【妄想】架空の車輌形式・番台スレ【予想】2

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107名無し野電車区
青函連絡船・3代目津軽丸型
1964年から建造が始まった津軽丸型を置き換えるために国鉄が1985年から建造を
開始した新連絡船。現存津軽丸型を置き換えるために5隻が建造された。
性能的にはそれまでの津軽丸型と同じ18ノット青函間3時間50分運行であるが、
バウスラスターの他にスタンスラスターを装備し、着眼時の補助汽船使用を省略
できるようにした。機関制御システムにはさらに最新のシステムを搭載し、機関部
人員が10名程度までに減らされることになるなど、国鉄〜新会社の厳しい経営状況
に配慮したものとなった。
客室はグリーン・寝台・普通の3クラスを踏襲しており、寝台は個室から開放タイプ
改められ、24系客車と同等の2段寝台が30名分用意された。
グリーン船室の椅子席は、指定席では新幹線100系1人掛けと同じものが、自由席では
200系新幹線と同じ座席が採用された。
普通船室は従来とほぼ同じで桟敷中心となっている。椅子席は石狩丸と同じくキハ
183系普通車と同じ座席が使用されている。売店・喫茶は従来通りだが、食堂は
セルフサービス形式となった。
自動車棟最大数が増やされ1隻につき20台搭載可能で、下部遊歩甲板に屋根付き
専用スペースが確保された。これにより定員が少し減って、普通船室は700人、
グリーンは100人、寝台が30人で合計830人となった。
1985年3月改正時に第一船「津軽丸」かが投入され、「大雪丸」と入れ替わりで
営業に入ったところ乗客には好評で、分割民営直前の1987年3月までに残りの
「松前丸」「八甲田丸」「大沼丸」「十和田丸」が投入された。船名はすべて
航路周辺の観光地の地名とされ、始めて「大沼」の地名が使われた。
入れ替わりに在来の津軽丸型は全て売却された。

…青函トンネルがないという前提でヨロ。