青函連絡船について

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1NASAしさん
洞爺丸の事故のことなど
なんでもいいから語れ
2NASAしさん:02/03/08 22:14
海峡ラーメン美味しかった
3NASAしさん:02/03/08 23:35
うっそーー! あれがー?
4NASAしさん:02/03/09 00:46
海の中に財布落とした・・・・
5NASAしさん:02/03/09 00:56
廃止前に何往復もした・・。
ついでに91年夏、アテネで元石狩丸を見た。

6NASAしさん:02/03/09 07:35
船の科学館の羊蹄丸はなんであんな塗装なの。
ファンネルマーク以外昔の面影ないです。
7NASAしさん:02/03/09 08:42
空知丸に便乗させてもらったことがある
8NASAしさん:02/03/09 11:44
>>6
平成4年に日本国政府の展示船として
「国際船と海の博覧会」に参加したからです。
9NASAしさん:02/03/09 12:02
今の羊蹄丸をみると、何のために保存しているのか分からなくなる
のは俺だけ?
10NASAしさん:02/03/09 12:05
羊蹄丸も八甲田丸や摩周丸みたいに
保存して欲しかった。
11NASAしさん:02/03/09 14:39
石狩丸カコイイ
12NASAしさん:02/03/09 15:47
摩周○もフネいじりすぎ。
八甲田○が一番資料的価値がないか?
航送甲板が好き!

改装するカネが無かっただけかもしらんが・・。

13NASAしさん:02/03/09 15:51
青函連絡船の長声一発って言う
ビデオ持ってる人いる?
八甲田丸見に行きたいけど遠いいしな
14親切な人:02/03/09 15:52

ヤフーオークションで、凄い人気商品、発見!!!

「高性能ビデオスタビライザー」↓
http://user.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/NEO_UURONNTYA

ヤフーオークション内では、現在、このオークション
の話題で、持ちきりです。
15NASAしさん:02/03/09 20:50
ビデオスタビライザーってなーに?
16NASAしさん:02/03/09 21:05
>>15
船体の両側に設置した一対フィンの迎え角を
船の横揺れに応じて可変することにより
横揺れを減衰する装置。
1715:02/03/09 21:11
>>16
ありがとう。
18名無しさん:02/03/09 22:05
夏場に乗ると、イルカが寄ってきて伴走してくれると言うのは本当なの
でしょうか?人懐っこいイルカがいるとか…。

今は飛行機も随分と安くなったから、北海道行くのに青函連絡船があった
としても利用者がどれだけいるのか分かりませんが、旅情あふれる連絡船
に私も一度は乗ってみたかったです。
19NASAしさん:02/03/09 22:49
>>18
何頭のイルカが群がって連絡船の船体ギリギリに伴走してました。
船尾のスクリューに巻き込まれないかと子供ながらに心配したことがあった。
20NASAしさん:02/03/09 23:06
連絡船の模型ホスィ
21NASAしさん:02/03/09 23:26
あるよ。
22NASAしさん:02/03/09 23:31
どこにあるの?
23NASAしさん:02/03/09 23:51
ほれ。
ttp://www.sxp.co.jp/renrakusen/data/goods.htm
漏れも、金があったら買おうと思っている。
24NASAしさん:02/03/10 00:01
展示してある連絡船って動かそうと思えば
動かせるのかな?
25NASAしさん:02/03/10 00:17
今のままでは船は動かせない。
まず、船を固定している土台から船体を切り離さなければならないし、
痛んだ鋼板の張替え、エンジンの換装、その他諸々。

あと、船員の確保や地上設備の整備などを考えれば、動かすのはほぼ不可能。




26NASAしさん:02/03/10 09:19
乗組員はどんなところに再就職先したのでしょうか。
海保、教員は聞いたことあるけど・・・
27NASAしさん:02/03/10 10:31
JRの陸上部門に配置転換というのもある。
とある連絡船の船長は某地方の主要駅駅長に就任したと言う例もある。
28NASAしさん:02/03/10 13:43
この先、船って無くなっちゃうのかな?
29NASAしさん:02/03/10 18:55
保守
30NASAしさん:02/03/10 20:30
小6の修学旅行で
石狩丸のブリッジを見学させてもらった
思い出があるなぁ
31NASAしさん:02/03/10 22:04
明日、船の科学館行ってこよ。
32NASAしさん:02/03/10 22:24
昭和45年頃だったか、解体前の日高丸が係留されてました。
広島県佐伯郡能美町の中谷造船所沖。
その時の写真あります。
残念ながら前3分の2位で後ろが写ってないけど。
台風で一度沈没して、浮揚して再就航してたんですよね。
33NASAしさん:02/03/10 23:06
鉄道板でやれおめーら
34NASAしさん:02/03/10 23:13
連絡線は船舶ですが、何か?
35NASAしさん:02/03/11 00:09
連絡船は船舶だ。
36NASAしさん:02/03/11 00:16
日高丸(タービン船のやつ)は船底部分が広島市金輪島の造船所の
浮き桟橋として活用され、平成2年にお役御免となりました。
37なべ:02/03/11 00:38
H8年頃、館山沖でアンカーしていると沖を羊蹄丸が走っていた。一瞬幽霊船か
と思った。

連絡線の元乗組員。うちの会社に何人かいるよ。
38NASAしさん:02/03/11 07:15
>>36
と言うことは。
解体じゃなくって浮き桟橋に改造する為に来てたのかー。
知らなかった。
39NASAしさん:02/03/11 09:26
解体して再利用と考えたほうが良いかも?
40名無し(敬称略):02/03/11 10:19
>>36
宇高連絡船の瀬戸丸(元紫雲丸)もそこで同じように浮き桟橋として
使われていました。車両甲板のレールにクレーンを乗せていたそうです。
41NASAしさん:02/03/11 15:18
age
42NASAしさん:02/03/11 16:18
薄幸だ丸
43NASAしさん:02/03/11 20:38
永久黙る
44NASAしさん:02/03/11 21:50
>>38>>40
連絡線の場合、車両甲板が平らなので、桟橋への転用が容易
だったからの様です。

そういえば、連絡船廃止の頃に、初代大雪丸が地中海で爆破
事件に遭ったというニュースがありましたね。
45NASAしさん:02/03/11 21:52
船内グリルで『いかずくし定食』
46NASAしさん:02/03/11 22:52
函館の何とか丸で古新聞の縛り方習ったヨ。
47NASAしさん:02/03/11 23:04
>>46
摩周丸
48NASAしさん:02/03/12 01:00
要諦丸
49NASAしさん:02/03/12 06:06

今夜の実況は こちらで

プロジェクト X ◆ 青函トンネル
http://live.2ch.net/test/read.cgi/endless/1015879200/
50 :02/03/12 12:16

今夜の実況は こちらで

プロジェクト X ◆ 青函トンネル
http://live.2ch.net/test/read.cgi/endless/1015879200/
51NASAしさん:02/03/12 16:52
明日3月13日
52NASAしさん:02/03/12 17:02
>>48
てめー、もぐりだな逝ってよし
羊諦丸←これが名だ
53NASAしさん:02/03/12 17:06
>>48
てめー、もぐりだな逝ってよし
羊蹄丸←字間違えたじゃねぇかテメーのせいでよ
54NASAしさん:02/03/12 17:15
発酵黙る
55NASAしさん:02/03/12 17:20
大切丸
56NASAしさん:02/03/12 17:34
なんで仁堀航路って長年存続したんだろう??
57NASAしさん:02/03/12 18:44
醗酵陀丸
58NASAしさん:02/03/12 19:17
檜山丸
59NASAしさん:02/03/12 20:30

今夜の実況は こちらで

プロジェクト X ◆ 青函トンネル
http://live.2ch.net/test/read.cgi/endless/1015879200/
60NASAしさん:02/03/12 21:13
今夜の実況は こちらで

プロジェクト X ◆ 青函トンネル
http://live.2ch.net/test/read.cgi/endless/1015879200/


61NASAしさん:02/03/12 21:46
バウスラスターって、当時あのクラスの船の装備としては一般的なのでしょうか?
友人の父が船長だったけど、その友人が「めずらしい」と言ってたような。
ちなみに船長って1隻に4人でしたっけ
62NASAしさん:02/03/12 23:13
*** 死運丸 ***

サルベージされた後、縁起が悪いと船名変えて再就航したらしい。

宇高なのでsage
63NASAしさん:02/03/12 23:26
age
64らいらっく:02/03/13 00:58
青函トンネルが出来なかったら
連絡船は廃止にはならなかったのかな?
65ニセアカシア:02/03/13 01:12
んなーこたーない
66NASAしさん:02/03/13 13:07
あげ
67NASAしさん:02/03/13 15:01
テケミ=天候警戒運行見合わせ
68NASAしさん:02/03/13 15:04
高橋英樹がキャプテンをしていたのは何丸?
69NASAしさん:02/03/13 18:02
十和田丸です、その物語では田村高広が摩周丸の船長でした
摩周丸の波で夫婦の乗った釣り舟が転覆し奥さんが死亡した
が実は夫が殺したって話
シャックル船長ってね、あれもう一度見たいな〜
70ゆうかり:02/03/13 21:22
高橋英樹って船長姿似合うよな
71NASAしさん:02/03/13 21:30
桃太郎だからね
72NASAしさん:02/03/13 22:18
青函連絡船、終航したの今日だったな・・・
73NASAしさん:02/03/13 22:26
>61
バウスラスタは、日本ではひょっとして青函の新津軽丸が初めてだったかもよ。
津軽丸型は、日本初世界初の新機軸テンコ盛り、当時の超ハイテク船だったそうだ。
それをつくった造船所の技師や、使いこなす乗組員の苦労は、並大抵ではなかったらしい。
74ばあゆ:02/03/13 22:28
今日、羊蹄丸見に行って来たよ。
函館からの最終便がたしか羊蹄丸だったよね?
75NASAしさん:02/03/13 22:37
1988年3月13日17:00出航、青森行き22便羊蹄丸をもって、最終となりました。
76NASAしさん:02/03/13 23:44
age
77NASAしさん:02/03/13 23:45
この1日だけ函館→函館or青森→青森の片道キップが買えたんだっけ?
経由 青函・海峡線でな
78NASAしさん:02/03/14 00:03
88年夏のリバイバル運行、結構良かった。
船内のあらゆる場所が見学OK。
航行中に車両甲板の水密扉を開けてくれたりしたよ。
79NASAしさん:02/03/14 01:40
小西製作所の連絡船の完成模型がホスィ
でも値段が高い
80NASAしさん:02/03/14 01:53
連絡船の模型ってなんでシンボルマークが
付いてないんだ?
81NASAしさん:02/03/14 07:19
「原子力文化」の2月号に記事があった。
車両甲板の見開き写真がいい。
定価は190円だが事実上配布用と思われる(w
近くに原発の宣伝コーナーがあればもらいにいってみては。
82NASAしさん:02/03/14 08:40
北海道新聞社のフォトライブラリー青函連絡船特集
ttp://jyoho.hokkaido-np.co.jp/photolib/thumbnail.php3?dir1=special&dir2=02renrakusen
83NASAしさん:02/03/14 12:35
age
84NASAしさん:02/03/14 17:24
性感恋楽染
85NASAしさん:02/03/14 22:27
あげ
86NASAしさん:02/03/14 23:23
>>82 の1頁目のキャプションについての疑問。
初のタービン船って比羅夫丸じゃなかったっけ?
(書名忘れたけど何かの単行本にそう書いてあった)
87NASAしさん:02/03/14 23:55
>86
正解は比羅夫丸だが、比羅夫丸と田村丸は同型の姉妹船だから、まあいいんじゃないの。
両船とも造船所はイギリスだが、日本初の蒸気タービン船だ。快速で評判だったそうだ。
88NASAしさん:02/03/15 00:43
洞爺丸関係の資料って無いの?
89NASAしさん:02/03/15 00:54
>88
過去に国鉄青函船舶鉄道管理局が、洞爺丸事故を詳細に記録した文書を発行している。
かなり以前だが、それを函館市の図書館で閲覧したことがある。凄惨な内容に息を飲んだ。
比較的近刊では、交通ブックス211「青函連絡船 洞爺丸転覆の謎」田中正吾著 成山堂書店刊
90NASAしさん:02/03/15 09:58
>>89
情報サンクス
91 :02/03/15 15:49
青函トンネルって1回地震おきたら使えなくなるんじゃ
92NASAしさん:02/03/15 20:02
あげ
93檜山丸:02/03/15 20:57
廃止は非常に残念だったよなぁ・・・。
今、東日本フェリーがああやって生き残っているんだから、貨物車両甲板を
車両甲板に改造して存続して欲しかった。 あんなに旅情豊かな航路はなかったと思う。

ホント、東日本フェリーに任せるくらいだったら、青函連絡船は存続してほしかった。
非現実的な願望かもしれないが〜。
94NASAしさん:02/03/15 22:37
連絡船のビデオ持ってる人いない?
95NASAしさん:02/03/15 22:44
DVDを見かけたような気がする
96東急多摩川線:02/03/16 21:33
俺、DVD持ってるよ。
97NASAしさん:02/03/17 21:18
あげ
98NASAしさん:02/03/18 22:01
保守
99NASAしさん:02/03/20 11:07
age
100へすていあ:02/03/20 11:08
100ゲトー
101NASAしさん:02/03/21 18:44
いまも即買える連絡船ビデオ、DVDは「さよなら青函連絡船“最後の就航”」
(ビデオメーカー)、「長声一発」(鉄道ジャーナル社)の2種しか無いと思われ。

終航前後はあちこちから便乗商法なのか10タイトルぐらいビデオが出ていたが…




102NASAしさん:02/03/21 20:09
「長声一発」
マジで今も買えるの?
103NASAしさん:02/03/21 20:10
age
104NASAしさん:02/03/21 23:04
>>102
「長声一発」は
鉄道ジャーナル社の直販
ttp://www2.odn.ne.jp/rj/video/video.html
ビデオ市場(通販)
ttp://www.e-video.co.jp/categoly/car/ship/tdj990004.html

で購入可能。どちらも定価販売。ビデオとしてはちと高いが…
105八甲田丸:02/03/23 03:10
海峡ラーメン。
味噌味、少々味が薄かった。
106NASAしさん:02/03/23 04:00
写真集はどう?
「海峡の記憶」(舵社)は素晴らしいよ。
一昨年だったか、撮影した白井朝子さんが、写真展やってましたけど。
107NASAしさん:02/03/23 19:19
>105
味噌味なんて邪道です。
塩じゃないと…

この訴えは3時間40分の間続けたいと思います。
108NASAしさん:02/03/23 22:35
廃止の年の2月に乗ったが、シャワー使ってる時に揺れて、
使い辛かった覚えがある。
109八甲田丸:02/03/24 00:43
>>107
おっしゃるとおり。ラーメンは塩ですね。
今は塩が好き!
110NASAしさん:02/03/24 11:35
写真集なら終航前後でいろんな所から「さよなら青函連絡船」とか
「ありがとう青函連絡船」とかいうのは出ていたな。
あと見応えあるのといえば金丸大作氏の奴か?
函館の摩周丸に飾ってある奴の大部分は彼の作品だし。
111NASAしさん:02/03/24 14:50
中学校の修学旅行でブリッジ見学
高校の修学旅行でイルカの伴走(泳?)を見た & 酔って死にそうになった
112NASAしさん:02/03/24 16:54
横浜の日本丸(練習帆船)は、法的には「現役の船舶が係船されている状態」
らしいので、建築基準法が適用されず、ほぼそのままの形で保存されている。

 連絡船は建築物扱いでの保存なので、建築基準法が適用され、大幅な改造を
せざるを得なかったらしい。
113ゆうかり:02/03/25 18:43
保守
114NASAしさん:02/03/25 22:43
函館の摩周丸、全然保守されてないね。
荒れるに任せたまま放置されてる感じ。

このままだと函館市が買い取ったら
魚礁にされそうで怖い…
115NASAしさん:02/03/26 01:33
性感連絡船の最大速力は18.2ktでしたが、
通常はどのくらいの速力でウンコウしていたので
あらうか? 
もっとも、タイセツ丸船長だったK氏あたりは 
「遅れ特急をとってから出航したのでいつも
全速力みたいな状態だった」と述べておられるが。。
116NASAしさん:02/03/26 10:15
>>115
各船とも公試では21ノット以上出してる。
凪の日は、16〜17ノットで定時(3時間50分)楽勝だったそうだ。
ちなみに、漏れがOB船長に最速記録を尋ねたら、病人発生時の3時間20分!だって。
努力目標では、遅れ回復15分があまり無理がなく、陸上側事務方への答えだったそうだよ。
117NASAしさん:02/03/26 18:48
長崎で海上ホテルになっている大雪丸の話題が出てこないな〜
館内は連絡船の資料館みたいで楽しかったぞ
118NASAしさん:02/03/26 21:11
長崎の大雪丸は1泊いくらするの?
119NASAしさん:02/03/26 23:07
\14000
120NASAしさん:02/03/27 07:56
>117
それに関するHPとかは無いのかな?
121NASAしさん:02/03/27 23:18
今なら近ツーでこんなツアーもあるでよ。(4/7まで)
大雪丸にも泊まれるぞ。
http://www.knt.co.jp/mate-t/sotsugyo/kyusyu/18.html
122NASAしさん:02/03/27 23:19
123NASAしさん:02/03/28 05:25
こっちでやってちょ
124NASAしさん:02/03/28 05:55
昔の缶ジュースはタブを引き起こす方式じゃなくて、引っ張ってめくり取る
方式で、その始末が面倒でその蓋を缶の中にポチャリと落としてからジュース
を飲むヤツが結構いたんだよね。

んで函館の中学の修学旅行で、船の中でそれをヤッタ生徒が缶ジュースの蓋を
喉につまらせて、急遽連絡船がひき返して修学旅行が中止になった事があった。
125NASAしさん:02/03/28 06:38
延期じゃなくて中止ですか?悲惨だなぁ…。
126120:02/03/28 08:04
>121
>122

ありがとさん、北海道人だから青函連絡船
の事はとても気になる
127NASAしさん:02/03/29 13:02
>126
去年の年明けの全国汽笛リレーにも参加していたぞ
ただ大雪丸は東日本フェリー系のハヤシマリンのホテルなので、東日本フェリー系の
色に塗り替えられているのが残念。船内も面影は薄いが操舵室や船尾の操車室をバー
などに再生しているのは上手い
128はあきゅり:02/04/01 22:05
保守
129NASAしさん:02/04/01 23:34
大雪丸時代のエンジンルームや集中制御室は資料館として保存してある。
しかもエンジンルームまで公開されているのは八甲田丸と大雪丸だけ。
見ておく価値はあるぞ。
130NASAしさん:02/04/10 00:00
宇高連絡船最終日記念あげ
131NASAしさん:02/04/10 11:10
青函連絡船で、観光地で見かけるよな記念メダル売ってたよな。ダイヤルみたいな刻印機で名前や日付入れるヤツ。
なつかしJNRマークの入ったメダルだった気がすら。
132NASAしさん:02/04/10 17:25
修学旅行のとき、みなでワイワイと別のクラスの奴の名前を打って、
その場に放り出しておいた。
やがて、船内放送がかかって、××××様、記念メダルのお忘れ物が
届いております・・・・、ってんでドッと沸いた。
133NASAしさん:02/04/10 22:17
>>132
ワラタ

青函連絡船で修学旅行の経験しているのは30代以降だな。
最近の厨房は青函連絡船があったことすら知らないらしい…
そりゃ14年前だもんな。
134NASAしさん:02/04/11 23:46
漏れは津軽丸型よりも檜山丸型に萌えるのだが同志はいないか?
いや、廃止当時リアル消防だった上四国に住んでたので乗ったことはないのだが・・・
(宇高連絡船は何とか)
135NASAしさん:02/04/12 06:06
う〜ん、いいねえ>檜山丸型
津軽丸型より全長を伸ばして、speed up!
136NASAしさん:02/04/12 12:51
>>133
我々が樺太連絡船を知らないようなもんだ
137NASAしさん:02/04/12 13:28
>>136
それは稚泊連絡船
138NASAしさん:02/04/12 17:52
>>136
だから知らないんだろ
139NASAしさん:02/04/13 05:32
俺はやっぱり比羅夫丸だな!
140NASAしさん:02/04/13 08:10
 ファンネルマークは「工」に限る。JNRやJRはダサい。
141NASAしさん:02/04/13 15:24
>>12・横浜といえば、氷川丸も停泊だけど、あれはどういう
扱いを受けているの?
142NASAしさん:02/04/19 00:47
西日本の自分が青函連絡船を見たのは
観光船讃岐丸のサヨナラ航海に乗船したとき
三井造船玉野に係留されている元檜山丸が最初でした。

三年ほど前に船の科学館の羊蹄丸を見に行ったとき
売店の近くでみちのく銀行制作の連絡船のビデオが流れていました。
かなりよくできたビデオだったのですが一般販売はしていないんですかね・・・
143らっらら:02/04/19 06:25
小6の修学旅行で使った。
次の年からは連絡船自体存在しなかった・・・・・・・。
144NASAしさん:02/04/19 10:28
学校祭でのったな。(函館在住の方ならどこの高校かばれるな)連絡船の元通信士の
方の講演が印象深かったよ。
145NASAしさん:02/04/19 12:42
道南の国道5号線沿いには
「国鉄フェリー」という看板が立っていた。
船尾甲板の上に19台だけ乗用車が乗る区画があった。
自走式立体駐車場みたいにスロープを複雑に上って乗船したもんだ。
露天なので時化の日は海水を被る。
そういう日は下船時に洗車券をくれたもんだ。

イルカがくると鐘を鳴らしてお知らせしてくれたのも懐かしいな。
146海豚:02/04/19 12:59
昔、2往復乗った事があります。羊蹄・摩周・八甲田
青森港を出港した頃、浅虫温泉の花火大会が見えました。
函館に着いたら当然、「はーるばる来たぜ・・・」でした。

4航路有ったJRの連絡船も、大島航路はすでに廃止。
当時残っていた3航路には、乗船する事が出来ました。
最後に残った連絡船に乗ったが、なんと短い船旅だった事か。
147NASAしさん:02/04/19 13:22
本日はしR束をご利用いただきまして、ありがとうございます。
特急SEX  函館逝でございます。
途中、三沢・野辺地・浅虫温泉・青森・蟹田・木古内・五稜郭・終点函館に停車いたします。
次は、三沢です。
148NASAしさん:02/04/20 01:06
三沢の辺りならそろそろ乗船名簿配りに来る頃か?(藁
149NASAしさん:02/04/20 01:36
>>148
洗面所につるしてあるので必要な人はご自分で
150名無し:02/04/20 14:38
>>77>>78
夏のリバイバル運行時に青森→青森の片道切符で
青函お別れ乗船と海峡線初乗りした。
151NASAしさん:02/05/06 01:25
浮揚
152:NASAしさん:02/05/06 06:43
指定席グリーンはいつもガラガラ。定員100人程度のところに多くて5,6人。
当時のマルスはいつも右側の席から埋めていったから、敢えて左の席をリクエストして
乗った時は検札さんが「えっ、なんで?」って顔してた。
153152:02/05/06 06:50
でも、漏れの青函連絡船の一番の想い出といえば、ヤパーリ
『タグボート』、これ最強。
港内に入ったところあたりから伴走、桟橋近くなったら作業開始、連絡船の
向きをクルッと変えて、ショックもなく接岸。
接続の列車に乗らないときなんかは、最後まで見て、最後に下船。
懐かしいね。
154NASAしさん:02/05/06 12:30
深夜便なんかで、洞爺丸がらみの怪談とかってなかったの?
155NASAしさん :02/05/06 12:55
1度車ごと乗った事あり。キチンと車体をワイヤーで固定して納得。
その後初めてカーフェリー乗った時は、車止めしかしなくてチョトビクーリしたね。
156NASAしさん:02/05/06 17:02
agetayo
157NASAしさん:02/05/06 17:36
廃止前年の冬に乗った、すごい時化の日で、
大きくピッチングして立ってられないくらいだった、
海峡ラーメン食べようと思ったら、出航15分位で
売店が営業中止になってしまった。
波しぶきが甲板まで上がってビクーリ、スリリングな航海だった。
158NASAしさん:02/05/06 19:28
>>152
>指定席グリーン

昭和50年代の「●ルーガイド 北海道」で、あのもそもそ氏@竹ノ塚在住
(ヒコーキ嫌い)、青函連絡船では混雑時は優先乗船となるグリーン指定席を
奮発しておこうなどと書き散らしていた。(w
159NASAしさん:02/05/06 20:00
>>157
「海峡ラーメン」ですか。夏になると船の科学館に展示されている羊蹄丸の所でビアガーデン
やっていたな。そこのメニューに海峡ラーメンてのがあったけどそんな歴史があったのか。
160NASAしさん :02/05/06 20:19
>153
そうそう、悪天候の日は食堂すぐ閉店(orハナから開店しない)するんだよね。
161NASAしさん:02/05/06 21:19
>>157>>159-160
>「海峡ラーメン」

>>158のもそもそ氏→マンセー
東松原氏→「ぬるくてまずい」と酷評

どっちがホント?
162NASAしさん:02/05/06 21:24
連絡船ってどうやって列車を船内に入れるのですか?
レールを橋渡ししてもつなぎ目で脱線したり、無理な力が
かかりそうなのですが・・・。
163NASAしさん:02/05/06 22:09
>>161
>>157 は食べられなかったみたいだし >>159 は食べたとは言ってないね

自分の思い出としては、あんまり・・・ もう十数年も前の事だから。

当時バッグパッカーだった自分は、北海道へ渡る時の儀式みたいな感じ
で連絡船に乗ると必ず海峡ラーメン食べてたよ。

急行八甲田から連絡船に乗り換えて、
これを食べると、”あーもうじき北海道なんだー!”って・・・懐かしいね
164NASAしさん:02/05/07 12:43
>>162
つなぎ目で脱線しないようにレールを橋渡しするんですよ
165NASAしさん:02/05/07 12:44
www.h4.dion.ne.jp/~genchan/youtei02.html
166NASAしさん:02/05/08 17:25
なるほど、さんくすです。
ところでその橋上のレール(陸側)は橋が動くと弾性で曲がるのですか?
それとも関節になっているのですか?
船の揺れをどうやって危険がないように吸収しているのでしょう?
船側のレールと橋のレールをどう締結しているのかも気になるなぁ。

自分で調べた範囲ではちょっとわかりませんでした。ヘルプミー

167NASAしさん:02/05/08 18:30
http://www.bekkoame.ne.jp/~mayama/renrakusen2J.htm

連絡船と陸を接続するには、可動桟橋という設備を使います。
これは満干の潮位を吸収するためのスロープのようなものです。
上下の移動に対しては数箇所の関節によって吸収します。
また、船の横揺れは係留ロープによって固定します。
縦揺れに対しては可動桟橋の上下で吸収します。
船と桟橋のレール接続はそれぞれのレールに切れ込みがあり
それをはめ込んでロックする形です、これにより船体前後への移動を
なくします。
また可動桟橋は重量の重い機関車は乗り入れできないため、
控車という貨車を数両つないで連絡船内に貨車を出し入れします。
168NASAしさん:02/05/08 20:24
へぇーーー、なるほど。そういうことだったんですね。
よく分かる説明&URLありがとうございました!

これ、ずっと気になっていたんですよね〜。
169NASAしさん:02/05/08 23:01
連絡船自体にも、積み込んだ車両の重みによる船体傾斜をなおすために、
船底にあるタンクに海水をポンプで出入りさせて、調節しています。
そのポンプを遠隔操作する場所が、船尾に張り出している小屋みたいなところです。
入れ替え作業を見ていると、接岸した連絡船から車両を引き出す、控車つき機関車と、
積み込み待ちの貨物列車が可動橋の前で並んでいて、船内の合計4番線の線路から
先ず1番線分の車両を船外に引き出し、空いたところに積み込む車両を入れます。
次、別の番線に先ほど引き出した車両を連結して引き出し、空いたところに、
先ほど積み込んだ列車の残りの車両を順次、入れます。2両の入れ替え機関車が交互に、
行ったり来たりして、出したら入れてを合計4回繰り返し、船体の浮沈や傾斜を最小限に
抑えつつ(可動橋もラクになる)、入れ替え作業は完了となります。
引き出した車両は、入れ替え作業完了時に、既に列車になっているわけです。
可動橋は、上の説明にもある通り、数カ所に関節があり、全長40mくらいになります。
重量級航送車(機関車)の積みおろしは、可動橋の変位が大きくて、神経を使ったらしいです。
連絡船が新造されて回航されてきた時、難関の試験が、この可動橋との接合試験だったそうです。
寸法精度が船としては異常にシビアで、連絡船建造は造船所泣かせだったそうです。
170NASAしさん:02/05/11 01:06
昔何千枚か写真取ったがどっか逝っちまった。
171函館猛ダッシュ:02/05/11 14:38
ジャパニーズ・ドリーム(元、十和田丸)に乗船したことある人いるのかな?
何年か前、フィリピンにいってしまったけど.....。
JR化後の、廃止になった連絡線の、引き取り先は、成山堂書店の「鉄道連絡線のその後」に
詳しくのってたよ!! ¥1800とちょっと高いけど。

172函館出身(生まれただけだけど):02/05/11 15:21
もう15年くらい前になくなった叔父が国鉄職員で、洞爺丸事故のことを
一度だけ話してくれたことがある。

叔父は函館港で貨車を連絡船から出し入れする業務に従事していた。
その日、洞爺丸に貨車の搭載が終わって、船と桟橋を接続している
跳ね上げ式の橋を上げようとしたら、停電で橋が動かなくなってし
まったそうだ。
結局この停電のせいで出航できなくなった洞爺丸は出航見合わせ(
叔父は「テケミ」って言っていた)になって、叔父は帰宅したそうだ。

その夜、屋根を吹き飛ばされそうなほどの台風が函館を襲ったが、
叔父はあまり心配していなかった(洞爺丸の船長は天候読みの名人
で有名だったそうだ)。
ところが朝になってみると洞爺丸は出航し、湾内で転覆していた。
(当時小学生だった母は近くの高台で湾内に浮かんでいる洞爺丸の
腹を見たといっていた。)
叔父はその日、悔しさと無念さで涙が止まらなかったそうだ。
173NASAしさん:02/05/11 21:50
その洞爺丸が青函航路にデビューしたのは昭和22年の晩秋。
当時の日本国民は、戦争の焼け跡に建てた掘っ立て小屋同然の粗末な家に住み、
暖房の入っていない超満員の列車にしがみついて買い出しに奔走していた時代。
冬の寒さと水の冷たさに凍えていた当時、洞爺丸に乗船すると、暖房は良く効き、
洗面所に行くとお湯がふんだんに使えて、それはそれは夢の様だったそうだ。
3等でも列車よりは遙かに快適だったそうで、1・2等ともなれば貴賓室を思わせる
豪華で上品なインテリアだったそうだ。それもその筈、戦後の日本での建造再開第1番船、
初めての本格的旅客船かつ全長100mを超す大型船舶で、造船所の入魂の力作だったそうだ。
戦勝国に賠償で取られる不安を抱えながらも、戦後復興の大きな希望の星だったのだそうだ。
台風で沈む1ヶ月前、戦後初めて北海道に渡られる天皇皇后両陛下のお召し船にも指定された。
その時、青森や函館では在港船の盛大な歓送迎を受け、見事な「海峡の女王」ぶりであったそうだ。
今でも年配の人達に言わせれば、トンネル開業で引退した最終型の連絡船よりも、洞爺丸型のほうが
タービン船であったために静かで乗り心地が良かったそうだ。合掌。
174NASAしさん:02/05/12 08:51
洞爺丸age
175NASAしさん:02/05/12 16:12
>>173
>トンネル開業で引退した最終型の連絡船よりも、洞爺丸型のほうが
>タービン船であったために静かで乗り心地が良かったそうだ。

車両甲板が密閉式だったらと悔やまれますね。
まあ、洞爺丸の運命を変えた数分間の停電や、天候のいたずらがなければ
避けられた事故かもしれませんが…。
176NASAしさん:02/05/13 01:00
>この1日だけ函館→函館or青森→青森の片道キップが買えたんだっけ?
>経由 青函・海峡線でな

亀レスですが、買えました。
チューカ、漏れその切符持ってます。
経由は[海峡線・青函]ですが(^^;)
177NASAしさん:02/05/13 17:39
あの台風、越前あたりから時速110kmで函館まで来たっていうんだから恐ろしい。
178NASAしさん:02/05/13 21:30
しかも、あの当時は気象観測が今ほど精密じゃなかったからねぇ・・・
お召し船の経験がある船長が結果として判断を誤ったぐらいだから
不運に不運が重なったものと思われる。
誰もが台風の目と思わせた晴れ間が実は台風直撃のイントロだもんね。

あと、国鉄本庁の会議のために連絡船に乗り合わせた札鉄局幹部が
船長に出港するように圧力をかけたとの噂がマスコミを騒がせたこともあった。
179NASAしさん:02/05/13 22:24
>>178
>不運に不運が重なったものと思われる。

洞爺丸は、狂乱怒濤の海で数時間にわたる台風との死闘を演じ、車両甲板の船尾開口から
大量浸水して、機関が停止してしまったため、船長は、平素は遠浅の海水浴場である浜へ
向かって漂流中であることを念頭に置き、そのまま座礁することを決断したのです。
海水浴場の波打ち際に船をしっかりと座り込ませれば、救助隊が来るまでの当面、乗客の
安全はとりあえず確保される見通しでした。乗客には万一に備えて救命胴衣が配られました。
ところが、沖の海底に、当夜の大時化で砂の小山が突如出現したため、洞爺丸はそれに底触して
しまいました。しかし、船として浮力を未だ失っていなかったために、暴風と巨浪に押されつつ
海底砂丘を滑っていきました。そして遂に、ローリングを抑える船腹のヒレが砂に引っかかり、
暴風と巨浪にしたたかに叩かれ続け、刻々と傾斜を増していき、とうとう横転してしまったのです。
座礁の後に、ただ単に転覆しただけであれば、船体の3分の2は海中に沈まず海上に残った筈でした。
ところが、洞爺丸が倒れ込んだ場所は、驚くべきことに、海底が突然深みになっていたところでした。
先ほどの堆積砂の山が消失する淵で、転覆してしまったのです。何という不運なことでしょう!
結果的に、洞爺丸は135度も転覆、海底の深みに刺さり込むように沈没してしまいました。
多くの尊い人命が、船と共に運命の波に呑み込まれて逝ったのでした。合掌。
180NASAしさん:02/05/13 22:29
>圧力
第11青函丸から移乗した進駐軍モナー。
>船長
洞爺丸台風の時の船長は代務船長お召しには常務しとらんです。
181NASAしさん:02/05/14 10:44
事故後、海難審判で洞爺丸の復元性能鑑定のため、精巧な模型を使って水槽実験が行われた。
何度試しても全く横転せず、困惑した実験担当者は毛布を丸めて水槽の底に置いたら、船腹の
ビルジキール(ひれ)が引っかかったとき、「極めて希に」横転する場合があることがわかった。
それから、遭難の原因ともなった車両甲板への波浪の打ち込みも、沈没直前のうねり長では
きわだって大量となり、うねり長がそれ以上かそれ以下でも激減することがわかった。
洞爺丸事故は、信じられないほどの不運がよくよく重なっていたようだ。
182NASAしさん:02/05/14 10:48
>>178
>国鉄本庁の会議のために連絡船に乗り合わせた札鉄局幹部が
>船長に出港するように圧力をかけたとの噂がマスコミを騒がせたこともあった。

これはある乗客が一等船室に乗船したものの、なかなか船が出航しないため
給仕(ボーイ)に「なぜ出航しないのか」とたずねたところ、「只今会議中
なので」との答えが返り、短気な性格だったその乗客は船を下りて、湯の川
温泉の旅館に泊まり、1夜明けてみれば洞爺丸は沈没していた。
函館駅へ行ったその乗客は、洞爺丸の乗客名簿に自分の名前が載っている
のを発見し、国鉄職員を叱りつけたとか。(実際のところ、事故の処理で
国鉄側はそれどころではなかったが。)その後上り連絡船再開第一便→
本州の急行列車に乗り継いだその乗客を東北地方の某駅で待ち構えていた
ある新聞記者がその乗客に取材をかけたたところ、「国鉄幹部が延々と
会議をやっていた」と話したので、国鉄幹部圧力説がひとり歩きして
しまったとか。
183名無しの笛:02/05/15 09:50
確か『洞爺丸はなぜ沈んだか』(上前淳一郎)だったかな?という本にも
けっこう詳しく書いてあります。部分的に脚色がありましたが、一応オス
スメ。
184NASAしさん:02/05/15 12:30
青函連絡船懐かしいっす。昔々、職場としておりました。国鉄分割民営化
と共に、違う職場に去りました。みなさん今頃どうしておられるのやら?
シメラマシガケなんて言葉も忘れておりました。(藁
185NASAしさん:02/05/15 12:32
>>179
おそらく船長さんはなんでこんなに状況が悪化していくのか最後までわからないままだったんでしょうね。合掌
186NASAしさん:02/05/15 12:38
>>184
「シメラマシガケ」って、貨車の固縛具の増し締めでしたっけ?
187NASAしさん:02/05/15 20:02
>>184
国鉄時代に羊蹄丸の船長をしていたある方は
広域配置転換で某鉄道管理局で最も主要なとある駅の駅長をしてました。
あと、国鉄・JRの陸上機関や海上保安庁等の官庁舟艇乗員への転職等など。
ちなみに、航路末期には要員が足りないことから
OBも応援に駆けつけたそうです
(JRは形だけの入社試験を介して同意の上でOBを動員した)。

しかし、「青函船舶鉄道管理局」という言葉の響きってカコイイと思うのは
私だけですかね?
188NASAしさん:02/05/15 21:40
青函局って日本で一番小さな範囲を統括していた局じゃなかったっけ?
船持ってたから人員、設備はかなりのものだけど。
189NASAしさん:02/05/15 21:55
日テレ系『世界仰天ニュース』で、関東大震災、洞爺丸沈没、ばんだい号
墜落、ホテルニュージャパン火災を逃れた競馬調教師のネタをやって
いましたね。
190NASAしさん:02/05/16 02:34
>「青函船舶鉄道管理局」という言葉の響きってカコイイと思うのは

JR化で「JR比海道ハテダコ支店」にナタ時は萎エ萎エでしたナー...
191NASAしさん:02/05/16 02:46
初代大雪丸はもう10年以上前に逝ってしまってたんですね。
ずっと知りませんでした。

ttp://www.faktaomfartyg.crosswinds.net/taisetsu_maru_1948.htm
晩年の姿。

遅まきながら、40年余りの長い航海、お疲れ様でしたといってあげたい。
192NASAしさん:02/05/16 09:47
>>185
事故から1週間後、捜索の底引き網で、海底から洞爺丸船長の遺体があがったそうだ。
救命胴衣は付けず、雨合羽を着ていて手には双眼鏡がしっかりと握りしめられており、
最期まで台風と闘っていたことを思わせる姿だったそうだ。合掌。
193NASAしさん:02/05/16 09:53
>>186
そのとおりっす。海峡の天気が悪いときはこんな電報がJRGから入って
おりましたねぇ。

194NASAしさん:02/05/21 10:17
廃止になるまで70回くらい乗船しましたが、遂に一度も海峡のイルカには逢えずじまいでした。
19さん以外に、乗船中にイルカを見たことあるひと、いますか?
195NASAしさん:02/05/21 12:58
70回乗って一度もとは・・・

俺10回くらいしか乗ってないけど常に見てたと思うが・・・
196NASAしさん:02/05/21 22:21
青函連絡船って昔から夏のシーズンなんかに団体向けに貸切で青函以外の航路
(秋田、酒田、仙台、小樽、室蘭、釧路、陸奥湾周遊、など)を運行していたけど
それに参加したことある人いる?
197あるある会員:02/05/22 02:48
懐かしい!!皆さんはじめまして。
連絡船好きなんです。。。いまでも。
タグボート、何回か乗りましたよ〜♪タグボートから見る連絡船は迫力ですね。
廃止になったのは今でも悔しい。。。

貸切の連絡船乗りましたよ〜、あとイベント系も。
朝から晩まで追っかけまわしてました。。。月に一〜二度は連絡船に
乗って函館と青森往復してました。

ん〜連絡船馬鹿って感じでした。
198194:02/05/22 10:00
>>195
ワタシが不注意だったと言うか、要するに間抜けだったようですね。(藁
でも、トビウオらしきものは1回だけ目撃しました。初めてだったので感動しました。
199NASAしさん:02/05/22 10:20
>>197
源新英男さんの写真集「補助汽船賛歌」は素晴らしいよ。
オールモノクロなんだけど、質感がとても良く出ていて、油臭さが漂ってくる。
見ていると、懐かしさで胸がいっぱいになったよ。
200NASAしさん:02/05/22 11:26
今朝(5/22)の北海道新聞によれば、函館の摩周丸の汽笛が復活する。
連絡船OBらが、摩周丸のエアーホーンを点検したところ、吹鳴可能であることが
わかったので、今後、摩周丸にエアーホーン吹鳴用圧縮空気供給設備を付加することで、
計画では、正午と午後6時の1日2回、長声1発を時報代わりに鳴らすという。
201NASAしさん:02/05/22 12:54
いい話だなぁ。
202あるある会員:02/05/22 20:27
それはうれしい!!!!!!!
また聞けるんだね、あの汽笛が。感動o(TωT )( TωT)o ウルウル
203香川県人:02/05/22 22:06
>>200
 おおっ!!それは目出度い!!
 こちらではあの重い音の汽笛なんぞ滅多に聞けないものだから羨ましい。
204NASAしさん:02/05/23 17:28
205NASAしさん:02/05/24 01:55
>>204
情報サンクスです。
復活最初の「長声一発」の一声はぜひ高橋秀樹に・・・
206NASAしさん:02/05/27 23:33
age
207NASAしさん:02/05/28 11:03
青函連絡船をイメージして東日本フェリーに乗ったら、係員の接客はなってない、
設備は陳腐、部屋は汚いでいいことなかった。次回からはJRにしよ。
208NASAしさん:02/06/01 19:18
摩周丸がリニューアルされる。概要↓
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20020601&j=0023&k=200205319747
209NASAしさん:02/06/02 12:35
>>208
ヤホ-
210NASAしさん:02/06/11 22:27
>>207
丸っきり別物ですよねぇ〜。
211NASAしさん:02/06/14 22:24
>>208
「来年一月から船の塗装など改装に着手。」
晴海の洋蹄丸みたいな塗装にはしないでほしい・・・
ついでに、封印されている普通船室も公開キボンヌ!!
212NASAしさん:02/06/14 23:30
>>207
そりゃこんなスレがたつ位だから
http://science.2ch.net/test/read.cgi/space/1009208392/l50
213NASAしさん:02/06/18 01:49
age
214NASAしさん:02/06/18 07:14
>>211

んだ、白と青のあの塗装じゃなきゃ摩周丸じゃない
215NASAしさん:02/06/19 10:13
>>214
オリジナルカラー維持、禿げしく胴囲!(もう古い言い方か?)
東京にいる羊蹄丸も、今のあの色に塗られちゃあ、本物の羊蹄丸に見えないもんな。
216214:02/06/19 19:10
>>215

何年か前に幼帝○に逢いに逝ってきたけど
あれは羊蹄丸じゃない、変な塗装しないで
くれって言いたかったけど、言ってどうな
る物でもないしね・・・・・・
青函博のリバイバルで乗船しただけに悲しい
217NASAしさん:02/06/19 21:00
>>216
洋蹄○ねぇ〜 ホント、あの塗装はダメダメだよね!!
初めは、笹川会長船の科学館に「現状のまま保存する」だった気がする。
その後、世界都市博で公開するとか言っていたけど、都市博自体が、
あぼーんしちゃったので、公開予定が宙に浮いてしまい、その後、日本政府館の
展示施設にしてほしい・・・との要請で、大改装して、イタリアのジェノバに出張して、
帰国後、笹川会長船の科学館に落ち着いたんですよね・・・
 今の洋蹄○、展示施設としては、とてもいいんだけど、塗装は許せん!!
ホテルになった大雪○とは違うんだからさぁ
218NASAしさん:02/06/19 21:22
JNRのファンネルをつけているのに何故あの塗装?
というより
つーか、あの塗装で何故ファンネルがJNRなのか?
と言う気持ちが強いがどうよ。
219NASAしさん:02/06/20 23:48
>>216
オレも乗船したヨ!! リバイバル運行!!
でも、「世界、食の祭典」の垂れ幕(?)と、遊歩甲板のイカの絵が
とてもウザかった・・・。
ちなみに十和田丸だったヨ!
220馬刺しさん:02/06/21 00:27
模型もいいけどこれもどうですか?
作る技術はないけど。

ttp://rc.acty-net.ne.jp/ml/rc/model/etc/20000718/

かっこええなぁ・・・・。
221NASAしさん:02/06/21 10:10
>>220
さっそく見たよ。すごいねぇ・・・・・
錆の流れ方からして本物そっくり。ホントよく作ったものだ。
写真の撮り方しだいでは、見た人は皆、ホンモノと思うだろうね。
222NASAしさん:02/06/21 12:58
おおお!すげえ!本物にしかみえん!
223NASAしさん:02/06/22 20:43
いよいよ摩周丸の挨拶が聞ける日が近づいてきたぞ↓
ttp://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20020622&j=0041&k=200206225254
224NASAしさん:02/06/23 22:56
保守
225NASAしさん:02/06/24 19:52
いよいよ明日、摩周丸の汽笛が復活!
「長声一発!!」マンセー ハーモニック・エアホーン、マンセー
んでも、メモリアルシップ八甲田丸では、オープン当時から、正午に汽笛を鳴らして
いましたよね?
226225:02/06/24 19:56
ゴメン、今日だっけ?
逝って来ます・・・
227NASAしさん:02/06/25 18:29
>>225
ドンマイ、ドンマイ。
諸事、順調だぞよ↓
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20020625&j=0025&k=200206247686
228NASAしさん:02/06/25 22:06
age
229NASAしさん:02/06/27 22:05
展示施設やホテルとして利用される元連絡船、改造、改装されながらも現役の旅客船として
利用される連絡船 船としては、どっちが幸せなんだろ・・・



230NASAしさん:02/06/28 02:15
>229
そりゃ、後者だろう。
231NASAしさん:02/06/28 12:39
輸送機って、動かすためにつくられたものだからな。
232NASAしさん:02/06/29 20:55
青函丸型age
233NASAしさん:02/06/29 23:35
W型戦標船萌え〜
234NASAしさん:02/06/30 02:14
弔声一発
235NASAしさん:02/07/02 22:12
サロン海峡age
236NASAしさん:02/07/04 07:38
agetokuyo
237NASAしさん:02/07/04 21:51
初代、十和田丸に乗船したことのある方、いらっしゃいますか?
238NASAしさん:02/07/06 20:46
今日のラジオ(NHK第一)聴いた人居る?
16:05から1時間、連絡船の想い出を語る番組だったんだが。
239NASAしさん:02/07/07 22:18
>>237
漏れ自身は乗ったこと無いが、漏れの両親やジーサンばーさま達の体験話では、
青函航路初のディーゼル主機船ということで、それまでのタービン主機船に較べて
オッソロしく乗り心地が悪く、低速型2サイクル8気筒なんだそうだが、振動には
閉口したとさ。それに、そもそも台風で全損した洞爺丸の代替船なので、復元性能を
格段にアップさせたので、大したウネリでない時でもよく揺れるのでイマイチだったと。
内装も、シックで上品な洞爺丸型姉妹に較べると、素っ気なかったらしい。
でも、連絡船の客船で初めて、2枚舵を採用したので暴風時での進路保持性能が格段に向上、
さらに車両甲板を完全水密化したり、保安面では、やはり進化した良い船だったらしい。
240NASAしさん:02/07/07 22:34
239を読んで、ずっと昔大学の図書館で国鉄の連絡船
設計担当者が書いた本のことを思い出した。

一番の難点は主機がディーゼルになったこと、食堂の
アンケートにまで「やかましい」と書かれたらしい。
あと、優等船室からの下船ルートの階段が見栄えを
優先して、普通船室のエントランスの真中に下りて
いたらしい。だから下船時にはそこが普通船室の
乗客で一杯になって優等船室乗客が階段の途中で
立ち往生したらしい。
当時は接続列車の良い席を確保するために連絡船だけ
優等船室を利用する人が多かったそうだけど、この船に
関しては奮発した甲斐がなかったものと思われる。

ちなみに当時の等級が2等級か3等級か分からなかったが、
優等船室は旧1・2等、普通船室は旧3等のつもり。
241NASAしさん:02/07/12 20:56
初代 十和田丸、とても「客船」らしい外観が好きなんですけど
やはり、津軽丸型が就航するまでの代役だったのか、中途半端なんですかね・・・
でも、オイラは、初代 十和田丸に乗船したことないんですが・・・
 2代目 十和田丸も好きだった。(スタビライザー装着後)
なんかクジに当たったみたいでね。 ジャパニーズ・ドリームは・・・ですね。
242NASAしさん:02/07/12 21:02
>>239

低速型2サイクル8気筒とか2枚舵とかおっしゃるとは
すざましいご両親とジさまバさまですな
243NASAしさん:02/07/12 21:43
十和田丸を改造後の石狩丸(2代目)の方がいいと思うんだが…
244NASAしさん:02/07/12 22:25
>>243
意味が解りません。
245239:02/07/12 23:07
>>242
たしかに、どこにでもいるような年寄り連中の口から、低速型2サイクル8気筒とか2枚舵とか
言われれば、ちょっと戸惑いますねえ。
でも、函館は連絡船の母港ゆえ、連絡船職員がワンサと居て、その官舎の近くに住んでいたゆえ、
井戸端会議か何かできっと吹き込まれていたんでしょ、たぶん。ま、九官鳥レベルかもよ?(w
246NASAしさん:02/07/13 05:55
>>244
初代 石狩丸は「H」型戦時標準船と呼ばれる貨物船、本来なら博釜航路に使用される予定だったが、造船中に敗戦で、青函航路に配属された
「H]型のHは「Hakufu」のHです。 S21.7.23就航 S40.9.30終航
2代目 石狩丸は津軽丸型 2代目 十和田丸 の就航した為、役目を終えた 初代 十和田丸を貨物船に改造した船です。 客室を撤去し、線路を増設して、搭載車両数を43両に増やしました。
S42.5改造 S52.3.18終航
 3代目 石狩丸は、皆さん御存知の渡島丸U型の貨物船ですね。 この船については、青函連絡船 終焉まで、活躍してましたので、皆さん詳しいので、省略いたします。 
247NASAしさん:02/07/13 06:38
おれは単なる北海道旅行の好きな若者だったが、75年から数え切れないくらい乗ったな。
青森の津軽や黒石地方と函館近辺の人的交流は強くて、乗船名簿が書けない婆さんの名前や住所を書いてやったこともある。
青森桟橋の立ち食いそば、伯養軒だったかな。そばも、だらんとしてるし、汁も変に甘くて不思議な味だったが、今となっては懐かしい。
まあ、そば屋は今でもあるか。
八甲田や津軽(東北の急行)を降りて船内にはいるとほっとしたよ。
248246:02/07/13 09:17
うわ! 読みにく〜
資料片手に寝ぼけてカキコしたんで、読み難くてスンマソ!
249246:02/07/15 18:24
有川埠頭から乗船したことある方いますか〜?
昭和40年代後半に定期便の積み残しで、在ったらしいのだが・・・・
250NASAしさん:02/07/15 21:02
>有川
確か昭和48年のお盆に臨時便が1便だけのはず。
251246:02/07/18 06:09
>>250
情報サンクス!!
252NASAしさん:02/07/23 06:37
捕手
253NASAしさん:02/07/26 21:27
【祭】摩周丸の夏フェスタ
ポスター キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
ttp://www.sxp.co.jp/renrakusen/events/festa2002_a3.pdf
254東京在住:02/07/27 20:41
>>253
う〜ん行きたい! んでも、その期間はずっと仕事・・・・
参加される方、詳細なレポートお願いしマス。
ペーパークラフトほすぃな・・・・・・
255NASAしさん:02/07/27 23:20
>>246
そう言えば、20年7月の空襲で全滅状態になったんだよね。
256NASAしさん:02/07/28 20:19
>>255
その話は、語るも涙、聞くも涙の、辛い話ですよ。
洞爺丸事件の陰に隠れたり、あまり昔の話だから、もう振り返られることも少ないけどね。
戦後生まれの俺が、古老から聞いたり書物を読んだりする度に、哀しい感動で胸が一杯になった。
実際、数百人もの多数の乗組員が、この時死傷しているんですよね。
しかも、攻撃されることと日時が事前にリークされていたので、遺書や形見を残して当日乗務していた
乗組員もけっこうおられたとのことです。
その慰霊碑が函館山の登山口の傍に建てられています。合掌。
257NASAしさん:02/07/29 02:33
>>256
米軍の飛行機から、日時や具体的な攻撃場所を書いたビラがばら撒か
れたけど、警察や憲兵があっという間に回収したとか。

終戦50年の特番だったと思うけど、攻撃される連絡船の映像が紹介さ
れてたね。
船を座礁させる為(沈没させないように)陸地に向かう姿に涙がでたよ。
258NASAしさん:02/07/29 12:02
>船を座礁させる為(沈没させないように)陸地に向かう姿に涙がでたよ。

それは松前丸ですね。米軍機の集中攻撃をあびて猛火に包まれながら、
七重浜の海水浴場(遠浅の砂浜)に全速力で突っ込んだそうです。
戦後しばらく、焼けただれた姿が残されていたそうです。
259NASAしさん:02/07/31 23:43
昭和25、6年頃まで七重浜に放置されていたんだよな。<松前丸
で、撤去したら今度は洞爺丸が座礁。

飛鸞丸も未だに陸奥湾に沈んだまま。
石狩丸の錨が引っかかってエライ往生したとか。
260歩く歴史人:02/08/01 00:29
攻防1年です。鉄道好きの友達と青函連絡船の話をすると
「何それ?何処の鉄道路線?」
とか。
かなり腹が立ちます。説明すると
「あ、摩周丸とかの航路だよね。あれは最高!」
それから休み時間、放課後の部の活動になると連絡船の話をしています。おかげで変人扱いされています。
261NASAしさん:02/08/01 10:20
>>260
もう航路廃止から14年も経ったからねえ・・・
262歩く歴史人:02/08/01 12:19
にしても、いかんことです。最近の若いモンは歴史も知らんのか。
263NASAしさん:02/08/01 12:31
「最近の若いモンは」というくだりは、
古代ローマ史にも登場する。

歴 史 は く り か え さ れ る
264歩く歴史人:02/08/01 13:25
本日の部活は他人を巻き込んでの「洞爺丸事故」の討論会でした。卓球部なのに・・・。
265NASAしさん:02/08/01 13:27
船ヲタ高厨 自分のスレに篭ってれ
266歩く歴史人:02/08/01 14:15
>265
それはやめさせていただきます。
追伸
初心者なんで何か良くないこととかあったらお教えください。
267NASAしさん:02/08/01 14:26
初心者なんでと言って顔色伺うヤツ ウザイ逝け
268歩く歴史人:02/08/01 15:08
いや、本当です。確かに2ちゃんねるの存在はちょっと前から知っていました。が、実際に書き始めたのはつい1週間ほど前なのです。
「篭ってれ」いうのも分からなかったから、初心者板の「もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ2478 」で聞いて初めて分かったんです。
269NASAしさん:02/08/02 02:25
どうでもいいじゃん。
270NASAしさん:02/08/02 22:39
あーあ、くだらねースレになってしまったな〜
せっかく育った良いスレも馬鹿厨一人書き込んだせいで滅茶苦茶に。


終わりだな。このスレ。
271NASAしさん:02/08/02 23:03
>>270

まあまあ。あんまり怒りなさんな。
昨日から、摩周丸は正午になると素晴らしい声で挨拶をしてくれているぞ。もう最高だ!皆聴きに来い。
272NASAしさん:02/08/02 23:07
>>271
ちなみに、摩周丸の汽笛吹鳴は、正午に長声一発のみ、8月17日までの予定です。
273歩く歴史人:02/08/02 23:20
>270
申し訳ありませんでした。撤退します。
274NASAしさん:02/08/02 23:26
265,267,270 お前が悪い、謝るか、二度と出てくるな
275NASAしさん:02/08/02 23:26
>>273
青函連絡船80年の歴史には、感動秘話がみっしり詰まっているぞ。
これらの幾つかを知っただけでも、思いっきりハマること請け合いだ。
2ちゃんねるには懲りても、キミも連絡船には存分にハマってくだされ。
276NASAしさん:02/08/03 01:15
今度の警察庁長官の父上、洞爺丸台風時の羊蹄?の船長と朝日と日経が報じてた。
277NASAしさん:02/08/03 02:32
>>276
北海道新聞でも確かに洞爺丸事故当夜の羊蹄丸船長の子息だと報じていた。
名船長の定評があった洞爺丸殉職船長の薫陶も受けた、慎重な方だったそうだ。
この羊蹄丸船長、当日は早々に欠航を決断したが、とどまった青森桟橋では風は弱く、
十勝丸が函館に向けて運航中、更に洞爺丸も函館出港との報に、焦る気持ちも手伝い、
乗船予定客からは苦情殺到、出航すべきか否か、孤独で大変な葛藤があったらしい。
しかし、臆病者との非難に耐えて、腑に落ちない気持ちに逆らわずに自制し続け、
軽々な運航再開を否定した結果が、羊蹄丸と乗客の保安を保証し切った英断となった。
278277:02/08/03 02:38
洞爺丸船長の薫陶を受けたのは、もちろん父上の羊蹄丸船長であって、
今度の警察庁長官本人では無い。上の文章が拙かったことを詫びる。
279NASAしさん:02/08/03 17:08
洞爺丸の出航は、乗船してた国鉄北海道総局幹部の圧力って話もあるなー。
280NASAしさん:02/08/03 18:04
>>279
がいしゅつ。
過去ログ嫁。
281NASAしさん:02/08/03 22:37
>>279
それって、がいしゅつじゃなくて「既知の事実」ってやつじゃないのか
282NASAしさん:02/08/03 22:38
「周知の事実」か。
283NASAしさん:02/08/04 03:17
とはいえ、出航したなら、ガンガン走って沖に出るべきだった。
284NASAしさん:02/08/04 04:58
>283
「あの時こうしとけばよかった」みたいな極めて後付けな事を言うのは止めなさい。
荒れる元になる。
285NASAしさん:02/08/04 12:33
あのときこうしとけばよかった のスレなんでしょ。馬鹿なんじゃない。
あんた出てこない方が身のため
286NASAしさん:02/08/04 15:04
洞爺丸事故当夜、僚船の大雪丸が風上(沖の方)に向けて走ったのだが、猛烈な船体動揺のため、
ブリッジでは船長がふっ飛ばされてそうだ。代わりにセカンドオフィサーが指揮を執ったらしい。
機関室でも、極めて歩行困難であったため、ロープを張り巡らして、やっと作業遂行したという。
幸い空船だったのだが、乗組員だけでも九死に一生を得た大難航であったため、乗客がいた場合、
パニック必死(怪我人続出か?)であった模様だ。
洞爺丸も走れば助かった筈だと、論文まで書いて主張した元船長がいたが、批判にさらされたそうだ。
287NASAしさん:02/08/04 19:15
>>284
>あのときこうしとけばよかった のスレなんでしょ。馬鹿なんじゃない

「青函連絡船」についてのスレで、後知恵をひけらかすスレでは無いです。
しかも罵声を入れているとは素晴らしいレスですね。
どこで「馬鹿」という言葉に結びつけているのか意味不明。

夏だねぇ・・・

>>286
洞爺丸の悲壮な奮戦は有名だけど、
沈まなかった船の奮闘振りはあまり目立たないっすね。
当時函館にいた連絡船って沈没した5船以外にはどの船がいたんだろうか。
いずれにしても、最も天候を把握するのに長けていた洞爺丸船長が
結果的に判断を誤ってしまったんだから余程の事だったと思います。
(過去レスで既出の通り、
このときは様々な信じがたい現象が発生していたんだから・・・)
288NASAしさん:02/08/04 23:08
洞爺丸事故当夜、函館港外の湾内には、青函連絡船が7隻、台風と死闘を演じました。
函館港内は避難船で大混雑、そのうえ暴風による走錨船が相次ぎ、パニック状態でした。
連絡船のような比較的大型の船は、衝突の危険回避と操船の自由のため、港外に出ざるを
得ない極めて異常な状況であったそうです。
7隻の内、大雪丸と第十二青函丸の2隻は大難航の末、辛うじて生還に成功しました。
しかし、この大時化で船体各部に損傷を負い、修理しないと運航不能の状態であった
ことも事実です。この2隻は何れも空船でした。
残りの5隻、洞爺丸、第十一青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸は沈没したことは、
皆さん御存じの通りです。この5隻は何れも航送車両を満載していました。
5隻のサロン6職(船長、機関長、通信長、事務長、1等航海士、1等機関士)は
全員、殉職しました。ベテラン揃いだったのだそうです。
289NASAしさん:02/08/05 00:11
函館港内にも、第六青函丸、第八青函丸、石狩丸の3隻がいました。
このうち第六青函丸は、港外に脱出途上の大雪丸が風圧で操船の自由を失い接近、
遂に接触されたそうです。付近に走錨中の大型船があり、これの回避に右往左往
の状態で、非常に緊迫した状況であったとのこと。
石狩丸は、洞爺丸離岸直前に函館桟橋に着岸したのですが、折からの暴風による
影響で、岸壁に渡したもやい綱が全て切断、漂流してしまったのです。しかし
機関長が万一に備えて停泊中も機関スタンバイの手配を取っていたため、直ちに
双アンカーを入れたうえ機関も使用して、やっと船の行き足を止めたといいます。
何しろ、救命艇が空に舞うほどの暴風で、ブリッジでは激烈な風切音のために、
大声を出しても聴き取りづらいほどの大変な状況であったとのこと。
第八青函丸に於いても、港内で暴風による走錨があったが、辛うじて付近の
停泊船の回避に成功して難を逃れたそうです。
港内にいたから安全、とは言い切れない状況であったようです。
290NASAしさん:02/08/05 06:13
>>288-289さん
有難うございます。
車両を搭載していたことが事が明暗を分けたこともさることながら
運・不運の要素もあったんですね・・・
沈没5船のオフィサーが殉職したのは旧海軍式の
「船と運命を共にする」という思想の名残かもしれませんね。
291NASAしさん:02/08/05 20:54
>>290
洞爺丸事故当時、船員法に次の条文がありました。

第十二条 船長は、船舶に急迫した危険があるときは、人命、船舶および積荷の
     救助に必要な手段を尽くし、且つ旅客、船員その他船内にある者を
     去らせた後でなければ、自己の指揮する船舶を去ってはならない。

これは、解釈の如何によっては「船と運命を共にせよ」と受け取れなくもない
熾烈な条文です。実際に、沈没する船から自身は退船せずに殉職した船長が、
何人も出ました。船内を最後にくまなく巡回して確認を行うことなど、殆ど
不可能に近いのです。したがって、昭和45年に次のように改正されました。

第十二条 船長は、自己の指揮する船舶に急迫した危険があるときは、人命の救助
     並びに船舶および積荷の救助に必要な手段を尽くさなければならない。
292NASAしさん:02/08/05 21:41
洞爺丸とともに没した日高丸にも、こんなエピソードが残っています。

日高丸は事故当日の午後4時30分頃、青森から函館港に到着しましたが、
桟橋に接岸せずに、そのまま港内で錨泊、天候警戒をしていました。
しかし、午後6時30分頃の洞爺丸出港と前後して、暴風に見舞われ始め、
とうとう走錨(風圧に耐えられずにイカリを引きずったまま漂流すること)が
始まったため、後方の有川桟橋に激突する危険性が高く、船長は港外脱出を決断、
しかし港外に出ると、押し寄せる激浪に翻弄されて操船がままならず、辛うじて
双アンカーを入れて持ちこたえていました。そこに、先に沈没した第十一青函丸の
破断した船首が漂流してきて、アンカーチェーンに絡みそうになり、チェーンを
切らなくてはどうにもならず、やむなくチェーンの切断を敢行したのです。
ところが、そのときは機関室への浸水も甚大で、船の心臓も遂に停止したのです。
汽笛がほとんど鳴らないほどに蒸気は無く、操船は完全に不可能となりました。
やむなく船長は総員退船を指示しました。その直後、積載貨車が転倒し船体は急速に
横転、まもなく海中に没したのです。

アンカーチェーンを切るときに、M一等航海士が作業の指揮を執り、何人かの甲板員が、
作業に従事しました。チェーンは何とか切れたのですが、船が一層の危険に瀕し、
M一等航海士は救命胴衣の着用を指示しましたが、居合わせた6名に対し5個しか
その場には無かったのです。M一等航海士は、救命胴衣を着けずにいたW甲板掛に
自分のものを手渡し、着用を命じたのです。M一等航海士は「みんな最後まで頑張るんだぞ。
俺はブリッジへ行くからな。」と言い残して、現場を立ち去りました。その直後に船は転覆、
投げ出されたW甲板掛は沖のブイに漂着、翌朝、捜索に来たランチに発見され、救助の後、
無事に陸上に収容されました。
それから数日後、救命胴衣を着けていないM一等航海士の遺体が収容されました。
助かったW甲板掛の後日談です。
「今もなお、折に触れて思い出すことは、あのときのMさんのことです。
 船の職場は、厳しく辛いことが多かったけれど・・・・・しかし、
 それ以上のものに支えられていることに胸が一杯になるのです。」
293NASAしさん:02/08/06 22:34
チョト陰気クサクナリスギマシタカ?
294NASAしさん:02/08/07 00:07
>>293
いやいや、「良スレ」という言葉をもって
返事に代えさせていただきます。
295NASAしさん:02/08/09 00:21
洞爺丸の遭難で信じられないほど多くの行方不明者を出し、当事者の国鉄に対する
世間の非難は凄まじく、国鉄職員の身分をうっかり明かせないほどでした。
全国各地からダイバーが招集され、数多くの船艇が函館湾で、洞爺丸乗客の捜索に
忙殺されたのです。
しかし、この陰で、沈没した残り4隻の貨物連絡船の捜索は事故翌日から8日間にわたり
完全に放置、黙殺されたのでした。
捜索活動を洞爺丸に集中せざるを得ないほど、国鉄は厳しい批判にさらされていたのです。
もちろん、乗組員にも家族は居ました。当然に一家の大黒柱だったのです。
捜索放置の空白の8日間、これら乗組員家族はどんな気持ちで過ごしたのでしょうか。
この中には、投稿292に登場したM一等航海士の遺族も、当然含まれていました。
事故を起こした国鉄一家への世間の冷視を意識しつつも、事故後9日目の初捜索まで、
ひたすらに忍従して耐え続けた、辛い日々を送っていたのです。
世間を震撼させた歴史的大事故の陰には、こういうシーンもあったのです。
296NASAしさん:02/08/11 11:44
「摩周丸の夏フェスタ」 8/1〜8/17
行った人情報キボンヌ!
297函館山要塞:02/08/13 01:45
>>286
洞爺丸も走れば助かった筈だと、論文まで書いて
主張した元船長がいたが、批判にさらされたそうだ。

→誰の事よ、それ。教えてくれや。
298NASAしさん:02/08/13 09:00
>>297
F氏です。洞爺丸事故に関する発言では、海難審判中から何かと物議を醸したらしい。
299NASAしさん:02/08/13 14:59
コミケで北葉開発というサークルが出した青函連絡船の本を2冊買ってきました
タグボートの紹介や現在の有川桟橋のレポートほかが載っていて充実した内容でした
ただ、新刊の3冊目は行ったときは売り切れていて変えませんでした

関東生まれの20代前半な人間なので一回乗ってみたかったです
300298:02/08/14 12:44
>>297
敢えて実名を出そう。
一、文藝春秋1964年10月号「洞爺丸転覆の真相」福井_喜著
二、「洞爺丸沈没三十二年目の真実」福井_喜著、発行所不詳
301NASAしさん:02/08/24 09:37
保全age

つーか、地元じゃまだまだ生々しい記憶が残っている人が多いんで
連絡船に関して(洞爺丸)深く突っ込むのはある意味タブーに近いが。
実際函館市の買い取りに反対して摩周丸をスクラップにしる!って人もいるくらいだし。
302NASAしさん:02/08/24 10:03
こないだ十数年振りに羊蹄丸@船の科学館を見たよ。
すごくなつかしかったんだけどさ、でも同時に現役当時よりも
小さくなったように感じてなんか寂しかった。
ほんとに小さくなったわけないのにね。
303NASAしさん:02/08/24 23:30
>>302
大型フェリーが続々就航して見慣れれば、青函連絡船は意外にコンパクトに見える。
漏れも摩周丸の地元だが、貴兄と同感であることも・・・・・
304NASAしさん:02/08/25 13:07
>>296
「夏フェスタ」逝ってきますた。
模擬出航再現のイベントとか結構良かったぞ。実際に汽笛鳴るからな。
空気が震える感じがしてスピーカーからの味気ない音声のヤシとは全然迫力が違う。
あとイベントの物販で終航時に売られてた連絡船ポスターの在庫処分?で
1枚¥100ダタので思わず買い込んだぞ。
305JNR:02/08/28 19:59
age
306毎月タイ:02/08/28 20:26
さっき探しものしてたら、最終の青函連絡船に乗った時のパンフ
「Auld Lang Syne」(JR北海道発行)が出てきたよ。

八甲田丸の乗船証明書(工藤民雄船長直筆?サイン入り)や、伊
那かっぺい(ワラ)のステッカーも挟まってて、しばし思い出にふ
けりました。
307NASAしさん:02/08/28 20:37
>>184
2chにもまともなところ有るのねー
お疲れ様でした。私は最後まで羊蹄にいることが
出来ました。今現在は内航船ですけどねー(;;
308NASAしさん:02/08/28 20:39
>>187
未だ、家にあるよ。
青函船舶鉄道管理局:通信部と入ったLOGBOOKと
羊蹄の電鍵が。
309296:02/08/29 08:26
>>304
情報サンクス!
>>306
部屋の掃除いてたら摩周丸のポスターが出てきたよ〜
あとオレンジカードとかキーホルダーなども
310296:02/08/29 08:43
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e14891884
一瞬、中身も保存してあるのかとオモタョ・・・・・
311NASAしさん:02/08/29 22:16
つーか、弁当の空き箱に4400円…
ヤフオクの青函連絡船関係って特に値がつり上がりやすいね。
もうアフォかとバカかと、小一時間問いつめたいぐらいに。
312 :02/08/29 23:16
>>311
まだ誰も入札していないという罠。
弁当の空箱に4400円の開始価格をつける
出品者が(以下略)
313NASAしさん:02/09/01 00:35
弁当かぁ……。
やっぱ海峡ラーメンでしょ。
314NASAしさん:02/09/01 14:02
例の新巻弁当とあさりのみそ汁は、食堂が開いてない深夜便では飛ぶように売れてたなあ。
食堂が開いていれば海峡ラーメンを食いに行ったものだが、弁当も結構美味かったなあ。
315NASAしさん:02/09/01 15:48
石狩丸と檜山丸は食堂が初めから無かったから
必然的に選択肢は弁当のみ。
316NASAしさん:02/09/02 21:54
>>315
乗組員用には結構立派な厨房と食堂があったという罠。
ハウスが別棟のデコボコ改造船の哀しさかな。
317NASAしさん:02/09/03 00:39
でも石狩丸はギリシャに行った後、大改造で立派な旅客用食堂が付けられた。
それがせめてもの救いかな。

空知丸もいまは旅客船だし。
318国鉄復活:02/09/05 04:01
れんらくせんにのりたい!
319いかづくし定食:02/09/06 07:03
>>317
空知丸は何処へ行ったん?
320NASAしさん:02/09/06 12:11
>>319
紹介が過去レスにあったと思ったぞ。
321NASAしさん:02/09/07 12:14
322NASAしさん:02/09/09 13:52
もし今青函連絡船があったら。
http://cocoa.2ch.net/test/read.cgi/rail/1031327125/l50
323NASAしさん:02/09/09 15:05
>沈没5船のオフィサーが殉職したのは旧海軍式の
>「船と運命を共にする」という思想の名残かもしれませんね。

日本海軍に限ったことではない。世界の船乗りの「こうしたほうが
ベター」という共通認識だったみたい。どの程度の強制力をもつか
は、お国柄や時代によって濃淡がある。某国の潜水艦艦長のように
民間人に死者を出したあとでも、自身の保全に汲々としてたような
不名誉なヤシもいるけど。良し悪しはともかく、ワド●艦長のような
対応をとると「不名誉」とされてしまうのが、船乗りの社会。
合理的比重を超える位、名誉・誇り・矜持を大事にする人達です。

当時の連絡線乗組員を含む国鉄職員の中には、復員軍人も多くいた。
命の軽重を考える上で、公務>>>>>>>>>・・・・・・・・・>>私事という
今の基準から見れば公務偏重の時代でもあったしね。公私混同の
禿げしすぎる昨今の政治家や官僚は、殉職者の爪の垢を煎じて
飲むべし。
324NASAしさん:02/09/09 15:53
>>130
宇高連絡船は航路休止も廃止もその日じゃないよ。
宇高連絡船廃止は1991年3月。その1年前までJR四国が高速艇「しおかぜ」で
細々と宇高連絡船を運行していたんだよ。

亀レスごめん。
325NASAしさん:02/09/10 00:33
漏れは連絡船乗る度に売店の近くにあったよつば乳業の自販機をチェキ。
船の乗ってあの牛乳を飲むと北海道に近づいた気がしたんだよなぁ。
326NASAしさん:02/09/10 20:13
ところで摩周丸の汽笛吹鳴は、もう終わっちゃったの?
八甲田丸の汽笛は、なんか現役時代と違うような気がするけど、
どうかね?
327NASAしさん:02/09/11 15:09
>>326
現在の八甲田丸の汽笛は電子ホーンです。現役時代とは違います。
328NASAしさん:02/09/11 21:40
>>327
やはりそうでしたか。なんか腹に響く音ではなくなっていると思っていたら・・・
残念。摩周丸のを聞きに行きたいナ。
定期的に鳴らしてくれればいいんですが。
329NASAしさん:02/09/11 23:39
>328
新聞の報道では当初定期的に鳴らす予定もあったとか。
330NASAしさん:02/09/12 08:18
蒸気で鳴らしているわけじゃないからね…。(´・ω・`)ショボーン
331NASAしさん:02/09/12 22:21
>>330
摩周丸と大雪丸はエアホーンだぞ。
当時のままの音が再現されているのは摩周丸だけ。

摩周丸は後付の小型コンプレッサーで鳴らしている。
でも小型だからほんの数秒鳴らすのが精一杯だとか。
332NASAしさん:02/09/15 22:50
>>331
たったの数秒ですかぁ・・・。
せめて7〜8秒は鳴らしてホスィ。
333NASAしさん:02/09/16 19:42
誰か汽笛用に大型コンプレッサーとエアタンク寄付しる!
334NASAしさん:02/09/17 01:59
タミヤのHGコンプレッサーでいいか?
335NASAしさん:02/09/17 09:57
こんなスレあったんだね。懐かしくて涙が出たよ。
消防の頃、家から他の家の屋根越しに停泊中の連絡船の煙突が見えてたよ。
家は、反対側の大森浜に近かったのにね。

よく、連絡船のそばの桟橋で、フグだとかカニを釣って遊んだもんだ。
いまじゃすっかり観光化されちゃったね。
同級生の親父が摩周丸の船長だったな。

良スレage
336NASAしさん:02/09/17 19:47
函館駅前からも、連絡船の煙突やマストがよく見えていたよね。
子供のころ、煙突のカラーを見て、あれは大雪丸だ羊蹄丸だ・・・と、
よく当てっこをしたものだよ。その連絡船と長い間の付き合いだった
思い出深い現函館駅舎とも、もうじきお別れだ。
新駅舎のシンボル塔屋も遂に姿を見せたし・・・
337東京在住:02/09/17 20:32
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown/3116/trans/renraku/#t-1
良いHPだ。
そっかあ、松前丸スクラップになっちゃたのね・・・・
338NASAしさん:02/09/18 00:13
>337
>>299で出てたサークルのHPだな。
ネットじゃあまり連絡船のHPって見かけないねぇ・・・
339SSS:02/09/18 01:02
昔は青函連絡船で、修学旅行に行ったんだよね。船旅は修学旅行ではとても楽しかったよ。昔の良き思い出です。
340NASAしさん:02/09/18 02:10

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341NASAしさん:02/09/18 22:33
>>340

ドチラヘオタヅネデスカ
342NASAしさん:02/09/22 18:35
>>336
函館駅のコンコースにある、連絡船の描かれた
函館港の絵はどうなるのでしょうか。
できれば残してほしいものですね。
343NASAしさん:02/09/22 18:48
青函連絡船の寝台利用した人います?
時間が時間だけに、さすがに高い金払って乗る気にはなれなかった。
でも今思うと、体験しておけばよかったなあ。
344NASAしさん:02/09/22 20:04
>>343
自動車航送は更にレアだな。
345NASAしさん:02/09/22 20:05
オレ、深夜便で乗ったよ。>寝台
高いって言っても2000円くらいじゃなかったかな??
ベッドは作りつけで、寝台車(A寝台と較べても)よりずっと上等だったし、
静かで入港の音楽(鳥が鳴くようなBGM)が聞こえるまでぐっすり眠れた。
好き嫌いはあるだろうけど、G席よりお買い得だったと思えた。
346NASAしさん:02/09/23 21:43
>>343
2段ベッドが向かい合わせで4名分と、椅子2脚とコーヒー卓?が1室にあった。
窓は無いが、今どきのカーフェリーの1等キャビンと同じくらいの感じか。
寝るには連絡船内では一番ラクなのは確か。深夜便ではグリーン席よりも休まる。
でも、3時間50分運航なので、寝ているところを無理矢理起床させられて
どうしても寝不足の憂鬱から逃れられないし、汽笛が近くにあるので、霧が出ると
汽笛の音が気になることもしばしば。仕方ないけどね。
347NASAしさん:02/09/23 22:22
記憶が大分薄れてきたが、乗船、出港、蛍の光が終わったところで・・・
「♪♪♪♪ 皆様、本日は御乗船下さいましてまことに有り難うございます。
只今定刻の○○時○○分に□□を出港しました。この連絡船は○○丸です。
本日、乗務しております船長は□□、私は事務長の△△です。
◇◇到着まで、船内、よろしくお願い申し上げます。
この船には、いろいろな安全設備を整えて航海の安全に万全を尽くしております。
救命胴衣は、お席の近くの救命胴衣と書かれた所にございます。
付け方は、案内所前広場にモデル人形を用意してございますので、そちらをご参考に
なさってください。万一の場合も、訓練の行き届いた乗組員が直接、皆様のお手伝いを
いたしますので、どうぞご安心下さい。
本日の津軽海峡は、北西の風、風速18メートルで、時化模様となっております。
○○時30分ごろから▽▽時ごろまでの30分ほどは、多少船体の動揺が見込まれますが
航海の安全には支障はございません。安心しておやすみ下さい。
◇◇から接続となります列車とその発車時刻等に付きましては、◇◇到着10分前に
御案内をいたします。◇◇到着は○○時○○分です。
それまでごゆっくりおやすみ下さい。♪♪♪♪」といった御挨拶だったかな・・・
348無印寝台マーク:02/09/24 21:33
>>342
函駅コンコースの絵、なぐちゃんのアプロダにあげておいたぞ。
すぐ無くなるかもしれんから早よHDDの中にしまっとき。

http://79ch.itigo.jp/upb/file/img20020924213106.jpg

349NASAしさん:02/09/25 09:56
>>345,346
 そうか
やっぱり、船という性質上、ベッドサイズは広くとってあるし
快適そうだね。
確かに3時間50分という時間だけだよね。問題は。
九州のフェリーみたいに、3時についても6時までは船内でお休み
いただけます方式ならいいけど、ピストン運行していればそれは
無理だしねえ。
350NASAしさん:02/09/25 15:29
>>348
神!!感謝感激雨霰!!ありがたくいただきますた!!

しかし、改めて連絡船の存在が大きかったことをしのばせる絵だなぁ。
ホント懐かしい。
351NASAしさん:02/09/25 20:46
ロビーにあったテーブル筐体のアルカノイドを
調子よくやってたら、
激しいローリングを食らってミスった想い出がある。
352NASAしさん:02/09/26 21:11
今夜であの時から48年目か・・・・・合掌。
353NASAしさん:02/09/27 00:13
来年は五十回忌だな…。

当時婦人会で七重浜に炊き出しに行った漏れの婆も今年亡くなったし。
時の流れは事件を風化させてしまうのか。
354NASAしさん:02/09/28 11:31
メモリアルシップ「摩周丸」の買い取り問題は決着
来春リニューアルオープンへ!
〜買収費など「摩周丸」保存活用関係費4億6、155万円を含む
本年度一般会計補正予算案を原案通り可決〜

 函館市議会9月定例会本会議が27日午前10時から開かれ、旧青函連絡船
「摩周丸」を市が第3セクターの函館シーポートプラザから3億9、900万円
で買い取るほか、船体塗装改修費4、725万円、船内展示室等整備費1、50
」0万円、保存活用策検討関係費30万円など、「摩周丸」の保存活用関係費4
億6、155万円を含む本年度一般会計補正予算案を原案通り可決した。

 この結果、メモリアルシップ「摩周丸」の買い取り問題は決着し、今後、購入
を行い、第1段階として来年1月〜3月に、船体、船底の塗装改修工事ほか、
甲板、窓周り、手摺り等の腐食部分について補修工事を函館どっくで進め、また
展示内容など全面リニューアルを図るなどして、来年4月ゴールデンウィークに
合わせて装いも新たにオープンする見通しになった。


http://www.hakodate-e-news.co.jp/sisei.html#Anchor84967
355NASAしさん:02/09/28 22:32
>>354

万歳三唱!!!
356NASAしさん:02/09/29 00:38
>>354
摩周丸がシーポートプラザのものじゃなくなるわけだから
あのファンネルマークのダサダサなシーポートプラザのマークも当然消すんだろうな。
リニューアルオプーンにはヤパーリ真紅のJNR復活キボンヌ。
357NASAしさん:02/09/29 10:07
>>354
函館どっくに入るということは、摩周丸が函館港内を進む姿が見れるのかな?
えい航されてだろうが・・・
>>356
同意! あと、船員室の前面窓、レストラン(とっくに潰れた)にするために大きくしたが、
せっかくなので戻して欲しい。
358NASAしさん:02/09/30 22:32
>>357
何年か前にも、函館どっくまで、何隻かの補助汽船に曳航されながら短い航海をしたことが思い出される。

現状の外観では、八甲田丸の方が往時を偲ばせて、好きだなあ。摩周丸は少し崩し過ぎてしまったと思う。
359NASAしさん:02/10/03 10:05
火事にならないでね。
360NASAしさん:02/10/03 11:46
ホントだよ。なんか藁えない。
361ななしさん:02/10/03 23:28
中学の修学旅行で乗りました。東北から北海道です。
現在29歳ですが、連絡線最後の年だったそうです。
船にJRと書かれてあったのが印象的でした。
山育ちな者で、船に乗ることも初体験でした。
行きも帰りも羊蹄丸でした。今近くに住んでいるのに、
まさか博物館になっているとは知りませんでした。
362NASAしさん:02/10/05 00:08
363NASAしさん:02/10/09 21:59
こんなスレがあったとは・・・いま気が付きますた。

漏れは一度も乗った事がなかったけれど
津軽丸型の流麗な姿にいまでも惚れ惚れしています。

良スレなのでage
364NASAしさん:02/10/10 22:41
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/community/news/new/topics01-220.htm

↑ただ今 発売中。都営地下鉄土曜休日500円一日乗車券。
11/2大江戸線 汐留駅 シオサイト 開業。

結構 便利な都営地下鉄です。
都営新宿線岩本町駅A 3出口はJR秋葉原駅東口へ3分程度の距離
都営地下鉄三田駅はJR田町駅西口の側です。
都営地下鉄大江戸線 大門駅はJR浜松町駅北口です。

新宿西口-飯田橋-上野御徒町-両国は綺麗でガラスキです。

新宿-勝どき260円です。往復でもとが取れます。
晴海埠頭は勝どき駅が便利です。
パスネットも発売しています
365NASAしさん:02/10/12 00:09
終航間際に晴海埠頭に十和田丸が来ていたなぁ。
北海道フェアだっけ?
366NASAしさん:02/10/12 23:08
その十和田丸は、東西冷戦時代に巡視船を護衛につけて、北方領土巡りを敢行、
ロシア警備艇につきまとわれながらも、択捉島沖まで遠征して献花をして来た。
青函船団では津軽丸型唯一のフィンスタビ装着船だった十和田丸は、夏になると
青函定期運用から離れ、各種周遊を一手に引き受けていた。
367東京在住:02/10/12 23:16
>>365
そうです、北海道フェアです。
1987年 9月でした・・ 詳しい日にちは忘れてしまいましたが、船内の見学が出来ましたyo
368NASAしさん:02/10/14 01:20
青函連絡船プラモ18万円…
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e16862806
369東京在住:02/10/14 07:40
静教のプラモね・・・
初代 十和田丸もあった気がする。
370NASAしさん:02/10/14 10:04
20数年前よく乗っていました。夏の青森→函館で天気の良いときは

周遊コース(だったかな?)とかいって海岸沿いに走っていました。

イルカが併走していましたっけ。

寝台に一度乗ってみたかったけど結局乗りませんでした。
371NASAしさん:02/10/14 10:19
夏になると、昼間の青森行き便は、下北半島の仏ヶ浦にかなり接近した航路でしたね。
いやもう、断崖絶壁の凄いこと。今にして思うに絶景でしたね。
372NASAしさん:02/10/14 11:19
何故かそれでも所要時間は変わらない罠
373NASAしさん:02/10/14 16:45
仏ヶ浦、絶景でした。
飢餓海峡の舞台ってこんなところだったんだ・・・
と感動したものです。
あれ、洞爺丸沈没事故に関連した話だったよね。
374NASAしさん:02/10/14 18:23
青函連絡船ってすごいな〜と思ったのが、遠回りしても、かなりシケてても、
ほとんど定時運航していたこと。船も乗組員も優秀だったのね〜。
375NASAしさん:02/10/14 19:06
>>374
定時運航こそ鉄道連絡船の命! そのために商船としては常識破りの贅沢ともいえる装備や、
日本初・世界初の新機軸を惜しげもなく多数採用、造船・海運業界にも貢献したのです。
そのような業界初の新機軸を使いこなした乗組員も優秀だったのは、言うまでもありません。
376NASAしさん:02/10/14 19:18
なにしろ、新機軸ゆえにシリアルナンバーが1とか2なんてプレートのついた過去に例が無い機器・部品が
多くて、専門書などにも当然のっていなくて、艤装員となった乗組員が造船所の担当技術者ともども、
非常に苦労して初期故障を克服、詳細な取り扱い説明書まで乗組員が自らつくったなんてこともザラにあり、
それを元に後に民間海運業界に普及という、先駆者開拓者を多数演じたのが鉄道連絡船のもうひとつの歴史。
377NASAしさん:02/10/15 19:09
こんないいスレが、あったとは。感動したよ。
ところで皆さん、もう知ってるとは思うけど、こんなページがあったよ。
ttp://www.sxp.co.jp/renrakusen/events/festa2002_a3.pdf

良スレにつきage
378NASAしさん:02/10/15 22:03
>>377

>>253にてがいしゅつ。
過去を知ろうとするものはまず過去ログから読もう。
379NASAしさん:02/10/15 22:57
レッコ〜〜 ショアライン〜!!
380NASAしさん:02/10/16 00:24
>>375-376
新機軸の装置を使ったのは、試作品のテスト目的とかデータ採取の
意味合いもあったとか聞いた事があります。
半ば国営のような国鉄の連絡船が試験の場所を提供することで
造船・海運業の発展に尽くすというような
381NASAしさん:02/10/16 07:18
オールクリアー、サー!
382NASAしさん:02/10/16 07:20
ちょうせ〜い! いっぱ〜つ!!
383NASAしさん:02/10/16 07:28
ボ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
384NASAしさん:02/10/16 18:41
>>380
連絡船ファンの間では有名なK船長が、新機軸には失敗作もいろいろあったと語っていました。
「すっぽんレーダーなんてぇの、あったな。ありゃ画期的だったが、あの時代の技術レベルでは
 難しすぎたのか、遂にモノにならなかったなぁ・・・・・・。」
これは、津軽丸型のメインマスト上にある茶筒みたいの、あれはなんですか?と尋ねたときの話。
すっぽんレーダーがあのとき成功したら、青函連絡船は丸腰イージス艦?に変身していたかも。
ちなみに、日本の商船で初めてレーダーを搭載したのは青函連絡船、初代渡島丸、続いて洞爺丸と、
米スペリー社製を採用、1950年から続々各船装備、猛吹雪でも運航可能になり画期的でしたとさ。
385NASAしさん:02/10/16 18:52
何しろ、津軽丸型建造中は大手有名造船所の部課長連中までが「もう我々の時代は
終わりましたよ。」とサジを投げるほどの、船内は新型自動化機械の見本市状態、
当時の超ハイテク船だったそうです。担当技師と乗組員は徹夜でガリ勉もう大変!(w
386NASAしさん:02/10/16 21:01
バウ ライトヘ15度〜!
387NASAしさん:02/10/16 23:18
>>384
津軽丸と松前丸は北チョンに渡って北チョン初のイージス艦と

なるわけ無いな。
388NASAしさん:02/10/17 21:54
バウ ライトヘ15度 さ〜〜!
389NASAしさん:02/10/18 12:46
自動車航送利用したことあります。露出甲板なので車痛みます。
天気の良い日、後甲板に出ると自分の車が見えるのは楽しいですよ。
390NASAしさん:02/10/18 13:00
フル!アスターーーーーーン!!!!!
391NASAしさん:02/10/18 21:33
2岸送迎場の左端〜!
392NASAしさん:02/10/19 16:29
>>389
神!
393ようてい:02/10/19 23:59
青函連絡船なつかしいですね。こういうスレあると思いませんでした。
出航前のドラの音と蛍の光今でも覚えてる。
394NASAしさん:02/10/20 14:59
この船は、まもなく出港致します。お見送りで船内へお入りの方は、お急ぎ桟橋送迎場の
ほうへお戻り下さい。

395北山船長:02/10/20 15:00
出港5分前、ドライブプロペラ
396NASAしさん:02/10/20 18:21
>>395
フルアスタン!!サー!!
397NASAしさん:02/10/20 20:25
可動橋が壊れました。
398NASAしさん:02/10/20 21:17
摩周丸の汽笛も復活したことだし
今年の年末はまた汽笛吹鳴やるのかな?

大晦日の深夜便に乗ったときの賑わいを思い出すなぁ。
399NASAしさん:02/10/20 21:44
青函連絡船には世話になったよ。
88年の3月、定期運行の最後の頃も乗りに行った。
もう記憶が怪しいが、夜まわりが静かになってからも、
貨車を積み込んでいた音が聞こえていたのが懐かしい。
400nasaしさん:02/10/20 22:54
400GET!
そう言えば中房のころ佐世保のSSKに入港してた元青函連絡船を見に行ったな〜
北海道(青森)なんて遙か彼方にいたはずの船が入っててかなり萌えた。
401NASAしさん:02/10/21 09:50
>>395
船長、約10分前からドライブしないとフルカン接手駆動ではなかなか定格回転数に達しないと教わりましたが?
402389:02/10/21 12:55
なんと記念撮影でてきたヨ
403NASAしさん:02/10/21 13:23
>>402
うpしる!
404NASAしさん:02/10/21 13:23
いや、おながいします…
405389:02/10/21 22:15
無理無理 でも船名がわからないのよ。乗ってる車から推定して90年頃なんだけど、矛盾ない?
406NASAしさん:02/10/22 12:39
「洞爺丸が沈没した翌年に、七重浜でシャコが異常発生しその体内からは
髪の毛が・・・。」と言う話を知り合いから聞いたことがある。

それ以来、シャコが食えなくなった。
407NASAしさん:02/10/22 15:15
>>406
んな事言うと上海蟹の旨さの秘訣をバラすぞ?
408NASAしさん:02/10/22 23:05
>>406

そのはなし、漏れも年寄りから聞いたことがある。
ツブを喰ってたら人毛が出てとか・・・・・オェ!
409NASAしさん:02/10/22 23:10
>>406
俺もなんかで読んだか聞いたことがあるけど、東京湾で土左衛門さんが
浮かんだらシャコがびっしりついてることが多いそうだ。

それ聞いてから俺もシャコが食えなくなった。
ちなみに、408を読んだからもう上海蟹も食えないだろうな。まあ、食う
機会もないから良いけどさ。
410NASAしさん:02/10/25 23:08
流し網がバウスラスタに絡んじゃったもんで、ダイバーが潜って苦労して解き放したら、
なんと数百キロにもなったという話を聞いたことがあったな。
海峡を頻繁に往来していると、大小さまざまなゴミが浮遊していて、しばしば悩まされたそうだ。
片舷プロペラに網が絡んだまま走ってきたとか、青森港でゴミに囲まれてしまいエンジン冷却水が
吸い込めずにオーバーヒートしそうになったとか、いろいろあったらしい。
411NASAしさん:02/10/26 20:16
文革以来上海蟹のビンテージはないね。
412NASAしさん:02/10/27 01:11
>>411
東京湾のシャコみたいなモノですか?
413NASAしさん:02/10/30 14:23
age
414NASAしさん:02/10/30 16:38
シャコ云々の話、ムツゴロウさんの書いた本にある記述以外で
明確なソースあるひといますかー?
415NASAしさん:02/10/30 17:19
漏れ、イカの話も聞いたな〜
416NASAしさん:02/10/31 16:27
417NASAしさん:02/11/02 12:50
現在の函館駅が無くなったら昔の位置のままで残るのは
桟橋だったシーポートプラザの建物だけか。
418NASAしさん:02/11/05 22:17
サルベージ
419NASAしさん:02/11/10 13:59
age
420NASAしさん:02/11/11 17:20
洞爺丸が沈没した翌年は毛がにが大豊漁だったことは母と父から聞いた。
421NASAしさん:02/11/12 01:16
蟹より蛸
422NASAしさん:02/11/13 22:29
やぃんや、海鮮ネタのスレになっちまったでハ・・・・・
423NASAしさん:02/11/13 23:04
そろそろ定時運行へ戻すよう苦言を呈しておく。
424406:02/11/14 14:33
スマソ
425NASAしさん:02/11/17 14:19
摩周丸のリニューアル・ドック入りは、まだ?
426NASAしさん:02/11/17 17:36
>425
早くて年明け。
市への移管は「今年度中」だから4月以降の可能性も。
427NASAしさん:02/11/17 23:17
第18青函丸LOVE。
428NASAしさん:02/11/17 23:25
なんか、函館駅発行のA4サイズのバカデカイ入場券なんだけど
これってどうなんだろう??摩周丸の実写なんだけど。価値があるのか
わからん・・・。部屋を片してたら青函連絡船のグッズが山のように
出てきた・・・。
429NASAしさん:02/11/18 00:58
>>427
青函丸は12まで。

>>428
いらなかったらヤフオクに出してみれば?
連絡船関連は鉄道ジャンルの中でも高値が付きやすいからね。
430NASAしさん:02/11/19 00:33
MS摩周丸11/30閉館だそうでつ。(´・ω・`)ショボーン



でもリニューアルオープンは来年のゴールデンウィーク予定 ヽ(゚∀゚)ノヤター
431NASAしさん:02/11/23 00:37
11/30のイベントの詳細ハピョーウ。
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摩周丸閉館に伴うイベントの内容がきまりました。
閉館時の5時に、着岸風景の再現とともに復活汽笛が吹鳴されるのが今回のメインです。みなさまのお越しをお待ちしております。

【実施イベント】
●出港模擬 13時00分より (12時40分に出港30分前の、13時05分に出港5分前のドラが鳴ります)
●着岸模擬 16時45分より ブリッジ、船首、船尾の連携による入港風景を再現。
●復活! 青函連絡船「摩周丸」の汽笛  出入港の模擬時に、往年のエアホーンによる汽笛を吹鳴。
 13時10分  17時00分の2回
●船内アナウンス 青森から函館まで、事務部OBによる折々の放送。航海中の雰囲気をお楽しみください。
●船内案内 ブリッジでは甲板部、通信、展示室では機関部、それぞれの連絡船OBに連絡船の解説
●飾り毛布 実演と教室。
 昭和47年まで継承された、寝台にくりひろげられた飾り毛布の技を披露。簡単な飾り毛布の教室も。
●青函連絡船ペーパークラフト教室 時間 16:30終了。所要約3時間
●1枚の紙からつくる 青函連絡船絵本

432NASAしさん:02/11/27 20:01
鉄道路線板の青函連絡船スレが落ちますた・・・
433NASAしさん:02/11/28 21:01
11月30日の摩周丸は船内無料開放だそうです。
434NASAしさん:02/11/28 21:40
ヲタは12/1の東北新幹線延伸&ANA乗り放題の方が重要という罠。
435香川県民:02/11/28 23:07
 現在NHK総合で12:20〜45に放送されている「ひるどき日本列島」で、函館が
紹介されているが、明日あたり摩周丸が取り上げられるかも?
 念のためビデオを予約セットしておくべし。
436NASAしさん:02/11/29 22:02
>435
で、どうだった?出たのか?
437香川県民:02/11/29 23:51
>>436
 昼休みにチェックしたんだが、残念ながら摩周丸とは全く関係なかった
内容でありました。誠にスマソ。(謝)

 しかし函館山からの映像が出ると連絡船桟橋のあった若松埠頭に摩周丸が
いるのを確認してしまうのは長年の習性でしょうな。
438東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :02/11/30 15:06
MS摩周丸 最終日あげ
って裕香、行った人レポートきぼん
439NASAしさん:02/12/01 10:54
(゚∀゚)ノ 逝ったノシ

タダより安いものはない事を実感。
無料だと言うことは地元の新聞で報道されてましたので
当日は「よーし、パパいつもの2倍みちゃうゾ」の吉野家的混雑。
新聞TV局も来ていました。
440NASAしさん:02/12/01 17:08
441NASAしさん:02/12/01 17:10
442東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :02/12/03 20:38
>>439,>>441
情報アリガd!

「仮想航海」体験したかったな・・・ 
443NASAしさん:02/12/04 23:33
12月1日に函館のクリスマスファンタジーを見に行こうと、朝市前を歩いて
たら、ナント!連絡船の汽笛が!!めちゃ懐かしかった(涙。
444NASAしさん:02/12/04 23:37
第9青函と、第4青函が、就航前に沈んだのはやはり、
縁起のせいかしら?
445NASAしさん:02/12/05 02:24
本当に良スレだわ・・。
265.267.270.285は最低のツラ汚し。
アホは来るな。
446コメンター:02/12/05 07:34
青函連絡船からバトンタッチされた快速「海峡」も先週消えてしまった。

時代の流れは早いものだな。
447NASAしさん:02/12/05 22:52
>445
話を蒸し返すお前が最低のツラ汚しだ。
せっかくマターリ良いスレになってたのに。
445のアホは来るな。
448NASAしさん:02/12/06 23:51
447>
誤爆した。心から詫びる! スマソ。
449NASAしさん:02/12/07 00:11
>>444

就航せずに沈没したのは第九青函丸(戦時標準型:W型)のみ。昭和20年2月27日でした。
第四青函丸は、昭和18年3月6日に就航、戦時標準型ではない貨物連絡船でしたが、
昭和20年7月14日に米海軍機の空襲を受け撃沈されました。撃沈第1号でした。合掌。
450NASAしさん:02/12/08 03:39
冬コミで青函連絡船サークルが2サークル出てるぞ。
奇跡だ…
451NASAしさん:02/12/12 23:27
沈没寸前age
452NASAしさん:02/12/14 00:11
「十和田丸はなぜ沈んだか」という本を読みました・・。
日高丸の沈没を描写した部分は悲しすぎ。
それにしても青函の洞爺型は美しい船でしたよね!
宇高航路でも同時期に類似船が沈没しています。
世間に知られていない設計ミスでもあったのかのかな・・。
車両甲板の扉を増設済みなのに宇高航路の瀬戸丸は、
船舶需要が大きい時期にもかかわらず
除籍後二年に渡って買い手がありませんでした・・。
すごく悲しかったよ。あの時代の国鉄連絡船には
「公表されていない何か」があると思っています。
453東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :02/12/14 08:00

×十和田丸
○洞爺丸

では?
454NASAしさん:02/12/14 10:19
>>452

1度ならず2度も沈んだ船だもん。そんな縁起の悪い船なんて誰だって退いちゃうよ。
それでなくても船の社会って世間一般にも増して縁起を担ぐんだから。
455NASAしさん:02/12/14 16:44
当初は北見丸、洞爺丸も沈没後も再利用の話もあった。
が、結局両船ともボイラーの損傷が大きいことと
浮揚作業中の再三に渡る時化で船体損傷が大きくなったため
スクラップにしたという。



456NASAしさん:02/12/16 09:35
>>452
私も洞爺丸型/紫雲丸型の独特のデザインがすきです。あの時期の連絡船は、
戦後すぐの建造だったので、最善を尽くしてはいても、
実は船質があまり良くなかったのかもしれません。
とはいうものの、初代大雪丸は40年以上も現役を続けたわけです。
457NASAしさん:02/12/18 15:03
保守
458コメンター:02/12/18 16:53
459NASAしさん:02/12/18 19:54
>>452
洞爺丸型、紫雲丸型までは貨車を搭載する車両甲板の扉が下半分しかありませんでした。(航行中に貨車が丸見え)
2隻の沈没理由は車両甲板への浸水が最大のものでした。以降に建造された連絡船は甲板の機密性を高くするなど浸水防止策が施されました。
460NASAしさん:02/12/18 21:04
より正確にいうと、車両甲板の扉は、就航時には全く無かったはずです。
博釜航路用に設計されたH型には扉がつけられる予定があったといわれていますが、
青函航路に配属されたため省略されています。結局、洞爺丸事故後、
空知丸と檜山丸の2隻で、防水扉と排水口の比較がなされ、その結果、
防水扉が以降の連絡船には設けられたということです。洞爺丸型の残り3隻も、
6〜8青函丸も、貨客船ということで、後に取り付けが行われています。
その他、下部遊歩甲板の角窓を水密丸窓に取り替えたり、階段の方向を
一方方向にしたりと、こまごまとした改造が末期まで行われています。
461NASAしさん:02/12/18 21:44
残った洞爺丸型3隻も、船尾扉を取り付けて車両甲板を密閉化したら、車両甲板も
総トン数に含まれるようになって、4300t級→5800t級に変更されました。
なお、後に法規変更で車両甲板が総トン数に含まれなくなったのですが、車両甲板も
総トン数に含んだ場合、
津軽丸型:5400t級→8300t級
渡島丸型:4100t級→7400t級
になるそうです。
462コメンター:02/12/18 22:41
463NASAしさん:02/12/18 23:11
客船の総dって国によってまちまちだね。
フェリー系は車両甲板の扱いで日本ではかなり小さくなるそうだ。
464NASAしさん:02/12/18 23:18
>>461
津軽丸型は当初8,000t級といううたい文句でデビューしたが、いつの間にか5,000t台になったのはそういう理由があったんですね。
465NASAしさん:02/12/18 23:31
小さい方が港湾使用料や税金面で有利かな?
466NASAしさん:02/12/18 23:53
467NASAしさん:02/12/19 02:05
変だと思ってたよ・・。昭和45年に宇高航路と青函航路に就航している
船を見比べた事があった。(比べるつもりはなかったけど、
えらく大きく感じた)
600トンしか違わないのに、こんなに違うのかよ!とも思った。
でも、一番に感じたのは洞爺丸形の重量感だった。

ちなみに、同時期の宇高航路の瀬戸丸(旧紫雲丸)も、
下半身が緑色の塗色。
青函、宇高航路ともに一番良い時代だったのかも。
本物の「国鉄連絡船」を知っている人は幸せだよ。
今では絶対にあんな旅行は出来ないもんね。
468NASAしさん:02/12/19 10:16
現行の日本国内のフェリーも、車両デッキは総トン数に含まれていないそうだけど、
国際総トン数(車両デッキも含まれる)で表示すれば、現行の約2倍になるらしい。
ちなみに佐渡汽船の現行フェリーは何故か国際総トン数表示になっている。
総トン数の表示って、よくわからんね。
469NASAしさん:02/12/19 11:11
新幹線の盛岡開業時以来、久しぶりで買った時刻表には青函連絡船の時刻が載ってないようだ。
近頃はそういう状況なのか?
オレの捜し方が悪かったのかも知らんが、そのときはスマソ。
買ったのは、JTB時刻表とかの12月号。
470NASAしさん:02/12/19 12:07
>>469

青函(鉄道)連絡船は1988年3月13日をもって廃止されますた
471NASAしさん:02/12/19 13:53
スレ違い(板違い)、スマソ。

>>469よ、ネタだとは思うが、当時に較べて夜行列車などもだいぶ削減されてる。
みどりの窓口で「みずほのB寝台、熊本まで一枚」とか言っても
「はぁ?」と呆れらちゃうぞ。
472NASAしさん:02/12/19 14:18
>>469よ、そのかわり白鳥が函館まで来てるぞよ
大阪発函館行き、日本最長特急だ
473NASAしさん:02/12/19 14:20
>>471
ゆうづるのA寝台…
津軽のB寝台…
十和田の指定席…
474NASAしさん:02/12/19 15:07
>>472は間違えてるような気がするが、ネタのつもりか?
475NASAしさん:02/12/19 15:46
>>474
マジレスカコワルイ
476NASAしさん:02/12/19 20:00
何だか本スレ妙にガブッてきたと思ったら、もう冬休みなんだもんな。
夏頃も一時期そうだったが、こりゃあ、まだまだ時化るぞ。
そうなったらテケミするまでだが。
477NASAしさん:02/12/19 21:00
船長!
港外でテケミっす!
478NASAしさん:02/12/19 21:17
>>477
その2分が命取り。by洞爺丸
479452:02/12/20 22:30
459さん 
ありがとうございます! 勉強になりました。
紫雲丸型も同じような改造遍歴を辿った記憶がありますよ・・。

喫水上2メートルの車両甲板に自由開閉可能な開口部があったのは
設計ミス(仕様書不備)だったのかも・・。

宇高航路の紫雲丸型では(当時は幼稚園でした)、
天候が荒れるとプロムナードデッキが簡単に波に洗われた事が
強く印象に残っています。
後期の連絡船のデッキが高い位置に移動されたのは当然とも思いました。
でも、洞爺丸型/紫雲丸型は大好きです。
480NASAしさん:02/12/20 22:33
477>
478>
本当に痛い話だよね・・。

ワンショットブロー!
481NASAしさん:02/12/21 11:39
>480
蒸気圧落ちればすかしっ屁。
482NASAしさん:02/12/21 15:48
突然思い出したんだけど、連絡船の船内食堂の割り箸の袋に、
「ぱしゅい」とかって書いてなかったっけ? マジに。
483NASAしさん:02/12/21 18:52
>>479

洞爺丸事件で結果的に、連絡船の防水構造の不備が露呈したわけですが、それまでは、
連絡船関係者の間では、機関室までやられるほどの車両甲板からの大量浸水は、夢想だに
しなかったようです。大時化で危険を感じるほどの大難航でも、過去、洞爺丸事件に匹敵する
大量浸水は、少なくとも青函航路では未経験でした。
貨物型の、第一青函丸・第二青函丸を写真などで御覧になったことがおありでしょうか?
何とこの2隻は、車両甲板に屋根が無いのです。第一青函丸は船首楼も低く、
時化で舳先が大波に突っ込んだときに、積載貨車が波を被って破損したことも
あったそうですが、それでもこの2隻は太平洋戦争で米機動部隊に撃沈されるまで
車両甲板が覆われることもなく、そのまま青函航路で風雪に耐えて活躍しました。
貨物型で車両甲板が屋根付きになったのは、第三青函丸以降だったのです。
連絡船の防水構造に関しては、洞爺丸や紫雲丸の事故までは、過信や油断が無かったとは
言えないかも知れません。人々の想像を超えた異変が発生した時、事故となるのでしょうね。
484NASAしさん:02/12/22 23:27
485NASAしさん:02/12/23 00:31
函館市の小学校の社会の副読本はグロだ(今はしらんが)。
昭和9年の大火の丸焦げ写真(しかも赤ちゃんを抱いた母親)、洞爺丸で七重浜に
並べられた膨大な遺体の写真。
すごいぜ。そのページを開けないようにステープラーで留めた女子多数いた。
486NASAしさん:02/12/23 00:47
>>485
いきなり強烈なトラウマを植え付けられるな。
まぁ、青函トンネル建設用のプロパガンダに使われてたんだろうけど。
487NASAしさん:02/12/23 01:17
そういえば、深夜便を使う時タクシーの運転手に「桟橋」って言えば
駅ではなく、連絡船改札に連れて行ってもらったな。
函館用語では「フェリー=東日本」「連絡船=国鉄・JR」、「汽車=国鉄・JR」
「電車=市電」今はどうだろう。

ところで、寝台を使った人っていますか?
つがる丸タイプ以前の船には風呂がついていたという話ですが、入った人います?
488NASAしさん:02/12/23 09:25
>>487
>函館用語では「フェリー=東日本」「連絡船=国鉄・JR」、「汽車=国鉄・JR」
>「電車=市電」今はどうだろう。

今も概ね変わらないよ。そのまま通用します。
489NASAしさん:02/12/23 12:12
>484
18万…
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e16862806

しかも落札者同じ。一人で相場吊り上げてるな。
490NASAしさん:02/12/23 12:33
>485

社会の副読本って、結構地域の意向が入ってるね。俺は兵庫県民だから、
住宅のすぐ上を飛ぶ727とかで「伊丹は公害空港」っていう意識を
植え付けられた。
491469:02/12/23 18:08
皆さん、有り難うございました。
青函トンネルの開通というのは青函連絡船の息の根を止めたわけですね。
勉強になりました。
492NASAしさん:02/12/23 23:59
洞爺丸型の船内の配置図(キャビンプラン?)を見てみたいものです
書物によると遭難時、車両甲板下の3等船室からの脱出路が狭く
少なく逃げ遅れる人が多かったという話を読んだことがあります
493NASAしさん:02/12/24 09:58
洞爺丸が座礁した時点での風速は18m・突風28m・波高6m・波の周期9秒。
こんな海じゃうまく船外に脱出できても死んじゃいそう。
494NASAしさん:02/12/24 13:45
>>492
>3等船室からの脱出路が狭く
>少なく逃げ遅れる人が多かったという話

タイタニックみたいな話ですな。
ちなみに船の科学館の解説によると、洞爺丸遭難はタイタヌックに次ぐ数の犠牲者が出た海難事故という扱いになってます。
495NASAしさん:02/12/24 16:28
3等船室のタラップは人2人分ほどの幅だったそう。3等雑居室は前部に2室、
ボイラーをはさんで後部に1室、合計3室あった。
それぞれ2つのタラップがあり、車両甲板両舷に通じていた。
その上の下部遊歩甲板には車両格納所の上半分を囲むように
3等椅子席や食堂などがあり、左舷に3等舷門があった。
496NASAしさん:02/12/28 09:10
(●●)
  =
北島三郎age
497NASAしさん:02/12/28 22:21
そういえば、北島三郎氏は過去、夏に十和田丸をチャーターして船上イベントやってたなあ。
498NASAしさん:02/12/28 22:44
行くぜ!
乗船名簿は持ったか?
青函ダッシュだ!!!
499NASAしさん:02/12/29 14:03
接続列車の指定券を持っていないと、深夜の11便・1便・12便・2便は、
乗船名簿すらくれなかったなあ。窓口のジジイがまた横柄きわまりなくてさ(w
500NASAしさん:02/12/29 14:44
列車が青森駅に近づくと、みんな通路を前の車両のほうに歩いていきました。
501NASAしさん:02/12/29 23:33
よく、連絡船の待合室(青森)で野宿しますた。
朝から18で乗り継いでくと、夜11時くらいに青森に着くのよん。
だけど、そこで敢えて深夜便に乗らない。待合室で野宿、これ。

何でって、そりゃ、明るくないと航路上、景色が見られないジャン。
深夜航海もそれはそれで味はあったが。

懐かしい、工房時代のおもひでだ。
良スレage。

あ、船内の乗車券発売所で買った「函館→桔梗」「青森→津軽新城」
の補充券どうしたかなあ。
(五稜郭・東青森だとあらかじめゴム印を押した補充券だったが、
 マイナーな桔梗・津軽新城は手書きで切ってくれた)

貨物船改造の船以外の船ではぜんぶ乗って作ってもらったが、どこへ
いったかな。探してみよ。
502NASAしさん:02/12/30 00:30
船舶電話を使ったことありますか?
函館に向かっている親戚に出迎えの約束をするのに、使ったことあるけど、
船内で呼び出しを食らって、かなりビックリしたらしい。
この前会ったら、今でも覚えていると言っていたよ。
当時、移動体通信そのものが今ほど一般的ではなかったから。
503NASAしさん:02/12/30 00:39
〉〉498
コミケ?
504NASAしさん:02/12/30 13:48
>>502

漏れは連絡船宛には電話をかけたことが無かったが、古い時刻表には
案内が載っていた。↓

○連絡船へのかけかた
 次の番号へお申し込み下さい。
  北海道内からは函館船舶台 (0138) 23-7111
  本州内からは青森船舶台 (0177) 22-6251
505NASAしさん:02/12/30 22:40
良スレ
上げ
506NASAしさん:03/01/01 03:37
戦没した船のうち復旧したのは6、7、8青函のみ。
他の船はどうなったのだろうか?
知ってる方おりません?

松前丸、飛鸞丸は既出。
507東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/01/01 09:42
青函丸は1、2,3,4,10は撃沈沈没しますた・・・
ちなみに、5は防波堤に激突して沈没、9は勝浦沖で座礁沈没、
11,12は戦後に建造されました。
翔鳳丸、津軽丸は撃沈されますた・・・

508NASAしさん:03/01/01 21:18
>>504
スレ違いで恐縮だが、以前小樽〜舞鶴のカーフェリーの船舶電話(公衆電話)で、
外国を航行中の日本船へ電話がかけられるかを聞いたところ、パーサーらしき人が
「世界中の船舶に通話が可能でございます。」と言って、世界中の主要地域の
船舶交換台のリストを見せてくれた。 たまたま知人が乗っていた船(グアム近海
を航行中のにっぽん丸)に電話をかけたら、本当に繋がったので驚いた。
509NASAしさん:03/01/02 00:39
>>506

余談ですが、第8青函丸は空襲で受けた損傷の修理を急ぎ終えて、昭和20年7月29日に
青函航路に復帰しました。終戦後は、混乱した社会情勢により、ロクな手入れを受けられず、
それがもとで、昭和20年11月28日青森桟橋停泊中に、なんと沈没してしまったのです。
原因は、ビルジポンプが目詰まりを起こして使えなくなっていたにもかかわらず、修理を放置、
ドック入りしないで酷使され続けていたため、大量の汚水が船底に滞留してしまっていたのです。
そこへ航送車両を入替中トリミングポンプ使用により、フリーウォーターエフェクトが発生して
40度ほどの船体大傾斜を起こし、車両甲板から大量の海水が流入、遂に沈んでしまったのです。
第8青函丸は、その後昭和21年の元日に米海軍コンバーサー号の支援を受けて浮揚に成功、
修理の後ただちに航路に復帰しました。正月返上で浮揚作業に従事した方々の労苦が偲ばれます。
それにしても、桟橋係留中の連絡船が突然大傾斜を起こして桟橋中に沈没するなんて、
周りの人々はさぞかし仰天されたことでしょう。まさかのようなホントの話です。
510509:03/01/02 22:38
正確には、沈没とは言わず、かく座と言うべきでした。浮力を喪失して船底が
桟橋海底に座り込んでいたのですが、船の上部が水上に出ていたのですから。
511506:03/01/03 22:02
507、509、510。レスサンクス。

>>青函丸は1、2,3,4,10は撃沈沈没しますた・・・
>>ちなみに、5は防波堤に激突して沈没、9は勝浦沖で座礁沈没、
>>11,12は戦後に建造されました。
>>翔鳳丸、津軽丸は撃沈されますた・・・

これらの船は戦後引き揚げられたのでしょうか?
もしそうならそのままスクラップ?
今でも津軽海峡にその身を横たえているのでしょうか?
512NASAしさん:03/01/03 22:45
寝台やグリーンで来た人、接続列車の指定券を持っている人は
グリーンの乗船名簿

グリーンの乗船名簿は優先乗船

八甲田の自由席では、道内の指定券を持っていないと、グリーンの奴は
くれなかった。白い乗船券で桟橋を上がると、白いのでは次の便は乗れない
という。困った俺らは、ちょうど入ってきたゆうづるかなんかの車掌を
見つけて、さもこれに乗っていたかのように、グリーンの乗船名簿を
もらう。車掌は”お客さんこれに乗ってました?”というので、はっきりと
”はい、夕べもらい忘れちゃって”と、(寝台券見せろとは言われなかった
ので良かった。)言って、グリーンのをもらって、乗船

学生時代の思い出
513NASAしさん:03/01/04 00:45
>>511
>これらの船は戦後引き揚げられたのでしょうか?
>もしそうならそのままスクラップ?
>今でも津軽海峡にその身を横たえているのでしょうか?

関連過去レス>>259

青函局発行の記念本を2冊ほど当たってみましたが、戦災沈没船の浮揚に関する記述は、
再使用した第六青函丸以外は、見当たりませんでした。
終戦直後数年にわたる社会情勢を鑑みると、放置された可能性は無いとは言えないかも。
航路再建には、終戦時建造途上にあったW型・H型船を工事再開して就航させています。
戦中に竣工し、戦後も就航し続けた青函航路専属船は、6・7・8青函の3隻のようです。
旅客型のS型船4隻(翔鳳・飛鸞・津軽・松前)は全滅したので、戦後、GHQの許可により、
洞爺・羊蹄・摩周・大雪の新造船4隻が昭和22〜23年に竣工したのは皆様御存じの通りです。
514511:03/01/04 00:55
>>513
青函局の文書にも無しですか。

ttp://station.catorea.ne.jp/modelers/renrakusen/senpyo.htm
ここを見てみると、5青函は船として復旧されなかったようです。

ttp://member.nifty.ne.jp/haijima-yuki/seikan/rekishi_4.htm
ここの記述を見ると、やはり損傷が激しすぎたのかも。

改めてご冥福をお祈りします。

515NASAしさん:03/01/04 16:04
冬コミ行った人、青函連絡船関連の本、CD出てたら情報キボンヌ
漏れ行けなかった…

>513
このスレの>>259に記述あり。
516NASAしさん:03/01/05 19:51
>515
毎回写真集出してたサークル欠席。(´・ω・`)ショボーン
517山崎渉:03/01/06 14:41
(^^) 
518NASAしさん:03/01/08 13:46
保船
519NASAしさん:03/01/09 01:06
摩周丸、出航。

日時 1/17(金) 9:00 
函館桟橋→函館ドック岸壁
520NASAしさん:03/01/09 22:41
>>519

函館どっくまでの航海時間が数時間もかかるんだって?
521NASAしさん:03/01/09 23:06
どつく。今は何処の系列?


個人的には、船名下も「東京」に戻して欲しい。
522NASAしさん:03/01/09 23:43
>>521
函館どつくは今は名村造船の傘下じゃなかったっけ?
523NASAしさん:03/01/10 03:04
国鉄連絡船って歴史があるだけにヘビーだよな。
524NASAしさん:03/01/12 00:39
洞爺丸型に乗った経験のある方の話が聞きたいYo!
525NASAしさん:03/01/12 01:03
雪の海上を黒煙を吐いて出航していく
旧摩周丸の姿は本当にカッコ良かった。
526香川県民:03/01/12 02:31
>>519
 港内の移動のみとはいえ久々の航海である以上個人的には国際信号旗の「UW」
(意味は「御安航を祈る」)を掲揚して見送ってやりたい。
527NASAしさん:03/01/12 03:31
526さん

心から同意します!!
528526さん:03/01/12 04:04
S45年に高松港内に繋がれていた瀬戸丸を思い出した。
彼等は現役の連絡船に、目に見えない「UW旗」を送っていた。
僕は廃船になって、港の隅につながれた
瀬戸丸の悔しげな姿を覚えているよ。
あんなに悲しい船の姿はなかったよ。

当時は17メートル級二重屋根客車に魅せられていましたが、
2年前に新前橋でこの車両に再会。
感動というより、恐怖でした。
あの時(三十年前)と全く同じ姿だったもん。
529NASAしさん:03/01/12 21:03
函館どっくに入る日は、風が弱くて穏やかであるといいね。そう祈ってるよ。
530NASAしさん:03/01/13 01:58
大荒れに荒れて17日中止の可能性も。
531NASAしさん:03/01/13 18:56
>>528
「紫雲丸はなぜ沈んだか」 著者名、発行社忘れた。
の後ろの方に廃船後の紫雲丸の船体使用のポンツーン(船体にクレーンを乗っけた作業船)
としての記述が載ってましたね。
初代十勝丸だかもそのように使用されたそうです。

>>36
「わが青春の青函連絡船」坂本幸四郎 著 光人社
を図書館で発見。
それによると、廃船後の第八青函丸の船体もそのように使用されたようです。

さらにこのようなサイトも発見。
ttp://member.nifty.ne.jp/haijima-yuki/seikan/sajiki.htm
カキコしている人の参考になればよろしいのですけど。
532香川県民:03/01/13 20:01
>>531
>「紫雲丸はなぜ沈んだか」 著者名、発行社忘れた。
 船舶関係の専門書を主に出している成山堂書店より出版されてます。
 著者は元土佐丸船長の萩原幹生氏です。 1800円也。
533東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/01/16 21:01
いよいよ明日ですね、摩周丸のどっく入り
どっかのTVニュースでやるかな・・・
函館の方、レポお願いします。


出来れば「八甲田丸」並みに外観を戻してほすぃ・・・・
無理だとは解っているのだが
534NASAしさん:03/01/17 18:10
摩周丸のどっくまでの曳航は予定通りだったようですね。
それにしても見に行きたかった・・・。

http://www.asahi.com/national/update/0117/028.html

ついでに昨年末にHTB夕方DonDonの特集で放送された「摩周丸新たな
船出」の動画です。既出ではありませんよね。

http://www.fromhokkaido.jp/config/t01/wm/t01-document_h-43b.asx
535東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/01/17 18:31
JNRマークに戻す(?)みたいですね
536NASAしさん:03/01/17 21:29
age
537519:03/01/17 22:58
stv動画ニュース
◆9年ぶりに摩周丸動く
http://www.stv.ne.jp/news/streamingWM/index.html?idno=20030117192237
538香川県民:03/01/17 23:43
>>534
 今日無事に「航海」を終えたようでなによりです。
 しかし、吹雪の中を出港していくというのが絵になってはまりすぎ。(w)
 これでタクボ-ト隊の中にひうら丸でもいてくれればなおよし。

 そういえば昨年まで函館港に元国鉄タクボ-トのえざん丸がいたんたよな〜。
95年に行った時には気付かなかった、無念。
539東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/01/18 04:30
540東京在住 ◆utUwhjJ7Tk :03/01/18 04:45

御免!全体をコピペして!
541NASAしさん:03/01/18 23:56
つーか、道新よ。
連絡船に「巨艦」は無いだろう。軍艦じゃあるまいし。
542青函連絡艦:03/01/19 17:14
んじゃ、コピペ

 【函館】展示施設として函館港に係留されている旧青函連絡船「摩周丸」が十七日午前、
 四月の改装オープンに向けた整備のため約一・五キロ離れた対岸の函館どつくにえい航された。
 摩周丸が動くのは北海道南西沖地震で壊れた岸壁修復のため、一九九四年に離岸して以来九年ぶり。

 船内に安全確認のため元船長や作業員ら十人が乗り込み、係留ロープが解かれ午前九時半に離岸。
 雪が舞う中、四隻のタグボートにゆっくりとえい航され、約四十分後に函館どつく第一ドックに着いた。
 岸壁には関係者や一般市民が訪れ、全長百三十二メートルの巨艦の“出航”を見守った。

 摩周丸は、函館市が経営難の第三セクター「函館シーポートプラザ」から昨年十二月に購入。
 函館どつぐでは三月上旬まで再塗装など化粧直しをして、四月の再オープンに備える。


543NASAしさん:03/01/19 20:43
似ている船なのでこれでお茶濁し
ttp://www1.ezbbs.net/25/horie/img/1042804545_1.jpg
544NASAしさん:03/01/19 22:02
>>543
えびぞって無かったらそっくりだね。オスィ
545松前丸:03/01/20 05:09
空知・日高・渡島・十勝丸を語ろう!
546なになに?JNRだぁ?:03/01/20 23:14
スマンけど、連絡船の煙突マークはオレンジに赤の「エ」しかないっ!
煙突のてっぺんが黒色であるなら、さらに完璧じゃっ!
どははははっ! げほげほげほ!
547船長に浣腸:03/01/21 00:05
>546
ならば、↓が貴様の望む姿なのかぁぁぁぁぁ!
ttp://station.catorea.ne.jp/modelers/renrakusen/image-1.gif
548NASAしさん:03/01/21 00:32
↑わぁあああ・・・。
 これが国鉄連絡船の末路かよ・・。(絶句。)
 旧国鉄連絡船なのは解るけど、もう少し詳細な情報をキボンヌ。
 悲しいよぉー!!!!!! え〜!カトレア丸かよ〜!!
 
549NASAしさん:03/01/21 00:45
>547さん
 あああ・。旧十和田丸だったのか・・・。
 547さんに本当に感謝・・。 
 でも、あの姿は悲しかったよ!・・。
550船長に浣腸:03/01/21 00:50
>548,549
藻前ら、おちけつ。
リンク先辿って見ろ。作者が「津軽丸形を国鉄塗装で塗ったらどうなるかナー」
と想像して書いた香具師だろうが。

旧十和田丸(二代目石狩丸)は摩周丸より濃いめの藍色だ。
黒じゃないぞ。
551:03/01/21 08:26
そいえば、漏れは青函連絡船見ながら育ったクチなんだけど、
その煙突マーク「エ」って、なんの印だったの?
たしか小さい頃、親に聞いても「エッ?」って答えが返って来ただけでした。

552NASAしさん:03/01/21 10:01
鉄道のこと工部省とか言ったのかな?昔は。そのマークらしいよ>工
詳細は知らぬ。フォローきぼんぬ
553香川県民:03/01/21 22:19
>>552
 正確には明治時代の官営鉄道の所属官庁が工部省だったので、その省旗から取ったもの。
JNRに変わったのは青函では津軽丸級から。宇高では伊予丸級から。
554NASAしさん:03/01/21 22:22
新青森駅 いまから反対して、現行の青函連絡船の乗降場あたりに建設
してほすい
555船長に浣腸:03/01/21 23:38
後に津軽丸より前の在来船も「工」から「JNR」に掛け替えてます。

昭和50年頃の初代桧山丸
ttp://image1.photohighway.co.jp/se-bin/MyPhoto.dll?Vi?p1=NK018_536&p2=114102854659qz7&p3=0jpg&p4=671745&p5=
556552:03/01/21 23:39
>>553

サンクス
557546:03/01/23 04:26
や、やられた! そう言えば青函の船体で、
こんな色の船はなかった(汗)。
椰子も相当にやるわい。

558546:03/01/23 04:38
追伸、第三宇高丸ばんざい・・・。
あれ。なんで静かなのっ?!
559NASAしさん:03/01/23 07:20
>558
ここは「青函連絡船」のスレだから。
560NASAしさん:03/01/23 20:34
ま、おなじ鉄道連絡船だから、いいべさ。
561NASAしさん:03/01/23 22:15
>558
「静観」連絡船だから(w
562NASAしさん:03/01/25 23:23
563562:03/01/25 23:25
スマソ。訂正、摩周丸のドック入りのその後↓
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20030125&j=0041&k=200301251095
564宇高連絡船:03/01/26 00:35
いいよなぁ。青函は・・・・。
旧摩周丸まで残ってるんだもん。
今では宇高連絡船は何も残ってないもんな・・。

既出ならスマソが「旧摩周丸」は
どんな状態で今まで生き長らえたんだろうか?
宇高航路の瀬戸丸(旧紫雲丸)は、二束三文でフィリピンに売却だよ。
しかも、車両甲板以上の構造物をすべて撤去して
台船に改造だと言うもん・・。本当に情けない話だよ。
565NASAしさん:03/01/26 13:41
いいじゃないか。船体残るだけ。

渡島丸、十勝丸、日高丸はスクラップだ。
20億で造った船が5000万で屑鉄…。・゚・(ノД`)・゚・。
566NASAしさん:03/01/26 15:05
北チョソに逝った津軽丸はどうなったのだろうか?
下手なウリナラ製よりも高性能ということで評判が良かったらしいが。
567NASAしさん:03/01/26 15:56
津軽○、いまはエジプトに逝ったのでわ?
568名無し(敬称略):03/01/26 23:35
>>564
瀬戸丸(旧紫雲丸)はフィリピンではなく広島の造船所で浮桟橋になってました。
車両甲板以上を撤去してレールの上にクレーンを乗せて使われていました。
同じ造船所で洞爺丸台風で沈んで浮揚復旧された旧十勝丸も
同じように使われていましたが、平成四年頃に相次いで解体されました。
569NASAしさん:03/01/27 23:27
摩周丸の今回のドック入りは幸運に恵まれていると思う。
何故なら、連絡船OBが健在なうえに、函館どっく社員にも、
連絡船現役時代に修繕に関わった経験を持った人が健在だったからだ。
しかし、歳月とともに、これら連絡船を知り尽くした名匠・達人が、
言うのは忍びないが、遠からずみまかられていくであろうから、
知見・技術の伝承が確実になされない限り、維持は極めて難しくなって
いくであろう。単にカネをつぎ込んだだけでは解決しない問題を含むため、
産業遺産を守っていくのも本当に悩みは尽きないですねえ・・・・・・
570NASAしさん:03/01/28 01:12
つーか、地元じゃ青函連絡船って「終わったこと」だしな。
朽ち果てて沈んでもわからなかったんじゃない?
地元の国会議員(孝行)も「摩周丸に金をつぎ込むのは無駄」って言ってるしな。
571NASAしさん:03/01/28 08:22
>>570
おい、孝行って、まだ居るのか??
572NASAしさん:03/01/28 10:13
少なくとも国会議員ではなくなった罠>孝行
573NASAしさん:03/01/28 23:12
>572
これのことだね。
ttp://www.hakodate-e-news.co.jp/doseiko.html
「佐藤氏は、前日(5日)の自らの連合後援会の新年交礼会でも
井上市政に対して、旧青函連絡船「摩周丸」の第三セクらー・
函館シーポートプラザからの買収などを取り上げて強く批判しており…」
574NASAしさん:03/01/28 23:43
昔、地方巡業の合間に帰省し下り夜行便で目的地に向かう新米力士の大群を見たことがある。
575NASAしさん:03/01/30 10:43
>>573

○行センセはテメエの子飼いの代議士を前回市長選に立ててイノーエに負けちまったし
そんとき地元の自○党支部は内部分裂でイノーエ支持にだいぶ回っちまったし、
おまけにテメエも衆議選で落選するわで、怨念そうとう溜まってんだろうなあ
576NASAしさん:03/01/31 07:37
>>564
>今では宇高連絡船は何も残ってないもんな・・
海外にのこってるだろ。日本国内にいないだけで。
577NASAしさん:03/02/01 23:34
摩周丸煙突JNR復活記念age。
578NASAしさん:03/02/02 04:41
アメリカや飛行機は大嫌いですが
技術的な事故は心から悔しいです。
579NASAしさん:03/02/02 21:17
NHKで洞爺丸のニュース映像出ましたね。もう終わったけど、
沈没前の美しい姿も出たので、再放送があれば、要チェックですね。
580NASAしさん:03/02/02 22:20
>>579

その沈没前の美しい姿は、意外と「お召し船」の時の映像だったりして…。
581NASAしさん:03/02/05 06:09
偶然に見た。前上方から撮された
四本煙突の船は本当にきれいだと思った。
582NASAしさん:03/02/05 06:42
追伸。やっぱり、あの船は青函で
一番キレイな船だよ。
583NASAしさん:03/02/05 22:34
漏れは、洞爺丸型は初期の舷側が角窓だった姿が、格調高くて最高に好きだなぁ。
584NASAしさん:03/02/05 23:43
フェリー転覆事故、史上最大の惨事か
http://www.asahi.com/international/update/0205/013.html

9月26日は海難の特異日なのかなぁ…
585NASAしさん:03/02/05 23:52
1863人か・・・
前から定員550人に対し1000人以上は乗ってたと言われてたようだが。
北欧連絡船転覆事故のときも出てたが内部に車両甲板のような広い部屋を持つ船は慎重に運用しないと急速に沈むことがあるそうだね。
586NASAしさん:03/02/07 06:07
>585
同意!これが連絡船のアキレス腱だったと思うな。
車両甲板から次の甲板の間にかけては、予備浮力もヘッタクレもない。

587NASAしさん:03/02/08 15:22
今年は東海丸遭難100周忌記念。久田船長に敬礼age
588NASAしさん:03/02/08 21:57
589NASAしさん:03/02/08 22:25
>>586

今のカーフェリーもいっしょだな。とくに両舷煙突で車両甲板の端から端まで抜けた
だだっ広い船なんか、大傾斜して片舷に積載物が集中したらひとたまりも無いな。

それでも連絡船なんかは、車両甲板の線路と線路の間にピラーを多数林立させて
万が一の車両転倒→片舷集中を防止する構造になっていたが、カーフェリーで
連絡船なみにピラーを立てたら、ひどく邪魔で仕方がないだろうし、実際まばら。

広大な車両甲板を有する構造は、延焼もしやすいので防火の面でも大変だよな。
とくにガソリン積んだ危険物多数を短時間消火するのは非常に難しいことだろう。
連絡船の場合、危険物はなるべく車両甲板開口近くに積むようにしていたそうだし、
いざというときに、危険物貨車に水中パラシュート状のものを繋いで、パラシュートを
プロペラ後流で追いやって、貨車を海中に引きずり落とす方法も実験され、装備された。
スプリンクラーなどであまりにも多量に散水し過ぎると、排水が良くなければ、
滞留水で船体傾斜を起こし、最悪の場合転覆に至ることは、言うまでもないね。
もっとも、最近のカーフェリーは、荷物シャーシーばっかり載せていて、乗用車なんて
数えるほどしか積んでいない実質ローロー船だから、火災の心配は少ないだろうがね。
590NASAしさん:03/02/08 22:25
>>588
おい!
JNR時代の船籍は「東京」だろ。
JR時代になってから「函館」と上書きされたんだよ。
591船長に浣腸:03/02/08 23:07
>590
その通り。<JNR時代の船籍は「東京」

だが、今も現役の「船舶」として検査を受けているんで
所属港の「函館」にしないとまずいというわけ。
今は函館市の物なのでJRでもJNRでもいいんだけどな。
592NASAしさん:03/02/08 23:16
けどなぁ、
東京という文字は「書かれて」いるのではなく、
貼り付けられている(つまり出っ張っている)から、
それを白く潰して、脇に「函館」というのは、ちょと悲しい。。。
妙案はないものかね。
ちなみに、青森の八甲田はなんて書いてるの。
593船長に浣腸:03/02/08 23:39
>592
八甲田丸は現・所属港が青森なので「青森」
ちなみに羊蹄丸は「東京」
594船長に浣腸:03/02/08 23:44
八甲田丸「青森」記載証拠写真↓
http://cgi.2chan.net/up/src/f0708.jpg
595NASAしさん:03/02/08 23:50
>>592
  八  甲  田  丸
    青     森
HAKKODAMARU AOMORI
596NASAしさん:03/02/08 23:51
>>594
ファイルがないと言われた。
「鉄道ファン」誌2002年10月号34ページに船名表示部分が写った写真有り。
597NASAしさん:03/02/08 23:51
>594
ファイルが無いよ。
598NASAしさん:03/02/09 00:00
>>596,597
リンクをブラウザにコピペしてから見れ。
ふたばは直リンは受け付けないからな。
599NASAしさん:03/02/09 23:12
やっぱJNRは(・∀・)イイ!
ttp://plaza.rakuten.co.jp/img/user/06/23/2950623/8.jpg
600NASAしさん:03/02/09 23:31
JRになってからも東京船籍じゃなかった?
601NASAしさん:03/02/09 23:32
>>600
函館
602NASAしさん:03/02/13 00:29
青函航路艦載機攻撃を受け、翔鳳丸ほか10隻沈没、2隻損傷、
翌7月15日更に1隻沈没し同航路は壊滅
603船長に浣腸:03/02/13 22:06
札鉄局船舶部長は7/14の空襲を事前に知っていたため
船舶部長は秋田船川港への退避を軍に上申した。

だが、軍はそれを許さなかった。

そして予定通り米軍による殺戮は、行われた。
604NASAしさん:03/02/13 22:51
そういえば、戦時の連絡船には気休め程度に武装が施されたそうだね。
605NASAしさん:03/02/13 22:58
戦後は戦後でGHQの命令で時化の中、出航したこともあるそうだから、
大変だね。
606NASAしさん:03/02/14 09:16
>>603
青函連絡船空襲の情報を手に入れ、函館海軍武官府に連絡船疎開を上申したのは
函館管理部海務課(当時は運輸逓信省か?)と何かで読んだ。
でも疎開したとしても、疎開先で同じような悲劇になったかもね。

>>604
13ミリ口径と25口径の機銃が一丁ずつじゃ…悲しい。
607NASAしさん:03/02/14 21:44
>>606
省庁再編が行われたのは20年の5月だから「運輸省」でOK。

札鉄局の船舶部長が、函館鉄道管理部海務課に函館空襲の情報を伝え
その情報を元に、管理部長と海務課長が一緒に函館海軍武官府に
上申しに行った、が正解。

松前丸は
13mm x2 /25mm x2 の武装。
・・・所詮焼け石に水な訳だが。
608NASAしさん:03/02/14 22:09
その焼け石に水の機銃も、携行弾数が少なく、空襲応戦時にアッという間に撃ち尽くしてしまったという。
609NASAしさん:03/02/14 23:19
まあ、あれだけの重武装の大和でさえ艦載機の群れに為す術無かったのだから応急武装の連絡船じゃとても歯が立たない。
米戦艦はVT信管ばらまきまくりだったら日本軍は手も出せなかったが。
610NASAしさん:03/02/14 23:26
青函航路と関釜航路は特に、戦争遂行上極めて重要な物流の大動脈であったので、その運行には軍部の意向が
強く反映されていました。乗組員も軍属となっていました。そして、青函航路は空襲で、関釜航路は雷撃で、
多く乗組員が戦禍の犠牲となりました。
こんなエピソードが残っています。広島鉄道管理局(S54.3.1発行)「関釜連絡船史」から抜粋↓

ある時、興安丸(7080t)が今まさに出港しようとする時、女性数名を連れた憲兵隊中尉が、桟橋に急ぎ来て、
「おい!その船待て。この御婦人をのせろ。軍命令だ!」と肩を怒らせ、腰の軍刀をちらつかせた。
ブリッジで出港の指揮をしていた船長は、ちらりとこの様子を見ただけで、一等航海士に、もやい綱を外すよう合図した。
「なぜ船を止めん。俺の命令が判らんか!」大声で怒ったが、船はそのまま出港してしまった。後日、興安丸が入港してくると、
例の中尉がいかめしい顔で桟橋に来て、タラップを駆けのぼり、
「船長は何処だ、船長を出せ!」というと、1等ホールとの返答にすぐさま駆け込んだ。
1等ホールには、一人の海軍士官が白の制服で坐って新聞を読んでいるだけで、他には人影は無い。
中尉は、ちょうどお茶を持ってきたボーイに、「おい! 船長は何処だ!」と尋ねると、ボーイは、その海軍士官を指差し、
「キャプテンですか、ここにいらっしゃいますよ。」と言った。「な、なに・・・」
中尉は慌てて海軍士官を見たとき、新聞を置きながら、「私が本船の船長ですが、何か御用でしょうか。」と中尉に言った。
中尉は船長の方を向いたまま、無言で困り果てている。船長の軍服には何と海軍少佐の階級章がキラキラと輝いているではないか。
「君、敬礼はどうした。」 ハッと我に返って挙手の敬礼をし、「どうも自分が悪うございました。」と船長に謝った。
「鉄道員だと思って馬鹿にしてはいけませんよ。この船には、中尉、大尉は沢山居ますからね。」と笑いながら諭したという。
当時、普通商船学校卒業で予備兵曹長、数年で予備少尉に任官、また高等商船学校を出るとすぐに予備少尉に任官した。
軍艦に乗らなくとも乗船年数で階級は昇進し、一等航海士や一等機関士の資格でこの連絡船に乗り組める頃には大体、
予備中尉か予備大尉の資格になっていたという・・・・・・・・・・・・
611NASAしさん:03/02/15 00:14
太平洋戦争中の無線通信掛(無線通信士)に科せられた使命は「暗号書の死守」だったそうだ。

因みに空襲を受けた翔鳳丸の無線通信士(実習生)は暗号書の入ったリュックサック(錘代わりに錨の鎖入り)を背負って
海に飛び込んで帰らぬ人になってしまった…。(合掌)
612NASAしさん:03/02/15 00:29
う〜ん、海軍士官の船長に重任背負った通信士・・・
粋だ・・・さすがだねえ。
613NASAしさん:03/02/15 00:34
映画が造れそうだね。
614NASAしさん:03/02/15 00:34
でも船長も海軍士官に志願してなった訳ではないので・・・・・・大変だったんです
615NASAしさん:03/02/15 00:56
>>610に登場した船長は、その後、海軍総監部の「興安丸は舞鶴−元山に配船」という命令を
遂行せずに船の保安を考えて動かず、その結果興安丸は無傷で守られ、戦後の引き揚げ輸送に
大活躍しました。海軍士官とはいえ、元々民間人にして鉄道員の船乗りの、大局観と機転が、
結果として国民のために大いに貢献したのですが、理不尽で合理性の無い命令は数知れず、
苦悩に苛まされた、過酷で辛い任務であったようです。
616船長に浣腸:03/02/15 02:20
新名称「函館市青函連絡船記念館 摩周丸」として
春本格化、市長選・市議選告示の前日、4月19日(土)オープンに決定

http://www.hakodate-e-news.co.jp/kankole.html
617NASAしさん:03/02/15 09:47
>>613
青函連絡船の歴史全てが、映画になりそうなほど楽しいですよ。
ttp://member.nifty.ne.jp/haijima-yuki/seikan/sajiki.htm
618NASAしさん:03/02/16 00:25
坂本幸四郎著「青函連絡船」つう本は絶版なのかな。20年くらい前の本だけど、
連絡船の歴史やらなかなか面白い本だと思う。
上前淳一郎「洞爺丸はなぜ沈んだか」は定番と言っていいでしょ。
ラジオドラマでは藤田まことが船長役やりました。テープがあるんだけど、家には
もうテープデッキが無いので聞けません・・・。
619船長に浣腸:03/02/16 02:29
>>618
「青函連絡船」は絶版です。
稀少本と言うわけではないので、こまめに古本屋やブクオフを回れば
そんなに苦労することなく手に入ると思います。
単行本・文庫版両方出ているのでお好きな方をどうぞ。

ちなみに坂本氏の「わが青春の青函連絡船」はオンライン書店で
今でも入手可能です。
620NASAしさん:03/02/16 18:54
苦闘の歴史を語られることが多い青函連絡船ですが、たまには栄光のエピソードも開いてみましょう。
以下、JR北海道(1988.7.1発行)「青函連絡船 栄光の航跡」より抜粋・・・・・

「もはや戦後は終わった」と称され、日本で遂に、そしてアジアで初めて、昭和39年10月10日、
東京オリンピックが華々しく開会され、15日間にわたって開催されたのでした。
そのメーンスタジアムで燃え続けた聖火は、開会前に日本中を駆けめぐりましたが、9月17日に、
その聖火リレーが津軽海峡を渡ったのでした。
リレーの段取りは、函館・青森両市の聖火リレー実行委員会と国鉄青函局が周到に準備しました。
聖火乗船便は函館発8:10青森着12:50の106便 の予定でしたが、当日は特別に臨時便扱いの1106便
として函館出港を50分遅らせ 、青森到着は定刻としたダイヤに変更されました。
そう、新鋭津軽丸の登場です。当時は旧型船ダイヤでしたが、デビューまもない津軽丸の高性能を
遺憾なく発揮させて、新造船置換完了後に予定されていた高速化ダイヤを当日の聖火リレーに限って
先行実施したのです。活躍が期待される新造船にふさわしい最高の晴れ舞台となりました。
9月17日、移動性高気圧におおわれて、津軽海峡は絶好の秋晴れとなりました。
朝、函館市役所で出発式を終えた聖火リレー隊は、沿道に詰めかけた見送りの人々の盛大な拍手の中、
函館桟橋に到着して、第2岸壁に停泊中の津軽丸1等(グリーン)タラップから乗船しました。
聖火リレー隊は左舷プロムナードデッキに整列し、ブラスバンドが鳴る盛大な見送りを受けました。
津軽丸のメインマストには五輪旗が掲揚されて威風堂々と翻り、午前9時、長声一発とともに離岸。
その時、函館港在港船も一斉に汽笛を鳴らして祝福。津軽丸の両舷には満船飾十数隻が港口まで併走
して見送りました。港外に出てから、聖火はトーチから聖火灯に移され、乗組員の案内で船長室横の
サロン会議室に置かれ、船長や機関長に見守られていました。
(続く↓)
621NASAしさん:03/02/16 18:55
(↓続き)
穏やかな西よりの風が吹く津軽海峡、津軽丸は併走の海上自衛艦を従えて報道関係の航空機が舞う下
一路青森を目指し、すこぶる順調に快走していました。まさに海峡の女王の晴れ姿です。
聖火の引き継ぎは、陸奥湾入り口の平舘海峡付近で行われました。
広さのある後部遊歩甲板に聖火皿が設けられ、それを挟んで向かい合うように、右舷側に北海道側の
最終走者とリレー隊が、左舷側には青森側の第一走者とリレー隊が、それぞれ整然と並びました。
緊張した面持ちの船長の誘導で聖火灯が入場し、引き継ぎ式の開会宣言が行われました。
聖火灯の火が聖火皿に点火されると、明るい炎が立ち上って広がり、北海道側の実行委員長が聖火皿
からトーチに点火、北海道側最終走者に渡され、併走者からは予備トーチやオリンピック小旗が、
青森側リレー隊にバトンタッチされました。
時は午前11時、津軽丸は汽笛を鳴らし、ファンファーレが奏でられ、最終走者と第1走者が中央に
進み出てトーチを高く掲げました。青森側走者のトーチに瞬く間に聖火が燃え出すと、デッキを埋め
尽くして見守っていた報道陣や船客そして乗組員から盛大な拍手歓声が沸き起こりました。
津軽丸が長い汽笛を鳴らすと、併走の自衛艦からも祝福の汽笛が鳴らされました。
実に、この洋上聖火引き継ぎ式は、長いオリンピック史上に於いても初めての快挙だったのです。
トーチの火は再び聖火皿に移されたあと、聖火灯に納められ、サロン会議室に置かれました。
天高く抜けるような青空の下、津軽丸は定刻の12:50に、青森桟橋第2岸壁に無事到着しました。
聖火トーチを掲げ持った青森第1走者とリレー隊は桟橋へ降り、青森駅の長いホームを力強く走り
去って行きました・・・・・・・

日本の高度成長の始まりと共に、戦禍そして台風海難と幾多の苦難を乗り越えて航路再建を重ねた
青函連絡船が、最高に輝いていた時代の、もっとも栄光に包まれた瞬間だったのかも知れません。
622NASAしさん:03/02/16 20:31
>>620-621
長い上に丸写しじゃ芸がないぞ…

623NASAしさん:03/02/16 20:56
>>622

冗長無芸多謝
624NASAしさん:03/02/17 08:45
昨日、函館市弁天町方面に用事があって行ったのだが、ついでに西埠頭にまわったら
摩周丸がよく見えた。昔どおりの船体色で煙突にJNRと描かれてドックに停泊中の姿は
20年前の景色そのもので、とても青函連絡船が廃止になって久しいとは思えなかった。
625NASAしさん:03/02/17 21:25
>>624
故郷にもどりたくなりまつた。札幌からですが。
626香川県民:03/02/17 21:32
>>620-621
更に、1972年の札幌冬季オリンピックの時も大雪丸が聖火の輸送の任に当たり、
5隻の海上自衛隊の護衛艦隊に護られつつ、任務を完遂しております。
 この時に乗務していた二等航海士の方の回想記が同じくJR北海道刊行の
「青函連絡船 栄光の航跡」にあるんですが、航海当直に立った時も気分が良かった
んだとか。

 なお1964年の津軽丸の時と同様にレ−ダ−マストの揚旗線には一般には使用が
許されないオリンピックの五輪旗が掲揚されましたが、船乗りの恥にならぬように、
揚旗線(ロ-ブ)を新品に取り替えたり、頂点部にある滑車を入念に点検・注油したり
掲揚順序のリハ-サルを何度も行ったんだとか。
627NASAしさん:03/02/18 22:28
>>591
今も船舶扱いなんですか?
>>618
NHK特集で、洞爺丸沈没に関するドキュメントを放送した事
があります。
また、写真集「青函連絡船」は、古本屋で売っていれば、購
入する事をお勧めします。昔の連絡船の写真や函館の町並み
などが見れますよ。
628NASAしさん:03/02/19 08:40
↑金丸大作氏の写真集ですね。アレは迫力あります。
629NASAしさん:03/02/20 21:11
それ知ってる。第六青函丸から改造後の石狩丸(3代目)まで載ってた。
そういえばこの金丸氏、昭和34年摩周丸難航の時に故坂本幸四郎氏と組んでた次席通信士と同一人物なんでしょうか?




630NASAしさん:03/02/20 22:28
>>629

そのようです。
631NASAしさん:03/02/21 23:25
もうすぐこのスレも1周年か。
連絡船終航から15年。
赤屋根の函館駅も今年でアボーン予定。

あの時消防のガキだった自分も三十路目前。
時の流れは無情だな。
昭和は遠くなりにけり
632NASAしさん:03/02/23 09:23
いいや。これからですじゃ。
633NASAしさん:03/02/25 18:17
坂本幸四郎「青函連絡船」の巻末カラー写真も金丸大作氏のものでした。
ちょっと得した気分。
そういえば、以前模型雑誌で「1/144津軽丸」とか飛らん丸のフルスクラッチ
を見たような気がする。津軽丸はNマガだったかな。
634NASAしさん:03/02/26 02:17
635NASAしさん:03/02/26 10:24
>>634

あの十和田丸のラジコンは凄すぎる・・・絶句
636NASAしさん:03/02/26 22:27
摩周丸がドックから出てくるのって何時でしたっけ?
来週だったら見に行けるかもしれないのですが…。
637NASAしさん:03/02/26 22:33
摩周丸、塗りなおした時はドックまで自走したの?
638NASAしさん:03/02/26 22:34
マセマのブリッジ下のあのデカ窓はどうなるんですか?
639船長に浣腸:03/02/27 21:37
>>636
ttp://www.hakodate-e-news.co.jp/index.html
◇旧青函連絡船「摩周丸」函館どっくでの船体塗装改修が予定通りほぼ終了し、
3日午前9時半ころ若松ふ頭に戻って接岸へ
船内展示室等のリニューアル作業を経て4月19日オープン

>>637
>摩周丸、塗りなおした時はドックまで自走したの?
過去記事にてガイシュツ。
タグに引かれて動いてる。スクリューは外してるので自走不能。

>>638
>マセマのブリッジ下のあのデカ窓はどうなるんですか?
そのまま。
船内レストランの復活の予定もない。
640636:03/02/27 22:14
>>639
サンクス。9時半かぁ…ちょっと厳しいかなぁ。(´д⊂
641香川県民:03/02/27 22:25
>>639

そうか・・・元サロン6職の居住区の窓は大窓のままですか、残念。
 あれだけは是非とも直して欲しかったなあ。
 他のとこか良くなってもあれが最大の欠点だからな〜。

 それはおいて元の若松埠頭に戻る事は目出度い。当日見に行ける方、
国際信号旗の「UW3」(意味は「帰港歓迎」)を自作でもいいから掲揚
してあけてくれる人いない?
642NASAしさん:03/02/28 17:22
>>641

行きたいのですが、平日なのが何ともハヤ・・・・・・
643NASAしさん:03/03/02 20:29
644NASAしさん:03/03/02 20:39
ロビーのゲームは
1942だった記憶が。

船内グリルの箸には青函連絡船の絵が。
645NASAしさん:03/03/02 20:41
>>644
あの戦艦を爆撃するゲームですか?
646NASAしさん:03/03/02 21:41
1942というゲームもあったが
あそこのは1943だった
647NASAしさん:03/03/03 10:13
今頃、摩周丸は接岸作業中かな・・・今日は雪だし、今回はJNRマーク入りだし、絵になりすぎかも?
648NASAしさん:03/03/04 08:41
公衆電話あったね
649NASAしさん:03/03/04 10:05
650NASAしさん:03/03/04 21:50
651NASAしさん:03/03/04 23:18
青森で保存されている八甲田丸のエンジンには、セメントが流し
込まれていて、2度と使用不能というのを見た覚えがあるのです
が、摩周丸も同じなんでしょうか?
652船長に浣腸:03/03/04 23:52
八甲田丸の発電機用エンジンはまだ生きてるはず。
係留当時は煙突からディーゼル煙が出ていたのを覚えてる。

摩周丸のエンジンはコンクリ詰め。
あと、摩周丸のかなりの部品が十和田丸(フィリピンドリーム)の整備用に
部品取りされているのも内部の公開がされない要因の一つと思われ。
653NASAしさん:03/03/05 12:06
一足早く2月にアボーンしたのは
大雪丸だった?
654NASAしさん:03/03/05 20:46
大雪丸は1988年1月6日、僚船よりも一足早く終航となりました。
655NASAしさん:03/03/05 22:57
確か21年前の昨日(1982年3月4日)は津軽丸引退の日だった…。

遠い日の思い出と化したか…。
656NASAしさん:03/03/05 22:58
>>648
100円玉のやつな。
657NASAしさん:03/03/06 01:23
>>656
連絡船から家に電話してて「100円玉切れたから」って切ったら、すぐ家から
かけ直してきた。船内呼び出しがかかってびっくりしたよ。
昔の時刻表には列車電話・青函連絡船への電話のかけかたが書いてあったな。
658NASAしさん:03/03/06 22:32
青森→函館を八甲田丸で乗った時、シャワーに入ったのを覚えてる。
冬だったので、左右に揺れながらだったのが懐かしい…
659NASAしさん:03/03/06 23:03
>>658
100円玉のやつな。
660NASAしさん:03/03/06 23:04
>>657
列車電話は107番でいまでもかけられるわな。
携帯の普及でだれも使わないが。
661NASAしさん:03/03/06 23:08
中で売ってたメダル知ってる人、手上げて!
実家に数枚あるはずだけど、全部買っておけば
良かった・・・
662NASAしさん:03/03/06 23:57
>>661

持ってるよ。乗った日付と船長の名前を刻印。秘蔵の宝物でつ。
663NASAしさん:03/03/07 00:05
青函連絡船オレンジカード全8枚セット
(羊蹄丸、摩周丸、十和田丸、八甲田丸、大雪丸、宗谷丸、石狩丸、檜山丸)
いまだに未使用で持ってます。
青函トンネル開業記念台紙に入った8枚です。
当時中学生だたので、小遣いはたいて買ったものです。
ヤフオクでいくらなら買う?
5マソぐらいかな。
664NASAしさん:03/03/07 18:13
わしはテレカ
津軽丸、松前丸、羊蹄丸、摩周丸、十和田丸、八甲田丸、大雪丸、石狩丸、檜山丸
持ってる。あと、100円だった下敷きもある。
665NASAしさん:03/03/07 19:36
子供の頃からむつ湾を航行する連絡船をほとんど毎日眺めてたな。
666NASAしさん:03/03/08 20:49
ぜんぶそろってんなら、
1枚1万円出してもいい。
667NASAしさん:03/03/08 22:27
>>666
こういう香具師がヤフオク相場をベラボーに引き上げてるんだよな…
668NASAしさん:03/03/09 11:17
学研歴史群像4月号の青函連絡船の記事読んだ香具師はいるか?
田舎なんでまだ読めんのよ。詳細きぼんぬ
669NASAしさん:03/03/09 14:00
>>668
> 学研歴史群像4月号の青函連絡船の記事

今まで市販された本の焼き直し。
特に資料価値無し。
北海道の地名の読みが間違ってたり
連絡船の数値データーの引き写し間違いが目立つ。
立ち読みで充分。
670NASAしさん:03/03/09 23:18
十和田丸はスタビライザーがついてたので横揺れが少なかったような気がする。
海峡ラーメン結構おいしかったよなー。4時間の航海なのに食堂があったのは
良いサービスだったね。
671NASAしさん:03/03/10 00:08
食堂是非はともかく、海峡ラーメン美味しいか?
俺は函館で荒巻弁当が定番だったがなー。
672NASAしさん:03/03/10 00:34
>>671
陸の上で食う海峡ラーメンは結構うまいぞ。特に塩。
今でもJR函館駅近くと札幌のJR本社近くに店がある。

のびのびきっぷで菓子パン囓りながら乗ってた俺には
船の上の食堂ははどうだったか知らないが。
673NASAしさん:03/03/10 02:58
青函連絡船の退役直前の写真はサビサビの姿の写真が多い。
地元密着で酷使された結果だと思うな。
サビサビだからこそ青函は大好きだよ。
674NASAしさん:03/03/10 10:29
津軽丸引退の時、地元紙の特集記事では「赤サビは栄光の勲章」と見出しが張ってあったよ。
675NASAしさん:03/03/11 23:06
でも荒れ放題でハトの巣とホヤの住処になって朽ち果てつつあった
この前までの摩周丸の姿は見るに忍びなかった。

外板張り替えて塗装し直して、綺麗になった摩周丸は
現役当時そのものだったよ。
やっぱり綺麗な船が好きだなぁ。
676香川県民:03/03/12 21:18
摩周丸が落ち着いたと思ったら、今度は八甲田丸がピンチに陥りマスタ。
http://www.kahoku.co.jp/news/2003/03/20030312t21015.htm
677NASAしさん:03/03/12 22:03
八甲田丸をもういちどドックに入れるとなると、青森港にはそのような造船所が無いので、
最も近い函館のドックに入れるとしても、摩周丸と違って回航曳航費用なども嵩んで、
不利ですよねえ。しかも破産不回避となるとねえ・・・・・なんというこっちゃ・・・
678船長に浣腸:03/03/12 22:28
>>677
そうなると函館と同じように市か県が買い取って運営って筋書きが見えてくるような。
或いはオリアナ号のように香港当たりに海外売却とか。

679山崎渉:03/03/13 13:05
(^^)
680NASAしさん:03/03/13 19:49
15年前の今ごろ、最終便の八甲田丸に乗って青函航路の最期を看取ったなあ。
681NASAしさん:03/03/13 19:51
あの日からもう15年…。
682NASAしさん:03/03/13 21:01
先日の摩周丸ドックの様子から、八甲田丸もそろそろドック入りさせないとヤバそうな感じ・・・。
683NASAしさん:03/03/13 22:01
あの日からもう15年なのか…
あの船に乗ってた若者達のほとんどはもう30代、40代なんだろうな。
羊蹄丸の出港時、函館桟橋で聴いた「津軽海峡冬景色」、今でも耳に残ってるよ…


八甲田丸はオリジナルな部分がかなり残っているうえに
イベントホールやレストランも備え付けられて設備的には
恵まれた船ですから末永く保存して貰いたいですね。
684NASAしさん:03/03/13 22:24
>あの船に乗ってた若者達のほとんどはもう30代、40代なんだろうな。
わたしはまだ20代です。

中学が卒業式で休みでしたので、函館G切符(当時)で函館まで駆けつけました。
3月12日夜のやまびこ号、はつかり号は満席で、青函深夜便に乗り、
青函間を2往復し、3月13日の北斗星で帰ってきました。
車掌が記念に北斗星キーホルダーくれました。

なつかしいなぁ
685NASAしさん:03/03/13 22:30
ああ、オレも青森に一日いたよ。
連絡船には乗れず、アスパム側の岸壁から眺めてた。

船と桟橋との間には無数の紙テープが飛び交い、みんな泣いてたよね。(ノД`)
686NASAしさん:03/03/13 22:57
昭和63年の3月13日って日曜日じゃなかったっけ?


道新フォ├ライブラリより
http://jyoho.hokkaido-np.co.jp/photolib/content.php3?dir1=special&dir2=02renrakusen&id=S0220020313810&keyword=&skip=0
687NASAしさん:03/03/13 22:59
うん、土曜か日曜だったはず。
688NASAしさん:03/03/13 23:32
連絡船廃止特集、その他の番組を録画したビデオを今日見たのだが、
今、NHKのニュース10担当の女性キャスターが青函トンネル開通の日
特番の担当をやってた。15年前はこんなにも若かったのかとちょっとびっくり。
ちなみに漏れは当時消防だったなぁ。
689684:03/03/13 23:36
>>686
言葉不足でしたが、
3月14日が卒業式でお休みでした。
3月12日は卒業式準備にかり出されたため、夕方の出発となりました。
どうでもいいけど。

ちなみに4月19・20日は宇高連絡船と瀬戸大橋に行ってました。
マリンライナーのG車はすべて満席でしたが、
何度もみどりの窓口へ通って、15時ぐらいの切符今だけゲットしましたが、
自由席でよければ充分乗れました。

690NASAしさん:03/03/14 00:52
定期運行じゃなくて復活運航時の話なんだが。
あの時のダイヤは、ちょうど航路の真ん中へんで上下便がすれ違うようになってた。
定期運航時とと違って、向こうの船のデッキに立つ人が判別できそうなくらい近寄
って、すれ違った。手を振る人の間からカメラのストロボがピカピカ光っていて、
ほんと綺麗つうか、よかったよ。
691NASAしさん:03/03/14 08:56
>>690
青函連絡船廃止後、各社フェリーの航路は右側通行になった上に上下接近したよね。
フェリーに乗った時はさいうんこうで最後に乗った日を思い出したな。
692NASAしさん:03/03/14 10:13
>>690

そうそう。すれ違うときには速力まで落として、汽笛の鳴らし合いもしていたよね。
暖かい季節だったから、海も穏やかで、天気も割合良くて、いい思い出になった。
693NASAしさん:03/03/14 10:51
復活運行は乗船整理券が必要だったわな。
激混みでなくてとても良かった。
銅鑼の音がテープに戻ったのがちょっと残念だったが、
食堂、売店定期運行時のままで感激した。
船の科学館の羊蹄丸、当時の姿に戻して欲しいな。
694690:03/03/14 11:58
復活運行時には、青森と函館で宿泊もやってたよね。
すっかり記憶から落ちていたけど、当時撮った写真の中に朝の、
乱れた毛布のちらかる船室のカットがあって思い出した。
1泊2000円だったような気がする。
695693:03/03/14 19:26
>>694
そうだったね。折れも宿泊にも利用したよ。くつろぎ利用券と書いてあって
そのパスを見せれば宿泊日函館駅の改札が何度も出られた。
函館からの帰りは今は無き海峡号で帰りました。時がたつのは早いもんだ。
もうあれから15年か。当時厨房1年生だったっけなぁ。
696NASAしさん:03/03/15 03:27
>>694
懐かしい。今となっては貴重な経験でした
2泊したんだけど、その時は1泊ぐらいは普通のビジネスホテルにでも
泊まればよかったと思ったけど、2泊してよかったです
697NASAしさん:03/03/15 03:55
>>688
たしか485系のはつかり10号の車内からとトンネル吉岡側出口での
地元の様子を中継してなかったっけ?

698NASAしさん:03/03/15 09:12
夏の復活運航の時、航行中に車両甲板を見学させてくれた。
水密扉も開けてくれて、船尾ぎりぎりのところまで行かせてくれた。
あれはいい思い出だったな。
699NASAしさん:03/03/15 21:13
>>698

うらやましいっす・・・
もう最高なんだってね。船尾扉を開けて走るの。
700NASAしさん:03/03/15 21:57
再運航の函館発最終便十和田丸を華々しく送り出そうと、当時函館駅前のデパート、文具店で「紙テープ」買いあさって乗船しました。
701NASAしさん:03/03/20 04:51
今ぐらいの時間に函館から特急北斗が発車していたね。
深夜便が懐かしいなあ。
702NASAしさん:03/03/20 23:07
八甲田丸のオレカが出てきたよ
703船長に浣腸:03/03/21 11:26
石狩、桧山の改造船は深夜便や臨時便に充当されていた事が多かったような気が。
食堂なかったし、椅子席は183系特急の椅子だったからちょうど良かったのかも。

石狩・桧山の改造船の話と言えば、
ひとつの案として88年3月以降は石狩、桧山の2隻の連絡船をJR貨物に移管して
青函ローカル旅客とフェリー、危険物貨車航送を行う、てな話もあったそうな。

ま、昔話という事で。
704米連邦航空宇宙局しさん:03/03/21 23:42
>>703
いや、石狩丸と檜山丸は通常貨物便(一部自動車航送扱い便)に使用されていて、
繁忙期は旅客施設を開放するという使われ方をされていたと言うのが正解。
例えば101便や102便も、時刻表上では運航日でなくても貨物便として毎日運行され
ていた。
同じような例で津軽丸形使用の170番台の便もあったんだよ。
705ちんちんディカプリオ:03/03/22 00:40
Pって下品だね
706NASAしさん:03/03/22 00:45
>>705
まちがえまつた
707NASAしさん:03/03/22 01:55
一級免状持ちの宝庫だった、船舶鉄道管理局。
皆さん今は何をしておられるのだろう?
と、ふと思った。
708NASAしさん:03/03/22 20:45
>>707

26 名前:NASAしさん 投稿日:02/03/10 09:19
乗組員はどんなところに再就職先したのでしょうか。
海保、教員は聞いたことあるけど・・・


27 名前:NASAしさん 投稿日:02/03/10 10:31
JRの陸上部門に配置転換というのもある。
とある連絡船の船長は某地方の主要駅駅長に就任したと言う例もある。

709NASAしさん:03/03/22 22:38
>>707
北海道大学の練習船おしょろ丸の機関長と通信長が、確か摩周丸OBだったかな?
710NASAしさん:03/03/24 23:43
今月号のRM見た香具師おる?

SL連載ものの奴なんだが、今回は青森機関区と言うことで連絡船もバチーリ。
オレンジ煙突の松前丸萌え。
711NASAしさん:03/03/24 23:45
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2003/0324/nto0324_14.html


八甲田丸経営の三セク自己破産へ


 「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」を管理する第三セクター「青森ウォーターフロント開発」(社長・木村守
男知事)は二十四日、取締役会を開き、経営難を理由に四月上旬にも自己破産を申請することを決めた。負債
総額は二億一千五百万円。同船の経営は宙に浮く形となるが、船を所有する青森市が同船の存続を目指す方
向で検討に入っている。

 取締役会では、昨年六月から解散を前提に債務処理策を検討してきた同社運営検討委員会の報告について
説明があった。同報告は(1)株式会社の債務返済のため自治体が補助金を交付することは困難(2)金融機関
の債権放棄が見込めない−として「法的整理に向かわざるを得ない」と結論づけた。

 取締役会は「収益性が低く、株式会社がやる事業ではない」として賛成多数で法的整理を決めた。栗田泰正・
青森市都市整備部長だけは「八甲田丸は青森港のいこいとにぎわいのため設置された全国初の港湾文化交
流施設。公的使命がある」と反対した。

 ウォーターフロント開発は、八甲田丸の展示と運営のため一九八八年九月設立。九〇年から船の展示を始め
た。しかし多額の累積損失を抱え、九九年八月に約十四億五千万円(六割が県負担)で施設を市に売却、公設
民営方式となった。

 入場料とテナント料を収入の柱に中長期経営計画を策定し単年度黒字を目指したが、レストランの撤退などで
経営の見通しが立たなくなり、〇三年度は約五百万円の赤字が見込まれていた。

 筆頭出資者の県は、県公社等経営評価委員の「(同社は)任意整理が困難で破産も避けられない状況」との
提言を受け、破産による法的整理へと踏み切った。
712NASAしさん:03/03/27 22:44
このスレ見て、写真の整理をしてるけど、
多すぎて手に余るわ。
713NASAしさん:03/03/28 22:27
>>712
今は厄介物だけど、保存に注意して孫子の代まで伝えましょう。
低湿度、冷暗所で。
714NASAしさん:03/03/29 01:12
>>713
有難うございます。

故あって、別々の場所に置いてるけど、
そろそろまとめておこうと思って・・・。

いつ終わるか判らないけど、
CD-Rにも取り込まなきゃいけませんね。
715NASAしさん:03/03/30 09:05
連絡船に限らず鉄道ファンって写真を撮ると
誰にも見せずに、ずっと退蔵したままになってる人、多いよね。

撮った本人は大したことがないと思ってても
実はかなり貴重な写真だったり、なてことも結構あるんだよな。
藏の中にしまったままでは孫子の代になる前に焼却処分が関の山

もっと写真見てぇーよ、と願う私はSLも連絡船も国鉄も知らない若造です。
先達の皆様、ぜひ若者達に道標を与えて下さいませ。

アーメン
716NASAしさん:03/03/31 21:42
>>715
今はネットがどんどん普及してるんだし、ホームページでどんどん公開して欲しい
ホームページを作るほどネタがないと思っている人。実は貴重な写真を退蔵してませんか?
717NASAしさん:03/04/05 11:21
【訃報】田中正吾さん=青函連絡船摩周丸初代船長

4日午後死去。
通夜、葬儀は下記会場にて。
場所 目黒区中目黒 祐天寺


 三井物産船舶部(現・大阪商船三井船舶)を経て1955年国鉄入社し、
以後1973年まで青函連絡船船長、本社船舶部次長等を歴任。
 1965年に就航した青函連絡船「摩周丸」の初代船長も務めた。
 国鉄退職後は海難史の研究に尽力し、「青函連絡船 洞爺丸転覆の謎」
(成山堂書店)等の著書がある。


。・゚・(ノД`)・゚・。
718米連邦航空宇宙局しさん:03/04/05 22:14
坂本さんが亡くなったばかりなのに…。
これでまた一人「語り部」を失ってしまった。
ご冥福をお祈りします。
719NASAしさん:03/04/06 23:24
>>717
青函連絡船最盛期の船長さんなんですね
720NASAしさん:03/04/06 23:48
昨日大阪から函館まで行って新塗装の摩周丸を見てきた。
JNRのマークが復活してた。
涙が出そうになったよ。

函館って、いい街だね。
住みたくなった。
721NASAしさん:03/04/07 12:48
漏れは青森出身なんで、修学旅行は青函連絡船で函館に行った。
往きで乗ったのが「羊蹄丸」だった。「ようていまる」という読み方を
そのとき初めて知ったので、それだけは忘れられない。
時を経て、去年、子供を連れて船の科学館に行って、羊蹄丸を見て感激。
子供相手に思い出を語っちゃったよ。
「しゅーがくりょこーってなにー?」なんて言ってる4歳児が小学六年に
なるまで、この地でがんばっててくれと思わず祈った。

個人的な思い出&感傷、スマソ。
722香川県民:03/04/08 22:52
>>721

私の住む香川の学校の殆どは修学旅行で本州方面に行く場合は国鉄連絡船に乗って
往復してました。 青森出身のルポライタ-、鎌田慧氏のルポを読むと青森と函館の
学校の修学旅行は青函連絡船でお互いに行きあう形になってたようです。
(蛇足ながらこの鎌田慧氏は個人的にはイデオロギ-があわないのですが、乗り物関係のルポは
いい文書いていると思いまつ。)

 青函では洞爺丸台風の後はどうか判りませんが、宇高航路では紫雲丸事故の際に
多数の修学旅行客が犠牲になったため、長らく四国内の各学校では修学旅行の行き先が
四国内に限られるといったケ−スが結構続き、私の友人の学校なんぞ友人が卒業した年
に「紫雲丸の呪縛」から逃れたそうです。
723NASAしさん:03/04/09 08:52
俺は修学旅行の前の年に日航ジャンボ機が落っこちて、飛行機往復の予定だった
北海道修学旅行が急遽鉄道+連絡船に切り替えられた。
貴重な体験だったよ。
724NASAしさん:03/04/09 22:52
お台場の青函連絡船って乗船できるの?
725香川県民:03/04/09 23:15
>>724
 勿論有料だが、「船の科学館」とセットでも単独でも見学可能。
726NASAしさん:03/04/10 00:06
>>725
船内ロビーや喫茶室などは入場無料じゃないか?
入館チケットは資料コーナーに入るときに必要になるだけで。
727NASAしさん:03/04/10 01:43
>>726
ロビーというかエントランスまでは無料だな。それでいいならいいが。

エントランスに飾ってある連絡船の絵が大好き。
728NASAしさん:03/04/10 08:44
たまに羊蹄丸を見学すると、ブリッジの機器類が全部出港時の状態になってる。
729NASAしさん:03/04/10 10:20
>>722

漏れは函館出身ですが、小学校の修学旅行では青函連絡船に乗って青森へ渡り、
大鰐に泊まって弘前城や公園を回って来ました。
函館市内および近郊の小学校は概ね、連絡船で青森へ渡っていたようです。
連絡船のブリッジ見学は、修学旅行の大切なイベントのひとつでした。
船内は自由に歩き回れて開放感最高、その一方で船酔いも貴重な思い出。感無量。
730NASAしさん:03/04/11 10:07
北海道新聞記事によると、摩周丸は正午と17時の1日計2回、汽笛を各3秒
吹鳴することで、海上保安庁とも調整がとれたという。
リニューアルオープンから実施される模様。
731NASAしさん:03/04/11 11:19
>>724
ついでに中華料理を食べるのがおすすめ
732NASAしさん:03/04/11 16:44
↓「青函航路に新型連絡船」を妄想している香具師が…。
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/rail/1047478313/107
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/rail/1047478313/111

…ここでも「もし今でも青函連絡船があったら」を考えてみないか?
733NASAしさん:03/04/11 20:48
>>732

読んできました。
国鉄が相変わらず業界に先駆けてハイテク船を導入する伝統が続いているなら、
スタンスラスタどころか多分日本初の電動ポッド推進器を装備する可能性大かも?

各航路の歴代鉄道連絡船はその当時考えられる先端技術をことごとく取り入れようと
努力して、少々高価格でも業界を牽引するような技術的挑戦を繰り返したように思う。
日本初のタービン主機、RoRo構造、交流電化、レーダー、当時の商船最高速力記録、
VSP、CPP、スラスタ、業界初の遠隔操作&自動化、などなど枚挙にいとまがない。
そんな実験船?を設計した技術者も立派だが、それを使いこなした乗組員も賞賛もの。
今にして思うに、ほんとうに大したものだったと、しみじみ思う。
いっそNHKにプロジェクトXで取り上げてもらうよう陳情しようか?
734NASAしさん:03/04/12 21:14
>>732 の上の方が当時の国鉄の台所事情を反映していて悲しい。
確かにその時代の建造じゃ「少しでも金がかからない船」にせざるを得ないな。
下の方は現在のJR北海道がそこまでやるか?と思う。
735NASAしさん:03/04/12 22:50
鉄道省や国鉄が連絡船に金かけていた時代は、各航路連絡船が名実と共に「大動脈」
だったからね。まあ、往年の大西洋定期航路みたいなものかも知れないね。
736NASAしさん:03/04/12 22:57
もしも今、青函連絡船が残っていたら、旅客はジェットフォイルあたりで、
車両航送は客扱い無しの貨物専用型に、営業分離されているかもね。
船舶技術の見本市船みたいなものはJRの体力ではムリだろうね。
737NASAしさん:03/04/13 01:29
青函の新造船?
オーシャン東九のカジュアルみたいな
モノクラス、自販船でしょ
738NASAしさん:03/04/13 18:36
>>737

その可能性が最も高いだろうね。
ただ、速力はどうなったかな?
24ノット級にアップして青函3時間ジャスト運行すれば、1日6航海可能になり
18ノット級1日5航海に較べて燃料費増にはなるが、船舶保有数は減らせる。
そのあたり、どんなソロバン勘定になるのかな。
739NASAしさん:03/04/16 23:57
今週末19日に摩周丸リニューアルですが、行く人いる?
740山崎渉:03/04/17 08:56
(^^)
741NASAしさん:03/04/17 16:22
03/08 21:29
洞爺丸の
事故のことなど
なんでもいいから語れ


692 :NASAしさん :03/
742NASAしさん:03/04/17 20:46
>>739
雨が降らなきゃ行くつもりだよ。
743NASAしさん:03/04/18 00:03
http://www.hakodate-e-news.co.jp/phot3.html

4/15は報道関係者内覧。
あまり代わり映えしないようだが。
744山崎渉:03/04/20 04:32
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
745NASAしさん:03/04/20 21:09
          {:::::::::\        /.:::::::::}
          ヽ、::::::::\,.....-.―-/.:::::::::::ノ
           ゝ,.-‐-、,.‐‐-、::::::::::::::::"く
          /    /⌒丶 ヽ._::::::::::::::ヽ
         /   ,ィ〃//゙ヽ. ヾ ヽ::::::::::::}
         /  ∠_     `'、   ゝ:::::::::j  摩周丸は廃船まで船市役所の役人が管理いたします♪
        {  /,.=、`   ,.ニ ̄`メ ヾ }:::::::メ
        ノ)イ1仆..}    ri⌒ヾ ソりト、::::/
          リソ,,`ー' .   、、::;ナ 仆⌒!ソ
     (\_/八    、_   ̄ '' ,.!|f_ノリ (\_/)
     ( ´∀`)リヽ.         ィルリ从メ   (´∀` ∩
     (.つ  つ   ` ー┬   トx     (つ  イノーエ
      ) ,) ) '^~  ̄く(__ ___/ ,ゝ 、   (  ヽ,,ノ
      (,,_,,_,,)    /ソc< r一'~´  ヽ、 (,,゙__,,)
      /   レヘ、___//.:::::.ヽ\      入/   |

http://www1.ezbbs.net/25/horie/img/1050840442_1.jpg
746浅い者:03/04/20 22:30
747浅い者:03/04/20 22:33
しまった!ミスっちゃったよ
748浅い者:03/04/20 22:37
749浅い者:03/04/20 22:46
またミスった・・・・。
750浅い者:03/04/20 22:51
も一回!これが最後!!


http://rivernet.cool.ne.jp/upload/ing/200304202248_jpg
751浅い者:03/04/20 22:58
はぁ〜、今日はもうやめよう・・・。
752NASAしさん:03/04/21 16:38
753NASAしさん:03/04/21 16:40
754NASAしさん:03/04/21 17:36
>>752
どっかの模型メーカーで出してたぞ。「語り継ぐ…」のリンクにある。
そのかし、すげー高かった記憶が。
755NASAしさん:03/04/21 20:39
>>752
船舶模型で有名な小西製作所のサイトでも見るべし。
あとはググれ。
756NASAしさん:03/04/21 23:40
ようてい●ですが塗装は何とかならへんの?
復活時に最後に乗った船なんで思い入れはあるが・・・
757あぼーん:あぼーん
あぼーん
758NASAしさん:03/04/22 08:46
>>756
羊蹄丸開館1年前、笹川科学館は「外装は元の色に戻す」って言ってたのに…
…うそつき。
759NASAしさん:03/04/23 12:28
FMTOWNSもう無くなっちゃったカナ。
760Capt.Mark:03/04/24 10:59
そういえば「十和田丸」改「ジャパニーズ ドリーム」は悲しい結末だった。今じゃ、「フィリピンドリーム」としてセブ島でカジノ&ホテルシップになってるって……
761NASAしさん:03/04/24 11:05
>>760

でも台風避泊のためにまだ自力航行可能という噂が・・・本当だとすれば大したもんじゃないの。
762NASAしさん:03/04/24 20:54
>>760
つーか、そのホテル、今年潰れたんだが。
十和田丸放置プレイ中。
763111:03/04/24 20:59
764NASAしさん:03/04/24 21:44
>>762

放置プレイ中の船は競売中? どれ位の価格?
765NASAしさん:03/04/26 22:30
八甲田丸は助かった模様です
http://www.h4.dion.ne.jp/~captain1/
の「連絡船の思い出」を参照

あとジャパニーズドリームに関するHPも
http://members.tripod.co.jp/embark/
でつ。
此処の掲示板によると元石狩丸&空知丸も運行休止らしい・・・
766NASAしさん:03/05/02 01:04
サルベージ。
767NASAしさん:03/05/03 06:26
リニューアル摩周丸、実際行った人いますか?
768NASAしさん:03/05/03 11:06
>>767
行ったけど、展示物が前より減っていて(´・ω・`)ショボーン
外装は綺麗になったけど、内容的にはグレードダウン。

あと、FM-TOWNSは今でも現役です。
769教えてください。:03/05/06 00:15
さすがに青函連絡船。超良スレ!
既出かもしれませんが、「洞爺丸形@四本煙突」は、
現在、どこに行けば見られるのでしょうか?
それとも全滅なのか・・。
770NASAしさん:03/05/06 00:37
特に取り立てて美味いというわけでもないんだが、
昼の連絡船で緑のカーペットに寝そべって、
小腹がすいたら船の真ん中の方にある食堂で
「海峡ラーメン」とか言う名前のラーメンを食った記憶がある。
カーペット席って、開放感のようなものがあって好きでしたね。
771船長に浣腸:03/05/06 22:53
>>769
> 既出かもしれませんが、「洞爺丸形@四本煙突」は、
> それとも全滅なのか・・。
模型なら摩周丸船内に展示中。
実物は…さすがに無理。55年前に造られた船だもの。
最後の初代大雪丸は91年暮れにセルビア紛争でアボーン。

>>770
>カーペット席って、開放感のようなものがあって好きでしたね。
フェリーの桟敷席なら今でもその雰囲気は味わえますよ。
772NASAしさん:03/05/06 23:07
>>770
>「海峡ラーメン」

鉄道紀行作家のM氏は「ぬるくてまずい」と酷評。
レイルウェイ・ライターのT氏はベタホメ。
773NASAしさん:03/05/07 00:54
ラーメン「海峡」
函館駅前と桑園駅前に健在なり。
774NASAしさん:03/05/07 01:00
みどりカーペットは混雑期にしか開放しなかったような。
普段は黄色カーペット席でした。ちょっと狭い。
775NASAしさん:03/05/08 18:34
前の展示よりバリエーション縮小ですか>摩周丸
ツアーの巡回名所になるような、何かいい方法はないですかねぇ。
飲食店や服飾雑貨など、ちょっとしたショッピングモールを試みるも
結局失敗してしまった経緯もあるしなあ。
776NASAしさん:03/05/08 22:27
>>775
内部写真は>>743のリンク先参照されたし。
777NASAしさん:03/05/16 23:17
上げ。
778NASAしさん:03/05/20 21:33
上げ
779山崎渉:03/05/21 22:05
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
780山崎渉:03/05/22 00:07
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
781NASAしさん:03/05/22 21:43
今から40年前のあさって5月24日は、新津軽丸の起工日でした。(1963.5.24 浦賀重工)
782NASAしさん:03/05/24 20:12
>>781
今日でつか?
783NASAしさん:03/05/25 18:30
青函連絡船各船の起工日

津軽丸U 1963.05.24 住友浦賀
八甲田丸 1963.12.09 三菱神戸
松前丸U 1964.02.29 函館ドック
大雪丸U 1964.07.07 三菱横浜
摩周丸U 1964.12.02 三菱神戸
羊蹄丸U 1964.10.08 日立桜島
十和田丸U1966.02.15 住友浦賀
渡島丸U 1969.03.27 函館ドック
日高丸U 1969.08.26 三菱神戸
十勝丸U 1969.11.11 日立向島
空知丸U 1975.09.04 函館ドック
檜山丸U 1975.10.16 三菱下関
石狩丸V 1976.07.22 日立向島

うるう日だったり、七夕だったり、あったんでつね
784NASAしさん:03/05/25 18:36
>>783
ん!?するとドック(現どつく)は残っていないの?
785NASAしさん:03/05/25 20:39
>>784

国内には残っていません。
松前丸は、北朝鮮に渡り、その後廃船解体の噂。
渡島丸は、生まれた函館ドックで解体、終焉。
空知丸は、ポセイドン・ラインでフェリーとして活躍も、現在消息不明?
786NASAしさん:03/05/25 23:41
>>784

ひうら丸。

一応函館ドック生まれだ。
787不倫の代償!!ウッチャン慰謝料5000万円?:03/05/26 00:59
788NASAしさん:03/05/26 01:05
青森0時15分か20分、いや、40分出航だったかな?の便で、
万が一の事を考えると危険だったのかもしれないが、
静かな海の風のあたるデッキに上がると、何も無いと思っていた夜の海にも
標識やらがいっぱいあることが分かった。
真っ暗な津軽海峡上で同時刻の函館から来る便が遠くから近づいてきて
すれ違う時はとても幻想的でした。

789NASAしさん:03/05/26 01:09
ちなみに、青森駅で食べるそばはどうも種類・素材が違うものらしくて、津軽そばというらしいです。
何も知らないで普通のそばのつもりで食べると、あれ、もそもそしてる、と感じます。
790NASAしさん:03/05/26 10:14
>>789

連絡船桟橋にも○とか△のネオン標識が色々ついていたでつね
791NASAしさん:03/05/26 10:15
>>788の間違い
792NASAしさん:03/05/26 20:54
青函連絡船各船の進水日

津軽丸U 1963.11.15 住友浦賀
八甲田丸 1964.04.15 三菱神戸
松前丸U 1964.07.23 函館ドック
大雪丸U 1964.10.30 三菱横浜
摩周丸U 1965.03.18 三菱神戸
羊蹄丸U 1965.02.20 日立桜島
十和田丸U1966.06.23 住友浦賀
渡島丸U 1969.06.30 函館ドック
日高丸U 1969.11.29 三菱神戸
十勝丸U 1970.02.19 日立向島
空知丸U 1975.12.18 函館ドック
檜山丸U 1976.04.15 三菱下関
石狩丸V 1976.11.26 日立向島
793NASAしさん:03/05/26 21:47
いか焼きで一杯やってからグリーン船室でウトウト。函館ダッシュを横目にいったん改札を出て
朝市なんかを見て谷地頭の温泉で朝風呂。そのあと特急北斗で札幌へ。
札幌地下街の中華料理店で食い切れないほどの大盛りチャーハンをなんとか食ったなぁ。ナツカスゥイ・・・
794NASAしさん:03/05/26 21:54
>793
それ、楽しそうですね。イカ焼きって青森が美味いの?
795NASAしさん:03/05/26 22:01
>>792
全船、大手の造船所出来だったんだね。
当時は函館ドックも東証一部上場会社・・・
796船長に浣腸:03/05/26 22:09
>>790
有川桟橋(現・港町埠頭)の跡地に△のネオンの残骸が残ってるぞな。
797NASAしさん:03/05/26 22:27
当方関東在住、小学生のとき夏休みに乗船して、
売店でマリモを買いました。
夏休み明けに、クラスの連中が
マリモを見に押し寄せてきました(w
798NASAしさん:03/05/26 22:47
青函連絡船各船の配属/就航-終航日

津軽丸U 1964.03.31 / 1964.05.10 - 1982.03.04
八甲田丸 1964.07.31 / 1964.08.12 - 1988.03.13
松前丸U 1964.10.31 / 1964.12.01 - 1982.11.12
大雪丸U 1965.04.10 / 1965.05.16 - 1988.01.06
摩周丸U 1965.06.15 / 1965.06.30 - 1988.03.13
羊蹄丸U 1965.07.20 / 1965.08.05 - 1988.03.13
十和田丸U1966.10.16 / 1966.11.01 - 1988.03.13
渡島丸U 1969.09.27 / 1969.10.01 - 1978.10.01
日高丸U 1970.03.30 / 1970.04.05 - 1984.01.31
十勝丸U 1970.06.23 / 1970.06.30 - 1984.01.31
空知丸U 1976.03.31 / 1976.04.05 - 1988.03.12
檜山丸U 1976.07.27 / 1976.08.05 - 1988.03.13
石狩丸V 1977.04.26 / 1976.05.06 - 1988.03.13
799NASAしさん:03/05/27 20:54
>798
就航日はだいたい、海が荒れない春夏時期の月の第一週が多いな。
800山崎渉:03/05/28 14:39
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
801NASAしさん:03/05/28 22:29
青函連絡船洞爺丸型の起工−進水/配属/就航−終航日

洞爺丸:三菱神戸1946.09.11-1947.03.26/1947.11.02/1947.11.21-1954.09.26
羊蹄丸:三菱神戸1946.11.07-1947.08.20/1948.04.09/1948.05.01-1965.06.20
摩周丸:浦賀船渠1946.12.03-1947.09.26/1948.07.31/1948.08.27-1964.10.26
大雪丸:三菱神戸1947.03.26-1948.03.13/1948.10.25/1948.11.27-1964.08.31
802NASAしさん:03/05/29 21:19
【イベント】青函ジョイント夏フェスタ 〜八甲田丸&摩周丸 海峡を越えて〜【青函開催】

イベントキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!

■青森(八甲田丸)でのイベント
日時:2003年7月19日(土)13:30〜16:15(八甲田丸の開館時間は9:00〜18:00)

■函館第1会場(摩周丸)でのイベント
日時:2003年7月21日(月)10:30〜12:15(摩周丸の開館時間は8:30〜18:00)

■函館第2会場(函館駅)でのイベント
日時:2003年7月21日(月)10:00〜15:00
場所:JR函館駅2階多目的ホール(入場無料)




803_:03/05/29 21:20
804793:03/05/30 23:00
>>794
いや、いか焼きは青函連絡船の食堂メニューでした。(と記憶している)
805船長に浣腸:03/05/31 00:01
>>804
「いか鉄砲焼」とは別物かいな?…たぶん同じだと思うが。
JR直後の値段は400円。

他にも
・いかさし定食
・鮭三平汁定食
もあったなぁ。
806793:03/05/31 00:41
>>805
いか鉄砲焼・・・そんな名前だったと思う。なにせ○十年前のことなんで
807NASAしさん:03/05/31 00:50
808NASAしさん:03/05/31 12:54
どうでもいいんだけどさ、俺の実の爺ちゃん第11青函丸に乗っていたさ。
無論殉職
809NASAしさん:03/05/31 12:59
>>808
11青函は一番壮絶だったみたいね。ご冥福を(ry
810NASAしさん:03/05/31 13:21
>>808

もうじき五十回忌ですね。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌
811NASAしさん:03/05/31 14:19
洞爺丸沈没を題材にタイタニックみたいな
華やかな映画を造ってほしい。
CGで当時の函館を再現して、ラブストーリ−を絡めて。
812NASAしさん:03/05/31 17:54
懐かしいですな〜。
私は小学生の頃に2往復計4回しか乗船した事なかったです。十和田丸・松前丸・大雪丸・津軽丸でした。
海峡ではイルカが船の横を付き添うようにジャンプしながら泳いでいましたし、数十メートル横を海自の護衛艦とすれ違う場面も甲板から見ていた記憶があります。
スピード化が進んだ輸送時代ですが、青函連絡線ほど旅情を醸し出す交通手段は他にはないですよね。
期間限定で八甲田丸を就航させたらこの時代だから逆にうけるような気もするんですがね。

813NASAしさん:03/06/01 23:02
>>811
洞爺丸事故は数年前にNHKドラマで一度再現されてるよ。
814NASAしさん:03/06/01 23:14
AV、アダルト、裏画像、無修正、アダルト掲示板など
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
http://endou.kir.jp/betu/linkvp/linkvp.html
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
815NASAしさん:03/06/05 17:33
お台場での不審船展示の関係で羊蹄丸イベントホールでも関連の展示が行われています。
816NASAしさん:03/06/05 21:56
>>815
複雑な気分だな。
817NASAしさん:03/06/06 00:10
洋蹄丸で放映されている映画、ビデオで売ってくれないですかね?
818NASAしさん:03/06/08 13:18
誤:洋蹄丸
正:羊蹄丸
819NASAしさん:03/06/09 21:29
>>811

洞爺丸事故直後「ああ洞爺丸」という映画が作られましたが、当時の評価は「キワモノ」扱いだった。

820浅い者:03/06/11 19:37
821浅い者:03/06/11 19:39
822浅い者:03/06/11 20:19
823NASAしさん:03/06/15 15:22
保守。
新・函館駅は6/21に開業式典が行われます。
なお、現・函館駅の営業は6/23正午を持って終了いたします。

連絡船のあった時代の名残がまた一つ消えようとしています。
824NASAしさん:03/06/16 22:05
「れんらく船のりば」という旧駅舎にあったネオンが懐かしいね。
825NASAしさん:03/06/17 08:57
函館市電の電車に書かれていた

「 乗 っ て 残 そ う 連 絡 船 」

の文字が懐かしい。
826NASAしさん:03/06/17 22:23
みんな!
「なんでも鑑定団」見たかぁ?

「洞爺丸に積まれていた郵便」が鑑定されていたぞ。
827NASAしさん:03/06/21 05:28
洞爺丸台風は「タイタニック沈没に次ぐ海難事件」だったはず。
しかも、事故が起きたのはタイタニックの半世紀後だよ。
この事故でも、たくさんの恋人たちが「海の藻屑」になった事を聞いている。

当時の日本の造船技術は世界に誇れたはず。野に下ったとは言え
赤城、加賀、大和、榛名を作った日本の造船技術者が
欠陥商品を作ったとは信じがたい。しかし、当時の日本船の後ろ姿が
貧弱だったのも事実である。



828NASAしさん:03/06/21 08:08
塔矢丸以外もかなり沈んでるから船だけの原因でもないわけだが・・・

塔矢丸の構造上の問題としては、
車両甲板が密閉構造でない。
船楼の窓大きすぎ&大杉。
スチームタービン弱すぎ。
829NASAしさん:03/06/21 11:27
>>828

何しろ、大きな船では国内最後?の石炭炊き船だったからなあ。
沈没直前にエンジンがダメになった主因は、発電機がヤラレタせいだよ。
洞爺丸の主機の潤滑油ポンプは電動機駆動だったので、機関室浸水で
発電機が先に不能になってしまった道連れで、主機の運転続行も困難に
陥ってしまったということ。
交流発電機搭載で補機類のオール電化が、想定外の仇になってしまったワケ。
830NASAしさん:03/06/22 00:11
台風時に函館湾に放り出されていまの束日本Fや性感Fは耐えられたのだろうか?
831船長に浣腸:03/06/22 01:59
21日は函館駅の新駅舎開業日でした。

 今月末から旧函館駅の解体工事が始まり
 7月中には解体されるとのことです。

 60年ものあいだ、函館の玄関として行き交う人々を見守り続けてきた駅。
 時には街を出て行く人の背中を優しくそっと押したり、
 時には街に帰ってきた人を暖かく迎えたり。

 別れの涙・出会いの涙・・・
 様々な人の想いを見守り続けてきた駅。

 何人の人が行き交ったのでしょうか?

 何人の人がホームに立ったのでしょうか?

 何人の人が小さくなっていく列車を見送ったのでしょうか?

 何人の人が小さくなっていく駅の姿を、
 窓の向こうに見つめたのでしょうか?

 何人の人が続くレールの上に夢を乗せたのでしょうか?
832NASAしさん:03/06/22 02:05
>>831
最近の函館駅は見苦しかったからな。
時代の流れと言うことで、私は大歓迎。
板違いなのでサゲ。
833NASAしさん:03/06/22 06:35
連絡船なつかしい。
旅客客船には全部乗船しました。中でも、津軽丸、十和田丸が好きでした。エンジン音が
心地よい感じがしました。逆に、大雪丸、羊蹄丸が苦手でした。ただ、津軽丸は写真をあまり見ないように思います。
羊蹄丸はエンジンの振動が大きいと感じていました。そう言えば、青森駅ホームで常連客の子供が、
乗る船が大雪丸と聞いていやがっていました。その子は十和田、八甲田丸がいいと怒っていました。
常連客は各連絡船のクセを体感していたように思えます。
834NASAしさん:03/06/22 10:43
津軽丸型・渡島丸型各船搭載主機

津軽丸・八甲田丸・松前丸・十和田丸・渡島丸・日高丸:川崎MAN V8V22/30mAL型(V型16気筒750rpm)
大雪丸・摩周丸・羊蹄丸・十勝丸:三井B&W 1226MTBF-40V型(V型12気筒560rpm)
空知丸・檜山丸・石狩丸:ダイハツ 6DSM-32 320/380mm型(直列6気筒600rpm)
835NASAしさん:03/06/22 13:11
>>834
後になるほど
燃費は良く
振動は大きく
なってるね。
836NASAしさん:03/06/22 15:56
ダイハツ主機搭載船は実際に燃費は良かったらしい。でも正直うるさかった。
青函1航海当たりの各船平均燃料消費量は5300gくらいだそうだが、
ダイハツ主機搭載船は5000gを切っていたらしい。

十和田丸だけ、エンジンが弾性支持構造だったが、確かに騒音はダントツに低かった。
振動は少しあった。津軽丸は船尾の部屋の振動が多かった。プロペラ振動だったのかな。
837NASAしさん:03/06/22 17:50
あの旧函館駅から連絡船に乗った人は少ないのでは。
連絡船桟橋の方に連絡船専用の駅舎があってそこから乗ってたような。
ホームもそのときはそっち側にあった。函館駅は少しづつ北に動いてる。
838NASAしさん:03/06/22 18:09
JR九州の釜山航路は鉄道連絡線?
839     :03/06/22 23:43
>>837
連絡船の末期(昭和62年〜)は桟橋出入口が廃止されたので
出入り口が駅本屋側だけになったので駅本屋側から乗ったって人も多いと思う。

そういえば今でも江差線に接続する奥尻航路の運行情報って出ているのかなぁ?

>>638
否。
一部の特別きっぷ以外通しできっぷを購入できないので
あくまでも地域運行船舶。
ちなみにビートルの船長には宇高航路や青函航路の船員が
暫くの間乗務してたんだよなぁ。
840NASAしさん:03/06/23 00:59
>>834,835,836のレスありがとうございました。
自分の体感がデータで裏づけられました。乗船名簿の配布を告げる車内放送で、
車掌が十和田丸と告げると心の中で喜びの拍手をしていました。特に、冬の時化の時は
なおさらでした。晩年の改造以前でも、十和田丸は快適さでは一番と思いました。
一度、十和田丸でこわい思いをしました。
冬の深夜便で、天気は吹雪、海は時化ていました。函館を出港してから1時間半後ぐらいに
突然、汽笛を何回か鳴らしたことがありました。一瞬、びつくりしました。
港のそば以外で汽笛を鳴らした連絡船に乗り合わせたのは、その時だけでした。
841NASAしさん:03/06/23 01:05
なんか要諦丸がうるさかった気がしたのだが、
ちゃんと理由があったんだね。教示ありがとう。

普通船室椅子席が懐かしい。もう存在してないよね、この世に。
842船長に浣腸:03/06/23 01:25
>>841
羊蹄丸のは存在してないが
摩周丸ならほとんど当時のまま放置されるぞ。
843NASAしさん:03/06/23 08:51
>>840
> 港のそば以外で汽笛を鳴らした連絡船に乗り合わせたのは、その時だけでした。
あんた、余程運がいいよ。
本当の津軽海峡の時化を知らないんだね。
844_:03/06/23 08:54
845_:03/06/23 09:59
846_:03/06/23 10:38
847_:03/06/23 12:53
848_:03/06/23 13:33
849_:03/06/23 15:25
850_:03/06/23 17:40
851_:03/06/23 18:46
852_:03/06/23 20:37
853NASAしさん:03/06/23 22:57
>>840

十和田丸はエンジンマウントが良いし、津軽丸型唯一のフィンスタビ装着船で、女王様です。
なので、航路外周遊は十和田丸がほぼ独り占めしていました。乗り心地の良さを買われてです。
特筆すべきは、1986年夏に、護衛の巡視船を従えて、北方領土の択捉島沖まで遠征しています。
854NASAしさん:03/06/23 23:58
十和田丸は東京にも遠征に来たね。
855NASAしさん:03/06/24 01:31
新函館駅舎も安普請な造りだねえ。
意匠も素人臭いし。
10年で賞味期限が終わる造りだな。
駅舎といいラジウム温泉といい、
わざと訪問客を失望させる街づくりをしてるのかな。
856NASAしさん:03/06/24 06:28
今時はどこの観光スポットも話題性が数年間も持たないことを見越して、
何度でも改装しやすいように安めにあげているのかも。
857NASAしさん:03/06/24 09:09
>>837
土曜日に10年振りくらいに函館へ逝って来た。
連絡船の廃止=>博覧会臨時運行以来の訪問。

新函館駅舎の開業にぶち当たった。>>837の言うとおり、駅は
北進していましたね。びっくりした。
湾岸に瀟洒な自動車道(橋梁)ができていたし。

摩周丸見てきたけど、懐かしい部分(桟敷席など)はほとんど
見せてもらえなかったですね。デッキ部からグリーン船室を
覗き見ることは出来ましたが、窓を洗浄してないので良く見えなかった。

ちょっと懐かしくもがっかりして船外へ出たら、そこだけはかつての
面影が残ってて泣きそうになってしまった。
駅ホームへ向かう跨線橋の一部(20mくらい)だけ雰囲気がそのままで、
連絡船を降りて「北斗」までダッシュしていたことを思い出しました。。・゚・(ノД`)・゚・。
あの頃は目的地であるプラットホームまでの長〜い通路(うざったい場所)
だったのに。(また涙目)

あの頃はあそこまでホームだったんですものね。ホームも長かったんだよな。
列車の編成も長かったし。
858NASAしさん:03/06/24 22:02
>>855
新幹線が来たときすぐ新駅舎にできるようにしてるんだよ。

>>857
摩周丸未公開部分写真
ttp://www.geocities.jp/hirary165/seikan/notpublic.html
859NASAしさん:03/06/26 00:24
ふと思い出したんだけど、廃止の時に最終の羊蹄丸に乗る為、1週間(くらいだったかな)も
3月の函館で野宿してた人いたけど、今頃何やってるのかなぁ。
860NASAしさん:03/06/26 01:17
>>859
当時大学生だったとしてもあれから15年、
もう40近いんだろうな。

野宿組は旧・改札出口前に段ボールで囲って集まってたな。
JRの方で味噌汁の差し入れがあったり。
あの時代はまだJRにもこういう余裕があったんだね。
861NASAしさん:03/06/26 22:19
まちBBSにもスレが立ちました。
やっぱり地元だけにネタがローカル臭いですが。

青函連絡船について語ろう@北海道
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1056531364&LAST=100
862NASAしさん:03/06/26 22:25
863NASAしさん:03/06/27 00:46
なんて良スレなんだ…2ちゃん屈指の良スレだよ。

鉄道連絡船…漏れも乗ってみたかった。
海峡ラーメン…喰ってみたかった。
864NASAしさん:03/06/27 23:58
>>859

当時23歳、現在38歳。

現在4歳になる息子が青函連絡船のビデオ(「長声一発」です…。)にはまっています。
865NASAしさん:03/06/28 22:39
東日本フェリーが会社更生法申請へ、負債400億円に
ttp://www.yomiuri.co.jp/business/news/20030628i212.htm
866NASAしさん:03/06/28 22:58
>>827
>洞爺丸台風は「タイタニック沈没に次ぐ海難事件」だったはず。
>しかも、事故が起きたのはタイタニックの半世紀後だよ。
>この事故でも、たくさんの恋人たちが「海の藻屑」になった事を聞いている。

亀レスだが、さっきテレビで映画「タイタニック」が放送されていた。
船と運命を共にする覚悟を決めた船長や下等船室の乗客と、慌てふためき逃げ惑う
上等船室の乗客を対比させたシーンが個人的には印象深い。

洞爺丸事故に関しては、上前淳一郎著「洞爺丸はなぜ沈んだか」が事故当時の
乗客や船員の行動も含めて詳しく描写しています。
867NASAしさん:03/06/28 23:33
颱風は関東を過ぎれば被害は少ない。という今尚続く意識。
これが事故の規模を大きくした。
そして欠陥アンカー。

868NASAしさん:03/06/28 23:42
>>867
洞爺丸台風は関東地方を通過してないけど?
基本的には、当時日本海側に観測拠点が無く、台風の動きをきちんと予想できてなかったから
拙かったんでしょ。
アンカーの問題は、あくまでも2次的原因だと思うけどね。
869NASAしさん:03/06/28 23:52
仮にだ、まあありえないとしてだ。
アンカーが両舷かみ、またスチームエンジンも壊れなかったとすれば沈まないという可能性もあったのだろうか??
870NASAしさん:03/06/29 00:28
>>869

そのイフであれば乗船客に多数の死者がでることはまず無かったと思われ
871NASAしさん:03/06/29 00:29
アンカーと言うより、やっぱりエンジンだろうねぇ。
エンジンさえ生きてりゃ、走錨したとしても船体の立て直しは可能だっただろうし、
七重浜に流されたとしても、海岸に対して平行じゃなく垂直に近い形で座礁できたと思う。
垂直に近い形で座礁してれば、波に叩かれて転覆する事は無かったんじゃないかな。
872NASAしさん:03/06/29 08:49
洞爺丸の座礁は本来ありえない位置(水深12.4m。洞爺丸の吃水は4.9m)であって、これは
漂砂が部分的に堆積していたその箇所に突っ込み、右舷のビジルキールが引っかって
横転したという見解が海難審判に提出された『復元性鑑定書』に記されていたと思う。
本当の七重浜(と言う言い方も変だが)に座礁していれば、転覆はしなかったかもしれないが…。
貨車を積んだまま港外にでた連絡船はみんな沈んだからねぇ。

桟橋の停電が起こらず、午後3時過ぎに出港できていれば…とは思うが。
873NASAしさん:03/06/29 20:42
でも、結果は一つしかない。

洞爺丸は沈んだ。
十勝丸は沈んだ。
北見丸は沈んだ。
日高丸は沈んだ。
11青函は沈んだ。

合掌。
874NASAしさん:03/06/29 21:51
しかし大雪丸は沈まなかった。エンジンが回復したから。
大雪丸は洞爺丸のすぐ隣にいたとか。もしエンジン故障が起きる船が逆だったら・・・
875NASAしさん:03/06/29 22:43
結局は『運』も作用するのかなぁ。
876NASAしさん:03/06/29 22:48
>>874
空船の大雪丸と客貨を積んだ洞爺丸をエンジンだけで比較するのはどうかと
877NASAしさん:03/06/29 22:50
>>875
あったりめーだ。人生なんて運不運で8割方決まってるだろ。
878NASAしさん:03/06/30 01:11
現在私ゼミで洞爺丸の沈没原因を調べる、みたいな
ことをやってるのですがだいぶここの情報は参考になります。
感謝です。
879NASAしさん:03/06/30 13:40
北見丸は、トリミングを使ったのがまずかったと、何かで読んだな。
880NASAしさん:03/06/30 22:27
>>878
取り敢えず>>531に貼ってあるサイトへ行ってみたら?
881NASAしさん:03/07/01 00:03
>>879
トリミングをミッドシップの5度前で止めたのに、フリーウォーターエフェクト起こして逝ってしまったのだそうだ。無念。
882NASAしさん:03/07/01 11:54
バカラインでおなじみのイカロスから連絡船本が出るみたいだね。
883NASAしさん:03/07/01 22:18
>>882
ソースキボンヌ
(錨・ウスター・ブルドッグ・オタフクは不可)
884:03/07/01 22:27
カゴメは・・・
885NASAしさん:03/07/01 22:37
( ゚д゚)ハッ!シマター
886NASAしさん:03/07/01 22:39
                   凸
            ∞´ ■ヽ
            l !〈ノリソ)))
            ヽi+゚ー゚ノ!          _,.---‐‐'''''' ̄ ̄ ̄)
           <⌒i。___。!⌒>ー-、__,.-‐''           (
          丿/~(,, `,´,,)~|    `ー‐‐;'''''''''' ̄ ̄''''''‐‐---'ー、
          (_/ / 〉籠 〈l l"'‐--‐,.   "'''‐‐;,,_       \
          / /;,/ 女 ,i 、\__  "''‐‐,.,.        ̄"''‐‐,.,   |
           __/ //\_/ l ヽァ_}      "''‐‐,.,.       ノ`ー-、ゝ
        "っノ'  /|  |              "'‐-;;;.--'
            (   <  |  |"'‐‐-;,      ,.,.,.___,.--''"
          \ ヽ. | |    "'‐-‐""~
               \ノ`|  !
               ヽ, ! l
             .ノ |  |
                 (__,|' |
                   | |
                   | |
               | ̄!
              / '' |
              (__}
887NASAしさん:03/07/01 23:33
>>883
昨日発売のバカラインに広告載ってたでぇ。
888NASAしさん:03/07/02 21:11
>>887
アホライン見た。7/18発売。


内容はまぁ、イカロスだからな…
889NASAしさん:03/07/03 01:40
タイタニックも洞爺丸も共通して、本当に綺麗な船体なのが不思議だよ。
そう言えば、戦艦大和、プリンスオブウエールズ、タイタニックのように、
歴史に残る沈没事故を起こしたのは「不沈艦」と言われていた船が多いよ。
これは「人間のオゴリの結果」なのでは・・。
890NASAしさん:03/07/03 10:20
想定外の現象が起こると、究極的破滅に見舞われる。用心用心。
891NASAしさん:03/07/03 14:15
青函連絡船のゲームコーナー(?)にあったウルトラクイズをやったことがある
奴はどれくらいいる?
892878:03/07/03 14:52
>>880
ごていねいにどうもです。
893NASAしさん:03/07/04 06:17
無礼をおわびです。
このスレの人は本当に真面目な人が多いよ。
僕は意地悪な質問もしたしまった。僕は船が大好きだもん!


僕は感謝のメールが返せなかった。
それどこか、このスレを覗くのが怖かった。
たぶん、おれは間違えている。

894NASAしさん:03/07/04 22:53
もうあと百幾つのレスで、このスレも終了か・・・

青函鉄道連絡航路80年の歴史の重みと、
皆様のご協力のお陰様を持ちまして、
2ちゃんねるに付きものの、多少の小競り合いも有れど、
2ちゃんねるとしては奇跡的な、希代の感動スレに育ちましたなあ。
感謝。感謝。。
最後までよろしく。
895NASAしさん:03/07/04 23:08
>>891
売店の斜め前だっけ?やったYO!
あと「エレベーターアクション」かな(w
896NASAしさん:03/07/04 23:37
生まれて初めて乗った青函連絡船が、88年8月の夏休み限定復活航行だった。

行きは北斗星で函館まで行って、
帰りは函館〜連絡船〜青森〜はつかり〜盛岡〜上野の予定だったが、

東北本線の崖崩れ事故で行きの北斗星は奥羽本線経由に。
結局、臨時停車の弘前で北斗星を降りて、青森から連絡船に乗った。

鉄ネタ多くてスマソ。
897NASAしさん:03/07/05 00:48
昔は連絡船が運航していることが当たり前だった。
いつまでもそれが変わらないものだと思ってた。

無くなってから後悔することの何と多いことか…
898NASAしさん:03/07/05 01:05
連絡線廃止の時に発売された,記念オレンジカードセットって今どの位するんだろうか?
899NASAしさん:03/07/05 16:40
>>663-667を参照。
900NASAしさん:03/07/08 23:31
爽やかに俺が900ゲット。


接岸まであと100レスです。
901NASAしさん:03/07/08 23:39
>>900
タグボート(といっても押し専門)マダァ?
赤船?青(緑)船?

そう言えばタグは早々に売れていったらしいが、誰か追いかけた人いる?
902NASAしさん:03/07/09 04:49
一隻(ひうら丸?)は確か石狩にいたような。>タグ
903NASAしさん:03/07/09 22:00
◆あかぶね(えさん丸・たっぴ丸・かつとし丸U・しらかみ丸U)データメモ

共通要目:主機=ディーゼル820ps×2、推進器=コルトノズル付き可変ピッチプロペラ×2
各船要目:@総トン数 A全長 B全幅 C深さ D進水年月 E建造所
えさん丸 @183.09t A23.20m B8.00m C3.80m DS42.04 E函館ドック(函館)
たっぴ丸 @182.81t A23.20m B8.00m C3.80m DS43.02 E函館ドック(函館)
かつとし丸U @188.27t A23.21m B8.00m C3.80m DS43.11 E函東工業(函館)
しらかみ丸U @180.42t A23.21m B8.00m C3.80m DS43.12 E日魯造船(函館)

■あおぶね(ひうら丸・ふくうら丸)データメモ
共通要目:主機=ディーゼル1000ps×2、推進器=全旋回式固定ピッチプロペラ(ダックペラ)×2
各船要目:@総トン数 A全長 B全幅 C深さ D進水年月 E建造所
ひうら丸  @235.33t A30.00m B8.40m C3.80m DS53.03 E函館ドック(函館)
ふくうら丸 @235.22t A30.00m B8.40m C3.80m DS53.03 E函館ドック(函館)
904NASAしさん:03/07/09 22:08
聞いた話では・・・

あかぶね(えさん丸型補助汽船)は、
動きが機敏で、馬力もあり、連絡船本船乗組員の間でも活躍ぶりには評判が良かったという。

あおぶね(ひうら丸型補助汽船)は、
あかぶねよりも一段と力持ちだったが、やや大型で少々鈍い(追従性?)ところもあると、
連絡船乗組員には、あおぶねよりも、あかぶねのほうを好む向きもあったという。
905船長に浣腸:03/07/09 22:16
>>902
>ひうら丸
石狩湾新港に居ますね。
今でも現役です。

毎年7/20の海の日には石狩市民のための港内クルージングをやってるそうだが・・・
906NASAしさん:03/07/09 22:44
俺の叔父が元青函連絡船の乗組員だった
元は稚泊連絡船にいて終戦後に青函連絡船に乗務するようになった

洞爺丸台風の時は大雪丸に乗っていた、あのとき助かった連絡船の一隻だけど
嵐の中エンジンが途中で止まったりしてそれはきわどい目にあったらしい。

「エンジンが止まったら沈没する!」って怒声が飛び交ってそんな最中にエンジンが止まって
その時叔父は「死ぬんだな」と思ったそうだ。幸いすぐ再起動したので事なきを得た。

この台風の中、洞爺丸の近くを通ってその船影は見た記憶があるそうだ

907パ⊃ダ〒人:03/07/10 06:36
みなさまのレス拝読させて頂いておりますです。
青函連絡船沈没事故については七重浜のスパビーチの近くに碑が立てられているだけでひっそりしたものです。
今や地元人でも知らない人が増えてしまった。。体験者がまだご存命の内にもっと語り継いで行くべき事の様に思います。
青函連絡船が廃線になった時ワシはまだ小さい頃で青森まで数回乗って
その度に船酔いでゲロしたのと緑で統一された床の色が記憶に残っていますが、今思うと乗船は貴重な体験だったのでしょう。
さてもうすぐ夏休みですね。帰省シーズンですが函館帰っても駅が無くなっちゃった…
ニュースで見たピカピカの新駅舎も良さげだけれど、何だかなぁ…
(´・ω・`)

908NASAしさん:03/07/10 06:53
>>907
慰霊碑としては、函館山の途中にありますね。
戦災と台風で殉職された船員の方の名前が彫られた碑と、
台風で沈んだ5隻の船体の一部を貼り付けた碑がありますよ。
909パ⊃ダ〒人 :03/07/10 07:22
>>908
ウチはお墓があそこにあるのですが、慰霊碑があるとは知らなかったなぁ…(地元人なのに欝だ逝こry)
8月に帰ったら見に行ってみますね。じいちゃんの墓参りにも行かなきゃ…

            ┏━━━┓
             ┃      ┃
             ┃      ┃
             ┃      ┃
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           ┏┻━━━┻┓::::::::::::::::::::::::::::::::_┌─┐_:::::::::::::::...+
  (´・ω・`)  .┏┻━━━━━┻┓::::+::::::::::::::::::\     /:::::::::::::::::::::::...
  ( 人 )  ┃  ┏━━━┓  ┃:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::....
  と_)_) ━┻━┻━━━┻━┻━

津軽海峡を望む函館山麓の墓地     向こう側は木古内 ↑いつもタンカーが止まっている

910NASAしさん:03/07/10 22:23
当時の七重浜は真っ暗だったから、沈没直後には

車かき集めて並べてヘッドライトで煌々と浜を照ら

したって聞いたことある。
911NASAしさん:03/07/11 07:42
>>910
> 車かき集めて並べてヘッドライトで煌々と浜を照ら
> したって聞いたことある。

当時はかき集めるほど車がなかった罠。
確かに搬送のためにトラックが来てはいたが
わざわざ浜を照らすためだけに車を並べるほど
車が余ってるわけじゃない。
照らす暇あったら生存者運ぶぞ。

現地の電灯電源は江差線に止めた客車から引っ張ってきていたそうだ。
912NASAしさん:03/07/12 01:16
微妙に板違いもしれないが。
航送(←この熟語あってる?ATOKに無かった。)時に使われる控車は、
可動橋が入換機関車の重量に耐えられないから、と聞いていたのだが、
C62、DD51、ED76などは、連絡船で渡道(←これもATOKに無い。鬱)したのかな?
913NASAしさん:03/07/12 01:25
C62→石炭おろして、水も抜く。
DD51→燃料を抜く
で、どうかな?だめ?

ED76→どうするんだろ?
914_:03/07/12 01:28
915NASAしさん:03/07/12 01:57
>>912
「航送」、「渡道」・・・。
昭和は遠くなりにけり。
916NASAしさん:03/07/12 05:54
渡道の定番列車、急行八甲田という言い方がありましたね。
よく鉄道雑誌で使われていたような。
確かに、八甲田に乗ると、北海道を感じた。下り八甲田に乗った時、
徹夜で倉本聡を論じていたグループがいて、寝つけなかった。
何故か北海道へ行く乗客たちの元気が良くて、青森方面の客はひっそりとしていた
印象がある。
917NASAしさん:03/07/12 08:16
>>916
> 渡道の定番列車、急行八甲田という言い方がありましたね。
> よく鉄道雑誌で使われていたような。

末期にはB3段寝台客車と荷物車を連結して「モトトレイン」として上野から函館まで
バイクも運んでいたよな。(青函間は荷物車のみ航送)
ちょうど、北海道ツーリングブームの過熱期で夏のシーズンはいつも満員。
バイク海苔にも懐かしい列車ですた。
918NASAしさん:03/07/12 12:15
>>912

過去レスの>>167>>169あたりを参照されたし。
可動橋に機関車のような重たいものが乗ると、船の沈み込み量が大きくて、
可動橋の勾配が規定をオーバーして、車両が脱線する恐れがあったため、
あるいは郵便車など20m級大型航送車両の床下機器が、橋の継ぎ目を通る際、
接触して破損する恐れがあったため、控車を5両くらい、航送車と入換機関車の
間に挟んでいたもの。
機関車だって、連絡船に積もうと思えば積めたんじゃないかな?
ただ、積み込みには、非常に時間がかかったのではないかと。
というのは、当然、可動橋の変位が大きいので、変位量が規定をオーバー
しそうになったら、いったん停止して、連絡船のトリミング&ヒーリングを実施、
そうやって、可動橋の変位を慎重に調節しながら、脱線しないように少しずつ
船内に入れたのではないかと想像する。回送費用もそのほうが安上がりだろうし。
919NASAしさん:03/07/12 15:25
>>917
そのまま「海峡3号」になってました。(八甲田
920NASAしさん:03/07/12 15:52
>>918
日常業務として機関車が可動橋を越えて直接出入りするのは
事故が起こる可能性があるので行われなかったが
本州からの新車輸送(甲種回送)は全て連絡船で行っている。
最後の新車輸送はキハ183系だったような。

つーか、連絡船を使わないと何のための車輌航送なんだか。

>>919
トンネルができたあとは荷物車もトンネル経由だったね。
・・・その「海峡」も「モトトレイン」なくなったわけだが。

921???:03/07/12 15:56
922NASAしさん:03/07/12 20:17
つくづく良スレだな。
大学時代、就航全船特大ポスターを貼っていたが、大事に取っておけば良かった。
大きすぎて、自重で崩壊してしまったよ。
923香川県民:03/07/13 13:11
>>901-905

 8年前のGWに渡道した目的が、八甲田丸・摩周丸の見学とアオブネの
ひうら丸・ふくうら丸のその後の確認でありました。

 ひうら丸は石狩湾新港の専用桟橋に係留されているのをあっさりと見つけることが
出来ましたが、ふくうら丸の方は苫小牧に着いてからタグ業者に電話を掛けて所在を
確認。見た瞬間2日酔いがさめたのを覚えてまつ。

 で、ひうら丸の方は元十和田丸のジャパニ-ズドリ-ムの函館里帰り入港の際に入出港
支援をやったり、2年ほど前に小樽港に米海軍空母のキティホ-クが入港した時のタグボ-ト
船隊の中にいたのを見たりしましたが、ふくうら丸の方は2年ほど前に廃船になったと
某鉄道誌に伝えられていたと思います。
924NASAしさん:03/07/13 14:53
>912
先月のピク誌に、先代日高丸の最後尾のど真中に鎮座ましまして
航送されるED75の写真が出てましたよ。
925NASAしさん:03/07/13 15:16
>>924
やはし、真ん中ですか。
人もそうだが、車両にもドラマありだね。
堂々凱旋のC622がいたり、失意の里帰り485系1500番台がいたり。
ところで人と車両ともう一つ。
自動車を載せた経験のある人いますか?
926NASAしさん:03/07/13 15:17
>>923
>  で、ひうら丸の方は元十和田丸のジャパニ-ズドリ-ムの函館里帰り入港の際に入出港
> 支援をやったり、

JDの石狩湾新港入港時ですね。当時ひうら丸は既に石狩湾におりましたから。
927NASAしさん:03/07/13 15:24
>>925
> 自動車を載せた経験のある人いますか?

>>389
928NASAしさん:03/07/13 15:42
>>927
申し訳程度の自動車航送だものな。
きっと、国鉄の営業車航送用なんだろ。
929NASAしさん:03/07/13 16:32
>>928
東日本フェリーと競合しないようにダイヤが決められたそうだ。
国鉄が民業圧迫しちゃいけなかったからね。

それでも夏のシーズンは連日満車だったそうだし、
改造船の檜山・石狩丸では車両航送用の専用フロアも作られている。
乗用車に限ってみれば結構需要があったみたいだ。
930NASAしさん:03/07/13 17:08
>>927>>928>>929
冬に1度、青森から自動車ごと乗ったことあるよ。
連絡船の自動車航送、津軽丸型は露天甲板なので、モロに波飛沫がかかって、
敬遠する向きもあったけど、夏なんかは自動車航送切符は大人気で入手困難だった。
で、冬に乗ったときのハナシだけど、青森桟橋では、自動車は上り坂のスロープを
自走して、連絡船に乗り込むんだけど、先行するBMWがFRのせいなのか、
雪が積もって凍結したスロープを空転してどうしても上がれない(w
何回も下まで戻っては勢いを付けてリトライするのだが、どうしても連絡船まで
届かない。しかたないので桟橋職員と協力してビーエムの尻押しをしてやって、
やっとこさ連絡船まで入れてやったよ。そのときは改造客貨船の石狩丸だったんで、
車両甲板は完全に密閉されて、波飛沫は心配無用。だから洗車券は貰えなかった。
件のビーエム野郎、船内で遇っても、礼ひとつ言わん。なんちゅうヤシだ!
函館桟橋では、自動車はエレベーターで下船するからラクだったよ。
少数だが、フェリーよりも連絡船の自動車航送を愛用する行商人もいたみたいだ。
931NASAしさん:03/07/13 18:56
連絡船が今もあるかのようだ。
932香川県民:03/07/13 19:40
>>926
>
JDの石狩湾新港入港時ですね。当時ひうら丸は既に石狩湾におりましたから。

 確かにそうでした。御指摘感謝。m(--)m
 
933歴史は古いけど:03/07/15 04:18
実力は200位。
934NASAしさん:03/07/15 08:45
58年前の1945年7月14・15日、米軍機動部隊の攻撃により、
青函連絡船は壊滅的打撃を被り、多数の殉職者が出ました。
昨日7月14日、函館山の麓の登山口傍らにある、その慰霊碑の前で、
有志による法要がしめやかに行われたそうです。合掌。
935山崎 渉:03/07/15 12:32

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
936NASAしさん:03/07/15 13:09
age荒らし対策緊急あげ。
937NASAしさん:03/07/15 16:34
そうでしたね。黙祷。>934氏
938NASAしさん:03/07/15 21:10
>>934
黙祷。


で、19日の八甲田丸、21日の摩周丸のイベント行く香具師、居る?

漏れはどっちかには行く予定。
939NASAしさん:03/07/16 14:21
>934
いけなさそうだ鬱。ヒマあったらレポよろしこ。
940船長に浣腸:03/07/17 23:11
イカロスムック
「鉄道連絡船のいた20世紀」 7/18発売

青函・宇高連絡船がなくなって今年でちょうど15年。鉄道連絡船は記憶の彼方に沈もうとしている。
鉄道連絡船がつづった歴史を振り返り、あの頃にあこがれていた船たちをよみがえらせる。
青函・宇高・関釜・稚泊連絡船の歴史と運用、船の詳細から桟橋のあった駅、連絡船に接続する
名列車の数々、戦争と連絡船、洞爺丸などに見る連絡船の悲劇、今でも見られる連絡船ガイドなど、
鉄道連絡船をトータルに紹介する貴重な1冊。

http://secure.ikaros.jp/sales/mook-detail.asp?ID=738
941NASAしさん:03/07/18 23:27
ホテルシップヴィクトリアの親会社であるハヤシマリンカンパニーが経営破綻したらしい。
さあどうなる大雪丸!?
942NASAしさん:03/07/18 23:34
>>941
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=51023
ハヤシマリンカンパニー:平成15年7月17日会社更生手続開始申立

東日本フェリーに引きずられたか?
943NASAしさん:03/07/18 23:44
>>942
再建できたとしてもホテル部門は整理対象でしょうから
HMKで運営されることは無いと思われ。
日本国内で引き取り手が無かった場合、
最悪上海あたりの海上ホテルとして売却されるのがオチか?。・゚・(ノД`)ヽ(;Д; )
944NASAしさん:03/07/19 01:54
>>940
ムック見ました。
金丸氏の写真が載っています。金丸氏が以前、朝日イブニングニュースから出した
写真集の写真の一部が入っています。あの写真集はすぐ絶版になり、手許にはありません。
立ち読みで見たことがあるだけですが、記録写真として優れていると思います。
4本煙突の洞爺丸型の写真には圧倒されます。あの写真集がどこかで再販されないかな。
海水が侵入して、床が濡れている時化の日の操舵室の写真もあったと記憶しています。
945NASAしさん:03/07/19 12:40
八甲田丸現役当時の汽笛が復活
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2003/0719/nto0719_6.html
946NASAしさん:03/07/19 16:47
>>945
うれしい話だ・・・・・ウルウル
947NASAしさん:03/07/19 17:27
>>940
取り敢えず買っちゃいました。
が、他の資料や本を持っているのであれば、はっきり言って買う必要なし!
中味も中途半端だし、資料的な価値も無い。
しかもあのページ数であの値段。
高すぎだよ。
948NASAしさん:03/07/19 23:33
>>947
図書館で借りれば良い
949NASAしさん:03/07/19 23:43
>鉄道連絡船は記憶の彼方に沈もうとしている。
宮島のは、まだまだ大丈夫と思いますが
950NASAしさん:03/07/19 23:48
>>949
イカロスが勝手に沈めちゃいました。(ワラ
951NASAしさん:03/07/20 13:54
八甲田丸に懐かしいドラの音
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2003/0720/nto0720_8.html
952NASAしさん:03/07/20 17:15
>>952
拍手!!!
953NASAしさん:03/07/20 17:16
ドジった。>952でなくて>951だた。(w
954NASAしさん:03/07/20 17:17
そろそろ本スレも入港スタンバイか? 汽笛2発だったか?
955NASAしさん:03/07/20 17:52
売店前に整列!
当然わかっている人は、階段を上がってグリーン出口へ!
ところで入港時に船内に流れる曲は何だっけ?クレーダーマン?
956NASAしさん:03/07/20 22:19
下船口前に「2列にお並び下さい」とか立て札を置いていたんだっけか?
957NASAしさん:03/07/21 06:00
摩周○に乗ってきたら
久々のリアル船だったせいかタイタニック気分で航海したくなりますた。
958NASAしさん:03/07/21 23:02
>>955
たしか入港時用のレコード(テープ)があったと思う。
便によって到着時館が違うので時間に合わせたBGMを
チョイスしていたのではないだろうか。
朝到着便だとカッコーワルツやロッキーのテーマ、とかもあったと思う。

列車までダッシュするイントロとしてはピッタシだと思ったよ。<ロッキーのテーマ
959NASAしさん:03/07/22 09:20
19日に八甲田丸にいってきました。
960kazu:03/07/22 09:22
☆頑張ってまーす!!☆女の子が作ったサイトです☆
       ☆見て見て!!
http://yahooo.s2.x-beat.com/linkvp2/linkvp2.html
961NASAしさん:03/07/22 12:26
青函連絡船の自動車航送は利用した事は無いけど、北海道へ渡るチャリダーが坂道を
乗り込む所を見たことがあります。
そう言えば、以前読んだとある漫画で、改装後の石狩丸に乗って北海道に行く
単車乗りの集団が描かれていました。
ツーレポみたいな感じの作品でしたが。
962NASAしさん:03/07/23 15:16
手元の資料によると、自転車の航送料金は700円だったそうです。
>959
いいなぁ。楽しかったですか?
963NASAしさん:03/07/23 21:57
>>947
> >>940
> 取り敢えず買っちゃいました。
> が、他の資料や本を持っているのであれば、はっきり言って買う必要なし!

ま、現在一般の人が入手できる資料としてはこのイカロス以上の写真資料は無いだろう。
他の資料といっても古本屋で3万5万するようなボッタ値ばかりだから
おいそれとは手が出せる代物じゃない。

> 中味も中途半端だし、資料的な価値も無い。
|;・∀・)ノソウデモナィョゥ
結構出版物初出の写真もあったり。
やっぱりその点はプロだね。

> しかもあのページ数であの値段。
> 高すぎだよ。
だったら買わなければいいのに。
買うべきは内容の質だろ。質。
ページ単価で高い安い言うなら時刻表でも齧ってれ。
964NASAしさん:03/07/24 00:30
960> お・ま・え・は・あ・ほ・か・〜・〜・!!
965NASAしさん:03/07/24 02:19
真面目な板なんだから「☆女の子が作ったスレどえす〜!」
とか言って荒らすなよな〜・・・・。
966NASAしさん:03/07/24 08:35
>>963
あれは既に連絡船を知っている人間が読むものではないと思う。
俺はあの本をきっかけに「鉄道連絡船」って特殊な世界に興味を持つ若者が
増えればそれでいいと思う。
あれをきっかけに興味を持ちさらに知りたいって人がここへ来たら、もっと
充実した書物なりサイトなりを教えればいいと思うよ。
967NASAしさん:03/07/24 11:09
最近は、パッと一般人の目に付く連絡船関係の本が無かったからなあ。
姉妹の宇高スレではエピソードが集まらず苦戦している様子だし・・・
そんな風化した状況だから、刊行してくれたこと自体を率直に喜ばなきゃ。
968959:03/07/24 22:44
>962
楽しかったです。
地元なのに今まで言ったこと無かったです。
日本郵船にいたひとと話しも出来たよ。
969NASAしさん:03/07/27 15:40
次スレお待ち下さい
970NASAしさん:03/07/27 15:51
971NASAしさん:03/07/29 07:39
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
973どはははははっ!!:03/08/11 23:37
↑ くりゃ〜っ! コノヤロウ、廊下を走るなっ!
974NASAしさん:03/08/12 22:40
975NASAしさん:03/08/13 23:42
…このスレ読み始めて半年、やっと追いついた…
微かに八甲田丸の記憶だけある…
メダルは当然作ったんだけど20年前だからもうどっか逝っただろうなー
(北海ー>連絡船ー>白鳥だた)
976山崎 渉:03/08/15 18:35
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
977NASAしさん:03/08/17 11:26
八甲田丸は39年前の1964年8月12日、14便で処女航海だったって。新スレにカキコあった。
978NASAしさん:03/08/18 00:18
age
979NASAしさん:03/08/19 19:36
しっかり埋めてあげましょう。
980NASAしさん:03/08/19 22:23
比羅夫丸
981NASAしさん:03/08/19 22:23
田村丸
982NASAしさん:03/08/19 22:31
次は梅ヶ香丸・・・かな?
983NASAしさん:03/08/20 21:29
傭船も含まなきゃならないのか?
埋め立て中に翔鳳丸型すら行かないぞ。

てな訳で

白神丸
984NASAしさん:03/08/20 21:30
竜飛丸
985NASAしさん:03/08/20 22:36
流石は皆さんイニシエのフネまでよ〜く御存じですなあ。感服いたしました。敬礼っ!
986NASAしさん:03/08/21 00:14
宇曾利丸
987NASAしさん:03/08/21 16:56
車運丸って、あり?
988NASAしさん:03/08/21 17:49
本、見ながら書き込んでる香具師いるだろ?(w
989NASAしさん:03/08/21 22:06
>>988
漏れの目の前には終航の時に売ってた
特大ポスターが貼ってありますが何か?

そういうわけで埋め立て参加。

・千歳丸
・浮島丸
990NASAしさん:03/08/21 22:30
>>988
歴代の青函連絡船の船名くらい空で言えなきゃ、連絡船ヲタじゃないよ。

第一青函丸
991NASAしさん:03/08/21 22:34
ume
992NASAしさん:03/08/21 22:34
tate
993NASAしさん:03/08/21 22:35
八甲田丸
994NASAしさん:03/08/21 22:35
羊諦丸
995NASAしさん:03/08/21 22:36

摩周丸 
996NASAしさん:03/08/21 22:36

空知丸
997NASAしさん:03/08/21 22:37



石狩丸
998NASAしさん:03/08/21 22:38




十和田丸
999NASAしさん:03/08/21 22:38



紫雲丸


アレッ?
1000NASAしさん:03/08/21 22:39
連絡船、マンセー!
10011001
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