBQ0
>269、270
1945.8.15、米坂線今泉駅で玉音放送を父親とともに聞いた当時19歳の宮脇青年は、
放送終了後まもなく、米沢発坂町行き普通列車が到着し、機関助士がいつもと同じ
ようにタブレットを受け取り、その列車に乗ったとある。
だから、歴史的時刻を無視して列車は走っていたことになる。
米坂線今泉駅を宮脇俊三記念館に!
それは放送中に列車が走行していたって事にはならないんじゃ?
>放送終了後まもなく、米沢発坂町行き普通列車が到着し
>>272先生の見解をお聞かせ下さい
274 :
名無しでGO!:2008/01/02(水) 00:48:56 ID:ysQhUJaEO
つFM携帯
275 :
名無しでGO!:2008/01/02(水) 01:10:11 ID:D02xhQY9O
“まもなく”つったって、どのくらいの時間経過なのか(放送終了後数十秒?十分後?)わからないし、
宮脇氏の記憶誤りかも知れないし、何とも言えないんじゃ?当のご本人もこの世の人じゃなくなってるから真相不明。
276 :
名無しでGO!:2008/01/02(水) 01:56:25 ID:ersDAqPlO
外地じゃ玉音知らずに戦闘続行してたとこもあるし、やむを得ない場合は聞いてないんジャマイカ?
野戦部隊にラジオが有るだろうか?
まあ軍には玉音とか関係ないしな
機銃掃射の話があったが、あの頃の機銃てえと12.7mmだよなあ
人に当てるのは凶悪すぎ。車両だって貫通しない所なんて鋳鋼の台車や輪軸位か?
278 :
名無しでGO!:2008/01/02(水) 02:56:04 ID:NpBkBiIR0
漏れが読んだ地元の資料によると
電気の使用量削減のために小田急江ノ島線東林間駅は
全電車通過になり、地元民は相模大野か中央林間まで
歩いて電車に乗っていたとのこと。
ついでに相模原市は現在人口70万人だけど太平洋戦争当時は
田舎で死亡者は1名だった。少なかったため実名が小学校の教科書に
載ってた。
279 :
名無しでGO!:2008/01/02(水) 03:17:34 ID:ersDAqPlO
戦後すぐの頃は石炭の質が悪過ぎたため松根油のタンクを炭水車に載せて火床に噴射してたらしい
280 :
名無しでGO!:2008/01/02(水) 11:35:26 ID:DAr/tHVuO
>>261 右書きって、あれは1文字で改行している解釈という話を聞いたことがある。
281 :
名無しでGO!:2008/01/02(水) 12:17:43 ID:cFkOcujG0
>271〜276
あの時代はラジオは貴重品といってよかった。とくに田舎では村役場、大地主の家、
警察署、学校、駅くらいにしかなかった。もちろんトランジスタラジオなんて
あるはずがない。
列車がどこかに止まったところでラジオを聴く手段がない。だから、そのまま
走っていたのではないだろうか。正午に駅に停車中なら駅のラジオを聴いた可能性
もあるが。
282 :
名無しでGO!:2008/01/03(木) 01:24:15 ID:kcFMmqxoO
「連合軍専用列車の時代」を読みすすめているのだが、食堂車要員が余った食材を持ち帰るのを米軍は寛容だったが英軍はチェックが厳しかったっていうのは国民性がよく現われてるなと思った
もし戦後日本の鉄道がアメリカの思惑どおり、
「ディーゼル主流」になっていたらどうなっていたんだろ?
お召し列車の車両を占領軍から隠さなきゃって上野から京成の線路を使って
どこかに隠したという文献を見かけたんだが本当?
>>284 京成上野〜日暮里を改軌して(三線式だったかも)、トンネルの中に隠した
286 :
名無しでGO!:2008/01/03(木) 13:17:34 ID:LO0z6TYb0
>>285 それはちょっと違う。
戦時中の話。京成上野トンネルを司令部にするために休止、客車を置いた。
京成上野〜日暮里は敗戦後の10月1日に復活している。
287 :
名無しでGO!:2008/01/03(木) 14:47:23 ID:P9a4uIo4O
それにしてもよくお召1号編成を隠し通せたもんだ。
占領軍としては1号編成を奪うことにより世界に日本を打ち負かした、天皇より上に立ったことをアピールしたかったんだろう。
よくやった! 日本の鉄道員たち。
289 :
名無しでGO!:2008/01/04(金) 21:13:25 ID:wxJGkq730
戦後初のお召しは45年10月、旧1号編成使用で走った。さすがのGHQも1号編成
はあきらめ、木造御料車を使うことにした。
まあ、GHQにもそれくらいの「良識」があったということだろう。
291 :
名無しでGO!:2008/01/07(月) 00:12:41 ID:zPXMknX4O
>>290 御料車10号ですな。展望車2101 アッシュビル後にボルチモアとしてオクタゴニアンの展望車として使われた。
なおこれを使用した将軍の一人のウォーカー将軍は朝鮮戦争で事故死してM41戦車が登場した時に愛称にちなんでウォーカーブルドッグと付けられた
ところで今日ないねん出版の終戦直後の蒸気機関車という本を借りてきたが荒廃した車両郡の中でも御召し牽引機と御召しはピカピカですね
22年6月6日の牽引機のC57 121はデフを外して御召し装飾してるのが興味深い
>>284 マイロネフブックだったかの星さんの本?>文献
293 :
名無しでGO!:2008/01/07(月) 00:38:15 ID:zPXMknX4O
>>287〜
>>289 そのあたりの経緯は
>>245の本に詳しく出てて
>>252ということらしい
10・11号は元々ゲスト用車両の意味が強かったからお互いに了承しやすかったのだと
また御召し1号の扱いはひいてはGHQ=マッカーサーの天皇に対する姿勢の現れとオレは解釈した
>>291 ソウルのホテルにシェラトンウォーカーヒルが有るよ
295 :
名無しでGO!:2008/01/10(木) 23:23:35 ID:MtnZbuP40
1947年10月には前代未聞、空前絶後のお召し列車の夜行が走った。
区間は姫新線林野から姫路経由東京。
296 :
名無しでGO!:2008/01/12(土) 10:02:00 ID:bJTE5Bou0
>>277 20年6月だつたか?「姫路空襲」の翌日、播但線の和田山行がグラマンに
やられて多数死傷者が出た
直後に村の「鉄道マン」の人から「動輪が打ちぬかれていた」と聞いたが
F6F恐かったな。やられたのは8620かC58?か知らないが
297 :
名無しでGO!:2008/01/12(土) 11:37:13 ID:d1NACkOI0
亀レスになるが東武浅草駅の場合大空襲で松屋とともにえらい目にあったが奇跡的にも業平橋の本社だけは焼け残ったんだよね。
以前東武の本社に勤めていた方から聞いたことがある。
299 :
名無しでGO!:2008/01/14(月) 22:29:34 ID:34ZjdAg+0
非冷房で長時間相席・・・
辛いな・・・
大垣夜行より悲惨だ・・・
>>299 当時はこれが当たり前だったからね
終戦後からずっと輸送力不足の状態で、
やっと輸送力が需要に追いついたと思ったら斜陽化が始まっていましたとさ(泣)
301 :
名無しでGO!:2008/01/15(火) 15:44:10 ID:TppWPePv0
>299
日本に限らず昔はそれが世界中で普通だったんだよ。
それでも徒歩や馬車に比べれば格段に快適だった。
今では信じられないが、
座っているだけで移動出来るのだからマシだなw
>>299 終戦後は座れる座れないより、車内に入れるか入れないかといった方が問題だったよ。
この頃なら座席に座れさえすれば御の字じゃないか?
長距離列車だと東京で座れなければ、最低大阪までは立ちんぼ覚悟じゃないの?
下手すると博多まで立ちっぱなしだろうし。。
さすがにそれは床に座るだろ
305 :
名無しでGO!:2008/01/15(火) 21:49:01 ID:uakuWHe20
>303,304
東海道本線の全線直通が2往復しかなかった1947.1.14〜4.23は座るなんて
とんでもない、座席は3人がけだが、多くの客は立ちっぱなしで座る余地すら
なかった。その間を縫って鉄道公安官(当時は警乗警官といった)が巡回して
いた。
特に東京発22時40分の門司行き5列車は東京駅では列車指定証がないと乗せなかったが
途中駅からでは不要で、新橋、品川ではムリヤリ乗る客で阿鼻叫喚の地獄で
あった。
306 :
名無しでGO!:2008/01/16(水) 14:07:39 ID:eWnRo7BT0
屋根のある客車に乗って、座るなんてどれほどの贅沢だか・・・
東海道など主要幹線などまだまだマシで、地方に行けば客車代用の貨車が普通だった
線区も相当数あったらしいよ。もちろん貨車だから座席がないのはもとより、窓すらも
なくて貨車の引き戸に横に棒が渡してあってそこをくぐって乗り降りしたとかね。
もっと酷いのは無蓋貨車よ。当然機関車の煙を一身に浴びるわけでいくら客車不足とは言え、
人間というよりもう貨物的な扱いだよね。
ちなみに昭和21年の河北新報の記事で、仙台発原ノ町行の無蓋貨車編成による買い出し列車が
運転された云々の記事があるけど(「ものがたり東北本線史」に記載)
常磐線のような平坦線ならまだしも、勾配を有する山岳路線ならえらい事だよね。
飛行機も高速バスも無い時代の長距離移動手段は、
鉄道ぐらいだからな・・・
>306
屋根があったって、屋根の上まで人が上っていて架線に引っかかるからって
箒で取っ払われたりしていたんだからなぁ
310 :
名無しでGO!:2008/01/17(木) 08:56:23 ID:Fz3SZxvo0
>>309 その国内航路ですら、米軍が敷設した大量の機雷の完全な掃海が終わらない時期は
とても交通手段になりえなかったと思うけど・・・・
実際のところ、たとえば東京から北海道や九州に行くのに船舶のみで移動した旅行者って
当時いたのかな?
311 :
名無しでGO!:2008/01/17(木) 23:03:11 ID:zFoERVXj0
>309、310
関西汽船大阪天保山ー別府航路は1946年4月から再開。ただし、4日に1回の運行
であった。阿久悠(本名深田公之)原作、篠田正浩監督の映画「瀬戸内少年野球団」
に少年時代の深田一家が神戸から別府経由宮崎まで別府航路で移動する場面がある。
船の場面はCG合成だった。
1947年春ごろから船舶運営会により小樽ー東京(芝浦)−神戸ー門司間に航路が
開設され、氷川丸(現在横浜港で保存)が就航した。列車は殺人的混雑で米買出しの
ヤミ屋集団が傍若無人の振舞いだったっから、列車を敬遠し船旅を選ぶ人もいた。
だいたい、昭和終わり〜平成はじめくらいの頃までは、時期と場所によれば
夜行列車で座席につけないってのはまだあったしな。
自分は平成2年頃に北海道で急行「利尻」で通路に寝た記憶があるぞ。
>312
昭和の最後の年に三連休の3日とも富山で学会があった。
当時、貧乏な学生だったので急行「能登」で通路に新聞敷いて
辛うじて座る場所を確保して行った。帰りは特急に乗れたが
大宮まで車内販売も検札も来ないくらいギュウギュウ詰めだった。
>>310 国内民間航路は、昭和16年設立の統制団体である「船舶運営会」の管理のもと、
昭和24年までその統制下で運航されていた(実際には、当然だが各商船会社が運航)。
で、戦後の混乱期も、東京から北海道・九州への長距離航路や、本州沿岸航路が定期運航された。
乗船券さえ取れれば鉄道の難行苦行よりは楽な面もあったから、利用価値は高かったろうな。
警戒・空襲警報
当時の京急(東急品川営業所)の車両の運転席に
「警戒」「空襲」を表示する装置がついていたそうだ。
空襲時には変電所が電圧を下げて、それを検知してパイロットランプが点く仕組みだったとか????
大昔の230形の特集に書いてあったような記憶が・・・
間違いだったらスマン
316 :
名無しでGO!:2008/01/19(土) 19:29:26 ID:MQsnXCeM0
>>312 俺なんか’97年の長野経由最後の年の急行能登に8/16に乗ったが、富山の時点で全席埋まったてたぞ。
ロビーカーににげてカウンターがわの椅子を確保したけど、あれに長時間ってそもそも無理だし。
長野県に入ってから、殺人的混雑になってきて、軽井沢で積み残ししてた。
あと数時間待てば朝の特急が走り始めるのに、なんでそこまでして夜行に乗ろうとするのか疑問だった。
それしか列車がない時代の混雑ってあんなもんじゃないんだろな。
http://www.youtube.com/watch?v=FbAo6yenAo8 なんという戦後の鉄道・・・
折角東京駅から乗ったのに相席になつてしまつた
私は間違えなく鹿児島まで相席
\___________ _______
 ̄ ̄| 目 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|∨ .| ̄ ̄ 鹿児島行
| | / / | .|
| | / / ̄\ / | .|
| |∧_∧ /|^o^ ;|. |
/∧_∧`∀) \_/∩=∩ /
二/ ( ゜∀) つ二.⊂ (´ー`;)
|||| ( つ つ⌒) (⌒ ⊂ ノ .||||
=||||=⊂⊃_ )し__し ( ⊂⊃=||||=. ̄ ̄
||||/ . JJ U \||||_ ガタタ!
 ̄|||| ̄ ̄|||| |||| ̄ ̄|||| ゴトトン!ガダダン!
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ〜!
318 :
名無しでGO!:2008/01/20(日) 10:20:14 ID:r2U5+7ax0
リアルでワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
319 :
名無しでGO!:2008/01/20(日) 21:47:55 ID:iJ5nP5M50
戦後の鉄道状況を見ると本当にすごいな・・・
特にあの混雑・・・
でも当時は知らない人でも普通に話したりする時代だったんだな。
良い反面もあったんだな。
特に方向幕?の「鹿児島行」がカコイイww
320 :
名無しでGO!:2008/01/21(月) 23:15:25 ID:HVgR1XA80
>319
つい30〜40年ほど前までは、見知らぬ乗客同士がよもやま話をするのは、珍しく
なかった。
当時は一般列車は向かい合わせ座席だったから、話はしやすかった。どこへ
行くのですか、今日のお泊りはといった話題から入っていった。
今日はどこそこで泊りますが、駅前旅館でも探そうと思ってます、といったところ
実は私もそこで泊るつもりです。一緒に泊りましょうか、一人で泊るより、2人の
ほうが安いですから、といって列車内で知り合った人同士で同じ部屋で泊ったことも
あった。(自分もそういう経験あり)
今だったら、何されるかわからないからそんなこと怖くてできないだろう。
冷凍みかんを分けてもらったり、お菓子のおすそ分けがあったりが
当たり前だった気がする。
>>320 むしろ、互いに素性の分からんまま長時間顔を突き合わせるのもストレス溜まりまくりだから
積極的にコミュニケーションを図って自分を安心させてたんだと思うが。
何気ない声掛けが犯罪抑止に結構な効果があるのは今も同じだわな。
気が合えば会話で退屈な時間を紛らせられるってのもあるし。
なにせ現在に比べて一列車あたりの乗車時間が凄い長いからね。
323 :
名無しでGO!:2008/01/22(火) 17:26:14 ID:Dj/dASxI0
東京〜鹿児島まで2日だからなぁ・・・
本来は移動中も「旅」なのに、今の若い子は「旅」と言うと、移動先での事しか考えとらん。
移動時間が短くなった分、旅の情緒ってモンが失われた。
おまけに空調完備で、窓すら開けられない車両ばかりでつまらん。
新幹線でレジャーは少し贅沢だけど、遅い列車も、現代ではある意味すごい贅沢だね。休暇を1ー2日余計に消費するから。
サラリーマンなら、時間単位で2ー3万余計にかけたのに相当する。
深夜バスの負け組強行軍レジャーが、昔の夜行列車相当だな。
326 :
名無しでGO!:2008/01/23(水) 14:56:31 ID:F6S6xdhkO
>>325 リゾートしらかみとかでマターリしながら過ごすのは贅沢に感じた
327 :
名無しでGO!:2008/01/23(水) 19:18:39 ID:iZKFqzN/0
>>325 寝台特急で九州往復。
これが優雅な旅に感じられた。
328 :
名無しでGO!:2008/01/28(月) 19:06:46 ID:lOGJBfidO
昭和20年8月6日の広島付近の
山陽本線の状況を教えてください
329 :
名無しでGO!:2008/01/29(火) 00:17:05 ID:GYv8zwdlO
>>328 被爆後は西のほうは五日市か西広島あたりまでは救援列車走らせたらしい
広島駅はほぼ全滅
横川付近を通過中の貨物列車が脱線
とかだった希ガス
補足ヨロ
330 :
名無しでGO!:2008/01/29(火) 09:08:35 ID:so+Th5S10
>>328 「国鉄空襲被害記録」に広島の被災状況が写真入りで掲載されているね。
広島駅の鉄筋駅舎は全壊、駅構内もほぼ全焼(駅構内図に被災全焼箇所の印が記してあるけど、
ほぼ全焼のような状況だね)そして停車中の貨物列車も被災して全焼(この写真も掲載されている)
また
>>329にある貨物列車は鉄橋上で被災して脱線(これも写真掲載)
そして上下線の開通日時も書いてあったように思うけど、今手元にないのでわからない。
ただ思うには、意外に線路へのダメージはなかったような感じで線路上の支障物を取り除いて
すぐ救援列車を走らせたのではなかったのかな。
記録上では、広島構内で被災した機関車はない(貨車、客車の全焼両数は記載あり)
ようだけど詳細は不明。
山陽線で空襲により長期間不通になって鉄道機能が完全に麻痺したのは、むしろ終戦前日の
岩国爆撃の方が大きかったんじゃないかという気がするんだけどね。
岩国は、爆弾数百発の直撃を受けて駅舎・機関区はじめ地上の構造物の他、線路はもとより
ホームまで原型をとどめないくらい破壊されたらしいし。
(一色次郎の「日本空襲記」に、終戦直後岩国を通った時、どこに駅舎があるやら皆目検討も
つかなかったし、ホームすら原型をとどめてなかった云々という記述あり)
さらにD51・2両が被災して動輪を上に向けて転覆(戦後廃車処置)という記述も
原田勝正の著書に記載があるね。
ありがとうございます
救援列車が運転されていたんですね
332 :
名無しでGO!:2008/01/29(火) 19:51:39 ID:GYv8zwdlO
333 :
名無しでGO!:2008/01/29(火) 20:14:50 ID:GYv8zwdlO
334 :
名無しでGO!:2008/01/29(火) 21:43:17 ID:GYv8zwdlO
ちなみに山陽本線は早くも8月8日には部分復旧している
335 :
名無しでGO!:2008/01/30(水) 22:11:34 ID:qtupYRLq0
むしろ1945年9月にきた枕崎台風の被害の方が大きかった。山陽線も山陰線も
台風の被害が多く、寸断され1ヶ月近く不通区間があった。不通区間は徒歩で
突破するか、瀬戸内海の船に乗るしかなかったが、当時は関西汽船別府航路も
再開していなかったし、漁船や帰帆船に乗るしかなかった。
336 :
名無しでGO!:2008/01/30(水) 22:43:17 ID:eazHWqYF0
既出かもしれんがこれ凄い↓
ソースは
ttp://home.t01.itscom.net/jikoku/jiko1940.htm ●1944年11月19日 山陽線列車追突事故(死者38名・負傷者59名)
(概要) 1944年11月19日1時56分頃、山陽線上郡・三石間で、停止中の下り列車(C57形式蒸気機関車+客車11両)に後続の貨物列車(D52形式蒸気機関車+貨車56両)が追突、客車5両が脱線大破した。
(原因) 貨物列車の乗務員の居眠り運転と見られる。
(影響) 後に貨物列車の機関士が機関車の火室に身を投じて自殺、鉄道事故の責任を精神論で当事者のミスにのみ求めシステムの不備や事後の教訓を軽視する風潮の犠牲者の一例として紹介されることがある。
337 :
名無しでGO!:2008/01/31(木) 00:33:42 ID:SAd+bom70
過去に話題になつていたら申し訳ないのですが、1件お願いします。
地下鉄銀座駅に1トン爆弾が命中し、トンネルが崩壊して、
大被害が出たと聞いたことがあります。
そのことについて、詳しくご存知の方がいらっしゃいましたら
教えていただけませんか。
>>328 歌手の二葉あき子氏の実体験で、
乗っていた列車が芸備線の中山トンネル(広島市東区、矢賀〜戸坂)を通過中に、原爆が投下された。
わずか300mのトンネルのおかげで爆風を受けず、列車は無傷だったが、トンネルを出たらキノコ雲が見えたんだそうな。
20年前のさよなら国鉄特番で放送されていた。
>>337 昭和20年1月27日の空襲で、大型爆弾が銀座駅を直撃。トンネルは陥没。
爆風の影響で、隣の京橋駅でも死者が出たとか。
339 :
◆1e61wUKJAM :2008/01/31(木) 11:23:02 ID:OFcdOOKP0
当時の山手線からの車窓はどんなものだったのでしょうか?
東海道線沿線も見るに耐えない状況でしたか?
340 :
名無しでGO!:2008/01/31(木) 15:14:11 ID:6JluJ0z00
概出かもしれんがのぞみとひかりは旧満州鉄道の電車の名前なんだろ?
341 :
名無しでGO!:2008/01/31(木) 19:16:40 ID:NkhszVn30
>>340 満州鉄道X
南満州鉄道○
電車X
列車○
342 :
名無しでGO!:2008/01/31(木) 19:17:54 ID:6JluJ0z00
すまん
343 :
名無しでGO!:2008/01/31(木) 21:36:11 ID:ONmOZxuJ0
>>340 東海道新幹線開業の時に「ひかり」を選んだのは満鉄に思い入れがあったから
という説があるね。
344 :
名無しでGO!:2008/01/31(木) 21:46:28 ID:lKEOsuj+O
そういや「のぞみ」ができた頃に、「新幹線に『のぞみ』とつけるのは日本の植民地支配を美化するものだ!」
なんていう痛い投書がどこかの新聞に載ってたなああ・・・。
今更
JR=省線
東急井の頭線=小田急井の頭線
地下鉄は銀座線以外のらない
旧交通博物館所在地を『万世橋の交通博物館』と言う
時は平成二十年
心は昭和二十年な我はこのスレに参加は可能なりき?
そう言えば27日の空襲で銀座線の銀座駅〜京橋駅と省線の有楽町駅に被害が出たらしいね、
347 :
名無しでGO!:2008/02/01(金) 09:20:38 ID:zhwo3DUh0
省線有楽町駅高架の被災状況は「国鉄空襲被害記録」に写真入りで詳細に記載されている。
また、東北線の荒川鉄橋が機銃掃射を受けてトラスに被害が出た状況も写真入りで記載がある。
この時はトラスの鉄骨に弾痕が残る軽微な被害で済んだようだが。
348 :
名無しでGO!:2008/02/01(金) 11:23:24 ID:kWAPtLf9O
>>343 新幹線に関わった技術者に、旧陸海軍の技術者が多いのは周知の事実だが、
やはり、軍の技術者としての意地があったと思う。
日本的縦割社会の枠組みでは、純粋な鉄道技術者だけで新幹線を作ることは無理だったと思う。
こういう話が表だって語られないのは、日本の鉄道の軍事タブー視を象徴しているようで、腹立たしいし、悲しい。
>>347 すいませんが有楽町の件をもう少し詳しく…
高架が破壊されたのでしょうか?
だとすると場所はどのあたり??
350 :
名無しでGO!:2008/02/01(金) 15:22:20 ID:zhwo3DUh0
>>349 自宅に帰らないと「国鉄空襲被害記録」調べられないから
具体的な事は詳細に書けないけど、wikipediaの有楽町駅を検索すると、
1945年(昭和20年)1月27日 - 太平洋戦争中の空襲で中央改札口が大破し、駅員9名と旅客87名の計96名が死亡。
・・・という記述があるね。
ほぼ有楽町駅一帯が被害を受けた模様で、有楽町駅では階下に乗客が避難していたところを爆弾が直撃したんだよね。
高架橋も爆弾が貫通して基礎部分が一部崩壊して、相当日数不通を余儀なくされたと思うけど、
これは「国鉄空襲被害記録」に写真入りで解説がある。
線路破壊○○メートル、枕木焼損○○本、開通日時上下線○月○日・・・・とたしか記載があったと思ったけど・・・
鉄道空襲の初期の頃の被害としては甚大だった模様。
んん?!銀座線ってなんだ??地下鐵線の事か?!
>>350 詳細にありがとうございます
大阪の京橋と似たような感じですね
>>332のリンク先の下の写真で
女の人が携帯いじってるように見えた(w
コンタクトしないで見たからだが。
354 :
名無しでGO!:2008/02/02(土) 15:10:25 ID:J3Uau9pzO
>>348 割りとよく話されてると思うけど?
プロジェクトXなんかでもやってたとオモ
355 :
名無しでGO!:2008/02/02(土) 22:17:37 ID:nf/rRze+0
終戦後の黄球車って大鉄管内だけだったんだろうか
356 :
名無しでGO!:2008/02/02(土) 23:13:41 ID:HEgEM50/0
宮脇俊三は列車大削減、急行が全廃の1947.1.4〜1947.4.23は旅行に
いっていない。しかし、その年の夏、東京7:40の急行1列車博多行きに岡山まで
乗って、伯備線経由で松江へ行っている。松江は空襲もなかったし、食糧もかなり
あったはずだから、まさに別世界。日本にもまだこんなところがあったのか、
と思っただろう。
宮脇は時刻表昭和史(増補版)のなかで、上越線夜行普通列車のところで、
超満員夜行列車では女性は皆無と書いているが、実際にはかなり乗っていた。
疎開先と都会を往復する人は男女を問わずかなりいた。この時代、女性はオシメを
して列車に乗った。
358 :
名無しでGO!:2008/02/03(日) 11:29:24 ID:WVDw3+mj0
有楽町空襲の写真はずっと前に「一億人の昭和史」という雑誌の写真で見たけど、あまりの生々しさにショックを受けたことがある。よく見る焼夷弾による焼死体の写真とは違うものだった。
地下鉄銀座駅の被害の状況はよくわからないのだが3月10日の大空襲の時は翌日の朝から運転していたらしいね。
359 :
名無しでGO!:2008/02/03(日) 11:36:59 ID:WVDw3+mj0
連投スマソ
映画の「帝都大戦」(帝都物語の続編)に中で有楽町空襲をモチーフにしたと思われるシーンがある。
360 :
名無しでGO!:2008/02/03(日) 20:57:46 ID:QWOAwKJ40
客車代用ニワキ使用方ニ関スル件
客車不足救済ノタメ11月時刻改正後一部列車ニ客車ノ代用トシテ
ワキヲ使用スルニ付旅客案内上遺憾ナキヲ期セラレタイ
大117 宮原 2
大119 姫路 4
大56 奈良 6
・
・
・
362 :
名無しでGO!:2008/02/04(月) 22:49:14 ID:8/tvdGPm0
大117運用を受け持つ宮原客車区へワキ2両を配置、充当する。
以下同
363 :
名無しでGO!:2008/02/06(水) 21:12:54 ID:YDuN8KLs0
戦時中は一般の家は灯火管制で、夜は黒い幕(カーテン)を窓に張り巡らしていて、
電灯のあかりがもれないようにしていたが、夜の列車、電車はどうしていたのだろうか。
まさか、前照灯が無灯火とは思えないが。また、窓はブラインドかよろい戸(オハ31、スハ32
や木造車の場合)をおろしていたのだろうか。
364 :
名無しでGO!:2008/02/06(水) 22:26:52 ID:W5HooXFb0
>>363 基本的に空襲警報が発令されると、列車の客室は無灯火(当時の客車は鎧戸だから当然光が漏れる)
(空襲発令時に乗ってた客車が真っ暗で・・・云々の記事を何かで読んだことがある)
機関車の運転室も無灯火で、機器類のメーターを読むときには、
焚き口戸を少し開けてその灯りでメーターを読んだとか・・・
前照灯も減灯して運転と定められていたんじゃないかな。
暗闇を手探りで運転するのはかなり危険が伴っただろうと思うけど、
当時はダイヤ通り列車を運転するのは不可能だったろうから減速して運転したのかも知れない。
ちなみに、昭和20年に北陸線で下記のような事故が起きている。
「北陸線市振〜親不知間のレール破損のため工事用モーターカーを使用して進行中、
打合せ不足のため、前方から貨物列車(D518号牽引)が接近。
貨物列車は戦時下の灯火管制で減光していたため、互いに直前まで気付かず、
正面衝突。4人死亡10人負傷」
食堂車をご利用の方は米を持参してください
そういや、戦前型オハ35系は光が漏れないようにか厚手の緑色したフェルトっぽい
習字の時に使う下敷きみたいな幕だったなあ。
他の車両もそうだったのかしら?
367 :
名無しでGO!:2008/02/07(木) 02:03:28 ID:hv4L+At20
以前、土木図書館(四つ谷駅脇の土木学会内)に行ったとき、
大阪市交通局の技官が昭和12年頃に書いた本があって、
「200mの上空から200kg爆弾を投下した際に、地下の構体(モルタル)の
上に何10cm土かぶりがあれば衝撃を吸収できる」
といった類のことが書いてあって、時代を感じました。
368 :
名無しでGO!:2008/02/08(金) 01:36:21 ID:51yQOcd7O
>>363 ないねん出版「終戦直後の蒸気機関車」に新製試運転中のD52 71(昭和19年)が出ててガラスに黒い板をはめ込んでいる
369 :
名無しでGO!:2008/02/08(金) 17:00:40 ID:yz6tQqYb0
そもそも前照灯なんかあっても、遮光フードが掛けられていて使い物にならないから、
資材不足の折柄、前照灯なしで出場した機関車もあったとか・・・・
だいたい、昭和23年に起きた八高線買い出し列車転覆事故の牽引機C5779号機には
速度計がついてなかったくらいだから、想像を絶する資材調達難だったみたいだね。
だから、どこの機関区にも部品取り用の各所部品の欠けた機関車が放置されていたわけで、
>368にある「終戦直後の蒸気機関車」にもたしかC51だかの部品取り用機関車の写真が
あったんじゃないかな?
370 :
名無しでGO!:2008/02/08(金) 20:57:03 ID:hfksmHHu0
速度計なら昭和37年・西武701系初期車あたりでもなかったらしいよ。
西武らしいといえば西武らしいけど。
速度計が装備されてないって事は、速度制限区間なんかはどうしてたんだろ?
それとも制限自体が無かったとか?
まさか熟練者のカンと時計とか
373 :
名無しでGO!:2008/02/09(土) 08:47:44 ID:cbnbY0B/0
終戦直後はダイヤはあって無いようなものだから、列車が定刻通り走るなどという事は稀なわけで、
しかも石炭の質の悪化に加えて線路状態の劣悪も重なって、ほぼ徐行運転に近い形での
運転を強いられたわけだから、速度計はあまり意味のない機器だったのかもしれない。
(戦中から戦後にかけて、国鉄主要幹線の線路状態を精密に調査した資料があるらしいけど、
東北線あたりでも上野ー青森間に、要注意区間が3000箇所以上、要危険区間が数百カ所とか
どの幹線も同じ状態で、とても許容速度めいっぱい出せる状況ではない。
さらに、常磐線上野ー平間の列車がごく普通に走って、平まで2時間の自然遅延が発生したとか)
そんな状況だから速度計の有る無しはさほど影響がなかったんだろうね。)
それよりも機関車を動かす為の部品の確保や、客車不足のほうが深刻だったんじゃないの?
>>372 そういうもんだろ? 今でもカンで速度維持する訓練はやってるし。
ましてや、戦後しばらくまでレールは10mの短尺だから、
ジョイント音による速度把握はしやすかったと思う。
375 :
名無しでG0!:2008/02/09(土) 16:39:17 ID:wugw1o2U0
>>340 当時「ひかり」の方が「格上」だった。「富士」−「桜」−関釜連絡船−−釜山
桟橋で「ひかり」に連絡。
各等急行呉線経由7レ−8レ−−−−関釜連絡船−−−−釜山桟橋で「のぞみ」
に連絡。(両方とも上り,下りの連絡列車は同じ)
>>366 遮光ブラインドはオロ30-以後の上昇窓の「ロ」には使われていた。W屋根
時代からだった。「ハ」はオハ34(「富士」用)からでは?
376 :
名無しでGO!:2008/02/09(土) 23:17:14 ID:+2MMt+7n0
>373
必ずしもそうではない。占領軍(進駐軍)の専用列車があり、定時運転を強要
されたから、線路状態は良いとはいえないまでも、最低限の整備はされた。
特に定期専用列車のある東海道・山陽・常磐・東北線は災害等で不通になっても、
開通が急がれた。
377 :
名無しでGO!:2008/02/10(日) 23:24:39 ID:vgGL29aK0
そうそう、当時は列車が遅れると、例えそれが天候が理由であってもRTOはそれを認めなかったからね。
RTOの将校が遅れた列車の機関士や車掌をサボったとして殴ったりするのは当然だったらしいから。
軍人の横暴さは日本もアメリカも大して変わらなかったって事だと、当時の文献にあったりする。
ちゃんと三人掛けしてゐますか?
379 :
名無しでGO!:2008/02/12(火) 00:47:23 ID:n6shv6aU0
要塞地帯では率先して鎧戸を下ろしませう。
電髪はやめませう。
380 :
名無しでGO!:2008/02/12(火) 10:17:32 ID:CqGNa2jjO
>>377 でも傲慢さは米軍のほうが上を行かない?
何しろある意味日本の象徴たるお召列車1号編成を明け渡せと宣ったくらいだからな。
381 :
名無しでGO!:2008/02/13(水) 19:12:16 ID:sAQsLLc+0
京浜急行でも終戦までは横須賀地区では海側の窓はカーテンを閉めて覗いてはいけないことになってたらしい。
車窓から横須賀の景色をパシャッ!!あっ おっきい軍艦だ あれもパシャッパシャッ!!
横須賀の軍艦の写真
フランクフルタア・ツィイツンクの記者を自称する物が
売ってくれとしつこいんぢゃが
386 :
特高:2008/02/14(木) 21:37:54 ID:wmBbn9ymO
>>384 リヒャルト・ゾルゲ乙!
ちょっときてもらおうか
あっしゎ単なる旅行者ぢゃよ〜う
388 :
名無しでGO!:2008/02/14(木) 22:13:31 ID:aAnDRLhN0
スカ線は三浦半島内は要塞地帯。時刻表の地図では鎌倉から先は要塞地帯になっている。
おそらくモハ32のブラインドを下ろさせたと思われる。ドアからは帝国海軍の艦船が
見えたはずだが。
機関車に竹で装甲を施したそうだね
>388
呉線でもブラインド下ろせって言ってなかったか?
おっ!!あれが雪風かあ!!パシャッ
あっ!!なんだあの空母は!!パシャッパシャッ
あちき大きな潜水艦は何ぞや!?パシャッパシャッパシャッ
392 :
名無しでGO!:2008/02/15(金) 08:56:18 ID:9BOIrPgH0
>>391 「あのう、もしもし私は治安維持を司る特高なんですが、
今キミが撮られた雪風は、いずれ大和と一緒に沖縄に特攻する貴重な駆逐艦ですから
もっとたくさん写真を撮っておいたほうがよろし。ただ、雪風は無事帰還しますがなw
それから、あの空母は戦後まで生き残って復員輸送までする隼鷹ですよ。その隣の空母は
終戦間際の空襲で大破横転する天城です。さあ心おきなく沢山記録を収めてください」
・・・・・なんていう親切な解説をしてくれる車掌や特高や憲兵は当時は皆無だよ(´・ω・`)
うぇ〜ん(´д`。) ごめんなさい もう志摩線
な〜んて言っても官憲が許してくれるはずないよな
394 :
名無しでGO!:2008/02/15(金) 14:01:20 ID:yzUOHNjdO
カメラをぶら下げてるだけで官憲にゴルアされる時代だからな
石原慎太郎の弟でも石原兄弟の親父がポートレート撮ってるだけですっ飛んできたって記述ある
鉄道は兵器だ!!不要不急の旅行はやめよう
この非常時に旅行とはいささか非常識ですぞっ!!
学ランを改造して鉄道員とは何事!!
396 :
名無しでGO!:2008/02/15(金) 16:05:23 ID:9BOIrPgH0
とは言いながら、人間というもの全く娯楽なしでは生きられない性分と見えて
結構隠れて物見遊山の旅行もあったらしいよ。それは宮脇俊三先生を例に出すまでもないけど、
温泉地なんかでも、戦時中に関わらず湯治客はそれなりにいたらしいし。
当局では、いくら「不要不急の旅行はやめよう」と声高に叫んでもそういうのを完全に
取り締まれるものでもないから、徹底的に旅客列車の削減に踏み込んだんじゃないのかな?
100キロ以上の移動には警察署長の許可が必要とも聞いたけれども…
そう言えばうちのおばあさんは朝鮮の京城からの引き揚げ者で小さい頃にあじあ号かはわからないけど満鉄の展望車に乗ったとはなしていたよ、冷房がついてたとはなしていた、しかしせっかくの展望車なのに見える景色は一面の草原だったと…
>>397 近距離切符で乗り越し。
ペナルティで通常運賃の3倍取られたらしいけど、そういった客が多いので駅員も事務的に処理していたらしい。
車内検札があったら強制下車させられたんだろうけど、とても車内検札出来るような状況ではなかったろうし。
>>397 >>100キロ以上の移動には警察署長の許可が必要とも聞いたけれども…
それは確かに必要だったが、しばらくすると止めになった。
あまりにも事務が煩雑を極めたからか、警察も音をあげたらしい。
その辺の記述は宮脇俊三さんの「時刻表昭和史」にもあったな。
なるほど、
そう言えば地元ネタだけんど仙臺市電の車両の二本の集電ポールのうち一本を供出したらしい
401 :
名無しでGO!:2008/02/16(土) 09:37:45 ID:Zo3vSwo20
その仙臺は昭和20年の空襲で壊滅してるね。
駅舎側南の貨物ホームは全焼して貨車100両相当焼損という記録がある。
ちなみに、駅の裏側(東側)の機関区は無傷だったそうで、ここがやられたら、
復旧後の列車運用に多大な影響を及ぼしただろうね。
たしか一ノ関機関区は転車台が破壊されて、開通後機関車は方向転換ができずバック運転を強いられたとか
また、原ノ町機関区では終戦間際の空襲で機関区が集中的に狙われ(仙臺とは逆に駅は無傷だったけど
機関区に多大な被害(矩形庫半壊、機関車9両被災・うち3両大破転覆)
402 :
名無しでGO!:2008/02/16(土) 10:22:56 ID:sb943XEtO
>>399 確かにすぐうまくいかなくなったか、私鉄は100q超えても証明書がいらなかったので、例えば宇都宮〜東京なら東武電車をつかうとよかったらしい
東武は一応32型が一時間に一本は走っていたみたいなので、本数は末期は国鉄以上に((((;゚Д゚)))
シンガポール陥落記念日万歳
404 :
名無しでGO!:2008/02/17(日) 00:14:49 ID:hUj3lsny0
山田風太郎は実家(山陰)と東京、大学が疎開した飯田線沿線と
昭和20年は移動しまくりだったが、証明書の類は全く必要なかったようだ。
「戦中派不戦日記」を読んだ限り。
405 :
名無しでGO!:2008/02/17(日) 00:30:53 ID:d/IucivL0
>399、402
近鉄も同様で証明書は不要だった。だから名古屋ー大阪間は近鉄(当時は伊勢中川
乗り換え)で行く人が多かった。宮脇も1946年8月に熱海から和歌山へ行ったときは
名古屋から近鉄で大阪(おそらく鶴橋下車)へゆき、阪和線で和歌山へ行ったとある。
名古屋から先の記憶はあいまいと時刻表昭和史に書いているが、電車には興味が
沸かなかったのだろうか。伊勢中川からは名車2200に乗ったはずだが、当時は
荒廃していて名車の面影などなかっただろう。
このあたりのことを宮脇センセイに聞いておきたかった。
この旅行では帰りはどうやって帰ったのかまったく記述がない。その辺も
聞きたかった。
昭和 二万日の全記録
第6巻 235頁にある
『貨車を押す』<「英魂に答えん」と>
山本五十六連合艦隊司令長官の死とアッツ島玉砕の報に『写真週報』六月十六日号は、「われら一億英魂に答えん」と各職域の人々の覚悟を示した写真と記事を特集した。写真はその一枚、汐留駅駅世話係。
とあり省線制服を着た老人が貨車進行方向右側面で左手片手で貨車を押している写真なんだけれども、なんの意味があるのだろう?
407 :
名無しでGO!:2008/02/17(日) 01:58:32 ID:JCOfyrun0
>>406 若い者はすべて戦場へ行っているから、老人を借り出して鉄道現場で働いてもらったのです。
女性車掌も同じ。
ただし女性4人がつるはし持って保線作業している写真はヤラセだったらしい。
保線作業は重労働なのでとても女性には耐えられなかったようだ。
>>407ありがとうございます。ちなみに女性の写真は出ていませんでしたがそのような逸話もあったんですね、
もし日本が勝利していたら
『35番線に停車中の列車は 弾丸列車国際線 勝利号 新京行き 停車駅は東京を出まして
品川 新横浜 名古屋 新大阪 広島 博多 釜山(かまやま) 大丘(だいきゅう) 京城 開城(かいじょう) 平壌(へいじょう) 新義州 国境越えまして延吉 奉天 終点点新京です 発射までしばらくおまちください』な〜んて事になっていたんだろうなあ
>>407 保線の写真は私も見ましたが、実際に女性も使用されてた職種はどのへんまでだったんでしょうね?
出札や旅客の案内などは女性「も」どころか、「男性就業禁止職種」だった様ですが。
同じ本には京成電車に女性運転手 やら蒲田駅女性改札やら(駅長助役以外全員女性の駅もあったそうです)、我が仙臺市電にも女性運転手…そういえば廣電の話は良くききますねえ
>>406 その写真、戦時輸送の状況の写真としてよく引用されてますな
413 :
名無しでGO!:2008/02/17(日) 11:49:42 ID:27XoktrW0
実際にはよぼよぼのじいさんや小学生まで軍隊に狩り出してたそうだ、
末期の沖縄では。
赤紙を出す数が指定されてたけど、そこまで若人がいない
→年齢を偽って戦場に送っちゃえ と。
沖縄の平和祈念館に行くと写真がある。
414 :
名無しでGO!:2008/02/17(日) 15:23:28 ID:JCOfyrun0
>>410 詳しくは分かりませんが、職業別男女区分ははっきりしていたと思います。
自分の知っている範囲では鉄道では女性車掌くらいだったかと。
風呂やトイレなど女性が来ても受け入れできる施設が無いから、すぐ多くを
受け入れは出来なかったのでは?
男子校がいきなり共学に出来ないのと同じかも。
逆に女性のみの分野は電話交換(鉄道省内の)とかウエイトレスなどと思うが
食堂車は戦時体制で休止になったし、優等車も削減でボーイや旅客案内も
減ったのではないでしょうか。
415 :
名無しでGO!:2008/02/17(日) 16:31:00 ID:27XoktrW0
>>414 当時は設備云々で男女区分してる余裕などなかったでしょ。
空襲の時地下鐵が避難民を輸送して大活躍
417 :
名無しでGO!:2008/02/18(月) 09:01:56 ID:uP4hVb/R0
仙臺空襲の時は、当時の宮電(空襲時は既に戦時買収で国鉄仙石線)仙臺地下駅に避難した
人もいたとか・・・・
?!?!初耳ですぞ!!
いや、銀座線や御堂筋線のイメージでした
419 :
名無しでGO!:2008/02/18(月) 11:48:25 ID:uP4hVb/R0
銀座爆撃時には銀座線は全線ストップじゃなかったかな?
爆弾の直撃でトンネルに大きな穴が開いて被害も受けてるしね。避難民輸送は不可能だと思うよ。
そういえば、仙臺地元出版社で出版された「仙臺空襲」体験記録集の中に、
空襲後、当時北仙台から古川方面に出ていた仙臺鉄道で避難した人の手記が載ってたね。
軽便の小さな車輌に沢山の人が乗り込んで・・・・とか
>>416 昨年の夏に、大阪空襲時の大阪地下鉄の御堂筋線の避難民輸送については
フジのNONFIXでやっていたよ。
大阪大空襲時の御堂筋地下鐵の規則違反
長崎(広島?)の救援列車
日本鉄道史に燦然と輝く偉業だと思う
422 :
名無しでGO!:2008/02/20(水) 02:11:01 ID:XqJuJ+VpO
>>417 釣りだろ?
以前は仙石線は全線地上だったんだから
日本初の地下駅を知らないとは・・・
425 :
名無しでGO!:2008/02/20(水) 09:01:24 ID:XqJuJ+VpO
ググったら確かに地下駅だったんですね
知らなかった・・・
426 :
名無しでGO!:2008/02/20(水) 09:27:26 ID:kVWQ1Sdf0
戦時中に宮電が国鉄に戦時買収された目的は、
当時、陸前原ノ町や苦竹にあった陸軍工廠への輸送力強化が第一義であったとか・・・・
ちなみに仙臺空襲はもっぱら市街を形成していた駅西側が重点的に被害を受け、
当時の駅裏側は被害は軽微だったとか。だから駅裏側に位置していた機関区は無傷で
済んだという話だね。それでいうと、戦時買収直後の仙石線は特に大きな空襲被害は
受けていないということになろうか。
もし戦時買収が無くうまく行ったら今頃…
⇔は乗り入れ
JR貨物⇔栗電(石越にて)
栗電⇔仙北鉄道
仙北鉄道登米線⇔宮電(前谷地にて)
仙北鉄道築館線⇔仙台鉄道⇔地下鉄⇔秋保電鉄
宮電が陸前腹の町〜八木山まで地下化し宮電ライナー(宮電空港線?)開業、JRと平行
新幹線の駅は沢辺に出来て栗電と乗り換えが可能
な〜んて妄想
>>415 戦時中はそれで「産めよ増やせよ」になっちゃう例が多かったんだとか。
昔名前忘れたけど車掌さんのこぼれ話みたいな本に書いてあった。
戦争と地下駅と言えば京成上野〜日暮里間を忘れてはいけない
430 :
名無しでGO!:2008/02/21(木) 22:50:27 ID:UJk7topU0
ちょいとずれるが、ベトナム戦争のときの鉄道ってどうなっていたのだろうか?
「逃げる列車はベトコンだ、向かってくる列車は訓練されたベトコンだ」みたいな感じだったのかな?
431 :
名無しでGO!:2008/02/22(金) 18:28:13 ID:uerl/MgL0
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432 :
名無しでGO!:2008/02/22(金) 18:37:41 ID:iwWEiiq20
敗戦してから40年以上後に生まれたガキだが、
終戦直後の小説で、国鉄中央線が出てきたときに
「割れた窓ガラスが〜」とかいう表現が出てきてビックリした。
今じゃ「危ないじゃないの」とヒステリックにキレるクレーマーによって
窓が割れたまま営業するなんて皆無に近いけど、当時はそんな余裕が無かったんだろうな…
433 :
名無しでGO!:2008/02/23(土) 00:09:43 ID:8gC4oq59O
>>432 ベニアに丸穴開けて窓塞いでたくらいだからな
434 :
名無しでGO!:2008/02/23(土) 02:53:18 ID:PquXIyWi0
小学生のときに図書室で読んだ本が印象に残ってる。
横浜の空襲で中心部が丸焼けになって、
同級生の男の子と無札で横浜線電車に乗るという話。
小机あたりから乗って、大口まで来たら丸焼けだったとか。
んで、改札は無札で堂々と出場すればフリーだったとか。
ところで、戦時中に採用された女子社員は復員兵の復帰で退職してるけど、
男子社員(=現在の中学生くらいの年齢)はそのまま雇用継続だったのか?
435 :
名無しでGO!:2008/02/23(土) 13:01:30 ID:8gC4oq59O
>>434 希望制だったんジャマイカ?
復学したいヤツもいただろうし
機関士で促成で10代で機関士になったのが復員してきた機関助手に気を使ったって記述もある
436 :
名無しでGO!:2008/02/23(土) 13:42:42 ID:2yy5u+pv0
>434
希望すれば残れた、でも1949年の大量人員整理でそういう若く経験のない奴は
整理された。つまりクビになった。
>>432-434 無蓋車にロープ張って(しかもアオリ戸すら無し)客車代用としてた鉄道会社も存在した
車で言うならフルオープンだな
438 :
名無しでGO!:2008/02/24(日) 01:51:39 ID:xY73KvvYO
よく駅で警察が闇の取締来たって祖父母から聞いたけど闇物資はケキョークどうしてたのかな?
439 :
名無しでGO!:2008/02/24(日) 12:49:23 ID:NRcVSwVB0
取り締った人の胃袋におさまった。
首都圏国電暴動みたいに列車に乗る買い出し客全員が官憲に襲いかかれば良かったのに…
ロンちゃんが鹿児島へ配属になったとき、東京から門司か小倉か博多まで急行で立ちっぱなしだったと鉄道雑誌に書いていたな
今の普通列車以上に時間がかかったから下手すると30時間ぐらい立ちっぱなしだったかも
442 :
名無しでGO!:2008/02/25(月) 13:09:46 ID:DhDJy+YW0
現代人の感覚で考えると、列車に乗ると座れるかどうかが焦点なのだが、
当時は、まず列車に乗れるか乗れないかの方が重大関心事で、
行列に並んでキップを手配し殺人的混雑の中で無事乗車できれば、もう御の字だったんじゃないの?
だから30時間だろうが立ちっぱなしなど問題ではなかったと思うよ。
443 :
名無しでGO!:2008/02/25(月) 22:17:26 ID:SmB0tavP0
>432
この時期を語るなら、中央線で窓どころかドアが外れて客が神田川に落ちて死んだニュースも憶えておこう。
444 :
名無しでGO!:2008/02/25(月) 23:52:01 ID:QS3f3XIq0
ベッソン准将乗車の件
9・19〜20横浜>大阪145レ 9・20〜21大阪>横浜146レ
マロネ1増 上記運用に伴いマロネ増分オハ1減 *受持ち駅 東京
次わぁ〜万世〜橋〜
次わぁ〜マンセ〜橋〜
次は新橋〜
東京地下鐵道へはお乗りかえで〜す
446 :
名無しでGO!:2008/02/26(火) 16:04:26 ID:pdVaYRut0
>>445 「あのう、もしもし私は治安を預かる特高なんですがね、
たとえ駅員とはいえど、駅名を連呼するだけならともかく乗換え案内までおおっぴらに暴露して、
万一米英の密偵が潜んでて『なるほど、省線と東京地下鐵道の接続駅は新橋か!すぐ本国へ打電しよ!』
なんて具合に敵に帝都交通網の詳細を察知されたら何とする!防諜を徹底せねばいかん!!!」
・・・とか言われて往復ビンタ張られるよきっと。
東京高速鐵道と東京地下鐵道の乗り換えのつもりだったので罪一等の減免を希望んぬ
448 :
◆1e61wUKJAM :2008/02/26(火) 20:45:25 ID:SxpZ7QN70
>>446 京阪神急行が梅田に到着するときに乗換え案内をしないのは、そのためでありまするか!?
特急・日生なんとかっていう列車は平日朝夕限定ですね
449 :
名無しでGO!:2008/02/26(火) 21:11:13 ID:80GSp6nbO
>>446 まあそうでなくてもアメリカの諜報部は正確な地図作ってたよ
名古屋港地区の地図なんか各工場が何かまで調べあげてた
定刻どおりに列車が来たと思ったら24時間遅れだったという話もあったようで
451 :
名無しでGO!:2008/02/27(水) 10:55:02 ID:/qvvQJPZ0
>>448 時は経て、現代におけるターミナル駅等での乗換え不案内は、国策上の米英に対する防諜の為では無くして
仮想敵である競合路線を利する行為は厳に是を拒絶する企業経営上の護身的観念から発したものであると
推察されるのであります。
452 :
昭和20年2月からやってきた ◆1e61wUKJAM :2008/02/28(木) 00:36:19 ID:PiNyhuIB0
飢えてもう駄目かと思ったら、突然青いたぬきが現れて、変な乗り物を私にくださりました。
それに乗ったら、食糧が豊富な未来へ行けると。そして、初めて見る壱万円札をたくさんくださりました。
さっそく乗ってこの時代に着たら、御徒町えきで「E231」と書かれた銀色輸送機で、
多くの日本人が炭坑へ輸送されていったもよう。本数も凄まじいでござる!
食糧はたくさん手に入りましたが、日本の未来はないことをいち早くわかりました。
たぬきさん、ありがとうございました(泣)
453 :
名無しでGO!:2008/02/28(木) 08:33:02 ID:e+anDhw50
>>452 素晴らしい文章ではあるが、1箇所添削させてもらえればもっと素晴らしくなるぞ。
「青いたぬき」→「緑のたぬき」
物資払底の折柄、お湯だけで食せる麺の存在に随喜の涙を流すことでしょう。
集団疎開していた野比ノビスケ氏だろw
455 :
名無しでGO!:2008/02/28(木) 23:28:34 ID:VqYK0FXtO
長万部のかにめしって戦後すぐ、食料は枯渇してたがカニだけは豊漁だったんでかにめしにして出したら好評だったのが始まりだっけ?
456 :
名無しでGO!:2008/02/28(木) 23:29:19 ID:ZGRai14o0
>452
E231なんてモハ63の進化?したものに過ぎず、人間大量輸送機は変わらない。
前面のスタイルもモハ63が50年後の姿にほかならぬ。
>>455 それって森のいかめしのような希ガス
でも時代は戦時中のはずだけど
458 :
名無しでGO!:2008/03/01(土) 12:49:16 ID:V0iqJW6L0
戦時中の駅弁の掛け紙って、鉄カブトとか描いてあって
標語に「撃ちてし止まん」とか書いたあったんだよね。
しかし…弁当箱あけたら蒸かしたサツマイモ2個はあんまりだよね
460 :
昭和20年2月 ◆1e61wUKJAM :2008/03/01(土) 21:32:08 ID:5jV5bF5e0
東京市内の省線はどこに行っても「E」の荒らし!
もはや米英の植民地化!!
逃亡しようとしたら、改札口の謎の特高機によって止められてしまう!
さらに2階立てが着いている汽車は、日本人は一階建てに押し込まれ、
米軍が2階立てに乗るためのものであろう!マークからしてそうだ!!
461 :
昭和20年2月 ◆1e61wUKJAM :2008/03/01(土) 21:33:31 ID:5jV5bF5e0
マーク→印
わたしがなんてことを・・・
たぬきさん、穴の場所悪すぎて、他の時代に行けません
462 :
名無しでGO!:2008/03/01(土) 21:35:15 ID:x9slEMCLO
>>457 森のいかめしは昭和16年に物資統制の中、ご飯をあまり使わずにできるものをということで、当時豊漁だったイカを渡島地方の郷土料理のいかめしにしたのが始まり
長万部のかにめしは戦後、豊漁だった毛ガニを物資不足だったので煮カニとして売ったら好評だったので、もちを良くして売り出そうとして作られたのがかにめしの始まり
スレ違いだけど戦後にもし分断國家になってたら
西独乙→ドイチェバアン
東独乙→ライヒスバアン
みたいに
北日本→人鐵(人民鐵道)あるいは民鐵、
南日本→國鐵(大和民國有鐵道)
となっていたんだらうか?しかしライヒスバアンのライヒスは「帝國の」と訳される?から日本民主主義人民共和國でも日帝時代のやうに省営鐵道や省線とか鐵道人民委員会運営路線とでもいったんだらうか?
465 :
名無しでGO!:2008/03/03(月) 19:33:05 ID:knXOzKVF0
>464
北日本の私鉄はすべて国有化、経営陣はシベリア送りとなるのか。
>>465 シベリアってよりは樺太や千島 北海道な感じかも
467 :
名無しでGO!:2008/03/04(火) 23:19:06 ID:V2l3eD860
>464
スターリンは北海道の北半分を要求したがアメリカに拒否されたことになっている。
もし北海道がソ連支配下になり「日本社会主義共和国」(通称北日本)になっていたら、北海道の
鉄道はいまでも、当時とそんなに変わらず、狩勝峠も旧線のままで、赤い星の
マークをつけたD51や 9600があいかわらず走っていたんじゃないのかな。
また、外貨稼ぎのため、「南日本」の鉄ちゃんを相手にSL撮影会をやってたんじゃ
ないかな。狩勝峠なんか中国の集通に匹敵する撮影スポットだっただろう。
468 :
名無しでGO!:2008/03/05(水) 01:09:30 ID:ga5320zYO
>>467 客車も32系どころか17m車が残ってたかも
>>467 北海道の鉄道だけじゃなく、本州、特に北東北の鉄道も影響は大きかったと思う。
・今の形での青函トンネルは決して実現しなかった。北が南侵目的で作ることはあったかも。
・仙台以北は複線非電化。軍事輸送優先で、写真撮影は禁止。
・日本海側へのインフラは強化されていたかも。もちろん軍事輸送目的だが。
・北東北の主要な鉄橋には、監視台や自爆装置が備え付けられていたかも。
・東北新幹線は、開業したとしても、仙台まで。
・盛岡以北の乗客は、盛岡駅で強制乗り換え+ボディチェック
・青森操車場は、車両を避難させるための掩体壕だらけ
そう言えば樺太から北海道に侵略するトンネルを途中まで作ったらしい
マヂ話
471 :
名無しでGO!:2008/03/05(水) 09:00:42 ID:WmCzfsTR0
>466
根津、五島、堤などが夕張で炭鉱掘らされるのか。
472 :
◆1e61wUKJAM :2008/03/05(水) 09:16:23 ID:XpdcCHp40
宮脇氏や種村氏はどうなっていただろうか?
宮脇氏は堂々と国境を渡って楽しんでいたかもしれませんがw
○労、○教組の連中が、あこがれて越境して、全員粛清されたらウマー。
仙臺地下鐵道決死線
勾当台公園駅=栄光駅
広瀬通駅=豊饒農業駅
仙台駅=労働大躍進駅
五橋駅=産業凱歌駅
愛宕橋駅=団結駅
河原町駅=インターナショナル駅
長町一丁目駅=革命偉業駅
長町駅=三里塚駅
長町南駅=統一勝利駅
富沢駅=楽園駅
広瀬川を大同江と思い勾当台を万寿台と思い大年寺〜八木山を万景台と思う今日この頃…
475 :
名無しでGO!:2008/03/05(水) 21:43:31 ID:XpdcCHp40
ご乗車、ありがとうございました。まもなく大阪、大阪です。7番のりばの到着、お出口左側です。
お乗換えのご案内をいたします。城東線、天王寺行きは、2番のりばから、2時、35分。
西成線、桜島行きは、1番のりばから、2時48分の発車です。
ご利用の列車はゲタ電高槻行きです。終点高槻まで、この列車が先の到着です。
とうううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅとうううううぅぅぅぅぅぅぅ・・・・ガタン、
ガタガタガタ、ガタン・・・・ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン・・・とうぅぅぅぅぅぅぅぅ
とうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・ギギギッ・・・ガタン。
おおさか〜おおさか〜
決戦ダイヤ
>>469 新海監督の「雲の向こう、約束の場所」に分断された日本が描かれていました。
これだから卑しい
479 :
名無しでGO!:2008/03/08(土) 00:13:14 ID:bA9w8pU70
あのう、もしもし私は非国民スパイを取り締まるための秘密組織、超特高なんですがね。
この機械は、機密情報を多く書き残していて、どういう仕組みで書いて残しているのかが
わかりましたので、書いた時間の右側に書いてある敵国語の暗号から特定して、
あなた方を抹消しにいきますね。首を洗って待っておくんだな!!
私はもちろんかな入力です。
被爆後の広電の状況はよく見かけるのですが
長崎の電車の状況は見当たりません
どういう感じで復旧したかと
救援列車について教えてください
481 :
名無しでGO!:2008/03/08(土) 14:52:59 ID:IwReXUR50
>>479 其ノ方超特高ト名乗リシ乍ラ図ラズモ「スパイ」ナル適性語ヲ記シタルガ為、
超特高ニアラザル事露見セシハ迂闊ナラザルベカラズ。
真ノ帝国臣民ナレバ「スパイ」ヲ「密偵」ト云フガ正当ナリ。
時局危急ノ折柄些細ナル齟齬ガ命脈ヲ断ツ如キ仕儀に相成ル事を肝ニ銘ズベシ。
482 :
479:2008/03/08(土) 23:03:47 ID:bA9w8pU70
すいませんでした、係長!
非常に亀なレスだが、うちの爺さんが台湾から鹿児島に引き揚げ船で帰国し
知り合いを頼って大阪へ向かった時に駅で売っている食べ物と言うのが新聞紙
に巻かれたフスマの煎餅みたいなものだったと言っていた。
それでも食べ物が買えただけでもましな方で周りから分けて欲しいとねだられた
そうだ。
ちなみに台湾ではまがりなりにも戦時中でも列車内で米の飯が食えたと言っていた。
484 :
名無しでGO!:2008/03/08(土) 23:55:20 ID:Ev1i9oQh0
>483
フスマって焼け跡から拾ってきたのか?それとも家の戸からひっぺがえしてきたのか?
>>480 市内電車のことは分かりませんが、国鉄の救援列車についての資料ならありました。
長与に疎開していた管理部(門司局長崎管理部)の判断で、長与停車中の下り313列車を救援列車に変更の上、
管理部の職員10人ほどを乗せて12時半過ぎに出発させた。
(電話が通じた)道ノ尾駅まで進み、そこで客車13両のうちを5両を切り離し、かつ機関車を前向きのまま後部に付け替え、
「あとは、行けるところまで行こう」
汽笛を鳴らしつつ徐行で進むと浦上川の橋が壊れていたので、ここで止まり、集まってきた負傷者約650人を乗せる。
そして14時頃、機関車逆向きで諫早方面へ出発。
なお、たくさんの負傷者が集まってきたものの、地上からデッキへ上がるまでに力尽きて亡くなる方も多数あったとか。
道ノ尾での作業内容や停止して負傷者を乗せた場所、
果ては311列車が救援列車第一号だったかどうかについて関係者間で異論があるものの、
おおむねこういう次第だそうです。
救援という判断自体もそうですが、その判断が遠く離れた安泰な場所でされたのではないことも注目したいです。
当の長与駅自身が、当該下り列車と対向列車の二本が構内で爆風を受け、割れた窓ガラスによる負傷者多数を抱えた状況。
電話に出た道ノ尾駅の答えも「長崎についてはさっぱり分からん、駅付近のわらぶき屋根は全部燃えている」。
その状況の中で311列車を浦上川付近まで到達させた機関士の談話。
「311列車が救援の第一号であろうと第二号であろうと(中略)問題ではない。
(中略)苦悩と絶叫と自失の焦土の中から負傷者を運び出したい、ただその一心でした。
そのために一人でも多くの人が助かって貰えたならば、輸送に当たったすべての職種を含む国鉄職員として、
それが最高の喜びであり、最高の報償であると思います」
出典は「日本鉄道史・技術と人間」(原田勝正)。
なお、この著者は下記文献を参照したとのこと。
「長崎原爆戦災誌・第五巻」
「国鉄長崎機関区原爆被爆体験記『八・九の被爆者たち』」
前にも書いたケド、大阪大空襲時の御堂筋線臨時運行と長崎の救援列車は日本鉄道史いや世界鉄道史に燦然と輝く偉業だと思う
素晴らしい 感動しますた
救援列車の乗務員も被爆してなおも助ける
ガイシュツかもしれませんが
御堂筋線臨時運行のこと詳しくお願いできませんか
491 :
名無しでGO!:2008/03/09(日) 10:13:53 ID:cWEq9gR+0
次は、梅田、梅田。
省線、京阪神急行線と、阪神線は、乗換えです。
ルネッネクストイン、ウメダ。
ヒズヒーヒユ、オダショウ、ケイハンシンキュウコウ、ハンシンライン。
492 :
名無しでGO!:2008/03/09(日) 16:35:57 ID:X0GclzrE0
>>440 >列車に乗る買い出し客全員が官憲に襲いかかれば良かったのに
日本人のお上を恐れる性格では無理。
海外のように、革命で権力者を市民が処分した歴史が日本(アジア)には無いし。
493 :
名無しでGO!:2008/03/09(日) 22:14:05 ID:LThGYFScO
>>440 終戦直後の警官はまだ一般勤務でもサーベルや拳銃携帯してたからな
494 :
名無しでGO!:2008/03/09(日) 23:13:10 ID:cWEq9gR+0
ローカル線同士の接続駅の待合室は非冷暖房でしたか?
495 :
名無しでGO!:2008/03/10(月) 01:08:58 ID:JSxiR8go0
>492
ウリたちは何度となく大統領を処分しているニダ。
496 :
名無しでGO!:2008/03/10(月) 11:54:52 ID:8xzQpJKA0
末期は、空襲警報は役立たずでしたか?
497 :
名無しでGO!:2008/03/10(月) 22:02:05 ID:8xzQpJKA0
猥ヲクに運輸通信省鉄道総局の制服出てたね
499 :
名無しでGO!:2008/03/13(木) 08:59:55 ID:jjWNouR/0
次は、仙臺、仙臺。
宮城電鐵塩釜・松島・石巻方面、および仙臺市電は乗換えです。
なお、秋保温泉へお出での方は仙臺市電長町より秋保電鐵に、
さらに作並温泉へお出での方は省線仙山線にお乗換え下さい。
また松島観光の方は宮城電鐵仙臺地下駅より快速電車が接続しております。
一通り御案内は致しましたが、時局重大のこの時期に遊山旅行は
当局より厳しく規制されて居りますので、くれぐれも御注意願います。
爺2匹
なんだかのHPで昔は山手線が東京〜有楽町間だったか有楽町〜新橋間を通る時に車窓から宮城の木立が見えるので皆頭を下げたとあるんだけども…それ以来上京時山手線はその日の最初と最後に線宮城を仰ぐ時は必ず最敬礼をしてるんですが…
503 :
名無しでGO!:2008/03/14(金) 09:08:25 ID:zyIfJxPy0
>>502 日本國臣民として実に素晴らしき心構えでありまする。
漏れは上京したら真っ先に丸の内口から宮城前二重橋に最敬礼に行きます、銀座線に乗ったら新橋駅で一度下車して次の列車に乗り換えて
東京高速鉄道⇔東京地下鉄道
旧交通博物館は神田ではなく万世橋
京王井の頭は小田急井の頭線
などとニンマリ
なんか右翼臭が・・・
506 :
名無しでGO!:2008/03/15(土) 09:01:17 ID:tlnR5oRb0
もし明治初期の野蒜築港が当初の目論見通り首尾良く成し遂げられていたならば、
仙薹は廣嶋以上の軍都になっていたかもよ。
松島湾の一角が日本海軍の停泊地として整備され、軍事施設が集中して
塩釜〜野蒜〜石巻一帯が要塞地帯になれば、仙石線は昭和19年を待たずに早々に国有化され、
石巻まで全線複線化完了なんてこともあり得ただろうし。
そして東北本線の海線の敷設ルートも現在と変わっていたかもしれないよね。
(たとえば、品井沼ー塩釜間だけを敷設して塩釜で仙石線に接続して、
塩釜ー多賀城ー仙台が新しい本線の海線ルートになるとかね。
そうすると、苦竹や原町の軍事施設を本線が通るわけで軍事輸送上好都合。
ただそうなると仙石線は塩石線に名称変更になるけどね)
まもなく45番線に入る車両は、菊蘭号始発 新京行きです、45番線列車入ります、白線の内側までお下がり下さい、列車とホームの間に隙間が御座います、乗り降りの際はご注意下さい、こちらは大日本帝国国有鉄道東京駅です
508 :
◆1e61wUKJAM :2008/03/17(月) 23:28:38 ID:s+mQe7or0 BE:435300672-2BP(0)
日テレのドラマ見ましたか?
ところで当時の鉄道の惨状を中心としたドラマか映画、小説などはあるのでしょうか?
509 :
名無しでGO!:2008/03/17(月) 23:49:19 ID:zrslx6dP0
>>508 大いなる旅路TV編
太平洋戦争中に限らず明治初期(逢坂山トンネル掘削)から昭和47年まで。
510 :
名無しでGO!:2008/03/19(水) 09:23:49 ID:Ut1mn2Wk0
国鉄編集の20分くらいのドキュメンタリー記録映画「立ち上がる輸送」というビデオが発売されてたよね。
今も大型書店あたりには置いてあるのかな?
>>510 貨物車両が超合金ロボになってスックと立ち上がる様子が思い浮かんだ。
超合金合体通勤電車「ジュラ電63」
『ヂュラ電63』が平日の朝0730に変身したら中の人々はどうなるのでしか?!
3連続アフォ
515 :
名無しでGO!:2008/03/22(土) 17:40:53 ID:VgfrrG4G0
終戦後、航空機用資材のジュラルミンで通勤電車を作る発想は、
現在のステンレス電車全盛のはしりと言えるかもね。
おそらく当時の乗客は、ホームでいつもの整備不良のボロ電車ではなく
ジュラ電が来たりしたときは小躍りして喜んだかもしれないよね。
ジュラルミンは汚れると腐食しやすいので、電車で使うには少々難があったようですね。
本当の意味でジュラ電が実用になったのは新幹線以降ではないでしょうか。
517 :
名無しでGO!:2008/03/22(土) 22:54:53 ID:hJsGo1i30
>>414 今日初めてこのスレを見ました。超カメですが、うちの母は戦時中駅員をしていました。
出札や改札はもちろんのこと、踏切番や貨物の入替で突放なんかもやっていたそうです。女
は体重が軽いのでブレーキが掛けにくかったそうです。
終戦時のいわゆる玉音放送の時は、全員必ず聞くよう命令され、踏切番もいなくなった
ので、遮断機も下りなかったとのことです。放送中に一本通過して行ったとか。
進駐軍の列車が到着すると、窓から菓子類を投げて行くので、列車が行ってから拾うのが楽しみ
だったと言っていました。
そういえば、おば(母の妹)も駅の電話交換をやっていました。
俺の祖父は昭和18年に(確か)15歳で省線の鉄道員になった、転勤を嫌がり駅長にはならず定年まで助役だった、余談だが満蒙開拓青少年義勇軍に入隊しようかと思っていたら親戚の鉄道省の役人に『満州には行くな』って言われて鉄道員になったらしい
519 :
517:2008/03/23(日) 06:58:05 ID:1yjTd99g0
で、母の父(つまり私の祖父)は地元で戦前線路工夫長でした。一家で満鉄に行こうとしていたらしいが周囲の反対でやめたようです。もし行っていたら私もこの世にはいなかったでしょう。
叔父は技術系の学校に通う傍ら鉄道省に入ったが、退職し憲兵隊に入隊を志願したものの入隊予定日に終戦。その後は地元の駅で退職まで駅員でした。
自分が研究対象としている満州で活躍したていたある作家、
満鉄勤務で当初は観光局あたりに配属で作家活動を兼業
していたんだが、戦局の変化とともに、地方の駅長とか
になった。匪賊に襲われたり、部下の中国人の裏切りが
あったりで大変だったらしい。
あの頃は本気で日本がアジアを征服できると教育されたいたからな
522 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 09:48:29 ID:SDD61cUz0
最近電車に乗ってると、女性車掌や女性運転士まで見かける機会が多くなったけど、
どうも戦時中を連想してしまうよね。
将来、男子を大量動員しても国内交通網機能維持のため女子を錬成しておくという
国家的要請が内々にあったりしたら嫌だよね。
523 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 11:03:48 ID:VdNLABVoO
右に段々寄っている・・・と考えるか、女性の社会進出がますます進んでいる・・・と考えるかの違いだな。
524 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 17:41:14 ID:qy2l6DQCO
グンクツの音がw
525 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 17:58:37 ID:SDD61cUz0
>>524 今の日本に必要なのは、グンクツの音ではなくナガグツの音である。
早急に食料自給率を上げねば、国家存亡の危機は早晩訪れるは必定!
今こそ1億総百姓化たらしめ、畑に田圃に出陣して国民の食の安全を期する時である!
駅前で家庭菜園キットの配布から始めようではないか!
芋豆トマトにカイワレ大根
527 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 19:23:12 ID:gOIbN+DO0
>>524 >>グンクツの音がw
軍靴は、グンクツではなくグンカと読むんだよ。
528 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 19:27:42 ID:zbqcz5StO
戦争中、東海道山陽鹿児島線を走る優等列車はダイヤ改正の度に削減され、1943年10月の改正 (裏ヨンサントオ)でついに
第一種急行 ふじ 博多⇔東京 1/2レ
の1往復だけになった。あとは普通列車ばかりに。
これは現在の状況と全く同じだな。
529 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 19:38:34 ID:6LFkcE+OO
ぐんくつ の検索結果 約 16,100 件中 1 - 10 件目 (0.17 秒)
ぐんか の検索結果 約 11,300 件中 1 - 10 件目 (0.02 秒)
今の時代はグンクツでつね
531 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 20:40:07 ID:VdWiUPkS0
がいしゅつと同じようなものだろ・
>>528 出雲・瀬戸・ふじがわ・ひだ・しなの・しらさぎ・雷鳥・日本海・はるか・くろしお・はくと‥‥のこともたまには(ry
この非常時に旅行なんていささか非常識ですぞ!!鉄道は兵器ですぞ!!
>>525 おまい、農業したことないだろ?
泥田を除いて、農作業で一番汎用性の高い履き物は
地 下 足 袋
柔軟でしかも軽く、長靴より疲れない!
ぐんぐつと違って音すらしない、忍者級の素晴らしい履き物だ!
535 :
名無しでGO!:2008/03/24(月) 22:27:59 ID:SDD61cUz0
>>534 この際、音がしない履き物は実用性に優れていても志気高揚には繋がらないから地下足袋は除外。
国威発揚の為の食料増産の主戦場たる田畑に勇壮果敢に進撃するのに
忍びが履くが如き音のしない履き物より、グンクツの音宜しく
ナガグツのあのブカブカブカブカという勇ましいゴムの音こそは、
戦意高揚に大なる効果をもたらすものと信ずるところであります。
とりあえづ まづ
巻脚絆と戦闘帽ありき
538 :
名無しでGO!:2008/03/25(火) 01:01:34 ID:8ZjspR7a0
>>533の戦後
敗戦国民は貨車で十分ニダ。金目のものはすべてウリたち戦勝国民がいただくニダ。
541 :
名無しでGO!:2008/03/25(火) 14:18:41 ID:LZmOZpaA0
>539
さあ、釜山港に戻ったニダ。
特急あかつきやひかりはいつ来るニカ?
wktkするニダ。
542 :
名無しでGO!:2008/03/25(火) 16:04:35 ID:Dw1YPaBtO
543 :
名無しでGO!:2008/03/25(火) 17:30:23 ID:qq1HPnhnO
>>541が釜山に着いたあかつきにはのぞみもひかりも無い
544 :
518:2008/03/25(火) 17:47:34 ID:tNEONv4eO
>>518ですが(國鐵じいちゃんは父の父)
おばあちゃん(母の母)は引き上げ者なんだよなあ、戦前に一家で京城に移ったけど敗戦で内地に引き上げ、終戦直後の朝鮮の鉄道は気になるかも、ちなみに引き上げ時広島を鉄道で通った時の焼け野原は忘れられない景色だそうです
545 :
名無しでGO!:2008/03/25(火) 18:45:30 ID:GMunedjv0
>>530 自分の無知を棚に上げて
ごまかすのに必死だな。
546 :
名無しでGO!:2008/03/25(火) 19:26:54 ID:qq1HPnhnO
547 :
名無しでGO!:2008/03/26(水) 09:30:10 ID:BkDORF930
でも現在はともかく、当時営内で軍靴を「グンクツ」と言ったりしたら、
古年兵から顔がひん曲がるほどビンタを喰らっただろうね。
「漢字を訓読みするとは何事ぞ!仮にも皇国の盾となるべき我が帝国陸軍兵士 の
装備具を女子供が如き言い回しをするとは精神が足りん証拠だ!!歯を食いしばれ!!!」
バシーーン!!!!!!
548 :
524:2008/03/26(水) 09:42:57 ID:qRcick+zO
長靴もチョウカだったしな
あと半長靴ハンチョウカもあったな
陸軍の『編上靴』の正式呼称は
あみあげぐつ
と聞くが
551 :
名無しでGO!:2008/03/27(木) 09:00:25 ID:y1zAov3Y0
>>549 陸軍の操典では、確かに「あみあげぐつ」となってるようだね。
ただ実際の内務班での日常的呼び方としては「へんじょうか」が
慣習的呼び方として一般化していたみたいで、今でも兵隊経験者には
「へんじょうか」という人が大半だよ。
まあ「あみあげぐつ」という呼び方にこだわるなら、
鉄道を「てつどう」ではなく「てつみち」に、
電車を「でんしゃ」ではなく「でんぐるま」と呼び方を変えたらいいかもね。
國鐵=くにてつ
鐵道=くろがねみち
汽車=しゅっぽ
雷車=ゴロゴロ
>>551 脱線だけど親の世代は肩車のことをデングルマと言っていた記憶が
ふとよみがえりました。
なんでデングルマなんだろう?
554 :
名無しでGO!:2008/03/27(木) 21:08:35 ID:RayYgmiE0
>>547 今の若者だったら、逆に古年兵がフルボッコされそうだ。
「歯を食いしば・・・」の段階でかわされて足払い、その後ボコボコに。
古年兵KOに終わる。
兵隊や憲兵が武器さえ持ってなければ、喧嘩が強ければ普通に勝てるような
気がする。
555 :
名無しでGO!:2008/03/27(木) 23:11:31 ID:IH4tHvUIO
>>554 でも軍法会議が待ち受けてることをお忘れなく
近頃ニュースで東亜の満員列車が良く流れるが買い出しってあんな感じだったのかな?
>>556 インドネシアとかバングラのほうが近いんじゃないか?
蘭印ヂャバでは不正乗車の人に背嚢形噴霧器で塗料を吹き付けて塗料ついた奴を捕まえていたなあ
>>555 多分それから生き埋めにするなりして証拠隠滅することを考えると思う
>>554 ただ、最近の古年兵も、キレたら何をするかわからん奴等ばかりだ。
「漢字を訓読み・・・」とか言わずに無言でいきなり銃剣で一刺し、なんてことも。
561 :
名無しでGO!:2008/03/28(金) 09:16:18 ID:JjBULWLr0
たしか戦時中、中国の戦地で兵隊が上官に対し集団蜂起した事件があったとか
何かの書物で読んだことがあるけど、軍の威信に関わる重大事件なだけに、
その主犯格の兵隊はすぐさま南方だかの激戦地(のちに玉砕)へ送られたとか・・・
まあ軍も組織だから、上に反逆すればまず命の保証は無かったということだよね。
だから、敵と戦闘中のドサクサに紛れて「後ろ弾」という荒手の手段が登場するわけで。
鐵道ネタお願いします
563 :
名無しでGO!:2008/03/28(金) 18:32:33 ID:JjBULWLr0
それでは、鐵道ネタを。
昭和23年に発生した八高線の買い出し列車転覆事故は、整備不良の疲弊した木造客車に
定員を遙かにオーバーする乗客が買出し荷物を満載して乗ったものだから、機関車の制動が効かなくなって
高麗川手前の下り勾配を下りきった左カーブで築堤下に転落して脱線転覆、
客車が木造で構造的に脆弱だったものだから、乗客満載のまま車体が粉砕するという最悪の事態に・・・
死者100人をはるかに越える戦後4大鉄道事故に数えられるわけだけど、
先般の福知山事故も「カーブでの速度超過による転覆」という一点においては共通しているよね。
ただ事故の背景があまりに違いすぎるという点は別にしての話だけど。
もし、その買い出し列車の屋根にも乗客が乗っていたとしたら、
転覆と同時に遠心力で相当遠くまで吹き飛ばされたのではないかと想像すると
満員列車に乗るのもかなりの恐怖だよね。
北鮮では今でもそんな事故で人がたくさん死ぬらしい、
はなはだし所では日帝が敷設した線路や枕木の挙げ句に鉄を使うために複線を単線にしたりとか、んで線路外した枕木は暖房の(ry
日本では枕木をひっこ抜いて薪にした大馬鹿者は居なかったの?
まぁ山には木が沢山あったからほとんど大丈夫だったんだろうけど、
やっぱり都会では燃料事情は厳しかっただろうし。
昭和20年の今頃の銀座線は全線不通?
567 :
名無しでGO!:2008/03/28(金) 23:37:57 ID:JjBULWLr0
>>565 鉄道は兵器であり、その枕木を引っこ抜こうものなら、それこそ敵を利する国賊扱いされて
当人は当局に逮捕されて厳しい処罰が待っているだろうけど、
それ以外にも親兄弟親戚まで非国民扱いされて隣組で冷酷な扱いを受けたりして
徹底的に社会的弾圧を受けかねないから、いくら燃料事情が厳しくてもそんな自殺行為をする輩は
いなかったものと思うけどね。ただ、終戦後は一転して何でもかんでも盗難にあったらしいけど。
貨車やら客車やら、はては機関車まで盗られたりしたからな。
他所の管理局に。
枕木は防腐剤?みたいなのを染み込ませてあるのが災いして、焼夷弾でもあまり燃えなかったとどこかのレスで見た気が
戦後の買出し列車で常磐線とか東北線だったと思うんだが、屋根まで乗客が乗っていて
駅員が危ないので箒を振り回して落としていたというのを呼んだことがあるんだが、
本当だったんだろうか
571 :
名無しでGO!:2008/03/29(土) 08:44:22 ID:a4YuNUQH0
>>570 厳密に言うと常磐線松戸では、線路上の架線くらいの高さに箒を下げておいて
その箒に接触した乗客は否応なく降ろされたということ。
それは、当時常磐線は松戸以南が電化区間で、非電化区間を乗ってきた乗客が
松戸以南で架線に接触して感電するのを避けるため、架線の高さに箒を下げて
危険回避したもの。
さらに、常磐線松戸は闇取り締まりの臨検が頻繁に行われた駅で、
闇米買出し客が東京に入れるかどうかの関所のような駅だったんだね。
>>569 堅い木を使っている上に半分石に埋まって居るんで、表面が焦げる程度で済んだとも言えるな
ドイツの鉄道のボコられ方に比べたら、
日本は、焼夷弾攻撃が中心だったことと、電化区間が少なかったことから、
鉄道の被害という点では大きくはない。
ただ、アメリカは8月15日から鉄道の攻撃を開始する予定だったとも。
574 :
名無しでGO!:2008/03/30(日) 07:54:47 ID:Wqg9pD8PO
>>573 ドイツは自軍でも撤退時に枕木割ったりする焦土作戦やったり、ライン川に掛かる橋をレマゲン以外ことごとく落としたりしたからな
>>574 撤退時のしんがりのそのまた最後尾の車両には枕木を引き裂いて破壊する車両があった位だもんね
576 :
名無しでGO!:2008/03/30(日) 14:32:00 ID:XEY+B6EeO
日本は満州とかで鉄道に対する焦土作戦とかはやったんだろうか?
恐らく、「「中立国」が突如攻めてきた」状況で、そんな余裕はなかったんだろうけど。
日本陸軍には敵に利用されそうな施設機材は叩っ壊して後退するいう考えは無いのです。
線路も車両も信号も、ぜーんぶ敵に無傷で進呈☆
578 :
名無しでGO!:2008/03/31(月) 00:26:33 ID:z2NTb5xDO
>>577 陛下から賜った武器を破壊するなど言語道断だったからな
なんてったって、末期の艦載機による機銃掃射被害が殆どだろ。
20mm機関砲で撃ってくるんだろ?
580 :
名無しでGO!:2008/04/02(水) 01:18:47 ID:8v4Xi9BVO
>>579 米軍機はほとんどがブローニングの12.7mmだろ?
581 :
名無しでGO!:2008/04/04(金) 12:24:57 ID:mUIysn2DO
鉄道車両に対する艦載機やP51の機銃掃射が20mmだったらもっとバラバラになってただろうな・・・
しかし、列車や病院船、地引網の猟師に機銃掃射って明らかにゲームだろ?
国際法違反じゃないの?
それに末期のの日本のズタボロ戦況じゃ泣いた赤ん坊をへし折る感じだよ。
583 :
名無しでGO!:2008/04/04(金) 16:58:00 ID:qFIugA0J0
>>582 赤十字をつけた列車…日本軍兵士が乗っているから攻撃した。
緑十字をつけた船…日本部軍用の物資を輸送したから攻撃した。
日本の町並み…日本の家庭そのものが家庭内工場になっていて軍事物資を作っていたから焼き尽くす。
…というメチャクチャな理論で正当なんだそうです。
ありえねー。
それでも、ベルリン地上戦などに比べれば・・という感じかもね。
あっちは、Sバーンの地下区間が水没したりメチャメチャになったが。
585 :
名無しでGO!:2008/04/05(土) 09:22:47 ID:3aLNvhRK0
地上戦というとフィレンツェの中央駅やローマのテルミニ駅(まだ完成していなかったが)も結構やられた気がする。
586 :
名無しでGO!:2008/04/05(土) 12:55:04 ID:h+E53A0cO
>>583 まあ日本軍も病院船で兵士や武器弾薬物資の輸送やったりしてるしな
>>584 Sバーンはワザと冠水させたはず
>>586 わざと水を引いたのは、Uバーンのほうで、
Sバーンは運河を潜る区間が被弾して水没したはず。
スレ違いだけども東西分断時のSバーンUバーンも気になるな
BS日テレの通販番組で連日機銃掃射の映像を寄せ集めたのをやってるが、
あれ全部通しで見たら、軍事的なグロには強い俺でもさすがにドン引きする。
走行中の列車全体に掃射浴びせて機関車に
命中した瞬間にボイラ爆発してたりするんだぞ…
鬼畜米英は本物だわ、俺別にサヨじゃないし、
あいつらにはウヨクと罵られる立場だが。
592 :
名無しでGO!:2008/04/06(日) 01:52:28 ID:lxYyrYr5O
映画のレマゲン鉄橋のオープニングでも傷病兵満載して白旗立ててドイツ本国に向かってる列車を米軍の戦車隊が砲撃しちゃうシーンとかあるね
593 :
名無しでGO!:2008/04/06(日) 08:49:08 ID:IPlvm1Ln0
>>591 大いなる旅路TV版でも蒸気牽引の貨物列車が機銃掃射され、トンネルに何とか
逃げ込んだもののボイラーに穴が開き蒸気が噴出していたシーンがあった。
大列車作戦「THE TRAIN」でも単機回送中のフランスの機関車がスピットフィヤー
に機銃掃射されこちらもトンネルに逃げ込むものの乗っていたフランス人機関士が
トンネルの中で怒って汽笛を思いっきり鳴らしていたシーンがあった。
あっ 今まで新橋で東京地下鉄道と東京高速鉄道に乗り換えるってたびたび言っていたが昭和16年に帝都高速度交通営団になってたんだった
SLの爆発といえば終戦後にも相次ぎましたな。
596 :
名無しでGO!:2008/04/06(日) 23:19:55 ID:lxYyrYr5O
ちがいます、OSSの石炭型爆弾を使ったレジスタンスのテロのせいです
>>554 おっ、リアルと違って2ちゃんではお強いコトw
米軍のLSTの甲板に線路敷いて、青函連絡船の代わりにしていたってホント?
601 :
◆1e61wUKJAM :2008/04/07(月) 23:47:46 ID:wRz0lgbB0 BE:2238689298-2BP(0)
昭和39年10月以降にも戦争していたとしたら、新幹線はDCで開発されていたはずやw
>>601 開発する余地もなかろう。
それこそ首都圏の通勤各線が朝夕各1本ずつの運行になっていたかも。
1ヶ月ほど前のドラマで堀北真希が機銃掃射されるシーン、
ドラマだからと見ていられたが、あんなにかわいい子が目の前で
撃ち抜かれたら気が狂うかも。
604 :
名無しでGO!:2008/04/08(火) 09:45:58 ID:UWCq9S/O0
昭和39年10月以降にも戦争していたとしたら、新幹線開発の可能性は限りなくゼロだったといえる。
何故なら戦時中は貨物輸送重点主義で、旅客輸送は顧みられなかったからである。
戦争がさらに20年続いたとしたら、長距離列車はある特定階級の輸送(高官)専用と軍臨以外は
ことごとく廃止され、全線に亘って短距離区間運転のみのダイヤになっていただろうね。
(例えば上野ー宇都宮、宇都宮ー白河、白河ー福島、福島ー仙臺という感じで直通は1本も無し)
新幹線を貨物輸送用鉄道として開発の可能性はあったかもしれないが、
そこまで戦争が長引けば、日本の国力は底をつくだろうからどっちにしろ可能性はゼロに近い。
逆に通勤輸送は、軍需工場への工員の通勤強化のために大増発が行われただろうね。
わざわざ通勤強化のために戦時買収が行われた線区もあるくらいだからね(例えば仙石線)
>>604 戦争がさらに20年続く ってアフガニスタンかよ アフォかw
列車がジェット戦闘機や対戦ヘリに機銃掃射くらったら木っ端微塵になるな
20年続いたという前提なら、鉄鉱石も化石燃料も乏しい日本本国を捨て満州国に移り住んだに違いない
608 :
名無しでGO!:2008/04/08(火) 22:37:05 ID:tU4NeYHCO
数年続いただけで米ソに占領され分断国家になってただろうな
全ての路線が国有化もとい、所有の概念から『解放』されて人民所有鉄道なんて呼ばれていたんだろうな
今年のスローガンもとい標語は『ブルジョワ思想の休暇・旅行は社会主義建設の「勝利行き列車」に対するブレーキだ!!』と『流言飛語と無用なお喋りに注意!!奸諜はあなたのすぐそばに!!』そして『鉄道は兵器だ!!無用の旅行はやめよ!!』
あれ?どこかで聞いたような
近く割り箸を廃止します御旅行の際は箸を御持参下さい
>>610 実際に機銃掃射されたの?劣化ウラン弾?ロケット弾で誤爆されたのなら
分かるけど。
>>609 国鉄の労働組合は、それを本気で目指していたんだから、何とも。
614 :
名無しでGO!:2008/04/13(日) 01:36:41 ID:FxwMhuG30
>>612 「アジアの鉄道ー18国最新事情(1990-3・吉井書店刊)」という本にイラン革命の時期に
革命勢力に銃撃されてヒビの入ったままの客車や、「悪魔の詩」騒動直後のプレイボーイ誌で
ホメイニ体制を揶揄する記事のなかで「イラク軍機に爆撃された列車」というキャプションの
画像があった。たしかUIC規格型客車だったと思う。
昔、集めていた新聞の切り抜きの中に
イラク(イラン)の列車が相手方の飛行機に
教われて多数の死者が出たという記事が
写真つきであったように覚えている。
GWで帰省したときにでも調べてみるよ
S17元日からS21元日までの省線の鉄道運賃の変遷ってわかりますかね?今の貨幣価値に換算するとどの位の値段でしょう?出来れば山手線
619 :
名無しでGO!:2008/04/17(木) 22:42:06 ID:Vf7Ukl570
>616
時刻表復刻版戦中戦後編にでている。大宮の鉄道博物館図書室、東京八重洲口の
JTB旅の図書館にあるよ。
停車中?
622 :
名無しでGO!:2008/04/23(水) 11:35:47 ID:afTT+XfZ0
今、「撃ちてし止まん」の標語がデカデカと書かれた掛け紙で包装された駅弁を販売したら意外にオシャレかもよ。
もちろん、中身は当時と同じ代用食(ふかし芋)でね。
意味不明
ガタンゴトンガタンゴトン
むっ!!あの沖にいる軍艦は何だっ!?長門や陸奥よりデカいゾッ!?みた事もない形だ!!
これはほっておけん
我が愛用のベビーパールで
パチャッパチャッ
ふぅ〜っ眼福眼福
626 :
名無しでGO!:2008/04/24(木) 17:48:26 ID:qmJOOpXB0
>>625 もしもし、あのね小生はガダルカナルで九死に一生を得て漸く内地に帰り着いた
仙臺第二師団所属の通信兵でありますが、あの長門や陸奥よりデカい見たこともない軍艦とは
大和型第三番艦として建造途中に航空母艦に設計変更された空母信濃でござるぞ。
・・・・おっといけね、此は極秘中の極秘ですぜ!
お前さん此の時期に写真機を持ってるなどどう見てもスパイであると見受けるから、そっと教えるが
あの空母信濃は就航1週間後に公試運航中に紀伊半島沖で米潜水艦に撃沈されますぜ!
・・・・おっといけね、此は極秘中の極秘ですぜ!
ところで、小生は今郷里の仙臺に向かって汽車に乗ってる訳だが、
車窓から見える日立沖には日本軍の軍艦が見えるハズは無いんだが・・・・・
>>626号車
同郷ですなあ、しかしこのスレには仙臺の話が多くて日帝ウレツイ♪
ウレピイからベビーパール以上によく使うカメラ、キョロキョロ、絶対秘密ですよ、世界最小の写真機ミノックスですよ、ほら
>>626 >>627 そこのお三方、これは極秘中の極秘なのでそっとお教えしますが、
次の駅で腕章をつけたお出迎えの方がお待ちのようですよ。
このご時世に車でお出迎えとは、よいですなあ。では私はここで!
629 :
名無しでGO!:2008/04/26(土) 12:24:28 ID:v437mZxK0
では、極秘所持の世界最小の写真機ミノックスは私がお預かり致しましょう。
小生が郷里仙臺に無事帰着の暁には、全身全霊を込めてこの写真機に
勾当台公園の桜と、西公園のC60-1と、宮城電気鐵道に復活の103系の写真を収めて、
白松がモナカと一緒に墓前に捧げますのでご安心召され。
あ 憲兵だ
こりゃ大変だ
ずらかります
バーンバーン(コルト32オート)
報告 ピピピーピピーピ宮電沿線には軍・軍需施設多しピピピー
631 :
名無しでGO!:2008/04/26(土) 16:28:07 ID:v437mZxK0
仙臺管区憲兵隊司令部無線報告
ピピピーピピーヒ緊急事態!宮城電氣鐵道が既に敵の手に落ちた模様ピピピー
ピピピー
宮電仙臺青葉通-石巻間の快速列車を事もあろうに「マッガッタンライナー」などと称し
車内放送の全権を「ロボコン」なる米英の回し者に依り占拠されて居るピピピー
しかも、そのロボコンなる不埒者の指図により、乗客臣民の乗降が円滑に行われたるは誠に遺憾ピピピー
632 :
名無しでGO!:2008/04/26(土) 23:22:26 ID:k2hVNmmy0
9・26 連合国用客車増結の件。
9・26東京発145レ(最後部)、9・27大阪発146レ(最前部)
から当分の間マロネ1増、オハ1減。
>>631 ピピピーピピーピ
そいな列車に乗る不逞の輩はスパイの可能性大にして
憲兵 警察 警防団
は直ちに乗員ごと列車を『鎮圧』せよピピピーピピーピ
634 :
名無しでGO!:2008/04/28(月) 14:22:44 ID:sQ7NB+GH0
嗚呼、皇国の戦い遂に敗れ明日の希望も見い出せぬ毎日で御座る。更に鍋釜には今日の飯の種すら無き有様。
え?なに?
今日、仙臺始発で原ノ町までの臨時買い出し列車を運転ですと?
そ、其れは有難い。闇夜に提灯とは正にこの事ぞ。
え?但し列車は屋根無しの無蓋貨車編成だって?
ああ結構結構。常磐線は隧道も無い平坦線故、機関車の煙など一顧だにはしませんぞ。
此で、今日明日の食糧にありつける。嗚呼有難や有難や。
(※後にこの臨時買い出し列車運転の記事が地元河北新報に掲載された事実を当人は知らない)
うゎぁあ〜脱線したぁ〜!
このスレでも出た大阪の地下鉄のドキュメンタリー、フジテレビ739でやってるね
フジCSのサイトの放送予定が食い違っているのでEPGとかで事前に確認する必要はあるが
638 :
名無しでGO!:2008/05/02(金) 13:08:45 ID:8HjVLj8K0
終戦直後に国鉄が制作したドキュメンタリー記録「立ち上がる輸送」の最後に出てくる
9600牽引の貨物列車が峠にさしかかるシーンは、根室本線の狩勝峠じゃないかと思うんだけど
ナレーションでは特に場所の説明が無いからよくわからない。
トンネルの中で、立ち往生するシーンが映ってるけど、よほどの粗悪炭で機関士も往生しているのが
よくわかる貴重な映像だよね。
639 :
名無しでGO!:2008/05/06(火) 09:24:57 ID:vS/pe4b50
次わあ〜登戸〜
次わあ〜登戸〜
陸軍秘密研究所にお越しの方は〜次でお降りけさい
age
642 :
名無しでGO!:2008/05/12(月) 19:57:35 ID:G+8UKw2Z0
>>640は敵の間諜に軍事機密を教えた罪で特高にしょっ引かれ、即日銃殺刑になったとさ。
つ 公然の秘密
644 :
名無しでGO!:2008/05/12(月) 23:03:04 ID:VdK1VYAl0
>>642 待ちたまえ!よく>640の放送を聴くがよろし。
「お降りけさい」という表現は、関東圏はおろか関西圏にさえ存在する語句にあらず。
これは鬼畜米英支那ソ連邦とは別の新たなる我が帝国に対する挑戦者に他ならない!!
すぐに捕らえて、その素性を厳しく吟味してけさい。
シテレシマシ。
なんか微妙にスレの趣旨から脱線しているような気がシマすが。
癩病患者移送列車
通称 お召し列車
647 :
名無しでGO!:2008/05/14(水) 12:46:36 ID:IKnmZ9Kz0
今日(明けて明日)の2:48からのフジテレビを見ろ。
昨年の再放送だが…。
太平洋戦争当時、大阪大空襲の夜に地下鉄を走らせ、多くの人を助けた少年達がいたと聞きました。
「あの時動いた地下鉄のおかげで、私は今も生きております。」
そんな証言を本や新聞で目にする機会がありました。
私達は、このお話をぜひもっと多くの人達に知らせたい、と考えました。
あの戦争。もう62年も前の出来事です。
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/nonfix_r/index.html
>>644 紅衛兵A「小日本の特務アル!鬼子!鬼子!打倒美国帝国主義!打倒小日本帝国主義!
打倒蘇聯修正主義!偉大的毛沢東思想万歳!!」
紅衛兵B「毛主席語録第12ページを暗誦してみるヨロシ!」
紅衛兵C「三角帽被せるアル!罪状を並べるアル!腕をジェット機に曲げるアル!!」
紅衛兵D「ゴウ薬頭が小日本鬼子にはお似合いアルな!」
>>648 ホワホワ造反有理?
スーシャースーシャー革命無罪?
世界人民大団結的省線三人掛け候
650 :
名無しでGO!:2008/05/22(木) 00:15:44 ID:SINsLqnM0
沖縄では、アメリカの猛爆で沖縄島内の軽便鉄道が木っ端微塵に粉砕されたとか・・・・
652 :
名無しでGO!:2008/05/25(日) 16:06:03 ID:DyS5GB0eO
ちなみに日立市や水戸市は漢方射撃をうけたはずだけど、鉄道の損害はかなりあったのかな?
653 :
名無しでGO!:2008/05/26(月) 16:25:45 ID:UZvmxVun0
水戸駅は終戦までに駅舎全焼、駅・機関区施設も大被害を受けたけど、それは艦砲ではなく水戸空襲によるもの。
艦砲による被害は勝田、日立、高萩あたりが酷かったみたいで、常磐線関係の被害は、
日立、常陸多賀駅駅舎破損、駅構内建物破壊、線路被弾、構内留置貨車焼損等の被害が出た模様だけど、
長期間普通になるほどの壊滅的致命的被害とまではならなかった感じ。(「国鉄空襲被害記録」より)
ちなみに、常磐線は日立関連の工場が勝田ー高萩に集中していた関係もあって、たびたび艦砲による空襲を
受けていて、回数的には東海道線、室蘭線に次いで国鉄で3番目に艦砲被害の多かった路線とのこと。
鉄道の被害はなんたって奇獣奏者には敵わない罠
655 :
キング:2008/05/28(水) 01:56:11 ID:7jV4q+VO0
657 :
名無しでGO!:2008/05/29(木) 09:31:00 ID:RvViMfqa0
内地に装甲列車が存在した記録は無いよね。
だけど、度重なる空襲に業を煮やした軍部が、主要列車の後ろに無蓋車を連結して
機銃を据えて兵員が乗り込んで、対空防備にあたったとか・・・
これはあくまで敵の攻撃に対する余りにも貧弱な防御手段でしかなく、
装甲列車のような攻撃用とはまるで意味が違うけどね。
658 :
652:2008/05/29(木) 22:23:16 ID:9rSzhVS/O
>>653 トンクス
大変参考になりました。漢方射撃は着弾点がわからないからたちが悪かったみたいですね
ヘッドマーク付きの装甲列車!
ライトな軍ヲタはもう軍事と鉄道をリンクしてないのな…
仕方ないか
>>657 千葉にはあったんじゃなかったけ?
試作みたいな感じだったかな
663 :
名無しでGO!:2008/06/02(月) 23:03:28 ID:QeTM1Nty0
鉄道連隊の解散式に半ズボン氏の祖先も参加していたのだろうか?
664 :
名無しでGO!:2008/06/02(月) 23:16:31 ID:m/LuHitt0
千葉といえば、成東は本当に痛ましいことをしましたな。
終戦があと1週間早ければ起きぬ惨事だったのにね。
そか
667 :
名無しでGO!:2008/06/10(火) 09:43:06 ID:JtLTiEUOO
戦時中の被害というと機銃掃射が多いが、橋梁攻撃をされなかったのが救いですね
利根川の橋梁を落とされていたら復興に時間がかかったと思う
>>657 ドイツには実際あったらしい。連合軍の戦闘機撃墜したとか。
>>667 そんなことしたらアメ公が占領時に困るからな。
優等列車に戦災被害加えなかったのも、占領軍専用列車に使うためを想定していたから。
もっとも、戦時中は優等列車は運行されていなかったし。
669 :
名無しでGO!:2008/06/10(火) 15:34:47 ID:xKfN/s380
>>657 日本には装甲列車自体は無いね。
ただ、房総半島(外房線)には列車砲(装甲化)が配備された位では。
その列車砲も無蓋車に高射砲を載せて鉄板で囲っただけだが。
>>667 本土に空襲する時期はサイパンも落ちているから。
戦闘機や爆撃機が本土に現れる時期は日本占領構想があるから、
復興に必要な部分はあえて攻撃しないようにした。
米軍が本土上陸して戦闘してたら日本側陣地の橋は容赦無く落とされたいたが。
670 :
667:2008/06/10(火) 21:45:14 ID:JtLTiEUOO
>>668 >>669 トンくす、ちゃんと次を考えているわけですね
やはりアメリカさんは計画的ですね
でも北フランスでは上陸前に手当たり次第に鉄道網破壊しまくって、
上陸後に自分たちが困ったんだぞ。
それでしばらく進撃が止まって、アントワープとかの近い港を手に入れたり
鉄道網復旧させたりしてやっと進撃再開。
実際のところ、B29は大都市と工業地帯を焼き払うのに忙しくて、
鉄道網まで手が回らなかっただけだよ。
数の多い中小型爆撃機でも北フランスやドイツは航続距離に入ったので
手当たり次第に攻撃できたけど、サイパンからではB29クラスでなくては
日本に届かなくて、さすがのアメリカでもB29は鉄道網攻撃に使えるほど量産できなかった。
沖縄を占領してそこを航空基地にして南九州を攻撃し、
オリンピック作戦で南九州を占領してそこを航空基地にして関東を攻撃し、
コロネット作戦で関東に上陸する、という戦略になっていた。
これは当時の中小型爆撃機の航続距離から割り出されたもの。
ちなみに終戦後の空襲成果の調査報告書にはしっかりと
「もっと早くから鉄道網攻撃に集中していればもっと早く降伏させられた」
とまとめてある。
占領政策のために攻撃しなかったのではない。
672 :
名無しでGO!:2008/06/11(水) 11:30:11 ID:wTbI4m9I0
>>671 連合軍の上陸前はフランスに居るドイツ軍補給寸断の目的で鉄道を攻撃した。
実際、ドイツ側が攻撃しても復旧すると知っているから何度も攻撃したのだが。
で、上陸後は鉄道が使え無い想定でトラック輸送前提だったが、
主要道路&橋の確保がままならない=ドイツの抵抗が予想を上回っていたので連合軍の思惑が外れた。
トラック輸送と同時に鉄道の復旧も急いだ。
空襲調査報告書!
米の報告書には都市部の成果は載っているが、鉄道は無いはず。
元々、資源が無い島国の日本は陸続きのドイツと違い鉄道破壊よりも海上輸送を断つ方が効果的。
開戦直後から米は知ってるから通商破壊を実行したし、鉄道自体は眼中に無い状態。
資源が船で来ない事には鉄道が意味無いから。
仮に鉄道が視野に入っているなら各地が空襲を受けてる時に鉄道は壊滅させられていた。
米軍が占領政策を念頭にした空襲の実例はあるよ。
それでも米が占領政策を意識しだしたのもサイパン陥落以降のことだが。
北九州の八幡製鉄はたびたび空襲を受けていたが、ある日から空襲されなくなった。
工場廻り&近場は空襲されるのに製鉄だけは何故か?空襲されないので付近の住民は不思議がったと。
でも青函連絡船を壊滅させたのはなんでだろう?
結局GHQは北海道へソ連牽制部隊を送り込むのに凄く苦労したじゃん。
ひょっとして、戦中は北海道はソ連に落とされると踏んで北海道連絡ルートを破壊したのかな?
>>673 北海道産石炭を貨車を使って本州に輸送・補給されることを嫌がったから
戦時中の青函航路はまさに最重要戦略航路だったんだよ
もし関門トンネルが未完成で、本州〜九州の輸送が航路だけだったら、
関門航路も同じ目にあっていたはず
>>672 空襲の調査報告はそんなに範囲の狭いものじゃないよ。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/senryo/USB_17.html ここに調査の概要が書いてある。
ちゃんと「経済調査部門」に「海運・鉄道輸送」って項目があるでしょ。
ちなみにこの分野でもっとも基礎的な本である大井篤「海上護衛戦」には、
戦略爆撃調査団の報告書の引用がちょっとあって
「総じてわれわれ(米国人)は封鎖に対する日本の脆弱さと、
極度の輸入原料依存を認識していなかった」と書かれてます。
鉄道自体が眼中にないどころか、海上輸送も最初はそれほど認識してなかったんですよ。
で、どうやら輸送船攻撃が効果あるらしいと戦時中にわかって集中攻撃。
でも終わって調べてみたら、都市爆撃よりも鉄道攻撃に集中した方がよかったね、
ということがさらに追加で分かった、ということ。
占領政策のための空襲目標の調整の例は知ってますよ。
京都がほとんど爆撃されなかったのもそのあたりに理由がある。
でも、鉄道網が攻撃されなかったのは、占領政策じゃないよ、ということ。
676 :
名無しでGO!:2008/06/12(木) 13:13:16 ID:CFQXd5Qn0
>>675 >京都
原爆投下候補地の一つで、標的は梅小路機関区だった。
677 :
名無しでGO!:2008/06/12(木) 13:49:40 ID:h/AoVbRX0
>>676 「京都の文化財保存のため京都に空襲はなかった」というのは、
戦後、統治目的を達成するため、GHQが反米感情を抑え日本文化に理解があるように
見せかけるために作ったデマなんだよね。
ちなみに広島、長崎以外の原爆投下目標
・小倉(八幡)・新潟・横浜・京都(まだ他にもあったような?)
小倉は8月9日の天気が悪かったため長崎に変更。新潟はB29の航続距離、時間の問題で保留。
横浜は原爆開発が遅れたため、通常爆撃に変更。京都は3発目ができたら投下する予定だったらしいが…。
もっとお詳しい方がいらっしゃったらご教授願います。
678 :
675:2008/06/12(木) 23:50:21 ID:VilRXQH80
>>676-677 違う、京都は原爆投下目標にしたいと下の方が言ったが、
陸軍長官のヘンリー・スティムソンが断固拒否した。
彼自身が戦前に京都を旅行して、その文化的価値、戦後統治への影響を考慮したから。
デマなのは、日本全土で文化財を避けるように爆撃した、という説の方で、
京都・奈良自体が爆撃されなかったのは考慮がちゃんとある。
あと、全く爆撃されなかったわけではない(ちょっと被害が出ている)。
それ以外は、名古屋城が空襲で燃えた例にあるように、文化財も一緒に燃やしている。
戦後統治の考慮以外では、東京・神田のニコライ聖堂なんかが
アメリカのギリシャ正教徒の要請と、爆撃用の空中測量の原点になっていたという理由で
故意に爆撃されていない例がある。
>>678 んだな。広島城も縮景園もまとめて吹き飛ばされたしな。
昭和20年の5/29
友人三人と横浜駅東横線ホームで電車を待っていたところ
カラスの大軍の如く敵機来襲
バラバラザザー!!っと焼夷弾の雨
ちなみに友人三人の消息は不明
うちのおじいちゃん談
681 :
名無しでGO!:2008/06/18(水) 22:19:47 ID:hU+2tism0
終戦後、進駐軍は日本各地の主要都市を焼き尽くした空襲の大成果で、鉄道は壊滅しているものと
判断して、自国からわざわざ狭軌用の機関車を持ち込んで揚々と日本に進駐して来たら、
なんと!なんと!壊滅しているはずの鉄道が、汽笛の音色も高らかに動いているじゃありませんか!
これには、驚きとともに「こんなはずじゃなかった」と思っただろうね。
それから、進駐軍が日本に上陸して驚いたのが「この国には、道路というものが無い!!」
ということだったらしいね(米国人の言う道路とは、ハイウェーのことだろうと思うけど・・・)
ハイウェーじゃなくて舗装路かもしれん
国道一号線が帝都から伊勢神宮までの国です
684 :
名無しでGO!:2008/06/21(土) 23:48:52 ID:qaXBoAcH0
国道1号線は日本橋から梅新でわ?
>>684 それは今の話だね。
昔は伊勢神宮までだった頃があった。
勾当台公園駅=栄光駅
広瀬通駅=豊饒農業駅
仙台駅=労働大躍進駅
五橋駅=産業凱歌駅
愛宕橋駅=団結駅
河原町駅=インターナショナル駅
長町一丁目駅=革命偉業駅
長町駅=三里塚駅
長町南駅=統一勝利駅
富沢駅=楽園駅
広瀬川を大同江と思い勾当台を万寿台と思い大年寺〜八木山を万景台と思う今日この頃…
広瀬川を大同江と思い勾当台を万寿台と思い大年寺〜八木山を万景台と思う今日この頃…
と言う妄想もといイメージトレーニングをしすぎて『労働大躍進駅ってどこですか?』と通行人に聞いてしまったではないか!!
687 :
名無しでGO!:2008/06/23(月) 09:45:18 ID:1vqK4VUA0
道でいきなり訊かれたオイラはビックリしてしまったではないか(´・ω・`)
革命を成就するため、我が共和国同志は一丸となって前進あるときに、
笹カマと牛タン喰って喜びながら、四番・山崎のホームランを期待してたりなどという
平和ボケで暮らしてると、憲兵にしょっ引かれて顔がずんだ餅になるほど殴られちゃうよ。
>>687号車
もしや…USダラアか南の円を持って内科医?外貨兌換券か軍票でも委員だが、レートは…
689 :
名無しでGO!:2008/06/23(月) 12:54:00 ID:1vqK4VUA0
軍票なら所持し居るが、この軍票は晴れて満期除隊の暁にショバで流通する円と交換為さしめたあと、
速やかに八木山ベニーランドへ直行の上、ジェットコースターに乗るのを楽しみに貯め居るものであります。
ところで、各地に於いて不要不急路線は「休止」という名分の下、線路を剥がされ居りたると
聞き及びしに、八木山ベニーランドのジェットコースターは休止の憂き目に晒されしや否や?
あの誉れ高き大幹線たる御殿場線も今や単線の地方ローカル線と聞くに、由々しき沙汰と心得居りまつ。
長文ほどアフォw
良スレの予感
age
694 :
名無しでGO!:2008/06/29(日) 12:46:24 ID:Xcjq8bwe0
連合軍専用列車の突発臨に関する話題はここでいいですか?
695 :
名無しでGO!:2008/06/30(月) 11:14:03 ID:vABrkNVZ0
下山事件に関するスレはここでいいですか
696 :
名無しでGO!:2008/06/30(月) 23:30:29 ID:DyoLm4yI0
S.21の103,104レがオロを3両つないでいた、
という話題はここでいいですか?
697 :
名無しでGO!:2008/07/02(水) 01:47:59 ID:HXJIiGnS0
今、浦原利穂氏の写真集を見てる。信じられない位状態の悪い車両が、復興の
ために必死で動いてる様がよくわかる。D52やD51の1000番台なんか、最新鋭なのにヨレヨレ
だもんな。D52は総数285両中、製造後5年以内に状態不良で廃車になったのが56両もあるんだな。
鉄板にまでネトウヨが住み着いてるのかよ
700 :
名無しでGO!:2008/07/02(水) 23:37:27 ID:hL6br7jq0
昭和22年の運用表を見ていると
車両、サボのほかに警乗の運用表まであるんだな。
701 :
名無しでGO!:2008/07/06(日) 10:52:29 ID:3bpvfIfd0
701
線路も爆撃されてヨレヨレ、だが壊されたら修復、ヨレヨレの危なっかしい路線をボロボロの窓も無い木造車両が走る
そして壊されたらまた修復して走らせる
大量の帰還兵を乗せた列車に銃撃を撃ち込まれる、列車は逃げるべくどんどんスピードを上げる、そして炎上しながら走る。悲惨な時代だ。
703 :
名無しでGO!:2008/07/14(月) 08:51:27 ID:GXc1jn2l0
それでも終戦まで鉄道として一応は機能していたんだからたいしたものだよ。
当時の鉄道マンの意地と根性だよな
江ノ電も藤沢での闇市物の取締を避ける為に大勢の人が利用したそうだが、全線でまともに走る車両が2両だけなんて時期も
電動貨車まで動員したというし…
被爆電車で有名な広電の651なんて、よくまあ復帰させたなあと思うよ。
被爆3日後の写真見たらまる焼けしてるじゃん・・・。
>>705 あの車両は車庫だったからほぼ無傷なはず
708 :
わだらん ◆WpsF3VMtwc :2008/07/16(水) 02:03:37 ID:wzCh87A70
こんなに黒こげになって…他の国なら迷わず廃車だよ…にも関わらず復帰して今でも力強く走っている、まるで日本の鉄道いや日本の復興そのものじゃないか、合掌
銃痕なら高尾駅のホーム上家にもあるね。
711 :
名無しでGO!:2008/07/18(金) 22:50:38 ID:H0NcgyBg0
>702
帰還兵が乗っていたのは戦後の復員列車。そのような列車が銃撃されることは
ありえない。用語の使い方は正確にせよ。
712 :
名無しでGO!:2008/07/19(土) 00:05:42 ID:0lZUBaoG0
大阪駅第3ホームは復員用の17両編成でも
ホームをはみ出さなかったらしい。
せっかく無地復員しても列車が事故って結構死んでるね
復員列車&買出し列車の事故がたくさんあった
714 :
名無しでGO!:2008/07/23(水) 21:29:18 ID:ZXoRSNWlO
>>702 空襲の場合には、列車は停車ですよ。飛行機からみれば列車が多少増速しても無意味
トンネルが近い場合は例外だが
716 :
名無しでGO!:2008/07/24(木) 23:50:51 ID:JNtgscjq0
救世軍
社会鍋
傷痍軍人
町の天狗
大阪駅にはいろんな人がいた。
717 :
名無しでGO!:2008/07/25(金) 01:19:32 ID:aVI+KRUg0
母は滋賀県人で、「戦後だいぶたってからでも、草津線には客車が回ってこなかった、
暗くてきたない貨車におしこめられてほんとうにいやだった。東海道線を走る客車がうらやましかった」と申しておりました。
母は草津線石部から草津の病院に通院しておりましたそうです。
718 :
名無しでGO!:2008/07/31(木) 22:45:07 ID:YUoaTWp70
うちのばあちゃんは、親類いないのに疎開地で人気のあった秩父に疎開。
当時は西武線なんてなかったから東上線や高崎線で行ったんだよ。
って話してくれたけど、乗車券購入規制や大混雑などは一切話さなかった。
伝えたくなかったんだろうな。
「(平和な時代がやってきたから)戦争、負けて良かった。」って言った時は
「そんなこと、言うんじゃないよ」って優しかったばあちゃんが怒った。
当時の言論統制が染みついてたんだな。
そうじゃないんじゃないの?
勝つために戦い、死んでいった人がいっぱいいるんだよ。
もちろん、おばあさんの周りにもいっぱいいたはず。
720 :
名無しでGO!:2008/08/02(土) 00:33:40 ID:nMUj7aH40
>718
勝っても平和な時代になる。
721 :
名無しでGO!:2008/08/02(土) 21:17:28 ID:8KwlZBM+0
>>720 勝っていたら、少なくとも今のような外国に舐められた国にはなってなかったと思う。
勝っていたら、日本全国右翼になってたな
下手すると今の北朝鮮みたいになっていたかも試練
723 :
名無しでGO!:2008/08/03(日) 09:24:15 ID:XI+7Xu540
勝っていたら乗り鉄しきれない。
南北朝鮮、台湾、樺太、中国、香港、フィリピン、インドネシア、
マレーシア、ベトナム、シンガポール。
金がいくらあっても足りない。
つ青春18きっぷ
>>723-724 時間が足りない。
それ以上に国鉄(JR)だけでソコまでいけるのか?
朝鮮半島や樺太はいけたみたいだけど。
726 :
名無しでGO!:2008/08/03(日) 18:58:19 ID:ErlFjURK0
つーか、樺太は国有鉄道だけど、朝鮮も台湾もそれぞれの総督府管轄だし。
中国なんて華北交通とかだろ。
727 :
名無しでGO!:2008/08/07(木) 00:37:02 ID:fkzxQM2z0
ウリナラ18きっぷとか発行されていたんだろうな。
で、金剛山電鉄に乗れずにファビョる朝鮮系国民多数w
728 :
名無しでGO!:2008/08/10(日) 21:21:53 ID:h9uCDO0w0
昭和20年7月14,15日に北海道に艦載機による攻撃があり、列車事故が発生し
ている。
1.遠矢ー細岡:臨時工事列車(C58127)
2.春別ー西別(別海):40レ(C1233)
3.稀府駅:307レ(C5154)
4.標茶ー磯分内:臨客(8634)
5.野幌ー厚別:408レ(C5530)
6.東山ー駒ケ岳:54レ(8620?+D51?+貨車+D51?)
など被災しているが人家がないあたりなので逆に目だってやられたのかと
思う。5.6を除いて犠牲者がおり、合掌。
729 :
名無しでGO!:2008/08/10(日) 21:54:10 ID:Wj7s8MwN0
730 :
名無しでGO!:2008/08/10(日) 23:00:05 ID:1crNvLxN0
728です。
>>729 当時、アメリカ軍は空襲の予告をしてその通りに来襲した。日本軍の無力さを
心理的に揺さぶるためでもあった。
それを知った青函船舶の責任者が函館武官府の日本軍に一時的に船舶の疎開
を力説したが敗戦思想だとばかりに聞き入れられず、結局は第7,8青函丸
を除いては全滅となり犠牲者も多数でた。合掌。
当時、日本軍の偏った神風的な不敗思想、傲慢ぶりetcが私的にはそうさせた
のではと思っているが。
20mm機関砲だけで連絡線を撃沈出来るの?
732 :
名無しでGO!:2008/08/11(月) 19:07:36 ID:j6I2b3wx0
北海道南部の国鉄関係の空襲被害に関する聞き取り調査記録をまとめた
「鉄路風雲」という書物に、北海道南部の空襲被害状況が詳細に亘って記録されているよ。
それを見ると、特に動脈の函館本線函館ー大沼ー森ー長万部間の状況が細かく調べられている。
噴火湾沿いに走る函館本線は、敵機から見たら絶好の標的だったような感じだね。
よく輸送船や商船に雨アラレとガンカメラで機銃掃射喰らわしている
映像出るけど、最後に爆弾と魚雷ぶちかましてトドメさすのか
無抵抗な船舶に対して残忍だな
鬼畜米鬼 今に見ていろ!
737 :
名無しでGO!:2008/08/13(水) 20:10:22 ID:6z842sTb0
>>735 昭和20年代となると、日本近海でも艦載機や潜水艦攻撃も多くなって民間
商船も丸腰のままやられて死亡率43%と高かった。
当時の死亡率だが陸軍20%、海軍16%。
外洋に出る事は命がけでもあるし、遺書を残す者も多かったようだ。
738 :
名無しでGO!:2008/08/14(木) 00:48:49 ID:6ilyho090
63年前の今日、京橋駅空襲がありました。
片町線ホームに多数の乗客が避難していたところに
造幣局を攻撃した爆弾の一つが城東線を突き破って落下し
800人以上が亡くなったといわれます。
合掌。
739 :
名無しでGO!:2008/08/14(木) 01:46:28 ID:7pc1YhtV0
うちのじーさんは千葉・船橋から渡船で葛西橋までヤミ米を運んでいました。
憲兵から逃げてきた人間から米を貰いうちの母を育てたそうです。
都電の葛西橋はヤミ米の取り締まりとかはなかったそうです。
祖母は国電日暮里駅でヤミ米の取り締まりがあると三河島駅・北千住駅で
教えてあげてそのまま曳船廻りで渡船に乗せて亀戸・浅草方面に
逃がしたそうです。
都電は検問とかなかったそうな。
都電が運んだヤミ米の話。
どうも話が一部違うと自分でも思っているけどね。
>>737 軍属や技師といった民間人の犠牲者も相当いるんだよな
741 :
名無しでGO!:2008/08/16(土) 09:52:01 ID:66ZUItnT0
日本海新聞か山陰中央新報で読んだけど、
山陰線大山口駅付近でも列車襲撃があったとのこと。
駅で客扱い後、空襲警報により逆戻りして掘割に退避。
しかし敵機の機銃掃射により車内は地獄に…
乗客の多くは高齢者・女性・学生で満員だったそう。
肩が割れた女性や、座席に座った姿勢のまま吹き飛ばされて息絶えた
人など、酷い惨状だったらしい。
当時の情報操作により、緘口令が敷かれ、記録もほとんど
抹消されていたとのこと。
昭和20年の今頃富山県の片田舎では東京に帰るシンジ君に別れを告げる大原君が汽車(D62だったっけ?)を追っかけて
「しんじ〜!!」
「大原君」
♪〜少年時代(井上陽水)〜♪
と戦闘帽でニヤつく漏れ
743 :
名無しでGO!:2008/08/16(土) 22:28:07 ID:jFQ2CSX60
>>741 大山口列車空襲は有名だよ。赤十字マーク付きの病客車が襲撃されているから。
犠牲者が多い列車空襲として有名なのは、あとは中央線の小仏(湯の花トンネル)、西鉄の筑紫かな。
筑紫の空襲も緘口令が引かれたこともあって、乗客の証言がなかなか出てこないらしい。
744 :
わだらん ◆WpsF3VMtwc :2008/08/17(日) 01:09:04 ID:ma+tUoR/0
東海道線守山で機銃掃射による犠牲者が出ているそうなのですが、
どなたか詳細ご教示いただければ幸いです。
機銃掃射のよる襲撃って昭和20年7月から?
機銃掃射に夢中になっている最中に日本軍の迎撃機に撃墜された
馬鹿も居たってね。
>>745 機銃掃射に夢中になっている最中に日本軍の迎撃機に撃墜された奴
↑天誅だよ
>>741 箝口令が敷かれた事よりも、鳥取県は空襲被害が少なくてその被害そのものが最近まで
キチンとまとめられて無かったから記録が残らなかったという面もあるらしい。
だいたい、鳥取県で民間人が罹災した戦災で一番酷かったのは日本海軍による爆発事故
らしいし(鳥取県全体の空襲被害者全部より被害者数が多いらしい)。
その中での大山口の列車空襲は、鳥取県でも有数の空襲被害に当たるらしい。
重要スレ
749 :
名無しでGO!:2008/08/22(金) 09:39:02 ID:rrqNTkG40
中央線湯ノ花トンネル銃撃を記録した「中央線419列車」や、
戦後になるけど八高線多摩川鉄橋衝突事故を記録した「大列車衝突の夏」など、
当時の状況では記録が残りにくい事故などを、後年になって当事者の聞き取り等、
こまめな取材記録で事故の全貌を明らかにしたこれらの文献は、大変貴重である。
750 :
名無しでGO!:2008/08/22(金) 21:10:16 ID:hrArn7+t0
沖縄県営鉄道の軍用列車爆発事故はこのスレですでに語られましたか?。
751 :
名無しでGO!:2008/08/24(日) 10:39:37 ID:0zDwYR4H0
>>743 >>筑紫の空襲も緘口令が引かれたこともあって、乗客の証言がなかなか出てこないらしい。
筑紫駅襲撃事件を出版 戦争の記憶風化させまい 大野城市の坂井さん夫妻
ttp://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/40431?c=210 終戦間際、学徒動員された学生が運転する西鉄電車が、福岡県筑紫野市の
西鉄天神大牟田線筑紫駅で米軍機に襲撃され、100人を超える死傷者を出した―。
戦争の記憶を風化させまいと、生き残った人たちの証言などをまとめた
「筑紫れくいえむ」(西日本新聞社刊)が出版された。
著者は同県大野城市在住の夫妻で、福祉関係の特定非営利活動法人(NPO法人)の
理事を務める元新聞記者の坂井美彦さん(76)と、児童文学作家のひろ子さん(72)。
坂井さん夫妻は「電車を運転していたのは、現代の高校生と同じ世代。若い人が、
戦争の悲惨さを知るきっかけにしてほしい」と訴えている。
(続く)
752 :
名無しでGO!:2008/08/24(日) 10:40:27 ID:0zDwYR4H0
>>751の続き
惨劇は1945年8月8日に起きた。午前11時半ごろ、駅に入ろうとしていた上下線
各1本(それぞれ2両編成)の電車を米軍機が機銃掃射。運転士はともに学徒動員された
旧制南筑中学校(久留米市、現南筑高校)の学生で、両電車には約220人の乗客が
いたという。
ウオーキングが趣味の坂井さん夫妻は1年ほど前、同線沿線に散策地を求め、
インターネットで探しているとき事件を知り、取材を始めた。
しかし、当時、憲兵隊がかん口令を敷いたことや、事件が心の重荷となり思い出したく
ないと口を閉ざす人が多く、証言者を探すのは困難を極めたという。
あきらめずに取材を続けた理由について美彦さんは「私たちも空襲の体験がある。
書き残そうという2人の気持ちが1つになった」としている。
四六判、160ページ、1300円。
問い合わせは西日本新聞社出版部へ
753 :
名無しでGO!:2008/08/24(日) 10:45:41 ID:0zDwYR4H0
>>751-
>>752の関連。
鉄道ピクトリアル No292 西日本鉄道特集 (1974)の記載より
1945(昭和20)年8月8日に 3列車が被害。
1件目
宮の陣付近
上り 212+256 負傷2
2件目
筑紫駅付近
上り 210+220 即死8 負傷数名
下り 102+152 即死56 負傷100 (満員200余の乗客の為らしい)とある。
アメリカのグラマン戦闘機(P-51)数機の5分くらいの間に繰り返し機銃掃射。
終戦近くなので爆撃機以外にも戦闘機も容易に本土に侵入して攻撃が出来た。
なお、ウィキペディアには被害にあった車号は記載されていない。
北海道ってBー29の航続距離から離れているから爆撃空襲の被害って少ないんだよな。しかし、艦船からの艦砲射撃や艦載機の機銃掃射の被害が酷いんだって?
艦砲射撃の被害は函館本線とか?
756 :
名無しでGO!:2008/08/25(月) 02:57:07 ID:mgCDOzZH0
ドレスデン空襲を受けたときのドレスデン市電の様子が気になる。
最後は沖縄県営鉄道なみに壊滅したのだろうか?
758 :
名無しでGO!:2008/08/30(土) 17:10:44 ID:5MKBXtAi0
>>754 室蘭には、国内有数の製鉄所があった関係で、室蘭本線が艦砲の標的になった。
函館本線函館−長万部の沿岸に沿う区間は、交通遮断を狙った艦載機による
機銃掃射での被害が主。
759 :
名無しでGO!:2008/08/30(土) 20:25:34 ID:zU+3uZyC0
>757
なぜかError404になってしまう。
しかし、5日で再開とは広島といい勝負だな。
>>758 艦載機の12mm機関銃でレール破壊できる?
>>760 当たれば破損するんじゃないかな。
ほとんど当たらないだろうけど。
>>758 の言う交通遮断は、本格的に長期間鉄道を止めようというレベルの話じゃなくて、
機関車をチクチクいじめて輸送効率を低下させよう程度の話じゃないかな。
762 :
名無しでGO!:2008/09/01(月) 09:17:52 ID:9L7T0tCA0
>>761 その通り。
北海道南部鉄道空襲の記録「鉄路風雲」にも、当時の長万部機関区員が、
「たびたび機関区が銃撃を受けたけど、可動できる機関車さえあれば、
運転の復旧はそう難しく無かった」・・・という内容の記述がある。
さらに、もし米軍が本気で鉄道破壊を目論むなら、銃撃ではなく機関区等の
要所を爆撃するのが妥当だったろう・・・とも言っている。
おそらく米軍には、北海道内の鉄道が動いたところで、津軽海峡さえ抑えれば、
本州への輸送は途絶したも同然との読みがあったのではなかろうか。
763 :
名無しでGO!:2008/09/02(火) 19:15:33 ID:lY20n6aLO
結局は8月に終戦となったからだろうな
交通遮断作戦も段階踏んでって腹づもりがあったんだろうな
抵抗して本土決戦となったら破壊しただろうが、もしもあの段階で本気で線路あぼーんしたら占領してから困るってのが米軍の本音だったかもな
本当の第2次世界大戦の終結は63年前の今日です。
つーか、病院列車や病院船機銃掃射するってのは
国際法違反じゃないの?
>>765 違反だけど、
日本軍は赤十字船で兵隊輸送したり、メチャメチャだったからなあ・・・。
767 :
名無しでGO!:2008/09/06(土) 00:31:59 ID:WJem0E6S0
>>765 本来は国際法違反。
だが
>>766氏の書き込みの通り、米軍は日本軍が病院船や
赤十字マークを付けた船で軍隊や補給品の輸送を行っているのを
察知していたので躊躇わず攻撃した。
堂々と無制限潜水艦戦をしていたくらいだから、
たとえ日本側が違反してなかったとしても攻撃していただろうな。
鉄道は兵器だ!不要不急の旅行はやめよう!!
770 :
名無しでGO!:2008/09/16(火) 12:47:19 ID:RKgz3Hzb0
>>763 その論でいくと、終戦前日の岩国爆撃で、山陽線岩国は駅・機関区もろとも
完膚無きまでに破壊し尽くされた意味がわからなくなる。
進駐軍にとって、日本に進駐した際の東海道・山陽線は大事な輸送ルートの筈だが・・・・
>>770 まあ、末端まで完全に軍統一の意思が行き渡らないという
ことでもあるだろう。ある意味「優秀」であるはずの米軍でもな
(それ以下が大部分の他国の軍隊・・・)
どっかで読んだけど、終戦後の山陽道は道路が劣悪すぎて、
瀬戸内海の砂浜でも走った方がいいという記述をみた覚えがあり、
そういう意味でも鉄道は重要であったはずだろうが、
電化鉄道ではなかったせいもあり、復旧は容易だったのかもな?
772 :
名無しでGO!:2008/09/16(火) 23:54:51 ID:RKgz3Hzb0
岩国の場合は、鉄道施設内に大型爆弾が数百発も落とされ、
線路はもとより、ホームまで原型をとどめないくらい破壊され尽くしたらしくて、
記録には無いけど、仮復旧までも相当日数を要したらしい。
作家の一色次郎が終戦から数ヶ月後、岩国を通ったときは、駅構内は一面、爆弾でできた
大きな穴だらけで、どこがホームでどこが駅舎かもわからなかったという記述が自著にある。
(D51-500号機は岩国で被災し、動輪を上に向けて転覆大破・・・と言う記述も
原田勝正教授の著書に書いてある)
773 :
名無しでGO!:2008/09/18(木) 09:01:09 ID:6kUWxPU40
>770
広島に原爆落としたし、中国地方は山陰ルートで運ぶつもりだったんじゃないの?
>>772 それはそれで酷いな。
鉄道爆撃被害の実験でもやったのではとか推測もできそうだが。
隣りの広島で初めて原爆落としたみたいにな。
鉄道幹線を爆撃しても次の日にはしれっと列車が走ってて米軍が驚いたとか
いう話もあるし。
775 :
名無しでGO!:2008/09/19(金) 23:23:14 ID:gsGXqHsH0
運転を>772
岩国が爆撃されたことは事実でも、その1〜2日後には復旧して(応急的に
線路をつないだだけだろうが)運転を再開したはず。以前、日経の私の履歴書で
磯崎叡(元国鉄総裁)が終戦の翌日、急行(当時1往復しかない東京下関の急行)
に広島から乗ったらほぼ定刻に走り、東京に着いたとあった。この列車は下関発
だったはずで、そのときには復旧していたことになる。山陽線は1945年9月の枕崎
台風による被害のほうが大きく、各所で寸断され、復旧に1ヶ月以上かかったという、
これには占領軍も困っただろうな。
大量に輸送船を持ち込めただろうから瀬戸内は海運と考えていたとか?
浮遊機雷で大変だったかもしれないが。
777 :
名無しでGO!:2008/09/27(土) 09:10:20 ID:eppgtIi30
劣悪な戦時輸送下にあって、国鉄の中で真っ先に輸送に破綻をきたし始めたのは山陽線だったとか。
姫路、岡山等の操車場の整備が戦時下で遅々として進まず、輸送量は日々増大するにも関わらず
輸送力はどんどん落ちていき、さらに東海道線に次ぐ空襲被害を受けて満身創痍だったらしい。
当時の山陽線は、列島の動脈ルートでありながら東海道線より設備面で劣り、
輸送能力は他のどの路線よりみるみる低下していったと、何かの著書で読んだことがある。
「国鉄空襲被害記録」を見ると、8月14日の岩国爆撃では、
山陽線神戸起点○○km〜○○km間の岩国構内の各鉄道施設(駅本屋、ホーム、線路、機関区、
その他の付随施設)は炎上大破、その機能を完全に失った ・・・・という記述がある。
ちなみに、復旧のために集められた資材(線路37kgレール○○m、枕木○○本とか)の記録が
あるけど、復旧日時は不明とある。
山陽線が問題になったのは、普段は瀬戸内海の海運にかなり流れていた貨物が
船舶喪失と機雷封鎖の影響で一気に鉄道に流れてきたからですな。
同様に北海道炭の輸送が室蘭や苫小牧から船積みして関東へ持って行けなくなって、
青函連絡船・函館本線・室蘭本線の輸送が逼迫していた。
779 :
名無しでGO!:2008/09/30(火) 09:32:42 ID:t3ZYI4R90
船舶輸送の破綻から、北海道炭輸送が鉄道に転嫁してきて、
それに伴って、東京側の受け入れ基地隅田川貨物駅の機能逼迫と空襲被害を考慮して
常磐線内原に石炭受け入れの操車場が、昭和18年に着工して翌19年に完成したけど、
まもなく終戦で、操車場として機能することなく戦後の昭和24年に廃止されてるんだよね。
780 :
名無しでGO!:2008/10/02(木) 21:03:10 ID:B6DTsaqr0
戦後は豆電球のようなものでも前照灯代わりに使っていたようだけど、
戦中の灯火管制の時はどうしてたんだろ。
前照灯のほか信号なども。
真っ暗なら停止位置もわからないわけで。
>>780 当時でも東海道本線は既に色灯式自動信号機だったらしいけど、
動かし続けるのは何が何でも重要であるとして、
名古屋駅にあった信号用変電所の要因は名古屋が空襲を受けている時でも
避難が許されなかった、っていう話を読んだことがあるな。
ということは、空襲下でも信号機は付けてたんじゃないかな。
列車は、敵機が近づいてきたら照明を消して運転中止ではないかな?
782 :
名無しでGO!:2008/10/04(土) 01:59:00 ID:EVoj3AA90
脇翁の本では、(現在の北九州市)八幡は厳重な灯火管制で
本当に真っ暗だったとあるから、暗黒の中を列車が走っていたのかな?
停車場間一閉塞の双信ブロック閉塞にすりゃ何とか信号機消灯できるかな?
設備自体は残ってただろうし
784 :
名無しでGO!:2008/10/06(月) 00:51:34 ID:ZYDnt64m0
よく昭和20年8月15日にいっせいに朝鮮人の態度が豹変したかのように言われているが本当なのか?
玉音放送聴いたとたんに一等車に乱入してただ乗りしたり、駅のつり銭を強奪したり、女子車掌を便所に引きずっていって強姦したりしたとかいう感じだったのだろうか?
785 :
名無しでGO!:2008/10/06(月) 01:35:27 ID:2Gv7HqE7O
姫路城とかよく空襲受けなかったよね?
姫路の街は空襲されてるのに
20年の姫路空襲の翌日播但線和田山行がグラマンにやられて多数の
死傷者が出た。アノ当時は木造車だったから余計に酷かったらしいが、
鉄道マンの村の青年から「機関車の動輪が撃ち抜かれていた」と聞いて
正直ブルッタ。(敗戦近くにはF6Fヘルキャットが来たから)
当時は8620の時代だったが、姫路で焼け出された人々が奥播州の縁者宅
や郷里へ逃げ帰るのに多数乗車していてやられたのが悲惨。
>>784 当時は1等は使用されて居なかった(2.3等)。
機関車の動輪が…といったらC56 111
主連棒を撃ち抜かれた
雄別の1001も撃ち抜かれこそしなかったものの、損傷があって自力運転不可になったとか
788 :
名無しでGO!:2008/10/06(月) 20:28:19 ID:ZYDnt64m0
>786
THX
戦時体制で1等は使用せず、か。
>>785 姫路城も空襲されたんだけど、奇跡的に不発弾だったみたいですね。
名古屋城は焼けちゃったし、広島城は吹き飛んじゃったしね。
鬼畜米英は永遠の合言葉
今でも「鬼畜米」だろう。沖縄始め米軍の婦女子強姦は後を絶たず、敗戦国の
国民の税金から何時までも「思いやり予算」をボッタクル。
サブプライム事件で全世界経済恐慌に陥れているし、その尻に引っ付いている
日本も情けない。お人よしなのか大馬鹿なのか「東条並の世界知らず」政府。
793 :
名無しでGO!:2008/10/11(土) 09:07:47 ID:VnSCp+hl0
>>792 「鬼畜米英」という語句なら、死語として認識しているけど、
『鬼畜米』と「英」を取ってしまうと、
最近世間を騒がしている「事故米」を思い出してしまうよね( ^ω^)
794 :
名無しでGO!:2008/10/11(土) 18:21:24 ID:5AHWFp230
>>792 思いやり予算は日本から頼んで払っているんだけどな。
費用対効果からすればかなりお得な上に、もう米軍は
日本無しにいられないカラダにw 外交施策の中では
上出来なんだよ。韓国なんか勝手に撤退されちゃったじゃん。
金丸が本音を晒して大変なことになったこともあったな。
別にアメリカさんを庇う分けじゃないが、失われた10年の
時は欧米から日本のお陰で景気が回復しないと文句言われ
まくりだったんだがね。
795 :
名無しでGO!:2008/10/11(土) 21:10:02 ID:A9GkPulW0
>784
1945.8.15正午の玉音放送と同時というわけではないが、チョン・チャンコロなどの
三国人が威張り始めたのは9月くらいから、マッカーサーがやってきて、日本政府が
GHQの管理下におかれ、警察力もたいしたことなとわかってきてから。
彼らは組織的買出し部隊を作り、列車や電車に切符など買わず、勝手に乗っていた。
朝鮮人連盟なる組織を勝手に作り、その会員証を見せれば列車・電車にタダで
乗っていいと勝手な理屈を作って、無賃乗車していた。超満員の夜行列車にも
勝手にただで乗っていた。1946年10月、GHQは朝鮮人連盟発行の証明書での無賃
乗車を禁止するお触れをだしたが、出札や改札でのトラブルはその後も続いた。
だから、一般の日本人の朝鮮人などいわゆる三国人への嫌悪感情はその後も
長く続いた。
>>795 一瞬、「フリーウェイクラブ」のように見えた >改札強行突破
アメリカの兵隊を思いやる金があるなら日本の兵隊を思いやれよ と思いしかしアメリカ(ピカ保有国)を利用して…と小一時間
しかし…省線24時間制導入を忘れちゃならんよ
24時間制は昭和17年の関門トンネル開業の時刻改正からだろう(内地)。満鉄
がそれ以前からやっていたのは関東軍の命令か?
それまでの時間表は午後が「太字」だったな-でも鉄道24時間制俺は賛成だ間違い
が少ないから‐‐‐‐‐‐‐‐然し「午前」、「午後」に一般は戻りつつある
みたいだな。
続レスでスマソ:
思い出したが戦時中の「列車隣組」制度。「ロ」の長距離客(男)が検札の時に
カレチから強制的に指名され、「弁当購入券配布」、「車内の整理」、「座席
譲り合い勧告」などやらされていた。テイの良い「カレチのさぼり」---
昭和19年に507レに須磨から金沢まで両親とオロ31に乗車した時に大阪‐金沢間
で青森まで行く客が「指名」されたのを見ている。「列車隣組」の細長い旗が
組長の座席上の網棚からぶら下げられていた。
>>799 なかなか良い制度じゃないかと思った俺ガイル
>>799 ってか、あなた何歳?
30代の俺の親でさえ戦中・戦後生まれだぞ。
802 :
名無しでG0!:2008/10/13(月) 10:24:00 ID:s+QLf5LK0
803 :
名無しでGO!:2008/10/13(月) 11:14:30 ID:Y1fwtxZsO
宮崎だったかの本で従卆やら副官連れた少将が組長て話があったけど。
あの頃のロの客なんて公用の陸軍将校か海軍士官ばかりなんじゃないか?
>>802 いや、俺の親よりも相当若い文脈だったから
聞いてみただけ。
805 :
名無しでGO!:2008/10/13(月) 18:42:47 ID:EiKKWFtJ0
>>803 当時は立ちっぱなしを避けるため、お金とツテのある人はコネで
2等乗車券を手に入れていたんでしょ。
将官の家族やそれなりの家柄の人は3等には乗らなかったそうだし、
軍需景気で工員や軍港関係者の懐が温かかった時代だから
にわか成金も乗っていたんじゃない? 軍需や基幹産業の偉いさん
だったら視察とかの名目で切符を手に入れていたわけだし。
806 :
名無しでGO!:2008/10/13(月) 18:56:18 ID:mmzfl3X80
>>268 永井荷風先生の「断腸亭日乗」の8月15日の記述に津山の谷崎潤一郎の
避難先から岡山に行くときの記述。(岩波文庫版より)
「鉄道乗車券は谷崎君の手にて既に購ひ置かれたるを見る。(中略)
停車場に至り、午前十一時二十分発の車に乗る。(中略)午後二時過
岡山の駅に安着す。(中略)S君夫婦、今日正午のラヂオ放送、日米
戦争突然停止せし由を公表したりと言ふ。」
また途中で新見駅にも乗り換えていますが特に玉音放送のため汽車を
停めてラジオを聞かせるという記述がなくS(菅原)君夫婦より敗戦を
聞いたとあります。
玉音放送している最中も汽車は走っていたという一つの証拠ですね。
>>786 >>787 あの厚い鋼鉄の塊も撃ち抜く!?
恐るべし12mm機関砲!レールも当然破壊出来ただろうな
船舶ですら撃沈できる威力だし
808 :
名無しでGO!:2008/10/13(月) 20:07:12 ID:smo5OGLhO
>>807 ただでさえ初速が早い上、飛行機の速度が加わるから威力大
しかし戦争末期となると、艦載機の脅威もバカにならなかったようなので、午後4時以降の列車がオススメだったらしいと聞いたが。
アメリカの艦載機は夜間営業はしないようだったので
>795
なんか様子見て安全なら行動って卑劣なやつだな。
はだしのゲンの「6等国民」って連中自身のことじゃないか。
買出し部隊とあるけどどうせ買出し先でも金は払ってないんだろうな。
>796
発想はフリーウェイクラブと大して変わらないw
湯の花、大山口、筑紫・・・
都立中央図書館で「中央線419列車」って本を読んで
湯の花トンネルの惨劇を知った。
平成のこの時代になっても平和で落ち着きのある浅川の
山裾でこんな悲劇があったとは・・・
疎開地としては埼玉県秩父が人気だったらしい。
疎開先では冷たい扱いを受けたという話をよく聞くが、
うちのばあちゃんはよくしてもらったみたいで、
亡くなる直前まで秩父でお世話になった人に会いに行っていた。
当時は東上線か高崎線+秩父線で行くしかなかったのが
池袋から西武線で直通で行けるようになったのが夢のようだったとのこと。
813 :
名無しでG0!:2008/10/14(火) 11:06:02 ID:j2XrlTpg0
>>803,805
軍人優先に急行の「ロ」を発売して居ただろうが一般客も乗車出来た。
19年になると亜幹線は急行がなくなりドン行ばかりだったから軍人優先
もなにも無かった様。
>>808 艦載機が来襲しだしてから9.00-15.00ぐらいが危険だった。尤もF6F,F4F,
F4U等はレーダー持たないし、機動部隊は移動して居るから夜になると「帰還」
出来なくてドボンになる。運悪く敗戦前の頃は「陽が長くなる」夏だった
から日本上空での滞空時間が長くて被害が大きかった。でも落下増槽つけて
来てもそう長くは戦闘行為を続けられなかつただろうが。
戦後は車内灯も碌に灯らず窓は板張りで、真中に10cmx20cmぐらいの
ガラスの覗き窓で昼でも暗かった。
オハ35やオロ40の車内灯が妙に灯らないと思ったら、闇米屋(担ぎ屋)が
ブラケットの中に米を隠していた。あの金魚蜂型が隠すのに適していたらしい。
機銃掃射対策に屋根とかボイラーとか装甲で防御した機関車があったらしいけど
知ってる人いる?
>>816 結構前にネットで我が長町機関区で竹の装甲を…ってのを見た事がある
818 :
名無しでGO!:2008/10/22(水) 14:36:20 ID:fx7iLd2D0
機関車に多少の装甲を施しても、機銃弾の前にはたいして効果は無かったと思われる。
(機関車のボイラーですらやすやす貫通させられるほどの威力なわけだから)
実際には、正面からの防御ではなく、
機関車を掩体壕の疎開させたり、迷彩塗装を施したり、木などで擬装したりして
敵機の目をごまかす手段の方が主だったのではないかな。
819 :
わだらん ◆WpsF3VMtwc :2008/10/22(水) 23:45:15 ID:lVjMxzO50
7月30日の守山のグラマン機銃は16時過ぎだったそうな。
太平洋戦争中の、戦闘機の日本のゼロ戦とアメリカのグラマンなどを
比較した番組があってるのをみたが、戦争当初はゼロ戦は性能が優秀で
向かうところ敵なしだった。
だがその後、工業力やらの差で、特に乗員保護面を全くといっていいほど
改良できなかったゼロ戦は、優秀なパイロットをたやすく失うこともあいまって、
日本の空軍力は急速に弱体化した。
それに特攻みたいに、人命を軽く見てた時代。
兵器でもない鉄道車両の空襲に対する直接防御など、
全く考慮されなかったに等しいと思われる
てか、鉄道車両に耐弾性とか求める国なんてどこにもないわな。
零戦の例を持ち出してくるのは、ちよ牽強付会ではないかな?
鉄道は兵器だ
823 :
名無しでGO!:2008/10/23(木) 01:09:18 ID:ybCuUDTQ0
>>820 書いてあることに間違いはないけど、当時の状況の認識に一部かんちがいが
あるかと。
工業力と資源が無い国情から、長期間の消耗戦を想定した軍備じゃなかった
このことが防御軽視の思想に大きな影響を与えている。
大きな戦闘に戦力を集中して、勝利してあとは講和に持ち込む。
これが日本の基本的な方策。なのに初期の戦果に酔って戦線を拡大して
自分から戦力の逐次投入の愚を繰り返して、負けたわけ。
かなりの犠牲は最初から覚悟していたのであって、因果関係が逆なのよ。
で、鉄道も長距離爆撃機による本土空襲くらいは想定していたけど
敵の戦闘機が低空で自由に飛び回るような状況は想定していなかった。
だから関門海峡はトンネルにしたり、二俣線を作ったりしたけど
銃撃なんか考える必要が(本来は)無かった。
>>819 トカホセの守山か?
7月30日では陽も長かったし敗戦直前でアメ公の機動部隊が相当本土に
接近したのだろうな。F6Fなら硫黄島からでも落下増槽つけて飛んできた
だろうし、そういえば7月に加古川の高射砲連隊(現播磨化成工場)が
F4U(コルセア)に銃撃されたのを防空壕の入り口から覗いていた。
(故障が多い機種らしく途中で機銃故障か弾切れか銃撃止めて反転した)
近くに神野弾薬庫(現刑務所)や加古川線、山陽本線があったがそのときは
列車被害は無かった。只元播丹鉄道買収の片ボギーが戦災廃車‐‐‐多分
そのときに車庫でやられたらしい。
>>824 硫黄島から来るんだったらP51でしょ。
F6Fは艦載機だし。
P51だったか?加古川辺りでは一寸見かけた記憶が無い。F6Fでも硫黄島を
利用したかもしれないし?航空機には暗いのでね。
でもゼロ戦でも20mmを持っていたしF6Fは18.5mm??動輪を打ち抜く
よな。
827 :
わだらん ◆WpsF3VMtwc :2008/10/24(金) 22:39:06 ID:7Y20lcpb0
>>824 守山市史他を読むと、グラマンだそうだ。
とはいえ、市史他すべて一般市民の目撃証言によるものなのではっきりはしない。
ちなみにこの日の艦載機は午後大津の兵営あたりを攻撃した帰りに
守山で列車に対する機銃掃射をしたようで、列車を追いかけていたらしい。
828 :
名無しでGO!:2008/10/24(金) 23:11:38 ID:K2SF9Rq9O
か
グラマン・P-51を撃墜してパイロットのアメ公を市中引きずりまわしの刑にしたかった
830 :
名無しでGO!:2008/10/27(月) 18:05:30 ID:WoWBU2Rj0
そういえば、
不時着したB29の乗員を地元民が虐殺したのを聞いて、
「可哀相に・・・」と言ったお婆さんが、
憲兵隊にしょっ引かれたとかいう話があるよね。
>>826 12.7ミリM2機銃だよ。徹甲弾は20oの装甲板も打ち抜くから、軍艦や装甲車両からも恐れられていたね。
>>831 掠っただけでも肉が抉り取られる(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
>>831 実験では日本刀は6発まで弾を真っ二つにしたらしい。7発目で砕け散った。
石川五右衛門
836 :
名無しでGO!:2008/11/04(火) 17:37:57 ID:H4+oHUsu0
空襲が頻繁化した終戦間際の頃は、防空対策のため機関車に迷彩塗装を施した模様だけど、
鉄道は機密に属するだけあって、その記録写真はあまり見かけない。
だいたい、機関車に限らず戦車、戦艦等の軍事兵器等にも施された迷彩塗装は
実際に防空対策上、効果があったのだろうか?
>>836 本当にきちんと迷彩すると全然分からなくなるよ。
北大西洋でUボート対策で考案された護衛艦の迷彩なんか、
見えなさすぎて友軍同士の衝突事故が多発して中止されたほど。
鉄道の場合軌道があるから迷彩施したところで…
はっ!列車を軌道と同じ色に塗れば気付かれ難くなる…の…かな…?
尿糖値高い兵庫県尼崎市のHNだよ。狂犬の戌歳とかだが
余り酷いので某会から「村八分」を食らって、他の会員に嫌がられ
某会のスレを伸ばしている
自ら「個人情報をBBSで公開」していた事に気が付かないアフォ
840 :
名無しでGO!:2008/11/12(水) 09:15:14 ID:4JjtjsnQ0
軍部は、電化鉄道は空襲に脆いとかの理由で、鉄道の電化には消極的だったと言われるけど、
実際の空襲の記録を見ると、大都市圏の国電や都電、市電などの復旧は驚くほど早いよね。
841 :
名無しでGO!:2008/11/18(火) 23:56:21 ID:CYoOIo6w0
学徒動員の運転士・車掌の最年少って
いくつくらいだったんだろ?
空襲下の退避など恐ろしかっただろうに。
842 :
名無しでGO!:2008/11/21(金) 10:56:04 ID:w37S+9DM0
人員不足により国鉄各所に動員された学徒は、下は14〜15歳くらいじゃなかったかな?
今の中学生くらいの年齢だね。さすがに学徒に運転士はさせなかったと思うけど、
駅務手には、そのくらいの年齢の女の子が大量に配置されたみたいだね。
(戦時中の手記を収めた出版物には、この当時、駅に勤労動員した女子学徒の回顧録を多数見かける)
ちなみに、終戦数日前の成東駅空襲で、爆薬積載の貨車が攻撃を受けて爆発して駅構内が吹き飛んだ際に、
それに巻き込まれた駅務係の女子学生が多数亡くなってるね。
843 :
名無しでGO!:2008/11/21(金) 23:48:52 ID:7sjmCz/Y0
西鉄大牟田線は久留米市の南筑中学の生徒が運転士をやったらしい。
高速鉄道としては日本唯一の例だとか。
既出の「筑紫れくいえむ」に記述がある。
844 :
名無しのゴンベイ:2008/11/22(土) 07:25:56 ID:1EoNHOmq0
戦争末期や敗戦直後の超満員列車には女性もたくさん乗っていた。他に手段が
ないからね。みなモンペ姿でオシメをして乗った。停車駅では女性はホームの
すみでしゃがんでお尻をだしてオシッコ、当時は日常茶飯事の光景だった。
ただ、みな空腹で男どももそんな光景をみても、なんの感慨もなかっただろう。
>>842 当時の空襲を物語る石碑が成東駅舎の外にありますね
米艦載機グラマンによる空襲で、無数の射撃を受け今も弾痕が残るとかで
常磐線・東武伊勢崎線などに出没するDQN工房、チンピラヤンキーに機銃掃射喰らわして欲しい
F−16で
847 :
名無しでGO!:2008/11/29(土) 13:05:21 ID:yJTH4MOh0
機銃掃射喰らったら、全身蜂の巣か、手足や頭など吹き飛んでしまうよ。
恐ろしや・・・恐ろしや・・・
劣化ウラン弾のバルカン砲で撃ったら・・・
849 :
名無しのゴンベイ:2008/12/04(木) 22:16:25 ID:4o9BbFT50
敗戦直後の冬の夜行列車、ガラスがなく窓に板が打ち付けられている。冷たい冬の
風と蒸気機関車の煤煙が容赦なく吹き込む。室内灯は2箇所くらいで今の感覚では
ほとんど真っ暗に近い。そんな超満員列車に人々は震えながら乗っていた。
もちろん暖房などあるはずない。
それでも、どんなに寒くても途中では誰も降りない。しがみつくように乗っていた。
どんなことがあっても目的地に行かなければならなかった。途中で降りても、
そこで食にありつくことはまず不可能。そんなものはどこにも売っていない。
売っていたとしてもヤミで法外な値段を要求された。
携帯のフォント設定を手書き文字にしてるんだが、このスレを見るときは通常文字にしようと思った。
851 :
名無しでGO!:2008/12/06(土) 16:27:21 ID:vyNdOIi40
>>849 そうやって苦労して田舎へ出向いて、手にした闇物資をリュックに大事に携えて
帰りの汽車でも同じ苦労を味わいながら、ようやく家族の待つ東京を目前にした途中駅で、
列車が臨時停車すると同時に、官憲が車内に乗り込んできての一斉臨検で、
乗客が大事に大事に携えてきた明日の命をつなぐ貴重な物資が次々押収されていき、
途方に暮れる乗客であふれかえる幹線の主要駅・・・・・・
それは大宮であるとか、松戸であるとか・・・・・
852 :
名無しのゴンベイ:2008/12/06(土) 22:20:48 ID:QM8Vmg3z0
>849、851
急行がなく、直通普通列車が各幹線1往復しかなかったのは1947年1月から4月
の時期だが、その間の1947年2月、青森発常磐線経由上野行き202列車を松戸で
警官隊が急襲し、ヤミ米摘発を行った。その当時のニュースフィルムを見たことが
あるが、C57牽引で板張り窓のスハ32が連なっていた。摘発はとにかく容赦がない。
構内にはモハ63が止まっていた。
853 :
名無しでGO!:2008/12/08(月) 21:19:26 ID:h8RlR2wD0
>>851>>852 俺が一番気になってるのは、その後の食糧の行方。
やっぱり警官どものエサになったのか?
854 :
名無しでGO!:2008/12/13(土) 15:38:37 ID:NRkIFEpV0
いつの時代も、役人が役得で上前をはねる行為は常識です。
それは現在でも、各官庁による居酒屋タクシーなんかを例に取ってみても明かな事実。
ちなみに、終戦になると同時に雪崩を打ったように兵隊が我先に軍の物資を横領して復員し、
隠匿していた軍の物資がすべて失われたなんて事も、全国各地で起こったらしい。
さすがに東京では空襲の跡が残ったような鉄道構造物はもうないかな?
856 :
名無しでGO!:2008/12/21(日) 19:54:46 ID:H4PuXaxF0
>>855 銀座線銀座駅で爆弾で穴が開いたんで補修したところとか・・・。
首都圏で見れば、機銃掃射の跡とからなら、鶴見線沿線にあるけどなあ。
858 :
名無しでGO!:2008/12/23(火) 18:59:01 ID:62aMFZho0
860 :
名無しでGO!:2008/12/29(月) 16:33:35 ID:t4dt7xHs0
銀座空襲では、国鉄有楽町駅が爆撃を受け、山手線の高架が爆弾貫通して破壊され、
改札口下に避難していた多数の乗客が圧死しているね。
有楽町にはその爆撃の痕跡なんてもう無いんだろうね。
861 :
名無しでGO!:2008/12/31(水) 12:40:28 ID:GhlJBfsb0
戦中から終戦直後の機関車には、速度計がなかったらしい。
そんな機関車を、速成の未熟練の若い機関士が、
客車の車体が沈むほどの定数をはるかに超えた列車を
運転するような極限状況だからこそ、八高線事故などの
大事故が頻発したのだろう。
しかし名古屋駅の階段の蓄光ブロック、よくぞ現代に残ってるね!
一番東京寄りの7-8番線階段と3-4番線階段。
(3-4のは下層部にブロックが無いのだが、当初からのようにも見え詳細不明)。
一番上と二段目に無いのはホームが嵩上げされてるからです。
863 :
名無しでGO!:2009/01/08(木) 09:40:31 ID:IXiRXpAM0
よく終戦直後の買い出し列車の写真で、
屋根にまで乗客が鈴なりの光景が写ってたりするけど、
走行中に振り落とされたりしなかったのだろうか?
しかもトンネルのある区間などは、
あまりに危険すぎると思うんだけど・・・・・
>>863 インドかインドネシアあたり行ってこいよ。
実際どんなもんかわかるから。
>>863 加減速が現代の列車の比じゃないし、整備の行き届かない時代背景もあり最高速度も遅かった
まぁ、だから安全だった、と言うわけでもないが
866 :
名無しでGO!:2009/01/09(金) 08:45:41 ID:IUl62bjh0
でも写真なんかを見ると、駅の跨線橋あたりにぶつかりそうな感じがするんだけどね。
さすがに電化区間では、屋根に乗る強者はいなかったんだろうとは想像するけど・・・・・
868 :
名無しでGO!:2009/01/09(金) 16:17:08 ID:Agh8HyzZ0
>>866 屋根の上に乗って感電して運転見合わせになることも時々あったらしい。
勿論感電した人は御釈迦…
>>863 山科のトンネルでは時々乗客が転落する事故が起きていたそうだよ。
当時は祟りではないかと思われていたが、調べてみると機関車が煙を
多く吐く、上りトンネルでのみ起きていたとのこと。
870 :
869:2009/01/09(金) 23:22:55 ID:67gykRdz0
上りっていうのは上り勾配のことね。上り勾配が本線の上り側なのか
下り側なのかはわからない。詳しい人ヨロ
http://hokuso.com/minwa/html-minwa-07.html (上記サイトより抜粋)
「はたして、本当に煙が原因なのか、それとも幽霊の仕業なのか、電化され
てしまった今となっては、解明するすることはできない」
と控えめに書かれているが、これは断言していい。煙が原因である。
まず上り列車にだけ事故が発生している点、これは上り線が東山トンネル
内では10‰の上り勾配になっていて、前述の通り煙が列車にまつわりつき
やすいからだ。逆に下り勾配の下り線の場合は機関車が絶気で降りて行く
から全く問題ない。また東山トンネルは上り下りがそれぞれ別の単線に
なっていてトンネル断面がかなり狭かった。生野トンネル事故の場合と状況
が非常によく似ているのである。
872 :
869:2009/01/10(土) 02:26:22 ID:143kgbRP0
>>871 それだ、アリガトウ!そのHPで見ました。
873 :
名無しでGO!:2009/01/17(土) 14:50:30 ID:NZtAavAT0
トンネルでの立ち往生といえば、終戦数日後の肥薩線第二山神トンネルでの逆行事故が思い浮かぶ。
たしか死者49人くらいじゃなかったかな?
D51の重連だったそうだね。いくら定数オーバーとはいえ、D51重連で
上り勾配を上り切れないというところに、当時の恐るべき石炭の質の悪さが伺える。
874 :
名無しでGO!:2009/01/22(木) 15:50:41 ID:1tgEjyvT0
トンネルといえば、終戦数日後に、日田彦山線でトンネル内に備蓄していた
旧陸軍の弾薬を運び出す際の不手際で、大爆発を起こして山が吹き飛び、
山上の村が壊滅したとかいう事故もあったらしい。
二又トンネル爆発事故か
>>874 運び出すんじゃなくて、中でそのまま燃やしてしまおうとしたんだよ。
もう1つのトンネルの方は問題なくそのまま燃えてくれたんだけど、
二又トンネルの方は空間充填率が高すぎて爆発してしまった。
ちなみに燃やす指示を出したGHQの士官は解任されて本国送還処分だった。
877 :
名無しでGO!:2009/01/23(金) 00:11:09 ID:OYjpnwep0
>>876 >>運び出すんじゃなくて、中でそのまま燃やしてしまおうとしたんだよ。
二又トンネル爆発事故の犠牲者が思った以上に多かったのは、
通常の弾薬以外にも、どの部隊が先達したかの印である
何色もの識別弾もトンネルに放り込んでいて、トンネルの坑口から
赤や青、黄などの炎がシューッと断続的に出るのを見物に行った人が多数いたから。
878 :
名無しでGO!:2009/01/24(土) 10:47:51 ID:6fBQabFc0
トンネルというと、終戦間際の空襲が頻繁化した頃は、
トンネルが多い山岳区間の機関士より、海岸沿いの平坦線を運転する機関士の方が
相当、神経をすり減らしただろうね。
空襲の際は、トンネルに逃げ込むように云々という指示が出ても、トンネルの全くない
空から遮蔽するものが何も無い平坦区間を運転するときは、かなり肝をつぶしたと思うが。
879 :
名無しでGO!:2009/01/29(木) 20:19:43 ID:2FQAYvn90
そういえば、イスラエルの鉄道はリアルに戦時中なわけだが、運行状況はどんな感じかな?
>>879 被害なしでしょ?ハマスのロケット弾だって飛んでこないし。
それより、ユーゴ戦争の方が悲惨だったな。
>880
市電の車両が骨と化した写真を見た様な記憶がある。
ザグレブなのかベオグラードなのか覚えてないが。
鉄橋上で糞納豆軍の誤爆?で破壊された列車は生々しかった@ユーゴ空爆
883 :
名無しでGO!:2009/02/09(月) 13:27:32 ID:UeZ4u0wz0
何かの記録写真集で見たんだけど、
大阪空襲時に、鉄橋上で被災して全焼して骨組みだけになった阪神電車の写真があったな。
このような場合、乗客は鉄橋上を伝って退避したのだろうか?
884 :
名無しでGO!:2009/02/09(月) 20:57:25 ID:e5PjjQne0
連合軍専用列車があった。
日本人には羨ましかった。
鬼畜米も特急用客車だけは空襲しなかったのは、
戦後接収して自分専用にするためだったんだよな。
鉄道インフラだって壊滅するほど破壊しなかったし。
腹立たしい。
>>885 そういう 余裕 がある相手を敵としてしまった、ということで・・・
いや、単に特急全廃されていたからそういう客車は
地方路線に避難させられていただけでしょ。
あと、京成上野のトンネル内を改軌して持ち込んで、
運輸通信省の事務所にしていたらしいし。
鉄道インフラはあれでもかなり破壊したつもりだったらしいよ。
888 :
名無しでGO!:2009/02/16(月) 16:32:49 ID:DMhXCIxU0
戦後、悠々と本土に上陸してきた進駐軍は、曲がりなりにも国内の鉄道が
動いているのを見てかなり驚いたらしい。
米軍側の読みでは、終戦間際の本土空襲作戦においては、
集中的に鉄道破壊攻撃を行わずとも、都市空襲によって国内の鉄道網も完全破壊されるだろうと、
甘い見方も多少はあったと思う。
原爆投下の3日後に広電が動き出すなんて、全く予想できなかっただろうな
宮脇俊三さんの本にもあったけど、東京大空襲の後も運転再開は早かったみたいだしな。
そういや、8月14日の京橋駅被災の復旧はどうだったんだろう。
城東線と片町線の交差部分に直撃したらしいけど。誰か情報持ってない?
>>890 鉄道ファンにホームがガタガタの京橋駅に停車してる電車(もちろん営業運転で)の写真はあったが・・・。
内田百閧フ「東京焼盡」では、空襲で焼け出された女性が知人の庭の仮住まいから
なおも会社に勤めに出ているような記述もある。
当時の状況、想像の及ばない部分があるね。
知り合いの親父がが東京大空襲後すぐに総武線に乗って東京に向かったら
ほーんと一面焼け野原の中を電車が走ったとか言ってたな
>>892 ほんと今の感覚から考えたらありえんね。
また宮脇さんの本だけど、電車ん中で「うちはこないだ焼けてしまってね」「うちはまだなんです。すいませんねぇ」
みたいな会話がされてたって話があったな。
非日常が日常とか言ったらいいのかな?
895 :
名無しでGO!:2009/02/22(日) 19:43:25 ID:OBPnihy50
世界一、戦争により被害を受けた鉄道はやはり第二次世界大戦中の日本の鉄道になるだろうね。
世界中あらゆるところで鉄道が走っていてあらゆるところで戦争が起きてるがここまで被害受けたのは日本の鉄道以外皆無だろうね。
>>893 俺も婆ちゃんから町中、死体が転がっていて建物も焼けてなくなって地獄みたいな中を列車が普通に走っていたと聞いたことがある。
当時の写真が残ってないのが残念
>>895 おぬし、ドイツの鉄道の惨状をしらんな?
あっちは空爆に加え、地上戦でズタズタになった挙句に、レールやら車両やら、ソ連に接収されて帰ってこなかった。
さらにはベルリンは東西分割で、そのまま廃線になったところまであるというのに。
あと、現在でも内戦で不通になっている鉄道なんてのも山ほどあるしなあ・・・。
ベルリンはだいぶ復旧したようだが分断時代はいたるところ廃墟だったようだね。
壁で途切れたS-Bahn(いわば国電)の線路がそのまま林になってる
写真があって衝撃的だった。
壁沿いにあったドレスデン駅(転車台付近が博物館になっているようだ)
の一部は今でも林の中らしい(Greisdreieck駅近辺)。
898 :
名無しでGO!:2009/02/23(月) 21:52:30 ID:hV1lBtGK0
今月号の鉄ピクに列車が一番少なく、急行もなかった時期(1947.1.4から4.23まで)
の夜行列車一覧がでている。その少なさに思わず絶句。
むかし、ニフティの鉄道フォーラムで、
札幌で焼け爛れた電車が戦後長らく道端に放置されていた
みたいな話を見たが、
それって空襲か何かのせいだったのだろうか。
911でつぶれた地下鉄駅と車両はどんな感じだったのか?
901 :
名無しでGO!:2009/02/24(火) 00:15:40 ID:Ix3iW1oS0
>>898 さらに、その少ない夜行列車の末端区間は、石炭不足のため当面運転休止とか
時刻表に書いてあって、酷いのになるとその列車まるまる始発から終着駅まで
運転休止なんてのも当時としてはごく当たり前の話で、
(今の感覚で考えると、現実に走らない列車のダイヤを時刻表に入れててもしょうがないと思うが・・・)
そんなわけだから、数少ない長距離列車は殺人的超満員になるのも致し方ないわけで・・・・
大陸ネタで思い出したが、欧州の鉄道荒廃っぷりは
日本なんて目じゃなかったらしい。
当然ながら市街戦に巻き込まれた市内電車なんて
バリケードになったりなんなりで正に悲惨そのもの。
1両に複数の棺を搭載できる霊柩電車なんてのも、あったそうな。
>902
西部警察の広電みたいな感じだったのか。
>>903 そんな若いモンにはわからんネタを。
でも、西部警察のOPにゃ煙突の倒壊シーンもあったな。沖縄戦のフィルムで似たのを見た。
905 :
名無しでGO!:2009/02/28(土) 18:56:54 ID:oFUmJ4qM0
>>902 日本国内で悲惨だったのは沖縄の軽便で、沖縄戦で徹底的に破壊されて、
荒廃とか言うレベルを越えて、戦後は鉄道そのものが無くなっちゃったよね。
戦時中は、弾薬輸送中に貨車が大爆発して列車ごと粉砕されたりとか
戦争末期の沖縄の鉄道も相当の悲惨を極めたらしい。
>>905 サイパンのサトウキビ軽便もそうだね。あと、南大東島にもあったような気が。
記録によると、米潜の魚雷で大破した日本空母(冲鷹)の艦首補強にサイパン島のレールが溶接されて使われたとか。
>>907 戦前の南大東島は別の意味で悲惨だったんだけどね。
あそこは沖縄じゃないわけだし。
911 :
名無しでGO!:2009/03/06(金) 18:17:08 ID:6oX5l1G20
終戦1週間後に発生した八高線の多摩川橋梁上での衝突事故を記録した
「大列車衝突の夏」という単行本を古書店で見つけて読んだけど、
それから3年後に同じ八高線で起きる買い出し列車転覆事故(戦後四大事故の一つ)と同様に、
木造客車の脆弱な構造が被害を大きくしたみたいだね。
鉄橋上で衝突した弾みで、機関車次位の客車は台枠を残して粉砕し、乗客はほとんど多摩川の
激流に飲み込まれて、多摩川下流域には随分と遺体が流れ着いたらしい。
三河島事故も土手や線路が轢死体だらけだったって?
913 :
名無しでGO!:2009/03/07(土) 10:26:33 ID:6UsudePK0
国内最大の列車空襲被害を出した、湯ノ花トンネルでの被災を記録した
「中央線419列車」を読むと、被災した機関車と客車が八王子に回送されて
きたときの客車内の惨状は目を覆うものがあったとか書いてあったと思う。
遺体はすでに収容されたあとだけど、床にはおびただしい血の跡が残り、
天井には銃弾直撃で飛び散った脳髄がこびりついていたらしい。
この著書には生存者とかのいろいろな証言がまとめられていて、
走行中で逃げ場の無い密室内で、列車空襲に遭遇することの恐ろしさが
よく記録されている。
914 :
名無しでGO!:2009/03/08(日) 11:44:44 ID:DethO9a40
>>852 大人しい日本人だから、摘発されて警官に強奪されても黙って差し出してしまうんだろうな。
これが他の民族だったら、乗客みんなで警官フルボッコか何かになるだろうな。
>>913 その攻撃加えたアメ公を引きずり出して同じように至近距離で銃殺刑にしたいな。
多分、退役軍人として勲章もらって老後生活してるだろうけど。
916 :
名無しでGO!:2009/03/14(土) 19:07:34 ID:mBauifs+0
>>914 そんなエネルギーが、日本人にあったなら終戦間際の焼け野原になるまで大衆は
黙ってはいなかっただろうと思うけど、最後の最後まで神州不滅の大日本帝国は
最後は神風が吹いて大勝利を収めると確信していた国民も多かったんだろうから、
為政者からすれば、非常に扱いやすい国民性だとも言える。
917 :
名無しでGO!:2009/03/14(土) 22:47:11 ID:6NWW8BKY0
>>916 >為政者からすれば、非常に扱いやすい国民性だとも言える。
結局のところ、そういう国民性になったのはヨーロッパのように市民革命によって権力者を
市民が処分した歴史がなかったことが最大の要因だと思う。
仮に江戸幕府崩壊とか明治維新が民衆の手で行われてたら日本人の性格も変わってただろうな。
日本人のこういう国民性は、ひいては現代の投票率低下とか政権がなかなか変わらないということにも
繋がってると思うけどどうだろ?
918 :
名無しでGO!:2009/03/14(土) 23:50:29 ID:SLtHlW3a0
>>805 どこで読んだか忘れたが、
戦時中の大湊線には終戦まで二等車が連結されていた。
海軍の施設が大湊にあって、海軍の将校は2等車に乗らないといけないから。
といってこんな支線にまともな客車が用意できるはずもなく
当時で博物館物の4桁形式の中型木造客車を使っていたとか。
919 :
名無しでGO!:2009/03/15(日) 00:30:13 ID:nsnIQiGLO
>>917 おおかた同意だが「江戸幕府崩壊とか明治維新が民衆の手で行われ」は仮にも無かっただろうな。
イヤ幕藩体制が現在でも続いてるトカじゃなくて
「欧米文化に触れる機会が年々増した民衆が知識と富を得る→逆に時代にそぐわなくなった幕府に圧力を掛ける→ただでさえ『経年劣化』で弱体化しつつあった幕府が民衆の要求を呑む→緩やかにかつ確実に民主化」
て流れ。
…マァ確かに『思い上がって「亜細亜の盟主」気取りの侵略戦争仕掛けたり』は無かった気がするがね。
>916
>917
良くその手の国民性論が言われているが、実際のイギリスやフランス・ロシアなどの革命も貴族などのエリート層が
主導したのは変わらない。
第二次大戦自体日本国民が望んで起こした(とりあえず気に入らないアメリカに一発泡を吹かせてやれ的な主張が多かった)ことである以上、最後まで玉砕するという人間が多数だったのだろう。
スレ違いなのでこの辺で止めておくが。
鉄道は兵器だ!不要不急の旅行はやめよう!
>>921 こうじゃない?
鐵道は兵器だ!不要不急の旅行はやめやう!
ちなみに右書き(!だ器兵は道鐵)じゃないのは、鉄道省のポスターとか1930年代ごろから
左書きが多く見られるのをふまえて。断じて入力が面倒だったわけじゃないから
>>911 それがサンデー毎日に連載していた時の切り抜きを持っている。
客車の形式番号などは、かなりあやしい記述になっているが、
今も多摩川鉄橋のそばには、掘り出された車輪などが
オブジェのように保存されているそうだ。
924 :
名無しでGO!:2009/03/17(火) 15:32:11 ID:LfUjW4350
>>923 単行本では「大列車衝突の夏」船越健之助著、毎日新聞社、昭和60年。
弾薬輸送している貨物列車なら分るが、非戦闘員が乗っている旅客列車に容赦なく
機銃掃射するアメ公って国際法違反だよな。今でも普通にしているよな。誤爆とか。
今更知ったが御堂筋線の臨時運行は感動するな
927 :
名無しでGO!:2009/03/20(金) 13:04:30 ID:E/yEt9/I0
>>222 発電所は今でも現役だったね
ただ水泥棒の罪で閉鎖中
>>926 前に深夜テレビでやってたネタだな。
あれは佐藤栄作が指示したという説もあるな。真偽のほどはわからんが。
929 :
名無しでGO!:2009/03/23(月) 11:53:48 ID:nQS+aI/M0
>>925 列車に対する機銃掃射は、鉄道機能の破壊などの戦略的意味などそもそも考慮に無く、
ただ、人心を恐怖におとしめて日本国民の戦意の喪失を狙っただけのように思える。
映画『帝都大戦』の有楽町駅はリアルだったな、立て看に『定期券ははっきりみせましょう』とかね
931 :
名無しでGO!:2009/03/28(土) 08:49:48 ID:U9/BOH5t0
┌──────┐
│ 驛町樂有 │
└──────┘
↑このような駅名標も復元しないとリアルとはいえないよ。
ちなみに有楽町駅は、終戦間際の銀座空襲の折、直撃弾を受けて、
高架下に退避していた乗客多数が命を落としている。
932 :
名無しでGO!:2009/04/01(水) 17:50:08 ID:pQGs5HXk0
戦時型のD51やD52は、粗製濫造でボイラー破裂とか危険きわまりなかったらしいが、
船底型テンダだけは、空襲時の銃撃から身を守るために下に潜り込みやすくて
乗務員に好評だったらしい。
933 :
名無しでGO!:2009/04/01(水) 21:15:33 ID:7LQYAlSN0
>>932 戦後新ボイラーに振り返られたのもよっぽど品質が悪かった証明かも。
D51、D52のボイラーを利用したC61、C62も新缶振替したし。
>>929 鉄道なんて線路や橋梁を爆撃寸断すれば一発だもんな
>>934 ところが、線路は案外あっというまに直せるし、
橋は狙ってもなかなかあたらないんだこれが。
今の精密誘導爆弾ならなんてことはないが、
第2次世界大戦当時の技術では、大型爆撃機で爆撃してもまずあたらない。
小型の急降下爆撃機か、あるいは砲撃じゃないと橋はなかなか破壊できない。
日本で爆撃で橋が落ちたという話をどれくらい聞いた事がある?
弾道計算が出来るようなコンピュータが無い時代だからな
937 :
名無しでGO!:2009/04/07(火) 10:14:03 ID:M921CM+70
>>935 一色次郎「日本空襲記」によると、鹿児島線南部は鉄橋という鉄橋はすべて落ちていて
運行不能状態で、夜間だけ落ちた鉄橋間を列車が行き来したとかいう記述がある。
ただ、国鉄の長大橋梁で完全破壊されたという記録は「国鉄空襲被害記録」を見る限りは
無かったと思われる。
東海道線の浜名湖橋梁は再三に亘って銃撃、爆撃を受けているけど、最後まで通行に支障を
きたすほどの大打撃を受けてはいない。
戦略的には、東海道山陽の大動脈を寸断することがポイントだったろうと思うけど、
東海道山陽線で、復旧に時間を要する橋梁被害が軽微だったということは、
米軍の空襲目標には、意図的に鉄道の致命的破壊を考慮しなかったのではなかろうか?
(当時、道路事情が驚くほど脆弱だった日本国内において、唯一とも言える国内交通機関の
鉄道を壊滅させることは最大の戦略的効果を生んだだろうけど、同時に戦後進駐する段階になった時、
米軍自らも輸送手段の手配に苦労することになるだろうと予見しての戦術であったと思う)
>>937 鉄道ジャーナルに鉄道とともに50年を連載していた齋藤雅男さんによれば
車両基地や車両工場が空襲で狙われてずたずたにされた。
だけど占領軍にはすぐに鉄道をまともに運行しろってむちゃくちゃ言われたとか。
>>937 九州南部は、沖縄の次の上陸目標(オリンピック作戦)だったので、
重点的に狙われたのではないかな。
九州南部は艦載機にかなり空襲されているし、
5月か6月くらいからは沖縄の地上基地からの
戦闘爆撃機も攻撃に来ているはず。
そういう小型の航空機じゃないと橋は狙えないということですな。
>>935 >>939 なんかよく分かった。
爆弾を自由落下させる限り、走りながら二階から目薬、みたくなるわけね。
弾道計算ができたとしても対地速度や高度の測定誤差とか風とか。
中島飛行機の工場とかなら目標たりえたわけですね。
今でも、散歩中にプロペラ機の音がすると直角に逃げるか建物の陰に
隠れてしまう。
あんた何歳だよ!
943 :
名無しでGO!:2009/04/13(月) 15:10:57 ID:k/XqaPaH0
建物の陰に隠れるだけでは安全ではないよ。
まず身を低くして地に伏せて、両手で耳を押さえること。
爆風で鼓膜が破れるからね。
ちなみに、今でも外出の際は防空頭巾をちゃんと着用してるんだろうね。
胸元にはちゃんと住所・氏名・年齢・血液型を記した布を縫いつけておかないと
いざ被災して不運にも命を落としても、身元が分からず無縁仏にされちゃうよ。
個人情報保護法云々なんて言ってる場合じゃないんだからね。
こ、個人情報保護法云々なんて言ってる場合じゃないんだからねっ!!
945 :
名無しでGO!:2009/04/14(火) 22:43:04 ID:YHuMppRLO
>>943 あれ、手は耳と目玉を押さえるんじゃないの?
また口は空けることね。今は学校でちゃんと教えないんだね(つд`)
長大橋梁が落とされた例は、確か近鉄名古屋線の長良川橋梁がおちたはず
今は学校でちゃんと教えないんだからねっ!
高尾のトンネル銃撃事件については、当時の「読売報知」の記者がその列車に
乗り合わせたらしくて、その数日後の「読売報知」に掲載されてますね。
記者は死ななかったか。どうせ死体被って弾避けていたんだろう。
福知山事故もそうだが、事故車には必ずマスゴミ関係者が乗っている件。
米軍の戦闘機からの機銃掃射だと口径12.7ミリだから死体被っても弾避けにならないだろ。
950 :
名無しでGO!:2009/04/19(日) 10:35:13 ID:QLx8R1bvO
>>947 その新聞記者は確か甲府方面からの列車に乗っていて、与瀬(現 相模湖)で列車が抑止されて歩いて高尾方面に向かっていている途中で銃撃されて止まっていた客レの中とかを見たんじゃなかったかな?
あの銃撃についての本を読んだんだが、新聞記者のこと振れてありました
なんで列車に防弾板付けなかったんだろう?
そんな金も資材もないだろう。
>>951 重くなるだろ?
戦車なんて1両50t超えるんだし。
954 :
名無しでGO!:2009/04/20(月) 09:14:08 ID:1hsSWwMH0
>>951 当時の日本人に「人命尊重」の気風は全く無かったから、
人命尊重のための防御などという発想自体無かった。
戦闘の第一線で活躍した零戦も、弾を受けるとすぐ火を噴いたという。
米軍の戦闘機と比較しても、零戦の防御の脆弱さは際だっていたとか。
ただ防御が薄い分、機体の重量も軽くなり、運動性には優れていたから
零戦は一時期無敵を誇っていたともいえるけどね。
鉄道に関しては、貴重な戦力である機関車の防護には気を使っても、
人が乗る客車に防御を施すなどという考えは毛頭無かった。
客車ごとに屋根上に長さ20m幅2.8mの防弾板が必要になるわけで。
厚さ1cmと仮定して(それでも5割程度しか防げないけど)重さ約4.4トン。
重量記号が1ランク上がるがなw(例えばオハ→スハ)
956 :
名無しでGO!:2009/04/20(月) 18:14:41 ID:1hsSWwMH0
当時の、燃料である石炭の質(カロリー)の低さ、車輌の整備状態の粗悪さなどを考えると、
客車1両あたりの重量が増すと言うことは、それだけ編成両数を減らさなければならず、
当然旅客列車削減・貨物列車大増発が鉄道に課せられた使命であった状況を考えると
客車の重量増はそのまま旅客輸送力の急激な低下を意味し、空襲被害に依らずとも
鉄道輸送自体が殺人的混雑に対処できず、完全に破綻することを意味している。
また仮に1センチや2センチの防御を施しても、そのようなものは何の役にも立たない(意味がない)
(機銃弾は、蒸気機関車のボイラーですらやすやす貫通させる威力を持っている)
当時の客車は、圧倒的に木造客車が主力だったことも頭に入れなければならず、
鉄道車輌そのものが、今では信じられないくらい脆弱な代物だったから敵機の銃撃には
為す術が無かったと思う。
アルミホイルをエアガンでプスプス撃つ感じだな
深夜の高尾トンネルには、頭や胴体がザクロ状になった人々が今でも
蠢きあっているという。
日本本土で機銃掃射を食らうようになったのは、
米軍が硫黄島を占領してP-51の運用が可能になった45年5月以後。
(ちなみにB-29による爆撃も本格化するのは45年3月以後)
昼間移動中の列車が攻撃される事態そのものが、日本側から見れば全くの想定外なわけで
防弾板とかただの後知恵、つーかどう見ても釣りだろこれ
959 :
名無しでGO!:2009/04/22(水) 09:05:05 ID:LPREgH810
現代人の普通の感覚では、防弾板という発想は当たり前だけど、
当時の風潮から考えれば、もし客車に防御を施す資材があったら戦闘機の1機でも作っただろうね。
国民一般の家庭からも、金属供出と言って金属類を出させられたし、
機関車のナンバープレートもすべて戦闘機を作る資材を集めるために供出させられたわけだからね。
一般国民から金属類をかき集めないと戦闘機も作れないほど、資源が不足していたわけだから、
客車に防御板という発想は、つくづく平和で豊かな時代の証だといえるよ。
>>959 そんな余裕がある国なら、あんな無謀な戦争してないよね・・・。
>>925 半月前に亀レスだけど、国際法上鉄道を銃撃してはいけない、という決まりは
ない。あえていうなら空戦法規だろうけど、あれも「軍事目標(鉄道など)」への
攻撃は許している。
それで今でもミサイルで誤爆ってるのか
962 :
960:2009/04/25(土) 22:57:47 ID:ju9f/ijh0
>>961 スレチになってしまうけど、日本は「平和第一」を掲げながら、その手の
戦時国際法などは「戦争の肯定につながる」として、大学教育も含めて
してこなかったからね。知らない人多いと思うよ。
非戦闘員や捕虜の待遇などを定めたジュネーブ条約にしても、批准できたの、
有事法制ができてからだし。
話をもどして、というわけで、実は鉄道に関しては攻撃することは可能。
「非戦闘員」が乗ってるかどうかなんて、上空からじゃわかんないしね。
ナチスドイツに対空機銃装備した車両があった
襲ってくるムスタングを次々と撃ち落したらしい
964 :
名無しでGO!:2009/04/28(火) 17:56:17 ID:TZhq6vMe0
当初、米軍は原爆投下予定地に京都を入れていたらしいが、
その際の投下目標が、梅小路機関区の扇形機関庫だったとか・・・・
もし、それが現実になっていたとしたら、梅小路機関庫が被爆の象徴(原爆ドーム)に
なっていた可能性もあったかもしれない。
また原爆投下に先立ち、原爆の模擬弾が郡山操車場を目標に投下されている。
965 :
名無しでGO!:2009/05/03(日) 08:57:34 ID:7z+rQdHk0
>>963 日本では、重要列車の場合、機関車の次位に無蓋車に機銃と兵員を乗せて
対空監視に当たったらしいけど、あくまで敵機を撃墜するのが目的ではなく
列車防御が主任務だったのだろうと思うが、列車搭載の機銃から敵機を狙って
命中させるのは至難の業だと思えるから、あまり意味を為さなかったのではないかな。
>>965 直接当てなくても射撃&投弾コースに乗らないよう弾幕を張れればいい
>>965 打ち落とさなくても、近づいてこれなくなればそれでいいわけで。
968 :
上尉:2009/05/04(月) 21:47:24 ID:hEtQGzN4O
将校を自負する本官はグリーン車(二等車)を利用すべきや?
>>968 その階級、貴殿は皇軍軍人ではないな。
所属氏名と当スレ書き込みの目的を述べよ。
971 :
上尉:2009/05/05(火) 03:15:33 ID:djD8v5LxO
スマンスマン!イヤイヤ、常磐線にて部隊移動中突然光の爆発がっ!気がつくと我が部隊はハワイに到着したので急遽我が中隊で占領しうるも『スパリゾートハワイアンズ』と言う看板が…どうやら時空間を越えて来てしもうたっ!
972 :
仙臺管区軍事機密防諜局協同組合・組合長:2009/05/07(木) 18:12:17 ID:J2Wwim0G0
>>971 常磐線にて部隊移動等とは不穏極まる事態である。
本来常磐線は、北日本の重要軍需輸送及び常磐炭田産出炭の京浜工業地帯方面輸送の
一大任務を遂行すべき重要路線為るべし。故に仙臺師団の兵員輸送の主体は本線宇都宮経由が
至当の筈なり。故に「上尉」なる偽称を以て我が工業生産の基となるべき常磐炭田の中枢に
潜入し、重要炭田地帯を表面擬装したる『スパリゾートハワイアンズ』と偽りし歓楽施設に攻撃を加うる
行為は、最早敵を利する行為と言はざるべからず。
973 :
上尉:2009/05/07(木) 20:16:46 ID:AwJxeHa5O
本官は満州国軍の軍官ニダ!
故に二等車に乗車する権利があるニカ?
>>973 食堂車をご利用の際にはお米を御持参下さい
なりきりスレじゃないんでここ
976 :
名無しでGO!:2009/05/11(月) 23:55:03 ID:3S4cr5/i0
昭和20年から23年にかけての優等列車の
新設、廃止、休止等運行状態を詳しく解説した
ホームページってないのかな。
わからないことが多すぎる。
977 :
名無しでGO!:2009/05/13(水) 21:59:38 ID:L1pf9Lor0
>976
確かにこの時代の列車運行状況はわからないことだらけ。鉄ピク本年4月号の
「夜行列車120年」という記事のなかに急行が全廃された1947年1月時点の
夜行列車一覧がでている。品川ー南風崎の復員臨時列車にも一般客を乗せて
いた。
学ランを改造して鉄道員なんて言ってる子はいねが〜!!
979 :
名無しでGO!:2009/05/18(月) 23:00:40 ID:akyiON2Q0
セーラー服を着て、「オラ戦艦陸奥の水兵だど」なんて言ってる子はいねが〜!?
もう980だけど次スレは鉄道懐かし板に立てるの?
建てる人に一任でいいよ。保守。
そうだね
うめ
もうすぐ終点だね、
稀に見る良スレだったな。
自演してゴメヌ…
うめ
はよ建てんと・・・
じゃあ↓頼むぜ
それじゃスレ立てしてくる。
それじゃ次スレが立ったから
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>>988 乙です。正直、趣旨からすると総合板かなと思ってた。
懐かしと違ってこちらは保守が必要だけど、その分過疎らなくて済むかも。
次スレおつです。埋め。
戦時中に機銃掃射及び爆撃、艦砲射撃で殉職した国鉄職員(当時は運輸省か)は
祀られてないの?南方へ輸送船とともに散った船員と同じか。戦死じゃないけど、
国からいくらか貰えないの?
先月東京駅に行った。
丸の内駅舎の復原工事、中央口北側で3階部分の側壁が1箇所だけ立ち上がっていた。
おそらく試作。
だけど思わず、焼けて青天井だった姿が現れた気がして、涙してしまった。
復原が進むしばらくの間、そんな見方もできそうだよ。
994 :
名無しでGO!:2009/05/25(月) 11:51:40 ID:Pl5EPL+k0
まだ続けるのお?
995 :
名無しでGO!:2009/05/25(月) 11:59:36 ID:Vl6IcAbm0
国家の非常時における、唯一の国内陸上交通の大動脈として機能した戦時中及び終戦直後の鉄道状況を検証するのは、
「わ〜い、○○線で新型車が走ったぞ〜」とか「○○線の○○系が今日で最後だからさよなら運転を撮りに行って
こよっと」とかいう、現在主流の鉄道趣味の風潮より何十倍も意義のあることなのであります。
これを検証しておくことは、我々鉄ヲタをはじめ鉄道利用者全体にも将来きっと何らかの成果をもたらすものと
固く信じて居る次第であります。
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