1 :
名無しさん@社会人:
2 :
アンチ・オイディプス:2010/04/05(月) 16:00:54
前スレ
>>964-967 ずいぶん日共にご執心な様で(苦笑)
君はもう少し社会主義史を勉強したほうがいいね。
あと、議論の仕方も。
>いずれにしろ、あんたらが勝手に仲間割れしているだけで、破綻している同じ穴の狢というほかはないのだが。
そう断言できる理論的な根拠を尋ねてるんだけども?
「政治史的にそうだから」ってんじゃ理由にならないし、政治史としても間違ってるしね。
君の言う意味でのML主義が共産主義の主流を担ったのなんて、せいぜい戦争前後の5〜15年くらいのことだよ。
それも管理社会化へ向けた歴史の一側面でしかない。
同じような現象は日清日露戦争や第一次大戦の前後にも起こってるし、逆に言えば、戦争が起こるたびに
共産化が起こってるとも言えるし、あるいは戦争そのものが共産化へ向けたプロセスの一環と言うこともできる。
3 :
アンチ・オイディプス:2010/04/05(月) 16:28:50
>>2続き
ハンナ・アーレントは『革命について』の冒頭にこう書いてる。
「これまで戦争と革命が20世紀の様相をかたちづくってきた。事件がいろいろと起こったのは、レーニンのかつての予言を、
ただ大急ぎで実現するためだったかのようである。たしかに民族主義と国際主義、資本主義と帝国主義、社会主義と共産主義のような
十九世紀のイデオロギーを主義主張として掲げている人びとは依然としてまだ大勢いるが、これらのイデオロギーはもう
現代世界のリアリティの大勢からはかけ離れている。これに反して戦争と革命は、今日もなおわれわれの世界の二つの重要な政治課題と
なっているのである。つまり、戦争と革命を正当化するイデオロギーがすべて死に絶えたのちにも、戦争と革命そのものは
生きのびている。(中略)ところで今や、(中略)戦争の大義名分はただ一つしかない。その一つとは、(中略)暴政に対する自由という
大義名分である。」(ハンナ・アレント『革命について』ちくま学芸文庫)
戦争や革命が、「暴政からの自由」を大義名分とする限り、また資本制=民主制が暴政に陥らないという保障がどこにもない限り、
戦争も革命も正当化される。
現に保守の一部からは「民主主義こそファシズムだ」というような声が、日本でも欧米でも聞かれるわけだしね。
日本におけるこうした問題をいち早く分析したのが橋川文三だと言えるし、俺は前スレでも橋川の遺著『昭和維新試論』について
何度も言及してるはずだしね。
そうしたことを踏まえた上での反論というのを、俺はずっと待ってるわけだけど、君らは一向に出して来ないよね?
だから「退屈だ」って言ってんの。おわかりかな?
アカの発信する文化はどう見てもショボくてつまらないのに
偉大な音楽家が旧共産圏からたくさん生まれるのはなぜなの?
宮崎駿とか?
宮崎駿のどこが音楽家なんだよクソが
7 :
名無しさん@社会人:2010/04/14(水) 21:13:12
共産主義国家とは、
今は、中国、北朝鮮、キューバ、ベトナム、ラオスだろう?
でも、マルクスの言う共産主義国家ではない。
8 :
千のプラトー(アンチ・オイディプス改め):2010/04/18(日) 18:06:22
>>4 旧ソ連のようなスターリニズム・ML主義に関わらずアナキズム的なものも含めて、
共産的思考というものが音楽的思考と深く関係しているのかもしれないな。
「音」は言語や視覚イメージのような意味を媒介するものとは違って意味を必要としないから
人間の知覚に最も共有されやすいファクトだろうしな。
それゆえ最も理想的な体制というのは最も音楽的な体制とも言えるかもしれない。
ただしそれは統制された単音の体制ではなく、もっとポリフォニックで不協和な音で犇く
アナーキーな体制だろう。
つーかどう考えても「共産圏だから」じゃなくて
それ以前のロシアの文化の蓄積があるからでしょ
10 :
千のプラトー:2010/04/18(日) 23:06:12
>>9 それだと政治や民族といったものに「創造」を矮小化してしまうことになるね。
優れた音楽がなぜ生まれるかということの説明にはならないよ。
共産主義社会の抑圧された環境でそれだけに打ち込んでるからじゃない?
他にすることなかったらそこにしか希望見出せないもん。
住んでるところでは味わえない生きる喜びとかを音楽という一点だけにこめている
12 :
千のプラトー:2010/04/20(火) 22:53:41
>>11 それも結局、「創造」を矮小化してるだけ。
何かの代替として作曲をするっていう捉え方は、最悪のフロイディズムだね。
「実は優れてない、アカが持ち上げてるだけ」ってのは?
ノーベル賞級の特に理系の学者もけっこう生み出しているんでしょ?
冷戦対立で冷やかに見られていたにもかかわず。
旧東側諸国は、教育水準は意外と高いという話を聞くが。
15 :
千のプラトー:2010/04/22(木) 20:07:21
>>14 ヴィゴツキーとかメンデレーエフとかね。
文型でも、ソルジェニーツィンやショーロホフ、パステルナークとかいるし、
このうちソルジェニーツィンとパステルナークは反体制作家だった。
のちにサルトルはスウェーデン・アカデミーのこうした反共的な姿勢を理由に
ノーベル賞を辞退してる。
いずれにせよ、政治性とか民族性といったもので「知」を判断することは、
フーコーの言う「エピステーメー」(しかも固定されたそれ)に隷属することに
他ならないね。
経済的には南米みたいな第三世界に属したのにかかわらず、意外だね。
17 :
千のプラトー:2010/04/22(木) 22:07:26
>>16 だから(マクロ)経済性とはあまり関係がないんだと思うよ、学問とか言説ってのは。
だからこそ俺は前スレで「システム進化論」(前スレ参照)ってのを提唱したんだし。
反共主義者たちは感情的に猛烈に反発してきたけどね(苦笑)
ニュー速からの転載だけど
私有財産の否定(したから資本主義捨てろ、
とは言ってないし解釈自体もどうとでもできる)と
生産手段の社会化(つまり何なのさ)
が空想的社会主義者に狂った誇大妄想を与えちゃったのは歴史的事実だわな
76 名前: スズキ(神奈川県) 投稿日: 2010/06/24(木) 19:11:17.54 ID:/pmh6yYZ
>>47に補足すると、生産手段が資本家に握られているから、労働者は資本家に逆らうことが出来ない。
労働者を解放するには、生産手段の社会科が必要というのが共産主義の理論だった。
これは本当に正しい。この時点でマルクスは全く間違っていなかった。
その証拠に、生産手段を国有化したソ連では、国に逆らうことが出来なくなったからだ。
生産手段の社会化についての具体的な方法が示されていないというのが、共産主義の欠点。
それにしても反共主義者は本当に息を吐くように嘘を付くもんだな
ここら辺はマルクスが明確に否定してるのによくもまぁ
>私有財産ということは自分の財産は自分に(の?)ものになるわけですから全く悪いことではないと思います。
その通りです。
私有財産は、各個人の財産は各個人のもの!という意味です。
言葉の意味が間違っているようですね。
「否定」は「認めない」事を意味します。
「私有財産を否定する」事は、「私有財産を認めない」事を意味します。
「私有財産を認めない」のは、共産・社会主義の重要な基本原則です。
自由意志も認めない